デート・ア・ライブ 狂三リビルド (いかじゅん)
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狂三フェイト
プロローグ『運命』


原作再構成物でオリジナルキャラが一人だけ存在します。それでもよろしい方はお進み下さい


 

 時間。それは取り戻せない、決して変えることの出来ない筈の世界の摂理。過ぎた時が戻らぬのは必然であり、それを否定するは神に逆らう行為である。

 

――――これは、そんな神に抗おうとする少女(ヒロイン)と、それを救わんとする少年(主人公)の物語。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「本当にこの街にいるんですの?」

 

 トントン、とリズムに乗るように靴音を鳴らしふわりふわりと揺れながら少女が問いかける。ビルや住宅街が光を放つ宵闇の中でも美しく……いや、妖艶と言える赤と黒のドレスを纏う少女。

 

「――――精霊を封印出来る、なんてお方が」

 

 そうして振り向いた少女の瞳は可憐な紅玉と数字と針が存在する時計その物のそれで、言葉を投げかけた相手を映し出した。

 

「えぇ、確かにこの地に存在しますよ……〝彼〟はね」

 

 白。ドレスの少女を黒とするならば少女に答えた者の姿はまさにそうとしか表現出来ぬ程に純白だった。ドレスの少女と違い、顔までローブに包まれた者を判別できるのは女性の声、と辛うじて分かる程度の物。

 しかしドレスの少女はそんな彼女の姿を気にすることなく言葉を紡ぐ。

 

「それは結構なことですわ。わたくしの〝悲願〟もようやく果たせる日が近づく、と言うものですわ」

 

「まぁ今はほとんど精霊も封印されていないでしょうけどね。空っぽの器というやつです」

 

「……わたくしをおちょくっているというのなら、その喧嘩喜んで買わせていただきますわぁ」

 

 いつの間にか手にしていた古風な銃を片手に掲げ、ニッコリ、と微笑む少女。だが額に青筋が見えるような気がしてくる辺り確実に笑っていない。

 

「いやですねぇ、私は精霊を封印出来る人間がいる、とは言いましたけどもう既に精霊が封印されているー、なんて一言も言っていませんよ?」

 

「……はぁ、もう良いですわ。相変わらず口達者なお方ですけど、あまり出鼻をくじくような事をおっしゃらないでくださいまし」

 

 全く、と手にしていた銃を手品のように消し去りながら呆れ顔で嘆息するドレスの少女に、ローブの少女はイタズラが成功した子供のようにクスクスと笑った。

 

「ふふっ、ですけどそう遠いお話ではないと思いますよ。だからこそ、貴方をこの地に案内したのですから――――狂三」

 

「えぇ……えぇ!! えぇ!!」

 

 ドレスの――――狂三と呼ばれた少女が歓喜の声を上げ、そして笑う。それは“悲願”を果たす喜びか、それとも――――

 

 

「きひ、きひひひひひひひひ!! そうでなくては困りますわぁ!!」

 

 

――――文字通りの、狂うような悲しみか。

 

「何があってもわたくしは辿り着きますわ、必ず!!」

 

「では、改めて始めるとしましょう」

 

 並び立つ、地を見下ろす黒と白の少女。見せつけるように、物語の鐘を鳴らすように、少女は言葉を紡いだ。

 

 

「貴女の〝悲願〟と……私の〝計画〟を」

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 四月三日。春というか季節に違いなく暖かな空気と風は平和そのものと言える。当然それは人間として正常な眠気を誘うものであり、極めて健全健康な高校生、五河士道もその例外ではなかった。

 

「あー……眠い」

 

 人通りが多いとは言えない歩道を歩きながら、気だるさを隠すことも無く大あくび。共に歩く人がいるなら呆れ返るところだろうが、悲しいかな、彼は1人寂しくこの慣れた土地、天宮市を歩いていた。

 

「急に仕事の予定が前倒しになるとか、流石にブラック過ぎないか……?」

 

 その理由は単純明快。両親の急な不在による家事全般、ひいては人間の3大欲求の1つ食欲を満たすための買い出しであった。

 大手のエレクトロニクス企業に勤める両親はかなりの頻度で家を空けるため、食事に限らず家の家事は士道が担当する事が多い。

 

 ちなみに春休みという事もあり彼女いない歴=年齢の士道は、本来ならまだ睡眠を貪っている時間帯だったりするのだが、愛すべき妹によるスクリュードライバー(全身)により容赦のない覚醒を余儀なくされたのだった。

 

「たく、琴里のやつ年々技のバリエーション増えていってやがる――ん?」

 

 人通りが少ないということもあり独り言をこぼす士道の視界にひらり、と花弁が舞い落ちる。

 

「桜……もう満開って感じだな」

 

 開いた手の上にゆっくりと、しかし何枚も落ちる桜の花。掃除が大変そうだなぁ、と風情のないことを思いながらも士道はふと思いつく。

 

「まぁ急ぐ時間でもないし、少し見ていくか」

 

 気まぐれ。ただの時間潰し以外の理由はなかった。昼までに時間は有り余っているから、本当にただの思いつきの散歩だ。

 

 それが、その気まぐれの選択が、彼の運命を大きく狂わせる出会いが待っているとも知らずに、五河士道はその運命へ足を踏み入れてしまった。

 

 

 

「――――――――――ぁ」

 

 言葉が出なかった。否、ならなかったというのが正しい。

 そこにいたのは人でなかった。否、人とは思えぬほどに、美しかった。

 

 無論、咲き誇る桜の事などではない。もはや五河士道の目には、桜など映っておらず、ただそこに佇む少女しか映し出していなかった。

 

「――――――」

 

 絶句。彼が生きてきた中でこの衝撃に勝るものは無い。そう断言出来る程に、その少女は恐ろしい程に、美しかった。

 

 2つに結ばれた射干玉の髪、長い髪に隠された左目、黒いブラウスにスカート。

 黒。その色で統一されたそれは喪服を思い出させかねないが、艶やかな色の白い肌が暴力的な、それでいて清楚とすら思わせる組み合わせ。

 

 そんな言葉を並べても、最大級の賛辞すら遠く及ばぬ程に、絵に書いた絶世の美女より、五河士道の目には、目の前の少女が美しく見えてしまった。

 

「あら……」

 

 永遠とも呼べる時間を過ごしたとも思える士道だったが、佇んでいた少女が言葉を発した事ではっ、と動き出す。とはいえ、止まっていた思考が動いただけであって未だに体は衝撃から帰って来ないのだが。

 

「――――ごきげんよう」

 

 にこり。標準的な社交辞令なのだろう笑顔での挨拶。だが士道にはそれすら美しく……

 

「あっ、その……えー……お、おはこんばんにちは?」

 

··········沈黙。客観的に見て意味不明な挨拶を返してしまった。本当に時が止まってしまったような沈黙が数秒に渡って続いた。

 

(·····終わった。なんだかよく分からねぇ間に何が終わった)

 

「――――ふふっ、うふふふ。面白い挨拶をなさるのですね」

 

「えっ、あー……すいません、今のなしでお願いします!!」

 

「ふふふっ、なんですのそれ。おかしくて笑ってしまいますわぁ」

 

 士道の中で何かが終わりかけたようだが、唐突に少女が先程とは違った笑みをこぼし、更に士道が苦し紛れに頭を下げた謎の謝罪によって口元を抑え笑う少女。

 その仕草にすらドキッと胸が高鳴るのは、一体なんなのか。何かの病気なのかと思考したのは一瞬。

 

「こんにちは……俺は、五河士道って言うんだ」

 

 なに変な笑いを取った挙句、いきなり自己紹介をしているのか。それもただ偶然出会って見惚れた少女に対して。とか色々思い浮かんだが、沸騰した思考の中に浮かんでは消えていく。つまり、出会って数十秒でやけっぱちである。

 

「あら、あらあら、これはご丁寧に」

 

 そんな士道の面白おかしい言動が功を奏したのは、はたまた少女の気まぐれか。

 

 少女はスカートの裾をつまみ上げ、誰が見ても見惚れるほど優雅に礼をし、その名を口にする。

 

 五河士道のこれから始まる運命の日々。その最初に出会った少女の、絶対に忘れられぬその名を。

 

「わたくし――――時崎狂三と申しますわ」

 

 





四糸乃編までは書き溜めが進んだのでそこまでは順次投稿。それ以降は不定期になります。ちなみにこの小説のコンセプトはきょうぞうちゃんかわいいやったー頑張れ士道くん、です。勿論原作ヒロインも蔑ろにするつもりは一切ありませんので完結目指して細々と頑張って行こうと思います


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第一話『約束』

 五河士道。

 この春休みが終われば都立来禅高校2年生。散髪を怠り目にかかりそうな髪に、視力低下に伴い少し人相が悪くなっているのが少し悩みだ。

 それ以外には特に特徴らしい特徴もなく、平々凡々でありベッドの下には秘蔵の本が眠っているなど、至極健全な高校生である。

 

 そんな彼は当然――――恋人など、出来たことがない。

 

「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 悶える。ただひたすら悶える。慣れ親しんだベッドの上でひたすらゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。彼の妹が目撃すれば何事かと騒ぎ立てること確実であろう、びっくりするほど奇妙な光景であった。

 

「おはこんばんにちはって……それはないだろ!!バカ丸出しじゃねぇか俺!!うおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 もはや近所迷惑とも思える……しかし彼としては、非常に大真面目な悩みで心の底から叫んでいた。

 

 時崎狂三。士道が先日知り合った……と言うよりかは、出会っただけというのが正しい少女が彼をいっそ見ていて気持ちが悪いくらい悶えさせている原因である。

 

 士道の少ない賛辞の言葉で表現するならば、時崎狂三は美しかった。いや、それだけでは足りない。絹糸の様な髪。その手に触れたら折れてしまうのではないか、そんな風にすら思える白く滑らかな肌。

 

 そして何より、その瞳。紅の瞳だけでも魅入られる程だったが、風に吹かれたその瞬間僅かばかりに見えた〝金色〟の瞳に士道は狂おしいほど魅入られた。心酔……と言っても過言ではないかもしれない。

 

「まさかこれが……いやいや、落ち着け五河士道。まだ慌てる時間じゃない」

 

 ガバッと起き上がり、ベッド上で誰に言い訳するでもなく首を振る。

 何度も言うが、五河士道は16歳という青春真っ只中ではあるが彼女いない歴=年齢の少年だ。しかしまぁ、ベッドの下にお宝を隠していたり、女の子の仕草にドキッと胸が高鳴るなど、恋愛に興味が無いわけではなかった健全な高校生なのだ。

 

 しかし、今この瞬間も心臓の音がバクバクと鳴り止まぬこれは、今まで経験してきたそれとは比べ物にならない。

彼女の姿を思い出しただけで胸が高鳴り、顔が誰から見ても分かるほどに赤みが差す。そう、これではまるで――――

 

「……あークソ!!」

 

 もう何度目かの枕へのダイブを敢行する。分からない。この感情はなんなのか……ただ偶然出会い我ながら醜態を晒し、それを楽しそうに笑っていた少女。

 生まれてこの方、こんな感情の奔流は初めてだ。それも一度だけしか出会っていない少女に対して、だ。

 

 この感情の正体など、士道の反応を見れば10人中10人が決まった答えを返すくらい単純明快。だがしかし、本人としては何故か認めたくない気持ちがあった。

 

(いや、初めて会った子に有り得ないだろ。いやいやいや本当に)

 

 ……まぁ、思春期の少年によくあるプライドというだけだが。

 とはいえ、こうして身悶えしながら否定してもなんの答えにもならないのは事実。五河士道という少年は平凡だが、幸いにも前向きで行動力のある人物だった。

 

「分からないなら……会って確かめるかぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思いつきで会えたら苦労しねぇよなぁ……」

 

 眩しくて目がくらんでしまう快晴の中、士道は空を見上げポツリとそう零した。

 狂三と出会った桜並木から始まり、様々な場所を歩き回ったが……当然といえば当然、少女の影も形も見つける事は出来なかった。それはそうだろう、この広大な街の中で連絡先どころか先日一度会っただけの少女を見つけるなどプロの探偵か、それこそストーカー――

 

(……あれ?今こうしてるのって――――)

 

 それ以上はいけない。これは考えてはいけないと首を左右に激しく振り、一度思考をリセットする。天宮市駅前という事もありそれなりの人影があるので、不審な目や奇っ怪な物を見るような目を向けられるが仕方がない。人探しならまだセーフである、と自分に言い聞かせる方が先決だった。

 

「――――ひぐ……ぅぅ、」

 

「ん?」

 

 その光景を見つけたのは偶然、というか首を激しく振った時に彼の視界に入った。

 見たところ10にも満たないであろう少女が、噴水の前で啜り泣いている。多くの人が待ち合わせに屯する場所なのだが、誰もその少女を助けるどころか気にする素振りすら見せない。

 

 士道の頭に疼くような痛みが走る。ノイズが入ったように殆ど認識出来ないが……泣いている少女と重なるように、彼の認識する視界に姿を現した。

 

 少女があの時のように(・・・・・・・)泣いている。それだけで五河士道が体を動かすには十分すぎる理由になった。

 

「大丈夫か?どうしたんだ?」

「大丈夫ですの?どうかなさいまして?」

 

「えっ?」

「あらぁ?」

 

 声をかけたのは全くの同時。そして、それに反応し互いが隣を振り向いたのも全くの同時だった。

 

「え……ええええぇぇぇぇぇ!?」

 

「うふふ、またお会いしましたわね。五河士道さん」

 

 そこにいたのは見間違えようのない、見間違える筈もない士道の探し人――――時崎狂三だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「助かったよ……えぇと、時崎、さん」

 

「いいえ、わたくしまだこの街に来たばかりで余り詳しくありませんの……お礼を言うなら、わたくしの方ですわ」

 

 少女の問題は思いの外あっさり解決した。士道が大声を出した事で、完全に涙腺が崩壊してしまった少女を宥め事情を聞くと、なんて事はないありきたりな迷子の小学生というだけの話だ。

 そこから先はトントン拍子――図らずも狂三と再会した士道の心境はともかく――に進んだ。両親とはぐれたと言うなら向こうも探しているはず、という狂三の判断から士道が近くの駅員に事情を伝え駅のアナウンスで数刻待たず事件は解決した、という訳だった。

 

「いやいやそんなことね……じゃなくて、ないよ。俺一人じゃすぐには解決策も出なかっただろうし、ほんと時崎さんのお陰だ」

 

「うふふ、ではお互い様という事にしておきますわ。それにしても……五河さんはお優しい方ですわね」

 

 お互い様って、何か違う気がするなぁと士道が半笑いになっていると、狂三は突然そう切り出した。士道自身反応に困るくらいには唐突だと思う。

 

「えらい唐突だな……」

 

「だってそうではありませんか? 誰もあの子を助けるどころか見向きもしなかったのに、五河さんは迷いなく真っ先に声をおかけになられたではありませんの」

 

「それを言ったら時崎さんだって――」

 

「狂三、で構いませんわ」

 

 え、と士道が呆気に取られた表情で狂三を見るが、彼女はやはりにこりと男なら万人が見惚れてしまうような笑みを士道へ見せ、言葉を続ける。

 

「堅苦しそうなお言葉も、いつも通りにお話してもらって構いませんわ。その代わり……わたくしも、士道さん、とお呼びしてもよろしいですこと?」

 

「……あ、あぁ、そりゃ構わないけど……」

 

 なんだこれは? 五河士道16歳彼女いない歴=年齢の少年は今、狂三の言葉を飲み込むのに必死だった。というか飲み込めたのか怪しいくらいに頭の中がデッドヒートしていた。タイヤバースト直前である。

 

 考えても見て欲しい。いやほんとに考えても見て欲しい。何だか分からないけど胸の底から熱くなるような気持ちになる、まだ会って2回目のとんでも可愛い美少女が、お互いを名前で呼ぶようにお願いして来ている?

 

 つまり、士道の頭は今こう結論を出した――――これは夢である、と。

 

「……士道さん、何をしていらっしゃいますの?」

 

ひや(いや)ひゅめかとおひょっへ(夢かと思って)

 

 まぁ士道の残念な頭が出した答えなど当然正解であるはずも無く、目の前で自らの頬を引っ張る奇妙な人が完成していた。

 

「く、うふふふふふ……士道さんったら、本当に面白いお方ですわね……ふふふ」

 

「そ、そうか。お気に召したなら何よりだぜ」

 

 何やら士道の奇っ怪な行動がツボに入ったらしい狂三が、とてもとても可愛らしく(士道の主観)口元を抑えて笑う。

 士道としては笑いを取るための行動ではないので複雑だが、可愛らしい仕草と表情を脳内に納めることが出来たので結果オーライではあった。が、この少年、かなり思考が手遅れになっていた。

 

「うふふ……あぁ、ところで士道さん、今日は何かご予定があってここにいらしたのでして?」

 

「え゛…………て、天気が良いから散歩でもと思ってさ。あ、あははははははー」

 

 めちゃくちゃ棒読みである。まさか、今日は貴方を探す為に外出していたんです、とバカ正直に言えるわけがない。

 そんな士道の大根役者ここに極まるな様子に首を傾げながらも、狂三はちょうど良いですわ、と手を合わせ言葉を続けた。

 

「では一つお願いがあるのですけれど……先程も申し上げましたが、わたくしまだこの天宮市に来たばかりで立地には詳しくありませんの。ですから、士道さんに色々と案内していただきたいのですわ」

 

「え……俺?」

 

「はい。勿論、士道さんのご迷惑になるなら断ってくださって構いませんわ」

 

「いやいやいやいや!! 全然大丈夫だ、俺に任せてくれ!!」

 

「まぁ!! 頼もしいですわぁ」

 

 見栄を張って自身の胸を叩き勢いで承諾する士道に、狂三は手を合わせた仕草のまま楽しげに笑う。

 ……やはり夢なのではないか、と強めに反対側の頬も引っ張ったが、両頬が赤く腫れただけだと追記しておく。

 

 

 案内、と一口に言ってもなかなかに難しい事情がこの天宮市にはあった。広大、それでいてどこも新しい(・・・)場所ばかりなのだ。商店街、飲食店、テーマパーク、ショッピングモール、映画館に水族館etc……それら全ては例外なく新しく、古びた建物などとても見当たりもしない。

 

「あら、あら、どこを見ても随分と新しい建物ばかりですわね」

 

「あぁ……ほら、空間震(・・・)の影響でこの辺りは、さ」

 

 うんざりとしたように言う士道に、隣を歩く狂三も彼の言葉に納得が行ったという様に、少し表情を暗くして頷いた。

 

 空間震

 読んで字のごとく、文字通り空間の地震と称される〝天災〟。発生原因不明、発生時期不定期、被害規模不確定の爆発、振動、消失、その他諸々の現象の総称である。

 

 この災害が初めて確認されたのは、およそ30年前。ユーラシア大陸のど真ん中が僅か一夜にしてくり抜かれたように〝消失〟した。そう、何の比喩でもなくその一帯が何も無くなっていた。

 死傷者は、大体の見積もりでも1億と5000万人。無論、言うまでもなく人類史上最大の災害である。

 

「それで、30年前の空間震の後にこの辺で起こった空間震があったから、この天宮市が再建されたってわけだ」

 

「なるほど……士道さんはとても博識でいらっしゃいますのね。わたくし、とても勉強になりましたわぁ」

 

「い、いやいや、そんな事ないって!! この辺に住んでるから、ちょっと知ってるってだけだ」

 

 予想外に褒められてしまって照れ隠しに頬をかく。

 実際、30年前の空間震は授業で嫌という程習っているし、その半年後にこの一帯で起こった空間震も当然、天宮市に深く関わる事なので勉学が大得意、という訳では当然ない士道も当然のようにこの辺りの事情は知っている。

 付け加えるならば、自衛隊の災害復興部隊などというのもあり、崩落した施設などをまるで魔法のように僅かな期間で元通りにしてしまうのもこの街並みに関係があるのだろう。詳細はトップシークレットらしいが、こちらとしては大規模な手品でも見ている気分だ。

 

「あー……なんか暗い話になっちまったな。案内したいところはまだまだあるし、次に行こうぜ!」

 

「うふふ、お願いいたしますわ、士道さん」

 

「ッ!?」

 

 微笑まれ、名前を呼ばれる。たったそれだけの事で、心臓がバクバクと高鳴って仕方がない。顔だって耳まで真っ赤になっていると自覚できる。本当に、頭がおかしくなってしまったのではないと思えるほどに――――心が、踊っていた。

 

 

 

 

「あら、あら……とても素敵な場所ですわね、ここは」

 

「だろ? ちょっとした俺のお気に入りの場所なんだ、ここ」

 

 夕刻。時間のある限り様々な場所を――慣れない事をして狼狽えまくる士道の醜態はさておき――案内した果てに、もう時間も時間ということもあり、彼が最後に案内したのは高台の公園。

 士道が密かに気に入っている場所なのだが、彼なりの物凄い葛藤に打ち勝ったかいもあって、落下防止用の柵に手をかけ街並みを眺める狂三の反応は悪くない。

 

 ちなみに、出会って間もないのにデートスポットのような(・・・・・・・・・・・)場所に案内するのかと、百面相のような表情で唸り悩む士道に、狂三が不思議な表情で小首をかしげていた事は関係あったりなかったりする。

 

「えぇ、えぇ。素晴らしいですわ、素晴らしいですわ。この様な場所を知っているなんて――――」

 

「いやいやいや!! 流石にもう良いから!! ここでまた褒めるのはおかしいだろ!!」

 

 多少芝居がかったように、大仰に士道を褒め称えるようとする狂三の言葉を士道はすかさず遮った。

 〝また〟という士道の表現は間違っていない。街を案内している時も、狂三は何かと士道を褒め称えていた。それこそ最初は彼も真っ当に照れていたのだが……流石に些細なことでも賞賛しようとする狂三に待ったをかけるくらいには、まだ正常な思考が残っていたようだ。

 

「別に俺だけの場所ってわけじゃないんだし、俺を褒めるのは大袈裟だって」

 

「うふふ、素晴らしい場所というのは本当ですわ……士道さんの緊張も、解けてくれたようですわね」

 

「え……」

 

 もしかして、こちらの緊張を解す為に彼女は先程のような事をしていたのだろうか。彼女の為に街を案内していたつもりが、こんな形で気を使われてしまうとは……と士道は先程までとは違う意味で頬を赤くする。

 

「……ははは……女の子に気を使わせるなんて、情けないな俺」

 

「そんな事はありませんわ。だってわたくし――――自分の容姿には、少し自信がありましてよ?」

 

 ――――だから、士道の緊張は当然だ、とでも言うかのように壮大に、しかし過信ではなく確信を持って狂三は告げる。

 ひらり、と黒いスカートを揺らし、見上げる形でその妖艶なまでの微笑みで士道を見つめる。

 

 その一つ一つの挙動が、後ろ手を組み彼を見上げる仕草が、あぁそれら全てを上げていてはキリがないほどに時崎狂三という少女は――――

 

 

「――――あぁ、そうだな。今まで見たことも無いくらい、綺麗だ」

 

「ッ!?」

 

 

 熱に浮かされた、としか言い様がないのかもしれない。少なくとも〝今の〟五河士道は女性を口説く、などという高度な技は持ち合わせていない。

 だから、これは彼の純然たる本音。彼個人が咄嗟に出してしまった心の底からの賞賛。

 

 だが、だからこそ……初めて時崎狂三は動揺(・・)させられてしまった。

 

「……し、士道さんはお上手ですわね。少し·····照れてしまいますわ」

 

「あ……い、いや違うんだ!!いや違くないけどつい本音が出ちまって!!」

 

「そ、そうですの……」

 

 誤魔化すように、狂三は口元に手を添えながら視線を逸らす。夕日のせい、などではなく少女の頬は赤くなっていた……下手をすれば耳もそうなっている。

 不覚、というのはこういう事を言うのだろうと、熱を持った肌を何とか冷ましながら狂三は思う。まさかお遊びのつもり(・・・・・・・)で語らっていた少年から、こんなストレートな反撃が来るとは思いもしなかった。

 それもその後の反応を見るに、完全に天然でやった事だと分かる。何せ、今も目の前でアタフタと身振り手振りしているのだ。

 それでも、すぐさま調子を戻しからかうような微笑みに変え、少女は言った。

 

「わたくし、殿方にこんなにも真っ直ぐにお褒めいただいたのは、初めての経験ですわ……」

 

「くぅ……!! そ、それよりさ、どうして天宮市に?最近は空間震も多いのに……」

 

 苦しすぎる方向転換だが、これ以上思わず出た本音をからかわれるよりはマシだと士道は判断する。

 

「――――そう、ですわねぇ」

 

「え……?」

 

 その瞬間……空気が、変わった。

 正確には、狂三の纏う空気が変わった。今日見せていた物でも、先程まで見せていた僅かに照れた柔らかい物でもない。暗い、暗い、可憐な少女に似つかわしくないものだった。

 

「……わたくし、必ず(・・)やり遂げなければならない事がありますの」

 

「やり遂げなきゃならないこと……?」

 

「えぇ、えぇ、その為に必要な〝捜し物〟がこの天宮市にあるのですわ。それを手に入れる為なら、何を踏みにじろうとも、どんな事をしても……例え、この身が地獄の底に堕ちようとも――――わたくしは全て受け入れますわ」

 

「っ……」

 

 圧倒される。目の前にいる、己の住む街を見下ろし、言葉を紡ぐ少女に五河士道は圧倒された。

 それは、あらゆる感情が込められた言葉だと、ある感情に(・・・・・)酷く敏感な彼の心が感じ取った。

 

 黒い、真っ黒な感情。まるでそれが士道に繋がるように、流れ込むように伝わる。言葉一つでは言い表せないほどに混ざり合った絶望(・・)と、明確な拒絶の意思だ(・・・・・・)

 

 砂を踏みしめるように、足が僅かに下がる。圧倒された士道を見て、狂三はほんの一瞬だけ寂しげな微笑みを浮かべた。

 

「――――申し訳ありませんわ。こんな話、士道さんにお話するものではありませんのに」

 

「……ぁ」

 

「今日は、とても楽しかったですわ。さようなら……士道さん」

 

 そう言うなり振り返り、狂三は士道と真逆の方向へ歩き出す。

 

(俺は……)

 

 狂三が、遠のく。先程の強い拒絶の意思が思い出される。このまま行けば、五河士道は時崎狂三と真っ当に出会う事はない、そう告げられている。

 

(俺は……!!)

 

 そんなこと、認めたくない。拳を握りしめ、後退していた足を踏み出す。

 好意とか、そんな事の為ではない。士道は絶望(それ)を見過ごす事が出来ない。拒絶されようがなんだろうが、足を踏み出して他人に手を差し伸べる。

 

 

「――――狂三ぃぃぃぃ!!!!」

 

 

 五河士道という少年は、そういう底抜けのお人好し(バカ)であった。

 

「……士道さん?」

 

「俺に協力出来ることなら、狂三の力になる!! どんな小さなことだっていい!! だからいつでも――――俺を頼ってくれ!!!!」

 

 ……ポカン、とした表情で振り向いている狂三。当然の反応だが、士道の方は言いたいことは言い切ったと、突然出した大声に肩で息をして狂三をただ真っ直ぐに見ていた。

 

 その時、時崎狂三は何を思ったのか。青臭い少年の告白(・・)じみた言葉に、少女は何を感じ、何を考えたのか。

 

 それは少女にしか分からないことだった。それでも、五河士道の叫びは……時崎狂三を、笑顔にする事が出来たのだろう。

 

「うふふ……士道さんはお人好しが過ぎますわね。そのお言葉、後悔なされるかもしれませんわよ?」

 

「しないさ。狂三の為だったらな」

 

「……士道さんは、女たらしになりそうですわねぇ」

 

「? 何か言ったか?」

 

 後で正気に返ったら言った本人が悶えるようなキザなセリフに、狂三はポツリと言葉を漏らすが、幸い(?)にも士道には届かなかった。

 なんでもありませんわ、と首を振り狂三は踵を返し士道の元へと歩み寄る。

 

 ――――これは、気まぐれだ。ただ、目的を果たすその間に、疲れてしまわぬように暇つぶしとして、このおバカな少年を利用(・・)するだけだ。己にそう言い聞かせた。

 

「では、これから困った時は存分に頼らせてもらわせますわ。お覚悟はよろしいですわね、士道さん?」

 

「あぁ、男に二言はねぇ……よろしくな、狂三」

 

 そう、その狂三の気まぐれと、士道の決断。それが、2人のこれから始まる運命を大きく変えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 4月10日。天宮市。

 

 赤と黒のドレスの少女と、白いローブの少女が地を踏みしめる。とはいえ、そこは真っ当な地面などではなく砕かれた瓦礫の山(・・・・)だったが。

 

「派手に現界なされたようですわね。噂の〈プリンセス〉は、随分と不機嫌でいらっしゃるようですわ」

 

 そう、辺りに散らばる建物の残骸を見渡し、この光景がさも当然だと言うかのようにドレスの少女……アシンメトリーのツインテールに、隠れていた左側の黄色い時計の瞳を露わにした、時崎狂三が言う。

 

「別に現界する時に不機嫌かどうかは関係ないと思いますけど……まぁ、不機嫌というのは当たっているでしょうね」

 

 答える白いローブの少女も、狂三と同じようにこの光景に戸惑うことなど何も無いかのように告げる。

 

 2人の視線の先にあるのは、まるで隕石でも落ちたかのような……その場にあった物が全て“消失”して出来た巨大なクレーター。

 それだけでは、2人の視線を釘付けにするには全く足りない物だったが、そのクレーターの中心に立つ“少女”が問題だった。

 

 中心に聳え立つ玉座……紫の鎧のようなドレスを着込み、その王座の肘掛に足をかけ、不機嫌そうに、或いは憂鬱そうな表情のまま黒い髪を揺らし、顔を上げる少女。

 絶世、という言葉すら生ぬるい。時崎狂三に勝るとも劣らない美しさをその少女は持っていた。

 

「あれが〈プリンセス〉ですか。〈ハーミット〉以外にこの天宮市で確認されているもう1人の“精霊”」

 

「そのようですわね…………?」

 

 ローブの少女の言葉に頷いた狂三が、僅かに首を傾げる。〈プリンセス〉と呼ばれる少女と2人の間には相当距離があるが、人間には視認できない距離でも2人にとっては容易いこと。

 逆もまた然り、と言えるが見つかるようなヘマはしない。そう、気だるげに辺りを見渡した少女が、ふと視線を向けた先は自分たちの方向ではなかった。

 

 ASTも到着していないのに、この“空間震”が起きた場所に少女の気を引く物があるのかと、狂三は少女が視線を向けた方向へ視界を動かし――――

 

「――――――――」

 

 息を、呑んだ。ありえない。だってそこにいたのは、ここにいるはずのない、いてはいけない、狂三が知る人物。

 

 

「――――――士道、さん?」

 

 

 五河士道、その人だったのだから。

 

「狂三、五河士道を知っていたんですか?」

 

「え……?」

 

「まさか私が教えるより先に、五河士道に会ってるとは思っていませんでした」

 

 意外だ、という口調でそういう少女に、狂三は驚きを含んだ声を洩らしながら隣へ視線を向ける。

 こんなに分かりやすく動揺……と言っていいのか、戸惑いの表情を浮かべる狂三は相当珍しいと思いながらも、少女は狂三に告げる。そう、少女は五河士道を知っていて当然なのだ。何故ならば――――

 

「あそこにいる五河士道が……精霊を封印出来る〝唯一〟の人間です」

 

 ――――彼こそが、狂三の“悲願”を達成する為に必要な、唯一無二の存在なのだから。

 

 

「………………きひ、ひひ、ひひひひひひひひひひひッ!! あぁ愉快ですわ、愉快ですわぁ!! 本当に――――わたくしは、地獄の底すら生温い場所へ堕ちるでしょうねぇ!!!! きひひひひひひひひひッ!!」

 

 

 笑う。狂ったように笑う。これが笑わずにいられる筈もない。

 あぁ、あぁ、間違いない。時崎狂三という罪人は、地獄の底どころか地獄そのものですら生温いと思える場所へ、いつかその身を堕とす事になるだろう。

 

 だって、だってそうでございましょう?時崎狂三は、こんな訳の分からない女を〝助ける〟などとのたまったお人好し(バカ)な少年を――――

 

「……狂三、改めてあなたの選択を。私は、あなたのその選択に従うだけです」

 

「そんなもの、決まっていますわね」

 

 戯けるように、狂ったように、何かから目を背けるように、狂三が踊る。あぁ、あの時から何も変わっていない。

 運命とは本当に残酷で……クソッタレにも程がある。

 

 

「わたくしは士道さんを――――喰らいますわ」

 

 

 これが、五河士道と時崎狂三の物語の始まり。

 

 

 さぁ――――長い、長い戦争(デート)を始めましょう?

 




ここまでは試作版を手直しした物ですね。次からは四糸乃編に入ります。

……はい。十香ちゃんはダイジェストです。ごめんなさいでも十香ちゃんは好きですけど原作と変わらない展開だったのでそうなってしまいました。ちゃんと出番はあるのでゆるして

そんな十香ちゃんの活躍と可愛さが見たい方は是非デート・ア・ライブ第一巻『十香デッドエンド』をご購入ください!


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四糸乃パペット
第二話『再会』


第二話。ちなみに各話のタイトルには法則性とか特にないです私の貧相なボキャブラリーでは特に捻ったものが思いつかないだけです


 修羅場。一口にそう括ってしまうのは簡単だが、その意味合いは様々な物がある。世間一般的によく言われるのは、やはり男女関係の〝もつれ〟が主になるだろう。ただまぁ、なんの変哲もない普通の学生である五河士道にとっては、修羅場と言ってもよくあるドラマの中の出来事でしか無かった――――ただし1ヶ月前までは、だが。

 

「お、落ち着けって二人とも」

 

「ぬ……ではシドーはどちらのクッキィが食べたいのだ?」

 

「え?」

 

 間の抜けた声を発した士道に対して、刺し殺すような鋭い視線と共に、クッキーの入った容器をズイズイと差し出すのは2人の美少女(・・・)。そう、クラス中の男子がそれだけで士道を殺せるのではないかという、怨嗟に満ちた視線を注がれる程の美少女である。

 

「さあシドー!」

 

 片や、腰まであろうかという夜色の髪と水晶のように澄んだ瞳。その顔立ちは正しく絶世という言葉が相応しい――何だかこの前から絶世のバーゲンセールだなと他人事のように士道は思う――美少女、夜刀神十香。

 

「…………」

 

 片や、肩に届くかと言った短さの髪に色素の薄い肌。そしてその顔立ちは非常に端整であるものの、表情筋というものが死んでいるのではないかと思えるほどに無表情、という印象が強いため人形じみた美しさのある美少女、鳶一折紙。

 

(こ、これは……!!)

 

 正面から来る刺すような2人の眼光に、士道は脂汗を浮かべて後退り――後ろから来る、文字通り〝殺気〟にまみれたクラスの男子の視線に、彼は瞬時に退路など無いことを悟った。

 

 正しく絵に書いた様な〝修羅場〟だが、これがただの美少女相手だったならば、士道も甘んじてこの殺気を受け入れるしか無かっただろう……当然、この2人はただの美少女などではない。

 

 

 夜刀神十香。〝臨界〟と呼ばれる異界から現れ、こちら側に顕現する際に空間震を引き起こすとされる特殊災害指定生命体、通称〝精霊〟。

 〝霊装〟という通常の兵器では傷をつけることすら叶わぬ、霊力で編み込まれた鎧に加えて〝天使〟と呼ばれる物理法則では計り切れない、正しく異能を顕現させる最強の武器を持ち合わせた、絶対的な存在。世界を殺す災厄と呼ばれた者……それが彼女である。

 

 

 鳶一折紙。陸上自衛隊、対精霊部隊(アンチ・スピリット・チーム)、通称ASTに所属する魔術師(ウィザード)

 空間震によって甚大な被害を及ぼし、強大な戦闘能力を有する精霊を顕現装置(リアライザ)と呼ばれる装備を駆使し、武力を持って〝殲滅〟する為の特殊部隊。そして、何故か士道に並々ならぬ感情を持つ……それが彼女である。

 

 

 当然、命のやり取りをする関係の2人が、このようにまだ平和な修羅場を演じることなどありえない……のだが、そこでこの修羅場の中心人物である五河士道の存在が、そのありえない事象をありえることにした。

 殲滅という手段で精霊と相対するASTとは対照的に、精霊との対話による空間震災害の平和的解決を目指し結成された、その司令官……なんと五河士道の〝妹〟である五河琴里曰く、士道をサポートするために作られた組織――――〈ラタトスク〉

 

 個性豊かな面々が集まる〈ラタトスク〉の全面的なサポートを受け、精霊を唯一〝封印〟出来る五河士道が戦争(デート)を用いて、文字通りの臨死体験(デッドエンド)を乗り越え、夜刀神十香の霊力をその身に封印し――その方法は、恐ろしくロマンチストな物であり、実行した士道の罪悪感をそれはもうとてもとても滅多差しに突き刺して行ったが――今の十香はなんら人間と変わりがない身体になっている。

 

 精霊の反応が認められない一般人相手では、折紙たちASTも表立って命を狙ってくることはない、と琴里は言っていた。それが、この修羅場を生み出すことが出来た魔法の全容である。つい先月起こったことだが、本当に現実味がないと士道は思う。

 

 

 話を戻そう。今士道の目の前には十香が持つ、形が歪だったり焦げていたりはするものの、なんとかクッキーと称することが出来なくもない物体……そして折紙が持つ、性格が滲み出る完璧に、一分の隙もなく統一されたクッキーがあった。

 

(どっち食っても、殺されそうだなぁ)

 

 十香との戦争(デート)の前に、自身の黒歴史をばら撒かれるという、最大級の惨劇(悪夢)と戦いながら〈ラタトスク〉特注品のギャルゲーを攻略したかいがあってか、己の死亡フラグを予見した士道。

 

「……!!」

 

 躊躇いは、一瞬だった。カッと目を見開き、自らの生存本能に従った彼は、2人がじっと見つめる中素早く両手(・・)を使いそれぞれの容器からクッキーを掴み取ると、同時(・・)にそれらを口に放り込んだ。

 

「う、うん!! 美味いぞ、二人とも!!」

 

 これでどうだ、と2人の様子を神妙に見る士道を彼女たちはジッと見つめた後――――

 

「うむ。私のクッキィを食べる方が、ほんのちょびっとだけ速かったな!!」

「私の方が、0.0二秒速かった」

 

 ――――これまた、全く同時(・・)にそう言ったのだった。

 

「……ええと」

 

 静かに顔を見合わせる、否睨みつける(・・・・・)という表現があっている2人に、士道はその先の展開を予測する。何故ならば、この〝修羅場〟は今日が初めてというわけではなかったからだ。先月に十香が転入してから、幾度となく繰り返された光景に、士道は溜め息を吐く暇すらなく――――音速で繰り出される、お互いの急所を狙った拳の間に、士道は身を踊らせた。

 

(……狂三は、元気かなぁ)

 

 拳が彼の頭部と腹部に炸裂するまでの僅かな瞬間、彼の脳裏に走馬灯のように過ぎったのは、〝あの時の約束〟以来会えていない少女の姿だった。

 

 

 

 

「……くしゅん!!」

 

「おや、風邪ですか? 珍しい事もあるものですね」

 

「精霊が風邪を引くわけがございませんでしょう……大方、誰かに噂でもされたのですわ」

 

 十中八九、どこかのしつこい〝子犬〟でしょうけど、となんと言うことはないといった表情で付け加える狂三。テーブル越しに座るローブの少女も、狂三の表現で察したのか、あぁなるほどと頷いた。

 2人の少女が優雅な団欒、といった様子で語らう場所はマンションの一室。天宮市に活動場所を移してから、いくつも用意した拠点の〝メイン〟とも言うべき部屋だ。

 

「そう言えばその後(・・・)、五河士道とはどうです?」

 

「……藪から棒ですのね」

 

「だって気になるじゃないですか。私は〝彼〟の容姿も名前も教えていなかったのに、あの(・・)狂三がまだ普通の一般人だった五河士道と、まさか知り合っていただなんて」

 

「別に、何もありませんわ。ただ、偶然出会って顔見知りだっただけ……それにこの1ヶ月、会ってもいませんもの。士道さんの霊力をわたくしが〝喰らう〟――――それだけの関係ですわ」

 

 平然と、何も思っていないと言わんばかりに狂三はそう断言した。そこには欠片も動揺は見られない、表情に感情の動きも感じられない。が、ローブの少女はふーん、と面白がるような声色で会話を続ける。

 

「それにしては、五河士道が撃たれて腹に風穴が空いた時は(・・・・・・・・・・)、音声越しでも分かるくらい動揺してましたよね、狂三」

 

「ッ……! わたくしの目的はお分かりでしょう。士道さんに死なれては困るだけですわ!!」

 

「そうそう、ちょうどこれくらい分かりやすく、とてもとても焦った様子でしたね」

 

「くっ……!!」

 

 先程までの鮮やかなポーカーフェイスは何処へやら、険しい表情で――微かに顔に赤みがあるが――悔しげにローブの少女を睨みつける。

 表情こそローブに隠れて分からないが、確実に面白がって笑っているといった様子で肩を震わせる少女……狂三と少女はそれなりに長い付き合いになるが、こんなに分かりやすく(・・・・・・・・・・)狂三をからかう事が出来るなど、まずありえなかったのだから我慢など出来るはずもない。

 

 とはいえ、あまりからかい過ぎるのも少女の趣味ではない。それに、その後の士道と〈プリンセス〉が行った、ロマンチック(・・・・・・)な事柄でも弄れそうだが――そちらは刺激が強すぎて、返答の代わりに鉛玉が飛んできそうだ。

 

「ふふ……でも気になりますね。数度の邂逅で、狂三にここまで想ってもらえる五河士道の人柄、というものが」

 

「ですから! わたくしはその様な事は……大体、貴方は士道さんのこと、知っていたのではありませんの?」

 

 狂三が話を切り替え、怪訝そうな表情で言う。狂三がここにいるのも、彼女の〝悲願〟の為に士道という存在が必要だと少女に教えられたからだ。当然、士道という人物を狂三より知っていると思っていたが、違うというのだから疑問にも思う。

 

「……〝彼〟がどういう存在かは知っています。しかし〝五河士道〟という少年の事は、私も知りません――――それだけの話ですよ」

 

「これはまた、嫌に含みのある言い方をしますのね」

 

「そのうち分かる時が来ますよ。――――知らないからこそ、気になるんです。精霊を相手に恐れることなく、あの荒んだ心の〈プリンセス〉を救った彼の、その性根というものがね」

 

「…………」

 

 精霊という存在は、脅威だ。ほんの1か月前まで、普通の高校生だった五河士道にしてみれば、それは揺るぎのない事実である筈なのだ。

 

 なのに彼は、その身一つで精霊の前に立つどころか、その隣に並び立ち〝デート〟というふざけているとしか思えない方法で、少女を攻略して見せた。幾ら〈プリンセス〉に悪意(・・)という物がなかったとはいえ、これは異常だ。

 

(既に封印されている精霊(・・・・・・・・・)の能力も、あの様子じゃ知っていたとは思えませんしね)

 

 思案するローブの少女の脳裏に浮かんだのは、つい先程言及した腹に風穴が空いた……その後の出来事。

 

 

 〝再生〟した。何の比喩でもなく、彼を炎の〝霊力〟が包み込みその強大な傷を跡形もなく消し去ったのだ。

 

 

 狂三でも気づかなかった事を見るに、長期間の間使われることがなかった霊力は、半ば休眠に近い状態だったのだろうが……起き上がった士道の焦った様子から、彼は再生能力については知らされていなかったと見るべきだろう。

 

 下手をすれば、精霊を封印できるという自身の能力についても知らなかったと思われるが――――彼は、世界中の誰が少女の存在を否定しようと、持てる自身の全てで少女という存在を肯定すると言った。精霊という脅威を全力で受け入れ、世界中を相手取った〝戦争〟をふっかけたに等しい。封印という方法を知らない中で行ったのなら、無茶としか思えない男らしすぎる〝宣言〟だった。

 

「……士道さんは――――」

 

 

 

 

 

 

「あら、随分と楽しそうなお話をなされていますのね『わたくし』」

 

 狂三の言葉を遮ったのは、その狂三と全く同じ声(・・・・・・・・)だ。無論、それは本人によるものではなく、部屋のドアを開けて現れた、〝もう1人の狂三〟のものだった。

 

 そう――――何故か、ティーカップを乗せたトレイに、メイド服(・・・・)を着た狂三が、そこにはいた。

 

「……『わたくし』こそ、随分と楽しげな(・・・・)格好をしていますのね?」

 

「うふふ、お褒めいただき、恐悦至極にございますわ」

 

「なにも褒めていませんわよ……!!」

 

「あら、あら、残念ですわぁ……では、紅茶でもいかがでして?」

 

「答えを聞く前にもう入れていますわね!!」

 

 額に血管が浮かび上がるのではないか……というほど睨みつける狂三もなんのその、〝もう1人の狂三〟は涼し気な顔でティーカップをテーブルに置き、完璧な動きと作法で紅茶を注ぎ始めた。先程の空気は何処へやら、服装も相まって、完全にそういうお店(・・・・・・)の光景に早変わりだ。

 

 知らない人が見れば、同じ顔を持った双子が話しているとも思えるだろうが、無論狂三の場合は違う。〝もう1人の狂三〟は寸分たがわず狂三だ。過去の時間から(・・・・・・・)生み出された狂三そのものなのだ……何故か、メイドだが。 

 

「全く……付き合っていられませんわ」

 

色々と拗らせていた(・・・・・・・・・)時から生み出された個体もいるが、そういう個体では無い筈なのにどうしてこうなったと頭を抱え、ため息一つ。そうして狂三は席を立ち、メイド狂三が出てきたドアの前へ真っ直ぐ進み扉を開く。

 

「あら、どちらへ行かれますの『わたくし』?」

 

「何かを話す気分では無くなりましたの。夕方までには戻りますわ」

 

 返事を待たずに開けたドアを潜りバタン、と閉めにべもなくそのまま部屋を出て行った狂三。そんな機嫌を損ねたと見える本体(オリジナル)を見ても、メイドの狂三は飄々とした笑みを浮かべ、先程まで彼女の座っていた椅子に優雅に腰を掛け、自ら入れた紅茶の香りを楽しみながらティータイム。

 

「うふふ、荒れていますわねぇ『わたくし』は」

 

「今のは、大半が貴方のせいだと思いますけどね……」

 

本体(オリジナル)をおちょくるメイド服を着た分身(イミテーション)という、世にも奇妙な光景に呆れ返るローブの少女だが、特に本体の狂三を追いかけるということもせず出された紅茶を手に持ち、メイドの狂三と同じくティータイムの様相を見せる。何度も似たようなことがあった、というような落ち着きようだった。

 

「それで? 貴方はどうなさいますの?」

 

「何がです、藪から棒に」

 

「『わたくし』の事ですわよ。それとも、士道さんとの事、と言い換えた方がよろしいですこと?」

 

 カチャリ、僅かにカップとソーサーが擦れる音が部屋に響く。先程までの狂三とローブの少女との会談とは、また意味合いが違う空気が辺りを包み込む。

 

「わたくし〝達〟の目的……それを果たす為に、『わたくし』は耐え忍び、息を潜め、そして貴方の言う〝その時〟まで時間を蓄え、待ち続けましたわ」

 

「そうですね……だから、その〝時〟が満ちたからこそ、私は狂三を五河士道の元へ案内しました」

 

「えぇ、えぇ。彼は素敵ですわ、最高ですわ――――すぐに、食べてしまいたくなるくらいに」

 

 舌を舐める仕草と、狂気的な笑み。それは言葉通りの意味であり、狂三の最終目的の為に必要な〝物〟だ。だから、士道に対する感情など必要ない――――筈だった。

 

「とても残念ですけど、それを成すのはわたくしではなく『わたくし』の役目……しかし、その『わたくし』は士道さんに、随分とご執心のご様子ではありませんの」

 

 無論、メイド狂三が言った意味合いは、先程の〝物〟とは異なる。本体(オリジナル)が、近い将来〝喰らう〟対象である五河士道に……ともすれば心を許している、そういう意味合いだ。

 

「『わたくし』に限って、とは思いますが……〝喰らう〟対象に情が移るなど、ミイラ取りがミイラになるようなものですわ。まさか、こうなる事を想定していたのでして?」

 

「それこそ、まさか、ですよ。さっき狂三にも言いましたが、私は〝彼〟を知っていても五河士道という少年の事は知らなかったんですから」

 

 ローブの少女としても、狂三が士道に対してあの様な(・・・・)反応を見せるなど、全く想定していなかった。

 

「巡り合わせ、とでも言うのでしょうか。五河士道には、精霊と巡り会う〝運命〟みたいなものがあるんじゃないですか? じゃなければ偶然(・・)出会って、あの強情な狂三の心に入り込むなんて出来やしませんよ」

 

「ここへ連れてきたのは貴方ですのに、随分と適当なものですのね。まぁ、『わたくし』が強情という点については、同意いたしますわ」

 

「ふふ、でしょう?」

 

 ある意味、自分自身の事とはいえ本体(オリジナル)に聞かれたら、問答無用で制裁を受けそうなメイド狂三の言葉に、少女はローブの下で思わず笑みをこぼす。

 分身も認めるほど、強情なところがあるのが時崎狂三という精霊だ。だが、その狂三の心にスルりといつの間にか入り込んでいた、士道という少年は一体なんなのか(・・・・・)

 

「若いわたくしならいざ知らず、『わたくし』が普通の人間に心を許すなど有り得ませんわ」

 

「そうでしょうね。気まぐれでも、せいぜい〝時〟を吸い取るか――――それこそ、狂三から相手を明確に拒絶して終わりだと思いますよ」

 

「気になりますわ、気になりますわ……『わたくし』の感情を掻き乱した、士道さんという存在が」

 

 ただのお人好しというだけで彼女に入り込めるほど、時崎狂三という少女は生易しい存在では無い。

 決意、執念、その身を焦がす――――憎悪。絶望を超え、時崎狂三は歩き続ける。止まることが罪だと、そんな資格はないと言うように、少女は罪を背負ってここまで歩き続けた。

 

 〝悲願〟の為に全てを捨て、地獄の底へと堕ちる覚悟がある少女が、僅かでも士道に心を許している要因が狂三の分身ですら分からない。だとしたらそれは――――

 

 

 

「それこそ――――――一目惚れでもしたんじゃないですか?」

 

 

 

 どちらが、とは言わなかった。

 なんてことは無いように、本当に軽く言い紅茶を口へ運ぶローブの少女。その言葉に、ポカン、と鳩が豆鉄砲を食ったような表情になったメイド狂三は、次の瞬間……心底おかしいといった様に笑いだした。

 

「ふふ……あはははははははははっ!!!! そうだとしたら傑作ですわ!! 傑作ですわぁ!! えぇ、えぇ、最っ高に面白いですわよ!!」

 

「そんなにツボるほどですか……まぁ、結局は分身(あなた)にも分からないなら、本人にしか分かりませんよ。五河士道と実際に会って話したのは、狂三(オリジナル)だけなんですから」

 

「あら、でしたら貴方はどうなさいますの?」

 

「私?」

 

 

「えぇ、最初の質問に戻りますわ。貴方には貴方の〝計画〟とやらがあるのでしょう? 『わたくし』と士道さんが予想外の形で出会ってしまった今、貴方はどうされるおつもりですの? ――――名無しの精霊さん?」

 

 

 テーブルに立てた腕に顔を置き、小首を傾げた可愛らしい仕草でローブの少女に問い掛ける。

 メイド狂三より小柄な少女と、真正面から視線を交わす形になるが、紅の瞳に映るのはローブに包まれた不自然なほどの暗闇だけ。その真意は、メイドの狂三にも分からなかった。

 

 

「変わりませんよ、なにも。私はただ――――女王様(狂三)の為に動くだけです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「…………」

 

 果たして、自分は何を言おうとしたのか。どこへともなく歩みを進める狂三の胸の内に去来するのは、数刻前の言葉の続きのことだった。

 

 士道さんは――――果たして、その先の言葉はなんだったのだろうか? 正直な話、狂三にもそれは分からなかった。いや、分からないように誤魔化したのかもしれない。

 

 

 

『俺に協力出来ることなら、狂三の力になる!! どんな小さなことだっていい!! だからいつでも――――俺を頼ってくれ!!!!』

 

 

 

 何も知らないおバカな少年の愚直な、でも狂三はそれを切って捨てることが出来なかった、言葉。

 五河士道。自身の〝悲願〟の為に必要な存在。そして、精霊ですら救いたいと、その手を差し伸べたお人好し(バカ)な少年――――

 

「関係、ありませんわ」

 

 目を瞑り、余計な思考を追い出す。そうだ、誰であろうと、なんであろうと関係ない。今までと変わらない……この血塗られた手で、時崎狂三は五河士道を必ず――――

 

「……っ。雨、ですわね」

 

 首筋に冷たい感覚が走り、狂三の思考を遮る。他人事のような呟きからそう時を置かずに、大粒の雫が淀んだ雲から一気に降り注ぎ始める。

 あっという間に辺りの道に染みを作り、狂三の全身も容赦なく雨に晒されていく。しかし、そんな状態になっても狂三は焦る事もせず、更には何かを感じ取ったように足を止めた。

 

(近くに、いますわね……)

 

 いる。近くに、自身と同じ〝力〟を持った存在が。長年の経験や感覚で、彼女にはそれが分かった。その感覚の導くまま、狂三は足を再び動かし歩き始める。

 〈プリンセス〉はその力を既に封印されている……ならこの先にいるのは彼女ではなく、現在把握しているもう1人の〝精霊〟だ。なら、様子を見ておくのも悪くは無いだろう。基本的に〝自分達〟か〝あの子〟に、こういった偵察のような事は任せてしまっているので、ちょっとした好奇心という物もあった。

 

 簡単に察知できたということもあり、目的の場所にたどり着くのに時間は必要なかった。そうして、狂三の視界に入ってきたのは――――

 

 

「いたく、しないで……ください……」

 

「ええっと……」

 

 

 ――――いたいけな少女に迫っているようにしか見えない、五河士道(不審者)という衝撃的過ぎる絵面だった。

 

「…………あら、あら」

 

 流石の狂三もその光景に戸惑いを隠せなかったが、すぐに冷静になり状況を把握し始める。見た限り、空間震による現界ではないので士道は偶然にもこの場に居合わせた……という事になるのだろう。

 なんともまぁ本当に――出来すぎているとしか思えない〝偶然〟もあったものだ。

 

「――――士道さんにそういう〝ご趣味〟があったというのは、意外ですわねぇ」

 

「え? …………く、狂三ぃ!?」

 

 わざと気配を殺して近づいたのもあって、直ぐには反応出来なかったのだろう。雨の騒音の中でも、その声は確かに士道の耳に届き、そして振り向いた目の前に彼女が――時崎狂三がいた。

 

「士道さんがそのようなお方でしたなんて……わたくし悲しいですわぁ、泣いてしまいそうですわぁ」

 

「な、なんでこんなところに……い、いやそんな事より違うぞ!? 俺はそういう趣味(・・・・・・)はないしこれはあの子が転んだから助け起こしてからだからその――――」

 

 あたふたと矢継ぎ早に弁解する士道。その動揺っぷりは、彼の足元にある水溜りの揺らめきを見れば言葉がなくても分かる程だった。1か月前と何も変わらぬその姿に、狂三は目的も忘れて頬を緩ませ笑ってしまう。

 

「うふふ、冗談ですわよ。士道さんがそのようなお方でないことくらい、わたくし知っていますもの」

 

「……し、心臓に悪い冗談は止めてくれよ。シャレにならないぞ本当に」

 

 このご時世、本当にシャレにならない冗談だ、と再会を喜ぶ暇もなく、狂三に誤解されずに済んで胸を撫で下ろす士道。そして、先ほど助け起こした少女の方へと振り返り、

 

「……!!」

 

 しゅたたたた、という可愛い足音では当然なかったが、小動物のようにウサギ耳のフードで顔を覆い隠した少女が後退りする姿を見た。

 

「えーっと……」

 

「士道さん、あれを」

 

「えっ――――あ」

 

 いつの間にか真横に来ていた狂三に、ドキッと心臓が高鳴るが……今はそんな場合ではないと無理やり押さえつけ、狂三が指で差し示した場所にあった物を確かめた。

 落ちているのは、白いパペット。確か、少女が足を滑らせて盛大にコケるまで、少女が左腕に付けていたものだと士道は確信を得る。さっき士道が振り返るまで近くに寄ってきたのも、恐らくはこのパペットを拾うためだったのだろう。

 

 ならば、と士道は少女を怖がらせないよう、ゆっくりとパペットを拾い上げ少女に差し出すように示してやった。

 

「これ、君のだろ?」

 

「……!」

 

 士道の行動に目を見開いた少女は、一度は駆け寄って来ようとしたが――――ピタッと足を止め、ジリジリと間合いを計り始めてしまった。

 その小動物のような様子に、思わず苦笑してしまう士道。それは狂三も同じだったようで、優しく言葉で助け舟を出してくれた。

 

「大丈夫ですわ――――この方は、貴方を傷つけたり(・・・・・)しませんわ」

 

 目線を合わせ、少女の警戒心を解くようににこりと微笑みかける。

 同性というのもあってか――はたまた何か別の理由か――ビクリ、と肩を揺らしこそしたものの、心なしか先程よりは警戒が薄らいだように見える。すり足で恐る恐る近づく少女を、士道も根気強く待ち続ける。

 

 ここで余計な事をして、少女の警戒心を深めてしまっては元の木阿弥。そうして辛抱強く堪えたかいがあってか、少女は士道の手からパペットを奪い取るように掴み取り、それを左手に装着。すると、まるで腹話術のようにパペットの口をパクパクと動かし始めた。

 

『やっはー、悪いねおにーさんに美人なおねーさん。たーすかったよー』

 

 少女が腹話術を使って出しているにしては、妙に甲高い声をウサギが発している。というか、ちゃっかり狂三にだけ〝美人〟と付ける――美人なのは全面的に同意しかないが――調子の良さに、本当に目の前の少女が発しているのかと首を傾げるが、確かめるより先にパペットが言葉を続ける。

 

『ぅんでさー、起こしたときにー、よしのんのいろんなトコ触ってくれちゃったみたいだけど……どーだったん? 正直、どーだったん?』

 

「は…………はぁ!?」

 

 とてもとても、目の前の少女が出しているとは思えない言葉に唖然とするが、士道1人だけならば困惑だけで終わっただろう。だが、士道の隣には今狂三がいるのだ……バッと彼女に視線を向けると、そこにはパペットの発言を聞いて士道を蔑むような目を向ける狂三――――では勿論なく、少し困ったような表情の狂三。

 

「心配せずとも、士道さんにそういった意図がないことくらい分かっていますわ。先程、冗談だと申し上げたではありませんの」

 

「そ、そうだな、すまん」

 

「それに、今の士道さんにその様な甲斐性があるとは、思えませんもの」

 

「……それはそれで傷つくぞ」

 

「ふふっ、これも冗談、ですわよ」

 

 士道をからかいながら、コロコロと表情を変える狂三。1ヶ月ぶりに見たその姿は、やはり士道の目にはこれ以上ないほど愛らしく映ってしまう――――どうしてか、彼女には誤解されて欲しくなくて焦ってしまった、となんだか気恥ずかしくなり頭を搔く。

 

『たっはー!! 見せつけてくれるねーお二人さん』

 

 そんな2人のやり取りを見ていた少女が、またパペットから甲高い声で、2人を茶化すように言葉を発した。

 

「お、おう……?」

 

『そんな理解ある美人なカノジョに免じてー、さっきのラッキースケベは特別にサービスにしといてア・ゲ・ル』

 

「か、かの……!?」

 

『ぅんじゃね。ありがとさん!!』

 

 動揺させられっぱなしの士道を後目に――残念ながら、狂三がどう反応したかを士道は見逃してしまった――少女は言うだけ言って踵を返して、あっという間に走り去ってしまった。士道も咄嗟に声をかけたが、反応すること無くその姿は見えなくなってしまう。

 

「……なんだったんだ、ありゃあ」

 

「さぁ? 可愛らしい妖精さん、だったのかもしれませんわねぇ」

 

「妖精……か」

 

 精霊なんて存在を実際に見てしまっているので、一概に冗談とは言い切れないんだよなぁと思う。

 

「……久しぶり、だな。元気だったか、狂三?」

 

「えぇ、見ての通り息災ですわ。士道さんもお変わりなく――――いえ、少し変わりましたわね」

 

「え?」

 

 どうにか平静を保ち、絞り出した挨拶にそう言葉を返され、思わずそうか?と士道は顔に手を当て確かめる。多分、狂三の言った事はそういう意味じゃないな……とやってから思ったが案の定、クス、と隣から笑い声が聞こえてきた。

 

「そういう意味ではありませんわ。何やら、雰囲気が少し変わった……と士道さんを拝見して、ふと思ってしまいましたの。この1ヶ月の間に、何かありましたの(・・・・・・・・)?」

 

「あぁ……まぁ……色々あった、かなぁ」

 

 それはもう、語り尽くせないほどに濃い出来事しか無かったと、遠い目をしてしまう。

 

 比べるのはナンセンスだと思うが、狂三と良い勝負が出来る美少女が空間震の中心にいたかと思えば、その少女にいきなり殺されかかったり、その精霊を〝攻略〟する為に〈ラタトスク〉総監修のギャルゲーを訓練としてやらされた挙句、自身の忘れたい過去(黒歴史)を公開処刑されたり、そして最後には十香と――――

 

(くっ、いかん忘れろ俺!!)

 

 〝あれ〟は十香を助けるため、必要な事だったのだ。十香の霊力が封印された以上、二度目はないと思っていい。何も知らない純真な少女の最初を奪ってしまった罪悪感と、何故か狂三に対して感じる一方的な罪悪感を振り払うよう首をブンブンと振る。

 

「どうかなさいまして?」

 

「い、いやなんでもない。それより狂三、どうしてこんなところに――――」

 

 士道にも色々あったとはいえ、1ヶ月も会わなかったのにここで偶然出会うなんて、とそんな事を聞こうと狂三を見て、今の状況を思い出す。

 土砂降りの雨……突然黙り込んで自身を見つめる士道を見て、こてんと可愛らしく小首を傾げる狂三は当たり前のように傘など差しておらず、現在進行形で雨に濡れるがままになっていた。

 

「おい狂三? 傘はどうしたんだよ、風邪引いちまうぞ」

 

「え? ……あぁ、突然の雨でしたので。でも大丈夫ですわ、わたくし昔から風邪を引いた事がありませんもの」

 

「そういう問題じゃないだろ……」

 

 たとえ過去に風邪を引いていなくても、ここまでずぶ濡れになっていては影響がないという保証はない。相手が狂三だろうがそうでなかろうが、士道としては雨に濡れる少女を――服が雨に濡れて張り付き、大変目に悪い――はいそうですかと放って置けるほどろくでなしではない。

 

 とはいえ、士道も雨でずぶ濡れになってしまっているので、ブレザーを貸して取り敢えず雨を凌ぐ、というその場しのぎも出来そうにはなかった。それならば――――

 

 

「じゃあ、俺の家に来るか?」

 

 

 言ってから、急ぎ過ぎて言葉が足りな過ぎたなと思ったが一度出した言葉は覆せない。狂三の色白い肌が見ていて分かるほどに赤くなり、動揺を見せた事で士道も己の失言に気づき焦り始める。

 

「し、士道さん…………?」

 

「違う違う違う!! 違わないけど違うぞ!! 風邪を引くと悪いから、俺の家で雨宿りみたいなことすれば良いって事だから!! やましい気持ちはない!!」

 

「っ、そうですわね。早とちりしてしまって、申し訳ありませんわ」

 

「勘違いされるような言い方しちまったのは俺だからな……俺の方こそすまん」

 

 らしくない。本当にらしくない、と狂三は己を恥じる。突然の事とはいえ、士道の善意を一瞬でも勘違いするなど、一体自分はどうしてしまったのか。士道と話すと、どうにもペースを掴めない時がある……初めての経験に戸惑いながらも、狂三は心臓の高鳴りを無理やり抑え込んだ。

 

 あくまで、自分のペースで彼の懐に入り込む、その方が都合が良い(・・・・・)だけ、それだけだと。

 

「……士道さんの申し出はありがたいのですけれど、今日の所は遠慮させていただきますわ」

 

「そう、か……」

 

 狂三の言葉に、そりゃそうだと納得する。いくら善意でも、男が家に女をいきなり誘うなど流石に常識がないと思われかねない。それでも、少し残念だと思ってしまうのは、せっかく出会えた狂三と会話出来る時間を、少しでも引き伸ばしたかったからか……と何が善意だと己の浅はかな考えを自嘲する。

 

「別に士道さんを信用していない、という訳ではありませんのよ? 今日は夕方までに帰る……と家の者に言いましたから、遅くなると心配されてしまいますわ」

 

 暗にそれがなければ誘いを受け取っていた、と狂三なりのフォローなのだろうが、それはそれで複雑だった。

 

「そういう事か……いや、俺のこと信用してくれるのは嬉しいけど、仮に約束がなくても家に来るかー、なんて男の誘いを簡単に受けない方が良いと思うぜ」

 

「うふふ、そういうお優しい士道さんだからこそですわ。特別、ですのよ」

 

 人差し指を唇に当て、妖艶に微笑む狂三に今度は士道が、赤くなった頬を隠す事が出来なかった。

 

 特別、などと言われたら勘違いしそうになるがそういう意味合いではないのは分かる。単純に良い人止まりの意味だし、自分から誘っておいて矛盾することを言いそれを少女にフォローされる、という男としてどうなのかと思わざるを得ない状況に、特訓の意味なかったなぁと士道は内心肩を落とした。

 

「それでは、わたくしはこれで失礼致しますわ」

 

 雨の中でも優雅に一礼し、士道に背を向け去っていく狂三。名残惜しいが、自分の都合で引き止めていては本当に風邪を引いてしまう、と別れの言葉をかけようとした時、狂三がその身を翻し――――

 

 

「あぁ、1番肝心な事を言い忘れていましたわ――――また会えて嬉しいですわ、士道さん」

 

 

 ――――花咲くような笑みで、そんな言葉を放った。たったそれだけなのに、今日1番で思わず舞い上がってしまいそうになる。

 

「あぁ!! 俺も会えて嬉しいよ、狂三」

 

 勝手に変な顔になってないか、不安になりそうな程に気持ちは高ぶっていたが、返した言葉と振り返された手にどうやら上手く返せたようだと安心する。

 

 曲がり角でお互いが見えなくなるまで、手を振り合って別れた。しかし、士道の心から名残惜しさは消えている。それほどまでに、先程の狂三の言葉は嬉しかったのだと思う。好意を抱く少女から受けた言葉だ、青少年の士道には単純ながらよく効いていた。

 

「ほんと、我ながら単純だな俺」

 

 ニヤついた表情を誤魔化すように髪を掻き毟ると、水滴が弾けるように舞い散る。狂三を心配しておいて、自分が風邪を引いてしまっては世話がないと、士道は日頃の疲れを忘れて上機嫌で帰路へつく。

 

 

 

 ……結局、狂三がどうしてこんな場所にいたのか、聞きそびれていた事はこの後襲い掛かる〝訓練〟によってどこかへ飛んでいってしまったのは、また別のお話である。

 




本日はここまで。明日以降順次続きを投稿して行く形になります。感想などありましたら書いていただけると作者が感涙に咽び大喜びするのでよろしくお願いします


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第三話『慈愛』

「ああ、来たわね二人とも。もうすぐ精霊が出現するわ。令音は用意をお願い」

 

「……あぁ」

 

 士道と共に艦橋(・・)に着くなり、上から聞こえて来た言葉に頷き、今にも倒れそうなほど分厚い隈に飾られた目の女性〈ラタトスク〉解析官、村雨令音が艦橋下段にあるコンソールの前に座る。

 

 精霊を保護を最大の目的とし、士道を最大限バックアップする為に存在する組織〈ラタトスク〉が誇る〝空中戦艦〟――――〈フラクシナス〉

 その艦長席に座る少女……真紅の髪を黒いリボンでツインテールに編み上げた彼女こそ、この戦艦の艦長にして士道の妹である五河琴里だ。

 

 

「さて、あまり時間をあげられなくて悪いのだけれど――――腹は決まったのかしら、士道?」

 

 

 艦橋に着いてから無言のままだった士道に、琴里が声を掛ける。〈フラクシナス〉に士道を呼んだ理由は勿論、精霊の〝攻略〟の為に他ならない。士道は十香を封印した時点で精霊攻略は終わりだと思っていたが――――精霊が1人だと、誰かが言ったのか?

 

 確かに士道は十香を放っては置けなかった。死の恐怖を味わった、精霊がどんな力を持っているのかも知った。それでも士道は彼女を捨て置く事は出来なかった。だって彼女は自分と同じ(・・・・・)だったのだから。

 

「……ッ」

 

 だが、次があると聞けばまた話は別だ。知らずのうちに己の肩に背負わされていた、世界の命運を左右しかねない運命。その重さを感じながら、軽々しくはい分かりましたと決断することを求めるのは、今の士道には酷というものであった。

 

 しかし、時は士道の迷いなど置いて残酷にも進み続ける。突然、艦内にけたたましいサイレン音が鳴り響く。

 

「な……なんだ?」

 

「非常に強い霊波反応を確認! 来ます!」

 

「オーケイ。メインモニターを、出現予測地点の映像に切り替えてちょうだい」

 

 艦橋下段から聞こえた男性クルーの報告に、琴里はパチンと指を鳴らし冷静に指示を出す。指示通りメインモニターには、空間震警報が発令されたことによりゴーストタウンのようになった天宮市の映像が映し出された。

 

 次の瞬間、映像の中心が〝歪んだ〟。

 

「え……?」

 

 映像の不具合だろうか? そう士道は思ったが、即座に違うと判断する。本当に、歪んでいるのだ。画面の向こう側が、水面が揺れるように波紋が広がっている。

 

「な、なんだこりゃ……」

 

「あら? 士道は見るの初めてだっけ?」

 

 ――――刹那、光が映像を覆い隠し爆音が響き渡る。

 

 画面内の出来事だと分かっているはずなのに、思わず腕で顔を庇ってしまう。そして爆音と光が収まった後、恐る恐る開いた彼の目に映っていたのは……先程までの街並みでは、なかった。

 

「空間、震……ッ!」

 

 それは、1ヶ月前にも同じような光景を見た事がある士道の確信を持った呟きだった。空間の地震、削り取られた物はクレーターが出来上がって〝消失〟する。

 

「えぇ、精霊がこちらの世界に現界する際の空間の歪み。それが引き起こす突発性災害よ」

 

「…………」

 

 廃墟になった街を見るのと、爆発の瞬間を目撃するのとではまるで違う。普段、自分たちが、人々が生活している場所……それらが一瞬で跡形もなく吹き飛んでしまう。頭では理解していたつもりでも、こうして見ると背筋が凍るとはまさにこの事だった。

 

 これが、今自分が運命を投げ出してしまえば、いつ終わるかも分からず続く光景なのだと、嫌でも思い知る。

 

「ま、でも今回の爆発は小規模ね」

 

「そのようですね」

 

 琴里の言葉を肯定したのは、彼女の後ろに控えていた長身の男性、この艦の副司令・神無月恭平だ。ちなみに付け加えると、変態である。

 

「僥倖……と言いたいところですが〈ハーミット〉ならばこんなものでしょう」

 

「まぁ、そうね。精霊の中でも気性の大人しいタイプだし」

 

「……なぁ、琴里。〈ハーミット〉ってのは、一体何のことなんだ?」

 

 今しがた目撃した空間震が〝小規模〟という事実にまた衝撃を受けながらも、士道は彼らの会話の中で気になった点を見つけて問い掛けた。

 

「ああ、今現れた精霊の〝コードネーム〟よ。ちょっと待ってて……画面拡大できる?」

 

 士道の疑問に答え、更に琴里の出した指示をクルーが素早く実行し、映像がズームして行き真ん中に出来たクレーターに寄って行く。

 

「……雨?」

 

 中心に近づくにつれ映像が暗くなり、突如、ポツリ、ポツリと雨が降り始める。そう、まるで昨日と全く同じように(・・・・・・・・・・)

 

 そして、中心にいる小さな少女が視認出来るようになった瞬間――――その衝撃に、士道は大きく目を見開いた。

 

「あ、れは……」

 

「……? どうしたのよ、士道」

 

 知っている。忘れるはずもない。あの時、あの少女を見た時に、どこかで感じたことのある感覚。アレは気の所為などではなかった。

 

 青い髪をウサギ耳の飾りがついたフードで隠し、その左手に付けているのはウサギの人形(パペット)。間違えるわけがない……だってあの少女は――――

 

「俺、あの子に会ったことが、ある……!!」

 

 ――――狂三と再会した日に遭遇した、少女なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あーあ、〈ハーミット〉が抵抗しないからって、また派手にやってますね」

 

 空間震の被害を免れたビルの屋上。その更に上空で繰り広げられる戦闘――と呼んで良いのか、と思える光景を見て他人事のように白いローブの少女が呟く。ローブが風に揺らめくだけで、その呟きに反応を返す人物は近くにはいない……が、少女の耳にだけ聞こえる返答が来た。

 

『当然ですわね。彼らにとって、精霊とは絶対的脅威(・・・・・)であり倒すべき人類の敵、なのですから』

 

「それは分かりますけど……あまり見ていて気分の良いものではありませんね」

 

『それについては、わたくしも同意致しますわ』

 

 通信の先で僅かに顔を顰めたのだろうか、少し不愉快そうに少女の言葉に同意した通信相手は狂三だ。

 

 少女の見据える先にあるのは、戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的な物だった。物々しい鎧を着込み、それぞれ武装した火器からとんでもない物量の弾薬を放ち、それは飛び回る〈ハーミット〉を追いかけ回した後――――無慈悲にも少女へ吸い込まれるように着弾し爆炎を巻き起こした。

 

「…………来ますかね、五河士道は」

 

『来ますわ、士道さんなら――――必ず』

 

 煙の中から〈ハーミット〉が空に躍り出る……しかし、反撃する素振りすら見せず、再び逃げ回るだけだ。

 

 目の前で繰り広げられる戦闘……いや、一方的な蹂躙を目撃して、少年はこの戦場へ飛び込んで来るのか。そんな少女の疑問に、しかし狂三は一分の迷いもなく必ず(・・)来ると断言した。

 

「随分と、五河士道を高く買っていらっしゃるようで……」

 

『別に信頼しているわけではありませんわ。ただ、士道さんなら必ず彼女を救いに現れる……そう確信しているだけですわ』

 

「…………」

 

 そういうのを、普通は信頼していると言うのではないのか? と少女はツッコミを入れたくなったが、どうせ反論しか帰って来ないので今は何も言わない事にした。

 

 確かに、以前の〈プリンセス〉への対応を見ただけで分かるように五河士道は相当なお人好しだが、実際に死にかけた後で、そう何度も他人の為に自らの命を危機に晒すのかどうか……見て分かる通りここは完全に戦場になっているのだ。

 

 この状況で尚、狂三は士道が来ると確信している――――あの狂三にそこまで言わせるとは、本当に不思議なものだ。

 

『それに、士道さんには是が非でも精霊を封印してもらわなければなりませんもの。来てもらわねば困りますわ』

 

「それはそうですけどね……まぁ、狂三がそこまで言うなら、私もその言葉を信用するだけですよ」

 

 狂三の言う通り士道に精霊を封印してもらわねば、そもそも前に進まないのは純然たる事実なのだ。その為に〝彼〟がいるここへ狂三を連れて来たのだから、士道が精霊の封印を続ける事を祈るのみだ。

 

 狂三の〝悲願〟の為にも――――自身の〝計画〟の為にも。

 

 逃げる〈ハーミット〉と追いかけるAST。しばらくそれを追跡しながら傍観に徹していると、〈ハーミット〉がその姿を隠し建物へと逃げ込んで行った。

 

「建物へ逃げ込みましたか……五河士道が〈ハーミット〉と接触するなら、このタイミングですね」

 

『えぇ、あの物騒な方々が痺れを切らすまでの時間、それが士道さんがあの子とお話出来る唯一のチャンスですもの。くれぐれも、見つかるようなヘマはしないでくださいまし?』

 

「当然。あの程度の警戒網、あってないようなものですよ」

 

 そう言い、ビルの屋上から少女は消えるように地を蹴りあげ〝跳ぶ〟。顕現装置だろうがなんだろうが感知などされる訳もなく、人間の目での目視など以ての外だ。だからこそ、狂三ではなく自分が五河士道の監視をしているだ。

 

 〈ハーミット〉が隠れたデパートの周りを固めるASTなど存在しないかのように、あっさりと建物の中へ入り込んだローブの少女。そのまま気配と感覚を頼りに〈ハーミット〉を探し当てようとし……

 

「? 話し声が聞こえますね」

 

 僅かだが、恐らく2人(・・)が会話をしているのを少女の耳が聞き取った。微かに聞こえたその声を頼りに、その方向へ進むと――――

 

「……本当にいましたね、五河士道」

 

『うふふ、ですから言いましたではありませんの……〝必ず〟と』

 

 少女が目にしたのは、1ヶ月前と同じように精霊と接触を試みる五河士道の姿……つまり、狂三の言ったように彼は精霊を封印、いや――――救いに来たのだ。

 

 肝が据わってる、と言えば良いのか……こちらとしても都合が良いとはいえ、彼の度胸に少し呆れてしまう少女。だが、隠れてその場を改めて確認すると何やら〈ハーミット〉の様子がおかしい事に気がつく。

 

「……何だか〈ハーミット〉が妙に殺気立っていますね」

 

『あら、あら、彼女は気性の荒い精霊ではありませんのに、士道さんは何を仰られたのやら』

 

 殺気、プレッシャーと言い換えても良いが、とにかくASTの攻撃にすら一切反撃しなかったほど穏やか、と言っていい〈ハーミット〉が士道にプレッシャーを与える……というのは狂三だけでなく少女も不可解な出来事だと首を傾げる。

 

「なにやら、腹話術でしか喋らないのかなぁ……なんて言ってましたね」

 

『腹話術……』

 

 精霊である少女の聴覚は、見つけたばかりの2人の会話ですら確実に拾っている自信がある。少女の伝えた部分的な言葉を聞いて、狂三が通信の向こうでそれを思案するように復唱する。

 

 狂三がしばらく考えに耽る間、監視を続ける少女。どうやら、なんとか〈ハーミット〉の機嫌を直すことが出来た士道が、些か柔軟性に欠ける――大方、通信相手のアドバイスをそのまま受け取ったのだろう――誘い方で彼女をデートに誘い、〈ハーミット〉側もこういったこと(・・・・・・・)に慣れていない彼の言動を気にする様子もなく、士道の誘いを受けたようだった。

 

「どうにか持ち直したようですね。さっきのでなにか分かりましたか、狂三?」

 

『確証は得られませんわね。もう少し情報があれば、といったところですわ』

 

「では、このまま2人を追うとしましょう」

 

 ……というか、今の腹話術という言葉だけで一体なんの〝仮説〟を組み立てたのやら、と狂三の聡明さにも呆れと関心を感じながらも少女は本格的に2人の監視のため動き始めた。無論、見つかるようなヘマなどはしない。

 

 

 

「……ふむ、最初の不穏な空気が嘘みたいに順調のようですね」

 

『えぇ、不気味なくらい順調に見えますわね(・・・・・・)

 

 士道と〈ハーミット〉のデート開始から小一時間は経過しただろうか。2人の言葉通り、恐ろしいまでに順調に彼らが会話に花を咲かせ、デパートの中を歩き回り楽しむ様子が見て取れた。

 

 あまりにも拍子抜けするほど何も無く、士道への反応を見るに拒否感というものも見られない。これなら、士道が封印をする〝条件〟もあっさり満たせてしまいそうだと少女は思ったが……

 

「それで? 狂三はなにか気になる事がおあり……という言い方ですけど」

 

『さぁて、確証も確信もありませんもの。確証を得るまでは話せませんわね』

 

「……勿体ぶるのは狂三の悪い癖だと私は思いますよ」

 

『あら、心外ですわ。あなた程ではありませんわよ?』

 

 痛い所を突かれ、む……と押し黙る少女。狂三に対して隠し事(・・・)が多く、勿体ぶっているようになる事が多いのも事実なので、どうやらこの問答は分が悪そうだ。

 

『わーはは、どーよ士道くん!! カッコいい?  よしのんカッコいい?』

 

「お、おい、そんなところに立ってると危ないぞ」

 

 そんな会話を2人がしている間に、士道側にも動きがあった。なにやら〈ハーミット〉が子供用のジャングルジムに上り、自慢げに声を弾ませているのを士道が慌てて駆け寄っている様子だが……

 

『んもうっ、カッコいいかどうかって訊いてるのにぃ――――っと、わ、わわ……ッ!?』

 

「な……ッ!!」

 

 なんというか、この展開は想像出来たなーと少女は他人事のように思う。手を振った動作で体勢を崩してしまった〈ハーミット〉が、駆け寄ってきた士道の上へ一直線に落下し激突――――

 

 

「……あら、あら」

 

『ッ!!』

 

 

 ――――ばっちりと、口付けを交わしたまま倒れ込んでいた。

 

 

 偶然だろう、偶然だと思いたいが……ここまで綺麗にキスの体勢になっていると恐ろしい偶然だと思う。絵面だけ見たら、小さな少女と高校生の完璧な接吻という完全に通報物であった。

 

「あー、狂三?」

 

『なんですの? 士道さんがどなたとキスをしようと関係ありませんわえぇありませんわ必要な事ですもの〈プリンセス〉の時も致しましたもの関係ありませんわ。えぇ、えぇ、わたくしは、何も、思いませんわ』

 

「……まだ何も言ってませんよ」

 

 通信越しでも相当な圧を感じるし、一息にそう捲し立てられては少女も藪をつついて蛇を出すような事は出来なかった――――触らぬ狂三に祟なし。

 

 さて、事故みたいなものとはいえキスはキス。先程までの様子を見るに、心を開いていないわけではなさそうだし部分的にでも封印処理は――――

 

『あったたたぁー……ごめんごめん、士道くん。不注意だったよー』

 

「ん……?」

 

 そう思った少女だったが、何事も無かったかのようにパペットを動かし同じように陽気な声を発する〈ハーミット〉を見て小首を傾げる。この短期間で完全な封印が出来るかはともかく、1部分なら士道へ力が流れ込むと少女は判断していたが……〈ハーミット〉の霊力が減った様子も、士道へ霊力が吸い込まれた様子も見受けられない。

 

「限定的にでも封印出来るくらいに、〈ハーミット〉は五河士道に友好的だと思っていたんですけど……どうやら当てが外れましたね」

 

『そのようですわね。その代わり、わたくしの〝仮説〟は現実味を帯びたようですわ』

 

 少し得意げな狂三の言葉を聞いて、流石に二度目となると立ち直りも早い……なんて思っているのは勿論口には出さず、彼女の言う仮説の中身を解説願おうと口を開き――――ザッ、と足を踏みしめる音を耳にする。

 

「――――シドー」

 

 如何に会話中だったとはいえ、自身の後ろから来る気配に気づかない少女では無い。ならば必然的にそれは、五河士道側からの足音と声に他ならない。

 

 少し離れた場所で聞いていても、心做しか少し身震いしてしまう程だ。名前を直接呼ばれた五河士道は、さぞ背筋を凍らせたであろう。

 

「――――今、何をしていた?」

 

「……な、何って……」

 

 五河士道を心配して全力疾走で駆けてきたのだろうか、全身ずぶ濡れの少女――――〈プリンセス〉からの問いかけに、士道は思わずといった様子で自分の唇に触れ……己の失策に気づいてすぐさま後ろ手にする。

 

 しかし、それは遅すぎる。繊細な乙女の心というものは、その仕草だけでズタズタに傷ついてしまう。その表情は、今にも泣いてしまいそうになっているのを必死に堪えている子供のようで――――その身から、霊力の高まりを感じる。

 

「……あぁ、逆流しますねこれは(・・・・・・・・・)

 

 

「あ、あれだけ心配させておいて――――女とイチャコラしてるとは何事かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」

 

 

 ズダン!! と高校生の少女が出せるような物ではない激音を響かせ、彼女が踏みつけた足場を中心に辺り一帯に凄まじい亀裂が走った。まるで、〈プリンセス〉の怒りと悲しみを具現化させているような光景だ。

 

「……これが修羅場というものですか。私は実物を見るのは初めてですね」

 

『わたくしだって見た事ありませんわよ……こんなに命がけの修羅場も、そうございませんわね』

 

 封印した霊力の逆流(・・)。以前、確かに〈プリンセス〉の霊力は五河士道の中に封印された……が、その封印を通じて彼と封印した精霊の間には簡単に言ってしまえば経路(パス)が繋がっている状態なのだ。そして、大元である精霊の精神状態が不安定な方に悪化――――ストレスを感じると、このように精霊側に霊力が逆流し封印が緩むという現象が起こってしまう。

 

「まぁ逆流した霊力も可愛いものですし、五河士道に頑張ってもらうしかないでしょう。それよりも私としては、名探偵・時崎狂三ちゃんの〝仮説〟をお聞かせ願いたいですね」

 

『なんですの、その妙な呼び方は……まぁ構いませんわ』

 

 軽く流したが、少女と狂三が呑気に会話を続ける間にも向こう側の修羅場は続いている。ただ実際、監視は続けているが余程切羽詰まった状況にならなければ少女があの場に介入するなどありえない話だし、霊力が少し逆流した程度の〈プリンセス〉に気性の穏やかな〈ハーミット〉なら最悪の事態はないと予想して、少女は〈ハーミット〉が封印されなかった〝仮説〟を優先する事にしたのだ。

 

 茶化すような少女の言動に少し呆れながらも、狂三は先程のように勿体ぶるような事はせず、簡潔に〝仮説〟の内容を語った。

 

 

『――――結論から申し上げますと、あのパペットに別人格(・・・)が存在していると思われますわ』

 

「会話可能な二重人格、という事です?」

 

『えぇ、恐らくそのようなものですわ。あの子が人形を手にしている間、あのパペットには意思疎通が可能な個別の人格が存在している……だから、士道さんは彼女を封印する事が叶わなかった。何故なら――――士道さんが必死に戯れていらしたのはお人形さんの方なのですもの』

 

 何故そのような事になったのかは、わたくしにも分かりかねますわね……と付け加えたそれを聞き、少女はなるほどと顎に手を当てて納得する。

 

 確かに狂三の推理が正しければ、五河士道が〈ハーミット〉の封印に失敗した事に辻褄が合う。狂三が言うように、士道に心を開いていたのはパペットの方であり〈ハーミット〉本人ではない、だから封印出来ないのも道理だ。が――――

 

 

「……狂三? いくらあなたでも、さっきの〝腹話術〟というワード1つでこの仮説は組み立てられないと思うんですが……なにか隠してません?」

 

 

 狂三は聡明で人をよく見ている(・・・・・・)子だ。しかし狂三は〈ハーミット〉をデータとこの場の映像越しでしか知らないはず――――だが彼女は、意図も容易くこの推理を組み立てた。そして〈ハーミット〉の事を知っているかのような(・・・・・・・・・・)口振りに、少女は強い違和感を感じた。

 

 問い詰められる形になった狂三だが、あら、と特に悪びれる様子もなくあっけらかんと種明かしをし始める。

 

『とんでもございませんわ。わたくしは昨日の夕刻、〈ハーミット〉とお話する機会があっただけですわぁ』

 

「……私、それ聞いてないんですけど」

 

『当然ですわ、言っておりませんもの』

 

 ――――この女王様は本当に、と全く反省の様子がない狂三に頭を抱え唸る少女。見事なまでに隠し事でしかないが、一度接触していたなら先程の仮説を組み立てられたのも納得が行く。

 

 〈ハーミット〉が相手ならば狂三が接触しても問題はない。万が一、精霊同士の戦闘行為に発展しても狂三が負ける事はそれこそ万が一にもありえない(・・・・・)。しかし、それとこれとは話が別……狂三を害することの出来る可能性がある数少ない存在である精霊を相手に、自分の知らないところで接触されるのは本当に肝が冷える。

 

「あまり心配させないで欲しいんですが――――っと」

 

 

「……〈氷結傀儡(ザドキエル)〉……ッ!!」

 

 

 〈ハーミット〉が手を翳し、それを振り下ろした瞬間、少女は警戒のレベルを一気に引き上げる。それと全く同時に、床を突き破るように巨大な人形(・・)が出現した。

 

 白い紋様が刻まれ、パペットと同じようなウサギの耳を生やしたそれは、正しく精霊が持つ最強の矛――――〝天使〟。

 

「〈プリンセス〉があのパペットを掴み上げた途端、〈ハーミット〉が不安定になった所を見るに……もう1人の人格は彼女の心の支えのようなものですかね?」

 

『まだ断定は出来ませんわね――――来ますわよ』

 

 狂三の警告より僅かに後、凄まじい冷気を発する氷結傀儡(ザドキエル)が身を反らし咆哮を響かせる。すると、デパートの窓ガラスが次々と割れていく……中に飛び込んできたのは無数の雨粒(・・)。それもただの雨粒ではなく、完璧に氷結した雨の弾丸(・・)だ。

 

 それは辺り一帯に散らばりながら、その1部が〈プリンセス〉の元へ到達する――――

 

「ッ……十香!!」

 

「なっ……シドー!?」

 

 よりも僅かに早く、士道が飛び込むように〈プリンセス〉を抱えるように床に転がり込んで弾丸を紙一重で回避した。普通の人間である士道の反射神経を考慮すると、今のは一瞬でも身の保身を考えていたならば間違いなく間に合わなかった……彼の無鉄砲さを少女は素直に賞賛する。

 

「無茶しますね。再生能力があると言っても、今のは一歩間違えたら蜂の巣ですよ」

 

彼女(ハーミット)が外に出ますわ。士道さんに感心するのは構いませんが、今はそちらを優先してくださいまし』

 

「了解、っと」

 

 その巨体に似合わず俊敏な機動で手放されたパペットを咥え込み、割れた窓を突き破るようにデパートから脱出する。少女も狂三のオーダーに答え音もなく駆け上がり、辺りを見渡せるビルの上に再び舞い戻る。

 

「きゃ――!!」

 

 精霊の聴覚がそのか細い悲鳴を聞き取るのと同時に、律儀に小一時間も包囲を続けていたASTが放ったと思われるホーミング弾が氷結傀儡に直撃、凄まじい爆音と共に爆風に包まれた。

 

 続けざまに放たれる容赦のない銃弾の雨――――しかし遂に〈ハーミット〉は反撃の1つもすること無く、その姿を臨界へ消失(ロスト)させた。

 

「……天使を顕現させても本当に反撃もしないで帰りましたね。臆病(弱虫)……と、決めつけるだけなら簡単ですけど」

 

 言いながら、この表現は違和感があるなと少女は漠然と思う。臆病なだけなら、とっくにASTに反撃している事だろう。それだけの〝天使〟が彼女にはある、にも関わらず攻撃行動と呼べそうなのは士道たちに放った先程の雨粒くらいだ。

 

 データ上では知っていたが、なんとも不思議な精霊だと、手すりに身を預けて消失(ロスト)の跡地を見つめる。

 

「今回はあっさり封印かと思いましたが、そういうわけには行きそうにありませんね。〈プリンセス〉まで関わって五河士道も苦労してそうですし」

 

『そうですわね…………少し、頼み事をしてもよろしいですこと?』

 

 少女の言葉に同意し、少しの間思案するように沈黙した狂三だったが、唐突にそんな事を口走った。そんな彼女の問いに少女が答える言葉は、1つしか存在しなかった。

 

 

「勿論――――女王様の頼みなら、なんなりと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

『ふん、構うな……とっととあっちへ行ってしまえばーかばーか!!』

 

「はぁ……」

 

 よしのんとの戦争(デート)から一夜明け、雨の降る中外へ買い出しに出た士道の頭に過ぎるのは十香の拗ねた言葉、そして自らの溜め息。

 

 結局、少女を救うと決意し二度目の戦争(デート)へと赴いた士道だったが、結果は失敗した、と言っていい。完全な事故で――狙ってやったなら褒めてやりたいと司令官様は言っていたが――よしのんとのキスに成功したのだが、何故か一定値まで好感度が上がっていたはずなのに精霊の力が全く封印されなかった。更に士道の頭を悩ませたのは、その事故現場を十香に見られてしまい……物の見事に、機嫌を損ねてしまったわけだ。

 

 本来ならば、士道が十香の機嫌を取るのが当然の選択なのだが、解析官の令音曰くこういうのは当事者がいない方が良いらしい。女心の機微、とも言っていたがやはり士道にはまだ理解出来そうになかった。

 

 そんなわけで、十香を令音に任せた士道は手持ち無沙汰になり、昨日色々あって出来なかった買い出しをする事にしたのだった。

 

 そうして雨の降る外を歩き、何気なしに道の角へ曲がったところで――――彼は目を見開いた。

 

「よ、よしのん……?」

 

 ウサギの耳がついた緑色のフード。見間違える筈もない、精霊『よしのん』がそこにいた。何かを探していたのだろうか、地面を探るように手を動かしていた少女が士道の呟きに反応しその方向に目を向け……

 

「……ッ!!」

 

「あ……ちょっ、ちょっとま――――」

 

 士道を認識した途端、一目散に逆方向へ駆け出してしまった。急だったとはいえ、まずは声を出さず様子を伺うべきだったと失策に気づき咄嗟によしのんを呼び止めようとし――――少女の目の前に、影が差した。

 

 否、影ではない。ゴシック風の黒い服装と黒い傘が一瞬、士道にそう認識させただけに過ぎない。その影の正体は――――

 

 

「ッ、狂三……!?」

 

「士道さん? それにこの子は――――」

 

 時崎狂三。路地の先を塞ぐように現れた彼女は、士道に名を呼ばれ驚きからか僅かに目を見開き、更に道を塞ぐ形になってしまった少女を見て思い返すように呟く。

 

 だが、士道が狂三の存在に驚いている間にも、結果的に逃げ道を塞がれる形になってしまったよしのんは顔を蒼白にしあからさまに焦燥した様子になる。そして、いつも少女を落ち着かせる存在(ヒーロー)はこの場には……いない。

 

 

「……ひっ……ぁ……ッ!!」

 

 

 ――――手を掲げる。その、それだけの動作に士道は心臓を直に掴まれたように凍り付く。よく覚えている……それは先日よしのんが見せた〝天使〟を顕現させる為の動きだ。

 

 

「ダメだよしのん!!」

 

 不味い。自分だけならともかく何も知らない狂三を巻き込む訳にはいかない。咄嗟にそう叫ぶが、焦燥するよしのんには届かない。無情にも少女の手は振り下ろされ――――

 

 

「――――大丈夫」

 

 

 ――――思考が、停止する。よしのんが手を振り下ろしたから、では無い。その光景――――いや、その表情に士道の脳はショート寸前にまで追いやられていた。

 

「……ぁ……ぅ……」

 

「わたくしも、士道さんも、あなたを傷つける(・・・・)事は致しませんわ。だから、落ち着いて――――」

 

 投げ出された2つの傘が転がる。降り注ぐ雨を受けても、今の士道にはなんの感情も、不快感も湧いては来ない。

 

 だって、だってそうだろう。自分はやっぱりおかしくなってしまったのだろう、と頭の片隅で思う。

 

 

 少女を抱き締め、小さな子供に言い聞かせるように言葉を紡ぐ狂三の、その表情。士道にだけ見る事が許されたそれは、あまりにも、あまりにも――――聖母のように、神々しかった。

 

 

 ……集い始めていた冷気は、いつの間にか霧散していた。少女が落ち着くまで、狂三は抱擁を続け、士道はその間――――狂三にひたすら、見惚れていた。

 




三話にして色々と士道くんは大丈夫なんでしょうか。多分大丈夫です、序の口です。頑張れ士道くん


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第四話『捜索』

捻ったタイトルを考えようとして結局何も思い浮かばなかったの図


『――――なるほど。あの後ASTの襲撃を受けた時にパペットを落とした、と』

 

「ああ、そういう事らしい」

 

『分かったわ。こっちからあるだけカメラを送って捜索に当てるわ』

 

「頼む、琴里」

 

 狂三が狂乱状態だったよしのんを落ち着かせた事で、どうにかある程度の事情を聞き出すことが出来た士道は、万が一に備えて携帯しておくように言われたインカムを使い〈フラクシナス〉にいる琴里と連絡を取っていた。

 

 チラ、と少し離れた位置にいる狂三とよしのんに視線を向ける。取り敢えず雨の凌げる場所へと移動して士道はこうして琴里と連絡を取り、狂三はよしのんが落ち着くように手を握ってくれている。事情を知らないとはいえ、あまりにも無防備な姿でよしのんを宥めた事を思い返すと肝が冷えたが、狂三がいなかったらこう上手く行っていたかは分からなかったな、と感謝で頭が上がらない。

 

 そして、よしのんを抱き締めた時に見せたあの表情も――――

 

『――――にしても、その狂三って子凄いじゃないの。暴走寸前の精霊を抑えるなんて、士道より役に立つんじゃない?』

 

「……おい」

 

『冗談よ……でも驚いてるのは本当よ。士道、彼女とどういう関係なのかしら?』

 

「どういうって――――」

 

 最初の静粛現界の時、偶然一緒にいた繋がりで今よしのんの信頼を得られた、という事は説明したが、当然それ以前……つまり士道と狂三がいつ知り合っていたかなどは琴里も知らない。少しからかうような琴里の言葉に、士道は一瞬その答えを躊躇う。

 

 狂三は……なんだ? 1ヶ月前に出会ったばかりで、勝手にこっちから首を突っ込んで、頼ってくれと約束したのに今は自分が頼ることになっている男として不甲斐ない結果に少し落ち込んでいて……そして、何より士道の――――

 

 

「――――別に。普通の友達だ」

 

『……ふーん。ま、そういう事にしといてあげる』

 

「なんだよそれ」

 

 妙に含みのある言い方にツッコミを入れるが、琴里は答える気がないのかそのまま言葉を続け指示を飛ばしてきた。

 

『べっつにー。それより、出来るだけ精霊とコミュニケーションを取りながらそっちでも捜索をしてちょうだい。ただ待ってるだけだと、彼女も不安になるだけでしょうし』

 

「了解……狂三は――――」

 

『良い事とは言えないけど、精霊の信頼を得てる人間を引き剥がす訳にもいかないわね。こっちで観測してもごく普通の一般人(・・・)のようだし、どうにか捜索にも協力してもらってちょうだい』

 

 了解の意味を込めてインカムを小突き、士道は2人に目を向ける。何も知らない狂三を巻き込むのは士道としては反対したかったのだが、琴里の言う通りよしのんの精神を安定させてくれた狂三を引き離すのは、パペットを無くし不安定になっている彼女へ悪影響しか及ぼさないと士道でも分かってしまった。

 

「よし……待たせて悪い二人とも。パペットを探すの俺も手伝うぜ、よしのん」

 

「……!」

 

 狂三の手を握ったまま俯いていた少女が、士道の言葉を聞いてバッと顔を上げ首肯し――――

 

「私……は、よしのん、じゃなくて……四糸乃。よしのんは……私の、友だち……」

 

「四糸乃……?」

 

 小さな声だが、少女はそう声を発する。問い返すようにその名を呼ぶ士道に、四糸乃と名乗った少女はコクリ、と頷く。

 

「でしたら、必ず見つけなければなりませんわね。四糸乃さんのお友達を」

 

 その声に、四糸乃だけでなく士道もハッと顔をそちらへ向ける。狂三はそれに応えるように、笑顔で言葉を続けた。

 

「わたくしも微力ながら、お手伝いさせていただきますわ」

 

「……ああ、ありがとな狂三。行こうぜ、四糸乃」

 

「――――ぁ……り、が……ぅ……」

 

 士道がなにか言うまでもなく、狂三はパペット探しまで手伝ってくれるようだ。その優しさに感謝を述べると、四糸乃もそれに続く形で消えてしまいそうなほどか細い声で、しかし確かに2人に聞こえる声で士道と狂三にお辞儀をして礼を言った。

 

 狂三と顔を見合わせ、コクリと頷き合う。精霊という事情を抜きにしても、困っている子を放って置くことはお互い(・・・)出来ないようだ。

 

「ああそうだ、良かったらこれ。もう濡れてっかもしれねぇけど、ないよりはマシだろ?」

 

「……?」

 

 四糸乃が走っていこうとする前に士道が彼女に差し出したのは、自分が差していた透明なビニール傘。

 

 傘を見て首を傾げる四糸乃の手にそれを握らせてやると、急に触れなくなった雨粒に驚き頭上を見上げ、ビニール傘に当たって弾ける雨粒が光ながら落ちる光景に、傘を持っていない手をその興奮を現すように上下に動かした。

 

「……! ……!」

 

「おう、気に入って良かった――――?」

 

 ふと、自らの上に降り注ぐ雨粒まで遮られた事に疑問を抱き、先程の四糸乃と同じように上を見上げると……黒い傘が士道の頭上で差されているのが見え、当然それを差し出したのはその傘の持ち主である狂三だった。

 

「そのままでは士道さんが濡れてしまいますわ。これをお使いくださいまし」

 

「ああ、俺なら大丈夫だ。それに、俺が使ったら狂三が濡れちまうだろ?」

 

「そういうわけには参りませんわ。わたくしこそ大丈夫ですので、どうぞ士道さんがお使いくださいまし」

 

「いやだから、こっちこそそういうわけにはいかないって」

 

 濡れるくらいなんて事ないし、四糸乃のような小さな子が雨に濡れるのを見るのはどうしても忍びなかった。それは狂三に対しても同じで――男として、ちょっとしたプライドがあるのも否定はしない――自分の為に狂三が代わりに濡れるなど士道には許容できそうになかった。

 

「ですから士道さんが――――」

 

「だから狂三が――――」

 

 

「……ぁ……ぅ……」

 

 お互いが傘を押し付け合うというヘンテコな状況になってしまった所で、小さな声が2人の耳に届いて士道はハッとなる。その声の主を見てみれば、この状況を見かねたのかおずおずと傘を差し出そうとする健気な四糸乃の姿があった。

 

 これでは本末転倒もいいところだ。けれど、狂三が濡れる事を受け入れる事は断じて出来ない。そして切羽詰まった士道が取った選択は――――

 

 

「だ、大丈夫だ四糸乃。俺と狂三は2人で(・・・)使うから心配ない!!」

 

 

 ――――世間一般的に言うなら、相合い傘(・・・・)というものだった。

 

「!」

 

 士道の言葉と行動に少し驚いた表情をした四糸乃だったが、コクリと頷くと待ち焦がれた様子でパペット……よしのんを探して走り出して行った。

 

 ホッと息をつけたのも一瞬。士道は隣に少し視線を向け……あまりにも近い狂三との距離に心拍数が一気に跳ね上がるのを自覚した。

 

「わ、悪い狂三。これしか思いつかなくて……」

 

「……いえ、構いませんわ。四糸乃さんを見失ってしまわないよう、わたくし達も行きましょう、士道さん」

 

「お、おう」

 

 取り敢えず、宣言してしまった手前この相合い傘スタイルは継続したままよしのん探しに出ねばならないようだ。

 

 顔、絶対赤くなってるな、とこれ以上出来るだけ意識しないように……狂三に気づかれないようにと祈りながら士道は歩き出し狂三もそれに続く。

 

 

 それ故に、言葉の上では動揺を見せなかった彼女の頬が僅かに赤く染まった(・・・・・・)様子に士道が気づくことは、なかった。

 

 

『――――これで、普通の友達……ねぇ』

 

 ……言葉だけなのに、どこかニヤニヤした表情が想像出来る妹様(司令官)の事は敢えて無視を決め込みながら、士道はよしのん探しへとそのまま向かって行った。

 

 

 

 

 きゅううううう。と可愛らしい音が士道の耳に聞こえてきたのは、よしのん捜索を始めておよそ2時間が経過した時の事だ。

 

 思わず隣でよしのんを探していた狂三と顔を見合わせる。という事は、この音の主は当然ながら狂三ではない。ならば……

 

「四糸乃……? もしかして腹減ったのか?」

 

「…………っ!」

 

 士道の言葉に顔を真っ赤にして首を横に振った四糸乃だが、そのタイミングでまたさっきよりも強烈なお腹の音が鳴り響いてしまい、今度はその場に蹲って恥ずかしそうにフードを引っ張って隠れてしまった。そのあまりに可愛らしい仕草に、士道と狂三は微笑ましそうに小さな笑みをこぼす。

 

「士道さん、少し休憩いたしませんこと?」

 

「ああ、そうだな。四糸乃、少し休憩しよう」

 

 ちょうど同じ事を考えていたらしい狂三の意見に士道は頷き、顔を隠す四糸乃へ休憩を促す。一刻も早くよしのんを見つけたいのだろう、四糸乃は1度2人の言葉に首を大きく横に振るが……

 

「……!」

 

 二度あることは三度ある。またもやお腹から可愛らしい音が響き渡り真っ赤な顔を更に赤くして俯いてしまう。

 

「無理はいけませんわ四糸乃さん。四糸乃さんが倒れてしまっては、よしのんさんと再会した時に怒られてしまいますわよ?」

 

「そうだぞ。お前が倒れたらよしのんを探せなくなっちまう。無理しちゃダメだ」

 

 よしのんを絡めた2人の説得が聞いたのだろう。四糸乃は少し逡巡するようにうなってから、躊躇いがちに頷いてくれた。

 

「よし。じゃあ――――」

 

 と、言ってから士道は思い直してしばらく顎に手を当て考えを巡らせる。

 

 買い物に出たのだから財布は持っているし、3人分の飯代を払うくらいは特に支障はない。しかし、よしのんを探している場所は昨日の空間震が起きた付近なので、生憎まだ休業している店しか見当たりそうにないのだ。

 

「……なあ、琴里。休憩する場所、うちでも大丈夫か?」

 

 インカムを小突き、2人に悟られないよう小声で琴里に通信を飛ばす。大方の事は既に察しているだろうと思っていたが、やはり間を置かず声が士道の耳に返ってきた。

 

『わお。随分と大胆になったじゃない士道。他に選択肢もないでしょうし許可は出すけど――――狂三もいるのに、大丈夫なのかしら?』

 

「ッ!!」

 

 忘れていた、訳では無い。四糸乃を休ませる事に意識を向けていたため、それに意識を向けることをしなかった。そう、四糸乃を士道の家で休憩させるということは――――狂三も必然的にそうなるということで。

 

 先日、1度は断られた女の子に状況は違うとはいえ同じ事をする。高い、あまりにもハードルが高すぎる。しかし、躊躇っていられる時間はそう無い。急に押し黙った士道に狂三は黙って士道を見つめ、四糸乃は小首を傾げているし……何より、琴里に悟られては不味い。いじられる、精霊関係なく間違いなくいじられる。士道の尊厳という尊厳が弄ばれてしまう。

 

「あー……休憩場所なんだけどさ、うちでも……大丈夫か?」

 

 えぇい、ままよ。と何とか平静を装い2人に向き直り問いかける士道。四糸乃は特に迷う事はなく頷いてくれる。問題は狂三の方だと見てみると……目をぱちくりとさせてから、可笑しそうに笑い始めた。その笑顔の意図が掴めず、逆に士道の方が困惑してしまっていた。

 

「うふふ……士道さん、まだ先日の事を気にしてらしたのですね」

 

「う……」

 

「士道さんの事、信頼しておりますもの。喜んで、ご相伴に預からせていただきますわ――――特別、ですもの」

 

 狂三に見抜かれ、ばつの悪そうに視線を逸らす士道に片方の手でスカートを摘み小さくお辞儀をし……先日と同じように(・・・・・・・・)唇に指を当て士道に聞こえるようそう呟いた。

 

 男というのは本当に単純なもので、狂三の狙った仕草にも顔を赤くし誤魔化すように頬を掻く他になく、そろそろ狂三の前で照れている時間の方が長いのではないかと他人事のように自虐して――――

 

『――――ふーん。先日の事、ねぇ。是非聞かせてもらいたいわね、し・ど・う?』

 

「ッ! よ、よし、行くか二人とも!!」

 

 いけない。今妹に喋らせてはいけないと狂三の言葉を誤魔化した風を装い声を発する士道。

 

 ……結局あとで色々根掘り葉掘り聞かれるのは避けられないとは思うのだが、士道は考えるのをやめた。現実逃避というなかれ、生きるためには必要な事なのだ、多分。

 

 

 

「ほら、出来た。しっかり腹ごしらえして、早いとこよしのんを見つけてやろうな」

 

「わたくしの分まで……ありがとうございます」

 

「気にすんなって。2人も3人も作る手間は変わらないしな」

 

 両手にどんぶりを持ってリビングへ向かい、テーブルの上に狂三と四糸乃の前にそれぞれ置いてやる。

 

 家に着き、物珍しそうに辺りを見渡す四糸乃の事を狂三に任せた士道が慣れた手つきで作ったのは眩しく金に輝く……は言い過ぎな普通の親子丼。冷蔵庫の中にあった材料での有り合わせだが、家事スキルが人並み以上にある士道にかかればちょちょいのちょいである。

 

「さて、それじゃ、いただきます」

 

 2人の分と同じように自分のどんぶりも持ってきてテーブルに置き、士道が手を合わせてそういうと狂三もいただきます、と続きそれを見た四糸乃もその仕草を真似るように頭を下げてから、スプーンを手に取り親子丼を一口。

 

「…………!」

 

 その直後、カッと目を見開いた四糸乃はテーブルをぺしぺしと叩き、それに視線を向ける士道と狂三に何かを伝えようとし――――ぐっ、と心底輝かしい顔でサムズアップをした。どうやら、余程気に入ってくれたらしい。士道も同じようにサムズアップを返す。

 

 その光景の微笑ましさに口角を上げ、狂三も四糸乃に続いて親子丼を口に運び入れ――――

 

「……!!!!」

 

 ――――俺の美味さに、お前が泣いた。

 

 衝撃。その衝撃の強さに、訳の分からないフレーズが狂三の頭に浮かんでしまった。狂三は料理に自信があり、士道の料理もまぁ一般的な物だろうとどこか甘く見ていたが……違う。これは1日2日で習得できる代物ではない。この一口で分かるほどの熟練の技、それでいて10分足らずでこれを作り上げる士道の技量。美味さが口いっぱいに広がり、彼女の五感をくすぐるこの刺激……彼は、本物だ。

 

 しかし、しかしだ。狂三とて乙女。ここで引き下がるのは彼女のプライドが――――許さない。

 

「……士道さん」

 

「ど、どうした? 口に合わなかったか?」

 

 親子丼を一口食して急に黙り込み、名前を呼んだ狂三の様子に士道は焦る。士道なりに自分の料理には自信があるが、その様子と見るからに〝お嬢様〟という表現が似合う狂三の口に庶民の食事が合うのか、という不安感に駆られてしまう。

 

 だが、狂三は士道の言葉をゆっくりと首を振り否定した。なら何故……と士道の疑問に答えるように狂三が言葉を続けた。

 

「いいえ。とても、とても美味しいですわ。ですけど――――わたくし、負けませんわ」

 

「……お、おう? 頑張れ……?」

 

 ……何に? というさらなる疑問はあったが無言で、しかし美味しそうに、だが何処か悔しそうに士道特製親子丼を食べ進める狂三を見て押し黙るしかなかった。ちなみに、四糸乃はその間にも一心不乱に親子丼を小さな口を頬張っていた。

 




全くの余談なんですが実は4、5、6話は本来一つの話で纏めてる予定で四糸乃編は短めに終わりそうだなぁとか思ってました。なんで纏まると思ったのか不思議ですね、はい

ご意見感想などありましたら是非お待ちしておりますー


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第五話『誓い』

 

 

『まだ少し休憩するでしょう? できるだけ精霊の情報が欲しいわ。ちょうどいい機会だし、幾つか四糸乃に質問をしてみてくれない?』

 

 そう琴里がインカム越しに喋りかけてきたのは、ちょうど食事が終わり一息入れたのを見計らった時だった。

 

 質問? と小声で返すも、まさか狂三がいる前で精霊に関しての質問をする訳にはいかないし……

 

「ご馳走になってしまってばかりでは申し訳ありませんわ。お片付けは、わたくしに任せてくださいませんこと?」

 

 そう考えていた矢先、狂三が唐突に立ち上がり両指を合わせてそんな事を言い出した。まるで、こちらのしたい事を読み取ったかのように。

 

「あ、いやお客さんにそんな事させるわけには……」

 

『待ちなさい士道。こっちにとっても好都合よ』

 

「気にしないでくださいまし。それと――――」

 

 士道に届く琴里の指示より早く、狂三はどんぶりを重ね台所へ向かう、そのすれ違いざまに――――

 

 

「――――今のうちに、存分に四糸乃さんとお話(・・)をお楽しみくださいな」

 

 

 そんな言葉を、士道の耳元で囁いていった。ゾクッ、と色々な意味で(・・・・・・)背筋が凍りそうなほど驚かされる。……耳元で狂三の蕩けるような声を聞いたせいか、妙に赤くなった耳は知らんぷりすることにした。

 

『……驚いたわね。どれだけ察しが良いのよ、あの子。本当に何者なのかしら』

 

「さあ、な……」

 

 ……今に思えば、四糸乃から最初に話を聞いた時も不自然なワードがあっただろうに狂三は何も言わなかった。小さな声だったし、正面から聞いた士道と違って横で手を握っていた狂三は単純に聴き逃したものと思っていたが……もしや、聞いた上で敢えて何も知らないふりをしてくれていたのだろうか? だとするなら、狂三の察しの良さと何も聞かないでくれる気遣いに感謝するしかない。

 

 何処か末恐ろしさすら感じながらも、狂三の気配りを無駄にしないよう、親子丼を平らげ満足そうに息を吐く四糸乃に目を向けた。

 

「なあ、四糸乃。ちょっと訊きたいことがあるんだが……いくつか質問してもいいか?」

 

「……?」

 

 既に質問の内容は琴里から指示されている。不思議そうに小首を傾げる四糸乃に、士道は問いかけた。

 

「その……随分大事にしてるみたいだけど――――よしのんって、おまえにとってどんな存在なんだ……?」

 

 これは士道も気になっていた事だった。友達、そう呼んでいたが詳しい事は何も聞いていない。あのパペットを通した状態だととても愉快な性格になっているということは分かるのだが……。

 

 士道の問いかけに四糸乃はたどたどしく、しかし確実に言葉を紡いだ。

 

「よしのん、は……友だち……です。そして……ヒーロー、です」

 

「ヒーロー?」

 

「よしのんは……私の、理想……憧れの、自分……です。私、みたいに……弱くなくて、私……みたいに、うじうじしない……強くて、格好いい……」

 

「理想の自分……ねえ」

 

 思い返すのは、先日デパートの中で四糸乃と出会った時の事。パペットを付けた四糸乃……よしのんは確かに四糸乃と比べてハキハキと物を言う上にノリもよく元気ハツラツだが――――

 

 

「俺は、今の四糸乃の方が好きだけどなぁ……」

 

 

 カチャン、と何か物音がしたのは士道がそう声を発した直後だった。ん? と音の方向へ振り向くと台所で洗い物をしている狂三の姿が見え、単純に食器同士がぶつかった音だろうと直ぐに四糸乃の方へ向き直ると……何故か背を丸めてフードを手繰り顔を覆い隠している姿になっていた。

 

「よ、四糸乃……? どうかしたのか?」

 

「……そ、んなこと、言われた……初め……った、から……」

 

「そ、そうなのか……?」

 

 コクン、と頷く四糸乃に士道もそういうものなのかと納得する。確かに人と話す機会が薄い精霊ならそうなるのか、と一人考えていると唐突にインカムから琴里の声が届いた。

 

『士道、今の……計算?』

 

「は? け、計算って何だ……?」

 

『……いえ。違うならいいわ』

 

「は、はぁ……?」

 

 なんだ計算って。と意味が分からないことを言う妹に眉をひそめるが、今は四糸乃への質問が優先だと気を取り直し問いかけを続けた。

 

「それから……四糸乃、おまえはASTに襲われても、ほとんど反撃をしないらしいじゃないか。何か理由があるのか?」

 

 四糸乃は十香と同じ〝精霊〟だ。なら力を封じられていない時の十香と同じく、その気になれば彼女はASTなど文字通り赤子の手を捻るより容易く一蹴してしまえるはず。だが四糸乃はそれをしない……どころか、十香がしていたあしらう(・・・・)という事さえも控えているらしい。

 

 一体どういう理由があっての事なのか……士道の問いに四糸乃は服の裾を握りしめ、先程よりも小さな声で言葉を返し始めた。

 

「わ、たしは……いたいのが、きらいです。こわいのも……きらいです。きっと、あの人たちも……いたいのや、こわいのは、いやだと、思います。だから、私、は――――」

 

「な――――」

 

 聴き逃してしまいそうな程か細い声。だが士道の耳は確かにその声を聞き取り、そして絶句してしまう。 

 

 なんだそれは、なんだそれは……!! 彼女のその想いはあまりにも――――

 

 

「でも……私、は……弱くて、こわがり……だから。一人だと……だめ、です。いたくて……こわくて、どうしようも、なくなると……頭の中が、ぐちゃぐちゃに、なって……きっと、みんなに……ひどい、ことを、しちゃい……ます」

 

 

 ――――あまりにも、優しすぎる。

 

 

「だ、から……よしのんは……私の、ヒーロー……なんです。よしのんは……私が、こわく、なっても、大丈夫って、言って……くれます。そしたら……本当に、大丈夫に……なるんです。だから……だから……」

 

 唇を噛み締め、己の拳を血が出る程に強く握る。そうでもしないと、士道はとても優しすぎる少女の言葉に耐えられそうになかった。

 

 少女は自身のことを弱い(臆病)だと言った。違う、それは絶対に違うと士道は否定する。無慈悲に迫り来る殺意の束、それをぶつけて来る存在。そんなものを突きつけられてそれでも尚、四糸乃は相手を慮っている(・・・・・・・・)

 

 それは強さ(・・)だ。少女は誰よりも強く、誰よりも優しく人を慈しむ心を持っている。そしてそれは、何よりも尊く――酷く、歪だと思えた。

 

「……っ、あ……っ、あの……」

 

 彼は考える前に席を立ち、四糸乃の隣に座って頭を撫でていた。もう止まらなかった。この歪な優しさを持つ悲しい少女を士道は――――

 

「俺が――――お前を救ってやる」

 

 ――――絶対に、救ってみせる。

 

「絶対に、よしのんは見つけだす。そして……お前に渡してやる。それだけじゃない。もうよしのんに守ってもらう必要だってなくしてやる。もう、おまえに〝いたいの〟や〝こわいの〟なんて近づけたりしない。俺が――――お前のヒーローになる」

 

 柄にもなく熱くなっている自覚はある。けれど、言葉は止まることは無かった。優しすぎる少女の慈悲は、肝心の自分には全く向けられていない。なら誰が少女に優しさを与えられるというのか……簡単でもあり、難しくもある。

 

 人から与えてやるしかない。それが精霊にとってどれだけ難しい事か、士道はよく分かっていた。それでも、それでも……優しすぎる少女への救いがないなんて――――絶対に、認める訳にはいかない。

 

「……あ、りがとう、ございま……す」

 

「おう」

 

 四糸乃が士道の想いを受け入れてくれた事に表情を綻ばせ頷き……その拍子に、正面から見た少女のその〝唇〟に思わず目がいってしまい咄嗟に目を逸らした。

 

「あー……その、この前は悪かったな。キス、しちまって」

 

「……?」

 

 これは言っておかなければならない事だと、一思いに懺悔する。男の方はともかく、奪われた女の子の方はとても傷ついてしまっただろう。が、四糸乃は士道の懺悔に一転して目を丸くし、首を傾げた。それは気にするとかしないとか以前に、何を言っているのか分からない……そんな表情だった。

 

「……キスって、なんですか?」

 

「え? ああ、それは……こう、唇を触れさせることで――――」

 

「こう、いうの……ですか?」

 

「……ッ!!」

 

 士道の言葉を聞いても分からなかったのか、彼の前に顔を突き出し今にも唇が触れてしまいそうな距離に詰め寄る四糸乃。心臓が飛び跳ねるほど驚いたが、〝訓練〟を思い出しどうにか表面上だけは平静を装う事に成功した。

 

 ……ガチャッ、とさっきより強く響く物音がした気がしたが、今そちらに意識を向ける余裕はなく狂三もこちらを向いていない。何より人の(・・)聴力でこの距離の会話は聞こえていないだろうと四糸乃との会話に集中する。

 

「っ……あ、ああ。そう、そんな感じだ」

 

「――――よく、覚えて、いません……」

 

「……え?」

 

 四糸乃の返答に、思わず素っ頓狂な声を上げる。その返答は士道にとって何か違和感を感じるものだったが――――次の瞬間、その違和感は一時的に吹っ飛んでしまうこととなる。

 

「シドー!! すまなかった、私は――――」

 

「え……?」

 

 突如ドアが開き、令音と外出していた筈の十香が大急ぎでリビングに入ってきたかと思えば、言葉の途中で固まる。

 

 それはそうだろう。何故なら……士道と四糸乃は今すぐキスをしてしまえる距離で向かい合っているのだから。

 

「とっ、ととととととととととと十香ッ!?」

 

 プレッシャー。先日の時に負けず劣らずな強烈な殺気に士道は全身から汗を吹き出し、パペットを取り上げられた怖い相手、という認識の四糸乃も小さな悲鳴を上げた。……単純にそのプレッシャーに押されたのもあるのだろうが。

 

 ちなみに、精霊の状態が不機嫌になった時に鳴る〈フラクシナス〉からのアラートは、とっくの昔に鳴り響き天元突破している。

 

「…………ふっ」

 

 実に、いっそ不気味な程に、とても穏やかな笑みを作った十香はそのままリビングへと入出。士道と四糸乃の元へ――――ではなく、真っ先にキッチンへと向かう。

 

「っ、十香ちょっとま――――」

 

 て、と言う前に士道の言葉が途切れる。遮られた、という訳ではなくキッチンの方を向いた時呆気に取られてしまったのだ。何故なら、狂三がいるからと止めようとしたのにその狂三の姿が影も形も(・・・・)無くなっていたのだから。

 

 そうしている間にも、十香は冷蔵庫や棚からありとあらゆる食料を持ち士道たちを無視してあっという間にリビングから出ていってしまった。その後、一気に階段を駆け上がる音がしてからズガァン!!と家が揺れるほど凄まじい音を鳴らして扉を閉じたようだ。

 

 ……どうやら、また振り出しに戻ってしまったらしい。

 

「――――愉快な生き方をしていらっしゃいますわね、士道さんは」

 

「うひぃ!?」

 

 背中から肩に手をかけられ、突然耳元で囁かれて思わず自分でも何を言ったのか分からないほど驚き飛び上がるように後ずさる。うふふ、とそんな士道の様子に笑みを浮かべるのは……さっきまでキッチンにいたはずの、狂三。

 

「く、狂三? お前、一体どうやって……」

 

「ふふ……わたくし、かくれんぼには少し自信がありますの」

 

「……そ、そうなのか……?」

 

 いや、かくれんぼとかいうレベルではない早業だった気がするが……今もいつの間にか自分の背後に回り込んでいたし。

 

「それよりも、四糸乃さんはどうされたのでしょう?」

 

「え……あれ? 四糸乃……?」

 

 狂三に言われ、ソファに腰掛けていた筈の四糸乃がいつの間にか消えてしまっていることに気づいた。まるで神隠しにでもあったかのように、全く気付かれずにいなくなっている。

 

『十香が近づいてきたところで臨界に消失(ロスト)しちゃったみたいね。取り敢えず、どうにか誤魔化してちょうだい』

 

「どうにかって……」

 

 この察しの良い時崎狂三を、どうにかというざっくばらんな指示でどうしろと……と思った士道だが訝しげにこちらを見る狂三の視線に耐えかね、たじろぎながら……。

 

「と、十香に驚いて帰っちまったのかなー。はは、ははははは……」

 

 苦し紛れに、頭に手を当て大仰にそう言った。

 0点。インカムからはバカ……と呆れ返った妹の声が聞こえてる。ない、流石にこれはない。あまりにも不自然な言い訳に、何を言われるかと恐る恐る狂三を見る士道。彼女は士道の言葉に目を細め、しばらく彼を見つめた後……はあ、とため息を吐いた。

 

「……士道さんがそう仰るなら、そういう事にしておきますわ。士道さんも四糸乃さんも、事情がおありなのでございましょう?」

 

「……ごめん」

 

 狂三が苦笑しながら言ってくれたそれに、士道は頭を下げて謝る。まさか、馬鹿正直に精霊の事を説明する訳にもいかない。何も知らない狂三を巻き込むことは絶対にしたくないし、出来ない。だから、こうして彼女の配慮に甘える事に感謝を込めて頭を下げる。

 

「謝らないでくださいまし。その代わり、わたくしが困った時は――――約束、果たしてくださりますこと?」

 

「っ! ああ……そん時は絶対、狂三の力になる。約束だからな」

 

 微笑む狂三に、士道は力強く頷き言葉を返す。あの時の〝約束〟を、まだ彼女は覚えてくれていた。

 

 今だって、何も分かってはいない。彼女が抱える物がなんなのか……この、自分自身の想いですらも。それでも、彼女の力になってやりたいとあの日に思った事、その事実に嘘偽りはない。

 

 だったら迷いなく、少年は少女に手を差し伸べるだろう。たとえそれがどんなことであっても(・・・・・・・・・・)

 

「――――四糸乃さんへの誓いが本物なら、わたくしは……」

 

「ん……?」

 

 小さく、下手をすれば四糸乃の声より小さく狂三が何かを呟いた気がして、士道は思わずそれを聞き返す。しかし、狂三はハッと顔を上げ笑みを作り直ぐに誤魔化した。

 

「なんでもございませんわ。ただ……士道さんは、とてもとても女泣かせな方ですのね、と思っただけですわ」

 

「な……っ! ご、誤解だ狂三!! 十香はだな……」

 

 流石にその誤解は見過ごせない。と、まるで浮気がバレた男のような仕草で言い訳を始める士道。当然、精霊やそれに近しい事は何も言えないので相当苦労を強いられることになりそうだ。

 

 

 ……その想いが本物だった時、わたくしは士道さんを――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「見つかったみたいですよ。〈ハーミット〉が持っていたパペット」

 

 とある作業中の狂三を頬杖をついて見守っていたローブの少女が、まるで世間話のような軽さでそう言った。

 

「……そうですの。それで? 『わたくし』たちが町中を探し回っても見つからなかった物が、一体どこに存在いたしましたの?」

 

「さり気なく自分達(・・・)の人使いが荒いですよね狂三って……」

 

 〝自分達〟の人使いが荒いというのは、なんだか妙な表現だと思うが狂三〝達〟の事を考えたら不思議な事ではない。まぁいいですけど、と気を取り直し彼女達(・・・)と調べた情報を狂三と共有し始めた。

 

「――――鳶一折紙。陸上自衛隊、対精霊部隊AST所属の階級は一曹。ちなみに、五河士道と同級生で同じクラスの美少女だそうですよ?」

 

「後者の報告は不要ですわね。その鳶一折紙さんという方がよしのんさん……あの日パペットを拾っていた、というところでして?」

 

Exactly(その通りでございます)。今ちょうど、五河士道が鳶一折紙の家を尋ねて〝奪還〟を試みているらしいですよ」

 

 少女の余計(・・)な情報と気取った返答は軽く受け流した狂三だったが、その後の士道が〝奪還〟を試みている、という情報に作業を中断し顔を上げ首を傾げた。

 

「何故わざわざ士道さんが? 物の一つや二つ、士道さんの後ろにいらっしゃる方々が――――」

 

 スっ、と狂三の言葉を止めたのは無言で手のひらを彼女の顔の前に出した少女。そして、もう片方の手も使いとある数字を表現する。

 

 狂三の疑問は当然のものだと思うし、一介のAST団員相手ならそう思うのも無理はない。ただの団員なら(・・・・・・・)と注釈を付けるなら、だが。

 

「6人。その奪還を試みた方々が病院送りにされた人数、だそうです」

 

「…………機械生命体?」

 

「そんな時間遅延できそうな人ではないですね。――――部屋中に設置された赤外線センサー、催涙ガス、しまいには自動追尾歩哨銃(セントリー・ガン)。一体何と戦ってるんです彼女?」

 

 表情は相変わらずローブに隠れて見えないが心底呆れ返った、という声色で締めくくる少女。その報告を聞いた狂三も、どこか困惑の表情を隠せていない。

 

 如何に自分たちでもここまではしていない。戦争でも始める準備をしているのだろうか、と思わざるを得ない武装された部屋を紹介されて困惑するなという方が難しい。しかも、実際に病院送りにされた人達がいるのだからハッタリではなく本気(マジ)だ。

 

「そんな危ないお方の元に、士道さんは向かわれましたの?」

 

「――――心配です?」

 

 少し楽しげな声で問いかける少女に、一瞬ムッとした表情を見せた狂三だったが、直ぐに素面に戻り止めていた作業を続行しながら凛とした声で言葉を返す。

 

「何度も言わせないでくださいまし。わたくしは〝今〟士道さんに死なれては困る。それだけの話ですわ」

 

「そうですか。まあ、そんなに心配いらないと思いますよ。鳶一折紙はどうやら五河士道に特別、執着がある様子ですから」

 

 ――――彼の貞操が無事かまでは責任持ちませんけど。と内心で思っていた事は言わない。執着、と一言でまとめたが〝アレ〟は色々と度が過ぎてると思える。しかし、五河士道がその誘惑(・・)に耐えきれないというのなら、所詮それまでだと少女は割り切っている。同情はするが、今はそこまでだ。

 

 それはそれとして、だ。

 

「……ところで、なんで狂三は親子丼を作ってるんです?」

 

「――――負けられませんわ」

 

 ……何に? と誰かと同じ疑問を浮かべ大きく首を傾げたが、いつになく真剣に親子丼を作る狂三の姿にそれ以上の追求は止めることにした。熱気すら覚える集中力を見せる狂三に圧倒された、とも言う。

 

 どの道、五河士道がパペットを手に入れるまで暇なのだから、狂三が何をしようと構わない少女は再び頬杖をつき作業を進める狂三を見守り――――ピリ、とひりつく様な奇妙な空気を感じ取り、お互いの顔を見合わせた。

 

 程なく、町中に響き渡る空間震警報(・・・・・)

 

「五河士道は間に合うかどうか……取り敢えず――――」

 

「わたくしも参りますわ」

 

 少女の言葉を遮るように、作業を止めエプロンを外しながら歩みを進める狂三。

 

「どの道、『わたくし』達を動かしていれば、いずれわたくしの存在も察知されてしまいますわ。なら、わたくし自ら出向いても同じ事。……異論はありませんわね?」

 

 ――――影が這い上がる。狂三の足元からなるそれは、狂三の身体に絡み付くように形を成し、赤い光の膜で彩られた一着のドレスとなる。

 

神威霊装・三番(エロヒム)時崎狂三(精霊)を守るための鎧、霊装。

 

 血のように赤いドレスを身に纏い、狂三は不敵に笑う。紅の瞳と、金色の〝時計〟を宿した瞳が少女を射抜く。

 

 是。その答えしか求めていない、そう狂三の瞳は告げている。

 

「ああ、もう……」

 

 少女は思わずボヤく。が、そう狂三が決めたなら最初から少女の答えは決まっていた。そうでなくとも〈ハーミット〉の戦力は〝前回〟で大まかに把握する事が出来た。なら止める材料も意味も少女は持ち合わせていない。

 

 そもそも――――

 

 

「何かあったら私だけで動きます。見てるだけにしてくださいね?」

 

「きひひ、お任せ致しますわぁ」

 

 

 ――――時崎狂三が是と言うのなら、それは少女にとって是となるのだ。

 

 






さすが狂三ちゃんこの程度のことでは動揺しないなんてやっぱ一流だなぁ(棒)

感想ご意見評価など是非お待ちしておりますー


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第六話『名無しの精霊』

四話から六話を一話分で終わらせようとしてたのガバガバ想定にも程がある


 

 悪意。殺意。悪意。殺意……それは少女の心を蝕む物。優しすぎる少女、しかし彼女だけではその強大な殺意を受け止めることが、受け流すことが出来ない。

 

 回る、廻る、世界が、己が、狂っていく。

 

「……!」

 

 声にならない叫びが、雨の降りしきる曇天の空にこだまする。彼女の周りにあるのは悪意、殺意、ただそれだけだった。

 

 勇気をくれるヒーロー(よしのん)はいない。

 

 優しく抱きしめてくれるヒロイン(狂三)もいない。

 

 助けてくれるヒーロー(士道)は――――未だ来ない。

 

「きゃ……っ!」

 

 霊装がなければとっくに四糸乃という存在が塵になっているであろう、彼女を殺すためだけに放たれた弾丸が衝撃と共に弾け飛び、少女の幼い身体を地面に容赦なく叩きつける。

 

 怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い……! 誰か、誰か、誰か誰か誰か誰か誰か――――誰も、いない。

 

 

「ぁ――――――――」

 

 

 殺意が、降り注ぐ。恐怖が、全てを呑み込んで行く。少女の優しい心が――――塗り潰される。

 

「――――〈氷結傀儡(ザドキエル)〉……ッ!!!!」

 

 蹂躙が、始まった。

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 その〝天使〟を目の当たりにした時、ローブの少女は思わず素っ頓狂な声を上げた。ウサギの耳がついた人形(・・)。言うまでもなく、以前目撃した〈ハーミット〉の〝天使〟、それは間違いない。

 

 だから、少女が一瞬とはいえ呆然とその人形を眺める事になったのは理由がある。その人形は恐ろしい程に――――

 

 

『クゥォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!』

 

 

 ――――巨大すぎた(・・・・・)

 

「いや、大きくなりすぎでしょう。軽くビル超えてるじゃないですか。成長期でもこんな伸びませんよ、普通」

 

「あら、あら、普通では無いのが精霊の〝天使〟なのですから当然ですわね」

 

 着地したビルで遠くから眺めていても、その大きさは圧倒的だ。少女とて精霊の〝天使〟が規格外なのはよく知っているし、驚きというより呆れの方が強い。狂三の方はさして驚いてもいないのか、凍りついた(・・・・・)地面を確かめるように踏みしめている。

 

「それはそうですけど、だからってあそこまで大きくなります? 軽く見積もって元の数十倍ですよ、あの天使」

 

 辺りを見渡せば、単純に〝天使〟が大きくなっただけではないのが彼女たちには直ぐに理解出来た。

 

 〝天使〟の咆哮は人形を中心に冷気を放出し続け、際限なく天宮市の街並みを氷結させ始めている。更に、あの人形が顕現してから強くなった豪雨の粒は、地面に触れた瞬間から氷の領域を広げ続ける。そう、際限なく(・・・・)だ。

 

 もはや、この天宮市は人が生きていける場所ではなくなってしまっている。見渡す限り、氷の世界だ。

 

「――――セーフティ、だったのですわ。よしのんさんは」

 

 ポツリ、そう零した狂三が人形を――――四糸乃を見つめるその瞳は、どこか物憂で……酷く、悲しそうだと少女には思えた。霊装によって護られている左右非対称に縫われた髪が、冷気に当てられても艶を衰えさせることなく揺れ動いている。

 

「よしのん……あのもう一つの人格を宿したパペットが、〈ハーミット〉の力を抑えていた、と?」

 

「ええ。以前、心の支えではないか……そうあなたは推察いたしました。ですが、それだけではありませんわ」

 

 狂三の推察は続く。それは――――あまりに優しく、あまりに歪な少女の真実であった。

 

「自分がされて嫌な事は、相手にも味わわせたくない。そんな子供のような夢物語を、四糸乃さんはよしのんさんという存在を作り出し、実現していたのですわ」

 

「っ……あの子……」

 

「リミッター。自身に襲い掛かる者だとしても、その方を傷つけないために四糸乃さんが生み出したもう一つの人格(・・・・・・・)。精霊の力を抑え込み制御する者……それが、わたくしが導き出した結論ですわ」

 

 聖人。そんな言葉が少女の胸を過ぎる。その優しさに見返りはない。何故なら、人類は彼女の優しさを殺意を持って返しているのだから。しかし、それは仕方の無いことだ。

 

絶対的脅威(・・・・・)。それが、精霊に対して彼らが出した結論なのだから。

 

「――――なんて、優しい(歪な)子」

 

 その優しさに救いはなく、その優しさに見返りはない。理不尽だと思う、同情もする……しかし、狂三ならまだしも少女に彼女を救う力はない。彼女を今この時代(・・・・)で救えるとするなら、それはこの世でたった一人――――

 

「!!」

 

「あら」

 

 ダンッ、と力強く地面を蹴り上げたのは少女で、ふわり、踊るように宙に舞い上がったのは狂三。違いはあれど、両者が飛び上がったその直後、氷結した地面から氷柱(・・)がせり上がった。人を一人串刺しにしてもお釣りが来るであろう氷柱は、もはや氷の〝槍〟と言っても過言ではない。

 

 それが一本、二本。更にもう一本……次々と出現する氷柱は加速度的に増え続けていく。そのうちの一本に器用にも着地した少女の隣に、狂三は並ぶように空中に浮遊したまま四糸乃を見やる。

 

「そして、よしのんさんがいらっしゃらない今……四糸乃さんは自分を抑えることが出来ませんわ」

 

「その結果が〝天使〟の本領。そしてこの銀世界、というわけですか」

 

 辺り一面の氷、氷、氷……天宮市を優に呑み込み閉じ込める〝結界〟となったこれは、正しく侵略する四糸乃の〝城〟そのものだ。

 

 ――――ASTなど寄せ付けぬ圧倒的な力を奮っていた氷結傀儡(ザドキエル)が、二人が見守る中その動きを変える。けたたましい咆哮を上げ、その身を大きく仰け反らせる。何かを取り込むよう(・・・・・・・・・)大口を開けたまま体勢を維持している。

 

 狂三にも、そして少女にも先程までとの違いが肌で感じ取れる。この感覚、少女は覚えがあった。そう――――一か月前、激昂した〈プリンセス〉が見せた〝天使〟の中でも特別な〝究極の一〟が解き放たれようとしている、まさにその瞬間の感覚……!

 

 

「――――あれは、不味いか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 士道が鳶一折紙の家に訪れて得たものは、パペットだけではなかった。

 

 折紙の想い。彼女が何を背負い、何を想って精霊と戦っているのか。士道はそれを知る事が出来た。

 

(五年前、天宮市で起こった大規模災害)

 

 士道も朧気ながら覚えている。その火事によって、彼は今の家に引っ越して来たのだから。その火事は――――精霊によって。引き起こされたものだと、折紙は言った。

 

 そして――――その火事の最中、彼女は両親を奪われた。

 

 悲劇を繰り返させないために、両親の仇を討つために、鳶一折紙は戦っているのだ。それを士道は間違っているとは言えなかった、言う資格などなかった。

 

 だって彼女は、自分と同じ境遇の人間を作り出さないために武器を取ったのだ。それを、その気高さを誰が否定できようか。

 

(けど、俺は……!!)

 

 十香も、四糸乃も、折紙も……どうして、あんなにも人を思いやれる優しい少女たちが、殺し合わなければならないのか。折紙は、精霊の反応が確認できない限り、攻撃を行うことは出来ないと言っていた。そして、その条件を満たすことが出来る存在は自分自身(・・・・)なのだ。

 

 迷いはない。決意を胸に士道は折紙の住むマンションを飛び――――

 

「――――なんで玄関にトリモチが仕掛けられてるんだよ!!!!」

 

 ――――出そうとして、何故か仕掛けられていたトリモチ(トラップ)に苦戦を強いられた。

 

 何とか脱出する頃には、それなりに時間が経ってしまっていた。けど、妙なトラップだなと首を傾げる。まるで内部から逃亡する(・・・・・・・・)者を足止めするような設計をしているのだ、このトラップは。加えて、ゴミ箱に捨てられていた高級〝精力剤〟の数々だったり、折紙の行動を考えて導き出される答えは――――

 

「うん!! やめよう!!!!」

 

 これ以上は危ない。よく耐え切ったぞ五河士道と自分を褒め称える。本当に危なかった、頭に浮かぶ黒髪の美少女の蔑んだ目――勿論、士道の妄想――がいなければ即死だった。主に、士道の貞操が。

 

色々な物(邪念)を振り払い回収したパペットを携え、扉を開けた士道の目の前に広がったのは……。

 

「なっ……なんだよ、これ……」

 

 一面に広がる氷の世界。つい数時間前まで存在していた、普通の街並みだった天宮市はそこにはなく。美しい銀世界が士道の目の前に飛び込んで来たのだった。

 

『し、……ど――――』

 

 あまりの景色に呆然としていると、折紙の家に入ってから沈黙を保っていたインカムから雑音混じりの声が聞こえてくる。ノイズが酷く僅かにしか聞こえてこないが間違いない、妹の琴里の声だと彼には分かった。

 

「琴里!? パペットは確保出来た!! 四糸乃は――――」

 

『に――――て、しど――――――逃げて!! おにーちゃん!!!!』

 

「え?」

 

 ノイズが晴れた瞬間、ハッキリと聞こえてきたのは司令官としての体面などかなぐり捨てた妹の絶叫。

 

 

「――――――――ぁ」

 

 

 そして、視界を一瞬で覆い隠すほどの、白い〝冷気〟。

 

 ――――これは、ダメだ。

 

 悟る。逃げ切れない。まるでスローモーションになったように、士道の視界いっぱいをそれは包み込む。これはダメだ、何をしようとも士道はこの冷気の奔流に呑み込まれて〝死ぬ〟。

 

 走馬灯のように、人の顔が浮かんでは消えていく。ダメだ、こんなところで死ねない。四糸乃が、士道の助けを待っている。十香を、一人にしてしまう。琴里を、泣かせてしまう。それに――――彼女に、まだ何も伝えられていない。

 

 時は止まらない。無情にも迫り来る死の波に、彼は思わず目を閉じ――――

 

 

「――――え?」

 

 

 刹那、浮遊感(・・・)を感じ閉じた目を開けた士道の瞳に飛び込んで来たのは、死の奔流ではなく銀に染った天宮市の街並み(・・・・・・・)だった。

 

「おわ……っ!?」

 

 更に、また次の瞬間には急速に落下しマンション近くの地面に着地……したと思えば、氷の地面に投げ出され、そのまま尻もちをつく。

 

「――――ご無事で? 五河士道」

 

 いてて……と何が何だか分からず声が聞こえた先を士道は見上げ、そこいたのは――――白。

 

「――――君、は……」

 

 同じ問いを投げかけた少女が、士道にはいた。だが、士道が呆然と声を発したのは、その少女(十香)とは全く違う理由だった。

 

 白い。一点の穢れもなく白いローブを纏った少女。背は妹の琴里とそう変わらないと見え、そのローブはまるでRPGに出てくる魔法使いのようだった。

 

 しかし、その腰に携えているのは杖などではなく一本の〝刀〟。その刀も、鞘、鍔、持ち手に至るまで全てが〝白〟だった。

 

 その白は純白……というより、透明さすら感じられる。そう、まるで〝無〟だと漠然と彼は感じた。呆然としてしまったのも、ローブの少女の存在感故。

 

 狂三、十香、四糸乃。彼女たちは三者三様に強烈な存在を士道へ叩きつけてきたが――――少女は、真逆だ。まるで、そこに存在しないかのような存在感。

 

 〝いる〟のに〝いない〟。矛盾……その特異な雰囲気を纏う少女は、ふむ、と士道の問いに少しだけ考える仕草をすると――――道化のように、気取った声を発した。

 

 

「――――通りすがりの、精霊ですよ」

 

 

 




ついに士道くんがご対面。次回、四糸乃編クライマックス


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第七話『駆ける希望』

四糸乃編クライマックス。そしてちょっとしたお披露目回


「……精、霊……?」

 

「はい。あなたがよくご存知の〝精霊〟ですよ」

 

 茫然自失な士道の言葉を、ローブの少女は平坦な声色のまま肯定した。

 

 〝精霊〟。特殊災害指定生命体と称され、臨界より現れし者。それは分かる。だが今、士道の頭の中は混乱の真っ只中にある。

 

 〈ラタトスク〉は精霊を保護するための組織であり、そのバックアップを受ける士道は二度に渡り自ら精霊と接触してきた。しかし、彼の命を救ったと思われる〝精霊〟と自ら名乗る少女はこう言った。ご無事ですか、五河士道(・・・・)。と、間違いなく彼の名を呼んだ。

 

 その上で通りすがりと名乗るのだから訳が分からない。何故、士道の名を知っているのか。何故、士道を助けてくれたのか。何故――――

 

『――――士道!! 無事なの!?』

 

「っ……! こ、琴里?」

 

 九死に一生を得て思考の沼に嵌っていた彼を元の状態に戻したのは、劈くような声量で自身の名を呼ぶ妹の声だった。聞き慣れたその声が届いた事で、士道はようやく状況を冷静に判断する事が出来た。そうだ、こんなところで止まっている暇はない。

 

「だ、大丈夫だ、なんとか生きてる。……心配かけて悪い」

 

『……っ、無事なら良いのよ。士道、何があったの?』

 

 〈フラクシナス〉からでも、さっきの冷気の中では事態を把握し切れなかったのだろう。士道の無事を確認し、妹からいつもの〝司令官モード〟の声に戻った琴里の言葉に、士道は少し迷いを見せたが簡潔に起こったことを報告し出す。

 

「えっとだな……その、通りすがりの精霊が助けてくれたんだ」

 

『――――精霊ですって!? っていうか何よ通りすがりって!!』

 

「本人がそう名乗ったんだよ……!!」

 

 士道だって冗談で言った訳ではなく、状況をどう整理してもこう説明するしかなかったのだから突っ込まれても困る。その報告に動揺こそしたもののすぐさま琴里は、少し待ちなさい、と士道に指示を飛ばす。彼としても現状で頼れるのは琴里側の解析のみなので、取り敢えず立ち上がり琴里からの通信を待っていたのだが……。

 

『――――士道。本当に名乗ったのね? 〝精霊〟だって』

 

「……? ああ、間違いない。どうかしたのか?」

 

 数秒程度の時間で琴里から通信は返ってきたが、どうしてか妙に歯切れが悪く士道に問い掛け直して来る。その様子に疑問符を浮かべる士道だったが、程なくして琴里から解析結果が伝えられて来た。

 

『……何も分からないのよ。そこにいるのが精霊かどうかさえ(・・・・・・・・)、ね』

 

「……は?」

 

『士道を助けたんだから、こちらに敵意はないと思いたいわね』

 

 ――――何も分からない事が分かった、という結果だけが。

 

 思わずローブの少女を見る士道だが、少女は悠然と佇むだけで何も語らない。顔も見えないのだから、表情で判断する事すら出来ない。一体、少女はどういう存在なのか……推察は困難を極める。

 

 世界最新鋭の設備を搭載している〈フラクシナス〉でさえ、それは同じことであった。

 

「ダメです!! こちらからの解析を全く受け付けません!!」

 

「どうなってるのよ……令音、そっちはどう?」

 

 〈フラクシナス〉艦橋のスクリーンに映し出された白いローブの精霊。本来、そこには顕現装置で解析された精霊の各種パラメータが配置される……はずなのだが、どういう訳かそれら全てが〝ERROR〟表記になってしまっていた。これでは、精霊の好感度を計る事も出来ないし、あの存在が本当に精霊なのかすら怪しくなってくる。

 

 だが、常識が通じない精霊相手に動揺ばかりしていては〈ラタトスク〉の名折れ。好物のキャンディを舐めたまま、琴里は艦橋下部に座る令音に問い掛ける。

 

「……こちらも同じだ。顕現装置(リアライザ)による解析を一つも通さない。あの精霊の能力、と見るべきだろうね」

 

 コンソールを叩き、首を振りそう現状の見解を述べる令音。その表情は、親友として付き合ってきた琴里ですら見た事が無いくらいに〝困惑〟といった表現が適切な物だった。

 

 〝精霊〟。そう名乗った事を信じるのであれば、令音の言う通りあの精霊の〝天使〟が、こちらのありとあらゆる干渉を無力化していると考えるのが自然だ。

 

 結論に達するのは早計だが、あいにく琴里たちには時間が無い。精霊の保護が〈ラタトスク〉の使命だが、刻一刻と迫る〝タイムリミット〟の中で現れた新たな精霊の存在はイレギュラーにも程があった。どうするか、と琴里が思考を巡らせる――――その直後、沈黙を保っていたローブの精霊が声を発した。

 

「五河士道。私を気にするより、あなたにはする事があるんじゃないですか?」

 

「っ、そうだ……四糸乃は!?」

 

『今はASTと交戦中。見てわかる通り、この状況も彼女が生み出してしまったものよ』

 

 琴里の素早い返答に、士道は氷に覆われた街を改めて見渡す。氷結都市と化し、更に先程まで彼がいたマンションは完全に凍り付いてしまい巨大な氷結晶のような状態になっている。少女に助けてもらわなければ、今頃はあの中で氷漬けになっていたのかと思うとゾッとする話だ。

 

「……早く四糸乃の所へ行かねぇと!!」

 

 その恐怖に構っている時間はない。こんな状況、絶対に四糸乃が望んで作り出した物ではないと士道には分かる。あの優しい少女に、取り返しのつかない悲劇を起こさせてしまう前に……はやる気持ちで士道は走り出そうとし――――

 

「はいストップです」

 

「な…………っ!?」

 

 襟首を掴まれ、無理やり引き戻される。士道が抗議の声を上げるより早く、彼の目の前に氷の〝槍〟がせり上がった。あのまま駆け出していたら、確実に足を止められていただろう事が見て取れる。

 

「こ、これは……」

 

『今街のあちこちで出現してるわ。氷柱(つらら)……にしてはデカすぎるけど、四糸乃の霊力で生み出されてるものに間違いないわね。気をつけなさい士道、一歩間違えたら串刺しよ』

 

 琴里の言う通り、人一人分の大きさはある氷柱だ。もし足元に直接出てこられたら、間違いなく大怪我では済まない。こんなものに無差別に出てこられては、地雷原を走り抜けるのと同じだ。

 

「あんまり迂闊に行くと怪我しますよ。と、言っても止まらないでしょうけど」

 

「ああ……ありがとな、また助けられちまった」

 

「……ふむ。手伝いましょうか?」

 

 え? と士道が聞き返すように少女を見るが、相変わらずローブに隠れてその顔の一つも見えない。だが今、少女は手伝いましょうか(・・・・・・・・)、そう言ったのを彼は確実に聞き取ることが出来た。

 

「〈ハーミット〉の元へ行きたいのでしょう? あなた一人で向かったらどれだけ時間がかかるか分かりませんし、お連れするまでは手伝っても良いですよ」

 

 そこから先はあなた次第ですけど、と付け加える少女。その申し出は、今の士道にとって願ってもない物だった。

 

「ほ、本当か!?」

 

『待って士道、危険すぎるわ。まだその精霊について何も分かってないのよ?』

 

 二度助けられたからと言って、士道の味方と確定した訳ではない。善意か、悪意か、それどころか何を目的としているのか、それらが何一つ分からない中で士道の身を完全に預ける選択をさせるのはリスクが高すぎる。少女が士道の目的を把握しているのに対し、こちらはなんのカードも持ち得ていない。

 

「けど、時間がねぇだろ」

 

『っ、それは……』

 

 小声で反論した士道に、琴里は思わず声を詰まらせる。傍目で見ただけでも、この異常事態が長く続けば深刻な事態が引き起こされるのは士道にだって分かる。加え、〈フラクシナス〉側の予測でもこのまま事態が進行すれば、地盤や人々が避難する地下シェルターにまで影響が出る可能性も高くなると出ている。

 

とある事情(・・・・・)で強力な回復能力を持つ士道だが、それにだって限界はあるし精霊になにかされて対抗する事は不可能に近い。士道の事を知っているなら、油断させて連れ去る事だって十分考えられる。そんな事になれば四糸乃を助けるどころか全ては水の泡だ。

 

 士道に生じる危険性と四糸乃と街の安否。如何に優秀な能力を持つ琴里でも、その両者を天秤にかけて一瞬で判断を下すことは出来ない。

 

「そちらにいる方達の転移装置で直接行っても構いませんけど、この状況ではあまりオススメ出来ませんね」

 

『……こっちの事まで知ってるってわけ。本当に何者なのよこの精霊』

 

 そちらにいる方達(・・)と複数を言及したのだから、どこまでかは不明瞭だが〈フラクシナス〉の事まで知っているのは確実だろう。分厚い雨雲が射線を遮っているので艦の姿を公に晒すことになる上、回収した士道をこの混乱した状況に転送装置で放り出してしまっては何が起こるか分かったものでは無い。士道が走り抜けるよりはリスクが低いかもしれないが、今早く確実に辿り着くにはやはり――――

 

 

「――――分かった。力を貸して欲しい。俺を……四糸乃の所へ連れて行ってくれ!!」

 

 

 琴里の決断より早く、士道は答えを出す。いや、彼の答えは最初から決まっていたのだろう。

 

 自分へのリスクなど承知の上。どれだけ危険があろうと、見ず知らずの精霊の力を借りることになろうと構わない。少年は必ず優しすぎる少女(四糸乃)を救うと心に誓ったのだから。

 

 迷いのない、強い瞳。その真っ直ぐな言葉と瞳に見据えられたローブの少女は僅かに、しかし確かに頷いた。

 

「では行きましょう。――――舌を噛まないよう、気をつけてくださいね」

 

「ッ!!」

 

 突如感じる浮遊感と強烈な風圧。だが先程とは違い、街並みを見渡せるような空中への跳躍ではない。妹の琴里と差がない身長の少女が、容易く士道を背負い恐ろしい速度で疾走して行く。一本二本の話ではない地面から現れる氷柱を軽やかに躱し、時に足場にすらして駆け抜けて行く。士道は少女の背にしがみつくので精一杯であった。

 

「す、げぇ……っ」

 

『――――たくっ。こっちの話も聞かないで決めてくれちゃって』

 

 辛うじて口を開き、少女の身体能力に賞賛と驚愕の言葉を発した士道の耳に、どこか呆れ返った琴里の声が届いた。無理もない、琴里の判断も仰がず士道は突っ走る形になってしまったのだ。

 

「悪い。けど……」

 

『もう良いわよ。士道の無茶をフォローするのも私たちの役目よ。付き合ってやろうじゃない』

 

『――――シン。私の方から、一つ伝えたい事がある』

 

 頼れる司令官様の言葉を引き継ぐように、眠たげな声がインカムから聞こえてくる。自分の名前を変なあだ名で呼ぶその声の主は、間違いなく解析官の村雨令音の物だ。

 

『……君が疑問に思った事を色々と調べてみたが、それはあながち間違ってないようだ』

 

 疑問……と言うと、先日四糸乃が家に訪れた時に感じた〝違和感〟の事だろう。あの後、琴里にその事を伝えたら令音に調べてもらいましょう、と言っていたのでそれの事に違いない。

 

『接触まであまり時間がない。手短に伝えよう。四糸乃は――――』

 

 それは、優しすぎる少女の想い。だが、実のところ士道に驚きはなかった。代わりに彼が得たのは、四糸乃らしいという納得と……四糸乃を絶対に救うという思いが、より一層強くなったという物だった。

 

 己の為ではなく、他人を傷つけない為に力を御する人格を生み出した少女。

 

『……シン。きっと、彼女を救ってやってくれ。こんなにも優しい少女が救われないのは――――嘘だろう』

 

「――――はい!!」

 

 そんな少女が救われない世界など、嘘だ。令音からの激励に、力強く返事を返す士道。

 

「見えました」

 

 そう呟いた少女が、士道の返事よりも早く神速を維持したまま氷の地を踏みしめ、一気に跳躍する。くっ、とその重圧に顔を顰めるも何とか目を開いた士道にも――――見えた。

 

 大きさが変わり、酷い雨粒と霧に遮られてこそいるが、あの鈍重な姿は間違いない。四糸乃の操る天使〈氷結傀儡(ザドキエル)〉だ。

 

「後はあなた次第です。五河士道」

 

「ああ!!」

 

 士道の返事を聞きながら、遥か上空へ跳躍した少女は流れに身を任せるように勢いよく急降下し……四糸乃が通り過ぎるであろうビルの上へ見事着地して見せた。凍っているにも関わらず、その氷を砕きながら衝撃を殺し勢いを止め背負っていた士道を降ろす。

 

 そのまま駆け出し、目一杯ビルの柵から身を乗り出した士道は思いっきり息を吸い込み――――持てる限りの全力を出し声を張り上げた。

 

「四糸乃ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」

 

「――――! 士道……さん……!!」

 

 士道の声を聞き届けた四糸乃が、氷結した道を滑走していた〈氷結傀儡(ザドキエル)〉を停止させる。巨大な人形の背に張り付いていた四糸乃が顔を上げる。涙でくしゃくしゃになっているが、彼女の姿を確認出来た士道は思わず安堵の笑みをこぼす。

 

「四糸乃、お前に渡したい物があるんだ」

 

 だがのんびりはしていられない。小首をかしげる四糸乃に、士道は大事にしまっていたパペットを取り出そうとした――――その瞬間の事だった。

 

「五河士道!!」

『士道!!』

 

 ローブの少女の声と琴里の声が重なるように士道の鼓膜を響かせたと同時、士道の後方から四糸乃へ向かって光が空を駆け抜けた。

 

「な――――っ、折紙!?」

 

 四糸乃を掠めたその光線を見た士道が大急ぎで振り向くと、そこにはいつもと違いASTの装備に身を包んだ折紙が巨大な砲門を構えながら対空していた。いや、折紙だけではない……四糸乃を追いかけていたASTの魔術師(ウィザード)達がいつの間にか四糸乃を包囲するように集結していた。

 

『そこの二人! 危険です、避難を!!』

 

 機械を通したのだろう、やけに響く声でASTの中の誰かが士道と少女に警告する。が、士道は様子が変わった四糸乃の声にすぐに視線を戻した。

 

『――ぅ、ぁ……ッ』

 

「四糸乃!!」

 

 

『――――いやぁぁぁぁぁぁああああああああああああッ!!!!』

 

 

 恐怖が、再び少女を支配する。士道の声でさえ、彼女に迫り来る殺意を殺し切ることが出来ない。四糸乃は狂乱状態へ陥り〈氷結傀儡(ザドキエル)〉を操って辺りへ凄まじい冷気を撒き散らしたかと思えば、人形が音を立て仰け反って何かを溜めるように(・・・・・・・・・)口を大きく開けた。

 

「うわ……ッ!?」

 

「仕事熱心なのも考えものですね……!」

 

 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の放つ冷気と凄まじい重圧感に押され、士道は氷に足を取られて尻餅をついてしまう。少女の方からすると無駄に(・・・)仕事熱心と言わざるを得ないASTの動きに皮肉をこぼし舌打ち混じりに士道の元へ駆け寄る。

 

 包囲していたASTの隊員が一斉に攻撃を加えているが、霊力を帯びた雨に阻まれダメージどころか時間稼ぎにすらなっていない。

 

 少女の感覚では、先程の破壊光線じみた冷気よりマシだが、それでも士道一人の命を容易く刈り取ってしまえる規模だと分かってしまう。

 

「くっ――――」

 

 次の瞬間、放たれた冷気の奔流が士道と少女を襲う。

 

 無駄だと分かりつつも自分を守るように身構える士道に、少女は仕方ないと再び彼を抱えようとして離脱の準備に入る。ASTに目撃されるのは面倒だが、どの道いつかはバレる事だとその身を動かそうとし――――

 

「! これは――――」

 

 突如感知した〝霊力〟に気づき足を止める。

 

 そして――――迫り来る冷気は二人の目の前で〝防がれた〟。巨大な王座(・・)によって。

 

 

「――――さ、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉……?」

 

 

 呆気に取られながらその王座の名を呟く士道。驚くのも無理はない。彼を守ったのは封印した精霊、夜刀神十香が持つ最強の天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉そのものだった。なんでこれが……と驚きを隠せない士道の耳に琴里からの通信と解説が響いてくる。

 

 その間にローブの少女は王座を見上げ、先程の感覚は間違っていなかったと確信した。正直、少女としても驚きを隠せない。この短期間で〝天使〟の顕現が成るほど、五河士道の危機にストレスを爆発させるくらいに(・・・・・・・・・・・・・・)彼女は彼を好いているという事だ。流石、〈プリンセス〉の為に実質世界を敵に回す宣言までした少年は違うなと感心する。

 

 そして、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の出現に驚いた四糸乃が〈氷結傀儡(ザドキエル)〉を操り逃走して行くと、ASTも一斉にそれを追いかけて行く。折紙だけは、王座を一瞥したがそれも一瞬の事で彼女らに続いて四糸乃を追いかけて行った。それと入れ替わるように――――

 

「――――シドー!!」

 

「十香!! …………え?」

 

 王座の主、夜刀神十香が現れた。だが、彼女の姿に士道は目を見開いた。宵闇の髪を揺らし、高校の制服の要所要所を光の膜(・・・)で揺らして士道の前に着地した十香。

 

 ふむ、と顎に手を当て、少し離れた場所で十香の姿と霊力を少女は観察する。〈プリンセス〉本来の霊力には程遠い雀の涙ほどの物だが、この間の逆流した状態とは比べ物にならない状態だ。これならばASTを相手にする程度なら戦闘行為すら可能だろう、なんて事を考えていると……。

 

「……わ、悪かった、色々と」

 

「え……?」

 

「私が! よく分からないことで苛ついてしまって……シドーに礼も言えず、迷惑をかけたから――――ずっと、謝りたかったのだ……」

 

「や、あれは……俺が悪いんだし……」

 

 何やら話は進み、喧嘩していた二人が収まったようである。そして、士道が拳を握りしめ、ゴクリと喉を鳴らし何かを決意した様子を見せる。僅かな時間だったが、彼が考えを巡らせている時にチラリと少女を見た。

 

 十香に真正面から向き合った士道が、同じように真っ直ぐ声を放つ。

 

「……十香、頼みがある」

 

「ぬ……? なんだ改まって」

 

「俺に、力を貸してくれ。四糸乃を……助けたいんだ!!」

 

 なるほど。士道の言葉を聞いて先程の視線に納得する。確かに、少女と士道の約束は四糸乃の元に送り届けるまで(・・)という物だった。もう既に効力を失っていると考えたのか、見知らぬ精霊が同じように手を貸してくれる保証はないからか……こうなった以上、霊力が戻った十香に何も説明しない訳にもいかないし悪くない選択ではある。

 

 だが、十香の瞳は彼の言葉を聞いて悲しげに揺れる。

 

「四糸乃というのは……あの娘の事か? ――――そうか。やはりあの娘が大事なのだな……私、より」

 

「っ、違う、そういう事じゃねぇ!! あいつは――――十香、お前と同じ精霊なんだ!!」

 

「っ!? あの、娘が……?」

 

 士道の言葉に、驚きと怪訝が折り混ざったような表情に染まる十香。インカムから琴里が制止を呼びかけて来るが、構うものかと頷き思いの丈をぶつけて行く。自分だけでは、どうしようもない。けれど――――

 

 

「あいつも……四糸乃も、お前と同じなんだ!! 自分の意思じゃどうにもならねぇ力を持っちまって、ずっと苦しい思いをしてきたんだ……!!」

 

 

 ――――十香の力を借りられれば、まだ間に合うかもしれない。筋違いな事を、また今一度力を奮って欲しいという酷な事を言っているのは分かっている。だがそれでも、それでも。

 

「約束したんだ……あいつを救ってやるって、ヒーローになるって。けど、俺だけじゃ四糸乃を助ける事が出来ないんだ――――頼む十香。力を、貸してくれッ!!」

 

 頭を深く下げ、必死の思いで助力を求める。そんな彼を見て、夜刀神十香は――――自分の心に刺さった棘が、抜けていくような気がした。いらない子だと、あのパペットに言われて。それは違うと論され、新しい友達として訪れた四糸乃を、しかし十香は歓迎する事ができなかった。

 

 怒る要素などなかったはずなのに〝嫌な感じ〟が胸の中に渦巻いて、そして四糸乃を助けようとする士道を見てやはり私はいらない子なのだと……でも、違う。そうだ、なぜ気づかなかったのか。なぜ、忘れてしまっていたのだろう――――

 

 

「――――――そうだった。私を救ってくれたのは、こういう男だった(・・・・・・・・)のだな……」

 

 

 士道に向けて、という物ではなく思い返すような呟きだったのだろう。その言葉は雨に遮られ彼には届かず僅かに首を傾げる。だが、十香のその瞳にもはや迷いは、ない。

 

「話は纏まりました?」

 

「ッ、何者だ!!」

 

 飛び込んで来た声を聞き、即座に警戒し声のした方向を向く十香。十香が今の今まで気づかなかった辺り、やはり少女独特の雰囲気は士道の思い違いではないのだろうと思いつつ、慌てて二人の間に割って入った。

 

「待ってくれ! この子も十香と同じ精霊で俺が危ないところを助けてくれたんだ!」

 

「精霊……こやつが……?」

 

 ああ、と頷く士道を一瞥し、十香は少女を見定めるように宵闇の瞳で鋭く射抜く。対する少女は武器に手を掛ける事すらせず、士道に名乗った時と全く同じ風に道化師を思わせる語りで声を発した。

 

「はい、通りすがりの精霊です。よろしく……と言うべきでしょうかね」

 

 

「――――分かった、通りすがりの人(・・・・・・・)と言うのだな。私は、夜刀神十香だ」

 

 

 そして、そんな道化師を警戒するわけでもバカにしているのかと怒るわけでもなく、十香はあっさりと受け入れ己の名を名乗った。

 

 これには士道も驚きを隠せず……いや、士道だけではなくローブの少女までどこか驚いている風に思えた。白いローブに隠れ表情が分からないので士道の気のせいかもしれなかったが、何となく彼はそう思った。

 

 呆気に取られる二人を余所に、十香は迷いなく〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の元へ歩み寄ると、容赦なくその王座を蹴り飛ばした。

 

「と、十香!?」

 

「――――乗れ。あの娘を、追うのだろう?」

 

 倒されたことで横になった王座の背もたれ部分に飛び乗り、凛々しい声で士道に言葉を投げかける。促すような十香の言葉に、一瞬ポカンとした表情になる士道だが……すぐに顔を引き締め、力強く頷きを返す。その表情は、どこか嬉しそうなものだった。

 

「ああ!! ありがとう、十香」

 

「礼など要らぬ。行くぞ――――しっかり掴まっていろ!!」

 

 要らぬ、と言いながらも十香もどこか嬉しげな表情で、しかし一瞬で凛々しい顔に戻ると――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を急加速させ、一気に空中に躍り出た。

 

 ダンッ! と力強い音を立て地面に着地した〈鏖殺公(サンダルフォン)〉は勢いを衰えさせることなく、まるでサーフボードで波を渡るように氷の道を滑走して行く。ローブの少女が疾走していた時に負けず劣らずな速度に、振り落とされないよう士道は背もたれの装飾に必死にしがみつく。

 

「速度を抑えては見失う! このまま――――」

 

「ッ……十香、前!!」

 

 殺人的な風圧に耐え、十香の言葉を遮り士道が叫ぶ。

 

 疾走する〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を通さないと言わんばかりに、巨大な氷柱(・・)がいくつも現れ道を塞いで行く。

 

 十香とて言われずとも分かっている。が、速度を落としては追いつけるものも追いつけなくなる。彼女が素早く剣の柄を引き抜こうとする――――よりも速く、神速が駆けた。

 

「む――――通りすがりの人か!!」

 

「まあどういう呼ばれ方でも構いませんけど――――道を開きます。あなた達はそのまま進んでください」

 

 分かった! と迷いなく答える十香に対し、士道は少女が抜き放った〝それ〟に目を奪われていた。高速で駆ける〈鏖殺公(サンダルフォン)〉をその神速で容易く抜きさり、二人の前にある氷柱を鮮やかに斬り伏せて(・・・・・)行く少女。

 

 その手に握られている、一刀。白い鞘から抜き放たれた〝それ〟は色がなかった(・・・・・・)。いや、表現が出来ない色だった。白、透明……近い気がするが、やはり違う気もする。

 

 〝無〟だと、少女に感じた印象がそのまま移ったようにその刀身に士道は目を奪われた。

 

 

「あれはなんだ!? シドー!!」

 

「な……!?」

 

 少女が立ち塞がる氷柱を片っ端から斬り飛ばし、その助けもあって速度を維持してひたすら駆け抜けた二人の前に、思わず目を見開く光景が飛び込んで来る。

 

『……四糸乃が構築した結界だね。ふむ、よく出来ている』

 

 他人事とも思える口調の令音からの通信を聞きながら、士道はその〝暴風〟を改めて確認した。その半球形は吹雪によって構成されており、魔力と霊力を感知して自動で迎撃行動を取る四糸乃が作り出した〝結界〟だと令音が掻い摘んで説明してくれた。

 

 普通に考えれば誰も近付けない。魔力や霊力を纏っていては論外だし、かと言って生身で精霊の作り出した暴風域に入れば……言うまでもないだろう。そう、普通の人間ならば(・・・・・・・・)

 

「五河士道、夜刀神十香! 上です!!」

 

「んな……っ!?」

 

 少女の声に導かれ咄嗟に上を見上げると、ビルが浮遊している(・・・・・・・・・)のが目に入った。正確には、ビルの先端部を折紙が運んでいる光景だ。そして彼女は躊躇い無く――――それを振り下ろした。

 

『随分と思い切った真似してくれるわね!』

 

 

「――――シドーの邪魔は、させん!!」

 

 驚きと苛立ちを含んだ琴里の言葉から間を置かず、十香が動く。〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の先端から生える柄を握りそれを抜き取ると、その剣を軽々と持ち上げ一気に折紙の放ったビルへ向けて飛翔して行った。

 

「十香ッ!!」

 

 だが、僅かに間に合わない。既に賽は投げられている。十香が斬撃を飛ばし、ビルを断ち切るのとほぼ同時……いや、ほんの少しの差だが彼女の攻撃より先にビルが吹雪に直撃してしまう。

 

 

 間に合わない。直感的に感じ取った士道の視認する先で――――――時が、止まった。

 

 

「――――――え?」

 

 

 次の瞬間、ビルは〝結界〟に到達すること無く十香の斬撃によって真っ二つにされ、その分割された破片さえも十香によって粉微塵に切り刻まれていく。

 

 間に合った……? そう、普通の人の目には見えただろう。だが、士道の目には見間違いではなく確かにビルの落下が一瞬緩慢な動き(・・・・・)になったように見えて――――

 

「――――全く、あの子(・・・)はもう!!」

 

「い……っ!」

 

 勢い余って吹雪に突っ込んだ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が、その霊力を感知され触れた部分から段々と凍り付いて行く。手前を走っていた少女が、急いで士道を抱えて地面に舞い戻る。その手前、少女が何かを言っていた気がしたが雨と吹雪の轟音にかき消され士道の耳には殆ど届かなかった。

 

「悪い、また助けられたな……」

 

「いえ。夜刀神十香の助けもありましたが……約束は果たしましたよ、五河士道」

 

「ああ。ありがとな、色々と。本当に助かった」

 

 少女がいなければ、士道は十香と仲直りも出来ず命を散らしていた。短く、しっかりと礼を言い士道は持ってきたパペットを大事そうに服の中に移動させる。

 

 この中に四糸乃はいる。なら、士道がこの先取るべき行動は一つだけだ。結界へ向かって、士道は一歩前に足を踏み出した。

 

『士道、待ちなさい! 生身で結界に入りつもり? 回復力頼りで? 無謀過ぎるわ、やめなさい!!』

 

「おいおい、俺が撃たれた(・・・・)時はお前、全然動揺しなかったって聞いたぞ?」

 

 司令官モードでいるのに何時になく焦った様子の琴里に、士道は冗談交じりに言葉を返す。そう、理由は分からないが文字通り一度死ぬような怪我を負っても(・・・・・・・・・・・・・・)彼は蘇った。アンデッドモンスター顔負けのチート能力を五河士道は持っている。

 

 だからこそ、琴里は以前士道が撃たれた時も動揺する様子を見せなかった。

 

『あの時とは状況が違うわ!! 一発切りの弾丸じゃない……散弾銃を撃たれながら進むような物よ! しかも、結界の中で〝霊力〟を感知されたら凍らされるわ! 途中で傷を治すことも出来ないのよ!?』

 

「霊力……か。俺の回復能力ってのは、精霊の力なのか」

 

『……ッ』

 

 琴里が息を呑むのが分かる。琴里の心配はよく分かった。兄として、妹に心配をかけたくない気持ちは勿論ある。だが――――彼は、止まらなかった。

 

 

「琴里――――行ってくる」

 

『ダメ!! 止まっておにーちゃ――――』

 

 

 インカムを耳から外し、ポケットにしまう。そして、また一歩吹雪へ向かって歩みを進める士道の背に声が投げかけられる。

 

 

「――――あなた、死にますよ」

 

 

 ぶっきらぼうに、淡々と事実だけを突きつける少女。フッ、とそれを聞いた士道が笑う。ああそうだろう。馬鹿な行動だ、無謀にも程がある。少女が呆れるのも無理はない。けれど――――

 

 

「約束、したんだ。四糸乃を救うって。俺があいつの――――ヒーローになるって。それを嘘になんて、絶対にしない」

 

 

 ――――だから、死んでる暇なんて、ない。

 

 その言葉を最後に、彼は再び死地へと迷いなく足を踏み入れていく。その背中を見送りながら……ああ、あの子(・・・)が惹かれた理由が分かってしまったと、少女は思った。

 

 眩し過ぎる。あの子が闇に生きる少女なら、士道は光そのもの(・・・・・)だ。人の絶望も、苦悩も、彼はその身に受け入れて手を差し伸べるお人好し(バカ)な少年なのだ。それを無意識か、はたまた違うのか……感じ取ったあの子は彼に惹かれてしまった。

 

 ――――惹かれあってしまった、のかもしれない。

 

 確信する。間違いなく、少年(士道)少女(狂三)の前に立つ。想定とは違う出会いをした二人が、どのような結果になるのか、その出会いが幸か不幸か、少女にだって分かりはしない。

 

 しかし、希望(・・)は新たに見い出せた。この希望が実るならば――――そうして少女は、彼の背中へ、言葉を放った。

 

 

「――――――また会いしましょう。五河士道」

 

 

 確信に満ちたその声は……吹雪へ消えていく士道と共に吸い込まれて、消えた。

 

 

 




メインヒロインのきょうぞうちゃんの出番が今回は珍しくなかったですねー(棒)

四糸乃の結末や十香ちゃんの未知の感情による複雑な心境や可愛さがもっと詳しく知りたい方は是非デート・ア・ライブ第二巻『四糸乃パペット』をご購入ください!

あと偶然かもしれないけど前話が今までで一番お気に入り伸びたの死ぬほど嬉しかったりしてます感想もお待ちしております。


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第八話『矛盾の心』

長めのプロローグの終わり


 

 

「――――私だけで動きます。そう言いましたよね?」

 

 ふわり、軽やかな足取りで未だ止まぬ雨の中帰還したローブの少女が怫然とした面持ち――と言っても顔は見えないのだが――で声を放った。器用にもローブを着たまま腕を組み、どういうつもりだと言わんばかりに狂三を見据える少女だったが、当の本人は苦労を労わるように微笑んでいた。

 

「あら、あら。おかえりなさいませ。無事、士道さんを送り届けられたようで何よりですわ」

 

「ただ今戻りました。……これで話を逸らせると思ってます?」

 

 労る狂三の気持ちはまあ、それなりにはこもっているのだろうが、それとこれとは話が別だ。はぁ、と溜息を吐いて頭を抱える。いつもの事だが、この女王様は気まぐれを盾に自由すぎる。

 

「……【二の弾(ベート)】。あの時(・・・)使ったでしょう。僅かな時間とはいえ、崇宮真那に気づかれますよ」

 

「さて、なんの事やら。わたくしにはさっぱりですわ」

 

 あくまでシラを切り通すつもりらしい狂三に、全くもう……と少女は小さく息を吐く。崇宮真那がこちらを嗅ぎつけるのは、言っておいてなんだが大きな問題ではない。彼女程度に狂三は()れないし()らせない。狂三の分身体を無意味に削られるのは腹立たしさもあるが、それも狂三の〝悲願〟に支障は出ない。

 

 どの道、押し問答を続けて狂三が白状したところで気まぐれ(・・・・)で通されるだけだろうな、とは少女にも分かっていた。狂三が燃費の悪い自分の天使を使ってまで、あの時手を貸したのも……想像はついていた。

 

 狂三が士道と接触した先日、彼女の存在が〈ハーミット〉の精神を非常に安定させていた。そう、あまりにも安定させすぎた(・・・・・・・)。安定していた精神が、拠り所を失い絶望へと一手に転じれば――――言うまでもない。精霊の霊結晶はその感情に答え過剰に力を発揮する。

 

 本来、狂三の介入が無ければここまでの事態にはならなかったかも(・・)しれない。所詮はもしも(IF)の話。だが狂三は聡明であり……色々と気まぐれ(素直じゃない)な子なのだ。

 

「ほんと、強情な子ですね」

 

「あーら、何か仰いまして?」

 

「いーえ。別に何も」

 

 ――――ふと、雨が止んだ。

 

「これは……」

 

 あれだけ空を遮っていた曇天が、その力を失ったように消えていき……光が、射した。

 

「終わり、ましたわね」

 

 眩い太陽の輝きに目を細め、空にかかった美しい〝虹〟を見つめる。ああ、終わったのだと――――誓いは、果たされたのだと狂三は悟った。

 

 

「本当に――――――お優しい(残酷な)人」

 

 

 ――――あなたでなければ、良かったのに。

 

 

「もう用はありませんわ。帰りますわよ」

 

「狂三?」

 

 スカートを翻し、光に背を向け歩き出す狂三。少女はそんな彼女の様子を見て訝しげに声をかけた。

 

 ふと、狂三が足を止める。一陣の風がその黒髪を揺らす。まるで、彼女の心を表しているかのように揺れ動く。煩わしげに髪を無理やり手で押さえつけ、振り向かずに彼女は告げる。

 

「精霊三人分の霊力を溜め込んだ〝器〟。えぇ、えぇ、待ち焦がれ過ぎてわたくし死んでしまいそうでしたわ」

 

「…………」

 

頃合い(・・・)ですわ。わたくしが士道さんを『いただき』ますわ。――――きひ、きひひひひひひひひひッ!!」

 

 楽しげに、しかしその狂った笑い声はどこか芝居がかったようだと少女は思う。

 

 彼女の言葉にある矛盾に少女が気づかない筈がない。狂三の〝悲願〟を……その目的を考えれば、三人程度の霊力では果たして完全にそれを遂げる事が出来るのかどうか。不安が残ってしまうのは狂三だってよく分かっているだろう。

 

「……ええ。私は狂三の選択に従いますよ」

 

 だが、少女はその事に触れることはしなかった。仮に霊力が足りなかったとしても、いつも以上に(・・・・・・・)己がそれを補えば良いだけのこと。例え、全てを使い果たそうとも――――〝計画〟の為にも。

 

 

 けど少しだけ、ほんの少しだけ――――希望(士道)の可能性に、賭けてみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「んぅ……良い天気だな」

 

 玄関を開けると、溢れんばかりの太陽の眩しさが飛び込んで来た。その日差しの暖かさを、ん、とのびのびと身体を伸ばし久しぶりに感じた日常の快晴を堪能する士道。

 

 はぁ……と満足げに息を吐き出す彼の表情はとても晴れやかな物だった。色々あったが謎の精霊と十香の助けもあり、四糸乃の力を無事封印し彼女を救う事が出来てから数日。五河家に戻ってきた士道は、ようやく平和な日常を取り戻したのだ。あまりに無茶をしたので妹には泣くほど――本人は否定するだろうが――心配をかけてしまったが、取り敢えずは一段落と言えるだろう。

 

「これから、か」

 

 十香を、四糸乃を、士道は救う事が出来た。最初は巻き込まれて無茶振りをさせられた事から始まったものだったが……二人の件で士道の心は既に決まっていた。それに――――

 

『――――シドー、お願いだ。もし今後、私や四糸乃のような精霊が現れたなら……きっと救ってやって欲しい』

 

 約束がまた(・・)増えてしまったから、反故にする事だけは絶対に出来ない。

 

 ……どこか複雑そうな顔をしていた十香が気になったが、その後の彼女の行動を思い出し〝唇〟を押さえ顔を赤くする。何回経験しても、この感覚と男としての罪悪感は拭えそうになかった。

 

 ふぅ、と何度か深呼吸して高まった気持ちを整える。やると決めた以上、例の方法に慣れていかなければ行けないと思うのだが……頭に浮かぶ黒髪の少女の顔を思い出し、やっぱ無理そうだなぁとガックリ肩を落とした。

 

 そう言えば、その彼女は元気にしているだろうか。まだ検査の途中で自由に出歩く事は出来ない四糸乃も、きっと彼女に会いたいことだろう。士道としても、無事よしのんを見つける事が出来たことを伝えてやりたかった。

 

 近いうちにまた会えると良いな……そう思いながら、こうしちゃ居られないと買い出しに出るため塀を通り抜け……。

 

 

「お元気そうで何よりです、五河士道」

 

「らびっとぉ!?」

 

 

 その声に心臓が飛び出そうなくらい驚いて跳ね上がった。ウサギ耳を見たからか戦車と続きそうなとても奇妙な叫び声になってしまったが、何とかバクバクとうるさい心臓を落ち着かせ声の報告へ振り返り、その人物を見て士道は目を見開く。

 

「無事〈ハーミット〉を救うことが出来たご様子で。ひとまず、賛辞を送らせて頂きます」

 

「お、お前……なんでこんな所に……」

 

 相変わらず気取った言い方で彼に賞賛を送るのは、白いローブを纏った少女。いつから居たのか、塀に背を預け腕を組んで我が物顔で五河家の前に居座っていた。いや、顔は見えないのだが。

 

 少女を見て呆然と問う士道だが、驚くなという方が無理な話だった。士道が少女と別れた後、少女はあっさりとその姿を消したと聞いていた。それも〈フラクシナス〉の感知システムをあっさりと振り切って。

 結局、少女は何が目的だったのか、どういう〝精霊〟なのか、なぜ士道の事を知っていたのか……全くの〝正体不明〟のまま消えてしまった。だと言うのに、たった今また士道の前に姿を現したのだ。空間震による出現ではなく、恐らくは少女自身の意思で。

 

「どうして、ですか。勿論、あなたに会いにですよ」

 

「お、俺に……?」

 

「えぇ。あなたに用事があって来ました」

 

 その言葉に用事?と困惑する士道を見てふふ、と可笑しそうに笑う少女。用事とはなんなのか……グッと拳を握り気を引き締める。インカムは持っているが、少女と向き合っていては付けることが出来ないし、少女は〈フラクシナス〉側の事も知っているようなので取り敢えずは自分一人で会話を試みるしかなさそうだ。

 

 例え正体不明であろうとも相手は〝精霊〟。なら、士道のやるべき事は変わらない。自分に会いに来てくれたというのなら、望むところだと腹を括る。十香との交わしたばかりの約束も、効いていたのかもしれなかった。

 

「そうか……じゃあ俺から先に言わせてくれ。……ありがとう。あの時、お前がいなかったら本当に危なかった。改めて礼を言わせてくれ」

 

「ふふ、律儀な人ですね。ではそのお礼、ありがたく受け取らせていただきます」

 

「――――それと聞かせてくれないか? どうして俺を助けてくれたんだ?」

 

 別れ際の時は急ぎで短い物になってしまったので、きっちりと頭を下げて礼を述べる士道。そして何より彼が、いや彼だけでなく〈ラタトスク〉メンバーも気になっていた質問を投げかけた。一体、どういう理由で少女は五河士道を助けたのか、せめてその理由が知りたかった。

 

 単純な善意、と言うのが一番話が早いのだが、十香と四糸乃とはあまりにも違いすぎる精霊の少女に対しては甘すぎる考えだろうか。士道の問いに、僅かに考える仕草をした少女は、さして時間をかけず答えを返して来た。

 

「そうですね……まあ、女王様の気まぐれ(・・・・)と思ってください」

 

「女王……様?」

 

 士道のポカンとした返答に少女は大真面目にええ、と声を発する。女王様という風貌の少女にはとても見えないので、どうやらはぐらかされてしまったのだろうか。少し直球過ぎたのかもしれない、そう士道が思っているとさて、と塀に背を預けていた少女がローブを揺らし士道へ向き直った。

 

「今度は私の番ですね。あなたを助けた代わりに、一つお願いがあるんですよ」

 

「お願い……?」

 

 一体どのような見返りを要求されるのか。思わず身構える士道に、少女は変わらず平坦な声で言葉を続けた。

 

「そう警戒なされずとも大丈夫です。ただ質問に答えて貰いたいだけですから」

 

「……質問? そんな事でいいのか?」

 

「はい。五河士道、あなたは夜刀神十香と〈ハーミット〉という二人もの精霊を救いました。ですが、彼女たちは〝善〟と言える方達でしたね?」

 

 あ、ああ……と戸惑いながらも少女の質問を受け止める士道。十香も四糸乃も、望んでもいないのに空間震を起こしてしまい、そして理不尽に排除されようとしていた。誰かを思いやる事が出来る優しい存在なのに、その理不尽さが許せなくて士道は彼女達を救うと決めた。その想いは今も変わっていない。しかし――――

 

 

「ではその逆……〝悪〟を成す精霊。万人が揃って〝悪〟と断じ、その身が地獄の底へ堕ちようとも(・・・・・・・・・・・)歩みを止めない。そんな〝最悪の精霊〟がいるとしたら――――あなたはどうしますか、五河士道」 

 

「――――な、んだよ、それ」

 

 

 ありえない想定だ、そう彼は断じたかった。けど出来なかった。身体が軋んでしまったように鈍く感じる。少女の質問の一部分はどこか聞き覚えがある(・・・・・・・)物で、否定しきる事を身体が拒否しているとも思えた。

 

 即座に答えることは、出来なかった。士道は前提として、理不尽な思いをする精霊を救いたいという意思で動いているのだ。その恐ろしい質問に、少年はまだ答えを持っていなかった。

 

「答えは今すぐじゃなくて構いません。そうですね……次に会う時にでも聞かせてください。それではまた会いましょう――――期待(・・)していますよ、五河士道」

 

「あ……」

 

 一方的に言いたいことを投げかけた少女は、手を伸ばす士道の先であっさりとその姿を消した。じっとりと汗ばんだ手を戻し、ふとそれを見つめる。なぜこんなにも不安になっているのか、自分自身でも訳が分からない。

 

 八つ当たりのように髪を掻き毟るが、やはり気は晴れない。先程までの晴れやかな気分は消え去っていて……士道の感情に呼応して何故か天気まで悪くなっているように思えた。

 

 

 少年は気づかない。気づきたくなかっただけかもしれない。問いの中に感じた既視感は決して間違いなどでは無かったということを。少年は、思い知る。あんなにも会いたかったのに、今は何故か会うことに不安を感じている。

 

 

 少年を狂わせる(・・・・)少女との再会は――――――すぐ、そこに。

 

 





四糸乃編エピローグ兼次回へのプロローグ。そして次回はいよいよ……

やってみるとやはり展開の都合上改変出来る部分が薄くうーんな場面が多くなってしまったなぁと思った四糸乃編。力量不足を感じますが、これからも頑張っていこうと思うので感想などありましたらお送りいただけると凄いモチベーションに繋がりますのでよろしくお願いします(媚び媚びスタイル)


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狂三フェイカー
第九話『狂う物語』


狂三フェイカー編、スタート。違う出会いをし、本来とは違った形で思いを抱いた二人のお話が果たしてどこへ着地するのか。お楽しみいただければ幸いです


 

「わたくしと士道さんの間に手出しは無用ですわ」

 

 そんな事を狂三が言い出したのは、彼女がその制服(・・)に袖を通したまさにその時であった。おろしたての制服を身に着け、学校指定のカバンを両手に持つ狂三は正しく学業に勤しむ良家のお嬢様といった出で立ちだ。

 

 十人が横を通り過ぎれば二度見を含めて二十人が振り返りそうなほど絶世で妖艶な雰囲気の彼女は、しかしローブの少女から見るといつも以上に超然としていて、どこか頑なな雰囲気になっていると言わざるを得ない。だから、いつもは狂三の指示に迷わず了承を返す少女も思わず言葉を濁す。

 

「……狂三がそう言うのなら従いますけど、本当に大丈夫ですか?」

 

「あら? わたくしの力は『わたくし』以外では誰よりあなたがご存知の筈でございましょう?」

 

 勿論、それは知っている。戦力はまだ見ぬ〝例外〟を除けば封印された精霊二人と取るに足らないAST、そして狂三が行動を起こせば現れるであろう崇宮真那。だから少女が気にかけるのはその者達ではなく、五河士道……ひいては時崎狂三自身(・・)に関してだった。

 

「それはよく知ってますよ。私が言いたいのは狂三、あなた自身の事です。言わなくても分かるでしょう」

 

「うふふ、おかしな事を仰いますのね。わたくし、いつもと変わりありませんことよ」

 

 自分の姿におかしなところが無いかくるくる、くるくると鏡の前で舞い踊る狂三。やがて、ピタリと少女の方を向いて止まり制服のスカートが鮮やかに揺れる。妖艶な笑みを浮かべた彼女は、見据えた少女へ声を発した。

 

「〝子犬〟を相手に『わたくし』を使う時のフォローはお任せ致しますが、わたくしへのフォローは不要。例え、精霊が相手(・・・・・)だとしてもそれは変わりありませんわ」

 

「……はあ。分かりましたよ。女王様の御心のままに」

 

「感謝致しますわ。それでは、行ってまいります」

 

 ため息混じりで気取った返答を気にした様子もなく、綺麗な礼を見せ部屋から出て行く狂三。言うまでなく、狂三はなんの冗談でもなく登校(・・)したのだ。

 

 はあ、と二度目のため息を吐き狂三の出て行った扉をしばらく眺めていると――――影が、少女の真後ろに現れた。

 

「――――きひ、きひひ。『わたくし』は楽しそうでしたわねぇ」

 

 染みのように黒い影から現れたのは〝狂三〟だった。ただし、さっき出て行った彼女とは違いメイド服(・・・・)を着ているため一瞬で見分けがつく。まあ、そんなもの無くてもこの狂三なら(・・・・・・)少女には分かるのだが。

 

「楽しそう、ですか? 狂三が?」

 

「えぇ、えぇ。あんなに楽しそうな『わたくし』、見た事がありませんわね。――――同時に、あなたの感じた物も間違ってはいないようですけど?」

 

「…………楽しそう、か」

 

 相変わらず特徴的な笑い声で言葉を締めくくるメイドの狂三に、少女は気づかなかったと言うようにポツリと言葉をこぼす。驕りかもしれないが、狂三の感情の機微に気づけなかったのは自分でも意外だ。ともすれば狂三本人さえ気づいていないかもしれない事に気づいたのが〝別の本人〟というのは何とも不思議な話ではあったが。

 

 少女から見て狂三は頑なに、言ってしまえば何かを隠す〝仮面〟のような物を被っていると思えた。メイドの狂三は狂三を〝楽しそう〟だと語った。本人の自覚さえなしにまるで対極に矛盾するそれは――――

 

「……まあ、狂三が何をするつもりか知りませんけど、私なりに動く事には変わりないですね」

 

「きひひ……過保護、ですわねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「お、おは、よう……ござい、ます……」

 

「おお、おはようだ!」

 

 十香の元気いっぱいな返事に、ビクッと身体を震わせたが何とかその場に踏み止まる四糸乃。

 

 今は早朝、士道と十香は学校への登校日。こうして四糸乃と十香が挨拶を交わしているのは当然理由があった。〈ラタトスク〉は精霊との対話による空間震災害の平和的解決、という目標があるのだが、そのアフターフォローも勿論存在している。

 

 艦の司令官様曰く、精霊にきちんと社会性を身につけてもらい、ちゃんと幸せな生活を送ってもらいたい。という事で、将来的には五河家隣に一夜にして建設された精霊専用のマンションに住んでもらうため、お隣さんになる十香と話せるようになる練習も兼ねてこうして朝の挨拶をしているわけだった。

 

 とはいえ、そんなに心配しなくても大丈夫そうだと士道は微笑する。あの恥ずかしがり屋で人見知り、人と話す事をよしのんに頼っていた四糸乃が、あんなにも(四糸乃比)ハッキリと挨拶をして人と喋っている。色々あったが、十香はさっぱり気にしておらずこれなら四糸乃の僅かに残った十香への苦手意識もすぐ無くなるだろう、そう思っていると耳につけたインカムから琴里の声が響いてきた。

 

『ちょっと、何黙ってるのよ士道。四糸乃があなたに何か言いたげよ』

 

「え……あ、ああ。どうした、四糸乃?」

 

 言われて気づいたが、四糸乃がチラチラとこちらに視線を投げかけていた。助け舟を求めていると思い、士道が近づくともごもごと何度か躊躇いながら声を発する。

 

「……あ、の……狂三、さん、は……?」

 

「――――ッ!」

 

 四糸乃としてはずっと聞きたかった事なのだろう。先日までの士道なら難なく答えられたであろうその問いに、今の士道は身を固めてしまい何故だか答えられなかった。

 

『ではその逆……〝悪〟を成す精霊。万人が揃って〝悪〟と断じ、その身が地獄の底へ堕ちようとも(・・・・・・・・・・・)歩みを止めない。そんな〝最悪の精霊〟がいるとしたら――――あなたはどうしますか、五河士道』

 

 頭を過ぎる、少女の言葉。四糸乃の質問に理由は分かりきっている。どうしてか、彼の心にしこりのように残った少女のその言葉が、士道に声を発する事を拒ませていた。

 

 何も迷う事はない。だって狂三は精霊とは関係ない(・・・・)じゃないか。きっと、街を探せばフラっと現れて変わらない笑顔を浮かべてくれる。それで、四糸乃が会いたがっていたと告れば快く頷いてくれる、そんな優しい少女なのだ。

 

 ならば――――なぜ自分は答えられなかった?

 

「士道、さん……?」

 

「どうしたのだシドー?」

 

「っ……」

 

 気づけば、不安そうな四糸乃だけではなく十香まで心配そうに士道の顔を覗き込んでいた。危ない、思った以上に考え込んでしまったらしい。あーなんでもないなんでもない、と手を振り白の麦わら帽子を被る四糸乃の頭をポンポン、と安心させるように撫でてやる。

 

「大丈夫、次は狂三も連れて来る。狂三も四糸乃に会いたがってるだろうしな!」

 

「っ……は、はい……!」

 

 士道の言葉を聞くと、不安げだった表情は吹き飛びキラキラと目を輝かせて頷く四糸乃。よしのんを無くしてしまった時に出会い、付き添ってくれた狂三に相当懐いたらしいと微笑ましい気持ちになる。

 

「む……シドー。狂三とは誰の事なのだ?」

 

 二人の様子に疎外感を感じたのか、はたまた別の理由(・・・・)を感じ取ったのか、十香が少し頬を膨らませ不機嫌な様子で尋ねてくる。当然のように前者の理由だと思った士道は、慌てて口を開こうとして……。

 

『ふふーん。それはね十香ちゃーん……狂三ちゃんって子は士道くんのカノ――――』

 

「わああああああッ!! と、友達だ友達! 今度十香にも紹介するから! な!?」

 

 今まで沈黙を保っていたよしのんがとんでもない事を口走ろうとして、更に大慌てで十香とよしのんの間に入り説明する羽目になった。とんでもない事を言ってくれたと思ったが、そう言えば初対面の時に勝手に勘違いされ、そのままだったのを忘れていた。まあ、士道としては少しだけやぶさかではないと心の底で思っていた事は勿論誰にも内緒である。

 

「……そうか、トモダチ……か」

 

「あ、ああ……」

 

 一応、さっきの説明で十香も納得してくれたらしい。どこか、何かに引っ掛かりを覚えているようにも見えたが……士道としては〝友達〟という表現以外伝えようがないのでこれ以上はどうしようもなかった。

 

『……士道、今日の訓練のこと忘れてるんじゃないでしょうね? 狂三の事を不用意に言って十香を嫉妬させてどうすんのよ』

 

「は……? なんで狂三の事で十香が嫉妬するんだ?」

 

 何度目かの恒例となった琴里からの〝訓練〟。今日のお題は十香に嫉妬させないよう振る舞うこと(・・・・・・・・・・・・・・・・・)だった。その為にインカムをして琴里からの通信も聞いているのだが、士道としてはなぜ友達の狂三の事を言ったら十香が嫉妬してしまうのか……繋がりが分からず頬を掻き困惑する。

 

『……だーめだこりゃ。はい、ペナルティ一つね』

 

「なんでだよ!?」

 

 あまりの理不尽に抗議を申し立てるが、琴里は深いため息と共にその直談判をゴミ箱へ投げ捨てる。

 

 ……まあ、こういう兄だから精霊攻略が出来るのだが、それとこれとは話が別な妹様であった。

 

 

 

「おう、おはよう鳶――――」

 

「…………」

 

「……お、折紙」

 

「おはよう、士道」

 

 危なかった、取って食われるかと思った。強烈なプレッシャーを感じ朝の教室で冷や汗をかく士道。〈ラタトスク〉の機関員が繰り出す十香の嫉妬を煽る工作を何とか切り抜け、左隣の席に座る折紙に挨拶を……という所で、彼女からのプレッシャーにこの前の事を思い出し既のところで言い直して挨拶に成功した。

 

 よしのん〝奪還〟作戦の時、折紙に十香ばかり名前で呼ぶのは不平等(・・・)と迫られ、こうして名前で呼び合う事を約束した事を忘れていた。と言うより、彼女の家で色々ありすぎて忘れたかったのかもしれないが。

 

 士道とのやり取りにどこか満足げに小さく頷いた折紙だったが、彼の後ろにいた十香を認識すると一変して視線が鋭くなる。

 

「一緒に登校してきたの?」

 

「え? ……そ、そうだけど」

 

「そう」

 

 いつも通りの鉄仮面。しかし何故だろう、さっきとはまた違ったプレッシャーが恐ろしいまでに撒き散らされている気がしてならない。それに気がついたのか否か、士道の右隣の席に着こうとしていた十香が折紙を視認し両者が睨み合う形となった。

 

「……何か用か?」

 

「別に」

 

 竜虎、相搏つ。お互いのプレッシャーがオーラを纏っているようにさえ幻視してしまうほど、鋭く睨み合う十香と折紙。その威圧感に挟まれた士道はたまったものでは無い。しかし、これもいつもの事だと諦めた訳では無いが割と受け入れつつある〝日常〟であった。

 

 基本的に誰にでも悪意なく接する十香だが、その例外が鳶一折紙なのだ。お互いこの前まで命のやり取りをしていて、折紙の方は精霊に対し並々ならぬ憎悪まで持ち合わせている。仲良くしろって方が難しいよなぁ……まあ、実のところそれだけではなく士道本人を巡っての仲の悪さもあるのだが、悲しいかな、挟まれる本人は全くその自覚がなかったりする。

 

 しばらく睨み合っていた両者だったが、ちょうどよくホームルームのチャイムが鳴り響いたのでこれは幸いと士道が促し十香が席に着くことで今回は決着した。 

 

 確かに二人の定番と化したやり取りは常に挟まれる士道としては胃が痛くなる思いだ。だが同時に、こうしていられるのは平和の証なのだろうと感慨深くなる。楽観的なのかもしれない。けれど、こうして十香たちと、いつかは〝彼女〟もいれて笑い合える平和な日々が続いてくれれば良いと――――

 

「――――ふふ、なんとねえ、このクラスに転校生が来るのです!」

 

「……ん?」

 

 物思いに耽っていた士道を現実に引き戻したのは、眼鏡かけた癖毛の小柄な教師・岡峰珠恵(通称タマちゃん)の言葉と、それを聞いたクラス中から響いたおおおおおおおおお!? という地鳴りのような声であった。

 

 転校生。それは学校生活の中でも希少な上に大きなイベントの一つ。クラス中の学生が騒ぐのも無理はないだろう。その輪に加わることなく、士道は首を捻った。つい最近、十香が転校してきたこのクラスにまた転校生が編入される、というのは不自然に思えた。まるで、十香のように裏からねじ込んだ(・・・・・・・・)と――――

 

「……いや、まさかな」

 

 偶然だ。そんな都合よく現実味がないことが起こるわけがない。精霊関連で現実味がないことばかり起こっていて、それに毒されてしまっていると振り払うように首を振る。そして、タマちゃん教論の一声で廊下に控えていたのであろう転校生がゆっくりと扉を開き――――

 

 

「――――――――ぇ」

 

 

 時が止まったかのように静まり返った教室。その中で、士道だけは僅かに声を漏らした。そう、初めて出会った時と同じように(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 その少女は可憐だった。その少女は美しかった。その少女はゾッとする(・・・・・)ほど艶やかだった。

 

 全て、同じだった。そして、あまりの美しさにそれら全てを束ねても遠く及ばないと、やはり士道は思う。けれど、どうしてだろう。それだけではない、と彼は思った。

 

 

「――――時崎狂三と申しますわ」

 

 

 ああ、知っている。よく知っているとも。知らないはずがない。彼女と出会ってから、彼女の事を考えない日はなかったのだから。

 

 影を思わせる絹糸の様な黒髪。吸い込まれてしまいそうな紅の瞳。しかし、その微笑み(・・・)だけは士道の記憶と違うように見えた。人を虜にするような魔性の微笑み。そして何よりまるで――――士道が思考できたのは、そこまでだった。

 

 彼女が、言葉を続ける。それは全てを覆す。士道をどん底へ突き落とす、終わりの……いや、始まり(・・・)の一言だった。

 

 

「わたくし、精霊ですのよ――――」

 

 

 ――――――士道さん。

 

 最後の声だけは、音になることは無く彼女の唇だけが動いた。

 

「……なん、で……」

 

 ざわめく生徒達の声も、十香や折紙の驚きも、今の士道には何も届かない。ただ、少年は少女の微笑みだけを見つめていた。

 

 精霊。精霊。――――精霊。ああ、聞き間違うものか。彼女は確かに、そう言ったのだ。

 

 

『――――あなたはどうしますか、五河士道』

 

 

 ガンガンと頭に声が鳴り響く。やめろ、やめろ、やめてくれ! これじゃあまるで彼女を、狂三を――――『最悪の精霊』だと、思っているようではないか。ありえない、そう力強く否定する。でもどうしても……その声は、消えてはくれなかった。

 

 

 今――――狂った時計が、回り始めた。

 

 

 




ようやく正体を明かした狂三。彼女は果たして何を選択するのか。そして士道はどうするのか


ようやくここまで来たわけなんですが、個人的事情で申し訳ないのですけどお空の方で古○場とかいうドマゾコンテンツが始まってしまうのでここからは不定期更新で頻度が落ちるかと思います、ご了承ください。次の更新は水曜日辺りを予定しています。意見、感想、誤字脱字報告等ありましたら是非よろしくお願いします


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第十話『疑念と思惑』

のんびりペースで書き進めてますどうもいかです。第十話。お楽しみいただけたら幸いです


 精霊。臨界に存在する特殊災害指定生命体。

 

 対処法1。武力をもってこれを殲滅。

 

 対処法2。――――デートして、デレさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『もしもーし、おにーちゃん?』

 

「琴里か? 俺だ」

 

 朝のホームルームが終わるなり、士道は脇目も振らず窓際へ移動して携帯を取り出し画面をタップし妹の琴里に繋げる。幸い、向こうも出てくれる時間帯だったのだろう、司令官モードとは違ういつもの〝妹〟のどこか間延びした声が聞こえてくる。

 

『オレオレ詐欺なら間に合ってるぞー。どーしたのこんな時間に。あと十秒早く携帯が鳴ってたら先生に――――』

 

「――――狂三が、精霊だった」

 

『――――――』

 

 琴里の冗談を聞いている余裕もない。直球に用件を伝えると、沈黙の後に聞こえてきたのは布が擦れるような音。恐らく、妹から〝司令官モード〟になるためだろう。士道の予想通り、琴里はさっきとは打って変わった調子で言葉を発した。

 

『……冗談にしては笑えないわね。士道、ついに頭おかしくなったんじゃ――――』

 

「冗談なんかじゃねぇ!!」

 

 琴里が息を呑む様子が電話越しに伝わってきて、士道はハッと我に返る。慌てて後ろを見回すが、幸いにも周囲の生徒たちは皆一様に〝転校生〟に夢中のようであった。

 

「……すまん。急に怒鳴って」

 

『……その様子じゃ、タチの悪い冗談ってわけじゃなさそうね』

 

 ああ、冗談であればどんなに良かった事だろう。今からでも冗談と言って欲しいと士道は願わずにはいられない。〝転校生〟が、五河士道の友人が――――時崎狂三が、精霊だったなんて。

 

「今日うちのクラスに転校生が来て、それが狂三で……狂三が言ったんだ。『わたくし精霊ですのよ』……って」

 

『……どういうこと? 〈フラクシナス〉で確認した時、あの子に精霊の反応は確実になかった筈よ。それなのにどうして……』

 

「分かんねぇ……本当に、訳が分からねぇよ。なんで狂三が精霊なんだ……どうなってんだよ一体……!」

 

 苛立ちを隠さず髪をガリガリと乱雑に髪を毟る。何度も士道と出会って、四糸乃を助けるのを手伝ってくれた狂三が実は精霊でした? これで混乱するなという方が無理な話だ。さっきから、とてもではないが考えがまとまったものでは無い。

 

『落ち着いて士道。とにかく、すぐにこっちで調べてみるわ。今回はかなり特殊なケースになりそうだから、冷静に対処するのよ』

 

「あ、ああ。分かった、頼む琴里」

 

 それじゃあね、と言い琴里からの通話は切れた。これでもし、本当に時崎狂三が精霊だったとしたら……どうする? 精霊を相手にする事は一つに決まっている。だが、正体を隠していた彼女の目的が分からない以上それが通用するのかさえ不明だ。何よりもし、もしもだ、狂三があの少女の言っていた精霊であったとしたら――――

 

「シドー?」

 

「ッ……!」

 

 独特なイントネーションで士道の名を呼ぶのは一人しかいない。慌てて振り向いた先には思った通り十香がいて、何やら彼を心配してか不安そうな表情でこちらを見ていた。

 

「お、おう。どうした十香」

 

「どうしたも何も……シドーの方こそどうしたのだ? 顔色が悪いぞ」

 

「え?」

 

 そ、そうか? と思わず自分の顔をぺたぺた触るが、当然ながらそれで自分の顔色が分かるわけがない。いやそんな事より、十香に心配をかけてしまうほど体調が悪そうに見えてしまったらしい。このせいで十香の精神状態が悪くなったのでは目も当てられない。

 

「大丈夫だ、なんでもねぇよ。ちょっと……考え事を、な」

 

「そうなのか? ……あの狂三とかいう女のことか?」

 

「ッ! あ、ああ。まあな」

 

 突然狂三の話題を投げかけられた動揺のあまり、咄嗟に答えてからハッとなりしまった、と顔を顰める士道。十香は士道が他の女の子と仲良くしているしていると拗ねてしまう、と琴里も言っていたのだから馬鹿正直に答えるのではなく、もっと気の利いた言葉で返答しなければならないのに。

 

 そう思った士道だが、答えを聞いた十香は拗ねた……という感じではなく、何やら複雑そうな表情で何かを考えている、といったように思えた。

 

「なあシドー。狂三はシドーの……〝トモダチ〟なのだな?」

 

「――――そう、だな」

 

 言葉に詰まったのは、今はもうそう断言出来なかったから。友達、確かについ数時間前までなら言えたのに。そして、愕然とする。士道は狂三について……何も、知らなかったのだと。ただ探し物があると言っていた。異様な雰囲気だった狂三を放って置く事が出来ず、頼ってくれと〝約束〟した――――それしか、知らなかった。

 

 

「友達……なんだよ、な……」

 

 

 色んな人に囲まれる狂三を見遣る。笑って愛想を振りまく彼女が――――酷く、遠く見えた。

 

 

 

 

 

『結論から言うわ。時崎狂三は精霊よ。なんの間違いでもなく、ね』

 

「……そうか」

 

 耳に届けられた報告に対して、今度こそ士道は現実を受け入れざるを得なかった。虚偽でも冗談でもなく時崎狂三は精霊……夢なら今すぐ覚めて欲しいと悪あがきを試みるが今の時刻は放課後。夢なら、とっくに覚めている時間である。

 

『あの時どうやって偽装してたのか知らないけど、精霊が相手なら〈ラタトスク〉がするべき事に変わりはないわ。戸惑う気持ちは分かるけど、腹を括ってもらうわよ、士道』

 

「……ああ、分かってる」

 

 放課後になっても考えがまとまった訳では無い。お陰様で授業は殆ど耳に入ってこなかったし、狂三の顔を見る事も出来ず俯いてばかりだった。だが、そうして止まっている事で事態が好転するわけでもなく、時は無情に進み続けるだけだ。

 

 〈ラタトスク〉の使命、そして五河士道が望む精霊の保護の為にも、精霊・時崎狂三と接触しなければならない。

 

『良い返事ね。思ったより落ち着いてるようで良かったわ。空間震警報が鳴ってない以上、ASTも簡単に介入は出来ないでしょう。今のうちに時崎狂三と接触を――――いいえ、向こうから来たわね』

 

「――――士道さん」

 

 ドクン、と心臓が高鳴る。急に落ち着かなくなった心臓を抑えるように手を当て、その聞くだけで蕩けそうな声の主へ向かってゆっくり士道は振り向いた。

 

「……狂三」

 

「はい。お久ぶりですわ……ずっと、お会いしたかったですわ」

 

「っ……ああ、俺も会いたかったぜ」

 

 直視するのは朝以来だが、やはり見間違うものか。その一挙動に至るまで全てが優雅に満ち溢れた仕草。作り物でも果たしてその美しさを再現出来るか分からない顔。こんな状況でなければ、ずっと眺めていたいと思えるその少女は間違いなく、時崎狂三その人だ。

 

 うふふ、と士道の返答を聞き笑う狂三。以前までよく目にしていたそれは、しかしどこか違う(・・)と士道は感じた。

 

「そうでしたの? 士道さん、今日はずっと俯いてばかりでしたので、てっきりわたくしとは顔を合わせたくないのだと思っていましたわ」

 

「それは……」

 

「――――精霊」

 

 その呟きに士道が目を見開くと、また狂三は可笑しそうにクスクス笑う。そうして、今まで見せたことが無い挑戦的な表情で声を発する。

 

「間違いではありませんわ。四糸乃さんや十香さんと同じ……人類に対する絶対的脅威(・・・・・)、それがわたくしですのよ」

 

「どうして……!」

 

 どうして、その先が出てこなかった。言いたいことが、聞きたいことが山程ありすぎて出てきてくれなかった。どうして精霊だと隠していたのか。どうして今この場でそれを明かしたのか。どうして――――士道と関わりを持ったのか。

 

 言葉が詰まった事で二人の間に沈黙が訪れ……ポン、と良い事を思いついたと言わんばかりに狂三が両手を叩いた。

 

「士道さん。わたくし、転校してきたばかりでこの学校の事がよく分かりませんの。ですので、士道さんに案内していただきたいですわ」

 

「は? お前、急に何言って……」

 

「うふふ、早く参りましょう」

 

「お、おい!」

 

 返事をするより前に呆気に取られる士道を置いて、狂三は足取り軽やかに教室から出ていってしまった。更に、潜り抜けた扉からピョコっと顔を出し、早く早くと言わんばかりに手招きまでしている――――正直、凄く可愛い。

 

『ちょっと、何主導権握られた挙句ボサっとしてんのよ。アホ面かましてないでさっさと追いかけなさい』

 

「はっ……だ、誰がアホ面だよ!」

 

『どこからどう見てもアホ面よ。いつも通りこっちから必要な限り支援はするけど、前の察しの良さが本物なら露骨な動きは危険ね。通信の返事は控えた方が良いわ』

 

 確かに、狂三がどこまで知っているか分からないが〈フラクシナス〉からの通信がバレて余計な警戒をされては困る――――彼女の場合、これすら織り込み済みなのかもしれないが。彼女は、あの時共に居た四糸乃の事も〝精霊〟だと知っているのだから。

 

 了解。と通信を返し狂三の後を追う形で廊下に出る。士道を待ってくれていたのか、近くで立ち止まってこちらを見るなりニッコリ笑みを浮かべていた。ただ立っているだけなのに、それだけで絵になるのだから恐れ入る。

 

「たくっ、急に行かないでくれ。ビックリするだろ……案内くらいならいくらでもするけどさ」

 

「ふふっ、申し訳ありませんわ。さあ士道さん、まずはどこへ案内して下さりますの?」

 

「……そうだな。取り敢えず食堂なんかどうだ? 色々と世話になるかもしれないしな」

 

「ええ、士道さんが案内してくださるならどこからでも構いませんわ」

 

 参りましょう。と士道の隣に立ち廊下を歩き始める。……心臓に悪い事をサラッと言ってくれるな、と思いながらも何とか平静を装い狂三の歩幅に合わせる形で歩き出した。

 

 食堂を選んだのは咄嗟に出てきたからだが、無難な選択ね、と琴里からの声も飛んできたので間違ってはいなかったらしい。狂三が初対面だったなら、もう少し攻めた選択肢が〈フラクシナス〉から提示されたのかもしれないが……。

 

 ちらりと隣を歩く狂三に何気なく視線を向ける。すると、士道の視線に気づいた彼女は微笑みをこぼす。そう、何度見ても慣れることがないいつもの(・・・・)笑顔だった。

 

「どうかなさいまして?」

 

「っ、いや、なんでもない……」

 

「うふふ、おかしな士道さん」

 

「…………」

 

 クスクスと口元に手をやり笑うその仕草も、ああやはりいつもの時崎狂三だ。ここだけ見ていれば感じた違和感(・・・)だって無視する事が出来ただろう。自分を映す紅の瞳も、触れれば折れてしまうんじゃないかと思える白い腕も、隣から香るその独特な芳香すら否応なしに士道の心を揺さぶる。

 

 ああ、時崎狂三がここにいるのだと。こんな状況でも感情が高ぶってしまい――――

 

「……っ!」

 

 落ち着け、いつものようではダメだ。なまじ何度も狂三と会い、その全てに見惚れて(・・・・)しまうのだから厄介極まりない。これではやっている事が逆ではないか。

 

「士道さん?」

 

 冷静になれ。彼女はどこまで知っている? 彼女はどこまで知っていて自分と関わりあっていた?

 

「士道さん、どうかなされましたの?」

 

 〝精霊〟というワードを使い、自分を試すように挑発している。士道が何をしようとしているのか、それも知っているのだろうか……あの少女(・・・・)と同じように。

 

「……しーどーうーさーん?」

 

 考えれば考えるほど疑念が湧いてしまう。疑っているようで気分が悪い。しかし、四糸乃の事も知っていたのだとしても、あの時(・・・)見せていた表情が嘘だとは士道にはむにゅ。

 

 ………………むにゅ?

 

 なんだろうこの感触は。なんかシリアスな感じで物思いに耽っていたのを全て吹き飛ばす素晴らしい感触。これこそ人類の宝と言える男としてこれ以上の幸せがあるだろうかいや無い断じて無いと断言してしまえそうなこの天上の柔らかさを感じる先は、士道の腕。

 

 具体的には、狂三が抱きしめる形でしがみついている腕からの感覚である。

 

「――――――――狂三サン!? 一体何をしていらっしゃるのでございましょうか!?」

 

 動揺のあまり若干カタコトになっている。こんな形で狂三とボディタッチしているのだ、むしろ喋れただけ凄いと思った。

 

「……わ、わたくしが呼んでも士道さんが反応なさらないのが悪いのですわ」

 

 さっきまでの超然とした雰囲気とは打って変わって、本当に照れくさそうに……少し拗ねた表情で士道の腕にしがみつく狂三。

 

 あーヤバい。それはヤバいってヤバいヤバい。その表情はズルいだろ具体的に言えば士道の脳内狂三フォルダに永久保存されるヤバさだ。天使とかそんなあまっちょろい表現ではこの可愛さは表せないな時崎狂三サイコーありがとう狂三フォーエバーくる――――

 

『ちょっと士道! あなたが攻略されてどうするのよ!! しっかりしなさい!!』

 

「はっ! す、すまん狂三!!」

 

 琴里からの罵倒もとい叱責によって現実世界へ帰還した士道は、何とか狂三の抱擁から腕を脱出させ少し距離を取って体勢を立て直す。……腕を引き抜く時に感じたふくよかな物に名残惜しさを感じてしまったのは、末代まで秘密にしなければと心に誓う。

 

『ああ! ダメですよ士道くん!! そこは寂しい思いをさせてしまって済まないね、マイハニーと抱き返すとこ――――』

 

『ふんっ!!!!』

 

『へぶんっ!!』

 

 何やら腹に渾身のストレートパンチが入ったような良い音が響き、誰か(神無月)が倒れる音が聞こえてきた気がしたが上気した全身を冷やすのに必死な士道がそれを追求する余裕はなかった。というか、一生涯の人生でもしてたまるかそんな恥ずかしいこと。

 

「……く、狂三? あんまり男にこういうこと(・・・・・・)をするのは勘違いされちまうぜ」

 

「あら? 心外ですわぁ。わたくし、このような事をするのは士道さんだぁけ、でしてよ」

 

「か、からかうなよ……!」

 

 照れていたかと思えば小悪魔のように士道を幻惑させてくる。くるくるくるくる、気まぐれのように狂三が近づいたり遠くなったりしている感覚だ。……まあ、結局どっちにしろ士道が翻弄されることには変わりないのだが。

 

「からかってなどおりませんわ。それで? 士道さんはわたくしを放り出して何を物思いに耽っていらしたのかしら?」

 

「それは…………っ、狂三の事を、考えてた」

 

 また遠くなった(・・・・・)と感じた狂三の言葉に、このままでは自分が落とされ(・・・・)かねないと躊躇いがちに一転攻勢の言葉を放った。……言ってから、照れくささに顔を背けてしまったのだが。

 

 やるじゃないのと言わんばかりの口笛がインカムから聞こえる中、恐る恐る狂三を見ると――――

 

「――――あら、あらあら」

 

「ぃ……!?」

 

 士道を……いや、世の男なら例外なく絡め取られてしまうのではないかとも思える妖艶な笑みを浮かべていた。開けた距離は、目を逸らした一瞬のうちに詰められている。1歩後ずさる――――前に、狂三が士道の両手(・・)を自身のそれぞれの手で握ってきた。

 

「く、狂三……さん?」

 

「嬉しい。とても嬉しいですわ。士道さんがそんなにもわたくしの事を慮ってくださるなんて……わたくし、嬉しくて泣いてしまいそうですわぁ」

 

「な、泣くってお前な……!」

 

「うふふ、本当ですのよ。――――――ねぇ、士道さん」

 

 ぞくり。その声を、唇の蠢きを、蠱惑の表情を、それら全てを認識した時、五河士道の思考は呑み込まれた。士道の両手を狂三の両手が包み込むような形になり、その柔らかくしなやかな指が絡みつく。

 

喰われる(・・・・)。脳裏を掠めたのはそんな現実離れした感情と――――狂三になら、良いかもしれない。なんて――――そして、狂三がその魅惑的な唇を動かし……。

 

 

「わたくし、士道さんに――――――」

 

 

 

「ぬわ……っ!?」

「……っ!」

 

 

 ドンガラガッシャン。まるでロッカーの中身を丸ごとぶちまけたみたいな音と、どこかで聞き覚えがある二人分の声が廊下に響き渡った。

 

「…………え?」

 

「…………はい?」

 

 士道も狂三も二人揃ってポカンとした表情で呆けてしまう。そりゃあ、突然騒音が響いたと思ったら二人が……十香と折紙が重なり合う形で廊下に倒れていたら、誰だって困惑するだろう。お陰様で、さっきまでの雰囲気とか思考も吹っ飛んで行ったが。

 

『……さっきから誰かがつけてる反応はあったけど、まさかこの二人とはね』

 

 知ってたなら教えて欲しかったのだが、多分狂三の事でいっぱいいっぱいだった俺が聞き逃してたんだろうなぁ、と他人事の様に思う士道であった。

 

 

 ちなみに全くの余談だが、翌日転入早々転校生を引っ掛けたスケコマシ野郎という噂が流れたのは、本当に全くの余談である。

 




シリアスを書いていたのにいつの間にかラブコメになっていた…

次回更新は来週になる予定です。果たして狂三の目的とは、士道くんは何を選択するのか。感想、ご意見、誤字報告等ありましたら是非お待ちしております


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第十一話『想いと悲願と計画』

一日早いですが投稿となります。切り良いところなので少し短め。
ところで古戦○を走っていたら何故かこの狂三リビルドがいきなり伸び始めてあわわわわとめちゃくちゃ困惑と嬉しさがしっちゃかめっちゃかになってます。感想含めて死ぬほど嬉しいんですけど唐突過ぎて理由が未だに分からない。取り敢えず今まで通り頑張ります


 

 

「ご丁寧に案内していただいたこと、感謝いたしますわ士道さん、十香さん」

 

「いいってそんな。このくらいならお安い御用だしな」

 

「うむ。お安い御用なのだ!」

 

 日も傾き始めた夕方。校門の前で丁寧に礼をする狂三に士道と十香は返事を返す。士道は少しばかり大袈裟な狂三に若干苦笑いだが、十香は良い事をしたと得意げな笑顔だ。

 

 結局、二人が倒れてきた後なし崩しに十香も校舎案内に同行する形になったのだ。……折紙は電話で急用が入ったのかすぐに去っていってしまったが、一体なんだったのだろうか。

 

 当初とは予想外の方向性になってしまった校舎案内だったが、士道としては同行してくれた十香に感謝しかなかった。何せ、情けない事だがあのままでは狂三に翻弄されるだけで事情や目的を探るどころではなくなっていた。狂三の好感度を上げる、という根本の目的を考えれば大問題にも程があるのだが、士道としてはとにかく考える時間が欲しかった。

 

 それに……気のせいかもしれない、士道の願望かもしれないが、十香を含めて会話をしていた時の狂三は――――

 

「それではわたくしはここで失礼いたします。士道さん、十香さん、また明日……学校でお会いしましょう」

 

「あ、おう。また明日な」

 

「うむ、また明日だ!」

 

 小さくお辞儀し、手を振って士道たちとは逆の道へ歩いて行く狂三へ二人とも手を振り返し別れた。夕日の中へ消えていく狂三を見送り、士道はふぅと一息つく。

 

 今日得られた情報は時崎狂三が精霊だった。たったこれだけだが、この情報だけでも士道の頭はパンク寸前だった。ひとまず琴里と情報を整理しなければ……と、士道はふと十香の様子が気にかかった。

 

「……そう言えば十香。随分狂三と仲良さそうだったな」

 

 当初こそ狂三を警戒するような素振りを見せていた十香だったが、本当にいつの間にか士道が間に入るまでもなく普通に会話をしていたのである。それを含めて、士道は狂三が楽しそう(・・・・)だと思ったのだ。

 

「む? 狂三は四糸乃と同じシドーの〝トモダチ〟なのだろう? ならば仲良くするのは当然ではないか」

 

「いや、それはそうなんだが……」

 

 同じ友達の枠組みではついこの前、四糸乃と一悶着あったばかりなのに狂三に対してはやけにあっさりだな……と首を傾げる。四糸乃との経験があったからこそ、同じ〝精霊〟を名乗った狂三と何か通じるものがあったのだろうか?

 

 うーん、と微妙に納得しかねている士道の様子を見てか、十香も考え込むような表情で唸り始めた。

 

「十香?」

 

「……うーむ、なんというか狂三は…………ぐぬぅ、すまぬシドー。やはり上手く言葉に出来そうにない……」

 

「そうか……気にする事ねぇよ。二人が仲良くしてくれるのは嬉しいしな!」

 

 しゅん、とワンコが落ち込んだ時のように気を落とす十香を見て、士道は気にするなと頭を撫でてやる。理由は分からないが、二人が仲良くなるなら本当に嬉しい事なのだ。

 

 例え――――狂三の目的が分からないとしても。

 

 

 

 

 鼻歌交じりに上機嫌な様子で夕暮れの道を歩く少女。放っておけば踊り出してしまいそうなほど楽しげな様子で、少女は――時崎狂三は帰路へついていた。

 

 ああ、あれがあの方が通っている学校。そしてクラスメイト達。あの方の平和な日常。何の変哲もない平凡な毎日なのだろう。しかし、それはあの方が守った平和な光景。

 

 正体をバラした時、あの方は何を考えていただろうか? きっと、自分の事だけを考えていたに違いない。隣を歩いている時、あの方は自分をどう思ってくれていたのだろうか。ああ、ああ、短い時間ではあったけど、こうしてあの方と同じ学校生活を送れた事が堪らなく――――――

 

 

「――――――――――――」

 

 

 ――――――今、何を思った? 〝それ〟は時崎狂三が決して口に出してはいけないものだ。〝それ〟は時崎狂三が思う資格などないものだ。

 

 

 思い出せ、己が背負った宿命を。忘れるな、己が背負いし罪過を。数え切れない大罪を犯して、時崎狂三はここにいる。全ては、あの精霊(・・・・)を消し去る為に。全ては、あの悲劇をなかったこと(・・・・・・)にする為に。

 

 その為ならば、わたくしの全てを捧げよう。その為ならば、わたくしは自分の命すら(・・・)惜しくない。

 

 今でも瞼を閉じれば〝大罪〟が狂三の脳裏に繰り返(リフレイン)される。憤怒、激情、憎悪……様々な感情が余計な物を押し流していく。何か(・・)が軋み上げるのも厭わず、彼女はそれに身を任せた。

 

 時崎狂三は長い、あまりにも長い時間を待ったのだ。そして、あの子(・・・)の言う通り希望(・・)は現れた。〝時〟を司る精霊が〝時〟が満ちるのを待たねばならなかったなど、なんと皮肉なことだろう。

 

 

 そして〝悲願〟の為の希望(・・)は――――――今、狂三の手の上にある。

 

 

 何を躊躇う必要がある。都合の良い〝道具〟をあの子が教えてくれた、それだけの話だろう。ならば、何故――――

 

 

「っ……あら、あら」

 

 深く嵌っていた思考が強制的に断ち切られるのを狂三は感じた。気づかない間に立ち止まっていた彼女の周囲を異様な感覚に包み込む。

 

 知っている。よく知っているとも。何せ自分を何度も殺した(・・・・・・)女の随意領域(テリトリー)なのだから。

 

「見つけやがりましたよ、〈ナイトメア〉」

 

 一括りに縫われた〝青髪〟。とっくに見慣れたと思っていたその女の姿に――――――今は何故か、酷く神経を逆撫でされたように感じた。

 

「……はっ。貴様でもそんな表情をしやがるんですね」

 

「あら? そう見えまして? 自分では分からないものですから、どのような表情か教えてくださりませんこと?」

 

「その義理はねーです。――――とっととくたばりやがってください、〈ナイトメア〉」

 

「――――ふふっ、つれないお方」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「士道、あなたは!!」

 

「実妹、義妹、どっち派でいやがるのですか!?」

 

「……お、お前らなぁ…………」

 

 鬼気迫る、という表情で問いかける士道の()の琴里と自称(・・)士道の妹の崇宮真那に、士道は頭痛が更に加速したと頭を抱えた。

 

 状況を確認しよう。彼は十香と狂三を見送った後、二人で夕飯の買い出しへ繰り出した。腹が減っては戦は出来ぬ、とも言うし割り引きされたお肉を調達できた事もあり士道は少し上機嫌で帰宅しようとした……そしてその直後、崇宮真那は現れた。

 

 ――――士道の胸に飛び込んで兄様(・・)と叫びながら。

 

 そこから先はもうてんやわんやだった。大騒ぎするので仕方なく家に連れてきたのだが、何故か折紙を義姉様(・・・)呼びしているわ――当然士道の持てる限りの全力で否定した――十香がいた事で更にわけわからん誤解が生まれまくるわ、もう頭痛の種が増え過ぎてこんがらがり過ぎである。

 

 普通に考えれば、突然現れて私はあなたの妹です、なんて名乗る少女の言葉を信じるほど士道とてお人好しではない。が、元々五河家の本当の息子ではない(・・・・・・・・・・・・・)士道は彼女の言葉をありえないと否定し切れない。

 

 ……まあ、士道を捨てた母親の事を聞こうとしたらここ二、三年の記憶しかないと言い出し、何故かそこから琴里と真那が義妹と実妹どちらが良いか選手権になってしまったのだが。士道としては本当に頭が痛い。

 

「……あー、そうだ真那。今どこに住んでるんだ? お世話になってる人がいるなら、俺も会う必要があるかもしれないし……」

 

 とにかく、素直に答えてしまうと場が荒れるのは目に見えていたので、どうにか誤魔化しの問いを思いつき投げ掛けた。その問いを聞いた途端、それまでハッキリとした物言いをしていた真那が突然、口を濁し始めた。

 

「えっ……それは、ちょっと……」

 

「何よ、人に言えないような所なわけ?」

 

「そんなこと……えーと、特殊な全寮制の職場で働いてるというか……」

 

「職場? 真那、働いてるのか?」

 

 歳はそう琴里と変わらないように思えるが、働いているのならば学校などはどうしているのだろうか? いや、士道の隣には司令官という重役をこなしながら学校にもきっちり通う琴里がいるのだが。

 

 士道と琴里の追求に段々と目を泳がせ始めた真那は……なんと、あっという間に逃げ出してしまった。

 

「……えーと……ま、またお邪魔します!!」

 

「へ? ちょ――――」

 

 待った、という声が形になるよりも早く犬の如く駆け出し扉の向こうへ去って行く真那。……結局、自称・妹については殆ど何も分からないまま嵐のように去って行ってしまった。

 

「……なんだってんだ、一体……」

 

「彼女についてはこっちで調べておくわ。それより士道」

 

 席を立ち、何故か真那に出されたティーカップを回収しながら琴里が真剣な表情で士道を見つめる。それを見て、士道も琴里が何を言いたいかすぐに察した。

 

「……狂三のこと、だよな?」

 

「ええ。…………大丈夫?」

 

 司令官モードの琴里らしくないその言葉には、色々な意味が込められている。狂三に翻弄されっぱなしで大丈夫か、という意味もあるのだろうが……何より、士道を気遣うような表情はどちらであれ琴里だなと嬉しくなり笑みをこぼす。

 

「大丈夫だ。今日は戸惑ってばっかだったけど……明日は踏み込んで、俺から事情を聞いてみるつもりだ」

 

 琴里を心配させないため、士道は元気づけるような笑みを浮かべる。今日みたいな情けない姿を晒してしまった以上、些か説得力に欠けるかもしれないが落ち着いて冷静になった今だからこそ思う。

 

「それに……知りたいんだ。狂三が何を考えてるのか。何か困ってるなら、俺はあいつの力になってやりたい」

 

 なぜ今になって精霊だと打ち明けたのか、なぜ士道の前に現れたのか。時折、狂三から感じた違和感(・・・)はなんなのか。それは狂三の口から語られないことには分からない。だがそれでも確かなことは、狂三は何か目的があって現れ、それには間違いなく自分が関わっているという事だ。

 

 だから士道は彼女の力になりたかった――――それが、狂三との〝約束〟でもあるのだから。そして確かめたいのだ。彼女が、少女の言っていた〝精霊〟ではないと。

 

「……あまり、入れ込み過ぎたらダメよ」

 

「? いや、精霊をデレさせるんだから入れ込まないとダメじゃないか?」

 

「それは……そうだけど……」

 

 〈ラタトスク〉の1司令官としては、士道が精霊攻略に乗り気になっているのは喜ばしい事だ。だが彼の妹としての直感なのか……狂三の事を語る士道が、いつも以上に()()()()()()()()()()()事にどうしようもなく不安を覚えてしまっていた。人の絶望を決して見過ごせない士道が、狂三の抱える問題を察したのだとしても、だ。

 

 変なやつだな、と笑う士道(おにーちゃん)のいつもの姿を見ても……琴里の不安は、消え去る事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――フォローはお任せいたしますわ……とは言いましたけど、わざわざ『わたくし』が死に切る前にあなた自らが助ける必要はありませんのよ?」

 

 狂三の足下より蠢く黒い〝影〟が倒れ伏せた狂三(・・)を呑み込んでいく。あの女の攻撃に貫かれ、傷ついてはいるがまだ息がありしばらくすれば活動可能な〝時崎狂三〟だった。

 

「狂三が五河士道と本来の形で(・・・・・)接触した以上、私も存在を隠す理由がなくなりました。なら、無駄な消耗は減らすに越したことはないでしょう」

 

「……それもそうですわねぇ」

 

 〝時間〟を切り取り己の分身体を作り出すのもタダではない。当然、それ相応の霊力が必要になる。確かに、少女が動けると言うなら分身体の一体とはいえ無駄に消費する理由もない。〝悲願〟への道を考えれば、少しでも消費を抑えるのが利口だろう。

 

「……どうですか、五河士道と共に過ごす学校生活は」

 

「まあ、興味深くはありましたわ」

 

「気に入ったなら、しばらく学生生活に専念しても構いませんよ。崇宮真那の相手は私でも出来ますし」

 

 冗談や揚げ足を取る事はいつも言うが、今回は冗談とも本気とも取れる少女の言葉に狂三は目をぱちくりさせた後、声を抑えて笑い始めた。

 

「うふふ、面白い冗談ですわね」

 

「狂三が望むなら私は本気ですよ。狂三ほど強力な精霊じゃないとはいえ、私も精霊の端くれです。たかが魔術師(ウィザード)一人、なんてことありません」

 

「ふふっ、ご謙遜を。でも……心配ご無用ですわ」

 

 あの方と、あの方のご友人方と過ごす学生生活。ああ、ああ、なんて甘美な響きなのだろう――――それを〝甘美〟と思うことすら、時崎狂三にとっては〝罪〟なのだ。

 

 時は有限、時は金なり。〝時〟の精霊は誰よりもその言葉を理解していた。

 

 

「わたくしの〝悲願〟とあなたの〝計画〟とやらの為にも――――そう長くは待たせませんわ」

 

 

 きひ、きひひひひひ。壊れた笑い声を残し、狂三は自らの影へと消えていく。残ったのは白いローブの少女だけ。最初から少女一人しかいなかったような静けさで、風が少女のローブを揺らして撫でる。

 

「……五河士道。あなたは私の〝計画〟を――――――」

 

 その声は強く吹いた一陣の風に流され、誰の耳にも届くことなく、消えた。

 

 





お気に入り登録がいきなり100近く増えて頭の中が??????ないかです。明日で一旦古○場が落ち着くので明後日からいつも通りのペースで書き進めて週1~2話投稿できればなーと思います

感想を貰えると上手く返せているかは分かりませんがめっちゃ見返しながらうひょーって表情になっているので貰えるととても嬉しい思いです、この場を借りてお礼を言わせていただきます。

感想、ご意見、評価、誤字報告など変わらずお待ちしております


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第十二話『制御不能な二人の心』

体調、崩しました。うおおおお書くぞおおおおって思った次の日に食ったもん戻して2日ほど食い物を口に出来ませんでした、どうして。とまあそんな感じでしたけど今はそれなりに元気なのでペースは落ちましたが頑張って行こうと思います。週一更新は決意してますけどダメそうな時は活動報告なり投げると思います


「おはよう狂三。……結構早いんだな」

 

「おはようございます、士道さん。ええ、せっかくの学校生活ですもの。寝坊でもして、いきなり遅刻だなんて勿体ないとは思いませんこと?」

 

 ですので、早めに登校いたしましたの。とニッコリ笑う狂三。そういうものなのだろうか……士道としては早く学校に来てもあまり楽しい事はないと思うがなぁと考えたが、〝精霊〟で転校生というのはやはり違うものなのかもしれない。正直、狂三と寝坊という概念はあまり結びつかないと思ったが……イメージ的に、なんとなく。

 

 取り敢えず、無事に学校で狂三の姿を確認してホッと一息つく。士道に続いて、十香も狂三の姿を確認し挨拶をする。

 

「おはようだ狂三!!」

 

「おはようございます、十香さん。ふふっ、朝からお元気な姿を見せていただけると、わたくしも元気づけられますわ」

 

「おお、そうか! いくらでも見て良いぞ!」

 

 さながら大型犬と飼い主……だろうか? サラッと失礼な事を考える士道だが、狂三と話す十香のスカートに尻尾を幻視してしまうくらいそう思ってしまった。というか、昨日の今日で二人が距離を詰めすぎて嬉しいけどちょっと複雑な士道であった。……本当に、不思議なくらい仲良さげに話していて士道も首を傾げる他なかった。

 

「……お。おはようとび――折紙」

 

 危ない。危うくまた謎のプレッシャーを飛ばされるところだった。珍しく士道達より遅く教室へ入ってきた折紙へ士道は挨拶を投げ掛ける。折紙は、席に向かいながらいつも通りの鉄仮面っぶりで――――

 

「おはよう、士道。――――っ!?」

 

 ……その鉄仮面が驚愕(・・)の表情へ変わるのを士道は見た。傍から見れば変わりはないのかもしれないが、普段のポーカーフェイスを見ていたこと、そして士道の感覚で確かに折紙は視線の先にあるものを見て僅かに目を見開いていた。

 

 彼女の動揺に士道も眉をひそめ、折紙の視線の先を追う。そこにいたのは十香、狂三が仲良く談笑する光景だった。十香が相手なら折紙が驚く理由はない。なら彼女が驚いた理由は……。

 

「おい折紙。狂三がどうかしたのか?」

 

「……なんでもない」

 

 ふっ、と狂三から視線を外しにべもなく自分の席へ向かう。普段とは違ったその様子に、士道も狂三を見るが当然変わった様子はない。昨日と同じ時崎狂三だ。折紙が何に驚いたのか全く分からず、また首を傾げる結果に終わる。

 

 ――――この疑問が解消されるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

「どうしたんだよ急に。見せたいものがあるって言ってたけど……」

 

 昼休み。琴里から連絡を受けた士道は学校の物理準備室――――という名の立派な〈ラタトスク〉謹製部屋と化した部屋へ足を運んでいた。部屋の中では呼び出した琴里と、〈ラタトスク〉解析官兼都立来禅高校物理教諭・村雨令音が彼を待っていた。

 

 一体なんの用なのだろう。十香を用事があると言って振り切ってしまったし、十香との仲良さげな様子から狂三も誘って昼飯を、という算段だったのだが……あと、ここは二ヶ月前の〝訓練〟のいやーな、いやーな記憶が蘇るので出来れば早急に用事を終わらせたかった。

 

「ちょっと想定外の事態が起こってね……その前に士道、狂三は今日何の異常もなく(・・・・・・・)学校へ来てたのよね?」

 

「え……ああ。今朝、俺より早く学校に来てたぜ。それがどうかしたのか?」

 

 士道の返答にそう……と神妙な表情になり何かを考え込む琴里。まさか――――

 

「……琴里。もしかして、狂三の事で何かあったのか?」

 

「……ええ。少しキツいかもしれないけど、気を強く持って映像を見て」

 

 琴里が言うなり、令音が機材を操作して机の上にあるディスプレイを点灯させた。一体、琴里がそこまで言う士道に見てもらいたい映像とはなんなのだろうか? 程なくして、画面に映し出された映像に彼は目を見開いた。

 

「狂三? それに……真那? なんで二人が……」

 

 映像では狂三と昨日会ったばかりの自称・士道の妹を名乗る真那が向かい合っていた。何故かこの二人が……と疑問に思うと同時に、映像に映っているのが二人だけでは無いことに気づく。

 

「AST……っ!?」

 

 大仰な機械の鎧を纏った人間達。その中には折紙もいる。何度もその姿を見た事がある士道が見間違えるはずも無い。その超人達が狂三を包囲するように飛び上がっている。

 

 酷く嫌な予感に駆られる士道を置いて、映像の中の真那が淡く輝き……なんと、その身を白い機械の鎧で包み込んだ。

 

 それ応ずるように狂三もその姿を変えていく――――影が、彼女を覆い尽くす。現れたのは、光の膜を纏った紅黒のドレス。映像越しでも恐ろしい迄に(・・・・・・)綺麗だ、と呆然となるが、すぐにハッとなり狂三のそれが〝霊装〟だと気づく。

 

 

 次の瞬間、士道の頭は真っ白になった。

 

 

「な――――――――」

 

 真那が放った光が、狂三の身体を容赦なく貫いた(・・・)。二度、三度とそれは繰り返され――――

 

「っ、狂三!! 狂三!?」

 

「落ち着いて士道!」

 

「だ、だって! だって狂三が……っ!!」

 

 ディスプレイへ手を伸ばし、混乱のあまり駄々っ子のように狂三の名前を繰り返す。琴里の言葉もろくに聞こえていない。動悸が収まらない。映像の先で、何が起こった? 狂三の身体を光が貫いた、何度も、何度も、何度も。

 狂三が傷つき、血溜まりの中に倒れる光景が映し出される。ダメだ、そんなのはダメだ。彼女の存在が消えていく、その事実に士道の心は酷く軋み上げて――――

 

 

「――――シン、落ち着くんだ」

 

 

 その声と共に、令音が士道を抱きしめた(・・・・・)。心を癒されるような温かさと、何故か懐かしい(・・・・)感覚に包み込まれる。しかし、それでも士道の頭にこびりついた映像は消えない。令音は、そんな彼を安心させるようにゆっくり言葉を続ける。

 

「シン。これは昨日(・・)の映像だ。狂三は今日(・・)キミの前に、ちゃんと姿を見せているだろう?」

 

「ぁ…………」

 

 そうだ……今朝、士道は確実に狂三と言葉を交わした。幻でもなんでもなく、確かに彼女は時崎狂三だった。さっき琴里とそう確認したばかりではないか。

 

 時崎狂三は、生きている。落ち着いてその事実を飲み込み、ようやく動悸が鎮まってきたところで令音の抱擁を離れ、深呼吸して気を鎮める。

 

「…………すみません、令音さん。琴里も、ごめん」

 

「……気にする事はないさ。知人がこのような事になっている映像を見れば、誰だって動揺はするものだ」

 

「別に良いわ。……私も、少し軽率だった」

 

 またもや司令官モードの琴里らしからぬ気遣いの言葉を聞き、苦笑した士道もようやくさっきまでの調子を取り戻した。

 

「もう大丈夫だ。続きを、お願いします」

 

「……分かった。気分が悪くなったら遠慮せず言ってくれ。私で良ければいつでも使ってくれて構わない」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 いや、言い方がおかしいだろ。と思いながらも令音のお陰で落ち着いたのは紛れもない事実なので、素直に礼を言う。琴里が妙に何デレデレしてんのよみたいな鋭い視線で士道を睨むが、流石に言いがかりも甚だしいのでスルーした。……嫌いではないのは、認めるが。

 

 令音が止めていた映像を再開させる。映っているのは、横たわる狂三へ向かって無感情に(・・・・)刃を突き立てようとする真那の姿。士道は胸の中で立ち上る強い衝動を、ギュッと服を握りしめて堪える。目を背けては、何も分からない。

 

「問題はここからよ」

 

「…………っ!?」

 

 琴里の言葉に聞き、次に起こる事を見逃すまいとしていた士道の顔が驚愕に染まる。なんの躊躇いもなく振り下ろされる光の刃。狂三の命を容易く奪うと思われたそれは――――彼女の命を奪うことなく、コンクリートの地面へと突き刺さった。

 

 消えた。見間違いでもなんでもなく、瀕死だった狂三が消えてしまった(・・・・・・・)。完全に事務的な動きだった真那も、周りを取り囲んでいたASTも狂三が消えた事には一様に驚き辺りを見渡し警戒を顕にしていた。

 

「一体、何が起こったんだ……?」

 

「……こちらはスローにした映像の、更に一瞬の静止画だ」

 

「っ、これは……!」

 

 士道の疑問に答える形で、令音がマウスを操作しディスプレイの映像を切り替えとある一枚の画像を映し出した。そこに映されていたのは、狂三を抱えて跳び上る白いローブ(・・・・・)を着た何者かの姿。士道や令音、琴里も知らない筈がない。

 

「あの時、俺を助けてくれた……」

 

「そう。四系乃が暴走したあの時、何故か(・・・)あの場に現れて士道を助けた〝精霊〟。それが昨日、何故か(・・・)狂三を助けたのよ」

 

 まったく、訳が分からないわね。とボヤく琴里。士道を助け、そして士道へ問い(・・)を投げかけたローブの少女。その少女が、なんの目的かは分からないが狂三の命を救っていた。

 

 何故だ? 同じ精霊が倒されるのを見過ごせなかった? それとも――――初めから狂三の事を知っていた?(・・・・・・)

 

「……しかし、彼女の力でこの場を切り抜けたとしても、時崎狂三は重症を負っていた筈だ」

 

「ええ。いくら精霊自身の再生能力でも一日で治るような傷じゃないわ。狂三の〝天使〟にそういう力があるのか、それとも別のカラクリがあるのか……」

 

「…………」

 

 二人の会話を聞きながら士道も考えを巡らせる。狂三は今日、見た目の上ではなんの傷もなく、何かを堪えているといった様子もなく昨日と同じ立ち振る舞いで姿を見せていた。だからだろう、折紙が今朝驚いていたのは。真那の手で致命傷を受けたはずの狂三が一瞬で姿を消し、挙句なんの不自由もなく登校していた。とんだミステリーだ。

 

 だが、何よりも彼が考えていたのは狂三の事だ。彼女が真那の手で殺されかかった、その事実が士道の心を酷く痛めつける。真那が機械的に狂三を傷つける事が嫌だったのか、狂三が傷つく事が嫌だったのか……恐らくは、両方。あんなことはもう――――絶対に、させたくない。

 

「何にせよ、あまり時間はないわね。あの白い精霊が狂三と繋がっているのかそうじゃないのか、私たちに分からない以上二度目(・・・)があるか分からないわ。狂三の生存はもうAST、延いては崇宮真那に伝わっている筈よ。次に狂三が狙われる前に――――――」

 

「――――狂三を、デレさせる」

 

 デレさせて、精霊の力を封印する。今までと変わらないその行動は、しかし今までとはあらゆるものが違う。失敗すれば、狂三の命が危険に晒される。だが、怖気付く気は毛頭なかった。

 

 彼女に傷ついて欲しくない……そして、知りたかった。彼女の目的を、何より彼女が少女が言う〝最悪の精霊〟と関係ないという事を……士道は、証明したかった。

 

「……やる事は分かってるみたいね。なら、決まりよ。さあ――――――」

 

 拳を握りしめ、覚悟の決まった強い瞳の士道を見遣り、琴里も司令官として不敵に笑みを浮かべる。〈ラタトスク〉として士道の決意に答える。やるべき事は、一つ。

 

 

「――――私たちの戦争(デート)を始めましょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「……あの、何かご用ですの? わたくし、これから十香さんとお昼を……と思っていたのですけれど」

 

「…………」

 

 不安そうに眉をひそめる狂三に表情を動かす事なく無言で折紙は睨む。屋上入口前の誰も来ることが無い空間……見る人が見れば、気弱な少女が問い詰められている光景にも見えるだろう。

 

 その愛らしい仕草の数々が、なるほどどこか庇護欲を掻き立てられる転校生に見える。しかし、鳶一折紙は目の前の少女がそんな可愛らしい(・・・・・)ものでは無いことを知っていた。

 

「あなた、なぜ無事なの」

 

「……?」

 

「――――どうやって、あの場から逃げ出したの」

 

 鳶一折紙は、確実に目撃した。出向という形で部隊に転属して来た崇宮真那の手によって、致命傷(・・・)を負わされる彼女の姿を。そして、真那の目や万が一彼女が精霊を仕留め損なった時の為に周囲を固めていた自分たちの目を掻い潜り、一瞬にして姿を消した彼女の姿を。

 

 あれは間違いなく致命傷だった。真那の攻撃で体を何度も貫かれ、虫の息でトドメを待つばかりだったのだ。そんな彼女があの包囲を掻い潜り、あまつさえこうして何事もなかったかのように学校へと来ている。精霊を殺したことがある(・・・・・・・・)と言われていて、言動から時崎狂三とも面識があったと思われる崇宮真那でさえ、狂三が消えた事には動揺していた……あまりにも、不自然過ぎる。

 

「……ああ、ああ。昨日真那さんと一緒にいらっしゃった方でしたのね――――そう、あなたが鳶一折紙さんでしたの」

 

「……!」

 

 刹那、折紙はその驚異的な反射神経と身体能力を駆使してその場を飛び退く。その行為に明確な根拠はない。ただ、時崎狂三の纏う雰囲気が変わった(・・・・)と彼女の感覚が告げていた。先程の迄の温厚な雰囲気とも、昨日目撃した狂三とも明らかに違う(・・)

 

 しかし、後方へ退避した折紙の全身を何か(・・)が掴み取り思わず息を詰まらせる。

 

「くっ……っ!?」

 

「申し訳ありませんわ。わたくし、今は些事(・・)に気を配る余裕がないものでして」

 

 手だ。壁から這いずる〝影〟から白く、細い無数の手が折紙の身体中に絡みつき、腕を、足を、首を、口を締め上げる。折紙の力ではビクともせず、もはや彼女が自由に動かせるのはその思考と目だけであった。

 

「きひ、ひひひひひひひ! わたくしの事を知っていながら一人で接触してくるだなんて、思っていたより(・・・・・・・)迂闊ですこと。それとも、真那さんを見てわたくしが驚異にならないと思いましたの?」

 

「っ……!」

 

 歪んだ笑みでそう煽る狂三に、折紙は己のミスを恥じる。あまりに呆気なくやられていた彼女を見て、どこか油断があったのかもしれない。いや、それ以上に精霊を脅威と、仇と謳っておきながら身近に精霊(十香)がいた事でそれが少しとはいえ薄れていた(・・・・・)事実に愕然とする。

 

 

「それとも、わたくしにその身を捧げる(・・・)為にわざわざ出向いてくださったのでして?」

 

 

 ――――――狂三の言葉を耳にした瞬間、折紙の思考が沸騰したかのように熱を持ち真っ赤に染まる。自分が精霊に身を捧げる為に(・・・・・・・・・・)ここへ出向いた?

 

「――――――!!」

 

 ふざけるな。精霊は世界の敵だ。精霊は人類の敵だ。自分から全てを奪った――――――殺すべき災厄だ。殺意という名の感情が折紙の全身を満たし力を与える。折紙を拘束していた影からの手が、ほんの少しだが押し返され軋みを上げた。

 

 さっきまで抵抗すらままならなかった折紙のその姿に、狂三も紅い瞳を僅かに揺らし驚きを露わにする。更に自身を睨みつける折紙の〝瞳〟を見つめると、何か納得(・・)したように声を発した。

 

 

「ああ、あなた――――――わたくしと同じですのね」

 

 

 殺意と、その身を焦がし続けて尚足りぬ憤怒。それを鏡写しのように瞳が語る。〝それ〟を殺さねばならない。〝それ〟を消さねばならない。なぜならそれが自分が生きる全てだから。二人の違いは、その始まりを〝なかったこと〟に出来るか出来ないか、それだけだ。

 

 突如、折紙を拘束していた手がスルりと影へ消えた。

 

「っ……けほっ、けほっ…………どういう、意味……!」

 

 拘束を解かれ、必要以上の力を使ったのもありその場に倒れ込み咳き込んだ折紙は、それでも力を振り絞って彼女を見下ろす狂三へ必死で言葉を投げかける。が、狂三はそれに応じることなく踵を返してこの場から立ち去ろとする。

 

「待っ――――」

 

「気が変わりましたの。今は見逃して差し上げます。……一つ、ご忠告して差し上げますわ。〝目的〟を果たしたいのであれば、あまり無茶なことはなされない方がよろしいですわ」

 

「っ……!!」

 

「まあ、わたくしも人の事は言えませんし、折紙さんが素直に聞き入れるとは思いませんけれど」

 

 精霊に見逃され、あまつさえ助言にも等しい言葉で見下される。屈辱のあまり、再びその身が熱を帯びる。その感情に反して折紙の身体は動く事すらままならない。

 

 ――――弱い。精霊を殺すと、己のような人をもう出させたくないと誓ったのに、この身はあまりにも弱かった。

 

「――――あなたは、何が目的……!」

 

 意識すら朦朧とする中、折紙が狂三の背へ言葉を投げかける。階段を下りていた狂三にその掠れるような声が届いたのか、ピタリと足を止め振り返る。振り返る最中、彼女の左目を隠す髪が揺れ、一瞬だがその瞳が折紙の目に止まる。

 

 否、それは瞳と呼べるものではなかった。黄金の羅針盤。十二の文字とそれを指し示す二本の針。〝時〟を数える、その名の如く〝時計〟そのものであった。

 

「目的……そう、ですわねぇ」

 

 別に、教えたところで彼女にどうにか出来るものでもないので、狂三は気まぐれに教えてやるつもりだった。

 

 だが、膝をつき肩で息をする折紙の〝容姿〟を見て、ふとあの子(・・・)の言葉を思い出す。鳶一折紙。あの方に特別な執着があり、そして容姿端麗でありあの方の同級生(・・・)――――――

 

 

「――――あなたには、教えて差し上げませんわ」

 

 

 その言葉に驚いたのは聞き届けた折紙ではなく、他ならぬ狂三自身(・・・・)だった。狂三の驚きを目にすることなく、折紙は力尽きるようにその場に倒れ込む。意識はあるようだが、しばらくは動けないだろう。

 

 唇を引き結んで、狂三は今度こそ引き留められることも無く、身を翻し階段を早足に下りて行く。まるで、動揺した自分を振り切るように。

 

 ――――一瞬、自身の内から芽生えたその感情から、目を背けるように。

 

 

 




12話にしてやっと開戦の合図もとい決め台詞入りました。決意の主人公と揺れるヒロイン。はたして狂三は何を思ってしまったのか。


完結までに到達出来たら嬉しいなーと思っていたお気に入り200件が先日到達致しました。これも皆様のお陰ですありがとうございます!やったー!

感想、評価は勿論のこと誤字報告も大変助かっています自分だと全然分からないものですね…。変わらず感想、評価、誤字報告などお待ちしております!


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第十三話『悪夢は幸福な夢を見るか』

面白い話を書くのって本当に難しいなって最近思います。無い物ねだりしても仕方が無いので私は自分の書きたいもの書いて完結させられるように頑張っていくつもりです


 

「っ、と」

 

「きゃっ……」

 

 トン、と軽くぶつかり合う形になり両者が声を発する。早歩きで廊下を進んでいた士道が、階段から下りて来た生徒に気づかなかったためぶつかってしまったのだ。焦る気持ちもあって、角から現れたとはいえ完全に前方不注意だ。

 

「悪い、俺の不注意だ――――狂三!?」

 

「いえ、わたくしの方こそ……士道、さん?」

 

 軽く頭を下げて謝る士道、がその相手が狂三だと分かると驚きで一歩下がり、狂三も士道を認識して目を見開いていた。

 

 そんな彼女の様子に、彼の頭に少しばかりの疑問が浮かぶ。自分はともかく、狂三がこんなにわかりやすく動揺……というより焦り(・・)だろうか? を見せているのが珍しいと思ったのだ。今し方あのような(・・・・・)映像を見たのだから、尚更気にかかってしまう。

 

「……狂三は上から来たのか? ……もしかして、何かあったのか……?」

 

「ええ、まあ……少し野暮用(・・・)がありましたの。もう終わりましたので、士道さんがご心配なされることはありませんわ」

 

 野暮用? ここより上の階といえばほとんど出入りがない屋上しかないのだが、狂三はいったい何の用事があったのだろうか。気にはなったが先程の焦りは幻であったのだろうか、と思ってしまうほどにこやかな笑みの狂三にそれ以上の追求は難しそうであった。

 

「それより、士道さんこそそんなにお急ぎになられてどうなさいましたの?」

 

「あー……俺は、だな……」

 

 逆に聞き返され、口ごもる。彼が急いでいた理由は単純明快、というより急いでいた理由の本人(・・)が目の前にいた。てっきり狂三は教室にいると思い込んでいたから、いきなり本人と出会ってしまうと緊張してしまい言葉が出てこない。

 

 つい数時間前までの士道なら、強く意識している彼女を前にこの時点でしどろもどろになったかもしれない……しかし今の彼は違った。口の中は緊張でカラッカラだ。唾を飲み込み喉を鳴らしてそれを誤魔化す。

 

それ(・・)を考えた時、動悸が激しくなりこんなにも緊張が全身を満たすのは人生で初めてのことだ。それでも、士道は狂三へ告げなければならない言葉があった。

 

「……俺は、狂三に用があるんだ」

 

「? わたくしに、用事ですの?」

 

「ああ、用事っていうか……明日、開校記念日で学校が休みだろ? だから、その……良かったら二人でその辺に遊びに行ったりとか、どうかなって……」

 

「っ……それは――――」

 

「ちょ! ちょっと待った!」

 

 狂三が言い切る直前で待ったをかけ、士道は深く、ふかーく深呼吸して気を落ち着かせる。幾分か冷静になった頭で考える。それより先の言葉は、自分の口から先に伝えたかった。なんとなくだが、男としてのこだわりというもの、だろうか。

 

 ……考えていなかったわけではない。精霊とかそんな事を抜きに、士道は狂三をいつかこうして誘うために密かに〝訓練〟していたのだ。無論、〈ラタトスク〉特製の訓練ではなく、彼が鏡の前で自主的に行っていた〝訓練〟だ。かなり前倒しになったとはいえ、士道は様々な感情や事情を抜きに狂三とそれをしたい(・・・・・・)と思っていた。

 

 だからこれは、心からの本心。出来うる限りの真剣な顔で、士道は自分の心を解き放った。

 

 

 

「――――狂三、俺とデートしよう」

 

 

 

 真摯に、直球に、簡潔なそれは戦争(デート)を始める開戦の狼煙。彼からの砲撃(お誘い)に狂三は――――

 

「……ぇ…………ぁ……!」

 

 赤面。一瞬、目をぱちくりとさせた狂三は、士道の言葉を飲み込んだかと思えば凄まじい勢いで顔を真っ赤に染め上げた。今までも、士道は失言で二度彼女が照れた表情を拝んだ事があったが、ボフン、と音が鳴りそうなほど真っ赤になった彼女を見るのは初めての事で……何故か、士道まで顔が赤くなってきた気がする。

 

「……く、狂三、サン?」

 

 勢い、ノリ、というか……そういったものが切れて、急に正気に返ったとでも言えば良いのだろうか。とにかく、狂三の予想外の反応に士道もどうして良いか分からなくなる。彼の予想だと、にべもなく断られる事はないにしろ、いつものように余裕を持って対応すると思っていた。なのに、こんな可愛らしい(・・・・・)乙女の反応を見せられたら、彼の脳髄に直球ど真ん中ストレートで弾丸が突き刺さってしまう。つまるところ、いつも通りなのだが。

 

「! は、はい! 分かっていますわ、分かっていますわ! デート、デートですわね!! えぇ、えぇ、わたくし知っていますもの!」

 

「お、おう、取り敢えず落ち着け!?」

 

 落ち着けと言ったが、言った本人も落ち着いていないのは言うまでもない。とはいえ、士道の言葉も無駄ではなかったようで、息を短く吐き気を落ち着かせる仕草をする。いつもの余裕があり超然とした彼女からすると、とてもではないが信じられない動揺っぷりだった。

 

「も…………申し訳ありませんわ。わたくし、こんなにも真摯に殿方から逢引に誘われたのは初めての経験でして……お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ」

 

「いや、俺も急に悪かった……」

 

 お見苦しいどころか、士道にとっては最高級の眼福だった。五河士道の脳内狂三フォルダに永久保存である。

 

「そ、それで……だな……どう、かな?」

 

「……とても光栄ですわ。わたくしでよろしければ、士道さんのお誘い……喜んでお受け致しますわ」

 

「! そっか、良かった……」

 

 ホッと一息つくように言葉を吐く。本当に、断られたら立ち直れなかったかもしれないと冗談交じりに思う。琴里曰く少なくとも観測出来る範囲での好感度は高い状態だから、断られる事はまずないだろう……とは言っていたがそれでも不安なものは不安だった。兎にも角にも、最初の高いハードルはクリアだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 が、何故か二人揃ってそこから会話が出てこない。というか、気恥しさで士道は目も合わせられないと視線を逸らし頬を掻き誤魔化している。ちなみに、狂三も似たような状態なのだが良いのか悪いのか士道が気づくことは無い。

 

 しかし今は昼休み。廊下でこんな事をしていればとにかく目立つ。ここ数ヶ月〝噂〟に事欠かない士道と〝噂〟の転校生である狂三が頬を桜色に染めて向かい合っているのだ。それはもう、意味深な視線と会話が降り注ぐ。事情を知らなければただのハーレム男にしか見えない士道だが、当然これ以上の誤解――中身の実態はともかく誤解は誤解である――が増えるのはたまったものではない。

 

「と、取り敢えず教室に戻るか! 十香も待ってるしな!」

 

「そ、そうですわね。十香さんもお待ちになられていらっしゃいますもの」

 

 

 二人が歩く距離は微妙に離れていたが、どこか初々しく初デート前のカップルのようだった……とは、後の誰かの証言である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「シドー……そ、そのだな」

 

「お、おう……?」

 

 どうして、こうなった。ここ数ヶ月で何度も士道の頭の中で繰り返されてきたフレーズが、また過ぎった回数を増やした瞬間であった。目の前には、服をはだけさせその豊満な谷間にチケットを挟み込み、トマトより真っ赤になった顔で士道を〝悩殺〟しようとする十香の姿。

 

 ――――――本当に、どうしてこうなった。

 

 最近の出来事のせいで事態を把握するために、妙にこういう場合の状況整理が早くなった気がすると嬉しいのか悲しいのか分からなくなる事を思いながら、彼は煩悩を振り払いながら状況を整理する。

 昼休み。狂三と教室に戻った時から、妙にもじもじとした視線を感じていた気はした。しかし、放課後までは狂三とも仲良く話していたしそれだけだったのだ。そして、授業も終わり狂三にそれとなく明日の時間と場所を伝え――やけに折紙が狂三に向ける視線が厳しかったが――十香と帰宅し、夕飯の準備を……というところで、今に至る。

 

 カーテンは締め切られ、鍵もかけられている。雰囲気が、完全にイケナイことをしようとしているそれだ。

 

「な、なんだ……?」

 

「……で、デェト……に、行かないか?」

 

「……デート?」

 

 このままでは士道の精神面が危険だ、いろんな意味で。と意を決して問うた彼は、十香が恐る恐る口にしたその言葉に唖然となる。この場合、拍子抜けしたというのが正しいか。別に、デートをするならこんな大掛かりな事をしなくても士道は当然、なんの躊躇いもなく受け入れたというのに何があったのだろうか?

 

 ともかく、胸元に挟まれたチケットは受け取れというサイン、といったところだろう。受け取らない理由はないし、受け取らないとこれ以上はヤバい気がする。震える手で慎重にそのチケットへ手を伸ばし――――

 

「う、うむ! 明日(・・)、私とデェトしてくれ!」

 

「――――ッ!!」

 

 ――――震えが止まる。いや、震えだけでなく、伸ばしていた手の動きも止まる。さっきまで感じていた焦りとか、そう言ったものが一気に引いて行くのを彼は感じた。頭が冷える。十香は明日(・・)と言った。だが……それは、ダメだ。

 

「……明日は、ダメだ」

 

「え……?」

 

 ぽつりと、半ば無意識に呟いた士道の声に、十香は酷く悲しげな顔をする。士道とて、十香にそんな顔はさせたくないし、して欲しくはなかった。けど、ダメなのだ。明日だけは(・・・・・)ダメだった。

 

「こ、これではダメなのか……!? な、なら――――」

 

「違うんだ。聞いてくれ十香」

 

 三度テーブルの上の紙へ視線を移し、意を決して次の行動へ移らんとする彼女の肩を掴み、しっかりと目を合わせる。露出した肩が柔らかく殺人的だとか、相変わらず暴力的な美しさだとか、色んなものが士道の頭で渦巻くが無理やり振り払い、意を決して言葉を紡いだ。

 

「――――俺は明日、狂三とデートする」

 

「っ……! シドー……」

 

 士道の言葉を聞き、十香は目を見開いて驚いた後、次第に瞳を潤ませ捨てられた子犬のように視線を彷徨わせる。

 

 ……しまった、これでは言葉足らずだ。と焦る心を落ち着かせる。

 

「勘違いしないでくれ。後とか先とかじゃなく、俺は明日……狂三とデートして――――狂三を救ってやりたいんだ」

 

 こんなの卑怯な言い方だというのは士道だって分かってる。だが、十香なら分かってくれると信じていた。四系乃を救うために力を貸してくれた十香なら、きっと……!

 

「狂三は、十香や四系乃と同じ精霊だ。けど、あいつはASTに殺されかかってるんだ(・・・・・・・・・・)!!」

 

「なっ……!?」

 

 ASTを赤子の手を捻るより容易く振り払ってきた十香だ。士道の言葉を信じられないかもしれない。それでも、信じて貰えるように言葉を尽くす。狂三にもう傷ついて欲しくないから……狂三と、きちんと向き合って話してやりたいから。

 

「時間を置いたら、またあいつは襲われて今度こそ(・・・・)取り返しのつかない事になっちまうかもしれねぇ。だから!! 明日だけは俺に時間をくれ! 十香の好きな食い物だっていくらでも作ってやる! 明日じゃないなら、どこへだって一緒にデートに行こう!!」

 

「シドー……」

 

「――――俺に、狂三を救う為の時間をくれ」

 

 頭を下げる。こんなの、狂三を盾に断っている不誠実なものと思われても仕方がない。でも、士道にはこれしか無かった。〝精霊〟を救う方法を、彼はこの方法(デート)以外に持ち合わせていないのだから。

 

 ……数秒とも数分とも思える沈黙が辺りを支配した。

 

「…………そんな言い方、ズルいではないか」

 

「……っ……」

 

 沈黙を破ったのは十香の声だ。顔を上げた士道が見た彼女の表情は、怒ってこそいないようだが少し拗ねたように視線を士道から逸らしていた。更に、服装を元に戻しながら立ち上がっていつぞやと同じようにリビングから出ていこうとする。

 

「ふんっ、シドーなど狂三と仲良くデェトしておれば良いのだ。ばーかばーか」

 

「お、おい、十香!?」

 

 やはり、これではダメだったのだろうか。琴里への言い訳やその他諸々、とにかく十香の機嫌を直さなければと大急ぎで立ち上がる士道を後目にリビングからさっさと出ていってしまう――――その直前、扉から少しだけ顔を出して言葉を発した。

 

 

「――――きっと、狂三を救ってやってくれ」

 

 

 ――――私と、同じように。

 

 言うなり、十香はあっという間にドアの向こうへ消えて行った。僅かな声量だったが、それは士道へ確かに届けられ彼に安堵の笑みをもたらす。

 

「……ありがとな、十香」

 

 以前、約束していた。十香と、必ず精霊を助けてやって欲しいと。ここまでして、十香にも無理を言って分かってもらったのだ。絶対に狂三を救わなければならない。終わったら、盛大に十香とデートしてワガママを全部聞いてやるくらいはしないとな、と士道は笑う。

 

 ――――それが叶うと、狂三を救ってやれると、彼は信じていた。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 一息。時間で言えばまだ夜の九時を回ったところで、健全な高校生である五河士道は普通ならまだまだ元気に活動していたい年頃なのだが、今日は一足早く床へ就いて暗くした部屋でぼんやり天井を眺めていた。

 

 別に天井を眺める趣味が士道にある訳ではなく、何となく落ち着かずそうしていただけだ。明日に備えて早めに寝ようとしたものの、やはり気持ちが高ぶり早々落ち着いてくれそうにはなかった。目を閉じて思い浮かぶのは、明日デートをする相手のこと。

 

「俺は……明日、狂三とデートする…………のか」

 

 まるで他人事のようだ。なのに、それを呟いた途端、彼の心臓はまたもやバクバクと鼓動を早めるのだからタチが悪い。そうだ、明日、五河士道は時崎狂三とデートに臨む。それは彼がある意味、最初から待ち望んでいたことで、色々な意味で想定外な形になったものだ。

 

 デートして、デレさせる。あの超がいくつ付いても足りない美少女を、あの不可思議な雰囲気を持つ美少女を、士道が、デレさせる。なんと難易度が恐ろしく高いデートだろう。だが、失敗すれば士道ではなく狂三の命が危機に晒されるかもしれない文字通りの戦争(デート)だ。引くことは決して出来ない。彼はこのデートで彼女をデレさせ、そして――――――

 

「………………ん?」

 

 ふと、目が冴えた。何やら一番肝心な事を今の今まで失念していたように感じる。精霊をデレさせる、前提条件だ。そこからはてどうするのだったか? それは勿論……。

 

「……狂三と…………キス、する?」

 

 次の瞬間、士道の鼻からなんの脈絡もなく一滴の雫が流れた。言うまでもなく、ただの鼻血なのだが。

 

「おわ……っ!? 待て待て待て! お、おおおおおおお落ち着け俺!!」

 

 大急ぎでティッシュを取り出しドッタンバッタン。既に落ち着ける様相ではない。悲しいかな、デートを重ねてもこの生涯、女性との交際経験なしの青少年、五河士道。意識している少女とのキスを想像しただけで興奮するチェリーボーイ(童貞)であった。

 

 決戦のデート前夜。五河士道が夢を見ることは無かった。一睡も出来ないという意味で、だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「五河士道にデートへ誘われた、ですか」

 

「えぇ……平たく言えば、そういう事になりますわ」

 

「平たく言わなくてもデートでしょう。良かったじゃないですか、二人きりなら目的にも近づくんですから」

 

 邪魔も入らないし良いこと尽くめだ。だと言うのに、士道からデートに誘われた当の本人の狂三は何となく浮かない……というか、納得していないというか、とにかく小難しい表情でリビングのソファーに座っていた。それは決して、デート自体に不満があるといった表情ではなさそうなのだが。

 

「それは、そうですけど……」

 

「なんです? まさか、手玉に取ろうと思ったら五河士道のキメ顔に見惚れてしまいましたー、なんてこと――――」

 

 ビク! と肩を震わせてあからさまな動揺を見せる狂三にローブの少女も言葉と動きを止める。顔を俯かせて表情こそ見えないが、その普段の狂三からするとありえない迄の小刻みな震えが如実に事を物語っていた。

 

 マジか。キャラも忘れて少女の頭に浮かんだ一言である。

 

「………………なまらびっくり。狂三、あなた本当に――――」

 

「ありえませんわ。この、わたくしが、士道さんに見惚れた? まったくタチの悪い冗談ですわ。ただ余計な些事があったのと、不意打ちだったので不覚にも動揺を見せてしまっただけですわ!!」

 

 えー……と呆れる少女を無視して、これまたらしくもなくソファーを苛立たしげに何度も殴り、言い訳を重ねていく狂三に少女はローブの下で苦笑する。それは逆に認めた事になるのではないか、と思いはしたが言ったところで狂三は尚更意地を張ってしまうだろう。

 

 いつもの超然とした狂三を知っていると、とても信じられない動揺っぷりだ。心に余裕が無い(・・・・・)という事を考えても、これには驚かされる。いや――――五河士道と狂三が出逢ってから、彼女の変化に少女は常に驚かされているのかもしれない。

 

「大体! なんなんですのあなた。まるで見ていたように!!」

 

「私に当たらないでくださいよ……別に見てはいませんけど、五河士道なら鏡の前でデートに誘う練習くらいしてると思っただけですよ」

 

 釈然としないのかジトーっとした視線を向ける狂三だが、少女としてはこれ以上答えようがないので何食わぬ顔で受け流す。相変わらず、ローブに隠れて見えてはいないが。

 

 まあ、見惚れた云々は冗談だったが五河士道ならデートに誘う訓練をしていると思ったのは本当だ――――――これに関しては少女の経験ではなく記憶(・・)から推察しただけだが。

 

 しかし、デートの誘い一つで狂三がここまで動揺するとは……分身体に言った冗談(・・)は冗談ではなかった、のかもしれない――――それが、その想いが良い事ばかりではない事を少女は知っていた。出会い、惹かれ合い、思い合い、最後にはキスをしてハッピーエンド。ああ、時崎狂三がそれだけで終わる精霊だったのなら、恐らく今この場に二人はおらず、五河士道とも出会っていなかった事だろう。

 

 その想いは劇薬だ。時に人を――精霊すらも狂わせ、世界を変えるだけの禁断の果実。少女はその想いがなんなのかを知らないが知っている(・・・・・)

 

 けれど、それだけでは時崎狂三は止まらない(・・・・・)。彼女の揺るぎのない凄絶な意志は、相反する彼女の想いを呑み込んで前へ進むだろう。しかし、想いはその凄絶な意志ですら呑み込み切れずに前へと進む彼女を蝕む。

 

「……まあ良いですわ。明日に備えてわたくしは先に失礼いたしますわ」

 

「えぇ――――――」

 

 きっと、今も彼女は苦しんでいる。それを少女の前で彼女が表に出すことは決してない。もしかしたら、軋む己の心にすら彼女は気づいていないのかもしれない。気付こうとしていないのかも、しれない。ならばせめて――――

 

 

「――――――おやすみなさい、我が女王。どうか、良い夢を」

 

「はっ、悪夢(ナイトメア)へ良い夢をだなんて、皮肉の効いた冗談ですこと」

 

 

 

 せめて、我が女王に一時の安らぎを。

 

 夜は更ける。時計の針が進み続けるように、朝は近づく。そして運命の戦争(デート)が――――始まる

 





ちなみに十香ちゃんの出番はこんなもので終わらないぜ!狂三がメインヒロインと定められているとどうしてもこういったことになってしまうのですが、それでも原作ヒロインを蔑ろには絶対にしないです。でも優先は絶対狂三なこの小説。

というか十三話にもなってオリジナル精霊に関してまともに判明してないのもうちくらいな気がしますね。一体何者なんでしょうね本当に

感想、評価、誤字報告などなどあると私のモチベが爆上がりして有頂天になるのでお待ちしております。次回『戦争(デート)』お楽しみに


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第十四話『戦争(デート)』

メインヒロインの時間だオラァ!!!!


 

 

 本日は晴天なり。絶好の戦争(デート)日和、五河士道の心境は……当然のように大荒れだった。

 

『……うちの観測機が壊れるんじゃないかってくらい感情値がブレブレなんだけど、そんなんで大丈夫かしら?』

 

「だ、だだ大丈夫だ! 心配すんな!!」

 

『士道の周りだけ地震でも起きてるのか、ってくらいに揺れてる癖によく言うわね』

 

 自分だってビックリだ。初陣に挑む新兵でもこんな武者震いは出来ないだろう。デート当日、待ち合わせの天宮駅へ向かう士道のコンディションは、とてもではないが万全とは言い難いものだった。何よりもう緊張が酷い。まさか士道の精霊を救いたいと思う気持ちが、士道自身の別の気持ち(・・・・・)と正面衝突してここまでになるとは、と司令官様も呆れ果てる酷さだった。

 

 彼とて眠れぬ夜を過ごす中、色々と考えてはいたのだ。狂三は何を考えているのかとか、自分をどう思っているのかとか、果たしてデートで彼女を楽しませることが出来るのかとか、それ以外にも狂三についてetcetc……まあ、何をどう取り繕っても全て狂三に関しての事なのだが。その甲斐があったかと言うと、言うまでもないだろう。

 

『けど昨日の夜は盛った猿みたいに興奮して寝なかった割に、ちゃんと元気そうだしそこは褒めてあげるわ』

 

「変な言い方すんな! てか、なんで寝れなかったって知ってんだよ……」

 

『感情値をこっちでモニタリング出来るんだから、それくらい分かるに決まってるでしょ。昨日、誰かさんが十香の感情値を荒ぶらせてくれたのも当然把握してるわよ』

 

「うっ……そ、それは悪かった……」

 

 〈ラタトスク〉側からすれば十香の感情の揺れ動きは、見ていてもう気が気ではなかった事だろう。インカムから聞こえる琴里のため息からもそれは感じ取れるし、他にやり方がなかったとはいえ士道としても申し訳ない気持ちになる。

 

『まあ、今は十香の機嫌も悪くないみたいだし取り敢えず良いわ。でも狂三の事が終わったら、ちゃんと十香ともデートしてあげなさいよね』

 

「ああ、そのつもりだ」

 

 琴里に言われるまでもなくそうするつもりだった。だが今は、十香がせっかく誘ってくれたデートを結果的にとはいえ蹴ってまで優先した狂三とのデートに集中する必要がある。

 

『そ。分かってるなら良いわ……それより急ぎなさい。今日のお相手はもうお待ちよ』

 

「っ、それを早く言ってくれよ!!」

 

 言いながら小走りで駆け出す。約束の時間である十時までまだ三十分以上はあるのでゆっくりと歩いていたが、先に狂三が待っているというのなら話は別だ。……これでは時間を指定した意味が無い気がするが、当然ながら今の彼にそこまで考える余裕はない。程なくして、士道の視界に目的の場所が見えてくる。天宮駅東口前にある犬の銅像、通称『パチ公』だ。ちなみに、この通称が有名過ぎるので正式名称を知らない人の方が多い。

 

 その近くに彼女は――――いた。

 

 

「くる――――」

 

 

 手を上げ、呼ぼうとした声が中途半端なところで止まる。ああ、〝また〟だ。また――――時崎狂三に、見惚れていた。

 

 一瞬、彼の目にだけは静止した世界が見えた。その世界で、彼女が、時崎狂三だけが色ついて存在していた。全身に黒を纏った麗しい彼女の姿に、〝黒〟という色は彼女の為だけにあるのではないかと錯覚すらしてしまう。こういうのをなんと言うんだったか……なんとかは(・・・・・)盲目というやつか。

 

 そして、優雅に佇んでいた狂三がこちらへ振り向き――――花のような笑顔が、咲いた。

 

「おはようございます、士道さん」

 

 ただそれだけ。たったそれだけで、士道の心臓はこれ以上なく、口から飛び出すのではないかという心音を鳴らす。狂三の事となるといつもの事だが、今日は一段と強烈だ。それは心臓が爆発してしまうのではないかと思えるほど、ばくばくばくばくと脈動を続ける。なのに、頭は一周回って冷静になっている。本当に、自分はどこか狂って(・・・)しまっているように思えた。

 

「おはよう、狂三。……随分早いな」

 

「えぇ……実は士道さんとのデートが楽しみで、早く来すぎてしまったのですわ。そういう士道さんこそ、約束の時間よりずっとお早いではありませんの」

 

「あ、ああ……実は、俺も同じだ。楽しみ過ぎてなんか落ち着かなくてさ、先に待ってようと思ってたんだ。狂三に先を越されちまったな」

 

『よく言うわね。あんまりにも落ち着きが無さ過ぎて私に家から叩き出されたくせに』

 

「あら、あら、士道さんと同じお気持ちで、わたくしとても嬉しいですわ」

 

 間に挟まった司令官様のありがたいお言葉は右から左へ受け流し、狂三の言葉だけを聞いて照れくさく笑う。……楽しみで早く出ようと思っていたのは嘘ではない。それより早く琴里によって、家から蹴り出される形で追い出されただけである。

 

 笑顔の狂三がスカートの裾を掴み一つお辞儀をする。良家のお嬢様と思える仕草や言動が多い彼女だが、本当にこういった事が様になっている。

 

「本日はお誘いいただきありがとうございます。士道さんとのデート、本当に嬉しいですわ――――――でぇも」

 

「え……?」

 

 トン、とステップを踏むように士道の前へ踏み出した狂三。あまりに突然の事で――――接近した狂三から嗅ぎ取った彼女の芳香が、士道の思考を一瞬鈍らせる。その一瞬、僅か数秒にも満たない時間。次に見た光景に、士道は驚愕で目を見開いた。まるで手品のように、さっきまで彼が耳につけていたインカムが彼女のその手の先に摘まれていたのだ。

 

「な……っ!?」

 

「これはわたくしと士道さんとのデート。なら余計な手出し(・・・・・・)は無用でございましょう?」

 

 器用にも小型のインカムを士道の服のポケットへ滑り込ませ、ポンとポケットを叩いてニコリと微笑む。ただし、先程までと違い違和感(・・・)を感じる微笑み。これで、士道は〈フラクシナス〉との通信及び〝援助〟に関しても今の一瞬で失われた事になる。余計な手出しとは、つまりそういう事だ。デートが始まる前から、強力な支援を失ってしまった。

 

 やはり狂三は〈ラタトスク〉の事も知っていたらしい。どうする、どう切り返す。士道が苦しげな顔で思案していると――――くい、と彼の服の裾を小さな手が摘んだ。

 

「それとも士道さんは…………わたくしとのデートが、ご不安ですか……?」

 

 上目遣いで瞳を潤ませ問いかける狂三の姿を見て、心臓を貫かれたような衝撃が士道を襲う。否、それだけではない。上目遣いも潤ませた瞳も狙った事なのか……それはどうでも良かった。でも確かに、狂三の瞳の奥には不安(・・)が見て取れた。士道が腹を括るには――――それだけで十分だ。

 

「――――――んな事、ねぇよ」

 

「ぁ……」

 

 狂三の華奢な手を握る。小さく、柔らかく、愛しい手だ。〈フラクシナス〉からの支援が受けられない? ああそれがどうした(・・・・・・・)。たったそれだけの事ではないか。相手は精霊……しかし、それ以前に一人の女の子なのだ。そんな女の子を、男が不安にさせてどうする。

 

 覚悟は決まった。五河士道はこれから一人の女の子を、デレさせるとか、力を封印するとか、そんな事は二の次で絶対に楽しませて見せると。これは――――自らが自らの意志で始めた戦争(デート)なのだから。

 

 

「行こうぜ狂三――――俺達の戦争(デート)を始めよう」

 

 

 手を握り、歩き出す。返事は――――握り返された指先で、十分だった。

 

 

 

 

 

「なあ……本当にここ(・・)で良いのか……?」

 

「はい。わたくしはここ(・・)へ行ってみたいのですわ」

 

 改めて念押しして聞いてみたが、狂三は笑顔で目的地はここ(・・)で合っていると言う。なら間違いはないのだが……。まずは何処へ行こうか、と考えていた士道が狂三の提案を聞いた時は目を丸くして自分の聞き間違いを疑ったものだ。

 

 今二人の目の前にあるのはピカピカと光って眩しく、見るからに騒がしい建物――――何を隠そうゲームセンターだ。狂三の清楚でお嬢様的な雰囲気と酷く真逆の場所を提案されるとは思いもしなかった……が、狂三が来たいと言っているのだから答えない理由はない。しかしそれで疑問が解消されるのか、と言われると答えはNOだった。

 

「……なんでゲーセンなんだ? いや、不満とかそういうのじゃなくて純粋な疑問だけど……」

 

 どうしても気になったので一応、不満は無いということを押し出しながら聞いてみる事にした。そんな事をしなくとも、狂三ならこちらの意図を読み取ってくれるだろうが。彼の疑問にああ、と気分を害した様子もなく彼女は答える。

 

「そう深く考えないでくださいまし。ただ……わたくし一人ではこういった場に来るのは少々難しいので、士道さんと一緒なら一度行ってみたかったのですわ」

 

 少し恥ずかしげに語る狂三に、士道はなるほどなと納得する。彼女が〝精霊〟というのもあるが、狂三一人でこんな場所に来ればどうなるか、当然のように目に見えている。人外の美貌と言っても過剰ではない狂三の容姿を考えれば……ナンパで済めば良い方だろう。しかし今は隣に自分がいるのだ、そんな心配は無用な話だ。こういう形でも頼って貰えると悪い気はしない。

 

 ……士道さんと一緒なら(・・・・・・・・・)、という言葉ですっかりその気になるのだから、男とはチョロい生き物である。

 

「よし。だったら今日はめいいっぱい楽しむか!!」

 

 笑顔で拳を握り気合を入れる士道に、狂三もはいと嬉しいそうに頷いて二人揃って自動ドアを潜り抜けた。

 

「っ……凄い音、ですわね……」

 

「ああ、ゲーセンに初めて来たならそうなるよな……大丈夫か?」

 

「えぇ。少し戸惑ってしまいましたけど……このくらいなら大丈夫ですわ」

 

 潜り抜けた先はまるで別世界。様々なゲーム筐体が設置されているが、それに伴って騒音もかなりのものだ。士道は友人と何度か来た事があるので多少は慣れているが、初めての狂三は軽く耳を抑えて顔を顰める。とはいえ、慣れるまでそう時間はかからなかったようで士道の気遣いへ微笑みを返す。

 

「なら良かった。じゃあ取り敢えず見て回るか……辛かったらすぐに教えてくれよ?」

 

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

 まず狂三が楽しめなければ意味がないので士道も念押ししておく。だが、そんな彼の心配を他所に歩き始めた彼女はゲーセンに興味津々、と言った様子で筐体の数々を見渡していく。音ゲー、格ゲー、レースゲー、様々なものが置かれている中を歩いて行く二人だったが……ふと、狂三の足が止まった。

 

「ん、何かあったのか?」

 

「あ、いえ……そういうわけでは、ないのですけど……」

 

 と言いながら、ジーッと一定の方向へ熱っぽい視線を向けているのだから説得力がない。狂三の視線を追った先にあるのは、クレーンゲームの筐体達だ。それを更に一点に絞ると……可愛らしい猫のぬいぐるみを確認できた。

 

「……猫、好きなのか?」

 

「! べ、別にそんな事はありませんわ。ただ、その、少し興味があると言いますか……」

 

 それを好きと言うのではないだろうか? ほんのり頬を赤くし、震えた声でごにょごにょと言い訳を繰り返す狂三の姿に士道は思わずぷっ、と吹き出してしまう。普段の狂三の立ち振る舞いや雰囲気とのギャップがとても可愛らしく、こういう事には素直じゃないという彼女の新たな一面を発見出来たことが嬉しかった。

 

「よーし、じゃあせっかくゲーセンに来たんだ。俺が取って狂三にプレゼントするよ」

 

「え……い、いいですわ。わざわざそこまでして頂くわけには……」

 

「興味あるんだろ? だったら遠慮することねぇって」

 

 それに、こういうのは男が取ってプレゼントするのが、俗な言い方だが好感度もアップするだろう。〈フラクシナス〉からの選択肢も支援もないので士道独自の判断になるが、間違ってはいないはずだ……というのは建前で、ただ狂三が喜ぶ顔が見たいだけなのが彼の本音である。

 

 遠慮する狂三にいいからいいから、とお札を小銭へ両外しクレーンゲームへ投入。この手のゲームは何度かやったことがあるだけだが、引っ掛けて押し出しす物だしそう難しくもないだろう――――そう、士道はこの時考えていた。これが、深い深い沼への第一歩だとも知らずに。

 

 一回目。

 

「あ……少し動きましたわ」

 

「おう、こうやって押し出して行くんだ。さあ次だ次」

 

 二回目。

 

「……動きませんわね」

 

「ちょ、ちょっと失敗したな……大丈夫だ、次こそは」

 

 五回目。

 

「し、士道さん……?」

 

「……だ、大丈夫。ちょっとずつ動いてるだろ? 心配ないって」

 

 十回目

 

「士道さん……!」

 

「あ、アーム弱いなぁ、このゲーセン……あははははは」

 

 二十――――――

 

「士道さん! もう十分ですわ!! わたくし士道さんのお気持ちだけで嬉しいですわ! ですからもうお辞めになってくださいまし!!」

 

「大丈夫だって! 今動いたの見てたろ!? 次は絶対落ちるから心配すんな大丈夫任せとけって!!」

 

「ああ……!」

 

 チャリン。狂三の今までにない静止を振り切りまた一つ百円玉が無常にも筐体へ吸い込まれ、こうして経済は回っていくのだなと他人事のように士道は思った。もはや引くに引けない、これは彼のプライドを賭けた勝負なのだ……!

 

 やっすいプライドねぇ……と司令官様の幻聴が聞こえて来た気がするが構うものか。その姿は、さながらギャンブルにどっぷり嵌ってしまい、止める彼女を振り切って次は行けるから! と力説するダメ彼氏の様相だったとかなんとか。

 

 いつの間にか狂三が士道の服をギュッと握り、固唾を呑んでアームの行方を見守っている。士道もじっとりと湿った手でアームを操作し、何十回と見た光景を再び繰り返し――――コトン、とぬいぐるみが落ちた。

 

『あ……』

 

 呆然とした声が二つ重なる。

 

「落ちた……」

 

「落ちましたわ……」

 

 突然の事で理解が追いつかない二人がポツリとそう呟き、顔を見合わせる。そして徐々に表情を変え……どちらからともなく、満面の笑みで飛び上がらんばかりの勢いで喜びを顕にした。

 

「やった! やったぜ狂三!!」

 

「えぇ、えぇ。やりましたわ、やりましたわ! おめでとうございます士道さん!!」

 

 大はしゃぎして、当初のプレゼントするとかの話をすっかり忘れハイタッチまで交わして大喜びする二人。いつの間にかぬいぐるみそのものではなく、落とすことに必死になっていた気すらしてくる。兎にも角にも、無事に目的を果たした士道は取り出し口から猫のぬいぐるみを取り出し、しっかり狂三へと手渡した。

 

「苦労したからな。大切にしてくれよ?」

 

「はい! 大切にいたしますわ……ありがとうございます、士道さん」

 

「っ……!」

 

 冗談めかした言葉にも笑顔を返し、ギュッとぬいぐるみを抱きしめ本当に嬉しそうな表情の狂三を見て、士道は彼女の新しい表情にまた心臓の鼓動を高鳴らせる。同時に――――いつの間にか、彼女から感じていた張り詰めた違和感(・・・)が消えていると気づく。結局それがなんなのか、士道には分からず仕舞いだったが……狂三が心から楽しんでくれているなら、今はそれだけで構わなかった。

 

 彼女の笑顔が見たい。彼女の事がもっと知りたい。その衝動のままに、士道は最初と同じように狂三の手を取る。狂三はそれに驚きこそしたが……握り返し、微笑みを浮かべた。

 

「デートは始まったばっかりだ。まだまだ楽しもうぜ、狂三」

 

「はい。……わたくし、とっても楽しいですわ、士道さん」

 

 ――――ああ、自分の名前を狂三が呼んでくれる。それだけの事がこんなにも心地が良い。手を繋いで歩き出した士道の脳裏に過ぎったのは、そんな当たり前とも思える幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「むぅ…………ぬぅ……」

 

 落ち着かない。ベッドの上でゴロゴロ、ゴロゴロと右へ左へ転がり続けるが、それにも飽きて大の字で寝っ転がる。それでも尚、この胸の〝もやもや〟は消えてくれる気配がないと十香はうめき声を上げた。

 

 きっとシドーは今、狂三と〝デェト〟している。それは……良い。自分と同じように狂三が暮らしていけるよう、必要な事だとシドーが頑張っているのだから。だと言うのに、この胸の〝もやもや〟がどうしても消えてくれない。シドーは狂三の事になると難しい表情をする。でも、狂三といる時のシドーはとても楽しそう(・・・・)だったから、素直に喜ぶのが仲の良い〝トモダチ〟というものだろうに……どうしてこんなにも〝もやもや〟が浮かぶのだろうか?

 

 ……〝もやもや〟はシドーに対してだけではない。狂三に対しても、十香は感じていた。狂三は良いやつだと、十香は直感的にそう感じた。そして自分と同じ(・・・・・)だとも。精霊同士……というだけではない。シドーと一緒にいる狂三の笑顔が自分と同じ(・・・・・)くとても幸せそうで、けれど、致命的に違うところがあった。矛盾していると思うが、十香は狂三の笑みを確かにそう感じ取ったのだ。

 

 どうして狂三は――――――あんなにも辛そうな(・・・・)顔で笑うのだろう?

 

「――――――ぬ?」

 

 彼女の思考を遮ったのは、部屋に響いたコンコン、とノックされた音だ。しかし、それは扉の方向からではない。何故か窓から(・・・)聞こえて来た音だった。急いで体を起こして窓の外を確かめると――――見覚えがある白が、そこにいた。

 

 

「お前は……通りすがりの人!?」

 

「お久しぶりです、夜刀神十香」

 

 

 相変わらず飄々とした雰囲気で、少女は呑気にもひらひらと手を振って窓の外で立っている。

 

 ――――()名無しの精霊と名無しの精霊が、この時二度目の邂逅を果たした。

 

 

 

 

 







ある程度制約とかがある中での二人のデートですが、これだ……俺はこういう二人が書きたいが為にこの2次を書き始めたんだ……!! それとクレーンゲームでのお金の使い方には気をつけましょう(戒め) あと今更な補足なんですが折紙とのデートフラグは狂三がシレッと折ってます。なぜか士道が狙いだと教えなかったからですね。何故でしょうね(棒)

ストック状況にもよるのですが今日みたいに一週間のどの曜日かに更新、という形にこれからはなると思われます。気長にお待ちいただけたら幸いです。感想、ご意見、評価、誤字報告など凄い喜ぶのでめっちゃお待ちしています(語彙力)

次回、狂三リビルド第十五話『涙』お楽しみに


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第十五話『涙』

ある意味転換期となる回。お楽しみいただければ幸いです


 

 

「さて……次は何をするか……」

 

「あ、士道さん。その事なのですが……」

 

 昼時と言うには少し過ぎた時間、レストランから出た士道は頭の中で次の目的地を何個か思い浮かべていると、狂三が彼の呟きを聞いて声を発した。

 

 様々なゲームをプレイする中、狂三がシューティングゲームがやたら強いという新たな発見をしたり、他にも色々な事がありゲーセンで狂三と遊ぶ濃密な時は、驚くほどあっという間に時間が過ぎていった。お陰で一息ついて時間を確認した時は、二人揃って驚く事となったくらいだ。そのため、こうして遅めの昼食を取り次の目的地を決めるところであった。

 

「ん、どこか行きたいところがあるのか?」

 

「はい。わたくしの希望ばかりで申し訳ないのですが……士道さんに、お洋服を見繕っていただきたいのです」

 

「俺に? それは別に構わないけど……」

 

 女性が服を選んでその荷物持ちをする、というのは主流だと思っていたが、その服を自分に選んで欲しいという言葉に士道は少し戸惑った。正直、絶世の美少女である狂三に似合う服装を選べる自信がない。が、同時に自分が選んだ服を彼女が着てくれるという、男なら誰もが羨むシチュエーションに期待がないと言えば嘘になる。

 

「……あんまり女の子の可愛い服を選べる自信はないけど、俺でいいなら喜んでお供させてもらうよ」

 

「えぇ、わたくしは士道さんに(・・・・・)選んで貰いたいのですわ」

 

「っ……」

 

 見惚れるような笑顔で、更に心臓に悪い事を言ってくれる。こんな何気ない事でも過剰に反応してしまって、こんなんじゃ今頃妹様に笑われてるな。と赤くなった頬を今更誤魔化すように隠し、こちらですわと歩き出した狂三を急いで追いかけた。

 

 

 

「狂三」

 

「はい?」

 

「服を選んで欲しいって言ってたよな?」

 

「はい。士道さんにお洋服(・・・)を選んで欲しいと思いましたので、ここへお連れいたしましたわ」

 

「ああ、なるほどな――――ってなるか! これは服じゃなくて下着(・・)じゃねぇか……!!」

 

 さっきとは別の意味で顔を真っ赤にして、ランジェリーショップ(・・・・・・・・・・)店内で心の底から叫ぶように声を吐き出す。結果は、ニコニコと微笑む狂三は変わらず周囲から寄せられる好奇の視線が増えただけだったが。しかしこんな場所、普通なら男は絶対に足を踏み入れないので士道も叫ばずにはいられなかった。

 

「うふふ、細かい事をお気になされますわね。肌を隠すという意味では同じではありませんこと?」

 

「そこだけだよ! 同じなのそこくらいだよ!!」

 

「まあまあ、良いではありませんの良いではありませんの」

 

 その理屈はおかしい。服と下着では天と地、月とすっぽんくらい圧倒的な違いがある。だが、こんな形とはいえ足を踏み入れてしまったのだからもう後戻りは出来ない。士道が力説したツッコミも軽く受け流し、狂三は既に下着の物色を始めている。

 

 ごくり、と息を呑んだ。彼女は彼に選んで欲しい(・・・・・・)と言い、ランジェリーショップへ連れて来た。士道をからかっているのか、それとも本気で士道が選んだ下着を――――――

 

「あら、あら。士道さん、お顔が真っ赤ですわ。どうかなさいまして?」

 

「くっ…………空調が効きすぎてるんじゃないか……?」

 

 ニコニコ、と言うよりもうニヤニヤと言ってもおかしくはない笑みの狂三を相手に、士道はかなり苦しい言い訳を強いられる。危なかった、昨晩のように鼻血を出さなかった自分を褒め称えてやりたい気分だ。危うく士道の隠された〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が覚醒を果たすところであった。あら、そんな大層なモノじゃなくてせいぜい〈おうさつこー(笑)〉じゃない? と脳内の妹様が浮かび上がるがそれどころではない。

 

 このままでは余裕たっぷりの狂三に押されっぱなしだ。そう、平常で余裕たっぷり…………の?

 

「……なあ、狂三」

 

「? なんでしょう?」

 

「――――――お前、照れてるだろ」

 

 直球に、それは確信を持った一言だった。一見、笑みを崩さない狂三の表情。しかし、脳内狂三フォルダまで作っている士道は彼女の頬に浮かぶ赤み(・・)を見逃さなかった。これは狂三の顔をよく見ている士道だからこそ気づけたこと。その証拠に、僅かな赤みだったそれは彼の言葉で更に……というか、加速度的に顔全体が真っ赤になっていった。

 

「……そ、そんな事ありませんわ。士道さんの勘違いでしてよ」

 

「いいや照れてる。絶対に照れてる。無理してるだろ」

 

「照れてなどいませんし無理などしていませんわ。言いがかりはよしてくださいまし」

 

「いや顔が赤くなってるから。あと早口にもなってる。無理すんなって」

 

「っ……! ですから無理などしていませんわ!! 士道さんこそ恥ずかしがってないで早くお選びになってくださいまし!! さあ、さあ!!」

 

「顔真っ赤にして言うことかよ!?」

 

「空調が効きすぎていますわね!」

 

「それさっき俺が言ったぞ!? だから無理するなって!」

 

「ですから無理など――――」

 

 ぎゃーぎゃーわーわー。話題をループさせながらお互い顔を真っ赤にして、狂三が下着を持って士道へ迫り、士道は狂三を気遣ってそれを押し返しながらも密着する形になる。ここで、二人を見ている店内の女性達の心は一つになった――――――リア充、爆発しろ。

 

 

 

「おー五河くん。なんでこんなとこいん……の?」

 

 そんな喧嘩をしてるようでイチャついてるとしか思えない二人を止めたのは、どこか聞き覚えがある少女の声だった。そして、直感的に士道は何かを察知する。これは……殺気!

 

「……そこにいるの。転校生の時崎さん?」

 

「今日は十香ちゃんと水族館デートじゃないの?」

 

「え、まさか約束をすっぽかして転校生引っ掛けてこんなところでデート? まじ引くわー」

 

 士道のクラスメートの亜衣、麻衣、美衣が、いつの間にか店の中にいてそれぞれが彼を睨みつけていた。ここで、危機を察知した彼の脳内が一気にフル回転し始める。三人がなぜ十香がデートへ誘った事を知っているのか……これはまあ、十香が三人へ相談でもしたのだろう。あの昼休み教室に戻った時の十香の様子と、チケット。更に十香側からデートへ誘うという、今までになかった事をしたのだからこの程度は想像がつく。

 

 ではここで冷静に自分の状況を把握してみよう。彼女たちの視点から見れば仲の良い十香とのデートをすっぽかし、転校生を引っ掛け下着屋でデートするとんでもクソ野郎が完成しているに違いない。なるほど、とんだ最低なやつがいたものだなと本人も頷く他ない。〝事情〟を知らなければこうなってしまい、その〝事情〟を説明することは――――――不可能。

 

「狂三、走れるか?」

 

 ならば答えは一つ。僅かな時間で答えを出した士道は、小声で狂三へそう問いかける。彼女なら、これだけで察してくれると信じていた。一旦は目を丸くした狂三だったが……やはり期待通り、彼の意図を察して小さく頷いた。

 

「えぇ――――それは、とても楽しそう(・・・・)ですわね」

 

「本当に――――なっ!!」

 

 狂三の手を引き駆け出す。士道が選んだ手は弁解ではなく――――逃走だった。形としては逃避行にも似たそれは、狂三と二人なら本当に楽しそう(・・・・)に思えて――――

 

「――――って待てコラァァァァァァァァァッ!!!!」

 

「逃がすわけないでしょうがあああああああああッ!!!!」

 

「刺し殺すか撃ち殺すかだけ選ばせてやるわ!!!!」

 

「まあそうなるよな!!」

 

 カッコつけたところで、まあ現実は変わらないのであるが。手を繋ぎ店の外へ走る二人を、呆気に取られていた三人が正気(狂気)へ返り物凄い勢いで追走して来る。鬼も真っ青になるほどの形相が見え、士道も思わず腰を抜かしそうだった。

 

「事情は今度説明する……って聞いちゃいねぇな!! てかあいつら足はやっ!?」

 

「あら、あら、本当ですわねー」

 

 なぜかとても楽しげに走る狂三を見て楽しいなら何よりだ、とやけくそ気味に思う反面、士道としては絶対に捕まる訳にはいかなかった。捕まったら最後、間違いなく八つ裂きにされるとか、そういう理由もあったが何より――――――狂三との時間を、邪魔されたくなかった。

 

 後で何をされようと、学校での評判がとんでもないことになろうとも、それこそ後で考えれば良い話だ。今は何より、どんな事よりも彼女との時間を大切にしたい。この手の温もりをもっと感じていたい――――狂三と、もっと一緒にいたい。

 

「くそっ、しつこ過ぎるだろ!!」

 

 しかし、三人を振り切るのが難しいのが現実問題で厳しく、思わず愚痴ってしまう。追いつかれることこそないが、なかなか振り切る事が出来ない。これが火事場の馬鹿力というやつか! と感心している間にも士道の体力は削られ続けていた。ちなみに、狂三は息一つ切らさずしっかり着いてきている。……彼女が〝精霊〟というの知っているが、男として少し傷ついたりしたのは内緒である。

 

 このままではジリ貧だ。どうにか策はないかと、全力疾走で息が切れ始め苦しくなってきた頭でどうにか思考を巡らせ――――――

 

「ぎゃっ」

「わっ」

「ひくわー」

 

 なんかとても特徴的な悲鳴が聞こえ、足を止めることこそしなかったが思わず振り返って後ろを確かめてしまう。狂三も同じように振り返り……二人は揃って驚きの声を上げた。

 

「四糸乃っ!?」

「四糸乃さん!?」

 

 既に遠目だったが、確かにそこには少女が――――四糸乃がいた。見間違いではなく、少女の手に付けたよしのんも手を振っているのが分かる。……あと、横に展示された巨大なぬいぐるみに突っ込んだ三人組の姿も確認した。

 

 引き返すか? 四糸乃を見た士道と狂三は僅かに足を止めかかける。

 

「…………!」

 

『ほらほらー、二人とも行った行ったー』

 

 しかし、ふるふると首を横へ振る四糸乃と甲高くよく通るよしのんの声が二人を押し出そうとし……グッ、と力強いサムズアップをする四糸乃に更に後押しされる。

 

 その姿に二人は顔を見合わせ頷き合い、再び駆け出す――――――士道はサムズアップを返し、狂三は手を振るのを……四糸乃への感謝を忘れずに。

 

 

 

 

「な、なんとか撒けたみたいだな……」

 

「そのようですわね……お疲れ様ですわ」

 

「狂三もお疲れ……悪いな、俺のせいで」

 

 四糸乃のお陰でなんとか三人を振り切った二人は、公園のベンチに腰を落ち着け一休みしていた。一休み、と言っても必死に息を整えているのは士道だけで、狂三は顔色一つ変えずに走り切ってしまったのだが。

 体、鍛えるか……? 密かにそんな事を考える士道を他所に、彼の謝罪を気にした様子もなく首を振って言葉を紡ぐ。

 

「いいえ。お陰で、四糸乃さんとよしのんさんのお元気そうなお顔も見ることが出来ましたわ」

 

「あ、四糸乃の事だけど――――」

 

「分かっていますわ。きっと、見ていられなくて飛び出してきてしまったのでしょう。お優しい方ですから」

 

 先に言われてしまった。察しの良い狂三の言う通り、恐らく〈フラクシナス〉でのモニタリングは続けている筈なので、そこからいてもたってもいられず飛び出してきてしまったのだろう。〈ラタトスク〉の支援、という訳では無いし狂三も分かっているようでホッと息を吐く。引っ込み思案な四糸乃が、自分たちを助けるために自主的に動いてくれた、という事実にも嬉しくて自然と笑みが零れた。

 

「ところで士道さん……本日は、十香さんとお約束していらしたのでして?」

 

「ぐっ……!」

 

 そこには触れて欲しくなかった、と零れていた笑みが途端に凍り付く。逃走の流れでそのまま流されたと思っていたが、そうはいかないらしい。

 

「……わたくしとのデートを、優先してくださったのですか?」

 

「…………まあ、そういう事になる、かな」

 

「そう、でしたのね……」

 

 口篭り気味にだが、なんとか頷きながら言葉を返す。優劣とか、そういったものでは無いのだが結果的には狂三を優先したことになるのでこう答える他ない……が、やはりなんとも言えない罪悪感が付き纏う。何度も言うように、優劣ではないのだ。優先などで比べられて気分が良い女の子もいないだろう。

 

「の、喉渇かないか? なんか飲み物買ってくるから、狂三は休んでてくれ!」

 

「はい。お待ちしていますわ」

 

 

 忙しなく駆け出す士道を見送る。そして、小さく息を吐いた狂三は――――無意識に、笑みを浮かべていた。

 

「わたくしは……」

 

 己の手で顔に触れて、ようやくその事に気づいた。十香さんより、わたくしを優先してくれた。この気持ちはいけないものだ。醜いものだ。申し訳ない気持ちもある。でも心の底で――――――嬉しい。確かに、そう思ってしまった。

 

 分かっている、ああ分かっているとも。自分と十香さん、もし〝精霊〟としての立場が逆だったなら、あの方は迷わず今と逆の選択をしたのだろう。〝精霊〟を、救うために。きっとあの方はあの時の〝約束〟の為にも自分を優先したに過ぎない。そういう方だ、そんな事はあの方を見てきた自分がよく知っている。あの方の無償の優しさをよく知っているのに――――――勘違いしそうになる。

 

「最低な、精霊ですわね」

 

 自分を嘲笑うよう、自嘲気味に呟く。まあ、これも今更だ。あの方を大切に一途に想っている、あんな良い子からあの方の時間を奪い取り、あまつさえ最後には……これを醜いと言わずなんと言う。

 

 だと言うのに、こんなにも醜いと自分で分かっているのに、こんな事を思う資格は自分にはないと、そうして自分を戒めた筈なのに、どうしようもなく心が溢れ出してしまう。そうだ、今わたくしは――――――

 

 

「――――――ああ、楽しいのですね、わたくし」

 

 

 戒めても、戒めても、狂三の心を蝕んでいた想い。分からなかった、分かりたくなかった。なぜ〝悲願〟の為に必要なあの方を〝喰らう〟事をこんなにも躊躇っていたのか。この瞬間、ついに狂三は口に出してしまった。

 

 ああ、楽しいのか。あの方と過ごす事が、あの方の様々な一面を知る事が、あの方の優しさに触れる事が、あの方に名を呼ばれる事が、堪らなく堪らなく楽しくて嬉しくて――――気持ちの抑えが利かなくなっていく。

 

 今日にしたってそうだった。デートの主導権をしっかり握ろうとしたのに、まったく上手くいかなくて、まるで生娘のようなウブで情けない反応ばかり見せてしまった。彼を見ると駆け巡る訳の分からない感情が狂三を掻き乱し、いつもの(・・・・)彼女ではいられなくなってしまう。こんな感情は知らない、知りたくない、知ってはいけない。知ってしまえば、きっと自分は戻れなくなる(・・・・・・)。それが堪らなく堪らなく、恐ろしい。

 

 ギュッと、あの方から貰ったぬいぐるみを抱きしめる。そうしないと、苦しくて苦しくて軋み上げる心が耐えられそうになかった。だから封じ込めなくてはいけない。この気持ちを知らなかった自分に戻ろう。だって、彼の温もりも、彼から貰ったものも、彼との出会いすら――――全て〝なかったこと〟にしなければならないのだから。

 

「――――あら、あら」

 

 何やら都合よく、不快な〝雑音〟が聞こえてくるではないか。ゆらり、立ち上がった彼女の顔は先程までの夢見がちな少女のものではない。外れかけた〝仮面〟を付け直した少女が、絶望を背負い込んだ少女が、封じ込めた想いの名すら知らぬ少女が、ゆらり、ゆらりと歩みを進めて行く。

 

悪夢(ナイトメア)の自分には過ぎた夢だったのだ。だから、終わらせなければならない。さあ、甘さの精算をしよう。

 

 ――――その名の通り、悪夢を見せつけよう。

 

 

 

 

「あれ……?」

 

 買ってきた飲み物を両手に公園のベンチへ戻った士道が、眉をひそめ小首を傾げる。待っている、と言っていた狂三の姿が忽然と消えていたのである。

 咄嗟にインカムを小突こうとし――――最初にポケットへしまわれたのを思い出し、インカムを手に取って眺める。これがあれば〈フラクシナス〉へ連絡が取れ、恐らくモニタリングしているであろう狂三の位置も分かるだろう。だが、士道はインカムを見つめしばらく逡巡した後……ポケットへ乱雑にしまい込んだ。

 

 わたくしと士道さんのデート。彼女はこう言った。なら最後まで外部に頼らず、それを貫くのが筋だろう。とにかく辺りを探そう、と彼女の名を呼び走り出す――――――

 

 

『士道! お願い返事をして! 士道っ!!』

 

 

 ――――――直後にインカムから鳴り響いた、妹の声に気付かずに。

 

「――――――!!」

 

 しばらく走り回っていたその足を唐突に止める。肩で息をしながら、彼は公園出口付近の林を見つめる。否、正確にはその更に先を睨むように見据えた。〝何か〟が蠢いている。漠然と、士道はそれを感じ取った。普通ではない〝何か〟がこの先にある。

 

 ――――危険だ。それは生存本能から来る警告。この先に向かうのは危険だ、引き返せ、今すぐに。そう、彼の全身が警告を鳴らしていた。それはきっと正しい、正しいのだ。正しいと分かっているのに〝何か〟に誘われるように、彼はその先へ足を踏み入れてしまった。

 

「……っ!?」

 

 まず見えたのは、倒れ伏せた男の姿。それも一人ではなく二人、三人はいるのが見えた。それを確認した士道は咄嗟に駆け寄ろうとし――――蠢く〝影〟を見て足を止めた。その〝影〟に見覚えがあった。いや……見覚えなんてものではない。なぜなら、自分が彼女(・・)に関わる事柄を忘れる筈がない。

 

 

「ああ、来てしまわれましたのね――――――」

 

 

 愛おしい声だ。いつでも聞いていたかったその声が、今は勘違いであって欲しいと思わずにはいられなかった。ああどうか、そう祈りながら彼は顔を上げ……絶望にも似た表情で凍りついた。

 

 

「――――士道さん」

 

 

 返り血のような赤と、彼女を象徴する黒。美しいコントラストが織り成す〝霊装〟。アシンメトリーに括られた艶やかな黒髪。紅の瞳と、金色の瞳。足元に倒れ伏せた男など気にも止めずに彼女は――――時崎狂三は、笑った。

 

「狂、三」

 

「はい。この姿でお会いするのは初めてですわね。少し、恥ずかしいものですわね」

 

「お前、が……!」

 

 世間話しでもしているのか、と思える様相の狂三に、士道は息も絶え絶えに断片的な問いかけをぶつける。頼む、勘違いであってくれ、思い違いであってくれ――――そんな彼の儚い想いは、平然と打ち砕かれた。

 

「えぇ。わたくしが彼らを〝喰らい〟ました――――それがどうかなさいまして?」

 

「は……?」

 

 理解が及ばなかった。本当に彼女がそう言ったのか、自分の耳が、頭がおかしくなったのかもしれないと疑った。それほどまでに、さもそれが当然だとでも言うように(・・・・・・・・・・・)彼女は平然と言葉を紡いだのだ。

 

弱者(人間)強者(精霊)が〝喰らう〟。それだけの話ではありませんの。何もおかしな事はございませんわ」

 

「なんだよ、それ……!!」

 

悪夢(・・)でも見ているようだった。彼女に傷ついて欲しくない。その想いを胸に士道はここにいる。だが、今彼女は何を言っている? 救いたいと思った〝精霊〟が災厄(・・)となって人を襲っている。それも、よりもよって時崎狂三が、彼女本人がそう告げている。

 

 世界を殺す災厄。何度も聞かされてきた言葉だ。それが士道の目の前に形を持って存在していた。その瞬間、彼の心臓を締め付けたのは恐怖――――ではなかった。

 

悲しかった(・・・・・)。ただ彼は悲しい、そう思った。

 

「狂三、俺は――――っ!?」

 

 ガクン、と何かに足を取られたように動きを止める。考えるよりも先に一歩踏み出した足が、〝影〟より這い出た無数の白い手に掴み取られていた。一本や二本ではないそれは、いくらもがいても彼の両足を掴んで離すまいと締め付け続ける。

 

「きひ、きひひひひひ! ああ、ああ。でも、でも……士道さんだけは、特別ですわ」

 

 コツリ、コツリ。一歩、また一歩と士道へ歩み寄る。目前へと迫り、ゆっくりと華奢な手を伸ばす。彼は彼女のその動きに息を呑むことしか出来なかった。狂三の右の手のひらが、士道の頬を撫でる。彼女の言葉の通り、まるで壊れ物を扱うよう、愛おしげに。

 

「ねぇ士道さん、覚えていまして? わたくしに〝捜し物〟がある、という話を」

 

 覚えている。士道が狂三の言葉を忘れるものか。だが今その話になんの関係が――――

 

「教えて差し上げますわ。その〝捜し物〟というのは――――士道さん、あなたの事ですのよ」

 

「な……に、を……」

 

「わたくし、とても困っていますの。とてもとても、困っていますの。ですから士道さん――――――〝約束〟。果たしてくださいますわね?」

 

 何を言っているのだろう。〝精霊〟である狂三がわざわざ自分を探す理由が士道には――――いや、ある。唯一、自分だけが持ち得るものが士道にはあった。〝それ〟に気づいた彼は目を見開き、その動作がおかしかったのかクスクスと狂三が笑う。

 

「気づかれまして? えぇ、えぇ、わたくしの目当ては士道さん……あなたの持つ、その極上の〝霊力〟ですわ」

 

「……っ……」

 

「――――不思議に思いませんでしたの?」

 

 きひ、ひひひ。と狂気的な笑い声を放ち、楽しげに言葉を続けようとする狂三。ダメだ、この先を聞いてはいけない。さっきとは比べ物にならない警鐘が士道の全身に鳴り響く。

 

 

「わたくしが都合よく士道さんの前に現れたこと。都合よく四糸乃さんとの邂逅に居合わせたこと。十香さんと四糸乃さん、お二人を封印なされたこの時に……わたくしが現れたことを、偶然にしては出来すぎだと、本当に思いませんでしたの?」

 

 

 聞くな、聞くな聞くな聞くな!! 耳を塞げ、そう脳が指令を出したところで、彼の腕は金縛りにでもあったかのように動かない。

 

「やめろ……!」

 

「だって偶然などではありませんもの。今までの全ては――――」

 

「やめてくれ!!」

 

 

 

 

「――――――士道さんを〝いただく〟ための〝偽り〟に過ぎなかったのですわ」

 

 

 呆気なく、少年の想いは踏み躙られた。一歩踏み出せば、お互いが触れ合う領域にいる。だと言うのに、目の前の彼女があまりにも遠い。

 見つめ合う。そこにあったのは冷たい、冷たい笑みだった。それは人を呑み込む蠱毒のような笑みだった。でも、それでも彼女は――――見惚れるくらい、美しかった。

 

 

「――――悪事はそこまででやがります」

 

 ふと、士道を奇妙な感覚が包み込んだかと思えば、聞き覚えのある声が彼の耳に届いた。彼が瞬きをした僅かな時間で、状況は一変していた。呆気に取られる士道が認識できたのは、ふわりと優雅に後方へ飛び着地する狂三の姿と、入れ替わるように彼の前へ降り立った大仰な装備を身につけた少女、崇宮真那の姿だった。

 

「間一髪でした。ご無事ですか、兄様」

 

「真、那……」

 

 彼女が身に纏っているのはワイヤリングスーツ。それは〝精霊〟を討滅するための装備で――――呆然としていた士道の頭が覚醒する。ダメだ、それだけはダメだ(・・・)

 

「ああ……そりゃ驚きやがりますよね。なんというか、ちょっとワケありでして――――」

 

「っ……待ってくれ真那! 俺は知っている! ASTの事も〝精霊〟の事も、全部知ってるんだ!!」

 

 は? と怪訝そうな表情で士道を見る真那。しかし狂三に対する警戒は解いていない。

 ……狂三が自分を〝喰らう〟為に行動していた。それを知っても尚、彼は狂三が傷つくのを許容出来ないし、それを真那にもさせたくない。その一心で声を放った。

 

「だから狂三と話をさせてくれ! あいつは――――」

 

「それは無理です。兄様」

 

 そんな彼の想いを、真那はなんの躊躇いもなく断ち切った。その表情はどこか疲れ切って擦り切れて(・・・・・)いるようなもので……少女はそのまま狂三に刃を向け、吐き捨てるように言葉を続けた。

 

「一体こいつに何を吹き込まれたか知らねーですが、対話しようなんて考えは無駄です。こいつは人を襲う事に躊躇いなんてないクズでいやがります。殺らなきゃ殺られる――――〝最悪の精霊〟でいやがるんです、こいつは」

 

「それ、は……っ!」

 

 〝最悪の精霊〟。その単語一つで、彼の気持ちが氷結する。ずっと、ずっと頭に過って消えてくれなかったものが、現実となって士道を襲う。悪夢のような現実が、士道の足を縫い合わせたように縛り付けた。狂三が〝最悪の精霊〟だった。人を傷つけることを厭わない〝精霊〟だった。その事実が、彼の心を容赦なく切り裂いた。

 

「あら、酷い言われようですわね。今は士道さんとの逢瀬の最中……真那さんに邪魔をする権利はありませんのに」

 

「権利ならありやがります。よくも人の兄様を弄んでくれやがりましたね」

 

「弄ぶだなんて、人聞きの悪い。ああ、でも、大きく間違っているわけではありませんわね」

 

 淡々と紡がれる狂三の言葉を、士道は聞き逃すことが出来なかった。ボロボロで、グチャグチャで、それでも彼の心は彼女の言葉を拒絶する事が出来なかったから。しかし、それは――――――

 

 

 

「だってわたくし、士道さん自身の事など――――――なぁんにも、お慕いしておりませんもの」

 

「…………ぁ」

 

 

 

 ――――――少年の心を、粉々に打ち砕く言葉だった。

 力が入らず、膝をつく。どうしてか視界が歪む。〝精霊〟の絶望を打ち砕く筈の彼の心が、絶望に染まる。その現実は、少年をズタズタに引き裂くような痛みをもたらした。たったそれだけの言葉が、少年の全身を隈無く撃ち抜いた。どうしてか、言霊のようなそれが何よりも(・・・・)少年の強い意志を封じ込めるように――――辛かったのだ。

 

「――――もう黙れよ、精霊」

 

 俯く士道の体が宙へ浮かび上がり、ハッと顔を上げる。憤怒を浮かべた真那が、随意領域(テリトリー)を使って安全な場所へ避難させようとしていた。

 

「人を襲うに飽き足らず、兄様まで誑かして――――――地獄に堕ちろ、外道」

 

 その言葉を最後に、士道は真那が展開した随意領域の力で飛ばされる。

 

「真那! っ――――――狂三っ!!」

 

 急速に視界が薄れ行く。本能的な動きで、手を伸ばす。当然、その手の先は誰にも届かない。真那が刃を手に狂三へ飛びかかり、狂三はそれを見遣ることさえせず士道へ――――――そして、彼の意識は闇へ閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「…………上手く、やれましたでしょうか?」

 

 それは誰に問いかけた訳でもない。強いて言えば、分身体相手でもない自分自身への言葉だった。当然、自己問答への返事など存在しない。あの子(・・・)もここにはいない。もし見ていたら、あの子はなんと言うだろうか? えぇ、狂三にしては下手な三文芝居でしたよ、と皮肉げに笑うかもしれない。

 木漏れ日が降り注ぐ中、時崎狂三は力を抜いて一本の樹木へ背を預けていた。正確に言えば、力が入りそうにもなかったからだが。

 

 今頃、しつこい〝子犬〟さんは入れ替わった分身体と仲良く鬼ごっこに興じていることだろう。だからここで休む事になんの心配もない――――ふと、彼女の言葉が思い出された。

 

「地獄へ堕ちろ――――か」

 

 嗚呼、そんなもの――――当に覚悟しているとも。〝悲願〟を果たせるなら、喜んで地獄へ堕ちよう。〝悲願〟の為ならば、心優しいお人好し(バカ)な少年の想いを、約束すら踏み躙ろう。

 その結果、この時崎狂三というろくでなしは、地獄の底すら生温い場所へその身を堕とす事になるだろう。それがどうした。そんなもの、事の始まりから覚悟しているとも。

 

 これであの方は、きっと自分を憎むだろう。理不尽に人を〝喰らい〟、理不尽にあの方を害する天災を、憎まない道理はどこにもない。降りかかる火の粉を救おうだなんて、あの方がどんなお人好しでもありえない話だ。次に会った時、憎しみが篭った目で睨みつけられるか、怒りを言葉としてぶつけられるか。それでいい。その感情をぶつけられれば自分は迷わずにいられる。それを想像するだけで――――――

 

「にゃあ」

 

「っ、あら、あなた……」

 

 思考に耽っていた狂三の足元へ、いつの間にか一匹の子猫が擦り寄っていた。怪我をした片足を引きずってまで歩いてきた、その子猫には見覚えがあった。見覚えも何も、さっき〝喰らった〟男達がモデルガンで的にしていた猫だ。

 

「ダメですわよ。怪我をしているのにこんなところまで来ては」

 

「にゃぁ……」

 

 安易なストレス発散とか、理由としてはそんな所だろう。そんな連中を〝喰らう〟のに躊躇いはなかった。たとえいつもより(・・・・・)多くとも、まあ問題ではないだろう。

 そっと、子猫を抱きかかえてやる。自分を見つけ出すなんて、どこぞの〝子犬〟より優秀ではないかと思っていると。

 

「きゃっ……ちょっと、くすぐったいですわ!」

 

 ぺろぺろ、と抱きかかえた子猫が狂三の顔を舐め始めた。思わず笑い声を発して戯れるように抱きかかえてやると――――なぜか、頬が濡れている事に気づく。

 

「……?」

 

 片方は分かる。今猫とじゃれあっているのだから当然だ。ではなぜ、もう片方の頬(・・・・・・)まで濡れてしまっているのか。晴天で雨など降る様子もない。ならばなぜ……と震える(・・・)手を伸ばし――――それがなんなのか、狂三はようやく理解した。

 

 

 

「ああ、嗚呼、わたくし――――――泣いているのですね」

 

 

 

 漏れ出た言葉は、まるで他人事のようだった。彼女にとって〝それ〟は無縁のものだったから。とっくの昔に、捨てたと思っていた。こんなもの、修羅となった女には不要のものだ。

 だと言うのに、止まらなかった。拭う事も、しなかった。本来、こんなものを流す資格さえ失っている女が、何を今更女々しいと己を嘲笑う。

 

 とめどなく溢れる〝それ〟は地面へ、彼女の手のひらへ、赤と黒へ吸い込まれていく。しかし、〝それ〟を拭い受け止めてくれる人物はここにいない。だってたった今――――少女は、そうして欲しいと思う少年を切り捨てたのだから。

 

「なんて、愚かな女」

 

 同情もされない、とんだ三流の舞台だ。それでも、どんなに惨めでも、どんな犠牲を払っても、誓ったのだ。やり直す(・・・・)と、全てを、作り替えてやると。

 

 泥水を啜ってでも、世界中の人に憎まれようとも――――――士道さんを〝喰らう〟事になっても。

 

 時崎狂三は進み続ける。その激情に、痛みに、心が耐えられなくとも、彼女は進み続けるしかない。それが彼女の生きる意味、生きる価値。それで良いのだ――――――本当に?

 

 涙は流れ続ける。それを拭う少年は少女の元へ駆けつけることはない――――今は、まだ。

 

 

 









時崎狂三という少女は優しい。でなければ彼女は目的を果たすために立つことはしなかったでしょうし。器用なのに不器用、こんな解釈をしています。そんな彼女の矛盾、想い、抑えられない感情、そういったものを表現していけたらなと思います。もちろん原作にはない別方面な狂三の可愛いところもね!!私の技量次第ですけど(ハードルを下げていく)

果たして主人公は立ち上がることが出来るのか。何が彼の心を折ったのか。次回をお楽しみに。感想、評価、などなど引き続きお待ちしておりますー


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第十六話『狂気に魅入られし少年』

週一投稿になると言ったな。アレは嘘だ


 

「――――――ぅ」

 

 軽い呻き声を上げ瞼が開く。酷く、頭が重い。最初に思った事はそれだった。再び閉じかける瞼を何とかこじ開けた先に見えたのは、様々な配線や配線が剥き出しになった異質な天井。

 

「ここ、は…………」

 

「気がついたかい?」

 

 彼の掠れ声に反応して横から声が聞こえてくる。ぅ……と頭だけ何とかそこへ向けると、恐ろしく血色が悪い女性が椅子に座っていた。以前も、こんな事があった気がする。その時は、十香と出会った時の事だったか。今回は――――思い返そうとして、やはり酷く頭がボヤけて考えがまとまらない。

 

「令音、さん……」

 

「……ああ。疲労と、精神的なショックによるものだ。大事を取ってそのまま安静にしていたまえ」

 

「……?」

 

 体を起こそうとしたのを制され、首を傾げる。なんの話をしているのだろう。なぜ自分はこんなところで眠っていたのか、まずそこが彼には分からなかった。……覚えていないのかね? と彼の様子を見た令音が言う。

 

「君が気絶していたところを〈フラクシナス〉へ運び込んだんだ」

 

「気絶……俺が……?」

 

 呆然と令音の言葉を呑み込むが、なぜ自分がそうなったか迄がどうしても思い出せない。いや、思い出そうとすると鈍痛が彼の頭を襲いそれを阻害する。まるで、思い出すのを拒絶しているかのように(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 どこか心配そうに見つめる令音に、言葉一つ返す気力も湧いてこない。いつもなら、そんな彼女の不思議な美貌に目の一つは奪われてもおかしくないのだが、どうにも頭が回らない。

 

「目が覚めたみたいね、士道」

 

 不意に医務室の扉が開き、一人の足音と声が飛び込んでくる。ああ、これは間違えようがない。その声は妹の……声の硬さからして司令官様(・・・・)の声だ。彼が聞き間違える筈もない。

 想像通り、視界に捉えたそこには黒いリボンの琴里が立っていた。

 

「無事で何よりよ。さて、目覚めたばかりで悪いけど、事情を聞かせてもらうわよ。通信の後(・・・・)に気絶してた時はキモが冷えたんだから」

 

 ……通信の後? 一体、琴里は何を言っているのだろう? 疑問ばかりが思い浮かぶ自分の頭に苛立ちを感じ、顔を顰め必死に何があったのかを思い出そうとする。妹が未だに司令官として立っている、ということはまだ戦争(デート)は終わっていない。しかし、一体自分は誰と――――――

 

 

「狂三と、何があったの?」

 

「――――――――――」

 

 

 その言葉を、名前を、認識した瞬間から霧が晴れたように映像がなだれ込んだ。そうか、そうだった。全てが思い出される。彼女との、夢のような現実と、悪夢のような現実が。

 そうして、彼の口から飛び出してきたのは……全身の震えを誤魔化すような、乾いた笑い声であった。

 

「は、ははははは……」

 

「士道……?」

 

「ごめん、琴里」

 

 目元を腕で覆うように隠しているため、琴里の表情も令音の表情も彼には見えない。けど、琴里が不安な表情なのだろうなというのは声で分かった。ただ、それでも今の彼は、妹を安心させてやれる笑みを浮かべられそうにはなかった。

 

戦争(デート)だと、琴里は言った。自分もそう思い、そして誰よりもそれを望んだ。だからそう、間違いなく――――――

 

 

「――――俺、フラれちまった」

 

 

 ――――――五河士道は、完膚なきまでに、敗北したのだ。

 

 

 

 

「……心配かい?」

 

「え?」

 

「シンのことさ。そんな顔をしているよ」

 

 誰も寝ていない無機質なベッドを見つめていた琴里へ、令音が気遣わしげな表情で声をかける。どうやら心配されてしまうほど、ぼーっとしてしまっていたらしい。

 士道の姿は既にこの場にはない。本来、士道は安静にしていなければならない身なのだが……。

 

『……一人に、してくれないか?』

 

 何も、言ってあげることが出来なかった。多分、司令官(・・・)の自分では今の士道へ掛ける言葉が見つからなかったのかもしれない。滲むほど拳を握り、必死に平静を装いながら分かった、と返す事しか出来なかった。一番落ち着くであろう自宅へ帰してやることが、今の琴里に出来る精一杯のことだった。

 

「……そうね。〈ラタトスク〉としては、このまま士道が使い物にならなくなるのは――――」

 

「……そういう意味じゃない」

 

 首を横へ振って琴里の言葉を否定する。真剣に、しかし気遣いを含んだ彼女の表情はまるでここにいるのは自分だけだ(・・・・・・・・・・・・・)、そう語りかけているように思えた。

 ああ、こういう事では令音に敵わないな、と苦笑する。顕現装置とかそういうものは関係なく、彼女はこうやって人の感情の機微を悟ってしまえる人だ。降参、と言わんばかり琴里はベッドへ腰をかけ司令官(・・・)の仮面を外した。

 

「…………そりゃあ、心配の一つもするわよ。バックアップするなんて大口叩いて起きながら精霊の目の前に士道の身一つ放り出したような状況にして、挙句の果てにこのザマよ。そのくせ、慰めの言葉一つかけてやれないのよ、私」

 

 士道が無事に戻ってこられたのは結果論に過ぎない。本来はこんな形にならないよう、全力を持って士道を支援する為に琴里たちはいるのだ。それを狂三の言葉一つで動きを封じられ、士道の心に傷を負わせる結果になってしまった。これが無様でなければなんだ。全ては、司令官である自分の責任に他ならない。

 

「……それは君だけの責任ではないさ。私たち全員が背負うべき責任だ。それに、狂三の目的は私たちの想像の上を行っていた」

 

「えぇ、そうかもしれないわね……ねぇ令音、私がこんな事、本当は言っちゃダメなんだけど……」

 

「……ん、構わないよ。言ってごらん」

 

「――――司令としての立場を、呪ったわ」

 

 五河琴里は〈ラタトスク〉の司令官だ。〝精霊〟を救うため、その責務を、その責任を、自身の両肩に背負う少女。その肩書きは十三という若さで背負うにはあまりにも重すぎる物。けれど琴里は人を、精霊を救うためにこの肩書きを受け入れた。

 しかし、士道が――――愛しい兄が心に傷を負っている時に、琴里はなんの言葉もかけてやれない。あの瞬間だけ、少女は己の立場を呪った。

 

「士道がね……無理だ、とか諦めるような腑抜けたことを言い出したら、引っぱたいてやったかもしれない。でも、士道の様子はそういうのじゃなかった(・・・・・・・・・・・)

 

 精霊への恐怖とか、躊躇いとか、そう言ったものならば琴里も司令として士道を立ち直らせる為に厳しい言葉を放とう。だって彼は、もっと恐ろしい精霊(・・・・・・・・・)にだって立ち向かって見せたのだ。そんな事でへこたれるだなんて、司令として絶対に許容出来ないことだ。

 でも違った。士道の心を抉り、その歩みを止めているのはきっと、それよりも単純で……それでいて難しいものだ。以前、妹として(・・・・)彼の狂三への想いに不安が過ぎったことがあった。まさに、それが的中してしまったのだ。

 

 どこかで、士道のあの顔を見た事がある気がした。ずっと、ずっと前の話だ。そう、あれは――――――兄が、本当の母に捨てられて家へ来たあの頃の顔と、とてもよく似ていた。大切な誰かに自分の存在を否定された、その絶望(・・)と似通っていた。

 そんな兄に司令官としての言葉を投げかけたところで、追い討ちをかけるだけにしかならない。こんな時こそ彼の妹としてずっと寄り添ってあげたいのに、琴里はそれが許されない立場にいる。嗚呼、今だけは立場を恨まずにはいられない。

 

 だけど――――――

 

「だけどね令音……私、心配はしてるけど不安はないのよ」

 

「……ほう」

 

 琴里の独白をただ受け入れるように聞き入れてくれていた令音が、興味深いといった風な声を上げる。

 心配はしている。兄に寄り添えない悔しさもある。でも、琴里は信じていた。兄は最初の絶望から立ち直って、他人の絶望を見過ごせない優しい人に育った。だから今度も、たとえ立ち止まったとしても、きっと兄は立ち上がる。立ち上がってくれると、信じる。

 

 何より、とニカッと琴里は笑う。

 

「だって――――――あのバカ兄が、たった一回女にフラれたくらいで懲りるはずないもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 憂鬱だ。ベッドの上で無造作に横になった士道は、思案を巡らせようとして結局はその結論に至った。天井を眺める事でさえ億劫になり、目を閉じたりしたが意識を落とす事は出来ずまた無意味に目を開く。自宅へ帰ってきてからこの繰り返しだ。

 狂三の目的は士道だった、士道の中に封印された霊力だった。狂三は人を傷つける精霊だった。手をこまねいていたら、狂三はまた同じ事を繰り返すのかもしれない。そしたら真那が出てきて……堂々巡りだ。真那の口振りからすると、狂三と戦ったのは一度や二度の話ではないように思える。だから、それを許容出来ない士道は、たとえ自分の命を狙う狂三を相手にしても立ち向かわねばならない――――その、筈なのに。

 

「…………効いたなぁ」

 

 だと言うのに、体が言うことを聞いてくれない。狂三の優しさが、狂三の笑顔が、全て偽り(・・)だった。それが泣きそうなくらい苦しい。でも、それだけならきっと士道は動く事が出来た。狂三を救う……たったそれだけを理由に、再び狂三の前に立つ事が出来た。士道は、無自覚ながら狂三に対してそれだけの想いがあった。それこそ、〝精霊〟に対する脅威や恐れさえ無視してしまえるほどに。

 

 だから、彼の体を縛り付けているのは恐怖ではない。誰かを救いたい、そんな尊い想いを持つ少年を強く封じ込めているのは――――――コンコン、とノックの音が聞こえ我に返る。

 誰だ? 琴里は確か仕事があるから、と今日は家に戻らないと言っていたので違う筈だ。誰かに会う気分でもないのだが、居留守を決め込むという選択肢もない。仕方なく、気怠い体を起こし返事を返した。

 

「――――シドー、そこにいるのか?」

 

「……十香?」

 

 帰ってきた声は、聞き間違える筈もない。精霊用のマンションに居るはずの十香の声だ。

 

「……入っていいか?」

 

「あ、ああ。大丈夫だ」

 

 咄嗟にそう答えると、扉を開けおずおずと十香が顔を出す。ベッドに座る士道の姿を見てホッと一息ついてから、部屋の中に入ってくる。そうして足早にこちらへ駆け寄ってくると士道の隣に寄り添うように座り込んだ。

 

「と、十香……?」

 

「……狂三と何かあったのだろう?」

 

 彼女の意図が読めず困惑する士道だったが、十香の言葉に目を見開く。まさか彼女に一発で見抜かれるとは思っても見なかった。狂三とのデートは十香も知っていたが、何も言わずに察せられるとは驚く他ない。

 

「……そんなにわかりやすい顔してたか、俺」

 

「うむ。この世の終わりのような顔をしているぞ」

 

 ……そんなにか。十香にまでそう言われると色々と落ち込むものがある、と顔に手を当てため息を吐く。彼女相手に大見得を切ってデートに望んだくせに、こんなにも分かりやすく露骨に敗戦してしまったのもあって妙に居心地が悪い。勿論、十香は士道がそんな事を思っているとは知らないので小首を傾げているが。

 

「そっか……ちょっと、色々あってな。俺も気持ちが整理出来てなくて混乱してるみたいなんだ」

 

「……話してくれぬか」

 

「え?」

 

「狂三と何があったのか……教えてくれ。シドーには返し切れないくらいの恩がある。だから、少しくらいは私にも返させて欲しいのだ。力になれるかは分からぬが、話して楽になることもあると思う」

 

 優しい、心から士道を気遣う表情で十香はそう言った。士道は恩を着せる為に十香を助けたわけじゃない。彼女の置かれた境遇が理不尽だと思い、絶対に助けたかった……それだけだ。

 それに彼女に精霊やASTの話をするのは、精神状態が不安的になる可能性があるからと避けるように言われている。だからここは、平気だと強がって言うべき場面だ。

 でも、彼女のその優しい言葉と表情に、士道は堪えていた涙が溢れ出してしまいそうになった。溢れそうになる涙を何とか耐えて十香を見る。大丈夫だ……そう言わなければならないのに。懺悔のように、彼女に甘えるように、自然と士道は今日の事を打ち明け始めた。

 

 

「……そうか。狂三がそのような事を……」

 

「……狂三を救う、だなんて意気込んでたけど、見事にフラれたちまったみたいだ」

 

 士道は自嘲気味に声を発する。十香に打ち明けて、少し楽になった気がした。それにしても笑い者だと思う。狂三を救うと、救いたいと願っていたのに、当の本人は彼の救いなど必要ないと言い切ったも同然なのだ。その上で、狂三は士道の霊力が――――命が欲しいと言っていた。超人的な回復能力があれど、心身共に平凡な士道が精霊に命を狙われてはひとたまりもない。あまりにも無防備な自分を、もしかしたら狂三は影で笑っていたのかもしれないな、なんてネガティブな考えまで出てきてしまう。

 

 

「――――本当に、そうなのだろうか」

 

 

 え? と暗い考えに囚われていた士道が十香の方を振り向く。その言葉を発した彼女は、真剣な顔で士道を見つめていた。

 

「どういう意味だ……?」

 

「狂三の言ったことが、全て本当だったのか(・・・・・・・)? ……私にはそうとは思えないのだ」

 

「それは……」

 

 それは、あまりに都合の良すぎる考えだった。現実逃避した士道が口にするならまだ分かるが、十香がそのような事を言うのは士道を慰めようとしているだけにしか思えない。けど、そんな苦し紛れの慰めではないと、十香の真剣な表情が告げていた。

 

「狂三はな、シドーと話している時とても楽しそうだったぞ。シドーも同じだ」

 

「俺も……?」

 

「うむ。狂三と違いシドーはデレデレで鼻の下を伸ばしたような顔だったがな!」

 

 それは同じとは言わなくないか? どこでそんな言葉を覚えて来たんだと少しショックな士道だったが、自分がそんな顔で笑っていないと断言できないのも事実なので苦笑いで誤魔化す。

 

「しかしな、私には狂三が同じくらい辛そう(・・・)に見えたのだ」

 

「狂三が、辛そうに……?」

 

 楽しそうなのに、同じくらい辛い顔をしていた。それは言葉だけで言えば矛盾しか生まれないものだ。だが、十香にはそう見えた。自分と同じように(・・・・・・・・)、きっと狂三もシドーの事が〝好き〟なのだ。彼女の笑顔を見てそれに気づいた時、何故か(・・・)少しモヤッとした気持ちになったが、それ以上に同じ精霊というだけではない、狂三に対しての嬉しさと信頼が生まれた。シドーも笑って狂三も笑っている、その事実が何より嬉しかったのだ。

 だから、ずっと気にかかっていた。シドーの見えないところで、ほんの一瞬だが狂三が暗く、辛い表情になる時がある事が。なぜ楽しそうなのに、そんな顔になるのか。

 まるで、シドーと共にいることが(・・・・・・・)ダメだとでも言うように。まるで、自分がシドーの隣に立つ事がダメだとでも言うように。そんな彼女の様子が、十香の心にずっと残り続けていたのだ。

 

「なぜあんなに辛そうな顔をしていたのか、私には分からん。けど、シドーと同じくらい楽しそうに笑っていた狂三の笑顔が、私には嘘だとは思えんのだ」

 

「っ……仮にそうだとしても、狂三が……俺の事を狙ってた事まで嘘だとは思えねぇ」

 

 そのくらい、あの時に自分の目的を話した狂三の様子は凄絶なものだった。それこそ嘘だとは士道には思えない。けどもし、仮に、万が一でも十香の言う通り彼女が〝偽り〟だと語ったことこそ〝偽り〟だったとしたら――――――

 

「……狂三の言葉が真実だったとして、シドーは狂三が恐ろしいか?」

 

 もし、シドーが狂三の事を恐ろしいと、悪い精霊だと、恐怖すると答えたなら自分が守ろう、十香はそう心に誓っていた。狂三から、シドーを守り抜こうと。

 

 

「――――狂三が、怖い?」

 

 

 だが、問いかけられた士道の様子はどこかおかしかった。まるでそんな事は欠片も思っていない(・・・・・・・・・・・・・・)、という呆気に取られた表情だ。

 

「いや……狂三が怖いとか、恐ろしいとか、考えた事もなかったな……」

 

「で、ではシドーは何に悩んでいるのだ?」

 

 恐れがないなら、彼は愚直に突き進もうとするだろう。十香の時も、四糸乃の時もそうだったように。狂三が躊躇いなく人を襲う精霊だと思って、それが恐ろしいと感じていると思っていたのに彼は違う(・・)と否定し切った。なら、彼を縛り付けているのはなんなのだ?

 

「俺は……」

 

 今一度、士道は自分の記憶を振り返る。考えてみれば十香の言う通りだ。自分の命を狙われ、人を自分の意思で襲う精霊。普通に考えればその事で悩んでいる、と思うのが道理である筈だ。だと言うのに、たった今士道はそれを否定した。そうだ、最初からその事は全く悩んでいなかったのだ。

 では、自分は何を悩んでいる(・・・・・・・)。この世の終わりのような顔、とまで言われた士道は一体何に悩んでいると言うのだろう?

 

悲しい(・・・)と思った。人を〝喰らう〟。狂三にそんな事はして欲しくない。あの時、士道はそう思った。それをやっと思い出した。

 

美しい(・・・)と思った。全ては〝偽り〟だと、士道を取り込むために現れたのだと語った彼女。その冷たく、蠱毒のような、しかし己が想いを成し遂げるのだと、貫くのだと語るその瞳が美しい(・・・)と思った。それもやっと今思い出せた。

 あの時、あの一瞬、彼女に絡め取られた士道の胸に去来したのは、恐怖や恐れなんかじゃなかった。ただ、狂三になら()()()()()()()()()、そんな破滅的にも似た願望が、狂おしいほどの激情が、士道の胸の内にあった。けど、それではダメだ。殺されてしまっては狂三を()()()()()()()()()

 

 いや、救いたいと願いながらも、己の身を差し出すことをしないのは矛盾だ。これは極論に過ぎず、士道が己を犠牲にする事を肯定する人間は彼の周りにいるはずがない。しかし、彼が自分の破滅的な想いを上回ったのは、それよりもっと単純で、もっと不純な物な気がする。

 

 最後だ、思い出せ。お前はなぜ立ち止まった? お前は狂三の言葉の中で、()()()()心を打ち砕かれた?

 

 ――――――思い出した。自覚した。その瞬間、士道は……堪えようがなく、笑ってしまった。

 

「は……はははっ!! あははははははっ!!」

 

 それは琴里たちに見せた乾いた笑いではなく、心の底からおかしい(・・・・)と思う笑顔だった。

 

「ど、どうしたのだシドー! 大丈夫か、おかしくなってしまったのかっ!?」

 

「くくく……ああ、悪い悪い。俺は大丈夫だ――――おかしくなったってのは、間違ってないけどな」

 

 突如豹変した士道を慌てて心配する十香を手で制し、笑いを堪えながら言葉を返す。悪いとは思ったが、これを笑わずにはいられない。だって、命を狙われている人間が思うには頭が狂ってる(・・・・)としか考えられない事で、士道は悩んでいたのだから。

 

 やっとだ、やっと分かった。たった今、士道は狂三に対してずっと悩み、考えていた気持ちをようやく自覚(・・)した。

 

 狂三の目的が自分を〝喰らう〟事だった事より、狂三が人を傷つける事が堪らなく悲しかった。これだけなら、まだ彼女の境遇に同情しただけかもしれない。ああ、だから、士道の悩みは凄く簡単で、狂三もきっと予想だにしないものだったのだ。

 

 

『だってわたくし、士道さん自身の事など――――――なぁんにも、お慕いしておりませんもの』

 

 

 たった一言。この一言だけで、士道は世界が終わってしまったかのような絶望に襲われた。色づいた世界が、色褪せてしまったように思えた。狂三に拒絶に等しい言葉を投げかけられたのが、何よりも堪えた。

 

 思い返せば、士道は初めから答えを持っていた。だって士道はこう言ったのだ――――――()()()()()()()、と。

 

 一体、いつから自分はこの想いを抱いていたのか――――――初めからだ。

 そうだ、きっと事の始まりから、自分はおかしくなっていたんだ。約束よりも前に、あの忘れられぬ出逢いの瞬間に、あの魔性とも言える少女に、時崎狂三に魅入られてしまったその時から――――――五河士道は、どこか()()()()()()()()()

 

「ありがとな、十香。お陰で元気になった……もう大丈夫だ」

 

「ぬ……何が何だか分からぬが……私はシドーの力になれたか?」

 

「ああ。めちゃくちゃ元気出た。今なら狂三を相手に当たって砕けてもへっちゃらだ!!」

 

「砕けてしまうのか!? ダメだぞシドー!!」

 

 狂三の言葉には〝偽り〟がある。……十香の言っていることは、ただの希望的観測かもしれない。けど、今の士道はそれでも良かった。

 賭けてみたい、狂三の見せた優しさに。信じてみたい、狂三の見せた真実こそが偽り(・・・・・・・)ではないのかと。十香の言葉だけではなく、自分が見てきた彼女の姿を信じる。

 

 たとえそうでなくとも――――――士道はまだ何も伝えられていない。狂三を、殺し合いの連鎖に囚われた少女を救いたい、その気持ちは本物だ。でも、士道の胸にあるのはそんな高尚な想いだけじゃない。士道の想いはもっと単純で、ともすれば不純な物だと断言出来る。

 ああそうだとも、けれど()()()()()()()。元々、精霊を()()()()()なんてふざけた方法で世界を救おうとしているのだ。今更、不純だろうがなんだろうが開き直ってやる。

 

 この想いがあるなら、士道は今一度狂三と向き合える。この狂おしいほどの想いを、止まらない激情を、伝えられなければ死んでも死にきれない。

 

 行こう、彼女を救いに。楽しそうに笑っていたという、彼女の笑顔をもう一度見るために。辛そうな微笑みを見せたという、彼女の理由を知るために。彼女に〝偽り〟があるのなら、それを暴いて、あれは効いたぞと力いっぱい文句を言ってやろう。そして、狂三に伝えよう――――――士道の、想いを。

 

 

 ――――――虚構の悪夢が、少年を縛る事はもうない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「励まして上げて欲しいんです、五河士道を」

 

「……?」

 

 脈絡のない言葉に十香は首を傾げた。精霊マンションの窓に片手でしがみつくという、器用にも程がある白いローブの少女が挨拶して早々にそんな事を言うものだから、十香とて困惑する他ない。その上、ローブで表情が見えないのだからそこから何かを読み取る、という事も出来ないのだ。

 

「多分、五河士道は落ち込んで帰って来ると思うので。あなたが支えてあげてください」

 

「な……シドーと狂三に何かあったのか!?」

 

「あー……あるというか、多分あの子……狂三がこれからやらかすというか……申し訳ないですけど、私も確証はないんです」

 

 シドーは今狂三と〝デェト〟している筈だ。と思わず狂三の名まで出してしまった十香だったが、ローブの少女は気にする事なく少し曖昧な言葉を続ける。この言い方は、()()()()()()()()()()と断言するものだ。

 

「お前は……狂三の事を知っているのか?」

 

「まあ、私はあの子の〝共犯者〟みたいなものです。もしくは従者ですかね……五河士道が何事もなく帰って来たら、さっき言ったことは忘れてもらって構いません」

 

 そうはならないと思いますけど、と確証はないと言った傍からそう繋げた少女に十香は困惑した表情で頷く。何やら難しい事を言っているが、要はシドーを支えてやって欲しいという事らしい。色々と疑問は尽きないが、それなら言われずとも十香はそのつもりだ。自分を救ってくれたシドーが辛い時は、自分が力になってやりたい。その想いは誰に言われるわけでもなく、自然と十香の中に芽生えていた。

 

「ありがとうございます。あともう一つ……こっちは私の個人的な用なんですけど――――――狂三を嫌わないでやって欲しいんです」

 

「……どういう意味だ?」

 

 意図が読めない。狂三は自分と同じ精霊で、シドーは今狂三を救うために〝デェト〟に望んでいる。だから、似た境遇の十香が狂三を嫌う理由は()()()()()存在しない。困惑する十香に、少女は僅かに迷いを見せたように見えた。けど、そう長くはかからず言葉を続ける。

 

「……あの子、強情で、意地っ張りで、素直じゃないところがあるんです。これからあの子が色々迷惑をかけると思います……でも、とても優しい子なんです。だから――――」

 

「――――うむ、任せろ!」

 

 ドン、と胸を叩いて少女が言い切る前に十香は受け入れる。それが当然だ、と言わんばかりに。

 

「シドーも、それに四糸乃もきっと狂三の事が〝好き〟なのだ。私も、あんな優しそう(・・・・)に笑う狂三の事は〝好き〟だぞ! それで良いのだろう?」

 

「…………」

 

 あまりに単純過ぎて呆気に取られる。単純というか、酷く動物的な感情に思えてしまう。もっと簡単に言えば、これ以上ないくらい夜刀神十香は〝素直〟だ。五河士道に全幅の信頼を置いている。だからこそ彼が信じる狂三を信じられるし、彼女自身も自分の目で狂三の笑顔の本質を〝見た〟。……〝好き〟の種類(・・)が分かっているかは怪しいところではあるが。

 本当に予想外だ。たった数ヶ月前、あんなにも己を狙う殺意に嫌気がさし、擦り切れていた彼女がこんなにも素直に感情をさらけ出し成長(・・)している。これも彼の、五河士道の影響か……どうやら、これに関しては少女の取り越し苦労だったらしい。

 

「……はい。夜刀神十香、あなたに心からの感謝を」

 

「気にするな。私がそう思っただけだ」

 

「それでも、ありがとう。それと最後に一つだけ――――――どうして、私を信じてくれたんです?」

 

 それは、今だけの話ではない。〈ハーミット〉の時からの疑問であり、今この時ローブの少女と()()()()()()()()話す十香への問いかけ。普通に考えて、十香が少女を信じる理由がない。顔も見せず、何を考えているかも分からない。確かに自分は五河士道を助けたが、あの場で即座に信頼を寄せるには少女は()()()()()

 

 少女の問いに目を丸くし、それから腕を組んで難しい表情で唸る十香。急かさず無言で彼女を見つめていると、じっくり思案した彼女が口を開いた。

 

「……上手くは言えぬが、お前からは私と同じ匂い(・・・・)がしたのだ」

 

「私が、あなたと……?」

 

「それに、今お前はシドーと狂三を心配(・・)してわざわざ会いに来たのだろう? ならば無下には出来ぬ」

 

「……そんな高尚な物じゃありませんよ」

 

 彼女の言うような純粋な心配、などという心優しいものでは無い。少女はただ五河士道の可能性に期待(・・)したに過ぎない。言ってしまえば彼を〝利用〟しようとしているようなものだ。仮に、狂三が本気で彼を道具としてしか見なかったなら――――少女は、容赦なく五河士道を彼女の〝悲願〟の為に利用しただろう。

 

 ああ、しかし、自分と同じ匂い(・・)と来たか。それは確かに納得(・・)する。

 

 ――――ふと、少女が微笑んだ。十香から少女の顔は認識出来ない。けどその瞬間、確かに十香は少女が笑ったと思った。

 

「重ね重ね、ありがとうございます。では、また(・・)お会いしましょう。美しい名を持つ女王よ――――――」

 

 壁を蹴り、少女が窓から手を離す。目を剥く十香から真っ逆さまに落ちる直前、少女は祈りにも似た言葉を彼女へ届けた。

 

 

「――――――どうか、我が女王(狂三)と仲良くしてやってください」

 

 

 

 






Q.士道くん自覚なかったの? A.ありませんでした。

主人公、覚醒。今まで彼が内心でも狂三への素直に気持ちを直球に言ったことはありませんでしたからね(製作者の私がミスしてなければ)まあ琴里にはバレバレなんですけど。
ちなみに一応時系列を補足しておくと、二人のデート→その最中、少女が十香に接触→狂三の凶行→十香ちゃん士道くんの元へ。って感じです。
ある意味で原作の狂三に近いトリックスター的な役割を担う少女ですが、何を考えているのか……しかし主役は士道くんと狂三。いよいよ狂三フェイカー編クライマックスが近づいて参りました。

感想、評価が貰えてめちゃくちゃ、もう舞い上がってガンガン書き進められてて感謝感激です。変わらず感想、評価などなどお待ちしております!次回をお楽しみにー


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第十七話『そして舞台の幕は上がる』

祝・お気に入り300件突破。書き始めた当初はこんなにも沢山の評価がいただけるとは思ってもいなかったので、喜びに打ち震えています。ので何かペースがめちゃくちゃ上がってます。ノリノリで行っちゃうぜー


 

 来禅高校。五河士道、夜刀神十香、そして今は時崎狂三が通う学校。狂った想いが交錯し、数奇な運命の舞台となったその高校を一望できる高台に〝白〟はいた。まるで舞台の開演を待つ観客のような少女――――その真後ろに〝影〟が現れた。

 

「――――どういうおつもりですの?」

 

時崎狂三(・・・・)がそこにいた。誰もが美しいと言うであろうその美貌は、人を呑み込む超然としたその顔は間違いなく時崎狂三だ――――ただし、場違いなメイド服(・・・・)を纏っているという致命的な差異があるが。

 

「……ん、あなたですか。何かご用でも?」

 

「今言った通りですわ。あなた、何を考えていらっしゃいますの」

 

「さて、私にはなんの事だかさっぱり」

 

「とぼけなくて結構。『わたくし(オリジナル)』と違って、わたくしとあなたは常に(・・)繋がっていますわ。あなたが何処へ行ったかなどすぐに分かりますし、それを忘れるあなたではないでしょう」

 

 少女が首を捻り後ろを向くと、怒っている、と言うより呆れていると言った様相の狂三がそこにいた。まあ、彼女に気づかれるのは最初から分かっていたので、少女としても誤魔化すつもりはなくただ単純に暇潰しの問答だ。

 

「でしょうね。分かってて言いましたから」

 

「……『わたくし』に対してのわたくしの言動に呆れた割に、あなたも大概ですこと」

 

「褒め言葉として受け取っておきますよ」

 

「褒めているわけないでしょう。あなたバカですの?」

 

 辛辣なメイド狂三の言葉を受けても、さして気にした様子もなく残念、と再び高校へ視線を向ける。舞台の開演までもう少し時間があるようだし、戯れるのも良い時間潰しだと少女はようやく釈明らしい釈明を口にし始めた。

 

「狂三が申し付けたのは、五河士道とあの子との間の事柄だけでしょう? 私は夜刀神十香と話をしただけですから、何も責められるようなことはしていませんよ」

 

「世間一般では、そういう言い訳を〝屁理屈〟と呼ぶとのことですわ」

 

「なるほど、初耳でした。心に留めておきます」

 

 白々しいにも程がある、とメイド狂三は心の底からため息が出てきた。確かに少女が十香の元へ向かったのは狂三へのフォローではない……が、どうせ内容は士道に関することだろうと分かるので、セーフかと言われればかなりグレーゾーンだ。

 これはオリジナル(狂三)の言い付けだけに限った話ではなく、少女は狂三側に立っているのに士道側へ肩入れ(・・・)していたとしか思えない行動なのだ。

 

「それは、あなたの〝計画〟とやらのためでして?」

 

「……ん、そう取ってもらって構いません。私も色々と模索しなければならないんですよ。取れる〝択〟は多いに越したことはありません――――――全ては狂三次第、ですけどね」

 

 風が吹きすさぶ。メイド狂三は揺れる髪を押さえ、少女を見た。風に吹かれ靡くローブは、しかし頑なに少女の顔を見せることはしない。あまりにも()()()()()()()のに、自身を語ることは無い。そんな少女を象徴するのが全てを隠す白いローブだった。

 

「――――あなたは、どうされるおつもりですの?」

 

 故にこの問答に意味は無い。それは繰り返され続ける問いかけであり、返される答えは分かりきっているのだから。正体不明の少女が口にした答えは、やはり以前と何も変わらないものだったのだ。

 

「何も変わりません。全ては――――――我が女王(狂三)の為に。ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 下駄箱から上履きを取り出し履き替える。ここへ来て数度目になるその動作は、昨日までならたったそれだけで心が踊っていたと認めよう。あの方と同じ学校へ通う、その中にある繰り返される一つの工程。しかし今、彼女の胸に高鳴りはない。いるはずがない。何故ならば、自らが可能性を断ち切った筈だ。だから、彼女の目の前にその可能性がいるはずがない――――――

 

 

「――――おはよう、狂三」

 

 

 ――――――こんな()()()()()()()()()挨拶が、時崎狂三に向けられる筈がないのに。

 

「……ごきげんよう、士道さん(・・・・)。昨晩はよく眠れまして?」

 

 動揺を悟られまいと、靴箱を閉じ待ち構えていた士道へ微笑を作り挨拶を返す。無論、付け加えられた言葉は皮肉(・・)だ。だが、それを分かっている筈の士道は全く怯んだ様子もなく、皮肉をあっさり受け流した。

 

「ああ、お陰でぐっすり眠れたよ」

 

「あら、あら。てっきり、わたくしは悪夢(・・)を見たものと思っていましたけど……」

 

「いいや。お前とデート(・・・)する夢を見れたからな。今の気分は最高さ」

 

「……ッ!」

 

 ――――なんだ、これは。

 

 目の前にいるのは誰だ。言うまでもない、五河士道その人だ。なら、この強烈なまでの〝強さ〟はなんだ。違う(・・)。昨日までの士道とは明らかに違う(・・)。だと言うのに、狂三の全身の細胞がこの方は五河士道(・・・・)だと告げている。

 

 読めない。この方の思考が、想いが。狂三はほんの一歩、半歩にも満たない僅かな一歩だが彼女はその違和感(・・・)を恐れ身を引いてしまった。そんな狂三の様子を知ってか知らずか、士道は余裕の、しかし何かを決意した顔で声を発した。

 

「それとな、狂三――――――俺は、お前を救うことに決めた」

 

「――――――はっ」

 

 一瞬、呆気に取られた狂三は、すぐに表情を戻し……いや、昨日見せた冷徹な笑みに変え吐き捨てるような声を出す。

 

「気でも狂いまして? それとも、わたくしがおかしくなってしまったのかしら?」

 

「ああ、ある意味で俺が狂っちまってるのかもな。けど本気だ――――――お前に人を傷つけて欲しくない。真那に、お前を傷つけさせない」

 

「甘っちょろい理想論で欠伸が出てしまいますわね。今すぐ撤回なさった方がよろしくてよ」

 

「それは出来ねぇな。一度心に決めた事はやり遂げたくなる主義なんだ」

 

「――――――バカですの、士道さんはっ!?」

 

 それは何の怒りだったのか。思い通りにならないこの方への怒り? 反吐が出るほど甘いこの方の言葉への怒り? それとも――――――自分の身を顧みないこの方への怒り?

 どれにせよ、時崎狂三は五河士道へ初めて怒りという感情を見せた。士道はその激情を目にしても、変わらない。いや、微笑んで(・・・・)さえいた。

 

「かもしれねぇな。けど、俺が伝えたいのはこれだけじゃない。いや……どっちかって言うとこっちの方がお前を救いたい()()()()()()。勿論、さっきのも嘘じゃないけどな」

 

「へぇ……まだわたくしを苛立たせるお言葉をお持ちですのね」

 

「さて、そうとは限らないぜ。ここじゃ人が多いし、伝えるなら二人っきりが良い――――――逃げないでくれよ、お嬢様」

 

「っ……望む、ところですわ」

 

 あまりにキザったらしく言う士道から僅かに目を逸らし、放課後にお会いしましょうと言葉を残し足早に士道の前から立ち去る――――士道のそのキザなセリフに、赤くした顔を悟られぬように。

 

 

 

「まったく、困ったものですわ」

 

 屋上へ立った狂三は踊るようなステップを踏み、悠然と微笑み――――しかし、その優雅さを台無しにするようにガン! と苛立ちを隠すことなく力を込めて地面を踏みしめた。

 

 本当に、あの方には困ったものだ。どこかへ引きこもって震え怯えていれば、()()()()()()()()()()終わらせて差し上げたというのに。

 

 ――――その思考の中に、歪であったとしても士道を気遣うものが混ざっていることに、彼女自身が気づくことは無い。

 

「仕方ありませんわね――――――」

 

 踵で地面を蹴る。すると、そこを中心にして〝影〟が学校中を覆い尽くさんばかりに広がり続ける。

 

 ああ、まったく……あの方のバカさ加減(お人好し)を甘く見すぎていたらしい。〝真実〟を見せて尚、この期に及んでまだあのような世迷言を口にすると言うならば――――――

 

 

「もう少し、悪夢を見せて差し上げましょう――――――ねぇ、〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

『……もう大丈夫そうだね、シン』

 

「はい。いつでも行けます」

 

 放課後、狂三の指定した時刻。今朝方渡された無くした(・・・・)インカムと同型のものを装着し、令音の眠たげな声にしっかり言葉を返す。

 いつもなら聞こえてくる琴里の声は、今は響いてこない。何やら別件(・・)があるらしく席を外している。こんな時に、と思ったが令音の念押しもあり妹を信じることにした――――何より、今は狂三以外の事を考える余裕が無い。

 

 ……結局、狂三は授業中から放課後に至るまで士道の方を振り向くことは無かった。まるで、狂三が転校してきた時と真逆だな、とどこかおかしくて笑ってしまう。

 不思議な気持ちだ。落ち着いているような、気分が高揚しているような、二律背反な心。正直、今自分が考えていること、やろうとしていることを言葉にするとバカなのではないか、と狂三に言われるまでもなく自分で思っている。しかし、精霊への対処法・デートしてデレさせる、という方針から外れている訳では無いので琴里も許してくれるだろう。ある意味、士道のこれはその方法の延長線上(・・・・)にあるものなのだから。

 

 

『……何よりだ。今朝の狂三との会話も良いものだった。狂三の感情値は、こちらの計測できる範囲でもかなり揺れていたよ』

 

「え゛…………もしかして朝の会話、令音さん達も聞いてました……?」

 

『……ああ。君を心配していた琴里も大層、笑顔になっていた。安心したまえ』

 

 違う、そういう意味じゃない。というか、琴里は確実に安心とかそういうのじゃなくて絶対()()()()()()()()()()という類の笑顔だ。

 

 なんというか、凄い顔が赤い気がする。これはそう、黒歴史(・・・)を明かされそうになった時に似た、というよりアレの小規模バージョンの気恥しさだ。

 朝の時より幾分か冷静になった士道だが、朝はもうとにかく酷かった。狂三を見て妙にテンションが上がってしまったというか、一時の気分の高揚とでも言うのだろうか。お陰で、狂三を相手にしても動揺せず会話は出来たのだが……スラスラと口に出せた代償として、恐ろしく小っ恥ずかしいセリフを言った気がする。なんだ、お嬢様って。ちなみに、デートする夢を見たのは本当だ。

 

「ぜってぇ後で琴里にからかわれる……」

 

『……気にする事はないさ。これからも精霊との会話役を続けるなら、またそういう(・・・・)セリフを言う機会もあるだろう』

 

「勘弁してください……」

 

 〈フラクシナス〉から指示が飛んでいたならともかく、朝の士道は素で(・・)あのキザったらしく寒気がするようなセリフを言ってしまったのだ。言ったこと自体に後悔はないが、狂三がドン引きしなかったかだけが士道の不安である。

 熱を持った顔を手で冷まし、意を決して狂三の元へ向かおうと足を動かし――――

 

「…………ぐっ!?」

 

 自身の体に振りかかった異常に、思わず片膝を突いて眉を顰めた。襲いかかるとてつもない倦怠感を堪え、なんとか立ち上がり辺りを見渡す。

 異常が起きたのは自分の身だけではない。否、士道は周りの異常に比べればかなりマシな方だと気づく。慌てて倒れた生徒たちに声をかけるが、既にその意識はない。

 

 倒れた生徒たちの姿を見て、士道は既視感を覚える。そうだ、自分はこの光景を()()()()()ではないか? それも、つい昨日の話だ。

 

「――――――狂三、か……!」

 

『……まず間違いないだろう。高校を中心とした一帯に、強力な霊波反応が確認された。広域結界……範囲内にいる人間を衰弱させる類のもののようだ』

 

「っ、気が早いお嬢様だ……!」

 

 どうやら、士道がデートの待ち合わせ場所までたどり着くまで、もう待ってはくれないらしい。ならば、これ以上の遅刻は士道としても避けたいところだ。だがその前に一つ気がかりを確かめたく、気怠い体に鞭を打ち足を動かして……。

 

「シドー……!」

 

「ッ、十香っ!」

 

 教室から聞こえてきた声にすぐさま振り向き叫ぶような声を上げる。頭を押さえ辛そうにこそしていたが、他の生徒と違って士道と同じく結界の中でも無事だった十香の元へ駆け寄り安堵の声を漏らした。

 

「良かった……大丈夫か、十香?」

 

「う、うむ……だが、どうも身体が重苦しい……」

 

「俺と同じか……けど、どうして俺と十香だけ無事なんだ……?」

 

『……シン。精霊の霊力を封印していている君の身体は、その加護を受けているに等しい状態だ。同じ霊力による影響は少なくて済む。十香も封印されているとはいえ精霊、同じ事が言える』

 

「霊力……」

 

 令音の言う通り、士道の身には複数の精霊の力が封じ込められている――――――そしてそれは、時崎狂三も知っている(・・・・・)。それ故、この結界の所有者である狂三も士道に効力が薄いことは百も承知の筈。彼女がその事に気づいていない……? そんな事はありえないと士道は断言出来る。なぜなら彼女はそれほどまでに聡明(・・)だと確信を持って言えるからだ。

 だからこそ、この結界は士道を止めるためのものでは無い。これは挑発(・・)だ……あの時(・・・)と同じ。再び狂三は、士道を呼んでいる。

 

 ――――――望むところだ。

 

「……十香、ここで休んでてくれ」

 

「シ、ドー……?」

 

「心配すんな。俺がお前を――――狂三も、助ける」

 

 十香の頭を撫でるように触れ、身体に力を入れ駆け出す。目指す場所は分かっている。あの時(・・・)と同じく、士道は誘われるように上を目指す。あの時と違うのは、彼の全身が〝それ〟を肯定しているということ。迷いは、もうない。既に狂三へ告げる〝答え〟を彼は持ち合わせている。纏わりつく重さも、彼の歩みを止めることは出来ない。寧ろ、階段を駆け上がるくらいの力がどこからか湧いて出てくる。

 

『……シン。狂三に会う前に、こちらで調べた事を君に伝えておこう。狂三は――――――』

 

 令音から告げられた〝真実〟を聞いた士道は、悲しさと嬉しさが入り交じった顔で――――――

 

 

「――――――ああ、やっぱり」

 

 

 ――――――笑った。それは納得だった。彼女なら、そうだろうという納得と。それでも彼女が選択した深い〝罪〟に感じる悲しさと。狂三を――――絶対に救うという強い意思。

 

 斯くして、少年は扉の前へ辿り着いた。誰に命じられた訳でもない。自らの意思で彼はこの〝選択〟を受け入れた。そして、扉は開かれる。

 

 

戦争(デート)への遅刻は感心しませんわね」

 

 

 紅が舞う。黒が踊る。美しき女王が、いた。その時が止まるほどの美しさを目の前にして、少年は初めて、その美しさを()()()()()。彼女は美しい、誰よりも美しい――――――ああ、()()()()()()()。だから、少年はここにいる。

 

 

「そいつは謝らないとな。悪いな、待たせちまったか――――――狂三」

 

 

「えぇ、えぇ。わたくし、待ち焦がれすぎて死んでしまいそうでしたわ――――――士道さん」

 

 

 

 狂気に彩られた少女と、狂気に魅入られた少年の――――――舞台の幕が、上がった。

 

 

 






Q.士道くんテンションおかしくない? A.原作でもそのうち好き好き大好き。結婚しよう愛しい君(マイハニー)とか言えるようになるので大丈夫です(愛しい君しか合っていないではありませんのby.狂三)

主人公も覚醒しついにクライマックスへの幕が上がり切りました。対時崎狂三恋愛特化仕様になった五河士道をとくとご覧あれ。

次回『女王へ捧ぐI love you』……真面目ですよ?なんだったら一番気合い入れて全身全霊で書いた間違いなく過去最長の長さです。私の厨二力とウルトラロマンティック(爆笑)を全部ぶち込んだ回になります。不安か?私も不安だ。

感想、評価などなどお待ちしております。では次回をお楽しみにー


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第十八話『女王へ捧ぐI love you』

私の厨二感と恋愛感。そしてこの狂三リビルド過去17話積み上げてきた二人の全てをこの回にぶつけました。ほんとメインヒロイン全振り作品ですね今更ながら

ちなみにタイトルは大真面目です!!


「改めまして、ようこそおいでくださいました士道さん。わたくしの〝城〟へ」

 

 霊装のスカートの裾を摘み上げ、鮮やかなお辞儀をして見せた。さながら客人を歓迎する館の主、といったところか。しかしながら、〝城〟と言うには些か()()()()()と薄暗く辺りを覆う〝影〟を見て士道は苦笑する。

 

「歓迎してくれるのは結構だけど、城って言うにはちょっと物騒だな。お転婆が過ぎるんじゃないか?」

 

「ふふっ――――それもそうですわね」

 

「え……?」

 

 パチン、と狂三が指を鳴らす。次の瞬間、〝影〟が彼女の足元へ集うように収束して行き、辺りを覆う重苦しい空気があっさり消えて行く。彼女のその行動に呆気に取られ、眉を顰める。こんな大胆な事をしたのに、今の狂三はあまりに()()()()()()()()

 

「……俺の言うことを聞いてくれた、ってわけじゃないよな」

 

「きひ、きひひひひひ! 士道さんにしては察しがよろしいですわねぇ。えぇ、えぇ……物騒な〝客人〟を出迎えるのに、この城は相応しくありませんでしたので」

 

「――――――生憎、客人扱いされる謂れはねーです」

 

 ――――――まるで舞台の再演だった。

 士道の目の前に白い装備を着た少女が舞い降りたかと思えば、狂三は舞い上がり後方に飛び退いて優雅な着地を決める。それは、昨日見た光景と全く同じ(・・・・)、幾度となく繰り返されたのではないかとさえ思えるものだった。

 

「真那!」

 

「はい。ご無事ですか、兄様」

 

 士道を気遣う真那の言葉まで一緒。身に纏ったワイヤリングスーツも、両の手に展開された光の刃まで一緒。そして、中身の強さと強固さは違えど、士道の考えている事も一緒だった。今、真那に狂三を傷つけさせるわけにはいかない。しかし、急ぎ真那を止めようとする士道の意思を振り切るかのように、二人は言葉と刃の応酬を始めていた。

 

「今日は随分とお早い到着ですのね」

 

「そっちこそ、随分と派手な事をやってくれやがったようですね〈ナイトメア〉」

 

「く、ひひ……それで、大急ぎで駆けつけてくださいましたのね」

 

「胸くそ悪い言い方をしやがるんじゃねーです。今日も、また()()()()()()()殺してやります」

 

「――――――あら、あら」

 

 表情から、笑みが消えた。真那の前ではただ一度を除き、常に、不気味な笑みを絶やすこと無かった狂三の豹変に、真那は目を見開く。それだけじゃない、それは何十回と狂三を殺して(・・・)来た彼女でさえ、背筋が凍るような強烈な威圧感。語弊は生じるが、分かりやすく、頭の悪い言い方をすれば狂三は――――不機嫌そうな顔になったのだ。

 

「それは面白くありませんわ。だって、わたくしにも譲れないものがありますの。ああ、ああ……そういった姿を()()()()()()()矜持に反しますわ」

 

「……はっ。だったらどうだって言うんですか 。殺され続けてきた貴様に、何か出来るとでも?」

 

「えぇ、えぇ。出来ましてよ、出来ましてよ。だって真那さんが殺して来たのは〝過去〟の『わたくし』たち(・・)。〝今〟のわたくしに――――――その刃は届かない」

 

 天高々に、狂三はその華奢な腕を掲げる。それは号令。彼女だけに許された号令。時を統べる王のみが持つ、究極の奇跡が具現化したもの。空間が震える。歓喜か、恐怖か。女王が歌う、奇跡の体現。その名は――――――

 

 

「おいでなさい――――――〈刻々帝(ザアアアアアアフキエエエエエエル)〉!!」

 

 

 女王の絶唱を聞き届け、影より出で立つは巨大な〝時計〟。

 

「……天、使っ!?」

 

 声を上げた士道を見て、狂三は僅かに口角を上げ笑みを零す。その通り、精霊が持つ最強の武器。絶対の力を持った奇跡の具現化。

 狂三の天使は身の丈の倍はあろう文字盤。刻まれた数字、針の代わりに存在しているのは二丁の銃。それぞれ装飾が施された、古式の歩兵銃と短銃。そこから短銃が外れ、狂三の手に収まると彼女は遊ぶように扱い慣れた銃を回転させながら、長銃をもう片方の手に収め曲芸を披露するかのように構える。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】」

 

 

 掲げた短銃へ、狂三の声に応えるように文字盤の『Ⅰ』から影が吸い込まれて行く。同時に、狂三の左目――――金色に輝くその時計の針が回っているのを士道は見た。怪訝な表情をする真那を見やり――――彼女は躊躇いなくその短銃を己の(・・)こめかみに突き付けた。

 

「ま――――――」

 

 士道の止める声より早く、彼女自身の指でその引き金は解き放たれた。重い銃声が虚空へ鳴り響き、狂三の頭部が揺れ――――――次の瞬間、彼女の姿は喪失した。

 

「ぐ……っ!?」

 

 ほぼ同時に、真那の姿まで士道の目の前から消えた。

 

「な……にっ!?」

 

 否、消えたのではない。突如として真那の()()()()()()狂三が彼女を吹き飛ばしたのだ。驚きの声を上げる士道を置き去りに、狂三の姿が再び掻き消える。

 

「きひひひひひひひひ!! この程度の動きについて来れませんのかしらァ!?」

 

「っ……!」

 

 空中へ飛ばされた真那は強引に方向を変え、目の前に迫る狂三を迎え撃つように突撃し――――狂三は彼女視界から三度消失する。

 

「なめ――るなっ!!」

 

 しかし見失った訳では無い。随意領域を全開に超人的な速度を感知、力任せに()()()()()()()刃を薙ぎ払った。

 

「っ」

「ふふっ」

 

 狂三が振り下ろした銃と真那の刃が鍔迫り合い、甲高い音を鳴らす。が、不安定な体勢で振るわれた刃では、力任せに叩きつけられた狂三の攻撃を受け止め切れず、その衝撃で真那は地面へと弾き飛ばされる。悔しげな表情で、しかしそのまま地面へ叩きつけられるような無様を晒すことはなく姿勢制御し真那は地に足をつける。狂三も、彼女に遅れるように着地する。ただしこちらは、憎たらしいほど優雅なものだったが。

 

「流石ですわ、真那さん。()()()()()()わたくしの動きを、こうも簡単に対応して見せるだなんて。賞賛に値しますわ」

 

「……貴様に褒められても嬉しくねーです。面白い能力だとは思いますが、随意領域(テリトリー)を持つ私にはもう通用しません。仏の顔も三度まで、でやがります」

 

「あら、あら。二度あることは三度ある、ということわざもありましてよ。そう仰られるなら――――――試されてみては?」

 

「――――ふっ!!」

 

 猛進。凄まじいスピードで狂三への距離を縮める真那。それを目前にして尚、狂三は微笑を崩さない。今度は文字盤から二丁(・・)の銃へ、それぞれ別の文字から影が吸い込まれて行く。そして、短銃を再び自らの頭に突き付けた狂三が、告げる。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【五の弾(ヘー)】」

 

「無駄だと……言っているでしょう!!」

 

 

 自らを撃ち抜いて無防備な狂三の胴体へ、袈裟懸けに全力で振り抜く――――――入った。

 如何に早くとも、この一撃は躱せない。真那の戦士としての勘が、経験が、間違いなくそう確信を抱いている。

 

 

「う――――そ」

 

 

 だと言うのに、真那の発した声は幾度となく彼女を殺した時に吐いてきた乾いたものではなく、呆然としたものだった。まったく二人の戦闘について行けない士道も、その光景だけは確かに観測し目を見開いた。

 

 光の刃は振り切られた。更に、狂三と真那の距離はゼロに等しい。なのに、なのに――――狂三に傷一つないのは何故だ? 真那の刃は確実に、狂三の霊装を切り裂く事が出来る。今までそうやって、この精霊を殺してきたのだから。精霊を守る絶対の衣さえ、真那の刃は断ち切って見せよう。その輝きは今、繰り返された一つの事柄として刻まれた筈だ――――――いや、違う。

 僅か、ほんの数センチ、光の刃は狂三の胴体を捉えることなく空を凪いだ。それがこの結果だった。まるで狂三は、そこへ刃が通ると()()()()()()()()()()最低限の動きで躱して見せたのだ。

 

 

「――――【七の弾(ザイン)】」

 

 

 放つ。無防備な真那に向けて、長銃を構えた狂三が引き金を引く。銃口から放たれた弾は、瞬時に真那の胴体へと突き刺さる。だが、随意領域を持つ真那にただの銃弾一つが通るわけがない。

 

「真那……っ!」

 

 故に、士道がその異常に気づくのに時間を要する事はない。兄の呼びかけに彼女が応えることはない、出来ない。なぜなら真那は()()()()()()しまったかのように刃を振り下ろした体勢で固まっている。

 一発、二発、三発、四発――――淡々と、狂三は真那の身体へ銃弾を撃ち込んで行く。ふわり、スカートが舞う。トン、トン、と踊るように回り――――――

 

「っ、やめろ狂三っ!!」

 

「ほぉら、言った通り――――――」

 

 勢いそのまま、真那を()()()()()()

 

「が――は……っ!?」

 

「――――真那さんの刃は、わたくしに届かない」

 

 狂三の小柄な身体から放たれたとは思えぬ威力の蹴りは、真那を容赦なく地面へ転がし、彼女は銃弾を受けた箇所から絶え間なく血を流して、士道の近くまで来てようやく止まった。急いで真那の元へ駆け寄る。素人目で見ても、このたった数十秒の戦闘で彼女はもう戦える状態ではない…………けど、真那は膝を突いてでも立ち上がろうと身を起こす。

 

「兄、様……危険です。逃げてください……」

 

「バカ、そんな怪我で言うことかよ!! 狂三は俺が――――」

 

「シドー!」

「――士道」

 

 ハッ、と扉を開く音と声がした方向へ振り向く。そこには士道を心配して駆けつけた二人の少女の姿。不完全な霊装と、ワイヤリングスーツをそれぞれ纏う十香と折紙だ。

 

「十香、それに折紙まで……!?」

 

「あら、あら。折紙さん……十香さんまで来てしまわれたのですね」

 

 その声と、靴音を鳴らし士道の元へ歩み寄る狂三に気づき、十香と折紙がまったく同時に士道の前へ躍り出て両者ともに武器を構える。けれど両者の表情は対照的だった。折紙は厳しく睨みつける鋭い表情だが……十香は、困惑が抜け切らない迷いが見える表情だ。

 

「時崎狂三……!」

 

「……狂三。シドーの話を聞け。今ならまだ――――」

 

「――――――いいえ、いいえ。もう遅いのですわ、十香さん」

 

 その微笑みは、酷く儚いものだった。吹けば消える、そんな風に思えたその表情は、一瞬で凄絶な顔へ塗り替えられる。

 

「この血塗られた手は、十香さんとは違いますわ。もう戻れぬのです。そうでしょう――――――()()()()()()

 

 笑い声が響き出す。一同がその声を聞き、訝しげな表情で辺りを警戒するが、それはどこからともなく……狂三の足元から聞こえてくるものだった。加えて、彼女の奇妙な物言いに眉をひそめ――――――

 

『な……っ!?』

 

 四人の声が被る。誰一人例外なく、その声は驚愕に満ちたものだった。広がり続ける狂三の〝影〟。そこから顔を出す白い腕、腕、腕……以前は折紙を、そして士道を掴み取ったその腕の正体。それは――――――

 

 

「えぇ、えぇ、その通り」

「それでこそ『わたくし』」

「さあ、さあ、遊びは終わりでしてよ」

 

『蹂躙の時間ですわ』

 

 

 無数の狂三(・・)。それら全てが、寸分たがわず時崎狂三(・・・・)その人だった。腕も、足も、顔も、霊装も、何もかもが『狂三』だと告げていた。

 

「こ、れ……はっ!」

 

「わたくしの過去。わたくしの履歴。本来は取り戻せない様々な時間軸のわたくし」

 

 屋上を埋め尽くす『狂三』の中で、一人ダンスを踊る狂三が語る。

 

「理解できまして? 真那さんがわたくしを殺し切れない理由が――――――〝今〟のわたくしへ、その刃を届かせる事が出来ない理由が」

 

「っ……」

 

 トン。ダンスの終わりを告げる靴音が、真那の息を詰まらせた声すら呑み込む。

 

「さあ――――〝客人〟には、ご退場願いますわ」

 

 それは、正しく蹂躙(・・)だった。ほんの一瞬、あらゆる『狂三』に真那は、十香は、折紙は、制圧されてしまった。例外などなく、三人は一瞬にしてその意識を刈り取られ、地に伏せた。やがて、『狂三』たちが影へと回帰して行く。残ったのは、士道と狂三の二人(・・)だけ。

 

「さあ、さあ、これで約束の二人きり(・・・・)ですわ」

 

「っ!」

 

 トン、トン、トン。舞台の決められた位置へ戻るように、狂三はステップを踏み士道を迎え入れた場所に戻っていく。息を呑む、拳を握る。そう、その無邪気ささえ感じさせる彼女こそ、精霊・時崎狂三。

 

 

「ねぇ、士道さん。これでもまだ、あなたは言えるのですか? このわたくしを〝救う〟と。この、救いようのない〝最悪〟のわたくしを、この外道を、憎むべき悪を――――――あなたはどう〝救う〟と言うのでしょう?」

 

 

 舞台役者のように大仰な手振りで、冷徹な微笑みで狂三は問いかける。差し出された手は、答えを待っている。恐らくは、士道の諦め(・・)の言葉を。だから士道は――――――

 

 

「――――ああ、何度でも言う。何十回でも何百回でも言ってやる。俺は、お前を絶対に〝救う〟!!」

 

 

 徹底的に、その何も変わらぬ誓いを彼女へ叩きつけた。

 超然とした狂三の表情が歪む。不愉快だ、そう言いたげな顔だ。

 

「っ、不愉快ですわ、不愉快ですわ! まだ分かりませんの? わたくしに士道さんの言う〝救い〟など必要ないのですわ!」

 

「狂三……!」

 

「恐ろしいのでしょう、人を〝喰らう〟わたくしが。怖いのでしょう、あなたの命を狙うわたくしが。憎いのでしょう、関係ない人々を巻き込んだわたくしが!」

 

 そうだと言え。この悪夢を目にし、この時崎狂三という精霊に恐怖したと。憎いのだと。たったその一言を口から出すだけで、全ては終わるのだと。

 

「――――――怖くねぇよ」

 

 踏み出す。この精霊を相手に、士道はなんの躊躇いもなく距離を詰めた。本当に、()()()()()()()()()()証明のように。

 

「俺はお前を怖いなんて思った事はねぇ。ずっと、ずっと、狂三が綺麗(・・)だとは思ってるけどな」

 

「……正気とは思えませんわね。嗚呼、嗚呼、ならおバカな士道さんに教えて差し上げますわ。わたくしがしてきた事はこんな物ではありませんのよ。わたくしは過去、何千、何万という人を〝喰らって〟生きて来ましたの。それが――――――」

 

「ああ、知ってる」

 

 言葉を遮られた狂三が、怪訝な表情になる。今、この方は()()()()()と言ってのけた。己の〝罪〟を、背負っているものを、知っていると。知っているのなら平然としていられる筈がないのに。心優しいこの方が、その蛮行を許しておける筈がないのに。

 

「なに、を……」

 

「知ってるって言ったんだ。お前がしてきた事を…………それは許される事じゃない。どんな事情があっても、きっと一生かけて償わなきゃならねぇ事だ」

 

「えぇ、えぇ。ですがわたくしにその気はありませんし、そんなこと不可能ですわ。失われた命は――――」

 

「でも、お前の言葉には〝嘘〟がある」

 

 更に一歩、踏み込む。彼女の〝偽り〟を士道が暴く。

 

 

「だってお前は――――――人を殺してない(・・・・・)

 

「……!」

 

 

 僅かに、狂三は手に持った銃を揺らす。普段ならなんて事はない雑音も、今この場には、この世界には二人しかいないと思える静寂がある。だから、狂三の動揺(・・)を現すには十分すぎるものだった。

 

「お前は、どんなに人を襲ってもその命までは(・・・・)奪わなかった。昨日も、そして今日だってそうだ。お前にかかれば人間の命なんか一瞬で(・・・)奪い取れる筈なのに。お前はそうしなかった」

 

「――――――」

 

「無意識で出来る事じゃない。お前は意図的に(・・・・)手加減していた。そうだろう?」

 

 それが令音からもたらされた〝真実〟。彼女の語った〝偽り〟を暴き、彼女を救うための〝真実〟。昨日、士道の目の前で男たちを〝喰らった〟と彼女は言っていた。が、彼らは昏睡状態ではあれど()()()()()()()と、運ばれた先で結果が出ている。

 狂三の言う、過去に〝喰らって〟来た命も同じだ。一部の例外もなく、彼女がもたらしたという被害の中に()()()()()()――――――当然、だからと言って狂三の犯した事は許されない〝罪〟だ。けれど、それでも士道は――――――

 

「きひひ、ひひひひひひ……きひひひひひひひひひひッ!」

 

「っ!?」

 

 笑い声が響く。嘘を暴かれた自暴自棄、なんて生易しいものでは無い。狂気の笑みを浮かべ、狂三は()()()()()()

 

「ひ、ひひ、きひひ…………本気で、本気でそう考えているのでしたら、おかしいですわ、おかしいですわァ。おかしくて涙が出てしまいそう」

 

 手で顔を覆い、悲しげに、悲劇的に、言葉を紡ぐ。しかし、狂三の紅と金の両の眼は、士道を突き刺すような鋭さで射抜いていた。

 トン、と何度目かの靴音を鳴らし〝影〟を生み出す。

 

「わたくしの〝城〟の力は拝見なされましたわね。ですが士道さん、この〝城〟の力はあんなものではありませんのよ? わたくしの〈時喰みの城〉は――――――人の〝時間〟を吸い上げる事が出来るのです」

 

「時間……?」

 

 時間。それは不可侵の領域。人が人の身である限り、絶対に犯す事が出来ない不変の摂理。世界でただ一人――――――この時崎狂三を除いて。

 

「えぇ、えぇ、その通り。〈時喰みの城〉が吸い上げる〝時間〟は命――――寿命(・・)と言い換えても構いませんわ」

 

 狂三の言葉に目を見開く。ニィ、と士道の反応を見て彼女は狂気的な笑みを深めた。そう、彼女の言っている事が正しいなら、それはある意味で殺す事より残酷(・・)だ。

 

「理解出来た、というお顔ですわね。士道さん、わたくしはそうやって自分の都合で、人の命を歪めているのです。ある筈だった人生を、幸せを、その〝時間〟をわたくしは理不尽に奪い去る。ねぇ、これは――――殺されるより、残酷なことではなくて?」

 

「…………」

 

 人を殺さなかった? それはただの()()だ。()()()だ。狂三はただ、()()()()()()()()()から殺さなかっただけに過ぎない。もし必要だったなら、このお方という()()がいつか現れると()()()()()()()()()()、狂三は万の命を全て刈り取ってここに立っていたことだろう。その精神を極限まで擦り切らせた、狂気の修羅と化して。

 故に詭弁。この〝真実〟は狂三の〝罪〟を洗い流せない。〝なかったこと〟にする為に、あったであろう人々の〝時間〟を踏み躙ってきた狂三が許される事など、ない。

 

「……それと、士道さんは一つ間違っていますわ。わたくしは確かに、時間を奪いこそすれ命までは取らなかった。えぇ、えぇ、ですがそれは全てではない――――――わたくしは()()()()()()()、理不尽に奪った〝命〟の上に立っているのです」

 

「な……っ!」

 

「分かりやすく言い方を変えましょう。わたくしは、わたくしという精霊が()()()()()()()()()、数多の命を奪い、屍を築いた者。その屍の犠牲の上に、わたくしという〝最悪の精霊〟は存在しているのですわ。ですから――――――」

 

 それは時崎狂三の根幹にある信念であり、始まりであり、悲劇であり、大罪である。それが己の存在意義だと、それが世界を救うと、それが皆のためになると――――――そうして罪過を背負ったのが、全ての始まり。取り戻すために奪う。矛盾を抱えた時の女王。だから、時崎狂三はここにいる。

 

 

「――――――わたくしは、士道さんを躊躇いなく(・・・・・)〝喰らい〟ますわ」

 

 

 最後通牒だと言わんばかりに、銃口が突きつけられた。

 息を呑む。狂三の表情に滲むのは、決意。狂三の隻眼に灯ったのは、憤怒。

 呑み込まれる。時崎狂三という少女に、狂気に、士道は取り込まれかけた。足が竦む。気を抜けば、足を引いてしまいそうになる。そうなったら最後――――――もう、五河士道に時崎狂三は救えない。

 だから彼は――――――

 

 

「違う! それも〝嘘〟だ!」

 

 

 もう一歩、彼女の決意へ、〝偽り〟へ踏み入った。

 

「……聞き分けが悪いですわね。何が嘘だと言いますの? わたくしは士道さんを〝いただく〟ためにここへ来ました。それが〝偽り〟だと今さら妄想を口になされますの?」

 

「いいや、それは嘘じゃない。お前は、冗談でこんな事しないだろうからな。俺が言いたいのは、お前が躊躇いなく(・・・・・)って言ったことだ」

 

 狂三が眉を顰める。ここまでの会話で、士道は確信を得ていた。彼女はまだやり直せる(・・・・・)という真実を、確信を。

 

「お前、言ったよな。俺と会ったこと、四糸乃や十香と会ったことも全て〝偽り〟だって。俺たちを、利用しただけだって。俺自身のことなんて、どうでもいいって」

 

「…………はい、言いましたわ。それがわたくしの本当の姿ですもの」

 

「だったら、なんで狂三はこんな回りくどい(・・・・・)をしてるんだ?」

 

 また、銃口が揺れた。ほんの僅かでも、それは狂三の動揺だ。士道は決意のこもったその瞳を、憤怒を宿した彼女の瞳とぶつけ合う。

 

「お前がその気になれば、俺の霊力を奪うことなんて簡単だろ。いつだっていい、どんなやり方だっていい、狂三なら一瞬で出来ることだ。なんでお前はそうしない?」

 

「簡単な話ですわ。あなた方の苦しむ顔が、苦悶の表情が見てみたかっただけですわ。この両の眼に収めておきたかっただけ――――」

 

「――――――違うな。お前はそんな無駄な事(・・・・)はしない」

 

 はっきりと、その言葉を告げた瞬間、狂三の瞳が一瞬逸らされた。見逃さない、彼女の嘘を全て暴くのだから。

 狂三は()()()()()。命がどういうものであるかを。だからこそ彼女はこう言った、それは()()()()()()()と。命の意味を、尊さを、知らないのであればその言の葉は語られない。そんな時崎狂三が、理由もなく余計な事に力を使う筈がない。であれば、士道はこう考える。計り知れない()()を背負う彼女に、()()()()()()()()()()がある。いや、あった、と。

 

 

「なあ、狂三。たとえ最初の目的が俺の霊力だったとしても、お前は楽しかった(・・・・・)んじゃないか?」

 

「違う……」

 

「四糸乃と話した事が、十香と遊んだ事が、学校へ通う事が」

 

「違います……!」

 

「これは自惚れかもしれねぇけど、俺と一緒にデートした事が――――――」

 

「っっっ、違いますわ!!」

 

「――――――楽しかったって、思ってくれたんだよな」

 

 

 ――――――仮面が、剥がれ落ちる。

 

 士道の声が、言葉が、微笑みが、狂三の仮面を引き剥がす。偽り(フェイカー)の狂三は暴かれた。そこにいるのはただ、相反する使命と想いに潰されそうになる、一人の心優しい少女だった。

 

「違う、違う、違う違う違う!! こんなのわたくしじゃありませんわ!! わたくしは止まれないのですわ!! わたくしは戻れないのですわ!! わたくしは……!」

 

「狂三……」

 

「許されないのですわ! 許されてはいけないのですわ! わたくしが〝悲願〟を果たすその時まで!! いいえ、いいえ、たとえそれを成し遂げても、わたくしは地獄に堕ちても生温い罪を背負っているのです!! そんなわたくしがこのような想いを抱くなど――――――許されるわけが、ないのですわ」

 

 捨て去った筈だった。置き去りにした筈だった。平穏も、憧れも、全ては決意したあの瞬間から〝なかったこと〟にした筈なのに。思い出してしまった、新たに芽生えてしまった。全部、全部、この方のせいだ。こんな優しさを、光を、知らなければ自分は〝最悪の精霊〟でいられたのに――――憧れて、しまう。

 

 影が差す。自らが作り出したものでは無い。顔を上げれば、いつの間には士道が目の前にいた。伸ばせば、手が届いてしまう場所にいた。

 

 微笑んでいた。それは優しい微笑みで、何かを決意した(・・・・)微笑みでもあった。目を奪われる。

 

 

 

「――――――好きだ、狂三」

 

 

 

 ――――――時が、止まった。

 

 見つめ合う。士道は笑っていた。少し気恥しそうに、微笑んでいた。狂三の紅と金の瞳が、そんな士道を映し出していた。理解が及ばなかった。時崎狂三ともあろうものが、その聡明な頭脳を余すことなく使ってもこの方の言葉を理解できなかった。だと言うのに、狂三の心はそれを受け止めようと理解してしまった(・・・・・・・・)

 

 ――――――これは、愛の告白であると。

 

 

「……、…………! ――――!?」

 

 

 頭と心が乖離した結果、暴発した。真っ赤なトマトのように真紅に顔を染め上げ、全身を駆け巡る激情を抑えようとした狂三の頭脳がショートを起こす。抑えられない、抑えられるはずも無い。この方は、この方は何を言っている? こんな状況で一体何を言っているのだ――――!?

 

「狂三が好きだ。狂三が俺の名前を呼んでくれる時が好きだ。笑った顔が好きだ。猫が好きな事を隠す可愛いところが好きだ。他にも言いきれないくらい――――――全部、好きだ」

 

「な、な、な、な……!」

 

「デートだって、あんな短いのじゃ満足出来ない。俺は死ぬまで何度も、何度だって狂三とデートしたい」

 

「な――――何をおっしゃっていますの――!?」

 

 恥も外聞もなく叫ぶ。時崎狂三という優雅で相手を虜にし、常に余裕の立ち振る舞いを行う姿をかなぐり捨て……いや、捨てさせられている。

 目がぐるぐると泳ぐ。身体が、頭が熱い。考えが纏まらない。この方の力強い視線に()()()()()()()()

 

「何って……狂三が好きだってことだけど……」

 

「ば、ば、バカですの!? 頭でも打ちまして!?」

 

「打ってねぇよ。まあ正常かどうかは保証できねぇけどな、狂三のせいで。あー、そうだな。頭がおかしくなるくらい、俺は狂三の事が好きなんだ」

 

「っ――――――!!」

 

 責任転嫁までし始めた。なんなのだ、本当になんなのだ。一体この方は何がしたいのだ。分からない、分からない、分からない。くだらない、くだらない、くだらない――――――なのに、この胸に湧き上がる高鳴りと、歓喜(・・)はなに?

 

「俺はお前を救いたい。でもそれは、朝言ったような綺麗事が一番の理由じゃない。狂三が好きだから――――――俺はお前を救う」

 

「っ……ぁ、ぁ……」

 

 なんて身勝手な理由。なんてエゴにまみれた理由。けどそれが五河士道を動かす理由。少年が、少女を救いたいと思う理由に――――――それ以上の物は必要ないだろう?

 

「お前はさっき言ったよな。止まれない、戻れない……許されるわけがない、って」

 

 言ったとも。時崎狂三は許されない。重すぎる大罪を、拭い切れぬ罪過を、彼女は背負って受け入れた。何があろうと、何が起ころうと時崎狂三は全てを〝なかったこと〟にすると。そのためには、この方の言う救いなど不要なのだ。それ、なのに。

 

 

「んな事ねぇよ。確かにお前は、一生かけて償わなきゃならねぇ罪を犯した。けどさ、それを分かっているならやり直せる(・・・・・)。それを狂三が背負い切れないなら――――――俺が一緒に背負う」

 

「な、に……ぃ……」

 

「狂三の罪を、一緒に背負わせて欲しい。好きな女の子一人の罪くらい――――――俺が人生かけて背負ってやる」

 

 

 ありえない。必然性がない。この方に何もメリットがない。だってこの方は、こんな事をする必要はないのに。こんな訳の分からない女に関わることなく、この方は幸せな人生を送れるはずなのだ。輝かしい未来が、この方を待っているはずなのだ。そう、自分が歩みを止めず全てを〝なかったこと〟にしてしまえば、こんな理不尽な選択をさせずに済む。

 

「ぅ、ぁ、ぁぁ……ぁぁぁ――――」

 

 だから言え。言うんだ。最初と同じだ。この方を拒絶しろ、それだけで終わる。たったそれだけの事だ。希望を信じ、耐え忍んでいた苦痛に比べれば一瞬で終わる。だから、だから、だから――――――

 

「あ……あああああああああ――――ッ!!」

 

 ――――だから、この想いは抑えきれない。言葉にならない叫喚は、隠しきれない歓喜だった。

 ……何が間違いだったのだろう。この方と出会ったあの瞬間? この方と約束を交わしたあの瞬間? この方との逢瀬(デート)を楽しんでしまったあの瞬間?

 

 きっと、全部(・・)

 

「…………ぁ、ああ、嗚呼。どこまで、どこまであなたは……」

 

「……言ったろ。頭がおかしくなるくらい、俺はお前の事が好きなんだよ」

 

 手が差し出される。その手のひらは、優しすぎるこの方の手は、触れたものを甘く、優しく包み込んでくれる。

 

 

「――――――――――」

 

 

 何も言わなくても分かる。この手を取れば狂三は救われる(・・・・)。限りある生の中で己が罪を償う代償に、時崎狂三はかけがえのないものを手にする事が出来る。

 幸せな生活を。温かな想いを。夢にまで見た(・・・・・・)この方との――――――嗚呼、嗚呼、今さら、今さら気がついた。なぜ自分が、鳶一折紙に不可解な感情を抱いたのか。その名を、たった今思い知らされた。

 

 嫉妬。それがあの感情の正体だった。人の身で、やろうと思えばなんの憂いもなくこの方と学生生活を送ることが出来る折紙を、狂三は一瞬――――羨ましい、と嫉妬してしまった。無様で、醜くて、哀れな嫉妬だ。単なる八つ当たりな感情の発露が、あの結果だった。

 

 そして、その夢が、今目の前にある。この方の手を取れば全てが終わる。時崎狂三が積み上げてきたもの、彼女を彼女たらしめているものが全て消える。残るのは、平穏と、憧れを抱いていたあの頃(・・・)の少女。

 

 この両の手に握られた銃を捨て去れば、時崎狂三は救われる。僅かに、少女に戻らんとする手が力を緩める――――――もう、いいのではないか?

 

 それは一人の少女の想い。少女の残滓。少女の軌跡。必死に走り抜けて来た少女の、仮面が剥がれ落ちた心の叫び。もういいよ、終わりのない旅を終わらせよう? そう囁く。

 

 そうして、少女はその華奢な手を――――――

 

 

 

 ――――――オマエダケガスクワレル。

 

 

 

「……だ、め」

 

 

 

 強く、握りしめた。

 

 一歩、一歩と後ずさる。表情を曇らせたあの方が、自分の名を呼ぶ。やめて、こんな女の名前を呼ぶために、その声はあるのではない。

 

「だめ……だめですわ。出来ません、出来ませんわ士道さん! わたくしがあなたの手を取ることは出来ないのですわ!」

 

「っ、なんでだ! そうすればお前は――――」

 

「えぇ、えぇ! ()()()()()救われますわ!! でもわたくしは救われても――――――()()()は救われない!!」

 

 頭が、胸が軋む。正反対の想いと決意が、限界を超えて彼女の心を粉々に打ち砕こうとする。もはや彼女を動かしているのは、その取り憑かれた執念だった。

 

 出来ない。その優しい手を取ることは時崎狂三という精霊には出来ない。踏み躙ってきた命に報いる為にも、あの人(・・・)を取り戻す為にも、絶対に狂三はこの旅路を止めることは出来ない。

 

 

「っ――――んな泣きそうな顔でそんなこと言って、俺がほっとけると思ってんのかよっ!!」

 

「それでも! わたくしに――――立ち止まることは、許されないのですわ!!」

 

 

 自分一人が救われる? そんな結末を受け入れる事は出来ない。自分に――――()()()()()()()()()()()

 

 奮い立たせる。今にも砕けそうな身体に鞭を打ち、狂三は高々に腕を掲げる。空気が唸る(・・・・・)。そして、最悪の音が、街全域に鳴り渡った。その音を聞き、士道は顔色を変える。

 

「っ、空間震警報っ!? ――――狂三、お前まさか!!」

 

「……甘さを、捨て去りますわ」

 

「……ッ!!」

 

 悲しい、悲哀に満ちた顔だった。そんな顔をさせたくて、士道はここに立っているのでは無いのに。それは士道が()()()()()()()()()()()顔だった。()()()()()()()()()。そんな微笑みだった。

 

「わたくしの甘さが、わたくし自身の足を縛り付けているのなら、もう、そんなわたくしは不要(・・)でございますわ」

 

 殺す必要がなかった……そんなもの、ただの言い訳だ。〝悲願〟のために、形振り構うべきではなかった。出来るだけ、目立つことは避けたかった。あの子がいたから、殺すまで時間を奪う必要がなかった――――甘い、甘すぎたのだ、この時崎狂三は。

 もっと強い自分になるために、弱い自分を捨て去る。そうすれば――――――こんな辛い想いを〝なかったこと〟に出来るから。

 

「これでわたくしは弱い自分を切り捨てる(・・・・・)。そうすれば――――――」

 

「ふざけんなッ!!!!」

 

 駆け出した。自分の持てる全力で、()()()()()()()()()悲しい少女を止めるために、士道は駆けた。

 

 

「そんなもん、ただの出来の悪い自傷行為(・・・・)だろうがっ!! くだらない自己満足のために――――人を、自分を殺すな!!」

 

 

 そうだ。この方の言う通り、こんなものただの遠回しな自殺(・・・・・・)だ。誰も救われない、狂三の自己満足のために行われる理不尽な虐殺。

 それを行おうとしているバカな女を、この方はまだ救おうとしている。

 

 

「本当に――――――お優しい人」

 

 

 ――――――あなたで、良かった。

 

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」

 

 

 空間が震える。屋上の端にいる狂三は、あまりにも遠かった。まるで、追い詰められた逃亡犯のような姿の自分に、思わず内心笑ってしまう。

 空から凄まじい音が響く。地震のように空気が震える。間に合わない。そして、その悲劇は次の瞬間――――――

 

 

「――――――とんだ駄々っ子がいたものね」

 

 

 舞い降りた天女(・・)の一声で、遮られた。

 

 

「……あなた、は……」

 

「――――琴里(・・)?」

 

 

 士道はその光景に目を疑った。赤い、赤い空があった。否、それは天をも焼き焦がす〝炎〟だった。

 その炎の中に、天女が如き少女がいた。女神の如き美しさだった。その少女は――――五河士道の()であった。

 

「少しの間、()()()()()()()()、士道」

 

 灼熱の炎が空気を焦がす。その手に集った炎が、少女の号令を待ち焦がれている。女神の絶唱が、全てを焼き尽くす――――!

 

 

「焦がせ――――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉!!」

 

 

 歓喜の祝福のように炎が舞い上がり、巨大な戦斧が型を成す。それを軽々と振り回し、狂三へ突きつけた少女は……五河琴里は声を発した。

 

「私のおにーちゃんの()()()()()()()()を蹴ったんだから、覚悟は出来てるわよね、狂三?」

 

「ッ……!」

 

「さあ――――――私たちの戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 




(ある意味で)ラスボス系妹、降臨。

少年が少女の為に命張る理由なんてこれ一つで十分だろ。ってのは私の執筆においての根幹ですね。ある意味、この狂三リビルドって作品を象徴するテーマでもある(と思う) この回は初期の初期プロットから存在していた回なので、ここまで書けたというのは感慨深いです。技量とか表現の乏しさによる出来はともかく(小声)

ちなみに、狂三が士道の告白と救いを受け入れたらどうなってたかと言うと、普通にハッピーエンドです。色んな謎は明かされないけど、ちゃんとハッピーエンドで狂三リビルド~完~……ってなります。頭の中ではその後日談も出来てたりするのですが、まあ特に披露する機会はなさそう。
仮にオリキャラいなかったら、色々捻りながらこのオチだった……のかも?狂三攻略難易度がこれより跳ね上がる気がするけど。

結構ノリノリで厨二心全開にして書いたのが今回の狂三の刻々帝召喚からの戦闘シーン。溜めに溜めた分もうなんか痛い。凄い厨二。ヤバい。でもノリノリ。

週一更新とか言いながら週四更新ぶちかました訳ですが、次は流石に来週になると思われます。またお空で古○場とか言うのが始まりますし、この速度はこの辺の回は頭の中で何度も形にしてた回だったの言うのが大きいですね…。
とはいえ、前回の後書きで察した方もいらっしゃるかもしれませんが、私は一つストックを作ってから投稿するタイプなので実は次話は既に完成してたりします。なので最低週一更新は守るつもりですのでご心配なく。

次でいよいよ長かったこの狂三フェイカー編も完結です。嘘を暴かれ、使命と自身の想いが交錯しメンタルボロボロの狂三は果たしてどうなってしまうのか。士道くんは彼女を救う事が出来るのか。そしてラスボス系妹は手加減してくれるのか。

次回『VS〈灼爛殲鬼〉』お楽しみに。感想、評価などなどお待ちしておりますー


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第十九話『VS〈灼爛殲鬼〉』

更新が日曜なら実質来週みたいなもんだと思うの(支離滅裂な思考・発言)

狂三フェイカー編最終話。彼らの辿る結末をどうぞ


 

 

 鳶一折紙の視界に飛び込んできたのは、全てを焼き尽くさんばかりの〝赤〟だった。

 

「っ…………!?」

 

 急速に取り戻されたその色彩に、折紙は目を奪われる。美しいとか、そんな感傷的なものは存在しない。憎悪(・・)がその身を満たしていく。

 

 

「み、つ……け……た……ッ!」

 

 

 手を伸ばす。そこにいる、探して、探して、探し続けた。鳶一折紙が生きる意味、生きる理由、生きる全て。命を賭して殺すと決めた復讐(・・)の標的。そのためだけに生きてきた。そのためだけに生きると決めた。笑顔をあの人(・・・)に預け、鳶一折紙はこの怨念を糧に存在している。

 

 殺す。殺す殺す殺す殺す殺す――――! 呪いと怨嗟に満ちた激情。それだけを胸に秘め――――――

 

「…………ぅ、ぁ」

 

 ――――――誰かに(・・・)抱えられる感覚を感じながら、彼女の視界は再び闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

「琴里……なの、か……?」

 

 普段の士道ではあれば、何をバカなことを言っていると自分を笑うだろう。目の前に立っているのは琴里、五河士道の妹の五河琴里だ。かけがえのない愛する妹の顔を、士道が間違える筈がない。

 ではなぜ、士道は疑問を抱いたのか。それは炎を纏いし白い和装。天女の羽衣を思わせる炎熱の帯。二本の無機質な角。そして、形を成した赤黒の戦斧。それら全てが語っていた――――彼女は精霊であると(・・・・・・)

 

 士道の呆然とした問いかけに、琴里は愛おしげに表情を和らげ微笑んだ。しかし、すぐに表情を引き締め前を向く。

 

「当たり前でしょ。こんな可愛いあなたの妹は、世界中どこ探しても私しかいないわよ」

 

「お前、なんで……それにその格好……」

 

「ここまで良くやったわ。あのわからず屋の相手は私がするから、士道は下がってなさい。今のあなたは――――簡単に死んじゃうんだから」

 

「は……? ――ぅ熱っつ……!」

 

 士道が琴里の言葉を理解するより先に、琴里が一歩前に出ると凄まじい炎が巻き上がり、士道は見えない壁を作られたように強制的に下がらされる。ここから先は精霊の領分(・・・・・)だと、そう言うかのような壁に息を呑む。

 

「さて、始めましょうか。あなたが今すぐ大人しくしてくれるなら、私としても楽なのだけれど」

 

「……まさか。わたくしはもう後には引けないのです。それにしても、あなたが精霊だったなんて驚きましたわ、五河琴里(・・・・)さん」

 

 ぴくり、と睨み合っていた琴里が狂三の言葉に眉を動かす。ふぅん、と彼女は斧を担いで興味深いという表情で声を発する。

 

「やっぱり、私の事も知ってたのね」

 

「わたくしが、という訳ではありませんわ。あの子(・・・)が知っていたから、わたくしも知っているだけですもの」

 

「……へぇ、そういうことね。だったら尚さら話は早いわ。銃を下ろしなさい、狂三。今なら()()()()()()()

 

「――――これ以上の問答は、無粋ではありませんこと?」

 

 コン。と狂三がつま先で地面を叩き、〝影〟を生み出す。広がる影から再び無数の『狂三』が辺り一面に現れ始めた。全てが時崎狂三。しかし琴里ですら本物(・・)が誰なのか、見失うはずも無かった。

 琴里は思わず顔を顰める。それほどまでに、狂三の微笑みがあまりに痛々しく(・・・・)見ていられなかった。

 

「わたくしは士道さんの手を取らなかった。それだけの話。二度目を論じるなど、それこそ無粋がすぎますわ」

 

 もはや、超然とした時崎狂三の姿は欠片もなかった。そこにいたのは、仮面を剥ぎ取られ、想いを暴かれ、それでも尚ボロボロの身体で歩みを止めない精霊。ただ、その身に宿した憎悪と憤怒を糧に、その激情に心を殺されている哀れな精霊の姿が、そこにはあった。

 

 

「わたくしはあなたを()()()()。そして士道さんを〝喰らい〟尽くして――――――悲願を、わたくしを()()()()()()()

 

「だったら――――――そんな顔してんじゃないわよッ!!!!」

 

 

 炎が駆ける。天女が舞う。振り上げられた斧は、必滅を宿す業火の刃。

 

「――――《灼爛殲鬼(カマエル)》!!」

 

「『わたくし』たち!!」

 

 空に向かって放たれた数え切れない程の黒。数多の『狂三』が弾丸のような速度で琴里へ迫る。避けられる筈がない。それは圧倒的な物量であり数である。たかが戦斧の一本が、この暴虐と化した彼女たちを振り払えよう筈もない。

 

 

『ぎ――ぁ』

 

 

 ――――――『狂三』が、焼失した。ただの一刀。その煌めきをもって、百にも及ぶ『狂三』は塵一つ残さず灰燼に帰す。断末魔さえ呑み込むその業火は炎の精霊に相応しい輝き。

 

「【一の弾(アレフ)】!!」

 

 刹那。狂三の姿が消え失せる。次の瞬間、戦斧を振り切った琴里の目の前に狂三が躍り出た。

 【一の弾】は撃った対象の時間を早める(・・・・・・)弾。それを使い、狂三は攻撃を終えた琴里へ向けて鈍器のように銃を振り下ろした。

 

 しかし、隙だらけだった筈の彼女は高速で繰り出される狂三の攻撃を容易く受け止めた(・・・・・)。狂三の攻撃は終わらない。二度、三度、と数えるのが馬鹿らしくなるほど次々と攻撃を打ち込んで行く。それら全てを、琴里はその目で捉え焔の刃で防ぎ切る。

 もつれ合い、フィールドを空中から地上に移しても狂三の猛攻は止まらない。だが、傷ついているのは琴里ではなく狂三だった。苛烈に攻めれば攻めるほど、彼女の白い肌が炎によって焼かれていく。

 

「っ――はぁっ!」

 

「甘いッ!」

 

 不意をつくように放たれた高速の蹴りですら琴里は片手で受け止め、巨大な戦斧をもう片方の腕で軽々と振り抜く。霊装を焼かれながらも、即座に焔の刃から逃れ後方へ回転飛びしながら狂三の歩兵銃に新たな〝影〟が装填される。

 

 

「――【七の弾(ザイン)】!!」

 

 

 それを即座に解き放つ。漆黒の銃弾は躱せるような距離でも、速度でもない。しかし琴里は、その弾丸をも戦斧を振り抜き叩き落として見せた。

 

「琴里!!」

 

 ダメだ、その弾丸は防ぐのではなく避けなければ(・・・・・・)ならない。それは、崇宮真那に撃ち込まれた必殺の弾丸と同じもの。物体の〝時〟を静止させる禁じ手。士道の叫びも虚しく、琴里の〝時〟が止まる。霊装も、刃も、炎でさえもぴくりとも動かなくなる。

 

 間髪を容れず、控えていた分身体が銃弾を撃ち込んだ。無情にも刻まれていく銃痕。そして狂三が目の前に立ち、琴里の眉間へ銃口を押し当て――――――

 

 

「よせ、狂三ッ!!」

 

「ッ……」

 

 

 ――――――偶然(・・)にも大きく銃口はブレ、急所を避けた箇所へと最後の弾丸が撃ち込まれた。

 

「あ……あぁ……」

 

 しかし、それでも致命傷。数え切れない銃弾が琴里の柔肌を貫き、血飛沫を上げ彼女の身体は仰向けに倒れ自らの血の海に沈んだ。士道が膝を突く。目の前で変わり果てた妹を見て……彼女の凶行を止められなかった自らの弱さに手をつく。

 

「……これで、終いですわ」

 

 これでいい。これでいいのだ。言い聞かせるように、手の震えを抑え込むように、狂三は虫の息となった精霊を見下ろす。殺してしまっては意味が無い。いいや、これからその霊力を根こそぎ奪い取り殺すのだ。それで終わり。後はあの方を〝喰らい〟さえすれば全てが――――

 

 

「――――随分、優しいじゃない……狂三」

 

『な……っ!?』

 

 

 驚愕の声はまったく同時に響いた。それは当然の話だ。今し方、倒れた筈の少女から声が聞こえたのだから。

 亡霊などでは無い。琴里の身体から焔が噴き出し、全身に広がって行く。狂三はこの光景を映像越しで見た事があった。士道はこの光景を()()()()()()()()()()

 

「……派手にはやってくれたけど、わざわざ急所を外すなんて生温いことしたわね。まあ、頭を撃ち抜かれても同じことだけど」

 

「その力……回復能力……まさか――――」

 

 立ち上がり、不敵に笑う琴里から距離を取り、狂三に残された冷静な分析能力が彼女の正体(・・)を導き出す。

 この回復能力はあの方のものだ。炎が燃え上がり傷を塞ぐ、驚異的な回復能力。見間違いようがないほど、まったく同じ力。それを精霊(・・)である彼女が持っている。となれば、導き出される解答は一つ。

 狂三は五河琴里が精霊としての力を〝隠していた〟と誤認していた。いざと言う時のために、何かしらの方法で隠していたのだと。それこそ、自分があの子(・・・)の力を借り受けた時のように。しかし違う、彼女はこの力を隠していたのではなく封印(・・)されていたのだ。

 

「そう、そういう事でしたの。琴里さん、あなたが士道さんの最初の一人(・・・・・)でしたのね」

 

「……ま、そういう事になるわね。で、まだ続けるのかしら? あなたの力も相当なものだけど、()()()()()()()()()()()?」

 

「…………」

 

 その通り。琴里に言われるまでもなく、狂三の奇跡にも〝代償〟はある。彼女の力が強大であればあるほど、それを行使するには莫大な霊力を伴う。単純な戦力を分析するならば、狂三と琴里は限りなく相性が悪い(・・・・・)。そのバカげた攻撃力と再生能力を持つ〈灼爛殲鬼(カマエル)〉は、その強大さ故に燃費が悪い(・・・・・)刻々帝(ザフキエル)〉と致命的なまでに相容れない存在だった。

 

 時間があるならば、たとえ不利であろうと狂三は対抗して見せよう。しかし今はその時間も、その冷静さ(・・・)も彼女に残されてはいない。

 撤退。この二文字が頭をよぎる。仕切り直せば、幾らでもやりようはある。あの子もまだ控えている。

 

 

「――――ふふっ」

 

 

 その微笑みの意図が分からず、琴里は訝しげな表情を作り、話が読めない士道も困惑の表情をしていた。けど、二人のうち狂三の網膜に映ったのは一人だけ(・・・・)だった。

 きっと、この場で全てを終わらせなければ狂三の心は耐えられない。そんな確信が、彼女にはあった。溢れ出した想いは、自覚した甘さは、論理と精神を乖離させ彼女を雁字搦めにする。

 だからこれは意地(・・)だ。合理的思考などかなぐり捨てた、少女に残されたプライド(・・・・)。勝てないと認め、尻尾を巻いて逃げ遂せるなど時崎狂三の名折れ。

 

 ――――――あの方の前で、これ以上無様な姿は見せられない(・・・・・・)

 

 

「――――『わたくし』たちっ!!」

 

「っ、ああもう、このわからず屋っ!!」

 

 

 再び影から舞い踊るは無数の黒。疾走する彼女たちは、人間大の弾丸となりて炎の精霊へと突撃する。

 

「何度やっても――――同じよっ!!」

 

 だが、それは琴里には通用しない。焔の一薙ぎで百に等しい分身体が炎に包まれた――――――その瞬間、琴里は背筋を凍らせた。

 

 

「――――ぁ、あああああッ!!」

 

「んな……っ!?」

 

 

それ(・・)に反応出来たのは奇跡と言えた。偶然、直感だけでなりふり構わず琴里は戦斧を強引に後方へ(・・・)振り抜いた。

 甲高い音を上げ、ぶつかり合い凄まじい衝撃が広がる。圧されたのは琴里だ。それ以上圧されぬよう力を入れ、踏みしめた地面が砕け散る。が、琴里がそれを気にしている余裕はない。それは圧されているからではなく――――霊装が()()()()()()狂三の姿に驚きを覚えたからだ。分身体を塵も残さず焼き尽くした炎の中を、この馬鹿は自ら()()()()()()()のだ。

 

「ばっ――――あんた正気っ!? こんな事したら死ぬわよっ!?」

 

「それであなたを殺せるのでしたら!! えぇ、えぇ、わたくしはこの程度の傷など喜んで受け入れましょう!!」

 

「こ、の――――――」

 

 鍔迫り合い、狂三をこれ以上傷つけさせないよう炎を抑え込む。想像以上に狂三は錯乱(・・)していた。もはや目的と手段がごちゃごちゃ(・・・・・・)になってしまっている。

 琴里の目的は彼女を殺す事ではない。精霊を保護(・・)する事だ。士道(おにーちゃん)の言葉を素直に受け入れないこの駄々っ子(・・・・)を、力づくでも止める事が琴里の役割――――――

 

 

「――――――なら、()()()()()()()()

 

 

 故に、今この場にいるのは五河琴里ではない。ただの、殺戮者(バーサーカー)だ。

 

「っ!? ――――きゃっ」

 

 均衡は容易く崩れ去り、拮抗していた筈の狂三が不意に吹き飛ばされる。受け身が取れずに地面を転がる狂三が、ようやく衝撃を殺し切り立ち上がろうと顔を起こした時、

 

 

「〈灼爛殲鬼(カマエル)〉――――【(メギド)】」

 

 

アレ(・・)が引き起こす未来に、彼女の表情が凍り付いた。アレ(・・)は天使が持つ究極の一。刃を失い、琴里の右手を包み込むように着装された〈灼爛殲鬼(カマエル)〉はその型を戦斧から大砲へと変化させていた。

 焔が、砲の先端へ集束して行く。時間がない。すぐさま狂三は立ち上がり――――――

 

 

「――――狂三ッ!!」

 

 

 その声を、聞いてしまった。あの方の姿を見つけて、大きく目を見開く。狂三が吹き飛ばされたその先は、士道がいる場所からほとんど距離がない位置だ。それこそ、あの方が()()()()()()()したら、簡単に身を晒す事が出来てしまえるほどに。

 

『少しの間、返してもらうわよ(・・・・・・・・)、士道』

 

 脳裏に宿ったのは、呆気に取られていた瞬間でも確かに記憶していた琴里の言葉。()()()()()()、そう五河琴里は言った。残された狂三の頭脳が、間髪を容れずに答えを導き出す。つまり、今の士道は()()()()()の何ら変わらないという事実を。

 

 

「『わたくし』たち――――!!」

 

 

 指示を出す。答えは決まっている。己が生きてさえいれば、幾らでもやり直せる(・・・・・)。合理的な判断だけをすれば良い。だから狂三は――――――

 

 

「――――士道さんを(・・・・・)、お守りなさいッ!!!!」

 

 

 心の叫びに、従った。まったく持って不合理。まったく持って不可解な選択。理性なんてとっくに働いていない。論理もない。でも仕方ない。理屈ではどうしようもないのだ。時崎狂三の心が、それを叫んでしまったのだから。この方を、()()()()()()()()()()()()

 

「な、っ――――狂三いいいいぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」

 

 『狂三』が壁を作り出す。士道を守るため彼の身体をその場に押さえつけ、彼女たちは少女の切なる願いを理解出来ずとも、それを忠実に実行していた。

 それでも士道は手を伸ばしていた。その手を振り払った少女の名を叫び、必死に手を伸ばしていた。それだけで少女は、幸せだと微笑んだ(・・・・)

 

 

「――――灰燼と化せ、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

 

 

 焔が、爆ぜた。

 

 

 

 

「ぃ、っ……けほ……っ、けほっ……」

 

 身体を何度か打ち付けた痛みと、炎の残り香を吸い込んだ事で何度か咳き込む。彼がこの程度で済んだのは、ひとえに狂三が解き放った分身体のお陰だ。彼女の分身体は、士道の身を未だに守る一人を除き(・・・・・)全て炎の余波(・・)で吹き飛んでいた。衝撃によるもの、灼熱の余波で焼き焦がされたもの、違いはあれどもう動く事はない。そして、唯一生き残った分身体も満身創痍だった。では、この灼熱の一撃の中心点(・・・)にいた者は?

 

「……くる、み…………」

 

 地獄があった。地獄のような光景であった。放たれた熱の奔流は、人間一人を軽々と呑み込む熱線だった。焔が過ぎ去った地面だけではなく、辺り一体がその業火に溶け地獄の様相を生み出していた。焼け爛れた地面に、少女は横たわっていた。

 士道は絶句した。倒れ伏せた少女の身体に、無事な部分などない。全身が焼け爛れ、美しかったドレスの殆どが燃え尽きていた。頭部を覆っていたヘッドドレスも無くなり、長く麗しい黒髪が無造作に投げ出されている。それでも尚、時崎狂三は――――――

 

 

「……っ……!」

 

 

 立ち上がろうと、していたのだ。彼女の天使〈刻々帝(ザフキエル)〉はその大半を削り取られ、機能しているのかさえ怪しい。それでも、狂三は決して()()()()()()()()()()()()

 

「――――いいわ、良いわよ狂三。立ち上がりなさい。銃口を向けなさい。まだ戦争は続いているわ。まだ殺し合いは続いているわ。まだ闘争は終わっていないわ。さあ、望み通り()()()()()()

 

「な……おい琴里! 琴里ぃ!!」

 

 殺人鬼は笑う。役割を終えた筈の砲門を向け、銃口を構える力さえ残っていない少女を見て恍惚な顔で笑っていた(・・・・・)

 愛する兄の声さえ聞こえていないのか、琴里は再び焔を灯し熱を帯びた。

 

「く、そ……っ! 離せ! 離してくれ!! 俺は行かなきゃならないんだ!!」

 

 妹の元へ、愛する少女の元へ、士道は今すぐ駆けつけなければならない。愛する妹が、愛しい少女を殺す。そんな最悪のバッドエンドを止められる可能性があるのは、この場において士道だけだった。

 

「だ、め……ですわ。『わたくし』から、仰せつかった、事です、もの……行かせる……わけには、いきません……の」

 

「っ、ふざ……けんなっ!!」

 

 満身創痍でも、精霊の分身たる『狂三』が人間の士道を抑える事はこんなにも容易い。

 

 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな! 何が自分を〝喰らう〟だ。何が自分を殺すだ。そんな事を言った精霊が、己を犠牲に士道を守ったなんて、あまりにもバカげてる。

 死なせない、死なせない、死なせない! 絶対に死なせてなるものか。あんな笑顔を見るために、少女をあんな悲しい笑顔にするために、士道は狂三と救いたいと思ったのではない。

 動け、動け、動け! 今だけでいい。少女を〝守る〟だけの力が欲しい。一瞬でいい、狂三の分身体を振り解けるだけの力を――――!!

 

 

「ぁ……!?」

 

「くっ――――おおおおおおおおおっ!!」

 

 

 僅かな一瞬、彼女の拘束が緩んだ。その僅かな間を見逃すこと無く、士道は何も考えずに駆けた。だから気づかなかった。ほんの少し、満身創痍の分身体の手を緩める、ただそれだけの力しかない〝冷気〟が士道から発せられた事を。もはや士道を追う力すら残されていない分身体しか、その事実を知るものはいなかった。

 

「やめろ琴里! これ以上は狂三が死んじまうっ!! 精霊を保護するのが、精霊を殺さずに解決するのが〈ラタトスク〉なんだろ!? こと――――――」

 

 肩を掴んでもなんの反応も示さない琴里に業を煮やし、士道は怒声を放ちながら琴里の顔を確認し――――息を詰まらせた。

 違う。そこにいたのは彼の妹でも、〈ラタトスク〉の司令官でもなかった。怪しく光る紅玉(ルビー)の双眸は、何も映してはいなかった。士道さえ、ともすれば狂三さえ映していない。それが映すのは自身の殺人衝動(・・・・)だけなのだから。

 

「うわ……っ!?」

 

 集った焔が爆ぜるように士道を吹き飛ばし、焼け爛れたフェンスが辛うじて彼を受け止めた。詰まる息に飛びそうになる意識を繋ぎ止めた士道は、琴里が構える砲門が既に臨界とも言える輝きを放っている事に目を見開いた。

 くそっ、と拳を叩きつける暇もない。止められない。かつて十香が究極の一を解き放った時と同じだ。アレでは琴里が()()()()()()()止めようがない。だから士道は駆け出した――――()()()()()

 

 

「狂三っ!!」

 

「……し、ど――ぅ、さん……?」

 

 

 声を発する事すら困難な筈だ。それでも、狂三は言葉を途切れさせながらも、士道の名を呼んだ。こんな自ら()()()()()()()状況でも、士道はそれが堪らなく嬉しかった。

 

()()()()()。強く、強く狂三を抱きしめた。士道がした事はそれだけだ。少女を連れて逃げる力はない。立ち塞がるだけでは、あの紅蓮の業火から少女を守れない。ならばせめて、少女が一番生き残る可能性が高いであろう方法が、士道が咄嗟に思い浮かんだ方法が、この方法だった。たとえ()()()()()()()()()()()()()、少女だけは生きていて欲しい――――少女に恋した少年の、そんな切なる願いの形が、この愛情表現とも言えるものだったのだ。

 

 

「ぃ……ゃ――――」

 

 

 ――――それは偶然か、必然か、抱き止められる少女も同じだった。

 大きな胸板が少女を包み込んでいた。ぎゅっと、ぎゅっと少女をその優しい手で抱きしめていた。強く、強く、彼の身体を掴む。もはや感覚など残っていない筈なのに、温かい何かが流れ込んでくるようだった。

()()()()()()()()()()。死の淵に立たされた少女が思ったのは、それだけだった。己の命も、使命も、頭にはなかった。ただ少女は、この温もりを失いたくなかった。

 

 ああ、嗚呼。理解しよう、受け入れよう。もう、時崎狂三は――――五河士道の意思を無視して、その命を奪う事は出来ないと。

 

 今際にそれを知るだなんて本当に――――なんて、愚かな女。

 

 どうか、どうか、士道さんだけは。祈りだった。神へ抗う事を選んだ筈の少女が、ただ祈りを捧げた――――――焔が、放たれた。

 

 

「――――っ、おにーちゃん(・・・・・・)、避けてっ!!!!」

 

 

 声が響く。それは殺人鬼の物ではなく、五河琴里の声だった。人を殺すことなど出来ない、鬼にはなれない、優しい優しい妹の声だった。

 

 咆哮が放たれる。万象尽くを灰燼に帰す、紅蓮の業火が二人へ迫る。世界の終わりのようだった。迫り来る終末の炎だった。それでも、お互いを想いやりながらも、歪で、愛おしい、狂った、少年と少女は、この瞬間――――互いしか、存在していなかった。

 

 焔が、爆ぜる――――――その、刹那。

 

 

 

「――――ごめんなさい。狂三の言いつけ、破ります」

 

 

 

 ――――爆ぜる焔を凌駕する神速が、駆けた。

 

 そして、膨れ上がる焔を、広がる炎を感じた少年は、しかして、愛おしい少女を決して離さず抱き止めたまま、その意識は途絶えた。

 

 

 







Q.琴里なんか原作より火力高くない? A.戦闘するには致命的なデメリットあるんだしこれくらい盛って良くない?

Q.なんで狂三の髪は無事だったん? A.ヘッドドレスパイセン舐めんな。髪は女の命だ。真面目な解説すると霊装パワーです。

はい、いかがでしたでしょうか。というわけで狂三フェイカー編完結になります。打ち切りみたいな展開ですけどちゃんと続きます

…………いやね、言い訳をさせてもらうとね、想定してたプロットはこんな心中ENDみたいなオチじゃなかったんですよ。なんだかんだ士道に絆された狂三が、原作通り自分を庇う士道に思わず逃げて!と琴里と同じことを言う……くらいの展開だったんですよ。気づいたら狂三のメンタル想像以上にやられてるわ士道くんの愛が重いわ。気づいたらこうなってました。ヒロインをこんな心身共に追い詰めるつもりはなかった。でも反省はしていない。

Q&Aコーナーで髪に関して話しましたけど髪を下ろした狂三はめちゃくちゃ希少価値あって美しいんでその辺私の趣味です。琴里に関しては……実は狂三の次に好きなヒロインが十香、琴里、折紙で並んでいるのでこの三人は初期プロットから根幹に関わっているという裏設定。初期の初期だと琴里はめちゃくちゃ出番多かったです。てかメインに近かった。その名残がこれからかなりありと思います(多分)

メンタルボロボロで判断力低下してる上に相性最悪の灼爛殲鬼相手にするとかいう無理ゲー。この時点でまともに相手するなら、狂三が霊力を消費しきる前に琴里の霊力を削りきる必要があるので今回の狂三も灼爛殲鬼暴走前辺りは霊力ケチった結果です。分身体は一蹴、弾丸は炎に遮られるうーんこの。初見という前提がないなら、対策なりなんなり立てて戦うのが時崎狂三って精霊ですけどね。

色々語りたいことが多く長くなりましたが、次回より新章『〈アンノウン〉・狂三アンサー』編突入です。前者のアンノウンが誰を指すかは、まあ簡単に気づかれてしまうでしょうがお楽しみに。オリキャラいるのにここまでサブに徹するデアラ2次もそうない気がする今日この頃。

ではまた次回。感想、ご意見などなどお待ちしておりますー。


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〈アンノウン〉・狂三アンサー
第二十話『その愛は誰がために』


新章、開幕。と言っても実際は本来セットだった前章から分離しただけなので地続きです。前回の終わり方にえーってなった方は申し訳ありません。でも自分の書けるものしか書けないのでここからも頑張っていきます


 

 

 夢を見た。

 燃える、燃える、燃える、紅蓮の焔。幼い(・・)少年を容易く焼き尽くしてしまうであろう、この地獄の業火の中を、彼はひたすら走っていた。

 少年が命を賭ける理由はただ一つだった。何もなかった(・・・・・・)自分を絶望から救ってくれた大切な妹を、今度は自分が救ってやるのだと。その為に少年は自らの命すら投げ出すことを厭わない。己の命すら顧みず大切な人を救う幼い少年は、今と何も変わらない優しすぎる人だった。

 小難しい理由も、深い理由も、この少年には不要なものなのだ。

 

 大切な人が、泣いていた。少年の身体が動くのに、それ以外の理由は必要なかった。

 

 

『おにーぢゃん! 来ぢゃだめぇぇぇぇぇっ!!』

 

 

 焔の奔流が、彼の幼い身を吹き飛ばした。

 

 落ちる。全身に力が入らない。自らの命が消え行くのが分かる。それでも、少年がこの時に思ったのは、泣いている愛おしい妹を悲しませたくないという心の叫びだけだった。

 

 その時、不思議な声が響いた。誰のものかも分からない、〝何か〟の声を二人は聞いた――――――そして、切り替わる。チャンネルを変えるように、映像を出力する先が変わるように、この光景は姿を変える。

 

 

 少女がいた。少女の前に、美しい〝誰か〟がいた。しかし、少年がそれを認識する事は叶わなかった。その認識の全てが、膝を突き倒れる愛おしい少女に注がれていた。

 

 

『あ……あ、ああああああああああああああああ……ッ!?』

 

 

絶望(・・)があった。この世のあらゆる絶望を濃縮したような嘆きが、少女の喉が張り裂けんばかりの叫びが、その身を裏返してしまう(・・・・・・・)ほどの悲しみが、あった。

 その後悔が、涙が、絶望が、胸が張り裂けてしまいそうなほど、鋭く少年を貫いた。心が、叫んだ。少女の元へ、そう叫んで手を伸ばそうとした。しかし、出来なかった。〝過去〟へ手を伸ばす力を、少年は具現化させることが出来なかった。

 

 

『……っ、ざ、〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【四の弾(ダレット)】……ッ!!』

 

 

 少女がその名を唱え、自らを撃ち抜く。身体が、心が巻き戻る(・・・・)。そうしなければ、きっと少女の心は取り戻せない場所まで連れて行かれたであろう。それを止めたのが少女が自らを撃ち抜いた()の力なのだと、少年は本能で理解した(・・・・)

 

 ノイズが走る。夢から覚めるように、映像が途切れ途切れに流れて行く。ダメだ、まだ消えるな。

 

 二人が会話をしていた。〝誰か〟は淡々と、少女は驚嘆を――――次第に、憤怒を。

 

 

『なぜ……あなたは、そんなことを――――ッ!!』

 

『――――――――――――』

 

 

 絶叫する少女に、〝誰か〟は言葉を返し少女へ手を向ける。〝それ〟が悪いものだと、少年は分かっているのにどうにもならなかった。意識が、現実へと回帰する。

 

 

 〝誰か〟の手が少女へ届く――――――〝白〟が、駆け抜けた。

 

 

 きっと、それが〝始まり〟だった。果てない旅路を歩み続ける少女の、〝精霊〟の悲しく残酷な旅の始まりだった。

 少年はこの記憶を覚えておく事が出来ないだろう。それでも彼は、この光景を胸の奥底へ刻み付けた。少年は――――五河士道は、何があっても彼女を救うと――――――

 

 

 

 

 

 

 ふと、目が覚めた。

 

「……ここ、は……」

 

 意識が覚醒する。目を瞬かせ、数秒かけて彼は置かれた状況を確認した。目に入ったのは機械的な天井、それに自分がベッドで横になっている感覚。つい先日も同じような……と言うより、まったく同じ環境で目を覚ましたのを覚えている。

 

「よっ…………ん?」

 

 身を軽く起こしてから、自身の行動の軽やかさに違和感を持つ。()()()()吹き飛ばされたり打ち付けられたりしたのに、妙に己の身体が平時と何も変わらないのだ。まるで、身体の状態だけが()()()()()()()()()()()()()()()

 それと、もう一つ。何故か頬に違和感があった。違和感と言っても、決して嫌なものではない。むしろ暖かく、とても心地が良いものだ。それを自覚した途端、その感覚が自分の中に吸い込まれるように消えていく事に眉をひそめたが、彼はすぐ別の事に気を取られた。

 

「十香……?」

 

 少年の呼びかけに対する返事はない。少女はベッドにもたれ掛かるように眠っていた。少女を構成する全てが端整すぎて、寝ているだけなのにまるで何かの美術品のように感じてしまう…………口の端から垂れた涎がなければ、の話だが。こういうところもまた十香らしい、と笑みをこぼす。

 

「けど、なんで十香がここに――――!!」

 

 その時、士道はようやく鮮明に己の記憶を思い出した。そうだ、自分はあの少女と――――時崎狂三と邂逅し、そこに〝精霊〟の琴里が現れ、二人が戦い、その最中様子がおかしくなった琴里の攻撃からとっさに狂三を庇い……それから、どうなった? 十香は無事だ、なら折紙と真那も無事だと信じたい。なぜ自分はこんなにも五体満足で生きている? 何より琴里と――――狂三は、どうなった?

 

 

「……ん。目覚めたかい、シン」

 

「令音さん……!」

 

 

 記憶を辿ろうにもどうしても答えに辿り着けずいた士道の前に、医務室の入口から村雨令音が入ってきて声を彼にかけた。令音なら、と士道は焦る気持ちをそのままに、思った事を次々と口に出し始める。

 

「あ、あれから、あれからどうなったんですか!? 折紙は、真那もどうなったか分かりますか!? それに琴里も……あいつ急に現れて、なんか様子もおかしくなって琴里じゃないみたいに……!」

 

「……少し落ち着きたまえ」

 

「――――狂三は、そうだ狂三は!? 俺が無事なんだからあいつも無事なんですよね!? じゃないと俺――――」

 

「シン」

 

 ピタリ、言葉が止まる。いや、止められた。僅か指の一本で、令音は優しく士道の唇に触れ、彼の言葉と焦りを包み込む。そうして彼女が視線で指し示した先を見て、士道はハッとなった。

 

『おーおー、士道くんとっても元気そうじゃないのー。心配して損しちゃったわぁよー』

 

「……無事で、良かった……です」

 

 四糸乃、それにパペットのよしのんが令音の影に隠れるようにそこにいた。蒼玉の瞳は、士道の無事を喜びながらも不安を含んでいる。冷水をぶっかけられたように、士道の頭が一気に冷えていく。

 落ち着け、冷静になれ。ここで焦ってなんになる。自分を心配する少女を不安にさせるな。そう自らに言い聞かせ心を落ち着ける。

 

「……ふむ、落ち着いたかい?」

 

「は、い。ありがとうございます……四糸乃と、よしのんも心配してくれてありがとな」

 

「! い、いえ……」

 

『いやいやー、それほどでもないよー』

 

 麦わら帽子を深く被り、恥ずかしげに顔を朱色に染める四糸乃と、大仰なよしのんの対象的なリアクションに士道は苦笑する。そうして、返事を返した士道へ首肯し令音が一つ一つ、彼の疑問に答え始める。

 

「……安心したまえ。鳶一折紙も崇宮真那も無事だ。生徒たちと違い、AST隊員に回収されて行ったが、自衛隊天宮病院に搬送されたんだろう。あそこには医療用の顕現装置(リアライザ)が配備されているからね――――とはいえ、直接狂三と戦闘を行った崇宮真那と違い、鳶一折紙は十香と同じく大した怪我ではないだろう」

 

「そう言えば……あの時三人は……」

 

 ここで一つ、士道の中で疑問が浮かんだ。狂三と琴里の戦闘は苛烈だった。それこそ、琴里の一撃で屋上の全面が焦土と化してしまうくらいには。

 だと言うのに十香たちはなぜ無事だったのだろう……あの時、自分に彼女たちを気遣う余裕がなかった事を情けなく思う。そんな彼の心境を察して、令音は彼を気遣う言葉を続けた。

 

「……あの状況だ。君が気付かないのも無理はないし、気に病むことは無い。どうやら、誰か(・・)が三人を安全な場所へ運んでいたらしい。そのお陰で、こうして十香も傷らしい傷もなく無事で済んだ」

 

「っ、それって……」

 

「……あの状況で、そんな事が出来た者は一人しかいないだろうね」

 

 言うまでもなかった。あいつ……と士道は拳を握りしめる。こんなことをしておいて何が最悪だ、何が憎むべき悪だ。やっぱり、どうしようもなく優しい少女なのだ、あの精霊は。

 

「あいつは……狂三は……っ!」

 

「……無事だよ、恐らくね。こちらから、離脱する狂三の霊力を辛うじて感知出来た。間違いなく、彼女は生きている」

 

「離脱って……あの時、狂三は……」

 

 動けるような状態ではなかった。動くどころか、立ち上がることすらままならなかった筈だ。それなのに、一体どうやってあの場を離れたというのだ。ましてや、二人揃って琴里が放った炎に呑まれた筈なのにどうやって……。

 

「……狂三の協力者(・・・)が君たちを助けた、という事だろう。以前、シンを助けたあの白い精霊がね」

 

「白い、精霊……」

 

 やはり、あの白い少女は狂三の事を知っていた。彼女を助けたのが二度目となると、知っていたどころかもっと親しい関係の可能性もある。

 精霊同士が行動を共にする、という前例があるのかどうか士道には判断出来ない。だが今、彼は白い精霊に心から感謝の念を抱いた。

 

 狂三が、生きている。それだけで、心の底からの安堵と……彼女を救えなかった悔しさが、込み上げてくる。

 

 

「俺は……狂三を……っ」

 

 

 救えなかった。優しい少女を、自分が愛した少女一人さえ、士道は救う事が出来なかった。

 握りしめた拳を、苛立ちのままベッドへ叩きつける。自分の全てを、想いをぶつけた。それでもなお、少女の心を救う事が叶わなかった。あれだけ大口を叩いて、彼女を好きだと言っても、士道は無力だった。士道は、何も――――

 

「……何も出来なかった。そう思っているのかね、シン」

 

「……!」

 

「……そんな事はない。君の言葉は、想いは確かに狂三に届いていた」

 

 そう、なのだろうか。自分の想いは、愛する少女に届いていたのだろうか。でも確かに……狂三は自分の手を取るべきか逡巡してくれていた気がする。士道の思い違いかもしれない、自惚れかもしれない。けど狂三は、常に冷静さを保っていた彼女が取り乱すほどに、自分の言葉を受け止めてくれていた。その上で、彼女には()()()()()()()()があった、のだろう。

 

「……狂三にも、きっと考える時間が必要なんだ。君の言葉を受け止めるだけの時間が、ね。彼女にそう思わせるだけの事を、君はやってのけた」

 

「俺が……?」

 

「……ああ。それに、諦めるつもりはないんだろう? なら、彼女の手を取る自分の手は大切にしたまえ」

 

「……はい」

 

 令音の言う通りだ。まだ、何も終わっちゃいない。狂三は生きている、そして自分も生きている。届かないのなら届くまで手を伸ばす、言葉を紡ぐ。絶対(・・)に救うと、彼女にも誓ったのだ。だから諦めない……何があっても、絶対に。

 

 愛する少女への想いを再び刻み込んだ士道は、もう一人、愛する家族の事が残されている事に気づく。自分の前で〝精霊〟の力を見せた妹……五河琴里についてが。

 

「令音さん……琴里は今、どこにいるんですか……?」

 

「……では案内しよう。ついて来たまえ」

 

 コクリ、と頷いて靴を履き、寝たままの十香をベッドへ寝かせてから、相変わらず見ていて心配になる歩き方をする令音へついて行く。と、その道中で自分の隣を歩く四糸乃へ言いそびれていた事を口にした。

 

「――――そうだ四糸乃。あの時はありがとな……狂三と一緒にあの三人に追いかけられてた時、助けてくれたろ」

 

「……あ、あれは……何とかしなきゃ、って思って……飛び出しただけ、です……」

 

『いやいやー、四糸乃は凄かったってー。士道くん、もっと褒めてくれてもいいんだぜぇい?』

 

「おう、すげぇよ四糸乃は。本当に助かったぜ。狂三もそう言ってた」

 

「ぁ、ぅ……!」

 

 どうやら褒め過ぎたらしい。さっきよりも顔を真っ赤にして悶えている。まあ、士道は言ったことを訂正する気は更々なかったので微笑ましくそれを見るのだが。

 士道はお世辞でもなんでもなく、本当にそう思ったのだ。引っ込み思案だった四糸乃が、自分たちの為に飛び出してきてくれた事が心から嬉しいと思った。だから、少女の為にも狂三となんの不安も憂いもなく会える日が来るようにと……士道は祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 夢を見ていた。

 燃えていた。全てが燃えていた。少女はこの光景を知っていた。けど、この地獄の業火を駆ける少年がいた事を、少女は知らなかった。だから、それを見て微笑んだ。ああ、この方は()()()()()()()()()()()()()()()

 優しすぎる少年へ、せめてこの方を守れるようにと少女は祈りを捧げた。どうか、その身を大事にと。この方の差し伸べる手を待っている方は、きっと沢山いるのだからと。それは、少女の願いだった。

 

 

 悪夢を見ていた

 酷い、酷い悪夢だった。しかし忘れられぬ、忘れてはならぬ原初の記憶だった。全ての始まりだった。夢を見る少女が死んだ日だった。最悪の精霊が生まれた日だった。

 

 ――――――〝白〟と出会った日だった。

 

 そこから精霊の旅が始まった。どんな犠牲を払ってでも、必ず〝なかったこと〟にして見せると。息を殺し、歩みを進め、時が満ちるのを待った、待ち焦がれた。そうして――――希望は、精霊の望み通り現れた。しかし希望は、死んだ筈の少女を捨て置いてはくれなかった。

 

 精霊は必ず希望を殺さなければならない。それを叶えるために生きてきたのだから。

 少女は少年を殺すことが出来なかった。自らに差し伸べられたこの方の笑顔を、優しさを、失いたくないと〝なかったこと〟にしたくないと、少女の心が叫んでいた。

 

 精霊と少女は一つだった。故に矛盾した。その矛盾を、生み出した過去(イミテーション)のように殺す事は出来なかった。

 

 ああ、ああ、せめてあの方が()()()()()()()()()()()()()〝なかったこと〟に出来るのに。一時だけその命を修羅となりて〝喰らい〟、その事実を必ず〝なかったこと〟にして見せるのに。

 そんなこと、あの方が言うはずがないと身をもって思い知っているのに、どうにも愚かな考えが浮かんでしまった。一時の夢。夢より醒めれば覚えていない、くだらない妄想。でも仕方がないじゃないか。精霊は戻れないのだから。万の命を踏み躙った精霊は、絶対に、絶対に、辿り着く結末を譲れないのだから。少女だって、それを知っているのだから。

 

 そうだ。だから少女は――――時崎狂三は、何があってもあの方を――――――

 

 

 

 

「……狂三?」

 

「…………っ」

 

 目が覚めた。聞き慣れた声を耳にし、身体を起こそうとして、全身に走る激痛に顔を歪めた。

 

「身体を起こしちゃダメですよ。表面上は治癒してても、今の狂三はボロボロなんですから――――身体も、()も」

 

「……わ、たくし……は……」

 

 声を発する事すら、彼女の身に負担をかけている。あまりの不甲斐なさ、見せたことの無い自らの無様な姿に失笑してしまいたくなる。白い少女は、そんな彼女を笑う事などせず、今までになく狂三を心配しているようだった。

 

 

「喋るのもダメです。今はとにかく寝てください。私へのお叱りなら後で受け付けます。だから今は――――――」

 

「……殺さ、なくては」

 

 

 布団を整える手が止まる。白い少女は言葉が続かなかった。その先にある彼女の言葉を、止めなければならないのに。

 

 

「……わたくしが、殺さなくて、は……だれ、を? み、おさん、を…………その、ために…………」

 

「狂三……」

 

「――――し、ど、ぅ……さん……を? わたくしが、わた、くしが――わたくし、が――――――」

 

「――――今は、目を閉じて」

 

 

 目が伏せられる。細く、華奢な手が狂三の瞼を閉じた。ゆったりと、優しい、心が安らぐ声。

 

 

「……大丈夫だよ、狂三。誰も狂三の答えを急かしたりしない。誰にも狂三を責めさせない。何があっても、私が狂三を守るから」

 

 

 深い眠りに誘われる。それは子守唄にも似た言の葉。まるで、母のような温かさだった。

 

 

「だから、おやすみ、狂三。どうか、眠りの中では――――良い夢を」

 

 

 意識が落ちる――――狂三が悪夢を見ることは、もうなかった。

 

 

 







士道と狂三の関係の裏に隠れて正体不明の白い少女は何者なのか、何が目的なのか。それがこの章でちょっと明かされる……かも。

前書きでも触れましたが、この章自体は狂三フェイカー編から直続の形を取っているのであまり長くはならないと思います。まあ狂三が一時的にダウンしてるから長くするわけにもいかないっていうメッタメタな事情もありますが。この小説のコンセプト的に改変が薄い部分はバッサバッサとカットするのでその影響もあったりなんだり。

ではこの辺で。次回をお楽しみにー。感想、評価などなどもモチベにめちゃくちゃ繋がるのでお待ちしております!


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第二十一話『不明な白』

メインヒロインの出番が少ないと微妙にモチベが下がる。こんな構成に誰がした、私だ。


 

 

「……強がりなのは、いつまでも変わらないね」

 

 答えを急ぐ事はないのに。止まることは、決して罪ではないのに。

 少女は狂三の髪を優しく撫でる。ゆっくり、丁寧に、万感の想いを込めて。

 眠りに落ちたその顔から、いつもの超然とした彼女は見られない。神に愛された美しすぎる彼女の顔は、弱々しさすら感じられる儚いものだった。

 

 少女の手が彼女の頬に触れる。触れれば壊れてしまいそうだと。どうか、今だけは彼女に安らかな一時を。どうか、幸せな夢を見ていられるようにと。その手に込められた物は――――狂おしいほどの情愛(・・)だった。

 

 

「――――『わたくし』のご様子はいかがでして?」

 

「……安定はしました。けど、数日は目覚めないでしょうね」

 

 

 軽いノックを挟んで入室したのはメイド服(・・・・)の狂三。複雑そうな表情の彼女に、普段通り(・・・・)の少女が振り返って言葉を返す。

 

「精霊の回復力をもってしても数日……それほど深い傷ですのね」

 

「それもありますけど、どちらかと言えば心の方です」

 

 狂三が受けた傷は表面上は既に完治している。内部的な損傷も、あとは精霊としての再生能力が働き数日で動けるようにはなるだろう。それより問題なのは、狂三にかかっている心的な負担の方だ。

 

「……ずっと弱音一つ吐かずに気を張ってたのに加えて、ここへ来て一気に心にかかる負荷が増えたんですから無理もありません」

 

「目の前に迫る〝悲願〟への道。しかしそれを行うには、愛しい愛しい士道さんを取り込まなければならない。それが出来ない『わたくし』は咄嗟に士道さんを庇ってしまった。そして士道さんも『わたくし』を庇う。美しいですわ、美しいですわ。ああ、ああ。悲劇的ですわ、悲しいですわ――――――わたくしには、理解できそうにもありませんけれど」

 

「当然でしょう、あなたたちは『狂三』であって狂三じゃない。この子に宿った感情は、過去の履歴を更新しない限りこの子にしか分からないんですよ。割り切ってしまえるほど非情な子なら、いっそ楽だったんでしょうけどね」

 

 時崎狂三という精霊は非情であった。時崎狂三という少女は優しい少女であった。非情でなければ〝悲願〟は果たせない。けれど優しくなければ、この道を選ぶ〝選択〟をする事が出来なかった。

 究極の矛盾だった。悲劇を〝なかったこと〟にする。そのために自らが悲劇を起こす。精霊は全てを〝なかったこと〟にする。それは、精霊が起こしてきた事象さえも含めての全て(・・)だ。しかし、それは決して彼女の罪を洗い流す事は無い。少女は常に罪の意識に苛まれながら、だからこそ精霊は始まりから失われた命に、踏み躙った全ての命に報いるために足を止めなかった。

 

 そして現れたのが、精霊の旅を終わらせる事が出来る、優しすぎる一人の少年だった。彼は精霊を腐らせる〝毒〟にも等しい者だ。少女を狂わせる者だ。同時に――――少女も、少年を狂わせてしまった。

 その〝毒〟は精霊を蝕んだ。それを防ぐための〝嘘〟は少女を蝕んだ。狂った少年の想いは〝猛毒〟だ、それこそ――――――世界を作り替えてしまえるほどに。

 

「そのくらい分かっていますわ。けどわたくしにとって〝悲願〟は全てですもの。ミイラ取りがミイラになってしまわれた『わたくし』が聞いてない間に、苦言の一つ申しても仕方ないのではありませんこと?」

 

「……まあ、仮にこうなったのが分身体のうちの誰かだったら、狂三は容赦なくその分身を影に還していたでしょうけど。だからって今回みたいに自分殺しみたいな事されたら肝が冷えます。危うく何回、足を踏み出しかけた事か……」

 

 基本的に、少女にとって狂三の言うことは〝絶対〟である。彼女が言ったこと、決めた事を少女は否定しない。例外となるのは……今回のような出来事だろう。

 

「うふふ、足を踏み出した結果が今この光景ですのに、おかしなお方」

 

「最後のだってギリギリでしたよ。最悪、間に合わなそうなら二人だけでも押し出すくらいは考えていました」

 

 あらゆる物が少女の想定を超えていた。五河士道があそこまで狂三に情熱を注ぐのはいくらなんでも驚きだったし、狂三の方も不安こそあったが、ここまで思い詰める結果になるとは思ってもみなかった。まさか文字通りやり直し(・・・・)が出来る自分の身を顧みず、五河士道を庇うとは……本当に、そう言った心は知識や記憶があっても経験がなければ少女にとって未知(・・)であった。

 

「……私にも計画があるので、狂三……今は五河士道にも死んでもらうわけには行かないんですよ。だから今回ばかりは特別です」

 

「そろそろ、その〝計画〟とやらについて教えてくださってもよろしくてよ?」

 

「何度も言ってますけど、誰かに言うほどの物ではありませんよ。狂三の〝悲願〟が完全な形で果たされれば、私の計画も完遂されます――――今は、少し事情が変わりましたけどね」

 

 興味深そうな表情でメイド狂三は見つめてくるが、あいにく少女に計画の中身を話すつもりはない。以前までなら、狂三が〝悲願〟を果たす選択肢が一番だったのだが……五河士道というある種のイレギュラーによって、それも覆されたも同然だ。それに期待(・・)したのは少女自身だが、ここまで予測不能な感情のぶつかり合いをされては、情けない話だが本当に二人次第といったところか。

 

 兎にも角にも、今は狂三が回復するのを待つしかない。だから今は出来ることをするだけ。それは――――封印を解いた(・・・・・・)五河琴里に関してだ。

 

「――――借りは、早めに返しておきますか」

 

「あら、あらあら。随分楽しそうな事を考えていらっしゃいますわね?」

 

 ……何故か少女の呟きを聞いて、メイド狂三が凄い良い笑顔で銃を取り出した(・・・・・・・)。絶対に、何か変な勘違いをしている。

 

「良いですわ、良いですわ。高鳴りますわ、高鳴りますわ! わたくしもお付き合いいたしますわ。敵総大将へのカチコミ、と言うやつですわね。とても素晴らしいですわァ」

 

「……なんでそうなるんですか。違うに決まっているでしょう」

 

「あら? あなたなら『わたくし』に仇なすものには容赦しないと思っていましたのに」

 

「そりゃあ……否定はしませんよ」

 

「ほぉら、やっぱり」

 

 得意げな顔で笑ってみせるメイド狂三に、はぁとため息を隠さず吐き出す。メイド狂三の言う通り、狂三に害を成すなら少女は一切の容赦はしない――――あれが、五河琴里の意思であるならば、だが。

 

「……五河琴里が自らの意思であの行動に及んだなら、私も相応のやり方で対応します。けど、アレ(・・)は違うでしょう」

 

「『わたくし』に仇なしたのは琴里さんではない、と?」

 

「奇妙な言い方ですけど、ね」

 

 最初に現れたのは確実に五河琴里だった。彼女は、自らを追い詰める(・・・・・・・・)狂三を止めるために、封印を解いて戦いを挑んだ。これこそ奇妙な話だが、彼女のこの行動に少女は感謝すら覚える。だが、途中から現れたアレ(・・)は五河琴里ではない。

 おおよその見当はつく。しかし、行動を起こす前に確かな確信を得たいのも、また事実であった。

 

「……霊結晶(セフィラ)の調整不足……? もしくは適合が不安定――現象としては〝反転〟状態に近い、か。問題は向こうがその対策を持っているのか……」

 

「? いかがなさいまして?」

 

「……いえ。少し出かけてきます。その間、狂三をよろしくお願いします」

 

「あら、どちらへ?」

 

 ふむ、と少女は少し考える仕草をすると……いたずらっ子のように口を開いた。ただし、言った内容は可愛くもなんともないが

 

 

「――――ちょっと、自慢の戦艦へ不法侵入をしに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――この、アホ士道ッ!!」

 

「ぐは……っ!?」

 

 士道の鳩尾に妹の拳がクリティカルフィニッシュ! こうかはばつぐんだ!!

 

「……な、何すんだ琴里……」

 

 息も絶え絶えに謎の強行に走った妹に問いかける。今さっきまで真面目な話をしていたのに、突然こうなったのだから士道の頭には疑問しかない。

 令音に案内された先は、司令官という立場の人間を置くには到底相応しいとは思えない、部屋という形をした檻のような場所だった。ここで士道は琴里の口から、そして自身の思い出された記憶から様々な事実を知った。

 琴里が五年前に精霊になった(・・・・・・)こと、思い出したと言ってもお互いにその時の事は殆ど覚えていないこと、ぶっつけ本番で狂三の空間震を相殺したこと、何者かに自分たちの記憶が消された(・・・・)可能性があること……そして、五年前に琴里の霊力を自分が封印した結果、その能力の一部が士道が持つ超回復能力の原因だったこと。

 士道の記憶にはないが霊力が封印されたあと、琴里は〈ラタトスク〉に見出され精霊を救いたいと思い今の地位についた……それ故に、琴里は士道の力を知っていて彼を精霊の説得役に選んだのだ。

 

 ざっとこんなところだが、士道としても記憶が曖昧で混乱している中なぜか妹から拳を打ち込まれて更に混乱していた。打ち込んだ妹は、怒り心頭といった様子で口を開いた。

 

「何すんだ……ですってぇ? 私、言ったわよね? 今のあなたは簡単に死んじゃうって、ちゃんと言ったわよねっ!? なのになんで狂三を庇って〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の前に飛び出したりなんかしたのよ!!」

 

「そ、それは……身体が、咄嗟に動いたというか……」

 

「咄嗟に身体が動いて自殺まがいのことするの? バカなの、士道。いいえごめんなさい知っていたわ。バカよね、士道は」

 

「……そ、そういうわけじゃ…………すまん」

 

 士道とて自殺したかったとか、そんな気持ちはサラサラない。ただあの時は、本当に身体が動いたとしか言いようがない。あの時は必死すぎて、自分が何を考えていたなんて細かいことは覚えていないし、きっと狂三を守らないといけないと思った結果があれだったのだ。

 辛辣だが、琴里は士道を心から案じて言葉をかけてくれているので甘んじて受け止めて謝罪する。一応、彼の言葉を受け入れてくれたのか深いため息を吐く琴里。その表情は、安堵と心労が混ぜ混ぜといった様子だ。

 

「……仮に回復能力があっても、私の〈灼爛殲鬼(カマエル)〉は狂三ほど強力な精霊にもあれだけのダメージを与えたのよ。普通の人間が受けたら再生する間もなく即死しちゃうわ。頼むから、もう少し自分の身を労わってちょうだい……今回は、私がすんでのところで意識を取り戻して(・・・・・・・・)砲撃を僅かでも逸らせたから、まだ何とかなったけど……」

 

「意識を取り戻したって……琴里、お前やっぱりあの時……」

 

 普通ではなかった。あの時、狂三と戦っていた琴里は途中から明らかに人が変わったように(・・・・・・・・・)様子がおかしかった。まるで……狂三を本当に殺そうとしていた(・・・・・・・・)。そうなっていたら、本当に誰も救われない結果になっていたと確信があった。

 

「……えぇ。理由は分からないけど、精霊の力を士道から返してもらってから、私おかしいのよ。何かを壊したい、何かを殺したい(・・・・)……そんな衝動が身体を突き動かそうとするの。今は、それを薬で何とか抑えてる状態」

 

「な……」

 

「怖いのよ、私。こんな訳の分からない物に支配されそうで、記憶も曖昧で……もしかしたら、記憶がないだけで誰かを殺してしまっている可能性だってあるのよ。ううん、もし士道の事が目に入らなかったら……あの時、私は本当に狂三を殺してしまっていたわ」

 

「……っ!」

 

 琴里の身体が僅かに、震えていた。常に強気な黒リボンの琴里が、怖いと震えている。その光景が士道の心を強く揺さぶった。

 

「……らしくないことを言ったわ。今のは忘れて――――」

 

「琴里」

 

 妹にしっかり目線を合わせて、士道は彼女と目を合わせる。図らずも見つめ合う形になった途端、琴里の顔が赤く染まる。

 この恐れを、恐怖を、士道は許容することは出来ない。たとえぶつけられた様々な情報に混乱していても、五河士道は妹のそんな感情を絶対に見過ごさない。

 

「ふぇ……!?」

 

「俺に出来ることはないか。なんでもいい、言ってくれ。俺が絶対にそれを叶えてやる」

 

「……なんでも、聞いてくれるの?」

 

「ああ、可愛い妹の為ならなんだってしてやるさ」

 

 自分に何か出来るかなんて分からない。何も出来ないかもしれない。それでも、何かしてやりたかった。彼女は精霊だろうと人間だろうと、自分を絶望から救ってくれたかけがえのない愛する妹なのだから。

 そして、頬を赤く染めたまま、琴里が恥ずかしげに口を開く。

 

 

「じゃあ――――私をデレさせて(・・・・・)ちょうだい」

 

「…………は?」

 

 

 結果、十秒前の決意は再び混乱の渦に呑み込まれてしまったわけなのだが。

 

 

 

 

「令音さん、琴里は……」

 

「……ああ、大丈夫だよ。心配ない。今のところはね」

 

「っ、今のところって……」

 

 あの後、琴里の発言が完全に封印から解かれた彼女の霊力をもう一度封印する必要がある、という話までしたところで琴里の様子が変わり、士道は令音に半ば無理やり部屋から追い出されてしまった。加えて今の令音の発言に、彼の中の不安が広がる。

 部屋の外へ戻ってきた令音が、目を伏せて声を発する。

 

「……二日後。君には琴里とデートしてもらう」

 

「? なんで二日後なんですか?」

 

「……その日しかないのさ。恐らくあと二日しか、琴里は自身の霊力に耐えられない」

 

「――――ッ!?」

 

 令音の言葉を聞いて身体が強ばったのが分かる。令音の表情も、心無しかいつもより暗いものだと思えた。

 

「そ、それってどういうことなんですか……!?」

 

「……段々と、発作の間隔が短くなっている。今は精神安定剤と鎮静剤で抑えている状態だが……多分、あと二日が限界だろう。その日を過ぎれば、琴里はもう、君の知っている琴里ではなくなってしまう可能性がある。琴里の状態の安定と限界。この二つが唯一合致するのが二日後――――つまり明後日を逃せば、もうチャンスはない」

 

「――――――」

 

 言葉すら出てこない。嫌な汗ばかりが這っていて気持ち悪い。今度は彼の身体が小さく震えた。

 それは余命宣告にも等しかった。自分の妹が、琴里が琴里でなくなる。たった二日、それが残された時間。更にその二日後の短い僅かな時間で、士道は琴里を〝攻略〟しなければならない。

 妹を、デレさせる。それが出来なければ――――琴里は、救えない。

 

 狂三に続きなんとも難易度が高い作戦に思えてしまう。しかし五河士道に後戻りの道はない。二度と、あんな琴里を見たくない。二度と、お互いが辛いだけの戦いをさせたくない。

 

 

「――――そういう方法になりますか」

 

 

 誰にも知られることなく、〝白〟が独白をこぼして、消え去って行った。

 

 

 







傍から見るとなんでも知ってそうに見えるけど別に全てが想定通りに行っているわけでもない。一つ言うなら少女も精霊である以上、ヒロインの一人です。ただ攻略条件が特殊ではないとは言ってない。
あと狂三不在なのに狂三がいるって凄い不思議。狂三ならではという感じですね……それでも数話にかけてメインヒロイン不在で不評にならないか現在進行形で実はご不安だったりします。

ではまた次回。最近感想、評価がガンガン増え続けててめちゃくちゃ嬉しいんですけど失望されたらどうしようというプレッシャーがうごごごご(豆腐メンタル) 感想、評価などなどお待ちしておりますー


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第二十二話『もう一人の復讐鬼』

祝・お気に入り400件突破。感謝感激。新しく完結までの目標にしていた400がこんなにも早く突破して驚きばかりです。これからも頑張ります


 

 

 彼女にとってその炎は悪夢だった。全てを奪い去った焔だった。殺す、必ず殺す。何が起ころうとも殺す。彼女のこの五年間はその為だけに存在した。

 ようやく見つけた、両親の仇。ASTに入ったのも、顕現装置(リアライザ)を扱うための技術も、この瞬間のためだけに存在した。

 

 憎悪と呪いを胸に、彼女は……鳶一折紙は〝力〟へ手を伸ばした。後でどうなろうと構わない。全ては〈イフリート〉を――――――五河琴里を、殺すために。

 

 

 

 

『あら、あらあらあら。面白いですわねぇ。そちらの風景が視界のような鮮明さで映っていますわ。楽しいですわ、高鳴りますわぁ』

 

「……狂三がいないからって、何もあなたがやる必要はないんですよ?」

 

『うふふ、残念。わたくしも時崎狂三ですもの。だから、これは正当な権利ですわ』

 

 時刻は午前十時前。場所は天宮駅東口――――を一望できる場所に少女は座っていた。理由は、もちろん五河士道と五河琴里の〝デート〟を監視……という名の尾行である。前回までなら精霊の戦力把握と緊急時の対応が主な目的だったのだが、今回は前者の理由が置き換わりあくまで少女の個人的な事情でこうして足を運んでいる……いるのだが、狂三が起き上がれないのもあり一人でやるつもりだったはずなのに、何故か通信先から『狂三』の声が聞こえてくるので開幕から少し頭が痛くなった少女であった。

 

「……そういうの、世間一般では〝屁理屈〟って言うそうですよ。どこかの誰かが言ってました」

 

『あら、あら。初耳ですわね。心に留めておきますわ』

 

 暴論だが言っている事は間違っていないからタチが悪い。言うまでもないが、通信相手はメイドの狂三である。こういうのをなんと言うんだったか……因果応報?

 

「まったくもう……まあ、あなたには狂三を見てもらってますからそこから動かない範囲でなら好きにしてください。一応言っておきますけど、モニターは壊さないでくださいよ。覚えてはいますけど作り直すのは手間なんですから」

 

『言われずとも分かっていますわ。それにしても、これを作ったのはこちらに来てからでしょう? あなた機械に強いんですのね』

 

「いいえ、全然。ただ作り方を見てそのまま(・・・・)作っただけです。応用しろと言われたら、面倒なのでお断りですよ」

 

『あなたの場合は盗み見て、という言葉が間に入りそうですわね』

 

「私をなんだと思っているんですかあなた……」

 

 まあ、大体合ってますけど、と少女は内心で思っていたりする。なんて事は無い、少女は本当に設計資料を見て、その作り方をそのままで制作したに過ぎない。ただ図式を見てその通りに理解した、それだけだ。

 

 そんな事をしているうちに、視界の先にいる士道の元へデートの相手、琴里がやって来るのが見えた。いよいよ、始まるらしい。

 

『さて、この逢瀬が琴里さんにとって最後となるのかどうか……あなたはどう考えていますの?』

 

「……ん。五河士道なら問題ないと思いますよ、私は」

 

『きひひ、随分と士道さんを高く買っていらっしゃいますわね。『わたくし』に感化されまして?』

 

 それは偶然なのか、いつだったか狂三に対して言った少女の言葉のオウム返しだった。確かに、彼女の言う通り士道へあるゆる感情を向ける狂三に感化された面はあるかもしれない。けれど、それだけではないと少女はローブの下で笑みを浮かべた。

 

「否定はしません。でも、私が五河士道を信頼した理由の大半は他にありますよ」

 

『お聞かせいただいてもよろしくて? それとも、秘密主義者のあなたはこの理由まで隠してしまうのかしら』

 

「……秘密も何も単純な理由ですよ。彼は――――ん?」

 

 目の前の光景に思わず少女の言葉が途切れた。会話をしながら、二人とも士道たちから目を離していなかったのだが……なぜか、その〝たち〟の部分が増えた。具体的には、二人とパペット一名が。

 

「あれは夜刀神十香に〈ハーミット〉……これ、五河琴里とのデートだったのでは?」

 

『世の中には、探せば男の方が一人女の方が三人の〝トリプルデート〟だってあるかもしれませんわよ』

 

「私が知っている〝デート〟は男女二人でするものなので、ありえないくらい珍妙なデートはあって欲しくないですね」

 

 どんな稀代のプレイボーイだ。いや、五河士道は世界の救世主とも言える稀代のプレイボーイかもしれないが。流石にあってたまるかそんなデート、と少女は思いながらも成り行きを見守り状況を分析する。

 五河士道は驚いた様子を見せているが、五河琴里はどうだろうか。彼女は司令官として、普段は精霊と士道のデートを見守り指示を出す側なのだ。

 

 

「……いや、これは五河琴里が許容しているパターンが――――」

 

「――――――へぇ、なかなか思い切ったことをするのねぇ、士道。今から楽しみだわ」

 

 

 なかった。キレていた。少女とメイド狂三をして凄い迫力だと思った。良い笑顔なのが逆に怖い。背景にオーラを纏っていそうな雰囲気すらある。というか纏っている。

 

『怒っていますわね』

 

「……怒っていますねぇ」

 

 ついでに言えば、士道が戦いている様子も見える。

 

『士道さん、本当に大丈夫なんですの?』

 

「……大丈夫だと、私は思いますよ」

 

 心無しか、さっきより少し不安そうな声だと聞き手は思ったそうな。

 

 

 前途多難で始まった五河士道たちのデートだったが、一行は無事目的地に到着した。舞台はオーシャンパークと呼ばれるテーマパーク。プールなどの大型施設から成るウォーターエリアと、遊園地がメインとなるアミューズメントエリアで構成された人気スポットの一つだ。

 彼らが今いるのは前者、ウォーターエリア。時期は少し季節が外れた6月という事もあり見たところ客入りは少ない。

 

「なんでこの時期にプールを選んだんでしょうね? 少々時期外れだと思うのですが」

 

『あら、だから良いのではありませんの。無粋な混雑ではデートの雰囲気が台無し、というものですわ』

 

「そういうもんですか……」

 

 少女としては好きな人と行ける場所なら大体楽しいんじゃないか、くらいの感覚なのでそこまで深く考えていなかったが……彼女の言う通り夏の大混雑に来たところでデートの雰囲気にはなりそうにもないのかもしれない。どちらかと言えば家族で遊びに、的な感覚になる。

 

「私は、こういった経験がないのでよく分からないですね……」

 

『うふふ、こういった事を察して殿方を立てるのも淑女の嗜みですわよ』

 

「……淑女はメイド服を普段着に選ぶんですかね?」

 

 少女がイメージする淑女とかなりズレている気がしたが、まあ彼女が淑女というならそれが淑女なのだろう。今更(・・)、彼女のメイド服にとやかく言うつもりはない。なぜなら狂三本人がもっと凄い(・・・・・)のを過去に何着も着ていた事があったからだ。

 ちなみに、今も狂三に内緒で後生大事に保管してある。五河士道に見せてあげたら面白そうだな、ちょっと思ったのも内緒である。

 

 そうこうしているうちに、士道が琴里の水着を照れながら褒めているのが見て取れた。まあ、これは流石に少女にも分かる。女の子が男の子のためにオシャレをしているなら褒めてやる、定番中の定番だ。とはいえ、普段彼へ指示を出す側に回っている五河琴里だ。最初こそ頬を赤くして効果あり、と思ったがすぐに冷静になって切り返していた。

 

「どこがどう可愛いのか……ですか。難しいこと聞きますね」

 

 相手は可愛らしい水着姿、しかも長年共に過ごした妹が相手だ。さて五河士道はどう返すのか――――――

 

 

「えぇっと……その……膨らみかけの胸が特にたまんないな」

 

「な……ッ!?」

 

「……えぇ……」

 

『……士道さん、あちら側のお方でしたのね』

 

 

 琴里は顔を真っ赤に、だがどこかほんの少し嬉しそうに(・・・・・)し、少女とメイド狂三は若干引き気味の反応を見せる。

 いや落ち着け。琴里が不在でも士道の耳にはインカムがあった、つまりこれは空の上の戦艦からの指示という事になって……それはそれで問題なのではないか?

 

「あの戦艦のクルー……こんな指示飛ばす人しかいないんですかね……」

 

『案外、士道さんの本心かもしれませんわよ? ほら、『わたくし』は着痩せするタイプですので士道さんも実は――――』

 

「それ、狂三が起きたら絶対に言わないでくださいね」

 

 正常な状態の狂三ならともかく、変な時に言ったら変な誤解を生みそうだった。そう言えば、夜刀神十香たちの水着を彼が選んだ時も、〈ハーミット〉の水着に一番の反応をしていた事を思い出し、なんかちょっと不安になった少女であった。

 なお、少女たちは知る由もないが、〈フラクシナス〉のクルーは変人ばかりではあるが今回の選択肢は変態(神無月)の独断だと付け加えておく。

 

 その後は〈ハーミット〉が暴走する些細(?)なトラブルがあったが、デートは着実に進んでいた。こちらから見て、改めて五河琴里が彼に胸を褒められた事を少し嬉しそうにしていたり、ナンパに偽装した組織の工作員を、五河琴里が一瞬で見抜いた上に全員の名前まで一語一句間違えずに覚えていたことに、司令官としての彼女に賞賛の念を抱いたり……その他諸々、少女たちは観察を続けていたが――――――

 

「……五河琴里のご機嫌、上がってると思います?」

 

『いいえ。むしろ時間が経つ事に冷めていると、そうわたくしには見えてしまいますわ』

 

「気のせいじゃありませんでしたか……」

 

 どうにも順風満帆な様子ではなく、少女は不安げな表情で昼食を取る彼らを見る。彼女の言う通り、琴里はつまらなそうに腕を組み昼食に手をつけてすらいない。どこからどう見ても、恋をさせてデレさせるなんて次元のご機嫌ではない。

 組織からの支援が彼女からすれば目に見えてしまっているからか、はたまた士道のエスコートがどこかぎこちない(・・・・・)ものだからか。

 少女から見ても、今日の彼はどこか今まで見た士道とは違っていた。なんと言うか、気を張り過ぎているように見える。相手は長年共に生きてきた妹だと言うのに……それが理由なのか、今日がリミット(・・・・)だと感じさせない琴里の気丈な姿がそうさせてしまっているのか。

 

「五河士道なら大丈夫だと思っていましたけど、これは間に合うのかどうか……」

 

『――――その事については心配ありませんわ』

 

 冷静な声で確信を持って告げられた言葉に、少女は驚きで目を見開く。その声色は、狂三が疑問の答えを見つけ出した時とまったく同じものであった。

 

「……どういう意味です? あの機嫌じゃ封印なんてとても……」

 

『あら、あら。そもそも前提が間違っていますわ。このデートの合否がどうであれ、琴里さんの霊力は封印出来てしまいますもの』

 

「……はい?」

 

 訳が分からない。精霊に心を開いてもらう――――有り体に言えば、恋をさせる。それが五河士道が封印を行う前提条件だ。相手は妹なので、心を開くという点ではクリアしているだろうが男性としての好感度は、デートの様子を見ていると上がっているようには思えない……そこまで考えて、少女は思い返す。確かに不機嫌そうには見えるが、士道にセクハラまがいの発言をされたのに彼女はどこか嬉しそう(・・・・)だった。

 

「――――もしかして、五河琴里は……」

 

『ようやくお気づきになられまして? そう、これは戦争(デート)としての価値はありませんわ。けれど、琴里さんのデート(・・・)としての価値はある。ふふっ、あなたも案外鈍いのですね』

 

「……私が恋をする予定は無いので、別に分からなくても問題ありません」

 

 少し悔しかったので、少女は強がりだと見透かされるのを分かっていても反撃とも言えない言葉を口にした。

 なるほど、彼女の言う通りこれは戦争(デート)の意味は無い。琴里の感情を完全に無視するなら、今やっていることは戦略的な意味などない(・・)。自然と精霊攻略の流れになっていたので見落としていたが、最初から気づくべきだった。元々、五河琴里は霊力を封印されていた(・・・・・)のだ。それを含めて、メイド狂三は気づいていたのだろう。

 狂三の時は単純に彼女の変化に気づいて、自身が持つ記憶(・・)を頼りにそうなのだろうなと結論付けたに過ぎない。まさか、五河琴里がそれほど(・・・・)とは先入観で気づきもしなかった。誰が思おう、彼の妹がそんなにも――――お兄ちゃん大好きっ子なのだと。

 

 しかし、それがわかった以上このデートを続けさせる利点(・・)はない。少女の予想では、琴里の身体は今現在も間違いなく無事ではない。少女でさえ危険性が分かるのだ、それが分からない五河琴里ではない筈だが……多分、分かっていてもこうなる事を望んでしまうのが〝恋〟なのだ。不条理で、理不尽で、理屈ではなくて、人を狂わせる感情。少女はそれを経験してはいない――――けど、よく知っている(・・・・・・・)

 

『琴里さんだけが移動なされますわね。どうされますの?』

 

「……五河琴里を追いかけます」

 

『レディの諸事を覗くご趣味がおありとは、士道さんに負けず劣らずですわねぇ』

 

「分かってて言ってるでしょう……あと、私も女の子なんですよ、一応」

 

 一応と付けたのは、ローブで姿を隠しているので少女自身あまり説得力がないと、少し自分でも悲しいが思ったからだ。

 席を立った五河琴里を追いかける。席を立つ前、様子がおかしかったのは見ていた。だからほぼ確信に近いほど、その先にある光景が少女には予想出来ている。

 

 

「ぁ――――ッ!」

 

「……大丈夫かい、琴里」

 

 

 その光景は完全に予想通りだった。ただし、当たって嬉しい予想ではなかったが。

 さっきまでの気丈な姿が嘘のように、酷く苦しげな様子で頭を押さえへたり込む琴里と、彼女を気遣う解析官が少女の視界に映っていた。予想は出来ていた。自分が自分でなくなってしまう恐怖と、襲い掛かる破壊衝動が常に彼女を襲っているのだ。その身が自分のものでなくなっていないこと自体、彼女の強靭な意思が起こしている奇跡のようなものだ。そして、それ以外にも理由はある。

 

「ええ、何とかね……でも危なかったわ……お願い」

 

「……今朝の時点でもう既に、通常の五十倍(・・・)もの量を投与しているんだ。これ以上は命に関わる恐れがある」

 

「ふふ……精霊化した今の私なら、薬物程度で死にはしないわよ」

 

 薬物投与。その尋常ではない量はもはや強引な延命措置に等しい。精霊とはいえ万能ではないのだから、かかる負担も並大抵ではない。そうしてまで五河琴里は――――――

 

 

「……お願い。士道との――――おにーちゃんとのデートなの」

 

 

 五河士道とのデートを選んだ。純粋な願い、強い想い。ただそれだけが、五河琴里を支えていた。この切なる願いを耳にしてしまった時点で……少女の取るべき択は一つに絞られた。

 

 

『意外ですわね』

 

「何がです」

 

『あなたが五河琴里に同情……とも言えるものを抱いたこと、ですわ。あなたはいつも『わたくし』を通して(・・・)人物を判断されていましたから』

 

「……ん」

 

 琴里たちから離れ元の場所まで戻った少女が、僅かな肯定を含んだ小さな返事を返した。彼女の言っていることは間違っていない。少女は常に狂三に利があるかないか、それで人を判断してきた。

 五河士道はその力があったからこそ、狂三に強すぎる影響を与えたからこそ気にかけた。〈ハーミット〉は狂三が気にかけたから、狂三の言葉もあって彼女を救う手助けをした。夜刀神十香は五河士道の大切な人だからこそ、狂三と気兼ねなく話してくれたからこそ少女は再び相対した。

 

 全ては、時崎狂三のためだけに。そんな少女が、五河琴里に同情にも似た念を抱いている。本来、琴里が自らの意思ではないとはいえ狂三を傷つけた事を考えれば、メイド狂三は疑問を持たずにはいられなかった。

 

 

「――――――理不尽だと、思っただけです」

 

 

 理由にすればたったそれだけの話だ。仮に、五河琴里が普通と変わらぬ精霊だったなら、少女は普段通り五河士道が精霊を救うことに、必要とあらば手を貸していた。そこに余計な感情はない。 だから、今回のように最後まで危険なデートを見届ける(・・・・)と決め、五河琴里に肩入れするのは、ただ彼女の境遇が理不尽(・・・)だと思ったから。

 

「勝手に力を押し付けられて、その上それが不良品(・・・)みたいな出来で……それでも、色んな重圧を背負って立つ五河琴里の心からの願いを叶えてあげて欲しい。そう、思ってしまっただけです」

 

 ――――もう一つだけ、五河琴里を気にかける理由が少女にはあるのだが、それを言葉にする時はきっと来ない。

 

『お優しいこと』

 

「どこがですか。最悪、私が責任取って五河琴里を止めるっていうだけです。まあ――――そんな心配はなさそうですけどね」

 

 そう言った少女の視界に映るのは、覚悟を決めたいつも通り(・・・・・)の五河士道。

 

 

「俺――――――実はプールより遊園地の方が好きなんだ」

 

 

 ああ、少女が信じた(・・・)精霊を救う少年の姿が、そこにはあった。

 

 

 

 

「上手く、行きそうですね」

 

『きひひひひひ。それはそうでしょうとも。要は、琴里さんは士道さんとデートがしたいだけ(・・・・・)なのですから。琴里さんは士道さんの事を一番よく知っている……そして、琴里さんはそんな士道さんが〝大好き〟なのでしょうね』

 

「……だから周りが余計な気を回さずとも、五河士道がいつものように五河琴里と過ごせば良かった。ということですか。叶えて欲しいとは言いましたが、なんというか――――――」

 

『茶番、などと言うつもりはありませんわ。わたくし、乙女の気持ちという物にも理解がありますもの』

 

「悪かったですね、鈍くて」

 

 軽口を叩けるくらいには安心して見ていられる、と少女はフッと微笑む。

 夜刀神十香は〈ハーミット〉と別の遊び場へ向かい、士道と琴里は遊園地へと場所を移してデートを再開していた。その中身は、さっきまでの不安が全部吹き飛んでしまうくらいには、まったく案ずる必要もないと思えるものだ。なんというか、いつも通りの着飾ることがない二人、とでも言えばいいのだろうか。

 

『あなただって言っていたではありませんの。琴里さんは様々な重圧を背負っている、と。琴里さんの立場、士道さんの立場……その両方を考えれば、お二人の逢瀬の機会というのは限られてしまいますわ』

 

「五河士道の妹にして、組織の司令官……立場というのは、面倒なものですね」

 

 おそらく一番、士道に近い関係であるはずの琴里はしかしその立場故、精霊を攻略するという使命がある士道とデートをする、というのは難しいものがあったのかもしれない。だからこうして、精霊攻略という大義名分をつけて無理にでもデートをしたかった……見たところ、少し素直ではないところがあるので、それも原因かもしれなかったが。

 

『立場……と言えば、琴里さんが今の地位にいらっしゃるのは精霊となって(・・・・・・)からのお話でしょう? あなたは琴里さんがいつ精霊になられたのかも、知っていらっしゃるのでして?』

 

「五河士道が力を封印した最初の精霊、それが五河琴里だと分かった時点で予想だけなら。確証はありませんけど、恐らく五年前の――――?」

 

 少女が言葉を切り眉をひそめる。視界の先、ベンチに座る士道と琴里の様子におかしなところはない。だが僅かな違和感と、そして奇妙な駆動音(・・・)を少女の聴覚が捉える。何かが近づいてくる(・・・・・・)、そう少女の感覚が確信を持って告げていた。

 視線をさ迷わせ辺りを見渡す。当然、琴里は精霊の力を使っていないし、一般人も大勢見受けられる。だから、その〝ほぼ〟ありえないだろうとしていたのだ――――故に、遥か上空を見上げ少女は目を見開いた。

 

 

「――――鳶一、折紙……!?」

 

 

 瞬間、五河琴里だけ(・・)に爆撃が降り注いだ。黒煙が巻き上がる、ついで引き起こされたのは一般人たちの悲鳴。辺り一帯がいきなり焦土と化したのだから、人として当然の行動だ。少女が驚いたのはその悲鳴でも、放たれたミサイルを難なく炎で防いだ琴里でもなく、鳶一折紙がそんな凶行(・・)を行ったという事実であった。

 少女の視界に捉えたということは通信先の彼女も事態を把握している。呆気に取られる少女の耳に、嫌に冷静で冷たいメイド狂三の声が届く。

 

『あら、あら……わたくし、折紙さんはもう少し聡明な方だと思っていましたのに、大胆な事をなさるのですね』

 

「大胆で済めば良い方でしょう。彼女、一人で戦争でもする気ですか……!!」

 

 鳶一折紙はワイヤリングスーツこそ普段のものだが、彼女の装備が問題だった。取り付けられたミサイルポットに両腕のパーツからは大型のレーザーブレード、更に外側には巨大な砲門が二対。これを見て戦争を思い浮かべるな、という方が難しい。まるで小型の戦艦(・・)……明らかに普段見るASTの装備ではない。

 

『琴里さんを狙っての事でしょうし、戦争という表現は間違っていないかもしれませんわね』

 

「それにしたって、なんでこんな後先も考えない事を――――――」

 

 ASTの技術や活動は秘匿事項。精霊という存在を含めて、だ。それを知らない鳶一折紙ではないし、それを無視して関係ない人間を巻き込みかねない行動を、少女が調べた鳶一折紙がするとは信じられなかった。

 

 だがどれだけ調べても所詮、それだけでは上っ面だけにしかならない。人の感情は、人を突き動かすものは本人とそれを知るものにしか分からない。

 そして少女は鳶一折紙を見る。琴里とぶつかり合う、折紙の〝瞳〟を。

 

 ――――憎悪にまみれた、悲しくも優しい瞳を。少女はこの〝瞳〟を知っている(・・・・・)。記憶からではなく、少女自身がそれをずっと見ていた(・・・・)から。

 

 

「――――狂三」

 

『? 『わたくし』がいかがなさいましたの?』

 

「っ……いいえ。とにかく、どっちが勝ってもろくな事にはならなそうです――――借りを返しに行きます」

 

 静観の選択肢はない。これは、狂三に直接関係がある訳では無い。けど、士道が関わった時点で捨て置く事は出来ない。例えそうでなくても、少女個人の理由が少しだけ出来てしまっていた――――戦う二人の少女、両方に、だ。

 

 少女が地面を蹴り上げ、一直線に戦場へ跳ぶ。奇しくも、鳶一折紙の使っているユニットは白……少女とまったく同じ色。

 

 

「〈イフリート〉!! お父さんとお母さんの――――――仇ッ!!!!」

 

 

 折紙の叫びが少女にも聞こえる。もしかしたら、彼女のこの行動は正当な理由があるのかもしれない。もう一人の復讐鬼と呼べる折紙を止める権利は、おそらく少女にはない。

 

「やっぱり――――あなたも優しいんですね」

 

 けれど理由はある(・・・・・)。少女は呟いた言葉とは裏腹に、同じ白を容赦なく蹴り飛ばした(・・・・・・)

 

「ッ――――誰っ!?」

 

 五年前からの復讐鬼が〝白〟と相対する。少女が返す言葉は、相変わらずどこか気取ったものだった。

 

 

「通りすがりの、精霊ですよ――――!!」

 

 

 

 







通りすがりの精霊だ、覚えておけ!(例のBGM)
乙女心は大変ですねって言う。最近シリアス続きで色々堪えきれなかった部分が如実に出ている気がする。琴里のデートの詳細が知りたい方はデート・ア・ライブ四巻『五河シスター』をどうぞご購入ください。あと原作の美しくも恐ろしい狂三を見たい方は三巻『狂三キラー』もどうぞよしなに。

白い少女のこと、少しは伝わったら良いなーと思いながら今回と次話を書き進めています。まだまだ秘密だらけですけどね、この子。次回、襲来した五年前の復讐鬼、そして琴里封印はどうなるのか、一話で纏めるつもりです。その後は、いよいよ……

それではまた次回。感想、評価などなどどしどしお待ちしておりますー!


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第二十三話『女王を愛した者たち』

章は短くなると言ったが一話が短くなるとは言ってない


 

 

 

「精……霊ッ!?」

 

 折紙の驚愕を他所に彼女を蹴り飛ばした勢いで飛び退き、折紙の激情に呆然とし(・・・・)空中を漂う琴里を白の少女が抱き抱え地上へと落下していく。

 

 突然現れた精霊。それも自身の随意領域(テリトリー)に侵入したにも関わらず感知できない(・・・・・・)異質の存在。随意領域はその名の通り、魔術師(ウィザード)が持つ己の領域。その領域に存在しているものは、領域の所持者の思うがままと言っても過言ではない。しかし、折紙のユニットを蹴り飛ばした白い精霊は、その攻撃を受けた瞬間ですら随意領域で捉えられなかったのだ。

 見たことも無い、未知の精霊。だが……関係ない。精霊であり、〈イフリート〉を庇うと言うなら今の折紙には邪魔者でしかない。

 

「ッ、逃がさない……!!」

 

 崩れた体勢を即座に立て直し、搭載されたコンテナユニットから夥しい数のミサイルを解き放たれ、その全てが視認した先にいる白い精霊へ向かって軌跡を描く。精霊が地に足を付ける――――二秒と置かずに、爆撃の雨が降り注いだ。

 地面を軽々と抉り取る火力。直撃したのならば、精霊と言えども只では済まない。黒煙が晴れる……クレーターと化した地上の一角には誰もいなかった(・・・・・・・)

 

「――――上。気をつけた方が良いですよ」

 

「な――――!」

 

 空中を飛ぶ折紙のさらに上、聞こえた声に驚き半ば反射でレーザーブレイドを構えると、そこに寸分たがわず(・・・・・・)刀が叩きつけられた。

 おかしい、と折紙は即座に勘づく。わざわざ警告されたこの一撃が、如何に彼女とはいえ防ぐ事が間に合う筈がなかったのに何故か(・・・)間に合ってしまった。

 

「よっ――――と!!」

 

「っ!?」

 

 一瞬レーザーブレードと刀が鍔迫り合い、白い精霊が折紙のユニットを掴んだ(・・・)。そして、掴んだ手の力で身体を回転させ、精霊を薙ぎ払う光の刃を容易く避けながら背中のユニットに向けて、今度は勢い良く回転蹴りを叩きつける。

 

「防性随意領域、展開っ!!」

 

 それは折紙の一声で展開された随意領域によって防がれる――――が、少女はそれを足場に反動で跳躍、落下に錐揉みを加えながら刀を力任せに打ち付けた。

 

「く……っ!!」

 

 攻撃を防いだ折紙が苦悶の表情を浮かべる。防いだ事というより、随意領域を展開したこと自体が彼女の負担となっているようだった。少女から逃れる為か、衝撃を受け流すように折紙が地面へと向かって落下して行く。少女もそれを追いかける形で降りて行った。

 

『あのユニット、解体した方が早そうですわねぇ。あなたなら簡単な事なのではありませんの?』

 

「無茶言わないでくださいよ。大体、アレを壊したら鳶一折紙の首が飛びそうじゃないですか」

 

 事も無げに言うメイド狂三に、少女は呆れ半分で言葉を返す。ただでさえ正規の手段で持ち出したとは思えない品の上に、魔術師一個人が扱うには少々過剰な兵装だ。仮に壊しでもしたら、折紙の首一つで済むのか少女には怪しく思えてしまう。

 

『きひひ! こんな時に敵の心配だなんて、余裕の現れですこと』

 

「彼女は私の敵じゃないですからね。無闇に傷つける理由もないでしょう」

 

 これは、時崎狂三が間に関わっていない事柄だ。ならば鳶一折紙は少女の〝敵〟となり得ない。それ故、少女は折紙を倒しにかかるだけの理由がない。だからこそ、少女は折紙の足を止める事に専念していた。

 今、武力で止めたとしても知らぬところで繰り返しになるだけだ。折紙は、それだけの怨念を持って力を振りかざしている。ならば、彼女を止める可能性を持つのは、理由は不明だが折紙が過剰な執着心を見せる〝彼〟しかいない。

 

「〈イフリート〉は――――――」

 

 新たな精霊に構っている暇はない。憎き〈イフリート〉を倒し、一気に決着をつける。そうすれば全てが終わる。自分の生きる意味が、ようやく果たされる。この時のために、折紙は傍から見れば異常な程に己を鍛え上げてきた。

 砲門を構える。狙うは一点のみ、〈イフリート〉の反応がある方向へ砲門を向けた折紙は――――――

 

「折紙!!」

 

「――――士道、邪魔をしないで」

 

 〈イフリート〉の前に立ち塞がる、少年の姿を見た。

 

「止めてくれ折紙っ!! こんなこと……!」

 

「言ったはず。〈イフリート〉は両親の仇。その為だけに、私は生きてきた。生き抜いてきた。私の命はこの時のためだけにある。私は――――五河琴里を、殺す」

 

「…………っ」

 

 分かっていた。折紙が〈イフリート〉の正体を知ればどうなるか、士道には分かっていた。士道は、琴里が折紙の両親を殺したなど信じてはいない。だが、折紙からすればそんな士道の情は関係ない。五年前に生まれたあの地獄を生み出したのは、折紙の両親を奪ったのは〈イフリート〉だと。全てを焼き尽くす炎の精霊だと、彼女は信じ切っている。否、信じ切るしかないのだろう。

 それが彼女の生きる意味、彼女はその道から戻れない(・・・・)――――――

 

 

『本当に――――――お優しい人』

 

 

 士道の脳裏に過ぎったのは、自らを殺そうとする悲しい女の子の姿だった。

 

「駄目だ……駄目なんだよ折紙……その引き金を引いたら、お前は戻って来れなくなるっ!!」

 

 折紙と彼女の姿が酷く重なった。違う、きっとこれは折紙の未来(・・)だ。罪を背負ってしまう、彼女の未来の姿だ。

 折紙が引き金を引き、士道の後ろで倒れている琴里を殺す。その一撃、たった一撃で折紙の心は死ぬ(・・)。自らを殺した折紙は、二度と戻ることは無い。そのままあらゆる手段で精霊を殺して、殺して、殺し続けて――――やがて自らの命すらも殺すだろう。

 

「俺は、そんなお前を見たくない!! 俺は二度も(・・・)見過ごすわけにはいかないんだよ!!」

 

 心を殺す行為を、士道は許容出来ない。五河士道という少年は、そういう(・・・・)感情に恐ろしいほど敏感だ。

 奪った命の上に立っていると、だからこそ戻れない(・・・・)のだと、地獄に堕ちようと構わないと彼女は言っていた。気高くも儚い少女の姿に士道は心が痛くなった、苦しくなった。救ってみせると誓った。

 だから折紙に引き金を引かせるわけにはいかない。悲しみを背負う人を、目の前でその二人目(・・・)が生まれようとしているのを黙って見ているわけにはいかない。愛する妹と、大切な友人を失いたくない。

 

 そして――――どんな形であれ、自らを殺そうとする行為を少年は絶対に見過ごせない。

 

 

「――――構わない。この手で精霊を、〈イフリート〉を殺すために……私は、それを望んでる」

 

 

 それでも、止まらない。五年前の復讐鬼は矛を収めない。憎悪と、士道の言葉による迷いが織り交ぜられたその瞳は変わらず、士道と琴里を射抜く。

 

「っ!」

 

 折紙が身体を浮かせ大きく身を引く。彼女のいた場所へ、白い刃が振り下ろされた。

 

「お前……」

 

「まったく、強情なところまで似てるだなんて――――本当に、やり辛い」

 

 折紙と士道の間に入るように現れた白い精霊は、誰に言うわけでもない愚痴にも似た言葉をこぼした。士道の声に答えたという訳ではなく、独り言のようなものだ。

 

「……退いて」

 

「出来ませんね。あなたの戦う理由も知りましたし、悪いとは思いますが私もこちらに肩入れする理由があるんですよ」

 

 白い精霊が刀を構える。その白とも無色とも言えぬ、正体不明の刃を。折紙も苦々しい顔で、少女を突破すべく思考を巡らせている。

 

「く……そっ!!」

 

 折紙を止めたい。けど、士道にはその力がない。言葉を尽くすだけの時間もない。

 何か、何かないのか。折紙を止められるだけの手段を、方法を、士道は見つけ出さなければいけない。爪がくい込み血が出そうなほど(・・・・・・・・)拳を握りしめた士道が――――――一つ、届いた。

 

「ぁ……」

 

 あった、自分だけに出来る……世界に自分だけが持つと言われる〝力〟が士道にはあった。小さく声を発した士道が、再び口を開く。今度は明確な意思を持って。

 たとえ詭弁だとしても、彼はこの可能性に賭けた。賭ける物は己の命。死ぬつもりはない、少年には人生をかけて救うと決めた女の子がいるのだから。けれど、可愛い妹のために己の命をかける事にも、躊躇いなど必要なかった。

 

「折紙、答えてくれ! お前が仇だと狙うのは〈イフリート〉なんだよな? 死の淵からでさえ蘇って、全てを焼き尽くす炎の精霊……そうだよな!?」

 

「……そう」

 

 当たり前の事を聞いた士道に僅かに眉をひそめつつも、短くそれは正しいと折紙は簡潔に返答した。少女も士道の意図が読めないと言うようかのように少し視線を向けて来た。が、彼が次に吐いた言葉で少女は彼の意図を理解する。

 

「なら、俺の妹――――五河琴里じゃなく、炎の精霊〈イフリート〉が相手って事だよな!?」

 

「……何を言っているの?」

 

「五河士道、あなたまさか……っ!?」

 

 少女が息を呑む。白い少女がどこまで自分の事を知っているのか、なんて疑問は彼方まで追いやられている。士道はただ、必死に言葉を続ける。

 

「答えろ!! お前の仇は炎の精霊……人間である俺の妹は関係ないんだな!?」

 

「……あなたの言うことは不可解。確かに私の仇は炎の精霊、〈イフリート〉。人間ではない。でも、五河琴里は精霊。その条件は成立し得ない」

 

――――いいや、成立する。折紙のその言葉を士道は待ち望んでいた。

 

『きひ、きひひひひひひひっ!! どこまでも欲深い(・・・)方ですわねぇ士道さんは! 琴里さんも折紙さんも『わたくし』さえも諦めない。そのためなら自らの命すら顧みないその精神。えぇ、えぇ。面白いですわ、素晴らしいですわ!!』

 

「……流石は、女王様を口説いた命知らずな人」

 

 鳶一折紙が狙っているのは〈イフリート〉。つまり、自らが(・・・)〈イフリート〉になれば良い。五河士道はこう言っているのだ。

 あまりにも無謀。復讐鬼を止めるため、自らがその対象になろうなど狂人にも等しい考え方だ。琴里も折紙も諦めない、だから自分の命をかけてこの怨念を受け止めようと言うのだ、彼は。これでいて、命を捨てるという後ろ向きな考えはないのだからタチが悪い。命の価値を分かっているからこそ、少年は命をかけることが出来るのだから。

 

 みんなを救いたい。綺麗事で終わらせようとせず、彼はこの言葉を行動に移してしまえるのだ。彼女の言う通り、どこまでも――――優しい(欲深い)男だ。

 

「……それが成立する。そう言ったらどうする、折紙」

 

「……どういうこと?」

 

「お前の言う不可能を、俺なら可能に出来る!! だから頼む……俺と琴里に少しでいい、時間をくれ」

 

「認められない。この状況では、あなたが〈イフリート〉を逃がすための詭弁としか考えられない。〈イフリート〉を討つ最大の好機を、こんな事で逃すわけにはいかない……!!」

 

「では、その時間を作りましょう」

 

 刹那、白い精霊が折紙の眼前に迫った。咄嗟にレーザーブレードを自身の前に掲げ、振り下ろされる刃を防ぐ。

 

「邪魔を、しないで!!」

 

「出来ない相談です。優しい復讐鬼さん」

 

「バカにしてっ!!」

 

「折紙――――!!」

 

 鍔迫り合いのまま、折紙は士道の声を聞いた。刃の先にある、彼の悲痛な表情も、見てしまった。

 

 

「綺麗事かもしれない。俺だって、父さんや母さんが殺されたら、殺した相手を憎んじまうと思う! 矛盾してるのだって分かってる!! それでも俺は、可愛い妹が殺されそうになってるのを無視することは出来ないし、大事な友達が絶望に浸っちまうのを黙って見てることも出来ないんだよ……ッ!!」

 

「…………っ」

 

 

 折紙の剣先が鈍る。憎悪に満ちたその瞳に迷いが生じていた。彼女だって分かっている筈だ、これは繰り返している(・・・・・・・)だけなのだと。憎しみを抱き、憎しみをぶつけ、また新たな憎しみが生まれる。そんな事、分かっているはずなのだ――――理屈で分かっていても、止められないから人はそれを憎悪と呼ぶのだろう。

 

「それ、でも――――私は!!」

 

「……!」

 

 力ずくでがむしゃらに薙ぎ払われた巨大な刃が、白い少女の小柄な身体を投げ飛ばした。その間に砲門を〈イフリート〉へ向け、士道だけを守るための防壁を展開し、全てに終わりを告げる引き金を――――――

 

「――――させるかッ!!」

 

 凛とした声が轟くと同時、備えられた二門のうち片方が何者かが振るった刃によって切断された。

 

「!?――――夜刀神十香……!!」

 

「無事か。シドー、琴里……それに通りすがりの人」

 

「十香!」

 

「これは良いところに、良いタイミングで来てくださいましたね」

 

 降り立った女王は憎々しげに名前を呼び睨みつける折紙と相対し、水着の上に淡く光るドレスを纏い両刃の剣を握る。極めて限定的ながら霊装と天使を顕現させている十香がこの場に現れた、という事は――――

 

「この――――くっ」

 

 折紙がミサイルを放つ動作を中断し空中へ飛び立つ。彼女の攻撃を遮ったのは一筋の光――――白銀の冷線。あらゆるものを凍てつかせる強烈な冷気。その奇跡を起こせる天使を持つものは、たった一人、否、二人(・・)しかいない。

 

「四系乃まで……!」

 

「はい。大丈夫、ですか……士道さん、琴里さん…………えっ、と……」

 

 不完全な顕現のためか、以前より小さめの、それでも少女を乗せるには十分なウサギの人形が舞い降りる。少女、四系乃は士道と琴里に声をかけてから、少し困ったようにチラリと白い精霊に視線を投げかけた。恥ずかしそうに、というより困惑に近い。多分こんな状況でなければ士道か十香の後ろに隠れてしまいそうな四系乃に、少女はそう言えば向こうからは初対面だったかと名乗り……とも言えぬ声を発した。

 

「……あぁ、私ですか。夜刀神十香と同じ呼び方で構いませんよ」

 

『って事は通りすがり人ー? やっはー、変な人なんだねぇ』

 

「よ、よしのん……!」

 

「名乗るような名前もありませんから……変な人は、ちょっとだけ傷つきますけど」

 

 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉から発せられたよしのんの容赦ない酷評に慌てた様子の四系乃。少女としてはどう呼ばれようと構わないのだが、純真な言葉というのは時に残酷に突き刺さるものだった。

 

 一瞬、和やかな空気が流れたがそれは即座に霧散する。放たれた無数のミサイルが、割って入った二人へ降り注いだ。

 

「ぐ……!」

「きゃっ……!」

 

「十香! 四系乃!」

 

 お互いの武器で辛うじて退けたものの、威力を殺し切れていない。士道の目から見ても今の折紙を相手にするには、彼女たちが本来使える全力の一割にも満たない力しか発揮出来ていない。如何に精霊と言えど、このままでは……と、士道の前に立つ白い精霊がそんな士道へ言葉を放つ。

 

「五河士道、妹を連れて早く行ってください。アレの足を止めるのは少々と手間です」

 

「なっ……」

 

「シドー、その者の言う通りだ! ここは私たちに任せるのだ!!」

 

 降り注ぐミサイルを捌き、十香が叫ぶ。白い精霊がいるとはいえ、今の十香たちが折紙とぶつかってただで済むとは思えない。だが、今の状況では一瞬の迷いすら許されない。続けて四系乃がか細い、しかし強い意思で士道に声を届かせる。

 

「そんなに、長くは……保ちません……! だから……!!」

 

「出来るだけ早く済ませてくださいね。私は女王様と違って、あまり器用な事は出来ませんので」

 

「……すまん!!」

 

 息を荒くし、もはや一刻の猶予もない琴里を抱いて士道が駆け出す。彼が今するべきこと、それが彼女たち全員を助ける事に繋がる。そうして、彼女たちの希望は走る。

 

「逃がさない……!!」

 

「こちらの、台詞だっ!!」

 

 士道を、琴里を追おうと加速する折紙へ向かって十香が空中で激突し、お互いの刃をぶつけ合い衝撃と轟音を響かせる。同時に、折紙にとって不愉快な声が発せられた。

 

「もう止めるのだ、鳶一折紙!! こんな事をしても意味などないっ!!」

 

「あなたに何が――――!!」

 

「分かる!! あの時の事を、お前がシドーにした事を忘れたのか!!」

 

「……!!」

 

 鮮明に蘇る。あの時(・・・)。そう、彼女はあの時、大切な少年を、士道を撃った(・・・)、撃ってしまった。その瞬間、絶望(・・)的な想いに打ちのめされた。

 

 

「私はあの時、とてもとても嫌な気持ちだった!! 辛かった、苦しかった!! 貴様もそれを知っているのではないのか!? それなのに今度は――――――シドーに同じ想いを味わわせるつもりかっ!?」

 

「ぁ――――――」

 

 

 誰よりも鳶一折紙は知っていた。知っているからこそ、彼女は二度と同じ悲しみを繰り返さないために両親の仇を討つと誓った。だが今、自分は同じ事を繰り返しているのではないか。士道の言うように――――――憎むべき〝精霊〟が言うように。

 

 

「あ――――――うあああああああああああああああああっ!!!!」

 

 

 絶叫。絶望と憎悪と悲しみと、様々なものが入り交じり制御不能となった力は容易く十香を吹き飛ばし、幾多のミサイルを解き放って目の前の障害を討滅せんと空へ舞い踊る。そして――――魔力光が残された砲門へ収束(・・)を始めた。

 

「くっ、すまぬ。助かったぞ」

 

「いいえ、このくらいしか出来ることがありませんから――――っ」

 

 吹き飛ばされた十香を半ば突進するような形で抱え、ミサイルから逃れ地上へと着地した少女がその光に気づく。十香も四系乃も同じだ。片方を失っているとはいえ、あの砲撃はミサイルとは訳が違うと全員が感覚で察する事が出来た。

 

「あんなの本人にも負担がかかるでしょうに、振り切ってヤケになってる人はこれだから……! お二人とも、持てるだけの火力をぶつけられますか?」

 

「は……はい……!」

 

「うむ! だがそれだけでは……」

 

「分かってます。私も手伝いますから、逸らすことが出来れば良いんです――――来ます!!」

 

 少女の警告から一秒と経たず、破壊をもたらす極光が解き放たれた。

 

 

「討滅せよ!!――――〈ブラスターク〉!!!!」

 

 

 光が猛スピードで彼女たちの視界を覆い尽くす。喰らえば一溜まりもない。その規模を予測すれば、回避は元より不可能。四系乃が氷の壁を作り出すが、それでもまだ不十分。

 

「はあっ!!!!」

 

「よしのん、お願い……!!」

『おうともー!!』

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の斬撃と〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の冷線が放たれる。本来の威力を持たないそれは、やはり討滅の光を止めるには至らない。故に、少女は更にもう一手を文字通り投げつけた(・・・・・)

 

 

「行って、来なさい――――!!」

 

 

 色のない刀が、光へ向かって槍のように放たれる。それは――――――なんの変哲もないただの投擲(・・)であった。

 

「……良いのか!?」

 

「良いんですよ、どうせ硬いことしか取り柄がないんですから!!」

 

 持ち主が良いと言えば良いのだ。目を丸くする十香と四系乃と共に、少女は氷の壁へ素早く身を隠しながら質量を持った四つの力が衝突する爆音を聞いた。

 凄まじい衝撃波が襲い掛かり、四方八方に破壊の光が拡散して行く。その中の一つが、士道がいると思われる方向へ流れたのを見て少女は目を見開く。

 たとえ拡散した一つでもあの威力の一部分、今の五河士道に当たりでもしたら――――それが爆風をもたらすほんの数瞬の間に、少女は霊力が流れて行く(・・・・・)感覚を肌で感じ取った。

 

 遅れて爆発が起き、鳶一折紙がその方向へ向かって飛び立つ。少女もそれを追いかける形で神速となり、駆けた。五河士道が目的を果たしたのだと、その確信を持って。

 

 

 

 

 

「し、どう……?」

 

 いつになく狼狽を顕にした折紙の声が聞こえてくる。それを聞いた士道は、自らが望んだとおりになったのだと確信した。が、まだ終わりじゃない。さっきまでとは違う『記憶』を得た……いや、琴里と共有したという方が正しい。

 

 霊装が消え、天女のように美しい裸身となった琴里を庇うように立つ士道。琴里を光から庇って重傷を負った筈の彼から、()が這っている。まるで――――忌むべき〈イフリート〉のように。

 

「……折紙。お前は言ったよな。自分の仇は〈イフリート〉であって、人間の五河琴里じゃないって。見ての通りだ――――――今は、俺が〈イフリート〉だ。だから、殺すなら俺を殺せ!!」

 

「な、に……が……」

 

 常人の遥か数倍を行く折紙の頭脳を持ってしても、目の前の光景が理解できない。理解したくない。自分は悪しき〈イフリート〉を追い求めていた筈なのに、なぜ、なぜ――――彼に精霊の力が移ったのか。

 

 驚愕する折紙の前に、〝白〟が降り立つ。今の彼女は、それを見ても攻撃行動どころか警戒すら出来ないほどに混乱していた。少女が士道へ視線を向ける。顔こそ見えないが、少女の意図を理解した士道が頷いた。

 

「大丈夫だ、俺に任せてくれ……琴里を頼む」

 

「……はい」

 

 二人の位置が入れ替わる。士道は再び折紙の前へ、少女は琴里の側へ。少女が膝をついて琴里を見やる。横たわる天女の身体には、傷一つなかった。さっきの爆発から、士道が琴里を命懸けで守った事の証明だった。

 

「聞いてくれ折紙。やっと、思い出したんだ。五年前の、あの時のこと」

 

「……っ、五年前、〈イフリート〉が、私の両親を――――――」

 

「琴里は、精霊の力を得てそれが封印されるまでずっと俺と一緒にいた! 火事は確かに〈イフリート〉の力が原因だ……でもそれは琴里の意思じゃない! 琴里は自分の手で人を殺してなんかいなかったんだよ……!」

 

「そ、んな、はず……」

 

 士道の言っていることが本当なら、それは折紙の生きてきた意味を、アイデンティティを崩壊させるに等しい。彼女が認められる筈がなかった。

 

「そんな筈がない! 私は見た! 両親を殺した精霊を!!」

 

「ああ、いたんだよ、もう一人(・・・・)。琴里をこんな目に遭わせた〝精霊〟が……っ!!」

 

「な……」

 

 琴里と共有した記憶の中に、それは確かにいた。琴里に精霊の力を与え、封印する方法を教え、この記憶を封じ込めた異形の者が。そして、それを知っている(・・・・・)のは士道と琴里だけではなかった。

 

「……えぇ。五河士道の言う通りです」

 

 白い精霊が、立ち上がり真っ直ぐに告げる。

 

「五年前の大火災、その現場には確実に(・・・)もう一人〝精霊〟がいました。でなければ、説明が出来ないんですよ」

 

 五河琴里が精霊の力を手にした。であるならば、逆説的に彼女(・・)がいなければならない。そうでなくとも、現場の近く(・・・・・)に狂三と共に様子を見に来ていた少女には、誰に与えたかは分からずとも誰が与えたかは理解出来ていた。

 

 それが――――三十年前の亡霊(ファントム)だと。

 

「その言葉を、信じろと言うの?」

 

「私の言葉は信じられなくても、五河士道の言葉なら、あなたは信じられるのでは?」

 

 折紙の表情が歪む。おそらく、五河士道が提示できる情報はここまでだ。後は鳶一折紙が彼の言葉を信じるかどうか。少女もそこまでは分からない。

 

 ――――――少女にとっては、亡霊が彼女の両親を殺したというのは些か疑問ではあったが。

 

「……本当は、信じたい。でも、そんなこと――――っ!?」

 

 光の刃にノイズが走り、折紙が苦しげに膝をついて大型の武装が地面に落ちた。

 

「活動、限界……こんな、ところで……!」

 

 それは当然の結果だった。彼女が〈イフリート〉を討つために持ち込んだこの〈ホワイト・リコリス〉は、顕現装置を扱うに当たり天才的な才覚を持つ折紙ですら恐ろしい負荷がかかっていた。それを力技で動かし、強引な攻めを繰り返していたツケがこれだった。だが、折紙はまだ力を振り絞って銃を抜こうとする――――彼女に、士道の声が響いた。

 

「頼む、信じてくれ! どうしても信じられないなら、俺を討て! もう琴里は関係ない……あいつが俺を救ってくれた、今の俺がいるのはあいつがいるからなんだ!!」

 

「私……は……」

 

「俺から琴里を奪わないでくれ(・・・・・・・)!! 大事な、かけがえのない妹なんだ――――俺を、信じてくれ……ッ」

 

 折紙が、逡巡を見せた。仇を討つ気があるなら、これを逃せばもう機会は巡ってこないかもしれないのに。それが、答えだったのかもしれない。彼女は――――力なく、その場に倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

「――――ありがとう。また、助けられたな。俺の妹を守ってくれて、本当に感謝してる」

 

 折紙が倒れてからそう時を置かず、まず士道は目の前の少女へ頭を下げて礼を述べた。これで、少女に感謝を告げるのは二度目という事になる。助けられっぱなしだから、せめて礼だけはしっかりと届けたかった。

 あの後、十香と四系乃がすぐに合流して、少女がインカムを渡してくれた――――なぜ士道が置き去りにした物を少女が持っていたかはともかく――――事によって琴里を含めて〈フラクシナス〉に回収してもらった。

 士道だけは、令音に無理を言ってこうして残っている。どうしても少女に聞きたいこと、そして言いたいこと(・・・・・・)があったからだ。

 

「相変わらず律儀な人ですね。けど、今回は受け取るつもりはありませんよ」

 

「え……?」

 

「私が力を貸したのは個人的な理由です。あなたに〝借り〟があったから、それをお返ししただけですよ」

 

 瓦礫に座り、そう言う少女に士道は困惑の表情を返す。逆ならば分かる。士道は二度も助けて貰ったのだから。しかし、少女へ何かをした記憶も返した記憶もない。

 

「……別に深く考えなくても良いです。あなたにとっては当然の行動が、私にとっては〝借り〟になっただけなんですから。それで? わざわざここに残ったんですから、私に何か言いたいことがあるんじゃないですか?」

 

「あ、ああ……」

 

 士道を相変わらずと言ったが、少女も相変わらず掴みどころがないなぁと苦笑する。

 

「……答え、聞いてもらってもいいか?」

 

 以前の、少女の問いかけ、その答えを。少年は既に手にしていた。納得してもらえないかもしれない、バカだと笑われるかもしれない。でもこの答えは、少年の中でたった一つの正しい答えだと、自信を持って言えた。

 少女は答えこそしないが、促すように彼を見つめていた。沈黙が肯定の代わりだった。

 

「みんなが〝悪〟って断言する〝最悪の精霊〟がいたら、俺はどうするのか……だったよな」

 

「はい。では、聞かせてください。あなたの答えを」

 

「――――救いたい。たとえ世界中の人に否定されたとしても、俺はその精霊を救いたいって思う」

 

 迷いはない。以前の困惑するだけだった五河士道とは違う、強い想いを宿した瞳が真っ直ぐに少女を射抜く。

 

「それは、正義感ですか? それとも同情ですか?」

 

「いいや。多分、それよりもっと酷い理由だ。俺は――――」

 

 士道のもたらす救いが、その精霊にとっての救いになるのかなんて分からない。エゴの押し付け、なのかもしれない。そうであっても士道は、この道を選ぶ。たとえ何度世界が巡ろうとも、何度世界が覆ろうとも、あの一瞬の出会いがある限り、五河士道はこの道を選んでしまうのだろう。

 

 

「――――好きなんだ、そいつの事が。自分じゃどうしようもないくらい……だから、俺はあいつを――――――狂三を、救う」

 

 

 時崎狂三を愛して(・・・)しまった。それが間違いであるか、そんな事は知ったことではない。いや、この気持ちが間違いだなんて誰にも言わせない。我欲にまみれた気持ちだとしても……この選択は決して、間違ってなどいない。士道は、そう信じた。

 

 沈黙が落ちる。今度は肯定か否定か、士道には分からない。長く、短いような沈黙は、少女の言葉によって引き裂かれた。

 

「――――ああ。それは、私が一番(・・)信じられる理由ですね」

 

 失笑でも、バカにした声でもなかった。強いていえば、少女が優しく微笑んでいる気さえしたことに、士道はポカンとした顔になる。

 

「……笑わないのか?」

 

「なんで笑う必要があるんですか。我が女王をあなたが好きだと言った。それを私が信じた、それが答えです」

 

「そういうもん、なのか……」

 

「そういうもんです。そうですね、強いて言えば――――強情で、苦労しますよ、あの子は」

 

 冗談めかして放たれた言葉を理解して、士道は……笑った。ああ、それは士道が本当によく痛感した事だった。

 

「く、はははは!! そうだな、よく知ってる。少し強情かもしれないけど、そこも可愛いだろ?」

 

「えぇ。それと、これからも迷惑をかけると思いますよ。我が女王は気まぐれでいらっしゃいますから」

 

「上等だ。むしろ大歓迎なくらいだぜ」

 

 迷惑をかける、という事はまた彼女に会えるという意味だ。なら歓迎する他ないだろう。自信満々に言う士道に、少女は今度こそ声を上げて笑う。

 

「ふふっ、そう来なくては……あなたも気になっていたのでしょうけど、狂三は無事ですよ。ご安心を」

 

「……そっか。良かった」

 

 士道が聞きたかった事を先読みしたのだろう。その言葉に、彼は安堵の息を吐く。多分、少女が狂三の一番近くにいる存在だ。そんな確信がある。その少女が狂三の無事を告げてくれたのなら、心から安心する事が出来る。

 

「……狂三は意地っ張りで、気難しくて、回りくどい子ですけど、あなたの想いはきっとあの子に届いてます。だから、待っててあげてください」

 

「ああ、分かった……そう言えば、令音さんも似たようなこと言ってたな」

 

「……ん」

 

 後半は呟くような小さな声で出てしまったのだが、聞こえてしまったのか少女が奇妙な反応を示したことに士道が首を傾げる。

 

「どうかしたのか?」

 

「……いえ、なんでも。それより、そろそろ鳶一折紙を追ってASTが来る頃です。あなたも妹さんが心配でしょうし、ここでお別れですね」

 

 そう言って立ち上がる少女と士道の視界の先にいるのは、寝かされて目を覚まさない折紙。こんな事をしでかした以上、AST側の処分も軽いものでは済まないのだろう。しかし、今の士道に出来ることはその処分が決まるのを待つことだけだ。そこに関してはAST側の問題である以上、士道にとっても少女にとっても平等に同じ事であった。

 

「そう、だな…………色々と、ありがとな! 受け取らないって言ってたけど、それでも言わせてくれ」

 

 いらないと言われても、しつこいと言われても士道は伝えたいと思い背を向けた白へと声を飛ばした。大切な妹を助ける手伝いをしてくれたこと、だけではない。あのとき(・・・・)自分たちを助けてくれたこと。確証なんてなかったけど、少女がいたから自分と狂三……そして琴里が望まぬ意思で殺戮を行わずに済んだのだ。

 歩き出そうとしていた少女が振り返り、白いローブが揺れる。

 

「――――礼を言うのは、私の方です」

 

 少女の全ては狂三の為にある。それ故に少女は五河士道の事を信じられる。おそらく、自分自身(・・・・)より余程。だから、礼を言うのは少女の方なのだ。それこそ様々な事で、どれだけ感謝を述べたところで足りない。

 そう、彼は自身の〝計画〟に欠かす事が出来ない存在となったかもしれないのだから。

 

 

「ありがとう、五河士道。狂三を好きだと言ってくれて――――――またお会いしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そう言えば、あなたの言う〝借り〟とは結局なんの事でしたの?』

 

「……本当に簡単な話です。五河士道が狂三の事を身を呈して庇ったこと――――それだけですよ」

 

『――――き、ひひひひひひ! それはそれは、実に簡単ではありますけど、とてもとても大事な理由ですわねぇ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「……あ、聞き忘れてたわ。ねぇ士道、あの白い精霊と話して何か分かったことはあったの?」

 

「あいつのこと? うーん……」

 

 お互いに言いたいことを言い合って――――あまりに堂々と行われる買収行為もあったが――――艦橋から出て行こうとした琴里が、再び足を止めて思い出したように士道へ問いかけた。

 

 白い少女。二度も自分たちを助け、まず間違いなく狂三と関係がある精霊。逆に言えば、それ以外の情報は何一つ掴めていない。だがまあ、今日の邂逅で一つだけハッキリとした事があった。

 

「……分かったのは信用出来る、ってことぐらいだなぁ」

 

「何よそれ。二回も私たちを助けてくれたから?」

 

「それもあるけど――――多分あいつ、俺と一緒だから、かな」

 

 はあ? とその発言に半目で見る琴里に、士道は説明のしづらさに頬をかく。本当に漠然と、少女の言葉と込められた想いからそう思っただけなのだ。ああ、想いのベクトルは違うのかもしれない。でもこの子はきっと俺と同じ(・・・・)なんだと。

 ちゃんと説明しなさいよ、と詰め寄ってくる琴里にさてどうするかと思っていると……士道の携帯がメッセージの着信を告げた。

 

「あ、すまん。一体誰から――――!!」

 

「……何よ。そんな来週は特別放送なので番組はお休みです、みたいなこと言われたような顔して」

 

「……狂三から、連絡が来た」

 

「…………はあああああああっ!?」

 

 たっぷり間を置いてから、長時間の検査を終えた病み上がりとは思えない驚きを見せる琴里だったが、驚いたのは彼女だけではなく近くにいた令音も少なくない動揺を見せていた。

 士道はというと……自分でも驚く程に、この中では一番冷静だった。連絡に関して驚きこそしたが、狂三に関しては腹を括りすぎたのか一周回って冷静でいられた。人生をかけるとまで言ったのだ、この程度で驚いていられない……狂三本人を目の前にした場合は、情けないが保証はしない。

 

 

「……狂三は、何を送ってきたんだい?」

 

「――――夜のデートへのお誘い、ですかね」

 

 

 ご丁寧に時間まで記されたそのメッセージは、しかし簡潔に、それでいて士道にだけ分かるような物だった。

 

 

 ――――約束の場所で、会いましょう。

 

 

 あの出会いが始まりだとしたら、その約束は二人の運命を大きく狂わせたもの。様々な想いが交差したこの歪んだ物語に、一つの決着と新たな始まりを。

 

 さあ、答えを出そう。何故なら――――二人の戦争(デート)は、まだ終わってなどいないのだから。

 

 

 







誰が狂三を愛しているか。
狂三がいないのに二人とも狂三の話ばっかしてる……何となく白い精霊を掴んだ士道くん。ある種のシンパシー。中身は親愛、情愛、愛情、まあ種類は違いますけどね。
というか琴里編なのに原作と違わない部分はバッサリやったから琴里の出番自体は他の章の方が余程多くなるって言う矛盾、これ如何に。

次回はいよいよ狂三パート。この章も残すところ二話となりました。物語としては一区切りになるお話、どうかお付き合いいただければ幸いです。

感想、評価などなどとても嬉しくモチベーションに繋がるのでどしどしお待ちしていますー


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第二十四話『愛を捧げられし少女』

対応するタイトルが士道くんの復帰回。であるならば……


 

 

 目を覚ました狂三が認識したのは、見覚えのないマンションの一室だった。

 

「……あら?」

 

 見覚えがない、と思い浮かんでから彼女がその思考に疑問を感じて小首を傾げる。見覚えがないなら、なぜ今自分はマンションの一室(・・・・・・・・)だと思ったのだろうか?

 辺りを右に左に見渡すと、部屋として必要な物は一通り揃っているのが分かる。そして、その配置がまるで自らが行った(・・・・・・)かのように自然だった。

 

 一致しない記憶と認識に頭を混乱させている彼女の元に、誰かが鳴らした部屋のチャイムが届いた。

 

「……?」

 

こんな時間から(・・・・・・・)チャイムが鳴るだなんて珍しい――――ああ、また頭が混乱する。なぜ自分は、今の時間が早朝(・・)だと知っている?

 理解が追いつかない頭とは違い、身体は自然と玄関に向かって動いていた。廊下を渡り、やたら分厚いドアを狂三が開ける。

 

「――――おはようだ、狂三!!」

 

「……十香、さん? おはよう……ございます?」

 

制服(・・)に身を包み、元気一杯な挨拶をする夜刀神十香の姿が扉の先にはあった。恐ろしいまでに整った顔立ちから繰り出される愛くるしい笑顔は、自覚がある美少女の狂三をしても眩し過ぎると言い切ることが出来た。あまりに突然の事で、彼女にしては珍しく歯切れが悪い挨拶をしてしまった。その様子を見た十香が、首を傾げながら声を発した。

 

「む、どうしたのだ狂三。もしや、調子が悪いのか?」

 

「え……い、いえ。なんでもありませんわ。それより、十香さんの方こそこんな朝早くにどうなされましたの?」

 

「狂三こそ何を言っておるのだ。今日は学校(・・)へ行く日であろう」

 

「――――――ああ」

 

 十香の言葉を聞いて、ようやく彼女の中にストン、と納得が生まれる。

 今更、自分が十香と同じ制服(・・)を着ている事に気がついた。そうだ、なぜ忘れていたのだろう。今の狂三は十香と、そしてあの方(・・・)と同じ学校に通う――――()精霊なのだと。

 

 

 

「本当に大丈夫なのか? 何かあれば遠慮なく言うのだぞ」

 

「えぇ、ご心配には及びませんわ。少しらしくもなく、ぼんやりしてしまっていましたの」

 

「そうか……身体の調子が悪くなったら令音に見てもらうのだぞ!」

 

「はい。お気遣い感謝いたしますわ」

 

 先にこのマンションで人間の生活をしていた先輩……と言っていいのだろうか。そういう意味もあってか、十香は狂三をよく気にかけてくれていた。単純な人間生活、という意味合いでは人間社会に溶け込んでいた狂三の方が、実は圧倒的に先輩だったりするのだが……十香の気遣いが純粋に嬉しい狂三にとっては、どうでも良い事だった。

 それに、溶け込んでいたと言ってもこんな形で人間の少女らしい生活を送ることは、精霊になってから(・・・・・・・・)一度足りともなかった。

 

 これを、長らく忘れ去っていた、忘れようとしていたこの感情の名を――――――楽しい、というのだろう。

 

「……今日も、良い天気ですわねぇ」

 

「うむ! こんな日に食べるシドーの昼餉は、きっと物凄く美味しいのだろうな!!」

 

「うふふ、いつもはそうでないような言い方ですわね」

 

「なっ! そ、そんな事はないぞ!! シドーが作るごはんはいつだって美味しいのだ!!」

 

「もちろん、分かっていますわ。ちょっとした冗談ですわ」

 

 からかわれたと分かった十香がむぅ、と可愛らしく頬を膨らませ、狂三がそれを見てクスクスと笑みをこぼす。

 マンションの出入口へ向かうまでに行われるたわいのない会話。これが、なんてことの無い日常というもの――――一人の少女が心のどこかで望んでいた夢のような光景(・・・・・・・)

 

 

「おお、シドー! おはようだ!!」

 

「……!」

 

 自動ドアが開いた途端、十香が足早に駆け出して行く。その先にいた少年を見て、狂三は立ち止まった。少年を見ただけで、心臓の鼓動が高鳴る。沸き起こる歓喜の感情――――――同時に、狂三の聡明な頭脳がようやく正しく働いた。ああ、これはありえない(・・・・・)と。

 

 少年が十香を、そして狂三を見て笑顔を見せる。それは、屈託のないこの世で一番幸せだ、というのに相応しい笑みだ。毎日この微笑みが見られるだけで、きっと狂三は幸せな気持ちになれる。

 

「おう、おはよう十香――――おはよう、狂三」

 

 でも、そうはならなかった(・・・・・・・・・)。狂三はこの幸せな未来を観測する事は叶わない。時崎狂三は、時の精霊(・・)はこの未来を観測する資格がない。自らが観測者でないのなら、この未来を選び取る事は不可能なのだから。

 

 選び取らなかった(・・・・・・)未来。故にこれは幸福であり、残酷(・・)だった。それでも、狂三は笑った。この夢の続きを選び取った自分が、万が一にもいたのなら、どうかこの方の手を離さないようにと。

 

 

「おはようございます――――士道さん」

 

 

 ――――その優しい手を掴まなかった者の祈りにしては、歪で、滑稽だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……酷い、夢」

 

 こんな夢ばかり覚えているだなんて酷い話だ。狂三が身体を起こすと、以前感じた動けなくなる程の激痛は感じられなかった。あれだけのダメージがこんなに簡単に消えているという事は、自分の身体は精霊のまま……そんな当然の事実を確認してしまった事に、自嘲した表情を見せる。

 無くす事が出来たのに、それを選ばなかったのは他ならぬ狂三自身だと言うのに。

 

「お目覚めですか、我が女王。気分はいかがです?」

 

「……えぇ。不本意ながら、悪くありませんわ」

 

「それは何より。夢見が悪くないのは良い事です」

 

 備えられた椅子に腰掛ける白い少女の気取った言い回しに、寝起きにも関わらず慣れた対応を取る。最初に目覚めた時も近くにいたのだから、少女がいることはなんら違和感もない――――しかし、意識が落ちる直前、どこか雰囲気が違った気がした事を思い出し思わずじっと少女の顔を見つめてしまう。とはいえ、顔も何もローブに隠れて分からないのだが。

 

「……私に何か付いてます?」

 

「なんでもありませんわ。それより、わたくしが眠っている間の事を報告してくださいまし」

 

 如何に狂三と言えど、自身の意識がない時の事までは把握出来ない。あの後、何があったのか……あの方は、無事なのか。それを含めてすぐに把握する必要がある。普段なら分身体に報告させるところだが、少女がいるならそれでも問題はなかった。

 

「畏まりました、女王様――――あなたが回復に使った期間は三日と言ったところです。その間に、五河琴里の再封印(・・・)が成されました。鳶一折紙の暴走もありましたが、何とか全員無事に事は済みました……五河士道も含めて」

 

「……そう、ですか。折紙さんの暴走、とは?」

 

「五河琴里、〈イフリート〉が五年前に鳶一折紙の両親を殺した精霊……という誤解から彼女が強引に襲撃を仕掛けました。この襲撃の際、私が自己の判断で介入させていただきました。申し訳ありません」

 

「それがあなたの判断なら構いませんわ。わたくしは、あなたの意思を縛るつもりはありませんもの――――五年前の、精霊」

 

 五年前、炎の精霊――――――天宮市大火災。街を焼き払う焔、その業火を駆ける少年――――二人へ近づく〝何か〟の姿。そこまでキーワードとビジョンが浮かんだところで、狂三は頭痛を感じ顔を顰める。

 あの大火災は知っている。だが、狂三は突如起こった火災の様子を見に来ていただけ。なのに、なぜ自分はこんな光景を――――――そこまで考えたところで、狂三は少女の発した声を聞き思考を中断した。

 

「それともう一つ。申し訳ありません」

 

「……? なんの事ですの」

 

「言い付け……手を出すなという指示、破ってしまったでしょう」

 

 はて、と少し首を傾げてから、記憶を瞬時に掘り起こしようやく合点がいった。いったが、少女のあまりの律儀(・・)さに狂三は吹き出してしまう。

 

「そんなこと、謝る必要はありませんわ。あなたがいなければ危ないところでしたわ。むしろ、わたくしがあなたに謝らねばなりませんわ」

 

「狂三が……?」

 

「えぇ、えぇ。長くは待たせないと言いながら、わたくしが気まぐればかり起こしているせいで、あなたの〝計画〟が遅れていると思いましたの。でも、心配いりませんわ。わたくしは必ず士道さんを――――――」

 

「狂三」

 

 言葉を止める。いや、止められた。初めて聞く、少女の咎めるような(・・・・・・)声色に狂三は目を丸くした。

 

「私はあなたの指示、あなたの選択に従います。けど、それはあなたの選択ではない(・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

「私の〝計画〟を……あなたが道を選ぶ理由(・・)にしてはいけない――――逃げ道に、してはいけないんです」

 

 

 ――――ああ、嗚呼。この子の言う通りだ。

 

 今、時崎狂三は逃げた(・・・)。あの方を〝喰らう〟。それは、狂三が〝悲願〟を成す為に狂三自身が選んだ道だ。誰のものでもない、彼女だけが持つ激情によって選択されたもの。それを狂三は、たった今曲げてしまった。自分の〝悲願〟の為ではなく少女の〝計画〟の為にあの方を〝喰らう〟と、責任を別の物に押し付けて逃げ出したのだ。

 なんて、無様。なんて、愚か。自分が背負うべき咎を、狂三は都合よく逃れようとした。何より、そんな当たり前の事を言われなければ気づかない自分に、ほとほと呆れ返ってしまった。

 

「――――分かって、いますわ」

 

「……はい」

 

「分かっています。士道さんはわたくしの〝悲願〟に必要なお方なのですわ。そんなこと、わたくしが一番わかっているのですわ。だから、だから……」

 

「……選べないでしょう。今のあなたには。自分をあんなにも追い詰めて、自暴自棄になっても、狂三は五河士道を取り込む事をしなかった。それは――――――」

 

 その先の言葉は、狂三が一番よく分かっていた。

 時崎狂三は致命的な想いを抱いてしまった。それは修羅を征く者には不要で、不条理で、必要のないものだった。しかし、それを切り捨てることが出来ない。狂三には、出来なかった。

 ちぎれんばかりにシーツを握りしめ、感情を押さえ込もうとする。けど、出来なかった。

 

 狂三は初めて(・・・)、少女の前で感情をぶちまけた(・・・・・)

 

 

「えぇ、えぇ。分かっています――――分かっていますわ、そんなこと!! 認めて差し上げますとも!! わたくしは、士道さんの意志を蔑ろにしてあの方を喰らうだけの覚悟も強さもないと!!!!」

 

 

 情を抱いた。どんな時でも厳しく自分を律してきた彼女が、偶然にも抱いてしまった感情。嫉妬であり、憧れであり……優しいからこそ、失わせてしまった命に報いる為に地獄を選んだ少女が、その光を求めてしまうのは偶然であり、必然だった。

 

 

「なら、どうしろと言うんですの!! わたくしは立ち止まってはいけないのですわ!! 悲願を諦めて――――――紗和さんを見殺しになど絶対に出来ませんわ!!!! なのに、なのに、どうして……わたくしは……」

 

「…………」

 

「わかっていますのに、これしかないと。ですのに――――どうして、わたくしが(・・・・・)士道さんと出会ってしまったのでしょうね……」

 

 

 出会わなければ、きっと違う未来があったはずなのに。でも、出会ったからこそ狂三はこの想いを抱いた――――それを否定したくない心が、まったくもって憎たらしい。

 肩で息をして、放っておけば泣き出してしまいそうだった。いつもの超然と、自信に満ち溢れた狂三の姿はどこにもなかった。だから、少女は――――――

 

 

「……狂三」

 

「なんで――――きゃっ!?」

 

 一発、デコピン(・・・・)をお見舞いしてやった。

 

「っ、い、いきなり何をいたしますの!?」

 

「そのままだと泣きそうな顔してたので。泣くなら私の前じゃなくて五河士道の前で泣いてくださいね、我が女王」

 

「なっ。だ、誰が……っ!!」

 

「――――沢山、悩めば良いじゃないですか」

 

 え? と額を押さえて呆然とする狂三を見て、少女はローブの下で微笑んだ。

 まったく、色々と急ぎ過ぎなのだ……この愛おしい女王様は。

 

「急ぎすぎなんですよ。狂三は頭が良いから、さっさと結論出してしまいますけど、選べないならもっと悩んで良いんです。止まったっていい、弱音だって私の前で遠慮せず吐けば良い」

 

「けど、わたくしは……」

 

「止まれない。そうでしょうね。でも、立ち止まってもまた(・・)歩き出せば良い。悩んで、いっぱい悩んで、答えを見つけてから動き出しましょう。他の誰が、あなたが立ち止まることを許さなくても――――私が許します(・・・・・・)

 

 許されない。彼女はそう言った――――なら、少女がそれを許そう。傲慢だと言われようと、誰が時崎狂三を否定しようと、少女だけは狂三を受け入れると。

 

「例えばそうですね……こんなのはどうです? 狂三はさっき五河士道の意志を蔑ろにして、と言いました。だったら、五河士道に(・・・・・)そう言わせてやれば良いんですよ」

 

「……は?」

 

 何を言っているのだ、この子は。という表情で見やる狂三に、少女は構わず観衆を笑わせるピエロのように言葉を続ける。

 

「ですから、狂三の魅力で言わせてしまいましょう。ああ、ああ、狂三様。どうかわたくしめをあなたに捧げさせて(・・・・・)くださりませんか……とかね。そうすれば彼は狂三と一緒にいられて、狂三も悲願を果たせてお互いウィンウィンの関係。ほぉら、万事解決でしょう」

 

「――――ぷっ、ふふふふ……な、なんですのそれ。めちゃくちゃですわ、狂人の発想ではありませんの!」

 

 ああ、おかしいですわ。と心から笑いが止まらないという様子の狂三。こんなに笑ったのは、一体いつぶりだろうか? すっかり、忘れてしまっていた気がする。

 

 ふと、狂三の視界が反転する。いや、反転というのは正しくない。少女が、狂三を抱きとめて(・・・・・)いた。急にされたことなのに、ローブの上から感じる少女の温もりはとても心地が良くて、身を任せたくなるものだった。

 

「……ん。やっぱり、狂三は笑ってる方が似合いますよ」

 

「あら、あら。わたくし、口説かれているのかしら?」

 

「はいはい、愛していますよー狂三ー」

 

「感情が篭っていませんわねぇ……」

 

 どちらからともなく笑い出す。こんな軽いやり取りも、本当に久しぶりだった。ここに来て、悲願が現実に近づいてきて、こんな冗談を交えたやり取りをしている余裕さえなくなっていた気がする。

 

「……どんなに悩んだって良いんです。人は、考えられるから悩む事が出来るんでしょう?」

 

「わたくし、人ではなく精霊ですのよ」

 

「あなたは精霊になる前は人だったでしょう。それに、考える事が出来るなら人も精霊も変わりませんよ」

 

「屁理屈ですわ」

 

「なんとでも」

 

 狂三の悲願を知っている。背負うものを知っている。時崎狂三という少女がどんな想いを抱こうと、時崎狂三という精霊に譲れないものがある事を知っている。だから少女は、時崎狂三を受け入れる。

 

「……五河士道のこと、彼の周りのこと――――『始原の精霊』のこと。どんなに時間がかかっても悩むだけ悩んで、それから答えを出してください」

 

 そうやって出した結論が、たとえどんなものだったとしても――――――

 

 

「狂三の出した答えを、私は受け入れます。その答えがどんなに酷いものでも、世界中の人に聞き入れてもらえない物だとしても、誰に否定されようとも――――――私だけは、その答えを肯定(・・)します」

 

 

 誰に望まれた訳でも無い、生まれた意味などない(・・・・・・・・・・)精霊だとしても、それが少女の生きる意味。生きている価値。それだけの、話なのだ。

 

「……あなた、どれだけわたくしの事が〝好き〟なんですの」

 

「さっき言ったじゃないですか。愛していますよ、狂三」

 

「き、ひひ。それにしては、必ず答えを出せだなんて厳しい事を仰りますわね」

 

 自らの腕で少女から離れ、見合う。紅の瞳、時を奏でる黄金の瞳……その両方が力強く彼女こそが『時崎狂三』だと告げていた。

 

「私の知ってる狂三は、物事を中途半端に放り投げたり出来ない子ですから」

 

「ああ、ああ。その通りですわ、その通りですわ。だって、わたくしが――――時崎狂三なのですから」

 

 悠然と、超越者のように笑う。大胆不敵で、相手を魅了し、手玉に取る。優しいくせに素直じゃなくて、強情な、彼女がいた。

 神に愛された美貌を持ち――――五河士道に愛された、時崎狂三がそこにいた。

 

「……ん。もう大丈夫そうですね」

 

「らしくない所をお見せしてしまいましたわ。感謝いたします……少し、迷う事を覚えてみますわ――――――これからは(・・・・・)

 

「はい…………ん?」

 

 今度は少女が狂三の言葉に目を丸くする番だった。

 狂三は笑っていた。さっきのような可愛らしいものではなく、凄絶で狂人(・・)のような笑みで。

 

 

「……狂人の発想だと言ってませんでしたか、我が女王」

 

「きひ、きひひひひひひ! えぇ、えぇ。そうですわ、そうですわ。ですがわたくし――――とっくに狂って(・・・)いますもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あなたの思い描いたシナリオ通り、という結果でよろしいのかしら?」

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれませんね」

 

 なんですのそれ、と呆れ顔で白い少女を見やる狂三。ただし、メイド服の、と付く狂三だが。部屋に狂三(オリジナル)は既にいない。二人は仲良くお留守番、というやつである。

 

「ある程度の期待がなかった、と言えば嘘になります。けど、こんな結果になるなんて私には想像出来ませんでしたよ」

 

「わたくし、あなたは物語の黒幕のような存在だと思っていましたわ」

 

「私にそんな力はありませんよ……いえ、あったとしても、誰にも分からないでしょう。男女の〝恋〟なんて理不尽で不条理で、そのくせ世界を狂わせるような感情は」

 

 当初は少女も、目の前にいる彼女だって狂三が目的に〝条件〟を付けるだなんて思いもしなかった。どんなに惹かれたとしても、狂三は最後にはなりふり構わず悲願を果たそうとすると思っていた。実際、そうしようと動いたはずだ――――それを覆した五河士道の強さが、予測不能な結末、否、始まり(・・・)を作り出した。

 

「あら、あら。案外ロマンチストですわね」

 

「言ってなさい。私は知ってるだけですよ。そういう〝恋〟に狂った方を」

 

 空を見上げる。澄み渡る夜空だ。絶好のデート日和と言えるだろう。

 〝悲願〟も〝計画〟も、状況だけ見れば遠退いた。だがまあ、少女としてはより良い結果(・・・・・・)になる可能性が出来たことが喜ばしい。

 

 恐らく――――どこかの亡霊(ファントム)も一安心しているのではないだろうか。

 

 

「〝器〟の完成に必要な力はあと――――――さて、どうなることやら」

 

 

 少女の独白は、誰にも聞こえることなく星空へ消える。かくして、正体不明の少女が見た二人の歪な物語は、新たに始まろうとしていた。

 

 さあ――――素敵な戦争(デート)を始めましょう。

 

 

 







時崎狂三が悩み、受け入れるものとは何か。彼女が出す答えとは。次回、アンサー編最終回及び第一部完、のようなお話になるかと思われます。もちろん、物語の締めくくりはあの二人です。

全力で出張った白い少女の出番もまた次章へ。ある意味狂愛とも言える物を見せた少女は何者なのか、まだまだ全ては明かせませんが……正直、書いてみてこんな強烈な忠犬のようなキャラになるとは思いませんでした(小声)
フォーカスの大半は士道くんと狂三に当たっていますが少女にフォーカスが当たる機会がまたそのうち来るかもしれませんね。

ではまた次回をお楽しみに! 感想、評価などなどお待ちしておりますー


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第二十五話『俺/わたくしたちの戦争(デート)を始めよう/ましょう』

でかでかとした複線とも呼べないものを物を回収する回。終わったのではない、始まるのだ。本当の戦争(デート)が。


「……ふぅ」

 

 不思議な高揚感を落ち着けるように、一息。時刻は二十三時五十七分。高校生である士道が外出するには、些か遅すぎる時間帯ではあったが……まあ、その辺は〈ラタトスク〉が何とかしてくれているだろうと投げやり気味だった。

 元より、そんな事を気にしている余裕はない。以前と違い己が想いを自覚したとはいえ、油断すれば溢れ出てしまいそうな感情は変わっていないのだから。

 

 その感情が一心に向けられる者……狂三が指定した場所は、士道だけに分かるものだった。約束の場所(・・・・・)――――正確に言えば、約束した(・・)場所。まだ、士道が精霊とか、ASTとか、世界の危機とか、何一つ知らない無知な高校生だった頃に交わした、彼女との約束。

 今なら分かる。なんであの時、あんな突拍子がない事をしたのか。自覚がなかっただけで、必死だったんだなぁと笑う。まあ、必死なのは今も同じなのだが。

 

「どんなこと言われんだろうな……告白の断り……だと俺が立ち直れそうにねぇや」

 

 流石に二度目は立ち直れる気がしないなぁと、夜闇に浮かぶ星空を見上げながら苦笑い。やめやめ、会う前からネガティブな考えを持ってどうすると首を振る。

 高台公園に士道は正真正銘の一人(・・)だ。この時間ともなると、地上に輝く光すら少なく感じる。普段は必須だとつけているインカムは、当然のように所持すらしていない。狂三とのデート(・・・)にこれは必要ないと、士道が強引に押し通した。

 狂三の目的を考えたら罠かもしれない、危険すぎる。至極真っ当な意見だ。けど、これはデート(・・・)だ。狂三が誘い、士道が受けた。なら、以前の続きとして狂三の流儀に従うのが筋というもの。

 それに、罠を張るつもりなら狂三はもっと周到に、狡猾に、士道たちが分からないようなやり方で行うだろう。多分、琴里も内心それを分かっているからこそ、士道の我儘を最終的には許してくれたのだろう。

 流石に、危なくなったら〈フラクシナス〉で強制回収するという命令はあったが。それだって士道の身を案じての判断。白でも黒でも、リボンが似合う自分の可愛い妹は変わらないなぁと再確認した。

 

 狂三が指定した時刻は、ちょうど日付が変わる時間。士道は迫る時を座して待つ。そして、感じる――――――来た(・・)、と。

 

 

「――――――いるんだろ、狂三」

 

 

 日付が変わったかなど確かめていない。ただ、士道はこの瞬間、不思議な感覚を覚えた。間違いなく、彼女が士道の近くに来た、という繋がりと確信を。

 

 足音が暗がりに響く。幻想的な光が、夜闇から現れた。少女の情熱を象徴する紅と、宵闇の黒に彩られた美しいドレス。それを見事に着こなす、悪魔に愛されたと思える美貌。現実にこのような光景が有り得て良いのか。さながら、夢に現れた女神。

 

 

「――――――ごきげんよう、士道さん。良い、夜ですわね」

 

 

 しかし、彼女が現実だと士道は知っている。あまりに美しく、あまりに恐ろしい女王の微笑。

 

 

「――――――ああ。月がすげぇ綺麗で……狂三は、それよりずっと綺麗だ」

 

 

 二人が笑う。巡り巡った因果は、一人の少年と一人の少女の運命を変え――――今、交差する。

 

 

 

 

「隠れて驚かせて差し上げようと思いましたのに、どうしてわたくしに気づかれてしまわれましたの?」

 

「どうしてって言われてもな……勘、だな。てか、その霊装で隠れるのは難しくないか?」

 

「……かくれんぼは得意なのですが、違う服をご用意すべきでしたわ」

 

 普段は気にもしていないが、霊装というのは常に淡い光を纏っているので非常に目立つ。狂三にしては珍しい盲点をつかれたミスだ。

 とはいえ、狂三の霊装を大層(・・)気に入っている士道からすれば、その反応は少し困ってしまう。

 

「そんなことねぇよ。俺はどんな狂三も好きだけど、霊装を着た狂三はすっげぇ綺麗だと思う。うん、似合ってる、綺麗だ」

 

「あら、あら。すっかり、お上手になられましたわね」

 

「……実は結構、無理してるけどな」

 

 誤魔化すように頬をかく。誰の目から見ても分かるくらい、彼の顔は熱を帯びていた。

 歯が浮くようなセリフが恥ずかしくない、訳では無い。狂三だからこんな言葉を自然と言えるが、きっと他の女性の前ではぎこちないままだ。

 好きな人を前にしたテンション、と言えば良いか。夜空の下で二人きりというシチュエーションもあり、舞い上がっている(・・・・・・・・)。人間の心理とは不思議なもので、事が終わって冷静になると身悶えるような恥ずかしさに襲われるのは目に見えていた。

 

「うふふ、士道さんらしいですわ。けど、それでよろしいと思いますわ。士道さんが得意げに女性を口説く姿は、少し似合いませんもの」

 

「……褒められてる、のか?」

 

「えぇ、えぇ。わたくしは、正直者の士道さんがとても好ましいと思いますわ」

 

「お、おう……」

 

 そう言った意味合いではないと分かっていても、好きな人に好ましいと言われると素直に照れてしまう。

 クスクスと、照れた士道を見て微笑んでいた狂三だったが、ふと憂いを帯びた表情になる。お互い隣に立っているから、顔色が変わればすぐに分かる。彼女がそんな表情になるだけで、一枚の絵画と思える美しさなのだから何度驚いて見惚れても慣れることはない。

 

「どうかしたか?」

 

「……士道さんは、どうしてわたくしを信じられましたの?」

 

「え……?」

 

 どういう意味だ、と首を傾げる。士道が狂三を信じる理由は、あの時散々ぶちまけた筈だが……もしや、一番大切な理由が伝わっていなかったのか?

 

「もしかして言葉足らずだったか? 俺は狂三が好きだから、どんな事があっても狂三を信じるって決めたんだ。ちゃんと伝わってないならここで叫んだっていいぞ。俺は狂三の事を――――――」

 

「そ、そういう意味ではありませんわ!! 十分に伝わっていますからお止め下さいまし!!」

 

 しっかり伝わっていたらしい。一安心すると同時に、慌てふためく顔を赤らめた狂三という大変貴重なものをちゃっかり脳内狂三フォルダに保存する事に成功した。脳内なので、現像出来ないのが惜しい。

 しかし、自分の気持ちが伝わっているのであれば一体どういう……と、思案する士道に気を落ちつけた狂三が、また暗い表情で声を発した。

 

「信じる、というのはそれだけで大変な事なのですわ。自分が狙われていると知った翌日に、その狙う相手を信じる、などとおバカな考えになぜ士道さんが思い至ったのか気になりましたの」

 

「……狂三、なんか怒ってないか」

 

「あら、気のせいですわ。自分の事を考えていない士道さんのことなど、わたくしは気にしてなどおりませんわ。えぇまったく、まったく怒ってなどいませんわ」

 

 やっぱり怒ってるじゃないか、と口に出す勇気はいくら士道といえどもなかった。しかしだ、自分の事を考えていないという部分はそっくりそのまま狂三に返してやりたい気分だった。怒っている、という事はつまり言葉とは裏腹に、士道をそれだけ気にかけてくれている裏返しだ。そして、無茶な行動をしたのは士道だけではなかった。

 

「自分のことを考えてないって言うなら、狂三だって同じだろ? 人を喰うとか悪ぶってる癖に、人の事ばっかり気にかけて。少しは自分の事も勘定に入れろってんだ」

 

「悪ぶってなどいませんし、気にかけてもいませんわ。自らをいたわらないのも士道さん程ではありませんもの」

 

「俺は……いいんだよ、善処するから」

 

「あら、あら。では、わたくしも善処いたしますわ」

 

 口喧嘩になったら勝てねぇな、俺。そう遠い目をして敗北を認める士道。そもそも、あの時、咄嗟に互いを庇い合う形になった時点で、お互い様(・・・・)というやつだろう。

 けど、最初に身を呈して士道を守った(・・・)のは狂三だ。そんな必要はない、むしろ士道の命を狙う彼女が身を呈する理由が本来は見当たらない。そういう優しい狂三だからこそ士道は……そして十香は信じる事が出来た。

 

「……俺が狂三を好きだ、って言うのが一番の理由なんだけどさ。実は、立ち直れたのは十香のお陰なんだ」

 

「十香さんが……?」

 

 驚いたように目を丸くする狂三に頷く。本来、デートの途中で他の女性の事を話すのはNG、と妹様に口酸っぱく言われていたが……好きな女の子の前で、理由を偽って彼は嘘をつきたくなかった。

 

「ああ。狂三に言われたこと、勿論すっげぇ効いた。何せ、告白する前に振られちまったんだからな」

 

「……そこ、ですのね」

 

「言ったろ? 俺はお前を怖いなんて思ったことないって。男って繊細なんだぜ。好きな子に振られたら、そりゃ落ち込みもするさ」

 

 呆れと予想外といった表情の狂三を見て、おどけるように士道は笑う。実際、一番落ち込んだ理由があの言葉だった、というのは我ながらどうなのだと思う。そして、その事に気づけたのは十香のお陰なのだ。

 

「十香が言ったんだよ。お前の見せた笑顔が、嘘だなんて思えないって」

 

「……敵いませんわねぇ。純粋な子は、苦手ですわ」

 

 口ではそう言うが、狂三の表情は苦手と言っている割には明るいものだった。士道も同じだ。十香の純真な心に、二人とも救われる形となってここにいた。

 そうだ、それを思い出した(・・・・・)のも十香のお陰だった。

 

 

「十香がそう言ってくれたから、俺も思い出せたんだ――――――狂三が、最後に笑ってたのを」

 

「――――ああ、ああ。わたくし、役者には向いていないかもしれませんわ」

 

 

 一瞬。ほんの一瞬だけ、狂三は油断した。真那が士道を避難させ、やり切ったのだと気を緩めた。その一瞬、彼女本人でさえ無自覚に微笑んだ(・・・・)

 上手くやれた? そんな訳が無い。仕掛けた本人に見抜かれてしまうなど、三流以下も良いところだ。

 

「お前のあの笑顔を思い出したから、嘘をついてるって自然と受け入れられたんだ。あんな顔で笑うやつが、悪いやつなわけないってな」

 

「……それでも、士道さんはお人が良すぎますわ。普通、自分の命を狙う女にここまでする方はおりませんわ」

 

「そうだな。けどさ、命を狙うって言ってるのに俺のこと守ってくれた狂三だって大概だぜ?」

 

「それは……」

 

 痛いところを突かれ、思わず苦い顔になる。言い訳はある。あの時は追い詰められて、何もかもが必死だった。理性で物事を判断しなければならない狂三が、あの一瞬だけは心で物事を判断してしまった。

 ……要は、身体が勝手に動いた。という言い訳のし甲斐がない結論に至るのだが。一応、合理的な判断にも出来るのだが、やり直せる(・・・・・)前提の動きが可能な狂三が行う理由としては少し弱かった。とはいえ、それを士道は知らないので都合の良い言い訳にはなる。

 

「士道さんはわたくしの目的に必要なお方。あのような場で、万が一にも失ってしまえば全てが水泡に帰す。それだけですわ」

 

「そうか。そういう理由でも助けてもらったことには変わりない。ありがとな、狂三。それと――――無事で良かった」

 

「っ……」

 

 この方はいつだって真っ直ぐだ。自分を顧みないで、人の為にずっとずっと真っ直ぐに走り抜けてしまう。

 

「……なら言わせていただきますと、せっかく助けて差し上げたのに、わたくしを庇おうとするのはどうかと思いますわ」

 

「あー……琴里にも言われたよ、バカ士道って。けど、何度やっても同じことしちまうと思う。俺の人生全部、狂三にやるって言ったしなぁ」

 

「――――バカな人」

 

「おう、知ってる」

 

 本当に、どうしようもないお方だ。愚直で、お人好しで、命知らずで、嘘が付けない。そう、今言った言葉の全て、何一つ嘘がないと分かってしまう。

 そんな人だから、狂三はきっと――――――

 

「では、わたくしも――――感謝いたしますわ」

 

「へ……?」

 

「身を呈して、わたくしを守ろうとしてくださったこと。本当は――――とても、嬉しかった」

 

 初めてだった。あんな風に、強く抱きしめられたのは。誰かに、強く焦がれたのは。失いたくない、それだけを思っていた。けれど、今あの温もりを思い返して感じる事はもう一つ――――彼の想いが、これ以上ないくらい嬉しかった。

 

 悩めば良いと、少女はそう言った。悩む事をせず、それは間違っているのだと狂三は己の想いを封じ込めていた。答えなど、精霊である以上は一つしかないのだと。そうではない……だって、精霊も少女も、その両方が『時崎狂三』であるのだから。

 

悲願(精霊)想い(少女)。この矛盾を抱えて、悩み抜けば良い。そして……ふと、彼にばかり言わせるのは〝フェア〟じゃないと狂三は考えた。

 

「ねぇ、士道さん。わたくしのこと、どれくらい〝好き〟か言ってみてくださいまし」

 

「は……いや、そりゃあ構わないけど」

 

 感謝の言葉から一変して藪から棒に振られた話題だったが、狂三から言われては断るわけにもいかない。そうだなぁ、と腕を組み考える。この場合、狂三としてみたいことを上げてみるか。と士道は何やら楽しげに笑う狂三を見ながら口を開いた。

 

 

「そうだなぁ……どれくらい、って言っても言い切れねぇな。毎日一緒にいたいし、毎日他愛のない話もしたいし、毎日デートだってしたいな。色んなことを狂三と一緒にしてみたい。それから――――――」

 

 

 

 

 

 

 

「――――――好きです、士道さん」

 

 

 

 ――――――時よ、止まれ。

 

 そう願ってやまないほど、時崎狂三は美しかった。花咲くような笑顔が、夜闇に輝く狂三のはにかんだ表情が、少し恥ずかしげな微笑みが――――あまりにも、綺麗で。

 永遠に留めておきたくなる。世界で一番美しい光景が、今士道の目の前にあったのだ。

 

 ああ、嗚呼。言ってしまった、言ってしまった。言葉にしただけで、こんなにもふわふわとして、不鮮明で、それでいて狂三でさえ制御出来そうにはない強烈な渇望。そうか、これが――――――〝恋〟なのか。

 

 

「…………ずっ、るいだろっ。こんなの……!!」

 

「えぇ、えぇ。わたくし、賢しい女なのですわ」

 

 

 

 顔を手で覆い隠す。そのせいで狂三の表情は見えなくなってしまったが、さぞイタズラが成功したような笑みを浮かべていることだろう。

 ごちゃごちゃだった。生きてきた中で一番、顔が熱いと思ってしまうくらいには真っ赤になっているはずだ。歓喜とか、色々な物がごちゃ混ぜになって全身が沸騰しておかしくなってしまいそうだ。いや、もうおかしくなっている。

 

 そのくらい、あまりに見事な不意打ち(・・・・)だった。

 

 

「許されるなら、ずっとあなたのお傍にいたい。わたくしは、わたくしの目的を果たすためにこのような想いは不要なのだと蓋をしていました――――けれど、そうではないのです。士道さんを想うこの気持ちもまた、わたくしの物なのですわ」

 

「狂三……」

 

「――――士道さん。約束、覚えていらっしゃいまして?」

 

 

 士道が頷く。覚えていなければ、この場に来ることすら叶わないのだから当然だ。

 

「わたくし、今まさにとってもとっても困っていますわ。士道さんはわたくしの霊力を封印したい。しかし、わたくしには霊力を封印されるわけにはいかない理由がある。それは、この想いを自覚したとしても変わりありませんわ――――――〝今〟は」

 

「……ああ、そうだろうな」

 

 彼女にどうしても譲れない理由があるのは知っている。でなければ、あんなに辛そうな感情を発露させながら、士道の手を拒絶するとは思えなかった。

 

 

「ですから――――――わたくしに、全てを捧げて(・・・)くださいまし」

 

「――――――へっ?」

 

 

 いきなり話が飛躍した事で、士道は目を丸くしポカンとした顔で狂三を見やる。対する狂三は、大胆不敵で……これ以上なく、自信に満ち溢れた凛々しい表情だった。それこそ、改めて見惚れてしまうくらいには。

 

「勝負いたしましょう、士道さん」

 

「しょ、勝負……?」

 

「えぇ、えぇ。わたくし、必ず士道さんに言わせて見せますわ。家族、救うべき存在、ある筈の幸せな未来――――――その全て(・・)を投げ出して、この時崎狂三にその命を捧げさせて欲しい、と」

 

「お、お前な――――っ」

 

 そんな勝負が成立する筈がない。そう、言葉にしようとして息を呑んだ。思い出す。士道は彼女を救うという意思で事を忘れて臨んだが――――心のどこかで、彼女になら殺されても構わない(・・・・・・・・・)と思ってはいなかったか?

 そして、こんなバカげた勝負を仕掛けようとしている狂三は自信に満ちていて――――本気だと、告げていた。

 

 

「わたくしは全てを賭けて、士道さんをデレさせますわ(・・・・・・・)。あなたの言う〝好き〟だけでは不十分。必ず、必ず、あなた様の全てを、余すことなくわたくしの虜にして差し上げますわ」

 

「……!」

 

 

 狂三が妖艶な手つきで士道の頬に触れる。この世で一番の愛おしいものを触る。そんな怪しい、究極的な魅了を受けながら――――士道は、真っ直ぐに狂三を見つめていた。

 不敵に笑う。まるで、望むところだ(・・・・・・)と言わんばかりの表情に狂三は目を見開くが、すぐに微笑を浮かべる。

 

 

「――――――受けて立つぜ。だったら、俺もお前をデレさせる(・・・・・)。完膚なきまでに、俺なしじゃ生きてけないくらいに、お前の生きる意味を俺がいるってことに変えてやる(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「出来ますかしら? わたくしの目的は、わたくしの命と同じ――――――いいえ、それ以上の重さがありましてよ」

 

「ああ、ならこう言わなきゃな――――――お前の命、俺が貰う」

 

 

 ――――それは正しく殺し文句(・・・・)だ。

 キザったらしく、狂三の顎をくいっと持ち上げ囁くように。その仕草に思わず、狂三も淡く頬を赤く染めてしまう。

 

「……あら、あら。物騒なこと。まるでプロポーズ(・・・・・)のようですわ」

 

「ああ、そりゃあ少し失敗だ。これより素敵なプロポーズの言葉、考えとかないといけなくなった」

 

 勝手にこんなこと決めて、今頃〈フラクシナス〉の方は大慌てだろうな、とか。これ映像が残ってたら、キザすぎて後で悶え苦しむんだろうな、とか士道に残された0.5割くらいの理性が囁いていたが、知ったことかと殴り飛ばす。

 後の事など後で考える。今は――――目の前の愛しい少女の事しか、考えられそうにない。

 

 

「いいのか、こんな勝負して。俺は狂三が〝はい〟って言うまで絶対に諦めないぜ。狂三が嫌になるほど、しつこく付きまとってやるぞ」

 

「あら、わたくしだって士道さんが〝はい〟と仰るまで、絶対に諦めませんわ。士道さんが音を上げても、許してなんか差し上げませんわ」

 

 

 言葉の応酬を繰り返し――――どちらからともなく、笑った。覚悟は、もう問うまでもない。

 お互いをデレさせる(・・・・・)。士道がしてきた事を、今度は自らも土俵に入れて戦う。好きだけでは足りない。賭けるものは己が〝命〟。

 

 示し合わせたわけでもなく、互いが手を差し出す。それは、差し出された手を取るものではなく、開戦(・・)の合図のようなものだった。

 

 

『さあ――――――』

 

 

 これは世界で一番物騒で、スリルで、命懸けの――――――

 

 

 

 

「――――俺たちの戦争(デート)を始めよう」

「――――わたくしたちの戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 

 

 ――――――長い戦争(デート)の、始まりだ。

 

 

 

 

 







終わった!第一部完!!いかの次回作にご期待ください!!嘘です!!まだまだ続きます!! 一段落ということもあり、よろしければちょっと長めの後書きにお付き合い下さい。

狂三の答え、いかがでしたでしょうか。実は本来、狂三の告白はアンサーには入っていませんでした。しかし、狂三自身の答えがなければ何か違う気がするな、という思いと時崎狂三なら、こういったことには対等な条件の真剣勝負を望むだろう、という私の狂三像に従ってこうなりました。ロマンティックになってたら嬉しい。
それはそれとして、当初の予定通り士道への想いを違うものだと言い張ってからかわれる狂三も書いてみたくはありました(小声)

ここからは次章以降の話を少ししておこうかなと。本来、この次は凛祢ユートピアとなる予定……が、初期構想ではありました。あったのですが、やべぇレベルでネタバレしないとやれない展開じゃん、今これ出来ないじゃん、という事で結構早い段階でボツに。
というわけで普通に八舞編をお送りします。なんかこうライダーの映画見たく似たような展開が本編にもあったのかもしれないスタイルでお願いします。無事本編が完結したら、もしかしたら書く事があるかも。

加えて以前ちょっとだけ言ったifもこの話が終わったら書こう、と思っていたのですがなんかこれ!って感じに纏まらなくて逢えなくボツに。
それに因んで、皆さん気になっているであろう狂三スターフェスティバルは……多分、やります。このSS仕様で。私の中で完璧に構想が固まれば番外編として次章が終わったら、きっと(ハードルを下げていく)

本編の話に戻りますと、このお互いを攻略するという展開は最初からここを区切りにしよう、と考えていました。皆さんお気づきだと思いますが、やってること自体は原作の狂三リフレインと同じです。が、リフレインと違ってお互いがお互い既にデレているので、なんともまあややこしく終わりが見えない自体に。お互い好きだし言葉は直球に伝えているのにくっついたら終わり、とかいうめんどくさいね君たち状態。
このSS自体、狂三をメインヒロインとして介入を増やして士道や精霊と関わらせていく、という面がありようやくそのスタートラインに立った感じに。あ、でも私なりの解釈や展開の都合もあるので過度な期待は許してください(ハードルをry)

ではこの辺で、区切りということもあり主要人物三人の軽い紹介をしておきます。


五河士道

狂三に恋をしてしまった少年。色々とあったが、その気持ちを受けて入れてその想いで狂三を救うと誓う。それ以外の精霊に関しては原作とそう違いがないスタンスで望んでいる。どこまでも真っ直ぐで、どこまでもお人好し。
ちなみに、狂三特化仕様としてやたら彼女の目の前でカッコつける時があるが、テンションが振り切った状態での事なので後でめちゃくちゃ思い出して悶える。頑張れ士道くん、成長したら素で言えるようになるぞ。


時崎狂三

士道に恋をしてしまった少女。自身の使命、彼の命を喰らう事で〝悲願〟が果たされる。など重い決断を迫られ、追い詰められていくが……精霊と少女、どちらも自分だと受け止め、否定だけではなくもっと悩む事を教えられ、想いを受け入れながらも士道と命懸けの勝負をする事を望む。長い旅の答えが出る日は、果たしていつになるのだろうか。

能力面では原作と変わらず最凶の精霊。ただし、五河琴里との戦闘以降、何やらいくつかの変化が……?


白い精霊

不明。狂三を我が女王と呼び、付き従う謎の精霊。彼女と長く行動を共にしていること、彼女の行動を全て是としていること、狂三でさえ知らない情報を知っていることなど、謎ばかりの人物。何やら〝計画〟の為に動いているらしいが……?

能力面では最低でも解析を弾く白いローブ。神速で、刀を使う。程度の事しか分かっておらずその正体と容貌は謎に包まれている。



ではまた次回。心機一転、新章でお会いしましょう。感想、評価などなどお待ちしております!


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八舞テンペスト
第二十六話『束の間の日常』


第二部、開幕。まあやる事は変わらないんですけどね。これからもアグレッシブに主人公とヒロインをイチャイチャさせたいとここに誓いをry


 

 鳶一折紙一曹。記憶処理を施した上で懲戒免職処分に決定。それはつまり、彼女が二度と顕現装置(リアライザ)に触れることはない――――――その、筈だった。

 

「――――神様が強面のエンジェルを遣わしてくれたとでも思っときなさい。親御さんの仇、取るんでしょ?」

 

「…………」

 

 折紙の直属の上司である日下部燎子の気遣いに、彼女は強く拳を握りしめ頷く。

 

 それは覆しようがない物、決定(・・)の筈だった。討滅兵装の無断使用、及び秘匿とされるCRユニットを用いての精霊との無断戦闘。許されることではなく、折紙もそれだけの覚悟を持って事に及んだ――――――そこに謎の精霊の介入、何より両親の仇が〈イフリート〉ではなかった、という最大の誤算が生じた。

 あの精霊の言葉を信じる訳ではない。だが、士道が命を賭して伝えてくれた言葉が嘘ではあるとは、折紙には思えなかった。

 

 そうして、折紙は仇を追う唯一の手段を失う――――――事はなかった。DEM社業務執行取締役、サー・アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット。世界で唯一、顕現装置(リアライザ)を製造することが可能な会社のトップ。彼の鶴の一声によって、折紙は二ヶ月の謹慎処分という甘すぎる処罰で済んだ。

 

 疑問も異論もあった。外国の民間企業に、自衛隊の決定を覆されるなど本来あってはならない。が、それに助けられたのだから折紙はあのエンジェルに感謝すべきなのだろう――――――彼の、得体の知れない〝何か〟さえなければ、素直にそう考える事が出来た。折紙をして、底知れないものをあの男から感じ取った。

 

 

「――――――強面のエンジェル、ねぇ。あんなの、死神(・・)の間違えでしょう」

 

 

 白が、いた。冷たく、道化師の雰囲気すら飛んでいってしまいそうなある種〝殺意〟すら感じさせる声色で少女は呟いた。

 鳶一折紙の処分があの程度で済んだのは、誰も彼もが喜ぶ結果であろう。しかし、アイザック・ウェスコットが出張って来たのは喜ばしいとは言えない。狂三や自分の介入、鳶一折紙の暴走と派手に事が進んだのだ。そろそろと予想はしていたが……面倒な事には変わりなかった。

 奴が来た以上、精霊を封印して霊力を感知出来ないので手を出せません、なんて甘っちょろい判断はしない。何より遅かれ早かれ――――――五河士道は、目をつけられる。

 

 

「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られてなんとやら……か。お二人の戦争(デート)の真っ最中に、無粋ですね」

 

 

 まあ、当の本人たちに特に進展がない(・・・・・・・)というのは、あれだけの事をしたのにどうなのだと思ってしまうのだが……色々と、思うところがあるのだろうなと、その関係でよく(・・)使いっ走りにされる少女はため息をこぼした。

 それもまた是、と肯定するのが少女なのだが――――――さて、次の一波乱はいつになるのやら。と、少女は意識を変え情報収集に尽力するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 お互いの気持ちをぶつけ合い、譲れないものを勝ち取るための戦争(デート)が幕を開けてからおおよそ、早1ヶ月。

 

 その間――――――特に、何も無かった。

 

 特に、何も、無かったのである!!

 

「…………はぁ」

 

 もう何度目だろう。今は空席(・・)になった机を見て、ため息を吐くのは。お陰様で、五河が恋煩いだの美少女転校生にフラれただの変な噂が聞こえて来るくらいだ。うるせぇ、まだフラれてないしフラれる予定もないし試験勉強に集中しろと言いたい。

 よくよく考えれば、精霊の力を封印されていない狂三が学校へ通うというのはなかなかに無理がある話なのだが、その事に気づかず休校開けに狂三の休学を聞いた時は思わずひっくり返ってしまった。

戦争(デート)、と言っても実は士道から狂三へのコンタクト手段がない……という事に気づいたのもその時であった。色々と舞い上がり過ぎていて、なんと間抜けな事かと頭を抱えたのはそう前の話ではない。

 無論、士道とて何もしていなかった訳ではない。というか、忙し過ぎて参ってしまったくらいだ。精霊たちのコンディションを考えコミニュケーションは欠かせず、家の家事全般を担う主夫としての仕事、休学により遅れた学業及び期末試験に向けての勉強……その他諸々、上げていけばキリがない。狂三の事だけでなく、周りのあらゆる物に気を配れるのは士道の長所ではあったが、だからこそ尚のこと、今士道は無性に狂三に会いたかった。試験が終わったら、狂三を探して町中を駆け回ってやろうと思うくらいには。

 

「シドー、ため息は幸せが逃げてしまうから良くないと、琴里が言っていたぞ」

 

「……ん、ああ。すまん十香」

 

 いかんいかん、十香に心配をかけてどうする。と不安そうな表情の十香へ笑顔を向け、気を引き締める。彼女が、自ら頑張ってみるとテスト勉強に励んでいるのに自分が腑抜けるわけには行かなかった。

 

「謝る事はないのだが……狂三の事か?」

 

「あ、いや、それは……」

 

「これも琴里が言っていたぞ! シドーが遠くを眺めて変な顔をしている時は大体、狂三の事を考えている時だ、とな」

 

 変な顔とはなんだ、変な顔とは。そんな顔……してない、と、思う。

 琴里のやつ好き勝手言いやがって、なんて思いもしたが、狂三に関しては我を通してかなり心配をかけたのは士道の方なので甘んじて受け入れるしかない。あの後、〈フラクシナス〉に戻った時の歓迎の仕方と言ったらもう凄かったのだから――――――

 

 

 

 

「この――――――おバカあああああああああああああっ!!!!」

 

「うおおおおおおおおおおおおっ!?」

 

 艦橋への扉が開け放たれた瞬間、士道の視界に飛び込んできたのは金属の塊であった。具体的に言えば、司令官様がいつもふんぞり返っているお高そうな椅子である。投げられるものなのか、という疑問を抱く前に神がかった反応速度でしゃがみ込み、目の前の凶器を緊急回避する。

 多分今まで最上級の仕打ちだった。再び艦橋へ目を向け何すんだ、と言おうとして――――飛びかかってくる妹の姿に、フリーズした。

 

「ちょ、待って――――――」

 

 飛びかかってくる、というのは語弊がある。助走をつけて跳躍、某ヒーローよろしく右足を真っ直ぐに士道へ向け――――――

 

 

「おりゃああああああああああああああっ!!!!」

 

「くぅがっ!?」

 

 

 鮮やかな飛び蹴りを、士道の顔面に炸裂させた。パンツ丸見えだぞ、とかお前さっきまで検査が必要な病人だったよな、とか言いたいことは様々あったが見事に身体ごと吹き飛んでいった。ヒーロー番組なら見事に爆発四散と言ったところであろう。鮮やかすぎてクルーたちから拍手すら聞こえて来る。

 

「ああ! ずるいですよ士道くん!! なんと羨ましい!! 私も司令からお慈悲をいただきたい!!!!」

 

 ……若干一名、かなり意味合いが違う気がするが。

 

「…………な、何をするんだ。俺の可愛い妹よ……」

 

「はっ、私のおにーちゃんはその可愛い妹に相談もしないで女と命懸けの戦争(デート)に洒落込むのねぇ?」

 

 うぐっ、とうめき声を上げ顔を上げることが出来ない。琴里の言う通りであるからだ。今までの戦争(デート)にだって命の危険はあった。だがそれは、琴里側がしっかり士道の回復能力、つまりは〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の力まで計算して、危険を極力薄くしていたものだ。

 しかし、今回の、いやこれから続くであろう狂三との戦争(デート)は今までのものとはわけが違った。

 

「ねぇ、分かってるの? 今までとは訳が違うのよ? 負けたら死んじゃうのよ? あの頑固者がこの事で慈悲なんてかけるわけないのよ? その辺ちゃんと分かってるんでしょうねっ!?」

 

「わ、分かって――――」

 

「分かってない!! 士道のおたんこなす! すけこまし! 筋肉バカ!!」

 

「色々誤解だしせめて筋肉は付けるな俺はマッチョになる気はねぇ!!」

 

 勢いよく立ち上がって琴里の顔を見ると……強気な司令官の表情こそしているが、どこか泣きそうなものに見えて、士道もバツが悪くなる。

 

「……すまん。相談する時間がなかった……なんて、言い訳だよな」

 

「っ……そんなこと、分かってるわよ。けど、少しは自分の事も考えてちょうだい」

 

 数日前に叱られたものと似た内容で妹に再び叱られるのは、なかなかに心に来るものだなと思う。だが士道とて、今回は考えなしに命を張った訳ではない。

 

「俺だって分かってるさ。狂三に負けるつもりは無いし、琴里は俺が負けるって考えてるのかよ」

 

「…………」

 

「そこはせめて何か言ってくれっ!?」

 

 愛する妹にそんな反応をされると流石にショックが大きい。さっきとは打って変わって、少し呆れを含んだ顔で琴里が口を開く。

 

「士道の狂三への好感度。こっちで計測してるけど、知りたい?」

 

「…………マックス状態、とか?」

 

「鳶一折紙以来、前代未聞のカンストよ、おめでとう。おにーちゃんの初恋にデッドエンドが付きまとうのは妹としては複雑よ」

 

「やめて! 兄のプライベートを公開しないで!!」

 

 黒歴史を公開されるより羞恥が凄い。自覚しているとはいえ、言いふらされるのは青少年の心に深すぎる傷を負わせられてしまう……よく考えたら、自覚する前に琴里たちにはバレバレだったのかと思うと更に恥ずかしくなってきた。

 

「……お互い似たようなもんなのに、なんで素直にくっつかないんだか」

 

「え?」

 

「なんでもないわ。それより、こんなバカな勝負受けたんだから、ちゃんと勝算はあるんでしょうね」

 

「勝算は……まあ、狂三に言った通りだな」

 

 負けるつもりは無い。士道は命を、狂三は命と同価値のものを賭け、戦い、デレさせる。これからはお互いがお互いの〝攻略者〟となった。

 少年少女の初恋としては、とんでもなくクレイジーな恋路。士道側は、負けはそのまま〝死〟へと繋がる。それ故に、士道の言葉に琴里が半目になって呆れた声を発しても仕方の無いことだろう。

 

「あなたねぇ……狂三の目的も不透明なままなのに、よくその自信が出てくるわね」

 

「……決めたからな。あいつの罪を、人生かけて一緒に背負うって」

 

 なぜ狂三ほどの精霊が莫大な霊力を欲しがるのか。彼女の、命よりも重いという目的とはなんなのか。狂三の目的が気にならない、と言えば嘘になる。

 けど、彼女が命よりも重いと言った目的を、簡単に聞き出せるとは思えない。だから結局、狂三をひたすらデレさせる(・・・・・)、くらいしか士道には思い浮かばなかった。何せ、精霊でもなんでもない士道はこれしか持っていないし、狂三を救うという気持ちだって、他の精霊を救いたい気持ちと同じものはもちろんあるが、やはり中身の大半は非常に不純な動機だ。

 

 無理だ、危険だ、むちゃくちゃだと、誰にどう言われようと、士道は誓いを撤回する気はない。最後まで彼女を求め、彼女を知り――――――狂三を救う。

 

 

「――――――良いわ。士道がそこまで言うなら、乗ってやろうじゃないの」

 

 

 そんな士道の決意を見てか、それとも最初からその答えは決まっていたのか。いつものように好物のチュッパチャプスを口で転がし、大胆不敵に妹様が……司令官(・・・)が微笑む。

 

「向こうもご立派な従者を連れてるみたいだし、新しく始めるってんなら……これからはフェアプレーの精神で〈ラタトスク〉も存分に口を出させてもらうわよ」

 

「……人数がフェアとは言えないんじゃ――――」

 

「シャラップ。挑んで来たのは向こうよ、文句は言わせないわ。だから……負けは絶対に許さない。勝ちなさい、士道――――――さあ、私たちの戦争(デート)を始めましょう」

 

「――――――おうっ!!」

 

「それと、分かってると思うけどこれから現れる精霊たちのことも疎かにしちゃダメよ。存分に、こき使ってあげるから覚悟なさい」

 

「お、おうっ!!」

 

 そっちだって忘れていない。理不尽に、絶望の運命に囚われた精霊がいるのなら、士道は誰であろうとその手を伸ばす。……これ、方法が方法だけに浮気になるのかなぁ、とか、そもそも付き合ってるわけじゃないのか、とか、細かいことは考えたらダメな気がしたので追いやることにした士道であった。

 

「……ん。兄妹喧嘩は終わったかい?」

 

「令音さん……いや、喧嘩ってわけじゃないですけど」

 

「そうね。私と士道が喧嘩したら勝負にならないもの。士道が弱すぎて」

 

「おい……」

 

 そんなことはない……筈だ。妹に甘い自覚はあるので、ちょっと断言するのは難しいが。

 頃合いを見ていた令音と共に、艦橋へ戻る士道と琴里。ちなみに、投げられたお高い椅子を戻す役目は士道が担った。なんか釈然としない。

 

「そうだ。令音さんも、クルーの人達もすみません。今回は色々と、俺が勝手に決めちゃって……」

 

「……精霊たちを救うためには、シンの想いが重要だ。君がそう決めたのなら、私たちは全力で君をフォローするつもりだ」

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 士道が深々と頭を下げる。琴里だけではなく、いつもフォローしてくれる――中身はめちゃくちゃな時が多いが――彼らには感謝しきれない……約一名、何やら頷いて同族を見るような目の副司令は知らんぷりしておこう。違う、断じて同族ではない。士道は好きな子に踏まれて喜ぶ趣味はない。

 

「……それに、リスクは高いが悪い事ばかりではない。狂三に近づくという事は、必然的に彼女(・・)の攻略にも繋がるかもしれないからね」

 

「――――白い、精霊」

 

 狂三を知り、士道を助けた謎の精霊。狂三の事をあそこまで知っていたのだから、士道たちは二人が一緒に行動しているのだろうと予測を立てていた。

 

「……ああ。君の言う事が正しいのであれば、彼女は他に類を見ない全く別の精霊に付き従う精霊(・・・・・・)、という事になるね」

 

「そうね。全く別の精霊(・・・・・・)が行動を共にしてるだけでもイレギュラーなのに、あの白い精霊……〈アンノウン〉に関してはまともな情報がないもの」

 

「〈アンノウン〉……」

 

 初めて聞く名を飲み込むように、反復して口に出す。士道の呟きを聞いて、椅子に座り直した琴里がああ、まだ言ってなかったわね、と彼女の情報を開示する。

 

「彼女、空間震での現界もなしに鳶一折紙と思いっきり戦闘したでしょう? それもあって、AST側がやっと彼女を観測したそうよ」

 

「……観測と言っても、映像を何とか捉えただけのようだがね」

 

「で、精霊かどうかも不明だけど精霊級の戦闘能力を持ち合わせている、って事で暫定的に向こうが出した識別名が――――」

 

「〈アンノウン〉――――正体不明、って事か」

 

 未知、不明。些か安直すぎるとは思うが、確かに分かりやすく白い少女を表しているような気がする。

 AST側より接触経験があるとはいえ、少女に関しては未だ不明な点ばかりだ。分かっていることと言えば、あの白いローブには最低でもあらゆる探知、解析を弾く力があること。目にも止まらぬ速さを持つこと。狂三と共に行動していること。せいぜいこの程度だった。

 

 少なくともこちらに敵対意思はない。そして会話をした士道が感じたことは――――――彼女は狂三の味方(・・・・・)だという、確信だった。

 

 

 

 

 

「……まあ、狂三は元気にしてるかな、くらいは考えてるけど」

 

 結局、考えていたことは本当なので、十香へ向けて無難な答えを返す。幸い、狂三に関しては事情が事情なのもあり話題に出しても十香は寛容であった。

 

「シドーは狂三と仲直りしたのであろう? 気になるなら会いに行けば良いではないか」

 

「いや、それはそうなんだがな……」

 

 首を傾げる十香に、言葉を濁して頬をかく。それが出来たら彼は悩んでいない。

 とはいえ、精霊のコンディションを考えてあまり深い事は言わないように、と釘を刺されているので十香が知っていることと言えば無事に仲直り(?)した事と、士道はこれからも狂三を救う為に頑張る、という事くらいである。そんな疑問を抱くのも当然の話だ。ざっくばらん過ぎて、これはこれでどうなのだと思わざるを得ない。

 

 十香は十香で、狂三とまた話したい事もあるのだろう。実際、十香と狂三はあのような物別れになってしまったのだから、士道の言葉だけで伝えたところで不安感が拭えるとは思えない。幸いにも狂三に関して、十香が悪感情を抱いているのは今のところ見られないが……また、以前の狂三が学校に来ていた時のように二人が仲良く出来れば、と常々考えてしまう。

 

 

「――――――狂三のやつ、どうしてるかな」

 

 

 乙女か。そんな妹様のツッコミが脳内で響き渡ったのかどうかは定かではないが、首を振って十香と試験勉強を再開する。

 

 七月。初夏はとうに過ぎ去り、真夏を感じさせる時期。運命の出会いから三ヶ月……深く、深く進展した二人の距離は、近くて遠い。

 

 しかし、二人を逃れられぬ運命へと導く、新たな〝精霊〟との出会いは――――――すぐ、そこに。

 

 

 






飛び蹴りネタがやりたかっただけだろシリーズ。この妹、日付変わる前に兄とデートして戦闘して検査してるんすよ。元気すぎません???? まあ兄が何度目かの命懸けしてたらこうもなろうみたいな。よく考えなくても士道くん毎回身体張りすぎではと改めてビックリするというか。そら灼爛殲鬼のこと把握してても焦るしキレるわ。
あとこの士道くん、二言目と言わず一言目には狂三のこと言いそうだなって書いてて思います。

そんな士道くんも気になる狂三側はまた次回に。いよいよ修学旅行編も始まるけど八舞姉妹の出番はもうちょっとだけ先なのじゃ。というか二人の口調が真面目に不安なのじゃ。が、頑張ります……

皆様から感想、評価をいただいていつも感謝に打ち震えております。これからも変わらずお待ちしておりますー。それでは次回をお楽しみにー


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第二十七話『女王の葛藤』

自覚したら自覚したでめんどくさくなる事はあるよね。けどそれが良いと私は思います。


 

 

 

「続ければ良かったじゃないですか」

 

「……あなた、時折言葉が足りませんわね」

 

 藪から棒な話題に些かの既視感を覚えながら、狂三は手に持ったカップをソーサーに戻し言葉を返す。いくら狂三の察しが良いとはいえ、流石に主語が抜けすぎていてはどうしようもない。

 少女が、これは失敬、と本当にそう思っているのか怪しい声色で再び言葉を放つ。

 

「学校ですよ、学校。五河士道と距離を詰めるチャンスなのに、なんで手放したんです?」

 

「当たり前ではありませんの」

 

 それは一ヶ月近くも前の話題だ。狂三は表情を変えることなく答えた。

 

「わたくしが通い続けるなら、必然的にあなたの力を常に借りなければなりませんわ。あまり現実的な案ではありませんわね」

 

「勿体ないですねぇ……私は問題ないですよ」

 

「お気持ちだけ、受け取っておきますわ」

 

 表情こそ分からないが、この少女は冗談でもなんでもなく本気で構わない(・・・・)と思っているのだろうな、と内心ため息を吐く。

 ……凄く、物凄く魅力的な提案であるのは認めよう。が、狂三は立場上どこにも属さない第三勢力である。故に、彼女が重視しているのは〝情報〟という力。分身体を含め、その要とも言える少女を半分私情で負荷をかけさせる訳には……いや、今は別件で負荷をかけているのだが、それはそれとして受け入れる訳にはいかなかった。

 そういう問題を抜きに、少女は狂三がそう願ったら本気で(・・・)実行に移すと知っているからこそ、狂三は私情で選択を間違えるわけにはいかなかった。

 

 私情に引っ張られたから、今まさにややこしい事になっているのではなくて? そんな分身体からのツッコミは届きそうにはない。なぜなら、狂三自身がそれをよく自覚しているからである。

 

「私は本当に構わないんですけどねぇ……それはそれとして、なら普通に五河士道に会いに行けば良いじゃありませんか。いつまで私を通して時期を伺うつもりなんです」

 

「……そ、それは……」

 

 ついに切り込まれた。あまり聞かれたくないと言うように、仄かに顔を赤くし露骨な動揺を見せる狂三に今度は少女が小さくため息を吐く。前までなら物珍しい狂三だと思っただろうが、五河士道限定ならそう珍しくもなくなってきましたねぇ、と少女は考える。

 

「……士道さんはお忙しい方ですわ。そこに漬け込むのは〝フェア〟ではありませんもの」

 

「そう言ってもう数週間は経つじゃないですか。恋愛初心者ですか、我が女王よ」

 

「う、うるさいですわよ……」

 

 士道が忙しい、というのは本当だ。連日、精霊たちの機嫌を損なわないために日々努力(半強制)を行う彼は、普通の高校生とは一線を画す生活を送っている。そんな士道を気づ……フェアにはならない、という思いも本当。

 そうして機会を伺っているうちに、段々と時間が過ぎて行き宙ぶらりんな状態になっているのは、狂三としても誤算だった。

 もちろん、タイミングはあった。まさか四六時中、士道の暇がないわけではないのだから少女が様子を見に行った時に狂三が出張るタイミングは幾らでもあったのだ。

 

 あったのだが……それでいいのか、と狂三の中で囁かれたのだ。あれだけ仰々しい宣言をしたのに、最初の邂逅が普通で良いのか、という悪魔の囁きが。

 

 ――――――恋する少女、時崎狂三。昔から、凝った演出(・・・・・)が好きという意外な一面が、今は絶妙に足を引っ張っていた。

 その他、微妙な気恥しさ(・・・・)などが融合し、不覚にも狂三に少女が言う恋愛初心者のような動きをさせて今に至る。

 

「……大体、そんなに気になるなら分身体を使って、常に五河士道を見張らせたら良いじゃないですか」

 

「――――だ、ダメですわっ!」

 

「え?」

 

 しまった、という風に狂三が口を押さえる。しかし、咄嗟に出てきた大きな声はなかったことにはならない。コホン、と一つ咳払いして何事も無かったかのように狂三が言葉を発する。

 

「確かに良い案ではありますわ。ですが、それを任せるには『わたくし』は少々……その……〝若すぎる〟のですわ」

 

「……ああ、チョロいって事ですか」

 

「もう少し言い方という物がありますでしょう!?」

 

 出来るだけ包み込んだつもりだったのに情け容赦なく真っ二つに切られ、狂三が叫び声を上げて抗議する。

 狂三の分身体は【八の弾(ヘット)】の力によって生み出される過去の自分(・・・・・)。それは、寸分たがわず過去の『時崎狂三』を再現する弾丸である。故に、分身体一人一人は独立した意思を持つ狂三、彼女風に言うなれば『わたくし』なのだ。

 彼女たちにかかれば、数にものを言わせて諜報活動などはお手の物……が、過去の(・・・)という部分が狂三にとっては懸念要素となる。

 

 要するに、今の狂三ですら士道相手に絆されてしまったのに、過去の分身体を監視になど出した日にはどうなるか分かったものでは無い。ということである。

 

 ……ついでに、ほんの少し、ほんっっっっっの少しだけ、分身体ばかりが士道の顔を見るのは不平等だ、という理不尽すぎる思いが彼女にはあったりするのだが。バレるわけにはいかないので、ひっそりと胸に閉まっておいた。

 

「全く……それに、常に監視などさせたら……わ、わたくしが士道さんのことをそんなにも……す、す、す……」

 

「……ん。好きなんでしょう?」

 

「――――――好きですわよ!! ああ、もう、もう!! そういう事ではなくて……っ」

 

 なるほど、これが〝ギャップ萌え〟というやつか。なんて失礼な事を考えながら、顔を真っ赤に染めて独りでに言い訳を始める狂三を眺める。

 

 少女からすると、こういう所を五河士道に見せればイチコロな気はするが、いざ本人を前にするとしっかり元の狂三でいそうなのが簡単に想像出来てしまった。好意を認めているのに、ややこしい二人である。

 

「とにかく! 『わたくし』を使う事は出来ませんわ。あなたには、負担を強いて悪いとは思いますが……」

 

「それが我が女王の意思ならば――――まあ、実際は負担にもなってませんけどね、この程度」

 

「……なら、なぜこの話を致しましたの?」

 

「狂三の面白い反応が見たかったからです」

 

「…………」

 

 せめて取り繕って欲しかった。反省も後悔もしていないと紅茶を飲む少女を見て、軽く額を押さえた。早く慣れなければ、少女にからかわれるのを防げない。それは分かるのだがこの気恥しくも心地の良い想いは到底、慣れる気配がなく困りものであった。

 

「はあ……あなたは変わりませんわね――――そろそろ、報告をお願いしますわ」

 

「かしこまりました、女王様」

 

 和やかなお茶会。などの為に二人は揃っているのではない。休息は必要だが、取りすぎてはいけない。時間は、有限なのだから。

 雰囲気を一変させた狂三に、少女は変わらず気取った様子で声を発した。

 

「鳶一折紙の処分が決定しました。二ヶ月間の謹慎処分(・・・・)だそうです。絶賛、休暇もどきを謳歌なされていますよ」

 

「あら、あら。随分と盛大な処置ですこと」

 

「――――デウス・エクス・マキナ・インダストリー」

 

 狂三が僅かに眉を上げる。知らないわけが無い。その名は、狂三の分身体が情報収集を行う中でもかなり重要な部類に入る会社だった。

 

「……なるほど、折紙さんは目をつけられてしまいましたわね」

 

「彼女ほどの魔術師はそういませんからね。今回は、その才覚を潰さないよう一声かけたと言ったところでしょうか。トップが自らおいでになって、ね」

 

「――――十香さんは?」

 

「気づかれました。外部から霊力反応が出なかったので手は出せません……なんて子供騙しが通じる相手ではありませんしね」

 

 DEMインダストリー。表向きには一般企業を装う各国の対精霊機関の中で、特に精霊に対して興味を示し、更に顕現装置(リアライザ)の製造元という事もあり一般企業ながらASTにさえ口出しできる権力を持つ。

 精霊の力を封印できる少年がいるなど、DEM側は夢にも思っていないだろう。強大な精霊と瓜二つの少女が平然と学校に通っています。それを、はいそうですかと納得するわけがない。

 

消失(ロスト)する精霊を追うのは至難の業だ。しかし、一箇所に留まっているなら話は簡単。ASTのお膝元で派手な真似は出来ないとはいえ、やり方はいくらでもある。

 

「で、なんと面白いことに、このタイミングで来禅高校の修学旅行先が変更(・・)されたんですよ」

 

「うふふ、それは面白い話ですわね」

 

 狂三の目と唇は笑みの形を要しているが、彼女の頭の中では既にいくつもの予測が立てられている。

 

「でしょう? 偶然(・・)、宿泊予定の宿が老朽化で崩落して、偶然(・・)にも旅行会社が声をかけてくださったようですよ」

 

「――――――偶然(・・)、その幸運がDEMインダストリーの息のかかった会社だった」

 

「Exactly。偶然がここまで続くなんて不思議ですねぇ……場所は或美島。観光PRの為にカメラマンが随伴されるようですよ――――――世界最強の魔術師さんが」

 

 偶然が重なれば、それは必然となる。なるほど、霊力を封印された精霊に対して随分と大仰な人間を用意したものだ。封印されている、という事実を知っている筈がないのだから、確実性を重視して当然と言えば当然ではあるが。

 

 しかし、それが十香を狙っているというのは――――少し、面白くない。

 

「色々事情がありましてね。我儘を言わせてもらうと、私はアレ(・・)と顔を合わせるのは少し避けたいんです」

 

「あなたがそんな事を仰るのは珍しいですわね」

 

 顔を合わせるも何も、少女は顔を隠しているのだが。こういう場合は相対する事は避けたい、と言ったニュアンスだろう。

 

「申し訳ありません。狂三にかかるリスクは避けたいところですが……」

 

「構いませんわ――――――あなた、世界最強だろうとわたくしが負けると思っていないでしょう?」

 

「当たり前の事を仰いますね」

 

 あっけらかんと、そこに関しては何も心配していない風に少女は答える。少女とて、狂三が危機に陥るようなら色々な事情を無視して、件の魔術師を相手取る事に躊躇いはない。だが、初めから狂三が相手をすると分かっているなら、そんな心配は不要のものだ。

 

 

「精霊相手ならいざ知らず――――世界最強の魔術師だろうと、我が女王は負けませんよ」

 

「き、ひひひひ。その信頼、答えねばなりませんわねぇ」

 

 

 方針は決まった。本来であれば、時崎狂三はこの件に関わる理由はなかったが――――理由が出来てしまったのだから、関わるしかないだろう?

 

「太平洋に浮かぶ島……うふふ、素敵な旅行になりそうですわ」

 

「そうですね。それにしても、友人を心配する我が女王の優しさ、痛み入ります」

 

「……わたくし、そういう話はしていませんわよ」

 

 十香が狙われて気に食わない、というのはあくまで戦略上の理由であり、他意はない。友人を心配して、とか。以前、十香の前でした事を気にして、とか。そういった考えは皆無なのだ。

 苦言を呈す狂三に、ああそれは失礼しましたと軽く頭を下げる少女。見れば分かる、形だけの謝罪だ。

 

「そういう事にしておきます。ああ、ついでに五河士道とデートに洒落込むのも良いと思いますよ。そちらがメインになるかもしれませんが」

 

「な……っ!」

 

「――――気をつけた方が良いですよ。彼、これから狙われることになると思うので」

 

 またこの子は、と顔を赤くして反論しようとした狂三を遮り、少女が不穏な言葉を紡ぐ。その意味を、狂三は正確に読み取った。誰に狙われるか……決まっている、DEMインダストリーに、だ。

 

「士道さんの力は、もうDEM側に知られているのでして?」

 

「いいえ。ですが、彼の封印具合を考えるとそろそろ(・・・・)と言うべきですね」

 

「……ふぅん。そうですの」

 

 精霊の霊力をその身に(・・・・)封印する、信じられない力を持つ少年。狙われるとすれば、その力を注視されての事だろうが……方法が方法だけに、そうそうバレるものではない。実際、狂三とて少女の言葉でなければバカバカしいと切って捨てた可能性すらあるのだ。

 であれば、少女の言うそろそろ(・・・・)がなんなのか……まだ狂三の知らない〝何か〟が、あの方にはあるということか。

 

 

「では、こう聞かせてもらいますわ――――――士道さんの身に、何が起こりますの?」

 

「さて、私が言うまでもないことです。近いうちに分かりますよ――――――狂三なら、尚更ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ぬ……?」

 

「おい、いい加減にしろよ。いくら見たって――――」

 

「いや、違うのだシドー」

 

 十香に付き添って見事にクラスメイトとはぐれて(・・・・)しまった士道が、未だに怪訝な表情の彼女を諌める。この修学旅行(・・・・)に来てからというもの、十香が何かに見られている(・・・・・・)と言って聞かないのだ。

 

 七月十七日、月曜日。士道たち一行は無事、変更された旅行先である或美島に到着した。飛行機の中、彼の両脇に陣取った十香と折紙の大騒ぎもあり、士道本人は無事にと言っていいのか分からなかったが。

 ……折紙とは、どうにか和解という形にする事が出来た。無論、琴里を殺そうと襲いかかってきた事件の事である。気にするな、と言う事は出来なかった。それでも士道は、以前と同じように折紙と話がしたかった。折紙は納得しきった訳では無い。だが、士道を信じたい(・・・・)、士道の言う事が真実であって欲しい。そう言ってくれた折紙を、士道も信じようと思ったのだ。

 

 ――――士道。あなたは、人間?

 

 ふと、折紙の言葉が脳裏をよぎる時がある。精霊を封印する力を持ち、死の淵からすら蘇る自分は、果たして人間なのか。真っ当な生まれ方をした、人なのか――――――答えは出ない。しかし少なくとも、士道自身は人間のつもりだった。

 

 

 それに――――――この力があったから、愛しいあの子と会えたのだ。そう考えれば、こんな悩みは些細なことだと思えてしまう。

 

 

「何がだよ。あんだけ騒いだんだから誰かに見られてもおかしくないだろ?」

 

「……むぅ。さっきまでの奇妙な視線が突然、消えた気がするのだ」

 

「はあ……?」

 

 一体なんなんだ。士道は髪を雑にかいて、一転して不思議そうに辺りを見渡す十香を見やる。

 最初は、十香が誰かに見られている気がすると言ったのが始まりだった。当初それは、随行カメラマンを名乗る女性のものだと思ったのだが、十香はそれ以降も視線が残っていると言って聞かなかったのだ。

 どうしても気になると言って聞かない十香に付き合っていたら、学校の皆が先に移動してしまったので急いで追いかけているところだ。その移動中でさえ、十香が頻りに周りを気にするので更に時間がかかっていたのだが――――それが、急に無くなったというのだから士道は首を傾げる他ない。

 

「……なんだってんだ」

 

 とはいえ、十香の機嫌を考えれば無下にするのも躊躇われる。精霊としての感覚なのか、十香は妙に優れた〝直感〟と言えるものを持っているので、そんな彼女が見られているだけならまだしも、その視線が突然(・・)消えたというのは士道も少し気にかかった。

 右耳に付けられた小型インカムに触れる。司令官の琴里は本部に出向ということで不在のようだが、万が一に備えて〈フラクシナス〉は島の上空に浮遊しているという話だ。その万が一、という事もある。一応、向こうに連絡を入れておこうとして――――――

 

 

「――――――え?」

 

 

いる(・・)。漠然と、そんな感覚を士道は覚えた。これは初めてではない。だから、士道がこの歓喜にも似た高鳴りを勘違いと切って捨てることは出来なかった。

 

「……十香。ちょっと待ってくれ」

 

「む……?」

 

 様子が変わった士道を見て、今度は十香が首を傾げる番だった。う、うむ。となんの事か分からず戸惑い気味に頷く十香に、悪い、すぐ済むと言いながら後ろにいた彼女と位置を入れ替わる。

 

 士道の視線の先には、誰もいない。一つ、深呼吸。彼女がこんな所にいるはずがない、理性はそう告げている。だが士道は、心の赴くままに自然と声を発していた。

 

 

「――――こんな所で会えるなんて、奇遇だな」

 

「――――えぇ、えぇ。本当に」

 

 

 幻聴などでは無い。確実に、士道の言葉に何者かが言葉を返したのを聞いて、後ろにいる十香が息を呑んだのが分かる。

 視線の先、誰もいなかった筈の道の先に、彼女が歩いていた。この気候を気にもとめず、長袖にモノトーンのロングスカートを着込んだ彼女は、見れば精巧な人形と勘違いしてしまう人もいたかもしれない。それほどまでに場違いで、人外の美貌が彼女にはあった。

 

 そんな彼女が、少し困ったような(・・・・・・)表情をしていた。気づかれるとは思っていなかった。そんな可愛らしい表情だ。士道は、彼女がどこにいようと見つける自信があったので、得意げな顔で声をかける――――――命のやり取りを行う、愛しい愛しい、その少女へ。

 

 

「よう、お前も旅行か? それとも俺に、会いに来てくれたのか?」

 

「き、ひひひひ。この場合、どちらの答えが嬉しいのでしょう」

 

「――――もちろん、後者だ。言わなくたって分かってるだろ……狂三」

 

「えぇ、えぇ。よく知っていますわ――――わたくしの、愛しい、愛しい、士道さん」

 

 

 

 

 

 







こっからが本番!二部初対面ということもあり相変わらずお互いの名前呼ぶの好きね邂逅しました。何回やったっけなこの似たようなシチュエーション……今までと違ってお互い出会って素直に超嬉しい的なテンションなので今回は許して欲しい。ちなみに、この話の間に時系列としては狂三スターフェスティバルが挟まってます。番外編としてやる、と思いますはい。

軽く分身体に触れましたが、そんな狂三に触発された分身体のお話もいつか番外編として書いてみたいですね。流石に組み込めそうな本編のお話はないので。

旅行と言えば温泉、温泉と言えば……きひひひひ。ではまた次回。感想、評価を沢山いただき本当に感謝していますめっちゃ喜んでます(媚びていくスタイル) これからもお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第二十八話『灼熱の攻防』

士道くん鋼の精神過ぎるのではないかと書いてて思います


 

 

「――――で。真面目な話、どうして狂三はこんな所にいるんだ?」

 

「あら、あら。士道さんはわたくしの愛をお疑いになりますのね。悲しいですわ、泣いてしまいそうですわぁ」

 

「お、お前なぁ……」

 

 言いながら、士道の前まで来てわざとらしく目元を押さえる狂三。非常に演技がかったものなのに、マジで可愛いなこの子と思ってしまう自分が本当に毒されていると感じる。

 

「そりゃあ、狂三が会いに来てくれたら嬉しいけど……お前がわざわざこんな場所まで来るんだから、それだけじゃねぇんだろ?」

 

「さて、どうでしょう。士道さんに会いに来た、というのも本当に理由の一つでしてよ」

 

理由の一つ(・・・・・)、と言っている時点でやっぱり他にあるんじゃないか。指を唇に当て、これまた愛らしい仕草をする狂三を半目になって見やる。

 ……士道とて、狂三が自分に会いに来てくれたのなら嬉しい、とても嬉しい。しかし、あの時崎狂三がこんな辺境の地までそれだけの為に…………いや、士道との戦争(デート)を考えればあるのかもしれないが、それなら感極まってしまうのだが、やはり謎が多い狂三の事だけに深読みしてしまうのだ。普段、士道は狂三が何をしているか知る術がないのだから。

 

「……十香さん、お久しぶりですわ」

 

「――――うむ。久しいな狂三」

 

 士道の背で狂三の登場に目を丸くしていた十香へ、狂三が少し躊躇った様子を見せながら挨拶の言葉を口にし、十香は目を見開きながらもその挨拶を返した――――――数秒、そこから沈黙が流れる。この無言の時間が、久しぶりに出会ったからなんて可愛い理由ではない事を士道は悟った。

 二人の中にある感情を当人でない士道が推し量ることは難しいが、とにかく助け舟を出さない事には始まりそうになかった。

 

「……あー。そう言えば、十香の言ってた気になる視線って狂三の事だったんじゃないか? ほら、狂三は俺たちの近くにいたんだろ?」

 

「確かに近くにはいましたが……士道さんに気づかれるとは思いもしませんでしたわ」

 

「それはほら、勘だな。狂三限定の」

 

「……勘で分かるだなんて、あの子が驚きますわね」

 

 呆れ気味に何かを呟く狂三を見て、士道は半笑いで頬をかく。実際、狂三がいると分かったのは訳の分からない勘以外の何物でもないので、説明するのは士道本人にだって出来る気がしなかった。

 

「む……多分、違うぞ。上手くは言えぬが、見ていたのは狂三ではないと思うのだ」

 

「ああ、その事でしたらわたくしが――――――」

 

 視線の主が狂三でなければ、一体誰なのだろうか。そんな疑問に、狂三が恐らく答えようとしたのだろうか――――その言葉の途中、急に空を見上げる。それも、狂三だけではなく十香もほぼ同じタイミングで上を見上げていた。なんだ、とつられて顔を上げ――――――言葉を、失う。

 

「…………おいおい、嘘だろ……」

 

 ほんの数秒前まで、空は晴れ渡る青空だった。それが、今はどうだ。巨大な雲が渦を巻いている。そこから時間にして、一分と経たず……士道たちのいる場所は、経験した事がないような大嵐に見舞われた。まるで、ありえない超常現象を体験しているようだった。

 

「や――――べぇ。十香! それに狂三も! 急いで避難するぞ!!」

 

「これは……」

 

「っ、おい狂三!?」

 

 狂三は士道の声が聞こえていないのか、荒れ狂う空、その中心を睨みつけるように見据えていた。士道には見えない、〝何か〟が見えているかのように。この嵐の先にいる存在を、たった今感知した事に疑問を浮かべているかのような、そんな表情を含んでいた。

 

「狂三! 早くしないと――――」

 

「シドー、狂三! 危ない!!」

 

 言葉が終わる前に、士道の身体は十香の手で突き飛ばされていた。咄嗟に、狂三の柔らかい腕が士道を受け止める。なっ、と驚く暇もなく――――――

 

「ぎゃぷッ!?」

 

 非常にコミカルな声を上げて、十香が暴風の中で気を失ってしまった。声はコミカルだが、十香の頭に直撃したのは金属製のゴミ箱だ。この暴風域で士道の身代わりとなって金属製の物体を被弾したのだ、シャレになっていない。

 

「お、おい! 十香! 大丈夫か十香!!」

 

「十香さん、十香さん! お気を確かに!!」

 

 士道が肩を揺すり、狂三が心配げな顔で軽く彼女の頬を叩く。が、その両方はまるで意味を成さず、目を回した十香が目を覚ます事はない。不味い、こんな場所で立ち往生していては十香の身に何が起こるか分かったものでは無い。とにかく、十香を背負ってでも建物の中を目指さなければならなかった。

 

 

「く、仕方ねぇ。俺が十香を背負う! 狂三も一緒に――――――」

 

「――――――士道さん、ここから動いてはなりませんわ」

 

 

 何言ってる、こんな暴風の中で留まるわけに行くか。士道はそう口に出そうと思った。それを阻んだのは、狂三の双眸。鋭く輝く紅の瞳と、風によって顕になった時を奏でる金の瞳。その二つが、自然と士道の言葉を静止させた。

 

「わたくしが感知出来る領域に一瞬で入り込む〝精霊〟。知る限り、一人――――二人、と言うべきですわね」

 

「精霊って……!」

 

「来ます。伏せてくださいまし!!」

 

 狂三の警告と時を同じくして、嵐を纏った二つの影が、凄まじい勢いでぶつかり合った。

 

「う、うわ――――っ!?」

 

 先程までの暴風でさえ比べ物にならないほどに吹き荒れる風に、十香を庇うように身体を丸めた士道も吹き飛ばされそうになるのを必死に耐える。

 

 そんな士道と十香を更に庇うような形で手をやりながら、狂三は冷静に二つの影を追っていた。彼女がその霊力を感知した時、自分らしからぬミスをしたと最初は思った。DEMの動きに気を配る余り、近くにいた精霊の僅かな霊力を見過ごしてしまったのだと。

 違う。その考えを一蹴するのに狂三は数秒と使わなかった。これほど巨大な霊力を二つ(・・)、狂三が誤認するはずがない。考え得る限り可能性は一つ――――――狂三の知覚領域へ、この距離になるまで全く気づかれずに精霊が一瞬で入り込んだ(・・・・・・・・)

 

 そんな芸当を成し遂げた二対の精霊が、士道たちを挟んでその姿を現す。

 

 

「――――――く、くくくくく……」

 

 

 嵐の中心、台風の目のように穏やかな無風となった空間に響く、芝居がかった嘲笑。

 結い上げられた橙色の髪と、水銀色の瞳。ベルトのようなもので身体の各所を締め上げ、右の手足と首には引きちぎられた鎖がついた錠が付いている。まるで被虐快楽者(マゾヒスト)のようなその衣は――――〝霊装〟。

 

「やるではないか、夕弦。さすがは我が半身と言っておこう。この我と二五勝二五敗四九分けで戦績を分けているだけのことはある。だが――――――それも今日で終いだ」

 

「反論。この一〇〇戦目を制するのは、耶倶矢ではなく夕弦です」

 

 大仰というか、なんか妙に士道と狂三の心がザワつくというか……とにかく、妙な言葉遣いの少女に答えたのは、士道たちを挟んで左側から現れた瓜二つの容姿を持った少女。

 錠の位置が逆位置であり、纏う霊装は少々異なっていたが……本当に双子のようだ。長い髪を三つ編みに括り、表情は正反対に気怠げな夕弦と名乗った少女と、耶倶矢と呼ばれた少女は士道たちには目もくれずに会話を続けた。

 

「ふ、ほざきおるわ。いい加減、真なる八舞に相応しき精霊は我と認めたらどうだ?」

 

「否定。生き残るのは夕弦です。耶倶矢に八舞の名は相応しくありません」

 

「ふ――――無駄なあがきよ。我が未来視(先読み)の魔眼にはとうに見えておるのだ。次の一撃で――――――我が颶風を司りし漆黒の魔槍(シュトゥルム・ランツェ)に刺し貫かれし貴様の姿がな!!」

 

 その芝居がかった台詞を聞いた瞬間、相対している夕弦ではなく何故か士道と狂三が非常に苦い顔になり揃って沈黙する。幸いというべきか、本人たち以外それを知り得るものはいなかったが。

 

『………………』

 

 分かる。分かってしまうのだ、二人には。否、二人だからこそ(・・・・・・・)。なんというか、理由は様々あれど多感な時期(・・・・・)は誰しも存在し得るということだろう。

 

「指摘。耶倶矢の魔眼は当たった例しがありません」

 

「――――う、うるさいっ! 当たったことあるし! 馬鹿にすんなし!!」

 

 わーわーぎゃーぎゃー、なんて擬音が背景にありそうな大騒ぎ。やっぱり〝素〟があったかという気持ちと、そんな事を考えている場合じゃねぇという考えが士道の頭に浮かび上がった。

 

「狂三、この二人って……」

 

「えぇ、〝精霊〟ですわ。士道さんには困ったものですわね。十香さんや四系乃さん、わたくしに続いてまた精霊を引き寄せてしまうだなんて……」

 

「俺のせい!? 俺が悪いの!? けど、狂三たちみたいな二人組の精霊だなんて――――――」

 

「ああ、それは少し違いますわ。このお二人、恐らくは同じ存在(・・・・)ですもの」

 

「え……?」

 

 てっきり、狂三たちと同じように何らかの方法で共に活動している精霊だと、そう士道は考えていたのだ。いや、共に活動しているという点は間違っているかもしれない。何せ、彼女たちは今現在も――――――

 

「――――わ、笑うなあああああああああっ!!」

 

「っ!?」

 

 言い争いに負かされたのか、顔を真っ赤にした耶倶矢が荒れ狂う風を再び操り始める。それを見た夕弦が応じるように構えを取った。

 

 

「――――仕方ありませんわね」

 

「狂三――――!?」

 

 

 狂三の〝影〟が歪む。その影は彼女の身体に這い上がるのを今か今かと蠢き、範囲を広げ始めているように見えた。間違いなく、彼女は今戦闘態勢(・・・・)に入ろうとしていた。

 

「士道さん、十香さんを連れて下がっていてくださいまし。これ以上、あの方たちに暴れられてはわたくしとしても不都合(・・・)ですわ」

 

「く……」

 

 ――――狂三の言う通りにするべきだ。

 世界を相手取る力を持つ〝精霊〟。人間が立ち向かえるものではなく、このままでは意識を失っている十香の身が危険に晒されてしまう。なら、同じ〝精霊〟である狂三に任せるのは正しい判断だ――――――精霊を武力を持って制圧する場合は、だが。

 

「……いや、俺がやる」

 

「士道さん?」

 

 霊装を纏いかけた狂三を手で制し、前へ躍り出る。驚いた表情を見せる彼女に、安心させるように微笑んでやる。

 

 

「漆黒に沈め! はぁぁぁぁッ!!」

 

「突進。えいやー」

 

 

 もはや一刻の猶予もない。同時に地を蹴り上げた二人の精霊は、数秒とかからず風と共に激突するだろう。その未来を変えるために、士道は大きく息を吸い込む。

 

 そうだ、五河士道の武器は〝武力〟ではない。この身一つで成し遂げる精霊との〝対話〟だ。故に、彼らの戦争は戦争(デート)なのだ。

 精霊を救うと誓い、精霊と出会うことを運命づけられた少年が、吠えた。

 

 

「待――――てええええええええええええええええッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「……我が女王。それで、どうなったんですか?」

 

「ですから、その御二方が士道さんを先に落とした方が勝ち(・・・・・・・・・・)、という勝負を始めてしまいましたの」

 

「――――なんで、そうなるんですか?」

 

「わたくしに聞かないでくださいまし」

 

 そう言って困ったように微笑む狂三を見てしまうと、白い少女もそれはそうかと追求する事が出来なくなる。如何に狂三でも分かるわけがない。いきなり現れた精霊が逆に(・・)五河士道を〝攻略〟しようとする理由など。

 

 狂三が自らDEMの動きを探ってくると出て行ったかと思えば、五河士道と精霊出現に巻き込まれていたというのだから、宿で待機していた少女はどこから驚けば良いか思わず困ってしまったくらいだ。

 

「……というか、こんなにすぐ五河士道と合流してしまって良いんですか?」

 

「不可抗力ですわ。あなたから力をお借りしていたのに、士道さんに見つかってしまったんですもの」

 

「……は? 姿、自分から晒したんですか?」

 

「いいえ。十香さんが気になさって動けなくなっていらしたので、DEM側の監視を一度〝妨害〟いたしましたの。そうしたら、士道さんが〝勘〟でお気づきになられてしまいましたわ」

 

「〝勘〟って……そんな不条理な」

 

 呆れと困惑混じりで呟いて、ローブの下で思案する。狂三に〝譲渡〟していたのは、あくまで精霊の霊力を隠せる程度で他は副産物でしかない。だが、それでも普通の人間が狂三の姿に気づくことはまず不可能だ。隠れていたなら尚更、それを〝勘〟で発見してしまうなど不条理にも程がある。

 

「……まあ、五河士道そのものが不条理の塊みたいなものですか。それで今、彼らはどこに?」

 

「学校の皆様と合流されましたわ、精霊二人のオプション付きで。わたくしが行くわけには参りませんので『わたくし』に情報を探らせていますわ」

 

 流石に、休学中の狂三が一緒にいるのは問題となるので合流手前でひっそりと宿へ戻って来た。分身体に動向を探らせれば、確かに狂三が一度戻って来ても問題は無いのだが……。

 

「良いんですか? 五河士道を分身体に見張らせて」

 

「……適材適所ですわ。わたくし、私情に引っ張られるほど子供ではありませんもの」

 

 その割には、なんとも微妙な表情で気を落ち着けるようにお茶を飲んでいるが……まあ、狂三が大丈夫と言うなら少女としても止める理由はない。

 

 折良く、狂三の〝影〟から一人の分身体が姿を現す。

 

「――――ご苦労様。引き続き、お願いいたしますわ」

 

 一通りの報告を終え、分身体が優雅な一礼を披露して再び影の中へと消えて行った。見張らせていた分身体の中の一体からの定時報告。その内容は、とても興味深いものだった。

 

「……なるほど。彼女たち〈ベルセルク〉が言うには、本来は一人だった精霊が二つの存在に〝別れた〟という事ですか」

 

「全く同じ質の霊力でしたので、ある程度の予想はしていましたが……なんとも奇妙な状況ですわねぇ」

 

 つまり、本来は一つの存在であったはずの〈ベルセルク〉はいつの間にか異なる人格を持つ二人へと分離。彼女たちは、元に戻ろうとする本能に従い戦いを続けている――――どちらが八舞の主人格(・・・)となるに相応しいか、それを決めるために。

 

「しかし、世界各地で現れては消えて行く〈ベルセルク〉をこんな場所で引き当てるだなんて、五河士道は精霊探知機ですか」

 

「二人組の精霊、と言えば有名ですものね。士道さんは〝幸運〟なお方ですわ」

 

 探知機とは言い得て妙ではあるが、少々と意味合いがズレてしまっているか。何せ、五河士道が精霊と出会うのは初めから決まっている(・・・・・・・・・・)事柄なのだから。

 だが狂三の言うように〈ベルセルク〉と出会えたこと自体は幸運と言えた。タイミングを考えると、かなりややこしい状況と条件でそういう意味では不運なのかもしれないが。

 

「ですが、お互いがお互いを消す(・・)ために行動する精霊。そんな彼女たちが五河士道を〝攻略〟しようとするんですから、これは彼からすれば難しいですね」

 

「…………」

 

「……何か、気になることでも?」

 

 少女の言葉を聞いて、何か思い浮かんだのか顎に手を当て思案顔になった狂三。少女の問いかけに、僅かに首を振って声を発する。

 

「いえ、口にするには早計な考えですわ。気にしないでくださいまし――――今一度、士道さんの元へ参りますわ」

 

「かしこまりました……DEM側の動きに対処するためですか?」

 

「えぇ、えぇ、それ()ありますわ」

 

 その言い方は、別の理由があるということだ。立ち上がり、出口へと向かいながら少女へ優雅な笑みを浮かべ、狂三は言葉を紡いだ。

 

 

「――――――士道さんのお心を奪い取るのは、わたくしの特権ですわ」

 

「……ん。では、ご武運を。我が女王」

 

 

 確かにそれは、五河士道の傍でなければ成し遂げられないことであった。いついかなる時も、二人の戦争(デート)は続いているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あぁ……いいお湯だぁ……」

 

 全身から疲れが抜け、身体が溶けてしまいそうな心地良さに浸る。岩で作られた巨大な浴槽の中に身体を沈め、年寄り臭い声を出してしまうほど、士道の疲労は溜まりに溜まっていたということだろう。

 やるべき事、考えるべき事が次から次へと飛び出てきて休まる暇がない。突如現れた狂三、そして新たな精霊同士の勝負に巻き込まれ、裁定者とやらに選ばれてしまった。多少は精霊の事に慣れてきたつもりだったが、所詮はつもりだったという事か。とにかく、何故か耶倶矢と夕弦がやけに強く露天風呂を勧めたことは疑問だったが、これは素直に感謝するべきかもしれない。

 

「あら、あら。とてもお疲れの様子ですわね」

 

「いやぁ……最近は色々あってなぁ……」

 

「それは大変ですわ、いけませんわぁ。わたくしが、士道さんの背中を流して差し上げますわ」

 

「ああ、頼んでも……いい、か……?」

 

 ――――おかしい。疲れすぎてどうやら幻聴まで聞こえているらしい。ただまあ、万が一、億が一にも幻聴ではない可能性を考慮すべきだろう。目元をしっかり揉みほぐし、頭を数度振ってから落ち着いて深呼吸。そして、ゆっくりと身体の向きを変えた。

 

 

「――――――こんばんわ士道さん。本当に、良いお湯ですわね」

 

「幻聴じゃなかったああああああああああああっ!?」

 

 

 大急ぎで目を瞑り、加えて手を使って自らの視界を完全に覆い隠すがもう遅い。彼女に関して天才的な記憶能力を誇る士道の脳が、一瞬映った彼女の蠱惑的すぎる姿を切り取って浮かび上がらせていた。

 好きな少女の裸体……は、残念と言うべきか一歩手前。バスタオルを巻いて入浴する狂三は、一瞬だろうと士道の精神を極限まで掻き乱すには十分すぎた。普段の服の下に隠れた一つの穢れも見当たらない白い肌、たわわに実った二つの果実、普段とは違い後ろで一纏めにされた黒髪もより一層彼女の新しい魅力を発見させてくれた。興奮なんてものでは無い。既に士道の脳細胞はトップギアを超えて崩落寸前。バックギアはとうの昔にぶっ壊れている。士道の隠された〈鏖殺公(サンダルフォン)〉も今か今かと興奮冷めやらぬ様子で――――――

 

「ってそうじゃねぇ!! く、く、く、狂三!! おま、お前!! 何してんだよっ!?」

 

「うふふ、もうお忘れなのですか? わたくしは士道さんをデレさせる(・・・・・)と決めましたの。こんな絶好のチャンスを逃すわたくしではありませんわ」

 

「な……っ!」

 

 

「わたくし、構いませんわ。士道さんになら……いいえ、いいえ。士道さんだけに(・・・・・・・)知って欲しいのです――――――わたくしの、全てを」

 

 

 脳幹が焼き切れてしまうのではないか。そんな感覚がひたすらに士道を犯して行く。

 言った。確かに言ったし士道もそれを受け入れた。しかしこれは、いくらなんでも階段を何十段と吹っ飛ばし過ぎではないだろうか。

 ――――目を開ければ、狂三のあられもない姿を見る事が出来る。男なら誰しもが羨ましがるこの誘惑を、士道は受け入れる権利を持っている。甘く、甘美で、破滅的な誘惑。思わず目を開けてしまいそうになる。当たり前だ、好きな少女に誘惑され、歓喜の感情を抱かない男がどこにいるというのだ。

 

 湯を掻き分ける音と、迫る少女の雰囲気に意を決して――――士道は目を開けた。

 

 

「士道、さん」

 

「狂、三……」

 

 

 名前を呼ぶ。二人の幾度となく行われる愛情表現にも似た、たったそれだけの行為でさえ、吐息すら聞こえてくる距離では訳が違う。熱に浮かされて、何も考えられない。熱に浮かされて、お互いの事しか見えていない。紅潮したお互いの顔が、眼前に迫っていた。二人は――――――

 

 

 

 

 

「――――ほう、先客がいるとは驚きよな」

 

「驚嘆。びっくりです」

 

『っ!!』

 

 

 ほぼ同時に正気に返り、湯を派手に巻き上げて大慌てで距離を取る。一体、自分は何をしようとしていたのか、それを思い返す暇さえなく士道は新たな来訪者に目を見開いた……あと、思わずまた目を瞑ってしまった。

 

「お、お前らまで何してんだっ!! ここは男湯だぞ!!」

 

「く、くくく、どうだ士道。我が色香の前にひれ伏すが良いぞ――――む、よく見ればそこな娘、士道と共にいた者ではないか」

 

「――――申し遅れましたわ」

 

 湯船の中から、というなんだか奇妙な状況ではあるが、そんな状況でも狂三は優雅な仕草を崩さない。

 

「時崎狂三と申しますわ。わたくし、かねてより(・・・・・)士道さんを落とす(・・・)事を目的としていますの」

 

 ニッコリ、どこか挑戦的な笑みで言葉を放つ。狂三の言葉を聞いた耶倶矢と夕弦は目を見開き、そして微笑を浮かべた……全員がバスタオル一枚という、シュールかつ士道にとっては非常に目に毒な光景だったが。

 

「ふん、なるほど。難物というのは真のようだな。我ら八舞の美貌に勝るとも劣らぬ、斯様な娘の色香にさえ屈せぬとは」

 

「熾烈。それでこそ勝負のしがいがあるというもの」

 

「え゛」

 

 屈してる、めっちゃ屈してます。むしろデレデレです。けど狂三が褒められてなぜか士道が嬉しくなる。そんな口に出せない思いが届くはずがなく、なんかさり気なくハードルが上がってしまった士道の左右へ、それぞれ耶倶矢と夕弦が陣取った。それだけでは無い、なんか負けじと狂三まで正面に位置取りを始めていた。やめてください、理性が死んでしまいます。

 

「きひひひひ、士道さん。覚悟を決めてくださいまし」

 

「何も考えずとも良い。我を選べ。そして忠誠を捧げるのだ」

 

「誘惑。是非に夕弦を選ぶべきです。さあ、さあ」

 

 ナチュラルに狂三が混ざっている事に、もはや疑問はないのだろうか。右に耶倶矢、左に夕弦、正面には狂三。背水の陣、逃げ道など存在しない。どこに目を向けても毒ではあるが、やはり一番精神を侵されるのは目の前にいる愛しい少女の姿であろう。火照ったその白い肌の美しさと言ったらもう形容し難い。それこそ、のぼせてしまったように…………のぼせてしまったように、顔が赤くはないか?

 

「お、おい。大丈夫か狂三?」

 

「? わたくしがどうかなさいまして?」

 

「なんか様子がおかしいぞ……のぼせたんじゃないか?」

 

「……何を言って、いらっしゃいますの。わたくしが……その、ような――――――」

 

 ぶくぶくぶく。狂三は沈んでしまった!

 

 

「――――狂三いいいいいいいいいっ!?」

 

 

 なりふり構っていられず、お湯を掻き分け狂三の元へ駆け付け抱えるように引き上げる。士道の手の中でボーッと虚空を見つめる彼女の姿は妙に色っぽかったが、流石にそれどころでは無い。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!? 大丈夫じゃない!! こ、こういう時はえーっとえーっと……!!」

 

「救急。落ち着いて、ひとまず湯船から引き上げるべきです。早急に」

 

「そう、それよそれ!! 流石は夕弦!!」

 

「あ、ああ……!」

 

 喧嘩をしてるにしてはやけに仲が良い二人の言葉に従い、士道は狂三を抱き上げ立ち上がった――――その瞬間、

 

「とりゃー!!」

 

 非常に元気が良く、ひじょーに聞き覚えがあり、とても男とは思えない声と共に、勢いよく誰かが湯船に飛び込んできた。

 対象と目と目が合う。夜色の髪が濡れてまた美しい。夜刀神十香、その人だった。お互い何が起こったか分からないという、キョトンとした顔を見合わせ――――――

 

 

「ギャーーーーーーーーーッ!?」

「ギャーーーーーーーーーッ!?」

 

 

 当然の流れのように、仲が良すぎるくらいに全く同じ悲鳴を上げた。

 

「な、なななななななななな! なぜこんなところにいるのだシドー!」

 

「い、いやいやいや!! おまえこそなんでこっちに入って来てんだよ!! ここ男湯だぞ!!」

 

「何を言っている! ちゃんと皆に教わったとおり、赤い方に入ったぞ!!」

 

「なん……だと……!?」

 

 そんな馬鹿な。士道は確かに男湯を選んだ筈だ。そう、八舞の二人に唆され、て……。

 

「ま、さか……」

 

 ハッと二人に目を向けると、シレッとした顔で目を逸らされた。その動作がもう色々と真実を物語っている。間違いない、確信犯だ。彼女たちは士道が入る前にのれんを入れ替えて(・・・・・・・・・)いた。それに気付かず、彼はまんまとこの絶望的な術中にハマってしまったのだ。

 

「お前らぁぁぁぁぁぁ……ッ!! ――――――十香! 信じてくれ……俺は誓ってこんなことするつもりじゃなかったんだ!!」

 

「お、おお……? で、ではなぜこんな所にいるのだ? しかも狂三まで……」

 

「騙されたんだ! 狂三は……いや狂三も騙されて入ってきちまったんだよ、うん!! ほら、のぼせて倒れちまってな!!」

 

 狂三は明らかに士道を待ち伏せしていたのだが、今この瞬間においてそんな事をご丁寧に説明しているわけにはいかない。多少支離滅裂になろうが、とにかく狂三を連れて安全な場所まで辿り着く必要があった。

 

「すまん、すぐ出ていくから……!」

 

「あ、待つのだシドー! そちらは、マズいと思うぞ……」

 

「へ――――っ!?」

 

 引き戸が開き、入ってきたのは女子の御一行(・・・)。咄嗟に岩陰に隠れるが、女子たちの甲高い声が段々と近づいて来て士道の頭の中で過去最大級の危険アラームが鳴り響いていた。

 

「や、ややややややっべぇ……! ど、どうする……っ!!」

 

 入口は一つ、更に両手には狂三。隠れる続けるには限界がある。回らない頭を必死に回転させるが、当然ろくな答えが見当たらない。狂三が見つかってしまったら、確実に大騒ぎになる。それ以前に、士道が見つかってしまったらそれ以上に大騒ぎだ。

 袋叩きに合うだけならまだマシだ。恐らく、明日以降まともな学校生活を送ることさえ叶わない。下手をすれば豚箱行きで、そうしたら狂三にだって見限られてしまうだろう。ああ、さようなら俺の短い人生――――――

 

 

「――――と、十香……?」

 

「――――――シドーが悪いのではないのだろう? なら、私の陰に隠れて、狂三を連れて早く逃げるのだ」

 

「っ……すまん、恩に着る……!!」

 

 

 救いの神が現れた。こんな状況でも士道を信じ、自らが壁になって士道を隠してくれている。まさに女神、いやGOD、十香神と言うべきだろう。多分、こんな事を考えている時点で既に士道の頭はデッドヒートしていた。

 

 ひとまず、十香の助けで大きな岩陰にまでは来れたが、そこから先は狂三を抱えて行くのは難しいと思える距離だった。

 

「く、どうすれば……!」

 

「――――士道さん」

 

「……! 狂三、大丈夫なのか!?」

 

「……えぇ、ご迷惑をおかけしてしまいましたわ……っ」

 

 士道の手からゆっくりと離れ、狂三が地に足をつける。岩に手を突き、軽く息を整えた彼女は、トン、と地面を小突いて突然小規模の〝影〟を出現させた。

 

「士道さん、わたくしと(・・・・・)〝影〟の中へ」

 

「へ……!?」

 

「影へ入れば、安全にこの場から離れる事が出来ますわ。元々、士道さんを謂れのない犯罪者にするおつもりはありませんでしたので」

 

 紅潮した微笑みがこれまた色っぽい、ではなく。もしかして、狂三は最初からそのつもりで先回りしていた……?

 

「あー、十香ちゃんはっけーん!」

 

「どうしたの? こんな端っこで」

 

「ていうかうっわ、肌きれー。揉ませろコラー!」

 

『っ!』

 

 詮索する間さえなく、ついに十香が発見されてしまい息を呑む。岩陰に隠れた二人の姿は見えていないらしいが、隠し事が得意ではない十香では後ろに何かを隠しているのがバレバレだった。当然、亜衣麻衣美衣トリオが気づかない筈がない。というか、この前のデートと言いなんかやたら縁があるなと、何も嬉しくない縁を感じてしまいそうだ。

 

「い、いや、何でもないぞ! 気にするな!!」

 

「士道さん、十香さんが時間を稼いでくれているうちにお早く」

 

「……!」

 

 十香が前に出て、僅かな時間を稼いでいる。確かに、迷っている時間はない……ない、のだが……。

 

「――――っ!」

 

 士道さん? と狂三に顔を覗き込まれる。ヤバい、本当にヤバい(・・・)。紅潮し、息を荒くしたその顔。目一杯広がる、バスタオルという薄い布一枚に隔てられた二つの桃源郷。五河士道の精神は、もう色々と限界(・・)を迎えていた。

 再三となるが、五河士道は平凡な高校生だ。決して、聖人君子ではなく人並みの欲というものはある。まあ、妹の分析では好きな人相手だろうと迫られても一歩二歩と後退し、顔を真っ赤にして狼狽えるウブな青少年なのだが、それでも立派な男なのだ。

 

 冷静に考えてみて欲しい。この、極限に追い詰められた状況下で、好きな少女と、裸同然の格好で、これから二人きりになる?

 

 ――――薄い理性という線が、プツンと切れる音がした。幸いというべきか、その切れた方向がそっち(・・・)方面のものでないのは、士道らしいと言えばその通りなのだろう。

 

 

「……ありがとな、狂三。けど、俺は別の方法を取らせてもらうよ」

 

 

 怪訝な表情をする狂三から一歩引き――――士道は、迷いなく後方の()へとダイブした。

 

「――――士道さん!?」

 

 ああ、なんだか狂三が名前を呼んでる気がするなぁ。ちょっと、あと数秒遅かったら色々と危なかったなぁ。あの綺麗な素肌を見られたなら、死んでも悔いはないかなぁ。なんて、取り留めのない事を考えながら――――士道の火照った身体と頭は、冷たい海水の中へと身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 部屋で端末を操作していた村雨令音は、扉の外から聞こえる少し焦ったような足音に首を傾げた。その足音が部屋の前で止まったかと思えば、コンコン、とノックされ……令音が返事をする前に雑に扉が開かれた。

 

 

「――――し、士道さんに、服と暖かいものをお願いしますわ……!」

 

 

 タオルにくるまり、身体をガタガタと震わせる士道と、そんな彼を霊装姿で抱きかかえて息を荒く声を発する狂三の姿。

 

 普通、逆じゃないかな? と一番に思ったのはともかく。令音は数秒考え込んだ後……ポンと、思い至ったかのように手を打った。

 

 

「……そういう目的なら、他の宿を使うべきではないかな?」

 

「ち・が・い・ま・す・わ!!!!」

 

 

 

 







オチが書きたかっただけだろ!! 風呂のシーンはもうちょい士道くんを一方的に追い詰める狂三、みたいな想像をしていたんですけど実際書いたら物語が終わってしまいそうなラブコメシーンになってました。熱に浮かされると判断能力鈍るからね、仕方ないね。

予想外の精霊登場。果たして浮気現場を目撃した狂三の判断は如何に! いや冗談ですけど狂三の判断の方はまた次回に。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第二十九話『その矛盾を知る者』

まあ狂三をメインヒロインとしている以上、原作にないキャラとのイベント進行もありますよね。狂三はある意味もう一人の主人公と言っても差し支えなかったり。そんな感じの第二十九話、どうぞ


 

 

「……死ぬかと思った」

 

「向こう見ずも程々になさらないと、本当に身体を壊してしまいますわよ」

 

 予備の浴衣に袖通し、湯飲みに注がれたお茶を飲みようやく一息ついた士道。隣には呆れ気味ながら彼を気遣う狂三もいる。咄嗟の行動だったとはいえ、高所から海水へのダイブはなかなかにスリリングだった。二度と体験するのはゴメンだと思うくらいには。

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の回復能力のお陰でかなりの無理が利く士道の肉体だが、それ以外は普通の人間と大差がない。当然、海面に身体を打ち付けた上に冷水に全身を濡らして平然としていられるような耐久力はないので、狂三が助け出してくれなければ少し危なかったかもしれない。

 しかし、回復能力頼りで向こう見ずだったのは狂三の言う通りではあるのだが、他に方法がなかったのも事実なのだ……士道が何事にも動じない鉄の精神を持っていたら話は別だったかもしれないが。

 

「すまん、狂三がいてくれて助かった……けど、突然いなくなったと思ったらあんな所にいるだなんて、マジで心臓が止まるかと思ったぞ」

 

「うふふ……御二方が面白そうな話をなされていたので、わたくしもご相伴にあずからせてもらおうかと思いましたの」

 

「……なるほどな」

 

 笑顔であの場にいた理由を語ってくれた狂三を見て、士道は呆れ半分で息を吐いた。大変に眼福な光景ではあったが、危うく人間としての尊厳というか、色々なものを失いかけたので笑い事ではない。

 多分、彼女はそういった事態も考慮に入れ、士道へ助け舟を出すつもりでいてくれたのであろうが。

 

「てか俺が来るって分かってたのに、のぼせちまうくらい露天風呂の中で待ってたのか?」

 

「……えぇ、わたくしとした事が不覚でしたわ」

 

「本当に待ってたのかよ……」

 

 言えない。そんなに長い時間は待っていないが、聞いた時はやる気に満ち溢れて準備をしていたにも関わらず、いざ士道と裸同然の格好で顔を合わせると何だか妙に気恥ずかしくなって内心ではいっぱいいっぱいになってしまったせいだなんて、言えない。

 

「……ん。そろそろ良いかね?」

 

「あ、すみません令音さん。大丈夫です」

 

 タイミングを見て声をかけて来た令音へ頭を下げる。駆け込む先がここしか思い浮かばなかったのだが、狂三が同伴していても特に動じる様子がないのは流石と言うべきか。

 ぞんざいな締め方の帯のせいか、士道の言葉に頷いた際に浴衣から見えてしまった胸元(・・)が微妙に目に毒でサッと目をそらす。

 

 その瞬間、足を軽く抓られた。言うまでもなく、隣にいる狂三の指先で。

 

「っ……お、おい……」

 

「はい。何かございまして?」

 

「……ナンデモナイデス」

 

 小声の抗議は、狂三の笑顔にあっさり封殺された。なんだろう、怖い。笑顔なのに凄みがあるというか。とにかく、反論するには士道の勇気がいくつあっても足りなそうだった。

 

「……どうかしたかね?」

 

「い、いえ、なんでも。それより〈フラクシナス〉との通信は回復したんですか?」

 

 原因は不明だが少し前から〈フラクシナス〉との通信が途絶し、連絡が取れなくなっていた。精霊とコンタクトを取る上で彼らのフォローがないのは少々と不安なところがあったので、回復していれば良いと思っていたのだが……無言で首を振る令音を見て、僅かに肩を落とす。

 

「そう……ですか。えっと、じゃああの二人――――耶倶矢と夕弦は……」

 

「……これを」

 

 士道の問いに頷いて、ノートパソコンを操作した令音が画面を見るように促してくる。それに従って覗き込んだ画面の中には、望遠で撮影されたと思われる風の中で踊る二つの人影が映し出されていた。表示された細かな数値や文字列は分からないが、人影だけでもそこに映る人物は想像するに難しくなかった。何せ、士道はこれと似た光景を実際に今日、目にしているのだから。

 

「――――耶倶矢さんと夕弦さん、ですわね」

 

「……ああ、恐らくね。彼女らは我々の中ではちょっとした有名人でね……その反応を見るに、狂三は知っていたようだね」

 

「えぇ、えぇ。実際に立ち会うのは初めてですが、わたくしの耳にもよく入っていましたわ。暴風を司る二人組の精霊さんのお話は」

 

 ……何やら令音と狂三は二人で納得しあっているようだが、事情が分からない士道にも分かるように説明して欲しかった。

 

「あの……有名人、っていうと」

 

「……彼女らは〈ベルセルク〉と呼ばれている。君も見ただろうが、風を伴う精霊だ」

 

「御二方は世界中で現界なされているのですが、その度にじゃれ合い(・・・・・)を続けているのですわ――――精霊同士(・・・・)のじゃれ合い、と言えば士道さんにもよくお分かりになりますでしょう?」

 

「ああ……」

 

 頬をかいて昼間の事を思い返す。一瞬で気候を変化させ、辺り一面を地獄絵図へと変えた驚異的な暴風。精霊にとってはじゃれ合い(・・・・・)程度でも、人類にとってそれは〝天災〟に他ならない。狂三の言うように、精霊の力をよく知る士道は彼女の言いたいことを察する事が出来た。

 

「各地で起きている突発性暴風雨の何割かは、彼女たちが引き起こしたものだろう。その上、目撃情報も非常に多いときている」

 

「きひひひ! 精霊の存在を隠し通したい皆様からすれば、無自覚に天災を撒き散らす厄介な存在ですわ。何せ、空間震の反応を頼りにしていては捉えようがありませんもの」

 

「空間震……そう言えば、警報が全然なら鳴らなかったけど、あの二人は静粛現界したのか……?」

 

 あれほど近くに精霊が現れたというのに、空間震警報が発令された様子は全くなかった……そこまで考えて、ふと別の疑問が生じた。

 

「……静粛現界って言えば、狂三たちはどうしてるんだ? 一度も空間震から現れたところ見たことないけど」

 

 狂三と白い少女は両者共に神出鬼没な精霊だ。その上、あくまで予想の話になるが二人は同時に行動していると見られている。士道としても、その辺の事情は聞ける時に聞いて見たかった。

 彼の問いかけに、存外あっさり彼女は口を開いてくれた。

 

「どうしてる、と言われましても……わたくしたち、隣界からは来ておりませんわ」

 

「は……? せ、精霊は隣界から来てるんじゃないのか!?」

 

「そういう子が大半でしょうけど、少なくともわたくしとあの子は違いますわ。そもそも、いちいち向こうから来ていたら目立ってしまいますもの。不便ですわ」

 

 その通りではあるが、精霊の常識とされていた事を〝不便〟の一言で片付けた事に士道は唖然となる。なんて事はない質問に答えた、と言わんばかり平然とした狂三が嘘をついているようには思えない。それに、こんな事で嘘をつく理由はないし、常にこちらにいるというなら別々の精霊が二人同時に活動している事も辻褄が合う。

 

 衝撃の事実に驚く士道とは正反対に、さして驚いた様子が見られない令音が話を続ける。彼女の場合、驚いていても表情に出なさそうでどの道、士道にはどちらか判別出来ないが。

 

「……話を戻そう。二人は静粛現界をしたわけでも、ましてや狂三達のようにこちらに留まっていた訳でも無い」

 

「じゃあ、どうやって……」

 

「――――空間震は起こっていた。ただし、この島から遥か離れた位置で。そうですわよね、村雨先生?」

 

 狂三の確信に満ちた言葉を聞いて、士道が目を丸くして彼女を見遣る。その不敵な微笑みは、当てずっぽうで放たれた言葉のものでは無い。令音が小さく首を倒した事で、それは正しいものだと証明された。

 

「……その通りだ。予兆は確認されていた――――太平洋沖の遥か上空で、ね」

 

「そこから、数百キロという距離を移動なされて来たのですわ。僅か数分足らず、わたくしでさえ反応が遅れてしまうほどの速度で」

 

「な……っ!?」

 

「幸運ですわね、士道さん。いいえ、運命とでも言うべきかしら。これを逃せば、もうお二人を封印する機会はございませんわよ」

 

 悪戯っぽい笑みで告げる狂三に、士道はゴクリと息を呑む。これまでの情報を整理すると、自ずと彼女の言っている意味がよく分かる。

 同じ精霊の狂三でさえ、反応が遅れたと言わしめる移動速度。幸か不幸か、上空での現界により予兆を確認しても対応が遅れ、現界し切ってから追ったところで風の精霊に誰が追いつけるというのだろう。狂三の言う通り、そんな風の精霊と出会い、あまつさえ目をつけられてしまうなど、とんでもない幸運(・・)と言うべきものだった。

 

「……そう。この機を逃したなら、何の冗談でもなく封印のチャンスは二度とやって来ないかもしれない。そこで頼みがある――――君たち、二人に」

 

 それぞれ視線を飛ばされ、士道は目を丸くし狂三はピクリと眉を上げる。

 

「狂三も……ですか?」

 

「……ああ。まずはシン。今回はかなり特殊なケースだ。どちらが君を籠絡できるか競う精霊……仮にどちらかにキスをしたとしよう。その時、どうなるかな?」

 

「それは……」

 

 都合よく二人とも封印、なんて事は起こらないだろう。同一の精霊……しかし、封印が片方に施された時にもう片方がどうなってしまうのか。少なくとも、良い結果は得られそうにない。

 

「……様々な危険が伴う事は想像に難しくない。だから一つ、策を講じさせてもらった。彼女らと話し、修学旅行の最終日――――つまり明後日の朝までに、君にどちらが魅力的かを選択させると」

 

「……明日一日で、耶倶矢と夕弦をデレさせろ、と?」

 

 かなり無茶な話ではある。一日の猶予で、二人を同時に攻略する。しかも、キスの問題を解決出来てはいない。

 士道の疑問を読み取ったのか、少し違うと首を横に振った令音が……耳を疑うような一言を告げた。

 

 

「……今回、私は(・・)、君をデレさせる(・・・・・)

 

「――――――――は?」

 

「……だから君は、その上で二人をデレさせてくれ(・・・・・・・)

 

 

 言ってる意味が分からなかった。あんぐりと口を開けた士道に対して、令音は至って真面目に言葉を続ける。

 

「……私が耶倶矢と夕弦にインカムを渡し、君を〝攻略〟する手助けを行う。君の協力で、私のアドバイスが的確である、という信頼を得る事が出来れば――――二人同時に(・・・・・)、君にキスをさせることだって出来るかもしれない」

 

「……っ!」

 

 理論上の話ではあるが、確かにその方法であれば安全な封印が可能かもしれない。が、それはあくまで可能性(・・・)の話であって、そこに至るまでの道が無茶だ。今は、〈フラクシナス〉のサポートを受ける事が出来ないのだから。

 

「……無論、苦渋の策には変わらない。〈フラクシナス〉との通信が出来ない以上、〈ラタトスク〉からのサポートは受けられず、君への負担は相当なものになる」

 

 一度、令音が言葉を区切り狂三に視線を向ける。そして士道にとっては、さっきの発言以上に耳を疑ってしまう言葉を発した。

 

 

「――――――だから、狂三にシンのサポート(・・・・)を頼みたい」

 

「………………はぁ!?」

 

「……シンと彼女たちのデートを、君がフォローしてやって欲しい」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!! それは……」

 

「士道さん」

 

 

 凛とした声が響き、士道が口を出すことを狂三が自ら制する。

 思わず隣に座る狂三の表情を見るが、いつものような微笑みは見られない。ただ、無表情で令音を見つめていた。隈に飾られた水晶のような瞳と、血のように紅い瞳、時を奏でる金の瞳が真っ直ぐにぶつかり合う。

 

 令音はとんでもない事を言っている。狂三の事を理解していて、こう言っているのだ。士道が他の女を落とす(・・・)事の手伝いをしろ、と。冷や汗をかく、とかいう次元の話ではない。

 

「自分が何を言っているのか……お分かりですの、村雨先生」

 

「……分かっている。その上で、君の力を借りたい――――――シンを、頼む」

 

 令音が深々と頭を下げる。それを見ても、狂三の表情は揺るがない。士道は唾を飲んで見守る事しか出来なかった。

 士道と狂三の関係を知った上で、令音は士道が他の女とデート(・・・)する事を受け入れ、更には上手くいくようフォローしてくれと直球に言っている。

 狂三の機嫌を損ねる危険性のある、分の悪い賭けだ。同時に、狂三にこれからの精霊攻略を〝許容〟してもらえるかもしれない選択でもある。

 

 狂三が、小さく息を吐く。それだけで、士道は肩を揺らして判決を待つ罪人のような気分になった。

 

 

「そういう言い方は、ズルいですわ」

 

「……すまない。何分、私は口下手でね。気を悪くしたなら謝罪しよう」

 

「必要ありませんわ――――――引き受けましょう」

 

 狂三から飛び出た言葉にギョッと驚きを見せる士道。頭を上げた令音が、今一度狂三に礼を述べた。

 

「……ありがとう」

 

「構いませんわ。わたくしにとっても、利になる事ですもの……それを分かっていて、提案したのでしょう?」

 

「……さて、ね」

 

「狂三……」

 

 良いのか。そう士道は聞きたくて微笑みを戻した狂三の名を呼んだ。その想いを汲み取ったのか、はたまた別の理由か。彼女は視線を向けて鋭く士道を射抜くように見つめる。

 

「このままでは、あの二人のどちらかは消滅しますわ」

 

「っ!」

 

 主人格をかけた争い。決着がつかなくとも、いずれはどちらかが消滅してしまう運命。ならば、この手でその座を勝ち取る。そんな理不尽な勝負が士道の目前で繰り広げられている。

 

 

「――――――士道さん、わたくしに見せてくださいまし。決められた運命(・・)を覆す力が、あなた様にあるのかどうかを」

 

 

 士道がやらなければ、確実にその未来が訪れる。そうなってしまったら、誰も救われない。手を伸ばすことを躊躇っていたら、誰も救えない。士道が二人の霊力を封印する事さえ出来たのなら、決められた運命とやらを変えることが出来るのだ。

 

 ――――見せてみろ。狂三はそう言った。士道にはそれが、本当に狂三を救えるのか(・・・・・)、その力があるのか……その可能性を見せて欲しい。と言っているように聞こえた。

 

 

「わかった――――やってみる。俺は、あいつらを救ってやりたい(・・・・・・・)

 

 

 危険だとか世界がどうだなんて関係ない。理不尽な運命なんて、変えてやる。その程度の事が出来ない男なら――――――好きな女一人(・・・・・・)救うことなんて出来はしない。

 

 力強く頷く士道を見て、狂三が笑みをこぼす。それはまるで、士道ならそう言うと思った……そんな、優しげな微笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「なぜ、村雨先生はわたくしを精霊さんの攻略にお誘いになったので?」

 

「……うん?」

 

 先程とは違う別室にて、士道を風邪の看病(・・)という名目で〝攻略〟しようとする耶倶矢、夕弦をカメラ越しに見やりながら、狂三は令音へ問いただした。コテン、と問いかけに首を傾げながら彼女は口を開く。

 

「……利になること。そう、君も言っていただろう?」

 

「リスクが高すぎますわ。気に入らないからとわたくしが癇癪を起こし、全てを台無しにする事だって考えられましてよ」

 

「……ん。君ならそういう事はしないと、私は思うよ」

 

 狂三にとっても利にはなる。狂三が士道の霊力を求める以上、彼が精霊封印を続ける事は彼女にとってはメリットの塊なのだ。しかし、それを手伝えというのは狂三の〝想い〟を知っている筈の令音が取る選択としては些か軽率だと思えてしまう。加えて〈ラタトスク〉の支援が受けられない状態だと、あっさり明かしてしまったのだ。

 

「楽観的ですわね。わたくしが、嫉妬の一つもしない誠実な女だとお思いですの?」

 

「……いや、その感情は人として正常なものだ。けど、君はそれを抑える事が出来る子ではないかね」

 

「……買いかぶりすぎですわ」

 

 フッと、暗くした表情で自虐するように笑う。何を持って狂三をそこまで評価しているのかは知らないが、随分と信頼されたものだ。

 確かに、秘めた感情を振り回して理不尽に相手に押し付けるほど狂三は子供ではない。しかし、自らの感情を完全に制御出来るなどという驕りも、今の狂三には存在しなかった。

 

 ――――自分でも少しだけ、怖いのかもしれない。この、新たに芽生えた感情が。

 

 

「……そうかい?」

 

「そうですわ。淑女たるもの、そういった事に気を使っているのは事実ではありますけど」

 

「――――――君なら、いざという時にシンを守ってくれると思ってね」

 

 

 最初の質問の答え、なのだろう。突然放たれた令音の言葉に、狂三は僅かに驚くような仕草をしてから、呆れ気味にその言葉に返事を返す。

 令音が狂三に頼んだ本当の理由は理解出来る。理解は出来るが、それは彼を殺そうとしている(・・・・・・・・・)精霊に頼むことではない。

 

「……何を、言っていらっしゃいますの」

 

「……ふむ。不服かい?」

 

「当たり前ですわ。わたくしは士道さんの命を狙っていますのよ。そんなわたくしに、あの方を守る事を願うだなんて馬鹿馬鹿しいですわ。一体、何を考えてそのような事を――――――」

 

 狂三の険しい表情で放たれた言葉は、令音の静かな、しかし強い意志を感じられる声によって遮られた。

 

 

「――――――愛とは、矛盾するものだろう?」

 

「――――――――」

 

 

 目を丸くし絶句する。時崎狂三とあろうものが、人の前で一瞬とはいえ思考を停止させてしまった。それ程までに、令音から放たれた言葉が衝撃的すぎた。目の前の、大人の雰囲気を醸し出す村雨令音から、真顔で言い放たれたものとは思えなかったのだ。なんというか本当に……〝意外〟の一言だった。

 

「…………き、ひひ、きひひひひひひひひひひひ!! なんですのそれ! おかしいですわ、おかしいですわ。笑ってしまいますわ、笑ってしまいますわ!!」

 

「…………」

 

 笑いが止まらない。ポリポリと頬をかいて困っている令音には悪いが、狂三が溢れ出るこの笑いを止めることは出来そうになった。

 

 愛は、矛盾するもの。何の恥ずかしげもなく、あの令音の口から出た言葉という笑いと――――――それを分かってしまった(・・・・・・・・)自分への、自虐的な笑い。

 

 だって、時崎狂三は知っているではないか、その矛盾を。何せ自分は、殺そうとした(・・・・・・)相手に〝恋〟をして、失いたくない(・・・・・・)と思ってしまった矛盾だらけの精霊なのだから。

 

「……私も、一人の女性という事さ」

 

「えぇ、えぇ。そうでしょうとも。けど――――――それなら、仕方ありませんわね」

 

 不思議だ。いつもなら、こんな本音で言葉を交わすことはありえない。狂三という精霊は、己の内を簡単に明かすような人物ではない。強情、とよく言われてしまう程の精霊なのだ。だから、本当に不思議だった。気づかぬうちに、本音を晒して話す感覚。覚えがある。そう、まるで――――――

 

 

『――――いッ、いやああああああああッ!?』

 

「……あら」

「……おや」

 

 画面から響く甲高い悲鳴。普通なら女性側のものだと思うのだが、上げているのは女性ではなく男性。さっき、カッコよく宣言をした士道の非常に可愛らしい――狂三主観――悲鳴であった。……ちょっと唆るというか、邪な考えをもってしまった狂三は悪くない筈だ。

 

 自己弁護もそこそこに、画面を確認すると……何故か士道の服を脱がしにかかる二人の姿が映っていた。普通、逆のシチュエーションだと思うのだが八舞の二人は既にあられもない姿になっている。士道がしたとは思えないし、自らやった事なのだろう。

 

 最初の光景の時点で、二人がするには急に雰囲気が変わっていたとは思ったが……と、狂三の〝影〟から白い手が彼女を小突く。分身体の定期連絡だった。一度令音を見やり、分身体の事は知られているし問題ないだろうと、指示を出して影から分身体を出現させた。

 

「――――はあ、十香さんと折紙さんが原因でしたのね」

 

 耶倶矢が添い寝、夕弦が士道の汗を舌で直接(・・・・)舐めとる。という攻めを繰り出していたが、どうやら他人からの入れ知恵だったようだ。どちらがどちらのアドバイスか……まあ、言うまでもなく添い寝が十香、変態行為が折紙だろう。前者はともかく、後者が羨ましいかは狂三にとって悩ましいところであったが……悩ましいと思う時点で、少し手遅れだとこの場にいない少女なら突っ込んだ事だろう。

 

「それで、今お二人は? …………は? 件の対象と共に枕投げ?」

 

 ……何をしているのだろうか。警戒して分身体を放っていたが、なぜ例の魔術師がそんな事に巻き込まれているのか、如何に聡明な狂三でも理解できそうにもなかった。

 労いの言葉と共に分身体を下がらせ、令音を見遣る。無言で数秒見つめ合ったが、そんな事をせずとも次に取るべき行動は決まり切っていた。

 

「……わたくし、士道さんを連れ戻しに行きますわ」

 

「……すまないね」

 

 

 ちなみに、再び裸同然で部屋から飛び出したところを狂三の影に保護された士道は、ちょっと心に傷を負って寝込んだ。好きな少女に見聞きされるのは、男の矜恃を傷つけるには十分だったらしい。

 

 

 








その矛盾を語る人物としてはこれ以上ないと思っています。今は深くは語れませんがね。

隣界についてちょっとだけ触れましたけど、多分もう触れる事はほぼない気がします。てか触れようがないんですよね収拾つかなくなりますし。せいぜい真那と狂三関連で過去にあった事が若干変化してるんじゃないかなぁくらいですし……狂三が色々やって真那が追いかけてた構図は変わりませんしね!(知っての通り要素が重なってやった事は少しだけマイルドになってます)

最近書いててこの主人公とヒロインナチュラルにイチャついたり、お互い心の中でシレッと欲望ダダ漏れしてんなってなってます。この小説やってる事は本来起こるイベントシーンに狂三が関わったりして会話シーンが変化したり時にはイベントそのものが変化する、って感じなのでいちゃつく二人はノリと勢いで入れていきたいスタイル。

次回、果たして八舞の二人は狂三の目にはどう映るのか。感想、評価などなどお待ちしております。次回をお楽しみに!


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第三十話『悪夢の誘い』

ナイトメアの誘い。送筆なのが数少ない取り柄なんじゃないかなーとか思ったりする今日のこの頃


 

『っ、ふぁ……っ』

 

『痙、攣。う……ぁ、っ』

 

「…………」

 

 浮気現場を覗く妻の気分は、もしかしたらこういうものだろうか。だとしたら、とてもとても貴重な体験をしているのかもしれない。画面の中で水着姿の耶倶矢と夕弦にローションを塗る士道を見ながら、狂三はなんとも言えない表情でそう思った。

 別に、士道が塗っているのは卑猥なものでも何でもなく、ただの日焼け止めローションなのだが……こう、士道がテクニシャンなのが原因なのか妙に二人の声が艶かしい。建前上はフォローという名目なので、インカムを渡され士道といつでも通信を繋げる状態ではあるが、フォローする必要すらなさそうだった。

 

 ……元々、狂三からすれば攻略のフォローなど必要ない。と言うより、士道が精霊の心を開かせる必要があるのに、そこに他の精霊である自分が表立って手を出すのはその妨げになるのではないか、というのが狂三の考えだった。

 自分が原因で、精霊攻略に士道が集中出来なくなる……なんて、自惚れた考えは持っていない。士道がそういう器用な人物でないことは、狂三自身がよく知っていた。そういう愚直で、優しいところが狂三にとっては好ましく、それでいて少し――――――思考していると、連絡用の端末から着信が鳴り響いた。スピーカーの状態にしてテーブルに置き、迷いなく声を発する。

 

「もしもし」

 

『――――はぁい、我が女王。バカンス、楽しんでます?』

 

 ナンパか。盛大に呆れを含んでそう思った。勿論、ナンパ師を連絡先に登録した覚えはないので、間違いなく聞こえてきているのは白い少女の声だ。

 

「それなりに、と言ったところですわ」

 

『……ふむ。五河士道は――――――』

 

『ぅ、あ、あぁぁぁっ!』

 

 大声が二人同時に聞こえてくる。どうやら、くんずほぐれつした後、二人揃って士道の神の指の餌食となったらしい。

 

「……可愛らしい御二方と、デート中ですわ」

 

『……デートと言う割に、随分と淫靡な声ですね』

 

 自分ではなく、このプランを取った令音に言って欲しい言葉だった。まあ、プライベートビーチで行われていることなので誰に見られる心配もなし、という事なのだろうが。

 

『……よろしいのですか? あなたなら、五河士道が他の精霊と相対している時だろうと介入する権利がありますし、彼もそれを拒まないでしょう』

 

「士道さんが精霊を封印できれば、それは将来的にわたくしの霊力となりますわ。なら、それを止める理由はありませんわ」

 

 元より、士道が勝負を受けた時から決めていた事だ。士道の精霊攻略が自身の戦略上、有効であるのは明白だ。それ以上に――――――あの方の精霊を想う純粋な気持ちを、土足(嫉妬心)で踏みにじる権利は狂三にはない。

 

 それに――――――

 

 

『ちょ、ちょっと大丈夫!? 大丈夫じゃない!! こ、こういう時はえーっとえーっと……!!』

 

『救急。落ち着いて、ひとまず湯船から引き上げるべきです。早急に』

 

『そう、それよそれ!! 流石は夕弦!!』

 

 

 ――――――もう少し悪い子たちだったら、嫉妬のしがいもあったというのに。

 

『……我が女王は優しいですね。男の浮気を許すのも、淑女の嗜みですか』

 

「そうですわね……精霊さんの十人程度なら、寛容な心で許して差し上げますわ」

 

『あらあら。ちなみに、もし精霊以外で浮気したら――――――』

 

「殺しますわ」

 

 

 沈黙。端末から乾いた笑いすら返ってくることはなく、聞こえてくるのは画面の中の三人の声だけである。

 

「……冗談ですわ」

 

『狂三が言うと冗談になりません。心臓に悪いです』

 

 狂三としてはほんの冗談だったのだが、かなり本気のトーンで抗議されてしまった。自分で思っているより、真に迫る声だったらしい。

 

『シドー!!』

 

『っ、十香……!?』

 

「あら……」

 

 戯れもそこそこ、画面に視線を向けると何やら少し遠くから十香の声が聞こえて来た。ご丁寧に、カメラが一台海の方向へ向けられ……めちゃくちゃなフォームでビーチまで泳ぐ十香と、対照的に美しいクロールで泳ぐ折紙の姿が確認できた。士道たちはレンタカーで移動するくらいには、この海岸まで距離があるはずなのだが、なんとも並外れた行動力と士道レーダーである。

 

「――――――『わたくし』」

 

 パチン、と指を鳴らす。すると、たちまち〝影〟が面積を増し、白い手が現れたと思えば狂三と全く同じ顔をした少女が部屋に現れた。定期連絡用の分身体。十香に動きがあったのなら、必ず監視対象(・・・・)にも動きがあると踏んでいた。少人数で孤立状態、更に沖へ泳いでいく目撃証言がある……となれば、DEM側からすれば十香を狙うにはこれ以上ない好機であろう。

 

「対象の動きは?」

 

「砂遊びをしていますわ」

 

「………………はい?」

 

「ですから、クラスの皆様と砂遊びをしていますの。身体をがっちり埋められていましたわ」

 

 分身体と仲良く困惑の表情を浮かべる。

 ……もしや、十香を狙っているという情報は勘違いで、純粋に遊びに来ているのではないか。そう考えてしまう狂三はきっと悪くない。なんで、DEMが誇る最強の魔術師が、士道のクラスメイトと仲良く、砂遊びをしているのだ。

『あははははは!! その様を見に行けないのが残念です』

 

「……夜闇に乗じて動くでしょうし、今は放っておきますわ」

 

『ああ、我が女王。余裕があれば自称・最強の魔術師に私からの〝贈り物〟をよろしくお願いしますね』

 

「分かっていますわ」

 

 とはいえ、相手は世界最強と謳われる魔術師。あんなふざけた物(・・・・・)を使う余裕が果たしてあるのかどうか。狂三は自分の力を過信しない。油断と慢心は最大の敵だ……もしや、枕投げや砂遊びは敵を油断させる作戦なのだろうか?

 

『――――聞こえるかい、狂三』

 

 と、唐突にインカムから令音の声が響く。理由は察しがつく。十香と折紙の介入による、プラン(・・・)の変更だろう。

 

『プランBへ移行する。手伝ってもらえるかね』

 

「――――了解ですわ」

 

 先ほど考えた士道の近くでの支援は避けたいと言う気持ちと、士道の近くへ行ける喜びが交錯する。そんな想いをまるで悟らせることなく、短く言葉を返した狂三が変装道具(・・・・)へと手を伸ばす。些か、不安の残る変装だが――――あの子(・・・)の力があれば、後はこれが後押しとなるだろう。この格好なら、士道を魅了する事なく文字通り影に徹する事が出来るはずだ、と狂三は素早く着替えを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――はっ!?」

 

 士道は目を疑った。目がおかしくなったのかと思った。耶倶矢と夕弦にインカムを通してアドバイスを出す筈の令音がいるのは、まあ直ぐに説明してもらえるだろう。だが、令音の隣にいる人物……の、格好が問題だった。

 

 帽子にサングラス。長い黒髪はポニーテールで括られ、普段とのギャップがまた愛らしい。更に、惜しげも無くさらけ出された美脚が究極に眩しく、一部の隙もなく羽織られたパーカーは〝履いてない〟と思わせてしまう絶対領域を生み出していた。

 

 最高だ。サムズアップをしたくなる――――ではなく、士道が彼女を見間違えるはずがない。間違いなく彼女は……。

 

「……せっかく人数が増えたんだ。あちらにコートを設置してある。ビーチバレーでもどうかな? ちょうど、旅行に来ていた私の友人(・・)が審判を買って出てくれてね――――時子さんと言うのだが」

 

「ぶはっ!!」

 

 堪えられなかった。時子って……いや時子って。他になかったのか。ペコリ、といつもとは違いさも普通の人です、みたいな様子で頭を下げて時子さんが挨拶をするが、こんな変装でみんなの目を誤魔化せる筈が――――

 

「ふん、まあ良かろう。何をしようと我が頂点に立つことは決まっているからな。両の眼を見開き、我が勝利を観測するが良い!!」

 

「承諾。構いません。どうせ勝つのは夕弦です。厳正なる審査を求めます」

 

「…………マジか」

 

 誤魔化せた!? なんでバレないの、俺がおかしいの? そんな士道の声にならない声は誰にも届くことなく、十香と折紙まで自称・時子さんに違和感を……折紙は怪訝な表情をしていたが、持つことなく移動を始めた。

 

「れ、令音さん」

 

「……ああ。十香と折紙というイレギュラーに対応してプランBを取らせてもらったよ。一緒のチームで戦う事によって、彼女らの結束、仲間意識を――――――」

 

「いやそっちじゃなくて!! 狂三ですよ狂三!! なんですか時子って!?」

 

「……ダメかい?」

 

 心底不思議そうな表情で首を傾げる令音に、むしろ、何が良いと思ったのか聞きたいくらいだった。ベッタベタな変装についてか、雑極まりない名前についてか。

 

「名前については、わたくしも異議申し立てをしたいところですわ」

 

「……そうか。時間があれば、もう少し良い名前を考えられたんだが」

 

「……別に嫌というわけではありませんけど」

 

「……すまないね」

 

 士道の知らぬ間に、二人が仲良くなっていることに目を丸くする。女性同士、何か通じ合うものがあったのかもしれない。それはともかく、色々と言いたいことが時子……もとい狂三にあったのでコートに辿り着く前にさり気なく隣を歩き小声で会話する。

 

「狂三。その変装……」

 

「ふふっ、みすぼらしい格好でしょう? ちょっとした裏技もありますが、お陰で士道さん以外にはバレませんでしたわ」

 

「――――――いや、んなことねぇよ。思わず見惚れちまった。すげぇ可愛いよ」

 

「な……っ!?」

 

 カァ、っと狂三の頬が分かりやすく熱を帯びた。前を歩く折紙が足音がズレたのを不審に思ったのか、振り向いて来たので慌てて頭を下げて誤魔化す。

 

「……わ、わたくしを口説いている場合ではありませんわよ」

 

「すまん。つい本音が出た」

 

「……あなた様のお言葉を疑う訳ではありませんが、こんな格好の何がよろしいので?」

 

「言い出したら止まらないぞ。それでも良いなら全部言うぜ」

 

「口惜しさはありますが、遠慮しておきますわ。本当に、士道さんは不思議な感覚をお持ちですこと」

 

 帽子を深く被る仕草をしながら、可笑しそうに狂三が笑う。

 いや、絶対領域は青少年の夢だと思うんだがなぁ。士道はほぼ狂三限定だし狂三だからこそ反応したのだが。仮に水着姿だったら、もっと露骨な反応で狂三をべた褒めした自信があった。なんて事を思っている間に、士道たちはバレーコートに辿り着いた。

 

厳正なる(・・・・)くじ引きの結果。Aチームは耶倶矢、夕弦、士道。Bチームは十香、折紙、令音。という結果になった。不満タラタラだろうが、くじ引きはくじ引きである。たとえ、絵柄の名前が令音にしか分からないものだろうと、くじ引きには変わりない。

 

 ちなみに、残っていた不満は勝ったチームにはシンの誰にも知られたくない秘密を教えよう、という一言で見事に解消された。士道の抗議は、当然のように受け入れられなかった。あと、サングラスの下で狂三の瞳が輝いていた気がした。四方八方、敵だらけなのは言うまでもない。

 

 ……確実に競技を間違えている十香のネットを貫く弾丸サーブから始まり、無事試合開始と相成った。

 

「往くぞっ!!」

 

 勇ましい声で、意外と綺麗なフォームで耶倶矢が相手にボールを放つ。

 

「おお、来たぞ!」

 

「邪魔しないで」

 

 十香が動く前に辛辣な声で制する折紙に相変わらずだなぁ、と思ったのは一瞬のこと。レシーブされたボールを、後ろの令音が綺麗なトスを上げ――――――凄まじい暴力の塊であるその胸が揺れに揺れ、士道は思わず視線を釘付けにされた。悲しいかな、男の本能というものである。

 

『し・ど・う、さぁん?』

 

「ひ……っ!?」

 

「警告。危険です」

 

 分かる。言われなくても分かる。耳元のインカムから聞こえたはずなのに、恐ろしい殺気が士道の全身を穿つ。今すぐ彼女の前に馳せ参じて、土下座の一つで許してもらえれば盛大な措置だろう。

 当然、そんな殺気を感じ取れたのは士道だけなので、夕弦の警告は別のものだ。高々とジャンプした十香が、勢いよくボールを叩きつけた。

 

 その弾丸に士道は反応できなくとも、精霊である耶倶矢と夕弦は容易く反応し滑り込む――――――が、同じ位置に駆けたものだから、当たり前のようにお互いの頭をぶつけて倒れ込んだ。

 

「くあっ! なっ、何をしているのだ夕弦!!」

 

「反論。こちらの台詞です。邪魔をしないでください」

 

 ピーッと無情なホイッスルの音が鳴り響く。チラッと、その笛の主の顔を見るが……凄い、笑顔だった。ただし、凄絶な、という前置きが付け足された。点が入った事で喜ぶ十香たちの隙を見て――――――素早くジャンピング土下座を決めた。男の仕事の八割は、決断で出来ているのである。

 

 士道の情けない決断はさておき、夕弦と耶倶矢の言い争いは今なお続いている。やっぱ、一緒のチームで結束意識を高めるとか無理じゃないかなぁ、と思っていると。

 

「――――――ふっ、なんだ、耶倶矢と夕弦も大したことがないな!」

 

「――――――期待はずれ。この程度で私に挑もうだなんて身の程知らず」

 

 妙に見え透いた十香と折紙の挑発が、凄い偉そうに見下ろしながら聞こえて来た。狂三は令音が二人に耳打ちするのを見ていたので意図は分かるのだが、こんな安っぽい挑発で大丈夫なのだろうか……そんな不安を他所に、耶倶矢と夕弦の二人はピクリと肩を揺らし、目を細める。

 チョロい。自分の負けず嫌いを棚に上げて、狂三は思ったとか思っていないとか。

 

「……ねえ夕弦」

 

「返答。なんでしょう」

 

「……やっちゃう?」

 

「同調。やっちゃいます」

 

 ――――空気が変わった。どこかわざとらしい(・・・・・・)と思えたいがみ合いの雰囲気は消え、自然な空気の流れが二人の間に出来たことに狂三はサングラスの下で視線を鋭くした。

 試合が再開する。さっきまでのチグハグな動きは存在しない、完璧とも言える二人の動きがそこにはあった。

 

 そんな中、十香の放ったボールが士道の顔面に直撃した。ネットを易々と貫く弾丸ボールが、である。

 

「ぐぇッ!?」

 

『士道さん、危ないですわ』

 

 いや、警告が遅いというか。さっきのトラウマで集中出来なくてこんな事になったというか。そんなのんびりとした狂三の声を聞きながら、遠退く意識で彼は賞賛の言葉を受けた気がした。

 

「賞賛。ナイスです――――設営。耶倶矢」

 

「おうとも!!」

 

 夕弦が両手を合わせて手の平を上へ。そこへ耶倶矢が迷いなく疾走する――――八舞が、空へ躍り出る。

 

 

「――――はあああああああっ!!!!」

 

 

 遥か上空のボールを、耶倶矢が捉えた。刹那、放たれる一陣の風にも似た弾丸は他の反応を許さず敵コートに突き刺さった。

 文句の一つさえ出ない、完璧な一撃。狂三がホイッスルを鳴らすと、ガッツポーズを取りながら地に降り立った耶倶矢が一目散に夕弦の元へ駆けた。夕弦も同じである。さっきまでの険悪な雰囲気はどこへやら、ハイタッチまでし始めた。

 

「いぃぃやっほぉう!」

 

「歓喜。いやっほー」

 

「やー! 今のは完璧だったね夕弦。びゅーんいったよびゅーん!」

 

「肯定。見事な一撃でした。さすが耶倶矢です」

 

「いやいや、あれは夕弦が――――――」

 

 

「……なるほど」

 

 最初に彼女の頭に浮かんだ予測が、形となって見えてきた。元から、疑問ではあったのだ。

 

『この我と二五勝二五敗四九分け(・・・・・・・・・・)で戦績を分けているだけのことはある』

 

 同一存在であるからこそ、二人は両立し得ない。故に戦うは道理。そして、互角であろうとも物事には〝運〟というものが存在する。互いが全力で戦えば、力は互角でも勝負は明確についているはずである――――全力で、あるならば。

 

 ありえない話だと、以前までの狂三なら切って捨ててしまったかもしれない。己を犠牲に(・・・・・)、人を救うなど……バカを見るだけだと(・・・・・・・・・)

 

 けど、知ってしまったから。狂三は、己の犯した罪によって信じられなくなっていたその想いを、一人の少年によって魅せられ、取り戻してしまっていた。

 

 

「なんて――――――茶番(優しい子)なのでしょう」

 

 

 感情を込めたその言葉は、この、時崎狂三とあろうものが随分と甘くなったと、自嘲にも似たものだった。

 

 きっと、士道が彼女の気持ちを聞いていたのならこう言ったであろう――――――狂三は、最初から優しいと。

 

 

 

 

 

『士道さん、大丈夫ですの?』

 

「あ、ああ……まあ、なんとか……」

 

 気絶から目覚め、一先ずトイレ入口へと避難した士道。どちらかと言えば、顔面の痛みより耳元から聞こえる狂三の声の方が気になった。こう、普通に聞こえる時でも魅力的なのに、耳に直接響くと脳内がいけない事になっているというか……まるで聞く麻薬のような感覚だった。多分、士道特化の効力だろうが。

 

『――――耶倶矢さんがいらっしゃいますわ』

 

「え?」

 

 狂三の言葉から数秒と置かず、壁からひょこっと耶倶矢が姿を現した。みんなと待っていた筈だが、一体なんの用があるのだろう。

 

「士道……ちょっと、いい?」

 

「俺は構わないけど……その口調のまま続けていいのか?」

 

「――――あ」

 

 露骨に今気づきました、やらかした。という感じの表情になった耶倶矢が、仕切り直しと言わんばかりに格好良いポーズを取る。言うまでもなく手遅れなのだが。

 

「くく……我が道化芝居に謀られたな。我が手の上で踊る貴様は大層滑稽であったぞ」

 

「……別に無理しなくて良いんだぞ」

 

「……だ、だって、私、精霊だし。こう、超凄いじゃん? だったらやっぱそれなりの威厳というかさ、そういうのが必要なわけじゃん?」

 

 凄い漠然とした理論が飛び出してきた。……まあ、特別な力もなくそういう時期(・・・・・・)があった士道が言えたことではないが。

 

「そういうもん……かぁ?」

 

『うふふ、士道さんだって覚えがあるのではありませんの?』

 

「……ノーコメントだ」

 

 小声で苦々しく返答する。出来れば、狂三の前では掘り返されたくない過去筆頭だった。

 

「まあいいや。めんどくさいからこのまま続けるけど――――あんた明日、私と夕弦のどちらか選ぶわけじゃん? 決着をつけるためにさ」

 

「ああ、そうだな……ってお前、それは流石に――――――」

 

『ねぇ、士道さん。耶倶矢さんのお言葉、わたくしが当てて差し上げますわ』

 

 へ? 聞こえて来た狂三の言葉に思わず言葉を止める。けど、そんなもの考えるまでもなく分かるものだろうと士道は思った。だって、一人で会いに来るのだから当然、自分が勝てるように根回しに来たと考えるのが普通だろう。

 

 それが、大きな間違えであると……士道は全く同時に放たれた二人の言葉によって思い知らされた。

 

 

「士道、あんた明日――――夕弦を選んでよ(・・・・・・・)

『明日、夕弦さんをお選びになってください、でしょう?』

 

「――――え」

 

 

 予想だにしない衝撃的なセリフと、それを完全に読み取っていた狂三に、士道は僅かに声を漏らし目を見開く事しか出来ない。

 

 

「請願。士道、この勝負、是非耶倶矢を選んでください(・・・・・・・・・・・)

『耶倶矢さんをお選びになってください――――まあ、こちらは言うまでもありませんでしたわね』

 

「――――――」

 

 

 次は、声さえ出なかった。狂三の言う通り、予想出来てしまったのだろう。お互いが、その選択を取るであろうという事を。しかし、理解出来なかった。

 

「なん、で……」

 

「説明。耶倶矢の方が夕弦よりも遥かに優れているからです。士道も耶倶矢の可愛らしさを知っているはずです」

「だって夕弦、超可愛いじゃん。愛想はないけど従順だし、胸大きいし。妄想が形になったような超絶萌えキャラじゃん?」

 

 否、理解をしたくなかった。というのが正しい。なぜならそれは、その選択の先にあるのは――――――

 

 

「っ、でも! そしたらお前は……!」

 

「うん――――――消えちゃうわね」

「当然――――――消えます」

 

 

 ――――――自分自身の、消滅。

 

 心臓が嫌な音を奏でる。あまりにも重い、二人の想いと、決断。

 

 

「だったらなんで――――」

 

「そりゃ私だって消えたかないけどさ。でもそれ以上に私は――――――夕弦に生きて欲しいの。もっともっと色んなものを見て、思いっきり世界を楽しんで欲しいの」

「願望。耶倶矢には生きて欲しいのです。もっと色んなものを見て、この世を楽しんで欲しいのです――――――耶倶矢こそ、真の八舞に相応しい精霊なのですから」

 

 

 その想いは同じもので、とても優しいもので、決して相容れる事は無い。

 一つの迷いもない二人の笑顔に、士道は心を穿たれたような痛みに襲われる。

 

 

「念押。士道、明日は耶倶矢を選んでください。さもなくば――――――」

「――――――この島ごと、あんたの友達みんな吹っ飛ばしてやるんだから」

 

 

 脅し文句さえ全く同じものと……士道の心に、重い感情の渦を残して二人は去って行った。

 

『さあ、士道さん』

 

 それは天使か、はたまた死神か。それとも――――――悪夢へと誘う囁きか。

 

 

『――――――あなた様は、何を(・・)選択なさいますか?』

 

 

 

 






理由のない浮気ダメ・絶対。

きょうぞうちゃんの殺しますわ。の発音はマジトーンで低いかそれとも気軽に明るい感じなのか。読者様のご想像にお任せします。ご自由に脳内再生してください。きょうぞうちゃんジョークですよ、多分、きっと。

この小説に置ける狂三の癖、みたいな台詞回しがありますけど私の趣味だとバレてしまう。いや、絶対似合うと思うんですよ。色んな表情で独白する狂三って。間違いなく似合いますって(ゴリ押し)

果たして士道くんは狂三に信念を示す事が出来るのか。狂三が士道に望む選択とは。そして今のところ報告と地の文でしか出番がない人類最強さんの運命は!!
感想、評価などなどお待ちしておりますー。それでは次回をお楽しみに!!


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第三十一話『正義の味方』

それは、遠き日の自分。そろそろクライマックス間近ですが、皆さんお待ちかねであろう展開がスタートです


 

 

「……俺の選択、か」

 

 一人、旅館の廊下を宛もなく歩く士道が、狂三の言葉を思い返してポツリと呟いた。

 選択、選び取れと言う事だ。狂三は果たして、士道に期待しているのだろうか。耶倶矢と夕弦、どちらか一方を救う選択をしろと? 否、そんな事が出来るわけがない。出来るわけがないのに、士道の考えは妙に纏まりがなかった。

 せっかく用意された旅館の夕食も、全く食べた気がしなかった。喉を通らないとかそういうものではなく、気づいたら食べ終わっていて味の一つすら覚えていなかった。それほどまでに、士道の頭の中には八舞の二人が残した言葉が渦巻いていたのだ。

 

 

『うん――――――消えちゃうわね』

『当然――――――消えます』

 

 

 消えたくはない。そう言っていた。けど、お互いを生かす為の選択を、二人は躊躇いの表情を見せず笑顔で語っていた。お互いの、幸せだけを願っていた。

 自分の命を軽んじるとか、そういう事ではない。己の命より、相手が大切だと思うから、思いすぎて、頭で考えるより先に心が判断してしまう。

 

 その答えを聞いた時、士道の頭は二人の考えを理解出来なかった。しかし、心は理解していた。それは――――――何よりも大切な存在を失いたくないと、焔に身を投げ出したあの時の自分も同じであったから。

 

「――――ドー」

 

 痛い程に分かるから、痛い程に理解出来るから……士道は軽々しく選択をする事が出来ない。彼女たちのお互いを想い合う気持ちが嬉しくて、だからこそどうしていいか分からなくなる。

 

「シドー」

 

 こんな時、琴里ならなんと言うだろうか。十香なら、なんと言うだろうか――――――狂三は、誰よりも早く二人の想いに気づいた聡明な少女なら、なんと言うだろうか。

 

「おい、シドー!!」

 

「ッ!?」

 

「全く、ようやく気づいたかシドー」

 

 耳元で透き通るような声が響き、士道はようやく隣にいる人物を認識した。

 

「十香……」

 

 今し方、考えの中に出てきた少女。士道が初めて救う事が出来た精霊にして――――彼を、いつも助けてくれる少女の姿を。

 

 

 

 

 

「はーい、そこの美少女。そんな所で黄昏てないで、私とデートでも如何です?」

 

「……間に合っていますわ。あなたの胡散臭い台詞、いつも考えていらっしゃいますの?」

 

「せっかく顔を隠してるんですから、台詞も胡散臭い方がそれっぽいでしょう?」

 

 何をしていたわけでもない。ただ、事が起こるまでせっかくの海でも眺めておこうか。何となく、そう思っただけだった。

 

 せっかくなら、あの方と二人で。思わないわけはない。けど、それを成す権利を持つのは自分ではなく、きっとあの方に寄り添う事が出来る人の領分だ。だから……間に合っている、というのは少し間違っていたか。いつの間にか狂三の傍に控えていた少女を見て、彼女はそう思った。

 

「我が女王、寛容過ぎるのは如何かと思いますよ」

 

「そういうものではありませんわ。ただ、今の士道さんに必要なのはわたくしではなく、十香さんだと思っただけですわ。それに……」

 

「それに?」

 

「――――――わたくしだけの、士道さんではありませんもの」

 

 小さな声だった。風に、さざ波の音に消えてしまいそうな声は、きっと白い少女に向けられたものではなかったのだと思う。精霊ではなく、少女としての本音。それを聞き流すのも、従者の役割であった。

 何も言わぬ白い少女を見て、儚げな表情をいつもの余裕ある笑みに戻した狂三が声を発する。

 

「せっかくの修学旅行ですのに十香さんはあまり士道さんと話せていなかったご様子。ですから、わたくしが譲って差し上げたのですわ」

 

「直接、そう言えばいいじゃないですか」

 

「必要ありませんもの。十香さんなら、ちゃんと士道さんの元に駆けつけますわ」

 

 そういう割には、チラチラと十香の様子を伺っていた気がしたのだが……優しさの示し方が素直ではないというか、器用なのに不器用というか。白い少女は頭を抱える。

 

 

「それに、わたくしが士道さんの傍にいては――――――釣れるものも釣れませんわ」

 

 

 その上、自ら貧乏くじを引きに行くのだから困ったものだと苦笑する。確かに、狂三がこれ以上彼の近くで行動していてはDEM側の予定が狂ってしまう可能性がある。確実にDEMの行動を阻止するために、それでは困るのだ。イレギュラーというものはどうあれ起きるものだが――――――最大級のイレギュラーが、今目の前で顕現しようとしているのだから。

 

 奔流する風。空が裂ける。

 

 

「〈颶風騎士(ラファエル)〉――――――【穿つ者(エル・レエム)】!!」

 

「〈颶風騎士(ラファエル)〉――――――【縛める者(エル・ナハシュ)】」

 

 

 〝天使〟が、目覚める。精霊が持つ最強の矛。分かたれた二つの意志が、己を倒す(・・・・)為に姿を現す。全てを穿つ絶対の槍と、全てを縛る絶対の鎖。

 

 どう転ぼうが、これが最後(・・)。全力のぶつかり合い。互いの想いを知った少女は、もはや決着をつけるためにぶつかり合う他ない。

 

 ――――――どちらかが倒れるまで続く闘争。しかしそれは、お互いがお互いを想い合うが故に、己が倒れる事が勝利(・・・・・・・・・)という、歪で悲しい決闘だった。

 

 そして、本来この場にいるはずのない数奇な運命を辿った精霊が、動く。

 

 

「――――――些事は任せますわ」

 

「かしこまりました、我が女王」

 

 

 白が姿を消す。これ以上の言葉は不要。女王が影へと消える――――――少年の元へ、駆けつけるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ッ!?」

 

 鳶一折紙は何者かと対峙していた……いや、それは正しい表現ではない。彼女は〝モノ〟と対峙していた。

 荒れきった天候の中で外にいるという士道を連れ戻すため一人走っていた折紙の前に〝モノ〟が現れた。

 

「あなたは、何者――――――!」

 

 返されたのは言葉ではなく、攻撃。跳躍によって距離を詰められ、連続で繰り出される機械の腕を紙一重で躱していく。反撃の手段は、今の(・・)折紙には存在しない。とにかく避ける他なかった。

 返事がないのは分かり切っていた。何せ、姿形が明確に人ではない(・・・・・)と指し示していたのだから。ASTの装備によく似たCR-ユニット。目の前の〝モノ〟が随意領域(テリトリー)を発動させている感覚。しかし、その極限まで削がれた手足は効率を重視した機械の物に他ならない。

 

 戦闘人形兵器――――――DD‐007〈バンダースナッチ〉。折紙が知る由もない目の前の無人兵器の名である。所詮は意志を持たない人形兵。顕現装置を備えていようと、本来ならば折紙の敵にはなり得ない。本来であれば(・・・・・・)、だが。

 

「っ、邪魔を……!!」

 

 折紙は危機が迫っている士道の元へ駆けつけねばならない。だがしかし、今の折紙にその力はない。緊急用の装備すら携帯を許されていない今の折紙では、この状況をどうすることも出来ない。

 

 それでも、鍛え上げられた自らの身体能力のみで機械人形の攻撃を避け続けていた――――――そんな時。

 

「……鳶一折紙、何をしているんだい。外は危ない、早く旅館へ戻るんだ」

 

「――――先生、戻って――――っ!!」

 

 警告は、間に合うはずもない。恐らく折紙を心配して来たのであろう。教員の村雨令音が機械人形の視界に捉えられた。

 

 一瞬の躊躇いさえ、なかった。機械人形が右腕を振りかぶり突進するよりも早く、折紙が地を蹴って令音を突き飛ばした。

 

「か――――は……っ」

 

 当然、振り下ろされた暴力は止まっていない。一切の容赦もなく、折紙の身体に機械人形の腕が突き刺さった。鍛えているとはいえ、折紙の肉体はなんの処理も施されていない生身の肉体。その衝撃に耐えられるはずはなく、軽々と地面に転がされた。

 

 意識が揺らぐ。必死に繋ぎ止めるが、もはや機械人形相手に打つ手はない。そして再び跳躍しようと構えた機械人形の動きが――――――止まった。

 

「――――――?」

 

 あまりに不自然な停止に、折紙は霞む自分の視界を真っ先に疑う。

 

 

「――――――邪魔です」

 

 

 それが薄れ行く意識が生み出した幻想でない事を、真っ二つにされた(・・・・・・・・)機械人形を見た事でようやく理解する事が出来た。

 

 素手で掴まれた機械人形だったもの(・・・・・)が、ゴミを退かすかのように横に投げ捨てられ、残された半身も力なく倒れる。自然と分離しなかったのは、あまりにも切り口が鮮やか過ぎたが故に、機械人形すらまだ動けると誤認した結果だろうか。

 

 白がいた。識別不能の色を持った刀を持ち、折紙の前に立ち塞がったのはそう前の話ではない。

 

「っ……アン、ノウン……」

 

 識別名〈アンノウン〉。精霊級の戦闘能力を持つとされる、精霊かどうかさえ判別出来ない〝精霊〟。

 なぜ、薄れ行く意識の中で疑問に思ったのはそれだった。まるで目の前の精霊は、自分を助けたように見えた。構図だけ見ても、そうとしか思えないのだ。〝精霊〟に助けられた――――――よりにもよって、自分の邪魔をした精霊に。

 

 

「な……ぜ……っ!」

 

「……助ける理由はありませんけど――――――見過ごす理由も、ありませんでしたので」

 

 

 そんな、理由になっていない理由と刀を鞘に収める音を最後に、折紙の意識は深い闇へと呑まれた。

 

「…………」

 

 倒れた折紙に近づき、無事を確認する。人間が喰らったらタダでは済まない一撃だったろうが、鳶一折紙なら心配ないだろうと白い少女は考えていた。思った通り、外傷こそあれど治療をすれば後に引く怪我にはならないだろう。夜刀神十香の天使の標的になった時も思ったが、人の身でありながらタフなものだなと呆れてしまう。

 

 鳶一折紙を助けた事に理由はない。ただ、ガラクタが一機、別の場所に配置されたのを狂三の分身体が報告して来たので、見に来て見れば対抗手段がない彼女が戦闘していたのを見かねて手を出しただけだ――――――狂三が、彼女を少し気にかけているのも無関係ではないが。それ以上の理由はない。そのはずだ(・・・・・)

 

「礼を――――――」

 

「必要ありません」

 

 聞こえて来た眠たげな声を、にべもなく一刀持って切り捨てる。折紙に突き飛ばされた令音が、いつの間にか立ち上がり白い少女と対面していた。

 

「……そうか。君は――――――」

 

「……鳶一折紙のこと、任せましたよ。解析官(・・・)

 

 それだけ言い残し、白い少女は一瞬にしてその姿を消し去った。残されたのは折紙と、ポリポリと困ったように頬をかく令音のみ。

 

「……ふむ。嫌われてしまったかな?」

 

 

 

 

「――――――〈バンダースナッチ〉隊、しばらく手を出さないでください。音に聞こえた〈プリンセス〉がどれほどのものか、少し試させていただきます」

 

「舐めるな……ッ!!」

 

 同時刻。一刻も早く耶倶矢と夕弦を止めなければならない士道の元にも、危機が訪れていた。

 十香と士道を囲い込むように展開された〈バンダースナッチ〉。それに指示を出していたのは随行カメラマン――――――その皮を被った何者かである、エレン・メイザース。ASTのそれとは形状が異なるCR-ユニットを身につけ、機械人形を一蹴した十香と対峙していた。

 

 十香が駆ける。霊力を限定解除した彼女の力は、人間のそれを遥かに上回る。人の目では捉えられない程の速さで叩きつけられた〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の一撃を――――――

 

 

「――――おや、そんなものですか」

 

「く……っ!」

 

 

 エレン・メイザースは、片手に装備された剣で容易く受け止めた。まるで、絶対的な力の差を示すかのように。

 

「うそ……だろ……っ!?」

 

 限定的な霊力とはいえ、それでも十香の力はASTが持つの装備を上回る。彼女の連続攻撃を赤子の手をひねるように、エレンは涼しい表情であしらっている。その表情は、この程度か(・・・・・)とても言うかのような失望の感情を含んでいた。

 士道は知る由もない。今、十香が対峙している魔術師は他とは比較にさえならない〝最強〟である事を。対抗するためには、十香が本来の力を振るう必要がある。しかし、その手段は士道が〝封印〟してしまっていた。故に――――――打ち砕かれるは、必然。

 

 

「――――――とんだ、期待外れです」

 

「ぁ…………」

 

 

砕け散る(・・・・)。絶対の矛、精霊最強の武器である天使が、魔術師が振るった一刀。そのたったの一撃で、砕けた(・・・)。呆然とした声を発したのは十香か、はたまた士道か。或いは両方か。

 当たり前だ。今まで最強の力を見せつけてきた剣が、目の前で粉々になってしまったのだから。それが封印された力の限界。今の夜刀神十香に許された最大の抵抗だった。

 

 この瞬間、最強(エレン)の心にあった期待は全て失望に変わっていた。この程度、この程度なのか。世界を蝕む災厄、それでさえ自分には遠く及ばない。

 

 

「……興醒めです。噂の〈プリンセス〉の力がこんなものとは……所詮、噂は噂でしか――――――」

 

「――――――手負い(・・・)を相手に舌なめずりとは、噂の〝最強〟もとんだ三流ですのね」

 

「ッ!?」

 

 

 声が響いた。この吹き荒ぶ烈風の中でさえ、静かに、それでいて鋭く夜闇に響き渡る女王の声が。

 エレンが声の先を見つけるより早く、吹き飛ばされた十香への道を〈バンダースナッチ〉に強引に阻まれていた士道が〝彼女〟を見た。誰よりも早く彼女を見た。誰よりも早く――――――その美しさに、どうしようもなく惚れ込んだ(・・・・・)

 

 月明かりさえ存在しないこの領域であっても、その美しさが損なわれることはない。否、それさえも(・・・・・)彼女を引き立たせている。

 暴風が紅のドレスを揺らし、幻想的な光を醸し出す。絶対者としての微笑みは、士道を魅了して止まない。

 

 その少女は誰よりも美しい。その少女は何よりも美しい。その少女は――――――時を止めてしまうほど、美しい。

 

 

「――――――何者です」

 

「――――――きひひひッ!!」

 

 

 凄絶な笑みで、精霊は〝最強〟を見下ろし、睨み合う。

 

 さあ、なんと名乗るべきであろうか。彼女一人であるならば、こう名乗るべきだろう。悪夢(ナイトメア)。思い上がった人々に、絶望をもたらす者だと。

 しかしながら、目の前の光景はどうだ? 歪な戦いを繰り広げる姉妹は救われず、十香(ヒロイン)は倒れ、士道(ヒーロー)は彼女たちを救う為の道を閉ざされている。

 

 奇しくも、今の彼女は士道(ヒーロー)を手助けする立場で現れた事になるのだろう。救う対象が世界を蝕む災厄だとか、存在そのものが悪であろうが関係ない。ただ、少年は己を裏切ることなく自分の〝正義〟を貫こうと足掻いているだけだ。

 

 ならば、送り届けて見せよう。この方を邪魔する不届き者を退場させ、最高の舞台(ステージ)を用意する。今この瞬間、少女は少年の〝味方〟だった。

 

 嗚呼、嗚呼。であるならば、名乗るべきものは一つしかないだろう。最低最悪な精霊・時崎狂三に全く相応しくない。遠き過去に捨て去った、その名前は――――――

 

 

 

正義の味方(・・・・・)――――――とでも、名乗らせていただきますわ」

 

 

 

 数奇な運命を超え、儚き夢を再び背負った悪夢(ナイトメア)

 

 人類〝最強〟を見下ろし――――――精霊〝最凶〟が今、降り立った。

 

 

 








お ま た せ。苦節三十一話。きょうぞうちゃん無双のお時間がやって参りました。長かったですね。ここまで来たら許されるよね存分に書いても許されるよね精神で行きます。大胆な無双はヒロインの特権(なお、ここに至るまで三十一話かかっている)

実はわたくし、嫌いではありませんの――――――最新刊で描かれた彼女の飾り気のない真意が大好きなんです。大好きだから、この皮肉な名乗りを入れたかった。前章までの狂三なら絶対名乗らなかったこの登場、士道に影響を受けてしまった彼女の心境の変化を書いて行ければなと。

ちなみにこれ言うと雰囲気台無しなんですけど、士道がいなかったら狂三は余裕でエレンに不意打ちしてます。そういう子です。なんで不意打ちしなかったかは……きょうぞうちゃんは可愛いなぁ(

着々と様々なフラグが建築されていきますが、まだまだこれから頑張って行きます。ではまた次回をお楽しみに! 感想、評価などなどもお待ちしておりますー。


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第三十二話『VS魔術師(ウィザード)

書いてて楽しかったです。ただまあ、本当に運悪いなこの人ってなりました。


 右手に短銃を、左手に長銃を。紅と黒のドレスを身に纏った彼女は、まるでパーティーに馳せ参じたお嬢様。トン、と狂三が足をかけた木の先端から舞い降りる。ダンスでも踊っているかのように、ヒラリ。吹き荒ぶ烈風など意に介さず、〝最強〟の魔術師の前に〝最凶〟の精霊が舞い降りた。

 

 士道と十香を――――――守る(・・)ように。

 

 

「狂三……お前……」

 

「下がっていてくださいまし――――――そう、長くは待たせませんわ」

 

 

 どうして……そんな士道の言葉を遮るように、時計の左目だけを向けた狂三が声をかける。どの道、〈バンダースナッチ〉に道を阻まれた今の士道はどうする事も出来ない――――――狂三の元へ行く事も、十香の元へ駆け寄ることさえ、出来ない。

 

 拳を握り、己の無力に打ちひしがれる士道を見て、狂三は僅かに微笑んだ。普通の人間が精霊たちの戦いに入り込めないのは当たり前(・・・・)の事なのに、こんな状況でも自分より人の心配をして自分を責めるなんて……全く、どこまでも優しい方。

 

「驚きました、〈ナイトメア〉。あなたまで現れるとは……本当に、積りに積もった不運の代償にしては幸運が過ぎますね」

 

「あら、あら。わたくし、そこまで有名でしたのね。照れてしまいますわ」

 

 わざとらしく、腰に片手を当て大仰にリアクションをして笑う狂三。

 まあ確かに、精霊を求めるDEMからすれば、この状況は願ったり叶ったりなのだろう。上空に二人、目の前に一人――――そして、今まさに捕獲を果たす目前だった一人。大仰な仕草で演技をした狂三が視線を向けた先には、苦しげに倒れる十香の姿。

 

 ああ、ああ。殿方との逢瀬をこんな形で邪魔をするとは――――――あまりに、無粋。

 

「そんなわたくしの顔に免じて、今すぐ尻尾を巻いてお逃げになられるなら止めはしませんわよ」

 

「ふん……なぜあなたがここにいるのか知りませんが、今は〈プリンセス〉が最優先事項です――――――ですが〈ナイトメア〉、あなたが私と共に来てくださるなら、最高の待遇(・・・・・)をお約束しますよ」

 

 差し伸べられた手の先にある最高の待遇(・・・・・)とやらが何なのかは知らない――大体想像出来る――が、随分と余裕のある態度だと狂三は凄絶に笑う。

 ――――――ああ、そうか。DEM直属の魔術師、そのトップ。であれば、幾度となく『わたくし』を殺した崇宮真那(・・・・)とも面識がある、という事だ。なら、それは利用できる(・・・・・・・・)

 

 

「き、ひひひひ! 〝最強〟の魔術師ともあろうお方が、わたくしを恐れて懐柔策(・・・)とは――――――真那さんの方が、まだ骨がありましてよ」

 

「――――――――」

 

 

 瞬間、強烈な殺気と随意領域(テリトリー)が解き放たれる。射殺せてしまいそうな濃密な殺意に身を打たれて――――――狂三(狂気)が、笑う。

 嗚呼、嗚呼。思った通り乗せられやすい。いや、〝最強〟という称号を背負っているからこそ、エレン・メイザースはこの挑発を許すわけにはいかないのだ。

 

 久しぶりだ。血肉が沸き踊る。ぬるま湯に浸かりすぎて、この感覚を忘れるわけにはいかない。ここから始まる――――――殺し合い(・・・・)の感覚を。

 

「安い挑発です。しかし、敢えて乗りましょう。私は真那のように詰めは甘くない――――――望み通り、あなたは切り裂いて、殺して(・・・)から連れ帰ります」

 

「えぇ、えぇ。そうでなくては」

 

 エレンの視線を狂三へ釘付けにする(・・・・・・)。これで、憂いなく戦うことが出来る。〈バンダースナッチ(ガラクタ)〉の数など、最初から考慮に入れていない。あれが十香へ向かって動くと言うなら、一瞬にして撃ち抜かれるとエレンは分かっている筈だ。

 

「ですが、あなたに割く時間はあまりご用意していませんわ。おいでなさい――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 冷徹な呼び声。女王の号令に従い、忠実なる狂三の〝天使〟がその姿を現す。焔の一撃によって大部分を喪失した筈の文字盤が、寸分たがわずその円を影より形を成した。

 そう、刻まれた十二の数字――――――そのうちの〝二つ〟が、白く色を失っていること以外は一ヶ月前に学校の屋上で使用した〈刻々帝(ザフキエル)〉と全く同じものだった。

 

 

「さあ――――――始めましょう」

 

 

 狂三が動く。文字盤に刻まれた複数(・・)の数字から、狂三の両手に握られた銃へ影が流れ込む。

 

「――――――!!」

 

 エレンが動く。先は精霊が取った。しかし、エレン・メイザースは後の先を取る。

 迫る刃。真那と同じく、精霊の霊装すら紙のように切り裂く光の剣。だが、迫り来る死を目前にして尚、狂三は冷静に己に向かって(・・・・・・)引き金を引いた。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【五の弾(ヘー)】」

 

 

 そして狂三は、(未来)光景(ビジョン)奔流(・・)に目を見開き――――――

 

 

 

 

 

「……ぁ……」

 

()が、舞った。〈バンダースナッチ〉に道を阻まれた士道の目の前で、夥しい量の血飛沫(・・・)が。

 

 

 

 

「――――――ぁぁ」

 

 頭が真っ白になって、何も考えられない。ああ、考えられないのではない。ただ、目の前の光景しか士道の中に存在しなかった。大切な十香の事も、助けなければいけない二人の事も、今その瞬間だけは彼の中から抜け落ちていた。

 

 ただ切り裂かれ(・・・・・)た狂三の姿を、その両の眼に映し出して――――――振り抜かれた刃が、一瞬にして狂三の身体を貫いた(・・・)

 

 ――――――プツン。士道の中で何か(・・)が切れた。

 

 

 

 

「ぁ、ぁ――――――ぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 

 

 

 

その身が裏返ってしまう(・・・・・・・・・・・)ような怨嗟の絶叫。極限まで高まった深く黒い感情の昂り(・・)

 

 

 刹那、感情(憎悪)を鏡のように映した黒き極光が――――――解き放たれた。

 

 

 

 

「な……っ!?」

 

 エレン・メイザースが〝それ〟に反応出来たのは、一重に彼女が〝最強〟の魔術師であるが故。でなければ随意領域(テリトリー)による防御すら間に合わず、彼女の後方に広がった光景のように、その右半身をえぐり取られていたであろう。

 

 

「これは――――――」

 

 

 その〝霊力〟が通った先には何も無かった。波のように防御随意領域を乗り越え全てを喰らい尽くし、樹木と彼の……五河士道の目の前にいた〈バンダースナッチ〉を跡形もなく塵芥と化した。

 

「っ……五河――――――士道」

 

 一欠片の興味すらなかったはずの少年が〝それ〟を起こした事による驚愕、そして好奇(・・)が彼女の瞳に宿る。

 

 膝を突いた彼が持つ剣、それは間違いなく〝天使〟だった――――――が、彼が持っている〝剣〟を見て、僅かに眉を顰める。

 エレンがついさっき打ち砕いた筈の〈プリンセス〉の剣、というのもあった。しかしエレンの瞳には一瞬、その剣に黒い影(・・・)がまとわりつき全く別の剣(・・・・・)に見えてしまったのだ。だが、それは本当に一瞬の事で、やはりそこにあるのは〈プリンセス〉が出現させたものと同じであった。

 

 とにかく、見過ごすわけにはいかない。精霊と同じ〝天使〟を顕現させ、あまつさえ一瞬とはいえエレンに迫る〝力〟を見せた少年。

 

「興味深いですね……五河士道。あなたもこちらに――――――」

 

 

 

 

 

 

「――――――感心しませんわねぇ」

 

 

黒い弾丸(・・・・)がエレンに突き刺さったのは、その瞬間であった。

 

 

「――――――っ!?」

 

 

 恐ろしい反応速度で飛び退き、突き刺さった狂三の死体(・・・・・)を放り投げる。そうだ、確かに死体だ。幾度殺しても死なぬ〈ナイトメア〉。それを知っているエレンだったが……確かに、確実に〝天使〟を使った彼女を討ち取った筈だ。

 

 

「敵を前にして別の獲物に目を向けるだなんて――――――三流以下のやり方ですわ」

 

 

 〝影〟から現れたのは、時崎狂三(・・・・)だった。寸分の狂いもなく、蔑むような笑みを浮かべた彼女が、何一つ傷を負うこともなく立っていた。

 

「バカな……どう、やって」

 

「あら、あらあらあら。わたくしの情報が伝わっていませんの? いけませんわ、いけませんわ。報連相(・・・)は基本だと、幼少の頃に習わなかったのかしら。だとしたら、その力の割に残念な教養ですこと」

 

「ふざけた事を――――――一体、いつ入れ替わったと言うのです!?」

 

 彼女が多数の自分(・・)を従えている、そんな事はとっくの昔に報告に上がっていた。百も承知の上だ。だからこそ、〝天使〟を使った彼女は本体であると当たりをつけていたのだ。まさか、分身ですら〝天使〟を使えるとでも……。

 

 エレンの激昂に、狂三が楽しげに目を細めた。

 

 

「一体いつ、ですか……お答えいたしましょう。あなたに切り捨てられる直前(・・・・・・・・・)ですわ」

 

「っ――――――ありえない!! 私の随意領域(テリトリー)でそのような……!!」

 

 

 魔術師の随意領域というのは、その名の通り自身の絶対領域。その中でなら、魔術師の力量が高ければ高いほどあらゆる物が自由自在に操れ、感じ取れる。〝最強〟であるエレン・メイザースの随意領域(テリトリー)の中で、そんな事が出来るはずがない。

 

 そう思い上がる(・・・・・)人類〝最強〟に――――――精霊〝最凶〟が、凄絶な笑みを浮かべた。

 

 

「では、わたくしからも一つ――――――一体いつから(・・・・・・)、ここがあなたの〝領域〟だと錯覚していましたの」

 

「な……にっ!?」

 

「傲りましたわね、魔術師(ウィザード)。これが――――――〝精霊〟という災厄ですわ」

 

 

 靴音が鳴る――――――〝影〟が辺りを支配していた。影より響く不気味な笑い声。全てを呑み込む闇の〝領域〟。

 エレンの背筋を凍らせるほど、圧倒的な威圧感。

 

 人類〝最強〟の随意領域(テリトリー)? 一体、それがなんだと言うのだ。

 

 精霊〝最凶〟の城の前に――――――そんなものは無意味と知れ。

 

 

「では、そろそろ時間ですわ(・・・・・)

 

「く……っ!!」

 

 銃を掲げ、唇を歪めた狂三にエレンが臨戦態勢を取る。しかし、遅い(・・)。時崎狂三の〝天使〟はその力を発現させた――――――狂三が〝視た〟未来通りに。

 

 掲げた銃にチュッと口付けをして、女王が号令を鳴らす。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【三の弾(ギメル)】」

 

 

 変化は、単純明快だった。

 

「なっ――――――」

 

 装備していたCR-ユニットが解除された(・・・・・)。ただそれだけ。けど、たったそれだけで人類〝最強〟はただの〝最弱〟へと成り下がる。

 

 【三の弾(ギメル)】――――――本来は不可逆の〝時〟に干渉する〈刻々帝(ザフキエル)〉の弾丸の一つ。その効力は内的時間の促進(・・・・・・・)。有機物であろうが無機物であろうが、平等に進む〝時〟を強制的に進めてしまう力。

 

 例えば、エレン・メイザースが持つ顕現装置(リアライザ)に干渉して、過剰な稼働時間(・・・・・・・)だと〝誤認〟させる、とか。そんなことまでできるのが〝天使〟が起こす奇跡(・・)というものだ。

 

 所詮は子供騙し。エレンが冷静になれば、即座に対処されてしまう技だろう。まあ――――――冷静になる時間があれば、の話だが。

 

 

「本当に、運のない(・・・・)お方ですわねぇ」

 

「は――――なああああああああああああああああああッ!?」

 

 

 意図しない強制解除での感覚の違いに気を取られたのか、はたまた元の身体能力がお粗末なのか、その辺は狂三も興味がなかった。

 

 ただ、誰かが作った巨大な落とし穴(・・・・)にそのまま足を滑らせて落ちる〝最強〟の姿に、狂三は少しばかり同情してしまっただけだ。

 

「くっ……こんな事で……っ!!」

 

 更に、不運はそれだけに留まらない。深い落とし穴に落ち、だが奇跡的に意識を失わなかったエレンが顕現装置(リアライザ)を再起動させようと――――――した所で、完全にガラクタと化した〈バンダースナッチ〉が穴になだれ込んで来た。

 

「なぁ……!? ど、どうしたというのです――――――遠隔制御室(コントロールルーム)に被弾!? 空中戦艦と戦闘!? そんな指示を出した覚えは――――――」

 

 明らかに機能不全を起こし、火花を散らす〈バンダースナッチ〉の下敷きになりながらも、必死に耳元に手を当て健気に通信を続けるエレンの視界に、黒いブーツが映り込んだ――――――彼女に悪夢を届ける、靴音と共に。

 

 

「はい。あーん」

 

「むぐっ!?」

 

 

 狂三の『あーん』というあらゆる男――主に士道――の夢を受け取って、当然ではあるがエレンの心境は幸せなものでは無い。どこの世界に、こんな状況で無理やり口に箸と物を押し込まれて喜ぶ女がいるというのだ。

 

 無理やり押し込まれ、思わず咀嚼してしまう――――――地獄をもたらす、その物体を。

 

 

「――――――!?!?!?!?!?」

 

 

 もがく、もがく。そのもやしの身体を必死に捩らせ、ひたすらにもがく。だがしかし、狂三が口と頭を精霊の膂力で完全に押さえ込んでいるため、〝それ〟を吐き出す事は叶わない。そして数秒後――――――エレンの意識は、その〝悪臭〟から逃れるように深く閉ざされた。

 

 

「……こんなものを押し付けられるだなんて。あなた、一体あの子にどんな恨みを買いましたの?」

 

 既に聞こえていないであろう問いかけではあったが、呆れ気味に聞かずにはいられなかった。そもそも、こんなふざけた〝贈り物〟を渡す機会があるとは思いもしなかった。

 口に出したくもない〝様々な物〟を練り込み、ご丁寧に狂三には被害がいかないよう特別加工した皮に包み込まれた白い少女からの〝贈り物〟。たとえ、罰ゲームの闇鍋だろうと入れたいとは思わないそれを押し付けてしまった手前、考えるべきでは無いのだが……同じ女性として、不運(・・)すぎる彼女を少し哀れに思ってしまう狂三であった。

 

 

 

「お二人とも、お待たせして――――――」

 

 地上に舞い戻った狂三が、ドレスの裾を掴み上げ優雅な立ち振る舞いお辞儀をし――――――たが、それは長くは続かなかった。

 

 

「バカものおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

「っ……と、十香さん……?」

 

 

 腰に抱き着いて来た十香に、その仕草を強制的に中断させられてしまったからだ。抱き着いて、と柔らかく表現こそしたが、実態は未だに限定解除したままの十香による強烈な〝タックル〟なので、同じ精霊の狂三でなければ受け止めるどころか共に地面に転がる結果になっていただろう。

 

 あまりに突然の行動に戸惑い、十香を引き剥がそうとするが、どこにそんな力があるのか腰にしがみついたまま全く離れる気配がなかった。

 

「ほ、本当に、心配したのだぞ!! 狂三が死んでしまったと思ったのだぞ……!!」

 

「はあ……そのような事ですのね」

 

「なんだそのような事とはっ!!!!」

 

「きゃっ……! ど、怒鳴らないでくださいまし。わたくしが『わたくし』……ああもう! 自分の分身体を使える事は、十香さんもご存知の筈でしょう?」

 

 このように大真面目に怒鳴られた経験が少なく、素で驚いてしまった。説明をしても涙ぐんで離さない十香を見て、狂三は困った顔で息を吐き出す。

 分身体を一体犠牲にした程度(・・)でこの騒ぎ様だが、分かりやすく複数体使わなかったのは逆効果だったかもしれない。そもそも、つい1ヶ月前には刃を交えた相手をここまで心配するなど、本当にお人好しが過ぎる。

 

 と、狂三が十香の頭に手をやりなだめていると、足音が近づいてくる。丁度いい、十香を止められるのはこの方しかいない。

 

 

「ああ、士道さん。あなた様も十香さんを説得して――――――」

 

「ばっっっ――――――か野郎……っ!!」

 

「ひゃっ……!?」

 

 

 驚いたのは、その怒鳴り声か。それとも、突然の抱擁(・・)か。不意打ち気味に与えられた温もりに、顔を真っ赤にして動揺を表にさらけ出した狂三が……震える士道の身体を直に感じて、ハッと息を呑んだ。

 

 

「お前が強いのは分かってる……!! けど、本当に……本気で、お前が死んじまったと思って……! 目の前が、暗くなって……なんにも、考えられなくなって……!!」

 

「士道、さん……」

 

 

涙声(・・)で要領を得ない言葉を紡ぐ士道。そこまでされて、呆然としていた狂三はようやく理解した。そして、こんなにも二人に身を案じられている事を――――――不謹慎にも、純粋に喜んでしまった。

 

 十香への手をそのままに、もう片方の手を士道へ抱き返すように回す。

 

 

「ご心配をおかけしましたわ。大丈夫――――――わたくしはここにいますわ(・・・・・・・)

 

 

死生観(・・・)が狂っている自覚は、していた。

 

 生と死があまりに近い環境に身を置き、数多の〝自分自身〟を従える己の価値観は、人とはあまりに違いすぎる。代わりはいる、代わりは生み出せる。自分自身を使い捨てる(・・・・・)ようなやり方に、嫌悪感すら持たなくなったのはいつからだったろうか。

 

 こういうやり方を好まないであろう、とは予想していた。だからこそ、必要最小限の犠牲を選び取った。けど、そういう事ではないのだろう。少なくとも、この二人の中では。完全に逆効果だったようだ。

 

 ともすれば、自分自身(・・・・)の価値でさえ、その狂った死生観の中に置いていた。こんな女が〝正義の味方〟を名乗るなど、あまりに滑稽な話だった。そして、こんな狂った女を純粋に案じ、涙を流す二人は――――――あまりに、優しすぎた。

 

「っ……助けてくれたのは感謝してる。けど、反省しろよ。こんなやり方は絶対許さないからな」

 

「……善処は、いたしますわ」

 

「琴里が、それは逃げに使う言葉だと言っていたのだ……!」

 

「………………」

 

 なんて事を教えてくれているのだ、あの炎の精霊さんは。やはり、狂三の天敵なのではないかと思えてしまう。色々な意味で。

 

 二人の涙の意味は分かる。士道に至っては、こんな女を〝好き〟だと言って、命をかけて守ってくれたのだ。だから、分身体の偽装(・・)を行えば本気で心配するのは目に見えていた――――――あのようなこと(・・・・・・・)になる程とは、狂三が狂三の価値を見誤っていた、と思うが。

 

 けど……多分、狂三は変わらない。このやり方を変えることは出来ない。それが時崎狂三という人を惑わす〝精霊〟なのだ。

 

 

「…………はあ。立場上お約束は出来ませんが――――――出来るだけ、控えますわ」

 

 

 だからこれが、狂三に出来る精一杯の譲歩(・・)だった。本当に、時崎狂三ともあろうものが甘くなった(・・・・・)と、二人の体温を感じながら彼女は苦笑するのであった。

 

 

 

 

 

「士道さん、その〝天使〟を」

 

「え、ああ……」

 

 地面に突き刺さった〝剣〟を引き抜き、まじまじと士道が見つめる。士道だけでは無い、十香もそうだ。驚きを隠せない、といった様子だった。それも無理からぬこと……何せ、彼が手にしているそれは、本来〝精霊〟夜刀神十香が振るう〈鏖殺公(サンダルフォン)〉そのものであったのだから。

 

「むぅ……なぜシドーが〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を?」

 

「俺にも分かんねぇ……ただ、狂三が切られたのを見て頭が真っ白になって……気づいたら、手に〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を持ってた、んだと思う」

 

 十香の疑問に答えを持たない士道も、また曖昧に感覚で言葉を紡ぐ。人が持つには過ぎた大きさである幅広の刀身、〝形のある奇跡〟を見て士道は困惑の表情であの瞬間(・・・・)を思い出す。

 

 無力感、絶望感。言ってしまえばストレス(・・・・)だろうか。そして、狂三を救うだけの力が欲しい。そう屋上での時(・・・・・)ように……いや、それ以上に強くドス黒い(・・・・)感情が湧き上がって〝枷〟のような物が外れた気がした。

 覚えているのは、そこまでだ。気付けば己の手に〈鏖殺公(サンダルフォン)〉があり、途方もない疲労感に膝を突いていた。

 

「…………」

 

 ふむ、と顎に手を当てた狂三が戸惑いの表情の士道と顕現した〝天使〟を見やる。

 士道が〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の回復能力を所持している時点で、この可能性は当然のように予想していた。予想外だったのは――――――まさか、発動させたのが狂三に対しての感情(・・・・・・・・・)である事だった。

 

 

『近いうちに分かりますよ――――――狂三なら、尚更ね』

 

「わたくしなら……確かに、その通りでしたわね」

 

 

 ただし、狂三が知るという意味ではなく、狂三が限りなく当事者(・・・)に近いという意味で、だったが。

 

「士道さん、一つ忠告しておきますわ」

 

「お、おう。なんだ……?」

 

 五河士道による〝天使〟の顕現。これは、あの子が言ったように遅かれ早かれ起きる事だったのだろう。それによって増える〝厄介事〟も、これから考えていかねばならない。

 しかし、その前に一つだけ伝えておかねばならい。狂三だからこそ……この優しい少年に〝アレ〟を振るわせてしまった狂三だから、言わなければならない。

 

 

「その〈鏖殺公(サンダルフォン)〉は士道さんが(・・・・・)顕現させた〝天使〟ですわ。それは間違いありません――――――ですから、どうか正しい心でお使いくださいまし」

 

「え……」

 

 

 〝アレ〟は士道に相応しくない。精霊を救い、こんな愚かな女を救うと言ってくれた心優しい少年を、その感情に引き摺り込む事は許されない。〝アレ〟に身を委ねてしまうような事があれば、きっと帰って来れなくなる(・・・・・・・・・)

 

 

「〝天使〟とは担い手の心を映し出す水晶のようなもの……わたくしの戯言と思っていただいて構いませんわ。士道さんの心の片隅に留めておいてくださいまし」

 

「……分かった。肝に銘じておく――――――ってか、俺がお前の言葉を戯言なんて思うわけないだろ」

 

 

 神妙な顔で頷いて、それから安心させるように狂三に向かって笑顔を見せた。それを見て、交わすような微笑みを狂三も見せる。

 

 きっと、この方なら大丈夫だ。たとえ、間違った道に進もうとしてしまっても、正してくれる人達がいる。それこそ、狂三が死んでしまうような事がなければ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。当然そんなつもりは、毛頭ない――――――士道との戦争(デート)から降りてしまうなど、そんな惜しいこと(・・・・・)出来るわけがないだろう?

 

 

「――――――ってやべぇ! 耶倶矢と夕弦を探さねぇと!!」

 

「あ、待つのだシドー!!」

 

「あら、あら……」

 

 

 大急ぎで駆け出す士道とそれを追いかける十香。あのような力(・・・・・・)を使って、まだ動けるだなんて、本当に決めたら一直線なお方だと狂三は微笑む。まあ、そうだと思ったから要点を抑えて忠告に留めたのだが。

 

 とはいえ、ここまで来て傍観者に徹するというのもつまらない話。同じく歩を進めた狂三が……ふと、もう一つ(・・・・)の懸念に眉を顰めた。

 

 

「――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 狂三が持つ絶対の〝天使〟。神にすら抗う力を持つ、彼女が誇る唯一無二の力。〝悲願〟のため、共に邁進し知らぬ事などないと思っていた己の力――――――しかし、違った(・・・)

 

 狂三が使った弾は三つ。時を進める【三の弾(ギメル)】。過去の履歴から『時崎狂三』を生み出す【八の弾(ヘット)】。そして【八の弾(ヘット)】と同時使用した――――――未来を見通す力(・・・・・・・)五の弾(ヘー)】。

 

 以前、崇宮真那を相手取り撃ち込んだ時は、正しく効果を発揮し、僅か先(・・・)を狂三に指し示し彼女の斬撃を避ける未来を導いた――――――が、今回は違う。見せられた未来は僅か先ではなく、それでいて複数の未来(・・・・・)であった。

 

「込められた霊力を考えれば、あなたの観せる未来は数秒先(・・・)が限界の筈……」

 

 いいや、込める霊力を増やしたところで複数の〝可能性〟を予測するなど不可能(・・・)だ。だと言うのに〈刻々帝(ザフキエル)〉はあらゆる可能性を導いた。その中で、一番色濃く(・・・)映し出されたのが――――――今は過去となった先程の、未来(・・)であった。

 

 

「一体、どうしたと言うんですの――――――?」

 

 

 その問いに答えるものは、いない。ただ〈刻々帝(ザフキエル)〉は時を奏で続ける。主のために、カチリ、カチリと。白く失われた〝時〟と新たに生み出された〝時〟を指し示しながら――――――

 

 

 





控えろ人類最強。彼女は精霊最凶であるぞ。とまぁそんな感じでしたけど、状況が違えば遥かに長引いたでしょうに本当に運が悪いとしか言いようがないですねエレンさん。ちなみに、エレンを報連相で煽った場面は本当は白い少女があなたが言いますか、あなたが、ってツッコミ入れる予定だったんですけど思った以上にシリアスになったのでボツになりました。忘れてると思いますけど、狂三はたまに少女への連絡すっぽかしますからね(四糸乃編参照)

士道と関わって常識的な面が表に出た狂三ですけど、それでも狂った部分はまだまだぶっ飛んだままなのです。それが狂っていると分かっていながら、それでも平然と実行に移せるのが時崎狂三という精霊の強さであり怖さであり、悲しさである。

遂に士道くんが〝天使〟召喚ですよ召喚。え?なんか違う?〈刻々帝〉もゼ○システムみたいな能力になってる?やだなぁ気のせいですよぉ(すっとぼけ)

そんなこんなで不穏を残しつつも、次回はいよいよ八舞姉妹。果たして士道は彼女達に未来を示す事が出来るのか。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第三十三話『八舞に相応しき者』

八舞編クライマックス。


 

「こんの――――――わからず屋ああああああああッ!!!! 」

 

「応答――――――こちらの台詞です」

 

 風と風がぶつかり合い、しのぎを削る。人知を超えた神威の風。

 万象を薙ぎ払う颶風の女王。その名に相応しい少女が――――――二人。

 

「なんでわかんないのよッ!! どう考えても八舞に相応しいのは私よりあんたでしょ!!」

 

「反論。何度も言わせないでください。その名を持つに足る資格を持つのは耶倶矢だけです」

 

 夜空を駆けるは二対の流星。全く同じ速さで、全く同じ力で虚空に軌跡を描く。幾度となく繰り返される激突に、海は割れ、木々は吹き飛び、空に雲が渦巻く。

 

「あーもう、ホンットに我儘なんだから!! 夕弦のばか!! ばかばかばああああああかっ!!」

 

「激高。今のはカチンと来ました。夕弦がばかなら耶倶矢は大ばかです。世界一のばかです」

 

「なんですってええええええええええっ!?」

 

 顔を真っ赤にした耶倶矢が槍を構え、突進する。風を纏った必殺の一撃。夕弦も対応するように、身体に渦巻くペンデュラムに暴風を纏わせ突撃する。

 それぞれ、当たれば間違いなく勝敗を決する一矢必滅の技。

 

 激突した刺突は今まで以上の暴風を生み出し――――――尚、決着には至らない。

 

『ッ……!!』

 

 弾け飛ぶ。全く同じタイミングで、全く同じように。まるで鏡写し。今の一撃は、確かに互いを貫く必殺であったはずなのに――――――お互いが(・・・・)わざと力を抑えたとしか思えなかった。

 

 

「あんたが――――――」

 

「断言。耶倶矢が――――――」

 

 

 考えている事は同じでいて、違う。歪すぎる戦い。どちらかが倒れるまで続く闘争――――――殺し合いではなく生かし合い(・・・・・)

 

 

『真の――――――八舞!!!!』

 

 

 生まれながらにして背負う宿命。救われぬ業を背負った二人の女王。そう、救われない。救えるはずがない――――――ただ、一人の少年を除いては。

 

 

「いた――――耶倶矢、夕弦!!」

 

 

 何とか間に合った。嫌に重い身体に鞭を打ち、ひたすら走り抜けた先に二人はいた。正確には、壁となった荒れ狂う暴風の中に、二人の姿はあった。

 

 士道が十香に二人のことを相談し、それを耶倶矢と夕弦が聞いてしまったばかりにこの戦いは始まった……いや、恐らくそれがなくとも、いつかはこうなっていたのかもしれない。

 

「やめろ二人とも!! やめてくれ!! 二人が――――――ぐ……ぁっ!?」

 

「シドー!?」

 

 必死の叫びは風にかき消され、更には全身を襲う激痛に苛まれ膝をつく。隣にいる十香が心配そうな顔で支えてくれるのを、大丈夫だと声をかけ無理やり立ち上がる。

 

 どうする、どうすれば良い。何をすれば二人は止まる? とにかく声を届けなければいけない。そのためには――――――思考する士道の視界に、自らが持つ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が映り込む。

 

「そうだ……十香! 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉で二人を止められるか!? お前ならこれを使えば――――――」

 

「無理ですわ」

 

 その声を聞いてハッと振り返る。そこには、二人に追い付いた狂三が、物憂げな表情で空を見上げていた。そうして、一度目を閉じてから士道へ視線を向ける。まるで、士道を見定めるように。

 

「無理って……」

 

「〝天使〟は担い手に従うもの。わたくしは士道さんが(・・・・・)その(つるぎ)を召喚したと申し上げました。であれば、答えは明白ですわ」

 

「うむ……」

 

 十香が〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の柄に触れ、息を詰まらせた声を発する。その表情は、狂三の言葉が正しいものであると雄弁に物語っていた。

 

「狂三の言う通りだ。今の私にこの〈鏖殺公(サンダルフォン)〉は使えない。〝霊力〟を持つ者の願いによって顕現するのが〝天使〟だ――――――シドーの願いによって召喚された〈鏖殺公(サンダルフォン)〉は、私に扱う事は出来ん」

 

「そん……な……」

 

 諦めろと言うのか、このまま。二人の戦いを見過ごして、どちらかが犠牲になる未来を見届けろと。それが、五河士道に許された〝選択〟だと。

 

 あんなにもお互いを慮って、あんなにもお互いを褒め称えて、あんなにもお互いを愛し合って。なのに、自分自身が消える未来を選ぶ彼女たちを、見捨てろと言うのか。

 

 お前には、何も出来ないと。そう、諦めてしまえと――――――

 

 

「そんなこと――――――出来るわけねぇだろうがっ!!!!」

 

 

 叫んで、剣の柄を握りしめる。こんな所で諦めるほど、全てを受け入れてしまえるほど、五河士道という少年は諦めが良くない。

 狂三を見やる。十香や狂三を巻き込むのはお門違いだと分かっている。それでも、あの暴風の中へ士道を投げ入れる(・・・・・)手伝いくらいはしてくれる筈だ。捨て身でもなんでも、士道は二人に声を届けなければならない。

 

「狂三、頼みが――――――」

 

「士道さん。あなたが選んで(・・・)くださいまし」

 

 士道の言葉を遮り、狂三が問いかけにも似た言葉を投げかける。

 

「選ぶ……?」

 

「えぇ、えぇ。耶倶矢さんを取るか、夕弦さんを取るか」

 

「っ、そんなの!!」

 

「それとも――――――士道さんだけに許された選択を取るか」

 

 目を見開く士道を見て、狂三はいつものように怪しく微笑む。そして言葉を紡いだ。先程の忠告(・・)とやらの続きを。

 

 

「〝天使〟は心を映す水晶……鏡ですわ。怒りを込めれば怒りを返し、悲しみを込めれば悲しみを返し――――――祈りを込めれば、祈りを返す」

 

「水晶……」

 

「あなた様の願い、お聞かせくださいませ」

 

 

 狂三の微笑みが、士道を見守るような優しいものに変わった、気がした。

 

 込める願い。士道の願い。それは――――――初めから決まっていた。ずっとそうしてきたではないか。十香の時も、四糸乃の時も、琴里の時も……今なお続く、愛しい少女(狂三)の時であっても。

 

『ああ、それは少し違いますわ。このお二人、恐らくは同じ存在(・・・・)ですもの』

 

『あなた様は、何を(・・)選択なさいますか?』

 

 思い出したのは狂三の言葉だった。同じ存在、彼女はそう言った……そして、彼女は言っていたではないか。どちらを(・・・・)ではなく、何を(・・)選ぶのかと。

 

 

「――――――狂三、お前は言ったよな。あいつらは……同じ存在だって」

 

「申し上げましたわ。しかし、同じであるが故に、耶倶矢さんと夕弦さんは戦うしかないのですわ」

 

「いいや。違うな」

 

 

 焔が、身体の内から燃え上がる。再生の炎はまるで、燃え上がる少年の心を映し出したような熱さだった。

 

 

「同じだってんなら……どっちかがいなくなったら、それはもう八舞じゃねぇだろ!! どうしようもない〝自分殺し〟だ。もううんざりなんだよ、そんなの!!」

 

 

 うんざりだ。どいつもこいつも、人を慮ってばかりで、自分を殺そうとする(・・・・・・・・・)ことばかりで。そんなの、士道が一番嫌う行為だ。だから、どこまでも優しく、どこまでも欲深い少年は――――――ただ一つ、険しい〝選択〟を選び取る。

 

 

「何を選ぶかなんて、最初から決まってるさ。俺は二人を選ぶ(・・・・・)。二人揃っての八舞なら――――――どっちも揃ってなきゃ意味がないっ!!!!」

 

「それでこそ――――――わたくしが好きな士道さんですわ」

 

 

 その愛はあまりに大きくて、その愛はあまりに優しくて――――――だからこそ、狂三は士道が選び取る〝選択〟を信じていた。

 

「その真っ直ぐな願いを〝天使〟に込めてくださいまし。必ず、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉はあなた様の想いに答えてくれますわ……御二方を救うだけの〝力〟があると、今ここに示して差し上げましょう」

 

「ああ……!!」

 

 士道がやらねばならない。士道が、二人を救える〝力〟を持っていることを、あの馬鹿騒ぎしている精霊に教えてやらなければ止めることは出来ない。

 

「十香さん、士道さんにお手を」

 

「む……?」

 

「士道さんが召喚した物とはいえ、この〝天使〟は本来、十香さんの物ですわ。少しは力になるかもしれません」

 

「……分かった」

 

 神妙な顔付きで事を見守っていた十香が、狂三の言葉を聞いて手を取った――――――何故か、狂三の手を。

 

 

「…………あの、十香さん。わたくしではなく士道さんの手を……」

 

「うむ――――――二人より、三人だっ!!」

 

「きゃっ……!?」

 

 

 どんな理屈だ、子供の足し算か。わざわざ狂三の元まで駆け寄り、勢いよくその手を引いて士道に手を添える十香にそのようなツッコミは無意味だ。なし崩しに、狂三まで士道に手を添える形になってしまう。二人にくっつかれた士道も、顔を赤くして驚いてしまっている。

 

「お、おい……!?」

 

「心を静めろ。シドーが思い描く願いを、ただ一つ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉に込めるのだ」

 

「そ、そうですわ。十香さんの言う通りに……士道さんの願い――――――祈りを、心に」

 

 この状況で無茶を言っているとは思うが、士道は二人の言葉に耳を傾け、剣を掲げ目を伏せて呼吸を整える。

 

 ――――――俺の願い。

 

 救う。馬鹿みたいに優しい、あの二人を。欠けさせない、欠けさせてはならない。ふざけた運命を変えて、絶対に救う。

 

 そのための力を――――――ここに!!

 

 

「――――――っ!!」

 

 

 見開いた目の先に、光があった。眩い、夜闇を照らす強い輝き。黒き極光と対極を成す――――――正しき心で振るわれる、白き極光。

 

 狂三と十香が頷き、重ねられた二人の手に力が入る。そして、士道は大きく〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を掲げた。

 

 憎しみではなく、怒りでもなく、正しき祈りを込めて――――――今、この一振りに全てを。

 

 

 

「とど――――――けえええええええええええええええええええええッ!!!!」

 

 

 

 閃光が夜空に轟いた。黒き極光にも劣らぬそれは、荒れ狂う烈風をものともせず斬り裂いて、勇者の放った一撃は――――――女王に、届いた。

 

 

「な――――――」

 

「焦燥。これは……」

 

 

 風を止め、雲を割いた一撃に耶倶矢と夕弦の意識がお互いから逸れる。視線はこの驚異的な〝霊力〟を放った士道へ、ようやく向けられた。

 

「士道……!? 今の、もしかしてあんたが……?」

 

「驚愕。まさか。凄まじい霊力でした」

 

「いいか。よーく聞けお前ら!!」

 

 頭が割れるように痛い。全身が砕け散るのではと思える激痛が、士道を苛む。それでも少年は、その両の足で立ち上がり、喉を目一杯に震わせて声を張り上げた。

 

 

「俺を裁定役に選んだのはお前らだ!! そして、俺はその役を降りたつもりは無い!! だから決めた――――――真の八舞に、相応しい精霊を!!」

 

 

 二人が息を呑み、その上で視線を鋭くしたのが分かる。膨れ上がるプレッシャーの正体は、間違いなくこの二人それぞれのものだ。どちらも、自分を選んだら分かっているのだろうな、という考えが手に取るように分かる。分かるからこそ――――――士道は、言葉を止めない。

 

 

「俺が選ぶのは、真の八舞に相応しいと思うのは――――――お前たち二人だ(・・・)!!」

 

「……何それ」

「軽蔑。小学生以下の――――――」

 

「――――――俺には!! 精霊を封印する力がある!!!!」

 

 

 耶倶矢と夕弦が驚愕で目を見開く。ここから先は賭けだ。信じてもらわなければいけない。士道にその力がある事を、この二人に伝えなければならない。

 目が掠れる。視界の先にある二人の姿が、もうよく見えていなかった。けれど、止まらない。ここで止まってしまえば、彼女たちは永遠に失われてしまう。

 

 

「その力で、お前たちの精霊としての力を無くす!! そしたら、お互いが争う必要なんてない!! 二人が揃って(・・・・・・)生き残る事が出来るだろ……っ!!」

 

「何言ってるの……そんなこと、可能なはずがないじゃない……」

「疑念。そうです。そんな方法、聞いたことがありません」

 

「お前らの自慢の風――――――切ってやったのは誰だ?」

 

 

 士道が笑う。強がりな笑みだ。人の身で人ならざる者の力を振るった代償は、既に士道の身体を蝕んでいる。口の中に、嫌な味が広がっているのは本人が一番よく分かっていた。

 だが、その強がりは二人を動揺させるには十分だったらしい。息を呑む様子が霞む視界でもよく分かった。一気に、畳み掛けるように力を振り絞って、士道は喉を震わせた。

 

 

「頼む!! 信じてくれ(・・・・・)!! 俺にその力があるって事を……自分自身より相手を思いやる気持ちがずっと強い、馬鹿みたいに優しいお前らを救うチャンスを!! 一度だけでいい!! 俺を、信じてくれ……っ!!」

 

『っ……』

 

「たの、む……俺、が……二人を、救って――――――」

 

 

 言葉が途切れ、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が光へと還る。咳き込み、吐き出した()をそのままに、士道は地面へと倒れ込んだ。

 十香が肩を揺すって必死に呼びかけているのを遠退く意識で感じながら――――――士道は、愛しい少女の温かい手の温もりを、感じた。

 

 

「耶倶矢さん、夕弦さん」

 

 

 穏やかな、それでいて凛として引き込まれる声だった。きっと、このまま二人に〝選択〟を委ねるべきなのだろう。けど、狂三は言葉を紡ぐ事を止められなかった。

 

 

「信じられないのも無理はありませんわ。ですがどうか、どうか……一つだけ信じてあげてくださいまし」

 

 

 理由なんて、分からない。それでも言葉を止めないのは、この瞬間だけは心が彼女の全てを動かしているから。

 

 

「この方の……士道さんの、命を賭したお言葉を、どうか――――――!!」

 

 

 らしくない行動をしているのは分かっている。出過ぎた真似をしているのも分かっている。しかし、愛する少年の願いを、無にすることだけは――――――!!

 

 沈黙が落ちる。士道を、狂三を見やり、そしてお互いを見て、その唇を開いた――――――

 

「何……?」

 

「注視。あれは……」

 

 その声を遮ったのは、巨大な駆動音(・・・)。耶倶矢と夕弦、二人が浮遊する更に上空……その果てに、巨大な戦艦(・・)がいた。全く持って、空気が読めない(・・・・・・・)来客の姿に狂三は顔を顰める。同時に、連絡用の端末から音が鳴り響く。誰からかは見るまでもなく分かる。即座にそれを繋げた狂三が、簡潔に声を発した。

 

「状況は」

 

『〈フラクシナス〉に派手にやられた戦艦がそちらに向かってます――――――いや、もう見えてますか』

 

「えぇ」

 

『本人がいなくとも全く問題がないとは、流石は五河琴里が指揮する艦ですね』

 

「素晴らしいですわ、素晴らしいですわ――――――では、後始末はこちらで請け負いましょう」

 

 〝影〟が現れ出づる。今の狂三はこれ以上なく〝不機嫌〟であった。

 ああ、嗚呼。あんなもの(・・・・・)にこの方の願いを遮られるなど――――――本当に度し難い。

 

「十香さん、士道さんはお任せしますわ」

 

「……! うむ、任せるのだ!!」

 

 士道を抱え頷く十香に笑みを向け、狂三は空へと飛び立つ。〝影〟は地にのみ現れる物ではない。海に、そして空に浮かび上がり――――――

 

 

「さあ、『わたくしたち』。立場を弁えない愚かな者たちを――――――存分に喰らい尽くして差し上げましょう」

 

 

 〝影〟より出でる者たち。それら全てが狂三が従える『狂三』である。指揮者のように腕を上げ、迫り来る人形兵器に向かい振り翳す。

 

 

『きひ、きひひひひひひひひひひひひッ!!』

 

 

 それは、正しく〝悪夢〟の舞台であった。飛び回る人形兵たちは、目標とした者たちに辿り着くことさえなく蹂躙されていく。腕を、足を、頭を、ダンスを舞うように引き千切られる。

 

「嘘……あんた……!!」

 

「驚愕。あなたも……」

 

「えぇ、えぇ。隠していた事、ここで謝罪させていただきますわ」

 

 地獄の様相を見せる周囲などには目もくれず、スカートを摘み空に浮かぶ二人と相対しながらお辞儀をする狂三。

 

 

「――――――これで、信じてくださいませんこと? 士道さんには御二方を救う〝力〟があるということを……この〝精霊〟であるわたくし、時崎狂三が保証いたしますわ」

 

 

 狂三の目的は、偶然にも告げてあった。そう、当初の彼女たちと同じく士道を落とす(・・・)こと。それはつまり、五河士道には〝精霊〟である狂三が執着するほどの〝価値〟があるということに他ならない。

 

 

「あとは、耶倶矢さんと夕弦さんが決めることですわ。わたくしとしては――――――あの方のお言葉を、信じてくださると嬉しいのですけれど」

 

 

 手にした交渉のカードは全て切り終えた。少々、手を貸し過ぎだとは思うが命をかけた士道への――――――そして、見ず知らずの(・・・・・・)狂三の身を案じてくれた(・・・・・・)彼女達への、ご褒美と言ったところか。

 

 一度、微笑む狂三をじっと見つめた二人が、穏やかな表情でお互いの顔を見合わせる。

 

「……ねぇ、夕弦。聞いてくれる?」

 

「応答。なんでしょうか」

 

「私ね――――――信じて、みたい」

 

 その可能性を、ありえないIFの物語を。誰もが(・・・)考える、もしもの可能性。それをもし、手にする術があるのなら……。

 

 

「ずっと、嘘ついてた。私は、私、ね……夕弦と、一緒にいたい!!」

 

 

 自然と涙が零れていた。隠していた感情が溢れ出す。そうだ、ずっと、ずっとだ。耶倶矢はずっと、心の片隅で〝それ〟を思っていた。

 

 

「夕弦と色んなところに行きたい!! 夕弦と一緒に色んなものを見たい!! 私……消えたくなんて、ないよ……!!」

 

「応、答――――――」

 

 

 〝それ〟を思ったのは、夕弦も同じ事。ひとすじの涙がその証だった。一人ではなく二人で(・・・)……その心に秘めた願いさえ、二人は同じだったのだ――――――何故なら、二人で八舞なのだから。

 

 

「夕弦も、同じです。耶倶矢と同じものを見て、同じものを感じて、一緒に――――――」

 

「うん、一緒に――――――」

 

 

 全く同じ答えを、示し合わせるわけでもなく、全く同じ動きで唇を動かし……その願いは、しかと聞き届けられた。

 

 

 

『――――――生きていたい』

 

 

 

生きたい(・・・・)。ただ、二人で一緒に(・・・)。優しさに満ちた少女達の切なる願いは、今ようやく少年の願いによって打ち明けられた。

 

 涙を拭い、耶倶矢と夕弦がコクリと頷く。考えていることは、口に出さなくとも分かった。

 

「――――――カカ、褒めて遣わすぞ真紅の吸血鬼よ。我ら八舞(・・・・)の時を稼いだ事を」

 

「きゅ、吸血鬼……ですのね……?」

 

 様々な呼ばれ方をされてきた狂三だったが、流石に耶倶矢のような例え方は初めてで困惑の表情を作る。狂三とて人の血を吸う趣味はない……まあ、血代わりに〝時〟を吸い取っていたので、そう間違った表現ではなかったりするのだが。

 

 額に手を当てカッコいいポーズを取る耶倶矢に、夕弦がジト目で鋭くツッコミを入れる。

 

「指摘。それは安直と言います。耶倶矢のセンスに狂三も困惑です」

 

「……し、仕方ないじゃん!? だってこんなにカッコいいし!! 分身使えるなんてずるいし!! なんかそれっぽいし!?」

 

 困惑の表情は更に深まる。狂三の分身体を見て驚くなり慄くなりの行動はされてきたが、純粋に羨ましがられるのは初の体験だった。ここまで来ると困惑と言うより、珍しい狂三の照れ(・・)と言ってもいいかもしれない。さぞ、地上にいる士道が悔しがる光景であろう。 

 コホン、と自らの表情を整えるように咳払いをし、二人を見つめる。何となく、彼女たちが次に取る行動は分かっていた。だからこそ、既に分身体は退かせてある(・・・・・・)

 

 

「おまかせしても、よろしくて?」

 

「当然!」

「肯定」

 

「では、存分に――――――颶風の力、振るいになってくださいませ」

 

 

 狂三が指し示した先にあるのは、巨大な鉄の塊(・・・)。そう、人が作り出した叡智だろうと、精霊にとってそれは〝障害物〟でしかない。

 

 耶倶矢が左手を、夕弦が右手を、寸分の狂いもなく合わせる。それぞれの霊装が光輝き、羽は弓へ。夕弦のペンデュラムが〝弦〟へ、耶倶矢の槍は〝矢〟へ姿を変える。

 

 二人が持つ〝天使〟。その終局点にして、究極の形。これこそが――――――八舞の真なる姿なり。

 

 

 

『〈颶風騎士(ラファエル)〉――――――【天を駆ける者(エル・カナフ)】!!』

 

 

 

 

 颶風が舞う。必滅の矢は、余波でさえあらゆる者を薙ぎ倒す。その風を止められるものなどいない。八舞の風こそ、最強なる一撃だと。

 

 その矢は残された人形を吹き飛ばし、二人の新たなる門出を祝福するように――――――夜空を、赤く染め上げたのだった。

 

 

 






書いてて思うんですけどきょうぞうちゃん凄い士道くんに私情でゾッコンな感じが地の文から滲み出てる気がする。原作と違って変なのぶっぱしたせいで原作より身体ボロボロの士道くんをフォローするヒロインの鏡って事にしときましょう(

形のある奇跡。天使に関しては割と独自な解釈で進めることがあると思います。そうじゃなかったら刻々帝がなんか進化したりしてませんしね(小声) 最終的に根源的な存在の例の精霊さん強すぎねぇ?って考える度になってry

次回は八舞編エピローグ。番外編に関しては活動報告に書きました。もうやるかもって書くとやらなきゃ見たいな使命感に駆られてしまうので、気まぐれに書いてそのうち気が向けば投稿みたいな形にしようと思います。詰まるくらいなら本編進めるのが優先だと思うので(苦しい言い訳)

八舞姉妹の可愛いやり取りをもっと見たい方はデート・ア・ライブ5巻『八舞テンペスト』を是非よろしくお願いします。というか二人のやり取りが基本的に長回しなのもあって本家がないと魅力が伝えきれない…

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第三十四話『次なる舞台へ』

エピローグ。まだまだ様々なものが始まったばかり。


 

 士道がどうにかこうにか目を覚ました時、どうやら事は丸く収まってくれていたらしい。辿り着いた時より酷い惨状にはなっていたが、笑い合う八舞の二人。そして――――――

 

 

「お疲れ様でした、士道さん――――――あなた様の願いは、ちゃんとお二人に届きましたわ」

 

 

 狂三の言葉と極上の微笑みが――――――何よりの証明だった。

 

 動けないほどでは無いが身体がどうにも言う事を利かないので、今は大人しく十香の肩を借りてのろのろと旅館への道を歩いていた……この、台風でもこうはならないだろうと言うくらい、荒れに荒れた薄暗い道を眺めながら。

 

「……これ、旅館まで吹っ飛んでたりしないよな……?」

 

 士道の心から心配だ、という呟きにビクッと揃って仲良く耶倶矢と夕弦が肩を揺らしたのが雰囲気で分かった。まあ……まさか姉妹喧嘩(・・・・)でこんな事になったなど、誰も信じないであろうが。

 そんな様子をクスクス、と笑い声を漏らし楽しそうに狂三は眺めていた。

 

「ご心配には及びませんわ。旅館も、クラスの皆様もご無事ですわ。あの子が、先に確かめて連絡をくれましたもの」

 

「ああ……あいつか。それなら安心だな」

 

 狂三が連絡用の端末を見せながら語った事で、士道も安堵の息をこぼす。彼女が言うあの子(・・・)とは、間違いなく白い少女〈アンノウン〉の事だろう。今回は姿を見せなかったが、この分だとやはり同行していたらしい。

 と、露骨に安心した様子の耶倶矢がまた怪しげな笑いをしながら声を発した。

 

「くくく……流石は純潔なる吸血鬼。優秀な眷属を従えているとはな……」

 

「指摘。それは耶倶矢の中の狂三であって、非常に正しくありません」

 

「う、うるさいし! 同じようなものだし!!」

 

「きゅーけつき……? 狂三は人の血を吸うのか?」

 

「いえ……いくらわたくしでも、生き血は御遠慮願いたいですわ……」

 

「――――――はは」

 

 表情の種類は様々であったが、四人全員が笑顔で会話をしている。その事に、士道は心からの笑い声を出した。身体中ボロボロだし、疲労感だってとんでもない。とんだ修学旅行になったが……本当に、みんな無事で良かった。

 

「……ところで、十香よ」

 

「要請。少しの間、士道を貸してはいただけませんか?」

 

「む……別に構わんが、何故だ?」

 

「い、いいから、少しの間だけ、ここで待っているがいい」

 

 有無を言わせぬ口調で、二人が士道の手を取り脇道に逸れて行く。残されたのは不思議そうに首を傾げた十香と、何となく二人のする事を察して複雑な表情で微笑んでいる狂三。

 何を話せば良いのか、何を話すべきなのか。考えあぐねるように沈黙した二人だったが、程なくして十香が先に口を開いた。

 

「……感謝を伝えていなかったな。感謝するぞ、狂三。狂三のお陰で、私とシドーは助かる事が出来た。狂三がいなければ、シドーも二人の元へ行く事が出来なかったかもしれん」

 

「――――――そのようなこと、ありませんわ」

 

 十香の言葉を否定するように、狂三は首を横に振る。きっと、狂三が余計な首を突っ込まずとも、士道はあの場に辿り着く事が出来た。いや、あの瞬間にその未来さえ(・・・・・・)狂三は〝予知〟したのだ。寧ろ、あのようなもの(・・・・・・・)を使わせてしまったことを考えれば、余計な事をしてしまったのかもしれない。だから、十香の感謝は受け取る事が出来ない。

 

「むぅ……そんな事はないと思うぞ」

 

「十香さんはお優しいですわね――――――わたくしが、まだ士道さんの命を狙っていると言っても、同じ事が言えますでしょうか?」

 

 見るまでもなく、目を見開いたのが分かった。息を呑む十香に、狂三は怪しく微笑みながら言葉を続ける。

 

 

「わたくし、士道さんと〝勝負〟をしていますの。あの方が勝てば、十香さんと同じく霊力を封印されるつもりですわ。ですが、わたくしが勝った時――――――その命はわたくしの物になると、お約束いたしましたわ」

 

「っ……!?」

 

「それでも十香さんは、こんなわたくしに礼など必要と思いますの?」

 

 

 今回、士道を助けたのはそのためだと……暗にそう言っている。その反応を見るに、やはり十香には伝えられていなかったらしいと狂三が笑う。

 別に、この行動に理由はない。ただ何となく――――――気まぐれで、十香の反応が見てみたくなっただけだ。

 

 狂三の言葉を聞いた十香は、むぅと考えるように目を瞑り……それから、目を開き宵闇の瞳で真っ直ぐに狂三を見返した。

 

 

「それでも、助けられた事には変わりない。私は礼を言うぞ」

 

「……物好きな方ですわね。わたくしが勝てば、士道さんの命はないのですよ?」

 

「――――――私は、シドーを信じている」

 

 

 瞳を逸らさず、そして眩しい笑顔で笑う十香を見て、今度は狂三が目を見開いて驚く番だった。

 

 

「シドーは私を……皆を救ってきた。そんなシドーが狂三の勝負を受けたのなら、何か考えがあっての事なのだろう。だから私は信じている。その選択をしたシドーを――――――シドーが勝つと、信じられるのだ」

 

「――――――ああ、ああ」

 

 

 全く、嫌になるほど真っ直ぐな心。五河士道に対する全幅の信頼感。彼が負けるはずがないと、本気で十香は信じている――――――それを、少しだが理解してしまえる自分が、今は少し腹立たしい。

 

「……そんなに士道さんを信じていらっしゃるということは、わたくしの事は信じてくださらないのですね。悲しいですわ、泣いてしまいますわ」

 

「な……っ!? そ、そうは言っていないのだ!! いやしかし狂三が勝ってしまうとシドーが……!!」

 

 明らかな嘘泣きに大慌ての純真な十香を見て、狂三が笑う。なんというか、ここまで言っても狂三の事を拒絶しない十香を相手に色々考えていたのが、馬鹿馬鹿しくなってしまった。

 この場合、大層おモテになる(・・・・・・)士道へ怒るべきなのか……それとも、十香にこんなにも信頼されている事を羨む(・・)べきなのか。どの道――――――

 

 

「――――――負けられませんわねぇ」

 

 

 また一つ、狂三の強情(・・)な部分に火がついてしまったことだけは、確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ちょ……待っ――――――ぎゃあああああああああああっ!?」

 

「終わってみれば大団円。良い旅行でしたねぇ」

 

「……あの悲鳴を聞いて、よくその台詞が言えますわね」

 

四方向(・・・)から引っ張られ空港のロビーで非常に響く悲鳴を上げる士道……を、遠巻きに見ながら述べる感想がそれなのか、とフードコートの空港グルメに舌鼓を打つ白い少女を見て、狂三が呆れたような笑みで飲み物を飲む。

 

「そうですか? 男なら、美少女四人に囲まれたあの状況は役得だと思いますけど」

 

「士道さんの身体がボロボロでなければ、そうであったかもしれませんわね」

 

 〝アレ〟と〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を人の身で扱ったのだ。今の士道はさぞ、肉体的疲労がピークに達している頃だろう。それを十香、何やら包帯を巻いてボロボロの折紙、更に霊力を封印された(・・・・・・・・)耶倶矢、夕弦に囲まれどんちゃん騒ぎ。これでは嫉妬をする気も失せるというものだ。

 

「とか言いながら、ちょっと羨ましいって顔してますよ、我が女王」

 

「っ……あなたの思い違いですわ」

 

「そういう事にしておきます。良かったですね、お友達も増えましたし」

 

「ですから……!」

 

 狂三としては、そんなもの増えていないし増やした記憶もないし増やす予定もない。全く、と再び飲み物を口に含んで、ゆっくりと旅行と言うには些か苛烈すぎた出来事を思い返す。

 DEMの陰謀を阻止する事になったかと思えば、二人の精霊が同時に襲来。事もあろうに、その精霊を攻略する手助けまでする事になり……挙句、件の魔術師は落とし穴に真っ逆さま。本当に、あの方といると飽きが来ないと思えてくる。しかし、結局あの落とし穴は誰の仕業だったのだろうか? 素人が掘ったとは思えないほど深い落とし穴は、あの時の狂三にとっては時間短縮、及び霊力の温存に繋がり感謝するべきところなのだろうが……まあ、この空港で大はしゃぎしている三人娘があんなものを掘ったなど、狂三と言えども予測できる筈がなかった。

 

 そして、精霊の封印。狂三としては深入りし過ぎた、というのが本音だ。彼女の最終目的を考えれば、好ましい行動とは言えない……どちらにとっても(・・・・・・・・)。次からは士道以外への過度な干渉は、極力は控えるべきであろう――――――士道が引き出した〝精霊〟の力の事を考えても。

 

「一つ、聞いてもよろしくて?」

 

「私が答えられることなら、なんなりと」

 

「あなた、士道さんがほんの一瞬とはいえ引き出したあの力――――――〝反転〟に関してまで、予測していましたの?」

 

 士道が引きずり出した〝アレ〟を視界に収め、感じた瞬間、狂三は過去に一度だけ経験した感覚――――――〝反転〟状態と同じものを感じた。本能的に悟った、と言い換えても良い。狂三も士道も反転し切った訳では無い。狂三はともかく、士道は霊結晶を直接取り込んでいる訳ではなく、霊力の回路(パス)を通しているだけなので恐らくは完全に堕ちる(・・・)心配はない……そう狂三自身は予想するが、所詮予想は予想でしかない。感覚的な理由は、確信と言えない。だからこそ、狂三は白い少女に問いを投げかけた。

 

「……〝反転〟と言うだけあって表の〝天使〟とは表裏一体の関係。引き出せる可能性は考慮していました。まさか、あんな形で引っ張り出すとは思いもしませんでしたが」

 

「やはり、想定外でしたのね」

 

「……えぇ、私の想定が甘かった。申し訳ありません」

 

「構いませんわ。人の感情の〝ブレ〟を正確に読み取る事など、どんな御仁であろうと不可能なこと。悔いるより、あなたの見解をお聞かせくださいまし」

 

「……ん。問題ないでしょうね。所詮は、条件が重なって顕現したに過ぎない力。今は気にしても仕方なきこと。五河士道の心持ち次第、ではありますけどね」

 

「概ねわたくしと同意見ですわね。あなたがそう仰るなら、信じる事にいたしますわ」

 

 士道さんに関しては言うまでもありませんし、とさり気なく彼への信頼感を自然と口に出した狂三が、何やらジッと彼女を見つめる白い少女の姿に首を傾げる。

 

 

「何か?」

 

「……いや、私が言うのもおかしな話ですけど、そんなにあっさり信じて良いんですか?」

 

「何を今更――――――わたくしを信じる者(・・・・・・・・・)の言葉を信じずに、一体何を信じると言いますの」

 

 

 あまりにも平然と、さも常識と言うように語る狂三の表情を見て、少女は呆気に取られてしまう。豪胆、大胆、表現の方法は様々であるが……ともかく、この優しい女王(・・・・・)の姿に少女は思わず笑を浮かべた。

 

 

「……ふふっ。狂三、少し素直になりましたね。あなたの勇者様の影響ですか?」

 

「わたくしの、ではありませんわ」

 

「あら、影響を受けたのは否定しないんですね」

 

「……帰りますわよ。わたくし達は忙しい身なのですから」

 

「はぁい。仰せのままに――――――我が女王」

 

 

 ――――――こうして、颶風が巻き起こした嵐の物語は終わりを告げる。

 

 

『〈ナイトメア〉介入……ふむ、想定外な事象ではあるが、〈プリンセス〉が確かに精霊だと判明したのなら非常に大きな意義があった。ご苦労だったね、帰投してくれ』

 

「……はい。その前に一つだけ、ご質問が」

 

『ほう、なんだい?』

 

「精霊の力を扱うことの出来る人間というものが――――――存在すると思いますか?」

 

 

 しかし、〝種〟は撒き散らされた。祈り、悪意、願い。様々な物を乗せたそれは、少年と少女の戦争(デート)を更に過激な道へと誘う事であろう。

 

 

 

「――――――士道は、私が殺します」

 

 

 

 さあ、次の舞台(ステージ)はすぐそこに。休む間もなく――――――戦争(デート)は続いていくのだから。

 

 






悲願の道標=士道。士道=好きな人、というのもあり行動が士道基準になったけど、やっぱ負けず嫌いや気まぐれ屋は治らないきょうぞうちゃん。表面上は大人の対応をする彼女の内心は……?

次回からは美九編。強烈すぎる新たな精霊にちょっと普段と違った白い少女が見れるかも。そして何より何より例の美少女登場ですよ。誰とは言いませんけど、一体なに道くんが苦労するのかは言いませんけど。この主人公いつも体はってんな。

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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美九トゥルース
第三十五話『百合の歌姫』


美九編プロローグ。今回も主人公とヒロインを存分にいちゃつかせることを目標とします(選手宣誓) 前章はそれまでの反動で少し控えめでしたけど、今回は多く書けると良いなと。プレイが特殊ですけど(小声)


 

 

「くく……崇めよ士道。我らが自らこのような地へ赴いた事、光栄に思うが良いぞ」

 

「翻訳。遊びに来たので歓迎してください。してくれなければ寂しくて泣いてしまう、と耶倶矢は言っています」

 

「ちょ、違うし!! そういうんじゃないし!!」

 

「はは……」

 

隣のクラス(・・・・・)に遊びに来たと言うだけで、随分な騒ぎようだと士道は苦笑しながら仲睦まじい八舞姉妹(・・)を出迎えることになった。

 時は九月。長く、そして短くも感じる大変騒がしかった夏休みは終わりを告げ、二学期の始まりを告げる時期となった。元々、新学期に転入してくるという体で修学旅行に参加していた耶倶矢と夕弦なので、自然な流れでこの来禅高校に新学期付けで転入してきたのだった。事情を知る士道が言うのもなんだが、本当に転入生が多い学校である。

 八舞の二人はその仲睦まじさから……まあ、それが原因で二ヶ月前の騒動が起こったとも言うのだが、二人揃っていれば精神状態が安定するとのデータから隣のクラスへ転入したらしい。

 

 というわけで、早速士道のいるクラスへ遊びに来たらしいのだが……何やら、二人揃ってキョロキョロとクラス中を見渡していた。まるで誰かを探している(・・・・・・・・)ような様子に、士道は首を傾げる。

 

「誰を探してるんだ? 十香なら今は他のやつに連れられていねぇぞ」

 

「否。我が眷属は既に賛美を済ませている」

 

「疑念。狂三の姿が見当たらないようですが……」

 

「へ……」

 

 ポカンとした表情をして、彼女たちの言葉を飲み込んだ士道があーっと合点がいったという風な声を漏らす。どうやら、狂三に関してはあまり説明されていないらしい。てか、俺に丸投げしたんじゃねぇか? という疑念が浮かび上がってきた……我が妹ならやりかねない。

 

「……残念ながら狂三ならいないぞ。休学中だよ、色々あってな」

 

「む、なんだ士道。好きなおなごを繋ぎ止めて置けないとは情けないぞ」

 

「落胆。意外と甲斐性がないのですね」

 

「――――――ちょっと待った……!!」

 

 大急ぎで二人の肩を掴み、声が漏れないような距離まで詰める。先の発言でまた妙にクラスの視線が痛い。いやそんな事より、本当にそんな事より! 士道としては聞き逃すわけにはいかない発言が飛び出してきた。ここであー聞き間違えだなー、なんて聞き返せる図太い精神を彼は持ち合わせていなかった。

 

「なんだ急に。案ずるな、たとえ士道に甲斐性がなくとも我ら八舞の共有財産である事は揺るがんぞ」

 

「そういう話じゃねぇからな!? てかなんで知ってるの!? 俺言ってないよな!?」

 

「驚愕。気づかれていないと思っていたのですか?」

 

「…………嘘だろおい」

 

「いや、逆になんで気づかれてないと思ったの? あんた狂三の事あんなに好き好きオーラ出しまくってるのに」

 

 素に戻った耶倶矢の呆れを含んだ純粋な顔と言葉が、深く士道の胸に突き刺さった。まさか、常に仲睦まじくイチャついている八舞姉妹にそんな事を言われてしまうほど、自分がそんなオーラを出してしまっているとは露ほども思っていなかった。

 更に、夕弦が仕方ありません、みたいな表情で鋭い追撃を仕掛けてきた。

 

「白状。実は士道の告白シーンを収めた映像を、密かに拝見しました」

 

「凄かったわよ。素敵な告白だったけど、見てるこっちが恥ずかしくなっちゃったし」

 

「こ・と・りいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!!!」

 

 犯人特定。状況証拠と直感による士道名探偵の推理が冴え渡る。冴えわたったところで、彼のプライベートが平然とぶちまけられた事をなかったことには出来ないのだが。

 酷い、黒歴史をぶちまけられるより遥かに酷い。修学旅行が終わってから、妙に士道の体調を気にするようになったと思えばこの仕打ち。やはり愛する妹は悪魔か鬼であった。というか、どういう意図でそうなったのだ。

 

 ……新学期早々、心に深い傷を負った五河士道であった――――――新たな精霊との出会い、そして危機が迫っている事を知らぬまま、日常は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

「天央祭。天宮市内、十の高校が合同で行う文化祭。天宮スクエア大展示場を三日間貸し切って行われる、文化祭とは名ばかりの街全体の一大イベント」

 

「あなた、誰に向かって仰っていますの?」

 

「勿論、我が女王へ向かってですが」

 

 多分、ローブの下では笑っているんだろうなぁという事が手に取るように分かって、若干の呆れとイラッとした感情が湧き上がるが顔には出さないでいられた。

 別に少女の言いたい事が分からない訳では無いし、狂三とて天央祭の存在は知っている。知っているが、毎回毎回の当然の流れのようにえ、行かないんですか? 彼と? みたいなセリフを言われると精霊反論したくなってくるものだ。

 

「……まあ、士道さんと文化祭を回れたら良いとは思っていますわ。勿論、他意はなくあの方を落とす(・・・)為に、ですわ。えぇ、えぇ、他に理由などありませんわ」

 

「我が女王、今さら私の前でデレかけのツンデレみたいな事をされても困ります」

 

「どこでそんな言葉を覚えてきますのあなたは……!」

 

 そりゃあ、狂三としては士道と文化祭を回れたらと思っている。あの方と学園の出し物を回り、色んな会話をしながら楽しむ。それはもう、妄想するだけで期待に……ゲフンゲフン。そうではなく、士道をこの手で落とす(デレさせる)にはこれ以上なく絶好のイベントと言えた。出し物や文化祭準備の様子を分身体に探らせなければ、ともはや私情丸出しの指示を出してしまうくらいには本気だった。

 

 とはいえ、それだけにならず〝別件〟で分身体を動かしている方が本命だ。

 

「そんな事より、DEMの動きは如何ですの」

 

「きな臭いですね。ASTの実行部隊に、かなり強引な編入がなされてます。本格的にちょっかい出して来そうですね」

 

「ちょっかい程度で済むなら安いものですわ。そうでない可能性の方が高いのですから――――――狙いは、十香さんと士道さん(・・・・)ですわね」

 

 言葉による返事はない。が、縦に首を振る仕草だけで狂三と少女の予測は同じであると分かる。〈プリンセス〉と学校に通う夜刀神十香が同一存在である。この事実がDEM側に知られているのは確定的に明らかである。元々、事態がが長引けば遅かれ早かれ知られていた事だ。しかし、もう一つの要素……士道に関しては狂三からすれば苦い顔をせざるを得ない。

 士道が見せた〝精霊〟の力。DEMからすれば、人の身で〝精霊〟の力を扱う者など喉から手が出るほど欲しい人材であろう。たとえそれが、正規の手段ではなかろうと推し進めるのがDEMインダストリーという組織なのだ。

 

「渡すわけには参りませんわ」

 

「私としても大変不都合です。個人的な感情で言わせて貰えば、不快と言っていいかもしれません」

 

「あなたがその様な物言いをするのは珍しいですわね。DEMインダストリーがお嫌いなので?」

 

「正体を知って、好きな人は正気じゃないと思うくらいには」

 

「奇遇ですわね、わたくしもですわ」

 

 渡さない、渡してなるものかと狂三は不敵に微笑む。彼に目をつけたのは自分が先だ。彼の全てを奪うのは――――――この時崎狂三だけの権利なのだ。他の、誰にも譲るつもりは無い。

 

 向こうが裏側から襲うというのなら、それはこちらの領分となる。存分に――――――邪魔をして差し上げようではないか。

 

「取り敢えず、出来ることならさっさと諦めてもらって、お帰り願うのが一番の本命ですね。我が女王の文化祭デートの為にも」

 

「うふふ、言われずともおじゃま虫は早めに叩いておくに限りますわ。士道さんとはその後にゆっくり――――――」

 

 瞬間、マンションのガラスを震わせる空間震警報(・・・・・)に二人の表情はなんとも言えないものになった。

 

「……あー、狂三。まだ五河士道と文化祭を回れないと決まったわけじゃないですから……」

 

「……そうですわね」

 

 優しい慰めが辛い。多分、会うにしてものんびり文化祭を回るという普通のデートは難しいだろうなと空間震警報を聞いて狂三は悟った。なんてことは無い――――――乙女の勘、というやつだった。空間震警報をこんな理由で残念がる精霊も、恐らく狂三だけだろう。

 

 

 

 

 

「……歌」

 

『歌、ですの?』

 

 空間震が引き起こされた現地にたどり着き、まず精霊の聴力が拾ったのはその〝歌声〟であった。

 

「えぇ、歌です。今、狂三が聞こえる位置まで走ります」

 

 少女が軽く跳躍する。それでけで人では登ることすら時間がかかる場所まで、容易く一息にたどり着きあっという間に天宮アリーナの内部まで侵入した。少女が捕捉される心配など元より皆無ではあるが、空間震の影響で人っ子一人いないため誰にも見られることなくたどり着くことが出来た。

 

 ――――――歌姫が、いた。

 

「あれは……」

 

『あら、あら……悪くない、歌声ですわね』

 

 伴奏があるわけではない。マイクがあるわけでもないし、特別な演出が見て取れるわけですらない。しかし、彼女の――――――紫紺の髪と銀色の瞳、そして〝霊装〟を纏った〝精霊〟の歌声は、万物を魅了するのではないかと、その様な不思議な力強さと美しさを兼ね備えたものだった。それこそ、狂三がつい本音を漏らしてしまうくらいには、非の打ち所のない見事な独唱であった。

 

 そんな万人が聞き惚れるであろう声を止めたのは、缶を蹴っ飛ばしたかのような甲高い音だった。

 

「……ん。五河士道ですね」

 

『きひひひ。士道さんらしい登場ですわね。お手並み拝見ですわ』

 

 大方、暗い中でゴミでも蹴ってしまったのだろう。だが、歌を中断した精霊の歌姫は特に気にした様子もなく、音を出した士道へのんびりとした声で呼びかけていた。どうやら気分を害したわけではなく、来客に興味を抱いたようだった。〈ラタトスク〉側としては幸運であろう。

 

 十香、四糸乃、琴里、八舞……数々の精霊を封印してきた士道だが、こういう形で接触を測るのは四糸乃以来という事になる。狂三の言う通り、一癖も二癖もある精霊を相手にしてきた彼のお手並み拝見といったところか。

 程なくして、士道がステージへの階段を上がり精霊の元へたどり着く。恐らく、インカムからいつもの指示が飛ばされたのだろう、言葉を紡いで――――――両者(・・)の様子が変わる。

 

「……何か、様子が変ですね」

 

『挨拶したばかりですのに、一体何をして――――――』

 

 狂三の言葉の途中で、精霊が息を大きく吸い込んだのが見えた。それも、強烈な敵意(・・)を持った目で士道を睨み付けながら〝霊力〟を込めた動作で。

 不味い。少女が一瞬そう考えた時、精霊が〝声〟を解き放った。

 

 

「――――――わッ!!!!!」

 

「ぐあッ!?」

 

『士道さん!?』

 

 

 〝音圧〟。ただ一声、少女がいる上の場所まで衝撃波が届くような音の壁(・・・)。その不可視の圧力が、士道の身体を軽々と吹き飛ばした。狂三の悲鳴に思わず少女が身を乗り出し神速を持って彼を救おうとしたが……まだ、早かったようだ。咄嗟に手を伸ばした士道は、ステージの蓋にしがみつくように何とか場に留まることに成功した。

 それを確認した事で安堵の息が耳元から聞こえ、少女も釣られて息を吐く。精霊とひとくちに言っても千差万別ではあるが、人がいると分かり自ら誘ったのに、いざ人が見えたら攻撃するなど流石に少女からしても想定外な行動だった。一体、ものの数分の間にどんな心変わりがあったというのか。

 

 

「――――――え、なんでしがみついてるんですかぁ? なんで落ちてないんですかぁ? なんで死んでないんですかぁ? 可及的速やかにこのステージからこの世界からこの確率時空から消え去ってくださいよぉ」

 

「……ん。我が女王――――――」

 

『残念ながら耳がおかしくなったわけではありませんわね』

 

 

 少女の思考は先読みされていたらしい。女神のような微笑みと、そのセリフのギャップがあまりにもあり過ぎて少女は己の難聴を疑ったのだが、狂三も同じように聞こえたようだ。

 

 心変わり、なんてレベルではない。好感度が地獄の底まで突き抜けているような感じだった。

 

「え、えと……今――――――」

 

「何喋りかけてるんですかぁ? やめてくださいよ気持ち悪いですねぇ。声を発さないでくださいよぉ。唾液を飛ばさないでください。息をしないでください。あなたがいるだけで周囲の大気が汚染されてるのがわからないんですかぁ? わからないんですねぇ?」

 

「……人嫌い、ですかね?」

 

「えっと、き、君は――――――」

 

「人の言うことを聞かない人ですねー。一刻も早く消えてくれませんかぁ? あなたの存在が不快なんですぅ。なぜ私があなたの手を踏みにじってあなたをステージから落とさないかわかりますかぁ? たとえ靴底であろうとあなたに触れたくないからですよー?」

 

『でしたら、音がした時点で誘う事などしない筈ですわ。それにしても、人畜無害なお顔をしていらっしゃる士道さんがなぜ……』

 

 尽く士道の言葉は遮られ、もうギャップとかそんな次元ではないものが吐き出されていく中、冷静な考察を二人は行う。さり気なく惚気というか狂三の補正がかかったとしか思えない発言はスルーした。と言うより、次に起こった出来事によってスルーせざるを得なかった。

 

 妙な音が外から漏れ出た――――刹那、衝撃と共にアリーナの天井が崩壊した。

 

「……AST」

 

『折紙さんもいらっしゃいますわね――――――あら、余計な来客がお見えになられましたわ』

 

 ASTがいつもの装備を纏い精霊を囲い込むように展開していく。その中に、謹慎処分が解けたのだろう折紙……そして、狂三の言う余計な来客(・・・・・)である欧米人がいた。一人や二人ではない、国内の部隊という事を考えればありえない数だ。

 と、囲まれたにも関わらずさして焦った様子を見せることなく、それどころか歓喜の表情(・・・・・)で目を輝かせた歌姫の精霊が声を発した。

 

「まぁ、まぁっ! いいじゃないですかー。すばらしいじゃないですかー。そうですよぉ、お客様といったらこうじゃないとぉ!! ああ、そうですねー、特に――――――ねぇ、あなた私の歌を聴きたくないですかー?」

 

「――――――ッ!!」

 

 音を鳴らし、歌姫の姿が消える。精霊の力を利用した彼女が次の瞬間に現れたのは、鳶一折紙の背後。甘く、甘く、万人を蕩けさせる声が折紙の耳元で囁かれ――――――彼女が光の剣を振るう。

 

「ああん、いけずぅ」

 

「……な、なんですか〝アレ〟」

 

 囁かれた折紙はポーカーフェイスを保ってこそいたが、不快だったのか精霊へ連続攻撃を仕掛ける。だが、精霊は楽しそうな表情のまま見えない壁で連撃を難なく受け止めていた。少女が気になったのはそこではなく、違いすぎる対応(・・・・・・・)の方である。

 

『ああ、ああ。そういう事ですのね』

 

「……え、分かったんですか? 今ので?」

 

『あそこまで露骨なものなら、逆に分かりやすいですわ。しかしそうなると……厄介ですわ、厄介ですわ。今までで一番の難物と言えるかもしれませんわねぇ』

 

 相も変わらず察しが良すぎる狂三は何か分かったようだが、少女は頭の中に疑問符を何個も浮かべる結果にしかなっていない。理解が追いつかない、というのが正しいかもしれない。何せ元々知っている、記憶にある(・・・・・)感情論ならまだしも、あんなにもジェットコースターな対応の違いは初めて見た。だって精霊が折紙に向けた感情は……その、いやしかし……と少女の頭がパンク仕掛けた時、赤髪の欧米人が士道の存在に気づいた(・・・・)

 

「あれハ……」

 

「……ちっ。気づかなければ良いものを」

 

 小さく舌打ちして、少女は思考を切り替えていつでも飛び出せる体勢になる。やはり気づいたのだろう、赤髪の女が同じ目的を持つ仲間と通信をして士道へ向かって突撃した(・・・・)。一般市民を保護する、とかそんな生易しい表情ではない。アレは対象を捕獲(・・)しようとか、そういったものだ。

 

 巨大なスタンロッドを引き抜き、彼へ迫る――――――瞬間、間に入ったのは白髪の少女だった。

 

 

「流石――――――そうだと思いましたよ!!」

 

 

 神速が駆ける。赤髪の女と折紙の武器がぶつかり合い、火花を散らした刹那の時間を使い、白い少女がステージに掴まっていた士道の身体を掴み取り、駆け抜ける。予想通りだ、鳶一折紙なら事態を把握出来ずとも必ず五河士道を助けるために動く、その確信があった。お陰で、気づかれることなく彼の安全を確保出来る。

 

「ぐ……ぁ!? お前……!」

 

「喋ると、舌噛みますよ!!」

 

 駆け上がる。人間一人を背負ったところで、少女の神速は揺るがない。一度ステージの下まで降りたかと思えば、士道が強烈な加速の圧力に目を瞑った時には少女の身はステージ内部にはない。一瞬、夜の空に身を躍らせながら残された屋上を足場に、一気に駅前広場までノンストップで到達して見せた。

 多少荒っぽくなったが、あの場にいるよりは安全だろう。

 

「……ご無事で?」

 

「っ、はぁ……ああ、何とか」

 

「それは良かった。御身に何かあれば我が女王に叱られてしまいますから」

 

『余計な事は喋らなくてよろしいですわ……!』

 

 もう怒られてしまった。少女としては素直に士道の事を心配している、と告げた方が好感度的にも良いと思ったのだが。

 

「〈アンノウン〉……で、いいのか?」

 

「お好きなように。私に名など意味の無いものですから」

 

 どう呼ばれようと構わない、興味が無い。そんな物言いの少女に士道が表情を歪める。何か言いたそうであったが、少女にとっては自らの事は本当に意味の無いもの(・・・・・・・)なので、彼の表情の変化に首を傾げる。

 

「……何か?」

 

「…………嫌じゃないのか、こんな名前で呼ばれるの」

 

「特には。どう呼ばれようが、私にとっては意味の無いことです。それに、最後には――――――」

 

「最後、には……?」

 

「……ん。なんでもありません。それより、早く五河琴里の元に帰るべきです。ここにいては、戦闘に巻き込まれる可能性があります」

 

「あ、ああ。助けてくれてありがとな」

 

 少女が言及した危険性は向こうも理解しているのだろう。程なくして、〈フラクシナス〉の転移装置が作動し士道の姿が消えた。

 

『……ご苦労さま。戻ってきてくださいまし』

 

「了解です」

 

 ふぅ、と息を吐きアリーナ方面を見遣る。あちら側では、未だ精霊とASTの戦闘が続いていた。しかし、士道がこの場を去った以上、今日の邂逅はお開きという事になるだろう。

 歌姫の精霊の豹変、DEM側の動き。考えなければならない事が一気に増えたように感じる中――――――少女が思い返すのは、五河士道の言葉だった。

 

 

「名前、かぁ――――――」

 

 

 その名称は大切なもの。人物を表すもの。ある人は親から、ある精霊は大事な存在(・・・・・)から与えられた物。生涯、存在する上で名乗るべきもの。だが、だからこそ――――――白い少女には、やはり持つ事が出来ぬものだった。

 

 

 

 

 








なに人の獲物に手を出してんじゃゴラァ(訳:士道さん大好きなので横取りは絶対許さん)

新たな精霊、常に意識をしている狂三がいる中で、士道くん白い少女に気を回すことが出来るのか。こうして書くとなんだか難易度高そうに見える。

次回、謎の美少女降臨。一つだけ言っておくと特殊プレイな絡みになって書いた本人が困惑しました。

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第三十六話『平行線』

真新しい感情に戸惑う少女。そして二人の攻防戦


「……あの精霊、〈ディーヴァ〉について詳しく、と言っていいのかは分かりませんが……色々と判明はしました」

 

「珍しく歯切れが悪いですわね」

 

 少女にしては珍しい言い淀んだ口調に、報告を受け取る狂三が首を傾げた。歌姫の精霊、〈ディーヴァ〉との邂逅からそう間を開けず情報が舞い込んできた。

 狂三はDEM側を、白い少女は〈ディーヴァ〉側を当たっていたのだが、言ってしまえば精霊の方は〈ラタトスク〉が集めた情報が大半のようだ。無断で悪いとは思うが、ここは存分に組織としての諜報力にあやかるとしよう。〈ラタトスク〉の司令官様が聞いたら何してんのよ、と青筋を浮かべそうな事をしでかしている二人であった。

 

「……ん。見たことないくらい個性的な精霊でしたので……少し戸惑ってるんですよ私も」

 

「あなたでもそういう事がありますのね。まあ、なかなかに個性的な方ではありましたが」

 

 いつものように微笑みを浮かべる狂三。彼女にとってはあのレベルでさえなかなか(・・・・)であるらしく、豪胆というか慣れている彼女の態度に改めて少女は苦笑してしまう。〈ラタトスク〉が調べ上げた中身は、かなり(・・・)驚くべき内容であった。少女にとっては未知(・・)と言い換えるべきかもしれない――――――〝対応〟を含めて。

 

「では、〈ディーヴァ〉……改め、誘宵美九の来歴を」

 

「誘宵美九さん……確か、アイドル(・・・・)の方ですわね」

 

「……ご存知でしたか」

 

「えぇ、わたくしも名前くらいは聞いた事がありますわ」

 

 とはいえ、狂三が誘宵美九を知ったのは最近になってのこと。具体的には、雑誌やTVの情報などを少し気にするようになってから。もっと具体的に言えば、今日の運勢、特に恋愛運(・・・)やその他諸々を気にし始めてから必然的に名前を見る機会が増えた。なぜそんな事を気にし始めたかは――――――閑話休題。とにかく、ジャンル違いであるにも関わらず狂三が名前を知っているほどの有名人が誘宵美九であり……〝精霊〟である。

 

「……なぜ精霊がアイドルをしているかは知りませんけど、デビューは半年前。『聞く麻薬』なんて言われるくらいの声で驚異的なヒットを連発。しかし、一度たりとも雑誌などには姿を見せた事は無い、写真すら皆無……らしいですよ」

 

「そのような方をよく特定できましたわね」

 

「……ライブの盗撮映像を相当苦労して手に入れたようです。〈ラタトスク〉のクルーの方がね」

 

「それは……労わるべき、なのでしょうか?」

 

「さあ……?」

 

 二人揃って首を横に倒す。前々から思っていたが、あの組織のメインクルーはどの方も強烈過ぎてどう言うべきなのか迷ってしまう。それをまとめ上げている五河琴里は大したものだと思うが。

 

「……とにかく、〈ディーヴァ〉と誘宵美九が合致したお陰で色々と判明しました。五河士道を見た瞬間に態度を変えた理由と、鳶一折紙を見た瞬間にまた態度を変えた理由が」

 

 塩対応なんて次元ではない。ジェットコースターもビックリな態度の違い。その理由を知った時、少女は困惑を隠す事が出来なかった。何せ、本当に初めての経験(・・・・・・)であるのだから。

 

「……誘宵美九は男嫌いで、近づくことすら嫌になるくらいなそうです。シークレットライブでは、女性ファンを限定として……尚且つ、噂レベルですが気に入った女性ファンを……その……持ち帰って……」

 

「言い難いなら結構ですわ。要は、美九さんという方は女の子が大好きで堪らない、という事なのでしょう?」

 

 コクリ、と言葉を途切れさせた少女が頷く。

 まさかの百合っ子(・・・・)。別に個人の嗜好に四の五の言うつもりはないが、これは困った事になったなと狂三は頬に手を当て内心でため息をこぼした。ついでに言えば、珍しく唸って悩む様子の少女のケアも必要だなと思考する。

 

「わたくしには、そういった趣味はありませんが……あなたは美九さんに嫌悪感を抱いてしまいましたの?」

 

「……いえ、そういうわけじゃないんです。ただ、その……驚き、というか困惑といえばいいのか。受け入れる事は出来るんですけど、私の中で〝恋〟というのは男女がするという強烈な〝記憶〟があるもので」

 

 上手く言葉に出来るわけではない。少女は誘宵美九の生き方を否定するつもりは更々ない。そういう生き方もある、という事だって知っていた。だが、対面するとどうにも知識の偏りが強いのか受け止めるまで時間を要してしまう。

 そこまで考えて、気づく。この偏り(・・)の原因は二つあって。一つは記憶の中にあるが、もう一つは今目の前にいる人物のせいである事に。

 

「……冷静に考えたら、この奇妙な偏りは我が女王のせいです。えぇ、えぇ、あなた達があんな強烈な恋愛をしたせいで、熱烈な男女の恋が私の固定概念になってしまったんです」

 

「わたくしに責任転嫁しないでくださいまし。大体、わたくしと士道さんの恋愛は普通…………とは言えませんが、健全なものですわ」

 

「……デートで命の取り合いは健全な恋愛から外れると思うんですけど。世界一ややこしい恋愛だと私は思います」

 

「それこそ固定概念ですわ。健全ですわ、平和的ですわ。わたくしにとっては」

 

 そりゃあ、問答無用で五河士道を取り込む選択をするよりは遥かに平和的ではあった。しかし、結局は健全でもましてや平和では全くない戦争(デート)だと少女は思った。提案した手前、強くは言えないのだが。

 

「……まあ、恋愛談議はともかくとして、お陰で上手く受け入れられそうです。感謝します、我が女王よ」

 

「この感謝のされ方、あまり嬉しくありませんわね……」

 

 複雑そうな狂三を見ながら、少女は笑う。知っている二つの〝恋〟事情があまりに強すぎて、奇妙な固定概念を気づかぬ間に植え付けられていたらしい。原因さえ自覚できれば、後は折り合いをつけて受け入れられそうだ。元より、誘宵美九の女性へ向けた感情を否定する気は全くなかったが、自分の中の違和感は消しておくに越したことはない。

 

 ただし否定はしないが、五河士道が精霊を〝攻略〟するに至っては恐ろしく問題しかなかったりする。

 

「しかし、士道さん達はどうされるのでしょうね。男性を拒絶する原因はともかく、ああも頑なではいつものようにとは行きませんわ」

 

「……ん。その事でしたら解決しています…………こっちの方が余っ程、狂三に言い辛いですが」

 

 多分、やっているご本人のが一番知られたくないと思っているんだろうなと少女は予想する。小声で呟く少女に、狂三が不思議そうな顔をして待っている。

 男ではダメ。しかし、五河士道でなければ精霊の封印を行う事は出来ない。普通なら思考停止で詰みだ――――――幸いか、悲劇か。ここに来て、狂三が世辞抜きで語った〝人畜無害〟な顔が幸をそうしたと言えるし、士道にとっては悲劇だったとも言える。狂三にとっては……残念ながら、少女の頭では予想すら出来ない。

 

 

「女の子です」

 

「はい?」

 

「……五河士道が――――――〝女装〟して誘宵美九に接触しています」

 

 

 連絡用端末、もとい撮影用端末を握りしめて躊躇い一つなく部屋を出て行った辺り、適応力は大したものだと感心して、少女はポツリと呟いた。

 

 

「……我が女王を特殊な趣味に目覚めさせないでくださいね、五河士道。いや――――――五河士織(・・・・)さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「は――――ぁ…」

 

 ため息一つこぼす事すら違和感を感じる。自らが出す女の子の声(・・・・・)。うっすらと化粧を施された顔、伸ばされた長い髪。これが他人ならば、美少女なんじゃないかと言えるほどのものだったろうに。自分自身(・・・・)というのがとにかく笑えない。

 

五河士織(・・・・)。それが彼、五河士道が新たに名乗っている氏名である。叩き込まれた化粧技術、〈ラタトスク〉特性某名探偵ばりの絆創膏型変声期。それらを駆使し、士道は完璧なまでに高校生少女へと変貌していた。全ては、男嫌いの誘宵美九を〝攻略〟する為に。

 

 理解も納得もしている。琴里への恨みはあるが、精霊を救う事を諦めろとはなるわけが無いので仕方がない。ではなぜ、学校の屋上で一人黄昏てるのかと言えば、一つは自らの短気な行動が引き起こした事態の自己嫌悪。もう一つは、こんな姿をあの子(・・・)に見られたらどうしようという、もう何度目かとなる考えで――――――

 

 

「――――――っ!!!!」

 

 

 ――――――警報。空間震警報ではない、士織もとい士道の頭の中だけになる警報。普段は警報でもなんでもなく、〝彼女〟が近くにいると分かる、分かってしまうと言うべき原因不明の代物なのだが、今は緊急警報にも等しい感覚だった。

 

「や、や……やべぇ……!!」

 

 屋上では隠れる場所がない。しかし手を拱く暇はなく咄嗟に出入口が見える付近へ身を隠す。彼が彼女を隠れてやり過ごそうとするなど前代未聞。士道の事を知る人物が聞けば、正気を疑われて緊急検査を実行されるくらいの異常事態。が、今の彼は〝五河士織〟であるため本人からすれば当然の行動である。

 十香、折紙、耶倶矢、夕弦、そもそも発案者の琴里。四糸乃……は、あの純真無垢な瞳で見つめられてはかなり厳しいかもしれないが、まだこの姿を見られてもなんとかなる、立ち直れる。けど、彼女だけはダメだ。絶対に、断じて、この姿を見られるわけにはいかない。

 

 ちなみに、冷静に考えれば彼女に知られていない確率の方が低いのだが、士道は僅かな可能性に縋っていた。

 

「…………来ない、のか?」

 

 ソっと屋上の出入口を覗き込む。少し待ってみても、扉が開く気配はなかった。士道に分かるのは彼女が近くに〝いる〟という確信だけで、彼女がどこにいるのか、離れたのかまでは分からない。

 だからそう、これも冷静に考えれば分かる事だった。彼女は常に神出鬼没だと。

 

「こちらですわ」

 

「へ――――――」

 

 声の方向、つまり後ろを向くと機械音が響く。携帯端末で撮った音、要は写真である。さぞ、美少女となった自分の間抜け面が収められていることだろう。

 

「お元気そうですわね士道さん……いいえ、士織さん(・・・・)とお呼びするべきかしら?」

 

「ぁ……ぁ、あ……」

 

 端末を両手に、ニッコリと可憐な笑みを見せる女の子。世界がひっくり返ったとしても、その圧倒的な魅力は揺るがないであろうと言える少女。黒を基調とした服装は変わらず、二つに軽く束ねられた黒髪も既に見慣れたものだった。

 

 彼女の、狂三の姿を見た瞬間――――――

 

 

「み――――――見ないでくれぇ……!」

 

 

 士道は、情けないとは思うがじわりと涙目なり、それを悟られぬよう背を向けて地面に丸まってしまう。

 

「し、士道さん? 如何なさいましたの?」

 

「ぅ、うう……狂三にだけは見られたくなかったのにぃ……」

 

「……ああ、ああ」

 

 そういう事か、と頭隠して尻隠さずな士織ちゃん状態の士道を見て狂三は納得する。変な勘違いをすること無く、彼女は士道の言葉の裏を正確に(・・・)読み取る。

 狂三にだけは見られたくなかった――――――そんな可愛らしい(・・・・・)事を考えている士道を微笑ましく思いながら、ガタガタと震えながら丸くなる彼を……狂三は、優しく抱擁した。

 

 

「そのような事、言わないでくださいまし」

 

「……けど、こんな格好――――――」

 

「これも精霊を救うため、なのでしょう? でしたら、あなた様は胸を張るべきですわ」

 

「狂三……」

 

 

 この女装は半ば強制ではあったが、狂三の言葉は何よりの慰めとなった。首元に回された腕に恐る恐る……彼女も、それを拒まない。甘い香りが、士道の心を癒していく。

 他の誰でもない、狂三にだけは(・・・・・・)見られたくなかった。精霊を救うために恥を忍んで女性に扮した少年が、誰より時崎狂三という好意を抱く(・・・・・)少女にだけは。

 

 特権だ、これは。どんな精霊にさえ、優しさをもたらす少年が狂三を〝特別〟と思ってくれていること。言葉だけではなく、彼の行動全てが物語っている。好きな人に(・・・・・)嫌われたくないと、そう思ってもらえて嬉しく思わないわけがない。だってこの感情は――――――狂三も同じであるのだから。

 

「嬉しいですわ、愛らしいですわ。士道さんは、わたくしに嫌われたくないのですわね」

 

「……当たり前だろ、そんなの」

 

「えぇ、えぇ。その通りですわ、その通りですわ。ねぇ、愛しい愛しい士道さん。わたくしの、士道さん」

 

「……っぁ」

 

 耳元で囁かれる、蠱惑の声。ゾクゾク、とした感覚が全身を通り抜けて――――――耳を甘噛みされる。

 

 

「ひゃっ……!?」

 

「あら、あら。いけませんわ、いけませんわ士道さん。そのような可愛らしいお声を出されては、本当にいけませんわ」

 

「お、お前……」

 

「そのような事をされては――――――食べたくなってしまいますわ」

 

 

 ゾクリと、狂三の言葉が全身を駆け巡る。身を震わせたのは、恐怖ではなく歓喜(・・)。時崎狂三という少女に全てを委ね、全てを奪われてしまう悦楽の感覚。

 果たしてどちらの意味なのか(・・・・・・・・・)。どちらにしろ、どっちであろうと、士道が喜びの感情を抱いているのは事実。これに身を委ねることが出来たのなら、どれだけ幸せな事なのだろうか。困った事に、そう思ってしまう自分がいて――――――少女との勝負(・・)を降りる気はない少年も、また存在していた。

 

 

「そりゃ――――――困っちまうなっ!!」

 

「――――――あら」

 

 

 変わる。強引に、けれどしなやかに体勢を変える。くるり、振り返った士道が狂三を倒すように(・・・・・・・)優しく身体を押す。

 士道が上で、狂三が下。抵抗する素振りを見せず、組み敷かれる形になった狂三は、それでも微笑んでいた。全てを受け入れる、そう言わんばかりの微笑みと、仄かに赤く染まった表情。あまりに扇情的な姿に、ゴクリと喉を鳴らす。しかし、士道も止まらない。

 

 

「俺も……そんなこと言われたら、狂三を食べたくなっちまった(・・・・・・・・・・)

 

「っ……それは、素敵ですわ。情熱的、ですわ」

 

 

 僅かに見せる躊躇いは、果たしてどちら(・・・)なのだろうか。多分、何を考えていようと狂三は拒まない(・・・・)。今この瞬間、彼が少女の服に手を伸ばしたとしても、それを拒絶するどころか受け入れてしまうのであろう。

 許容量を遥かに上回る興奮に、凄まじい勢いで高鳴る心臓の音がうるさい。広大な空の下、聞こえてくるのは二人の息遣いと、金の瞳が奏でる時の音だけ。他には何も聞こえない、感じない。

 

 

「好きだ」

 

「えぇ。わたくしも、好きです」

 

「大好きだ」

 

「同じですわ。大好きです」

 

「愛してる、狂三。だから――――――」

 

「愛していますわ、士道さん。ですから――――――」

 

 

 好きだから、好きすぎて、足りない。

 

 

「お前の全て(・・)を、俺に捧げてくれ」

「あなた様の全て(・・)、わたくしに捧げてくださいまし」

 

 

 足りなくて、求めて、欲して、それでもなお、想い合う。互いの命を取り合う、歪な愛の戦争(デート)は――――――強すぎるが故に、決着がつかない。

 見つめ合い、どちらからともなく笑う(・・)

 

「まあ……そうなるよな」

 

「えぇ、えぇ、そうなってしまいますわ。士道さんは本当に強情ですわね」

 

「こっちのセリフだっつーの」

 

「うふふ。ああ、それと――――――よく似合っていますわ。し・お・り・さ・ん」

 

「……その褒められ方は、あんまり嬉しくねぇなぁ」

 

 

 

 





少女が抱いた感情は嫌悪感とかそういうものではなくあくまで戸惑い。強烈な印象を残す目の前の愛と記憶にある愛が強すぎるが故の戸惑い。ぶっちゃけて言えば少女は狂三以外の感情予測は特定方面以外鈍いです。ともすれば自分のものでさえ。

好きだと知って、好きだと分かって、故にどこまでも平行線で、それを楽しんでいる二人。その果てにはあるものとは。真面目に語りましたけどまさか士織×狂三を書くとか最初は考えてもいませんでしたね。特殊プレイ過ぎるでしょ普通見ないわこんなの。そもそも原作を狂三ルートに変えて書いてる物好きがいなry

感想、評価などなどいつもありがとうございます! どしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第三十七話『白の加護』

ちょっとした箸休め回……かもしれない。


 

 

「つまり、こういうことですの?」

 

 トントン、と靴音を鳴らすと士織もとい士道が分かりやすく肩を揺らす。小動物のようで大変可愛らしい仕草なのだが、彼の悩みの中身を聞いた後の狂三は可愛らしさ半分呆れ半分といった表情だった。

 

「士織さんは無事、美九さんと接触する事に成功した。しかし、美九さんの言動に怒り頭に血が上った士織さんは、琴里さんの静止を振り切り精霊に対して〝嫌い〟と啖呵を切ってしまう」

 

「はい」

 

「その結果、美九さんの得意分野、美九さんの土俵で勝負を受ける事になり、負けてしまえば十香さん達、封印された五人の精霊全てが彼女の物になる。これでよろしいですわね?」

 

「……はい」

 

「士道さん」

 

「…………はい」

 

「向こう見ずも程々に……そう申し上げましたわよね、わたくし」

 

「申し開きもございません」

 

 士織の姿で土下座するのは二度目なので、非常に美しいフォームであった。ちなみに、一度目は司令官様含めた〈ラタトスク〉のメンバーに向かってである。その時は反論は行なったが、全面的に士道が悪いので無事に言い負かされた、いつもの事である。今回は、狂三のありがたい忠告を完全に投げ捨てた上での事なので文字通り弁解の余地はない。

 というか、狂三と勝負するだけに飽き足らず今度は別の精霊と喧嘩腰で勝負するなど、行き当たりばったりで生きていると思われても仕方がない。

 

「……まあ、士道さんが怒る理由も分かりますわ。わたくしが言えたことではありませんが、なかなかひねくれた倫理観をお持ちの方ですわね」

 

「や、やっぱり狂三もそう思うよな!?」

 

「だからと言って、出会ったばかりの時期に短気を起こして言うべき言葉ではありませんけれど」

 

「……ぎゃふん」

 

 上げた頭を再び前に倒した。理由は納得してもらえたが、琴里と全く同じ正論の刃で斬り伏せられてしまった。

 士道とて今回の件で琴里たちに相当な迷惑をかけ、精霊たちまで巻き込んでしまった結果になったのは反省している。しかし、どうしても我慢ならなかったのだ。

 

『また私好みの女の子を探す手間がかかっちゃいますしー』

 

『ほら、彼女、私のこと大好きですしー、私のために死ねるなら本望じゃないですかー?』

 

 誘宵美九という精霊を一言で語るのなら〝異質〟だった。自らがその場で歌いたいから(・・・・・・)と空間震を引き起こし、自らの為に周りの少女が死んだとしても幸せな事だと本気で思っている。

 自らがやっている事を自覚し、命の重みを知り、それでもなお狂気に身を浸していた狂三とはまた違う。悪意など、ましてや殺意すらない。目的すらないのかもしれない。ただ、それが当然である(・・・・・・・・)という価値観を美九は持っていた。

 

 誰もが自分に逆らわない。誰もが自分を肯定する。だから、言ってやりたくなった。悪い事を悪いと自覚出来ていない誘宵美九という悲しい精霊に、誰もがお前の思い通りになるわけじゃないと、誰でもない俺がお前を否定する(・・・・・・・・・)と。

 

「……けど、否定するって、美九に言ったこと自体は後悔してないんだ」

 

「そうでしょうね。救いようのない、こんなわたくしでさえ救いたいと仰る士道さんですもの」

 

「救いようのない、ってところは反論するぞ」

 

「うふふ……」

 

 自虐するような物言いにムッとした表情の士道が反論する。自らのことではないというのに、お優しい方だと手を後ろに組んで彼を見遣り狂三は微笑む。

 向こう見ず、と苦言を呈しこそしたが気持ちは――――――少し不本意ではあるが、恐らくこの方の妹と同じであった。

 

「わたくしは……士道さんの熱い想いを好ましいと思っていますわ」

 

「へ?」

 

「そのままの士道さんでいてくださいまし、という事ですわ」

 

「お、おう……」

 

 少し照れたように頭をかこうとして、ウィッグだと言うことを思い出したのか慌てて頬を掻き誤魔化す。あんなにも大胆な事をした後なのに、こういった純情な所もまた好ましいと狂三は笑みを深めた。

 〝異質〟な価値観と巨大な力を持つ精霊を恐れず、正面に立ち続ける士道の生き方は危うく、それでいて眩しい。そんな彼の生き方に当てられてしまった者は――――――しかし〝異質〟が〝常識〟である誘宵美九の中に入り込んだ〝異物〟、つまり五河士織に対する好感度は下がっていないと聞いた。

 

 様々な人を従える『声』を持つ美九が、操れない〝異物〟である五河士織を欲する理由。それは……。

 

「わたくしが考えても、詮無きことですわね。士道さん、天央祭初日が勝負の日で間違いありませんわね?」

 

「ん、ああ。美九が自分からステージに立つから、俺もそうするようにって言われたよ」

 

「音楽関係で美九さんと勝負をするだなんて、本当に無茶をなさるお方ですこと」

 

「仰る通りです……」

 

 音に聞こえた誘宵美九とステージで勝負。勝率で言えば、誰にどう聞いたところで結果は決まっているとしか返って来ないだろう。向こうはプロの中のプロ、士道側は素人の集まり。狂三が改めて呆れた表情で頬を押さえるのも無理はない。

 

 とはいえ、美九側からすればかなり譲歩した条件ではある。美九は精霊の力の封印など望んでおらず、まず勝負を受ける理由がない。五河士織という〝餌〟を使い、勝負にまで持っていけたのは幸運な事と言えよう。後は、勝負を受けた者たちが勝つ為に最大限の働きをするだけだ。狂三が関わる領分ではない。

 

「うふふ、微力ながら応援していますわ。ご安心なさってください。負けてしまった時はわたくしが士織さんを美味しくいただく(・・・・)予定ですわ」

 

「……そりゃ、最高にありがたい応援だな」

 

 更に負けるわけにはいかなくなった、という意味で言葉を返す。つまり、美九との勝負に負けた時点で狂三との勝負も続行不能、という判定になるのだろう。

 負けるわけにはいかない。否、勝たねばならない。士道がこれから提案する、一つの〝誘い〟の為にも。

 

 

「そうだ。なあ狂三……良かったら、なんだけどさ――――――天央祭の二日目、俺と一緒に回らないか?」

 

「え――――――」

 

「俺と、デートしよう」

 

 

 天央祭、と聞いた時点で既に士道の中では決定事項ではあった。それでも、少し躊躇ったのは気恥しさか、彼女が受けてくれるかという不安か。天央祭実行委員を押し付けられ、それでも二日目のスケジュールを強引に勝ち取ったのは、全ては狂三をデートに誘うため。

 そう、目を見開いて驚く狂三と同じことを(・・・・・)彼は考えていた。

 

 咲いた花は、打算なく出た彼女の笑顔。差し出された手を……今度こそ(・・・・)狂三は手に取った。

 

 

「はい――――――わたくしでよろしければ、喜んで」

 

「うん、お前が良い。狂三が、良いんだ」

 

「ふふっ、士織さんのお姿ですと、わたくしも不思議な気持ちですわ」

 

「…………それは言わないでくれ……」

 

 

 はたから見たら少女が美少女を逢瀬に誘っているようにしか見えないのだ。考えないようにしていたが、やっぱ早めに男に戻りたいなぁと思った。いや、今も男なのは間違いないのだが。

 そんな士道の様子にクスクス、と笑う狂三が言葉を続ける。

 

「わたくしとのデートをご所望であれば……負けてはいけませんわよ。あなた様の全てをいただくのは世界でただ一人――――――この時崎狂三を措いて他にいないのですから」

 

「……逆だろ。狂三の全てを奪うのは世界でただ一人、俺だけだ。だから絶対、勝つさ」

 

「きひひひひ! 期待していますわ――――――それと、お身体の方はなんともありませんの?」

 

「へ……」

 

 突然の話題転換に面食らってしまう。彼女に身体を心配される案件と言えば……この前、白い少女に助けてもらった時の事だろうか?

 

「もしかしてこの前の事か? あの時はあいつに助けられたからなんともなかった、ありがとな」

 

「いえ、そちらではなく……まあ、ちょうど良いですわ。士道さん、あの子(・・・)から預かり物がありますわ」

 

「預かり物?」

 

 えぇ、と頷いてここに来る前に渡された〝あるもの〟を取り出す。話題に出したのならちょうど良い。ただ、預かり物と言っても――――――

 

 

「これは士道さんにではなく――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ただい――――まあ゙!?」

 

「遅いわよ!」

 

 士道の脛に蹴りが炸裂。クリティカルスパーキング!! リビングからとは言わず玄関で出待ちしていた琴里の必殺キックが見事に突き刺さり、靴を脱ぐ前に足を抑えてうずくまる羽目になった。

 

「こ、琴里……バンド練習と実行委員で忙しい俺を労わってくれ……」

 

「前者は自業自得でしょスカポンタン。それより、今日狂三と会ったわよね?」

 

「え……ああ、うん。学校の屋上でちょっとな」

 

 どう考えても、ちょっと所の話ではない交流だった。思わず、といった様子で呑気に答えた士道に目を釣り上げた琴里がビッ、と指を顔に突き付け声を発した。

 

「ちょっとな、じゃないわよ!! 会ったならその時点でこっちに連絡寄越しなさいよ!!」

 

「わ、悪かったよ。そこまで頭が回らなくてな……」

 

「まったく、何のために〈ラタトスク〉があると思ってるのよ」

 

 言いながら、腕を組んで怫然とした表情の琴里へ士道は頭を下げて今一度謝る。ことこれに関しては士道の過失だと分かっているので、素直に謝っておく。士道は今の狂三は平気だと確信しているが、琴里としては万全を期して望みたいという想いがある。

 他の精霊相手なら即座に助けを求めるのだが、狂三だけは特別になってしまっている節がある……そもそも、女装姿を見られたくないのであれば〈フラクシナス〉に連絡すれば良かったと今になって彼は気づいた。後の祭りである上に、琴里が許可してくれるとは思えなかったが。

 

「悪い、次からは気をつける」

 

「しっかりしてよね……狂三と何を話したの?」

 

「あー……美九の事とか、色々と」

 

「何? こっちのこと詳しく話しちゃったわけ?」

 

「あ、すまん。ダメだったか?」

 

「……いいわ。どうせ、こっちの事なんて元から筒抜けなんだろうし」

 

 狂三に対して口が軽すぎると思ったが、あの二人に隠したところですぐ筒抜けになってしまうだろうと予想出来た。あの二人が精霊攻略を邪魔する気がないのであれば、士道が口を滑らせても問題はない。こればかりは、精神的に成熟している精霊という事に感謝しておいた。

 

「あと……天央祭の二日目、狂三とデートする事になった。その時にサポート頼めるか?」

 

「当たり前でしょ。そのための〈ラタトスク〉よ。ま、士織ちゃんが一日目に勝てなきゃ、それも水の泡だけど」

 

「……精一杯、頑張らせていただきます」

 

 皮肉げに笑う琴里に、士道が深々と頭を下げる。

 

「よろしい。心配しなくても、〈ラタトスク〉が全力でサポートしてあげるわ。だから、士道は大船に乗ったつもりで頑張りなさい」

 

「ああ。頼りにしてるよ」

 

 変な三択式の選択肢はともかく、〈ラタトスク〉の力にはいつも助けられているのは事実。琴里たちの助けがなければ精霊を、狂三を救う事さえ難しいだろう。最初は巻き込まれた形ではあったが、今は色々と士道も感謝していた。

 あまりに素直な彼の言葉に照れたのか、琴里は少し頬を赤くしながら言葉を返す。

 

「そ、そう――――――ねぇ、狂三と会って身体に変化はない?」

 

「変化……?」

 

「えぇ。あの子と会って、身体の調子が変になったとか」

 

「……いや、大丈夫だ。どうしたんだよ、琴里まで狂三みたいなこと言って」

 

 寧ろ、狂三にあって色々と元気になったくらいなのだ。士織の事での悩みも消えて、デートの約束も取り付けてモチベーションもバッチリだ。やはり、士道が修学旅行から帰ってきてから、琴里が彼を心配する事が多くなったのは気のせいではない。

 

「狂三が……?」

 

「おう。身体の方はなんともないかって――――――もしかして、なんか知ってるのか?」

 

 鈍い士道と言えど、体調は万全であるにも関わらず日に二度も別の人に似たような心配をされては訝しむのも無理はない。

 しかし、琴里は彼の問に答えることなく顎に手を当てしばらく考え込んだかと思うと、頭を振ってリビングへと歩き出した。

 

「……なんでもないわ。士道は気にしなくて良いことよ」

 

「お、おい――――――あ、そうだ! お前に渡したいものがあるんだ」

 

「……渡したいもの?」

 

 ピタ、と歩みを止めて綺麗な反転を見せる琴里にああ、と頷いて近づきながら〝それ〟を差し出す。

 

「――――――お守り?」

 

「ああ。帰り道、なんかこう……ビビっと来てな」

 

 若干苦しいかもしれないが、笑顔で押し通す事にする。勿論、そんな事を考えている時点で裏があるのは前提の話である。士道は、屋上での会話を思い出していた。

 

 

 

『――――――琴里に?』

 

『えぇ。あの子が琴里さんに渡して欲しいそうですわ。出来ればご本人には私からと伝えずに、と仰っていましたわ』

 

 手渡された〝お守り〟をじっくりと眺めて見るが、なんて事はない普通の白いお守りに見える。

 

『なんで琴里にこれを……?』

 

『さあ、そこまではわたくしも。ただ、怪しいと思ったなら捨ててもらって構わないとも仰っていましたわ』

 

『……いや、そう言われて捨てられるやつはいないだろ』

 

 何度も助けてもらってる人物からの預かり物を捨てられるほど、士道は恩知らずな人間ではなかった。とはいえ疑問は浮かぶ。何せ、琴里とあの少女の繋がりがイマイチ分からない。以前、妹を守ってくれた事はあったがあの時は二人に直接面識はなく、それは琴里本人も認めるところではあった。

 ただのお守り、と考えるほど士道は呑気ではない。しかし、今更あの少女が自分たちに害を成すような物を、わざわざ狂三を経由して渡してくるとも思えなかった。

 

『分かった。何とか理由つけて、俺から渡して見るよ』

 

 

 

「何よそれ。ついに頭がボケ始めたわけ?」

 

「いやそうじゃなくて……とにかく、気休め程度に貰ってくれないか?」

 

「……こういう贈り物は、他の精霊にしなさい。安定してる私より――――――」

 

「そうかもしれないけど――――――俺は琴里も心配なんだよ。くだらないかもしれないけど、なんかの役に立つかもしれないだろ? 琴里だって何があるか分からないんだからさ」

 

 受け取って貰うための建前を考えていた筈なのだが、出てきたのは思わぬ本音だった。司令官としての心労や、戦艦に乗っているとはいえDEM社にも同じようなものがあると聞いた。決して、彼女の周りは安全とは言いきれない。

 確信のない直感でしかないが、このお守りはきっと琴里を助ける〝何か〟になると思った。あの白い少女がわざわざ琴里を指名したのだから、〝何か〟がある筈だと。

 とはいえ、プレゼントを自分からだと嘘をついている事には変わりないので、どこかぎこちない笑みの士道を訝しげに見つめる琴里。しかし、フッと頬を緩めて奪い取るようにお守りを掴んだ。

 

 

「そ。士道がどうしてもって言うなら、受け取ってあげるわよ――――――ありがと」

 

 

 黒リボンの琴里特有のぶっきらぼうな言葉遣いではあったが、リビングへと向かう背中は少し揺れ動いていた。素直じゃねぇなぁ、と後ろ髪を掻きながら士道もその背中を追いかけて行った。

 

 ――――――その日の琴里は、どこか機嫌が良さそうだったと士道は思った。

 

 

 

 







書いたあと思ったのは、十三話くらいでデート誘っただけでお互いてんやわんやになってた頃に比べると二人とも随分成長したんだなって(しみじみ) 階段めちゃくちゃすっ飛ばして命取り合う仲になったらデートくらい軽いもんですよ、多分。

なんて言うか私の書く琴里ってツン要素薄めになってるんじゃないかと常々思っています。狂三が関わらず変更ない原作場面は基本カットなのもありますけど、優しい(当社比)場面が多い気がします。まあ近くに狂三がいるというのが大きいんですけど。

果たして士織ちゃんは勝負に勝つことが出来るのか。白い少女は何を渡したのか。急転直下の美九編。色々理由つけて気をつけないとパワーバランスが凄いことになるから怖いですね!(本音)
感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第三十八話『悪夢、再来』

欠陥機再登場回。立ち位置が違うと印象も違うんだなぁって(ちょっとロマンを感じた顔)


 

 

 ――――――ジェシカ・ベイリーを……いや、彼女達を襲ったのはたった一人の〝軍隊〟であった。そうとしか表現出来ない〝力〟であった。

 

 敬愛するアイザック・ウェストコットの命令を受け、圧倒的な戦力を携えて精霊を急襲する。二十にも及ぶ〈バンダースナッチ〉と、この作戦の為にこのような辺境の地へ集い、DEMインダストリー最新鋭の装備を整えた彼女を含む十人の魔術師。

 完璧だ。如何に精霊と言えども、この戦力での急襲を受ければ一溜りもあるまい。見事作戦を成功させ、ウェストコット様にお褒めの言葉をいただく。その為ならば、ジェシカの中では巻き込まれる一般市民など些末な事だった(・・・・・・・)

 

「なにヨ……なにヨなにヨなにヨッ!!!!」

 

 ありえない。有り得るはずがない。そんな完璧な作戦が、たった一人の小娘(・・・・・・・・)によって封じ込められようとしているなど。有り得ていいはずが無いとジェシカは激昂をあらわにして〝それ〟と相対していた。

 

 最新鋭の装備、確かにその通りであろう。ジェシカ達が装備しているのは、DEMインダストリーの技術力を結集して作り上げられたものだ――――――しかし、決して〝最強〟の装備ではない。

 では〝最強〟の装備とは何か。それは、人が兵器を扱うという当然の事象を欠落させ、類まれなる英知を持って作り上げられたもの。DEMが生み出した究極の兵器にして、人が扱う〝物〟としては欠陥品(・・・)と決定づけられた〝それ〟は、今まさにジェシカたちの目の前で〝最強〟の名に相応しい力を発揮していた。

 

 DW-029・討滅兵装。認識名――――――〈ホワイト・リコリス〉。それを扱う操縦者の名は――――――

 

 

「なぜ……!! なぜ貴様如きが〈リコリス〉を動かせていル――――――鳶一折紙ッ!!」

 

「…………」

 

 

 ジェシカの問いに答えてやる義理はない。そう言わんばかりに白き翼〈ホワイト・リコリス〉を飛翔させ、無言で脳に指令を発し圧倒的な武力を行使する。

 対抗など、不可能。〈ホワイト・リコリス〉という兵器はそういうものであり、故に欠陥兵器なのだ。DEMの魔術師ですらものの三十分の駆動で廃人にしてしまった代物を、ASTの魔術師如きが乗りこなせる筈がない。では、今目の前にある光景は……飛翔する〝怪物〟はなんだ?

 

 答えは簡単。彼女は、鳶一折紙という少女はDEMの魔術師など比較にもならぬ努力を重ね続けた〝天才〟だと言う事だ。

 

「…………っ!!」

 

 何人目かの魔術師と人形兵器を撃墜し、間髪を容れずに視線を巡らせる。数において圧倒的に不利なこの状況でも、〈ホワイト・リコリス〉と折紙の戦闘技術があれば物の数では無い。

 

 精霊を討滅するための翼を、魔術師を倒すために振るう。全く持って矛盾した行為だった。そもそも、こんな物を持ち出した時点で今度こそ折紙の懲戒は免れない――――――それを承知の上で、彼女はこの場を飛んでいた。

 ASTの隊員たちの〝独り言〟を頼りに、このふざけた作戦内容を折紙は知る事が出来た。捕獲対象に夜刀神十香だけではなく五河士道も入っていることを。

 

 覚悟は、とっくに決まっているのだ。修学旅行の、よりにもよって精霊に助けられたあの時とは違う。無力な鳶一折紙ではなく、力を持った鳶一折紙が彼を救う。救ってみせる。たとえ力を無くすことになろうとも、折紙はこの〝最強〟を持って心の拠り所たる士道を救うのだ。

 

 ――――――奇しくも、愛する者を救う為という想いが、行動が、憎むべき〝精霊〟と同じである事を……鳶一折紙は知る由もない。

 

 

 

 

 

 

「――――――〈神威霊装・九番(シャダイ・エル・カイ)〉!!」

 

 

 光が死んだ世界(ステージ)の中で、一つの輝きが瞬いた。

 霊装。精霊が持つ絶対の鎧。しかし、今この場において美九が纏うそれは、鎧としての力ではなく彼女を引き立たせる煌びやかなドレス衣装としての在り方であった。

 

「上げていきますよー。ここからが本番です!!」

 

 熱狂が蘇る。マイクすら通さず、美九の声量のみで広い会場全てに余すこと無く彼女の声が鳴り響く。

 歌う。ただ歌う。それだけの行為……スピーカーも照明も存在しないというのに、美九の歌声に全てが呑み込まれて行くようだった。

 甘く見ていた、誘宵美九という人物を。彼女は〝アイドル〟である。〝声〟の力など無くとも、きっと彼女は〝アイドル〟なのだ。それが誘宵美九――――――五河士織が勝負を挑んだ、圧倒的な存在だった。

 

「………………」

 

「うむ、凄かったな!!」

 

 十香が屈託のない心からの賛辞を述べている間も、士道は声を発することさえ出来なかった。

 地鳴りのような拍手が聞こえてくる中、士道達も階段を下りて控え室へ戻る。

 

「どうしたのだ、シドー。元気がないと勝てるものも勝てなくなってしまうぞ?」

 

「……そうだな」

 

 十香の言う通りだ。言う通り、ではあるのだ。それでも士道の心には不安感が強くこびりついてしまっている。

 美九のステージは素晴らしかった。アイドルに興味が無い士道ですらそうだったのだから、会場にいた人達は尚更そう思うだろう。こちらのバンドメンバーに〝声〟を使って妨害する、という美九の行動に対抗して〈ラタトスク〉がステージに細工を施した――――――それさえも、美九は己のステージにしてしまったのだ。

 自分たちが挑む相手の強大さ、そして今朝から連絡が取れない折紙の行方、美九の〝声〟によりメンバーの亜衣、麻衣、美衣はステージに立つことは出来ない。様々な要素が重なり、彼の強い決意に一抹の不安が突き刺さる。

 

 

「――――――暗いお顔をされていますわねぇ」

 

「っ……!?」

 

 

 振り返る。彼がその声を聞き間違えるものか。十香と二人だけだったはずの控え室に、いつの間にか彼女の……狂三の姿があった。怪しい笑みを浮かべて、士道の視線の先で佇んでいた。

 

「おお、狂三ではないか!!」

 

「はい、微力ながら応援に駆けつけさせていただきましたわ」

 

 駆け寄る十香の腕を取り、仲良さげに笑い合う二人。確かに、微力ながら応援しているとは言ったが、まさかこんな場所にまで潜り込んで会いに来るとは予想外だった。狂三にかかればこの程度、お茶の子さいさいと言ったところなのだろう。

 

「狂三……」

 

「そのようなお顔では、勝てる勝負も勝てませんわよ」

 

「分かってるけど……」

 

 彼女の言うことは分かる。如何に相手が優れていようとも、士道がそれに呑まれて負ける事は許されない。分かっているのに、士道の心から不安は消えてくれない。

 そんな士道の暗い表情に、仕方がないと言う笑みを浮かべながら狂三が手を伸ばした。両手で彼の頬に触れ、真っ直ぐ彼の瞳を見つめる。

 

「いつも通りの、真っ直ぐな士道さんでステージに立てばよろしいのです。些事なことなど士道さんの心には不要。ただ思った事を行動に移す方が、あなた様には似合っていますわ」

 

「……それ、俺が物を深く考えない人間って言ってないか?」

 

「違いますわ。考えすぎたところで、結局は真っ直ぐなお気持ちを顕にするのが士道さんでしょう?」

 

 同じ意味に聞こえるのだが、狂三の中ではどうも褒めている扱いらしい。複雑そうな表情をする士織もとい士道を見てクスクスと笑う。

 

「大丈夫、わたくしがちゃんと見守っていますわ。それに――――――士道さんが繋ぎ止めた方々も、いらっしゃいましたわ」

 

「え……?」

 

 狂三の言葉に首を傾げた瞬間、控え室の扉が開かれた。同時に、どこかで聞いたような〝二人〟分の声が響き渡る。

 

 

「くく、控えよ人間。天からの召喚に応じ、颶風の御子がここに顕現した!!」

 

「参上。クライマックスには間に合ったようですね」

 

「――――――耶倶矢、夕弦!?」

 

 

 クラスの出し物のメイド服を身に纏い、方やカッコいいポーズを決め、方や起伏の少ない表情で現れた二人の少女。

 美九のステージが始まる前、琴里が言っていた〝補充要員〟――――――士道が命をかけて繋ぎ止めた二人で一人の精霊・八舞姉妹がそこにいた。

 

 

 

『――――――次は、都立来禅高校有志による、バンド演奏です』

 

 アナウンスに導かれ会場に広がる拍手。舞台袖からステージへ歩く士織、十香、耶倶矢、夕弦の四人の美少女(・・・・・・)の姿。あの中の内訳が、少女三人少年一人だと言っても誰一人信じられないであろう。それくらい、士道の女装は完璧なまでの美少女擬態だった。そこは、見守る狂三も太鼓判を押せる……少々、複雑な気持ちになると苦笑してしまいそうだったが。

 士織がギター、十香がタンバリン、耶倶矢がドラム、夕弦がベース。補充要員である八舞姉妹の技術は、間近で聞いた士道と狂三が揃って驚く程のものだった。本人たち曰く、第七二試合『嵐を呼ぶドラマー対決』と、第八四試合『ベストベーシスト賞対決』……の賜物らしい。過去、何度も対決を繰り返していたらしい二人だったが、まさかこんな所でその技術が役に立つとは思わなかっただろう。

 技術は申し分ない。後は本人たち次第。士道がそれぞれに視線を向け、三人が頷いているのが見える。狂三がわざわざ姿を見せた甲斐があってか、それとも命をかけた精霊攻略を繰り返した結果であるのか、思ったより緊張した様子は見受けられない。これならば――――――そう、狂三が見守る中で事件は起きた。

 

「……あら?」

 

 伴奏を終えて流れるはずの歌が――――――流れない。元より、士道たちが歌うのではなく用意した音源を使うという反則手に近い事をする、と狂三は知っていたのでこの状況をいち早くおかしいと気付くことが出来た。

 

 そして、士道の様子まで変わったのが狂三には手に取るように分かった。精霊の視力であれば、離れた位置からも口元の動きでさえ視認可能だ。耳に付けたインカムで会話をしている様と、一瞬マイクのハウリングが聞こえた。間違いない、使う予定のなかったマイクのスイッチが入ったのだ。

 士道が息を呑む。誰よりも彼を注視している自信がある狂三だからこそ分かる――――――呑まれている(・・・・・・)

 

「っ!!」

 

 それに気づいた瞬間、狂三は駆け出していた。何をする訳でも、できる訳でもない。これは彼らの勝負なのだから。しかし、ただ一言(・・)、届けなければいけない言葉がある、そんな気がしたから――――――

 

 

 

 

「――――――ぅ、ぁ」

 

 声が出ない。呑まれる、呑まれていく。演奏は止めていない。だが、止まるのも時間の問題なのではないか、そんなネガティブな思考さえ入り込んでくる。

 駄目だ、落ち着け、落ち着け、落ち着け! そう頭で念じ続けているのに、身体の震えが止まらない。視界も、思考も、全てが破滅的な物に呑まれかける。

 

 

「――――――――――――」

 

「え……?」

 

 

 歌が、響いた。配線が復活したわけではない。記憶にある音声とは違う歌声が、呑まれかけた士道の思考を復活させた。

 

「十……香」

 

 十香が歌っていた。十香が、笑っていた(・・・・・)。本当に、楽しそうに。義務感も使命感もなく、ただ自分の心に従った物しか感じられない表情だった。狂三の言ったように、ただ真っ直ぐな想いを歌に込めて――――――

 

 

「――――――――ぁ」

 

 

 十香の歌で開けた視界の先に、彼女がいた。会場で唯一、彼女の姿を見つけられたのは自分だけだという自信があった。彼女は、時崎狂三は士道と目が合うと笑い……そして、唇が動いた。動きだけで、声には出ていなかったのだと思う。だがその声にならない声は、確かに五河士道の全てに届いた。

 

 

『――――――が・ん・ば・れ』

 

 

 刹那、士道の身体は自然と動いていた。無駄な考えから解き放たれ、指が弦を強く掻き鳴らす。それを見た瞬間、彼の身体に電流のようなものが走った。彼女の笑顔を見た瞬間、くだらない気負いなど掻き消えていた。

 

 十香の楽しそうな歌を聴いて……更に、好きな少女の声援(・・・・・・・・)に、やる気を起こさない少年がどこの世界にいるというのだ――――――!!

 

 ただ歌いたい。下手でもなんでも良い、十香と一緒に歌いたい――――――狂三に見せてやりたい、自分たちの演奏を。全力を。

 

「…………!」

 

 二番が始まると同時に、士道が十香に合わせて歌い始める。彼女の力強い歌声に、教本通りの演奏など似合わない。そう言わんばかりに弦を掻き鳴らし続け、八舞姉妹もそんな士道の無茶なアドリブを即座にフォローしていく。

 セオリーなどない。観客の姿など目に入っていない。ここが自分たちの世界(ステージ)だと言わんばかりの演奏。他には何もいらない――――――楽しい。それだけが彼女たちの感情であった。

 

 

「……ぁ」

 

「シドー!!」

 

 気づけば曲が終わり、心地の良い疲労感が全身に広がっていた。十香が笑顔で駆け寄ってくる。彼は自然と手を上げていた――――――ハイタッチが交わされた瞬間、割れんばかりの拍手と大歓声が響き渡った。

 

 その中に狂三の姿は、なかった。けど、彼女は自分たちの演奏を最後まで見守ってくれていた。士道は、なんの確証もなくそれを信じていた。

 楽しそうな姿だったと、感謝と共に狂三の心に届ける事が出来ていたら良いな――――――そう、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「…………!!」

 

 意図しない方向から放たれた砲撃に対して、折紙が即座に随意領域による防御を行う。攻撃はかすり傷にさえならないが、折紙の認知外からの攻撃という事の方が問題だった。

 人形兵器の、増援。目標の半数以上を既に撃墜した折紙だったが、それを遥かに上回る数が次々と姿を見せ始めていた。

 だが――――――

 

「……士道には、指一本触れさせない」

 

 何体来ようと構うものか。全て潰す、全て墜す。誰であろうと彼には辿り着かせない。

 〈バンダースナッチ〉と呼ばれる、顕現装置を扱える人形兵器は恐ろしい技術ではあった。が、所詮は操られるだけの機械。顕現装置の制御能力は人間の魔術師に比べ格段に劣っている……既に折紙はその分析を終えていた。

 

 定点随意領域を展開。脳内からの指令に従い、人形と魔術師の足を一瞬ではあるが停止させる。次の瞬間、膨大なミサイルが対象に向けて追走する。

 

「っ……! なんなのよあなたハ!!」

 

 新品の〈バンダースナッチ〉が、次々と撃墜されていく。数で圧倒していても、歯が立たない。飛翔する白い翼を落とす手立てが存在しない事実に憤慨し、恐怖に震えるようにジェシカが顔を青くし叫ぶ。

 無駄だと分かっていても引く気はないのか、ひたすらミサイルとレイザーカノンによる弾幕を繰り返す。〈ホワイト・リコリス〉のスラスターが駆動し、あらゆる方向からの弾幕をすり抜けて行く。その中で避けきれない部分は随意領域が補っていた。

 このまま行けば数など無意味であり、殲滅は可能――――――両者共に、そう思えてしまうほど〝最強〟は圧倒的だった。

 

「…………ッ!?」

 

 しかし、リコリスは〝最強〟であって〝無敵〟では無い。故に欠陥機。鳶一折紙ほどの才能があったとしても、その事実は覆らない。

 折紙の視界がブレた瞬間、数多の弾幕がリコリスの装甲に突き刺さる。黒煙を振り切り、その場を離脱し体勢を整えた彼女は、己の身に起こった異常に気が付く。

 

 身体が異常に重たくなり、突然の目眩が襲う。

 

 

「あ、はハ!! はははははハっ!! どうやら――――――タイムリミット見たいネ」

 

「これ、は……」

 

 

 視線は外さず、口元に及んだ血を拭う。急速に視界が歪み、リコリスを対空させる事さえ負担となっていた。この感覚を折紙がよく記憶していた――――――活動限界(・・・・)。このまま場に留まり続ければ、折紙の身体に致命的な障害を残す可能性さえある。それが、〈ホワイト・リコリス〉という〝最強〟にして〝欠陥品〟の兵器であった。

 しかし、折紙とてそれを承知でリコリスを持ち出したのだ。こんなところで、引くわけにはいかない。

 

「……ま、だ」

 

「無駄ヨ。そうなったらもう〈リコリス〉は終わりなのヨ」

 

 ジェシカの笑い声に答えるように、後方から更なる〈バンダースナッチ〉のシルエットが現れる。用意周到に増援が放たれているとなると、下手をすればこれ以上の状況悪化さえ予想出来た。

 

 今でさえ絶望的なこの状況で、戦力が増えれば折紙どころか会場にいる士道の身さえ――――――守れない。

 

 

「さア。形勢逆転ヨ。よくもやって――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「では――――――選手交代と相成りましょう」

 

 

 ――――――〝影〟が現れた。

 

 

「なニ……っ!?」

 

「…………!!」

 

 

 網膜センサーに霊波反応。それも、とびきり近く、とびきり強大な物。何よりも、その声に(・・・・)折紙は目を見開いた。

 

 

「わたくしのご忠告を聞き入れる方ではないと思ってはいましたが、相変わらずですのね」

 

「時崎――――――狂三」

 

「えぇ、えぇ。お久しぶりですわね、折紙さん」

 

 

 〝影〟から姿を見せ、人の形を成す。紅黒の霊装。誰もが羨む絶対的な美貌。紅と、時計を宿した金のオッドアイ。

 そして、超然とした表情が彼女の存在を裏付けている。

 

 〈ナイトメア〉。悪夢の権化が、たった今折紙の目の前にいる。幻覚を疑ってしまうような光景に、彼女は警戒を隠すことなく殺気の篭った言葉を放った。

 

「なぜあなたが……!!」

 

「特別な理由はありませんわ。強いて言えば、わたくしの気まぐれですわ」

 

「ふざけた事を――――――っ!?」

 

「折紙さんがわたくしを撃ちたいのであれば、どうぞご自由に。そのお身体で出来るなら、の話ですけれど」

 

 痛みに顔を顰めながら、こちらに視線を向ける狂三を睨みつける。恐らく、狂三の言葉に偽りはない。折紙に背を向けた彼女はあまりに無防備で、撃ちたければ撃てと言いたげな後ろ姿だった。

 〈ホワイト・リコリス〉を万全に稼働させられる状況なら、きっと折紙は迷わず狂三を敵と認識しただろう。彼女が折紙を助ける理由はなく、精霊である狂三は折紙にとって討つべき対象である。

 だが、士道を守らねばならないこの状況下で、感情のまま無駄に戦力を削る判断をしてしまうほど折紙は愚かではない。だからこそ、狂三と接敵している中でも迂闊に攻撃行動を行っていない。

 

選手交代(・・・・)と時崎狂三は言った。万が一、その言葉に偽りがないのであれば、この場において彼女の敵は――――――

 

 

「な――――――なんなのヨ。あんたハッ!?」

 

「あら、あら。お望みの(・・・・)精霊が姿を見せて差し上げたというのに、あんまりな反応ですわね。無知というのは――――――残酷ですわ」

 

 

 魔術師が、数十を超える《バンダースナッチ》が、一斉に狂三へ砲門を向けた。

 それを見た狂三が唇の端を吊り上げ、笑みを浮かべる。背筋が凍りつく程、狂気的な笑み。

 

 お望みの……その通りだろう。対象は違えど、彼女もまた精霊の一人。捕獲対象の変わりにはなろう。ただし――――――お姫様と違い、少しばかり狂暴だが。

 

 

「少し、遊んで差し上げますわ。折紙さんのお陰で〝良いもの〟が見られましたもの。ささやかなお礼も兼ねて――――――」

 

 

 数多の〝影〟が踊る。青空と対照的に闇を纏った〝影〟から、白い腕が何本、何十本と姿を見せる。ひっ、と短く悲鳴を上げたのは、どの魔術師だったろうか。

 

 

「さあ、さあさあさあ!! わたくしに名を付けたのはあなた方なのでしょう? お望み通り――――――悪夢を届けに参りましたわ」

 

 

 白き翼の前に立つ黒き悪夢――――――守るべきものは同じだと、誰も気づくことはなく、〈ナイトメア〉が戦場(ステージ)を舞う。

 

 

 

 

 








Q.きょうぞうちゃんもうちょい早く出れなかったの? A.早く出ると下手しなくても折紙と三つ巴なので会場からスタンバってました。凝り性だし最高のタイミング測ってそうだよね。

好きな子に応援されたらそらハッスルですよ。外見は士織ちゃんですけど。

精霊は(特定条件下以外では)士道にお任せ。ただしDEM、テメーはダメだ。別に士道さんのためではなくあの方の霊力をいただくのわたくしですうんたらかんたらと裏で分身体に言い訳をしていた(かもしれない) 原作よりは素直だけど素直じゃない内心を想像すると狂三の登場シーンも楽しいかもしれませんね

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第三十九話『敗走』

気づけば投稿開始からもうすぐ三ヶ月。早いものでここまで続けられているのは一重に皆様の感想、評価があるのが一番です。ありがとうございます。ではタイトルが不穏な三十八話、どうぞ。


 

 鳶一折紙の予測と推測は正しかった。エレン・メイザース自ら赴いた或美島での任務……その時に、〈ナイトメア〉が任務の妨害を行ったのは記憶に新しい。人を襲う精霊に仲間意識(・・・・)があるのか、理由は定かではない。だが、精霊を捕獲しようと試みた結果、彼女が姿を現したという事実が重要であった。

 〝あの〟エレン・メイザースと渡り合う力を持つ精霊が、万が一にも再び妨害を行う可能性(・・・)がある。だから、ジェシカの緊急時のコールにも素早く対応出来るように増援の準備は周到に進められ、目論見とは異なるが多くの〈バンダースナッチ〉が辿り着く事になった――――――囮としては(・・・・・)、かなり大掛かりな数だった。

 

 では、〈ナイトメア〉出現の報を受けて送られた人形兵は戦場に辿り着くことが出来たのか――――――答えは否、である。

 

 

 一機、二機、三機――――――反応すら叶わず一刀の元、斬り捨てられる(・・・・・・・)

 

 四機、五機、六機――――――異常事態を察知し、緊急的に迎撃体勢を取り、その間に(・・・・)頭部が墜ち、胴体が真っ二つに割れ、システムが完全に停止する。

 

 七機、八機、九機――――――以下、続く十数機の〈バンダースナッチ〉が解体されていく。共通しているのは、ただの一機とてその姿を捉えることさえ出来なかったこと。

 

 もし、〈バンダースナッチ〉の映像データが生きているのなら、僅かに舞い散る羽根――――――そして、〝天使〟の姿が映っていたかもしれない。

 しかし、その未来は訪れることなく……原因が分からぬまま、人形兵器は使命を果たすことなく数分にも満たない時間で、空から姿を消した。

 

 

 

 

 

「きひ、きひひひひひひ!!」

 

 悪夢が笑う。女王が踊る。白き翼が掻き乱した戦場を、黒き悪夢が火花を散らし侵していく。

 一機、また一機と〈ナイトメア〉の分身体による銃撃によって撃ち抜かれていく。魔術師が随意領域を展開し、〈バンダースナッチ〉も同じようにそれ防ぎ――――――

 

 

「あら――――――ごめん遊ばせ」

 

 

 空を舞った狂三が、そのうちの一体の顔面を容赦なく踏み潰した(・・・・・)。まるで首が落ちた落ち武者のような人形兵器を足場に、言葉とは裏腹に彼女が微笑む。

 

「わたくし、荒事はあまり得意ではありませんの。ここで引いてくださるなら、一番理想的な流れになるのですけれど――――――」

 

「撃テ!! 撃テ!! 撃テぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」

 

 焦りと恐怖が入り交じった叫び声と共に、集中弾幕が狂三を襲う。しかし、粉々に撃ち抜かれたのは哀れにも彼女の足場となっていた人形兵。跳躍した狂三は、ひらりひらりと鮮やかに銃口を躱す。その姿はさながら、ステージでダンスを踊る令嬢のようだった。

 

「せっかちな方ですわねぇ……そうは思いませんこと、折紙さん?」

 

「っ……!」

 

 ひょっこり、世間話でもするかのように折紙の視界に現れた狂三に、彼女は咄嗟に脳に指令を送り出したが、次の瞬間、激痛に苛まれ目の前に映る精霊の姿すらあやふやなものとなってしまう。

 

「く……ぁ」

 

「あら、あら。随分とお辛いご様子。心配ですわ、心配ですわぁ」

 

「何が……目的ッ!?」

 

 戦場は既に狂三の手によって掌握されたに等しい。放たれた無数の分身体は魔術師と〈バンダースナッチ〉を嘲笑うような動きで立ち回り、翻弄し続けている。そう、遊んでいる(・・・・・)ようにしか折紙には見えなかった。

 魔術師として圧倒的な実力を持つ真那でさえ、狂三の〝天使〟に及ばなかった。狂三がその気になれば、それ以下の魔術師たちなど……が、彼女は〝天使〟を見せる素振りすらなく、分身体を使って魔術師たちをあしらっている。

 彼女の言葉をそのまま受け取れるほど、折紙は能天気な人間ではない。しかし士道を襲うように屋上に現れ、散々暴れ回った精霊がこのような不可解な動きを見せている事は、如何に折紙の頭脳が優れていようと答えを出すことは不可能であった。

 

 そんな折紙の考えを知ってか知らずか、手を頬に当て微笑む狂三が声を発した。

 

「わたくしにも色々と事情がありますの。〈刻々帝(ザフキエル)〉は優秀ながら少々霊力を喰らいすぎるきらいがありますわ。加えて、今は霊力を無駄遣い出来ない理由(・・)がありますもの。無益な消耗や殺生は、あの方もお望みになられませんし――――――」

 

「そのような事は聞いていない。あなたの目的を聞いている……!!」

 

「そちらは先程、いの一番にお答えしたではありませんの」

 

気まぐれ(・・・・)。ささやかなお礼、などと言う言葉も耳にはしたが、そんなものは全く信じていないという風に折紙は殺気を込めて狂三を睨むのを止めない。

 

「信用がありませんわねぇ。ですけど、折紙さんと同じ理由――――――などと申し上げたところで、折紙さんはもっと信じないでしょう?」

 

「私と……同じ?」

 

 鳶一折紙の阻止しようとしていた目的。それは、DEM社による士道の誘拐を絶対に止めること。その為に、ASTからの除名覚悟で〈ホワイト・リコリス〉を持ち出し駆け付けた。

 その折紙と同じ、という事は狂三も士道を――――――そのようなこと、確かに信じられるわけがない。だが、彼女が語る以外に理由が思いつかないのが答えであった。人を襲う精霊である彼女がわざわざ姿を見せ、殺すわけでもなく魔術師を戦うメリットが分からないのだ。

 

 怪訝な表情を崩さない折紙に、狂三も困ったような表情で微笑んでいた。律儀に説明してやる義理はないし、説明できるような理由ではないのだ。士道の霊力を〝いただく〟ためという大義名分はある――――――それ以外に、最悪の精霊が色ボケ(・・・)を起こしたなど、堅物の折紙が信じられるはずがないのだから。

 狂三とて、仮に数ヶ月前の狂三本体が未来で狂三がこのようなザマになっていると知ったら、躊躇いなく撃ち殺すであろうと思う。

 

 ふと、会話の中で狂三が眉根を寄せる。僅かながらではあったが、二人のいる位置のちょうど下方――――――士道のいる天宮スクエアに目を向けたと折紙には思えた。

 

「では折紙さん。『わたくし』は置いていきますわ。でも、ご自身の身はご自身で守ってくださいましね?」

 

「――――――ッ!!」

 

 憎むべき精霊にそのような事を言われた屈辱か、はたまた放たれた〈バンダースナッチ〉による砲撃によるものか。焼けるように熱い脳を酷使して〈ホワイト・リコリス〉のスラスターを駆動させ、再び近づきつつある戦線を把握する。

 

 折紙が先程までいた場所に視線を向けた時には――――――会話をしていた狂三の姿は、忽然と消え失せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――――琴里!! 聞こえないのか、琴里!!」

 

 士道を取り巻く状況は最悪、そう言わざるを得ないほど切迫していた。全演奏終了後、ステージの順位発表で士道たちは美九に負けたが勝った(・・・・・・・)。具体的に言うと、ステージでの勝負では及ばなかったが、クラスの出し物であるメイドカフェ(・・・・・・)が大盛況。総合順位で一位を掻っ攫う事が出来た。

 

 そう、個の力で戦った美九と仲間に助けられた士道たち。思わぬところで勝負の命運を分ける結果となった。仲間との絆、それが精霊を打ち負かす事となった――――――

 

 

『仲間? 絆……? 教えてあげます。そんなもの、私の前では無意味だって……ッ!!――――――〈破軍歌姫(ガブリエル)〉!!』

 

 

 何故そこまで人間を拒むのか、何を恐れているのか(・・・・・・・)。今の士道には分からない、考える時間すらない。

 しかし、今現在において逆上した美九が天宮スクエアにいた全ての人を操った(・・・・・・・・)事だけは確かだった。例外は、精霊の加護を持つ士道と幸いにもイヤモニを両耳につけ難を逃れた十香のみ。それ以外の人間は全て美九の手に落ちた――――――観客として来ていた四糸乃、士道と共に居た耶倶矢、夕弦も例外なく。

 十香の助けでキャットウォークに逃れた士道だが、現状は何も打つ手はない。精霊三人を支配下に置かれ、操られた観客たちはあの手この手で士道の元へ迫ろうとしている。一旦、退くしかない。そう判断を下しインカムを叩いて琴里と連絡を取ろうとしているのだが……一向に声が返って来る気配がない。

 

「琴里、頼む出てくれ!! 一体どうしたんだ……っ!?」

 

 声らしきものは聞こえてくる。が、雑音が段々と酷くなっていきノイズまみれで誰の声か判断出来そうにもなかった。士道は、向こうで何かがあったのだと察し――――――迫る美九の脅威に、十香と孤立無援で対処するしかないと一筋の汗を流した。

 

 

 

「士道!! 聞こえる士道っ!? っ――――――あなたたち、何してるか分かってるんでしょうね?」

 

「何を言っているんですか司令。美九様を騙した罪は重いですよぉ?」

 

「はっ!? ちょ、ちょっと離しなさい!!」

 

 クルーの反逆。そうとしか表現のしようがなかった。琴里に忠誠を近い、愛する部下たちの異常な行動に彼女自身困惑を隠す事が出来ない。

 〝天使〟――――――誘宵美九の〝天使〟が発動したその瞬間から、クルーの様子がおかしくなった。琴里にはただの大きな音(・・・・・・・)にしか聞こえなかったそれは、聞いた途端に〈フラクシナス〉のクルーが光悦とした笑みを浮かべ、やれお姉様やら美九様やらと艦の様々な機能を好き勝手に弄り回し始めたのだ。お陰で、追い詰められている士道に声一つ届かない状況までこちらも追い込まれている。

 

 〝声〟。美九の声だ。士道が言っていた美九が人を自在に操れる力。それが〝天使〟を通して拡散した場合、どうなるか――――――直接聞いているわけではない通信越し(・・・・)でさえこの結果を生んでしまった。無事なのは、ステージの音声をチェックしていた〈藁人形〉椎崎と奇跡的に転送装置から艦橋へ移動中だった令音。

 そして、何故か(・・・)〝声〟の効力を一切受ける事がなかった琴里のみ。とはいえ、受けなかっただけで多勢に無勢。非力な女性陣ではクルー達の妨害を振り解けず、組み敷かれるしかない。何とかこの状況を打開するには――――――

 

 

「神無月!! 黙って見てないで手伝いなさい!!」

 

「おや、いけませんねぇ司令。いくら司令でも美九様(・・・)に逆らうのはいただけません」

 

「あ・ん・た・も・かああああああああああああっ!!!!」

 

 

 組み敷かれた状態でいつも通り後ろに立っていた神無月へ一縷の望みをかけたのだが、かけた自分を恥じた。八方塞がりだ、今の琴里では(・・・・・・)彼らを振り解く力がない――――――今の、琴里では。

 

「神無月。あなた、ご主人様に逆らうなんて随分と偉くなったわね?」

 

「ああ! 司令のお叱りをもっと!!」

 

「そう思うならさっさと戻ってきなさい。極上のご褒美をあげるわ」

 

「残念です。本当に残念です司令。司令のご褒美を受け取れないのは。ああ、なんたる悲劇!!」

 

「へぇ、そう――――――なら、遠慮はいらないわね」

 

 愛するクルー達にこのような事をさせたこと、本当に頭にくる(・・・・)。あと、神無月(変態)が自分に逆らうなどいい度胸ではないか。少し、お仕置き(・・・・)が必要のようだと琴里は己の身体に炎を纏わせた(・・・・・・)

 

「が……っ」

 

「少し寝てなさい」

 

 さっきまで力技で琴里を組み敷いていた一人を難なく昏倒させる。あまり使いたくはなかったのだが、こうなってしまっては仕方がないと彼女は揺らりと立ち上がった。

 五河琴里は人間だ。普段の身体能力は並の中学生よりは上程度で、大人の腕力に勝てるような超人ではない。同時に五河琴里は〝精霊〟である。

 それも、己の感情をコントロールする事で意図的に(・・・・)霊力を逆流させることが出来る精霊。とはいえ、今回はコントロールするまでもなく漏れ出てしまったようだ。逆に、霊装が顕現しない程度に押さえつける(・・・・・・)側に回らねばならぬほど、苛立ちというストレスを溜め込んでいた。

 

「……琴里」

 

「平気よ令音。すぐ終わらせるから」

 

 羽交い締めにされ動けない中でも、琴里を案ずる令音に一声かける。やりすぎてはいけない、破壊衝動に呑まれてはアウト。だがまあ、神無月なら平気だろう、というある種の信頼感に従う

 

「神無月。あんた前に自分にも慈悲が欲しいとか抜かしてたわね」

 

「はい!!」

 

「……本当に操られてるのよね? まあいいわ。それじゃあ」

 

 あまりにも普段と変わらない様子の彼に、琴里は絶妙な表情をしながら小声で呟く。変わらないなら変わらないで、いつもとやる事も変わらない。少しばかり――――――派手に行くが。

 

 

「――――――Are you ready(覚悟はいいわね)?」

 

「出来てますとも!!!!」

 

 

 ――――――女神が、跳んだ。

 

 

「ありがとうござぶぇあ!!!!」

 

 

 人間離れした跳躍から放たれた〝キック〟が神無月の土手っ腹に見事炸裂。爆発……とは流石にいかなかったが、頑丈な艦橋の壁にクレーターを作るくらいには凄まじい威力の蹴りをその身に受けて気絶していた――――――凄い、幸せそうな表情で。

紳士(変態)の鑑、神無月恭平。最後まで操られていたのか不明なままであった。

 

「さて、あんた達も覚悟出来てるわね?」

 

 指の関節を鳴らし、ドスの利いた声で艦橋の上から語りかけてやる。コンソール部分に足をかけ、笑顔ではあるがもう何を言っても司令官様は止まらない。

 揃いも揃って肩を揺らして恐怖の表情を浮かべているが、何をそんなに怖がっているのやらと笑みを深める。なんてことはない――――――おいたをしたら、お仕置するのが当然だろう?

 

 

「愛のお仕置きタイムよ。全員――――――跪きなさい」

 

『ひいいいいいいいいいっ!?』

 

 

 返事の変わりは悲鳴。であるなら、琴里の言葉はもう必要ない。言葉の代わりに司令席から飛び立った琴里が――――――前代未聞の一方的大乱闘を繰り広げた。

 

「……えっと、これはどちらを大人しくさせるべきでやがりますか?」

 

「……琴里以外を、かな?」

 

 駆け付けたはいいが、どうにも状況が飲み込めない崇宮真那(・・・・)に、令音が少し困った様子でそう言った。そのくらい、琴里の暴れっぷりが派手すぎたのだろう。そう長くはかからず――――――艦橋は静けさを取り戻したのだった。

 

 

 

 

「――――――四糸乃!! 耶倶矢に夕弦もやめろ!! 正気に戻ってくれ!!」

 

「何を……言っているんですか? 士道さんや……十香さんこそ、なんでお姉様に酷いことを……するんです?」

 

『そうだよー、君たちがいけないんじゃないのー。ちょーっとお灸を据えないといけないでしょーこりゃー』

 

「くく……何やら士道が酔狂なことを申しておるぞ、夕弦」

 

「驚愕。彼には良心というものがないのでしょうか」

 

「く……そっ。これじゃあ……」

 

 士道がいくら呼びかけても効果がない。四糸乃たちは士道や十香の事を忘れているわけではないようだが、彼女たちの言動が全て美九寄りになっているとでも言うのか。思考や目的の第一に美九が来るように〝侵食〟されてしまっている。

 〝天使〟を顕現させた美九は未だ健在。四糸乃、八舞姉妹、更には何千にも及ぶ観客が士道たちを追い詰める。十香も必死に頑張ってくれてはいるが、詰められるのも時間の問題だった。逃げようにも退路がない。最悪の場合、〈フラクシナス〉にまで声の影響が及んでいるという最悪のパターンまで有り得た。いや、連絡がつかない以上そうなってしまったと考えて動くべきだろう。

 

「士道さん。ご無事……と言える状況ではありませんわね」

 

「っ……狂三!?」

 

 必死に絶望的な戦況からの脱出策を練っていた士道の元に、もはや見慣れてきた〝影〟が躍り出る。姿を見せたのは既に霊装を纏い、微笑みながらも少々と難しい表情をしている狂三だった。

 

「良かった……お前は無事だったのか!!」

 

「人の心配をしている場合ではありませんわよ。簡潔に答えてくださいまし。士織さんと美九さんの勝負はどうなりましたの?」

 

「え……みんなのお陰で俺達が何とか勝ったけど……」

 

 場違い過ぎる問いではあったが、咄嗟にと言った様子の士道が望み通り簡潔な答えを返す。その間にも、十香が美九へ躍りかかり天使の一部を切り裂いたが、美九の〝音圧〟によってこちらへ弾き飛ばされてしまった。

 

「ぐ……っ!!」

 

「十香!! 大丈夫か!?」

 

「なるほど。それでこの状況というわけですのね。美九さんは――――――約束を破られたと」

 

 狂三はそれだけが聞ければ十分だった。目を細め精霊四人を見遣り、銃を構えながら二人の近くへ寄り添うように立つ。士道が勝ち、美九は約束を反故にした。その事実は、狂三に銃を取らせるには十分すぎる理由だった(・・・・・・・・・・)

 

「狂三……!?」

 

「士道さん、十香さん。一度、この場は退きますわよ。余計な観客が多すぎ――――――!!」

 

 ハッと狂三が天井に目を向け、釣られて士道達も上を見上げた。瞬間、十字に切り裂かれた天井からどこか見覚えのある金髪の女性が舞い降りた。

 展開される随意領域。全身を覆う白銀のCR-ユニット。その人物を目視し、士道は目を見開いた。

 

 

「嘘だろ……っ!?」

 

「ち……やはり、あちらは本命ではありませんでしたわね」

 

「――――――〈ナイトメア〉」

 

 

 深い緑青の瞳が明確な殺意を宿して狂三を射抜く。対する狂三は、ここからの動きを頭の中で幾つも立てていきながら優雅な笑みで見つめ返した。

 

「あら、あら。お久しぶりですわね。土の味はさぞ珍しいものだったと思われますが、そちらの傷は癒されまして?」

 

「……あなたに借りを返したい気持ちはありますが、今は――――――」

 

 

 狂三の挑発に眉を動かしこそすれど、DEMの魔術師、エレン・メイザースは迷わず士織……の姿をした士道と十香に目標を定めた。同じ愚を犯す人間なら楽だったのだが、そのような人物が伊達や酔狂で〝最強〟を名乗れる筈がないかと内心で舌打ちを打つ。

 

 

「――――――目標、夜刀神十香に、五河士道……の反応がある女生徒を発見。これより捕獲に移ります」

 

「そのようなこと――――――」

 

「狂三、ここでは(・・・・)ダメだ!!」

 

「十香さん!? ……っ!!」

 

 

 エレンが高速で迫る中、十香の制止の理由を狂三は一瞬で察して眉を顰めた。十香が苦しげに視線を向けた先には、たった今士道たちのいるキャットウォークへ上がってきた観客――――――その中には、士道と十香のクラスメイト(・・・・・・)の姿まで見て取れた。

 〝城〟を展開し、分身体をエレンにぶつける――――――いや、分身体では相手にならない。それに〝城〟を広範囲に広げたところで意味はない。狂三とエレンがぶつかり合えばタダでは済まない。狂三本人も、十香も、士道も……十香が危惧する最悪の事態(・・・・・)まで起こってしまう。〝城〟はそれを加速させてしまう可能性があった。

 

 ――――――以前までの狂三であれば、ここで迷いなくエレンと戦うことを選んだ。なんの躊躇いもなく百を超える分身体を使役し、この場を血にまみれた戦場に変えたであろう。その撃鉄を起こす事を、一瞬とはいえ躊躇したのは幸か不幸か、夜刀神十香が行動を起こす僅かな時間を作る事になった。

 

 

「シドーを、頼む――――――!!」

 

「と……!? う、うわああああああああああッ!?」

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】……!!」

 

 

 壁に空いた穴目掛けて、限定解除した精霊の膂力を使い士道が全力で投げ込まれる。躊躇いは、お互いになかった。一瞬でも躊躇ってしまえば、十香のした事が無駄になってしまう。迷いなく引き金を引き、加速の弾丸を持って外へ投げ出された士道を追いかける。

 振り返ることはしなかった。十香の優しさと、同じ人を想う心に敬意を払って姿を消す。数秒にも満たない時間で――――――この場の争いは終結した。

 

 

「ぐっ、狂三……っ!?」

 

「絶対に手を離してはいけませんわよ……!!」

 

 会場内から放り投げられた士道を先回りして抱き止めた狂三が、彼の返事を聞く前に高速で離脱を始める。

 声を出すことさえ難しい飛翔速度。恐らく、以前彼女が使った天使の力だ。やがて、加速の効果が切れてガクンと狂三の速度が落ちる。だが、会場は既に小さく見えてしまうほど遥か彼方。そこまで来てようやく、士道が言葉を発することが出来た。

 

「っ、戻ってくれ狂三!! 十香が……!!」

 

「士道さんの頼みでも、受け入れることは出来ませんわ。このまま身を隠しますわよ」

 

「どうしてだよ!! このままじゃ……」

 

「えぇ、えぇ。DEM社に捕らえられてしまいますわね――――――戻れば、士道さんも同じ目にあいますわよ?」

 

 分かってる。そんなこと分かっているのだ。けど、十香を見捨てる事など絶対に出来るはずがなかった。

 

「けど!! けど……っ!!」

 

「十香さんの心を分かってあげてくださいまし。あのままでは、多くの人が死んでしまう(・・・・・・)結果になっていましたのよ」

 

「っ……!」

 

 士道が悲痛な表情で視線を彷徨わせる。十香は、あの場において一瞬で戦況を把握していた。エレンの力と狂三の力……ぶつかり合えば、どうなるかを。

 狂三は確かに一度、エレン・メイザースとの死線を制した。しかし、あれは偶然と必然が重なり狂三に天秤が傾いた結果だと、狂三自身よく理解していた。意図しなかった落とし穴。力を変質させた【五の弾(ヘー)】。今回と違い、目標を狂三一つに絞る事が出来た……これらの要素がなければ、負けるつもりはないが勝つ事も容易くはなかっただろう。

 今回は、その天秤がエレンに傾いたと言っていい。彼女の勝利条件は士道及び十香の拉致。その他の対象は眼中にない様子だった。美九に操られた精霊がいたにも関わらず、である。それこそ、狂三が邪魔をするなら観客(・・)の犠牲など無視して排除しようとした筈だ。

 同様に、狂三もエレンと渡り合うためには周りにまで気を配り続けながら戦う、などと甘い戦術は取れない。さらに言うのなら、狂三は士道と十香というハンデ(・・・)を背負うことで、限られた霊力を使い潰す可能性すらあった。

 

 勝つために、何かを犠牲にしなければならない状況で、十香は迷いなく士道を狂三に託し――――――自らを犠牲にした。

 

「ちっ……くしょう。ちく、しょお……!!」

 

「……申し訳ありませんわ。わたくしが――――――」

 

「違う!! 狂三のせいじゃない!! 俺が……俺がっ、弱かったせいで……!!」

 

 狂三は何も悪くない。時崎狂三は強く、聡明だ。彼女なら、どんな状況でも何とかしてくれる――――――そんな考えを、狂三が駆けつけてくれた時、一瞬でも持ってしまった自分を恥じる。

 何が精霊を救うだ、何が狂三を救いたいだ。何も、出来なかった。あの数瞬で、士道の手から全てがこぼれ落ちた。

 

 士道が守らねばならなかった。なのに、今の士道はあまりにも無力だった。精霊を救い、精霊を愛した少年――――――五河士道は、愛しい少女の手の中で、己の非力さを呪った。

 

 

「十香――――――十香ああああああああああああああッ!!!!」

 

 

 

 







Q.実際ここでエレンと狂三が戦ったらどうなるの。 A.天宮スクエアの大半消し飛ぶんじゃないですかね。下手したら真那まで参戦してもうボロボロよ。美九も攻略出来なくて詰み。

琴里のシーンは趣味全開で書いてます。え?いつも趣味全開だろって?違いない。今更ですけど私の趣味ネタ全部拾えてる人は間違いなく元ネタのファン歴20年近くあると思います。

エレンさんちょっと手加減して欲しい。敵エネミーとして強すぎる。多分内心はナイトメア見てガチギレしてるけど二度目は流石に任務を遂行されてしまいました。本当に補正ないと困る。

今回は狂三の精霊に対する介入判断の基準を少し仄めかした形になります。狂三ちゃんは何を許せなかったのか。これからこの基準が士道への好感度でどうなっていくのか……ふふふ。あ、展開上削られた百合百合な美九の出番を見たい方はデート・ア・ライブ六巻『美九リリィ』を是非によろしくお願いします。キャラが濃い。本当に濃い。この巻の満を持してのきょうぞうちゃん最高にイケメン。

感想、評価などなど大変に励みになっております。いつも感謝です! ではまた次回をお楽しみにー


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第四十話『歌姫の過去へ』

ここからメインヒロインのターン。きょうぞうちゃん無双と参りましょう


 

「……思ったより元気そうですね」

 

 マンションの一室に入り、まず一言目に白い少女は思ったままの感想を述べた。渋面こそ作ってはいるが、比較的落ち着いた士道がテレビ中継を真剣に眺めていた。

 

「っ! ……お前か」

 

「……ああ、申し訳ありません。そういう反応は久しいですね」

 

 少女が入ってきた事に気づかなかったのか、士道が驚きの表情でびっくりさせるなと言いたげな声を発する。物音すら立てなかったこちらが悪いのだが、このパターンで驚かれるのは久しぶり(・・・・)なので少々と微笑ましく思えた。

 

「久しいって……」

 

「はい。昔はよく狂三も驚いたリアクションを――――――」

 

「余計な事は言わなくてよろしいですわ」

 

 少女の言葉を遮るように後ろから狂三が現れる。半目で少女を睨んでいるような、少し恥ずかしそうな表情のようだった。士道としては余計な事(・・・・)が割と気になって仕方がないのだが、それよりも戻ってきた狂三に聞かねばならない事が士道にはあった。

 

「狂三、十香は!?」

 

「落ち着いてくださいまし。焦りは禁物。思考を鈍らせ、間違った判断を促しますわ」

 

「うっ……」

 

 勢いよく立ち上がったところを狂三が指を士道の唇に当て、冷静な言葉で制する。狂三に通された部屋でとにかく気を落ち着けるように、とは言われたがやはり何も出来ない無力感と焦りはどうにもならない。

 状況はそれほどまでに切迫していた。士道を狙う美九と彼女の〝声〟に囚われた四糸乃、耶倶矢、夕弦。何度呼びかけても連絡が取れない琴里。DEMインダストリーに拐われた十香。

 四面楚歌。何をするにしても時間……そして、力が足りない。

 

「分かっちゃいるけど……!!」

 

「お気持ちは察しますわ。ですが士道さんが冷静にならねば、救える方も救えませんわよ」

 

「っ」

 

 力が足りない。あの場において、五河士道は何も出来なかった。無力であった。後悔はある。

 だが――――――そこで止まってしまっては終わりだ。皆を救う、たとえ希望が僅かしかなくても諦めるつもりはない。諦めないために、冷静さを捨てるな……そう、狂三は言っているのだ。

 

「悪い……」

 

「いいえ。大切な方の安否に冷静さを欠くのは当然のことですもの。士道さんなら尚更でしょう――――――少し、妬けてしまいますわね」

 

「え……?」

 

「何でもありませんわ。では士道さん、状況の整理と参りましょう」

 

 士道が聴き逃した言葉を誤魔化すように肩を竦め、士道の対面に座った狂三が状況の整理を始める。

 

「まずは十香さんの行方ですけれど、こちらは今『わたくし』たちが捜索中ですわ。十香さんはDEMインダストリーとしても貴重な存在。すぐに殺される、などという事はないと思われますわ。気休め程度ですが、ご安心くださいませ」

 

「そう、か……ありがとな、気を使ってくれて」

 

「士道さんが十香さんの事ばかり気にかけて、他の事に集中出来なくなっては困りますもの」

 

「……そんなこと言って、実は自分も友達の事が心配だったりするんじゃないんですか?」

 

「あなたは黙っていてくださいまし……っ!!」

 

 思わずといった様子で狂三の後ろに控える少女へ声を上げた彼女が、ハッとした表情になったと思えば、コホンとわざとらしく咳払いをして向き直る。少し頬も赤くなった狂三の姿に、士道はこんな状況でも微笑ましさを隠せず笑ってしまう。

 

「ははは……やっぱり、二人は仲良いんだな」

 

「……話を続けますわよ。次に美九さん。こちらは士道さんも知っての通り、支配領域を拡大しながらあなた様を血眼になって探しておられる様子ですわ」

 

「ああ……」

 

 今、天宮市で起こっているあらゆる人を巻き込んだ大暴動。狂三が席を外している間に、士道も狂三たちが所有しているらしい隠れ家の一つで、出来うる限り情報を集めていたが……テレビ越しで明らかに人の数が増えていく様子に顔を青くしたものだ。スピーカー越しですら効果があるのか、警官隊さえ列に呑み込まれた時は精霊ってやつはなんでもありだなと天を仰いでしまった。

 

 この大暴動の原因、及び目的が五河士織……もとい、五河士道を探すことなど誰が想像出来るというのだろう。

 

「この場合、騒動の大元である美九さんをどうにかする方が先ですわね。規模が膨らみ過ぎては、わたくしも強硬策(・・・)を取らざるを得ませんもの。それは士道さんも望むところではないでしょう?」

 

「当たり前だろ……! お前にそんな事させるわけにいくかよ!!」

 

 冗談めかして銃を撃つ仕草をする狂三に、慌てて士道が頷く。強硬策(・・・)というと嫌な考えしか浮かんでこない。美九の〝声〟は確かに強力だが、狂三ほどの精霊なら()れてしまうだろう。そんな事、狂三にさせる訳にはいかない。

 

「ふふっ、お優しい士道さん。しかし、強引な手段で約束を破られたと言うのに、まだ美九さんを慮っていますのね」

 

「……まあ、最悪レベルで嫌われてるだろうけどな」

 

 何せ、美九が〈破軍歌姫(ガブリエル)〉を使用したあの後、説明するのも恥ずかしくなるやり方で士道が男であると完全にバレてしまったのだ。ようやく士道の格好に戻れたのは良いが、間違いなく好感度は過去最低だ。

 騙していたことは事実だが、それならば尚更士道が美九を何とかしなければならない。

 

「そうですわねぇ……士織さんはもう通用しませんし、説得という手段を取るとなれば少々と骨ですわね。もう少し、最低限あの方の情報が欲しいところですわ。えぇ、えぇ、そうなると――――――士道さん、確かあなた様は美九さんのご自宅に招かれた経験がありますわね?」

 

「あ、ああ……この間の一回だけな。それがどうしたんだ?」

 

 士道を置いてけぼりにして思考する狂三に、唐突な問いを投げかけられたことに戸惑いながらも声を返す。

 狂三の言う通り士織モードの時に一度、士道は美九の自宅に招かれた事がある。その時に彼女の異常すぎる価値観を知り、勝負を行うことになったのだが……。流石に、この状況で美九をどうにか出来る手段と関係があるとは考えられなかった。

 

「では、美九さんのご自宅へ案内してくださいまし。わたくしに少し考えがありますわ」

 

「本当か……!?」

 

「えぇ、虚言を吐くつもりはありませんもの。時は有限、これより先は動きながら話すことにいたしましょう――――――わたくしを信じてくださるなら、ですが」

 

「んなもん当たり前だろ。今更だけど……頼む、十香を助けるために力を貸してくれ、狂三」

 

 一瞬の迷いもなかった。おどけるように問いかけた狂三に、士道は即座に信頼の言葉と、そして拳を強く握りしめ望みを言う。十香を助け、美九を止める。それを成す為には、士道の力だけでは届かない。

 狂三との勝負を考えれば、弱みを見せる事になるのかもしれない……今更だ、十香に比べれば自分のプライドなど塵一つの価値もありはしない。

 

 優しげに微笑を浮かべた狂三が、立ち上がり優雅な仕草でスカートを摘み上げ膝を屈める。

 

 

「ええ。士道さんのためなら、喜んで。さあ――――――わたくしたちの戦争(デート)を始めましょう」

 

「そうだな。それで、全部綺麗に終わらせて――――――明日、もう一度デートしよう」

 

 

戦争(デート)をして、デートする。結局、今の士道に出来るのはそれだけだ。それを成すために……美九を止め、DEM社から必ず十香を取り戻す。狂三と、共に。

 

「きひひひひ! では、一日早いデートと参りましょう……その前に、琴里さんとの連絡はまだ取れませんの?」

 

「……ああ。やっぱりダメだ」

 

 一応、今一度インカムを叩いては見たが、雑音しか聞こえて来ず、いつものような返事が返って来る気配はない。完全に音信不通だった。

 

「では、そのインカムはこの子に預けてくださいまし。美九さんの元へ向かうとなれば、万が一にも通信が繋がった時に面倒な事になりますわ。美九さんの〝声〟が通信越しにでも効果があるのなら、この子が持つのが一番安全ですわ」

 

「……分かった」

 

 白い少女が持つことによって〝声〟を遮る手段があるのかどうか、士道には判断が付かないが確かに狂三の言うことは最もだ。通信不能になったインカムを外し、白い少女の手に渡す。

 

「あなたは『わたくし』と共に十香さんの行方を探ってくださいまし。加えて、わたくしと士道さんのフォローもお任せしますわ。必要だと判断した時は、こちらに」

 

「かしこまりました、我が女王」

 

 物語に登場する従者ような仕草で頭を下げた少女が、士道にも一礼してから部屋を後にした……そう言えば、二人が共に行動しているのは知っていたが彼女たちのやり取りを直接見るのはこれが初めてで、変わった関係に不思議な気持ちになる。

 

「我が女王って……本当に、狂三に仕える騎士みたいだな」

 

「あの子が遊びでそう呼んでいるだけですわ。わたくしをからかいの種にして……困った子でしょう?」

 

「そうか……? 俺にはそうは思えないけど……」

 

 女王様、我が女王……狂三は遊びと言ったが、士道は何となくそうではない気がした。多分、ある一点において強いシンパシーを感じるが故の直感。それに――――――困った子と言いながら、優しく微笑む狂三がよっぽど〝それ〟を分かっている。そんな、気がした。

 

 

 

 

 

「ここで間違いありませんわね?」

 

「間違いない。ここが……美九の家だ」

 

 誘宵美九が通う竜胆寺女学院から徒歩五分とかからぬ場所に、その豪邸(・・)はあった。丁寧に手入れが施された庭園と、西洋館。巨大な門と塀の先は別世界と見間違えるような風景が広がっている。

 アイドルとして活動を行い、学園にまで通う美九は、恐らくこれまで現れたどの精霊よりもこの世界で生活していると見られる。その最たるものの証明が、この豪邸と言えるかもしれない。異常な価値観はともかく、力を持ったまま日常に溶け込んでいるという意味では狂三をも上回っている。

 

「……まあ、分かっちゃいたけど鍵はかかってるよな」

 

「問題ありませんわ。この程度のもの、精霊の膂力なら音も立てずに――――――」

 

「狂三……?」

 

 言いながら門の鍵へ手を伸ばした狂三が、ピタッと動きを止める。何かあったのか、と思い首を傾げる士道にチラッと視線を寄越したかと思えば……手品のように影から彼女の手に収まった短銃の引き金を躊躇いなく引いた。

 

「ちょっ……!」

 

「さあ、さあ、これで先へ進めますわ。あらー玄関にも鍵がありますわー仕方ありませんわー」

 

 けたたましい音を立てて玄関の鍵が影の弾によって撃ち抜かれる。ついでに、セリフが物凄い不自然で棒読みだった。

 

「おいおいおい凄い音出してるぞ!! 音も立てずにって言わなかったか!?」

 

「士道さんの空耳ではありませんの? わたくし、そのようなこと申し上げておりませんし、出来ませんわ。女の子ですもの」

 

「…………ソウダナ」

 

 白々しいにも程がある。最後にはハートマークが付きそうな程きゃるん、としたぶりっ子の様な仕草でのセリフだった。悔しいが、恐ろしく可愛いので誤魔化されてやる事にした。

 一体、数秒の間にどんな心変わりがあったのかと士道は頭をかきながら狂三の後に続いて屋敷の中に入る……乙女心は、まだまだ分かりそうになかった。

 

 

「――――――けど、美九の家に来てどうするんだ? 話すにしたって俺は嫌われすぎてるし……それに、狂三も知っての通り美九の価値観は異常だ」

 

 人を物のように扱い、仲間や絆といった概念を頑なに拒絶する精霊。決して、悪と呼べるような存在ではないと士道は思う。しかし、話をするにしても……。

 

「人を操る〝声〟を持って生まれた精霊だから――――――」

 

「その価値観は先天的なもので、変えるのは難しい。そう、士道さんは仰りたいのですね?」

 

「え……そ、そうだけど」

 

 先を歩く狂三が振り返る。思わず靡くスカートに目を奪われ、顔まで視線を上げた時、彼女は優雅に微笑んで問いかけを投げた。

 

 

「士道さんは……わたくしが、初めからこの価値観を持っていたと思いますか?」

 

「それは……」

 

「もう少し、分かりやすく質問を変えますわ。あなた様は〝最悪の精霊〟が、初めから最悪(・・)であったとお思いになられますか?」

 

「そんなの思ってるわけ――――――っ!!」

 

 

 いつものと変わらない笑みが、少し悲しげに曇っているように見えた士道は条件反射で声を上げて――――――狂三が言いたいことに気づく。

事の始まり(・・・・・)。以前、狂三がそう言っていた事を、士道は一語一句忘れずに覚えていた。彼女を、人を慮る優しい少女を〝悲願〟と呼ばれる道へ誘う〝何か〟があったのだ。

 

「……美九も、同じなのか……?」

 

「さあ? そこまではわたくしにも分かりかねますわ。原因は無く先天的なもの、と断言するには違和感があると思っただけですもの」

 

「それを探るために、ここに来たって事か」

 

「ご理解いただけたようでなによりですわ」

 

「……でも何か見つけられたとして、そんなに詳しい事が分かるか?」

 

「そこはわたくしにお任せ下さいませ。方法は――――――後のお楽しみ、ですわ」

 

 パチン、と華麗にウィンクを決めて再び廊下を進み始める狂三に士道は我に返って慌てて着いて行く……我に返って、というのはもちろん彼女の可憐な姿に見とれてしまったからである。こんな時だと言うのに、自分ばかり役得な気がしてちょっと複雑な気持ちになった士道であった。

 

 

 

 

「士道さん、見てくださいまし! 凄いサイズですわよ。わたくしの顔が入ってしまいそうですわ」

 

「なんでそうなるのかな!?」

 

 さっきまでの真面目な時間はなんだったのだと問いかけたくなる。

 狂三と共に美九の寝室まで辿り着いた士道、彼女の過去(・・)に繋がりそうなものを見つけたいという狂三の言葉に従い、部屋の中を探っていたのだが……声を上げた狂三が淡い色のブラジャーを一枚摘んで両手で広げていた。

 精霊を救う使命を持つ男子高校生、五河士道も男の子である。そういう〝アイテム〟に興味がない、とは言えないお年頃だった……狂三が持っているから、という点は否定出来ないところではあるが。しかし、今はそんな状況ではないと顔を赤くしながらも、狂三へ苦言を呈する。

 

「……今は遊んでる場合じゃないだろ」

 

「あら、出来る時に肩の力を抜いていかないと、これから大変ですわよ」

 

「他にやり方あるよな!? てか、こういう(・・・・)ネタは前にお互い痛い目みただろ……っ!?」

 

「うふふっ、なんの話ですの? わたくし照れてなどいませんし、淑女というものは日々成長するものですわ」

 

「なん…………だと」

 

 あんまり成長が嬉しいと思えない部分が成長していた。というか、未だにあの時の下着騒動での照れを認めていないことが、士道にとって何気に衝撃だった。強情というかここまで来ると負けず嫌いが筋金入りと言わざるを得ない。そんな所もまた、頭がおかしくなるくらい可愛いと思ったりするのだが。

 

「さあさあ、肩の力を抜いて士道さんも着けてみませんこと? いいえ、士織さん?」

 

「ぐ……まだ引っ張るつもりかよ……」

 

 出来れば、早急に頭の中から消して欲しいネタだった。消そうと思って消せるのであれば苦労はしないが。

 

「別に減るものではありませんし、良いではありませんの。それに士織さんなら、わたくしをデレさせる事が出来るかもしれませんわよ」

 

「減るわ!! 主に俺の時間と尊厳が!! あと男としてのプライドが!!!!」

 

 最後が特に重要だと叫ぶ。最終的に狂三をデレさせるのが自分の女装姿とか嫌すぎる。デレさせる事が出来たとしても、何か凄く大切なものを失ってしまいそうな気がしてならない。

 

「つれないですわねぇ……少しで良いんですのよ? 可愛い可愛い士織さんのお顔が恥辱に震え、わたくしの物になると思うと心が踊る、なんてこれっぽっちも考えていませんわ」

 

「考えてるよね!? それ考えてる表情してるよね!? 士織ちゃんになにするつもりっ!?」

 

 狂三に迫られているというのに、全く嬉しくなかった。ある意味、初めて彼女に対して恐怖の感情を抱いてしまっていた気がする。それほどまでに、恍惚な表情で距離を詰める狂三が怖い。凄く怖い。身の危険を感じる。具体的にいえば折紙の奇っ怪な行動に近いものを感じる。

 

「ああ、ああ。怯える士道さんも大変可愛らしいですわ。食べてしまいたいですわぁ」

 

「やめてええええええええっ!!」

 

 捕食者と獲物の関係性が成立していた。普通、悲鳴を上げる方が男であるのはおかしい筈なのだが、精霊と人間の関係を考えれば割と平常運転である。士道限定だが。

 

 と、冗談なのか本気なのか分からなくなってきたやり取りのさ中、床に敷かれていた絨毯に足を取られた狂三がバランスを崩した。

 

「きゃっ……」

 

「狂三!!」

 

 咄嗟に前に出て狂三を受け止めた士道だったが、勢いがついていて受け止めきれず彼女を抱きとめる形で転げてしまった。身体が物にあたって崩れる音を聞きながら、士道は痛みを堪えて顔を上げて狂三の無事を確かめる。

 

 

「大丈夫、か……」

 

「ええ、わたくしの不注意でした……わ……」

 

 

 ――――――近い。

 お互いの髪が触れ、瞳と瞳が見つめ合う。それほどまでに、近い。狂三のしなやかな身体と、士道の硬すぎず、しかし男として意識するには十分な身体が密着しかけていて、互いの鼓動が伝わって来るような感覚。

 

 

『…………』

 

 

 朱に染まった肌は、きっとお互い様だった。二人が共に思考を止める。距離が縮まり――――――狂三の唇が、0の距離に触れた。

 

 

「……っ」

 

「いけませんわ、いけませんわ。まだ、〝これ〟は差し上げられませんわ」

 

「それは……残念」

 

 

 落とされた口付けは、首筋に。艶かしい唇を指でなぞった狂三が妖艶に笑う。士道も、不敵な笑みでそれを受け入れた。

 多分、お互いが強がりだと分かっていた。繋がりたい、受け入れたい。それでも――――――それは、出来ないから。今はこれで、我慢しろということか。

 

 全く、封印の方法がキス(・・)だということに、改めて文句の一つも付けたくなった。神様の悪戯か知らないが、これでは生殺しだなと笑みを交わす二人は、理不尽な神様を呪いたくなってしまった。

 

 

 

「ん……?」

 

 改めて物探しを再開しようと士道と狂三が身体を起こすと、ふと視界に先程までは見つからなかった物が目に入る。豪華な部屋に対してミスマッチと思える、お菓子の入れ物。気になった彼はそれを手に取り蓋を開けて、映り込んだ物に目を丸くした。

 

「宵待月乃……?」

 

 入っていたのはCD。パッケージには美九の姿がある。しかし、記されていた名前が違うのだ。芸名という線も考えたが、彼女は根本的に姿を見せないアイドルだった筈なので、こういったCDが存在していること自体がおかしい事に気づく。

 

「どういう事だ……?」

 

「士道さん。そのCD、聴いてみてはいかがです?」

 

「ん、ああ。そうだな」

 

 狂三の言うことは最もだ。士道としてもこのCDの存在は無性に気になる物なので、手近にあったオーディオコンポで再生を試みた。

 すると、アップテンポの可愛らしい曲が流れ始める。間違いなく美九の声、なのだが……。

 

「これ……」

 

「あら、あら。可愛らしい曲ですわね。ステージで聴く美九さんとは印象が違いますが……わたくし、こちらの方が好みですわ」

 

「狂三もそう思うか?」

 

「士道さんもですの? ふふっ、嬉しいですわ。あなた様と好きな物が一緒だなんて」

 

「俺もだよ。けど、これは一体……」

 

 軽口を叩きながらの感想ではあったが、概ね言葉通りだった。ステージで聴いた美九より少し若い気がする歌声。今の美九が歌う怪しい魅力ではなく、前へと進むひたむきな元気さとも言える不思議な魅力が篭った歌、そう士道は率直に感じた。

 だが、謎は深まった。何が何だかよく分からない、と士道が残されたCDジャケットを一枚一枚見ていき……最奥に秘められていた〝写真〟に、強烈な違和感を覚えた。

 

 

「――――――え?」

 

 

 ありえないのだ。この写真の存在は。誘宵美九が〝精霊〟という存在であるのなら――――――普通に考えれば、そうだろう。

 〝精霊〟は隣界より現れる異界の存在。だが、士道はそれに当てはまらない〝精霊〟を知っている。他ならぬ自分の妹(・・・・)がそうであった。

 

「なるほど……見えて来ましたわね」

 

「これがあるって事は、もしかして美九は……でも、もしそうならなんで……」

 

「それをもう少し詳しく知るために、写真をお借りしますわ――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 覗き込むように写真を見ていた狂三が、士道の手からそれを摘み、突然自らの〝天使〟を召喚する。十二の数字が刻まれた巨大な文字盤。よく見ると、『IV』と『VI』の数字だけが少しばかり色が違っていた。その二つだけが色が違うことに士道は違和感を覚えたが、それよりも彼女がこれを召喚したということは、これが狂三の言っていた〝方法〟という事か。

 

「……もしかして、〈刻々帝(ザフキエル)〉の弾を使えば、何か分かるのか?」

 

「――――――ご明察。よく見ていますわね」

 

「そりゃあ、狂三が使う天使だし……カッコいい、しな」

 

 後半は小声で躊躇い気味だった。女の子に言う言葉ではないと思ったのと、普段と違う気恥しさがあった。〈刻々帝(ザフキエル)〉を見たのは数える程でしかなかったが、士道の頭には彼女が扱う〝天使〟が忘れられず残っていた。超常的な力と、それを扱う狂三。美しいと思うと同時に、少年心はカッコよさ、というものまで感じてしまっていた……狂三と戦った真那や琴里の事を思うと複雑だし不謹慎ではあるが。

 彼の言葉をどう受けったのかは分からないが、パチクリと目を丸くした狂三は次いで柔らかい微笑みを浮かべた。

 

「うふふ、お褒め頂き光栄ですわ。〈刻々帝(ザフキエル)〉も士道さんに褒められて喜んでいると思いますわ。ありがとうございます」

 

「お、おう……」

 

 まるで、我が子を可愛がるような手付きで〈刻々帝(ザフキエル)〉を撫でる。その仕草に彼女なりの想い、というものが込められているように見えて、士道はなんと返して良いか分からなくなり曖昧に返事をした。少なくとも狂三的には、悪くない褒め方であったようだ。

 

「……で、どうする気なんだ?」

 

「【一〇の弾(ユッド)】を使いますわ。その力は回顧。撃ち抜いた対象が有する過去の記憶を、わたくしに伝えてくれる弾。全て、とは言わずとも断片的には美九さんの事が分かるはずですわ」

 

「そういう事か……頼む、狂三」

 

「任せてくださいまし。では――――――」

 

 狂三の手に収まった短銃へ、彼女の宣言通り『Ⅹ』の数字から影が滲み銃口へ吸い込まれた。重ねた写真とCDを頭に触れさせ、挟むように銃口を向ける……何度見ても気分の良い光景ではないと思うのだが、口を挟んだところでどうにもならないので固唾を呑んで見守る。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 

 引き金が引かれた。次の瞬間――――――

 

 

「…………は?」

 

 

士道の見る風景が変わる(・・・・・・・・・・・)。奇妙な感覚だった。自分のものであるのに自分のものではない。そう、言うなれば〝夢〟に近い感覚。それでいて士道が疑問を持つ事が出来たのは、隣に見知った人物がいたからに他ならない。

 

 

「士道さん……っ!?」

 

「狂三!? これって……っ!!」

 

 

 視界が切り替わる。そして二人は――――――過去の扉を、開いた。

 

 

 






なんかちょっとだけ謎が判明したと思ったら謎が増えてたみたいな回。二人旅は原作より距離が近くて同じイベントでも距離感の違いが出てる……といいなぁ。鍵を壊すところとか何を気にしたんでしょうね(棒)

全体の物語的には現在中盤くらい。この章でちょっとは判明したりする事があるんじゃないかなぁと思います。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第四十一話『女王が従うものは』

彼女が従うもの、それはなーんだ。
さあカチコミのお時間です。両者ベタ惚れってレベルじゃないなこれって書いてて思いました


 

「……ッ!?」

 

 気づけば元の光景が広がっていた。高級なホテルを思わせる広すぎる寝室は間違いなく美九の部屋だ。帰って来た(・・・・・)と本能的に理解する。ハッとなり時計を見ると、僅か一瞬の出来事だったのが分かる。断片的に見えた誘宵美九の過去(・・・・・・・)が。

 

「狂三……今の、は……」

 

 訳が分からず狂三に助けを求めるような形で声をかける。今の現象は彼女の〈刻々帝(ザフキエル)〉によって生み出されたものであるはずだった。しかし、〈刻々帝(ザフキエル)〉は撃ち抜いた対象に効果を発揮する(・・・・・・・・・・・・・・・)天使。士道は、ハッキリと狂三が自分だけを撃ち抜いていたのを見ていた。ならば、彼女の言う〝回顧〟の力を発現させる対象は本人のみのはず。

 とはいえ、士道は天使の起こす奇跡の業を全て知っているわけではない。もしかすると、士道が知らないだけで【一〇の弾(ユッド)】にはこういう能力があるのかもしれない、そう思ったのだが……動揺を顕にした狂三を見て目を見開く。

 

「狂三……?」

 

「……士道さん。今、わたくしと同じものを見た(・・・・・・・・・・・・)、そこに間違いはありませんわね?」

 

 神妙な顔で問いかける狂三にこくり、と首を縦に振って肯定を返す。問いかけ、と言うより再確認に近かった。何せ、士道の隣には常に(・・・・・)狂三がいる感覚があった。あの白昼夢のような光景の中であってさえ、でもだ。

 

「……また、ですのね」

 

 呟きながら〈刻々帝(ザフキエル)〉を見つめる。彼女の身長をゆうに上回る時計は、やはり狂三の視線に答えることなく悠然と佇んでいた。

 狂三の知る〈刻々帝(ザフキエル)〉が引き起こす現象との差異。【五の弾(ヘー)】に続き二度目、それも【一〇の弾(ユッド)】はあの時以来、既に数度使用しているにも関わらず、なぜ今になって士道を巻き込む形で能力が変化したのか。力を失ったように数字の色が変わった【四の弾(ダレット)】、【六の弾(ヴァヴ)】と何か関係があるのか。

 考えたところで答えは出ず、〝天使〟は持ち主の問いに答える口を持たない。そして思案する時間さえ与えないと言うのか、窓ガラスを震わす凄まじい音が辺りに流れた。

 

「っ……これは美九の――――!!」

 

 奏でられる音は奇跡の産物。パイプオルガンを通して演奏される荘厳な音と、美九の妖艶な歌声が合わさって紡がれた楽曲は奇跡としか言い様がない。それによって引き起こされる現象も、また然り。

 精霊の加護を持つ士道でさえ、しっかりと拒絶の意志を取らねば〝持っていかれる〟。この辺りの住人も彼女の支配下に置かれ、動き出してしまうと見ていいだろう。

 士道と同じく演奏に心奪われることの無い狂三は、先程聴いたCDの時とは違い少し不愉快そうに眉を寄せながら口を開いた。

 

「随分と派手にやってくれますわねえ。これ以上カードを増やす時間は取らせてもらえないようですし、そろそろ美九さんの元へ参りましょう」

 

「そうだな、急ごう」

 

「はい。しかし、わたくしに出来るのは交渉のカードを増やすこと。そして、士道さんの舞台を整える事だけ。それより先は――――――」

 

「分かってる。俺の役割、だろ?」

 

 士道からすれば十分すぎるくらいだった。〈ラタトスク〉の支援がない中、狂三の力でこれ以上ないほど状況は良くなっている。無論、予断を許さない位置に足を置いているのは変わっていないが、彼女の助力がなかった時のことを考えるとゾッとする。

 狂三に出来ることは戦い、道を切り開くこと。士道に出来ることは対話し、精霊を救うこと。どちらが欠けても、あの駄々っ子を説き伏せることは不可能な奇跡の即興チーム。否、即興というのは間違っているか。何せどうしようもなく繋がりが深いくせに、繋がることが出来ない二人であるのだから。

 

 

「良い表情ですわ。それでこそ士道さん」

 

「はは、狂三に褒められて嬉しいよ……それで、どうやって美九の所に行く気だ?」

 

「もちろん――――――正面から、ですわ」

 

「へ……?」

 

 

 呆気に取られた士道の前で、狂三は自信に満ち溢れた不敵な表情で、笑った。

 

 

 

 

「……マジで、正面からかよ」

 

「あら、信じてくださらなかったのですか? わたくし悲しいですわ、泣いてしまいますわ」

 

「狂三を信じるのと、呆気に取られるのは別だろ?」

 

「きひひ。以前に比べて口達者になられましたわねぇ」

 

「そりゃどうも。お前を口説くには、これでも足りないくらいだよ」

 

 気楽な応酬だと正気で聞いている人間は思うだろうが、士道は汗を滲ませて平静を装うのに精一杯であった。

 それはそうだろう、万を超える人間たちが残らず彼へ殺意の籠った視線を向け、完全に包囲しているのだ。これで焦らない人物は、死地を潜り抜け続けた者か、自らの力に絶対の自信を持つ者くらいだろう。まあ、士道の隣に悠然と立つ人物は、数少ない例に該当するかもしれないが彼自身はそうはいかない。

 天宮スクエア。天央祭の舞台、天宮市大暴動の発生地点及び……誘宵美九の本拠点。当然、人の数は他の場所の比ではないし、ヘリが飛び交っている場所に狙われている人物が自ら姿を現すなど正気の沙汰ではない。そのようなこと士道がよく分かっていたが、それ以上に狂三がこの選択をしたのならそれを信じるだけだと、すくみそうになる足を押さえ込んでいた。

 

「ふふっ、お上手ですわね――――――ご心配なさらずとも、必ず士道さんを美九さんの元へお送りいたしますわ」

 

「それは最初から信じてるさ。俺がお前を疑うわけないだろ」

 

「……本当に、お上手ですこと」

 

 このような状況を作り出してなお、自分に全幅の信頼を寄せ笑顔を向けるお人好しに対する呆れか、困ったような表情をする狂三。元より嘘を言ったつもりはないが、士道に信頼を向けられると俄然やる気が出るのだから狂三自身、自らの感情に不思議な想いを感じていた。

 

『わざわざ私のお城に戻ってくるだなんて、随分と余裕があるんですねー。士織さん――――――いえ、五河士道……ッ』

 

「美九……!!」

 

『一体何のつもりかは知りませんけどぉ、こうなった以上はもう逃げられませんよー? さ、皆さん、捕まえちゃってください。少しくらいなら痛めつけてもいいですけどぉ、できるだけ丁重に扱ってくださいねぇ? でないと、私がやる分が減っちゃいますしぃ』

 

 スピーカーを通した美九の声は、恐ろしいほどの冷たさだった。こちらの声は届かず、一方的な指示だけを飛ばし音声が途切れる――――――同時に、地面が割れんばかりの怒声が鳴り響いた。

 

 ――――――狂三が、士道の手を握る。

 

 

「狂三……?」

 

「士道さん、離さないでくださいまし」

 

「ん……分かった」

 

 

 ギュッと手を握り返す。華奢で、温かい手の感触は、目の前の絶望的な状況でさえ関係なく彼の心を落ち着ける。一瞬感じた恐怖は、たったそれだけの事で霧散した。

 狂三が瞳を閉じた。武装した軍勢は手を伸ばせば届く距離にまで迫っている。それでも、祈りを捧げるような少女の神々しさすら感じる姿だけに、士道の視界は奪われていた。

 

 紅と金時計の双眸が、表を上げる。刹那、霊力が舞い上がるように彼女の黒髪を揺らし――――――世界が、静止した。

 

 

「――――〈時喰みの城〉……」

 

 

 口にした名は、何度も目撃した影の総称。黒く淀んだ闇が成す〝城〟。静止したのは世界ではなく、人だ。時崎狂三が持つ力の一つ、影を踏んだ者の意識を奪い取る〈時喰みの城〉が士道の視界に収まらぬほど広域に展開されていた。無論、影を踏んだ人間は誰一人として立ち上がれるものはいなかった。例外は、狂三と手を繋いでいる士道だけだ。

 

「士道さんを送り届けるには、これが一番安全な方法ですわ」

 

俺を(・・)、か」

 

「ええ。あなた様を、ですわ。これだけの広範囲……行う機会はそうありませんでしたが、上手く行きましたわ」

 

 確かにこの方法なら士道〝は〟無事で済むだろう。ただ、影を踏んだ人間たちはそうではない。狂三が人の命を奪うようなことはしないと分かっている。だが……無関係な人を傷つける選択をさせてしまったことに、士道はやるせない想いを抱いて彼女の手を強く握った。

 

「悪い。こんなこと、お前にさせて」

 

「このような事は慣れっ子ですわ。気にしないでくださいまし」

 

「……情けないな。お前を救うって言ったのに――――――」

 

「そこまで、ですわ」

 

 口を塞ぐように、狂三が空いた手の指を士道の唇に当てる。

 

 

「たとえ士道さんでも、わたくしの好きな方を悪く言う事は許しませんわよ。それに――――――一緒に背負ってくださるのでしょう?」

 

 

 微笑む狂三を見て、一度は目を丸くした士道がその瞳に力を灯す。ああ、そうだ。彼女にこんな事をさせてしまったのは、自分の力不足だ。だからこそ、あの時の誓いを裏切らないためには――――――必要なのは後悔じゃない。

 

 

「ああ。背負うよ、一緒に。これからお前がどんな悪いことをしたとしても、あの時の言葉を曲げるつもりはない」

 

「き、ひひひひ。この極悪人の罪をあなた様が背負い切れるかどうか……楽しみにしていますわ。わたくしに勝てたなら、の話ですけれど」

 

「期待に胸を膨らませて待っててくれ。絶対、お前を救ってみせる」

 

 

 言葉に微笑みで返した狂三が、先へ歩き始める。その笑みに、どのような想いが込められていたかは分からない――――――いつかの未来で、それを聞いてみたいと思った。

 その未来を引き寄せるために、築かれた人の山を士道も歩く。繋ぎ合った手は、決して離すことなく。

 

 夥しい数の人を跨ぎ、歩き続ける。常識を逸した光景は、常人には負担となり精神の疲弊が襲いかかるが、どうにかそれを堪えながら士道は狂三と共にセントラルステージの入口まで辿り着いた。促すような視線に頷いた士道が、一息に扉を押し開けた。

 中も外と変わらず異様な風景だった。観客席は〈時喰みの城〉の力で倒れた少女達で埋め尽くされ、最奥のステージの上――――――アイドルがいた。パイプオルガンのような〝天使〟を背に、完全な霊装を纏った誘宵美九。付き従うように、メイド服に限定霊装を顕現させた四糸乃と八舞姉妹の姿もあった。

 

「美九!!」

 

「何ですかぁ、その声。汚らわしい音声で私や、私の精霊さんたちの鼓膜を汚さないでくれませんかー? 本当に不愉快な人ですねぇ。無価値を通り越して害悪ですねぇ。たとえその身が粉となって地に還っても、新たな生命を育むことなくその地に永遠に消えない呪いを振りまくレベルの醜悪さですねぇ。ちょっと黙ってくれませんか歩く汚物さぁん」

 

「ぐ……」

 

「取り付く島もないとは、この事ですわねぇ」

 

 間延びするような口調で放たれる罵倒は恐ろしい程の切れ味を誇っていた。顔を顰めた士道の隣へ立った狂三の言う通り、まさに取り付く島すらない。というか、取り付こうとした所に散弾銃を乱射させられた気分だ。

 だが、士道とて負けていられない。こんな所で立ち止まっている時間はないのだ。そう思い負けじと声を張り上げようとした時……美九の視線が真っ直ぐに狂三へ向いている事に気づいた。

 

「――――――いい。いいですねぇ」

 

「あら、あら。わたくしですの?」

 

「はい、最高ですよー。無価値を通り越して害悪とは言いましたけどー、こんな可愛い子を隠してた上にわざわざ連れてきてくれるだなんて、無価値なりに価値はあるんですねぇ」

 

「美九、お前……っ!!」

 

 自分を罵倒された事への怒りとかそんなものは無い。美九は今、狂三へ強い興味を示していた。ただ、自分を喜ばす〝道具〟として狂三の事を見据えていた。狂三が如何に美しく如何に可愛いかというのは最高に同意できる部分ではあるのだが、どうであれ美九のそれを見過ごすことは出来そうになかった。が、彼女は士道には目もくれずに狂三へ向かい声を発する。

 

「ふふ、なんで私の〝声〟が効かないのかは分かりませんけど……どうですかぁ? あなたが私に心から従ってくれるなら、そこのゴミムシ以下の下等生物の話もほんのすこーーーーーーーーしだけ、聞いてあげてもいいですよぉ」

 

「ふざけんな!! お前、いい加減に――――――」

 

 声を荒らげた士道を遮ったのは、他ならぬ狂三だった。手を軽く上げて静止した彼女は、一歩前に出て美九と対峙する。

 

「とても魅力的な提案、ありがとうございます。わたくし、感涙に咽び泣いてしまいそうですわぁ」

 

「あらー、物分りの良い子は好きですよー。それじゃあ……」

 

「けど、残念。残念ですわ」

 

 時崎狂三は従わない。女王は他者に従う者ではなく、他者を従わせる者である。彼女を従わせる物があるとすれば、その身を焦がす衝動、生涯をかけて成し遂げると誓った〝悲願〟。譲る事の出来ないただ一つの誓いのみ。

 しかし、他に僅かにでも可能性があるとするならば、それは――――――その身を燃やし尽くさんばかりのもう一つの炎(・・・・・・)だ。

 

 

「わたくし、心を捧げるならこの世界でただ一人、愛しい殿方と決めておりますの。しかし既に――――――その席の主は決まっていますわ」

 

 

 恋焦がれるのはただ一人。狂おしいほどの愛を捧げるのはただ一人。全てを捧げても良いと彼女に思わせる事が出来るのは、ただ一人。

 

 高鳴る鼓動を抑えるように胸に手を当て、大胆不敵な告白をぶちまけた狂三。士道は、あー……と血が上った頬をかいてなんとも言えない表情を作った。自惚れとかじゃなく自分のことなんだろうな、と思うと場所は関係なく嬉しいやら何なのやらと照れくさくなる。

 

「――――――くだらない」

 

 唇を噛んで、美九がポツリと呟く。その声量は、段々と強く、高い拒絶の意思(・・・・・)を具現化させた。

 

 

「くだらない……くだらないくだらないくだらないッ!! そういうの、虫唾が走るんですよッ!!!!」

 

 

 虚空に浮かぶ鍵盤を激しく、荒々しく、叩くように指を走らせていく。楽曲が奏でられ、ステージより響く。

 

「〈破軍歌姫(ガブリエル)〉――――【行進曲(マーチ)】!!」

 

 行進曲の名の通り、勇ましく人を奮い立たせる曲調だった。その瞬間、〝城〟を破り少女たちが糸に操られたマリオネットのように、勢いよく立ち上がった。狂三は未だ〈時喰みの城〉を解いてはいない。とすれば、これは美九の〈破軍歌姫(ガブリエル)〉の力によるものだ。

 

 

「さあ、もう捕まえろだなんて悠長なことは言いません。私に従わない子もいりません!! 私の可愛い女の子たち!! 私の目の前で――――――その二人を殺しちゃってくださぁいっ!!」

 

「あら――――――二人で(・・・)、よろしいんですの?」

 

 

 黒い〝影〟が全てを埋め尽くし、染め上げる。精霊と精霊のぶつかり合い――――――その始まりの合図を、鳴らすように。

 

 

 





Q.手を握ったら〈時喰みの城〉の効果受けないの? A.そもそも今作では狂三が対象を選別できる設定なので実は手を握る必要ないです(直球) 私の趣味だ、良いだろ(プロフェッサースマイル)


〈時喰みの城〉発動シーンは映像なら見開いた目が特撮宜しく光って髪がブワッで舞い上がる感じです。ちなみに筆者は特撮とかでよくある目が赤く光って覚醒する感じが大好きです(趣味丸出し)

人間不信の精霊に見せつけるには酷じゃないかなこれ……みたいなムーヴを正面から堂々としていくスタイル。次回、開戦。

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第四十二話『VS〈破軍歌姫〉』

スーパーくるくるみんタイム


 深淵より現れ(いづる)は影の軍団。それら全てが美しき少女であろうと、全く同じ顔(・・・・・)であったなら人は恐怖を覚えることだろう。悪夢(・・)を見ているようだと。

 

「な――――――なんですかこれはっ!!」

 

「奇跡を起こせるのが自分だけと思うのは傲慢ですわ。あなたが千を超える人を操れるというのなら、わたくしは千を超える『わたくし』自身を従えてみせましょう」

 

 美九の起こす奇跡を塗りつぶしていくように、次々と美九に心酔する少女たちが捕らえられていく。手を、足を、身体を。一人として逃れられない。美九の支配領域は、一瞬にして狂三の支配領域へと塗り変わった。

 影が笑う、千を超える『狂三』が笑う。美九の狼狽も無理からぬ事だった。人を従える不条理を行える彼女とて、全てが同じ姿形をした少女達という不条理をすぐに受け入れろという方が無理な話だ。

 

 刹那、影と『狂三』が塗りつぶした領域に風が舞う。影を吹き飛ばすのではないか、そう思えるほどの暴風。

 

「〈颶風騎士(ラファエル)〉――――――【穿つ者(エル・レエム)】!!」

 

「呼応。〈颶風騎士(ラファエル)〉――――――【縛める者(エル・ナハシュ)】」

 

 人知を超える風。『狂三』はまだしも、人間である士道が耐えられる筈がない。

 

「くぁ……っ!!」

 

 人間一人を軽々と吹き飛ばす暴風。その力で壁に叩きつけられてしまえば怪我では済まない。だが為す術はない。〈灼爛殲鬼(カマエル)〉による回復能力に頼るしかないと一瞬で覚悟を決め、目を閉じて壁に叩きつけられる――――――が、素早く察知した狂三の分身体が、影から上半身だけを覗かせ彼を受け止めた事で事なきを得た。

 

「悪い、助かった……狂三、でいいんだよな?」

 

 実のところ何度か目にはしていたが分身体と話すのは初めてだったため、確認のような問いをしてしまう。こうして見ると本当に瓜二つだが……何故だろうか、いつも話している狂三と分身体の違いが士道には分かる(・・・)。どこが、と言われると困るのだが、時折感じる狂三が近くにいると分かる時の感覚とそれが似ているとしか言いようがない。

 そんな士道の様子に『狂三』は楽しげに笑い、声を発する。あと、助けてくれたのはありがたいが、妙にがっちり掴まれて身動きが取れないのは何故だろう。ていうか手があちこちに動いてこそばゆい。

 

「うふふ、気にしないでくださいまし。むしろ役得ですわ。このような形でないと、士道さんと触れ合う事も出来ませんもの」

 

「う、うん? そうか……?」

 

「ええ、ええ。『わたくし』はわたくしながら独占欲が――――――」

 

 ペチンペチン! といい音を立てて『狂三』の両手を叩いた狂三が、その隙にサッと士道を奪い返す(?)ように引き寄せた。

 

「なぁにをしていらっしゃるのかしらぁ?」

 

「あら、あら。酷いですわ『わたくし』。わたくしは『わたくし』の指示に従い士道さんをお助けしたまで。お叱りを受ける理由はございませんわ」

 

「なら士道さんに必要以上に触れる必要はありませんわよねぇ? 手をあちらこちらと動かしているように見えましたわよ」

 

「ぎくっ、ですわ。それは『わたくし』の目の錯覚ですわ。わたくしは士道さんの身体に異常がないか、念入りに確かめたに過ぎませんもの」

 

「しっかり自白しているではありませんの!!」

 

「お、おい狂三……ああいや、どっちも狂三か。二人ともこんなことしてる場合じゃ――――――」

 

 コントのようなやり取りをする狂三と『狂三』の姿に困惑し取り込まれかけたが、今はこんな愉快な事をしている場合ではない。論す士道の声を遮り、突風が巻き起こる。

 

「耶倶矢、夕弦……!!」

 

 空に浮かぶ二対の翼。それそれが片翼を担い、巨大な槍とペンデュラムを構えている。双子の精霊、八舞姉妹が天空を支配していた。

 

「また性懲りもなく来おったか!! 相も変わらず面妖な手を使いおって……姉上様に危害を加えようとする者は、たとえ誰であろうと容赦せぬ!! 煉獄に抱かれたくなくば疾く去ね!!」

 

「警告。これが最後通牒です。今すぐ消えてください。これ以上刃向かうようであれば、本気であなた方を排除せねばなりません」

 

 視線が突き刺さる。二人は士道や狂三の事を忘れているわけではない。現に耶倶矢は一度見たと言っていた狂三の力を、夕弦は士道だけでなく狂三も含めて物を語っている。だが、それでいてなお、二人の敵意は本物だというのだからタチが悪い。

 

「士道さん、狂三さん……!! お、お姉様には……指一本、触れさせません……!!」

 

「……趣味が悪いですわねぇ」

 

「ああ、本当にな……」

 

 いっそ覚えていない方がやりやすい、そう言わんばかりの表情の狂三を見て、士道も苦虫を噛み潰したような顔で同意する。過去のことを忘れたわけではない。しかし、美九の存在が何もかもを超えるような形で最上位に刷り込まれてしまっていた。止めるには、やはり美九を説得する他ない。

 四糸乃が〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の力を振るい、氷の壁を作り出す事で宣言通り『狂三』の進軍を食い止めていた。

 

「ふ、ふふ……そうですよぉ。私には今、可愛い可愛い精霊さんが三人も付いているんです……!! 負けるはずがありません!!」

 

「き、ひひ。きひひひひひひひひひひひッ!! どうしましょう、どうしましょう。困りましたわ。困りましたわ。そのような態度を取られると――――――本気で叩き潰して差し上げたくなってしまいますわ」

 

「ひ……ッ!!」

 

 息を吹き返した美九に対し、狂三が心なしか低く殺気の篭った声を返すと、余程恐ろしかったのか彼女が小さく悲鳴を上げる。慌てたのは士道だ。彼女の本気(・・)はシャレにならない。

 

「狂三!!」

 

「分かっていますわよ。わたくしも少々、気が立っているようですわ――――――お行きなさい、『わたくし』たち」

 

 やれやれと言うように首を振った狂三が分身体に指示を出す。約束事を破られた(・・・・・・・・)、というのにお優しい方だ。自分なら、地の果てまで追いかけて殺してしまいたくなる。

 『狂三』たちが本体の号令に従い制圧射撃を始める。豪雨にも似た弾丸の雨。しかし、暴風を纏った八舞姉妹には小雨に等しい。

 

「くかかかか!! 斯様なものが我ら颶風の御子に効くと思うてか!!」

 

「一蹴。このような攻撃、夕弦たちの風の前には豆鉄砲と変わりません」

 

「先刻承知、ですわ。怪我をされては困りますもの(・・・・・・・・・・・・・)

 

 通用しないことは知っているし、通用してもらっては困る。限定的な力とはいえ精霊は精霊。狂三の予測を上回る事は無いが、下回る事も無い。何も言っては来ないが、内心では操られた三人のことも心配している欲張りな(・・・・)方の為にも、完璧に役割をこなして見せよう。

 

 狂三が高々に片手を翳す。士道は、見覚えのあるその仕草にハッとなる。謳うは名。奏でるは奇跡。美しすぎる女王が鳴らす、時の号令。

 

 

「さあ、さあ。わたくしたちの力、見せて差し上げましょう。おいでなさい――――――〈刻々帝(ザフキエエエエエエエエエル)〉」

 

 

 号令と共に金色の時計が姿を見せる。奇跡の体現。この世で唯一、不可逆の〝時〟に干渉し得る〝天使〟。狂三が時の女王たる所以。

 

「では、士道さん。準備はよろしいですわね?」

 

「ああ……多少荒っぽくても構わない。やってくれ」

 

「ご安心ください。『わたくし』に変わりわたくしが、あなた様の事を責任をもってお守りいたしますわ。達成の暁には、ご褒美に士道さんの綺麗な腕を一つ――――――」

 

「あなたは余計な口を挟まないでくださいまし……!!」

 

 再び分身体に身体を抱えられながら、彼女たちの言い争いに苦笑いする。士道としても、分身体の言うバイオレンスな報酬は勘弁願いたい。

 作戦の大まかな内容は、ここに来る前に共有済みだ。多少、危険は伴うが士道が今更そんな事を躊躇うはずもない。だからこそ、狂三も覚悟ではなく準備は出来ているな、と聞いたのだろう。

 

「出来うる限りの時間は稼ぎますわ。士道さんはその間に美九さんを説き伏せて改心……は、一度では難しいでしょうけど、十香さんの救出を邪魔しないことだけでも約束させて来てくださいまし。まあ、あの方が約束を守るかは別問題ですけれど」

 

「狂三、美九に対してやけに辛辣だよな……」

 

「わたくしは、守るべき約束事を守らない方は好みません。それだけですわ。士道さんが甘すぎるのではなくて?」

 

「……騙してたのは俺だし、な。まずそこは謝らねぇと」

 

「――――――そういう優しさが、人を引き寄せるのでしょうね」

 

 かくいう自分も、少なからずこういう面に引かれてしまったのではあるが。自分にしか聞こえないように呟いた狂三が皮肉げに笑い、士道を抱えた分身体へ銃を構える。

 

 

くれぐれも(・・・・・)、士道さんを頼みますわよ、『わたくし』」

 

「ええ。承りましたわ、『わたくし』。きひひ。士道さんが心配なのは分かりますけど――――――」

 

「っ、〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】」

 

 

 声を遮り、銃の引き金が引かれる。狂三が扱う弾の中で一番見慣れた【一の弾(アレフ)】の力は、時間加速。

 

「ぐ……っ!!」

 

 それを理解していても襲いかかる重圧は強烈だった。歯を食いしばる士道を抱え、『狂三』が美九のいるステージまで一息に疾走する。

 恐るべきは八舞姉妹の動体視力だろう。真那でさえ捉えきれなかった加速した狂三の動きを、二人は明確に捉えていた。しかし、それを予測しての『狂三』による制圧射撃だったのだろう。八舞姉妹が動き出す頃には四糸乃が塞ぐステージへと辿り着くことが出来た。

 

「きひひひひひひひひひッ!!」

 

「き、きゃ……っ!!」

 

『のわー!! 狂三ちゃんちょっとずるいんじゃないかなー!?』

 

 氷の壁を生成するより早く、無数の『狂三』が弾丸の如く〈氷結傀儡(ザドキエル)〉へ飛びかかっていく。確かに、数の値で言えばよしのんの言う通り、少しズルいと言うべきなのかもしれないが……狂三がそのようなこと遠慮するはずはなく、士道も今は手段を選んでいられない。

 槍のように降り注ぐ氷塊を紙一重ですり抜けるように避けた『狂三』が、遂に美九の元へ辿り着く。

 

「な……むぐっ!?」

 

 美九がアクションを起こすより先に、肉薄した『狂三』が彼女の武器である〝声〟を発する口を、影を広げ飛び出した分身体を使って塞ぐ。これで近接における攻撃手段は封じる事が出来た。続けて次から次へと這い出た分身体が美九の身体を拘束、〝影〟の中へと引きずり込んでいく。

 美九だけではない、士道の身体も同じだ。だが必死に抵抗しもがく美九に対して、士道は動揺せず〝影〟へ身を委ねた。事前に教えられていたのもあるが、以前、狂三が言っていた影の中(・・・)とはこの事なのだろう。身体の大半が影に呑み込まれたその時、士道が振り向く。一言、彼女に伝えておきたいことがあった。

 

 

「ありがとな狂三!!――――――お前も気をつけろよ!!」

 

 

 彼女がどれだけ強くとも、士道にとっては愛すべき少女だ。余計なお世話かもしれないが、この一言は伝えておきたかった。狂三の頑張りに報いるため、十香を救うため――――――士道は、影の中での対話へ挑んだ。

 

 

 

「気をつけろ――――――だなんて。ご自分の心配をなさるのが先でしょうに。バカな人」

 

「そう言う割に顔が嬉しそうですわよ、『わたくし』」

 

「お黙りなさい」

 

「あーれー、ですわー」

 

 わざとらしく悲鳴を上げ、他の分身体と同じく八舞姉妹へと向かっていく分身体の一人へため息を吐く。そのようなこと、指摘されるまでもなく分かっていた。何せ『狂三』は狂三であるのだから。己が士道に向ける気持ちを理解している狂三が、『狂三』が気づく狂三の感情を理解できない道理はない。分身体であれ狂三は狂三、そういうものなのだ。

 士道は万に一つでも、狂三が士道と美九の霊力を総取りする可能性は考えなかったのだろうか……考えなかったのだろうな、あの方はそういう人だと分かっていた。

 

「く……よくも姉様を!! 許さんぞ吸血鬼ッ!!」

 

「その呼び方は変わりませんのね――――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 撃ち込む対象を自らではなく分身体に定め、連続掃射。十数発の【一の弾(アレフ)】が残らず分身体に命中し、その動きを格段に早める。他の分身体と連携し三人の精霊を撹乱する。

 

「奮起。この程度、大したことはありません」

 

「よし、のん……!!」

 

『おうともー!! でもすばしっこいね本当にー』

 

 とはいえ、流石は風の精霊と言ったところか。加速した分身体の動きを完全に見切り、暴風を拡散させ弾き飛ばす。四糸乃も〈氷結傀儡(ザドキエル)〉による冷気で氷柱を生成、幾人もの『狂三』を薙ぎ払っていく。

 限定的な霊力とはいえ三人。しかも、狂三は手加減しながら〝影〟を守る必要があると来た。この後(・・・)の事を考えても、霊力はあまり多く使用することは出来ない。あの子(・・・)から譲り受けた(・・・・・)霊力もあるため戦闘行為自体に問題はないが、それも連続して出来ることではないためやはり限界はある。

 

 〝影〟は狂三の所有する空間。当然、中の会話も聞こえてくる。色々と突っぱねられながらのようだが、会話自体は出来ているらしい。今は、美九が履行すべき約束の話をしている。どうやら、変わりの条件を付けて説得を行っているようだが――――――

 

 

『十香を助けるのを、手伝ってくれ』

 

「………………」

 

 

 狂三が踵で影を強く踏みつけたのは偶然だ。他意はない。士道の考えは分かるし理解もしているがそれとこれとは話が別で……多分、他意はないんじゃないかなぁ?

 

 

 

「っ……今のは……?」

 

 美九との会話中、突然〝影〟の中が振動した事に驚き、士道は思わず辺りを見渡す。美九も驚いているところを見ると、彼女が何かしたというわけではないらしい。もしかしたら、外での戦いの影響がこちらにも出ているのかもしれない。だとすれば、なおのこと話を急ぐ必要があった。

 

「美九、今言った通りだ。十香を助けるのを手伝って欲しい。勝負の約束で求めるのは、これだけだ」

 

「……私の霊力を封印するのが目的なんでしょう? なんでそこまでするんですかぁ?」

 

「十香が大切だからだ。それ以外に、理由なんていらない」

 

 士道が十香を危険を冒してまで救いたいと思う事に、これ以上の理由は必要ない。大切だから……たとえ、十香以外の精霊が拐われたとしても彼は同じ言葉を返す事だろう。だが、誘宵美九にとってそれは最も信じ難い言葉だ。いや、信じたくない(・・・・・・)というのが正しいかもしれない。

 

「ふん……っ!! お断りですぅ!! だいいち、なんで私がそんなことしてあげなくちゃならないんですかぁっ!」

 

「み、美九……」

 

「もう嫌です!! あなたの話なんて聞きたくありません!! 全部嘘です!! 裏があるんです!! 人間みたいな利己的な生き物が、誰かをそんなに大切にするはずがないんです!!」

 

「お前、またそんなこと……どうしてだ!!」

 

 人を信じず、人を物のように扱い、人を拒絶する(・・・・)。そんな美九の生き方、価値観がどうしても士道には理解できなかった。彼女の過去を垣間見て、彼女の歌に込めた〝想い〟を感じ取ったからこそ、分からないのだ。まだ欠けたピースが埋まっていない、そんな気がする。知りたかった、あまりにも悲しい生き方をする誘宵美九を、彼女がそうなってしまった理由を。

 

「なんでそんなに人間を拒絶するんだ!! お前だって――――――」

 

『――――――士道さん、そろそろお時間ですわ』

 

「っ!?」

 

 黒一色の空間に光が、声が差し込む。次の瞬間、二人は揃って引き上げられた(・・・・・・・)。影に呑み込まれた時とは真逆の浮遊感に包まれながら、士道の視界は黒の世界から多原色の世界へ回帰した。

 

「う……狂三……っ」

 

「もう少し時間を差し上げたかったのですが、精霊三人が相手ではそう簡単にはいきませんわね。そろそろ引き時ですわ」

 

 周囲に目をやる狂三を追うように視線を飛ばした士道は、息を呑む。未だ多数の分身体は健在……しかし、同時に夥しい数の屍が転がっていたのだ。もう少し、もう少し美九と話す時間が欲しい、そう言いたかった。けど、言うわけにはいかなかった。限られた時間を引き伸ばしてくれた狂三に報いる事が出来なかったのは、自分の責任だ。

 

「分かった……すまん――――――っ!?」

 

 言葉を途中で切り、目を見開く。正面から迫り来る巨大な氷柱。間違いなく〈氷結傀儡(ザドキエル)〉による霊力の篭った一撃。突き刺さる、なんの構えも取れずそう思う事しか出来なかった――――――刹那、士道と狂三を避けるように氷柱が分断された。

 

 

「お前……!!」

 

「あなたと会う時はいつもこんな状況ですね。五河士道」

 

 

 油断なく刀を構えた白い少女が語るように、士道も少女と会う時はいつも似たような状況だなと思わざるを得ない。気づいた時にはもうそこにいる。そう言っても過言ではなく、瞬きする間に少女は彼の目の前に現れた。

 

「我が女王。ここは引き受けます」

 

「任せますわ――――――【一の弾(アレフ)】」

 

 少女が現れる事が当然、想定内。両者共にそう思わせるほど流れるような短い会話を済ませ、狂三が【一の弾(アレフ)】で高速化を行い、士道を抱えてステージに空いた大穴から夜の空へ離脱する。

 

「に、逃がさないでください……っ!!」

 

「応とも!!」

 

「了解。承知しました」

 

「そのセリフ、そっくりそのままお返しします」

 

『っ!!』

 

 美九の声に従い高速化した狂三に追い縋る八舞姉妹が足を止める。止めねば、その一刀が風ごと彼女たちの身を切り裂いていた。空への道を塞ぐように照明器具に足をかけた少女が、敵意の視線を隠さない三人の精霊へ堂々と立ち塞がる。

 

 

「颶風の御子。あなた達と私、どちらが速いか――――――試して見ます?」

 

「小癪な……っ!!」

 

「応答。望むところです」

 

 

 瞬間、八舞と白い少女の姿が消え失せ――――――疾風と神速が激突した。

 

 

 

 

 

「――――――すまん狂三。約束をさせるどころか怒らせちまった。せっかくお前が頑張ってくれたのに……」

 

 白い少女の援護を受け、無事に離脱しビルの影に隠れるように身を潜めた士道が安堵の息を吐く。そして、不甲斐ない結果に終わったことに小さく唇を噛んでから声を発した。狂三に頼りきりになっている現状、自分の成すべきことはしなければならなかったのに、ハッキリとした答えを得ることが出来なかった。

 士道の言葉を聞いた狂三が、気にするなと言うように首を横に振って微笑みを返す。

 

「自分を責めないでくださいまし。聞いていた限り、美九さんは危険を冒してまでこちらの邪魔をするという意思はないご様子でしたわ。わたくしがいる限り、ひとまずは問題ないでしょう」

 

「なるほどな……」

 

 今一番の最優先は十香の救出。それを邪魔しないのであれば、最低限の目的は果たせたということだろう。確かに狂三の驚異を目の当たりにして、こちらを狙ってくるリスクを美九はわざわざ侵さない筈だ。

 

「でェ、もォ……」

 

「でも……?――――――いだだだだだだだだだっ!?」

 

 痛い。突如引っ張られた耳が凄い痛い。この、引きちぎれるとかではないがとにかく痛いという、なんとも絶妙な力加減だった。にっこりと笑顔の筈なのに、嫌に圧力のある狂三に怯えながらも士道は抗議の声を上げる。

 

「狂三!! 痛い、痛いから!!」

 

「ええ、ええ。美九さんの説得を任せたのはわたくしですし、士道さんが適役なのも理解していますわ。しかし、美九さんを仲間に引き入れようとしたのは気に入りませんわ。わたくしとあの子の助力では不足、と仰りたいんですの?」

 

「そ、そういうわけじゃなくて……俺はお前の事だって心配なんだよ!! だから拗ねないでくれって!!」

 

 狂三と白い少女の力は信用しているし頼りになる。が、未だ全貌が見えてこない敵に挑むのに〝確実〟という言葉は存在しない。それは狂三も分かっているだろうと思っていたので、彼女がこんなに分かりやすく拗ねる(・・・)のは驚きだった。

 

「……わたくしは拗ねてなど。士道さんがわたくしを慮っていることも、敵の戦力が未知数ということも理解していますもの。むしろ、あなた様の判断力を賞賛いたしますわ」

 

「いや、相談もしないで悪かった……」

 

 どう考えても言動が拗ねてるし、珍しく拗ねたような表情で頬を膨らませるという是非写真に収めておきたい表情をしていたのだが、如何に士道と言えどやぶ蛇をつつく勇気はなかった。

 

「……そう思うなら、もっと褒めてはくださいませんの?」

 

「え……」

 

「頭を、撫でてくださいまし」

 

「っ」

 

 目を伏せて、遠慮がちに言ういつもとは違った狂三に息を詰まらせる。赤いのは抓られた耳だけではなく、彼の顔も同じだと思う。士道は、そっと手を伸ばして彼女の頭を撫でた。

 

「……少しの間、このままで」

 

「ああ。おやすい御用だ」

 

 絹糸のように細く、線密な黒髪。紅いヘッドドレスの上からだが、それをしっかりと感じられた。その繊細さに驚きながらも、士道は彼女の言葉に従い優しく撫で続ける。いつもの超然とした時とも、戦う時に見せる凄絶な笑みとも違う。例えるなら……心地の良いブラッシングを受ける猫、だろうか。目を閉じて、リラックスした表情で士道の手に身を委ねていた。

 数秒か、数分か。お互い、心地よい空間だった。そうして、士道が微笑を浮かべ狂三を見つめていると……。

 

「……ん?」

 

なんだか、反対の手が勝手に(・・・)動いている気がした。狂三から視線を外し、反対方向へ視線を向けると――――――狂三がいた。

 

「……んん?」

 

「うふふ、士道さんの綺麗な腕……確かに頂戴いたしましたわ」

 

「……ああ。あの時の――――――」

 

 ニコニコとした顔で声を発する『狂三』に、その正体を察した士道が言葉を発したのもつかの間、蠢いていた影が勝手に動き、士道から強引に『狂三』を引き剥がした。酷いデジャヴを感じる。

 

「わたくしの許可も得ず、何をしていらっしゃるのかしら、『わたくし』」

 

「『わたくし』ばかりご褒美を貰うのはずるいですわ。と、わたくしは直球に『わたくし』に物申しますわ」

 

「遂に弁解すらしなくなりましたわねぇ!?」

 

「これは全士道さん派閥のわたくしによる意見の総意と受け取って貰って構いませんわ!!」

 

「もう黙っていてくださいまし!!!!」

 

「あーれーひーとーさーらーいー、ですわー」

 

 パチンと狂三が指を鳴らすと、大変愉快な悲鳴(?)を上げながら影の中へと吸い込まれて行った。影から出てきたのに、人攫いとはよく分からない断末魔(?)であった。

 

「……狂三」

 

「見なかった事にしてくださいまし。影には何もいませんわ」

 

「無理があると思うぞ。今のは――――――」

 

「知りませんわ。わたくし、何も知りませんわ」

 

「えー……」

 

 全士道さん派閥とか、凄い気になりすぎる単語があったのだが、狂三は答えるつもりはないのかシラを切り通すつもりなのか士道の視線を左から右へ受け流すように逃れていた。

 先程までの心地よい時間はどこへやら、狂三は内心頭を抱えた。だから、分身体を士道に会わせるのは避けたかったのだが……この暴走した個体より明らかな問題児が控えている事を、本人が一番よく知っているので、もう頭が痛いなんてレベルではなかった。自分の最大の敵は自分、という言葉がこの世で一番似合う気がした。

 

「……あー、私が会話に入っても?」

 

「おわっ!?……あ、〈アンノウン〉……良かった、無事だったか」

 

「無事の算段をつけられないような戦いはしませんよ」

 

 いつから居たのか、なんとも言えない空気になるのを待っていたと言わんばかりに白い少女が暗がりから姿を見せた。狂三が任せたので大丈夫だとは思っていたが、傷一つ見られない少女にホッと胸を撫で下ろす。

 

「そうだ!! あいつらは……」

 

「〈ベルセルク〉ですか? あなた達が離脱する間の時間を稼いだあとは、しっぽを巻いて逃げさせてもらいました」

 

「逃げたって……簡単に言うけど、よく耶倶矢と夕弦から逃げきれたな……」

 

 相手は精霊最速。その上、狂三の時間加速でさえ視認可能な動体視力まであるというのに、こんなあっさり少女が逃げ切れたことに士道は目を見開いて驚く。白い少女が恐ろしく速いのは知っているが、流石に八舞姉妹との速さ勝負で振り切れるとは信じられなかった。それほどまでに、あの二人は速いのだ。

 

「……ん。逃げるのに相手の土俵で勝負する必要はありませんからね。ちょっと姿を隠せば見失ってくれるんですよ」

 

「あなたが本気で隠れたら、誰も見つけられませんものねぇ」

 

「そういう事です。ああ、私の事よりご報告があります。今し方、夜刀神十香の居場所が判明したとこっちに報告がありました」

 

「っ!! 本当か!? どこだ!? 十香は無事なのか!?」

 

 待ち望んだ情報に、士道は掴みかからんばかりに少女へ詰め寄る。焦るなという方が無理な話だった。

 

「士道さん落ち着いてくださいまし――――――それで、十香さんは?」

 

 言葉で制しながらも、狂三は白い少女へ先を促す。少女はこくりと頷き、声を形にした。敵の本拠地、その厄介な場所の名を。

 

 

「――――――デウス・エクス・マキナ・インダストリー日本支社、第一社屋。偉そうな名前で偉そうに構えているそこが、夜刀神十香の幽閉されている場所です」

 

 

 

 




Q.分身体自由すぎない? A.だから士道の前で出したくなかったんでしょうね

分かってるけどそういう気持ちは抑えきれないものでして。ちなみに八舞姉妹と白い少女どっちが速いのかは特撮の作品超えたスピード勝負くらいキリがないものと思ってください。冗談です。

次回は少し脇道それてある二人の会話がメイン。では次回をお楽しみに!




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第四十三話『白と焔の語らい』

二人の戦争の裏で進行するもの。どこまでが建前で、どこまでが本当なのでしょうね?


 

 

「なら……はい。士道さんなら、そうすると思います。……一瞬の躊躇いもなく、十香さんを助けると思います。たとえ……それで、自分が……死んでしまうとしても」

 

「かか、まあ、士道であればそうするであろうな。賭けてもよいぞ。あの馬鹿は、己が身を顧みず死地に足を踏み入れる。それは我や夕弦のためであってもだ」

 

「肯定。悪い言い方をすれば、彼はどうかしています。きっと十香さんのためとあらば、何を捨ててでもそれを成そうとするでしょう」

 

 

 十香を助けるために士道が命をかけるかどうかの問いかけ、その答え。

 三者共に全く同じ意見だった。信じ難い、信じられないが……あの男は本気で、囚われた精霊一人のために命をかけようとしている。〈破軍歌姫(ガブリエル)〉によって美九に忠実になった少女たちは、彼女が命じた事に嘘はつけない。

 

 

『十香が大切だからだ。それ以外に、理由なんていらない』

 

「……なんですか、それ……!!」

 

 

 士道の言葉が頭にこびり付いて、離れない。大切だから? そんなもの、人間が並べる綺麗事でしかない。人は勝手な生き物だ、自分の事しか考えない愚かな生き物なのだ。そうでなくてはいけないのだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

『わたくし、心を捧げるならこの世界でただ一人、愛しい殿方と決めておりますの。しかし既に――――――その席の主は決まっていますわ』

 

 

 愛など、無価値なものの筈なのに。代わりを用意してやればあっさり鞍替えしてしまう。その程度のくだらない(・・・・・)物でしかない。

 

「あの精霊さん……狂三さんと士道さんの関係は、知ってる人はいますかぁ?」

 

 興味本位だ。最初は遠目から、次に見た時は正面から堂々と現れた謎の精霊。恐ろしい力と重圧を持ちながら、士道とただならぬ関係を見せた彼女は警戒しなければならない。少しでも情報が欲しい、それだけだ。あまり期待はしていなかったが、同じ精霊の繋がりからか四糸乃、耶倶矢、夕弦が再び答えてくれた。

 

「あ、の……士道さんは、狂三さんの事をとっても大好きで……狂三さんも、きっと……同じだと、思います」

 

「うむ。我もあまり深くは知らぬが、盟約を交わした仲だと聞いたことがある。それほど強い繋がりを持つ者たちよ。我ら颶風の御子ほどではないがな!!」

 

「首肯。離れていたかと思えば、気づけば共にいる。そのように感じます」

 

「…………」

 

 唇を噛み締め、渋面を浮かべる。わけがわからない。あれだけの力を持つ精霊が、人間と、それも男なんて劣等生物と通じあっている? 好きあっている? 理解不能だ、不条理だ、信頼し合う自分たちに酔っているだけだ。

 苛立ちを抑えきれない。どれだけ綺麗な子達を見ても、どんなに美味しい料理を口にしても変わらない。無価値だと分かっているはずの事が、何故か苛立ちを加速させる。

 

 信じることを止めた歌姫に、人と精霊の信頼など信じられるはずがない。だからこそ――――――美九は、酷く彼らが気にかかってしまったのだろう。それを自覚していない彼女を救えるものは、この孤独な城の傍にいるはずもなかった。

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 白い少女は待っていた。巨大なビル群を越え、広大な星空の下にいるであろう者からの連絡を。想像よりかかっているようだが、〝アレ〟が彼女の身を〝声〟から守ったのならもう連絡が入ってもおかしくない筈だ。

 ノイズ音が響き、少女は眉を上げる。五河士道のインカム(・・・・・・・・・)から待ち望んでいた声が届いた。

 

『――――――士道。聞こえる? 聞こえたなら返事をしてちょうだい』

 

「申し訳ありません。五河士道は夜のデート中です。代わりに、私と世間話でもどうです?」

 

『っ……あなた』

 

 通信先で息を呑んだ彼女が、応答した声の主が誰なのかを一瞬で察した。

 

 

「こうして話すのは初めてですね。名前などない身ですので、あなたの好きに呼んでください」

 

『そうね……何度も世話になったのに不思議な気分よ。知ってるとは思うけど、私は五河琴里。初めまして、になるのかしら――――――通りすがりの精霊さん?』

 

「はい。よろしくお願いします、五河琴里。ああ……凄く、綺麗な名前ですね」

 

 お互いがお互いを知り、同じ精霊であり、しかし相見えることはなかった。その二人が今、通信越しで会話をしている。冗談か本気か、その賛辞の言葉を受け止めた琴里が声を返す。

 

『あら、ありがと。煽ててもこっからじゃ何も返せないわよ』

 

「ふふっ、そんなんじゃありませんよ。純粋な私の気持ちです」

 

『そ。うちの士道は強情なお嬢様と一緒、ということかしら?』

 

「ええ。ですから、少し私に付き合って欲しいんですよ」

 

『ふぅん……まあいいわ。あなたのお陰で(・・・・・・・)、私は命拾い出来たんだから、それくらいは付き合うわ』

 

「……一度で気づいたんですか」

 

 渡した目的の一つであったとはいえ、こんなにも早く効果を発揮するのは少女とて想定外だった。琴里が気づくのは時間の問題と思っていたが……と、通信先から含みを持った笑い声が聞こえてきたところで少女は自らの失言に気づいた。

 

「……ん。鎌をかけられてしまいましたか」

 

『ええ。けど、私が助けられたのは鳶一折紙の時もあったから、簡単に引っかかってくれると思ってなかったのだけれど……』

 

「……こういうのは苦手なんですよ。取り繕ったところで、狂三みたいに上手くいきませんね」

 

 複数の意味を持たせた言葉を素直に答えてしまった時点で、少女が何かをしたと自白したようなものだ。知識があろうとそれを活かすだけの技量がなければ意味が無い。そういう意味では、少女は狂三のような立ち振る舞いは出来ない。腹の探り合いは苦手だ。

 

『意外ね。あなた、そういうの得意なタイプだと思ってたわ』

 

「……そう見せてるだけですよ。人より少し、知っている(・・・・・)事が多いだけです」

 

『その口振りだと、私たちの事も大体把握してるんでしょう』

 

「〈ラタトスク〉機関。精霊の討滅ではなく精霊の保護を目的とする唯一の組織。上の方は知りませんけど、現場のあなた方は本気でそれを目指しているのも知っています。何せ、我が女王を前にしても事を成そうとするんですから」

 

『お褒めいただき光栄だわ。そこまで知ってるなら、私の言いたいことも分かるわよね?』

 

「……ええ。是が非でも私の霊力を封印したい……その想いは理解しています、納得もしています。でも、ごめんなさい。私にも私の〝計画〟があるんです。それを成すまでは、この力は無くせない」

 

 五河琴里は本気だ。彼女は本気で、精霊の保護という夢物語に等しい目的を果たそうとしている。その想いと、そのために危険が飛び交う戦争の矢面に立たせてしまっている五河士道への想い、少女にだって理解はできる。理解は出来ても、自らがその救いを受け入れられるかは別の話。少女は、彼らの善意を一方的に拒絶する事しか出来ない。

 

『計画……ね。聞けば、内容を答えてくれるのかしら?』

 

「……どうでしょう。答えられる範囲でなら」

 

『そう。なら単刀直入に聞くわ。あなたの目的はなに?』

 

 答えられる範囲で、と言ったのだが想像以上に直球な質問に少女は苦笑する。炎のように苛烈で真っ直ぐな人……ああ、思わず口が滑ってしまう(・・・・・・・・)ほどに真っ直ぐだ。

 

 

「……さて、あなた達にとっては小さく、くだらない事かもしれません。けど、私にとっては――――――何を犠牲にしても、成し遂げるべき目的です」

 

 

 ただ、その為に少女は事を成そう。誰に理解されようとも思わない。誰に否定されようと構わない。何を支払おうと、何を踏みにじろうと、何を見捨てようとも、少女はその手に刃を握る。五河士道に狂三を救うという目的があるように、時崎狂三に成すべき〝悲願〟があるように――――――少女にも、果たすべき〝計画〟がある。

 

「……私から言えるのは、これだけです」

 

『……あなたに相応の覚悟があるのは理解したわ。狂三についてるのも、その計画のためってことかしら?』

 

「……ん。そう取ってもらって構いません。でも私とあの子の目的は違いますから、狂三の事が知りたかったら五河士道に頼ってください。ある意味、一番狂三に近いのは彼ですから」

 

『そうね――――――あーあ、ほんと悪い女に引っかかってくれちゃったわ』

 

「ふふ、その悪い女が将来の義姉(・・)かもしれませんよ?」

 

 可能性としては高い、というより強すぎるほど両思いなのに、そうならない可能性がまだ残っているややこしい状況の方が改めて驚きではあった。

 冗談めかした少女の言葉を聞いた琴里がゲッ、と心底嫌そうな声を発した。

 

『勘弁してちょうだい……って、あなた狂三側でしょう? 士道が勝つ前提で話していいのかしら』

 

「おや、これは失言でした。どうか、あなたの胸に留めていただけるとありがたい」

 

『否定はしないのね。まるで、士道が勝つ事を望んでる(・・・・・・・・・・・)みたいよ』

 

「……さぁて、ね。私は私の〝計画〟のために、最良の可能性を探りたいだけですよ。全ては――――――我が女王のためにね」

 

 女王が勝つか、少年が勝つか。どちらにせよ……いいや、どちらが勝とうが〝計画〟の到達を目指す事には変わりない。過程がどう変わろうと、どれだけ予想外の事が起ころうが、少女は必ずその結末を手繰り寄せてみせる。それが……白い少女の全てだった。

 

「……思った以上に口が滑ってしまったみたいです。興味本位でしたが、今宵はあなたと話せて光栄でした、五河琴里」

 

『私もよ……まさかと思うけど、本気で私と話がしたかっただけなの?』

 

「はい。それ以外に理由はありませんよ。〝アレ〟があなたの手にあるなら、もう少し早く連絡が来ると思ってたんですけど……」

 

『お陰様で私は無事だったのだけど、生憎と部下が優秀すぎたのよ。通信の復旧に想像以上の時間がかかったわ』

 

「……それは、ご愁傷さまです」

 

 壊すのは直すことより簡単、という事だろう。操られたクルー達にプログラム系統をめちゃくちゃにされて、その復旧をこれまたクルー達が行った事で通信を送るまでに時間がかかったという事らしい。

 ……ちなみに、少女は知る由もないが琴里が暴れ回った事による物理的損害もあったことは、ここに留意しておく。

 

『本当よ。それと――――――礼を言わせてちょうだい。この事だけじゃない。私の力を封印した時の事、士道を助けてくれた事も含めて……感謝してるわ。ありがとう』

 

「……私の目的の為に必要だっただけです。あーもう、そういう律儀なところはそっくりなんですね、あなた達ご兄妹は」

 

 ただ必要だからやっただけ、借りを返しただけ――――――理不尽が、見過ごせなかっだけだ。そんな風に感謝されてはくすぐったくて仕方がない。

 

『最高の賛辞ね。素直に受け取っておくわ……わざわざ士道を介して私に送ってくれた〝これ〟も、あなたの計画の内ってわけ?』

 

「……ん。あなたには盤上から降りてもらっては困りますからね。そうならないための余計な気回しと思ってください」

 

 今頃、見た目はなんの変哲もない〝お守り〟を眺めているのだろうか。その名の通り、本当にお守り程度の力しか持たぬ物ではあるが、それが少しでも彼女の助けになると言うならリスクを冒す価値はある。彼女の存在も既に、自分の〝計画〟に欠かすことの出来ない重要な人物(クイーン)であるのだから。

 

『そう……これは、あなたの〝天使〟の力、と見ていいのかしら。ほんと、とんでもない事できるのね』

 

「ご想像にお任せしますよ。〝それ〟は好きなように扱ってくれて結構です。余計だと思ったら捨てるなりしてください」

 

『ありがたく貰っておくわ。あなたを落とす(・・・)のに好意を突っぱねる必要はないもの』

 

「……あ、やっぱり諦めてくれませんか?」

 

 初めて明確な意思表示を行い、向こうの好意を拒否したつもりだったのだが、この口振りは諦めるつもりは毛頭ないらしい。苦笑気味に問いかける少女に、琴里は不遜なまでの自信で言葉を返す。

 

『当然でしょ。こっちは諦めが悪いのが取り柄なのよ――――――特に士道はね』

 

「……そうでしたね。彼のそういうところは、私も嫌いではありません」

 

 五河士道という男の筋金入りのお人好し(・・・・)が、少女は実のところ嫌いではない。自らが傷つくことさえ厭わない彼の姿勢は、他者を引き寄せ、救う事が出来る言葉を作り出す。

 並大抵の精神では成し得ない士道の姿を見たからこそ、少女は士道に可能性を賭けてみたいと思った。記憶にある〝彼〟ではなく、誰でもない自分が見た五河士道(・・・・)を――――――女王に見定められ、魅入られた少年に。

 

「……さあ、名残惜しさはありますが、そろそろこの通信を持ち主に返そうと思います。そちらとしても無事を確かめたいでしょう?」

 

『ああ、その事なら真那が新しいインカム、を…………』

 

 言葉の途中でその意味に気づいたのだろう。琴里の言葉が不自然に止まり、二人の間に数秒の沈黙が流れた。

 

「…………彼女が、ですか」

 

『……ええ。真那が、ね』

 

「……彼と狂三の事情、知りませんよね?」

 

『……そうね。どう言うべきかこっちも迷ってたから。あと、さっきは狂三の分身体と揉めてたわね』

 

 DEM社の非人道的なやり方を知り、〈ラタトスク〉が保護していた真那が、屋上の一件以降の事情を詳しく知っている筈もなく、そもそも説明が出来るとは思えない。狂三の分身体というのは、間違いなく天宮スクエア上空にいた彼女達のことで、それは殺し合いになる前に分身体が引いたはずだが……さて、詳しく事情を知らない彼女が狂三と士道が共に居た時、どう思うかと言えば――――――兄をまた誑かした最悪の精霊、だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ここに……十香が」

 

「ここから先一帯は、DEMの関連施設ばかり……見えるビル群は、全て系列会社の社屋や事務所、研究施設などですわ。あの子が言っていた第一社屋は、この中央にある大きな建物ですわね」

 

「あそこか……っ!!」

 

 夜も更け、人通りの少ないビルのオフィス街の一角。いくつも聳え立つ高層ビルに、狂三の言うより一層大きなビルを士道は睨み付けた。あの中に十香が囚われている。狂三の助力を得る事で、ようやく救出の入口まで来る事が出来た。ここからが本番だが……〝敵〟の本拠地、一筋縄ではいかないだろう。そう、目的すら不明瞭な〝敵〟の存在というのは驚異的だ。恐れはないが、気になる事ではあった。

 

「あいつら、十香をどうするつもりなんだ……狂三は知ってるのか? DEMの奴らが何をやろうとしているのかを」

 

「さァて、わたくしも士道さんと知っている事に差はありませんわ。精霊を狙う理由が知りたければ、発案者に聞く他ありませんわね。私利私欲……自らの贅のため、DEM社の繁栄のため、様々な理由は予想出来ますけれど――――――それなら、もう少しスマートなやり方をなさると思いますわ」

 

 精霊を捕らえようとする理由は、狙うものによって様々だろう。その力を直接利用しようとするものや、その力で権力の繁栄を願うもの。多々ある中で、DEMインダストリーはそういった目的からかけ離れているように思えてならない。世界有数の大企業が取るにしては、やり方が強引すぎる。前回にしても、今回にしても現地の組織に正面から喧嘩を売るやり方を取っているのだから、当然反発はそれ相応に湧き出てくる筈である。

 反発を全て抑え込める不遜な考えがあるのか、それすらも楽しむ狂人か――――――或いは、後先など考える必要がない(・・・・・・・・・・・・)目的なのか、だ。

 

 

「もしかすると、必要なのは精霊そのものではなく――――――その〝中身〟なのかもしれませんわね」

 

「〝中身〟……? それって一体――――――」

 

 

 思案する狂三の不穏な一言を耳にして、訝しげな表情で聞き返そうと足を止めた士道が奇妙な感覚に襲われる。ちょうど、道路を抜けDEMの敷地内に入ったその瞬間、微かにだが覚えのある感覚を肌に感じた。全身を見えない何かで撫でられたような感じ、これは以前にも確かに――――――数瞬後、そんな士道の思考を遮るように甲高い爆音が鳴り響いた。

 

「空間震警報……っ!? まさか……!!」

 

「いえ、精霊がこちら側(・・・・)に来る感覚はありませんわ。かと言って、誤作動というわけでもありませんわね。わたくしたちを感知したタイミングですもの」

 

 避難を始める人々、地下シェルターへの入口も即座に開いていた。流石は空間震対策に関しては最先端を行く街……鮮やかな流れだ。これならさぞ、目撃者は少なくて済む(・・・・・・・・・・)だろう

 

「やっぱりさっきの……じゃあ、これは……」

 

「そうですわねぇ。考えられる可能性はそう多くありませんわ。例えば――――――」

 

 ぐるり、士道の視界が反転する。何度も経験したそれは、白い少女のものと違い狂三に抱き抱えられた状態のもので――――――気づけば、二人は空を舞っていた。

 

「――――――目撃者を極力減らして邪魔者を排除するつもり、かもしれませんわね」

 

「っ……やる事が過激すぎるだろ……!!」

 

 少なくとも一企業のやる事ではないと、二人が立っていた場所に出来た光弾による大穴(・・・・・・・)を見下ろし、狂三に抱えられた士道が驚愕の声を上げた。

 

「〈バンダースナッチ〉……っ!?」

 

「『わたくし』たち!!」

 

 士道が以前目撃した人形兵が、その以前目撃した数を何十倍にも増やして今目の前に現れた。避難中の人間がいるにも関わらず、問答無用でCR-ユニットの武装を使い攻撃を仕掛けてくる。それを士道を抱き上げたまま華麗に避けた狂三が、中に影を作り出し己の分身を解き放つ。その数は〈バンダースナッチ〉に負けず百は下らない。

 

 意思を持たない人形兵と『狂三』では勝負にならない。抵抗はしているが、あっという間に人形に取り付いて四肢を、武装を砕いていく。つい数分前までの穏やかな夜は、金属と影が飛び散る戦場を化した。

 先行した〈バンダースナッチ〉は撃墜――――――しかし、続く光景に士道は目を見開いた。

 

「狂三、あれは!!」

 

「分かっていますわ。後続隊ですわね」

 

 士道の声に答えながらも、狂三は油断なく前方に広がる光景を睨み付ける。建物の入口だけではない、可変した壁面から大量の〈バンダースナッチ〉と魔術師がズラリと並んでいる。数は彼の素人目で見ても五百以上と、一企業が成す軍勢としては想像を遥かに上回る戦力であった。

 常人なら恐れ戦くこの圧巻の光景。だが、生憎と時崎狂三という精霊は常人ではなく狂人(・・)だった。圧倒的な戦力を前に、彼女は唇の端を吊り上げ笑う。狂気的だ、正気ではない――――――故に、それさえも美しいと少年は思ってしまった。

 

 

「数で『わたくし』に挑む。ええ、ええ。いいですわ、いいですわァ。そのような不遜な考えを――――――叩き潰して差し上げましょう」

 

 

 敵の陣地であろうと、侵略し、略奪し、染め上げる。どのような場所であれ、〝影〟があるのならそれは時崎狂三の領域(・・)。歌のように激しく、歌とは真逆の暴虐なる美しさ――――――――

 

 

 

「さあ、ここは――――――わたくしたちの戦場(ステージ)ですわ」

 

 

 

 悪夢が生み出す、狂気に満ちた演奏会(ライブ)が幕を開けた。

 







少女の目的、少女の計画。それは案外、とても小さく、とてもくだらないことかもしれない。けど、少女とっては何よりも大切なものかもしれませんね。白い少女がどういう存在なのか、みなさんは予想出来ますかね?伝わり始めていれば嬉しいです。
他の精霊と違って最初から精霊保護という目的を知って理解を示しているんですよ少女は。しかし攻略難易度で言えば狂三と同じくらい高いです……と、言うより狂三次第になると言えます。メインヒロイン前提のサブヒロイン、さて少女のどこまでが本当なのかな?

積み重なった狂三の中にある狂気。そんな狂人的な部分すら士道を魅了してしまう。覚悟決まって肝が座りすぎですねこの士道くん。きょうぞうちゃんも前回分身体コントしたとは思えない凛々しさでry 前回は割と自分でも気に入った回で反応も良くて嬉しいです。皆様ありがとうございます!

それではまた次回。色々と展開していきながら進んでいくこの章。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第四十四話『真実への恐れ』

本来の形以上に入れ込んでいるとお互い苦労する部分も出てきますね。そんな感じの第四十四話、どうぞ。


 その様はまさに豪華絢爛。しかし贅沢ではあるが、常人にとっては華やかとは言い難い演奏会だった。数百もの光の軌跡が空に煌めき、黒の弾丸が闇夜に紛れて鉄を穿つ。どちらも、見た目こそ華やかではあるがその実、殺戮をもたらす暴力の体現。

 『狂三』の一人が魔術師の纏ったユニットを破壊する――――――瞬間、彼女に小型のミサイルが着弾しその影を散らす。だが、『狂三』は誰一人として怯まない。笑っていた、自らの死を。笑っていた、狂三(オリジナル)の道となる仮初の命を。自らの役割を果たし散っていく自らを、『狂三』は笑っていた(誇っていた)

 それが分かる。分かってしまうからこそ、それは五河士道の心を痛ましく貫いた。士道にとって、彼女たちもまた『時崎狂三』であるから。

 

 

「っ…………」

 

「士道さん――――――参りましょう」

 

 

 彼が何を思ったのか、彼女には手に取るように分かる。優しいこの方が、こういったやり方を好まない事を知っている。だから、エゴだと分かっていても、これ以上この凄惨な戦場を見て欲しくはなかった。彼はきっと、仮初の命だと分かっていようと、途方もない数が消えていこうと、その全てに慈悲を持って『狂三』の死を受け止めてしまうから。

 戦場を俯瞰し、静かに道を指し示した狂三の声に、彼は一度覚悟を決めるように目を閉じ――――――力強く頷いた。

 

 

「――――――ああっ!!」

 

 

 決めたのは自分自身。戦いにおいて彼女の手を借りる、それはつまりこういう事だ(・・・・・・)。だからせめて、今この瞬間も散っていく彼女たちの覚悟に報いる為に――――――必ず十香を救い出す。

 

「順序は逆になってしまいましたけど、この隙に目的の場所まで駆け抜けますわ。少々荒っぽくなりますが、ご容赦くださいませ」

 

「そろそろ、こういうのにも慣れてきたところだ……何度も悪いけど、頼む」

 

「あなた様の為なら、喜んで。〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】」

 

 一つの弾丸が彼女の頭に突き刺さった。刹那、一条の光が戦場を駆け抜ける。戦の真っ只中をすり抜けるように、高速化した狂三が飛ぶ。本来は辿り着いてから撹乱の為に分身体が暴れ回るはずが、向こうが先に襲ってくるというなりふり構わない暴挙があったため、生死の境を彷徨うようなやり方となった。

 慣れていきた、とは言ったものの真横で爆裂する弾頭は容易く士道の命を奪い取るものだと思うと息が詰まる。降り掛かる強烈なGに意識を持っていかれそうになりながら、爆心地を通り抜けた狂三が元の速度に戻り彼の身体を地面に下ろす。彼女のお陰で五体満足で立つことが出来たが、流石に頭がふらついてしまう。

 

「大丈夫ですの、士道さん。お怪我はありませんこと?」

 

「あ、ああ。大丈夫だ。行こう狂三――――――」

 

 そんなものに構っていられないと、気合を入れて両の足で立ち、気遣ってくれる狂三を見遣り――――――背筋が凍る。理屈じゃない、ただ〝何か〟が彼女に迫っていた。

 

 

「っ、危ない!!」

 

「きゃ……っ!?」

 

 

 肌感覚だけで〝それ〟を感じ取った士道は、本能的に彼女の腕を引いた。さっきまでとは逆に、士道が狂三をその身で抱きとめるように受け止め、咄嗟に後ろへ倒れ込んだ。抱き込んだ彼女を決して傷つけぬよう、硬い地面へ背を投げ出した痛みに耐えながら閃く光と――――――ぶつかり合う音を聞いた。

 

 

「崇宮――――――真那」

 

「――――――!!」

 

 

 彼女の名を呼ぶ少女の声は、何故かいつもの物とは違う(・・・・・・・・・)。漠然と、そんな気がした。しかし、そのような悠長な考えは一瞬にして消し去られる。狂三を抱いたまま身体を起こした士道の目の前には、見覚えのないユニットを身に纏った彼の実妹を自称する少女、真那。更に、彼女と刃を結ぶ(・・・・)白い少女の姿があった。

 

「真……那!?」

 

「兄様!! よくぞ、ご無事でっ!!」

 

 言いながら、真那が右腕のレーザーを薙ぎ払う。同時に、白い少女も刀を払うように後方へと飛び退いた。士道を、と言うより狂三を守るように。真那は士道を見て安堵の表情を見せたのも一瞬、すぐさま白い少女を、と言うよりこちらも狂三を見て殺意を込めた視線を向ける。

 

「待っててください兄様!! 今すぐ兄様の身体に張り付くその外道女を細切れにしてやります!!」

 

「は!? いや違うから!! 狂三とはそういう事じゃなくてだな……」

 

「分かっていやがります。琴里さん共々、〈ナイトメア〉に誑かされてしまったのですね、お労しい。ですが、今すぐ真那が兄様の目を覚まさせてやりますとも!!」

 

「なんでそこで琴里が出てくるんだっ!? っていうか話を聞いてくれないかな!? ほら、狂三も何か言ってくれよ!!」

 

「……誑かした、という点は否定できませんわ。やりますわね真那さん」

 

「頼むから話をややこしくしないでくれな!?」

 

 神妙な表情で納得と言わんばかりに頷く狂三に、士道が鋭いツッコミを入れていく。ちなみに、抱き合った状態から変化がないので誤解と混乱は深まるばかりだった。

 狂三の物言いがふざけていると感じてしまったのか、真那の視線が更に鋭くなったのが分かる。とにかく、真那を説得しない事にはこの場は収まりそうにない……と、額に汗を滲ませながら士道は必死に声を上げた。

 

「え、ええと、真那? お前が無事だったのは嬉しいが、今は剣を下ろしてくれないか? これには深ーい事情と訳があってだな。お前がDEMの魔術師で俺を捕まえに来たのは分かるんだが――――――」

 

「あ、いえ。私、DEMは辞めました。今は〈ラタトスク〉の世話になっていやがります」

 

「は……はぁ!?」

 

 情報が大渋滞し過ぎて、士道の頭の中はパンク寸前だった。なぜ真那がDEMを辞めたのか、なぜ〈ラタトスク〉の元にいるのか。後者の話が本当ならば、先程出た琴里の名前も理解出来る。出来るが、なんでそこから共々誑かされたという話につながってしまうのか。

 ゆっくり話を整理整頓したいところではあったが、今はとにかく時間が惜しいし何より一触即発の二人が話し合えるとは――――――

 

「……埒が明きませんね」

 

「っ!?」

 

 沈黙を保っていた少女が声を発した瞬間、士道は言い様のない戦慄を覚えた。いつもの飄々とした少女でも、狂三に見せる従者のような少女でもない。見たことがない白い少女がいた。自分に向けられたものでは無いと分かっているのに、士道はその強大な〝殺気〟に当てられただけで身体が震えてしまいそうになる。

 

 

「……彼女は私が相手をします。あなた達は先に進んでください」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 真那は敵じゃ――――――」

 

「――――――いいえ。彼女は、私の〝敵〟です」

 

 

 静止の声がピタリと止まってしまうほど、冷たい少女の声。士道の知る少女のものとは思えぬ拒絶の言葉。間違いなく、少女は真那の事を排除すべき対象として見定めていた。

 少女の背にいる士道でさえ身体が竦むほどの敵意をぶつけられた真那が、狂三から視線を逸らし臨戦態勢を取る。

 

「どなたか存じ上げねーですが、邪魔をするつもりなら……」

 

「……私の方は、あなたが『狂三』を殺しかけた時(・・・・・・)、姿を見せたつもりでしたけどね」

 

「……!! ふん、要は〈ナイトメア〉の仲間という認識で間違いはないみてーですね」

 

 敵意が、もう一つの敵意と交わる。濃厚過ぎる殺意が密集した空間は、士道が口を出すことさえ叶わない。あと数秒といらず、精霊と魔術師の殺し合いが始まる。そんな空気が場を満たしていた。

 

 

「……崇宮真那。あなたの境遇には同情もあります。理不尽だとも思います。けど、それ以上に――――――あなたは私の〝敵〟です」

 

「上等でやがります。何のことだか知らねーですが、やるなら受けて立ちますよ」

 

 

 各々の武器を構え、真那と少女の視線が交錯する。なぜ少女が真那を敵視するのか、それは分からない。分からないが、ここで二人が争ってはダメだという事は分かる。竦みそうになる身体に鞭を打ち、身を乗り出そうと試みる士道の耳に――――――一発の弾音が轟いた。

 

 

「そこまで、ですわ」

 

「狂三……」

 

 

 二人の成り行きを見守るように沈黙していた狂三が、空へ銃を向けていた。今の発砲音は彼女のものに他ならない。最悪の場合、これが戦闘開始の合図になる可能性もあったが、どうやら少なくとも白い少女が相手なら狂三はこれで止める自信があったらしい。肌を燃やさんばかりの殺気が一瞬で消え去った事に、士道は安堵の表情で息を漏らす。

 

「わたくしたちは真那さんと争いに来たわけではありませんのよ。これ以上はナンセンスですわ……刀を収めてくださいまし」

 

「……それが、我が女王のお決めになったことなら」

 

 さっきまでの頑なな態度を無くし、刀を鞘に納めた少女があっさり真那に背を向け狂三の傍に寄る。

 

「ハン、しっぽを巻いて逃げるだなんて、らしくねーことしやがりますね、〈ナイトメア〉」

 

「お、おい真那……」

 

 一方、真那の方は収まりが付かないといった様子で未だに警戒を解いていない。狂三に言われたところで素直に聞くとは思えなかったが、だからといって挑発するのはやめて欲しかった。幸いにも、狂三が挑発に応じる様子はなく髪を手で払い冷静に言葉を返した。

 

「時間を無駄にすることは、わたくしが最も嫌うことですわ。真那さんほどの実力者に一度種を明かしていると、相手をするのは手間がかかるというだけの話ですわ……なんですの、その顔は」

 

 狂三の言葉を信じられない、奇妙なものを見た……という表情の真那を彼女が半目で見やる。

 

「……なんか、変なものでも食べやがりましたか? あの〈ナイトメア〉がおべっかをしやがるなんて気色悪いったらないですね」

 

「前言を撤回して、今すぐ真那さんを天国に送って差し上げてもよろしくてよ?」

 

「狂三、ストップ、ストップ!!」

 

 良い笑顔で、ただし額に青筋が浮かんでいるのが見える笑顔だったが、そんな表情で銃を構える狂三を慌てて士道が止めに入る。せっかく白い少女が引いてくれたのにここで狂三と真那が戦ってしまっては何の意味もなくなってしまう。

 

 はあ、と士道の説得を聞き入れて銃を下ろした狂三がため息を吐く。彼女とてらしくない、真那が気味が悪いと思うのも無理はないと思っている。少し前までの自分なら皮肉の応酬でもしていたのだろうが、今の自分はそこまで磨り減っていない(・・・・・・・・)

 

「士道さん、ここから先は別行動にいたしましょう。真那さんと仲良く、という雰囲気ではありませんし、戦力は彼女がいらっしゃれば大丈夫でしょう」

 

「っ、けど……」

 

「外の陽動は続けますわ。それと――――――」

 

 無防備に背中を晒し――――とはいえ白い少女がいるのだから真那も手は出せない――――歩き出した狂三が、一度だけ足を止めて士道と視線を交わす。

 

 

「わたくしがいない間、くれぐれも無茶をなさらないように。わたくしの事を想うなら(・・・・・・・・・・・)、約束してくださいましね?」

 

「え……」

 

「約束したところで、無茶をなさるのが士道さんでしょうけれど――――――それでは、御機嫌よう」

 

 

 薄く微笑んだ狂三は、靴音を鳴らし今度こそ夜闇に消えた。その言葉の真意を理解し切れるのは、本人しかいないのだろう。

 

 

 

 

 

「――――――よろしかったんですか? 彼を崇宮真那に任せて」

 

「問題ありませんわ。真那さんの実力なら大抵の相手はどうとでもなりますでしょうし」

 

 どうとでもなるからと言って、イコール士道が無茶をしない事には繋がらないのが困ったものだが。けど、狂三とて士道の心配ばかりはしていられない。彼女がやらねばならぬ事は、山のように積み重なっている。

 

「……前々から思ってましたけど、我が女王、もしかして彼女のこと好んでます?」

 

「あら、嫉妬ですの? 珍しいですわね。嬉しいですわ、嬉しいですわ」

 

「……ご冗談を」

 

 からかう狂三に少女は苦笑混じりのため息をつく。少女は真那を〝敵〟だと思っている。が、それは少女にとって彼女が〝敵〟足り得る存在であるからであって、崇宮真那という存在を敵視しているわけではない。心境は複雑ではあれど、彼女の人格までを否定する気は更々ない。

 〝子犬〟だのなんだの呼んでいたが、狂三から真那へ向ける感情というものは殺意だけではない気がした。殺し殺されの関係であるはずなのに、である。茶化すような笑みだった狂三が、ふっと感傷に浸るような笑みを零す。

 

 

「別に大した理由はありませんわ。ただ、真那さんの生き方が少しだけ――――――」

 

 

 そう、少しだけ、精霊ではなく一人の少女として……その生き方が、眩しく映ってしまうのかもしれない。遠く、思い出したところで、自分が名乗るには遅すぎる夢の形。最悪の精霊が名乗るにはあまりに滑稽で、荷が勝ちすぎている崇宮真那の生き方が、少女は嫌いにはなれなかったのだ。

 

 

 崇宮真那。崇宮。タカミヤ――――――あの女と同じ姓(・・・・・・・)。幾度となく繰り返されるパズルのような思考連鎖は、ふとした時に狂三の脳内に浮かび上がるのだ。士道の妹を名乗る真那。生き別れの妹、と言えば聞こえは良いが……それだけではないと囁いている。

 あの女のように、霊結晶を与える〈ファントム〉という謎の存在。崇宮を名乗る士道の妹。偶然にしては出来すぎている、謎に包まれた五河士道という存在そのもの(・・・・・・・・・・・・・)。欠けたピースは多い。しかし、狂三の頭脳はあらゆる推測を立てていき――――――いつも、考えを止めてしまうのだ。

 止める、というより拒む(・・)という方が正しいかもしれない。彼女の中の〝何か〟が、それ以上考える事を拒んでいた。

 

 まさか、恐れている(・・・・・)とでも言うのか。何を? 何をだ? この時崎狂三が――――――何を、恐れている。

 

 

「――――――狂三」

 

 

 その声にハッと顔を上げる。いつの間にか立ち止まり、物思いに耽っていたらしい。少女が狂三を覗き込んでいた。

 

「……どうかしましたか? 顔色が優れないようですが……」

 

「なんでもありませんわ。余計な事を考え過ぎていましたわ……あなたはこのまま『わたくし』たちと共に。ちょうど良い機会ですし、わたくしは別件で動かせていただきますわ」

 

「別件?」

 

「――――――囚われの精霊」

 

 ここまで大事になっているのなら都合が良い。世界のどこかに幽閉されていると言われる精霊を探すには、またとない機会だ。囚われているのはただの精霊ではない。世界で二番目(・・・・・・)に人類が存在を確認した精霊にして――――――目の前の白い少女を除けば、〝始原の精霊〟に繋がる重要な存在。

 

「……ん。わかりました。お気を付けて」

 

「ええ、ええ。まあ、あまり期待はしていませんわ。それに見つからずとも、あなたが(・・・・)いらっしゃいますもの」

 

「……否定はしませんけど、私に期待され過ぎても困りますよ」

 

 〝悲願〟の成就には欠かせない筈の第二の精霊探しではあるが、狂三は躍起になっているわけではなく見つかれば良い、程度の優先度としていた。

 理由は三つ。一つはあまりにも知りすぎている(・・・・・・・)白い少女がいること。二つ目は結局は求める事を知ったところで、〝悲願〟を果たすには士道の霊力が必要なこと。一つ目の理由において、少女に情報を求めていない事の理由でもある。まだ必要な段階ではない、という事だ……今問うたところで、はぐらかされるのが目に見えているのもあったが。

 

 三つ目。これは、狂三にしては珍しい理屈抜きの直感のようなものだが、待っていても……いつか現れる気がするのだ。誰の前に? 無論――――――精霊を救う少年の前に、だ。

 

 

 

 

 

 

「まったく。一体どんな協定を交わしたのか知らねーですが、一度騙された女と仲良くするだなんてどうかしてやがります。聞いてますか兄様!?」

 

「あーあー聞いてる、聞いてるよ。あれから色々あったんだって……」

 

 その色々を説明できる気はしないのだが、と思いながら士道は詰め寄る真那を片手で静止しながら自分の髪を掻き毟る。

 

「その色々が気になりますが……まさか! 〈ナイトメア〉に骨抜きにされやがったのですか!? やっぱりあの悪魔はここで始末しておくべきでしたか……」

 

「違う!! あ、いや……違うこともない、か?」

 

 骨抜きという表現は間違っていないどころか大当たりではあった。ただし、真那の想像と実際の出来事はかなり食い違っているので、士道の呟きに目を剥いて当然の如く怒りを顕にした。

 

「それはどういう意味ですか兄様!! ちゃんと説明して…………ああ、そーでしたそーでした」

 

 言葉の途中で耳を抑えるような仕草をして眉をひそめる。ヘッドセットに備えられたインカムから大声で怒鳴られたらしい。怒鳴られても特に焦る様子はなく、真那はポーチ状になった腰のパーツの中に手を入れると、そこから何かを差し出して来た。

 

「兄様。これを」

 

「これは……インカム?」

 

「ええ。どうぞ。回線は繋がっています」

 

 受け取ったインカムを右耳に装着する。手馴れたそれは、やはり想像通りの声を数時間ぶりに聞かせてくれた。

 

『士道、聞こえる?』

 

「琴里!! 良かった、無事だったのか!!」

 

 愛する妹にして〈ラタトスク〉の司令官の声に、士道はようやくホッと一息つけた気分だった。美九の演奏以降、完全に連絡を絶たれていて内心気が気ではなかったが、落ち着いた彼女の声に安堵の声を上げた。

 

『ええ。何とかね。私に美九の演奏が効いてたらヤバかったかもしれないけど……誰かさんの〝お守り〟が助けてくれたわ。礼を言うべきかしら、誰かさん?』

 

「あ、いや……その……あれはだな……」

 

 間違いなく〝お守り〟が士道由来のものではないことに気づいている口振りに、どう返せば良いか分からず口籠もる。ただの〝お守り〟ではなく、理屈は分からないが妹を守る力になってくれたのはありがたかったが、バレた時の言い訳までは考えていなかった。

 

『冗談よ。士道が私のことを心配してくれたのが嘘じゃないってことくらい分かってるわ』

 

「ああ、心の底から安心したよ。お前が無事で、本当に良かった」

 

『……そ、それより。あの後、何があったか説明してちょうだい』

 

 今度は琴里が少し吃った声を発したことに首を傾げながらも、返答をした士道が手短に通信が切れた後の出来事を説明した。エレンに十香が連れ去られてしまったこと、そのあと狂三の全面的な協力により彼女が囚われた場所が判明したこと。それが、そびえ立つDEMインダストリーの施設内であること。

 それを聞き、しばらく熟考するように押し黙った琴里が、重苦しい声で言葉を発した。

 

 

『……駄目。危険よ。認め――――――』

 

「認められないって言っても、俺は行くからな」

 

 

 そんな彼女の答えを遮り、士道もまた決意の篭った声を返す。彼の言葉に琴里が息を呑んだのがインカム越しでも分かる。

 

『っ、馬鹿なこと言わないで!! DEMが危険な組織だって分かってるんでしょう!?』

 

「そんな危険な組織にさらわれた十香を放っておけねぇだろ!!」

 

『放っておけなんて言ってないでしょ!? 少しは命の勘定に自分を入れてちょうだい!!』

 

「入れてるさ!! 入れた上で、俺は十香を絶対連れ帰ってみせる!!」

 

『この……バカ兄っ!! 良い? よく聞きなさい。こういう場合はもっとちゃんと準備をしてから――――――』

 

「そんな悠長なこと言ってられない――――――『狂三』が、魔術師たちを足止めしてくれてる」

 

『っ……』

 

 今なお、外での戦闘は続いている。幾人もの『狂三』がその身を犠牲にしながら、道を開き続けているのだ。傲慢だと分かっている、自己満足だと分かっている。けど士道は、彼女たちが切り開いてくれた道を何一つ無駄には出来ない。誰一人として、その死が無駄だったなんてことは、絶対に言わせない。

 

「これを逃したらもうチャンスはやって来ない……頼む、琴里!!」

 

『……ああっ、もうっ!! ほんっと、どいつもこいつもわからず屋なんだから!!』

 

 苛立たしげな声と共にガン! と椅子の肘掛部分をかなりの力で叩く音が聞こえて来た。琴里が心配してくれている気持ちはよく分かっている。が、これ以上問答が続くようなら士道は本気で説得をしながらでもDEMへ乗り込むつもりだった。

 そんな士道の考えも琴里にはお見通しなのだろう。諦めと呆れを盛大に包んだ声色で琴里が言葉を続ける。

 

『どうして私の周りはこんな自分勝手でわからず屋で強情な駄々っ子ばっかりなのかしら……』

 

「……悪い。最近になって自覚はしたよ」

 

『安心しなさい。あなたの事だけを言ってるんじゃないから――――――言っておくけど、社屋内は随意領域によって通信が阻害されてるわ。こっちからは外部のサポートくらいしか出来ないわよ』

 

「!! いや、十分だ。ありがとう、琴里」

 

 暗に認めてると言葉にした琴里へ士道は感謝を伝える。ふん、と不機嫌さ増し増しではあるがいつもの司令官様の凛々しい声が返された。

 

『止めたって聞かないのは私がよく知ってるわよ。分かってると思うけど、やるからには中途半端は許さない。全員揃って無事に帰ってくる……例外も失敗も認めないわ』

 

「分かってる」

 

 やるからには成功する。やるからには勝つ。それが、自分たちの決まりだ。

 

 

『さあ――――――私たちの』

 

「ああ――――――俺たちの」

 

 

 何の決まりか、など今更問うまでもない。世界一過激で、苛烈な――――――

 

 

戦争(デート)を、始めましょう』

 

戦争(デート)を、始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てか、真那に狂三のこと伝えといてくれても良かったんじゃないか?」

 

『伝えたわよ、説得もしたわよ。出来うる限り、誰かさん達のせいで説明しようにも簡単には出来ない事を噛み砕いてしっかりね。誰かさん達の、せいで!!』

 

「…………俺が悪かったです、ごめんなさい!!!!」

 

 

 




狂三にとってはそこで死しても直前の形を再現出来る分身体ですが、士道にとっては紛れもなく『狂三』の死なわけでして。まあ複雑ですね。狂三としても自分の力の一つであり譲歩は出来ないし士道も口には出せないといううーんこの。

白い少女にとっての〝敵〟。これは意外と単純明快で少女のこれまでの言動を見ればかなり分かりやすくなってます。その境遇には同情する理不尽だと思う、けれど少女にとってたとえ誰であろうが彼女の中にある一線を超えてしまえばそれは紛れもなく〝敵〟である。精霊だろうと魔術師だろうと、選択肢を間違えていれば五河士道であろうとそれは同じでした。
それはそれとして将来的に真那をどうやって説得するんでしょうね(小声)

狂三さえも恐れる真実。いや、このリビルドの狂三だからこそ恐れる真実と言うべきもの。開けてしまえば物語が終わりかねない致命的な矛盾、とだけ。わかるかな?

次回からは原作イベント消化したりなんだり。章のタイトルの子のターンとも言う。
感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第四十五話『胸に祈りを。その手に剣を』

祈りを胸に、少年は万象を切り裂く剣を取る。主役が突き進む中、少し謎が深まる回。


 

 

 第一社屋正面入口。真那の手によってひしゃげたシャッターが、士道の目の前で更に歪んだかと思うと――――――凄まじい光を放ち爆発を起こした。

 

「な……っ!? 真那!!」

 

「……はいはい、大丈夫でいやがりますよ」

 

 爆発が起こるより早く、真那の随意領域によって突き飛ばされる形で助けられた士道が慌てて顔を上げると、黒煙の中から無傷の真那が姿を現す。一瞬、ホッと安堵しそうになった士道だが、彼女の表情を見て気を引き締める。戦士の……そして、怒り(・・)を含んだ表情。

 十香へ続く道を塞ぐように現れたシルエットが煙を振り払い、二人の前に姿を見せた。士道は見覚えがあるその装備(・・)に目を見開いた。

 

「――――――〈ホワイト・リコリス〉!?」

 

「……よくご存じでいやがりますね。ですが少しちげーです。DW‐029R〈スカーレット・リコリス〉。実験用に作られた〈ホワイト・リコリス〉の姉妹機です」

 

 忘れられるはずも無い。数ヶ月前、士道はこの機体を目撃したことがあった。真那の言う通り、折紙が使っていた機体と違い白ではなくその名の通り赤一色に染められていた。

 使えもしない欠陥機を二機も用意していた贅沢な組織を恨むべきか、とにかく悪夢の機体が今一度彼の前に立ち塞がっていることは確か。

 

 

「イメチェンですか? 昼に見たときから随分と印象が変わったじゃねーですか。小憎たらしい顔が台無しですよ――――――ジェシカ」

 

「あはハ!! マナ。マナ。タカミヤ・マナァァァ? どウ? どォウ? 私の〈リコリス〉ハ!! これで私は負けないワ。あなたにハ。あなたなんかにハ……!!」

 

 

 ――――――もう、正気じゃない。人としての何かが、強制的にぶち壊された(・・・・・・・・・・)。士道は彼女を見てそのように感じ取った。

 全身を包帯に巻かれ、満身創痍の肉体を押して彼女は笑っていた。歪な〝最強〟の力を手にして、崇宮真那を目の前にしてジェシカは取り憑かれたように笑っていたのだ。

 

「ジェシカ!! 今すぐ〈リコリス〉を停止させやがりなさい!! わかっていやがるでしょう!? それはあなたに扱えるような代物じゃねーです!!」

 

「あはははははハ! 何を言っているノ? 今はとてもいい気分ヨ。だって――――――ようやく……あなたを、殺せるンですものォ」

 

「く……!!」

 

 瞬間、凄まじい爆音と衝撃波を撒き散らし、青と赤が激突する。その衝撃に士道が身体を起こせない間に、二人の戦いの舞台は空へと移り変わっていた。人の身では目で追うことさえ叶わない流星が如き高速戦闘。

 僅かな逡巡もなく、士道はビルの入口に向かって駆け出した。

 

『士道、危険よ!! 単独で動くんじゃないわ!! 真那を待ちなさい!!』

 

「真那を待ってちゃ警備を固められる!! 俺が真那の足を引っ張るわけには行かないし、このまま外にいるより突入する方がずっと良い!!」

 

『っ……待って!! 今こっちで宛を――――――』

 

 士道がめちゃくちゃになった入口に足を踏み入れた瞬間、インカムから聞こえていた声がノイズと共に途切れる。やはり、聞いていた通りビルの中での通信は不可能。

 つまりここからは士道一人で挑まねばならない――――――構うものかと、彼は足を止めずに階段を一気に駆け上がる。令音の言葉が正しいなら、この施設のどこかに精霊を隔離できる場所があるはず。それを見つけることが出来れば、そこに十香はいる。

 

 十香を救う。士道を庇い、捕まってしまった少女を。彼女の笑顔を、こんな組織に奪われてなるものか。その一心で彼は何十階と連なるビルの内部を走り抜けていく。

 

「――――――侵入者!?」

 

「おい貴様、何者だ!?」

 

「くそ……っ!!」

 

 登った階数をとっくに数えるのを止めた士道の視界の先に、見たことの無いワイヤリングスーツを着た二人組の男女がいた。装備こそ軽装だが、間違いなく魔術師。彼は迷いなく続く廊下を二人から逃れるように走った。同時に、銃声が響き渡り魔力の光を宿した弾丸が士道の身体を掠めるように幾つも壁や地面に突き刺さっていく。

 

「止まれ!! 止まらねば撃つ!!」

 

「撃ってから言うんじゃねぇよ……っ!!」

 

 捕まる。がむしゃらに駆け抜けながら、僅かに残された冷静な分析力が士道にそう語りかけていた。魔術師は間違いなく随意領域を展開している。その領域に入ってしまえば、普通の人間では逃れる事は出来ない。あと数秒、当然の未来が待ち受けている。そうなれば――――――十香は、救えない。

 

「んなこと……させ、るかっ!!」

 

 何か、何か手はないのか。息を絶え絶えにしながら思考を巡らせる。無力な五河士道では突き抜けることは不可能。無力では誰も守れない。力がなければ、誰も救えない。

 

 必要なのだ――――――壊すための力が。

 

 

『どうか――――――正しい心でお使いくださいまし』

 

「ああ――――――違うよな」

 

 

 違う。それ(・・)だけでは、ダメだ。壊すだけではない。それでは倒す事は出来ても、救う事は出来ない。呑まれるな(・・・・・)

 胸に手を当て、祈る。五河士道が歩んだ道の中に、〝力〟はある。壊すためだけじゃない、守るための力。大切な人を絶対に救う。誰一人だって取りこぼしたくない。だから、それを成し遂げられるだけの力が欲しい。

 

 自らが正しいと思うその祈りを胸に、願いを言葉に――――――彼は〝奇跡〟を謳う。

 

 

「俺に力を――――――貸してくれっ!!!!」

 

 

 瞬間――――――光が、駆けた。

 

「な、なな……っ!?」

 

「て、天、使……?」

 

 思わず足だけではなく攻撃の手さえ止めた魔術師二人の狼狽した声が聞こえる。対して、士道の心は一つとして揺らぐことなく燃え上がっていた。見なくとも分かる。その〝奇跡〟を知っている。その〝天使〟を識っている。

 彼は〝剣〟がどういうもので、どういう力を持つかを分かっていた。一縷の迷いさえ見せず、士道が振り向きざまに〝剣〟の柄を握り、高々にかの真名を謳う。

 

 

 

「――――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!!!」

 

 

 

 振りかぶる。この黄金の輝きを宿す巨大な剣は、本来ならば夜刀神十香が持つ究極の神器。彼女と比べれば士道は素人同然。いや、比べることすらおこがましい程の差がある。故に、ただ振るうだけでは意味が無い。

 

 

『その真っ直ぐな願いを〝天使〟に込めてくださいまし。必ず、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉はあなた様の想いに答えてくれますわ』

 

 

 少女の教えを反復させる。〝天使〟とは心を映し出す水晶。なればこそ、今込めるものは一つだけで良い。それ以外のことなど不要。〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が光り輝き、道を照らす。

 

 十香を助けたいという願い――――――祈りを、心に。

 

 

「でやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 力強い咆哮と共に〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が振り抜かれる。光がより一層の輝きを放ち、それは飛翔する斬撃となって魔術師の一人を随意領域ごと吹き飛ばした。

 

「ぐあ……っ!?」

 

 一人は苦悶の声を上げ壁をぶち抜いてそのままビルの外へ排除される。が、斬撃から逃れたもう一人の魔術師がレーザーエッジを抜いて士道へ肉薄する。

 咄嗟の判断で〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構えレーザーエッジを防ぐ……しかし、やはり技量は正規の訓練を積んだ魔術師の方が遥かに上だった。隙を見せた士道の脇腹に、魔力が篭った大振りのナイフが勢いよく突き刺さった。

 

「うが……ッ!?」

 

 刺されただけでも凄まじい痛みが走った上に、魔術師は更に抉るようにナイフを突き立て続ける。一瞬、その痛みで視界が白く染まり――――――それでもなお、士道は剣を振り上げその柄を魔術師の頭部に打ち付けた。

 

「邪魔――――――すんじゃねぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「なっ!?」

 

 柄とはいえ霊力を纏った一撃には変わりない。随意領域とぶつかり合い激しいスパークを発した後、魔術師の意識を完全に刈り取った。

 

「はっ、ぁ――――――ああああああっ!!」

 

 奥まで刺さったナイフを脂汗を滲ませ息を荒く掴み、僅かに息を整え歯を噛み締めながら一息にそれを引き抜いた。夥しい血が辺りに撒き散らされ、いつ意識を失ってもおかしくない激痛が士道を襲う。

 

 だが――――――五河士道は倒れない。

 

「っ……」

 

 引き抜いたナイフを無造作に投げ出すとほぼ同時、刺傷を焔が這うように燃え上がる。〈灼爛殲鬼(カマエル)〉。琴里の焔による治癒の加護が荒々しく士道の傷を癒す。倒れない、倒れるわけにはいかない。士道が倒れれば、十香の笑顔は失われてしまうのだ。そんな事は、絶対に許さない。

 

「はっ――――あいつとの約束、いきなり破っちまったな……」

 

 自虐のように笑い、焔を灯したまま士道は歩き出す。約束を破られる事を嫌う少女は、自分のこんな姿を見てどう思うだろうか。

 

 

「悪いな、狂三――――――お前の事は想ってるけど、約束は守れそうにねぇや」

 

 

 きっと――――――仕方がないという顔で、少女は笑うのだろう。そんな笑顔を幻想しながら、少年は再び走り出した。

 

 

 

 

 

 一閃。その剣閃の煌めきに遅れること数秒。〈バンダースナッチ〉がようやく切られたことを思い出したかのように動きを止め、真ん中から分断され爆散――――――する刹那、上半身を足場にし白い影が跳躍した。

 

「な……っ!?」

 

「はい失礼」

 

斬り付けられた(・・・・・・・)魔術師は、何が起こったか理解できなかった事だろう。随意領域(テリトリー)という魔術師の絶対領域で何の反応もなく(・・・・・・・)装備だけが斬り裂かれ、ついでと言わんばかりに地上へ蹴り飛ばされたのだから。

 白い少女は蹴り飛ばした反動で二人、三人と同じ要領で魔術師や人形を無力化して行き、数度それを繰り返したところで、近くにいた『狂三』の手を取り、そのままぶら下がって辺りを見渡した。まあ見渡したところで、視界に映るのは魔力光やミサイルの嵐ばかり。せっかくの夜空が台無しだった。

 

「うーん、数ばかりいて面倒ですね。ここまでの規模は珍しいでしょうけど」

 

「きひひひひ!! 権力というのは厄介ですわねぇ。このような事をしても、握り潰すのは容易いのですから」

 

「中身がどんなに歪でも外面が良ければどうにかなりますからね。特に〝アレ〟なんてその極地でしょう」

 

 言いながら、白い少女は一層大きなビルに視線を向ける。今、夜刀神十香が囚われ、五河士道が救出を試みて――――――〝アレ〟が待ち構えているであろう場所を。

 さて、〝アレ〟は五河士道を見てどのような表情を見せるのか。亡霊(・・)を見たと驚愕するか……否、そんな殊勝な生き物ではない。恐らく〝アレ〟は笑う(・・)。道化だと自らをも嘲笑い、楽しむのだろう。そういう生き物なのだ――――――アイザック・ウェストコットは。

 

「ところで、わたくしに頼らずともあなた飛べる筈でしょう?」

 

「……飛べますけど、知っての通り私のは目立つんですよ。ここで飛んだら良い的です」

 

 せっかく目立つことの無い能力を持っているのに、それでは長所を殺すことになる。だから少女は飛ぶのではなく跳ぶ(・・)

 ボヤきにも似た少女の言葉に納得がいったという表情で『狂三』が頷いて言葉を返す。

 

 

「あら、あら。不便ですわねぇ。普通、精霊なら空を飛ぶなど造作もないことでしょうに」

 

「……ええ。だって私は普通から外れた(・・・・・・・)精霊ですから――――――歪で、価値のない物らしいでしょう?」

 

「っ――――――――」

 

 

 『狂三』は思わず手の先を見遣り、見上げる少女と視線を交差させる。そこにはいつものように真っ白な少女と正反対の、暗き深淵を思わせるローブの中しかない。

 道化のように演じ(・・)常に狂三(オリジナル)に付き従う少女は、ごく稀に『狂三』に対してこれ(・・)を見せる。いつものような謙遜? いいや、そうではない。この少女は本当にそう思っている(・・・・・・・)。そしてそれに疑問を抱く事すらしていない。それが、少女の中での自らの真実だとでも言うかのように。

 歪だと、価値がないと、自らを否定(・・)する言葉を躊躇いもなく吐く少女。『狂三』は酷く悲しく、今は怒り(・・)が込み上げた。きっと――――――どこかの少年の影響なのだろう。

 

「あなたは――――――」

 

「……ん。あれ、ASTの方たちじゃないですか?」

 

 何を言うべきだったのか、何を言いたかったのか。狂三より若い『狂三』にはそれさえ分からなかったのかもしれない。結果的に、少女に言葉を告げる未来は訪れず少女が指し示した方向へ彼女は視線を向けた。

 

「あら、本当ですわ。たった今、ようやく出動命令が下されてやる気に満ち溢れてる顔……ではありませんわねぇ」

 

「……素直に不満がある顔と言えないんですか」

 

 隊長と見られる人物……日下部燎子と言ったか。彼女が団員達に指示を飛ばし戦列に参加したのが見えた。その中に、鳶一折紙の姿は見られない。

 

「……残念と思うべきなのか、自分でも分かりませんね」

 

 ポツリ、と自分だけに聞こえるよう呟く少女。冷静に状況を判断し、部下を思いやれる良い上司の下に付けたのは鳶一折紙の幸運と言うべきだろう。彼女は今頃、再び謹慎処分となりベッドの上だろうか。ある意味で安全と言えるが……彼女の場合、そんな上司の気遣いもなんのそので飛び出して来そうではあった。

 

「……いやいや、流石にそれは――――――ん?」

 

 少女の耳元にザザッ、というノイズが入る。正確には、結局返し損ねていた〈フラクシナス〉側と通信できるインカムだ。これが起動した、という事は。

 

「……五河琴里?」

 

『良かった、まだインカム付けてたわね。早速で悪いけど頼みがあるわ!!』

 

 予想通りの人物。〈ラタトスク〉司令官、五河琴里の声がインカムから響く。何やら切羽詰まって焦っているらしく、少女が返事をする合間にもクルーへの指示を飛ばしていた。

 

「……お忙しそうですね。私に何か御用で?」

 

『色々あって士道が一人で突っ込んで行ったわ!! 無茶を承知でお願いするんだけど、あのバカ兄を助けてもらえる!?』

 

「……なるほど、一大事ですね」

 

 色々あっての部分が気になるところではあるが、怒声の後に続けて艦の指示を飛ばす彼女に詳しく事情を聞くというのは憚られる。

 向こうの戦力を考えると、宛はこちらにしかなかったのだろう。大方、こちらに連絡するより先に士道が突っ込んで行ったのだろうが……彼が捕まるとこちらにも不利益しか生まれない事を考えれば、保護すべき〝精霊〟に無理を言っているのを承知の上で彼女がコンタクトを取ったのは実に素早い判断と言えた。

 とはいえ、少女も少女なりに事情がある。〝アレ〟と顔を合わせる、会話をするというのはまだ早い(・・・・)。万が一にでも避けたかった。少し時間は取られてしまうが、やはり狂三を呼び戻すしか手はなさそうだ。

 

「……分かりました。私から狂三に――――――」

 

 瞬間、その声を遮ったのは暴風(・・)による轟音。僅か一瞬、『狂三』が風に煽られ体勢を崩す中で、少女は彼女(・・)を見て目を見開いた。

 

「……今のは」

 

『この反応って……!?』

 

 〈フラクシナス〉のレーダーも今の暴風を捉えたのか、琴里の驚愕が伝わってくる。少女としても、わざわざ彼女がこの危険な戦場に現れるという不可解な出来事に首を傾げ――――――彼女が向かった先を見て、不思議と納得がいった。どうやら、自分が向かう必要も狂三に連絡を取る必要はなくなりそうだ。

 

 

「――――――相変わらず、精霊を引き寄せるのが得意みたいですね、五河士道」

 

 

 お得意の精霊〝攻略〟をわざわざ邪魔する必要は、ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 横薙ぎに〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を振り抜く。立ち塞がる魔術師を光の斬撃を以て排除する。

 

「っ……」

 

 また一つ、身体の何処かが異常を起こしたように軋みを上げ、士道は思わず足を止めて顔を顰めた。人の身で〝天使〟を扱う代償。それは確実に士道の身体を蝕んでいた。今の彼は、人知を超えた奇跡を受け止めきれるだけの力はない。

 そのツケを支払うのもまた、人知を超えた奇跡。焔の加護が傷ついた身体をその都度癒す事で、彼は魔術師と渡り合うことが出来ていた。しかし、身の丈に合わぬ力を同じ質の力で捩じ伏せる。そんなことをしていれば、今頃士道の身体はこの無理の繰り返しに耐えられず、数で勝る魔術師に圧されていたであろう――――――本来であれば(・・・・・・)

 

 傷を癒す焔の加護。それさえも追い付かず増える筈の傷は、士道本人すら気づかないうちに無くなっていた。まるで、時間が巻き戻ったかのように(・・・・・・・・・・・・・)。当然、彼はその事に気づくはずもない……いや、気にする余裕が無いだけで、その原理は理解(・・)しているのかもしれなかった。知識ではなく、彼自身も覚えていない本能(・・)が。

 

「いたぞ!!」

 

「くそ……っ!! ど――――――けぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 一瞬でも足を止めれば、その度に魔術師が複数人増える。キリがない繰り返しに、彼は何度目かの叫び声を上げ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を薙ぎ払った。斬撃が随意領域ごと魔術師達を軽く吹き飛ばす。が、まだ魔術師は何人か残っている。士道は再び剣を振り被り――――――

 

「ぁ、が……っ!!」

 

 腕を維持する細胞が切り裂かれたような激痛に、力なく剣を下ろす事となった。

 

「おおおおおおおおおッ!!」

 

「しま――――――っ!?」

 

 士道の身体が回復するまでの隙。目を閉じて激痛に耐える僅か数秒、しかしそれは敵を前にして致命的すぎる隙だった。魔術師が武器を振り被り肉薄する。最初とは違い、剣を構える余裕すらない。今の彼は迫り来る刃に為す術はなく、防衛本能で目を瞑り一瞬後に来る痛みに備える。

 

 だが、その刃が彼を切り裂く事はなかった。廊下に並んだガラスが一斉に砕け散り、魔術師たちの意識を逸らした。

 

「な……っ!?」

 

「まったく、情けないですねー」

 

「――――――え?」

 

 慌てふためく魔術師を置き去りにして、彼女は美しい声と共に姿を現した。呆気に取られたのは他でもない、彼女に救われる形となった士道だった。

 

 

「〈破軍歌姫(ガブリエル)〉――――【独奏(ソロ)】!!」

 

 

 以前見た巨大なパイプオルガンの一部と思われる銀色の円筒。その先端がまるでスタンドマイクのような形で折れ曲がり、彼女の――――――誘宵美九の声を通す力となる。

 

 

「――――――――――――っ!!」

 

 

 独奏歌。万人が聞き惚れるであろう歌姫の声が廊下に響き渡り、一瞬にして魔術師たちの意志を奪い去る。

 惚けていた士道がハッと我に返り、降り立った歌姫を見遣り、その名を呼んだ。

 

「美……九?」

 

「……ふんっ」

 

 舞台に立つ者が身に纏うような、ドレスの霊装。美しい顔立ちを不機嫌そうに歪めて、歌姫は今一度士道の前に舞い降りた。

 

 

 







士道が常に彼女の背を、隣を見てきたからこそのちょっとした違い。天使召喚時の名称は今作では誰に影響されたのかな?というのはわかりやすい気がします。まあ毎回高らかに呼んでましたからね女王様…

なぜ狂三ではなく『狂三』だったのか。それが少女にとって何を意味するのか。白い少女もここから少しづつお話に絡まって来そうです。

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第四十六話『歌姫の真実』

イベント消化中な回。メインヒロインの出番はまだですか。書いてるのお前だろってツッコミはry


 

「美九……どうして……」

 

 美九がわざわざ士道の前に現れた理由が、当の士道には分からなかった。狂三の助けを得て挑んだ対話は失敗に終わり、彼女を怒らせる結果になった筈である。そう、約束(・・)を取り付けることは出来なかった。そこまで考えて、彼はそれに思い至り目を見開く。

 

「まさか、あの約束を……?」

 

「……っ。勘違いしないでもらえますぅ? 私、どこかの不愉快な自殺志願者が勝手にぺらぺら垂れ流していた妄言にも満たない聞き苦しい奇声なんて、これっっっぽっちも気にしてませんしぃ。ここに来たのは、もう一人の精霊さんを私のコレクションに加えようと思ったからですしー」

 

「美九……すまん、恩に着る!」

 

 相変わらず可愛い顔と可愛い声でえげつない罵倒だったが、遠回しに十香を助ける事を認めてくれていた。理由はどうあれ、今は頭を下げながら心の底から感謝を述べる。

 

「ふんっ。あなたにお礼を言われる筋合いなんてないんですよぉ。っていうか、あの人はどうしたんですかぁ?」

 

「あの人って……狂三の事か?」

 

 漠然とした問いではあったが、美九と会った中で該当しそうな人物は彼女しかいないのですぐに分かった。

 

「狂三なら、今はいない……ちょっと前から別行動してるからな」

 

「……ふぅん。見捨てられちゃったんですかぁ。あの子もくだらない事を言っていましたけど、信頼なんて所詮はその程度の――――――」

 

「違う。そんなんじゃない。俺と狂三は……そういうんじゃないんだ」

 

 やれやれと大仰に首を振り、馬鹿にするような言葉を吐く美九に士道は真っ直ぐ言葉を返す。

 

「あいつは俺を信じてくれてる。俺もあいつを信じてる。一緒にいるだけが信頼じゃ――――――」

 

「あーあー、くだらない。ほんっとくだらないですぅ。人間のそういうお寒い理屈にはうんざりなんですー!!」

 

「お、お前な……」

 

 まただ。彼女は頑なに理解を拒む。最初は倫理観のズレから来るものかと思っていたが……反応を見るに違うのではないかと、士道は感じ始めていた。

 何なのだろう。なぜ、誘宵美九という少女は頑なに人を拒絶するのか。過去(・・)であんなにも美しくひたむきな歌を奏でた少女が、このような歪な倫理観を持ってしまっているのか。

 知りたかった、少女の想いを。知りたかった、少女の過去を。それは、【十〇の弾(ユッド)】の力で追憶を経験(・・)した事による影響か。はたまた少年の善性がそう願ってやまないのか――――――両方だ、と少年を知る者は断言するだろう。

 

「人間、人間って……美九、お前だって――――――」

 

「うるさいうるさいうるさぁぁぁぁぁいっ!! 私は十香さんを連れに来ただけで、あなたなんかと話に来たんじゃないんですぅ!!」

 

「あ、おい美九!!」

 

「だから気安く呼ばないでください!!」

 

 苛立ちを抑えず士道を無視するように廊下を歩いて行く彼女を、彼は慌てて追いかけて行った……以前とは違い、明確に彼女の、孤独な歌姫の事を知りたいと思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 白の視界の先で青と赤の魔術師が激突していた。ジェシカの〈スカーレット・リコリス〉が飛翔し、真那が纏う〈ヴァナルガンド〉と互角に渡り合う。あの高い実力を持つ崇宮真那と、である。

 

「……趣味が悪い」

 

 少女の調べたジェシカ・ベイリーという人間は、実力はありながらも真那には遠く及ばなかった筈だ。事実、つい数時間前の戦闘では現れた真那の手で一蹴され、今なお痛々しい怪我の跡は残っている。そんな状態で彼女と戦えている理由は――――――身体への強引な魔力処理。恐らく、崇宮真那に施されたもの(・・・・・・・・・・・)と同じような処理を僅か数時間で組み込まれたのだろう。

 長い時間をかけて施された真那でさえ、肉体の負荷によってあと十年(・・)程度しか生きられないという、理不尽な境遇である事を考えると……答えは明確だ、ジェシカ・ベイリーはもう長くない(・・・・・・)。欠陥品の〈リコリス〉を無理に稼働させる代償は安くはない。勝とうが負けようが、そのツケは彼女の命を持って払われることになるだろう。

 彼女がそれを分かっているのかどうか。十中八九、そんな事を考える思考すら奪われている筈だ。

 

「……趣味が悪すぎて私の気分まで悪くなってきました」

 

「あら、あら。いつになく不機嫌そうですわね」

 

 吐き捨てるように呟いた言葉を、魔術師の纏うユニットを器用に撃ち抜いた分身体の一人が拾う。ふん、とまた不機嫌に声を発した白い少女が分身体に迫る〈バンダースナッチ〉を軽々と斬り伏せ、近場のビルに着地した。

 

「……ああいう、何も報われない理不尽な行いは嫌いです」

 

 ジェシカの事など少女は知らない。知っているとしても、ただ資料に記された上っ面の情報だけだ。しかし、アイザックを慕っていたであろう彼女が、あのような身体にされなければならない道理はない。自らを慕う部下を物のように扱い、切り捨てる。それは、少し形は違うが真那の境遇にも言える事だ。少女にとって、理不尽(・・・)だと思うに値する事象。

 

「きひひひ! なら、あなたは如何なさいますの?」

 

「……何もしませんよ。私がどうこうする問題でもありませんし、厄介な女(・・・・)もいますしね」

 

 少女が関わったところで、何かが救える訳ではない。少女が戦ったところで、理不尽を解き放てる力はない。あれもこれもと目を向け、わざわざ救いに行けるだけの余裕は白い少女には存在しないのだ……どこかの少年なら、また話は別なのかもしれないが。

 加えて、言ったように厄介な女……DEMインダストリーで最強の魔術師、エレン・M・メイザースまで真那とジェシカの戦いに加わっていた。とはいえ、この場合は戦力云々というより単純に白い少女がエレンと顔を合わせたくはない事情の方が大きいのだが。

 如何に崇宮真那と言えど強化を施されたジェシカと最強の魔術師エレンが相手では、一体どこまで持つか分かったものでは無い。それでも、それを分かっていても、真那に同情する心があっても――――――少女は〝計画〟を優先して動く。

 そんな少女の言葉を聞き、特に驚いた様子も見せず『狂三』がクスクスと笑う。

 

「ええ、ええ。あなたならそう仰ると思いましたわ――――――ところで、折紙さんがこの空域に向かっているようですわ」

 

「……は?」

 

 分身体の言っている意味が一瞬、少女の脳に正しく入って来なかった。

 

「……どうやってここに」

 

「有り合わせの装備で戦場を突っ切っているそうですわ。恐らく、本来のCR-ユニットは権限が凍結されているのではなくて?」

 

「バカですか、彼女」

 

 思わずそう直球に言葉を吐いてしまった少女だが、これは何も間違っていないと自負している。折紙はこの数時間前に〈ホワイト・リコリス〉を稼働限界まで使用し、身体に恐ろしい負荷をかけて戦線を退いていた筈である。それは先刻、ASTの部隊に彼女がいなかった事からも容易に推測が可能だった。

 それが有り合わせの装備を引っ張り出し、あまつさえ真っ直ぐこの戦場に駆け付けた? これをバカと言わなければ自殺願望者と言うべきだろう。

 

「そんな命知らずな行動も士道さんのため、と思えば健気に見えてしまいますわね。ああ、ああ。一途な方ですわぁ」

 

「……一途過ぎて、関係ないこちらが困ってしまうくらいですね」

 

 姿を見られずに残念……なぜ、そう思ったのか理解し難い感情を少女が持ったのは確かだ。だが、まさか本当に命を賭して五河士道を救うために飛び込んでくるとは驚かずにはいられない。

 命知らず、自殺願望者……それらは折紙を表現するには少し違う気がした。彼女はただ、士道の為に全てを投げ出して動いたのだ。決めたら迷わず、ひたすらに頑固で、どこまでも強情で――――――

 

 

「……ああ、もう。そっくりすぎて(・・・・・・・)嫌になります」

 

 

 誰に、だなんて今更言うまでもない。少女が全てを捧げると誓っている彼女に。容姿も、性格も、人間と精霊という事さえ違うというのに――――――鳶一折紙は、どうしても彼女を思わせる。不器用すぎる生き方と、憤怒を宿したあの瞳はどうしても少女の心を揺らがせる。

 

「……仕方ありませんね」

 

 将来、このまま行けば鳶一折紙は白い少女の〝敵〟となる。そんな確信めいた予感が少女の中に存在した。けれど今は折紙は〝敵〟ではない――――――それが、少女が足を動かす理由だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――ああ、そうだ。じゃあこうしましょう」

 

 傷を増やし、美九の罵倒を聞き、それでも足を止めずに歩き続ける士道を見て美九が名案を思いついた、と言うようにポンと手を叩く。

 

「今ここで十香さんの事を諦めるって言ってくださいよぉ。そしたら私の〝声〟で、あなたの好きな女の子をいくらでもあなたの奴隷にしてあげます。あの狂三さんって子も、私にかかれば――――――」

 

「――――――ふざけるな」

 

 腸が煮えくり返るような怒りと不快感。自分に対する罵倒なら耐えられる、今気にすることではない。しかし、彼女達への侮辱は絶対に許せない。十香の代わり? 狂三を自分の好きな様に操る? 頭に血が上りすぎて、この場で美九の機嫌を損ねる事が何を意味するか分かっていて、なお士道は彼女を睨み付け、言葉を吐いた。

 

 

「俺にとって狂三はそんなんじゃない……!! 十香だって、代わりなんていない!!」

 

「……ッ! ふ、ふんっ、いつまでも見栄張ってんじゃないですよ!! どうせあなた達の〝好き〟だとか〝大切〟だなんてその程度の物でしょう? 代わりを用意してあげるって言ってるんですから、それでいいじゃないですか!! なんでそこまでするんですか……!!」

 

 

 それは士道への言葉ではないような気がした。自らに言い聞かせる、そうでなくてはならない……そのような悲しい言葉だった。絆を否定し、信頼を拒絶する。そんな彼女の姿に怒りは一度冷え、悲しげな表情で士道は声を発する。

 

「美九……」

 

「人間なんて私の玩具!! 男は奴隷!! 女の子は可愛いお人形!! 人間にそれ以上の価値なんてないんですから、大人しく従ってればいいんです!!」

 

 それ以外に価値などない。それ以外に価値があってはならない(・・・・・・・・)。歪な価値観は美九の世界そのもの。これが精霊として先天的なものであったなら、きっと誰の言葉も届く事はなかったであろう。だが、違う。そうでは無い。なぜなら、誘宵美九という精霊は――――――

 

「どうして……なんでそんなに男を嫌うんだ!! なんで女の子を物のように扱うんだ!! なんで同じ(・・)人間をそんな風に見てしまうんだ……!!」

 

「っ、誰が同じだって――――――」

 

「お前も――――――人間だろ!!」

 

 確信を持って放たれた言葉は、美九を驚愕させ士道へ視線を釘付けにさせるには十分なものだった。彼は真っ直ぐに見つめ返し、言葉を続ける。

 

「もともと人間だったお前に〈ファントム〉……ノイズのような姿をした〝何か〟が、精霊の力を与えた!! 違うかっ!?」

 

「……!!」

 

 美九が息を呑み、言葉を詰まらせた。否定が返ってくる事はなく。

 

「……あなた、どうしてそれを」

 

 睨み付けて放たれたその言葉が、どんな物よりも真実を表していた。

 

「ちょっとした情報通がいてな」

 

 〝天使〟の力を使った反則技、裏技に近いものだった。だがそのお陰で、士道は美九の過去(・・)に僅かながら触れる事が出来たのだ。

 宵待月乃という別名義のCDと共に見つけた、一枚の写真。そこには幼い美九(・・・・)と彼女の両親(・・)と思われる男女が写っていた。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【一〇の弾(ユッド)】は過去を伝える――――――もっと正確に言えば、撃ち抜いた対象の過去を擬似的に体感(・・)する弾丸。

 その力で、士道は断片的に美九の過去を垣間見た。自分の妹と同じように、〈ファントム〉の手で精霊にされた人間であること。かつて、宵待月乃という名義でアイドル活動をしていたこと――――――その歌に込められた想い(・・)を。

 

 だからこそ、士道にもまだ分かっていない事がある。誘宵美九がこうなってしまった理由が。もともとが人間であるはずなのに、なぜこんなにも歪んだ価値観を持つに至ったのか。狂三の言う通り、その価値観には相応の〝何か〟がある筈なのだ。あれほど美しい歌を持った彼女を変えるだけの〝何か〟が。

 

「美九……教えてくれ。お前に一体、何があったんだ」

 

「……ふんっ、なんで私がそんなこと」

 

「美九」

 

 何があったのかを知らねばならない。いや、他ならぬ士道が知りたいのだ。美九の過去を、そこにあるであろう彼女を変えてしまった〝何か〟を。

 

「しつこいですねー。ふん……」

 

 士道の熱意に根負けしたように美九がため息を吐き、話を始めた――――――彼女の、過去を。

 

 

 

 誘宵美九には歌しかなかった。他の事は人より劣っている、そんな自覚が彼女にはあった。けど、歌は、歌だけは別だった。周りの誰よりも上手く、綺麗に歌い上げる事が出来た。だから美九がアイドルという職を目指したのは、必然であり当然だった。

 宵待月乃という名前でデビューを飾り、CDも徐々に売れるようになり……何より、ライブが彼女にとって最高の舞台だった。みんなが〝大切〟だと言ってくれて、みんなが〝大好き〟だと言ってくれて、みんなに自分の歌が届いていることが本当に嬉しかった。

 

 でも、そんな幸せな時間は、長く続く事はなかった。

 

「……それなりに人気も出てきたある日、マネージャーに聞かされたんです。あるテレビ局のプロデューサーが私を気に入ってる――――――だから、仲良くしなさいって」

 

「仲良くって……つまり……」

 

 彼女の言葉を裏を読み取り絶句する士道に、酷く悲しげで、見ている彼が辛くなってしまう表情のまま美九は語り続ける。

 

「まあ、そういう事ですよね。もちろん断りましたよ。私はテレビに出たいんじゃなく、歌をみんなに聴いて欲しかっただけなんですから。でも――――――」

 

 話を断ったしばらく後、身に覚えのないスキャンダルが週刊誌に掲載された。言葉にするのもおぞましい、美九を陥れるためだけに捏造された記事。考えるまでもなく、それは先のプロデューサーが一枚噛んでいたことであり、事務所の社長とも繋がりがあったらしく誰も庇ってなどくれなかった。

 辛かった、苦しかった。けれど、何よりもショックだったのはファンの、ファンだと思っていた人達の反応だった。皆が噂を信じ、手のひらを返して美九を誹謗中傷した。

 心が磨り減り、憔悴していった。それでも、美九には歌がある。歌しか持っていない彼女は、それだけで立っていける。歌を聴いてもらえれば、きっとみんな戻ってきてくれる。

 

 そう信じて、自分を奮い立たせ、ライブ会場のステージに立って――――――

 

「診断は……心因性の失声症でした」

 

「っ……」

 

 そうして、宵待月乃の人生は呆気なく終わりを迎えた。歌しかない少女が、人の醜さによって容易く歌を奪われた結果が、その終わりだったのだ。

 何も残っていない。全てを失った少女が、己の人生にまで終わりを告げようとするのは当たり前の事だった。

 

【――――――人間に失望した君。世界に絶望した君。ねぇ、力が欲しくはない? 世界を変えられるくらいの、大きな力が欲しくはなぁい?】

 

 そんな時だった。絶望した美九の前に〝神様〟が現れたのは。そして美九は、〝声〟を手に入れた。

 

 

「私は……失ったんですよ、一度。醜い男共のせいで、声を……命よりも大事な、この声を……ッ!! 何度も自殺を考えました。でも、そこに……〝神様〟が現れて、今の〝声〟をくれたんですよ!! 一たび歌えば人を虜にする、この最高の〝声〟を!!」

 

「……そう、だったのか」

 

 

 神様――――――〈ファントム〉の事を言っているのだろう。なるほど、確かに絶望した美九の前に救いをもたらしたと思えば〝神様〟に見えたのかもしれない。酷く歪で、強い救いを。

 

 やっと、やっと士道にも分かった。彼女の異常な価値観、倫理観、死生観の理由が。過去にあった〝何か〟の正体。彼女の全てを変えてしまった、悲しく怒りが込み上げる事の始まり。

 誘宵美九は人を見下しているのではない。初めから人を道具のように思っていたのではない。ただ、恐れている(・・・・・)のだ。彼女を裏切った、人という存在を。

 

 人に失望し、人を醜いものとして距離を置き、人を操る力を持った美九は自らの〝城〟を作り閉じこもった。絆を拒絶し、否定する彼女の世界が彼女の〝盾〟そのものだったのだ。そうしなければ、美九の心が壊れてしまうから。

 

「だから、私は男が大っ嫌いなんですよ!! 下劣で、汚くて、醜くて、見ているだけで吐き気がしてきます!! 女の子だってそうです!! 私の言うことを聞く、可愛い子がいれば後は必要ありません!! 他の人間なんてみんな、みんな死んじゃえばいいんです!!」

 

「……ッ」

 

 彼女の悲しみが、彼女の怒りが、彼女の絶望(・・)が、士道には痛いほど分かる。誘宵美九の過去を体感した彼だからこそ、彼女の痛みを理解出来る。けど、彼女の辛さは分かってやれても――――――それだけでは、なかったはずだ。

 

「それは、違う!! お前の絶望は分かる!! そのプロデューサーや記事を書いた記者を今すぐぶん殴ってやりたいくらい頭に来てる!! 手のひらを返したファンにも腹が立つ!! でも、だからって他の人間まで一緒くたにして嫌う事はないだろ!!」

 

「何を……!! 黙ってください!! 男なんてみんな同じなんです!!」

 

「はっ、黙れって言われて黙るほど物分りが良くないんでね!! 言わせてもらう!! お前の歌を楽しみにして、噂なんかに惑わされず歌を聴いてくれる人は本当にいなかったのか!? 絶対に、いなかったって言えるのか!?」

 

「そ、そんな人――――――!!」

 

 と、会話の間に再び魔術師たちが廊下の先から姿を現す。それを見た士道は〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を握りしめ、前へと躍り出る。今、邪魔をされては困るのだ。ほんの少しでも、心を開いてくれた美九に彼は言葉を届けなければならないのだから。

 

「っ……!!」

 

 一振、間髪を容れずにもう一振。魔術師を随意領域ごと吹き飛ばし、なおも迫る魔術師たちがいるにも関わらず士道は美九へ言葉を続けた。

 

「美九、お前は怖いんだ!! 人間が……いや、人間っていう恐ろしい〝幻想〟を自分の中に作り上げちまってる!! だから〝声〟で人を従えて、また幻想が膨れ上がって……余計に、人間と話すのが怖くなってるんだ!!」

 

 恐怖の対象であるが故に従わせ、相手の本当の想いを信じられない。恐ろしい人間を美九は見てしまっているから、それは徐々に膨れ上がり〝幻想〟という恐怖の象徴として美九の中に留まってしまった。

 当然、そんな事を認められるわけがない美九は激昂した声を発する。

 

「はぁ!? 怖い……!? 言うに事欠いて、私が人間を恐れてるって言うんですか!? ていうか今は戦闘中でしょう!! 何を余計な――――――ァァァァァァァッ!!」

 

 魔術師の放たれた弾丸が美九が作り出した声の壁に阻まれる。普通であれば美九の言う通り、この命懸けの戦いに集中しなければならない。けど、今の士道にはそれ以上に美九と話す事が大切だと、それは命をかけるに値する事だと、そう判断しただけだ。

 

「そんなの関係あるかよ!! 何度でも言う!! お前を肯定するだけの人間に囲まれて、生の人間と話す事を恐れて――――――けど、お前は心のどこかで、ちゃんと話したいって思ってたはずだ!!」

 

「何を適当な……!!」

 

「適当なんかじゃない!! だってお前は〝声〟で操れない人間を――――――〝五河士織〟を欲しがってただろ!!」

 

「……ッ!!」

 

 図星を突かれたように美九の表情が歪む。自分の言う事を聞かない人間を恐れ、拒絶していた美九がその〝異物〟である五河士織を強く欲した理由……今なら、士織を求めた理由が士道にも理解出来る。〝異物〟であるからこそ、美九は士織を求めずにはいられなかったのだ。それは、心のどこかで彼女がまだ信じる心を、信じたいと思う心を持っている証明だ。

 

 

「そ、そんなこと……」

 

「それにお前は、〝声〟を手に入れて再デビューした時、宵待月乃でも他の芸名でもなく、誘宵美九って名前を使ったんだろう!? 気安く呼んで欲しくないって言った、親から貰った大切な名前を!!」

 

 

 〝名前〟というのは人を表すだけではない。そこにいると、己を証明するための大切な名だ。そして、大切な人に呼んでもらい、幸せな気持ちになる事だってある――――――士道と狂三が、そうであるように。

 美九だって同じだ。そうでなければ、拒絶しているはずの人間を相手に誘宵美九という本名を使うはずがない。

 

「お前は、知って欲しかったんじゃないのか!? 自分はここにいる(・・・・・・・・)って!! 認めてもらいたかったんじゃないのか!? 他でもない、人間に……ッ!!」

 

「うぐぐぐ……う・る・さぁぁぁぁぁぁぁいッ!! 黙れ黙れ黙れぇぇぇッ!! 知った風な口を利いてぇ!! バカー!! アホー!! 間抜けぇぇぇぇッ!!」

 

 もはや以前までの罵倒のデパートじみたキレはなく、ただの子供の癇癪のような悪口だった。そんな声でも霊力が乗っていれば、魔術師を軽々と吹き飛ばす音圧となり道を切り開いていく。

 

「お、お前なぁ……図星突かれたからって……」

 

「図星なんて突かれてないですもん!! 違いますもん!! あなたがバカなだけですし!! バーカ!! バーカ!! バーカ!!!!」

 

「あぁぁぁぁもうこの、駄々っ子!! やっぱりお前に四糸乃や耶倶矢や夕弦を任せてなんておけねぇ!! 絶対に霊力封印してやるからなこの野郎……!!」

 

 最初の頃の十香を思わせる子供っぽい罵倒に、士道もやけくそ気味な叫びで答える。駄々っ子は駄々っ子でも、以前の狂三とはまた違った系統で本当に頭が痛くなる。これを狂三が聞いていたら『一緒にしないでくださいまし。そもそも、わたくしは駄々っ子でも強情でもありませんわ』とか言いそうだが。

霊力を封印する(・・・・・・・)と聞いた美九が、ビクリと肩を震わせる。

 

「そんなこと……させないんですからっ!! この〝声〟を無くしたら、また誰も振り向いてくれない!! そんな惨めな私に、あなたは戻れっていうんですか!?」

 

「そんなこと、言ってねぇだろ!! 俺は、お前の本当の声で歌って欲しいだけだ――――――狂三だって(・・・・・)褒めてくれた、本当のお前の、綺麗な歌を!!」

 

「――――――ぇ」

 

 意図しない名前を聞き、美九が呆然とした声を漏らす。剣を振るい魔術師を一蹴した士道が、今一度美九と真っ直ぐに向き合った。

 

 

「聴いたよ、宵待月乃の……美九の歌を。ひたむきで、一生懸命で、格好良かった!! それに、あの狂三(・・・・)が褒めてくれたんだ……それが無価値だなんて言わせない。少なくとも俺は――――――俺と狂三は(・・・・・)、お前の本当の歌を聴く!! 霊力なんて関係ない、何があっても離れないファンが、ここにいるッ!!」

 

「な……」

 

 

 聴いたのは、あの時の一曲だけじゃない。士道は狂三の力で何曲も、過去の宵待月乃の歌を聴いた。ひたむきで元気が出る、人を操る歌なんかよりずっと美しい歌だった。最高に、魅力に溢れた歌声だった。

 士道だけじゃなく、あの皮肉屋で強情な狂三が手放しで褒めたたえたのだ。全世界の誰にもそれを否定させてなるものか。たとえ否定されたとしても――――――士道は、美九のファンを貫き通す。

 

「嘘です……そんな――――――そんな言葉、信じないんですからぁっ!! そう言ってたファンは、みんな私の事を信じてくれなかった!! 私が辛い時……誰も手を差し伸べてくれなかった!!」

 

「俺はそうは思わない!! お前を信じて待っていたファンは、必ずいるはずだ!! でも、もし本当にそうだったなら、その時は俺が――――――絶対に手を差し伸べてみせる!!」

 

「都合のいいことを……!! じゃあなんですか、私がもし十香さんと同じようにピンチになったら、あなたが命を懸けて助けてくれるとでも言うんですかぁ!?」

 

 美九は衝動的に叫んだ。士道が、醜い男が答えに窮するであろうと、そうであってくれなければ困ると、そんな本心とは裏腹な叫び(・・・・・・・・・)。だが、目の前にいるのはただの人間ではない――――――五河士道は、一切の迷いもなく声を張り上げた。

 

 

「当然だろうがッ!! その時は俺が――――――お前を救う。約束だ(・・・)

 

 

 そう言って、士道は笑う。愛しい少女と同じ、大胆不敵な笑みで。

 

 迷わない。迷うはずがない。それが五河士道という男――――――世界を壊す〝最悪の精霊〟と向き合い、通じ合い、惚れさせた(・・・・・)少年が……迷う道理があるはずもなかった。

 

 

 







この回は士道と狂三が数話離れてるだけで作者が禁断症状でうおおおおお二人の絡み書きてぇみたいなテンションしてた気がします。この主人公他の子を攻略しながらシレッと狂三の事も話してる……

次回はどたばた戦局が大騒ぎって感じです。メインヒロインもそろそろ……。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第四十七話『時の祈り』

そろそろクライマックスへ向けて……この章、なげぇ!!


 

 

 エレン・メイザースという女は最強の魔術師である。それは、顕現装置を手にした事があるものならば誰もが知っている純然たる事実だ。拮抗出来るものこそいれど、彼女を凌駕出来る魔術師など今この瞬間には存在し得ない。

 

「ぐ――――――けほっ、けほ……っ」

 

「……やってくれましたね」

 

 故に、このような結果は本来ありえないはずであった。エレンが一介の魔術師と戦い傷を負わされるなど(・・・・・・・・・)。腹部を切り裂かれた深い斬撃の跡。随意領域で止血こそ済ませているが、飛び散った血痕が白銀の鎧の一部を赤く染めていた。

 エレンに油断はなかった。だとすれば、この結果は折紙の実力と幸運に他ならない。彼女の奇策、謎の魔力砲による援護――――――それにより生じた僅かな隙を見逃さなかった、折紙自身の判断能力。そんな鳶一折紙を一介の魔術師、などと誰が言えよう。

 

「余計な茶々が入ったとはいえ、私の身体に傷を付けた人間は、生涯で二人目です。鳶一折紙、あなたは素晴らしい魔術師だ。自信を持って誇っていい――――――」

 

 最強の魔術師・エレンが手放しに褒め称えていた。魔術師としての力に誇りを持つ者なら、泣いて喜ぶ最大級の賛辞であろう。無論、折紙にそのようなプライドはないに等しく、壁に叩きつけられ傷口が開きかけた彼女が賞賛の声に答える余裕はない。

 

「ただし……あの世で、ですが」

 

「っ……」

 

 随意領域で応急処置を施しながら必死に身体を起こそうとする折紙に対し、エレンは剣を突き付けて冷たく終わりを宣告する。

 元より勝ち目の低い戦いが、更に絶望的になったのは折紙自身よく分かっていた。数秒後の生存さえ危うい状況で、痛みに歪んだ折紙の瞳が――――――その煌めきを見た。

 

 

「――――――ッ!?」

 

 

 刹那、エレンにとって二度目の予想外(・・・・・・・)が訪れた。彼女の強大な随意領域にはなんの感覚もなかった。にも関わらず、彼女は咄嗟に大きく身を翻した――――――次の瞬間、美しい金髪が投擲された〝何か〟によって、僅か数本ではあるが数多の光に照らされる空に舞った。

 

「何者です!?」

 

 折紙に警戒を向けながらも、投擲された方向へ視線を向ける。それに答えるのは、絶えず聞こえてくる戦場の音だけ。

 エレンの随意領域で感知出来ない謎の一刀。〈ナイトメア〉のように渾身の不意打ちで領域を犯したのではない。今のは間違いなく、随意領域を完全にすり抜けた一撃(・・・・・・・)。回避出来たのは、エレンに培われた長年の戦闘技術による直感に従ったに過ぎない。僅かばかりの殺気、気づくことが出来なければ彼女の頭部を投擲物は容赦なく貫いていた事だろう。

 次から次へと続く予想外。だが、エレンがそれに気を割いていられる時間は終わりを告げた。

 

「……アイク」

 

 やらねばならない事がある。口惜しさは残るが、以前受けた〈ナイトメア〉からの屈辱に比べれば大したことは無い……本当に、あれを思い出すとあらゆる意味で腹立たしさが込み上げて来る。任務という最重要な事柄がなければ、天宮スクエアの時に見た瞬間飛びかかって殺してやりたいくらいだった。

 しかし、今はそれも捨て置く。彼女のやるべき事は決まっているのだから。虚空を一瞥し、折紙をもう一度睨みつけてからエレンは第一社屋へと視線を向けた。

 

「あなたは本当に運が良い。誰とも知れぬ者に、感謝する事ですね」

 

 それだけを言い残し、エレンは迷いなく第一社屋の方角へ飛んだ。一瞬にして、その姿は粒さえ確認する事が困難な程に距離が離れて行く。

 

「させない――――――ぁ、っ!!」

 

 真那から聞いた話では第一社屋には士道がいる。みすみすエレンを見逃す訳にはいかない。だと言うのに、動かすだけで身体に激痛が走り、折紙の身体は叩きつけられた壁に背を乗せるだけで精一杯だった。

 

「自殺願望がないなら動かない方が身の為ですよ――――――鳶一折紙」

 

「!!」

 

 声が響いた方向へ視線を向ける。折紙が叩きつけられビルの上段に立つ、白い影。その声の主を彼女は即座に記憶領域から引き出していた。声だけではない。先程、一瞬だけ視認したあの煌めきを含めて、彼女は対象の〝精霊〟の正体を断定した。

 

「〈アンノウン〉……!!」

 

「……あの女を相手によく生き残れましたね、あなた」

 

 白い少女が呆れ気味に呟く。『狂三』の予測通り、鳶一折紙が纏っているのはASTの装備では無い。ワイヤリングスーツから武装に至るまで、全くもって別物どころか装備に統一感の欠片もない。質としては一段も二段も劣るであろうこの装備で、よくもエレン相手に立ち回った挙句、深い一撃を加えたものだと賞賛と同時に折紙の実力と運に呆れ返る他ない。

 

 まるで――――――世界が鳶一折紙を生かしている(・・・・・・)かのようだった。

 

「なぜ、私を助けた……ッ!!」

 

 一度ならず、二度までも。佇む白い少女を睨みつけながら、折紙は以前と同じ問いを投げかけた。〈ナイトメア〉といい少女といい、目的が分からないまま彼女の目の前に現れる不気味さ。しかも、この白い精霊に至っては明確に自身を助ける行動を取った――――――精霊を復讐の対象とする、自分を。

 

「……助けない理由が見つからなかったんですよ。命知らずな優しい復讐鬼さんをね」

 

「余計な手出しをしないで。あなたも、精霊だと言うなら尚更……!!」

 

「そうでしょうね。あの女に好き勝手されるのも癪でしたから、私に助けられたのが気に食わないなら、私の私情に巻き込まれたとでも思ってください」

 

 折紙に睨みつけられながらも、少女は気にするなと言わんばかりに平然と手を振る仕草をして声を発する。

 精霊に復讐を望む折紙が、その精霊である白い少女に助けられて感謝などするはずもないし、少女も感謝される筋合いはない。復讐を糧としながらも一人の少年に引かれる彼女を、他人事とは思えず衝動のままに動いてしまったに過ぎないのだから。

 彼女の事を命知らず(バカ)と言ったが、少女も大概に大馬鹿者だと自分で思わざるを得ない。将来、鳶一折紙が敵となる明確な予測を立てながら(・・・・・・・・・・・・・・・)、こうして彼女を助けてしまったのだ。これを大馬鹿者と言わずになんと言う。

 

「……まあ、五河士道の元へ行きたいならまずその身体を治してから――――――ッ!!」

 

 白が足を踏み込み、重力を無視しているとしか思えない動きでビルの側面を駆け抜ける。折紙が少女の行動にアクションを起こすよりも早く、折紙の身体を少女が抱き抱え勢い良く空へ跳躍した。

 数秒と間を置かず巨大な冷気(・・・・・)が二人のいた場所を覆い尽くした。

 

「く……離して!!」

 

「大して動けもしないくせに文句言わないでください!! 今のは〈ハーミット〉……という事は――――――」

 

 跳躍し今にも暴れそうな折紙を抱えながら視線を巡らせる。攻撃を放った〈ハーミット〉に加え〈ベルセルク〉の二人と、目的の人物を発見した少女が迷わず一直線に彼女の――――――折紙の上司、AST隊長・日下部燎子の元へ降下する。

 

「そこの隊長さん!!」

 

「な、〈アンノウン〉――――――折紙っ!?」

 

「はいパス!!」

 

「ちょ、はぁっ!?」

 

 突然の精霊に驚いたのも一瞬、その精霊に抱えられる病院にいるはずの自分の部下という意味不明な構図に驚きながらも、すれ違いざま投げられるように空へダイブした折紙の身体を燎子は随意領域を駆使して的確に受け止める。

 その身の自由を取り戻した少女は地面に滑るように着地する。

 

戻って(・・・)、〈――――〉!!」

 

 そして、その名を呼ぶ。誰の耳にも届く事はなかったかの名称は、しかし持ち主の呼び声に答え煌めきを少女の手に返す。虚空へと消えた色のない刀が、どこからともなく宙を駆け抜け白がそれを掴み取った。

 三度跳躍し、ビルの上段へ着地した少女は戦場へと姿を見せる。八舞姉妹が〝精霊〟という事に驚愕する折紙の姿、そして少女を見て睨め付けるような視線を送る姉妹が見えた。

 

「耶倶矢、夕弦……まさか、精霊……?」

 

「呵呵、誰かと思えばまんまと我らから逃げ仰せた精霊ではないか。しかし――――――」

 

「追従。二度目はありません。お姉様の邪魔をするものは、誰であろうと排除します」

 

「……まったく。あなた方に何かあると狂三に怒られるのは私なんですけど――――――ねっ!!」

 

 白の跳躍と八舞の暴風の発動はほぼ同時。

 

「お姉様のために、魔術師さんを……やっつけます……!!」

 

「く……っ!!」

 

 放たれた氷の礫を燎子の随意領域から離脱し、スラスターを吹かせ無理やり回避した折紙もASTと並んで彼女達と向かい合う。

 

 AST、〈ハーミット〉、〈ベルセルク〉、更に〈アンノウン〉。〈ナイトメア〉が引き起こした事象は魔術師と精霊が入り乱れ、真夜中の戦場は混乱を極めつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「え――――――?」

 

 ようやく辿り着いた部屋で、強化ガラス越しに十香と対面した士道は、意図が読めないアイザック・ウェストコットの言葉の後、胸に奇妙な感覚を覚えた。

 何かに貫かれたような(・・・・・・・)感触。それが気の所為ではなく、現実なのだと受け入れられたのは胸元から現れた光の剣と、それを扱う金髪の魔術師の姿を見たからだ。

 

「え、レ、ン……ッ」

 

「――――――アイクに向けられる剣は、全て私が折ります」

 

 光の刃が引き抜かれ、士道は夥しい血を吐き出しながら床に倒れ伏せた。

 

『シドー!! シドーぉぉぉぉぉぉぉッ!!』

 

 ガラスの叩く音と、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。答えたい、答えてやりたい。しかし、何もかもが動かない。

 

「と……ぉ、か……」

 

 顔を上げることすら出来ない。僅かに唇を動かして、その動作でさえ激痛を伴い血を吐き出してしまう。意識が遠退いて、何も聞こえない。誰かが話をしている。十香が呼んでいる。美九の〝声〟が響く。どれも本物かもしれないし、士道が死の間際に聞いた幻聴なのかもしれない。

 

 そう――――――〝死〟だ。

 

 

 

 

 漠然と実感する。確実に近づくこの感覚。死神の足音がする。何かが近づき、士道に黄泉のへの道を渡らせようとしている。

 心臓の鼓動も、筋肉の動きも、その思考の何もかもが鈍い。全てが終わりへと繋がる、体験した事がない感覚だった。初めて実感する、死の感触。

 

 五河士道は〝死ぬ〟。変えようのない事実が現実となり襲い掛かる。琴里の加護すら意味をなさない。ここで死ぬ事が運命だと、そう彼の身体が告げていた。

 

 何も成し遂げられないまま、潰える。十香を救う事も出来ず、美九の心の壁を溶かす事も出来ず、約束一つ果たせず、士道は、死ぬ。

 

 力が抜けていく。光が消えていく。そのまま、僅かに残った彼の意識は闇へと――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――――士道さん』

 

 光を、見た。

 

 

「――――――――ぁ」

 

 

 誰よりも愛おしい、声を、聴いた。

 

 

『わたくし、必ず士道さんに言わせて見せますわ。家族、救うべき存在、ある筈の幸せな未来――――――その全てを投げ出して、この時崎狂三にその命を捧げさせて欲しい、と』

 

「……そ、う…………だった、な」

 

 

 その光を彼は知っている。それが、自らの命を懸けるに値するものだと、五河士道は信じている。

 

死ねない(・・・・)。命の使い方を、少年は決めている。この命捧げる先を、少年は誓っている。だから、こんなところで、こんな奴らに命を奪われるわけにはいかない。

 戻ろう、戻らねばならない。戻らなくては、誰も守れない。誰も救えない。どこからともなく、時を奏でる音(・・・・・・)が聴こえる。

 

 

「こんな、ところで……死ねるか……ッ!!」

 

 

 この命は、愛する少女の物になる。その可能性がある限り、少年が約束を違える事は許されない。命潰える事が許されるとすればそれは――――――負けを認めた(・・・・・・)時だけだ。

 

 そして――――――少年の時は巻き戻された(・・・・・・)

 

 

 

 

 

「ぁ――――――ああああああああああああああッ!!!!!!」

 

「な……っ!?」

 

 ありえない雄叫びに、光の剣を振り上げたエレンが驚愕の声を上げる。振り下ろされる刃と、振り上げられた刃が拮抗し、激しいスパークを散らす。

 拮抗は一瞬。エレンが随意領域の力を強め、士道を弾き飛ばす。ガラスに打ち付けられ呻き声を漏らしながら、それでも彼はエレンと相対するように〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構えた。

 その後ろで、涙で顔をぐちゃぐちゃに濡らした十香が、彼の後ろ姿を見て呆然と声を発する。

 

『シ、ドー……?』

 

「ああ……待ってろ十香。すぐに助ける」

 

「――――――ほぅ」

 

 興味深い、そんな風な声を漏らしたのはアイザック・ウェストコット。彼が気味の悪い笑みで士道を見遣り、言葉を放つ。

 

「驚くべき生命力だ。まさか、エレンの攻撃による傷をこんな僅かな間に再生させるとは。実に興味深い、驚嘆に値するよ」

 

「はっ、あんたに褒められても嬉しくねぇよ……!!」

 

 その傷は致命傷だった。普段なら〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の再生能力が働き、致命傷だろうが回復させる士道の肉体も、先程の傷を極短期間で治すことは不可能だ。それがどうだ。今の士道はまるで、エレンが与えた傷そのものがなくなったかのように、傷を再生させようとした焔ごと(・・・・・・・・・・・・・・)刺された跡が綺麗に塞がっていた。

 士道の皮肉にもさして気分を害した様子はなく、笑みを崩さずウェストコットは言葉を続ける。

 

「おや、これは失敬。だが、その生命力がどれほどの物か、少し興味が出てきてしまった――――――首を刎ても、果たして生きていられるのかな?」

 

『ッ、逃げろシドー!!』

 

 ウェストコットが手を軽く上げ、エレンが再び刃を構える。十香が自ら顕現させた〈鏖殺公(サンダルフォン)〉でガラスを切り付けながら、必死に呼び掛けくる。

 ここで立つ事が何を意味するのか、分かっている。傷が癒えたところで、万に一つも士道に勝ち目などない。視界の端に映る美九の表情を見るに、彼女の〝声〟もエレンの随意領域には通用しなかったのだろう。戦力差はあまりに絶望的だった。だからといって、士道が逃げの選択肢を取るはずがない。取れるはずもない。無言で剣を構える士道を見て、十香が悲痛な声を上げる。

 

『やめろ、やめてくれシドー!! 私の事はいい!! 私の事は捨てていい……もう十分だ……だから頼む、逃げて……生きてくれ(・・・・・)!!!!』

 

「……生きるさ。お前と一緒にな(・・・・・・・)

 

『っ……!!』

 

「無駄ですよ」

 

 エレンが一瞬、睨みつけるような視線を向けると、士道の全身に強烈な拘束力が働き、どれだけ力を入れても足の一つさえ動かす事がままならなくなる。

 

「く……そ……っ」

 

「終わりです」

 

 刹那の間にエレンが距離を詰め、光の刃を振るう。その軌跡は寸分たがわず、士道の首元へ迫っていた。宣告通り、数秒と待たずして士道の命は潰えるだろう(・・・・・・・・・・・)

 

 消える。消える。消える消える消える消える消える。消えてしまう。士道が、自分を助けに来てくれた士道が、大切な人が、自分に世界をくれた人が、消える。

 十香の見る景色が、全て暗く、遅く映る。士道に迫る刃も、彼の背中も。

 

 

「い……や、だ……」

 

 

 消えるな。消えないで。奪わないで。それだけは、消させない。その為なら、なんだって構わない。力が欲しい。今の自分ではない、何かが。なんでもいい、誰でも構わない。この身がどうなろうと知ったことではない。だから――――――力を。

 

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!」

 

 

絶望(・・)が産声を上げ――――――闇が、爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「DEM第二社屋、目的のお方はおられませんでしたわ」

 

「先端技術研究所、外れですわ」

 

「……やはり、想像通りですわね」

 

 『狂三』から次々と上がる実入りのない報告を聞きながら、さして落胆も見られない予想通りという口調で狂三が呟く。自らも研究施設の一室で手掛かりがないか軽く資料を漁っていたが、出てくるのは顕現装置の研究や、彼女でさえ顔を不快に染める趣味の悪い(・・・・・)研究結果ばかりで、これ以上は無駄だと見切りを付けるようにため息を吐いた。

 所詮、物のついで。大して期待はしていなかったが――――――そう思った、その時。

 

「っ――――――ぁ」

 

「『わたくし』!?」

 

 突然襲いかかった胸を刺すような痛み(・・・・・・・・・)に、狂三が身体のバランスを崩す。備え付けられたテーブルの上に手を置き、そこに散乱した物を地面に落としながらも何とか倒れ込む事だけは免れる。

 分身体に動揺が走る中、一人が狂三に寄り添うように駆け寄る。

 

「如何なさいましたの?」

 

「っ……い、いえ。なんでも、ありませんわ……」

 

 何もない、痛覚は残留している。にも関わらず、狂三の身体には傷一つ見られないのだ。鋭利な何かに身体を貫かれた、そんな感覚がまだ残っている。だが、痛む胸元に手を当てがっても彼女の白磁の肌は、普段と変わらずそのきめ細やかな輝きを持っている。切り裂かれても、ましてや貫かれてもいない。

 なら、この奇妙な痛みはなんなのだ。訝しげに表情を歪め――――――

 

 

「ッ――――――!?」

 

 

 視界が切り替わる。ノイズに塗れた映像を、狂三の左目(・・)が見せつけるように映し出す。右目は変わらず、呼びかける『狂三』を映し出している。黄金の時計を宿す左目だけが、このノイズだらけの〝何か〟を狂三の意志を無視して投影していた。

 引っ張られそうになる意識を引き戻し、グッと瞳に力を入れノイズを払い除ける。そうして、狂三は視た。

 

 ――――――光の刃が煌めき、あの方(・・・)の首を刎る、その瞬間を。

 

 

「ぐ……ぁ――――――!!」

 

 

 嫌な何かがせり上がってくる。咄嗟に口元に手をやりながら、なおも続く光景(ビジョン)――――――あの方の血が、ぶちまけられた、その絶望の未来(・・)拒絶した(・・・・)

 

「ち、が……う……」

 

 そうではない。これは違う。無作法にぶつけられた映像を、強靭な精神力を以て捩じ伏せる。狂三には分かる、狂三だからこそ分かる。これは現実ではない、ましてや過去でも現在でもない未来(・・)の一つ。〝誰か〟と共鳴(・・)して視覚情報を受け取り、算出された起こりうる可能性が高い光景(ビジョン)。狂三本人でさえ理解しきれない奔流を、彼女は本能的に処理していく……そうしなければ、彼女自身が裏返ってしまう(・・・・・・・)

 

 これだけではない。これだけであってなるものか。強く、色濃く映し出されたこの未来(・・)はそれでも確定したものではない(・・・・・・・・・・)。余計な物を受け流し、必要のないものを払い除ける。その動作の中、半ば無意識のうちに手にしていた銃を、狂三は自らに撃ち込んだ(・・・・・・・・)

 

「【五の弾(ヘー)】……!!」

 

 瞬間、狂三は〝それ〟を聴いた。彼女の――――――嘆きを。

 

 

 

『うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――ッ!!!!』

 

「――――――――っ」

 

 

 

 絶望。憤怒。恐怖。全てのマイナスの感情を表にし、放出させるほどの絶叫。彼女の身が全く別の存在(・・・・・・)、裏側が取って代わる。

 

 溢れていた。彼女を害するもの全てを壊し尽くす、何かが溢れていた。これは先ではない(・・・・・)()未来(・・)に追いつき、既にこの事象は確定した現実となった(・・・・・・・・・・)

 

 

「っ……先が見える(・・・・・)というのも、良いことばかりではありませんわね――――――!!」

 

 

 行かねばならない。それだけを思って、狂三は吐き捨てるように言葉を紡ぎ、立ち上がった――――――愛しいあの方(士道)を救う、ただそれだけのために。

 

 







Q.なんてもの主に見せてるんだこの天使。A.天使的にはご主人このままだとやべぇよご主人!!くらいの善意です。

なんてものを見せてくれたのでしょう。未来とか見えりゃいいってもんでもないっていう良い例です。天使の力が強くなるのが良いことばかりだと誰が言った。

主人公がゾンビ顔負けの生命力になってますね。なんででしょうね(棒) 命の使い方を決めているから他のことで死ぬつもりはないけど無茶苦茶はする。妹の心労がデッドヒート。

着々とフラグを建築していく白組二人。いや白メインなのは偶然ですけど。ところでもうすぐ五十話なんですけど天使名すら判明しないオリキャラには参っちゃいますね(他人事)

そろそろエンディングも近づく中、メインヒロイン再び。このタイミングということは……? 次回をお楽しみに!! 感想、評価などなどお待ちしておりますー


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第四十八話『眠りのプリンセス』

魔王、降臨。


 

「――――――悪いが、我々はここで失礼させてもらうことにするよ。生き延びたならまた会おう。タカミヤ(・・・・)――――いや、イツカシドウ」

 

「なに……?」

 

 悠然と佇むウェストコットが発した言葉に、士道は眉を寄せた。タカミヤ、崇宮……それは、士道の実妹を自称する真那の姓。つまり、薄ら笑いを浮かべる妙に気に食わない(・・・・・・・・)このウェストコットという男は、士道が知らない彼の何かを知っている、という事になる。

 

「ちょっと待て、あんた……俺の事を知ってるのか!?」

 

「いいや、知らないさ――――――イツカシドウの事はね」

 

「っ、おい待て!!」

 

 ウェストコットが隣に立つエレンの肩に手を置く。すると、随意領域を凝縮させ彼を包み込み、そのまま士道の静止を聞くこともなく空の彼方へ飛び去って行った――――――この、奴らが好き勝手した〝結果〟だけを置いて。

 

「くそ、あの野郎……!!」

 

 やりたい放題しておいて、後はこちらに全て丸投げとはいい根性をしていると皮肉の一つも言いたい気分だった。が、その余裕すら彼から奪い去る〝精霊〟が上空にいた。隣にいる美九ではなく、彼らが助けに来たはずの彼女――――――

 

「あとは……貴様らか」

 

 夜刀神十香と瓜二つの誰か。そう思いたくなるほど重苦しい殺気を放つ、強大な精霊が士道たちを見下ろしていた。

 

「……ちょっと、あなた知り合いじゃないんですかー? ていうかあの子、助けに来る必要もないくらい激強じゃないですかぁ。一体何がどうなってるんですー?」

 

「そう言われても……俺だって何が何だかわかんねぇよ」

 

 思い出すのは、あの時……士道がエレンの凶剣に命を奪われかけたあの瞬間。士道は十香の絶叫を聴いた。どこか、身に覚えがある(・・・・・・・)。そんな風に思えてならない怨嗟の叫びと、黒い光の粒子が辺り一帯を埋め尽くした。

 光が開けた時、全てが変わっていた。漆黒の完全なる霊装を身に纏い、王の如き超越の威圧感を纏う。十香であって十香ではない(・・・・・・・・・・・・)誰かが、そこにいたのだ。

 

「……ふん」

 

「っ、やべ……っ!!」

 

「きゃあっ!!」

 

 僅かに視線を流すように二人を見た十香が、その手に持った剣を乱雑に振り抜く。咄嗟に手にしていた〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を盾にするように掲げ、黒い衝撃波を受け流した。

 

「やはり〈鏖殺公(サンダルフォン)〉……なぜ貴様がその天使を持っているのだ?」

 

「十香……!!」

 

 今の攻撃は間違いなく、受け流す事が出来なければ美九と二人揃って死んでいた可能性すらあった一撃だった。十香であれば、このような行動はありえない。少なくとも〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の事は知っていて、十香であって十香ではない誰か……全く、こんな時だというのに頭がこんがらがってしまう。冷静に物事を観察出来る人物の助けが欲しい気分だ。そう、例えば――――――

 

「……あいつに頼りすぎだな、情けねぇ」

 

 頭を振って思考を切り替える。今彼女は隣にはいない。ならば、様子がおかしい十香を元に戻すために自分が努力をするしかない。

 状況を冷静に把握し、対策を考える。単純な霊力の逆流、ではないのは間違いない。今の十香が纏い、手にしているものは士道の見知った霊装や天使とはまた違うものだ。写真にポジとネガがあるように、後者、つまりネガの部分が表に出てしまったように、霊装も天使もその姿を変えていた。

 

 特にあの天使、と呼んでいいのか分からない剣。彼女が〈暴虐公(ナヘマー)〉と呼ぶ黒い輝きを放つ片刃の剣。〈鏖殺公(サンダルフォン)〉と似て非になる巨大な剣に、士道はどこかで見たような、否――――――手にしたことがあるような(・・・・・・・・・・・・)……そんなありえない既視感を覚えた。

 漆黒の剣に目を奪われ、士道が奇妙な感覚を覚えたのと同時に、ふと十香が鋭くした視線を困惑を含んだものに変え、声を発した。

 

「それに、貴様……どこかで……」

 

「え……? 十香、もしかして……!!」

 

「十香――――――それが〝私〟の名前か?」

 

 思い出したのか、一瞬そう思い縋るような気持ちで声をかけたが、やはり士道の事はおろか自らの名前さえ分かっていない様子だった。

 

「一体、どうしちまったんだ……」

 

 何度考え、どれだけ冷静に思考を巡らせてもわけが分からない。渋面の作る士道だったが、彼の中でもたった一つだけ確かな事がある。何があろうと、彼女に何が起こっていようと――――――十香を必ず連れ戻す、ただそれだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目に見えぬ程に速い神速と、全てを薙ぎ倒す程に強い二つの神風。走り抜ける神速を魔術師たちは感知することすら叶わず、続いて追う神風に彼らは吹き飛ばされていく。

 人の身であれば視認することさえ儘ならぬこの人知を超えた追いかけっこ(・・・・・・)は、当然といえば当然であるが当人たちはお互いの視野に常に入る形で争っていた。

 

「限定的な能力解放なら、ご自慢の飛行ももそれっぽく落ちて欲しいんですけどね!!」

 

「ふははは、我ら八舞からこうも逃れるとは!! やるではないか白いの!!」

 

「狂三は吸血鬼で私は白いのって、格差ありすぎじゃないですか!?」

 

 もちろん、白い少女の異議申し立てなど聞きもしない耶倶矢が、高速移動を維持しながら槍を構え、虚空へ突く。槍の先端部がドリルのように回転し、極限まで凝縮した台風のような暴風を少女に向けて解き放つ。

 

「ち……」

 

 範囲が広く、巨大だ。恐らく少女を追いながら力を溜めていたのだろう。少女は足に力を込め、放たれた暴風の範囲から逃れるべく上空へと一気に跳び上がる。

 

「捕縛。捉えました」

 

 しかし、少女が滞空する一瞬、そのほんの僅かな隙に夕弦が左手から伸びるペンデュラムの鎖で少女の周りを囲う。風を纏ったその鎖は、そのまま少女の身体に絡みつかんと高速で近づいてくる。

 逃げ道はない。ならば、作るまで。小さな鞘鳴りと共に、少女が刀を抜き放ち鎖へ向かって振るう。金属同士がぶつかり合うような音が響き、刀とペンデュラムが衝突する。撃ち合った鎖が、刀身を搦め取る――――――それが狙い。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「驚嘆。なんと……!!」

 

 元より斬り裂くつもりなどない。気合を入れ、螺旋状に搦め取られた刀をスイングするように全力で振り抜き、鎖の先にいる夕弦を強引に投げ飛ばす。更に、振り抜いたその瞬間に刀を手放し勢いのままビルの上へ着地した。

 

「力で夕弦を負かすとは……貴様、見た目にそぐわぬ剛力を持つか」

 

「いえいえ、力技は得意じゃありません。今のが全力ですよ、残念ながらね」

 

 嘘か本当か。ローブに隠れた顔からは窺う事は出来ない。上空から相対する耶倶矢に遅れて、難なく復帰した夕弦が彼女の隣に立つ。

 

「指摘。ですが、唯一の武具を手放すのは悪手と言えます」

 

「あら……助言、痛み入ります。けど――――――」

 

 宙に軌跡を残し、意志を持っているかのように真っ直ぐ刀が少女の元へ飛ぶ。動揺の一つも見せず再び刀を手にした少女が、笑うように言葉を続けた。

 

「実は、なかなかお利口なんですよ、この子」

 

「呵々、面妖な業を使いおるわ。楽しませてくれる……!!」

 

 これで仕切り直し。さて、どうしたものか。と少女が次のアクションを思案する。なし崩しで始まってしまったが、少女が彼女達に付き合う理由はない。ないのだが、一度姿を現した手前AST――――――ひいては鳶一折紙に押し付けていくというのは少々心苦しい。折紙が半死に体な事を考えると、何が起こるか分かったものではない。

 

「……狂三と違って、こういうのは苦手なんですがね」

 

 愚痴るように呟いて刀を構え直す。正面からの戦いは少女にとって好むものではない。相手の土俵で戦うなど、なおのこと避けておきたいやり方だった。

 少女が取れる選択肢は逃げの一手のみ。それも、彼女たちを引き付けるために姿を隠す手段は使えないときたものだ。狂三ほど器用ではない自覚がある少女としては、なかなか綱渡り(・・・)なやり方であったが――――――

 

「――――む……?」

 

「疑念。ここは……?」

 

 終わりが見えなかったお遊び(戦い)は、なんの脈略もなくあっさりと終わりを迎えた。好戦的な視線を少女に向けていた耶倶矢と夕弦が、急にお互いの顔を見合わせて不思議そうな表情をした。なぜ自分たちはここにいるのか(・・・・・・・・・・・・・・)、そんな風に態度が百八十度回転した二人に、白い少女も首を傾げ、すぐに推測を立てる。

 

「……術者に、何かあった……?」

 

 彼女たちがこうして戦っていたのは、誘宵美九が天使を使って支配下に置いていたから。効果範囲などが存在しないのであれば、突然解除された理由の可能性はそう多くない。使用者が自らの意志で解除した、もしくは強制的に解除しなければならないほど霊力を消費した(・・・・・・・)、このどちらか以外だと最悪の場合も考えられたが――――――遠くで光り輝く、巨大な二つの霊力(・・・・・)を見て、その最悪の事態は免れていると少女は予測を立てた。

 

「……そこのお二人さん。狂三のお知り合いですよね?」

 

 とにかく、動かない事には始まらない。少女は、混乱する八舞姉妹に気さくに声をかける。

 

「質問。あなたは何者ですか? 夕弦たちはなぜここにいるのです?」

 

「後者に関しては話せば長くなりますね。前者は……まあ、私は狂三の名前のない従者とでも思ってください」

 

「え、なにそれちょっとカッコいいじゃん」

 

「……カッコいい、ですかね?」

 

 これをカッコいいと思うのは、なんかちょっと感性がズレている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「私の身を縛ろうとは――――――身の程を知れ」

 

 

 振り下ろされた剣は、万物を斬り裂く必滅の刃。絶対の鎧である霊装を以てしても、今の美九が耐えられる攻撃ではない。

 

 

「――――――――――」

 

 

 悲鳴を上げる〝声〟さえ失い、美九はその場にへたり込んだ。元々、ここに至るまで霊力を考えなしに使い、その上で十香という怪物じみた力を持つ精霊を相手に動きを止めようと無理をした結果が、これだ。

 失ったのだ、何もかも。〝声〟を無くした誘宵美九に価値などない。誰も私を見てはくれない、誰も私を聴いてはくれない。だから、ここで終わりだ。せっかく、せっかく最高の時間を手にしていたというのに、黙って見ていれば良かったのに、何故か彼に手を貸してしまったばかりにこんな事になってしまった。

 

 彼は、五河士道は、諦めることをしなかった。精霊と人間の信頼などという、反吐が出る理屈を当たり前のように言葉にして、大切な人を救うだなんて愚かな行いをする士道を見て――――――誘宵美九は、信じてみたかったのかもしれない。士道を、そして彼を信じていた精霊……時崎狂三を。

 

 強く、美しかった。同じ精霊である美九をして、その力は圧倒的だった。鮮烈だった。気高さがあった。故に、そうであるが故に、美九はそんな美しい精霊が人間の男と通じあっているなど、信じたくなかった。

 だがもし、もしも、万が一本当に、狂三ほどの精霊が信を置くに相応しい、他人を本当に愛せる人間だとしたら――――――そう思ったのが、運の尽き。

 

 愛し、愛される。そんな当たり前で、だけど難しくて、素敵な関係(・・・・・)。美九がもしも、例えば心に傷を負い、擦り切れてしまった時、そんな時に士道と出会えていたらならば。もっと、何か違う道があったのかもしれない。そんなもしも(IF)のお話、辿らなかった道筋。ありえない幻想。〝声〟を失った自分には、上等すぎる夢想。そうして、美九は目を閉じて――――――――

 

 

「美九――――――ッ!!」

 

 

勇者(ヒーロー)の声に、閉じた目を見開いた。

 

 

 

 走る。走る。士道はただ走った。合理的な判断も、冷静な考えも彼の中には存在しない。美九に迫る十香の斬撃。届かせてはならない、彼女に美九を殺させてはならない。美九を死なせたくない。

 彼の頭の中に、数ヶ月前の光景が蘇る。愛しい少女と愛する妹が殺し合い、そして業火が少女を焼き尽くさんとしたあの瞬間。あの時と同じ――――――違う。

 

 同じではない。同じではダメだ。あの時、士道は何も出来なかった。少女を守ってやることが出来なかった。あまりに、少年は無力だった。それでは何も救えない。今、無力だと言い訳をするには早すぎる。

 あるはずだ、美九を守れるだけの力が。それを士道は引き出せるはずだ。願いと、祈りは必ずその天使に届く、届かせてみせる。

 

 その力を彼は識っている。それは、人を慮る究極の慈悲を持つ少女の力。ならば、人を守るための祈りが、願いが、届かぬ道理などない。

 

 天使が祈りを映し出し、願いを叶えるべく輝きを放つ。黒の極光が目前へと迫る中――――――堅牢なる〝氷結〟の盾が、その前に姿を見せた。

 

 

 

 

 

「よう――――――美九、無事か?」

 

「ぁ――――――」

 

 

 僅かばかりに回復した声で、呆然と美九は少年を見た。

 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉。美九を守るように立つ士道が手をかざした先には、氷の天使による盾があった。

 

「ぁにを、やっぇ……」

 

「約束したろ。俺が、お前を救って見せるって」

 

「……っ!!」

 

 それは、ちっぽけな約束だった。

 

 

『じゃあなんですか、私がもし十香さんと同じようにピンチになったら、あなたが命を懸けて助けてくれるとでも言うんですかぁ!?』

 

『当然だろうがッ!! その時は俺が――――――お前を救う。約束だ』

 

 

 ムキになって、迷って欲しくて、子供じみた癇癪に彼が迷いなく答えた、言葉。たったそれだけの約束を、〝声〟を無くした価値のない美九を――――――士道は、守ってくれた。

 涙が、止まらない。悲しさではない感情で涙を流したのは、もうどれほど前のことだっただろう。無意識に手を伸ばし、彼の指先に触れる……不快感は、もうなかった。

 

「小賢しい真似を……」

 

 別の天使を使い斬撃を防いだ士道を見て、その奇妙な力に訝しげな表情をした十香だったが、すぐさま追撃をかけるべく剣を振り上げる。士道が痛む身体を押して、今一度手をかざそうとしたその時――――――〝影〟が、蠢いた。

 

 

『きひ――――きひひひひひひひひッ!!』

 

「っ!?」

 

「なに……?」

 

 

 〝影〟が笑う。聞き覚えがある狂気の声に美九は思わず身体をビクリと震わせ、十香は銃弾(・・)から逃れるように空へと浮き上がった。彼女を追い縋るように影が蠢動し、紅と黒のドレスを纏った幾つもの少女が這い出でる。

 

 

「――――――あら、あら」

 

 

 くす、くす。誰かが、笑った。コツ、コツ。靴音を鳴らす。この中で唯一、舞台の登壇者に一切の動揺を見せない彼が……士道が、暗がりを見つめる。月明かりに照らされて、姿を現したのは――――――

 

 

「また無茶をなされたご様子で……そんなお姿も素敵ですわ、士道さん」

 

「ああ……惚れ直してくれたか?」

 

「ええ――――――もう、仕方のないお方ですわね」

 

 

 言葉通りに、困ったように彼女は微笑んだ。優雅で、美しい、士道の女神が――――――時崎狂三が、変わらぬ姿で士道の隣に立った。

 

「ぁ……く、る……」

 

「美九さん? あなた……」

 

 驚きで名前を呼ぼうとしたが、まだ霊力が戻らない美九では言葉に出来なかった。が、察しの良い狂三はそれだけで美九の異常を見抜いたらしく、眉を寄せる。

 

「そう、でしたの。〝声〟を枯らしてまで……」

 

「っ!!」

 

 狂三が美九に手を向ける。天宮スクエアでのトラウマか、本能的に身を竦めて目を閉じ――――――

 

「――――――感謝いたしますわ」

 

「……ぇ」

 

 意外すぎる感謝の言葉と、優しく頭を撫でる狂三の手に理解が追いつかず声をもらした。なぜ、彼女が自分に感謝などするのだろう。こんな、価値のない自分に対して、なぜ。

 

 

「そんな風になるまで、士道さんを守ってくださったのですね。こんな危険な場所に来る事になって、大切な声を枯らして――――――美九さんは約束を守ってくださった」

 

「ぁ……」

 

「ありがとうございます。士道さんが無事でいられたのは、美九さんのお陰ですわ」

 

 

 そんな事はない。守ってくれたのは彼だ。約束を果たしてくれたのも、彼だ。美九はただ、意地とくだらないプライドだけでここに来てしまったに過ぎない。

 でも、美九にとっては小さく、偶然であろうとも、狂三にとっては大切な事、なのだろう。戦場で見せた大胆不敵な笑みでも、人を嘲り笑う顔でもなく――――――見惚れるほど優しい、人を想う微笑みが、何よりそれを物語っていた。

 

 人を想って、人を愛して、だから人のために感謝の心を込めて、時崎狂三は美九を思いやっていた。大切に想って、言葉にする。そんな当たり前の、無くしていた事を――――――無くしたと、思っていた心を、誘宵美九は再び見つけ出した。人は、精霊は……こんなに優しく、微笑む事が出来るのか。

 

「さ、後は任せてくださいまし」

 

「……!!」

 

「あら……」

 

 小さく首を振り、狂三を、そして士道を見遣り無茶だと言う視線を向ける。少し意外そうに目を丸くした狂三は、一転して目を細め、不敵な笑みを浮かべる――――――約束を宣言したあの時の彼と、よく似た微笑みを。

 

 

「ご心配には及びませんわ。知っての通りわたくし――――――綺麗なだけの女ではありませんのよ?」

 

 

 優雅で、可憐で、それでいて大胆に。美九に背を向け、金色の瞳だけを美九へ向けた狂三が、告げる。それは、月明かりに照らされ、あまりに幻想的な美しさだった。美九が……ついでに隣に立つ士道が見惚れ、頬を赤く染めてしまうほど、あらゆる美しさを時崎狂三は自らで描いていた。

 

「……ほんと、良い女だよな、お前」

 

「あら、今更お気づきになられましたの?」

 

「まさか。惚れ直しただけさ。俺は、お前の魅力をこの世で一番わかってるつもりだぜ」

 

「うふふ、お上手ですこと。では、参りましょう」

 

「ああ――――――美九」

 

 士道を掴んでいた手を優しく引き離し、微笑みかける。

 

 

「……行ってくる。お姫様を助けに――――――約束を、守りに」

 

「ぁ…………」

 

 

 彼の言葉を受け入れ、コクリと頷いた美九に再度微笑みかけ、士道は真っ直ぐに歩き出す。空で『狂三』と戦闘を続ける、十香の元へ。

 

「さて――――――格好良くお決めになった士道さん? 何か十香さんを救う策はありまして?」

 

「…………いつも通り、だな」

 

「台無しですわね」

 

 半目で手を腰に当てた狂三の容赦のない指摘に、うぐっ、と痛む身体に鞭を打つようなリアクションを取ってしまう。

 

「仕方ないだろ!? 十香がどうなってるのかも分からないし、琴里も可能性があるとしたらそれしかないって言うんだから!!」

 

 先程、十香とエレンの戦闘で天井が崩れたお陰と言うべきか、〈フラクシナス〉との通信が回復して琴里と連絡を取る事に成功はしたのだが、結局のところ士道には十香に何が起こっているかも分からず……琴里が上げた〝可能性〟も、いつも通り(・・・・・)としか言えないのだ。

 とはいえ、その辺の事情を分かっていないとは思えない狂三が、微妙に辛辣な気がするのは……少々不機嫌そうに見える表情から、気の所為ではないと思う。

 

「……こんな時に聞く事じゃないとは思うんだが、狂三、機嫌悪くないか?」

 

「いいえ、全く。少し夢見が悪かっただけですわ。決して、無茶をするなと申し上げましたのに全くお聞きにならず、他の女性に現を抜かすお方の事など、わたくし全く、全く気にしていませんわ」

 

「それで気にしてないって説得力ないよな!? 無茶をしたのは悪かったけど、他の子に現抜かした記憶はないんだが!?」

 

「……そのお言葉、後で後悔なされなければよいですけれど」

 

自分に身に覚えがあるだけに(・・・・・・・・・・・・・)、美九が士道を見る目の変化はすぐにわかった……が、本当はその事に機嫌を損ねているわけではなかった。士道の魅力は万国共通、それは仕方のないことだ。ただ、分かっていてもいつも通り(・・・・・)と聞いて、常に平常心を保っていられるほど、彼女と士道との距離は遠くなかった。その手段が有効(・・)であるとわかるが故に、尚更。

 

「まあ、実のところ琴里さんが言う〝可能性〟は間違っていませんわ。〝裏側〟に眠ってしまわれた十香さんを起こすには、十香さんを強烈な何かで揺さぶる必要がありますもの。理に適ったやり方ですわ――――――そのお身体では、チャンスは一度と言ったところでしょうけれど」

 

「っ!! ……バレてたか」

 

「わたくしを見くびらないでくださいまし。天使の乱用に加え同時顕現……立っているのもやっとでしょうに」

 

 狂三の言う通り、人の身で天使を使い続けた代償は、今この瞬間でも士道の身体を蝕んでいた。身体がバラバラに千切れてしまうような痛み、それを治癒しようと焔が全身を駆け回り焼き尽くす感覚。走ることは疎か、既に立っていることさえやっとの思い。いや、常人であれば発狂していてもおかしくはない。

 だが、士道は平然とした顔で狂三の隣に立っていた。なぜかと言えば、理由は幾つもある。十香を助けるまで倒れるわけにはいかないのが一つ。もう一つ、重要な事があった。人から見れば無意味でも、士道からすれば十分な理由になる男のプライド。

 

 

「知ってるか、狂三。男ってのは……好きな女(・・・・)の前だと、見栄を張りたくなるんだぜ?」

 

「っ――――――本当に、困ったお方」

 

 

 多少の強がりがなければ、好きな女を落とせない。そう言わんばかりの笑みに、月明かりに照らされた狂三の頬が、ほんのり赤く染まった。強がりの効果は、思いの外あったらしい。

 蠢いた影から銃が飛び出し、狂三の手に収まる。それを顔の近くで掲げた狂三が、声を発した。

 

「士道さんの強がりに免じて、わたくしが十香さんの動きを止める役割を担って差し上げますわ。ただし、今の十香さんの霊力を考えると全てが成功するかは50/50(フィフティーフィフティー)。命懸けのゲームですわ。お覚悟はよろしくて?」

 

「狂三で五割なら、残りの五割は俺が受け持つ。それで100%。十香を絶対連れ戻して、お前とのデートの約束もきっちり果たす……これで、完璧だろ?」

 

「ええ、ええ。素晴らしいですわ、最高ですわ」

 

 トントン、と狂三がステップを踏むように靴音を鳴らし、空へと浮かび上がる。

 

「さあ、さあ。始めますわ、始めますわ――――――囚われのお姫様を助けて見せましょう」

 

 一気に空へと舞い上がり、足止めをしていた『狂三』と入れ替わるように狂三が十香と相対する。

 囚われのお姫様。この場合は、眠り姫。どちらにしろ、王子様に救われる事が決定づけられた、乙女であればあらゆる少女が憧れ、夢想する立場だろう。

 

 ああ、嗚呼。では、果たして時崎狂三の場合は――――――どうであろうか?

 

 

「き、ひひひひ!! 柄にもないことを考えますわね、わたくし」

 

「貴様……何者だ?」

 

 

 〈暴虐公(ナヘマー)〉を突き付け、王の威圧を持った眼光で狂三を射抜く。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉が虚空へ浮かび上がる。時の女王は、悠然と、事実だけを答えた。

 

 

「ごきげんよう。わたくしは〝精霊〟ですわ。以後、お見知りおきを――――――可愛い精霊さん(羨ましいお姫様)

 

 

 

 

 






最近元から決まってるタイトル以外が全然良い感じの思い浮かばなくて困ってる人です。いや決まってる方が珍しいんですけどね(VSシリーズとかは元から決まってる)

そんなことはさておき、やっとヒロイン合流と相成りました。原作では有り得なかった相対。ある意味ワイルドカードとワイルドカードがぶつかり合う構図。囚われのお姫様なんて柄ではない、と狂三は語るのでしょうが。最後の言い回しちょっと私としても気に入っていたり(自画自賛)

次回、長かった美九編もいよいよクライマックス。久しぶりに精霊同士の厨二バトル勃発。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第四十九話『最凶VS最強』

美九編クライマックス。厨二全開のバトル始まり


 

 

 空に立つ夜色の魔王。空に乱舞する紅黒の女王。似て非なる彩を持つ少女が、本来交わらざる者たちが、星空の下へ集う。魔王は剣を、女王は銃をその手に宿し――――――死合(・・)の刻を奏でていた。

 

「小癪……!!」

 

 十香が剣を薙ぎ払い、剣閃が漆黒の光となり舞う。先程までのお遊びのような力加減ではない、相手を滅する暴君の斬撃。辺りに飛び交う『狂三』をまとめて斬り裂いていく。しかし、彼女の足を止める分身体は並大抵の数ではない。一閃により消えていく自分たちに動揺も見せず、恐ろしい数の分身が銃撃の雨を降らせる。

 

「さあ、さあ。十香さん、今すぐ帰って来なければ、わたくしが士道さんの美味しい美味しいお料理をいただいてしまいますわよ?」

 

「何を言っている。貴様も、私を惑わすか!!」

 

 銃撃の雨は全て霊力の壁、そして、僅かに通ったところで彼女の霊装によって遮られている。対して、彼女が剣を振るう度『狂三』は削り取られていく。狂三の影の弾丸は神秘で守られた防壁を貫く力がある……が、その弾丸以上に十香の発する霊力がデタラメだった。

 通常の攻撃では埒が明かない。そんな事は、狂三自身がよく分かっていた。故に、分身体はひたすらに足止めと目くらましに徹している。分身に紛れ込む形で銃を構えた狂三が、一つの弾丸を放った。

 

 

「――――【七の弾(ザイン)】」

 

 

 散弾のように降り注ぐ鉛玉と共に、時を静止させる禁断の一撃が駆ける。誰であろうと、この【七の弾(ザイン)】の力から逃れる事は出来ない。例外はない、突き刺されば逃れる事は出来ない絶対無敵の弾丸。時崎狂三が持つ切り札の一つと言える、彼女が特に信頼を置く無慈悲な一撃――――――当たりさえすれば(・・・・・・・・)

 

「ち……!!」

 

「っ……」

 

 時間停止の弾丸が突き刺さる。そう確信したその瞬間、十香が舌打ちと共に弾丸を避けた(・・・)。今まで、影の弾をどれだけ撃ち込んでも動揺一つ見せずに霊力を編み込んだ障壁で弾いていた十香が、【七の弾(ザイン)】の弾丸だけを的確に避けた事に狂三は驚きで目を見開いた。

 無論、避けられたからといっていつまでも動揺を引きずる狂三ではない。すぐにいつもの超然とした表情に戻り、十香の放つ斬撃を回避する。

 

「貴様……どうやら妙な力を使うようだな。嫌な匂い(・・・・)がした」

 

「きひ、きひひひひひひ!! 恐ろしいですわ、恐ろしいですわ。たったそれだけで、わたくしの一撃を見抜いたというわけですのね」

 

 鋭く睨みつける十香に対し、狂三は優雅な微笑みで返す。狂三の力は確かに強大ではあるが、当たらなければ意味がない。しかし――――――それを初見の攻撃で見抜かれたのは初めてのことだった。

 だが、十香ほどの精霊であれば可能だと不思議と狂三は納得していた。夜刀神十香という精霊は、何も他の精霊のように特殊な〝何か〟を持っているわけではない。

 精霊はその力の持ち主によって全てが違う。狂三のように時間操作という驚異的な能力に特化した者。四糸乃のように氷を自在に操れる者。琴里のように炎と再生能力を所持する者。八舞姉妹のように人知を超えた暴風を司る者。美九のように声に様々な力を乗せ歌う者。白い少女のように侵されぬ自らの領域を纏う者。

 

 では、特殊能力に長けた〝何か〟を持たない夜刀神十香は精霊の中で劣っているのか――――――否。時崎狂三は彼女こそ〝最強〟であると確信を持って断言しよう。

 特殊な力を持たないが故に単純。単純な故に、強い(・・)。ただ、十香はひたすらに強い(・・)のだ。極限まで研ぎ澄まされた破壊の性質は、並大抵の小細工を捩じ伏せ、叩き潰す。暴君のように圧倒的でありながら、その優れた理性と直感はあらゆるものを見抜き、滅する。

 

「はっ――――――怪物、ですわね。お互いに(・・・・)

 

 時崎狂三が戦術を立て、常に冷静さを保ち手段を選ばず戦う女王ならば。夜刀神十香はあらゆる戦術を、暴君のように不条理で強大な力を持って叩き潰す女王……今は、魔王か。

 

 狂三と張り合えるだけの最強の精霊。そんな彼女を相手に、狂三は手加減をしながら戦わねばならない。殺し合いであれば、狂三はあらゆる手段を尽くし、どんな方法であろうとかの最強を上回って見せよう。だが、相手を止める為に戦う狂三と、殺す気で剣を振るう十香ではどうしても差が出来てしまう。

 十香の〝反転〟を考えれば、この戦い長引けば長引くほど裏側に堕ちた彼女を引っ張り出せる可能性は低くなっていく。加えて、ここに至るまでの霊力消費、分身体の消耗は狂三にとって不利な要素となる。

 自身の力と十香の力。頭の中でそれを反復し、戦術を組み立てる。【七の弾(ザイン)】の霊力消費を考えると、そう何発も試せるわけではない。警戒をされていては尚更だ。本体よりスペックが落ちる分身体を何体ぶつけたところで、この事実は変わらないであろう。一発の弾丸のためにどけだけ深く逃げ道を塞いだとしても、十香はそれを上回るだけの暴力的な力で覆す。

 少しでも距離があっては避けられてしまう、あまりにも理不尽な確信。ならば、絶対に避けられずに当てられる唯一の方法――――――手加減、と言ったが最強を相手にするには殺しに行くつもりで丁度良い(・・・・・・・・・・・・・)

 

「まったく……わたくしともあろうものが、ヤキが回りましたわね」

 

 時間をかけるわけにはいかず、尚且つ十香を傷つけすぎてもいけない。更には、自らの霊力まで気にする必要がある。なんとも無茶苦茶なオーダー。狂三の力を直感で避けるような相手に無理難題な戦略。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――――」

 

 だが、狂三は迷いなく〝それ〟を選択した。文字通り命懸け。五河琴里との戦いの時、彼女が冷静さを失い狂っていたというのなら、これより先は冷静さを保ちながら狂っていると言わざるを得ない。

 時崎狂三には成すべきことがある。だから、本当ならこんな事に付き合う必要はない。狂三は、恐らく本当はこの場にいなかった(・・・・・・・・・・・・)。しかし、この(・・)時の女王はここにいる。ここにいて、この選択を選び取った。

 

 愛しい人が見ている。愛しい人が願っている。誰よりも優しく、誰よりも欲深いあの方が、夜刀神十香を救おうと足掻くなら――――――

 

 

「【一の弾(アレフ)】――――!!」

 

 

 応えてみせよう。優雅に、鮮やかに、美しく――――――彼の心を魅了するのは、狂三を置いて他にはいない。

 

「ほう……!!」

 

 高速化した狂三の打撃(・・)を受け止めた十香が、直前までの憮然とした表情を僅かに歓喜を含んだものへと変えた。

 

「ようやく本気になったか……それでいい、私を楽しませて見せろ!!」

 

「っ!!」

 

 神速の領域にいる狂三の攻撃を難なく受け止め、音速の剣技を容赦なく振るう。

 音速の剣を受け止める、のではなく受け流し、反撃の打撃を打ち込みながら引き金を引き、影の銃弾を見舞う。銃撃に霊装を抉られながらも、十香の斬撃は鋭さを増す。剣圧でさえ地を抉り取る暴君の一撃。受け流してこそいるが、狂三の霊装も十香と同様に傷を増やしていた。

 常人どころか、並の精霊でさえ彼女たちの動きを見る事は出来ない。不可侵に干渉した神速と、その反則手すら上回る音速が衝突を繰り返し、夜空に数え切れないほどの火花を散らす。

 

 何度目か、数えるのが馬鹿らしくなるほどの打ち合いの中の一撃を受け流しながら、狂三はチャンスを待っていた。神速の感覚領域の彼女を上回る音速の太刀筋。近接戦闘に置いて、狂三が最強の十香に勝る道理はない。だが、一撃に関しては狂三には最凶の決定打が存在する。正体は分からない迄も、十香とてそれを承知の上で狂三との打ち合いを行っている。

 

 避けられない本命の一撃。それを狂三は狙い、十香もまた同様だった。そして――――――

 

 

「――――――――」

 

 

また(・・)、狂三の視る先が移り変わる。左目が映したのは、二秒先の未来(・・・・・・)。警鐘を鳴らすように、起こりうる未来の可能性、それがごく限られた(・・・・)先を〈刻々帝(ザフキエル)〉が見せつける。何もせずにいれば、確実にこの未来が訪れる、そう狂三に進言するかのように。

 

 

「――――――――――――」

 

 

 黄金の瞳に映り込む、剣を振り下ろす十香と、銃を構える狂三。一見、互角に見えるその光景。しかし、主である狂三への警鐘を意味しているのであれば、答えは明確だった。僅かに、十香の方が速い(・・・・・・・)

 この未来を見せたということは、このまま行けば確実に狂三は十香の一刀に霊装ごと斬り伏せられる。たとえ反撃ではなく回避を選び、打ち合いを続けたところで、再びこの未来が待ち受けているだけだろう。【七の弾(ザイン)】を今すぐ撃ち込んだところでまた同じ。相打ちに近いタイミングでしか、十香へ霊力を込めた弾を当てることは出来ない。今の狂三(・・・・)では、十香の音速を凌駕する事は叶わない。

 

 熟考を極限まで引き伸ばし、選ぶべき未来を予測する。二秒先に引き起こされる未来、それを凌駕する手段――――――――その手の中に、存在した。

 

 一秒。狂三が装填(・・)を終える。十香が剣を振り上げる。一秒と二秒。その、刹那。狂三が引き金を引いた(・・・・・・・)

 

 

「――――――【一の弾(アレフ)】」

 

「――――――――っ!?」

 

 

 停止ではなく加速(・・)の弾丸。撃つべき対象は十香ではなく狂三自身(・・・・)。既に捻じ曲げた時を、重ねて(・・・)加速させる。

 

 

 

「【七の弾(ザイン)】――――!!」

 

 

 

 

 二秒。振り下ろされる刃と、構えられた長銃。全てを斬り裂く音速の剣を――――――神速が凌駕した。

 不可逆に干渉する絶対無敵の弾が飛翔し、十香へ迫る。紙一重、避けようのない一撃。必滅の一撃を振るっているのは十香も同じこと。そんな状態で避けられるはずがない(・・・・・)

 

 勝負を制するであろう黒の弾丸が、入った。だが――――――

 

 

「っ――――――はぁっ!!」

 

 

 怪物は、お互い様。その言葉通りに、十香もまた最強の怪物だった。放たれた【七の弾(ザイン)】は、間違いなくその力を発動させ、時を停止させた――――――ただし、十香が手放した剣(・・・・・・・・)を。

 剣の代わりに放たれたのは()。何の躊躇いもなく顔面に向けられた素手という名の凶器を、狂三は両手を交差させ正面から防御した。

 

「ぐ……っ!!」

 

 防いだとはいえ、十香の右ストレートはそれだけで人を殺せる破壊力だ。真っ向から受け止めて、その場に留まるということは不可能だった。勢いを受け流し、吹き飛ばされながらもなんとか狂三は空中で体勢を立て直す。

 

「デタラメな方ですわね……!!」

 

 【七の弾(ザイン)】の力を知っているわけではないというのに、攻撃が当たると確信した瞬間、己の武器を手放す判断をするなど思い切りがよすぎる。如何に冷静な狂三と言えど、とんでもない博打を平然とする十香に文句を言いたくもなるというもの。

 

「……っ」

 

 次の手を、そう思考を巡らせる狂三の様子が変わる。身体が、どこか軋むような感覚を持っている。それだけではなく、唇から一滴の血が流れた。拳を受け止めた際、唇を切ったというわけではない。鉄の味がじわりと迫り上がる口に不快感を覚えながら、狂三はこの異常の原因を予測していた。

 

 【一の弾(アレフ)】による時間加速。二発目を延長ではなく二重加速(・・・・)に使うなど前代未聞。狂三本体でなければ耐えられないやり方。不可逆に逆らった罰は、こうしてその身に返ってくる。痛みを感じ、しかし狂三は――――――

 

 

「ああ、嗚呼――――――面白くなってきましたわねェ!!!!」

 

 

 笑っていた。最凶の精霊は、狂気にその身を浸し、命の取り合いを笑っていた。ああ、アア、嗚呼、生きている(・・・・・)。満ち足りていく。戦いを得て、生を実感する(・・・・・・)。そんな、戦う者にしか分からない狂気の感情。正気の少女と、狂気の精霊が両立する時崎狂三の歪な精神。時の女王は、極限の状況で、狂気を己の物として笑っていた。

 

 

「くっ、はは――――――ははははははははッ!!!!」

 

 

 それは、十香も同じだった。

 

 

「良い、良いぞ。もっと私を楽しませろ――――――精霊!!」

 

 

 〝十香〟を傷つける者を全て滅する、宵闇の魔王。その中で見つけた、得難き好敵手とも言える似て非になる精霊に、彼女は歓喜の叫びを上げた。

 十香が踏み抜くように足を付けた虚空に、波紋が広がる。空を揺らし、王座がその姿を現した。

 

 

 

「〈暴虐公(ナヘマー)〉――――――」

 

「さあ、さあ!! 踊りましょう――――――」

 

 

 

 砕け散った王座が、片刃の剣へ纏わり付き、全てを滅する最強の剣は真の姿へと変貌を遂げる。

 時の女王が謳う。唯一にして絶対。彼女が持つ最凶の天使。最強との相対に相応しい、悠久の時を刻む。

 

 

 

 

「――――【終焉の剣(ペイヴァーシュヘレヴ)】!!!!」

 

「――――〈刻々帝(ザアアアアアフキエエエエエル)〉!!!!」

 

 

 

 

 可視化するほど濃密な霊力がぶつかり合い、空間が砕けんばかりの振動が世界を揺らがせる。最凶と最強が相対するこの空間は、精霊が生まれ落ちて以来、これまで前例のない異次元の領域に到達しようとしていた。お互いの霊装が砕け、傷ついているのも構わずに、ただ、最強(最凶)と見合い――――――笑っていた。

 

 時空が歪み、悲鳴を上げている。そんな音が響き渡る中、二人がお互いの武器を振り抜かんと動く。死か、静止か。

 

 

「十――――香ああああああああッ!!!!」

 

『ッ!?』

 

 

狂気が消える(・・・・・・)。ただの人間の一声で、怪物が正気に返るように。霊力が生み出した衝撃波を受けてなお膝をつくことをせず、二人を見上げた人間。弱い、十香に遠く及ばない、人間が。

 

「貴様、まだ――――――ぅ、ぁ……?」

 

 この強者との戦いに水を差す無粋な人間。だが、十香は己を見上げる彼を見た瞬間、突発的に動きを止める。止めざるを得なかった。

 

 

『――――君、は……』

 

『……名、か――――――そんなものは、ない』

 

 

 なんだ。知らないはずの光景が、彼女の脳裏に浮かび上がる。自分ではない自分の記憶に縛り上げられる。左手で額を押さえ、呻き声を漏らす。

 

「シ、ドー……」

 

「っ、十香さん……!?」

 

「ぐ、っ……ぁ……この――――――私を惑わすな、人間!!」

 

 

 士道の呼びかけを聞き、明確に様子が変わった十香を見て狂三が目を見開く。それを振り払うように、十香は暗く輝いた剣を再び振り上げる。狂三ではなく、自らの邪魔をした士道へ向かって。

 

「!!」

 

 狂三が士道の元へ飛ぶ。だが、到達までは間に合っても離脱までは追いつかない。音速の剣は振り下ろされ、剣先より到る絶対的な破壊の化身は全てを滅するであろう。そのようなこと、分からないはずがない。けど、彼女は迷わず士道の元へ駆けつけた。それは何故か――――――狂三が信を置く、音速を凌駕する神速(・・)。それを見たが為に他ならない。

 

「ふっ!!」

 

「……!?」

 

 剣を振り下ろす直前、知覚外の距離から一気に詰め寄った白い少女が、巨大な剣の刀身ではなく柄の部分へ刀をぶつける事で強引に動きを塞き止めた。しかし、並の精霊を遥かに凌駕する十香の膂力を考えれば、少女が拮抗出来るのはこの一瞬のみ。故に攻勢は、これだけに終わらない。

 

「お二人……頼みますっ!!」

 

「はい――――〈氷結傀儡(ザドキエル)〉……!!」

 

『よっしゃーぱわーぜんかーい!!』

 

 少女が合図をしたと同時に特大の冷気が十香へ襲い掛かる。それは、少女が弾かれるように離脱した瞬間を狙いすまし、咄嗟に霊力の障壁を張った十香へと到達した。

 白い少女と四糸乃の援護を受け、狂三は僅かばかりの猶予を得て士道の隣へと降り立った。

 

「わたくしが止めると仰いましたのに……我慢弱いお方ですわ」

 

「生憎、堪え性がなくってな。それに、そんなにボロボロになるなんて聞いてなかったから身体が勝手に動いちまった」

 

「うふふ。これで士道さんとお揃い、ですわね?」

 

「……物は言いようだな」

 

 服装は傷だらけで、身体の中身までボロボロ。そんな状態でさえ、狂三はいつもと変わらず微笑んでいた(・・・・・・)。さっき見た物とは違う、少女の笑みに士道はひとまずホッと息をつく。二人があんな表情をしながら殺し合いをしている中、黙って見ていろという方が無理な話であった。

 

 

「さあ、さあ。あまり時間は残されてはいませんわ。わたくしのやり方が嫌だと仰るなら、士道さんにわたくしを納得させるだけの考えがありまして?」

 

「俺を――――――十香のところへ連れて行ってくれ」

 

 

 士道の言葉に、向かい合っていた狂三が目を細める。微笑みこそ変わらないように思えるが、士道の判断に呆れにも似た思いを抱いているようだった。

 

「……わたくしに、あなた様を見殺しにしろ。そう、仰いますの?」

 

 今の十香へ無策で近づくということは、つまりは狂三の言葉に直結する。十香が今なお振りかざす【終焉の剣(ペイヴァーシュへレヴ)】は、士道の身体など塵も残さず滅するほどの破壊力を持った最強の剣。その前に彼を立たせるようなことをすれば、何もせず見殺しにするのと同義だ。狂三が怒りこそすれど受け入れる選択肢ではない。

 

「そのような事をなさるのであれば、わたくしはあなた様を今すぐにでもいただき(・・・・)ますわ。その命、誰であろうとわたくしはお譲りするつもりはありませんもの」

 

「嬉しいこと言ってくれるな……俺は諦めたわけじゃない。狂三も見たろ、十香はあそこにいる(・・・・・・)

 

 気が狂った自暴自棄の選択、で片付けるのは容易い。しかし、士道の瞳は何一つ諦めてはいないし、自暴自棄になったわけでもない。そして、士道の考えが分からぬ狂三でもなかった。

 

「……霊力を解放した十香さんが、先程のように士道さんの呼び掛けに答える可能性はありますわ。それで隙が出来るとお考えなのでしょうが……」

 

「ああ、確実じゃない。でも、賭けるには十分だ。こんな俺に救われてくれた(・・・・・・・)あいつだから――――――俺が、正面から向き合ってやらなきゃいけないんだ」

 

 士道には十香を救った責任(・・)がある。彼女の世界を変えた、その責任。一人の精霊の生き方を見過ごす事が出来なくて、彼女の全てを変えてしまった彼だからこそ、再び道を外れようとしている彼女を取り戻さなければならない。

 

「……てかな。命懸けのゲームって言ったのに、命懸けてるのはお前だけじゃねぇか。わざとああいう言い方しただろ」

 

「あら、あら。そんなことありませんわよ。動きを止めたところで、十香さんに接敵すること自体が自殺行為のようなものですもの」

 

 さも止めるのは簡単、みたいな言い方をしていたが蓋を開けてみれば狂三の方が遥かに命懸けだった。白を切る狂三だったが、彼女が言った五割(・・)というのは、そういう事だったのだろう。士道へ向かう危険性を極力排除しようとした、彼女なりの気遣い。が、それで狂三だけが傷つくのは本末転倒もいいところだ。

 

 

「そうだな……けど、お前一人が無茶するくらいなら、俺も一緒に行く。言ったろ、一人で五割なら――――――俺とお前で、100%だ」

 

「あなた様は……」

 

 

 いつもこうだ。いつもいつも、甘い理想論ばかりを語り、突き進んで行く。狂三の心配(・・)を気にもせず……いや、分かっていながら彼は馬鹿正直に諦めることを知らず、走る。たとえその理想が笑ってしまうほど甘っちょろい物であっても、命を懸けた嘘偽りのない理想は現実となる。

 

 ――――――そろそろ、認めなければならない。散々、言い訳をしてきた。分からないと目を瞑っていた、狂三が目を逸らしていたこと。〝悲願〟の為の理になるから、士道に力を貸していた。その事に偽りはない。でも、全てではないだろう?

 それ以上に狂三は、彼の理想を、願いを――――――無にしたくなかったのだ。届いて、救って見せて欲しい(・・・・・・・・・)

 がむしゃらに誰かを救おうとする士道が、もしもその果てに狂三の心に届く時――――――――相反する願いを、今は封じ込める。

 

 僅かな沈黙。士道は一瞬たりとも、狂三から目を逸らすことはなかった。本当に、強情なのはどっちなのだか(・・・・・・・・・・・・)、と狂三はため息を吐く。それが、少し嬉しそうな笑みと共に吐かれたことは、彼女にしか分からない。

 

「わかりましたわ。策とさえ言えない物ですが、認めて差し上げますわ」

 

「!! 狂三……」

 

「勘違いなさらないでくださいまし。これ以上わたくしが十香さんを刺激するより、士道さんの説得に賭けた方が勝算があると判断したに過ぎませんわ」

 

 そもそも、標的が狂三から士道に移った時点で彼女は守りに入らざるを得ないのだ。そんな状態で十香と再び戦う事は如何に狂三と言えど難しい。結局は、彼の説得に全てを託す他ない。

 どこまでも欲深い。その底知れなさは献身的、などという言葉では収まり切らない。彼が大切だと思う全ての者に向けられる〝愛〟。その危うさすら感じられる愛を、今この場で一心に向けられているのは――――――

 

 

「本当に――――――妬いてしまいそうですわ」

 

「……?」

 

「きひひひ!! では、では……お姫様の説得、お任せ致しますわ。それ以外は全て、わたくしたち(・・・・・・)に」

 

 

 スカートを摘み、一礼する。何度見ても鮮やかな仕草に見とれながら、士道は頷き狂三の側へ歩く。狂三に抱えられる形で、士道は十香の元へ飛び立った。

 

「十香」

 

「な……っ」

 

 氷の奔流に足止めされながらも、十香は剣を下ろそうとはしない。しかし、士道が呼びかけた途端、怯えるように肩を揺らした。

 

「よう、助けに来たぜ」

 

「ッ……来るな……」

 

「随分待たせちまったな……帰ろう、みんなが待ってる」

 

「やめろ……ッ!!」

 

 何を怯える必要がある。たったの一太刀で塵に返る人間を相手に、私は何を怯えているのだ。

 先程まで戦士としての顔をしていた〝精霊〟が、人間の隣であのような腑抜けた顔(・・・・・)をしている事が、あまりにも不可解で腹立たしい。だと言うのに、近づいてくる人間一人に、何を――――――

 

 

「――――十香」

 

 

 穏やかな、微笑みだった。十香、十香、聞き覚えがない名前――――――内に眠る〝彼女〟の名前。

 

 

「っ――――――来るなあああああああああああアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 

 理解することを拒む、絶叫。終焉をもたらす魔王の剣は振り下ろされ――――――士道の視界は、闇に染まった。

 

 

 

 

 

 

「は――――――はは、ははははははっ!!」

 

 滅殺の光は呑み込んだ一切合切を灰塵に帰した。ビルも、地面も、街並みも、一直線に全てを――――――目の前にいた、愚かな人間すらも。

 終わった。これで終わったのだ。彼女を惑わす不可解な存在が、〝彼女〟を絶望させる者達が。

 

 

「消えた。消えた。ようやく――――――消えた。私を惑わす奸佞邪智の人間が……!!」

 

 

「ふん、何を嗤っているのだ、我が従僕よ。勝ち誇るには未だ一手足りぬのではないか?」

 

「保護。夕弦たちの先見性は我ながら惚れ惚れします」

 

「っ!?」

 

 

 一陣の風が吹いた。その風に導かれるように、十香は顔を上げる。自らがいる場所より更に上空に――――――

 

 

「――――――あ」

 

 

あの時と同じように(・・・・・・・・・)少年(シドー)がいた。

 

 

「悪いな、助かったよ、二人とも」

 

「ククク、気にするでない。そして、我らの動きをよくぞ見極めたものだ」

 

「称賛。流石は狂三です」

 

「うふふ。お褒めに預かり光栄ですわ」

 

 士道の賭けを提案された時点で、姿を隠してくれていた耶倶矢と夕弦の事は狂三も把握していた。でなければ、説得の為とはいえあんなギリギリまで接近したりするものか。十香が【終焉の剣(ペイヴァーシュへレヴ)】を振るったその瞬間、【一の弾(アレフ)】の力で加速した狂三は流れるように神速と神速を掛け合わせ、八舞姉妹と共に十香の目から逃れたのだ。

 

「……やっぱ、こういう駆け引きはお前にかないっこないな」

 

「あら、あら。前にも仰ったではありませんの――――――わたくし、賢しい女なのですわ」

 

 ここまで折り込み済みだった事に気づいた士道が、呆れた表情で笑っている。自信満々に、事実だけを誇るような微笑みで狂三は言葉を返した。

 

わたくしたち(・・・・・・)というのは、初めから八舞姉妹を当てにした言葉。彼女たちを含めて、狂三は士道の考えに勝算があると判断したまで。賭け事は、成功の確率がなければ成立しない――――――士道の言う通り、100%成功する少しズルい賭け事ではあったが。

 

「ぐ、なんだ……私、は……?」

 

 巨大な剣を持った〝精霊〟が、士道を見上げて(・・・・)混乱するように苦しげな表情を見せる。狂三の見つめる先で無意識のうちに、彼女は唇を動かしていた。

 

 

「この光景を、どこかで――――」

 

「――――――ああ、ああ」

 

 

 十香ではない彼女が、果たしてどのような記憶を見ているのか。他の誰でもない、時崎狂三には分かる。大切な、夜刀神十香だけの記憶。五河士道の物語が始まった最初に、救われた彼女だからこその初めて(・・・)。同時に、狂三が初めて(・・・)あの感情を湧き上がらせたあの瞬間。

 

 十香の名前を呼びながら、空から降ってきた少年。あの時の狂三は、まだその感情の名を知らなかった。でも――――――とても素敵な光景だと、思っていた。

 

 

「こういうのを――――――〝運命〟とでも言うのでしょうか」

 

 

 十香と士道だけの、運命と。

 

 だとすれば、今の狂三の役割は――――――悔しいが、あの炎の精霊と同じなのだろう。

 

「狂三……?」

 

「さあ、士道さん――――――幸運を」

 

「ちょ……!?」

 

 トン、と背中を押し、風の結界を纏った士道を突き落とす(・・・・・)ように落下させる。目を丸くする八舞姉妹を見て、狂三は微笑んだ。それが、少し寂しさにも似た何かを感じさせるものだと……彼女たちだけが知っていた。

 

 

 

 どこか懐かしさを覚えながら、士道は一直線に十香の元まで運ばれて行く。最後の最後、可愛らしいイタズラをしてくれたものだなと叫びそうになる浮遊感に耐え……士道は、ようやく十香を抱きしめる事が出来た。そこで、士道が来たことにたった今気がついた十香が言葉を発する。

 

「な、貴さ――――――」

 

 それが最後まで辿り着く前に――――――彼女の全てが、少年に塗り潰された。

 

 

 

 

 

 宵闇の光が天に還っていく。粒子となって、消えていく。ぼんやりと浮かび上がりつつある朝日と合わさり、幻想的で、この世のものとは思えない美しい光景だった。

 消え行く霊力の波動を肌で感じながら、しかし狂三はその光景に目を奪われることはなかった。こんなものより、もっとロマンチック(・・・・・・)なものを、狂三は見ていたから。

 

 お姫様の呪いを解く、たった一つの奇跡。バカバカしいと一笑して、受け入れる事はありえないと考えて――――――

 

 

「――――――羨ましいこと」

 

 

 今は、誰よりも羨んでいる(・・・・・)。自らにだけ向けた呟きは風に消え、狂三はそうして瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「呵々、何か聞こえてしまったなぁ、夕弦よ」

 

「拝聴。確かに、目の前に集中するあまり誰もいないと思って呟いてしまった……そんな発言を耳にしました」

 

 

 ピタリ、全身をフリーズさせた。ガッツリ聞かれていた、風に消えてなどいないしどちらかと言えば彼女たちが風そのものの化身だった。

 こんな時こそ冷静に、クールに、狂三は取るべき手段を思考する。その手段とは――――――

 

 

「…………さて、なんの事だかわたくしにはさっぱりですわ」

 

 

白を切る(ゴリ押し)、であった。振り向きざまに、にっこりと笑顔を作る。まあ、士道くらいしか騙せそうにない汗の滲んだ笑顔だったが。

 

「くく……そう恥ずかしがることはないぞ狂三よ。貴様の気持ち、我らにも分かるというもの」

 

「さて、なんのことでしょう?」

 

「いやいや、恥ずかしがることないって。狂三にもそういうところあるんだなって、むしろ安心したし」

 

「さて、なんのことでしょう?」

 

「……いや、だからさ……」

 

「さて、なんのことでしょう?」

 

 しかも、厄介なくらい力技だった。

 

「ね、ねぇ狂三。そんなに意地張ることないじゃん? あんたが士道のこと好きなの、みんなわかってるんだし」

 

「なんの、ことで、ございましょう?」

 

「…………う、うえええええええん!! 夕弦ー!! 狂三がいじめるうううううううううう!!」

 

「抱擁。おーよしよし」

 

「あら、あら。耶倶矢さんが可哀想ですわー」

 

「よしよし、ですわ。大人気ない『わたくし』ですわー」

 

「本当に。強情ですわー、卑しい女ですわー」

 

 ナチュラルに混ざった分身体たちにビキ、と額に怒りを込めた血管が浮かび上がる。なぜ自分たちなのにこちらに肩を持たないのか。それと、誰が卑しい女だ。

 なんだか、一気に疲れが押し寄せた気分だ。そんな内心をおくびにも出さず、狂三は戯れる彼女達を置いて一足飛びに瓦礫だらけのビルへ着地した。

 

 辺りを見渡せば、ボロボロに破壊され尽くした街並み。そんな中、四糸乃、八舞姉妹、美九……そして、十香と士道。誰一人欠けることなく終わる事が出来た。こういうのを、一言で纏めると。

 

「大団円、ですわ――――――」

 

「なに良い感じに纏めようとしてるんですか、このジャジャ馬の女王」

 

「ひゃんっ!?」

 

 脳天に勢いよくチョップ(・・・・)が突き刺さり、大変可愛らしい声を上げたことによって一斉に狂三に視線が寄せられた。正確には、狂三の真後ろを陣取って手刀を繰り出した白い少女にもだが。

 結構な勢いだったのか、微妙に痛がって頭を押さえる狂三という貴重な光景を披露しながら、彼女は振り返って凶行の犯人に向かって口を開いた。

 

「な――――何をなさいますの!?」

 

「何を、ねぇ……私に、報告一つ入れないで突っ込んで行った女王様への、ささやかな仕返しですが?」

 

 嫌味ったらしく、言葉を区切りながら少女は腕を組んで僅かに狂三を見上げるように立っていた。

 ……そういえば、士道の元へ向かう際、分身体への言伝を忘れていた気がする。それなりに長い付き合いだからこそ、顔を見なくとも分かる。少女は、今までにないくらい怒っていた。

 出来るだけいつものようなキリッとした表情を作り、少女へ弁解を口にする。

 

「……あ、あなたなら来て下さると思っていましたわ」

 

「たった今思いついたみたいな言い訳どうもありがとうございます。私はともかく、狂三に何かあったら取り返しがつかないの分かってます? あなたはいつもいつも勝手に飛び出して行って……確かに私は、狂三の行動を肯定します。しますが、どこへ行くか知ってるのと知らないのとでは違うんですよ、その辺り本当に分かってます!?」

 

「あなたはわたくしの母親ですの!?」

 

 確かに、〝反転〟した精霊と真正面から戦闘を行うという今までの中で一番の無茶をした自覚はあるが、過保護な母親かと言いたくなる、いや実際にそう反論したのだが、こんなところでお説教などたまったものではない。主に、狂三の大人っぽいイメージの崩壊という意味で――――――さっきの迂闊な発言を聞かれた時点で、もはや手遅れだし別にイメージ全てが揺らぐわけではないと狂三が気づくことはない。

 

「ぷっ――――あはははははははっ!!」

 

 狂三と白い少女のやり取りに皆が呆気に取られる中、士道が突然笑い出した。あまりにも平和(・・)な光景に、笑いをこらえきれないとでも言うような大笑い。それに釣られて、彼を支える十香まで小さく笑っているのを見て、狂三は羞恥で顔を赤く染める。

 

「っ、士道さん!!」

 

「はは、悪い悪い。なんか気が抜けちまってさ……」

 

「まったく、見世物ではありませんのよ」

 

 見ればお互いに、これ以上ないくらいボロボロだった。でも、全員が無事という奇跡のような終わり方。最初に言った通り、彼らの周りは全部綺麗に終わったのだ。

 

 DEM――――アイザック・ウェストコットの目的。あの十香の姿はなんなのか。増えた謎は多いけど、そういうのは後で考えれば良い話だ。

 どちらからともなく、士道と狂三は笑いあった。

 

 

「お疲れ様、と言わせていただきますわ、士道さん」

 

「おう、狂三も……お疲れ様だ」

 

 

 今はただ、この長い一日の戦争(デート)を労わろう。

 

 もっと、もっと長く、果てしなく続く二人の戦争(デート)――――――それを表すように、差し込んだ朝日が影を細く、長く映し出した。

 

 

 






Q.一の弾の重ねがけとか出来るの? A.原作のだと流石に無理な気がする。時間延長くらいは出来そう。つまりリビルド独自の要素。

制約ないなら限界まで分身体使って身動き取れなくして撃つか、時間かけて完璧な不意打ちで決めるかくらいはしそう。何が言いたいかって言うと制約つけないと簡単に無双しかねませんきょうぞうちゃん。あからさまに十香を羨んでて隣の芝生は青いねきょうぞうちゃん。

次回はエピローグ。感想、評価などなどもらえると私が小躍りしてめちゃくちゃ喜びますのでよろしくお願いします。では次回をお楽しみに!!



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第五十話『焔の考察』

祝・50話+美九編エピローグ。長かった章もこれにて一区切り。どうかお付き合い頂けると幸いです。


 

「……ふぅ」

 

 ギシ、と身体を預けた執務室の椅子を軋ませて一息つく。ついでに、資料を読み続けて負担をかけた目を休ませるように手で揉む……とても中学生の少女とは思えない仕草ではあったが、多大極まる組織の司令官ともなれば不思議ではない。年齢を考えると、悲しい事に、と言うべきだったが。

 一日をかけて街一つを巻き込んだ大規模な暴動――ということになっている――から更に一夜明け、琴里に休む時間など全くと言っていいほどなかった。事件の後処理、その他諸々のために〈ラタトスク〉の工作員への指示。美九の〝歌〟の影響が残った〈フラクシナス〉の細かいシステム調整。事件の資料、報告書の作成及び確認。精霊たちの検査、主に〝反転〟した十香は特に入念に……後は、説教混じりの喧嘩を繰り広げた愚兄の事だったりもあったが、それは置いておこう。

 全くもって終わりが見えないが、こういう裏方の仕事が琴里たち〈ラタトスク〉の役割だ。文句も弱音もなかった。精霊を救うため、琴里たちは日々が戦いなのだ。

 

「…………」

 

 〝精霊〟の事を頭に思い浮かべた琴里は、その中から更に一人の精霊が脳裏を過ぎる。白い〝お守り〟。胸ポケットから徐ろにそれを取り出した彼女は、ジッと眺めながら少女との会話を思い出す。

 

 

『……さて、あなた達にとっては小さく、くだらない事かもしれません。けど、私にとっては――――――何を犠牲にしても、成し遂げるべき目的です』

 

「〝計画〟……一体、何をしようとしてるんだか」

 

 

 〈ラタトスク〉の目的を知り、士道の力に関しても把握していながら琴里たちと付かず離れずの距離を保つ二人の精霊。

 時崎狂三はまだわかりやすい方だ。謎は多いが、今の彼女の目的は士道そのもの。好意を示しながらも回りくどい方法で何かを成そうとしている事は分かる。もう一度言うが、非常に回りくどい上にデレてるならさっさと落ちる所まで落ちてしまえと琴里的には思ったりしていて。しかし、将来〝アレ〟が義姉(・・)になる可能性を考えるだけで少し寒気がしてくるような――――閑話休題。とにかく、今回の一件でも明確に士道を守ろうとする意志は感じられたし、士道が負けを認めない限り当面は問題ないだろう。

 

 もう一人の精霊、〈アンノウン〉。四糸乃の一件で士道を救い、その後は続けて十香とも接触を図り、狂三との繋がりまで判明した少女。その目的、能力共に不明。何を知り、何を成そうとしているのか……琴里自身も救われた恩があり、このような特殊な能力を持つと見られる〝お守り〟まで渡されたのだ。少なくとも敵対意志はない――――――だが、無事に戻ってきた真那――それはそれとして全力で検査行き――と琴里が会話した時のことがどうにも引っかかっていた。

 

『琴里さん、老婆心で忠告しておきます。〈アンノウン〉には気をつけてやがりください』

 

『え……?』

 

『……以前の〈ナイトメア〉以上に、ゾッとする殺気をしてやがりました。嘘でもなんでもなく、アレは私を殺す気で(・・・・)刀を握っていた。それなのに、同情(・・)と言ってたのも本気。気味が悪いことこの上ねーです……油断しねーでください』

 

 真那と〈アンノウン〉の会話は、琴里たちも〈フラクシナス〉から聞いていた。そして、真那による生の意見も含めてあの時の少女が殺意(・・)を持っていた事も、分かる。狂三が止めなければ、間違いなく泥沼の戦闘に発展していただろう。

 真那の境遇に同情、理不尽だと思う。そう少女は言っていた。白い少女は知っている……崇宮真那がDEMインダストリーの手で魔術処理を施された結果、その寿命は〝十年〟しか残されていないという深刻な代償が刻まれている事を。

 

 知っていて、真那に同情の気持ちを持ちながら――――――少女は、躊躇いなく真那を〝敵〟と切って捨てた。

 

「……わけがわからないわねぇ」

 

 掴みどころがないような言動をしたかと思えば、あっさり琴里の誘導に乗り口を滑らす迂闊な一面……天然、とでも言うべか。更に琴里に〝お守り〟を渡して、ただ話したかったという理由だけでこちらと接触を図る。かと思えば、〈ラタトスク〉の庇護下にいる真那と敵対する。

 やはり一番わからないのは、最後の真那に対する敵意だ。真那の境遇に同情を示し、理不尽だと心から思っている。そこに嘘偽りはない、と琴里は考える――――――その上で、真那を容赦なく排除しようとした歪な精神。今までの少女の行いと、行動が合致しないように思えて……。

 

 

『多分あいつ――――――俺と一緒だから、かな』

 

『全ては――――――我が女王のためにね』

 

「――――――狂三、か」

 

 

 パズルのピースが一つ、埋まったような感覚。顎に手を当て、琴里は深く思考を巡らせる。

 士道と〈アンノウン〉の共通点。それはあらゆる面で狂三を優先する(・・・・・・・)考えを持つこと。半ば確信に近い考察だったが、これまでの少女の言動を考えればまず間違いない。妙に士道が白い少女に肩を持っていたのも、恐らくは無意識にシンパシー(・・・・・)のようなものを感じていたからだろう。

 

 こう考えてしまえば、真那に対する敵意にも納得がいく。真那は狂三に対して幾度となく命を取り合う戦いをしていたはず。少女の思考回路は恐らくこう――――――同情もある、理不尽だとも思う。だが狂三に敵対するなら容赦はしない(・・・・・・・・・・・・・・・)。ともすれば、それが誰であったとしても……そんな、恐ろしい考えまで至りそうになる。

 

「――――――り」

 

 だが、この説には矛盾が生じる。それは、他ならぬ琴里の存在だ。琴里は、屋上での一件で狂三と敵対行動を取った上に、暴走して危うく狂三を殺しかけた。しかし、白い少女は琴里を助けるという好意的な行動を取り、話がしたいとまで言った。

 琴里の行動は、〈アンノウン〉のボーダーを越えなかった? 殺しかけたのは彼女の精霊としての力が暴走した、から……? そうだとしても、それ相応に恨みつらみをぶつけてもおかしくはないはずだった。仮に琴里の状態を知っていたとして、少女は霊結晶を渡す謎の存在〈ファントム〉について、どこまで知っているのか。

 

 〝計画〟そうだ、計画だ。少女は琴里にこうも言っていた。盤上から降りてもらっては困る(・・・・・・・・・・・・・・)、と。謎の計画とやらのために、士道や琴里の存在は欠かす事が出来ないというニュアンス。加えて、少女が重視する狂三の目的とは違う、少女自身の目的。

 

「こ――――り」

 

 あれほど狂三の事を重要視する精霊が望む、目的。〝計画〟とは狂三に関係すること、なのだろうか? だが少女は、まるで士道がこの戦争(デート)勝利することを願っている(・・・・・・・・・・・・)風な言動をしていた。あれが嘘か真か、そこまでは琴里も判断が出来ないことだが……狂三に対する異常な執着と、計画はかけ離れている? まだわからない。人を想う心を持ちながら、他者を排除してまで成そうとしている〝計画〟。

 

 〈アンノウン〉。その名の通り、正体不明。少女の目的とは、一体――――――

 

「……琴里」

 

「っ!? れ、令音……」

 

 自分の名前で呼びかけられ、ハッとなって顔を上げると見慣れた人物がいつの間にか立っている事に気がついた。立派な隈と今にも倒れてしまいそうな不健康な見た目。〈ラタトスク〉解析官にして琴里の親友、村雨令音だ。彼女が部屋に入って来たことすら気づかないくらい、物思いにふけってしまっていたらしい。

 

「ごめんなさい、気づかなくて。ちょっと考え事が過ぎたみたい」

 

「……いや、構わないよ。考え事は、〈アンノウン〉の事かな?」

 

「ええ。よくわかった……って、これ(・・)を持ってるんだから分かるわよね」

 

 手に持った白い〝お守り〟を遊ばせながら琴里が言う。察しの良い令音なら、考え事と聞いてこの程度の予測はお手の物だろう。もし令音でなければ、疲れでボーッとしてると思われていい加減休んだ方が良いとお小言を言われかねなかったので、ラッキーだったなと苦笑する。

 

「どうにも、色々考えちゃってね……参考までに聞かせて欲しいんだけど、令音はあの子のこと、どう思う?」

 

「……ふむ」

 

 流石に漠然としすぎていたか、とも思ったが令音は真面目な顔で、と言っても琴里にしかわからないくらいの表情の機微で少し考え込む仕草をする。それから少しして、令音がゆっくり口を開いた。

 

「……少なくとも、私はあまり好かれてはいないだろうね」

 

「…………そう?」

 

 斜め上からの回答に、拍子抜けした風な表情で琴里が首を傾げる。令音は一度、直接〈アンノウン〉と接触しているとは聞いたが、いきなりそんな発想に結びつくのは意外や意外だった。琴里としては、真逆の感想だったからだ。

 

「私は、令音とあの子なら仲良くやれると思うわよ」

 

「……根拠はあるのかい?」

 

「話し方とか雰囲気がなんか似てるから」

 

「…………そうか」

 

「ちょっと、その顔は全然信じてないでしょ」

 

 これこそ漠然とし過ぎていたのか、ちょっと令音が呆れ顔になっている気がした。考えすぎかもしれないが、ひょっとしてそれはギャグで言ってるのか、みたいな表情だ。

 心外な。琴里は琴里なりに考えがあって言ったことなのだ……まあ、恐らく素なのであろう白い少女の喋り方と、思った事をズバッと言うところが似ているから仲良く出来そう、と言われても本人的にはリアクションに困るのだろうが。

 

「――――っと。そろそろ行かないとマズいわね」

 

「……ん。準備は出来ているよ」

 

「流石ね。それじゃ行きましょ」

 

 そうこう世間話をしている間に、時間の方が迫っていた。頷く令音を連れ、琴里は執務室から移動を始める。どこに行くのか――――――言うまでもない。

 

 天宮市上空一万五〇〇〇メートルを浮遊する空中艦〈フラクシナス〉。超高性能の戦艦を使い、琴里たちがするべきことはたった一つ。

 

 

「さあ、今日も素敵な――――――戦争(デート)日和ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あら、もうよろしいんですの?」

 

 ちょうどステージを正面から見る事が出来る場所に戻った士道を、狂三が出迎える。会場には相も変わらずアンコール(・・・・・)が響き渡り、大盛況と言ったところだ。

 

「ああ、せっかくのデート(・・・)なのにお前を待たせるわけにはいかないからな」

 

「うふふ。逢瀬の最中に他の女性とお会いなった方の台詞とは思えませんわね……ステージへお立ちになられませんの、士織さん?」

 

「ぐっ……か、勘弁してくれ……」

 

 痛いところを突かれたと呻き目を伏せる士道を見て、狂三はくすくすと楽しそうに笑って言葉を続けた。

 

「冗談ですわ。そのご様子だと、無事に美九さんのお力を封印できましたのね」

 

「……たとえ〝声〟を無くしても、俺が聴いてくれるなら……それでいいって、俺を信じてくれたよ」

 

「あら、あら。お熱いこと。妬けてしまいますわ」

 

「からかうなよ……お前にも会いたがってたぜ。これが終わったら、会いに行かないか?」

 

「ええ、ええ……入った途端、飛びかかられなければ良いですけれど」

 

「ははは……」

 

 確かに、美九ならやりかねない。片手を頬に当て少し困った表情の狂三に、素直に口には出さないながらも士道は半笑いで肯定した。

 

 ――――――あれだけ〝声〟を捨てる事を否定していた美九が、自ら士道の力による封印を望んだ。驚くべき事だったが、自分を信じてくれたのだと思うと素直に嬉しさが込み上げてくる……まあ、些か好感度が極端に振り切れ過ぎではないか? と狂三の前で冷や汗をかきそうになっていたりするのだが。

 

「でも……良かったよ。こうやってお前と無事にデート出来て。一日ズレちまったけどな」

 

「あれだけの事がありましたものね。皆様の熱意に感謝いたしませんと」

 

 天宮市全体を巻き込んだ大規模騒動。当然だが、二日目の天央祭は急遽中止になった――そもそも士道はぶっ倒れていたのでこの日はどの道無理だった――が、生徒達の熱意に加えて〈ラタトスク〉の暗躍もあり、こうして無事に三日目は開催されることとなった。ちなみに、二日目の分はなんと明日執り行うという。本当に、大した熱意だと感謝と呆れを感じざるを得ない。

 というわけで、これが日程こそ違うが狂三とデート出来ているカラクリの正体だ……そのために、琴里と一悶着あったが、それは語るまでも――――――

 

 

「それにしても――――――お身体は大丈夫なんですの?」

 

 

 語るまでもないと思っていたが、ついに触れられてしまった。とはいえ、これは想定内の質問だ。士道は狂三の問いかけに、内心の焦りを露ほども感じさせない笑顔で答えた。

 

「ん? おう、一日休んだらすっかり元気になったぜ」

 

「ふーん…………えいっ」

 

 誤魔化しきれたか、そう油断した士道の隙をつき狂三が指を一本的確な判断で彼の脇腹へ刺すように突く。

 

「い――――っ!?」

 

「……嘘をつくのが下手な方ですわねぇ」

 

「ぐ……おお……」

 

 突かれた部分を起点として響く激痛に、呆れ顔の狂三を見ながら士道は手すりに掴まり身悶えする。

 ……まあ、一つ顕現させるだけでも士道に相当な負荷を強いる天使を、二つ同時に使いながら肉体の修復を行う。そんなめちゃくちゃなやり方をした結果は、言うまでもなかった。

 はあ、と呆れたため息をついた狂三は士道が隠していた事をズバズバと暴いていった。

 

「まったく……そのお身体では、ここに来る前に琴里さんと言い争いになったのではなくて?」

 

「……ソ、ソンナコトナイゾ」

 

『そんなことあるわよねぇ? 色ボケおにーちゃん?』

 

 正面からだけではなくインカムからも、嫌味ったらしい追撃が襲いかかってくる。残念、士道に逃げ場などなかった。

 

 十香を助け出したその後、〈フラクシナス〉での入念な検査の末に待っていたのは、大事をとって丸一日は絶対安静にしていろというお達しだった。それを聞いた士道は当然のように反論した。狂三との約束をこれ以上、引き伸ばしにするわけにはいかない。明日一日は動くことを許してくれ、と。が、琴里が『あんな女との約束、いくらでも待たせとけばいいでしょ』なんて精霊攻略を支援する司令官らしくない発言をしたものだから……そこからは、売り言葉に買い言葉。行く行かないの大喧嘩が始まってしまった。

 途中、溜まりに溜まった説教に苦戦しながらも、言い出したら聞かない彼の頑固な性格で何とか許可を得てデートを強行した。が、痩せ我慢に限界が来ていることは狂三に見抜かれていたらしい。

 

「士道さん、わたくしは逃げも隠れもしないのですから、少しは琴里さんの気遣いも受け入れてあげてくださいまし。十香さんを助けるために無茶をした件も含めて、お叱りをいただいたのではなくて?」

 

「わ、わかってるよ…………けど、狂三だって〈アンノウン〉に怒られてたじゃないか」

 

「なっ……」

 

 このままでは狂三からもお説教が続きそうだったので、士道は苦し紛れに反論してみる事にした。すると、狂三がいつになく動揺した表情を見せた。やはり、彼女としては触れられたくない一件のようだ。

 

「……あ、あれは、わたくしの中では無茶をしていませんわ。だから士道さんのお説教とは違いますの。ええ、ええ、お門違いですわ」

 

「いやいやいや!! その理屈が通るなら俺だって無茶なんかしてないからな!! あれくらい俺の中じゃ無茶には入らないし、絶対狂三は無茶してたって!!」

 

「そんなわけありませんわ。絶対、ぜぇったい士道さんの方が無理をなさってましたわ。わたくしが助けに入らなければどうなっていたことか……」

 

「それは感謝してるけど、それと狂三が無理するのは別の話だろ!? 前にも言ったけど自分の事も考えてだな……」

 

「士道さんにだけは言われたくありませんわ!!」

 

「いや狂三の方が――――――」

 

「いいえ、士道さんの方が――――――」

 

『どっちもどっちに決まってるでしょ、この似たもの同士のバカどもが!!!!!!』

 

「ぐお……っ!?」

 

「きゃっ……」

 

 論点が段々とずれながら二人が顔を付き合わせ言い争いをしていると、インカムから狂三にも聞こえるくらいの凄まじい声量で炎の一喝が炸裂した。士道の鼓膜にクリティカルフィニッシュ!

 

『あんたらが無茶する度に私がどんだけ苦労してるか分かってるんでしょうね!? 分かってるわけないわよね喧嘩に見せかけてイチャコライチャコラしてるあんた達には!! 大体ねぇ――――――』

 

「こ、琴里。耳が……耳がぁ!!」

 

 後者に至っては言いがかりにも程がある。という反論さえ口に出来そうにない声量が士道の右耳に襲いかかる。このままだと鼓膜へのダメージがとんでもない事になりそうになった時、狂三がポンと手を合わせて声を発した。

 

「あらー、美九さんが登壇なされましたわー」

 

「お、おう!! ちゃんと美九の歌を聴かないとな!!」

 

『ちっ……』

 

 狂三の棒読み感が溢れ出た行動に便乗する形で士道は危機を脱する。凄く嫌な舌打ちが聞こえてきた気がするが、耳がおかしくなって聞こえないという事にしておいた。

 美九を言い訳に使う形になり申し訳ない気はしたが、元々は彼女の歌を聴くためにここに来たので聞き逃すわけにはいかなかった。琴里もそれを分かっていて仕方なく引いてくれたのだろう。

 

 ステージの中心にスポットライトが照射される。

 

 

『皆さん、ありがとうございます。今日は特別に――――――私の大事な歌を、歌おうと思います』

 

 

 そうして、流れ始めた曲と共に、誘宵美九は歌い上げる。その曲は――――――

 

「これは……」

 

「宵待月乃の、曲だ」

 

 奏でられる優しく、強い旋律。士道と狂三が気づかないはずがない。間違いなく、あの時に聴いた宵待月乃の曲。失声症を患ってしまった彼女が、本当ならステージで歌うはずだった曲を、彼女は誘宵美九として高らかに歌っていた。

 〝声〟の力は込められていない。人を惑わし、虜にする霊力は備わっていない。でも、そんなもの必要ないと、もう誰もが知っている。前に士道が彼女のステージを見て、感じたこと……それが最初から真実だったのだ。

 

 誘宵美九は〝アイドル〟なのだ。霊力だとか精霊だとか、そんなものは関係ない。この姿を、この曲を聴いて誰が文句を言えよう。皆に笑顔を、幸福をもたらす〝アイドル〟――――――それこそが、誘宵美九(歌姫)の真実。

 

 曲が、終わる。

 

『……っ』

 

 美九が目を見開いて、そうして涙を流した――――――会場が壊れんばかりの大歓声。ここにいる誰もが、美九の歌を受け入れていた。彼女の、美しき歌姫の声は、万人を魅了して見せたのだ。

 

『あり、がとう……ございます。本当に――――――』

 

 涙に濡れる彼女を励ます声が響き渡る中、美九が言葉を紡ぐ。そして――――――

 

 

『だーりん……大好き……っ!!』

 

「…………!?」

 

 

 とんでもない超ド級爆弾が投下され、会場はどよめきに包まれた。

 何より直撃したのは他ならぬ士道。顔面に脂汗を浮かべ、心臓が爆音を鳴らしている。

 

 何故だろうか、怖すぎて、隣が、見れない。

 

「だーりん……ねぇ」

 

「っ!!」

 

 爆音だと思っていたが、甘かった。その冷た過ぎる声を聞いて、鼓動は更に速度を増していく。未知の領域、ネクストレベルも驚きだった。

 

「現を抜かした記憶はないと、確かどなたか仰っていましたわねぇ。さて――――――どこのプレイボーイなお方なのでしょう」

 

「……その、ですね。これは色々と誤解と言うか……」

 

「ああ、ああ。別に構いませんのよ、構いませんのよ。わたくしはその方の恋人でもなんでもありませんもの。でェも、複数の女性との関係には、わたくしは理解があるつもりですわよ、だーりん?」

 

「…………は、はは……」

 

 人間、本気でどうにもならないと笑うしかなくなるらしい。果たして隣の少女がどのような顔をしているのか、脳内狂三フォルダを所持している士道としては最高に気になる気持ちと、見たら物理的に喰われるのではないかという気持ちがひたすらにせめぎ合っていた。

 

 ヤバいヤバいヤバい。そうだ、こういう時こそ頼れる妹様がいるではないか。さり気なくインカムを叩いて助けを求める。

 

『ぷっ……くくっ……モテる男は辛いわねぇ、だーりん?』

 

 前言撤回。全く頼れないし何だったら敵だ。

 

 

「あら、あら。そんなに汗をかかれて如何なさいましたの? ねえ、し・ど・う・さ・ん」

 

 

 おかしいなぁ。彼女に名前を呼ばれる事はとっても幸せな事のはずなのに、今は凄く冷や汗しか出てこない。

 

 この戦争(デート)、勝ち目は果たしてあるのだろうか。取り敢えず今は――――――凄絶な微笑みを浮かべているであろう愛しい少女を鎮める言葉と行動を、士道は必死になって思考するのであった。

 

 

 






このあとめちゃくちゃデートした。

Q.最後のオチがやりたかっただけだろ!! A.そうです!! きょうぞうちゃんジョークだし次章でチラッと触れる予定なのでゆるして。

はい、という事で長かった美九編エピローグでした…長かった、本当に長かった。どこまで変えて良いのかとか考えながら書いていき、なんか凄いライブ感しかない章になってしまった気がします。いつもの事と言われると反論のしようがないのですが、これからも精進していこうと思います。こんな小説でもこれからもお付き合いくださると嬉しいです。目指せ完結。

琴里ちゃんによるとある精霊考察。皆さんはどこまでが本当か、推理できるでしょうか。少女は何を知り、何から生まれたのか。

次章は七罪編……ではないんですよね残念ながら。短めの章になるとは思いますが、一つ間に別のお話が挟まります。ごめんねナツーミ。
ちなみにオリジナルの章ではないとだけ言っておきます。皆さん是非予想してみてください。感想欄で待ってます(媚び売り)

それでは新章でお会い致しましょう。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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〈アンノウン〉ワースレス
第五十一話『審判の刻』


新章。〈アンノウン〉が単独では初の章タイトルと相成りました。物語も中盤戦、そろそろ色々な事が分かったり分からなかったり…それでは新章、なんのお話なのか予想しながらお楽しみください

サブタイトルで大体予想がつく?デスヨネー





 

 

 〝精霊〟。隣界より顕現せし、強大な存在。人類の脅威とされる彼女たちは、目的、行動ともに不明。ただ理由もなく顕現していた者、他者を思いやりながらその力に振り回されていた者、人間社会に適合しながら生きていた者……精霊の生き方に決まった法則はない。

 共通点は二つ。存在しているだけで世界の天災となる力を持つということ。もう一つは、どの精霊も〝意味〟を持って生まれたこと。いや、生まれ変わった(・・・・・・・)と言うべきか。

 

 その存在には〝意味〟がある。その存在には生まれ持った〝価値〟がある。それが、根源より生み出されし精霊という概念。だが、もしも……そうでないものが、生まれ落ちていたとすれば。誰に望まれた存在でもない天災(精霊)が、この世に許されているとしたら。果たして、その存在に〝意味〟と〝価値〟はあるのだろうか――――――ない。ないのだ、何も。

 

 少女の存在に〝意味〟などない。少女の存在に生まれ持った〝価値〟などない。生み出された意味がなければ、〝精霊〟に先天的な理由はない。少女にあるのは、後天的な理由(後付け)だけだ。

 

 なぜ自らは生まれ落ちたのか、それを根源に問いかけることを少女はしない。きっと、根源ですら答えようがない。だって〝意味〟はないのだから。そうして、自らに〝価値〟を見出すことを求めない歪な少女。理解されない行動を繰り返し続ける。まるで、初めから壊れている機械のようだった。

 

 

 ――――――美しい、人を見た。

 

 ――――――理不尽な行いを、見た。

 

 

 多分、その瞬間、少女は少女として己の世界を確立した。究極的な後付け。〝意味〟を持たない者が、ただの偶然でボタンを掛け違えた、それだけの事で持ち合わせてしまった存在理由。

 

 もし生まれ持った記憶が主観的なものだったなら、決して起こりえなかったエラー。それでも構わない。歪でも、壊れていても、存在に意味がなかったとしても、少女の全ては――――――美しき、女王のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷっ……はぁ!!」

 

 冷たい水分を一気に取り込むと、熱が篭った身体を一心に冷やしてくれる。荒れた呼吸のまま息をついた士道は、力尽きるように広大な芝生に倒れ込んだ。と、言っても公園の芝生なので広大と言ってもたかが知れていたが、士道にとってはどうでもいい事だ。

 運動をした後に起こる特有の疲労感に身を委ね、彼は高鳴る心音を押さえようと休息する――――――が、心音は鳴り止むどころか激しさを増した。その理由を少年は簡単に察する事が出来た。

 

 分からないはずがない。もう何度目かの心地よい感覚を士道は受け入れていた。いや、拒絶する理由など最初からないのだ。

 

 

「おはよう――――――狂三。良い天気だな……お前がもっと輝いて見えて、最高だ」

 

 

 目を開ける。彼の目の前に、女神がいた。太陽の光さえ霞む、神々しい美しさの少女がいた。光栄にも顔を覗き込まれながら、彼女は少年の口説き文句に慣れた笑顔で答えた。

 

「おはようございます、士道さん。ええ、ええ……そういう士道さんも、いつにも増して凛々しいお顔ですわ。素敵ですわ、最高ですわ」

 

「……褒めすぎじゃないか?」

 

「うふふ、士道さんこそ」

 

「俺はいいんだよ。狂三が美人なのは事実なんだから」

 

 士道は自分の顔を平々凡々だと思っているし、悪くはないが褒めるほどでもないと考える。対して狂三は誰がどう見ても超ド級の美少女なのだ。というか、精霊は美少女でなければならない理由でもあるのだろうか? 士道が知る精霊は、顔を見せない〈アンノウン〉を除いて誰一人例外なく超が複数個余裕で付く美少女しかいないのだから、下世話といえど士道の疑問は不思議なものでは無い。

 と、士道がそんな事を思っているとは露知らず、彼のお世辞抜きの言葉を少し困ったような、それでいて照れたような表情で狂三が言葉を返す。

 

「あなた様こそ褒めすぎですわ……それにしても、如何なさいましたの? 突然、身体を動かす素晴らしさに目覚める士道さんではありませんでしょう?」

 

「ん、まあ……そうだな……」

 

 狂三の言う通り、ジャージ姿で朝からランニングをしているのは身体を動かしたかったからでもないし、増してやプロテインの貴公子になりたい訳でもない。流石の士道も筋肉バカになって狂三をデレさせられるとは思っていない。

 理由を話すのは簡単なのだが、少し恥ずかしい上に笑われてしまうかもしれない。ただ、狂三にならそれも良いかと開き直り彼は理由を語り始めた。

 

「……この前の事があったからさ、少しでも鍛えられたらって思っただけだ。みんなを……お前を守れるくらい、俺は力が欲しいと思った」

 

「わたくしを……?」

 

 あの時、天央祭の事件で、士道は己の無力さを痛感した。DEMに対抗出来たのは、偏に狂三の協力があったからに他ならない。彼女がいなければ、十香や美九を救う事が出来ず士道の命は今頃現世にはなかったかもしれない。

 ……精霊という異質な力を扱う事が、このような普通の運動で負担が軽減されるかどうかは分からなかった。しかし、何もしないよりはマシだと思ったのだ。

 

「ああ。笑ってくれていいぜ。狂三くらい強いなら余計なお世話だって……」

 

「笑ったりなんか、いたしませんわ」

 

 ふわり、甘い香りが鼻をくすぐる。それが、彼の隣に腰をかけた狂三の芳香だと気づいて、士道はドキリと胸の鼓動が早まるのを感じた。

 

 

「ああ、ああ。お優しい士道さん。その優しさを、甘さを、一体誰が笑えると言うのでしょう。たとえ、あなた様の想いが無謀なものであろうとも――――――わたくしだけは、受け入れて差し上げますわ」

 

 

 愚かしいと嘲笑う者もいるだろう。ただの人間が何を言うのだと、見下す者がいるだろう。けれど、時崎狂三は彼の想いを否定しない。出来るわけがない。その純粋さに、危うさに、全てを救われた者たちがいるのを知っている――――――救われるわけにはいかない、愚かな女を識っている。そんな彼女だから、士道の無謀とも言える想いを受け入れたいと思うのだ。

 

「そっか……ありがとう、って言うべきか?」

 

「士道さんが仰るのも、おかしな話ですわね。しかし……このような場所よりも、琴里さんにお話して〈フラクシナス〉の設備をお使いになればよろしいのでは?」

 

「それじゃお前に会えないだろ」

 

 迷いなく返答する。確かに〈フラクシナス〉にはそういった設備が存在することは、士道も知っていた。以前、別件で耶倶矢と夕弦の特訓に顕現装置と艦内設備を併用し、様々な環境を再現する事が可能な仮想訓練室を使用した事がある。琴里に相談すれば、それを使わせてもらうことも可能かもしれない……ちなみに士道の予想としては、徹底的にしごかれるか、そんな事してる余裕ないでしょと切り捨てられるかの二択である。

 五河士道。学業主夫業加えて精霊たちのメンタルケア。忘れられがちであるが、学生とは思えぬ恐ろしいまでの多忙さなのだ。今日だって、朝早くから出たからこそランニング出来ているに過ぎない。

 まあその辺は建前で、今言った理由が九割ではあったのだが。〈フラクシナス〉の中では、こうして外で狂三と会うことが出来ない。戦争(デート)を果たせないのだ。それは、何よりも問題にすべき事だった。

 

「……あら、あら。正直者ですわね」

 

「当たり前だろ。俺はいつも私情で動いてるからな」

 

 得意げに笑いかけながら士道は言葉を返す。元より、損得抜きにして士道は狂三のために、精霊を救うために動いているのだ。みんなは、自分の事を優しいと言うが、そんな大層なものではないと士道自身は考えていた。狂三に惚れて、惚れた女という理由で彼女を救おうとするなど、不純極まりない人間なのだ。

 そんな士道の顔を見て、狂三がクスリと微笑んだ。

 

「仕方のない人……まあ、わたくしも――――――」

 

「うお……っ!?」

 

 士道の身体が僅かに浮き上がった。驚きの声を上げる一瞬の間に、彼の身体は再び着地をしていた。

 

 

「――――――そんな士道さんが、大好きですわ」

 

 

ただし、頭の下に狂三の柔らかい膝(・・・・・・・・)があり、真上には最初より近く彼女の端整な顔立ちが見て取れる状態になっていた。俗に言う〝膝枕〟である。

 

「……やられたよ」

 

「ふふっ、油断大敵ですわ」

 

 人差し指を唇に当て、悪戯っぽく笑う狂三。いつだってどこだって、士道と狂三の関係は〝攻略〟しあう仲なのだ。この場合、一瞬で攻めの姿勢を取った狂三の早技の勝利だった。

 だが、そういう事情を抜きにすれば大変役得だと思わざるを得ない。柔らかく、どんな高級枕より心地の良い狂三の膝枕。彼女から感じる芳香が、士道の心を落ち着かせてくれる。

 

 たまには、こういうのも悪くない。好きな少女の膝元で、士道は目を閉じる。優しく吹く風までもが、気持ちを更に落ち着けてくれる。

 

「…………平和だな」

 

「ええ、ええ。つい先日の騒乱が嘘のようですわね」

 

「こんな平和な時間が、いつまでも続けば良いのにな……」

 

 精霊とAST争うことなく、DEMの陰謀もなく、酷く穏やかな時間。誰もが幸せに暮らせる時間が、いつまでも続いて欲しいと士道は願う。

 

 

「それは――――――叶いませんわ」

 

「…………」

 

 

 ――――――例えそれが、今は叶わぬ夢物語だったとしても。

 

 今は平和な時間を共有していても、士道と狂三は相容れない。士道の望む平穏を、狂三は受け入れる事が出来ない。交わらぬ平行線は、彼女の寂しげな微笑みが存在を証明していた。

 分かっている。それが並大抵の決意ではないことくらい。分かっていて、士道はこの道を受け入れ、選んだ。

 

「狂三――――――」

 

 手を伸ばし、狂三の顔に触れる。彼女がそれを拒む事はなかった。精霊の頬は、人と変わらぬ温かさを手のひらに感じさせる。誓ったのだ、その温もりを、士道は絶対に……。

 

 

「俺が、お前を――――――」

 

 

 見つめ合い、士道が言葉を紡ぐ――――――

 

「……っ」

 

「狂三……?」

 

 瞬間、狂三が士道から目を逸らした。恥ずかしいとか、そういったものでは無い事は彼女の一挙動に至るまで見逃さない士道には分かる。言うなれば、何かに驚いたように顔を上げたのだ。

 疑問を感じた士道もまた、その視線を彼女と同じ方向に向け――――――少女が、いた。

 

 

「……あの、子は……」

 

 

 見覚えはなかった。あるはずがない。精霊を見た時のように(・・・・・・・・・・)、強烈な印象を叩きつけられて、見覚えがあるなどと言えるはずがない。だと言うのに、彼女を知っている気がする、そんな不思議な感覚が士道を襲う。

 

 腰まで靡く金色の髪。それを小さくサイドテールに括り、来禅高校の物とは違う純白の制服を見に纏った美少女。桜色の瞳と似た色をした鞄には、いくつかのストラップが付いていた。可愛らしい顔立ちとは裏腹に、感情の起伏が薄いと思わせる凛とした表情。

 

 一瞬で特徴を拾い上げた事に自分で驚きながらも、それほどまでに少女から目が離せなかった。そして、一つ瞬きをして――――――その少女は、消え失せていた。

 

「は……っ!?」

 

 思わず大急ぎで飛び起き、辺りを見渡すが少女の姿はどこにもなかった。見間違えか? いや、そんなわけはない。なぜなら、自分だけではなく狂三も少女を見つけていた筈なのである。だからこそ、士道も少女を見ることになったのだから。

 しかし、士道だけが見た幻覚でないのなら、一瞬にして消失した理由に説明がつかない。

 

「……士道さん、上を」

 

「上――――――!?」

 

 同じように士道の隣に立った狂三が指し示した方向に従い、彼は空を見上げて……再び驚愕を顕にした。

 

「な……んだ、〝アレ〟……!?」

 

 戦くように片足を一歩下げて、士道は目を見開いた。〝アレ〟と称された物は、青空の下で悠然と浮かび上がっていた。直径で言えば〈フラクシナス〉を優に上回る超巨大な〝球体〟。それが今、士道の真上に浮かんでいたのだ。振り落ちるわけでもなく、ただ球体が重力を無視してそこに存在していた。

 

「――――――これは」

 

「あれが何か分かるのか、狂三!?」

 

「……まだ断定は出来ませんわ。少々、お待ちくださいまし」

 

 焦る士道とは裏腹に、狂三はあくまで冷静な表情で……しかし、いつもの彼女よりは困惑を交えた顔で彼の言葉に答える。深く息を吸い込み、神経を集中させるようにゆっくりと狂三が目を閉じた。何かを探っているかのような彼女の動きを、士道は邪魔をしないように固唾を呑んで見守る。

 数十秒の間、ジッと目を閉じていた狂三が瞼を上げる。そして、細目で球体を見上げ口を開いた。

 

「やはり、この霊力は……」

 

「霊力……じゃあ、あれは新しい精霊、なのか……?」

 

「いえ、そうとは言えませんわ。この霊力は――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――十香さん達のもの(・・・・・・・・)、ですわねぇ」

 

 複雑に絡み合う複数の霊力。他の者より探知に長けるとはいえ、所詮は精霊単独の感知能力であるため、まだ完全に断言することは出来ないが……ほぼ間違いなく、あの球体は十香たち封印された精霊の霊力を保有していると『狂三』――――――メイド服を着た狂三は判断する。

 建物の屋上より遥か上に浮かぶ霊力球体。あれが、仮に精霊の〝天使〟だとしたら狂三ですら見た事がない超巨大規模の物、という事になる。

 

「……あなたは、あの球体についてご存知ありませんの?」

 

 狂三をして知識に存在しない規格外な霊力球体。あの球体の出現から口を開いていない白い少女へ向かって、彼女は問いを投げかける。

 

 佇む白い少女の視界に映る、水晶を思わせる球体――――――

 

 

「――――――システムケルブ、か」

 

 

 審判の時は来た――――――裁定を、始めよう。

 

 








というわけで〈アンノウン〉編という名の万由里ジャッジメント編、開幕です。ちなみに章のタイトルは結構ギリギリまで悩みました。つまり深く考えてません(?)
短くなると言ったな、あれは美九編と比較しての私の体感だ(散々文字が嵩んで話数が増えまくった前科ありあり)

士道と狂三がイチャつくのはもうデフォなのでいつも通りなのですが、今回はキーパーソンの万由里、白い少女こと〈アンノウン〉の二人もメインとなる予定です。お楽しみいただけるかは分かりませんが頑張りたいと思います。なんでシステムケルブという作中でもとある一人しか知らなかった単語を知ってるんでしょうね(棒)

それではまた次回をお楽しみに!感想、評価などなどいつもありがとうございます!! と同時に変わらずお待ちしておりますー


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第五十二話『デート、再び』

正式参戦じゃないけど頻繁にスポット参戦してくれるクソ強味方ユニットみたいなヒロインしてますね。そんな感じの原作じゃほぼ訪れない場所にいる狂三ちゃんの回




 

 

「それじゃあ、あなた達には――――――」

 

 琴里が咥えていたチュッパチャプスを口から離し、〈フラクシナス〉の画面上に表示された一見(・・)、何も無いように見える空間を棒で指し示しながら言葉を続ける。

 

「この辺に大きな球体が見えている……って認識で間違いはないわね?」

 

「あ、ああ」

 

「ええ、ええ。相違ありませんわ」

 

 そう、と再び飴を口に含んだ琴里がポジションを直すように一度座り直しながら、コホンと咳払いを一つ。そうして、士道の隣に立つ少女へ向かって半目で疑問を投げかけた。

 

「…………ねえ、なんで狂三までここにいるのかしら」

 

「は、はは……」

 

 半笑いで誤魔化せるはずがないのは分かっているのだが、なんと答えて良いものかと士道は思わず頬を掻きながら目を逸らして笑う。

 士道に見せるものとは違う怪しい微笑みは、その思考を読ませないための物なのだと思う。それ以外はいつもと遜色ない狂三が艦橋の下にいた……〈フラクシナス〉の艦橋に、である。

 

「あら、あら。精霊保護を謳う〈ラタトスク〉も、わたくしは受け入れてくださらないと仰るのですね。悲しいですわぁ、泣いてしまいますわぁ」

 

「な……そ、そんなこと言ってないでしょ!!」

 

「では、お気になさらないでくださいな」

 

「…………」

 

 泣き真似をしたと思ったらケロッとした顔で言う狂三に、こいつ……と言いたげな目で琴里は彼女を睨めつける。言葉巧みな話術と百面相を思わせる演技力は、相変わらず兄妹揃って翻弄されているなぁと感心してしまう士道だった。言うまでもなく、翻弄される事には彼も関わっている自覚があった。

 

 

「うふふ、そんなにご心配なさらずとも、わたくしは何も致しませんわ。不確定要素を確定させる、そのために着いてきたに過ぎませんもの――――――そこの〝狂犬〟さん次第では、吝かではありませんけれど」

 

「……はっ、言ってくれるじゃねーですか」

 

 

 琴里とのどこか和やかな空気から一変、狂三が挑戦的な視線を向けた瞬間に殺気が二人の間に流れる……琴里の側に立つ、崇宮真那との間に。思わず鳥肌が立つような殺意のぶつけ合いに、士道は慌てて二人の間に入った。

 

「ちょ、二人ともよせって!! 狂三も真那を煽らないでくれ!!」

 

「真那、ステイ。くだらない挑発に乗るんじゃないの」

 

 真那がDEMから〈ラタトスク〉側に入ったと言っても、狂三と真那の関係性が変化したわけではない。このように、一歩間違えたら即座に殺し合いに移行しかねない……真那はともかく、狂三はなんだか反応を面白がってわざとやっているように思えるが。ここへ入った時も一悶着あったが、何とか真那を引き剥がして事なきを得たのだ。

 多分、真那が精密機械だらけの艦橋で暴れるような事はしないと分かっているのだろう。いつ飛びかかってもおかしくない真那に引き換え、狂三は士道の目から見ても非常に無防備だった。琴里もそれを分かっているからこそ、未封印の状態の精霊が暴れたらひとたまりもない艦の内部へ滞在を許している。

 狂三が肩を竦めて視線をモニターへ向け、真那も琴里の言葉に従いひとまずは殺気を納めた……まあ、相変わらず鋭い視線を向けてはいたので諌める琴里がため息を吐くのは変わりなかったが。

 

「……話を戻すわよ。狂三、あんたはその見えない球体の不確定要素、ていうくらいなんだから大体の見当はついてるんでしょうね?」

 

「あくまで推測の段階ですわ。わたくし一人の〝感知〟では不安がありましたので、琴里さん達のお力をお借りできれば……と思いましたの」

 

「――――――解析、出ました!!」

 

 狂三の声に続く形でクルーの声が響き渡る。メインモニターが切り替わり、士道と狂三が見た球体と同じものが映し出された。正確には、感知した霊力をその形に再現したものだろう。つまり、隅から隅まで霊力で構成された〝霊力球体〟という事になる。

 

「確かにその座標から、球形に放出される微弱な霊波が観測されています」

 

「本当にあるのね……でも、これが狂三の知りたかった事ってわけじゃないわよね」

 

「ええ。わたくしが確かめたいのは、これより先の事象。この球体の霊力が誰のもので構成されているか(・・・・・・・・・・・・・)、ですわ」

 

「……その口ぶりだと、心当たりがあるのかしら。まさか、私たちの知らない新しい精霊の物?」

 

「いいえ、いいえ。それこそまさか、ですわ。新しい精霊の物ならば、わたくしがここにいることはありえませんもの」

 

 仮にこの球体が、今までと同じように新しい精霊のものだったならば、狂三が〈フラクシナス〉まで足を運ぶ理由はない。新たな精霊の攻略、と言うならば出しゃばらず士道と別行動を選んだ事だろう。

 極めて〝イレギュラー〟と言える事態だからこそ、狂三も万全を期してこの場に来ることを選んだ。

 首を振り否定する狂三を見て、ますます訝しげな表情になった琴里が声を発する。

 

「勿体つけるわね。何よ、知らない精霊じゃないって言うなら、今いる誰かの霊力(・・・・・・・・)で出来てる……なんて言うんじゃないでしょうね」

 

「あら、流石は琴里さん。ご明察ですわ」

 

「は?」

 

 肯定されるとは夢にも思っていなかったのか、目を丸くした琴里を後目に狂三はとある人物へと視線を向ける。コンソールの前に座り、高速で機械を操作する女性へ。

 

「そうでしょう――――――令音先生」

 

「……ああ。恐らく、キミの感知とこちらの計測結果は一致している」

 

「ええ、ええ。わざわざ確かめに来た甲斐がありましたわ」

 

 華麗な作業効率とは裏腹に、相変わらず身体に悪そうな目の隈を抱えた令音が狂三の言葉に頷き、彼女もまた令音の言葉を聞き確信を得たという表情で笑う。

 何やら二人だけで分かり合ってしまった狂三と令音を見て、琴里が慌てたように声を上げる。

 

「ちょっと、二人だけで分かった風にならないでよ!! ご明察って……まさか、本当に……!?」

 

「……一見複雑な波長をしているが、球体の要素を分解してみると一つ一つはとある六人の霊波(・・・・・)と酷似している。つまり――――――」

 

「この霊力球体は、十香さん、四糸乃さん、耶倶矢さん、夕弦さん、美九さん、そして琴里さん……士道さんが封印なされた精霊の方々の霊波が、何らかの形であのように構成されている、というわけですわ」

 

「なんですって……!?」

 

 琴里が驚くのも無理はない。総勢六人もの精霊の霊力を兼ね備えた謎の球体。狂三ですら自らの感知を疑ってかかり、こうして確証を求めてしまったのだから。

 

「私たちの霊力……」

 

「なんだぁ、全部司令の悪戯だったんですかぁ。もうー人騒がせなんですからぁー。このこのー」

 

「……ふんっ!!」

 

 非常にウザい声色で琴里をツンツンと指で突っついた神無月に対して、チュッパチャプスの棒部分を華麗に回転させ彼のその指を勢いよく逆方向へ折った。痛い、地味にめちゃくちゃ痛いやつだ。士道はそう思ったのだが、神無月が歓喜の表情で悶えているのもいつもの事であった。

 

「ひぎぃ!! 地味なのありがとうございます!!」

 

「……いつも、ああですの?」

 

「まあ……恥ずかしながら」

 

「個性と能力は、やはり別物ですわね……」

 

 本人ではないのに聞かれた士道がなんだか恥ずかしくなり、別の意味で顔を赤くした。クルー全員、例外なく優秀な反動なのか、慣れた後にこうして改めて指摘されるとキャラの強烈さが露呈してしまう気がした。狂三の言うように、どこに出しても恥ずかしくない能力を持っていようと性格的な問題はまた別の話なのである。

 と、今度は令音の方から狂三へ言葉と視線を向けた。

 

「……しかし、これほど複雑に絡み合った霊波をよく個人で感知出来たものだね」

 

「そう難しいものではありませんわ。経験を積んだ精霊なら誰でも出来る技術ですもの」

 

「……培われた経験値、というわけか。それほど、精霊としての(・・・・・・)歳月を重ねているのかい――――――君と共にいる彼女(・・)も」

 

「さあ、令音先生のご想像にお任せしますわ」

 

 そこまで答える義務はない、というかのように狂三は見惚れるような微笑みを浮かべ言葉を濁す。探りを入れたのか、はたまた純粋な彼女の興味なのか、令音も表情を変えること無くそうか、とそれ以上の追求をする事はなかった。

 

「それで、そんなご大層な感知能力を持ってるあなたの〝推測〟とやらは聞かせてもらえるのかしら? この球体があなたと士道だけに見える理由――――――こんなものが現れた訳を」

 

 琴里が鋭い目付きで問う。ここまで余計な口を挟まなかった士道も、ここより先は知りえない領域という事もあり狂三へ促すような視線を向ける。あれが十香たちの霊力で出来ている可能性が高いというのならば、狂三の状況を推察する飛び抜けた観察能力は頼りにしたいところではあった。

 ここに至って勿体ぶるつもりはないのか、琴里の問いと士道の視線を受け、考えを纏めるように顎に手を当てながら狂三は言葉を紡ぎ出した。

 

「先ほども仰りましたが、あくまでわたくし個人の推測に過ぎませんわ。どちらの疑問に関しましても、わたくしでは証明のしようがありませんわ 。それでもよろしいでしょうか?」

 

「構わない。頼む」

 

「……わたくしと士道さんだけに霊力球体が見える事に関しましては、球体が何かしらの隠蔽能力を持っていると仮定致しましょう。それを、わたくしは自らの、士道さんは霊力の加護を用いて無力化していると推測出来ますわ」

 

 原理としては狂三の〈時喰みの城〉の影響を軽減し、つい先日には美九による〝声〟の洗脳を士道が拒絶したものと同じだ。霊力による影響を霊力によって弾く。霊力に対抗出来るものは、同じ霊力なのである。

 なるほど、と加護の恩恵を受けている本人の士道が納得したように頷く。とても理にかなった推論だ。

 

「ただし、確定ではありませんわ。証明が出来かねますもの」

 

「そうね……じゃあ、封印した霊力を逆流させて確かめましょう、ってわけにはいかないもの」

 

 理屈だけで言えば琴里なら今すぐ確かめられるのであるが、まさか何かしらの関係がある霊力球体が出現している中で不用意に霊力を逆流させる事など出来るわけがない。何が起こるか分かったものではなく、確証を得られるメリットと危険なデメリットがまるで見合わない。ナンセンスね、と戯けるように声を発する琴里に同意するような形で狂三は言葉を続ける。

 

「ええ。次はこの霊力球体が出現した原因につきましてですが……令音先生は、わたくしと同じ推論を持っていらっしゃるのではなくて?」

 

「……狂三と全く同じかは分からないが、私なりの推測は持ち合わせている」

 

「っ!! 令音、本当?」

 

「……ん。この球体は、精霊たちの無意識の現れなのではないかと私は考えている」

 

「ええ、ええ。やはり、令音先生も全く同じ推論でしたのね」

 

「……どういう事だ?」

 

 この手の話に関しては、てんで入っていくことが出来ない士道は素直に首を傾げる。琴里たちの霊力で構成されたあの球体は、彼女たちの無意識の何かによって出現した、という事だろうか。しかし、その無意識の現れとは一体……。

 

「つまり、封印した精霊の精神状態が何らかの形で不安定になった時、霊力の逆流が起こるように……あの球体が琴里さん達が抱く感情によって具現化したのだとしたら、面白いとは思いませんこと? そう、例えば――――――」

 

 一つ、学校の美人教師が例を上げるように人差し指を立て、言葉通り楽しそうな笑顔で狂三が驚くべき言葉を続けた。

 

 

「士道さんへの独占欲、なんて推測は如何でしょう?」

 

「――――――はぁ!?」

 

 

 突拍子のない狂三の発言を聞いて琴里がコンソールを叩きながら立ち上がる。無論、驚いたのは琴里だけでなく士道や他のクルー達や相変わらず狂三を警戒している真那も同じだった……唯一、彼女と同様の推察をしていた令音だけは依然として冷静な表情だったが。それ以外の面々は驚くな、という方が無理な話であろう。

 狂三の推測に顔を真っ赤にしながら琴里が声を荒らげる。

 

「い、いきなり何言ってるのよあんたは!! ど、独占欲なんて……」

 

「あら、あら。皆様が士道さんをお慕いしていらっしゃらないと、少しもそういう感情を持たないと仰るのですか? わたくしだけしか士道さんの魅力を分かっていないなんて、悲しいですわ、残酷ですわ」

 

「んな……!! か、勝手に決めつけないでよ!! 私だって士道の事が好きに決まって――――――はっ!!」

 

 やれやれ、と言わんばかりのわざとらしい仕草の狂三に綺麗に乗せられた琴里が、更に見事なまでの誘導尋問に引っかかり口を滑らせた。クルーの生暖かい視線と、士道のなんとも言えない視線……あと、死ぬほど腹が立つ狂三の楽しげな視線がそれぞれ琴里へ突き刺さった。

 

「と、このように精霊の皆様が内心で欲求を膨らませていたとしても、何ら不思議な事ではありませんわ。人の心という物は、自分でも予期せぬ方に揺れるもの――――――わたくしが言えたことでは、ありませんけれど」

 

「……ふんっ。最後だけは同意してあげるわ」

 

 最後の自嘲気味に呟かれた言葉を拾い上げ、琴里はふんぞり返るような勢いで司令席に再び座り込む。

 士道はその光景を見ながら、狂三の言葉を内心で繰り返した。己の心は、自分でも予期しない方向に揺れ動く……狂三だけでなく、士道がそうであったからこそ今の二人の関係性はある。思えば、普段は自信満々で大胆不敵を地で行く狂三が稀に自嘲するような発言をするようになったのも、戦争(デート)が始まった以降だった。

 本音で話すのは良い事なのだが、あまり自分を低く見るような発言は好ましくないと士道は思う。特に、彼女は普段の言動とは裏腹に本音では自らを低く見ているきらいがある――――――どんな狂三であろうと愛している士道にとって、好ましい思考とは言えない。

 とにかく、目の前の問題を解決する方が先かと士道は話を纏めるように声を発した。

 

「じゃあ、狂三と令音さんが言うように琴里たちの霊力があの球体に込められてるとして……何か解決策はあるのか?」

 

「……まだ断定が出来る段階ではないが、彼女たちの無意識が表面化していると仮定し、球体の調査と平行して精霊たちのストレス解消にかかろう」

 

「ど、どうやって?」

 

「――――――あら、あら。士道さんともあろうお方が鈍いのですね」

 

「……決まってるじゃないか」

 

 全く同時に狂三と令音の視線に晒され、思わずたじろぐ士道へ二人は声を完全にシンクロさせ、たった一つの聞き慣れた(・・・・・)言葉を具現化させた。

 

 

『――――――デート』

 

「え……えぇ!?」

 

 

 驚きの声を上げる士道だったが、ハモらせた答えをさも同然と言わんばかりに二人は手早く会話を進めていく。

 

「何を驚く事があるのでしょう。精霊をデートでデレさせ(・・・・)たのなら、彼女たちの欲求を満たすのもまた、デートという手段が効率的ですわ」

 

「……一人一人順番に、希望通りのデートをしてあげるんだ。その時間は……シン、君がその彼女だけのものになる」

 

「まあ、この方法が解決策に繋がるかまではわかりかねますが、やってみる価値はあると思いますわよ。平和な戦争(デート)――――――楽しんでみては如何です、琴里さん」

 

「……私としては、何もしないよりは良いかと思うのだが、どうだろうか?」

 

 最終決定権は司令である琴里にある。ので、二人の畳み掛けるような連撃にうぐっ、と顔を赤くした琴里が腕を組んで仕方ないという体裁(・・)を整えながら答えを返した。

 

「ほ、他に手がなさそうなら仕方ないでしょう!!」

 

「うふふ……決まり、ですわね」

 

「……頼んだよ、シン」

 

「は……はぁ」

 

 立ち上がった令音に肩を叩かれ、力なく困惑の表情で返事を返す。何やら急展、大変な事になってしまったらしい。

 

 デレさせた精霊と、もう一度デートする。狂三の言うように――――――今度は平和な戦争(デート)を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ……言わなくて良かったのか、あの子(・・・)のこと」

 

 〈フラクシナス〉の通路を二人で歩きながら、士道は狂三へ気になっていた事を問いかけた。

 必要な事は知り得たと言って、一人帰ろうとする狂三を送っていくと士道が着いていくことにした。当然、その時も真那と一悶着あったのだがそれは置いておくとしよう。とにかく、丁度いいと士道は疑問を口に出したのだ。

 〝あの子〟とは、霊力球体を発見する直前、二人の前に一瞬だけ姿を現した金髪の少女。不思議な雰囲気を持ち、あのタイミングで二人の前にいた事は無関係とは思えなかったのだが……その事を話そうとした士道を狂三は視線で制した。それが腑に落ちなかった。

 

「確証はないけど、関係ないとは思えないんだが……」

 

「そうですわね……単純に精霊の感情が具現化したというのなら、霊力による隠蔽が起こる可能性も低いでしょうし、第三者による何かしらの工作を疑ってかかるべきですわ。それがあの子かどうかまでは、やはり分かりかねますが」

 

「だったら……」

 

「でェも、それはあくまで〝可能性〟のお話ですわ――――――あなた様と十香さんたちのデートに、そのような疑念は不要でございましょう?」

 

「っ」

 

 振り向いて、士道の鼻先を指で突くように触れる。まるで彼を叱るような仕草に、狂三が意図している事が何となく分かった気がした。

 

「無粋な考えなど不要。士道さんは、皆様との平和なデートをお楽しみくださいませ」

 

「平和なデート……か」

 

「ええ、ええ――――――わたくしでは実現できないもの、ですわ」

 

「狂三……」

 

 その微笑みは、何を思っていたのだろう。士道と精霊のデートを喜ばしいと思う慈愛か、はたまた己では実現できない事柄に対する渇望か。

 平和な戦争(デート)は、彼に救われたものだけの特権。理由はどうあれ、霊力球体など関係なく皆は士道とのデートを心から楽しむ事だろう――――――それは、彼の救いを拒む時崎狂三には許されぬ事なのだ。

 その救いは美しいものだ。美しいが故に、罪人の狂三は手にしてはならない。己が罪を、愛しい人に背負わせるわけにはいかない。たとえそれを、五河士道が望んでいたとしてもだ。

 そんな諦めにも似た感情を抱く狂三を見て、黙っていられないのが士道という男だった。

 

 

「――――――俺は!!」

 

「……?」

 

「俺は……お前と何のしがらみもないデートをする!! してみせる!! いつか、絶対に……!!」

 

 

 彼女の背負う物を、彼女が為そうとしている目的を、士道は知らない。だが知らずとも、その重さ(・・)は分かっているつもりだ。その重さを目の当たりにしてなお、士道は救いの手を差し伸べることを止めない。それが命を対価として続く戦争(デート)

 

 

「何度だって言う。俺が、お前を救う」

 

「……わたくしを、愛しているから?」

 

「ああ。お前を――――――この世界の誰よりも愛してる」

 

「変わりませんのね、あの時(・・・)から。あなた様はいつも真っ直ぐで、眩しすぎますわ」

 

 

好きだから(・・・・・)、救いたい。原初の欲に塗れた、不純な動機。屋上のあの時、全てを振り切るつもりで望んだ狂三を打ちのめした彼の言葉。あれから数ヶ月、彼は何一つ変わらず、時崎狂三という少女を救う事を諦めていなかった。

 

「……わたくしの事を愛しているのなら、わたくしの願いも聞き入れてもらいたいものですわね」

 

「悪いな。我欲に塗れた俺には出来ない相談だ――――――それ以外なら何なりと、お嬢様?」

 

 気取った口調も、戦争(デート)を楽しむ処世術になりつつあった。きっと、彼らは幾度となく同じやり取りを繰り返すのであろう。

 好きだから、俺のものになって欲しい。好きだから、わたくしのものになって欲しい。他人から見れば焦れったく、意味の無いように思える。しかし、当人たちは最大限、この果ての見えない命懸けの戦争(デート)を楽しむための行動。ただひたすらに続く平行線――――――だからこそ、二人は共にいる事が(デート)出来るのだから。

 

 

「あら、あら。それでは、地上までエスコートをお願いいたしますわ。わたくしの、愛しい人(士道さん)

 

「喜んで。俺の愛する、お嬢様(狂三)

 

 

 礼をしながら差し出された手を、受け止める。

 

 この手のように、二人が本当の意味で交じり合う日が来るのかどうか――――――戦争(デート)の結末だけが、知るのだろう。

 

 

 







こういう形でしか分かり合えない悲しさか、こういう形だから今は共にいられる幸せか。歪な関係ですね。ややこしくしたの私ですけど。

常に参戦してると大体のことは解決してしまいそうな強キャラの雰囲気残したまま士道とイチャイチャさせなきゃならないのが困ったもので。主に重要なのは後者であるのは言うまでもry 甘々からロマンスまで変幻自在(になってるといいなぁ)

沢山のお気に入り、感想、評価ありがとうございます!どれも大変励みになっていて感謝感激です。これからも士道と狂三の関係を最後まで書いていくために頑張ります。

次回からはいよいよこの章のタイトルの子が登場。次とその次はかなりガッツリあの子に踏み込む話になる予定です。
感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第五十三話『無価値の証明』

一体少女の本当の姿はどれなのか。少年に少女は救う事が出来るのか。


 

 

「ただいま戻りましたわ」

 

「あら、お帰りなさいませ『わたくし』」

 

「……あら?」

 

 大変名残り惜しいとは思ったが、士道と別れて拠点であるマンションへ戻った狂三を出迎えたのは、何のお店だと言いたくなる特殊な格好の『狂三』。具体的に言うと、メイド服に身を包んだ分身体だった……狂三自身が着込んでいるわけではないのだが、外見は自分とそっくりな上に他の過去(・・・・)まで思い出してしまって毎回頬が引く付くのを止められない。ちなみに思い出すもなにも、その黒歴史は分身体として今も残っていることは言うまでもない。士道には絶対に会わせられない狂三の秘密の一つである。

 そんな事はどうでもいいとして、綺麗なお辞儀で狂三を出迎えたのは『狂三』だけ。一応、辺りを見渡しては見たがいつも狂三を出迎える少女の姿はなかった。特に用事は言いつけていなかったので、少女がいないことに目を丸くしてしまう。

 

「あの子の姿が見えませんけど……どうかなさいましたの?」

 

「あの子でしたら、あの霊力球体を見て何かを呟いと思えば、すぐにどこかへ行ってしまわれましたわ」

 

「……わたくしに何も言わずに、ですの?」

 

「ええ、ええ。一応、しばらく留守にするとは仰っていましたわ」

 

「それだけ?」

 

「それだけ、ですわ」

 

 ふむ、と手を口に当て少女の行動を再確認する。あの子が単独行動を取る際は明確に狂三の指示があった時か、以前のように狂三が行動する際手を出さないように言いつけた時だけだ。それ以外は、基本的に狂三の指示に従って動いてくれている。だから今回も、あの霊力球体を見て狂三の事を待っていると思ったのだが……。

 

「あの子が……珍しいですわね」

 

「この地に来てからは、あの子の発言や行動を見る度にその言葉を口にしていますわよ『わたくし』」

 

「……そうでしたかしら?」

 

 そう言われて見ればと思ったが、言われてしまうほど口にした覚えもなかった。とはいえ、天宮市に拠点を置くようになってから、以前までとは違った少女の一面を見る事が多くなったとは思う――――――どれが果たして少女の本当の一面なのか、狂三でさえ窺い知る事が出来ない。

 狂三が精霊としてそれなりの年月を渡り歩いて来た中、常に彼女の傍には白い少女の姿があった。だと言うのに、狂三は少女の事をろくに知らないのではないかと思う時がある。それがまさに今、彼女に一抹の不安をもたらしていた。

 

「あの子ったら……」

 

「あら、あら。あの子の意志を縛るつもりはないと仰っていたのに、勝手にどこかへ行かれた事がご不満ですのね」

 

「別に、不満というわけではありませんわ」

 

 ムッとした表情で言葉を返す狂三に対して、『狂三』は対照的にこれは失礼と優雅な仕草で謝罪をする――――――以前に比べて、表情が読みやすくなったものだと『狂三』は思う。

狂三(オリジナル)は誰もが知るように大胆不敵、言い換えれば〝余裕〟という鎧を纏っている。それが彼女の超然とした表情や行動に繋がる技術なのだ。が、そんなポーカーフェイスを武器とする彼女が今のようにふとした時、素の表情を見せる時が増えた。こちらは素直になっている、と言い換えて問題ないだろう。

 

 これが一体どんな殿方の影響か、などと言うだけ野暮だろうと『狂三』はクスリと微笑んだ。

 

「素直に心配なのでしょう? それとも、ご不安(・・・)なのかしら」

 

「……口が過ぎますわよ、『わたくし』」

 

「うふふ、申し訳ありませんわ」

 

 言葉とは裏腹に露ほどにも悪びれた様子のない『狂三』を半目で睨みながら、狂三は少女の不可解な行動について考えていた。

 あの霊力球体を見て少女が何かしらの目的のために動き出した、それはまず間違いないだろう。それが少女が口にする〝計画〟に関係があるのかどうか――――――いや、たとえ関係があったとして、狂三に何一つ告げないとは何事か。と怒りにも似た感情が込み上げて来る。こんな事は初めての経験だった。

 

 

「さて、さて――――――わたくしの(・・・・・)共犯者は、一体どこへ行ったのやら……ですわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「なんか、大変な事になったな……」

 

 慣れ親しんだベッドに寝転がり……思い返すと、狂三に一目惚れして、それを認められずに悶えてた時が懐かしく感じる。あの頃は若かった、などと言えるほど昔ではないが、彼を取り巻く状況は半年という歳月とは思えないほど移り変わっていた。

 デートして、狂三の正体を知って、デートして、そして再び明日からみんなとデート。字面だけを書き上げたとして、あまりのプレイボーイっぷりに半年前の士道が知ったら、絶対に現実を認めないだろうなと彼自身笑ってしまう思いだ。

 

 大変な事、と呟きはしたが士道の浮かべる表情は物事を悲観して捉えているものでは無い。むしろ、口調とは逆で少し嬉しそうにさえ感じられた。

 

「みんなとデートか……一体、どんなデートになるんだろうな」

 

 順番はクジ引き。デートの内容は自由。それぞれ自分がしてみたいデートをしてくれれば良い……それが令音の指示した内容だった。つまり、士道ではなく精霊の皆が内容を決めるという事だ。今までにない平和なデートへ、士道は内容を把握しないまま望むことになる。不安がないわけではないが、それよりも楽しさへの期待が勝るのは否定できない。もっと言えば、いつもの戦争(デート)に比べれば余程気楽というのは大きい。

 

 ……まあ、気楽すぎてもいけないわけだが。そう思いながら、ふと士道は風に靡くカーテンを開き外を見渡した。

 いつもの街並みに〝異物〟として紛れ込む巨大な霊力球体。果たして、デートをする事によって何かが変わるのだろうか。そして、狂三には気にするなと言ったが、士道は金髪の少女の事も気にかかっていた。皆にデートの事を伝え、ふと外を見た時……また、彼女は一瞬だけ現れたのだ。

 デートが始まればその事だけに集中するつもりだ。だからこそ、今彼女の事が気にかかる。一応窓から周りを見渡して見るが、その姿は見えなかった。

 

「……いるわけない、か」

 

「誰がですか?」

 

 ひょっこり。逆さの白いローブが目の前に現れた。

 

「おぉおうっ!?」

 

「おっと」

 

 あまりに突然の事に慌てた士道が声を上げて飛び退き、当然ながらベッドの上でそんな事をすれば体勢を崩して硬い地べたへ真っ逆さま……と、それより早く白い影が部屋の中へ侵入し片手で士道を支えて事なきを得た。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ。サンキュ……って、急に驚かさないでくれよ――――――〈アンノウン〉」

 

 白いローブを全身に身に纏い、その表情は外装に隠れて一度たりとも窺う事は出来ていない。識別名〈アンノウン〉。神出鬼没の精霊は、いつも突然の来訪で驚かされるばかりであった。そりゃあ、外を眺めていたら重量をあっさり無視した精霊が目の前に現れました、とか驚かない方がおかしい。

 

「……ああ、申し訳ありません。つい」

 

「つい!?」

 

「あなたは反応が新鮮なんですよ。前にも言いましたけど、我が女王は適応力が高くて驚かし甲斐がありませんので」

 

「代わりに驚かされる俺を気遣ってくれよ……」

 

 完全に面白半分のおもちゃ扱いで驚かされるのは、如何に士道と言えど遠慮願いたいものだった。その適応する前の狂三のリアクションには大変興味があったが。

 

「……で、今日はなんの用だ? まさか、脅かすためだけに来たわけじゃないだろ」

 

 ベッドから降り、改めて白い少女に向き直ってそう問いかける。少女が士道の元へ単独で訪ねに来たのは、これで二度目だ。一度目は、四糸乃の一件が終わった直後……士道へ狂三をどう扱うか、有り体に言えばそのような質問をしに来た時以来となる。狂三を通すことなく少女が来たということは、あの時と同じくそれ相応の理由があると警戒して然るべきだった。士道一人で判断出来る程度の物だと、ありがたいのだがと思わざるを得ない。

 

「私は様子を見に来ただけですよ。六人もの精霊とのデートを控えた少年がどんな様子なのかを、ね」

 

「……お見通し、ってわけか」

 

「ええ……まあ、そろそろ(・・・・)だとは思っていましたから」

 

「っ、何か知ってるのか……!?」

 

 この件について、あの霊力球体について――――――あの金髪の少女について。少女の言い方は、この一件が起こることを知っていたと言っているような物だ。詰め寄りながら声を上げる士道に、少女は肩を竦めて言葉を返した。

 

「……知る知らないで答えるなら、私は知っています。ですが今あなたが知ったところで、あなたの邪魔になるだけの事ですよ」

 

「どういう事だ……?」

 

「言葉通りの意味です。あなたは何も気にせず、女王たちとデートを楽しんでください。それがあなたの責務でもあり、ご褒美でもあります」

 

「……意味がわからん。結局、教えてくれないって事だな」

 

「はい。有り体に言ってしまえばそういう事になりますね」

 

 それなら何をしに来たんだ……と、思ってしまうのは当然の事だろう。勿体ぶって真相を語らないのは物語においてもよくある話だが、士道は今まさに勿体つけられる読み手の気分を味わっている。

 あからさまに不満げな表情の士道を見て、少女は相変わらず胡散臭い〝演技〟を重ねた声を発した。

 

「ふふっ、そんな顔をしないでください。本当に、教える方が不利益になりかねないと思っているんですよ」

 

「お前、もったいぶった言い方しか出来ないのか……?」

 

「その方が雰囲気が出るでしょう? しかし、その様子だと心配は不要でしたね。明日から頼みますよ、王様(・・)

 

「王様……?」

 

 慣れない呼び名に自分がそう呼ばれたのか疑問を浮かべ首を傾げた士道だったが、この場には白い少女と彼の姿しかない。ならば、〝王様〟という何やら大層な呼び方は士道の事を指していることに間違いはないらしい。

 

「あれ、五河琴里から聞いてませんか? 私の〝計画〟について」

 

「それは琴里から聞いたけど……それと王様、なんて呼び方になんの関係があるんだよ。俺はそんなご立派な人間じゃないぞ」

 

 少女の言う〝計画〟に関しては琴里から聞いている。少女には、何よりも優先するべき目的があること……そのためには、琴里や自分の存在は欠かせないということ。だが、その話と一体なんの関係があるというのか。少なくとも、士道は偉い立場になったつもりも、これからなる予定もない。王様、などという分不相応な呼び名は非常にくすぐったい。

 

 

「――――――本当に、そう思います?」

 

「え?」

 

「……六人もの精霊を封印し、その全ての霊力を宿す者。それが五河士道、あなたなのです。そんなあなたに何かあったら……どうなるか、考えたことあります?」

 

「それは……」

 

 

 そんなこと、考えても見なかった。今までがむしゃらに精霊を救ってきた士道だったが、今自分の身に何かあった時どうなるのか……脳裏に過ぎるのは、〝反転〟した十香の姿。もしかすれば、あの時以上に恐ろしい事が起こってしまうのではないか。

 少女の言うように霊力を宿した士道の身が危機的状況に晒された時、果たしてどうなってしまうのか。平和な生活を送っている彼女たちを、そして狂三を置いて士道に何かあれば、想像を絶する何かが起こる、そんな予感を覚え彼は息を呑んだ。

 

「……そういう意味で、あなたは〝王様〟なんです。五河士道という存在が崩れれば、そこで全てが終わります。あなた自身に留まらず、精霊も、世界も――――――当然、私の〝計画〟も」

 

「…………」

 

「それは、あなたの傍に寄り添う六人の女王にも言えることですが、何よりの〝要〟はあなたです……だからこそ、あなたが〝五河士道〟で良かったと私は思っています」

 

「……は?」

 

 また突拍子のない言葉が聞こえた気がして士道は目を丸くする。あなたが五河士道(・・・・・・・・)も何も、士道という存在は彼個人以外に何物でもない。まるで、彼という存在に他の可能性がある(・・・・・・・・)かのような言い方だった。

 

「もし、あなたという存在が〝五河士道〟でなかったら、狂三の心は今も磨り減り続けることを選んでいたかもしれない。〝五河士道〟が、あなたという精霊の希望として存在しているのは、何よりの幸運なんですよ。それだけは誰にも(・・・)確定させることは出来なかった……ふふっ、そう考えると、なんとも不思議なものですね」

 

「……何を言ってるのか、俺にはさっぱりなんだが」

 

「ええ、そうでしょうとも。でもいつかきっと、わかる時が来るでしょう。今は私の感謝を受け取ってください……あなたが相手だと、どうにも口が滑ってしまいます。さすが、精霊たらし(・・・・・)なだけはありますね」

 

「そりゃ……どうも?」

 

 褒められているのか怪しいところではあったが、とにかく訳の分からない話に頭がパンパンになってしまいそうな状態だったので、取り敢えずは受け取っておく事にした。まあ、精霊を救うために動く事が大半の士道にとっては、たらしも立派な褒め言葉になるのかもしれない。

 

 クスクスと肩を揺らして笑う白い少女が、ふと姿勢を正して真っ直ぐに士道を見つめる。やはり、その視線は真っ暗なローブの中から覗かせないままで。

 

 

「五河士道。精霊を統べる王よ。どうか御身を大事に……そして、狂三を含めた女王たちを守ってあげてください。あなたと彼女達は(・・・・・・・・)、絶対に欠かす事が出来ない唯一無二の存在なのですから」

 

「お前はどうなんだ?」

 

「……?」

 

「お前は――――――お前自身を、その守るべき存在に入れてないんじゃないか?」

 

「――――――!!」

 

 

 虚をつかれたのだろう。白い少女が、僅かに身体を揺らして驚きを顕にする。常に飄々としている少女が、士道の言葉で初めて動揺を見せた気がした。

 やはりそうだ。白い少女の言動はその都度で移り変わり覆い隠されてこそいるが、一貫して人を、狂三(・・)を想う事を第一としている。しかし、今の一言で確信した。少女の言動には、〝自分自身〟が欠けている。士道がその事を感じ取れたのは、彼自身がそう言った感情に酷く敏感だから、理解出来る(わかる)――――――少女は、自らの存在を〝否定〟している。

 

「…………そう、ですね。あなたの言う通りです。私という存在は守る必要がありません。いえ、守る価値がないと言うべきですね。ええ、誰であっても同じです。私は私という存在を、そう決定づけています。あなたも、私の事など捨て置けば良い」

 

「っ……そんなわけにいくか。お前に何かあったら迷わず助ける。狂三だって、きっとそう思ってるはずだ」

 

 思っていない筈がない。時崎狂三とはそういう人だ。口では皮肉を言いながら、心の内に優しさを秘める少女、それが狂三だ。自らに付き従う少女を、自らを女王と呼ぶ少女を、困ったものだと笑顔で口にした事を士道は忘れていない。その微笑みに隠された少女を想う心を、分からない士道ではない。

 

「……あなたも狂三も優し過ぎるんですよ。私みたいな存在は、いい様に使って利用すれば良いものを。〝物〟に余計な感情を持ち込むとろくな事になりませんよ」

 

「お前……!! 自分が何言ってるか分かってんのか!?」

 

「ええ、自分の事ですから――――――私は誰かの〝代用品〟になれるかもしれません。けれど、私という存在は必要ない(・・・・)。代役を務めることは出来ましょう。しかし、それ以外にはなれない。それが私という価値のない欠陥品(精霊)なんです」

 

 あまりの物言いに士道の方が頭に血が上り、歯軋りを抑えられそうになかった。士道はこういう事が一番嫌いだ。ここ最近で、それはもう飛びっきりのものが目の前にある。ただ淡々と強烈な自己否定(・・・・)を聞かせられて、我慢ができる士道ではない。

 

「そんなの……そんなの誰が決めたんだよ!! そんなこと、誰が決めるもんでもないだろ!?」

 

「……決まっているんですよ、生まれた瞬間から私の〝価値〟は何もないのだと、私に限って言えばね」

 

「そんな考え――――――俺が絶対認めねぇ!!」

 

 認めない、認めてやるものか。生まれた時から〝価値〟が決まっている? 冗談じゃない。そんなことあるわけがない。必要ないだの、自分はいらないだの、もう聞き飽きた。何度でも言うが、士道はそういう言葉が大っ嫌いなのだ。

 啖呵を切った士道に、ローブの下で目を丸くしているであろう少女へ続けて言葉を放つ。

 

「お前は生きてここにいる!! それだけで、お前の言う〝価値〟はある……俺は、お前に〝価値〟があると肯定する!!」

 

「……めちゃくちゃです。一体、私になんの〝価値〟があると――――――」

 

「お前は、狂三を守っている(・・・・・・・・)。それだけで、お前を守る意味はある」

 

 自分の価値なんて物、士道自身はとっくに吹っ切れている。彼は家族に、みんなに望まれてここにいる。それは少女も同じだ。少なくとも、士道は狂三を守ってきた少女を肯定する。そして、それだけで士道が少女のために何かをする理由にはなるはずだ。

 

「お前が言う〝価値〟ってやつが何なのかは分からない。けど、お前を必要としてる人間がここにいるなら、それは〝価値〟にならないのか!?」

 

「……なるでしょうね。けど――――――そうじゃないんです」

 

 首を振り士道の言葉を少女は否定する。確かに、その言葉の意味は理解出来る。彼の優しさは、少女の心に届いている――――――しかし、根本的に彼は取り違えているのだ。

 

 

「……私は自分の〝価値〟を作りたいわけじゃないんです。だってそれは――――――いつか、無意味になると決まっているものだから」

 

「無意味になるって……!!」

 

「……うん。でも、ありがとう」

 

 

 少女のような存在を気にして、怒りという優しさを向けてくれる少年。そんな少年に、少女は純粋な感謝を覚えた。

 たとえそれが――――――初めから意味を持って生まれた、少女と真逆の少年から受け取った言葉だとしてもだ。

 

 

「君は、本当に優しいんだね――――『  (士道)』」

 

「……っ!?」

 

 

 少女に名の部分だけを呼ばれたのは、初めての事だった。だが、士道の動揺はそこではなかった。白い少女の声に、何故か脳を揺さぶられるような衝撃を覚えた。自身の根源(・・)を殴りつけられるような、そんな感覚。何より、少女は本当に自らの名前だけを呼んだのか? 何かが、あった。

 

 自分であって自分のものでは無い。しかし、己の中に眠る〝何か〟を呼ぶ名が、そこにあった気がしたのだ。そしてそれは、いつも(・・・)呼ばれている名前のようで――――――

 

 

「……では、今宵はこの辺りで失礼いたします。またお会いしましょう、五河士道」

 

「お、おい!!」

 

 

 突然の衝撃に襲われた士道が止める暇もなく、少女は平時の口調に戻り窓の向こうへあっさりと姿を消した。士道が慌てて外を覗く頃には、もう少女の後ろ姿さえ見失っていた。

 

 初めて、少女の心に触れた気がした。彼女の奥深くに眠る闇のように深く暗い感情を見て――――――士道は、無性に愛しい少女(狂三)と話がしたい。そう、思った。

 

 

 

 







お前は誰だ、俺の中の俺ー(違う)
少女と少年は共有する存在は同じだとしても、知っているものと考えまでは同じではない。
ここに来て白い少女の心に踏み込んだ士道。さて、これからどうなっていくのか。ある意味で次の章が控えたあの子とは違うタイプの究極のネガティブ娘です。果たして少女にはなにが見えているのか。

次回はもっと少女に踏み込んだお話になります。お相手は……次回をお楽しみに! 感想、評価などなどお待ちしておりますー


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第五十四話『不可視の観測者たち』

2日投稿にすると早すぎる気がするけど3日投稿にすると先に先にと完成して既に3話先まで出来ている図。そんなこんなでとある二人の不思議な旅をどうぞ


 

「インカムなしのデートなんて久しぶりだな……不安はあるけど、気楽と言えば気楽か」

 

 そもそも、最近はデートと言うには少し過激な物が多かったので、本当にインカムなしのデートは具体的に言えば狂三との最初のデート以来、という事になる。ちなみに普通のデートにインカムなどというものは当然ながら必要ないので、そちらに慣れている士道が異色というのは否定できない事実である。

 初日のデート。クジ引きで最初に選ばれたのは耶倶矢。最速の八舞が一番というのは、らしいと言えばらしい。今回は珍しく姉妹揃ってではなく、二人が別々に士道とデートすることになっている。士道も新鮮だが、耶倶矢側も普段とは違った感覚を味わえて良いだろう。無論、姉妹揃ってが似合う事も否定しないが。

 

 少し早めにデートの待ち合わせ場所へたどり着き、携帯端末で時間を確認して遅れがないことを確認する。デートに男の側から遅刻など言語道断。司令官兼妹の琴里と『恋してマイ・リトル・シドー』という蘇る悪夢から散々学んだ事である。お陰様で、時間厳守が身に染み付いて離れないのだ……狂三が時間を気にしそうな子、というのが関係していることは否定しない。時間を操る精霊だけに。

 

「……しかし」

 

 空を見上げれば、相も変わらず彼の視界一杯に広がる半透明の球体。こんなものがあれば、普通は騒ぎになって然るべきなのだが、これは士道と狂三にしか見えていないのだからいつ見ても不思議な光景だった。

 

「大分慣れてきたけど、やっぱ落ち着かないもんだよな……それに――――――」

 

 それに、白い少女……〈アンノウン〉の事が、あの球体を見るとどうしても頭に浮かび上がる。少女は間違いなく、あの霊力球体の事を知っている。知っていて士道にその事を教えないのは、少女なりの考えがあるのだと納得は出来る。しかし、その後の出来事については彼に納得などできようはずもない。

 〝女王〟とは今まで狂三一人を指すものと思っていたが、どうやら少女にとっては〝精霊〟という存在を〝女王〟と称しているらしい。そしてその中に、同じ〝精霊〟であるはずの白い少女は含まれていない。それどころか、自らを必要ないと言う自己否定(・・・・)

 

 ――――――自らを〝殺す〟。その意味は、人も精霊も理由は千差万別だった。少なくとも、士道が見てきた彼女たちはそうだ。

 

 世界の、人の美しさを知り、自らが起こす災害を憂いて消えようとした十香。

 目的のために非情になろうとし、優しさを抱いた自身を砕こうとした狂三。

 精霊を殺すため、引き金を引く事で罪を背負い心を殺そうとした折紙。

 お互いを慮るが故に、お互いを偽りお互いを生かすため、自らの消滅すら厭わなかった耶倶矢と夕弦。

 

 白い少女は、そのどれでもないのかもしれない。少女から感じたのは強烈な自己否定……自らを価値がないと断言する歪な精神性。その価値を必要ないと切って捨てた少女はまるで――――――終わり見定めている(・・・・・・・・・)、そんな風に思ってしまう。

 

「――――――士道ー!!」

 

「っ!!」

 

 思考の海に潜っていた彼を引き戻したのは、彼の名前を呼びながら手を振り走ってくる耶倶矢の姿だった。すぐに思考を切り替え、笑顔で手を振り返し耶倶矢の元へ歩き出す。

 気になる事は多い。だが、今何より優先すべきことはデート相手のことだ。みんな自分とのデートを楽しみにしているのだから、士道だってそれに報いる事が出来る心持ちでいなければならない。

 

 そう、一人だけに拘らず大切な皆に視線を……()を向けられる恐ろしい才能が、少女が〝五河士道〟があなたで良かったという理由の一つであると、彼自身が気づくことはないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜色の瞳が二人を見つめていた。万人が美しいと称するであろう顔立ちと、特徴的な金色の髪。彼女という存在は、間違いなく人の目を引くはずだった。だと言うのに、人間は誰一人として彼女を観測する事が出来ない。その存在感を考えればありえない少女が、遠巻きに士道と耶倶矢を見定めるように観察していた。

 

 宝珠のように透き通るとんぼ玉のイヤリングが揺れて、小さく甲高い音を鳴らす。誰もが彼女を見遣る事すらしない中――――――

 

 

「こんにちは、で良いですかね」

 

「…………」

 

 

 ただ一人だけ、〝白〟が彼女を観測した。いつの間にか彼女の後方に降り立った白い少女へ視線を向け、相対する。

 観測されぬ者と、観測を殺す者が、向かい合う。

 

「あなた個人に対しては、初めましてと言わせてもらいます――――――システムケルブ」

 

「……!!」

 

 〈システムケルブ〉。その単語を聞いた瞬間、表情を変えることがなかった彼女が僅かに目を見開いた。

 

「そう警戒しないでください。私はあなたの役割を邪魔するつもりはありませんよ。そんな必要、ありませんしね」

 

「なら、あんたは何をしに来たの」

 

 今度は白い少女は僅かに目を見開く番だった。とはいえ、それは本人にしか分からない事ではあったが。彼女が……〈システムケルブ〉の管理人格(・・・・)が少女と言葉を交わすとは思っていなかった。まあ、彼女の由来(・・)を考えればおかしなことではないか、と少女は言葉を返す。

 

「……あなたが果たすべき使命。〝器〟に対する審判。それを、共に見届けてもよろしいでしょうか?」

 

「勝手にすれば」

 

「……えらく了承が早いですね」

 

 聞いたのは私ですが、と若干の困惑を漂わせる白い少女に対して、尚も金髪の少女はサバサバとした声を発して言葉を返した。

 

「私がすべき事に不都合がないなら、それで良い。あんたは色々とはぐらかすけど、こういう時に嘘ついたりはしないでしょ」

 

「……? まあ、確かに嘘ではありませんけど……」

 

 小首を傾げたのは、単純にそこまで自身の事を彼女が知っていることに対して。彼女の生まれを考えれば白い少女の事を知っているのは当然なのだが、あの六人(・・・・)の中にそこまで少女を把握出来ている人物がいたのか、そこに違和感を感じたのだ。

 とはいえ、その疑問を解消する時間はないらしい。少女の返事にさっさと踵を返して士道たちの後を追う彼女を、白い少女はそれを追いかける形で続く。やはり、二人を観測出来るものは誰もいなかった。

 

 

 共に見届ける。そうは言ったものの、実のところ普段とやる事は何も変わらなかった。五河士道と精霊のデートを見守る。違いといえば、狂三との通信がない事と、いつものような介入の心配なく安心して見届けられるというところか。

 そしてそれは、〈システムケルブ〉の管理人格である彼女も同じこと。ただ二人が通った場所を、なぞるように(・・・・・・)歩んでいく――――――それが必要な事なのか、はたまた彼女個人の意思なのかはまだ分かりかねることではある。

 

 

 ――――――〈システムケルブ〉。

 

 言うなれば世界側の装置(・・・・・・)。根源である〝彼女〟から零れ落ちた物を素体とし、構築された管理システム。

 その目的はただ一つ。霊力が一箇所に一定以上集中した場合、その者が霊力を持つに相応しいかジャッジ(裁定)すること。無論、一箇所とは言うまでもなく〝器〟である五河士道に他ならない。封印された六人の霊力を元に融合し、顕現した管理人格という審判者がそれを見定める。万が一、士道が失敗、つまりは相応しくないと判断された時は……少女の真上に浮かぶ、霊力球体が本来の姿を現すという算段だ。

 

 まあ、その正体を知っている白い少女にとっては、何ら警戒するものでもない。そもそも、霊力を持つに相応しくないような人間ならば、彼は今頃狂三の〝餌〟になって存在すらしていない。いや、それ以前に精霊を封印することさえ出来なかっただろう。

 

「お、おかしい……ヤングでナウいプールバーじゃなくなってる……」

 

「俺たちにはバーなんて早すぎるよ。ここで遊んで行こう、な?」

 

「あっ……うん!!」

 

 今だって、耶倶矢が立てた計画がなかなか上手くいっていないのを自然な形でフォローし、二人らしいデートを築いている。その様は、初めの頃に比べると頼もしくなり過ぎだと言いたくなってしまう。

 

 それは――――――女王たちから生まれた(・・・・・・・・・・)、管理人格の彼女にとっても同じな筈だ。白い少女に言わせれば〝茶番〟に等しい。〝彼女〟が今回のシステム起動に何の動きも見せないことからも、この現状は織り込み済みということだろう。だから、少女にとって重要なのはこの審判そのものではない。重要なのは――――――

 

「あら……」

 

「……一人目、合格ね」

 

 宝珠が、色を変える。それは一人目のデートの終わりと共に起こった現象。どうやらトラブルらしいトラブルはなく、耶倶矢とのデートは彼女、ひいては世界のお眼鏡に叶ったようだ。

 

「……これが、本当のデートらしいデートなんでしょうねぇ」

 

「今まで見たことなかったような言い方ね」

 

「生憎、過激な物にしか縁がありませんでしたのでね。実物(・・)を見るのは初めてかもしれません」

 

 少女が見てきたデートと言えば、最終的には過激なものになったり精霊の力が暴れ回ったりと、大体は戦争(デート)ありきのものだったので、完全にそれがないデートを見届けるのは初めてのことだった。それが彼の資質を見極めるための試練というのは、些か皮肉を感じざるを得ないが。

「変なやつ。知ってて当たり前の事を知らないのに、誰も知らないようなことは知ってるなんて」

 

「生まれ方があなた以上に特殊(・・)なものですから。余計な知識ばかりがあるんですよ」

 

「ふぅん」

 

 直球に変なやつと言った割には興味なさげな空返事。今までにないタイプだと少女は苦笑する。

 

 実のところ少女は、平和なデートというのを知らないわけではなかった。ただ、それは自分のものではない知識(記憶)が由来のもの。決して、自らの物とは言えないデートの風景。主観から外れた知識。

 

 〝彼女〟が持っている――――――大切な記憶(デート)だった。

 

 

 

 

 二人目は誘宵美九。よくよく考えれば、美九という精霊は少し特殊な――精霊相手は大体特殊だったが――流れで士道にデレたので、デートというデートは行っていない事を少女は思い出した。そういう訳で、士道と美九がどういったデートをするのか特に気になっていた。

 

 ――――――ので、目の前の光景に唖然とするのも無理はなかった。

 

「……なんで、そうなるんですか」

 

「知らないわよ」

 

 素朴な疑問は一刀両断である。まあ、誰に聞いたところで似たような返答しか帰って来ないだろうが。

 人集りが出来ている理由は分かる。美九は顔出しを解禁した事もあって、今や天宮市で知らぬ人などいないスター的なアイドルなのだ。だが、その隣を歩く美少女(・・・)も、人集りを作っている原因の一つなのは言うまでもない。

 

 何故か、五河士織(・・・・)が、デートしていた。

 

「……いいんですか、あれで」

 

「良いんじゃないの。本人が楽しんでるんだし」

 

「判定が緩いですね……」

 

 ……まあ、本人を楽しませるというか、精霊を愛しているか(・・・・・・・・・)を判断する試練なので、恥を忍んで美九とデートに望むのは正しい姿を言えるかもしれない……言える、のだろうか?

 その是非は分かりかねるが、少なくとも白い少女にとってまた一つ、誘宵美九という人物がよく分からなくなった瞬間であった。美九の中では士道は士道、士織は士織という判定でどちらであろうが嬉しいということ、なのかもしれない。

 

 取り敢えず、着せ替え人形と化した士織の姿は写真に収めておくことにした。

 

「何してんの」

 

「後で渡したら色々と狂三が有利になるかな、と」

 

「……あんた、士道に勝って欲しいんじゃなかった?」

 

「それはそれ、これはこれです」

 

 呆れた視線を寄越す彼女を他所に、気づかれないからとやりたい放題である。個人的に楽しいとか、そういった感情はないのだ。多分。

 

「知らないわよ。狂三が士道を女装させる趣味に目覚めても」

 

「……縁起でもない冗談言わないでくださいよ。彼、シャレにならないくらい女装が似合ってるんですから」

 

 事が終わってから送りつけたら大変面白そうだと思ったが、彼女の言うことが妙にリアリティがあって恐ろしくなる。狂三を特殊な性的嗜好に目覚めさせる趣味は少女にはない。あってたまるかそんなもの。

 

「や――――やめてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「……似合ってますねぇ」

 

「うん、似合ってる」

 

 美九が更衣室に飛び込み、強制的に着替えさせられる士織の悲鳴を聴きながら、しみじみと二人は呟くのであった。普通は逆だ、というツッコミは入れ飽きてしまったのかもしれない。

 

 

 宝珠の色が、再び変わる。二人目――――――クリア。

 

 

 

 三人目は四糸乃、及びいつも変わらず彼女の手に装着されているパペット、よしのん。場所は、白い少女にとってはあまり馴染みのない神社だった。このデートは士道ではなく精霊たちが何をするかを考えていたはず。つまり、ここは間違いなく四糸乃の選んだ場所、という事になる。

 少女には皆目見当もつかない場所だったが、やはり管理人格の彼女には分かっている事らしく、首を傾げる少女へ向けて声を発した。

 

「四糸乃が士道……それに狂三と初めて会った場所。あんたは狂三から聞かずじまいだったから、知らないのも当然か」

 

「なるほど、あの時の……って、なんであなたが私と狂三の会話を知ってるんですか」

 

「さあ。何となく、そう思っただけ」

 

 ぶっきらぼうに、それでいて不思議と不快感は感じない不思議な口調で淡々と彼女は語る。妙に噛み合っているような噛み合っていないような会話だったが、少女は確かに狂三から四糸乃と会った時の詳細は聞きそびれていた。狂三の単独行動の癖が出た時の事なので、会話はよく覚えていたがそれを彼女に指摘されるのは少しおかしいのだ。彼女は、六人の精霊(・・・・・)から生まれたのだから。

 

 ……ちなみに、単独行動に関しては現在進行形で白い少女が行っているので決して人の事は言える立場ではなかったりする。

 

「……なんか引っかかりますね」

 

「たまには良いんじゃない。隠される側の気分を味わうのも」

 

「……それは、たまに味わう貴重な体験ではありますね」

 

 狂三ならここで良い皮肉の一つでも思いついて返すのだろうが、少女はそういったことは所詮見様見真似の演技でしかないので上手いこと返せそうにはなかった。一本取られたままこれで精一杯、というやつだ。

 

 四糸乃のデートは、ただ神社で一日士道と様々な遊びをすること。幼い少女らしく可愛らしい、彼女自身の思い出を含めて大切にする四糸乃とよしのんらしいデート。思わずローブの下で微笑んでしまうほど、それは幸せで平和な光景だった。

 このデートでも管理人格の彼女がしたことは、変わらない。二人の遊びをなぞるように歩み、二人が引いた〝おみくじ〟と同じものを引く、それだけ。

 

「…………」

 

 だが、〝おみくじ〟の中身を見て僅かに表情を綻ばせた彼女を見て、少女は考えていた疑念を確信に近いものにした。

 

「……結んで行かないんですか、それ」

 

「必要性を感じない。私がどういう風に出来ているか、あんたは知ってるでしょ」

 

「……ええ、そうですね」

 

 〈システムケルブ〉がどういうものなのか、少女は殆ど把握しているつもりだ。彼女が言うように、どういう風に出来ていて役割を終えた時にどうなるか(・・・・・・・・・・・・・)まで。

 だからこそ――――――あまりに報われない想いを感じてしまう。

 

 

「一つ、聞いても良いですか?」

 

「なに」

 

「……人の記憶を持って生まれて(・・・・・・・・・・・・)、あなたは何を思いました?」

 

 

 少女の問いに眉を上げ、少し驚いたような表情を見せる。突然そんなことを聞かれれば、当然といえば当然の反応。しかし、少女はそれが最初から気にかかっていた。

 〈システムケルブ〉の管理人格は精霊の情報、霊力を束ねて生み出される存在。つまりは生まれながらにして、精霊たちの記憶(・・)を持っているという事になる。そんな彼女が……少女と似た(・・・・・)彼女が何を思うのか、知りたかった。

 思うところがあったのか、脈略のない問いに困惑したのか、それは分からないが数秒間を空けた彼女は、それでも少女の言葉を無視することはせず声を発した。

 

「別に……私はそうして生まれたから、それも私だと受け入れるだけ。私を構成するものとして、彼女たちの〝想い〟は必要だもの」

 

「……そう。あなたは、強いですね」

 

「あんたは違ったの?」

 

「え?」

 

「その言い方。自分は違ったって言ってるようなものじゃない。答えたくないなら、何も言わなくて良いけど」

 

「……いえ、その通りです」

 

 少し偉そうに聞こえるが、実態は少女を思いやりながらの言葉。その事に気づいて少女は彼女の優しさに笑みを浮かべる。ああ、確かに彼女は精霊から生まれた存在なのだと、感じられた。

 ポツポツと、少女は誰にも話した事がない己の事を語る――――――どこかのお人好しの少年のお陰で、かなり口がゆるくなっているらしいと皮肉げに笑いながら。

 

「……私は、〝彼女〟の記憶を主観的に受け止められなかった。ああ、ただそういう事があったんだなと(・・・・・・・)、客観的に受け止めてしまった。私なりに感じるところはありましたけど、それだけです」

 

「…………」

 

「……だから、私が生まれた先には何も無かった(・・・・・・)。あなたのような生まれながらの義務や使命はなく、構成する〝想い〟を受け止めることもなく、私は生きてしまった」

 

 それが果たして正しかったのか、間違いだったのか、白い少女は今でもその答えを見つけていない。答えが出ることを、望むことはない。

 

 

「……それからどうやって生きていたか、あまり覚えはありません。大して重要でもありませんしね。まあ、生まれたからには〝彼女〟の手伝いくらいはして、報いるのも悪くないと思った気はします。私個人は、〝彼女〟に謝恩を感じていますから」

 

「ああ――――――その時に、あんたは」

 

「ええ。その時に、私は――――――生まれながら目を背けていた、〝罪〟を見ました」

 

 

 知っていた。知っていた筈なのに。知っていてなお、ああそういうものなのか。そうやって、勝手に目を逸らして生きていた、それが一つ目の〝罪〟。

 そうして目を逸らした先で、あらゆる悲劇が起こされていた。それを止めようとすらしなかった、止めようとも思わなかったのが二つ目の〝罪〟。

 三つ目――――――引き起こされた悲劇の果てに、少女はあの子を見つけた。

 

 美しい、人を見た。理不尽な行いを、見た。

 

 

「……それから、私は〝私〟という存在になった。ぶっ壊れたのかもしれませんね、元から出来損ないだと言うのに」

 

「それは……」

 

「……ま、同情とかそういうのがなかったと言えば嘘になりますよ。でも、あの子に起こった理不尽を許せなかったのが大半なのと――――――」

 

 

 美しい人を見た。それはつまるところ――――――

 

 

「有り体に言えば、あの子に一目惚れ(・・・・)でもしちゃったんでしょうね」

 

 

 きっと、あの少年と大差がないのだろう。

 

 

「――――――く、ふふっ!!」

 

「……やっぱダメですかね、こういう理由」

 

「ふふふっ。みんな似たようなものだし、悪くないんじゃない?」

 

 

 彼女が可笑しそうに笑うのを見るのは、多分少女が初めてて、少女が最後(・・)なのだろう。

 ともかく、少女の行動理由はあの少年と大差がないのだ。それが親愛か愛情かの違いはあれど――――――両者ともに狂っていることには変わりない。

 

「……今の話、あの子には内緒にしてくださいね。きっと、あの子は私という存在を許す事が出来ないでしょうから。あの子に撃たれるなら、それもまた〝是〟ではありますが」

 

「許す許さないはあいつに任せるけど、心配しなくても誰にも言わない。言う機会もない、でしょう?」

 

「……そうかも、しれませんね」

 

 結局、彼女と少女が行き着く先は同じ(・・)。後か先かと、そこに至るまでの過程が違うだけ。けれど――――――結末は同じでも、彼女がそれだけ(・・・・)で終わるのは、理不尽だと思った。

 

 宝珠の映す色彩が移り変わる。三人目も、クリア。

 

 

 

 四人目は夕弦。今回は耶倶矢と別々のデートという事もあり、デートプラン自体は全く別のものになっている。だが普段とは違う装いを気にする反応は、全くもって同じで姉妹らしいと微笑ましさを感じてしまう。

 そういう訳で夕弦が選んだ一件目の店は――――――

 

「…………すっぽん?」

 

「まむし」

 

 その他、〝強力〟やら〝精力〟が書かれた看板。はて、なんの事やらさっぱり……と言いたいところではあるが、少女にはとある一人の人物の顔がめちゃくちゃ頭に思い浮かんでいた。非常に嫌な予感がする。

 幸いにも夕弦が即座に場所を変更し、良い雰囲気で事なきを得た……その更に後の、二軒目。

 

「…………スタミナ、にんにく」

 

「元気バクハツ」

 

 もう正しい意味合いに聞こえるわけがない。間違いなく狙っている。何を、と言えば士道のナニを、である。

 ……確か、耶倶矢は雑誌を参考にデートプランを立てていた筈だ。それと似たような事を夕弦がしたとして、この狙ったような店のチョイス。自ずと答えは浮かび上がってくる。

 

「……鳶一折紙ですね」

 

 誘宵美九の一件でまだ自衛隊の病院に収容、もといむちゃくちゃのツケとして周りに監視されている折紙。大方、夕弦の相談を利用して最終的には自らの元へ誘導する気なのだろう。こと手段を選ばないという意味では、狂三を遥かに上回るのが折紙という少女である。全く競り合う必要が無いのは言うまでもない。

 

「……ん」

 

 そうして少し面倒な事になったと頭を抱えていた少女が、彼女の姿が近くにないことに気づいて辺りを見渡す。見失ったか、と少女は一瞬思ったがあっさりと彼女の姿は再発見出来た。場所を変更し士道と夕弦が訪れた百円ショップ中、そこに立てられた鏡の前に何故か彼女はいた。

 

「そんなところで何して――――――」

 

 自ら言葉を遮り、少女は動きを止める。士道たちはとっくにいなくなっているし、追いかけなければならないのではないか――――――いや、精霊たちから生まれたというのなら、逐一観察しなくとも結果は分かってしまうのだろう。本来、近くで見る必要はないのかもしれない。

 

 だから、今彼女が取っている行動に意味はない。けれど、今彼女が取っている行動に意味はある。使命とか、義務とか、そういったことでは無い意味が。

 そのネックレスは、価値だけで見れば誰でも手に入るような安いものだった。しかし、夕弦が請願し士道に送って貰った(・・・・・・・・・)物として、何物にも代えがたい最高級の価値がある。

 

 同時に、それと同じ物を鏡の前で自らに掲げる彼女の心は――――――少女がそうやって話しかけたところで認めないのは、目に見えていた。

 

「……強情な部分があるなら、果たして誰譲りなのやら」

 

 肩を竦め、色が変わった(・・・・・・)イヤリングを少女は見遣る――――――四人目、終了。

 

 

 

 五人目は五河琴里。士道が封印した精霊六人の中で、少女が最も重要視している人物。そんな彼女が選んだデートは――――――日常。

 

「普段と違うことをするのがデート、か……」

 

 琴里が士道に言った言葉。その言葉とは裏腹に、琴里が選んだのは士道との買い物、夕食の調理、などのありふれた日常だった……いや、もう琴里の中で、士道と共に過ごす〝生活〟というのは普段はしないこと(・・・・・・・・)になってしまっている、ということだろう。

 精霊攻略が始まってから、五河琴里という少女は自分自身の恋心を抑え、〈ラタトスク〉司令官としての立場で士道と向き合う事が大半なのだろう。不条理に押し付けられた精霊としての力、それに押し潰される事なく常に精霊を救うため戦ってきた。

 そんな気高い精神を持つ琴里が選んだのが、士道と過ごす何気ない日常という名のデート。

 

「――――――やっぱり私も持つ!!」

 

「お、おい……」

 

「良いでしょ、おにーちゃん!!」

 

 黒色のリボンは、彼女の強さの証。白色のリボンは、素直さを見せる彼女の優しさの証。どちらも琴里であり、士道はもうそれを知っているからこそ笑顔で彼女の提案を受け入れる。

 買い物袋を仲良く二人で分け、手を繋いで帰路につく。そんな何気ない日常の中の五河琴里の笑顔を見て、少女は無意識のうちに安堵の息を零していた。

 

「……良かった」

 

 こういうのを、心の底からホッとしたと言うのだろうか。そんな風に声を発してしまったものだから、チュッパチャプスを口に含んだ――ちゃっかりニューフレーバー――彼女にジッと見つめられる結果になったのだが。

 

「……何か?」

 

「あんたって、琴里には特別甘いのね」

 

「……そうですか? 五河琴里が色々と重要視すべき人物だから、そう見えるだけだと思いますけど」

 

「狂三とは違うタイプだし、ストライクゾーンが広いって事ね」

 

「人の話を聞いてくださいよ」

 

 淡々とした表情で人を気が多い人みたいに扱うのはやめて欲しい。別に少女は琴里個人を贔屓しているわけではなく、彼女の置かれた境遇や立場を考えて他の精霊よりも重要視しているというだけだ。

 

「狂三から浮気するなら、それも内緒にしといてあげる」

 

「あなた意外とシャレを言うタイプなんですね……ご安心を、私の恋愛対象は男の方です」

 

「士道?」

 

「ノーコメント」

 

「隠さなくたっていいのに」

 

「……ノーコメント」

 

 そんなたわいのないやり取りをしている間に、もう何度目かの煌めきを見る。五人目も無事に終了。最後は、奇しくも士道の手で最初に封印された精霊、十香。

 

 

「次で、終わりですね」

 

「そうね」

 

「……良いんですか」

 

「良いも悪いもない。それが、私という存在だから」

 

「はっ……最初から〝意味〟があるというのも、良い事ばかりじゃありませんね」

 

 

 吐き捨てるように呟いた少女の言葉に、彼女は目を瞑るだけで声を返すことはない。

 

 〈システムケルブ〉が為すべき事は一つ。〝器〟の監視、それが果たされた時――――――彼女は自らを構成する要素を消し去り、消滅する。

 役割が終われば、ただ消えるのみ(・・・・・・・)。誰に見届けられることも、報われることもなく、彼女は消える。それは初めから決まっている事であり、覆せるようなものでもない。

 

 消える事を知っていて、ただ無感情に役目を果たすような人物であったのなら、少女はこの憤り(・・)を感じなくて済んだのだろうと思う。

 

 この数日間、彼女と共にいて、話して、少女はやはりどうしても、何度でも――――――理不尽だと、感じてしまったから。

 

 

 

 

 

 試練は残り一人――――――そう、白い少女でさえ思っていた。

 

 

 

 






一体いつから――――メインヒロインのデートを用意してないと錯覚していた。

今回かなり珍しく分身体すら出番がなかった反動含めて次回は丸ごと狂三のターン。ついでに言えば前編後編形式で前編は丸ごとって感じです。比較的短くなるって言ったな、あれは(想定のガバさ的な意味で)嘘だ。

即興な二人の不思議で面白おかしな二人旅。かなり深い部分まで踏み込んだお話をしました。でも〈アンノウン〉は初めから答えを常に提示してるんですよね。全ては我が女王のために、と。少女の出自、数えた己の罪。段々とみなさんも予想がついてきたかもしれませんね。今までは傍観者、補佐役の面が強かった少女は、管理人格の彼女に対し何を想い、どんな行動をするのか。

みんなのデートの詳細は万由里ジャッジメント本編をよろしくお願いします、めっちゃ面白いしめっちゃ面白いよ(筋肉バカ並の感想)。あとガバッて入れ損ねていたデート・ア・ライブ七巻『美九トゥルース』も是非に。

感想、評価などなどどしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第五十五話『星降る夜の二人-前編-』

もう何度目かのメインヒロインの時間だオラァ!!多分この小説が完結するまで進行しながら繰り返すんでしょうねこれ。メインヒロインだからね、正当な権利だね。




 

 

「……!!」

 

 ふと、目が覚めた。などという定番のセリフが浮かんでしまうほど、休眠していた士道の意識はハッキリと、スムーズに覚醒状態へと移行した。

 素早く時刻を確認する。ちょうど、日付が変わったばかりだった。本来なら、彼は六人のうち最後の十香とのデートに備え、この冴え切った頭を休ませるためにもう一度眠りにつく必要がある。

 しかし、士道はそれをせず素早くベッドから降りると、寝間着から軽く着替えを済ませ部屋から出ていく。もちろん、眠っているであろう琴里のことは起こさないよう足音を立てず静かに行くことは忘れない。確信に満ち溢れた士道は、この先に待つ人物が誰なのか考えなくてもわかる。彼がわからない筈がない。

 

 さあ。少し遅めだが――――――星降る夜の、素敵なデートをしよう。

 

 外へ出ると、辺りの電気という電気は軒並み消えており、照らすのは設置された街灯に相変わらず重力を完全に無視して浮かぶ霊力球体のみ。

 

「……よう。こんな夜中に女の子一人じゃ、危ないぜ」

 

 だが、士道は迷うことなくその暗がりの中で一点だけを見つめていた。街灯に照らされた一点の光――――――それを呑み込む、漆黒の影。

 

 

「――――――くるくるみ、っと」

 

 

 舞うように影から姿を現す、絶世の美少女。この世のものとは思えない紅と闇に彩られた煌びやかなドレス。何百回見ても美しいという言葉以外が浮かび上がらない、紅と文字盤を宿した金の瞳。

 狂三。時崎狂三。五河士道が愛してやまない〝精霊〟。今一度髪を軽く払う仕草をし、彼女は士道と相対した。

 

「夜分遅くにごきげんよう、士道さん……士道、さん?」

 

 そんな美しく超然とした狂三が、彼の名前を二度も呼び、二回目に至っては疑問符がついている発音で目をぱちくりと瞬かせて呆気に取られていた理由は、もちろん士道の〝奇行〟にある。

 何故か、折紙を思い出させる完璧なフォームでカメラを構えていた。流石に折紙ほど準備は出来ていないのか、携帯に搭載されたカメラではあったが、最近の端末は優秀なのでさぞ綺麗な画質で霊装姿の狂三のが収められていることであろう。ではなくて。

 

「……何をしていらっしゃいますの?」

 

「ワンモア」

 

「はい?」

 

「今の、もう一回、お願いします」

 

 何やら恐ろしく凄味がある言葉だった。表情は折紙を思わせる無味乾燥なものなのに、少し興奮しているようにも感じられる。ていうか折紙が乗り移ったと言っても信じられる圧力を感じた。少なくとも、狂三が顔をひくつかせながら一歩後退るくらいには。

 

「…………お、お断りしますわ」

 

「そこを何とか、一回で良いから」

 

「嫌ですわ。今のは出血大サービスという物ですの。また一年後にお見せいたしますわ」

 

 嘘である。二度と見せるつもりはなかった。テンションが上がった狂三の一夜限りの過ちというやつである。昔に比べて様になっているとはいえ、冷静に求められると意外とキツい時があったりするのは本人談である。

 

「そ、そんな殺生な……鬼!! 悪魔!! 狂三!!」

 

「そこまでですの!? 意味がわかりませんわ!!」

 

 意味がわからない主張に流石の狂三も冷静さを失って叫び返してしまう。いや、本当に意味がわからなすぎるが、狂三の安易な行動が士道の奇行を招いてしまったので巡り巡って自分が悪いということなのでは……? と、狂三が過去最高に混乱を極め始めたところで、士道がようやく落ち着きを取り戻して端末をポケットにしまい込んだ。

 

「……すまん。狂三が可愛すぎて取り乱した。もう大丈夫だ」

 

「それは幸いですわ……?」

 

 やっぱりちょっと様子がおかしい気がしたが、やぶ蛇を突っつく趣味がある訳では無いので多分大丈夫だろうと思うことにした。人は時にスルースキルを使う事が大切なのである。

 コホン、と不意打ちで可愛いと言われて赤らんだ顔と状況を誤魔化すように咳払いをして、狂三は声を発する。

 

「ごきげんよう、士道さん。こんなお時間ですが、わたくしに付き合っていただけませんこと?」

 

「いいぞ、デートだな。大歓迎だ」

 

「……わたくしが言葉にするのもおかしな話ですけれど、よろしいんですの?」

 

 日付が変わった今日、士道には十香とのデートが控えている。プランを立てるのは十香とはいえ、士道も相応に体力を残しておかねばならないはずだった。

 

「今日は元から早めに寝たからな、少しくらいなら平気さ。ていうか、そう思うならなんでこんな時間に――――――」

 

こんな時間に(・・・・・・)。それは、二度目(・・・)の疑問だった。一度目が思い浮かんだのは、状況に強い既視感を覚えたからだ。

あの時(・・・)に呼び出された時間は日付が変わる丁度の時間。今回、狂三が士道の元を訪れたのも日付が変わった瞬間。そしてもう一つ、両方とも――――――琴里とのデートがあった日だ。

 

「ああ……そういう事か」

 

 やっとわかった。まさか、数ヶ月越しにあの時間指定の謎が解けるとは夢にも思わなかった。偶然とはいえ、状況の一致に感謝するべきなのだろうと、士道は狂三の気遣い(・・・)を含めて微笑ましいものを見る笑みを浮かべた。

 

 簡単な話だ。日付が変わるまでは琴里のデート(・・・・・・)の時間。そして、日付が変わってから始まるまでが士道の空き時間(・・・・)。つまりは……健気で可愛らしい、時間を司る精霊のささやかな心遣い。誰に言うこともないであろう、少女らしい誘い方だった。

 

「……お前らしいな。お前のそういうとこ、俺は好きだよ」

 

「さて、なんの事を仰っているのか、わたくしにはさっぱりですわ」

 

 そうやって自分の優しさを認めようとしないところもまた、強情な狂三らしいと士道は苦笑する。士道が気づいたことくらい、狂三にはお見通しな筈だろうに。彼がそんな笑みを浮かべたのを見て、僅かに表情を変えた狂三が言葉を続ける。

 

「士道さんがお気づきになられないなら、諦めて帰るつもりでしたわ。でも士道さんったら、簡単に気づいてしまわれるんですもの」

 

「最近は第六感を鍛える事にしててな。狂三の場所くらいならすぐにわかるさ」

 

「あら、あら。素晴らしいですわ、素晴らしいですわ。流石は士道さん、頼りになりますわぁ」

 

「はは、懐かしいなそれ。最初の頃を思い出すよ」

 

 士道が何かするたびにおだててくれたのは、狂三と会って二回目の時だった。あの頃は狂三の雰囲気に圧倒されるばかりであったが、気づけばこんな風に話す仲になったのだから人生というのはわからないものだ。

 

「うふふ、覚えてらしたのですね」

 

「俺が狂三とのこと忘れるわけないだろ。いや、忘れさせてくれないの間違いか」

 

 忘れようと思って忘れられるほど軽い記憶ではない。士道が生きてきた人生の中で、この半年は今までを圧倒できるほど〝濃い〟出来事ばかりだった。

 さて、これからどうするか。どこかへ行こうにもこの時間だ。さして遠くには行けないし、何より遅くなりすぎると十香とのデートでトラブルが起きてしまうかもしれない。と、なると士道が取れる択はそう多くはなかった。

 

「あんまり時間は取れないけど……今日は、話をして行かないか?」

 

「構いませんわ。あなた様となら、どのような事でも幸せですもの」

 

 士道が電灯の近くの手すりに腰をかけ、狂三も彼に習うように隣へ。その見惚れる微笑みは、相も変わらず士道を魅了してやまないなと、彼は赤くなった頬を誤魔化すようにポリポリと掻いた。そういう言い方は少しズルいなと思うが、士道も同じ気持ちなのをわかって先に口に出したのだろう。また先手を取られる形になってしまったらしい。

 

「さて、さて……まずは皆様とのデート、楽しんでいられるようで何よりですわ」

 

「ぐ……み、見てたのか」

 

 いきなり積極的には触れたくない話題を引き出されて、思わず呻いてしまう。狂三公認とはいえ、士道が彼女に対する罪悪感を微塵も感じないかと言われるとそうではない。男とはまあ、そういう生き物なのである。

 士道の予想を否定するように首を左右に振り、狂三は声を発する。

 

「いいえ、わたくしとて遠慮というものはありますわ。他の方のデートを邪魔する趣味はありませんもの」

 

「じゃあ、どうやって……」

 

「士道さんのお顔を見ればわかりますわ……と、言いたいところですけど、本当の理由はあちらですわ」

 

「……霊力球体?」

 

 徐ろに狂三が指し示したのは空に浮かぶ霊力球体。果たしてそれで何がわかるのか……そう思った士道だったが、琴里から聞かされていた球体の〝変化〟を思い出し彼女の語る理由に当たりをつけた。

 

「もしかして、あの球体の霊波が変化したのを探知したのか?」

 

「ご明察。士道さんと十香さんのデートが終わったその時、あの球体にどのような変化が起きるのか……見ものですわね」

 

「何かが起きるのか……〈アンノウン〉は何か知ってるみたいだったけど……」

 

 霊力球体に関して何か知っていると言いながら、結局は何一つ教えず去っていった白い少女。少女なら、全ての霊波が弱まった時なにが起こるのかも知っているのだろうか。少女と繋がりのある狂三なら、その事も何か知っていると思ったのだが……。

 

「……士道さん、あの子とお会いになりましたの?」

 

「え? あ、ああ……みんなとのデートが始まる前日に、俺の部屋に来たけど……」

 

 目を丸くして意外なことを聞くものだから、士道も同じように驚きを見せて答える。てっきり、白い少女が来たことは織り込み済みだと思っていたのだ。

 

「――――――士道さん」

 

「うお……っ!?」

 

 士道の返答を聞いて少し考え込む仕草をしていた狂三が、顔をずいっと近づけてくる。目の前に迫る細部まで観察できる狂三の端正な顔と、仄かに香る彼女の芳香が鼻をくすぐり、士道の心臓は一気に加速度を増す。

 

 

「な、なんだよ」

 

「あの子は、わたくしの〝共犯者〟ですわ」

 

「は?」

 

「ですから、あの子を落とす(・・・)なら、必ずわたくしを手に入れてからにしてくださいませ」

 

 

 ……これは、なんだ。つまりこういう事か。白い少女が欲しければ、わたくしの屍を超えていけ?

 

「――――――いやいやいや!! なんでそういう話になるの!?」

 

「? 士道さんがあの子を〝攻略〟するというお話ではありませんの?」

 

「飛躍しすぎだろ!! 大体、俺はあいつの顔も見たことないのに……」

 

「あら、それならわたくしも同じですわ」

 

 え、と士道が面食らったのも無理はない。狂三なら、白い少女の素顔だって知っている。そんな先入観を持っているのは当たり前のことだった。それをサラリと覆されたのはなかなかの衝撃だ。

 

「……狂三も、知らないのか?」

 

「ええ、ええ。わたくしどころか、本人以外は誰も知らないそうですわ。わたくしも、無理に拝見しようとは思いませんでしたし」

 

「ずっと一緒にいるんだろ? 気になったりしないのか」

 

「気にならない、と言えば嘘になってしまいますわねぇ。けど、顔を隠しているのならあの子なりの理由があるということ。それを暴くのは悪趣味というものですわ」

 

「そっか……そうだな」

 

 あのローブの下が気になるのは士道だけではない。だが、それ以上に士道は少女の抱える闇を気にかけていた。狂三は果たして……その事を知っているのだろうか?

 

「でも……あの子は、自分の事をわたくしに話したがりませんの。長い付き合いですけれど、そこは少し寂しいと思う時がありますわ」

 

「……良かったらさ。聞かせてくれないか、あいつのこと」

 

「あの子のこと、ですか」

 

「ああ。あいつと少し話をして……知りたくなったんだ。ダメか?」

 

 なぜ、あんなにも自分を否定するような考えを持っているのか。なぜ、〝価値〟を重要視しているのに自らには必要ないと断言してしまうのか。少しでも、少女の確信に近づくには少女を知る必要がある。そんな、気がした。

 そして少女の事を一番知っているのは、間違いなく狂三だ。だから、彼女が士道の問いにほほ笑みを浮かべて頷いた事に士道も安堵の表情になる。

 

「あの子と一体何をお話になったのやら……大したことは語れないかもしれませんわよ」

 

「それで良いんだ。狂三が知ってるあいつを、俺は知りたいからさ」

 

「……先程も申し上げましたが、わたくしとあの子はそれなりに長い付き合いになりますわ。それこそ、わたくしが〈ナイトメア〉として世に知られるより前から」

 

「そんなに前から……」

 

「ええ。わたくしが〝悲願〟を果たすと誓ったその時から、あの子はわたくしに付き従うように行動を共にしていますの。まあ、昔は今ほど冗談を言う子ではありませんでしたけれど」

 

 少女が今のような道化師にも似た陽気な態度を取るようなったのは、そう昔の話ではない。あの時は何なのだと理由はわからず終いだったが……今なら、少女があのような言動をしだした理由が理解出来た。

 

「今に思えば、それが変わったのは……わたくしを気遣ってのことだったのでしょうね」

 

「…………」

 

 狂三が歩んで来た道は、きっと士道の想像を遥かに超えるほど険しいものだった筈だ。そんな中、精神的に追い込まれる事もあっただろう狂三を見た少女が取った方法が、あのような〝演技〟だったのだろうか。

 

「わたくしの事を考えて、わたくしを想ってくれているのはわかりますわ。でも……だからこそ、少し心配になる時がありますの」

 

「心配……?」

 

 ええ、と頷いて儚げな表情さえ士道を見惚れさせる美しき少女は、そのままぽつりぽつりと思いの丈を形にする。

 

「わたくしは、あの子に何を返せているのだろうか……そう考えた時、わたくしはあの子に何もしてあげられていないと思いましたわ。あんなにも、尽くしてくださるあの子に」

 

「狂三……」

 

「あの子が傍にいる事が当たり前になっていて、何も仰らずに出ていってしまった事が、不安になってしまったのかもしれませんわね」

 

 何日経っても戻って来ない少女に、怒りは段々と『狂三』の言うように不安に昇華していった。だが、それを素直に口に出せるほど狂三は〝自分〟に弱さをさらけ出す事は出来なかった。

 

「あの子は、わたくしに全てを捧げる(・・・・・・)と仰った。だから、わたくしにはあの子の命を預かる責任がありますわ。それがわたくしなりの信頼……と、思っていたのですが、言葉足らずで愛想を尽かされてしまったのかもしれませんわ」

 

「足りなかったなら、今からでも言えばいいんじゃないか?」

 

「え?」

 

 士道の言葉に小首を傾げる狂三に対して、彼は難しい事じゃないだろと彼女を見つめて言葉を続けた。

 

「足りない、って思ったならちゃんと言葉にすればいい。多分、あいつに限って狂三に愛想が尽きたなんてことありえないから、大丈夫だと思うけどな」

 

「……なぜそう思いますの?」

 

 物事に絶対はない。それを知っている狂三は、自分ほど少女の事を知らない士道が大丈夫だ、と太鼓判を捺す理由がわからなかった。

 〝それ〟を向けられる狂三がわからないのも無理はない。その理由は、単純でありある意味でその想いを共有する両者でしか分かり合えないものだから。

 

 

「簡単だよ。俺がお前のことを大好きなように――――――あいつだって、お前のことが大好きだからな」

 

「な……っ」

 

「違うのか?」

 

「ちが……わないですけれど」

 

 

 ほらな、と得意げな顔で笑う士道に何とも言えない表情で目を逸らす。確かに、直球の好意という点では士道と少女はタメを張れる存在だ。何せ、狂三自身がさっき言ったようにあなたに全てを捧げます(・・・・・・・・・・・)、と白い少女は常に宣言しているのだから。

 

「だから愛想を尽かされたー、なんて不安はするだけ無駄だと思うぜ。けど、あいつは狂三がこんなに心配してくれてるなんて思ってないだろうから、黙って出て行ったって言うなら戻ってきたら叱ってやればいいんじゃないか?」

 

 狂三を好き、という部分は一致しているのだが、あの強烈な〝自己否定〟を持つ少女を想像すると、狂三が少女の事をこんなに心配している、だなんて夢にも思っていない可能性があった。ていうか、だから狂三に黙って何日もいなくなっているのだろう。

 

「そう……ですわね。あの子が何も告げずにどこかへ行くのは初めての事でしたので、少し悪い方向に考えすぎていましたわ。士道さんの言う通り、わたくしなりに言葉にしてみようと思いますわ」

 

「おう、それがいいさ」

 

「……ふふっ、士道さんがわたくしの悩みを解決してくださるだなんて、少し新鮮な気持ちですわね」

 

「普段は俺が狂三に色々と助けられてる側だからなぁ。たまには良いんじゃないか?」

 

 冗談めかして微笑む士道に、狂三は笑顔を返しながらもそれは違う、と内心で思っていた。

 きっと、常に助けられているのは狂三の方なのだ。彼の笑顔に、彼の生き方に、彼の優しさに……事が終わるまでは訪れまいと思っていた筈なのに、気づけば足を向けて訪れてしまっていたのも、多分自分の不安を受け止めて欲しかったからなのだ。

 

 その〝弱さ〟が生まれたのは、彼と関わってからだった。

 

「わたくしは……弱くなってしまいましたわ」

 

「弱いって……狂三がか?」

 

「ええ、ええ。以前までのわたくしであれば、このような事で迷う事はなかった。いいえ、迷う余裕(・・・・)すらありませんでしたわ」

 

 張り詰めた弦のように、狂三の精神は迷いなど感じる余裕がないほど追い詰められ始めていた。でも、今は違う。彼が近くにいることに安らぎを感じて、その優しさに心を射抜かれて、狂三は弱くなった(・・・・・)

 

「これは、わたくしの〝弱さ〟ですわ。こんな些細なことで不安を感じてしまうなど、わたくしらしくもないのに……」

 

「そんなのいくらでも弱くなればいい」

 

 士道は力強く断言し、狂三の手を取る。驚いた表情で彼の顔を見遣る狂三を、士道は言葉と同じくらい強い視線で見つめ返した。

 狂三が言う〝弱さ〟とは、つまりは人に頼る事をだ。仮に人に頼らない事が〝強さ〟だと言うのなら――――――そんなもの、強さではなく強がり(・・・)だ。

 

「人は誰だって独りよがりじゃ生きていけない。だから、皆で助け合って生きていくんだろ?」

 

「けど、わたくしは……」

 

「お前がどんなに悪い事をしてきても、俺がお前を助けない理由にはならない」

 

「っ……!!」

 

「不安になったら、今日みたいに俺を頼ればいい。狂三が不安になった時、心の底から頼れる存在に俺はなりたい」

 

 狂三の全てを一緒に背負うと決めた。罪も罰も、彼女が不安を感じるならそれだって共有してやりたい。今日のように、強がりな狂三が胸の内を明かしてくれたのは、士道にとって本当に嬉しいことなのだ。

 ギュッと華奢な彼女の手を強く握り締め、士道は言葉を続ける。

 

 

「それでも、お前が自分の事を弱くなったって思うなら!! 俺が――――――弱くなったお前の分まで強くなる。少なくとも、お前を一生(・・)支えられるくらいにな」

 

「あら、あら。わたくしと一生(・・)、添い遂げてくださいますの?」

 

「何を今更。お前がデレてさえくれれば、俺はいつだって人生捧げる覚悟は出来てるぜ」

 

 

 みんなを、狂三を、誰一人見捨てず守り通せるくらいに強くなりたい。それが今の士道の迷いのない信念と想い。人生を捧げるのは、あの屋上で宣言した通りいつだって変わっていない。狂三がデレてくれれば(・・・・・・・・・・)、だが。

 

 握り締められた手を、握り返すようにしながら、狂三は赤面した顔を微笑みへと変える。

 

 

「困ったお方。わたくしが、それを選びたくても選べないとわかっていらっしゃるのに」

 

「それを強引にでも選ばせるのが俺たちの戦争(デート)、だろ?」

 

「ええ、ええ。その通りですわ、その通りですわ。全く、士道さんは本当に――――――油断ならない(魅力的な)人、ですわ」

 

 

 星だけが見守る、二人だけの恋愛ゲーム。一瞬の油断が命取りになるシーソーゲームのような関係。デレてしまえば楽なのに、決してデレることは出来ない。

 

 ああ、ああ。全く、全く――――――こんな素敵な人に出会えた不幸(幸運)を、狂三は笑顔で呪ってしまいそうだった。

 

 

 






対応の違い。

「狂三……ッ!!」 助けてもらったとはいえ命を狙われている相手なので相応の警戒はする。

「スッ……(無言でカメラを構える)」 あまりの可愛さに折紙が乗り移った五河士道の図。

これは酷い。万由里ジャッジメント編が決まった時点でこれだけは絶対にやろうと思ってました。狂三狂いここに極まれり。いやまだ極まってないですけどね?

自分で書いてるとやり取り甘く出来てるのかなーとかあんまわからないんですが、糖分多めでやれてるんでしょうかねとたまに不安になります。ちなみに後編の前半は自分でもあ、甘く出来た気がするってなりました。ていうかお互い支え合ってるし告白どころかプロポーズみたいなことしてるのになんでくっついてないのこの二人……。

では後編でお会い致しましょう。感想、評価などなどめちゃくちゃお待ちしおりますー。次回をお楽しみに!!


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第五十六話『星降る夜の二人-後編-』

もう一組の二人。定められた終わりへ向けたお話




 

 

「けど、狂三も変わったよな」

 

「そうですわねぇ……確かに以前までのわたくしなら、きっと誰かに弱音を打ち明けたりはしませんでしたわ」

 

「自覚はあるんだな……」

 

 当たり前ですわ、と肩を竦めて微笑む狂三を見て士道は苦笑する。自己分析をここまで冷静に行えるのは流石というかなんというか……これでもう少し素直に優しさを表現してくれたら、と白い少女なら思った事だろう。士道はと言うと……大体似たようなものだった。

 

「わたくしの事をこんなにも変えてしまった士道さんには、是非責任を取っていただかねばなりませんわね。つきましては、そのお身体を少し……」

 

「何する気!? あと変わったってそういう意味は含んでないからな!?」

 

「あら、あら。士道さんは何をご想像なされたのかしら」

 

 絶対わざとそう聞こえるように言ってる。たまに強襲してくるそういう方面(・・・・・・)のからかいは、段々と手慣れてきた士道もまだ対応しきれる気がしないと僅かに呻き声にも似たため息を吐いた。

 ちなみに、狂三の内心では諸刃の剣となっているのは言うまでもない。彼女のポーカーフェイスは日々進歩しているのである。

 

「ふふっ、士道さんは相変わらず純朴な方ですわね」

 

「う、うるせっ。狂三はチャラくなった俺が見たいのかよ」

 

「…………なんとも言えませんわ」

 

「……いや、なるつもりはないけどな?」

 

 チャラいの度合いにもよるが、士道の場合は誰彼構わず口説く姿を想像すれば話は早いかもしれない。士道の呼び掛けを軽く受け流しながら考え込み、その場面を想像してみることにする。

 必要な場合ではなく、精霊相手という縛りもなく、皆を口説く士道の姿を思い描いて――――――

 

 

「……わたくし、そんな士道さんを見たら、嫉妬で泣き崩れてしまうかもしれませんわね」

 

「何を想像したんだよ!?」

 

 

 士道も自分のことを見て泣き崩れる狂三を軽く想像してみる…………想像しただけで心が痛くて痛くて罪悪感で死んでしまいそうになった。

 

「……でも、嫉妬はしてくれるんだな」

 

「あら、あら。わたくしとて、好きな殿方の事を想えば嫉妬の一つや二ついたしますわ……なんですの、そのお顔は」

 

 赤面した顔を片手で押えてなんとも言えない、嬉しさを我慢した顔というか……ニヤつきが抑えられないというか、そんな風な表情をする士道を見て狂三は怪訝な表情になる。

 

「いや、そんなこと言われて嬉しくない男はいねぇっての」

 

「……殿方のお心というものは、複雑なものですわねぇ」

 

「どうだろうな。女の子の心よりは単純だと思うがね」

 

「士道さんが仰ると、何故か説得力を感じてしまいますわ」

 

「ははは……」

 

 乾いた笑いとはまさにこのような笑いの事を言うのだろう。女の子の機嫌を損ねると大惨事になる生活をしているのだから、多分世界中の誰よりも説得力を持った言葉である。士道にとって乙女心とは、どんなに訓練をしても読み切れる気がしないのだ。

 

「まあとにかく、わたくしにも他人を羨む心はありますわ。でなければ、美九さんのあなた様への呼び方に対して、冗談でもあのような反応はいたしませんもの」

 

「そ、そうだったな……」

 

 冗談とは思えない迫力があった、とは口が裂けても言えそうになかった。あの時の教訓は、狂三を絶対に怒らせてはいけないという事である。普段、並大抵のことは水に流したり受け止めてくれるからと、その優しさに甘えてばかりいてはダメだという学びだった。なんだか少し違う気がするが、そういう事にしておこう。

 そんな冗談を口にした狂三が、ふと表情を切なげな微笑みに変え声を発した。

 

 

「――――――その嫉妬をぶつけられるほど、嫌な方々なら良かったのでしょうに」

 

「え……」

 

「皆様、笑ってしまうくらい優しい方々なものですから。わたくしの、こんな矛盾ばかりの想いで一方的に踏み躙ることは出来ませんわ」

 

 

 誰もが傷ついて、泣いていた。それなのに、誰一人として心というものを失っていなかった。誰もが、その胸の内に美しいものを宿していた。そうして傷ついた彼女たちを、士道は真っ直ぐに手を差し伸べて救い出した。

 それは狂三が美しいと思うものだ。それは狂三が手にしてはいけないものだ。それは狂三が――――――〝なかったこと〟にしなければならないものだ。

 だから、狂三は自らの嫉妬を彼女たちにぶつけることは、決してしない。彼女たちのデートの邪魔をすることなど、出来ない。それがどうしようもない矛盾だとしても、時崎狂三という少女はエゴを押し通す残酷さを失っていた。

 いつかこの手で全てを奪い去ると知っているのに、半端な甘さで自制心を働かせる狂三はさぞ滑稽に映るのだろう。それでも狂三の想いは、プライドは、精霊たちへの嫉妬(・・・・・・・・)を表に出す事をしない。

 

 その優しい手を取れたなら、そう少女は思った。その手を取ることは決して出来ない。そう、精霊は決心した。

 

 

「そんな事を考えていながら、わたくしは皆様から士道さんという大切な存在を奪おうとしている。ねえ、士道さん。わたくし、矛盾ばかり抱えた、どうしようもない精霊ですわ」

 

「うん、そうだな……けど――――――そんな優しい(・・・)狂三を、俺は愛してる」

 

 

 肩を抱いて、狂三を抱き寄せる。寄り添うように、お互いの体温を感じられる距離まで。

 矛盾とか、嫉妬とか、悪いことのように狂三は言うけど、そんなの士道だって感じていることだ。

 

「俺だって、お前と同じだよ。いや、もしかしたら狂三の事を考えたら、お前の何十倍も誰かに嫉妬するかもしれねぇ。そんな俺を、狂三は嫌いになるか?」

 

「いいえ、いいえ。わたくしは、士道さんがどのような想いを抱いていたとしても、愛していますわ」

 

「だったらそれで良い。矛盾や嫉妬、ドンと来いだ。そのくらい狂三が優しくて――――――俺達がお互いを〝好き〟って証拠だろ」

 

 矛盾を孕んだ考えを持っているということは、それだけ狂三が他者を思いやる心を忘れていないという意味だ。それの何が悪い、矛盾した考えの何が悪い。人は誰であれ、矛盾を抱えて生きていくのだ――――――狂三を〝好き〟になったと自覚した瞬間から、彼女に狂った彼自身がそれを知っている。

 

 

「ああ、ああ……士道さん。好きです、大好きですわ。あなた様を愛していますわ。愛しすぎて、狂ってしまいそう。それでも、好きですわ」

 

「好きだ。誰にもお前を渡したくない、渡したりしない。狂ったっていい、俺もお前を愛してる」

 

「き――――ひひひひ!! おかしいですわ、おかしいですわ。悩みも、迷いもあったはずなのに……結局、こうなってしまうのですわね」

 

 

 狂三の迷いは、きっと何を言ってたところで解消されることはない。これは彼女が抱えて生きていかねばならないものだ。その身に背負った罪と共に、時崎狂三の旅路が終わるまで、永遠に。

 だから、そう……結局(・・)、二人がこうなってしまうのは必然なのかもしれない。

 

 

「けどさ、こういうのがデート(・・・)っぽいだろ?」

 

「うふふ、そうですわね。これが、わたくしたちなりのデート(・・・)ですわ」

 

「ああ。どうしようもないくらいお互いが大好きな俺達の――――――デートだ」

 

 

 なんのしがらみもないデートとは、いかないかもしれない。だとしても、二人なりのデートの形。

 いつか終わりを迎えることを知っている少女。その終わりを認めない少年。矛盾だらけの少年少女が織り成す歪な時間。

 

 

「……もう少しだけ、傍にいてくださいまし」

 

 

 少女の囁かな願いを、少年は彼女の肩を抱く力を強めることで答える。士道に寄りかかるように、彼の存在をもっと感じられるように、狂三は目を閉じて彼の肩に身を委ねた。

 

 どうしようもなく歪で、どうしようもなくまどろっこしい二人だけの平和なデート(・・・・・・)は――――――もう少しだけ、続くようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「え――――――」

 

煌めき(・・・)は突然で、一瞬のものだった。彼女の持つ、霊力の波を感知し色を変えるイヤリング。その輝きが、白い少女の目の前で色を変えた(・・・・・)。まるで彼女を思わせる、光沢のある美しい〝黒〟へ。

 

「? 何かあったの」

 

夜闇の中、迷いなく前を歩いていたイヤリングの持ち主である彼女が、小さく声を上げた少女の方へ振り向き、首を傾げる。

 

「……あ、いえ。見間違えたみたいです、気にしないでください」

 

「……そう」

 

 持ち主である彼女になんの反応もなく、少女の答えに多少怪訝な顔を見せこそしたがすぐに視線を戻した。彼女が何も言わないということは、さっきの現象は少女の気のせいだったのかもしれない。たとえ見間違えでなかったとしても……目の前の彼女の運命が、変わるようなものでは無い。

 

「……あなたは、誰にも知られず消えるのですか?」

 

「…………」

 

 ふと口に出した問いかけは、要領を得ないものだったと思う。けれど、立ち止まって振り向いた彼女にはそれで伝わったらしい。無言で少女を見遣る桜色の瞳に僅かに揺れるものを見た、気がした。

 

「消える。構成するものを残らず分解し、私という存在を消滅させる」

 

 今そこにある彼女という存在を、彼女という意味を、彼女の意志を、全て残らず消失させる。誰に知られることもなく、彼女は自身の役割を果たして消え去るだけ。その行動に疑問はない。〈システムケルブ〉の管理人格は、そういう風に構成され、生まれてきたのだから。それが彼女の使命だ――――――それに納得ができない、少女がここにいた。

 

 

「――――――そんなの理不尽です」

 

「……どうしてそう思うの。あんたは、私が何をするために生まれたか知ってるんでしょ」

 

「知っています。あなたの生まれた〝意味〟――――――あなたが生まれ持った、彼への想いを」

 

「……!!」

 

 

 彼女が生まれ持った使命だけを果たす機械のような存在であれば、或いはその想いを秘めたまま隠し通せる者であれば、少女はその消滅を見守るだけだっただろう。最初から最後まで狂三とは関係がなく、少女の予想は外れて無駄な私用だったという話で終わっていた。

 けど、そうではない。そうではなかった。彼女は生まれながらの使命を持ちながら、同時に彼女自身の〝想い〟を持っていた。それを、少女は行動を共にすることで見たのだ。

 

「あなたの生まれ持った使命が果たされたなら、あなたは自由になるはずだ。その僅かな時間で、その〝想い〟を伝えたっていいじゃないですか。彼に、会って行けばいいじゃないですか」

 

「それをしたとして、結局私という存在は消える。あいつに……士道に迷惑をかけるだけ」

 

「迷惑なんてかけるだけかけて行けばいいでしょう。あの人はいつも人の心にズカズカと足を踏み入れていく、生粋のお人好しです。嫌がらせの一つにはなります」

 

「何よそれ……」

 

 言っていることがめちゃくちゃだというかのように、彼女は息を噴き出して笑みを浮かべる。対する白い少女は腕を組んで、怫然とした態度だった――――――少女とて彼に土足で入り込まれたのだ、仕返しという〝建前〟には十分な理由だろう。

 

「……私なんかと違って、あなたは初めから役割を持っている。その役割がなくなったとしても、五河士道への想いという大切な〝意味〟がある。だったら、人のデートを見ているだけ(・・・・・・・・・・・・)、なんて損な役回りを全うしたあなたに、少しくらいは報酬があって然るべきでしょう」

 

 生まれながらに役割を決められ、それに従って完遂し、果てに待つのは消滅――――――それは、あまりにも不条理で理不尽だ。彼女がそう思っているかどうかではない。これは少女がそう思ったから、少女の心がそう叫んでいるから、少女自身のワガママだった。

 

「だから、このまま消えるだけだなんて、そんなの理不尽です。私は認めません」

 

「……まさかと思うけど、これを言うためだけに私に付き合ってたの、あんた」

 

「……悪いですか」

 

 〝器〟に対する審判を見届ける、だなんて体のいい言い訳だ。なぜなら、見届けるまでもなく五河士道なら試練を越えられると知っていたから。彼を信じている、と言い換えても良い。

 だから少女が本当に見定めたかったものは、〈システムケルブ〉でも五河士道でもなく――――――彼女自身だ。

 

 もっと言えば似て非なる生まれ方をした彼女だから、少女は会ってみたくなった。それだけの、ことだ。

 

 

「あんたって、思ったより不器用で優しいんだ」

 

「……優しいとかそんなんじゃなく、私は私が理不尽だと思った事は許せないだけです。不器用なのは認めますけどね。生憎と私は――――――」

 

狂三ほど(・・・・)器用じゃない、でしょ?」

 

「っ……やっぱり、あなた」

 

 

 その言葉は、少女がたまに口に出してしまう、狂三と自分を比較しての口癖のようなものだった。それを彼女が知っているはずがない……だから、悪戯が成功したように微笑んだ彼女を見て、ようやく違和感は確信へと至った――――――狂三とそっくりな、微笑みだった。

 

「……どうして簡単に私を傍に置いたのかが疑問でしたが、そういう事でしたか。全く、どういう理屈ですか」

 

「さあ。私はあの子の記憶も持っていた、それだけよ」

 

「ますます狂三みたいなことを仰いますね……」

 

 封印した六人の精霊で構成されている、という前提から生じた盲点。ある意味では、〈システムケルブ〉の特性を知っている少女だからこそ気づけなかったのだろう。どういう理屈なのかは不明だが――――――彼女は士道に封印されていない(・・・・・・・・)狂三の記憶を保持している。

 なんと言っていいものか、それが分かると途端にやり辛さが出てくるなとローブの下で苦笑いした。

 

「ねえ、冥土の土産に教えて欲しいことがあるんだけど」

 

「その表現はあなたが使うものではないと思うんですが……」

 

 どちらかと言えば、悪役が冥土の土産に教えてやる、と口を滑らす時などに使うものだと記憶している。消える事が決まっている本人が口にするのは、なんというかそれはどうなのだと言いたくなる。

 

 

「良いじゃない別に、私の勝手なんだし――――――あんたの〝計画〟ってやつを、教えてくれない?」

 

「――――――それは」

 

「少しは勿体つけられる側の気持ちもわかったでしょ。どうせ私は消えるんだし、誰にも言ったりしない。教えてくれないなら、気になりすぎて化けて出るかもね」

 

「……私じゃなかったら、シャレにならない冗談ですよそれ」

 

 

 多分、彼女が消える事を受け入れている少女でなければ怒り狂う事は必定なブラックジョーク。お互いが消える事を承知しているからこその言葉――――――ああ、何とも救えない話だ。

 

 

「……私の〝計画〟なんて、聞いて面白いものではないと思いますよ。人にとっては当然のことで、くだらないと感じるかもしれませんし」

 

「なら、私が聞いても問題ないでしょ。くだらないかどうかは私が決める」

 

「……はあ。わかりましたよ――――――」

 

 

 そうして、短く、本当に小さく、少女はその〝計画〟を初めて口に出した。

 

 

「――――――――――」

 

 

 風に吹かれれば消えてしまうかもしれない。けれど、幸運にもその風は吹かなかった。だから彼女は、この世界で少女を含めて二人目に〝計画〟の中身を知る事が出来た。

 それを聞いた彼女は、一度驚いたように桜色の瞳を見開いて――――――納得したように、優しく微笑んだ。

 

 

「そう――――――叶えなきゃね、その願い」

 

「叶えてみせます――――――何を犠牲にしても、必ず」

 

 

 必ずだ。少女は必ず、その〝計画〟を成し遂げる。何があろうと、何が起ころうと、どれほど少女にとって他に大きな存在が出来ようと、誰に同情しようと――――――本願の為ならば、少女は喜んでその全てを斬って捨てよう。

 

 だから、この世界で唯一秘密を共有した彼女も――――――

 

 

「……ごめんなさい。私は、あなたを救えない(・・・・)

 

「うん、わかってる。私は、あんたに救われるわけにはいかない」

 

 

 ――――――少女は、なんの躊躇いや迷いもなく見捨てた(・・・・)

 その言葉の意味を理解して、彼女は儚げな笑みで言葉を返す。その〝計画〟に秘められた少女の想いを、彼女だからこそ(・・・・・・・)理解してしまったから。

 

 きっと、この少女の言う通りに彼女は〝彼〟に逢いに行く。生まれ持った〝想い〟に従って。それが、この名前のない精霊の不器用な優しさを叶えることにも繋がるから。そう思って、先に告げておくことにした――――――僅かな時間を共に過した少女との、別れ(・・)を。

 

 

「お別れ。先に言っとく……さようなら、不器用で優しい精霊さん。短い間だったけど、あんたといるの――――――結構、楽しかった」

 

「こちらこそ、ありがとう。たった数日でしたが――――――私も、楽しかったよ」

 

 

 ほんの僅かな時間の共有だった。たった数回のデートを、共に観察するだけの仲だった。消える事を知りながら、それをやめようとも止めようともしない仲だった。

 

 それでも――――――楽しかったと、二人は笑った。

 

 

 






多分甘々な二人を送り出せたんじゃないかなと思ったりしてます。それでも、狂三はこの時間軸を〝なかったこと〟にしなければならない。矛盾を孕むその決意の深さと悲しさを、いつの日か士道は真の意味で識る時が来るのでしょうか。

意味を持たずに生まれたからこそ、意味を持って生まれた彼女がそのまま消えるのは理不尽だと思った。そしてそう思ったのが嘘ではないとしても、少女には何があっても譲れない〝計画〟がある。惜しむ気持ち、相手を思いやる気持ち、それを少女は持ち合わせていながら、それが決して嘘ではないのに少女はそれら全てを踏み躙る。この辺はまた本編で語る時が来るかと思われます。

次回から万由里ジャッジメント編クライマックスへ向けて動き始めます。万由里の、アンノウンの、士道の、狂三の選択を見届けていただければ幸いです。
感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第五十七話『Invisible Date』

その出会いは始まりであり、定められた別れである。





 

 

 ――――――全てのデートの終わりに、彼女は現れた。

 

「おめでとう」

 

 淡々と、簡潔に。しかし、それでいて感情が篭った声。

 不思議な少女だった。靡く金色の髪、士道を見つめる桜色の瞳。どれを取っても美しく、幻想的で――――――何重にも重なる既視感を覚える少女だった。

 士道は彼女を知るはずがない。だと言うのに、士道は彼女を知っている。何故か、そう思った。

 

やっぱり(・・・・)、私と〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の出番はないみたい」

 

「〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉……?」

 

 薄く微笑んだ彼女がもたらした名前を聞き、士道は首を傾げる。が、その瞬間、彼の脳裏に狂三の仮説と可能性が蘇る。十香には見えなかった彼女が士道と狂三にだけ見える理由。霊力による球体の隠蔽――――――〝天使〟。

 

「……っ!! あれは、あの球体は君の〝天使〟なのか!?」

 

「あんたの知識で言葉にするなら、それが正しいと言える」

 

「教えてくれ!! 君はなんだんだ……俺に、なんの用があったんだ?」

 

 一体、何の目的で霊力球体は生まれたのか。一体、何の目的で彼女は現れたのか。一体、彼女の言う〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の出番(・・)とはなんなのか……何故、やっぱり(・・・・)と初めから分かっているような言葉を選んだのか。

 

 

「〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の管理人格。五河士道、あんたを見定める者――――――」

 

 

 士道の問いを真っ直ぐ受け止めた少女は、語る。霊力球体から始まった全てのデートの意味を。そして――――――

 

 

「私の名前は――――――万由里」

 

 

 出会いと別れの、始まりを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い少女がその場に足を踏み入れた時には、もう士道と彼女の対話は始まろうとしていた。その、僅かな時間に彼女の生の全てが詰まってる。

 

「……我ながら、なんて身勝手」

 

 消えると知りながら、それを救わない。それでいて、せめて彼に会ってから終わりを迎える事を望む。優しさとは程遠い、エゴイズムの塊。けれど、だとしても少女は彼女の〝想い〟を誰にも知られずに消してしまうなど、耐えられなかった。

 

「おお、通りすがりの人ではないか!!」

 

「こんにちは、夜刀神十香。他の皆様方もお元気そうで何よりです」

 

 士道と彼女が話す場所から少し離れたベンチに近寄ると、白い少女に気づいた十香が元気に手を振ってきた。それに答える形で少女も手を振り返す。

 

「……こ、こんにち、は……」

 

「……貴様、もう少し気配という物は出せんのか?」

 

「同意。突然現れたように見えて、お化けが苦手な耶倶矢が泣いてしまいかねません」

 

「ちょっ、苦手じゃないし!! 苦手なのは夕弦でしょ!?」

 

 十香以外は気づけなかったのだろう、〈フラクシナス〉にいる琴里を除く精霊は少女を見て驚いた様子を見せながらも、先日の一件で全員が顔と顔を合わせていたからかさして騒ぎにもならず思い思いの反応を示していた……美九だけは、何故か電撃に打たれたように身体を震わせていたが、少女はなんの事か分からず首を傾げる。まあ良いか、と美九の事がイマイチ理解しきれていない少女は構わず声を発した。

 

「申し訳ありません。これが私の数少ない特徴みたいなものなんですよ。さて……今日のデートは楽しめましたか、夜刀神十香」

 

「む? うむ、もちろんだ!!」

 

 なんの憂いもなく純粋に喜びを顕にする十香に、少女はローブの下で頬笑みを浮かべる。十香と関わりの深いこの高台公園でデートを終えている時点で、特に心配はないと思っていたがやはり本人の口から聞けると安心できるものがある。

 と、大満足といった様子の十香が、だが、と前置きをして頬を少し膨らませた。

 

「鳶一折紙が邪魔をしてきた事は忌々しい。なんなのだあいつは」

 

「……ああ、彼女ですか。まあ、突発的な台風みたいなものでしょう」

 

 そういえば、サラッと士道と十香が食事中に介入してきていたなぁと、その時の光景を思い出して苦笑いする。病院を抜け出して士道の元へ来た挙句、同僚が連れ戻しに来たと思ったら重病患者とは思えない連続バク宙を披露して逃げていった鳶一折紙。

 ……本当に機械生命体なのではないかと思うと同時に、生き方や目的が似ていてもああいう部分は全く狂三と似てないなぁと安堵を感じた少女であった。

 

 

「――――――きゃあああああああああんっ!!!!」

 

 

 ――――――瞬間、少女の目の前に〝何か〟が珍妙な叫び声を上げて突撃(・・)してきた。

 

「は――――はぁっ!?」

 

 多分、少女が狂三のこと以外でここ一番に動揺を顕にした瞬間だっただろう。腐っても少女は八舞姉妹と速度勝負ができる精霊。その突撃というか突貫というかダイビングというか、言ってしまえば人間の速度を明らかに超えている気がするフルスロットルスピードなそれを避ける事は出来る。出来るのだが、少女は目の前の突撃してくる人物の身を咄嗟に案じてしまい、避けることなくそれを受け止めてしまった――――――誘宵美九の〝ハグ〟を。

 

「はぁぁぁぁぁん。思った通り素敵ですぅ。恐ろしい抱き心地ですぅ。でもローブ? が邪魔ですねぇ……剥ぎ剥ぎしちゃいましょうねー」

 

「え、ちょ、待っ……待って待って待って!! お願い待って!!」

 

 抱擁から頬擦り。至福の表情は美九の美貌を持ってしてもちょっと回避したいかなー、という異常な圧力を感じる。更には顔を隠すフードにまで手をかけられたものだからさあ大変。これ以上ないほど大焦りで叫びながら、美九をどうにか押し退けてご自慢の神速を活かしてどうにか十香の背に隠れた。

 

「あぁん、なんで逃げちゃうんですかぁ。あ、でもそのまま十香さんと一緒にというのは悪くないどころか最高ですよぉ!!」

 

「……い、意味不明です。理解不能です。夜刀神十香、私をあの魔物から救ってください、お願いします」

 

「む、むぅ。そう言われてもだな……」

 

「……大体、私は誘宵美九と殆ど対面した事ないでしょう。いきなりなんですか」

 

 困り顔の十香の背に隠れながら、肩から恐る恐る顔を出して未だに手をワキワキ動かしながら満面の笑みで飛びかかろうとする美九へ声を発する。

 美九と少女が対面したのはたったの二回。そのどちらも言葉という言葉は交わしていないし、何よりいきなり抱擁される意味がわからない。少女は性別すら名乗っていないのだ。ありえない過程だが、もし男だったらどうするつもりだったのか。

 

「なんでと言うかぁ……こう、私の美少女センサーがとんでもない反応を示したんですよー。この子は凄いぞー、って」

 

「……そ、それだけで?」

 

「はいー。でもそうでしょう? きっと、私が倒れちゃうくらい可愛らしい顔をしてるに違いありません!! ぜひ見せてください!!」

 

「嫌です!! 確かに〝これ〟だけは私も自信はありますが絶対に見せませんっ!!」

 

 〝これ〟だけは自信を持っている。いや、持たなければならない。〝これ〟だけは狂三にだって負けず劣らずで評価される自信があるが故に、少女は謙遜する事はしない……しないが、だからといってそう簡単に見せるわけがない。

 そもそも、美少女センサーなんて巫山戯た理由で少女の〝天使〟を見透かすなど信じられない。理不尽だ、ありえない。物理法則をねじ曲げるのも大概にしてもらいたい、と物理法則を軽くねじ曲げる精霊なのを棚に上げて少女は内心愚痴を吐いた。

 

 ……誘宵美九が、少女の中でよく分からない人から意味不明な天敵に格上げされた瞬間である。

 

「あぁん、いけずぅ。じゃあせめて熱い抱擁を交わしてあげますぅ。それー!!」

 

「……せめて、とは言わないですよねそれ!! くっ、八舞姉妹、お願いします!!」

 

「なっ!? えぇい、我らに振るでないわ馬鹿者!!」

 

「逃走。激しい身の危険を感じます」

 

『ほーら四糸乃ー。ボーッとしてると捕まっちゃうよォん』

 

「え、え……?」

 

 四糸乃が混乱してあちらこちらに視線を巡らせ、その間にも心の底から楽しそうな美九と、白い少女の逃避に巻き込まれた八舞姉妹がわちゃわちゃと入り乱れながら鬼ごっこを繰り広げる。

 

 

「――――――なんだよ、それ!!」

 

 

 そんなドタバタ騒ぎに終止符を打ったのは、士道の叫び声だった。

 虚空へ向かって一人で話している(・・・・・・・・)彼の姿に、白い少女を除いた全員が怪訝な表情で首を傾げた。

 

「だーりんったら、どうしちゃったんでしょう」

 

「怪訝。先程から一人で話をしてします」

 

「……彼でしたら、そう長くはかからないと思いますよ」

 

「通りすがりの人は、シドーが何をしているのか知っているのか?」

 

 不思議そうな表情で小首を傾げる十香に対し、ようやく調子を取り戻した白い少女は肩を竦めて声を発した。

 

「……まあ、ちょっとした見えないデート(・・・・・・・)、ですかねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういう事だよ……無に還るって、それはっ!!」

 

「言葉通りよ。私は役割が終われば消滅する。そういうものなの」

 

「お前は……お前はそれでいいのかよ!?」

 

 万由里が語った事の真相。それは霊力が一定以上に集約された〝器〟が現れた時、彼女という〝審判者〟が生まれる――――――そして、その審判は終わり、万由里のするべき役目も終わりを告げた。あとは存在の構成を分解し無に還る(・・・・・・・・・・・・・・)だけ。そう、士道にとっては理解し難い事を万由里は淡々と述べた。

 理解し難い、ではない。理解できない、理解したくない。だからこそ、士道は声を荒らげている。

 

「良いも悪いも、私はそういう風に作られた。役割を果たすために、私は生まれた」

 

「っ……消えるって、簡単に受け入れることじゃないだろ!? そんな方法、取る必要ないじゃないか!!」

 

「いいえ。これは必要なこと(・・・・・)

 

「必要って……なんでそんな……消える事が必要だなんて、そんなの認められるかよ!!」

 

 万由里は左右に首を振り、士道の考えを否定する。自ら消滅を選ぶ事が正しい、それを知っているから――――――霊力を集約した強大な(・・・)〝器〟に対して、万が一の場合〝審判〟を下す者、複数の霊力を束ねた(・・・・・・・・・)万由里という存在。それが、ただ一つの単純な答えなのだ。

 

 だから本当は、万由里が士道に会う必要などなかった。

 

「――――――あんたなら、そう言うと思ってた」

 

「え……っ!?」

 

 万由里が身体に光を纏う。士道はそれに見覚えがあった。いや、既に肌で感じることが出来るそれは、精霊が〝霊装〟を纏う光そのものだった。

 

 

「待て、万由里――――――くっ!!」

 

 

 光が形を成し、万由里を包み込む。まるで天使の翼(・・・・)を思わせるそれは、霊力の圧に身を庇う士道の目の前で眩い光から、明確な物質へと姿を変える。

 

 

「本当は、あいつに言われるまでもなかった。私は――――――最後にあんたと、話がしたかったんだ」

 

 

 一度瞳を閉じると、去来する記憶が波のように押し寄せてくる。耶倶矢の、美九の、四糸乃の、夕弦の、琴里の、十香の――――――狂三の、士道との素晴らしいデート(・・・)

 比べられるものでは無い。どれも素晴らしく、大切な記憶。あいつ(・・・)と共に記録した、〝器〟に相応しいと自らを証明した士道と精霊の〝想い〟。

 

 それら全てを思い返して万由里は閉じた瞳を開き――――――ほんの少しだけ悲しげに、寂しそうな(・・・・・)微笑を浮かべて、飛んだ。

 黒のワンピースに金色のブーツ。頭と背には純白の翼と、複数の瞳がついた角のような物質に四枚の大きなオーロラにも似た色の翼。それを以て、万由里は天へと舞い上がる――――――役目を終えた天使が、地上から去るかのように。

 

「万由里!!」

 

 見下ろす万由里を、士道は必死な表情で見上げている。十分だ。十分だと、思わなくてはいけない(・・・・・・・・・・)。ほんの少しの間でも、士道と話が出来て良かったと。私の想いは、これで満たされるものなのだ、と。

 

 

「さよなら――――――士道」

 

 

 万感の想いを込めて、その名を呼ぶ。ああ、ああ、確かに〝記憶〟の通り――――――彼の名前を呼ぶという行為は、とても素敵な気持ちになる。これでおしまい。万由里は存在を分解し、無に還る――――――そのはずだった(・・・・・・・)

 

 光が走ったのは、まさにその瞬間の事だった。

 

「……っ!?」

 

「な……っ」

 

 万由里より更に上空から溢れる光。目を覆わなければならないほどの眩しい光に、士道だけでなく万由里さえも(・・・・・・)驚きで目を見開いた。

 

「何あれ!?」

 

「発光。眩しいです……!!」

 

 士道と万由里だけではない。精霊達も小さく悲鳴を漏らしながら、謎の発光現象を認識していた。

 彼女たちには見えないはずの――――――〝霊力球体〟の光を。

 

 

「ま、さか――――!!」

 

 

 光が収まり、透明だった〝霊力球体〟が次々と色を変える(・・・・・)。白い少女がこれまで彼女と共に見届けてきた、精霊たちの霊派(・・・・・・・)と同じ物へ。

 ありえない。そう、少女が絶句するのも無理はない。だって、その現象は起こりえないはずなのだ。たった今、管理人格である彼女が審判の終わり(・・・・・・)を宣言したのだから。

 

 球体が形を変え膨張、収縮を見せた後――――――〝天使〟が、顕現した。

 

 黒の球体を中心に、その〝天使〟はさながら機械神にも似た四枚二対の人工物のような翼を広げ、更に鎖の尾と空中を走る車輪を召喚し完全にその姿を現した。

 

 〈システムケルブ〉が〝器〟に対し霊力を持つ資格なしと判断を下した時、〝器〟を破壊(・・)するために姿を見せる断罪の〝天使〟――――――〈雷霆聖堂(ケルビエル)

 

「〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉、なんで!?」

 

 他ならぬ万由里の問い、疑問。それに答えるは〝天使〟の役目。だが、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉が従うものは万由里ではなく――――――もう一人の彼女(・・・・・・・)、だった。

 

 故に、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉は動き出す。黒い球体が蠢き、まるで狙いを定めるように穴を作り出す。否、定めるようにではない。既に狙いを定めていた(・・・・・・・・)

 

 

「シドー!!」

 

「っ、この……!!」

 

 

 チャージは一瞬。青白い光が収束し、白い少女とそれに続くように精霊たちが地を駆けた刹那――――――

 

 

『――――――!!』

 

 

 裁きの雷が、地上を打ち砕いた。

 

 

 






正体不明が理解不能な天敵を得る、これ如何に。美九の美少女センサーは顕現装置や天使の解析感知を上回るのだ!!!!……なんだこれ(なんだこれ) お陰で段々と素が垣間見えて来ちゃってますよこの子。というわけで〈アンノウン〉の苦手な人(嫌いではない)に美九が追加されました。美九、味方になるとあまりにも万能(?)

ついに次回からはVS雷霆聖堂。間違いなく根源の精霊やこの世界にもあったかもしれない輪廻する天使に次ぐチート天使にどう立ち向かうのか。ちなみに文量膨れ上がりました。具体的には次の話が今回の2倍、その次が今回の3倍です。短くなる(一話分を長くする)じゃねーんですよ。だが私は謝らない。この文量を皆様が超えてくださると信じてry

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第五十八話『不確定の結末』

その運命は定められたものであっても、その結末は確定したものではない。故に少女はその終わりを否定し、少年は定められた運命を認めない。

そろそろエンディングも近づいて参りました。長くならないとか大嘘ぶちかましたがどうかお付き合いいただければ幸いです。




 

 

「士道ッ!?」

 

 モニターが閃光を映し出したと思った瞬間、その雷撃は高台公園を直撃した。強固な建造物を容易く打ち砕き、映像全てを包み込む黒煙に琴里は現場にいる兄の名を叫んだ。

 

「状況確認!!」

 

「――――――し、士道くん、無事です!!」

 

 神無月の指示で急ぎ解析作業に入ったクルーの一人が、黒煙が開けた先に士道の姿を確認する。士道だけではない……五人の精霊、しかも士道を守るため限定霊装を纏った精霊たちに加え〈アンノウン〉の姿まであり、更には影も形もなかった(・・・・・・・・)謎の少女までモニターに映し出された。

 

「え……あの子、誰!?」

 

「あの姿……まさか精霊!?」

 

 注視するように映し出された謎の少女。その身に纏うものは琴里の目から見て、明らかに普通の装いとは異なる――――――精霊を守る絶対の盾、霊装。

 なぜ精霊と思われる少女が突然現れたのか。間違いなく可視化した球体と関係がある筈だが……鳴り響くアラームは、琴里に思考の時間を与えない。

 

「球体可視化、展開しています!!」

 

「この反応数値は――――――〝天使〟!?」

 

「っ!!」

 

 息を呑む琴里が見やる先で、精霊たちは動き出そうとしていた。そう、どうであれ始まってしまったのだ――――――審判者による、一方的な断罪が。

 

 

「……全く、ヒヤヒヤさせてくれますね」

 

 即座に限定霊装を展開した精霊たちによる防壁は、素早く士道を守り不意打ちに等しい初撃を躱すことが出来た。直撃した公園の半分は抉り取られ、下まで完全に崩壊している。これが仮に士道に直撃していれば、再生能力を発動させる前に消し炭だと白い少女は苦い顔で〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉を一度見遣り、それから〝アレ〟の管理人格であるはずの彼女へ視線を向けた。

 

「……あなたの意思、なわけないですよね」

 

 白い少女の声にハッとなった万由里が、衝撃から起き上がると滞空する天使へ叫ぶように声を飛ばす。

 

「っ……〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉!! どうしたというの、止まりなさい!!」

 

『――――――――!!!!』

 

「また来る!!」

 

 だが、止まらない。精霊を主とするはずの天使が止まらない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。そんなありえない、しかし現実で起こってしまっている事象に対し白い少女は渋面を作る他ない。

 耶倶矢の警告から一瞬あと、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の球体部分が再び変化した。球体全面に無数の〝目〟を作り、二度三度瞬かせたと思うと――――――雷を無数の小さな槍に変え、凄まじい数を全ての目から解き放った。

 

「ふっ!!」

 

「……!!」

 

『――――ッ!!』

 

 八舞姉妹、四糸乃、美九がそれぞれ風と冷気、目には見えない音圧による壁でこちらに向けられた攻撃は残らず弾き飛ばす。が、攻撃範囲が広すぎて彼女たちでは到底拾い切れるはずもなく、容赦なく公園を薙ぎ払っていく。

 

「攻撃範囲を広げた……マズいですね」

 

「やべぇ……このままじゃ街が!!」

 

 空間震の予兆を感知した、というのならこの天宮市という街は城塞都市と言えるシェルターがある。だがそれは、前提として空間震の予兆があれば、という話である。この騒ぎに空間震警報が発令されたとして、到底間に合う筈もない。

 

 その時、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉を取り囲むように〝何か〟が淡い輝きを放ち旋回し始めた。

 

「あれは……五河琴里の艦の」

 

 白い少女はそれを知っていた。名を〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉。戦艦〈フラクシナス〉に搭載された汎用独立型ユニット。それを琴里の指示を得た神無月が、〈フラクシナス〉から切り離し展開させているのだ。

 名前通り〝葉〟のような形をしたそのユニットは、それぞれ随意領域(テリトリー)を展開することが出来る。普段はその力で戦艦に不可視迷彩を展開しているが、今回の用途は防壁の展開(・・・・・)

 

 〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉と地上を遮るように魔力障壁を展開。それだけに留まらず、巨大な天使をなんとも器用に上空へ打ち上げた(・・・・・)。状況を見据えた素早い対応、それに答えた琴里の部下に少女は賛美の声を上げる。

 

「さすが……五河士道、今のうちに!!」

 

「ああ!! みんな、詳しい事は後で話す。今は力を貸してくれ!!」

 

「言われなくたってそのつもり!! 任せときなさい――――――夕弦!!」

 

「応答。行きましょう、耶倶矢」

 

 士道の要請に頷き、八舞姉妹が風の精霊に相応しい速度で真っ先に先陣を切っていく。あっという間に魔力障壁を超え、翼を広げた天使の元へ二人が駆け抜けた。

 

「〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉……どうして……」

 

「……あなたはここで待っていてください。アレは、まあ何とかして止める努力はして見せましょう」

 

「けど……!!」

 

「最悪、私が何とかします(・・・・・・・・)。だから、大人しく守られてなさいな、お姫様」

 

「……ごめん、なさい」

 

アレ(・・)が彼女の〝天使〟である以上、それを持ち主が止められないのであれば事実上、彼女の力そのものが封印されているのと同義なのだ。暴走の理由が分からない以上、彼女を動かすのは得策ではない。

 眉をひそめ、謝罪を口にする彼女の姿にフッと白い少女は微笑み、刀の鞘に手をかけ声を発した。

 

「……あなたはちゃんと自分の役目を果たした。謝る必要なんてないでしょう。五河士道、彼女を頼みます……あと、その護衛を誘宵美九にお願いしても?」

 

「わかった。お前も気をつけろよ!!」

 

「だーりんを守る係ですねー。役得ですぅ!!」

 

 頷く士道と、こんな状況でもいつもの調子で彼の腕に抱きつく美九の姿に苦笑しつつ、白い少女は十香と四糸乃に並び立つ。十香へ視線を飛ばすと、いつでも行けると言うように彼女は凛々しい瞳に少女を映し出した。

 

「うむ、往くぞ!!」

 

「……はい、参りましょう。ああ、私は氷の女王様の背にご一緒しても?」

 

「わ、私の……こと、ですか?」

 

「ええ。何分、飛ぶことに関しては少々と控えたいもので」

 

『むぅー、難しい言葉を使うんだねぇ。でもおっけー!! だよね、四糸乃』

 

「う、うん……あの、よろしくお願い……します」

 

「……それはこちらのセリフですよ。感謝します」

 

 純粋な幼子というのは、なんと言うか毒気を抜かれてしまうものである。そんな事を考えながら、白い少女は巨大化し優に人を背負える大きさとなったウサギ人形、〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の背に跨り十香と共に三人は魔力障壁を超えて飛翔した。

 

 上空では〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の標的となった耶倶矢と夕弦が雷を軽やかに避け、暴風による攻撃を仕掛ける。それに続くように十香は〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を勢いよく振り上げ、力の限り振り下ろし光の斬撃を見舞う。更に、四糸乃の〈氷結傀儡(ザドキエル)〉が咆哮し、辺り一帯の温度がマイナスまで下がるほどの冷気を解き放った。だが……。

 

「く……っ」

 

 小さく呻き声を上げ、十香がその場を離脱する。反撃の雷は、的確に彼女を付け狙い飛ばされてくる。耶倶矢、夕弦、四糸乃に対しても同様だった。限定霊装の彼女たちとはいえ、あの天使は精霊の攻撃を意に介さず次々と反撃を繰り出していた。

 

「……直接行きます。向こうの攻撃は任せました!!」

 

「あ……は、はいっ」

 

『おうともー、まっかせとけぃ!!』

 

 目を丸くする四糸乃と独特なイントネーションで送り出すよしのんの声を背に、白い少女が跳ぶ。迫り来る雷は全て四糸乃、そして少女の意図を察した八舞姉妹の風と十香の斬撃で打ち消されて行く。

 

「はぁ!!」

 

 落下の勢いをそのままに、色のない刀を抜き放った少女は力の限り、全力を以て機械的な翼へと叩き付けた。

 

「っ……!!」

 

硬い(・・)。今まであらゆる物を紙のように斬り裂いて来た少女の刀が、押し返されていく(・・・・・・・・)。刃が通っていないわけではない。だが、僅かに羽へ喰い込んだ刃を、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉は即座に再生(・・)させている。

 

「はっ、五河琴里の真似事ですか……!!」

 

 打ち付けた刃を引き抜き、翼を足場に少女は空へと跳躍する。そこへ素早く駆けつけた四糸乃が再び少女を〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の背に乗せ、放たれる雷撃を避けながら冷気による攻撃を加え続ける……が、彼女を含め十香や八舞姉妹の攻撃はやはり本体にかすり傷一つ付ける事が出来なかった。

 

『んもー、硬すぎるよー!!』

 

「このままでは……っ」

 

「同意。埒が明きません」

 

 小手先程度の攻撃は弾けている。しかし、あの天使の防御と再生を貫く手段が今の彼女たちにはなかった。何か別の、強力な攻撃が必要だった。

 

 

『――――――退きなさいみんな!!』

 

「五河琴里……っ!?」

 

 

 少女が広域に響き渡る声の元を辿ると、そこに巨大な空中戦艦がその砲門(・・)を輝かせていた。迷彩を解除した〈フラクシナス〉が天使に劣らぬ巨大な姿を晒し、その破滅の光を解き放たんとしている。

 

「早めにケリを付けるわ。収束魔力砲〈ミストルティン〉、発射用意!!」

 

「了解!! 〈ミストルティン〉、最大出力で――――発射!!」

 

 炎の如く燃え上がる女神の号令を受け、神無月が発射指示を飛ばす。言葉通りの出力最大の砲撃。空中艦搭載型の大型顕現装置で出力された膨大な魔力の塊は、その意を受けて真っ直ぐに〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉に向かって放たれた。

 空を焦がすほど密度の高い魔力砲は、一個人の魔力砲など比較にならない。かの〈ホワイト・リコリス〉の最大火力すら凌ぐであろう。それは光の柱となって天使へ迫り――――――爆炎を上げた。

 

 しかし、精霊たちはそれ(・・)を見て目を見開いた。羽を盾にして――――――傷一つない、天使の姿を。

 

「っ……デタラメですね」

 

 息を呑む精霊達に混ざり、内心では分かっていつつも〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の尋常ではない戦闘能力を見て言葉にせざるを得ない少女。あの驚異的な魔力砲の一撃を、再生能力を発動させるどころか無傷で防ぐなどデタラメ以外に言える言葉などあるものか。

 

「――――っ!?」

 

 奇しくもいつかの狂三と似た愚痴を漏らした白い少女が動揺を見せたのは、天使が光を放ちその球体(・・)を生み出した時だった。

 

「なんだ、アレは……」

 

「……しまった!!」

 

 十香を含めた精霊たちが怪訝な表情で奇妙な球体を見やる中、白い少女だけは〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の狙いに気づき、〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の背から勢いよく飛び降りる。が、間に合わない。既に球体は高速で降下しているのだ、間に合う筈もない。

 そして球体は目的の場所へたどり着く――――――

 

 

「あ――――っ」

 

 主である――――――万由里の元へ。

 

「万由里!!」

 

 士道が手を伸ばし万由里へ駆け寄るより早く、球体が捻れた柱を伸ばし回転させ、四枚の翼が付いた鳥籠のような〝檻〟を生み出し、主であるはずの彼女を拘束した。

 

『離しなさぁい――――ッ!!』

 

 それを見た美九が〝声〟を放つ。ただの声にあらず、霊力を込めた彼女の魅了の声は複数の人間すら軽く吹き飛ばす音圧となり鳥籠へと迫る。

 

「……ぁ」

 

 その光景に、美九が小さく動揺の声を上げた。美九の自慢の歌声の衝撃波は、翼を羽ばたかせた鳥籠に容易く弾かれてしまう。

 鳥籠は士道や美九の事など目もくれず、そのまま上空へと万由里を連れて飛び去って行った。

 

「万由里――――――!!」

 

 士道の叫びも虚しく、鳥籠は無常にも魔力障壁を超えて〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の元へ舞い戻る――――――

 

 

「この……言うこと聞かないだけじゃなくて自分の主まで捕らえるとか、どんな天使ですか!!」

 

 

 その直前に、白い少女が声を上げながら檻へ手をかけて鳥籠へ強引に取り付いた。

 

「っ、あんた!!」

 

「無事で何よりです。これは一体何を……くっ」

 

「きゃっ……!?」

 

 役目を終えた球体は、天使の下段部分へ融合を果たす。まるで、万由里の力を糧とするかのように(・・・・・・・・・)

 

「け、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉、何を……」

 

『――――――――――!!!!!』

 

 肌が焼けてしまうような錯覚さえ覚える霊力の圧が、変質した。否、膨れ上がったという感覚に近い。天使が声にならない雄叫びを上げると、再び攻撃を再開した。

 

「ちっ、この霊力は……!!」

 

 ただし、放たれる攻撃は先程までと比較にすらならない。球体から放たれていた雷撃は、加えて四枚の翼から放出されるものが増え、複数の棘の付いた車輪のようなものまで飛ばし精霊達を襲い始めた。

 間違いない。〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉は主である彼女を隔離し、その力を増大させていた。ただでさえ手に負えない圧倒的な天使が、更にその力を増大させるという悪夢のような光景に少女は舌打ちを禁じ得ない。

 

 そんな少女の姿を見て、悲痛な表情の万由里が――――――覚悟を決めたように、目を細めた。

 

 

「……聞いて。あんたに頼みがある」

 

「なんですか!? そこから出してって言うなら、今すぐやるつもりでしたから待ってて――――――」

 

「――――――私を、消して」

 

 

 刀の柄に手をかけた少女が、彼女の言葉を耳にしてその動きを止めた。

 

「……私と〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉を消滅させて(・・・・・)。あんたなら、出来るはず。これ以上、彼女たちを傷つけることになる前に早く!!」

 

「っ、あなたは!!」

 

「もう、いいの。私は元から消えるだけの存在だって、あんたは知ってるでしょ? 私自身がそれを果たせないなら、せめて――――――」

 

「――――――ふざけないで!!」

 

「っ!?」

 

 少女が激情のままに、鳥籠を力いっぱい殴りつけた。ああ、彼女の言う通りなのだろう。元々消える筈だった彼女を消す事は、実に合理的な判断と言えた。このままでは精霊たちは愚か、街一つは軽々と焦土と化す。下手をしなくともそれ以上の被害を、この天使は及ぼすのだろう。

 たった一人の消える事が定められた精霊と、世界。本来なら比べるまでもない――――――しかし、少女は絶対にそれを認めてなんか、やらない。

 

 

「私は!! こんな事のために、あなたを彼に会わせたかったわけじゃない!! そんな顔(・・・・)をさせたかったわけじゃない!!」

 

「けど、このままじゃ!!」

 

「それがどうだって言うの!? 私は絶対、こんな終わり方は認めない!!」

 

 

 認めない。誰がなんと言おうと、こんな残酷な終わり方を彼女がしていい筈がない。衝動に身を任せ、自らを偽る事すら忘れて少女は必死に言葉を紡ぐ。

 

「私は……私はあなたが消える事を受け入れこそすれど、一度だって消えて欲しいだなんて思わなかったッ!!」

 

 十香、四糸乃、琴里、耶倶矢、夕弦、美九――――――狂三。彼女たちの〝想い〟を背負って生まれた彼女を。その美しい想いを受け止めて、短い生を使命に全て費やした気高い彼女を……そんな彼女だからこそ、少女はそれに見合うだけの終わりがなければ、理不尽だと思った。

 消えて欲しくなんて、ない。けど、少女は彼女を救えない。救わない(・・・・)。身勝手極まりないと思う。見捨てる事を選んで、何様だと思う。それでも(・・・・)、少女はせめて彼女に救いのある終わりを求めた。

 

 

「私はあなたを救わない(・・・・)。だからせめて……あの人の傍で、あなたが笑って逝くことくらい、許されてたっていいでしょう?」

 

「私、は……」

 

「消えるなら、ちゃんと満足してからにしてよ。消えたくない(・・・・・・)って、言葉にしてよ。そんな悲しい顔しないでよ――――――万由里(・・・)!!」

 

 

 ほら、こんなにも美しい名前があるのだから。少女は、残酷なだけの結末を否定する。

 

「どうして……どうしてあんたが、私のためにそこまで……」

 

「……そんなの、私が聞きたいくらいです」

 

 目を丸くして問いを投げかける万由里に、少女は外れかけた仮面を被り直しいつもの調子で戯ける。少女が生きてきた中でも飛びっきりで、完全に計画の中心から外れた不可解な行動だった。

 ただ少女は、この終わりを許せないから抗う。それだけだ。

 

 

「わかったらそこで待ってなさい、お姫様。今すぐ――――――愛しの王子様を連れて来ます」

 

 

 囚われのお姫様を助けるのは、いつだってカッコいい王子様。どんな物語に於いても、それだけは決まっていると少女は信じていた。今までが嘘偽りなくそうであったように。たとえ〝彼女〟に仕組まれた物語だとしても――――――少女が見てきた〝想い〟は、本物だから。

 少女の得意げな声を聞き呆気に取られた万由里が、何かを見つけてハッと息を呑み声を上げた。

 

「っ、危ない!!」

 

「……っ!!」

 

 警告をほぼタイムラグなしで聞き届けた少女が刀を振るうのと、その歯車(・・)が少女を吹き飛ばしたのは全くの同時だった。

 歯車は高速で回転し刀と火花を散らしながら、少女の身体を強引に宙へと押し出して行く。

 

 体勢を崩され、正面からの歯車を防ぐことで精一杯の少女へ更に四方から刃が迫る。あの体勢では弾くどころか避けることすらままならない。

 

「まず……っ!!」

 

「〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉、やめてぇ!!」

 

 万由里の叫びは聞き入れられない。数秒と待たずして、逃げ道を塞ぐように迫る刃は少女の身体を引き裂くだろう。それを想像して万由里は両手を祈るように握り、思わず目を閉じた。

 

 刹那、何かを弾くような音(・・・・・・・・・)が響き渡った。

 

「――――――無事か!?」

 

「夜刀神十香!?」

 

 白い少女が驚きの声で十香の名を呼んだことで無事だと判断したのだろう。うむ、と頷いて片手で少女を抱えながら一度〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉から距離を取る。

 

「大丈夫、ですか……?」

 

「無茶し過ぎ!! 怪我したらどうすんのよ!?」

 

「同意。危ないところでした」

 

「あなた達……」

 

 少女を救ったのは十香の力だけではない。自分たちも天使の猛攻に晒されているのにも関わらず、四糸乃と八舞姉妹は白い少女の危機を見て突っ込んで行った十香を迷わず援護したのだ。だからこそ、少女は無傷であの窮地を抜け出すことが出来た。万由里から引き継ぐように、今度は少女が目を丸くする番だった。

 

「どうして……」

 

「む。お前を助けるのになぜ理由がいるのだ?」

 

 心底わからん、というように疑問符を浮かべる十香の姿を見て、ああ彼女たちはそういう子達だったなと少女は苦笑した。〝計画〟の為に動く自分などとは違う、損得なしで人を救う事が出来るのだ、彼女たちは。

 

 ――――――今、万由里のために必死になっている少女自身もそうであると、彼女たちや士道の姿に少なからず影響を受けていると少女は気づきもしない。

 

「……いえ、変な事を聞いてしまいましたね。ありがとうございます、皆さん」

 

「うむ、気にするな――――っ!!」

 

 のんびり会話を楽しんでいる時間はない。再開された天使からの雷撃と歯車が、再び精霊たちを襲い始める。凌いでこそいるが、やはり今のままでは時間の問題……そう考えた白い少女は、十香に抱えられたままインカム(・・・・)を耳に装着した。

 

「夜刀神十香。少し時間をください!!」

 

「何か策があるのかっ!?」

 

「それを今から作ります!!」

 

「わかった!!」

 

 少女の返答に迷いなく頷き、少女を抱えているハンデなど全く感じさせない動きで攻撃を避け、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉による反撃まで繰り出す。

 限定的な霊力とは思えない動きに驚嘆を感じつつ、少女はインカムを叩いて目的の人物を呼び出した。

 

「五河琴里、聞こえますか!?」

 

『――――――もっと早く連絡寄越しなさい!!』

 

「……私が連絡する前提ですか」

 

 間を置かず耳鳴りがするほどの怒声が飛んで来たことを見るに、少女からの連絡は来る事が前提だったらしい。まさか、こんなところで預かりっぱなしのインカムが役に立つとは思わなかった。

 ふん、と鼻を鳴らした琴里は矢継ぎ早に声を発する。

 

『当然でしょ。それより、要件があるなら手短にしなさい。こっちはこっちで聞きたい事があるんだから』

 

「……まずそちらの疑問を解消します。彼女は万由里。五河士道を見定めるためにあなた達の霊力(・・・・・・・)から生み出された、言うなれば世界から生まれ落ちた擬似精霊(・・・・)です」

 

『話がぶっ飛んでるわね……いいわ、続けて頂戴』

 

「……万由里は審判者。彼女が〝器〟を資格なしと判断したその時、あの天使は目覚めて活動を開始する。そういうシステムになっています」

 

 精霊一人一人がどれも世界を滅ぼせる絶対的な力を持つのだ。そんな力を一つの器に集約させるなど、本来であれば出来る方法ではない。世界でただ一人、五河士道を除いては。

 故に世界はそれを恐れる。恐れるからこそ、見定める。前提としてありえない話ではあるが、器が私利私欲のために力を振るうような人間であったとしたら……複数の精霊の絶大な力を捩じ伏せるだけの力が必要となる。それがあの〝天使〟、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉というわけだ。

 

『じゃあなに、士道はその世界とやらに認められなかったって言うの?』

 

「……いいえ。それが、私がお聞きしたい話に繋がるんです。あの天使が目覚めるまで、球体の霊波はどうなっていましたか?」

 

『安定していたわ。十香のデートは上手くいっていた。これまでと同じく、球体の霊波は減少傾向にあった。何も起こらなければ、数分足らずで球体は消滅していたはずよ』

 

「……にも関わらず、システムは起動した……」

 

 それがわからない。〝天使〟は主の心を映し出し、その想いに答える物。精霊たちの願いを叶える水晶だ。〈システムケルブ〉は複数の霊力の融合体。擬似精霊とはいえ基本構造は精霊と何ら変わらない。つまり、〝天使〟の構造とて同じのはず。

 万由里は自ら消えようとしていた。それを〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉は認めなかった? いや、少し外れている。

 

 思い返せ、万由里の行動を。万由里はデートを見守りながら、何をしていた――――――デートを辿っていた(・・・・・・・・・)。まるで、自らも士道たちのデートを疑似体験するかのように……否、万由里はデートがしたかったのだ(・・・・・・・・・・・)

 

「そうか……あの、子は……」

 

『何かわかったの!?』

 

「……多分、あの天使の霊波にほんの僅かな変化があるはずです。違いますか?」

 

『っ……たった今解析結果が出たわ。観測した波長が、私たちの物以外にもう一つ増えてる(・・・・・・・・)!!』

 

 ――――――繋がった。天使は万由里の言葉に従っていない。しかし、万由里の〝想い〟には従っていた。それも考えうる中で、最悪の形となって。

 それが暴走を引き起こし、彼女自身でさえ制御が出来ないほど膨れ上がっている。少女は何度も見てきた。なぜ気づかなかったのだ。理不尽で、不条理で、制御が出来ない〝恋〟という感情に潜む一粒。その名前は――――――

 

 

「――――――嫉妬」

『――――――嫉妬』

 

 

 答えは全くの同時に放たれ。白い少女はその声に息を呑んだ。

 

「っ……解析官」

 

『……村雨令音だ。最も、君は知っていて敢えて(・・・)言わないのかな?』

 

「……さぁて、ご想像にお任せしますよ。そんな事より、答えは一緒のようですね」

 

 嫉妬、渇望。有り体に言ってしまえば、欲望。万由里が無意識のうちに抱いていた感情は、本来であれば白い少女の願いを叶えて彼女が士道と僅かでも対話をする。それで、全て消え去るはずだった(・・・)

 それを受け入れなかったのは、万由里の心を映し出す水晶――――――〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉という名の〝天使〟だ。

 

「……万由里自身も予期しなかった精霊たちに対する嫉妬の感情。それをあの〝天使〟は取り込んで、強引に本心を曝け出した。主人思いな〝天使〟ですね、全く」

 

『冗談言ってる場合じゃないわよ!! あの子も士道を……けど、それならどうすれば……』

 

 唯一あの〝天使〟を止められる術を持つ筈の万由里は、止めるどころか囚われの身となってしまった。限定霊装を纏った精霊たちの攻撃は通用していない。〈フラクシナス〉の魔力砲すら容易く弾いたのだ。残る手段は限られてくる。

 

『――――――破壊するしかねーです』

 

「……崇宮真那」

 

 〈フラクシナス〉から流星のように飛び出した少女、真那がCR-ユニット〈ヴァナルガンド〉を纏い、猛スピードで戦線に到達。攻撃を掻い潜り、その手に装備した光の刃を展開した。

 

「事情はどうあれ、このままじゃ街がめちゃくちゃになりやがります。魔力砲が打ち消されるなら、私が直接攻撃で――――――!!」

 

『――――――待ってくれ!!』

 

「ッ……兄様!?」

 

 声が響き渡る。その声を聞き真那はスラスターを稼働させ攻撃を取り止め――――――白い少女は、待ち望んでいた声に口角を上げ笑った。待っていた、たった今〈フラクシナス〉の艦橋にたどり着いたであろう、精霊を統べる王の姿を。

 

「……聞くまでもないと思いますが。あなたの望みはなんですか、五河士道」

 

『万由里を連れ戻す!! 俺がなんとかする……それまで、あれを破壊するのは待ってくれ!!』

 

『士道!?』

 

 琴里が驚きの声を上げるのも無理はない。このような状況では危険の方が大き過ぎる。だが、士道には譲れない想いが、見捨てられない祈りがある。

 

「……それが無茶な願いだとしても、あなたはそれを望むのですか」

 

『あいつは……万由里は、お前の言うようにみんなの霊力から生まれた存在なんだろ!!』

 

 そうだ。万由里という精霊は十香たち全員の霊力……そこに込められた〝想い〟を受け取り、祝福されて産み落とされた者。

 

『十香や、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九、琴里。万由里は、精霊みんなの分身なんだ!!』

 

「……ええ。夜刀神十香たちの〝想い〟を受け取り、生誕したのが万由里です。五河士道、先に言っておきます。私は――――――万由里をこんな終わり方で消し去る事は、許さない」

 

『俺だって同じだ!! あいつは言った、自分は役目を終えれば消え去ると……その為だけに生まれたと』

 

 それは、士道がこの世で最も受け入れられない考えだ。無価値だと決めつける事も許せない。だが、消えるためだけの価値など、そんなものもっと願い下げだ。

 

『消えるために生まれる命なんて、あっていいはずがない……!! 終わるために生きる事を決めつけるなんて、絶対間違ってる!! この暴走は、万由里の消えたくない(・・・・・・)って想いそのものだっ!!』

 

「……!!」

 

 士道の言葉に少女は目を見開き、今なお天使を止めるために叫び続ける万由里に目を向けた。

 嫉妬だけじゃない。万由里はきっと、消える事を納得なんかしていなかった。我慢して、押さえ付けて、どこまでも強情に平気な振りをしていただけだ。そうして生み出された、感情を吐き出すもう一人の万由里(・・・・・・・・)が、あの〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉という天使の正体。

 

「……なんだ、ちゃんと言葉にしてたんじゃないですか。意地っ張り」

 

消えたくない(・・・・・・)。万由里はそう叫んでいる。なら、それを受け止めてくれる人(・・・・・・・・・)が必要だろう。

 

「……五河士道。私はあなたに望みを託します。私の……私たちの願いは――――――」

 

『ああ。俺たちはあいつを――――――』

 

 少女は願う、救いのある終わりを。少年は願う、消えさせないための祈りを。辿り着く願いは違っても、果たすべき目的は同じ。士道は高々に、その願いを掲げた。

 

 

『――――――みんなを助けたいッ!!!!』

 

 

 その祈り、切なる願いは――――――一つの奇跡を起こした。

 

「っ……これはっ!!」

 

「夜刀神十香……まさか!?」

 

 白い少女を抱える十香だけではない。四糸乃、耶倶矢、夕弦。そして、恐らくは〈フラクシナス〉にいる琴里と美九の身体も光り輝いていた(・・・・・・・)

 ただの光ではない。波動のように広がる暖かな光、霊力の奔流(・・・・・)。その光は、明確な意思を持ち精霊たちを包み込み、力を解放する(・・・・・・)

 

 

「……霊、装」

 

 

 精霊を守る究極にして絶対の鎧。白い少女が呆然と呟いたのは、先程までの限定霊装ではない完全な形で顕現した(・・・・・・・・・)霊装を見たからだ。狂三がそうであるように、本来精霊が纏うべき鎧が完璧な姿でそこにあった。

 見間違うはずがない。絶対的な威圧感と力を誇る鎧が、封印されているにも関わらずそれを寸分違わず顕現させたのだ。

 

「夜刀神十香、どうやって霊装を……」

 

「むぅ……シドーの願いを叶えてやりたい。そう思った事まではわかるのだが……」

 

「……他の方も同じか。けど、どうして……封印が解放された……?」

 

『……いや、そういう訳ではないようだ』

 

 少女の疑問に答えたのは令音。相変わらず感情の起伏が少ない冷静な声でインカム越しに言葉を紡ぐ。

 

『……理由は定かではないが、シンの言葉にそれぞれの想いが同調した結果、だろうね』

 

「一時的な霊力の解放……万由里の存在が関係してる? とんでもない現象ですけど、今は……!!」

 

『……ああ。この状態がいつまで続くかわからない。だが、チャンスはここしかない』

 

 驚くべきは〝器〟としての力か、はたまた万由里の存在が影響しているのか。どちらにせよ、解析官の言うようにチャンスはここにしかない。

 強大な力を持つ〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉。それに対抗するには精霊の全戦力を結集させるのが一番早い方法だったのだ。それは不可能だと思っていたが、士道と精霊たちがとんだ奇跡を起こしてくれたものだ。

 

「ぜやぁっ!!」

 

 十香が裂帛の気合いと共に〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を振り下ろす。放たれるは光の軌跡。しかし、そこに込められた霊力は先程の非ではない。

 

『――――――――!!!!』

 

「ふっ、痒いわ!!」

 

「逆襲。行きます……!!」

 

「よしのん……!!」

 

『久しぶりに全力でいくよぉん!!』

 

「真那も負けてられねーです!!」

 

 声にならない雄叫びを上げ、無数のプラズマと刃と化した歯車が放たれる。だが、風が、冷気が、魔力が、そして十香の斬撃が全てを打ち砕く。それどころか、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の本体を怯ませ、初めて押し返した(・・・・・)

 

「これなら……!!」

 

 行ける。白い少女は確信を持って笑みを浮かべた。決定打に欠けて力負けしていた時とは違い、明確に〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の巨体を押し止めている。あとは()が来れば……。

 

「みんな!!」

 

「シドー!!」

 

 来た。〈フラクシナス〉から琴里と美九に支えられる形で士道が前線へ舞い降りる。本来なら、王である彼を前に出すなどありえない。だが、今は彼の力がどうしても必要だった。精霊たちの士気を上げるため、彼の持つ力に賭けるため――――――万由里を助け出すために。

 

「……五河士道。準備は出来ていますね?」

 

「当たり前だ――――――でも、まだ揃ってないぜ(・・・・・・・・)

 

「え……?」

 

 士道のその発言に白い少女だけでなく、精霊たちや真那も訝しげな表情で彼を見遣る。彼が封印した精霊は全員力を取り戻し、真那や白い少女もいる。一体、これ以上誰がこんな危険な戦場に飛び込んで――――――

 

 

「あいつを待ってやらないとな。飛びっきりで最高の援軍(・・)が――――――来る」

 

「っ!!」

 

 

 その、少年の微笑みは強く、鋭く、白い少女を穿つ。だって彼の笑みは、見間違えようもない、見間違えるはずがない士道の大胆不敵な微笑み(・・・・・・・・)は、彼女(・・)にそっくりだったから。

 

 次の瞬間、銃声が爆音で響き渡り士道を除く誰もがその光景に驚きを表した。

 

「なに!?」

 

「げっ……この嫌な気配……!!」

 

 琴里が驚きで声を上げ、真那が(・・・)目の前の光景に眉をひそめて呻く。

 〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉を突如襲った銃弾の豪雨。無慈悲且つ正確な射撃は万由里だけを的確に避けて巨大な天使の羽を完全に封じ込めていた。

 

 文字通り、軍隊(・・)規模の制圧射撃。精霊数あれど、これほどの()による圧倒的な力を――――――少女は彼女以外知り得ない。

 

 

「パーティーの時間には、間に合いまして?」

 

 

 空に一塊の〝影〟が踊る。それは、一瞬にして人の形を成し、神々に愛された女王を形創った。

 十香たちと同じ、精霊の鎧を身に纏い。靡く左右非対称の黒髪は、愛しい人を得てから更に磨きがかかったように見える。その紅と金の双眸に射抜かれた者は、誰であろうとひれ伏すのではないかと思える宝石のような美しさ。

 

 優雅たるかの女王は、神の手で作られたドレスのスカートを摘み、大胆にもこの状況でお辞儀をして見せた。女王にとって、この程度の戦場などパーティーと言い切ってしまえるのだ。

 

 そんな彼女に見惚れるのは何も少年に限った話ではない。誰もが際限なく彼女に――――――時崎狂三に惹かれてしまうのだ。白い少女とて、それは同じこと。

 

 

「皆様ごきげんよう――――――もしよろしければ、わたくしも混ぜていただけませんこと?」

 

「ああ、もちろん。時間ぴったりだ。待ってたぜ――――――狂三」

 

 

 

 







本音ぶちまけ回。救わないと決めながら、少女はその終わりはせめてと願う。なんて歪な愛なのでしょうね。

でまあメインヒロインもようやく参戦。ちなみに毎回地の文の口上はじっくり考えてます。出来るだけ被らないようには努力してたりなんだり。最終的に美しいよ我が女王の一言になるの酷い。

万由里ジャッジメント編も残すところ後(無理やり詰め込んで)三話。次回でとんでもないものが飛び出す……かも。
感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第五十九話『精霊戦争』

デート・オブ・スピリット。同タイトルの十香ワールドとは様が違いますが精霊の戦争と参りましょう。精霊大戦でも良かったんですけどなんか続きは劇場でエンディングになりそうなのでry

ちなみにダントツで過去最長となりました。さては切り方下手くそだなお前?




「狂三……」

 

 どうしてここに。白い少女にとっては、そんな想いが強かった。だが、すぐに思い直す。前線に五河士道が立った時点で狂三が参戦する理由としては十分なのだ。だとしても、霊力を解放した精霊に加えて崇宮真那がいる中で、狂三が無理を押してステージに上がるのは些か理由としてはどこか弱いと感じる自分がいた。今の狂三は、霊力の消耗を抑えなければいけない立場だと言うのに。

 

「……どうして」

 

 だから、少女の出した物はそんなありきたりな疑問の言葉だった。ピクリ、と眉を上げた狂三がため息混じりに声を発する。

 

「どうして、ねぇ……十香さん。申し訳ございませんけれど、その子をしっかり抑えておいてくださいませんこと?」

 

「む? わかった」

 

「……え、ちょっと何を――――――」

 

 しっかり、と狂三の頼みを正しい意味で解釈したのかどうかはわからないが、片手で支えられる形でいた少女を十香が胴体を持ち直しがっちりホールドし直す。絶妙な力加減で抜け出せない上にいきなりの展開に困惑する少女に対して、狂三は空中を軽く蹴るように飛び込んで――――――

 

「ふっ!!」

 

「――――たぁっ!?」

 

 愛用の短銃、その持ち手の銃床部分で容赦なく白い少女の頭をフード越しに殴りつけた。いつもの優雅で上品な狂三を見ていれば、信じられない狂三の突然の奇行に一同総出で目を丸くする。

 

「……いったぁ……っ!! な、何するんですか!?」

 

「言うに事欠いて、どうして、などと宣った罰ですわ。あとこの間の仕返しですわ」

 

「絶対最後が本音じゃないですか!!」

 

 素手のチョップと精霊由来の銃による殴打を一緒にしないで欲しい。抗議の声を上げる少女を見ても、狂三はふんっと不機嫌そうに腕を組んで息を吐いた。

 

「わたくしにはやれ連絡しろ、やれ勝手に危険な場所へ飛び込むなと小言を仰るのに、自分は棚に上げてこのような場所へ飛び込むのですわねぇ」

 

「……私は狂三と違って言い残しはしましたよ」

 

「あら、あら。しばらく留守にする、がちゃんとした伝言になっているのかゆっくり審議をしたいところですわね」

 

 ニッコリと笑ってこそいるが、目は全く笑っていないし言葉もどこか刺々しい。これには少女も流石に分が悪いと見て、降参のポーズを取る。

 

「……申し訳ありません。今回は私の私情でしたので、我が女王を巻き込むわけにはいかなかったんですよ」

 

「私情、という割にはわたくしにも関係がある規模になってしまいましたわねぇ。あなた、わたくしの事を気にかけるのに自身のことは無頓着ですわ」

 

「……本当に途中までは私情だったんですよ。それに、あなたと私では価値がまるで――――――」

 

「同じ、ですわ」

 

 細くしなやかな指が、少女の眼前に突きつけられる。一つの迷いすら見られない、紅の瞳とかちりかちりと針が動く黄金の双眸が白い少女を見つめる。捕えられられたように、動けない。

 

「あなたは〝精霊〟。わたくしも〝精霊〟。そこになんの違いがあるというのでしょう。ありませんわね、そんなもの」

 

「……絶対的に違います。私は欠けたところでどうとでもなりますが、狂三は違う。あなたは……あなただけは、ダメなんです」

 

「どうとでもなりませんのよ、わたくしの(・・・・・)共犯者」

 

「っ……」

 

 鋭く突きつけられる指に、その視線に、少女は無意識のうちに〝恐れ〟を抱いた。何もかもを暴かれてしまいそうな、その強き瞳が――――――ふと、優しく和らいだ。

 

「仕方のない子。あなたが何を悩んでいるのか、あなたが何を隠しているのか、わたくしには推し量ることは叶いません――――――ですが、敢えて言葉に致しましょう。その上であなたを信じていますわ(・・・・・・)

 

「……はっ、こんな私をですか。酔狂なことですね」

 

「今日は特別、口が達者なようですわね。いいですわ、それならとことんまで言葉にして差し上げますわ。わたくしはあなたを信じます、わたくしに命を捧げる(・・・・・)あなたを信じますわ」

 

 白い少女は狂三を信じている。だが、少女は少女自身のことを信じていない。強烈な否定と劣等感にも似た何か、それを狂三は知ることが出来ない。聞いたところで絶対に少女は口を割らないとわかっているからだ。少女は狂三にだけは(・・・・・・)語らない、そんな確信がある。

 思えば、いつも少女は狂三の事ばかりだった。何をするにしても狂三、狂三、狂三……そんな少女が、今初めて自身が関係しない〝私情〟のために狂三の傍を離れた。まあ、少し素直な言い方をすれば――――――そんなの、水臭いではないか。

 目的は違えど、手段を共にする共犯者(・・・)。それが、狂三と少女ではなかったのか。

 

 

「あなたはわたくしに全てを捧げるのでしょう? なら、その命はわたくしのもの、ですわね?」

 

「……まあ、そうですけど」

 

「わかっていらっしゃるのなら、わたくしの顔に泥を塗る行為は控えてくださいまし。わたくしの(・・・・・)沽券に関わりますわ――――――信じて、いますわよ」

 

 

 そうして、不敵に微笑んで語りかける狂三。その言葉の意味(・・・・・・・)を正しく受け止めた白い少女は……余計な事をしてくれたであろう五河士道に、やはり文句の一つや二つぶつけたくなって小さくため息を吐いた。

 

「……そういう言い方、ずるいんじゃないですか。私が断るわけがないって、わかってるでしょう」

 

「ええ、ええ。あなたはわたくしの頼みを断ったりしませんもの。何度でも言葉にして差し上げますわ。わたくし、あなたを信じていますわ」

 

 自身を信じてくれる人の言葉を信じる。言葉にするだけなら簡単だが、実際にする事は簡単な話ではない。それを、この女王はやってしまうのだ。こんなわけのわからない精霊に対しても、真っ直ぐに。

 普段は捻くれ者の癖に、こういう時はどうして素直なのか。狂三はこう言っているのだ。お前の命は自分のものだ、だから勝手に必要ないと決めつけるな(・・・・・・・・・・・・・・)、と。少女が狂三の言葉を肯定するが故の荒業。

 

「狂三の勝ちだな」

 

「……五河士道」

 

「小難しいこと言ってるけど、要はあんたが心配なんでしょ。狂三の事を考えてるなら、こいつの心配もちゃんと受け取ってやんなさい」

 

 五河兄妹の後押しに白い少女はぐっ、と怯んだように僅かに息を漏らす。

 

 ――――――こうなるから、こうなって欲しくないから、少女は狂三に自分のことを話したりはしなかった。狂三もそれをわかっているから、こんな精霊と共に過しながら決して踏み込んでくる事はしなかった。

 

 

「……仕方ありませんね。まあ、これからは善処しますよ(・・・・・・)、我が女王」

 

 

 それが変わったのは言うまでもなく少年の……いいや彼ら(・・)の影響なのだろう。人も精霊も、誰かに影響されて変わっていく。少女とて少しは(・・・)変わっているのかもしれない。

 そんな少女の返答に呆れ顔で微笑む狂三が言葉を返した。

 

「あら、あら。強情な子ですわねぇ」

 

「あんた程じゃないでしょ。けど、お熱いの見せつけてくれるじゃない。ちょっとは素直になったってことかしら?」

 

「ふふっ、琴里さんの仰っていることが正しいとしたら、それは誰かさん(・・・・)の影響ですわ」

 

「へぇ。良かったじゃない、誰かさん(・・・・)?」

 

「そうだな、きっとその誰かさん(・・・・)は光栄に思ってるよ」

 

「言うようになったじゃない……」

 

 からかい混じりに投げ渡されたパスを得意げな表情で軽々と返す士道。その返答に一度目を丸くして、ニヤッと笑みを浮かべて琴里も言葉を返した。最初の右も左も分からなかった時と思い出すと、本当に頼り甲斐のある兄になったものだ。とはいえ、まだまだ初心で女性の扱いがなっていない事が多いが、まあそれを含めて士道らしいのだろう。

 

 

「……それで、お優しい我が女王はこの家臣の私情を、わざわざお手伝いしてくださるのですか?」

 

「ええ、もちろん。それに……わたくしの目的、忘れたわけではございませんでしょう?」

 

「ん、俺だろ?」

 

 

 ――――――なんとも言えない沈黙が、辺りの空気を支配した。少し離れた場所では、今まさに『狂三』たちが天使を抑えていることを考えると、あまりに場違いな沈黙であった。

 周りの精霊たちがなんとも言えない――美九だけは歓喜の――表情で狂三を見遣る中、当の狂三は表情こそ平素を保っているが頬に隠し切れない赤みが差し込んでいるのは、誰の目から見ても明らかだった。

 そりゃあ、カッコよく決めていたところを身も蓋もない真実を言われたら、そうなる。

 

 

「……あなた様は黙っていてくださいまし」

 

「あなた様」

 

「復唱。あなた様」

 

「あなた様!!」

 

『やーん、狂三ちゃんってば、だ・い・た・ん』

 

「………………」

 

 

 耶倶矢、夕弦、そしてやけにテンションが高い美九、よしのんの畳み掛けるようなクワトロ・カルテット。急所に当たった。

 今度こそ耐えられなかったらしく、顔をリンゴのように真っ赤にして、しかし狂三はそれでも顔を背けることだけはしなかった。あまりに強靭な精神力に琴里すら内心で賞賛を送っていたという。ある意味、公開処刑である。

 狂三のフォローに回る白い少女も、流石に言葉が出ない。

 

「……我が女王」

 

「…………士道さんは黙っていてくださいまし」

 

 やり直した。かなり辛そうだがやり直した。

 

「……なかったことにするのは、少々難しいと思いますよ」

 

「わたくしの目的は霊力ですわ。その為に、皆様をり・よ・う、させていただきますわ」

 

「ねぇ、素直になった分ちょっとポンコツになったんじゃない?」

 

「……五河士道が関わる時だけこうなるんですよ。ああいや、昔から割と乙女なところは……」

 

「わたくしの話を聞いていまして!?」

 

「あ、案ずるな狂三!! とんこつ? でも狂三は狂三だ!!」

 

「と……十香さん、ポンコツ、です……」

 

 さり気なく悪意のない四糸乃の十香へのフォローが一番突き刺さった気がした狂三である。全くもってそういう意味合いはないからこそ、流れ弾として割と心に刺さるものがある。

 ちょっと涙目が見えている気がする狂三が尚も言い訳を連ねる中、少し申し訳ないことをしてしまったと士道が苦笑いしていると、呆然とこの和やかな光景を眺めていた真那がぽつりと声を発した。

 

「これが、〈ナイトメア〉……?」

 

「……狂三もさ、変わってるんだ」

 

 真那が出会った頃の狂三は、確かに〝最悪の精霊〟の一面しか見えなかったのだと思う。けど、今はこうして別の側面だって見ることが出来る……だからといって、狂三の犯して来た罪は許されない。真那が、それを許す事は出来ないかもしれない。相容れないのかもしれない。

 

「けど、〈ナイトメア〉は……」

 

「真那が狂三を許せない気持ちがあるのはわかってる。それでも、今のあいつ(・・・・・)がいることを、少しだけでいいから認めてやって欲しいんだ」

 

 〈ナイトメア〉としてじゃなく、〝最悪の精霊〟としてでもなく、何か大切な物を背負って歩き続ける優しくも悲しい時崎狂三という少女がそこにいると、そこにいることを認めてやって欲しい。

 彼女を、その罪を許せとは言わないし、士道にそんな事を言う資格はない。狂三もそれを望んでいない。ただ、狂三を世界から否定しないで欲しいのだ。たとえ許せなくても、この世界に狂三がいることまで否定して欲しくはなかった。

 

「私は……」

 

「――――――ああ、もう!! そろそろ参りますわよ!!」

 

 苛立ちを隠さず、しかしその表情に不快なものはなく狂三が声を上げる。それはまるで、友人たちと慣れない遊びに恥ずかしがる一人の少女の姿だった。

 そんな狂三は銃を構えながら、ふと少女へ視線を向けた。

 

「あなたも、ご友人(・・・)を迎えに行くなら自分の〝翼〟で飛びなさいな」

 

「……友人?」

 

「あら、違いまして?」

 

 友人。友達、ともだち。知識としては知っている。だが、経験としては少女はそれを知り得ない。狂三は〝共犯者〟であって友人という間柄ではないし、狂三だってそう思っているはずだ。

 彼女は、万由里はどうなのだろう。変な話だ。たった数日間、共に時間を過ごしただけの関係なのに、多分万由里は誰より少女の秘密を知っている。世界で一番お互いの秘密を共有する、という意味では……。

 

 

「……まあ、向こうはどう思ってるか知りませんけどね」

 

 

 それを否定する気には、なれなかった。たった数日の、それも人のデートを眺める奇妙な付き合い方だったが――――――少女が万由里のために出来る限りの事をするには、十分すぎる時間だった。

 

「……夜刀神十香。ありがとうございました。ここからは自分で飛びます(・・・・・・・)

 

「気にするな。しかし、お前は……」

 

「……私は飛ぶ事は控えたいと言いましたが――――――飛べないとは一言も口にしていませんよ」

 

 ふわり、十香の手を離れ少女は空を舞った。そして白い少女は、狂三以外の誰もが息を呑むその瞬間――――――〝白〟が、咲いた。

 

 

「――――――天使の、翼」

 

 

 そうとしか、表現のしようがなかった。士道の知識ではその一言で言い表すことしか出来なかった。

 〝白〟。それは、士道が初めて白い少女を認識した時に感じたもの。だが、あの瞬間とは違いその〝白〟は〝無〟ではなく、確かに〝白〟だった。

 白い少女の背から現れた、白い翼。はためく度に舞い散る白い羽根。それが、幻想的な少女の翼を本物だと認識させる。万由里のものとは似て非なる、一対二枚の白き翼。それは正しく『天使』である。数多の神話で語られる『大天使』と言い換えても決して過言ではない。

 小さな少女が背負う大きな翼は、それ程までの神々しさ。少女が神の使徒(・・・・)なのではないかとさえ錯覚させる。

 

 クス、とこの壮大な空気の中、場違いなほど軽い微笑みを狂三がこぼした事で、彼女以外の全員がようやく現実へ回帰した。

 

「美しいですわ、美しいですわ。相変わらず(・・・・・)、あなたには白が似合いますわね」

 

「……だから嫌なんですよ、私だけ悪目立ちする飛行能力なんて」

 

「良いではありませんの。わたくしの従者を名乗るなら、相応の装いというものがありますでしょう」

 

「……従者が目立ってどうするんですか」

 

 テンポの良いやり取りを繰り広げ、すっかり元の調子が戻った二人が見下ろすは〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉。分身体の猛攻をものともせず、力を蓄えながら自らと同じ力を持つ精霊達へ狙いを定めている。

 

「いただいてしまった時間は、わたくしたちでお返し致しますわ」

 

「……先陣を切ります。我が女王、先を視れますか(・・・・・・・)

 

「ええ、ええ。わたくしと〈刻々帝(ザフキエル)〉にかかれば容易いことですわ。あなたこそ、わたくしについて来れますかしら」

 

「何でしたら、我が女王の予知の先へ(・・・・・)飛んで見せましょうか?」

 

「――――――言ってくれますわね」

 

 少女の返しに不敵に微笑んだ狂三が、その背に不可侵にして世界の法を凌駕する〝天使〟を顕現させる。

 文字盤から〝影〟が躍り出る。それは歪曲した線を描きながら狂三の持つ短銃へと装填された。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【五の弾(ヘー)】」

 

 引き金を引き、狂三は未来(・・)を視る。それこそが時の女王にのみ許されし権限。金色の瞳に宿った針が高速で回転を繰り返し、彼女の瞳にあらゆる未来を授ける。

 無限に等しい未来の中から、女王はそれ(・・)を選び、託した。

 

 

「――――――――」

 

「かしこまりました、我が女王」

 

 

 臣下の一礼。女王から託されし神託を、白い少女は次の瞬間(・・・・)には現実のものとしていた。

 

『――――――――!?!?』

 

「な……っ」

 

 士道が驚きの声を上げたその時には、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉が自らの攻撃で(・・・・・・)爆発と共に声にならない苦悶の叫びを上げる。

 

「な……何が起こったんだ……?」

 

「解説。攻撃の瞬間、彼女がそこに割り込んで暴発を促したようです」

 

「うわー、あんなの攻撃が来るってわかってなきゃ出来ないでしょ……」

 

 気づけばその姿が見えなくなっていた白い少女の動きを、同じく神速の領域を持つ八舞姉妹は完璧に捉えていた。

 一翼より放たれる巨大な雷撃。少女はそれがどの翼から放たれるのか知っていた(・・・・・)。雷撃が放たれる瞬間、その翼目掛けて飛翔した少女が刀を近距離で砲身目掛けて投げつけ(・・・・)、突き刺さった刀によって行き場を失ったエネルギーが暴発したのだ。放たれる雷撃に予兆という予兆はなく、ほぼタイムラグが存在しない一撃。それを寸分の狂いもなく自爆に持ち込んだことに、八舞姉妹すらどこか呆れ顔になっているように思える。

 一歩間違えれば雷撃を受けて消し炭になりかねない戦術。先を視る瞳と、その視た未来を過去にしないだけの神速。この二つが揃わなければ成立しない豪胆かつ大胆な業。まさに先陣を切る(・・・・・)とはこの事だろう。

 

 開場の鐘は鳴り響いた。狂三が、士道へ言葉を投げかける。

 

 

「さあ、士道さん――――――わたくし達の戦争(デート)を始めましょう」

 

「ああ……!! 万由里を助け出す――――――みんなの力を貸してくれ!!」

 

 

 誰一人として、その力強い宣言に否定の声を上げる物はいなかった。誰もが士道に救われた者達なのだ――――――その大恩を返す事に躊躇いなどあるはずもない。士道の祈りを叶える為、自分たちの〝想い〟を背負った少女を助け出すため、彼女たちはその刃を振るう。

 

 バッと両手を広げた美九が、光の鍵盤を軽やかに叩き戦場の始まりを奏でた。

 

「〈破軍歌姫(ガブリエル)〉――――【行進曲(マーチ)】!!」

 

 かつて士道を苦しめた行進曲は、今は愛しい彼の力に。勇猛なる楽章は聴いた者の心と身体を奮い立たせる。白い少女を除いて(・・・・・・・・)皆一様に力の段階が引き上げられる。戦争(デート)の始まりに相応しい一曲に、彼女たちは声を弾ませた。

 

「うむ、よい開幕だ。往くぞ夕弦、四糸乃!!」

 

「対抗。第二陣は譲りません」

 

「は、い……!!」

 

 耶倶矢、夕弦、四糸乃が〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉へ向かい飛翔する。先程までとは比較ならない三人だが、それは〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉も事を同じくしていた。白い少女の奇襲に警戒を強めたのか、はたまた完全に万由里の力と同調したのだろうか、理由は定かではないが生み出される歯車の数が数十倍(・・・)に膨れ上がった。一つ一つが高い擦傷性を持つ回転する刃。如何に完全な霊装と言えど、まともに喰らい続ければひとたまりも無い。

 

「上等ぉ!!」

 

「協調。今です、四糸乃」

 

「任せて、ください……!!」

 

 しかし、全力以上の力で戦える精霊が、そのような光景に臆する筈がない。耶倶矢と夕弦、颶風の御子が生み出す暴風が力を増し、雲すら吹き飛ばさんばかりの渦を巻く。それを解き放つと同時に、今度は四糸乃が合わせて永久凍土を思わせる冷気を合わせた(・・・・)

 氷の暴風。以前、四糸乃が見せた氷結結界を思い出させる技だが、規模はそれ以上だ。何せ自身の得意分野を合わせた精霊の合わせ技。辺り一帯の歯車を巻き込み、氷結させ、粉々に砕いていく。数などこの凍結領域の前では何の意味も持たない。

 

「いよっし!! 私らにかかれば――――――って、えぇ!?」

 

 耶倶矢が威勢よくガッツポーズをし、完璧すぎる合わせ技を誇らしげに語ろうとしたその時、間髪を容れずに迫り来る(・・・・)光景に目を見開いた。程度の差はあれど夕弦、四糸乃も彼女と同じような反応を示す。

 打ち砕いたとんでもない数の歯車の次に襲来したのは、耶倶矢ですら目を剥くほどの巨大な歯車(・・・・・・)。氷結の暴風の残滓を振り払い、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉本体の大きさすら上回る特大の歯車が高速回転し進行していた。

 

「驚嘆。しかし、安易な巨大化は負けフラグ、というのがお約束で――――――」

 

「何のお約束よ!? そんなこと言ってる場合じゃ……」

 

「――――――任せろッ!!」

 

「援護いたしますわ」

 

 空を飛び躍り出る二人の影。あまりに巨大な攻勢に対し、大胆にも歯車へ向かって突撃するは〝最強〟と〝最凶〟。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【二の弾(ベート)】」

 

 引き金を合図に霊力を込めた弾丸が真っ直ぐに飛翔する。〈刻々帝(ザフキエル)〉・【二の弾(ベート)】。それは、時の概念を歪める停滞(・・)の弾丸。高速回転する歯車へ炸裂した一発の弾丸が、その身に込めた霊力を発揮し目で追う事さえ難しかった回転を極めてどんより(・・・・)とした挙動へと変えた。

 

「ふっ、はぁっ!!」

 

 鈍足となった歯車へ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を一閃、もう一閃、更に一閃と全く同じ箇所へ的確に光の斬撃を飛ばす。それぞれを追うように重なった三つの剣閃が歯車へ激突した。

 十香の鋭い瞳は、確実にこの巨大な歯車の弱所(・・)を見極めていた。重なり合った斬撃は歯車へヒビを作り、ダメージを与えている。

 奇しくも二人の連携は、かつて全くの他人同士であった頃に偶然行った物の、再演。しかし、破壊にまでは至らない。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】」

 

 

 それさえも、織り込み済み。撃ち放たれし加速の弾丸。その力は――――――狂三ではなく十香へ。これより先は新たな劇。最強(最凶)が織り成す極限の舞台。

 

 

「はあああああああああッ!!!!」

 

 

 踏み込む瞬間すら人の目では捉えられない、音速すら凌駕する神速。十香の絶大なる剣技を狂三の不可逆の力で未知の領域へと引き上げる。美九の強化まで加わっている反則に近い十香の剣が、三つの斬撃を更に押し込む(・・・・)ように叩きつけられた。

 

 巨大な()を凌駕する、驚異的な()。力と力のぶつかり合いを制したのはどちらか――――――次の瞬間、粉々に打ち砕かれた歯車の姿を見れば、誰の目にも明らかだった。 霊力の塊を破壊した影響で爆風が巻き起こる中、煙を払い飛び退いた十香が優雅に佇む狂三の隣へと降り立った。

 

「礼を言うぞ、狂三」

 

「いえ、いえ。わたくしでは出来かねますこと。十香さんのお力があればこそですわ」

 

「何を言う。お前の力があったから――――――ッ!!」

 

 互いの力を讃え合う。本来であれば(・・・・・・)、きっと有り得なかったであろう十香と狂三の関係。そんな二人が何かを感じ取ったように目を見開き、視線を黒煙の先(・・・・)へ向ける。

 

 そこからたった今破壊した筈の歯車が煙を突き破り姿を表した――――――二つ(・・)

 

「まだ来るのかよ……!!」

 

「こうなったら、真那が全力でッ!!」

 

 道が開かれるまで動けない士道が歯痒さを感じる中、彼を支える琴里の代わりに細かな攻撃を弾いていた真那が意を決してスラスターを吹かせる。彼女であれば或いは撃ち砕く事が出来るだろう。が、それを止めたのは同じく露払いを行っていた白い少女だった。

 

「……無駄な事は止めた方が良いと思いますけどね」

 

「無駄かどうかなんてやってみねーとわからないでしょう!!」

 

 声を荒らげる真那に対して、白い少女は極めて冷静に、細かな歯車を打ち払いながら説明が下手な自らにため息を吐いた。別に少女が言いたいのは真那が捨て身であの攻撃を防げない、という意味ではない。

 

 

「……ですから、そんな事――――――必要ないでしょう(・・・・・・・・)

 

 

 意味がないのだ、その行動は必要ないのだから(・・・・・・・・・・・・・)

 

 霊力の密度が膨れ上がり、場の空気そのものを塗り替えた。

 

 

「〈鏖殺公(サンダルフォン)〉――――――」

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――――」

 

 

 膨れ上がった霊力は、空間に見えない火花を散らしているようだった。迫り来る二つの巨大な力に一歩でさえ引くことはなく、名乗り上げるは、己が最強(最凶)の〝天使〟。

 十香が空中に金色の王座を真っ二つに斬り上げ、粉々に砕け散った破片は剣の刀身へ収束する。狂三が双銃を時計を指し示す針のように構え、その銃口へ羅針盤から影を吸い込む。

 

 

 

「【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】!!!!」

 

「【七の弾(ザイン)】」

 

 

 

 片や熱き雄叫びを、片や冷たさの中にその情熱を隠す絶唱を、それぞれが高々に謳う。

 

 双銃を掲げ、僅かな狂いもなく霊力という名の時間を凝縮した弾丸を放つ。この世で唯一、神にさえ抗う可能性を秘めた帝王の力、その一つ。どれだけ霊力を融合させた物体であろうと、時間(・・)という摂理から逃れうる事は不可能。

 回転する車輪も、切り裂くための巨大な刃も等しく、それだけが世界から切り取られかのように静止(・・)した。

 

 大剣を振り翳す。身の丈の三倍はある特大の剣。それを十香は軽々と振り上げて見せた。当然にして、絶対の光景。この世で唯一、この最強の全てを十全に扱える者、それが夜刀神十香という精霊。

 宵闇の光。目の前には、十香が粒ほどに見えてしまう巨大な物体(・・)。そう、狂三の手でそれは霊力の灯った、ただの物体に成り下がっている。ならば、容易い(・・・)

 

 刮目して見よ。これが、究極にして一。十香は――――――その一刀を以て全てを滅殺した。

 

 

「――――――散れ」

 

 

 ――――――世界から、音が消えた。

 

 士道がそう錯覚した刹那、爆撃のように凄まじい衝撃波が辺り一帯を襲い、遅れて恐ろしい爆音が鳴り響いた。それ(・・)が通ったであろう場所には、塵ひとつとして残ってはいない。文字通りの〝最強〟の一撃は、今の〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉が持ち得る手札を完璧に破砕して見せ――――――万由里への道を作り出した。

 

 狂三と十香は、その圧倒的な力を誇る事もせず、ただ士道だけを見ていた。その瞳が語る言葉はただ一つ――――――行け。

 

「琴里!!」

 

 天をも焦がす天女が如き少女が駆ける。切り開かれた道を、勇者を導き、そして導かれし者として。

 

「焦がせ――――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉!! 」

 

 凄烈なる戦斧を片手で振るい、球体の眼球から放たれる雷撃の針を打ち払い燃やし尽くす。もはや、何者も士道の道を阻む事は出来ない。

 己の兄と一瞬だけ見つめ合う。その瞳には恐れも迷いもない。

 

「士道……頼んだわよ!!」

 

 送り出すのは、妹である琴里の役目。以前までの士道であれば情けない叫び声の一つでも上げていたであろう高空からの落下。しかし、今の士道にあるのは迷いではなく決意。恐れではなく祈り。

 

 

「――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 

祈りを以て、士道は自らが識る最強の剣をその手に顕現させた。振るわれる刃。それが斬り裂く物は鳥籠。運命の翼に囚われた少女を助け出す、信念の剣だった。

 

「万由里!!」

 

「し、どう……」

 

「待たせたな。迎えに来たぜ」

 

 檻となる柱を斬り裂き、白き羽が舞い散る。士道は躊躇いなくその中で待つ万由里へ手を差し伸べた。万由里は微かに手を震わせ、しかし己の運命を知っているからこそ手を取ることが出来ない。一人、運命に逆らいこの想いを抱いてしまった彼女だから。

 

 

「私は……」

 

「大丈夫だ、安心しろ。皆わかってる」

 

「あ……」

 

 

 だが、そんな万由里の手を取り、熱のある温もりを与えるのが士道という少年だった。差し伸べた手で、必ず精霊の手を掴んで見せる。その手を絶対に離したりしない……皆を愛する者が士道なのだ。無条件の優しさを、温もりを、万由里は識っていて――――――この瞬間、記憶ではなく自らの主観で感じ取れる喜びを全身で感じた。

 

「万由里、五河士道を!!」

 

「っ……!!」

 

 言葉と共に色のない刀が二人の頭上に突き刺さる。それは再生しかけていた檻の〝核〟を穿つ一撃となり、万由里を捕らえていた全てを完膚なきまでに破壊する。鳥籠より解き放たれし『天使』が勇者の手を取り、今高々と舞い上がる。それに続くようにもう一人の『天使』も飛翔した。

 

「無事だな、シドー!!」

 

「ああ、万由里もな!!」

 

「……ごめんなさい」

 

 全員が集まる中、万由里は突然神妙な表情で頭を下げた。何の謝罪か、言うまでもない。自らの秘めた想いのせいでこんな事になってしまったのだ。もし、士道に会おうなどと高望みせずに一人で消えていればこんなことには――――――

 

 そんな彼女を、白い翼を羽ばたかせた少女がコツンと、優しく頭を叩いた。

 

「え……?」

 

「……こういう時に言うべき言葉、あなたは識ってるんじゃないですか」

 

 記憶にあるはずだ。誰かに救われ誰かの手を取り、その時救われた者たちが言葉にしてきた物。それを万由里は識っている。この場に相応しい、たった一言を。

 

 

「――――――ありが、とう」

 

 

 辿たどしく、それでも万由里は言葉を紡ぐ。誰もがそれを受け入れて、微笑みを浮かべた。彼女たちもまた、士道に救われて来た精霊であり、想いを同じくする者。だから必要なのは謝罪なんかではなく、感謝。安堵の笑みを見せた万由里のその表情こそ、最大級の見返りであった。

 

「……お姫様も助け出せた事ですし、後は……」

 

アレ(・・)を何とかする番ね」

 

 万由里を救い出せたことで憂いはなくなった。士道たちが再び〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉へ視線を落とすと……〝天使〟が産声(・・)を上げた。

 

 

『ァァァァァァァァァァァアアアアアアア――――――ッ!!!!』

 

 

 悲鳴が木霊し、絶叫が残響する。その天使の嘆きは力となり、苦しみは形となる。球体を中心として渦を巻くように〝天使〟が収縮し、自らを作り替えていく(・・・・・・・)。より強く、より鋭く、螺旋のネジ巻きにも似た物へ進化(・・)する。

 

「何よ、あれ……!!」

 

「――――【ラハットヘレヴ】」

 

 万由里がその名を呟いた瞬間、ドリルのように渦を巻いた〝天使〟の先端が光り輝いた(・・・・・)

 

「っ……皆様、衝撃に備えてくださいまし!!」

 

 狂三が警告をしたその時、閃光が士道たちの目を覆い隠し――――――裁きの雷撃が薙ぎ払われた(・・・・・・)

 街を、山を超えたその先から爆炎と衝撃波が彼らを襲う。地形そのものを変動させたそれは、地獄のような火の海を生み出し一瞬にして焦土へと変貌させた。たったの、一撃で。

 

『こいつ、さっきより全然強くなってる……!!』

 

「霊力の大半を特化した攻撃に転用いたしましたわね。六人の精霊の霊力が合わさった存在……単純ながら厄介ですわ、厄介ですわ。正直、わたくしたち一人一人では及びもつきませんわね」

 

「冷静な解説どうも。もう少しポジティブな意見が欲しかったわね!!」

 

「あら、あら。それは申し訳ありませんわ。でもわたくし、このような場面で都合の良い希望を言葉に出来る女ではありませんの」

 

「いつも奥の手隠してそうなやつが何言ってんだか……」

 

 狂三の予測が正しければ、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉が持つ莫大な霊力を今の攻撃一つに集約させているということ。つまりは、あの姿は最終攻撃形態であると同時に〝天使〟が持つ奥の手ということになる。奥の手を使わざるを得ない状況までは追い込んだ。しかし、狂三が言うようにあまりにもその奥の手とあの〝天使〟の再生能力の壁が高かった。

 

「令音!!」

 

『……解析結果が出た。あの〝天使〟には、通常の攻撃ではまともにダメージを与えられない』

 

「なんですって!?」

 

『……君たちの霊力を結集させた一撃を一点に集中させることが出来れば、或いは……』

 

「霊力を集中って、そんなのどうやって……」

 

 十香の【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】や八舞姉妹の【天を駆ける者(エル・カナフ)】、琴里の【(メギド)】――――各々の精霊が持つ最強にして究極の一撃。令音はそれでさえも〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉を討滅するには至らないという。全ての霊力を結集させ、究極を超える一を作り出さねばならない。だが、そんなことどうやって……と、突然一人の精霊に声をかける者がいた。

 

「狂三!! お前の〈時喰みの城〉なら……!!」

 

 狂三の〈時喰みの城〉の城は踏んだ者の意識、及び時間を吸い取る結界。狂三は常々、自らの目的は霊力であると公言していたことから霊力(・・)を吸い上げることも可能なのではないか、士道はそう推察を立てたのだ。だが、一瞬だけ思考するように表情を歪めた狂三の答えは、無常にも頭を左右に振るうNO、というものだった。

 

「〈時喰みの城〉なら皆様の霊力を集約させることだけ(・・)ならば可能ですわ。しかしながら、わたくしと〈刻々帝(ザフキエル)〉では莫大な霊力を攻撃へ転用、出力させる事は……」

 

「くっ……」

 

「莫大な霊力を物理攻撃(・・・・)という形で顕現させられるだけの精霊……せめて十香さんに譲渡することが出来るなら。ですがそれには時間が……」

 

 こちらに狙いを定めた二射目を放つために動きかけている〝天使〟を相手に、悠長な事を考える暇はない。狂三の思考スピードでさえ時間が惜しい。アレの足を止めていられる間に、円滑かつ完璧に十香へ霊力を集約させる手段――――――白い少女と万由里が視線を合わせたのは、その時。

 

「……万由里!!」

 

「わかってる」

 

 万由里が羽を羽ばたかせ、十香の手を取った。その瞬間、黄金の波動が精霊たちを包み込んだ。

 

 それを起点とするように十香の紫紺の波動、琴里、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九。士道に封印された精霊たちの霊力が波動となり、虹色の輪を作り出した。天使の輪のように一同を包むその光は、万由里の意志と同調して十香へ力を与える。

 

 

「霊力が、集まっていく……!?」

 

「力が――――――湧いてくる」

 

 

 光が集う。まるで、精霊が霊装を顕現させる瞬間の光。それは間違っていない。ただ霊力を集めているのではない。士道の、万由里の、精霊たちの想い全てを結集させ……霊装と天使を生み出している(・・・・・・・)。再構築されていく十香の霊装。しかし――――――

 

「兄様、〝天使〟がっ!!」

 

「くそ……っ!!」

 

「今こられても!!」

 

「焦燥。お相手、出来ません……」

 

 〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉が真っ直ぐに霊力砲の狙いを定めている。同じ霊力を持つ者たち、精霊へ。六人の精霊に迎撃手段はない。その力は全て、十香へ集約され攻撃に転用しなければならない。今あの霊力砲を受けてしまえば、士道たちの勝利は消滅する。

 

「『わたくしたち』!!」

 

「させるか、ってんですよ!!」

 

 故に防がねばならない(・・・・・・・・)。狂三の号令とその内容を正しく受け入れた『狂三』が、それと全く同時に真那が飛ぶ。〝天使〟の霊力砲が収束する地点、死地(・・)へ向かって迷わず。

 

 霊力砲、【ラハットヘレヴ】の二撃目。それは一撃目より強い閃光を伴い、解き放たれた。町一つを軽々と焼き尽くす雷撃――――――真那は正面から砲撃を受け止めた。

 

「く……あああああああああっ!!」

 

 防性随意領域を全面へ。世界で五指に入る魔術師の鉄壁の随意領域を、雷撃は容赦なく削り取る。鉄壁を誇る魔術師の随意領域も、数多の精霊の霊力を持った一撃では意味をなさない。脳が限界を超え、オーバーヒートを起こした機械のような熱と頭が割れそうになる痛みが真那を襲う。

 押し切られる――――――直感的に悟った真那を支えた(・・・)のは、憎たらしい(・・・・・)霊力の壁だった。何の皮肉だ……あれだけ殺そうとしていた相手に、救われる日が来るなんて。フッと痛みすら忘れて、真那は皮肉な笑みを浮かべた。

 

 

「……まさか、あなたに助けられる日が来るなんて、屈辱でいやがります」

 

「こちらの台詞、ですわね」

 

 

 瞬間、閃光が煌めく。随意領域と霊力の壁に大半の力を吸われた砲撃が、悪足掻きと言わんばかりに巨大な爆発を巻き起こした。

 

「真那、『狂三』!!」

 

「ここまでか……!!」

 

 〈ラタトスク〉が誇る最新鋭のCR-ユニット〈ヴァナルガンド〉が、その力を示したと同時に、力尽きたように機能不全を起こしていた。飛行すらままならず、吹き飛ばされた『狂三』たちに目を向けた真那は、地に落ちる前に士道の隣に立つ狂三へ叫びを上げた。

 

 

「兄様、どうかご無事で!! それと、兄様を傷つけたら何がなんでも殺してやりますよ――――――時崎狂三(・・・・)!!」

 

「っ……その減らず口、確かに承りましたわ」

 

 

 お互いに笑みに友好なものなどない。皮肉げな表情を受け止める薄ら笑い。だが、あの(・・)時崎狂三が承る(・・)と言ったのだから――――――それだけは、ほんの少しだけ信じてやるべきか……段々と遠くなる視界の中で、真那は後を託すように墜落して行った。

 

「……我が女王」

 

「ええ、ええ。託されたからには――――――わたくしの名にかけて死守いたしますわ」

 

 時崎狂三のプライドにかけて、受け取ったからにはその言葉を反故にする事は出来ない。いや、しない。それが狂三という精霊であると、冷静でありながら誰よりも責任と情を持つのが彼女なのだと知っているが故に、白い少女は返答の代わりに隣へ翼を羽ばたかせた。

 

 三発目のチャージが始まっている。撃たせはしない。霊力の集約が終わるまでの間、あの〝天使〟を止めるのが狂三と白い少女の役割……だが。

 

 

『ァ、ァァァ――――――aaaaaaaaaaaaaaaアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』

 

 

空間が軋む(・・・・・)。比喩的な表現ではなく、間違いなくそこ(・・)が歪んでいると彼女だけは解る(・・・・・・・)

 

「っ!!」

 

「狂三……!?」

 

 思考する時間は必要なかった。本能に従い、狂三は銃を抜き放って自身が信頼を寄せる一発を装填、引き金を引いた。

 

「――――【七の弾(ザイン)】!!」

 

 黒の一撃。それは物理攻撃ではなく、ある種の空間攻撃(・・・・)。今までありとあらゆるものを、その法則を不条理に捻じ曲げてきた絶対の弾丸。時間という〝無敵〟の事象を司る〈刻々帝(ザフキエル)〉が誇る禁断の力。

 

「な……っ!?」

 

 故に――――――〝無敵〟の力を破れるのも、また〝無敵〟のみだった。

 時崎狂三が動揺を顕にする。それがどれほど異常な光景なのかは、白い少女や士道なら簡単に判ることだった。その動揺と、絶対無敵の【七の弾(ザイン)】の行方を見た士道たちは彼女以上に驚いていた。

 

弾丸が消えた(・・・・・・)。弾かれたわけではない。ただ、あの〝天使〟に届く前に空間に呑まれたように消えた。絶対の力を持つ時間停止の弾丸が初めて役割を果たさず跡形もなく消失したことに、しかしそれでも狂三はすぐに動揺を収めて冷静さを取り戻す。

 

「っ……令音先生」

 

『……これ、は……』

 

「……解析官。アレ、なんですか。霊力の障壁……って言うなら簡単で嬉しいんですけど」

 

 ありえない冗談を口に出してしまうくらいには、少女もローブの下の動揺を隠しきれていない。どんな密度の霊力障壁だろうが、時間停止の弾丸から逃れられる理由にはならない。〝無敵〟を破るに足る理由がなければ、法則を超える現象を上回ることはない。

 

『……こちらの計測が正しければ、〝天使〟の周囲の空間が異様な数値を示している。本来ならありえてはいけない数値をね』

 

「異様な数値? 令音、どういうこと」

 

『……時間の流れが歪んでいる(・・・・・・・・・・・)。そうとしか言えない』

 

「ちょ、ちょっと待って。時間って……!!」

 

時間(・・)。絶対不変、不可侵の領域、人の身では未だ干渉する事さえ出来ない事象。その時、誰もが彼女を……この世で唯一、その不可侵の法を打ち破ることが出来る精霊を見た。

 

『……時間がない。これは私の推測だが、あの障壁は触れた物を別の時間軸(・・・・・)、例えば――――――過去(・・)に飛ばす事が出来る物だと仮定することが出来る』

 

「触れた物を、って……そんなのどうしたら!? それにどうやって狂三みたいな力(・・・・・・・)を……!!」

 

『……理由はわからない。だが、このままでは霊力を一つに集中させても意味がない。あの障壁は、恐らくどんな物理攻撃も別空間へ飛ばしてしまう――――――私たちの知らない、いつかの過去へ』

 

 令音の分析に誰もが言葉を失い絶句する。それはつまり、詰み(・・)。希望が見えた先に立ちはだかる絶望。こちらを超える物理火力に加え再生能力、更には攻撃を実質的に無力化してしまう結界まで展開されてしまっては、もう士道たちに打つ手はない。

 可能性があるとすれば、令音の言葉に心を落ち着けるように目を閉じ、そうして己が〝天使〟を見遣る……時間を操る(・・・・・)狂三しかいない。

 

 

「――――【一二の弾(ユッド・ベート)】」

 

「一二の……弾?」

 

 

 その名の意味を識る者は、この場において狂三以外では白い少女――――――狂三の推測が正しいのなら、万由里も識っているはずだった。敢えて士道の問いのような呟きには答えることなく、彼を支える万由里へ視線を飛ばす。そんな狂三の考えを肯定するような形で万由里は頷いた。

 

 

「そう……なら、わたくしが後始末を付けねばなりませんわね」

 

「あなたのせいじゃない。私が……」

 

「最初に惹かれてしまったのは――――――わたくしですもの」

 

 

 全く、いつ自らの霊力(・・)を彼が受け取っていたのか。どう言った理屈なのか、たった一部分であれほどの時空間を歪められる理由……推察するには何もかもが足りない。万由里にのんびり訊ねる時間も既に失われている。

 確かなのは、あの障壁には狂三が関わっていて、狂三が責任を取らなければならない(・・・・・・・・・・・・・・・・)、という事だけだ。

 

「十香さん達はそのまま霊力の集中を。あの結界は、わたくしの手で打ち破りますわ」

 

「何か方法があるのか!?」

 

「ええ、ええ。アレが万象を過去へ誘う結界だと言うのなら、同質の力(・・・・)で対消滅を狙いますわ」

 

 十二番目に定められた力。狂三の最後の弾丸にして、秘中の中の秘。こんなところで使うには不本意極まりない。だが、こんなところで(・・・・・・・)――――――戦争(デート)を終わらせてしまうなど、もっと不本意だ。

 

 右手に力を込め、全神経を集中させる。羅針盤が震え、十二番目の文字が一際輝いているのを全員が見つめ――――――

 

 

「我が女王」

 

「っ!?」

 

 

 〈アンノウン〉は狂三の右手を己が手で包み込み、その集中を霧散させた。

 

「……時間が惜しいと言うのはわかっていらっしゃると思いでしたが」

 

「惜しいからこそ止めたんですよ。私がやります(・・・・・・)

 

「は……?」

 

 何を言っているんだ、そう表情だけで訴えているのは誰もが同じだった。ただ一人、万由里だけを除いて。そんな彼女を見て、表情が見えない代わりか声に出した得意げな微笑みを少女は聞かせて声を発した。

 

「……言ったでしょう。最悪、私がなんとかすると。今がその時です。それに、狂三の方法では霊力の消耗が激し過ぎます。あなた、一応は霊力の為にここへ来たのにそれでは本末転倒でしょう」

 

「一応、は余計ですわ。ですが、【十二の弾(ユッド・ベート)】を使う以外の方法がありまして?」

 

「……なかったら止めてませんよ。私個人としても、狂三の力をあんな雑な使い方をするのは癪に障ります。簡潔に言えば、不愉快です」

 

 今度は少女が力を込めるように翼を一振り薙ぐように羽ばたかせ、その手に持った刀を鞘へ戻した(・・・)

 

 そもそも、白い少女に言わせればあんな結界は〝無敵〟でもなんでもない。ただ、〝無敵〟であったものを歪めた出来の悪い紛い物だった。

 

 

「……時間というのは、目に見えないから〝無敵〟なんです。それをあんな風に目に見える形にした時点で、それは〝無敵〟の概念を失っていると思いませんか?」

 

「あなた、一体何を……」

 

「――――――あなたは美しいということですよ、我が麗しの女王」

 

 

 そうして、少女は白い翼を羽ばたかせ舞い降りる。〝天使〟を『天使』が見下ろす。傍から見れば異様な光景だろう。不可思議で幻想的な光景だろう。壁画の一枚のような絵を、少女は今より打ち崩す。

 

「――――〈――――〉」

 

鞘を手放し(・・・・・)、名を告げる。真っ白な刀が空へ落ち、光となって少女の身体へ溶けて消えた。

 

 〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉が悲痛な叫びを上げ、その翼を動かし飛翔を始める。触れた物を異次元へ飛ばす結界を纏いながらの進行。しかし、少女に焦りはない。悠然と、白い翼から羽を散らし、淡々と語る。

 

「……私の前で狂三の力をそのような使い方をするのであれば、覚悟は出来ているのでしょうね、不敬」

 

 時間は不可視だから〝無敵〟の力を持つ。それを自らを守るために可視化してしまうなど、滑稽。

 

 それは、そこにある。

 

 それは、存在している。

 

 それは、目の前にある。

 

 万象の法則に乗っ取られる形に貶めたそれは、物体という輪廻に囚われてしまった哀れなそれは、少女の目前に存在(・・)している。ならば――――――『無』から逃れられるものではない。

 

 右手を前に突き出し、唱える。

 

 

 

 

 

「――――〈   〉」

 

 

 

 

 

 ――――――『無』が、顕現した。

 

 

 




生きているなら、神様だって殺してみせる。


Q.狂三と十香が組んだら大体何とかなっちゃわない? A.(物理最強と変則最凶が揃ったら)そらそうよ。

あなた様って呼び方意外と誰も突っ込まないなーとか思いながらこの回まで来たのでちょっと満足です。確か25話を境くらいに変えてた気がします。それまでは地の文で士道への二人称が丁寧なくらいだったので、まあ、私の趣味です(プロフェッサースマイル)

【最後の剣】は本当は予定になかったんですけど出したかったので出しました(瞬瞬必生) 好きな技なのでどうしても出してあげたかった…だってカッコイイじゃないですかハルヴァンヘレヴ。

私が自分で作ったキャラにこの要素を盛らないはずがないと言わんがりの白い翼。創作始めた8年くらい前からこの辺の趣味は変わってない……いやちゃんと理由はあるんですよこの翼。先に翼出せるって決めてから考えた後の先ですけど()
さり気なくこの小説だと名前が出るのは初な【十二の弾】。とはいえ燃費最悪レベルなので撃たせるわけにはいかない。ということで少女が繰り出した力はまさかの……そんな所で次回へ続く。果たしてこの行方は如何に。

感想、評価などなどくださるとめちゃくちゃ喜んでめちゃくちゃ喜びます。次回をお楽しみに!!


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第六十話『叶えられた願い』

そして、変えられた結末。二人の選択の先にあるもの。

もう六十話かぁと思うと完結までに何話使うんだろうとふと思う時があります。というか自分がここまで続けられていることにびっくりする今日この頃。そんなわけで万由里ジャッジメント編クライマックス、どうぞ。




 真っ白な光。敢えて識別してしまうのなら、そんな表現が似合っていると思う。士道たちが見つめる中、〈アンノウン〉はただ右手を翳した。何かを唱えたようにも思えた。しかし、それは〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の雄叫びに掻き消されて『無』へと消えた――――――眼前に広がる光景のように。

 

 士道の視界に映る物を、また敢えてこの場にするなら――――――世界の崩壊、そんなありふれたフレーズ。

 

「な……なんだ。何が起こってるんだ……!?」

 

 あらゆる空想が具現化したような精霊たちを見てきた士道ですら、その天災足る力を持つ精霊たちでさえも、驚愕と理解の及ばない光景に各々が目を疑っていた。

 

空間が削り取られている(・・・・・・・・・・・)。それが正しい表現なのかはわからない。だが、彼の目と知識で言葉に出来るのはそこまでだった。白い少女が光を放つ。それを浴びた空間が消失(・・)する。あらゆる物体を過去へ誘う時空間結界を凌駕する〝何か〟が、あった。

 

 時間という法則を、条理を盾とする〝無敵〟に等しい力を――――――光が包み込んでいた。

 

「結界が消えていく……空間に対する攻撃、なの? ああもう!! 狂三、あんたはアレ(・・)を知ってるんじゃないの!?」

 

「……いえ、わたくしもあの力は初めて拝見いたしましたわ。しかし……わたくしが感じ取れる範囲では、少なくとも〈刻々帝(ザフキエル)〉に類似する物ではありませんわね」

 

 琴里の問いかけに狂三はあくまでも冷静に力を分析し、限られた回答を声にした。時間に干渉する力に対抗出来るのは、同じく時間を司る〈刻々帝(ザフキエル)〉をおいて他にいない。令音の分析から導き出した答えを、白い少女は正体不明の力で覆そうとしている。

 そんな不条理を不条理で打ち砕かんとする非常識に、琴里は焦りながらも自らが最も信を置く令音へ通信を送った。

 

「令音!!」

 

『……解析不能』

 

「……え」

 

『……彼女が纏う〝天使〟と似て非なる、と言うべきかもしれないね。あの力は、こちらの解析で測れるものではない、別次元。霊力を使った〝何か〟としか表現出来ない』

 

「なによ、それ……」

 

 最新鋭の顕現装置(リアライザ)と令音の解析能力。それを用いて得られた結果が〝わからない〟など言葉を失う他ない。まさに正体不明の力。だが、現実としてそれは彼らの前で行われている光景だ。

 

『……だが――――――少し不味いかもしれない 』

 

「ど、どういうこと?」

 

 それは琴里たちに向けた、というよりかは個人の呟き、独白に近いニュアンスだった。しかしこの状況で、そのような不穏な言葉を見過ごすわけにはいかなった。このまま行けば、直に(・・)あの結界は完全に消滅するはずだ。障壁は耐えてこそいるが、あの光を受け止められているわけではない。着実にベールを剥がされている……令音は何を懸念しているのか。

 

「……ダメ。このままじゃ……っ!!」

 

 その答えをもたらしたのは令音ではなく、焦りの表情を浮かべた万由里だった。

 

「万由里?」

 

「あいつの身体が――――――保たない(・・・・)

 

「な……!?」

 

 万由里の言葉に全員が声を詰まらせる。慌てて声を上げようとするも、その言葉の意味をいち早く理解し、士道より先に万由里に詰め寄ったのは誰でもない……狂三だった。その時、常に誰より冷静さを武器とする狂三の表情に浮かぶ、焦りにも似た物を彼は感じ取った。

 

「万由里さん。詳しくお聞かせくださいまし」

 

「……あの力は、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の力を上回ってる。けど、そんなのを使って無事な筈がない。このままじゃ――――――あいつ自身が崩壊する可能性がある」

 

『……今まで観測できなかった彼女の霊波が、僅かながらこちらで捉えられた。これ以上は彼女の身体が危険だ』

 

「そ、そんなのすぐに止めさせないとヤバいじゃん!!」

 

「……止めろと言って聞くような子ではありませんわ。既に賽は投げられているのですから」

 

「け、けど!!」

 

「わかっていますわ……!!」

 

 狂三とてわかっている。こうして声を荒らげることの無意味さを、焦りは冷静さを殺すという事も。

 あの子の身体が崩壊する――――――あの子が、死ぬ。自身の選択一つで、自らが背負うと決めた命が消える。時崎狂三は間違える事が出来ない。過去をやり直す術(・・・・・・・・)を持つ彼女は、それを持つからこそ気軽に物事を判断してはならない。過去を変えるという事は、〝今〟を、そして未来を変えるということ。変えた物事一つでどう転ぶかわからない以上、それに頼り切ることは出来ない矛盾。

 

 鼓動する心臓が嫌な音を聞かせてくる。狂三が取るべき行動は二つに一つ。静観か、莫大な霊力を消耗する賭けに近い力の行使か。

 対消滅、と簡単に言うが成功する保証はない。戦闘で霊力を消費してきた狂三が、精霊の霊力を集えた〝天使〟の力と拮抗できる保証もない。先程までの段階なら、狂三は自信を持って出来ると答えることが出来た。しかし、あの子が行動を起こした時点で少女を止めれば全てが水泡に帰す可能性が浮上している。

 静観。自らの目的のため、非情にもあの子の危険を見過ごす選択。精霊としての時崎狂三はそれを推奨し――――――少女としての時崎狂三は、それを否定する。

 

「……っ」

 片手に握った銃を見遣り、もう片方の手を血が滲むような力で握りしめ思考する。

 

 ああ、ああ。随分と甘くなったものだ。非情で、最悪の精霊が時崎狂三であったというのに。それが自らの目的を果たすための強さだったというのに。悪魔が人間のような迷いを持ってしまったが故の〝弱さ 〟。最悪の精霊は堕落し、その弱さを持ってしまった。最悪の精霊は、孤独に戦える強さを失ってしまった。

 

 

「――――――狂三!!」

 

「ぁ……」

 

 

 同時に――――――支えてくれる大切な人を得た。

 その〝弱さ〟を肯定して、受け止めてくれる人の手が、痛々しいほど握りしめられた少女の手を優しく解きほぐした。

 

「落ち着け。時間がないのも、あいつの事が心配なのもわかってる。だから一人で背負い込まないでくれ。みんながいる、みんなで一緒に考えよう」

 

 彼だけではない。周りを見渡せば、皆が……いつの間にか繋がっていた、優しい人たちがいた。

 

「狂三、私たちに出来ることはないか!?」

 

「狂三さんに比べたら、頼りないかも……しれません、けど……!!」

 

「この颶風の御子、受けた恩は必ず返すのが心情よ」

 

「思考。皆で考えれば必ず何かあるはずです」

 

「狂三さんとあの子の為なら、私も全力で歌っちゃいますよぉー!!」

 

 十香、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九。誰もが狂三を、そしてあの子の身を案じてくれている。本来、士道を狙う敵であるはずの――――――

 

 

「敵とか味方とか、くだらないこと考えてんじゃないわよ」

 

「琴里さん……」

 

「――――――〈ラタトスク〉が守る精霊には、ちゃんとあんた達(・・・・)も入ってんのよ。もうちょっと素直になりなさい」

 

 

 ニッと笑い、琴里は狂三へ言葉を投げかけた。冗談で言った〈フラクシナス〉での会話を律儀に覚えていた琴里らしい台詞。

 

 ――――――自分が力を貸している。そう狂三は思っていたのだが、少し思い上がりが過ぎたようだ。士道の理想を、願いを無にしたくないと考えていた自分のように……彼女たちもまた、士道の理想を信じ救われた者たち。ああ、全く……優しいのは、当たり前か。

 

「……!!」

 

 そして、狂三の思考は新たな答えを見出す。その答えは自分だけの力では成し得ない。誰かを頼る、誰かの力を借りる。土壇場でその発想が出なければ、白い少女を知る彼女だからこそ、皆から力を貸してもらえる〝今〟の彼女だから浮かんだ一つの答え。

 

 ニッと、意趣返しのように微笑んだ狂三が士道の手を握り返し、真っ直ぐに琴里を見て(・・・・・)声を発した。

 

 

「ええ、ええ。では力をお借りいたしますわ――――――未来の義妹様(・・・・・・)?」

 

「……え?」

 

「は?」

 

 

 茶目っ気のある狂三の言葉に場違いなほど間抜けな声は士道で、表情を一変させ恐ろしく低い声を上げたのは誰かは……言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『時』が『無』の極光と鍔迫り合い、激しい光を放つ。

 

「っ……ぁ……!!」

 

 気を抜けば滑り落ちそうになる右腕を左腕で強引に支えるが、それでさえ少女にとっては恐ろしい激痛となって全身を苛む。過剰な力の代償は、少女の不完全な身体を確実に蝕んでいた。

 

『……聞こえているかい?』

 

「……なん、です……!! 今ちょっと余裕がないんですけど……っ!!」

 

 付けっぱしにしていたインカムから令音の声が聞こえてくるが、余裕の態度を作る余力を少女は残していない。あるのは、不出来な『時』の壁を持てる全力で削り取る力だけ。

 

『……君の霊波の乱れが異常な数値を示している。今すぐその力を解除するんだ、それ以上は危険すぎる』

 

「……ああ、これ(・・)を使うとそっちまで力弱まるんですね。それは、ちょっと予想外……っ、が……ぁっ!!」

 

 喉の奥から強烈に迫り上がる嘔吐感。それを耐える力も残していない少女が、夥しい血を吐き出して身体を傾かせ――――――しかし、倒れることはしない。生温かい鉄錆の味を口内に溜め込みながら、白い少女は力の維持に尽力し続ける。

 

「……今、私が完遂しないと、我が女王が無理をするしかなくなるんでね……!! 引くに引けないんですよ……っ!!」

 

 『無』の天使。〝彼女〟のみに許されるその力を、出来損ないが十全な力で振るうことは出来ない。十全の力を行使した瞬間待っているのは、少女の霊基の崩壊でしかない。故に、今少女が行使している力は本来の半分以下(・・・・)。それが『時』の結界の再生と拮抗し、破壊まで時間を要している理由だった。

 高速で再生する力を、少女の身体を犠牲とした力で押し切らんとする歪さ。〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉が行使した力を不愉快だと言ったが、同じような使い方をしているのは少女も同じ(・・・・・)だと滲む血を噛み締めて笑う。

 

 

『……死が、怖くないのかい?』

 

「……はっ。生憎、惜しむような命でもないのでね。それ以上に、私には成すべきことがある――――――あなたなら、理解できる(わかる)よね?」

 

 

 ――――――命を、大切なものを踏み躙り、どんな犠牲を払おうとも。

 

『……!!』

 

「……ほら、ね――――ッ!!」

 

 少女の言葉に令音が息を呑んだ事に微笑みを零したその瞬間、結界を再生させる速度が上がり僅かながら『無』の天使が押し返される。

 

「……これ以上は、賭けか」

 

 押し切るには再生を超えるだけの、再生すらも『消滅』させる出力が必要となる。だが、そうした時に出力した力を放出する役割の少女の身体が持つかどうか……迷いなどない。

 

 狂三の言葉を、五河士道の言葉を理解していないわけではない。それでもなお、少女は――――――その刹那。

 

「な……っ!?」

 

 〝焔〟が白い少女を包み込むように燃え上がった。その〝焔〟と、背に当たる手の感触。少女は視線を向けた先でいるはずのない人物を見つけて驚愕した。

 

「何――――――へばってんのよ!!」

 

「……五河、琴里……っ!?」

 

 燃えるような烈火の瞳が真っ直ぐに、少女が怯んでしまうほどの激励を飛ばしている。同時に、少女の全身に白い外装を超えて炎が這う。それは人を傷つけ、焼き尽くすための炎ではない。

傷を癒す炎(・・・・・)。高熱を伴いながら難を喰らう癒しの炎。その力を受け継ぐ士道と、本来の使用者である彼女、五河琴里にのみ許された奇跡の焔。

 

「大口叩いたんなら……しっかりやんなさいよ……っ!!」

 

「っ……何してるんですか!! あなたがここに来たら……っ」

 

 外部的な損傷に留まらず、その焔は外からは見えない少女の傷まで喰らい尽くしていく。美九の歌とは違い、癒しの焔には物理的な作用(・・・・・・)が伴うからか、はたまた少女の〝天使〟が弱まっているからか、その驚異的な回復能力を阻害するものはない。これならば――――――が、少女が言いたいのはそのような事ではない。

 琴里が少女のバックアップに回るということは、十香に集中させる霊力を切り上げる事に他ならない。それでは結界を崩したところで〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉を討滅することは不可能だ。

 

「……私の事に構う暇があるならさっさと戻って――――――」

 

「ばーか。あんたのご主人様は、その程度のことも想定しない奴だったかしら、ね!!」

 

「……っ!!」

 

 地獄の業火を伴い傷が塞がり、再び損傷し、塞ぐ。ループする痛覚と熱に耐えながら、少女は琴里の言葉が意図している物を読み取り、ハッと視線を上げた――――――その先に、混ざり合う黒の霊波(・・・・)があった。

 士道と繋いだ手が万由里へと伝わり、十香へ。琴里が抜けた霊力の穴を補う――――狂三。その行為が誰のためか、なんて言うまでもなくて……あまりに本末転倒な行動をさせてしまった自分自身にため息を吐く。

 

「……私のために霊力消費してどうするんですか」

 

「あいつのお説教、聞いてなかったの……!!」

 

「……聞いてました。聞いてた上で、言ってるんですよ……っ!!」

 

「あんたも大概頑固者ね――――――言っとくけどあいつ、そう簡単にあんたを見捨てるやつじゃないわよ」

 

 士道と会う前の狂三がどうだったのか、それは琴里が知るところではない。知る必要もないと思っている――――――それくらい、いつの間にか〝今〟の狂三の事を信頼してしまっていた。士道を喰らうと宣言しながら、士道を守る矛盾極まる生意気で頑固者な精霊を。

 

 

「意地っ張りで強情で頑固者で、その上わからず屋で駄々っ子な奴だけど……だからこそ、あんたが思うより欲張りなやつ(・・・・・・)なんじゃないの!!」

 

「――――――お節介な誰かさんたちのせいで、そうなっちゃったんですよ」

 

 

 時崎狂三は〝最悪の精霊〟だった(・・・)。狂三はそれを受け入れていたし、白い少女もそれで構わないと思っていた。本当は心優しい女の子だった彼女は、修羅の道を歩くために自ら優しさを封じ込めた。〝悲願〟のために全てを切り捨て、憎悪を糧とし生きる〈ナイトメア〉。それが少女が見てきた、少女が識る時崎狂三。

 そんな気まぐれで、素直じゃない精霊が段々と捨てたはずの心を取り戻しかけている――――――それを肯定するのも、また構わないと少女は思うのだ。その優しさに自らが入ってしまったのは……些か、不本意な結果ではあるが。

 

「……まあ、我が女王の顔に泥を塗るのは私としても本意ではありませんね……!!」

 

「わかってるなら、ちゃっちゃと気合い入れなさい、よッ!!」

 

 女神の鼓舞は焔となり、加速度的に少女の身体を新生させる。残った霊力の全てを注ぎ込む勢いの琴里に、少女は背の翼を力強く羽ばたかせ答えた。

 舞い散る白の羽が焔を纏い、翼は烈火となりて『天使』を支える。

 

『アアアアアアアアアアアア――――――!!!!』

 

 光が輝きを増し、時を可視化させた壁を浄化していく。〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の叫び、それは間違いなくもう一人の万由里(・・・・・・・・)

 水晶が映し出す。映し鏡のような想いは、けれどもう一人の彼女であるように、それだけが万由里の想いではない。その想いに同情しよう。その想いを受け入れよう。その想いが正しいものであると肯定しよう。

 

だが(・・)――――――

 

 

「そこを退いて、〝天使〟。その先は――――――我が女王が歩む道だよ」

 

 

 世界に、光が満ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっ……た……っ!!」

 

 目を覆わなければならないほどの白い極光。少女を治癒する手を休めるわけには行かない琴里は目を瞑って耐え、時間を数える感覚さえ炎の制御に回していた彼女は目を開けると同時に、その歓喜の声を上げた。

 言い様のない奇妙で歪な〝空間〟が〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の周りから――――――消滅していた。

 

 そしてそれは、結界の再生に尽力していた〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の霊力砲が放たれる、という意味でもあった。二人を呑み込まんとプラズマのエネルギーが膨れ上がる。霊力の大半を使い切った琴里が防げるものではない。

 

「やば、逃げるわよ……っ!?」

 

 触れていた背の感触が消える。いや、消えたのではなく、正確には少女が前のめりに倒れ込んだことで離れてしまったのだ。驚きながら、咄嗟に少女の身体を掴んで抱え込み――――――

 

「ぁ……」

 

 純白の外装を赤く染めた(・・・・・)その生々しい感触に目を見開いた。彼女の周りには、まるで少女の命を象徴するように翼が弾けた白い羽が舞い散っている。が、そんな感傷に浸る琴里ではない。

 

「っ――――令音!!」

 

『……既に受け入れ準備は出来ている』

 

「すぐに連れてくわ!!」

 

 残った霊力を燃え上がらせ、少女の身体を再び焔で包み込み、飛び立つ。こんなところで大人しく死なせるものか。そのための〈ラタトスク〉なのだから。

 

 そんな彼女の想いを嘲笑うかのように、蒼い光が臨界へと到達しようとしていた。

 

「琴里!! くそ……っ!!」

 

 士道が〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を手に取り、空へ踊り出ようと試みる。せめて琴里と〈アンノウン〉を逃がす時間を――――――

 

 

「――――――時間(・・)を創る。それはわたくしの専売特許ですわ」

 

 

 カコン。そんな音を立てて、光が色を失い静止した。士道の行動を完璧に読み切った狂三の弾丸。それが意味するものは。

 

「っ!!」

 

「うわ……っ!?」

 

 虹色の輪から溢れ出る霊波が衝撃となって万由里を弾き飛ばす。降り注ぐ霊力が目に見える柱となり十香を包み込む。そう、狂三が自由に動けるのは、既に準備は整った(・・・・・・・・)ということ。

 

 今ここに、七人(・・)の霊力を集えた最強の精霊が天に立つ。

 

 

「……十、香」

 

「後は任せろ、シドー」

 

 

 紫根の瞳を開き、彼女の纏う〝霊装〟に目を奪われた士道へ、颯然とした微笑みで十香は姿を消した(・・・・・)。士道が持つ視認能力では、十香の動きを欠片でも捉えることが出来なかった。

 僅か一瞬で距離を殺し静止した極光の前に、十香は降り立っていた。

 

 四糸乃、琴里、耶倶矢、夕弦、美九――――狂三。そして万由里の全てを束ねた霊装・<神威霊装・十番>【万】(アドナイ・メレク・エンスフォール)

 七人の霊装の特色を融合させた鎧を身に纏い、威風堂々たる十香は――――――

 

 

『ァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアア――――――ッ!!』

 

「はぁッ!!」

 

 

 放たれたエネルギーを、その二刀(・・)の刃を以ていとも容易く斬り裂いた。十字に斬り裂かれたエネルギーが爆散し、墜落する。

 続けて放たれる流星群のような光子のエネルギー。その量、質ともに顕現したばかりに放った攻撃とは比べ物にならない。

 

「す……げぇ……」

 

 ――――――それすら、今の十香なら捌くは道理。数百を超える雷撃を片っ端から斬り払う(・・・・)。その剣戟の一刀ですら見切ることは叶わぬ。

 

「ふっ!! はぁッ!!」

 

あまりの力に呆気に取られ言葉を失う士道の前で、更に十香は二刀を投擲した。明確な意思を持つような動きで飛翔する刃は、〝天使〟の両翼を両断。巨大な〝天使〟に初めてダメージを与えた。

 

「あれなら……!!」

 

「いえ、まだですわ」

 

「なに……!?」

 

 狂三が目を細めて見つめる先は、たった今十香が切り落としたはずの両翼。それが士道にもわかるほどの速度で再生を始めていた。冗談だろ、と呻く士道だが現実は変わらない。白い少女が時空間を歪める結界を消滅させ、十香がようやく力で拮抗できるようになったというのに、あの再生能力があっては……。

 

「ここまで来て……!! あんなのどうしたら……」

 

「――――――〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉を止めるには、外部からの一撃に加えて……霊力を止める行動(・・・・・・・・)を同時に行う必要がある」

 

「!! 万由里さん……」

 

 万由里の言葉、それが指し示す意味。一瞬にして理解した狂三が万由里へ視線を向ける。その瞳に込められたものを、彼女の奥底から呼び起こされたものを感じて……万由里は、フッと微笑んだ。

 覚悟は出来ている。勿体ないほど大切なものを、沢山貰ってしまった。だが、ほんの少しの躊躇いと恐怖を――――――万由里は、その行動そのもので打ち消した。

 

 

「――――――士道」

 

「まゆ――――!!」

 

 

 万由里は全てを――――――愛しい少年に捧げた。脳と身体を蹂躙する圧倒的な感覚……最後に(・・・)貰っていくものとしては、あまりに幸せなものだった。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――――」

 

 

 霊力の供給をせき止められた〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉は、それでもなお本能に従い抗おうともがいている。

 

 ――――――消えたくない。根源的な欲求。誰もが持っていなければいけないはずの、想い。万由里はそれを超えて、今目の前にあるのは取り残された残滓。叶えられない願いの水晶。

 

 ああ、ああ。これは、必要のない行動なのだろう。無駄な感傷なのだろう。だとしても、せめて救われぬからこそ――――――その終わりは、どちらも安らかなものであって欲しいと少女は願った。

 

 

「――――【七の弾(ザイン)】」

 

 

 まるで、手向けの花。咲き誇る黒が、苦を取り除き安らかな終わりへの道を作り出す。

 

 

「――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 

 高々と掲げた右手に天使の刃が回帰する。万物を塵と化す王の剣。

 

 

「――――〈滅殺皇(シェキナー)〉!!」

 

 

 広げた左手に回帰するは、対を成す双子のような両刃の剣。今この時のみ顕現を許された全てを滅する皇の剣。黄金の装飾、紅、蒼、そして紫根の宝玉が埋め込まれた幻想の極地――――〝天使〟。

 二振りの剣を謳い、空が許容の限界を訴えるように震えていた。極限まで溢れた霊力を糧とし、十香が天を駆ける。

 

 切り取られた壁画のような〝天使〟。狂三が創り出した花道を、十香はただ一言。その二刀を振るい、戦士としての破壊ではなく、慈悲を以て鎮魂歌を奏でた。

 

 

「――――――眠れ」

 

『――――――――』

 

 

 その終わりは、呆気ないものだった。その終わりは、切り取られた時間の中で静かなものだった。

 

 その終わりは――――――安らかな、ものだった。

 

 

「――――終わった、のか……?」

 

 

 〝天使〟が消えていく。螺旋を斬り裂いた十香の斬撃は、それらを構成する全てを滅した。あれほどの力で暴れ回っていた〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の静かな終わりに、士道は言い様のない思いを抱く。だが、これで終わったのだ。みんなを助けることが、万由里を助けることが出来た。

 

「ま……ゆ、り?」

 

 それが、間違えであると、腕の中で消え行く(・・・・)万由里の姿を見て、身体を愕然と震わせて彼は気づくことになる。

 光が、溢れる。霊装が消え行く時のように、彼女自身の身体から光が満ちて――――――まるで、万由里が語った構成の分解(・・・・・)が始まっているような、信じられない光景に士道は声を荒らげる。

 

「な、んで……どうして!!」

 

「……私は霊力の結晶体。〝核〟を持たない私に封印(・・)を施せば、消えるのは道理でしょ?」

 

「封印、って……」

 

 これでは意味がない。万由里を助けるための行動だったのだ。ようやくそこに辿り着いたと思ったのに、待っていたのは彼女の消滅?

 ふざけるな。そう、憤りと悲しみが溢れる心と、万由里のもたらした言葉に疑問を覚える。心を通じ合わせ、想いを通わせるのが霊力封印の条件だったはずだ。

 

「お前は俺と、出会ったばかりの筈じゃ……!!」

 

「……ぷっ。あははははは!!」

 

「え……」

 

 消えてしまうとは思えないほど明るい笑い声だった。士道に見せることはないと思っていた、万由里の心からの笑い。本当の最後(・・)となった笑顔のまま、万由里は朴念仁(・・・)の少年に向けて答えを出した。

 

 

「あんたがそれ言っちゃうんだ? 本当、士道らしい」

 

「――――――ぁ」

 

 

 小さく声を漏らして、気づく。出会ったばかりで、心を開いている。それは何より、そして誰より士道が知っている事だったのに――――――初めて会った少女に心惹かれて、〝恋〟をした男が、自分であるのだから。

 ようやくその事に行き着いた士道を見て、万由里は彼のそんな仕方のない部分も愛する、愛してしまう者達の〝想い〟を受けた一人の少女として、言葉を紡いだ。

 

「それに、私は皆の霊力から――――――〝想い〟から生まれたんだよ。あんたのこと……嫌いなわけ、ないじゃん」

 

 それを主観的に受け取ったが故に、システムの管理人格でしかなかったはずの彼女は万由里という一つの〝個〟を得た。だから、それが根底にあるから、彼女は――――――

 

 

「生まれた時から――――――愛してた」

 

 

 定められた運命の中で、彼を愛する事もまた……自ら定めた存在なのだ。

 

 光が加速する。天へ帰るように、『無』へ消え行くように。

 

「っ、待て万由里!! 消えるな……消えないでくれっ!!」

 

「そうだ……あいつ(・・・)に、伝えといて。私はちゃんと――――――満足した……って」

 

「そんなの自分で言えよ!! 満足したなんて、簡単に言うな!! 死んだら……死んじまったら、何も……っ!!」

 

「……ううん。残る。士道たちが、残してくれる」

 

 生まれて、消える。それだけの価値だった万由里は、こうして愛しい少年に抱かれながら、見守られながら消えていく〝価値〟を得た。

 

 ああ、なんて――――――幸福なのだろう。

 

 

「私はもう、消えるために生まれた存在じゃない。あんたに――――――逢えたから」

 

 

 〝価値〟を持つ事が出来たなら、残せるものがあるのなら、万由里は意味のある終わりを迎えることが出来る。諦めではない、恐れでもない……幸福の中で、逝く事が出来る。

 頬を撫で、愛しさを感じる。

 

「それだけで……」

 

 それだけで――――――充分だ。

 

 

「万由里……!!」

 

「ありがとう……」

 

 

 万感の〝想い〟を、誰のものでもない自身の〝想い〟を込めて、最後の言葉を紡ぐ。

 

 その、最後の表情は――――――

 

 

 

「――――――さよなら、士道」

 

 

 

 天へ、還る。

 

「ぁ……ぁ、ぁぁ……」

 

 もうそこに、万由里はいなかった(・・・・・)

 

「士道さん!!」

 

「……っ。ぁ、あああ……!!」

 

 狂三に抱えられた事にさえ気を向ける事が出来ず、士道はただただ首を振る。自らが掴み取れなかったものを、零れ落ちてしまった存在を、その証明は彼の手に残った物と、温もりでしかない。

 

 

「――――万由里ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――――――ッ!!!!」

 

 

 少年の慟哭が木霊する。

 

 黄金の羽が風に吹かれ――――――消えた。

 

 

 

 

 




孤独という強さが失われたのは弱さなのか、変わる事が罪であるのかどうか。リビルドはある意味で狂三が変わっていく物語でもあります。まあ変わらないものもあるというか、彼女は時崎狂三なのだと言うのは次章で見せられるかなと(意味深)

前半の展開は結構うーんうーん悩みながら書いてました。納得が行くものを書くのは本当難しい……ちなみにお察しの方もいらっしゃるでしょうが、十香劇場版限定フォームは設定で語られている通り狂三の霊力が加算され時計の意匠が追加されている形です。補足すると琴里が霊力の大半を譲渡した後、足りない部分を狂三が補った形ですね。〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の場合は混入した狂三の力を他六人の霊力で爆発的に増大させて時空結界を展開することが可能となっています。まあ、理由はそれだけかと言われると……ふふふ、ノーコメント。
本来ありえない狂三が紡いだ歩みが、今後ともどのような影響を及ぼしていくのか注目していただければ幸いです。
原作と違って出逢ったばかり、という言い訳が一番通用しないのが士道自身というのは書いてて自分でもなるほど、と思いました。自画自賛だな????

次回、エピローグ。感想、評価などなどお待ちしておりますー。あるとめちゃくちゃモチベに関わります(媚びを売る) 次回をお楽しみに!


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第六十一話『万由里』

〈アンノウン〉ワースレス編エピローグ。無価値が見出した価値あるものの結末。




 〝死〟という物の定義は、酷く曖昧だ。何を以て〝死〟とするのか……それはきっと、万人よって受け答えが違うのだろう。五河士道という少年は、異常の中に身を置きながらその常識的な倫理観を失わない人間だった。自分自身に言わせれば矮小で、普通の考えを持つ存在。

 士道の考える〝死〟は、消滅という定義は果たしてどのような物なのか……そんなこと、深く考えたことすらなかった。

 

 だが、この日、五河士道は思い知った。別れというのは恐ろしいもので、取り返しがつかないもので――――――残された者に対して、残酷だ。

 

 

 

 

 〈フラクシナス〉の艦内に設営された休憩スペース。飲食などをするための場所とは違い、大層な規模ではない。数種類の無料自販機と横長椅子が二つある簡素な場所だ。人通りも他の場所に比べれば圧倒的に少ない――――――今の士道には、それが何よりも有難かった。

 

 

「――――――このような場所にいらしたのですね」

 

 

 誰かが入ってきたのはわかっていた。けど、顔を上げる気にすらならなかった。それでも彼がハッと深く沈んでいた意識を現実へ回帰させたのは、やはり愛する少女の声であったからに他ならない。

 

「狂三……」

 

「探しましたわ。士道さんが検査から抜け出したーと、クルーの皆様が大慌てですわよ」

 

 ゆっくりと顔を上げれば、射干玉の髪を二つに結んで黒を基調としたゴシック風の服を着た狂三が、からかうような表情ながら……彼を見て安堵したような笑みを浮かべていた。

 時崎狂三が、いる。ただそれだけのことが、段々と日常となっている事象がどれほど価値があるものなのか。彼女の姿を見るだけで湧き上がるものを抑え込み、彼はグッと耐え抜いた。

 

「……お前だって検査はどうしたんだよ」

 

「飽きてしまいましたわ。なので、こっそり抜け出させていただきましたわ」

 

「…………」

 

 戦闘後の重要な検査を〝飽きた〟の一言で済ませる精霊がいるらしい。一部分とはいえ霊力の集約に関わったので、他の精霊と共に精密検査が必要なはずなのだが……まあ、正式に封印を施された精霊ではないので自由意志を縛るわけにはいかなかったのだろう。のらりくらりと、いつもの微笑みで〈フラクシナス〉のクルー達を躱す狂三の姿が容易く目に浮かぶ。

 

 ……飽きた、とは言うが狂三の目的を察する事が出来ない士道ではなかった。ここに来たのが何よりの証明だし、恐らく道中で彼女(・・)の様子も見てきた筈だ。

 

「……あいつの様子は?」

 

「命に別状はない、とのことですわ……琴里さんに、大きな借りが出来てしまいましたわね」

 

「じゃあ今度甘い物でもご馳走してやってくれ。あいつ、そういうの好みなんだ」

 

「あら、あら。あの子と同じですわね……まあ、琴里さんがわたくしからの贈り物を受け取ってくださるとは思えませんけれど」

 

 冗談めかした表情で肩を竦める狂三を見て、はははと乾いた笑いを零して……再び、沈黙した。

 数秒、或いは数分。部屋の一室には痛い程の静寂が木霊する。かちり、かちり、そんな小さな音だけが耳に届いて、狂三がそこにいるのだと教えてくれている気がした。それに心から安堵を覚える士道と……今は、こんな自分を見られたくないと思う士道がいた。

 

「狂三、悪いけど今は一人に――――――」

 

 してくれ。そう最後まで言葉を形にする前に、狂三は長椅子へ腰をかけていた。無論、士道の真隣で彼女の香りが鼻腔をくすぐるような距離に、だ。

 

 

「士道さんがわたくしの立場だったとして……士道さんは、わたくしの事を放って置かれるのですか?」

 

「っ……」

 

 

 狂三がもし、今の士道のような姿をさらけ出していたら。狂三に強さの幻想を抱いていた士道なら、ありえないと思ったかもしれない。しかし、狂三にだって脆い部分がある……それを知っているから、そんなこと思ったりはしなかった。その時、自分がなにをするかなんて手に取るようにわかる。

 

「……絶対、見過ごしたりしないだろうな」

 

「ええ、ええ。ですので、わたくしも同じですわ」

 

 それだけを口にして、狂三はただ士道の隣で行儀良く座るだけだった。精巧に作られた人形のような人ならざる美しさ。でも、微かに感じる彼女の温もりが生きているのだと、感じさせた。

 

 ああ、ダメだ。たったそれだけの事で、抑え込んでいた感情が決壊してしまいそうだった。 強く拳を握りしめ、唇を噛んで耐え抜く。それ(・・)を流してはいけない。流してしまえば……それで、終わってしまう気がしたのだ。

 

 

「……士道さん」

 

「――――――泣かない」

 

 

 ただ一言。強くて、脆い一言だった。泣かない、泣いてはいけない。泣いてしまったら、万由里が死んだのだと。

 

「俺が泣いたら……本当に、万由里が……」 

 

 消えてしまったのだと、受け入れてしまう気がして。受け入れてしまったら、涙と一緒に彼女がいた事まで存在しなかったことになりそうで。

 

 

「だから、絶対に泣かない。俺は――――――」

 

 

 ――――――ぎゅ、と。柔らかな感触が士道を包み込んだ。それが彼女の胸に抱かれたものなのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。その抱擁があまりにも優しくて、温かくて、慈しみに満ちていて……瞬間、決意が崩れ去ってしまいそうな感覚を覚えて、最後の抵抗のように首を振って声を発した。

 

「やめ、てくれ……!! 俺は、俺……はっ!!」

 

「万由里さんは、その〝想い〟は消えていませんわ」

 

 彼女のゆったりとした声にハッと目を見開き、身体を震わせる。

 

 

「万由里さんを構成する物は消えてしまったのでしょう。ですが、万由里さんを生み出した根源は……決して、消えてはいませんわ」

 

「……狂三たちの、〝想い〟……」

 

「はい。わたくしたちの〝想い〟が消えていないように――――――万由里さんの〝想い〟も、また残されているはずですわ」

 

 

 万由里を構成した霊力という存在は、狂三の言う通り消えた。士道の中に一つ残らず封印され、その結果として万由里という精霊は消失した。

 

 だが、同時に霊力から生み出されたのなら――――――狂三たちの〝想い〟から生み出された存在であるのなら、その〝想い〟が消えない限り万由里は〝いる〟。

 

「けれど、あなた様がそうしていては、万由里さんが浮かばれませんわ。受け入れて(・・・・・)、差し上げましょう」

 

「っ……くる、み……」

 

 万由里は〝いる〟のだと、士道や狂三たちの中で生きているのだと……そうして受け入れてやらねば、万由里という存在は本当に消えてしまう。

 

「俺は、あいつを……救って、やれなかった……!!」

 

 取りこぼしてしまった。そして、彼の手から零れ落ちてしまったものは、もはや何をしても取り返せない。

救えなかった(・・・・・・)。そうして後悔を口にする彼を抱きしめた狂三は、髪を優しく撫でながら静かに首を振り言葉を否定した。

 

 

「いいえ、いいえ。士道さんは、救ったのですわ。最後に、万由里さんの心を。あなた様に逢えたという――――――変え難い幸福を」

 

 

 世界のどんなものでさえ、その幸福の前では霞むものだと狂三は知っている。狂三が知っているのなら――――――万由里も知っている。彼女が自らの残酷な運命を受け入れられたのは、彼が彼女の全てを受け入れたからだ。消えたくない、精霊たちのように共にいたい、この〝恋〟を知って欲しい――――――その全てを受け入れてくれた少年の手の中で、万由里は満たされたのだ。

 

 自分は決して……消えるために生まれたのではない、と。

 

 

「だから、泣いていいのですわ(・・・・・・・・・)。その涙は万由里さんを消すものではなく、受け入れるものなのですから」

 

「――――――ぁ、ぁ」

 

「士道さんがそうであるように――――――わたくしも、あなた様が辛い時はその支えになりたいのですわ。だから、今はわたくしの胸の中で……どうか、どうか……」

 

 

 その、涙を。

 

 そこが、限界だった。士道の傍に〝いる〟。決して失いたくない大切な存在を震える手で掴んで。決して失ってはいけなかった存在を――――――

 

 

「ぅ、ぁ――――あああ、あああああああああああ――――――ッ!!」

 

 

 自らの中に〝いる〟のだと、強く刻み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 精霊にとって〝睡眠〟というのは必ずしも必要なものではない。まあ、強制的に意識が落ちる事を睡眠と呼ぶのは、些か語弊があると思うが。

 とはいえ、身体の状態を適切に保つ事が出来る精霊と言えど、睡眠行動を取る方が遥かに効率が良い事は確実だ。余計なエネルギーの消費を避ける事が出来るし、取らないよりは取る方が遥かに良い。何より歪で出来損ないであるならば、尚更。

 

 だが、少女は就寝という行為が酷く苦手だった。別に、眠るという行動自体に苦手意識があるわけではない。ただ眠った先にあるもの……人間で言えば、夢を見る(・・・・)という事象が問題だった。

 

 

『――――――やれやれ、困ったな。私は嘘を吐いているつもりはなかったんだが』

 

 

 死神が放つ、一発の銃弾。悪夢はいつも、そこから始まる。悪夢(ナイトメア)の従者が悪夢を見るなど、なんとも皮肉な事があるものだ。

 凶弾が〝彼〟の胸を貫き、倒れる。それを自分ではない自分が、見ていた。絶望の光景を、見ていた。取り返せない選択をしてしまった彼女が、見ていた。

 

 繰り返す、繰り返す、繰り返す。繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返す。世界の始まりを、旅路の始まりを、悲劇の始まりを、全ての始まりを。ひたすらに、繰り返す。

 

 少女にとって〝記憶〟とは主観的なものではない。正確に言えば、主観的なものであってはいけない(・・・・・・・・)。そうでなければ、少女はきっと壊れていた(・・・・・)。少女は万由里のように強くはなかった。それが始まりだったのだと、そう客観的に受け止めなければならなかった――――――その生まれながらの回答を、一体何度少女は後悔し、呪ったことだろうか。

 

 しかし主観的なものでない、と言ってもある程度の影響は受ける。何せ生まれながらに持った〝記憶〟というのは、それだけでその人物の構成に関わる重要なものだ。こうやってこの悪夢を嫌い、睡眠が休息になり得ないのが何よりの証拠。

 

 悲しみと絶望を再生し、涙と悲鳴を上げる。そんな悪夢を識るからこそ、少女は愛しい女王に皮肉と受け取られようと投げかけるのだ。

 

 

 どうか、眠りの中では――――――良い夢を。

 

 

 

 

「………………」

 

 悪夢からの目覚めは悲鳴というのが定番ではあるが、今の少女にとっては必ずしもそうではなかったらしい。見えもしない自分の顔を覗き込むその人物の顔に、驚きすぎて逆に声を発し損ねたというのが正しいか。

 そりゃあ、分厚い隈を飾った目の美女が寝起きで目の前にいたら思考停止の一つや二つはするであろう。生憎と、少女だけはそんな理由に留まらないのだが。

 

「……何してるんです?」

 

「……ん。君がうなされていたものだからね」

 

「……ああ、そうですか」

 

 いまいち答えになってないような答えを聞いて、少女は力の感じられない声を発した。声を発して、ベッドに横たわって会話が出来る。少なくとも、生きてはいるらしい。

 

「……私、死に損なったんですね」

 

「……琴里に感謝するといい。医療用顕現装置(メディカル・リアライザ)の効果が極めて薄い(・・・・・)君の為に、残った霊力をほぼ全て費やして治療してくれたのは彼女だ」

 

「…………それはまた、余計な苦労をかけてしまいましたね」

 

極めて薄い(・・・・・)という回りくどい言い回しからして、顕現装置が効果を発揮しなかったというわけではないらしい。顕現装置の効果を僅かでも受け入れてしまったと思うと、自分が思っているより危険な状態まで陥っていたのだなと他人事のように感じていた。まるで、そうなることを望んでいる(・・・・・)かのように。

 

 ああ――――――引っ張られかけている(・・・・・・・・・・)。自覚した衝動を強引に抑え込みながら、少女は言葉を続けた。

 

 

「――――――万由里は」

 

「………………」

 

 

 沈黙が、問いの答えだった。

 

「……そう」

 

 無感情とも非情とも取れる、そんな呟きだった。別れは既に済ませていた……万由里を見捨てたのは、自分自身の選択。それを後悔するわけにはいかない。気がかりな事はあったが、それは万由里の最後を看取ったであろう人に聞くべきだろうと思った。

 

「……狂三と、五河士道は」

 

「……二人とも検診だ。精霊たちは皆、全員――――――君も、含めて」

 

 ピクリ、と指が動いた。隣に立つ令音を視線だけを動かし目を合わせる。その動作を見られたかは定かではないが、見透かしたように彼女は静かな声を発した。

 

「……悪いが、君の〝天使〟が弱まっている間に調べさせてもらった」

 

「……知ってるのは、解析官だけですか?」

 

「……ああ」

 

「……なら、私が言いたいことわかりますよね」

 

誰にも言うな(・・・・・・)。五河士道にも、五河琴里にも――――――狂三にでさえ、告げるな。全て言わずとも伝わったのだろう。令音がほんの僅かに眉を顰めたような仕草をする。

 

 

「……だが、君は――――――」

 

「――――――黙っていてくれるなら、あなた(・・・)の利になる提案をします」

 

 

 今度は、令音が身体を僅かに揺らし少女を見遣る番だった。彼女なら……いや、彼女は絶対に(・・・)この提案を呑む。そんな確信が少女の中にあった。

 

「……何かな?」

 

「……これから先……まあ、仮にどうしようもない事が起こったとしましょう。その時は、何が起ころうと――――――私が〝彼〟を守ります」

 

「……!!」

 

 ここ一番の、驚き。とはいえ、令音の感情の機微というのは非常に分かりづらく、その動揺は少女だから感じ取れた事だ。

 彼女は断らない。彼女が〝彼女〟であるから、断れる筈もない。

 

「……答えは言わなくて構いません。聞かなくてもわかりますから。ま、こんな約束しなくたって五河士道の事は守りますから、ちょっとズルいとは思いますけどね」

 

 少し卑怯だとは思いはしたが、使うものは使うべきだ。こんな約束をしなくても、というのは既に士道が〝計画〟の根幹に関わってしまっている……というのも嘘ではない。だが、それだけではないのが本音。

 

 

「……私、彼の事は結構気に入ってるんですよ」

 

「……理由を聞いても、構わないかな?」

 

「……ええ。それなりに理由はありますけど、一番は――――――狂三の全てを、心から愛してくれていることです」

 

 

 たった、それだけ。狂三を愛した彼だから、狂三を守ると言った彼だから、その事に嘘偽りを持たない彼だから。少女は、希望に賭けると決めた。賭けてみたいではなく、賭ける(・・・)と。

 次に声を発するのは、どちらが先か。答えの先か、答えの返答か……結果は、どちらでもなく医務室の扉が開く音と二人分の足音、だったのだが。

 

「――――――お目覚めのようですわね。気分はいかがでして?」

 

「……狂三。五河士道」

 

 ローブで顔を隠していたところで、狸寝入りをする事は出来ないらしい。少女が意識を取り戻している事に、あっさりと気づいた狂三が優雅な微笑みで言葉を発する。後ろには士道の姿もあった。

 

「令音先生とどのようなお話をなされていらしたのかしら。わたくし、気になりますわ」

 

「……五河士道がどれくらい素晴らしい人物なのか。そんな話題ですよ」

 

「は!?」

 

「あら、あら。それはそれは、とても素晴らしいお話ですわ。わたくしも混ぜてくださいな」

 

「いや絶対そんな話してないだろ!?」

 

「……いえ、しましたよ。どんな内容かは教えて差し上げませんけど。ね、解析官?」

 

「……ああ、そうだね。シンには教えられないな」

 

 秘密だ、と言うように揃って人差し指を口元に当てる仕草をする二人に、どこか釈然としない表情の士道。そんなやり取りを見た狂三がクスクス、と口元に手をやり笑った。

 

「ふふっ……その分では、もう心配は不要ですわね」

 

「……ええ。迷惑をおかけしました。結局、霊力を余計に使わせてしまいましたね」

 

「構いませんわ。気になるのであれば、後で利子を付けてお返ししてくださいまし」

 

「……そうさせていただきますよ――――――ごめんなさい」

 

「……それは、何に対する謝罪ですの?」

 

 勝手に行動した事への謝罪か、狂三の心配を知っていてなお無茶をしたことへの謝罪か。真剣な表情で少女の言葉を受け止め、待つ狂三に少女は言葉を続ける。

 

「……色々、ですね。多分、私はこれからも変わりません。私は私が成すべき事のために、この命を使います。あなたの申し付けを、守れないかもしれません。話せないこと(・・・・・・)だって、あります」

 

「…………」

 

「……そんな私でも、お傍に置いてくださいますか――――――我が、女王」

 

 これから先、狂三の信頼を裏切るかもしれない。心優しい彼女の優しさに報いることは出来ないかもしれない。それでも、自分の全ては時崎狂三(我が女王)のために。

 

 

「本当に――――――仕方のない人」

 

 

 そんな少女の愛を、狂三は少女の手のひらを淡く包み込んで受け止めた。全てを捧げるというのに、狂三の所有物だと言うのに、言うことを聞かないなど言語道断……などと、器量の狭い女ではない。

 仕方ない。意思を持った存在なら当たり前で、当然の行動であると彼女はそれすら〝是〟であると告げよう。

 

 

「当然ですわ、当然ですわ。わたくしの共犯者。けど、変わらない事はありませんわ。わたくしがそうであったように、あなたもそうであるとわたくしは思います」

 

「……さて、どうでしょうね」

 

「き、ひひひひ!! ただ一つ変わらないと言えるのは、わたくしがあなたの命を預かる存在である、という事だけですわ。そうでしょう――――――わたくしの全てを、肯定する人」

 

 

 変わらないという少女を、変えてみせると言う。自分を否定する少女を、狂三は肯定(・・)して見せよう。時崎狂三が変わる事が出来たように――――――愛しい少年が、それを成してきたように。

 そして、そんな狂三の考えを否定する事が出来ないのが白い少女なのだと彼女は知っている。

 

「わたくしの悩み抜いた考えを、答えを、どのようなもの(・・・・・・・)であれ……あなただけは肯定してくださるのでしょう?」

 

「……ほんっと、そういう使い方は良くないと思うんですけどねぇ」

 

「使えるものは使うのがわたくしの主義ですわ。ご存知のはずでしょう」

 

「……よく知ってますよ」

 

 昔から、ずっと。狂三は目的のためであれば手段を選ばない……そうでなければならないと強要され続けてきた子であり――――――約束を反故にする事を、嫌う子でもある。

 ここまで言われてしまうと、少女は降参どころの話ではない。それこそ、仕方がない(・・・・・)とため息混じりに声を発した。

 

 

「……かしこまりました。我が女王」

 

「ええ、ええ。信じて(・・・)いますわ。謎の多い、わたくしの従者様」

 

 

 戯けるように、からかうように、狂三は微笑んだ。どのような存在かも不明瞭な少女を信じる、そう言いきれるだけの確信が、優しさが何処にあるのか――――――その答えを、ホッとした表情で二人を見守っていた彼に、見てしまった気がした。

 元々優しさを持っていた人が、その隠していた優しさをこじ開けるほどの人物に影響されたらどうなるのか……少なくとも、これから苦労するだろうなと少女はローブの下でため息を吐き――――――少しだけ、嬉しそうな頬笑みを浮かべた。

 

「……ところで、二人とも検査はどうしたんだい?」

 

 話の区切りを読んだ令音の鋭い指摘が唐突に場を貫いた。解析官らしく空気が読める良いタイミングではあるが……狂三〝は〟素早く人当たりの良い笑顔を浮かべ問いに答えた。

 

「それなら先程、しっかりと受けて参りましたわ。そうでしょう、そうでしょう、士道さん」

 

「お、おう!! バッチリな!!」

 

「……そうか。なら再検査をしよう。二人とも(・・・・)だ」

 

 ……まあ、狂三がいくら上手く誤魔化したところで、士道がやべぇ、という表情を全く隠し切れてないのだから全く意味がないのだが。

 仕方ありませんわね、と元から誤魔化す気があったとは思えない表情の狂三に対し、士道は流石にバツが悪そうにしていた。

 

「す、すみません令音さん……」

 

「……いや、君への配慮が足りなかった。こちらこそ、すまない」

 

 士道が……いや、士道と狂三が検査を抜け出して何をしていたのか。それは彼の目を見れば簡単にわかることだった。頭を下げる令音に、士道は慌てて首を振る。

 

「そんな……俺なら大丈夫ですよ。いや――――――もう(・・)、大丈夫です」

 

「……そうか」

 

 その表情は、悲しみを含んだものだった。けれど、それだけではないものだった。立ち止まってしまうものではなく、進み続ける。そんな強い瞳と表情を士道はしていたのだ。

 令音は少しホッとしたような雰囲気を見せてから、ふと狂三へ視線をやり軽く頭を下げた。彼女が関わったことはお見通しなのだろう。最も、狂三はなんの事やらと肩を竦めるだけだったが。

 

「……五河士道」

 

「なんだ?」

 

「……あなたに、お聞きしたいことがあります」

 

 彼がこの場を去る前に、どうしても聞いておかねばならないことがある。その最後(・・)に立ち会う事が出来なかった少女が知らないそれを、士道は知っているはずだった。

 

 

「万由里は――――――最後に、泣いていましたか?」

 

「っ……」

 

 

 辛いものだと、不躾な問いだとわかっている。けれど少女は知らねばならなかった。少女が変えたいと、変えてしまったその終わりが、果たして万由里にとってどのようなものになったのか。望みは、叶ったのか。

 息を呑み、しかし士道は決して目を逸らすことなく言葉を紡いだ。

 

 

「――――――笑ってた。万由里は、笑顔だったよ」

 

 

 それは、少年が見た万由里の最後の表情。〝恋〟を知りながら生まれた少女が見せた、万感の〝想い〟。避けられぬ終わりを受け入れた少女は、それでも幸福だったと笑っていた。満たされた(・・・・・)と、微笑んでいた。

 

「私はちゃんと、満足した――――――万由里が、お前にそう伝えて欲しいって」

 

「……そっ、か。あの子は……満たされて、笑って逝けたんですね」

 

 彼女を救わなかった少女は、せめて残酷な結末は嫌だと叫んだ。それが果たされたのだと伝えられて……その罪を一つ数えた。少女は、救わなかった者を背負って生きていく。救わなかった事への涙は、少女には許されない。それは、救わない選択をした少女には許されないことであり、救われるわけにはいかない。そう、言葉にした万由里への侮辱であるから。

 

「……五河、士道。あの子の事を――――――忘れないで、いてくれますか?」

 

「忘れないさ。忘れたりなんて、するもんか」

 

 胸に手を当てて、士道は思う。忘れない、忘れるわけがない。士道が、士道たちが忘れなければ万由里はここに〝いる〟のだと。彼は信じているから。信じる事が、出来るから。

 

 

「みんなの霊力から生まれたあいつは、みんなの中にいる。十香、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九。俺や狂三……お前の中にだって、万由里はいる。俺は、そう思う」

 

「……ああ。あなた達らしい、素敵な答えです」

 

 

 人はそれを感傷や現実逃避だと笑うのかもしれない。もしかしたら、その人物がいない事を認めず、摂理に抗ってしまうのかもしれない。けど彼は、彼らは受け止めて、彼女が〝いる〟のだと心に刻んだ。その〝強さ〟を、少女は彼が言うのなら受け入れる事が出来た。

 

 

「……ありがとう――――――士道」

 

 

 その時、少女がどんな表情をしていたのか――――――彼は初めて、そのローブ越しでもわかった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なーにが必要性を感じないですか。この意地っ張りめ」

 

 トン、と。真っ白な少女が境内へ降り立った。視線の先には、結ばれた〝おみくじ〟が――――――二つ。一つは五河士道の物であるはずだ。なら、隣にあるもう一つの〝同じ〟物は――――――気まぐれで素直じゃない彼女が残した、いじらしい証明。蓋をしようとして、出来なくて、たった数分にも満たないデートを望んだ彼女の〝想い〟。

 

 

「……私も、すぐにそっちに行くでしょうから」

 

 

 そう長くは待たせることはないだろう。物語を取り巻く運命は、少しずつ終わりへ近付こうとしている。だから、それまで。少女は、〝友人〟への短い言葉を、放った。

 

 

「……また会おうね――――――万由里」

 

 

 それまでどうか、安からに。

 

 まるで返事のように、黄金の羽が白い羽と交差して……飛んでいた。

 

 

 

 

 





というわけで無事アンノウン編もとい万由里編完結と相成りました。わーわーどんどんぱふぱふ。いかがでしたでしょうか。後半から感想がなくて内心やっぱあかん、あかんのか?と半分めちゃくちゃ不安になったりしてました。半分はじわじわお気に入りが増えるのをニヤニヤしながら拝み倒してました、私は元気です。

オリキャラでありながらメインヒロインじゃないとか言うやたら回りくどいキャラ付けのアンノウン。そんな彼女の謎に迫る章となりました。五十話以上溜め込んだのもあって相当な数ぶちまけましたね。明かしながらも複線は幾らか残っていたり新しく出したりと忙しい。彼女が何者なのかまでは予想つく方も多いのではないでしょうか。

章が進む事にガンガンと関係性が進み続ける主人公とヒロイン。さて新たなターニングポイントは……? お互いに力を貸しながらも素直に終局には至らない二人にまだまだご注目いただければ幸いです。

次回はお待たせしました。本当にお待たせしました。七罪編です。どう言った構成になるかはまた次回。まあ……その、狂三がいるのに真っ当な謎解きになるわけないよねとは。詳しくは次回!

感想、評価などなどお待ちしておりますー。くださると筆者のモチベがカメンライドしてムテキになりイリュージョンしてクロックアップします。次回をお楽しみに!!


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七罪チェンジ
第六十二話『再びの非常識』


ナツーミ!ナツーミ!ナツーミ!カモォン!!!!




 

 

 変わらない日常というものは、大変得難いものである。これは、士道がこの半年間で学びに学んだありがたい教訓だった。何もない平凡な高校生、五河士道を突如襲った非日常。非常識の塊のような存在。常識に囚われない魔法のような力――――――かけがえのない、出逢い。

 そんな数々の出来事を経験した士道が学び得た答えが、皆と過ごす大切な日々だと言うのは当然の結論だと言える。つまり、何が言いたいかと言うと……。

 

 

「たくっ、俺に休みはないのかよ――――――!!」

 

 

 新たな非日常を予感させる出来事が、たった今彼の前で繰り広げられているということである。

身に覚えのない罪(・・・・・・・・)で追いかけられるのは精神をすり減らす上に、広大な学校内を走り回されるのはかなり堪える。が、それでも皮肉の一つは言える余裕があるのは誰のお陰だろうか。分かりきった答えを考えるのは野暮というものだ。

 

 走って、階段を駆け上がり、駆け回る。何度かそれを繰り返してそろそろ士道の体力も限界に近づいてきたその時、ようやく学校の屋上という袋小路に士道は辿り着いた。追い詰めた、などとは思っていない。ここから何が起こるか分からないのが、非常識の常識(・・・・・・)なのだから。

 

「よう、意外に早かったな」

 

「……っ!!」

 

 開け放ったドアの先。青い空の下に、そいつはいた。学生服を着た、青い短髪。悠然と笑うそいつは、毎朝鏡の前で見ている顔(・・・・・・・・・・・)だった。

もう一人の自分(・・・・・・・)が、いた。鏡合わせのような、鏡の中から自らが現れてしまったと思えるほど瓜二つの自分が、今目の前にいる。

 恐らく、非常識に慣れただけの士道であれば慌てふためくところなのだろうが……同じ顔が二人いる、という部分だけ切り取れば彼にとってこの事象は驚くに値しない。何せ、もっと凄い数の自分自身(・・・・)を持つお嬢様を存じているのだ。鋭く『士道』を睨みつける士道を見て、『士道』は少し意外そうに目を丸くする。

 

「ほぅ。もう少し驚くと思ったんだがな」

 

「……残念だったな。同じ顔がいることに関しては、世界で一番の専門家を知ってるもんでね。俺にとっちゃ日常茶飯事さ」

 

「へぇ……」

 

 興味深い、という風な表情でさえ、その仕草に至るまで『士道』は正しく士道だった。成り代わられてしまえば、きっと愛しい彼女以外(・・・・)は気づいてはくれなそうだと思うくらいには、彼は完璧なまでに〝五河士道〟をトレースし切っている。

 無論、日常茶飯事と不敵な笑みを浮かべる士道に余裕などない。これまで培ってきた余裕があるように見せかける技術、それを全面に押し出して内心を誤魔化しているだけに過ぎない。相手と、そして自分に対する(・・・・・・)暗示。

 

「在り来りだけど、言わせてもらうぜ」

 

 自らを鼓舞し、得体の知れない恐怖を押し殺して、士道は『士道』を睨みつけたまま犯人を追い詰める探偵のように指を突きつけ、告げた。

 

 

「お前は――――――誰だ」

 

「ふ――――あはははははははっ!!」

 

 

 追い詰められた者の自暴自棄な笑いではない。それは、相手を嘲り笑う文字通り嘲笑に満ちた物だった。

 

「あーあ、おかしい。そこまで考えられてまだ分からないのか――――――ねぇ、士道くん(・・・・)

 

「っ――――――その、声は」

 

 女の声。変幻自在に相応しい声色の使い分けに驚く士道だったが、それだけではない。その声は、つい先日聞いたばかりの声(・・・・・・・・)だった。

 識別名〈ウィッチ〉。隣界から現れた新たな精霊。天使〈贋造魔女(ハニエル)〉の力で様々な物体を好きなように変化させる力を持つ者――――――

 

「……七罪!!」

 

「ぴんぽーん!! 大正解。よく出来ましたー」

 

「お前、どうして俺に化けているんだ!! なんでこんなこと……」

 

 十香や三人娘、折紙、八舞姉妹にタマちゃん先生、殿町……彼ら全員が口を揃えて士道がやったと彼自身に身に覚えのない悪行。その原因、犯人は間違いなく昨日会ったばかりの精霊・七罪が化けた『士道』によるものだ。だが、理由がわからない。精霊である七罪がわざわざ士道個人に化けて嫌がらせをする理由が、士道には思い浮かびもしなかったのだ。

 

「……本当に、わからない?」

 

「……!!」

 

 自分自身に鋭い殺気を込めて射抜かれた士道は、思わずその圧力に怯んでしまう。自分に殺気を向けられるという行為もあるが、何より七罪自身の恐ろしいまでの眼力が士道の余裕を削り取ったのだ。

 そこに至り、彼はふと彼女が去り際に残した言葉を脳裏に蘇らせることが出来た。

 

『――――――見られた以上、タダで済ますわけにはいかない……!! 覚えてなさい。あんたの人生、おしまいにしてやるんだから……っ!!』

 

「あ……」

 

「ふふっ、やっと思い出した?」

 

 七罪が笑う。凄絶な笑みで、『士道』として士道と相対する――――――自らの秘密を知ってしまった、彼を消し去るために(・・・・・・・)

 

 

「あんたの運命を決めるのは私よ――――――あんたの全部(・・)、奪ってやるんだから……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ドッペルゲンガーって、死期が近い人のところに現れるそうですね」

 

「縁起でもない事を仰らないでくださいまし」

 

 読んでいた雑誌から目を離しジト目で見遣る狂三に、少女は相も変わらずこれは失礼、と形だけの謝罪を行う。もう慣れた光景ではあるが、すっかり元通りとなった数少ない日常。一度挟まないと久しぶり、という感覚がしてくるものだと狂三は不思議な感覚を覚えた。

 

「士道さんの元に現れたのはドッペルゲンガーではなく精霊さんですわ。その定説には当てはまりませんわ」

 

「それもそうでしたね」

 

「……そもそも、ドッペルゲンガーの定説が正しいのであれば、わたくしはとうの昔に命はありませんわ。毎日顔を合わせていますもの」

 

「……自分で言います、それ?」

 

 千を超える自らの分身体を使役する狂三が言うと、恐らくこの世で一番説得力のある言葉になる。まあ、根本的な話としてドッペルゲンガーなどより余程超常的な存在たる精霊が話していると思うと些かシュールな光景だった。

 パタン、と狂三が読んでいた雑誌を閉じた。元々、ちゃんと休憩はしているという諜報から帰ってきた少女へのポーズでしかなかったのだろう。白い少女もそれに合わせて、先程までの冗談を含んだ声色から……特に変えることもなく声を発した。

 

「〈ウィッチ〉が化けた五河士道を夜刀神十香と鳶一折紙が見抜いたあと、それからですね」

 

「ええ、ええ。『わたくし』から情報は逐一報告が来ていますが、ここで整理と確認を行いましょう」

 

 士道を狙って『士道』に化けた七罪を暴いた人物。それは十香と折紙であった。内容は……狂三は若干の呆れと同情を、少女は引き気味で乾いた笑みをこぼしたものだとは言っておく。十香はともかく、折紙は本当に人間なのかと三度確認をしたくなったほどだ。完璧に化けた精霊の変身を見抜く方法としては、少なくとも狂三が同情してしまうくらいには理不尽だった。

 しかし、この事件は既に終わったことであり少女と狂三には関わりのないものだ。問題はこの先、精霊・七罪が仕掛けたゲーム(・・・)だ。

 

「十二人の中から私を探し当てろ……ほとほと、彼は精霊とのゲームに縁があると見えますね」

 

十二人(・・・)……とは限りませんわね」

 

「……答え、わかってるんじゃないですか」

 

「きひひひ、〝目〟の数が違いましてよ」

 

 得意げに微笑む狂三を見て少女は小さくため息を吐く。この手のこと……つまるところ推理(・・)に関して言えば、狂三ほどゲームにならない精霊はいない。その明晰な頭脳は当然として、彼女には分身体という膨大な〝目〟がある。極論を言ってしまえば、始まる前から答えを知っているも同然な状態を作る事すら容易い。今回は……そういう事だろう。

 

「勿体ぶってないで教えて差し上げたらどうです?」

 

「それは出来ませんわね。これは士道さんが七罪さんから受けた挑戦状……加えて、答えをわたくしが教えて差しあげたところで、きっと七罪さんは納得いたしませんわ」

 

 半ば一方的とはいえ、士道たちは七罪の勝負を受け入れて、戦っている。そこに答えだけを持ち込んだ狂三が割って入ってしまえば、七罪の心を解きほぐす邪魔となってしまう。あくまで士道の力で、七罪との勝負を制するのが最善の道筋。士道との関係はあくまで命を取り合うもの。あまり手を貸して馴れ合っているのは好ましくない。

 ……と、狂三は考えているのだろう。素直になっても素直じゃない彼女に少女は肩を竦めた 

 

「面倒なことですね……一体、五河士道は彼女からなんの恨みを買ったのやら」

 

「さて、さて。人は誰しも知られたくない秘密というものがありますわ。七罪さんの場合、それが命に関わるほどデリケートなものなのかもしれませんわ」

 

「秘密、ねぇ……」

 

 少女で言えば、ローブの下に隠した素顔(・・)に該当するのだろうか。確かに命に関わる秘密を持っていると言えるが、だからと言って七罪が抱える秘密を考えたところで、狂三ならともかく少女では皆目見当もつかない。今のところ、五河士道に勝負を挑んでいる精霊以上の感情はないので深く考えるつもりがないのかもしれない。

 加えて、勝負の内容も少女としては眉を顰めてしまうものなのだ。同情などの感情が少なからず存在した今までの精霊たちとは、少し事情が異なる。

 

 

「……その秘密を守るために何人も消して(・・・)るんですから、良い秘密であることを願いますよ」

 

「……元々不利な勝負とはいえ、士道さんの余裕もなくなって来ましたわね」

 

 

 ――――――誰が私か、当てられる?

 

 送り付けられた十二枚の写真と、犯行予告(・・・・)。誰もいなくなる前に、七罪を見つける事が士道たちの勝利の条件。それより先に全員が消えた場合、士道たちの敗北。それが七罪の挑戦状。

 〈ラタトスク〉側は士道と関係者をデートさせることで七罪を洗い出そうとしているが……結果は思わしくない。既に半数が七罪の手によって連れ去られ、そのペースも上がっている。静観を決めていた狂三と少女が今一度、情報の整理をしているのもつまりはそういう事になる。

 

 狂三は士道が勝つと信じている。だが、冷静な部分の彼女は士道が敗北する未来も同時に予見している。その未来を看過できないのは、誰よりも彼との戦争(デート)を望む彼女自身であるはずだった。

 

 そして、素直ではない彼女に自然な流れで士道の元へ向かわせるのも、従者たる少女の役目である。

 

「――――――さて、我が女王。これはチャンスですよ」

 

「チャンス……?」

 

「ええ。我が女王の最終目的は、五河士道をデレさせること。それが難航している今だからこそ――――――弱った彼に寄り添うのは、チャンス以外の何物でもないでしょう?」

 

 弱みに付け入る。と言うと少々聞こえが悪いが、表現としては間違っていない。友人、教師――――――大切な、精霊たち。彼女たちを理不尽に連れ去られ、その責を一心に背負う五河士道の精神は極限まですり減らされている可能性がある。

 少女の言わんとしていること、導こうとしている行動を察した狂三が眉を下げてため息混じりの声を発する。

 

 

「わたくしに、士道さんを癒して(・・・)差し上げろ、と」

 

「はい。彼にとっては一番の特効薬でしょう。ついでにヒントの一つや二つ上げても良いですよ」

 

「なぜあなたがその許可を出しますの……精霊の封印を考えるなら、封印されていない(・・・・・・・・)わたくしが七罪さんの認識化に入るのは、些か都合が悪いですわ」

 

 

 確かに、精霊が安心して生活を出来るように力を封印するのが〈ラタトスク〉。しかし、狂三や白い少女など封印をされずに、自分勝手に動いている精霊が近くいると言うのは、封印が必要な説得力(・・・)に欠ける。

 あくまでも、精霊封印というメリットが優先。そう頑なに語る狂三に少女はなおも説得を続ける。

 

「いいじゃないですか。その程度のリスクが背負えない五河士道ではないでしょう? それにほら、彼は意外と口が上手いですし。デメリットより彼を攻略するメリットの方が大きいです。我が女王は少しくらい彼を欲張ってください」

 

「最後の一言は余計ですわよ。わたくしは霊力のために……」

 

「はいはいわかってますわかってます」

 

「……わたくし、従者に舐められていませんこと?」

 

「気のせいでしょう」

 

 棒読みでシレッと躱す少女をジト目で睨む狂三。彼女にとっては霊力が第一目標である事に変わりはないのだ……どれだけ素直じゃないと、言われようとも。

 一度決めたら頑固な面があるから、強情だと言われるのだろうなと少女は更にもう一押し付け加えていく。

 

「……それに、五河士道のことが心配なんでしょう。理由なんて適当にでっち上げて会いに行けばいいんですよ」

 

「それは……認めるところでは、ありますわ」

 

 気恥しそうに視線を逸らす。霊力を求めるのは本当。だからこそ封印失敗のリスクを懸念する、これも本当――――――それ以上に、士道を案じる気持ちがあるのはもっと本当。

 命を狙っているのに命を案ずる矛盾、はたまた命を狙っているからこそ彼を心配しているのか。その議論自体にさしたる興味はない。少女はただ、イマイチ素直になりきらないご主人様の望みを進めたいだけだ。

 

 一歩進んで二歩下がる。という不毛な関係は、この際不要(・・)であると断じてしまおう。

 

「……〈ウィッチ〉は多少強引でも私が抑えておきます。能力上、私が当たるのが一番楽でしょうし――――――」

 

 大体、と前置きを入れながら白い少女は確信に満ちた声を発した。

 

 

「どうせ、何が起ころうと五河士道が勝つ(・・)んです。余計な懸念で好感度アップを逃す手はないでしょう、我が女王」

 

 

 既にそれは確定事項。士道は何があろうと、七罪に勝つ。そうして迷いなく語る少女の変化(・・)に狂三は珍しく目を丸くした。

 

「……あなた、未来が見えるんですの?」

 

「見えるわけないでしょう。狂三じゃあるまいし――――――こんな私を信じる(・・・)と語る麗しの女王様。どうか、わたくしめの願いを叶えてはもらえませんか?」

 

 道化のように、少女は身振り手振り大仰に舞い……いつも通りの従者の礼をして見せた。

 

 未来など、見通す力はない。それは〈刻々帝(ザフキエル)〉の資格者であり、誰にも予測出来ない〝進化〟を果たそうとしている〝天使〟の主たる時崎狂三にのみ許された特権。少女がしているのは、ただここに至るまで培ってきた少年に対する〝信頼〟の二文字だけ。

 

「……ちゃんと、変わっていらっしゃいますわね」

 

「我が女王が私を信じると語ってくださるのなら……私なりに、少しだけ我儘になろうと思っただけですよ」

 

 全ては、我が女王のために。そこに付け加えられた士道への想い、それを少しでも少女自身に向けてくれれば……内心そう思ってしまう狂三ではあったが――――――今は、従者の願い(気遣い)を受け入れるのが主の役目かと微笑んだ。

 

「良いですわ、良いですわ。あなたの我儘(・・ )、このわたくしが引き受けて差し上げますわ」

 

「ふふっ。感謝いたします、我が女王」

 

 従者の願いを聞き入れる、という体裁を手に入れた女王は事件の傍観者でいることを止めた。では少し遅めの――――――戦争(デート)を始めよう。

 

 

 

「……ああ。それはそれとして、これが終わったら私は少し気になる事があるので別行動をさせていただきます」

 

「あら、あら。構いませんわ、構いませんわ。病室を抜け出した数週間前に比べると、やはり成長いたしましたわねぇ」

 

「……やめてもらえません?」

 

 誰にも気づかれていないと思ったのに〈フラクシナス〉の優秀な解析官様にあっさりバレて、色々と大騒ぎになったのは記憶に新しい上に苦い思い出だった。

 

 

 





七罪ナツーミ可愛いよ七罪的なノリ。

狂三の補正もあって肝が据わってるというか同じ顔程度だと受け流せるというか。まあ自分と同じ顔一人と好きな顔が千人単位でいるとじゃ衝撃度がなかなかね。冷静に考えたら狂三フェイカー編でよくサラッと受け流せたなこれ。

主と従者のいつもの作戦会議。士道への信頼度と介入理由が着々と上がって言っていますが、さてこの作戦会議もどれだけ続く事やら(不穏)
会話を見れば分かるとは思いますが、8巻の展開はかなり端折ります。理由はもうやれ狂三が謎解きに置いて余裕の禁じ手を使うわ原作で正規の謎解きは終わっているわ大人七罪はヘイトを稼ぐわと色々ありますね。
狂三って子は単純に頭脳以外だと数に任せた視界が強すぎるんですよ。謎解きには仕込みが必要ですが、その仕込みの部分を狂三ではない『狂三』が見てしまえばその時点でアウトです。謎解きにならない。ではどうするかと言うと……まあ、士道と狂三ならではの推理話になります、お楽しみに(?) 謎解きパートや精霊たちのデートを楽しめるデート・ア・ライブ8巻『七罪サーチ』を是非よろしくお願いします。

次回は狂三による癒し……と果たしてそれだけかな? この狂三ルートに置いて数少ないバッドエンド条件というのがあるのですが、それは普段の士道ならまずありえないレベルの選択肢です。久しぶりにいつもとは違う、というより原作に近い狂三を書けたんじゃないかなぁと。近いというか私なりのヤンデレ像? バッドエンドの条件、是非予想してみてください。意外と単純かつ明快です。

感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第六十三話『想いの代償』

私なりに描くヤンデレの形的な何か。手にしたものと引き換えに、彼が生涯背負わなければならないもの。




「うふふ……ふふふ、はははは……っ!!」

 

 また二人、消えた。消してやった、自らの秘密を知る憎々しい少年の前から。そうして七罪は恍惚とした表情を浮かべ笑う。

 たまらない。たまらない、たまらないたまらないたまらない!! 戦慄、焦燥、何もかもが入り交じったあの顔が。自らの選択のミスで絶望を覚える彼の顔が、たまらない快感をもたらしてくれる。今なお、七罪を探す為に寝る間も惜しんで作業を続ける健気な彼の姿が、哀れで滑稽なその姿が瞳に映し出されている。

 

 足りない。足りない、足りない足りない足りない足りない!! もう、これでさえ満足出来ない。欲しい、全てを諦め膝をつく彼の姿が。欲しい、最高に膨れ上がったその怒りと絶望が――――――その為の最後の布石は、放たれている。

 

「けど、残念……」

 

 僅かな心残りは、七罪が化けた〝存在〟が彼と会話をした時に聞き出すことが出来た、少年の大切でかけがえのない少女。確か、〝狂三〟と言っていた。その少女が未だ姿を現さないというのは少し惜しい。少年が七罪を恐れて存在を隠しているのだろうか? そんな狂三という少女でさえ呑み込んで(・・・・・)しまった時、士道がどんな表情をするのか気になってしまう。

 

 涙するのか。絶望のうちに消えていくのか――――――はたまた、七罪が想像も出来ないほど怒り狂うのか。

 

「でも仕方ないわね。もう我慢なんて出来ないわ」

 

 待てない。待ちきれるわけがない。自らの秘密を知る者を、これ以上野放しには出来ない。これ以上この世界に存在を許しておくことなど耐えられるわけがない。奪って、奪って、奪って、呑み込む。

 

 見つけられない。見つけてくれない(・・・・・・・・)。士道だって同じだ。どうせ、誰も――――――

 

 

「――――――こんばんは、お姉さん」

 

「ッ!?」

 

 

 振り向いた先に、〝白〟がいた。得体の知れない〝何か〟があった。真っ白な外装に身を包んだ、少女がいた。少女だと思えた理由は単純で、その声のトーンと幼さの残る背があったから。だが、それ以外はまるで解らない(・・・・)

 〝何か〟がいるという感覚。目の前にいる、それは間違いない。しかし精霊の知覚領域に存在している白い少女は、それでいてそこにいない(・・・・・・)のだと思わせる特異であり異質な者。

 

「……こんばんは。こんな時間に子供が遊びに出てたらいけないわよ?」

 

「それを言うならお姉さんも同じでしょう? こんな時間に女の子一人で、危ないですよ」

 

「ふふっ、ご心配なく。私、こう見えて結構強いんだから」

 

 動揺を知らせてやる必要はない。不敵な笑みを浮かべて、上っ面だけの会話に付き合ってやる。

 ただの人間ではない。人間が、精霊の知覚能力を回避して真後ろに立てるものか。

 

「それで、何の御用かしら。本当にいけないわよ――――――そんな、物騒なもの(・・・・・)まで持って」

 

 何より、その腰に携えられた〝刀〟。ASTとは思えない。なら――――――精霊。

 白い少女は小さく、それでいて七罪に聞こえるくらい大仰に笑う。彼女を挑発するような道化の笑い。

 

「これは失礼。実は少々、頼み事がありましてね」

 

「ふぅん……」

 

「頼み事というよりはお願いなんですが――――――今から起こること、見逃して欲しいんです」

 

「……!!」

 

 ハッとなり、意識を少女から離れた士道の家へと飛ばす。七罪が白い少女に気を取られた一瞬の間に、誰かが侵入している(・・・・・・・・・)。誰かまでは判らないが、少なくとも目の前の少女と関係があることは明白だった。

 

「……やってくれるわね」

 

「元々、彼に勝負を挑んだのは我が女王が先です。ああ、あなたの勝負を邪魔するつもりはないのでご安心を。どの道、結果は変わらない(・・・・・・・・)

 

 どちらが、とは言うまでもなかった。七罪は自らが勝つと信じているが、少女は士道が勝つと断言している。そこに細かな説明は必要ない。

 少女の言葉をどう受け取ったのか。睨むように目を細めた七罪は声を発する。

 

「そうね……見逃さなかったら、どうしちゃうのかしら」

 

「……あなたの行動次第、ですかねぇ」

 

 軽く肩を竦めた少女は、七罪の問い掛けに冗談のような気軽さでそう返した。なるほど、ある意味で予想通りの反応。たとえ、七罪がこの場に偶然現れていなくとも、異常が見受けられた時点で彼女は姿を表す他なかった。最初から白い少女はそのつもり(・・・・・)だったというわけだ。

 

 なんとも――――――気に入らない。

 

 

「じゃあ、答えをあげる――――――〈贋造魔女(ハニエル)〉!!」

 

 

 手にした杖にも似た箒状の〝天使〟を掲げた七罪は、その霊力の光を放射状に解き放った。

 同じ精霊であろうと、正体が判らない者であろうと関係ない。己の邪魔をするのであれば、それは消し去るべき敵。そして〈贋造魔女(ハニエル)〉の力は、どのような相手であれ自由自在に矮小なものへと変えることができる光。それを知らずに戦いを挑むなど愚か過ぎる。

 

 少女の存在を書き換え、犯す変幻の光が少女へと迫り――――――

 

「え……?」

 

消えた(・・・)。霊力の光という物体ならざる物が、消えた。効果を発揮したわけではない。だが、少女だけをすり抜けたというわけでもない。光が消えた(・・・・・)。少女の……否、少女の白い外装(・・・・)に光が触れた瞬間に全てが消失し――――――

 

 

「別に――――――私はあなたがどうしようと大した興味はありません」

 

 

 少女の姿までもが、消える。消えたのではなく、七罪の視認能力を超えて移動したのだと気づいたのは、ゼロ距離で声が発せられた瞬間のこと。背に突きつけられた柄頭の感覚が、彼女の思考を一気に現実味のないものへ運び込んだ。

 何が起こっているのか、理解が追いつかない。そんな七罪に冷たく、少女の物とは思えない心の底から恐ろしいと感じられる声を彼女に聞かせた。

 

 

「あなたが五河士道や夜刀神十香たちに手を出して、我が女王の逆鱗に触れるのは勝手です。けれど――――――」

 

 

 トン、と軽く押し出された。その瞬間、防衛本能が働いた七罪は持ち得る最大限の反応速度で振り向き――――――手に持った天使を構える隙もなく、眼前に突きつけられた色のない刃と明確な殺気(・・)を叩き付けられた。

 

 

「我が女王の邪魔をするのであれば……あなたは私の、倒すべき敵だ(・・・・・・)

 

 

 士道に手を出すこと、彼の身内に手を出すこと。それは自由。その結果を受け止めるのは、それを行った本人に過ぎない。しかし――――――時崎狂三(我が女王)へ害をなそうとするなら、白い少女は全力を持って七罪を排斥せねばならない。

 放たれた明確な殺意に対して、精霊・七罪は……。

 

「ひ……ッ!!」

 

予想外なことに(・・・・・・・)、外見や立ち回りに反した幼子のような恐怖(・・・・・・・・)を見せた。

 

「……?」

 

 その行動に対して誰より首を傾げたかったのは、切っ先を突きつける少女自身だった。下手をすれば一戦交えることすら有り得る、そんな風に思っていたのだが……なんというか、彼女の反応に感じる違和感(・・・)が拭えない。

 七罪の外見と、たった今彼女が見せた感情の差。一瞬のことであるため気のせいかもしれない。けれど、どうしてもそうは思えない少女がいた。見た目と一致しない差異に、どうにも身に覚えがあった(・・・・・・・・)。それを考えてしまった時、どうも居心地が悪くなった少女は――――――

 

 

「……止めです」

 

 

 あっさりと殺気を引っ込めて、無防備にも刀を鞘にしまい込んだ。パチン、という僅かな鍔鳴りと共に緊迫した空気が霧散する。無論、それは七罪の警戒を解く事にはならない。

 

「なんの、つもり……?」

 

「だから、止めます。白けました。あなたが戦いたいと言うなら止めませんけど、私に勝つなら夜刀神十香を連れてきた方が確実ですよ」

 

 ヒラヒラと手を振って背まで向けて立ち去ろうとする少女。狂三風に言うなら気まぐれ、もしくは興が削がれた、であろうか。

 

「……私が言いたい事はさっきので全てです。我が女王の邪魔さえしなければ後は好きにしてください」

 

「なん、なのよ……あなた……っ!!」

 

 突然現れて、意味のわからないことを言い出して、去っていく。七罪の視点から言えば本当に意味がわからない、としか表現のしようがない。

 精霊かどうかすら怪しく、嵐のように七罪を襲った理不尽は、去り際に会った時と同じく道化のような微笑みで、告げた。

 

 

「通りすがりの精霊です――――――覚えなくて結構ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「…………」

 

 ただひたすら、士道は無心で情報を読み取る。いや、無心というのは正しくはないか。パソコンに表示された記録映像やデータ、デスクや辺りに散らばった膨大な書類を彼は読み解き、一つ一つを丁寧に思案せねばならないのだから。

 

 七罪との勝負から五日目が過ぎ――――――十香が消えてから、二日。士道の精神面はお世辞にも良いとは言えないものだった。寧ろ、よく限界を迎えていないものだと感心する。

 消えたのは十香だけではない。四糸乃。夕弦。殿町。亜衣。麻衣。美衣。タマちゃん先生――――――皆、士道が不甲斐ないばかりに七罪の手に落ちた。これ以上は、消させない。

 〈ラタトスク〉が調べ上げた全てのデータ、記録映像を余すことなく目に通す。何度も、何度も、何度も。何か見落としがないか、それを探すためだけに。

 

「……もう、少し……」

 

 何かがあるはずだ。士道の頭の中に浮かび、掠める違和感。全く証拠を残さない七罪と、残された容疑者(・・・・・・・)。加えて、士道の中にある〝何か〟が致命的な見落としを、浮かび上がらせようとしている、気がする。疲労と重圧で頭が狂っているのかもしれない。だが士道は、それに賭ける他ないのだ。これまでにないストレスに意識を持っていかれそうになりながら、士道は再び資料を手に取ろうとし――――――ふと、それが消えた。

 

 

「――――――あら、あら。よく調べられていますわ」

 

「くる……っ!?」

 

 

 呼び慣れた名前が言葉になり切らず、驚きで立ち上がった士道を吐き気と立ちくらみが襲った。立っていられない……と、地面へ倒れこみそうになる彼を支えたのは〝影〟から伸びた複数の白く細い腕だった。それを指示したであろう張本人は、窓際に背を預け悠然と手に取った資料を眺めていた。

 

「……っ。狂、三……」

 

「ごきげんよう。らしくない姿をしていらっしゃいますのね、士道さん」

 

 霊装のドレスを着込み、時崎狂三は士道の目の前にいた。彼の脳が見せる幻覚ではないことくらい、疲れ切った頭でも理解が出来る。そして、超然とした表情を浮かべた狂三が言わんとしている意味も。

 

「……悪いな。こんな情けない姿見せちまって」

 

 情けない。七罪に良いようにやられ、更にはいつもなら絶対に逃さない狂三が現れる予兆すら感じ取ることが出来ず、醜態を晒している。だが今は、その時間すら惜しい(・・・・・・・・・)

 

「けどすまん。今は――――――」

 

 その言葉を、口に出した時、

 

 

「――――――――」

 

 

 続きを言葉という形にする前に、狂三から表情が消えた(・・・・・・)。致命的に、何かを間違えた。取り違えたのだと、本能的に感じ取る。

 大事な資料を放り、狂三は士道へと近づいてくる。動けない。囚われた彼の身体が問題なのではなく、その心が動くことを拒んでいる。

 

「ねえ、士道さん」

 

「……!!」

 

 背筋が凍る、などと軽いものではない。全身が凍りつきかねない、そんな絶対的な声色。狂三の細い手が、士道の首に触れる。普段であればか弱く見えてしまう彼女の手が――――――今は、まるで士道の命に手をかけた狂気の腕に見えた。

 

 

「わたくしを、見なさい(・・・・)

 

「……っ」

 

 

 目を逸らせない。魅入られる。狂気の瞳に、囚われる。常に心がけているであろう丁寧な口調を置き去りに、狂三は言葉でも士道を縛り付けた。そう……今、彼は時崎狂三を見ていなかった(・・・・・・・・・・・・)。ほんの少し、僅かな時間であろうと狂三の事を蔑ろにしてしまった。だからこそ、その接近にさえ気づかなかったのだ。

 全てを捨てても救うと誓った存在を、少年は一瞬、刹那の間であろうと喪失しかけた。それほどまでに追い詰められた彼を、しかし狂三は容赦しない(・・・・・)。手に込められた力が、僅かに強まる。強ばる身体と、嫌に乾いた唇が士道の緊張を表していた。彼女の手から伝わる、冷たい温度が彼女の表情そのもののようだった。

 

 

「あなた様の苦しみ。ああ、ああ。どのようなものであっても理解いたしましょう。あなた様の痛み。ええ、ええ。どのようなものであっても受け入れましょう。あなた様の痛みと苦しみを支える事が出来るのであれば、どのようなことでもいたしましょう。しかし、それだけは許さない(・・・・・・・・・)

 

「く、る……み」

 

「許しませんわ、許しませんわ。他者に目を向けることは許しましょう。他者に手を差し伸べること。それはあなた様であれば当然のこと、議題にすら上がりませんわ。ですが――――――」

 

 

 込められる力が更に増し、彼が感じる息苦しさを加速させる。交差する視線が、見たことがない狂三を感じ取らせていた。それをしたのは、させてしまったのは他でもない士道なのだと。

 

 

「わたくしから目を逸らすこと。それだけは、許さない」

 

 

そんな狂三にしてしまった(士道を狂おしいほど愛している)のは、他ならぬ五河士道であるのだと。士道にはその責任があるのだと、一瞬であっても責務を放棄するなと、告げていた。

 

 

「あなた様がわたくしから一瞬でも離れると言うのなら、わたくしはわたくしでいられなくなる。あなた様が、わたくしを忘れようと言うのなら――――――」

 

 

 笑う。凄絶に、狂気を生み出す悪夢の微笑み。全てを呑み込む絶対強者の瞳。生殺与奪の権利を握られた、このような状況でさえ――――――士道は彼女が、世界の何よりも美しいと感じていた。だって、彼女の微笑みは――――――

 

 

「わたくしは――――――士道さんを殺しますわ(離しませんわ)

 

 

 一抹の寂しさを、確かに伝えているのだから。

 

 人から見れば、どうしようもなく歪で。人から見れば、どうしようもなく狂気を感じる愛。時崎狂三という少女の、譲れない使命を背負った精霊の不器用すぎる愛情表現。誰にも渡さない、誰にも譲らない。そうさせてしまった責任を、全てを賭けると誓った〝約束〟を破らせたりなどしない。そんな狂三の厳しさ(優しさ)を――――――自らの手で包み込む事で、答えた。

 

 

「……ごめん、狂三。どうかしてた」

 

「士道さん」

 

「俺が言い出した事を、俺が蔑ろにするのはおかしいよな。どんな事があっても……俺はお前と、戦争(デート)がしたい」

 

 

 何をやっている五河士道。苦難がなんだ、責任がなんだ。たった一つの物事に意識を取られ、狂三をおざなりにするなんて自分で自分を殺したくなる。苦難の一つや二つ、全部背負い込みながら――――――狂三を愛する。そう決めたのは士道なのだ。

 

「し、どう……さん」

 

「うん、大丈夫。俺は、お前を見てるよ」

 

 目を逸らしたりなんか、しない。見つめ返される瞳に震えたのは、誰でもない狂三だった。その動揺を表すような手の揺らぎを、士道はそっと包み込む。

 

「ごめ、んなさい。このような女で、わたくしは……」

 

「言ったろ。悪いのは俺だ。色々、焦りすぎてた」

 

「いいえ、いいえ。あなた様は何も……」

 

 衝動的だった。その言葉を口に出された瞬間、狂三は全身が熱を持ち燃え上がるように狂った。自分では止めようのない激情、狂気。気づけば彼の首元に手をかけ、自らの秘めたる感情を生にぶつけていた。こんなにも追い詰められている、彼へ。

 期待と不安は表裏一体。この程度の試練を乗り越えなければ、時崎狂三を攻略など出来ないという期待。こんな辛い思いをしている士道を追い詰めているのは、他ならない自分なのではないかという不安。

 取り留めのない言葉を零す狂三を、士道は優しく受け止めていく。

 

「もう大丈夫だ。久しぶりに狂三の姿見て、安心した――――――っと」

 

「士道さん!!」

 

 いつの間にか影の腕の支えを失っていたらしく、緊張が解けたのもあり体勢を崩した士道を今度は狂三本人がしっかりとその手で支える。彼から伝わる体温、体重、心臓の鼓動。その全てを全身で感じ取り顔を赤らめた狂三は……すぐにその表情を険しいものへ変えた。

 

「……士道さん。食事と睡眠はしっかり取られていらっしゃいますの?」

 

「え、いやそりゃあ……取らないと生きていけないからな」

 

「それにしては、随分とお変わりになられましたわね(・・・・・・・・・・・・・)

 

 なるほど。数日間、狂三が私情を押し殺して息を潜めている間に随分と様変わりしたものだ。体重も、顔色も、数日前の五河士道はこのようなものではなかったはずなのに。これでは頭が回らないのは当然の筈だ。

 うっ、とバツが悪そうに士道が呻いたのが答え。嘘は言っていないが、必要に足る量を取れていないのは明白だった。

 

「この数日は……特に、十香が消えてからはな。ダメだって判ってるんだけど……」

 

「……もう。わたくしがずっとお傍にいないとダメなのですか」

 

「はは、そうかもしれないな……俺はそれでも嬉しいけど」

 

 もちろん本気じゃない軽い冗談だ。だが、士道の強がりをどう思ったのか……にこり、と笑った狂三を見て嫌な予感に身震いを起こす。

 

「では――――――少しだけ、士道さんの願いを叶えて差し上げますわ」

 

「は――――――おぉっ!?」

 

 その予感が間違っていなかったと確信したのは、宙を舞う(・・・・)自らの身体を認識した時だった。

 

「一名様、ご案内ですわ」

 

「………………」

 

 声も出ない。とは正にこんな状況のことを言うのだと思う。華麗なコントロールでベッドの上へダイブした――しっかり〝影〟によるフォローのおまけ付き――士道の眼前には、少し気恥しげに微笑む狂三の顔があった。そう、目の前……いつもですらこの距離は長時間保てないような距離に狂三がいる。形としては――――――添い寝、と言うやつだった。

 

「……狂三、サン?」

 

「あら、あら。わたくしの添い寝だけではご不満ですの? お望みならいつも通り服も脱いで――――――」

 

「滅相もないです!! 大変満足です!!」

 

 いつも通りってなに? いつも通りってなに? 狂三は眠る時服着ないの? そうなの? 士道は自分の想像力がロックオープンしかけるのを慌てて揉み消した。その鍵を開けるのは大変にまずい。理性という名の禁断の果実を食べてしまった先にあるのは想像に難しくない。

 

「……ぅ」

 

 ふと、力が抜ける。極度のストレスと過度な負担。それを連日受け続けた士道の身体はとうに限界を超えていた。肉体がそれに応じて休息を求めるのは当然の行為。普段の士道であれば、妙に露出度の高い霊装姿のまま肌が密着するような距離での狂三を目の前にして眠れるようなものではないのだが、今は彼女の体温、心音……何より、彼女に感じる安心感が闇に落ちる意識を加速させていた。微笑む狂三の姿が、段々とボヤけていく。

 

「わたくしが傍におりますわ。おやすみくださいませ、士道さん」

 

「だ、めだ……まだ、何も……」

 

 もう少しで〝何か〟が掴めそうなのだ。それなのに休むことなど――――――しかし、髪を掬う狂三の指先があまりに心地よく、抗えそうにない。

 

 

「以前にもご忠告申し上げましたわ。冷静にならねば、救える方も救えないと。今の士道さんに必要なのは焦りを消すための休息。その後には、必ず士道さんの求める〝答え〟が見えてくる、はずですわ」

 

「こた、え……」

 

 

 士道の中の〝何か〟が告げようとしている、導こうとしている道。〝答え〟に繋がるもの。

 

 

「士道さんなら必ず、辿り着けますわ。どれだけ巧妙に隠されていようと、士道さんが目にした物の中に真実は隠されていますわ」

 

「おれが、目にしたもの……?」

 

「ええ、ええ。既にあなた様は答えを視ている。除外するべき不可能なもの、起こりえない事象こそ〝偽り〟――――――わたくしを(・・・・・)暴き出した士道さんにとっては、そう難しいことではありませんでしょう?」

 

 

 何が視えている。士道の眼は、何を目撃したのか。これから先、何を視るのか。

 意識が落ちかけている。もはや思考がままならない。まだ、彼女が何かを話していた。

 

 

「士道さん。愛しい愛しい、士道さん。殺したくないと思うのに、わたくしだけのものにしたくなる(殺してしまいたい)、可愛い士道さん。この試練を乗り越えて、早くわたくしを――――――」

 

 

 わたくしを――――――その先は、なんだったのだろうか。

 

 落ちる。深い眠りに、落ちていく。けれどそれは、久方ぶりに感じる……安らぎに満ちた、ものだった。

 

 

 





その関係が深くなれば深くなるほど、もう後戻りは出来なくなる。
他の女性にうつつ抜かしてもまあ何とかなります。人を助けることはそもそも時崎狂三が士道を好いている理由の一つであり、力を貸す理由にもなっているので平気。しかし、それだけは地雷です。特大です。最後まで言葉にしたら終わりです。
今回は十香がいなくなったのが大きいというか、士道が初めて救う事が出来た精霊なので存在はかなり大きい。自覚は薄いかもしれませんがめちゃくちゃ追い詰められてます。普段なら絶対ならない状態になった原因ですね。引き戻されなかった場合、バッドエンド直行便です。救いはないですね、はい。そしてさり気なく添い寝イベントこなしていく辺りね。

余談ですが、私は或守インストール等で見られる狂三の笑顔大好きです。十香と琴里に目がいってしまった時、狂三が見せたあの凄絶な笑顔がもうストライクなんですよね。アレに近いものを目指しました。展開上、見せる事は少なくなっていますが(というか狂った面は原作でかなりやっている)やはり狂三と言えば病み気味な笑顔だろうと。その奥に潜む一人の少女としての顔がまたry

狂三だけでどんだけ語ってるんだという事で白い少女と七罪について。能力相性です、以上。いや、本人もチラッと言ってますけど本当に能力相性が極端なんですよこの子。この辺はまた近いうちに描いて行けるかなと。少なくとも少女の天使は絶対無敵な能力ではありません。

感想、評価、お気に入りありがとうございます。大変励みになっておりますのでいつでもお待ちしていますー。次は8巻決着編。士道にある変化が……? 次回をお楽しみに!!


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第六十四話『針が奏でる未来』

デート・ア・ライブ新作アニメ化決定おめでとうございます!!!! 祝え!!!!(開幕圧力)

それとお気に入り600件突破感謝感激ですありがとうございます。

それでは8巻決着編をどうぞー。


 

 

「ん……」

 

 部屋の外から、朝を告げるスズメの鳴き声が聞こえて来る。本来であれば(・・・・・・)、自分はその鳴き声で朝になったのを知り、霞む目を擦りながらパソコンの前で――――――

 

「あん……?」

 

 何を考えているんだ? 自分で自分が何を考えているのか、それが理解出来ずに士道はパッチリと開けた目を二、三度擦りながらベッドから起き上がった。彼の隣には――――――誰も、いない。

 

「……ありがとな」

 

 だが、夢なんかじゃない。それを確信しているから、僅かな温もりが残ったシーツに触れながら彼女へ届かない言葉を呟いた。自分を案じて、だからこそ叱責をしてくれた彼女へ。その愛に報いれるよう、その怒りに相応しいだけの男になれるよう、五河士道は歩み続ける必要がある。

 いつになく頭が冴えている。今なら、何かが視える(・・・・・・)。高揚感が身体を満たしている。ああ、ああ、ちょうどいい。こんなところで、止まっていられるものか。

 

 あの言葉の先を、士道が望むものを――――――狂三に言わせる未来を創らなければいけないのだから。

 

「士道……あら、ちゃんと休んだみたいね」

 

 決意を新たにしてベッドから降りた彼を出迎えるように扉が開き、琴里が部屋に入って来た。その顔は、眉を顰めるなどではなく純粋な安堵の表情だった――――――今、なぜ琴里が眉を顰めると思った?

 

「良かったわ。こっちの言うこと聞いてないなら拳の一つでも――――――って、どうしたのよその痣!?」

 

「……あざ?」

 

「首よ、首!!」

 

 意識はハッキリして高揚感が満たしている、と言ったが妙に変な意識が混じっている感覚。そんな中、琴里の指摘もなんの事だと首を傾げながら指を刺された首元を確かめるため、携帯端末の画面を鏡替わりに上手く首元を覗いてみると……琴里の言うように、数本線のような()が出来ていた。

 一瞬、一体いつこんな、まで思考してその線の細さと昨晩の出来事を思い返して合点がいく。強く、鋭く残る赤い充血。ともすればキスマークの代わりにも思えて――――――忘れるな(・・・・)。そう告げているように士道には思えた。

 

 忘れない、もう大丈夫だ。何を考えていても、何が起ころうとも時崎狂三という存在を身体の、細胞の隅まで刻みつける。昨晩のような醜態を、二度と晒すつもりはない。だからこれは。

 

 

「……平気だよ。〝戒め〟みたいなもん、かな」

 

「…………え、なに士道。そういう趣味あったの? ひくわー、神無月と仲良くやったらいいんじゃない」

 

「曲解が過ぎるだろ!!」

 

 

 愛する妹にすり足で後退りされるのは思っているより傷つくものだと思った。ついでに言えば、あの変態副司令と一緒くたにされるのは言い様のない苦痛を感じるのだと思い知る……一歩間違えたら死ぬかもしれなかった出来事を戒めと愛情で一括りする辺り、全く自覚がないとはこの事だった。恋は盲目、という言葉が適切かもしれない。

 

 冗談よ、と冗談には思えない表情でそう言った琴里が、はあと息を漏らして呆れ返った顔をしてから声を発した。

 

「……そんな重い女のどこが良いのかしら」

 

「む、どこが重いんだよ――――――あ」

 

 間抜けがすぎる。これではこの痣を誰が付けたか自白しているようなものだった。額に汗を滲ませる士道に、琴里は半目で彼を責めるような視線を投げつけていた。

 

「へぇー、昨晩はお楽しみでしたねぇ、って言えば良いのかしら」

 

「…………そ、そんな事より我が妹よ。俺に何か渡す物(・・・)があるんじゃないか?」

 

「――――――なんで士道がそれを知ってるのよ」

 

 苦し紛れで話を逸らそうとした言葉を琴里が受け取ると、一転して怪訝そうな表情で聞き返されてしまう。

 

「な、なんでってそりゃ――――――」

 

何故だ(・・・)。慌てて理由を選ぼうとして、その明確な理由を自らに問いかける羽目になった。何故、士道は今なんの躊躇いもなく琴里が何かを見せようとしている(・・・・・・・・・・・・・・・)、と口に出すことが出来た?

 微かに感じた頭痛に士道は軽く頭を抑える。まただ。知らないはずの〝何か〟を視て(・・)、理由が判らない彼は無様にも自身に訊くしか手段を持ち得ない。

 

「どうしたの? まさか、あなた何か――――――」

 

「っ!! あ、ああ大丈夫だ。それよりほら、そういう言い方するんだからあるんだろ?」

 

 琴里が異変に気づいて駆け寄ってくるのを慌てて手で制する。いけない。今はそんな事より優先すべきものがあるはずなのだ。雑な誤魔化しだったが、琴里が持ち込んだものも急を要するのか訝しげな表情は変わらないながらも、何とか目的の物を引き出すことが出来た。

 

「……まあ、いいわ。見せたいものは、これよ」

 

「白い、カード……」

 

 手渡された一枚のカード。初めに届いた、写真に同封されていたメッセージカード、ではなかった。その文面が違う。それをゆっくりと読み上げる。

 

 

「そろそろゲームも終わりにしましょう。今夜、私を捕まえて――――――でないと、みんな消えてしまう……!!」

 

 

 奥歯を噛み締め、カードがひしゃげるほど握り怒りを顕にする。なるほど、やってくれる。これは七罪が仕掛けたゲーム。制限を縮めるのも彼女の思うがまま――――――そのルールさえ、も。

 

「朝起きたら、ポストの中に入ってたわ。額面通りに受け取るなら、七罪は今夜勝負を決める気ね」

 

「…………」

 

「士道?」

 

 ルール。七罪が勝負で決めたルールは至極単純。送り付けられた写真、誰が私か当てられるか。そして、一日経つ事に写真の人物たちが消えていく。それだけ――――――それだけ(・・・・)

 口に手を当て、士道は思考に耽る。七罪が設けたルールは、それだけ。消えていく人物、絞られていく容疑者……本当に、絞られていたか?(・・・・・・・・)。士道の予測が正しければ、今ある前提の条件が全て覆る。否、前提の条件などなかったのだ。だってそれは、自分たちが勝手に認識してしまったルール外(・・・・)のものなのだから。

 

 これが恐らく、昨夜士道が掴みかけた掠めるような違和感の正体。しかし、彼が知りたいのは更にその先である。士道は既に視ている(・・・・)。それは、〝何か〟が視せるものではなく士道が視たもの。致命的な取りこぼしであり、それ故に完璧だった七罪すら犯してしまった不可能な事象(・・・・・・)

 

 囁く。勝負を制する絶対の言霊が蘇る。

 

 

『――――――除外するべき不可能なもの、起こりえない事象こそ〝偽り〟』

 

「――――――繋がった」

 

 

 視えた。パズルのピースが、盤上の外より投げ渡された言霊によって埋まる。七罪の正体。今の士道にはそれがハッキリと視える(・・・)。だが、まだ足りない。この真実を確実なものにするためには、士道だけでは足りないのだ。失敗は許されない……七罪が納得する形にまで持ち込み、完璧に追い詰める必要がある。そのために可能性は潰しておかねばならない。

 

「琴里。頼みがある」

 

「……気づいてる? 今の士道、あいつそっくりの顔してるわよ」

 

 大胆不敵で、凄絶な微笑み(・・・)。半年前の士道であれば絶対にしなかったであろう類の笑み。何が気に入らないのか、それを見た琴里がしかめっ面で指摘する。

彼女(・・)の微笑みというのは、誰もが知るように大胆かつ相手を威圧、平伏させてしまいかねない超越的なものだ。故に、大胆不敵と感じる。それにそっくりということは、つまり……。

 

「……悪い、怖がらせたか」

 

「ばっ、違うわよ!! 大体、私が士道を怖がるなんてそんなこと――――――」

 

 今度は何が気に入らなかったのか。アタフタと顔を赤くして反論する琴里に、士道は何なんだと頭を搔く。しかし、彼女そっくりというのは全く自覚がなかったので驚いた。言われなければ気づかないほど、自然な流れでそうなってしまっていた。逆に考えれば、人に太鼓判を押されるほど好きな人に似ていて――――――そんな狂三の微笑みを無意識に浮かべたということは、自分の中で確実な勝算を繋げた事に他ならない。

 

 だって、そうだろう。時崎狂三の必勝(微笑み)を使ったのだから、敗北は決して許されない。

 

「……で、何よ頼みって。可能な限り善処して上げるわ」

 

「ああ。それは――――――」

 

 まとめ上げた考えを伝わるように、そして士道が試したいことを含めて数分を要して琴里へ提案を口に出した。彼の提案をふむ、と少し考えながらもさしたる時間はかけずに琴里は了承の有無を口にする。

 

 これで、準備は整った。失敗は許されない。士道が間違えた瞬間、全ては崩壊する。白い少女が忠告したように、今の士道はあらゆる責任と重圧を背負った人間なのだ。

 

「ああ、判ってる。この程度(・・・・)、乗り越えてみせるさ」

 

 何故なら、五河士道はこんな謎解きより遥かに難しい難事件を抱え込んでいるのだ。乗り越えられなければ、士道が望む未来を創り出すなど夢のまた夢。

 拳を握りしめる。私を見つけられる? 愚問だ。

 

 

「見つけられるか、じゃない。見つけたぞ――――――七罪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「これが最も簡潔、かつ速やかな確認方法」

 

「……おぉう」

 

 簡潔かつ速やかなのは認めるが、随分と過激な方法を取ってくれるものだと士道は玉のような汗を滲ませた。目の前には、十二枚の写真全てに(・・・・・・・・・)ナイフを突き立てる折紙の姿があった。それを一瞬の躊躇いも持たず、眉一つ動かさず実行に移せる行動力に驚かざるを得ない。

 

 〈ラタトスク〉が保有する地下施設の一室。そこには事件の当事者が残らず集まって、知恵を出し合っていた。琴里、耶倶矢、美九……少々危険ではあったが、精霊に敵意を持つ折紙も含めて。最も、士道自身は折紙が以前話した『精霊の力が観測出来ないのであればASTとしては攻撃出来ない』という言葉を信じているので問題はない……それより遥かに心配しなければならなそうな首筋の〝痣〟もしっかりと隠せる服装を着てきた。

 

 現在、たった今折紙がして見せたように可能性をしらみ潰しに当たっているところで――――――折紙がこの可能性を潰してくれたことで、かなり近づいたところだ。

 ……まあ、万が一にもこの写真に七罪が化けていたらと思うと冷や汗どころの話ではないのだが。なんか、凄く残念そうな声を出してるし。

 

「……どうやら、違ったらしい」

 

「ふん、また振り出しか」

 

「いや――――――折紙のお陰でかなり近づいた」

 

 驚愕と、訝しげな視線が士道へ集中する。当たり前だ。折紙が提示した七罪が無機物や体積の違うもの(・・・・・・・・・・・)に化けられる可能性。それは、士道が視た(・・)ものを決定的に確証にまで近づけてくれた。あと、残るは七罪本人への確認作業。だが、それを軽々しく行って良いのか。いや、こんな自信に満ちた士道を見て慎重な七罪が姿を表すのか――――――と。

 

「っ……?」

 

また(・・)、頭痛。朝から何かがおかしい……こんな時に、鬱陶しいと士道は軽く左目(・・)に手を当て――――――聞き慣れた無機質な音(・・・・・・・・・・)が、聞こえ始めた。

 

 

「ぁ――――――ガ」

 

 

 立っていられない。左目だけが、世界から切り離される。否、左目こそが(・・・・・)士道が視る世界となる。

 

「士道!!」

 

「だーりん!?」

 

 誰かが、叫んでいる。それさえも遠い。遠いのではない。叩きつけられる力で、聞き取るという機能を強制的に停止させられているのだ。

 

 視える。視える。みえる。ミエル――――――先が(・・)、視えてしまう。

 

 

「づ――――あ、ガ……ぁ」

 

 

 頭が割れる。痛い、痛い、怖い(・・)

 

 

 

 

 

 ――――――解析。

 

 

 

 

 

 ダメだ、ダメだ、一秒だって視ていられない。視えてはいけない。視ていたくない。数秒後に訪れるかもしれない自らの〝死〟。そんなものを際限なく視せつけられて、正気でいられるはずがない。遠くない未来に訪れる死は、否が応でも感じさせる。何を。自らが立つ場所が消えてしまう、そんな感覚。

 

 

 

 

 

 

 ――――――分析。

 

 

 

 

 

 

 視えるのは〝死〟だけではない。そんなこと理解している。しかし、誰しもが恐れる〝死〟の間際を。何十、何百、何千と訪れる連なる可能性を受けて、そんな常識は意味をなさない。こんなものに耐えられるのは狂人か、自らの死を幾度も視て(・・・・・・・・・・)知っている者(・・・・・・)だけだ――――――

 

 

「く、る、み」

 

 

 彼女の、ように。

 

 

 

 

 

 

 ――――――完了。

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうだ。こんなものに、囚われる時間はない。こんなものに、足を止める時間はない。彼女を救うために、俺は一秒だって無駄にしない。全て受け止めるのではない、必要なものだけを取り揃え、選択しろ。出来るはずだ、彼女の力の本質を識り、見たのは他でもない五河士道だ。

 

 踏み外せば奈落へと墜ちる、恐怖を殺せ。選べ、選べ、選べ。本質を識り、仮初の主(共鳴者)となった五河士道なら出来るはずだ。出来なければ、この力を持ち得る資格などない。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――選出。

 

 

 

 

 

 

『――――――このゲームのルールは、この写真の中にあなたがいる。当てられなかった場合、一日につき一人が消されてしまう。犯人の指名を間違った場合、間違えられた人も消えてしまう……で合っているのよね?』

 

『――――――さあ、どうでしょう……と言いたいところだけれど、まあ、それくらいなら答えてあげる。あなたの認識に間違いはないわ』

 

『――――――だ、だって……私がつけてたら、消えたとき一緒になくなっちゃうじゃないですかぁ……っ!! だ、だーりんのもとに、私が何も残らなくなるなんて……嫌なんですぅっ!!』

 

『――――――お前が送ってきた写真は十二枚。でも容疑者の数は――――』

 

『――――――ふふ、さぁて、どうかしらねぇ』

 

 

 無限に並行する可能性。起り得る、起こるかもしれなかった(・・・・・・・・・・・)事象。人はそれを〝未来〟と呼ぶ。今は灰色となって消えていくだけの可能性を呼び起こす事が出来たこの力こそ、主のために研ぎ澄まされ続ける帝王の片鱗。超高次元の未来予測(・・・・)の本質。

 

 五河士道は――――――未来を、掴む。

 

 

 

 

 

 

「士道ッ!!」

 

「は――――ぁ」

 

 意識が回帰して、視界が急速に一つ(・・)に戻る。何を馬鹿な……人の視認できるものはせいぜいと一つだ、と思いたくなるほど士道が体験したものは桁外れだった。今の選択をもう一度しろ、と言われたら絶対に無理だと答えてしまうだろう。

 息を吸って、吐き出す。未だにうるさい鼓動を収めるにはこれが一番適している。そうして、士道は見つめる視線を一心に受けながら身体を起こした。

 

「……みんな」

 

「――――――はあああああ、もう!! 急に倒れてびっくりしたんだからぁ!!」

 

「良かったぁ……心配させないでくださいよぉ」

 

「士道。服を脱いで。異常があるかもしれない。今すぐ診察を――――――」

 

「あんたは医者じゃないんだから大人しくしてなさい、鳶一折紙」

 

 このような状況で倒れてしまったからだろう。目に涙を貯めて士道の無事に安堵の息をこぼす耶倶矢と美九。そして、どさくさ紛れに士道の服を脱がそうとする折紙の肩を掴んで力ずくで止める琴里。それぞれに心配をかけすぎたようだ。ごめんな、と頭を下げて無事を知らせる。

 

 しかし、心配をかけた甲斐はあった。どうしてこの力を使えたのか。それ自体の説明は出来そうにない。が、この力が視せた光景は説明できる。

 恐らくは、有り得た可能性の先。士道が正規の手順で辿るべき道のり――――――いいや、別の士道にとっては正規であろうと、今の士道(・・・・)にとっては正規ではない。

 

 と、皆が士道の無事に安堵の息を漏らす中、折紙だけはジッと彼を見つめていた。無言の圧力に少し後退りながら声を発する。

 

「お、折紙? 俺はもう大丈夫だぞ」

 

「士道。何故、時崎狂三の名を呟いたのか(・・・・・・・・・・・・)。説明を求む」

 

「え゛」

 

「説明を、求む」

 

 ……ニュアンス的には、色々含んでいる。直球に、なぜ士道が狂三の名を呟いたのか。あと多分、なぜ自分ではないのか、という折紙らしい理由もあったりする気しかしない。そもそもな話、倒れていた時間において現実で士道が行った事など、士道自身覚えていないので答えようがない。つまり、まあ、やはり返答のしようがない。適当な誤魔化しが通用するとも思えないし、琴里に視線で助けを求めても知らないわよ、と同じく視線だけで返されフォローは期待出来そうにない。

 

「――――――そ、それより!! 今はこんなことしてる場合じゃないだろ!?」

 

「…………」

 

 誤魔化し方が下手な自覚はあるし、これが問題の先送りという指摘は最もだ。痛いほど突き刺さる折紙の視線がそれを物語っている。けど、こんなことをしている場合ではないのは、誤魔化しでもなんでもなく事実だ。

 表情を引き締め、立ち上がった士道が四人を見据えて〝答え〟を出した。

 

 

「みんな、聞いてくれ――――――七罪の正体が、わかった」

 

『!?』

 

 

 四人が息を呑む。それは、当然の反応。何せ突然倒れ込んだ士道が、今度は今の今まで正体の影すら見えなかった七罪が誰なのか、それをわかったなどと言っている。普通であれば正気を疑うし、錯乱したか考えてしまう。何せ、士道の行動には順序もへったくれもない――――――なくて、当然。士道がしたのは推理ではなく、ある種ゲームに置ける〝裏技〟であり推理物としては禁じ手(・・・)だ。順序に沿った正規の道筋を辿り、答えを導くのが謎解きというものだが……それがどうした、と笑う。

 

 

「……見てるんだろ、七罪!! 出てこいよ――――――答え合わせをしよう(・・・・・・・・・)

 

 

 部屋中に響き渡る士道の〝挑発〟。七罪が乗らないわけがない。自分の能力に絶対の自信を持つ彼女は、そのプライドに賭けてこんなことをほざく士道を放って置けるはずがないのだ。

 

 士道の声から時を置かず、部屋の中心が歪み、光が溢れ――――――〈贋造魔女(ハニエル)〉が姿を見せた。同時に、天使が鏡を映し出し――――――折紙を鏡へと吸い込んだ。

 

「っ!!」

 

「折紙ッ!!」

 

 咄嗟に手を伸ばすが、天使の力に抗える筈もない。無常にも鏡に吸い込まれる折紙――――――その先にいる、七罪の姿を士道は鋭く睨みつけた。

 

「七罪、お前……!!」

 

『ペナルティ。わざわざ私を呼び出したんだから、このくらいは当然でしょ?』

 

 七罪がこちらを挑発する笑い顔で鏡越しに語る。それを見てカッとなり血が上りかけた頭を……士道は、冷静に抑え込む。

 

「この、よくも……!!」

 

「耶倶矢、落ち着け」

 

「士道!! なんで止めるの!!」

 

 思わず、と言った様子で殴りかかろうとする耶倶矢を手で制した。この〝挑発〟に乗ってはいけない。冷静さを失わせようとするのは、勝負の世界では常套手段――――――つまり、七罪は今士道を恐れている。だからこそ、ペナルティなどと言い勝負を早めたのだ。

 

「……必要ないからだ。俺を信じろ(・・・・・)

 

「っ……う、うん……」

 

 不安げな表情の耶倶矢を安心させるように笑いかけてやる。

 冷静になれ、集中しろ。弱気な五河士道は、捨て置け。切り替えろ。今必要なのは、七罪という強力なゲームプレイヤーと戦える精神を持った五河士道だ。

 

「待たせたな、七罪。俺に口説かれる覚悟は良いか?」

 

『……ふーん、なんだか別人みたいな自信ね。そんなに自信があるなら……次の答えを、最後(・・)にしても良いのかしら?』

 

 唇の端を歪め、七罪が挑発的な笑みを浮かべる。次の答えが最後……士道が答えを間違えた時点で全員が消え、敗北が決まる。囚われた者たちの存在は消えたまま、士道は絶望の淵に沈んでいく――――――そんな脅しが、今更通じるものか。

 

「……みんな、俺を信じてくれるか?」

 

 だが、これは士道一人だけの問題ではない。残った人達の命を預かるに足る人間であるのかどうか。耶倶矢、美九、琴里。それぞれ不安な表情は隠しきれていない。それでも(・・・・)

 

 

「信じるに、決まってるじゃん。お願い士道……夕弦を、助けて」

 

「当たり前ですよー。だーりんは、私を残して消えたりしないって、信じてます」

 

「ふん……やっちゃいなさい、士道!!」

 

 

 全員が、五河士道を信じてくれていた。僅かに残された恐怖と重圧を消すには、十分すぎる。頷いた士道が振り返り、七罪と対峙した。

 

 返してもらう、全てを。そして必ず――――――七罪を攻略する。

 

 

「わかった、良いぜ。このゲームを、終わりにしよう」

 

『そうね、終わりにしましょう。誰が私に――――――』

 

「――――――よしのんだ」

 

 

 それで、勝負は決した。

 

『……は?』

 

 翠玉の双眸が、士道の言葉を理解出来ないという風に揺らいだ。この勝負が始まって以来、彼女が初めて見せた動揺らしい動揺に、士道は会心の手応えを感じた。逃がさない、ここで完璧にペースを握らなければ意味がない。

 

「お前が化けたのは、四糸乃の大事な友達のよしのんだ。写真の中に潜んでいた――――――十三番目の存在(・・・・・・・)。それが、七罪だ」

 

『な……ぁ』

 

「――――――本当に、すげぇよお前は」

 

 十香達を拐われた怒りを抜きにすれば、その言葉は士道が世辞抜きに感じた物だった。七罪が張り巡らせたいくつもの策、テクニック。士道には到底真似出来るものではない。彼女の知略に純粋な賞賛を送る。

 

「俺一人だったら、絶対に辿り着けなかった。誰に真似できる物でもない。こんなのお前にしか出来ない大胆なトリックだ。それでいて、自分の力に自信があるお前は、ちゃんと辿り着く真実も用意してくれてた」

 

『ど……う、して』

 

「お前は初めから、容疑者が十二人しかいない(・・・・・・・・)だなんて、言ってなかったからな」

 

 ミスディレクション。マジシャンが手品に使うテクニックの一つ。人の注意を逸らして真実を隠す、という技法だ。七罪はそれを行い、まんまと士道たちの目から真実を遠ざけていた。数々のルール追加、それを士道たちに推理させるという手段そのものが、〝よしのん〟という人間ならざる者を隠し通すトリック。

 

「調査の一日目。こんな初めから答えがあったなんて驚いたよ――――――四糸乃と五感を共有しているよしのんが、壁越しに投げた俺の携帯を躱せるはずがないんだ(・・・・・・・・・・)

 

 あの日、ハロウィンの仮装をした四糸乃とよしのんが訪ねてきた初日。ドアを開ける直前で驚かされた士道は、思わず持っていた携帯を放り投げてしまい、それがよしのん目掛けて飛んで行った。よしのんは、四糸乃に見えていない携帯を(・・・・・・・・・・・・・)躱した。躱してしまった(・・・・・・・)。 

 躱すべきではなかった。ほぼ完璧に近いトレースを行った七罪の、数少ないミスだ。四糸乃に見えていないものは、よしのんにも見えない。よしのんはもう一人の四糸乃、と言うべき存在なのだから。

 

『たった、それだけで……?』

 

「いいや、それだけじゃない。これだけなら決定打に欠けて、俺もこんな自信は持てなかったさ……お前が犯したミスは、もう一つある」

 

 驚愕を隠すことなく顔を歪ませる七罪に、不敵な笑みで言葉を続ける。順序立てた推理を必要としなかった理由にして、七罪がしてしまった致命的なミス。よりにもよって、あの瞬間にそのミスを犯してしまったのは最大の不幸だと言えた。

 

 

「あの時、俺は四糸乃にこう質問した。『そういえば、前にもこんなことあったよな。ほら、四糸乃が初めて狂三と(・・・)家に来たとき。ええと、あのときは俺、何を作ったんだっけ?』……ってな。そして、四糸乃とよしのん(七罪)はこう答えたよな」

 

『はい……あのときは確か……親子丼を、作ってもらいました』

 

『えぇー、何それ士道くーん。よしのん知らないんですけどぉー。それってもしかして――――――よしのんが折紙ちゃん家にいた時のこと?(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「七罪。お前の余裕だったのか、慢心だったのか。それはわからない……だがな、よしのんは四糸乃の手を離れてしまえば、ただの人形になる。だから、よしのんが知ってるはずがないんだよ(・・・・・・・・・・・・)

 

『ッ!!』

 

 

 たった数秒の会話に秘められた、僅かな食い違い。逆に言えば付け入る隙はそこにしかなく、士道がこの会話を焦りの余り忘却し見逃していたら、どうにもならなかった。しかし士道は真っ先に気づいた。気づいてしまった、気づかないはずがなかった。彼の中の〝何か〟の囁き、それは――――――

 

 

「普通なら見逃したままなんだろうけど……運が悪かったな。俺は狂三が関わる事は――――――なんであれ一語一句忘れるつもりがないんだよ!!」

 

 

 狂三への愛、という事だ。

 

 

「…………士道。ちょっとキモイわよ」

 

「……マジか?」

 

 

 心の底から大真面目だったのだが、後方から聞こえた妹の声に振り向いてしまった。うんうん、と頷く琴里にぐっ、と呻き声を漏らすも再び七罪を見遣る。

 時崎狂三が僅かでも関わっていなければ、きっと順序は正規だったのだ。折紙や別の未来(・・・・)での美九のヒントを糧に、士道はこの真実に辿り着いていた筈だった。狂三が関わってしまった一種の〝バグ〟が、全てを狂わせた。

 

 

「ありえないものを除外して残ったものが事件の真相。って言うのが普通の推理だけど……これは俺とお前の勝負だ。逆に、ありえないものを探す(・・・・・・・・・・)のがこのゲームだったってわけだ」

 

 

 これは推理物ではなくマジシャンが見せるトリックに近い。〈贋造魔女(ハニエル)〉という反則手を使った、擬似的な推理ゲームと言ってもいい。同時に、士道がした事も反則手に近い〝裏技〟だ。それがなんだ、五河士道は攻略者であって決して読み解く者ではない。

 

 

「ついでに言えば、俺は探偵じゃない。自慢じゃないが、順序立てた綺麗な推理は苦手でね――――――」

 

 

 〈贋造魔女(ハニエル)〉が映し出す七罪に向かって、指を突き付ける。今度は探偵紛いの物ではなく、ゲームの正当な勝利者として士道は叫んだ。

 

 

「俺の――――――俺たちの勝ちだ、七罪ッ!!」

 

 

 七罪が悪足掻きをする……暇もなかった。勝利者を認めた(・・・・・・・)贋造魔女(ハニエル)〉が蠢動し、光を放つ。強烈な輝きに一同が目を塞ぐ。視界が焼かれてしまうのではないかと思える輝きの先――――――

 

「……みんな!!」

 

 天使によって連れ去られた人達が、全員残らず生還した姿があった。真っ先に動き出したのは耶倶矢だ。いち早く夕弦の姿を見つけ出し、風も驚くスピードで駆け寄り抱き起こした。

 

「夕弦!! 夕弦!!」

 

「朦朧。耶俱……矢。相変わらず……騒々しいです」

 

「夕弦……っ!! よ、良がっだああああああああああ――――!!」

 

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら抱き着く耶倶矢に、寝起きの夕弦は驚きながらも事情を察したのはすぐに優しく抱き返した。その光景を見届けた士道は……全身から身体の力が抜け落ちて、勢いよく尻もちを付きながら座り込んだ。

 

「士道!!」

 

「だーりん!! 大丈夫ですかぁ!?」

 

「…………ああ、平気平気。気が抜けちまっただけだ」

 

 駆け寄る琴里と美九にひらひらと手を振って無事だとアピールする。普段とは違う自分(見栄張り)を全力で行ったがための反動が来た。霊力に耐性を持たない人間は気絶したままだったが、全員の無事を確かめられて完全に緊張の糸が解けてしまった。

 そんな彼の姿にホッと息を吐いた琴里は、労わるように肩に手を置いた。

 

「お疲れ様……って言うには早いけど。良くやってくれたわ。殆ど一人で解決しちゃったじゃない」

 

「……俺一人じゃない。お前や、それに美九のお陰だ。ありがとな」

 

「私も、ですかー? でも、私はなんの力にもなれなかったと思うんですけど……」

 

「――――――いや、なってくれたよ。こっち(・・・)の話だけどな」

 

 疑問符を浮かべて首を傾げる美九へ気にしないでくれ、と声をかける。美九は美九でも、別の未来の美九のこと。士道が声をかけることすら出来ない可能性の先だが、だとしても美九に助けられたことには変わりなかった。

 ふと、緩んだ襟首に手を当てる。予想通り、というべきか。今朝からあった〝痣〟が綺麗に消え去っていた。役目を終えたかのように、その〝加護〟は何も語る事はなく姿を消していた。その事に一抹の寂しさを感じると同時に、深い感謝を示す。

 

 

「また――――――お前に、助けられたな」

 

 

 ――――――狂三。

 

 無意識下で彼女自身が行ったことなのか、はたまた、主想いの〝天使〟が士道へお節介を寄越したのか。どちらにしろ、また(・・)士道は彼女に救われてしまったらしい。狂三の見惚れてしまう優雅な微笑みを思い出し、釣られて士道も微笑みを浮かべた。

 

「シドー!! 何があったのだ!! ここはどこなのだ!!」

 

「………………あー、気力が戻ったら説明する。とにかく――――――おかえり、十香」

 

「む……ただいま、だ……?」

 

 駆け寄ってきた怪訝な表情の十香の頭を撫で、彼女が帰ってきた事に安堵する。説明してやるだけの気力はないが、今は十香たちが帰ってきた事が何よりも涙が出てしまうくらい嬉しい。

 

「さて……」

 

 ゲームはクリアした。勝利者は士道。敗者は七罪。取って食おうとは思わないが、それ相応に説明してもらわねば納得がいかない。十香の手を借りて大きな魔女の帽子を被った少女の元へ歩き、それに気づいた琴里達も七罪を取り囲むように移動した。

 

「ゲームは終わりだ。こんな事をした事情を話して――――――え?」

 

「っ……」

 

 士道の声に恐る恐る顔を上げた七罪……の、顔を見て彼は素っ頓狂な声を上げた。

 驚いたのは、少女の顔だけではない。体格。小柄で細く、そんな印象を更に加速させる猫背。自信に満ち溢れていた七罪の表情とはまるで持って真逆の印象を抱かせる卑屈な表情。ナイスバディのお姉さん、という七罪からは想像も出来ないような幼子(・・)が、そこにいた。

 

「……七罪、なのか?」

 

「あ、ああ……ああああッ!!!!」

 

 士道の言葉で自分の現状に気がついたのか、この世の終わりにするような絶望的な表情で大きな帽子を深く被って背を丸める。その仕草、表情、リアクション、せいぜい中学生ほどの体格……何もかもが、士道の記憶にある七罪と食い違っている。

 その食い違い、七罪の反応……琴里と目を合わせて、二人同時に彼女の真実に辿り着いた。

 

「……なるほど、ね」

 

「七罪……お前、〈贋造魔女(ハニエル)〉を使って――――――」

 

「ああああああああ――――――ッ!!!!」

 

 最後まで言わせない。そんな絶叫と共に七罪は〈贋造魔女(ハニエル)〉を高々に掲げる。すると、割れたはずの鏡が高速で修復されていき、淡く輝いた七罪が再び大人の姿へと変貌していた。それだけではない。士道がたじろいしまうほど憎しみの篭った眼光で、周囲の皆を睨みつける。その様は、物語に出てくる悪い魔女そのもの。

 

 

「一度ならず二度までも……私の秘密を見たな……ッ!! ゆ、ゆゆ許さない。絶対に許さない。全員――――――全員タダじゃ済まさなィィィィ!!」

 

「なっ、待て七罪――――――」

 

「〈贋造魔女(ハニエル)〉――――!!」

 

 

 制止は無意味に終わり、〈贋造魔女(ハニエル)〉が部屋の中を眩い光で埋め尽くす。

 

「――――――士道、無事!?」

 

「っ、俺は大丈夫だ!!」

 

 幸い、光は長く続くことなく視界は数秒待たずして戻ってきた。目を瞬かせ、琴里の呼び声にすぐさま返事を返す。少なくとも琴里は無事だ……なら今の光はなんの――――――

 

「シドー!! シドー!!」

 

「十香!! 無事だっ……た、か……」

 

 言葉にキレはない。その光景に身体を硬直させられたからだ。それは隣にいる琴里も同じらしく、辺りの光景を見て呆気に取られていた。

小学三年生くらいの体格になった十香(・・・・・・・・・・・・・・・・・)が、ダボダボの服を着て手足をばたつかせていた。

 

「シドー、なんだこれは。身体が思うように動かんぞ……!?」

 

 十香だけではない。士道と琴里、残りの意識が戻らない人達を除いた全員が、みな一様に幼い姿に変貌してしまっていたのである。幼児退行……とまでは行かないが十香が違和感を感じるのは当たり前だ。急に身体が縮んで対応できる人はそういない。

 

「な、な……っ!!」

 

「――――――あんた、なにしたのよ!!」

 

 士道が驚きで固まってしまった変わりに、琴里が七罪へ掴みかからんばかりの怒声を上げた。が、彼女は意に介す様子はなく深い深い魔女の笑い声を発した。

 

「ふふ、ふふふふふふっ!! いいザマだわ……っ!! あんたたちはみぃーんな、ずっとちびすけのままでいればいいのよ……っ!!」

 

「ま――――待て、七罪!!」

 

 止まらない。止まるわけがないと言わんばかりに、七罪は士道の叫びを鼻で笑い〈贋造魔女(ハニエル)〉に跨り、天井に穴を開けて飛び去った――――――残されたのは、手を伸ばすも掴む先が存在しない士道と、憎々しげに空を見つめる琴里……そして、身体を変えられたみんなだけだった。

 

「……普通のゲームなら、クリアしたら報酬が貰えるものだけど――――――とんだ報酬(災難)を押し付けられたわね、士道」

 

 

 手を下ろして、倒れそうになる身体に力を入れる。勘弁してくれ、とか。もう慣れたよ、とか。言いたくなる気持ちは多々あったが――――――

 

 

「…………らしいな」

 

 

今は、琴里一人へそんな在り来りな返事を絞り出す気力しか、なかった。

 

 

 






Q.仕込んだのくるみんとざふちゃんどっちなの? A.もちろんざふちゃん。主思いだよね(主の思い人への負担を配慮するとは言ってない)

やだこの主人公カッコよく書いたつもりなのにちょっとキモい…(褒めてる) 話してくれなそうなら話してくれた未来を視ればいいよね!!推理の道中を蹴り飛ばして答えを当てるとかいう推理物のタブー突き進みました。真っ当な推理しないっていうのはそういうことです。答え自体は士道が自分で気づいてるからルール的にはセーフ、気づき方の異質さはともかく。

一秒先の保証さえない世界の全てが崩れ去る感覚。それを幾つもぶつけられて正気でいられるはずがない。それが〈刻々帝〉の未来予測の正体です。単純に狂三だから冷静に扱えてますけど正気じゃないですこんなの。その狂三ですら士道の死のビジョンには動揺を示したんですからそりゃあ他人に扱えるわけがない。じゃあなんで渡したかってそらざふちゃんスパルタだし…そのうち予測した未来を巻き戻せるようになったりしてねHAHAHA

冗談(?)はさておき、次回からはいよいよ9巻の展開に入っていきます。ネガネガ娘がようやく本格登場……は、まだなんでしょうね。長いよナツーミ。
感想、評価などなどどしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第六十五話『トラブル・モンスター』

箸休め回。合流回とも言うし伏線回とも……?


 

 

 二回。

 

 漠然と浮かび上がるこれが何かと言うと、なんということはない。時崎狂三が五河士道の自宅に入った回数、である。他の精霊たちから見れば、本当になんてことはない数字なのだが、こと狂三にとっては大事な大事な二回だった。しかも、うち一回は彼に招かれたというのもあり更に特別なものだった。

 もう片方の一回は――――――正直、忘れたい。感情の制御を怠った挙句、勢いに任せてあの方と添い寝? 大胆ですわー、弱みに漬け込む卑しい女ですわー、と分身体から非難の声が聞こえてくるようだ。無論、狂三の被害妄想と幻聴……のはずだ、多分。

 

 とまあ、その距離感の近さに反して意外や意外。彼女は士道の自宅へ足を踏み入れた回数はそう多くない。距離感と釣り合わない理由としては、他の精霊の出入りが激しいのはもちろんのこと性格も戦術も相性が良いとは言えない――と当人達は思っている――炎の精霊がほぼ常にいることが大きい。こと距離感という意味では、狂三に負けず劣らずの五河琴里であったりするのだ。世界で一番(妹として)愛してる、と士道に叫ばれたのは伊達ではない。

 

「…………ふぅ」

 

 額を伝う一筋の汗。敵と相対する時でさえ、ここまでの緊張感を齎すことは不可能だと考える。そう感じてしまうほど、狂三の目の前に立ちはだかる扉はあまりに大きく、鉄壁だった……!! ――――――単に、五河邸の玄関と言うだけなのだが。

 ハンカチを取り出し汗を拭う。というか、いつから時崎狂三はこの程度のことで足を止めてしまうようになったのだろうか。自問自答し、そんな前の話ではないなと結論付けた。単純な話、友人の家を訪ねる行為で緊張するのがおかしいのであるが……好きな殿方の(・・・・・・)、という前提が付くと話が拗れややこしくなってくる。

 

 深夜に夜這い紛いなやり方で家へ侵入する方が遥かに難易度が高いのではないかと思うのだが、幸か不幸かその事に気づいて考えたのは分身体のみで、本人にはさっぱり自覚がない。

 

「落ち着きなさい、落ち着きなさい、時崎狂三。平常心、平常心ですわ。わたくしは冷静、冷静ですわ」

 

 感情が高ぶっている時に出る言葉を二度繰り返す彼女特有の癖が出ている時点で察せるものはあるが、念じる言葉とは裏腹に心臓が飛び出そうなくらい激しく鼓動していた。

 

 これは気を落ち着かせた方が。いえ、いえ、今出て行っては『わたくし』の動揺を深めるだけ。ここは静観の構えが必勝かと――――勝利の法則は決まりましたわ。しかし、士道さん派閥としてはここは是非に――――――などの会話が行われているか定かではないし狂三が知る由もない中。

 

 

「――――――!!」

 

 

 カッと目を見開いた狂三が指を玄関のチャイムのボタンへかける。あと一押しあれば、そのチャイムは役割を成し来客を告げる運命の鐘を鳴らすだろう。分身体が固唾を呑んで見守る中、ついに狂三は細やかな指に力を込め――――――

 

 

『この――――――いい加減にしなさあああああああああああああああいッ!!!!』

 

 

 家全体が震えドアが破れるのではないかと思える絶叫に目を丸くする事となった。その叫び声の威力は、ゆうに扉を超え狂三の髪を大きく揺らすほどのものだった。は、少々言い過ぎだがそのくらいの迫力があったのは確かだ。はて、今の声は聞き間違いでなければ……。

 

「……ふむ。どうやら苦労しているようだね」

 

「あら、あら。令音先生」

 

 隈に飾られた双眸。いつ倒れるとも思える不健康そうな身体。そんな身体に負けないほど恐ろしいまでの美貌。〈ラタトスク〉の解析官、村雨令音がいつの間にか(・・・・・・)狂三の背に立っていた。いつの間にか(・・・・・・)、という部分に注釈する形で、つかぬ事をお聞きしますが、と狂三は声を発した。

 

「……令音先生、いつからそこに?」

 

「………………たった今、かな」

 

「…………申し訳ありませんわ」

 

 起伏の少ない表情筋に反して嘘が得意ではないらしい。ばっちり不審行動を見られてしまったことと、それを見ていないものとしてくれる令音へ、目を閉じてフルフルと羞恥で震えてしまいそうになりながら狂三は頬を赤く染め軽く頭を下げた。

 

「……シンが抱えている事情は把握しているかな?」

 

「ええ、ええ。ある程度は『わたくし』からの報告で聞き及んでおりますわ。何やら大変愉快(・・)な事になられていらっしゃるようなので、ご様子をと思いましたの」

 

 報告を受けた時は何事かと思いはしたが、精霊が相手ならばまあそういう事もあるだろうと受け入れた。それより問題なのは、勝負が終わったというのに七罪を攻略するどころかそのような嫌がらせまで行われているという事だった。

 面白いものが見られそうだという興味本位が半分、これ以上静観するのは好ましくないという判断が半分で狂三は今に至る。別枠として、一度自分から士道の家へ訪ねてみたい願望が存在していたかは本人のみぞ知る。

 

「……なら話が早い。以前のように、君への協力を要請させて欲しい」

 

「構いませんわ。元よりそのつもりでしたもの。想像以上に厄介な相手のようですわね」

 

「……感謝する。なかなかこちらに尻尾を掴ませてくれない相手だ……ところで、彼女は元気かな?」

 

「彼女……ああ、あの子のことですか」

 

 一瞬ピンと来なかったが、令音が名前を言わずに狂三へ尋ねる人物など一人しか該当しない。彼女が頷いたところを見るに当たっているらしい。

 

「壮健ですわ……ですが、まだ本調子というわけではありませんでしょうけど」

 

「……わかるんだね」

 

「わかりますわ。あの子、嘘が下手ですもの」

 

「……ありがとう。君があの子をちゃんと見てくれていると安心出来る」

 

「? ええ、まあ、わたくしはあの子を預かる身ですので、当然ですわ」

 

 僅かに唇の端を上げた令音は心なしか嬉しげ見えて、その事に疑問を感じた狂三は小首を傾げる。それが、彼女からお礼を言われるほどの事かと思ってしまったのだ。

 とはいえ、違和感があるかと言われればそうでもない。あの子が〈フラクシナス〉の医務室で大人しくしている間、何かと少女を気にかけていたのは他でもない令音だったのだ。結局、そうなった理由がわからないという疑問が発生してしまうのだが。

 

「令音先生は、あの子の事を気にかけていらっしゃるのですわね」

 

「……あの子だけ、というわけではないよ。シンや精霊たちは皆、大切な存在だ」

 

「それはそうなのでしょうが――――――」

 

 それだけで済ませてしまうには、何かおかしな違和感がある……理屈的な、と言うよりは直感的な何かに近い。それが、また〝何か〟に阻まれているようにも感じて――――――家の中から大騒ぎする音が聞こえてきたことで、それを中断させられ狂三は令音と目を見合わせた。

 

 

「……話しすぎたね。お邪魔しようか」

 

「そうですわね。ですがわたくしは――――――少し、装いを変えて(・・・・・・)お邪魔させていただきますわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だあああああああッ!! ちょっとは落ち着きなさいあなたたち!! あ、こら耶倶矢、夕弦、物を勝手に取らないの!!」

 

「くーくくく! いちどわがりょうちにはいったものはかえせぬなー!」

 

「とうぼう。かえしてほしかったらつかまえてみるがいいです」

 

「な……ああもう!!」

 

「琴里、落ち着けって……」

 

「わかってるわよ!! 士道、あなたも…………ああうん、ごめん。無理よね」

 

 怒りに我を忘れそうになっていた琴里が、士道を取り巻く状況を見てふと我に返る。琴里を取り巻いている子供達(リトル・モンスター)は耶倶矢と夕弦。つまり残りは全て士道の元へ集まっているのである。

 お腹が空いたと連呼し続ける十香。やたらトイレに連れていこうとする折紙。今にも大声で泣き出してしまいそうな四糸乃。だーりん、だーりんと綺麗な声で士道を呼ぶ美九。琴里からチュッパチャプスを強奪し走り回る耶倶矢、夕弦。普段の装いであれば正気を疑うような光景になるのだろうが、今は皆一様に子供の姿(・・・・)となっていた。そのため、この大騒ぎも子供が起こしているものと思えば納得は行く。納得が出来たところで、解決できるかは別問題なのだが。

 

 七罪の力は変幻自在。それはわかっていた事だったが、まさか精霊達を含めて幼児化(・・・)させることが出来るとは思いもよらなかった。現在、五河邸が託児所紛いの光景になっているの原因はそのためだ。四方から疲労した身体を引っ張られ、服が伸び放題になって半ば悟り顔となってしまっている士道を見遣り、琴里は頭を抱える。こうなってから早数日。琴里は士道のフォロー係として頑張ってはいたが流石に限界が近い。白リボンの自分でもここまでではない子供たちを数人まとめて四六時中面倒を見る……崩壊しかけて当然だった。

 

「……お邪魔するよ」

 

「令音!! 助かっ……た、わ?」

 

 救世主が舞い降りた。突然開いたドアから聞こえてきた声へ真っ先に顔を上げて…………共に入ってきたもう一人の女性に、口をあんぐりとさせた。令音がああ、とその女性を手で示唆しながら声を発した。

 

「……琴里は会うのが初めてだったね。私の友人の時子さんだ。今日は手伝い(・・・)に来てくれた」

 

「と……っ!? ちょ、士道――――」

 

「わーひさしぶりだなーときこさん。よろしくおねがいします」

 

「士道!?」

 

 あんまりにもあんまりな思考停止の棒読み。二度目となると適応力があるのかないのか。それとも、サングラスとポニーテールという滅多に見られない彼女の姿に見とれているのか。多分、後者の方が答えに近い気がすると妹は直感的に察した。

 令音に紹介された他称・時子さんはペコりといつもとは違ったお辞儀をすると、被っていた帽子を取りそれをクルクルと遊ばせ――――――何の変哲もない帽子の中から、大量の〝お菓子〟をばら蒔いて見せた。

 

『おおー!!』

 

 それに食い付いたのは子供達である。空を舞うお菓子たちに目を輝かせ、キャッキャッと掴み取りを始めた。なんと、あの折紙ですら興味深そうにお菓子をマジマジと眺めている。

 

「……実は、彼女の本職はマジシャンなんだ。ああ、みんな、お菓子は好きなように食べてくれて構わない。ただし、仲良くね」

 

 令音の声が聞こえているか定かではないが、子供たちは何もないところからお菓子が次々と現れるという夢のような光景に夢中になっていた。一瞬にして全ての注意をそちらへ向ける芸当をやってのけた時子――――――もとい、時崎狂三は手を前に回して、マジシャンがショーの終わり際にする礼を取った。

 

「……ふふっ」

 

「!!」

 

 ついでに、サングラス越しから士道だけに分かるように可愛らしいウィンクもお見舞してくれた。彼はお菓子ではなく、可憐な彼女に心奪われてしまったらしい。

 

 

 

「――――――助かりましたわ。予想通り、思考も身体に引っ張られてしまうようですわ」

 

「思考も……?」

 

 ええ、とテーブルにサングラスと帽子を置き、髪を解いた狂三を見遣る。ポニーテール姿がなくなって少し残念と思ったが、髪を下ろした狂三は大変に貴重なので眼福眼福……などとは考えていない。妹の目が鋭くなったので考えていないということにしなくてはいけない。

 ちなみに、程なくして子供たちは皆眠ってしまった。マジック披露のあと、令音と二人で楽々と子供をあやし寝かしつけたるという偉業に、思わず琴里と二人で小さな拍手を送ってしまったくらいだ。

 

「思考は肉体の状態に引っ張られてしまうものですわ。短期間ならまだしも、このように長期間子どもの姿を取らされてしまっては、否が応でもその状態に適応しようと精神が持っていかれてしまいますわ」

 

「なるほど。あなたのその変装に折紙が疑問すら抱かなかったのはそういうことね……」

 

「そういうこと、ですわね。以前のような〝裏技〟をせずともよく、わたくしとしては楽でしたわ」

 

 狂三の口からあの時と同じ〝裏技〟という単語が出て、士道も彼女の説に納得がいく。あの時、八舞姉妹事件の折披露した時子の姿は彼女なりに何か細工をしていたのだろう。しかし、今回はそれをせずとも違和感すら持たれなかった……これは、七罪の力で長期間身体を〝変えられた〟結果、折紙や他の精霊たちの思考や行動が段々と年相応に変化し始めているということで――――――

 

「……ちょっと待ってくれ。それってかなりヤバくないか?」

 

「ヤバいわね」

 

「ヤバいですわね」

 

「……ヤバい、だろうね」

 

 士道に倣う形で美人三人が謎の口調を揃えるとなんだかムズ痒い気持ちになるのでやめて欲しかったが、今はそんなこと言っている場合ではないとコホンと恥ずかしげに咳払いをしてから言葉を続ける。

 

「早めに何とかしないとな……今だって、狂三や令音さんの助けがなかったらもっと大騒ぎになるところだったんだし。二人のお陰で助かった」

 

「なんてことはありませんわ。子供は嫌いではありませんし……わたくしとしては、琴里さんの子供らしい姿を拝む事が出来なかったことが残念ですけれど」

 

「……なったとしても、あなたには絶対見せないわよ!!」

 

 動物の威嚇のように唸る琴里をあら、あら残念、と本当に残念そうに眉を下げる狂三。一体どこまでが本音なのやら、と思いながらも士道は彼女のその一歩手前の発言の方に気を取られていた。

 子供は嫌いではない。先程のように子供たちをあやす狂三の姿を軽く想像して………………………………――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「……シン?」

 

「え、あ、はい!! なんでしょう!! ちゃんと聞いてます!!」

 

「……まだ何も言っていないが」

 

「……ごめんなさい、なんでもないです」

 

 

 不思議そうに首を傾げる令音に顔を手で覆い隠しながら誤魔化す。危ない、軽くトリップしかけた気がする。まさか自分の妄想に意識を殺されかける日が来るとは……狂三、恐るべし。やはり心して戦わねばならない相手なのだと再確認した。

 

 そんな勝手に自爆して勝手に決意を新たにしている士道を後目に、琴里は狂三と会話を続けていた。

 

「それで、あなたは私がみんなみたいにならなかった理由、知ってるんじゃないの?」

 

「あら、あら。わたくし、琴里さんならご想像がつくと思っているのですが」

 

「……まぁね」

 

 想像できないわけがない。気を失っていたメンバーや霊力に耐性がある士道を除き、何故か琴里だけが難を逃れた理由。常にポケットに忍ばせているそれを、琴里は手に取りだした。

 

「美九の〝声〟だけじゃなく、〈贋造魔女(ハニエル)〉みたいなものまで防ぐなんて、とんでもない物を渡してくれたわね」

 

「そう驚く事ではありませんわ。分裂した力とはいえ、あの子の〝天使〟はこの程度のこと軽々とやってのけますわよ」

 

「みたいね……」

 

 白い〝お守り〟を手に、琴里は改めてこの驚異的な力に圧倒された。一度目は機械越しの〝声〟。しかし二度目は〝天使〟による直接の光だ。密度の違いは大きい。

 思い返すのは〈贋造魔女(ハニエル)〉の光に包まれようとしていた、あの一瞬のこと。天使の光は、まず間違いなく琴里も含めて標的としていた。それを防いだのは――――――否。

 

 

「……違うわ。防ぐなんて生易しいものじゃなかった」

 

「――――――あら」

 

 

 琴里の呟きに目を細め、クスリと微笑みをこぼす。そこに気づいたか、そう言うかのような微笑みだった。

 そう、防ぐと言うだけであれば霊力で防護しているのとなんら変わりはない。だが、琴里を光から守った力はそうではなかった。一瞬の光景を思い返し、思考する。光を遮断したのではない。アレは光を消し去っていた(・・・・・・・)

 

 

「――――――消滅。まさかあいつの〝天使〟って……!!」

 

「ええ、ええ。大正解ですわ。あの子の〝天使〟は降り掛かる災厄を消し去る(・・・・)――――――先日あの子が見せた力と、似ていますわね」

 

 

 先日の事件で白い少女が見せた圧倒的な力。令音でさえ解析不能と言っていたが、あの時彼女は似て非なる(・・・・・)、と言うべきかもしれないと語っていた。それが正しいのであれば、理屈はどうあれあの〝消滅〟の力と似通っていて、それでいて完全に同じではないというになる。

 あの力に関してはわからないが、少女の纏う〝天使〟についてはある程度形となって見えてくる。同時に、少女の神出鬼没さの説明にも繋がった。

 解析を通さない、気配を感じさせない違和感。いるのかすら怪しく感じる瞬間がある存在感。琴里に渡された〝お守り〟が天使と同質のものであるならば、琴里の考察を裏付ける結果となる。総評としては、少女が纏う〝天使〟はあらゆる空間的な攻撃、探知などを片っ端から(・・・・・)〝消滅〟させている、ということだ。

 

 ここまで理解して、そのとんでもなさと恐ろしさに琴里は頭を抱え込んだ。

 

「……何よそれ、反則じゃない。道理でこっちの解析を何から何まで弾くと思ったわ」

 

「ふふふっ。わたくしが気がついた時、内心で全く同じ事を考えましたわ。なんて、デタラメなのでしょうね」

 

「あなたにだけは言われたくないと思うけど」

 

「そのお言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ」

 

 ……言葉で言い争う不毛さはともかくとして、精霊というのであれば結論としてどれもデタラメには違いがない。ただ、その中でも〝時間〟という絶対的な概念と並ぶほど概念の〝消滅〟という力は特化されすぎていると感じてしまう。

 

 何より、その力を人に譲渡出来る(・・・・・)となればデタラメを超えた何かであろう。

 

「やっと繋がったわ。あなたが士道と接触した時、こっちが精霊の力を感知出来なかった理由。こっちの感知を殺して……いえ、違うわね。霊波そのもの(・・・・・・)を〝殺した〟のね。だから、あの時のあなたはさも一般人のような反応を示した」

 

「……本当に、鋭いお方ですわね。まあ、そう不安な表情をなさらずとも、こちらに関しては制約がありますのでご心配なく。力の譲渡はわたくし、そして琴里さんだけの特権ですわ」

 

「私も……?」

 

「ええ、ええ。わたくしの予測が正しければ、ですけれど。けど良かったですわ。わたくし一人の予測では一抹の不安が残っていたのですが、琴里さんが同じ結論を出していただけると安心出来ますもの」

 

「……あなた、そのために私に話を振ったんじゃないでしょうね」

 

「うふふ。物のついでですわ」

 

 ついでということは、元からそういうつもりではあったということじゃないか。と、半目で睨むも狂三は涼しい顔でそれを受け流している。

 霧がかかったように見えていなかった白い少女の事が見えてきたと同時に、今の発言を聞くに重要視する狂三にさえ、殆ど自身のことは話していないということがわかる。

 まだわからない事は多いが、それらがわかっただけでも少し前進したかと口の中の飴を転がし……すっかり白い少女のことばかり話し込んでいて、本命の話が進行していないことにようやく気づいた。

 

「って、今は七罪のことを探らないといけないんだったわね。お陰で私には七罪の力が効かないって事もわかったし、対策を立てましょう――――――令音」

 

 琴里の声に令音、そして彼女と会話していた士道も声が聞こえる範囲まで合流する。あくまで、十香たちを起こさないような声量で会話を試みなければならないのだ。そんなめんどうな状況を解決するためには、やはり根本から原因を取り除くのが一番手っ取り早い。

 

「……ん。今シンにも説明したところだが、七罪は霊波の隠蔽を行いこちらの観測を逃れている。既に隣界に消失(ロスト)している可能性もあるが……」

 

「そちらに関しましては切って捨ててよろしいでしょう。執念深い性格をしていらっしゃるようですし、このまま引き下がるとは思えませんわ」

 

「引き下がるとは思えないって……これ以上、まだ何かあるのか? そもそも、七罪はどうしてこんなことしたんだ」

 

 理由がイマイチわからない。そう、士道の中で一番燻っているものはそれだ。士道に勝負をしかけた理由。勝負に負けた七罪が精霊たちを幼児化させた理由。狂三が言うように、引き下がるとは思えないという理由。どうにも、七罪にそこまでさせるだけの〝理由〟に思い至る事が出来なかった。

 うーん、と唸って考えるも、士道は七罪ではない。七罪の思考をトレースすることは不可能に近いため、納得のいく理由は出せそうになかった。

 

「そうですわねぇ……士道さんは七罪さんが抱える何かしらの〝秘密〟を見てしまった。話の流れとしてはこうですわ」

 

「……シンに思い当たる節がなく、その理由がわからない以上、本人に聞いてみるしかないだろうね」

 

「ええ、ええ。そちらに関してはわたくしも協力いたしますわ。わたくしが力を貸すからには、そう長くはお待たせいたしませんわ」

 

「助かるけど……いいのか?」

 

「特別ですわ。あの子を救ってもらった借りがありますので、そちらを早めにお返ししておこうかと思いましたの」

 

「とかなんとか言って、士道のこと放っておけなかっただけでしょ」

 

「な・に・か、仰いまして?」

 

「な・に・もー?」

 

「ははは……」

 

 さっきまで二人で何かを話していたかと思えばこれだと、仲が良いのやら悪いのやらわからない二人を見て苦笑した。ひとまず、七罪捜索に関しては狂三と令音に任せておけば問題ないようだ。

 

 

「あとは七罪さんがこのようなことをする理由ですが……近いと感じるのは〝秘密〟を見られた腹いせと嫌がらせ、でしょうか」

 

「嫌がらせ……これがか?」

 

「ええ、ええ。何故そう思うかと言うと――――――秘密を見られたからには生かしてはおけないと、わたくしならばそう思うからですわ」

 

『………………』

 

「……冗談ですわよ?」

 

 

 どこまでが冗談だったのか、士道でも見当がつかなかった。

 狂三の冗談は狂三が言うと冗談には聞こえない。本人は困った表情で微笑んでいるが、本当に冗談には聞こえないと思ったのが本日の成果だった。

 

 







愉快な分身体たちは今日も今日とて元気です。本体もなんか愉快な方向で元気です。狂三一人でやると本編時空じゃなくアンコール時空寄りになるからこうなる。懐かしの時子さんスタイルもご登場となりました。ちなみに筆者はポニテ好き。それはそれとして子育て狂三って謎の背徳感とロマンを感じる(殴)

令音が何やらだったり解説やら状況説明やらの回になりましたが、アンノウンが扱う天使のメリットが判明。そしてデメリットも間接的に繋がったと思います。まあこれだけか、と聞かれるとそうではないですね。また後々をお楽しみに。令音と狂三の仲が深まるのは良いことですね(笑顔)

次回は七罪追跡回。狂三参戦でショートカット込み込みだったりなんだり。後はとある分身体の出番があったり……?
感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第六十六話『悪夢二重奏』

よく考えたら二重奏どころの話じゃないナイトメアさん。




 

 七罪の〈贋造魔女(ハニエル)〉は、恐らく汎用性という点では他の追従を許さない。この数日で士道はそれを嫌という程思い知った。破壊力、特徴的な能力と言うだけであれば十香や狂三の持つ〝天使〟が勝るだろう。しかし、有機物、無機物といった制約らしい制約がなく(・・・・・・・・・・)対象を変化させられるのは単純ながら変えが効かず、それでいて驚異的だった――――――それが今は、士道への嫌がらせ(・・・・)一本に使われているというのは、大変嘆かわしいことであったが。

 

「っ……!?」

 

 今だって、買い物に出て商店街を歩いていたら、自らの服が突然光り輝いた。間違いなく〈贋造魔女(ハニエル)〉の力。こんな商店街のど真ん中で、今までのように七罪がとんでもない服装を選んでくれたら通報間違いなしの変質者に早変わりだ。

 だが、抗いようがない。あっという間に士道の服装は言い様のない変態的な装いに変わった――――――のは、一瞬。〝影〟が蠢動し、士道の身体を包み込む。常人であれば見間違いを疑うような速度で、士道の服装は完全に元通りの装いとなった。

 

「……ありがとう。助かった」

 

「いえ、いえ。どうということはありませんわ」

 

 何が起こったかは言うまでもない。七罪の嫌がらせが本格的に始まってからというもの、今のように狂三が〝影〟と分身体を使い片っ端から捌いてくれているのだ。〈ラタトスク〉のフォローも含め、様々な嫌がらせを受けても士道は何とか首の皮一枚を繋げてもらい、社会的に抹殺されずに済んでいる。

 とはいえ、全てがどうにかなっているわけではない。七罪の嫌がらせは日に日に加速している。今のように服装だけなら軽いものだ。学校内での嫌がらせから始まり、士道ではなく周りの人間を全裸の幼女に変える。なんと士道の自宅をドリームなパークや風俗店紛いの風貌に変え、子供をそこに連れ込む彼を演出する。極一部を切り出してこれだ。流石に疲れるなという方が無理がある。

 

「お疲れですわね、士道さん」

 

「まぁな……でも、辛いのは俺じゃなくて十香たちだ。弱音ばっかり吐いてられねぇよ」

 

 隣を歩きながら気遣わしげな表情の狂三へ首を振って空元気を見せる。いや、空元気ではいけない。今言ったように、辛いのは士道ではなく自分のものではない身体に〝変えられてしまった〟十香たちだ。

 今はまだ大丈夫そうだが、これ以上時間が経てば思考が更に身体の状態に引っ張られていく恐れがあった。そんな中でも、皆は士道を気遣って笑顔を向けてくれていた。勝手に身体を変えられてしまう恐怖、それを推し量ることは難しい。だからこそ、士道ばかりがへこたれていては十香たちに合わせる顔がない。そんな彼の様子を見て、クスクスと狂三が微笑んだ。

 

「このような状況でも十香さん達を慮るなんて、士道さんもほとほとお人好しですわね。わかってたことですが」

 

「そんな俺に付き合ってくれる狂三も大概だと思うけどな。俺は頭の中で今からお前に返せるものを一生懸命探しているところだよ」

 

「あら、あら。そのような事、気になさらずとも結構ですわ。どうしてもと仰るのであれば、士道さんが負けを認めてくだされば今すぐに――――――」

 

「それ以外でお願いします」

 

「残念。ではわたくし、美味しいお昼ご飯をご馳走になりたいですわ」

 

「おおせのままに、お嬢様」

 

 戯けるように礼を取って見せれば、狂三が楽しげに笑みを深める。それだけで多少の疲れなど吹っ飛んでしまうのだから我ながら現金なヤツだ。

 

「けど……これ以上大事になったら〈ラタトスク〉でも揉み消せるかわからないな」

 

「ご安心なさってくださいな。世間的な危機に陥った場合、わたくしが責任を持って士道さんを引き取って差し上げますわ。それも一生。ああ、ああ。わたくし、なんて出来た淑女なのでしょう」

 

「はは、俺を〝いただく〟って前提がなきゃ世界一嬉しい提案ありがとな……あ、いややっぱダメだわヒモはマズい」

 

 ……いや、〝いただく〟という前提がなくとも、世間体が死んでしまった日には一生狂三のヒモという事になるからそれは困るな。と真面目に顎に手を当て考えてしまった。

 

「士道さんなら主夫を営んでいけるだけの技量がありますでしょう? ああ、ああ。主婦でも問題ありませんわね、士織ちゃん?」

 

「大ありだよ!! 人権問題だよ!!」

 

 さり気なく〝ちゃん〟に格上げされている辺り本当に油断ならない。ただでさえ、この前の美九とのデートで士織の完成度が上がっていたことに自分で震えてしまったのだ。

 

 ナチュラルに流しているが、二人揃って同居前提に関しては何一つ違和感を持っていないのだからどこかズレている。だがしかし、それにツッコミを入れられる琴里は園児の世話で手一杯で不在である。いるのは、周りの生温かい視線に気がつかない士道と狂三のみだった。

 軽く買い物を済ませた二人は七罪を警戒しながら帰路につく。警戒と言っても、七罪側がアクションを起こすか、令音と狂三の策が成功するかでしか場を動かすことは出来ない。そのため、会話は専ら七罪のことに関してだ。

 

「七罪はまだ見つかりそうにないのかね……こんな大胆なことしてるのに、とんでもない慎重さだよな」

 

「もうそろそろだとは思うのですが……七罪さんが慎重という意見には賛同いたしますわ。隠れんぼにかけてはあの子と良い勝負が出来そうですわね」

 

 霊波の隠蔽に加え、七罪は自分自身も様々なものへ変身させる事が出来るため、捜索と特定は困難を極めている。普通ならそんな相手を補足することなど士道には不可能。が、士道には不可能でも〈ラタトスク〉及び狂三の協力があれば可能性が出てくる。

 

「士道さんのお傍にいれば、わたくしにも何かを仕掛けてくると思っていたのですが……随分と警戒されていますわね」

 

「やっぱり何かされそうだと分かるものなのか?」

 

「ええ。理屈は士道さんとそう変わりありませんわ。霊力による干渉を霊力によって〝拒絶する〟。自慢ではありませんが、わたくしこれでも霊力には人一倍自信がありますのよ」

 

「……まあ、そうだろうな。そういえば、美九の時もそうだったか」

 

 今まで見てきた狂三を思い返すと、言われずともそうなのだろうと苦笑しながら頬をかく。時間干渉という異次元の力を惜しげも無く使う狂三の霊力は、他の精霊のそれを凌駕するだけの質を持っている。それ一つで優劣が決まるか、と聞かれれば士道も狂三も否定をするだろうが、単純に七罪のような他に干渉を行う霊力の使い方をする相手には単純でありながら有効なのだ。

 これは、以前の美九の〝歌〟を相手にした時に証明されている。思い返せば、あの時も狂三は〝歌〟を聴いて不快感を露わにこそすれど、影響は全くと言っていいほど受けていなかった。

 

 とはいえ自分と同じ、と言われても狂三と違い制御出来るような使い方は出来ない。俺には難しいなぁとボヤくと、狂三は微笑みながら励ますような声を返した。

 

「士道さんも霊力の扱いに慣れれば、何れ分かりますわ」

 

「霊力の扱いに慣れるってどうすりゃいいんだよ……〝天使〟使う度にぶっ倒れてるんだぞ俺――――――ん?」

 

 〝天使〟を使う度に、身体に極端な負荷がかかっている。〝天使〟そのものを顕現させているわけではない〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の焔を除き、自身の身体で身を持って体験してきたことだ。だからこそ、士道の頭で一つの疑問が浮かんだ。

 

未来予測(・・・・)。それほどの力を行使したにも関わらず、精神的な負荷しか残らなかったのは一体どういう事だろうか。そもそも、根本的な話ではあるがなぜ自分が狂三の力を使えたのか(・・・・・・・・・・・・・・・)。封印はなされていない、それは間違いない。ここでまた、何故か(・・・)士道は〝天使〟がそれを行ったのだと、あの時無意識下で感じ取っていた。自分と狂三の事であるはずが、感覚でしか物を語れないなどおかしな話があるものだ。

 士道さん? と首を傾げる狂三にああ、と生返事をしながら彼女ならその疑問にも答えてくれるかもしれないと思い立つ。

 

「如何なさいましたの?」

 

「ん、実はな――――――」

 

 と、その時。二人の耳に付けられたインカムから緊急の通信が開かれた。

 

『――――――二人とも、七罪を補足した』

 

「……!? いきなり過ぎませんか!?」

 

 霊波の予兆を察知したにしても、七罪が霊波の隠蔽を行っている限り早々と見つかるものではない。ましてや、士道への嫌がらせが行われたのは買い物よりも前の話だ。時間差で見つけるにしてもどうやって……。と、士道が驚くのを後目に令音は淡々と言葉を続ける。

 

『……狂三の協力があったからね。まあ、簡単な人海戦術(・・・・)さ。それを解析と合わせればそう難しい事じゃない』

 

「人海戦術って……『狂三』!!」

 

 ご明察、という声が隣から聞こえる。〈ラタトスク〉の解析班が七罪の霊波を読み解きパターンを予測。合わせて分身体の『狂三』による要はゴリ押し(・・・・)だ。

 

「二人とも、いつの間にそんな仲良く……」

 

「気にするところはそこですのね……ともかく、作戦通りであれば今は『わたくし』の一人が七罪さんの足を止めているはずですわ」

 

「良し、ならすぐに――――――」

 

「『わたくし』」

 

「おわっ!?」

 

 駆け出そうとした士道を止めるように〝影〟が蠢き、一人の『狂三』が姿を現した。

 

「驚かせないでくれよ『狂三』……」

 

「申し訳ございません……わたくしも士道さんのお傍にと思いましたので」

 

 よよよ、と凄いわざとらしく泣き真似をする『狂三』に、なんとも言えない表情でそ、そうか……と士道は鼓動が早くなった心臓を手で押えた。わざわざ士道の前でなくとも彼は足を止めたので、意図的なドッキリで心臓を痛めるのは勘弁して欲しいのだが……彼女もまた狂三ではあるので許さないという選択肢はない悲しい士道の性である。

 

「余計なことはしないでくださいまし、『わたくし』」

 

「あら、あら。お顔が怖いですわよ『わたくし』。笑顔、笑顔ですわ」

 

「誰のせいだと……何用ですの」

 

 問いかけに一転して『狂三』は真剣な表情になり、〝影〟から完全に姿を現し声を発した。

 

 

「――――――七罪さんにお客様(・・・)ですわ」

 

 

 たったそれだけで誰なのか、どのような人物を指すのか。狂三は理解したのか眉を不愉快そうに顰めて小さく舌打ちをした。あのお客様は、士道たちと追う対象は同じだとしても、齎される結果は真逆のもので少しばかり厄介だ。

 

 

「狂三、何があったんだ。まさか七罪に何か……!?」

 

これから起こる(・・・・・・・)、というのが正しいですわね――――――では、士道さん。これより先はあなた様にお任せ(・・・)いたしますわ」

 

 

 え、と呆気に取られる士道だが、狂三にはこの先彼がどのような選択肢を取るか手に取るようにわかる。

 

 七罪を救うか、否か。危険を冒してまで七罪を助けに向かうのか。狂三がどちらに賭けるかなど――――――それこそ打算抜きで分かりきっているだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――――もう!! 何なのあの子は!!」

 

 箒のような〝天使〟からストン、とビルの上へ着地した美女が、忌々しいと苛立ちを隠さず箒の柄頭で地面を強く叩いた。魔女のような〝霊装〟を纏った美しいプロポーションを持つ精霊・七罪だ。

 何度目かの嫌がらせをまたもや防がれた七罪は素早く位置を変え、軽く数キロ離れたこの場所で手頃なものを長距離を覗ける望遠鏡に変え、再び士道()を観察する。少年の隣を歩く黒髪の少女。纏う雰囲気、美貌、スタイル……全てにおいて、〝今〟の七罪ですら少し羨んでしまう程の美少女だった。

 

「あの子さえいなければ、今頃士道くんを……」

 

 爪を唇で噛みながら七罪はそう愚痴をこぼす。士道の身内をやれるだけ子供の姿に変え、慌てふためく彼を観察していたまでは良かった。傑作すぎて捩れるほど笑ってしまったくらいだ。が、あの黒髪の少女が現れてからなかなか上手くいかなくなった。

 こちらの放つ嫌がらせを、あの子は尽く防いでしまうのだ。一部分上手く行ったとしても、それは目的を満たすまでには至らない。

 

「そうよ。許してなんかおけないわ……!!」

 

 自分にあれだけの恥をかかせたこと。誰にも知られてはいけない〝秘密〟を見られてしまったこと。それでいてのうのうと暮らしているだなんて許せることではない。彼の精神をズタズタにして、一生表に出られないくらいの辱めを受けさせてやらねばならない。たとえ同じ精霊が邪魔をしようとも、士道だけを集中して狙い続ければ良いだけの話だ。

 

 ――――――あの〝狂三〟という精霊を狙う、という択が存在しないわけではない。だが、それをするだけのリスクが大きすぎてリターンが見合わないため択として意味をなしていない、というのが正しい。十中八九、あの黒髪の少女と白い精霊が言う〝我が女王〟は同一人物。手を出すということは、必然的に〈贋造魔女(ハニエル)〉が通じない精霊ごと敵対する事に直結してしまう。七罪はそこまで自らの力を過信する愚か者ではない。

 

 嫌なことを思い出したと、鼻を鳴らして箒を構えて様々なイメージを思い浮かべる。あの子が庇いきれない、かつ士道へ絶大なダメージを与えられるやり方。そんなものいくらでも思い浮かぶ。浮かび過ぎて時間が足りないくらいだ。

 

 絶対に許さない。七罪は〝秘密〟を知った者を許すわけにはいかない。だって、それを知られてしまったら七罪は七罪でいられない。許されるはずがない(・・・・・・・・・)

 

 その思考に気を取られた一瞬が、隙となったのか。 カチャリ、と嫌な音がした。

 

 

「――――――ごきげんよう」

 

「っ!!」

 

 

 後頭部に突きつけられた無機質な何か。この短期間で二度目ともなると、彼女も内心はどうあれ平静を保つ事が出来た。だが、僅かに向けた視線の先にいたその〝顔〟は、七罪の目を見開かせるには十分すぎる衝撃があった。

 場違い甚だしいメイド服(・・・・)はともかくとして、黒髪に隠れた文字盤の瞳とその美貌は見間違えようがない。その顔は一秒前まで七罪の視界に収められていた、〝狂三〟と呼ばれる少女そのものだった。

 

 クスリと狂三が微笑みを浮かべる。その顔は、士道の隣で微笑む彼女とどうしてか結びつかない、七罪の背筋が総毛立つ冷たく狂気に満ちた物。

 

「まさか、わたくしまで引っ張りだされるとは思いもしませんでしたわ。七罪さんの用心深さは賞賛に値しますわ」

 

「……こんな簡単に私の背後を取れる子に言われても、褒められた気がしないわね」

 

「あら、あら。そう悲観なさらずともよろしいですわ。あの子の代役(・・・・・・)でわたくしが出てこざるを得ない事そのものが、あなたの優秀さを物語っていますもの」

 

 〈ラタトスク〉の解析と分身体による連携。それでもなお七罪の用心深さは筋金入りだった。そんな相手に『狂三』の存在を気づかれる訳にはいかず、探知は想像以上に難航した。なまじ場所を特定したところで、『狂三』では近づいた時点で察知される危険性が高い。だからこそ、メイド狂三が分身体の要請で引っ張り出されてしまったわけだ。

 

あの子の代役(・・・・・・)、という狂三の発言に七罪がピクリと眉根を上げる。簡単に背後を取られる、そのような警戒心の薄さは持ち合わせていない自負が彼女にはある。なるほど、今もって狂三から白い精霊と同じ(・・・・・・・)感覚を覚える理由。どういう理屈かはわからないが、してやられたと言うべきか。

 もう一つ。士道の隣に狂三がいるにも関わらず、七罪の背後から銃を突きつける狂三が同時に存在している現実。こちらに関しても聞き覚えがあった(・・・・・・・・)

 

 

「……ふぅん。士道くんが言ってた同じ顔なら世界で一番の専門家っていうの、狂三ちゃんの事だったんだ」

 

「きひひひ、士道さんらしい表現の仕方ですわね。さて、七罪さんにはその士道さんと話し合いの席を持っていただきたく思いますの。ですので、しばらく付き合ってもらえませんこと?」

 

「断ったら、どうなっちゃうのかしら?」

 

「オススメは致しませんわね。残念ながらわたくし、あちらにいらっしゃる『わたくし』と違ってあまり優しく(甘く)ありませんのよ。抵抗するのであれば――――――容赦は致しませんわ」

 

 

 事実上の選択肢は作られていないという宣言。内心で舌打ちをし、七罪は思案を巡らせる。

 話し合いの席だなんて嘘っぱちに決まっている。こんな事をしているのだから、あいつらが話し合いで済ますはずがない。身の毛もよだつような仕返しをされるに違いない。ここで捕まるわけにはいかない。しかし、白い精霊と同質の気配を持つこの狂三を相手にどうやって――――――

 

「……!!」

 

「ちっ……」

 

 接近する気配。気のせいではない。確実に七罪目掛けて何かが近づいてくる。士道たちの仲間か、とも一瞬考えたが狂三の反応を見る限り違うようだ。そして、それを見遣るより早く七罪は〈贋造魔女(ハニエル)〉を輝かせた。

 

 

「答えは――――――捕まるなんてお断りよ!!」

 

 

 変化させるのではなく、単純な目くらましとして箒から特大の光を放つ。一瞬とはいえ狂三の気が逸れた事もあり、離脱にはこの極光だけで十分だった。素早く〈贋造魔女(ハニエル)〉に跨り、ついでにべーっと下を出して七罪は高速でその場を飛び去って行く。

 

「……まったく。臆病なのやら大胆なのやら、わからない方ですわねぇ」

 

 形だけ構えていた銃をクルクルと遊ばせた後、無造作に投げやると落ちていく銃が〝影〟へ吸い込まれた。追撃しようと思えば簡単に行えたのだが、七罪を傷つけろというオーダーは本体から出ていなかったと聞く。ならこれ以上は必要ない、狂三の管轄外だ。随分と甘い判断をするようになったと思うが、それが『わたくし(オリジナル)』の意思だと言うのなら是非もない。

 

「『わたくし』へのご報告は任せましてよ」

 

「ええ。承りましたわ『わたくし』」

 

 髪を払い、蠢く〝影〟へ向かって声を飛ばす。それと、と言葉を付け加えるのも忘れない。

 

「わたくしが関わった事はあの子にはくれぐれも内密に。小言を言われてはたまりませんわ」

 

「わかっていますわ。ご苦労様ですわ、『わたくし』」

 

 お辞儀をしながら〝影〟へ沈んでいく『狂三』を見送り、狂三は七罪が飛び去った空を見上げてポツリと呟いた。

 

 

「――――――その先は地獄だと、教えて差し上げるべきでしたかしら。き、ひひ。きひひひひひひッ!!」

 

 

 教えるつもりは、毛頭なかったであろうに。そう思えてしまう狂った笑い声と共に、狂三も〝影〟へ姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱い。

 

「――――――ぇ」

 

 熱い。熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い――――――痛い。

 

「ぁ、あああああああああああああああ……ッ!?」

 

 正気に返った後に待つのは、その痛みという名の地獄だった。切り裂かれた腹部から溢れる夥しい血が、身体の中を苛む鋭い痛みが七罪を地獄の業火で焼いていた。知らない、こんなものは知らない。ありえない、魔術師(ウィザード)が精霊を傷つけるだけの力を持つはずがない――――――普通ならば(・・・・・)

 

「――――――おや、戻りましたね」

 

 悶え苦しむ七罪を見ているのに、それを行った張本人は淡々と小さな身体から元の大きさに戻った身体の感触を確かめている。視線が物語る。狂っている、そう感じるのも無理はない。物を見るような視線が語る……このエレンと呼ばれる魔術師は七罪を見ていない。見ているのは、精霊という利用すべき物の価値だけ。

 

「さて、どうしましょうか。私としては生け捕りでも、殺して霊結晶(セフィラ)のみを取り出しても良いのですが」

 

「……ッ、だ、ず……げ……、死に……だぐ、な――――い……」

 

「構いませんが。それはあなたにとって苦痛が増す選択肢になると思いますよ」

 

 慈悲などではない。ただ現実を述べているだけの言葉。恐怖と痛みで思考が働かない。こんなはずじゃなかった、そんな思いが頭を掠めた。追ってきた魔術師達なんて敵ではなかったはずだ。いつも通りおちょくってやり、彼女たちを子供の姿に変えてやった――――――なのに、エレンは容易く精霊の霊装ごと七罪を貫いた。

 逃げないと行けない。でも、身体も頭も動かない。そうしている間にも、他の魔術師たちの変化も解除され囲うように群がってきた。

 

「執行部長殿。いかがいたしますか」

 

「生かして連れて行きましょう。この傷ならば暴れることもないと思いますが……厄介な能力を持っているようですし、念のため四肢を落としておきましょう」

 

「ひ……ッ!?」

 

「すぐに済みます。途中で死なないでくださいね」

 

 振り上げられる剣に、思わず目を閉じた。もう逃げられない。ならせめて、無駄だとわかっていても痛みから逃れるように奥歯を噛み締めた。腕か、足か。どこからか。一秒といらず訪れるであろう未来に絶望して――――――

 

 

「な……」

 

「――――――はぁッ!!」

 

 

 微かな驚きを含んだエレンの声と、幼いながらも(・・・・・・)心の籠った鮮烈な叫びが七罪の視界を呼び戻した。

 

「だいじないか!?」

 

「な、なん……で……」

 

 淡く輝く霊装。身の丈ほどの巨大な剣。それを掲げて彼女は、夜刀神十香は七罪を背にエレンと対峙する。七罪のせいで散々な目にあったはずの十香が、七罪を救おうとしている(・・・・・・・・)

 変化はそれだけに留まらない。勇猛な曲調が、永久凍土を思わせる氷結の結晶が、それに合わせた荒れ狂う暴風が、魔術師たちを手玉に取り翻弄する。降り立った風を操る瓜二つの双子も、七罪の手で幼き姿にされた者たちだった。

 

 痛みと恐怖を上回るほどの困惑。それが正直な思いだ。だって、ありえないだろう。なんの理由があって、自分たちに害をなした精霊を命懸けで助けようとするのか。あまりに理由が見当たらない。七罪の知る理屈にあっていない選択。

 

 

「――――――七罪!!」

 

 

 もっとありえないと思ったのは、一番辛い思いをさせたはずの少年、五河士道がわざわざ七罪に駆け寄って膝を折ったことだった。

 

「血が……!! 七罪、大丈夫か!!」

 

「…………士、道……くん……?」

 

「少し我慢してくれ。すぐに治療してやるからな……!!」

 

「――――――させるとお思いですか」

 

 七罪に困惑と希望を灯したのが士道の声であったなら、その声は恐怖と絶望を齎す物だった。

 魔術師たちが吹き飛ばされる中、ただ一人冷気による凍結を防ぎ、暴風をものともせずエレン・メイザースという〝最強〟は立っていた。

 

「〈プリンセス〉、〈ベルセルク〉、この冷気は〈ハーミット〉ですか。それにこの曲――――〈ディーヴァ〉もどこかに隠れているようですね。なるほど、力の低下した〈プリンセス〉が、不意打ちとはいえ私と打ち合えたのはそういう道理ですか」

 

 数など問題ではない。彼女はこれだけの増援を見ながら、ただ増えた標的の戦力を冷静に分析していた。

 

「六体もの精霊がいて、うち五体は子供状態、残りの一体は重傷ときたものです……アイクからは様子を見るよう言われていますが、ここまでの好機ならば話は別でしょう」

 

「良いのか、エレンさんよ。お仲間はみんな伸びてる。多勢に無勢だぜ」

 

「お気遣いは無用です。彼女らなど最初から数に入れていません」

 

 言いながら剣を構えるエレン。その言葉に偽りはなく、七罪の目から見ても彼女の優位がこの程度で崩れるとは思えなかった。それほど、エレンという魔術師は異常な強さを誇っている。精霊の一人でも全力を出せれば、彼女に拮抗出来ようものだが十香たちはその全力を出せないのだ。

 しかし、七罪が見つめる士道の顔に焦りはない。命の危機に瀕した極限の緊張による汗は見えるが、焦り(・・)の二文字はその表情に存在しない。いつか見たあの瞬間のような、不敵な笑みを浮かべて声を震わせた。

 

 

「そうかい。なら――――――」

 

「――――――遠慮はいりませんわね」

 

 

 瞬間、士道の〝影〟が動いた。彼だけではない、ここにいる全員の影が集まるように(・・・・・・)円の形を成した。流石のエレンも目を剥き――――――影の主を的確に呼び当てる。

 

 

「〈ナイトメア〉――――!!」

 

『きひひひひひひひひひひひひひひッ!!』

 

 

 この光景がエレンにとって悪夢でなければなんであろうか。〝影〟より現れる無数の少女。全員が全く同じ顔をした、狂気を感じさせる異様な集結。誰もが笑い、誰もが唄い、誰もが凄絶な叫びを上げる。その中でただ一人、士道の隣に立つ狂三だけは異様な中で悠然と微笑んでいた。

 

「如何なさいまして? あなたの求める精霊がこんなに沢山いらっしゃるのに、浮かない表情ですわね」

 

「またあなたですか……!!」

 

「ええ、ええ。あなたが数など無意味だと仰ったものですから――――――」

 

 軽く数えるだけで両手でも数え切れない程の『狂三』が飛び掛かり、銃弾を放つ。先程までの余裕の表情はどこへやら、苛立たしげな表情でエレンは迎撃のために剣と随意領域を解き放つ。

 〝最強〟の魔術師であるエレンと、所詮は分身体である『狂三』。普通ならば相手にすらならないが――――――

 

 

「今宵は特別。悪夢と歌姫の二重奏(デュオ)ですわ――――――存分に踊りなさいな、〝最強〟の魔術師(ウィザード)さん」

 

「ち――――」

 

 

 その全てが(・・・)、美九の〝歌〟を受けていれば話は別だ。

 倒し切るには至らない。なれど、〝最強〟の足を止めるだけには十分すぎる。

 

「琴里!! 今だ!!」

 

「な、に……」

 

 士道が誰かに合図を飛ばした瞬間、七罪の身体を不思議な浮遊感が包み込む。と、同時に温かな〝何か〟が身体の中に流れ込んだ。出処は、言うまでもなく七罪の身体を支える黒髪の少女からだ。

 

「これで、少しは楽になるはずですわ」

 

「傷口が痛むかもしれないけど、ちょっと我慢してくれよ……!!」

 

 え、という声はのどを震わせるには至らず届くことはなかった。〝何か〟の正体など、言うまでもなく精霊に必要な〝霊力〟。わざわざ七罪の痛みを和らげるために、狂三は自己回復を促進させるための霊力を注いでいる……どうして(・・・・)

 

 とことんまで意味がわからない。なぜ自分にそこまでする。なぜ自分を助けようとする。なぜ彼らは――――――そんな、士道たちにとっては当たり前で、七罪にとっては異常な行動の答えが分からぬまま、変身させていた身体が元に戻る感覚と同時、上方に引っ張り上げられる感覚を覚えながら……意識を闇に閉ざした。

 

 

 





ナチュラルに階段すっ飛ばしてイチャついてない????

数ある分身体の中でも突出した特異個体であり特別に扱われるからこそ、狂三の中で唯一彼女だけが七罪の背後を取れました。彼女以外だと警戒されているのでいくら『狂三』でも無条件では無理があります。本体に微妙に辛辣なただのメイド個体と思うなかれ。謎のメイドさんが特異個体なのだ(謎すぎるこだわり)

大っぴらに戦えると不意打ちからやりたい放題できるから困るね。数が必要ないとか煽るから悪い(責任転嫁)

次回からようやく七罪登場という感じですね。果たして攻略の糸口を誰から得るのか。
感想、評価、お気に入りありがとうございます!どれも励みになっておりますので幾つでも待ってます!!次回をお楽しみに!!


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第六十七話『否定と肯定の二律背反』

投稿話数の6話先を書いてるとなんか奇妙な気持ちになる今日この頃。大体七罪編の折り返しくらいの六十七話、どうぞ。




 

 

「――――――七罪が目を覚ましたって!?」

 

 無機質な扉を開けるなり、椅子に座る琴里へ向かって声を張り上げていた。

 〈ラタトスク〉が所有する地下施設の一角。設計元が同じなだけはあり、風景としては〈フラクシナス〉艦橋と似た造りとなっており複数のモニターと様々な計器が設えられていた。

 

「ああ、早かったわね士道………………と、狂三」

 

 くるりと椅子を回転させた琴里は士道…………と、彼と共に入ってきた狂三を見てなんとも言えない間を置いてその名前を呼んだ。表情もまた表現し難い。そんな琴里の様子に苦笑しながら狂三は声を発する。

 

「あら、あら。わたくしは歓迎されていらっしゃらないようですわね、悲しいですわ」

 

「いや……単純に、なんか違和感持たなくなってきただけよ。気にしないでちょうだい」

 

 精霊を封印して保護するのが〈ラタトスク〉だと言うのに、封印をしていない精霊が組織の切り札である士道と行動を共にしていることに対して、そろそろ感覚が麻痺して違和感を感じなくなってしまっていた。司令官としてどうかとは思うのだが、極自然な流れで士道と一緒に部屋に入って来られてもなんでここにいるんだ、と全く思わなかった辺り時の流れというのは不思議なものだ。

 

「それより七罪はどこ……って、琴里、どうしたその顔」

 

「あー……ま、士道も気をつけなさい」

 

「は?」

 

 琴里の顔に薄らと引かれた赤い線。まるで猫にでも引っかかれたような跡をポリポリと掻きながら、琴里は傷について深く語ることはなく士道をそのまま七罪がいる部屋へ送り込んだ。

 部屋の様子は音声共々モニターで確認出来る。狂三の応急処置もあり、幸いにも命に別状はなかった七罪は〝天使〟を扱う事は出来なくとも会話は問題なく行える程度に回復している。事は、結果的に(・・・・)七罪の命の救世主となった士道の話術次第と言ったところだ。

 

 

「で――――――どこまでがあなたの読み通りだったのかしら」

 

 

 琴里はチュッパチャプスを口に含みながら、直球に話を切り出した。モニター部屋には、必然的に狂三と二人っきりだ。誰かに邪魔をされる心配もないし、盗み聞きをされる事もない。

 

「さて、何のことでしょうか」

 

「とぼけなくていいわよ。結果的に(・・・・)七罪は〝天使〟を使えない大怪我を負って、結果的に(・・・・)士道はあの子を身を挺して救ったヒーローになった。あなたが着いていて、まさか全部が全部偶然でした、なんて事はないでしょう」

 

 結果論、七罪は士道に救われた。しかし、そこまでの過程に〝あの〟狂三が介入していたとなれば話は違う。エレンが七罪を襲おうとしている、それを助けに行く選択肢を用意したのは他ならぬ狂三なのだ。

 

「こうやって七罪と話し合う機会を設けられたのが偶然とは思えないわ。七罪が殺されかけるところまで計算してたのか――――――」

 

結果的に(・・・・)、〈ラタトスク〉は七罪攻略の機会を得ることが出来た。果たして、そのどこまでが時崎狂三の手のひらの上だったのか。士道が七罪を救うまで? DEMが七罪を襲うまで? それら全てを、この状況のために利用したのではないか――――――

 

「なーんて、前までの(・・・・)あなたならやりかねないと思ってね」

 

「……心外ですわ。わたくし、そこまで心がない女だと思われていたのですね。ちょっと傷つきましたわ」

 

 戯けるように手をヒラヒラとさせる琴里を見て、狂三は真剣そうな表情を一変、本当に傷ついて拗ねたような表情で少し頬を膨らませる。

 七罪が傷を負って、〝天使〟が使えなくなり強制的に話し合いのテーブルに着かせることが出来た。倫理的な考えなどを除けば、結果としては七罪攻略の糸口となった形だ。

 

 冷静沈着、冷酷無慈悲。士道と出会う前の狂三を分かりやすくイメージするとそんな言葉の羅列が思い浮かぶ。イメージ通りの彼女であれば、この状況を完璧にコントロールして全て読み通りでしたわ、とか言い出しかねないと琴里は思ったのだ。無論、今の狂三がそのような事をするとは思えないので、単なるからかい半分だった。

 

「けど、DEMが七罪を狙ってること知ってなら、こうなることも本当に予想してたんじゃないの?」

 

「十香さんたちとどちらを狙うか、まではわかりませんでしたわ。結果として、十香さんたちは完全に狙いから逸れていた、それだけですわ」

 

 エレンの口から語られた事が真実なのであれば、彼女に指示を出すアイザック・ウェストコットはどういうわけか十香たちを静観するような形を取っているらしい。だから彼女たちの代わりに、長期間こちらに留まっていた七罪がターゲットになったのだろう。はぐれた精霊で尚且つ能力上、油断を含めてエレンと相性が悪い七罪は格好の獲物だ。

 DEMインダストリーが何をしてようとしているのか。深く掴めているわけではないが、精霊をむざむざと渡してやる義理はない。DEMと狂三たち、お互いが七罪を探し出し、流れとして七罪を救う事になったというだけに過ぎない。

 

「状況の複雑さから、七罪さんが傷を負う結果は防ぐ事は叶わないとは考えましたわ。しかし、わたくしとてそうなる事を望んだりは致しませんわ」

 

「わかってるわよ。こんなこと計算尽くでやるような冷酷女だったら、士道を好きになるわけないもの」

 

「……士道さん〝が〟、わたくしを好きになったのですわ」

 

「どっちにしろ同じじゃない……」

 

 かなり違うし重要な事だ。少なくとも、狂三の中では。

 ただまあ、人をそんな甘い精霊みたいに言われるのも心外だった。狂三は士道のようなお人好しになった覚えも、利にならない事を優先して行うような人物でもない。狂三の利になるから七罪を助ける〝選択肢〟を彼らに用意した、それだけだ。

 

「しかし、自分たちをあんな姿にした精霊を何一つ迷いなく助けようとするなんて、十香さん達にも本当に呆れてしまいますわ」

 

 七罪が危険だ、と教えた瞬間、誰一人として助けに向かう士道を追うことに躊躇い一つ持たなかった。まあ、持つような者がいないことは知っていたし、持つようなら連れていくつもりだってなかったが。

 自分たちに害をなした精霊を命懸けで救う。言葉にするだけならこんなにも楽だが、実践することは難しい上にどんな打算があっても他人には理解し難いだろう。人助けとは言うほど簡単ではないからこそ、それを迷わず行える善性に狂三は呆れと感服を覚えた。

 

「そんな士道たちに付き合うあなたも大概よ。安心しなさい」

 

「…………」

 

「何よ」

 

「いえ……ご兄妹ですわねぇ、と」

 

 殆ど同じ事をサラリと言える辺り、共に育った影響というのは馬鹿にできないものなのだと思った。少なくとも、利になるからと言い訳するのも忘れてしまうくらいには驚きだ。

 は? と目を丸くする琴里はともかくとして、モニターの中の士道と七罪の会話も着々と進んでいた。今は布団にくるまって目元だけ出した状態の七罪が、なぜ助けたのかと士道のお人好しぶりに暴れながら困惑しているところだった。

 

『なんで助けたか、なんて言われてもなぁ……誰かがあんな奴に襲われてたら、助けるしかないだろ』

 

『ふ……ふざけんなっ!! そんなわけないでしょうが!! 言いなさいよ!! 何が目的!? 一体どんな打算があれば、自分を困らせた犯人を助けるっていうのよ!!』

 

 士道の場合、打算があるパターンの方が珍しいのだが七罪はそれを知る由もない。ちなみに、数少ない打算と呼べるパターンがあったのは狂三だというのだから、ある意味でタチが悪い。

 それと、士道の表情を見て彼がこれから言わんとしていることが狂三には手に取るようにわかる。彼の人生……と、言うよりはこの半年間か。それは、困らせた(・・・・)程度ではへこたれていられないようなジェットコースターのような時間だったのだから。

 

『……いや、まあなんだ。確かに結構な被害は受けたけど……精霊と話す時は、程度の差こそあれ似たようなもんだったからな。ほら、十香とか四糸乃とかいるだろ? もう知ってるかもしれないけど、あいつらもお前と同じ精霊なんだ。正直何度か死にかけてるんだぜ?』

 

『し、死に……?』

 

『ああ。問答無用でビーム撃たれたり、街ごと氷漬けにされそうになったり』

 

『は……はぁっ!?』

 

『好きな女の子が自分の命狙ってたり、その子を庇って危うく消し炭になりかけたこともあったなぁ』

 

『え……は、え!?』

 

「…………」

「…………」

 

 話題の当事者二人が聞いているとわかっていてやっているのだろうか。お互いがどんな顔をしているか見てみたい気持ちはあったが、どちらも火傷しかねないのでグッと当事者たちは堪えた。

 

『あとは台風に襲われて吹き飛ばされそうになったり……ああ、最近で言うと街の人たちが全員洗脳されて一斉に襲って来た時は流石にヤバかったな』

 

 布団の隙間からなんだコイツ、化け物か、みたいな目で見る七罪を苦笑いしながら士道は言葉を続けた。

 

 

『だから……なんというか、被害を受けた人がいる以上、気にするななんて言えねぇけどよ、十香たちはみんな、そういうのを反省して、乗り越えて今ああして暮らしてるんだ。だったら、お前にそれが出来ない道理はないだろ?』

 

 

 ――――――それを簡単に口に出してしまえる彼の善性は、ほとほととんでもない人に捕まってしまったのだと感じさせられる。きっと彼は、彼自身が救いたい人であれば誰であれ受け入れてしまう。大罪を犯し、今なお罪を重ね続ける狂三であっても、それは変わらない。

 彼の言動に呆れ返ったのか、それとも少しは心を開いたのか。ほんの少しだけ言葉のトゲが抜けた七罪が声を発する。

 

『な、何よそれ。恰好いいこと言ったつもり?』

 

『や、別にそんなつもりは……それより、俺からも一つ、質問いいか?』

 

『…………………………何よ』

 

 たっぷり五秒は使ったと思われる間を置いて七罪は返事をした。まあ、断られなかっただけマシなのだろう。士道はそこから話の本題(・・)に入った。

 

『お前が俺に化けたり、みんなを消したりした、そもそもの理由だよ。一体なんであんな事したんだ?』

 

『…………ッ!! そんなの、あの時あんたが私の秘密を見たからに決まってるじゃない……!!』

 

『秘密……って』

 

『わッ、私の……本当の姿(・・・・)に決まってるでしょ!!』

 

『は……?』

「は?」

「あら」

 

 涙目になって叫ぶ七罪には悪いと思ったが、飛び出した言葉の衝撃度はなかなかのもので、三者三様とは行かず似たような反応をする。一番慌てたのは、間近で彼女の発言を聞いた士道だ。

 

『ちょ、ちょっと待ってくれよ。なんでその姿を見られたのが動機になるんだ!?』

 

『なんで……ですって……? ふッ、ふざけるのも大概にしてよッ! そんなの見ればわかるじゃない!! こッ、こんなみすぼらしい姿を見られて……平然としていられるわけないでしょ!? それとも何? それを私の口から言わせることが目的だったわけ!?』

 

『いや、そういう事じゃ……』

 

『最初に私とあんたが会ったとき、結構いい雰囲気だったわよねえ? 私のこと、綺麗って言ってくれたわよねえ? でもそれはなぜ? 私があの、お姉さんの姿だったからでしょ!? もし私が最初から今の姿だったら、あんたあんな反応した? しなかったわよねえ? 緊張なんかするわけないわよねえ? 何なら、話しかけられてもスルーしてたかもしれないわよねえ!?』

 

『そ、そんなこと……』

 

『あぁぁりぃぃぃまぁぁぁすぅぅぅぅぅ!! 現に……こっちの人達は、〝私〟が〝私〟のままじゃ、誰も相手にしてくれなかったんだから……』

 

 酷くヒステリックで感情のままに叫び散らかしていた七罪だったが、最後だけは言葉の調子が寂しげなものに変わった気がして士道は眉を顰めた。同じように気づいた琴里、そして狂三は顎に手を当て七罪の考えを総括し始める。

 

「なるほど。自己に対する嫌悪感、コンプレックスが自分の姿を変えていた原因と。変身した七罪さんの人格変化は理想の自分の形の投影、という事でしょうか」

 

「参ったわね……霊力の封印を行えば能力は使えなくなる。今の七罪がそれに耐えられるとは思えないわ」

 

「これはまた、厄介なお方が舞い込んで来ましたわね」

 

「………………」

 

 現在進行形でまず間違いなく、そしてこれからも更新し続けるめちゃくちゃ厄介な精霊が言うことか? と思ったが精霊の機嫌をわざわざ損ねるのは美味くないので黙っておくことにした。意外と主に容赦のない〈アンノウン〉辺りなら、容赦なしに突っ込んだのだろうな、と思うことも忘れずに。

 だが、狂三の言う厄介というのは間違っていない。封印のためには七罪が自分自身を受け入れ、肯定してやらねばならないが……。

 

 

『と、とにかく落ち着こう!! ほら、大きく深呼吸して……』

 

『ヴェァァァァァァァァァァァァッ!!』

 

『あ』

 

 

 士道が容姿を褒めた言葉を全てネガティブに受け止めた七罪が、ガリッと非常に痛そうな音を立てて顔を引っ掻いた。ちょうど、狂三と声を揃わせた相方の琴里の顔を同じ感じに。

 

 数分後、顔に妹とお揃いの引っ掻き傷を作った士道がモニター室に帰還した。

 

「…………」

 

「だから気をつけろって言ったじゃない」

 

「野良猫さんでも、あそこまで警戒心が強い子は見た覚えがありませんわね」

 

「あ、やっぱ猫、好きなんだな」

 

「……琴里さん、七罪さんの精神状態は?」

 

 例え話で口を滑らせた狂三が即座に話題を戻す。そんな隠す事じゃない気がするけどなぁ、と微笑む士道と強引に無視して早く話を進めろと視線だけで急かす狂三に呆れた表情を浮かべ、琴里は七罪の精神状態に目を通した。と、言っても結果は言うまでもない。

 

「多少の上下はあったけど、到底封印出来る状態じゃないわね」

 

「だよなぁ――――――けど」

 

「? 如何なさいましたの」

 

「あ、いや……」

 

 強烈な自己否定。低い自己評価。そんなフレーズが頭に浮かぶと、士道にはどうにも直近でそんな話をした記憶がある気がした――――――気がした、で済ませて良い軽い記憶ではない。なぜならそれは、狂三が密接に関わっている人物によるものなのだから。

 言うべきか、言わざるべきか。腕を組んで迷った士道だったが、狂三に言えない秘密など彼女からすれば簡単に推測が出来ようものだと思い、意を決して口を開いた。

 

「……〈アンノウン〉が、七罪と同じようなことを言ってたから、それを思い出したんだ」

 

「――――――あの子が?」

 

 目を細めた狂三にああ、と声を返すと彼女

口元に手を当て考えに耽った。やはり、このことは知らなかったということか。

 程度の差は幾らかあれど、自己否定という点では〈アンノウン〉と七罪は共通している。が、完全に一致しているかと言われれば恐らくそうではないと思う。その差をはっきりさせれば、見えてくるものがある気がした。

 

「……そうですの。まあ、あの子はわたくしにそういったことは仰らないでしょうし、士道さんが知っているのは納得ですわ」

 

「狂三……」

 

「気になさらないでくださいまし。あの子とは、元よりそういう関係ですのよ」

 

 狂三にはきっと話さない。少女が言った話せないことの中には、少女自身の事柄に関しても重々含まれている。そういった意味で、あの子の気持ちを推し量る事は出来ない(・・・・・・・・・・)というべきなのだろう。

 

 狂三と少女は主と従者、共犯者であって友人ではない(・・・・・・)。友人であってはいけない……何故なら、少女にとって己とは捨てるべき存在だから(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。多分、士道の考えはあっているはずだ。同時に、狂三が気づかない筈がない。彼女なりに少女を想っていても、少女は最後まで踏み込ませない。狂三も最後まで踏み込む事が出来ない。

 お互いを大切に想っているのに、踏み込む事が出来ない関係性――――――〈ナイトメア〉と〈アンノウン〉である限り、真に相容れることはない。

 

 

「……変わって欲しい。そう、想っていても頑なですわね。それもまた、是非もありませんわ」

 

「俺は、きっと変わっていけると思う。狂三があいつのこと、大事だって想ってるなら尚更さ」

 

「ええ、ええ。そうであると願いますわ……いえ、そうであるように努力するのがわたくしの役割なのでしょうね」

 

 

 エゴなのかもしれない。だとしても士道はこのまま〈アンノウン〉を放って置くことは出来ない。そして――――――狂三が同じように想ってくれている限り希望はある。

 

「――――――さて、それでは話題の当事者にお話を訊いて、七罪さん攻略のヒントをいただきましょう」

 

「へ?」

 

「琴里さん、ここでお電話を使わせていただかせてもよろしくて?」

 

「まあ、その程度なら問題ないわよ」

 

「では失礼して」

 

 トン、と狂三が床を蹴った瞬間、蟠っていた〝影〟が面積を増した。増した、と言ってもいつもに比べれば僅かばかりのそこから、ポーンと何かが飛び出してきた。驚く士道と琴里を後目に、狂三は特に表情を変えることもなくその携帯電話(・・・・)を手に取った。

 

「どこぞのたぬき型ロボットみたいね……」

 

「猫だろ、猫。…………猫の、狂三か」

 

 士道は猫耳を付けた狂三を脳内に特殊召喚!!

 

 

『にゃあ』

 

 

 ちょっと鼻血が出そうになったので急遽封印処理を施した。

 

「……やべぇな」

 

「士道。自分の妄想でダメージ受けるのは止めなさい」

 

「何をご想像になられましたの……あの子に繋げますわよ」

 

 琴里の冷たい声と狂三の呆れながらも恥ずかしそうな声を聞きながら、士道はテーブルの上にスピーカーモードで置かれた端末に近づいた。話は士道さんにお任せ致しますわ、と狂三が言ってから間を置かず、電話は目的の人物に連絡を繋げてくれた。

 

『――――――もしもし。何か御用ですか、我が女王』

 

「ん。俺だ、士道だ」

 

『……五河士道?』

 

 ふむ、と少し考えるような声が聞こえてきたが、すぐに狂三が近くにいると判断したのだろう。慌てた様子もなく〈アンノウン〉は後を続けた。

 

『そうですか。では改めまして……私に何か御用ですか、五河士道』

 

「実はお前に……えーっと、相談したいことがあるんだ」

 

『……相談? わざわざ私にですか?』

 

「ああ。お前じゃなきゃダメでな……頼めないか?」

 

『……人選を間違えてるとしか思えませんし、私より狂三や五河琴里に頼むべきとは思いますが……他ならぬあなたの頼みなら、お引き受けいたしましょう』

 

「助かるよ。実は――――――」

 

 これまでの経緯、七罪のこと、彼女の考え……その辺りを長くなりすぎない程度に説明していく。そう長くない時間で粗方話し終えた――――――

 

『……はぁ? 私と〈ウィッチ〉が似てる? バカ言わないでくださいよ』

 

 のだが、いつになく低く辛辣な口調で返答が返って来て士道は電話越しで戦いた。少女が見せる珍しい喜怒哀楽の〝怒〟に近いものに、驚くなという方が難しかったかもしれない。

 

「……すまん、怒らせたか」

 

『当たり前です。私と比べられたら〈ウィッチ〉に失礼でしょう』

 

「怒る方向はそっちなのね……」

 

 ボソッと呟いた琴里の声に、重ねがけて当たり前ですと少女は少し不機嫌な口調で言葉を続けた。

 

『大体、こんなこと私に相談せずとも答えはあなた達の中で出ているとは思いますが……まあ、受けたからには、私なりにお答えします。私と〈ウィッチ〉は確かに素顔を偽っています。けど、あの子は私なんか(・・・・)と違います』

 

「それは……」

 

『わかるでしょう? 〈ウィッチ〉が己を偽った理由は本当の自分が認められなかったから。裏を返せば、それは認めて欲しい(・・・・・・)と言っているのと同じです』

 

 七罪は生粋のネガティブ思考だ。しかし、変化した大人の七罪はそうではない。彼女の理想の自分……人に憧れを抱かれる、人の注目を浴びる事が出来る理想の七罪。つまり、そのような事をするというの事は、彼女はどうであれ自分を見て欲しい(・・・・・・・・)と思っている。

 

『……ま、変身したところでそれは〈ウィッチ〉であって〈ウィッチ〉ではない。人……精霊の心っていうのは、そんな形では満たされない。でも、本当の自分は誰も見てくれない。見てくれるはずがない(・・・・・・・・・・)

 

見てくれるはずがない(・・・・・・・・・・)……か」

 

『自分自身に対する拒絶。偽らなければならない自分に対する絶望。肯定されたかった彼女自身、気づかない間に肯定されていい人ではない(・・・・・・・・・・・・)、そう思うようになった……落とし所としては、こんなものだと思います。けれど――――――彼女は、言葉ではなく行動で本心を示している』

 

 それが、私なんかとは違うんですよ。そう少女は締め括った。

 カラに閉じこもった七罪は、しかし必要ないと切り捨てるのではなく認めて欲しい……そんな誰しもが望んで当然の想いを持ったまま、認められる自分を演じた(変化させた)

 

『私からの予測は以上です。ですが私がどれだけ推し量ったところで、本心は彼女の中にしかありません。後は、この手のプロにお任せいたします。私が何か言うまでもなく、それなりに攻略法は思い浮かんでいるんでしょう?』

 

「……ああ、助かった。後は俺たちなりにあいつと向き合ってみる」

 

 その欲求があるなら、七罪がどれだけ否定しようと彼女が本心で望んでいるものがあるのなら、士道が思いついた妙案が一つ――――――彼女を本当の意味で〝変身〟させてやればいい。

 

「てか、話だけ聞いてそこまでわかるってことは、やっぱお前と七罪は似て――――――」

 

『以上です。我が女王の世話は任せましたよ』

 

 ブツン。と、士道が話終わる前に無作法に通信は打ち切られた。世話かけてるのは俺の方だと思うけど……という士道の呟きも当然の如く届いてはいなかっただろう。

 

「言うつもりなかったんだけど……やっぱめんどくさいわね、あなた達」

 

「〈ラタトスク〉の司令官様のお言葉とは思えませんわね」

 

 心からの本心だと簡単に察する事が出来て、一緒くたにされた狂三はとても否定しづらそうな表情をしていた……言葉で面倒だと言っても、兄妹揃って見捨てる気はないのでしょうね、と微笑んだ(・・・・)のは、狂三の無意識だった。

 

 

 

 

 






ちょっとこの主人公病気が悪化してる…猫耳狂三、それは最凶の兵器。

これでも幾らか原作からカットしてあるんですけど七罪のネガティブ言い回しが天才すぎて本当しゅごいってなります。どこまで再現出来るか………………いや頑張りますけど難しいですねこれ!? 個人的な感想としてはアニメのこの場面七罪再現度高くて好きです。あぁぁぁぁりぃぃぃぃますぅぅぅぅぅ!!とか特に。

解説の通り〈アンノウン〉の思考と七罪の思考は似て非なるものです。だからアンノウンも同一視されると怒ります、七罪に失礼的な意味で。うわめんどくさ…。

次回は少し幕間的なお話になるかも。狂三の話と、そんな彼女と似ているようで違う復讐鬼のお話。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第六十八話『復讐鬼たちの行く末』

話のストックがなんか七話先まで溜まってます。私は元気すぎますどうか褒めてください(承認欲求お化け)
そんなことはさておき、迷える復讐鬼たちのお話。どうぞ。


 

 

「わたくしも、お手伝いさせていただきますわ」

 

 士道が思いついた一つの策。他に有効な手段はなく、白い少女の考察から七罪に対して有効な可能性が十分にあるという賞賛から準備に入ろうとした時……狂三は躊躇い一つ見せずにそう言った。

 士道はそれに助かるよ、と元気な笑顔で答えたが、琴里は少し意外そうに目を丸くした。

 

「……てっきり七罪を話し合いの席につかせたら、見るだけ見て静観すると思ってたわ」

 

「あら、あら」

 

 琴里の推察はなんてことはない勘を含めたものではあったが、決して間違ってはいないものだという自信があった。時崎狂三はなりふり構わず姿を現す精霊ではない。彼女なりにボーダーを測り、士道をデレさせるため副産物(・・・)として精霊攻略に協力をしている。七罪攻略は、今士道がこの場を離れて他のみんなに協力を仰いで、みんなで行う作戦だ。今までの急を要するトラブルのように狂三の協力がどうしても必要というわけではないし、彼女もそれをわかっているからこそ余計な労力は割かないだろうと思っていた。

 建前としてはどうあれ、精霊攻略を手伝って士道の好感度を、という性格でもないだろう。だからこそ、良くて静観だという予想を立て見事裏切られた。

 

「わざわざあなたが協力するメリットはないんじゃない? 極力こっちの邪魔をしないよう気を使ってくれてるみたいだし」

 

「それは気のせいというものですわ。士道さんの精霊攻略は、将来的にわたくしのものとなる(・・・・・・・・・・)。事ここに至っては特段協力しない理由がないだけですわ」

 

「あらそう。可愛げの無い理由ね」

 

「別に琴里さんに可愛げを見せようとは思いませんもの」

 

 はいはい。と狂三の軽口を適当に受け流し、モニターの中で警戒心の強い猫のように蹲る七罪を見遣る。あんなに気を張っていて疲れないのだろうかとも思うが、まあ事実上の軟禁状態なのだから仕方がないのかもしれない。

 七罪の力が扱える状態に戻るまで、予測された刻限はあと二日。それまでに七罪の警戒心を解いて、あのネガティブ娘を攻略せねばならない。そう考えると、確実性を上げる狂三の協力は――同時に警戒心を上げるリスクはあれど――ありがたいものだ。ただ、それで終わらせるには狂三の積極性に不思議と違和感を覚えてならない。

 

「七罪があの子(・・・)に似てるって言われたから、そこに同情でもしたの?」

 

「わたくしが、そのような情に厚い女に見えまして?」

 

「見えるわね」

 

「……皆様、わたくしという人物を買いかぶり過ぎていますわ」

 

 あまりにもノータイムでの返答だったため、反論を起こす気力さえため息と共に吐き出された。

 ここで昔の狂三だったら、あらあら、その二つの眼は節穴ですのね。必要がないのならわたくしがいただいてもよろしくてよ。くらいは平然と言ってのけただろう。

 

「あの子と同一視するつもりはありませんわ。多少考えが似ているだけで、性格的に同一視出来る要素はありませんもの。ただ……」

 

「ただ?」

 

「…………」

 

 少しの、沈黙。口を噤む彼女は、果たして何を考えているのだろうか。士道なら推し量る事が可能かもしれないが、琴里はそうすることなくチュッパチャプスを口の中で転がし次の言葉を待った。

 

 

「――――――わたくしは、必要以上に自己を貶めることが好きではない……だけですわ」

 

「――――――――」

 

 

 それは、時崎狂三の飾り気ない本音。それが判るから、琴里は言葉を失った。幾人もの命を踏み躙ったと語る、最愛の兄の命を奪うのだと謳う――――――そんな彼女の気まぐれでこぼした本音が、まさに普通の少女の感性(・・・・・・・・)である異常。

 

 七罪は自己を否定する。自らを見窄らしいと、醜いと。琴里の目から見てその意見が正しいかと聞かれれば、どれだけ客観的に捉えたところでそんなわけがないと断言する。髪はボサボサで健康的とは言えない見た目だが、それは努力を怠っているだけ。磨けば光るダイヤの原石が七罪なのだ。

 自らを悪く貶める七罪を、狂三は怒って苛立ちを感じている。言い換えれば、正当に評価されるべきだ(・・・・・・・・・・・)と思っている。あまりにも、〝最悪の精霊〟に似合わない考え方だった――――――だが、判っていた事でもある。現状、唯一狂三とまともに撃ち合い、戦った記憶を所持したままの琴里は知っている。彼女のその、歪な精神性を。

 

「……あなたは、どうして銃を握るの(・・・・・)

 

「愚問ですわね。果たすべき目的のためですわ」

 

「――――――あなたに、それだけの決意をさせるだけの目的は、なんなの?」

 

 狂三は銃を離さない。決して、離すことはしない。こうして会話を交わしている時も、戦いの時も――――――紅蓮の焔に焼かれた、あの瞬間でさえも。時崎狂三は真の意味で銃を手放したことがない(・・・・・・・・・・・)

 

「価値観が先天的なものかどうか……あなた、美九の一件で士道にそう訊いたらしいわね」

 

「ええ」

 

「時崎狂三。あなたも私と同じなの?(・・・・・・・)

 

「…………」

 

人から精霊に変えられたもの(・・・・・・・・・・・・・)。五河琴里は〈ファントム〉という謎の存在に霊結晶を与えられ、〝精霊〟となった。ある意味で、その瞬間に生まれ落ちた(・・・・・・)精霊。

 

 

 ――――――わたくしという精霊が生まれたその時から(・・・・・・・・・)、数多の命を奪い、屍を築いた者。

 

 

 かつて、士道との相対で狂三はこう語った。命を奪い、奪われる環境に身を置き、だと言うのに狂三は普通の少女のような感性を見せる時がある。否、士道がそれを引きずり出した(・・・・・・・・・・・・・)のだ。引きずり出した、と表現するのであれば前提がなければ話にならない――――――時崎狂三が、普通の少女として過ごしたであろう〝経験〟が。

 考えすぎ、飛躍が過ぎるのかもしれない。しかし、あらゆる経験が他の精霊とは一線を画す彼女だからこそ、その性根が見え始めると違和感が浮き彫りとなるのだ。

 

 黙して語らない狂三は、その言葉を否定しなかった(・・・・・・・)

 

 

「狂三。あなたは士道に恋焦がれてる。誰かを思いやる心がある――――――そんなあなたに、引き金を引かせた(・・・・・・・・)理由を齎したのは、なに?」

 

「……っ」

 

 

 ――――――目的には相応の理由があり、過程がある。

 時崎狂三は士道と惹かれあっている。それは、彼に恋焦がれる者なら誰もが羨むものだ。それでいて、時崎狂三という少女は(・・・)誰かに恨まれる者ではない。〝精霊〟ではなく〝少女〟は、きっと誰かを恨み、恨まれるような者ではなかった筈だ。節々に見え隠れする彼女の育ちの良さ(・・・・・)は、どれだけ経験を積もうと隠し切れるものではなかった。

 ここまで過程と確信を得てしまえば、もう思考は止まらない――――――そんな〝普通の少女〟を〝最悪の精霊〟とした理由は、なんなのか。

 

 どれだけ惹かれて、どれだけ恋焦がれようと、時崎狂三は〝悲願〟を捨てていない。未だ、彼女の手には目的を果たすための銃が握り締められていて……それだけの決意と覚悟。士道が全てをかけて尚、崩す事が叶わない〝過程〟は何なのか――――――優しい彼女が、踏み躙った命とは誰のものなのか(・・・・・・・)

 

 深い、沈黙が降りた。先程よりずっと長い、長い無言の時。僅かに顔を逸らした狂三の表情を窺い知る事は出来ない。先に沈黙を破ったのは、琴里だった。

 

 

「……ごめんなさい。親しくもない私に、こんな風に踏み込まれるのは不快よね」

 

「その引き金を引いたのは――――――わたくしの意思ですわ」

 

 

 返答が返ってくるとは思っていなかった。躊躇いを含んだ彼女の言葉に目を見開きながら、琴里は黙って耳を傾ける。

 

「……許されるつもりはありませんわ。わたくしが犯した過ち。それは、わたくしだけのもの。誰かに、背負わせるつもりもありませんわ」

 

「…………士道でも、変わらないってこと?」

 

あの方だからこそ(・・・・・・・・)、変わりませんわ」

 

 罪過を背負って生きて行きたい。その償いを、生涯ともにと言ってくれた優しい人がいて――――――その優しさを優しさで突き返そうとする、歪な少女がいる。

 

 

「最低最悪の〈ナイトメア〉。そんな救えない精霊にもし、もし人の形があったとすれば――――――その女もまた、救いようのない者だったと……わたくしは思いますわ」

 

「どうして? その子は――――――」

 

「優しさと、幼稚な甘さ(・・・・・)は違いますわ。それを履き違え、愚かにも引き金を引いた者は……さて、どうなってしまったのでしょうか」

 

 

 ――――――精霊・時崎狂三。琴里の目の前にいる彼女こそ、引き金を引いてしまった(・・・・・・・)結果なのだと精霊は笑う。自嘲と弱さを見せる、悲しい微笑みで。

 

「……必要以上に自分を貶めるやつのこと、私もどうかと思うわ」

 

 やっと絞り出した言葉は、そんなものだった。フッと儚げに微笑んだ狂三が、スカートの裾を摘み育ちの良さが窺える(・・・・・・・・・)優美な礼をして、部屋を後にした。残されたのは琴里――――――

 

 

「――――――『わたくし』ともあろうものが、随分と心を許してしまいましたわね」

 

 

 そして、〝影〟が形となり、深淵を思わせる黒が紅と混ざり合う。霊装を纏った狂三の分身体、そのうちの一体が姿を現した。

 

「……『狂三』」

 

「ええ、ええ。『わたくし』のお喋りが過ぎましたのでご忠告を。あまりに『わたくし』に踏み込み過ぎると、取り返しがつかない事になりかねませんわよ」

 

「どうも。虎穴に入らずんば虎子を得ず、って言葉を知ってるかしら」

 

「きひひひひ!! あら、怖い怖い。流石は炎の精霊さんですわね」

 

 嘲笑にも似た狂気を感じさせる微笑みは、間違いなく精霊・時崎狂三のものである。だというのに、段々とあの(・・)時崎狂三と結びつかなくなっている。士道と語り合う彼女の姿を見る度に……一度は殺し合った仲だと言うのにくだらない話を琴里としている狂三が、この分身体と結びつかない。間違いなく、彼女は時崎狂三の分身体である筈なのに。

 そう、狂三という少女が戻ろうとしている――――――けど、だからこそ〝悲願〟を決して諦めない狂三という精霊が、酷く悲しく映る。

 

「あなたも、狂三の分身体なのよね」

 

「ええ、ええ。正確にはこの場所にたどり着く前の(・・・・・・・・・・・・)〝時間〟から切り離された存在。わたくしから言わせれば、『わたくし』が余計な感情(・・・・・)を持つ前のわたくし、ですわ」

 

「……あっそ」

 

 不機嫌そうに肘掛を利用して頬杖をつく琴里を見て、狂三はまた愉快そうに笑みをこぼす。なるほど、これは間違いなく昔の狂三なのだと感じさせられた。

 今でさえ、あれほどの決意と信念を持つ狂三だ。その事を考えると、昔の狂三である『狂三』がくだらないと切って捨てる気持ちも理解出来る。理解できるだけで、不愉快でないとは言っていないが。

 

「そんなこと言いながら、ちゃんと狂三の指示には従うのね。あなた〝達〟は」

 

「『わたくし』は目的を捨てたわけではありませんもの。ならば従うのは当然のことですわ」

 

「つまり――――――狂三が目的を捨てたら、見捨てるってこと?」

 

 睨むような目付きの問いかけにも動じず、『狂三』は肩を竦めて平然と声を出した。

 

「『わたくし』が目的を捨てる、という前提がありえませんが……そうなると話が成り立ちませんものね――――――『わたくし』もわたくしなれば、そのような事はありませんわ。逆であれば、ありえたでしょうが」

 

「狂三が、分身体を殺すってことね」

 

「ええ、ええ。仮初の命を消し去る事が、殺すという定義に当てはまるかは疑問ですけれど」

 

 狂三ではなく『狂三』が士道に惹かれていれば、狂三はその分体を不穏なものとして処理していた。分身体は、分体だからこそ狂三に従うものだ。自らの命に関わることを平然と語る『狂三』は、やはり価値観がかけ離れていると思わざるを得ない。

 

「――――――と、意地を張ったところで、わたくし〝達〟が『わたくし』である事には変わりませんけれど」

 

「……は?」

 

「言ったでしょう? 『わたくし』もわたくしなれば、と。『わたくし』がわたくしである限り、大半のわたくしが士道さんをどう思っているか……言うまでもありませんわ」

 

「…………あー」

 

 『狂三』の言いたい事が判った。判ってしまい、張り詰めた緊張の糸がプツンと途切れた。『狂三』とは、どこまで突き詰めても狂三の分体なのである。考え方の違い、育ち方の違い、役割の違い。様々にあるだろう……しかし、最終的には〝時崎狂三〟である事は確実であり真実。

 

「やれ士道さん士道さん、士道さんに会いたいですわ。一目で良いから会わせてくださいまし。あの片腕だけでよろしいので――――――と、狂ったように訴えるわたくしを諌めるのは誰だと……!!」

 

「一気に所帯染みた話になってない?」

 

「『わたくし』はわたくしに対する感謝が足りませんわ!!」

 

「聞いちゃいないわね……」

 

 愚痴大会か? と思えるような鬱憤を晴らす叫びを繰り返す『狂三』をため息混じりに見遣る。なんというか、余計な感情とは言ったがその感情そのものを否定はしていないのだろう。だって『狂三』は狂三なのだから、そう琴里は結論付けた。

 複雑だ。精霊を攻略という作戦を決めた時点である程度の想定はしていたが、兄の好きな少女が精霊の中でもここまで複雑怪奇な子だと、本当に色んな意味で複雑だと言わざるを得ない。まあ、そうであってもフォローしてやるのが琴里の役目ではあるのだが、一発解決できる奇跡のような手段(・・・・・・・・)はないものかと思ってしまうのも無理はない。

 

 ふと、琴里は士道と同じく狂三を慮る少女の事を思い出した。

 

 

「――――――あなたは、狂三に何を望むのかしら」

 

 

 問いに答える者は、当然この場には現れない。あの子は、時崎狂三に何を望んでいるのか。それは精霊としてなのか、少女としてなのか――――――何も、見えては来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

『単刀直入に申し上げます――――――鳶一一曹。私の下に付く気はありませんか?』

 

「――――――どういうこと?」

 

 特殊部隊の男たちに囲まれた中、折紙は手にした携帯から聞こえてきた予想外の言葉に訝しげに眉を顰めた。怪訝な彼女の声にも電話の主――――――エレン・メイザースは極めて事務的に声を返す。

 

『そのままの意味です。DEMインダストリー第二執行部に入るつもりはありませんか? あらゆる面で今以上の待遇をお約束しますが』

 

「……士道に危害を加えるような組織に手を貸すつもりはない」

 

『それならばご心配なく。五河士道については、当面積極的攻撃を行わない方針です』

 

「そんな言葉を信じろというの?」

 

『――――――そうですか。残念です。ですが、本当によろしいのですか? どうやら、窮地に立たされているようですが。今捕まれば、あなたは永久に精霊に対する力を失うことになる』

 

「…………!!」

 

 知っている。エレンは追い詰められた折紙の状況を。先月の一件で独断行動を行い、あらゆる権限が停止されていた折紙。だが、DEMのあまりに勝手が過ぎる作戦が根底にあったこともあり、彼女の処分は保留のまま、同情的な意見も多く特例として処理されるはずだった――――――何らかの力(・・・・・)が働く事がなければ。

 

「……あなたは、私に傷を付けられた恨みがあるのではないの?」

 

『絶無とは言いません。ですが今はそれよりも、使える部下が欲しいという欲求が勝っています――――――それこそ、私の身体に傷を付けられるくらいの』

 

「…………」

 

 鳶一折紙に下された懲戒処分。それに伴う、彼女を拘束するために派遣された特殊部隊。その全ては、恐らくDEM社による陰謀……折紙を引き抜くための工作だったわけだ。

 

『DEMインダストリーには、各国に配備されているそれとは比べ物にならない性能のCR-ユニットが多数存在します……ご両親の無念を(・・・・・・・)、晴らしたくはありませんか?』

 

「……ッ」

 

 当然、折紙の過去も調べられているという事か。親しくもない士道に仇なす相手に無遠慮に立ち入られるのは、思っている以上に不快感を示してしまう。しかし、次に飛び出した言葉は、そんな彼女の不快感を吹き飛ばしてしまうほど衝撃のあるものだった。

 

 

『――――――五年前、天宮市南甲町を襲った大火。そのとき、現場には複数の霊波反応が確認されていました。無論それはDEMの極秘資料ですが――――――あなたが第二執行部の魔術師となるのであれば、それを開示しても構いません』

 

「な――――――」

 

 

複数の霊波(・・・・・)。かつて士道が、そして〈アンノウン〉が指し示した可能性。五年前、忘れられない業火の中で両親の命を奪った〝精霊〟――――――その手掛かりが、思いがけず目の前に転がり込んできた。

 

「さっきから何を話している!! もういい、捕らえろ!!」

 

「く――――」

 

 痺れを切らした部隊の隊長と思われる男が指示を出し、折紙を追い詰めんと距離を詰めさせた。逃げ場はない。如何に折紙と言えど、ろくな武装もなく訓練を受けた特殊部隊の男たちを相手に真っ向から立ち向かうのは不可能だ。

 

『――――――さあ、いかがなさいますか? 鳶一折紙』

 

「…………っ」

 

 選択肢は、殆ど残されていない。このまま捕まり、強制的に復讐のための力を失うか。DEMの軍門に下り、戻れぬ道へ足を踏み入れるか――――――

 

 

「――――――――」

 

「……!!」

 

 

 ――――――白い精霊が、見ていた。折紙だけが見える、見上げられる場所から、少女は折紙をただ見ていた。

 

 少女が何を考えているか、わからない、わかるはずもない。精霊の考えることなどわかりたくもない。が……たった一つ、彼女にもわかる事があった。あの精霊は、折紙が頷くだけで助け出してくれる(・・・・・・・・・・・・・)。たった、それだけでいい。折紙がもういいと、道を歩む事を捨て去るだけで、少女は彼女をこの場から連れていく。そんな、馬鹿げた予感があった。

 

 その先に待つものはなんだろうか――――――言うまでもない、安寧。復讐を捨て去った鳶一折紙に、戦う理由など存在しない。士道の下に駆け込めば、どうにかなるかもしれない。それこそ、何を馬鹿なと思うが彼の裏には間違いなく〝何か〟がある。その力を借りれば……折紙は、安寧を得られるだろう。

 それを何故か、白い少女は示している。第三の選択肢。優しい、五河士道という少年を悲しませない選択肢。

 

 

「――――――わかった。私に、力をちょうだい」

 

 

 ――――――鳶一折紙は、それを選ばない。

 

 必要ないものだ。必要ないものと思わなければいけない(・・・・・・・・・・)。折紙はそのためだけに生きて、そのためだけに活動する。

 その瞳に宿す物は、憤怒。その身を動かすものは、激情。それだけで十分だ(・・・・・・・・)

 

 全ての精霊を――――――殺すために。

 

 

『――――――ようこそ、DEMインダストリーへ』

 

 

 目の前と電話口。二方向から彼女は折紙へ手を差し伸べた。それは決して、許されない外道へ堕ちる道標。だとしても、鳶一折紙という復讐鬼は復讐鬼足らんとするためにその手を取るしかない。

 

 

「…………」

 

 

 一度だけ、見上げた――――――そこにはもう、白い精霊はいなかった。

 

 次に会うときは――――――殺し合う。そんな未来視にも似た予感が、彼女の脳裏を掠めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、って事ですか」

 

 落胆はない。不満もない。ただ、当然のこと(・・・・・)だとビルの屋上に腰を掛けながら結論付けた。

 

 鳶一折紙は平穏を選ばない。選ぶはずがない。復讐者という者は得てしてそういうものだ。時崎狂三が、未だ闇から抜け出せていないように。鳶一折紙もまた、闇から抜け出すことはない。

 

 

「その道を選ばずに済む選択は常に示されているというのに……復讐を目的とした方は、どうしてこういう人ばかりなのか」

 

「――――――何を今更。内に秘めた憤怒と悲しみを捨てられない者が、復讐という道を選ぶのですわ」

 

 

 後ろに立つ絶対的な美貌を持ちながら、些か常識外れの奇抜な服装(メイド)を着込んだ精霊が、当然のことを当然と語る。それが常識なのだと、誰よりも知る彼女が。

 

「あらゆる犠牲を、あらゆる悲劇を。たとえ、復讐の対象と同じ外道に堕ちようと。始めたからには最後までやり遂げなければならない。それが――――――堕ちた者の末路ですわ」

 

「……強情なのも、当たり前か」

 

 時崎狂三は手放さない。手放せない。どれだけの幸福が目の前にあろうと、奪ってきた全てに報いるため、取り戻すために復讐を裏切れない。

 鳶一折紙は手放さない。手放すつもりがない。いつだって彼女は普通の幸福を手に取ることが出来るはずなのに。復讐に身を捧げた彼女は自らが滅び行くまで復讐を裏切らない。

 

 二人の復讐鬼が行き着く果ては地獄の底か。それとも――――――

 

 

「――――――結局、私は大馬鹿者だったわけですか」

 

 

 ほら、予想通りになった。時崎狂三と同じ道を歩む鳶一折紙は、いつの日か女王の〝敵〟となる。予想とは名ばかりの、確信。女王を脅かす力すら持たない折紙は、いつかその憤怒の導くままに強大な力を手に入れる(・・・・・・・・・・)

 今は〝敵〟ではなかった。折紙の生き方は、少女の心を揺れ動かすには十分なものだった――――――有り体な言い方をすれば、折紙に一種の好意(・・)を抱いていた。不器用すぎる彼女の生き方、復讐を望みながら己の大切なものを守ろうとする彼女の生き様――――――けれど、鳶一折紙は時崎狂三の〝敵〟だ。

 

 同情も、親愛の情も……その事実だけで無意味となる。誰であろうと、そうなったのなら喰らうだけ(・・・・・・・・・・・・・)

 

 だが、同時に(・・・)。少女は折紙の選んだ行く末(・・・)が――――――

 

 

「さて、折紙さんは迷う自分を消す(・・・・・・・)道をお選びになられましたが……『わたくし』はどうなのでしょうね」

 

「……それを選ぶための戦争(デート)でしょう」

 

「きひひひひひ!! 気の長い話ですわ、待ち焦がれてしまいますわ――――――あなたは、どちらの(・・・・)『わたくし』をお望みですの?」

 

 

 迷う子猫の選ぶ道。揺れる精霊の選択肢。優しい少女の恋心。少女が〝計画〟に望むのは、どちらなのかと彼女は微笑んで問い掛けた。そのような答え、少女はとうに出しているというのに(・・・・・・・・・・)

 

 

「分かりきったつまらない質問ですね――――――我が女王なら、どちらでも(・・・・・)

 

 

 幾度でも、何千何億でも答えよう――――――全ては、我が女王(時崎狂三)のために。

 

 

 







デレ度は原作より高いし十香たちへの憧れを持ってるし、その幸せの尊さも理解出来ている。だが、時崎狂三はその道を選ぶことは出来ない。その答えを、いつの日か士道たちは出すことが出来るのか。狂三リビルドのコンセプト、常に狂三がメインヒロインを変えず悩み悩ませで進んでいきます。

悪夢、女王、復讐鬼と狂三一人に様々な呼び名付けてますけどさすがに私の性癖がバレるな????いやそれはどうでもいいとして同じ復讐鬼であり降りる事が出来ない道を選ぶものであり……ご存知次章、折紙編は特大のターニングポイントです、お楽しみに。

白い少女は誰であれ真っ直ぐに生きる人が好きなのかもしれません。そこに美しさを感じて、友愛を覚えて……それでも全ては女王のために。

感想、評価、お気に入り登録ありがとうございます。最っ高に嬉しいです! いつでもお待ちしておりますー。次は七罪攻略回に戻ります、次回をお楽しみに!!


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第六十九話『変身』

じゃあ、見ててください。七罪の、変身




 

 

 ベッドにテーブル、テレビ。その他生活に必要不可欠な物は残らず全て。朝昼夜とんでもなく美味しい料理と三時のおやつ。文句なしの環境設備だった。問題があるとすれば、七罪自身が自由に身動きが取れない(・・・・・・・・・・・・・・・・)という事だけかもしれない。彼女にとっては、それが最も重要で最も問題なのだが。

 

「くそぅ……なんでこんなに美味しいのよ……」

 

 ジューシーなベーコンとまろやかな卵の味がまさにベストマッチ!! な関係だ。膨れっ面で不満げな顔で食べようとしていたのに、油断すると思わず頬が緩みそうになってしまう。いけない、これこそが罠だと自分に言い聞かせた。

 そう、罠のはずだ。士道や琴里が七罪を捕らえて(・・・・)メリットになる何かが……ある、のだろうか? いやいや、あるに違いない。全くの善意で七罪を助ける理由なんてあるはずがない。有り得るはずがない。

 

 はずがないばかり(・・・)の思考。七罪自身、気づかない間に僅かながらでも別の可能性(・・・・・)を思い浮かべてしまい――――――慌てて首を振った。

 

「そうよ。そんなわけないんだから……あの女だって、きっと何か私に復讐するための手伝いをしただけだわ……」

 

 時崎狂三。自身の美貌をわかっている(・・・・・・)七罪が嫌いなタイプの女だ。アレは、自身の価値をわかっていてそれを有効活用できる女だ。どうせ、士道の事もそうやって籠絡したに違いない――――――そんな女が、わざわざ自分に霊力を分け与えた理由。

 

 まさか本当に自分を助けるため……いや、それこそありえない。遠回しに七罪への復讐を企てていて、あの時七罪に死なれては困るからとそうしたに違いない。きっとそうだ。そうであってくれなければ困る――――――何故(・・)

 

 そうしてご飯を食べながら無意識に思考の沼に陥っていた七罪。

 

「え……っ!?」

 

 食事を終えたタイミングで、狙いすましたように扉が開いて人影がなだれ込むように一瞬で七罪を包囲する。驚きに声を上げ、入ってきた人物を見渡す。士道に琴里。更に七罪がゲームの容疑者候補に選んだ十香と四糸乃までいる。無論、言うまでもなく七罪の嫌いなタイプの女だ。類まれなる容姿を鼻にかけない十香も、弱々しい態度で男に好かれる四糸乃も好きになれる要素がない。

 

「確保ーっ!!」

 

『おおーっ!!』

 

「な、何!? なんな――――――んー!?」

 

 言葉の途中で麻袋を被せられた挙句、その上からロープで身体をグルグル巻きにされて身動きが取れない。何とかもがいては見るが、まだエレンから受けた傷が回復し切っていない七罪にどうこうできる拘束ではなかった。さながら誘拐される貧乏人の少女という様相だ。

 

『それで、琴里。この後はどうするのだ?』

 

『ええ。そのままこっちに連れて来てちょうだい』

 

『うむ、わかったぞ!!』

 

 そんな会話が袋越しに聞こえてきたのち、軽々と七罪を担いだ十香が移動を始める。美味しい料理……誘拐――――――調理。

 

「わーっ!! わーっ!! わ、私なんて食べたらお腹壊すわよぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 なぜそのとんでもない発想に至れるのか。至極当然、七罪だからである。七罪の予想は当たり前ではあるが大ハズレ。とある場所まで運ばれて優しく解放された先に待っていた光景に、彼女は大きくポカンと口を開けた。

 

 

「な、何よ、ここ……」

 

「――――はぁーい。一日限定エステサロン、『サロン・ド・ミク』へようこそー」

 

 

 少女――――誘宵美九が言うように、そこはエステサロンの名のまま非常に穏やかな空間で、とても七罪を調理して食べようなどという場所ではなかった。ちなみに、豊満な胸をこれみよがしに揺らす美九も七罪の嫌いなタイプである。多分、というか間違いなくとてもとても今更ではあるが、ここに七罪が好きなタイプはいない。

 そんな事より、美九が言っている事がまるで理解できず七罪は戸惑いの声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと、何よこれ……」

 

「何って、今美九が言っただろ。エステサロンだよ。お肌をケアするんだ」

 

「ちょっと待って。意味わかんない。なんで――――――は、ははっ。なるほどね……私にこんなことさせて、勘違いブスの滑稽な姿を笑おうって言うわけ? いい趣味してるわあんたら。私と同じくらい性根が腐って……」

 

「とうっ!!」

 

「あたっ!?」

 

 脳天に容赦のないチョップが炸裂。激痛という程ではないが、言葉が止められるくらいの絶妙な力加減に日頃士道への制裁で鍛えられた琴里の技術が冴え渡……っているかはともかくとして、その威力に七罪は思わず頭を抑えてうずくまった。

 

「な、何すんのよぉ!?」

 

「外見以上に、このネガティブさと被害妄想癖は何とかしないといけないわね。いいから、早く横になりなさい。予定が詰まってるんだから」

 

「嫌よ……!! なんで笑われるのがわかってるのにわざわざそんなこと……っ!!」

 

「あなたねぇ……」

 

「――――――じゃあ七罪、こういうのはどうだ?」

 

 七罪のネガティブっぷりに頭を悩ませる琴里の肩に手を置き、士道が得意げな顔で言葉を紡ぐ。その表情は、七罪の返答をある程度予想していた、と言わんばかりのものだった。

 

「俺達は今日、思いつく限りの方法でお前を『変身』させてみせる。それが成功したなら俺達の勝ち。俺達の話を、面と向かって聞いて欲しい。でも、何一つ変わってないと思ったなら、俺達の負けだ。あとの事は好きにすればいい」

 

「……好きにって、どういう事よ」

 

「そうだな……さしあたっては、お前を好きな場所に逃がしてやるってのはどうだ?」

 

「……!!」

 

 七罪にとっては棚からぼたもち。あまりに都合が良すぎる提案に目を見開く。提案者の士道以外は知らなかったのか、琴里も少し驚いた顔で彼を肘で小突いた。

 

「ちょっと、士道」

 

「いいじゃないか。他に手はないんだ――――――どうだ、七罪。悪い話じゃないと思うんだが」

 

「…………」

 

 悪い話じゃない、なんてレベルではない。何を考えている、と七罪は目を細めた。〈贋造魔女(ハニエル)〉が使えるようになるまで、まだ時間がかかる。その上、使えるようになったとしても他の精霊たちに脱出を阻止される危険性が高い――――――特に、あの複数の自分自身を持つ狂三と、彼女と何かしらの繋がりを持つであろう白い精霊は厄介だ。

 そんな問題点を全て解決してしまう士道の提案。七罪に選択権は実質存在せず、乗らない手はなかった。何せ、七罪を可愛く変身させるなど不可能なのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。バカにしているとしか思えないし、向こうの口車に乗るのは悔しいが、他に方法らしい方法もない。

 

「……わかった。それならいいわ」

 

「そうか。じゃあ、取り敢えずここでは美九の指示に従ってくれ」

 

「…………」

 

 やはり、癪に障るのは変わりない。せめてもの抵抗として七罪は士道を強く睨みつけてやった――――――が、士道は全く怯まず不敵な笑み(・・・・・)のまま喉を震わせた。

 

 

「教えてやるよ、七罪」

 

「……は? 何をよ」

 

「――――――女の子は天使なんて使わなくたって、『変身』できるんだって事をさ」

 

「…………っ」

 

 

 腹が立つ、本当に腹が立つ。そんなこと、天地がひっくり返ってもありえない(・・・・・)。腹が立ちすぎて、美九に声をかけて部屋から出ていく士道から顔を背けた。決して、言い負かされたわけではない。

 ……ほんの少し、眼球運動だけで奥の扉から出ていく士道を見る――――――やはりその顔は、自信に満ち満ちた微笑みだった。

 

 

 

「――――――キザな言葉がすっかり様になっていますわ。素敵になられましたわね、士道さん」

 

「……からかわないでくれよ、狂三」

 

 照れて赤くなった頬を隠すように顔を背けた士道がどこかおかしいのか、寄りかかった壁から背を離した狂三がくすくすと笑う。

 

「からかってなど。本当に、そう思っているだけですわ」

 

「俺、そんなに気取ってたか?」

 

「ええ、ええ。初めて会った頃と比べたら、見違えてしまいますわ。まあ、そういった純粋さが抜け切らないのも士道さんらしいですけれど」

 

 そうかねぇ……と、自分ではあまり確認のしようがなくて困った顔を作る。だが、狂三の言うことがわからないわけではない。この半年間、精霊攻略という数々の修羅場を乗り越え、狂三との戦争(デート)を繰り返してきた士道は、本人が望む望まないに関わらずそういった立ち振る舞い(・・・・・・・・・・・)を習得せざるを得なかった。彼女が言っているのはそういう事だ。悪い気はしない。しない、のだが……。

 

 

「狂三は、さ」

 

「はい?」

 

「――――――気取った俺といつもの俺、どっちが良い?」

 

 

 何となしの問いかけだった。士道とて男だ。好きな少女に好かれるため、日々気をつけることはある――――――その中に、己の立ち振る舞いがないはずがない。それはどちらもさらけ出しているもので、どちらの士道が狂三の好みなのか興味本位の話だ。

 

「あら……意外ですわ、意外ですわ。士道さんがそのようなことを気になさっていらしたなんて」

 

「好きな子の好みを知りたいと思うのは、男なら当然の欲求だろ」

 

「そうですわね。でも、ご心配には及びませんわ。だって――――――」

 

 トン、トンと、ステップを踏むような歩調でターンをし、士道の目の前で止まる。ちょうど、彼を上目遣いで見上げる形。色違いの瞳が輝き、怪しいくも魅惑的な微笑みが士道の視界いっぱいに広がった。華奢な指が、真夜中のあの時のように首元に伸びる。しかしあの時とは違い、遊ぶように彼女は喉元をくすぐった。

 

 

「――――――わたくし、どちらの士道さんも愛していますもの」

 

「っ……」

 

 

 ――――――息を呑んだのは、どちら(・・・)のせいか。それこそ、両方。いつだって、時崎狂三の全ては五河士道を魅了して止まないのだから。簡単に言えば、ドキッとさせられた。

 

 それはそうか、と士道はストンと心に落ちた――――――士道自身、同じことを問われれば同じ答えを返すと気づいてしまったのだ。

 

 

「……こりゃ、一本取られたな」

 

「ふふっ。今日の勝負はわたくしの勝ち、ですわね」

 

「たまには勝たせてくれよ……お嬢様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 美九のエステサロン。八舞姉妹の美容室。十香、四糸乃、琴里を巻き込んだ三時間を超える着せ替え人形……のような服選び。予想外の反応や長々と続く服選びに疲れ切った七罪を最後に待ち受けている最強の刺客とやらがなんなのか。ゴクリと緊張を含んで喉を鳴らした彼女の前に、二人の少女がいた。

 

 今までより手狭で、椅子が一つ置いてあるだけの空間。二人のうち片方は知っている。モノトーンのドレスという単純ながら難しい色合いを見事に着こなし、その桜の花びらのような唇は一体何人の男を虜にしてきたのか想像すら出来ない。良家のお嬢様を思わせる優雅なお辞儀で七罪を出迎えたのは、時崎狂三だった。

 上品な仕草がとても似合っている……似合いすぎてやはり嫌いなタイプだ。問題はもう一人、そちらには全く見覚えがない。優に腰まで届く青髪を揺らし、狂三が表を上げるタイミングを見計らって振り向いた。四葉のクローバーの髪飾りを着けた、中性的な顔立ちの背の高い少女。顔は非常に整っているのだが……どこか見覚えがあると思うのと、何故だか涙目で無理をしている風なのが気にかかった。

 

「――――――よく来ましたね!! ここが七罪変身計画、最後の部屋です!!」

 

「な、何をするつもりよ……」

 

 七罪の問いに、少女はちょっと怯んだような表情を見せたが、狂三が「頑張ってくださいまし」と小さな声で言うと、少女もそれに答えて「こうなりゃヤケだ……!!」と呟き、バッと両手を胸の前で交差させた。その指に挟まれている物を見て、七罪はこれ以上なく戦いた。

 

「そ、それは……!!」

 

「そう。私のメイクで、あなたを変身させて見せます!!」

 

 突きつけられたメイク道具とその迫力故か、それともメイクという事実に対する恐れか、七罪は一歩後退り勢いよく首を横に振る。

 

「な、何言ってるのよ。そんなんで私が変われるわけ……」

 

「変われます!!」

 

「て、適当なこと言わないでちょうだい!! 私なんかが……」

 

「本当に、そう思いますか? メイク程度で、人が変われるわけがないと」

 

「あ、当たり前じゃない!!」

 

 七罪が声を張り上げると、少女はフフンとヤケクソ気味に微笑んで狂三にアイコンタクトを飛ばす。彼女はそれに答えて少女の首元に手を当てた。

 

「それは、私が……いや――――――」

 

 そして一瞬言葉が途切れたその瞬間、狂三は首に貼られていた絆創膏のような物を綺麗に剥がした。

 

 

「俺が、男だとしてもかぁっ!?」

 

「は……!?」

 

 

 ハスキーなボイスが、突如として男の声に変わった。視認している光景との差で脳がバグったように混乱し――――――しばしの困惑を挟んで、その声の主に気づいた。

 

「ま、まさか……あんた、士道……!?」

 

「正解だ!!」

 

 少女……と呼んでいいのかわからないが、力強く頷いて七罪の言葉を肯定する。その声と、どこか見覚えがあった顔。面影があるという程度だが、それは間違いなく五河士道だった。で、混乱の中下した結論はただ一つ。

 

「へ、変態……ッ!?」

 

「…………」

 

「あ、傷ついてる傷ついてる」

 

「まあでも否定できませんもんねー」

 

「似合っているのですから、ずっとそのままでもよろしいのではなくて?」

 

「…………ぐっ!!」

 

 最後の嫌に刺々しいのが一番堪えたらしい。しかし、何とか持ち直した士道が再び七罪と相対する。

 

「と、とにかく!! 図らずも俺のメイク技術は、男を女と誤認させられるレベルまで達してしまった!! 今の俺になら、お前に自信を持たせる事が出来る!!」

 

「いや、そりゃ技術も上がったでしょうけど、ある程度は本人の素質もあるわよね」

 

「ですよねー。私最初本当に女の子かと思ってましたしー」

 

「そうですわねぇ。わたくしの助けを必要としないくらい高い技術ですものねぇ。わたくしなど必要ないのでしょうねぇ。悲しいですわー、捨てられてしまいますわー」

 

 ヒソヒソと会話する琴里と美九。あと何故かやたらと刺がある狂三。もう何が何だかであるが、士道は外野には鋭い視線を飛ばし、狂三には困ったような苦笑を浮かべた。

 

「はいそこ、外野はちょっと黙ってろ!! あと狂三は拗ねないでくれ!! ホントお願いします!!」

 

 苦笑というより結構切実な感じだった。よくよく見ると、ほんのちょっとではあるが七罪の目から見ても狂三は拗ねたような表情をして……いなくもない、のか?

 

 はぁ、と小さくため息を吐く士道だったが、どうにかこうにか三度七罪へ向き直った――――――いつもは狂三に助けてもらってばかりなのだから、たまには良いと思うんだがなぁと内心考えながら。

 

 

「勝負だ、七罪!! 俺の全身全霊全技術を以て、お前を――――――『変身』させてみせる!!」

 

「……っ!! いいわ。やってもらおうじゃない。でも、忘れないでよ。私が納得しなかったら、勝負はあんたの負けだからね!!」

 

「ああ、わかってる――――――さあ」

 

 

 誰に習ったのか、それとも身近にやる者がいたのか(・・・・・・・・・・・)。姫に傅く従者のように礼をし、七罪を椅子へ導いた。

 腰掛けた椅子から、ちょうど士道の顔が良く見えた――――――見事、の一言。愛らしい女の子だった。いくら中性寄りの顔とはいえ、並大抵の技術で出来るものではない。これなら、私も――――――

 

「……い、いや、いや……」

 

 ないない、絶対ないと首を振る。無駄だ、最初から期待などするな。自分を可愛くできる技術など、この世に存在するはずがない。それは人類の叡智を超えた領域だ。無駄な希望を持てば、絶望という痛いしっぺ返しを喰らうだけだ。

 

「大丈夫だ」

 

「……っ」

 

 そんな七罪のネガティブな考えを察してか、士道は笑みを投げかけて強い声を発した。強く、悔しいくらい安心感(・・・)を覚えてしまう男の声。赤くなった顔を誤魔化すように、俯かせる。

 

「……あの、一ついい?」

 

「ああ、なんだ? 言ってみてくれ」

 

「……その顔で男の声出されると気持ち悪いんだけど」

 

「…………」

 

 あ、結構刺さったなという表情だった。クスクスと笑った狂三が絆創膏を貼り直し、コホンと咳払いをした士道が――――――最後の仕上げを始めた。

 

 

 お前へのメイクは、顔を別人に作り替えるための物じゃない。そう語った士道の言葉通り、彼が施した作業はあっさりしたものだった。手伝いと思われる狂三も、大した事はしていない。それこそ、彼の手伝いの域を出ていなかった。

 

「――――――さ、完成だ」

 

「こ、これで完成? 随分とあっさりしたもんね」

 

「言ったろ。元の顔を殺しちゃ意味がないんだよ。これで十分……じゃあ、お披露目だ」

 

 化粧品をポーチにしまい込み、士道は最後の合図を狂三に送る。頷き、狂三が一つ礼を取る。それはまるで、マジックショーの始まり(・・・・・・・・・・・)を思わせるもの。

 戸惑う七罪の視界を、士道の手が遮った。

 

 

「ちょ、何を……」

 

「安心しろ。一瞬だ――――――どうぞ、お姫様」

 

 

 開けた先に待っていたのは、誰か(・・)の姿。

 

 

「え――――?」

 

 

 ――――――あなたはだぁれ?

 

 そんな在り来りなフレーズ。使い古された問いかけが頭の中で反響した。顔に手を伸ばすと、その人物も鏡合わせのように動いた。ようやく、自分が鏡を見ている事に気づく。

 鏡面に映る、まるで別人のような――――否、士道が言っていた通り別人ではない。わかる。目の前にいるのは七罪その人(・・・・・)

 

「わ、た……し……?」

 

 ありえない。ありえるはずがないだろう。キラキラと輝いた髪が、艶のある肌が、見事に着こなされている服装が――――――その貌が。

 

 

 ――――――可愛い。そう、思ってしまったのだ。

 

 

 

 

 






変身だよナツーミ。

好きな人の部分を上げるのは同じなのに、二人でやるとイチャイチャしやがってとなる不思議。段々とイケメン度上がりながらも純朴な士道くんでいてくれ

わたくしに頼りすぎではなくて?とか多分口では言ってしまうタイプなのですが、いざ頼らないと拗ねちゃうタイプな女の子。まあ、頼りすぎると全部解決出来ちゃいそうな雰囲気あるので困る。実際は狂三にも限度はあるのですが雰囲気がそうさせてしまうのですね。

この辺は原作と余り違いはなく、これ以降ですね色々あるのは。本当にラストは色々ありますよ、ふふふ。

感想、評価、お気に入りお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第七十話『Bipolar emotion』

相反し、双極する感情。望みながらも恐れる少女と望みながらも手を取らない精霊。さて、誰の事を言っているのでしょうね。そんなこんなで記念すべき(?)七十話、どうぞ


 

 

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……!!」

 

 言いようのない、表現しようのない感情の奔流。七罪を身悶えさせている物の正体が、彼女にはわからなかった……いや、本当はわかっているのだ。ただ当人が頑なに認めようとしない、認める事が出来ないだけで。

 失敗した、これ以上なく失敗した。士道たちが失敗したと、言えれば良かった。それだけで七罪は晴れて自由の身になれたのに――――――出来なかった。それはつまり、『変身』した自分を見て嘘をつけなかったのだ(・・・・・・・・・・)

 

「一体何なのよ……あいつらは……っ」

 

 なぜ士道たちは七罪にここまで構う? 構ってくれるのか、わからない。どうして、こんなにも醜い七罪を、変身していない七罪を……可愛いなどと、嘘でも言えるのか――――――それが、嘘ではないとしたら?

 

 

「……違う。嘘に決まってる。みんなで私を担いでるのよ。は、はは、バッカみたい!! だって私は――――――」

 

 

 被っていた布団を持ち上げ、鏡を見遣る。ああ、そこには醜い自分の姿が――――――

 

 

「…………っ!!」

 

 

 いなかった。いるのは、士道たちにプロデュースされた可愛らしい(・・・・・)七罪の姿。自分を見ただけなのに息が詰まって、思考がごちゃごちゃになる。普段ならそんなことはない。醜い自分が映った鏡をぶち壊してしまいたくなる衝動と、そのような事は無駄だと諦めてしまう心があるだけだったのに。

 今は、違った。違ってしまった。こんなこと、許されるはずがないのに。七罪は醜くて、不細工で、誰に手をつけられてたとしてもそれは変わることがないはずで。そういう風に決まっている。許されないに決まっている(・・・・・・)

 

「……あ、れ……」

 

 ――――――それを決めたのは、誰だったっけ?

 誰が決めた? 誰が許されないと決めた? なんで、そういう風に決まっていると、思っていたのだろうか。

 

「……っ、と、とにかく……何の理由もなく、敵である私にあんなことをするだなんて考えられないわ。絶対……何か目的があるはずよ……」

 

 開きかけた門を閉ざして、己に言い聞かせるように声を発する。そこに、いつものような振り切って逆に自信に満ちた声はなく、どこか震えた声をしている事に気づくことはない。

 

「絶対、あいつらの本性を暴いてやるんだから――――〈贋造魔女(ハニエル)〉」

 

 

 数分後、七罪は容易く監禁されていた部屋を脱出した。まだ傷は痛むため無理は出来ないが、ダミーの人形を用意しながら部屋を抜け出すことくらいなら、〈贋造魔女(ハニエル)〉が使えれば赤子の手をひねるよりも簡単だった。

 人気のない廊下に出た七罪は、即座に自身の姿を変身させる。この場で最も怪しまれる確率が低く、この施設を歩いていて問題がなさそうな人物――――――五河琴里。

 

 小柄な身体に赤い軍服を纏い、真紅の髪を黒いリボンであざといツインテール(・・・・・・・・・・)に括った少女だ。あざとい、本当にあざとい。自分に自信がなければ絶対に出来ない髪型だ――――――そういえば、狂三も霊装時はツインテールだったと思い出した。それも、左右非対称という一見してバランスが悪いと思わせる物を、完璧に、彼女でなくては出来ない形で完成させていた。

 どいつもこいつも嫌になる。あんな容姿を持っているのだ。自分に絶対の自信があって、きっと何一つ自分を卑屈に思わない(・・・・・・・・・・・・・)のだろう。そんなやつが、七罪を可愛いだなんて本心で思っているはずがない。

 

「……ま、こんなところかしらね」

 

 きっちり小さな棒付きキャンディも用意し、琴里を完璧にトレースし切る。そうして、七罪はゆっくりと通路を歩き始めた。偽善を、偽りを、残らず暴いてやるために。

 

 

「――――――きひひ」

 

 

 背後の壁で蠢く〝影〟の存在に、気づくことはついぞないまま。

 

 

 

 

 十香たちの居場所を突き止めるのは、案外簡単だった。同時に、士道たちの目的を知ることが出来たのも収穫だ。どんな腹があるのかと思ったが――――――七罪の霊力を封印する事が目的だったとは。琴里の部下が、特に怪しむこともなく琴里の姿をした七罪と話して得た情報だ、間違いはない。

 やっぱり、やっぱり裏があった。何が助けたいだ、偽善者め。十香たちも、封印のため機嫌を取るため本音を隠していたに違いない。内心ほくそ笑んで、七罪は十香と四糸乃、よしのんと接触を図った。そうして、吐き捨てるように七罪自身の悪口を言う。そうすれば、彼女たちも同調して本音をさらけ出すはずだ。醜い七罪を、琴里という免罪符を得て罵倒の限りを尽くすはず――――――

 

 

「――――――琴里。一体どうしたのだ……そんなことを言うなど、らしくないぞ」

 

「あ、あの……七罪さんは、気持ち悪くなんか、ないと……思い、ます」

 

『そうだよー。どったの琴里ちゃーん。司令官業務でお疲れモード?』

 

「な……っ」

 

 

 そのはず(・・)、だったのに。

 

「ど、どうしたのよみんな。いいじゃない、そんないい子ぶらなくても。どうせみんな思ってたんでしょ? あんなみすぼらしい女の機嫌取らなきゃいけないなんて面倒だなーって」

 

「何を言うのだ。そんなことはないぞ? 服を選ぶのもとても楽しかったしな!!」

 

「はい……七罪さん、きれいでした……」

 

『いやー、士道くんと狂三ちゃんのメイクすごかったねー。今度よしのんもやってもらおうかしらん』

 

 楽しげに笑う十香たちを見て、七罪は言葉を失う。動揺で目が泳ぎ、もはや琴里に化けていることさえ忘れそうになった。

 

「う、嘘よ。どうして……」

 

 それほどの衝撃が、七罪のアイデンティティを根本から揺るがすほどのものがあった。様々な可能性(言い訳)が彼女の頭に浮かんでは、消える。いつものように自分の中で説得力を保つ事が出来なかった。彼女たちの笑顔の前では、そのどれもが意味を成さないと思えてしまったのだ。

 

 まだだ。こんなの、彼女たちがおかしいだけなのだ。そうやって、縋るような思いで七罪は十香たちを見つけて現れた耶倶矢、夕弦、美九にも同じように言葉をぶつけて――――――

 

 

「ふん、おかしなことを言っているのは琴里、御主ではないか。一体何があった。月の毒に狂うには、些か時間が早いぞ」

 

「怪訝。琴里とは思えない言葉です」

 

「七罪ちゃんをそんな風に言っちゃだめですよー。あんまり度が過ぎると、私も怒っちゃいますからねー!!」

 

 

 心臓の鼓動が速くなるだけの結果に、渇いた笑みさえかなぐり捨てて七罪は遂に声を荒らげ力の限り訴えた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ……あいつは、私たちを鏡の中に閉じ込めて、私たちに成り代わろうとした悪い精霊じゃない!! 普通に考えなさいよ!! なんであんなやつの肩を持つのよ!! あんたたちどっかおかしいんじゃないの!?」

 

 

 もはや琴里に化けている言葉ではない。そんな事は知った事ではないと言わんばかりに、七罪は心のままに声を上げた。おかしい、普通じゃない(・・・・・・)

 

「まあ、確かに七罪ちゃんには怖い思いさせられましたけどぉ……」

 

「でしょう!? なら――――――」

 

 許せないはずだ。仕返しをしようと思うはずだ。そうでなくとも、七罪に優しくなんて出来ないはずだ(・・・)。けど、同調するように声を上げた七罪に対して美九は……いや、精霊たち全員は信じられない言葉を次々と吐いた。

 

「でもぉ……それを言ってしまったら私も結構やらかしちゃいましたしー……水に流そうとか、そういうこと言う気はありませんけど、少なくとも私は、七罪ちゃんと仲良くしたいと思ってますよ?」

 

「おお!! 私もだぞ!!」

 

「わ、私も……です。きっと……仲良くできると、思います」

 

『話によると、変身先によしのんを選んだって話じゃなーい? いやー、違いのわかる女だよねー』

 

「ふん、まあ、我をあそこまで追い詰めた剛の者よ。軍門に置く価値はあろうて」

 

「首肯。見どころがあります」

 

「…………ッ!!」

 

 言葉が突き刺さる。笑顔が見ていられない。よろめくように後退り、もうここにはいたくないと七罪は振り返って――――――誰かに受け止められるように衝突した。

 

「……ぁ」

 

 誰なのか、確かめるまでもなく視界いっぱいに広がった黒色が語っていた。琴里を除いてこの場に唯一いなかった精霊。

 

「驚きましたでしょう?」

 

狙いすましたように(・・・・・・・・・)現れた狂三は、微笑みを浮かべて言葉を語る。狂三が現れたことに対してではなく、キョトンとした表情で二人を見る十香たちのことを言っているのだとわからない七罪ではない。

 

「皆様、こういう方なのですわ。ここには、誰一人として七罪さんを否定しようとする方はいらっしゃいませんわ、琴里(七罪)さん」

 

「っ……」

 

 気づいている。今のは琴里ではなく、七罪へ投げかけた言葉だ。狂三は七罪が琴里の姿で皆を騙そうとしたことを、知っていてこうして語りかけている。

 ギリッと奥歯を噛み締め、精一杯の敵意を込めて睨みつける。彼女はそれを見てなお、いっそ憎たらしいと思える優雅な微笑みを崩さない。

 

「許す許さないの話になれば、後は七罪さんのお心一つだと思いますわ。もう、決まって(わかって)いるのではなくて?」

 

「あんたに、何が……っ!!」

 

 何がわかる。何不自由なく綺麗で、着飾った言葉を受けてきたお前に何が――――!!

 

 

「わたくし、士道さんを殺しますわ」

 

「――――――は?」

 

 

 飛び出した言葉は、さも日常会話のようにするりと解き放たれた。士道を、殺す? 誰が? この優雅な微笑みを浮かべたこの少女が? あんなにも、仲睦まじく日常を過ごしていた士道を?

 理解が及ばない、追いつかない。追いつくはずがない。そんなことして欲しくない(・・・・・・・・・・・・)。漠然と、それだけが脳裏を掠めた。

 

「近い未来、わたくしはその道を選びますわ。残酷で、誰にも許されないことをわたくしは行う。慈悲を仇で返した代償は、二度と戻る事はないのでしょう」

 

 それがわかっていて、わかっていながら時崎狂三は道を選ぶ。綺麗だと、嬉しい言葉を投げかけてくれる人たちを未来永劫、取り戻す事は出来ない。全てを〝なかったこと〟にするのだから。嬉しい言葉を、己の言葉で返す(・・・・・・・)機会さえ失うのだ。

 

 

「七罪さんは、どうなさいますの」

 

「っ!!」

 

あなたは選べますわ(・・・・・・・・・)

 

 

 ――――――わたくしと、違って。

 

 突き飛ばすように駆けた七罪の背中に向かって、そんな声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――――うるさい!! 死ね!! ばかぁぁぁぁっ!!」

 

「おい、琴里!?」

 

 涙を拭いながら大声で叫んで廊下を走っていく琴里。尋常ではない妹の姿を見て、当然放って置けるはずがない士道は慌てて後を追う。

 一体、何があったと言うのか。精霊を保護に、安全な生活を送ってもらうのが〈ラタトスク〉の使命だと語っていた本人の口から、精霊の力を奪い取る(・・・・・・・・・)なんて出てきたかと思えば、七罪のためにみんなでご飯を食べる場を作れないだろうか……と、提案していたら突然、あの気丈な妹が涙を流し始めたのだ。驚かず、心配しないというのは不可能だった。

 

「あれ……?」

 

 曲がり角を曲がったところまでは捉えていたはずだった。のだが、同じように士道が曲がった時には琴里の姿はすっかり消え去っていた。まるで、幻を見ていたかのような光景に視線を右へ左へとやり――――――地面に落ちた包装を解いていないチュッパチャプスを見つけて、彼女が幻ではなかったことを確信する。

 

「……あいつが飴落としていくなんて、何があったってんだよ」

 

 あまりに琴里らしくない行動の数々だ。心配を深めながら士道は飴をしまい込み来た道を戻っていく。と、道の先から見慣れた人影を見つけて手を挙げて声をかけた。

 

「おう、狂三。お前も来てたのか」

 

「あら、士道さん」

 

 誰かを探していたのだろうか。小走りで廊下を見渡していた狂三が、やはり少し急ぎめに士道の元へ駆け寄ってきた。

 

「ちょうど良かったですわ。琴里さんをお見かけになられませんでした?」

 

「っ……琴里に何かあったのか? あいつ、なんか様子がおかしかったんだ」

 

「……ええ。実は――――――」

 

 やはりか、という風な表情を見せた狂三が口を開きかけたその時、士道のポケットで携帯が震えた。ちょっとすまん、と携帯を取り出すと――――着信画面には『五河琴里』の名が示されていた。今、噂の人物からの連絡に慌てて通話を開いた。

 

「もしもし? 琴里、大丈夫か?」

 

『……は? 何が大丈夫なのよ』

 

「いや、だってさっき……」

 

 話が噛み合わない。これが付き合いの短い者ならわからなかったかもしれないが、今聞いた琴里の声色はさっきまでの様子とは打って変わって、士道が何を言っているのかわからないというものだ。

 隠し事でもあるのだろうか。一瞬そう考えた士道だったが、それ以上に彼を驚愕させる言葉を琴里は紡いだ。

 

『それより、緊急事態よ。今そっちの管理室から連絡があったんだけど――――――七罪が、部屋から逃亡したわ』

 

「な……!? 逃げたって、一体どうやって!! まだ〝天使〟は使えないはずじゃなかったのか!?」

 

『こちらの目算が甘かったか……不完全な状態でも変身能力を使う手段があったのか……ってところかしら。布団の中に、ぬいぐるみを変化させたと思われるダミーを残して、姿を消してしまったわ。恐らく、何者かに変身して逃亡を試みているはずよ。何か心当たりはない?』

 

「心当たり……って言われても――――――あ」

 

 ある。咄嗟に視線を送ると、狂三が冷静な表情で首肯を返した。それが、まさに答えそのものだった。

 

 

 

 それからおおよそ二時間。必死の捜索も虚しく、七罪を見つける手がかりは一つとして見つからず士道は狂三を伴って帰路についていた。元々、七罪のために泊まり込みをしようと地下施設に向かったので、必然的に士道の役目はなくなってしまった。これ以上、あの場にいても邪魔になるだけだ。

 

「七罪……」

 

 結局、士道では七罪の心を開く事が……本当は、優しさを欲しがっているであろう彼女の心を解きほぐしてやることが出来なかったのだろうか。

認めて欲しいと思っている(・・・・・・・・・・・・)。〈アンノウン〉が言った事は、士道もそうなのではないかと思っていた。七罪は、ただの一度も笑顔を見せることはなかった。士道たちが何をしても、だ。しかし、それが本心からの行動だとは、どうしても思えなかった――――――七罪が逃げ出してしまったからには、思いたくなかったと言うべきなのかもしれないが。

 

「士道さん、お顔が暗いですわ。七罪さんの思考が移ってしまったのではなくて?」

 

「……あ、悪い。顔に出てたか」

 

「ええ、バッチリと」

 

 指摘された士道は悪い、ともう一度謝ってから表情と一緒に暗い方向に向かっていた思考を、軽く頬を張って仕切り直した。

 

「お気持ちはわかりますが、七罪さんにも考える時間が必要なのだと思いますわ」

 

「考える時間、か」

 

「逃げ出すのであれば、他に手段があったはずですわ――――――自らが信じていたものが、違うのだと気づいてしまうというのは、辛いものでしょう」

 

「……っ」

 

 ――――――かつて、士道が信じた狂三が正体を明かした時のように。

 

 士道がそうであったように、狂三は七罪もそうなのだと言っている。だから、あの時の士道やその後の狂三のように、七罪がそうなのだと思っていた考えを……違うのだと、そうではなかったのだと自ら受け入れる時間が必要なのだ。

 固定化されていた思考が、信じていた考えが根本から完膚なきまでに覆されるというのは辛いものだ。それを考えた時、士道は息を呑んだ。

 

 

「狂三も――――――そういう経験あるのか」

 

 

 気がつくと、自然と言葉が漏れ出ていた。

 

 彼女にも、あったのだろうか。自らが裏返ってしまう(・・・・・・・・・・)。そんな、想像が及ばないような経験が。

 立ち止まった狂三と見つめ合う。血のように紅い右目が士道を映し、影に隠れた金の左目が時を刻み彼を射貫く。

 

「……経験があるからと言って、簡単に人の気持ちがわかるとは言えませんわ」

 

「…………」

 

「しかし、受け止めて進む(・・・・・・・)だけの時間が必要だと言うことは、真実だと思っていますわ」

 

 それがどのような形であれ(・・・・・・・・・)。心を持つものは先へ進む。同じ自分嫌いでも(・・・・・・・・)……人から受けた傷(・・・・・・・)でそうなった七罪と、自ら犯した罪(・・・・・・)でそうなった狂三とでは話が違う。

 だが人から傷を受けたなら、それを癒すのはまた人であるのだと信じている――――――信じる事が、狂三は出来るようになった。一度傷を受けた者が他者の優しさを受け入れるのは、存外勇気がいるものだ。士道が七罪に漏らした真実を聞いて、その時間が必要だと思ったからこそ狂三は彼女を探すことをしなかった。

 

 

「ですけど……」

 

「けど?」

 

「――――――七罪さんは悪い方向に考えすぎるきらいがありますから、やっぱりわたくしたちで探して差し上げましょうか」

 

 

 狂三はそう言って、冗談めかして微笑んだ。一度呆気に取られた表情でぽかんとなった士道だったが、彼女に釣られるようにその顔を笑顔へと変えた。

 

「ぷっ……くくく!! そうだな、また凄い方向に勘違いして捉えられかねないし、俺たちでこっそり探しに行こうぜ」

 

「ええ、ええ。でェも、ひとまず士道さんの美味しいお料理が食べたいですわ。もしかしたら、羨ましがって七罪さんがひょっこり出てきてくださるかもしれませんわよ」

 

「そうなるように腕によりをかけて作らさせてもらうよ」

 

 二人とも、七罪に聞かれている可能性を入れての会話だった。聞いているなら、今頃はそんなわけないでしょ!! とかいやこれも私を嵌めるための……とかネガティブな思考を巡らせているのかもしれない。まあ、それで万が一にも彼女の余分な悩み(・・・・・)が薄くなってくれるなら、それで良い。

 善意の押し付けかもしれない。余計なお世話かもしれない――――――でもやっぱり、放って置くことが出来ないのが五河士道という男なのだ。

 

 そうやって戯れているうちに自宅が見えた。今はまだ誰も帰っていない、と門を開け鍵を扉の鍵穴に挿入して……。

 

「……ん?」

 

 鍵を回したというのに、鍵が開いた手応えが全くない。みんなまだ地下にいるはずだし、琴里も〈フラクシナス〉で七罪の反応を追っている――――――考えられる一つの可能性に行き着いて、士道は目を見開いた。

 

「まさか七罪……!?」

 

 ありえない話ではない。七罪は士道の家を知っている。まさか、とは思うが確かめるべきだと勢いよく玄関を開けようとし――――――

 

 

「――――――お下がりくださいませ」

 

「狂三……っ!?」

 

 

 手で、その勢いを殺された。否、その細く華奢でありながら力強い手のひらだけではない。狂三の瞳が違う(・・)。それは、日常を過ごす彼女の瞳ではなく、何かを喰らう(・・・・・・)精霊のものだ。

 その狂三が告げている。この先にいるのは七罪ではないと(・・・・・・・)

 

「士道さんはわたくしの後ろに――――――絶対に(・・・)、一歩であろうとわたくしの前に出てはなりませんわ」

 

「……わ、かった」

 

 緊張で唇が渇いて言葉が詰まったが、何とか返事を返す。纏う雰囲気を一変させ、狂三は玄関の扉を開け放ち真っ直ぐにリビングへと向かう。

 彼女に続く形で靴を脱ぎ歩みを進める。なんだ、彼女にここまでの空気を纏わせる〝モノ〟はなんなのだ――――――その疑問を氷解させたのは、リビングのソファに腰掛けた〝人間〟の姿だった。

 

「な……」

 

 先程までとは違う驚愕が士道の顔を染上げる。狂三は……どこか、不愉快そうな微笑みをこぼした。

 

 

「――――――失礼、お邪魔していますよ」

 

 

 金色の髪と碧眼。一度見たら嫌な意味で(・・・・・)忘れられない人間……いいや、魔術師(ウィザード)がいた。

 

 

「――――――エレン・メイザース……!?」

 

 

 いるはずのない者。それは、DEMインダストリー〝最強〟の魔術師。エレン・メイザースその人だった。

 

 

 






残酷だと、悲しませるものだと知っていながら悪夢は諦めない。原初の絶望を〝なかったこと〟にするために。けれどそれは……おっと、ここから先は皆さんにとっては未来のお話でした(黒ウォズ感)

そんな狂三は自分とは違い救いの道を選べるのだと七罪に指し示します。そろそろクライマックスが見えてきましたが、この章は特に狂三の動向にご注目。狂三の大胆さ、葛藤、そしてまさかの手段にご期待いただければ幸いです。

次回、ポンコツもといエレンさんとの相対。そしてその先は……感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第七十一話『交渉と策謀のリパルション』

いっけなーい殺意殺意☆ みたいな回。言葉だけだと意味不明ですね。地雷原でタップダンスしてるそんなイメージで71話、どうぞ


 

 

「お待ちしていました、五河士道」

 

 相変わらず感情の起伏が薄く気味が悪い。いや、起伏が薄いわけではなく必要最低限の感情しか使っていないのか。どちらにしろ、士道が緊張を和らげるための現実逃避に似た考察。

 エレン・メイザースは、ただ淡々と士道を見て声を発した。用事があるのは五河士道のみ(・・・・・・)だと。そう彼女は語っている。

 

「無遠慮で作法がなっていないお客様ですわね。いえ、不法侵入なのですから客ではなく部外者でしょうか。まったく、淑女ではなく盗賊ですわ」

 

「っ、おい狂三……!!」

 

 わざわざ煽るような事を言う狂三を咎めるが、エレンはやはり表情を動かさない。内心はどうあれ、狂三の揺さぶりに耳を傾けるつもりはないらしい。士道の眼前で肩を竦めた狂三が、そのまま士道へ向けて声を発した。

 

「どうやら、要件は士道さんにあるようですのでお任せ致しますわ」

 

「……ああ、みたいだな。天下のDEMさんが、か弱い一般市民の家に不法侵入までして、一体なんのご用ですかね」

 

 狂三ほど口に自信はないが、最大限皮肉を込めて言ってやる。そうなるとは思ったが、エレンは気にする素振りすら見せず士道を見つめていた。

 

「何の事はありません。一つ、簡単な質問をしに来ただけです」

 

「質問?」

 

「はい。単刀直入に聞きます――――――先日あなた方が連れ去った精霊〈ウィッチ〉は、今どこにいるのですか?」

 

「――――――ふざけるな。教えられるわけないだろ」

 

 一瞬の間も置かず、士道は唸りのように低い声で返答を返していた。狂三の目の前でなければ、恐らく声を荒らげていたに違いない。

 七罪の行方は、実のところ士道たちも知らない。だが、そんな事をエレンに教えてやる必要はないし、知らないのであれば好都合だ。七罪を危険から遠ざける事ができる。

 

「まあ、そうでしょうね。こちらも、そう簡単に教えてくださるとは思っていません」

 

「……そうかい。ならさっさとお引き取り願おうか。こっちにも、夕飯の支度があるんでね」

 

「あなたが作るのですか?」

 

「悪いかよ」

 

「いえ、素敵だと思いますよ」

 

「……そいつはどうも」

 

 エレンに褒められたところで何一つ嬉しくなどないが。社交辞令にも満たない敵意の籠った言葉を受け流し、エレンはソファから立ち上がった。

 何を考えているのか。そのまま部屋の中を観察するように視線を巡らせる。

 

「……少し手狭ですが、掃除の行き届いた良い家ですね。毎夜の幸せな団欒が見えてくるようです」

 

 何を考えて言葉を紡いでいるのか。その真意が読めない士道は困惑に眉をひそめ――――――狂三の纏う空気が、また変わったのを感じ取った。棘のあるピリッとした張り詰めたものに、変わった気がした。

 

 

「その団欒にいるのは一体誰でしょう。あなたに、五河琴里、夜刀神十香、四糸乃、もしかしたら八舞姉妹や誘宵美九――――――ああ、〈ナイトメア〉もいるかもしれませんね。皆、あなたの料理に舌鼓を打つのでしょう。絵に書いたような幸福な空間です。素晴らしい。是非、大事にしてください」

 

「――――――何が言いたい」

 

 

 士道が大切にしている団欒。ああ、こんな奴に言われるまでもない。いつか、その中に狂三が入ってくれればと思っているさ。だからこそ、こんな奴の口から嫌味ったらしく出てくることが許せそうになかった。

 窓を背に、逆光を浴びながらエレンは不意の問いかけを浴びせる。

 

 

「――――――その団欒は、誰のおかげで存在していると思いますか」

 

「……決まってるだろ。琴里や〈ラタトスク〉の――――――」

 

「違いますね――――――それが今存在し得ているのは、アイクの、そして私のおかげです。我々があなた方を見逃してあげているから(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)殺さずにいてあげているから(・・・・・・・・・・・・・)、あなた方はひとときの平和を享受できているのです」

 

「っ!!」

 

 

 ――――――本気だ。

 

 士道は彼女の表情で悟る。荒唐無稽でふざけているとしか思えない理論を、エレンは何一つとして冗談で語っていない。本気で、そうなのだと思っている。

 

 

「簡潔に言いましょう。五河士道、並びに〈プリンセス〉、〈イフリート〉、〈ハーミット〉、〈ベルセルク〉、〈ディーヴァ〉。以上の安全の代償として、〈ウィッチ〉の居場所を教えてください」

 

「てめぇ……!!」

 

「勘違いしないでください。これはこれ以上ない譲歩です。あなたに選択権はありません――――――単純な算数です。〈ウィッチ〉一体(・・)で、他の精霊たちの安全が、取り敢えずは保証されるのです。そう悪い取り引きでは――――――」

 

「お断りだ」

 

 

 一部の迷いもない。士道は一刀両断でエレンの言葉を切って捨てた。その答え自体は予測していたものなのだろうが、あまりの速さに少し面食らっている様子だった。ざまあみろ、と士道は言葉を続ける。

 

「言い方を変えようか? 俺は昔から算数が苦手なんだ。もう一度言うぜ――――――お引き取り願おうか」

 

「……そうですか。残念です」

 

「――――――黙って聞いていれば、随分思い上がった事を仰いますのね」

 

 それは、士道に向けてのものではない。殺気と、僅かではあるが静かな怒りを灯した狂三がエレンを殴りつけるように声を飛ばしたのだ。

 

 

「我々が見逃しているから? 無様な姿を晒した負け犬の分際でよく吠えましたわねぇ。本当に、あなたの愛する男ごと黙らせて差し上げましょうか」

 

「それが事実です。〈ナイトメア〉、如何にあなたであろうと――――――」

 

「素直に仰っては如何ですの――――――士道さんを、『鍵』とするつもりなのでしょう?」

 

「――――――――」

 

 

 微笑を浮かべた狂三に対して、今度はエレンの纏う空気が一変する。変わったのは纏う空気だけではない。張り巡らされた随意領域の圧が変わったのが、妙に息苦しい――――――もしかしたらこれは、二人がぶつけ合うプレッシャーなのかもしれなかった。

 

「合理的ですわ、必然的ですわ。〈ラタトスク〉にとっても、DEMインダストリーにとっても、士道さんは欠かすことが出来ない切り札(ジョーカー)。扉を開ける事が出来るのは、さて、さて……誰なのでしょう(・・・・・・・)

 

「――――――やはり、あなたは危険です」

 

 士道を『鍵』と表現し、それを聞いたエレンが余裕を翻し表情を変えた。二人がどういった意図で意思を繋ぎ合わせているのか、士道には皆目見当もつかない。話に出ている当人だと言うのに、既に流れは彼の手を離れていっている――――――精霊と魔術師の戦争という形で。

 

 声を発することが叶わない。そんな士道の代わりに携帯が軽快な音を響かせた(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――っ!?」

 

 

 刹那。瞬きの一瞬にも満たないと思える、その刹那だ。張り詰めていた緊張が和らぐどころか――――――狂三とエレンは、お互いの眉間に銃と刃を突き付けていた。

 距離を詰める瞬間どころか、互いの武器を取り出す仕草すら見逃した。くぐり抜けた修羅場の数が違う、それを否応なしに感じさせる存在が今目の前にいる。

 ワイヤリングスーツなしの随意領域を保つのは集中力が必要だと聞いた事がある。エレンは、狂三という存在を前にして――狂三という存在がいるからか――その集中を欠片も乱していない。同時に、それに対応しながら悠然と相対する狂三も大したものだ。

 

 今ようやく、狂三が一歩も前に立つなと言った理由が身に染みた。彼女の一歩後ろにいるというのに、部屋に満ちるプレッシャーが肌を突き刺す。いや、肌が爛れるのではないか思えるほどの殺意が場を支配していた。

 

「あら、あら。淑女とは思えない横暴なやり方ですわね。わたくしも、思わず手が出てしまいましたわ」

 

「……あなたは危険すぎる。今ここで――――――」

 

 だが、そこで二度目の着信(・・・・・・)が水入りの形を作った。二度目と言っても、鳴ったのはエレンの携帯で低い振動音を鳴らしているだけのもの。

 

「出ていただいて構いませんわよ。わたくしは、誰かと違って(・・・・・・)背中から撃つ(刺す)ような真似はいたしませんわ」

 

「ふん……」

 

 どこまでが本気なのやら。そんな狂三の物言いに不快そうに眉を動かし、だがエレンは素直に電話に応じた。

 

「はい、私です。何かありましたか――――――なんですって?」

 

 冷徹さを保っていたエレンが、電話の先でどんな情報を耳にしたのか表情を険しいものへと変えた。その会話が聞こえたのだろうか……狂三も僅かに肩を揺らす。

 

「……ええ。わかりました。こちらで対応します」

 

「――――――では、今度こそお引き取り願いましょう」

 

 三度目。今度は狂三の口から告げられた言葉を、エレンは忌々しげに受け止めながら張り巡らせた随意領域を解除した。

 

「く……っ」

 

 随意領域に縛り切られていたわけではないが、二人の強烈なプレッシャーから開放されたのもあって士道は身体のバランスを崩しその場につんのめった。それを狂三が支えてくれるが、エレンを前にして無防備だと士道はエレンを見やるが……。

 

「運のいい人です」

 

「は……?」

 

 向こうは興味をなくしたように、一瞥すらしないまま走り去ってしまった。

 

「な……何だ、一体……」

 

「良いではありませんの。不愉快な方にいつまでもこの家の敷地を跨がせておくのは我慢なりませんわ。それよりも、お電話が鳴ったままですわ」

 

「え、ああ……」

 

 もしかして、狂三が所々で珍しく怒りを露わにしていた原因って……? と、それを考え切るよりも早く、士道は電話の画面に琴里の名前が示されている事に気づいて急いで通話ボタンを押した。

 

「もしもし? 琴里か? 聞いてくれ、今――――――」

 

『出るのが遅いッ!! 何してたのよこの非常時に!!』

 

 開幕から相変わらずの凄まじい怒声。鼓膜へクリティカルフィニッシュ、までは行かずともクリティカルヒットはする声量に士道は思わず文句を垂れた。

 

「な、何だよ。こっちだって大変だったんだぞ」

 

『いいから、落ち着いて聞きなさい。そっちに狂三もいるわね、一緒に聞いてちょうだい』

 

「……なんだ。一体、何があったんだ?」

 

 士道だけではなく、狂三も指定した琴里の深刻な声に眉根を寄せた。急いで電話をスピーカーに切り替え狂三と二人で琴里の声が聞こえる環境を作った。

 

「ええ。にわかには、信じられないだろうけど――――――」

 

 こちらの状況を察したのか、彼女はいつになく緊張を孕んだ呼吸を整え――――――恐ろしい言葉を紡いだ。

 

 

『――――――今から数十分後、天宮市に、人工衛星が落下してくるわ』

 

 

 

 

空間震警報(・・・・・)が鳴り響き、住民が避難を始めたのはエレンが家から出ていってから数分と立たない時だった。

 

「空間震警報!? こんな時に!?」

 

「いえ、違いますわね。精霊が現れる予兆はありませんわ」

 

 慌てて窓の外を見やるが、狂三は見るまでもなくそう冷静ながらも断言に近い声を発する。

 

『狂三の言う通りよ。辺りに空間の揺らぎは観測されていない。これは奇跡的なタイミングで起こった誤報か――――――人工衛星の落下による被害を空間震のせいにしたい何者かの仕業よ』

 

「空間震のせいに……って、一体誰が!?」

 

『……恐らく、DEM社でしょうね』

 

 琴里の予想は普通であれば、他に出来る組織も考えられず合理的なものだろう。が、士道はほんの数分前の光景を思い出しそれに待ったをかけた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。それはないんじゃないか……?」

 

『おかしなことを言うわね。これだけの事が出来る組織、実行力的にも頭のネジの外れ具合的にも、他にないと思うけれど』

 

「あ、いや。それは同意するが……」

 

「琴里さん、実は――――――」

 

 狂三が言葉を引き継ぎ、士道も彼女を補佐する形で琴里にたった今起こったことを説明した。家に帰ったらエレンがいたこと。あわや狂三がエレンと交戦状態に入りかけて――――――何故か、不自然にエレンが家から出て行ったこと。

 

『エレン・メイザースが? 確かに妙ね……もしこの行動が、精霊を一網打尽にする計画なのだとしたら、それを彼女が知らないはずはない……いえ、それ以前に……』

 

「考えるのは後、ですわ。その人工衛星……何か、仕掛けがあるのではなくて?」

 

『――――――ええ。微かだけど、魔力反応が感知されたわ』

 

 琴里の言葉に士道の顔が強ばり、狂三も心なしか表情を似たようなものへ変える。彼女の場合は、当たって欲しくない予想が当たってしまったとか、そんな風な顔だ。

 

「そ、それってどういうことだ?」

 

『まだ詳しいことはわからない。でも、DEM社が、ただの人工衛星の残骸を降らせてくるだけとは考えづらいわ。何らかの方法で、大気圏を突破してくることだって考えられる』

 

「最悪の場合――――――対空間震用のシェルターすら、話にならない(・・・・・・)かもしれませんわ」

 

「な……っ!?」

 

 話にならない。それは、丈夫に作られたシェルターですら人々を守り切れない(・・・・・・)可能性がある、という事に他ならない。あの狂三が深刻な顔をした理由が、現実味を帯びて士道の背筋を凍らせた。

 

「その人工衛星がもしシェルターの真上に落ちたら……中にいる人たちは……っ!?」

 

『……まだ推測の段階よ。けど、狂三が言ったようにそういう可能性もあるわ。あくまでも、可能性の話』

 

 そうは言うが、琴里が士道を安心させようとあえて楽観的な言葉を使っているのは明白だった。

 

 

「…………ッ!! なんだよそれ!! 精霊たちが狙いだからって、いくらなんでもそこまで……!!」

 

『そこがまた――――――わからないのよ』

 

「……え?」

 

 

 拳を痛いほど握りしめ怒り叫びを上げる士道に対して、琴里は再び思案するように難しげに声を発した。

 

『DEMも、私たちが空中艦を持っていることは知っているはず。精霊たちが狙いっていうのなら、こんな確実性のない手段を取るとは思えないわ』

 

「じ、じゃあ、どういうことなんだよ、これは……」

 

『現状では何とも言えないわ。上層部にそんな判断も付かない馬鹿がいたのか、とうとう頭が狂ったのか、それとも――――――何か他に目的があるのか』

 

「目的……」

 

 街全体。数万人規模の犠牲者を出すかもしれない目的。それこそ、皆目見当もつきそうにない。

 思い出したのは、アイザック・ウェストコット。事実上のDEMトップの男。だが、あいつではない。側近であるエレンが焦っていた理由がわからなくなるし、何よりどのような目的であろうとあいつはきっとこんな雑な方法は取らない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。いや、必要とあらばやるのかもしれないが、気に入らないし……まあ、本当に気に入らないが、それは確かだと直感という頼りない感覚で思った。少なくとも、今はまだ(・・・・)、と。そう感じる。

 

 後は士道を『鍵』と語りエレンと彼がわからない話をした狂三ならば……と思ったが。

 

「今はそのような事は関係ありませんわ。大方、向こうのくだらない祭り事()でしょう。どうでもいいですわ」

 

「どうでもいいって……」

 

 狂三らしくもない乱暴な言い方だが、彼女はふんっと不機嫌さを隠さず鼻を鳴らした。

 他者より多く情報を得ている狂三は、完璧ではないにしろある程度の予想は出来た。しかし――――――心の底から(・・・・・)どうでもいいと感じていた。

 理由などどうでもいい。向こうの事情など狂三の知ったことではないし、同情すべき理由もない。ただ、そのようなことに士道や精霊たちを巻き込んだことが腹立たしい(・・・・・)と無意識のうちに感じている彼女がいた。

 

「それよりも、有事に備えて士道さんを回収する算段なのでしょうが……このお人好しなお方を納得させるだけの解決策、琴里さんはお持ちなのでしょう?」

 

『ええ。単純な話よ――――――人工衛星が大気圏を超えて地上へ墜落する前に、〈フラクシナス〉の主砲で撃ち落としてやるわ』

 

 その方法なら、仮に爆破術式が作動したところで降り注ぐのは爆風や破片だけ。人的被害は抑えられ普段の空間震被害と差はなくなる。完全に無事でないが、最悪の事態は免れると琴里は続けた。狂三も納得したように頷いているし、琴里が自信を持ってそう言うのなら大丈夫なのだろうと士道はホッと息を吐いた。

 

「なるほど……それなら!!」

 

『納得してくれたみたいね。じゃあ、今すぐ〈フラクシナス〉であなた達を回収するわ。続けて十香たちの回収もするから、急いでちょうだい』

 

「ああ!!」

 

 携帯の通話を切って狂三と頷き合い、玄関に向かい靴を履き直す。十香たちも待っている、グズグズはしていられない――――――と、靴を履くために屈んだ士道のポケットから、何かが転げ落ちた。

 

 

「あ――――」

 

「士道さん?」

 

 

 突然固まった士道を見て、狂三は不思議そうに首を傾げる。ともすれば、急かすようにとも思えた。だが、それに答えることは出来ない。落としてしまったのは、七罪が落としていった(・・・・・・・・・・)赤い包装紙に包まれたチュッパチャプス。

 士道は思い出してしまった、取りこぼした可能性を――――――思い出したからには、士道は残された可能性を捨て置くことが出来ない。

 

『ちょっと、何やってるのよ士道。時間がないって』

 

 こんな短い距離をいつまでも立ち止まっている彼に業を煮やしたのか、今一度通話を繋げて琴里は急かす。だが、ダメだ、ダメだった。もう素直に琴里の声に答えることは出来ない。

 

『……何よ。一体どうしたっていうの?』

 

「ああ。一つ頼みがあるんだが……狂三だけを回収してから、十香たちを迎えに行ってくれ。俺は、残る」

 

『――――――何、言ってるの』

 

 携帯から伝わる声が怒気をはらんでいることは明白。が、怯む士道ではない。そうなるのがわかっていて言ったのだ。

 

 

「頼む。俺はまだ地上でやることが残ってる」

 

『ふざけないで。非常事態なのよ!? 今までとは規模が違うの!! 命あっての物種なのよ!! だいいち――――――』

 

「――――――七罪が、まだ見つかってないんだろ」

 

 

 琴里が息を呑み、言葉を詰まらせる。それが答えだとは言うまでもなかった。〈フラクシナス〉でも七罪はまだ捕捉できていない――――――彼女が地上にいる可能性が残っている。

 

『それは……でも、七罪だって馬鹿じゃあないはずよ!! シェルターに入ってないにしろ、もう遠くへ逃げてる可能性だってあるし、仮に爆風と人工衛星の破片が降り注いだとしても、彼女は精霊よ!? それくらい簡単に防げるはずだわ!!』

 

「そうかもしれない。でも、七罪はエレンから受けた傷が完全には癒えてないはずだ――――――だから、そうじゃないかもしれない(・・・・・・・・・・・・)だろ」

 

『…………っ』

 

 七罪は頭が良い。取り越し苦労になる可能性の方が高いのかもしれない。けど、そうじゃない可能性(・・・)が思い浮かんでしまった以上、黙って避難する事は出来ない。

 

「頼む……ギリギリまで、俺に七罪を――――――」

 

「――――――失礼。お借りいたしますわ」

 

「っ、おい狂三!?」

 

 懇願に近い声を琴里に届けていた士道の手から携帯が消え、それは沈黙して成り行きを見守っていた狂三の手の中に奪い取られた。抗議の声を視線だけで封殺し、彼女は耳に携帯を当て琴里に声を届け始めた。

 

 

「我が儘なお方からお電話変わりましたわ」

 

『言わなくてもわかるわよ。何用?』

 

「わたくしが士道さんにお付き合いいたします――――――精霊である、わたくしが」

 

 

 その意味が、琴里にはわかるだろうと。人工衛星破壊による破片を精霊なら防げると、ほんの数十秒前に言ったのは琴里なのだから。

 

「無論、このお方に無理はさせませんわ。そちらが指定したタイムリミットが来たらそこまで。応じないのであれば、わたくしが引きずってでもお連れいたしますわ」

 

「おい……」

 

 至って本気だ。どうせ言うことを聞かないのは目に見えているのだから、最大限譲歩して後は力づくで納得してもらう他ない。そう、わかっている(・・・・・・)。こうなった士道はテコでも動かない。狂三と琴里は(・・・・・・)知っている。

 

 

「……これで、如何でしょう」

 

『…………勢い余って、士道を食べるんじゃないわよ!!』

 

「――――――あら、あら。極上のデザートをこんな形で食べてしまう愚か者はいませんわ」

 

 

 噛み付くような叫びを薄く微笑みを浮かべて返す。そうとも……その未来はまだ訪れない(・・・・・・・・・・・)。纏まった話をそのままに、狂三は士道へ携帯を返し彼は再び妹の声を聞いた。

 

『聞いての通りよ。タイムリミットはこっちの迎撃準備が整うまでよ。それ以上の捜索は認めないわ。狂三の言うことをしっかり聞くこと、いいわね?』

 

「ああ、わかってる――――――ありがとう、二人とも」

 

『……それは、こっちのセリフ。焦って大事なことを見落としてたわ。頼んだわよ、士道……狂三』

 

 電話が切れる。落ちたチュッパチャプスをポケットにしまい込み、改めて狂三に向き直った。

 

「また、付き合わせちまったな」

 

「慣れっ子、ですわ。気にしないでくださいまし」

 

「……それは俺が気にするべきだろうな」

 

 美九の時にも似たような同じような会話をしたが、あの時以上に危険なことに付き合わせてしまっている。それをわかっていて、狂三は傍にいてくれているのだ。

 

「良いのですわ。士道さんは、だから士道さんなのですから――――――それでは約束(・・)通り、七罪さんを探して差し上げましょう」

 

 頷いて、短く息を吸う。

 

「ああ――――――行こう!!」

 

 吐き出して、二人は無人となった街へ駆け出した――――――たった一人の、精霊を救うために。

 

 僅かに、ポケットが動いた事には、誰も気づかず。

 

 

 

 

 







英語力が壊滅的なので原作みたいにオシャレなのは思い浮かびません、いかです

失われた平穏を知る狂三だから、五河家という平和の象徴に踏み込まれるとキレ散らかしますって話です。士道の手前抑えてる方じゃないかなぁと。
狂三とってウェストコットやエレンはまだしも、それ以外とかマジでどうでもいい扱いなので事情とか知ったことじゃないよねという。まあ物語的にもウェストコットはともかく他はただの悪役でしかないので……ウェストコットも狂三にとっては邪魔をする敵でしかないのですが。狂三とっては(念押し)
結局、エレンたちの目的に大方の予想を付けはしましたが狂三にとって受け入れられないのは変わりませんしね。あとカッコよく書いても中身ポンコツもやしなんだよなぁと思うエレンさんでした

原作より強気な部分はありますけど、やっぱそれでこそ士道なところ。段々と協力する関係も板について来ましたが、はてさて二人の進む道は……その辺はまた次章で。

次回、絶望が落ちてくる。感想、評価、お気に入りお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第七十二話『絶望が落ちてくる』

フォールダウン。

最近は話をまとめた方が感想を貰いやすかったりするのかなぁと思いながらも、でも平均8000くらいのが読みやすいのでは……?という完全に感覚でやってきたことを悩んでいます。どうなのでしょうね実際。ストックが6話先くらいまであるのも悩みポイントなのですが。そんな事情はともかく72話、どうぞ





 

 

「七罪!! 聞こえていたら返事をしてくれ!! 七罪!!」

 

 声が聞こえる。人っ子一人いない街を駆けずり回り、息を絶え絶えにしながら必死に呼びかける声が。聞こえないはずがない――――――士道が予想した通り、七罪は近くにいる(・・・・・)のだから。

 

 ――――――なんで。

 

「士道さん!!」

 

「狂三、七罪は見つかったか!?」

 

「いえ、『わたくしたち』に指示を出して街全体を捜索はしていますが……わたくしの呼びかけでは、難しいと思いますわ」

 

「そうか――――――七罪!! いないのか!? 七罪!!」

 

 士道だけではなく、狂三も同じように駆け回っている。精霊だけあって士道よりかは疲労は見えていないが、逆にそれを活かして走り続けているのだろう。僅かながら見える汗がその証明だ。

 

 ――――――なんで。

 

 

「七罪さん!! いらっしゃいましたら返事をしてくださいまし!!」

 

「七罪!! 頼む!! 返事を――――――」

 

 

 なんで――――――そんなの、七罪を助けるために決まってる。

 会話を聞いていて、それがわからない七罪ではない……認められない七罪ではなくなっていた。降ってくるであろう人工衛星の破片。精霊の狂三がいると言っても、留まるのは自殺行為以外の何物でもない。ないのに、士道は七罪を助けるだけのために(・・・・・・・・・・・・)、いるかもしれないという不確定の可能性を考えて狂三と街に残ることを選択した。

 

 あまりにも無謀で、あまりにも優しくて――――――胸の妙な感覚が止まらない。

 

「ぅ……」

 

 わかっていた、わかっていたんだ。認めようとしなかったのは、認めるのが怖かったのは七罪だ。見て欲しかったのに、見つけて欲しかったのに――――――いつしか、認められない自分を見つけられるのが怖くなっていた。

 

 七罪を見つけられなかったのは、誰でもない七罪自身で――――――それを士道が、みんなは見つけてくれた。〈贋造魔女(ハニエル)〉で変身した七罪ではなく、〝本当の七罪〟を彼らは探してくれている。誰もが愛する、愛されるために作られた(・・・・)七罪ではなく……誰からも無視されていた七罪を、こんなに必死に見つけ出そうとしてくれていた。

 

「……っ」

 

 思い返すのは、たった数日の記憶。エレンに襲われた七罪を士道たちが助けてくれて。みんなで七罪を『変身』させてくれて。こんな自分を、可愛いと思わせてくれて――――――誰でもない〝七罪〟を認めてくれた。

 

「……私、は」

 

 理解してしまった。誰に押し付けられたわけでもなく――――――七罪は、士道に死んで欲しくないと思ってしまった。

 

 

『わたくし、士道さんを殺しますわ(・・・・・)

 

「っ……ぁ」

 

 

 そして――――――狂三に、士道を殺して欲しくない。

 なんで、二人であんなにも幸せそうなのに。狂三は士道を助けようとしているのに……どうして、そんな未来が待っているだなんて言うのか。酷く、痛い。考えるだけで、痛くなる。ちゃんと自分を見てくれる人たちが、消えてしまうと思うだけでこんなにも苦しい。

 

 ああ。もうとっくに、秘密を見られたことなんてどうでも良くなっていたのだ。

 

「――――――七罪!!」

 

「…………っ、…………」

 

 ――――――して欲しくないから、どうだと言うのか。彼らの今までを知らない七罪に、それをどうにか出来るはずがない。そんな勇気はない(・・・・・)

 今だって、どうしたらいいのかわからなくなっている。初めての感情、初めて向けられた想い。それらがごちゃごちゃに混ざり合って、七罪が動く事を封じ込めてしまっていた。

 

「だ、大丈夫……大丈夫」

 

 今は大丈夫だ。七罪が何かをしなくても、時間が来れば士道と言えど諦めて安全な場所へ避難するはずだ。そうでなくても、彼の背後にいる組織や狂三が何とかしてくれるはず。そうとも、七罪なんかより余程強く頼りになる狂三が一緒にいるのだから、七罪の出る幕なんて最初からありはしない。

 

 ――――――だから、早く、逃げて。そうやって、ただ彼らの安全を心の中で祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「七罪!! 七罪!!」

 

 喉が痛い。全身が休息を求めて悲鳴をあげている。膝が笑って、走る足がもつれて倒れそうになるのを何度も狂三に助けられた。それでも、七罪を探すことを士道は止めなかった。

 止めるわけにはいかない。近くに七罪がいるかもしれない。こんな危険な場所にまだ取り残されているかもしれない。

 

『――――――士道、聞こえる?』

 

 そんな士道の足を止めたのは、インカムから響いた一本の通信。この通信が意味するもの、それは……。

 

「……あ、ああ……聞こえ、る……!?」

 

 絶え絶えの息を整えながら返事を返した士道の顔が、服を引っ掴んで強引に引っ張られた。誰に、など一人しかない。この街に残っているのは七罪を除けば士道と狂三しかいないのだから。士道本人の自作自演でなければ狂三の仕業でしかない。

 で、何をしたかというと、インカムを付けた士道の耳にピッタリと耳をくっ付けていた。あまりの密着具合に疲労も忘れて顔を真っ赤にする。

 

「ちょ、狂三……!!」

 

「こうしないとわたくしも聞き取りにくいのですわ。我慢してくださいまし」

 

「いやだからってな……」

 

『何してるのよあなたたち――――――タイムリミットよ』

 

 その言葉に士道は目を見開く。この通信が意味するもの……それがわかっていても、彼はそれを抑える事が出来なかった。

 

『残念だけど、もう限界よ。これから回収しに行くから、その場を動かないで』

 

「……もう、なのか!? 頼む、あと少しだけ……!!」

 

「士道さん。いけませんわ」

 

 狂三が咎めるように言う。声だけは、そうだった。しかし、誰より士道を案じているのは、揺れる彼女の瞳を見れば火を見るより明らかだった。その瞳に一瞬言葉を詰まらせるが、それでも縋るように士道は声を発する。

 

「頼む!! もう少しだけで――――――」

 

『駄目よ。約束でしょ』

 

「で、でも……」

 

 ガリ、と何かを噛み砕くような音が響いたのはその時だ。それが琴里が苛立ちと心配(・・)でチュッパチャプスを噛み砕いたものだと、わからないはずかない。

 

 

『何度も言わせないで――――――お願いよ、士道。守ろうとする命の中に、ちゃんと自分を入れてちょうだい』

 

「――――――っ」

 

 

 微かに震えを含んだ声を聞いて、押し黙るしか、なかった。その言葉は、家族として身を案じる妹の言葉だった。効かないわけがない――――――隣で見つめる狂三も、言いたいことは同じだと無言で語っていた。

 士道の命は、もう既に士道だけのものではない。これ以上の勝手は、出来なかった。

 

「………………わかった。ごめん、我が儘言って」

 

『別に。慣れっ子よ』

 

 ほんの数十分前に真隣の女の子に全く同じことを言われたことを思い出し、士道が思っている以上に苦労をかけているなと苦笑する。自覚はあるが、どうにも直せそうにはなかった。

 

 ――――――嫌に耳に響くブザーが鳴り響いたのは、その瞬間のことだった。

 

「っ、琴里!? 何かあったのか!?」

 

 慌てて問いかけるが返事はない。代わりに慌ただしく物音や怒声が聞こえてきて……苦渋に満ちた琴里の声が鼓膜を震わせた。

 

『……士道、悪いけど予定が狂ったわ』

 

「え?」

 

『あなたを回収しに行けなくなった。狂三――――――』

 

「了解いたしましたわ。わたくしがそちらに連れていきますわ……琴里さん、お気をつけて」

 

「――――――わかった。俺のことは心配するな。頼んだぞ」

 

 尋常ではない事態が起こったのだろう。余計な問答をしている時間が惜しいと見たのか、狂三が簡潔的に言葉を紡ぎ、士道も必要最低限の言葉を残した。

 

『ええ……ありがとう』

 

 声が震えそうになるのを、必死に押さえ込んでいる。そんな様子が見て取れる言葉を最後に、琴里からの通信は終わった。

 

「――――――士道さん」

 

「…………わかってるよ」

 

 ――――――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の加護を持つ士道なら、人工衛星の爆風と破片があったとしても無理が出来るのではないか。

 彼なら、そう考えても不思議はない。が、狂三がそんなことを許すはずがない。琴里が最後に残した感謝の言葉は彼女に向けたもの。それを受け取った狂三には、士道を〈フラクシナス〉へ連れていく責任がある――――――それが、妹と司令官の立場。大切な兄を置き去りにする司令官としての判断……その苦渋極まる選択をしてのけた琴里への礼儀だった。

 

 

『――――――守ろうとする命の中に、ちゃんと自分を入れてちょうだい』

 

「……わか、ってる。ごめん……」

 

 

 士道が七罪の身を案じているように、狂三や琴里が自身の身を案じている。たとえ言葉に詰まろうと、彼女たちの想いと言葉は士道を思い留まらせるに至った。

 

「……でもせめて、七罪がわかるようにシェルターまで行きたい。良いか?」

 

 最後の悪足掻きだ。どれだけの猶予があるかわからないが、それでも士道は我が儘を押し通したかった。一瞬、顔を険しくした狂三にダメかと眉を落とすが……彼女は、逡巡こそ挾みはしたものの彼に答えてくれた。

 

「……わかりましたわ。急ぎましょう」

 

「ありがとう狂三!! ――――――七罪!! 今から地下シェルターに行く!! もしシェルターの位置がわからなかったら俺に付いてきてくれ!!」

 

 張り上げる声に、やはり返事はない。それでも士道は声が届いていることを願いながらシェルターへ向かって狂三と共に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 琴里を、〈ラタトスク〉を取り巻く状況は芳しくなかった。魔力収束砲〈ミストルティン〉による砲撃で、落下してくる人工衛星を撃ち落とす当初の計画は失敗した(・・・・)。物理的な衝撃が艦内を激しく揺らす中、琴里は声を上げた。

 

「一体何!?」

 

「ほ、砲撃です!! 随意領域、十五パーセント縮小!!」

 

「砲撃ですって……?」

 

 モニターに映し出された〈フラクシナス〉を上回る巨大なフォルムの空中艦。今の攻撃……そして、魔力砲を随意領域で逸らしたのもあのDEMの戦艦の仕業だろう。

 人工衛星とドッキングした〈バンダースナッチ〉。あの人形に搭載された顕現装置を使い、DEMの一派は衛星を捕捉し、その上大気圏突入の影響を受けさせないために随意領域を使用した。加えて、魔力砲を防ぐためピンポイントで随意領域を生成できる空中艦を用意。

 〈ラタトスク〉の介入も予想した計画的な犯行だった。そうまでして何が目的か――――――だが狂三の言う通り、そんな事を考えている時間が惜しい。

 

「司令……!!」

 

 クルーたちに動揺と戦慄が走る。あの艦がいては人工衛星を破壊できない。が、空中艦に構っていてはそれこそタイムオーバー。衛星は地上へ落下し、令音の予測数値が正しければ――――――天宮市は完全な焦土と化す。

 シェルター云々どころではない。事は琴里や狂三の予測規模と想定を遥かに超えていた。それ故に――――――五河琴里は冷静だ(・・・)

 

 

「神無月、ここは任せるわよ――――――〈グングニル〉を使うわ」

 

 

 落ち着いて、平坦に。琴里は〈フラクシナス〉に備えられた最後の切り札(・・・・・・)の名を告げた。その正体とリスク(・・・)を知っているクルーたちは、皆一様に眉を揺らした。

 

「……大丈夫かい、琴里」

 

「ええ。フルパワーで撃つわけにはいかないけど、それでも十分よ――――――あいつ(・・・)に、任されたのよ」

 

 司令官としての選択を取り、妹として動けなかった自身の代わりに、あのバカ兄を受け持った彼女に琴里は託されている。

 烈火の如く燃える瞳が、信頼する部下へと向けられた。

 

「外すんじゃないわよ、神無月」

 

「お任せください」

 

 迷いなく答える神無月に満足気に頷いて、コンソール脇に付いていた認証装置に手を当てる。すると、琴里の座る艦長席が床に吸い込まれるように導かれて行く。数秒とかからず、艦橋とは異なる開けた場所へたどり着く。

 半径三メートルほどの円の形をした空間。壁面には外の映像がリアルタイムで投影されていて、まるでそれは空中を渡り歩いているような錯覚を覚えさせる。無論、そのようなロマンチストな感傷に浸る琴里ではない。

 

 

「さあ、始めましょうか――――――私の戦争を」

 

 

 炎の渦が、琴里を包み込んだ。天女を思わせる羽衣。後頭部に現れる鬼のような角――――――〝霊装〟。精霊を守護し難を喰らう鎧という名の領域。己の感情をコントロールし、イメージすることで意図的に引き出した限定霊装(・・・・)

 

「〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

 

 焔が収束し、巨大な戦斧を手の上に生み出す。久方振りに手に取るが、嫌になるほど手に馴染んでしまうのは複雑な気分だ。しかし、爆発音と共に揺れる艦体にそんな気持ちも吹き飛んだ。モタモタしている時間はない。〈フラクシナス〉がダメージを喰らって砲撃の出力に耐えられなくなってしまっては元も子もない。

 

 

「――――【(メギド)】!!」

 

 

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が形を変え、琴里の腕に装着されるよう大砲(・・)を思わせる武器へと変貌する。かつて、狂三の〈刻々帝(ザフキエル)〉すら半壊へ追い込んだ究極にして最強の一撃。全てを焼き尽くす魔神の業火。

 それだけでは終わらない。展開と同時に降りて来た大きなコネクタに〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の先端を触れさせる。すると、小さな電子音と共にドッキングが完了した。

 

「いくわよ、神無月」

 

『はっ、いつでもどうぞ』

 

 収束魔力砲〈ミストルティン〉。〈フラクシナス〉が誇る通常の攻撃手段が弾かれた――――――ならば、残された答えは一つしかない。それを遥かに上回る(・・・・・・)攻撃を以て、対象を跡形もなく消し飛ばす。

 

 それが――――――

 

 

 

「今よ!! 精霊霊力砲――――――〈グングニル〉!!」

 

撃て(ファイア)!!』

 

 

 

 ――――――五河琴里と〈フラクシナス〉が合わさった、必滅兵器の名だ。

 

 流星が如き光の槍は、濃密な霊力を纏い〈フラクシナス〉と衛星を一瞬にして繋いだ。文字通り艦の全てと精霊が一体となって放つ一撃を避けることは叶わず――――――防ぐことなど、なお叶わない。

 展開された随意領域。衛星の本体。仕込まれていた爆破術式。予想された破片による被害。全て(・・)業火の炎……いいや、業火すら焼き尽くす炎(・・・・・・・・・・)によって跡形も残さず消失した。

 

『――――――目標、消滅!! 成功です!!』

 

「はぁ……っ」

 

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を切り離し、集中によって耐えていた荒い息を解き放つ。やはり、琴里の中に燻る破壊衝動は健在だった。先日の事件の際はイレギュラーな霊力解放というのもあって影響がなかったが、今は限定解放だと言うのに突き動かされそうになる――――――耐え難い、破滅的な欲求。

 【(メギド)】は否が応でもこの衝動を強めてしまう。琴里が呑まれて〈フラクシナス〉の驚異となった時、それは艦の終わりを意味する。だからこその切り札(ジョーカー)

 

「ご苦労様。でもまだ休んでいられないわよ」

 

 息を整え、艦橋にいるクルーに通信越しで声をかける。隠していたカードを切らされただけあって、結果は完璧なものだ。

 

「残った敵艦を――――――」

 

 感じた安堵を殺し、声を張り上げて残った後始末の指示を出した瞬間――――――それを遮る、けたたましいエマージェンシーコールが響いた。

 

「……っ、何事よ!! 敵艦が仕掛けて来たの!?」

 

『い、いえ!! 違います!! こ、これは――――――』

 

 艦橋で観測したレーダー画像が表示され、それを見た瞬間に琴里は目を見開いた。そこには、たった今消滅させた衛星と(・・・・・・・・・・・・)同一の反応(・・・・・)が示されていたのである。

 確実に、一部の隙もなく衛星は蒸発した。間違いない。ならば、この反応の答えは一つ。

 

 

「まさか――――――人工衛星を丸ごと一個、囮にしたって言うの……!?」

 

 

 こちらが空中艦を持っていることを予期しての随意領域と空中艦による妨害。それを超えてこちらが衛星を破壊する手段を持っていた場合に備えての、複数基の人工衛星。

 艦内に絶望的な空気が漂うのが手に取るようにわかる。だが、琴里は力を入れて立ち上がる。アレを、通すわけにはいかない。通してしまえば、その時に士道がどんな行動を取るか手に取るようにわかるからだ。

 

「上等じゃない……!! もう一発よ!!」

 

『……駄目だ、許可出来ない。琴里、それ以上は君が――――――』

 

「それでも!! やるしかないでしょ――――――ぁ」

 

 焔が燃え上がる。感情の激しさに呼応して火の粉を撒き散らし――――――来た(・・)

 

「ぁ……ガ――――ぁぁぁああああああッ!!」

 

『……琴里!!』

 

 さっきまでとは比較にならない、絶対的な衝動。恐らく、今すぐ霊装を消し去らなければ呑み込まれてしまう。そんな事は琴里が一番よく知っている。この破壊衝動は、意志の強さだけで何とかなるものではないと理解出来ている。

 

「……っ!! 引っ込んで……なさい、よ……ッ!!」

 

 ――――――壊せ。

 

 壊せ、壊せ、壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ――――――殺せ、全てを。

 

 

「――――――黙りなさいッ!!!!」

 

 

 頑丈に作られた外装がひび割れんばかりの衝撃。琴里が全力で拳を叩きつけた事によるものだ。そうでもして衝動を逃がしてやらねば、今すぐにでも呑まれる。

 

 その時、琴里の胸元で〝何か〟が光輝いた。咄嗟にそれを掴んで、握りしめる。

 

 

「おね、がい……一度だけで、良いの……!!」

 

 

 縋るように、祈るように、光が灯るそれを抱きしめる。ただの一度でいい。この衝動を押さえ込んで、あの衛星を破壊しなければダメなのだ(・・・・・)

 その願いが届いたのか、はたまた白い光――――〝お守り〟の力が作用する条件が整ったのか。輝きがより一層力を増し――――――

 

 

「――――――そこまでですわ」

 

「……っ!?」

 

 

誰か(・・)に奪い取られるような形で、琴里の手から光が消失する。驚きと戸惑いによる無意識の本能によるものか、その瞬間琴里の霊装は彼女の意思に反して解除されてしまう。

 ギリッと歯をかみ締め、膝をついて乱入者を見上げた。

 

「……それを返しなさい!! 『狂三』!!」

 

「それは出来ない相談ですわね」

 

 一目で彼女が分体(・・)だとわかったのは、特徴的すぎる白黒のメイド服を着込んでいたからだ。彼女は、憎たらしい微笑みで琴里から奪った〝お守り〟を手にとって見せびらかしていた。

 ここまで侵入されている事の問題すら忘れ、琴里は必死に叫びを上げる。

 

「何言ってるのよ!! それがないと……あの衛星を、破壊できない!! それじゃあ、あいつらが……っ」

 

「申し訳ありませんわ。けれど、今ここでこれ(・・)を使い切られるのは困るのですわ。あの子も、自殺紛い(・・・・)をさせるために琴里さんに託したのではありませんし」

 

「何勝手言ってんのよ……!!」

 

 落下を続ける二機目の衛星。それを止めるために琴里の力は必要不可欠――――――それをしたら戻れない(・・・・・・・・・・)。勝手を言っているのは、どちらか。残った理性がそう囁くのを、琴里は否定する事が出来なかった。

 

「……っ、じゃあどうすれば――――――」

 

『む……ど、どうしたのだ、これは』

 

 判断に迷って……いや、打てる手が思い浮かばない琴里の耳に、艦橋の扉が開く音とその声が届いた。保護を確認した十香の声だ。

 

『あ、あの……これは、一体……』

 

『うっはー。なんかピンチな感じ?』

 

『くく……情けなきことよ。この程度で慌てふためくとは』

 

『同調。もっと冷静になるべきです』

 

『あれ? あの画面のって、さっき言ってた人工衛星ですよね? なんか……まだ落ちてる気がするんですけどぉ……』

 

 十香だけでなく、四糸乃、よしのん、耶倶矢、夕弦、美九。口々に、艦橋内の騒ぎを把握した声が聞こえてくる。だが……その声の中に、士道と狂三の物がない(・・・・・・・・・・)。ハッとなって『狂三』を見上げると、こんな状況ですら冷徹とも思える視線が返ってきた。

 

「『狂三』!! 士道は……狂三と士道は!?」

 

「――――――こちらに来ていらっしゃらない。それが何よりの答えですわ」

 

「……ぁ」

 

 衛星が、破壊出来なかった。その結果がどうなるか――――街が破壊される。

 それを知った士道が、あの優しいお人好しの兄がどうするか――――迷わず立ち向かうに決まっている。

 止められないし、止まらない。狂三の静止を振り切って、彼は人工衛星を止めようと絶望的な戦いに身を投じてしまう……だから(・・・)、琴里が全てを止めなければならなかったのに、出来なかった。

 心が折れかかって、目に見えるものが歪む。それが悔しさと絶望が織り交ざった涙だと、わからないはずがない。

 

『……琴里? どこにいるのだ? シドーと狂三がどうかしたのか……?』

 

 今の『狂三』との会話が聞こえていたのだろう。不思議そうにしながらも緊張をはらんだ声の問いかけに、自然と息が詰まって答えあぐねる。その異様な雰囲気を感じ取ったのだろうか、十香の声色が変わる。

 

 

『――――――琴里。どうしたのだ。話してくれ。私たちに手伝えることはないか?』

 

「……っ」

 

 

 ――――――ある。そう、無責任に言ってしまいたかった。だが、司令官としての立場が何とかそれを押し留めるように唇を噛んだ。

 精霊たちを保護し、守るのが〈ラタトスク〉の使命。間違っても危険だとわかっている地上に送るべきではない――――――同時に、彼女たちや琴里が守りたいと思っている士道は地上にいる。守らなくてはいけない精霊(・・・・・・・・・・・・)である狂三と共に、無謀な戦いに挑もうとしている。

 

 天秤を揺らし、感情がせめぎ合う。五河琴里は誰もが認める〈ラタトスク〉の司令官だ――――――しかし、兄を愛する妹であるのも、また否定できない事実。

 

 

「お願い……みんな。あのバカを……あのバカを守ろうとする頑固者を――――――わたしのたった一人のおにーちゃんを、助けて……っ!!」

 

 

妹として(・・・・)、涙に濡れた言葉が、艦橋に響いた。

 

 






司令官として、妹として。悩みながらも琴里は叶うことなら妹としての涙を流す。士道と狂三の運命は。そして、七罪は『変身』することが出来るのか。というところで次回へ続く。

ちょくちょく原作と変わりながらの進行。これ面白いんか?と心の中で思いながらも自分を鼓舞する日々です。まあそんなもんです、多分。七罪編、クライマックスが近づいて参りました。どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第七十三話『繋がれた絆』

繋がれたものは二人だけの想いではない。矛盾を孕みながらも士道を守り抜かんとする精霊、その結実。




 

 

「あった!!」

 

 琴里からの通信が切れてから時間を置かず、士道は目的の場所――――避難用シェルターの入口に辿り着いた。警報発令からかなりの時間が経っているため正面の入口は閉じられている。が、公共のシェルターには、士道のように逃げ遅れた人のために非常用の入口が作られている。ここまで来てしまえば、後は最後の訴えを残すだけだ。

 

「七罪!! ここだ!! 破片が降ってくる前に急いで隠れるんだ!! いいな!?」

 

 張り上げた声は虚空へと消えていき、返される声は存在しない。

 

「士道さん、あとは『わたくし』に任せてくださいまし」

 

「……ああ」

 

 ここまでだ。ただでさえ、七罪が置いていかれないようにと士道は自らの足で非常用入口まで走って来た。これ以上、狂三の手を煩わせて困らせるわけにはいかなかった。悔しいが彼女の言うように、有事の対応力が士道とは違う分身体に任せる他ない。

 心なしかホッとした表情を見せた狂三が言葉を続ける。

 

「では、わたくしのお傍に。一息に〈フラクシナス〉まで――――――」

 

「……どうした? 何か――――――え?」

 

 不自然に言葉が途切れた彼女の様子を不審に思い、釣られるように空を見上げ……狂三が何に気づいてしまったのか理解した。雲の切れ間から覗く、小さな影。

 

「おい、冗談だろ……?」

 

 冗談であって欲しかった。なぜならそれは――――――琴里が撃ち砕くと、撃墜すると宣言した人工衛星そのものだったのだから。震えた声で、それが冗談でもなんでもないことを理解出来てしまっている。欠片も砕かれてはいない巨大な鉄の塊、絶望が落ちてくる結果(・・)など、未来視に頼らずとも見えてしまう。

 その瞬間、士道はシェルター入口から走り出した。

 

「士道さん!!」

 

 だが、走り出そうとした士道の手を狂三が掴んで止める。いつになく、その声は焦りを滲ませていた。

 

 

「っ、止めるな狂三!! このままじゃ……」

 

「どうするとおっしゃいますの!? あの位置では破壊したところで爆破術式が作動してしまいます!! もう手遅れ(・・・・・)ですわ!!」

 

「だからって――――――諦めるのかよ!?」

 

「っ……」

 

 

 どのような形であれ琴里側が迎撃に失敗してしまった。それは、受け入れ難い事だが無傷の人工衛星が落ちていることから確かなのだろう。

 墜落の衝撃と爆破術式。それによって失われてしまうものは天宮市だけではない。クラスメート、朝何気ない挨拶を交わす近隣の人、いつもよくしてくれる商店街の人々……そんなかけがえのない人命が失われようとしている。

 必死になって士道を止めようとしてくれている狂三の手を、彼は握り返せない。その意味、士道を慮ってくれている彼女の切実な願い――――――その想いと同じくらい、この状況を許容出来ないのだ。

 

 

「俺は諦めたくない!! みんな大切なんだ、諦めるわけにはいかない。俺じゃあ何も出来ないかもしれないけど、それは何もしないことの言い訳にはならないだろ!?」

 

「ですが、あなた様を失うわけには……!!」

 

「ああ、俺一人じゃダメかもしれない……だから頼む……俺に力を貸してくれ、狂三!!」

 

「――――――――」

 

 

 葛藤が、あった。

 

 狂三にとって最悪の事態とは、五河士道の命を失うこと。今この場で士道の意見を通してしまえば、その確率は恐ろしい高さまで上昇する。あの琴里が失敗したのだから、人工衛星以外にも何か原因があることは確実だ。

 方法は幾つか思い浮かんでいる。だがどれも確実性を欠く。なら――――――〝なかったこと〟に出来るのなら、ここで士道だけを逃がすのが利口なのではないか。この場をやり過ごし、万全を期してやり直す(・・・・)――――――それで、良いのか?

 良いに決まっている。だからこそ狂三は〝なかったこと〟にする事を目指している。踏みにじる想いも、命も全てを〝なかったこと〟にして――――――逃げるのか。

 

 この程度の絶望から逃げて(・・・)、時崎狂三は〝悲願〟を果たせるのか? 士道の期待に答えられず、彼の心を開けるのか?

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉は、何も語らない――――――まだ、未来は決まっていない(・・・・・・・・・・)

 

「――――〈神威霊装・三番(エロヒム)〉」

 

 〝影〟が螺旋を描き、紅い霊装を形作る。

 

 大切な命が消えかかっている。だが、まだ消えていない(・・・・・・・・)。なら――――――霊力の消費が少ないもの(最良の結果)を取るのが狂三のやり方である。

 士道を抱き抱え、狂三は絶望の空を飛んだ。

 

「っ、狂三!!」

 

「……撤退は、わたくしの判断でくだしますわ」

 

「え……?」

 

「わたくしも――――――始める前から諦めるのは性に合いませんもの」

 

 そんな物分りの良い精霊なら、多分こんな事にはなっていない――――――ああ、ああ。何度目なのだろうか、士道と狂三自身の物分かりの悪さに呆れ果ててしまうのは。

 

「それって……」

 

「欲張りなあなた様に付き合って差し上げる、と言っていますのよ。ああ、ああ。事が終わったら琴里さんに何と言われるか、想像が出来て悲しいですわ」

 

「すまん、ありがとう……!!」

 

 狂三が猛スピードで落下地点まで飛翔する。段々と、人工衛星の全貌が見えてきた。向こうも凄まじいスピードで落下を続けているのだろう、みるみるうちに巨大すぎる全体像が見えてきた。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【二の弾(ベート)】」

 

 背に出現した文字盤から影が躍り出て、いつの間にか手に収まっていた銃に装填され、狂三は迷いなく撃鉄を下ろした。放たれた弾丸は、あっという間に士道の視界の外まで飛んで行き、恐らくは人工衛星に突き刺さった。

 それがわかった理由は単純明快。人工衛星の落下速度が著しく停滞(・・)したのだ。いつかどこかで見た、緩慢な動き(・・・・・)だ。

 

「これは……」

 

「【二の弾(ベート)】の力は時間の停滞。少しは時間稼ぎになるでしょう。しかし、地表が近すぎますわ。この位置では、やはり……」

 

 破壊は困難。墜落の衝撃はなくとも、爆破術式が作動した瞬間に、アレは超特大の破壊力を以て天宮市をシェルター内部ごと消し飛ばしてしまう。言わばあの人工衛星は、単純な質量だけではなく爆弾としての性質を持つ性悪な代物だった。

 

「【三の弾(ギメル)】で時間を進めて劣化を促そうにも、あの術式が時限式である可能性は否定できませんわ。今の(・・)わたくしに出来るのは、アレの足を止めることくらいですわね」

 

「十分だ!! ここで壊せないなら……」

 

 それに、あれほど巨大な鉄の塊の劣化を促すなど、どれほどの霊力が必要かわかったものではない。もう一つ、【三の弾(ギメル)】と対を成す弾丸は未だ狂三の手には戻っていない。

 著しく緩慢な動きとなった人工衛星の真下。士道たちからは直上の位置に狂三が到達した。

 

 ――――――巨大過ぎる、絶望の体現。人の身には余る障害。狂三(精霊)ならまだしも、本来であれば士道(人間)が立ち向かうには、あまりに士道は矮小だ。

 

「頼む……!! 力を、貸してくれ!!」

 

 確かに、士道は矮小な存在だ。士道自身にアレをどうにか出来る力は備わっていない。だが――――――士道が借り受ける精霊たちの力は、決して矮小なものではない。

 狂三に支えられるように抱き抱えられた士道は、彼女に身体の全てを預け両手を空に向かって突き出した。

 

 幾度か力を借りた十香が持つ絶対の剣、天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。心優しき少女、四糸乃が持つ永久凍土の天使〈氷結傀儡(ザドキエル)〉。どちらも強力だが、破壊と停止では意味を成さない。故に、今士道が望む力はたった一つ――――――

 

 

「――――〈颶風騎士(ラファエル)〉!!」

 

 

 颶風の御子が持つ奇跡の風。全てを薙ぎ払う暴風だ。

 今できる中で最大限効果を発揮できる方法が、この天使の力を借りることだった。押し返す(・・・・)。単純であり最も効果的なやり方。

 雑念を払い、強くイメージする。求めし願いはただ一つ、護る。水晶が如き〝天使〟は、資質を持つ者の想いに答えた。

 

 吹き荒れる風が意思を持つように渦を巻き、特大の暴風領域を創り出した。

 

「い――――――けぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 巨大な物体に向かってぶつける士道のイメージをそのままに、竜巻は人工衛星へと真っ直ぐに迫る。まさにその時、【二の弾(ベート)】が効力を失い衛星の速度が一気に加速し(元に戻り)――――――真っ向から激突した。

 

「ぐ……が……っ!!」

 

「士道さん!!」

 

「だい、じょぶ……だっ」

 

 激突の衝撃その物が伝わったような痛みが士道の全身を襲う。顔に苦悶を浮かべた彼を案じる狂三に、口角を上げて強がってみせる――――――人工衛星が勢いを増した。

 

「あ――――がっ!!」

 

「っ……無茶はやめてくださいまし!! これ以上はあなた様の身体が!!」

 

 全身の骨が砕け散ったのではないかという痛み。それを強制的に癒そうとする〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の炎。肉体を内部から痛めつけて炎が燃える地獄の釜に放り込まれる。拷問ならさぞかし効果的だろう。

 

 

「まだ、だ……っ!!」

 

 

 最も、この程度のことで音を上げるほど士道は諦めが良くない。人工衛星とドッキングしているスラスターの出力が上昇し、暴風を押し切らんとする。負けじと士道もイメージに込める力を強めるが――――――加速度的に疲労を蓄積していく士道と、軽く見積って数トンの重量を持つ推進する物体。齎される結果は火を見るより明らかだ。

 

 だとしても、士道は諦めない。伝わってくる、愛しい少女の温もりが。こんなところで、死ねるか。こんなものに、全てを潰されてたまるか。

 

 

「俺たちの……街に……ッ!! 落ちてきてんじゃ――――――ねぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 

 全身全霊の力を引き出すように、士道は押し返される両腕を大きく広げた。拮抗していた風が、衛星を押し返す。が、そこまで。〝天使〟という人には過ぎた力を扱う代償で、士道は声を発する力すら奪い取られる。

 暴風が方向を失い散っていく。狂三が奥歯を噛み、苦渋の決断を下そうとしたまさにその瞬間――――――一陣の風が、凪いだ。

 

「……!?」

 

「く――――ははははははっ!! 我らの力を使ってその程度か、我が従僕よ!! まっこと情けないことよな……しかし、その心意気は見事だ!!」

 

「奮戦。夕弦たちの活躍はこれからです」

 

「ちょっ、それ打ち切り漫画のセリフじゃん!!」

 

「耶倶矢さん、夕弦さん!!」

 

 霧散しかけた風が、資格者である八舞姉妹の手によって再び暴風へとその姿を変える。待ち望んだ援軍に狂三は喜びを隠さず二人の名を呼ぶ。

 

「ふっ、喜べ吸血鬼よ!! 集いし者は我らだけではないぞ!!」

 

「集結。燃える展開です」

 

 大仰な芝居がかった声と平坦ながら力の籠った声が、これほどまでに頼れる日が来るとは。本当に、狂三は変わってしまったものだ。ああ、ああ。二人に言われずとも気付いている。冷気が混ざった風(・・・・・・・・)。その暴風を支えるように、氷で編まれた壁が仰ぎ見る空にあることも。

 

「士道、さん……狂三……さん……!!」

 

 狂三が士道を抱えながら振り向く。そこには、ウサギの人形にしがみついた四糸乃の姿があった。ようやく声を出せるまで焔で回復した士道が、痛む身体を忘れ驚きの声を上げた。

 

「四糸乃……耶倶矢に、夕弦まで……なんでここに!?」

 

「御三方だけではありませんわ」

 

「シドー!!」

 

「だーりん!!」

 

 狂三の言う通り、間を置かず聞き慣れた二人の声が響いたと思うと、光を纏った限定霊装を着た十香と美九まで姿を現した。

 

「十香に……美九も……!!」

 

「うむ、琴里にシドーや狂三、皆が危ないと聞いて急いで転送してもらったのだ。間に合って良かったぞ」

 

「琴里さんは? あちらで何かトラブルがあったのでしょう?」

 

「敵の空中艦と戦ってますよー。まあ、多分そっちは任せておけば大丈夫だと思いますけどー」

 

 美九の説明で合点がいく。人工衛星が欠片も損傷せずに地上へ落ちてきたことはそれが原因なのだろう。必然的に、艦による妨害が存在していると見るべきだ。厄介だが、しかし十香たちが来たからこそ戦いはようやく無謀から勝利の可能性があるスタート地点に立つことが出来たと言える――――――まだ、欠けているピースはあったが。

 

「すまん……助かった。みんなが来てくれなきゃ、正直ヤバかった」 

 

「何を言う。私たちを助けてくれたのはシドーではないか。これくらいでは返せぬ恩を、私たちは既に受けている」

 

 その想いと恩は皆同じなのだろう。十香の言葉に皆が残らず頷いた。

 

「みんな……」

 

「ふふっ、素晴らしいですわ士道さん。これも全て、あなた様の想いが繋がれた結果ですわね」

 

 士道が諦めなかったから、誰一人としてその手を離さず駆け抜けたからこそ、今この場においての希望となった。そう言って微笑む狂三に対し、十香は更に言葉を繋げる。

 

「何を言っているのだ。それは狂三も同じだぞ」

 

「……わたくし?」

 

 キョトンとして目を丸くする。そんな狂三を見て、うむ! と何度も頷く十香。いや、またもや十香だけでなく全員がそれに賛同していた。

 

「シドーは私たちを助けてくれた。だが、そのシドーを護ってくれたのは狂三、誰でもないお前だ」

 

「士道さんを、助けてくれて……ありがとう、ございます……」

 

「わ、わたくしは別に……」

 

 ただ目的のために、士道の霊力のために彼を護っている。彼女たちのように純粋な想いだけではない。しかしそんな狂三の考えを知ってか知らずか、八舞姉妹や美九までここぞとばかりに乗っかってきた。

 

「うむ、我らも狂三には救われたと言っても過言ではないな。その上、我が従僕の士道を護るとはやるではないか」

 

「……な、成り行きでそうなっただけですわ」

 

「慧眼。照れています。狂三のこんな姿は珍しいです」

 

「やーん!! 狂三さんの貴重な照れ顔を拝むチャンスですかー!?」

 

「待った。それ見ていいのは俺だけだからな!!」

 

「な、な……っ」

 

 訂正。士道まで悪ノリしていた。こんな状況だと言うのに、全く能天気が過ぎると狂三は咳払いを一つして、隠し切れないほど赤く染った顔を背けながら声を発した。

 

 

「団欒を楽しんでいる場合ではありませんわ。今はどうか、皆様の力をお貸し下さいませ」

 

「ああ、頼む……みんなの力を貸してくれ!!」

 

 

 あの絶望を止めるために。絶望なんかに士道たちの希望を消させはしない。全員が頷き、霊力の高まりは十分。微かな希望が彼らの手の中に――――――しかし。

 

 

「…………」

 

『…………っ』

 

 

 紅と金の瞳が見据える未来への条件にはそれだけでは足りない(・・・・・・・・・・)。その瞳に映せし未来を掴むために賭けるもの(・・・・・)は――――――一つしか存在しなかった。

 

 

 

 






やり直せる、と言っても狂三は十二の弾を一度も使ったことがないのでホントのホントに奥の手なんですよね。これ、〝なかったこと〟に出来る弾丸なのにその性質上、二回目三回目を前提にできるのか、って不安要素あるので。
下手に過去改変して逆に詰んで霊力足りねぇとか普通に有り得ますし。という事情もあり本人が思ってるより士道の安全確保は重視しちゃってます……まあ、どっちかと言えば個人の感情の方が強いとは思いますけど(小声)

前までの狂三ならあくまでギブアンドテイクな感じで人に頼ったりはしなかったかもしれませんけど、この辺は万由里編でも一人の限界を認識してます。それが狂三にとってどうなるのか……なんでも出来ると思わせるのが時崎狂三で、それをする必要が無い立場になった時何をしでかすのでしょうね。

ちなみに完璧に狂三最強無双で書くとしたら四の弾で大体解決するんじゃねぇかなって身も蓋もないこと思ってます。霊力の限界はあるにしろ便利ですよねダレット、便利すぎて困るくらいには()

次回、絶妙に不穏な引きを残しながら七罪編クライマックス。感想、評価、お気に入り大変励みになってます、ありがとうございます!どしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第七十四話『女王の賭事』

七罪編クライマックス。女王様、平然とそういうことするよね。




 

「アイク!!」

 

「やあ、エレン。素敵な登場だが、少しノックが荒っぽいのではないかな」

 

 インペリアルホテル東天宮スイートルーム。天宮市を一望できる巨大な窓の一部が四角に切り抜かれ、その向こうからCR-ユニットを纏って滞空しているエレンの姿があった。これをノックと言い張るにはかなり無理があるやり方を見ても、ウェストコットは楽しげに冗談を口にするだけだった。

 

「冗談を言っている場合ではありません。今すぐ逃げてください。先の取締役会での造反組が、あなたを狙ってここに人工衛星を墜落させるつもりです」

 

「ああ、聞いているよ。先ほど私の方にも連絡がきた」

 

 その連絡は意外でもあり、同時にウェストコットの心を踊らせるものでもあった。素晴らしい、と読み違えた相手に賞賛の声を送りたくなるほどに。

 

「まさか、マードックに、これほどの度胸と実行力があるとは思っていなかったよ。暗殺者を寄越すのではなく、廃棄予定の人工衛星を使うという手も面白い。いやはや、彼を過小評価していたかもしれないな。素晴らしい人材だ。イギリスに帰ったなら、褒めてやらねばならないな」

 

 飼い犬に噛まれたというのに、ウェストコットは酷く楽しげだ。いいや、本当に楽しいのだ。自分の予想を超える動きをした、あの者共の足掻きが。ともすれば、エレンに腕を切り落とされたことで(・・・・・・・・・・・・)、それほどの度胸がつくほどマードックという男は狂ってしまったのかもしれない。

 

「……アイク。とにかくこのままでは危険です。私が随意領域(テリトリー)で保護しながら、できるだけ遠くへ飛びます。必要なものを纏めてください」

 

「別に、ここでも大丈夫だろう。何、大したことにはならないさ」

 

「……確かに、私と一緒ならば、随意領域で被害を抑えることは可能でしょう。ですが、万一ということがあります」

 

 何事にも絶対はない。〝最強〟であるエレンとてその法則には囚われる。一生の屈辱(・・・・・)を味わった彼女にはそれがよく理解出来ている。

 こんな事になるなら、アイクに逆らう愚か者たちの腕ではなく首を跳ね飛ばしておくべきだったと、後悔先に立たずの言葉が浮かんでしまう。

 が、ウェストコットはそんなエレンの様子を見ても汗一つ見せず冷静に声を発した。

 

「いや、それ以前に、私はマードックの作戦は失敗すると踏んでいるよ」

 

「どういうことですか」

 

 ウェストコット一人を始末するために、エレンという最強の護衛でさえ対処が難しい人工衛星を使う。更には空間震警報を使い全ての責任を空間震に押し付けることで、DEMは〝被害者〟なのだと大衆に知らしめ会社の乗っ取りを狙う。

 ――――――些か雑ではあるが(・・・・・・)、ウェストコットも驚く合理的な手腕だ。だが、マードックたちは知らない。この天宮市がどのような意味を持っているか。正確には、この天宮市に住む彼ら(・・)の事をマードックは知り得ないのだ。

 

 

「ここ天宮市は精霊たちの生活基盤にもなっている。〈ラタトスク〉の空中艦がいるのもまず間違いないだろう。彼らならば、きっと何とかするだろうさ。何しろ、あのエリオットが作り上げた組織なのだし――――――イツカシドウもいるじゃないか」

 

 

 〝あの〟エリオットが創始者となり生み出した組織が、マードック如きの策略に撃ち負けるはずがない。これこそ些か傲慢な考えかもしれないが、ウェストコットはかつての同志(・・・・・・)に対する正当な評価をくだしているつもりだ。

 それ以上に、あの少年ならば(・・・・・・・)、という不可思議な感覚が、期待と言い換えてもいい想いがウェストコットにはあった。何故なのか、理由は彼自身にもまだわからない。しかし彼は――――――

 

「……信じられません。そんな理由でここに留まるというのですか?」

 

「ああ。いけないかな」

 

「当然です。あなたは自分の重要性をわかっていないのですか」

 

「ふむ……」

 

「アイク」

 

 もはや咎めているのを隠していない。しかし、ウェストコットとてエレンの言いたい事はわかっている。

 

「わかったよ。ではこうしよう。確かに万一ということはある。マードックは周到だ。二の手、三の手があることも十分考えられる。だから――――――」

 

 視線を窓から部屋の中心に戻す。そこには、エレンが現れた当初からいたというのにただの一言も発することをしない、寡黙な少女が立っていた。

 

「彼女を、現場に派遣しておこう」

 

「……彼女を、ですか」

 

「ああ、〈メドラウト〉のちょうどいい試運転になるだろう――――――君の力を見せて欲しい。どうかな?」

 

 刃物のように鋭い双眸が少女を射貫く。

 

 

「…………」

 

 

 剣呑な眼力に見定められ……それでもなお、少女は何も言わず、ただこくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 人工衛星を巡る戦況は精霊たちの増援という形で新たな展開を迎え――――――再び士道たちの劣勢を余儀なくされていた。

 

「〈バンダースナッチ〉……!?」

 

「ちっ――――――『わたくしたち』!!」

 

 空の彼方から襲来した無数の〈バンダースナッチ〉。正確な数を推し量ることは出来ないが、少なく見積っても二百、いや三百は下らない。即座に狂三が分身体を呼び出し対抗するが、状況は確実に劣勢の一途を辿っている。

 美九の【行進曲(マーチ)】で力を増した八舞姉妹が、破壊可能な遥か上空まで暴風で押し上げる作戦。当初は上手くいっていたが……限定的な解放なのもあり、時間がかかりすぎる。更に〈バンダースナッチ〉から襲いかかるマイクロミサイルが要の八舞姉妹、落下を氷の壁で防ぐ四糸乃、演奏でサポートをする美九の体力を削りにかかった。

 それぞれが防御を試みるだけではなく、『狂三』が時には撃ち落とし、時には自らを盾にする(・・・・・・・)事で致命傷は防いでいるが……。

 

「みんな!! こいつら――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

「十香さん!!」

 

「わかっている!!」

 

「――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 回復した士道が召喚した〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の斬撃。地面を蹴って空を飛んだ十香へ、狂三が加速の弾丸を用いて彼女の動きをサポートする。『狂三』たちの攻勢も含めて、一気に人形を切り裂いて潰して行く。

 

「これなら……なっ!?」

 

 耶倶矢と夕弦たちに声を、と考えた士道はその光景に目を向いた――――――別の方向から、百を超える〈バンダースナッチ〉の増援が襲来した。

 

「多すぎるだろ、なんだよこれ!!」

 

「しかも、ご丁寧に『わたくしたち』は無視して耶倶矢さんたちだけを狙う利口さですわ。忌々しい、忌々しいですわ」

 

 目を細めて迫る〈バンダースナッチ〉を撃ち落とす狂三を見遣りながら、士道も必死に剣を振るって耶倶矢たちに攻撃を仕掛ける人形を切り飛ばす。

 狂三の言う通り、〈バンダースナッチ〉は攻撃を仕掛ける『狂三』には見向きもせず、身動きが取れない耶倶矢、夕弦、四糸乃、美九への集中攻撃を仕掛けていた。この人形の厄介極まるところは、死を恐れないこと(・・・・・・・・)。数の暴力は『狂三』によって痛いほど証明されているが、人形は彼女たち以上に死を恐れず、死を厭わず冷酷に攻撃を加え続けることが出来る。

 

 しかし、それにしたってこの数は異常だ。『狂三』と〈バンダースナッチ〉。数の有利において、圧倒的に力があるのは『狂三』だ。そもそもの保有数(・・・)が違うのだから、こんな扱い方をしていては〈バンダースナッチ〉がすぐ底を尽きるに決まっている。にも関わらず、このような後先考えない愚策を取る理由――――――はたまた、後がないから(・・・・・・)取れる方法か。どちらにせよ、〈バンダースナッチ〉側に勝ち目はない……狂三に対しては(・・・・・・・)

 

「くそっ、これじゃあ耶倶矢たちが……!!」

 

 本来の霊力が扱えない中で、〈バンダースナッチ〉の急襲。今も踏ん張ってはいるが、決して無傷とはいかない。着実に消耗を余儀なくされていた。もう一度、〈颶風騎士(ラファエル)〉を使い人工衛星を上昇させる援護を行うことも考えたが……その場合、士道が〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を使い十香と人工衛星を破壊するというプランが取れない可能性があった。

 

「このままじゃ……けど、どうすれば……!!」

 

「…………」

 

 妙案が浮かばない。というより、考えを巡らせる暇すらない。そして、共に戦う狂三は沈黙を保っている(・・・・・・・・)。彼女がこの状況で何を考えているのか、それを想像する時間もなく撃ち漏らした〈バンダースナッチ〉が二人に襲いかかる。

 

「この……!!」

 

 直接戦闘能力は低い狂三と言えど、〈バンダースナッチ〉如き敵ではない。古銃から放たれる影の弾が次々と火花を散らして落ちていく。士道も剣を振るい二体、三体と人形の胴体を切断し捌く――――――が、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の連続使用など今の士道がするには自殺行為に近い。

 

「ぐ……っ!!」

 

 膝をつく。それが戦場においてどれだけ致命的な隙になるのか。素人だろうと理解が出来てしまう。〈バンダースナッチ〉が向かってくるのが霞む視界で見て取れる。当然の判断だ、士道さえ殺してしまえばこの戦いは完全に瓦解する。最も、そんな感情は表情のない死神には存在しないだろうが。

 

「シドー!!」

 

「だーりん……!?」

 

 十香たちが異常事態に気づき声を上げるが、彼女達も〈バンダースナッチ〉の壁に阻まれ身動きが取れない。今動けるのは、士道の周りにはいない(・・・・・・・・・・)『狂三』と――――――

 

 

「――――――え?」

 

 

手を広げ無防備に目の前に立つ(・・・・・・・・・・・・・・)、時崎狂三だけだった。

 

 時が止まってしまったような静寂。士道の感覚から全ての音が消えた。手を伸ばした先で――――――〈バンダースナッチ〉がその剣を狂三目掛けて振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……、……、……」

 

 鼓動が速い。押し殺す息すら荒くなっていくのを抑えるのがやっとだ。それが誰のものかなど、七罪自身のものだと言うまでもなかった。

 

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。祈るように、縋るように、己に言い聞かせる。士道と狂三があの人工衛星を止めようとし始めた時はどうなる事かと思ったが、駆けつけた仲間たちが彼らを助けてくれた。だから――――――追い詰められているように見えても、大丈夫なはずだ。

 

「はっ……ぁ」

 

 そうだ。危機的状況に見えても、きっと一発逆転の手段を用意しているはず。士道があのエレンに襲われた時、華麗に士道を守り切った狂三がいる。十香たちがいる。なんだったら、狂三の仲間の白い精霊だっているはずだ。今更、七罪がノコノコ出ていって何になる。

 

「……大丈夫よ……どうせ、誰かが助けてくれるんでしょ……? 早くしなさいよ……」

 

 七罪ではない誰かが、きっと(・・・)。そう願っていた彼女の眼前で、膝を突いた士道に向かって〈バンダースナッチ〉が襲いかかる。士道を容易く切り裂く、光の刃の輝き。エレンに切り裂かれた痛みを思い出し、心臓がギュッと縮まったように痛くなった。

 

「大丈夫よ……狂三が、いるじゃない……」

 

 このままでも士道は死なない。彼を護る精霊が常に近くにいて、その彼女がこの危機を見逃すはずがない。あんな人形の一体や二体、簡単に撃ち壊してしまう。だから、七罪の出番なんて必要ない。七罪の力なんて邪魔になるだけだ。

 ほら、七罪の想像通り、狂三は士道の前に姿を現した。

 

 

「――――――――ぇ」

 

 

 ただし――――――七罪が望む形ではなかったが。

 

 それを見た時、頭が真っ白になった。その瞬間になってようやく――――――七罪は、皆を救える『誰か』は一人しか存在しないことに気づいてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――間に合わない。

 

 飛びつくように足を蹴り上げた士道は、そう直感的に悟る。そもそも、士道を守るために前へ出た狂三を、逆に士道が守るためにどれだけ努力したところで間に合うはずがない。

 

 

「――――――飴、玉……?」

 

 

 そう思ったからこそ、狂三と僅か数センチともない距離でレーザーブレードを防ぐ飴玉(・・)を見てポカンと口を開いた。その飴玉の正体が、士道のポケットから飛び出したチュッパチャプスだと気づく間に、それがレーザーブレードを弾き返して〈バンダースナッチ〉の頭部を破壊し――――――

 

 

「な……七罪!?」

 

「…………」

 

 

 数秒と使わず、魔女のような霊装を纏った少女が姿を見せた。街中を歩き回って探していた少女が、まさか灯台もと暗しで潜んでいた驚きと、飛び出してくれた驚きと、狂三が取った行動への驚き。三種の驚きで身体を硬直させた士道の見守る中、七罪は顔を伏せプルプルとその身を震わせたかと思うと。

 

 

「――――――ばっっっっっっっかじゃないのッ!?」

 

 

 小柄な身体のどこから出したのかという大声を上げ、狂三へ勢いよく掴みかかった。

 

「お、おい七罪!?」

 

「あんた何してんの!? あんたならもっと他に士道を助けられるやり方あったでしょ!! なんでこんな……!!」

 

 慌てて狂三と七罪の元へ駆け寄って肩を掴むが、小さく見えても精霊は精霊なのか士道の力ではとても引き剥がせない。当の狂三は至極落ち着いた様子で七罪を見て……ふと、ホッとしたように(・・・・・・・・)息を吐いた。

 

 

「……やはり、士道さんの傍にいてくださったのですね。安心いたしましたわ、七罪さん」

 

「今はそんなこと聞いてるんじゃ――――――ちょっと待って。あんた、まさか」

 

「ええ、ええ――――――こうでもしないと、七罪さんが出てきてくださらないと思いましたから」

 

 

 唖然とした表情になったのは七罪だけではなく、士道も同じだ。彼女が何を言っているか、一瞬理解に苦しんだ。多分、彼女と出逢ってからの理解できないリスト一位に躍り出たかもしれない。つまり狂三は、七罪を引っ張り出すために(・・・・・・・・・・・・)自ら敵の攻撃の前に立ったのだ。

 狂三の霊装から手を離し、よろよろと後退る七罪。彼女の自嘲気味な笑いが響いた。

 

「は、はは……何よ、それ。まんまと乗せられたってわけ……どうせ、私が出なくてもなんかとしちゃったんでしょ? バカは私だったってわけ――――――」

 

「いえ、七罪さんが出て来なかったなら、わたくしは今頃バッサリ斬られていますわ。危ないところでしたわね」

 

『はぁ!?』

 

 七罪と士道が二人揃って仲良く目を剥く。策がない(・・・・)。〝あの〟時崎狂三が、事実上そう言い切ったありえない現実。驚愕に驚愕を重ねられ、思考は停止寸前まで追い込まれたが段々と状況と狂三がしでかしたこと(・・・・・・・)が読み取れた。

 今に思えば、なぜ不思議に思わなかったのか。数で有利な『狂三』が、不自然に士道の周りにだけいなかった(・・・・・・・・・・・・・)のか。

 

「わたくしも賭けでしたわ。霊装があると言えども、無意味に斬られる趣味はありませんもの。まあ、ここまで追い込まれれば出てきてくださると信じていましたけど」

 

「っ……頭おかしいんじゃないの!? そんなの、賭けになってない!! どうして私なんかをそこまで……」

 

「あら、あら。信じていたのは、七罪さんだけではありませんわ」

 

「え……?」

 

 優雅で大胆な微笑み。士道が見慣れたそれが、向けられたそれが、今だけはあまりにも理不尽で呆れて物も言えない笑みに見えた。そんな士道の心境を知ってか知らずか、狂三は手繰り寄せた未来を誇るように(・・・・・)喉を鳴らした。

 

 

「士道さんが七罪さんを守ろうと……信じているとわかっていましたから――――――七罪さんを信じる士道さんを、わたくしは信頼したまでですわ」

 

 

 ただ、それだけ。全幅の信頼を寄せる士道が信じる人物を、狂三は信じた。それだけでしかない、となんて事ない風に語る愛しい少女の姿に――――――様々な感情が込み上げすぎて、逆に脱力を起こした。

 

「……全部終わったら、説教だからな」

 

「あら、いつも士道さんがなさる無茶に比べれば、現実的な手段を取ったつもりなのですが……」

 

「だからだよ!! 心臓が止まるかと思ったんだからな……っ!!」

 

 士道と違って狙って無茶をした(・・・・・・・・)狂三は相当にタチが悪い。これで自分の安全も確保していたならともかく、全くその事を考えていないのだから本当に怒りが込み上げてくる。人の心配をあれだけしておいて何様なのだと言ってやりたい。

 

「……なんなのよ。なんで、そこまでするのよ……私なんかいなくたって……」

 

「そもそもの前提が違いますわ。今はわたくしより七罪さんのお力が必要だから、こうしたまでですわ」

 

「え……」

 

「わたくしには成すべきことがありますわ。このようなところで、無意味に命を天秤に賭けたつもりはございませんの」

 

 必要だから行う。必要だと思ったから命をかける。全てを救いたいと願う士道と、彼とは目的は異なる狂三。しかし、狂三は士道の理想を尊いものだと感じている。

 

 

この時崎狂三(・・・・・・)が――――――命をかけるに値すると判断したのですわ」

 

「…………ぁ」

 

「わたくし、よく皆様に買いかぶられるのですけれど、一人だと出来ることはそう多くありませんの。だから……七罪さんの(・・・・・)、皆様の助けが欲しいのですわ」

 

 

 誰でもない、七罪の助けが欲しい。彼らを助けられる『誰か』を求めていた――――――それが七罪なのだと、狂三は言う。こんな捻くれて自虐的で良いところがなくて悲しいだけの存在を……この不遜で鼻持ちならない癖に性根が見え隠れしている少女は、必要だと言っている。

 

 でも、結局は判断したのは七罪だ。七罪を変えてくれた士道たちがいたから、『変身』した七罪は狂三を助けた――――――持ちえなかった〝勇気〟を、いつの間にか七罪は手にしていた。

 

 

「そういうわけですので、どうか、非力なわたくしを助けてくださいませんこと――――――可愛い、可愛い、七罪さん」

 

「何が非力よ。ばーかばーか――――――さっさとやるわよ」

 

 

 ドレスのスカートを摘み優雅なお辞儀で畏まった狂三に対し、七罪は帽子の唾で顔を隠して憎まれ口を叩きながらも――――――手伝う(・・・)と言ってくれた。心を開いてくれなかったあの七罪が、やり方はともかく狂三の手腕で確かに心を開いたのだ。

 

「七罪……」

 

「なにボサッとしてんのよ。あのデカいの、壊すんでしょ」

 

「……おうッ!!」

 

「――――――長い作戦会議は終わりまして? 『わたくし』」

 

 〝影〟が蠢いて『狂三』が姿を現す。ハッとなって上を見上げると〈バンダースナッチ〉の数がかなり減ってきている。が、押し返していたはずの人工衛星はジワジワと風と氷を押し返し始めていた。

 

「ええ、ええ。世話をかけましたわ『わたくし』」

 

「まったくですわ。色ボケしすぎたのではなくて?」

 

「……今回ばかりは、否定できそうにありませんわね。十香さんをこちらへ」

 

「承りましたわ」

 

 珍しく分身体への皮肉を受け止めながら、狂三は分身へ指示を出す。十香をこっちへ、ということは人工衛星を破壊する算段なのだろうが……。

 

「けど、どうするんだよ。あれを壊したら爆破術式が……」

 

 八舞姉妹の余力も残り少なく、当初の押し返すという手段は使えない。このままでは天宮市は火の海へまっしぐらなのだ。そんな士道の様子に慌てる事なく、すっかりいつもの調子に戻った狂三が返事を返す。

 

 

「あら、あら。お忘れですの士道さん。七罪さんがどのような〝天使〟をお持ちなのかを」

 

「――――〈贋造魔女(ハニエル)〉!!」

 

 狂三の言葉を引き継いで答えたのは七罪だ。箒型の天使を掲げ、展開された先端から目を覆ってしまう眩い光が溢れた。

 

「わっ、ちょ、なにこれ!?」

 

「驚愕。ブタさんです」

 

「な……っ」

 

 耶倶矢と夕弦の声に一瞬遅れて、士道も二人と同じような驚愕の声を上げた。光が溢れる前と今。僅か一秒程度の間に、あの絶望を齎していた人工衛星が超巨大なブタさんのマスコットに変貌していたのだ。

 

「流石は七罪さん。ご期待通りですわ、ありがとうございます」

 

「無理に褒めなくていいっての――――――ほら、早くしなさいよ」

 

 苛立たしげに、しかし僅かながらではあるが照れたような声色で七罪は言う。

 ふと思い出したのは七罪と最初に出会った時のこと。あの時の七罪は、ASTに襲われて今のようにミサイルを全く別の物体に変化させていた。その時、着弾したミサイルは素っ頓狂な爆発しか起こさなかった――――――七罪の天使〈贋造魔女(ハニエル)〉は物体の外見だけでなく中身まで自在に変化させられる。

 それを正確に頭に入れていた狂三が狙ったのは、まさにこの力で破壊できる状況だったのだ。破壊できる状況さえ作ってもらえれば、この奇跡の体現たる〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の力があれば――――!!

 

「シドー!!」

 

「十香!! 七罪のお陰でアレを破壊できる……力を合わせてやるぞ!!」

 

「うむ!! ――――――その前に、狂三」

 

「はい?」

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構えながら、十香が視線だけを狂三に向ける。剣を構えたままだと、異様に迫力があるというか……否、構えだけでなくその目力のせいだと気づいた。整った顔立ちに凄まれると、下手なプレッシャーより余程効果があってちょっとだけ後退りする。

 

「……な、何かありまして?」

 

「――――――あとで皆と(・・)狂三に言いたいことがあるから、待っていろ」

 

「…………」

 

 何を言われるか、聡明な狂三にはよくわかる。彼女がこの瞬間に思い起こしたのは、以前エレンを相手に分身体を犠牲にして十香に殺人タックルを喰らった時のことだ。その際は分身体を使うという合理的な判断を下したが、今回は士道ごと騙す必要があったため本体が意図的に囮役を担った――――――要するに、全員お怒りらしい。

 士道に助けを求めようにも、困ったことに説教が内定している。拒否する以前に答えは聞いてない、という感じなので、わかりやすくどうしようもなかった。

 

 

「……善処すると出来るだけ控える以外の言い訳、考えておいた方が良いのでしょうか?」

 

「わ、私に聞かないでよ――――〈贋造魔女(ハニエル)〉!!」

 

 

 体のいい建前を用意するまで待って欲しい気持ちがある狂三を後目に、七罪は後詰の準備を始める。こうなったら出し惜しみはなし、もうやけっぱちだと名乗りを上げる。

 

 

「――――【千変万化鏡(カリドスクーペ)】!!」

 

 

 謳うは秘術。〈贋造魔女(ハニエル)〉が持つ最大にして反則に近い奥の手。他の対象ではなく天使そのもの(・・・・・・)が形を変えた。磨き上げられた鏡面のように輝く箒が、粘土のようにその姿を変貌させる。

 

「は……!?」

 

「ぬ!?」

 

 変貌を目の当たりにして目を丸くする士道と十香。それはそうだろう。何せ、天使が形を変えて顕現したのは一本の『剣』。幅広い刀身、黄金に装飾された外装。何を隠そう――――――天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉そのものだった。

 

 

「やるわよ――――――士道に悪戯していいのは、私だけなんだから!!」

 

 

 それを掴んだ七罪が士道の隣に並び立つと、不機嫌そうに見える目付きのまま彼を見遣り声を上げた。どのような理由であろうと、七罪が自分の意思で力を貸してくれている。その事が嬉しくて、士道は笑顔で彼女の想いに答えた。

 

「ああ――――――行くぞ、二人とも!!」

 

 ――――――三つの奇跡から光が溢れる。本来であればありえない奇跡の具現化である最強の一振。一振しか存在し得ないはずの剣が、十香、士道、そして七罪の三人の手にある。

 それによって齎される結果は――――――同時に振り抜かれた天使によって奇跡は現実となった。

 

 

『――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!』

 

 

 めいいっぱい振り抜かれた剣の軌跡に沿うように、三つの斬撃が重なり合い対象へと迫る。最後の悪足掻きにも似た随意領域(テリトリー)がその力を逸らそうと展開されるが――――――

 

 

「おね、がい……!!」

 

「ついでに、持ってけぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

「渾身。えいやー」

 

『――――――――ッ!!』

 

 

 凍土が、暴風が、更には美九の勇猛な行進曲が。それぞれ最後の力を振り絞り斬撃の後を追う。不可視の壁は大きな音を立て砕け散り、残されたのは巨大なだけのマスコット。

 全ての力が集束するようにマスコットへと到達し、コミカルな音を立てて弾け飛ぶ――――――まるで祝福の雨のような無数のチュッパチャプスが辺りに降り注いだ。

 

 そのうちの一つを手に取って、クルクルと遊ぶように外装を剥いだ狂三が、茶目っ気たっぷりに飴を口に含んだ。

 

 

「皆様、全力を出しすぎですわ。わたくしの出番がありませんことよ」

 

「……可愛く食べても、許さないからな」

 

「――――――あら、残念」

 

 

 そうやって、一番のイタズラ娘(・・・・・)は困ったように微笑んだ――――――本当に困るのは、可愛すぎると言う事だと(・・・・・・・・・・・)士道は呆れたように安堵の息を吐いたのだった。

 

 

 

 




×人の心がない 〇段々と心を取り戻してるからこういうことを平然とし始める。

善処する(八舞編参照)(やらないとは言ってない)士道たちに黙って平然と命を天秤に置くの狂ってますね。HAHAHA、なにを今更。
別に狂三が恐れを知らないとか、命をどうとも思ってないとかではなく、狂三が士道に全幅の信頼を置いているから。それを選んだから士道が信じる七罪を信じただけの話なんですよ。やり方はともかく。やり方は、ともかく(大事な事なので) 狂三ちゃん、凝った演出大好きなのでね。

そんな七罪編の裏でちょっとだけウェストコットのお話。原作との違い、少しですが分かるかな?といったところで次回、七罪編エピローグ。
感想、評価、お気に入り、どしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第七十五話『ホワイト・アヴェンジャー』

七罪編エピローグ。え、タイトルがそれじゃないって?いやエピローグ(プロローグ)ってことで一つ……。




 

 

「それでは皆々様、わたくしはこの辺りで失礼いたしま――――――」

 

「逃がすかぁッ!!」

 

「捕縛。そうは問屋が卸しません」

 

 狂三はスタコラサッサと立ち去ろうとした。しかし回り込まれた! 一体どこにそのような余力が残っていたというのか。疾風の如く耶倶矢と夕弦が狂三の手を捕え、身体に張り付いて羽交い締めの形を取った。

 

「……マジシャンは手品の種を暴かれてしまうと、恥ずかしくて死んでしまいたくなりますの。なので、許してはくれませんこと?」

 

「いや、そもそも狂三はマジシャンじゃないだろ。あと手品のネタばらしをしたのお前自身じゃないか」

 

 それは時子さんの設定である。大分ズレた言い訳だと思うが、十香たち全員が狂三に対して険しい怒った表情をしているので無理もないかと思う。あの四糸乃でさえ――怒ることに慣れていないのかそれでも可愛らしいが――それに同調しているのだから尚更だ。

 反省しているのかしていないのか、曖昧な笑みで狂三が声を発した。

 

「それはそうなのですが……というか、何故わたくしだけなのですか。無茶をしたというのなら士道さんも同罪ですわ」

 

「無茶のやり方が分かりづらいわ!! 作戦なら私たちにも教えときなさいよ!!」

 

「同意。この場合、無茶をしたのが問題ではなく、黙って行った上に意図してやっというのが問題です」

 

「狂三さんにあんなことされると、焦っちゃいますよー。もうダメかと思っちゃいましたぁ」

 

『うーん。こればっかりは、よしのんもどうかと思うなー。士道くんだけじゃなく狂三ちゃんにまで無茶されちゃったら、よしのんたちもお助け出来ないよー』

 

 非難轟々すぎていっそ清々しい気持ちになる狂三だった。彼女としては、これでもわかりやすく譲歩したつもりだったので、なかなかに反論しづらい状況だ。

 士道の場合、必要とあらば無茶をしでかしているがそれは必要、かつそうでなければどうしようもない状況での無理だ。狂三の場合はそうではなく、意図してその状況を作り出して(・・・・・・・・・・・・・・)皆に黙って心配をかけたのが問題だと皆は言っている。

 

「……は、反省はしていますわよ? わたくし一人で事を進めたことは、悪かったと思っていますし……」

 

 せめて、七罪が出てこなかったパターンもしっかり用意するべきだったのかもしれない。などとズレた反省をしている時点でお察しである。何も反省していない。

 

「本当に反省しているか? シドーだけではなく、私たちもお前の力になってやりたい。次からはシドーや私たちにも相談するのだぞ」

 

「………………善処はいたしますわ」

 

「……狂三、さん……、危ないこと……しちゃ……めっ、です……」

 

「ぅ……」

 

 そんな怒っているのに慣れていないせいでちょっとうるうるした可愛らしい目で見ないで欲しい。

 だが、約束は出来ないのだ。それは嘘をつく事に他ならないし、今回だって人に教えてしまっては七罪が気づいて不信感を抱かせるだけになっていたかもしれない。あくまで、狂三が勝手にやったことにする必要があったのだ。

 四糸乃から目を逸らした狂三の反応を見て、彼女を捕らえる八舞姉妹が怪しげな笑い声を漏らす。

 

「かか、どうやら反省の色が見えないようだな。なあ夕弦よ」

 

「同調。これは、お仕置き(・・・・)が必要なようです」

 

「し、士道さん」

 

「俺は助けないぞ」

 

 自身も助けられる側の人間ではあるが、士道にさえ相談なしに怪我をするかもしれなかった事を意図してやったのだ。乞うような視線を寄越したって、助け舟は出せないくらい士道も怒っている。

 

「士道さん……お願い、いたしますわ」

 

 そんな目を潤ませて子猫のように最高に愛らしい視線を寄越したって士道は揺るが……揺る、が……。

 

「……ま、まあ狂三も反省してるみたいだし、今回は許してあげても――――――」

 

「はいはい。『わたくし』を甘やかさないでくださいまし」

 

「士道さんは、わたくしたちと楽しくお話いたしましょう」

 

「えっ」

 

「な、『わたくし』!?」

 

 かなりの手応えで士道の助け舟を貰えると勝利を確信した瞬間、まさかの……最近はまさかという程でもない『狂三』の裏切りが発生し士道を連れ出されてしまった。

 

「わ、『わたくし』、何をしていらっしゃいますの!!」

 

「あら、耶倶矢さん達と遊びになられたいのに素直でない『わたくし』。どうかなさいまして?」

 

「だ、誰が――――――」

 

「行くぞ!! 鍛え上げられし我が対魔の指(シャイニング・フィンガー)を喰らうがいい!!」

 

「ちょ、これはただのくすぐり――――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 本当に、あれだけの激戦の後に一体なぜこんな元気があるのか。狂三へのお仕置き(戯れ)に美九まで混ぜてくださいよー、と下心丸出しで突入してしまい、全く収拾がつかなくなりそうで士道は頬を掻きながら苦笑する――――――狂三が、楽しそうに皆といるのを純粋に喜ぶ気持ちの方が大きかったが。

 そんな狂三たちを見て、一人だけ何も言わず無言で立ち去ろうとしている少女――――七罪を士道は呼び止めた。

 

「七罪!!」

 

「っ……な、何よ。狂三にあんなことさせる前に出て来いよって文句? それとも、ずっと飴玉に変身してポケットに潜んでたのが気持ち悪いって……?」

 

 少し怯えた様子ながらも相変わらずなネガティブ発言。どうやら、その辺りはまだまだ根付いてしまっているらしい。そんな七罪に、士道はただ一言、心の底から安堵した言葉を告げた。

 

 

「――――――無事で、よかった」

 

「――――な、に。言ってるのよ……」

 

 

 この期に及んで、まだそんな事を言う。誰でもない七罪に向かって……何があっても、こいつはそういうやつなのだと思い知らされた。

 

「私は、勝手に隠れて……あんたたちは、それで苦労して……それ以前に……私は、あんたたちに酷いことしたし……なのに、なんで、なんで……っ」

 

 辿々しい声に段々と嗚咽が混じり初めて、七罪の言葉が途切れ途切れになる。押さえ込んでいたものが、全て吐き出されていく。

 

「何よ……何なのよ、あんたたち、揃いも揃って……!! バカじゃないの、バカじゃないの……!? 意味わかんない……!! なんで、なん、そ、に……ッ――――――う、うぇ……っ、っく、うぁ、あああああああっ、うああああああああ……っ!!」

 

「お、おい七罪……」

 

 突然泣き出してしまった七罪にどうしたら良いかわからないのだろう。焦った様子の士道や慌てて駆け寄ってきた十香たちも七罪を宥めようとする。そんな優しさが、また更に七罪の雨のような涙を強くした。

 

 

「ご……めんな、ざい……っ、いっぱい悪いコトして……みんなを困らせて……ごめんなさい……っ、みんなが優しくしてくれたのに……憎まれ口ばっかり叩いてごめんなさい……っ」

 

 

 本当は、もっと言いたいことがあったのに。言わなければいけないことがあったはずなのに、怖くて言えなかった。裏切られるのが恐ろしくて、手を取れなかった。そんな事ない、この人たちは違うって心のどこかでわかっていたのに――――――それを認める『勇気』まで、くれた。

 

 

「マッサージしてくれて……嬉しかった……髪を切ってくれて……嬉しかった……服を選んでくれて……嬉しかった……お化粧をしてくれて……嬉しかった――――――みんなが、可愛いって言ってくれて……嬉しかった……っ!!」

 

 

 全部、全部全部全部、嬉しかった。今まで変身して手に入れていた満たされない言葉たちの何倍も、何十倍も、何百倍も――――――嬉しかった。

 ずっと欲しくて、ずっと求めていて、ずっと諦めていたもの。それをくれた皆に言いたくて、言いたくて、たまらなかった言葉がある。

 

「あんなに……嬉しかったのに……あのとき、言えなくて……ごめんなさい……っ」

 

 たった一言。たったそれだけの事が七罪には言えなかった。でも、今なら言える。涙でぐちゃぐちゃで不格好だけど、それでも真っ直ぐに士道の目を見て、七罪は万感の想いを言霊に乗せた。

 

 

「……ありが……とう」

 

 

 やっと、言えた。七罪の言葉に目を丸くした士道が十香たちと目を見合わせる。彼女たちもまた同じような表情をしていた……狂三だけは、七罪のその行動を見て少し嬉しそうに微笑んでいた。

 

「気にするな。こっちこそ、ありがとう。狂三の無茶なやり方のこともそうだけど、お前がいなかったら今頃みんなどうなってたかわからない」

 

「……それも、気にしないでいい。先にお世話になったの、私だし……ほんと、狂三のやり方はどうかと思うけど」

 

「酷いですわ、七罪さんまで……わたくし、傷ついてしまいますわよ」

 

 七罪本人にまで言われると、流石の狂三もブスっとした複雑そうな表情で腕を組んだ。それがまた珍しく、皆の笑いを誘ってしまうのだが。

 

 釣られて七罪も笑顔をこぼして――――――ああ、心の底から嬉しい笑みを浮かべたのなんて、いつぶりだろうと。そう思うと、心がギュッとあったくなる。そんな様子の七罪に、士道がふと右手を差し出した。

 

「え……?」

 

「……全部終わったら、好きなところに行っていいって約束だったし、もうお前を止めたり出来ないんだけどさ、もし良かったら……」

 

 ニッと笑顔を見せた。それは彼らしい、太陽のような温かい笑顔。

 

 

「――――――俺たち、友だちに……なれないかな」

 

「………………っ」

 

 

 そんなの、ズルい。だって、こんな状況で、そんな魅力的な顔をされて――――――その手を伸ばせないやつなんて、どうかしてる。

 

 どうやら、七罪はそんなどうかしている者ではなかったらしい。ゆっくり、恐る恐る、でも確かに、七罪は士道の手を掴んで――――――とても、可愛らしい笑顔を浮かべたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実際のところ、どこまで予測してたんですかね、あの子」

 

封印で霊装が消えて(・・・・・・・・・)、また全員を巻き込んで大騒ぎを始めた士道たちを見下ろしながら、白い少女は同伴する奇抜な服装の狂三へとそう問いかけた。

 七罪の封印自体は、まあこうなった以上すんなり行くとは思っていた。素の七罪を認めてくれる士道たちがいるなら、力を封印されることも特に抵抗はないだろうと思っていて、実際にその通りになった。少女が気になったのは、そこに至るまでの道中(・・)だ。

 

「さて……『わたくし』は士道さんの安全を確保しようといたしますが、同時に士道さんに特別甘いのでしょうから。人工衛星を止める段階までは、士道さんに沿った流れだったと思われますわ」

 

「そこから先は、あの子の手の上だったと?」

 

「そこまでは言いませんわ。ただ、『わたくし』は七罪さんの居場所もある程度当たりは付けていたでしょうし、全て纏めて解決させる道(・・・・・・・・・・・)を狙ったのは確かでしょうね」

 

 そう言って肩を竦めて微笑む狂三を見て、白い少女は気疲れしたようなため息をつく。

 

 

「まったく……あれもこれもと欲張る五河士道に乗っかる形とはいえ、肝が冷えることしてくれますね」

 

 士道も、精霊たちも、士道が守ろうとする街の方たちも……七罪でさえも。恐らく、これを逃せば七罪を助けられない(・・・・・・)と感じたのだろう。〝目〟が多い分、その情報処理や選別能力が培われている子ではあるが、ここに来て極限の戦場下でコントロールを行うとは恐れ入った。

 

「あら、あら。『わたくし』の〝悲願〟の大きさを考えるのであれば、決して悪い傾向とも言えませんわよ。この程度の賭けを乗り越えられず、〝悲願〟など果たせようものではありませんわ。それほど――――――世界を変える(・・・・・・)、というのは難しいことですわ」

 

「…………」

 

 

 それこそが時崎狂三に課せられた罪過の在り処。そのためなら、愛しい人でも喰らう彼女の悲しい覚悟。

 

「……元々、凝った事が好きな子ではありますけど、だからと言ってこういう事を何度もされては困りますけどね。私の心臓が持ちません。また私にまで手を出すな(・・・・・)、なんて」

 

「きひひひ!! 言い返すようですが、元々所用があってこうなるまで席を外していたのはあなたでしょう? あなたが現れてはそれこそ七罪さんを取りこぼす可能性がありましたし――――――あなた、あの力(・・・)をあと何回使えまして?」

 

 おどけるような口調から、鋭利な視線と言葉。誤魔化すことも考えたが、彼女がこの考えに至っている以上無駄な事だと少女は両手を上げて降参のポーズを取った。

 

「……今の状態で使えば、私の霊基が根本から崩壊するでしょうね」

 

「『わたくし』があなたに待機を命じて正解でしたわね。方法がなくなれば、嫌でもあなたに頼らざるを得なくなりますから」

 

「それでも私は構わないですけどね。それしか方法がないのであれば、ですが」

 

「今回はそうであってくれて、わたくし心の底からホッとしていますわ」

 

 その怪しい微笑みだと皮肉にしか聞こえないが、全く察しが良くて嫌になる。この分では本体の狂三も少女の身体が本調子でない事は見抜いているはずだ――――――逆に言えば、そこまで(・・・・)だろうが。

 そして、少女がいなくなっても問題ない〝計画〟に関わる一つを狂三に訊く。

 

「五河琴里の方はどうでした?」

 

「あなたの言う過剰な消費(・・・・・)は免れたようですわ。ギリギリでしたので、もう少し早く仰って欲しかったですけど」

 

「あなたを信頼してるんですよ。私の〝協力者〟さん」

 

 そう冗談を口にする少女に、狂三はまったく、と仕方ないと表情だけで語り眉を下げた。

 念の為、狂三に琴里の事を頼んで正解だった。少女としても、琴里が自らの力を引き出す(・・・・・・・・・・・・)のは予想を超えた事だった。そこまで適応しているのは――――――都合が良い(・・・・・)

 

 さて、と再び歩き始めたら士道たちから視線を外した少女が声を発する。

 

「……帰りますか。今回はこれで終いでしょうし、すぐまた忙しくなりますしね」

 

「あら、誰か騒ぎを起こす宛てに、心当たりでも?」

 

「はっ、心にもないことを言いますね」

 

 狂三は白い少女が何を見ていたか知っている。ならば、この問いかけに答えることはそれこそ無意味である。

 空を見上げれば、三度落ちてくる(・・・・・・・)星が見えて――――――

 

 

「こんばんは、復讐鬼さん」

 

 

 もう一人の復讐鬼が、現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵艦と交戦した〈フラクシナス〉のダメージは大きくはなかったものの、一時的に転送装置が使えないと聞いた士道たちは、歩いて地下施設へ向かっていたのだが――――――その耳に、痛いくらいの警報が鳴り響いた。出処は、耳につけたままのインカム。つまり、〈フラクシナス〉からだ。

 

「ど、どうしたんだ、琴里」

 

『空に魔力反応が観測されたわ……!! これは――――――さっき取り逃した空中艦から、爆破術式の反応が……!?』

 

「なんだって……!?」

 

 破壊したはずの絶望が、殺意に満ちた人工物が再び落下しようとしている。琴里の焦った声が狂三には聞こえたのか、直接士道の様子を見て判断したのかまではわからないが、ぴくりと眉を上げる。

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 そうして、即座に己の天使を召喚し天を仰いだ。事情をまだ呑み込めていない十香たちのみならず、士道も突然の行動に目を剥く。

 

「狂三……!?」

 

「性懲りも無く、落ちてくるのでしょう? 空気の読めない方々ですが、所詮は悪足掻きですわ。わたくしが時間を稼ぎますので、その間に琴里さんに迎撃の準備をお願いいたします、とお伝えくださいまし」

 

「そうか……!! よし、琴里――――――」

 

 準備を、と口に出しかけて――――――空に光が走った。

 

「な……!?」

 

 刹那、爆音を響かせて天宮市の遥か上空で爆発が起こった。それは、間違いなくたった今落ちてきていたはずの爆弾が爆発した音と衝撃。士道と精霊たちは目を見開き、狂三は怪訝な表情で別の方向(・・・・)を見ていた。

 

『反応――――――消失しました!!』

 

『なんですって? 自爆したとでも言うの?』

 

『わ、わかりません、ですが、爆発の直前に、熱源が……』

 

 聞こえてくるクルーの発言に士道は一瞬前の光景を思い返す。熱源、それは間違いなく空に走ったあの光。一本の線が引かれたあれが熱源の正体。だが、そんな狙撃を一体誰が――――――

 

「士道さん、あちらを」

 

「え……っ。あれ、は――――――」

 

 狂三が指し示した方向に、人影が見えた。士道が視認できる距離まで近づいた人影が、空に静止する。

 一目でその人物がCR-ユニットを纏った魔術師(ウィザード)だとわかった。前に見たエレンが着ていたものと似た形状のワイヤリングスーツ。特徴的な形のスラスター。右手に装着した巨大な魔力砲は、先程の光の軌跡の正体だと予測できる。

 

「な、んで……」

 

 だが、そんなものはどうでもよかった。士道が意識を奪われたのは、それを扱う人物(・・・・・・・)――――――白い、少女だと思った。

 少女は〝白〟だった。士道の知る〝白〟でありながら士道の知る〝白〟ではない、苛烈でありながら寡黙な〝白〟だった。

 

 

「――――折、紙……?」

 

 

 士道の友人である、少女だった。

 

 士道たちの敵である(・・・・)意味を持つその力を手に――――――鳶一折紙は、冷たい視線を向けた。

 

 

 






さあ、五年前の精算を始めよう。と言ったところで七罪編完結ー。わーわーどんどんぱふぱふ(感想少なくて絶妙に不安だった顔) 原作だともっとナツーミが心理描写で大暴れしているので9巻『七罪チェンジ』を是非にどうぞ。

狂三が馴染んでいる中不穏なフラグを立て続ける裏側二人。さてさて、何を考えているのかな。
余談ですが、今回のどこまでが狂三の作戦の内だったかはご想像にお任せします。分身体の予想もあくまで予想ですからね、ふふふ。

次章、鳶一エンジェル。白と白の想い。白と黒、復讐鬼たちの邂逅。そして少年は、悲願の片鱗を見る。
感想、評価、お気に入りどしどしお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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鳶一エンジェル
第七十六話『崩壊の序曲』


鳶一エンジェル編、開幕。日常回です。タイトルが死ぬほど不穏だけど日常回です




 

 

 夢を見る。一人の、少女の夢だ。その内容は、どうしてか起きてしまえば何も覚えていない。本当の意味で、一時の夢幻。

 

 夢の中の少女は、幸福だった。裕福な家庭。子煩悩な両親。大切な友人。善良な少女は誰かに恨まれることも、誰かを恨むこともなく平穏な日々を送る。紛うことなき、純粋な女の子――――――それは果たして、士道が見る妄想の産物でしかないのだろうか。わからない。考える前に、この夢は露へと消える。あったのかもしれない。〝なかったこと〟になったのかもしれない。

 

 ――――――少年は、思う。五河士道は時崎狂三を救いたい。だが、狂三は彼の手を取らない。取れない(・・・・)、と彼女は言った。それを取らせるための戦争(デート)であって――――――ある意味では、いつか来る終わり(・・・・・・・・)を引き伸ばすための逃げでしかないのかもしれない。

 

 五河士道は時崎狂三に救われている(・・・・・・)。何度も、何度も、彼女は命を取るべき相手を助けてくれた。士道の理想に、力を貸してくれた――――――救われるだけでいいのか(・・・・・・・・・・・)士道の考えだけで(・・・・・・・・)、救いたいと、それで立ち止まっていいのか。

 士道と狂三は、己が想いに〝答え〟を出した。だが……その先にあるものは、未だ〝答え〟に辿り着いていない。

 

 時崎狂三が真に望むものを、五河士道は知らない。狂三の激情。狂三の願い。狂三の悲願。狂三の、過去(・・)。いつか、いつの日か、狂三の全てを知る時が来たならば、そのとき士道に何が出来るのか。何をしてやれるのか。

 

 今はまだ、士道はその〝答え〟を持たずに――――――

 

 

「ふふ……おはよう、士道くん」

 

「……ん、ああ、おは――――――う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 

 今日もまた、彼が願う平凡な日々が始まるのだ。

 

 

 

「…………顔、洗うか」

 

 霊力を封印したと言っても、元来の貧弱メンタルのせいか霊力が逆流した大人七罪の寝起きサプライズに頭を痛めながら、七罪を追ってバタバタと階段を降りていく琴里に遅れること数十秒、士道はようやく平穏な朝の一時を迎えた。

 まあ、あの様子じゃ捕まらないだろうなぁ、と階段を降りて洗面所へと向かい顔を洗う。冷たい水を浴び、さっぱりした顔を拭うためタオルを――――――

 

「はい士道さん。タオルですわ」

 

「ああ、さんきゅ」

 

 朝の大切な日課だ。やはり、人間これがなければやっていけないな。と狂三から渡された洗われて柔軟なタオルで一通り顔を拭いて一息をつき……。

 

「………………!?」

 

 ガタガタ、と物音を立てて壁に飛び退いて現実を見た。紅を基準に黒色も取り入れられたエプロン。初めて見る、狂三のエプロン姿。寝起きな士道の頭を完璧に叩き起すには、最高すぎる絵面だった。無論、脳内狂三フォルダにバッチリミナーした。永久保存版である。

 

「士道さん、反応が遅すぎますわよ」

 

「……いや、すまん。あとエプロン似合ってる。可愛い、ありがとう」

 

「っ……う、嬉しいですわ、嬉しいですわ。ありがとうございます」

 

 士道の賛辞には慣れているだろうに、普段とは違うことを違う姿でしたからか、少し照れた顔でモジモジとする狂三にまた心打たれて動けなくなる。

 彼女の夢を見たせいか(・・・・・・・)、数日ぶりの狂三に珍しく気づくことが出来なかった士道だが、何だか慣れ親しんだ関係のようでうん、たまには気づかないのも悪くないなとサプライズの重要性を再認識する。狂三が自然に家に入っていることに関しては、もはや咎める気持ちすらない。

 

「くっ……逃げられたわ。相変わらず逃げ足が早いんだから――――――」

 

 と、予想通り七罪を追い切れなかった琴里がその前を通りかかり、ピタッと足を止めた。眉の動かし、硬い表情をすること数秒。

 

「……ほどほどにしなさいよ、バカップル」

 

「狂三がいる事へのツッコミは無しか!?」

 

「この程度でいちいちツッコミ入れてたら切りがないのよ」

 

 それはそれで、妹の適応力に複雑な気持ちになる士道であった。そんな兄妹のやり取りを見て、くすくすと可笑しそうに笑う狂三。『いつも通り』とはいかないが、狂三がいるなんてことはない朝の一幕だった。

 

 

「――――――で、狂三。朝からどうしたんだよ。いや用事がなくても大歓迎だけどさ」

 

 場をリビングに移して、朝食を準備しようとしたら強引に座らされた士道が、先程からテキパキと動く狂三へそう問いかける。

 

「いえ、ふと思い立ったのですわ。士道さんにわたくしの手料理を食べていただきたいと」

 

「ありがとう。それだけで俺は一生戦える」

 

「そ、そこまで喜ばれても困ってしまいますわ……」

 

 ガッツポーズをして目を光らせる士道に狂三が苦笑を見せる。いやいや、何を言うのか。狂三の手料理、しかも朝食ときた。

 

「何言ってんだよ狂三。女の子が作る朝食とか、全高校生の夢だろ」

 

「あなたの場合は〝狂三の〟、が付くからでしょう。まったく、朝からデレデレして情けない」

 

 フン、と不機嫌な顔で椅子に座る琴里に見ても、悪いとは思うが上機嫌は揺るがなかった。勿論、他の精霊のみんなが同じことをしてくれたとしても士道は心から喜ぶし感謝するだろうが、やはり狂三は特別だと言えた。

 精霊をデレさせる人間が、一人に入れ込むのはどうかと思うのだが……琴里は彼がちゃんとみんなを見ていることを知っているので、軽口だけで済ませておいた――――――先日の一件で残った、一つの不安(・・・・・)を考えれば、士道が少し無理をしているのは琴里にだってわかる。

 

「ふふっ、わたくし、これでも料理は得意でしてよ。そんなことを仰る琴里さんも、唸らせて差し上げますわ」

 

「どうかしら。私、士道のお陰で舌は肥えてるのよね。正面から受けてたってやるわよ」

 

「おいおい……」

 

 士道を評価してくれているのは嬉しいが、素直じゃない黒リボンの琴里にそこまで言われると背中が擽ったくなる。まあ、一流シェフとは言わないまでもそれなりに料理に自信がある士道としても、普段はない誰かに作って貰った料理を食べるというのは、狂三が作るという理由がなくとも楽しみだった。

 

「そういや、狂三がここにいるってことは七罪と一緒に来たのか?」

 

「ええ、ええ。ちょうど七罪さんがいらっしゃったので、共にお邪魔いたしましたわ。士道さんを起こしていただこうと思ったのですが……」

 

「……なんで、それだけなのに霊力が逆流するんだよ……」

 

 元々そのつもりで来てくれていたのか、そうだとしても狂三に頼まれたのなら卑屈になる理由は一つもないはずである。士道だって七罪の善意は嬉しいに決まっているのだから。

 

「まあ、色々と考え過ぎて緊張が高まってしまったのでしょうね。士道さんなら大丈夫、と念押しはしたのですけど……」

 

「あの子の弱メンタルには困ったものだけど、最初よりは余程良くなってるから時間をかけるしかないわね」

 

 はぁ、と言葉通り困った表情でため息をつく琴里を見て士道は頬をかいた。七罪はコンプレックスの塊で、些細なことで機嫌を崩す子ではあるが一体何を考えたのやら……逆に、士道が例えば狂三の寝起きを起こそうとする心境を想像してみる――――――色々と危ないし、若干の犯罪臭がするので男女が逆では参考にならないなぁ、と締めくくった。そもそも狂三の寝起きを拝んだ事がない士道にとっては、夢のまた夢というやつである。

 

「お待たせいたしました。どうぞ、お召し上がりくださいませ」

 

「おぉ……!!」

 

 用意された朝食は、シンプル・イズ・ベストという名に相応しいものだった。白米、魚、味噌汁、その他定番の物を揃えながらも、これが狂三が作ったと言うだけで士道の目線からは輝いて見えた。と、置かれた皿の中で一つだけ控え目な小皿に目が行く。それは本来であれば、主食に該当するものであったので、士道は小首を傾げて狂三に訊いた。

 

「狂三、これは?」

 

「そちらは、わたくしの試作品……というべきものですわ。試作品と言いましても、きちんと食べられるものなのでご心配なく」

 

「それは別に心配してないけどな」

 

 今更、狂三が何かを仕込むとか考えられない。まあ、少しのイタズラがあるとかなら可愛いが、それだって仕込むにしても嫌がらせの類でない事は目に見えて予測できる。

 

 

「けど、懐かしいな。親子丼(・・・)か。四糸乃と一緒に食べた時を思い出すな」

 

「ええ、ええ。そうでしょう、そうでしょう。ですから――――――是非に(・・・)、食べていただきたいのですわ」

 

「ああ、それじゃあ……いただきます」

 

 

 手を合わせ、せっかくなので狂三が是非にと口にした親子丼の小皿を手に取る。懐かしさを覚えさせるこの金の輝き、一口分を士道は咀嚼し――――――

 

 

「――――――!!」

 

 

 目を、見開く。特別な味がしたとか、何かが仕込まれていたとか、そういったものではない。そう、ただ一つシンプルで鮮烈で究極の答え。

 

「――――――美味い。これ、すげぇ美味いよ」

 

美味しい(・・・・)。士道の歓喜を表すなら、その一言に尽きる。肉と卵の黄金比。それは完璧な調和(ベストマッチ)な関係を示すものだ。例えば兎と戦車、バカと天才、そんなベストマッチ……いや、アルティメットマッチな奴らとこの親子丼は一緒。それだけではない。恐らく調理法、調味料、処理の仕方まで士道とてここまで考えられるかは自信がない。それほどの力を、この親子丼から感じた。

 なんかちょっと士道のテンションがおかしくなりすぎて過剰な気がするが、とにかく士道はこれが世辞ぬきに〝美味い〟と言い切れる。

 

「あら、あら。ありがとうございます。ですが、まだまだ修行中の身ですわ。そのように褒められては照れてしまいますわ」

 

「いやいや、本当に凄いって。なぁ、琴里――――琴里?」

 

 謙遜が必要ない完成度だと士道は琴里へ同意を求めるが、肝心の琴里が同じく小皿を手にぷるぷると身体を震わせていた。

 

「お、おい、大丈夫か琴里……」

 

「――――――まだよ」

 

「は?」

 

「この程度で士道を超えたと思わないことね!! 私はまだ認めてないわよ!!」

 

「……は?」

 

 突然立ち上がり、ビシッと狂三へ指を指しそう宣言する琴里に士道は二度目を丸くした。ちなみに、箸ではなくちゃんと指で指す辺り行儀が良くておにーちゃん嬉しい、ではなくて。

 

「ふ、ふふ……琴里さんならそう仰られると思っていましたわ――――――ですが次こそは、琴里さんを唸らせるものをご用意いたしますわ」

 

「ふん、いいわ。いつでも受けてたってやろうじゃない――――――私は士道ほど甘くないわよ」

 

 ふふふ……と揃って怪しく睨み合う二人。なんだこれ、なんだこれ、と頭の中で言葉を反芻して。

 

「…………二人とも、ほどほどにな」

 

 やっぱりよく分からないので、冷めないうちに料理をいただくことにした。仲が良さそうなやり取りを止める理由はないだろう。よく分からないので思考停止した、とも言う。うん、これが当たり前の日常になれば良いな、なんて士道は思うのだった。

 

 

 朝食を済ませた後はいつも通りだ。一通り準備を済ませ、家を出る。違いと言えば、見送りに狂三がいるくらいか。

 

「では、行ってらっしゃいませ」

 

「…………」

 

「士道さん?」

 

「ああ、うん。なんでもない。行ってきます」

 

 ただ、なんか良いなと感動に浸ってしまっただけだ。これはなんと言うのだろう――――新婚さんプレイ? 言い方次第で、何とも不健全に聞こえてしまうから不思議だ。

 

「狂三はこの後どうするんだ?」

 

「七罪さんを訪ねてみたいと思いますわ。きっと今頃、今朝の出来事を後悔して自己嫌悪しているでしょうけど」

 

 そう優しく微笑んで言う狂三に、士道は彼女に気づかれない程度で内心驚いていた。狂三が士道を介さず霊力を封印された精霊に会いに行くのは、士道の知る限りでは初めてだと思ったからだ。だが、意外と言えど嬉しくないわけがない。狂三が精霊たちを気にかけ仲良くしてくれるのは、士道も望むところなのだから。

 

 

「……ん。そっか。七罪も喜ぶと思うぜ」

 

「さて、さて。わたくしに会ったところで喜ばれるとは思えませんけれど……まあ、七罪さんを刺激しない程度に努力はしてみますわ」

 

「そうしてやってくれ。俺個人としては――――――また、お前と学校へ通ってみたいんだけどな」

 

 

 冗談半分、ではない。飾り気のない士道の本心を狂三の目を真っ直ぐに見て告げる。狂三は彼の言葉を聞いて目を丸くして、それから少し寂しげな微笑みを見せた。

 

「そうですわね……士道さんとの戦争(デート)、短期間で決着をつけなければならなくなったら、また士道さんのご学友になってもよろしくてよ」

 

「……実質、俺が狂三の霊力を封印するしかないって事か」

 

「ふふ、そういうことですわ」

 

 割と真面目だったのだが、あっさりと振られてしまい士道は肩を落とす。狂三の言う〝短期決戦〟なんて状況は御免蒙る以上、士道が狂三を完膚なきまでにデレさせて霊力を封印し、〈ラタトスク〉が考える幸せな生活を送ってもらうしか方法はなさそうだ――――――本当に、それだけ(・・・・)でいいのか?

 

「っ……じゃあ、今度こそ行ってくる」

 

 チクリと頭を刺すような思考が浮かんだ……かと思えばすぐに消えた。それを振り払い、口惜しいが遅刻をするわけにもいかない。士道は狂三に手を振って踵を返し門の扉を開けた。

 

「あ、士道さん」

 

「ん? どうかしたか?」

 

 と、呼び止められた士道は振り返る。何か言いたいことがあるのだろうか……歯切れが悪い躊躇うような表情。狂三にしては珍しいなと首を捻った。

 

 

「……いえ、どうかお気をつけて(・・・・・・)

 

「……? ああ、狂三もな」

 

 

 結局、そんなやり取りを交わして士道は狂三と別れた。その言葉の意味を、深く考えることもないまま。漠然と、いつも通りの日常を過ごす。

 

 ああ、だから――――――油断があったのかもしれない。手に入れた平和が、あまりにも自然すぎて。心の中で、〝彼女〟はいつものようにいるはずだと思い込んでいたのかもしれない。士道にとってはそれほど、〝彼女〟は学友としてだけではなく日常に溶け込んでいたのだと、後になって気付かされる。

 

 士道の席の左隣。〝彼女〟が彼の右隣の十香と無言で睨み合う日々が続いていたのも、その苦笑いを生む対決すら日常と化していたのも、遠い過去の話ではない。それが、まあ多少の限度はあれど士道の日常となっていたのだ。

 

 

「――――――実は、鳶一さんが急な都合で転校することになってしまいまして……」

 

「――――――――は?」

 

 

 そうして――――――呆気なく、士道の日常から鳶一折紙という少女は姿を消した。

 

 

 






大体七十話前の親子丼ネタ覚えてる人とかいるのだろうか。初期からここしかねぇと思っていたとはいえここに来るまで遠かったような短かったような……ベストマッチネタは個人的に納得行かなかったので絶対もう一回やろうとか思ってたこだわりです。お前飯ネタにビルドネタするの好きね。

五河士道が狂三を救うと願ったのは己のエゴ故です。それは狂三フェイカー編でも語ったこと。そして、そのエゴを肯定しながらも悲願は相反するものだからこそ、二人は本当の意味では相容れない。いつか二人は、答えを出さなければいけない。それが今あるものなのか、それとも全く別のものになるのか……これを組み込むと、終わりが近づいてきてるんだなぁと思います。

ちなみにもう鳶一エンジェル編はほぼ書き終わってます。ペース配分という言葉を知っているか???? 二日ペースの投稿もありなのかなと思ったり思わなかったり。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第七十七話『求める物の先』

ナツーミ回。そういやこの二人原作だと絡み少ないって思ったけど狂三自体そこまで他の精霊と絡みがないんだった。




 

 

「う……う、うがああああああああああっ!!」

 

 枕に顔を埋めて叫び声を上げる。ついでに言えば、手足どころか全身を使って暴れ回るように転がっていた。何やら、いつか見たような光景の再現である。再現と言っても、そう時間を置いていない辺りが七罪らしいが。

 違いと言えば、場所が五河家隣の精霊用マンションである事と、今回は完璧な自業自得案件であるので暴れっぷりがもう清々しいことくらいか。と言っても、七罪の心に清々しさは欠片もないのは確かだろう。

 

 こんなはずではなかった。何故自分はこうなのだと嘆き苦しむ。士道たちのお陰でちょっと、ほんのちょぉぉぉぉぉぉぉっとだけ、本当の自分を認められるようになってきた七罪は、そうなる事ができた理由……士道たちに少しでも恩を返したいと、まずは朝起きて皆を起こしてあげようと考え――――――最終的に、大人のお姉さんバージョンへ変身して、下着姿になって士道と添い寝していた。

 なんで? と、七罪を知らぬ者なら問いかけることだろう。が、七罪にとっては海よりふかぁぁぁぁぁぁぁぁぁい事情があった……まあ、単純な話、緊張のし過ぎで霊力が逆流し無意識に変身してしまい、大人バージョンに引っ張られてしまったというだけなのだが。

 

 やらかした、やってしまったと頭を抱える。嘘泣きで騙した琴里から逃げ延び、自分の部屋に戻って霊力の逆流が収まったあとは、ずっとこれである。

 

「う、うぅ……」

 

 やってしまった事を悔いても仕方がないと人は言うが、悔いて嘆かなければやっていけないのが人というものだ。それに、今朝偶然出会った狂三のお墨付きをもらって、この始末なのだから後悔するなという方が難しい。士道への誘惑とか、なんと言い訳したら良いかわからなくなる。

 そう、こっそり士道の部屋に忍び込もうとした際、七罪は五河家を訪ねていた狂三と遭遇した。最初こそ心臓が飛び出そうなくらい驚いたが、そこは大人の狂三。落ち着いた対応で、快く七罪と話を合わせてくれた。

 

「七罪さん、埃が舞って掃除が大変ですわ。反省は必要ですが、後の事も大切になさってくださいまし」

 

 そうそう。ちょうどこんな風に気さく…………に………………。

 

 たっぷり五秒。思考停止した七罪が再起動をかけ、部屋の入口で開けた扉にノックの仕草をする狂三を見つけた。

 

 

「――――――なんでいるのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

 

 

 至極真っ当な驚愕だった。驚きながらも、毛布を掴み取り塹壕に隠れる兵士のような態勢へ移行する反応速度は、狂三をもってして褒めたいスピードだった。

 

「鍵、開いていましたわよ。警戒心の強い七罪さんにしては珍しいですわね。このマンションは厳重ですが、不用心は関心いたしませんわ」

 

「あ、うん。ごめん……じゃない!! なんで普通に入ってきてるのよ!?」

 

 多分、大人バージョンで帰ってきて多少の油断はあったのだろう。普段の七罪であれば真っ先に確認する鍵の閉め忘れを、あまりに自然な流れで忠告してくれるものだから、素直に受け入れてしまいそうになる。我に返った七罪は毛布の下から叫びを上げた。それを聞いても、狂三は悪びれた様子はなく肩を竦めて声を返す。

「チャイムを鳴らした拍子で、また天使を発現されては困りますもの。これなら驚いて天使を使う暇もないと思いまして」

 

「その逆転の発想を閃いた、みたいなノリで不法侵入するのやめて」

 

 ……まあ、確かに今のテンションだと狂三が言うように多少の驚きで〈贋造魔女(ハニエル)〉を使ってしまったかもしれないし、狂三の不法侵入に驚き過ぎて逆に天使を使えなかったのは事実ではある気がした。

 

「…………で、何の用。朝の事なら悪いと思ってるし、言われたこと一つこなせない情けない私に本当に何の用。こんな私が士道をどうにかするなんて思ってないですごめんなさいしにます」

 

「ジェットコースターも驚く急降下ですわね……」

 

 いつか見た美九の豹変時を超えるジェットコースターな機嫌急降下に、さすがの狂三も眉根を下げた。めちゃくちゃ不器用な警察官が掴めた木綿豆腐すら四散しかねないメンタルである。なんだったら絹ごし豆腐より柔らかい。

 

「今朝の事でしたら、七罪さんが謝るようなことはございませんわ。しっかり士道さんを起こしてくださったではありませんの」

 

「け、けど変身した私が、士道と……その……」

 

「? 何か問題がありまして?」

 

「え」

 

「はい?」

 

 二人揃って首を傾げた。何やら話が噛み合わない。七罪としては殺されても仕方ない。むしろ、私なんかが士道を誘惑してごめんなさい生きててごめんなさい死にますくらいの気持ち表明だったのだが、あっけらかんとしている狂三を見て思わず塹壕(毛布)から出てきてしまった。

 

「……いやいや、下着姿で添い寝よ? 殺されても文句言えないわよ? むしろ死にます本当にごめんなさい生きててすいません」

 

「すぐ死のうとなさるのはやめてくださいまし。別に、七罪さんが士道さんをどう誘惑しようと自由ですわ。わたくし、あの方の恋人ではありませんもの」

 

「……え、付き合ってないの? なんで?」

 

「…………い、いえ。なんで、と申されましても……」

 

 そんなこと訊かれたこともなかった、というように赤面して動揺を見せる狂三。同性の七罪からしても、口元に手を当て視線を逸らす仕草を含めて凄く可愛いと思えた。そうではなく、狂三が士道とお付き合い、すなわち恋人同士ではないという衝撃の事実が衝撃だった。衝撃が二個続くくらいには。

 

「だって……あの距離感で付き合ってないって説得力ないでしょ。士道だって明らかに狂三だけ特別視してるし、何の理由があって……あ、私に事情聞かれるなんて――――――」

 

「ああ、もう。そんな卑屈になさらないでくださいまし。それに、士道さんはわたくしだけ特別扱いしているわけでは……」

 

「いや、してるでしょ……」

 

 その程度、出会って日が浅い七罪にだってわかる。というか、封印前の濃ゆい交流の中で一番士道に近い位置にいて、士道もそれを一切拒んでいなかったのが狂三という精霊だった。

 お人好しの士道は、まず間違いなく精霊全員を気にかけていている。でなければ、毎回命の危機だったと語る精霊攻略なんて酔狂な真似はしない。その中で一際、七罪の目から見ても明らかに特別視され、特別な意味合いを持つのが時崎狂三だった。

 

「そう言われましても……まあ、一言で言葉にするなら、今日のような出来事は七罪さんに限った話ではない。というだけですわ」

 

「え……あ。あー……」

 

 一瞬、狂三の言っている意味がわからず疑問を浮かべた七罪だったが、すぐ彼女の言っていることを理解して声を漏らした。

 精霊に心を開いてもらい、封印する。それが示すものはつまりそういうことで、あのような美少女たちが士道に好意を持っていれば、これまたそういうことである。狂三が妙に寛容な理由もそこにあるのだろう。だが、そうなってくると、やはり最初の疑問が深まってしまう結果になる。

 

 

「……けど、士道が狂三を特別に想ってるのは事実なんでしょ――――――もしかして、前に士道を殺す(・・・・・)とか言ってたのと……?」

 

 

 思い浮かんだ光景の衝撃は、思い返しただけでも相当なものだ。言ってから、踏み込みすぎたかと後悔を表情に滲ませた七罪だが、そんな彼女でさえ訊かずにはいられなかった。それ程まで、七罪から見た士道と狂三の関係は特別で……それをして欲しくない(・・・・・・・・・・)から、事情を知りたいのだ。

 

 

「わ、私なんかが口を突っ込むべきじゃないんだろうし余計なお世話だってのはわかってる。でも……」

 

「……隠し立てする事ではありませんわ。わたくしは士道さんの霊力()を、士道さんはわたくしの(霊力)を、それぞれ奪い合う関係。それだけ、ですもの」

 

「っ……」

 

 

 憂いを帯びた表情に嘘は見られない。息を呑んで、それでも七罪は言葉を続けた。

 

「……どっちも、好きなのに?」

 

「ええ、ええ。傍から見れば、くだらないお話でありますこと」

 

「……思わないわよ、くだらないなんて」

 

 それを思えるほど、七罪は士道と狂三の関係を知らない。たとえ知っていたとしても、そんなこと考えない。

 士道は狂三の霊力を封印したい。その理由の憶測は立てられる――――――しかし、狂三の理由の憶測は立てられない。何を思って、狂三が士道の霊力()を狙うのか七罪は知らない。 そこまで考えて、もっと肝心なことを七罪は知らないと思い立った。

 

「……ねぇ、狂三は士道の霊力が欲しくて、士道は狂三の霊力を封印したい、のよね?」

 

「そうですわ」

 

「……それ、どうやって決着つけるの?」

 

「それは――――――」

 

 話し合いでどうにかなる事象ではない。好きあっているのに狂三がこうして語っている。それだけでは話が解決しないということに他ならない。

 訊くと、狂三は表情こそいつもの微笑みだが、少々言いづらそうにも見える顔で言葉を返した。

 

「……デートですわ」

 

「……? デートして、どうすんの」

 

「いえ、ですから……デートして、お互いをデレさせて、言わせた方が勝ちというもの、ですわ」

 

「…………は?」

 

 ぽかんと目を丸くして疑問符を浮かべる七罪に、狂三は耳まで真っ赤になって慌てて弁解の言葉を口にする。

 

「し、仕方ないではありませんの!! わたくしだって、改めて説明すると恥ずかしいですわ、照れてしまいますわ!! バカな事をしてると思ってもらって結構ですわ!!」

 

「お、思ってないわよ……決着つかないんじゃないのとは思うけど」

 

「…………それを、おっしゃらないでくださいまし」

 

 口を滑らせると狂三が少しどよーんとした空気を出して落ち込んだ。七罪の予想は、狂三にとっても的を射たものだったらしい。

 当人たちや〈ラタトスク〉は至って真面目だし長らくデートを続けているのだろうが、二人がそうなった経緯を知らず付き合いが浅くフラットな目線で見られる七罪からすると、これ以上どうデレるのか(・・・・・・・・・・・)。そういう結論に行き着くのは最もだ。

 

「何か良い方法はないかと、最近は探しているのですが士道さんは難敵ですわ。七罪さんは、何かご存知ありません?」

 

「良い方法って言ったって……そもそも、その勝負に私なんかが口出ししちゃダメでしょ」

 

「あら、あら。わたくしが良いと言えば良いのですわ。まあ、七罪さんは士道さんのお味方をなさるでしょうから、この質問自体に意味がありませんわね」

 

「わ、私は狂三を助けないなんて言ってないわよ」

 

「――――――わたくしが勝てば、士道さんは死んでしまうのですよ?」

 

 一転して鋭い視線を向ける狂三にグッと怯む。今すぐ毛布に包まって彼女の瞳から逃れたい衝動と、やはり私みたいな下等生物がこの件に関わるのは分不相応だ――――――そんな弱気をギリギリで振り払い、真っ直ぐに狂三の視線を見返した。

 

 

「そ、それは嫌だけど……狂三の目的を聞いてからでも判断するのは遅くないでしょ!! どんな理由があったって、士道が死ぬのは嫌だけど、あんたにだって相応の理由があるはずじゃない……」

 

 

どうして(・・・・)。漠然と、七罪はその疑問を浮かべた。今もってその考えはこびりついて消えていない。士道が死ぬのは嫌だ、当たり前だ。人工衛星が落下してきた時、七罪はそれを嫌というほど思い知った。だから、狂三の考えや目的に賛同することは出来ないかもしれない――――――けど、狂三が霊力を求める先を知れば、何かが変わるかもしれない(・・・・・・・・・・・・)

 

「上手く言えないけど……私は、狂三から事情を訊いてから考えたいと思う……だって、私たち、と、と、と……」

 

友達(・・)、ですものね。七罪さんは優しいですわね」

 

「っ……」

 

 優しげな表情で言う狂三。違う、そんなんじゃない。優しいなんて言われるほど、綺麗な気持ちじゃない。ただ、初めて出来た友達の皆を手放したくない。そして、〝変身〟させてくれた友達に少しでも恩返しがしたい。そう思っただけだった。

 今でさえギリギリなのだ。きっと、この気持ちがなければとっくに引きこもっている。ていうか引きこもりたい。友達と言ってもなったばかりで何様のつもりなんだお前は。はいすいませんと今すぐ土下座を決めたい気分だった。明らかに調子に乗りすぎた。と、ガタガタと頭を抱えて震える七罪に何を思ったのか――――――

 

 

「――――――これも全て、〝なかったこと〟になるのでしょうね」

 

「え――――――」

 

 

 気の緩みか、感傷か。どちらにしろ、時崎狂三らしくもないミスだったのだろう。なんでもありませんわ、と首を振る狂三。

 そんな狂三に怪訝な表情を見せ、彼女が言った言葉の意味を考える。七罪は、何度も言うが士道や他の精霊達より狂三との付き合いが短い。しかし短いながらも、彼女が命を懸けて他者を助ける人物(・・・・・・・・・・・・・)なのは文字通り、身をもって知っている。

 だから――――――狂三の目的の先(・・・・)、霊力を手に入れた先にあるものは、彼女が命を懸けるに値する〝何か〟があるのだと思った。

 

 〝なかったこと〟になる。何が……〝なかったこと〟になるのか。このやり取りが? 残酷で、誰にも許されないと語る狂三は、一体何を――――――――

 

 と、その瞬間。ピーンポーンと間延びしたチャイムが鳴り響き、七罪の思考は考察から警戒へと一瞬でジャンピングホッパーをかました。

 

「っ!?」

 

「ただの呼び鈴にそこまで警戒なさらなくとも……この時間の来訪者となると、恐らく四糸乃さんですわね」

 

「な、なんであの子が……ま、まさか……私を……っ!!」

 

 四糸乃のことは知っている。七罪と同じ精霊マンションに住む精霊の一人にして、七罪事件の折、彼女が化けた『よしのん』というパペットの所有者である。人格を持つよしのんは、四糸乃にとって唯一無二の親友。そんなよしのんに化けた汚らわしい七罪に恨みを持っていても不思議ではない……!! と三秒で被害妄想を立てる七罪を見て呆れ顔で狂三が声を発した。

 

「四糸乃さんは、七罪さんが心配なさるようなことをお考えになる方ではありませんので、ご安心を。と言うより、わたくしとは普通に話せるのに、何故そうなってしまうのでしょうか……」

 

「や、あんなことされた後だし…………あんたより、あの白いやつとか、メイド服着た狂三の方がよっぽど怖いし……」

 

 あんなこと、とはもちろん狂三が無茶苦茶な方法でチュッパチャプスに化けた七罪を引っ張り出した時のこと。あの一件があったからこそ、不思議と狂三に物怖じせず話せているのだと思う……のと、何よりあの二人が恐ろし過ぎてこの狂三(・・・・)に対する悪印象が皆無に等しいのだ。

 今だから言えるが、怖かった。大人バージョンでも怖かった。本当の本当に怖かった。もし素の七罪で脅されたらきっと三日三晩寝込んで夢に出てくるくらいの恐怖度があった。テラーなメモリもびっくりな恐ろしさである。

 指をつんつんと合わせ顔を青くする七罪に、狂三は表情をひくつかせながら口を開いた。

 

 

「……一体、何をしでかしましたのあの子とあの『わたくし』は――――――四糸乃さんがいらっしゃるのは、ちょうどいいですわね」

 

 

 後半は何を言っているか聞き取れなかったものの、鳴らされたチャイムの事を思い出し七罪は慌てて玄関へと駆けた。無駄に足音を殺すことも忘れずに。

 

 

 ――――――結論から言うと、七罪が心配してたことは何一つ当たらず、四糸乃の神的な慈悲に当てられ少しでも悪く考えた自分自身の薄汚さを後悔することになった。

 

 ちなみに、赤くなって恥ずかしそうにしながらも友達だと言ってくれた四糸乃に、うわっ、何この子、結婚してぇ……とか、思わず口に出してしまったのは七罪だけの秘密である。ガッツリ聞かれてしまったのは言うまでもないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「な……」

 

 マンションの一室。確かに鳶一折紙が住んでいた(・・)部屋だった。士道の記憶に間違いがあるはずもなく、彼は鍵の開いた部屋に一縷の望みを懸けドアを開け放った――――――そこには、何もなかった。

 

「何なんだよ、これ……」

 

 廊下、リビング、寝室。設置されていたはずの物に至るまで全て、空っぽ。まるで、世界から折紙が消えてしまったかのような錯覚に陥って、士道は力なく座り込んだ。

 携帯なんて、当然繋がりもしない。住んでいたはずの部屋はもぬけの殻。かつては何なんだと愚痴を吐いた逃亡防止用のトラップでさえ、今は恋しいと思ってしまう。

 

「どこに……行っちまったっていうんだよ、折紙……」

 

 ――――――慢心、とでも言えば良いのか。士道は、DEMの装備を纏った折紙を見ていたというのに、心のどこかで思っていた。いや、願っていた。

 折紙なら、士道に事情を説明してくれるはずだと。折紙なら、勝手にいなくなったりしないと。折紙なら……折紙がいる日常は、そう簡単に消えたりしないと。

 それが独りよがりでしかなかったのだと、後悔と無力感と共に押し寄せてくる。

 

「折紙……」

 

 けれど、放ってはおけない。大切な友人として、自身の無力感に言い訳して諦めたりはしない。とにかく、折紙の手がかりがありそうな場所を徹底的に当たるしかない。考えられるのは、陸上自衛隊駐屯地。だが、可能性としては微々たるものだ。ASTは一般的には秘匿の存在であり、仮に以前の折紙のような問題が起きていたとしたら……尚更、彼女の行方など教えてはもらえないだろう。

 他に可能性がないのなら、その僅かな可能性に縋るしかない。可能性がないのであれば(・・・・・・・・・・・)

 

 

『……いえ、どうかお気をつけて』

 

「狂三、お前は……」

 

 

 時崎狂三なら、或いは。分身体による独自の情報網を持つ精霊が、果たして折紙の事を知らなかったのか。否、狂三は士道と共に折紙の姿を見ている。用意周到な彼女が調べていないはずがない。

 今朝、最後に会った時の狂三の様子は、何かを知っていたからではないのか? 勘ぐりが過ぎるのかもしれない、考えすぎなのかもしれない。それはかもしれない(・・・・・・)に過ぎず、やってみる価値はあるということだ。

 

「よし……」

 

 足に気力を灯して立ち上がる。狂三が何を考えていたのか、会ってみればわかること。士道に何も話さなかったのであれば、相応の理由があってしかるべきだ。あの冷静な狂三が、なんの理由もなく躊躇いを表に出すとは思えない。士道は狂三のそういった面を信頼している。

 とにかく、足を動かさなければ始まらない。時は有限なのだから――――――そう思っていた士道は、マンションのエントランスを出た瞬間に脚を止めることになった。止めざるを得ない事情があった。

 

 

「――――――折紙!?」

 

 

 マンションの入口を正面とした路地。そこに立つ一人の少女の姿。短めに切りそろえられた髪、精巧な人形のような表情のない顔。見間違うはずもない。士道の探し人、鳶一折紙その人だ。

 大声で名前を呼びながら、必死に走って彼女元へたどり着く。そうして折紙の両肩を強く掴んで、捲し立てるように声を上げた。

 

 

「一体どこに行ってたんだ!? いきなり転校ってどういうことだよ!! 部屋もがらんどうで――――――」

 

「――――――二人で話がしたい。ついてきて」

 

「え……あ、お、折紙!!」

 

 

 掴んでいたはずの肩がするりと抜け去り、折紙はいつもの調子でそう言って裏路地の方に歩いていった。士道が声をかけても止まる気配はない。

 

「く……」

 

 追いかけないわけには、いかない。表情を引き締め、早足に折紙の後を追う。元々、彼女と話すために探していたのであるし――――――どうしてか、またどこかへ消えてしまいそうな雰囲気があったのだ。

 だから、歩き続けて人気がなくなっていく(・・・・・・・・・・)事に疑問を口にはすれど、折紙を疑う事はしなかった。

 

「あれ……?」

 

 そうして、何度目かの角を曲がった時。一瞬前に同じように角を曲がった彼女の姿が消えた事に、士道は目を丸くした。

 

 

「折紙? どこへ――――――ッ!?」

 

 

 ――――――五河士道という男は甘い(・・)。彼は非日常を生き抜くには甘すぎるが、それでも敵とあらば、誰かを守るために覚悟を決める強さがある……鳶一折紙を〝敵〟と認識しないが故の油断、とも言うべきか。それが士道の美徳であり、性根であり、付け込まれる要因でもある。鳶一折紙が、士道の為なら手段は選ばない(・・・・・・)と知っていたはずなのに。

 

 口元を覆った布から刺激臭が士道の感覚を遮り、意識を反転させる。ゆっくりと倒れ込んだ彼を、折紙は強く、しかし壊れ物を扱うような繊細さで抱き抱える。

 それを止める者はいない。一般の目撃者などいるはずもない。折紙はそこまでを考慮に入れて行動に移している。

 

 

「…………」

 

 

 一人。〝精霊〟だけが、黙って折紙と連れ去られる士道を、白いローブ(・・・・・)を風に靡かせ、ただ黙って見つめていた。

 

 

 






ぶきっちょ刑事すら掴める木綿豆腐よりメンタルが柔らかい女、七罪。まあ冗談はさておき、50話近くやっててようやく決着つくの?というツッコミ。今更過ぎない?とも思いますけどもう言えそうな人が七罪くらいしかいなくてね……フラットな目線で行くと、なんでこいつら付き合ってないのって意見は至極当然という。七罪が狂三と遠慮なく話せてるのは一種の吊り橋効果みたいなもんですはい。比較対象が比較対象なので平気になってるこの子……。

さてさて狂三と〈アンノウン〉は何を考えているのか。折紙編、まだまだ始まったばかりですが頑張ります。
評価、お気に入り登録ありがとうございます!死ぬほど嬉しいです!それはそれとしてストックが11話くらいあるので二日投稿にしてみようかなーとか何とか。
三日だと長いけど二日だと短い気がするうーんこの。投稿ペースを落とさない為に評価、お気に入り、感想などなど物凄くお待ちしております。どれも来たら大喜びで書き進められます(承認欲求お化け再び)
それでは次回をお楽しみに!


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第七十八話『ハツコイ・リフレイン』

元ネタはハツコイ、ファイナリー!からです(直球) アンケート置いておきましたけどもう気分次第ランダムで良いんじゃないかなとか思えてきました(ストックあるのに減るのが嫌だ精神)




 

 成績優秀。スポーツ万能。苦手な物は、なし。誰もが羨むであろう学園の秀才、鳶一折紙。

 彼女ほどの才を持つとなれば他者の嫉妬を買う事もあったはずだが、折紙にとってはどうでも良い事だ。故に、そのような記憶は存在しない。最も、折紙が行う人の領域ギリギリの努力(・・)を見てしまえば、そのような嫉妬は彼女への恐怖へと変わってしまうだろうが。

 

 学業成績、運動能力、共に優秀。得意な教科は算数。苦手な教科は国語。好きな食べ物はグラタン。嫌いな食べ物はセロリ。将来の夢は――――――可愛いお嫁さん。

 全てが変わってしまった、あの瞬間までの折紙。今となっては誰も信じないであろうが、鳶一折紙は普通(・・)の域を超えない、ごく平凡で幸せな生活を送る一人の少女だった(・・・)

 五年前、夏の日。たとえ、地獄へ堕ちようと忘れられない光景があった。たとえ、どんな咎めを受けようと果たすべき業があった。

 

 燃え盛る業火。その中を走る少年(士道)がいて、全く別の場所で同じように走る少女(折紙)がいた。

 折紙には父と母がいた。両親の無事を確かめる、ただそれだけを考えて折紙は走った。走って、走って、走って、そうして見つけた両親の姿を折紙は一生忘れる事はない。

 安堵が身体を満たし歓喜の感情が沸き起こり――――――両親は、目の前で消え失せた。

 

 光。天から降りた一条の光は、『天使』が放つ裁きの柱のように思えた。それは幼い折紙を軽々と吹き飛ばし、光の直下にいた両親はもう人の形をしていなかった(・・・・・・・・・・・・・)

 それからだ。あの時、あの瞬間から折紙は変わった。変わらざるを得なかった。全身を焼き尽さんと暴れ狂う怨嗟を研ぎ澄まし、復讐を誓った。この感情は、誰に理解されるものでも、誰に肯定されるものでもない。復讐というのは、そういったものなのだ。

 優しければ優しいほど、情が深ければ深いほど、愛情は憎しみへと変わる。愛情がなければ、優しくなければ、人は復讐という己しか価値を見い出せないものを選べない。深い愛情があるからこそ、他者の存在を考えた時に葛藤をしてしまう。

 日常の価値を知っているからこそ、復讐鬼は葛藤しながらも決して止まらない。その価値を知っているからこそ、それを奪い去った者を決して許さない。そして――――――誰よりも、絆されてしまう自分自身を許さない。

 

 そんな折紙を完璧に理解し得る者は、同じだけの憤怒を持つ者だけだ。少なくとも、折紙はただ一人だけ知っている。知っていたところで、それはよりにもよって殺すべき精霊(時崎狂三)なのだから、意味がないのと同じだが。

 分かる事と、分かり合う事は決定的に違う。相互理解とは程遠い感情の共有を、折紙は狂三は一度だけ行った。結局は、同じ考えを持つ者であっても折紙の心を休ませる物ではない。

 折紙の心を安らかに出来るのは、あの時(・・・)の少年だけだった。恋焦がれる、というより依存にも似た感情なのかもしれないが、彼がいなければ存在を保てないのだから間違ったものではない。

 

 彼がいるから折紙は折紙でいられて、しかし彼と彼の周りの精霊たちがいるから、折紙の心には迷いが生じる。そして、彼の日常に飛び込んでいけないのは、復讐を選んだものとして当然のことで――――――白と黒の復讐鬼が想い人を同じとして、復讐の対象でさえ同じ(・・)でありながら敵同士なのは、なんという皮肉か。復讐鬼が分かり合う事があるとすれば……復讐を終えるか、歩みを止めた瞬間だけであろう。

 

 果たして、その瞬間が訪れるかどうかは――――――一人の少年だけが、鍵を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――――士道の行方がわからなくなってる?」

 

 昼休みのチャイムが鳴るなり入れられた連絡。琴里は嫌に不穏な気配を感じ取り、瞬時に黒いリボンへ付け替えた。令音からもたらされた報告の内容を聞いて、その気配は間違っていなかったと確信した。

 

「どういうことよ、今は学校でしょ? 狂三と仲良くランデブー、なんてオチがあったら士道を殴るくらいで許してあげるんだけど」

 

『……いや、それはないだろう。どうやら、鳶一折紙が転校したと聞いて早退したようだ』

 

「なんですって……?」

 

 鳶一折紙の転校。それを探しに行ったであろう士道の失踪。とても無関係とは思えない。士道への異常なまでの感情を顧みれば、折紙が士道に一言も告げず転校などまず有り得ない。それこそ、第三者による〝何か〟があったと見るべきだ――――――例えば、先日DEMのCR-ユニットを纏っていた事を考えるに、DEMと何かしらの交渉があった……或いは、あの非人道的な組織に洗脳(・・)された危険性まである。

 

 

「あのバカ……私たちに一言も言わないで……せめてくる――――――」

 

 

 狂三に。そう、自然と口にしようとした琴里は、行き着いた思考によって身体ごと硬直させた。せめて、なんて言ってしまえるほど狂三を信頼してしまっている自分と、狂三が今朝姿を見せたにも関わらず(・・・・)、士道の行方がわからないという異常性が酷く焦りを感じさせた。

 

「令音。十香たちは?」

 

『……十香と八舞姉妹、美九はそれぞれ学校で昼食中――――――狂三は(・・・)、七罪と四糸乃と共に街に遊びに出ているようだ』

 

「っ……!!」

 

 嫌な予感というのは、尽く当たってしまう。狂三が本体か分身か、それは重要ではない。問題なのは、士道にトラブルが起きたというのに〈ラタトスク〉が察知出来る範囲、それも精霊たちの傍に狂三がいるということだ。

 こちらが驚くほど士道を守ろうとする狂三が、DEMが関わっているはずのこの一件で、琴里たちの目が届く範囲にいる。令音も同じような疑問を持ったのだろう、彼女の名は特に強く声に出していた気がした。

 気づいていない、などという可能性は最初に切って捨てた。今の今まで封印された精霊に対して、士道を介さない干渉を控えていた狂三が、このタイミングで七罪たちと行動しているなど偶然であってたまるものか。

 

 〝何か〟が起こっている。いや、起ころうとしている(・・・・・・・・・)。折紙が、狂三が、何を考えているかはわからない。本当に折紙が洗脳されてしまっていたとして、狂三はなぜ動こうとしないのか。動いてないように見せかけて、分身体を、はたまた〈アンノウン〉を動かしているのか――――――そこまで考えて、琴里は頭を振る。

 何を考えているかなど、片隅に追いやる。今はとにかく、士道を探し出し安全を確保する事が先決だ。精霊を保護する組織の司令が、肝心の精霊を頼りに動くなど笑い話にもならない。

 

 

「……そう。不安がらせてもいけないけど、いつまでも誤魔化しきれないわ。私も〈フラクシナス〉に戻るわ――――――何としても、十香たちが家に帰るまでに士道を見つけ出すわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うふふ……」

 

「……な、何よ、突然笑ったりして」

 

 たどたどしさを残しながらも、しっかりとした街の説明を四糸乃から受けていた七罪は、彼女達を見守るように歩いていた狂三が急に小さく笑い声を漏らした事に首を傾げた。

 ……そうか、こんな可愛く美しく優しい女神のような四糸乃に、こんなみすぼらしい七罪の為に街を案内させていることを嘲笑ったのだ。分不相応もそこまでにしておけ、と。そんな七罪の被害妄想はともかくとして、あぁいえ、と辺りの景色を見渡し声を発した。

 

「少し懐かしい……そう、思ってしまったもので。思い出し笑いのようなものですわ、気になさらないでくださいまし」

 

「へぇ……狂三でも、そういうことあるのね……」

 

 狂三から思い出し笑い、という言葉が飛び出てくるのは少し意外だった。同じように立ち止まった四糸乃も、七罪ほどではないが目を丸くしている。二人の様子を見て、狂三は困った風な微笑みを浮かべて言葉を続けた。

 

「もちろんですわ。わたくしとて、自らの記憶を思い起こして笑みをこぼすことの一つや二つありますわ」

 

「な……何を、思い出したんですか……?」

 

「ふふっ、この街に初めて訪れた時のことですわ。ふと、今日のように街を見て回ったことを思い出してしまいましたの」

 

『――――――それってさー、もしかして士道くんと初めて会った時の事だったりするのかなぁん?』

 

 四糸乃の左手に装着されたパペット、よしのんが口をパクパクと開閉させて告げた言葉に、今度は狂三が目を丸くした。何故ならよしのんの指摘は、一部の隙もなく事実(・・)そのものだったのだ。

 

「あら、あら。どうしてそう思われますの?」

 

『いやねー、よしのんも色々考えたのよー。四糸乃は結構早く士道くんと会ったけど、その時にはもう狂三ちゃんは士道くんと知り合いだったじゃなーい』

 

「……そ、そうなの?」

 

「はい……」

 

 まだ日が浅く、その辺の事情を詳しく知らない七罪が四糸乃にコソッと聞くと、軽い相槌と一緒に肯定が返ってきた。封印された順序はわからないが、四糸乃は七罪のような新参と違い古参のようだった。まあ、封印された精霊に古参と新参で優劣も何もないだろうが。

 

『けどさー、琴里ちゃんにそれとなーく訊いて見ても、上手くはぐらかされちゃってねー。それでよしのんはこう考えた!! もしかして、琴里ちゃんも知らないんじゃないのかなー、って』

 

「……なるほど」

 

 琴里が知っていて教えないのではなく、知らないから教えようがないと考えた。肯定するでもなくあごを撫でて見守る狂三に、よしのんはそう語りながら饒舌に言葉を続ける。

 

『〈ラタトスク〉の司令官の琴里ちゃんが知らないって考えたら、四糸乃と似たような会い方とした可能性があるじゃなーい?』

 

 精霊は隣界より空間震を伴って現れるのが基本。士道は基本的に、故意であるかないかは別として精霊たちとは空間震での出現を頼りに接触している。その例外が静粛現界時に接触した四糸乃であり、よしのんは狂三もそうなのではないかと言う。それならば、琴里が知らない理由にも説明がつく。何せ、〈ラタトスク〉が関与しない出会い方をしたならば当人たちが詳しく話さない限り、絶対に知りようがないのだから。

 

『まあ、士道くんも全然教えてくれないし確証は全然なかったんだけどー、今の狂三ちゃんの言葉で繋がった!! 脳細胞がトップギアってかんじのよしのんの推理。どうどう!?』

 

 果たして、パペットに脳細胞は存在するのだろうか? いや、四糸乃と繋がったよしのんには存在すると言えるのかもしれないが、などと七罪が頭をなやませていると拍手の音が鳴り響いた。見れば、狂三が軽く手を叩いている。

 

「大正解ですわ。よしのんさんは将来は探偵業も出来そうですわね」

 

『いやいやー、こういう場合はやっぱり警察官でしょー。せっかく正解したんだし、なんかご褒美ください!! 狂三ちゃんとの一日デート権!!』

 

「っ、よしのん……!!」

 

 わーいわーいと器用に喜びながらそう褒美を所望するよしのんに、四糸乃が恥ずかしそうに咎めるのような声を上げた。狂三はそれを見て微笑ましさを感じたのか、相変わらず優雅な笑みで言葉を返した。

 

「ふふっ、それなら今していますので、報酬は無効ですわね」

 

『あぁん、狂三ちゃんのいけずぅ――――――まあ一番は、狂三ちゃんが嬉しそうに話すのは士道くんとのことかなーって直感なんだけどねー』

 

「っ!?」

 

 油断させたところで、不意打ちのストレート。流石の狂三もこれは効いたのか、明らかな動揺と赤面を見せる。

 今朝の時も思ったが、羞恥の基準が士道なんだなーと七罪も気がつく。普段は余裕たっぷりの彼女は、こと士道に関してだけは生の感情を見せるのだ。

 

『ふふーん、やっぱりねー。せっかくだし聞かせてよぉん。狂三ちゃんと士道くんのな・れ・そ・め』

 

「よ、よしのん、だめ……!!」

 

「構いませんわ。特別、隠し立てすることでもありませんし」

 

 もはや怖いものはないのかというよしのんの口を抑えて諌める四糸乃に、狂三は仕方なさげにため息をついた。

 

 

「とはいえ、そう面白い話ではありませんわ。士道さんは精霊の事を、わたくしは士道さんの力の事を互いに知らずして偶然出逢ったのですから」

 

 

 あの時、士道はまだ何も知らない普通の高校生だった。同時に、狂三も彼の前では精霊という存在ではなく、ただの狂三として出逢ってしまった。今にして思えば、それが命運は分けたとでも言うべきなのかもしれない。知っていれば、〝恋心〟など抱かずにいられたかもしれないし――――――それを後悔しているかと聞かれれば、答えに詰まってしまうのも真実だった。

 

『えぇー、もっと衝撃的な出逢いじゃないのー? あの士道くんがメロメロになっちゃうくらいなんだしさー』

 

「残念ながら、衝撃という意味であれば皆様の方がよほど刺激的ですわね。よしのんさんの期待に応えられるようなものではありませんわ」

 

 まあ、普通だったかと聞かれれば面白おかしいことは言っていた、と狂三は思うがそれは二人だけの秘密だ。そのくらいの特別は、共有してもいいだろう。狂三とて、士道と初めて出逢った時のことは大切な(・・・)記憶なのだから。

 

『うーん、でもあの士道くんが一目惚れ(・・・・)するくらいだしぃ、何かすっごい事があったと思ったんだけどなー』

 

「え、士道って狂三に一目惚れだったの?」

 

『うんにゃ、乙女の勘』

 

「えぇ……」

 

 先程の決め手と言い、刑事や探偵より占い師の方があっているのではないかと七罪は困惑した。そして、あの時化けたのがよしのんで良かったと改めて思う。直感で化けた相手を当てられたらたまったものではない。

 

『ねーねー、そこのところはどうなのさー狂三ちゃーん』

 

「さて、さて。それは士道さんに訊いて見るべきことですわね。最も、答えてくださるかは別ですけれど」

 

 常識的に考えて、顔を真っ赤にして答えられるわけないだろ! と叫ばれるのがオチであるだろう。人に最大の弱点をさらけ出すメリットはないのだから。もしくは……狂三が相手であれば、自信満々にそうだ、と答えてしまいそうな気もしたが。

 

『うーん残念……じゃあ狂三ちゃんはどうなのさー』

 

「わたくしですの?」

 

『うんうん。狂三ちゃんは、一体いつから士道くんのこと好きだったのかなーって』

 

「わたくしは――――――」

 

 思わず答えようとして、答えあぐねた狂三は無意識に唇を指で撫でる。別に、適当にはぐらかしてしまえば良いものを士道に関することだからか、頭の中で真面目に考えてしまった。

 

 いつから。はて、さて、一体いつからだったか(・・・・・・・・)。戒めようとした想い、悲願のために閉じ込めようとした想い。果たしてそれは、いつ頃から持ち合わせていたものだったか。

 

 ――――――告白を受けた時? 恐らく、違う。

 

 ――――――デートを楽しいと自覚した時? これも、違う。自覚というのなら、元々持っていた(・・・・・・・)ということになる。

 

 あの時ではない。この時でもない。狂三は次から次へと記憶を掘り起こしながら、段々と始まりへと回帰する。

 

 〝恋〟。それが〝恋〟なのだと理解したのは、士道へと告白した、まさにあの瞬間。

 狂三はそういったものを経験する前に(・・・・・・)精霊となった。故に、己の容姿が注目や渇望を集めて、尚且つ自身がその価値を理解しているタイプではあるが……〝恋〟という感情表現はあまり得意としていない。知っていたとして、なまじプライドの塊みたいな強情さが取り柄なのもあり、認めようとはしなかっただろう。

 

 戻って、戻って、始まりへ。どうして、時崎狂三は五河士道と話をしたのであったか。決まっている。ほんの刹那の、気まぐれ(・・・・)。ならどうして、そんな気まぐれが起こってしまったのか。

 優しさ、甘さ、愛情、どれも狂三が士道を好むファクターだ。そこに変わりはない。士道が士道だから、狂三はおかしくなっていくのを自覚しながら士道に惹かれてしまった。じゃあ、その始まりの気まぐれは、どうして形になってしまったのか。

 

 

「――――――ああ、ああ」

 

 

 ストンと心に落ちるもの。その恋心は、士道に触れながら成長していったものだった。様々な彼に与えられて、急速に育っていったものだった。では、小さかった頃の〝恋〟はいつ生まれていたのか――――――

 

 

「わたくし……あの時から、士道さんのことが――――――」

 

 

 あの一瞬。気まぐれで立ち寄った桜並木の下。けど、あの一瞬で見つけてしまった情熱の名前は、きっと――――――――――

 

「…………あ」

 

 らしくもない声を出してしまったのは、少し我に返った視界で四糸乃と七罪までもがキラキラと何かを期待した目で狂三を見つめていたせいだ。ついでに、よしのんもよっしゃ言質取ったーみたいな表現のしようがない荒ぶった動きをしていた。

 失態だ。もう何度目かの失態だった。士道が関わると、いつもこうしてろくな目に遭わないと八つ当たりしたくなる。

 

「…………さぁ、いつのことだったのか。わたくし、忘れてしまいましたわ」

 

『おぉっとー、ここで狂三ちゃんのお家芸とはやるねぇ!! そんなこと言ってぇ、狂三ちゃんも士道くんに一目惚れしてたんじゃないのぉ?』

 

「ち・が・い・ま・す・わ。断じて、そのような事はございませんわ」

 

 大体、一目惚れだと認めてしまっては『わたくしは精霊の中で一番チョロい女ですわ』と言っているようなものだ。断じて、断じてそのような事はあってはならない。時崎狂三はそんな軽い女ではない。

 

『えぇー、本当ですのぉ?』

 

『疑わしいですわぁ。ちょっとどころではなく疑わしいですわぁ』

 

『こんなことを言って、いざ士道さんを前にすると雌の顔をなさるのですわぁ。卑しい女ですわぁ』

 

 どこからか聞こえてくる声――まあ一択しかないのだが――にピキっと来て、三人に気づかれないよう狂三は念入りに足元を踏みにじっておいた。そろそろ、この過去の自分自身を黙らせる手段を用意しておいた方が良いかもしれない。と、未だ迫るよしのんの追求を躱しながら――――――次の瞬間、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

 

「っ、ちょっとこれって……」

 

「空間震、警報……です」

 

『おんやぁ? 新しい精霊さんが来るのかなぁん』

 

 空間震、文字通り空間の地震。今チラホラと見て取れる一般人たちにとっては突発的に起こる災害――――――七罪たちにとっては、彼女らと同じ精霊が出現する合図。

 どんな精霊が現れるのか、気にならないわけではないが……。

 

「と、とにかく逃げないと……!!」

 

「は、はい……」

 

「――――――お二人はそのままシェルターへ。わたくしは、行くところが出来ましたわ」

 

 そう言って、狂三は近場のシェルターとは全く逆の方向を向いて走っていこうとする。七罪は慌てて彼女の服の袖を掴んで、咎めるように叫んだ。

 

「ちょ、ちょっと……!! こんな時にどこに……」

 

「……こうなってしまった以上、行かなくてはなりませんわ」

 

 いいや、こうなってしまったから、というのが正しいか。万一に備えてこちらについていたが、やはり最初は十香たち(・・・・)だった――――――同時に、士道は止められなかったのだと気づいてしまい、狂三は瞳を揺らした。

 

 止められなかった。なら、あの子(・・・)は動く。もう賽は投げられた。

 

 

「選んでしまったのですね――――――折紙さん」

 

 

 かつて、時崎狂三も選んだ――――――己を殺す道を。

 

 

 






名刑事よしのん。Start Your Engine!

その僅かな気まぐれ。ほんの一瞬の気まぐれに理屈を付けるとしたら。吹けば消えてしまうようなハツコイは、いつから持ち合わせていたのか。。大きさは同じではなかったとしても、起点となった瞬間は、もしかすればお互いに同じだったのかもしれない……まあ狂三がそれを認めるかは別としてね!あくまで本人の予測なのでご想像にお任せします、本人の予測なのにご想像なのかっていう。

さてさていよいよ次回から本番。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第七十九話『鏡合わせの少女たち』

似ているから、似すぎているから、分かり合えない。のかもしれない。




 

「なぜだ……」

 

 油断なく〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構え、十香は自身を吹き飛ばした相手を見遣る。目は逸らさない。否、逸らせない(・・・・・)。それをしたら最後、十香の首は胴体から切り離されてしまうだろう。

 それだけの〝敵〟が、今目の前にいる。刃を振るわねば十香を含めた耶倶矢、夕弦、美九は尽く狂刃に倒れる。

 奥歯を噛み締め、十香はその殺意に彩られた瞳を真っ直ぐに睨み返した。

 

 

「なぜ、戻ってしまったのだ――――――鳶一折紙!!」

 

「…………」

 

 

 答えは、ない。あるのは、逡巡を感じさせない殺意と――――――憎悪。

 精霊を憎み、精霊を忌み、精霊を(ころ)すことが全てだと、折紙の瞳は語っていた。戻っていた(・・・・・)。憎悪が消えていたわけではない。けれども、十香たちと共に過ごした時間は、折紙の憎悪を最初の頃とは違うものに変えていたのだ。

 それが今は……感じられない。この憎悪を十香は知っている。半年前、まだ十香が世界を何も知らなかった時。十香が、全てを変えてくれた士道と出逢う前。振り乱れる髪を、舞い散る血飛沫を、熱のない瞳で流れ見ていた十香が十香になる前。

 こちらの世界に現れる度、立ち向かってきた女がいた。何度も、何度も何度も何度も、やる気のない十香があしらっても立ち向かってきた女――――――鳶一折紙は、あの瞬間の憎悪に身を立ち返らせた。

 

 なら十香はどうだろう。あの頃のように、何の感情も抱かず折紙を斬る事が出来るのか。殺意と敵意、十香達を殺すという言葉を体現できる力を身につけた鳶一折紙を、斬る事が出来るのか。

 

「…………っ」

 

 殺さなければ、殺される。士道によって、捨て去ることが出来た戦場での常識――――――しかし、今もって十香はそれを受け入れられず息を呑んだ。

 変わったのは、十香も同じこと。折紙に向ける嫌悪、敵意。それらが、折紙を殺してしまえるようなものではなくなっていた。そしてそれは――――――

 

 

「――――――何をしている、十香!!」

 

「……!?」

 

 

 鳶一折紙という最強の敵を前にして、致命的な隙となったことに、今ようやく気づいた。

 

 

「ふっ――――!!」

 

「く、あ……ッ!!」

 

 

 血飛沫が舞う。半年前とは逆。絶対の霊装を切り裂かれ――――――十香の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡る。折紙の手で監禁(・・)された士道の元へ。

 

「折紙……」

 

「…………」

 

 後ろ手に手錠。胴にはロープで括り付けられ、座らされた椅子の足は鋲で床に固定されており、極めつけには人が来ないような廃墟と来た。士道を絶対に逃がすまい、そんな意思を感じさせる。

 この状況下で、士道は折紙から話を聞いていた。力を、精霊を倒す力(・・・・・・)を得るためにDEMに入ったこと。士道を拉致監禁しているのは、DEMの方針ではなく折紙個人が士道を巻き込まないための仕方のない措置だったこと。その巻き込みたくないことというのが――――――十香たちを含めた精霊を抹殺することだと、折紙は自らの口で語った。

 

 精霊を、殺す。折紙は常々口にしていた。五年前の事件、両親の仇だけではない。精霊は全て許してはおけないと。だが、どうしてか……士道は、今までの折紙を見て、この行動が酷く歪だと思ってしまう。

 

「……なあ、十香がうちの高校に転入してきてから、もう半年以上経つんだよな」

 

「…………」

 

「早いもんだよな。お前らと殺し合いしてた精霊が、今じゃあんなに世界に溶け込んでるんだぜ? もちろん十香だけじゃない。四糸乃も、耶倶矢も、夕弦も、七罪も、もちろん琴里や美九だって……みんな『人間』として生きていこうとしてる」

 

 彼女たちは、慣れない日常や憧れていた日常を謳歌している。士道が彼女たちを救ってやれた一番の報酬は、その日常だった。それを見て、折紙が何も感じていないとは思わない。そうでないからこそ、折紙はこんな行動を取ったのではないのか――――!!

 

 

「折紙……お前は、こんなに長い間あいつらを見ていても、何も変わらないだなんて言うのか? 精霊は精霊でしかないなんて……危険な存在だから殺すしかないだなんて言うのかよ……っ!?」

 

「…………ッ」

 

 

 語りかけるような口調は、いつしか強い訴えになっていた。士道の叫びを聞いた折紙は、ここに来て初めて動揺を見せ――――――八つ当たりのように、壁を殴りつけた。

 

「……そんなこと、わかってる」

 

「折、紙……」

 

「夜刀神十香も、他の精霊も、皆精霊には変わりない。復讐の対象に違いない――――――そのはずなのに」

 

 微かに震えた声。滅多なことでは声に感情を乗せない折紙の動揺がわかる。士道に背を向けた後ろ姿が、とある少女と重なった。

 琴里を殺そうとした時、士道はその姿に愛しい少女を幻視した。そして今も、折紙の姿に彼女を重ねている。折紙は折紙だ、十分に理解している。けれど、どうしても……数ヶ月前、学校の屋上で対面した〝仮面〟をつけた時崎狂三が、目に焼き付いて離れない。

 

「彼女たちと日常を共にするうちに、自分の認識が少しずつ変わっていくのが許せなかった。五年前のあの日、精霊に復讐を誓ったはずなのに、次第にこの現状に慣れていく自分が……怖かった」

 

 変わる自分を許せないと語る言葉が。変わる自分が恐ろしいと言う折紙が。全てが、あの時救えなかった少女と重なり合う。

 

「私がDEMに入ったのは、ASTを懲戒処分になったからだけではない。自分のそんな現状に気づいたから――――――夜刀神十香のいる日常を、許容し始めている自分に」

 

「っ……それで、いいじゃないか!!」

 

 何が、ダメなのだ。折紙のそれは、彼女が持つ優しさだ。十香たちが精霊ではなく人間として生きていこうとしていることを、折紙は正しく理解している。それの、何がダメだというのだ。

 

「頼むよ、折紙……お前は、自分を殺しちゃいけないッ!! 殺さないでくれ、優しいお前を!! もう、狂三みたいに苦しむやつを見るのはごめんなんだよ!!」

 

「……時崎、狂三が……?」

 

「ああ、そうだよ。あの時のあいつも悩んで、苦しんで……お前みたいに、心で泣いていた。狂三だって……いつかあいつのことだって、俺が――――――!!」

 

「それは――――――不可能」

 

 酷く冷たい声だった。振り向いた折紙が、え、と呆気に取られた声を出す士道を見つめる。その表情を、士道は初めて見た。鉄仮面のような折紙が見せる、複雑な感情を織り交ぜた顔。激情、嫌悪……それだけではない何かを、折紙は葛藤しながら見せていた。

 

「時崎狂三は、夜刀神十香たちのようにはなれない。彼女を救うことは出来ない(・・・・・・・・・・・・)

 

「な……」

 

 不可能だと言う意味は、折紙を止めることではなく狂三を救うこと(・・・・・・・)だと、彼女は冷酷な瞳で言う。

 

「……なんで、そんな事がわかるんだ!! やってみなくちゃ……!!」

 

「わかる。時崎狂三は、そういう精霊。彼女は――――――」

 

 その言葉の続きを、折紙は一瞬だけ躊躇したように見えた。だが、折紙は迷いを振り切り口を開いた。

 

 

「――――――私と、同じだから」

 

「……え」

 

 

 忌むべき精霊と、同じ。そう語った折紙に、士道は返す言葉を失った。

 鳶一折紙に、士道より狂三と関わりのないはずの彼女に、こう言われてしまった気がしたのだ――――――お前は、時崎狂三の何を知っている(・・・・・・・)、と。

 折紙と重ね、折紙自身も同じと語る……憎悪の意味を(・・・・・・)、五河士道はまだ知らない。狂三が語ることを避けている(・・・・・・・・・・)から、そうやって言い訳していたのではないのか? そう、士道の中で彼自身が責め苦を囁いていた。

 

 

「私が殺すのは精霊だけではない。情に絆されようとしていた、私自身」

 

『わたくしの甘さが、わたくし自身の足を縛り付けているのなら、もう、そんなわたくしは不要でございますわ』

 

「夜刀神十香の命を以て――――――」

 

『これでわたくしは弱い自分を切り捨てる。そうすれば――――――』

 

 

 その言葉の先を、士道はあの時止めることが出来た。けれど、折紙は決して止まらない。違う。あの時だって、狂三を止められたわけではなかった。何も、変わらない。どうしても、五河士道は無力だった――――――〝答え〟を、持たなかった。

 

 

「――――――私は、私を取り戻す」

 

 

 そう言って、折紙は部屋から出て行こうと歩き出す。ハッとなり、士道はがむしゃらに身体を捩り声を張り上げる。そんなもので、折紙が用意した拘束が解けるとも、折紙が止まるとも思えない。それでも、何もしないわけにはいかない。

 

「違う……そんなの取り戻してなんかないだろ!? 今の自分を否定して、今の自分を殺すだけの自傷行為だ!! それをしちまったら、お前は……っ!!」

 

 立ち止まろうとする自分を許せなくて、殺したと思い込もうとする。でもそれは、思い込みでしかない。それをしてしまったら最後、戻れなくなる(・・・・・・)。殺して、殺して、殺して――――――いつか優しい折紙は、そんな自分を許せなくなって、折紙自身を殺してしまう。

 想いが、言葉が、通じていないわけではない。しかし、折紙の足は止まらなかった。

 

「……以前にも、言った」

 

 扉が閉まる僅かな隙間から、冷たい折紙の瞳が士道を射貫く。憎悪と衝動に彩られた瞳に、迷いはない。

 

 

「――――――私は、それを望んでる」

 

 

 あの時と、同じ言葉を。あの時とは、違う歩みを。それだけを残して、折紙は扉の向こうへと消えた。

 

「折紙!! 折紙ッ!!」

 

 声は、もう届かない。抗う身体は拘束され、声もこの廃墟に虚しく響くだけ。

 

「くそ……ッ!?」

 

 その時、士道は暴れる身体を硬直させた。諦めたからではない。折紙が選んだ誰もいないはずの場所――――――現れた、一つの気配。こつり、こつり、士道の真後ろから(・・・・・・・・)聞こえる足音。正体は、〝白〟が彼の目の前に現れた事で知れた。

 

「〈アンノウン〉……!?」

 

「……直接会うのはお久しぶりですね、五河士道」

 

 白い外装。拘束された士道を見ても、他人事のような声色を出した少女は、彼がよく知る〈アンノウン〉と呼ばれる〝精霊〟その人だった。

 直接会うのは以前の一件以来であり、確かに少女の言う通りであったが、今はそんな事はどうでも良かった。

 

「なんでここに……と、とにかく助かった。この手錠とロープを解くのを手伝ってくれ!!」

 

「…………」

 

「お、おい……どうしたんだ……?」

 

 頷くでもなく、何かの行動を示すのでもなく、白い少女はただ士道を見つめていた。

 少女の顔は、ローブの中で暗く見えない。今までもそうだったはずなのに、以前と変わることはないはずなのに……酷く、恐ろしいものを見ているようだった。

 

「……あなたでも、鳶一折紙は止められませんでしたか」

 

「く……」

 

「別に責めているわけではありません。あなたなら、僅かであっても可能性があると考えただけです……あの子と、同じように」

 

 けど、それは叶わなかった。暗にそう言っている少女に、士道は必死になって声を上げる。

 

「まだそうと決まったわけじゃない。今すぐ折紙を追いかけて……」

 

「……そうですね。我が女王なら、あなたの願いを叶えたかもしれません――――――けど、私の答えは違います」

 

「っ!!」

 

 凛とした、殺気の篭った声(・・・・・・・)。士道は経験したことがある。この少女に似合わぬ鋭すぎる明確な敵意は、士道に向けられたものではない。真那の時と同じ、他者に向けられたものだ(・・・・・・・・・・・)。誰にだなんて、考えるでもなかった。

 

 

「こうなった以上、鳶一折紙は私の〝敵〟です。私は狂三ほど優しくない。彼女がそれを選んだのなら、私も容赦はしません」

 

「お前、それは……っ!!」

 

「ええ――――――私は、鳶一折紙の命を奪います」

 

 

 最悪の、答えだった。精霊と魔術師の殺し合い。それも、士道が知っている友人同士のもの。浮かび上がる泥沼の未来を受け入れるわけにはいかない。

 

「待ってくれ!! 俺が何とかする……だから、頼む!! お前と折紙が戦ったら――――――」

 

「私が死ぬか、鳶一折紙が死ぬかの二択でしょうね」

 

「それがわかってるなら……!!」

 

「わかっているから、ですよ。もう、可能性に賭ける時間(・・・・・・・・・)は終わりました」

 

 少なくとも少女の中では、終わりを告げた。たとえ五河士道が諦めずとも、狂三がその可能性を拾おうとも、白い少女は折紙を〝敵〟と認識する。その決断は揺るがない。

 

「以前までの彼女であれば見過ごす事も出来ました。しかし、今の彼女は違う。万に一つだとしても(・・・・・・・・・)狂三に害を成す(・・・・・・・)可能性がある力を手にしてしまった」

 

「狂三、に……」

 

精霊であるならば(・・・・・・・・)。折紙はそう言った。それは、強大な力を持つ狂三も例外ではない。寧ろ、折紙からすれば優先的に倒すべき精霊だろう。

 少女の言葉を聞いて、士道はようやく少女の殺気の正体を、込められた明確な意味を感じた。少女が〝敵〟と定める人物、それは少女に敵意を持つ者ではない。

 

「お前は……お前の〝敵〟って言うのは、そういう事か……」

 

「ええ。時崎狂三に害を成す者は〝敵〟です。たとえ、誰であっても(・・・・・・)変わらない」

 

 〝自分自身〟が欠けた少女。時崎狂三を第一に考えていることは知っていた。自らを否定する少女が目指す先に、何があるのかまではわからない。だが……そうまでして狂三の〝敵〟を消し去ろうとする少女の姿が、士道には恐ろしく映ると同時に、〝狂愛〟のようなものを感じた。

 しかし、それに押されてしまっては士道が望まない結末が訪れる。奥歯を噛み、恐れを殺して士道は喉を震わせた。

 

「けど!! それなら、なんでお前はすぐに折紙を排除しなかったんだ!! 力を手に入れたって知ってたんだろ? お前なら、もっと早く動いたはずだろ!?」

 

 少女が本当に折紙を〝敵〟と判断していたなら、少女は士道の前に現れる必要はないはずだ。なのに、こうして士道と話しているということは、まだ説得できる可能性があるということだ。 行動に移さなかっただけの理由を――――――少女は、微笑んで語った。

 

「――――――あなたがいたからですよ」

 

「……俺、が?」

 

「言ったでしょう。あなたならば、と。狂三を迷わせているあなたなら……鳶一折紙が特別視している五河士道なら、或いはと思ったから私は待ったんです。私とて、彼女を殺したいわけじゃないですから」

 

 最大限の譲歩だと、少女は言う。その裏の意味は……可能性に賭ける時間は終わった(・・・・・・・・・・・・・・)。少女が口にした言葉通り、少女は士道を信頼していて、士道は少女の信頼に答えられなかった。それが、全て。

 

「もう一つ、あなたの言う〝躊躇い〟があったとしたら……知りたい(・・・・)のかもしれません」

 

「え……?」

 

 曖昧に言う少女は、士道が何をと問いかける前に言葉を続けた。

 

 

「鳶一折紙の行く末に。あなたは、考えたことがありますか? 復讐鬼が復讐を果たしたとして、もしもそれが叶ったとして、その子は何を思うのか――――――未来を、見る事が出来るのか」

 

「――――――それ、は……」

 

 

 どうしてか、それは折紙の事だけを言っているのではないと思えて、士道は言葉を失った。

 復讐の先。復讐が間違っている、だなんて綺麗事だ。士道だって、大切な人を殺されたらその道に堕ちてしまうかもしれない。それでも士道は、折紙が絶望の道を突き進もうとしているのを止めたくて――――――その果てにあるものが、絶望しかないのだと確信があった。

 思い至った士道を見て、少女が何を思ったのかはわからない。だが、士道の考えと少女の考えにそう差はないと思えてならない。士道も、少女も……愛する者が同じ(・・・・・・・)であるが故に。

 

「目指すものは同じでも、目指す手段は違います。だから、必ずしも叶った果てが同じとは限らない。それでも、知りたいと思ってしまったんです」

 

「…………」

 

「……これは、あくまで私個人の目的です。だから、鳶一折紙を討つことへの躊躇いになっても、止める理由にはならない。その為に夜刀神十香たちを殺させるわけにもいきませんから――――――もう一つ、白状するとね」

 

 扉に向かって歩き出した少女が、ふと口調を緩め立ち止まる。

 

 

「――――――私、ああいう子が好きみたいなんだ」

 

「――――――俺だって、同じだよ」

 

 

 想いは、同じであるはずなのに。答えは、こんなにも違っていた。

 

「……ごめんなさい。私はこういう生き方しか出来ない。あなたのように、全ては救えない。恨んでくれて、構いません」

 

 錆び付いた音を慣らして扉が閉められる。パラパラと、脆くなった壁材の破片がこぼれ落ちた。

 

「謝るくらいなら、行くんじゃねぇよ……バッカ野郎……ッ!!」

 

 言葉は虚しく響いて、消える。好きだと言いながら、本気でそう思っているのに、折紙を殺そうとする少女を止める術を士道は持たなかった。

 

 それでも――――――少年の心は、折れていない。

 

 

 






シリアスしてるけどこの直前に変態でHENTAIな行動してますからね折紙ちゃん。

〈アンノウン〉は好きな子はハッキリと融通効かせるけどそれはそれとして目的のためなら殺します。まあ、融通効かせてくれるところは幅広いので、即座にこんなことにはならんのですが、相手が意見を変えずそれでもそれしかないならやります。誰とは言いませんが振り切った目的意識が誰かに似てますね、HAHAHA

次回、こんな雰囲気だけどラブラブ回。誰が助けに来るかなんて、それはもうお決まりですよ。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第八十話『交わる想い、交わらない道』

記念すべき80話。お前完結までに何話使うつもりなんだよ80話ですね。




「この……外れろってんだよ……!!」

 

 縛り付けられた椅子を必死に揺すり、背で手錠に繋がれた両手首を椅子に打ち付ける。無論、そんなことであの折紙が施した厳重な拘束が解けるはずもない。

 だが、時間を無駄にはしていられない。今この瞬間にも、十香たちは危機に晒されている――――――先ほど鳴り響いた空間震警報が、嫌な想像を掻き立てた。

 普通の空間震警報であれば、折紙は戻ってくるはずである。何故なら、こんなところに士道を監禁した意味がなくなるからだ。あくまで、折紙は士道の安全を最大限確保してこの場所を選んだ。それが示す意味、以前にも行われたDEMの工作。つまるところ、意図的な(・・・・)誤報だ。

 

「こうなったら……」

 

 士道は息を整え、目を閉じて覚悟を決めた。普通のやり方では壊れない。なら、普通じゃないやり方を試すまでだ。一番に思いついたのが、回復前提(・・・・)の破壊作業。普通の人間なら、やる前に無理だと悟る上にやったところで怪我を負うだけだが、生憎と士道の持つ力は普通ではない。

 覚悟を決めたとはいえ、自らを痛めつける趣味は士道にはない。が、起ころうとしている悲劇を見過ごす趣味も士道にはない。この場において重視されるのは、少なくとも士道の中では後者である。

 

「よし……っ!!」

 

 歯を食いしばり、手錠のついた両手を出来うる限り離して――――――

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【三の弾(ギメル)】」

 

 

 数発、撃鉄を落とした彼女の弾丸が士道の耳に届く。彼がそれを認識した時には、既に弾丸は着弾していた。錆び付いた手錠と、ボロボロになった縄が自然と士道を拘束する役目を果たせず朽ち果てていく。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【三の弾(ギメル)】。士道が知る〈刻々帝(ザフキエル)〉の力……時間を戻す、止める、進めるの中で、時間を進める(・・・)弾丸だ。この力を使えるのは、この世でただ一人。

 

「……狂三」

 

「ごきげんよう、士道さん」

 

 風が舞うように、霊装のスカートを揺らして。変わらない狂三が、士道の眼前に現れた。その手には、士道の縛めを解いた銃も握られている。

 

「どうやら、それを解くために無理はしていらっしゃらないようですわね」

 

「お前があと三秒遅かったら、そうなってたけどな」

 

「あら、あら。それは残念、と言うべきなのかしら」

 

 冗談めかして笑う仕草にホッと息をつく。それを見た狂三は意味を察したのか、眉を下げて唇を動かした。

 

「わたくしに驚かれないということは、どうやらあの子(・・・)は士道さんに会って行かれたようですわね」

 

「ああ……好き放題言ってくれたよ」

 

 少女が動いているから、きっと狂三は来ると思っていた。驚かなかった理由は、単純にそれだけだ。ただ、わからなかったのは狂三がどういう理由で白い少女の事を黙認していたか、だ。

 

「狂三は、知ってたんだよな。折紙のこと」

 

「ええ。その上で、あの子に事をお任せしました――――――正確に言えば、あの子がそれを望んでいました」

 

「あいつが?」

 

「『鳶一折紙の一件、どうか私に任せてくれませんか』。そう言い出したのはあの子で、わたくしも七罪さんの一件で一つ我儘を押し通していたもので、断るわけにもいきませんでしたわ」

 

 肩を竦め仰々しい態度で言う狂三を見て、士道はそれだけではない(・・・・・・・・)と思った。

 多分、狂三は〈アンノウン〉が自ら望んだ(・・・・・)願いを、断る事をしたくなかったのだろう。折紙を倒すだけなら、他にいくらでもやり方があったはずだ。それをわかっていながら、僅かでも我を通した(・・・・・)少女の想い。狂三が、断れるはずがない。

 

「あいつ……折紙のこと好きだってさ」

 

「あら、堂々と浮気とはあの子もなかなかですわね」

 

「ほんとにな――――――けど、狂三の為に折紙を殺そうとしてる」

 

 そして、折紙も……復讐の為に精霊を殺そうとしている。どちらが正しいのか、どちらも正しくないのか。少なくとも、士道に復讐する者の気持ちを完璧に理解する事は出来ない。想像することは出来ても、全てを理解しているなんて傲慢な考えは持てない。

 けれど、白い少女の考えを――――――士道は理解してしまえる。愛しい少女の為に、全てを。それはまさに、五河士道の衝動そのものだから。その上で、士道の答えは決まっていた。

 

「……折紙さんの復讐。躊躇いを振り切る為の儀式とでも言いましょう。そして、あの子の決断。それを知った上で、士道さんは如何なさいますか?」

 

「――――――止める」

 

 朽ち果てた縄を振り払い、士道は立ち上がって狂三と相対した。どちらの行動もわかった。だったら、士道が取るべき選択はそれだけだ。

 覚悟を試すような狂三の視線を、正面から受けて立つ。

 

「折紙さんとあの子の覚悟。並大抵ではありませんわ。それでも?」

 

「それでも。俺は、止める。あいつらだって好き勝手やってるんだ――――――俺も、そうするさ」

 

 元より、士道の願いは折紙と相容れず、折紙の願いは白い少女と相容れない。だが、少ない希望でも可能性があるのなら、士道は止める。悲劇を止めてみせる。そして、そのためには――――――

 

 

「だから狂三……また、お前の力を貸してくれ」

 

「ええ。それがあなた様の願いなら、喜んで」

 

 

 躊躇い、逡巡。そういったものは一切感じさせず、狂三はスカートの裾を摘み上げていつ見ても優雅な返事を返した――――――言い出した士道が、呆気に取られるほどに。

 

「……なあ、俺結構酷いこと言ってると思うんだけど、良いのか?」

 

「あら、いつもは酷くないとおっしゃられますの? 思っていたより楽観的ですのね、士道さんは」

 

「いや、そういうわけじゃないが……折紙を止めるってことは、少なからずお前に危険があるってことだろ」

 

 それを排するため、白い少女は行動しているのだ。士道が狂三に助けを求めるのは、お前を殺そうとする相手を(・・・・・・・・・・・・)助ける手伝いをしてくれ(・・・・・・・・・・・)と言っているのと同義。断られることは覚悟していたのだ。

 

「それに……お前が静観してたのはあいつに頼まれたからなんだろ? それを破る事になるんじゃ……」

 

「いいえ。あの子は折紙さんとの事を、自分に任せて欲しいとだけでおっしゃりましたもの。士道さんに手を貸すだけなら、わたくし〝は〟折紙さんに手出しをしていませんわ」

 

「うわ、すげぇ屁理屈……というか無理やり過ぎる……」

 

 解釈の仕方が強引すぎて、なんというか白い少女の普段の苦労がわかる気がした。しかし、この屁理屈で押し通すにしても最初の疑問が解決していない。狂三は、どうして自分に不利が生まれることを――――――

 

 

不躾なこと(・・・・・)考えないでくださいまし――――――わたくしに、今更その理由を言わせるのですか?」

 

「……ぁ」

 

 

 狂三が士道を助ける理由。霊力を、持っているから。ああ、それだって理由の一つだ。でも、彼女は今まで、それだけで手を貸してくれていたか? その本心(理由)を、狂三は口に出す事はしない。知っているなら、言わせるなと狂三は言っている。

 そうして、思わず笑みがこぼれた。同時に、狂三の手を引いて――――――抱きしめた。

 

 

「……ごめん。それから、ありがとう。お前を好きになりすぎて、困っちまうよ」

 

「うふふ。いくらでも困ってくださいな。わたくし、あなた様が考えているより、尽くす(・・・)タイプですのよ」

 

「ああ、知ってるさ。将来、俺の中で絶対にお嫁さんにしたいタイプナンバーワンだ」

 

「まあ、お上手。そうなる前に、士道さんはわたくしに全てを捧げる予定ですけれど」

 

 

 あなた様の願いなら、喜んで。初めから、狂三は問いかけの答えを言っていた。士道だって同じだ。お互いに相手の全てを好きだから、相手が望むことを叶えてやりたい。それが、二人の愛なのだから。

 でも、全てを愛しているのに、全てを捧げることは出来ない。

 

 

『――――――私と、同じだから』

 

「……っ」

 

 

 その理由を、士道はまだ知らない。時崎狂三が命よりも重いと言った、折紙が救えないと言った理由を。

 知らなくてはいけない。いや、知りたい。たとえ、狂三の持つ真実がどれほど重いものであっても、どれほど残酷なものであっても、士道は狂三の全てを知って救いたい(・・・・)。誰になんと言われようと、諦めるのは知ってからでも遅くはない。

 

 そのためにも、狂三と戦争(デート)し続ける。

 

 

「どうかな。それより前に、俺に全部を捧げてもらう予定だ――――――俺は、今のお前も、過去のお前も、全部(・・)が知りたい」

 

「それは……」

 

「今すぐじゃなくていい。お前が何の憂いもないくらい、俺は強くなってみせるから。だから……!!」

 

 

 言いたくないことを、無理やり言わせる趣味はない。狂三が何故、士道に理由を語らないのか、語りたくないのか、それはわからない――――――だったら、狂三が話したいと思わせるに相応しい男になって、狂三をデレさせる(・・・・・)

 

「……士道、さん」

 

「狂三……」

 

 熱を帯びた視線が絡み合う。視線だけじゃなく、身体全体が熱い。抱き合っているから、狂三が近くにいるから。なら、これ以上(・・・・)を求めたら、士道たちはどうなってしまうのか。

 脳細胞を蹂躙し尽くす、あの甘く狂おしい感覚を。恐らく、この瞬間の二人に考えなどない。ただ、身を狂わす衝動に駆られるだけの男と女だった。

 男としての本能に刺激を受けた士道の目に映っていたものは、可憐すぎる狂三の――――――――

 

 

 

 

「……ねぇ、私たちもいること、忘れてない?」

 

「え――――――おぉぉぉっ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げ、大慌てで飛び退いた。開けられた扉の前に、何故か七罪と四糸乃が顔を赤くして立っていた。逆に士道は熱が引いて顔が真っ青である。

 

「い、い、いいいいいいつからそこに!?」

 

「……士道が狂三を抱きしめたくらいから」

 

「一番ダメなところ!?」

 

『やーん、ダメだよ七罪ちゃーん。もうちょっと我慢してたら良いものが見られそうだったのにー』

 

「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 耳を塞いで叫びを上げた。人に狂三との本気の逢引を覗かれたことが今までなかったが、羞恥が尋常ではない。凄い、凄い慣れない似合わないセリフを言っている自覚がある分、見られていた時のダメージがとんでもないことになった。よりにもよって、七罪だけではなく天使級のオアシス四糸乃に見られてしまった事が更にダメージを加速させた。

 

「……あ、あの……ごめん、なさい。士道さんと狂三さんの……邪魔、しちゃって……」

 

「いえ……お二人をお連れしたのは最終的にわたくしの判断ですわ」

 

『ひゅーひゅー。お熱いねーお二人さーん』

 

「……やはり、無理にでも避難させるべきでしたかしら」

 

 そう言って頭を抱える狂三も、士道ほどではないにしろ恥ずかしげに赤面した表情を見せている。そりゃあ、二人きりと思ってやっていた愛の囁きを見られていたとなれば誰だって恥ずかしい。と、何とか復帰した士道が至極当然の疑問を口にした。

 

「てか、いること忘れてるも何も、俺は七罪たちがいる事を知らなかったんだが……二人とも避難はどうしたんだよ」

 

 空間震警報が鳴ったなら、相応の対処を二人とも教わっているはずである。警報が鳴ってから精霊が封印状態で出歩く危険性は、〈ラタトスク〉によって教えられていたはずだった。

 

「わたくしが『わたくし』に任せましたわ。どうしてもついてくると言って聞かなかったものですから……それだけ、士道さんの事が心配だったのですね」

 

「……そっか。ありがとな」

 

 言って、二人の頭を撫でてやる。危険性があっても、心配してくれたのは純粋に嬉しい。

 

「い、いえ……」

 

「ちょ、髪が崩れる……」

 

「あ、悪い」

 

「……べ、別に嫌とは言ってないけど……」

 

 四糸乃は照れたように、七罪は恥ずかしいのか、少し素直じゃない素振りで受け入れていた。

 

「あら、あら。手馴れたご様子ですわね」

 

「ん、狂三もやって欲しいのか?」

 

「大変魅力的な提案ですけれど、今は遠慮いたしますわ」

 

「……そうだな。行こう――――――十香たちを、助けないと」

 

 そして、折紙と〈アンノウン〉を止める。狂三、四糸乃、七罪はそれぞれ真剣な表情で首肯した。

 

 

 

「――――――それにしても、わたくし士道さんのこととは一言も言わなかったのですが、よくお分かりになりましたわね」

 

「え、だって狂三が何かする時って大体士道が絡んでるんじゃないの?」

 

「……まるで、わたくしの世界が士道さんを中心に回っているかのような言い方ですわ」

 

「違うの?」

 

「…………違くは、ありませんけれど」

 

 いつの間にか狂三に対して強気に出られている七罪に、その自覚があるのかどうかは気になったが、ネガティブが絡まって化学反応を起こされても困るので笑ってスルーすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

随意領域(テリトリー)が身体を縛る。以前までの鳶一折紙の比ではないその力は、満身創痍の十香ではどうすることも出来ない。

 

「く、鳶一折紙、貴様……!!」

 

 呻いたところで結果は変わらない。気絶した十香を護るために傷つき、倒れた美九も。夕弦を助けるために血だらけの全身で挑み、随意領域に制圧された耶倶矢も。今まさに、トドメを刺されようとしている夕弦も――――――今の(・・)十香では、助けられない。

 

「長かった。私はようやく手に入れた。精霊を倒す力を――――――〝悲願〟を達する力を」

 

 長く、長く、息を吐いた。折紙の中に残る膿を吐き出すように。

 

「この一撃を以て、私は私を取り戻す。世界の精霊は、全て私が倒す。もう二度と、この世に私のような人間が生まれないように」

 

 何故だろうか。口に出した折紙自身を傷つけているとも思えるそれが、十香には痛々しくて見ていられなかった。

 

「鳶一折紙……ッ!!」

 

 止めなければならない。その狂刃に理由はある。けれど、それをやらせるわけにはいかないだけの理由も、十香にはあるのだ。みんなを護れるのは十香だけで――――――この大馬鹿者を止められるのも、十香だけだ。

 

 

「う――――あ、ああああああああッ!!」

 

 

 いくら力を込めたところで、折紙の随意領域を突破することは出来ない。もっと、もっと、もっと――――――!!

 

「……ッ」

 

 最初に来た感覚は、十香ではない十香(・・・・・・・・)が手を取ろうとする物だった。確かに、この力なら鳶一折紙を止められるかもしれない……が、そこまでだ。鳶一折紙を止めるだけには留まらず、殺して、(ころ)しつくして――――――終わる。

 それではダメだ。何も救えない。あの時と、士道が殺されそうになった時と同じではダメなのだ。十香は()を救いたい。十香は十香でなくてはならない。

 

 耶倶矢を、夕弦を、美九を――――――あの女を。

 

 図々しくて、忌々しくて、愛想がなくて、いつも十香の邪魔ばかりする、十香が大嫌いな――――――それでも、いて欲しいと願う。消えかけた、あの気高い女の手を取るために。

 

 

「シドー――――――私に力を、貸してくれ……ッ!!」

 

 

 夜刀神十香は、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の柄を握る手に、渾身の力を込めて士道の名を叫んだ。

 

 ――――――温かくて、懐かしさを感じさせる感覚が、舞い戻った(・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 これで、終わる。

 

「――――――っ!!」

 

 ようやく手にした力で、折紙は刃で精霊を貫かんと力を込めた。これで終わる――――――否、始まる。全ての精霊を倒す。その始まりの一歩。弱い自分と決別するための、果てしない一歩。

 奇しくも、自分をマスターと慕う夕弦が最初だった。構わない。そうでなくてはならない。良いも悪いもない。精霊は〝悪〟、そうであってくれなければ、そう思わなければ(・・・・・・・・)、折紙は、剣を振るえなくなってしまう。

 

 そうして、振り抜いた刃は――――――

 

 

「――――――また会いましたね、復讐鬼さん」

 

「……ッ!?」

 

 

色のない刃(・・・・・)によって、止められた。

 

「〈アンノウン〉――――!!」

 

 一度目は、邪魔を。二度目は、助けられ。三度目も、助けられ。四度目は、手を振り払い――――――五度目は、殺し合い。

 

 上から折紙の剣を火花を散らして押さえつけ、間近に迫った〈アンノウン〉が淡々と、殺意(・・)の言葉を口にした。

 

 

「あなたを――――――殺しに来ました」

 

「く……ッ!!」

 

 

 殺し合いの予感は、当たる。随意領域を容易くすり抜けた少女に、全ての意識を集中させた折紙は……。

 

「……と、思っていたのですが」

 

「――――!!」

 

「どうやら――――――そうはならないみたいです」

 

 次の異常を察知して、弾かれ、飛ぶ勢いで退いた。そうでもしなければ、光の軌跡に随意領域ごと持っていかれていた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 夕弦を拘束していた随意領域が弾け、落ちようとする彼女の身体を〈アンノウン〉が抱き抱える。既に、刀は仕舞われている。そう、折紙の相手は少女ではない(・・・・・・・・・・・・)

 

「――――――夕弦たちを、頼む」

 

「はい」

 

 眩い光が、弾ける。そこにいる彼女しか、折紙の目には映っていなかった。そうでもしなければ、次の瞬間に倒されているのは折紙だと、本能が告げる――――――半年前と、同じように。

 

「その、姿は……」

 

 風に靡く夜色の髪。水晶の双眸は、復讐に濡れた折紙を映し出していた。この世のものとは思えない輝きを放つ大剣――――――見る者全てを圧倒する、紫紺の甲冑(・・・・・)

 

 『それ』は消えたと思っていたものだった。

 

 『それ』は折紙にとって絶対的な意味を持つものだった。

 

 『それ』は――――――心のどこかで、待ち望んでいたものだった。

 

 

「鳶一折紙。私は貴様が嫌いだ。今も、昔も、変わらずな……だが、今の〝嫌い〟は昔の〝嫌い〟と、多分、少し、違う。だから――――――」

 

 

完璧な霊装(・・・・・)。唸りを上げる霊力。手にした天使の切っ先と、その水晶の瞳は真っ直ぐに折紙の瞳と交錯して――――――

 

 

(ころ)すつもりでいく――――――死ぬなよ、折紙(・・)

 

 

 今、再び。絶対にして最強の女王が、戦場を舞う。

 

 

 




わかっているなら、言わせるな。うんうん、それもまた愛だねな回。ラブロマンスしてる裏で精霊たちが極限状態なんですけどぉ。

さてここまで来たということは、次回折紙は……? 感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第八十一話『白の天使』

顕現する者と、顕現させる者。




 

 

「ぃ……た、ぁ……あ、あんたは……」

 

「通りすがりの精霊兼、人命救助班です。応急処置程度ですが、まあ気休め程度に受け取ってください」

 

 折紙に対して一撃を差し込んだのは見事だったものの、随意領域の力で強引に押さえつけられていた耶倶矢を抱き起こし、夕弦、美九共々、折紙から離れた場所へ運んだ白い少女。傷だらけの三人を手持ちの応急道具で処置する。とはいえ、傷の深さに対して出来ることは気休め程度だが。

 

「わ、私の事より……」

 

「はいはい。八舞夕弦も同じこと言うと思うので面倒です。あなたからやります」

 

「あだだだだだっ!?」

 

「あぁ、すいません。私、解析官ほど治療の経験がないもので。狂三は一人でやってしまいますし」

 

 力加減を間違えたのか、単純に傷に染みたのか痛みに悶える耶倶矢に極めて冷静に謝罪する。知識があるとはいえ、やはり実践が伴われていないとこういった部分は不足な面が出てしまう。村雨令音のように、知識に経験が付加されていれば話は別なのだが、狂三以外に対象がいなかったのだから、耶倶矢には仕方ないが我慢してもらうしかない。

 その唯一である狂三は、怪我をしたとしても【四の弾(ダレット)】があったし、使う霊力が惜しいと大体は自分で処置していた…………包帯を巻くのが楽しくなったのか、全身あらゆるところに包帯を巻いた姿になっていたりしたが、その事は本人が隠したがっているので黙っておくことにしている。

 

「ふ、ふふ……この程度の傷、我にとっては蚊に刺されたようなものよ……それより、我が眷属に力を貸してやってくれ」

 

「…………ああ、夜刀神十香の事ですか」

 

 一瞬、強がる耶倶矢語録を理解するのに時間を要したが、該当者は十香しかいないのでそうなのだと判断して、少女は空を――――――火花を散らしてぶつかり合う、精霊と魔術師を見た。

 

 

「……私が行くと、夜刀神十香の思惑から外れてしまいますから」

 

「え……?」

 

「それに――――――人の身では、あの人(神様)の力には勝てません」

 

 

 十香の勝利の予見、なのだろう。だが、耶倶矢には何故か――――――全く別の〝何か〟の事を言っているようにしか、聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……ッ!!」

 

「ふッ!!」

 

 切り結ぶ。切り結べている(・・・・・・・)。〝あの〟夜刀神十香――――――剣の精霊〈プリンセス〉と。

 

 CR-ユニット〈メドラウト〉。DEM最新の技術を使ったこの力で、折紙は十香と刃を交えていた。

 十香が折紙の放つ剣撃と砲撃の同時攻撃を力で弾き飛ばし、折紙に反撃を見舞う。対して、折紙もその攻撃が見える(・・・・・・・・)。見えるだけではない、受け止めることだってしていた。

 完全な〈プリンセス〉は、折紙の記憶通り強大だった。王者たる者の威圧感。絶望的なプレッシャー。一瞬で相手を斬り捨ててしまえそうな剣気。それら全てが、最後に見た半年前の〈プリンセス〉と同一のそれだ。

 しかし、折紙の心にあったのは恐怖ではなく歓喜だった。そうとも、この自身が無力なのだと思い知らされ、ただの一撃で殺されかけた最強の精霊に勝ってこそ――――――折紙は、先へ進める気がした。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁ……ッ!!」

 

「ぜやぁッ!!」

 

 

 十香の天使と折紙の兵装〈クラレント〉が火花を散らす。一刀二刀どころでは無い。目にも止まらぬ連撃が、双方から繰り出され打ち合いを続けていた。

 

 その中で折紙は――――――確かな手応えを感じていた。

 

 強い。〈プリンセス〉は今まで折紙が相対した何者よりも手強い。だが今、折紙はその最強の敵と〝互角〟に戦えている。人類の英知を以て、神如き(・・・)力を持つ世界を殺す災厄と戦えているのだ。

 その事に、充実感を持たない方がどうかしている。折紙が五年間もの間、全てを費やして来たのは無駄ではなかった。この力なら精霊を――――――五年前の精霊(・・・・・・)にだって、刃を届かせることが出来る。DEMが開示した情報によって、折紙はあの時〈イフリート〉以外の精霊が存在していた事が真実だったと知った。

 

 いるならば、探せる。いるならば、殺せる。存在が証明されたなら、見つけ出せばいい。そうすれば精霊と互角に渡り合える、この力で――――――

 

 

「え……?」

 

 

 そうして。

 

 

「はぁッ!!」

 

「あ――――」

 

 

 あまりにも、呆気なく。互角の戦いを演じていると〝錯覚〟していた魔術師(ウィザード)は、また、ただの一太刀で地に落ちた。

 

「く、は……」

 

 数秒前まで戦っていた十香の姿が見えないほどに吹き飛ばされ、地面を転がった果てにようやく仰向けに倒れ込んだ折紙は、見るまでもなくボロボロだった。

 随意領域の防御を軽々と超えた裂傷、打撲――――――〈ホワイト・リコリス〉の時と同じ、脳の限界を超えた代償による目や鼻からの出血。そして何より、心の傷(・・・)が明確だった。

 〝悲願〟を成すための鋼鉄の意思。全てを捨てて得た心に、亀裂が走った。

 

「私、は……」

 

 互角、だと? 何が互角だったのだ。命を削って、僅かな時間を打ち合えただけの分際で、思い上がりも甚だしい。その結果が、この無様な姿。一太刀でさえ通せたか? あの鎧に無様な傷をつけることができたか? それが出来ずに、限界を迎え、逆に一刀の元斬り伏せられた――――――無様と言わず、なんという。

 

 

「わ、たし、は――――――」

 

 

 何をしろというのか。これ以上、何を求めろというのか。手を伸ばした先には、何もなかった。

 縋る神などない。そのようなもの、無慈悲に殺された両親を見たあの日から、折紙の中には存在しない。けれど、折紙にはもう何もなかった。血反吐を吐くような訓練、研究、DEMという悪魔との契約。それらを余すことなく出し尽くして、愛しい少年の手を振り払って、それでもあの天使には――――――神如き力を持つ彼女の、足元にも及ばなかった。

 

 残酷な現実を目の当たりにして、もう折紙に出来ることなど残っていない。白き復讐鬼は、力の全てを以てしても、神には届かなかった。だったら、それこそ――――――同じ神様の力(・・・・・・)に縋るしか、ないではないか。

 

 伸ばした手は、力なく落ちていく。人は神には届かない。復讐鬼の結末は、残酷なもので――――――

 

 

 

【――――――ねえ、君。力が欲しくはない?】

 

 

 

 それを見据える神様(・・)が、立っていた。

 

 

「え――――?」

 

 

 〝何か〟がいた。その神様は、言いようのない、表現出来ない〝何か〟だった。人であるのかさえ、わからない。存在そのものにノイズ(・・・)のようなものが走っている。存在そのものが、そこにいないのではないかと思わせる矛盾。

 そう、それこそ、あの白い精霊――――――〈アンノウン〉のように。

 

「あなたは……()?」

 

 だから、だろうか。折紙は〝何〟ではなく〝誰〟と問いかけてしまった。〝何か〟である存在であるそれを、〝誰〟と定義付けてしまったのだ。その事を〝何か〟がどう思ったのかは、少なくとも折紙にはわかるはずもない。

 

【……私が誰か(・・)なんてことは、今はどうでもいいよ。それよりも、答えて? 君は、力が欲しくはない? 何者にも負けない、絶対的な力が、欲しくはなぁい?】

 

「………………ッ」

 

 明らかに、常識を逸した異常な事態。普通の折紙であれば、戯言と一笑に付す問題提起にすら値しないもの。

 

 だが。

 

 

「そんなの――――――欲しいに決まってる」

 

 

 普通ではない折紙は、絶望を吐き出すが如く言葉を形にした。

 

 

「私は……力が欲しい。何をおいても。何を犠牲にしても……!! 私の〝悲願〟を達することのできる、絶対的な力が欲しい!! 何者をも寄せ付けない、最強の力が……欲しいッ!!」

 

 

 この復讐を成し遂げる、力が必要だ。そのためなら、神とだって契約を交わしてやる。

 

 

【そう――――――なら、私があげる。君が望むだけの力を】

 

 

 そうして。折紙は人として(・・・・)の旅路を終えた。

 

 

「ぁ……あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――」

 

 

忌むべきものに成り果てて(・・・・・・・・・・・・)、白き復讐鬼は、皮肉にも――――――もう一人の復讐鬼と、同じ道を辿った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やっぱり、繋がらない……」

 

 周到に周到を重ねる折紙らしく、十香たちが戦っていると思われる地点からはかなりの距離が離れていた。そのため四糸乃と七罪を分身体に任せ、先行する狂三に抱えられ空を飛んでいた士道は、その間に四糸乃から借り受けた携帯で〈フラクシナス〉へ連絡を取ろうと試みていた。

 が、二度試しても繋がる気配を見せず不安に顔を歪めた。普通の回線ならまだしも、これは〈フラクシナス〉の専用回線。基地局が吹き飛ぼうが通信可能な回線が、何故か繋がらない。考えられる理由は、多いものではなかった。

 

「……まあ、そうでしょうね」

 

「そうでしょうね、って……お前、何か知ってるのか?」

 

「簡単な推測ですわ。折紙さんがどこまでDEMの意図に沿って動いているのかはわかりかねますが、〈ラタトスク〉の動きを牽制する程度の連携はあってしかるべきですわ」

 

「そうか……!!」

 

 折紙がDEMの傘下に入り、精霊を排除しようとしているのなら……どういう目的であれ、DEMが折紙の目的を容認しているという事だ。つまり、確定的に邪魔が入る〈フラクシナス〉の動きを牽制していてもおかしくはない。

 

「とはいえ、牽制程度(・・・・)で済む話ではないかもしれませんわね」

 

「え……?」

 

「この時点で連絡が取れないのであれば、相応の相手が〈フラクシナス〉の前に現れたと見ていいでしょう――――――それこそ、琴里さんたちを脅かしかねない程の」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 〈フラクシナス〉は……〈ラタトスク〉の顕現装置(リアライザ)の性能はDEMより上なんじゃ……!?」

 

 〈フラクシナス〉は〈ラタトスク〉の技術を使った最新鋭の空中艦であり、顕現装置(リアライザ)の性能もDEMの数歩上を行くと聞いている。事実、今までもDEMの空中艦を上回っていた。

 そんな〈フラクシナス〉に絶対の信頼を寄せていた士道に、狂三はあくまで冷静な調子で声を発した。

 

「物事に絶対という事はありえませんわ。耶倶矢さん、夕弦さん。美九さん。そして、七罪さん。常にDEMの影があり、常に琴里さんたちは空中艦による妨害を試みてきた。疎ましさ、苛立ちが向こうにもあるでしょう。そろそろ、何かしらの対抗手段を持ち出しても不思議ではありませんわ」

 

「じゃあ、琴里は……っ!!」

 

「……あくまで、わたくしの想像の話ですわ。琴里さんがタダで敗北を喫する組織の司令をしているとは思っていませんし、今もって戦闘中という可能性もありますもの」

 

 ――――――そうは言っても、僅かですら連絡が取れないとなれば、嫌な想像が頭を過ぎるものだが。

 わざわざ、これから折紙を説得に行く士道に対し不安感を煽っても仕方がないだろう。時間が経てば、分身体の偵察による報告もある。楽観は出来ないが、それなりの付き合いになってきた琴里に対して実力面での信頼はしているし、最悪の事態は避けていると、狂三は確信していた。

 琴里は琴里の、狂三は狂三の成すべきことがある。

 

「さて、お話が終わったのでしたら、少々速めて(・・・)行きますわ。心の準備はよろしくて?」

 

「ああ、任せる」

 

 小さく首肯した狂三が、速度を維持したまま影から銃を取り出し――――――

 

 

「な――――――」

 

 

 空中で狂三が足を止めた。

 

「っ、ど、どうしたんだ……!?」

 

 加速どころか停止を選んだ狂三に、士道は彼女を見て驚愕に顔を染めた。

 愕然とした、とでも言えば良いのか。その驚愕は、今まで狂三が見せたことのないものだった。あの狂三が、瞳を動揺で揺らし動きを止めている。その事に、士道までも正気を持っていかれかねない衝撃を受けた。

 

「狂三っ。どうした、何があった!?」

 

「……霊波が、一つ。それも、ここから感知出来る程の霊力が現れましたわ」

 

「な……せ、精霊が静粛現界したってことか!?」

 

 折紙の事で手一杯なこんな状況で、琴里とも連絡が取れないのに新たな精霊が現れるのは――――――が、そんな士道の考えを否定するように、狂三はゆっくりと首を横に振った。

 

「……いえ。恐らくは、違いますわ。十香さんたちがいらっしゃる場所に、今この瞬間、巨大な霊力が現れましたの。予兆も、脈絡もなく」

 

「な、なんだよそれ……折紙もいるのに、そんな偶然ありえ――――――」

 

折紙もいるのに(・・・・・・・)。それを口にした士道が、狂三が何を想像しているのか気づくのに時間は必要なかった。

 

 ありえないなんてことは、ありえない。この世に絶対はない。だが、このタイミングで都合よく十香たちの元に新たな精霊が静粛現界した、という可能性よりも、二人はもっと確率の高い可能性を知っていた。

 

 精霊は二種。隣界より現れし者――――――人が精霊へ変化した者(・・・・・・・・・・)。順序立てされていない、想像の域を出ない憶測が、何故か合っているのではないのか(・・・・・・・・・・・・)と、思わせる予感があった。

 

「折紙さんの説得が目的でしたが、事はわたくしたちの想像を超えているようですわ――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 加速の弾丸を使い、狂三が超加速を行う。何も言わなかった事への言及などありはしない。そんなもの必要がないからだ。

 一刻も早く、折紙たちの元へ。考えていることは、同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆、無事か!?」

 

 動きが鈍った折紙を〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の一撃で吹き飛ばし、十香はすぐさま耶倶矢たちの元へ降り立った。まず間違いなく、戦闘は行えないダメージは与えた。折紙を殺す事が目的ではない十香にとっては、白い少女に任せた耶倶矢たちの怪我の具合の方が重要だと判断したのだ。

 美九はまだ気絶しているようだが、耶倶矢、夕弦は白い少女の治療を受け、何とか起き上がって十香に手を振れる程度の気力はあるらしい。ホッと息をつき、白い少女へ声をかける。

 

「すまぬ。耶倶矢たちを治療してくれたこと、礼を言うぞ」

 

「礼には及びません。鳶一折紙をあなたに任せたのであれば、私のやる事はこのくらいしかありませんでしたから」

 

「鳶一折紙か……お前は、あやつに用事があったのではないのか?」

 

「……あなたが彼女の動きを止めた時点で、一先ずは用事がなくなりました。あとは、彼女次第ですがね」

 

「そうか……」

 

 煙に巻くような言い方に、十香は曖昧に返事を返す。少女も少女なりに事情があるのだろう。今、少女が成すべきことがなくなったのなら深く問うことはするまい。

 

「十香……その姿」

 

 耶倶矢が十香の姿をまじまじと観察している事に首を傾げかけて、耶倶矢の疑問の理由に思い至る。

 

「うむ、皆を助けねばならないと思ったら、力が戻っていたのだ」

 

 そう。今の十香は限定的なものではなく、士道に封印されたはずの完全な霊装を纏っている。折紙を撃退出来たのも、偏にこの力が戻ればこそだった。

 と、何やらその事に不満があるのか。耶倶矢は唇を突き出し拗ねたような口調で声を発した。

 

「……くそう。かっこいいなぁ。何その土壇場ヒーロー的なポテンシャルパワーの引き出し方。眷属が主より目立つんじゃねーし」

 

「羨むことですか、それは……というか、あなた達も夜刀神十香と同じ事が出来ると思いますよ」

 

「ほんと!?」

 

「はい。封印というのであれば、その逆の解放も出来て然るべきでしょう……まあ、無闇矢鱈に試して、五河琴里に雷を落とされても私は責任を持ちませんが」

 

「あ、それは困る……」

 

 キラキラとした瞳は一転。琴里のお冠な姿を想像してしまったのか、サーっと青ざめた顔にスピードタイムする耶倶矢。十香も、少女の言葉を聞いて困ったように眉根を下げた。

 

「むぅ……琴里に叱られるのは、少し困るな……」

 

「……この場合は緊急時です。むしろ、よくやったと褒められるはずなので安心してください」

 

「――――――ていうか、なんであんたそんなこと知ってんの?」

 

 疑問だ、というように、耶倶矢が腕を組み訝しげな表情で少女を見る。言われてみれば、その通りだ。霊力を封印されていない少女が、何故それが戻る秘密を知っているような口振りなのだろうか。

 

「……こんな胡散臭い姿してるんです。皆さんが知らない事の一つや二つ、知っているのが物語のお約束だと思いませんか?」

 

「うわ、なんかそれっぽい理屈じゃん……」

 

「……けほっ、けほっ」

 

 両手を使って肩を竦めるという、見るからに胡散臭い仕草で語る白い少女に遅れて、身体を起こした夕弦が咳き込みながらも視線を十香へ向けた。

 

「……質、問。十香、マスター折紙は……?」

 

「剣の腹で思い切り殴りつけてやった。しばらくは戦えんだろうが、死にはするまい。確かあやつらは身体の周りにテリヤキーとかいうのを張っていたからな」

 

『…………?』

 

 十香としては的確に説明したつもりなのだが、耶倶矢と夕弦は左右対称に首を傾げ、白い少女は首こそ傾げなかったものの、二人と似たような反応をしていた。十香も三人に釣られて、首を傾げる奇妙な光景が生まれる。

 

「……テリヤキー?」

 

「……多分、ですけど」

 

「訂正。……随意領域(テリトリー)のことですか?」

 

「そう、その照り鶏ーとかいうやつだ」

 

『…………?』

 

 夕弦の訂正通りに言ったはずなのに、どうしてか三人揃って首を捻られ、また釣られて十香も不思議そうに首を捻った。

 と、そんな事よりもしなければならない事があった。十香は、未だ目を覚まさない美九へ呼びかける。

 

「美九……」

 

「応急処置は済ませました。取り敢えず、命に別状はないでしょう。あの鳶一折紙を相手にしながら、誘宵美九がこの程度の怪我で済んだのは正直驚きです」

 

「くく……目覚めたならば礼を言っておくがよいぞ、十香。気絶した御主を、身を挺して護っていたのはそやつぞ」

 

「首肯。立派でした。終始足は震えていましたが」

 

「うむ……そうだな。助かったぞ、美九」

 

 美九の〝天使〟は他の精霊に比べて、戦闘向けとは言い難い。だと言うのに、身を呈して気絶した十香を庇うのは並大抵の勇気では成せないことだ。

 聞こえてはいないだろうが、膝を折って美九の顔を覗き込み例を述べる――――――

 

「……夜刀神十香、下がって」

 

 と、白い少女が十香の肩を掴んで、警戒心を剥き出しにした警告を鳴らした。

 

「なに……?」

 

「――――――起きていますね、誘宵美九」

 

 断定する口調の少女に十香と八舞姉妹が目を丸くしていると、一瞬遅れてビクッ、と身体をわかりやすく揺らした。誰が、とは言うまい。隠し切れないと踏んだのか、薄目を開けて美九が声を発した。

 

「……あーん、なんでバラしちゃうんですかー。もう少しで十香さんのプリティリップに届いたかもしれないのにー」

 

「なっ……何を考えているのだ、お前は!?」

 

 真面目に感謝と心配していたというのに、隠れてとんでもないことを狙っていた美九に指を突きつけて十香が叫ぶ。

 

「えー。これでも凄く怖かったんですよー? ちょっとくらい、ご褒美があってもいいじゃないですかー」

 

「ぬ……そ、そうなのか……?」

 

「そんなわけないでしょう。ただこの人がやりたいだけです。真面目に悩まないでください」

 

「あーん、白い人が私にだけ厳しいですよぉ。じゃあせめてぇ、あなたの素顔だけでもー」

 

「やっぱりそれが本音じゃないですかっ!!」

 

 だから警戒していたのだ、といつぞやのように十香を盾に起き上がった美九へ抗議の声を上げた。美九は美九で、えへへーと反省の余地が見られない。

 とはいえ、その顔は隠し切れない疲労に満ちていた。半笑いで見守っている耶倶矢、夕弦も似たようなものだ。

 

「とにかく、皆傷は浅くない。〈フラクシナス〉で治療してもらおう。誰か――――――」

 

「――――――――――え」

 

 遮るように呟かれた一声は、酷く〝らしくない〟ものだった。耶倶矢でも、夕弦でも、美九でもない。ならば、白い少女のものでしかない。

 なんと言えば、良いのだろうか。年相応の幼い声(・・・・・・・)で、本当に驚いている声だった。それこそ――――――生き別れの親類にでも会ってしまったかのような。

 表情はわからない。が、少女は真っ直ぐにその方角を見ていた。見えなくなるまで(・・・・・・・・)十香が吹き飛ばした、鳶一折紙がいる方角を。

 

「……どうかしたのか、通りすがりの人」

 

「ああ、ああ。そうか、油断していました。彼女もまた――――――」

 

「お、おい……」

 

 聞いていないのか、聞こえていないのか。ただ呆然と何か、わからないことを呟き始めた少女は……天を仰ぎ見て。

 

 

「そうですよね。私であっても、そうします――――――私も彼女を選ぶよ(・・・・・・・・)

 

「なに……っ!?」

 

 

 ――――――光が、差した。

 

 〝白〟がいた。少女と同じ、〝白〟。美しき〝白〟――――――『天使』ような〝白〟。

 

 天を浮遊する一人の少女。纏われた光のドレス。それが大きく広がるスカートとなり、浮遊したリングから伸びたベールは、まるで花嫁(・・)を思わせる純白。飾り気のない〈アンノウン〉のものとは正反対の〝白〟。

 

「……ッ、あれ、は――――――」

 

 しかし、十香が目を奪われたのは、その装いではない。〝霊装〟を纏う少女の正体が、問題だった――――――鳶一折紙。数分前まで戦っていた魔術師だった(・・・)少女。

 

「折紙……?」

 

「確認。やはり耶倶矢にもそう見えますか」

 

「ですねー……あれ、でもあの姿って……」

 

 眉を顰め訝しげな表情で口々に、現れた折紙とその姿への疑問を語る。何も言わないのは、折紙を見つめるだけの白い少女だ。何を考えているのか、誰にもわからない。それを考える前に、折紙の視線(・・・・・)が十香たちを突き刺した。

 

『……っ』

 

 視線だけ。僅か、それだけで。たった、それだけで。あの者が、人知を超えた〝怪物〟だと思い知らされた。

 

「と、十香……!!」

 

「――――――逃げろ。守りながらでは、戦えない」

 

 三人を折紙の視線から隔てるように立ち、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構える。

 〝あれ〟は、そういうものだ。〝怪物〟を〝怪物〟たらしめる力がある。先程まで戦っていた魔術師など、足元にすら及ばない――――――人ならざるものだ。

 

「十香、白い精霊よ、すまぬ……!!」

 

「祈願……ご武運を」

 

「あっ、ちょっと二人とも……うきゃ!?」

 

 一瞬にしてそれを理解できたのだろう。八舞姉妹は足手まといになる前に、十香と白い少女を残して美九を抱え急速離脱を試みる。

 幸いにも、折紙は離脱する三人には興味を示さず、二人を見下ろしながら唇を開いた。

 

「〝精霊〟……倒す。私が」

 

「……折紙、貴様」

 

 折紙が、右手を天に掲げた。天使が、己の武具を呼び起こす仕草のように――――――否。武具そのものが〝天使〟だ。

 

 

「――――〈絶滅天使(メタトロン)〉」

 

 

 幾つもの光が降り注ぐ。それらは次第に物質となり、細長い〝羽〟のような形を作り、円状に連なって折紙を祝福する〝王冠〟を抱かせるものとなった。

 

 霊装、天使。間違えようがない。鳶一折紙は、今正しく――――――

 

「……折紙。貴様、なぜ――――――精霊になっている(・・・・・・・・)!!」

 

「精、霊……」

 

 それは、忌むべきもの。それは、倒すべきもの。

 

「そう……やはり、そう(・・)なの」

 

 白き復讐鬼は、忌むべきものに成り果てた。

 

 

「ならば――――――それでも構わない」

 

 

 しかし、歩みを止める理由にはならない。神如き力を振るう者が〝精霊〟ならば。

 

 

「――――私は、精霊を倒すためにこの力を振るおう。精霊を殺す精霊となろう。そして全ての精霊を討滅し――――――最後に一人残った(精霊)をも、消し去ろう」

 

 

 その神如き力を以て――――――(精霊)を殺そう。

 

 

「〈絶滅天使(メタトロン)〉――――【日輪(シェメッシュ)】」

 

 

 折紙が広げた両手に合わせ、王冠も先端を広げ円環を作る。その日輪は太陽を思わせる光を解き放ち――――――光の粒を振り撒いた。

 

 百、二百などくだらない数字ではない。千を軽く上回り、万を超える光の粒が、辺り全てを覆い尽くして降り注ぐ。破滅の光は美しく、万物を消し去る裁きの雨。対象に選別などない。万象を粉々に打ち砕き、光が全てを呑み込む光景の中で――――――

 

 

「――――〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉」

 

「――――――!!」

 

 

 折紙は、この世で初めて少女の〝天使〟の名を耳にした精霊となった。

 万を超える光から逃れ、折紙の頭上。白き〝翼〟を持つ『天使』。

 

 

「精霊でありながら、精霊を殺す女王よ。我が女王の往く道を阻む者よ――――――」

 

 

 〝白〟と〝白〟がぶつかり合う。『天使』は『天使』を裁かんと羽を広げ、『天使』は『天使』を討滅するため翼を広げる。

 

 

「あなたは、私の〝敵〟だ」

 

 

 完全なる〝精霊〟と出来損ないの〝精霊〟は、譲れないもののために――――――殺し合う。

 

 

 






第一天使名解錠・〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)
何がとは言いませんが最後の読み方に差異があるのは仕様です誤字じゃないです。

白の『天使』と白の〝天使〟。表現がハチャメチャにややこしいですね。台無しな感想だなお前。初登場補正込みの折紙にどこまで戦えるのか、見物ですね。
というかさり気なく〈ファントム〉が初登場。わらず暗躍中です。

次回、『VS〈絶滅天使〉』。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第八十二話『VS〈絶滅天使〉』

VSメタトロン。折紙さん、強すぎない????







 

『――――――!!』

 

 白い外装が視界から消える。同時、折紙が手を払うように輪の一部が天に光の粒子を解き放った。十香への攻撃はそのままに、天を支配する広域の光が散る。

 

「ちっ――――」

 

 翼を羽ばたかせ、超高速で飛行する〈アンノウン〉を隙間なく光が雨のように追い縋る。如何に速かろうが、折紙は少女の動きを追っている(・・・・・)

 少女は確かに速い。だが、如何に速かろうと物体として存在しているのであれば、追える(・・・)。折紙の鍛え上げられた反応速度は、精霊化した現在でも……否、精霊化したからこそ随意領域などに頼る必要もなく、その知覚領域はあらゆるものを凌駕している。

 

 しかし、少女とて捉えられるつもりはない。折紙であれば、この程度の速度追えて当然という確信があった。攻撃範囲が広かろうと、当たらなければ意味がない。そして、わかっていても避けられない速度を少女は持っている。

 神速を更に加速させ、折紙の背を取る。

 

「はぁッ!!」

 

 肉薄し、躊躇いなく刃を振るう。目で追えていようと、遅い。刀は折紙を確実に斬り裂いた――――――

 

「な……!?」

 

 驚愕を隠し切れないまま、少女はローブの下で目を見開く。

消えた(・・・)。少女の速さを上回ったわけでも、霊装の強度で刀を防いだわけでもない。色のない刃が折紙の霊装に触れた、その瞬間光となって(・・・・・)、少女の後方数メートルに再出現した。

 

「――――っ」

 

「……量子化、テレポート……まあ、なんでもいいですけど――――――まったく、羨ましい力です」

 

 心の底から、そう思う。少女の言葉を受け取ったのか、受け取っていないのか。自身が起こした現象に驚きを見せていた折紙が、己の嫌悪を吐き捨てた。

 

「――――怪物」

 

「…………」

 

 その嫌悪は、鳶一折紙にとって当然のもの――――――選ばれた者の傲慢とは、思わない。

 

「――――はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「……!!」

 

 

 

 刹那、地上から斬撃が折紙目掛けて飛ぶ。光子の光を霊力の壁で防いでいた十香が、ダメージを覚悟で放った〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の一閃を、折紙は飛び退いて回避する。その間に、十香が地を蹴って白い少女と合流した。

 

「夜刀神十香……」

 

「来るぞ!!」

 

「っ」

 

 話す暇はない。ここは戦場であり、戦う相手は人知を超えた〝精霊〟。お互いが、そうなのだから。

 

「【天翼(マルアク)】!!」

 

 手を突き上げた折紙の意思のまま、〈絶滅天使(メタトロン)〉が隊列を変え、彼女の背に翼のような形状を作り出す。羽ばたくように動いたそれは、折紙を遥か後方へと離脱させる。

 

「不味いか……!!」

 

 いいや、離脱だけではない。翼となってもその攻撃性能は失われていないのか、〈絶滅天使(メタトロン)〉の先端から幾条もの光が襲いかかった。

 さっきまでの光粒の範囲攻撃とは違う、〝光の矢〟。少女も、十香もこれは防げない(・・・・)と直感的に判断を降す。

 

「失礼!!」

 

「ぐ……ッ」

 

 十香の速度では間に合わない。〈鏖殺公(サンダルフォン)〉でも打ち払い切れる量ではない。即座にやるべき事を認識した少女は、十香を抱えて(・・・・・・)天を蹴った。十香では間に合わなくとも、少女ならば回避が間に合う。数少ない、十香にない面を少女はフォローする。

 

 

「――――【光剣(カドゥール)】ッ!!」

 

 

 しかし次の一手は、既に放たれた。振り下ろした手と共に、〈絶滅天使(メタトロン)〉の翼が上下左右に展開。その動きは高速かつ、縦横無尽。放たれる光線に触れれば、少女自身は言うまでもなく十香の霊装すら容易く撃ち抜く事は容易に想像できた。

 

「この……次から次へと、芸達者なことで――――!!」

 

 オールレンジから放たれる光線を見極め、避け続ける。回避には光子化によるテレポート。残る全ては、〈絶滅天使(メタトロン)〉による全方位をカバー出来る無数の攻撃手段。

 隙のない遠距離攻撃に特化した〝天使〟を、五年もの間、戦闘経験値を蓄積し続けた折紙が扱っているのだ。単純な話、近接戦に特化した少女と十香は〈絶滅天使(メタトロン)〉との相性が最悪だった。

 だが、まだ何とか避け続けられている。幾度目かの光線を掻い潜り――――――少女は己の失策を悟った。

 

「しまっ――――――」

 

 避けた先に、天使の〝羽〟。一方方向からではなく、あらゆる方位に置かれたそれは、正しく〝檻〟。それも、少女を確実に殺し切れるだけの必滅の〝檻〟だった。

 

誘い込まれた(・・・・・・)。たった数分間の攻防で、少女の回避の癖を見極め行動を先読みしたのだ。神速を持つ少女が、後の先(・・・)を取られた。

 

「そこ――――!!」

 

「く――――――っ」

 

 それら全てを避け切る事など不可能。捌き切る事も、光線の威力を考えれば致命傷を避ける程度が精一杯だろう。翼に蓄えられた光が放たれるまで一瞬しかない。その一瞬の間に、せめて十香だけでも逃がそうと抱えていた手を――――――

 

 

「離すなッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 十香の一喝が鳴り響いたと同時、彼女が〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を一閃する。

 

 

「このまま――――翔べッ!!」

 

「っ、はい!!」

 

 

 翼を羽ばたかせ、放たれた斬撃の方向へ最大戦速で駆ける。迷いはなく、恐れもない。この一瞬の判断は、十香から命を預かったと同義だ。迷うことなど許されない。

 斬撃によって出来た僅かな隙間に向けて、〝檻〟からの脱出を試みる。無論、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の斬撃と言えど、全てを打ち払う事は出来ていない。正面から迫る光線が、十香の張る霊力の障壁を紙のように撃ち抜き、彼女の霊装ごと骨を砕く。

 

「ぐ、ぁ……ッ!!」

 

「夜刀神十香!!」

 

 腹を、足を。少女を庇い攻撃を受け止める代償は、霊装を破壊し激痛として十香を襲う。が、それに目を瞑ることなく、少女の声を振り切って十香は切り開いた道を真っ直ぐ見ていた――――――〝檻〟を抜けた先にいる、鳶一折紙を。

 

 

「構うな!! 正面――――今だッ!!」

 

「は――――ぁッ!!」

 

 

 翼を全力で羽ばたかせ、少女の手を離れる十香を力の限り加速(・・)させる。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 呼び戻される〈絶滅天使(メタトロン)〉は間に合うはずもない。弾き出された神速で、叫びを上げ十香は〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を渾身の力を以て振り抜いた。

 

「ふッ――――!!」

 

 が、届かない。剣の刃が届き切る前に、折紙は光となって消えた。十香は彼女のいた場所を勢いのまますり抜け、折紙は彼女の遥か後方に再構成され――――――

 

 

「――――か、は……ッ!?」

 

「と――――たぁッ!!」

 

 

 その顔面に、白い少女の蹴り(・・)がめり込んだ。

 腐っても精霊の蹴り。しかも、加減の一つさえされていない蹴りだ。顔を歪めた折紙から、欠けた歯のような白い破片が飛んだ。間違いなく、精霊化していなければ首と胴体が切り離されている一撃を、それでも折紙は吹き飛ばされながら追いついた〈絶滅天使(メタトロン)〉を使い反撃の光線を見舞う。

 

「ち――――」

 

 それでも、流石の折紙と言えどそれが限界だったのだろう。少女が光線を切り払った隙を見て、翼状にした〈絶滅天使(メタトロン)〉の力で離脱を図る。

 少女と十香は地上へ。折紙は空へ高く対空し、ちょうど仕切り直された形になった。

 

「うむ、いい一撃だった。少し気分が晴れたぞ」

 

「……咄嗟の事で、足が出てしまいましたけどね。自分の足癖の悪さを恨みますよ」

 

 刀の一閃なら、霊装を斬り裂いてもう少しまともなダメージになっただろうに。光子化のタイムラグが読めず、最速で出たのが蹴りという一撃だったのは惜しいことをした。

 とはいえ、これでほんの僅かな間ではあるかもしれないが、あの反則に近い光子化の連続使用は出来ない、という判断材料にはなって一安心した。まあ、だからといって状況不利(・・・・)が覆ったわけではないのだが。

 

「さて……鳶一折紙の手札も見えて来ましたけど、何か策はありますか?」

 

「……一つだけならな。お前か私、どちらかがやることになるが」

 

「なら、あなたに選択は委ねましょう。一つ忠告することがあれば――――――私だと、鳶一折紙は確実に消滅(・・)しますよ」

 

 それを聞いた十香は、目を見開き、以前、少女が見せた力を思い起こす。なるほど、確かにあの力ならば、十香の策を使い鳶一折紙を殺す(・・)事が可能だろう――――――ならば、十香が取るべき選択肢は一つしかない。

 

 

「〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 

 地を蹴り、天使を叫ぶ。呼び起こすは、己が最強にして究極の一撃を齎す力。隆起する地面から、身の丈を遥かに超える玉座が召喚された。

 

 

「――――【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】……ッ!!」

 

 

 王座が砕け、剣に欠片の全てが組み付き刃の鎧となる。形となった鎧は、剣を包む巨大な刀身そのもの。

 生憎、小手先の技も琴里や令音のような効率的な策も、十香は持ち合わせていない。十香に出来ることは、ただ一つ。折紙が避けた先すら呑み込む、最強の一撃を叩き込み、折紙を止める(・・・)。思い至ったのは、それだけだった。

 

「……く――――」

 

 折紙も、十香の行動から意図を読み取ったのだろう。体勢を立て直した彼女が、翼型になっていた〈絶滅天使(メタトロン)〉を王冠の形に集わせ、先端を下方――――――つまり、十香へ向けて真っ直ぐ突き付けた。

 光線一つ一つが霊装を穿ち、肉と骨を砕く一撃なのだ。それら全てを束ねた一撃など、考えるまでもなく折紙が持つ極大にして勝負を決める一撃だろう。

 

「折紙!! もう一度だけ、聞いておく。私とお前は――――――本当にわかり合えないのか!?」

 

 だから、その前にもう一度だけ、十香は対話を試みた。十香は折紙の手を取るために刃を握った。士道のようには行かないかもしれないが、だとしても聞かずにはいられなかった。

 

 

「……ッ、ふざけないで。私の意志は変わらない。私の使命は変わらない。精霊は全て――――――私が否定する!!」

 

 

 飛び出した返答は、否定。けれど、その表情は悲痛で歪んで――――――酷く、悲しげな子供のようだった。

 

 

「――――そうか。ならば仕方ない。本気で灸を据えてやる――――――覚悟しろ、駄々っ子め!!」

 

「戯れ言を――――――吐かすなぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 振り上げた刀身に漆黒の光が。

 

 前に掲げた両手の先、天使の先端には純白の光が。

 

 

「〈鏖殺公(サンダルフォン)〉――――【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】!!」

「〈絶滅天使(メタトロン)〉――――【砲冠(アーティリフ)】!!」

 

 

 各々の叫びが大地を揺らし、集う霊力が空間を振動させる。天と地。挟まれた歪なる空間は、砕け散る寸前の様相を呈し、まさに力が放たれようとした瞬間。

 

 

「――――やめろぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 絶叫が、響いた。

 

「な……!!」

 

「……っ!!」

 

 二人は揃って、戦うべき相手のことなど目もくれず絶叫の先を見る。普通であれば、正気とは思えない行為だ。特に折紙は、十香だけでなく〈アンノウン〉も相手にしているのだ。

 致命傷になりかねない隙。だとしても、その声を聞き逃す事は不可能だった。

 

「シドー!!」

 

「士道……!?」

 

 何故ならば、その声は行方がわからなくなっていた五河士道のものだったのだから。

 何故ここに、その答えは、少年の隣にいる〝精霊〟が持っていた。

 

 

「あら、あら。わたくしは任せるとは言いましたが――――――精霊同士の殺し合い(・・・・・・・・・)をしろと、言い付けた覚えはありませんわよ」

 

「……我が女王」

 

 

 微笑を浮かべる狂三とは対照的に、士道は悲痛な表情で尚も呼び掛けを続ける。

 

「何なんだよ……一体なんでこんなことになってるんだよ!! 十香、〈アンノウン〉――――折紙……ッ!!」

 

「士道――――――く……」

 

 王冠の形を解き放ち、再び翼状に組み変わった〈絶滅天使(メタトロン)〉を使い、高速化した折紙が士道に背を向け飛び去っていく。

 

「折紙!! 折紙ぃぃぃぃぃぃ――――――ッ!!」

 

 少年の叫びを耳にして、それでも折紙は止まらなかった――――――こんな姿を、見られたくない。そんな一心だけを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 飛び去って、ひたすらに飛行を続けて、十数分。折紙は、ようやく地面に降り立ち、〈絶滅天使(メタトロン)〉を分解し光の粒子へと返した。

 

「……この、力は」

 

 それを何の違和感もなく行ってから、小さく眉をひそめて己の身体に目を向ける。

 白い〝霊装〟。誰に教えられたわけでもなく、本能的に理解出来てしまった〝天使〟の扱い方。あの奇妙なノイズのような〝誰か〟が差し出した宝石を取り込んだ折紙は、自身がよく知る人間ではない〝怪物〟に成り果てた。

 

「私が――――――精霊……」

 

 嫌悪、憎悪、忌み嫌う存在。そんなものに成り果てた自身への拒絶感――――――それを呑み込んでまでも、士道にこの姿を見て欲しくなかったのは、鳶一折紙に残された最後の甘さだったのかもしれない。

 今はそれ以上に、気にしなければいけないことがあった。そう、あのノイズのような存在の事だ。

 

「…………あれが、〈ファントム〉……?」

 

 五年前、五河琴里を精霊に変えた存在。士道が、そして〈アンノウン〉が指し示した正体不明の精霊の識別名。〈アンノウン〉が正体不明の〈ファントム〉について知っている、というのは何とも不可思議な話だ。

 こうなっては、力ずくでも彼女から話を聞くべきだった、と後悔を覚えてから首を振る。後の祭りだ。精霊の力を得た今ならばともかく(・・・・・・・・)、忌むべき精霊から得る情報など、過去の折紙が信用するとは思えない。素直にはいそうです、と教えてくれるような関係でもないのだから。

 今は、あの〈ファントム〉が五年前の精霊と同一存在なのか、という事が重要だ。もしそうだとしたら、やつは。

 

「あいつが……お父さんと、お母さんを……?」

 

 父と母を殺した、精霊。全ての元凶。取り戻せない過去の、何に変えても討滅すべき精霊。

 

「う……っ」

 

 穢らわしい、精霊という存在。そんなものに成り果てた自身と、よりにもよって両親の仇かもしれない者に与えられた力への嫌悪。迫り上がる嘔吐感を、折紙は寸前で堪えやるべき事を真っ直ぐに見据えることで、躊躇いを振り払った。

 何故、〈ファントム〉は精霊を増やすのか。何故、折紙だったのか。どうやって、この宝石を生み出しているのか。どれも断定のしようがないが――――――確かなのは、折紙が元凶の手によって、その元凶を断つ力を手にしたという事だった。

 〈ホワイト・リコリス〉。〈メドラウト〉。人知が生み出した英知を授かってなお、足元にも及ばなかった極地に折紙は立っている。思い上がりなどではなく、神如き力を得た折紙ならばやれる。

 

「今の……私なら」

 

(たお)せる、精霊を。(ころ)せる、災厄を。

 〈ファントム〉だけに留まらない。夜刀神十香。四糸乃。五河琴里。八舞耶倶矢。八舞夕弦。誘宵美九。七罪。〈アンノウン〉。

 その、更に先。恐ろしい力を持ちながら、士道と行動を共にする不可解さを持つあの精霊。時崎狂三でさえ――――――

 

 

「…………、ぁ――――――」

 

 

 興奮で鳥肌が立つ。とは、こういう時のことを言うのかもしれない。初めてだった、精霊に対してこのような形で歓喜の感情を持つなど。

 折紙がこれ(可能性)を思い浮かべることが出来たのは、DEMから齎されたデータの中に、当然ながら時崎狂三の〝天使〟についてのものがあったのが一つ。もう一つは、折紙を同じ(・・)と語った彼女を強く認識していたこと。

 

 確証はない。保証もない。ましてや、ぬか喜びになるかもしれない。それでも、だとしても、その〝希望〟に手を伸ばそうとしてしまうのは、人間であれば誰もが持つエゴそのもの。

 

 

「もし……そんなことが、可能だとしたら――――――」

 

「考え事とは、随分と余裕ですね」

 

「――――ッ!!」

 

 

 ハッと顔を起こし、振り返った先。折紙の霊装と同じ〝白〟がいた。既に刀は、抜かれている。

 

「私の力、あなたが忘れてるとは思えないのですが、買いかぶりすぎでしたか? それとも、それほど考えたいことがあったのか……まあ、私に話す内容でもありませんか」

 

「…………」

 

 失念していたわけではない。〈アンノウン〉との戦闘中、少女の力は発揮されていた。随意領域の感知すら容易くすり抜ける、このステルスにも似た能力。常に視界で捉え、集中していなければ見失ってしまいそうになる感覚――――――少女がその気になれば、攻撃の殺気(・・・・・)すら消してしまえるのではないか、そう思わせるだけの異能力。

 相変わらず飄々としているが、不意をついて攻撃を仕掛けなかったのは何か理由があるのか。ただ単に、折紙の光子化を警戒してのことか――――――どちらにしろ、折紙が求める物(・・・・)に手を伸ばす絶好の機会が、目の前に転がってきた。

 

「さて、それでは――――――」

 

「待って」

 

「……はい?」

 

 折紙の静止が、それ程までに意外だったのか。キョトンとした表情――ローブに隠れた仕草でそう判断しただけだが――で白い少女で小首を傾げた。

 

「……なんですか。あなたが、私に何か用事でもあると? 精霊化したとはいえ、私如きとあなたが話がしたいとでも――――――」

 

「――――そう」

 

「……は?」

 

 今度こそ、理解が及ばないとばかりに動きを止める。だが折紙は、そんな少女に先手を取るわけでもなく、距離を離すわけでもなく、ただ無防備(・・・・・)に、言葉を紡いだ。

 

 

「あなたと、話がしたい――――〈アンノウン〉」

 

 

 他でもない。幾度となく出会った少女との六度目の邂逅は、時崎狂三へたどり着くための、対話(・・)だった。

 

 

 





行け、フィン〇ァンネルッ!!

別に数増えたからと言って原作から有利になるとは言ってない。速度で誤魔化してますけど、解錠された手札的に近接と0か1000かの大技しかない、更に初見というのが大きい。この辺は以前七罪編で語った気がする相性問題もあります。
ぶっちゃけると十香や折紙のような小細工なしの戦闘能力に長けた精霊相手にゃ〈アンノウン〉は勝負を避けたいでしょうね。私を止めたければ、夜刀神十香でも連れてきた方が良いとはそういう事です。折紙とはやり合うと相性悪いけど協力すると余程相性が良いという。

さてそんなわけで水入りとなってからの第二ラウンドと思いきや……? 果たして二人の行方は如何に。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第八十三話『愛しき復讐鬼たち』

交わる道が幸せとは限らない




 

 

「ありがとう、狂三。皆の怪我の手当、本当に助かった」

 

「いえ、いえ。わたくしなど……美九さんや七罪さんのおかげですわ」

 

「あはは……私のも、あくまで鎮痛作用がある〝歌〟ですから。気休め程度ですけどねー」

 

 折紙と、そして〈アンノウン〉が姿を消してから士道たちが移した場所は、来禅高校の保健室。

 本当ならば〈フラクシナス〉の医療用の顕現装置を使えればいいのだが、未だに琴里との連絡がつかず、士道の家や精霊マンションも周りが主戦場になってしまいめちゃくちゃになっていた為、仕方なしの妥協案として選んだのだ。

 手をひらひらとさせ謙遜する美九だが、全身包帯だらけで見るからに痛々しい皆には彼女の〈破軍歌姫(ガブリエル)〉・【鎮魂歌(レクイエム)】による癒しの〝歌〟は目に見えて効果を発揮していた。

 

「いや、皆が楽になれてるんだ。助かるよ。七罪も……って……」

 

 美九への礼と共に、治療におけるもう一人の功労者を労わろうとしたのだが……なんというか、恐ろしい負のオーラ(・・・・・)が、士道の頬に汗を流させた。

 

「……どうやら、しばらくはそっとして差し上げた方がいいようですわ」

 

「そ、そうだな……」

 

 保健室の隅っこで膝を抱え、念仏のようにひたすら何かを呟く七罪。彼女には、能力を応用して酷い傷を手当してもらったのだが……ある程度自由に能力を引き出せると言っても、条件が条件なだけに絞り出すような使い方をすると、ネガティブ娘はああなってしまうらしい。

 復帰したら、改めて労わってやらないとな、と苦笑する。

 

「にしても、博識だとは思ってたけど、こんなちゃんとした医療の知識まで知ってるんだな……」

 

 顎に手を当て、心の底から感心する士道の目には、持ち込んだ医療道具を用いて十香たちの治療を行う『狂三』と、その手伝いをしてくれている四糸乃の姿が映っていた。

 とてもではないが、保健室に備え付けられた包帯や湿布程度ではどうにもならない重病患者たちが、どうにか真っ当な治療を受けられたのは七罪だけでなく狂三の力が大きい。

 移動の時点でも『狂三』たちの力は借りたが、まさか医療キットまで持ち込んだ上で、士道が驚くほどの技術と知識で十香たちの怪我を手当してくれるとは思いもしなかった。

 士道とてある程度の知識はある。が、それは一般的な教育で学ぶ程度のもので、とてもじゃないが狂三ほど上手くやれる自信はなかった。

 

「大したものではありませんわ。『わたくし』はわたくしの過去、履歴。培った知識があれば、この程度の事はこなせますわ。偶然、わたくしの頭に医療知識が収められていたに過ぎませんことよ」

 

「……出来すぎた偶然に、感謝するよ」

 

 賞賛の言葉を誇る事もなく、いつもの微笑みを浮かべて返答した狂三に、士道は困った表情で頬をかく。

 少なくとも、偶然で済ませるには過ぎたる知識だと思う。まあ、狂三の器量と要領の良さを思えば、そういうこともあるかと納得する他なかった。

 

 

「――――――単なる、昔の名残り……ですわ」

 

 

 ポツリと、こぼれ落ちたその言葉に。士道は目を見開いた。()。狂三の、〝過去〟。

 

「昔、って……」

 

「青臭い、何かを持っていた、わたくしの……」

 

「っ……」

 

 息を呑む。確かに、士道は狂三の全てを知りたい、そう言った。しかし、それはこんな表情(・・・・・)をさせてまで、させたくて言ったのではない。

 

「……無理に話そうとしなくていい」

 

「え……」

 

「――――――俺は、ずっと待ってる。狂三が話したくなったら、話してくれればいいさ」

 

 だから、そんな辛そうな顔をしないで欲しい。好きな子にそういう顔をさせたくないから、士道は頑張っているんだ。驚いた顔をする狂三を、ちゃんと元気づけられる笑顔を見せてやる。

 

「お前のことを知りたいのは、俺の勝手な願望だからな。もちろん、狂三が辛くない過去の話なら大歓迎だぜ」

 

「……ありがとうございます、士道さん」

 

「……お、おう」

 

 へへへ、と笑いかける士道に、狂三は緊張が溶けたようにホッと息を吐いて、幼い少女を思わせる笑みで感謝を口にした。なぜだか、普段と違ったものを見るギャップからか胸が高鳴って顔に熱が行く。つまりは、いつもの事だった。

 

「……あのさー、イチャつくんなら外でやってくれなーい? 傷に響くんだけどー」

 

「達観。耶倶矢、それは不可能というものです。外に出たとしても、この甘い空気から逃れられると思えません」

 

『な……!!』

 

 揃って見てみれば、ベッドから軽く身体を浮かせながら呆れた表情で士道たちを揶揄する八舞姉妹。いつものノリでやってしまったが、また二人だけの空間というやつを作ってしまったらしい。呆れた八舞姉妹の他に、少し頬を膨らませた十香、顔を赤く染めながらも興味津々な四糸乃、何故か興奮気味の美九、相変わらず壁とお友達の七罪がいる。

 ちなみに、分身体は数人それぞれ表情が違い、なかなか個性が見て取れる……ではなくて、コホンと誤魔化すように空気を変えて、士道は事の本題に入った。

 

「……教えてくれ、みんな。あいつに――――折紙に、一体何があったんだ?」

 

 ――――――精霊になった(・・・・・・)少女。

 

 士道が駆けつけた時、十香の【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】と激突寸前だったのは、白い霊装を纏い、天使を司る精霊――――折紙だった。

 予感はあった。しかし、それは荒唐無稽の予感であり……同時に、確信を持った予感でもあった。その当たって欲しくなかった予感は、的中した。

 鳶一折紙は今日この日、間違いなく新たな精霊となってしまったのだ。

 

「いや……詳しいことはわからぬのだ。一度、あやつを吹き飛ばしたのだが……戻ってきた時にはもうああなってた」

 

「ふん、さすがにあれには驚いたな。く……あの派手な登場。なんとか参考に出来ぬものか……いや、しかし白というのはあまり我の性に合わぬ……」

 

「首肯。凄まじい威圧感でした。〈アンノウン〉の救援や、十香の霊力が完全でなかったなら、皆やられていたかもしれません」

 

「……そう言えば、折紙が精霊になって現れる直前に、通りすがりの人は何かを不思議なことを言っていたな。確か……『私も彼女を選ぶよ』、などと言っていた気がするが……」

 

「〈アンノウン〉が……?」

 

 一体、どういう意味かはさっぱりではあるが……十香の言うことが確かなら、白い少女はまるで折紙が精霊になると知っていた(・・・・・・・・・・・・・・)ような、それに似たニュアンスを口にしたことになる。折紙が、誰かに選ばれたような。

 この場にいない少女の代わりに、少女を知る狂三に目線を向けるが、彼女も小さく首を振って否定を返した。

 

「……察しの通り、隠し事が多い子ですので、わたくしも存じ上げませんわ」

 

「うーん……もしかしたら、折紙さんも〝神様〟に会って、それを〈アンノウン〉さんは知ってたーって事ですかねー」

 

「――――〈ファントム〉、か」

 

 美九は琴里と同じく〈ファントム〉と思われる精霊によって、人から精霊にされた過去を持っている。他の者より、〈ファントム〉の存在に思い至るのも当然の話だった。

 

「……あいつ、〈ファントム〉のことを知ってるのか……?」

 

「可能性はありますわ。ただし、わたくしが訊いたところで、口を割ってくださるかは別の問題ですわね」

 

「狂三でダメなら、誰が訊いても同じだろうな……」

 

 基本的に、狂三の言うことには従うほど狂三に入れ込んでいる〈アンノウン〉だからこそ、彼女が相手でも教えるつもりがなかったら、士道たちに情報はもたらされないだろうと頭を抱える。

 〈アンノウン〉を今更疑っているわけではないが、少女が何か〈ファントム〉と因縁があるなら、本音を言えば知っておきたい。何しろ、行動目的や思想、何から何まで不明瞭なのだ。正体不明の〈アンノウン〉の方が、まだわかっていることが多い。

 〈ファントム〉、〈アンノウン〉、そして少女が追いかけていった――――――憎む精霊になって、途方もない自己矛盾を抱えてしまった折紙が去り際に見せた表情を思い出し、士道は心に落ち着かないものを感じた。

 

「〈アンノウン〉は……折紙を追いかけて、どうしたいんだ」

 

「折紙さんは精霊になった。この事実がある以上、わたくしにも関係が出来てしまいましたわ。わたくしが関わる事柄なら、あの子も考えを保留にしているはずですわ」

 

「あいつが折紙を……倒すか、どうか……」

 

 殺すかどうか、なんて言葉は言いたくなかった。少女だって、本心では折紙を殺したいなどと思っていない。

 

「精霊になった、か……」

 

 折紙は精霊になった。故に、狂三が関わる事柄になった。正確に言えば、士道が関わる事柄と言えた。精霊と士道が、密接に関わる事象であるのだから。

 

「……あやつは、言っていた。精霊を殺すために、精霊の力を使うと。そして最後は……自分さえも、殺すと」

 

「……ッ」

 

「あら、あら。なんとも傍迷惑な自殺願望(・・・・)ですこと」

 

 そう冗談のように口にする狂三も、からかうような表情ではなく真剣そのものだ。

 自殺願望。まさに、その通りだ。自己という己を殺そうとした折紙は、いつか本当に自分自身を殺しかねない危うさがあった。そして今、考えうる限り最悪の形で士道の予測が現実に迫っている。

 

「折紙……」

 

 どこかへ消えてしまった折紙。彼女の行方を探したいと思っても、士道では身動きが取れないのが現状だった。怪我をしている上に、霊力が完全に逆流し再封印が必要になった十香。彼女だけではなく、耶倶矢たちだって放ってはおけない。

 今までであれば、〈フラクシナス〉の設備を使って捜索を行えたのだが、琴里たちと連絡が取れない今は机上の空論となってしまった。

 となれば、取れる方法はそう多くはない。琴里や令音、〈フラクシナス〉の力を借りられないだけでこのザマだ。人に頼る事柄が多いことは自覚している。だからこそ、己が出来る最大限のやり方を取らなくてはいけない。

 

「狂三」

 

 視線を送ると、こくりと頷き、士道が言葉を発するより前に彼が求めるものを狂三は言葉にした。

 

「精霊となった折紙さんとの対話の可能性。それを残すのは、あなた様ただ一人……今『わたくし』があの子と折紙さんの行方を探っていますわ。今しばらく――――――」

 

「――――――『わたくし』。お電話(・・・)がありますわ」

 

 突然、影から現れた新たな分身体が手に持った携帯電話。既に通話が成されているそれを見て、士道たちは目を見開く。何せ、彼女と連絡を取る人物など該当する者は一人だけだ。

 そんな中、狂三だけは至極冷静にふむ、と唇を指でなぞり、声を発した。

 

「変わりますわ」

 

 訊くまでもなく、相手はわかっているのだろう。皆が見守る中で、狂三はその手に通話の繋がった携帯を手に取った。

 

「さて、さて、お電話変わりました。あなたのご主人様ですわ」

 

 冗談めかした余裕のある会話。だが、電話の主が口にした言葉で然しもの狂三も、目を丸くすることとなった。

 

 

『はい、こちらご主人様の従者です。実は――――――お客様(・・・)から、ご主人様にお茶のお誘いが入りました』

 

 

 それは――――――どちらにとっても、ありえないと思っていた選択だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私に話……ですか」

 

「…………」

 

 折紙が口に出した内容が、心底信じられない、という訝しげな口調で白い少女は折紙を見やる。

 

「……どういう風の吹き回し、なんて物じゃありませんね。あなたに限って、私に恩を感じているなどありえない話でしょうし――――――どういう意味です?」

 

「そのままの意味。あなたと話したいこと……頼みたいことが、ある」

 

「頼み事……ですか。内容次第ですが……」

 

 ありえない。少女が知っている鳶一折紙という人間――――今は精霊となった元人間は、武装した忌むべき精霊に仲良しこよしで頼み事をする人物ではない。幾度か危機を救ったことはあるが、今更その事を蒸し返す性格ではお互いにないだろう。

 折紙の言葉にますます意図が読めず、身動きが取れない白い少女に、彼女は構わず言葉を続けた。

 

 

「〈アンノウン〉。あなたの力を借りたい――――――私を、時崎狂三の元へ連れて行って欲しい」

 

 

 ――――――だが、その言葉を喉を震わせ空間に放った、瞬間。

 

「――――っ」

 

 色のない刃が、折紙の首元に現れた。あと数ミリ、それだけで折紙の白い肌を赤く染めるであろう、鋭くも美しく、この世のものとは思えない色をした刀。それ以上に――――――折紙をして、感じた事のない狂気に呑まれそうになる殺気。

 

「……はっ。正気ですか、あなた。私の前で、そんな戯言を口にするだなんて」

 

「…………」

 

 濃密なプレッシャー。殺気とは所詮、人が持つ感情の発露、その一つ。可視化するなどありえはしないが、そう思ってしまうほど、〈アンノウン〉の殺気はこれまで感じたことのない――――――否、ただの一度だけ、この狂気に迫るものを感じたことがある。

 半年前。引いてしまった引き金が、五河士道を貫いてしまったあの日。幾ら悔いても、悔いきれるものではない、あの瞬間に……夜刀神十香、彼女が見せた真っ黒に淀んだ感情の塊。

 

 

「……あなたにとって、時崎狂三は」

 

「私の全て。私が無様に生きている、たった一つの理由。害を成すならば――――――精霊になった価値ある女王よ。あなたを、殺そう」

 

 

 短く、簡潔的に。それでいて重く、強く。

 

 精霊同士の繋がり、そう一定の予想を立てていた折紙を裏切る――――――まるで、折紙が士道を大切に思う、行き過ぎた感情。それと酷く似ている。

 〈アンノウン〉は嘘をついていない。時崎狂三に害を成すなら、何があっても、誰であっても立ち塞がる。折紙と同じように(・・・・・)

 今のこの場で折紙の首を刎ねる事に、少女は思考はすれど容赦はしない。

 

だとしても(・・・・・)

 

 

「お願い」

 

「…………」

 

 

 忌むべき精霊に、このような謙った態度を取る事になっても、折紙の心にある微かな希望は、折れようとはしなかった。

 

 

 

 

「……もう少し、賢い人だと思っていたんですけど……そう言えば、後先考えない人でもありましたね、あなたは」

 

 士道を守るためだけに、力を手放す事を覚悟して〈ホワイト・リコリス〉を扱った時。まともな装備も持ち出せないというのに、危険な戦場に突っ込んで無謀にも、エレン・メイザースと戦った時。

 今この瞬間、鳶一折紙に状況打開の策があるのか――――――ないだろう。折紙がその気になれば、あるかもしれない。だが、少女に刃を突きつけられながら、天使を呼び起こす事すらしない折紙には、ない。それがわかるから、少女には理解できなかった。

 

「……あなた、死にたいんですか」

 

「生きる。私には、やらなければならないことがある。そのために、時崎狂三に用事がある」

 

「…………」

 

 言っていることと、やっていることが矛盾している。少女も呆れ果てて言葉を失った。

 頭が良く、要領も良い。だと言うのに、頑固で、頭が痛くなるほど強情で、やりたいことを言い出したら、どんな説得にも応じようとしない。

 

 知っている。そんな人を。この世に二人といないと思っていた、強情極まる女の子を。

 

「っ……」

 

 姿形も、纏う色だって真逆。なのに、少女の色彩は――――――黒と白が、重なってしまった。

 手に持った刀が、小さな音を鳴らしてブレる。ほんの一瞬の迷いでしかないそれは……。

 

「……狂三に、一体なんの用があるんです?」

 

 恐らくは、白い少女の妥協(敗北)を示す一手だった。

 少女の心境の変化を感じ取ったのか、折紙はその言葉にようやく表情を緩ませ、すぐに引き締めて声を発した。

 

「時崎狂三に質問がある――――――その答えに応じて、彼女の力を借りたい(・・・・)

 

「あの子の力……――――――!!」

 

 一瞬、疑問を浮かべた少女だったが、すぐさま折紙が何を求めているのか思い浮かべる。

 

 誰よりも狂三に付き添って、誰よりも狂三の願いを知っている少女は、狂三が持つ唯一絶対の力――――――禁じられた弾丸に思い至ってしまう。

 

 知れば誰もが望むだろう。どのような小さなことでも、欲というものがある生命なら、たとえ一瞬であっても願わないはずがない。故にその力は、神に逆らうものだ(・・・・・・・・)

 同時に、人の常識に囚われたものであれば、それがありえない事だと捨ててしまう。しかし、人の身を捨てなお、復讐という狂気に身を浸した折紙は――――――辿り着いて、しまった。

 

 

「……ああ、本当に……そっくり(・・・・)

 

 

 もう、何度目かの、言葉。

 

 少女の勘違いなのかもしれない。でも、折紙はその答えに行き着いたと、信じてしまう。信じたかった(・・・・・・)。ある意味、折紙のそれは、時崎狂三の〝同志〟とも……理解者(・・・)とも言える考えであるから。

 

 過去に囚われた精霊(人間)。過去を糧とし憤怒を成す精霊(人間)。決して交わらぬはずだった二人は、片方は忌むべきそれに成り果てて――――――何の因果か、全く同じ〝答え〟に手をかけている。

 

「……?」

 

「なんでもありません――――――自分の甘さに、呆れてしまっただけです」

 

「っ!! それは……」

 

 言って、刀を下ろしただけでなく、それをゆっくり鞘に納めた少女を見て、折紙は純粋な瞳で声を発する。それは、初めて聞く彼女の喜びの声(・・・・)だったのかもしれない。

 

「……取り次いではみましょう。ただし、あの子から交渉の場を引き出せるかは、あなた次第です」

 

「問題ない。やってみせる」

 

「ろくな策もないのに、どこからその自信が来るのやら……少し待っててください」

 

 まったく、焼きが回るとはこの事か。まさか、覆しようがないと思っていた命の取り合いを、他ならない鳶一折紙の手で止めさせられるとは。

 

 だが、まあ。

 

 

「――――仕方ない、かぁ」

 

 

 ほとほと、惚れた人に甘いのは、生まれの譲りらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――お茶のお誘いにしては、少々過激なお相手ですわね」

 

 お客様、などと言えるような相手か。こんな状況で、狂三と話し合いの場を持ちかけるような人とは思えないが……この言い方は、間違いなく客人(折紙)の事を言っている。

 

『断るなら追い返しますけど……多分彼女、あなたの分身の首根っこ掴んで、引きずり回してでも押しかけて来ると思いますよ』

 

「……笑えないジョークですこと」

 

 まあ、目的のためなら道理を飛び越えるのが折紙だ。街に放っている分身体がいるのは事実なため、容易にその場面は想像出来てしまう。今の折紙には、それだけの力がある――――――それだけの力があるというのに、その方法を取っていない。

 

「……わかりましたわ。場所は追って伝えますわ。お客様を、お連れしてくださいまし」

 

『――――かしこまりました、我が女王』

 

 電話が途切れる。士道でも、十香でも、ましてや他の精霊でもなく、狂三。一体、何の用事があるというのか……狂三にわかるのは、白い少女に取り次いでもらうリスクを背負ってでも、狂三の討伐が目的ではない(・・・・・・・・・・・・)、という意志を伝えたいのだろうと言うことだけだ。

 

「狂三……」

 

「心配なさらずとも、平気ですわ。あの子が選んだお客様ですもの。ここは、わたくしに任せてくださいまし」

 

 会話の内容で誰かが狂三とコンタクトを取ったことはわかっているのか、士道が不安げな表情をしているのを狂三は微笑みで返す。

 狂三が折紙と接触する事を受け入れたのは、単に分身体の事があるからではない。白い少女が、それを判断したからこそ、だ。

 

 折紙の排除を決めたあの子の判断を、当の本人がどう説き伏せたのか――――――狂三に会わせるだけの価値を、折紙が持っていたのか。精霊であるから、なんて楽な理由ではないだろう。どちらにしろ、少女が通すということは折紙は戦闘を望んでいないということだ。

 

「……少し席を外します。『わたくし』を一人置いていきますので、何かあれば頼ってくださいまし。では……」

 

「っ、狂三!!」

 

「……? はい」

 

 どこか焦ったような、何かの焦燥に駆られるような、影へ消えようとする狂三をそんな表情で士道が呼び止めた。

 

 

「あ、いや……気をつけて(・・・・・)、な」

 

「……ぷっ、ふふ。ええ、ええ。士道さんこそ」

 

 

 今朝のやり取りと、逆転してしまった事に吹き出しながら、狂三は優雅に一礼して影へと消えた。待ち侘びているであろう、お客様(折紙)を出迎えるために。

 

 

 後にして、思えば。士道は漠然と感じ取っていたのかもしれない――――――待ち受ける終末の、引き金を。

 

 

 







美九編でもわかる通り白い少女の惚れたとか好きは基本的には友愛のそれです。だがそれが愛情として劣ると誰が決めry みたいなノリだと思ってください。士道への方向性は、まあ今のところは想像にお任せします。一言言うのなら生まれの譲り、ですかねぇ。

原作だとマジで首根っこ引っ掴んで辿り着いてるしよく殺し合いにならなかったものですね。狂三は霊力消費避けたいから当然なのかもしれないですけど、普通折紙が精霊と話し合いとか気が狂ったとしか考えられないので。

次回、復讐鬼たちの再会。喜劇となるか、悲劇となるか。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第八十四話『不可逆の破壊者(ユッド・ベート)

次に作品作る時は絶対本編ぶっ通し再現とかしないで中編くらいのやつを作ろうと心に誓っている今日この頃




 

 空に輝く星ではなく、眠らぬ光の星を見下ろして、精霊は何を思うのか。

 都会の星は、眠らない。街を照らすイルミネーションは、見下ろせばその美しさを存分に見せつけている。整備された衛星都市ならではの光景と言えるだろう。

 高層ビルの屋上。肌寒さを感じさせるようになった風を受け、艶やかな黒髪が揺れる。

 

「…………」

 

 今更、このような光景に青臭い感傷を覚える狂三ではない。ここを選んだのは、単純に分身体の動向を見渡しやすい場所の一つ、と言うだけの話だ。故に、美しいとは思っても、彼女の心を揺れ動かし、感動を覚えさせるものではない。

 

 まあ――――――士道と共に、というのなら、全く話は別になるのかもしれないが。

 

「――――――は」

 

 らしくもない。そう言いたげな息を吐く。幻想的に街を照らす光は、好きではなかったはずなのに……随分と、ロマンチストになってしまったものだ。気の長い年数を耐え忍んできた精霊には、些か過ぎた幸せ、というやつだろう。

 色違いの双眸を閉じ、雑念を振り払う。そうして、数分。狂三のドレスが、ふわりと舞った。

 

「――――あら、あら」

 

「…………」

 

 白い、白い、衣。同色だと言うのに、その印象をまるで違うものと受け取らせるのは、もう一人の少女とは違い、彼女の纏う衣は淡い光を放っていることからだろう。狂三の霊装と同じように(・・・・・・・・・・・)

 

「随分と、様変わりされましたわね、折紙さん。あれほど憎んでいた精霊になった気分、如何なるものなのか。気になりますわ、気になりますわぁ」

 

「…………」

 

 折紙は、答えない。表情すら変えない。前までの折紙なら、この挑発でさえ許せなかったはずだ。嫌悪感の一つすら見せないとは、一体何があったのやらと疑問符が浮かぶ。

 けど、それでも、変わらないものはある。こうして交錯するのは、あの時以来。鏡合わせのような、その瞳。色ではない。宿す炎が、憎悪が、消えていない。

 

 

「ですけど――――――変わりませんわね、その目は……あの時から、ずっと」

 

 

 どうしてか、同じだから言わずにはいられないのか。同じだから、心がざわつかずにはいられないのか。

 その言葉を聞いて、眉一つ動かさなかった折紙の表情が変わる。何かを感じたのか、狂三と視線を――――先にある異色の双眸を見つめ、喉を鳴らした。

 

 

「そういうあなたは――――――変わった」

 

「――――――――」

 

 

 揺れる。時崎狂三の、心が。たったそれだけで、狂三の瞳は揺れてしまった。

 誰でもない、鳶一折紙に。誰でもない、同じ憤怒を持つものに――――――時崎狂三は、変わってしまった(・・・・・・・・)と、見抜かれた。

 悲しみ、怒り、絶望。あらゆる負の感情を心の炉に焼べ続けた者が、憧れ、喜び、愛情。抱えてしまった正の感情。あまりに矛盾したものを捨てられなかった少女は、矛盾を抱えたまま〝悲願〟の果てを諦めない。

 

 迷いがある。それでも諦めない――――――なんて、歪。

 

「……皮肉なものですわね。姿が変わった折紙さんは変わられないというのに、わたくしはこんなにも――――――」

 

 醜く、なった。それを口に出そうとして、出来なかった。したくなかった、の間違いか。だって、それは彼を、五河士道を……狂三を変えてくれたお人好しの少年を、否定しているようで、嫌だったのだ。

 それに、折紙の前でそんな事を言ってしまうのも、失礼に値する気がした。たとえその真意に、折紙が気づくことがなくても、だ。

 

「……なんでもありませんわ。それで、わたくしに一体何の用でして?」

 

 首を振り、関係のない話を切り上げて本題を切り出す。

 すると、狂三がその話を切り出すと同時、折紙を連れて来た白い少女は跳躍し、狂三の隣に立つ――――――正確には、狂三の一歩手前。万が一、折紙が何か攻撃に転じる動作をした時、狂三を庇える位置(・・・・・・・・)だ。

 こういう過保護なところは、何年過ごしていても変わらない。その癖、自身の事には無頓着なのだから、折紙の前だと言うのにため息の一つも吐きたくなった。

 対して、当の折紙はまるでそうするのは当然と言いたげな視線で、特に気にする様子もなく言葉を発する。

 

「……あなたと戦いに来たのではない」

 

「存じ上げていますわ。でなければ、仲介役にこの子を選ぶだなんて、無謀な事はなさらないでしょうし」

 

 口元を歪めて少女を見るが、少女は相変わらず折紙を見遣るだけで反応はない。

 最も、狂三の敵対者に対して異様に攻撃的な面がある少女にしては、かなり甘い対応だ。どうやら、余程ご執心のようだと狂三は肩を竦めた。

 

「ですが精霊嫌いの折紙さんが、人類の災厄そのものである〈ナイトメア〉に、どういったご要件があるのやら。お茶のお誘いなど、冗談がそのままというわけではありませんでしょう?」

 

「一つ。質問に答えて欲しい」

 

「質問、ですの。うふふ……この子にここまでさせたのですから、無下にするのは心苦しいですわね」

 

 物によっては、答えてやる。その言葉を了承と受け取ったのだろう。折紙は躊躇いなく事の本題に入った。

 

 

「あなたの天使〈刻々帝(ザフキエル)〉は、時間を操る天使。そして十二ある文字盤の一つ一つに、異なる能力を有している」

 

「…………」

 

「――――――そのうち十二のいずれかに、撃った対象を過去へ送る弾は存在する?」

 

 

 ――――――時間遡行。

 

 狂三が持つ最後の切り札にして、一度も撃った事がない最奥の弾。それを正確に言い当ててみせた折紙に、狂三は賞賛を送りたくなると同時、正直な話で言えば内心驚いていた。

 

「……もしあるとしたなら、どうだといいますの?」

 

 そのような動揺はおくびにも出さず、しかし狂三は嘘はつかなかった。

 ないものとして、追い返すことは可能だろう。だが、時間遡行の力は僅かながらでも士道たちに伝わってしまっている。その伝手で暴かれてしまう可能性もゼロではないし――――――何よりも、〝ない〟とは言いたくなかった。

 

 それは、否定であるから。自らの手で、再び(・・)大切な者の命を奪ってまで、成し遂げると誓った願い。それを否定してしまうような気がしたのだ。

 

「――――――時崎狂三、あなたの力を借りたい」

 

「……なるほど」

 

 折紙から告げられた意外すぎる言葉に、狂三はどこか納得したような声を発し、言葉を続けた。

 

 

「わたくしに、あなたのために時間遡行――――【一二の弾(ユッド・ベート)】を使えと、そう仰りたいんですの?」

 

「そう」

 

「…………あなた」

 

 

 まず最初に感じたのは、この度を超えた命知らずに対しての呆れ(・・)だった。仮に、狂三一人だったなら、狂三がその甘さを取り戻してしまっていなかったなら、問答無用で鉛玉をこの命知らずに撃ち込んでいただろう。

 

「わかっていますの? 物事というのはギブアンドテイク。このようなもの、交渉にすらなっていませんわ」

 

 馬鹿馬鹿しいにもほどがある。命知らずにもこの子に仲介役を頼んで、また命知らずにも狂三にそのような事を頼むなど、狂三が言えたことではないが頭が狂っているとしか言いようがない。

 恐らくは、折紙とてわかっている。わかっていて、彼女は頷いて言葉を発した。

 

「わかっている」

 

「【一二の弾(ユッド・ベート)】は、わたくしの持つ弾の中でも特別な一発。あなたに撃って差し上げなければならない道理はありませんわ――――――あなたは、それでも力を貸してほしいと?」

 

「そう」

 

 真っ直ぐに、迷いはない。だが、冷静な折紙がタダで無謀な賭けに出るとは思えなく、狂三は僅かながらその〝理由〟とやらに興味を抱いた。

 

「……聞くだけ聞いておきますけれど。【一二の弾(ユッド・ベート)】を使って何をするおつもりですの?」

 

「――――――私を、五年前の八月三日(・・・・・・・・)に、飛ばして欲しい」

 

 ――――――その年月は、狂三の目を大きく見開かせるには十分なものだった。

 

 

「――――五年、前」

 

 

 狂三は知らない。知らなかったはずだった。けど、知っている。

 

 

「その、日は……」

 

「その日に、私の両親を殺した精霊がいる。そいつを殺して、お父さんとお母さんが死んだという出来事を、〝なかったこと〟にする――――――私はこの力で、歴史を変える(・・・・・・)

 

 

 士道の、琴里の――――折紙の、運命が決まった日。

 歴史を変える。〝なかったこと〟にする。それは、狂三の悲願(・・・・・)

 

 時崎狂三と鳶一折紙に差があったのは、始まりを〝なかったこと〟に出来るか、出来ないか、その身が精霊であるかないか、それだけだけだった。その差は今、無いに等しい。折紙は狂三と同じ存在になり、折紙の手の先には――――――狂三の判断一つで、到達し得る希望があった。

 

 取り返しのつかない過去。取り返しのつかない間違い。取り返しのつかない、悲劇。

 甘く、鋭く刺さる、甘美なる誘惑。それが、折紙にここまでさせる理由。冷静沈着である折紙に、このような無謀な事をさせる理由。僅かな、儚き希望だろう――――――痛いほど、理解ができてしまった自分を、恨む。

 

「……【一二の弾(ユッド・ベート)】の使用には膨大な霊力が必要ですわ。それこそ、三十年前(・・・・)まで遡ろうとすれば、精霊数人の霊力を容易に使い潰すほどに」

 

「……三十年前?」

 

 唐突に、関係のない年月を出してしまったからだろう。怪訝な表情をする折紙に、狂三は言及を避けて言葉を続ける。

 

「そして、問題となるのは留まるための霊力(・・・・・・・・)。これに関しては、わたくしも感覚を掴めてはおりませんが……折紙さんの膨大な霊力を使用しても、五年前に留まれる保証はありませんわ」

 

 折紙の纏う霊力は、狂三と比べても遜色ないほど濃密なものだ。しかし、それがあっても遡行した先に留まっていられるか、確証はなかった。五年前となれば、それこそ……今士道の中にある霊力(・・・・・・・・・・)を使ってようやく、十分過ぎて余りあると言えるかもしれない。

 所詮、狂三の推測からなるものでしかないが、唯一の所有者である狂三の予想だ。大きな間違いはないはずだ。それがわかるのだろう折紙は、狂三の言葉に微かに顔を歪める。

 

 その時。

 

「――――――狂三。私の霊力も、使えませんか?」

 

 沈黙を保っていた白い少女が、そう声を発した。それに驚いたのは、狂三だけでなく折紙もだ。まさかの提案に、狂三は顔を顰めた。

 

「あなた、言っている意味が理解できていますの?」

 

「……お願いします」

 

「……………………はぁ」

 

 長い沈黙を挟んで、狂三が大きく息を吐いた。あまりに人間くさい仕草だったが、そうでもしないとやってられないと思ったのだ。

 この子が、自分の意志で、狂三ではなく誰かのために願う。それを――――――それこそ、無下にはしたくなかった(・・・・・・・・・・・)

 

 

「……あなたの霊力は、わたくしの所有物なのですが」

 

「……はい」

 

「それほど強く望むのであれば――――――使い道を決める権利は、あなた自身にありますわ」

 

 

 折紙はハッと目を見開き、白い少女も下げた頭を上げて狂三を見る。

 

「【一二の弾(ユッド・ベート)】で折紙さんを送り出し、何も成し遂げられずに帰ってこられては、わたくしと〈刻々帝(ザフキエル)〉の沽券に関わるというもの。それだけですわ」

 

「……撃って、くれるの?」

 

 そう、折紙が折紙でないような純粋な目で――――ああ、もしかしたら、この純粋さが本当の折紙だったのかもしれないが。狂三が撃つとわかっているなら、言ってくれるなと僅かに顔を背けて声を発した。

 

「あくまで、実験ですわ。一度も【一二の弾(ユッド・ベート)】を使わず〝本番〟を迎えたくはありませんでしたし、折紙さんという礎を築いて、糧となっていただきますわ」

 

「…………」

 

「そ・れ・だ・け、ですわ」

 

 半ば睨みつけるように白い少女へ言葉を吐く。さながら、余計なことを言ったら口を縫い合わすぞ、と言わんばかりの眼力だった。

 直前に、白い少女の霊力は所有物と発言している事を考えたら、狂三の発言は些か説得力に欠けるものがある。

 やり取りを眺めていた折紙は……笑う、には程遠く結びつかないが、僅かに顰めっ面の表情を和らげた。無表情に戻した、と言うべきかもしれない

 

「何か?」

 

「何も」

 

 ……誰も彼もが、調子を狂わせてきて頭にくる――――――それを受け入れてしまっている自分にも、本当に苛立ちを隠せない。

 

「なら、手早く済ませますわ。折紙さんの霊力頂戴いたしますわ。準備はよろしくて?」

 

「構わない」

 

 可愛げなく頷く折紙。まあ、そういうのが良いという人間……例えば美九などはそうかもしれないが、そうでない狂三は了承を得て淡々と仕事に入った。

 トン、トン、と。その場で地面に合図を送り、己の影を広げる。厳密に言えば、広げた影を折紙の元に集中させる。

 

「――――これは」

 

「〈時喰みの城〉。わたくしの領域ですわ。ま、折紙さんなら、どのようなものか覚えておいででしょうけど」

 

 普段広範囲に使用している物の、一点集中版といったところか。吸い取る対象の霊力を一気に取り込む事が出来る。わざわざ折紙の前で手札を見せびらかす趣味はないので、白い少女の分は折紙を送り出してからと決めていた……最も、普段から霊力譲渡のやり取りをしている為、狂三としては結果は変わらないのだが。

 

 この僅かな時間で、狂三は最後の確認のために唇を動かした。

 

「折紙さん」

 

「……なに」

 

「歴史を変えるという意味……あなたにはわかりますか?」

 

 唐突な狂三の言葉に折紙は訝しげに表情を眉を寄せる。

 思えばそれは――――――狂三自身への、戒めの言葉だったのかもしれない。

 

 

「あらゆることが、あらゆるものが〝なかったこと〟になるかもしれない。あったことを、有り得たことを、他者の権利を、根こそぎ奪うことになるかもしれない――――――身勝手な独裁者。それが歴史を変える、ということですわ」

 

「っ……」

 

「何かを叶えるということは、きっと何かを踏み躙るということですわ。或いは、忌むべき者と、全く同じことを繰り返しているのかもしれませんわ。ですが――――――」

 

「――――――それでも!!」

 

 

 真っ直ぐに、意志が貫く。五年間という人間には長すぎる月日を、未来があった少女が失うには重すぎる年月を。

 

 

「私は――――――世界を、壊す」

 

 

 それら全てを、折紙はこの一瞬に捧げようとしている。

 

「そう……ですの」

 

 その無謀な行いを。その無謀な決意を――――――狂三は、誰よりも肯定しよう。

 

 

「それでは、やってみせてくださいまし――――――このくそったれな(・・・・・・)世界を、壊すだけの覚悟と共に」

 

 

 瞬間。二人の想いに答えるように、狂三の背に文字盤が浮かび上がった。これまでとは比べ物にならない霊力に歓喜するかのように――――――或いは、歴史を変えようとする大罪人を笑っているかのように、〈刻々帝(ザフキエル)〉が黒い影を纏う。

 果たして、どちらか。言うまでもない。何故ならば、〈刻々帝(ザフキエル)〉は狂三を映す水晶なのだから。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一二の弾(ユッド・ベート)】」

 

 

 そして、静かに。それでいて、心の灯った。最後の弾丸を呼ぶ。

 濃密すぎる影が装填された瞬間、手にした銃が大きすぎる霊力に震える。撃たせることを拒むか……不可逆の事象へ挑もうとする、愚か者たちへの祝福か。

 銃口を折紙に向け、引き金に指をかける。それを引く、その前に。

 

 

「旅立つ前に、一つだけ」

 

「……?」

 

「これは、貸しにしておきますわ。いつか必ず――――――わたくしたち(・・・・・・)へ、返しに来てくださいまし」

 

 

 それが少しばかり意外だったのか。目を丸くした折紙は、それでも間を置かず深く首肯をした。

 

「約束する」

 

「きひひ!! せいぜい期待しないでおきますわ」

 

「――――――鳶一折紙」

 

 今度は、少女が。簡潔な言葉を放った。

 

 

「幸運を、祈っています――――私が言うのも、おかしな話ですがね」

 

「……いいえ。感謝している(・・・・・・)

 

 

 ――――――或いは、折紙と話していて一番の驚きだったかもしれない。あの折紙から、曲がりなりにも感謝の言葉が出るとは思いもよらなかった。

 

「……私は精霊の中で、その言葉を一番受け取るべきではない(・・・・・・・・・・)精霊ですよ」

 

 少女は皮肉げな口調でそう言って、狂三に視線を投げかけた。

 言うべきことは言い切ったのだろう。ならば――――――神に抗う時間を、始めよう。

 

 

「さあ、行ってらっしゃいまし、折紙さん――――――そして、見せてくださいまし」

 

 

 何を。そう折紙が口にする前に、漆黒の弾丸が折紙の身体を穿ち。

 

「……ッ!!」

 

 捻れが生まれ、歪曲する。それが折紙の全てを呑み込んでいき、やがて空間から消え去った。

 残されたのは、狂三と白い少女だけ。そして、もう既に届きはしないその言葉を、狂三は自分自身に祈るように、形にした。

 

 

「世界を書き換えようという愚かで無謀な行いを、神がどこまで許すのかを」

 

 

 力を抜かれた手から、銃が影へと、消えた。

 

 

 





全体的に対応が甘くなってる狂三ちゃんであります。さてはツンデレにジョブチェンジしてry
そんなこんなで満を持して、ついに解禁【一二の弾(ユッド・ベート)】。察しの良い方はお気づきかと思いますが、燃費が独自の設定で悪化してます。って言ってもオリジナル精霊が狂三側についてる都合上での話なんですけどね。霊力解決しちゃうと物語全部茶番になりますからね、HAHAHA。笑い事ではない。

誰よりもこの時の折紙の気持ちがわかるのは狂三なんですよ。その悲願、わからないはずがない。だからこそ、原作では折紙が起こした悲劇を認めるわけにはいかなかったのでしょう。なぜならそれは、長い年月をかけて駆け抜けた自分自身の敗北を認めることと同じなのだから。この作品では……どうなることでしょうねぇ。

前書きのお話をすると次回作作るなら絶対そうするって話です。もうこんな無謀なこと二回もしないし出来ません。やるならヒロインは狂三再びか琴里でオリジナル展開を書きたい。ちなみに前者はネタがあるが後者はノープランです。
まあ狂三でも琴里でも士道くん主人公のままなんですけどね。こやつオリジナルキャラを作る気がない。どちらにしろ、リビルドを完結させてからの話なので気長気長に頑張ります。

次回、折紙さんの楽しい楽しい時間遡行回。変更点はあるのですが、変化を多くつけられなかったのが心残りです。この辺の問題もこの作品の欠点って感じです。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第八十五話『白き復讐鬼の裁き』

折紙さんの楽しい楽しい時間旅行、始まるよー(白目)





「ぅ……」

 

 数秒。数分。或いは、数時間。或いは、一瞬かもしれない。時崎狂三が放った弾が胸に触れた瞬間、折紙は全身がねじ切られるような感覚を感じながら、その意識を強制的に寸断させられた。

 

 そして、目覚めた今。折紙は()に身を投げ出していた。

 

「ふッ――――」

 

 咄嗟の判断で、素早く姿勢制御を行い浮遊をする。感覚としては、CR-ユニットを用いた浮遊と大差はない。魔術師の技術と精霊の力、それら二つが似通ったものなのかは不明だが、精霊は飛べるという非常識の常識を知り、魔術師としての資質を持っていた折紙は幸運だと言えよう。

 弾の影響なのか、まだ鈍い痛みを残す頭に眉を顰めながら、折紙は空から地上へと視線を巡らせた。

 

 そうして、感じる――――――何もかもが、違う。けど、ここは確かに天宮市だ。ならば。

 

 

「――――――五年前の、天宮市」

 

 

 形になった言葉が、興奮と動悸という肉体的な躍動となって折紙を襲う。

 それを、その歓喜を、その放心を、誰が笑えようものか。

 

 

「――――――ああ」

 

 

 戻って、きた。全てを変えるために。戻ってこられた。絶対に不可能だと思っていた、不可侵の領域に。

 五年前の八月三日。精霊によって、両親が殺された日を――――――変える。

 人の尊厳を踏み躙る行為だ。神に挑むような愚行だ。独裁者の論理だ――――――それでも(・・・・)、誓った。

 たとえ、愚かな事と言われようと。たとえ、どれだけの咎を背負おうと。折紙は、〝悲願〟を成し遂げる。

 

 そのために、帰ってきた。

 

「〈絶滅天使(メタトロン)〉――――【天翼(マルアク)】」

 

 己が天使が顕現し、翼の形を作り折紙の力となる。主人の歓喜に応じているのか、心なしか輝かしいそれは折紙を高速で飛翔させる。

 目指すは、南。五年前のこの時、折紙が暮らしていた天宮市南甲町。飛んで、数分とも満たない時間で、強化された折紙の聴覚が騒がしいサイレン(・・・・)の音を捉えた。

 

「これ、は……」

 

 南甲町大火災。火災警報器。消防や救急のサイレン。音だけではない、折紙の眼下で街が燃え盛っている(・・・・・・・)

 早る気持ちを、折紙は押されられなかった。火の粉が、黒煙が、彼女の視界を遮る。それに構うことなく、ひたすらに視線を巡らせた。

 いる、必ず。やつはいる。ここにいる。いないはずがない。

 

「……士道……ッ!!」

 

 先に発見したのは、小学生くらいの少年と、霊装を纏った幼い少女の姿。だが、彼らを見つけるのが重要だった。

 士道の話では、その存在によって五河琴里は精霊になった。折紙も経験した事だ、間違いはないと思っていた。ならば、ならば――――――それならば。

 

 

 

「――――――――――」

 

 

 

 〝それ〟がいるのは、必然なのだ。

 

 

「――――見つ、けた」

 

 

 姿形輪郭、あらゆるものは定かではない。しかし、そこに〝それ〟は存在するという矛盾。〝それ〟が折紙が知っているものと同一存在なのか、それとも中身は全く別のものなのか。そんなことは、どうでもいい。ただそいつは、そこにいる。

 

 

「見つけた。見つけた。見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた――――――ついに、見つけた」

 

 

 言葉は呪詛。折紙に力を与える呪いにして力。

 昂っていた心が、動悸が、不思議と冷たくなった。

 何故か、なんて、当然の話だ。だって、殺したいほど恋焦がれたものを目の前にして、人が何をするかなんて決まっている――――――全身全霊を以て、〝それ〟を殺すのだ。

 

「――――〈絶滅天使(メタトロン)〉」

 

 言葉だけで相手を凍りつかせる術があるなら、今の折紙には容易い事だろう。それだけの冷たさで、彼女は〈絶滅天使(メタトロン)〉から光を警告もなしに撃ち放った。

 

【――――あれ?】

 

 すると蠢動した〈ファントム〉が、一瞬の後で折紙の眼前にその姿を晒す。と言っても、相変わらずノイズの塊のようなものの為、それが取る僅かな仕草が知れるだけだったが。

 しかし、折紙に焦りはない。あるのは、ただ純粋な殺意の塊……言ってしまえば、折紙自身が殺意と化している。

 

【しかもその天使――――――〈絶滅天使(メタトロン)〉……? 一体どういう事かな? 私はまだ、その霊結晶(セフィラ)を持っているのだけれど】

 

 首を傾げた問いに、答えるつもりはない。だが、未来の〈ファントム〉が打った失策を察し、折紙には歓喜とも呼べぬ感情が増えた。

 

【ねぇ、君は、誰? 一体どこから来たの? なぜ私を攻撃するの?】

 

「――――――ああああああああああッ!!」

 

 その感情を叩きつけるが如く、折紙は雄叫びのままに力を振るった。

 

【……間違いなく〈絶滅天使(メタトロン)〉、か。だとすると考えられるのは――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉の力で時間遡行でもしてきたのかな? もしそうだとしたら……少し意外だな。ううん、驚いた。まさかあの子(・・・)が、他の精霊に力を貸すなんて】

 

 光を避けた〈ファントム〉が、思案するように呟いた。

 

 ――――――これを聞いていたのが、仮に五河士道であったなら。恐らくは、凄まじい形相で問い詰めていただろう。なんでお前が狂三を知っている(・・・・・・・・・・・・・・)、と。

 だが、そのようなIFは起こりえないことであり無意味だ。〈ファントム〉の発する言葉など、今の折紙には彼女の怒りを数段蹴り上げていくものでしかない。

 

「【光剣(カドゥール)】……ッ!!」

 

【……っ】

 

 〈絶滅天使(メタトロン)〉の翼が個々の羽となって、その圧倒的な物量を以て破壊の光を解き放つ。

 全方位に渡る、一撃一撃が必滅の火力を持つ光だ。〈ファントム〉もそれを理解しているのだろう。息を詰まらせて後方へと逃げ延びる。

 

「逃がさない!!」

 

 追う折紙と、逃げる〈ファントム〉。一見して、その火力範囲を維持したまま追い縋る折紙が有利のように見えるが、必ずしもそうとは限らない。

 制限時間。狂三は過去にいられる時間は、そう長くはないと言っていた。こうして追っている間に、折紙が未来へ強制的に送還されてしまえば全ては水の泡――――――それを思い出させた理由は、目の前の〈ファントム〉の動き(・・)のせいであった。

 

わかる(・・・)。紙一重で避けられこそしているが、〈ファントム〉の動きが読める(・・・)。だが、どうして――――――

 

【はあ……どうやら、未来の私は随分と君に恨みを買ってしまったみたいだね】

 

 そんなギリギリの攻防が続く中、〈ファントム〉がうんざりとした様子で声を発した。

 

【……でも、悪いけど、ここで君に殺されてあげるわけにはいかないんだ――――――私にも、叶えなければならない願いがあるからね】

 

「願い――――だと?」

 

 感情の抑えは、とっくに振り切れている。その心のまま、水晶が輝きを増し〈絶滅天使(メタトロン)〉の羽が限界を超え顕現する。展開させていた羽の中に織り交ぜ、折紙は頭に浮かぶ予測(・・)範囲を推し進めた。

 

 

「私のお父さんを……私のお母さんを殺しておいて、願い……? ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな……ッ!! あなたには、願う間さえ与えない。祈る時間さえ与えない。何も成さないまま死んでいけ。何も残さないまま消えていけ。その空虚な心に、後悔だけを抱いてこの世から失せろ――――ッ!!」

 

【君のお父さんと、お母さん……? 何を言っているの? 覚えがないよ。悪いけれど、人違いじゃあないかな】

 

「……ッ!!」

 

 

 今の〈ファントム〉には、そうだろう。何故なら、折紙の両親が殺されるのはこの後。今の〈ファントム〉には覚えがなくて当たり前だ。

 だからその返答は、折紙にとって別の意味を持っていた。

 

 覚えがない。その殺害に、意味はない。計画性もない。道理もない――――――悪意に、理由がなかった。

 

 

「貴――――様ァァァァァァァァァァッ!!」

 

 

 そんな理由のない悪意(・・・・・・・)に、何の罪もない両親が殺された――――――もはや、一秒足りともこの世に〈ファントム〉という穢れた存在がいることを、許しておけない。

 〈絶滅天使(メタトロン)〉の羽が輝き、無数の光線を〈ファントム〉へ叩きつけた。それを紙一重で躱す〈ファントム〉を見て――――――折紙は、冷静な憤怒の中で疑惑を核心へと変えた。

 

 

「【砲冠(アーティリフ)】――――ッ!!」

 

 

 避けた先へ、誘い込む(・・・・)。紙一重で避けたということは、躱すことが出来る場所はそこにしかないということ。どれだけ速くかろうと、どれだけ攻撃を感覚で避けようとも、その事実を変えられはしない。

 

 極大の光。まるで裁きの柱(・・・・)。それが、〈ファントム〉に向かって上空から叩き落とされた。

 

【……ッ】

 

 初めて、〈ファントム〉が狼狽を見せる。が、それはあまりにも短かった。〈ファントム〉を包む霊力の壁と、無数の光線(・・・・・)が激突し、目が眩むような凄まじい光が辺り一帯を包んだ。

 

「――――――今のは、お見事だったよ」

 

「……ッ!?」

 

 若い、女の声。もっと言うなら――――――少女。

 男か女かも判断がつかなかったはずの声が、酷くクリアーになる。驚きで目を見開いた理由は、その声が誰かと似ていたからだった(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「流石に避けきれなかった。まさか、こんなにも見事に〈絶滅天使(メタトロン)〉を使いこなすなんて――――――でも、不思議だな」

 

 それだけではない。〈ファントム〉を覆っていたベールが剥がれ、長い髪を靡かせた少女が、折紙に背を向けていた。

 

 

「君は、初めから私の動きを予測していた(・・・・・・・・・・・・・・・)。もしかして……未来で『私』と戦ったことがあるのかな?」

 

「――――――な」

 

 

それ(・・)は、折紙が真っ先に考え、真っ先に切り捨てたものだった。

 〈ファントム〉の言う通りだ。折紙は、彼女の回避パターン、回避の癖を知っていた。厳密には、見たことがあった。忘れるはずがない。僅か数時間にも満たない間に(・・・・・・・・・・・)、折紙の記憶能力が劣化しようはずもない。

 

 何故なら、その回避パターンは――――――折紙と戦い、折紙を送り出した〈アンノウン〉のものと、同一と言っていいほど酷似していた(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「……しかし、困ったな。そうなると、未来でも自分に弓引く可能性がある少女に霊結晶(セフィラ)を渡さないといけない、か。けど、これほどの力を振るえる少女に渡さない、ということは考えられないし……」

 

 仇を前にして目を見開き、身体を硬直させた折紙の様子を背でどう受け取ったのか。もしかすれば、それすら見えていたのかもしれないが、〈ファントム〉は困った様子で声を発した。

 

 

「まあ、それも仕方ないか。力ある精霊の誕生は歓迎すべきことだしね。それが、反逆の精霊だとわかっていても、ね。この一撃は、甘んじて受け入れるとするよ。全ては――――――私の願いのために」

 

「あなた、は――――――」

 

「じゃあね。私はこれでおいとまする事にするよ。今日の目的は取り敢えず達したしね。本当は君の力をもう少し見たいのだけれど……これ以上ここにいても、いい事はなさそうだ」

 

 

 少女の姿が虚空へと掻き消える。間違いなく逃げようとしている〈ファントム〉を見て、ハッと正気に返った。

 

「……ッ!! 待て!!」

 

 〈絶滅天使(メタトロン)〉に指令を下し、追撃の光を放つが、それは間に合うものではなかった。

 光線が、〈ファントム〉の影だけを射抜く。文字通り、幻影のように少女は消えていった。

 

「……どういう、こと……?」

 

 両親の仇を逃がしてしまった苦々しさは、ある。だが、それと同じくらいの疑念が折紙の頭を支配していた。

 

 ――――――未来の『私』。

 

 間違いなく、〈ファントム〉はそう言った。しかし、それはない。未来から来た折紙に、〈ファントム〉との交戦経験など一度たりともなかったのだから。けれど、〈ファントム〉自身がそう誤認してしまうほど――――――〈アンノウン〉は彼女と同じ回避の癖(・・・・)を持っていた。

 

 どういう事だ、と疑問ばかりが強くなる。〈ファントム〉と〈アンノウン〉が同一人物だとでも? 否、折紙が精霊の力を受け取った時、白い少女は夜刀神十香たちの元にいた。更に補足するならば、万が一にも、そうだとしたらならば……〈アンノウン〉は過去の自分自身を消そうとする折紙を(・・・・・・・・・・・・・・・・・)わざわざ自らの霊力を使って支援した(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、という馬鹿げた話が出来上がる。

 

 何よりも、折紙には――――――自らに向けられた殺意(・・)も、()も、嘘だとは思えなかった。

 

「――――あ」

 

 しかし、その解消不能な深い疑問も、直後に溢れ出た歓喜に打ち消された。

 そうだ、仇は取れなかった。でも――――――両親を殺した精霊を、追い払うことが出来た。

 

「――――――あ、あ」

 

 それは、つまり。折紙が微かな希望を辿ってここまで来た目的が、果たされたということだ。

 

 

「お父さん……お母さん……」

 

 

 封じ込めていた涙が、目尻に滲む。

 

 取り戻せた。取り返すことが出来た。証明されたのだ、歴史は変えられると。失ってしまった両親を、折紙は自らの手で取り返した。ああ、ああ。これで、希望は繋がって――――――

 

 

「――――――――――え?」

 

 

 なぜ、あと数瞬、その悦楽に浸っていられなかったのか。

 

 

「あ……、あ、ぁぁ……」

 

 

 なぜ、あと数瞬、その優れた視界を閉じていられなかったのか。

 

 なぜ、全てを理解してしまえる、その優れた頭脳を持ってしまったのか。

 

 なぜ、神に見定められる力を鍛えて、極地へ至ってしまったのか。

 

 

 

「あ、あ、あ、あ、ああ、あ……」

 

 

 

 なぜ、無意識に――――――時崎狂三と、己を重ねてしまっていたのか。

 

 鳶一折紙は、変わる。変わらなかった狂三が変わったように、変わる。だがそれは、十数年の時を超えた事象の逆転。奇しくも折紙は、過去(狂三)の再演を行ってしまった。折紙と狂三の違いは――――――この絶望を、巻き戻せない(・・・・・・)こと。

 

 故に、折紙は見る。故に、折紙は知る。故に、折紙は――――――真実(もうどく)に、犯される。

 

 

 

『――――――――』

 

 

 

五年前の少女(鳶一折紙)が、見上げている。

 

 何を――――――人の形をした、『天使』を。

 

 

 

『――――お、まえ、が……お父さんと、お母さんを』

 

 

 

五年前の少女(鳶一折紙)が、全てを捨て去る復讐鬼へと生まれ変わる。

 

 なんの為に――――――裁きの光(・・・・)で、肉片に成り果てた両親(・・・・・・・・・・)の仇を、討つために。

 

 

 

『――――許、さない……!! 殺す……殺してやる……ッ!! 私が――――――必ず……ッ!!』

 

 

 

五年前の少女(鳶一折紙)が、呪詛と怨嗟に満ちた叫びを上げる。

 

 知っている――――――だって、それは。

 

 

 

「……わ、たしが……お父さんと、お母さん、を――――――――――」

 

 

 

五年後の少女(鳶一折紙)が、幾度となく繰り返した復讐の言葉であったから。

 

 

 削り取られた、破壊の痕。そこに、両親だったものがいて。どうして、その道は失われてしまったのか――――――〈ファントム〉を討滅するために使われた、〈絶滅天使(メタトロン)〉の極光によって。

 

 五年後から舞い戻った、天使によって(・・・・・・)

 

 

 

 わたしが、ころした。

 

 

 

 

「あ、あ、あ、」

 

 

 

 時は巡り、時は流れる――――――神は、摂理に抗う者に罰を与える。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 

 

 

 

 

 しかし、それを罰と呼ぶには、あまりに救われぬ、あまりに残酷な――――現実(呪い)だった。

 

 

 




裁きを受けたのは、どちらだったのか。ほぼ変わりはないけどカット出来なかった事情回。フラグ回ともいう。しかし真っ先に〈ファントム〉に疑問を感じた折紙さん、ここで一旦脱落。未来の『私』……一体どんな白いやつなんだ(棒)

鳶一エンジェル編も終わりへと近づいて参りました。狂三以外のヒロインは2巻分を1章にまとめることに定評があるこの作品恐らく唯一の2章構成。ほんと色々一気に進展しますね折紙編は。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第八十六話『終末の鐘は鳴る(ラグナロク)

では、終わりを始めましょう




 

 

 煌々と浮かぶ満月は、ごく一般的な感性で表現して良いのであれば、それはもう芸術的なものだろう。言うなれば、美しい、怖いくらいに(・・・・・・)

 

「…………」

 

 しかし、病院の窓から空を見上げた士道には、その美しい(・・・)という部分が抜け落ち、どうしてか恐ろしいと思ってしまった。

 遮る雲すらない満月が、怖い。漠然と、言い様のない不安感――――――これが、狂三と見る月明かりだったなら、話は別だったのかもしれないが。

 

「……狂三」

 

「お呼びでございますか、士道さん」

 

「っ」

 

 我ながら女々しい独り言を吐いた瞬間、彼の背後に一人の少女が現れ声をかける。驚きで肩を震わせながら振り向くと、『狂三』がいた。士道の呼んだ狂三ではなくて、それでいて狂三ではある不思議な精霊が。

 

「……いや、悪い。なんでもない」

 

「ええ、ええ。わかっていましたわ。あなたがそうお呼びになるのは『わたくし』のことだと。しかし。ええ、しかし……そう百面相をされては、わたくしの気が散ってしまいますわ」

 

「うぐ……」

 

「暗い表情をなされたと思えば笑みを浮かべ、また暗い表情に戻られる。少しは落ち着いてくださいまし。早めに吐き出しては如何ですの。そんなあなたを見ては、十香さんたちも不安を感じてしまいますわ」

 

 遠回しに、と言うより割と直球にさっさと考えていることを吐け、とニヒルな笑みで口にする『狂三』。頭をガリガリとかいて、そこまで顔に出してしまっていたかと反省する。

 人に言って、解決出来るものとは思えないが……とはいえ、口に出さないよりは良いか、と士道は考えを言葉にした。

 

「……理由があるわけじゃないんだ。ただ、変な不安が抜けないって言うか。狂三が行ってから……いや、違うな。狂三が行こうとしてる時から、悪い予感がしてならないんだ。すまん、抽象的すぎるな」

 

「いえ、いえ。人は誰しも、そう言った漠然とした不安を感じる時があるものですわ」

 

 小さく首を左右に振り、そう声にする狂三を見て士道も少しだけ救われた気分になる。

 狂三が去ろうとした、あの瞬間。何故か、酷く恐ろしい、言葉に出来ない不安が過ぎった。それは狂三を留まらせる理由にはならない。けれど、咄嗟に呼び止めてしまった。そうして出来上がったのは、在り来りな言葉と残された不吉な予感だけだったのだが。

 

「とはいえ、困りましたわね。『わたくし』ならばまだしも、わたくしでは解決できそうにもありませんわ」

 

「そんな事ないさ。こうして聞いてもらえるだけで、すげぇ気分が楽になった。ありがとな」

 

「うふふ、おだてるのがお上手ですわ――――――不便な、ものですわね」

 

 ふと、物憂げな。儚げな顔で『狂三』は空を見上げた。不気味なほど美しい満月は、果たして『狂三』の瞳にはどう映っているのだろうか。

 

「先知れぬ不安。何もわからないというのに……いえ、先がわからないからこそ感じてしまう予感。誰もがそんなものに振り回され、そうしてこれで良かったのかと(・・・・・・・・・・)、事が過ぎてから誰もが嘆く。人というのは、度し難く悲しい生き物ですわね」

 

「……だからって、不安のために未来を視ようとは思わないけどな。俺には、先なんて視えないくらいが身の程を知れていいよ」

 

「き、ひひひひ!! まるで、視た(・・)事があるかのような言い方ですわ」

 

「さぁ、どうだったかな」

 

 戯けるように肩を竦めるが、実際に狂三の力で未来を視た(・・)士道の嘘偽りない純粋な感想だった。

 

「ですが……概ね、同じ意見ですわ。視え過ぎても、良いことなどありませんわ。視えた結果、それ(・・)に絶望してしまうことだって、ありえますもの」

 

「……そうかも、しれないな」

 

 視た未来。士道の考えでは、客観的に集められた未来の解析を、主観記憶(・・・・)としてぶちまけられるから、あの力は恐ろしく人知を超えたものとなる。

 たとえば、一秒後に自分が死ぬ未来。たとえば、一秒後に誰かが死ぬ未来。たとえば、たとえば、たとえば――――――そうやって無限に広がる未来は、まるで足場のない一秒後に崩れてしまいそうな世界だ。

 力は強大だ、それ故に恐ろしい。だからだろう。狂三は、そのような神に等しい力を持ちながら、少なくとも士道の前では積極的に扱った事はなかった。

 

「では、その逆は如何でしょう?」

 

「逆?」

 

「ええ。未来ではなく、過去(・・)。過ぎ去った不安が的中し、予期せぬ現実となった時……仮に、そうなる前に戻れるとしたら(・・・・・・・・・・・・・)、士道さんならどう思われます(・・・・・・・)?」

 

 つまりは、過去改変(・・・・)と言いたいのだろう。未来を視て未来を変えるのではなく、確定した〝今〟を過去への介入によって変える、ということだ。

 

 

『――――――【十二の弾(ユッド・ベート)】』

 

 

 真っ先に頭に浮かんだのは、その弾の名前。

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉が持つ名称。それぞれ文字に刻まれた数字によって、異なる力を有する……と、士道は狂三の言葉から大方の予想をしている。その中の一つ、口にしながら使わず終いだった十二番目の弾(・・・・・・)

 過去へ消し去る障壁を相手に、対消滅を狙える弾丸。ならば自ずと、答えは見えてくる。そして、この質問の意図は――――――

 

「……変える事の是非は置いておく。けど俺は、変えられると思う(・・・・・・・・)

 

「っ……あら、あら。どうして、そう思われますの?」

 

 一瞬の動揺は、質問の真意(・・)を正確に読み取られてしまったからか。それ自体を確かめる術はないので、士道は構わず言葉を返した。

 

「んー……まあ、俺もSFには詳しくないけどさ。それは、過去へ行ったって前提なんだろ? だったらさ、出来てもおかしくないじゃないか。いや、出来ないかもしれないけど、出来るかもしれない(・・・・・・・・・)

 

「……やってみなければ、わからない、と?」

 

「ああ。実際に起こって、実際にやって見て、やり尽くしてからダメだって諦めるならともかく。過去改変なんて、まだ誰もやってないんだろ。なら、変えることが出来るって思うのは、おかしくないさ」

 

 歴史の修正力とか、そんなものを耳にしたことはある。だが、所詮そんなものは創作に過ぎない。

 士道が知る現実には、もっとファンタジーなものが溢れ返っていた。ビームの出る剣。いとも容易く生み出される凍土。傷を燃やして再生する炎。自然より余程強力な風。人を虜にして操れる声。どんなものにも変化できる魔法のような光――――――時を操る、弾丸。

 そう言ったものを見て、時には壁に当たりながらも打ち破ってきて、だからこそ思うのだ。やってみなければわからない(・・・・・・・・・・・・・)、と。

 

「……ま、こんなこと言ってる人間が、自分でもわからない不安を解消できないんだから、説得力はないけどな」

 

「いいえ、そのような事はありませんわ……ですが、士道さん。世界が変えられていない(・・・・・・・・・・・)と、誰が決めましたの?」

 

「え…………あ」

 

 間の抜けた声を出して、おちょくるような微笑みを浮かべる『狂三』の言いたいことに気がつく。

 そう、肝心なことを忘れていた。やった事がない、と言ったが……士道にはそれがわからない(・・・・・・・・・・・・)。何故かと言えば、一般的なSF理論に乗っ取ると、歴史が変わったことを士道は観測することが出来ない(・・・・・・・・・・・)はずなのである。

 観測できていたら、変わったことは証明されるが……まあ、妹様に精神病院にぶち込まれていない時点で、そうではないのだろう。

 

「あー……いやー……そ、その場合は、歴史が変えられるって証明できてるってことじゃ、ダメか?」

 

「……ふふっ。意地悪な質問でしたわね。ご安心を。まだ(・・)、誰も証明できていませんわ。勿論、『わたくし』にも」

 

「そ、そうか……良かった、のか? いや、良くはないのか……?」

 

 そもそも、狂三が証明出来るのかとも一瞬疑問に思ったが、恐らく変えられる可能性(・・・)を持つ唯一が彼女なのだ。彼女が言うのなら、そうなのだろう。

 

 

「けど、少しだけ……あなたから、そういった答えを聞けて――――――安心した(・・・・)、と感じてしまったかもしれませんわ」

 

「へ……?」

 

 

 なんでもありませんわ、と優雅な微笑みを見せる『狂三』だが、士道は確かに見た。彼女が安心した(・・・・)と告げた時の、どこか、孤独から救われたような、表情を。

 

 ――――――『狂三』は、狂三だ。過去の再現、過去の履歴。彼女はそう語った。ならば、『狂三』は狂三なのだと証明されている。

 

過去を変えられると思うか(・・・・・・・・・・・・)。過去へ行けるか(・・・・)、ではなく……時崎狂三は、変えられるかと訊いた。

 

 変えたい過去が、あるかのように。変えられることを、願うかのように、信じているかのように。信じなければ(・・・・・・)、救われないかのように。

 

 

「……狂三。お前、は――――――」

 

 

 彼女はきっと、何かを――――――

 

「うぅ……シドー……シドー……」

 

「っ……十香?」

 

 ちょうどその時、病室の中から呻き声のようなものが聞こえてきた。運ばれた当初は元気だったが、何かあったのかもしれないと慌てて十香の元へ足を向けた。

 

「どうした、十香。どこか痛む……のか?」

 

「うぅ……お腹が空いたぞ、シドーぉ……」

 

「……あぁ、なるほど」

 

 ベッドで飢えに苦しむ十香を見て、傷より深い彼女の事情を察した士道は苦笑する。

 結局、狂三が去った後、程なくして空間震警報は解除され、住民を含めた学校の教員たちも戻ってきた。色々あって(・・・・・)、全員揃ってくんずほぐれつしていた士道たちは養護教諭に発見され、その傷の具合から強制的に病院へ搬送となった。まあ、元よりそのつもりだった士道としては、良い結果と言えるのだが。

 で、当然夕飯は出された後ではある。しかし、十香が病院の適量程度の飯で満足出来るはずがなかった。今日一日、彼女がしたことを考えれば更に当然と言える。

 

「……仕方ないな。今からコンビニで何か買ってくる。ちょっと待ってろよ」

 

「うむ!!」

 

「こら士道。我を差し置いて眷属に禁断の果実を与えるとはどういう了見だ」

 

「不満。士道は夕弦と耶倶矢の共有財産であるという認識が足りません」

 

「はーい。私も私もー」

 

「『ラ・ピュセル』の限定ミルクシュークリームを」

 

「はいはい。全員分買ってくるから……ってちょっと待て」

 

 一人だけ明らかにおかしなのがあった。主に、というか確実に、士道の背後に控えるお茶目な精霊の要求が。

 

「行くのはコンビニって言ったよな? そもそも、お前は自分で買いに行けるだろ……」

 

「あら、酷いお方。このような時間に、女の子を一人で出歩かせるだなんて。わたくし、士道さんにそのような事を仰られては、悲しいですわ、泣いてしまいますわぁ」

 

「……コンビニのシュークリームで勘弁してくれ」

 

「嬉しいですわぁ。淑女として、甘いものは大切ですのよ」

 

 淑女は関係あるのだろうか、それ。

 はぁ、と、『狂三』相手であっても弱い自分に息を吐く。というか、夜の十時を回ったこの時間に、女の子が好むようなお店がやってるわけがないので、我儘お嬢様の気まぐれは確信犯だろう。 こんな時間に甘いものを食べて、太るぞ。とは言わない。半年前なら、主夫的なアレで気にして口にしてしまったかもしれないが、口酸っぱく教育された士道はそれが禁句であると知っていた。

 

「ったく……四糸乃と七罪も――――――おっと」

 

 見ると、四糸乃と七罪が部屋の奥でお互いに身体を預け合いながら寄り添って、眠りに落ちていた。

 

「……お疲れ様、二人とも」

 

 今日だけで色々な事がありすぎたのだ、無理もない。士道は口元を緩ませ、予備の毛布を取って二人に掛けてやる。と、そこで『狂三』がある事に気が付き、声量を抑えながら士道に声をかけた。

 

「士道さん。四糸乃さんの携帯に、着信がありますわ」

 

「え……あ、本当だ」

 

 言われて見て気がつく。確かに独特のバイブ音どこからか聞こえてくる。恐らく『狂三』の言う通り、合流した時に士道が返した四糸乃の携帯だ。精霊の聴力は常人の遥か上を行く。だから士道より気がつくのが早かったのだろう。

 病院での携帯電話の使用は控えたいのだが、入る前に注意をし忘れた士道のミスだ。

 

「仕方ないな……このままにもしておけないし……なんだよ『狂三』。その顔」

 

「いえ、いえ。なんでもありませんわ」

 

「……?」

 

 なんか妙に楽しそうというか、意味深な表情をしている『狂三』のことは気になったが、取り敢えず携帯を止めなければと士道は四糸乃の服へ手を伸ばした。

 最初に目星をつけたポケットに入っていないことに首を傾げ、続けて四糸乃の服を探っていく。すると、服の内側にあるポケットに携帯電話はあった。なるほど、丁寧で無くさないよう物を大切にする四糸乃らしい場所だ。と、士道は携帯を手に取った。

 

「ん……ぅん……」

 

 士道に身体を探られたからか、不意に四糸乃が目を覚ました。

 

「……っ!! あ、あの……士道ひゃん……!?」

 

 そう、よりにもよって、身体をまさぐっているようにしか見えない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)状況で、だ。

 

「ちょ……っ、違うんだ四糸乃!! これはだな……」

 

「ん……何よ、騒々しい……わ、ね……」

 

 ――――――その時、七罪に神の啓示が降りた。

 七罪は決意した。かの、大天使四糸乃に暴虐の限りを尽くす悪魔を打ち滅ぼさねばならないと。

 

 

「――――お前の命、神に返せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「なごさ……ッ!?」

 

 

 驚くほど珍妙な叫びがあったものである。七罪渾身のアッパーは、見事士道の顎に突き刺さり放射線を描いて病院の床に倒れ込ませた。

 驚いて心配そうな声を発する十香に、なんとか手を振り弱々しく立ち上がる。

 

「だ、大丈夫、四糸乃……!! 変なことされてない!?」

 

「あ、あの……は、はい。それより士道さんが……」

 

「ほっとけばいいのよあんな奴!! ま、まさか寝てる私の隣で四糸乃にあんな破廉恥な真似をするだなんて……!!」

 

「ご、誤解だっての……く、『狂三』。さてはお前、こうなるのわかってただろ……!?」

 

 顎への攻撃というのは、直に脳に響いてなかなか痛い。そんなこんなで頭が衝撃に揺さぶられながら、士道は大変楽しそうな笑顔の『狂三』へ愚痴とも言えぬ文句をぶつけた。

 四糸乃の携帯を取ろうとする前に見せた、あの意味深な表情は間違いなくこうなる予想を立てていた。

 

「まさか、まさか。買いかぶりですわ……まあ、こうなったら大変に愉快(嘲笑できる)とは、考えていましたけれど」

 

「余計にタチが悪い……っ!!」

 

 どうしてだろう。買いかぶりすぎ、という言葉はいつもの狂三と同じなのに、全く意味合いが違う気がする。言ってはなんだが、士道と関わりが薄いだけで、感じ方がこうも変わるものかと驚きを隠せない。

 

 これが可愛くないか、と聞かれれば――――――いや、これ()可愛いと言わざるを得ないのが、五河士道という男の性であり悲しさであり、誇るべきところなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……さて、折紙さんは目的を達成することができたでしょうか」

 

 屋上の縁に腰をかけ、ふらりふらりと足を遊ばせた狂三が、そう言葉をこぼした。

 独り言、とも言えるし、そうでないとも言える。彼女には、常に分身体の〝影〟がついているし、現実としても狂三の近くには〈アンノウン〉……白い少女が外へ視線を向ける狂三とは逆に、ビルの屋上に向けながら、同じように縁に腰をかけていた。

 

「あなたはどう思うのですか、我が女王」

 

「さぁて……わたくし個人としては、折紙さんには是非その願いを叶えていただきたいところですわ」

 

「あら、珍しい。我が女王が素直だなんて、明日は血の雨でも降るのでしょうか」

 

 ふふっ、と笑いながら失礼な事を言う白い少女に、狂三は余裕の笑みで言葉を返す。

 

「良いではありませんの。これでも、少しは期待していますのよ――――――世界は、本当に変えられるのか、と」

 

「……そうですね。私も、期待がないと言えば嘘になります」

 

 世界を、変える。世界を、壊す。言葉にするだけなら、こんなにも簡単な事なのに。世界は、どこまでも理不尽で不条理で、強固だった。

 もし、そんな世界に僅かでも綻びを生むことが出来たとしたら……折紙に感じたらしくない感傷にも、意味があるというものだ。

 

 

 

 

「そういうあなたは、どうして折紙さんに力をお貸ししましたの? 単なる同情心、と言うなら、わたくしはあなたをわかっていなかった事になりますわね」

 

「……まあ、否定はしません。それだけでは、ありませんけど」

 

 折紙の切なる願い。復讐も、そのやり方も、合わさってしまった折紙に力を貸したいと思ったのも本当――――――或いは、償い(・・)とも言えるかもしれない。だが、どうにも頭に引っかかる事があったのだ。腑に落ちない(・・・・・・)、どうしても。

 

「……五年前、鳶一折紙のご両親を殺した犯人に、私個人が疑問を抱いているんです」

 

「〈ファントム〉、と呼ばれる精霊ではない、と?」

 

「……状況証拠としては、彼女(・・)だけです。五年前の事故。あの瞬間、他の精霊は五河琴里を除けば私とあなただけでした。そして、お互いに干渉していないと証明できる」

 

 事件の現場に、精霊は四人いた。五河琴里。彼女に霊結晶を与えた〈ファントム〉。大規模な事件を見つけ、精霊が関わっているのではないかと様子を見に来ていた〈アンノウン〉と時崎狂三。

 五河琴里ではない。ましてや、少女や狂三でもない。であるならば、折紙が認識できる精霊はただ一人、〈ファントム〉だけということになる。

 

 

「……けど、だからこそ、わからない――――――〝彼女〟には、それをするだけの理由がない(・・・・・)

 

 

 必要とあらば、〝彼女〟はそれを成すだろう。しかし、必要ないのならそれをしないのが〝彼女〟だ。言ってしまえば、必要な理由とやらが見当たらない現実に、少女は頭を悩ませていると言っていい。

 

「……だから、鳶一折紙が〝彼女〟を排除、ないし撃退したとしてどうなるのか、興味が出たんです――――――ま、私の〝勘〟でしかないんですけどね、これは」

 

 〝彼女〟なりに、少女の想像を超えた目的があった可能性だってある。なんであれ〝彼女〟は、必要とあらばやる(・・・・・・・・)

 

 ――――――それ以上に、折紙の行く末、願いが叶えられた時彼女はどうするのか(・・・・・・)……それが、見られる可能性がある方が、少女にとっては重要ではあった。だから、折紙に手を貸した。

 

「…………」

 

「狂三?」

 

 と、何やら顎に手を当て深く考え込んだ風な表情の狂三を見て、少女は首を傾げる。これは……何かに思い至った(・・・・・・・・)、もしくは至りかけた顔だった。しかし、少女に声をかけられハッとなった狂三は首を横に振って、それを振り払った。

 

「なんでもありませんわ――――――それよりも」

 

 視線がぶつかる。狂三から少女の瞳は見えないのだろう。だが、少女は確かに強い意志を持つ彼女の瞳を見つめていた。逃れられないのか、人のものとは思えない蠱惑の瞳に、魅入られてしまったのか。

 

 

「いい機会ですから、お聞きいたしますわ」

 

「私に答えられる事なら、なんなりと」

 

「あなたは、〈ファントム〉と呼ばれる存在の、何を知っていますの。もしくは――――――何の関係がありますの(・・・・・・・・・・)?」

 

「……!!」

 

 

 少しばかり、驚いた。それなりに長い年月を過ごしているが、狂三がここまで白い少女に踏み入った事はない。あっても、答えを求めない戯れの問いだけだ。

 

 話せ、と言っているのではない。彼女は、少女が答えられないものがある事を知っている――――――だからこれは、話して欲しい(・・・・・・)という、狂三の願いだ。

 

「……知らない方が良い真実というのも、あるんですよ、我が女王」

 

「ええ、ええ。知っていますわ。嫌という程に(・・・・・・)

 

 ああ、ああ。そうだろう。その通りだろう――――――真実を知り、絶望の淵に立たされたのは、誰でもない時崎狂三なのだから。真実を恐れる(・・・・・・)時崎狂三は、今もいるのだから。

 

 恐怖がある。あるはずなのに、狂三は、信じようとしている(・・・・・・・・・)。ああ、なんて気高く、なんて美しく――――――なんて、残酷。

 

 

「――――――知ったら、きっとあなたは私を撃ち殺したくなる(・・・・・・・・)

 

「っ……」

 

 

 少女の言葉が鼓膜を震わせた時、狂三は怒りとも、悲しみとも、もしくは混ざり合った表情を見せた。白い少女ですら、そんな狂三を見るのは初めてだった。でもきっと、知ってしまえば、これ以上のもの(・・・・・・・)を見ることになる。

 

 時崎狂三が〝悲願〟を諦めないのなら、解き明かされない方が良い。これ(・・)は余計なものだ。何故なら、少女は――――――――

 

 

「え――――――」

 

 

 その、瞬間。

 

「っ、『わたくしたち』!!」

 

 月が。

 

「……あな、たは――――――」

 

 割れた。

 

 広く、広く、広く。昏い、昏い、昏い。

 

 闇が侵す。世界の全てを覆い尽くす。それは、終焉の始まりを思わせる、黒い、奔流。この世全ての絶望(・・・・・・・・)を凝縮して、受け入れてしまったような、闇。

 

それ(・・)の中身は、既にいない。あるのは、そうであった者の、〝抜け殻〟。わかってしまう、〈アンノウン〉には。わかってしまう――――――誰よりも、時崎狂三には(・・・・・・)

 

 健気にも、『魔王』の羽は主を護ろうと円を描いて空を漂う。

 

本来の形(・・・・)に戻った水晶は、戻ってしまったが故に役割を果たせない。残されたものは、世界を護ろうとした者が、世界を破滅させる結果だけ。

 

 彼女の、名は。

 

 

「……鳶一、折……紙」

 

 

 終幕の鐘は鳴る。その瞬間――――――どうしようもなく、世界(未来)は終わった。

 

 

 

 






鳶一ラグナロク的なのが発動。世界は死ぬ。

サラッと分身体の好感度まで上げてますよこの人!! 分身体も人それぞれなので、この子は大体本編初登場くらいの狂三的に言えば若い子だと思ってもらえれば結構です。他にいなかったのかと言われれば、まあ例の派閥の問題なんじゃないですかね、多分。

もちろん直球では全然ないんですけど書いてて宝生永夢ゥ!!とか匂わせるフレーズしてんなって思いました。実際間違ってはない。狂三は過去に一度、知らない方が良いものを見てますからね。

次回、魔王大暴れ回。鳶一エンジェルも残り二話。どうかお付き合いいただければ幸いです。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。貰えると咽び泣いて喜びます、私が。バンザイします、私が!! 次回をお楽しみに!!


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第八十七話『静止する未来の中で』

足掻き続ける者たち。それでも、今は変わらない


 

 

「え……?」

 

 それは、あまりに突然に。

 

 それは、あまりに静かに。

 

 それは、あまりに凄惨に。

 

『何よ、どうしたの?』

 

 電話口から聞こえる琴里の声にも、士道は返答をすることが出来なかった。

 

 空が、消える。月明かりを消し去る、昏い闇。蜘蛛の巣のように広がる深淵。

 

「……なんだよ、これ」

 

 呆然と見上げたそれ(・・)は、昏い闇は、闇を湛えて蠢動した(・・・・・・・・・)

 

「な――――ッ!?」

 

 その闇は生きとし生けるものを貫き、滅ぼす(・・・)

 

 

 ――――――終曲を、今ここに奏でよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「けほ……っ、けほ……っ」

 

「大丈夫か、シドー!!」

 

「十香……!!」

 

瓦礫の雨(・・・・)を抜け出し、完全な霊装を展開して自身を抱えた十香を士道は見やる。見渡す辺りには、病院だった物の残骸(・・)が散らばっていた。

 闇が、降り注いだ。病院だけではなかった。何十、何百という黒い閃光が街を、ビルを、道を、全てを蹂躙し尽くした。たった数秒で、天宮市は地獄となった。

 ついで、限定霊装を展開した精霊たちが後方に降り立つ。安堵の息を吐く暇すらなく、再び闇が降り注いだ。

 

「ぐ……!!」

 

 街全体に被害が広がり続けるこの光の正体は、〝精霊〟。携帯を手放してしまう直前、琴里側が観測していたので間違いはない。兎にも角にも、この光を止めさせなければ街だけではなく、住民の命が――――――既に、手遅れになっているかもしれない。だとしても、間に合う命のために士道は空を見上げ――――――

 

 

「――――え」

 

 

 〝彼女〟を、見つけてしまった。

 

 虚空を漂う、霊装を纏った少女。昏い、昏い、闇を纏った少女。彼女を護るように浮遊する漆黒の羽。膝を抱え、外界にあるものを拒絶するかのように、その中に閉じ籠る彼女の名は――――――

 

 

「折、紙……?」

 

 

 鳶一折紙。士道の友人で、精霊になってしまった少女で、気高く、気丈で、でも優しさを持っていて、自分のような存在を生み出したくないと言っていた、彼女は。

 

 

「反、転……精霊」

 

 

 反転体。その名は、精霊の心が深い絶望で満たされた時に出現すると言われている、精霊。

 士道が聞いたのはその程度の情報。あとはせいぜい、DEMインダストリーのウェストコットが作り出そうとしている、ということくらいだ。

 

 だが、違う(・・)。言葉だけなら、その程度。士道は、知っている(・・・・・・)。二度目は、十香が。一度目は、あの瞬間だ。冥府すら及ばぬ深い絶望。

 

「何……?」

 

「な……なんだ、〝あれ〟は……ッ!?」

 

「疑念。マスター折紙……なのですか?」

 

 十香、耶倶矢と夕弦。四糸乃や美九、七罪も皆が似たような反応で言葉を失っていた。

 

 ああ、知っている。肌を焼く絶望。引っ張られてしまえば最後、喉を掻き切ってしまいそうになる黒い感情。理屈ではない。士道の〝本能〟がそう告げている。そして、折紙がそうなった事が、何を意味するのかも。

 

「――――――手遅れ、ですわね」

 

「っ、『狂三』……!!」

 

 蠢動した〝影〟から、他の精霊たちと同じように逃れた『狂三』が姿を見せる。どこか冷ややかな顔で、細めた目で折紙を見上げる彼女に耶倶矢たちが食って掛かるように声を上げた。

 

「どういう意味だ。らしくもない言葉を吐きおって」

 

「言葉通りですわ。ああなってしまっては、もうどうにもなりません――――――殺すか、殺されるか。選ぶ権利は、それしかありませんわ」

 

「失望。そのような言葉、狂三の顔で聞きたくはありません」

 

「……士道さん、あなたならわかる(・・・)のではなくて?」

 

「っ!!」

 

 異色の双眸が、恐ろしいほど冷たい。ああ、そうだ。身体に刻まれた経験が、知っている。あの絶望の深さは、怖い(・・)。鳶一折紙を絶望させる程の〝何か〟など、正直想像もつかない。その事まで考えてしまうと、今にも心が折れてしまいそうだった。

 その冷たい双眸を、士道は強い瞳(・・・)で見返して、叫んだ。

 

 

「――――――やって見なけりゃ、わかんねぇだろッ!!」

 

「っ……」

 

「言っただろ。出来るかもしれない(・・・・・・・・・)、って。諦めるのは、やってみてからだ!!」

 

 

 だが、それでも(・・・・)と、士道は心に決めている。

 状況はあまりにも絶望的で、折紙がこうなってしまった原因すらわからない。けれど、折紙が〝精霊〟だと言うのなら、まだ希望はある。だから、反転の意味を本能的に理解していたとしても、士道は絶対に諦めない。

 

「か……かか、よくぞ吠えた。お主まで臆病風に吹かれようものなら、我らの風で吹き飛ばしてやっていたところだ」

 

「請負。……マスター折紙のところまでは夕弦と耶倶矢がお供します。士道――――――どうか、マスター折紙の目を、覚まさせてあげてください」

 

 震える身体を、しかしそれでも八舞姉妹は立っていた。全身に力を漲らせ、士道の辺りに風を纏わせる。次いで、十香が〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を手に士道の隣に立つ。

 

「道は私が切り開こう……鳶一折紙に何があったかはわからん。だが、あやつを正気に戻せる人間がいるとしたら、それはお前だけだ、シドー」

 

「……ああ。ありがとう十香、耶倶矢、夕弦」

 

 ――――――更に、皆を支援する勇猛な曲調が響いた。

 

「美九!!」

 

「うふふー。忘れてもらっちゃ困りますねー」

 

 明るく振る舞い、力を与える笑顔を見せた美九が光の鍵盤に指を踊らせる。

 彼女だけではない。想いは、四糸乃や七罪も同じだ。

 

「ち、地上の方は……私たちに任せてください……っ。〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の結界で、少しはこの光線を防げると思います……!!」

 

「……ふん、仕方ないから私も手伝ってあげるわ。瓦礫なんて、私がふわっふわの綿にでも変えてあげるんだから」

 

「四糸乃……七罪……」

 

 視線を巡らせれば、皆が恐怖を感じながらも二の足で立っている。皆が、折紙を助けるため士道に力を貸してくれている。

 

 十香、耶倶矢、夕弦、美九、四糸乃、七罪。一人一人を見て、全員が強く笑みを浮かべている。それぞれに視線を返した士道は――――――

 

「……『狂三』」

 

「…………」

 

 最後に、『狂三』を見た。あくまで冷静に……しかし、見たことがないほど冷徹な瞳。それでも(・・・・)と、士道は叫び続ける。

 

 

「お前の力を、貸してくれ。俺は、折紙を取り戻す」

 

「無駄、ですわ。と言っても、お聞きにならないのでしょうね」

 

「当たり前だろ――――――俺は世界一強情なお嬢様を、惚れさせた(・・・・・)男だぜ。諦めの悪さには自信があるのさ」

 

 

 ニヒルな微笑みで放たれたその言葉に、流石の『狂三』も、と言うより周りの精霊全員が面食らった。その中で七罪が、呆れ気味な表情で声を発した。

 

「……呆れた。普通、この状況で女口説く?」

 

「ああ。口説くさ。狂三(・・)とは、そういう〝約束〟だからな」

 

「……それは、『わたくし』との〝約束〟でしょう?」

 

「何言ってんだ――――――お前だって、『時崎狂三』だろ」

 

 理由なんて、それだけで十分だ。

 さも当然のように語る士道に、キョトンとした表情を見せた『狂三』が可笑しそうに笑った。

 

「きひ、きひひひひひ!! ああ、ああ。『わたくし』が聞いていたら、嫉妬で狂ってしまいそうなお言葉ですわぁ」

 

「……自分自身に、か?」

 

自分自身だから(・・・・・・・)、ですわ。思ったより、『わたくし』の事をわかっていらっしゃらないのですね、士道さんは」

 

 うぐっ、と呻く士道を見て『狂三』が微笑を浮かべる。

 

 

 

 ――――ああ、ああ。そうだとも、そうだとも。誰よりも個が多く、そして他者へ嫉妬をぶつけまいと抑え込んでいる狂三だからこそ、自分自身(・・・・)へは遠慮というものがない。

 その嫉妬心。それほどまでに人を狂わせる、愛情。『狂三』にはわからなかったものが――――――今この瞬間、少しわかった気がした。

 

 

「ふん、いいですわ。そこまで仰るなら、その先へ進み――――――せいぜいその絶望を、味わってくださいまし」

 

「っ、ありがとう『狂三』!!」

 

「まったく、聞き分けのないお方。ですが、わかった気がしますわ。どうして『わたくし』が――――――あなた様(・・・・)に惚れ込んだのか」

 

 

 後半の言葉は、小さな独白。

 

 嗚呼、嗚呼。少しではあるが、わかる。全てを捨てて望んだ〝悲願〟を、思いとどまらせた彼の力――――――それを最初に知ったのが、自分(・・)でなかったのが、惜しく思えてしまう。おかしな話だ、『狂三』は狂三であるはずなのに。

 

 

 

 

「え……?」

 

「なんでもありませんわ。さぁ、決まったのなら参りましょう、絶望の中心(・・・・・)へ」

 

「ああ――――――みんな、頼む!!」

 

 それぞれが頷き、行動に移す。十香が地を蹴りあげ、それに続く形で耶倶矢、夕弦、そして『狂三』が空へ舞い上がる。八舞姉妹の風に抱かれた士道も同様だ。

 その時、無差別に攻撃を放っていた羽の一部が動きを変える。士道たちを折紙に近づく敵性と判断したのか……或いは、動くもの全てを敵と見なしているのか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 前に出た十香と、漆黒の光がぶつかり合うかと思われた。その、瞬間。

 

「――――――困りますね。せっかくの反転体に粗相をされては」

 

 不意に聞こえたその声と共に、斬撃が風の結界を切り裂いた(・・・・・・・・・・・・・)

 

「ぐ……ッ!?」

 

「士道!!」

 

 強い浮遊感。遥か上空で八舞姉妹の風の加護を失えば、それを感じるのは自明の理。重力に従い、地上を落下しかけた士道は、しかし、一秒とその状態は保たれず紅黒のドレスを纏った少女に救出された。

 

「あら、あら。命綱なしで空中浮遊とは、命知らずは程々にすべきですことよ」

 

「好きでやったわけじゃねぇよ!! ご挨拶だな――――――エレン……メイザース!!」

 

 『狂三』の皮肉に焦りを込めた叫びを返しながら、この危機的状況を更に煽る人間を士道は睨み付ける。

 白銀のCR-ユニット。それを纏った彼女を、最強の魔術師(・・・・・・)を見るのはもう四度目だろうか。そろそろ、数えるのも嫌になってきたところだ。

 

「お久しぶりですね、五河士道」

 

「……二度と会いたくなかったぜ。今、見ての通り忙しいしな」

 

 忌々しい思いで言う士道を全く歯牙にもかけないエレンは、空中に蹲る折紙を見やる。

 

「あの時の〈プリンセス〉に勝るとも劣らない、見事な反転体です。アイクもさぞ喜ぶでしょう」

 

「……ッ、お前らはまたそれかよ……!!」

 

 なんの目的でDEMが……アイザック・ウェストコットが反転精霊を求めるのか。今は、それを理解できるとも理解しようとも思わない。折紙をDEM側に渡すわけにはいかない。

 

 緊迫した一触即発の空気が流れる中、闇夜に広がる漆黒の羽が光条を生み出した。

 

『……ッ』

 

 攻撃対象に選別などない。攻撃を打ち払い受け流す十香、士道を抱えた『狂三』、耶倶矢、夕弦、エレンの全員に街を破壊したものを遥かに上回る光線が襲い掛かる。精霊の霊装を容易く砕く折紙の攻撃は、流石のエレンも受け止めるのは避けたいのか回避の動きを取る。

 

「好機。『狂三』、士道をマスター折紙の元へ」

 

「承りましたわ」

 

 そのチャンスを、精霊たちは見逃さない。散り散りになりながらも、『狂三』は夕弦たちの声を受け高速で飛翔し折紙へ接的する。彼女に抱えられた士道は、風の加護を失ったことでモロにその負荷を受けながらも歯を食いしばって耐え切った。

 分身体では一撃が致命傷になりかねない。だが、『狂三』は無作為な攻撃に当たるようなヘマはせず羽の内部……つまりは、折紙へと到達した。

 

「折紙!!」

 

 内心で『狂三』に礼を言い、現実ではその時間すらも惜しいと彼女に抱えられながら、士道は閉じ籠るように膝を抱いた折紙の肩を掴み、呼び起こした。

 

「折紙、俺だ!! 士道だ!! 聞こえるか!?」

 

 だが、返事はない。あの折紙が、士道の僅かな動作すら見逃さないと、聞き逃さないとしていた折紙が、なんの反応もない。その事実に、どれだけ目の前の事象が困難なものかを思い知らされているようだった。

 ふと、士道を抱える『狂三』の力が強くなった気がした。

 

「……言ったではありませんの。もう、無駄ですわ、と」

 

「…………ッ」

 

 悲痛な声が、士道の心を締め付ける。まだだ。まだ、可能性は残されている。反転精霊を見たのは、これが初めてではない。あの時も、狂三の力を借りて十香を元の状態に戻すことが出来た。

 あの時と、同じならば。そう考え、意を決して手を折紙の顔に差し出すように当て――――――

 

 

「折……紙……?」

 

 

いない(・・・)。折紙は、そこにいない。

 

 

「お、い……折、紙……」

 

 

 人形のように美しい面は、健在だろう。でも、ああ、その、瞳が――――――死んでいる。

 

 いない者にかけられる言葉など、ない。

 

 

「――――士道さん!!」

 

 

 身体が折紙から引き離され、投げられかけた身体は辛うじて『狂三』の腕を掴む事が出来ていた。何を、と回る視線を彼女に向けて。

 

 

「は――――――ぁ」

 

 

 『狂三』の胸を穿つ、一条の光を見て、凍り付いた。

 

 真紅の血が、士道の頬を伝う。だが『狂三』は、喉元より吐き出しかけた血を抑え込んで、力強く目を見開いた。

 

 

「――――〈刻々、帝(ザフキエル)〉」

 

「っ、くる……ッ!!」

 

「――――【七の弾(ザイン)】……、!!」

 

 

 刹那、黒い弾丸が士道の真横を掠めるように飛ぶ。な、と声を上げながら振り向けば、そこには二人を狙った羽と光線が停止した(・・・・)光景があった。

 様々な混乱が頭に浮かぶ。一番は、なぜ彼女(分身体)が〈刻々帝(ザフキエル)〉の力を……。そんな疑問が伝わったのだろう。フッと力なく微笑んだ『狂三』が血に塗れた唇を揺らした。

 

「ご安、心……を。もしもの時、……のために、と……『わたくし』に……託され、ました……わ。まっ、たく、『わたくし』の先見性に、惚れ惚れ、してしまい……ます、わ……ね」

 

「っ、馬鹿、喋るな!! そんな身体じゃ……っ」

 

「え、え。ですが、……役割は、果たせました、わ」

 

「役割、って……」

 

 ――――――言うまでもない。狂三が彼女を置いた理由に、今この状況を目にして気づかないはずがない。

 士道を護るために、『狂三』はここに来たのだ。考えてみれば、折紙に対して慎重さを見せたのも……。

 

 

「お前、俺を……狂三が言ったからって、なんで、そんな……っ!!」

 

「き、ひひ。鈍い、お方……」

 

「え……?」

 

 

 気丈な微笑みを見せ、どこか困ったような口振りに眉を顰めた士道を――――――『狂三』は力を振り絞って引き寄せる。

 

「……ッ!?」

 

 血を纏った麗しい()が、額へ落とされた(・・・・・・・)

 

 

「――――――ああ、残念。本当は、その唇を奪って差し上げようと、思っていました、のに……『わたくし』が、少し、……羨ましい(・・・・)、ですわ……」

 

「狂、三……」

 

「何を、驚いて……いますの。わたくし(・・・・)を、惚れ込ませた殿方なのでしょう? 諦めの悪い、あなた様、への。わたくしなり、の、……激励(祝福)、ですわ」

 

 

 トン、と。押し出される。目を見開いた先には、微笑む『狂三』と今にも放たれんとする闇の光が瞬いていた。手を伸ばしても、届きはしない。けれど士道は、目一杯に己が手を伸ばす。届かないと、わかっているのに。

 ああ、見えてしまった。遠ざかりながら、士道を見守る彼女の、死に際の微笑みが(・・・・・・・・)

 

 

「くる――――」

 

「どうか、最後まで、その意志を――――――」

 

 

 華奢な少女の身体が、無情に貫かれ、一瞬にして影へと消えた。

 

 

「狂三ぃぃぃぃぃぃぃぃ――――――ッ!!」

 

 

 堕ちる。その悲痛も、絶叫も、絶望を揺るがすには至らない。

 

 閉ざされない少年の心と、閉ざされた少女(未来)。幾ら叫ぼうと、幾ら足掻こうと――――――この未来(せかい)は、止まって(死んで)いる。

 

 

 






分身体、本当はエレンから士道を庇って送り出すくらいのお話だったはずなのに気づいたらキャラが動いていた。反省はしている。
台詞追加分でうーんと言うか被りみたいな感じになってしまったかな、というのが先を含めてあるので構成力不足は素直に反省。

分身体に関しては本来なら狂三キラーに登場する個体がいない関係もあり、その再演の形になった気もしますね。彼女の犠牲の果てに、それでも世界は死んでいる。それでもと叫び続けて、それでも望む未来に到達することはない。このままでは、ですけれど。

次回、鳶一エンジェル編クライマックス。さあ、二人の戦争を始めよう。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第八十八話『神に抗う戦争(デート)

神に挑む愚か者(勇者)に女王の祝福を。折紙エンジェル完結編。





 

「が、……は……ッ」

 

 身体の中の臓器が潰れたのか、酷い圧迫感と激痛が士道を襲う。遥か上空から叩きつけられれば、普通の人間なら即死か、良くて致命傷だ。精霊の力を持つ士道とて、それは変わらない。

 幸運だったのは、即死を辛うじて逃れられたことと、瓦礫だらけの街の中でまた幸運にも(・・・・)、彼を刺し殺せるようなものがある位置に落ちなかった事か。二つの幸運のうち、少なくとも後者は意図して行われたのかもしれない。

 

 カラン、と。何かが落ちる音に士道は目を向けた。込み上げる鉄の味と、それとは別の凄まじい灼熱感を伴う身体の熱。それに耐えながら、音の方向へ顔を向け、大きく目を見開いた。

 

「っ……」

 

 落ちてきたものは、古式銃――――――士道を庇って死んだ(・・・)。『狂三』の持っていた銃だった。

 治癒の焔で身を焼かれる痛みに顔を顰めながら、よろける足で駆け寄ってその銃を拾い上げる。

「ぁ……ああ……ッ!!」

 

 つい数分前まで、会話をしていた。彼女だって、時崎狂三だ。分身だからとか、そんな事じゃない。彼女は、生きていた。それを殺してしまったのは、殺させてしまったのは(・・・・・・・・・・)、士道だ。

 顔を上げれば、まだ何もかもが続いている。精霊たちが、魔術師が、漆黒の羽が……この、破壊し尽くされた街(・・・・・・・・・)で、戦っている。それをしたのが、誰でもない鳶一折紙だと。同じ境遇の人間を生み出さないために、必死になって戦った折紙だと。

 

「なんで、だよッ!!」

 

 拳を地面へ怒りのままに叩きつければ、血が流れ出し、痛む。だが、そんなものより、折紙がこの地獄を生み出してしまった事実の方が、もっと辛い。

 冷静で、そのくせ突拍子がなくて、感情表現が特徴的で、でも優しかった折紙の手で……全てが、消えようとしている。

 

「なんで……こうなっちまったんだ……」

 

 言って、誰が答えてくれるものか。そう自嘲気味に笑い、『狂三』の言葉を思い起こす。

 ああ、愚かだろう。先行きが見えない不安を感じ、こうして絶望的な事態に陥ってから、嘆く。度し難く、悲しい生き物だ。

 

「くそ……ッ!!」

 

それでも(・・・・)、ただ愚直に少年は立ち上がった。愚かだと笑われても、もう無理だと誰がなんと言おうと、士道だけは諦めていられない。何度でも、何度でも、何度でも――――――それでもと、士道は足掻く。

 士道が諦めたら……誰が、あの心を閉ざした少女を迎え入れてやれるのか。

 

 

『どうか、最後まで、その意志を――――――』

 

「諦めて、たまるかよ……ッ!!」

 

 

 諦めたら、彼女の死すら無駄になってしまう。そんな事、誰よりも士道が許せない。何をすればいいか、その答えすら持たぬ身で。けれども士道は、もう一度折紙と対話を試みる――――たとえ、可能性が僅か一パーセントに満たなくとも。

 

「く……!!」

 

 だが、そんな士道の意志を阻むかのように、漆黒の羽が彼に狙いを定めて光を灯す。人間の身体で受ければ、腕が千切れ飛ぶ程度では済まない。天使を、そう考えながらも治療を終えたばかりの身体でどこまで――――――予想した衝撃は、訪れない。

 

「な――――!!」

 

白い閃光(・・・・)にも似た何者かが、羽を吹き飛ばしていく。士道を狙っていた羽を、残らず全て。

 そして、士道に背を向けて少女(・・)は降り立った。今はもう、対極になる白い翼を羽ばたかせて。

 

「〈アンノウン〉!! それに……」

 

 士道が空に目をやると、駆けつけたのは少女だけではなかった。

 

「琴里!!」

 

『やっぱり、無茶してたわね』

 

 〈フラクシナス〉の外部スピーカーから、琴里の声が響き渡る。しかし、いつもは美しいフォルムを持つ〈フラクシナス〉の船体は損傷が激しく、随意領域(テリトリー)でどうにかそれを補っている状態だった。

 琴里の話では、DEMの最新型とあのエレンによって敗北を喫し、〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉を失いながら逃げるのがやっとだったと聞く。無茶はどっちだ、と思いながらもこれならばと士道は顔を上げた。

 

「よし……もう一度、折紙のところへ……」

 

「……まだ、諦めてないんですね」

 

 振り向いた〈アンノウン〉が、淡々とそう口にした。士道は驚きながら目を剥いて声を張り上げる。

 

 

「な……当たり前だろ!! 折紙は……」

 

「……もう、いませんよ(・・・・・)

 

「それは……っ」

 

「――――私より、近くで見たあなたが、一番よくわかっているでしょう」

 

 

 その言葉に、息を詰まらせられる。答えられなかったのは、少女の言う通りだったからだ。

 折紙は、いない。強さも、迷いも、悲しさも、蓄えた憤怒も。折紙を折紙たらしめるものが、あの瞳にはなかった。そこにはもう、何もない。彼女は、そこにいない。

「……ああ。わかってるんだよ、そんなこと!!」

 

「…………」

 

 わかっている。だから、士道はあの瞬間に言葉を失い――――――折れてしまった心に罰を与えるかのように、『狂三』を失った。

 

「けど、いないんだったら、帰ってくるまで呼び起こしてやるだけだっ!!」

 

「……このまま、眠らせてあげるのが、彼女にとって救いだとしても?」

 

「絶望した終わりなんて――――――救いじゃない」

 

 必死に抗ってきた少女の終わりが、絶望に満ちて護ろうとしたものを破壊し尽くすことだと言うのなら、士道はそんな終焉を認めるわけにはいかない。

 真っ直ぐに、もはや睨むように白い少女を見やる。

 

 

「――――――私だって、同じだよ」

 

「え……」

 

「……私はね。頑張ったなら、その人に相応の喜びがあるのが権利だと思う。それは、私が〝敵〟だと決めたあの子が相手でも、同じ。〝悲願〟の果てに待つのが、こんな終わりだなんて――――――認められない」

 

 

 だって、理不尽じゃないか。ずっと、ずっと、意地を張って、何もかもを呑み込んで、ひたむきに走り抜けた先にあったのが――――――こんな、終わり。

 歪な世界だからこそ、不条理な苦しみが多い世界だからこそ、少女は小さくても救いのある結末が欲しい。そんな結末を、〝彼女〟に望む。

 

 

「だから……行って、士道(・・)

 

「っ!!」

 

「結末は決まってしまった。誰も(・・)救われない、誰も(・・)喜ばない終わりを変えられるのは――――――きっと、君とあの子だけだから」

 

 

 君のいるべき場所は、ここじゃない。

 

『――――ちょっと、何呑気に話して……くっ!!』

 

「ッ!! 琴里!!」

 

 妹の声が聞こえてハッと〈フラクシナス〉を見ると、復帰した黒羽がボロボロの船体に攻撃をしかけている――――――一瞬あと、幾条もの黒い光を何者かが弾いた。

 誰か、というのはすぐにわかった。目の前に視線を戻せば、舞い散る白い羽だけが残されていたから。

 

「――――――!!」

 

 駆け出す。戦場に背を向けて(・・・・・)。凄惨で、絶望的な戦場から逃げるためではない。

 

 

「狂三!!」

 

「――――――士道さん」

 

 

 彼女に――――――時崎狂三に、会うために。

 戦場から少し離れた場所で、多くの屍が積み重なり、悲惨に崩れ落ち積み上がった瓦礫の中、奇跡的に残された街灯が明滅するその場所に、狂三はいた。

 輝かしい美貌が、蠱惑的なその顔が……遠くの空に浮かぶ折紙を見上げ、いつになく、怒りさえ感じさせる怫然としたものを見せている。士道が来て、それが幾分か和らいだ様子を見せ、ふと視線を落とす。何を見ているのか、と同じように視線を落として……狂三が、士道が握りしめた古銃を見ているのだと気づいた。

 

「ごめん……『狂三』は……」

 

「謝らないでくださいまし。わたくしは……『わたくし』ですわ」

 

 『狂三』は、狂三だ。誰より、時崎狂三はそれを知っているのだろう。己だから、知っている。己だから、理解出来る。士道などより、ずっと、『狂三』がどのような想いでこの選択を成したのかも。

 そうして、悲痛に顔を歪ませる士道を見て、微笑んだ(・・・・)狂三が右手で銃を構える。狂三自身へ向かって(・・・・・・・・・)

 

「狂三……?」

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 引き金が、落ちる。その瞬間――――――過去(未来)を視た。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「……無事ですね、狂三」

 

「誰にものを言っていますの。とは、いえ……」

 

 踏みしめれば、瓦礫の山。見渡せば、建物だったものの残骸。空間震でさえ、ここまでの被害は起こせないだろう。

 この破壊……否、殺戮(・・)の中心地点に、それ(・・)はいた。狂三と希望を見出し、狂三と同じ答えを手にし――――――かつての狂三の超え、絶望してしまった者。

 

「……折紙さん」

 

「反転……彼女、が……?」

 

 信じられないという声色で、白い少女が折紙を見た。しかし、少女が口にした事実は覆らない。

 漆黒。暗い、暗い、闇夜を纏ったような霊装。目の前で、彼女を護るように廻り、黒き光を刃と化し虐殺(・・)を繰り広げる無数の羽。有機物、無機物、何一つ見境などない。神か悪魔か。人々が問えば、間違いなく悪魔と称されるだろう彼女が齎すものは……。

 

「ああなったら、もう……」

 

「ええ。あれでは、幾ら呼びかけたところで効果は見込めませんわね」

 

「一体、何が……」

 

 【一二の弾(ユッド・ベート)】の力で過去へ飛んだ折紙は、弾の効力が切れたことでこの時代に帰って来た――――――帰ってくる間に、何かがあった。そして、理由はどうあれ彼女は世界を変えられなかった(・・・・・・・・)

 それがわかった時、狂三に浮かんだ感情がどんなものか。少なくとも……同情などという、生易しい感情などではない。

 

 その、瞬間。

 

「……ッ!!」

 

ノイズが走った(・・・・・・・)。左目。〈刻々帝(ザフキエル)〉の力を宿す、金色の瞳が、〝何か〟を映した。

 右と左。一瞬、映し出したものに大層な違いはないと誤認し――――――それが、間違いであると気づくには、時間はかからなかった。

 

 違いは、あった。見渡す限りの焦土。地獄というものがあるのなら、それでもここまで凄惨な光景は作り出せないだろう。

 

 右は現在。左は、未来(・・)

 

「……〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

「狂三?」

 

 その意味を、投影された光景(ビジョン)を誰よりも理解する狂三は、迷いなく銃を手に取った。

 一つの数字から影を生み出し、銃口に埋め込む。それを己のこめかみに当てがい、引き金に指をかけた。

 

「……っ」

 

 僅かな、躊躇い。それを決意へと変えて――――――

 

 

「――――【五の弾(ヘー)】」

 

 

 引き金を、引いた。

 

 

「――――――――――――」

 

 

 未来が、視えた。

 

 そうして、この世界が、この先が、どうしようもなく詰んでいる(・・・・・・・・・・・・・)ことを、知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

帰って来た(・・・・・)。以前と同じ。それでいて、以前より――――美九の過去を見た時よりも明確に、それを感じる。同時に、あの時よりも強くその記憶はこびりついていた。

 

「今、のは……未来(・・)?」

 

「ご明察、ですわ」

 

 現実の時間で言えば、僅か一秒にも満たない出来事だったのだろう。意識が狂三と共に飛んだ時と変わらず、自らに突きつけていた銃口を狂三は下ろした。

 

「わたくしが視た未来。それを、わたくしの記憶(・・)という形でお見せいたしましたわ。まあ、今の〈刻々帝(ザフキエル)〉だからこその業、ですけれど」

 

「待ってくれ……っ!!」

 

 未来。士道は視たものをそう認識し、狂三もそれを認めている。なら、それはおかしい、おかしいのだ。

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【五の弾(ヘー)】。所有者が観測した情報、映像。それらを分析、演算、増幅させ通常ではありえない未来予測を実現させる力。つまりは、あらゆる(・・・・)未来を視る事が出来る弾丸。

 

「けど、今の未来は――――――」

 

「たったの二つ(・・)、でしたわね」

 

「ッ……それ、じゃあ……」

 

「ええ、ええ。それが、〈刻々帝(ザフキエル)〉が導き出した結論ですわ」

 

二つ(・・)。僅か、二つ(・・)。あらゆる未来を測定、演算、算出する【五の弾(ヘー)】が見せた未来。その事実に士道は愕然と目を見開く他ない。なぜなら、それは。その、意味は。

 

 

「このまま手をこまねいて、折紙さんが殺戮の限りを尽くし、世界を終わらせるか。わたくしたちの力で、折紙さんを討滅(・・)するか。それが、この子が見せた未来に相違ありませんわ」

 

「そん、な……」

 

「【五の弾(へー)】の特性は、あくまでも未来の予測(・・)。未知の可能性が生まれれば、覆る可能性はありますわ――――――けれど、この力で僅か二つ(・・・・)の未来しか演算できなかったという事実は、変わりませんわ」

 

 

 それ以外は、可能性に値しない(・・・・・・・・)。そう、〈刻々帝(ザフキエル)〉は残酷に告げた。

 あらゆる可能性を探り、映し出し、それを視た資格者が取るべき未来を選択する。何もおかしくはなかった――――――ただ、選び取れる未来があまりにも絶望的(・・・・・・・・)、だというだけで。

 膝が笑い、足が挫けてしまいそうになる。未来予測など、所詮は予測でしかないと叫びたかった。できなかった。それはもう、現実逃避(・・・・)でしかない。

 

 世界を動かす時計。その針は動きを止めようとしている。この世界の行き着く先は、終末。それを、時崎狂三は慈悲だと言うように淡々と突きつけた。

 

「もう一度、言いましょう。このまま行けば、折紙さんが世界を滅ぼすか。わたくしたちが折紙さんに引導を渡すか――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――それとも、原初の神様(デウス・エクス・マキナ)が全てを終わらせるか」

 

 物語を終わりへと導く、絶対の神。だが、その神如き存在は、この結末を望まないだろう。ともすれば、狂三や士道と同じくらいに、この果ての未来を望んでいない。白い少女にはわかる。それは少女も同じであるから(・・・・・・・・・・・・・)

 

 世界の終わりを見下ろして、中心に佇む折紙を見やり、白き翼の少女は絶望へと堕ちた天使(魔王)に、悲しく問いかけた。

 

 

「一体、何を見てしまったんですか――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――折紙さんは、一体あの先で何を知ってしまったのやら」

 

「狂三……? ――――ぐ……っ!?」

 

 どことなく感情を出した、不機嫌そうな瞳が遠くの折紙を見ていた。呟かれた言葉の意味がわからず、怪訝な表情になる士道だったが、突然訪れた倦怠感(・・・)に膝をついた。

 いいや、倦怠感なんてものでは済まされない。自分の中にあるものが、凄まじい勢いで吸い取られていく感覚。地面に蟠った〝影〟。見慣れて、よく知っていた。

 

「〈時喰みの城〉!? 狂三、お前何を……っ」

 

「――――――士道さんが選べる選択肢は、三つ(・・)

 

 士道の焦りと疑問に答えず、狂三はそう言いながら指を立てる。

 

「一つ目は、このまま全てを諦め、わたくしに霊力を捧げること。二つ目は、この行き詰まった世界で、折紙さんに別れを告げること」

 

 一つ、二つと立てられる指。だが、どちらも士道には願い下げの選択肢だ。どちらがマシかと言われれば、せいぜい未知の可能性に行き着くことを考えて前者と答えるくらいか。

 

 

「そして、三つ目は――――――」

 

 

 ごくりと唾を飲み込んで、乾いた喉を湿らせる。そんな士道を凄絶な笑みを浮かべ、艶やかな唇をゆっくりと開いた。

 

 

「わたくしと、愛の逃避行(・・・・・)なんて、如何でして?」

 

「――――――へ?」

 

 

 ここ一番、大きく口を開けて間抜けな顔をしているだろうと、士道は自ら思う。思って、優雅な仕草で微笑む狂三を見て、また思って……力が抜けていく身体に構わず、大声で笑った(・・・・・・)

 

「く……っ、ははははははははははッ!! そりゃ、いいな!! けど止めてくれよ。お互いに(・・・・)、出来ない案を出して迷わせるのは」

 

「……ふふっ。そうですわね。残念ですけれど(・・・・・・・)

 

 ああそうさ、本当に残念だ。残念だと思っても、多分、お互いにそうすることはない。士道には背負うものがあって、狂三にも背負っているものがある。それを全て投げ出して、やーめたと匙を投げる……まあ、それはそれで幸せだという人間はいるかもしれない。けど、士道と狂三は互いが互いに、出来ないことを知っている。

 

「なら……本当の三つ目ですわ」

 

 歩み寄った狂三が、士道のあごを艶かしい手付きで持ち上げ、目を目を合わせる。まるで、覚悟を問う(・・・・・)かのように。

 

 

「ねぇ、士道さん。歴史は、変えられると(・・・・・・)、あなた様は信じられますか?」

 

 

 それは、選択肢というより問いであり、『狂三』が起こした問題提起を、飾り気なく、狂三の本音(・・・・・)として再演しているようにも思えた。

 そうであれば、もう士道の答えは決まっていた。決まっていない、わけがない。

 

 

「信じるよ――――――お前が変えたい(・・・・)って思ってるなら、俺が信じないわけないだろ」

 

「っ……」

 

「本当に出来るか、出来ないかは、やってみてから決めようぜ(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 狂三は士道を信じていて、士道は狂三を信じている。結論としては、そんな呆気ないものなのだ。だがきっと、狂三が求めているものだと信じていた。

 

 手にしていた、古銃を差し出す。言葉だけではない、士道の返答を――――――狂三はその手に取った。

 

 

「ああ、ああ。嬉しいですわ、嬉しいですわ。それほどの覚悟がおありなら、それほどの意志をお持ちなら、始めましょう――――――わたくしたちの戦争(デート)を」

 

 大きく腕を天に掲げ、女王は高々にその名を刻む。時を刻む。己が世界を、刻む。

 

 

「さあ、さあ、さあ。士道さんを導きなさい――――〈刻々帝(ザアアアアアアアアフキエエエエエエエエル)〉ッ!!」

 

 

 雷鳴の如くい出る。時を奏でる羅針盤は、女王の絶唱を必ず聞き届け顕現する。何をするのか、決まっている――――――戦争(デート)だ。いつもと変わらない、彼女との世界一過激なデートを、始めるのだ。

 

 くるり、くるり。舞台役者は廻る。大仰に、されど美しく。

 

「ねぇ士道さん。わたくし、常々思っていますの」

 

「何をだ?」

 

「未来のこと、ですわ。未来というのは、先が見えないから(・・・・・・・・)、崩す事が叶わない。そうは思いませんこと?」

 

 楽しげに、しかしどこか悲しげに。世界に語りかけるように踊る狂三を、士道はひたすら見ていた。ひたすら、見惚れていた。

 

「決まっていないから、崩せない。だからこそ、有り体な言葉で表現するのであれば〝無敵〟と呼べるのでしょう」

 

 様々な形を成す未来。定まってしまえば、それまで。だが、定まるまでは、変幻自在の存在。誰にも確定させる事が出来ない、未知数で不確定で不条理な事象。しかし。

 

 

「ですが、逆に言えばわたくしと〈刻々帝(ザフキエル)〉の予知で袋小路に入ってしまった、言わば確定した未来(・・・・・・)であれば――――――過去で原因を取り除き、変える事も容易い(・・・)……そうは思いませんこと?」

 

「……過去で折紙が絶望する原因を、〝なかったこと〟にする」

 

「素晴らしい、最高の答えですわ。もっと踏み込むのであれば――――――五年前の八月三日。そこへ飛び、五年後の折紙さん(・・・・・・・・)の行動を観測してくださいまし」

 

「っ、どういう事だ……!?」

 

 

 五年前の世界へ飛び、五年後の(・・・・)折紙を見つける。過去へ送られようとしているのは、何となく察していたがいきなり飛躍した話に士道は目を丸くして問いかける。

 

「簡単な話ですわ。士道さんは【一二の弾(ユッド・ベート)】の力で、同じく【一二の弾(ユッド・ベート)】で過去へ飛んだ折紙さんを探し出し、ああ(・・)なってしまった原因を取り除いてくださいまし」

 

「は……!? なんで折紙が過去に飛んでるんだよ!?」

 

「言っていませんでしたかしら?」

 

「聞いてねぇよ!!」

 

「あら、あら。雰囲気が台無しですわねぇ、士道さん」

 

「俺のせいじゃないよな!?」

 

 五秒前の神妙な雰囲気はどこへやら――まあ、それが狂三の狙いだったのかもしれないが――くすくすと笑う狂三を半目で睨む。

 兎にも角にも、狂三の言いたいことはわかった。士道は、五年前の過去へ跳躍し、同じくその世界へ辿り着く折紙を見つけ、この世界を詰まらせる〝何か〟を〝なかったこと〟にする。

 

「まったく……」

 

 状況も顧みず、大きなため息を吐きたくなる。

 いきなりだ。いきなりすぎるし、文句の程も今までの比ではない――――――けれど、十香たちを、あの絶望した折紙を、救うだけの手段を狂三が用意しているというのなら、それを掴み取らないなど五河士道ではない。

 

「――――【九の弾(テット)】」

 

「っ」

 

 狂三が元々手にしていた短銃から、士道へ弾丸が突き刺さる。防衛本能で身を固くしたが、銃弾が直撃したというのに変化はない。〝時間〟が戻ったり、進んだり、止まったり、ましてやどこかへ飛ぶ。ということもない。

 

「今のは……?」

 

「うふふ。効果の程は秘密ですわ。楽しみにしていてくださいまし――――――さて」

 

 目を細めた狂三の纏う雰囲気が、強く力を放ったように見えた。

 それだけではない。〈刻々帝(ザフキエル)〉が震えている。霊力が、見たことがないほど密度の濃い影となって滲み出ている。それは、狂三が掲げた古銃へ収まった。

 精緻な細工が施された古銃が、暴れ狂うように震えている。狂三に逆らい、拒絶するように。神に背きし者たちを、罰するかのように。

 

 

「覚悟の問いかけは、愚問ですわね?」

 

 

 立ち上がった士道に向けて構えられた銃は、それでもなお警告を止めない。

 

 まるで――――――神に抗いし者への、最後通告。

 

 だからこそ、二人は、笑う。

 

 

 

「ああ――――――好きな女との戦争(デート)はいつだって、覚悟を決めておくもんだろ」

 

「ええ、ええ。今度も、楽しい戦争(デート)になりそうですわ」

 

 

 

 神からの最後通告――――――それを、力の限り殴りつける者たちの。

 

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一二の弾(ユッド・ベート)】ッ!!」

 

 

 

 ――――――愚かにも、無謀にも、神に抗いし者たちの戦争(デート)の幕は、その重々しい撃鉄によって、開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼を開ければ、眩しい日差し(・・・・・・)

 陽光は夏を呼び、夏は懐かしさすら感じさせる蝉の鳴き声を呼び。

 見慣れた光景は、だからこそ差異を呼び。それの極致たる破壊されていない街(・・・・・・・・・)を見て――――――異界に導かれた少年は、乾き切った喉を鳴らした。

 

 

「――――――五年前の、天宮市」

 

 

 

 






to be continued


鳶一エンジェル編、事実上折紙編前編の完結です。どんどんぱちぱちひゅーひゅー。前編があるなら当然後編もあるということで、次回へ続く。

刻々帝が視せる未来は可能性。この時点で狂三が取れる可能性の中で〝最良〟の結果を掴み取る力。つまるところこの二つは狂三と刻々帝が『この中でならこれがマシ』と視た可能性というわけです。その他は、士道が考えている通り可能性に値しないと切り捨てられてます。だってDEMに霊結晶渡る可能性とかあっても阻止される前提なので、この時点だと取らないよねその未来。反転折紙にDEMが返り討ちにされる可能性しか視せてないので確率でも論外です。

それこそ、狂三が言うように刻々帝の予測を上回る、或いは測定していない力や存在の示唆ですが、こちらも頼れないし確定させられないので『まああるかもしれないけどめちゃくちゃ低い可能性だよね、試すに値しない』という扱いになります。

長々と解説しましたが、要は使用者の精神力次第で低い可能性でも観測可能だけど、今回は可能性すら存在しないパターンでしたという話です。はは、無慈悲。
ここまで未来が詰んでたら普通は絶望して終わるのですが、それを解決するのもまた狂三と刻々帝、そして過去へダイブするだけの霊力を持つ士道。原作との距離感の違いが表現できていたら嬉しいなと思います。

次回、鳶一デビル編開幕。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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鳶一デビル
第八十九話『不可逆への介入者』


久しぶりに数日間書けない環境が続いているなーと。まあストック減ったら三日間隔にするだけだと思います。しばらくは大丈夫です。それでは鳶一デビル編、どうぞ




 暑い。ジリジリと身体を焼く灼熱は、日も既に傾きかけた時間であろうにその力を衰えさせない。

 士道の記憶では、〝今〟は十一月。冬の到来を予感させる寒さが押し寄せてくる頃合いだったはずだが、士道の〝今〟はそれとは真逆。真夏の日差しは、直前まで元の季節を感じていた脳の処理をおかしくしているのではないか、と思えてしまうほど激しい。辺りを観察し、差異のある風景を観測し、ここまで思考を辿ればもう全てを認めざるを得ない。

 

「……八月、三日」

 

 五年前の、天宮市。

 

 人は時を超えることは出来ない。人は時を支配することは出来ない。そんな小学生でも知っているような、絶対不可侵の領域。条理を超える、不条理の塊。彼女は、彼女だけは……この世界で唯一、時崎狂三だけは時の支配を逃れられる。

 彼女に導かれた、士道はここへ辿り着いた。何をするべきなのか――――――同じように、五年前に到達する折紙を見つけ出す。

 

「けど……どうしたらいいんだ……」

 

 五年前の八月三日。ここが〝いつ〟なのかは送り込まれる直前、狂三の口から語られはしたものの、折紙が何の目的で五年前に時間遡行したのか、こちらで何が起こったのか――――なぜ狂三は、犬猿の仲と言える折紙に力を貸したのか。考えるべき事が、欠けている情報が多すぎた。

 

 

『――――――きひひ、ひひ』

 

「……ッ!!」

 

 

 頭をかいて思考を巡らせていた士道に、その声が届く。他者の声ならいざ知らず、彼女の声を士道が聞き間違えるはずがない。そう、それはまさに。

 

「狂三!?」

 

『ごきげんよう、士道さん。どうやら、お困りのようですわね』

 

 声、口調、それらは間違いなく時崎狂三のものだ。一瞬、士道と同じように時間遡行したのかと思ったが、どこを見渡しても姿は見当たらず困惑の表情を深めた。

 それに、声が響くと言ったが、インカムや現実を通しての話ではない。頭に直接響いている(・・・・・・・・・)、ような感覚を覚えた。

 

「お前、一体どこから……!?」

 

『どこ、と訊かれましたら、そうですわね……士道さんとは別の〝時間〟と、答えるべきでしょう。わたくしを主観的な視点として〝今〟というべきかしら』

 

「別の〝時間〟。狂三から見て〝今〟……」

 

 当惑する士道が見えているのか、くすくすと笑う狂三。何だかからかわれているような気がしながらも、士道はハッとある場面を思い起こした。

 五年前に時間遡行したのは【一二の弾(ユッド・ベート)】の力。それとは別にもう一つ、士道に撃ち込まれた銃弾(・・・・・・・・・・・)があったはずだ。〈刻々帝(ザフキエル)〉の数字から数えて、『Ⅸ』の文字。

 

「――――――まさか、これが【九の弾(テット)】の能力、なのか……?」

 

『流石ですわね。お察しの通り、【九の弾(テット)】は異なる時間軸(・・・・・・)の人間と、意識を繋ぐことが出来る弾ですわ。このように用途は限られる弾ですので、わたくしも使い慣れていないのですが……殆ど誤差もなく意識を繋ぐことが出来たのは、幸運でしたわ』

 

「異なる時間軸……じゃあ、ここは間違いなく……」

 

『ええ。相違ありませんわ――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉最後の弾、【一二の弾(ユッド・ベート)】は、正しくその力であなた様を五年前へと誘いましたわ』

 

 士道が息を呑んだのも無理はない。信じていなかったわけではないし、視覚で得た情報もそう(・・)だと言っていた。しかし、どこか現実味がなかった現象が、狂三の言葉によって夢幻ではない現実の認識として、ようやく士道の中で正常化されたような気がしたのだ。

 

「……すげぇとは常々思ってたけど、ここまでのことが出来ると……尊敬とかそういうのを超えてる気がするな、狂三と〈刻々帝(ザフキエル)〉の力は。過去へ飛ぶとか、未来から意識を繋ぐとか」

 

『き、ひひひひ。お褒めの言葉として受け取らせていただきますわ。【九の弾(テット)】はこうしてお話が出来るだけでなく、士道さんが見たもの、聞いたものも共有することができますのよ』

 

「へぇ……」

 

 試しに手を握ったり開いたりしてみたが、こういうのも狂三に伝わっているのだろうか。士道からはわからないものだが、何とも不思議な感覚だった。

 【一〇の弾(ユッド)】で意識を共有とも言えることをした狂三が相手だからすんなり受け入れているが、そうでなければ奇妙な気分になっていたかもしれない。と、こんなことをしている場合ではないと顔を上げ、狂三に向かって声を発する。

 

「そうだ、狂三!! 五年後の折紙が、この時代に現れるっていうのは……」

 

『事実ですわ。士道さんの遡行に少し余裕を持たせましたから、ちょうどこの五年前に折紙さんは【一二の弾(ユッド・ベート)】によって戻ってきますわ――――――両親の仇を。正確には、仇になる前の敵を討つ、そのために』

 

「…………ッ!!」

 

 五年前の八月三日。折紙が手にした精霊の力。狂三の【一二の弾(ユッド・ベート)】。全てが点と点で結ばれていき、心臓の鼓動を跳ね上げた。

 

「五年前に天宮市に現れた……〈ファントム〉。そいつを倒すために、折紙はここに戻ってくる……」

 

『――――――そうして、〝反転〟してしまう程の〝何か〟があった。或いは……してしまった(・・・・・・)

 

「狂三……?」

 

 どうしてか、自信に満ちたいつもの狂三からは信じられないような、弱気な声のように聞こえた士道は、思わず眉根を寄せた。

 何かが、ある。折紙が反転する程の何かが。そして、狂三はそれに当たりをつけているのかもしれない(・・・・・・・・・・・・・・・・)。どちらかと言えば――――――どうしても当たって欲しくない。そんな雰囲気が、あった。

 

『なんでもありませんわ。とにかく、折紙さんがああなった原因を探るため。そしてそれを覆すために――――――士道さんには、動いてもらわねばなりませんわ』

 

「……わかった。これしか方法がないなら、俺がやる。けど、その前に……どうして狂三は、折紙に力を貸したんだ?」

 

 それが、士道にとって最大の疑問。折紙の目的からして【一二の弾(ユッド・ベート)】を撃ってもらうことは、恐らくは折紙から持ちかけた事だろう。なぜ折紙の願いを聞き届けるに至ったのか。

 士道へ、というのならわかる。自惚れでもなんでもなく、狂三は士道との先の未来を望むからこそこの行動に出た。だが、それより前の折紙の頼みを受け入れたことに、士道が思いつくような理由がなかったのだ。

 彼女は士道の理想に手を貸してはくれるが、同時に現実主義者の面もある。ここで言う現実主義者というのは、狂三にとって利になるかならないか、だ。彼女が約束事を反故にするのを嫌うのも、元来の義理堅い一面があるからだろう。故に狂三が、折紙のために動くに足るだけの理由は何なのか。それとも、士道も知らないほど折紙と接点があったのか。

 しばらくの沈黙を挟み、狂三が言葉を返してきた。

『……手が滑ってしまった、という理由であれば、士道さんは納得しまして?』

 

「お前はどう思う?」

 

『質問に質問で返すのは、よくありませんわね』

 

「じゃあ今のが、俺の答えだ」

 

『…………』

 

 狂三が隠したいのであれば、それで納得する。そうでないなら、答えて欲しい。曖昧ながらも、意図は伝わると思ってそう口にした。

 沈黙は、長いものではなかった。けれど、その声は、少しだけ震えているように思えてならなかった。

 

 

『証明が、欲しかったのですわ』

 

「証明……?」

 

『同じですわ――――――歴史は、人の力で変えられると』

 

 

 ――――――それは、この時代に来る前にも聞いたものだった。思えば、狂三の飾り気のない声と行動を考えれば、答えは出ていたのかもしれない。未来を望んだのは、本当のことだった……けれど、あの問題提起こそ狂三の本質。

 士道と折紙。それぞれに【一二の弾(ユッド・ベート)】を撃った。その理由に差はあれど、その本質に差はない。狂三の心からの願い(・・・・・・・・・)が、撃つに至る行動を導いた。

 

 

『折紙さんは、世界に阻まれてしまった。だから士道さん、わたくしに見せてくださいまし。この救いのない破滅を、希望の潰えた惨劇を、〝なかったこと〟にしてみせてくださいまし。わたくしを信じてくださったあなた様の想い、わたくしは信じたいと思いますの』

 

「それが、お前の……」

 

『その可能性が実現された時、わたくしは――――――前へ進めるかもしれませんの(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 狂三の目的の、先。それを考えた時、士道の心臓が握り潰されるように引き絞られた。これで、三度目。三度目ともなれば、予感は確信へと変わる。

 

世界を変える(・・・・・・)。それこそ、語られなかった狂三の〝悲願〟の果てなのだと、察する事が出来たから。そしてそれは――――――致命的なまでに、士道の目的と相反するものだと(・・・・・・・・)、気付かされてしまった。

 

 

「なら――――――変えよう、世界を」

 

『――――――っ』

 

 

 

 相反するものだとしても、今は。あの地獄を、あの絶望を。

 

 

「お前がそれを望むなら、俺が叶えてみせる。十香たちのためにも、折紙のためにも、俺自身のためにも――――――狂三の、ためにも。絶望しかない未来なんて、変えてやる」

 

 

 〝なかったこと〟に出来るのなら。その奇跡のような可能性を、誰でもない時崎狂三が示してくれるというのなら――――――士道は必ず、答えてみせる。やってみてから決めると言ったが、少し変えよう。やってみせる(・・・・・・)と。

 

「行こう、狂三」

 

『……はい。ありがとうございます、士道さん』

 

「何言ってんだ。こっちのセリフだよ」

 

 もとより、折紙の反転を止めて絶望の未来を回避する方法は、これしか残されていないのだ。なら、やってみてダメでしたは通用しない。必ず、やり遂げる。そのくらいの意思が必要だ――――――限りなく低い可能性を、こんな方法で引き上げてくれたのだ。感謝するべきなのは士道の方と思っている。

 

 目指す場所は、天宮市南甲町。五年前の火災現場であるそこに〈ファントム〉――――そして、折紙は現れる。意を決して、走り出す。

 

『それと、ご忠告がありますわ。走りながらで良いので、耳を傾けてくださいまし』

 

「っ、ああ」

 

『【一二の弾(ユッド・ベート)】の効果は有限。時が来れば、士道さんはこちらに送還されてしまう。その前に歴史を変えたのなら、恐らくは改変後の歴史へ。ですが……その時、士道さん自身が無事でなかった場合(・・・・・・・・・)、どうなるかは想像できませんわ』

 

「……んん?」

 

 要するに、【一二の弾(ユッド・ベート)】が切れて強制送還を喰らう前に、歴史を改変する必要があると言いたいのだろうが、何だかそれ以上に回りくどい言い方に走りながら首を傾げてしまう。

 その様子が伝わったのだろう。微かな苛立ちを含んだ様子で狂三は言葉を続けた。

 

『ですから……此度はわたくしが傍について差し上げることはできません。以前のように、都合よく駆けつける、などということも不可能なのですわ。絶対に、いつものような無茶はなさらないでくださいまし。いいですわね?』

 

「……ああ、要するに心配するから無茶するなって事か」

 

『な……っ』

 

 確かに、八舞姉妹の一件からいつも狂三には助けられてばかりだったし、心配をかけるのも無理はないなと納得する。

 

「悪いないつも。けど、狂三の中での俺のイメージってどうなってるんだ……?」

 

『無茶で無鉄砲で向こう見ずで甘い理想論を振りかざす素敵なお方ですわ。わたくしがついていなければダメなのかしら、と思ってしまうくらいには』

 

「辛辣だな!?」

 

『当然ですわね』

 

 これだけ聞くと、狂三がダメ男の世話で大変な世話焼きの女の子でしかない。そんなにか……? とも思うが、妹様にも自分を勘定に入れろと怒鳴られているのを思い出して、そんなにだな、と少しだけ落ち込んだ。

 

 

 ……まあ、狂三の顔が見えない士道には、照れ隠しだとわからないのも当然だった。

 

 

 そうして、ひたすら走り続けて、息も絶え絶えになった士道は、強く見覚えがある場所に辿り着いた。

 

「南甲、町……」

 

 大火災に見舞われる前の、天宮市南甲町。その風景は、士道が二度と現実で見れるものではないと思っていた光景そのものだった。

 

「あ……」

 

 当然。その家はある(・・・・・・)。臙脂色の屋根をした二階建ての一軒家。それが重要なのではない。そこが、五年前に士道が住んでいた家(・・・・・・・・・・・・・)、というのが重要だった。

 

 

 ――――――変えられるのではないか?

 

 

 ふと、過ぎる。今、士道の目の前にはその鍵がある。五年前の悲劇、〈ファントム〉によって妹が……琴里が精霊にされた事実を〝なかったこと〟にできるかもしれない。

 方法なんて、いくらでも思いつく。五年前の琴里を公園、つまりは〈ファントム〉と接触した現場に近づけさせない。たったこれだけで、変えられてしまう〝可能性〟がある。悲劇の連鎖を、断ち切る可能性がある。自分の妹を――――――

 

 

『士道さん』

 

「……ぁ」

 

 

 ――――――気づけば、庭の裏手にいた。無意識のうちに、旧五河家の敷地内に入っていた。

 強く、どこか咎めるような口調で名前を呼ばれて我に返る。そして、自分がしようとした事に愕然となる。思わず身体から力が抜けてしまい、近くの塀に背を預けた。

 

「…………狂三」

 

『はい』

 

「……怖い(・・)、な」

 

『……ええ』

 

怖い(・・)。琴里が精霊にならなくていい現実に目が眩み、それを実行しようとした自分が。それによって、どのような影響が出るか(・・・・・・・・・・・)も、考えられなかった自分が。

 

「ここで琴里の過去を変えられたら……そう考えたら、身体が勝手に動いてた――――――十香たちを救えた〝今〟が、なくなるかもしれないのに」

 

 琴里が精霊でなくなればどうなるか。決まっている。〈ラタトスク〉の司令官ではなくなる。その結果どうなるか――――――決まっている、士道の能力は発見されない(・・・・・・・・・・・・)

 十香、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九、七罪たちの力を封印した事実さえ、〝なかったこと〟になってしまうかもしれない。

 

 それ以上に思い至ることもあったが、それは恐ろしさのあまり口にすることさえ憚られた――――――もっとも、士道が恐れると言っていい。

 

「……カッコつけて意気込んでたのに。情けないな俺」

 

『いいえ。過去をやり直すことができる可能性というものは、人を狂わせる美酒にして毒杯。士道さんを責められはしませんわ』

 

 どこか悟ったように狂三は言う。その口振り、自戒のようなものを感じて、士道は眉根の下げた。

 美酒にして毒杯とは、よく言ったものだ。その通りだろう。何せ、今士道の手にはあらゆる可能性が握られている。誰もが望み、誰もが恐れる権能と言っても過言ではない――――――その引き金に、常に指をかけている狂三の心情には、一体どれ程の重圧があることだろうか。少なくとも、士道が推し量れるものではない事だけは、確かだった。

 

 けど、狂三は。狂三はその苦悩を、苦痛を、自戒の意志を持ちながらも〝何か〟を変えようとしている。士道を喰らってでも、狂三は世界を壊そうとしている(・・・・・・・・)

 

 

「なあ、狂三、お前は――――――」

 

 

 その先を問う資格は、今の士道にあるのだろうか。

 僅か一瞬の躊躇いだった。しかし、世界は彼の躊躇いを見逃さないかのように、強制的に話は打ち切られた。

 

「五河さーん、隣の鈴本ですけどもー」

 

「……!?」

 

「いないのかしら……ちょっと入りますよー」

 

 そう言って、門を開ける音が士道に耳に届く。これが、五年前の士道なら何も問題はない。親切にも田舎から送られてきた品をお裾分けしてくださる、仲の良いご近所さんが訪ねて来たというだけの話だ。が、今の士道は五年前ではなく五年後の士道。どう好意的に考えても、不審者以外の何者でもない。

 

『士道さん。一度どこかへ隠れられませんの?』

 

「どこかって言ったって……」

 

 あるわけがない。家の中ならまだしも、家の裏庭に高校生の少年が隠れられる場所など確保してあるはずもなかろう。しかし、ここで見つかって時間を浪費するわけにもいかない。どうするか――――――一つ、可能性が脳裏を掠めた。

 

 

 

 

 

「………………はぁっ。上手くいったか……」

 

 鈴本さんが庭から去るのを見届けて、あどけなさを感じさせる声(・・・・・・・・・・・・)をそのまま、士道は大きく息を吐いた。

 

『うふふ。七罪さんの〈贋造魔女(ハニエル)〉を上手く使ったものですわね』

 

「成功してくれて良かったよ……自分以外だったら、無理だったかもしれないな」

 

 汗を拭う腕も、見慣れたものではなく記憶にある自身の身体からは一回り小さくなっている。

 そう。士道は封印した精霊の力を扱うことが出来る。ならば、七罪の〈贋造魔女(ハニエル)〉で子供の自分に化ける(・・・・・・・・・)、ということも可能なのではないかと即興で試してみたのである。結果は、多少違和感は持たれたが上手く誤魔化すことが出来た。

 昔の自分でさえ、こうして雰囲気に違和感を持たれてしまったことを考えると、他人を完璧に演じられる七罪の才能と実力はやはり驚嘆するなと思う他ない。まあ、これを本人に伝えたとして素直に受け取らないのは目に見えているが。

 

「余計な時間を取っちまったな……行こう――――――ん?」

 

『いかがいたしましたの?』

 

「いや…………なあ、狂三。これ、どうやったら戻れると思う?」

 

 咄嗟に能力を引き出し変身する事に成功こそしたが、そこからが全くわからなかった。琴里の〈灼爛殲鬼(カマエル)〉のように、一部分の能力を使用しているからなのか、いつも感じる身体への負担は皆無に等しいのだが……その分、七罪のように天使を召喚して自由自在に、とはいかない。つまるところ、情けない話だが、戻り方がわからなくなってしまった。

 はぁ、と少し呆れたような声を発した狂三が言葉を続けた。

 

『そうですわねぇ……天使の基礎理論は以前話したものと同じですので、元の姿に戻りたいと強く念じる、元の士道さんを想像して能力を重ねがけする、などの方法が予想できますが……下手に触れると、全く意図しない姿になってしまう可能性もありますわ』

 

「意図しない姿……?」

 

『たとえば、士道さんが意識を集中する瞬間、わたくしが士織さんのお話をしたと過程しましょう。すると、瞬間的に想像の置き換えが発生。必然的に士道さんのイメージは士織さんに引っ張られ、本当に女性の身体に変身してしまうということですわ』

 

「それ聞いただけで戻れる気がしなくなったんだがっ!?」

 

『大丈夫ですわよ。わたくしが口を出さなければ……きひひひひひひ』

 

 出す気があるとしか思えない含み笑いに、士道はげんなりと肩を落とす。女装だけでも大概なのに、本物の女性に変身するとか士道にとっては身の毛もよだつ拷問だ。

 とはいえ、これからの事を考えれば戻らないわけにもいくまい。精神を集中するため目を閉じようとして――――――視界が、赤く染った。

 

「……!?」

 

 天へと昇る特大の火柱が、弾ける。灼熱は雪崩の如く街を呑み込み、痛々しい悲鳴と絶叫が町中から響き渡った。

 

「これは……琴里の!?」

 

『どうやら、そのようですわね』

 

「く……!!」

 

 身体を元に戻すだけの時間はない。火災が始まってしまったということは、琴里が精霊化してしまったということでもある。そしてそれには、〈ファントム〉が関わっている。ならば、必然的に折紙も現れるということだ。

 避難する住民。崩落した家屋が道を塞ぎ、子供の身体では上手く進むことが出来ない事に苛立ちで舌打ちしつつ、迂回路を通りながら士道は件の公園にようやく辿り着いた。

 

「……!!」

 

 公園にいたのは、三人。霊装を纏い、泣きじゃくる琴里。地面に倒れた五年前の士道――――――二人を見下ろす、ノイズのような『何か』。あれが、あれこそが。

 

 

『あの方が……』

 

「――――〈ファントム〉……!!」

 

 

 直で見るのは、恐らく初めてだった。いや、あるにはあった。五年前の記憶が戻った時に、琴里の記憶とリンクした士道は〈ファントム〉と対面した時の記憶を持っている。しかし、あくまで五年前の記憶。生の感覚で『何か』を感じ取るのは、事実上初めてと言っていい――――故に、それ(・・)の既視感に、強く違和感を持った。

 

『……っ』

 

 視覚と聴覚を共有しているのだから、その感覚は狂三にも伝わっている。いいや、狂三はもっとわかるはずだ。〈ファントム〉を見て息を呑んだ仕草が、士道の脳に直接ぶつけられる。

 

「っ!!」

 

 だが、その疑念の答え合わせをするよりも早く、〝彼女〟が現れた。正確に言えば、彼女の放った一条の光線(・・・・・)が〈ファントム〉の姿をかき消した。

 

「折紙……!!」

 

 天を見上げて、放たれた光線のその先に彼女は、純白のドレス(・・・・・・)を纏った折紙はいた。

 激情、憤怒、憎悪。それらが綯い交ぜになりながらも、折紙はそこにいる(・・)。まだ反転したものを見せていない。その事に、士道は思わず叫びを上げた。

 

『士道さん。二人を追えますか?』

 

「ああ!!」

 

 攻撃を逃れた〈ファントム〉目掛けて、折紙は追撃を繰り出す。それを逃れた〈ファントム〉が回避行動を取り始めた事で、その様相はさながら一方的なドッグファイトだ。

 追うしかない。否、追うだけではダメだ。折紙はまだ(・・)反転していない。つまり、これから〝何か〟が起きてしまうのだ。鳶一折紙が、気丈な少女が世界を破壊する悪魔と化してしまうほどの〝何か〟。それを阻止するために、士道はここにいるのだから。

 

「折紙!! 折紙!! 俺だ!! 聞いてくれ!! ダメなんだ、このままじゃ!!」

 

 届かない。折紙の目の前にいるのは、五年間焦がれた恩讐の仇敵。士道の声が届かないのも無理はなかったが、これでは五年後の未来と同じ(・・)だと歯噛みする。だからといって、諦めるわけにはいかない。

 

「折紙!! 折紙!!」

 

「――――――折紙!!」

 

「え……?」

 

 必死に叫び続けた士道だったが、自分以外の誰か(・・・・・・・)が折紙を読んだことに気づき、足を止めた。

 夫婦と思しき男女が、燃え盛る家から命からがら逃げ出している。そして、士道が呼ぶ折紙と彼らが呼ぶ折紙は違う(・・)と、〝少女〟を見て気がついた。

 

「お父さん、お母さん――――!!」

 

 目尻に涙を浮かべた五年前の折紙(・・・・・・)が、両親の無事を喜んで駆け寄ろうとしている――――――その瞬間、士道は直感的に〝何か〟を察した。

 ここまで見聞きした情報を、組み立てるだけの力が身に付いていたのか。はたまた、先を視た(・・・・)のか。その瞬間のことを、士道は深くは覚えていない。ただ、心臓が潰れかねないほど重く黒く、淀んだ〝何か〟を視てしまった。

 

 

「ま――――――!!」

 

 

 反射的に手を伸ばし――――――刹那、閃光が全てを終わらせた。

 

 いや――――――ここから、全てが始まっていた(・・・・・・)のかも、しれない。

 

 

 






主に変化しているのは狂三が素直になっているのと、士道の心境に変化があることですね。狂三への好感度、刻々帝への理解、そして望むべき未来……さてさて。

次回、復讐鬼の始まりへ。感想、評価、お気に入りありがとうございます!素直に嬉しくてモチベーションにも繋がるのでありがたいです。いつでもお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十話『それぞれの始まり、それぞれの執念』

もう90話なんですねぇ……何だかんだで早いものです




 

「てん――――し……」

 

 少女が天を見上げている。見上げた先には、文字通り『天使』がいた。光を放つ、純白の霊装を纏った折紙(・・・・・・・・・・・)が。

 

「お、まえ、が……」

 

 そう。何も知らぬ者ならば、その神々しさすら感じさせる光放つ造形を『天使』と見間違える(・・・・・)のは無理もない。ましてや、本当の真実に辿り着くことなど誰にも出来ない。不可能だ、そんなことは。この光景を見つめる士道でさえ、目を見開いて信じたくないと思うのだから。

 

 

「許、さない……!! 殺す……殺してやる……ッ!! 私が――――必ず……っ!!」

 

 

 渦巻く怨嗟が届いているとは思えない距離。だが、『天使』はまるでそれを聞き届けたように身を捩った(・・・・・)。何も知らないのなら、幼い折紙の憎悪を哄笑しているように見えてしまう――――――知っていたなら、それが想像を絶する苦しみによるものだと、わかる。

 聞こえていなくても、『天使』には一語一句違えることなく、幼い少女の怨嗟の声を知ってしまっている。何故ならば。何故、ならば。

 

「何……だよ、これ……何なんだよ、これは……ッ」

 

 僅か数秒の出来事。士道の目の前で、折紙の両親が光に呑まれた(・・・・・・)。凄惨で、残虐。だが、それを起こしたのは〈イフリート〉でも〈ファントム〉でもなかった。

 

 両親を殺した、真犯人。それは、五年後の未来より、その事実を〝なかったこと〟にするためにやってきた――――――鳶一折紙、その人だった。

 

 

『……これが、折紙さんが絶望するに足る、理由――――――これが、こんなものが、折紙さんの……、結末……』

 

 

 こんな、ものが。視覚を共有した狂三が、声を震わせて嘆きにも似た言葉をもらす。そこに、常に見せる余裕はない。あるのは、齎された悲劇に対する感情、ともすれば、何かを思い出してしまった(・・・・・・・・・・・・)のか……狂三の複雑な感情が、濁流のように押し寄せてきているような気がした。

 

 

 

 

 

 

『折紙……きっと……お前はいつか気づく。全てに、真実に……!! でも――――――忘れないでくれ!! お前は、一人じゃない……!!』

 

 閉じた瞼の先で、少年が絶望の淵に立たされた少女を抱きしめ、叫びを上げる。

 そうだ。いつか、鳶一折紙は気づいてしまう。狂三のように(・・・・・・)。己が犯した、過ちの全て。五年の歳月を糧とし生きた少女に告げられる、無慈悲な世界の〝真実〟に。

 

 

『お前の悲しみは、俺が引き受ける……!! お前の怒りは、俺が受け止める……!! 迷ったなら、俺を頼れ!! どうしようもない事態に直面したら、俺を使え!! 全部、全部俺にぶつけてくれて構わない!! だから、だから――――――』

 

 

 ああ、ああ。だけど、だけど、鳶一折紙は一人ではない。事の始まりから、彼はいたのだ。その全てを預けられる――――――

 

 

『絶望だけは――――――しないでくれ……ッ!!』

 

『――――ぁ、う、ぁ……、うぅ、うぁぁぁ……っ、あぁぁぁ……っ』

 

 

 彼の愛によって、生きる糧を手にしていたのだ。

 それは悲しく、それは哀れで、それは残酷で、それは、それは、それは――――――酷く、羨ましい(・・・・)

 

 

「なんて――――醜い女」

 

 

 羨ましい? 言うに事欠いて、そのような事を思っている自分自身を、狂三は今すぐ撃ち殺してやりたくなった。

 同じ絶望を味わって、同じ真実をいつか手にして負に堕ちる少女を、始まりに彼がいたという一点の事実だけで、時崎狂三は羨ましい(・・・・)と一瞬だけでも思ってしまった。

 あまりの醜さに、吐き気がする。反吐が出る。左の腕で押さえ込んでいなければ、今すぐ右の腕は銃を手に取り頭を撃ち抜こうとしてしまうだろう。ああ、本当に、度し難い愚かしい女だ。

 

「狂三」

 

「平気ですわ」

 

 短く、言葉を返し、狂三は瞼を開く。視界に、破壊の限りを尽くされた街並みと、破滅の中心に座る鳶一折紙だったもの(・・・・・)が映された。

 あれは、もはや折紙ではなく『魔王』そのもの。討滅の可能性はあっても、救いの可能性は残されていない。それが、可能性の結論。故に、狂三は変えられるはずの過去へ、士道を送り出した。

 だがもし、もしも、それすら世界という構造に組み込まれた予定調和(・・・・)だとしたら。狂三の歩みとは、なんだったのか。狂三の悲願とは、なんだったのか。

 

 予感はあった、しかし振り払っていた――――――その代償が、鳶一折紙の惨劇なのだとしたら。世界に抗う代償に、最果てに、その罰が必ず待ち受けているとするならば。いや罰が待ち受けているのは良い。だが、歩んだ全てが無駄だと言うのなら、狂三は――――――

 

「――――させませんよ」

 

「え……」

 

「私は私の〝計画〟のために……あなたはあなたの〝悲願〟のために。そのためにも、狂三には絶望してもらうわけにはいきません」

 

 白い少女が、狂三の考えを断ち切るように言葉を紡ぐ。真っ直ぐに、今まで見たこともないような、言霊のように強く念じる。

 

 

「こんなところであなたが折れては、全てが終わります――――――士道を、そういう人にしてしまった(・・・・・・)のなら」

 

「……っ!!」

 

「責務を果たしてください、我が女王よ。我が愛しい女王よ。彼に愛された女王よ――――――私は、そう願います」

 

 

 それが、〝悲願〟のために歩む者の務め。それが、踏み躙ってきた者たちへの礼節。それが――――――運命(さだめ)に抗う者。

 迷っても良い、悩めば良い。けれど、白い少女は決してその絶望から、時崎狂三が逃げることは許さない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「……相も変わらず、厳しいことを仰りますのね」

 

「私はまだ、あなたの〝悲願〟を見ていない。それがどのような形に終決するにしても、中途半端な事だけは避けたいんですよ。あなただって、そうでしょう」

 

「あなたの〝計画〟のためにも?」

 

「ええ。私の〝計画〟のためにも」

 

 

 だって、と少女は息を吐く。

 

 

「あなたは、『時崎狂三』でしょう?」

 

「そうですわ――――――わたくしは、わたくしこそが、『時崎狂三』ですわ」

 

 

 一にして全。全にして一。『時崎狂三』は全ての時崎狂三の〝悲願〟を背負う存在であり、呪いを背負う存在である。そんな彼女が立ち止まることを許される時は、ただ唯一五河士道の手の中だけ。ああ、なんて甘美な可能性――――――故に、狂三はその道を選べないのだ。

 

「強情で、諦めが悪い。それが『時崎狂三』ですから。一回くらい、世界に阻まれた程度で諦めはしないでしょう?」

 

「当然ですわ。ですが、誰も諦めてなどいませんわ。あなたが勝手にそう勘違いしているだけですもの」

 

「……意地っ張り」

 

「何とでも言いなさいな」

 

 無様でも、惨めでも、抗おう。抗い続けよう。

 

 過去を変えるために。今を変えるために。全てを変えるために。悲しみを変えるために。たとえその先に――――――残酷な罰(・・・・)が待っていたとしても。

 

 

 

 

 

 

 

「私の涙は、あなたに預けます。私の笑顔は、あなたにあげます。喜びも、楽しいことも、全部、あなたが持っていてください」

 

「え――――?」

 

「私が泣くのは、今が最後です。私が笑うのも、これが最後です」

 

 背を向けた折紙が、一瞬だけ士道に顔を向けた。その涙に濡れた笑顔が……鳶一折紙が最後に見せた笑顔なのだと、気づいてしまった。

 

「でも、この怒りだけは、私のもの。この醜い感情は、私だけのもの――――――私は、殺す。あの、天使を。どんなに時間がかかっても。どんな手段を使ってでも」

 

「――――――」

 

 言えなかった。言えるはずもなかった。それは真実であり、猛毒。幼い復讐鬼に告げるには、あまりに世界は無慈悲だった。

 

 

「だから、それまで、あなたが預かっていてください。私が――――――あの天使を、殺すまで」

 

「折――――紙……」

 

 

 そうして、幼い折紙は去っていく。その過程にあるものがどれだけ苦しいものか知りながらも、その果てにあるものが、どれほど無慈悲な結末かを知りながらも――――――幼い復讐鬼に、かけられる言葉など、なかった。

 

 

 

「…………」

 

 気づけば、〈贋造魔女(ハニエル)〉の能力が消え、士道の身体は高校生のものへと回帰していた。霊力が切れたのか、能力に限界時間があったのか……どちらにしろ、今の士道にそれを考えている余裕はない。

 

 幼い折紙は復讐鬼となり、五年後の折紙は【十二の弾(ユッド・ベート)】の効力が切れ、未来へと送還された――――――それはつまり、歴史を変えることに失敗してしまったという事だ。

 

「……すまない、狂三。俺が……」

 

『士道さん。一つお尋ねしますわ。折紙さんに初めてお会いしたのはいつのことですの?』

 

「……え?」

 

 士道の謝罪に対して何かを返答するでもなく、先程までの動揺した空気を全く見せない狂三が、唐突にそんな質問を投げかけてきた。急なことに訳がわからないという声を上げたが、折紙に関わることだと急いで記憶を掘り起こした。

 

「確か……高二の頭にクラス替えがあって、その時に……」

 

『もしやその時、士道さんは初対面のつもりでも、折紙さんは士道さんの事を存じ上げていたのでは?』

 

「あ――――――」

 

 思い起こされる。狂三と出逢って一月後の四月。十香と初めて出逢ったあの日は、ちょうど高校二年のクラス替えがあった。

 

『な、なんで俺の名前を知ってるんだ……?』

 

『覚えていないの?』

 

 その時に、折紙が不思議そうな顔で首を傾げたのをよく覚えている。

 頭のどこかで、ずっと疑問には感じていたのだ。如何に士道が狂三ばかりを見ているとはいえ、折紙ほど特徴のある人物と出逢って、折紙だけが覚えているなんてことがあるのか、と。しかし、覚えがないのも事実だし折紙が気にした様子もないので確認する術がなかった――――――知らなくて、当然だ。折紙にとっては〝過去〟でも士道にとっては〝今〟。そう会っていたのだ五年前の折紙と、五年後の士道が(・・・・・・・)

 事の真相にようやく気がついた士道だったが、その事実に関して慌てて声を上げた。

 

「ちょっ、ちょっと待て。折紙が今の俺と出会ってたのは、〝あったこと〟として今に伝わってる……けど、そんなのおかしいじゃないか!! だって、過去を変えるために【十二の弾(ユッド・ベート)】を使ったのに、これじゃあまるで……っ!!」

 

『そう。今の世界を構築する要素に二発の【十二の弾(ユッド・ベート)】が関わっていますわ。そのどちらもが、歴史に組み込まれた事象なのだと言うのであれば――――――世界は、わたくしたちが考えているより、遥かに強固ということですわ』

 

 狂三の言葉に、士道は愕然とし息を呑む。歴史を変えるために撃たれた二発の【十二の弾(ユッド・ベート)】。だがそれは、歴史を変えるには至らなかった。それどころか、歴史そのものに組み込まれているのだとすれば、〝世界〟という存在そのものに踊らされている気分だった。

 【十二の弾(ユッド・ベート)】の力があるから、歴史は変えられる可能性がある。だが、【十二の弾(ユッド・ベート)】の力があるから、未来の折紙は絶望に至り過去の折紙は士道と出逢う。卵が先か鶏が先か……全く持って、頭が痛くなるなんて次元ではない。

 

「……んだよ、それ……」

 

 無駄なのか。どれだけ足掻こうが、未来は変えられないのか。世界という絶対の構造の上で、士道たちは踊るしかないのか。

 

「ふざけんな……クソ喰らえだ、そんなもん!!」

 

『……き、ひひひひ』

 

「な、なんだよ」

 

 思わず声を荒らげてしまったが、頭から楽しげな笑い声が聞こえて少しだけ冷静さを取り戻す。

 

『いえ、いえ。諦めより先に、そのような言葉が出てしまうなんて、士道さんらしいですわ』

 

「……俺だって、諦める事を考えないわけじゃないさ」

 

『あら、ならば何故ですの?』

 

 何故、と訊かれれば一つしかない。士道の中に失望感や無力感はある。変えられなかった現実に、痛みもある。だが……そんなものより、士道の中には大切なものがあった。

 

 

「当たり前だろ――――――狂三が変えたいって思うなら、俺がそれを叶えてやりたいって考えて、何が悪いんだ」

 

 

 時崎狂三が持つ切なる願い。たとえそれが、士道の望みと相反するものだとしても……今この場で、狂三が何かの確証を掴めるなら、士道は必ず力になりたい。だから、諦めない。

 

 

「それに、みんなを――――折紙を救うために、俺が諦めたら全部が終わっちまう。そんなの、嫌だ」

 

『……うふふっ。その傲慢さ、その強欲さ――――――素晴らしいですわ、素晴らしいですわ。愛おしい、愛していますわ、士道さん』

 

「なっ!? なな、なんだよ、きゅ、急に!!」

 

 

 普段はここまでド直球なものは士道からなので、不意打ち気味に投げられた百八十キロストレートに赤面して吃ってしまう。赤面した表情は伝わらなくとも、動揺は伝わってしまったのだろう。くすくすと笑い声が聞こえた。

 

『きひひひ。どうしても、今言いたくなってしまったのですわ。こんな時崎狂三は、お嫌いでして?』

 

「き、嫌いじゃない。むしろ好き……って、それより、これからの事を考えないと!!」

 

『そうですわねぇ……兎にも角にも、折紙さんですわ。折紙さんを観測する事が叶ったのであれば、あとはその原因となる要素を取り除くだけ。そうでしょう?』

 

「そうでしょう、って。簡単に言うけどな……」

 

 それが一番の問題なのだ。狂三の言うように、目的の一つであった時間遡行した折紙を見つけることは出来た。だが、見つけただけでは意味がない。原因、つまるところ折紙の両親が殺される光景を折紙に見せてしまった。それを取り除くのが士道のやるべき事、なのだが。

 

「折紙は未来に戻った。なら、ここで俺が何をしても……なあ狂三。そっちに戻って、もう一度【十二の弾(ユッド・ベート)】を撃てるだけの霊力は、俺の中に残ってるのか?」

 

 恐らく、送られる前の脱力感から士道の霊力を拝借していたのはわかっている。それなら、複数の精霊たちの霊力を封印している士道であれば、もう一度くらいなら……そう望みをかけたのだが、ふむ、とたまに見せる唇を撫で考える仕草が目に浮かぶような声を発した狂三は、士道の考えをやんわりと否定する。

 

『難しいですわね。不可能、とはまで言いませんが推奨はしかねますわ』

 

「そうか……なら、どうすれば……」

 

 このまま諦める、などという選択肢は当然否定された。しかし現実的な問題として、【十二の弾(ユッド・ベート)】に込められた霊力がなくなれば、士道は絶望の未来へ帰らざるを得なくなる。それ以前に、変えるべき時は変わらずに過ぎてしまった。

 一体、どうすれば……思い浮かばない代案に唇を噛む士道に、狂三が憂鬱そうに息を吐いた。

 

『あまり使いたくはない手なのですが……あの子も、それしかないと仰っていますし、背に腹は変えられませんわね』

 

「っ、何か方法があるのか!?」

 

『ええ。士道さんのもう一度(・・・・)十二の弾(ユッド・ベート)】を撃つ、という発想の着眼点は正しいものですわ』

 

 ゆっくりと、着実に狂三は語り始める。

 

『あなた様は五年前に遡行する折紙さんを〝観測〟し、何が起こるかを知った。それは、先程までのあなた様にはない記憶であり、重要なファクター足り得る情報ですわ』

 

「ああ……確かにわかっていれば、もう少しやり方があったかもしれない」

 

 折紙が五年前の時間軸に干渉し〝何か〟があった。その〝何か〟を狂三の言葉を借りれば〝観測〟した士道は、最初の時間遡行にはない最重要の情報を握っていると言っていい。

 

「でも、もう一度やり直せないなら、それだって意味が……」

 

『話は最後まで聞いてくださいまし。諦めない情熱も必要ではありますが、時には冷静さも重要ですわ』

 

「わ、悪い……」

 

 思わず前のめりになって気持ちが先行してしまう。常々、狂三の冷静さとそれを学習しない熱くなりやすい自身の悪癖に汗を滲ませた。

 

『構いませんわ。士道さんは、そのくらい真っ直ぐな方がらしいですもの……話を戻して――――いえ、また一つお尋ねしたいことがありますわ』

 

「ん、なんだ?」

 

『わたくしたちが出逢った時を、覚えていまして?』

 

「今年の四月三日。忘れるわけないだろ」

 

 正確には、この時間軸から五年後の四月三日。その日、士道は運命と言える出逢いを果たした。

 即答した士道に満足気な返答を返し……しかし、どこか複雑そうに狂三は言葉を続けた。

 

『ええ、ええ。わたくしも忘れていませんわ。わたくしたちの大切な日。間違いなく、わたくしと士道さんが出逢った、わたくしたちだけの記憶。そこに間違いがあるはずがありませんわ』

 

「狂三……?」

 

『ええ、ですから。ええ、ええ。間違いなどは決してない。だからこそ、だからこそ、意味があるのですわ。本当に、大変に、不本意ですが、仕方のないことなのですわ』

 

「あ、あの……狂三、さん……?」

 

 一人で次から次へと言葉を紡ぐ狂三の圧力に、士道は圧倒されながらも声をかけた。その甲斐あったのか、はたまた狂三の気が済んだのか、物珍しく深いため息を吐いた。

 

『……まあ、強固な記憶だからこそ重要ということですわね。では士道さん、その記憶を更新(・・)いたしましょう』

 

「更新……?」

 

 なんのことを――――――狂三の言葉を整理しながら口を開いた士道は、その瞬間、火花のようなものが頭の中で散る感覚を覚えた。

 

「お、おい、まさか……っ!!」

 

『そのまさか、ですわ。わたくしと士道さんの記憶が強固であればあるほど、過去を挟み込む(・・・・・・・)事に意味がある』

 

 今彼女の顔を見ることが出来れば、大胆不敵な微笑みを見ることが出来るだろう。これ以上なく、最高に美しいそれを見られないことがとてつもなく罪な事だと思えてくる。それ程なまでに頼もしく、唇の端を上げたであろう狂三が、万人を魅了して止まない喉を震わせて、言った。

 

 

『会いに行ってくださいまし。五年前のわたくし(・・・・・・・・)に』

 

「五年前の――――『狂三』……ッ!?」

 

『五年前の〈ナイトメア〉と、そして――――――〈アンノウン〉と呼ばれる前のあの子と、出逢いの再演(・・・・・・)と参りましょう。お覚悟はよろしいですわね、士道さん』

 

 

 拒否権は撃ち抜かれ、存在しない。目を見開いた士道は、だが炎が灯ったその心のままに、示された希望に力強く頷き返した。

 

 

 

 






デート・ア・ライブ10巻『鳶一エンジェル』をよろしくお願いします(忙しさに入れ損ねた雑ダイマの名残り)

少女が何も言わなくても、時崎狂三はきっと諦めない。もう一度絶望を、鏡に映った自身のような罰を見たとしても、諦められるほど幸せな精霊ではない。狂三自身もそれを望み、〈アンノウン〉もそれを望む。時崎狂三が止まる時があるのなら、それは奇跡のような救いが存在する時だけ。その未来は、果たして観測されるのでしょうかね。

リビルドの士道くんは無意識のうちに冷静さという部分を狂三に託してるんですよね。その分、必要な無鉄砲さとかは彼が受け持っています。悪癖兼信頼みたいなもの……なのかなぁ。

さあ次回はいよいよあの子の登場です。書いててなかなか楽しかった回となりました。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第九十一話『過去と未来の狂華』

今は懐かしきあの頃は若かった案件。こうして書くと台無しですね




『〈刻々帝(ザフキエル)〉の銃弾の重ねがけは、わたくし自ら実証していますわ。ただし、特異な例を除き(・・・・・・・)、元の効果を補強できるわけではありませんわ。恐らく、【一二の弾(ユッド・ベート)】の滞在時間を引き伸ばすまでは至らないでしょう』

 

「つま、り……のんびり、してると……!!」

 

『ゲームオーバー。士道さんはこちら側に引き戻されてしまいますわ。『わたくし』の説得に当てる時間も含め、残るチャンスは一度切りと考えてくださいまし』

 

 時間遡行を行ってから動き続けている身体から悲鳴を上げながら、士道は狂三と会話を交わしつつ火災現場近くに聳えた非常階段を全力で駆け上がっていた。息も絶え絶えで、真夏の暑さと炎の熱も相まって今すぐ水分補給をしたい気持ちなのだが、そんな悠長な事をしている暇はない。

 狂三の言うことが確かなら、もうこの時代に留まっていられる時間は残り少ない。その上、【一二の弾(ユッド・ベート)】の重ねがけに成功しても、最初の効果時間は伸ばされないというのだから尚更焦りは募る。

 

「そりゃ、苦労、しそう……だな……!! 五年前のお前、って、今より頑固そう、だし……」

 

『まあ、酷い想像ですこと。否定はいたしませんけど』

 

「やっ……げほっ、げほっ」

 

 やっぱりそうなんじゃないか、と呆れ気味に息を吐こうとして疲労で咳き込んでしまった。今でも大概だと思う時はあるのに、それ以上となると半分は不安の方が浮かび上がってくる……もう半分は、五年前の狂三に会える(・・・・・・・・・・)という不謹慎な喜びだったが。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ、やっぱ、合ってるじゃないか……!!」

 

『ええ。ですから、頑張ってくださいまし。ふぁいと、ですわ』

 

「男って単純だな畜生ッ!!」

 

 大変可愛らしい口調で狙ってやっているとわかっていても、それで元気が出てしまうというか、元気を出さざるを得ないというか。何ともまあ、男とはいつもながら単純なものなのである。

 

 非常階段を上り続けること数分。足元から甲高い音を鳴らしながら、士道は遂にビルの屋上まで辿り着き。息を整えながら、広い屋上を見渡した。

 

「ここで……間違いないのか?」

 

『ええ。間違いありませんわ』

 

「でも、誰も――――――」

 

 いないじゃないか。そう、唇を動かそうとした瞬間、背に冷たい殺気が走った(・・・・・・・・・・・)

 

「……、っ、あ――――」

 

 背後に〝何か〟がいる。だが、何もいない(・・・・・)。気配と殺気が乖離している、気味の悪い感覚。

 

『……これは、予想外でしたわね。この子(・・・)が先に姿を見せるとは』

 

 狂三なら『狂三』を『わたくし』と呼ぶはず。なら、彼女をして予想外という者の正体はわかっていた。その人物の正体が予想外なのではなく、『狂三』より先に現れたのが予想外だったのだ。

 敵意がないことを示すために両手を上げ、士道は後方へと振り返った。そこには。

 

「……〈アンノウン〉」

 

 白い少女が、刀を構えていた。五年の隙間を感じさせない、真っ白な外装と小柄な体躯。間違いなく、五年前の〈アンノウン〉だ。

 だが、どうする。狂三の予想では、この時期に少女が先に姿を見せることはないだろう、という予想だった。しかし現実は、『狂三』より前に士道は少女に出会ってしまった。どうにかアドリブを利かせるしか――――――

 

 

「――――ン……」

 

「え――――?」

 

 

 か細い、声。出会った当初の四糸乃より小さく、とても聞き取れるようなものではなかった。けれど、どうしてか……士道にはそれが、少女の動揺(・・)に見えて仕方がなかった。

 目を丸くする士道に僅かながら身体を動かすような仕草をし、白い少女が声を発した。

 

「……何故、あなたがここにいる(・・・・・・・・・)

 

「……っ!?」

 

 あなたは誰だ、ではなく。何故あなたがここにいる、という問いに士道は驚きを隠せない。同時に、〈アンノウン〉は士道の知らない士道のことを、知っているのではないかと思わせる言動をしていたのを思い出す。それでも、〝五年前の士道〟はただの少年だったはずなので、やはり疑問は生じる。

 

『……士道さん。今は事を進めてくださいまし。沈黙は上手くありませんわ』

 

 少し息を整えるように間を作り、狂三が士道に語りかける。もしかすると、彼女の中にも士道と同じような疑問があるのかもしれない。だが、狂三の言うことは最もだった。今はとにかく、『狂三』と会わなければならない。

 緊張を解すように深呼吸をし、士道は正面を切って言葉を作った。

 

「俺は、五河士道。狂三の力を借りて、今から五年後の未来から来た――――――この時代の『狂三』に、会わせて欲しい」

 

「……!!」

 

 五年前の少女も、やはり関心は狂三にあるのだろう。向けられた殺気が膨らみ始めるのを感じ、士道は矢継ぎ早に言葉を続けた。少女に〝敵〟と断定されてしまったら、今の士道には打つ手がない。それだけは、避けなければならない。

 

「聞いてくれ!! 『狂三』も、聞こえているんだろ!? 俺が下手な動きをしたら、お前の〈刻々帝(ザフキエル)〉で俺を撃ってくれて構わない!! 〈アンノウン〉……彼女に言って、俺の腕か足を切ってもいい!! お前が言えば、彼女はそれを出来るはずだ!!」

 

『士道さん、迂闊すぎますわ』

 

「頼む、お前の力を貸して欲しいんだ――――――『狂三』」

 

 多少強引だとしても、士道には時間がない。弾の一発や二発撃ち込まれるのを覚悟で、屋上全体に伝わるように叫びを上げた。

 数瞬の間が、痛いほど心臓を締め付ける。その時、中心に影が蟠った(・・・・・・・・)

 

 

「あら、あら。変わったことを仰るお客様ですこと」

 

「っ!!」

 

 

 あまりに大胆なそれは、恐らく士道を観察してのこと。そこに油断はない――――――あるのは、優雅と余裕ということだろう。

 影が人となり、人は極限の美しさの顕現と呼べる形を成す。少女に刀を突き付けられた事実など忘却の彼方へ消え、士道は彼女の登場にただだだ心奪われていた。

 

「……狂三」

 

「良いではありませんの。この方、あまりに無防備ですわ。面白いことを仰っていますし、話だけでも聞いて差し上げましょう」

 

 咎めるような少女の声に、狂三は何食わぬ顔で肩を竦めてそう言った。言葉とは裏腹に、その目は士道の行動の全てを余すことなく見通している。しかし、そんな彼女に無防備と認められるくらいにの無理を押し通した甲斐はあったと、士道はホッと息を吐いた。

 五年前の『狂三』は、その容姿に驚くほど差異がなかった。それも当然かもしれない。精霊とはそういうものだと、いい加減士道もよく知っていた。

 ただ、正確に言うのであれば変わらないのは年恰好のみ。服装が、かなり違う。レースとフリルで飾られたモノトーンのドレス。髪は士道でも見ることが珍しい、括られていないストレート。代わりに、薔薇の意匠が施された髪飾りを着けている。

 それらは大変似合っている、素晴らしい、エクセレント&エレガントだ。しかし、もっとも目を引くのは左目。黄金の羅針盤が刻まれた瞳を隠すように、医療用の眼帯を装着していた。思わず、狂三にしか聞こえないくらいに問いかけてしまうくらいには、気になる。

 

「……狂三、なんで眼帯なんてしてるんだ? 似合ってるけど」

 

『気にしないでくださいまし』

 

「怪我してたのか? それでも似合ってるけど」

 

『……気にしないでくださいまし』

 

「似合ってる。うん可愛い。さすがは五年前の狂三だな。俺は凄い綺麗だと思う。俺が帰ったらそっちでも見せてくれないか?」

 

『ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……もぉ……』

 

 狂三お得意のゴリ押しをゴリ押して、さすがにいじめすぎたのか可愛らしいお声が聞こえてきた。今頃、頭を抱えてうずくまっていそうな狂三を想像すると……帰ってからやれば見られたかな、と後悔の念がちょっとだけあった。絶対、可愛いと思うから。

 この反応を見るに十中八九、狂三が五年前の『狂三』に会わせたくなかった理由は、この装いだったのだろう。似合ってるんだから恥ずかしがることないのになぁ、と士道が思っていると『狂三』が訝しげな表情で首を傾げた。

 

「何をぶつぶつと仰っていますの? わたくしに、その蛮勇を示してまでお話したいことがあるのではなくて?」

 

「っ……ああ。このままでいい。なんだったら、銃を突きつけてくれても構わない。俺の手を握ってくれないか」

 

「得体の知れない相手に――――――」

 

「お前は従わない。慎重なお前が、今の俺を信用しないのは当然だ――――――それでも、未来の狂三が、話をしたいって言ってる」

 

「……っ!!」

 

 眉根を僅かに上げ、狂三が士道の言葉に関心を示す。過去の狂三を相手に、今の狂三と同じことは出来ない。だから士道には、こうして言葉を真摯に投げかけるしかない。敵意はなく、敵対したところで始末できる(・・・・・)。そう思わせるくらい、無防備な姿を晒して交渉する。

 半ば賭けだ。けれど、狂三ならば、きっと応じてくれるはずだ。その聡明さと、行動の裏に優しさを秘めているのは、五年前の『狂三』だって変わらないはずなのだから。

 

「……変な方ですわ。あなた、よく無鉄砲で甘いと言われていませんこと?」

 

「しょっちゅう言われてるよ。未来のお前にな」

 

「あら、あら。未来の『わたくし』の人付き合いに、一抹の不安を覚えてしまいますわね」

 

『士道さん、余計なことを仰らないでくださいまし』

 

「……あれ?」

 

 過去の狂三と未来の狂三で言葉のニュアンスが違うのはわかっていたが、どうにも変な方向に取られられてしまったらしい。

 若干の慌てを表に出して焦る士道に、くすっとほんの少し笑みを零した『狂三』が目線だけを後方の少女に送る。恐らく、士道が何かした時は任せるつもりなのだろう。微笑みとは裏腹に、油断なく歩を進める『狂三』が、士道の手に触れた。

 

「……!!」

 

『久しぶり……ということになりますかしら? 『わたくし』』

 

「……なるほど。これは確かに『わたくし』の声……ですわね――――――一体、五年後の世界で、何が起こりましたの?」

 

 聞いていた通り、【九の弾(テット)】を受けた士道を仲介に挟むことで、五年前の狂三と五年後の狂三が交信可能となった。

 分身体と要領は同じなのか、やはり本人の言葉が一番効果をもたらすのだろう。〝現在〟の状況を簡潔に説明する狂三に、『狂三』は黙って聞き入っていた。

 

「……【一二の弾(ユッド・ベート)】をこの方に撃てと、そう仰りますの? 『わたくし』」

 

『ええ、ええ。その通りですわ。お願いできますかしら、『わたくし』』

 

「……いいでしょう。他ならぬ『わたくし』の頼みとあらば――――まあ、少し引っかかりはありますが」

 

 意味深な表情で士道を見やる『狂三』に、士道は意図がわからず首を傾げた。視界を共有している狂三も、過去の自分に何か言及するわけでもなく沈黙を保っている。

 

「うふふ、それは五年後(・・・)に託しておくといたしましょう――――――さあ、さあ」

 

 トン、トン、といつ見ても変わらない、可憐なステップを見せ『狂三』が距離を取る。そして、左手を高く掲げ絶対の〝天使〟を召喚した。

 

「おいでなさい〈刻々帝(ザフキエル)〉。あなたの出番ですわ」

 

 身の丈の二倍はあろうかと言う巨大な文字盤。常に女王の傍らに、常に女王を助け続ける時を司る最凶の〝天使〟。

 かの天使が出現したと同時に、『狂三』の影が蠢動し士道に絡みつくように形を変える。時間遡行に士道の霊力を使うことは、既に織り込み済みだ。凄まじい倦怠感に耐えながら、士道は視線を逸らすことなく見届ける。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一二の弾(ユッド・ベート)】」

 

 

 銃を天に掲げ、最後の銃弾の名を奏でる彼女の姿を。

 

「さあ。では、いきますわよ」

 

「ああ、いつでもいいぜ」

 

「……わたくしに銃を向けられて、反射的な反応すらなさらないのですね」

 

 意外そうなものを見る目で言う狂三に、はたと目を丸くした。そりゃあ、『狂三』の言う通り彼女以外に銃を向けられたら、当然の事ながら身を強ばらせるのは間違いない。それは、人間の正しい防衛本能だ。けれど。

 

「色々あってな。お前に銃を向けられるのは、慣れてるんだ」

 

『その仰り方ですと、わたくしが誰彼構わず銃を突きつける野蛮人のようですわね……』

 

 そうは言っていないが、皮肉に取られてしまう言い方だったかもしれない。『狂三』は呆れ気味にやれやれと声を発した。

 

「……本当に、何が起こるのやら。わたくし、不安で不安でたまりませんわ」

 

「はは。そこは、俺に期待と希望を持ってくれて構わないぜ」

 

「あらあら、口説き文句がお上手ですこと――――――士道さん……と仰いましたわね。健闘を祈りますわ」

 

「……ああ。ありがとよ――――それと、『狂三』」

 

「? なんですの?」

 

 飛ぶ前に、これだけは『狂三』に伝えたい。五河士道は、『狂三』と初めて会った時から伝えたくて伝えたくてたまらなかった。

 

 

「――――その眼帯、似合ってる。五年後まで着けてくれてると、未来で俺が喜ぶからよろしくな」

 

『ッ……士道さん!!』

 

「あら?」

 

 

 未来の狂三は少し拗ねたような怒りを。過去の狂三は、士道の言葉に頬を緩めた喜びを。

 

 

「お褒めにあずかり光栄ですわ――――――では、また五年後に、お会いしましょう」

 

「ああ、必ず――――――五年後で、また会おう」

 

 

 たとえ、この出来事さえ、〝なかったこと〟になるのだとしても、必ず。

 

 長い戦争(デート)の中の、僅か一瞬。刹那における奇跡の邂逅。その出逢いを胸秘め、時を切り裂く弾丸が士道へと突き刺さり――――――世界が、螺旋した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「――――おかしな方でしたわねぇ」

 

 未来からの来訪者を送り出し、銃を影へ返した狂三は頬を撫で息を吐く。本当に、不思議を通り越しておかしな人間だった。

 人間であるはずなのに、霊力を持つ。人間であるはずなのに、精霊を警戒しない。そして感じたのは、未来の狂三が彼へ持っていた信頼(・・)。奇妙な事が多すぎて、さしもの狂三も未来へ困惑と不安が生じるというものだ。

 

「……そのおかしな方相手に、少しは警戒した方がよかったのでは? 不用心でしたよ、狂三」

 

「あら、あら。あなたが先に姿を晒すだなんて、天変地異の前触れかと思って慢心してしまいましたの。許してくださいまし」

 

「……わかりますよ、そのうちね」

 

「また、それですのね」

 

 何か言いづらいことがあると、この少女はすぐにこれだ。まあ、言えないことがあるとわかっていて連れているのは狂三の意志なのだし、それ以上は必要ない(・・・・・・・・・)と狂三自身も思っている。ため息をつきながらも、特に追求するつもりはなかった。

 いつもならそれで終わり……なのだが、少女は珍しく言葉を続けるつもりがあったらしい。

 

「……そうですね。たまには変えましょうか――――――わかりますよ、五年後(・・・)にね」

 

「ふぅん……五年後、ですの」

 

 五年後、時崎狂三は士道と呼ばれる少年と出逢う、らしい。

 

 

『――――――五年後で、また会おう』

 

「本当に……変な、お方」

 

 

 よくわからない人、だった。わかるわけもない。彼と出逢うのは、五年後の狂三なのだから。せいぜい、この眼帯を褒めるいいセンス(・・・・・)の持ち主、ということくらいだ。 少し、興味が湧いた。五年後に思いを馳せながら、狂三は気付かぬうちに微笑みを浮かべる。

 

「はて、さて。一体、どういったご関係なのやら」

 

「……将来を誓い合った仲、とか?」

 

「あなたの冗談は珍しい(・・・)ですけど、残念ながら笑えませんわね」

 

 まだ天変地異が起こる確率の方が高いというものだ。狂三の中でありえないと切って捨てたその冗談が的を射ている(・・・・・・)とは露知らず、どこか残念そうに肩を竦める少女を狂三は半目で見やる。

 

「これは失礼。もう少し面白い冗談を言えるよう、努力するといたしましょう」

 

「期待して五年後を待つとしますわ――――――さあ、士道さんは変えられますかしら」

 

 来るべき悲劇。この燃え盛る焔の中へ舞い戻り、歴史を変えようともがく者。

 

 

「……期待しているのですか、狂三」

 

「き、ひひひひひ!! 『わたくし』があれ程、入れ込んだご様子を見せるのですもの。少しばかりの期待も、悪くないとは思いませんこと?」

 

 

 らしくもなく、心が踊る。燃える炎を背に、狂三の心が舞う。

 

 さて、さて。この気まぐれが無駄になるのか、それともこの出来事さえも〝なかったこと〟にしてしまえるのか。

 

 どうか、もがいて見せて欲しい。足掻いて、足掻いて、足掻いて、その果てに――――――

 

 

「我が〝悲願〟への糧になってくださいましね?――――――士道さん」

 

 

 よもや、思うまい。その願いこそ、未来で自らを苦しめていると。

 

 けれど精霊は、それを願わずにはいられない。因果に抗い、そして因果に定められた待ち受ける出逢いの中で――――――全てを〝なかったこと〟に、するために。

 

 

 




もぉ……とか狂三に言わせたかっただけだろシリーズ第何弾だったかなみたいなところあります。どれだけ無理なく狂三にそれっぽいセリフ言わせられるか選手権!!!!

とまあそんな筆者の与太話はともかく、完全に士道と関わりがない独立した狂三を書くのは久しぶり……というかメイド個体くらいでは?でも士道側はそれに応じて対応を変えるかと言われると……原作よりはっちゃけて素直ですね。むしろ未来の狂三の方が余程警戒している気もする、色んな意味で。

五年前となるとご主人様と従者の関係も違いがあるというもの。本当なら、このままで問題はなかった形。お互いに事情を知りながら、それ以上は必要ない。それを変えてしまうのは、また五年後のお話です。

五年前の邂逅を超えて、再び始まりの前へ。いよいよ過去編も終盤と言ったところです。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十二話『根源の探求者』

もうすぐGジ〇ネ発売なので私は元気です





『――――道さん、士道さん』

 

「……っ!!」

 

 頭の中で響く少女の声。螺旋の捻じ巻は、既に消え去った。仰向けに倒れた士道の目に映る、空。場所は、意識を飛ばす前と同じビルの屋上。違いは、『狂三』と〈アンノウン〉がおらず、熱気も一種類。つまり、火災が起きる前(・・・・・・・)の時間軸に相違ない。

 

「戻って――――来た」

 

『はい。今一度、この時へ』

 

 失敗した記憶を持ち、士道は再び舞い戻った。

 

 妹が、精霊になる前の時間に――――――折紙が、両親を殺してしまう前の世界線に。

 ならば、やるべき事は一つ。

 

 

「行こう――――――今度こそ、世界を変えに」

 

 

 今度こそ、絶対に。

 

 狂三が息を呑む雰囲気を感じながら、士道は見下ろす街並みに背を向け、非常階段を下っていく。戻ってきた、そしてこれから起こることを知っている。であるならば、狂三と対策を練る時間を移動中に済ませねばと下りる速度は緩めないまま口を開いた。

 

「狂三。これからの行動を決めたい。いいか?」

 

『…………』

 

「……狂三?」

 

 返事がない。【九の弾(テット)】の効果時間切れか、と一瞬焦るが、僅かな息遣いは聞こえてくるのでそれはないだろう。はて、それならばなんで狂三は返答をくれないのだろうか。首を捻っていると、狂三はようやく声を発した。

 

『……わたくしにはわかりませんわ。なんでしたら、五年前の『わたくし』を見つけて相談に乗ってもらえばよろしいのではありませんこと』

 

「……うん?」

 

 のだが、何やら妙にトゲトゲしいというか、ツーンとしているというか。狂三にしては珍しいタイプの感情表現だった。

 ただ、珍しいというだけあって士道には少しだけ覚えがある声調だった。姿が見えないので、断言できる訳では無いが、これは……。

 

「……おいおい。過去の自分にジェラシー感じてどうするんだよ」

 

『ふーんですわ。士道さんは、あの『わたくし』が良いのでしょう?』

 

「ふーんって、お前本当に可愛いな。ああいや、そうじゃなくて、過去でも狂三は狂三だろ?」

 

 他の精霊たちとの交流では見せない、狂三特有の拗ね方。以前、分身体相手に見せていたそれとよく似ていた。士道としては、感覚がよく分からないのでどうにか機嫌を直してもらうしかない。

 

「自分への褒め言葉なんだから、そこは素直に受け取ってくれてもいいんだぜ。凄い似合ってたんだから」

 

『だから嫌なのですわ。士道さんは、もし過去の自分がわたくしからの賞賛の声を受け取っていて、それが今の自らの記憶には残らないとしたら、どう思われますの?』

 

「どうって、そりゃあ……」

 

 何とか頭の中でシュチュエーションを想像してみる。記憶には残らない、というのがミソなのかもしれない。

 狂三がひたすら自分を褒めていて、それを今の狂三と同じように他者の視点で眺めているとしよう。ふむ……と頭を捻り続けて。

 

「な、何とも言えねぇな。自分のことなのに」

 

『自分の事だから、尚更なのですわ』

 

「……なるほどな」

 

 一瞬詰まりかけた息を整えるため、深く吸って、吐く。なるほど。そう言ったのは、ようやくあの時(・・・)の言葉を少しだけ理解できたからだ。

自分自身だから(・・・・・・・)、とはあの『狂三』もよく言ったものである。結局のところ、想像上での感覚でしかないので、まだまだ完全理解には至らなかったが。というより、複数の自分を持つ狂三にしかわからない感覚なのかもしれない。

 『狂三』は狂三ではあるが、感覚を全て共有しているわけではない。まあ、その辺りの理解は努力不足ということで、これから気を配って――配ってどうにかなるかはともかく――頑張ろう。

 

「ごめんな。帰ったら狂三にもう一回直接伝えるから、許してくれ」

 

『……さ、さり気なく五年前の格好をさせようとするのはやめてくださいまし』

 

「……行けると思ったんだがな」

 

 感覚的には惜しかった。多分、油断して言質を取れるあと一歩、というところだった気がする。やはり狂三は強敵だな、と思いながらそれどころではないと気を取り直して口調を改めた。

 

「とにかく、雑談は後にしよう。今は、折紙を止める方法を考えないと」

 

『折紙さんを止める……根本的には、折紙さんにご両親の殺害をさせないこと、ですわね』

 

「そうだな。そうじゃなきゃ、戻ってきた意味がない」

 

 両親の仇を取るために五年前のに戻り、自らが両親の仇となってしまった折紙。このループにも似た輪廻の輪を断ち切って、絶望してしまう根本を破壊する。だから、折紙に両親を殺させない――――――言うだけなら、毎回毎回の事ながら簡単なんだがなと、士道は思案を巡らせながら言葉を吐き出す。

 

「折紙を直接止める……のは、俺一人じゃ現実的じゃないな。情けない話、俺の目じゃ折紙と〈ファントム〉を追うだけで精一杯だった」

 

『士道さんは常に精霊の身近にいらっしゃるので、感覚を失いがちですわね。言っておきますが、それが普通なのですわ。今リスクのある手段を取るのはナンセンスなのですから、それを肝に銘じておいてくださいまし』

 

 狂三の言う通りだ。士道は精霊の力を身体に負荷をかけて不完全に再現できるが、それ以外は人間のスペックと変わらない中途半端な存在。狂三が力を貸してくれている状況ならともかく、そうでない今は精霊同士の戦いに追いつくのは愚か、止めることさえ難しい。

 加えて言えば、復讐の完遂を目の前にした折紙は、士道の言葉すら届かなかった。あと一度のチャンスを賭けるには、無謀の一言だ。

 

「なら……折紙の両親をどうにか手を尽くして安全な場所に逃がす、とか?」

 

『先程よりは現実的な案ではありますが、説得できる自信はありますの?』

 

「……時間が足りないな」

 

 まさか、馬鹿正直に全部を説明して信じてくれるのは、それこそ精霊であり時間遡行の力を持つ狂三くらいだ。普通、未来から来た、ここは危険だから自分を信じてついてきて欲しい……などという話をされたら、まず正気の程を疑い下手をすれば警察沙汰。そんなことをしていれば、時間が来てしまい天宮市は火の海。そこで折紙の両親を逃がす事ができる、という可能性も生まれるが……。

 

『それに……万事が上手くいったと仮定しても、それで無事に済むとは限りませんわ』

 

「え……? どうしてだ?」

 

『世界というのは、わたくしたちが想像しているよりも強固……これは当然、覚えておいでだとは思います。ならば、折紙さんのご両親の死という最大の分岐点――――――世界は、そこに収束しているのかもしれませんわ』

 

「それって……歴史の修正力、みたいなもんか?」

 

『信じたくはありませんけれど、そういう解釈もありえますわね。〝因果律〟、と呼んでも差し支えないかもしれませんわ』

 

「因果律……?」

 

 創作上のゲームなどでは聞いたことはあるが、詳しくはわからない。首を傾げた士道に、狂三はそのまま言葉を続けた。

 

『簡単に言えば、その〝原因〟が生まれたからには、その〝結果〟があるということ、ですわ。この場合、折紙さんが光線を放ったという事実が〝原因〟。その光線の下に折紙さんのご両親がいる、というのが〝結果〟ですわね』

 

「〝原因〟が生まれるから、同時に〝結果〟に結びつく、ってことか……」

 

 折紙の光線という〝原因〟がある以上、それが放たれてしまった場合、折紙の両親をどこへ避難させようと〝結果〟として、二人の元に攻撃が届いてしまうかもしれない(・・・・・・)、ということなのだろう。

 あくまで仮説的な可能性。だが、歴史を知っていると言っても、ここに士道が現れた時点で元の歴史とは既に異なるのだ。記憶通りに戦闘が行われる、と考えるのは危険だった。

 

「つまり、〝原因〟さえ取り除ければどうにかなるかもしれない、か。けど結局、折紙を止めないとそれは叶わないしな……」

 

『……〝原因〟を取り除かずとも、歴史を変えられる可能性はありますわ』

 

「ほ、本当か!! どんな方法なんだ!?」

 

『…………』

 

「狂三?」

 

 またもや、沈黙。さっきとは違い、何かあって拗ねてしまったという雰囲気でもなさそうだ。

 

『士道さん、絶対に反対いたしますわ』

 

「そんなの聞いてみなけりゃわからないだろ。反対したとしても、何かのヒントになるかもしれないしさ」

 

 狂三の意見を聞く前から突っぱねるつもりはない。何であろうと、聡明な彼女の考えなら士道自身よりずっと頼りになるはずだ。

 士道の声に何やら難しそうに黙り込んで数秒後。彼女は重い口を開いて声を発した。

 

 

『――――――折紙さんにご両親が死んだという事実を〝観測〟させない。という考えは……これならば、〝原因〟は変わりませんが……』

 

「………………おぉう」

 

 

 なんというか、なんと、いうか。確かにそれは、士道が確実に反対する意見だった。

 

『……わかっていますわ、わかっていましたわ。どうせ、わたくしはこのような役に立たない作戦しか思い浮かびませんわ。人の心がわからない冷血女ですわ』

 

「き、気にするなって!! 狂三が可能性の話をしてるのはわかってるから!! そりゃあ……採用はできないけど……」

 

 要は、未来が崩壊する原因となる折紙の絶望。それ〝だけ〟を阻止する。確かに、この方法ならば折紙は絶望する事はないかもしれないが……五年前の折紙が両親の死を見てしまうことには変わりなく、結果的に堂々巡りになってしまう可能性が高い。歴史は変わるが、それだけだ。

 〝原因〟ははっきりしているのに、解決方法が思い浮かばないというのはもどかしい。狂三の言った方法は置いておくとして、やはり〈ファントム〉を追う折紙を――――――

 

「あ……」

 

『? 何か思い浮かびましたの?』

 

 思わず足を止めた士道に、狂三が問いかける声が響く。足を止めてしまうほど、見落としていた事実が存在したのだ。

 士道では折紙〝は〟止められないかもしれない。だが、もしも、もしも、だ。

 

 

「狂三――――――〈ファントム〉を、追い払えると……思うか?」

 

 

 あの『何か』が相手であれば、もしもが生まれるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

『――――――しかし、思い切りましたわね』

 

「まあ、な……」

 

 数分後、士道は公園の植え込みに身を隠し、ブランコに座る幼い少女の姿を見守っていた。形だけであれば、翌日には注意喚起が配られるような不審者でしかないのだが、もちろんそうではない。

 物憂げな表情で、寂しくブランコを揺らす少女は、琴里。士道は待っているのだ……琴里を狙って現れる〈ファントム〉の事を。

 

『〈ファントム〉の存在がなければ、折紙さんは攻撃の目標を失う。すなわち、〝結果〟に至る〝原因〟そのものの消失……あとは、〈ファントム〉を追い払う事が出来るか、ですわね』

 

「……できることなら、話してみたいんだがな」

 

『あの〈ファントム〉と……話、ですの』

 

 士道が呟いた言葉に、意外、困惑を含めた様子で狂三が言う。

 

『琴里さんや士道さんの運命を狂わせた原因……そんなお方と、話がしたいと?』

 

「思うところがあるのは、否定しない。琴里たちを精霊にしたやつを、何も知らないまま許すつもりもない――――――けど、何も知らないから(・・・・・・・・)、俺は〈ファントム〉と話がしてみたい」

 

 敵意、にも似たものがあることは否定しない。琴里、美九……折紙。彼女たちと世界の運命を大きく変えてしまった〈ファントム〉――――――だが、士道はそれしか知らない。その行動に意味があるのか。愉快犯か、狂三のように譲れない目的があるのか、その一欠片すら知らないのだ。無知なまま否定してしまったら、それは。

 

 

「何も知らないまま決めつけたりしたら、十香や四糸乃たちをただ災害としてしか見ない連中と一緒だ――――――お前の事だって、同じだったから」

 

『…………』

 

 

 知らないと決めつけ、逃げるのは簡単だ。だが、それをしてしまったら最後、士道は精霊たちの前に立てない。

 したら、自分が許せなくなる……狂三の事を知って、知りたいと思った士道がいるから、今こうして大切な繋がりができた。その今までを、〈ファントム〉が憎いからなんて理由で裏切りたくない。

 

『誰であろうと、手を差し伸べるのですね……士道さんは』

 

「誰でもってわけじゃないさ。俺は、助けたいと思うから、助ける努力をしてるだけだ」

 

『うふふ……そんなあなた様だから、わたくしにここまでの事をさせるのですわ』

 

「そりゃあ、俺をそういう風に産んでくれた誰か(・・)に、感謝しないとな」

 

 とはいえ、士道の人格形成には五河家に来てからの方が大きく関わっているのだが。まあ、きっかけに誰か(・・)が関わっているのは間違っていない――――――それを乗り越えているからこそ、士道はこうして軽口を言えるのだ。

 

『……士道さん、ご両親のことは――――いえ、無遠慮でしたわ』

 

「いいよ。もう昔の事だし、狂三が気にしてくれるだけで嬉しい。どんな人かも、覚えてない(・・・・・)しな」

 

 五河士道には、記憶がない。正確に言えば、五河家に引き取られる前までの(・・・・・・・・・・・・・・)、自身の記憶が忘却の彼方へ消えている。捨てられた、と失意のどん底に堕ちたこともある……しかしそれは、既に乗り越えたこと(・・・・・・・)だ。それ故に、士道は今の自分を作り狂三との関わりを齎してくれた事に、実のところ見も知らぬ両親に感謝の念すら感じる。

 加えて士道は、微かに残った自身の記憶(・・・・・・・・・・・)は、親と呼べる存在に無慈悲に捨てられたなどとは思っていない。所詮は、希望的観測でしかないのかもしれないが。

 

 だが、同時に。

 

「でも、俺は――――――」

 

 その疑問を言葉にする前に、切る

 

「…………っ」

 

『――――現れましたわね』

 

 琴里の前に現れた、一つの『何か』。年齢、背格好、性別すらもわからない『何か』。

 だが、それは。そのノイズ(・・・)のような『何か』に、士道は強い既視感を覚えてしまう。

 

「狂三、あいつは……」

 

『っ……ええ』

 

 誰よりも、きっと彼女が感じている。纏う力の形、雰囲気、能力。そのどれもが――――――〈アンノウン〉と、酷似していた。

 

 それを感じた士道の目に、〈ファントム〉が赤い宝石のようなものを差し出したのが見えた。琴里が、それに触れた――――――瞬間。

 

「あ、あ、ああああああああ……っ!!」

 

「ぐ……!!」

 

 襲いかかる熱波。直立する炎。今すぐ琴里に駆け寄ってやりたい……そんな思いを必死に堪え、士道は身を守り凌いだ。士道がするべきなのは、この先だ。

 

「琴里……すまん」

 

 琴里のこと、〈ファントム〉の事情。様々な事が絡み合っている。だが今、優先しなければならないことは。

 

「――――――おい!!」

 

【……ん――――?】

 

 〈ファントム〉を追い返し、折紙が絶望する〝原因〟を取り除くこと。

 〈ファントム〉の後ろに飛び出し、叫びを上げた士道に反応したのだろう。モザイク状のシルエットが、微かに動いたように見えた。似ている、とは言ったものの、〈アンノウン〉以上にどうなっているかがわかりづらい。

 それでも士道は、意を決して人間で言う顔に当たるであろう部分を睨み、声を発した。

 

 

「よう、会いたかったぜ――――――〈ファントム〉」

 

 

 正体不明の、『何か』。皮肉ではなく、士道は本心でこの出会いを望んでいた。琴里たちを精霊となる道へ誘い、士道の運命を変えた元凶にして、『何か』との相対を。

 一方的な因縁だろう――――――そう、思っていた。

 

 

【――――――――え?】

 

 

 思っていたのに、違う。

 

 

【……うそ――――、君は……どうして、君が……】

 

「……は?」

 

『――――――っ』

 

 

 それは、動揺や、狼狽に近い物に思えて仕方がなかった。『何か』は揺れ動いている。この『何か』は――――――

 

 

「お前は……お前()……俺を、知っているのか……?」

 

【――――――】

 

 

 なぜ、知っている。何を、知っている。どうして、〈アンノウン〉のような感情の発露を――――――この超越的な存在であると思っていた〈ファントム〉が、行うのだ。

 

 この『何か』の中身(・・)は……誰だ?

 

【……、……】

 

 ノイズがブレる。いや、〈ファントム〉が身体を動かして逃げようとしている。動く、というより地面を滑っているとでも言うべきか。

 急ぎ足を動かし――――その視界に、泣き崩れて兄を呼ぶ琴里の姿を入れてしまった。

 

「……ッ、く――――」

 

 足を止めるな。この琴里を救えるのは、救うのは、士道であって士道ではない。すぐに琴里を探して現れる、五年前の士道だ。今琴里を気にして留まってしまえば、歴史にどんな影響を与えるかがわからない上に、〈ファントム〉を見失ってしまう。

 躊躇い、後悔。それらを振り切り、士道は〈ファントム〉を追走する。その最中、狂三が声を響かせた。

 

『……予想外の反応でしたわね。士道さん、あの方との面識は?』

 

「全身隠してる知り合いなんて、一人いれば十分だな……!!」

 

『同感ですわ、ね……』

 

 狂三にも、少なからずの動揺が見られた。彼女は彼女なりに、思うところがあるのはわかる。しかし、それに気を向けてやれる余裕が、今の士道にはなかった。

 厳密に言うのであれば、〈ファントム〉と面識は、ある。だがそれは、この直後の話だ。狂三が言う面識とは、士道の事を向こうが知っているかどうかのものだろう。

 

「……っ」

 

 心臓が、鼓動している。いつになく、嫌なものを感じさせる鼓動だ。これは、そう――――――恐怖、なのかもしれない。

 〈ファントム〉、〈アンノウン〉と、もう一人。士道を見て、おかしな反応を示した人物がいた。DEMインダストリー業務執行取締役(マネージング・ディレクター)、アイザック・ウェストコット。

 士道が気に入らないと難色を示すあの男は、士道を見て大層おかしなものを見たような笑いをし、去り際にこう言った――――――タカミヤ(・・・・)、と。士道の妹を自称する、崇宮真那と同じ名前を。

 

 あまりにも、わからない。自分のことなのに、わからない。なぜ、自分すら知らないことを誰かが知っているのか。そもそも、精霊を封印する力(・・・・・・・・)とは、なんなのか。

 何一つ、理解ができない。士道は、士道は……俺は。その疑問が、強く、なる。

 

 

「俺は――――――誰なんだろうな」

 

 

 こぼれ落ちてしまった、疑念。

 

 

『っ、あなた様は!!』

 

「狂、三……?」

 

 

 そんな、呆然と、独り言のように呟かれた言葉に、彼女は、時崎狂三は叫びを上げた。

 

 

『あなた様は、あなた様ですわ。他の誰でもない、五河士道なのです。どうか、忘れないで、恐れないで。誰が何を言おうと、何を知っていようと、あなた様はわたくしの愛する――――――五河士道(・・・・)なのですわ』

 

「ぁ……あ、――――――」

 

 

 沈みかけた心が、すくい上げられる。士道は、誰だ? 精霊を封印できる力を持つ、生まれもわからない男は――――――けれど、愛されている。

五河士道(・・・・)は、愛されているのだ。

 

 

『何があっても、それを忘れないでくださいまし。士道さんに何があろうと、どんなに恐れる真実(・・・・・)があろうと――――――わたくしは、士道さんを愛しています』

 

 

 こんなにも、愛されている。それだけで、自分が自分でいられる気がした。足に力を込めて、逃げる〈ファントム〉を追いかけながら、士道は感謝の言葉を返す。

 

「……ごめん、こんな時に。それと、ありがとう」

 

『いえ……ですが、士道さん。無理に、知る(・・)必要はありませんわ。このまま、〈ファントム〉を追い返す事だけに注力してくださいまし』

 

「わかってる……けど、できることなら、俺は知りたい」

 

『……知らない方が良い真実。しかし、人はどうしても知りたがる――――――誰であれ(・・・・)、同じなのかもしれませんわね』

 

 自らもが、そうであるように。暗に狂三は、そう言っているような気がした。

 士道は、誰かなのか――――――五河士道(・・・・)だ。狂三が愛してくれている、五河士道でしかない。何が挟み込まれようと、その真実に変わりはない。

 

 だから、尚のこと知りたかった。自らに、何が秘められているのか――――――狂三の言う、知らない方が良い真実(・・・・・・・・・・)が、あるのか。その答えが、今目の前にあるというのなら。

 狂三の真実を知ろうとするのに、自らの真実を知ろうとしないのは、士道にはできない。

 

 

「〈ファントム〉、お前は――――――」

 

 

 俺の何を、知っている?

 

 炎に包まれる街を走り続けながら、精霊に愛された少年は、その問いかけを〈ファントム〉の背に、突きつけた。

 

 

 






まあ士道にもう一人の自分でもいないと理解するのは難しい嫉妬かもしれませんね。ええ、ええ。

因果律に関しての知識は10割スパ〇ボからの受け売りなので私が作る作品の中ではこんな感じなんだなぁと思っていただければ……それはそうとこの二人、ここぞとばかりにイチャついてやがる。

あんまりにもお前の知らないお前を知ってるムーヴされたらそら疑念も多くなります。それをしっかり支えるのも寄り添えるヒロインの役目。

次回、過去編クライマックス。士道と狂三は世界を変えられるのか。感想、評価、お気に入りなどなどぜひともお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十三話『因果の再世』

過去編という名の時間遡行編、クライマックス




「……っ、〈ファントム〉!!」

 

 滑走するように揺れていた対象が動きを止めたことで、士道も勢いを付けていた身体をその場に踏み止まらせる。距離は、そう離れていない。恐らく、数歩踏み出せば届いてしまう距離だ。

 

【…………】

 

 士道の声に反応して、ノイズがゆらりと形を動かす。人間的な姿でいえば、振り向いたということだろう。こちらの声に反応を示す、ということは。

 

【……ごめんね。突然逃げたりして――――――彼女の前ではない方がいいと思って】

 

 話をする意思がある、ということに繋がる。彼女とは、状況からして五年前の琴里のこと。〈ファントム〉が何を知り、何を意図しているのかは不明だが、士道側にとって確かに都合がよかった。あの場には五年前の士道――――そして、五年後から折紙がやって来てしまうのだから。

 

「……お前は」

 

【……ああ、そうか、やっぱり、君は】

 

 ――――――ノイズが、払われる。

 

「な……」

 

 士道が何かをしたわけではない。なら、〈ファントム〉が自らの意思で、その認識阻害の要因を解き放ったのだろう。なぜそんなことをしたのかはわからない。が、士道は露になった彼女(・・)の姿を見て目を見開いた。

 

『この方、は……』

 

 恐らくは、狂三も同じことを思っている。理由はないが、確証があった。

 編み込まれた桜色の髪に、全てを包む慈母のように優しげな表情。一度も見たことはない。なのに、この顔を士道と狂三は知っている――――――そんな不可思議な感覚を、露になった〈ファントム〉に覚えた。

 

「その姿は……」

 

「……まだ君に『私』を見せるわけにはいかないから、仮の姿(・・・)で失礼するけれど――――――せっかく君と話ができたのに、障壁越しというのも味気ないからね」

 

 透き通った少女の声。今までの〈ファントム〉とは似ても似つかない声と、その姿。加えて、それを仮の姿(・・・)と自ら呼称した事を士道は眉を顰めて彼女を見やる。

 だが、それすらも見通しているかのように、彼女は優しく微笑んだ。

 

「……君は一体、〝いつ〟から来たの? その姿を見るに五、六年後っていうところかな?」

 

「っ!! な……」

 

 今、この少女、〈ファントム〉は士道がここにいる意味、それを正確に言い当ててみせた。

 

『この方、【十二の弾(ユッド・ベート)】……いえ、〈刻々帝(ザフキエル)〉の力を知っていますわね』

 

 狂三が冷静に事を分析する中、士道は驚愕と警戒心を強める。

時間遡行(・・・・)。この力の真髄の詳細を知っているのは、士道を除けば使用者たる時崎狂三。同じように銃弾を受けた鳶一折紙。しかしどちらも、この時代の人間ではない。残るは――――――狂三の目的を知る、〈アンノウン〉。

 

「……それで……私に何か用かな? 時間遡行の弾を使ってまでこの時代にやってきたんだ。ただの観光ってことはないよね?」

 

「…………」

 

 その通り。士道には、〈ファントム〉をこの場から遠ざけなければならない。それが理由であり、無駄にできない時間だ。時間を削る理由を作ってはいけない。

 けど、士道はしてしまった。僅かに視線を動かし、後方を向けて確かめた(・・・・)。まだ、折紙は来ていないことを。その動作は、当然狂三にも伝わっていたのだろう。声が、聞こえた。

 

 

『――――止めはしませんわ。どうぞ、心のままに』

 

「……っ」

 

 

 人は、真実を知りたがる。知ろうとするのだ。たとえ、猛毒にも等しいものであっても、猛毒だと知らない限りは知ろうとする。そして士道は、その中身が何なのか、それさえもわかっていない。

 心の、ままに。愛しい少女の言霊に導かれるように、士道は声を発していた。

 

「お前は……俺のことを、知ってるのか?」

 

「……うん、知ってるよ。よく(・・)、ね」

 

 返された言葉に、心臓の鼓動が早くなるのがわかる。

 

 

「教えてくれ。俺は一体……何者なんだ? この力は、一体何なんだ?」

 

「…………」

 

 

 世界を変える力、精霊。その力を封印する力を持つ、士道。ここに至って、無関係など思えるはずがない。それを知ってるであろう元凶足る人物が、目の前にいるのだから。

 数秒の沈黙を返した〈ファントム〉は、首を振って士道の問いを否定した。

 

 

「……答えてあげたいところだけど、未来の君がどんな状態にあるのかわからない以上、教えることはできないな――――――それに、今は私たちの会話を盗み聞きしている子もいるみたいだしね」

 

「な、に……?」

 

「ねえ、聞こえているんだろう――――――時崎狂三」

 

 

 その名前が、少女の口から明確に紡がれた瞬間。士道は否が応でも警戒心を強め、自然と身体を身構えさせていた。それはもう、身体に刻まれた本能的なものに近かった。

 

 

「なんでお前が、狂三の事を知ってる……っ!!」

 

 

 自身のことを棚に上げても、そうしなければならない。狂三が何かを告げるよりも早く、士道は衝動的にその問いかけを投げかけていた。〈刻々帝(ザフキエル)〉だけではなく、狂三の事まで知識にある。この存在はなんなのだ、と。

 睨むような士道の目付きに、〈ファントム〉はその微笑みを少し戸惑い(・・・)のようなものに変えた。

 

「……意外……、かな? ううん、そういうわけでもない、か。気難しい時の精霊に愛される側ならともかく、逆をいくのは……ふふっ、妬けちゃうな(・・・・・・)

 

「どういう意味だ……?」

 

「……気にしないで。そういう〝可能性〟もある、という話だよ――――――けど、君自身のことを知るために、時崎狂三に頼んでここに来たの? だとしたら、随分と贅沢な〝時間〟の使い方をしたね」

 

『……士道さん。わたくしのことは気になさらないでくださいまし。時間が、ありませんわ』

 

「…………っ」

 

 まだ聞きたいことは山ほどある。士道のこと、狂三を知っていること――――――〈アンノウン〉との繋がり。だが、今の優先事項はそれらではない。タイムリミットまでどれだけあるかわからない以上、口を割らせる〝時間〟はない。

 

「……いや、今のは、ただの俺の質問だ。狂三のことも、俺個人の感情だ。お前への用は、別にある」

 

「……何かな?」

 

「今すぐ、ここから消えてくれ」

 

 折紙の視界に、〈ファントム〉を入り込ませない。彼女を絶望させないために、一番に優先される事柄がそれだった。

 

「……それは、『お前を殺す』の詩的な表現?」

 

 意外にも、表情豊かなのか。〈ファントム〉は士道の言葉を、憂鬱さを込めた悲しげな(・・・・)顔で返答をした。

 

「まあ……全く想定してなかったわけじゃあないよ。君があの子(・・・)と……気難しい時の精霊と交流を持ったなら、聡明なあの子と、そういう考えに至るのも一つの可能性だった――――――あまり、考えたくはなかったけれどね」

 

「…………」

 

 わけのわからない物言いだが、どうやら〈ファントム〉は士道が自分を殺しに来たのだと勘違いしているらしい。

 無言で拳を握った士道は、心を落ち着けるため深呼吸を挟む。人を煙に巻くような物言い。あの少女のような、狂三を知っている言動。あまりに、不可解な事が多すぎる。だとしても、今は〈ファントム〉をどうこうしようという意図はない。

 

「……殺す殺さないなんて話はしてない。一刻も早く、身を隠して欲しいだけだ。お前は隣界ってところに行けるんだろう?」

 

「……ふぅん? 聞いていいかな? その理由を」

 

「それは……」

 

『士道さん。その懸念は問題ありませんわ。恐らくは、ですけれど』

 

「……?」

 

 士道が口ごもった理由は単純だった。仮に、不透明な〈ファントム〉の目的が、DEMのように反転精霊を生み出すことだった場合、士道が真実を告げることは逆効果になってしまうからだ。だが、狂三は即座にその考えを否定したらしく、士道はただ困惑する。恐らくは、なんて付けているが……その口調は、何かを確信しているものだった。

 狂三に肯定されても、一瞬の迷いは生じる。その間、士道の答えを待つ前に〈ファントム〉は行動に移してしまった。

 

「……まあ、答えられないなら別に構わないけれどね――――――悪いけど、答えはノーだよ。まだ少し、やることが残っているんだ」

 

「っ、待ってくれ!! これからこの時代に――――――」

 

 ――――――動けない。

 

 その感覚を覚えた時、それは既に手遅れだった。身体を、見えない何かで縛られている。

 

『っ、士道さん、離れてくださいまし!! 士道さん!!』

 

 指先は疎か、狂三の声にすら反応を示せない。全て、〈ファントム〉に縛られている。

 迂闊、なんて思う暇さえなく、〈ファントム〉の指先が――――――頬に、触れた。

 

 

「あ――――――」

 

 

感覚(おもいで)が、揺さぶられた。

 

 理屈にならない、その感覚は。その感覚を、士道は知っている(・・・・・)

 

 

「……今日のところは、時の精霊の行動に感謝をしておかないといけないかな」

 

『っ!!』

 

 

 少女の形をした『何か』が、言う。その少女の形をした『何か』を、『何か』のことを、知っている。

 

「時が来たなら、また会おうね。その時は――――――」

 

 士道の耳に向かって、言葉が告げられる。脳を揺さぶられるような、衝撃。根源(・・)を殴りつけられたような、感覚。

 声が、重なる。二重奏を、導く。『何か』の声と、『何か』を纏う少女の声が、重なった。

 

 

「――――もう、絶対離さないから。もう、絶対間違わないから」

 

『君は、本当に優しいんだね――――――『  (士道)』』

 

 

 どこかで聞いた言葉と、いつか聞いた言葉。

 

 衝撃が、全身を突き抜ける。彼女たち(・・・・)は、誰だ?

 

「……、……」

 

 何を知り、何を願うのか。何もかもがわからない。お前たちは、何者だ。その問いかけも、声にはならない。

 微笑んだ〈ファントム〉が、一瞬にしてノイズを纏い地を蹴って飛んで行った。

 

「く、は……っ」

 

『大丈夫ですの? 何か痛みは? いえ、〈ファントム〉に何か……』

 

「だ、大丈夫だ……何も、されてない」

 

 そう、何もされてはいない。せいぜい、不可視の力がなくなった影響で一時的に膝を突いてしまった程度だ。

 本当に、話をしただけ。どこかで、士道も知らないいつかで、耳にしたその言葉を。

 

「あいつ――――一、体……」

 

 〈ファントム〉が飛んだ先に目を向けた。まさに、その瞬間――――――一条の光が駆け抜ける。

 

「……!! あれは――――!!」

 

 見間違うはずもない。来てしまったのだ、彼女が。〈ファントム〉を討滅するため、破滅の運命に導かれるように、純白の霊装を纏った精霊、鳶一折紙が。

 

「折紙……ッ!!」

 

『く……ぁ!?』

 

「狂三!?」

 

 悲鳴のような声も、純粋な復讐の化身となった折紙には届かない。それどころか、狂三が突如苦しむような声をあげたことに気を取られてしまう。

 

 

「どうした、何があった!?」

 

『未来が……視え、っ……因果が、繋がっ、て……』

 

「未来、因果……、――――!!」

 

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【五の弾(ヘー)】。

 

 狂三は、未来を視た。ただし、士道から見た未来の光景(・・・・・・・・・・・)を。ほぼ間違いない。通常、〈刻々帝(ザフキエル)〉は力を銃弾という形に込め、使用者に能力を譲渡する。だが、例外は存在している。その例外は、士道が以前行った未来予測だ。アレは、狂三から力を受け取って一時的に〈刻々帝(ザフキエル)〉の能力行使を可能としたもの。あの時と同じなのであれば、恐らく〈刻々帝(ザフキエル)〉は士道を通して狂三に何かを――――――

 

「……っ!!」

 

 なぜ、そこまでわかるのか(・・・・・・・・・)。生じた疑問に、付き合っていられる時間はない。士道は全力で駆け出した。

 賽は投げられた。折紙はこの時代に到来し、士道が一度目の遡行で見た光景を、今まさに繰り返している。〈ファントム〉を追いすがり、両親を守ろうと純粋な感情を発露させ――――――それが、悲劇を生む。

 

 繰り返させて、たまるものか。そのためには、今を変えるだけの何か……未来予測(・・・・)の力が必要だ。

 

「狂三、狂三ッ!! 何が視えた!? 〈刻々帝(ザフキエル)〉は、俺たちに何を伝えようとしている!!」

 

『っ……折紙さんの、光が……これでは、以前と……っ』

 

「な……っ」

 

 変わっていない。士道の行動は、大局的に何の影響も及ぼしていない。そこまでは、いい。士道も、多少〈ファントム〉の足を止めた程度で変わるほど世界は簡単ではないと知っていた。

 けれど、そこまでなのか? 〈刻々帝(ザフキエル)〉はそんなことを伝えるために、確定した〝原因〟と〝結果〟を伝えるためだけに、狂三に訴えかけたのか?

 諦観が浮かびかけた士道の頭に、狂三の言葉が続く。

 

『ですが……その先が、視えませんの』

 

「え?」

 

『視えたのは――――――光が降り注ぐまで、なのですわ』

 

 強引に割り込まれた未来を視ているからか、苦しげな口調で未来を伝えられた言葉に、士道は困惑する。

 〝原因〟があるから、〝結果〟は生まれる。〈刻々帝(ザフキエル)〉は既に〝原因〟の予測を終えている。なら、因果で繋がっている〝結果〟を視せることなど造作もないはずだ。なのに、なぜ未来が止まっている? 未来が決まっていないとでも言うのか。光線が折紙の両親に降り注ぎ、死をもたらすという〝結果〟が――――――

 

 

「〝結果〟が……決まってない(・・・・・・)?」

 

『士道さん……?』

 

 

 全力で身体を動かしているにも関わらず、士道の体内時計は止まってしまったかのような静けさがあった。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉が視せている未来は、ほぼ確定したものだ。一度〝観測〟した未来を、〈刻々帝(ザフキエル)〉の高次元予測が外すはずもない。意味がある。必ず、その視えなかった未来(・・・・・・・・)に意味はあるのだ。

 〝原因〟が生まれ、〝結果〟が生じる。〝原因〟は、折紙が放つ必滅の光。〝結果〟は、折紙の両親の死――――――違うのか? その一瞬の先が確定しているのと、していないのでは大きく差がある。致命的で、世界を破壊するに至る差が、ある。

 

 思考を終えた瞬間、士道の頭に浮かんだやり方は、たった一つだった。

 

「……わかった。ああ……わかったよ、狂三!!」

 

『士道さん、一体何を――――――』

 

「お前、言ったろ!! 確定した未来(・・・・・・)を変えるのは簡単だって……!!」

 

 もう、士道の目にも見えている。〈ファントム〉と折紙。その下方にいる、幼い折紙と、彼女の両親。もう止めようがない、最悪の未来が訪れてしまうのは明白だった。

 だから、最高に単純で、最高に頭が悪い方法で、解決してやろう。

 

 

「折紙の光線があの場所に辿り着く……それが、確定した未来(・・・・・・)だっていうのなら、誰かが攻撃を喰らうっていう確定事項(・・・・)を変えずに、折紙の両親を助ければいい!!」

 

『――――――!!』

 

 

 〝原因〟は折紙の放つ光線。しかし、〝結果〟は変えられるはずだ。士道が……幼い折紙が〝観測〟する両親の死。最後の賭けだ――――――〝結果〟を変えずに、歴史を変える。

 〝結果〟は、折紙の両親に光線が落ちる、というだけだ。それが〝結果〟として存在する以上、もう変えられない。〈刻々帝(ザフキエル)〉が示した未来も、そこまでは予測されている。だが、そこまでだ(・・・・・)

 〈刻々帝(ザフキエル)〉は確かに、視せてくれたのだ。視せないことで、確定していない僅かな一瞬(・・・・・・・・・・・・)を、士道に視せた(・・・)

 

 ああ、ただ、問題があるのだとすれば、その一瞬(・・)を変えるやり方か。

 

 

『……だめ、士道さん』

 

 

 伝わる声が、酷く震えている。優しい狂三が、聡明な狂三が、士道の至った結論に辿り着けないわけがない。けれど、その切実な願いを――――――

 

 

「ごめん。お前の頼みでも、もう止まれない(・・・・・・・)

 

 

 士道は、受け取ることが出来なかった。

 

 

『ッ……やめてください!! あの攻撃は普通のものではありませんわッ!! 再生など無意味です!! その意味がわからない士道さんではないでしょう!? 止まって……お願い、します……お願い……、!!』

 

「ぐ…………っ」

 

『お願い――――士道(・・)ッ!!』

 

 

 痛い。身体ではない。彼女の切実な願いを叶えてやれない、自分自身の無力さが。それでも、狂三が取り乱してまで自身を案じてくれていることが、酷く嬉しかった。嗚呼、本当に、ろくでなしだ。

 

 士道が考えたやり方なんて、簡単なものだ。あの光が放たれ、もう変えようがない軸線になった瞬間――――――士道が身代わりになれば、どうなる?

 

 白い羽が一つの大きな形となって、砲門を下方……折紙の両親がいる地上へと向けられた。〝先ほど〟と全く同じ光景。だからこそ、意味がある。

 

 ――――――浄化の一撃が、放たれた。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお――――――ッ!!」

 

 

 喉が潰れようと構うものかという絶叫と、全力での跳躍。見えたのは、折紙の両親の背。思いっきり、その背を――――――突き飛ばした。

 

 

「――――――!!」

 

 

 その一瞬、声が聞こえた。狂三のものでは、ない。それは、士道の眼前から、五年前の折紙から……その瞳は。

 

 

「ああ――――よかった」

 

 

 復讐鬼は、もういない。それがわかるから、心からの安堵を。

 悲劇を、変えられた。愛する少女の望み通り、士道は世界を変え、〝なかったこと〟に出来たのだ。

 

 一つだけ、問題があるとすれば。

 

 

『――――、――――――ッ!!』

 

 

 そのために、大切な子を、泣かせてしまったことか。

 

 どうすれば、許してくれるだろうか。まあでも――――――自分の名を、そう呼んでくれて、嬉しかった。

 

 そんなくだらないことを考えながら、真っ白な光に包まれて、士道は何かに引き戻された(・・・・・・・・・)

 

 

 




フラグ回収まで五話と使わない主人公の鏡飛彩。現状ではこれしかないと判断したと言っても、躊躇いなくそれを選べるのが士道って男。まあその結果誰かが泣くんだから世話ないですけど。ここまで狂三を焦らせるのも大したものですよ。実際ここまで取り乱したのはフェイカー編以来。

〈ファントム〉的にはそういう可能性も考慮に入れてたとは思うんですよ。でなきゃこんなことしてないでしょうし。同時に、とても意外だと考える気がします。何せ狂三ですからねぇ。

次回、ビルドされた世界へ。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十四話『変革(ビルド)した世界』

Gジ〇ネに魂を惹かれた人間は戻って来れなくなりそうです。1ミリも作業進んでませんたすけて




「ん……」

 

 目が覚める。目を開く。小さく声を漏らして、士道はベッドの上で心身共に起床した。とはいえ、あまり寝起きが強い方でもないので寝返りを打とうと身体を捻る。

 

「……うん?」

 

 そこで止まる。片腕が、何かに引っ張られている。正確には、手のひらを強く握られている。はて、妹がイタズラでもしているのだろうかとノロノロと半身をベッドから離して……。

 

「………………………………は?」

 

 たっぷり、十秒。寝起きで低血圧な思考には、十秒付き合うだけでも相当な力を必要とした。別に十秒間高速化したわけではなく、十秒間鈍足化しているようなものだが。

 黒玉の髪。閉じられた瞼、揃えられた睫毛。高級な肖像画を思わせる、寝顔。ここまで言えば、もはや見間違えようはずもない。そもそも、士道が彼女を見間違えるはずがないのだが。

 

 時崎狂三が、眠っていた。士道のベッドにもたれ掛かるように突っ伏して、士道の手を離さないまま。これが〈ラタトスク〉製のギャルゲーだったなら、この眠り姫を相手に選択肢の三つは出てくるはずだが、これは士道が見ている現実。そうはいかない。

 

「……………………なんで?」

 

 仮に、一夜の過ちが起こったとかそういう事なら、士道のこの発言は男として最低最悪のものになるのだが、そういったことでは恐らくない。あったら、尚更狂三がベッドに突っ伏して寝ている理由に説明がつかない。

 というか、昨夜の記憶が抜け落ちている。それどころか、今日が何月何日何曜日なのかもわからない。記憶の曖昧さに首を捻り、空いた手を顎に当てながら考えていると。

 

「ん……」

 

 聞こえた声に肩を揺らす。どうにも、恐ろしいくらいに艶かしいというか、品がありながらオブラートに包んでも刺激的なそれは、今は酷く緊張感を煽るものだった。

 超高級な陶芸品をも超える美しい瞼が開かれていき、両の眼が覚める。宝石の紅と、刻む黄金。二つの瞳が起き上がり、士道と視界を共有した。

 

「あ……お、おはよう、狂三」

 

「……?」

 

 物凄くぎこちない機械のような動きで手を上げ、朝の挨拶をする。我ながら不自然すぎるとは思うが、この状況でこうならない方がありえないだろうと思う。

 狂三は、寝ぼけ眼でほんの少し小首を傾げ――――――亜音速もかくや、という速度で目を見開き、バッと手を大きく振り上げ、士道の頬一直線に振り下ろした。

 

「ちょ、ま――――――」

 

 すまんとか、ごめんとか、言う暇もない。狂三に手を上げられるほど、ド畜生なことをしてしまったのかと愕然としながら、士道は咄嗟に目を瞑って迫り来る張り手に覚悟を決めた。

 

「……?」

 

 が、いつまで経っても衝撃は襲ってこない。不思議に思い、恐る恐る目を開けたところで……狂三の手のひらが、優しく士道の頬に触れた。

 

 

「……生きて、る」

 

「――――――ぁ」

 

 

 その表情は、俯いていて見えない。しかし、壊れ物を触るような震える手つきと、震えた声に――――――士道はようやく、状況を正しく理解できた。

 身体に異常はない。そして、目の前には狂三がいる。士道は、もう五年前の時代にはいない。

 

「……帰って、来れたのか」

 

 この時代に、無事に、戻ってきた。あの必滅の光が士道を呑み込んで、その後どうなったのか……士道の他人事のような呟きに、狂三が顔を上げて睨みつけんばかりの視線で声を張り上げた。

 

「っ、士道さんッ!!」

 

「はい!?」

 

 普段が普段なので、その声量に驚きを隠せず返事とも呼べない返事で士道は姿勢を正す。それほどの勢いというか、あ、これは逆らえないという雰囲気があった。

 

 

「あれほど、あれほど……警告したではありませんの……っ。過去で何かあれば、どうなるかわからない……絶対に、……っ、偶然、こちらに引き戻されたから良かったものの……一歩、間違えていたら……」

 

「狂三……もしかして、泣いて……?」

 

「泣いてなどいませんわッ!!」

 

「はいすいません!!」

 

 

 余計な口を挟むと、今度こそ張り手が直撃しそうな勢いだった。

 やはり、あの瞬間に士道は五年前から戻されたのだ。あまりにドンピシャなタイミングに、本当に偶然なのかと疑いたくもなかったが、それを誰かに聞くことも出来ない。そんな事より、目の前の少女の方が余程大切だった。

 

 

「わかっていますわ、わかっていますわ。あなた様を送り出したのは、わたくし。あなた様に世界を変えて欲しいと願ったのも、わたくし。けれど、けれど、……!! お願い……っ!!」

 

 

 震えている。

 

 

「士道さんの命を、その全てを奪う権利を持つのは……世界で、時崎狂三だけなのですわ。だから、だから――――――わたくし以外の手で、死なないで」

 

 

 誰よりも気丈な、誰よりも優しい、誰よりも気高い狂三が、身体を震わせて訴えている。

 その矛盾を生み出したのは、士道だ。狂ってしまった愛を生み出したのは、士道だ――――――その愛を、愛おしいと思うのもまた、五河士道だ。

 

 

「……俺、こういうやつなんだ。むちゃくちゃ自分勝手で、好きな女の子に悲しい思いをさせる。きっと、これからも。けど……」

 

「っ……」

 

「約束するよ。もし俺が死ぬ時は、絶対に――――――お前の手で殺されるって」

 

 

 勝手な人間だ。助けたいから助けて、そのために心配してくれる女の子を泣かせて。保証もできない約束をして――――――狂った男は、好いた女の手を取るのだ。

 そうして、狂三は仕方なしに、笑った。

 

「……ああ、ああ。勝手な人。無鉄砲でお節介で、でも……」

 

「――――――そんな俺が好き、だろ?」

 

「ええ。喰べてしまいたいくらいに(・・・・・・・・・・・・)、ですわ」

 

 唇の端を上げ、お互いに笑みを返す。いつも通りの、変わり映えがないはずなのに、心から欲しくなるやり取り。

 そこまでのやり取りをして、士道はようやく一番初めに感じた疑問を口にした。

 

「……そう言えば、今日は何日なんだ?」

 

「十一月八日。あの(・・)折紙さんが街を破壊した、翌日ですわ」

 

「ッ!!」

 

 街を破壊した、までの時点で士道はカーテンを開けて窓を放つ――――――変わらない、街並み。

 破壊された街も、粉々に砕かれたビルも……殺された、人も。何もない。何もなくなった。あるのは、いつもと変わらぬ平和な光景。それを取り戻すために、士道は五年前へ飛んだ。つまり――――――

 

 

「世界を、変えられたんだな」

 

「……ええ。世界は、変えられる(・・・・・)のですわ」

 

 

 その一言に、果たしてどれだけの想いが込められていたのか。士道には及びも想像つかない、強い思いがあるのだろう。

 〝なかったこと〟にする。それが狂三の目的で、同時に士道が皆を救うために必要なものだった。その力になれたのは光栄だし、士道も皆を救えたのだと安堵で身体から力が抜けそうになる。

 恐らく、変わった世界で士道はいつも通りの生活をしているのだろう。だから、昨日の記憶がなかろうとベッドで眠っていた……のだ、が。

 

「……じゃあ、なんで狂三は俺の部屋で寝てたんだ?」

 

 単純な疑問である。世界を変えた結果が、破壊から変わった日常であるならば、狂三が寝ていることに尚更疑問を感じてしまう。しかも、狂三は以前の世界を覚えている(・・・・・)。士道と同じなら、この現象に解決はないように思えたが……。

 

「あ、いえ……それは……」

 

「それは?」

 

「安心、してしまって……」

 

「……安心?」

 

 繋がりが読めず、首を傾げて言葉をオウム返しする士道に、狂三は何かが恥ずかしいのか顔を赤く染め、目を伏せてぽつぽつと声を発した。

 

 

「……世界が変わったことは、知覚できたのですわ。ですが、士道さんの安否がわからず、移動中に最低限のことだけを把握してこの部屋に来て……そしたら、あなた様が平然と寝ていらっしゃるものですから、その……気が、抜けてしまいましたの」

 

「……つま、り」

 

「恥ずかしながら……」

 

 

 安心して、眠ってしまった、と。

 

 冷静に考えれば、当たり前の話ではある。狂三は精霊ではあるが、その思考や精神的な負担などは人間のそれと変わりない。無論、彼女の強靭な精神力は常人を遥かに凌駕するものだが、ここ数日間、狂三にかかっていた精神的な負担というものは相当であったはすだ。

 そんな中、帰ってきた士道の姿を見て、思わず傍で眠ってしまった。よく見れば、相当急いで駆けつけたのだろう。髪も乱れているし、服も少し着崩れが見られる。完璧淑女の狂三が、である。

 

 

「狂三」

 

「は、はい」

 

 

 士道を見て、安心を覚えた。そして、眠ってしまった。そう――――――警戒心の強い狂三が、士道の前でなら眠ってもいい(・・・・・・・・・・・・・)と思ってくれているのだ。

 肩を掴んで、顔を真っ赤にした狂三を正面から見る。それによって、トマトのように熟した赤が更に熱を帯びる。そんな狂三に言いたい言葉は、一つしかなかった。

 

 

「――――キスしていいか?」

 

「え、ぁ。は――――――ダメに決まっていますわ!?」

 

 

 そう思ってしまうのも、無理はないんじゃないかなぁ。五河。

 

 至極真面目な顔で、この可愛らしい淑女なお嬢様のキスが欲しいと思うのは、男として真っ当な欲望だと主張したい。

 

 

「おにーちゃん。朝だぞー起きろー――――――」

 

『……あ』

 

 

 ガチャン、ゴン。開け放たれたドアが、運動力を保持したまま、壁に激突する。士道たちの前には、白いリボンでフリーズした琴里。琴里の前には、乱れた服装で士道に両肩を掴まれている狂三(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「待て、琴里。これは誤解――――――」

 

 

 でもないな。と思考した時には、神速で黒リボンに付け替えた琴里の跳躍と、丸見えになったパンツと、驚いた狂三の顔が士道の視界に捉えられた。

 

 

「――――――己の罪を数えろ性欲大魔神がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 まあ、捉えられたからと言って、その高速平行跳躍直線キックを避けられるはずもないのだが。

 

 平和な朝に、家が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「いてて……」

 

「どうしたシドー。どこか痛むのか?」

 

「ああいや、何でもない。ちょっと寝違えちまってな」

 

 まさか、朝から封印に関係もなく友人に手を出そうとして、妹に制裁を受けましたとは正直に言えるわけもなく。士道は教室の席に座った際に感じた身体の痛みを笑って誤魔化した。

 我ながら何とも正気を失っていたなぁ、と。少し遠い目にもなる。この〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の再生が発動しない絶妙なダメージコントロールは、無事士道に理性という名の正気を取り戻させてくれた。成長したな、我が妹よ。何様のつもりなんだお前はという感想を抱きながら、左隣の席を見る。

 

 まだ、折紙は来ない。

 

「むう……」

 

「ん、どうかしたか、十香」

 

「ぬ……何となくなのだが、なんだか物足りないというか……不思議な感じがしてな」

 

「……物足りない?」

 

 難しげな表情を作る十香に首を捻る。一体、何が物足りないのだろうか。今朝渡した弁当の中身は、士道の記憶にない士道(・・・・・・・・・・)が約束したものとは違っていたが、満足気な笑顔を見せてくれていた。それに、なんだかそういった事ではないように思えたのだ。

 しかし、深く考え答えてやるより早く始業のチャイムが鳴り響いた。程なく担任のタマちゃん先生が教室に現れ生徒の出席を取り始める――――――折紙は、来ない。

 

 そうして。

 

 

「はい。殿町くんは出席、と……じゃあ次は、中原さーん?」

 

「――――――え?」

 

 

 男女混合の出席番号順。士道の友人、『殿町宏人』の次は『鳶一折紙』でなければならないはずだ。なのに、それが、ない。

 

 もう――――――気づいているのだろう?

 

 見て見ぬふりをして、士道は立ち上がった。

 

「あ、あの……」

 

「あれ、先生何か間違えましたかぁ?」

 

「先生――――――折紙は、どうしたんですか?」

 

 震える身体で、喉を震わせて、問いかける。士道の頭の中に、逃避(・・)としてあるのは、以前の世界のように折紙が転校したという知らせだ。それも、最悪ではあるが士道の思考に根付きながらも目を逸らしてきたものよりはマシだった。

 

 ああ、けれど。

 

 

「――――折紙……さん? それって(・・・・)一体どなたですか(・・・・・・・・)?」

 

 

 本当に、知らない。首を傾げて、士道の発言に心の底から(・・・・・)疑問を感じている。

 突然立ち上がり、誰も知らない名前(・・・・・・・・)を口にした士道に、クラスメイトたちは怪訝な反応を示している。誰一人、例外はない。

 

 誰も、鳶一折紙を、知らないのだ。

 

「……すみません、先生。俺の勘違いです。続けてください」

 

 身体から力が抜けて、それだけを言い残して士道は席に身を委ねた。

 

 ――――――気づいていた。世界を変える(・・・・・・)事の、その意味を。

 

 事象は線で繋がっている。因果は〝原因〟と〝結果〟で繋がっている。それをたった一人で(・・・・・・)、思いのままに全てを変えることなど出来ない。士道が成したことは、相応の結末をもたらした。その結果――――――士道と折紙の縁は、切られたというだけの話だ。

 当たり前だ。士道が生み出した縁は折紙の両親の生存。なら、元にあった士道と折紙が出逢っていた(・・・・・・・・・・・・)という事実までも〝なかったこと〟になっていなければならない。

 正しいのだろう。両親は助かり、折紙は精霊を憎むこともなく、どこかで平和に暮らしている。一体、なんの不都合がある。ハッピーエンドだ。これ以上を望んでは、神様とやらから痛いしっぺ返しを喰らってしまいかねない。

 

「……シドー?」

 

「ん……なんだ、十香」

 

「それは……どうしたのだ。やはり、どこか痛むのか……?」

 

「え……?」

 

 十香に心配を含んだ声で問われて、士道は初めて、自分が泣いている(・・・・・・・・)ことに気づいた。

 涙は、いつぶりだろうか。そうだ、彼女が――――――万由里が、記憶の中に消えてしまった時以来だ。

 あの時のように、受け止めてくれるあの子は傍にいない。袖で拭い、大丈夫だと十香に返事を返してやれば、眉を下げて心配そうな顔は変わらないが追求はされなかった。

 

 ……何が理由かは、わからない――――――わけではなかった。

 

 一つは、折紙のこと。折紙が幸せに暮らしているなら、それでいい。だが、彼女から預かったもの(・・・・・・・・・・)を、士道はまだ返せていない。一度でいい、それ(・・)を見てみたかったのかもしれない。

 

 もう一つは、簡単なことだ。頭のどこかで、折紙との縁が切れたことに気づいていた(・・・・・・)。その理由は、口に出すことさえ恐ろしかった〝可能性〟。

 ずっと、考えていた。それでいて、恐れていた。世界は、変えられる(・・・・・)。士道自らが実証してみせたそれは、狂三が望んでいた理論だ。

 

 だからもう、時崎狂三は止まらない。

 

 彼女はそれ(・・)を手にした時、必ず〝なかったこと〟にする。士道が頷けば、狂三が手に入れられるもの。士道の涙の意味にある、もう一つの感情は――――――恐怖(・・)

 

 

「……それでも、俺は……」

 

 

 狂三を救いたいと、願っている。同じくらい、狂三の願いが叶えば良いと、思っている。想いは矛盾しない。だが、答えは矛盾している。

 何を知り、何を〝なかったこと〟にしようとしているのか。わからないまま、士道は確信に近い考えを抱いていた。

 

 こんなにも呆気なく、折紙との繋がりは消えた。ならば、ああ、だとするなら――――――愛しい少女との繋がりまで、きっと消えてしまうのだろう(・・・・・・・・・・)

 

 それが酷く恐ろしくて。それが酷く悲しくて――――――それを知っていながら前へ進もうとする狂三が、酷く愛おしかった。

 

 

 

 然して、少年は真実へと歩みを進める。だが、答え(・・)は、果てなく遠いものだった。

 

 

 




距離は近づいているのに、答えからは遠ざかっている。さぁて、勝負の行方も少しつづ見えてきそうです。ナチュラルに二人の関係性が歪にぶっ壊れてきてる気がする。この主人公封印関係なしに要求し始めましたよ、今更ですけど。

Gジェ〇にどハマりし過ぎて全く作業できてませんHAHAHA。いや笑い事じゃねぇ。ストックマジで減ってきたら投稿3日に戻して何とかします…感想や評価をくださると私がG〇ェネから帰還する気がします(媚び売るんダム)
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十五話『再誕せし絶望』

Gジェ〇が止まらねぇからよ…いや更新も止めるつもりはありませんけれど。




「――――では、他の『わたくし』に対してもそのように」

 

「ええ。承りましたわ、『わたくし』。ご苦労さまですわ」

 

 一礼をして、分身の一人が〝影〟に消える。それを見送って、狂三は……正確には、狂三の分身体の一人であるメイド(・・・)の狂三は広い街中を見下ろして小さく息を吐いた。仄かに、季節を感じさせる息が白く映る。

 

「…………」

 

 ご苦労さま、とは『わたくし』にしては珍しい労いである。とはいえ、本来それをかけるべきは連絡役の自分ではなく、今消えた分身を含めた自分たちにであろうが。

 

「……あれ。あなたですか」

 

「あら、わたくしでは何か不都合がありまして?」

 

「皮肉で捉えすぎですよ」

 

 答えながら、振り向く。狂三の背後に降り立った少女は、世界が変わっても変わらない(・・・・・・・・・・・・・)口調で声を発した。

 

「狂三はどうしたんです?」

 

「さぁ? どうしてしまったのでしょうね。戻ってくるなり、隠れ家に引きこもってしまいましたわ」

 

「……?」

 

 首を傾げる少女に、狂三は曖昧な笑みを浮かべる。

 大方の察しはつく。差異はあるが『狂三』は狂三。その思考は容易く読める。あれは……どうにもならない失態を犯して身悶えている時の狂三だ。そんなことになる相手は、少なくとも一人しか思い浮かばない。

 なので、放っておいて元に戻るのを待つのが一番だろう。まあ、その分の埋め合わせを『狂三』がしなければならないのは、何とも傍迷惑な話だったが。

 少女も疑問は感じているが、詳しく話題にするつもりはなかったのか、すぐ話を別のものへと変えた。

 

「それで、こちら(・・・)の世界のことはどうです?」

 

「順調、とは好意的に見ても言えませんわね。幸いと言うべきか、残念と言うべきか……世界にさしたる差は見られませんけれど」

 

 世界を変えられたことは喜ばしいが、変わった後の世界の記憶がない(・・)というのは、情報を武器とする者たちにとっては致命的と言えた。 こちらで活動していた〝過程〟は残っているので、ゼロからというわけではないがもちろんそれを頭に入れる時間も必要となる。

 とはいえ、なかなか興味深い結果だ。たった一つの事象の違いでの変更点は多くなかったと見える。まあ、そんな中で異例な例外の『狂三』がいたのは、更に意外と言うべきか……時崎狂三(オリジナル)は、本音で間違いなく嫌がる個体であろうが。

 

「しかし……あなたの〝天使〟には呆れ返りますわね。【一二の弾(ユッド・ベート)】の力もなしに、歴史改変の影響を防ぐだなんて」

 

「はは、そう驚くほどのものでもないでしょう。それに……より完璧なものなら(・・・・・・・・・)、こちら側の記憶も所持できたと推測しますよ」

 

「笑い話ではありませんわね」

 

 今のところ、こちら側の記憶を保持していない、つまり〝前〟の世界の記憶を保持しているのは、【一二の弾(ユッド・ベート)】の所有者である狂三と連なる『狂三』。銃弾を撃たれた(・・・・)士道。そして……そのどちらでもないというのに、狂三の眼前で佇む〈アンノウン〉だけだった。

 それが何を意味するのか。狂三も視線を険しく細め懸念を吐き出した。

 

 

「……まさかとは思いますけれど――――――」

 

ご安心を(・・・・)。私も、全く影響がないとは言いません。そうですね――――――存在の根本を揺るがす(・・・・・・・・・・)ような改変事項が起きれば、無事では済まないでしょうね」

 

「――――――ッ」

 

 

ご安心を(・・・・)、とは。言ってくれる。それが何を意味するのか、〝悲願〟を目指す上で嫌でも思い浮かぶというのに、少女は『狂三』には隠す気すら感じられない。

 恐らく、時崎狂三は気づいていない……いや、気付こうとしていない(・・・・・・・・・・)。今の狂三に、推論をぶつけてしまえば心が壊れかねない――――――それは弱さであり、狂三が人に戻りつつある証だった。

 

 では、もはや人と呼べないほどの狂気に身を浸した『狂三』は、どうなのか。

 

「わたくしの推論が正しいのであれば、あなたの行為は矛盾そのものですわね」

 

「あなたの推論が正しいのであれば、そうなのでしょうね。でもあなたは、止めないでしょう?」

 

「ええ。わたくし、人でなしですもの」

 

 止めることはない。止まることもない。時崎狂三は、〝悲願〟のために全てを捧げた狂信者だ。故に、他の全ては瑣末なこと(・・・・・)

 『狂三』と狂三の違いは、真実に手をかけながらも狂人として進み続けるか、真実を無意識(・・・)に否定することで人として進み続けるか、それしかない。

 

 どちらが正しいかなど、言うまでもない。このような道に進んだ時点で、どちらも正しさなどない(・・・・・・・・・・・)。たとえ、あらゆることが〝なかったこと〟になったとしても、時崎狂三は地獄の底へ堕ちる。なかったことになっても、己の中に残る罪は決してなかったことにはならない。

 

 笑い声が、聞こえた。生き死に(・・・・)の話だというのに、まるで他人事のような声音だった。

 

 

「それでいいんですよ。だからこそ、あなたは私の〝協力者〟。あの子たちがどのような選択をしようと、私という個体の運命は決まっているのですから。そこに、情があってはいけない。いけなかった(・・・・・・)

 

「…………」

 

「変わったのは狂三か、変えたのは五河士道か。どちらにせよ、ままならないものですね」

 

「変わることを期待していたのではなくて?」

 

「より良い〝計画〟完遂のために、ね。いっそ、物語の悪役にでもなれば良かったかもしれませんね」

 

 

 道化師は笑う。『狂三』の前で、狂三の前では決して見せない隠された真実を手に。

 

「それは困りますわ。あなたは、こちらに引き込んでおきませんと厄介(・・)ですもの」

 

「お褒めの言葉として、受け取っておきますよ。ところで、〝彼女〟はどうでした?」

 

「情報が足りませんわね。ですが、不自然と思える点はありますわ」

 

 〝彼女〟に関しては、こちら(・・・)の世界で大きく運命が捻じ曲がった存在。真っ先に確かめる事象とも言え、『狂三』は最重要な情報として分身体を動かしていた。

 何も関係がなくなったなら、いっそのこと楽だったのだろうが。生憎、関係がある(・・・・・)としか思えないことばかりが明らかにされていた。

 

「私の方も似たようなものです。ただ、推測としては迂闊に近づくわけにはいかない、とだけは付け加えておきますよ」

 

「あら、あら。物騒な話ですわね。〝彼女〟を、どうなさるつもりですの?」

 

「大差はありません。どうにもならないと判断したなら、同じ(・・)。そうでないなら……出来るだけ、最善の結果(・・・・・)を望みます」

 

 少女が刃を振るう理由は、時崎狂三のため。だが、少女とて狂三の建前はどうであれ、本心で悲しむような選択は極力避けるだろう――――――幾らか、〝彼女〟に対して甘い感情が乗っているとは思えたが。

 

 少女が街を見下ろし、何かを見ている。その何かに、少女は語りかけるように声を発した。

 

 

「……私がこう(・・)なのですから、そうなっているとは思っていましたが、世界が変わっても因果な話ですね――――――鳶一折紙」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「…………」

 

 五河琴里は不機嫌だった。誰がどう見ても、不機嫌だった。

 夕刻、兄がエプロン姿でキッチンに立っている。それは良い、いつもの事だし琴里はその姿が嫌いではなかった。むしろ、嫌味なほど似合っているそれが好ましいとさえ思っている。

 なので、問題の本質は兄が……士道が行っている作業ではない。その様子が、琴里の目から見ておかしいと思ったのだ。

 

 今朝。狂三と不純異性交友をぶちかましていた兄に制裁を加えたあと――〈ラタトスク〉としてというより琴里個人としての制裁だったが――妙にこちらの体調を気にして学校へ登校したと思いきや、帰ってきたら驚くほどに暗い表情になっていたのだ。朝の出来事を考えれば、普通そんなことは起こりえないというくらいに。

 

「……ふん」

 

 気分が悪い。恐らく、何かが起こっている。いつもの騒ぎかとも思ったが、思い起こせば狂三の様子も少しおかしかったように思えてならない。

 琴里の知らないところで、士道と狂三に何かがあった……それが、酷く気に入らないと感じていた。別に、〈ラタトスク〉の司令官は保護者役じゃないんだけどね、と内心愚痴りながらチュッパチャプスの棒を右へ左へと転がす。

 士道の様子がおかしい事に気づいているのは琴里だけではない。いつものように遊びに来ている四糸乃も、その優しさ故に視野は広い。四糸乃が慈愛に満ち満ちた顔を曇らせ声を発した。

 

「士道さん……どうしたんでしょう」

 

『ねー。なんだか元気ないよねー』

 

 当然と言えば当然だが、よしのんも同意見らしい。ここでもう一人が動く。顎に手を当て、不機嫌そうな表情――本人はそういうつもりはないらしい――の七罪が、鋭く切り込んだ。

 

「……あのアンニュイな感じ――――女ね」

 

 その時、閃光が琴里と四糸乃の間に流れた――――――気がしただけだが。

 

「女――――狂三?」

 

「女の人……狂三さん……?」

 

『んー、狂三ちゃんかなー?』

 

「……わかっちゃいたけど、一択なのね」

 

 もはや一択。完全に一択である。他にいないのかとも思うのだが、精霊たち相手なら〈ラタトスク〉側がわからないわけがないので、必然的に封印されていない精霊かつ、士道と関わりがある(・・・・・・・・・)狂三しか候補に上げられないのだ。

 若干呆れながらも同意見らしい七罪も含めて、正直なところ全員が狂三しか思い浮かばない。のだが……。

 

「けど、今朝会った時はそんな様子なかったわよ」

 

「わからないわよ。あの年頃の男子なんて、行動のベクトルが基本女の子にどう意識されているかに向いてるもんじゃない。学校に行ってる間に何かあったのは間違いないと思うわよ……あいつ、神出鬼没だし」

 

 最後は小さい呟きではあったものの、その意見には概ね同意であると首肯する。あれほど神出鬼没という四字熟語が似合う女もいないだろう。 しかし、狂三が現れてからあのような様子を見せるのは相当珍しいので、仮に何かあったとして何があったのか、までは皆目見当もつかない。

 

「けど、それならほっといても大丈夫だとは思うわ。喧嘩した、とかだと下手に口出しもできないし……」

 

「でも、士道さんに元気がないのは……辛いです。なんとかできないでしょうか……?」

 

「……そりゃあ、なんとか出来るのが一番だけど、元気づけるって言っても……」

 

 頬をかいて頭を回転させるが、やはり原因だけでなく手段も含めて皆目見当もつかないと言う他ない。

 と、二人が悩む中で七罪が目を細めた。何やら妙案が思い浮かんだのか、相変わらず自信とは縁がない顔で彼女は口を開いた。

 

 

「――――――男子高校生に悲哀を与えるのが女なら、それを癒すのもまた、女でしょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「…………はあ」

 

 才女・時崎狂三。目の前の光景に、考えることを止めてしまいたくなっていた。

 チャイムに反応しなかったので、何かあるとは思っていた。思っていたが、人の想像の遥か上を行く状況を軽々と作り出すのはやめて欲しいものである。

 

 テーブルやソファが倒れ幾らか埃が舞っている中、士道の全身に大体高校生くらいの少女たちが、三人(・・)沈んでいる。それだけ見ると、狂三も知らぬ人間と言いたいところなのだが、髪色と状況的にそうもいかない。

 どう考えても、琴里、四糸乃、七罪の三人だった。琴里と四糸乃は水着の上にフリルのついたエプロン、ヘッドドレスとどこかで見たメイド服を3倍は過激にしたような装いだ。一瞬、これなら士道を落とせるのではないかと思考するが……。

 

「……ない、ですわね」

 

 今朝の出来事を考えるに、士道の思考にエラーを起こして自滅が目に見えていた。肌の露出で、危うく雰囲気に呑まれかけた時の記憶も古くはない。少し残念だが、この案はなかったことになった。

 七罪に関しては何故か――大方、姿を変える時に正気に返ったのだろうが――普通のメイド服であった。ただし、組んず解れつしている中で士道の臀部を思いっきり押し付けていた。何とも反応に困る倒れ方をしてくれているものだ。

 それと、四糸乃と琴里の胸の大きさに差があるのは、果たして術者の意思なのか身体的な将来性なのか、ほんの少しだけ興味が沸いた。どちらが大きいかは、まあ言うまでもないだろう。

 

「まったく……」

 

 こんな生活を毎日送っているのかと思うと、狂三とて何とも表現し難い気持ちになるというものだ。ジェラシー……なの、だろうか? 自身の気持ちだというのに、なかなか自信が持てない。

 取り敢えず、助け起こす前に持ち込んだケーキだけは置いておこうとキッチンに足を踏み入れ、床に綺麗に突き刺さった包丁に眉を顰めた。なんというか、あの方の動揺が目に浮かぶとため息をこぼして包丁を引き抜く。【四の弾(ダレット)】が使用できない以上、床の傷は直せないが包丁は洗ってしまった方が良いだろうと立ち上がり――――――

 

 

「よ、よぉ。来てたのか、くる――――――」

 

 

 鼻の頭を赤くして、目を回した三人を抱えた士道と目と目が合う。包丁を手に持った狂三と、美少女三人と仲良く組んず解れつする士道――――――ジャパニーズ修羅場の完成だ。

 

 悟りを開いた神妙な顔で、士道が震えた声を発した。

 

 

「……出来れば腕一本くらいで済ませて欲しい」

 

「しませんわよ」

 

 

 指ではなく腕な辺り、人をなんだと思っているのかこの人は。ただ、そう思われても仕方がないことに身に覚えがありすぎて、内心ちょっとへこんだ狂三であった。

 

 

 

 

 

「悪かったな狂三。出迎えできなくて」

 

「いいえ。この状況では、仕方ありませんわ」

 

 狂三が苦笑しながら琴里たちを見遣り、士道も濡れタオルで鼻の頭を冷やしながら、七罪のネガティブ思考による霊力逆流が終わり、元通りになって肩を落として反省する三人に目を向けた。

 

「ふん……悪かったわよ」

 

「すいません……士道さん」

 

「………………ごめん」

 

 三者三様ではあったが、三人とも深く反省は見て取れた。もっとも、士道に怒りの感情など毛頭存在しないのだが。狂三にもそれが伝わっているのか、優雅な微笑みで声を発した。

 

「琴里さんだけならともかく、四糸乃さんが関わっているのですから、皆様純粋な善意だったのでしょう? 士道さんも、怒ってなどいらっしゃいませんわ」

 

「私だけならともかくってどういう意味よ」

 

「好きな方を虐めて楽しむ趣味があるのではなくて?」

 

「あるかッ!!」

 

 うがー、と唸りながら怒り狂う琴里が四糸乃と七罪に抑えられるのを見て、士道もおかしそうに笑う。

 色々と考え込み過ぎたというか、折紙の事で余程わかりやすく落ち込んでしまっていたらしい。彼女たちなりに、士道を元気づけようとしてくれていたのだろう。

 

「まあ、そういう事だ。気を遣わせちまって悪かったな。ありがとよ、三人とも。おかげで気が引き締まった」

 

 士道がわかりやすく不安を表に出すということは、それだけ不安を精霊たちに伝えてしまうということに他ならない。何をやっているんだ、と叱責されても仕方がない行動だった。

 狂三だけでなく士道の言葉を聞いて安心したのだろう。三人が僅かだが頬を緩めた。琴里だけは、黒リボン特有の性格からか強がるように腕を組んでいたが。

 

「ふ、ふん……それでいいのよ。別に何があったかなんて詮索するつもりはないし、狂三が原因じゃないならそれでいいわ。けど、いつまでもそんな調子じゃ精霊たちが不安がっちゃうでしょ」

 

「ああ、悪かったって」

 

 実のところ、狂三が全く関係していないわけではないのだが……もちろん、話が拗れてしまうので口に出すことはしない。

 

 

「そうですわね。新たな精霊がいつ現れるとも限りませんし――――――〈デビル〉の事もありますもの」

 

「え?」

 

 

 だが、そんな思考も狂三が発した一つの単語によって、一瞬にして吹き飛んでしまった。

 〈デビル〉。狂三がさも当然のように口に出した名を、士道は知らない。それを聞いた琴里が、さも当然という反応(・・・・・・・・・)で頷いたことにも眉を顰めた。

 

「そうね。最重要警戒対象、精霊狩りの〈デビル〉。厄介なものよ。まあ、本当ならあなたも同じくらいの警戒対象なんだけど」

 

「お褒めの言葉、光栄ですわ」

 

「誰も褒めてないっつーの……」

 

 スカートの裾を摘み、おどけるように礼をする狂三に呆れ気味な声の琴里。しかし、そんなやり取りも士道の頭には半分も入ってきてはいなかった。

 時崎狂三と並ぶ、精霊。新たな精霊の出現は、ありえない話ではなかった。この世界は士道が知らない差異が多々存在する。異なる時の流れを歩んだ世界で、士道の知る常識的な知識は通用しない。が、わかっていても狂三と並ぶ精霊がいるというのは衝撃的だった。

 

 今のところ、この中で元の世界の記憶を保持しているのは士道、そして狂三だ。その狂三が、士道の知らない知識を当然のように(・・・・・・)披露した。琴里たちに気づかれないくらい、僅かな時間だが狂三と視線を交わらせる。目を細めた狂三は、微笑みのまま言葉を発した。

 

「そういうわけですので、〈デビル〉に関しての情報の整理と共有と参りませんこと?」

 

「私たちと情報交換? どういう風の吹き回しよ」

 

「うふふ。それだけ、わたくしも警戒するべき相手というだけですわ。お持ちしたケーキは、情報の前金とでも思っておいてくださいまし」

 

「……ふぅん」

 

 加えたチュッパチャプスの棒と共に、視線が士道へと移る。どこか疑り深く探るような視線に士道の心臓が音を鳴らすが、狂三が仕込んだ(・・・・・・・)チャンスを逃す手はない。出来るだけ自然な形で会話に溶け込む。

 

「俺からも頼むよ。何かわかることがあるかもしれないしな――――――〈デビル〉って精霊について」

 

「……いいわ。何考えてるのかは知らないけど、乗ってあげようじゃない」

 

「感謝いたしますわ」

 

 これで、士道は〈デビル〉に関しての情報を極力自然な流れで手に入れられる。それは狂三も望むところであるのだろうが、士道に配慮してくれた彼女に内心で感謝の意を示す。

 

「とはいえ、〈デビル〉に関してって言ってもね……わかってることは多くないわ。顕現は確認されてるけど、こっちだって一度も接触に成功してないもの。そういう意味では、〈アンノウン〉以上に正体不明の精霊よ」

 

「そして恐らく――――――反転精霊ですわ」

 

「な……っ!?」

 

 その新たな情報に、士道は目を見開く。

 

「反転した精霊が、普通に出現してるってことか……?」

 

「詳しいことは不明よ。けど、その可能性は高いって話――――――っていうか、なんであなたが今更疑問を持ってるのよ」

 

「あ……あ、ああすまん。確かに今更だけど、そんなことありえるのかなって思ってさ」

 

 思わず出てしまった疑問に、額に汗を浮かべて苦しい言い訳を挟む。これらはこちら側の士道なら、当たり前のように知っていなければならない情報だったのだろう。わかってはいるつもりだったが、やはり記憶している事柄の違いには混乱してしまう。

 幸いにも、狂三が士道の発言をフォローするように口を開いた。

 

「ありえるありえない、という話ともなれば、可能性は高い……としか言えませんわね。現に、〝精霊狩り〟の名の通り、〈デビル〉は必ず他の精霊が顕現している時にだけ姿を見せる存在なのですわ」

 

「ええ。厄介な精霊よ。七罪も、十香たちが助けに入らなかったらヤバかったもの」

 

 琴里の言葉で、その時の事を思い出したのか七罪が微かに肩を震わせた。

 精霊狩り。同じであるはずなのに、精霊を見つけて攻撃を加える〈デビル〉という反転精霊。それではまるで……士道がそう思い浮かんだことを、偶然にも琴里が言葉として引き継いだ。

 

「行動はASTやDEMを思わせる。関与を疑った時期もあったけど、AST、DEM共に〈デビル〉に攻撃を仕掛けていた。少なくとも、協力関係ではないわね」

 

「じゃあ、なんで〈デビル〉は精霊を狙う……んだろうな」

 

「さあね。何か理由があるんでしょうけど、そればっかりは本人に聞いてみないことにはね。出現しても、すぐにどこかに姿を眩ませちゃうものだから、〈ラタトスク〉だってまだ一度も接触できてないしね」

 

「せっかくですから、わたくしたちで〈デビル〉の貴重な映像を拝見いたしませんこと?」

 

「……見てもあんまり意味ないと思うけど」

 

 ま、いいわ。とリビングから出ていった琴里が自分の部屋から専用の端末を持ち込んだ。見ても意味がないと言う琴里の言葉に首を傾げるが、端末を置き再生させた映像を見て士道も合点がいく。

 

 今まさに、映像の中で戦闘が行われているという爆音、噴煙。その中に、いた。

 

 昏い深淵の闇を纏ったかのような、人型のシルエット。判断できるのはそれだけで、後は〈デビル〉の名の如く浮遊した幾つもの羽が見て取れるだけだった。

 

 

「うそ……だろ……」

 

 

 しかし、それだけで十分なのだ。士道と、狂三にとっては。士道ほど愕然とした動揺ではないにしろ、狂三も表情を険しく歪めているのがわかる。

 歪めないわけが、動揺を見せないわけがない。確かに〈デビル〉の顔はわからない。けれどその風貌は、シルエットは、輪郭は、この世界にあってはいけないものだったのだから。

 

 それは――――――

 

 

「……折、紙……」

 

 

 士道と狂三が命をかけて〝なかったこと〟にしたはずの、絶望した(・・・・)鳶一折紙の姿だった。

 

 

 





裏で死ぬほど不穏な会話がなされている中で表は癒しになってるといいなと思うけど、世界の答えは残酷ですね。

結局のところ、士道と関わり続けているうちに甘くなる狂三と、それがないが故に原作初期の狂三に近いメイド個体というだけの話。では甘くなったからと言って諦めるかと言えば、無理でしょうね。なぜなら、彼女こそ『時崎狂三』であるのだから。その辺りのお話は……おっと、先まで読みすぎてしまいました(ウォズ感)

段々と書けそうだなーという気にはなっているのでのんびり頑張っています。変わらず感想や評価をいただけると咽び泣いて大喜びしてモチベがウェイクアップフィーバーするので、気が向いたらよろしくお願いします(媚び売るんダム)

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十六話『新たなる(再びの)出逢い』

作戦会議回。折紙編のあとを書いていると、もう最後が見えてきているんだなぁと感慨深くなる今日この頃




「狂三はどう思ってるんだ、〈デビル〉について」

 

 夕食を終え、日は落ち辺りは暗くなり街灯が照らす光の量が増えている中、士道は狂三と街中を歩きながらそう問いかけた。

 

あれ(・・)が折紙さんであるかないか、という意味では答えあぐねますわね。現状の情報だけでは、断定は出来ないと言うべきでしょうか」

 

 問いかけに対して狂三は、士道が想像した答えと似たような返しをする。それは、そうだろう。狂三は曖昧な情報だけで物事を断定して、答えとなる判断するような人ではない。

 だが……内心では、士道と同じ考えだと思うのだ。だから、その答えに納得しながらも士道は言葉を続けた。

 

 

「なら、直感でいい。狂三個人の意見として聞きたい……〈デビル〉は、折紙だと思うか?」

 

「わたくし個人の直感というのであれば――――――九分九厘で、折紙さんですわね」

 

 

 先程とは打って変わって、ほぼ断定した答え。いつになく真剣な表情に、余裕のある微笑みは見られない。時崎狂三の予測を超えた存在――――〈デビル〉。

 その造形、見間違える余地はない。違う世界だからと、他の可能性を考慮する意味はない。あれは間違いなく、士道たちが消し去った可能性である精霊・鳶一折紙の反転体。

 終わったと思っていた。変えられたと、信じていた。折紙の幸せのためなら、たとえ一生折紙との関わりがなくなっても、それでいいと、思っていたのに。

 

 現実は、世界は、そうではなかった。世界は未だ、折紙に何かを背負わせようとしている。

 

「……何も、終わってないってことだよな」

 

「ええ。世界はあなた様の活躍により、この平穏を取り戻した。けれど、折紙さんを取り巻く運命は、その因果は、変えられていないようですわ」

 

「因果、か……」

 

 見渡せば、平和な街並み。行き交う人々も、街を照らす光も、何もかもが以前の世界と――――折紙が壊してしまう前の世界と、同じ。

 終わったと考えていた。けれど、折紙は再び精霊となって、何の因果か反転体として存在している。あれが折紙でないと、目を逸らすのは勝手だが……そんなことが出来るなら、士道と狂三は世界を変えるなんて無謀な選択をしていない。

 意識せずとも拳は握られ、奥歯を噛み締める。一体どこまで、世界は折紙を責め立てるのか。

 

 この世界の折紙は、どんな生き方をしたのだろうか。そして、一体いつ精霊になったのか(・・・・・・・・)。答えを知るものは、やはり。

 

「折紙は、この世界でも〈ファントム〉の力で精霊にされたのか……?」

 

「こちらも確証はありませんが、恐らくはそうなのでしょうね」

 

 〈ファントム〉。あらゆる事象に於いて元凶として存在し、人を精霊に変える恐ろしい力を持つ者。士道を、狂三を知る者。

 以前の世界で、折紙は〈ファントム〉によって精霊となった。なら、こちらの世界でも道筋は同じなのかもしれない。しかしそれは、〈ファントム〉に対しての疑念を強める結果となる。

 

「……何なんだ、あいつは」

 

「…………」

 

 問いかけの答えは、虚空へ消える。狂三も、答えを持たないのか沈黙を返す――――――否、本当は二人ともわかっているのだ。

 答えを持つかはわからない。だが、答えに繋がる答え(・・・・・・・・)を持つものが、いることを。

 

 白い精霊、〈アンノウン〉。

 

「誰なんだろうな、あいつらは(・・・・・)

 

「……っ」

 

 狂三が息を呑んだのが雰囲気でわかった。士道より遥かに〈アンノウン〉との付き合いが長いのは狂三だ。その思い入れは、当然人一倍強いはずだった。彼女の心境は、士道が測りきれるものではない。

 

 

「誰であろうと――――――わたくしは、あの子を信じていますわ」

 

 

 しかし、それでも狂三の声に迷いはなかった。見上げた彼女と視線が合わさる。その両の眼が、夜闇の中で宝石のような美しさを見せた。

 

 

「この時崎狂三。一度口にした言葉を簡単に曲げる女ではありませんわ。あの子が誰であれ、何を考えていようと、わたくしは必ず……わたくしの目的を成し遂げますわ。そのために――――――あの子は、わたくしに必要(・・)ですもの」

 

 

 誰であれ、何を考えていようと。狂三は考えを曲げるつもりはないらしい。

 それを聞いた士道は……少し、少女が羨ましくなって(・・・・・・・)、笑った。

 以前、少女は自らに価値など必要ないと語った。けれど、今少女は狂三から確かな価値を貰った。それが、とても……士道にとっては、手に入れられない価値を持った大事なものだと思えてならない。

 

「……そっか。うん、狂三がそう決めたなら、それでいいと思う。あいつは、何があっても狂三の味方だ。それは保証する」

 

「うふふ。士道さんにそれを保証されるのも、少しおかしな話ですわね」

 

「はは、確かにな!!」

 

 けど、羨ましいのと同じくらい嬉しいのだ。好きな人に信じてもらえている……そんな事実が嬉しくないやつは、普通はいない。〈アンノウン〉も同じだと、士道は思う。

 思い起こされたのは、万由里との思い出。その時の少女は、信じられないくらい必死になって、でもそれは少女の本心だと思えた。士道もそんな少女だからこそ、何を隠していようと信じたいと考えられる。だから士道は、まずこの世界でするべきことを考え、声を発した

 

「〈アンノウン〉のことは、今やるべきことが終わってからだ。今はとにかく、折紙のことを何とかしないと」

 

「ええ。先の事を片付けねば、後の事にも響きますわ」

 

「とはいえ、どうしたもんかな……」

 

 〈デビル〉と呼ばれる折紙。その目的、どうしてそうなったのかを知るために接触をしなければ始まらない。

 まず最初にやったことは、元の世界で折紙が住んでいたマンションと、五年前火災があった天宮市南甲町へ向かうことだった。そこなら、万が一の確率だとしても折紙に会えるかもしれないという思いからの行動。

 夕食後、狂三を送ってくると、インカムをつけないことを怪しまれないよう隙を見て、それとなく琴里以外に告げどうにか抜け出すことができた。

 本来なら、自分を全力でサポートしてくれている琴里には申し訳ないことをしたが……この世界では何の関わりもない折紙の事を探るのに、上手い理由が見つからなかったのだ。いつものようにインカムをつけた行動では、説明しようにも説明できないことを言わなければならない。話すにしても、もう少し情報を集めてからでなければ説得力にも欠ける。

 そこまでして得た情報は、残念ながらゼロだった。どちらも空振りで、今はこうして帰路につきながら考えを纏めている。ガリガリと頭を掻きながら、士道はやるべきことを言葉にした。

 

「どうにかして折紙から事情を聞かなきゃいけない。これは確実だ」

 

「しかし、現状で行動を起こせるのは戦場でのみ。それも、精霊に攻撃を仕掛ける(・・・・・・・・・・)折紙さんを相手にする必要がありますわ」

 

「うーん……ダメだ。いい案が思いつかん」

 

 開始早々、早くも手詰まりだった。以前の世界の折紙なら、話し合いの場に持ち込める可能性はあった。が、この世界の折紙と士道は何の縁もゆかりも無い赤の他人。更に厄介なことに、折紙は〈デビル〉として他の精霊を攻撃していると琴里が言っていた。そこだけ見れば、ASTとして活動していた時と何も変わらない。むしろ、状況が悪くなってしまっていた。

 出現時は必ず他の精霊がいる。その精霊に攻撃を加える。そして極めつけは、対象の精霊が消失(ロスト)して姿を消すと〈デビル〉の姿も忽然と消えているらしい。

 

「わたくしの【一〇の弾(ユッド)】で、折紙さんの記憶を見る、というのはどうでしょう?」

 

 ばぁん、と指を銃に見立てて撃つ仕草をする狂三。【一〇の弾(ユッド)】の能力は回顧。全てを見られるわけではないが、物事を限定して見れば狂三の言うように折紙の記憶、精霊になった瞬間を知ることができるかもしれない。しかしそのためには、乗り越えなければいけない条件があった。

 

「確かにそれなら……けど、危険すぎる。【一〇の弾(ユッド)】は戦いに向いている弾じゃないんだ。撃つにしても、確実な隙がないといけないだろ? 前の世界と同じ反転した折紙相手じゃ……」

 

「少し面倒ですわね。ASTやDEMの妨害も予想されますし……やはり、情報が欠けすぎていますわ」

 

 〈デビル〉を相手取れる精霊と、話し合える人間。狂三と士道は都合よく該当はしている。だがそれは、狂三を大きな危険に晒すと同じ意味だ。

 この世界で〈デビル〉として活動している折紙のことを知らない士道は、少なくとも今の情報量でその危険を犯せない。士道一人ならまだしも、狂三とペアを組むのに確実性が大幅に欠けたプランなど愚の骨頂だ。

 作戦を組むには情報、状況把握、多数の協力が必要となる。〈デビル〉は単独で出現しない(・・・・・・・・)、という縛りが何よりも動きにくさを感じさせる。

 二人で頭を悩ませるが、なかなか確定的なプランの立案には結びつきそうにもない。

 

 その時、狂三の足元の影が広がり、蠢動する。

 

「っ……」

 

 その体積が増したかと思うと、狂三と全く同じ顔をした分身が這い出てくる。

 特に、その事に関しての驚きはない。一度は経験したことではあるし、狂三本人もよくこの影を活用している。驚いたのは、それを見る前に知覚した自身(・・・・・・・・・・・・・)に対してだ。ほんの一瞬だけではあるが、士道は分身体が現れることがわかった。何故かは、士道にもわからなかった。

 そんな士道の様子を単純に分身体への動揺だと思ったのか、分身へ意識を向けて気づかなかったのか、狂三はそのまま現れた分身に向けて声を発した。

 

「如何なさいましたの、『わたくし』」

 

「ご報告がありますわ。〈デビル〉に関すること――――――」

 

「本当か!?」

 

「……かもしれない、という話なのですが。早いのは女性に手を出す速度だけではありませんわね、士道さん」

 

「人を女たらしみたいに言うのはやめてくれ!!」

 

 思わず前のめりに食いつくと、『狂三』は少し呆れと微笑ましいものでも見るような顔をする。クスクスと、士道の隣にいる狂三にまで笑われると少々気恥しさが出た。

 狂三がいない時は比較的冷静さをたもてるのだが、狂三が相手だとその辺のリミッターが外れてしまっている……ある意味、頼りすぎていると言うべきか。やはり、反省は必要だった。

 『狂三』が視線を狂三に向ける。何かの確認を取る仕草のように思えたのは間違いではなかったのか、狂三は視線を受け止めて頷いた。

 

「このままで構いませんわ」

 

「では――――――」

 

 そうして、士道も交えて『狂三』の口から語られた情報は、士道を大きく驚かせるには十分すぎるものだった。

 

「な……っ!?」

 

「あら、あら……」

 

それ(・・)が本当なのであれば、また新たな疑問が多く生まれる。しかし、それ(・・)が本当なら、事が大きく進む(・・・・・・・)可能性があった。

 

 それも、士道の選択一つで、だ。

 

 

「幸か不幸か……さて、さて。わからないことは多いですが、不明瞭な点を開示できる可能性はありますわね――――――琴里さんたちより一足先に、戦争(デート)のお時間でしょうか」

 

 

 茶化すような口調だが、真剣な微笑みは夜闇に怪しく浮かび上がる。それを見て、士道はごくりと唾を呑み込んだ。

 驚きはある。疑問もある。だが、もたらされた物を考えれば、退路はない。元より、そんなもの――――――真っ先に捨て去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 頭は眠気を催しているというのに、欠伸一つ出てこない。自らが如何に緊張した状態であるのかわかるというものだ。それも、この日常の象徴である学校の教室の中で、だ。

 

この世界(・・・・)は、わからないことが多すぎる。昨日、改めて感じたことだ。士道が変えた〝結果〟は一つ、折紙の両親の死だ。その〝結果〟を変えたことで、世界はどれだけ変化したのか――――――結論を先に言えば、殆ど変化はなかった(・・・・・・・・・)

 琴里たちに話を聞いたり、無理を言って〈フラクシナス〉のデータベースも覗かせてもらった。夜遅くまで漁った甲斐もあり、この世界はほぼ(・・)士道の記憶通りの歴史を辿っている、ということがわかった。ただ一点の事象――――――折紙に関することだけが、いっそ不自然なまでに抜け落ちている。

 世界が大幅な改変を拒んだのか、人の生き死に一つで変えられるのはそれだけなのか……だが、結果としては大きな分岐点であった反転した折紙による世界の破壊は防ぐことができた。それは大きく他では成し得ない変化だ。世界の破壊だけは(・・・・・・・・)

 

「なんで、それ(・・)だけが……」

 

 だからこそ、解せない。普通の世界で、普通の女の子として生きているなら良かったのに。しかし、この世界で突きつけられた現実は違った。肝心な部分が残ってしまっていた。残ってしまったものを見過ごすことは出来ない。五河士道が持つ使命は、世界を変えた責任はまだ終わっていないのだ。

 

「はい、皆さんおはよぉございます。今日も張り切っていきましょう」

 

「…………」

 

 タマちゃん先生が実年齢を考えれば驚くほどの童顔を笑顔に変え、朝の挨拶をしている。

 いつも通りの変わらない朝。いつもと変わらない日常。だと言うのに、士道の心境は精霊と対話を試みる時と同じくらいの緊張感と精神になっていた。

 同じなのは、当然。だって士道は、これから精霊と会うのだから(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「あ、そうだ。今日は皆さんに新しいお友達を紹介しますよぉ」

 

「――――っ」

 

 入ってきてくださぁい。と、タマちゃんの声に教室の扉が開かれ、一人の少女(・・・・・)が現れた。

来た(・・)。士道は知っていた。転入生が来ることを。知らなければ、今頃は転入生に対しての興味を向ける余裕さえなかったことだろう――――――まさか、思うまい。

 

 その転入生こそ、士道が追い求める相手。

 

 その転入生こそ、世界の運命に翻弄された少女。

 

 

「――――――鳶一折紙です。皆さん、よろしくお願いします」

 

 

 その転入生こそ――――――折紙その人であるなどと。

 

 深々と頭を下げた折紙に、クラス中がザワザワと色めき立つ。単純に彼女の容姿に惚れ惚れするやつもいれば、昨日士道が発した〝折紙〟という名に反応して士道に様々な視線を向ける者もいた。

 

 

「――――――――」

 

 

 今の士道に、そんな下世話な話題に対しての視線を返す余裕はなかった。

 わかっていた。『狂三』から聞いた話の中で、一番の衝撃を伴った情報だったのだ。覚悟もしていたし、出来すぎた偶然(・・)に思考が停止しかけた。だが、それを行っていてなお、士道は思考に空白を作ってしまったのだ。

 

 鳶一折紙。精緻な顔立ち。銀の髪は背を覆い、どこかのお姫様とさえ錯覚しそうになる。ああ、そうだ――――――折紙が、いる。

 精霊となり、反転体として存在しているはずの折紙が……今、転入生という形で士道の前に姿を見せた。途切れてしまった因果の糸を、再び結びつけるように。

 

「えぇと、じゃあ鳶一さんの席は……五河くんの隣が空いてますね。あそこに座ってくれますか」

 

「わかりました」

 

 折紙が士道の元へ向かってくる。正確には、前の世界と同じ、士道の隣の席へだったが。予想以上の衝撃で、ずっと折紙を凝視してしまっている士道だが、恐らくは他の生徒と変わらないだろうと思った。

 因果の糸は繋がったが、だとしても士道はこの世界で折紙とは初対面。隣の席になる転入生を見ていることは不思議ではないし、折紙も特別意識することはないだろう――――――そう、思っていた士道の心臓は。

 

 

「――――うそ、あなたは……」

 

「――――――え」

 

 

 ドクンと、大きく鼓動を鳴らした。

 

 

 

 〝原因〟があるから、〝結果〟は生まれる。因果で結ばれたこの関係は、消えてはいない。

 それは――――――置き換えられただけ(・・・・・・・・・)、なのだから。

 

 

 





簡単に諦めないから非常に困った状況になってしまっているのですが、そこは主人公も同じなのでどっちもどっちということで。〈アンノウン〉のことは一時的に棚上げですが、士道が少女を狂三の絶対の味方だと信じているからこそです。さて、皆様の目に〈アンノウン〉はどう映るのでしょうか。

さあついに登場デビ紙という名のエンジェル折紙さん。いよいよ折紙編後半と言ったところでしょうか。
感想、評価、お気に入りありがとうございます。とても励みになって嬉しいです。感謝感激……! これからもどしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!


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第九十七話『悪夢の願う夢とは何か』

願うものと、望むものが相入れるとは限らない





『はぁ?』

 

 なんというか、まさか転入生の話で二度も似たような声色をされるとは、一日前まで想像もしていなかった。もうすぐ半年になろうかという時期の話を思い出し、士道は電話を繋ぎながら奇妙な気分を味わっていた。

 

『ちょっと待って。一体どういうこと? 詳しく説明してちょうだい』

 

「今言った通りだ。〈デビル〉が、俺のクラスに転入してきた」

 

 まあ、そうなるだろう。昨夜話題(・・)にした〝精霊〟が、朝一番で兄のクラスに都合よく転入してきました、などという電話をどう理解しどう信じろと言うのか。しかし、信じてもらわねばならない。これ以上、士道側で何かを動かすには、どうしても〈ラタトスク〉の協力が必要不可欠なのだから。

 

『だから、それが意味わかんないって言ってるのよ。一体なんで〈デビル〉が学校に転入してくるのよ。ていうかそもそも、〈デビル〉は正体不明の精霊じゃない。その名前も、顔すらも確認できていない。なんでその転入生が〈デビル〉だなんてわかったの?』

 

「それは……」

 

『士道――――――狂三と、何を企んでるの?』

 

 不意打ち気味に飛び出てきた狂三の名前に動揺して、思わず声をもらしかけた。何とか堪え、冷静を装い言葉を返す。

 

「……なんでそこで狂三が出てくるんだ?」

 

『あのねぇ……普段していることを避けるってことは、それだけ知られたくない何かがあるってことなのよ。隠れて行動するなら、それくらいわかっておきなさい』

 

「うぐっ……」

 

 どうやら、昨夜の猿芝居は琴里にお見通しだったらしい。

 よくよく考えてみれば、当然。琴里はあの歳で〈ラタトスク〉の司令を全うしている少女だ。妹ながら、頭のキレは士道を軽く凌駕している。その点は狂三にだって勝るとも劣らないと自信を持って自慢できる、優れた妹なのだ。そんな彼女を相手に、下手くそな誤魔化しは通用しない。

 

「ごめん……」

 

『べ、別に怒ってるわけじゃないわよ。いいから、ちゃんと説明してちょうだい』

 

「……今は、時間がない。帰ってから全部説明する。嘘は言わない――――――俺と狂三を、信じてくれ」

 

 打ち明けたい気持ちはある。いつまでも秘密にしておけることではないのだから。だが、今説明するには時間が足りなすぎるのと……やはり、自分たちがしてきたことをどう説明すべきか、士道にもまだ戸惑いがあった。

 無責任な言葉に狂三を巻き込んでしまったのは申し訳ないが、こうすれば士道が本気なのだと伝わるはずだ。

 

『……はあ』

 

「……」

 

『……わかったわよ。こっちで観測機を回すわ。それ以降のことは、その結果如何ってことで文句ないわよね?』

 

「信じてくれるのか!?」

 

『何よ。信じろって言い出したのは士道じゃない』

 

 そりゃあ、そうだけど……と口ごもる。我ながら、説得力の欠片もない頼み方だと自覚はあった。だから、琴里が相手とはいえ、こんなあっさり信じてくれたのは意外だったのだ。

 

『士道が狂三の名前を出すってことは、それだけ本気ってことでしょ。それに、狂三が動いてるってことは、相応の価値があるってことよ。それが〈デビル〉に関してのことなら、尚更ね』

 

「……信じてるんだな、狂三のこと」

 

『しん――――ばっ、そんなんじゃないわよ!!』

 

 一瞬、携帯から耳を離してしまうくらいの声量に顔を顰めて頬をかく。別に、そこまで恥ずかしがることじゃないと思うんだがなぁ。あと、そっちでそんなに大声出して大丈夫なのか、という方向性を間違えた士道の心配はともかく。まったく、と琴里が呆れた口調で呟いて話を戻した。

 

『狂三のことを信じてるわけじゃないわ。ただ、士道のことを信じただけよ』

 

「俺の?」

 

『あなたは、それだけのことをしてきたわ。どんな理由であれ、それを知らなくても信じるに値すると、私は士道を信じたのよ』

 

「琴里……」

 

 狂三風に言うのであれば、士道が信じた狂三を信じてくれた、ということになるかもしれない。多方面から寄せられる信頼には、応えなければ嘘になる。より一層気合を入れる士道の耳に、続けて琴里の言葉が届けられた。

 

『ただ、もしちょっとでも気になる女の子の情報を、〈ラタトスク〉に調べてもらおう、だなんて考えてたなら、タダじゃおかないけどね』

 

「し、しねぇよそんなこと!! 俺が狂三一筋だってわかってるだろ!?」

 

『……ふーん。そーね』

 

 さり気なくとんでもないことを口走ってしまった。また一つ弄られの種ができてしまったと思ったのだが、琴里は何やら拗ねたような気のない返事をするものだから首を捻った。

 しかしすぐ元の調子に戻り、電話越しで声を発した。

 

『まあいいわ。じゃあ、すぐに調べさせるわ。ええと、なんて名前だったかしら、その女子生徒』

 

「折紙だ。鳶一折紙」

 

『鳶一折紙ね。鳶一――――――それって……もしかして、ASTの鳶一折紙?』

 

「は……!?」

 

 目を見開いて更に丸くする。AST。陸上自衛隊内にある対精霊部隊の略称。琴里がどうして折紙がそこに所属していたことを知っていたのか、と疑問に驚き……ふと、その理由に思い至った。

 

「……ASTに所属してたなら、もしかして、折紙が十香たちと戦ったことがあるのか……?」

 

『恐らくはね。ASTにそんな名前の隊員がいたと記憶してるわ……でも彼女、ちょっと前に退職してるはずよ』

 

「…………」

 

 やっぱりそうか、と士道はわかっていても(・・・・・・・)眉を下げた。琴里が元の世界の記憶を思い出したのか、と一瞬期待をしてしまったが、考えてみれば当然のことだ。

 士道は、折紙がASTに所属していたことを知っている。当然それは、『狂三』からもたらされた情報だ。そしてその疑念は、今も士道の中で燻っている。

 

『……そう言えば、鳶一折紙がASTを辞めた時期と〈デビル〉が出現し始めた時期は大体一致してるわ。ふむ、もしも退職理由が自身の精霊化であるとしたら……』

 

 因果関係があるかもしれないのか、琴里がブツブツと考察を始める。そんな中で、どのような結論が出ようと士道の心は決まっていた。

 

 断ち切ったはずの、可能性。以前の世界でASTに折紙が所属していた理由は、両親の仇を討つため。その因果は、既に士道が断ち切ったはずである(・・・・・)

 それならば何故、折紙はこの世界でもASTに所属していたのか。一体彼女の中で何が起こって、何が彼女の後押しをしてしまったのか。その答えは――――――この世界の折紙が知っている。ASTのこと以外にも、疑問は数多く存在している。それら全ての鍵を握り、真相を知るのは他ならぬ折紙だけだ。

 

『士道、鳶一折紙が精霊かどうかはこっちで調べておくわ。あなたも、他に気づいたことがあれば報告してちょうだい。でも、もし本当に鳶一折紙が〈デビル〉なのだとしたら、非常に危険な反転体よ。あまり無茶はしないでちょうだい』

 

「ああ……わかってる」

 

 ならば――――――やるべきことは一つだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 昼休み。士道は折紙に場所指定したノートの切れ端を渡し、ある場所へ呼び出していた。ある場所とは、屋上手前の階段。辺鄙な場所で人通りも少ないが、士道にとっては少しばかり縁がありここなら邪魔が入らないと思っての選択、だったのだが。

 

「……何か用ですか?」

 

 微かに強ばった表情は、この世界の折紙なら当然の話ではある。見ず知らずの男子生徒に、転入早々、このような人気のない場所に呼び出されて警戒しない方がおかしい。以前の世界の折紙なら……まあ、逆に士道が警戒するくらいだったのだろうが。

 

 ――――――ここに狂三がいたら、かつての邂逅での記憶を呼び起こし、皮肉げに笑うのだろうが、それを士道が知る由もない。

 

「あー……」

 

 兎にも角にも、警戒心を強めず話を聞いてもらわなければならない。まずは、話の切り出しからと意を決して士道は声を発した。

 

「なあ、折紙」

 

「えっ?」

 

「……? ――――あ、悪い。鳶一……さん。いきなり名前で呼ぶなんて失礼だよな」

 

 ここでも前の世界の癖が出てしまったと、意外そうな表情の折紙へ謝罪する。昔は、折紙にマウント(物理)を取られながら請われて呼ぶことになったというのに、いざこうなると寂しさを感じさせるのだから慣れとは不思議だと苦笑するしかない。

 

「ううん、ちょっと驚いただけです。えっと……五河くん」

 

 それは、自身が鳶一さんと呼ぶことより不思議な気分だった。あの折紙が、と思うと本当になんとも言えない。士道にとって、世界が変わっても折紙は折紙なのだから、その違和感と寂しさは当然なのかもしれない。

 とはいえ、今はそれを表に出すわけにはいかない。士道は今朝の件は、一体何を言っていたのかと問いかけた。呼び出された要因に納得がいったのか、何かを思い起こすような表情で言葉を返した。

 

「気に触ったならごめんなさい。五河くんが、昔会ったことがある人にそっくりだったから、少し驚いちゃって」

 

「俺が……?」

 

 どういうことなのだろう。折紙が士道と出会ったことは、〝なかったこと〟になったはずである。しかもそれは、〈贋造魔女(ハニエル)〉で小さな姿になった士道だ。そっくり、というなら今の士道そのもの――――――会って、いる?

 あの一瞬、士道は復讐鬼ではない折紙(・・・・・・・・・)に、会っているのではないのか? それに思い至った時、士道は思わずそれを声にしていた。

 

「もしかして、その人に会ったのって――――――五年前の、南甲町の大火災の時じゃないか?」

 

「え……なんで、それを知って……」

 

 士道の予想は当たっていたのか、折紙が驚きで目を見開らき、それからハッとした表情になる。

 

「もしかして、あの時の人は……五河くんのお兄さんですか……?」

 

「へ?」

 

 しかし、その返答は予想外だった。だが、無理からぬことでもある。五年前と言えば、〝今〟の士道はまだ小学生。その年頃の士道とそっくりともなれば、兄弟を連想するのは不自然ではない。

 勘違いをさせたままなのは心苦しいが、信じてもらえることではないし、ここで話の腰を折って台無しにするわけにもいかない。士道は折紙の勘違いを正解とするために首肯した。

 

「まあ……そんなところだ」

 

「……!!」

 

 士道の肯定に、折紙は眉を下げ悲痛な表情になり、それに士道がギョッとして慌てそうになると……彼女が士道の手を取った。

 

「あなたのお兄さんは、私のお父さんとお母さんを助けてくれました。あの人がいなかったら、二人はあのとき死んでしまっていました。どれだけ感謝の言葉を並べても足りないかもしれないけれど、言わせてください。本当に――――ありがとう……!!」

 

「あ、ああ……」

 

 折紙にとっては五年越し、士道にとっては一日前の話だ。なんとも奇妙な体験だが、士道は安堵の息をもらす。折紙の感謝の中に、両親の話が入っていた。つまり、士道の仮説は間違っていなかったと証明されたのだ。

 〝結果〟を変えずに過去を変える。無茶なやり方ではあったが、それだけの価値があったと士道は確信に至った。

 

「あっ」

 

 と、そこで折紙が強く握っていた士道の手を離し、恥ずかしそうに頬を赤くし頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい、いきなり」

 

「いや……大丈夫だよ」

 

 元の世界の折紙なら、ここぞとばかりに捕食者ばりの攻めの姿勢を突き通すところなのだろうが、真逆を乙女な反応にギャップを感じてしまう。可愛いとは、思うが……そんなことよりも。

 

「えっと……鳶一さん。鳶一さんのご両親はその時助かったんだよな?」

 

「はい」

 

「じゃあ、今も一緒に住んでるのか?」

 

「……いえ。両親は、四年前に交通事故で亡くなりました」

 

「な――――っ!!」

 

 亡くなっている? あの時、助けても無駄だと言うように、偶然なのか、世界の意思だとでも言うのか。士道は頭を直接殴られたような衝撃を受けた。『狂三』は折紙の両親に関しては言及を避けていた。その意味が、ようやく形になって理解できる。

 

「そ、んな……」

 

「――――――でも」

 

 その折紙の声に、悲しみはあれど、絶望はなかった。

 

 

「五河くんのお兄さんがお父さんとお母さんを助けてくれてから約一年、私は二人に、たくさんのものをもらいました。それは、五河くんのお兄さんがいなかったら叶わなかった、かけがえのないものです。本当に――――――感謝、しています」

 

「――――そう、か……」

 

 

 無駄ではなかった。そう言ってくれているようで、士道は襲いかかる無力感を押し退けて救われたような気がした――――――けれど、どうしても、思ってしまう。他になかったのか。

 

 本当にあれ以上は、変えられなかったのかと。 

 士道に力があれば、変えられたのではないのかと。

 

 もっと、大きな何かが、あれば。世界を変えられるのではないか。もっと、もっと、世界の意思すら凌駕する力があれば――――――

 

「五河くん……?」

 

「っ……」

 

 呼びかけに顔を上げると、心配そうに折紙が士道を見つめていた。

 何をしているのかと、浮かんだ考えを頭から振り落とす。恐ろしい考えだ。人ひとりがしていいことではない。こんな誘惑と、狂三は常に戦っているのか――――――そしてこれからは、世界の意思で捻じ曲げられていく恐怖とも、彼女は戦っていかねばならないのか。

 

「なんでもない。じゃあ、どうして――――――」

 

 今は、折紙のことを。狂三にもそう言われた。目の前のことを後回しにする人間が、あとのことを解決することは難しい。

 折紙の両親の死因は、交通事故。そこに、精霊が関与する余地はない。ならどうして彼女は。考えはそこに行き着き、緊張を交えて士道は声を発した。

 

 

「……どうして、鳶一さんはASTに入ったんだ?」

 

「え――――――」

 

 

 折紙が復讐鬼となる〝原因〟は消えた。だが、元の世界の折紙ほど過剰な面は見られないにしろ、今の世界の折紙もASTに所属していた、という事実がある。なら、その〝原因〟はなんなのか知らなくてはいけなかった。

 

「なぜASTのことを――――――もしかして五河くん、空間震警報が鳴っている時、外に出ていたことあります?」

 

「え……? あ――――――」

 

 感じた不信から行き着いたことなのだろう。表向きは一般人の士道がASTのことを知っていることを突っ込まれると思っていたが、考えてみれば士道の活動をAST側が目撃しているのは当然の話だ。折紙が、その事を知っていても何ら不思議な話ではない。

 

「あ、ああ……実はな」

 

「……やっぱり。あれは見間違いじゃなかったんですね」

 

「へ?」

 

「何度か、隊内でも話題に上がっていたんです。危険地帯に一般人が残ってるって。〝あの時〟の人に似ているとは思ってましたけど、まさか五河くんだったなんて」

 

 士道自身が想像する以上に目立っていたのか、あまり嬉しくない注目のされ方をしてしまっているらしい。

 

「非常に危険です。今後控えてください」

 

「え、ええと」

 

 はいそうします。と、軽々しく言えない立場な上に、こういう時でも咄嗟に嘘はつけないのが士道だった。狂三か琴里が見ていたら、馬鹿正直さに呆れていることだろう。

 幸いにも、それ以上の追求が行われることはなく、代わりに打って変わって――それこそ、以前の世界を思わせる――強い意志を持って折紙は声を発した。

 

「私がASTに入った理由……でしたよね」

 

「ああ。もしよかったら、教えてくれないか?」

 

「……五河くん。ASTを知っているということは、空間震の原因もご存知なんですよね?」

 

 よく知っているとも。だが、深く話をして怪しまれる危険性を侵す意味はない。一言、その存在を口にした。

 

「……精霊」

 

「そうです。特殊災害指定生命体、精霊。そして、もう既に調べているかもしれませんが、五年前の火災の時、あなたのお兄さんを殺したのも、精霊なんです」

 

「それは――――」

 

 その消し飛ばされたそっくりさんと、目の前の士道が同一人物とはまさか夢にも思うまい。だからこそ、折紙は拳を強く握りしめ思いを告げた。

 

 

「あの人は、私のお父さんとお母さんを助けるために犠牲になってしまいました。今の私があるのは、あの人のおかげです――――――だから、私は思ったんです。もう、あの人のような人を作ってはならない、って。精霊から人を守ることのできる人間になろう……って」

 

「――――――ぁ」

 

 

 〝なかったこと〟にしたはずの事象が、存在していた。その事に疑問を強く覚えていた士道だが、そもそもの〝原因〟は士道にある(・・・・・)

 確かに、復讐鬼は消えた。復讐鬼を復讐鬼足らしめんとする〝原因〟は消え、しかし代償として置き換えて発生した士道という〝原因〟が、折紙を精霊から人を守るASTに所属させる道を辿らせた。

 あの時は、この方法しかなかった。それは確実だ。〈刻々帝(ザフキエル)〉の予測を再演算させる(上回る)力を士道は持たなかったのだから。〝原因〟そのものを取り除ける圧倒的な力(・・・・・)があれば、或いは――――――

 

「……五河くん? 大丈夫ですか……?」

 

「ああ、いや、何でもない……大丈夫だ」

 

 いけない。どうにも余計なことに気を取られてしまう。今見なければならないことは変えた過去ではなく、これから先の未来だ。

 ASTに折紙が所属していた。これは変えられなかった過去だ。けれど、〝原因〟が違った上に折紙の様子から見ても希望はある。彼女は、名前も知らない少年の死に奮起して世界を守ろうと立ち上がった者。無論それは、以前の世界の折紙にもその一面は存在していたものだが、別の要因であった復讐心が強すぎて士道では止められなかった。

 しかし今なら、或いは。死んだと思っている士道を生きていると知らせることができれば……その前に、知らなければいけないことがある。

 

 精霊化した、彼女のこと。何故、精霊になったのか。何故……反転しているのか(・・・・・・・・)。目の前の折紙からは、何かに絶望してしまった雰囲気など感じられない。

 

「もう一つ……訊いていいか?」

 

「なんですか?」

 

 小首を傾げた折紙に、唾を飲み込んで緊張を解きほぐす。無茶をするなと言われたばかりだが、それを知れば大きな進展が得られるはずだ。

 

 

「――――――なんで、鳶一さんは……精霊になったんだ?」

 

 

 放たれた矢を、折紙は――――――

 

「はい?」

 

心底不思議なことを言われた(・・・・・・・・・・・・・)、というキョトンとした表情で声を発した。

 

「えっと、精霊になった……? どういうことですか?」

 

「え?」

 

 士道が言っている意味が理解できていない。惚けている様子もない。折紙が、一番知っているべき彼女が(・・・・・・・・・・・・)、そのことについて知らない?

 

「どういうことだ……? 確かにあれは……」

 

 士道と狂三の予想が外れていた、という可能性。なくはないが、他の可能性を考える方が余程大ハズレを選んでいるとしか思えない。

 と、考えを巡らせているうちに予鈴のチャイムが鳴り響いた。昼休みめいいっぱいを使ってしまったようだ。

 

「昼休み、終わりみたいですね。先に戻ってます――――――ありがとうございます、五河くん。お話ができて、良かったです」

 

「あ――――も、もう少し、話せないか?」

 

「でも、もう授業ですよ?」

 

 階段を下りていく折紙をどうにか引き止められないものかと思案する。聞かなければいけないこと、知りたいことがまだ山ほどある。だが、折紙の言うことは至極真っ当な正論。引き止める術はない――――――咄嗟に、出たのは。

 

 

「今日じゃなくてもいいんだ!! 空いてる日があったら、また――――――会えないか?」

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……どう考えても、デートの誘い文句だな」

 

 なんと言うか、〈ラタトスク〉的には計画通りなのだろうが、士道的には咄嗟にそんな言葉しか出てこなかったのが複雑だった。まあ、他に上手い誘い方が浮かばなかった辺り、士道元来の才能の可能性もあったが、それは考えないようにした。

 

「土曜……か」

 

 だが、結果的にはそれが功を奏したというべきなのか。放課後の屋上で一人、士道は壁に寄りかかったまま紙を空にかざし、そこに書かれてある返答(・・)を目に入れた。

 

『今週の土曜日なら空いてます』

 

 小さな文字で連絡用のアドレスまで書かれたそれは、昼休み前に誘った士道と同じように授業中に隠れて渡されたものだ。事実上のデートに誘った時の反応も含め、相当可愛らしい女の子、という前の世界の折紙に失礼な評価をしてしまった。

 

「いや……あれが、本当はそうなるべきだった折紙なんだろうな」

 

 合理的で冷静で、それなのにどこか頭のネジが外れたとしか思えないとんでもなくアグレッシブな性格は、両親の死という〝原因〟があったからこそのもの。一年とはいえ、両親からの愛を受けて育った折紙は、元来の感情を表に出すことが出来ている。

 それはいいことだし、可愛らしいとも思う……けど、どうしてか士道は寂しさを含んだ笑みを浮かべてしまう。

 

「ふぅ……」

 

 元の世界の折紙のことだけでなく、今の世界の折紙のことも考えなければいけない。

 折紙に精霊化の自覚がなく、それでいて反転までしているなどありえるのだろうか。確かに狂三は断定はできないと言っていたが……。

 

「まさか、折紙が二人に増えてたりしてな…………まさか、な」

 

 実際、幾人にも自身を増やせる精霊が存在しているのだから、ありえないとは言えないんだよなぁと士道は冷や汗混じりに呟いた。特徴的な笑い声で増える折紙…………全員が鉄仮面で想定されているため、恐ろしい絵面だった。

 とにかく、士道一人で考えていてもどうにもならない。琴里たちに説明する前に、放課後の屋上で待ち合わせをしている狂三と話し合う必要がある、のだが。

 

「ふああ……」

 

 壁に背を預けていたのが良くなかったかもしれない。昨晩、まともに寝ていないのもあり、目を開けたり閉じたりしながらこくりこくりと眠りに誘われる。

 

「ん――――」

 

 何度か抗いはしたが、これはダメだと諦めて目を閉じる。意識が落ち行く最中――――――優しい香りが、士道の鼻腔をくすぐった。

 

 

 

 

 

 

「あら、あら」

 

 黒髪の少女は、己の膝の上に眠る少年の髪に触れ、遊ぶようにくすぐる。それが気になるのか、僅かに声をもらし眠る彼の姿にくす、と少女は微笑んだ。

 

「……可愛いお方」

 

 少女は、時崎狂三は普段からは想像もつかない気の緩んだ顔で士道を受け止めていた。待ち合わせをした相手がうたた寝しているとなれば、拗ねてしまうのが年相応の少女らしい行動なのかもしれないが……生憎、そこまで子供ではない狂三にとっては、むしろ彼に休みを取る意思があったことにホッとしているくらいだった。

 無理をするなと言えば無理をして、無茶をするなと言えば無茶をする。少し目を離したら、遠くへ駆け抜けて行ってしまうのではないか。そんな風に思わせる人が、あどけない寝顔を晒しているというのは、どうしても可愛らしさを感じさせるのだ。

 

 安らかな寝息が、触れた手首から感じる小さな脈動が、狂三にとてつもない安心感を覚えさせた。

 

 

「――――――生きて、いますわ」

 

 

 ああ、ああ。それだけなのに、それだけで、今自身の心は満たされている。結局のところ、狂三は何一つ成長していないのかもしれない。この場所で、死の淵に立たされたあの瞬間から、何も。

 

 世界は変わった、変えられた。その証明は、精霊の心の炎を燃え上がらせるのに十分すぎる火種だった。同時に、少女の心を突き落としかねない劇薬だった。

 危険があるのは織り込んだ上で、【一二の弾(ユッド・ベート)】を撃った。そんなことは百も承知していた。だが、承知していたのは精霊であって、少女ではなかったのかもしれない。

 何を叫んでいたのか、自分でさえ覚えていないくらい取り乱していた。どれだけ大切な存在なのか、思い知らされるようだった――――――それでも、時崎狂三は、五河士道を殺す(・・・・・・・)

 

「…………ああ」

 

 吐息が空に舞う。ああ、大切だ。愛している。ずっと一緒にいたい。皆と笑っている、五河士道が好きだ――――――少女がそれを一番としているように、精霊にも譲れない一番がある。

 

 どれほど少女にとって大切だとしても、精霊を覆すには至らない。覆すには、狂三は少し長く憎悪に浸りすぎていた。辿り着いてみせよう――――――皮肉にも、自身の願いを手折ろうとした少年が示した証明の果てへ。

 

「んん……」

 

「あら」

 

 ただ、今はまだその時ではない(・・・・・・・)

 何の夢を見ているのやら、士道が少し苦しげに表情を歪めている。眠りの中で怖い精霊に追いかけられる夢でも見ているのか……適役としては、過去の自分くらいしか思い浮かばないが。

悪夢(ナイトメア)が人の夢見を案じるとは、何とも焼きが回りすぎているとは思うが、今更だろう。こういう時は、〝子守唄〟でも歌って差し上げるのが良いかもしれない。狂三の声なら、そう邪険にはされないだろうという自信もあった。

 

 小さく声を整え……ふと、思い立って狂三は士道の顔を覗き込んだ。祈るように、少女は囁く。

 

 

「あの子ではありませんけれど――――――どうか、眠りの中では良い夢を」

 

 

 せめて――――――夢の中では、皆の幸せな未来を。

 

 祈りと、叶うことのない願いを込めて。少年にだけ向けて奏でられる少女の独奏曲が、誰もいない屋上に響いた。

 

 

 





悪夢は幸福な夢を見れない。だから、せめて、と願う。

結果的には士道のせいで狂三の悲願がより強固なものになっていってるという。まあ、士道は士道で思うところがあるようですが。あと琴里があんな露骨な士道に気づかないわけないじゃないですかやだー。
デビ紙なのにエンジェル的折紙とはこれ如何に。ここだけ見ると攻略簡単そうなんですけどねー(棒)

感想、評価、お気に入りなどなどお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十八話『夕闇の魔王』

デビ紙さんの本領発揮回。ある意味で仕様が厄介すぎる




「……ん」

 

 歌が聴こえる。綺麗で、繊細で、疲労していた心が洗われていく、そんな歌だ。

 特徴があって、それでいて嫌なものを何一つ感じさせない芳香が、士道には好ましい。いつしかそれが、彼にとって欠かせない安らぎになっていた。

 ああ、けど、いつまでもこうしてはいられない。でも、少しでも長い時間、この快楽に浸っていたい。相反する感情は士道の腕を目的のない不規則な動きへと導き――――――何かを、掴んだ(・・・)

 

 

「ひゃ……んっ」

 

 

 なんか、妙に、色っぽい。

 

 感触が、こう……なんと言えばいいのか。二度、三度と感触を確かめると、男が最終的に到達したい極地のそれというか、以前は腕に感じたが今は手のひらにしっかり収まっているというか――――――むにゅっとした感覚は、これ確実に女の子の胸に手を――――――――――

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

「士道さん!?」

 

 

 ゴン、ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。擬音にするとそんな感じで立ち上がることすらせず、屋上の硬い地面を疾走した。ピタッと綺麗に立ち止まり、完璧なうつ伏せを披露して、一息に一言。

 

 

「もう何から謝ればいいかわからないし何を言っても許されないのでごめんなさいしにます」

 

「落ち着いてくださいまし!?」

 

 

 

 

 

 数分後、なぜ触った側が宥められているのだろうと正気に返った士道は、ようやく狂三と向かい合っていた、正座で。

 

「大変申し訳ありませんでした」

 

「ですから、気になさることはありませんわ」

 

「いや気にしてください頼むから」

 

 なんと言うか、屋上での縁に定評が出てきたと思っていたら二回目の屋上正座とは、なかなか出来ない経験だと思う。まあ、一度目と違い自主的なことなので文句はないのだが。

 反省して自己嫌悪に陥る士道に、狂三が困り顔で顔に手を当てながら声を発する。

 

「士道さんなら構いませんのに……」

 

「自制が出来ないので勘弁してくださいマジで」

 

「あら、場所が問題ですの?」

 

「そういう問題じゃない!! いや、場所も問題だけどな!!」

 

「けど士道さん、満更ではないお顔ですわよ?」

 

「………………ソンナコトナイヨ」

 

「冗談でしたのに」

 

「…………」

 

 見ると、狂三も仄かに顔を赤らめているので反撃自体は可能なのだが、どう反撃したところで士道へのダメージの方が大きそうなので沈黙した。

 場所に関しては冗談なのか、それとも本当にやれてしまうのかは士道のみぞ知る。

 癒しのある眠りではあったのか、非常に冴えた目と頭で取り敢えず士道は心を落ち着ける。狂三が気にしていないというのなら、約束していた件を先に進めた方が良い。

 

「狂三……折紙から、話を聞けた」

 

「あら、あら。それはそれは僥倖……というのもおかしいですわね。接触自体は偶然ではないのですから」

 

 そう言って微笑む狂三。折紙の転入自体は予期せぬ出来事なのだが、折紙と接触して話を訊いてみるという立案は士道自らのものだ。その結果がどうであれ、こうして放課後落ち合おうと決めていた。

 

 士道は今日あった出来事を狂三に話していく。折紙が五年前、両親を庇った士道を見てしまっていたこと――――――折紙の両親が、一年後に亡くなっていること。それを聞いた瞬間、狂三の表情が変わる。

 

「っ!!」

 

「狂三?」

 

「……いえ、なんでもありませんわ」

 

 続けてくださいまし。そう平然と言ってはいたが、折紙の両親に関して一瞬だけその整った顔を歪めた――――――やはり、狂三も気になっているのかもしれない。変えたはずの事象が、別の事象によって収束する。それを変えるのであれば、もっと大きな変化(・・・・・)を行う必要があるのではないか、と。だが、今は狂三が気にするなと言っている。人が隠していたいことを暴く必要はない。

 士道はその先――――――折紙の精霊化に関してまで話し切る。ふむ、と狂三が見慣れた手つきで艶やかに咲く唇に手を当て、思考していく。その際、僅かに揺れた唇に今朝の出来事を思い出してしまった士道は、小さく頭を振ってそれを振り払い声を発した。

 

「っ、どう思う?」

 

「興味深いですわね。精霊化した自覚のない精霊。これまでに見られないケースですわ」

 

「もちろん、折紙が嘘をついてるって可能性もあるけど……」

 

「それならば、大した役者ですわ。少なくとも、わたくしよりは人を騙す演技の才がありますわね」

 

「はは……」

 

 皮肉げに微笑む狂三に、曖昧な苦笑いで士道は対応する。彼女の演技を暴いた本人が士道なので、コメントしようにもどうすればいいのかわからない。

 正直、あの時は狂三が相手だからできたことだ。この世界で出会って間もない折紙相手に、確実に嘘をついていないと言える保証はない。士道の目にはそう見えただけであって、折紙の中では違うのかもしれないのだ。

 

「やはり、折紙さんのことを知るには【一〇の弾(ユッド)】の力が手っ取り早いですわ。士道さんが接触して何もなかったのなら、こちらとしては好都合ですもの」

 

 霊装こそ纏っていないが、狂三の手にはいつの間にか短銃が握られ、彼女はそれを遊ばせていた。

 狂三の言う通り、当初の懸念であった銃弾を撃ち込む際のリスクが軽減されているのであれば、試してみる価値はある。折紙が精霊なのかそうでないのか。どうして精霊になってしまったのか。この世界で、一体何が起こったのか。一通り考え、士道は狂三のプランに頷き賛同した。

 

「……そうだな。それなら危険もないし――――――ん?」

 

 金属特有の擦れる音が聞こえて、士道は音の方向へ目を向ける。こんな時間に、こんなところに誰かが来るとは思ってもみなかった。

 

「あれ……折紙?」

 

 そして、姿を見せた人物も予想外だった。顔を俯かせているこそいるが、その容姿は間違いなくこの世界の鳶一折紙。

 と、そこで士道は慌てた。私服の狂三でも他の学校関係者なら誤魔化せたかもしれないが、折紙は誤魔化せない。ASTに所属していた折紙が、その手の道で有名人の狂三を知らないはずがないのだ。

 霊装姿ではないとはいえ、折紙が狂三と認識できる可能性は大いにある。一度目にしたら二度と脳内から離れない類まれなる容姿は、こういう時でも発揮されている。

 

「お、折紙、この子はだな……」

 

 どうにかして誤魔化さなければ、取り付けた約束すら危うい。誤魔化すために声を上げる士道だが……折紙は、士道の声が聞こえていないかのように歩みを進める。

 ゆらり、ゆらり。意思のない、幽霊のように。

 

「折紙……?」

 

「……あら」

 

 士道が呼ぶ声に答える素振りすら見せない。代わりに、狂三が霊装を身に纏った(・・・・・・・・)

 

「っ……!?」

 

「士道さん。巻き込まれたくなければ、わたくしの指示を聞き逃さないでくださいまし」

 

「何を――――――」

 

 

「精、霊……」

 

 小さく、折紙が声を発して――――――夜闇すら包む深淵が、花開く。

 

「な――――!?」

 

「…………」

 

 二人の眼前で、その〝亡霊〟は姿を見せた。渦巻く深淵は折紙の身体を絡め取り、漆黒のドレスを形作る。

 

「霊装……!?」 

 

 精霊の要。精霊を守る絶対守護の鎧、〝霊装〟。しかもそれは、士道が最初に目にした純白のものではなく、黒。狂三のように美しさを纏うのではなく、絶望を体現し纏う漆黒。

 恐ろしいまでの重圧を発しながら、二人の前にそれ(・・)はある。なくなったはずの可能性は、映像だけでなく現実として存在してしまっている。

 

 漆黒の亡霊が、夕闇へ誘う。

 

「やっぱり――――――〈デビル〉はお前だったのか……!?」

 

 意図せず、折紙が精霊の力を使う瞬間を見てしまった。低いものと考えていた折紙が嘘を吐いていたという可能性が、まさか本当だったのか。

 

「左斜め、飛んでッ!!」

 

「っ!!」

 

「そのまま伏せてくださいまし!!」

 

 思考より早く、その指示を実行するために身体が動く。力の限り地面を蹴り、頭を抱えて転がる。形になど拘っていられない――――――無機質な殺意が、そこにある。

 

 

「……〈救世魔王(サタン)〉……」

 

 

 昏い闇が蠢動し、幾つもの羽から黒線を解き放つ。硬い地面を削り、フェンスを撃ち抜く。対象に対しての慈悲はない。分別もない。あるのは、昏い殺意のみ。

 〝魔王〟の闇が真っ直ぐに狂三を狙い続ける。もとより、狂三しか見ていないのだろう。空へ上がった狂三とは対照的に、地上に伏せる士道には目もくれない。

 

「折紙!! やめろ折紙!! 聞こえないのかっ!?」

 

 立ち上がって、折紙へ呼びかける。だが、やはりというべきか、ぴくりとも反応せずただただ飛翔する狂三へ無数の黒線を放ち続ける。

 

「――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 数十は下らない光線を広い空間を使って避け続ける狂三が、見慣れた加速の銃弾を使い士道どころか光線ですら追いつかない神速の領域へ足を踏み入れた。

 続けて、折紙へ向かって連続で銃の引き金を引き、狂三が攻撃を加える。無数の影の銃弾が折紙へ襲いかかった。しかし、折紙の周囲を飛ぶ羽が連なって複数の銃弾を容易く弾く。更に。

 

「な――――増えた……っ!?」

 

 何もなかった空間から黒い塊が蠢動して、羽がその数を更に増す。固定砲台のように撃ち続ける羽と分かれ、それらは狂三を追い込むように攻撃を加えながら飛翔した。

 

「狂三!! くそ、〈(サン)――――――」

 

 あのままでは狂三が撃ち抜かれる。以前の世界での忌まわしい光景が脳裏を過った。あんなものは二度とごめんだ、と士道は折紙の気を引きつけるため〝天使〟を召喚しようとし――――――

 

 

「――――――まさか」

 

 

 状況の違和感(・・・)に気がつき、既のところで収束しかけた霊力を体内に取り込んだ。その間にも、羽が高速化した狂三を追走する。

 地上の折紙が使役する羽から光線が放たれる。一条一条が霊装を撃ち砕く必滅の槍。喰らえば一溜まりもない。

 

「――――――!!」

 

 その一瞬、狂三の動きが止まる。僅かな瞬間だが、狂三が大きく目を開いて〝何か〟を視た(・・)のだと士道は漠然と感じ取った。

 動きが再開する。次の一瞬、闇色の羽から幾条もの光が放たれ――――――

 

「狂三ッ!!」

 

 それら全てが、狂三へ直撃したように見えた(・・・・・・・・・・)。霊力同士が衝突し、激しい爆発と閃光が放たれ目が眩む。光が収まり、覆った手から顔を出して空を見上げる……黒煙が晴れた場所には、何もなかった(・・・・・・)

 

「っ……折紙、お前――――――え?」

 

 顔を下げ、地平の先を真っ直ぐ見やる。そこで士道は、呆気に取られた声を発した。

 今し方、圧倒的な力で狂三を追い込んでいた折紙が、膝を突いた(・・・・・)。それだけではない。数十を超える羽、堅牢な霊装、それらが粒子となって全てが折紙の中へと還る。

 

 それはまるで、目の前の敵を撃滅して用事がなくなった(・・・・・・・・)と言わんばかりの姿だった。

 

「一体……どうなって……」

 

「――――――あれ、五河くん? 何してるんですか、こんなところで」

 

「は……?」

 

 今起こったことは、夢幻だった。そう言われた方が自然だと思えるほどに、折紙の様子には精霊と戦った形跡(・・・・・・・・)など存在していない。表情も、声色も、含まれるのは純粋に士道がこの場所にいる疑問と、自分がなぜこんなところにいるのか(・・・・・・・・・・・・・・・・)、という自身への疑問だった。

 精霊化の瞬間だけ記憶が断絶している。何かが、折紙を乗っ取っているのではないか。そうでないのなら、この世界の折紙は世界一の女優を目指せることだろう。

 

「あ、もしかしてまた……」

 

「また? な、何がだ?」

 

「え? あ、聞こえてました?」

 

 立ち上がった折紙が呟いた言葉を聞き逃さず、そう聞き返す士道に彼女は申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「実は少し前から、たまに意識が途絶えることがあるんです。多分、貧血か何かだとは思うんですけど……」

 

 士道から見れば、さっきのように(・・・・・・・)、ということか。自覚があるとは思えないし、本人は気づくことがない――――――気づけない(・・・・・)、のかもしれない。折紙という少女が、それを避けている可能性すらあった。

 それは早計な直感でしかないと、幾つも考え込む士道に不思議そうに首を傾げた折紙が、ハッとした表情で声を上げた。

 

「あの、そういえば授業中に渡した紙、読んでくれましたか?」

 

「あぁ、土曜なら空いてるって……」

 

「えっと、そ、そういうことですから!!」

 

「あ……」

 

 言って、折紙は士道に背を向けてあっという間に屋上から階段を伝い、校舎内へ入って行ってしまった。呼び止めたところで間に合わないし、追いかけたところで何もできはしないだろう。

 直前の出来事がなければ、非常に可愛らしい反応に士道の心もときめくというものなのだが……。

 

「――――――あらあら。手が早いですわね士道さん」

 

「い……っ!!」

 

 さっきまでの重圧感より、士道にとっては余程恐ろしい言葉と共に、その背後にあっさりと狂三が姿を見せた。無事だという確信があったとはいえ、安心感と焦りが共存するとは不思議な感覚だった。

 

「あのな狂三。話の流れでそうなっただけで、他意はない。本当だ。俺は無実だ」

 

「……事実無根なのに、でっち上げてしまいたくなりますわよ」

 

「えっ」

 

 両手を上げての言い訳は逆効果だったらしい。そんなことよりも、と士道は振り返って狂三の姿を見やる。狂三の霊装には、乱れ一つ見られない。あの数分の激戦の後とは思えないその姿は、士道に疑問の声を上げさせるには十分だった。

 

「どうやったんだ?」

 

「攻撃の瞬間、あの子の力をお借りしましたわ。あの(・・)折紙さんの特性上、誤認させるのが一番だと思いましたので」

 

 なるほど、だから分身体を使わなかったのかと納得して感心したように頷いた。戦術の要である分身体を使っていない違和感は、人工衛星破壊戦での経験からすぐに気がつくことができた。あの子、〈アンノウン〉の隠密能力と神速で攻撃を目くらましに姿を消し、狂三を倒したと誤認させた、ということだ。

 感心はするし、流石の連携だとは思う。思うのだ、が。

 

「……危険すぎやしないか?」

 

「あら。『わたくし』を囮にする方がお好みでして?」

 

「そう言うことじゃ……っ!!」

 冗談でも、そんな光景を考えたくはないし、二度と(・・・)同じことを繰り返させたくない。

 怒った顔をする士道に、狂三は優雅に微笑んで声を発した。

 

「わかっていますわ、お優しい士道さん。ですが、わたくしとあの子の実力なら心配ご無用ですことよ――――――まあ、この子は士道さんと同意見のようですけど」

 

 コツンと、少し不機嫌そうに見える顔で狂三は影を小突いた。恐らくは、影に消えた狂三の相棒とも呼べるものへの八つ当たり(・・・・・)だろう。士道と同じ、ということは。

 

「……また視えたのか?」

 

「ええ。懇切丁寧に視えましたわ」

 

未来予知(・・・・)。光線の軌道が視えたのか、〈アンノウン〉が助けられる〝位置〟の未来が視えたのか、それは狂三にしかわからない。だが、その納得していない表情を見るにまた彼女の意思とは関係なく予知が発動したらしい。間違いなく、あの止まった一瞬のことだろう。

 もし〝天使〟に意思がある、というのなら。まず今の士道と全く同じ意見だろうと士道は笑みを穏やかに声を発した。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉も、狂三のことが心配なんだよ」

 

「過ぎた心配は、信頼がないのと同じことですわ」

 

「信じてるけど、心配だってことさ」

 

 それだけ、大切なのだから。狂三の力は信じているし、士道が心配するのもおこがましい実力差があることは理解もしている。それでも、危険があれば心配してしまうのは人が本能と称するものだ。

 天使が持ち主の心を映す水晶というのであれば、主を思う気持ちでそれくらい過保護でも問題はない気がした。無論、士道の感情論でしかないが。

 納得しているようで、やはりご機嫌斜め三十度なのか可愛らしく唇の端を尖らせる狂三を見て、士道は微笑みを深めた。

 

 そうして、狂三が銃弾を介さず能力行使をしている異常性(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)に気づかないまま、士道は別のことに気を取られ辺りを見回した。

 

「そういえば、肝心の〈アンノウン〉はどこ行ったんだ?」

 

「ああ。あの子でしたら、先に行っていると仰っていましたわ」

 

「先に……?」

 

「それよりも、今の折紙さん……士道さんはどう思われまして?」

 

 狂三に釣られて折紙がいなくなった先に視線を向ける。どう、と言われても、正直なところ何もわからない(・・・・・・・)が本音だった。

 

「そういう言い方する狂三は、何かわかったんじゃないか?」

 

「ですから質問を質問で……まあ、いいですわ。わたくしは【一二の弾(ユッド・ベート)】の術者ですから、ある程度の予測はつけられましたわ。それと、あなた様が成したことは間違いではありませんのでご安心を」

 

「え……?」

 

「結果自体は好転している、ということですわ。とはいえ、来るべき未来に〝アレ〟がないとは限りませんけれど」

 

 慰められて、いるのだろうか? 結局のところ、なくしたはずの絶望は再び舞い降りた。士道が抗った結果がこれでは、辿る道筋は同じなのではないか。そう考えてしまう士道がいるのは確かだった。

 

「ですが、袋小路となってしまった未来は存在いたしませんわ。少なくとも、今はまだ」

 

「……ひょっとして、慰めてくれてるのか?」

 

「…………つ、伝わっているのなら、いちいち仰らないでくださいまし」

 

 ぷいっと、恥ずかしがるように顔を背ける狂三。そんな彼女の少し遠回しな優しさに、嬉しい笑みがこぼれた。

 確かに、折紙はまだ救えていない。だが、決して無駄ではなかった。〝最悪〟とも言える未来が確定した世界からは抜け出せているし、何より……狂三の望みを僅かとはいえ叶えられたのだ。今はとにかく、前を向こう。そして、まだ絶望に囚われているというのなら――――――折紙を救い出す。

 

「ありがとう。そうだな、まだこれからだ」

 

「礼を言われるようなことではありませんわ。さて……この世界の折紙さんにどのような過去があるのか、気になりはしますけれど、【一〇の弾(ユッド)】での情報収集は困難になりましたわね」

 

「ああ。近づこうにも、あれじゃあな……」

 

 条件が確定したわけではないが、少なくとも封印されていない狂三の姿を見ただけで反転体になられては、手の出しようがない。下手をすればAST、更にはDEMまで現れて前の世界の二の舞になりかねない。それだけは避けなければならない。

 士道自身、折紙に何が起こったのか気になりはするものの、狂三にかかる負荷や危険性を押してまですることではない。

 

「こうなった以上、わたくしの領分ではありませんわ。あとは、士道さんのお心次第ですことよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「迷っておられるのでしょう? 琴里さんにお話するべきか」

 

「……っ」

 

 今でも少し、迷っている。琴里にどう説明するべきか――――――いや、そんなもの自分の弱さの言い訳でしかない。

 過去改変。それを成した世界で、士道が頼れるのは同じ記憶を持つ狂三だけだった。他の誰も覚えていない。他の誰も記憶を共有できない。自身が思っている以上に、記憶の齟齬は精神に負担をかけ、その恐怖に囚われていた。 

 怖いのだ、結局は。最愛の妹に信じてもらえるかどうかが。琴里はそんなことをしないと、わかっているはずなのに。

 

 そんな士道の様子を見た狂三が、ふと空の〝何か〟に目を向けて声を発した。

 

「……物的な証拠は抑えられましたでしょうし、そう悲観することはないと思いますわ」

 

「え?」

 

「人を信じるというのは、簡単であり難しいですわ。世界が変われば、なおのこと」

 

 それは以前、狂三自身が語っていたことだった。それを乗り越えたからこそ、二人はここにいる。

 

 

「わたくしの答えは初めから決まっていますわ。どのみち、琴里さんのお力は必要だと考えていましたし――――――士道さんの仰ることを信じない方ではありませんもの」

 

「――――!!」

 

 

 意外、というほどでもない。時崎狂三という子は、大多数の相手には皮肉屋で通しているが内心は真っ直ぐに人を信じられる精霊だ。

 だから、今この場においては士道より余程――――――

 

 

「……信じてるんだな。琴里のこと」

 

「な――――――し、信じる信じないとか、そういったお話ではありませんわ!! 事実を客観的に述べた迄ですわ!!」

 

 

 狂三が顔をトマトのように赤く染めて……なんか、今朝こういう反応を見たばかりな気がするなぁと思った。だが、その通りなのだろう。今朝の琴里は、士道を信じてくれた。それが全てで、最初から答えなど出ていた。過ぎた心配は、信頼がないのと同じ意味だ。

 狂三は琴里を信じていて、士道は二人とも信じている。琴里は、士道に守られるばかりの妹ではない。士道を命懸けで助けてくれる、〈ラタトスク〉の司令官。

 

 そして――――――妹を信じないおにーちゃんが世界のどこにいる。

 

 息を吸って、息を吐いて。変えた世界で、士道は己の欲を叶え続ける。

 

「俺の心は決まったよ。ていうか、元から決まってた」

 

「それはそれは。では、怖い怖い炎の精霊さんへ、会いに行くといたしましょう」

 

 なんの欲か――――――精霊を、皆を救いたいという、飛びっきり我儘な欲望だ。

 

 

 





〈刻々帝〉が先へ先へと進むのは良いのか悪いのか。少なくとも、士道との距離感を考えて警戒度は上がりますね。誰のとは言いませんが。

前半から後半の落差が激しすぎる。次回、作戦会議再びin〈ラタトスク〉。大長編ですかと思いたくなる折紙編も終盤戦。感想、評価、お気に入りありがとうございます!いつでもお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第九十九話『天使と悪魔の狭間』

評価沢山もらえて飛び上がって喜ぶこの年末。何だかんだともうすぐ100話ですねぇ。目指せ連載一年以内完結




「ああ、おかえりなさい。お邪魔してます」

 

 家に帰ったらソファーに全身白の外装を着た少女がいました。どう反応するべきなのでしょうか。

 

「お、おう。ただいま。ゆっくりしていって……じゃない!! なんでいるんだ!?」

 

「そこの女王様が言いませんでした? 先に行ってるって」

 

 横を向いて、『わたくしはちゃんと伝えましたわ』という視線を返された。言われてみれば言っていたと記憶しているが、行き先は告げていなかったため軽くスルーしていたのだ。

 

「思ったより早かったですね。もう少しゆっくりしていても文句は言いませんでしたよ」

 

「ゆっくりって……そもそも、お前だけ先に行かなくても良かったんじゃないか?」

 

「私、馬に蹴られて地獄に落ちるくらいなら、もう少し役に立つ死に方をしたいので」

 

「お前な……」

 

 だから、何とも反応に困るジョークを言うのはやめて欲しい。士道が反応を返せず手をこまねていていると、眠たげな顔をした女性が湯気を立てるカップを少女に差し出した。

 

「……良かったら。口に合うかはわからないが」

 

「……これはご丁寧に。いただきます」

 

「ちょ……っ」

 

 令音が渡したカップを受け取る少女。なんというか、見ていてムズ痒い感じがする距離感だった。ともあれ、白い少女がカップに口をつけてグイグイと飲み干していく――――――角砂糖がこれでもかと大量にぶち込まれた飲み物を。

 

「…………えぇ」

 

 飲めるのか。そのこの世のあらゆる甘みを凌駕しそうな殺人的な飲み物を、飲めるのか。血糖値が速攻でアウトゾーンを突破し、デッドヒートしそうな恐ろしい令音特製角砂糖漬けを、飲めるのか。

 平然とした顔で――いつもながら白い少女の顔は見えないのだが――二人揃って飲むものだから、士道と、恐らく隣の狂三も揃って絶句していると、令音と少女の二人が揃ってカップを差し出して、言う。

 

 

「……飲むかい?」

「……飲みます?」

 

「飲むかッ!!」

 

 

 叫んで返すと、二人がちょっと残念そうに肩を下げた……気がした。

 

「……いつまでボケっと突っ立ってるのよウスラトンカチ」

 

 声がした方向へ視線を向けると、黒リボン状態で士道を睨みつけた琴里が椅子に座って、見るからに不機嫌そうな雰囲気で腕を組んでいた。今更、それに怯む士道ではないが。

 

「ん、悪い。待たせたな琴里」

 

 士道が椅子に座った正面に琴里。琴里の隣には令音が小型端末をスタンバイし、その正面、つまり士道の隣に狂三が座る。白い少女は、気にするなと言わんばかりにソファーでくつろいだままだ。どうやら、積極的な話はこちらに任せるつもりらしい。

 

「本当よ。それで――――――どういうことか、説明してくれるんでしょうね、士道」

 

「……ああ。話すよ、全部」

 

 恐れるな。目の前の少女は、ただの妹ではない。世界中に自慢しても恥ずかしくない最高の妹で、士道よりずっと頭がよく、ずっと強い少女なのだ。

 

 

「変な話と思うかもしれないが、今から俺が、俺と狂三が話すのは全部本当のことだ――――――聞いてくれるか?」

 

「ええ、もちろんよ」

 

 

 言葉と表情に迷いは見られない。それどころか、一瞬司令官モードを突き抜けて嬉しそうな顔になったのを見逃す士道ではない。全くもって、迷っていた自分が馬鹿馬鹿しいと苦笑した。

 一度だけ、狂三に目配せをする。最終確認の意味合いもあったが、多分、本音は……ちょっとだけ、狂三と共有する〝秘密〟を手放すのが惜しかったのかもしれない。返事は聞くまでもなく、士道はゆっくりと口を開いて、話した。

 

 

 

「……と、こんなところだ」

 

「……なるほど、ね」

 

 時には狂三が細かい部分を補足し、大体の説明が終わる。

 折紙という少女が以前の世界では知り合いだったこと。

 その折紙が精霊化し、反転し、どん詰まりしてしまった世界を変えるため狂三と時間遡行を行い、世界を書き換えたこと。

 しかし、〝なかったこと〟にしたはずの可能性、反転体となった折紙が〈デビル〉という識別名で呼ばれ、存在していること。

 

「士道はともかく、この前の狂三の様子がおかしかったのはそういうことだったのね」

 

「いつも俺がおかしいみたいな言い方だな」

 

「あら、美少女を侍らせる男子高校生がおかしくないとでも言うのかしら」

 

「誤解を招く表現はやめろ!!」

 

 元はと言えば、〈ラタトスク〉が冗談としか思えない方法で精霊保護を目的とした作戦展開をしたのが原因なので、それで様子がおかしいと言われる士道はたまったものではない。

 まあ、そんなくだらない冗談で話の腰を折る気はお互いなく、すぐに落ち着いて琴里が言葉を発する。

 

「世界の書き換え……本当なら眉唾ものだけど、あなた達が揃って嘘を吐く理由が思い浮かばないし、信じる方向で話を進めるわ」

 

 そう言った琴里の視線に反応した令音が、手元の端末を操作し、三人に見えるように向けてくる。なんの映像かと思い覗き込んで、士道は目を見開いた。

 

「これ、さっきの……!!」

 

「ええ。今日の夕方、自律カメラが捉えた映像よ……鳶一折紙の情報を探るために幾つかカメラを飛ばしてたんだけど、まさかこんな決定的瞬間が拝めるとは思わなかったわ」

 

 反転した折紙に、狂三と士道まで見える。琴里の言う通り、これ以上ない決定的な証拠映像だと言える。

 あ、と小さく声をもらし狂三を見やる。狂三が言っていたのは、これのことだったのだと気づいた。その狂三当人は、これを待っていたと言わんばかりに口に手を当て僅かな思考を挟み、声を発する。

 

「折紙さんの解析は?」

 

「終わってるわ。令音に彼女のパラメータを解析してもらった結果、嘘を吐いている様子はない。つまり鳶一折紙は、自分が精霊になっていることに気づいていない(・・・・・・・)可能性があるわ」

 

 行き着いた可能性に士道は絶句する。ありえるのだろうか、と思考したことはあるが、〈ラタトスク〉で現実的な解析を伴うと、こうも驚くことになるとは。

 

「そんなことが、有り得るのか?」

 

「有り得ますでしょうね――――――厳密に言えば、精霊化した折紙さんは以前の折紙さん(・・・・・・・)なのですから、自覚がないのも当然の話ですわ」

 

「なっ、どういうことだ!?」

 

 狂三の言葉に思わず腰が浮き椅子が倒れかけ、慌てて椅子を抑えて座り直す。焦る士道とは対照的に、狂三は酷く落ち着いた様子で士道を見つめ返す。

 

「そのままの意味合いですわ。わたくしが戦った折紙さんは恐らく……いえ、ほぼ確定していますわね。断言いたしましょう。彼女は以前の世界、わたくしたちが知る折紙さんですわ」

 

「けど、それは――――――」

 

「〝なかったこと〟になった。ええ、ええ。そうでしょうとも。そうでしょうとも。ですけど」

 

 立てられた一本の指が士道の唇に当たり、その細く靱やかな指先を怪しく濡らす。息を呑む士道を指し示すように、狂三が言葉を続けて放つ。

 

「あなた様も同じではありませんの」

 

「俺が、同じ……?」

 

「……シンに元の世界の記憶(・・・・・・・)があること、だね」

 

 士道の疑念の声に答えるように、令音が声を発した。どうやら、相変わらず士道にわからない狂三の解説にもついていけているらしく、彼女は言葉を続ける。

 

「……シンは世界改変を成功させた。そして、元の世界のことは皆覚えていない……だったね? ならどうして、君には元の世界の記憶があるのだろうか」

 

「それは……」

 

 チラリと狂三に視線を向ければ、大仰に肩を竦める狂三の姿が目に映る。

 

「わたくしは〈刻々帝(ザフキエル)〉の持ち主ですことよ。そのわたくしが改変に巻き込まれるなど、おかしな話ではありませんの」

 

「つまり、あなたは例外として、士道だけが覚えている理由はあるのね?」

 

「ええ。わたくしも初めてのケースですが、令音先生と推測が一致したなら、この事象は確定していると自信が持てましたわ」

 

 と、一致していなくても自信に満ち溢れていそうな微笑みを浮かべ、狂三が指を二つ立てた。

 

「士道さんと折紙さんの共通点は二つ。御二方とも、わたくし自ら【一二の弾(ユッド・ベート)】を撃ったお相手。そして――――――霊力を保有している(・・・・・・・・・)こと、ですわ」

 

「? それは……」

 

 理解しようと頭を整理している中、琴里の方が早く何かに気づいて目を丸くして声を発した。

 

「そうか。その条件なら、鳶一折紙は書き換えられた世界で平和な生活を送っていて……そこに〈ファントム〉が現れて、霊力を与えられた瞬間……!!」

 

「あ……!!」

 

 琴里の言葉でようやく辻褄が合う。理解してしまえば早いものだ。

 折紙は一つ目の条件は元から持っていた。前の世界で狂三に時間遡行の弾丸を撃ち込まれたことだ。だが、もう一つの条件である霊力に関しては違う。以前の世界で、折紙は〈ファントム〉の手で後天的に精霊になった存在だ。もし、似た出来事がこの世界にあったとしたならば。

 

「じゃあ、あの折紙は本当に……!?」

 

「ええ。元の世界の折紙さんその人。とはいえ、完全な形で顕現しているわけではありませんわ。意識などあってないようなもの。〝敵〟として定めた憎悪の対象、精霊を殺すためだけに動く本能的な存在」

 

「けど、普通の……こっちの世界の折紙はどうなってるんだ?」

 

「……仮説でしかないが、自己防衛本能ではないだろうか」

 

 今度は再び令音が隈深い目を士道へ向け、疑問に対しての答えを用意した。

 

 

「……最初から元の世界の記憶を保持していたシンとは異なり、折紙はこの世界の記憶を持っていたんだ。異なる自分の記憶(・・・・・・・・)を強制的に流し込まれて、平和に生きていた彼女への影響がないとは思えない。それを防ぐために、この世界の記憶を持つ折紙と、元の世界の記憶を持つ折紙が分離してしまった。すなわち、平和に暮らす少女の折紙と、精霊を狩る精霊〈デビル〉に」

 

「そして――――――そんな状態が長く持つとは思えません」

 

 

 狂三でも令音でも琴里でもなく、唐突に聞こえた声に全員がそちらに視線を向ける。ソファーから軽く身を乗り出す形で、少女が神妙な声色で言葉にしたものを士道はその意味を問いかけた。

 

「ど……どういうことだよ」

 

「当たり前でしょう。元の自我が強すぎるんですよ。何度も何度も無理やりスイッチしていて、この世界の彼女の精神が無事で済むはずがない。それに、霊結晶(セフィラ)だってあれは本来の形(・・・・)ですが、必要な姿(・・・・)ではない。あのままだと、鳶一折紙の強烈な自我でも汚染されて取り返しがつかなくなる」

 

「ほ、本来の形? 必要な姿? 取り返しがつかなくなるって……」

 

「言葉通りです。あんなの目に見えた時限爆弾(・・・・)ですよ。起爆する前にどうにかしないと、前の世界と同じ(・・・・・・・)結果になります。そうなったら、私も同じ選択(・・・・)をしなければならない」

 

 何から突っ込めば良いのか。珍しく饒舌で怒涛のように繰り出される言葉の数々を頭の中で整理する。

霊結晶(セフィラ)に関する重要な言葉をサラッと入れられたが、とにかく折紙が危ないという一点が士道を焦らせる。それに、同じ選択(・・・・)と少女は言った。その意味は。

 

「同じって、お前もしかして」

 

「覚えてますよ。というか、覚えてなかったら鳶一折紙を放っておくわけないでしょう。あんな目に見えた爆弾が爆発したら、狂三の〝悲願〟どころか私の〝計画〟にも支障をきたすんですから」

 

 もうどこから突っ込めばいいか完全に見失ってしまい、士道は頭を抱えたくなる。それをどうにか堪えると、少女の行動の意図を探った。

 以前の世界と同じ選択、というのは多分なのだが折紙を〝敵〟として倒そうとした時のことだろう。だとしたら、疑問がある。士道は素直にその疑問を問いかけにして、声を発した。

 

「じゃあ……なんでお前は待ってくれているんだ?」

 

「……私の意志で誰かを贔屓(・・)して、何が悪いんですか」

 

 その言葉は、士道だけでなく琴里や狂三の目までキョトンとさせるには十分なもので、少女はそのまま身を翻して顔を背けるような仕草をした。

 その時、思い起こしたのは以前の世界での出来事。ちょうど、折紙によって監禁されていた時の別れ際の会話だ。

 

 

『――――――私、ああいう子が好きみたいなんだ』

 

「……ああ、それは、悪くないな」

 

 

 好きな子を優遇して、何が悪い。何も悪くない。士道だって、今まさに狂三を贔屓したからこそこの世界を生み出してしまったのだから。

 

「……言っておきますけど、状況が変わっただけです。鳶一折紙をどうにかしない限り、根本的な私の方針に変化はありません。その気(・・・)があるなら、お手伝いしますが」

 

「その気って……」

 

「――――――何言ってるのよ。決まってるじゃない」

 

 カリッとチュッパチャプスを噛む音が響き、琴里が口角を上げ強く脳髄に伝わる声で主導権を握った。

 

「形はどうあれ精霊は精霊。霊力に反応して〈デビル〉がスイッチするっていうなら、逆に言えばその条件を満たさなければ鳶一折紙は精霊化しないということよ」

 

「きひひ。士道さん、わたくしの領分ではないとはこういうことでしてよ」

 

「あ……」

 

 そういう事か。ある意味、相性の問題だ。狂三では精霊化して話ができない状態になってしまう。だが、霊力を表に出さず封印している士道なら、精霊化しない精霊という願ってもない好条件な土台が完成している。それさえわかってしまえば、これを逃す手はない。

 

「鳶一折紙が精霊である以上、〈ラタトスク〉がやるべきことは一つよ」

 

「デートして、デレさせる 」

 

 〈ラタトスク〉の根本的方針にして、士道が今まで貫いてきたやり方。それが通用するのなら、出来ないことなどないと琴里は満足気に笑って口を開いた。

 

 

「そう。そして、霊力を封印するの。それなら、時限爆弾とやらも自然と解体されるはずよ。さっさく鳶一折紙にデートの約束を取り付けて、私たちの戦争(デート)を始めま――――――」

 

「あっ」

 

 

 ここぞという決め台詞を遮ってしまい、リビングに微妙な沈黙が落ちる。琴里から抗議全開のジト目が飛んでくるが、待ったをかけるだけの理由はあるのだ。

 

「何よ、どうかした?」

 

「まあまあ士道さん、いけませんわ。ただでさえ、わたくしに台詞を取られてしまい、言いたくてうずうずしていたのでしょうに無慈悲なことを……」

 

「余計なことは言わんでいい!!」

 

 最近取られがちな台詞を気にしてたのだろうか、狂三の小声に見せかけたわざとらしい声色に、熱が籠った怒りで琴里が対応する。苦笑を浮かべながら、実は……と士道は既に事実上のデートの約束を取り付けていたことを説明した。

 

「はぁ!? 精霊かどうかの観測結果が出る前に口説いてたってわけ? 士道が?」

 

「い、いや……別に口説いてたってわけじゃ……」

 

「……じゃあなんでデートって話になるのよ」

 

「それはその……成り行きで……」

 

「へー……ふーん……」

 

 ダメだ、これはとことんまで追求してやるぞという目だ。逃げられる気がしない。士道としては本当に成り行きだったし、前の世界の折紙のことを知らない琴里からすればそうもなるだろう。とはいえ、説明しようとして説明できる関係かと言われると難しいのだが。

 一人ではとても誤魔化し切れず、ちらちらと横を向いて狂三に助けを求めた。幸いにも視線に気づいて、わかりやすく『仕方ありませんわねぇ』という顔を作った狂三がパチンと指を鳴らす。すると、蟠った影からお菓子か何かを入れるような袋が出てきた。それをテーブルの上に置き、中身を開封していく。

 

「お話も長くなって参りましたので、少し休憩いたしましょう」

 

「おぉ、クッキーか」

 

「ええ。手作りですので、お口に合うかどうかまではわかりませんけれど……」

 

「……お菓子まで作れるのね」

 

 ぐぬぬ、と唸る琴里に、狂三が令音にお一つどうぞ、と差し出しながら琴里に優しく微笑んだ。

 

「きょうよ……経験の差ですわ」

 

「あなた今教養って言ったわね!?」

 

「ま、まあまあ、落ち着けよ琴里」

 

 相変わらず琴里をからかうというか、構うのが狂三は好きらしい。教養というより、経験の差というのが物作りには欠かせないものなので、最初の方はわざと口にした冗談だろう。

 士道が琴里をどうどう、と手で制している間に令音が手渡されたクッキーを一口かじると――――――ハッとした表情になり目を見開いた。その様子に、狂三が少し眉を下げて声をかける。

 

「令音先生、如何なさいましたの? もしかして、お口に合いませんでしたかしら……」

 

「……いや、そんなことはない。好みの味だ。とても気に入る好きな味で、少し驚いてしまってね。ありがとう、狂三」

 

「あら、あら。一口でそれほど気に入っていただけるなんて光栄ですわ。けど、偶然もあるものですのね」

 

「偶然?」

 

 首を捻る士道に狂三がええ、と答えて視線をソファーの方に向けた。

 

「このクッキーはあの子の――――――あら?」

 

「ん? あれ……」

 

 不思議そうな声を発した狂三に釣られて全員が同じ方向に目を向けると、つい数分前までいたはずの〈アンノウン〉が忽然と消えていた。一体いつの間に、と思う士道が少し目を凝らすとさっきまではなかった紙が置いてあり、士道はそれを手に取って読み上げた。

 

「えーっと、『話は纏まったみたいですし、私は少し用事があるのでお先に失礼します』……自由すぎるだろ!!」

 

「……まあ、書き置きを残しているだけ成長していますわ」

 

 思わず叫ぶ士道を見て、狂三がそう苦笑い気味に息を吐いた。

 ……書き置きじゃなくて、直に言えば良かったんじゃないか? 無駄に隠密スキルを全開にしている白い少女にそう言いたい気持ちはあったが、当の本人がいないのでどうにもらならない気持ちだけが残った。

 状況を見た琴里が呆れを隠さない表情で、狂三に対して声を発する。

 

「で……このクッキーの何が偶然なのよ」

 

「ああ、いえ。大したことではありませんわ。このクッキーは、あの子の好みに合わせてわたくしが改良を加え続けたものですの。ですから、令音先生にそこまで仰っていただけると、わたくしとしましても嬉しいお話なのですわ」

 

「へぇ、〈アンノウン〉と令音がねぇ……」

 

「もちろん、あの子以外にも自信を持って出せる品に仕上げたつもりですけれど」

 

 ふーん、と琴里が一つまみクッキーを口に運ぶと、なぜか苦い表情で神妙に美味いわね……と呟くものだから士道はおかしくて笑ってしまう。狂三が相手だと、どうにもお互いが素直でないのが、士道としては困る気持ちと楽しい気持ちが共存してしまうのだ。微笑ましいと言うべきだろうか。

 せっかく狂三が作ってくれたものだし、そこまで評判が良いと早く口にしたくなってしまい、士道もクッキーに手を伸ばし――――――伸ばされてた別の手が、先にクッキーを取っていった。目で追いかけると、令音がクッキーを口に運んでいるのが目に入り……ふわりと、笑った。

 

 

「……嬉しい偶然だね」

 

 

 その微笑みが、綺麗なのもあった。表情が硬い令音があまり見せることがない微笑みなのもあった――――――それ以上に、その笑みが……まるで親類に見せるような慈愛に満ちたもののように見えて、士道だけでなく狂三、更には令音と親しい琴里まで目を丸くして三人で顔を見合わせてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 形容し難い、初めての感情。それが、熱くなる心を抑えながら何とか言葉にした、鳶一折紙が五河士道に対して感じた想いである。

 五年前の折、両親を救ってくれた彼と瓜二つの少年。だから、なのだろうか。いいや、それだけではないと思う。そのくらい、強い感情の波が折紙を襲っている。

 

 彼と話をする時。彼の顔を見た時。彼の手を握った時。彼の、彼の、彼の、彼の……今も、士道から貰った大切な連絡を返そうと必死になっているところだった。

 

 

『拝啓。秋の風がちょっぴりセンチメンタルな季節になりました。プレーンオムレツみたいなお月様に照らされて、五河君はどう――――――』

 

「……乙女かッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「――――――いや、乙女でしょう」

 

 端末をベッドに叩きつけて悶える折紙へ、一言。

 それなりに心配になって様子を見に来たのだが、前の世界の折紙より余程乙女チックなギャップに、どういう反応をすれば良いかわからなくなる。

 

 ちなみに、折紙が返信を完了したのは日付が変わった後の話である。少しだけ、その面白い様子を撮影しようか迷った〈アンノウン〉であった。

 

 





教養の差だ(手羽先イマジン並の煽り)。実際のところ経験の差が重要なんですけど。いや主人公の主婦スキル高いからね、周りのヒロインは基本仕方ないね。

おぉメタいメタい。いやさすがに狂三が決め台詞取りすぎましたっていう。
〈アンノウン〉のフラグ管理が露骨になってきているようなきていないような。少なくともディザスター、二亜、六喰が終わると残すは……ですからね。

そんなこんなで次回は遂に記念すべき100話。そんな100話で再現するのが天使という名の悪魔が垣間見得る折紙デート回なのか(困惑) 感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百話『折紙と折紙(デビル・エンジェル)

どちらが折紙なのかと言われれば、どちらも折紙ですよ。記念すべき百話でやるにしては奇跡的な偶然だけど折紙デート回。この小説だとあんまりクローズアップされてこなかったけどエンジェルの方はこういう子でしたね




 11月11日、土曜日。

 

 空気こそ冬の様相に近づいているものの、空模様は晴れ晴れとなり、デートの日としては絶好の機会だ。ここは相変わらず幸運に恵まれたと言えよう。

 右耳に付けられた小型インカムの調子も好調そのもの。士道がわざわざ調整せずとも、上空一万五千メートルで滞空する〈フラクシナス〉との通信もバッチリ……なのだが、どうにも気になって士道はインカムの調子を確かめるようにこまめに動かしてしまう。なぜかと言いうと。

 

『耳元を仕切りに気にしていると、鳶一折紙が不審に思ってしまいますよ。ほら気楽に気楽に』

 

「……気にしてる原因、わかってて言ってるよな?」

 

 顔が引き攣っているのが自分でもわかる。原因は、その声。どこからどう聞いても琴里のものではないそれは、何を隠そう精霊・〈アンノウン〉のものだった。

 これから折紙とのデートだと言うのに、どうしても気になってしまう士道は再三の形になるが通信先の琴里へ声を飛ばした。

 

「本当にいいのかよ、琴里」

 

『仕方ないでしょ。大体、許可しなくても無許可でやるつもりでしょうし、それならこっちの指示が聞こえる範囲に入ってもらう方がマシなのよ』

 

「ぐ……」

 

 正しくぐうの音も出ない正論だった。そう、何を隠そうこのデートのサポート役、というより半監視役に〈アンノウン〉、そして狂三までついてしまったのだ。

 

『士道さん、わたくしのことは気になさらないでくださいまし。わたくし公認のデート、楽しんでくださいませ』

 

「気になる!! 逆に気になるから!!」

 

 大層愉快なんだか、本心ではどうなのだかわからなくなる狂三の声に叫び返す。くすくすと小さな声が聞こえてくる辺り、からかわれていると士道は小さくため息を吐いた。

 まあ、今までも隠れて精霊とのデートを見ていたらしく、今回は特例措置でこういう共同戦線のような形に――士道のあずかり知らぬところでいつの間にか――決まってしまっていた。本来、精霊封印の後を考えれば精神的な影響もあり〈ラタトスク〉は他の精霊攻略、もっと言えばデートなどを見せるのは悪影響だと否定的なのだが……狂三はそれこそ今更、〈アンノウン〉も同じくと判断されたらしい。懇切丁寧に説明したが、理由の半分以上は琴里が言うように、勝手に動かれてはたまらないというのが本音なのだろう。

 目的地に向かって歩きながら、士道はキョロキョロと辺りを見回して口を開く。

 

「……ちなみに、どっから見てるんだ?」

 

『少なくとも、あなたに見つかるような隠れ方ではないのでご安心を』

 

 全く安心できないし全く落ち着かない。

 

「そうかい……けど、大丈夫なのか? 折紙がお前を見つけたりしたら」

 

『ああ、それは大丈夫です。会って確かめたので』

 

「……はぁ!?」

『……はぁ!?』

 

 兄妹仲良くハモった驚きだった。無論、街中で好奇の目に晒されるのは士道だけなのだが。はぁ、と狂三のため息のようなものまで聞こえた気がしたが、とにかく士道は真偽を確かめるために追求を投げかけた。

 

「いつ!? どうやって!? っていうかなんで会って大丈夫だったんだっ!?」

 

『……質問は一つずつにしてくださいよ』

 

 出来るか、この状況で。何だか前の世界の折紙の行動力が乗り移ったかのような〈アンノウン〉の行動に、頭が痛くなり立ち止まって物理的に頭を抱えた。

 

『いつかと言われれば昨日ですよ、昨日。ほら、鳶一折紙が恋愛相談室を開いてたでしょう?』

 

「な、なんでお前がそれを知って……」

 

『だから、その時に会いに行ったんですよ。ああ、もちろん格好は変えましたけど。狂三の制服を借りて』

 

 〈アンノウン〉の言う通り、お馴染み士道のクラスメイトの亜衣麻衣美衣になぜか祭り上げられ、折紙が昨日の昼休みに恋愛相談室を開いていた。中身は、なぜか妹がいない殿町宏人が「俺の妹に手を出すなよ!?」と地球外生命体の兄に身体を乗っ取られたのか心配になる言動をし始めたり、その他もろもろ色々と相談内容を疑うような反応が士道に降り掛かり、折紙当人に話を聞く時にも少し――少しどころではない――トラブルがあった一件である。

 相談室、と言っても昼休みの僅かな時間で〈アンノウン〉が折紙と接触していたなど信じられない。

 

「……狂三?」

 

『……わ、わたくしは悪くありませんわ。ちゃんと問題ないと予想して、結果的に問題はありませんでしたし……たまには、この子が言い出したなら叶えて差し上げたいものですし……』

 

『思った以上にダダ甘になってるわね……』

 

 珍しく歯切れが悪い言い訳の内容に、琴里がそう呟いた。なんと言うか、今まで我儘を言ってこなかった子供を存分に甘やかす親のようだ。士道も、今回ばかりは狂三の味方はしてやれそうにない。つんつんと指を合わせて言い訳を並べる狂三が目に浮かんだ……可愛いな、と平常運転したのはさておき。

 さすがに、知らない生徒が入り込んでいたなら大なり小なり話題なる――――――そこで、ふと耳にした噂が士道の頭を掠めた。

 

「もしかして、『男子がぶっ倒れるくらいの美少女がいたはずのに誰もその顔を覚えていない怪奇現象。来禅高校七不思議の一つ』ってお前のことか!?」

 

『なんで私一人のことなのに七不思議になっているんですか……?』

 

「……さあ?」

 

 人というのは噂を盛りたがるので、悪ふざけで段々と話が大きくなっていったのだろうか。真相の程は不明だったが、否定されなかったということは、この噂の正体が〈アンノウン〉で間違いないということだ。

『……私だって考えなしじゃないですよ。要は、〈アンノウン〉が私だと鳶一折紙が判別できなければ良い話なんですから。私にとっては、霊力を隠したまま人の記憶に印象を残さないようにするなんて、そう難しいことではありません』

 

 ちゃんと、狂三から理論のお墨付きはもらいましたしねと白い少女は付け加えた。確かに理にかなっている方法ではある。どちらかと言えば、頑なに白いローブ以外の姿を見せなかった〈アンノウン〉が、あっさりとその外装を脱いで学校内という近場にいたのがあまりにも衝撃的なのだが。

 しかし、その理屈で言うと少し疑問が生じる。琴里も同じだったのか、士道より先に彼女が〈アンノウン〉に問いかけた。

 

『じゃあ、なんで噂になってるのよ。印象に残らないんじゃなかったの?』

 

『……それだけ私の素顔が強かったってことじゃないですか? 私、〝これ〟だけは狂三やあなたにも負けないくらい自信あるんですよ』

 

 士道は少女の言葉に意外なものを感じていた。以前、あれだけ自己を否定していたというのに、その言葉には偽りは見られず、それどころか少し誇らしげなもののように聞こえたのだ。

 人が隠しているものを無理やり暴く趣味はない、と散々思ってはいるのだが、そんなことを言われると気になってしまうのが人という生き物らしい。士道がそうであるように、やはり琴里も同じであったらしく、また士道より先に声を発した。

 

『へぇ、それは是非拝んでみたくなったわね。ご利益もありそうだし』

 

『……あなたが見ても、特に意外性はないかもしれませんよ』

 

『どういう意味かしら?』

 

見慣れている(・・・・・・)でしょう?』

 

『……』

 

 それは、精霊たちのことを言っているのだろうか。白い少女の相も変わらず曖昧な物言いに、士道は訝しげに眉を顰める。

 だが、肝心な部分を士道はまだ聞いていなかった。

 

「なあ、そこまでして折紙に会いに行って、何を話したんだ」

 

『……まあ、とりとめのない簡単なお話ですよ。話すほどのことでもありません。それより、早く待ち合わせ場所に行った方がいいんじゃないですか?』

 

「む……」

 

 露骨な態度で煙に巻かれてしまった。とはいえ、今日は〈アンノウン〉を攻略するための時間ではなく、折紙とのデートの時間だ。少女の言っていることは正しい。

 

「そうだな……こっちの折紙は違うから確実とは言えないけど、もう待っていてもおかしくない」

 

 時刻は十時十二分。約束の十一時には早すぎるのだが、前の世界で色々事情があり折紙に嫌われるための計画の一環で、一時間以上デートに遅れて行った時があるが、不動明王が如く士道を待っていた少女が折紙なのだ。早く行く理由はあれど、時間ちょうどに行って待たせる理由はないだろう。士道の深読み過ぎだというなら、その分は自分が待つだけで良い。

 士道の言動に思うところがあったのか、琴里が含みのある声色をインカムから発した。

 

『ふーん、随分詳しいのねぇ。ただのクラスメートのわりには』

 

「……もとはといえば、折紙と知り合うきっかけになったのはお前らなんだけどな」

 

 今でもよく覚えている。元々のきっかけがあったとはいえ、折紙との会話や接触が多くなったのは琴里の〝訓練〟で折紙を口説くことになったのが根本の原因なのだ。今となっては、折紙と親しくなるきっかけになって感謝がないわけでもないが、それとこれとは話が別だ。

 

『さぁー、私には何のことかさっぱりわからないわね』

 

『士道さん、わたくしにもわかりませんので、ご説明願えませんでしょうか』

 

「ハハ、ナンデモナイナンデモナイヨー」

 

 この世界の琴里は本当に知らない上に、完全にやぶ蛇をつついてしまった士道はデート開始前から脂汗を滲ませることになった。

 

『口は災いの元、ですよ』

 

「……ご助言痛み入るよ」

 

 逆に何も言わなすぎるのもどうかと思うがね、と皮肉を返せる余裕もなく、士道は力なく返答した。

 そうして、いつもより賑やかなサポートという名の半出歯亀とくだらない話をしている間に、士道は駅前広場の噴水前に辿り着いた。

 折紙はそこにいる。秋らしいカラーのスカート。可愛らしいと言えるブラウスとカーディガン。以前の世界の折紙であれば、あまり意識して着ることのないスタイルに、士道は少し息を呑んだ。

 だが、それも一瞬。折紙が美人なのはわかっていることだ。それに見惚れるのも、男として見る目があるのだとポジティブに考えよう。さあ、鳶一折紙を救うため――――――

 

「五河くん? 早いですね」

 

「はは……それはお互い様じゃないか?」

 

戦争(デート)を、始めよう。

 

 

 

 

 

 

「ふむ……」

 

 出だしは悪くない。デートを観察しての〈アンノウン〉の感想がそれだった。士道が折紙を思わず下の名前で呼んで、それを上手く利用して名前を褒めることで好意的な展開に持ち込めていたし、折紙が士道からの提案で彼を下の名前で呼ぼうとして、結局は恥ずかしくて初々しい反応を見せていたりと……など、前の世界では見られない初心な少女のデートというのは、なかなかに興味深いものがある。

 

 と、折紙がこれからどこへ向かうのかと士道へ問いかけた瞬間――――――〈フラクシナス〉からサイレンが鳴り響いた。

 

「これは……」

 

『あら、あら。これが噂の……』

 

 知らないわけではなかったが、こうして擬似的に共同戦線を張るのは初めてなので、リアルタイムで観測できるのも初めてだ。

 

 

 

①『「実は、君と見たい映画があるんだ」映画館で恋愛映画を』

 

②『「買い物をしようと思っていたんだ」楽しいショッピング』

 

③『「まだるっこしいのはやめにしないか」大人のホテルに直行』

 

 

 村雨令音の操作する解析用顕現装置と連動した〈フラクシナス〉のAIが、精霊の心拍や微弱な脳波などの変化を観測し、瞬時に対応パターンを画面に表示――――――というシステムらしい。 要は、精霊とのデートに欠かせない〈ラタトスク〉側のフォローシステム。いつもインカムから士道へ飛ばされる指示は、これの影響を多大に受けている。

 

「……んー、狂三はどう思います?」

 

『折紙さんを普通の女の子と判断するのであれば、②の選択肢が堅いですわね』

 

 当たり障りのない無難な回答だ。少女としても同意見だし、〈ラタトスク〉側も似たような会話状況を見せている。①も悪いわけではないが、これから会話をしていく中で会話のない空間に入ってしまうのは惜しい。それを考えたら、②はこれ以上ない選択肢、なのだが。

 

「…………」

 

 狂三がこういう言い方をするということは、彼女も内心では気になっているのだろう。そう、普通なら(・・・・)選ぶことはありえないであろう選択肢――――――③が。

 そしてその気持ちは、以前の折紙を知る士道も同じだった。

 

 

『ちょっと待ってくれ』

 

『どうしたのよ』

 

『――――――その選択肢だったら、試してみたいことがあるんだ』

 

 

 その時、〈アンノウン〉の思考は士道と完全にシンクロしていたと言える。彼は選んだ、禁断でありながら折紙なら当然(・・・・・・)と言える選択肢を。

 

 即ち――――――お城のような大人のホテルを。

 

 瞬間、〈フラクシナス〉からけたたましいアラームが響き渡ったのは言うまでもない。

 

『感情値、安定しません!!』

 

『鳶一折紙!! 動揺しています!!』

 

『ったりまえでしょ何考えてるの士道おおおおおお!!』

 

 珍しく本気で焦っている琴里の叫び声が、少女と狂三の耳にキーンと伝わってくる。まあ、兄が精霊とデート中にも関わらず、突然こんな奇行に走ればそうもなるだろう。当の士道は全く反省もなく至って真面目なのだが。

 琴里が大慌てで誤魔化しの指示を飛ばし、通りすがっただけということで表としての体勢はどうにか事なきを得た。

 

『折紙なら絶対ここだと思ったんだがなぁ……』

 

『いやどういうことよそれ』

 

『ですが――――――好感度、上がっているのではなくて?』

 

 狂三の言葉にはぁ? と琴里が訝しげな声を返した。

 

『ちょっと、狂三までどうしちゃったのよ。そんなわけ……』

 

『あ、いえ司令。それが……感情値は変動していましたが、狂三ちゃんの言う通り、好感度は微かに上がっているような……』

 

『は?』

 

 クルーからの返答を聞き、琴里は今度こそ信じられないという口を大きく開いているだろう声を発した。

 

 一つ目の目的地をスルーし、次の議題はショッピングの場所。当然、三つの選択肢が再び用意された。

 

 

『①セレクトショップで彼女をコーディネートしてあげよう』

 

『②ペットショップで動物と戯れ、二人の距離を縮めよう』

 

『③強力な精力剤や媚薬の並んだ裏通りの薬屋に行こう』

 

 

 これが趣味の知れている、たとえば狂三が相手なのであれば②が有効である。しかし、そうでない折紙なら無難な選択肢で①になるだろう。

 

『士道、聞こえる? ここは順当に①――――』

 

『いや③しかないだろこれは』

 

「五河士道に同意見です」

 

『……申し訳ありません琴里さん。わたくしも同じですわ』

 

 むしろ、鳶一折紙を語る上で③があるのなら外せるわけがない。何だか少し楽しくなってきた気までしてきている。白い少女は至って大真面目だった。

 

『は? 何言ってるよあなた達。どう考えても年頃の女の子が行くようなところじゃないじゃない!!』

 

『いやでもほら、折紙だし……二人もそう思うだろ?』

 

「ええ、鳶一折紙ですから……」

 

『本当に申し訳ありません、琴里さん』

 

『どういうこと!?』

 

 意外と常識的な意見が増えてきた狂三まで巻き込まれていることに、琴里も混乱を隠すことなく悲鳴にも似た声を上げている。

 

『どういうことって言われても……折紙と言えば精力剤、精力剤と言えば折紙みたいなところあるじゃないか』

 

『いやちょっと待ってマジで意味わかんない。あなた達の知ってる『鳶一折紙』って、一体どんな女の子なのよ』

 

 どんな、と言われると大変説明が長くなって難儀なことになりかねないのだが、短くまとめるなら……ほぼ三人の意見が一致してしまう。

 

『どんなって……そりゃあ、各種精力剤を煮詰めた液体を飲ませてきたり、家に逃亡防止用のトラップを仕掛けてたり』

 

「監禁した相手にペットボトルの強制間接キスをしたあと、そのペットボトルの口をひと舐めしたり」

 

『……き、危険な戦場に無謀な装備で士道さんを助けようと駆けつけたり? ですわ』

 

 ついにいたたまれなくなったのか、狂三がフォローのようでフォローになっていない解説を入れ始める。なお、監禁エピソードは更に続きがあり、トイレの世話をしようと迷いなく士道のズボンに手をかけた実績まで残されている。これらのエピソードが、何一つ膨張のない実話なのが鳶一折紙が鳶一折紙足る所以だった。 

 

『はぁ!? そんな機械生命体みたいな女の子いるわけないでしょ!!』

 

 それがいたんです。機械生命体みたいな女の子が。前の世界では……少なくとも、この世界でも今の折紙の中には。

 

 なお、結局③の選択を選んだ結果は――――――

 

 

『ごめんなさい五河君。やっぱりこのお店、私にはよく分からないみたい』

 

『あぁ、そっか――――――ん? 折紙、これは……?』

 

『え――――えぇぇぇぇぇっ!? な、なんで私こんなものを――――――!?』

 

 

 感情値に恐ろしい波を作ったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

「私、どうしちゃったんだろう……なんであんなの抱きしめて……」

 

 折紙自身、前の世界……というより、恐らくは彼女の中に眠っている折紙の意思が介入しているとしか思えない行動に困惑しているのか、落ち込んだように眉根を下げる。

 とはいえ、こうなったのはあの選択肢を選んだ士道の責任だ。彼女が落ち込んでしまう必要はないと、士道はフォローのために口を開いた。

 

「気にするなって。こっちが気紛れに妙な店寄っちゃったのが悪かったんだし。お詫びになにか一着プレゼントするよ。何がいい?」

 

 既に困惑する折紙を落ち着かせるために場所を入れ替え、お洒落なセレクトショップの手前までは来ている。値段は、士道だけならしばらく趣味に何も割けなくなるような値段の服ばかりだが、今の士道のバックには〈ラタトスク〉がいる。

 出会ってまだ日も浅く、士道が男子高校生という立場を考えれば折紙から見ても意外な提案だったのだろう。折紙が慌てて両手を振りながら声を発した。

 

「そ、そんな悪いよ!!」

 

「大丈夫だ、任せろ。その代わり――――――その服を着た姿を最初に俺に見せてくれよ。それがお礼っていうことで」

 

「……五河くんって、結構女泣かせ?」

 

 照れたような折紙の虚を衝く言葉に、士道は素っ頓狂な声を発していないか慌てることとなった。

 

「へ? な、なんで……?」

 

「なんか、手馴れてるなー、なんて」

 

「そ、そんなことないって!!」

 

「ふふっ、冗談だよ――――――じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。せっかくだから五河君が喜びそうな服を選ばないとね」

 

 冗談めかしながらも、少し上機嫌になった口調で店内を見て回り始める折紙。結果的には助かったが、士道の方は大いに動揺させられたと軽く息を吐き出した。まさか、折紙にあんなことを言われることになるとは。

 

『うぷぷ……女泣かせですって。見抜かれてるじゃないの』

 

『良かったじゃないですか。鳶一折紙のお墨付きですよ。あなたの場合は、色々な意味で(・・・・・・)女泣かせでしょうけど』

 

「勘弁してくれよ……てか、〈アンノウン〉はどういう意味だそれ」

 

 インカムからいつもより多く響く声に、ため息を交ぜたまま言葉を返す。立場上、本来の意味で女泣かせをしでかすことになっているのは否定しないが、色んな意味でとはどういう意味なのか。

 

『どういう意味って、そのままの意味ですよ。行動そのもので物理的に泣かせに来るじゃないですか、あなた』

 

「物理的にって……」

 

 言い得て妙な話だ。散々そのことで皆に怒鳴られていれば、〈アンノウン〉の言動の意図もある程度は読み取れる。何と答えて良いものか、と居心地の悪さを感じていると、白い少女は言葉を続けた。

 

『悪いとは言っていませんよ。まあ、我が女王を泣かせるのは程々にして欲しいものですが』

 

『誰が、いつ、どこで、泣いていましたの?』

 

『あら、狂三の泣き顔なら是非私も見てみたいわね。写真とかある?』

 

『ありませんわよ。あったとしても、琴里さんには絶対お見せしませんわ』

 

『……んー、泣き顔って程じゃないですけど、左目にコンタクトを入れようとして――――』

 

『いつの話をしていますのっ!!』

 

 

『……シン。折紙は店の奥の試着室に入ったようだ。見失わないようにね』

 

「あ、はい。ありがとうございます、令音さん……」

 

 デート中に女子会に放り込まれた男子の気分を味わうことになるとは、と辟易してしまう。気になる話題ではあるが、女子のノリに突っ込んでいけるほど士道の精神は強靭ではないし、今は折紙を追わなければいけない。

 追うと言っても、令音からのフォローに従えば自ずと出来ることなど限られる。何やら騒がしくなってきた耳元にソワソワしつつも、折紙が試着室から出てくるまで適当に時間を潰して――――――

 

 

『――――――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

 

「っ!? どうした、折紙っ!!」

 

 

 響いた悲鳴に試着室の前まで駆け寄り、声をかける。すると、士道の声に反応する余裕さえないのか折紙はただならぬ雰囲気で声を発した。

 

『わ、私、なんでこんな……』

 

「くっ、すまん折紙!! 開けるぞっ!!」

 

『えっ……? あ、だ、駄目、五河く――――――』

 

 何かあったのなら、折紙の身の安全が最優先だ。制止を振り切った士道は試着室のカーテンを開け。

 

「……へ?」

 

 白く麗しい肢体を包む紺色の生地に、可愛らしい耳と尻尾が揺れる背徳的な絵面を見てしまった。ついでに言えば、革製の首輪までついている。

 

「折紙……その格好――――まさか、俺の喜びそうな服って……」

 

「違うの!! 誤解しないで!! こんな服、手に取った覚えもないのにぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

 格好に似合わない、悲痛な折紙の悲鳴が響き渡った。

 

 

『……これ、前の世界でも着たことがあるってことですかね?』

 

『わたくしが知るわけがないでしょう』

 

 

 投げやり気味な狂三の言葉と、ビーッ! というアラームが耳元から聞こえてくる中、士道は必死に折紙を宥める。

 

『ちなみに、どうなのですか士道さん』

 

 ……頼むから、話をややこしくしないで欲しい。実際、記憶に強烈に残っている光景を思い出し、士道はある意味同時に行われる戦争(デート)を捌き切るのであった。

 

 




これを読んでいるということは、私はもうストックを書ける状態ではないということでしょう。嘘です県外のイベント行ってるだけです。ストック減らしすぎたら投稿感覚伸びちゃうんですけど。

さり気なくアンコール1、5巻のお話が出ましたが、まあ余程ありえないものでなければ似たようなことが起こっていたというアレです。うち5巻の方は、また近いうちに……かもしれません。
わちゃわちゃデート回ですが、この辺狂三側で進行していたのもあって〈フラクシナス〉の選択肢も初登場ですね。初登場でこれは酷い。狂三がツッコミ側に回るのか(困惑)

次回、デート大詰め編。さぁさぁ、歴史に消えた舞台の幕が開かれます。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百一話『終末への回帰(カウントダウン・リスタート)

慣れない回を書いてて難航中。折紙編終わったら1回ディザスターは3日投稿に戻そうかしら…悩みますねぇ。




「……しかし、ムードが必要とはいえ二回も彼のデートをここ(・・)で覗き見することになるとは、思っても見ませんでした」

 

 時刻は十八時三十分を回り、あんなにも元気だった太陽は冬の夜闇に沈み、白い少女の外装を軽く呑み込む暗闇を作り出す。無論、それは白い少女の近辺の話であって、公園の外縁にいる士道と折紙は仄かな明かりに照らされている。

 こういうのを風情だとかムードだと言うのであろうが、少女にはあまり縁がないもので単純な感想としてはその程度。そんな様子の少女に、インカムから琴里の声が届いた。

 

『その言い方、一度目は十香の時なのかしら』

 

「ええ。正確には狂三と、という条件を含めての二度目ですけどね」

 

 今更、この程度のことを隠し立てするようなことでもない。少女としては、ここまで深い縁となって色々な物事がもつれ込むとは思いもしていなかったが、それに関しては悪いことでもない。良いことばかり、というわけでもなかったが。

 

「もう懐かしいですね。あの時に比べて、我が女王がここまで丸くなるとは……何だか感慨深いです」

 

『一体どんな目でわたくしを見ているんですの。まあ、概ね同意見ですわ。何かと縁のある場所ですこと』

 

 デートスポットという点もあるのだろうが、特に精霊にとっては縁深い場所のような気がしている。十香、今の折紙、そして狂三にとってもそうなのだろう。その三人全員と関わり合う士道は、この瞬間にもこんな考えを抱いているかもしれない。少女の想像でしかないが、そんな気はしてくるものだ。

 士道と折紙に目をやれば、手を繋いで顔を紅潮させているのがわかる。

 

「……いい雰囲気ですね」

 

『そうね。好感度も悪くないわ。ただ……封印するにはあと一押し、って感じかしら』

 

『……ああ。彼女の中に一つの不安感があるようだ』

 

「……不安感、ですか」

 

 令音からの言葉に、はてさて、一体何なのやら……と一応考えはするものの、簡単なものなら思い浮かび続けるものがある。今日一の行動を監視していれば、尚更。

 

『あんな奇行を繰り返したあとじゃあねぇ……』

 

「もう一人の鳶一折紙にとっては普通でも、あの鳶一折紙にとっては制御不能の混乱行動でしょうね。この場合、鳶一折紙の意思が恐ろしいのか、【一二の弾(ユッド・ベート)】の力が凄いのか……」

 

『〈刻々帝(ザフキエル)〉が折紙さんの行動の責任に巻き込まれるのは、甚だ遺憾ですわ』

 

 声だけだというのに不満を隠さず嫌がる狂三だが、少なからず関係をしているのだから無理は言わないでもらいたい。とはいえ、折紙の奇行を考えれば無理もない。何せ、あの後もレストランで我舐める故に我あり(ペロペロ・エルゴ・スム)事件という名の士道使用済みスプーンペロペロ案件やら複数の出来事があったのだ。正直、笑いを堪えるのにそれなりに苦労した。

 

「ま、その不安がなんであれ、鳶一折紙が打ち明けたがっているようですし、ここは五河士道にお任せしてみましょう――――――私個人としては、もう少しこのままでも良いと思っていますけど」

 

 あくまで、個人的な感情としては――――――叶わない願望としては、だが。少女の言葉が意外だったのか、琴里が驚いたように声をもらす。

 

『時限爆弾、なんて物騒な評価下した人の言葉とは思えないわね』

 

「……私個人としては、です。ただ……何も知らないで、幸せを謳歌できるならそれに越したことはないでしょう」

 

 たとえ、彼女以外がそれを許さなくても。この幸せは、この救いある時間は、かけがえのないものだと思う。少女の知っている記憶が、それを叫んでいる。

 そして――――――彼女自身が、それを許せなかったとしても。

 

「……きっと鳶一折紙は、望まないのでしょうね。あーあ、どうして私の周りはこう責任感の塊みたいな子しかいないのでしょうか」

 

 もっと物分りが良くて、初めから幸せな方向(・・・・・)に逃げてくれる子なら楽だというのに。そう呆れた声色で呟く少女に、またも琴里が声を返した。

 

 

『それ、あなたがそういう人(・・・・・)を好きになってるだけじゃない?』

 

「…………うわ」

 

『いやうわって何ようわって。自分のことでしょ』

 

 

 両者ともに頑固者で、両者ともに目的のために真っ直ぐで、両者ともに、背負ったことへの責任感は人一倍ある。

 どうしてこうも似通っているのか――――――簡単な答えだ。白い少女自身、そういった人を好ましい(・・・・)と感じてしまっているのだ。狂三と似ているから? ああ、そもそも似ている部分に着目して、好意を抱いてしまったのはどこの誰だ。琴里の言葉で今更その事に気づかされ、少女は軽く頭を抱えた。

 

「……我ながら、めんどくさい人種に惚れ込んでしまってますね」

 

『ほんと、考え直すなら今のうちにして欲しいわ』

 

 多分それは、白い少女ではなく士道に対しての言葉なのだろう。当人たちに聞こえているというのに、当てつけとばかりの言葉に少女は小さく笑いをこぼした。

 

「ふふっ、そうですね。もしそうなったとしたら、部下のことを考えてくれるあなたのような人にしますよ」

 

『それは光栄ね。いつでも待ってるわ』

 

『……お二人とも、お喋りはその辺りにしてくださいまし』

 

 若干声に怒りのような何かが混じっているのはともかく、狂三の言うように今まさに折紙が何かを打ち明けようとしているところだった。

 それは……彼女がASTを辞めていたことに関してだった。

 

『そうか。折紙、ASTを辞めてたのか……やっぱり、例の貧血で意識が途絶えるようになったのが理由なのか?』

 

『うん。それも原因の一つ。危険な武器を扱う仕事に、その症状は致命的だからね。でも……症状か出てきてからかな。私、よくわからなくなってきちゃって』

 

『わからなくなった? 何がだ……?』

 

『――――――精霊を倒すのが、本当に正しいことなのかなって』

 

 

「――――――」

 

 声が出ない。驚いた、と同時に、今の彼女ならばという気持ちもあった。

 精霊を憎み、精霊を殺すために生きた少女が、世界が変わり――――――それでもなお、精霊に囚われ続ける鳶一折紙が、そのようなことを言うなど。けれど、彼女は迷っていた。前の世界でも、その秘めた優しさを、ありのままの自分を受け入れられずにいたのだ。あの時の彼女が、今の折紙の中にもいるというのなら。

 

『……ごめんなさい。精霊は、五河くんのお兄さんを殺した仇のはずなのに』

 

『あ、謝ることなんてない!!』

 

『え……』

 

 折紙が士道の声に驚いた顔を作る。それは、そうだろう。身内を殺した精霊を恨んでいない、などとは思うまい。真相としては、そもそも士道の兄など存在しない(・・・・・・・・・・・・・・・)ので、折紙のこの不安を解消するなど簡単な話なのだ。

 

 

『俺は、折紙のその考えが悪いだなんてこれっぽっちも思わない。俺――――じゃなくて、兄貴だって、きっとそういうに決まってる!!』

 

『五河くん……』

 

 

 士道が、折紙の考えを肯定してやればいい。その想いは正しいものなのだ、と。だってそれは、士道もずっとそうあって欲しいと願ってきたことなのだから。

 彼の言葉を受けた折紙が、仄かに涙ぐんだ様子を見せた。それを観測した〈フラクシナス〉から、勢いよくファンファーレが流れる。

 

『好感度、急上昇!!』

 

『ポイント、上限に達しました!!』

 

『……ふむ、どうやら彼女に残っていた不安感は、これが原因だったようだね』

 

 精霊に対する感情。戸惑い、躊躇い。それらを士道が受け止めてくれるか否か。それが満たされた今、折紙の中にあった心の壁はなくなった。つまり、封印が可能な状態になった。加えて、雰囲気も最高だ。これほどの好条件を逃す手はないと、琴里が一気に指示を飛ばす。

 

『士道、いい感じよ!! そのまま一気に決めちゃいなさい!!』

 

『……っ!!』

 

 ――――――折紙の両肩に、士道の手がかかる。

 覚悟を決めた男の顔に、頬を赤くして戸惑いを見せる折紙。しかし、拒もうとはしていない。

 

 これは、取った。僅かに頬を緩ませ、白い少女は狂三へ声を飛ばした。

 

「あとは無理に見なくても良いですよ、我が女王」

 

『――――――――』

 

「……狂三?」

 

 返事が返って来ない。少女の冗談に気を悪くした、という感じではない。が、様子がおかしい。

 ただ、一言。狂三が何かを言った。

 

 

『――――――だめ、ですわ』

 

 

 何が――――――それを返す前に、空気が変わる(・・・・・・)

 

「ッ!!」

 

 その刹那、〈アンノウン〉は考えるより先に地を蹴り上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 目が、焼ける(・・・)。目の前には、折紙の顔がある。端整な顔、透き通るような双眸、桜色の――――唇。男として魅了されることはあれど、躊躇いを持ちすぎることはないと思える折紙の美貌。それ以上に、ここで折紙を封印できねば事は前の世界の繰り返しとなる。だから、止まる必要などないはずなのに。

 

『士道?』

 

 動きを止めた士道に琴里から訝しげな声が届くが、それに反応を示す余裕も、ましてや行動を言葉として返す力もない。

 

 ただ、左目が(・・・)、この先の全てを見通したように熱を持って針を動かしている(・・・・・・・・)

 様子がおかしくなった士道に、折紙が五河くん……? と瞑っていた瞳を開き――――――

 

 

「――――――」

 

「折、紙……?」

 

 

 士道ではない、何かを見ている。虚ろな瞳は、士道に宿った〝何か〟を見ている。

 

 右耳のインカムから、鼓膜を貫かんばかりのサイレンが響いた。

 

 

『……!! 士道!! 逃げなさい!!』

 

「――――――精霊…………」

 

「……っ!!」

 

 

 それぞれの声が、士道へ届く。ああ、わかる。これ(・・)は、精霊だ。世界を壊し、世界を滅ぼす――――――望まない破壊をしてしまう、悲しき存在だ。

 

「折紙――――――ぐっ!?」

 

 呼びかけようとした瞬間、士道の身体が宙を舞った。服の襟首を乱雑に引っ張られ、息が詰まる。それ自体は一瞬のことで、宙を舞った士道の身体は白い外装を纏った精霊に抱えられた。

 顔は見えない。けれど、そのような格好をした精霊は一人しかいないと士道は声を上げた。

 

「〈アンノウン〉!!」

 

「一旦下がります!!」

 

 追い縋るように放たれる霊力の圧(・・・・)を振り切り、〈アンノウン〉が後方へ着地する。抱えた士道を地面に下ろす少女に礼を述べる暇もないまま、折紙が見据える。

 

「折紙!!」

 

 目に見えるほどの霊力の壁。折紙を中心に広がる蜘蛛糸のような闇が、渦を巻くように彼女の身体へ収束する。

 

 昏い、漆黒。鳶一折紙の精霊化にして――――――失われたはずの破壊の化身。

 

『霊力値、カテゴリーE!! 鳶一折紙、反転しました!!』

 

『くっ……どういうこと。霊力に反応して表に出るはずじゃなかったの……!?』

 

 困惑と焦りが入り交じった琴里とクルーの声が聞こえている。士道は拳を握り、その疑問への答えを提示する。

 

「……〈刻々帝(ザフキエル)〉だ」

 

『〈刻々帝(ザフキエル)〉? 何言ってるのよ士道。狂三はそこに――――――』

 

「――――――五河士道。何を視た(・・)んです?」

 

 琴里の言葉を遮って、刀を抜き放った白い少女が士道へそう問いかけた。恐らく、少女なりに狂三と士道の特殊な繋がりは把握しているのだろう。今すぐ折紙を止めたい衝動を押さえつけ、士道は冷静さを何とか保ちながら声を返す。

 

「視たわけじゃない……けど、このままじゃ封印できない(・・・・・・)って、わかっただけだ」

 

 士道が、ではなく、〈刻々帝(ザフキエル)〉が。軽く左目に触れるが、もうその時の感覚は失われている。だが、あのまま封印を敢行しようとしても意味がなかったのは、明確に覚えている。

 この際、〈刻々帝(ザフキエル)〉に関してとやかく問い詰めている時間はないと判断したのか、琴里が言葉を投げかけた。

 

『待ちなさい。鳶一折紙の好感度は上限に達していたのよ? それなのに封印が成功しないなんてことが……』

 

「……なるほど。前の世界(・・・・)の鳶一折紙ですね」

 

 納得がいった、という口調で白い少女が手短に言葉を紡ぐ。

 

「……封印可能になったのはあくまでこちらの彼女です。多分、彼女の中に眠る鳶一折紙は心を閉ざしたまま――――――まったく、好感度は一番のイージーモードな癖に、面倒な引きこもり方をしてくれますね……!!」

 

『……彼女のもう一つの意志が、封印を妨げる壁になっている、ということか』

 

「……そりゃあ、解析官でもわからないですよ。何せ、普段は閉じているものがいざって時には妨害してくるんですから――――――ああいう手合いは、折れたら折れたで厄介ですよ」

 

 最後は士道へ向けての言葉だった。奥歯を噛み締め、キッと漆黒の霊装を纏った折紙を見遣る。

 強い心を、強い信念を持った少女が折れて、絶望してしまったら……心を閉ざして、閉じこもる。その殻はきっと、想像を絶する強固な物であり檻となる。今の折紙が、まさにそれだ。

 

「……〈刻々帝(ザフキエル)〉がわざわざあなたを介してまで警告したんです。そのまま進むよりはマシになっている、と考えるべきでしょうけど……どうします、五河士道?」

 

 試すような問いかけに、士道は叫び上げた。

 

 

「ここで――――――折紙を止める!!」

 

「……言うと思いましたよ」

 

 

 呆れながらも、どこか笑っているような少女。士道に、その選択肢しかないとわかっているかのようだった。実際、わかっていたのだろう。

 どのような形であれ、折紙は士道を〝精霊〟だと判断した。反転した折紙が顕現する条件を士道自身が満たしてしまった。彼女の霊力を封印できる者が士道しかいない以上、それは致命的な問題点となる。

 ならば、逃げ道などない。仕切り直しも存在しない。士道は今この場で、折紙の心の壁を、絶望を、全て受け止めて、取り払って封印をする。

 

 

「俺は、二度と折紙にあんなことをさせたくない。絶対に、繰り返させねぇ!!」

 

「……いいでしょう。私も、このまま彼女が終わるのは認めたくありません。分の悪い賭けですが――――――」

 

 

 ――――――白い、羽。昏い闇と対極を成す両翼が、白い少女の身体を空へと導く力と化す。

 

 

「私の力、あなたに預けます」

 

「〈アンノウン〉……!!」

 

 

 短いながらも、確かな信頼の証。少女はまだ、士道に希望を託してくれている。少女が排除すると決めた折紙を――――――救えるかもしれないと。

 

『――――〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉、展開!!』

 

 瞬間、折紙の周囲に淡い輝きが現れ、巨大な〝葉〟のような金属の塊が随意領域(テリトリー)の力で折紙を押し潰すように拘束した。

 〈フラクシナス〉の汎用独立ユニット。突然現れたようにしか見えないその存在を見て、士道は目を見開いた。

 

「な……」

 

「相変わらず準備が良いですね、五河琴里」

 

 言いながら、視線を上空に向ける少女。その視線の先、士道たちから遥か上空の空が一瞬の煌めきを放ち――――――空中艦〈フラクシナス〉が、そのベールを解き放った。

 フンと鼻を鳴らした琴里が、少女に答えるようにインカムに声を届かせる。

 

『念の為に周囲に仕込ませておいたのよ。まさか、本当に使うことになるとは思わなかったけれど――――――士道!!』

 

 〈フラクシナス〉が艦首を下げ、主砲の発射態勢に入る。随意領域で制御された空中艦でなければできない芸当に、士道は何をと問いかけようとして、琴里が言葉を続けた。

 

『詳しいことは後でたっぷり聞かせてもらうわ。〈ミストルティン〉で数秒の間霊力障壁を破るから、その隙に〈アンノウン〉に協力してもらって折紙に接近してちょうだい!!』

 

「あ、ああッ!!」

 

『収束魔力砲、〈ミストルティン〉、撃――――――』

 

 だが、魔力砲が放たれようとしたその瞬間――――――士道は力の限り叫んだ。

 

 

「琴里ッ!! 逃げろぉぉぉぉぉッ!!」

 

『え――――?』

 

 

 漆黒の羽が煌めく――――〈救世魔王(サタン)〉。幾条もの昏い光が、解き放たれた。

 

「く――――っ!!」

 

 羽の幾つかは、目にも止まらぬ速さで飛んだ〈アンノウン〉が斬り伏せる。しかし、止まらない。数が多すぎる。

 士道の眼前で濃密な黒炎が〈フラクシナス〉の巨体を貫き、或いは削ぐために迫る。如何に〈ラタトスク〉が誇る空中艦といえど、避けられる速度ではない。

 

 

「――――【一の弾(アレフ)】ッ!!」

 

 

 先の未来を、たった一発の銃弾が変えた。

 

 〈フラクシナス〉の艦体に暗闇の光より速く、黒い銃弾が突き刺さり、その速度を変える(・・・・・・・・)。信じられないほどの速度で急旋回が行われた。が、それでも全てを避けきれたわけではない。貫かれた機体が爆ぜる音と、琴里たちの悲鳴がインカムから響いた。

 

「琴里!!」

 

「琴里さん、出来うる限り離れてくださいまし。その巨体では的になりますわッ!!」

 

『っ……悔しいけど――――――機体上昇ッ!! 急ぎなさい!!』

 

 まだ【一の弾(アレフ)】の効果が残っているのか、随意領域も駆使しながら〈フラクシナス〉が雲の上へと消えていく。追い縋るように羽が追従するが、それらは〈アンノウン〉が斬り伏せることで追撃を免れた形だ。

 ひとまずはホッと息を吐き、舞い降りた増援の名を呼んだ。

 

「すまん、助かった狂三!!」

 

「いえ、いえ。しかし、とんだ大物喰らいがいたものですわね。この場合、両者を大物としていないと琴里さんがお怒りになりそうですけれど」

 

 こんな時だというのに、優雅な立ち振る舞いで士道の隣に降り立つ狂三。挑発的な物言いも、いつもの彼女らしいもので少しではあるが士道の緊張が解ける。

 だが、漆黒の羽がまた数を増やし、狂三と士道に狙いを定め始めたことで身を硬くする。

 

「狂三、危ないッ!!」

 

 叫ぶ士道に――――――狂三は、涼しい顔で口角を上げた。

 

 

「ああ――――――心配ありませんわ」

 

「え――――」

 

 

 その言葉の、通りに。

 

「――――はぁぁぁぁッ!!」

 

 士道の知る中で最強の剣を振るう精霊が、立ち塞がる羽を弾き飛ばした。

 その剣、その限定霊装。加えて彼女の存在そのものに士道は目を剥いて驚きを顕にした。

 

「十香!?」

 

「無事か、シドー、狂三!!」

 

 十香だけではない。四糸乃、八舞姉妹、美九、更には大人の姿になった七罪。今は五河家隣のマンションにいるはずの精霊たちの姿があった。

 どうしてここに、と問いかける前に彼女らに少し遅れる形で分身体の『狂三』が姿を見せたことで、士道はその理由に行き着くことができた。

 

「もしかして、狂三が……」

 

「ええ、『わたくし』に頼んでおいたのですわ」

 

「まあ、どちらかと言えば皆様、飛び出した十香さんについて行ってしまいましたので、取り越し苦労ではありましたけれど」

 

 くすくすと語る『狂三』。恐らくは、折紙から放たれる霊力を察知して十香がいの一番に飛び出して来たのだろう。

 本当なら、喜ぶべきことではない。十香たちには、何も知らず平和に暮らしていて欲しい。あの折紙の相手は危険すぎる――――――けれど。

 

「みんな、聞いてくれ」

 

 士道の声に、それぞれが一斉に顔を向けた。空中にいた〈アンノウン〉も、一旦は全ての羽を捌き切ったのか空を飛ぶ八舞姉妹と同じ空域に戻り、士道に目を向けていた。

 

 

「俺はあいつを……折紙を助けたい。そのために――――――みんなの手を……力を、貸してくれっ!!」

 

 

 逃げろ。そう言うべきだ。折紙と戦ってはいけない。そう言わなければいけないのは、士道の責任のはずだ。

 出来なかった。折紙を助けるには士道の力だけでは絶対的に足りない。今までの誰よりも、鳶一折紙という少女の絶望は強固なものだ。士道の声を届かせるには、全てを出し切らねばならない。出来なければ、この街は再び地獄と化して――――――今度こそ、あの未来(・・・・)が世界を包む。

 

「無理を言ってるのはわかってる。でも――――――」

 

「何を言っている。当然ではないか(・・・・・・・)

 

 そう言って、十香が強い微笑みを作る。否、十香だけではない。全員が、そうだった。

 

 

「シドーが私を救ってくれた。私に世界の美しさを教えてくれた。私の世界はシドーが作ってくれた――――――ならば今度は、私がシドーを手伝う番だ」

 

「私とよしのんも……士道さんのお役に立ちたいです……!!」

 

「そうそう、素直にお姉さんに頼ればいいのよ。士道くんあんまり強くないんだから無理しちゃだーめ」

 

「ていうか、〝逃げろ〟だなんて言ったら、いくらだーりんでも怒っちゃいますよー?」

 

「かか、よかろう!! 御主の覚悟、聢と受け取った!! この颶風の御子・八舞が力を貸してくれようぞ!!」

 

「請負。空は夕弦と耶俱矢――――――それと、正体不明の白い人に任せてください」

 

「……色々と合体してません?」

 

 まあ、否定はしませんけど、と白い少女が冗談めかして声を発してから、その空からの視線を狂三へ向け直した。

 

「さすがに三度も似たようなことを言うのは芸がないので――――――あなたなりの建前(・・)はありますか、我が女王」

 

 それにムッとするわけでも、ましてやムキになるわけでもなく、狂三は冷静に一度瞳を閉じてその手に銃を持つ。一秒、開かれた両の眼を彼女の黒と似て非なる色を持つ魔王へと向けた。

 

「そうですわね。今更、世界を救うことに興味はございませんが――――――」

 

 銃が狂三の指先一つで回転し、ピタリと彼女の顔の横で止まった。

 

 

「折紙さんには大きな貸しがありますので――――――本音の一つ(・・・・・)として、折紙さんを救って差し上げますわ」

 

 

 神をも魔性へと導くその微笑みは、相も変わらず頼り甲斐のあるもので――――――もう一つの本音は、士道だけが知っていれば良い。そんな表情に、士道も強く頷き返した。

 

 

「ありがとう、みんな――――――行こう、折紙のところへ」

 

 

 五年前からの呪縛の全てから、今度こそ本当の意味で折紙を救うために。

 

 

 





本当はペロペロ事件も入れる予定でした(尺の都合でカット) 実は一番好きなやつなんですけどね…残念。

精霊集結。終局へ向けて…さて、そう上手く救うことができますかね、ふふ。次回、『VS〈救世魔王〉』。
長かった折紙編、残り2話。感想、評価、お気に入りありがとうございます!!まだまだお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二話『VS〈救世魔王〉』

終末の鐘は鳴り続ける。止める術は、果たしてあるのか




 

『え……?』

 

 折紙の意識が目覚めた(・・・・)時、彼女の前に広がったのは果てしない真っ白な空間だった。立っているのか、浮いているのか、それすらも曖昧な場所。

 地平の彼方、というものがあるのなら、この地平に果てなどない。そんな空間に折紙はいた。

 

『なに、ここ……』

 

 確かに折紙は、ほんの少し前まで士道と共にいたはずだ。ああ、そうだ。彼の目――――――時を数える羅針盤(・・・・・・・・)。それを見た瞬間、いつものように意識が遠退いていった。それがいつも通りなら、時間が経てば意識を取り戻すはずだった……だが、今折紙はこのような奇妙な空間で目を覚ました。

 夢にしては酷く現実的で、けれど現実からはかけ離れていて。それより、士道の目があのようなものになっていたことが気になった。目の錯覚と普段の折紙なら判断する。一瞬だけ自身の頭が何かを誤認し、貧血によって意識を失ってしまったのだ、と。

 

『……え?』

 

 しかし、折紙は知っている(・・・・・)。目の前に現れた、虚ろな瞳の『折紙』はそれを知っている。その羅針盤を一度は確実に目にしたことがあった彼女なら。

 

 

『――――――!!』

 

『――ぁ――――――』

 

 

 時の渦巻きは、交わらざりし平行する双極を巻き込み螺旋する。

 

 無くしたはずの世界(折紙)と、新たに生まれた世界(折紙)が、混ざり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 如何に強力な攻撃といえど、当たらなければ意味がない。〈救世魔王(サタン)〉から生まれる羽は破壊の意志を持つ飛翔体。煌めく光は、威力だけでなく速度もあり回避は困難だ。

 

「かか!! 我らは風に愛されし颶風の御子!!」

 

「呼応。追いつける者はこの世界に存在しません」

 

 だがそれは、並の速度に常識を当て嵌めればの話。風を司る八舞姉妹には、放たれる光線など掠りもしない。空という空間範囲を活かし、追う羽を縦横無尽に回避していく。

 加えて、囮となった二人をフォローするように無数の『狂三』と〈アンノウン〉が羽を迎撃し始めた。

 

「五河士道、鳶一折紙を!!」

 

 こくりと頷いた士道は、真っ直ぐに折紙を見据える。空と羽の大半は彼女たちに託す。士道はただ、ひたすらに折紙の元へ駆け抜けることを考える。

 

「頼む、みんな!!」

 

 そのために、全員の力を借りる。士道の声に答えて、まずは美九――――――そして、七罪が彼女と全く同じ天使(・・・・・・)を発現させた。

 

 

「〈破軍歌姫(ガブリエル)〉――――【輪舞曲(ロンド)】!!」

 

「〈破軍歌姫(ガブリエル)〉――――【行進曲(マーチ)】!!」

 

 

 美九の歌が、〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉の拘束があってなお、飛び立とうとする折紙を更に抑える戒めの楽曲。

 七罪の歌が、士道たちを勇気づける勇猛果敢な曲調の応援歌となった。

 

 〈贋造魔女(ハニエル)〉・【千変万化鏡(カリドスクーペ)】。万物に変化する天使の最大変化。他の天使に化けられる(・・・・・)七罪の切り札に、美九が頬を膨らませて不満と驚きを顕にした。

 

「あーん!! 七罪ちゃんたら真似っ子ですー!!」

 

「ふふ、いいじゃないの。これも士道くんのため、よ」

 

「ぶー。あとでちゃーんと著作権使用料払って貰いますよー。アイドルは権利関係厳しいんですからー」

 

 自らの天使を再現されたのが悔しいのか、音楽家としてのプライドがあるのか。何にせよ、美九の力を攻防一体で活かせるのはこの状況において最高の助けだ。

 

「あら、あら。皆様、便利な〝天使〟をお持ちですこと」

 

「お前がそれを言うのかよ……」

 

 微笑んでそう言う狂三に、士道は呆れ気味に言葉を返してやった。便利さで言ってしまえば、狂三ほど特化した天使もそうない――――――のは、本人が一番よくわかっているのか。狂三がニィっと怪しげに笑みを歪めた。

 

「ですから、わたくしも負けていられないという話ですわ――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉、【二の弾(ベート)】!!」

 

 その可憐で優雅な仮面の下には、確固たるプライドがある。不規則な動きで駆け回る漆黒の羽に、狂三が百発百中の精度で銃弾を次々と命中させていく。当てられた複数の羽は、他の羽に比べて動きが酷く緩慢なものとなる。

 対象の時間の流れを歪め、遅延する【二の弾(ベート)】。重ねるように、狂三が彼女の名を呼んだ。

 

「十香さん」

 

「任せろッ!!」

 

 士道の視界を覆い尽くすほどの光の軌跡。士道たちを狙っていた羽が、一気に後方へと吹き飛ばされる。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉による支援と、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉による破壊力。相対する力は、ひとたび組み合わさればこれ以上ない相性の良さが生まれる。以前にも行われたコンビネーションだが、その精度に寸分の衰えも見られない。

 しかし、霊力を限定的な解放に留めている〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の力では羽を砕くことはできない。再度、羽が狙いを定め始めると、狂三と十香がそこへ立ち塞がった。

 

「あの羽は、私たちに任せろ」

 

「四糸乃さん……士道さんをお願いいたしますわ」

 

「は、はい……っ!!」

 

 声を返した四糸乃は、〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の前方に冷気を纏わせ、それを強固な盾のように展開した。

 

「士道さん、行きましょう!! 私の後ろにいてください……!!」

 

「あ、ああ!!」

 

 盾となった〈氷結傀儡(ザドキエル)〉を四糸乃が操り、その進行の影に守られる形で士道も折紙への道を進んでいく。が、力強い進軍もものの数秒で止められてしまう。

 

「う……、っうう――――っ」

 

『うぐぉぉぉ!! かったいねこりゃー!!』

 

 空間を歪ませ顕現した新たな羽が、〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の進軍を押し留める。攻撃ではなく、防御の構え(・・・・・)。集った羽が、新たな霊力障壁を生み出して力で押し通ろうとする〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の足を封じているのだ。これでは、攻撃を凌ぐことができても、防御の形を崩すことができない。

 

 

「四糸乃、よしのん!! 大丈夫か!!」

 

「四糸乃さん、今――――――」

 

「――――大丈夫、です……!!」

 

 

 こちらに援護を行おうとした狂三が、四糸乃の返答を聞いて目を見開く。声は苦しさを隠せていない――――――けれど、その視線は、その声色は、二人が出会った頃の四糸乃のものではない。誰より人を思いやることができて、それを表へと強く出せるようになった、強い少女のものだ。

 

 

「私は……弱虫で、泣き虫だけど……士道さんを、あの人のところに、届けるために――――――壁を打ち破る、力を」

 

 

 両手を大きく広げた四糸乃の手から、マリオネットを操るような糸がキラキラと輝きを放ち、それが〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の本体をも大きく光を放つ。

 

 

「〈氷結傀儡(ザドキエル)〉――――【凍鎧(シリヨン)】……っ!!」

 

 

 霊力の光が収束し、四糸乃の身体を光で包み込む。まるで、霊装を纏う瞬間の輝きのようなそれに、士道は驚きで声を発した。

 

「四糸乃……!?」

 

「っ、これは――――天使の、変性(・・)

 

 士道だけでなく狂三も声に驚きを乗せ四糸乃を見ている。

 

 本来ありえないものを、水晶が映した心が輝きを放ち――――――進化させる。

 

「――――はい、士道さん」

 

 強い意思を感じさせる四糸乃の声と共に、光が弾ける。変貌した彼女の姿が、隠された光から解き放たれ士道の眼前に現れた。

 

「鎧……?」

 

 氷の鎧。まるで〈氷結傀儡(ザドキエル)〉という天使そのものを身に纏い、表現しているかのような鎧。それが四糸乃の姿を変化させ、彼女の意思を貫き通す力として顕現した。

 

「ん……っ――――ああああああああ……っ!!」

 

 突き出した両手を組み合わせ、氷結の使徒を纏う四糸乃が冷気を召喚する。そこへ捻りを加え、正面にドリルのような錐を生み出し、霊力の壁を破壊する道を一気に切り開いた。

 

「士道さん……今です……っ!!」

 

「あ――――ああっ!!」

 

 未だ凍土の影響で冷気が残る道を駆け抜け、遂に士道は折紙の元へ辿り着く。

 

「折紙ッ!!」

 

 〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉と美九の【輪舞曲(ロンド)】の影響で、折紙は飛び立つことなく地上に留まっている。否、そうではない。今の折紙は、本能的にこの拘束に抗っているだけだ。でなければ、この二つの力をもってしても抑えることなどできない。かつて、反転した十香の力がそれほどのものだったのと同じだ。

 

「折紙ッ!! 心を開いてくれ、折紙ッ!!」

 

 絶望に染まった虚ろな瞳。前の世界と同じものだ。士道の言葉だけでは届かない――――――だが、今は違う。

 もう一人の折紙が干渉を与え封印を遮っているのなら、逆もまた然り。こちらの世界の折紙ももう一人の折紙へ影響を与えているはずだ。

 

 どちらも、鳶一折紙という少女なのだから。士道はそれを信じて呼びかけ続けた。

 

「折紙――――ぐぁっ!?」

 

「士道さん!!」

 

 だが、届かない(・・・・)。その壁の厚さを事象にするかのように――――――或いは、士道を拒絶するかのように霊力の塊が士道の身体を吹き飛ばす。地面に叩きつけられるすんでのところで、素早く士道と地面の間に身体を滑り込ませた狂三の手で助けられる。

 

 もう一度、と顔を上げた士道は――――――

 

「な――――――」

 

 深淵の絶望に、己が目を疑った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 折紙は『折紙』であり、『折紙』は折紙である。時崎狂三の分身体とはまた違う、もう一人の自分。

 

 違う世界を歩んだもう一人の私。

 

 絶望と、救い。地平の彼方で交わらざりし闇と光が、今この瞬間だけは相対することを許される。いいや、混ざり合うことを許される。

 五河士道。彼という存在を繋ぎ目として、折紙と『折紙』は世界を統合した。

 

 折紙は、絶望した現実を。

 

 『折紙』は、希望と優しさに満ちた両親の記憶を。

 

 折紙が殻に閉じこもる『折紙』に対して、成すべきことは一つだけ――――――その殻から、もう一人の自分を繋ぎ止めること。

 

『私は五年前、お父さんと、お母さんを――――――』

 

『この世界ではそんなこと起きてない!! 五河君のお兄さんが……ううん、五河君が助けてくれた……!!』

 

 精霊としての知識を共有し、記憶そのものを融合させた今の折紙ならわかる。あの時、両親を助けてくれたのは〈ナイトメア〉・時崎狂三の力を借りて時間遡行を行った士道その人なのだと。

 彼が希望を照らしてくれた。両親と過ごす、以前の世界にはなかった一年という優しく大切な時間を……士道が命をかけて生み出すきっかけを作ってくれたのだ。この記憶があるから今の折紙がいる。この記憶があるから、鳶一折紙は希望をもって、前を見て生きていられる――――――同時に。

 

 

『だったら、この記憶は何? 私の中にあるこの記憶を――――――二人を殺したことを、〝なかったこと〟にできるというの?』

 

『ぅ……ぁ……、あ……』

 

『私はあなた。あなたは私。世界が創り変えられても、記憶は消えない』

 

 

 過去の現実が、主観としての記憶として再現される。折紙は『折紙』で、『折紙』は折紙。当然の結実だ。

 炎に消える街。折紙の攻撃でできたクレーター。折紙が殺した両親(・・・・・・・・)。歴史は書き換えられ、〝なかったこと〟になる――――――だが、記憶はそうではない。両親を殺した精霊という折紙の記憶は、大罪は、未来永劫消えることはない。〝なかったこと〟になど、なりはしない。

 それを背負って生きていかねばならない。それを背負って、折紙は罪を償っていかねばならない。けれど……それを成せるだけの糧など、もう鳶一折紙の中に欠片も残ってはいなかった。

 

 だから、消える。闇の中へ。誰の手も届かない深淵へと。

 

 

『私はもうだめなの……だから、あなたも……』

 

『だめ、これじゃあ……いや、……うぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ!!』

 

 

 闇が白を染めて、地平が閉じる。幸せな記憶を、絶望が塗り潰す。起こり得なかった過去ではなく――――――これから起こる、もう一度(・・・・)起こしてしまう凄惨な未来が折紙を襲う。

 差し伸べられる光さえ、深淵を照らす力には足りない。届かない。届きさえすれば、その声は折紙を引き上げるだけの力となる――――――それが今は、途方もなく遠い儚き希望だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 士道が己が目を疑うのは至極当然のことだった。狂三でさえ、声を詰まらせて僅かな動揺を見せているのを感じる。

 それほど、目の前の景色(・・)が圧巻の一言だった。そう、景色(・・)だ。もはや称するのであれば、表現するにはそう在らねばならないほど――――――一〇〇に迫ろうかという漆黒の羽(・・・・・・・・・・・・・・・)が、絶望の権化として空間の歪みから現れてしまった。

 

 濃密な光が一斉に煌めきを放ち、夜闇を深淵に染め上げた。

 

「『わたくしたち』――――!!」

 

「みんな、逃げろ――――――ッ!!」

 

 狂三と士道の叫びは全くの同時――――――漆黒の光線が視界の全てを覆ったのも、同時だった。

 

「【一の弾(アレフ)】――――!!」

 

「ぐ……っ!!」

 

 今までに感じた中でも最大級の加速。狂三は普段、士道を案じて速度を意図的に抑えているが、それでは避けきれないと踏んでの最大加速領域。急な衝撃で身体のどこかをやられたのか、内部から荒れ狂う熱を感じる。今は、そんなものに構っている暇はない。目を開けることすら困難な中、士道は必死に十香たちを探すため眼球運動を試みる。

 

 視界の先の光景を半分以上覆い隠す光線。まず最初に辛うじて確認できたのは八舞姉妹だ。

 

「く――――夕弦ッ!!」

 

「最大。耶倶矢、集中を――――!!」

 

 闇色に染まる空を、神速を活かして回避し続けている。さしもの彼女たちも無傷とはいかない。しかし、限定霊装で防げるギリギリのラインを見極め、掠めていく攻撃を敢えて受け流しながら、この状況において少しでも多くの攻撃を引き付けてくれているようだ。

 

「く、ぅぅぅぅぅぅッ!!」

 

『ふぁいとだよ四糸乃ー!! 十香ちゃんも一緒にいくよー!!』

 

「無論だ!!」

 

 次に確認できたのは十香、四糸乃、よしのんだ。即席で氷の壁を作り出し、それを次々と重ねがけしていくことで光線を受け流している。十香も霊力の壁を作りそれを支えていた。

 

「……っ」

 

 無事を喜ぶ暇もなく、視界が旋回する。狂三が放たれる光線を避け続ける中、ようやく美九と七罪を見つけた。

 

「美九――――七罪!?」

 

 思わず悲鳴のような声を上げる。美九はまだわかる。【輪舞曲(ロンド)】に使っていた拘束の力を音圧の防壁として、更に『狂三』たちも彼女を守るため霊力障壁を展開し苦しい表情ながらも光線を凌いでいる。

 だが、七罪はそれをしていない(・・・・・・・・)。美九や『狂三』の防壁に守られてこそいるものの、七罪本人が元の演奏の手を止めていない――――――止められないのだと、士道はようやくそのことに気づいた。

 完全な力を振るうことができる狂三はまだしも、他の皆はそうではない。本来の霊力に遠く及ばない限定解放。それを根本から支えているのが、〈贋造魔女(ハニエル)〉によって再現された〈破軍歌姫(ガブリエル)〉の【行進曲(マーチ)】だ。高揚の加護を失ってしまえば最後、このギリギリの防御網は完全に崩壊する。

 それを七罪はわかっているから、〈破軍歌姫(ガブリエル)〉の演奏を止めていない。

 

『――――――ッ!!』

 

 恐怖を押し殺した顔で、皆を繋ぎ止めている。大人の姿の七罪と言えど、その恐怖は普通なら耐えきれるものではない。何しろ、一撃一撃が自らを殺す必滅の光が眼前に迫っていても、避ける行動を選ぶことさえできないのだ。美九の音防壁は七罪に届いてこそいるが、全てをカバーし切れはしない。七罪側が、見るからに押し込まれ始めている。

 それでも七罪は、演奏を止めない――――――己が身を顧みず、皆を守るために。

 

「ッ……狂、三!!」

 

「わかっていますわ!! わかって、いますけれど……ッ!!」

 

 近づけない。いや、近づいてはいる。しかし、狂三も数え切れないほどの砲門から狙われ続けている。その中を掻い潜り、七罪の元へ駆けつけるのは至難の業だ。だとしても、七罪を救うために士道は無理を言うしかない。

 

「な……!?」

 

 顔を歪める狂三と士道の視界の端で、魔力光(・・・)が閃光のように駆け抜けた。それが羽の一部分を吹き飛ばし、僅かだが攻撃に穴を作る。驚いてその方向を確かめると――――――

 

「〈フラクシナス〉!?」

 

 巨大な空中艦が、遮る雲を突き抜けその姿を晒していた。だが、見たところ攻撃を受けた箇所の損傷は補修されたわけではない。破損箇所はそのまま、士道たちの危機に再び駆けつけたのだ。

 

「琴、里……そんな状態じゃ……っ」

 

『こっちのことはいいから、早く七罪たちを――――――きゃぁっ!!』

 

「琴里!!」

 

 吹き飛ばされた羽が〈フラクシナス〉を敵性存在と認めたのか、艦体を容易く砕く攻撃を始めた。あれでは長くは持たない。通信がブツリと途切れ、一瞬好転した状況も混迷へと逆戻りしてしまう。

 

「七罪さんッ!!」

 

「七罪ッ!!」

 

 それでも、僅かながら生じた隙をついて狂三が死地をすり抜けて行く。あと数秒あれば、狂三が七罪の元へ到達し得る――――――その数秒が、遅い。

 

「っ――――――」

 

 美九と『狂三』の防壁が、その一部分が崩れる。堅牢な盾を打ち破り、二条の闇色が七罪へと迫る。

 強烈な重圧の中でそれを見た士道は、小さく声を洩らす。狂三では、間に合わない(・・・・・・)。『狂三』たちは咄嗟に身体を滑り込ませようとしている。美九は、悲痛な表情で音圧を飛ばしている。他の精霊たちも、事態には気がついている。

 

 けれど、遅い。それら全てが遅すぎる。七罪を守るには足りない。七罪自身も、思わず目を瞑って殺意の刃に身を硬くすることしかできていない。

 

『――――――ぁ』

 

 声が重なる。声だけでなく、見えるものも重なっていたのかもしれない。

 

 刃が、一条の闇を阻んだ。その衝撃で眩い光を放ち、一瞬だが士道の視界を覆い尽くす。遮る前の一瞬が確かなら、その刃は持ち主がいない(・・・・・・・)。刃は持ち主によって乱雑に投げられ、光線を防ぐ防具の役割を成した。

 

 なら、色のない刀の持ち主は、どこへ消えたのか。答えは、返ってきた視界の中にあった。それを見た時、士道は顔を凍り付かせた。

 

 

「か――――――ぁ……」

 

 

 対極の黒が、穢れのない白い外装を――――――〈アンノウン〉の身体を、一条の光が撃ち貫いた。

 

 

 







別に戦力が増えたからって元より展開が良くなってばかりとは言ってませんよ、私。
〈アンノウン〉は私が考えたキャラなのでどういう扱いしようが自由なのです(無慈悲宣告) まあ好かれるキャラ付けもしてませんしねこの子…狂三全振りという感じのデザイン。構想初期はかなり違ったキャラ付けだったのですがこれはそのうち語ることがあるかもしれません。なんかもう死んだみたいな発言してるなこいつ!!
酷い扱いはするけどこの子を好きになってくれる方がいるならそれは嬉しい作者心。酷い扱いはするけど(大事なことなので)

次回、折紙編クライマックス。世界を変える悲劇の連鎖、その終幕をどうかご覧下さい。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百三話『白き復讐鬼の最期』

遂にクライマックス。長く続いた折紙編、完結です。




 翼が散る。咲き誇る〝白〟が、堕ちる。魔王に羽をもぎ取られた天使は、一対の白き翼を散らす。

 

 狂三が何かを叫んでいる。押しのけられた七罪が手を伸ばしている。天使は、それらの影響を受けることなく無常にも地に堕ちて――――――

 

 

「っ――――――ぁぁぁあああああああッ!!」

 

 

 少女が、吠えた。抑揚を抑えた声でも、冗談めかして道化を演じる声でもない。ただ、力の限り〈アンノウン〉が咆哮する。

 

 瞬間、散り始めた翼が時間を巻き戻したように再生していく。舞い散った羽は依然として儚く地面に堕ちて逝く――――――けれど、天使は再世(さいせい)する。

 

「――――――来て」

 

 手を高く掲げた。両翼が白い輝きを放ち、凄まじい烈風を纏い翼を羽ばたかせる。

 黒き閃光が再び迫り来る。精霊を殺すために。少女は外装の下でそれらを冷ややかな瞳で見た。

 

 彼女を絶望させ、止めているものを見た。

 

 

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 

 己を世界として、己を塗り替えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「な……んだ……っ!?」

 

 漆黒の光線が〈アンノウン〉を撃ち貫いた。誰もが絶句し、誰もが駆け寄ろうとした中で――――――〈アンノウン〉が咆哮した。たったそれだけで、状況の全てが塗り変わる。

 弾き飛ばされた刀が白い粒子のようなものになり、少女の身体に取り込まれる。その瞬間、少女が光を放って飛び立った。

 

 そう、万由里の時と同じように(・・・・・・・・・・・)

 

「〈アンノウン〉――――!!」

 

 咄嗟に手を伸ばす士道だが、狂三に抱えられたままではどうしようもない。狂三も、未だ放たれる光線を避けることで精一杯だった。

 あの光が万由里の時と同じものなら、少女は既に決めてしまった(・・・・・・・)。ダメだ、それだけはダメなのだ。まだ、折紙を救えていない。世界に翻弄され続ける彼女を、絶望の淵に沈む彼女を……見捨てることなんてできない。

 

 天を駆けた少女が、右手を前に突き出す。貫かれたはずの身体は、傷どころか外装に穴が空いた様子すら見られない(・・・・・・・・・・・・・・)。異様な雰囲気と、取り返しのつかない〝何か〟に圧倒されたのか、羽が一斉に〈アンノウン〉へ砲火を集中する。しかし、それら全てが少女の纏う白い光に触れた瞬間に消えてしまう(・・・・・・)

 

「だめだ、それは――――!!」

 

 士道の制止は届かない。少女を唯一止められる狂三は、ただ少女を見ているだけだった。

 

 そして、言の葉が紡がれる。

 

 

 

「――――――〈   〉」

 

 

 

 世界に光が満ちて――――――『無』が、闇を薙ぎ払った。

 

 

 

「っ……」

 

 どれだけの時間、夜闇を呑み込まんばかりの真っ白な光が包み込んでいたか。士道が目を開けると、空間は静けさ(・・・)を取り戻していた。十香、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九、七罪。そして士道を抱える狂三も、翼を羽ばたかせる白い少女も健在だ。ただ、漆黒の羽が全て消えている(・・・・・・・)。一〇〇に迫っていた絶望の化身が、一つ残らず『無』に返った――――――間に合わなかったのか。

 一瞬、そう考えて拳を握り俯く士道に……。

 

「士道さん、まだ終わっていませんわ(・・・・・・・・・)

 

「え……――――」

 

 示された先に、士道は大きく目を見開いた。

 

 確かに羽は消えた。だが――――――折紙は、未だそこにいた。殻に閉じこもって、それでも消えてなどいない。『無』の光を、浴びたはずなのに――――――

 

 

「士道ッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 名を叫ばれて表を上げる。光を纏った少女が、神々しい天使が声を震わせた。

 

 

「これが最後です。もう一度――――――あなたに、託します」

 

「ぁ――――ああッ!!」

 

 

 呆気に取られて、少女の意図を理解するのに数秒と必要なかった士道は大きく頷き返す。

 少女があの力を使って、折紙がまだ無事でいる。その意味を、士道は正しく理解した。〈アンノウン〉がその気になれば、今の光で全てを終わらせられたはずだった。

 

「狂三!!」

 

「ええ」

 

 短く、しかし感情のこもった返事をして狂三が身を振り返し折紙へと飛翔する。少女が切り開いてくれた道を、無駄にするわけにはいかない。

 ああ、そうだとも。士道は折紙を救いたい。けど――――――あの子だって、士道と同じくらい折紙を救ってやりたいと思っているのだ。それに答えられるのは、それを叶えてやることができるのは、士道しかいないのだ。

 

「――――折紙ッ!!」

 

 縮こまって、殻に籠った少女に三度呼びかける。言葉だけではなく、力の限り蜘蛛の巣のように広がった彼女の檻を殴りつけた。

 

「目を開けろ、折紙ッ!! 一人で抱え込んじゃダメだ!! 五年前、言ったよな!? お前は一人じゃないって……!!」

 

 一人じゃない。孤独に戦って、理不尽な世界に否定された折紙は、それでも一人じゃない。士道だけじゃない、みんなが折紙を助けようとしている。消えようとしている女の子を、必死に繋ぎ止めている。

 自らの全てが否定された瞬間、折紙の絶望は想像を絶するものだっただろう。もう一度、彼女を取り戻すのは折紙にとって幸せとは言えないのかもしれない。でも、それでも(・・・・)と叫び続ける士道は、最後までそれを貫き通す。

 

 絶望した終わりが――――――救いであってたまるものかと。

 

 

「お前が何度世界を壊そうが俺が必ず何とかしてやる!! 何度絶望しそうになっても俺が必ず助けてやる!! だから――――――消えるな、消えないでくれ、折紙ッ!!」

 

 

 強く、ただ強く。想いだけを力に呼びかける。

 

 虚ろな瞳は何も変わらない。反転した昏い世界は変わらない。

 

 だが――――――微かに、折紙の指が動いた気がした。

 

 そして。

 

 

「――――――士道さん!!」

 

 

 〝未来〟が、変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 少年が叫び続けている。虚ろなる精霊へ。閉ざされた未来を開くために。

 

 ああ、ああ。なんて優しい。なんて愛おしい。なんて――――――無駄な、行為。

 

「ッ――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉!!」

 

 それは狂三であって狂三ではない。しかし狂三である者の感情。その〝未来〟を否定するべく、時崎狂三は銃を握り、己へ突きつけた。

 

「【五の弾(ヘー)】!!」

 

 

 

 刹那。現実という絶対時間から切り離された、狂三だけの未来視空間。彼女はその一瞬であらゆる未来を観測した。

 

 折紙が街を破壊する未来。

 

 折紙が世界を滅ぼす未来。

 

 折紙が討滅される未来。

 

 折紙が、折紙が、折紙が、折紙が、折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が折紙が――――――――――――――――

 

「く――――――ぁ、――――――」

 

 己が死する未来。精霊たちが死する未来。士道が、死する未来。発狂してしまいそうな記憶が主観として頭の中にぶちまけられ、それを理性という儚い線で切り分け、分断して制御する。

 こんなものではない。狂三が欲しい未来はこんな絶望だけの未来ではない。その先、もっと先、無数に広がる未来の先へ――――――狂三は、手を止めてしまった。

 

 

「――――――――」

 

 

 なぜ。ああ、恐れている(・・・・・)。その先に、未来はあるのか(・・・・・・・)。そうして、ただの一瞬、時崎狂三は手を止めてしまった。

 

 

「――――――はっ」

 

 

 それが、どうした(・・・・)。鼻で笑ってやろう。そうとも。恐ろしいとも。未来など、視えてしまわない方が身のためだ。だが、そんな理由で――――――士道が誰かを救う手を離してしまうことを、認めるのか?

 そんなの御免だ。そんなことをするくらいなら、狂三は今すぐにでも士道を〝喰らい〟、新しい未来を創る。しかし、それは時崎狂三という精霊のプライドに賭けて許してやらない。

 

 何を妥協している。何を出し惜しみしている。こんなものではないはずだ。〈刻々帝(ザフキエル)〉は無限の時間を司る者。時崎狂三は、その天使を己が物として操る存在。そんな狂三が真っ先に諦める? 出来るわけがない。あの子(・・・)が紡いだ士道の道を――――――今度は、この時崎狂三が撃ち開いてみせる。

 

 

「未来を視るというのなら。未来しか(・・)視えないというのなら……その程度(・・・・)だと仰るなら――――――この時崎狂三、舐められたものですわ……ッ!!」

 

 

 【五の弾(ヘー)】は未来を観測する力。逆に言えば、それだけだ。未来に自由に干渉できるわけでも、その場で未来へ飛べるわけでもない。それは――――――他の銃弾(・・・・)の領域だ。

 

 

「〝未来〟を視せるというのなら、〝今〟など変えてしまいましょう。さあ、さあ――――――〈刻々帝(ザアアアアアアアアフキエエエエエエエエル)〉ッ!!」

 

 

 変えられるはずだ。〝今〟この瞬間を変えれば、自ずと〝未来〟は変わる。〝今〟が変われば、映し出す〝未来〟の光景(ビジョン)は閃光のように開かれる。

 その力がないなら、変質させればいい(・・・・・・・・)。できる。時崎狂三は精霊だ。その程度の奇跡、起こせずして何が世界の天災か。

 

 見たはずだ。〈刻々帝(ザフキエル)〉が狂三に応えて力を変性させてきたのを。

 

 観測したはずだ。士道を想い、己が力を進化させた四糸乃を。同じことが、時崎狂三にも可能なはずだ。できないとは言わせない。

 

 心優しい精霊たちを羨んでも、士道に救われた精霊たちに何度醜く嫉妬しようと、この想いだけは誰にも負けない(・・・・・・・)。負けてたまるものか――――――!!

 

 

「ッ、あああああああああああ――――――!!」

 

 

 どうかあの方の言葉を、届けるだけの力を。

 

 伸ばして、伸ばして、ひたすら光へ手を伸ばして――――――〝未来〟が、変わる(・・・)

 

 

 

 

 

 

 

「――――――士道さん!!」

 

「……ッ!!」

 

 狂三が士道を呼びながら、その手を伸ばしている。掴み取れと、呼んでいる。理由なんてわからない。でも、理由なんて必要ない。ただその先に、きっと〝未来〟はある。

 

 

「狂三――――――!!」

 

 

 だから、迷いをかなぐり捨て。躊躇いを考えから全て消し去って。愛する少女の名を叫んだ。

 

 伸ばした手が触れ合う。重なり合う。温かな手を握りしめ、士道は折紙と相対する。闇が蠢動し、絶望の羽が再び現れるより速く、狂三が撃鉄を下ろした。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 

 黒い弾丸は乱回転し、蜘蛛の檻を突き破り――――――折紙へと、辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 螺旋している。士道のものではない記憶が。交わるはずがない記憶が、士道が落ちていく最中で螺旋する。時を遡る銃弾が見せる螺旋のように。

 

 士道のものではない記憶は、士道のものではないはずなのに、まるで己の記憶のように違和感なく入り込む。見ているのに、体感している。

 

 五年。人間の少女が復讐に捧げるには重すぎる年月を。

 

 五年。人二人の命がもたらす一年から得た、かけがえのない年月を。

 

 鳶一折紙という少女の記憶が、複雑に絡み合う同じ少女の記憶が、時が螺旋する交差路で士道の心を強く揺さぶった。悲しみで涙が溢れて、優しさで涙が溢れて。ああ、どちらも折紙が感じる感情で、士道が返さなければならない大切な預かり物。

 

 そうして――――――落ちるように、士道は最果てへ辿り着く。

 

 

 

「いっ……た――――くない?」

 

 思わず頭を抱えてしまうくらい雑な落下をした気がするが、全く痛みがないことに頭を捻った。というか、なんで落下したんだ? と辺りを見渡すが……見渡す限りの白い空間に、士道は腕を組んで首を捻った。

 

「あら、あら。面白い登場の仕方をなさいますわねぇ」

 

「うぇ!? く、狂三?」

 

 振り向くと、いつの間にそこにいたのか。尻もちをついている士道に視線を合わせるように、しゃがんで両手を頬に当てた狂三が目の前に現れた。顔が妙に近い上に、そのポーズが反則的なまでに可愛い。もはや彼女という存在を世界遺産に登録するべきなのではないか、という士道の私情塗れの願望はともかく、ここがどこなのか問いかけるべく声を発した。

 

「ここ、どこだ……?」

 

「折紙さんの記憶空間……というより、わたくしたちの意識共有領域、といったところですわ」

 

「意識共有? 折紙のって――――――!!」

 

 折紙、という名を口に出したことで士道の記憶が鮮明になる。ここに至る直前、士道は二人の折紙の記憶を垣間見た。それ自体は【一〇の弾(ユッド)】が導いた結果だとわかるのだが……この空間については、士道の知識ではてんで説明がつきそうにもない。

 

「ど、どうなってるんだ。【一〇の弾(ユッド)】って、俺たち以外を繋ぐ力まであったのか……?」

 

 立ち上がり、様式美のようにスカートを小さく払った狂三が、士道に手を貸しながら喉を震わせる。

 

「そうですわね。正確には、あることにした、といいますか……わたくしたちの意識を刹那、それを更に凝縮したような時間差で、引き伸ばして無理やり意識共有領域へ転送していると言えば……士道さん、わかります?」

 

「ん、んん? んー…………?」

 

 手を借りて立ち上がり、頭を捻って考えてみるが、士道の出来が良いとは言い切れない頭では全て理解することはできそうにもなかった。そんな士道の様子を狂三が苦笑して見やる。

 

「申し訳ありません。わたくしも、まだ上手く説明できそうにはありませんわ。とにかく、ここは折紙さんへ言葉を届けられる空間、そう思っていただければ結構ですわ」

 

「折紙と……!!」

 

「ええ。まあ、士道さんが折紙さんへ呼びかけて僅かに開かれた心でなければ、如何にこの力といえど、ここまでは入って来られなかったでしょうけれど」

 

 そういう意味では、皆様の努力の結晶ですわね。と狂三が微笑んで言ったことで士道も釣られて笑みをこぼす。

 

「しかし、あくまで道が開かれたに過ぎませんわ。二度、三度とこの力を再現できるかもわかりかねますし、早く折紙さんを探してしまいましょう」

 

「……ありがとう狂三」

 

「礼は全てが終わったあとでいただきますわ――――――それに、この力は恐らく、わたくしと士道さんだけで変えられたものでは……」

 

「え……?」

 

「……いえ。どの道、確認の術はありませんものね。参りましょう」

 

「あ、ああ」

 

 ひとりでに完結して歩き出した狂三を追いかけて、士道も同じように歩いて並走する。急いだ方が良いのではないか、とも思ったが。

 

「ぁ……」

 

 狂三がわざわざ意識共有領域と、だいそれた名称を名付けるだけはあるのだろう。不思議な空間だった。果てが見えないというのに、距離など関係ない。その証明のように――――――士道の目の前に、折紙はいた。

 

「折紙……」

 

「っ……」

 

 呼び声にビクリを肩を震わせる。膝を抱え、顔を伏せ、それらは前の世界で絶望した折紙と変わらない。けれど、あの時は外界を拒絶する眠る少女に見えたものが、今は何かに怯える年相応の少女のように思えてならなかった。

 折紙に目線を合わせてしゃがみ込み、士道はゆっくりと声を発した。

 

「帰ろう、折紙」

 

「…………」

 

 ふるふると小さく首を振り、折紙がぽつぽつと言葉を交わし始める……きっと、どちらの折紙(・・・・・・)でもある、言葉を。

 

「私はもう……ダメなの。いや、見ないで……生きてちゃいけない……でも、お父さんとお母さん――――――五河くん、たすけ……て、……」

 

「ああ。助けるよ、必ず。ありがとな、俺を頼ってくれて」

 

 聞こえていたんだと思う。でも、同じくらい折紙の想いも強かった。負の感情を塊として持つ折紙は、自分を殺してしまいたかった。この世界で生きる折紙が、それを瀬戸際で止めてくれていた。

 本当に、奇跡のような想いの連鎖で士道はようやく折紙に手を伸ばすことができている。

 

「ダメ、士、道……」

 

「……ダメなもんかよ。お前は、生きてるじゃないか。だったら、生きてていいんだ。生きてくれ、折紙」

 

「っ……私は、お父さんとお母さんを殺した!! 街の人たちを殺した!! そんな私が、これ以上何を――――――取り返しのつかない罪は、〝なかったこと〟にはならないっ!!」

 

 

「それでも――――――生きていくしかありませんわ」

 

 その声に、折紙が目を見開いて顔を上げた。士道とは違い、寄り添うものではない。見下ろして、厳しい瞳で……それでも、優しさを秘めた言葉を狂三は紡いでいく。

 

 

「犯した過ちは消えない。当然のことですわね。それを覚えている者が、たとえ自分しかいなくとも。決して、消えることのない呪い(・・)ですわ」

 

「っ……」

 

「その罪を償うかは、その方次第。けれど、その罪は背負って(・・・・)いかねばならないもの」

 

 

 幾人もの、何万という命を喰らってきた〈ナイトメア〉。命を奪うことより残酷な仕打ちをして、それを咎められようと己が願いのために歩み続ける精霊。優しさがあるからこそ、時の獄に囚われてその業火に焼かれ続ける彼女は――――――けど、生きていかねばならなかった。

 

 

「きっと、誰も許しはしないのでしょう。きっと、許してくれる方は〝なかったこと〟になってしまったのでしょう。それでも、背負って、生きて……この理不尽な世界を、苦しいばかりの世界を生き抜いて――――――」

 

 

 一度言葉を切って、狂三は士道を見つめた――――――微笑みが、華を咲かせる。

 

 

「このような素敵な方に出逢えるのなら――――――それは、とても素晴らしいことではなくて?」

 

「ぁ……あ、あ……」

 

「わたくしたちのような者に、手を差し伸べる酔狂なお方は、世界に一人いらっしゃれば幸運ですわ。殻に籠って、そのチャンスを不意にするなど、有意義な時間の過ごし方とは言えませんわ――――――折紙さんは、手放してしまいますの?」

 

 

 最後は酷く、挑戦的な微笑みで締めくくる。なんとも彼女らしい〝激励〟だった。

 しかし、かなり過大解釈をされてしまったなと士道は頬をかく。だがそのくらいでないと、折紙を救うことはできない気がした。

 

 

「……俺がお前のお眼鏡にかなう素敵な人間かはわからない。けど、そうありたいと思う。だから――――――絶望だけは、しないでくれ」

 

「っ――――――」

 

 

 始まりの言葉をもう一度。何度でも。何十回だって言う。鳶一折紙という少女を、士道は絶対に見捨てない。ただ一つ、まだ言わなければいけないことがあった。

 

「折紙……お前の罪を、俺は一緒に背負ってやれない。俺にはもう、その罪を一緒に背負うって決めた子がいる。そんな無責任なことは、できない」

 

「……」

 

 狂三がどんな表情でそれを聞いていたのか、士道には見て取れなかった。折紙は、その言葉の意味を理解して、顔を歪めていた。

 なんて自分勝手な男か。勝手に世界を変えた士道に、そんなことを言う資格はない――――――けれど、その罪を背負って折紙は生きていくのだ。無責任なことを言って、折紙を縛り付けることはできなかった。

 

 そう、背負うことはできない。だが。

 

 

「でも――――――肩を貸すことなら、できる」

 

「士、道……」

 

 

 折紙を知る者として。折紙の記憶を垣間見た者として。五河士道はそれを成すことができる。なんと男冥利に尽きることか。

 

「……私、わた、し、は……」

 

「お前からの預かり物、ちゃんと返さないとな……ん」

 

 手を広げて、折紙を待つ。士道にできることはそれだけだ。それだけで、いい。大切な預かり物を、返す時が今だ。大切な人が辛い時に、何をしてやれるのか……士道は、よく知っていた。

 身体を震わせて、目を大きく開いた折紙。その目から、涙がこぼれ始めた。そうして――――――止まった時間は、動き出した。

 

 

「……、あ、うぁぁ……ぁぁぁぁぁぁぁっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」

 

 

 五年前のあの時と同じように。止まった時間を動かすように、折紙は士道にしがみついて、泣いた。

 それは五年もの間、泣くことができなかった少女が見せた……彼女の本当の顔だった。折紙は――――――背負って生きていくことを、選べた。

 

 どれだけそうしていたことだろう。折紙は、穏やかな声を発した。

 

「士道……あなたに、謝りたいことがある」

 

「俺に……? 何をだ?」

 

「きっと、私が士道に抱いていた感情は――――――愛でも、恋でもなかった」

 

 え、と目を丸くすると、折紙は士道の顔を見ながら言葉を続ける。

 

「私は……ただ、依存していただけ……両親を失った場所に、たまたまあそこにいたあなたを、当てはめていただけ。自分の弱さを誤魔化すために、あなたに縋っていただけ。そんな自分勝手な感情のために、あなたにたくさん迷惑をかけてしまった……心から、謝罪したい」

 

「……」

 

 その告白の答えは、すぐに決まった。多分、狂三にもそれがわかったのだろう。少しだけ視線を向けると、仕方ないと言わんばかりに肩を竦める彼女がいた。

 唇の端を上げて、士道は笑みを投げかけた。

 

「そいつは、光栄だ」

 

「え……?」

 

「少なくとも俺は……折紙、おまえに出会えてよかったと……心から思ってる。そりゃあ迷惑を被ったこともあるけど……もしおまえが俺を頼ってくれたのがその感情によるものだとするなら、それに感謝したいくらいだ」

 

「士道……」

 

 震える声と、また目尻に涙を浮かべた折紙が、その涙を拭って今度は狂三を見やる。そのまま、声を発した。

 

「時崎狂三。あなたにも、迷惑をかけた」

 

「……今回ばかりは、わたくしの判断の結果も原因としてありましたので、その礼は不要ですことよ」

 

「それでも、心から謝罪する――――――その上で」

 

 言葉を切った折紙が、先程までと全く違う鋭い瞳の色を灯して、言った。

 

 

「この()は、負けない」

 

「……は?」

 

 

 その結果、呆気に取られたのは狂三ではなく士道だったのだが。待って欲しい、思考が追いついてこない。彼女のぶっ飛んだ発言は常日頃から起こっていて、この世界になって寂しさを覚えたことも確かなのだが待って欲しい。

 このタイミングで、なぜその発言が飛び出したのか。

 

「あのー……トビイチサン。今のは……」

 

「言葉通り。士道への感情は愛でも恋でもなく、依存心だった」

 

「お、おう」

 

「だから、本当の愛(・・・・)は、これから」

 

「…………おぉう」

 

 だから、どうして狂三に向けての発言に士道が一番衝撃を受けなければならないのか。そりゃあ、原因の当人だからに決まっている。

 変な汗を流す中で――――――狂三が、声を上げて笑いだした。

 

「く、ふふふっ。ああ、ああ。おかしいですわ、おかしいですわぁ……けど、これくらい激しい折紙さんの方が、士道さんも安心できるのでしょうね」

 

「く、狂三……?」

 

「――――――いいでしょう。この程度、受けて立って当然のこと。……お互いに、大層人を惹き付ける方を好きになるのは、苦労いたしますわね」

 

「本当に」

 

「…………」

 

 士道が悪い、のだろうか。多分、士道が悪いんじゃないかなぁ。こういう時に男が責任を取るのは、世の中の真理だと琴里が言っていた気がしないでもない。

 だが、まあ……殺し合う関係よりは、余程健全なライバル関係か、と士道は苦笑気味の笑顔を浮かべるのだった。

 

「さて、さて。士道さん、最後の仕上げ(・・・)をお願いいたしますわ」

 

「え……あ」

 

 仕上げ、というと。確かに残っている肝心なものがあった。ひらひらと手を振り、そっぽを向いた狂三に感謝と申し訳なさが出る。とはいえ、この事情は複雑なので士道の一存で解決できる問題でもないのだが。

 事情がわからず小首を傾げる折紙に、士道はそっと彼女の肩を掴む。いつまで経っても、この瞬間の緊張感は慣れそうにもなかった――――――その、前に。

 

「そうだ折紙。もう一つ、お前に返さなきゃならないな」

 

「もう、一つ……?」

 

 大切な女の子の、大切な預かり物。それらを全て返す時が来た。

 

 

「ああ。俺が預かってたのは――――――涙だけじゃないだろ?」

 

「あ――――」

 

 

 頬が恥ずかしげに赤く染まる。霊装が光を放ち――――――真っ白な空間の中で、輝きを放った。

 

 

「――――!!」

 

 

 白い、霊装。今一度、見ることができた精霊・鳶一折紙の霊装はその美しさを取り戻し、花嫁のような姿で折紙はぎこちない、けれど――――――確かな〝笑顔〟を見せた。

 

 

 発光し続ける真っ白な光の中で、確かにその笑顔と、暴れ狂いながらも心地よい感覚を士道は折紙と感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 霊装が光と共に消えていく。気づけば、士道たちは現実の空間へ回帰していた。それを証明するように、精霊たちが士道たちの周りに降り立って安堵の息を漏らしている。

 一体どこまでが意識共有領域の出来事だったのか……どの道、折紙を救えたのなら些細なことだと考えるべきかもしれない。

 

「むっ……ふん、まあいい。今だけは特別だぞ、折紙」

 

「ん……?」

 

 霊力の封印が完了し、半裸の状態で士道にもたれかかる折紙に、十香が眉をひそめて、それでも仕方なしと腕を組んだ。それ自体は微笑ましいものなのだが、まるで折紙のことを知っている(・・・・・・・・・・・・・・)彼女の言い方に小さな違和感を覚えた。まさか、と士道は声を発する。

 

「十香、お前……折紙のこと、思い出したのか?」

 

「む? 何をおかしなことを……ぬ、しかしそうだな。なんだか、少し前まで忘れていた気がするのだが……」

 

 

「――――――封印で経路(パス)が通ったんです。そう不思議なことではないでしょう」

 

「あ、〈アンノウン〉……!?」

 

 平然と、何事もなかったかのように降り立った〈アンノウン〉が言ったことに目を向いた。その内容は、不思議だが納得がいくものだ。かつて、琴里の霊力を封印した時も、その影響で封じられた記憶が蘇ったことがあった。今回も、繋がった経路(パス)を通じて、精霊たちの記憶が戻ったとしてもおかしな話ではない。なので、士道が言いたいのはそういうことではなく。

 

「お、お前……」

 

「……なんです? 理屈を説明しろと言ってもできませんよ。そういうのは、狂三や解析官の領分です。私に聞かないでください」

 

「あ、ああ……」

 

 捲し立てられてどもってしまったが、何というかいつも通りの〈アンノウン〉すぎて拍子抜けしてしまう。その振る舞いに、身体に怪我があるようには見えない。ちらりと確認すると、狂三も少女を見て、どこか安心したようにホッと息を吐いていた。士道以上に少女を心配していたのは彼女なのだから、当然のことだと思う。

 何はともあれ、平気そうにしているのならひとまずは安心していいのかもしれない。士道の目が確かなら、貫かれた(・・・・)外装に傷一つどころか、埃すら見受けられない。もしかして、あの速さで避けたのを士道が見間違えただけだったのだろうか……?

 

 と、そんなことを考えていると、折紙が精霊たち全員をゆっくりと見渡し、言葉を放った。

 

 

「――――――ありがとう、十香(・・)、みんな。私のために、戦ってくれて」

 

「な――――っ!?」

 

「え……?」

 

「御主、今なんと申した?」

 

「疑念。まだ正気に戻っていないのですか」

 

「うぅん、素直な折紙さんも可愛いですぅ」

 

「あらあら、珍しいわね」

 

 純粋な驚きから辛辣、更には美九特有の反応まで人それぞれだったが、一様に驚いた表情は同じだった。

 ただ、事情を知る士道や狂三、〈アンノウン〉には不思議なことではなかった。なぜならここにいる折紙は『折紙』と記憶を共有して、二人で一人になった少女なのだから。

 

「かッ、勘違いするな!! 私はその、あれだ!! シドーに頼まれたからやっただけだ!!」

 

「……そう。ではあなたには感謝しない。利己的な精霊。なんて醜い」

 

「な……っ!? 貴様、さっきと言っていることが違うではないか!!」

 

 ……つまるところ、それは以前の折紙でもあるということなので、こういう会話になってしまうのであるが。狂三と顔を見合わせ、苦笑する。

 

「あら、あら。ようやく終わったというのに騒がしいこと」

 

「はは……ま、いいんじゃないか? こっちの方が、ちょっと安心するよ」

 

「毒されていますわねぇ……」

 

 ごもっとも。呆れ気味だが、微笑ましさを感じている狂三に、士道は笑って返した。これでようやく……長い長い出来事に、決着がついたのだ。

 

「ぅ……」

 

「折紙!?」

 

 が、十香と言い争いをしていた折紙が、突如として瞼を閉じた。慌てた士道と精霊たちが呼びかけるも、返事をしない。反転から戻っての封印行為に、何か不都合があったのかと焦るが、駆け寄った狂三が折紙の容態を確認するように彼女に触れた。

 

「……負担がかかりすぎたようですわね。あれだけの霊力行使のあと、その霊力を封印されたのですから自明の理と言えますけど――――――単純に、眠っているだけですわ」

 

「そ、そうか……良かった」

 

 ここまで来て、折紙に何かあったらと思うと気が気ではなかったが、狂三がなんてことないように言ったことで一同全員が安堵の顔を見せる。

 

「けど、詳しく容態を確認するべきですわね。琴里さんと連絡を取らねばなりませんわ」

 

「っ、そうだ!! 琴里は……!!」

 

 撃墜された、ということはない。見上げた夜空に〈フラクシナス〉の影は見えている。通信は未だ復旧していないのか連絡つかないが、その影が動いているのがここからでもわかる。ともかく、琴里になんとかして連絡を。

 

 

 ――――――甲高い音が鳴り、思わずその方向に目を向けた。

 

 

「――――――え?」

 

 

 少し離れた場所に、白い少女がいる。少女が、手に持っていなかったはずの(・・・・・・・・・・・・・)刀を落とした音、なのだろう。

 少女の身体が地面に傾き始めるのと、狂三が転がってしまいかねない勢いで飛び出したのは同時だった。

 

「……っ!!」

 

 ギリギリのタイミングで狂三が少女を受け止める。あと一歩遅ければ、少女の小柄な身体は叩きつけられていたはずだ。それを防いだというのに、誰一人としてホッとした顔は見受けられない。

 

 それどころか、全員が目を見開いた。

 

 

「――――――――ぇ」

 

 

 信じられない、信じ難い。少なくとも、狂三が発してきた声の中に、それ(・・)が含まれていた覚えはない――――――あの時崎狂三が、事を否定し呆然としている。

 

 

「アン……ノウン――――?」

 

 

 士道も、同じだ。信じられなかった――――――少女を抱き止めた狂三の手から流れる、()

 

 

 少女の外装の中心から、そして全身から、狂三の真紅の霊装が――――――噴き出した真っ赤な血で、染められた。

 

 

 

 





to be continued


大団円かと思ったかぁ!!はい、折紙編完結です。完結ったら完結です。お前ん家七罪編から不穏な引きしかないじゃねぇかほんとさ。気持ちよく折紙の終わりを迎えたい方は原作十一巻『鳶一デビル』をよろしくお願いします(いつものダイマ)

予知に関してはあの時点だとほぼ詰みの状態でした。士道の呼びかけと刻々帝の進化で未知の可能性を再演算してこの未来へ辿り着いたというわけです。万由里の時は届かなかった消えるなという叫びが遂に届いた。しかし、その代償は……。
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、狂三フェイカーでの問答から折紙との会話も変化しています。この士道は、重すぎる罪を背負うと決めてしまっているのです。そんなもの背負わなければ普通に生きていられるのにと散々狂三が言っているんですけどね(普通の定義壊れる)
同じ復讐を掲げたものとして、同じ結論に至ったものとして、同じ人を愛した者として。長きに渡る復讐鬼たちの交錯も、ここで一区切りです。これからは恋のライバル……なのかな?二人の不思議な関係性は、この回の対話に繋げるための道だったと考えています。原作にはなかった形、楽しんでいただけたなら嬉しいです。

さて、次回から五河ディザスター……の前に、番外編を一つの挟ませていただきます。時系列は少し戻って100話内の一日前、つまりアンコール5巻『折紙カウンセリング』のお話です。メインキャラクターはデビ紙&〈アンノウン〉!!………………本邦初の番外編なのに、メインヒロイン以外のお話なのか(困惑) まあ番外編なので他キャラクターにフォーカスを向けるということで一つお願いします。

もう一つお知らせなのですが、次の番外編を投稿した後、投稿感覚を三日に戻そうと思います。いやモチベーションは感想や評価をいただいて元気(感想、評価が欲しくないとは言ってない)なのですが、如何せん時間が取れなくなった瞬間ゴリゴリストックが減るんですよね……なので、ストックがまた多くなってきたなーと思ったらまた二日に戻そうと思います。ご容赦ください。今でも五話先まではストック抱えてるので切羽詰まってるとかではないのでご安心を。

後書きが長くなってしまいましたが、延長戦となる番外編が終われば遂に新章となります。よく考えたらこの引きで番外編挟んで投稿感覚を伸ばすの畜生なのでは?だがいかは考えることをやめた。
感想、評価などなどどしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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EX・Ⅰ『白と白の幕間』

こんなことがあったんじゃない、かなぁ。二人の間にしか残らない、僅かな会話と、確かな救い。




 

「……はぁ」

 

 単に、たった一つの悩みを苦し紛れに回答しただけだったのに。どうして、私は昼休みを返上して奇妙な恋愛相談室をしているのだろうか。的確に己の置かれた状況を把握し、しかし鳶一折紙には理解し切れないものがあった。

 事の発端は、本当に些細なことだったのだ。クラスメートがとある一件で悩んでいる時に偶然通りかかって、成り行きでアドバイスをして、それが偶然にも大当たりした、それだけ。そう、それで終われば折紙も気分が少し良くなって、土曜に控えた彼との……士道とのデートに望むことができたはずだったのだ。

 

「…………」

 

 もう一度、考える。考えても、わからない。お腹減ったなぁと思いはしたが、強引にでも引き受けてしまったことを無理やり投げ出すことはできそうにもなかった。まあ、もう何人も請け負っているのだし、あと数人くらいは何人だろうと一緒だと達観の極地に折紙はいた。諦めた、とも言い換えられる。

 昼休み。もしかしたら、誘ったら士道と一緒にお弁当を食べられるかもしれないという淡い期待は――――――何故か始まった、鳶一折紙による恋愛相談室によって断ち切られた。なぜ始まったのか、正直考えたくはないし、成り行きとしか表現のしようがない。

 発端のクラスメート、亜衣、麻衣、美衣によって校舎端の空き教室を使い、その一角に予備の椅子を向かい合わせ完全にカウンセリングルームと化したその教室で、既に折紙は何人もの相談を解決……と言っていいのかはわからないものが多いが、していた。なお、告知はSNSを使い完璧に折紙の手を離れている。そのお陰で〈オクトーバー恭平〉という謎すぎる人物まで現れたが、全くもって理解不能な人だった。というか、この学校の人ですらない様子で困惑した。三人が秘密の潜入ルートと変装セットを持っている人がいれば、学校外からもあり得ると冗談半分で言っていたが、まさか本当に……。

 

「はーい、次の方どうぞー!!」

 

「……!!」

 

 考えている間に、三人が次の相談者を教室に呼び寄せる。いけない。受けたからには、真面目に答えなければ、と気づかないうちに責任感を発揮している折紙の視線の先で扉が開き――――――――――

 

 

「――――――――」

 

 

 あまりに、可憐な少女だった。

 

 相談者の一人、夜刀神十香も折紙が言葉を失うほどの冗談のように美しい少女だったが、それに比類する――――――暴力的(・・・)なまでの美しさ。仮に折紙が男だったとしたら、魅了されない未来などありえないと言えてしまう。

 その背格好は、折紙や十香のような高校生基準とすれば少し幼さが残る。制服も、体躯と比べてあってないように見える。だが、そんなことがどうでも良くなるくらいに、可憐。あと数歳年月を重ねれば、全ての男を虜にし、三十年は追いかけていられる魔性の女となるだろう。

 

 絹糸のように艶やかなか髪を揺らし、どこか物憂げな色を映す双眸が折紙を射抜く。後ろの三人は、恐らく折紙と同じく言葉を失って動けない。ただ少女は、折紙だけを見て桜色の唇を開いた。

 

初めまして(・・・・・)、鳶一折紙」

 

「ぁ…………は、初めまして……」

 

 礼儀正しく下げられたそれに答えて、なんとか折紙も軽く頭を下げることができた。ほぼ反射で、深く考えられた行動ではない。考えられないほど、少女の姿に衝撃を受けてしまっていた。それでも何とか答えられたのは……少女の声に、何故か聞き覚えがある(・・・・・・・)気がしたのかもしれない。

 否、声だけではない。その容姿も(・・・)。これほどの魔性といえる魅了の化身、世界に二人といないはずだ。けれど、折紙には曖昧ながらも覚えがあった。それも、偶然出会ったとか一度しかなんてことではないと、己の〝何か〟が叫んでいる。そう、それは少なくともこの学校内(・・・・・)に――――――

 

「……では、失礼」

 

「……っ!!」

 

 少女の容姿に思考を挟みすぎて、いつの間にか目の前の椅子に座ったことにすら気づかなかった。

 眼前に迫ると、その類まれなる造形が更に圧となって重圧をかけているように思えてくる。ごくり、と唾を飲み込んで、意を決した折紙は喉が乾き切る前にそれを震わせた。

 

 

「……それで、相談の内容は……?」

 

「…………あ、そういえば恋愛相談室でしたね、ここ」

 

「…………えぇ」

 

 

 今思い出しました、と少女は表情と一致していない気の抜けた言動で言葉を発した。思わず、折紙が脱力してしまうくらいの。

 

「ごめんなさい、今考えますから」

 

「は、はぁ……」

 

 じゃあ何をしに来たのか。そう聞きたいのは山々だったが、なかなかに聞き辛い雰囲気もあった。何と表現すればいいのか、限りなく感覚で評するのであれば……その雰囲気が浮世離れしていて、酷く感覚が曖昧になるような。そんな掴みどころがないと表現できるそれは、折紙の人生の中で初めての――――――経験のはずだった。

 

「……ああ、思い浮かびました。これは私ではなく、私の女王様とそのご友人のお話なのですが」

 

 女王様……? とのっけから首を傾げることになった折紙。果たして、この人が仕えるような女性とは何者なのだろうか。というか、この現代日本で女王様とは。などと頭に浮かぶ間にも、少女はなんて事ないような様子で声を発した。

 

「その二人がですね、恋愛勝負をしているんですよ」

 

「はぁ……」

 

「デレた方が負けで、負けた方が相手に人生の全てを捧げるという」

 

「は……!?」

 

 恋愛勝負とは一体。その人生の全てを捧げるというのは、もしかして俗に言う人生の墓場というやつではないのか。あまりに現実離れした話に、思わず失礼な声を上げてしまった程だ。

 

「その……人生を捧げるというのは、どういう意味なんですか……?」

 

 これが先に想像したのような乙女チックなものならまだいいが、それ以外のものだった場合とてもではないが折紙の手に余る。というか、女王様が比喩ではなく本気の可能性まで出てきてしまう。

 折紙の恐る恐るの問いかけに、少女は安心させるように苦笑気味に言葉を返した。

 

「……具体的には言えませんが、お互いに賭けるだけの価値がある比喩表現のようなものみたいです。申し訳ありません。相談している身で、こんな曖昧なこと」

 

「いえ、そんな……それで、その二人のことで悩みが?」

 

「悩み、というべきか……私は、どうするべきなのかなぁと」

 

「どうする……?」

 

 その二人の恋愛勝負、とやらの行方についての意味なのだろうか。少女はサラリと言葉を付け加える。

 

「……私個人の目的としましては、彼に勝ってもらうのが都合が良さそうなんですよね。まあ――――――彼のことは私も好きですし」

 

「そ、それは……」

 

 Loveな方かLikeな方かで、かなり話が拗れてきそうなことを軽いノリで話されると、とても反応に困ってしまう。

 いやそれよりも、恋愛感情だったとして、この恐ろしいほどの容姿を持つ少女が惚れ込むだけの〝彼〟とは一体何者なのか。気にはなるが、下世話なことは置いておこうと頭を振って考えを追い出した。

 

「もちろん、私が彼とどうこうなんて考えてません。必要もありませんし、私の恋愛感情は私の目的には邪魔なだけですから。それに……私は、女王様が一番なんです」

 

「……好きなんですね、その人のことも」

 

「ええ、この世で一番。けど……だから、あの子が絶対に諦めないのがわかるんですよ。それがわかるからこそ、私はあの子を応援してあげたい。同時に、私の目的を考えると彼につきたくなる……」

 

 板挟み、ということか。二人のことをよく知っているらしい少女ならではの悩み。思った以上に本格的な恋愛相談に、若干の焦りが生まれるが、何のこれしきと真剣な表情で少女の話をじっと聞き続ける。

 

「……あの子の幸せが、彼の勝ちに繋がれば円満なんでしょうけれど――――――ううん、きっと繋がるんだと思います。ただあの子は、その幸せを受け入れられないんです」

 

「…………」

 

「……辛いとわかっているのに、辛い思いをさせているのに、その子にそうであることをやめて欲しいと言えないんです。言えるわけないんですよ、私が」

 

「どうしてですか? 辛いとわかってるなら……!!」

 

「――――――そんな資格、私には最初からないんです。どの道、私が言って止まるような子じゃありませんしね」

 

 達観、諦念……そういった感情を表に出し、少女が眉を下げる。元より儚げな印象を感じさせる少女だが、それによって美しさすら思わせる造形だと折紙は考えてしまう。

 恋愛勝負、と聞いてみれば、出てきたものはその発言に紛れた〝何か〟だった。もっと事情を知れれば深いアドバイスも可能だろうが、今は下手なことが言える雰囲気ではない。と、考え込む折紙を見てハッと顔を上げた少女が、少し慌てて手を軽く振り声を発した。

 

「ごめんなさい。これは、恋愛相談から外れてしまいましたね。話半分で聞き流してもらって結構です」

 

「あ、大丈夫です!! でも、私じゃあまり役に立てそうにないかもしれません……」

 

「いいんです。多分、柄にもなく誰かに聞いてもらいたかっただけなんですよ――――――話せる友人らしい友人も、今は話せる環境にいないものですから」

 

 笑顔こそ見せているが、やはりどこか寂しげなものだった。何か、何か励ますようなことをとは思うのだが……事情も深く察することはできず、その二人を信じて見守ってみましょう、だなんて無難なものしか浮かんで来てくれない。

 ともかく、そんなものでも黙っているよりはマシかもしれないと、折紙は思い描いた言葉を形にした。

 

 

「――――――甘いです。好きならいっその事、二人揃ってあなたのものにする努力をするべきかと」

 

「…………はい?」

 

 

 ポカンと、少女が呆気に取られたような顔になる。……そんなにおかしなことを言っただろうか? 至極無難、少女が驚くことも直接の解決に至るものでもない――――――だというのに、少女は折紙の言葉を受けて唐突に笑いだした。

 

「……ぷっ、ふふふ……ああ、実にあなたらしい答えですね。ありがとうございます。実践できる機会があるとは思えませんが、何だか元気が出ました」

 

「へ……?」

 

 元気が出た? 今の答えに、何か少女を元気づけるようなものがあったとは思えないし、実践できる機会というのもよくわからない。見守ることは、そんなに難しいことなのだろうか。

 むぅ、と折紙が顎に手を当て難しい顔をしているのを見て微笑んだ少女は、座っていた椅子から離れ何の憂いも見られない動きで出口へと向かっていく。

 

 

「では改めてありがとうございました――――――あ、そうだ。最後に一つだけ良いですか?」

 

「え、あ……はい」

 

「こっちが本命なんですが――――――鳶一折紙。あなたは今、幸せですか(・・・・・)?」

 

「――――――――」

 

 

 それは、酷く曖昧な問いかけだった。折紙と初対面のはずの少女が気にするには、おかしなものだった。それでも折紙は、その問いを真摯に考えてしまった。考えなければ、いけない気がした。

 

 答えは、もう決まっていたものだったけれど。折紙は迷いなくそれを口にした。

 

 

「……いつか、お父さんとお母さんに誇れるくらい――――――幸せな出来事を沢山、思い出にできたら良いなと、思っています」

 

 

 折紙には、そうするだけの理由がある。亡くなった両親はきっと、それを望んでくれているから。見ず知らずの両親を救ってくれた士道の兄のためにも――――――鳶一折紙は、誇れるだけの人生を送りたい。

 だから、少女の問いに折紙は笑顔でそう答えた。

 

 

「……そうですか――――――あの時出たのが蹴り(・・)で、本当に良かったです」

 

「え……?」

 

「……ありがとう(・・・・・)、鳶一折紙。あなたがそうあってくれたことに、心からの感謝を――――――また、お会いしましょう」

 

 

 そう、別れの言葉を告げて。少女は止める間もなく教室から去っていった。

 まるで、少女が最初からいなかったかのような、ありえない感覚だけが空間に残る。不思議、不可思議な少女だった……あれほどの雰囲気を持つ少女が、この学園にいたという驚き。そして、空間を支配していた独特の感覚からの解放。それらが合わさり、折紙はようやく重苦しい息を吐き出そうとして。

 

「――――ぷはぁっ、やっと息ができたぁ!!」

 

「凄い人だったねぇ……鳶一さん、全然物怖じしないで話せるなんて、恐ろしい子……」

 

「まじひくわー……」

 

 亜衣、麻衣、美衣がそれぞれどっと疲れ切った顔で声を発したものだから、驚いて声を飲み込んでしまった。そうとも、事の発端は彼女たちなのだから空き教室にいるのは当然の話だ。察するに、少女の外見に驚きすぎて出ていくまで固まっていたようだ。流石に息が出来ないということはなかっただろうが、夜刀神十香と違い彼女たちも少女と知人ではないのが大きかったらしい。

 ……と思ったが、転校してきたばかりの折紙はともかく、少女のような存在を彼女たちが知らないとは考えにくかった。そのことを問うべく折紙は声を発する。

 

「あの……今の人、この学園の人ですよね? 皆さん、ご存知ないんですか?」

 

「いやいやいや、あんな美人さん聞いたことも見たこともないって。十香ちゃんと良い勝負が出来る子とか、早々見れるもんじゃ――――――あれ?」

 

 ふと亜衣が言葉を切り、小首を傾げて難しい表情をする。

 

「どうしたんですか……?」

 

「いや、変なこと訊くんだけど――――――さっきの女の子の顔、覚えてる?」

 

「は?」

 

 素っ頓狂な声を出してしまった。だが、その反応は真っ当なものだと思う。何せ、あれほど凄い凄いと言っていた少女の顔を思い出せないなど、そんなことがあり得るわけが――――――

 

「……あ、れ」

 

 あり得るわけが、ないのに。見れば、亜衣だけでなく麻衣、美衣も同じような顔で唸っている。折紙も似たようなものだ。

 

 どうして、短時間とはいえ顔を見合わせて話をしたはずなのに――――――

 

 

「――――――どんな顔、でしたっけ?」

 

 

 何一つ、思い出せはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「またお会いしましょう――――ね」

 

 白に消える。現れた痕跡など、最初からなかったように。誰も、少女の存在を見ることができないかのように。

 通したのは我儘。得たものは、少女の理想(・・・・・)とする答え。しかし、所詮は理想でしかないそれは、全てを形とするには遠すぎる。故に少女は、二人の選択に委ねる他ない。

 どちらが選ばれようと、或いはどちらでもない答え(・・・・・・・・・)が存在しようと、少女が目指すものはたったの一つ。

 

 だから、今日の邂逅は気まぐれ。世界を変えたことで、存在を許された幸せの形。

 

 

「……私と鳶一折紙――――――どちらかが死ななければの話ですがね」

 

 

 その得難い奇跡の幸せを――――――どうか、守って欲しい。切に、願った。

 







どちらが勝とうが取るべき選択は揺るぎない。けれど、だからこそ少女は二人の葛藤に思い悩む。優しいからこそ頑なな主か、愛しいと思う少年の想いか。

本編でも何やらこの子の正体に繋がるものがで始めたので、ここで一度スタンスと少女が誰についているのかハッキリさせて置こうかなという回。この子は狂三の味方ですよ、間違いなくね。ただし、それが必ずしも狂三たちの望む結果に至るとは限りませんが。

本編から先行して顔バレ(してるとは言ってない)しましたけど、したからと言って中身の性格変わってるわけじゃないですね、今のところは。
デビ紙は結果的に精霊になってしまいましたが、彼女の存在、彼女の答えは少女にとって理想であり救いだったのです。士道が世界を変え、それが狂三にとっての救いとなったように。復讐者であった折紙が、そうなったからこその救い。ここが〈アンノウン〉という精霊が隠し続ける物の本質、かもしれません。

さて、次回から時系列は戻り五河ディザスター開幕。ホントのところは前哨戦のようなものを四話ほど組み込んでいるのですが、その四話の主軸はもちろん言うまでもありませんね。さすがに一章取るには短すぎたんです(小声)
告知の通り、更新は三日後の月曜となります。ストックが溜まるまで三日更新が続きますので、よろしければお付き合いのほどお願いいたします。
感想、評価、お気に入りなどなど更新への物凄い活力となりますので、気が向いたらよろしくどうぞです(語彙力の無さの露呈) 次回をお楽しみに!!




どうでもいいけどこの辺ってGジ〇ネしかやってなかった時期なのでいつも以上にクオリティが不安になる。ぐふっ


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五河ディザスター
第百四話『始原の欠片』


ディザスター……の前哨戦、開幕です。




 

 悪夢が物語の始まりであるならば、少女が見ている夢は運命の始まりと呼ぶべきもの。

 

 夢を見ていた。運命の始まり。始原の海が見せる、生命の始まり。根源的な存在に意思という物が生まれた瞬間。本当の誕生は、まさにその出逢いから始まった。それが根源にとって置き換えられない大切な瞬間であっても、誰かにとって良いものであったのかは、誰にも出せない答えなのかもしれない。

 

 

『――――――君、は……』

 

「……………………」

 

 

 視線が動く。微かな意思、存在という衝動のまま、顔を上げる。

 

 そこに、一人の少年がいた。

 

 運命の始まりにして、全ての運命を変えてしまった少年がいた。

 

 根源にとっての救いにして、世界にとっての罰を齎す少年がいた。

 

 出逢ってしまったなら、運命(さだめ)として生誕を果たして――――――その日、少女(かみさま)少年(うんめい)と巡り会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………っ」

 

 懐かしい記憶を見た。悪夢ではない、純粋なる記憶の閲覧。記憶の結合。記憶の同一化(・・・)。記憶の――――――そんなこと、今はいい。

 重い瞼をゆっくりと上げ、まずは正面。自身が横たわっているのがわかる、天井が見える。見たところ、病室のような作りになっている。次に右へ、左へ……そこで、少女は見覚えのある人影を見つけることが出来た。椅子に腰をかけ、見るからに不健康な様相の女性。

 

「……ぅ、……ぁ」

 

 声をかけようとして、喉の調子がおかしいことに気づく。長い間、声を出していなかったような異物感。それだけではなく、身体も思うように動かない。

 だが、その呻き声のお陰か、何かの作業を行っていた女性――――村雨令音が目覚めた少女に気づいて顔を上げた。心なしか、彼女らしくもなく驚きを表に出して、少し動きまで早く見えるものだった。多分……少女がそう思いたかっただけなのかもしれない。

 

「……目覚めたかい?」

 

「……ぉ、かげ……さま、で……」

 

 一言を伝えるだけでも苦しい。構わず、起き上がろうとするが、それは素早く駆け寄った令音の手でやんわりと、しかし強く制止させられる。

 

「……まだ動いてはいけない。君は絶対安静だ――――――何日ぶりの起床か、わかるかい?」

 

「……わ、かるわけないですけど……数日くらいだと、嬉しいん、ですが……ね」

 

 ようやくまともに発音できた言葉を聞いて、令音はゆっくりとした動作で首を横に振る。そうして出てきたものは、少女に目を見開かせるのに十分なものだった。

 

 

「――――――二週間(・・・)だ。おはよう……というには、少し遅いかもしれないね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽く検査のようなことをさせられ――と言っても〝天使〟の権能が戻った少女に検査が通るわけもないが――ようやく、落ち着いて令音と話をすることができた。結局、目覚めてから体勢は変わらず、令音が椅子を真横に持ってきて座っているくらいだったが。

 

「……病人が目覚めたら、誰かに知らせるのが普通だと思うんですけど」

 

「……私が君の主治医のようなものだ、気にすることはない」

 

「……」

 

 あなたの役職、解析官じゃありませんでしたっけ。そう言いそうになったが、あらゆる分野で下手な本職ところか本気の本職すらも凌駕しそうな彼女のことだ。言うだけ野暮というものだろう。

 真顔で冗談を語る令音に、少女はジト目になりながら声を発した。

 

「……まあ、二人きりの方が都合が良いですけれどね」

 

「……ああ」

 

 お互いに。暗にそう口にしたのことを令音は否定しない。あまり近づきたくはないのだが、少女としても令音以外に頼れそうな人もおらず、事情の全ては彼女から聞き取る他なかった。

 しかし、その前に。少女は自らの状況を省みて、ポツリと言葉を洩らした。

 

「……よく、生きていたものですね」

 

 二週間。言われた時は驚きがあったが、日数にしてみれば大層なものではない。むしろ、よくその程度で済んだものだと少女は思う。

 正直な話、死んでいて当然(・・・・・・・)と思ったのだから。こうして生き延びているのが、少女自身かなり意外だった。

 

「……シンたちのお陰だ。それがなければ……どうにもならなかっただろうね」

 

 少女の呟きに眉根を下げた令音がそう言う。なるほど、と納得がいったような声色で言葉を返す。

 

「……よくも、あの状態から持ち直させましたね。その辺りのお話も、聞く必要がありそうです」

 

「……なぜ、あんな無茶をしたんだい?」

 

「……?」

 

 その問いかけの意味が少女にはわからなかった。彼女からすれば、少女の存在など意味はない(・・・・・)はずなのに。わからなかったが、一応合理的な理由があったので素直にそれを口にした。

 

「……あの場で、一番可能性があった方法があれだったんですよ。優先順位の問題です。あの場で精霊の誰かを失うわけにはいかないなら、一番に切り捨てるのは私でしょう」

 

「……君も、精霊だ」

 

「――――はっ、笑わせてくれますね。こんな出来損ないの、どこが必要な(・・・)精霊だと言うんですか」

 

 吐き捨てるように、少女は言った。

 

 ああ、そうとも。あの場面では、一番合理的な判断だった。同じ精霊? 馬鹿を言ってくれるな。ただ精霊を名乗るだけの生まれを持つにすぎない出来損ない。それが少女だ。愚かしい、おこがましい。これが、〝彼女〟から生まれた存在だと言い張れるだけの存在だと、誰が言える。こんな、出来損ないが――――――

 

「っ……」

 

「……もう少し、休むといい」

 

 ふわり。柔らかい手が少女を包む。ローブの上からでも、令音の手の温もりが伝わってくる。

 

「……あの力(・・・)、どうやら君に良くない影響を及ぼしているらしい」

 

「……身の程を知れ、って意味ですか?」

 

「……ほらね?」

 

 微笑む令音に何か言い返してやりたいが、特に言葉が思い浮かばない。というより、今口を開けばさっきのような言葉しか飛ばせない気がしてならない。

 己の感情が、濁流のように押し寄せる〝何か〟に侵食されている。否、〝何か〟など言葉を濁す必要はない。それが何なのか、少女はよく知っている。己が――――――己でなくなる。

 

 それは、まだ早い(・・・・)。だから、こうして否定しなければならない。少女ではないそれ(・・)を抑えるために、自己を否定する。自己を保つために自己を否定する矛盾。だがそうしなければ、少女の自我など容易く消え失せてしまう。ああ、肉体と同じく矮小なものだ。

 

「……黙っているだけだと休める気がしませんね。私が倒れたあとのこと……聞かせてもらえませんか」

 

「……わかった」

 

 このままだと、気が狂いそうだった。眠ったところで、ろくな悪夢を見やしない。それを紛らわすための方便――――同時に、狂三、そして折紙がどうなったのかを知りたい気持ちもあった。

 頷いた令音が、唇を動かし、空白となった二週間前。少女の世界が解けて、二度と目覚めないはずだった……あの時の出来事から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 血。夥しい血溜まり。長い年月を渡り歩いた狂三にとっては、特別動揺を誘うものではない。なかった、はずだ。なのに、どうして。

 

「……い、や」

 

 どうして、こんなにも時崎狂三は思考を止めている。

 

 わかっていたはずだろう? 時崎狂三に付き添うということは、こういうことなのだと。

 

 わかっていたはずだろう? この子は絶対無敵の存在ではないと。

 

 わかっていて、連れていたのは誰だ。わかっていて、見て見ぬふりをしていたのは誰だ。少女が己を顧みないことを、わかっていたつもり(・・・)になっていたのは誰だ――――――時崎狂三という、少女だ。

 

「……っぁ」

 

 止まらない。血溜まりを作ってなお、その血みどろは止まらない。未来が視えると、思い上がった少女に罰を下すように。狂三の全身を、座り込む地面を、霊装をただひたすらに濡らし続ける。

 失えない存在だった。目的のために、失うわけにはいかない存在だった。それだけでは、いつの間にかなくなっていた存在だった。それが今、狂三の手の中で、死――――――

 

 

「――――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉ッ!!」

 

 

 焔が、少女の身体から迸った。

 

「……士道、さん」

 

 違う。彼が、五河士道がその腕から焔を与えている。それは、人を焼く焔ではなく、人智を超えた究極の治癒。傷を焼いて癒す(・・・・・・・)、荒療治にも程がある力。彼と、彼の妹が持つ、かつても少女を癒した力だった。

 

「狂三ッ!!」

 

「っ!!」

 

 焔の制御のためか苦しさを滲ませた士道の呼び声に、狂三はようやく目の焦点が合う。

 

「っ、琴里に、みんなに……助けを……っ!!」

 

「――――ッ」

 

 やはり、己を癒すことより遥かに反動が大きいのか、途切れ途切れの声。だが、士道の言葉でようやく狂三は己を取り戻した。

 何を、している。何を諦めた(・・・)。しかし、その嫌悪を覚えるのは後でもできる。今は、後悔しないために身体と声を動かした。

 

「――――七罪さんッ!!」

 

「ぁ……っ、私は何をすればいい!?」

 

 まだ霊力が残っているのか、大人の姿の七罪だったのが幸いしたのか、すぐに狂三の呼び掛けに応じて駆け寄ってきてくれる。すぐさま、少女の状態を一瞬で確認して声を発する。

 

「〈贋造魔女(ハニエル)〉で傷の治癒を!! 見かけだけで構いませんわ。恐らく、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の治癒が通っている今なら、七罪さんの力も通るはずですわ!!」

 

「わかったわ。通りづらくても、お姉さんの気合いで何とかしちゃうんだから!!」

 

 言って、箒型の〈贋造魔女(ハニエル)〉を掲げた七罪が光を灯し、傷――――貫かれた腹部にできた傷を塞ぎ始める。見かけだけ変化(・・)させるだけだが、内部の害すら取り除く〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の治癒が働いている今なら、これ以上の出血を防ぐ手助けになる。

 

「琴里さん!! 琴里さんッ!!」

 

 だがそれだけではダメだ。本来の持ち主でない士道では、無理を続けていれば限界が来てしまう。常に意識する嗜みも、相手に舐められないための余裕すらも今この時はかなぐり捨て叫び上げる。

 無理を押し通しているのはわかる。無理を押し通さなければ、少女の命が消えてしまうのも、わかる。だから今は、狂三以外の力が必要なのだ。

 あまりに身勝手で、自分勝手な願いなのは承知の上。それでも狂三は、声が枯れそうなほどそのインカムに呼びかけ続け――――ノイズ混じりの機械音が、響いた。

 

『――――――三分ッ!! 三分で転送装置を最低限なんとかするわ!! それまで絶対、その子を死なせるんじゃないわよ!!』

 

「っ、ぁ……ありがとうございます……!!」

 

 ――――――後で思い返せば、涙ながらの声色だったと思う。そうして、他の皆にも気を失った折紙のことを含めた指示を飛ばす中。

 

 

「消えるんじゃねぇ……ッ!! 絶対に、死なせないからな……ッ!!」

 

 

 士道が、ひたすら強く呼びかけるのを聞いていた。

 誰かが消えることを誰より恐れる少年の、優しくも熱い激情を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんなに流れを惜しんでも、時間は無機質に流れゆく。無慈悲なまでに、平等に。士道にとっても、狂三にとっても、それは例外ではない。

 

「狂三……少し休もう」

 

 〈アンノウン〉の治療が始まって、丸一日が経とうかという時間。士道は〈ラタトスク〉地下施設の休憩室で、ずっとここにとどまっている狂三に何度目かの提案をした。

 

「いえ、わたくしは平気ですわ」

 

 けれど、彼女は何度言っても首を縦に振ることはない。かと言って士道も、はいそうですかと言葉をやめることができず、何度やっても平行線の一途を辿っていた。

 

「……平気なわけないだろ。丸一日そうしてるじゃないか」

 

「士道さんは――――」

 

「俺は休ませてもらったよ。だから狂三も……」

 

「わたくしは精霊ですわ。睡眠を取らずとも問題はございません」

 

「精霊だって疲れるのは同じだろ!! 狂三がこうしてたって――――――悪い」

 

 思わず、口にしてしまった言葉を即座に謝罪する。自己嫌悪で顔が歪む。少女のことを思ってここにいる狂三に、なんという言葉を突きつけている。ここにいるだけでは何も出来ないのは、士道だって同じことだ。

 

「……いいえ、事実ですわ。こうしていても、ただ無為に時間の浪費だとわかっていますの。わたくしが一番嫌う行為だと、理解はしていますの」

 

「…………」

 

 理解していようとも、考えと心が必ずしも一致はしない。そんな狂三に、気休めの言葉をかけてやることなど出来はしない。少しでも彼女の助けになりたいと思っているのに、士道一人にやれることは思い浮かびもしない。正確には、散々試したあとなのだ。

 

「無様なものですわ。時を操る精霊が、時が進むことをただ祈るだけだなんて」

 

「……誰だって同じだろ。時間を完全に支配することなんて、人類にはまだ早いってことさ」

 

「あら、哲学的ですこと」

 

「茶化すなよ。……わかった。お前の気が済むまで、俺も付き合う」

 

 言って、士道は狂三の隣に座り腕を組んでどっしりと構える。正直もう、この頑固者を説得できるだけの言葉が士道一人では見つかりそうもない。なら、できる限り傍にいてやることが唯一自身にできることだと思ったのだ。

 そんな不器用な士道のやり方に、狂三がようやく微笑みらしい微笑みを見せた。

 

「……物好きな人」

 

「おう。なんとでも言え」

 

 ふんすっ、と開き直る士道。けど、狂三は何も言わなかった。寄り添われることを、否定しない。素直じゃない彼女なりの素直さだと、思った。

 精霊たちは既に帰した。全員、まだここにいると言って聞かなかったのだが、あの激闘を超えたあとで疲労も限界に達していたのだろう。長い説得をかけ、渋々といった様子で全員それぞれ帰っていった。士道だけは、地下施設の仮眠室でこっそりと休ませてもらったが。

 そのやり取りがあった間、狂三だけはテコでも動かなかった。純粋な精霊として力を残す狂三に、人間的な疲労が少ないのはわかっている。それでも、彼女らしくない非効率的な行動――――――当たり前だ。ずっと一緒にいた少女のことを心配しない者がどこにいる。

 

 〈フラクシナス〉に収容された〈アンノウン〉は、続けてこの地下施設へ緊急搬送された。容態は、気休めで物が言える状態ではないと聞いた。あの瞬間、咄嗟に士道が琴里の真似事をしなければ、今頃少女の命はなかっただろうとも。

 今でも、士道の中に信じられない想いがあった。あの飄々とした少女が、死の淵に立っているなど。少女が自身の命を軽んじる傾向にあったのは知っていたが、知っていただけだった。どこか……あれほどの力を持つ精霊なら、狂三も一緒なら大丈夫だと慢心していた。

 

 ――――――言い訳になるかもしれないが、それ以上に〈アンノウン〉の余裕が上手かった。少女は、一度たりとも士道たちの前で傷を負わなかった。あの恐ろしい『無』の力の反動が、唯一該当し得るものと言えたのだ。あの時でさえ、命に別状はないと言われて、いつの間にか少女なら大丈夫という気持ちを持っていた。

 士道は、そして狂三も、いいや誰しもが少女に頼っていた。いつも、いつの間にか傍にいて。いつの間にか皆を助けてくれて。少女のことを、あらゆることを知っている心強い精霊だと――――――あの白い外装の下に、何を隠しているか知ろうともせずに。

 

それ(・・)が平等に訪れるものだと、士道は思い知ったはずだったのに。

 

「……」

 

「……」

 

 会話が途切れて、長い時間が経つ。一時間、二時間……待って、待ち続けることしか士道たちにはできない。そうして、三時間に差し掛かったその時――――――沈黙を保っていた部屋の扉が、開いた。

 

『っ……!!』

 

 狂三とほぼ同時に立ち上がり、来客の姿を確認する。入ってきたのは精霊たちでも、琴里でもなく……〈ラタトスク〉の制服に身を包んだ村雨令音だった。心なしか、いつも以上に倒れそうな足取りで、胸ポケットにいるボロボロの人形もくたびれた様子を見せている気がした。

 

「令音さん!!」

 

「……余談は許さないが、峠は越えた。ひとまずは、安心していい」

 

 それは、短くも士道と狂三が一番に求めていたものだった。

 

「……よ、よかった……」

 

 へなへなと身体の力が抜け、再び座り込んでしまう。人間、心の底から安心すると他に言葉がでないらしく、それだけを言葉にして放心してしまう。

 何とか狂三を見やると、士道のように脱力こそしていないものの、普通の少女が見せる安堵し切った顔をしている。形こそ違うが、その気持ちは士道以上だと感じて、令音が言うように一晩明けてようやく安心できた思いだ。

 

「……君たちだけなら、丁度いい」

 

「え……?」

 

 しかし、そんな安堵を断ち切るように令音は淡々とそう言った。聞き返すように士道が声をもらすと、令音は士道と狂三を見つめて普段と同じ……いや、普段以上に感情の読めない表情で声を発した。

 

 

「……疲れはあるだろうが、着いてきてくれたまえ――――――シン、狂三。君たちだけに、話したいことがある」

 

「話したいこと? 一体、何を……」

 

「――――――あの子のこと、ですわね」

 

 

 ドクンと、士道の心臓が強く高鳴った。鋭く、確信に満ちた狂三の、しかしどこか恐れるような狂三の言葉と、告げられた令音の首肯によって。

 

 

「……その通りだ。あの子のこと――――――あの子の身体のことを、君たちには知ってもらいたい」

 

 

 それはきっと――――――望みながらも届かなかった扉の鍵が、開いてしまった音だったのかもしれない。

 

 

 







あれほどの力を持つ精霊――――――誰もがそう誤認するよう少女は演じ続けた。かの、時崎狂三でさえも騙して。

さあ、真実の一欠片を閲覧しよう。というお話。五河ディザスター前哨戦。〈アンノウン〉編となります。具体的な進行もなく、牽制にも似た状態になっていた狂三と〈アンノウン〉の関係性がどうなるのか……正直、複雑に絡み合った爆弾みたいなものですけどね、この二人の関係って。それに影響を及ぼし、及ぼされる士道もまた、物語の終わりへ向けて動き出します。

存在する矛盾に、ローブの裏に隠された秘密。狂三が知れば撃ち殺したくなると語る少女の正体は……ただ、これだけは言えます。『全ては我が女王のために』。この言葉だけは、たとえどれだけ中身が歪であろうと嘘偽りのない真実です。それを考えながら、どうかお楽しみいただければ幸いです。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。では次は木曜日にお会いいたしましょう。次回をお楽しみに!!


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第百五話『輪廻の運命』

三日にすると時間が取れなくても余裕過ぎるくらいの期間があるなぁと安心できる今日この頃。年明けしてしばらくすれば通常の執筆速度に戻るのでそれまでストック減らさないように頑張ります。




「……さて、何から話したものかな」

 

 令音の案内で士道と狂三が通されたのは、地下施設の一室。例えるのなら、病院の診察室程度の広さの部屋だ。状況も丁度、令音と向かい合うように椅子に座る二人で合っていると言える。

 何から、と言葉にした令音に士道は気になっていたことを一つ聞いてみることにした。

 

「あの……どうして俺たちだけなんですか? そりゃあ、狂三はわかりますけど……」

 

 そう。令音は士道と狂三だけいたことが都合が良いと言っていた。つまり、他の精霊たちには聞かれたくない話、ということになる。だがそうなると、狂三は当然の事としても士道が聞いて良いものかと思うのだ。

 

「……忘れたのかい、シン。あの子は精霊――――――〈ラタトスク〉の保護対象なんだ」

 

「ぁ……」

 

 何とも間抜けな話だが、それはそうだ。〈アンノウン〉は精霊――――〈ラタトスク〉の保護〝攻略〟対象者。狂三のこと、そして〈ラタトスク〉側も積極的に乗り出せなかったこともあるが、〈アンノウン〉攻略のために士道が少女のことを知るのは自明の理と言えた。

 しかし、それは狂三との約束に反する(・・・・・・・・・・)。少女を攻略するなら、まず狂三をデレさせてからという、あの時の約束事に反してしまう。加えて、狂三第一の少女が霊力封印に応じてくれるとは思えない。そんな思いで、士道は反論するように口を開いた。

 

「けど、あいつは狂三の――――――」

 

「――――――〈ラタトスク〉が保護を強行したい理由ができた、ということですわね」

 

「え……」

 

 その言葉を遮ったのは、他でもない約束した狂三自身だった。意外な声を上げる士道に対し、令音は肯定の意を持って首を縦に振った。

 

「……その通りだ――――――本当は、隠しておいて欲しいという約束だったが、こうなった以上は見過ごすわけにはいかなくなってね。せめて、君たちだけはと呼び出させてもらった」

 

「約束って……」

 

「……以前、同じことがあっただろう? あの時に、あの子と約束した。……すまなかった、君たち……特に狂三には、話しておくべきだった」

 

 分厚い隈を歪ませ、眉根を下げる令音の顔から、そのことを本気で悔やんでいるのが見て取れる。

 一体、何を隠していたのか。少女の身体にどんな秘密があるのか。白いローブの下に、少女は狂三にさえ何を隠していたのか。逸る気持ちが士道の身体を突き動かす。

 

「あいつの身体、何かあるんですか……!?」

 

「……順を追って説明しよう。先ずは、あの子の〝天使〟について」

 

 令音がテーブルに立て掛けたタブレット端末を操作し、幾つかのデータのようなものを表示させた。注力して見てみると、少女の〝天使〟……あの白い外装に関しての資料だということがわかる。

 

「これって……」

 

「……あくまで私の推測も混じっている。その上で聞いて欲しい。あの子の〝天使〟は、常時効果を発揮する消失の鎧(・・・・)と言うべきものだ」

 

「消失……?」

 

 具体的にどのような効果を及ぼすのか。令音の言葉を引き継ぐように、狂三が声を発した。

 

「あらゆる難、あらゆる毒を消滅させる鎧。不可視、可視化問わずあの子に干渉する力を受け付けない〝天使〟……でしょう?」

 

「……ああ。他の精霊の〝天使〟であれ、顕現装置(リアライザ)随意領域(テリトリー)……あらゆる空間的な干渉(・・・・・・)を無効化――――――干渉した力を死に至らしめる(・・・・・・・)。それがあの〝天使〟の正体だ」

 

「な……!?」

 

 目を見開いた士道は、これまでの少女を思い返した。確かに、少女は様々な探知や解析をすり抜けていた。あの独特な存在感、いるのにいない(・・・・・・・)という特殊な感覚も、〝天使〟の力の一端ということだろう。人が人を感じるための五感……あの〝天使〟はそれらを阻害、消滅(・・)させることができる恐ろしい力を持つ。

 これまで現れた精霊たちと比較しても、類を見ない能力に戦慄すら覚える士道。だが、令音の話はここからが本題だった。

 

「……しかし、あの〝天使〟には致命的な欠点が存在している」

 

「欠点?」

 

「……あの〝天使〟は空間的な力(・・・・・)には無敵でも、物理的な力(・・・・・)に対して全く無力と言っていい。恐らく、神秘の力が宿っていないただのナイフでも、あの外装は貫けてしまうだろうね」

 

「そ、そんな簡単に……でも、精霊なら霊装があるんだから問題はないはずじゃ……」

 

 信じ難い話だが、仮にあの〝天使〟がそれほど歪な作りだったとしても、精霊たちには絶対の鎧〝霊装〟がある。あの奇跡の具現があれば、〝天使〟自体に物理的な防御力が存在しなくとも――――――

 

 

「――――――」

 

 

 待て。なら何故、少女は折紙の攻撃を受けた(・・・・・・・・・・・・)? 以前の世界で、霊力が万全の状態の十香は霊装が砕けこそしたものの、彼女の身体を貫通するほどの傷はなかった。

 その可能性に愕然と息を呑み、事の重大さを認識したのは士道だけではない。見れば狂三も目を見開いて、らしくない動揺を見せてしまっていた。士道たちの様子を見て、令音も察したのだろう。首肯と共に、重苦しい声を発した。

 

 

「……無いんだ、あの子には。あの子は――――――霊装を持っていない(・・・・・・・・・)

 

 

 精霊であれば当然(・・)のものを、少女は持ち合わせていなかった。誰もが有って当然(・・・・・)と認識していたが故の見落とし。その見落としは、少女に対する全ての認識を改めなければならないほどだ。今までの少女の行い全てが、恐ろしい命綱なしの綱渡りのように見えてくるようだった。

 〝天使〟に物理攻撃を防ぐだけの力はなく、精霊を守る鎧すら持ち合わせていない。だと言うのに、少女はその身一つであらゆる戦場を駆け回って殺し合い(・・・・)をしていた。その事実に、薄ら寒いものを感じてしまう。

 

「……あの子の問題はそれだけじゃあない。こんな表現はしたくないが、あの子の身体は作りが酷く歪(・・・)なんだ」

 

「どういうことですの?」

 

「……精霊に備わっているべき構造が薄い。本来であれば簡単に治せてしまえる傷も、あの子の身体は治りが非常に緩慢だ。言ってしまえば、肉体に生きようとする意志(・・・・・・・・・)が備わっていないみたいにね」

 

「……なんですの、それは……!!」

 

 狂三の見せる表情は困惑と、怒りだった。士道も似たような感情をふつふつを感じ始め、知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。

 

「……肉体的強度も、他の精霊と比べるまでもない。……八舞姉妹に匹敵する速力は、その埋め合わせなのかもしれない」

 

「っ――――――なんで、なんでそんな大事なことを黙ってたんですか!?」

 

 知っていれば、危険なことをさせずに済んだ。今回のような事態だって、避けることができたかもしれない。仮に避けることができなくても、もっと迅速に気づくことができたはずだ。

 それを令音だけが知っていて、黙っていた。立ち上がって叫ぶ士道に彼女は深々と頭を下げる。

 

「……あの子と交わした約束だった。誰にも言うな、と。だが、言い訳でしかない。……すまなかった。存分に詰ってくれて構わない。私には、こんな謝罪しかできない」

 

「……ずるいですよ、そんな言い方……っ!!」

 

 できる、わけがない。

 少女がなぜ隠そうとしたのか……わかる。こうなるからだ(・・・・・・・)。身体の事情を知られてしまえば、誰もが少女のことを気遣い、今までしてきたことが出来なくなってしまう。令音が抱え込んでいた気持ちがわからないなど、士道は子供らしい感情をぶつけることが出来ない。

 何より、少女のために尽力してくれた令音をこれ以上、何をどう責めろと言うのか。顔を俯かせ、行き場のない怒りを士道は自らに感じる。

 

「……すまない」

 

「……あの子が倒れたとき、大きな時間差があったことの原因はわかっていますの?」

 

 狂三は令音に謝罪を乞うわけでも、責め詰ることもせずそう問いかけた。

 

「……これは、多分に私の推測、推論が含まれる。それでも構わないかい?」

 

「構いませんわ」

 

「……あの子は複数の〝天使〟を宿している。あれは、その一端の力だ」

 

「複数の……〝天使〟?」

 

 あの白い外装だけが少女の〝天使〟ではない、ということだろうか。曖昧に言葉を受け取った士道を一瞥し、頷いた令音が言葉を続ける。

 

「……そう。君たちは、あの子があの力(・・・)を使う直前、あの子の所有していた色のない刀(・・・・・)が消えるのを見たんじゃないかな?」

 

「あ……はい、見ました。まるで、あいつの身体の中に消えていくみたいに……」

 

 令音の指摘に士道は肯定の意を返しながら、当時の状況を思い返す。

あの力(・・・)を扱う直前、〈アンノウン〉の刀は少女自身に取り込まれるように消え、次の瞬間に少女の身体は何事もなかったかのように動き、反転した折紙の羽を消滅させた。

 

「……恐らくあの刀も〝天使〟の一種だ。〝天使〟をその身に取り込むことで、あの子は一時的に肉体そのものを創り替えている(・・・・・・・)

 

「身体を、創り替える?」

 

「……イメージは、己の身体を一つの随意領域(テリトリー)としている、と言うべきかな。一時的に、一個体として逸脱した能力の行使さえ可能にできるのだろうね」

 

「お詳しいですのね」

 

「……言っただろう、あくまで推論だ。だが、こうでもしないとあの現象に説明がつかない」

 

 推論にしては恐ろしく細かいことに疑問が生じたのか、狂三が訝しんだように口を挟んだのを令音は冷静な顔で返す。

 

 

「……以前、あの子の身体を調べた時から思っていた。あの力(・・・)はあの子の肉体が耐えられるようなものではない。それを行使可能としているのが〝天使〟の力。……けれど、それは負担を抑えることへのイコールへは繋がらない」

 

「……過ぎた力の代償。負荷が、かかりますのね」

 

「……恐ろしいほどに、ね。反動と言うべき負担と、攻撃による重度の負傷――――――生きていることが、奇跡だ(・・・)

 

「っ!!」

 

 

 いざ言葉にされると、恐怖を感じるほどの綱渡りをしていたことが身に染みてわかる。身体が、己の無知に打ち震えて止まらない。

 

「そんな状態で、あの子が耐えていた理由は、折紙さんですわね」

 

「……あの子は特別、鳶一折紙を気にかけていたみたいだね」

 

「折紙――――!!」

 

 一瞬あれば繋がってしまう。あの時の状況を強く思い返せば、誰でもわかることだ。少女の身体は、一時的に再構築されたような状態だった。だから士道は、違和感を持ち合わせこそしたものの追求するまではできなかった――――――それらは全て、折紙のため。

 封印されたばかりで、精神が安定しているとは言えない折紙に、少女は倒れる姿を見せるつもりがなかったのだ。

 

「あいつ、こんな人のことを気遣うくせに……!!」

 

 軽口を叩きながら、人を助けることに尽力して。狂三だけを重視している、なんて嘯いて必死になりながら折紙を救おうとして――――――どうして、それを自分に向けてやれない。

 変わっていない。〈アンノウン〉は何も変わっていない。ただ、自身という存在が全て抜け落ちている(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「どうして……」

 

 どうしてそんなに。どうしてそこまで。どうして――――――ひたすらに、そんな疑問が浮かぶほどに、少女の生き方は歪だった。

 右手で顔を覆い、打ちひしがれる士道。少女に踏み込めなかった、踏み込まなかったツケがこの悲劇だというのなら。

 

「……狂三?」

 

 時崎狂三が誰を責める(・・・・・)など、わかり切っていることだった。

 無言で席を立ち、狂三は静かに部屋の出口へと向かっていく。その背が、重苦しい空気をかもしだしてる。

 

「……少し、夜風に当たって来ますわ」

 

「あ……」

 

 何の言葉をかけられるというのか。言葉は既に、尽くしていた。ふらりと影のように消える狂三を、士道は止める術を持っていなかった。

 

 

「――――令音さん、俺行きます。ありがとうございました……それから、さっきはすいませんでした」

 

「……君は優しいね、シン」

 

「……それしか、出来ないですから」

 

 

 たとえ、それしか出来ないとしても――――――ただ、あの子を一人にはしておけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜風に当たる、と言っていた。だが、狂三はそう遠くない道の先で立ち止まっていた――――――士道が追いかけてくるとわかっていたのだろう。自惚れではなく、それがわかる。

 ああ、けど、今の彼女にどんな言葉をかけてやれるというのか。言いたいことが浮かんでは、また消えていく。

 

 

「――――――何かを奪おうと言うのに、自分は奪われる覚悟がないなんて、おかしいとは思いませんこと?」

 

 

 そのうちに、狂三がぽつりと言葉を紡いだ。

 撃っていいのは撃たれる覚悟のあるヤツだけだ――――――確か、何かの小説でそんな言葉を目にしたことがある。その覚悟がなければ、力なんて持たない方がいい。その通りだろう……けど、望まずして力を手にしてしまった者たちは、それを手放すことが出来ない者たちは、一体どうすればいいのだろうか。

 

「……わたくしはその覚悟をもって銃を握っていましたわ――――――そのつもり、でしたのにね」

 

「…………」

 

「ああ、ああ。いつからなのでしょう。きっとあの子は、こんなわたくしに気づいていたのでしょうね――――――この弱さは、わたくしの罪ですわ」

 

 自身の過ちを吐露するかのように、行き場のない悲しみを打ち明けるかのように、狂三は独白する。

 だから、教えなかった(・・・・・・)。狂三のその優しさが、狂三自身を苦しめることになると気づいたから、〈アンノウン〉は戦いに身を投じることになっても狂三に自身の秘密をひた隠していた。

 気づかなかったこと、気づけなかったこと、それは士道も反省せねばならない――――――しかし、それ(・・)は違うはずだ。少女も、自らを否定する狂三など望みはしないはずなのだ。

 

 

「……それは弱さじゃなくて、優しさだ」

 

「それは優しさではなく、甘さですわ」

 

「それの何がダメなんだ!! 優しいことの、何がいけないんだよッ!!」

 

「――――――わたくしの〝悲願〟のために、そのようなもの不要(・・)ですわ」

 

 

 繰り返している。時間を、繰り返している。進み続けた時間が、巻き戻ってしまったように。問答を繰り返す。

 優しさなど必要ない。無慈悲なまでに、歩き続けなければいけない。その覚悟が、痛いほど理解出来てしまう。理解できてしまえば、苦しみが増す。狂三の背負っているものの大きさが、彼女の背中に現れているように遠い――――――それでも士道は。

 

 

「――――――嫌だ」

 

「っ」

 

 

 ただ、狂三を背中から抱きしめた。駄々をこねる子供のように、縋り付く子供のように。そうだとしても、消えゆく優しい彼女を引き止めるために。

 

「俺は、嫌だ。優しいお前がいなくなるなんて、絶対に。たとえ狂三自身が辛くても、お前がお前じゃなくなるなんて……嫌なんだよ」

 

「……酷なことを仰いますのね」

 

「じゃあ、酷じゃなくなればいい――――――俺を選んでくれれば、いい」

 

 そしたら、もう辛いことなんてない。〈アンノウン〉だって、傷つかずに済む。たったそれだけのことで、時崎狂三は幸せになれるのだ。賭けてもいい、士道にはそれだけの自信がある。

 

 

「……ずっと、考えていますのよ。あの子は、わたくしに悩めばいいと仰いましたから」

 

 

 回された手を、狂三の手が包み込む。華奢な指先が、その一つ一つが士道の指先と重なり合う――――――一体、その指先にどれだけの命を背負い込んできたのか。

 

 

「けれど、どれだけ考えても。けれど、どれだけ思い悩んでも。どれだけ、あなた様を想い、愛おしいと感じても――――――わたくしは、過去を捨てられそうにありませんわ」

 

 

 過去を、罪を、時崎狂三は選ぶ。世界を、全てを、変えてみせる(・・・・・・)と願う。

 

 悲しいまでの覚悟がある。背負った命がある。それらは彼女の求める何かが〝なかったこと〟になっても、決して消えることはない永劫の傷跡。

 それを変えるには、愛した男だけではダメなのだ。こんなにも、好きあっているのに。

 

 人並みの幸福すら、時崎狂三は手に取らないと、取れないと言う。

 

 

「ありがとうございます。こんなわたくしを、優しいと言ってくださって。こんなわたくしを、好きでいてくれて」

 

「ぅ、ぁ……」

 

「……士道さん?」

 

 

 どうしてか。ああ、理由なんて簡単だ。簡単なのに、耐えきれなかった。こぼれ落ちたものが、狂三の手に落ちる。

 

 

「――――――泣いて、いるんですの?」

 

「お前が、泣かないせいだろ……ッ!!」

 

 

 こんなに酷い運命を、選択を背負うのに、泣かないから。

 

 どんなに言葉を尽くしても、今は変えられない。強く、強く抱きしめてやることしかできない。大切な少女を傷つけてでも、泣くことの出来ない女の子の代わりに。その少女が傷つくことを恐れるというのに、歩き続けなければならない精霊の代わりに。

 

 ああ、神様という存在がいるのなら。そんな存在が、いるとしたら――――――どうして、こんな優しい女の子に、重すぎる道を背負わせるのか。

 

 世界を変えた少年は、たった一人の少女すら救えず、無力だった。

 

 

 






何かを撃とうというのに、撃たれる覚悟がないのはおかしなことだ。今作では存在しない狂三キラーでの彼女の言葉がもろに直撃するという。

プロローグから登場して百五話でやっと能力説明が入る精霊がいるらしい。つまるところ少女の第一天使はゲーム的に常時消去不可のマウントです。代わりに、物理防御力が0で回復がある分士道の方がマジレベルの耐久値。オワタ式かな?
前に言った相性問題がこの子は本当に極端で、七罪や美九などには無敵になれますが、逆に十香、折紙など戦闘経験豊富かつ攻撃力に長けた相手には滅法弱い。速いと言っても精霊を一方的にどうこう出来る速さではありませんしね。
加えてこのマウント、味方の回復やバフも問答無用でシャットダウンするので団体行動も苦手という。更に本人の回復能力も低い。なんで戦えてたんだ……?
第二天使は令音が言った通りです。ぶっちゃけ本領は奥の手にしか使えないただ硬い刀でしかないので、普段使いが荒いのはそのせいという。呼べば戻ってくるよ便利だね(
第三は……まだ早いですね。もう察しの通りでしょうけど。

やっと解説出来た能力。これを頭に入れて読み返してもらえるとヒヤヒヤもんの戦闘があるかもしれませんね。ちなみに冗談抜きでやばかったのは間違いなく雷霆聖堂と絶滅天使の2戦です。二つとも十香いなかったら詰んでる。

さて、物語が終わりへ近づくに連れ狂三の答えは強固に、士道の考えは不安定に。狂三のアンサーを変えられるだけのアンサーを、五河士道は手に入れることができるのか。順風満帆とはいかない二人の恋路の行方、どうか見守っていただければ幸いです。

次回は回想から戻ってアンノウンと令音へ。顔合わせると露骨に怪しくなるなこの二人。何ででしょう(棒)
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六話『嘘つき女王様(ナイトメア)

彼女はいつだって偽っている。『時崎狂三』というのは、そういうものでしょう。と。





「――――――で、洗いざらい吐いてしまった、というわけですか」

 

 話の一区切りに、〈アンノウン〉は軽くため息すら混じっているような口調で声を発した。それに対し、令音が相変わらず静かな声色で返す。

 

「……すまない」

 

「謝ってばかりで疲れません? この一件、大体が私のせいでしょう。あなたが謝る必要がどこにあるんですか」

 

 隠し立てしてミスの精算をすることになったのは少女の責任。彼女はその積に巻き込まれてしまっただけなのだ。

 

「もとより、私がふっかけた一方的な隠し事。いつかはバレると思っていましたよ。狂三や五河士道がそこまで思い悩むのは、少し予想外でしたが。……鳶一折紙に関しても、勝手に私の感情を捏造しないで欲しいものですけれど」

 

「……間違ったことは、言っていないと思っているが」

 

「……私にだって羞恥心はあるんですからね」

 

 自分で言うのは構わないが、人にあれやこれやと暴露されるのは抵抗がある。特に、人を気遣ってとかそれしかないと思われるのは心外だった。少女とて、折紙に助けるだけの価値がなければここまでのことはしていない。これは、彼女に対する正当評価の表れでしかないのだから、好きとか気にかけるとかそういう面ではなくて……。

 と、行き場のない言い訳を内心で繰り返していてはキリがなく、コホンと恥ずかしさを誤魔化すような咳払いを挟む。

 

「……鳶一折紙は?」

 

「……無事、他の精霊たちと同じ日常を送れているよ。比較的元通り(・・・)に落ち着いているようだ」

 

「……その元通り(・・・)がどういう意味かで、話がかなり変わってきますね」

 

 少女の呟きに、令音は答えあぐねた代わりなのか頬をポリポリとかいていた。

 十中八九、九分九厘、いや十割でその通り(・・・・)の鳶一折紙が帰ってきたのだろうが。聞かなくてもわかるようなことを聞くほど、少女の想像力は衰えていない。

 ただ、無事にと聞くとまた別の問題が浮上する。他でもない、少女自身のことだ。

 

「……私のこと、教えてませんよね」

 

「……ああ。反転精霊として長い時間活動状態にあったことも考慮して、しばらくは様子を見る、という方針になった」

 

「――――――だったら、もう教える必要もないでしょう」

 

 もともと、狂三と行動を共にしていて士道たちの日常に入り込まなかったのが幸いした。しばらく姿を眩ませていても、不自然に思われる点は少なくて済む。そこまで折紙との接点も多くないこともあって、誤魔化すのは楽な話だ。当然、〈ラタトスク〉の施設にいる以上、彼らの手を借りる必要はあるかもしれないが。

 

「……いいのかい」

 

「良いも悪いもないです。当事者の私が決めたんですから、隠す手伝いくらいはしてくださいよ。鳶一折紙のためにもなるんですから」

 

「……謝罪ができない(・・・・・・・)のは、君が考えているより辛いものだよ」

 

 令音の静かに響く指摘に、少女は身体を強ばらせる。

 人に謝罪を出来るのは、抱え込んだ重りを外すことが出来るということだ。だが、少女自身はそんなもの望んでいない――――――自分のためなんかに、使って欲しくない。

 

 

「……彼女に余計なものを背負わせるよりは、マシでしょう。一体幾つ、鳶一折紙に背負わせるつもりですか」

 

「……彼女はそれを抱え切れないほど、弱い人間なのかい?」

 

「……逆ですよ――――――抱えてしまえるから、そうして欲しくないんです」

 

 

 何もかも抱え込んで、一体どれだけの罪を背負った。一体どれだけの仕打ちを、世界は折紙に理不尽に仕向けた。

 折紙は日常に帰ることが出来た。その背負った罪は消えないが、それでも幸せな生活を選ぶことが出来た。なら、それでいい。少女なんかのために、余計なものを抱え込む必要はない。知らないなら、知らないまま事を闇に葬るべきだ。罪を捨てず、抱え込んだ優しい人間は、時として残酷に見える。

 

「……隠し事が多くなるね」

 

「……あなたが言えることですか。誰にも話せないことが多いのは、お互い様(・・・・)でしょう」

 

「……さて、ね」

 

 下手な濁し方をされて、少女はローブの下で苦笑する。らしくない誤魔化し方だ――――――まあ、少女の前では必要がないと判断してのことかもしれないが。

 だが、少女にとっても彼女の隠し事がバレてしまうのは好ましくない。狂三たちとの話で、冷や汗をかきそうな会話をしてくれたことを思い出す。

 

「……それと、これ(・・)に関してはともかく、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉については言い過ぎです。狂三が怪しんでたじゃないですか」

 

「……ふむ。彼女を甘く見たつもりはなかったが」

 

「……まあ、適当に口裏を合わせておきますよ」

 

 はぁ、とため息をつくと令音は露骨に視線を逸らすものだから、また追加でため息。大体、少女の身体に関しても令音だからこそ(・・・・・・・)わかったようなものなのだ。よくもこんな危険な綱渡りをしているものだと、少女はほとほと彼女の行動に呆れ返る。

 

 ――――――そうでなければ、お互いに何十年(・・・)と邁進していられないだろうけれど。

 

 コンコン、と病室のドアがノックされたのは、話が途切れて数分後のことだった。顔だけを動かして令音へ向けると、対応して言葉を返した。

 

「……見舞いかな。毎日、欠かさず顔を出しているのさ。入ってもらうかい?」

 

「……? え、そりゃあ来てもらったんですから……」

 

 狂三が相手なら、特に入ってもらってはいけない理由はない。適当に肯定すると、令音が扉に向かって少し声を張って返事をした。

 

 

「……みんな(・・・)、入ってもらって構わないよ。それと――――――この子が、目を覚ました」

 

「へ……?」

 

 

 彼女の声が響き、少女が驚きの声をもらした瞬間――――――静かだった病室前がライブ会場のような騒音を巻き起こした。

 

『本当か!? 目が覚めたのだな!? 嘘では無いのだな!!』

 

『ちょ、我が眷属といえど抜け駆けは許さんぞ!!』

 

『指摘。そういう耶倶矢も我先にと行動に焦りが見えます――――――神速。一番乗りは夕弦がいただきます』

 

『あーん、皆さん押しちゃダメですよー。握手会は順番が大切なんですからねー。でも一番はあなたの愛しの誘宵美九がもらっちゃいますよー!!』

 

『……ああ、ああ。四糸乃さん、七罪さん。少しこちらへ』

 

『は、はい……』

 

『うぇ……わ、わかった』

 

『いやー、このオチが読めるだなんてさすがだねー狂三ちゃーん』

 

『待て!! みんな押すな!! あと静かに!! こんな押してたら入れな――――――うわぁ!?』

 

 ドタン、ゴン、ガタガタ、ガンッ。音にすると、してはいけないような擬音が混じり、言葉にもツッコミたくなるようなものが幾つか混じっていた。士道と思われる悲鳴が響いた直後、いつの間にか扉横に移動していた令音が扉を横にスライドさせると、数人の束が一気になだれ込んできた。

 

 上から十香。耶倶矢、夕弦……の間に挟まれて至福の表情の美九。あとはお約束と言わんばかりに一番下でうつ伏せになって下敷きにされた士道。どうしてそうなるのか、と呆れ果てて言葉も出ない中、難を逃れた狂三と七罪が人間タワーを避け部屋に入ってくる。四糸乃は相も変わらずその優しさ故に、甲斐甲斐しく皆を心配して声をかけている。

 こつりこつりと音を響かせ、七罪を連れて狂三が少女の元へ歩く。それが目の前で止まり……少女は、いつも通り(・・・・・)の挨拶を口にした。

 

 

「おはようございます――――――我が女王」

 

「……お目覚めには、少し遅すぎますわね」

 

「それはそれは。申し訳ありません」

 

 

 この出来事があって、狂三と少女の関係性が変わるのか――――――変わらない。少女が変えようとしないのだから、変わるわけがない。

 狂三が少女に変わって欲しいと願っていても、彼女自身の〝悲願〟と相反するものである限り、この上っ面の主従関係から踏み込めるものなど、ない。だから少女は、こうやって変わらぬ会話を選ぶ。

 

「……っ」

 

 少し、憂いを帯びた悲しげな顔が見えて、僅かながら少女に罪悪感にも似た何かが生まれる――――――捨ておけ。それを感じてしまう事こそ、傲慢なのだ。

 ふぅ、と小さく息を整えた狂三が、七罪の背に手をやり優しく押し出しながら声を発した。

 

「積もる話もありますでしょうが、騒がしくなってしまう前に済ませてしまいましょう。七罪さん」

 

「う、うん……」

 

 緊張を含んだ面持ちで七罪が答え、一歩前へ。ゴクリと唾を飲み込む動作と、顔が青くなっているのではないかと思えるほどの緊張感。迂闊に声をかけることすらはばかられる。一体、何を……と思ったその時、七罪が少女に向かって頭を下げた。

 

 

「――――――あ、ありがとう。助けて、くれて……」

 

「え――――ああ、あの時の……」

 

 

 七罪の感謝に面食らって何故彼女が、と考えたのは一瞬のことだった。すぐにあの時の……折紙の攻撃から七罪を庇った時のことだと気づく。

 

「……別に気にすることありません。私が勝手にしたことですから、感謝なんて……」

 

 必要ない、と言いたかった。実際、その通りなのだから言いたいのは山々だったのだが、寝起きの少女は失念していた。七罪が度を超えたネガティブ娘(・・・・・・)だということを。

 

「……そうよね。私みたいな微生物以下の価値もないおまけ以下女の感謝なんか必要ないわよね。ごめんなさい、わかってるわよ必要ない感謝なんて迷惑な善意の押し付けだって。ああ私ってほんとば――――――」

 

「そういう意味じゃないですから!!――――いっぅ……」

 

 めちゃくちゃ沈んだ顔でめちゃくちゃな事を言い出した七罪を止めようとして叫び、それがまだ自由がきかない身体に響いて少女は小さく悲鳴を上げた。狂三が七罪を見てか少女を見てか、或いはどちらもなのか呆れたように手で顔を覆っているのが見える。

 誰のせいだと……などとジト目で思うのは置いておいて、とにかく弁解をしなければと少女は今度こそ本音混じりで言葉を紡いだ。

 

 

「……そういう意味じゃなくて、感謝するのは私の方なんです」

 

「え……?」

 

「……あなたの行動がなければ、あの時は狂三も危ない状況でした。あなたが時間を作ってくれなければ、私もあの行動を取ることは不可能でした。だから――――――ありがとう、勇気ある魔女っ子さん」

 

 

 最後は茶化すように。そう告げた言葉を七罪は恥ずかしげに顔を赤くしごにょごにょと口を動かすも、何も出てこないのかそのままだった。

 ああ、やはり可愛らしい子だと思う。今語った回答も本音なのだが――――――慣れない感謝をされ、気恥しいから遠慮したいのは、誰にも言えない秘密だ。

 

「……それに、私初対面の時に結構危ないことしたでしょう? それのお返しと思っておいてください」

 

「え、何そのお返し重いんだけど」

 

「……そうですかね?」

 

 彼女の正体に気づかず、遠慮なしにやってしまったことを少女なりに気にしていた一面があったのだが、七罪当人は微妙な反応を見せていた。

 さて、これにはどう返したものかと思案していると――――――ズドン。と人間タワーが崩れ去る音と共に下敷きになった士道以外の全員がベッドへ押しかけてきた。

 

「大丈夫か!! ちゃんと食べられるか!! 何か食べたいものがあれば私に任せるのだ、通りすがりの人!!」

 

「ああ、いえ。お気持ちだけ受け取って――――――」

 

「かか、まあ待つがいい我が従僕よ。入り用があれば我に任せよ。そなたが動けぬ間、この神速と神風を操りし颶風の御子が願いを叶えてくれようぞ」

 

「訂正。耶倶矢に叶えられるのは出前程度が関の山です。ぷぷっ」

 

「なっ、そんなことないし!! ちゃんと叶えてあげられるし!!」

 

「いえですから、今は別に――――――」

 

「あぁん、私に会えない間、寂しくなかったですかぁ? 私がその寂しさを埋めるために抱きしめてあげてぇ……」

 

「それはもっと遠慮しておきますッ!!」

 

 えー、いけずぅ。と表情だけなら可愛らしいのに甚く身の危険を感じざるを得ない美九に冷たい汗を流しながら、少女はこの連続して起こり続ける会話の連鎖に思わず扉前で四糸乃と仲良く並ぶ令音へ視線だけで言葉を飛ばした。

 

『……ちょっと、こんなにいるなんて聞いてないんですけど』

 

『……私は、何も見舞いが一人だとは一言も言っていないよ』

 

『……限度があるでしょう!! なんですかこの騒ぎは!!』

 

『おぉー。四糸乃、みてみてー。これが一流の忍者が視線だけで会話をする必殺技だよぉん』

 

「ふぇ……?」

 

 いや、それはかなり違うと思います。そんな言葉にならないツッコミは大騒ぎする精霊たちに黙殺され、結局この騒ぎが落ち着いたのは令音によって面会時間終了という名の強制退去が行われた後だった。

 

 

 

「……士道さん、大丈夫ですの?」

 

「…………今の俺に質問しないでくれ、泣きそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 寝静まった病室の扉が、開く。時刻は深夜に差し掛かろうか、というこの時間に自由に〈ラタトスク〉所有の地下施設に出入りできる人間は限られる。〈アンノウン〉の身の回りの管理――――悪い言い方をすれは、少女の監視役に近い立場の村雨令音。

 

 そしてもう一人は、今し方病室の扉を開閉した彼女、五河琴里。

 

「……」

 

 真紅の軍服を肩がけし、身なりや体躯からは想像がつかないが彼女はこの〈ラタトスク〉の一司令官。そんな彼女がこの場にいる理由は、目を覚ましたという〈アンノウン〉に会うために他ならない。

 一見、安らかに眠る少女の姿に無駄足を思わせるが、琴里はそうは思っていない。一息に、言葉を空気に乗せて放った。

 

 

「――――――こんな時間に起きてるなんて、いけない子ね」

 

 

 挑発的な笑みを浮かべた琴里が、飴を口の中で転がす音が数秒。それだけが部屋の中で響いた後、諦めたようにもう一人が声を発した。

 

「……あなただって、同じじゃないですか」

 

「あら、本当に起きてたのね。消灯時間はもう過ぎてるのだけれど」

 

 琴里は確信を持っていたわけではない。ただ、寝ているならそれで良しと思っていただけ。以前(・・)と同じで、簡単な引っ掛けだ。

 それに気づいた少女が、困った声色を聞かせてくる。

 

「……またこのパターンですか」

 

「あなた、見かけに反して素直すぎるのよ」

 

「……身近に、こういう駆け引きが得意になっていく(・・・・・)子がいましたので、私自身は不得手になってしまったんですよ」

 

 ある意味、長い時間連れ添った仲だからこその理由というべきか。だが琴里には今の二人に、時間と釣り合わない〝壁〟が存在しているように思えてならなかった。

 適当に椅子を一つ拝借して、琴里は少女のベッドの近くへ腰を落ち着ける。特に許可も得ていないが、その自由気ままさに少女がクスリと笑みをこぼした。

 

「その駆け引きが得意な子とは、ちゃんと話をしたのかしら」

 

「……何を話せばいいか、お互いわからないので、いつも通りを装いました」

 

「何よそれ」

 

 おかしな話をしてくれる。そういう不自然さをなくすために話さなければいけないのに、不自然さをそのままに会話を試みるのは更に不自然だ。

 まあ、関係にぎこちなさを感じることに関しては、わからないでもない。秘密が多ければ、罪悪感や責任感も増すものだ――――――かつて精霊としての自身を隠していた琴里が、内心ではそうであったように。

 

「今まで喧嘩した時とかどうしてたのよ」

 

「ありませんよ、そんなの。私は私の、あの子はあの子の。それぞれの目的のために、それだけのために共にある。都合がいい関係だけがあれば、良かったんです――――――そうでなくなったのは、私としても誤算でした。さて、誰のせいなのでしょうね」

 

「…………」

 

 関係が続いていれば、少なからず対人での衝突というものはある。誰であっても、大きい小さいに関わらず意見の差がなければならない。

 おどけるようにそう言った少女と狂三には、それがなかったという。それはどこか、悲しく見える関係性だった。

 

「いいじゃない。誰かさんのせいでそうじゃなくなったなら、この機会にちゃんと向き合えば良いのよ」

 

「……無理ですよ。今更、私にそんな資格はありません。私は、あの子が好きです。けど、あの子はあの子自身のために。それで、いいんです」

 

「そんなの……悲しいだけよ」

 

「好きな人への献身に、見返りは求めないタイプなんですよ。最も、私のこれは私なりの目的がありますから、見返りがあるといえばありますけれど」

 

 愛というのは素敵で、愛というのは身勝手だ。人のため、愛する人のため。それだけのため。そう口にしているのに、あらゆる制約を受けてそうではいられなくなる時がある。投げ出せない時がある。見返りを、求めてしまう時がある。

 だが、少女はそれを求めはしないという。それは真っ直ぐで――――――酷く、悲しい愛の形。

 

 

「なんで、もっと欲張りになれないの? もっと欲張って、幸せになりたいって思っていいのよ――――――あなたは、頑張ってるじゃない」

 

 

 それは、少女が言っていたことだ。頑張っているなら、相応の見返りがあるべきだ。報われるべきだ。そうじゃなきゃ、世界はただ理不尽なだけじゃないか、と。

 なら琴里も、同じ言葉を少女へ贈ろう。求めたっていい、それが人なのだ。そんな琴里の必死な表情が見て取れたのか、少女が微かに身体を揺らした。

 

「……欲張ってますよ。欲張って、これなんです。私なりに自分を作って――――――けど、ダメなんですよ。私にも好きな男の一人はいます。でも、もっと大切な子がいるんです。そのどっちもを選ぶことが……私にはできない」

 

「だったら努力してみなさい。考える頭があるなら出来るはずよ」

 

「……なんか、どこかで聞いたことのあるアドバイスです」

 

 ああ、いい加減なんだか頭にくる(・・・・)。どいつもこいつも理屈を捏ねてできない、やれない、話せない。こればかり言い出す。そのくせ、こちらには手を貸すのだから本当にタチが悪いことこの上ない。

 精霊を保護する〈ラタトスク〉が、精霊に助けられ続けるなどあってはならない。何より――――――五河琴里のプライドにかけて許せない。

 

「あったまきた。絶対あなた達まとめて〈ラタトスク〉で保護して幸せな生活送ってもらうわ。覚悟しときなさい」

 

「ああ、それは怖い……です、ね……」

 

 ふと、少女の声に覇気がなくなっていくことに眉を顰める。しかし、思い返してそれも当然かと琴里は納得した。

 病み上がりの身体で、琴里以外ともかなり言葉を交わしていたはずだ。精霊とはいえ、相応の休息を肉体が求めるのは当然だろう。少女の抱える事情があれば、特に。

 

「ごめんなさい、話し過ぎたみたいね。私は戻るから、ゆっくり休んでちょうだい。安全面は保証するわ」

 

 少なくとも、単独で行動しているよりは遥かにセキュリティをしっかりさせている自負がある。冗談交じりに言い、腰を浮かせて出口へ向かおうとした琴里だったが――――――指先に触れる僅かな感触に、目を瞬かせて振り向き直る。

 

「どうかした?」

 

「……眠りたく、ないんです」

 

「え?」

 

 そんな身体で何を言ってるのか。そう考えた琴里だが、それを口に出すことはなかった。伸ばされた手が、触れた指先が――――――小さく、震えていた。

 

「……どうして欲しいの?」

 

 だから、優しく握りしめる(・・・・・)。その手の大きさは、琴里とそう変わらないのだと少し驚く。

 

 

「……眠れるまで、傍にいてもらえませんか? 一人だと――――――怖い、夢を見るから」

 

 

 顔は伺えない。ただ、それでも恥ずかしげに……そして、本当に恐ろしいのだと少女は震えていた。

 ギュッと両手で少女の細い手を包み込み、琴里は穏やかに言葉を紡いだ。

 

「ちゃんと、言えるじゃない。良いわ。あなたが安心できるまで、いてあげる」

 

「……ふふっ、温かい手です。子供体温ですか?」

 

「おいこら」

 

 人が優しくしてやっているのに、なんて失礼な事を言うのか。目を吊り上げて睨む琴里に、くすくすと少女が笑う。けど、その呼吸はゆっくりと静まっていき――――――

 

 

「……ああ。あなたが傍にいてくれると、安心して眠れそう……です……」

 

 

 その言葉(ほんね)を残して、少女は暗がりの中で安らかな眠りについた。

 寝息を立て始め、琴里も安心して仄かに笑みをこぼす。こうしていると、歳の近い妹を相手にしている気分だ。悪い気持ちはしない――――――だから、もう一人。わからず屋の相手もしてやらねばならなかった。

 

「……別に、今のはあなたじゃ安心できない、って意味じゃないと思うわよ」

 

 琴里の背後で、重苦しい闇が蠢動する。僅かな月明かりが生み出す影から、一人の精霊が姿を形にし、その微笑みを困り顔に変えていた。

 

「いえ、いえ。わたくしがいては、この子が気を張ってしまうでしょうから」

 

「めんどくさいわね、あなた」

 

「この子に見せる優しさを、少しは分けて欲しいものですこと」

 

 いけ好かない仕草で肩を竦める狂三に、琴里はふん、と鼻を鳴らして一蹴する。どこかの誰かさん(・・・・)が狂三を甘やかすから、琴里はその逆をして釣り合いを取っているだけだ。

 

「拗れる前に話つけなさいよ。こんな調子じゃこっちも困るわ」

 

「ご心配なさらずとも、すぐに元通りですわ――――――この子も、わたくしも」

 

 琴里は、少女に視線を戻していて狂三がどんな表情で言葉を口にしたかは見て取れない。けれど、何となくわかってしまう。そして、無性に心がざわつくのも、わかる。

 

「……今のあなた、嫌な感じね。最初のあなたに戻った――――――いいえ、取り繕ってるみたい」

 

「これはこれは、異な事を仰いますわ。わたくし、常に変わらないつもりなのですが……」

 

「ふんっ、気に入らないわね。変わらない関係なんてない、って息巻いてたあなたはどこへ消えたのかしら」

 

 狂三は、責任を投げ出せるような精霊ではない。いいや、投げ出せないからこそ……彼女は、そうして取り繕うことで己を保っているのかもしれない。

 

「ええ、ええ。その言葉に偽りはありませんわ。ただ、進む関係ではなかったということですわ」

 

「何ふざけたこと言ってるのよ。あなたが諦めたら――――――」

 

「――――――進めてしまえば、もうわたくしとこの子は共にはいられない」

 

 ハッと顔を上げて振り返る。そこに、気丈な精霊は存在しない。いるのは、精一杯仮面を被り続ける儚げな少女。悲しげに微笑む、痛みを背負う少女でしかない。

 

 

「きっと、この子はそう言っているのですわ。目を背けていたのは、わたくしでしたの。信じている気持ちに偽りはありません――――――けれど、進んでしまっては、もうこの子を犠牲にはできない(・・・・・・・・)

 

「っ……」

 

「止まれませんの。わたくしは、わたくしの意志で止まることは許されていない。それがわたくし――――――『時崎狂三』なのですわ」

 

 

 決意の言葉が彼女の意志であるならば、それは恐ろしく、悲劇的だ。

 手には銃を。胸には決意を――――――影には、怨嗟を。今この瞬間も、蠢く影から憤怒と憎悪の声が聞こえるかのようで。

 

 『時崎狂三』。その名が、まるで〝呪い〟だ。当人には決して解くことができず、彼女を長く知る者でさえどうすることも出来ない、強大な〝呪い〟。

 

 

「ねぇ、狂三」

 

「…………」

 

「呪いのかかったお姫様を助ける方法って、知ってる?」

 

 

 この世で唯一、それを成すことができる人間がいる。

 

 この世で何よりも、時崎狂三を愛する人間がいる。

 

 この世で――――――その羨むほどの愛を、受け取ることが出来る少女がいる。

 

「ええ、知っていますわ。けれど――――――」

 

 けれど。

 

 

「わたくしには、呪いをかける悪夢(ナイトメア)がお似合いですわ」

 

 

 精霊は、お姫様であることを願わない。

 

 

 




自然な流れでシレッととんでもない会話してれば自然になるんじゃないかと思う。いやならんわ何してんのこの二人。

背負えてしまうのがわかるから、そんなものを背負わせたくないと思う。ただ、まあ……折紙が黙っているかと言うと、そこまで待っているお姫様タイプじゃないですよね、彼女は。
ちなみに〈アンノウン〉の中で好感度が高い(基本精霊は全員高いですけど)士道、折紙、狂三は見ててハラハラするタイプ。琴里は頼りたくなるタイプです。残当な扱いではあります。

悪夢は呪われ、何かを偽る。彼女の本音がどこにあるのか、この作品を見てきた方なら察してもらえるはずです。それを選ばないのが時崎狂三。士道を犠牲にすると決めているのに、長く連れ添ったからと慈悲をかける彼女ではない。そして、少女もそれを受け入れているのでしょうね。
悪夢にかけられた呪いを解き、お姫様を救うのはいつだって主人公の役目。そろそろ物語のエンディングも近づいてきた頃です。

次回で〈アンノウン〉編も一区切り。救いのある結末へは、まだ遠い。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七話『悪夢と不明の境界線(ボーダーライン)

新年あけましておめでとうございます。今年も変わらぬ更新をしていきますのでよろしくお願いします。喰らえ新年いきなり明るくない回攻撃!!!!




「士道、戦争(デート)よ」

 

「は?」

 

 夕飯の買い物から帰宅し、真っ先に玄関前での出迎えをしてくれた黒いリボンのマイシスターの第一声に、士道は口をあんぐりとさせた。

 

「なーにアホみたいな顔してるのよ。自分の使命も忘れたのかしら?」

 

「いや、それは忘れてないが……空間震警報は出てないぞ?」

 

 取り敢えず荷物を玄関に置き、士道は冷静に罵倒へ言葉を返す。

 高校生、五河士道の仕事は学業、主夫業、そしてもう一つ――――――精霊とデートして、デレさせる。半年以上経ってもふざけているとしか思えない内容だが、失敗すると世界の危機という冗談にならない使命を抱え込まされた士道は、精霊が現れれば昼夜を問わず彼女たちを攻略してきた。

 とまあ、そんなわけで使命を忘れているわけではない。だが、精霊は基本的に空間震を伴って出現するもの。今現在、危機感を煽る警報は発令されていない。〈ラタトスク〉がASTから先手を取り、精霊を感知したという線も考えられるが……はあ、と頭を抱えるような仕草で片手を上げ、琴里が息を吐いて声を発した。

 

「もう昼も過ぎたのに、本当に寝起きなんじゃないでしょうね? 今精霊って言ったら、一人しかいないでしょ――――――〈アンノウン〉よ」

 

「……あ、そうか」

 

 ポンと手を叩いて、士道はようやく琴里の言う攻略対象を理解した。

 〈アンノウン〉。正体不明の精霊。幾度となく士道たちを救い、今は〈ラタトスク〉の地下施設に収容されている少女。士道は少女のことを忘れていたというより、咄嗟に攻略対象として結びつかなかった。事実、帰宅して荷物を置いた後、見舞いに赴こうとしていたのだから。

 そんな風に士道が腑抜けた姿を見せるものだから、琴里が眉根を釣り上げて声を上げる。

 

「しっかりしてちょうだい。こういう言い方はしたくないけど、こんな時じゃなきゃあの子を攻略なんてできないんだから」

 

「ん、それはわかってるけど……」

 

「けど、何よ」

 

 士道の中では、未だに根強く狂三との約束が残っていた。琴里の言いたいことはわかる。彼女も、〈ラタトスク〉の司令として少女の事情を知る一人。なので、訝しげな彼女へ士道は嘘偽りを使わず気持ちを言葉にした。

 

「……狂三のことを考えると、どうにも、な」

 

 〈アンノウン〉という精霊の生き様に、〈ナイトメア〉・時崎狂三は欠かして語ることはできない存在だ。その彼女に何も言わずに、という気持ちと……彼女たちの関係に、土足で足を踏み入れて良いものか、士道は悩んでいた。

 戦術的に見れば、狂三に対して非常に効果的とも言える〈アンノウン〉攻略だが、士道はそんな気持ちで狂三と向き合えない。琴里は士道の考えもわかる、と言いたげな顔で即座に返答を返す。

 

「そうね。だけど、〈ラタトスク〉はあんな危なっかしい精霊を放置できないの。狂三がどんなにあの子を必要としていても、あの子が危険に晒されるのを黙って見過ごすわけにはいかない」

 

「っ……」

 

 その通りだった。きっと少女は、傷が治れば同じことをする。狂三のために、ボロボロの身体を酷使して戦うことを繰り返すだろう。精霊保護を謳う〈ラタトスク〉が、少女の蛮勇を放置などするわけがない。士道とて少女のことを放って置くつもりはなかった――――――けれど、狂三の苦悩を直に感じてしまい、どうするべきか考えあぐねていたのは確かだ。

 微かに顔を俯かせる士道に、琴里は尚も言葉を続ける。

 

「けどね、私だってあの二人を引き剥がそうってつもりはないわ。私なりに解決してあげたい気持ちもあるの……だから士道、それはあなたの役目よ」

 

「え……」

 

 しかし、それは士道を叱責して立たせるようなものではなく、諭すような口調だった。

 

 

「会話の中で、あの二人のためにやってみせなさい。それくらいの余裕がなきゃ、狂三や〈アンノウン〉を落とすなんて夢のまた夢よ。もちろん、最優先は〈アンノウン〉の攻略だけど」

 

「琴里……」

 

 

 腕を組み、ふふんと得意げな顔で士道を見遣る琴里を見て、思わず顔を綻ばせる。

 琴里の言う通りだ。狂三が抱える少女を大切に想う心と目的の板挟み。少女の無謀なまでの行動理由。それらを解決に導ける可能性を持つのは、精霊攻略の切り札である士道を措いて他にない。

 そうだ、腑抜けたことを考えるな。気合を入れるため、パチンと強く頬を叩いて前を向く。愚直に、思ったことを……狂三にも、太鼓判を押された自身の長所だ。

 

 

「わかった――――――俺たちの戦争(デート)を始めよう」

 

「その意気よ。〈フラクシナス〉は使えないけど、代用の施設は用意してあるわ。早速あの子のところへ――――――」

 

 

 くぅ。そんな可愛らしい音が鳴ったのは、琴里が声を発した直後の話だった。腹の虫、というやつは抑えられないものなのだが……誰のものかは、カァっと顔を赤くした妹様を見れば一目瞭然だった。

 彼女にドヤされない程度に軽く笑いをこぼし、士道は玄関先から上がりながら一つ提案をした。

 

「先に昼飯、だな。腹が減っては戦ができぬ、だろ?」

 

「……し、仕方ないわね。合理的な判断よ!!」

 

 打って変わって、恥ずかしさを隠すために顔を背けてリビングへ向かう琴里を士道も追いかけながら、相変わらず頼もしくて可愛い妹だ、と妹バカ全開で考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『準備はいいわね?』

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 見舞いに行くという理由は変わっていないのに、独特の空気感と緊張感が士道を襲う。最も、今更この程度の空気にやられてしまう士道ではない。

 地下施設の一室の前でインカムからの声を確かめながら、士道はゆっくりと息を整える。

 

『十香たちが面会する時間には十分余裕があるわ。狂三も、いつも通り十香たちと同じ時間に現れるはずだから都合よく二人っきりよ』

 

 昼食を取りながら一通りの打ち合わせは済ませていた。琴里からの最終確認を済ませ、士道はノックのために手を掲げるように上げた。

 

「わかってる。じゃあ、行くぞ」

 

 緊張の一瞬と言える。気負うな、何も難しく考えすぎる必要はない。士道は少女の見舞いに来て、たまたま(・・・・)二人っきりの状況が作られているに過ぎない。士道の手が扉を叩く――――――瞬間、扉が士道の視界から消えた。

 

「へ……?」

 

 消えたのではなく、開閉のために横に開かれたのだと気がつく。

 

「あ」

 

「……え」

 

 目と目が合う。というのも相手側がローブに隠れているため、確信的ではない。だが、見下ろした士道に対し少女は見上げる形なので間違ってはいないのだと思う。こうして見ると、琴里と殆ど体格差は感じられないなーとか思ったりもする。

 

 いや、そんなことではなくて。

 

「おま、何して――――――」

 

 指を差して汗を垂らした士道の目先から、今度は少女の姿が消える。扉が開閉の閉を実行したためだが、士道は慌てて扉を勢いよく開け放ち叫んだ。

 

「病人が何しようとしてんだよ!!」

 

「……ちっ。解析官が席を外したと思ったのに」

 

 モゾモゾと布団へ潜り込みながら、悪びれもせずに呟いたのが士道の耳にも届く。令音が席を外したのは、怪しまれない程度の時間差だったはずだ。全く油断も隙もないとはこの事である。

 

『……まあ、モニターしてるから見えてるけど、今度やったら専用の部屋にぶち込んでやろうかしら』

 

「…………」

 

 それはそれで、根気よく脱走されそうな予感がするがなぁ。と思いながらも琴里の怖い発言はスルーを敢行し、士道は少女のベッドの隣へ簡易な椅子を動かし座って自然な流れで会話を始めた。

 

「お前な……絶対安静って令音さんに言われただろ?」

 

「……暇なんですよ。別にちょっと動くくらいならいいでしょう」

 

「ダメだ。次やったら令音さんに叱ってもらうからな」

 

「む……」

 

 以前、似たようなことが起こった時のことを思い出し、そう告げた士道に少女が露骨な黙り方を見せる。やはり、どうにも少女は令音に強く出ることができないらしい。

 

「暇なら、俺がいくらでも話し相手になってやるよ」

 

「ふぅん……今日は、珍しく一人なんですね」

 

「……ああ。俺だけ他に用事があって、それが終わったから先にな。皆はあとから来てくれるよ」

 

 一瞬心臓が高鳴ったが、どうにか動揺を悟らせず言葉を返す。これも、嘘は言っていない。

 

「そうですか……ま、私なんかと話をして楽しいかはわかりませんが、いいですよ。何を話します?」

 

「うーん……そうだなぁ」

 

『待って士道、選択肢よ』

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 〈ラタトスク〉、地下施設内の臨時司令室。現在、〈フラクシナス〉が諸々の事情があり本来の役割を果たすことができないため、この場所がその代役となる。

 士道と〈アンノウン〉の姿がアップで映された巨大モニター。本当なら、精神状態や好感度が付属しているはずなのだが、〈アンノウン〉はそういった解析やモニタリングを受け付けない。なので、今回の選択肢も過去の〈アンノウン〉の言動などを解析、分析を重ね予想などを多分に含んだものとなる。普段の精霊攻略より数段劣ってしまうが、それでもないよりは余程マシだ。

 司令席に座った琴里の目に、表示された三つの選択肢が飛び込んできた。その中身は……。

 

 

 

 ①『「お前のことが聞きたいな」無難に少女の話をする』

 

 ②『「好き好き大好き。結婚しよう愛しい君(マイハニー)」思い切って愛の告白』

 

 ③『「〈アンノウン〉、俺とデートしよう」キリッとした表情でデートに誘う』

 

 

「……総員、五秒以内に選択!!」

 

 一瞬、本当にAIが壊れたのではないかと疑うような選択肢が飛び出していて、琴里の思考を指輪の魔法なディフェンドの如く妨げるが、何とか集まったクルーへ指示を飛ばした。

 ただ、殆ど選択肢は決まっているのだろうなと琴里の中で確信はある。というか、②は何だ②は。どちらかと言えば、狂三に特攻火力のある選択肢だろう。今度試してみるのもいいかもしれないと思うと同時に、折紙の時に考えた大型メンテナンスを実行に移すべきなのではないか? という思いが共存していた。

 

 投票の結果は即時表示される。内訳は……③に一票が入っている以外は、全てが①に集中していた。まあ、妥当なところだ。

 

「あら、③に一票入っているのね……」

 

 ②に入っていたなら、容赦なく右後ろに立つ神無月の足の小指を全力で踏んずけてやろうところなのだが、③となると恐らく神無月ではない。

 一体誰が……と琴里が首を傾げると、何とも気力の感じられないような勘違いを産む声色が部屋に響いた。

 

「……私だ。すまないね」

 

「令音が……?」

 

 彼女がこういった選択肢を選ぶのは意外だ。他のクルーたちも、少し驚いたように令音へ視線を向けている。他の精霊ならともかく、精神状態が不明瞭な〈アンノウン〉を相手に堅実性のない選択肢を令音が選んだのは驚きと言っていい。

 

「……なに、あの子にはこれが良いのではないかと思ってしまってね。ここは①で行くべきだろう」

 

「え、ええ……」

 

 どこか珍しく気まずげに頬をかく令音に、琴里も僅かに動揺しながら首肯する。令音のらしくない言動に翻弄されるも、今は〈アンノウン〉攻略戦の途中。琴里が足を引っ張るわけにはいかない。インカムへ繋がるマイクへ琴里は投票結果を送った。

 

「士道、①よ。まずは彼女の出方を見ましょう」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「……お前の話を聞かせてくれないか?」

 

 琴里から受け取った言葉を、出来うる限り自然な形で士道が口にする。間も士道が考えているものとすれば、大して不自然な形ではなかったはずだ。

 ふむ、と上半身を起こして顎に手を当てるような仕草をした少女が声を発した。

 

 

「……それは、『私の秘密を知りたい』の比喩的な表現ですか?」

 

「――――――っ」

 

 

 冗談めかした口調の言葉に、士道は息が詰まる。乗せられた感情の違いはあれど、その台詞は――――――疑惑を振り払い、士道は冷静に言葉を返す。

 

「……違う。お前が話したくないことを無理やり聞くつもりはない。だから、お前が話せるお前のことを、俺は知りたいんだ」

 

 これは、士道の飾り気のない本心だ。〈ファントム〉との繋がりを知りたい気持ちは、もちろんある。折紙の一件が終わった後に。そう思っていたのは士道だ。だが、今はそれより少女自身のことをもっとよく知り、狂三と少女のために何かしてやりたいのだ。

 当然、士道が聞いたところで狂三すら聞き出せない秘密を教えてくれるとは思わなかったのもあるが。

 

「……私の事、と言いましてもねぇ……」

 

 その声色には、純粋な困惑があった。言うなれば、自らが話すことが思い浮かばない。そんな風なものだ。それから、少女はふと思いついたように一言を口にした。

 

「……じゃあ、狂三の話でもします?」

 

「へ?」

 

 

 

 

 

 一時間後。

 

「いやな、本当にそういうところが可愛くてさー。本気で負けそうになる時が結構あるんだよなぁ」

 

「……あなたの命、軽くないです? まあ、気持ちはわからなくもないですけど」

 

「だろぉ?」

 

 盛り上がった。物凄い盛り上がってしまった。これ以上ないくらい、自らの才能が恐ろしく思えてしまうほどに言葉がスラスラと出てくる。これならどんな精霊が相手でも――――――

 

『士道!! ちょっと士道!! 趣旨がズレてる!! 狂三大好き同好会してんじゃないわよッ!!』

 

「……はっ」

 

 言われてみればその通りである。共通の趣味で盛り上がるのは間違ってはいないが、これは当初の目的から何かがズレている。これでは士道が楽しいだけで意味がないではないか。

 琴里の声がようやく届き正気に返った士道を見て、少女が呆れたように肩肘をついて顔に手を当てながら声を発した。

 

「……あなた、狂三に強いですけど狂三に弱いですよねぇ」

 

「ぐ……」

 

 狂三の話題で、こんなにもあっさり方向を逸らされるとは思いもしなかった。ぐうの音も出ないのだが、そういう星の元に生まれたとしか言いようがなく、返す言葉に詰まってしまう。

 

「そ、そういうお前だって、狂三に弱いじゃないか」

 

「……私はあなたと立場が違うんですよ。それに、私は最終的にあの子の行動を黙認します。それがなんであれ、ね」

 

 それが、あなたとの違いです。そう言葉を締めくくる少女に、士道は訝しげな表情で言葉を返す。

 

「それが俺とどう違うってんだよ」

 

「違うでしょう。あなたは狂三の選択や願いに反論や反対をすることが出来て、場合によっては狂三に意見を曲げさせることが出来る。対等な立場と言えます。私は……出来ません」

 

「言えばいいじゃないか。狂三は、誰かの意見を蔑ろにするようなやつじゃないだろ」

 

 言って、意見を交わし合う。これはコミュニケーションにおいての基本であり、誤解なく分かり合うため必要な行為だ。狂三がそれを否定するとは思えないし、少女は士道以上にそれをわかっているはずだ。

 だが、少女はそれを言葉によって否定する。

 

 

「……ねぇ、五河士道。狂三は何人殺した(・・・・・・・・)と思います?」

 

「っ……」

 

 

 身体を、いきなり鋭い刃で突き刺されたような痛みが襲ったようだった。

 一人も、殺していない。そう答えてしまいたかった。かつての士道のように。それが出来ないことは、狂三の悲痛な叫びを聞いた士道がよく知っている。

 

 

「一万か、二万か、或いは億か。私は数えられませんが、あの子はきっと覚えていますよ。もう屍となった者もいるでしょう。その原因を、彼らは知る由もないでしょうけれど」

 

「…………」

 

「……奪われた人は、何も知らないんですよ。あったはずの命、あったはずの〝時間〟。覚えているのは、狂三だけ」

 

 

 ――――――殺されるより、残酷なことではなくて?

 

 狂三の声が、言霊のように響く。何千、何万……一体、どれだけの〝時間〟を彼女は喰らってきたのか。それら全てを背負い、それら全てに怒りと憎悪を向けられてなお、時崎狂三は生き延びている。生き延びて、何かを果たそうとしている。

 

「……狂三は、優しい子です」

 

「ああ、知ってる」

 

 優しくなければ、生きていられない。優しくなければ、狂三は立ち止まっていた。しかし、優しいからこそ、狂三は地獄の業火に焼かれ続ける。

 

 

「本当の自分を押し殺して、殺して、殺して、殺し続けて――――――その果てに、狂三はあなたを殺さなくてはいけない」

 

「……何かを、〝なかったこと〟にするために」

 

 

 神という摂理に抗い、世界を変えるために。愛した人を、愛してしまった人を犠牲にして。

 

「……長く、あの子を見てきました。優しい子が、修羅に堕ちるのを見てきました――――――そんな子が、本当の自分(・・・・・)を取り戻すのを見てきました。たとえそれが、あの子にとっての弱さだとしても」

 

「お前も、狂三の優しさが弱さだって思ってるのか……?」

 

 優しいことが罪だと。慈しむ心を狂三が持つことは、許されないのだと。けれど少女は、そんな士道の問いに小さく首を振った。

 

 

「……思いません。でも、あの子はそう思っている。だから私は――――――そんな狂三を肯定する」

 

「っ……それは……ッ!!」

 

「……私まであの子を否定したら……私があの子を裏切ったら、これまでの全てが無に還る(・・・・)

 

 

 否定――――――している。五河士道は、時崎狂三を否定している。彼女の〝悲願〟を否定している。否定せざるを得ない。何故ならそれは、士道の願う未来と相反してしまうものだから。

 世界を僅かに変えてから、ずっと士道が考えていたことだ。士道は拳を握り、奥歯を噛み締める。

 

「……あなたの願いが狂三の幸せになることはわかってます。本当は、私に都合が良いものだと知っています。だけど、私はあなたにつくことは出来ない。そして……」

 

 そして。その次の言葉は、もうわかっていた。ここまで何もかもを肯定する(・・・・・・・・・)少女を見せつけられて、わからないはずがない。

 

 

「私は――――――狂三の友達(・・)にはなれない」

 

 

 酷く悲しい、愛のカタチ。

 

 少女は狂三の全てを肯定する。彼女の下した決断を、何もかもを肯定する。きっと彼女を支えることはするのだろう。叱咤激励……それら全てを尽くし、その果てに狂三が下す選択を、〈アンノウン〉は受け入れ、肯定する。

 それに否定はない。否定がないのであれば、少女と狂三の立場は対等ではない――――――共犯者(・・・)。それが、彼女たちの下す決断。

 そんな悲しい決断を受け入れられるほど、士道は自身を抑えることが出来そうにない。

 

「お前は、それでいいのかよ!?」

 

「……前に言いましたよね。私に価値は必要ないんです。それと――――――私、あの子の友人を名乗れるほど覚悟を背負えてない(・・・・・・・・・)のかもしれません」

 

「……?」

 

 言葉の意図を理解しきれない。どうして、狂三の友人を名乗ることに覚悟が必要なのか。眉を顰める士道に少女がクスクスと笑い、人差し指を恐らくは口元の付近に当てた。

 

「これは、私お得意の秘密です。いつか、わかる日が来るといいですね。……さて、私のカウンセリング(・・・・・・・)はこれで終わりですか?」

 

「え?」

 

「……どーせ、五河琴里が気を回しているんでしょう。私と単独で話に来る理由なんて、それくらいしか思い浮かびませんしね」

 

 読まれていた、らしい。が、そこでデート攻略という確信的なものに至らないのは、士道の力不足かはたまた少女の自己評価の低さか。どちらにしろ、バレてしまっては仕方がない。

 

「間違ってるわけじゃないが……すまん、不快だったか?」

 

「まさか――――――私、あなたと話すのは好きですよ」

 

「……へ?」

 

 意外な不意打ちに、呆気に取られた顔をする士道。そんな士道を見て、少女はローブの下に笑みを浮かべているであろう表情で、楽しげに言葉を紡いだ。

 

 

「ただし――――――狂三の次に、ですけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、冗談か本気か……どっちだったと思う?」

 

『……どっちも、だと思うわよ。その上で、狂三の方が大切って宣言されちゃったわね』

 

「だよ、な」

 

 それはつまり、狂三を自力で攻略しない限り〈アンノウン〉には辿り着けない。そう、暗に釘を刺されたようなものだ。

 士道は休憩室の壁に背を預け、成果報告とは名ばかりの継続作戦会議を琴里と行っていた。

 

「もどかしいな……解決したいことが、全然噛み合ってくれない」

 

 〈アンノウン〉と狂三は、これからも行動を共にするだろう。だがそこに、少女の身の安全は含まれていない。

 狂三はこれからも士道の命を狙うだろう。そのために、少女を連れ添うことはあっても寄り添うことはない。どれだけ気を配っていても、少女の身体は恐ろしく危険な状態にある。それでも、だ。

 そして士道は〈アンノウン〉攻略の糸口を開くためにも、より一層『時崎狂三』の攻略を行う必要がある――――――それで、いいのだろうか。

 

 

「俺は――――――」

 

 

 どうすればいい。

 

 その返答を、答えを。琴里も、何より士道本人も持ち合わせていなかった。問いは虚空へ消え、信じた道は曇り始める。

 

 みんなを救う。それはあまりに傲慢で、今の士道が願うには、あまりに儚い理想だった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……盗み聞きは、淑女のすることじゃありませんよ」

 

 少女だけがいる病室内。士道がいなくなり、令音が戻る僅かな間。少女は上半身を起こしたまま、何もない空間へ言葉を発した。まるで、返答が来るのを確信しているかのように。

 

 見慣れた影が生まれ、瞬時に人の姿へと生まれ変わる。

 

「あら、心外ですわ。『わたくし』が偶然見聞きしたものを、わたくしが共有(・・)してしまったまでのこと。盗み聞きとは違いますわ」

 

「……分身体まで使って、大した念の入れようです」

 

 まあ、そうでもしなければ狂三の接近は士道に気づかれてしまうリスクがある。念を入れるのは当然の判断だ。

 いたずらっ子のように微笑む狂三に、少女は困ったような笑みを浮かべる。何十年と、変わらない微笑み――――――何十年と、頑なになってしまった関係性。

 

「……ま、そういうことです。存分に使い潰してください」

 

「…………」

 

「……我が女王。私は、あなたの足を引っ張るためにいるんじゃありません。あなたが悩むのは、五河士道のことだけでいい」

 

 他は必要ない。道具を扱うことに、何の躊躇いがいる。いらないだろう。それこそ、そんなものは時崎狂三に不要(・・)だ。

 

 

「私はあなたの全てを肯定します。あなたが私を信じると仰るなら、私もそれを肯定します。だから、我が女王――――――私一人のために、あなたがそれ(・・)を捨ててはいけない」

 

 

 歩みを止めては、いけない。

 

 幾星霜の刻を奏、時崎狂三はここにいる。それが、たった一人の価値のない精霊のために思い悩むなど馬鹿げている。

 

「……せめてその優しさは、五河士道とあの子たちへ向けてください。」

 

 その優しさは、必要なものだ。けれど、不要なものに向ける必要はない。

 

 この子は――――――背負いすぎるから。

 

 

「わたくし――――――人でなしですわ」

 

 

 それだけを、言って。けれど、それが今の彼女の答えで。時崎狂三は、いつの間にかいなくなっていた。

 

「……こっちの台詞、ですよ」

 

 こんな出来損ないの精霊が、人と呼べるのかも曖昧ではあったが。

 

 少女は願う。何を踏みにじってでも。たとえそれが、他ならぬ時崎狂三の優しさだとしても。

 

 ああ、全ては――――――我が女王のために。

 

 

 





どっかで聞いたようなセリフ使うのですね(すっとぼけ)ちなみにお気づきの方がいらっしゃるかはわかりませんが、結構序盤の方からこの子はどこかで聞いたような台詞回しをしています。うふふ。

選択肢はまあ慣れないことしたからくっそ悩んだのですが、1の台詞回しもっと良いのあっただろうと。2.3は狙ってやってるんですけどね。特に3は令音がいるのでどこから来たかわかりやすい場面な気がします。2の選出は私の趣味だ、いいだろ(プロフェッサースマイル)

時崎狂三が踏みにじってきた命。積み重ねてきた年月。救いたいと願いながらも、士道は彼女の想いを知っているが故に苦悩する。さあ、〈アンノウン〉共々物語は終盤へと向かい始めます。次回からいよいよ五河ディザスター本編開幕です。
感想、評価、お気に入りなどなど新年からお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八話『残された力』

器の完成に必要な数は……さあ、五河ディザスター開幕です。




 

 

 常日頃、非日常。謳い文句としては、そんなところだろう。五河士道の暮らしというのは、好む平穏と望む非日常が絡み合っている。異常という名の日常に、士道は迷い、恐れ、それでもと立ち向かってきた。

 

 だが、その非日常の中で彼は当事者ではあるが騒動の原因ではない。〝精霊〟という特異な存在が、騒動という物語の中心に据えられ、士道は彼女たちを救うため駆け抜ける勇者(ヒーロー)だ――――――しかし、今回ばかりは違う。

 

「……う、ぐ――――――」

 

「シドー!?」

 

勇者(ヒーロー)を救えるのは、誰か。問うまでもない。護られるだけではいたくない、女王(ヒロイン)たちだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「〈ファントム〉について知ってることがあるなら教えてくれない?」

 

「………………」

 

 絶句。という表現が人類には存在する。それの正しい使い方というものがあれば、〈アンノウン〉のリアクションは正しく絶句という他ないだろう。

 少しだけ自由が利くようになった上半身だけを起こして、少女は眼前で真面目な顔で腕を組む五河琴里を見遣る。至って、表情は本当に真面目だった。

 

「……あの」

 

「何よ」

 

「……もう少しそれっぽく聞くとか、ないんですか?」

 

「ずっとそればっかりしてると疲れるのよね。あなた達、気を使った聞き方するとすぐはぐらかすじゃない」

 

 それで直球になった、と。司令官という職業はストレスが溜まりそうなものなので、これは考えすぎで限界が来たのではないかと体調の心配をしそうになる。

 

「……まあ、確かに私も狂三もそういうきらいがあることは認めますけど……一応、精霊への精神的な配慮とかないんです?」

 

「そういう扱いして欲しくないんでしょ? 私、士道ほど優しくないわよ」

 

「さいですか……」

 

 やれやれと言いたげに首を振る琴里。精霊に対しての配慮、気配りにおいてかなり優先的に扱う琴里にしては珍しい判断だ――――――それほどまで、彼女たちにとって〈ファントム〉という存在が謎である証明だろう。

 

 人を、精霊にする。一見してみれば、理解不能なやり方だ。事情を知らなければ、到底理解などされない行動。少女は、その理由を知っている。知っているが話すつもりはない(・・・・・・・・)

 

「……実際、〈ファントム〉のことはどこまで知っているんです?」

 

 とはいえ、少女は恩知らず(・・・・)な者でもない。少女の問いに琴里は手元の資料を再確認するように一瞬で目を通し、声を返した。

 

「基本的なことを除けば、折紙の聴取で新しくわかったことは二つ。本当の姿は、年若い少女であること。もう一つは、何か目的があってのこと、くらいかしらね」

 

「……ふむ」

 

 五年前の過去、時間遡行。その結果、折紙は〈ファントム〉に接触を果たした。尻尾を掴む、までは程遠いものだが……そこまで〈ファントム〉を暴いたことを知り、少女は内心で驚いていた。

 半ばけしかけたようなものであるが、あの時の折紙の執念は驚嘆というしかない。

 

「……ん。お察しの通り、話せることは多くありませんけれど、助けてもらった恩があります。糸口程度なら、考えなくもないですよ」

 

「っ……あら、図らずも恩を売った形になったのかしら。嬉しい誤算ね」

 

 琴里が微かに驚いた様子を見せる。少女は何も答えないと思っていたのかもしれない。事実、少女は自分から〈ファントム〉の邪魔をする気がない(・・・・・・・・・)ので、彼女の解釈は間違いではない。

 

 

「……それで? 具体的に何が知りたいんです? 私に聞くということは、五河士道から〈アンノウン〉である私が〈ファントム〉と何かしら繋がりがあるかもしれない……そういう予想を聞いているのでしょう?」

 

「……ええ。その通りよ。単刀直入に聞かせてもらうわ――――――あなたは〈ファントム〉と関わりがあるの? YESかNOかで、答えて」

 

 

 単純な問いかけだ。答えられることが少ないと聞いていた上で、最短かつ合理的な問いかけ。

 遅かれ早かれ、こうなるとは思っていた。狂三と士道の〝デート〟が長引けば長引くほど、様々なメリットと共に多数のデメリットも膨れ上がっていく。これは、その一角とも言えるもの。

 だからこそ少女は、隠された顔を微笑みに変え平然と問いかけに答えた。

 

 

「……NO――――――とは言い切れません。ですが、あなた方が〈ファントム〉と呼ぶ〝彼女〟と話したことはない。これだけは、本当のことだと答えさせていただきます」

 

「ズルい答えね」

 

「信じる信じないは、お任せしますよ」

 

 

 そうとも、ずる賢い答えだ。少女は嘘を一つも言っていない。少女は琴里たちが〈ファントム〉という存在とは(・・)一度たりとも言葉を交わしたことがない。

 睨むように訝しげな目で少女を見る琴里。恐らく、開示される前に答えに辿り着くことはないだろう――――――けれど、少女は己の知識と記憶から予測を言葉にした。

 

「……ま、敢えて言うのなら、精霊の中で〈ファントム〉と呼ばれる存在の答え(・・)に近いのは――――――あなたですよ、五河琴里」

 

「私が……? 一体何の――――――」

 

「――――――失礼するよ」

 

 その会話を遮るように、扉をノックする音と開く音がほぼ誤差なしに起こる。入ってきたのは、ここに来て間違いなく一番顔を突き合わせている令音だった。その手元には、何やらタブレット端末が収まっている。

 令音の声に特別驚いた様子も見せず、琴里が令音と向き合うように身体を振り向かせた。

 

「あら、令音。どうしたの?」

 

「……ん。琴里に見て欲しいものがあってね。実は――――――」

 

 そうして、話をし始めること数分。最初は平静だった琴里の表情が、会話を重ねる毎に歪み――――――

 

「……悪いわね。急用ができたわ」

 

 短く言葉を残して、部屋から出ていってしまった。その最後の表情は、あからさまに何かありました(・・・・・・・)という血相を変えたものだった。

 と、令音を見ると琴里を見送って何やら呑気に飲み物を用意していた。

 

「……行かなくていいんですか?」

 

「……傷も深いのに、少し喋りすぎ(・・・・・・)じゃあないかな?」

 

「……あら。彼女を甘く見たつもりはなかったのですが」

 

 意趣返しのような返答に、今度は令音が息を吐いた。無論、彼女らしく動作が小さく注意していなければわからないくらいだったが。

 少女に関しては酷く大胆な癖に、どうにもこちらは酷く慎重のようだ。ああ、全く、バレるわけがない(・・・・・・・・)のに。

 しばらく、物が擦れる音だけが病室内に響き渡る。そして、令音がポツリと声をこぼした。

 

「……砂糖は、幾つ必要かな?」

 

 問いに、少女は一瞬の沈黙を挟む。そうして、角砂糖が詰め込まれた(・・・・・・)容器を一度見て、声を返した。

 

 

「――――――あと、幾つ残っています(・・・・・・)?」

 

「……二つ(・・)、かな」

 

「……それは、それは」

 

 

 全くもって、予定通りということか。だとすれば、もう。

 

 

「……あまり、デートの時間は残っていませんよ――――――狂三、五河士道」

 

 

 残された刻の砂が尽きるのは、そう遠くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「あれ……」

 

「あら、椎崎さん。ごきげんよう」

 

 狂三が既に通い慣れた――精霊保護組織の施設に通い慣れるのはおかしいことなのだが――〈ラタトスク〉の地下施設の道を歩いていると、長い前髪で少し目元を隠した女性とばったり遭遇した。

 まあ、名を呼んだ通り初対面というわけではない。白い少女が目を覚ますまでの間、基本的にこの施設に足を運んでいた狂三は、何度か〈フラクシナス〉のクルーと対面し、それなりに話をしていた。それこそ、軽い世間話から女子トークまで様々だ。琴里が信を置く部下たちというのもあって、狂三も彼らには一目置いている――――――なら、素直に琴里のことも褒めればいいじゃないか、という少女か士道の声が聞こえてくるのだが、それとこれとは話が別。無言で銃を乱射するイメージで追い出した。

 椎崎が狂三の挨拶に軽く頭を下げ声を返す。

 

「こんにちは。狂三ちゃんは今日もお見舞いですか?」

 

「ええ。少し私用が出来てしまいまして、その前にと思った次第ですわ」

 

 一つの処世術としても意味のある微笑みを浮かべ、なんてことのない世間話のように予定を口にする。

 実のところ――――――私用と言い切るには些か過激な襲撃(・・・・・)ではあるのだが、わざわざ伝えることはないだろう。特に、士道に知られれば真っ先に心配するに決まっている。

 

「……あ、そうだ。狂三ちゃんには伝えておいた方がいいかも……」

 

「? 何かありまして?」

 

「はい、士道くんのことなんですけど……」

 

「っ、士道さんが如何なさいましたの」

 

 話の方向が士道へズレたことで、狂三は表情を一変させ目を細める。平時の士道に何かおかしなことがあった時、情報の伝達が早いのは彼と直接繋がる〈ラタトスク〉だ。何かあったと言うなら、知っておく必要がある。

 急かす狂三に、椎崎が実は……といざ言葉を口にしようとしたその時、彼女が狂三の顔を見て目を見開いた。

 

「く、狂三ちゃん、大丈夫ですか?」

 

「……何がですの?」

 

「何がって、顔が真っ赤ですよ!!」

 

 何を言っているのか。そう訝しんで自身の顔に手を当てると、確かに妙な熱を帯びている。だが、今はそんなことより士道のことだ。狂三自身のことより、その方がよっぽど大切だ。

 

「――――ぁ、――――――――」

 

 だから、そのことを言葉にしようとして……出来なかった。唇は動いている。しかし、喉が震えない。おかしなことは、声だけではない。目の前にいる椎崎の顔が、よく見えない。彼女の顔が傾いて見えて――――――傾いているのは、狂三の方だとようやく気づいた。

 

「は――――――っ」

 

「狂三ちゃん!?」

 

 壁に手を突こうとして、それさえも上手くいかず狂三は硬い地面へ倒れ込んだ。

 冷たい金属が酷く心地いいと思えるほど、熱い。身体が、熱い。自身の異常に霊装や天使を扱うどころか、立ち上がることさえ以ての外。ただ異常なまでの熱が暴走を促し、彼女の中の霊力の循環(・・・・・)が狂い始めている。

 

 誰かに――――――引っ張られている?

 

「ぁ……はっ、はっ……あ、あ……っ!!」

 

「――――、――――!!」

 

 息苦しい。息を整えようとして、そのせいで息が止まりかける。誰かが呼びかけているのはわかるが、その声が聞こえてこない。いつもなら、聞こえすぎるくらいに聞こえる精霊としての機能すら狂っている。

 

 誰だ。繋がれた(・・・・)狂三の肉体を無遠慮に犯している。誰が――――――そんなの、一人しかいないだろう。

 

 誰かが、狂三を抱き起こした。ボヤけた視界と照明の光が合わさって、よく見えない。

 

 

「――――み。――――るみ!!」

 

「……し、どう、さん……」

 

 

 温かい。気分を害する熱ではなく、包まれるような温もり。それも、当然のことだったのかもしれない。微かに焦点が戻った瞳が、その真紅の輝き(・・・・・)を捉えた。

 

「――――――しっかりしなさい、狂三っ!!」

 

「……ああ、ああ」

 

 これは、屈辱的、というべきか。全く節穴となった自身の目を、叱責するべきか。よりによって彼女と士道を見間違うなど……その上、彼女に抱き起こされて安心感(・・・)を覚えてしまうなど、一生の不覚だ。

 

「椎崎!! 急いで救護班に連絡!! 令音も呼び戻して!!」

 

「は、はい!!」

 

「ああもう、何でこんな時に……!!」

 

 怒声のような指示が飛んで、狂三の身体が抱えられた。そんな小柄な身体のどこに力を隠しているのか……皮肉の一つも、出てきはしなかった。

 

 今、思っているのはただ一つだけ。

 

 

「――――――士道、さん……?」

 

 

 愛する彼に、何かが起こっている。それだけだった。

 

 

 






今回の少女は一つも嘘を言ってないのは確かです。〈ファントム〉と話したことがないのも本当。狂三側についているのも本当……士道へ何かしらの希望を抱いていることも、本当。ただ、何かを隠していないとも言っていませんね。非常にずる賢い答えですけどね。話したことがないと言っているだけですし。

残り二つ。この会話の意味は……この二人の関係がこの小説で一番分かりづらいと思います。何せ、お互いがお互いをどう思っているかが難題すぎる。心理描写の薄い令音側は特にそうでしょう。
というわけでディザスター本編開幕です。狂三がいつものように華麗に助けてくれる、とは行かないのがこの章。どうかお楽しみいただければ幸いです!

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百九話『行いの代償』

書き進めてて、もう数章やれば最終章突入って考えると積み重ねに震えてしまいました。私頑張ってる(自己肯定)




 

「狂三の様子はどう?」

 

 地下施設内の一室。病室のような作りながら大きく空間が取られたスペースの中、ベッドに寝かされ横たわる一人の少女――――――彼女が、かの有名な精霊・〈ナイトメア〉だとは誰も信じられないだろう。

 倒れた時崎狂三を緊急的に収容し、更に同時期に(・・・・)体調が急速に変化した士道も施設へ収容。いきなり瀬戸際に追い詰められた状況で、琴里は一先ず狂三の様子を見に病室を訪れていた。

 点滴を打たれ、電極を貼り付けられた彼女は完全に病人だ。その上、見たこともないほど苦しげに息を荒くしている。琴里と言えど、かなり焦りが生じてしまっていた。原因がわかり、正解があるなら、まだ対処のしようがある。だが、横に振られた令音の首がそうではないと言っている。

 

「……芳しくないね。病状自体はシンと似通っているが、同じというわけではない。狂三が本来完璧に制御している霊力を、誰かが無遠慮に荒らしている、とでもいうべきかな」

 

「誰かって……」

 

 言うまでもなく、偶然というには出来すぎている。苦々しい琴里の顔を見て、令音がその考えを首肯した。

 

「……シンの影響と見て間違いない。この状態になって、ようやく二人の間に経路(パス)の形成を確認できた。ただし、本当に見えるだけだがね」

 

「なんてこと……」

 

 口元を覆い、不測の事態に考えを巡らせる。

 

 士道と狂三。時折この二人が行っていた不可思議な現象は、琴里も〈デビル〉攻略戦において確定的な認識をする事となった。事件の後、念入りに士道の検査を行ったのだが、不思議なことに何もおかしな点は見当たらなかった。狂三は封印されておらず、士道の身体にもそれらしい形跡は見られないという結果だけが残された。

 だと言うのに、この状況だ。二人の間に謎の経路(パス)が発見され、狂三は倒れ、士道も万が一が考えられるほど危険な状態にある。

 

 そう。万が一の時は、本当にどうしようもなくなった時は、琴里が士道を――――――

 

「……琴里、気負いすぎだよ」

 

「っ!! ……平気よ。気を使ってくれてありがとう」

 

 令音が心配そうな声をかけてくれたことで、琴里はネガティブな考えを捨てられる。

 確かに、琴里は〝万が一〟を想定していなければならない立場にある。だが、琴里が唯一と言っていいほど〈ラタトスク〉上層部で信用するエリオット・ウッドマンが言っていた。琴里の大事な仕事は、万が一の時に手を下すことではない。〝万が一〟が起こらないよう努めることだ、と。そのために、司令官『五河琴里』はいるのだと。

 ならば、そのために行動を起こそう。常に最善を尽くし、精霊を――――――士道を救う。

 

「とにかく、士道が影響してるっていうなら、まずは士道の容態をどうにかしないとね。そしたら、自ずと道は開けるはずよ」

 

「……そうだね。十香たちに協力を仰ごう」

 

「ええ」

 

 士道の体調不良の原因は特定出来ている。治すためには、封印された精霊全員の協力が必要だ。士道さえ治れば、彼の影響を受けていると予想されている狂三の体調も良くなるはずである。

 令音と共に部屋の出口へ向かい、琴里がドアを閉める。

 

「――――士道、さん」

 

「…………」

 

 その直前、熱にうなされる狂三が呟いた、その前が聞こえてしまう。士道のことをどれだけ想っているか……その気持ちは、琴里も負けていない。

 しかし、もしも、もしもだ。〝万が一〟が起きてしまった時は――――――きっと、琴里と狂三の行動は違う。だからこれは、〝万が一〟を起こさないために動く琴里の、気の迷い(・・・・)

 

 

「もしもの時は――――――私を撃ち殺してくれても構わないわよ、狂三」

 

 

 それで死ねるなら――――――ああ、やはり気の迷いだ。だってそれは、逃げ(・・)なのだから。

 迷いを断ち切るように、琴里は振り返らずに扉を締め切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 士道が倒れた。それに動揺を見せない精霊は、いなかった。基本的に表情の起伏が少ない――それでも人格統合でマシにはなった――折紙と言えど、例外ではない。

 同じ学校に通う十香、八舞姉妹。駆けつけた四糸乃、七罪。仕事の都合でまだ来られない美九も、間違いなく同じ気持ちだろう。

 地下施設の一室で、全員がまちまちに琴里たちの一報を待っている。落ち着きのない者もいれば、折紙のように微動だにせず座して待つ者もいる。共通して、皆が士道を心配しているからこそだ。

 

「あら、あら。重苦しい空気ですわねぇ。まるで、誰かが亡くなってしまったようですわ」

 

 そんな中で、彼女だけは異質だった。優雅な微笑みの中に、隠し切れない毒々しさ。場違いなメイド服(・・・・)に身を包んだ彼女の名は、時崎狂三。彼女はいつの間にか、士道を案じる精霊たちの中に紛れ込んでいた。その上、重い空気を更に悪くするのだからタチが悪いと折紙は鋭く彼女を睨みつけた。

 

「余計なことを喋らないで」

 

「あら、重い空気を少しでも軽くして差し上げようと思ったのですが……ねぇ、七罪さん?」

 

「ひぃっ!?」

 

 ニコリと狂三に笑いかけられた七罪が、十秒限定加速のようなアクセルで添えられた観葉植物の影に隠れガタガタと身を震わせる。

 

「わ、私を食べても美味しくないわよ!?」

 

「あら、嫌われてしまいましたわ。わたくし、悲しいですわ、泣いてしまいますわ――――――つい、虐めたくなってしまいますわぁ」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

「止めるのだ狂三。七罪を怖がらせるな!!」

 

 十香の一喝にも狂三は肩を竦めて、冗談ですわよとあくまで飄々とした立ち振る舞いを緩めるつもりはないらしい。

 見かねた、というのもあったが、折紙は明確な目的を持って彼女たちと狂三の間に割って入った。

 

「一体何の用、時崎狂三」

 

「うふふ、どうなさいましたの? わたくしも士道さんが心配で――――――」

 

「それは、あなたではないはず。それを言えるのは、時崎狂三(オリジナル)だけ」

 

 折紙の言葉にぴくりと狂三が眉を動かした。

 時崎狂三は一人ではない(・・・・・・)。数多くの分身を持ち、それぞれが彼女自身として動いている。その中で、一際特別な存在なのがオリジナルの時崎狂三だ。当然といえば、当然の話ではあるが。

 加えて、折紙は直に狂三と話をし、一度は意識を共有させる精神空間に導かれたことがある。肌感覚だけではなく、折紙も明確に狂三と『狂三』の区別くらいなら付けられるようになっていた。

 

「きひひひひ!! 随分『わたくし』を信頼なさっているのですねぇ。ですが、わたくしも『わたくし』ですよの?」

 

「見たもの、感じたものが違えばそれだけ違いが出る。あなたは『時崎狂三』であって、私の知る時崎狂三ではない」

 

「故に、信頼に値しない、と……ええ、ええ。正しい判断ですわ」

 

 流石は折紙さん。そう言ってパチパチとわざとらしい拍手をする狂三を折紙は冷ややかな目で見やる。

 見たもの、感じたもの。この場合は、士道。彼の存在が、折紙の知らぬ間に狂三へ影響を及ぼしていたのは間違いない。狂三は『狂三』。連鎖的に影響を受けた個体も存在すると予測はできるが――――――少なくとも、目の前の『狂三』はその影響が少ないと言動を通して判断を下した。

 何が目的でこの場に現れたのかは知らない。だが、士道の容態が判明するまでまだ時間があるのなら、折紙は聞いておきたいことがあった。

 

 

「時崎狂三――――――〈アンノウン〉の所在を教えて」

 

 

 その問いかけをした瞬間、場の空気が変わった(・・・・・・・・・)。あまりにわかりやすく、精霊たちが不安げな表情で折紙と『狂三』を見ている。平静なのは、当事者の折紙と『狂三』だけだ。

 

「あら、それを知ってどうなさいますの? あの子はわたくしと関わる精霊であって、折紙さんにはもう無関係ですわ」

 

「彼女には借りがある。そのために会いたい。それだけのこと」

 

「ふぅん、そうですの……けど残念。あの子なら他の『わたくし』と共にとある用事(・・・・・)で不在ですわ」

 

「その用事というのは」

 

「わたくしが素直に教えると?」

 

 火花が散りそうな視線の交差と探り合い。やはり、一筋縄ではいかない。彼女は『時崎狂三』だ。腹の探り合いにおいて、折紙といえど必要な情報を引き出すのは容易ではない。事実、彼女は楽々と会話の流れを別の方向へと持ち込んだ。

 

「あの子のことより、今は士道さんのことでしょう? 聞くところによると、異常な力(・・・・)を発揮していたという話だとか」

 

「う、うむ。あんなに辛そうなシドーは初めて見たのだ」

 

「首肯。力を制御できていない様子でした。あれではまるで……」

 

 誰もが思っていること。部屋にいる全員を巻き込んで話の流れを変えられ、それでも折紙にとってはそちらも重要なものだ。この流れには逆らわず、夕弦の言葉を引き継ぐように声を発した。

 

 

「――――――力を制御できていない、精霊」

 

 

 十香、八舞姉妹。共に士道の変容を直接見た彼女たちが息を呑む。

 身体測定の異常な結果から始まり、窓に手を当てただけでガラスを粉々に砕き、壁に手をつけば軽々と抉り取る。一度、手にしたことがある者ならわかる。あれは、精霊の力そのものだ。

 

「それは……シドーも精霊だったということか?」

 

「わからない。でも、士道が普通の人間だとは、到底思えない。そもそもの問題として、士道はなぜ精霊の力を封印することができるのか、それさえ私たちは説明されていない」

 

「……それって、士道や〈ラタトスク〉が私たちに隠し事をしてるってこと?」

 

「そうとまでは言わない。士道の能力の正体や、それが備わっている理由に関しては、本人も〈ラタトスク〉も完全には把握していない可能性がある」

 

「それとは別に――――――〈ラタトスク〉という組織全体が、何かを企んでいる。そう折紙さんはお考えですのね」

 

 頬に片手を当て、楽しげな微笑みを浮かべる『狂三』を一瞥し、折紙は言葉を続けた。

 

「私を救ってくれたことには感謝している。それこそ、言葉もないくらいに。けれど、そもそも一体なぜ〈ラタトスク〉は精霊を保護しようとするの? こんな危険な行動に、何の見返りもなく莫大な費用を投じているとはとても思えない」

 

「そこに関しては、わたくしたちも気になっていたことですわ。私利私欲に呑まれた俗物もいらっしゃるようですが、一枚岩ではない秘密主義組織……一体、何をお考えなのでしょうね?」

 

 ああ、ああ。胸が高鳴りますわ。と『狂三』が大仰に締め括る。

 彼女の大仰な仕草はともかく、〈ラタトスク〉という組織のあり方に疑問、延いては何かしらの疑いを持っていることは、ここにいる誰もが同じようだ。

 折紙は、否、折紙だけでなく『狂三』を除いたここにいる精霊の誰もが士道と〈ラタトスク〉に救われている。そのお陰で、平和な日常を手にすることができた――――――しかし、〈ラタトスク〉が莫大な費用を投じて、そんなことをする理由はなんだ? 士道、そして琴里が何かを企んでいるとは思えない。が、『狂三』の言うように〈ラタトスク〉という組織を折紙は信頼し切っていない。目的意識が、あまりにも漠然と不透明なのは、より一層の不信感を掻き立てる。

 

 その時、部屋の扉が開き、皆が待ち望んでいた人物たちが現れた。

 

「琴里!!」

 

「ハイ、十香。悪かったわね。うちの士道が迷惑かけちゃって」

 

 琴里が令音を伴い、明るい口調で言って部屋の中を見渡すと、一転して不可思議な顔で首を傾げた。

 

「……? どうかした――――――ちょっと『狂三』。あなた何か変なこと言ったんじゃないでしょうね?」

 

 言葉の途中で『狂三』に目を向けた琴里が、この奇妙な空気を彼女が起こしたものだと予想したのか半目で声を発する。

 『狂三』はやれやれと言うように肩を竦めて言葉を返した。

 

「あら、あら。何もかもをわたくしのせいにされるのは心外ですわ、困ってしまいますわ。これは琴里さんたちの――――――」

 

「――――――それより、士道の容態は?」

 

 また余計な事を口走ろうとした『狂三』の言葉を遮り、折紙は琴里へ話を進めるように促す。

 僅かに戸惑いを見せていたが、それでも士道が最優先だと判断したのだろう。上手く話が逸れてくれた……くすくすとわざとらしい笑みを浮かべる『狂三』には、かなり不愉快な気持ちにさせられたが。

 

 この後、関西圏からヘリをチャーターして戻ってきたという美九を加え――彼女の趣味(持病)で琴里と一悶着あったが――全員が適当な席に着き士道の容態を聞き取ることができた。

 結論を言えば――――――思わしくはない。だが、解決策は至極単純なものだった。

 

 士道が行う霊力封印とは、完璧に何もかもを封じ込めるということにイコールで繋がっているわけではない。霊力を目には見えない経路(パス)で繋ぎ、霊力の大半を士道へ譲渡する形で精霊たちとの間で循環させている。以前から折紙が見ていた、十香たちの限定霊装も精霊の精神状態が不安定になることで、一時的に霊力の比率が変わり部分的な力の行使が可能となる、という理屈だ。

 そして今、どういうわけかその循環するはずの霊力が士道の中に留まり続け、オーバーヒートのような状態を起こし、それが士道の異常な能力に繋がってしまった。放っておけば、八人分(・・・)の霊力が爆発し、取り返しのつかないことになってしまう。

 それを防ぐ単純かつ折紙も望むところ(・・・・・・・・)な解決法は――――――

 

 

「なるほど――――――キスをすることで経路(パス)を正常な形に繋ぎ直す、ということですわね。ああ、ああ。なんて素敵なのでしょう。胸が高鳴りますわぁ」

 

 

 そういうこと、である。キスで霊力を封印することを十香だけは知らなかったのか、何やら悩んで考え込んでいたが、直ぐに俄然やる気を見せていた。

 

「あなたには関係のない話」

 

 ただ、前述の言葉を彼女が放つのはおかしい、と折紙は槍のように言葉を投げつけた。

 時崎狂三は士道に霊力封印をされていない。それを成すためのことを、今も二人は続けているという話ではあったが、だとしても分身である『狂三』は尚のこと関係のないはずだ。

 折紙の鋭い指摘に、しかし『狂三』は煽るような笑みで声を返す。

 

「あら、そうとは限りませんわよ。『わたくし』にも何やらおかしなことが起こっているようですし……ねぇ、琴里さん?」

 

「……ええ。実は狂三が――――――」

 

 琴里が何かを告げようとした、まさにその瞬間、部屋の扉が不意に開いた。何事か、と全員がそちらに目を向け、大小の差はあれど全員が目を見開く。

 

「あ……っ」

 

「狂三!?」

 

 『狂三』と瓜二つの容姿を持つ狂三……常に優雅な立ち振る舞いを見せている彼女が、壁に身体の大半を寄りかからせて何とか部屋の入口付近に入り込んだ。

 彼女の異常な様子に一目散に反応した十香は、椅子を蹴り倒さんばかりに立ち上がり彼女の傍に寄って身体を支えた。続いて彼女の登場に一番の動揺を見せた琴里も、急ぎ彼女へ駆け寄る。

 

「どうしたのだ? 何があった!?」

 

「ちょっと、まだ起き上がったらダメよ!!」

 

「し、どう、さん……」

 

「士道なら今は部屋で眠ってるわ。あなたは自分の身体の心配をしてちょうだい」

 

 琴里の諭すような言葉を聞いて狂三は弱々しい動きで、しかし誰の目にも明らかな程に首を横に振った。

 それは、我儘を押し通すための動作ではない。折紙はそう直感的に判断した。恐らく彼女は――――――何かを、伝えようとしている。

 

 

「あの方――――――段々と、離れて……」

 

「――――――!!」

 

 

 その伝えようとしていることを察し、折紙は大きく目を見開いた。理屈ではない。彼女のその訴えが、間違いなく真実であるとわかる。同じ人を愛している者として、断言してもいい。そしてこれは、急を要するものだと折紙は迷いなく言葉を放った。

 

「十香、狂三を抱えて」

 

「む……?」

 

 急な指示に困惑した十香だが、真剣な様子の折紙にわかった、と既に崩れ落ちかけている狂三を背に抱える。折紙がそれを見終わる前に、今度は琴里へと視線を向けた。

 

「士道のもとへ行く。案内して」

 

「え……?」

 

「――――早く」

 

「っ、わかったわ。着いてきてちょうだい」

 

 言葉短く急かす折紙と狂三の訴えが効いたのか、琴里も頷いて部屋の外へ向かい、折紙を含めた全員がそれを早足で追いかけた。いや、早足というより、もはや全力の疾走に近い。

 長い廊下を抜け、とある扉の前に至った時、ようやく琴里は足を止める。

 

「っ……」

 

 了承を得る時間すら惜しい。折紙は躊躇わず扉を開けて部屋の中を確認する。

 

 その部屋には、病室にあるようなベッドが設置されている。そこに眠っているはずの五河士道は――――――いなかった。

 

 

 





Q.折紙さん狂三への理解度高くない? A.あれって意識〝共有〟領域なんで、それなりに影響があったりなかったり。

味方側に来るとめちゃくちゃ頼れるなぁって思う折紙さん。ここまで長かっただけあります。しれっと分身の見分けがつく数少ない人材。
デレない、隙を見せない、謎だらけ、がモットーの特殊個体。彼女を相手に本体と同じ対応ができるのって多分士道くらいです。

感想、評価、お気に入りなどなどを私のモチベ的なアレのためにください(直球) 今日は体調微妙で後書きもなかなか思い浮かびませんでした。くそぅ、くそぅ……それでは次回をお楽しみに!!


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第百十話『ありえない選択』

もしかしたらこの作品で一番ありえなそうな場面が登場しているかもしれない。




 意識が混濁している。何もかもが曖昧で、何もかもが鮮明に感じ取れる。五河士道は、矛盾している。

 

「俺は何を、するんだ?」

 

 自分がなぜ外を歩いているのか。なぜ冬場でコート一つすら羽織らず平然としていられるのか。どうして、ここにいるのか。それら全てが、不明瞭な物事として溶けて消えていく。

 何かをしなければならない。五河士道はそうしなければならない。何を? ずっとそれを繰り返してきたはずだ。

 

「――――――ああ、ああ」

 

 ああ、今なら何だって出来そうだ。愛しい彼女がそうしているように、己の力を自由自在に行使する。彼女のように、優雅で鮮やかな立ち振る舞いを。

 

 そうして、女の子をデレさせる(・・・・・・・・・)のが、士道の成すべき使命なのだ。

 

 

「――――――――」

 

 

 でも、それならなぜ、こんなにも胸が痛い(・・・・・・・・・)のか。今の士道は無力ではない。みんなに危険なことをさせることなく、自ら強大な力を行使できる。望むことを成すことができる――――――愛しい少女の、悲しげな笑みが浮かんだ。

 

 

「君は、夢の中でも同じなんだな――――――狂三」

 

 

 夢を見ているのかもしれない。その夢の中で、士道は強く理想の自分でいられる――――――本当に愛しい人だけは、手に入れることができないと知っている。けれど、仕方ない(・・・・)

 

 心のどこかで、気づいていた。彼女はきっと、最後まで士道の手を取らない。己のエゴだけで彼女を救おうとする士道の手を、あの気高い精霊は決して重ね合うことはない。

 

 たった一人、真に愛した少女さえ救うことができない、デレさせることができない哀れな少年は――――――無力感を隠し、培われた〝仮面〟を被る。

 

「――――――山吹、葉桜、藤袴……おまえたちって、よく見るとこんなに可愛かったんだな」

 

 さあ――――――戦争(デート)を始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「シドー!! シドー!! どこだっ!!」

 

 忽然と消え失せた士道を探し始めて、既に小一時間は経過していた。初めは〈ラタトスク〉の地下施設を捜索しようとしていた十香たちだったが――――――

 

『士道さんは……ここにはもう、いらっしゃいませんわ……』

 

 微かに狂三がそう指し示したことで、地下施設は〈ラタトスク〉のメンバーに任せ、十香たちは地上で周辺の捜索を行っていた。

 地上でも狂三の力が借りられれば……そう思っていたのだが、地上に出た途端、十香の背で意識の浮上と潜水を繰り返すようになってしまい、状況はあまり進展していなかった。だが、狂三が苦しい自身の体調を押してまで駆けつけてくれたのだ。これ以上は十香たちの力でやるしかない。

 怪訝な表情で十香たちを見る住民たちには目もくれず、ひたすら士道の名を呼び続ける。

 

「むぅ……シドー、あんな体で、一体どこに――――――」

 

「十香、さん……」

 

「っ、狂三!! 目を覚ましたのか!?」

 

「ええ。ご迷惑を、おかけ致しました、わ――――――っ」

 

 背負われた状態から無理に地面に降りたせいか、狂三がまた体勢を崩しかけたのを慌てて十香と近くにいた四糸乃が支えた。

 

「狂三さん、無理しちゃ……ダメです……!!」

 

「四糸乃の言う通りだ。無理せずまだ私の背に……」

 

「いえ。これ以上――――――好き勝手させるものですか」

 

 誰に向かって放たれた言葉なのか。少なくとも、ここにいる誰でもなかった。顔を伏せ異様な雰囲気を纏う狂三に、全員が足を止めて眉根を寄せる。

 

 

「――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

「な……っ!?」

 

 

 突如、狂三が自身の天使の名を告げたことに十香は目を剥いた。そうして、一瞬だけ辺りの影が全て狂三への収束するように蠢き――――――ふと、静けさを取り戻した。

 

「……ふぅ」

 

「狂三、あなた何をしたのよ?」

 

 先程までとは打って変わって、落ち着いた吐息を零す狂三。何が起こったのか誰一人把握出来ていない中、琴里が狂三へ言葉を投げかけた。

 

「好き勝手させられていたわたくしの霊力を、わたくしの支配下に力づくで置き換えましたわ。とはいえ、取り戻すことが出来たのは半分も怪しい程度ですので、〈刻々帝(ザフキエル)〉は疎か霊装すら展開できない無様なものですけれど」

 

 十香には狂三が言っていることこそ感覚半分で理解と言ったところではあるが、どうやら狂三は会話ができる程度に自分を回復させたらしい。彼女の言葉通り、いつもの優雅な微笑みは見られず顔色も良くはない。しかしそれでも、喋ることすら億劫に見えた数分前の狂三より遥かに回復していた。

 驚き半分、困惑半分なのは十香だけでなく八舞姉妹も似たような顔をしている。耶倶矢がいつものよくわからないカッコいい口調、カッコいいポーズを取って声を発した。

 

「……ふっ、流石は我が宿命のライバル。この程度の困難、乗り越えて当然よな」

 

「指摘。耶倶矢のへなちょこな頭脳では、狂三が何をしたのかまるでわかっていません」

 

「なっ!! ゆ、夕弦だってわかってないでしょっ!!」

 

「あら、わたくしの病状を体験なさってみます? 全身を得体の知れない生物に舐め回され、頭を遊園地のアトラクションで延々と回され続けていれば、幾らか再現は可能だと思うのですが……」

 

『……!!』

 

 ニッコリと言う狂三に、八舞姉妹は二人揃って神速で首を左右に振り続けた。全員にわかるような例えで言葉にしたのだろう、十香もその体験はしたくないと身震いしてしまう。

 うふふ、と冗談で微笑みを浮かべた狂三だったが、すぐに痛みを感じるのか顔を僅かに顰め、頭を抑えながら声を発した。

 

「っ……まったく――――――士道さん(・・・・)でなければ、今すぐ鉛玉を全身に撃ち込んで差し上げるところですのに」

 

「シドー……!?」

 

「あなた士道の居場所はわかる!?」

 

「叫ばないでくださいまし、頭に響きますわ……ここから北の方角。この場所からですと――――――商店街、三丁目の大通りですわね」

 

『……こちらでもシンを捕捉した』

 

 狂三以外の全員がインカムから聞こえた声に反応し、そちらに意識を傾ける。未だ体調が優れない狂三に代わり、令音が士道の行方を引き継いだ。

 

『……間違いない。三丁目の大通りだ。しかし、これは……』

 

「何? まさか士道に何か……!?」

 

『……いや、それどころか――――――』

 

「……随分と、はしゃいでいらっしゃるご様子ですわ――――――っ」

 

「狂三!?」

 

 苦しげに膝を突いた狂三に十香たちが駆け寄ろうとするが、狂三本人がそれを手で制止する。

 

「わたくしに構わず、今は士道さんを」

 

「しかし……」

 

「すぐに追いかけますわ。早く士道さんを、止めてくださいまし(・・・・・・・・・)

 

「む……わかった!!」

 

 意味深な言い方と、狂三のただならなぬ様子に十香は強く頷いて彼女の意思を呑む。皆も狂三を案じているが、同時に士道のことも捨ててはおけないのだろう。狂三が満足気に首肯するのを見て、躊躇いながらも走り出す。

 

「シドー……ッ!!」

 

 無事でいて欲しい。士道も、そして狂三も。当然であり、大切な感情のままに十香は走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 雪が降っている。十二月の頭、しかも都内とあっては気の早すぎる雪景色。加えて、幾つもの美しい氷の燭台に次々と火が灯っていく。

 幻想的な道を作り、その真ん中を闊歩する少年。周囲の人たちも、彼の登場を祝福するように拍手喝采を上げた。

 

 仮にこれが舞台の出し物だと言うなら、かなりのものだと琴里も賞賛しよう。が、これを成しているのが――――――

 

「ぐ、小癪な。なんだこの登場は。士道の癖に、ちょっと格好いいではないか」

 

「指摘。耶俱矢、そういう問題ではない気がします」

 

 琴里の兄、五河士道だと言うなら話は別だ。〈ラタトスク〉に指示されて、などということも断じてない。これは、士道自身がやっていること。

 つまり、超常的な現象を彼が引き起こし、自由自在に操っている。その事に、琴里は全身が震え上がった。

 

「これは……まさか、四糸乃の力に、私の力――――――それに、周りの人たちを美九の力で従わせてるっていうの?」

 

「シドー!!」

 

「――――――ああ、十香か。それにみんなも。どうしたんだ、そんなに慌てて」

 

 目の前に躍り出た十香が叫んだことで、士道がようやく琴里たちを認知する。その声色だけなら、いつもと変わらない。優しい声――――――それだけで済んだなら、どれほど良かったことだろう。

 周りの光景が、士道の平然とした様子が、琴里の中でひたすらにエマージェンシーを鳴らし続けている。十香に続く形で駆け出し、琴里は力の限りで叫びを上げた。

 

「どうしたもこうしたもないわよ!! そんな状態で病院から抜け出すなんて、何を考えてるの!?」

 

「ああ……悪かったよ。心配かけちまったな。でも、もう大丈夫だ。身体の方は全然問題なし。それどころか、前よりも力が漲ってるくらいだ」

 

「士道、あなた……」

 

 両手を広げ、士道が誇らしげに声を発する。こうして力を発揮できることが、心から嬉しい(・・・・・・)と思っていると。そうとでも言うかのように。

 

「見てくれよ。これでみんなと一緒に戦える。みんなにばかり危険なことをさせなくて済む。そうだ、狂三にだって(・・・・・・)――――――」

 

「士道ッ!!」

 

 違う。それは違う。士道は、誰よりも一番危険な目にあっている。その士道が、身体の危険を押してまでそんなことをする必要がどこにある? 琴里も、そして時崎狂三も、絶対にそんなことは望まない(・・・・・・・・・・・・・)

 尋常ではない様子の琴里に、士道がようやく言葉を止めた。僅かに息を吐き、琴里は言葉を続ける。

 

「お願い。落ち着いて話を聞いて。今、あなたと私たちの間の経路(パス)が狭窄していて、とても危険な状態にあるの。一刻も早く処置しないと、取り返しのつかないことになる。だからお願い。私の言うことを聞いてちょうだい」

 

「危険な状態? 処置って一体、何をするんだ?」

 

「それは――――――」

 

「私たち全員と、情熱的なチューをするんですよー」

 

 琴里の言葉を遮って、美九が器用に腰をくねらせながら声を発する。一瞬、美九の言葉に目を丸くした士道だったが、不敵な笑みを浮かべて琴里へ近づき――――――どこかで見たような(・・・・・・・・・)怪しい手つきであごを持ち上げた。

 

「な……っ」

 

「本当か? それって、琴里が俺とキスするために言った嘘ってことはないのか?」

 

「はぁ!? 何冗談言ってるのよ!! そんな場合じゃ――――――」

 

『あー』

 

「『あー』って何よあなたたち!?」

 

 少なくとも、耶倶矢、夕弦、美九、七罪、折紙の五人には琴里が職権乱用でやりかねないと思われているという事実に、琴里は顔を真っ赤にして吠えた。

 あまりに失礼すぎる。そりゃあ、出来たらいいなと思う瞬間はあるし、けれどやるなら自分一人で出来るシチュエーションをバレないように仕込んで――――――いや、そんなことを考えている場合ではない。

 琴里たちを見て愉快そうに笑う士道が、身を翻し声を発した。

 

「冗談だよ。俺の可愛い妹が、私利私欲のためにそんな嘘を吐くはずがないじゃないか」

 

「……っ、あなたねぇ……!!」

 

「でも、せっかく手に入れたこの力を失うのは惜しいし、何より、みんなとのキスを流れ作業的にやってしまったんじゃ勿体ないな。せっかくの機会だ。どうせなら、素敵な思い出にしたいじゃないか」

 

 ぱちりとウインクする士道を見て、琴里はなんとも言えない汗を垂らす。似合っていないわけではない。似合いすぎている、のだ。

 それはまさに、〈ラタトスク〉が精霊攻略時に士道に求めてきた(・・・・・・・・)五河士道の姿。だが、その事に違和感を持つのは何も琴里だけではない。

 

「……やはり調子が悪いのではないか、シドー」

 

「まさか、すこぶる良好だよ。愛しい十香」

 

「む、むぅ……」

 

 十香も、それに他の皆も同じようなものだ。何せ、〈ラタトスク〉の選択肢でキザな台詞を口に出す時ですら躊躇うチェリーボーイの士道が、これだ。彼が躊躇わずこのような台詞を吐くことが出来た相手はそれこそ――――――まだこの場にいない、彼女だけだろう。琴里個人にとっては、悔しいが認めざるを得ない事実だ。

 困惑する十香に構わず、士道は言葉を続けてきた。

 

「そこで、こういうのはどうだ? 今夜の十二時ちょうど、俺がみんなにキスをするっていうのは」

 

「十二時……?」

 

 なぜその時間指定なのか。当然の疑問を、しかし士道は唇の端を上げ、いっそ憎たらしいほど似合っている微笑みで次の言葉を言ってのけた。

 

 

「――――――魔法が解けるのは十二時って相場が決まってるだろう?」

 

「…………」

 

 

 恥ずかしげもなくそんな台詞を吐く士道に、琴里は更に汗を垂らした。士道は恥ずかしがることも気にする素振りも見せず、ただし、と指を一つ立てた。

 

 

「一つ条件がある。俺は今まで、霊力を封印するために、みんなをデレさせてきた――――――なら、みんなも、俺のことをデレさせてくれよ」

 

「な……」

 

「む……?」

 

「デレさせる……ですか?」

 

「ああ……まあ、正確に言うなら、もう既に俺はみんなのことが〝好き〟なわけだから、〝デレさせる〟って表現は適当じゃないのかもしれないけど――――――どんなやり方でも構わない。俺をドキッとさせてくれよ。俺が、みんなにキスしたくてたまらなくなるくらいにさ」

 

 

 ばぁん、と。誰かがするような銃を撃つ仕草で士道は言葉を締めくくった。全員、そんな士道の提案に呆然とし――――――琴里が、烈火の如き怒りで声を張り上げた。

 

「聞いてなかったの!? 一刻を争うのよ!? そんな悠長なことをしてる暇はないの!!」

 

「はは、いいじゃないか、これくらい。人生は短いんだ。楽しくいこうぜ」

 

「ふ……っざ、けんじゃ――――――」

 

 こうなったらと、士道を無理やり取り抑えようと考え耶倶矢と夕弦に激を飛ばそうとした琴里を遮るように。

 

 

「――――――あら、あら」

 

『――――――!!』

 

 

 その、蠱惑で誘惑で、妖艶な声。世界に幾人といながら、ただ一人。全員が声の方向へ顔を向け、士道が大きく目を見開く(・・・・・・・・)

 喪服のように黒いロングスカートを揺らし、夢魔は全ての視線を収斂させる――――――開かれた紅と、黄金の双眸へと。

 

 

「楽しそうではありませんの。わたくしも混ぜてもらいたいものですわ――――――ねぇ、士道さん」

 

「――――狂、三」

 

 

 士道は恐らく、半ば無意識に彼女の名前を漏らしたのだと、思う。それほどまでに、お互いの名を呼ぶ行為に、狂おしいほどの愛(・・・・・・・・)が詰まっていると、わかってしまった。

 たったそれだけで、士道が向けていた視線の全てが狂三へと向かう。何時だって、彼の視線を支配できるのは彼女だけ。その事実に歯噛みし、けれどその事実に期待を寄せる琴里がいた。

 彼女ならば、士道を説得できるかもしれない。他の精霊も同じように、生唾を飲んで打って変わった静けさで二人を見守る。

 

 そうして、遂に時が動き出す。時が止まってしまったような静寂を断ち切ったのは――――――一陣の〝風〟だった。

 

 

「それじゃあな、みんな――――――さあ、俺をデレさせてみな」

 

 

 言って、士道は空の彼方へと消えてしまった。〝風〟、八舞姉妹の精霊としての力すら、自在に扱う今の彼はやはり危険な状態――――――などということは、今この場において意味をなさない。

 

 肝心なのは、たった今、彼がした行動である。

 

 

「……えっ?」

 

「む……む?」

 

「驚愕……うそ」

 

「へ……え、へ?」

 

 

 誰もが驚き、呆然としていた。消えた士道を見上げ、完全に停止した狂三を見て、もう一度空を見上げる。結果は変わらないし、本当に時が止まって、時間が飛んだとかそういったこともない。

 

 

「だ、だーりんが……!?」

 

「士道さん、が……」

 

「あの狂三バカの士道が……!?」

 

「――――狂三を、避けた(・・・)

 

 

 静かに最後を締めた折紙ですら、その驚きを全く隠せていない。

 そう、たった今、あの士道が。常に中心に、時崎狂三を置いて世界を回しているバカ兄が――――――狂三を、明確に避けた。

 

 ありえない。天地がひっくり返ってもありえないはずだ。だが、現実は起こってしまった。【七の弾(ザイン)】を撃ち込まれた時のようにフリーズしていた狂三が……へなへなと座り込んでしまい、慌てて琴里たちは駆け寄る。

 

「狂三!!」

 

「し……」

 

『し?』

 

 し……何なの、だろうか。ふるふると身体を震えさせ、キッと何かを堪えるように見開いた瞳が空を見上げ――――――

 

 

「士道さんの――――――馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 ――――――〈ナイトメア〉一番の、心の底からキャパシティを超えた信念の叫び声が鳴り響いた。

 

 多分、いや、間違いなく。二度とは聞けない時崎狂三の子供のような叫びだったと、精霊たちは後に語ることとなる。

 

 

 




二度目はないよキャラ崩壊な叫び。いや本当に今回限定ですよこんな狂三。きょうぞうちゃんファンの皆様に殺されそう。

多分、この小説で一番ありえない事案じゃないですかね。士織ちゃん事件ですら、あれ回避に成功したとしても狂三が悲しむような素振りをしてたら諦めて出て行ってましたよ。
これにどういう意味があるのか。士道は何を考えているのか。まあ敢えて言うのであれば、このリビルドでの彼は狂三をどう思っているのか、ですよね。彼は狂三の言った言葉を一語一句欠かさず覚えています、これもヒントです。案外、笑ってしまうものかもしれませんねぇ。

後半ばっかり語りましたけど、最初の独白も結構重要になるようなそんな感じなような。この二人、噛み合ってるようで本当噛み合ってない気がします。なんかお互いがお互いを凄い人扱いしているというか。自身を微妙に過小評価するというか。
10歩進んで9歩下がるみたいなことしてしまっている二人の関係も、深く焦点を当てていこうかなと。つまり、いつもの狂三リビルドです。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百十一話『関係性(パワーバランス)

何処も彼処も単純じゃないからめんどくさいですよねぇ。




 

 

 何かあったな。その確信に〈アンノウン〉が至るまで、長い時間はかからなかった。何かあったのに加え、それはすぐに解決出来ない厄介事だとも。

 

「…………」

 

 形だけ瞑っていた目を開け、閉じられた扉へ視線を向ける。令音がその扉から消えて数時間――――――少なくとも、少女が目覚めて彼女がここまで席を外した記憶はなかった。

 仕事熱心なのやら、この部屋に持ち込んでまで少女に付きっきりだったのだ。それでも、人並み以上に物事をこなせる令音に呆れるべきか……それとも、誇らしい(・・・・)と思うべきか。

 

「ふん……」

 

 馬鹿馬鹿しい。そんなこと、少女に思われたところで迷惑なだけだろう。己の愚かな考えを振り払うように、少女はベッドの上から降り立って出口へ向かう。

 とにかく、彼女ですら簡単に解決できない〝何か〟があったというのなら、確かめないわけにはいかない。傷に障らない程度の足取りで少女は扉の前へ歩いていき。

 

「……外側から鍵、ですか」

 

 普段はかかっていないロックが外側から掛けられていたことに、少女は頬をひくつかせた。さすがは〈ラタトスク〉の最新鋭技術。外からだろうが軟禁程度容易いものである。

 一応、部屋の中にもロックを解除できそうなパネルはあるのだが、少女の知識で操作したところで解除は難しい。令音に行動を読まれることはわかっていたが――――――こうなると、何がなんでも部屋から抜け出してやりたくなる。

 

「……狂三ほど天邪鬼ではない、と思っていたのですが」

 

 大人しくしていろ。そう令音は言いたいのだろう。いつもは言われる側ではなく、言う側だった言葉。それが、令音に諭されるとは全く想像もしていなかった。これが令音ではなく琴里であったなら、少女も仕方なしと大人しく従ったかもしれない。

 部屋を見渡して、脱出できそうな場所がないか探る。幸いにも、この部屋は精霊を保護するために特化したものではなく、やろうと思えば抜け道にできそうな場所はある。

 

「……っ」

 

 だが、少女自身の身体が問題だった。傷の中心、貫かれた腹に鈍い痛みが走って少女は咄嗟に壁に寄りかかり息を吐き出す。

 

「く……」

 

 天使の権能は作動している。しかし、これでは武器を振るうどころか跳ぶことすら難しい。自身の身体の貧弱さに、思わず苦笑が零れた。

 化けの皮が剥がれてしまえば、少女にできることなど限られすぎている。この傷とて、〝彼女〟ならこんな無様は晒さない。けれど、少女は結局その程度なのだから、現実を受け入れて無いものは無いなりに進むしかない。

 

「……さて、壊すわけにもいきませんし、どうしたもので――――――」

 

聞き慣れた(・・・・・)重音が響いたのは、それに言葉を遮られたこの瞬間だった。

 壊すわけにもいかない、と言った傍から煙を吐き出し、機能を停止した扉を再び頬をひくつかせ無言で見つめていると、壊れた扉を力づくで開けた精霊(・・)が姿を現した。

 

「あら、起きていらっしゃったのですね」

 

「……仮に寝てても、こんなことされたら嫌でも起きますよ」

 

 直球に嫌味をぶつけてやれば、悪びれることもなく肩を竦める『狂三』。見慣れたメイド服を着て、段々と態度が本体と逆転してきている気がする分身体――――の、特殊個体(・・・・)

 

「これ絶対高いでしょう。謝るの私なんですからね」

 

「別に良いではありませんの。必要経費ですわ」

 

「今すぐこの組織の経費を計算してる人に謝ってください」

 

 銃で扉を破壊することが必要経費であってたまるか。全く反省することもなく銃を遊ばせる『狂三』に、少女は頭を抱えて大きくため息を吐く。

 出られるには出られたが、令音の小言が間違いなく増えた。まあ、今はとにかく切り替えるしかないと少女は声を発した。

 

「……で、何の用です」

 

「出立の前にご報告を、と馳せ参じた迄ですわ。あなたの代わりに、わたくしが例の件(・・・)で出張ることになりましたので」

 

「……ああ、なるほど。第二の精霊(・・・・・)ですか」

 

 それは確かに、申し訳ないことではあった。本来であれば少女も同行するはずだった案件であろうが、このザマでは足手まといにしかなるまい。だからこそ、少女の代わりを務められる『狂三』が動く……少女にとっては、あまり好ましい事態ではないのだが。

 

「分身の『わたくし』だけで話が済めば良かったのですけれど、敵も流石の警戒ですわね。輸送機の離陸を止めることは叶いませんでしたので、当初の予定通り網を張るのが得策ですわ――――――『わたくし』も、今は動けないでしょうし」

 

「っ、狂三に何かあったのですか?」

 

 その言い方は、確実に何かがあった。士道に何かが起こったのは察していたが、狂三までは聞いていない。

 わかりやすい焦りを見せる少女に、『狂三』は優雅な微笑みを崩さず言葉を返す。

 

「予想外のトラブルがありましたわ。影に控えた分身体を出すこともままならないということですので、作戦行動を先に取っておいて正解でしたわね」

 

「原因は?」

 

「詳しくは不明ですが、士道さんが関わっているのは、間違いありませんわ」

 

「……!!」

 

「最悪の場合――――――この戦争(デート)の幕は、ここで下りてしまうのかもしれませんわ。ああ、ああ。楽しみですこと」

 

 トン、トン。とステップを踏み、言葉通り楽しそうに『狂三』が踊る。最悪の場合と語る割には、内心で本当にそう思っているのか怪しく見えてくる。

戦争(デート)の終わり。その言葉が意味のままならば――――――狂三が士道を喰らう(・・・)事態が、万が一でも想定されるほどの事象が起きている、ということになる。これは急いだ方が良さそうだと、少女は病室から出て『狂三』へ問いを放つ。

 

「狂三はどこに?」

 

「この施設の司令室に当たる場所ですわ。どの道、あなたがそちらへ向かうことは想定していましたけれど、『わたくし』をくれぐれもお願いいたしますことよ?」

 

「……わかってます」

 

 この身に変えても。覚悟は、傷を負った身でも変わらない。取り敢えず、『狂三』の言葉を信じて狂三と令音のいる司令室を目指して歩き出す――――――その前に、一瞬だけ少女は『狂三』に言葉を放った。

 

 

「……あなたも、わかっていると思いますけれど、無理はしないように――――――あなたが消えたら、私も命の使い方を考えなければならないので」

 

「きひひひ!! わたくしがいなくとも、使い方は考えて欲しいものですわ」

 

 

 狂気的な笑いと微笑みを見せ、『狂三』が影へと消える。それを見届けた後、少女も背を向けて施設内を歩き出す。

 

 『狂三』の願いに答えるのは――――――無理な話だと、微かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ!! 良いです、とても良い!! しかし私には司令という真に忠誠を捧げたお方が……」

 

「うるさいですわよ。足掛けは足掛けらしく、黙って跪いてなさいな」

 

「アァ――――――!!」

 

 臨時司令室に入ったら、女王様が本当に女王様になっていました。どうすれば良いでしょうか。教えてください五河琴里。

 

「…………えぇ」

 

 結果、呆れた声を微かに零すだけに留まった。他に言いたいことがないわけではなかったが、ありすぎて言葉に出来なかったとも言う。

 〈ラタトスク〉の施設。地下の一角に備えられた部屋に、琴里を除いた空中艦〈フラクシナス〉のクルー面々が勢揃いしていた。巨大なモニターには、水着を着た士道と精霊たちがアップで表示されている。何やら作戦行動の最中、といった様相――――――なら、我が女王の女王様ムーヴは何なのだろうか。

 チラ、と司令席を見遣れば見たこともないほど不機嫌な狂三が物語によくいる偉そうな女王様のようにふんぞり返って、副司令……だと思われる神無月恭平を足蹴りにしていた。クルーたちはそれを気にしてすら……否、各自気にしないように頑張っているようだ。職務を全うするのも大変だなぁと同情を禁じ得ない。

 ともかく、この混乱極まる状況を一番説明してくれそうなのは、狂三が〈アンノウン〉の人生史上類を見ない狂い方をしている以上、もう一人の探し人しかいない。大変に気は進まないが、少女は歩きながらため息混じりに〝彼女〟へ声をかけた。

 

「……解析官」

 

 手元のコンソールを叩く手がピタリと止まり、村雨令音が椅子を回転させ少女へ身体ごと向き直る。

 何ともまあ、珍しいもので。令音は正しくじろりと睨むような(・・・・・)目付きで少女を捉えた。

 何を言いたいか、何を言われるか。それがわからないほど少女は間抜けではない。ローブの下で視線を逸らすくらいは容易いはずなのに、バツが悪そうに思わず顔ごと背けてしまう。

 

「……悪いと思っているなら、養生していて欲しかったね」

 

「……あなたが、いつもの時間になっても来ないのが気になったんですよ」

 

「……寂しかったのかい?」

 

「なっ、誰が――――っ!!」

 

 令音にらしくもないと思ったばかりだというのに、自分がらしくもなく声を荒らげてしまったことでクルーたちがどよめいて視線を少女へ向けた。慌ててぺこりと頭を下げて何事もないことを伝える。

 少女は〈ラタトスク〉を邪魔しに来たわけではなく、状況の確認に来たのだ。騒ぎ立てるのは本意ではない。八つ当たり気味にわかりもしない睨みを利かせながら、少女は令音と会話を交わす。

 

「……取り敢えず、状況を説明してください。頼れる人があなたしかいないんですよ。我が女王も……何か、アレ(・・)ですし」

 

 狂三をアレ(・・)という表現で伝えなければいけないのは、恐らく少女の人生でこの一度きりだろう。そのくらい、今の狂三の様子は常識を逸している。

 ふむ……と顎に手を当て考えるような仕草をした令音が、彼女の隣にある用意されていた(・・・・・・・)もう一つの椅子を指し示し、静かな声を返した。

 

 

「……君が私の言うことを聞いてくれるなら、考えよう」

 

「………………ああ、もう」

 

 

 それ、実質選択権がないでしょう。そんな事実確認は言葉にならず……動きが読まれているのは、どうにも奇妙なものだと、少女は大人しく椅子に収まりながら思う――――――心地が良いのが、また苛立たしい。

 

 

 

「……はぁ。つまり、五河士道がチャラくなったので精霊の皆さんで元に戻そう。ということですか?」

 

「……非常に簡略化された表現だが、そうなるね」

 

経路(パス)の狭窄による霊力循環の不具合。それに伴う高熱、及び霊力の影響で自制心が外れた五河士道。ジゴロ(・・・)になったというべきか、はたまた彼自身が演じるそれに呑まれてしまったというべきか。

 席に腰掛け、続く精霊たちによる士道を(・・・)デレさせる……精霊への好感度が高い彼へ正しく言うなら、ドキッと(・・・・)させる作戦をモニター越しに見ながら、少女は把握した状況の整理を始めた。

 

「……狂三はどうなんです?」

 

 狂三は士道に封印された精霊ではない。だが、士道からの影響を一番に受けている精霊と聞いた。影響を多感に受けた結果が、あの女王様ムーヴというのは何とも不可思議な話ではあるが。

 少女の問いに難しげな顔で令音は言葉を返す。

 

「……シンと狂三の経路(パス)は狭窄を起こしていない。それどころか、正常すぎるくらいだ」

 

「――――怖いくらいに、ですか」

 

「……ああ。それしかわからない以上、精霊たちとの経路が正常化された時、二人の経路に何かが起きないことを祈る他ない」

 

 それは、かなり厄介な案件だ。ひとまずは落ち着いたようだが、封印された精霊とは勝手がまるで違う士道と狂三の経路(パス)。その上、〈ラタトスク〉の最新鋭設備を余すことなく使える令音でさえ、ろくな解析結果を出すことができない。

 今の士道の身体が単純な時限爆弾だというのなら、二人の経路(パス)は解体した時に何が起こるかわからないパンドラの箱。中に入っているのは希望か、それとも……。

 

「……まあ、理屈はわかりましたけど、それとあの狂三の奇行に関係はあるんです?」

 

 聞いておいてなんだが、なかったら困る。幸いにも、令音は間を置いたりはせず言葉を返してくれた。

 

「……シンの異常に影響を受け乱された霊力を強引に制御したことで、シンの精神状態と似たものになっていると推測できる。自制心が外れた状態にあるようだ」

 

「……あれが、狂三の願望なんです?」

 

 相手が喜んでいるとはいえ、あまり好ましい願望ではない。不安がる少女を見て、令音は緩やかに言葉を否定した。

 

「……いや。どちらかと言えば、ストレス解消(・・・・・・)ではないかな」

 

 流石にSな女王様の願望はなかったらしい。一安心ではあるが、それはそれで別の問題が発生してしまう。

 ストレス、というと……経緯の中に到底信じられない出来事があった。恐らく、それ(・・)のことだろうと少女は口に出した。

 

「……五河士道に無視された、ですか。ちなみに、好感度の程は?」

 

「……下がってはいないが、機嫌はマイナスを超えて最悪だね」

 

 無視されたというのに好感度は下がらない。が、機嫌は類を見ない下がり方をした、といった感じか。

 ふむ。と口に手を当て、一言。少女の本音が漏れ出た。

 

「……難儀な子ですね」

 

「聞こえていますわよ」

 

「……これは失礼」

 

 不機嫌そのまま、ギロりと睨みつけて少女へ声を飛ばす狂三に肩を竦めて冗談交じりに謝罪する。体調不良と聞いていたが、少女の本音を拾い上げるくらいには回復しているらしい。

 

「……解析官は、どう考えています? 五河士道の意図」

 

「……ん、可能性としてはシンが狂三に嫌われることを内心で恐れ、避けたいと思っている、などが考えられるね」

 

「……うーん、何かもっと単純な(・・・)気がしますね」

 

 腕を組んで考え込む少女に、令音も賛同するように頷いた。

 

 

「……君と同意見だ。些か、可能性としては安直と言える」

 

「……そうですねぇ。何せ――――――五河士道ですし」

 

 

 今までのことを考えて、彼の狂三への想いを見てきた少女にとって、令音が口にした最初の可能性は、彼女の言葉を借りるなら些か自分本位(・・・・)が過ぎる。

 常に狂三のことを考え、けれど自分のために狂三が欲しい。そんな矛盾した思考の持ち主が五河士道という少年だ。その彼が、一方的に狂三のことを無視して、身の保身のためだけに狂三の機嫌を損ねるなど、まずありえない(・・・・・)

 本人に理由を聞ければ一番早いのだが、当の本人が暴走状態であり、最も聞き出せそうな人物を避けて通るものだからどうにもならない。今まで士道と狂三の間にあったものは、目的の食い違いしかなかった。そのため、こういったカップルの痴話喧嘩(・・・・・・・・・)は少女と令音でもお手上げなのだ。

 放って置くわけにもいかないので、士道攻略中は暇を持て余している少女が何かしらを講じておきたいところではある――――――が、次の瞬間。

 

「――――――っ!!」

 

 エマージェンシー。非常事態を告げるアラートが臨時司令室に響き渡る。

 

「なんですか、これ?」

 

「……してやられた。シンと精霊たちがいる施設の上に〈バンダースナッチ〉の反応――――――離れた位置に、エレン・メイザースと思しき反応もある」

 

「……ちっ。どこから嗅ぎつけたんですか、あのいけ好かない男の腰巾着は」

 

 思わずそう吐き捨て、少女は思案を巡らせる。DEMが今目的とするものとなれば、間違いなく精霊の力を自在に操る士道だろう。

 

「……この距離まで接近を許したのは不味いですよ。私も狂三も動けず、確か精霊の皆さんも今霊力を行使するのは危険なんでしょう?」

 

 攻略を終えた精霊は、八舞姉妹と七罪のみ。四糸乃は今まさに士道を攻略中だが、それを含めてもようやく半分。約束の時刻、夜の十二時まで妨害ありきで間に合う保証はない。

 しかし令音は、この状況でも大きな焦りを見せる様子もなく、冷静に会話を続けた。

 

「……ああ。だが、こういう時のための対抗策は用意してある。……できれば、使いたくはなかったが」

 

「……宛はあるってことですか――――――そういうことです、我が女王。大人しくしていてくださいね」

 

 顔だけを向けてそう言葉を発してやれば、腰が浮きかけた(・・・・・・・)狂三が少々不機嫌な表情で投げやりに言葉を返した。

 

「言われずともわかっていますわ。あなたではないのですから」

 

「あら、魔女っ子ちゃんが霊力を使った時は、心配でハラハラした顔を隠せていなかった――――――」

 

「撃ちますわよ」

 

「……と、解析官が言っていました」

 

「……何もそこまでは言っていないが」

 

 ポリポリを頬を掻く令音に、如何に狂三と言えど脅し文句は飛んで来なかった。今の狂三なら冗談抜きに銃を抜きかねないので、揶揄うのも程々にしなければならないかもしれない。

 兎にも角にも、狂三の制止には成功した。あとは現場の琴里たちに状況と指示を伝える令音を待つだけ――――――

 

 

『奥義――――――』

 

 

 だったはず、なのだが。モニター内の士道が何かの構えを取り、両手を合わせ腰元に構えている。

 少女、そして令音までも眉を顰めたその動作。士道は、迷いなくその両手を突き出し霊力を解き放った(・・・・・・・・)

 

 

『瞬・閃・轟・爆――――破ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッ!!』

 

 

 モニターを埋め尽くすほどの極光。その霊力波は、少女の記憶に違いがなければ十香の〈鏖殺公(サンダルフォン)〉や折紙の〈殲滅天使(メタトロン)〉の最大火力(・・・・)に劣らないものだ。

 〈バンダースナッチ〉が崩しかけた天井を完全に貫き通し、滞空していた数十機の人形を欠片の一つさえ残さず粉砕しきる。

 

「……対抗策って――――――」

 

「……違うよ」

 

「……ですよね」

 

 見ていた誰もが予想外だっただろうな。と少女は苦笑いを浮かべる。

 

 

「…………かっこいい、ですわ」

 

 

 約一名、その予想外にうっとりと頬を赤らめた方がいたようだが、士道ならなんでもいいのではないかと少し不安に思う〈アンノウン〉であった。

 

 

 






狂三の中ではかっこいい判定入るの……かなぁ?まあ作中時間の狂三の状態での判定なので、普段なら真相は闇の中。

謎が深まる分身特殊個体。ただ単純に原点の狂三の代役というだけではないのです。

この回と次の回で令音とアンノウンのバランスは見えてくると思います。ていうかもうお気づきの方が大半でしょうが、基本的に令音側が強いです。というより、アンノウン側があまり強く出ない、のが正しいかもしれません。なんででしょうね(棒)

士道が自分本位だけで狂三を避けたなら好感度も何かしら変化したかもしれません。忘れないで欲しいのは、本作の士道は心の底から彼女に狂っているのです。だからこそ、暴走状態でわざわざ狂三を避けた異常性には必ず理由があります。どんな理由なのでしょうね。答えは必ずありますよ、ふふふ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百十二話『溢れ出す想い』

なんか主役とヒロインがここまで長く会話してないの久しぶりな気がしてます。どんだけべったりしてたのこの二人。




 

 

 先行した〈バンダースナッチ〉が爆散(・・)する。人形兵の頭部を容易く砕き、順次に接敵した元上司(・・・)へ向けて彼女は刃を振り下ろした。

 

「――――――真那」

 

「さすがはエレン。簡単にやられちゃくれねーですね」

 

 彼女の妨害を行った少女、崇宮真那は一つに括った髪を揺らし挑発的な笑みを浮かべながら後方へと飛び退いた。

 エレンが纏う白銀のCR-ユニット。真那の纏う漆黒と蒼のCR-ユニット。それぞれ纏うものは違えど、魔術師(ウィザード)としての尋常ならざる経歴をそれだけで物語っている。

 

「まさか、あなたが出てくるとは思いませんでしたよ」

 

「兄様の一大事って言われたら、黙ってるわけにもいかねーでしょう。わりーですが、私が来たからにはあなたの思うようにはいきませんよ、エレン」

 

「……あなた方兄妹は、本当に私を不愉快にさせてくれますね――――――今さら言っても詮無いことですが、やはりあの時(・・・)に殺しておくべきでした。まったく、アイクの道楽にも困ったものです」

 

 エレンが不快そうに覚えがない事柄を口に出したことで、真那の眉根が不審に歪んだ。あの時(・・・)と呼ばれる事柄――――――真那の知らない過去と、関係があるのか。

 

「……あの時? 何のことを言ってやがるんですか」

 

「さて、何のことでしょうね」

 

「ふん……まあいいです。ここは通さねーですよ。それと――――――」

 

 切っ先を突きつけ、真那は内心の不満(・・・・・)をここぞとばかりにぶちまける。まあ、見つからない宿敵(・・・・・・・・)の半ば無理やりな八つ当たり、ではあったが。

 

 

「今の私は、かなり機嫌がわりー(・・・・・・)です――――よッ!!」

 

「それは――――――こちらのセリフです!!」

 

 

 強大すぎる随意領域(テリトリー)同士が激突し、火花を散らす。

 最強の魔術師と、元DEMナンバー2の魔術師。次元の違う魔術師同士の戦闘が、戦争(デート)の裏で巻き起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……なるほど、使いたくない(・・・・・・)とは、あなたらしいですね」

 

「…………」

 

 少女の声に応じることなく、令音はコンソールを叩くことに集中している。

 分けられたモニターの片方は、変わらず精霊たちと士道を。もう片方は、エレンと戦う崇宮真那の姿を。それぞれ映し出してこそいるが、これから臨時司令室は真那のフォローが大半となり、戦局の大半は精霊たちが握ることとなるだろう。最も、最強の魔術師が自ら出向いてきているのだから、当然の話ではある。

 

「……ちゃんと手綱は握っていたんですね」

 

「……君たちと鉢合わせるわけにも、いかないからね」

 

「ありがとう、と言うべき場面ですか?」

 

 確かに、士道と狂三のことを考えると悪い言い方だが、真那が現れるタイミング次第で状況が混乱してしまう。何せ、以前よりはマシとはいえ真那が未だに探している狂三は灯台もと暗し(・・・・・・)なのだ。その上、少女とも顔を突き合わせて仲良く、などという間柄ではない。

 こういう場合は、素直に礼を言っておくべきかもしれない。まあ、受け取る方は恩を着せるためにやったわけではないだろうが。冗談交じりに発した言葉を、令音は律儀に受け答えをする。

 

「……そう思っているなら、少しは私の言うことを聞いて欲しいものだが」

 

「善処しますよ。一応ね」

 

「……一言余計だよ。……ああ、そうだ。私の方を見てくれるかい(・・・・・・・・・・・)?」

 

「は?」

 

 突然、何を言い出すのかこの方は。そんな思いが言葉にこもってしまったのか、乱雑な声色と共に少女は律儀に横を向いてしまった(・・・・・・・・・・・・)

 冷静になって考えれば、少女の視線を固定する意味など、一つしかないというのに。少女は、思わず令音の声に従った。令音だから(・・・・・)、従ってしまった。

 

「――――っ!!」

 

 意図に気づいた時には、遅い。視線を元に――――――正確には、決して外さなかった狂三の方へ戻す。

 

 司令席が、座っていた跡である僅かな揺れだけを残していた。

 

「あの子……っ!?」

 

 立ち上がって追いかけようとした少女の肩を、誰かが――――――令音が掴む。軽い力だ、少女なら怪我をしていても簡単に振り解けるはずの手が、振り払えない(・・・・・・)

 苦々しく顔を歪め、少女は再び視線を戻して令音を睨みつける。

 

「……謀りましたね」

 

「……狂三の力は必要だ。この先、何かが起こってからでは遅い。彼女もそう考えて、私に乗ってくれたのだろう」

 

「なら私も……!!」

 

 静かに首を振り、令音が真っ直ぐに少女の瞳を捉えて(・・・・・)離さない。

 

 

「……君はダメだ。それに、君は折紙と顔を合わせるわけにはいかないはずだ」

 

「けど!!」

 

「――――――言ったはずだよ。私の言うことを聞いてくれるなら、とね」

 

 

 ――――――振り払えばいい。

 

 少女の役目はなんだ? 狂三を守ることだ。そのためなら、何を賭けてもいい。己の身体など、幾らでも支払おう。

 だから、振り払えるはずなのに。振り払って、走っていけるはずなのに――――――少女を本当に案じている(・・・・・)瞳が、少女を捉えてしまって、動けなくなる。

 

 その歪なあり方に、その純粋な慈悲に――――――ああ、だから、会いたくなかった(・・・・・・・・)

 

「……わかりました。今の私が行ったところで、大して役にも立たないのは事実。……けど、〈ラタトスク〉の禁じ手(・・・)が出たら、話は別でしょう」

 

「……そうだね。アレ(・・)は、見過ごせない」

 

 了承はした。だが、全てではない。二人の間だけで完結する声量で、最悪の事態(・・・・・)を予測する。

 五河琴里が握る魔剣(・・)。琴里ならばいい。彼女の周りには相応の人物がいて、彼女自身も撃つことを望まない。が――――――

 

俗物(・・)は躊躇いませんよ。組織を構成するのに必要な人材でも、私たち(・・・)にとっては毒です」

 

「……うん。その時は――――――」

 

 ふと、令音が。恐らくは、誰にも見せたことのない覚悟に満ちた笑み(・・)を浮かべた。

 

 

「――――――『私』が、動く」

 

 

 少女にしか聞こえない言葉は、しかし誰かに聞かれていようと、この世で意味がわかるのは――――――少女と令音だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 ドレスを着飾り、士道とダンス。まだ早いと思っているかもしれない。けれど、兄の妹と言えどいつまでも子供というわけではない。

 ただ、それだけで士道がドキッと(・・・・)してしまうのは予想外であったし、こんな状況でももう少し――――――邪な考えが過ぎったのも、人間なら当然のことかもしれない。

 

「やっぱり、琴里にはちょっと早かったかな?」

 

「ぐ、ぐぅ……」

 

 とはいえ、結局は士道の三度目は大人のキス(・・・・・)発言に翻弄され、顔を真っ赤にして退却を余儀なくされたのではあるが。

 悔しいが、どこか安堵を感じながら琴里は士道をチラリと見やると……何故か彼は、僅かに別の場所を見ている気がして、小首を傾げた。

 

「どうしたのよ?」

 

「琴里、聞いて欲しいことがある――――――お嬢様を一人、おもてなしを頼めないか?」

 

 相も変わらずキザったらしい顔で、しかしその内容に琴里は目を丸くする。この場の精霊で誰のことを指しているのか……それがわかった琴里は、盛大に(・・・)詰ってやった。

 

「情けないわね。自分の女(・・・・)の一人もエスコートできないのかしら」

 

「それを言われると弱ったな。けど、今はお嬢様のためにも(・・・・・・・・)、顔を合わせるわけにはいかなくてね」

 

「ふぅん……」

 

 苦笑気味に笑う士道の言動は、何とも士道らしい(・・・・・)意味合いだった。そうだろうとは思っていたが、やはり自己保身で彼女と顔を合わせたくない、というわけではないようだ。

 仮に自己保身だったら、今すぐその良い顔を殴りつけてやっているところだ。そんなことを考えながら、琴里は〈ラタトスク〉の司令官として強気な笑みを返した。

 

「仕方ないわね。引き受けてあげるわ。あなたは十香たちとの逢瀬を、せいぜい覚悟しておきなさい」

 

「ああ。それは本当に楽しみだ。期待して、俺も応えないといけないな」

 

 タイムリミットは夜の十二時。時間が多く残されているわけではない。けれど――――――琴里は、司令官として彼女(・・)の元へ向かった。

 

 

 

 

 セカンドシークエンス。エレガントスタイルと称し施設を変形させ変貌を遂げた小洒落たパーティーホール。その内部でヒールをカツカツと鳴らしながら歩き、階段を登り切る。

 

 そこに、彼女はいた。美九と士道の逢瀬を、艶のある憂いを帯びた表情で見守る彼女が、何を考えているのか――――――それがわかるのは、この世でただ一人の少年だけなのだろう。

 

「黄昏てないで、あなたもパーティーに参加したら?」

 

「……あら、あら」

 

 これは、これは。と、黒いスカートの裾を摘み、誰よりも様になる優雅な礼を取る。しかし、その表情だけはいつもより卑屈に見えて、琴里は顔を顰めた。

 

「いけませんわ。パーティーの主役がこのようなところへ来ては。どうか、お戻りくださいませ」

 

「パーティーの主役として、客人をもてなすのも仕事なのよ」

 

「客人など……このような見窄らしい格好で、申し訳ありませんわ」

 

 そう言い、頭を下げる彼女の服装は、確かにパーティー用のものではない。華々しいドレスではなく、喪服のような色を思わせるブラウスにロングスカート。私服という点を加味すれば、似つかわしくないと言うのも無理はない。

 

 けれど、似合っている(・・・・・・)。士道の言葉を借りれば、どれだけ美辞麗句を並べようと足りないほど、彼女という存在は何を着ようと(・・・・・・)、それだけで華々しいものなのだ。

 全くもって羨ましく、苛立つほどに憧れる。それが――――――魔性の女、時崎狂三。

 

「関係ないわよ。それが似合ってて――――――士道を魅了できるなら、いいじゃない」

 

 髪を手で払い、不機嫌にそう言ってやれば、狂三は本当に意外だったのだろう。目を丸くしぱちくりと瞬かせ声を発した。

 

「……驚きですわ。琴里さんが、わたくしのことを褒めてくださるなんて」

 

「弱ってる子を虐める趣味は持ち合わせてないの。情けない面、見せてんじゃないわよ」

 

「うふふ、厳しいお方。少しは労わってくださっても良くってよ」

 

 その労わって欲しい(・・・・・・・)体調でここに来たのは、一体どこのどいつだと琴里は視線を厳しく返す。

 

「何しに来たのよ。そんな身体で」

 

「……士道さんの霊力を収めた時、何が起こるかわからないのでしょう? なら、わたくしから出向いた方がいい。そう判断したまでですわ」

 

 言って、狂三が手すりに寄りかかりまた下を眺め始める。一見すれば在り来りな仕草だが、琴里の目には立っているだけで辛い身体を休めているように見えた。

 彼女の判断の意図は理解できる。何が起こるかわからない以上、狂三の択は二つ。離れているか、近くにいるか。どちらが正解か誰にもわからないから、狂三は近くにいることを選択した。たとえ、士道に避けられていたとしても(・・・・・・・・・・・・・・)

 琴里も彼女に倣い、二階から下を見下ろせば美九が見事、士道をドキッとさせ次は折紙の出番になっているのが見て取れる。あちらは順調だが、問題はやはりこちら側だろう。

 

「身体の方は、大丈夫なの?」

 

「ええ、ええ。実はわたくし、全身を焼かれる程度には辛いですわ、痛いですわ」

 

「あっそ。それだけ減らず口が叩けるなら平気そうね」

 

 わざとらしく身体を丸めて痛がる仕草をする狂三を見て、琴里は面白くないジョークを聞いたと、ドレスに似合わないブスっとした顔をする。要望通り労わってやったというのに、いつも通りの天邪鬼っぷりだ。

 クスクス、と手を口元に当て微笑む狂三が、今度は真面目な表情で声を発した。

 

「……気分が高揚して妙な感覚ではありますけれど、こちらは適当に発散してきましたわ」

 

「ああ、神無月ね。助かったわ。あの変態、何しでかすかわかったもんじゃなかったから」

 

「苦労していますわねぇ」

 

 部下と言えども容赦はしない。特に神無月は、というか主に神無月ではあるのだが。逆に狂三に労わられてしまい、琴里は思わず苦笑をもらす。

 

「士道さんに関しては……まあ、冷静になってしまいましたわ」

 

「あら残念。取り乱すあなたを見るの、実は結構楽しかったのに」

 

「人が悪いですわ。二度と見せませんことよ」

 

 不機嫌そうに顔を背けるものだから、琴里はプッと吹き出してしまった。狂三にとっては、忘れたい取り乱し方なのは間違いない。琴里たちには、一生物の思い出となってしまったが。

 

 

「でも大人ね。私だったら、士道に無視された日には一週間は徹底抗戦よ」

 

「わたくしも似たような気持ちでしたわ。けどあの方――――――わたくしのことを想って、あのようなことをしたのでしょう?」

 

 

 狂三の言葉に、琴里は目を見開いて彼女を見ながら驚きを見せてしまう。あの瞬間から、一度たりとも士道と言葉を交わしていない狂三が……。

 

「……気づいてたの?」

 

「何を想って、まではわかりかねていますけれど、そうだとは思っていましたわ」

 

 少し苦笑気味に微笑んだ狂三が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。琴里はそれを黙って聞き入っていた。

 

「実のところ、謝ってくるまで怒っていよう……と思っていたのですわ。子供のような感情ですけれど、気分の高揚がそうさせてしまったのでしょうね」

 

「…………」

 

「憤怒を心に刻みつける。わたくしが生きてきた中で、常にそうしてきたことですわ。でなければ、人は絶望を忘れてしまう(・・・・・・・・・・・)

 

 過去を、記憶を、悲しみを。人は忘れ、生き続ける。どんなに辛いと感じた瞬間も、人はいつの日か忘れ去ってしまう。それが、生きていくために必要なことだから。

 けれど、狂三は違ったのだろう。過去にあった絶望(・・)を、決して忘れないために――――――奪った命を、己が心に刻みつけるために。

 

「幾つもの記憶を思い起こし、静まる心を炉として焼べ続ける。それに比べれば、士道さんへ怒りを感じることなど容易いと思っていたのですが――――――」

 

 ああ、ああ、と。狂三は、困ったように笑っていた。多分それが、士道への矛盾した感情を持つ彼女の……彼女なりの、精一杯の表現だった。

 

 

「負の感情より、貰ったものが多すぎたようですわ。わたくし、士道さんを愛しすぎている(・・・・・・・)のかもしれませんわ」

 

「何よそれ――――――とっくに、知ってるっての」

 

 

 通じ合っているのに、変なところで噛み合っていない。お互い素直なのに、お互いが素直じゃない。一見、ややこしいだけの関係性が、士道と狂三そのもの。

 必死に士道の悪いところを探して、怒りを感じようと思ったのだろう――――――それをして、かっこいいところばかりが思い浮かんで、惚れ直した(・・・・・)。なんて惚気だ。そんなこと、それこそ琴里だってとっくに知っている(・・・・・・・・・)

 

 士道は、おにーちゃんは、世界で一番かっこよくて――――――こんな子を心の底から惚れさせるくらい、素敵な人なのだから。

 

 そんな時だ。インカムからファンファーレが響いたのは。会話を中断すれば、見事――と言っていいのか、機関員に引き剥がされているのを見ると曖昧なようだが――士道をドキッとさせた折紙の姿が見て取れた。

 これで、士道に封印された精霊は残り一人。最後の一人は――――――

 

「……琴里、狂三」

 

「っ、十香……?」

 

 今まさに、表情を複雑なものへ変えて不安そうに琴里たちを呼ぶ、十香。

 

「どうかした? どこか調子が悪いなら……」

 

「いや……そういうわけではない、のだ。だが、どうしてか……」

 

 十香が胸の辺りを抑え、困惑を声に乗せて言葉を続けた。

 

「折紙がシドーに好きと言っているのを聞いたら、何だかこの辺りがきゅうっとしてな……シドーが好かれるのは嬉しい。シドーを助けるのは最優先だとわかっている。だが――――――」

 

 十香の中にあるものは、困惑と混乱。慣れない感情に翻弄される、人を知ったばかりの少女。だからこそ、それはとても尊く、大切なものだ(・・・・・・)

 

 

「わかっているから……わからないのだ。なぜ私は、このような気持ちになっているのだ? 今は一刻も早くシドーを助けねばならないのに、この雑念が頭から離れないのだ」

 

「十香……」

 

 

 どうしても、その答えが出なかったのだろう。十香は、助けを求めるが如く二人の元を訪れた。それに答えたのは琴里ではなく、十香へ歩み寄った狂三だった。

 

「十香さん。その想い、大切になさってください。それは雑念などではなく、あなたが生きていくために必要なものですわ」

 

「そう、なのか?」

 

 ええ。と頷き、狂三は微笑みをこぼして十香を自身の胸元へと抱き寄せる。この瞬間の狂三は、相手を威圧する微笑みではなく――――――聖母のような、慈愛に満ちたものだった。

 

 

「聞こえますか? わたくしの心音が。士道さんのことを考えると、こんなにも胸が高鳴るのですわ」

 

「……聞こえるぞ。私も、同じだ」

 

「ええ、ええ。大切で、矛盾していて……士道さんに救われたあなた方の誰もが持ち合わせている気持ち。不条理で、理不尽で、時に今の十香さんのように苦しい気持ちを感じさせる――――――けれど、そんな矛盾した気持ちがあるから、士道さんを助けたいと思うのですわ」

 

 

 士道が誰かに想われていると嬉しくて、けれど苦しくて。矛盾していて。だけど、心地の良い感覚で。

 

「むぅ……そういうものか」

 

「うふふっ。すぐに、十香さんにもわかる時が来ますわ。時の精霊たる、この時崎狂三が保証いたします――――――さあ、行ってらっしゃいませ、士道さんのもとへ」

 

「――――――うむ!! 行ってくるぞ!!」

 

 答えが出たのかは、十香にしかわからない。けれど、晴れやかで勇気を貰えるいつもの彼女の笑みが、士道を必ず助けるという意志を感じさせてくれた。

 士道のもとへ早足で駆け出した十香を見送り、琴里は狂三の隣に並び立ち、揶揄うような視線を送った。

 

「今日はやけに素直じゃない」

 

「さて……月の光にでも、当てられてしまったのかもしれませんわね」

 

 言って、空に浮かんだ美しい月を見上げる狂三。全くもって、こういうところは素直じゃないままなのだなと仕方なしに琴里は笑う。

 彼女らしくないのではない。気が高揚していて、普段な隠し通している狂三の優しさ(・・・)が表に出ただけの話。そんな、時折見せる悪夢の名に似合わぬ狂三が――――――実のところ、琴里は嫌いではない。

 

 これなら、大丈夫だ。狂三の言葉を受けた十香ならやってくれる。士道を救える。

 

「…………」

 

 ドレスの懐に手を当て、生々しい機械の塊の感触に、嫌な汗を流す。こんなもの(・・・・・)を使う必要はない。大丈夫、大丈夫――――――そう言い聞かせ、気を取られた一瞬の間。

 

「……え?」

 

 鈍い音を立て、狂三が視界から消えた。否、消えてなどいない。苦しげに胸元を抑え、発作を起こしたように息を荒く倒れ伏せる狂三がいた。

 

「く、ぁ……っ、あぁ……!!」

 

「く、狂三!! 大丈夫!? 一体、どうして……!!」

 

 今の今まで、数瞬前まで狂三の体調は安定していたはずなのに、何があったというのか。

 

 

「……っ、士道さんが――――――何かに、――――――共、鳴……? これ、は――――」

 

「士道がどうしたの――――――きゃっ!?」

 

 

 衝撃波が琴里を、いや、パーティーホール全体を襲い、咄嗟に狂三を掴んで庇うように地面を転がる。

 今のは下の階――――――士道たちがいる場所からだ。急いで起き上がろうとする琴里の視界を、霊力の塊(・・・・)が眩く包み込む。

 

「――――し、どう?」

 

 光の中心に、彼はいた。琴里が想定していた絶望の始まりを、身に纏いながら。

 

 光が蠢動し――――――一つの光の軌跡となり、天高く舞い上がった。

 

 

 

 






善処するって絶対善処しない人の台詞ですよねと作中で念押しされてきた言葉。こやつ治す気がねぇ…あと二人して誰にも聞かれてないと隠す気がねぇ…

執念の火を燃やし、人と呼べなくなるほど復讐の化身となっていた女が、100数話かけて持つことの容易い怒りより愛しい感情を持ってしまうお話。矛盾が一つのテーマとなっておりますが、この章では少し素直な感情を表に出す狂三が見られているかなと。基本、士道が相手でなければ皮肉屋の面が強くなるので、理由を付けられるこの章だけの特別使用。十香との関係も……ふふふ。

さてさて、そろそろ舞踏会のクライマックスも近づいてまいりました。感想、評価、お気に入りなどなどお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


あとカット部分が必然的に多くなった12巻『五河ディザスター』のご購入をどうぞよろしくお願いします(ダイマ)どの精霊も可愛いですが、個人的には可愛いしかっこいい大活躍の折紙を推します。


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第百十三話『終焉の獣』

世界の終わりを留めてきた勇者が、世界に終幕をもたらす存在となる。その時、彼女たちの取る選択は。




「く……やってくれるじゃねーですか」

 

 真那の背を叩いた凄まじい霊力波。如何に類まれなる実力を持つ真那といえど、気を向けないわけにはいかなかった。そして、不幸にもそれを背にしていたという事実は、エレンを相手に一瞬の隙を見せるも同義。致命傷こそ免れたものの、こうして地面へ叩きつけられてしまった。

 

「……にしても、今のは――――――」

 

 尋常ではない霊力。少なくとも真那は、精霊という存在を人より目にしている。そんな真那でさえ、今の霊力反応は異常と言わざるを得ない。一体、何が起きたのかとエレンを警戒しながら視線を巡らせ、真那は浮遊する(・・・・)士道を見つけて目を見開いた。

 

「兄様!?」

 

「ああ――――――真那。よかった、無事だったんだな(・・・・・・・・)

 

 霊力を纏い浮遊する士道の意識は、真那の目から見てもはっきりとしていないことがわかる。朦朧と、しかし明確に真那の身を案ずる士道。

 優しい、兄の声色。だが、真那はそれに異様な違和感を覚えた。

 

「心配……してたんだぞ。おまえがDEMの奴らにさらわれて……でも、よかった。本当に……」

 

「……さらわれて? 兄様、どういうことでいやがりますか?」

 

 話が繋がらない強烈な異物感。話しているのは、間違いなく兄の士道だ――――――本当に、そうか?

 目の前にいる誰かは、自身の兄だ。ではなぜ、真那は違和感を覚えてしまうのか。己が内にある何かが――――――それ(・・)を、知っていた。

 

 

「――――ミオ(・・)は……どこにいるんだ? あいつが助けてくれたんじゃないのか?」

 

 

 

 

 それは、遠すぎる過去。起源へと通ずる道――――――神様が取り戻そうとする、失われしものの片鱗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ……」

 

 瞼を開け、微かに身体を震わせると、身体に散らばった瓦礫の欠片がパラパラと零れ落ちる。

 士道の様子がおかしくなった一瞬の後、放たれた霊力光がパーティーホールの天井を吹き飛ばしてしまった。咄嗟に周りにいた者たちを庇った折紙だったが、降り注ぐ瓦礫まではどうにもならなかった――――――はずだった。

 

「折紙さん大丈夫ですかー!?」

 

「私は平気」

 

 その庇ったうちの一人である美九の呼び掛けに、折紙はゆっくりと身体を起こして辺りの状況を確認する。

 

「……な、なんだってのよ、一体――――あ」

 

 美九と同じく折紙より早く起き上がっていた七罪の困惑の声が、何か一点の方向を向いて驚きを宿した声へと変わる。素早く折紙も視線を向けると、七罪と同じ驚きを目を見開いて表現することとなった。

 

「狂三……の、分身」

 

「きひひひひ!! 皆様、ご壮健なようで何よりですわ」

 

 見慣れた美しい紅黒のドレスを揺らし、折紙の眼前で翳していた手をゆらりと下ろし、振り向いた『狂三』が妖しい微笑みを浮かべる。

 見れば、周りの精霊たちや〈ラタトスク〉の機関員も複数の『狂三』によって身を守られ無事のようだ。恐らく、彼女が霊力の壁を作り出し降り注ぐ凶器を薙ぎ払ったのだろう。

 

「狂三ッ!! しっかりしろ、狂三ッ!!」

 

「……!!」

 

 だが、礼を言う前に、崩壊したホール内に響いた十香の声に折紙はハッと目を向けた。狂三がうつ伏せになって倒れ込み、必死な形相の十香に揺さぶられている。唯一、狂三の中で霊装を纏っていない――――――間違いなく本体だと当たりをつけ、折紙は地面を蹴り上げる勢いで狂三のもとへ駆け寄った。

 

「お、折紙……」

 

「下手に揺さぶっては駄目」

 

「う、うむ」

 

 とにかく、狂三の体調を確認しなければ。十香に指示を飛ばし、彼女の身体を仰向けにして十香の膝に寝かせてやる。

 息を荒く苦しげに呻く狂三の額に手を当て、彼女の尋常ならざる体温の上昇に眉を顰める。

 

「これは……」

 

「芳しくありませんわね。このような状態で『わたくしたち』を無理に外へ出したのですから、霊力が更に乱れて当然のことですけれど」

 

「っ!!」

 

 同じく駆け寄ってきた『狂三』の一人が、顎に手を当て神妙な表情で紡いだ言葉を聞き、折紙は狂三が何をしたのか察しをつけた。

 霊力の制御を行っていた狂三は、当然霊装や天使を扱えるような状態ではなかった。言うなれば、士道との経路(パス)が狭窄を起こし、自分たちが霊力の逆流を控えなければならないのと同じだ。だというのに、影に控えさせた分身を自身を顧みず解き放ったのだろう――――――折紙たちを、守るために。

 その事実に拳を握り、折紙は分身に向かって声を発した。

 

 

「何か手は?」

 

「あると言えばありますけれど――――――こうなっては、大元(・・)を叩く他ありませんわね」

 

「大元――――――!!」

 

 

 ――――――あれ(・・)が、大元。

 

 折紙が見上げた視界の先に、神々しく光り輝く五色の光。もはや、人と呼べるかさえ怪しい超常の権化。

 鼓動が波打つように明滅する霊力の渦。折紙も、一度精霊としての力を持ち、存分にそれを振るったからわかる。これ(・・)は、一個人の存在が持っていていい権能ではない。

 霊力の一部は変質を続け、士道に近づくもの全てを遮る鎧のような――――――そう、霊装(・・)にも似たものとなっていた。

 地面が、空間が、割れてしまいそうな圧力。精霊同士が生み出すその現象を、士道はたった一人で引き起こしていた。

 

 

「――――――――――――!!」

 

 

 咆哮。人の領域を超えた者の雄叫びは、あらゆる物質を薙ぎ払い、どこかへ導かれるように折紙たちの元から飛び去っていく。

 

 ――――――追いかける。折紙にはその選択肢しか存在しなかった。他の精霊たちも、そして狂三も同じ選択を取るだろう。そう、思っていた。

 

 

「――――――みんなは、ここで待機しててちょうだい。私が、何とかするわ」

 

 

 その選択が違うものを見せたのは、誰でもない士道の身内、五河琴里だった。

 

「待機だと? 我らにも何か手伝わせるがよい」

 

「首肯。琴里らしくありません」

 

「だから、士道を何とかするために、よ。私に任せてちょうだい。こういう事態に陥ったときのために、〈ラタトスク〉はちゃんと手段を用意しているんだから」

 

 できるだけ強気に振る舞うような明るい声。精霊たちは、不安な顔をしながらもそんな琴里を信用していた。それだけのことを、彼女は成し遂げてきたのだろう。皆が琴里を信じて彼女の言葉に首肯を返す。

 

「じゃあ、お願いしますよー!!」

 

「頑張って……ください……」

 

「ええ」

 

 短く答えた琴里が、その表情を隠したまま階段を上がって地上へと向かっていく。

 そう。他の精霊たちなら、多少の疑いは持てど琴里への信頼が勝る。しかし――――――

 

 

「……折、紙……、さん……」

 

「わかっている。私に――――任せて」

 

 

 狂三と折紙だけは、違う。

 

 狂三は、その優れた観察眼と、未来を視る(・・・・・)刻の針で。

 折紙は、培われた人を見る目と、付き合いの短さから来る情に絆されぬ精神で。

 

 今にも閉じかけた瞳が、意志を持って折紙を見ていた。折紙もそれに強く応えて、成すべきことを成す。

 

「狂三をお願い」

 

「折紙!?」

 

 精霊たちが驚いて静止するように折紙を呼ぶ。が、折紙は止まらず階段を駆け上がっていく。

 その間に、無骨な鉄の塊(・・・・・・)を己の手に握らせる。もう、握ることは少なくなるだろう。そう思っていたそれは、望まぬ形でこんなにも早く再会することとなった。

 

 地上へ辿り着く。士道は未だに速度を落とさず、木々を薙ぎ倒しどこかへ突き進んでいる。

 

「……ごめんなさい、おにーちゃん」

 

 琴里がそれを見て、懺悔のように何かを掲げていた。

 

 

「こんな幕引きしかできない私を……許して」

 

 

 何をしようとしているのか、折紙にはわからない。だが、今すぐに止めねばならないことだけは、わかる。

それ(・・)を琴里に押させてはいけない。そのために――――――無骨な銃を、彼女のこめかみに押し当てた。

 

 皮肉にも、それは……かつて無知な凶行を行い、琴里と相対した瞬間とまるで逆のものだった。

 

「その手のものは何。一体、士道に何をするつもり? 五河琴里、あなたは――――――」

 

 返答次第では、たとえ士道の妹で自身の恩人であろうと――――――そんな、折紙の考えは。

 

「……!!」

 

涙に濡れた(・・・・・)、琴里の悲痛な顔を見て失われることになった。見てしまえば、わかる。今琴里は、したくもないことを(・・・・・・・・・)させられようとしている、と。

 

「……説明して。一体、どういうことなの」

 

「殺すのでしょう、五河士道を」

 

「――――――!!」

 

 向けた銃を動かさずに済んだのは、鼓膜を響かせた声に聞き覚えがあったから。

 風が一陣舞う間に、少女は舞い降りていた。白い、白すぎる外装を身に纏って。

 

「……〈アンノウン〉」

 

「はぁい、鳶一折紙。お久しぶり……になりますかね。まあ、呑気に挨拶をしていられる状況でもありませんけど」

 

「…………」

 

 道化のような口調は変わらない。その立ち振る舞いも、かつて見た彼女と同じ……同じすぎるくらいに(・・・・・・・・・)、折紙に違和感を持たせないものだった。だが、それは――――――

 

「そうでしょう、五河琴里」

 

「……ええ、その通りよ」

 

 折紙の思考を戻したのは、そんな少女と二人の短い会話だった。剣呑な表情を更に険しくさせ、折紙は琴里を問い詰めるように声を発した。

 

「どういうこと。それも〈ラタトスク〉の命令だというの?」

 

「……半分当たりで半分外れ。……今の士道は、言うなれば時限爆弾よ。霊力の膨張を繰り返し、このまま放っておけば南関東大空災を超える爆発を引き起こすわ」

 

「……っ。だから、殺すと?」

 

 奥歯を噛み締め、殺意の篭った声音で問い詰める。妹の、彼女がそう言うのか――――――妹だから、言うのか。

 

「……そうよ。それが、『失敗』してしまった私に課せられた最後の仕事。臨界前に士道を殺すことができれば、爆発の規模は小さくて済む。……千万単位の人命とともに士道が死ぬのを見守るか、士道一人を殺すのか、そう言われたら、私は後者を選ぶわ――――――自分のせいで人がたくさん死ぬだなんて、士道は悲しむに違いないから」

 

「……ま、彼ならそう言うでしょうね――――――人ひとりを殺すのに顕現装置(リアライザ)を使った衛星兵器は、些か度が過ぎていると思いますけど」

 

 少女の語った事実を聞き、折紙はキッと目付きを鋭くし琴里を――――――琴里の持つ起動キー(・・・・)を睨みつける。その視線に気づいた琴里が、今一度士道を見上げた。

 

「それが……」

 

「……士道の身体を調べ尽くして、士道を殺すためだけに作られた呪いの剣――――――〈ダインスレイフ〉」

 

 恐らく、顕現装置(リアライザ)を使った魔力砲。それも、戦艦に搭載されているものとは比べ物にならない規模の……これ以上、兵器として最悪な使い方はないだろう衛星兵器。

 その殺人兵器のスイッチを今まさに琴里が握り、士道を殺すために押し込もうとしている。全身が怒りで打ち震え、込み上げる激情のまま折紙は言葉を放った。

 

「……ふざけるな。それが〈ラタトスク〉のやり方? 封印した霊力の均衡が保てなくなったら殺す? そもそも精霊の霊力を士道に封印させていたのは〈ラタトスク〉のはず。自分たちの目的のために士道を利用しておいて、不都合になったら処理するというの? あなたはそれほど士道を想っているというのに、なぜそんな命令に従おうと――――――」

 

「――――――順序が逆だったんですよ」

 

 言葉が静かに遮られ、折紙と琴里は少女へと視線を向ける。

 

「他の俗物たちはともかく、あの方(・・・)は少なくともあなた方ご兄妹を気遣っていたのでしょう、五河琴里」

 

「……あなた、本当に何でも知ってるのね」

 

 〈ラタトスク〉の内情すら調べ上げている様子の少女に、琴里は降参と言わんばかりに司令官として決して見せたことのない弱々しい微笑みと共に、言葉をぽつぽつと紡ぐ。

 

「そうよ。少なくともウッドマン議長は士道のことを気にかけてくれていた。人間の身体に精霊の力を封印しようだなんて、万事上手くいくはずがない。もしリスクがあるようならば、別の手段を探そうって」

 

「しかし、五河士道の封印能力を知るには実際に精霊を封印した状態(・・・・・・)でなければならない」

 

「……っ!!」

 

 そう。その意味を折紙は知っている。

 

 

「……わかりますよね、鳶一折紙。あなたは、その両の眼で見てきたはずです――――――五年前のあの日、現存した精霊の一人を」

 

「――――――五河、琴里」

 

 

 震える声でその名を呼べば、琴里は己の罪を認めるように、頷いた。

 

 見た。輪廻する世界で、折紙の原罪が始まった瞬間の世界で、折紙は士道と琴里――――――琴里を精霊にした存在、〈ファントム〉を目撃している。

 致命的な矛盾であった。士道を危険から遠ざけるには、精霊と関わらせてはいけなかった。だが、士道の危険を知るためには、琴里という精霊を封印しなければならない。

 

「……思えば、〝彼女〟も狙っていた(・・・・・)のでしょうね。だからこそ、始まり(・・・)は〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を選んだ」

 

「っ……〈アンノウン〉、あなたは――――――」

 

 やはり、何かを知っている。折紙が接触した〈ファントム〉――――――あの存在と酷似(・・)している〈アンノウン〉という少女は、折紙たちの知らない真実を。

 

「さて、最後はなぜ臨界のリスクを冒してまで、〈ラタトスク〉が封印を強行したのか、ですね」

 

 しかし、折紙が問い詰めるより早く、少女はあっさりと言葉を切り上げて士道に仕掛けられた爆弾、そうまでして精霊の封印を行う目的を話し始めた。

 

「精霊の核である霊結晶(セフィラ)。霊力の結晶体であるそれを体外へ排出(・・・・・)させることができれば、理論上は五河士道を救うことが出来る」

 

「っ!? そんなことが……」

 

「あなた方のような正規の精霊(・・・・・)には不可能です。けれど、例外はあります。全ての精霊(・・・・・)の霊力を吸収した五河士道なら、力技で可能でしょう」

 

 即座に否定した理論を、補足のように少女は例外の可能性を口にした。

 莫大な霊力を以て、霊結晶(セフィラ)を体外へ排出する――――――矛盾している。霊力を封印すればするほど危険が高まるというのに、その危険を取り除くためには封印を進めなければならない。

 

 爆弾を押し付けられ続けていた士道――――――そんな彼を、琴里はどんな気持ちで見つめていたのか。彼女の泣き腫らした顔を見れば、一目瞭然だった。

 

「……そこまで知ってるなら、さぞ滑稽だったでしょうね。偉そうに指揮を出してる人間が、安全な場所から……命をかけて精霊を救う人を殺す引き金を、握っているなんて」

 

「いいえ。あなたが握っているから(・・・・・・・・・・・)、私はあなたを信用していましたよ」

 

「……え?」

 

 目を丸くする琴里に、少女はこんな状況でもあっけらかんとした声を発する。

 

「……あなたの精霊を救いたいという気持ちは本物でしょう。五河士道を愛する気持ちも、本物。そんなあなたに、そんな物を握らせなければいけない〈ラタトスク〉の環境には理不尽なものを感じますけど、あなた以外が握っていたら、私はここまで協力的じゃありませんでしたよ」

 

「……それは、光栄よ。でも、狂三の真似じゃないけど、私を買いかぶりすぎだと思うわ――――――それも、今さらね」

 

「っ!!」

 

 琴里がすうっと息を吸い込み、ボタンにかけた指に力を入れようとして、静観していた折紙も再び指に力を入れる。

 思考、逡巡、決意――――――交錯する感情が、折紙の指先を迷わせる。士道を失うわけにはいかない。同時に、琴里の考えや悲痛な決意も受け止めてしまう。

 

 

 刹那。

 

 

『――――――!!』

 

 

 虚空から響く、銃声(・・)。誰にも対処できないほど、完璧な間で放たれた〝影〟の弾丸。

 

 それを折紙が視認した時には、銃弾が衝撃と共に標的を――――――撃ち抜いた。

 

 

 





さあ、その銃弾の行く末は。これまで皆様が見守ってきた精霊であり少女である彼女が取る行動は……。

折紙が本当に頼りになる。ここに来て〈アンノウン〉も合流。姿を見せたことにはもちろん理由があります。まあ、この子が誰のために動くかなんて簡単な話ではありますけどね。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百十四話『世界で一番物騒な愛(ナイトメア・ハート)

でも誰よりも優しいのよねこの子は




 

 その銃弾を認識した瞬間、琴里の胸の内にあったのは、焦りや絶望でも、ましてや恨みでもなく――――――ほんの僅かな安堵だった。

 

 黒い銃弾は心の臓を穿ち、寸分違わず琴里の息の根を止めるだろう。彼女が、誰かを狙った弾丸を外すはずがない。五河士道を殺すと明言する彼女なら、琴里を殺すことの覚悟を持てないものか。

 もしもの時は……そう琴里は口にしていた。もしもの時が、来たのだ。心残りはある。士道を、琴里はどうすることも出来なかった。けれど、それは彼女が成し遂げてくれるはずだ。ああ、希望的観測でしかない。なんて無責任な司令官だ――――――自分一人だけ、救われるだなんて。

 

 

『ごめんなさい――――――おにーちゃん』

 

 

 駄目な妹でごめんなさい。ずっとずっと、押し付けてきてごめんなさい。理不尽なことばかり、させることになってごめんなさい。

 

 でも――――――大好きでした。

 

 

 影の弾丸が――――――標的を撃ち貫いた(・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「――――――え?」

 

 時が止まったかのような静けさの中、琴里が(・・・)呆然とした声を発した。彼女の手から端末が消えている(・・・・・・・・)

 瞬間、硬い地面に何かが落ちる音が鳴り響いた。それが、今し方狂三が撃ち抜いた(・・・・・・・・)〈ダインスレイフ〉の認証端末であると、誰の目から見ても明らかだ。

 

「…………っ」

 

 崩れ落ちそうになる身体を精神だけで保ち、たった一撃を放った銃を下げる。琴里も、折紙も、そして狂三を追いかけてきた精霊たちも、信じられない目で狂三を見ていた。

 それは、当然と言えば当然の反応で。しかし、狂三にとっては意外性のない驚きだった。狂三がしたことは、なんてことはないのだ。ただ、琴里に一切の怪我を負わせず(・・・・・・・・・・・・・)、端末を弾き飛ばしたに過ぎない。

 

 一見すれば、神業に見えるかもしれない。超一流のガンマンでも叶わない、奇跡の狙撃に見えてしまう――――――そんな大層なものではない。寧ろ、これを狙撃と呼ぶのは失礼というものだと狂三は内心で苦笑をこぼした。

 

 結論から言うと、時崎狂三には視えていた(・・・・・)というだけの話だ。

 何百、或いは何千、何万という銃弾を撃つ(・・・・・)可能性。その中から、狂三と〈刻々帝(ザフキエル)〉が選び取った結論、琴里に傷一つ負わせず(・・・・・・・・・・)、あの端末を弾き飛ばす未来。それが視えていたからこそ、狂三はその通りに(・・・・・)銃を構え、引き金を引いた。本当に、それだけ。

 

 未だ、呆気に取られた表情で膝を突いて狂三を見遣る琴里に、狂三は熱に浮かされた身体に鞭を打ち歩み寄り、らしくもなく乱雑にドレスを掴み、立ち上がらせた。

 

 

「――――――させませんわ」

 

「……っ!!」

 

 

 炎のように燃ゆる瞳が狂三を映し出している。さぞ、狂気的な顔をしているのだろう。

 狂三は士道を殺そうとした琴里の気持ちを理解していないわけではない。理解しているし、彼女の覚悟もわかっている。妹だから、司令官だから――――――何より、自身のせいで他者を殺してしまう結果を士道が望まないことも。

 

 ただ、その権利を持つのは琴里ではないというだけだ。

 

「わたくしが、わたくしだけが持つのですわ。約束いたしましたの。あの方と」

 

「何を……」

 

 困惑した琴里に対して、狂三は歪んだ微笑みを浮かべる。何を? 決まっている。そんなもの、最初から決まっているではないか。

 

 

「あの方の命を奪う(喰らう)のは、わたくしだけですわ」

 

「っ!!」

 

「誰にも譲りませんわ。誰にもです。十香さんでも、四糸乃さんでも、耶倶矢さんでも夕弦さんでも美九さんでも七罪さんでも、折紙さんであっても――――――琴里さん、あなたであっても」

 

 

 士道が誰かを愛し、士道が誰かに愛される。嫉妬はするし、感情が抑えきれないかもしれない。それでも、時崎狂三は許せる――――――だが、これだけは譲らない。

 

 

「神が奪うと決めたなら、その神さえもわたくしは撃ち殺しましょう。あの方を殺す(愛する)のは――――――この時崎狂三、ただ一人だと」

 

 

 それが時崎狂三の愛のカタチ。歪に育った、狂三なりの愛し方――――――愛したならば、最後まで士道と殺し(愛し)合う。

 あるゆる感情が綯い交ぜになったそれを受け、琴里は泣き腫らした顔を更に歪ませ応じる。

 

「けど、今さらどうしろって――――――」

 

「あら、わたくしはもう少し琴里さんを買いかぶっていたつもりなのですが、とんだ節穴でしたわね。自信を失ってしまい、悲しいですわ」

 

 煽るような口調の狂三に、ついには琴里も激情に駆られ掴み上げた狂三の手を掴み返し、吠えるように声を荒らげた。

 

「ふざけるんじゃないわよ!! 私一人に、もうどうすることも出来やしないじゃない……」

 

「ふざけているのは、琴里さんの方ですわ――――ねっ!!」

 

 掴み返された手を容易く捻り、狂三は勢いを付けて琴里を後方へ投げるように放り渡した(・・・)。短い悲鳴を上げ、琴里が抱き止められる――――――琴里の仲間(・・)たちの手によって。

 

「よくご覧になってくださいまし。一体どこに、あなたが一人で行う戦争(デート)があったと言いますの?」

 

「ぁ……」

 

 今ようやく、己が紡いできた道に気がついたという様子の琴里を見て、狂三は痛む頭を抑えため息を吐く。

 まったく、狂三がこんなお説教をするなど焼きが回ったとしか言いようがない。たとえ皮肉な行動であっても、琴里の腑抜けた姿を見るのが、狂三には我慢ならなかった。

 

「狂三の言う通りだ!! 詳しいことはわからない。だが、絶望的な状況だったとしても、琴里は一人ではない!!」

 

 狂三の叱咤に呼応するように、十香が、否、十香たち(・・)がそれぞれ声を、決意の瞳を表している。

 

「諦めるなんて、琴里さんらしくありませんよー!!」

 

「そうです……士道さんを助けましょう……!!」

 

 十香、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九、七罪、折紙。誰一人として、諦めという諦観の色を宿してはいない。士道に救われた者として、士道の諦めない心を知る者たちだから、彼女たちは決して諦めたりしない。

 

「琴里さん」

 

「…………」

 

 ――――――今一度、狂三は琴里へ銃口を向ける。

 

「わたくしに視える未来。あなたの思い描く未来。……どちらも、確定事象ではありませんわ。いえ、確定した未来など、ありえないのでしょう」

 

 故に人は足掻く。もがき苦しんで、逆境に襲われたとしても、自身の力で未来を勝ち取るために戦う。それが善であれ悪であれ、何ら変わりのない真理。

 ならば、問おう。選択を委ねよう。この先の未知なる世界――――――未来を。

 

 

「このまま楽になりたいと仰るのなら、わたくしが全てに引導を渡しましょう。あなたの生と、士道さんの命に別れを告げることで、わたくしは世界を創造する(・・・・・・・)。それが、わたくしなりの弔いですわ」

 

「……私、は」

 

「あなたの未来――――――わたくしに視せてくださいまし」

 

 

 そうでないのなら、時崎狂三は引き金を引き、物語の幕を下ろす――――――未来が、そうでないことを、願った。

 

「…………!!」

 

 琴里が手の甲で涙ぐちゃぐちゃになった顔を拭い、真っ直ぐに(・・・・・)狂三を見つめ、否、睨み返した。

 

 瞳に強く灯り、燃え上がる激情の炎。

 

「それでこそ、あの方の妹ですわ」

 

 答えなど、それだけで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……笑いなさいよ。さんざん偉そうに言っておいて、いざとなったらこの体たらく。何が司令官って話しよね」

 

「そんなことはない。あなたが士道の妹でいてくれて、本当によかった」

 

「折紙……」

 

「あら、あら。涙ぐましい友情ですわ。わたくし、感動してしまいましたわ」

 

 わざとらしく拍手などしてみれば、半ば睨むように琴里が狂三へ視線を飛ばして応じる。

 

「けしかけておいてよく言うわね。何のつもりよ」

 

「……別に。借りを作ったままなのは、わたくしの矜持に反すると思ったまでですわ」

 

 今回の一件、成し遂げようと思えば、狂三は士道から霊力を奪い目的を達成することができた。何せ、最大級の空間震を防ぐ大義名分が目の前に転がってきていたのだ。

 だが、狂三は生憎と世界を救うことなどに興味はない。同時に、琴里には多数の借りがある――――――それを返さずに終わるのは、本意ではないと思ったまで。

 ふと、生温かい視線が多数から飛んでいることに気づき、狂三は思わずたじろいでしまう。

 

「な、なんですの?」

 

「……私が言うのもなんだけど、本性バレてるんだし素直になったら?」

 

「無理でしょうねぇ。我が女王、筋金入りの天邪鬼ですから」

 

「誰が天邪鬼ですの!!」

 

 七罪、〈アンノウン〉の言葉に思わず叫びを上げて、左手で痛む頭を抱える。素直じゃないとか言われるまでもなく、先程の言葉が全て素直に表現したものだと狂三は主張を続けたかった。が、状況がそれを許さないのは誰もが承知の上。琴里が表情を引き締め、声を発する。

 

「……とにかく、何か士道を助ける方法を――――――」

 

『――――――〈ダインスレイフ〉起動コードを確認しました。当該目標への攻撃を開始します』

 

「……ッ!?」

 

 精霊たちの大半が耳を疑ったことだろう。鳴り響くアラームを辿り、琴里が再び端末を手に取る。画面に表示された〈ダインスレイフ〉の起動を表す文面を見て、琴里は息を詰まらせ、画面を覗き込んだ折紙は戦慄の表情を浮かべた。

 

「どういうこと。まさか、落下のショックで?」

 

「その程度で誤作動するようにはできてないわ!! それに……」

 

 狂三へ視線を向ける琴里が何を言いたいのか。狂三がそのようなミスをするはずがないと思っているのか、はたまた狂三が視た未来(・・・・)のことを想像しているのか。

 全員の視線を一心に受けて、なお狂三は平然と微笑みを見せた。

 

 

「ええ――――――こうなる未来は、視えていましたわ。たとえ何を選択しようと、ここまでは(・・・・・)変わらない」

 

「……狂三、あなたまさか――――!!」

 

 

 嫌に冷静な狂三の様子から何かを感じ取ったのか、少女が驚きと戦慄の声を上げた。

 

 〈ダインスレイフ〉。士道を殺すためだけの兵器。その発射を防ぐ手立ては、ない(・・)。この場以外から操作されているのだ、至極真っ当な答えだろう。

 それでも、狂三は次の瞬間に訪れる未来を当然のものとして受け入れている――――――導き出した、朧気な未来。不確定要素(・・・・・)が、姿を見せた。

 

「な――――――」

 

 夜空を覆い尽くす破滅の光。それを防ぐ(・・)霊力の防壁に、琴里たちは驚愕で目を見開いている。

 狂三は、そのノイズ(・・・)を見て目を細める。やはり、現れた――――――

 

 

【――――――やれやれ、危ないね】

 

 

 識別名、〈ファントム〉。ノイズの塊として姿を成したそれが、士道へ降り注ぐ光を容易く捩じ伏せた。

 精霊を生む精霊。数々の運命を捻じ曲げた圧倒的な存在――――――まるで、仇敵に出会ったような殺意の篭った視線をぶつける狂三に、ノイズの塊は身を翻し相対した。

 

【けど、驚いたよ。私の存在を予知していたの? そこまでは出来ないと思っていたのだけど……()の影響かな?】

 

「あなたが何故、士道さんを助けますの? いいえ――――――士道さんで、何をしようとしていますの(・・・・・・・・・・・・)?」

 

【あれ、君にとっては好都合だと思うけど。【一二の弾(ユッド・ベート)】を使うには、それだけの代償が必要でしょう?】

 

「――――――ッ!!」

 

 問答であって問答ではない。込み上げる怒りをぶつけるように、狂三は銃をノイズへ突き付ける。

 殺意が、衝動が膨れ上がって止まらない。熱に浮かされたこの身、一体この衝動を誰が止められようものか。

 確かに好都合だろう。士道が精霊を封印すればするほど、狂三は目的の確実な達成へ近づくことができる――――――しかしそれは、士道の意思(・・・・・)があってこそのもの。断じて、あのような存在に利用されることを許容するものではない。

 

 

【ふふっ、怖いね――――――君のその瞳、一体どこまで視えているのかな】

 

「あなたを、天から引きずり下ろす光景ですわ――――――!!」

 

 

 それ以外の光景など、望むものはない。

 

「っ……が、ぁ……っ!?」

 

「狂三!?」

 

 しかし、今それを成すことは叶わない。そう告げられているように、狂三の身体は崩れ落ち十香に支えられることで事なきを得た。

 

【無理をしない方がいいよ。君は彼の影響を一番に受けている。君にも、そして彼にも生きていてもらわないと困るんだ】

 

「ふざ、けないで……くださいまし……っ!!」

 

 〈ファントム〉が狂三の激情を微笑んだような仕草で受け止め、高度を下げて士道の目前に降り立った。

 何かをしようとしている。が、止める手立てがない。霊装すら展開できないこの身では、銃を撃つことすらままならない。

 

 

【……いい子】

 

 

 そして、気に食わない――――――本当に、気に食わないことに、狂三と同じ愛情の籠った(・・・・・・・・・・・)声音を士道へ向け、〈ファントム〉が彼の額に触れる。

 

「ぁ、――――――!!」

 

「ぐ――――が、ああああああああああああああああッ!!」

 

 変化は、即座に現れる。狂三が苦しげに身をよじると時を同じくして、士道が天を震わす絶叫を上げ、止めていた進行を再開する。

 

「し、シドー!? 狂三!?」

 

「だーりん!! 狂三さんまでー!!」

 

「おのれ貴様、一体士道と狂三に何をした!!」

 

「同調。状況が悪化している気がします」

 

【……ご挨拶だね。せっかく、君たちにチャンスをあげたのに】

 

 息を吐くような動作をし、琴里が〈ファントム〉の言動に訝しげな顔をする。

 〈ファントム〉の言っていることに嘘はない。それが狂三にはわかり、余計に苛立ちを深めることとなったが。

 

「……士道さんの霊力を、僅かに抑え込みましたわね……!!」

 

「なんですって……!?」

 

【……ここからは君たちの領分だ。健闘を祈っているよ】

 

 親しげにそう告げた〈ファントム〉は、誰もが目を剥く言葉を口にした。

 

 

【――――――じゃあね、私の可愛い子供たち(・・・・・・・・・)

 

「……!? 何を――――――」

 

【そして――――――】

 

 

 琴里の叫びには答えず、〈ファントム〉は視線を一点に向けるような動きを見せる。その先には――――――〈アンノウン〉が、いた。

 

 

「…………」

 

【――――またね】

 

 

 両者が何を思い、何を伝え合ったのかは、誰にもわからない。ただそれだけを言い残し――――――〈ファントム〉は、虚空へと消えた。

 

 

 





いよいよ魔眼か何かか?みたいなノリになってきました。単純に狂三が狙えるだけの技量が下地にあることが前提なのですが、予測通りに撃てばいいとかとんでもねぇことまで言い出してるこの子……。

士道の優しさという名の愛を肯定し、誰かを救うことを好ましいと思う。けれど、その権利だけは誰にも譲らない彼女なりの我儘。神さえも殺す女であり、誰よりも優しい女。結局のところ、士道と道を共に歩んだということは同様に精霊たちの道も見てきたということ。それがこの時崎狂三なのです。何が言いたいか纏まらないけどこれなんて主人公なry

お前のその目、一体どこまで見えている?(イタチ兄さん並みの台詞) 以前は不可能だった不確定要素の予知。〈ファントム〉の想定さえ超える狂三の未来は如何に。実はこの作品だと〈ファントム〉とは事実上の初対面という。

感想、評価、お気に入りありがとうございます!!おかげで気を保って頑張れています。これからもどしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百十五話『感情革命』

 〈ファントム〉が消え、残されたのは空に軌跡を描き、未だ類を見ないほどの力を振るい続ける士道と、精霊たち。

 立ち去った〈ファントム〉を一瞬気にかけていた様子はあったが、今は士道を助けることが先決だと判断して踏み止まっている。

 

「……どうやら、状況は最悪の一歩手前といったところでしょうか。あとは、あなた方次第ですけど」

 

「簡単に言ってくれるわね……」

 

 琴里の苦々しい表情が表している通り、簡単な話ではない。何せ、霊力を存分に振るう正気を失った士道に接近し、尚且つ経路(パス)を広げるために粘膜的な接触――――キスをしなければならない。

 だとしても、だ。少女は彼女たちに命を賭けろと提案する他ない。でなければ、士道の命が失われるも同義。故に、少女は声色を変えることなく言葉を続けた。

 

「……目的はただ一つ。五河士道との経路(パス)を広げること。ただし、暴れ狂う彼の攻撃を掻い潜って、という条件がつきますが――――――」

 

「かか!! なんだ、それだけか。簡単ではないか」

 

「同意。ならば、何も問題はありません」

 

 手を取り合い、自信に満ちた笑みを浮かべたのは、やはりというべきか。最速の精霊、八舞姉妹。

 精神を集中するために目を伏せた二人を中心に風が吹き荒び、霊力が暴れ狂う(・・・・・・・)

 

「かーっ!! 現れ出でよ、颶風の力よ!!」

 

「顕現。ていやー」

 

 叫びと共に顕現したのは、霊装。彼女たち精霊にのみ許された絶対の鎧にして、究極の護り。限定霊装とはいえ、この状況でこれを展開することこそ、彼女たちの覚悟の現れだった。

 

「耶倶矢、夕弦、何を――――――」

 

 琴里も焦りを顕に制止に入るが、全てを言い切る前にその言葉を止める。経路(パス)が狭窄を起こした状態での霊力行使。それは、残された僅かな霊力で行う、言わば命懸けの時間。文字通り、限定霊装(・・・・)ということだ。

 時間が来れば、そこで終わり。下手をすれば精霊たちの命さえ危うい。それでもなお、八舞姉妹は迷わず力を手に取った。それが、その覚悟が、この状況を打破する答えなのだ。

 

「……さっきの七罪の事例を見るに、多分、その姿でいられるのは長くて五分くらいよ」

 

「かか、存外余裕があるではないか」

 

「首肯。最速の八舞には十分すぎる時間です」

 

 僅か五分。それを十分(・・)と言い切れるのは、彼女たち八舞姉妹を置いて他にはいない。

 険しい表情の琴里に、快活な笑いを見せた耶倶矢と夕弦が、お互いの顔を見合せ小さく頷き合い――――――神速を以て、己がフィールドである天を駆けた。

 暴風に煽られるローブを軽く手で押え、八舞姉妹を見送った少女は、狂三を抱き抱える十香へ向き直った。

 

「……さて、夜刀神十香。申し訳ないのですが、我が女王のことを頼めますか?」

 

「む、お前はどうするのだ?」

 

 当然の疑問を首を傾げながら問われ、少女はわざとらしく顎に手を当ててあとを続ける。

 

「私は彼と経路(パス)を繋いでるわけではありませんから、影から見守っていますよ」

 

 それに、あまり居座ってボロが出ては不味い(・・・・・・・・・)。今も、折紙は隙を見つけて少女へ視線を飛ばす仕草を見せている。これ以上は、いつ身体に限界が来てもおかしくはない。折紙の注意力と観察眼、甘く見るにはいかない。

 それに、と言葉を続けて、少女は狂三を……虚空を見つめる彼女を見遣る。

 予測を遥かに上回る予知を見せる狂三。この繋がりが少女の――――――そして、〈ファントム〉の予測を更に超えるというのなら。

 

 

「――――――私は少し、やっておくことがありますので」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「身体は大丈夫か、狂三」

 

 移動した先の樹木を背もたれに見立て、狂三を寝かせてやりながら十香は眉を下げて彼女を案ずる。

 

「……ええ。大事ありませんわ。憎たらしいことに、〈ファントム〉の力でわたくしの霊力まで多少の落ち着きを取り戻しているようですわ」

 

 皮肉げに微笑みながら言う狂三……だが、それが強がりの笑みであることなど、たとえ十香でなくともお見通しだった。息は荒く、身体は強い熱を発している。到底、意識を保っていられる状態ではないであろうに、恐ろしい精神力だと十香は内心で尊敬の念を抱いた。

 

「無理をするな。狂三が強いのは知っている。だが、もう少し私たちを頼ってくれ」

 

「わたくしが強い……ですの」

 

「……?」

 

 皮肉を通り越して、自嘲を孕んだ微笑みで十香の言葉を受け止めた狂三に首を傾げる。まるで、自身が強くなどないと、自身を認めていないようだった。

 

「……確かに、〈刻々帝(ザフキエル)〉の力を持つわたくしは、強い精霊と言えるかもしれませんわ。時を操り、人には視えないものが視える――――――けれど、わたくしには」

 

 夜空を見上げる狂三に釣られ、十香も視線を上げる。その先には、幾つも煌めく光の軌跡がある。命を懸けた星の煌めき――――――それが到達する先を予知(・・)した場所が、十香と狂三がいるこの位置。

 視線を戻せば、何かを躊躇うように眉を寄せた狂三がいる。その逡巡は、常の彼女であれば口に出さなかったはずの間なのかもしれない。けれど、今の狂三には気持ちを言葉にするのに、十分すぎる間だった。

 

「……わたくしには、あなた方がより強く――――――自由に見えてしまいますわ」

 

「私たちが?」

 

「この世界で力を持つことは自由ではなく、不自由に当たりますわ。当然ですわね。手放すことのできない巨大な力など、人々にとっては無意味なだけですもの」

 

 だから人は精霊を災害と認め、武力による討滅を選んだ。十香にも、この世界の色々なことを、美しいものを見たから彼女の言わんとしていることがわかる。

 

「人を助けたい。人を救いたい。自分にも何かができるかもしれない。大いに結構――――――それを利用されなければ、の話ですけれど」

 

「狂三……?」

 

「……話が逸れてしまいましたわね。ああ、ああ。まったく、何が言いたいのか纏まらないというのは、存外不便なものですわ」

 

 普段の彼女が見せる、本音が伝わりづらくて皮肉が満載の言葉とはまた違う、取り留めのない言葉の羅列。

 でも、どうしてか――――――士道が聞けない今、十香はそれを聞き届ける義務がある気がした。

 

「結局は、真摯に伸ばされた手を素直に取れた優しい方たちと、取れなかった愚か者ということですわ……誰もが羨む愛を、わたくしは受けているというのに。本当に、愚かしい話。何を、今さら……」

 

「狂三、お前は――――――」

 

 その感情の名を、夜刀神十香は知っている。手を取れたものと、取れなかったもの。彼に救われた後、十香は他人へ別の感情を抱いた。それと、同じもの。

 目を見開く十香を、空の果てを見上げるように、狂三が優しく微笑んだ。

 

 

「浮ついたことを口にしてしまうと――――――わたくし、あなた方が羨ましい(・・・・)のですわ」

 

 

 それは、きっと。微笑みの裏に隠されてきた時崎狂三という少女。

 

「日常を謳歌し、愛する人たちと過ごす。わたくしにとっては、何よりも価値があると思えるものですわ。何よりも尊い、失われて――――――失わせて(・・・・)、しまったものですわ」

 

 力を持つことに、一体どれほどの苦痛があったのか。その感情を自身の中で完結させることに、どれほど高潔な精神が必要だったことか。

 

「時にはこうして、純粋に助けることができる。長く、共に寄り添うことができる。ああ、ああ。わたくしには、決して出来ぬこと――――――なんて、浅ましい嫉妬なのでしょう」

 

 誰よりも手を伸ばしたかったのは、時崎狂三という少女。

 

 誰よりも手を伸ばせなかったのは、時崎狂三という精霊。

 

 他の誰よりも己という存在を持つ彼女は、生半可なことでは自身を裏切れない。

 たとえそれが、命を懸けるに値する男であっても。

 たとえそれが、己の半身の想いであっても。

それだけ(・・・・)では、その高潔すぎる(・・・)精霊の精神を止められない。

 

 愛する者を守りながら、愛する者を殺そうとする悲しき怪物(せいれい)は、本当は人並みに嫉妬(・・)の感情を持つ少女。そんな彼女を見て、十香は胸に手を押し当て……同じように、己の感情を吐露した。

 

 

「私も――――――狂三が羨ましい」

 

「え――――?」

 

 

 十香の声が届いている証として、狂三が目を丸くする。でもこれは、嘘のない十香の気持ちだった。ずっと(・・・)、思っていたことだった。

 

 

「シドーのお陰で、世界が広がった。戦いしか知らなかった私が、こんな幸せな世界を手に入れられた。そこに後悔はない。あるはずがない。だが――――――狂三のように、シドーを守れたら。そう思う時が、ある」

 

 

 矛盾。後悔はないと語るのに、その力があればと語る。酷く矛盾した感情……それを狂三は、矛盾だらけな感情を抑えきれず、苦しげに抱え込んでしまっている気がする。けれど、十香はそうは思わない。

 人は、そうして生きていく。矛盾を抱えて生きていく――――――まだ少ないが、世界を見て十香が学んだことだ。

 

「私は狂三ほど難しいことはわからない。だが、お前も私も同じだ。だから自分を卑屈にするな。目指すものは違うのかもしれない――――――けれど、同じだ。私もお前も、シドーを守りたい」

 

「……わたくし、士道さんを殺そうとしているのですよ?」

 

「関係ない。私は、狂三がそれだけのためにシドーを助けてきたとは思えないのだ。お前も私と――――――」

 

 それを言葉にしようとして、十香は一瞬言葉に詰まった。

 様々な感情が去来して消えていく。十香は今、狂三と同じだと口にした。矛盾した感情を持ち、持ち得るからこそ士道を救おうとする〝想い〟があると――――――どう、同じなのか。

 

 士道には大恩がある。誰よりも優しい男が、こんな理不尽な終わりを迎えるのは嘘だという気持ちがある。けれど、そのような道理や理屈では、士道を殺すために助ける(・・・・・・・・・・・)と嘯く狂三と同じだ。

 狂三はその本音を士道へはさらけ出しているのだと思う。十香がこの気持ちで士道を助けると思っていたならば、今の十香はここにはいない。到底、狂三と同じなどと口にはできなかった。

 

「――――――ああ、そうか」

 

 ようやく、理解ができた。ずっと、ずっと……十香の中で燻ってきた気持ち。そうだ、これが、これが――――――!!

 

 

「私は――――――シドーが〝好き〟だ」

 

 

 きっとこれが、〝恋〟なのだ。

 

 十香はシドーに恋をして、狂三もシドーに恋をしている。それぞれに矛盾した想いがあるのに、それぞれが士道を力の限り救いたいと考える理由なんて、それだけで十分なものだったのだ。

 十香の突然の告白に、しかし狂三が驚いた様子を見せたのは一瞬のこと。感情が合致した十香を見て、それを祝福するように華やかな微笑みを見せてくれた。

 

 

「ええ、ええ。そうですわ、その通りですわ。どれだけ不要なものだと言い聞かせ、どれだけ蓋をしても絶対に伏せることはできなかった気持ち。矛盾で苦しいんで――――――でも、わたくしは士道さんが好きなのですわ」

 

「私も好きだ。シドーが好きだ。シドーが大好きだ!!」

 

「わたくしも士道さんが好きですわ。大好きですわ――――――ぷ、ふふっ」

 

 

 言葉の折に堪えきれないと言わんばかりに吹き出した狂三にキョトンとした十香だが、すぐにお互いが何をしているか理解して同じように笑いをこぼした。

 

「ふふふ……何をしているのでしょうね。でも、士道さんが悪いのですわ。わたくしたちの愛を伝えたいのに、間の悪いことですわ」

 

「うむ、まったくその通りだ。シドーのばーかばーか」

 

 今度は反転して士道のことを悪く言って、また笑い合う。蟠りも、壁も存在しない――――――同じ人を好きになった者が、感情を共有する様がここにあった。

 

「――――――!!」

 

「……来ましたわね」

 

 その時、凄まじい衝撃波が辺り一帯の木々を薙ぎ倒さんばかりに伝わり、十香は身を翻し衝撃と相対した。

 鼓膜を、肌を、チリチリと焼くような強い感覚が近づいてくる。それは、十香が最後(・・・・・)という合図に相違ないものだ。

 

 五河士道が、辿り着く。狂三が予知した(・・・・・・・)通りに。

 

 

「さあ、わたくしにできるのはここまでですわ――――――あの幸せ者なお方を、迎え入れて差し上げましょう」

 

「うむ――――――任せろ!!」

 

 

 力強く、彼女の期待に応えるのは何度目のことか。しかし、応え方は今までの比ではない。同じ想いを共有するする者として――――――士道を愛する者として。

 

 紫根の霊装が顕現し、空に見参した己が最強の剣を手に取り、その切っ先を地面に突き立て、一瞬後に来る光景を待ち望むように瞳を閉じ――――――開いた先に、士道はいる。

 

 

「――――――来い、シドー」

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 静かな美しき剣姫と、獣のような咆哮を上げる勇者。奇しくも、或いは必然として、お互いに握る剣は同じ輝きを持つ黄金の刃――――――世界で最強を誇る二振りが、この瞬間激突した。

 

 

 霊力と霊力が激突し、不可視の衝撃を散らす。火花のように音を奏で、地面が、空間が、次々に歪む。

 切り上げ、切り下ろし、お互いの隙を見て一刀を見舞う。それの繰り返し。だが、士道が十香とここまで切り結びを繰り返せる、というのがまさに異常の現れとも言えた。

 

 しかし、だとしても。

 

「でやぁぁぁぁぁッ!!」

 

「――――!!」

 

 勝利の女神は、十香自身。甲高い音を立て、士道の〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が空へ投げ出された。如何に打ち合えると言えど、十香と剣技で渡り合えるものなど世界を探してもそう多くはない。それが今の士道だとしても、届かない神業の領域に十香はいた。

 士道が選んだものが〈鏖殺公(サンダルフォン)〉でなければ、まだ戦いようがあったのかもしれない。だが、偶然か、それとも彼自身の意思なのか。士道はこの剣を選んだ。それが十香には、たまらなく嬉しかった。

 

 一歩、踏み込む。そうして、士道と十香の距離は完全になくなった。

 

 

「シドー」

 

「――――――」

 

 

 熱が、灯る。身体の中にある霊力が正常化されるような循環の感覚。これで、終わり。ようやく、士道が救われ、いつもの優しい大好きな士道が帰ってくる。

 

はずだった(・・・・・)

 

「な――――!?」

 

 士道の瞳に映る金色の光(・・・・)に目を大きく開き、次の瞬間、十香は巨大な霊力の壁に弾き飛ばされる。

 

「ぐぁ……っ」

 

「『わたくし』!!」

 

 あわや後方の巨木に激突しようかというギリギリの間で、狂三が分身を滑り込ませてくれたことで衝撃からは逃れられた。

 

「十香!!」

 

「十香さん……!!」

 

 既に十香と同じく経路(パス)の正常化を終えた琴里たちも駆けつけ、そして士道へ視線を向け全員が驚きを顕にしていた。

 

「馬鹿な……」

 

 それは、十香も同じこと。

 

それ(・・)を士道が持つはずがない。

 

それ(・・)を世界で今扱えるのはただ一人。

 

 士道の中に封印された力。〈鏖殺公(サンダルフォン)〉、〈氷結傀儡(ザドキエル)〉、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉、〈颶風騎士(ラファエル)〉、〈破軍歌姫(ガブリエル)〉、〈贋造魔女(ハニエル)〉、〈絶滅天使(メタトロン)〉。

 

 それらのどれでもない。だが、この場にいる誰もが名を知っている天使。それは――――――

 

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉!?」

 

 

 神の御業。不可逆の領域。それを成し得る羅針盤――――――士道がそれを、顕現させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 見慣れた天使。見慣れていない構図。それは、そうだろう。その天使を扱い得るのは、数ある『狂三』の中でもオリジナルである狂三だけ。彼女の記憶にある例外という例外は、五年前の世界で見た自身の記憶にない自身を士道を通して見た時だけ。

 今、彼女の目の前にあるのはそれですらない。まったく別の人間。狂三とは似ても似つかない少年が、見慣れた天使を顕現させていた。

 

 しかし、狂三の中にある感情は驚愕や困惑ではなかった。否、全くないと言えば嘘になってしまう。けれど、それ以上に、受け入れて(・・・・・)しまったのだ。あの人なら、そうなのだろう、と。

 

「……士道さん、あなた様は――――――」

 

「狂、三……」

 

「っ、士道さん、意識が……」

 

 一瞬、士道の意識が正常なものになったのかと思ったが、違う。虚ろな瞳は、狂三を映していながら移していない。さながら、現世と幽世を彷徨う夢人――――――忘我の領域で、士道は苦しげに言葉を紡いだ。

 

 

「俺は、君を……救って、……」

 

「ぁ……」

 

「そのために――――――狂三を助けられる、力が欲しい……っ!!」

 

 

 その苦しみは、彼だけが抱えていたもの。

 

 狂三を救いたい。けれど、救えない。

 

 幾度となく、狂三と士道は手を取り合ってきた。

 幾度となく、狂三は士道の力となって戦ってきた。

 

 その度に――――――士道はどんな想いで、狂三の背を見ていたのだろう。

 感じる無力感を、狂三の願いと相反する士道自身の願いに、どれほど苦しんでいたことだろう。

 

 だから、せめて。せめてと、願っていた。でも、それは――――――狂三が望む士道の姿じゃない。優しい彼に、そんなものを望みたくない。かつて、自らを守ろうと努力する士道の姿に、狂三は喜びを覚えた。でも、これは違う。違うだろう。

 今にも泣き出してしまいそうなほど顔を歪め、狂三は士道と相対した。

 

 

「士道さん!! 違いますわ、違いますの……わたくしは……っ!!」

 

「もっと、もっと――――――俺に、君を救えるだけの力を!!」

 

「わたくしはもう、あなた様に救われているのですわ!!」

 

 

 とっくに、救われていたのだ。

 

 手を差し伸べられたあの瞬間に。

 

 愛を打ち明けられたあの瞬間に。

 

 僅かな時間でも、寄り添うことができたあの瞬間に。

 

 狂三は、こんな自分には勿体ないほど、悪夢の名に相応しくないほどに――――――もう、救いを得ていたから。

 

 だから、違う(・・)

 

 

「わたくしが、士道さんに望むものは――――――!!」

 

「ぐ――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 人の叫びという枠に収まらない、咆哮。士道が再び上空へと舞い上がり、狂三は追い縋るように足を踏み出した。

 

「士道さん……あぅ!!」

 

 だが、無様にも地面を擦るように転がってしまう。足を踏み外した? いや――――――身体が、思うように動かない。

 

「狂三!!」

 

「大丈夫ですかー!!」

 

 琴里たちが駆け寄ってくるのがわかる。こんな時に、こんな時だから(・・・・・・・)霊力の乱れが止まらない。

 動悸が荒く、身体の熱が収まらない。だからといって、止まれるか。力の限り手で身体を起こしながら、狂三は己が天使の名を呼ぶ。

 

「〈刻々(ザフキ)――――(エル)〉……ッ!!」

 

 高々と鳴り響く声などない。振り絞るような声で、それでも宿主に応えて天使は顕現する。しかし。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉が……消えかかってる……!?」

 

「止めなさい狂三!! そんな身体じゃ、天使の維持なんて不可能よ!!」

 

 出来の悪いホログラムのように浮かんでは薄れる〈刻々帝(ザフキエル)〉に七罪が焦りの声をもらし、琴里も狂三の肩を揺さぶり鼓膜を震わせる悲鳴にも似た叫びを上げた。

 

 わかっている。無理など百も承知。霊装すら纏えない身で、天使の顕現などできるはずもない――――――できないからと諦められるほど、狂三は士道の影響を受けていない精霊ではない。

 何があっても諦めなかった彼が、そんな彼が持っていた諦観。諦観があるから、彼は力を求めた――――――けど、狂三が士道に望むものは絶対的な力なんかじゃない。

 

「士道、さん……!!」

 

 止めなければ。それに、精霊たちが命を賭して創り出した道を、狂三が途絶えさせるわけには行かない。天へと登る士道へ手を伸ばし、それが届くわけもなく、虚しく空を切る。そうして、霊力の制御が限界を迎えようとした、刹那――――――

 

 

『我が主に、祝福を』

 

 

 包み込む、光の声が生まれた。

 

 

『――――〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉』

 

 

 瞬間、狂三は己に霊力の制御権(・・・・・・・・)が戻ったような感覚を覚え、即座に意識を集中し、その名を呼ぶ。

 

「〈神威霊装・三番(エロヒム)〉――――!!」

 

 待ちわびたと言わんばかりの歓喜を表すように影が蠢動し、狂三の身体に絡み付く。薄汚れた服を全て洗い流し、絡み合い――――――舞踏会(パーティー)に相応しい真紅のドレスが世に放たれた。

 一瞬前までの狂三とはうって変わり、開かれた瞳に苦しげなものは一切感じさせない。琴里たちが豹変した狂三の様子にそれぞれ驚きを見せていた。

 

「驚愕。元の狂三に戻りました」

 

「何をしたの」

 

「これは……」

 

 立ち上がり、折紙からの問いかけを確かめるように己の身体を確認する。乱された霊力は余すことなく狂三の支配下に置かれ、〈刻々帝(ザフキエル)〉もようやく正常な形で顕現した。

 それ以外に、もう一つ。久しく受け取っていなかった、別の天使(・・・・)が内に入り込む感覚。

 

『我が女王。ご気分は如何です?』

 

「〈アンノウン〉……!!」

 

「……良好ですわ。あなたのおかげで」

 

 その声は、そう遠くない位置から、同時にこちらからは捕捉しきれない距離からのもの。琴里がその名を呼ぶまでもなく、この現象の正体は間違いなく少女のものだ。

 続けざまに、少女が狂三の応答に応えて声を発する。

 

『それは何よりです。土壇場のことなので、譲渡できた権限は七、八割といったところでしょう。それでも、霊力干渉を遮断するには事足りたようで安心しました』

 

「ええ。助かりましたわ」

 

 能力の譲渡。即ち、天使の共有(・・・・・)。狂三と少女のみに許された行為であり、狂三が少女を傍においていた理由の一つ。

 以前、狂三が精霊としての力を完全に隠せていたのもこの現象によるものだ。今回に限っては、どうやらその比ではない。天使の遮断能力をほぼ余すことなく受け取り、狂三は霊力暴走の影響を防ぐことができている。

 

『とはいえ、あまり長くは持たないと思ってください。カットできたのも、あなたへの影響だけです。五河士道への影響は相変わらず止まっていませんし、本来発生させている能力も使用できません』

 

「十分ですわ」

 

 手短にそう応え、狂三は意識を一点へ向ける。つまり、少女のように外装を纏い外部干渉を弾くことは叶わない。使えるのは、己が天使一つだけ――――――ならば、いつもと変わらないということだ。

 

 

『そうですか――――――では、我が女王。その力、存分に振るってくださいませ』

 

「ええ、ええ――――――盛り上がって参りましたわねぇ!!」

 

 

 霊力が圧力を増し、琴里たちが悲鳴を上げて狂三から距離を取る。もはや、己の身体を気遣う必要などない。

 

 

「さあ、さあ。行きますわよ、行きますわよ――――〈刻々帝(ザフキエエエエエエエエエエエル)〉ッ!!」

 

 

 琴里たちが紡いだ道、少女が繋ぎ止めた力。それぞれを胸に、女王は高々に天使の名を絶唱する。

 それだけでは、ない。ああ、ああ。抑えきれない。火照った熱を吐き出すように、狂三は世界中に届かんばかりの声で、情熱を解き放った。

 

 

「士道さん、愛していますわ――――――ッ!!」

 

 

 だから、踊りましょう。わたくしたちの戦争(デート)を。

 

 地面を力の限り蹴り上げ、狂三が夜空へ飛翔する。

 

「なんでそこで愛の告白なの!?」

 

「きゃー、素敵ですー!! 素敵ですー!! 狂三さんとだーりんの……ぶはっ」

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

「美九が興奮しすぎて鼻血を出してそれが七罪に飛び火した!?」

 

 地上から驚きと歓声が聞こえてくる。構うものか、構うものか。今の狂三はその程度では止まりもしない。ただ燻り続けた衝動の全てをぶつけるように、軌跡を描き空を駆ける。あとの後悔など、未来の自分に押し付けてしまえばいい。

 

 

「ねえ、わたくしと、踊りましょう」

 

 

 一曲と言わず、何曲でも。待ちわびた舞台(ステージ)のダンス。めいいっぱい楽しんで――――――世界で一番、物騒な戦争(デート)で。どうか、どうか。いつまでも(・・・・・)

 

 月明かりを背に、この世において最も恐ろしく、最も少年が美しいと感じる光景を創る。

 

 

「さあ、さあ、士道さん。愛しい愛しい、士道さん。わたくしたちの――――――殺し(愛し)合いを始めましょう」

 

 

 用意された舞踏会(パーティー)を締めくくる少年と少女のラストダンス。今、開幕する。

 

 

 






ナツーミいつも叫んでんな(他人事)

さあ、舞踏会のラストナンバー。この奇跡の対面を誰か予想できた方はいらっしゃるのか。少なくとも私は連載当初は想像していませんでした。そう、ノリと勢いの瞬瞬必生というやつでry
いやまあ流石に章を書く手前ではこの展開を確定させてはいましたけども。メインヒロインが大取りを担う以上、相応の展開は必要なので当然の帰路ではありました。ありえない対決の行方は次回をお待ちくださいということで。

恋は矛盾するもの。二人の答えは、ここに同じ道を選び取りました。精霊たちとの縁も、なかなか深くなってきていますね。

士道は狂三を何があっても救いたいともがき苦しみ、狂三は、彼女の歩んできた辛く苦しい人生は士道によって救われたと本人は思っています。だから、狂三が士道に求めるものは……。いよいよ、クライマックスの時間が近づいてまいりました。
感想、評価、お気に入りなどなどお持ちしておりますー。このタイトルシリーズは基本的に狂三か少女の視点からとなるので、このタイトルを使う日がくるとは。次回、『VS〈刻々帝〉』。お楽しみに!!


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第百十六話『VS〈刻々帝〉』

 

 

「……あー、キツいですね、これ」

 

 顕現した巨大な羅針盤を背に、全速力で飛び立った狂三を木々の中から見送り、少女は軽く息を整えながらそう苦しげに呻いた。

 狂三の許可なく半ば強引に権限を捩じ込んだものだから、間に合うかどうかは本当にギリギリだった。身体も治り切っていないため、負担は準備をして行う譲渡の比ではない。

 更に付け加えるのなら、狂三が相手のためこちら(・・・)を使うしかないというのも不自由さを加速させる。何せ――――――次の瞬間、少女の顔の真横にノイズ(・・・)が蠢いた。

 

「ッ!!」

 

【あ】

 

 反射的に跳ぶように身体を跳ねさせ、それ(・・)と数人分の距離を保ち相対する。

 無理に身体を動かした反動で鈍痛が腹部を襲い、抗議の意味と押さえていないとやっていられない痛みのために手を傷跡にやり更なる痛みに呻くことになる。

 

「い……つぅ……」

 

【大丈夫? 無理すると身体に良くないよ】

 

「誰のせいだと思ってるんですか……っ!!」

 

 今このノイズ――――〈ファントム〉が現れなければ、少女はこの無用すぎる痛みに襲われる必要はなかったというのに。いけしゃあしゃあと少女の身を案じる〈ファントム〉に悲鳴のような声を上げれば、少しだけ申し訳なさそうな声色、と言っても機械を通したような特殊な声を彼女が発した。

 

【ごめんね。気になっちゃって。けど、その様子だと本当にあの子に天使の力を渡したんだね。今なら、簡単にそのローブを脱がせるんでしょう?】

 

「せめて下世話な言い方はやめてください。……まあ、その通りですよ。わかっているなら、興味本位で取ろうとするのはやめて欲しいものですけど」

 

 これを狙って何かをされると、少女はひとたまりもない。そういう意味で、少女は警戒をして単独行動を取っていた。まさか、とは思っていたが、用心をして正解だったとため息を吐く。

 そんな少女の気苦労を知ってか知らずか、〈ファントム〉は興味深そうに人間で言えば顎に手を当てるような仕草をし、言葉を紡ぐ。

 

【……でも凄いね。天使の権限を他人へ、しかも他の精霊へ一時的に譲渡するなんて聞いたことがない。これはとても興味深いことだ】

 

「……特別、そこまで褒めるようなものでもないでしょう。権限の両立が不可能な以上、霊結晶(セフィラ)自体を譲渡するのとそう変わりはありません」

 

【そうかな? 君にしかできないなら、それは誇るべきものだと思うけど】

 

「おかしなことを言いますね――――――私に出来て、あなたに出来ないことなどないでしょうに」

 

逆ならば(・・・・)、幾らでも思い浮かぶが。少なくとも少女は、〝彼女〟という存在が少女の能力、特徴を行使できないとは考えていない。〝彼女〟の場合、出来ないことを探した方が早くなると本気で少女は信じている。

 少女の言葉を聞いて、何故か〈ファントム〉が気苦労を感じさせる息を吐いた、気がした。

 

【君は、もう少し自分に自信を持ってもいいと思うのだけれど】

 

「これでも正当な個人評価をしているつもりですよ――――――というか、何のご用ですか」

 

 万が一にでも、こうして仲睦まじく話しているところを見られてはお互いにかなり都合が悪い。その程度のこと、〈ファントム〉にだってわかっているだろうにと抗議にも似た指摘をする。

 

【君のことが気にかかった、というのも嘘じゃあないよ。もう一つは、君のお気に入りの精霊のことでね】

 

「…………」

 

 ぴくりと眉根を吊り上げ、今し方〈ファントム〉が語った内容を反復する。わざわざ、少女のお気に入りなんて言い方は趣味が悪いと言わざるを得ないが、言わんとしていることは理解できた。

 〝彼女〟をして、今の狂三の異常性(・・・)は目に余るということだ。

 

「……封印もなしに経路(パス)を生成して、同じ天使を二人同時に完全な形で顕現させるのは、あなたから見てどう思います?」

 

【不可能だね、本来なら。あの子の能力が想定を遥かに超える領域に到達し始めているのも、イレギュラーがすぎるかな】

 

「……そう、ですか」

 

 〝彼女〟をもってして、狂三をイレギュラーと断定するだけの域に達している。本来、少女と〈ファントム〉がそれぞれ想定していた道筋を、あの二人は未知数の方向へと変えようとしていた。

 それは良いこと、ばかりではない。目の前の存在を考えれば、特にそう思わざるを得ないのだ。そんな少女の考えが声に漏れ出ていたのか、〈ファントム〉は苦笑混じりの声を発した。

 

 

【安心して。あの子も私に、そして彼に必要な大切な人。まだ(・・)、その時じゃないから】

 

「……そのまだ(・・)が消える日は、遠くなさそうですけどね」

 

【うん――――――もうすぐ、叶う】

 

 

 その言の葉に。長く、長く、願いがある。世界を歪めるほどの、愛がある。

 

 イレギュラーが重なったあの二人のために、時間を作ってあげたい気持ちは重々にある。だが、どちらかの均衡が崩れ去った時、士道側ならまだ平気だ。それが仮に狂三側に傾いたとして――――――〝彼女〟が黙っているとは、思えなかった。

 もう一つ。少女が士道へ持っている希望(・・)は、不確定要素が多すぎる。どちらにしろ、士道と狂三次第と言うことか。と、少女は〈ファントム〉に対して応じる。

 

「……私個人はあなたを邪魔するつもりはありません。けれど、あの子があなたの邪魔をするなら、それはあなたが何とかしてくださいね。私は、あの子を止めませんよ」

 

【わかってるよ。ふふっ、一途なんだね】

 

 揶揄うような口調の〈ファントム〉。愚直なまでに願っている自覚はあるが、〝彼女〟にだけは言われたくないと少女は言葉を返した。

 

「……お互い様でしょう。そういうところだけは、きっちり誰かさん(・・・・)から譲り受けたみたいですよ」

 

【――――――】

 

 皮肉のつもりで言ってやると、〈ファントム〉が一瞬思考を停止したように動きを止める。何を思ったかまではわからなかったが、驚かせることはできたらしいと、少女は意趣返しに成功し満足げに身を翻す。

 

「……じゃあ、あとは見届けて私は帰りますよ。口うるさい解析官に、念押しされているんでね」

 

【うん、そうするといいよ。きっと心配してるから】

 

 どの口が言うのか。平然とそんなことを言った〈ファントム〉に、思わず言葉をぶつけそうになったが、わかっていてやっているのだろうなと無用な言葉を下げる。

 

【じゃあ、またね】

 

「ええ。またお会いしましょう――――――」

 

 一度前の時とは違い、今度はそう出会うことはないだろうけれど。きっと、会うことは決まっているから。その時間は、少女と〝彼女〟が待っていた時間よりも、遥かに短いものだ。

 

 だから、なんてことのないように、〈ファントム〉という存在と初めて(・・・)話した少女は、告げた。

 

 

「私の――――――神様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇跡の体現。形を持った奇跡。不可侵の領域を侵すもの。それが――――――天使・〈刻々帝(ザフキエル)〉。

 では、今まさに、その天使が二つ(・・)存在するというのは、些か奇跡の安売りが過ぎるのではないかと狂三は思う。

 半年前の狂三なら夢にも思わない。仮に、半年前の『狂三』を生み出して聞いたとしても、気でも狂ったかと疑われるに違いない。最終的には、信じてしまうのだろうけど。だからこそ、『狂三』は狂三なのだから。

 

「楽しいですわねぇ、士道さん!!」

 

 空に浮かぶ羅針盤が、二対。有り得ならざる悪夢の光景を、時崎狂三だけは心の底から楽しいと笑う。狂気的な微笑みを作り、空を駆ける。

 

「……!!」

 

 対して、士道はそれに銃を自身へ押し当てることで応じた。

 何をしようとしているのか、狂三には手に取るようにわかる。ずっと、彼の前で見せてきたもの。相手の意表を突く、自身のこめかみに銃を押し当てる仕草。たとえ相手がしたからと言って、発案者の狂三が動じるわけもない。狂三も全く同じ体勢を取り、一部の逡巡もなく引き金を引いた。

 

 

『【一の弾(アレフ)】ッ!!』

 

 

 同じ力。同じ速度。示し合わせたように、狂三と士道は神速の領域へと足を踏み入れた。

 夜空に煌めく光の軌跡が先程までとは比べ物にならないほど輝きを増し、激突する。

 

「あぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「っ……!!」

 

 衝突の最中、振るわれた(・・・・・)一刀を狂三が銃で受け流す。天使の欠片である狂三の古銃でなければ、容易く切り裂かれていたであろうその必滅の刃。狂三が知る限り、いや、世界の何処を探したところで、士道の握る最強(・・)を超える剣は見つからない。

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。右手に最強の剣を。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉。左手に最凶の銃を。

 

 この世に、これ以上豪快な天使の使い方があるならば見てみたいものだと、狂三は苦笑を浮かべて銃を振るう。

 

「素晴らしいですわ!! 素晴らしいですわ!! 天使の同時顕現、それほどの霊力――――――高鳴りますわ、高鳴りますわッ!!」

 

 琴里辺りが聞いていたのなら、『レディなら少しは落ち着きを持て』とでも言われてしまう叫び。今は、許して欲しい。誰に言い訳する訳でもなく、気分が高揚しすぎてどれだけ発散しようと抑えきれないのだ。

 踊るようなステップで神速の一刀を躱し、影の弾丸を連続で照射。しかし、士道はそれを〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の斬撃で撃ち落とし、反撃に左手の銃でオウム返しのように引き金を引き続ける。

 それに当たってやるほど、狂三も間抜けではない。即座に回避行動を取り、再び士道との撃ち合いを再開した――――――正直、驚いている。

 

「……ああ、ああ」

 

 歓迎すべきことではない。それでも、感慨深いと狂三は神速の領域で甘い吐息を零した。

 今の士道は獣だ。目の前の相手が誰かなど、恐らく彼はわかっていない。力を行使し、振るうだけの獣。だが、以前の士道ではここまで狂三と撃ち合うなど不可能だった。この神速の領域にしても、人の身である士道には大きな負荷がかかる。

 しかし、現実として士道は狂三と戦っている。戦えている。確かに、今の士道の技量には目を見張るものがある。けど、戦闘経験値が根本的に違う狂三に比類するほどではない。それを士道は天使を同時に行使することで――――――そして何より、この半年間、誰より狂三の傍で狂三の戦いを見てきたから、狂三と同じ動き(・・・・・・・)ができる。

 

 士道にそんなことをして欲しくないと思っているのに、狂三はこの瞬間、彼の動きの一つ一つに歓喜の感情を抱いている。まるで矛盾している。その矛盾を肯定してこそ、『時崎狂三』という存在は完成しているのかもしれない。

 

「士道さん」

 

 名を呼んだところで、返答はない。あるのは、本物の命の取り合い。

 

 戦っている。狂三と士道は戦って、殺し合っている。狂気に身を浸すことで、生を実感する。戦いを得て、そう思い込む(・・・・)。それが時崎狂三の生き方だった。生き恥を晒して、けど生きていかねばならなかった狂三は、狂気に身を委ね、修羅となることで生きてきた。歪な自傷行為。意味のない自己満足。誰にも告げられなかった、無様な現実逃避。

 

 だが、今は、違っていた。だから、精霊(少女)は――――――

 

 

「本当に、楽しいですわ――――――ッ!!」

 

 

 戦いが、大好き(だいきらい)だ。

 

 

『――――――っ』

 

 幾度の撃ち合いを互角に渡り合い、二人だけの神速の世界が解ける。

 滞空した二人の距離は、一瞬で詰めるには少し離れすぎていた。思考の隙間もなく、士道が霊力の装填を完了した銃を再びこめかみに押し当てる。【一の弾(アレフ)】か――――――そう考えた狂三は、すぐさまもう一つの可能性に行き着く。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【八の弾(ヘット)】」

 

 そちらが正しいと勘づいた時には、士道の身体がぶれ二人に増えた(・・・・・・)。いいや、二人だけに留まらず、三人、四人、五人――――――引き金を引いた数だけ、『狂三』のように士道という存在が数を増す。

 あっという間に囲い込まれた狂三に動揺はない。超然とした微笑みを浮かべ、士道たちを一瞥した。

 

「きひひひ!! 【八の弾(ヘット)】は見せた覚えがないのですけれど――――――ああ、いえ。一度だけ、ありましたかしら」

 

 懐かしい思い出を反芻するように、狂三が笑う。或美島での一件で、他の銃弾を同時に併用した時のことを士道はしっかり理解していたようだ。まあ、仮に理解していなかったとしても、狂三が従える分身たちを受け入れていた彼ならば、躊躇うことなく性質を理解し扱い得たであろうが。

 『士道』が平然と飛行しているのを見たところ、どうやら劣化するとはいえ他の天使も扱えてしまうらしい。まったく、『狂三』と違い欲張りなことだと狂三は唇の端を吊り上げた。

 

「良いハンデですわ。まとめて相手をして――――――」

 

 瞬間、斬撃(・・)が『士道』と狂三の間を駆け抜け、包囲網を散らした。

 斬撃の出処へ目を向け、狂三は飛翔する精霊たちを視界に収める。そのうちの一人、十香が声を放った。

 

「狂三!!」

 

「十香さん――――――ああ、ああ。皆様、お揃いのようですわね」

 

 霊力の経路(パス)が開かれたことで、全員が問題なく限定霊装を扱えるようになった十香たちが、狂三と士道を追いここまで辿り着いた。

 まったく、全員が士道とのキスをするために命懸けで戦った後だというのに、お人好しなことだと狂三が微笑んでいると、琴里がその背に並び立つ。

 

「元気そうじゃない。私たちも混ぜてくれないかしら」

 

「うふふ、そうですわね――――――わたくしばかりが士道さんを独り占めしては、琴里さんが泣いてしまいますものね」

 

「……やっぱりあなた、ちょっと弱ってるくらいがいいんじゃない?」

 

 そう言って半目で睨む琴里に、狂三はいつものように超然とした微笑みを返す。〝声〟で『士道』を抑え込みながら、そんな二人へ美九がのんびりとした言葉を発した。

 

「でもー、こういう狂三さんがとーっても素敵ですよー!!」

 

「同意。やはり、狂三はこうでなくては」

 

「――――――あら、あら。騙されてはいけませんわよ」

 

 どさくさ紛れに聞こえたその声の主は、『士道』を抑え込むという名目で彼の身体をあれやこれやと触り、狂三のポーカーフェイスを怒りで歪ませようとする『狂三』のものだ。

 

「『わたくしたち』を影から出入りさせる労力でさえ惜しんでいる『わたくし』ですもの。皆様のご助力、天邪鬼な『わたくし』に代わりに御礼申し上げますわ」

 

「その士道さんに対する余計なボディタッチとわたくしの思考の曲解はお止めなさい。撃ちますわよ」

 

「あら、敵味方の判別もつかないほど衰えていらっしゃるのですか? 『わたくし』のことながらわたくし、悲しいですわぁ」

 

「…………」

 

 自分自身を殺すのは狂三としても心苦しくなるものだと思っていたが、今なら簡単に殺意を持ててしまうものだと狂三は額に青筋を浮かべて笑顔で銃を構えた。

 だが、『狂三』の言っていることは実のところ間違ってはいない。この『狂三』も、先ほど咄嗟の判断で解き放った個体が勝手に動き回っているだけ。今の狂三に、影を使役するだけの余力は残っていない(・・・・・・)。影から分身が出てきていないのも、本体の余力をわかっていてのこと。

 ただそういう弱み(・・)を見せないのが、時崎狂三が時崎狂三である所以。まあ、見せなかったとしても――――――彼女たちは、変わらず狂三を助けるために動いているのだが。

 

「狂三、こちらは任せろ!!」

 

「返せる分の貸し(・・)は返しておく――――――行って」

 

 十香、折紙が斬撃と光線を撒き、『士道』たちを牽制しながら狂三へ声を投げかけた。

 変な話だと、狂三は柔らかい微笑みをこぼしてしまう。士道を殺そうとする精霊が士道を救おうとして、士道に救われた者たちがそれを助ける。こんな歪な関係性が他にあろうものか――――――それが悪くないと思っているから、狂三は表情を和らげてしまう。

 

「ええ、そうさせていただきますわ!!」

 

 迷いなく『士道』たちの包囲網を掻い潜り、進撃する。後方の憂いはなく、能力劣化した分身では狂三を止めることは叶わない。

 

「――――――ああ、なるほど」

 

 感銘にも似た声。それ(・・)がわかったのは、初めてのことだった。不思議に思っていたのだ。なぜ士道が瞬時に狂三と『狂三』の区別がつくのか。どうしてわかるのかと問い正せば、逆になぜわからないのか不思議な顔をされてしまった。

 今、その理由がようやく身に染みた――――――理屈など二の次で、わかってしまうのだ。自分が愛した人が誰か、わかってしまうのだから、仕方がないでしょう?

 

「見つけ――――ましたわッ!!」

 

「……!!」

 

 霊力に物を言わせて数十に膨れ上がった分身たちの中に、紛れ込んだ五河士道(オリジナル)が一人。弾丸を散らして分身を薙ぎ払い、遠慮なしに上段から回し蹴りを叩きつけた。

 

「うぉぉぉぉぉッ!!」

 

「く……」

 

 打ち込まれた蹴りを士道が腕で受け止め、即座に霊力の渦を壁のように発して狂三を拒絶した(・・・・)

 やはりそうだ。投げ飛ばされた空中で体勢を立て直しながら、狂三は士道が己の懐に入り込ませないようにしていると、確信に近い考えを持っていた。先の攻防もそう。決して、狂三を己が内に入れさせない動き。獣のような本能が生み出す、明確な拒絶の意思。

 

「上等、ですわ――――【一の弾(アレフ)】ッ!!」

 

 再び、加速の領域へ。それを見た士道も狂三に応じ、【一の弾(アレフ)】を使い迫る狂三から逃れ始めた。

 どうにもこうにも、やり辛いことこの上ない。逃げる獲物を狩る狩人ならともかく、これは明らかに違う。土足で相手の感情に足を踏み込む――――――いつも、士道が狂三にしてきたことだ。

 

「いい加減、観念してくださいまし!!」

 

 いつも、いつもいつもいつもいつも――――――いつだって、士道は狂三を見捨ててなんてくれなかった。感情が乱れて、余計なことを考えてしまう。この、自らを顧みない善性の塊のような人が、踏み外してしまった少女との邂逅。

 

 もし、あのとき出逢っていなかったら。

 

 もし、違う出逢いを果たしていたなら。

 

 もし、お互いを好いていなかったなら。

 

 まるで違う世界。違う道筋を辿っていたに違いない。こんな女に振り回されることなく、彼は精霊たちを救い、幸せな人生を送ることができたかもしれない。もしかしたら、素直じゃない狂三が、陰ながら士道を助けるような世界があったのかもしれない。

 

 そうやって、幾度となく考えて。けれど、狂三は心の底で思っている――――――出逢わなければ良かったなど、嘘をつくことはできないと。

 他の時崎狂三など知ったことではない。この時崎狂三は、五河士道と出逢い、愛したことを後悔などするものか。たとえこの先に、どんな絶望の運命が待ち受けていようと、狂三は必ず世界を変える――――――その使命を背負った狂三が感じた幸せは、狂三にとって極上の救いなのだ。

 

 だから、消させない。終わらせない。五河士道という存在は、精霊に、少女に、時崎狂三に必要だから――――――!!

 

 

「――――【一の弾(アレフ)】ッ!!」

 

 

 互角の均衡を、崩す。狂三に撃ち込まれた更なる銃弾は、神速を遥かなる高みへと導く。

 肉体が悲鳴を上げ、脳が停止を促す信号を送るように全身に痛みをもたらす。それを全て無視して、狂三は士道との距離を詰め続けた。単純な速度による接近は、故に距離を離すことが難しく、故に対処が単純(・・・・・)だ。

 

 目の前に迫った士道が、左手の銃を構えていた。

 

 

『――――――――』

 

 

 両者の時が凍り付く。時を奏でる金色の瞳、互いの左目に宿った文字盤の紋様が交錯する。その針が時を刻む刹那――――――狂三は賭けに勝った。

 

 五河士道は時崎狂三を熟知し、その戦闘スタイルを知っている。だから士道は〈鏖殺公(サンダルフォン)〉と同じく〈刻々帝(ザフキエル)〉を完璧に扱って見せた。扱って見せたからこそ、事ここにおいて〈刻々帝(ザフキエル)〉の力を使うことが何を意味するのか、狂三には手に取るようにわかる。

 

 全くの、同時。二人はそれぞれの撃鉄を鳴らした。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【七の弾(ザイン)】」

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【八の弾(ヘット)】」

 

 

 放たれた絶対の弾丸。不可逆を侵す究極の一打――――――それは、吸い込まれるように狂三の分身に(・・・・・・)突き刺さった。

 

 読んでいた。いいや、狂三を知る士道なら必ずそうすると知っていた。最後の切り札として、狂三が時間停止(ザイン)をここぞという時に扱うと、彼なら知っていて当然だ。扱うからこそ――――――扱われた時の対処法も知っていなければならない。

 産み落とされた分身の時が静止する。持ち主であろうと、その性質は絶対のものだ。絶対のものであるが故に、狂三は特性を完璧に把握している。

切り離された(・・・・・・)狂三の時は、止まらない。分身を乗り越え、士道へ手を伸ばす。士道が剣を振るい狂三を切り裂こうとするが既に遅い。今の狂三の加速は、【一の弾(アレフ)】の二重加速。一瞬の間に、狂三は士道を取り押さえることができる。

 

 だから、その一瞬の間に、狂三は悟ってしまった。

 

 

「――――――ぁ」

 

 

 無理だ。これは、斬られる。漠然と、だが確信的にそれを悟った。

 狂三の戦術は完璧だった。しかし、今の一瞬、狂三の肉体は限界を迎えた。少女の天使が時間限界を迎えたのか、無茶な二重加速による驚異的な負荷か。或いは、どちらでもあるのかもしれない。

 

 結果としては、狂三は士道の振るう剣に切り裂かれる。それだけのことだった。

 

 左目が視る光景が変わる――――――未来は変わらないと、変わる。一瞬とはいえ動きを止めた狂三が、神速のもとに振るわれる必殺の一刀を避ける術など存在しない。元々、この瞬間に全ての余力を差し出したのだ。らしくもなく、保険の一つさえ残していない。

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉は未来を選定した。狂三は士道に切り裂かれる。

 

『……ああ、ああ。仕方ありませんわね』

 

 この危機的状況で考えるには、あまりに破滅的すぎる思い。

 狂三の予測では、恐らく狂三が斬られることで事態は収束する。そもそも、同じ天使を全く別の人間が同じだけの力で同時に扱っていることがおかしい。ならば、持ち主である狂三に何かしらの危機が訪れれば、自ずと均衡が崩れ去り士道と〈刻々帝(ザフキエル)〉の繋がりも正常化(・・・)する。

 

 ただ、そんなものは言い訳だ。刃が目の前に迫った時、狂三が感じたことは――――――士道になら、斬られても構わない(・・・・・・・・・)。そんな破滅的な願望が、狂おしいほどの激情が、あった。

 

 もしかしたら。ああ、きっとそうだった。あの時、士道が命を狙われているとわかっていて、狂三の前に現れる正気ではない行動を起こせたのも、彼は今の狂三と同じことを考えたに違いない。

 けれど、同時に。手にかけた側は、悲しむのだろう。それが堪らなく嫌で――――――士道が決して頷いてくれない理由が、またわかった。

 

 

『まったく――――――矛盾していますわ』

 

 

 ひたすらに、矛盾だらけだ。こんな激情を感じていたのなら、さっさと身体を明け渡してくれればいいものを。そう、本気で願っているかもわからない捨て台詞を吐き切る前に、運命を受け入れるように――――――時崎狂三は瞳を閉じた。

 

 

 






狂三→我が女王。例の人→私の神様。少女は嘘をついていません。〈ファントム〉という存在と話をしたのは、本当にこれが初めてですよ。運命の天秤は、果たしてどちらに傾くのかな?

〈刻々帝〉を大真面目に戦闘に使おうとすると結構限られてしまうの巻。もっぱら狂三の頭で上手く扱えてるだけで、高燃費だし良いことばかりでもないっていう。だからって〈鏖殺公〉との併用は凶悪すぎて慈悲がない。でも狂三VS士道は書いてて楽しかったです(小声)

今回の心理描写はリビルドでの狂三というキャラクターのあらゆる部分を詰め込みました。矛盾した感情、矛盾する戦いへの想い。読み取っていただけたなら、筆者として大変嬉しいです。
前話からフェイカー&アンサー編をかなり意識しているので、この章は一時的な総決算とも言えるかもしれません。ちなみに原作からオミットされたorされるかもしれないセリフは今回のように別の形で使用されることが割と多い本作。皆様はお気づきになられましたかな?

語りたがりなので後書きが最近長くなっていることが悩み。こんな性格なのでこれ良かったとかこれこれここはこうですよね、みたいなことを言ってもらえると大変喜びます。自分が書いた作品に込めたものを読み取ってもらえる瞬間というのは、本当に嬉しい。
さあ、そんなこんなで次回はいよいよ決着戦。この小説の主人公たる人物は誰なのか。満を持して、思う存分、彼の想いをお届けいたしましょう。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百十七話『あなたがいて、(わたくし)がいる』

主人公によるスーパーくるくるみんタイム。ゲロ甘くなる。





 

『士道さん』

 

 呼んでいる。呼ばれている。誰よりも愛しい声。何よりも、大切な人。

 

 ――――――どうして、そこまでできるのか。

 

 いつだったか、誰であったか。まあ、今となってはどちらでもいいことだろう。あったかもしれないし、もっと違う言葉だったかもしれない。

 士道は精霊を救いたいと願った。迫られた、ということも嘘ではない。士道しかやる人間がいないのだから、と。ただ、それだけで命懸けの事を成し遂げられるかと言われれば、士道は首を横に振る。何せ、自らの命がかかっているのだ。誰だって、命が惜しいと思う――――――その価値観を差し引いて、それ以上に士道は精霊を笑顔にしたいと思った。自分が命を懸けてそれを成せたのなら、この価値観以上に対価はないと思ったから。

 

 けれど、それは、士道の命を狙っている精霊となれば話は別になるだろうと言われてしまう。

 

『士道さん?』

 

 小首を傾げて士道の名を呼んでいる。士道が好きな狂三の仕草だ。

 

 時崎狂三という女の子の第一印象は、心臓が止まりかけるほど綺麗な子、というものだった。とどのつまり、有り体な言い方をすれば、まあなんだ――――――一目惚れ、だった。

 特別な理由があったわけじゃない。強いて言えば、一目惚れ自体が特別な理由だ。そのことに気づけたのは、狂三が本当の目的を明かしてからではあったのだが。

 一目惚れをした女の子が、自分の命を狙う精霊だった。恐ろしい偶然があったものだ。士道が運命というものを信じているのなら、必然とも言うべき運命か。結果、士道は自らの命を欲する精霊に無謀にも人生をかけた告白をし、どういう因果か狂三と並び立って精霊を救って行った。

 

『士道さん!!』

 

 怒った顔を作り、揶揄う士道を狂三が叱る。実は、士道が特別なのだと思わせてくれて、好きだ。

 

 そこからは激動に激動を重ねたような日々だ。非日常を狂三と駆け抜け、戻る日常のたまに狂三が現れ、また非日常が始まり狂三が現れる。

 ここではささやかな愚痴をこぼすが、士道にやれ自分を気遣え、やれ危険なことばかりするなと言う割には、狂三自身が全くもって自分を大事にしないのは本当にどうかと思う。こればかりは、初めの頃の冷静沈着で無理をしなさそうなイメージからかけ離れていると思うのだ。……本人に言うと、口喧嘩では勝てそうにないからたまに挟む程度に留めている。

 

『士道さん……』

 

 優しい顔で、甘い吐息のような声色で名を呼ぶ。そんな優しい彼女が、好きだ。

 

 そんな危険で幸せな繰り返しの中で、士道は狂三が抱えている大きなものを知った。

 苦しみであり、祈りであり、願いである。時崎狂三が時崎狂三たる所以であり、誰よりも優しい少女が気高い精霊でいる理由。偽悪を貫こうとした目的。彼女はそれを最後まで諦めない。諦めないから狂三は生きているし、諦めなかったからこそ士道と出逢い、恋をして、悩む。

 

 士道は狂三を救いたいと願った。理由はたった一つ。彼女が他の皆と同じ精霊だから? 否、それだけであれば士道はとっくに狂三に喰われている――――――好きだから。それ以外に、理由なんていらない。

 狂三に恋をして、狂三を欲して、狂三が願うことを叶えてやりたい(・・・・・・・・・・・・)。酷く矛盾している。何もかもが矛盾している。エゴで彼女を救おうとするのだから、矛盾していて当たり前だ。狂三を欲しいと思いながら、狂三の願いを叶えたいと思う。狂三が悲願を諦めない限り、叶うことがない。

 そうであるから士道は苦悩した。戸惑い、立ち止まり――――――結局のところ、諦められないのだ。

 

 最終的に行き着く答えは、そんな在り来りで平凡なものだった。最後まで、狂三の手を取ることを諦めない。往生際が悪く、勝算がなくても勝算を作る努力をする。

 ああ、そうだとも。五河士道という男は、誰よりも欲にまみれた我儘な人間だ。今の士道の〝答え〟では、狂三を頷かせることはできない。だから、狂三を手にすることができるだけの〝答え〟を見つける。

 

 なら、いつまで目を閉じている? 悩む時間は終わり。考える時間はお終い。そんなことをしている時間があるなら、少しでも狂三を笑顔にさせることに時間を使った方が遥かに有意義だ。狂三が呼んでいる。愛おしい人が、自らの名前を呼んでいる。それが堪らなく、好きだ。彼女に名前を呼ばれることが、彼女の名前を呼ぶことが。士道は心が打ち震え、この世に彼女という存在が生まれたことに感謝を示すほどに、好きだ。

 

 好きだ、好きだ。好きだ好きだ好きだ――――――だから、たとえ相手が自分自身でも、狂三を傷つける存在を士道は許さない。

 

 

「――――――狂三」

 

 

 たったそれだけの理由で、五河士道は瞳を開く。

 ただ一人、愛しい人のために――――――士道は未来を捻じ曲げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 瞳を閉じた狂三に訪れた感覚は、己が身体を切り裂かれたものではなかった。そのことに眉をひそめ、その感覚に狂三は温かな気持ちを感じ取る――――――狂三は、士道に抱きとめられていた。

 

「う……そ」

 

 士道の瞳は未だ狂三を捉えてはいない。でも、この胸板が狂三を抱きとめ、彼の両腕が狂三の身体を抱きしめている。

 呆然と声を震わせ、狂三は起こった事象を反復する。ただ単に狂三が士道を抱きとめただけならば、こんな驚きはしない。けれど彼は、霊力の暴走で狂三を個体として認識すらしていなかった。だからこそ、〈刻々帝(ザフキエル)〉の予知でさえ、あの未来を視せた。

 

 

「――――――き、ひひひ」

 

 

 笑う。狂三が笑う――――――泣きながら(・・・・・)

 〈刻々帝(ザフキエル)〉は未来を選定した。それは確かに、狂三に訪れるはずの未来だった。狂三が何もできない以上、確定したはずの未来。

 嗚呼、嗚呼。言ったばかりではないか。確定した未来など、ないのかもしれないと――――――たった今、それが証明されたのだ。

また(・・)、士道が証明した。疑いようがない。この少年は、己の意識すらままならない中で、狂三のために(・・・・・・)未来を、〈刻々帝(ザフキエル)〉という時の覇者を乗り越え、覆した。

 これを笑わずして何を笑う。霊力も何も関わらない部分で、奇跡の体現である〈刻々帝(ザフキエル)〉を打ち破った少年に――――――それを成し遂げた根本の想いを知り、少女は嬉しくて嬉しくて涙を流した。悲しみではなく、歓喜の涙。

 一体、どれほど流していなかったものだろうか。とうの昔に捨て去ったと思っていた。悲しみと嘆きの涙と共に。どちらも、もたらしたのは五河士道という精霊ですらない少年。

 

 何よりも愛おしい。誰よりもこの手にかけたい(愛しすぎて狂っている)。そんな少年が自らを想い起こした奇跡に、狂三は涙を溢れさせた。流しながら、大層おかしいというように微笑んだ。

 

 

「……二度目の泣き顔まで見られないなんて、不運なお方」

 

 

 彼の背に手を回し抱き返す。三度目はないか。はたまた、二度あることは三度ある、となってしまうのか。それは、今後(・・)の士道の頑張り次第、といったところか。その未来は、視るべきではない。先を知ってしまってはつまらないし……負けず嫌いの自分は、泣くことを知ったら絶対に意地を張ってしまうと思ったのだ。

 

「さあ、帰りましょう士道さん。皆様のもとへ。皆様との日常へ――――――わたくしは、あなた様にそう望みますわ」

 

 大層な願いなど必要ない。何よりも、狂三が士道へ望むもの。人という生き物は、失わなければ当たり前の価値に気づけない――――――時崎狂三は、五河士道へ平凡な日常を望む。

 

 世界を壊し、その果てに。たとえその中に、時崎狂三という存在がいなくなろうとも。僅かに狂三は欲を張ってしまおう。何もかもを〝なかったこと〟にして、彼らが笑っていられる未来を。

 それを想うだけで、狂三は救われている。それだけで十分なのだ。悪夢(せいれい)はそう覚悟を決めて、精霊(しょうじょ)は――――――本人すら気づかない願いを、内に秘めて眠る。

 

 触れて、撫でて。士道の頬に手を当て、薄れ行く意識で狂三は無意識のうちに導かれる。

 

 

「士道さん、愛しています」

 

 

 そんな一言が、堪らなく胸を熱く焦がす。

 

あのとき(・・・・)と同じ祈りを。

 

二度目(・・・)の口付けも、お互いが覚えていない夢幻。神様の悪戯のせいで、唇というわけにはいかないが、同じ場所へ、導かれ――――――狂三の意識は温かなものと共に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「う――――――おぉぉぉぉぉぉぉッ!?」

 

 自身のことながら情けない叫びだと思うが、意識が鮮明になった瞬間空中ダイブを試みている状況であれば、誰だってそうなるはずだ。別に、非日常での体験が多いからと言って驚く驚かないはまた話が別なのだ。

 

「っ、狂三!?」

 

 狂乱に陥りかけた士道だったが、己が強く抱きしめている少女を見てすぐさま正気を取り戻す。

 霊装を纏った狂三が士道の腕に抱かれ、ぐったりと意識を失っている。

 

「狂三、しっかりしろ!! 狂三……ッ!?」

 

 視界に光が瞬いたかと思うと、その光景を見て士道は目を見開いた。狂三の霊装が消えていき、土埃と地面に転がって裂かれてしまったような傷が残る彼女の私服が姿を現す。

 まるで、霊装を維持することが狂三への負担とでも言うかのような現象。今は、そんなことよりもこの状況の方が問題だ。

 

「くそ……っ」

 

 士道だけならばまだいい。士道には〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の回復能力がある。だが、霊装を纏っていない狂三はこのまま地面に激突してはどうなるかわからない。士道が抱きとめて無事である保証がない以上、そんな賭けには出れない。

 

「このままじゃ……っ!!」

 

 何か、何かないのか。そう焦る士道の胸に、かつての助言が去来した。

 何かではない、明確なものがある。たった今、士道は考えた。天使を持つ士道は、と。ならば、願えばいい。自然と、その行為が当たり前であるように、奇跡を詠う。

 

 

「頼む――――〈颶風騎士(ラファエル)〉ッ!!」

 

 

 軍神と称する神風。颶風の力。士道の内より溢れ出す八舞姉妹の霊力が、余すことなく二人を包み込んだ。

 しかも――――――

 

「え……?」

 

 おかしなことに、自然と扱えた(・・・・・・)。以前までの士道であれば、身に余る力の制御にさえ苦しみ、まともに飛ぶことすら困難であった。

 今は、それがない。身体が覚えているとでも言うのか、ごく自然な流れで士道は飛翔し、空中で体勢を立て直した。困惑する士道だったが、とにかく狂三の安全を優先し風を制御しながら彼女を抱え直す――――――一番安全だと思える、お姫様抱っこという形で。

 

「狂三……」

 

 落ち着いてみれば、安らかな顔で吐息を零す狂三にほっと一息が出た。同時に、奇妙……というより、不思議な感覚があった。

 そう。今の今まで、こうして空を飛ぶ時は必ず狂三の手の中だった。いつも士道は助け起こされる側で、彼女をこうして抱えて飛ぶというのは初めての経験だった。人間なのだから当たり前なのだが、精霊と関わって感覚がズレているのかもしれない。

 初めて抱えた感想は――――――恐ろしく軽かった。なんというか、彼女の食生活が非常に心配になるくらいには。最近は鍛え始めているとはいえ、それを差し引いても異常な軽さだ。あと、触り心地が最高にいい。色々なところが柔らかすぎ――――――これ以上はあとが怖いなと、士道は顔を赤くして狂三評論会を締めくくった。

 

「士道――――!!」

 

 これからどうするべきか。というより、どういう状況なのか全くわからず途方に暮れていた士道の鼓膜に、聞き慣れた妹の声が飛び込んできた。

 声の方向を振り向くと、離れた場所から限定霊装を纏った琴里の姿を見つけられた。琴里だけではなく、精霊たち全員が霊装を纏って士道のもとへ集まってくる。

 

「琴里!? それにみんなも……」

 

「身体は大丈夫!? 天使を使ってるの!? ちゃんと元に戻れたんでしょうね!?」

 

「い、いきなりなんだよ。てか元に戻ったって一体……そうだ、俺のことより狂三を!! 寝てるだけみたいだけど、俺が見ただけじゃわからないし……」

 

 何が何だかわからないが、何より最優先は狂三のことだ。そんな思いで拙くもしっかりと言葉を伝えたつもりだったのだが、琴里たちは一瞬呆気に取られたような表情を見せると――――――全員残らず、安心しきったような微笑みを浮かべた。

 

「な、なんだよみんなして……」

 

 何だろうか。いつもの(・・・・)士道を見て、心から安心したと言わんばかりの顔に士道も訝しげな顔を作る。

 その中で一人、何かを堪えるような顔で微笑む琴里が声を発した。

 

「いいから。事情はあとで説明するわ。今は二人揃って検査行きよ。それと――――――その子が一番苦労したんだから、ちゃんと離さないであげるのよ」

 

「……ああ。そういう、ことか」

 

 何が何だか、わかったわけではない。でも、これだけは理解できる。琴里の言葉を聞いて、士道は心にストンと事実が落ちてきた。

 

 

「また、お前に助けられたんだな――――――」

 

 

 狂三がいるから、士道はここにいる。それだけは、間違えようのない真実だ。

 

 

「ありがとう、狂三」

 

 

 この世で最も愛おしいと思える彼女を、心の裡にある気持ちを最大限現すように万感の思いを込めて、士道は強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 油にまみれた燃え盛る炎。劈くような焔の香りは、薬莢の硝煙より激しく影の精霊の鼻腔を刺激し、煤ける灰が彼女のお気に入りの服を汚す。そのことに思わず眉をひそめ、汚れを軽く払い落とす。

 

「いやですわ。わたくしばかり、このような役回りですのね」

 

 あーあ、悲しいですわぁ。と、誰に言うわけでもなく、本当に思っているわけでもない言葉を吐いて狂三は散らばった輸送機外壁の破片(・・・・・・・・)を手に取り、影から一挺の短銃を持ち出しもう片方の手に収めた。

 外壁を自身を通すように挟み込み、そこへ狂三は迷うことなく銃弾の引き金を引いた。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 既に装填された影の弾丸が外壁を、そして狂三までも貫きその役割を果たす。

 回顧の銃弾。時崎狂三(オリジナル)は不測の事態を想定して、不都合のない範囲で弾丸の力をストックした銃を主要の分身に預けている。たとえば、今回のような事例であったり、狂三本体が不在の間、重要視する対象を護衛する時であったり、だ。

 後者に関しては、行き過ぎた個人的感情もあるのだろうが、狂三にとっては多少の微笑ましさを感じる程度だ。別に狂三は、乙女の心をわかっていないわけではないのだから。

 【一〇の弾(ユッド)】が狂三の知る限りでの正しい能力を発揮し、この輸送機がまだ正しい形を保っていた時の光景を余すことなく頭の中に浮かび上がらせた。情報の閲覧を終え、狂三はくすりと笑い声を発した。

 

「なるほど。どうしてこのようなところに落ちたのかと思えば……直接の原因が士道さんと『わたくし』とは、因果なものですわね」

 

 輸送機で運ばれていた『資材A』。その中身は、狂三たちが求めていた〝精霊〟。DEM側も貴重な実験体というのがあってか、厳重な保管状況からなかなか尻尾を掴むことができなかった上に、狂三も白い少女・〈アンノウン〉の協力があるということで無理はしていなかった。

 無論、機会があれば優先していた――狂三が人体実験に顔を顰めていた、誰かさんの影響による個人的感情もありそうだが――し、今回の件がまさに絶好の機会だった。

 

「……協力を求めたのはわたくしたちからとはいえ、琴里さんたちにとっては何とも迷惑な話ですこと。まあ、責められるものでもないでしょうけれど」

 

 まさか、自ら助けを求める(・・・・・・・・)とは、思ってもみないやり方だ。士道の持つ強大な霊波、加えて繋がりがある時崎狂三(オリジナル)の霊力までもを察知し、共鳴作用で助けを求めた。その結果、士道から放たれた霊力波によって輸送機は撃墜され――――――どうやら向こうは、相当な大事に発展してしまったらしい。

 とはいえ、第二の精霊にとっては命からがら、というものであろうし、狂三側も悪いことばかりではない。本体(オリジナル)の不調で分身体にも限りがある中、ほぼ戦力を使わず温存できたのは大きい。さらに下世話な言い方をすれば、頼み事の前に恩を売れた(・・・・・)のはありがたい話だ。

 

「ま、『わたくし』の気苦労のケアは士道さんに押し付けてしまいましょう」

 

 火炎の光に似合わないフリルのスカートをヒラヒラと揺らし、軽々と残骸を乗り越え輸送機の後方へと向かう。

 

「さあ、精霊さん? お顔を見せて――――――あら?」

 

 半壊した輸送機から落ちたコンテナを覗き込み、狂三は目を丸くした。何度目をぱちぱちと瞬かせたところで、眼前に広がる光景は変わりようがない。

内側から突き破られた(・・・・・・・・・・)、空のコンテナ。それが意味するものを狂三は鮮明に思い浮かべ――――――狂気的な微笑みをこぼした。

 

 

「き、ひひ。きひひひひひひひッ!! ああ、ああ。これは、これは――――――また、面白いことになりそうですわ」

 

 

 この場には、もう用事はなくなった。差し当っては、あの子に報告するべきか。嗚呼、嗚呼。楽しい、楽しい――――――悲願への道は、既に見えている。

 トン。と、つま先で地面を叩き、正常化した影の中へ狂三は消える。

 

 

 

 第二の精霊。物語を終幕へと誘う残る力の一つ。既に次章への筋書(ページ)は、描かれた。

 

 

 






有り体な言い方をすれば、まあなんだ――――一目惚れだった。は、実は自分で割と気に入ってる一文。君こういう表現好きね。主人公による全身全霊のスーパー惚気タイムでした。やっぱこうじゃないとね。

結局、今出せる答えは最初から変わらないんですよ、二人ともね。散々悩んで、これでいいのかと自問自答して、叶わない平穏をお互いに望むんです。士道にとってはもちろんのこと、狂三にとっても日常は過去で無くした奇跡のような時間。神様に抗う愚か者たちが、この戦争(デート)の先に待つ最後に出す答えを、どうかそれまで見守っていただければ幸いです。
ちなみにお姫様抱っこは私の趣味でずっとさせてあげたかったやつです。私の趣味だ(以下省略)

次なるページは描かれて、けれど今は余韻に浸るといたしましょう。というわけで、次回はエピローグその一です。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百十八話『キミがいて、俺がいる』

 

 

「ん……狂、三」

 

 呻くような声で、彼女の名を呼ぶ。目を覚まして、咄嗟に出てきた言葉が彼女の名というのは、どうやら視界に入り込む妹様には呆れをもたらしたらしい。

 

「起きて早々、ブレないわね」

 

「琴里……そうか、俺はあのあと……」

 

 意識を失った狂三を連れて、士道は〈ラタトスク〉の施設で徹底的な検査を受けたのだ。ここは、その施設の病室に当たる場所。それより前のことは――――――

 

「っつ……」

 

 思い出せない――――否、覚えている。自分がやっていたこと。まるで、自分であり自分でないような感覚。それらの出来事が、本当に夢でも見ていたかのようにモヤがかかって実態を掴ませない。

 確かめるように軽く頭に触れていると、琴里が心配げな顔で声を発した。

 

「無理しないで。経路(パス)が安定したとはいえ、病み上がりには違いないんだから」

 

「ああ……いや、大丈夫だ。それより、みんなは?」

 

「別室で待機してるわ。休んでなさいって言ったんだけど、士道が目覚めるまで待つって聞かなくて。それと――――――お嬢様はここよ」

 

 刺された指を追いかけると、士道の右隣のベッドと、そこに眠る一人の少女の姿があった。

 美しすぎる(・・・)少女。眠っているだけで、一つの芸術品のような造形美。士道は、己が求めた人がいたことに、ほっと息を吐き出した。

 

「狂三……」

 

「起きた時、近くにいなくて探しに行かれても困るからね。経路(パス)も正常化……って、言っていいのかしらね。すっかり元通りになったから、直に目を覚ますはずよ」

 

 何とも言えない濁し方に首を傾げたが、当人である士道はすぐにその理由を思い返した。確か、士道の意識が曖昧な間、狂三と士道の間に解析不能の経路(パス)が表面化していたと聞いた。つまり、それが今度は元通り(・・・)、見えなくなったということか。

 頭が痛いと言いたげな琴里の様子に、士道も苦笑を浮かべて声を返す。

 

「悪いな、いつも」

 

「気にしないで。それが私の役割よ。ま、わからないままにしておくわけにもいかないし、しばらくは二人揃って検査に付き合ってもらうことになるけどね」

 

「お手柔らかに頼む――――――ありがとな。今回も、狂三と一緒に助けてくれたんだろ?」

 

 でなければきっと、士道はここでこんなにも気を抜いて眠っていられなかった。日頃から無茶ばかりしていた自覚はあるが、今回は特に迷惑をかけてしまったのだと思っている。

 

「……っ、それは」

 

 そう思ったからこその言葉だったのだが、受け止めた琴里は口ごもる様子を見せると――――――やがて、大粒の涙を流し始めた。

 

「っ、こ、琴里? どうしたんだよ、一体」

 

「……めんな、さい、……私――――――」

 

 謝罪と、今回の件に関わった全てを、琴里は嗚咽で辿々しい……懺悔するような声色で吐き出した。

 士道の精霊封印に、暴走の危険が付き纏っていたこと。万が一の備えとして、〈ラタトスク〉が士道を殺す手段を用意して――――――それを持っていたのが、他ならない琴里だったということ。

 

「黙っていて……ごめんなさい。私の霊力を封印したばかりに、そんな身体にしてしまって……ごめんなさい」

 

「…………」

 

 妹の、司令官としての立場。その重圧、責任……中学生の少女が負うには、あまりに残酷な責務だろう。

 それを彼女は、誰にも打ち明けられず気丈に振舞っていた。誇らしくもあり、悲しくもある。士道は、全てを受け止めて琴里の懺悔に応じた。

 

「泣くなよ、琴里」

 

「でも、私はおにーちゃんを……」

 

「そりゃあ、四六時中狙われてたっていうのにいい気分はしないけど……仕方ねえだろ。万に一つでも暴走の危険があるなら、対抗策は用意しておくべきだ。俺のせいで何人もの人間が死ぬなんてことになったら、それこそ自分で自分を許せなくなる」

 

「おにーちゃん……」

 

「――――――って、ちょっと前の俺なら、心の底から言えてたんだろうけどな」

 

「え?」

 

 呆気に取られたように目を丸くする琴里に、士道は苦笑しながら続けた。

 

「多分、暴走して殺されそうになった時……俺は、力いっぱい抵抗したはずだ。たとえ〈ファントム〉の手助けがなくても、暴走した俺ならそうしてる――――――約束、しちまったからな」

 

「約束……?」

 

「俺が殺される時は――――――狂三に殺されるって」

 

「っ……」

 

 琴里が息を呑むのが伝わり、それでも士道は撤回などする気はなかった。

 約束したから、士道は生きる。何があろうと、死んでたまるものか。その上で、その覚悟で、士道は命を懸けて事を成す。

 

「誰かに失望されてもいい。醜くても、愚かだと言われても、俺はそういう選択をする。俺は、狂三との約束を守る」

 

「…………」

 

「……狂三はさ、口では色々言うけど、約束事をすっげえ大切にするやつなんだ。だから、俺から破ったりして、嫌われたくない。けど、お前の霊力を封印したことも後悔してない。それが俺なりの――――――自分の命を勘定に入れた生き方だ」

 

 何度繰り返そうと、目の前で琴里が苦しんでいたら同じ選択をする。妹が泣いていて、苦しんでいて、自分だけを取るということが士道にはできない。

 だから、この生き方を変えられない士道は、けれど狂三との約束を守る。一見矛盾極まりない覚悟だが――――――人間、矛盾して上等だと士道は開き直っていた。

 これからも士道は他人に命を勘定に入れていない、と言われる生き方をしてしまう。その時は、今と全く同じ答えを返すつもりだった。士道は士道なりに、自分の命を勘定に入れている、と。

 

「……何よそれ、めちゃくちゃ、じゃない……」

 

「ろくでなしの兄貴でごめん。けど、俺にはどうしようもないんだ――――――お前らが泣いてる方が、よっぽど応えちまうからさ」

 

 だから、どちらも叶えるための努力をする。どちらも泣かせたくないから、士道なりに掴めるだけ掴む――――――五河士道という男は、ドロドロな欲望まみれの人間なのだ。

 

「だからさ、泣き止んでくれよ、琴里。世界一可愛い俺の妹が、嬉し泣き以外で泣くのは耐えられそうにないんだ」

 

「……っ」

 

 士道が力いっぱい笑みを見せて、琴里はようやく涙を拭い、士道に咲き誇る笑顔を見せてくれた。

 

「うん、やっぱ世界一の妹には笑顔が似合うな」

 

「ばか……やっぱり暴走の影響、ちょっと抜け切れてないんじゃない?」

 

「そうかぁ?」

 

 冗談めかして返すと、琴里はくすくすと調子を取り戻した笑顔を見せ、背を向けて部屋の扉を開けた。

 

「みんなを呼んでくるわ。きっと、心配してるから。あと――――――本当、あなた達って似たもの同士よね」

 

「ん?」

 

 何のことかと疑問の声を上げると、琴里が眠っている狂三を苦笑気味に見つめていた。

 

「狂三もね、言ってたわ。士道を殺すのは私だ、誰にも譲るつもりはない、って。そのくせ、士道を殺そうとした私を止める時、私に怪我させないようなやり方をわざわざ選んだのよ。誰かさんの今の物言いにそっくりで笑っちゃうわ」

 

「それは……嬉しすぎるな」

 

 約束を当たり前のように覚えていて、同時に狂三は士道が嫌がることをわかっていてくれた。琴里を傷つけないやり方を、迷いなく選んでくれたのだ。

 それが嬉しくて微笑みを浮かべると、琴里が再び呆れ顔で応じた。

 

「……自分を愛して自分を殺そうとする女に喜ぶなんて、世界であなただけよ、おにーちゃん」

 

「ありがとな――――――最高の褒め言葉だ」

 

「ばーか。……ありがとう、おにーちゃん」

 

 琴里が去り際に残した言葉で、士道はもう大丈夫だと微笑みで彼女を見送る。

 一人になった士道は、取り敢えずと固まった身体を伸ばすだけ伸ばしてみるが、どうやら随分勝手に無茶をしてくれたらしい。筋肉痛のためか、いっつ……と上手いこと身体が動いてくれそうにはなかった。

 

「……けど、前よりマシなんだよなぁ」

 

 前までなら、天使を乱用した日には身体を動かすのも辛いほどの反動が来たものだが、今はそれに比べればかなり調子がいい。

 とはいえ、筋肉痛を伴っているのには変わりなく、調子に乗って肩を回してうぐっ、と痛みに呻く。数日はこれと付き合うのかと辟易しながら、士道はこの程度で済むことができた功労者の顔をじっと見つめる。

 

「…………」

 

 寝顔を拝む、ではなく見つめるのはこれが二度目。一度目は焦りで冷静な観点を見失っていたが、今は酷く落ち着いて狂三の顔を見ることができた。

 落ち着いている、とは言うものの。正直な話、狂三を相手に見惚れるなというのが無理なこと。あまりに穏やかに眠るものだから、気になって口元に耳を近づけて呼吸を確認する。〈ラタトスク〉の施設に収容されているのだから当たり前だが、静かなだけでしっかり呼吸音が鼓膜を震わせた。

 そりゃあ当然かと自分の行為に苦笑して、距離が近づいた狂三をまた観察する。艶やかに光る射干玉の髪を僅かに手に取れば、絹糸のような心地良さで手からこぼれ落ちていく。その静謐な美しさに目を見張り、今度は白磁の肌に目を奪われた。

 

「……っ」

 

 ごくりと喉を鳴らし、壊れ物を触るような慎重さで、士道は狂三の頬に手を置いた。

 滑らかな肌に、仄かな温もり。稀に、狂三から士道にこういった仕草をされたことがあったが、どういう気持ちなのか気になったことがある。

 僅かに手を動かし、撫でる。なるほど、これは……癖になってしまうかもしれない。少しの間、そんな風に固まっていると、士道はあることに気がついて唇を動かした。

 

「……狂三」

 

「…………」

 

「俺は襲ったりしないから、寝たフリはしなくていいぞ」

 

「……あら、あら。それは残念」

 

 ぱちりと、観念したような顔で狂三は目を開けた。紅と、時計の眼。変わらない、士道にいなくてはならない存在になった、時崎狂三だ。

 

「どうしてわかりましたの? 驚かせて差し上げようと思いましたのに」

 

「ちょっと顔が赤くなってた。狂三って、こういうのに慣れてないんだな」

 

「うふふ。だって、わたくしの寝込みに触れることを許すのは、あなた様だけですもの」

 

「……そりゃ、どうも」

 

 珍しく優勢でからかってやれると思ったが、物の見事に切り返されて今度は士道が顔に熱を帯びることになった。

 くすくすと照れる士道を笑う狂三が、改めて目覚めの挨拶を交わした。

 

「おはようございます、士道さん。ご壮健で何よりですわ」

 

「おはよう、狂三。お前も、無事で良かった」

 

 本当に、良かった。士道のせいで狂三に何かがあれば、士道は死んでも死にきれないところだった。

 

 

「……また、お前に助けられた。何度も俺を助けてくれて、本当に、ありがとう」

 

「あら、急にどうなさいましたの? 随分と大げさですこと」

 

「大げさなんかじゃない。お前がいなかったら、今の俺はいない。お前は俺の――――――命の恩人で、大切な人だ」

 

 

 何度も救われたのは、士道の方だ。幾度となく命を危険に晒し、その度に狂三は士道を助けてくれた。瀬戸際でも、この世の終わりなのではないかと思える状況でも、諦めることなく狂三は士道を助けてくれた。

 時崎狂三は士道の命の恩人で、士道の希望で――――――必ず救うと誓った、大切な人だ。それを今この場で、誰でもない士道自身が言葉にしておきたかった。

 告白を聞いた狂三の頬が、熱を更に帯びるのが目に見えてわかる。困ったように微笑んだ狂三が声で応じた。

 

「急にずるいですわ……そんなに気になさらないでくださいまし。前にも言いましたが、士道さんを助けるのはもう慣れっ子ですわ」

 

「けど、今回は違うだろ。お前にまで迷惑をかけて……色んな人を、巻き込みかけた」

 

 何があっても生きたい。そうは言ったが、士道はその結果を許せるわけではない。いいや、誰よりも自分を許せなくなるだろう。

 二度目があるのか。あった時に、士道が無事で済む保証はない。だからもしもの時は、唯一その権利を持つ彼女に、士道は頼みたかった。

 

「次に同じことがあったら、遠慮しなくていい。お前が俺を――――――」

 

「お断りしますわ」

 

 お前にならいい。暗にそう言ったのだが、にべもなく突っ返されて士道は目をぱちくりとさせた。

 

「……駄目か?」

 

「士道さん。わたくしはあなた様の命が欲しいのですわ」

 

「うん。だから、今回みたいにもしもの時は……」

 

「違いますわ。あなた様の意思で(・・・・・・・・)捧げられたものでなければ、わたくしは受け取るつもりはありませんの」

 

「えーっと……」

 

 久しぶりに、狂三の言ってることが飲み込めず頬をかくと、狂三が呆れたようにふかーいため息を吐いて、上体を起こし士道と同じ視点を作ってから応じた。

 

「士道さんのそれは、士道さんの意思ではありません。その他大勢を案じた、あなた様の善性。わたくしは〝最悪の精霊〟ですのよ? そんなもの願い下げですわ」

 

「……ん?」

 

「ああ、もう。ですから!!」

 

 理解が追いつかない士道を見て苛立たしげな声を上げた狂三は、そのまま鋭い目付きを真っ直ぐに士道へ突きつけた。

 

 

「わたくしは、愚かにもあなた様に惹かれ、恋をして、あなた様を殺せなかった精霊ですわ。だからこそ、わたくしは決めたのですわ。必ず、あなた様に全てを捧げさせると」

 

「……!!」

 

「世界など、些末なことですわ。そんなものより、わたくしは士道さんが大切ですわ。愛していますわ。ですから――――――わたくしは士道さんが心からわたくしに心酔しきった瞬間でしか、その命を受け取るつもりはございません」

 

 

 真摯な瞳が、士道の心の臓を穿つ。狂三は今、世界より士道を取ると迷いなく明言した。士道を愛して、士道を殺せなかった。殺せなくても、殺さなくてはならない。だから――――――士道を徹底的にデレさせて、心から殺されても構わないと言わせる。

 それ故に、それ以外で士道の命を受け取るのは願い下げだと。それは、なんと恐ろしい殺し文句(・・・・)だろうか。

 

「……それ、プロポーズみたいだぜ」

 

「あら。では、わたくしより素敵なプロポーズの言葉、考えておいてくださいまし」

 

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

 いつかの繰り返し。最も、いざその時が訪れたら、士道は脳のシミュレーションを吹き飛ばし瞬間で思いついたプロポーズを提示してしまう気がするが、それは、未来の士道次第だろう。

 ああ、繰り返しならば。改めて、ここに誓いを口にすることを許して欲しい。士道なりに、色々と思い悩み……今はまだ、変わらないその結論を。士道は狂三の瞳を見つめ返して、言葉を紡ぐ。

 

「なあ、狂三」

 

「はい?」

 

「俺さ、やっぱり諦められないみたいだ。お前のこと、好きだ」

 

 狂三が背負っているもの。狂三が諦めないもの。狂三の願い――――――けれど、それと同じくらい、士道も狂三を諦められなかった。

 その答えを得て、士道はまた考える。だからもう少しだけ、待っていて欲しい。そんな願望が届いたのか、それとも士道の突然の告白に微笑んだのかは定かではないが、狂三が応じるように伸ばした手と士道の手とを重ね合った。

 

 

「仕方ありませんわ。だって、最初に仰ったではありませんの。わたくしが〝はい〟と言うまで、士道さんは諦めないと」

 

「……ああ。お互いに、そうだったな。じゃあ、もう少し付き合ってくれるか――――――俺たちの、戦争(デート)を」

 

 

 華奢な指を、握り返す。積み重ねられた命の重みを、手放さない。彼女が救われるその日まで、士道は諦めない。考え抜いた〝答え〟を見つけるまで、その時まで狂三を付き合わせてしまう。

 それが理解できていて――――――花咲くような笑顔で、狂三は応えた。

 

 

「ええ――――――士道さんとなら、喜んで」

 

 

 世界で一番物騒で、長い戦争(デート)は、もう少し、続くようだ。

 

 

 







狂三は性根が性根なので、マジで世界を救う時になったら仕方なしに協力してしまうタイプだと思ってます。元が元ですからね。ただ、今作だと世界<<<<<<<越えられない壁<<<<<士道。くらいの優先度してるので、まあ士道が救うなら協力しますくらいのスタンス。とはいえ、人間そんな場面になってみないとわからんものですよね。
そんな彼女が原作で放った、不本意ながら、世界を救って差し上げますわ。という台詞が私は狂おしいほど好き。今作では、果てさて……。

これからの為のお話もしながら、今作はもうちょっとだけ続くんじゃ、です。まだ精霊も二人が残っていますからね。二人しか、というべきかもしれませんが。最終章に着々と近づいてまいりました。
次回、エピローグその二。二人以外がやり残したことと、二人に関してのちょっとした答え合わせです。皆さん、数話前の士道の行動の答え、わかりました?
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百十九話『矛盾さえも貫いて、あなたに』

 

「止めやがらないでください琴里さん!! 真那が兄様を守らずして誰が守るってんですか!!」

 

「落ち着きなさい真那!! それ逆に士道の邪魔してるから!! お願いほんと今大事なところなの!!」

 

「あ、あの……そっとしてあげた方が……」

 

「かか、あの二人は相変わらずよのぉ……」

 

「指摘。耶倶矢が寂しそうです」

 

「きゃー!! あとちょっとですよだーりん!! そこを強気に押し倒して!! さあ!! さあ!!」

 

「……いや、それができないから二人して回りくどいことしてるんじゃないの? てか目覚めていきなり何やってるのよ」

 

 

「……何やってるの。は、私の台詞なのでは?」

 

 やいのやいのと騒ぎ立てる彼女たちに少女の呟きは虚しく消えていく。別段、取り立てて聞いて欲しかったわけではないが、仮にも病室の手前でこの騒ぎ方はどうなのかと思う。

 腕を組んで、はぁっとため息を一つ。抜け出せるタイミングが今しかなかったから来てはみたが、これでは様子を見るまでもなさそうだった。

 

「待って」

 

「っ……ああ、鳶一折紙」

 

 早々に見切りをつけ、来た道を戻ろうとすると、一人だけ冷静に状況を俯瞰していた折紙が少女に気づいて足を止めにかかった。

 ここで振り切るというのも不自然な形になってしまうし、霊力が封印された彼女と特に話さない理由もない。あくまで自然に、折紙とのやり取りに応じる。

 

「何かご用ですか?」

 

「あなたこそ」

 

「私は我が女王の様子が気になりましてね。ちょうど依頼された用事も切り上がったところだったので、ついでにと思ったまでですよ」

 

 我ながら白々しい言い訳だ。嘘が綯い交ぜになった言葉を、ローブの下で微かに笑いながらスラスラと口に出した。

 全てが嘘ではない。様子がどうしても気になったのは本当だし、依頼があったのも本当――――――実は抜け出す口実も含んでいるのと、依頼をこなした者が少女でないこと以外は、だが。

 それを聞いた折紙は、表情を大きく変えるということもなく、少女が見る限り変わらない受け答えをする。

 

「そう。なら、見ていけばいい」

 

「遠慮しておきます。この騒ぎを見れば、無事かどうかなんて一目瞭然ですからね。私は素直に日を改めますよ」

 

 それに、抜け出したことがバレると色々と面倒だ。ある程度計算はしているが、令音にいつ見つかるかはわかるものではない。なら抜け出さなければいいのではないかと言われるだろうが、一日中監視の目が光った病室など、基本的に自由行動をしている少女にとっては拷問に等しかった。

 ひらひらと手を振り、振り返って歩き出そうとすると――――――

 

「待って」

 

「うぐ……っ」

 

 今度はローブを引っ張られるという物理行使で阻止された。未だに痛む身体に衝撃が走り、苦悶の声が漏れ出る。

 振り返れば、変わらない折紙が……否、ほんの少しだけ、雰囲気が違う彼女がいた。

 

「……なんです?」

 

「礼を言わせてほしい。私を止めてくれたこと。私を何度も、助けてくれたこと」

 

「……その時も言いましたけど、あなたを助けたのは私の私情です。気にする必要は――――――」

 

「それだけじゃない――――――私があなたを傷つけたことを、謝罪させてほしい」

 

 ごめんなさい。そう、深々と頭を下げる折紙に、琴里たちも何事かと視線を向け始めた。

 少女は折紙の謝罪に少しの間、押し黙る――――――だが、諦めたように息を吐き出した。

 

「……いつ気がつきました? 私、これでも頑張ったつもりなんですけど」

 

「歩く時の軸が〇・二度ほどズレている」

 

「それ発揮できるの五河士道相手だけじゃなかったんですか」

 

「冗談」

 

「…………」

 

 一瞬、本気にしかけたとわかりもしない抗議の視線を送る。本当に、折紙ならやりかねないと思っていたし……誤魔化さなかったのも、少女の中の折紙はそこまで間抜けではなかったからだ。

 

「あなたの偽装に問題はなかった。あったとすれば、あなたの周りへの配慮」

 

 そう言って、面を上げた折紙が視線を後ろへ回せば、嘘をつけなそうな良い子たちが並びに並んでいて、少女は納得がいったと何度目かのため息を吐く。

 

「……ああ、探った時の反応が目に見えますね。けど、それだけじゃ確信には至らないでしょう」

 

「士道と琴里の会話(・・)がなければ、そうだったかもしれない」

 

「会話……? あの二人がそんなわかりやすいことするわけ――――――」

 

 士道はともかく、琴里が折紙に勘づかれるような隠し方をするとは思えない。それを考えた時、ある一つの仮説が思い浮かんで少女は言葉を止めた。

 彼女は、鳶一折紙(・・・・)だと。世界が変わった。人格が統合された。だから、なんだと言えるのが、少女の知る鳶一折紙だ。それに気づいて、少女は手で頭を抱えた。

 

「あー、わかりました。何も言わなくていいです。私は何も聞いていません」

 

「感謝する」

 

 どこに感謝するというのか。会話が届かず、後ろで不思議そうな顔をしている琴里にバレなかったことだろうか。バレたところで、平然としていそうなのがまた折紙なのであるが。

 少し前、士道が一人で少女のもとを訪れた時があった。恐らく、その時に自宅辺りで士道と琴里は少女のことを話し合ってしまったのだろう。それ自体に落ち度などない。当たり前の思考だが――――――自宅に個人用の、しかも身内の盗聴器が仕掛けてあるとか、誰が予想しろというのだ。

 ただ、少女はそれだけに気を取られたわけではない。折紙が眉根を下げて、己の手の感触を確かめるように握り、言葉を発した。

 

 

「私にあの時(・・・)の記憶はない。けど、私の手が、その感触を覚えている――――――私は確かに、誰かを傷つけた」

 

「っ……」

 

 

 ――――――天使は、己を映し出す水晶のようなものだと、時崎狂三は語った。

 それは、正しい。込められた感情に呼応して、霊結晶(セフィラ)に宿る力は変容する。同時に、天使は主が行った全て(・・)を映し出し、背負わせるという意味に他ならない。

 

『……謝罪ができないのは、君が考えているより辛いものだよ』

 

 令音の言葉が、少女の中で反芻されて裡より響く。

 誰かを傷つけた感触を、折紙は覚えている。数々の人を傷つけたことを、鳶一折紙は忘れない。しかし、その中に少女が入っていることを少女自身は許せなかった。どうして、そんな余計なものを捨てることができない(・・・・・・・・・・)のか。

 

「……もう深く関わることなんてないんだから、忘れてしまえば良かったのに」

 

「それはできない。私を絶望から救ってくれた士道を、みんなを、裏切れない」

 

「なら、私が忘れてほしいと言ったら?」

 

「それも、できない。私は忘れない――――――私が犯した過ちは、私のものだから」

 

 復讐を誓った少女は精霊へと至り、真実を知った精霊は絶望の魔王へ生まれ変わった。そして今は、絶望から救い出された咎人として生きている。

 

「許してほしいとは思っていない。それでも、本当に、ごめんなさい」

 

「…………私は」

 

 背負ってほしくない。少女は、少女という存在が誰かにとっての重荷になるなど、望んではいない。

 けれど、この子は、この子たち(・・)は背負ってしまうのだろう。責任の所在を誰かに押し付けることをせず、罪から決して目を背けることなく、誰になんと言われようと辛い道を選ぶ。

 再び深々と頭を下げる折紙を、少女は悲しい目で見つめる。これから、この選択をした折紙に待ち受ける運命に対して。強く、悲しく、だけど美しいと思える折紙に対して。

 

「……私は、私の考えに従っただけです。あなたに責任なんて、感じてほしくなかった。何も知らないで、いて欲しかった」

 

 それだけが少女の願いだったのだ。辛いと思うなら、いっそ忘れてしまえば楽になる。ただそれだけでいいのに、それを少女が望んでいて――――――けど、顔を上げた折紙の真っ直ぐすぎる目が、それを拒んでいると理解してしまえる。

 

「私はもう、知らないで後悔はしたくない」

 

「……誰も彼も、似たようなことを言ってしまえるのですね」

 

 その強さは悲しさで、その強さは優しさだ。多くの人が逃避を選ぶ中、女王たちは決して逃げる道を選ばない。否、選んだ瞬間があったのかもしれない。それでも、再び険しい道を歩くことを選んでしまえる人たち――――――そんな人たちを、少女は好きになってしまった。

 

「……鳶一折紙。綺麗な、名前ですね」

 

「……?」

 

 噛み締めるように言う少女を見て、折紙が小首を傾げる。名を、大切な名を、大切な両親から貰った。それは少女にとって、本当に――――――

 

「……私はあなたに背負ってほしいことなんてありません。本当はその謝罪も受け取りたくはない。けれど、それでは納得してくれないでしょう」

 

 だから。と言葉を区切り、少女はそれを告げた。

 

 

「生きてください。あなたが幸せだと、心から思えるその時まで」

 

「え……?」

 

「あなたが両親に誇れるくらいに、幸せだと思ったその時、私はあなたを許します――――――だから、もう許してあげます」

 

 

 だってあなたはもう、これ以上なく幸せでしょう?

 少女なりの謝罪の受け取り方。それを聞いた折紙が、目を丸くして驚いているのが見て取れた。

 

「どうして……」

 

「あら――――――好きな子の幸せを願うことが、おかしなことですか?」

 

 微笑みと共に放たれた告白に、今度は目を見開くのがわかる。尽く珍しいものが見られた。これこそ、どうして、と言いたげだなと少女はくすくすと笑う。

 何があっても、どんな辛いことがあっても、少女が願うことはたった一つ。ただ、好きな子に――――――

 

「……あ」

 

「え?」

 

 これは不味い。そんな声を上げた少女が、そそくさと早足に移動する。

 

「は、急に何よ」

 

「いえ、匿ってください」

 

 具体的には、動向を見守っていた琴里の背中に隠れるように。隠れると言っても、ほぼ同じ体格の琴里の背に完璧に隠れられるわけではない。本質としては、今彼女と正面から向き合いたくないだけだった。

 訝しげな目でおかしな様子の少女を見ていた琴里だったが、正面の道から現れた彼女の姿にきょとんとした顔を作る。

 

「……ああ。やはりここにいたね」

 

「令音じゃない。どうしたの、ってのは聞くまでもないけど――――――その車椅子は、何?」

 

 誰も乗っていない車椅子をコロコロと押しているのは、思った以上に異様な光景になる。まあ、これから乗せる(・・・・・・・)ことを考えれば、酷く自然な流れにはなるのだが。

 琴里の素朴な疑問に、令音が真顔で応える。

 

「……どうやら病室がお気に召さない子がいるようだからね。いっその事、付きっきりで連れて回った方が大人しくなると思ったんだ」

 

「真顔で邪悪なことを言わないでもらえます?」

 

「……外を出歩きたいんだろう?」

 

「私は一人で出歩きたいんです。というか、動けるくらいに治ってるんですから構わないでください」

 

「……それは許可できないな。これは私なりの妥協案なのだが」

 

「そんな妥協案があってたまるものですか」

 

 どこまでいっても平行線の睨み合いが続き、さしもの少女も参ってしまう。口喧嘩が強いわけではないので、至極真っ当な意見に勝てるはずもないのだが。

 

「むぅ……令音の言うことは聞いた方が良いのではないか? まだ傷が治っていないのだろう」

 

「同意する。自分の身体は労るべき」

 

「鳶一折紙には言われたくないんですが」

 

「この世界の私は、していない」

 

「都合のいい時だけ利用しないでくれません!?」

 

 体良く世界改変を受けた自身の状況を活用するとは、全く良い性格をしてくれている。

 見れば、周りも同調して令音側に付き始めていた。未だに隠れさせてもらっている琴里からは『もう諦めたら?』という視線が飛ばされてきていた。

 冗談ではない。と冷や汗を垂らして退路を思考する。身を案じてくれているのは、百歩譲って認めている。だが、しかし――――――

 

 

「……じゃあ五河琴里。遊びに行きましょうか」

 

「は――――はぁっ!?」

 

 

 素直に受け取るのは、少しだけ気恥しい(・・・・)

 だから、琴里を抱き抱えて、その場から退散した。

 

「逃げた!?」

 

「かか、良かろう。この颶風の御子から逃げ切れると思うでないわ!!」

 

「もしかして、捕まえられたら琴里さんと一石二鳥の大盤振る舞い!? きゃー、素敵ですー!!」

 

「そういうゲームじゃないと思うんだけど……あ、聞いてないわね。そうよね私の話とか聞く価値もないわよね」

 

「な、七罪さん……」

 

 後ろから騒がしい声が聞こえてくるが、知ったことかと少女は足を急がせる。やはり、存分に身体を動かせるというのは心地が良い。そんなことを考えながら施設内をさ迷い始めた辺りで、琴里から呆れ半分の抗議を受けた。

 

「あなたねぇ、その場のノリで行動するのはやめなさい!!」

 

「あら、欲張っていいと言ったのはあなたでしょう。私は今甘いものが食べたい気分なので、おすすめのお店、紹介してくれません?」

 

「そういう意味じゃないわよ!! ――――――あなた、どうせ折紙に告白したのが今になって恥ずかしくなっただけでしょ!!」

 

「……さて、どうでしょう?」

 

 その辺は、ご想像にお任せしよう。今は取り敢えず――――――珍しく考えなしに行動してしまったので、どう収集をつけるか、甘いものでも食べながら考えたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「……何やら騒がしいですわねぇ」

 

「ん、混ざりたいのか?」

 

「べ、別にそういうわけではありませんわ」

 

「はは。じゃあ俺が様子を見に行きたいから、ちょっと付き合ってくれないか?」

 

「……し、仕方ありませんわね」

 

 士道がどうしてもというなら、狂三としても皆の騒がしい様子を見に行くのはやぶさかではない。おかしそうな顔を作る士道を見て、やはり気分の高揚が抜けきっていないのではないかと自分を疑ってかかるが、まあいいだろうと士道の手を取りベッドから起き上がる。

 ああ、とそんなことを考えていた狂三はふと声を漏らした。気分の高揚、で一つだけ解決していなかったことを思い起こしたのだ。

 

「ねぇ士道さん。どうしてわたくしのことを避けていましたの?」

 

「ぶふっ!?」

 

 盛大に吹き出した。ただ、咄嗟に狂三から顔を背ける辺りは徹底しているな、と感心してしまう。士道が相手なら、それでなくても受け入れてしまえる自信があるが――――閑話休題。

 ギギギギギ、という音が聞こえてきそうなほどにぎこちない振り向きを見せ、汗を流しながら士道が声を発する。

 

「……お、おおおお怒ってるか?」

 

「いえ、それは別段気にしてはいないのですけど……気になるではありませんの」

 

 一般人にナンパをしでかしたことは、この際水に流してしまった方が士道のためでもあるだろう。本人があまり覚えていないことで弄る趣味は……少しは、あるかもしれないが。それはそのうちの楽しみとしておくとして、取り敢えずは本人が覚えていそうなことを聞いておきたかった。

 あの時の士道は士道であって士道ではなかった。が、狂三を避けたのは間違いなく士道の意思だと狂三は読んでいる。うぐぅ、と呻いて葛藤しているのが何よりの証拠だ。

 

「わたくしのことを嫌いになった、ということならいっそわかりやすかったのですが、それはありえないでしょうし」

 

「うん、それはありえない。あー……笑わないか?」

 

「笑いませんわ」

 

 にっこり。非常に説得力がない微笑みで言い切り、士道も観念したのか、それでも言い辛そうに頭を掻きながら小さくで呟くような声を発した。

 

「狂三が――――って言うから」

 

「……え?」

 

 聞こえなかったわけではない。ぽかんとした顔をしてしまったのが、その証拠。しかし、士道はそれを聞こえていなかったと判断したのか、今度はやけくそ気味に少し大きな声で言葉を続けた。

 

 

「だから――――――狂三があんな俺を見たら泣くって言ってたから!! だから、あの時は思わず身体が動いてたっていうか……」

 

「…………ぷっ、ふふふ」

 

「わ、笑わないって言っただろ!?」

 

「ご、ごめんなさい。けど、何だか士道さんらしいなと思いまして、思わず微笑みが漏れてしまったのですわ」

 

「やっぱりそれ笑ってるじゃねぇか!!」

 

 

 顔を赤くして声を荒らげる士道がおかしくて、またくすくすと笑えば士道が拗ねたように顔を背けて、狂三が冗談めかして謝る。

 そんなくだらないやり取りをしながら、狂三は理由の合致と士道らしさに微笑みが止まらなかった。

 士道自身が嫌だったのではない。狂三がこんな自分を見たら泣くと思ったから、士道は本能的に狂三を避け続けていた――――――ああ、ああ。そうか。この方は、何一つ変わっていない。どこまでも、狂三を思いやって、狂三の口にした冗談の一つ(・・・・・)すら聞き逃さないでくれるのだ。

 

 士道は最後まで、狂三を好きでいてくれる。それを感じたから、この人を信じられる。

 

「士道さん」

 

「……何だよ」

 

 ブスっとした表情で顔を僅かに背けて応じるものだから、珍しい子供っぽい士道に愛おしさを感じて――――――ああ、そうとも。結局は、狂三が伝えることなんて、たったの一つだ。

 

 その一つが大切で、狂おしい。

 

 

「――――――大好きですわ」

 

 

 自然と溢れ出た微笑みで、狂三はそれだけを真っ直ぐに伝えた。

 

 矛盾している。時崎狂三と五河士道は矛盾した存在だ。けど――――――この想いだけは、矛盾する螺旋の中で、何もかもを貫くほどに、輝いている。

 

 

 







何章かぶりにやっと大団円らしい大団円になった気がする!! 引きが不穏、次章に続く、大団円かと思ったかぁ!!とかしてたらそらそうよ。狙ったわけじゃないんですゆるして

というわけで、五河ディザスター完結となります。終章に向けて、各々の決意を新たに謎も残る。そんな章となりました。まあ惚気合戦はいつも以上でしたけども。

折紙にバレるパターンは幾つかあって迷ったのですが、折紙らしいやり方ってなるとやっぱ説得力あるのは盗聴器かなって(偏見) やっと明るい感じの絡みにできて良かったです。
士道が狂三を避けた理由は、万由里編の何気ない冗談でしたというオチ。わかってしまうと、まあ何とも……元々これをするための伏線ではありました。士道は高らかに宣言していましたからね。狂三の言ったことは一語一句忘れない、と。

次回からは新章、二亜クリエイションをお送りいたします。全知の天使とその精霊を巡る物語――――何かが、大きく動いてしまう、かもしれません。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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二亜クリエイション
第百二十話『第二精霊』


 

「――――――以上が、第二精霊に関する経緯になりますわ」

 

「……なるほど。〈シスター〉――――本条二亜は、DEMからの脱走に成功した、と」

 

 戻ってきた病室で軽く身体を動かしながら、少女は特徴的な服装(メイド服)を着た狂三からつい数十時間前に起こった出来事の報告を受け取っていた。

 狂三が求めていた精霊・〈シスター〉。DEMに監禁されていた彼女の奪取を試みたこと。その中で、奇しくも士道と狂三が脱出の手助けとなったこと――――――結果的には、〈シスター〉が単独で姿を消したこと。

 

「……ふむ」

 

「あら、何かご不満がありまして?」

 

「不満、と言うよりは……」

 

「――――――違和感を覚える。という方が正しいようですわね」

 

 超然とした微笑みを見せ、少女の考えを見事言い当てて見せた狂三に首肯を返す。

 付き合いの長い彼女が相手なら、少女の意図を容易く読み取っても不思議なものではない。彼女もまた、『時崎狂三』という一個体なのだから。

 

「一体どこに疑問を感じましたの? 『わたくしたち』の行動で輸送機の護衛が消え、そして士道さんと『わたくし』の力で輸送機は墜落。ええ、ええ。何とも、DEMインダストリーにとっては都合が悪い展開ですこと――――――いえ、自然すぎるくらいに、とお考えですのね」

 

「……ええ。些か、簡単すぎる(・・・・・)。頭の中を弄くり回すことが趣味な組織が、貴重な精霊一人の脱走をこうも簡単に許すというのは……」

 

「考えすぎではありませんの、とは敢えて言いませんわ。それだけの理由があるのでしょう?」

 

「そうですね――――――〝アレ〟が関わっていると、ろくな事にならないという私の勘ですよ」

 

 〝アレ〟がこんなにも簡単に自分の手の内の駒を手放す? いいや、ありえない。ありえるわけがない。少女は〝アレ〟を信用している。無論、五河士道とは真逆の一番悪い意味で、という注釈がもたらされるが。

 

「……本条二亜の件は五河士道と狂三にお任せしましょう。私は、その時(・・・)までは息を潜めます」

 

「よろしいんですの?」

 

「もちろん、彼女の天使と万が一を考えて狂三側には手を打っておきました。五河士道に関しては、私がなにかするまでもなく本条二亜と出会いますよ」

 

 精霊である以上、必ず(・・)。そこから先は、五河士道次第ではあるが――――――その点は、一分の不安もありはしない。

 少女の言葉を聞いた狂三が、ニィッ、と凄絶な笑みで好戦的な血を昂らせていた。

 

「きひ、きひひひッ!! 思っていた通り、面白くなりそうですわねぇ」

 

「……退屈はさせませんよ。あなたにも、今回は私から頼みがあります。それも、少々と大胆な、ね」

 

 少女からの意味ありげな言葉に、狂三が目をぱちくりと瞬かせ、一転して微笑みを浮かべる。

 

「あら、あら。珍しいですわね。わたくしは、半ばあなたの依頼で裏方に徹していましたのに」

 

「ええ。ですが、今回ばかりは失敗するとこちらが苦い顔をすることになりそうですから。向こうが駒を動かしたなら、こちらも存分に駒を動かします。まあ、生憎こちらのキングとクイーンは忙しい身です――――――ですから、(ポーン)あなた(ルーク)で十分でしょう?」

 

 肉体の調子は、間に合わせられるかどうか。未だ違和感の残る身体を動かし、少女は期間の予測を立てる。

 クイーンがまた一人帰ってきたのだ。みすみす、これを好きにさせるつもりはない。まだこちらの駒は隠されている――――――物語の終盤(エンドゲーム)には、まだ早い。

 

「うふふ。どうせなら、もう少し位が高い駒を望んでもよろしいのではなくて? わたくし、少し不満ですわ」

 

「いいじゃないですか。私より価値が上ですよ」

 

 文句にも似た言葉を吐くものの、狂三も心なしか楽しげな微笑みを咲かせている。少女も実のところ、心が踊っていないといえば嘘になる。

 当然だ。何せ、千載一遇の機会。歯牙にもかけていない存在が、夢にも思わない方法で仕掛けてくる。その時の顔を、是非とも拝んでみたくはないか?

 

 

「さあ――――――あのいけ好かない顔を、愉快に歪ませてやりましょう」

 

 

 計画のため。狂三のため。五河士道のため。色々と理由は付けられるが――――――一番はそれだと、少女は仰々しく笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 服が擦れる音と、紙を捲る音だけがゆったりと鳴る。

 検査用の衣服を脱ぎ、綺麗に畳み込み、いつもの黒服へ袖を通す。射干玉の髪を軽く整え、二つに結わえ終える。愛しの彼がいれば、実は密かに自慢できる白く滑らかな肌で誘惑しようかと思案できるものではあるが、残念なことに紙をペラペラと捲る彼の妹様に追い出されてしまっていた。

 無事に見慣れた装いとなり、手鏡で最後の調整。いついかなる時も、努力を怠らないのが淑女たる所以だ。とまあ、淑女らしくないげんなりとした顔をする真紅の軍服を纏った少女を見て、狂三も思わず吹き出しそうになってしまったのだが。

 

「そのご様子では、どうやら面白みのない結果でしたのね」

 

「ええ、ええ。本当に、ほんとーっに!! 大変不本意な結果しか出てくれないわ」

 

 目の前の誰かさんを真似ているのか、言葉を繰り返し八つ当たりのように睨む琴里を狂三はくすくすと笑いながら見返した。

 

「うふふ。最新鋭の顕現装置(リアライザ)を持つ〈ラタトスク〉というわりには、少し残念ですこと」

 

「笑い事じゃないわよ!! あなたたちのことなんだからね!!」

 

 うがーっ、と資料を何度も叩き狂三くらいにしか見せない雑な怒り方をする琴里を見て、狂三はまた笑みを深める。

 士道と精霊たちの間にある経路(パス)が狭窄を起こし、狂三を交えた暴走事件を起こしてから既に半月以上が経過していた。士道の綿密な身体検査と合わせて、狂三も白い少女の様子を見に顔を出した時を捕まえられ、日々身体検査に付き合わされていた。

 普段の狂三ならのらりくらりと躱して終わり、というのが定例だが、今回ばかりは狂三も大人しく検査を受けていた。なぜかと言えば、当然のことながら士道との間に形成されたと言われる謎の経路(パス)が理由だ。

 

「意味がわからないわ。今だけは地球の全部がわかる本棚が欲しい気分よ」

 

「あら、あら。わたくしの前で、珍しく弱気ですのね」

 

「今さら何よ。多少なり結果が出てるならこっちもやりようがあるけど、半月以上何もわからないなら本当にお手上げなのよ」

 

 確かに琴里の言うように、半月前は絶対に解き明かしてやると意気込んで総力を上げて取り組んで、結果は何もわかりませんでしたとは気が抜けてしまうのも無理はない。仮に、〈フラクシナス〉の設備が使えたとしても、結果にさしたる差は見られないだろう。

 それを差し引いても、些か会話の距離が近くなっている気がして狂三は少しばかり首を傾げた。まあ――――――狂三としても、悪いものではないのだが。

 手を使って降参のポーズを取り、琴里がはぁっと深いため息を吐く。

 

「そこにあることさえわからなくなってるなんて、夢でも見ていた気分だわ。あなたは何か身に覚えはないの?」

 

「身に覚え、と仰られましても……」

 

 頬に手を当て、記憶を思い起こす。現状、〈刻々帝(ザフキエル)〉が狂三の知る能力以上の力を発揮しているのは間違いない。そして、それに士道と――――恐らく、白い少女が関わっている。

 しかし、その根本的な繋がり。つまり、この現象の始まりは何なのか、と身に覚えを聞かれると狂三も答えあぐねる。気がついたのはいつか、ならば答えられるなと狂三は唇を動かした。

 

「違和感を持ち始めたのは、耶倶矢さんと夕弦さんの一件からですわ」

 

「士道たちの修学旅行の時? 相当前からね……」

 

「ええ。少なくとも、それ以前にこのような違和感はありませんでしたわ。そうですわね……遡るなら、あの屋上の一件までは、ですわ」

 

「ああ……」

 

 琴里がなんとも言えない声を吐き出し、苦々しい顔を作る。かくいう狂三も苦笑気味で似たようなものだ。あの時のことは、今の距離感でなければお互いに火傷してしまいかねない案件なのだ、無理はない。

 

「とはいえ、あの直後はわたくしは動けず、琴里さんも霊力封印騒動がありましたし、間に何かがあったとは……ああ、ですが、思えばあの時からですわね。士道さんがわたくしの気配を妙に鋭敏になりましたのは」

 

「士道が?」

 

 初耳ねと言わんばかりに目を丸くする琴里に首肯を返す。そう、思えばあの時期からだった。特定の条件下(・・・・・・)で、士道が狂三の気配を察知できることがわかったのは。

 

「わたくしの接近を誰よりも早く察知したかと思えば、そうでない時も多々ありましたの。ですので、わたくしなりに実験まがいのことをしていたのですが、わたくしに気がつく時は決まって、わたくしと会っていない期間が取られている時だけでしたわ。まあ、逆をいえばその程度しか――――――あら、凄いお顔ですこと」

 

「……それ、禁断症状か何かじゃないでしょうね」

 

 何とも表現し難い顔で琴里が言うものだから、狂三も釣られて神妙な顔で顎に手を当てた。流石に、禁断症状とかそういうものではないと思いたい。

 

「いえ、さすがにそうとは……琴里さん、もしや羨ましいんですの?」

 

「な……っ。そ、そんなわけないでしょ!! ま、まあちょっとだけそう思わないこともないことはないけど!?」

 

 素直なのかそうじゃないのか。あやふやな反応で顔を赤らめる琴里。からかっておいて何だが、士道と一緒に暮らしている琴里では仮にこの現象が起こったとして、一体いつ役に立つのかと狂三は内心で苦笑をこぼす。

 

「琴里さんの感情論はともかくとして、変化という変化で思い浮かぶのはその程度ですわ。あとは、以前お話した通り〈刻々帝(ザフキエル)〉の力の変質ですわね」

 

「未来予測、意識共有、ね。新しい能力が発現するパターンはありえるけど、元々の力が能力範囲を大きく上回って変質するのは、驚きという他ないわね……」

 

 ある種の畏怖がこもった声色の琴里だが、狂三も大体は同意見だ。長年精霊として過ごしてきた狂三と言えど、自らの天使の予想外の進化には驚かざるを得ない。

 いざ扱う、となると土壇場で受け入れてしまっていたが、実戦でどう変化するかわからない力など本来であれば正気の沙汰ではないのだ。成立しているのは、一重に自らの一部と言える〈刻々帝(ザフキエル)〉であることに他ならない。

 

「――――というか、未来予知なんて力があるなら、それを使って何かわかったりしないの?」

 

「なかなか大胆なことをお考えになりますわね」

 

 精霊の力を封印して保護する〈ラタトスク〉がそれでいいのか、とも思うが、現状封印される気がない狂三が相手ではあるし、何より不明のまま爆弾を抱えておくのはナンセンスな話なのだろう。

 まあ、案としては悪いものではない。予測材料はこれでもかと揃っているし、あとは能力発現さえ可能なら。そう思い、一度目を閉じて意識を集中させ――――――瞬間的に、これは無理だと悟り眉をひそめた。

 

「……ああ。無理ですわね」

 

「? どうしたのよ、急に」

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉の能力は、常に変質しているわけではありませんの」

 

 聞いた途端に目を丸くする琴里に、それはそうだろうなと狂三も困ったように息を吐いた。

 

「【一〇の弾(ユッド)】は士道さんが関わらなければ。【五の弾(ヘー)】に至っては、わたくしにも原因がわからないほどに不安定ですわ。幸いにも、変質している瞬間は扱う前にわかるのですが、少なくとも今は元の形でしか発現いたしませんわね」

 

 大きく力を変質させたのは【五の弾(ヘー)】と【一〇の弾(ユッド)】だが、両者ともに発現する力は安定しているとは言い難い。幸いなことに、琴里に告げたように扱える瞬間は〈刻々帝(ザフキエル)〉から伝わる感覚で理解できる上に、狂三が必要としていなくとも自動で未来を伝えることまである。後者は、幸いと言っていいのか判断に困るところではあるが。

 士道との繋がりが不安定なのか、はたまた狂三自身に何か原因があるのか、それとも全く別の問題があるのか。どれにせよ、わからない(・・・・・)ということが全てで、琴里が頭を抱えて唸るのも当然だった。

 

「私のも大概だけど、あなたのもかなりの問題児ね」

 

「……こればかりは、否定しかねますわね」

 

 神妙な顔で頷けば、狂三の中から天使の抗議の幻聴が聞こえてくる気がした。己が誇る天使を自慢するだけの自信はあるとはいえ、否定材料がないのは事実だ。

 琴里の〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の破壊衝動に一度は痛い目を見た狂三だからこそ言えることだが、まさか自身の天使を同列で扱うことになるとは思いもしなかった。力が安定しない力というのは、想像以上に扱い辛い。それを上回るメリットがあるとはいえ、前途多難な話だ。

 

「……はぁ。謎が増えて頭痛くなってきたわ。何か甘いものでも食べに行きましょ」

 

「よろしいんですの? 今、士道さんがお夕食の支度をし始めるはずですが……」

 

「甘いものは別腹なの。それに、これからちょっとした力仕事があるのよ」

 

「力仕事?」

 

「真那よ、真那。今日こそ徹底的に検査してやるんだから」

 

 ぱきぱきと指を鳴らし、とても検査をする人間を相手にするとは思えない鬼の形相の琴里を見て、狂三はああ、と納得する。納得してしまうのはおかしいはずなのだが、真那の立場を考えれば納得する方が正しい。

 士道が霊力を暴走させた折、裏では彼女がエレンを相手取り時間を稼いでいた。結果的には、狂三もそれに助けられたので後になんとも言えない気分になったのだが、それは置いておこう。

 問題は、身体に問題を抱える(・・・・・・・・・)真那が、琴里を差し置いて令音とは連絡手段を持っていたということなのだろう。そのことと、後先を考えず無茶苦茶な立ち回りをしていることが、琴里には腸が煮えくり返る程の怒りを感じさせているらしい。

 

「まったく、あの子は音信不通になったと思ったら令音とは連絡を取り合ってたなんて……けど、絶対抵抗されるわね。どうせならあなたも手伝ってちょうだい」

 

「……それ、わたくしと真那さんの関係をわかって仰っていますの? いえ、仰っていますわね」

 

 苦笑を通り越してもはや苦々しい顔を作る。いつもの意趣返しなのか、即座に刃が飛んでくるような関係ではなくなった……のかはわかりかねるが、未だ冷戦状態の狂三と真那と鉢合わせるなど正気の沙汰ではない。

 

「私は使えるものは使う主義なのよ。ここで逃がしたら、あの子本当に雲隠れしかねないわ。……ずっと気になってたんだけど、あなたと真那ってどれくらいからの付き合いなの?」

 

「わたくしのプライバシーはないのですね……まあ、構いませんけれど。それなりの付き合いですが、初めは分身であしらうには面倒な魔術師(ウィザード)がいるというところから――――――」

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「……あそこまで距離が縮まると、歳の近い友人にしか見えませんね」

 

 遠巻きから見つめていると、並んで歩く狂三と琴里が年相応の友人同士にしか見えない。事実として、会話などの内容もそれ相応のものと言っていいだろう。まあ、少しばかり一般的には使わないものも含まれてはいるが。

 

「……ジェラシー?」

 

「現代用語を使えばいいってもんじゃないと思いますよ。というか、それをそっくりそのままお返ししてもいいくらいです」

 

 ローブの下でブスッとした顔を作り返してやるが、相変わらず鉄仮面を剥がすには至りそうにない。そっくりそのまま返したところで、どちらへの(・・・・・)ジェラシーなのかは、白い少女にはわかりかねる事象だった。

 

「……あの子なりに、思うところがあったんですかね」

 

「……かもしれないね。琴里も、少しは肩の荷が下りたみたいだ」

 

 琴里は士道の命を陰ながら握っているという罪悪感からようやく解き放たれ、狂三は狂三なりに素直な気持ちを吐き出した。それを推し量れるのは当人たち以外にはできないことだが、少なくとも以前に比べれば遥かに関係性は良好だ。

 

「……あの子が、あんな風に人と本音で話せるのは嬉しいものですね」

 

「……青春、というものかな」

 

「それ、ちょっと年寄りくさいですよ」

 

「……そうかい?」

 

 小首を傾げる仕草は、どう見積っても若い美人にしか見えないというのに、どうして表現の仕方が微妙に古風で少女は苦笑いを作る。

 一時はどうなることかと思ったが、狂三なりに感じるところがあったのだろう。今までは、どうしても精霊たちとどこか壁を作っていた狂三が、今はあんなにもすっきりとした顔で楽しげに日常を過ごしている。それが少女にとっては何よりも嬉しい――――――たとえ、限られた時間の中だとしても。

 

 

「――――――とても、幸せだね」

 

 

 令音が、慈愛と悲哀を綯い交ぜにした言の葉を吐き出した。

 何一つ、嘘はない。令音はこの光景に幸せを感じている。偽りなど一つたりとも存在しない。彼女は本当に、そう思っている――――――思っていながら、止まらないのは誰もが同じであってしまうのか。

 

「……ところで」

 

「……うん?」

 

 それは、それとして。肘掛け(・・・)に手をついて、少女は真逆の不機嫌さを演出しながら声を発した。

 

「……いつまで車椅子なんです?」

 

「……不満かい?」

 

「どうして不満じゃないと思うんですか」

 

 即答したら、少しだけ残念そうな顔をする令音を見上げながら、少女は仕方なしにため息を吐く。やはり、彼女は苦手だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

「……お腹、空いた……」

 

「………………は?」

 

 士道は、行き倒れの少女と出会った。

 

 

 






章と話数のタイトル飾ってその登場はどうなの本条二亜。それでいいのか本条二亜。そんな彼女の活躍は次回へ続く。

はいそんなわけで二亜クリエイション。何か久しぶり一巻を純粋に章として書いてる気がします。五河ディザスターが〈アンノウン〉編も含んでたのが大体の原因。もっと言えば折紙編をほぼ全てやり切ったのも原因。つまり全部私のせいだHAHAHA。

天使問題児コンビが仲良くなったところで能力整理。使用不能の四、六の代わりに異様な伸びを見せる五、一〇(あと隠れて一も)ですが、常に変化してるってわけじゃありません。それは前章で分身が【一〇の弾】を使った時にも確認できていますね。狂三にも原因がわからない以上、確定で変化させられるわけではないという。

さて、裏方コンビが今度は何を企んでいるのか。素直に車椅子に乗る少女の心理は如何に。後半は冗談です。乙女の心は複雑なんですよ、押す側も含めて、ね。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十一話『全知の天使』

 

 日常の中に紛れ込んだ非日常というのは後々になって自覚するものだ。思い返せば、行き倒れの少女と出会った時点で、とても日常のものではないと気がつく必要があったと言うべきか。何にせよ、後の祭りというやつだろう。だからこそ、紛れ込んだ(・・・・・)と表現される。

 

 士道が出会った少女、本条二亜。歳は士道の一つか二つほど上に見え、深い疲労の色がなければ非常に端整な顔立ちの少女だ。

 二亜は一言で言えば、初めの頃の狂三とは違う意味で掴みどころがない。悪い言い方をすれば、調子が良い人物だった。まあ、そんな少女を放っておくことができない自分にも少しだけ呆れてしまったが。

 この現代社会で空腹で行き倒れるという貴重な体験をしていたかと思えば、住んでいる場所は高級なマンション。かと思えば、セキュリティ面は本人によって弱々しいと言わざるを得ない。あれよあれよという間に二亜の家に上がり込むことになり――実は狂三へどう釈明をするか戦々恐々だった――何と行き倒れより驚いたのは、二亜がプロの漫画家であり士道も知る漫画の作家だということだった。

 そこからはまた、あれよあれよと飯を作り何とプロの漫画家のお手伝いを――黒歴史を掘り返されたことで――する事となり、それが終わったかと思えば、今まさに予想外の提案を士道は二亜から受けていた。

 

「あたしこの原稿終わったら一日休みができるから、デートしたげるよ。ああ、もちろん費用はこっち持ちでさ」

 

「へ……?」

 

「あ、でもその代わり場所はこっちに指定させて。最近全然買い物できてなかったから、久々にアキバに行きたいんだよねー」

 

 目を丸くする士道へ気安く笑いかけてそう言う二亜に、一転して髪を掻きながらため息を吐いた。万国共通として、それはデートとは言わないと士道は知っている。

 

「……それって、荷物持ちって言うんじゃないのか?」

 

「ぎくっ」

 

 ぎくっ、と口でわざとらしく表現する人を見るのは『狂三』以来人生で二回目だが、意外といるものだなと呆れなんだか感心なんだかを感じてしまう。

 

「はあ……悪いけど、他を当たってくれないか? 友だちに頼んでみたらどうだ?」

 

 悪いとは思うが、ただの荷物持ちを喜んでやれるほど士道も暇ではない。というか、荷物持ちではなくても引き受けるわけにはいかなかった。

 士道に浮気の趣味はないし、積極的な自殺願望も当然ながら持ち合わせていない。一般人を相手に無条件でデートなど、脳内で狂三の反応を想像しただけで全身が震え上がり冷や汗をかくこと間違いなしだ。

 

「……いやー、はは。あたし友だちいないからさー」

 

 返答をした二亜は、気のせいか、ほんの少し表情を曇らせていた。だが、それも一瞬のこと。すぐに先程までと同じ調子を見せ――――――鋭く目を細めた。

 

「――――――ていうか、キミは本当にいいんだね、それで」

 

「え?」

 

 含みのある、強い口調――――――士道にとってそれは、どこか馴染みのあるもの。それだけでは語弊があるかもしれないが、それ以外にも士道の第六感が何かを告げている。

 そして二亜は、彼女が知るはずがないことを、平然と口に出してのけた。

 

 

「精霊をデレさせるのが、キミの仕事じゃなかったのかな、少年――――――いや、五河士道(・・・・)くん?」

 

 

 ――――――本条二亜との出会いは、日常の一部などではなく、意図して紛れ込んだ非日常なのだと、士道は後に気づくこととなったのだ。

 

 

 

「二亜、お前は……」

 

 本条二亜。漫画家・本条蒼二を名乗る少女。

 

 精霊をデレさせる。五河士道の使命。その通り。何一つ間違っていない。間違っていないからこそ、不条理なものとして存在する。

 当然の話ではあるが、〝精霊〟という存在は一般常識ではない。日常の裏に存在する、非常識側の天災と呼ばれる生命体。秘匿にされた存在が〝精霊〟なのだ。それを知っているだけならいざ知らず、五河士道という存在まで知っているのは明らかにおかしい。

 

「お前は一体――――――」

 

 何者なんだ。そう叫ぼうとした士道の本能を、培われた理性という名の経験が塞き止める。

 奪われるな、会話の主導権を。二亜が何者であれ、士道は既に彼女のテリトリーとも言える場所に連れ込まれてしまっている。だからこそ、冷静に。だからこそ、状況を俯瞰しろ。

 気づかれないように小さく息を吸い、吐き、士道は久しい感覚に身を浸す。

 

「……二亜、お前は一体何者だ? なんで、精霊のことを知ってる?」

 

「――――ふぅん。冷静だねぇ、少年」

 

 作業のためにつけていた眼鏡を外し、様になるように前髪を搔き上げる。そんな仕草の中、二亜はどこか感心と驚きを含めた顔をしていた。

 

「猪突猛進なタイプかと思ったけど、意外と駆け引きも出来ちゃう系?」

 

「どうかな。俺が出来るわけじゃないさ」

 

 仰々しい不敵な笑みを作り、二亜の考察に応じる。実のところ彼女の言う通り、士道はどちらかと言えば考えるより先に身体が動くタイプだ。自慢ではないが、損得勘定が苦手な人間でもある。

 だからこれは、今しているこの行動は、ただ単純に士道ではない別の人物の模範。士道なりに、未知の相手との対話(・・)に必要な冷静さを身につけたという話に過ぎない。

 

「それより、教えてくれないか。お前が……何者なのか」

 

「ふふん。焦らない焦らない。今教えてあげるから」

 

 あくまでも軽い調子で、しかし口にしたその名は、重大な意味が込められたものだった。

 

 

「――――〈神威霊装・二番(ヨツド)〉」

 

「な……!?」

 

 

 眩い光が二亜の周囲から渦をまくように発せられ、彼女の身体に絡みつき――――鎧となる。

 光に目を細める士道だが、だとしてもこの現象を見間違えるはずもない。

 

「霊、装……ッ!!」

 

 精霊を守護する絶対の鎧。彼女たちだけに許された究極の衣。光が途切れ、先程まで悪ふざけで着込んでいたメイド服から全く別の城が姿を見せた。

 

「これで、ご理解いただけた?」

 

 今度は二亜が不敵に微笑んで見せる。それに圧倒され、士道はゴクリと唾を飲み込んだ。

 霊装特有の美しく淡い幻想的な輝き。要所に施された十字の意匠に頭部を覆うケープ。さながら法衣……修道女を思わせる。

 まさか、とは思った。だが、予測と現実として認識する事とは意味合いが異なる。

 

「二亜、お前は……精霊、なのか?」

 

「うん。まあ、こんな芸当ができる生物に、他の心当たりがあるならそっちの方かもしれないけど」

 

 恐らくは、あるわけがないとわかっていて二亜が笑う。未だ士道は、精霊以外にこの現象を起こせる者と知り合っていない。つまり、二亜は寸分たがわず士道が知る〝精霊〟という生命体に他なるまい。

 合点がいく。二亜の容姿からは信じられない、十年もの前から商業誌でデビューしていたというその経歴。精霊ならば、全て納得がいってしまう。精霊という力を持つ者は、その容姿さえ変わらない。過去(・・)で士道が見て、証明してきたことだ。

 二亜が正体を見せて、士道も仄かに警戒の色を滲ませる。一体、彼女は何を考え正体を明かしたのか――――――すると、彼女はそんな士道を見て口をへの字に曲げて不満げな声を発した。

 

「何よー。もうちょっとリアクションないの? なんかもったいぶって変身したあたしがバカみたいじゃん」

 

「……へ?」

 

「もっとこう、『な、なんだってー!?』みたいなやつとかさぁ。もしくはパターン変えて突然変貌した女の子の姿にドキッ!! みたいな。ほらほらぁ、結構この霊装エロいと思わない? 足の付け根んとこスリットずっばー入ってんの。全体的に不思議素材で半透明だからうっすら身体のライン見えちゃうしさぁ」

 

 シリアスな雰囲気など何のその。ブラックホールの如く重い空気は吸い込まれ、変わらない二亜らしい二亜がマシンガンのように言葉を紡ぐ。

 彼女が左足を手近な椅子に上げたせいで、大胆な切れ込みのスリットから、彼女の麗しい白い太腿がチラリと覗いて、士道は咄嗟に顔を背けた。

 

「おま……っ!!」

 

「おっ、それそれ!! そういうやつ!! えっへっへ、いいよいいよー少年。もしかして足派だった? なるほどなー。若いんだから貪欲にいこうよー」

 

 悪びれるどころか煽り立てる二亜に、士道は盛大に頭を抱え込む。恥じらいを持ってなお、いじらしくアピールするどこぞの淑女なお嬢様とはまるで真逆だ。ちなみに、士道は胸派でも足派でもなくその淑女なお嬢様派だ。無論、今さら言うまでもないことだが。

 服は貞淑な修道女を思わせるのに、中身を知った今となっては狂三の方がよっぽど向いていそうだと無駄に思考を逸らしながら、何とか士道は意識を二亜へ一点集中する。

 

「……茶化さないでくれ。お前が精霊だってことはよく理解できたし、受け入れられる。けど、どうして俺のことを――――――俺がしていることまで知っているんだ」

 

「ああ、それ? 職業柄あんまりネタバレするのは好きじゃないんだけど、まあ特別に教えてあげましょう」

 

 言いながら、二亜は片手を身体の前に持ち上げる。彼女の仕草に、不思議な既視感を覚えた。

 その理由は、すぐさま解きほぐされることとなる。幾度となく、士道は同じように己が半身(・・・・)の名を呼ぶ者たちを見てきたのだから。

 

 

「――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉」

 

 

 撓んだ空間から、一冊の本が一瞬にして姿を現した。

 聖典を思わせる巨大な書物には、二亜の霊装と同じく十字の意匠が施されている。それだけではなく、感覚だけでその本がこの世ならざる奇跡であることが理解できる。これこそ、正しく。

 

「それは……天使!?」

 

「そう。あたしの天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉。この世の全てを見通す、全知の天使だよ」

 

「全知……?」

 

「そんなに難しく考えないでよ。読んで字のごとく、ってね。〈囁告篇帙(ラジエル)〉は森羅万象全てをあたしに教えてくれるんだよね。今世界のどこで何が起こっているのか、誰が何をしているのか。たとえば――――――そう、あの時キミが買い物を終えて、あの道を通ろうとしていたことなんかもね」

 

「な――――」

 

 単純ながら、恐ろしさを感じさせる力に戦慄する士道を面白がるように、二亜がくすくすと笑い言葉を続ける。

 

「まさか、本当に偶然だなんて思ってた? 偶然道に倒れてる女子を介抱したら、それが偶然精霊でしたって? いやいや、普通に考えたら有り得ないでしょ。少なくともあたしなら、そんな物語の導入はしないなぁ」

 

「……つまり、俺がお前を助けると踏んで、あそこでわざと倒れてたっていうのか?」

 

「まあ、そういうことになるね」

 

 どんなもんよと言わんばかりに大きく頷く二亜を見て、士道は緊張から身体が固まるような感覚を覚えた。

 今彼女が言っていることは、薄ら寒いものを感じさせる。二亜は今、これまでの一連の流れは全て自分の手のひらの上だと告げたようなものなのだ。それはつまり――――――

 

「……じゃあ、俺に原稿を手伝わせたのにも何かの意図が――――――」

 

「あ、そっちは普通に手伝ってもらっただけ」

 

「ないのかよ!?」

 

 訂正。二亜はやっぱり二亜だった。まあ、あの手伝った原稿に何かしらの意図があったりしたら、それはそれで困るのは士道なので良かったと言うべきか。

 しかし、そっちは(・・・・)と注釈を付けたからには、士道をこの部屋に誘い込んだことに嘘はないということになる。なら、その誘い込んだ相応の理由があって然るべきだろう。

 

「それで――――――二亜。お前は一体何が目的なんだ? なんで……俺をここに?」

 

 冷静さを欠くつもりはないが、それでも相手に情報という圧倒的なアドバンテージを握られ続けている状況は負担がかかってしまう。

 だが二亜は、そんな士道の緊張感を和らげるようにリラックスした声色で応じた。

 

「そんなに構えないでってば。別に、用ってほどのことでもないよ。強いて言うなら、少年、キミを自分の目で見てみたかっただけ。いくら〈囁告篇帙(ラジエル)〉でキミのことを知れるっていっても、それはあくまで情報だからね。実物にはどうしても敵わないし――――――一応、お礼を言っておきたかったのもあるからね」

 

「お礼……?」

 

 怪訝な表情を作った士道に、ああ違う違うと二亜は否定と共に首を振る。

 

「今日のことじゃなくて――――――今月の頭、キミたち(・・)に助けられた件の方だよ」

 

「へ?」

 

 素っ頓狂な声を出してしまうのも、士道にとっては当然の話だ。

 今月の頭、と言われても。二亜と出会ったのは今日が初めてな上に、その時期はちょうど士道が経路(パス)の狭窄によって暴走を起こしていた時期だ。士道が誰かに助けられることはあれど、人を助けるような余裕はなかった。

 

「あっれぇ、覚えてない? ほら、あたしの呼びかけに応えて、輸送機を墜としてくれたじゃん。あたしあれのおかげで脱出できたんだから」

 

「呼びかけ……って、あ――――」

 

 覚えている、と言い切るのは語弊が生じるが、確かに二亜の言うことには身に覚えがある。誰かに呼ばれ、霊力を放出する感覚。そして、その時は――――――

 

「まさか、あれがお前の……? じゃあ、キミたちってのはもしかして……」

 

「そ。時崎狂三ちゃん、だっけ? なになに、もしかして少年のガールフレンドちゃんかなー? おうおう、隅に置けないねぇ」

 

「あ、いや、狂三は………………う、うん?」

 

 どう説明すれば正しく説明できるのか。当事者のくせにおかしな話だが、第三者に狂三との関係を説明しようとすると、どうしても言葉が出てこず士道自身が大きく首を傾げる結果となってしまう。

 士道の葛藤を見てか、はたまた別の理由があったのか、あははと笑うだがその顔は少し苦笑いのようなものを含んでいるように思えた。

 

「本当はその子にもお礼を言いたかったんだけど、どうにも見えづらくてね(・・・・・・・)。だからキミだけ先に、と思ったんだ」

 

「見えづらい……狂三がか? どういう意味だ?」

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉と呼ばれた天使があれば、森羅万象の全てが読み解けると言い切ったのは二亜自身だ。その力があれば、様々な事情があり単独行動が少なくなっている狂三と接触する程度なら容易い。

 そう考えてみると、先程の士道と狂三の関係を知らないことにも疑問符が付く。天使の力があれば、情報として知っていてもおかしくはないだろう。

 訝しげに首を捻る士道に、二亜は誤魔化すように大仰な笑いを見せる。

 

「あはは、気にしない気にしない。こっちの話だから。まあとにかく、キミたちのおかげで助かったってこと――――――DEMインダストリーの手から、ね」

 

「……ッ!! DEM!?」

 

 予想外の方向からの名に、士道の思考はあっという間にそちらに誘導された。

 当然だ。DEM――――――デウス・エクス・マキナ・インダストリー。〈ラタトスク〉と対極の位置にある巨大企業。裏では非人道的な行為を平然とやってのけ、幾度となく士道たちと衝突を繰り返す相手だ。

 

 どうしてDEMの輸送機に。そう当然の疑問を口にすると、二亜は流暢に経緯を語り始めた。

 五年ほど前、DEMに囚われてしまったこと。それを実行したのは二亜曰く虚弱体質――――エレン・ミラ・メイザースだということ。結果的には、監禁されている時のことはよく覚えておらず、漫画を書けないことが酷くストレスになっていたこと。

 プロの漫画家である本人にとっては深刻な問題なのだろうが、士道には他のこと――――あの男が、ただ二亜を監禁していただけということが解せない気がしてならなかった。それにもう一つ、解せないことはまだあった。

 

「ていうか、二亜。お前の天使は何でも知ることができるんだろう? なら待ち伏せなんて……」

 

 あらゆる事象を持ち主に伝える天使なら、それこそ、狂三に危機を伝える〈刻々帝(ザフキエル)〉のような高度な未来予測と同じようなことができるのではないかと士道は考えた。が、二亜は言葉を遮るように手をパタパタと振って否定する。

 

「あー、違う違う。そうじゃないの」

 

「そうじゃない、って……」

 

「〈囁告篇帙(ラジエル)〉は確かに全知の天使だけど、あくまであたしが求めた情報を引き出してくれるだけなの。未来のことまで覗けるわけじゃないし、自動的に危機を感知してくれるわけでもない――――――要は、あたしが思いも寄らないことは避けようがないってわけ。考え方としては、超々高性能検索エンジンっていうのが近いかもね」

 

「なる……ほど」

 

 調べようと思えば、どんなものでも調べられるインターネット検索……のようなものと考えればいいのかもしれない。

 全知の天使であって、全能の天使ではない。どんな強力な力にも必ず弱点らしい弱点があるのが通例だが、奇跡の天使といえど例外はないということか。

 

「凄い能力だとは思うが……結構制限があるんだな」

 

 これがもし、初めて見た天使だったなら士道もこのような感想は抱かなかった。しかし今まで様々な天使――――特に、狂三の〈刻々帝(ザフキエル)〉のように時間遡行や未来予測という条理から外れた力を目の当たりにした後では、なかなか実感の湧かないのも仕方がない。

 

「ふぅん。言ってくれるじゃないの、少年。どうやら今ひとつ〈囁告篇帙(ラジエル)〉の力がわかってないみたいだねぇ」

 

「え……?」

 

 ――――――そんな安易な考えは、二亜の不敵な微笑みによりたったの数分で崩されてしまうこととなった。

 

 

 

「――――――どうよ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉の恐ろしさ、少しはわかってもらえた?」

 

「……はい。すごくすごいです。舐めた口きいてすいませんでした」

 

 ひれ伏すように頭を下げると、二亜は満足げに頷いて見せた。

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉に記されたものは全て事実――――――未来記載。それが〈囁告篇帙(ラジエル)〉に秘められたもうひとつの力。二亜が漫画として描いたことが、先の未来として現実になる(・・・・・)

 因果さえも捻じ曲げる、凶悪無慈悲な力――――なのだが、プロの漫画家としてそちらを優先する二亜には、そこまで使い勝手が良くないらしい。世界さえも書き換えられる力も、二亜にかかればめんどくさいの一言で終わってしまうのだから、ある意味で持ち主が二亜で良かったと思うべきか。

 まあ、それはそれとして、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の力で黒歴史(・・・)の漫画経験をプロの漫画家に完璧なまでに暴かれるという、今世紀最大の羞恥プレイをさせられた士道は完全にグロッキーで二亜に敗北した。

 

「すげぇな……ほんと」

 二亜に聞こえない程度に、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の力に感心にも近い感情を吐露する。

 情報というものは、時に物理的な力を上回る切り札となる。狂三や白い少女から散々学んだことであったはずなのだが、どうやら人間自分が味わってみないとわからないものらしい。

 本当に、持ち主が力を悪用するような性格でなくて安心した――――――ふと、悪用しないような者だから〈囁告篇帙(ラジエル)〉を持てたのだろうか? という考えが頭に浮かぶ。何故かはわからないが、そんな気がしたのだ。

 

「まあ、あたしからはこんなところ。キミのおかげであそこから逃げられて連載も再開できたし、そこんとこはマジで感謝してるのよ」

 

 逸れた思考は、二亜の言葉でハッと引き戻された。この言葉に嘘はない。まだ短いが、二亜の漫画にかける情熱は痛いほど伝わってきている。自由の身になれて、二亜としては士道に感謝の気持ちがあるのは確かなはずだ。

 だが、自由の身になれたことを良かったですねと純粋に言える立場でないことは、二亜はよく知っているのだという言葉を続ける。

 

「でも、まあ、キミたちとしちゃあこれではいさよならってわけにもいかないんだろうねぇ。〈ラタトスク〉……だっけ? 精霊をデレさせて救うだなんて、なかなか面白いことやってるじゃない。やっぱあたしも口説かれちゃう感じ?」

 

「それは……」

 

 ――――――見て見ぬふりは、できない。

 〈ラタトスク〉としては、空間震の危険がある精霊を放ってはおけないだろうし、士道としてもDEMに一度襲われている二亜をそのままにはしておけない。全知の天使を持つとはいえ、不意打ちに弱いのであればそれまでだと、二亜自身が語っているのだからなおさらだ。

 

「よきかなよきかな。そーいうのも面白そうじゃん。秘密組織とか超ワクワクするしねぇ。それに、さっきも言ったけど、あたしキミには感謝してんのよ? だから、お礼に一回チャンスをあげようって言ってんの」

 

「チャンス――――あ」

 

 言葉の意味が繋がり、士道は目を見開く。二亜は先ほど言っていたのだ。原稿が終わったら、休みが取れる(・・・・・・)、と。

 

「ただし、場所はアキバ。これだけは外せないからね。五年も監禁されてたもんだから、身体が二次元を求めてるのよ。禁断症状マジヤバイ。あの漫画の続刊とかあの作者の新作とか、読みたくて読みたくて震える。それ終わったら次の仕事入ってるし、年末はコミコで忙しいから、当分時間取れなくなるんで、そこんとこヨロシク。自分、一応売れっ子なんで」

 

「こ、コミコ?」

 

「コミックコロシアム。いわゆる同人誌即売会よ。いやー、スペース取れてないし今年は見送りかなーと思ってたんだけど、急病で本作れなくなっちゃった人がいるらしくて、スペースを間借りさせてもらえることになったのよ。原稿自体はDEMに捕まる前に描いてたのがあるし。いやー、コミコも久々だなー」

 

 捲し立てるように聞き慣れない言葉を扱っていくものだから、圧倒される士道を見て、二亜はああごめんごめんと軽い謝罪をし――――自身の胸元を指差し、自信に満ちた笑みで宣言した。

 

 

「――――チャンスはあげる。デレさせられるもんなら、デレさせてみな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――それで、デートの結果は如何でしたの?」

 

「……烈火の如く、怒らせてしまいました。あと、コミコで売り上げ勝負をすることになりました」

 

「…………」

 

 なんというかこの流れ、美九の時もあった気がするなぁ。別に命じられたわけでもなく、地面に正座をする士道に冷たい視線を向ける狂三との作戦会議が始まるのだった。

 

 

 






オチがやりたかっただけだろシリーズ新作。二亜とのデート詳細が知りたい人はデート・ア・ライブ13巻『二亜クリエイション』のご購入よろしくお願いします(ダイマ)

事情知らない人に二人の関係なんですかと聞かれると……え、なんだろうとなる主役とヒロインがいるらしい。お前これ120話超えてんだぞ。
そんなわけで導入も終わり次回より二亜編本格始動。序盤はあんまり変化がないので申し訳ない。チョロっと士道の対応が変わってるくらいですね。でもこの回を外すわけにもいかないジレンマ。

ちなみに二亜編は既に書き終わって、ただ今番外編をノリと勢いで制作中。というのも、感想いただいた時にこういうのが読みたいと来たものが私の中に残ってた引き出しと一致した結果です。何か読んでみたい、見てみたいキャラの組み合わせやお話やらのネタがあれば、感想ついでにお持ちくださればもしかすると形になるかもしれません。
とはいえ、前科がある通り駄目と思ったら書く前に諦めるタイプなので、あんまり期待しすぎないくらいでよろしくお願いします。私の引き出しに偶然それっぽいネタが入っていることをご期待ください。ここまで言ってまあお前の番外編とか読みたいのねーよオチが見えてますけども。私は生の感想と高評価が好きなので媚びるタイプだ(直球)

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十二話『俺たちの原稿を始めよう』

 

 

二次元にしか恋をできない(・・・・・・・・・・・・)精霊、ということですのね」

 

「……まあ、本人がそう言ったから、そういうことになるな」

 

 地下施設、通路の一角にて狂三が確認を取るように言った言葉に、士道が頬をぽりぽりと掻きながら応じた。

 新たな精霊。第二の精霊(・・・・・)。狂三が探し求めていた人物ではあったが、士道が先に出会う……ことまでは想像していた。しかし、たった一日足らずで相手の機嫌を損ねて状況がかなり悪化しているというのは、何というか相変わらず目が離せない人だと狂三は短く息を切る。

 

「全知の〈囁告篇帙(ラジエル)〉のことを考えて、わたくしが口出しするのは控えていましたが、これは後手に回りましたわね」

 

「ッ……知ってたのか? 二亜の天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉のこと」

 

「ええ。本条二亜さんは色々と特別な方なのですわ」

 

 予想していた返しに狂三は平然とそう答える。

 全知の天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉。その担い手、本条二亜。狂三にとっては特別な意味合いを持つ精霊として、その存在と大まかな能力は把握していた。

 初めから教えていれば、士道の側にもそれ相応の立ち回りがあったかもしれない――――――が、その教えたこと自体(・・・・・・・)が二亜側に伝わり、余計な警戒心を抱かせる原因になりかねなかった。だからこそ、余計な口出しはしたくなかったのだ。まあ、結局のところ、後手に回ってしまったようだが。

 

「特別……?」

 

「今はそれより、二亜さんとのことですわ。よりにもよって、一番機嫌を損ねることを避けたい相手を怒らせてしまったのですから」

 

 それはつまり、本人が使うことを好まない天使を容赦なく乱用してくる原因になる、ということだ。現に、それが原因で無謀な勝負を挑むことになっているのだから。

 頬に手を当て、超然とした顔を崩さない狂三に士道は申し訳なさそうな顔を作る。

 

「め、面目ない……」

 

「事実は事実として、ですわ。仕方のない結果ではありますもの」

 

 別に責めている訳ではないし、〈ラタトスク〉のプランといえども万能ではない。

 二亜からセットされたデートは順調に推移していた、ように見えていた。あくまで、外面だけは。聞いた話では、そういうことらしい。

 

『――――――実はあたし……二次元にしか恋したこと、ないんだよね』

 

 好感度が全く動かず、推移の異変に気づいた二亜のこの告白が出るまでは、そうだったのだろう。

 二次元にしか、恋ができない。それは、事実上恋をさせてキスをするという〈ラタトスク〉の戦略が破綻することを意味している。

 

「そういえば、狂三はあんまり驚かなかったよな。二亜が二次元にしか恋をできないって聞いても。それも知ってたのか?」

 

「いいえ。ですが――――――ここに、命を奪おうとした人間に恋をした驚きの人物がいますのよ?」

 

 驚きがないわけではない――――――だが、二亜に負けず劣らずの恋の仕方をした自覚がある。これが初恋だというのだから、なおさら驚愕という感情は薄れてしまうものだ。

 我ながら恥ずかしさを隠した微笑みだと思っていたが、士道も目を丸くしたあと少し恥ずかしそうな笑みをこぼした。

 

「……はは、そりゃ確かに驚かないな――――そういえばさ、俺たちの関係ってどう言えばいいと思う?」

 

「……? 藪から棒にどうなさいましたの?」

 

 さしもの狂三も、その唐突さにそう言わざるを得ない。首を傾げた狂三を見て、ああ悪い、と髪をがしがしとかいて士道が言葉を続けた。

 

「それがさ、ちょっと違うけど二亜にそんなことを言われた時に、どう答えればいいかわからなかったんだよな。……俺と狂三の関係って、結構複雑だろ?」

 

「結構で済ませられないくらいには、そうですわね」

 

 士道は士道、狂三は狂三。関係性など、今さらながら考える必要もないと思っていたし、関係を人に説明する前に行動で見せてしまっていた。改めて問われると、狂三も顎に手を当て深く考えてしまうくらいには、この問題は複雑化しすぎている。

 うーんと、二人揃って唸り声にも似た悩み声をあげる。

 

 

 第一希望、恋人。

 

 

『……わたくしが負けを認めていません?』

 

 

 第二希望、将来を考えたお付き合い。

 

 

『……ま、間違ってはいませんけれど』

 

 

 結局は負けを認めてしまっているのと同義ではないのか。恋人、将来を誓い合った仲、パートナー、伴侶――――ぐるぐるぐるぐると頭の中で記号が乱回転を続け、遂に限界に到達した狂三は苦し紛れの答えを吐き出した。

 

 

「――――あ、愛人?」

 

「ダメだから!! それ一番ダメなやつだからッ!!」

 

「は……っ!!」

 

 

 ここ一番、真に迫る目をカッと開き切った顔で士道が迫り、そこで狂三も正気を取り戻した。いや、正気と言えば正気だったのだが。実際、どんな関係か口では説明困難なのは変わりないのだから。

 コホンと咳払いをして、珍しく士道から仕切り直してもらう。

 

「……と、友だちからでどうだ?」

 

「そ、そうですわね。お友だちからでお願いいたしますわ」

 

 お互いにうんうんと納得し合い、この話は一時的に切り上げとなった。お互いが強引に納得したとしかなっていない気がするが、愛人よりは響きがかなり健全よりだ。というか、世界を殺す災厄とその災厄を救う少年の関係など、どう表現しろというのか。

 

 兎にも角にも話を戻し、二亜が二次元にしか恋ができないと言い切ったあとだ。当然、〈ラタトスク〉は対抗策を生み出した。二亜が好きなキャラ(・・・)に士道がなりきる(・・・・)、という手法。

 それ自体は、悪いものではなかったと聞く。事実、封印可能な領域まで一度は好感度が到達した、のだが。

 

『朱鷺夜が女に手を出すわけないでしょーが!! 常識で考えてよ!! 朱鷺夜は妹であり恋人であった雲雀を殺した仇を追う当てのない旅を続けてるんだよ!? 孤独な旅の中、龍吾や虎鉄たちと出会い、戦い、そして友情を知っていくんだよ!!』

 

 ……これが巷の解釈不一致、というやつなのだろうか。分身体から聞きかじった程度の知識しかない狂三ですら、二亜の怒りは聞くだけで相当なのだと感じ取った。

 またまた当然、そこで諦める〈ラタトスク〉ではない。二手目は〈ラタトスク〉という組織の力をふんだんに――というより令音とクルー個人の謎技術だと狂三は読んでいるが――使った士道を(・・・)二次元の存在に落とし込む……要は、リアルタイムで士道が受け答えをし、そのゲームを二亜にプレイさせるという、超最先端のギャルゲーを使った攻略。

 これも、初めは悪くなかった。二次元のキャラクターとして、二亜の望む返答を常に回答として用意できる――――ただし、二亜が〈囁告篇帙(ラジエル)〉という万能の天使を持ち合わせていなければ、の話だが。

 最終的に、仕掛けを暴かれ純心を弄ばれたと完全に二亜の堪忍袋の緒が切れる結果となり……。

 

「最後は、皆様で考えた作戦も覗かれてしまい、プロの漫画家との売り上げ勝負ということですのね。まあ、琴里さんらしい大胆な作戦ですこと」

 

「……美九の時の俺と、評価違くないか?」

 

「あれは作戦ではなく無謀と言いますのよ、五河士織さん?」

 

「ぐふっ!?」 

 

 未だに癒えぬ古傷を容赦なくえぐられた士道が、道端に蹲り大仰に苦しみだした。そんなことを言えば、狂三がどう返すかなどわかりきっていたことだろうに。

 プロの土俵で勝負、という点では確かに同じだ。

 

 ――――士道という少年が精霊を救う物語。単純な話、ノンフィクション(・・・・・・・・)の本を作り上げ、二亜に読んでもらう。しかし、二亜は怒りで素人が作った本など読みはしないと断言してしまった。故に、琴里がコミコでの売り上げ(・・・・)という絶対的な基準を作り、僅かな勝機を見出そう――――というのが、ここまで狂三が見守ってきた一連の推移だ。

 

「相も変わらず不利な戦いがお好きなようですけど……よろしいのではなくて? 士道さん漫画化計画、わたくしも賛成ですわ」

 

「く、狂三までかよ……」

 

「よいではありませんの。嘘をついてはいけないというなら、余程あなた様に向いていますわ。事実だけを誇り、堂々と見せつけて差し上げればよいのですわ」

 

「褒められたのか貶されたのか励まされたのか、どれかにしてほしいんだけどな……」

 

 ていうか、別に不利な戦いが好きなわけじゃ……と、微妙に不安がってブツブツと呟く士道。くすくすと微笑ましい気持ちで彼を見守り、この作戦の是非を思考する。

 士道のこれまでの道を漫画として描く。なるほど、彼女たちが考えつきそうなことだ。士道に救われた彼女たちが、純然たる事実を思い思いに描き切る。士道という人物像を漫画に落とし込むことに、狂三は何一つ不安感などない。なぜなら――――――皆が愛する五河士道が、悪く描かれるわけがない。

 むしろ、問題は二亜自身の方だろう。全知の天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉。それらが起こす問題(・・)は、少なくとも常人の想像の上をいくものだと狂三は考えている。大なり小なり、天使の力が齎す結果など、大抵はそうであるのかもしれないが。

 

 強すぎる力など、人を不自由で縛る鎖でしかない。恐らくは、二亜も同じ(・・)だ。そしてそのことには、士道も気づきかけているに違いない。

 

「士道さんは、二亜さんの恋についてどうお考えですの?」

 

「え? うーん……十香も気にしてたけど、何かしらの理由があるのかなって。何かまではわからないけど、琴里が今調べてくれてる」

 

「そうですの」

 

 なら、狂三からわざわざ何かを忠告することもないだろう。似たようなことは、一度美九の時にしているし、それを覚えているというのであれば必要のないことだ――――そこまで思考して、狂三はこの完結した作戦会議に疑問を持った。

 

「……そこまで決まっているのであれば、わたくしにお話した理由はなんですの? わたくしのご助言も、二亜さんに筒抜けというのであれば意味があるとは――――――」

 

「あ、いや。伝えたかったのは、そのことなんだ。実は――――――」

 

 狂三の言葉を遮り、士道が伝えたかったという本命の要件を口にした。それを聞いた途端、狂三は目を丸くして驚きを見せてしまう。

 

「わたくしが見えづらい。そう、二亜さんが仰っていらしたと?」

 

「ああ。確かにそう言ってた。一応、伝えておいた方がいいと思ってさ」

 

「…………」

 

 無言で思考を巡らせる。見えづらい――――まず間違いなく、〈囁告篇帙(ラジエル)〉に関するものだ。

 世界を一つのデータベースと考えて、そのデータベースの中から己が欲するものを瞬時に閲覧することができる。それが全知の天使が持つ力。その天使が、狂三一人を相手に見えづらい(・・・・・)? そんな非合理的な話があってたまるものか。

 仮に、狂三の霊力が〈囁告篇帙(ラジエル)〉の能力を上回っている、というような理由だとすれば、狂三が長年追い求めていた力は神に匹敵するものなどではなく、とんだ期待外れもいい代物となってしまう。

 ならば、他に理由があってしかるべきだ。全知の天使が、その程度であっていいはずがない。目を細め、己の知識を掘り起こし――――僅かな数秒足らず、狂三は答えに行き着いた。

 

「――――あの子ですわね」

 

「え?」

 

「いえ、情報の提供、感謝いたしますわ。ご要件は以上でして? それなら、琴里さんたちとお早く合流した方がよろしいですわ」

 

 話によれば、士道宅の隣にある精霊マンションに、〈ラタトスク〉が作業部屋を用意すると聞いていた。手の速さには狂三も目を見張るものがある彼らの仕事だ。一時間とかからず終わるだろう。そのため、士道を送り出すのに早すぎるということはない……名残惜しさがないかと言えば、もちろん嘘になってしまうが。

 すると、それを聞いた士道が少し言いづらそうな顔で声を返す。

 

「ん……それが、度々悪いんだけど――――――」

 

「……あら」

 

 聞き慣れた人物からの要請に、狂三は意外そうな声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二十畳はあろうかというスペースに大きな作業台が幾つも並び、新品の画材が完璧に兼ね備えられている。

 それを見る限り、二亜のスペースの隣に出店し(・・・・・・・・・・・・・)二亜と同じ部数を(・・・・・・・・)二亜よりも早く捌ききる(・・・・・・・・・・・)、という無謀極まりない覚悟の程は本物のようだ。まあ、無謀な勝負を幾度となくこなしてきた士道たちにとっては、一つそれが増えたに過ぎないのかもしれない。

 士道と精霊全員の作戦会議を部屋の端で見守りながら、狂三はぼんやりとそんなことを考えていた。

 

「あ、そうだ。士道も何か描いてみてよ」

 

「俺も!?」

 

「ええ。昔、ノートにいろいろキャラクター描いてたわよね。確か――――」

 

「あーっ!! ああああああああああああっ!!」

 

 ……何やら、そっとしておいて欲しい過去が掘り返されようとして、狂三は内心で冷や汗をかくことになったということは追記しておく。人は誰しも、そういう過去があるものだ。

 個々の趣味趣向はあるにしろ――主に折紙と美九がという意味で――メインの作画は技術がある折紙。経験豊富な耶倶矢、夕弦、士道で決まりかけていた。琴里が閉めようとしたその時、あの……と四糸乃がおずおずと声を上げた。

 

「まだ、七罪さんの絵を見てません……」

 

「……!! あ、いや、私は……」

 

 狂三は例外として除くにしろ、最後に残って卑屈に遠慮を続けていた七罪が、手にしていた紙を後ろ手に隠してしまう。四糸乃が言わなければ、狂三が声をかけるつもりだったが、無用な心配だったと微笑んで動向を見守る。

 

「ああ、そうだったわね。ごめんなさい、七罪。見せてくれる?」

 

「……べ、別に、いいわよ。大した絵描いてないし。耶倶矢か夕弦か士道か折紙で進めればいいじゃない」

 

「せっかく描いたんだから見せてちょうだいよ、ほら」

 

「……う、うう。あの、実際、めっちゃ下手だから変な期待しないでよ」

 

「大丈夫よ。私だってそんな上手いわけじゃないし」

 

「ホントにさ、今日寝不足で体調悪かったし、ペン持つのなんて久々だったし」

 

「わかったって」

 

「ていうかホントポーズ迷ってたから実際に作画した時間十分くらいだし、そもそも絵描いたの自体超久々だし、最近寝不足で――――――」

 

「……」

 

 見守ろう。そう思ったのは僅か数秒前だったが、じれったさに狂三は息を吐いてトン、と軽く靴音を鳴らした。すると、蟠った影がグングンと伸びていき七罪の背後に回ったと思うと、そこから伸びた手がサラリと七罪が隠す紙を取り上げ、それを狂三の元へ運んできた。

 

「え……あぁッ!!」

 

 感触がなくなったことに疑問を感じた七罪が辺りをキョロキョロと探し、狂三を見て悲鳴を上げるが時すでに遅し。士道が描かれた紙は、狂三の目に入った後だ。

 絶望した声を上げる七罪を背に、他の皆も続々と集まり紙を覗き込み……。

 

「え……これって」

 

「す、すごい……です」

 

「なん……だと?」

 

 一部の例外もなく、七罪の絵に驚愕の言葉をこぼした。その意味は、七罪本人が言うような卑屈的な意味合いではない――――上手すぎる。これがプロの作画だと言われてしまえば、狂三も簡単に受け入れてしまえるほど、七罪の絵は端正に描かれていた。

 

「あら、あら。度が過ぎる謙遜は角が立つだけですことよ」

 

「……い、いや……昔ちょっと興味があって、漫画家の〝真似〟をしたことがあっただけで……」

 

 七罪は相変わらず自信なさげに口を開くが、その〝真似〟が彼女にしかない才覚だと狂三は評価していた。

 観察と模倣の天才。それが七罪だ。〈贋造魔女(ハニエル)〉という天使を万全に扱い、士道たちを翻弄したのは当人の力。彼女ならば、狂三でさえ完璧に模倣してみせることだろう。故に、七罪が絵を久しぶりに描く(・・・・・・・・・)と言った時点で、この結果は決まっていたと言うべきだった。

 

「――――決まりね。メイン作画は七罪、サポートで八舞姉妹、士道、折紙にはいってもらうわ」

 

「うむ、賛成だ!!」

 

「すごいです……七罪さん」

 

「異存はない」

 

「ふん、まあよかろう。今回は譲ってやろうではないか」

 

「賛成。花を持たせてあげます」

 

「きゃー!! 七罪さん、ちょっとあとで私とだーりんの愛の物語とか描いたりしませんかー?」

 

「え……えっ?」

 

 誰一人として反論のない決定事項に七罪が目を白黒させていると、そんな彼女の手を士道がガシッと握った。

 

「頼む、七罪――――――二亜を助けるために、力を貸してくれ」

 

「へ――――っ!?」

 

「大役――――いいえ、役得(・・)ですわね、七罪さん」

 

 真摯な士道の瞳と、ダメ押しの一声。七罪にしては短めの数瞬の逡巡を挟んだのち、彼女は恥ずかしそうに言葉を返した。

 

「…………あ、あとで文句言うんじゃないわよ」

 

 文句など、誰も言うことはない。降り注ぐ拍手に顔を真っ赤にした七罪を微笑ましく見ていて――――ふと、狂三は声を上げた。

 

「さて、それではわたくしを呼んだ理由、お聞かせ願えますか? 作画以外を手伝え、というのであれば『わたくし』を何人か置いていきますわ」

 

 琴里が余った人員を手持ち無沙汰にさせておくとは思えないし、何かしらはあるのだろうと予測しての言動。優雅な微笑みを崩さない狂三に、琴里がニヤッと唇の端を上げた。

 

「助かるわ。けど、それとあなたに頼みたいことは別件よ。ある意味、一番重要と言っても過言ではないわ」

 

「一番、重要……?」

 

 眉をひそめ、琴里の言葉の中身を探る。狂三からではなく、琴里から救援の願い出があった。それだけ、狂三にしかできない(・・・・・・・・・)ことがあると踏んでの要請だとは思ったが、狂三でも想像がつかなかった。

 なぜかと問われれば、もう既に現状の役割は固まっているのだ。作画は決まり、それ以外も恐らくはプランがある。残りは、どう二亜を相手に売り上げで勝つか、という根本的な問題でしかないが、それに触れるにはまだ早すぎる。

 強いて残った現状を触れるとすれば、漫画に纏める分のストーリー構成、だろうか。しかし、これも士道に救われた精霊たちがいれば脚色なしに描くことが――――――できるのか?

 できるだろう。当事者たちがいるのだから、士道の活躍は(・・・・・・)、余すことなく描くことができる。

 

「……っ!!」

 

「狂三?」

 

 そう。士道の活躍は、だ。そこにある致命的な欠陥と、自らが起こしてきた数々の行動に、狂三は血の気が引いた。

 士道の気遣ってくれる顔とは真逆で、琴里は狂三の様子の変化を見ると意地の悪い顔を作る。

 

「漫画のページには限界があるの。そこに収められるだけのストーリーを、私たちは考えて作らなきゃいけない。二亜に〝士道〟というキャラクターを好きになってもらうために、ね。けど、それを考えた時――――――〝士道〟っていうキャラクターに、欠かせない人がいることに気がついちゃってねぇ」

 

『あ……』

 

 全員が全員、琴里の言葉で察しがついたのか一斉にこの場の一人に――――――時崎狂三に視線を向け、狂三は今度こそ顔をひくつかせた。

 

 救われる側でありながら、常に士道の傍に付き添ってきた精霊、時崎狂三を、皆が見ていた。

 

「……わ、わたくしの存在を抜きにして――――――」

 

「無理ね。あなたは関わりすぎてるし、それじゃあ二亜に今の士道がどんな人間か伝わらないわ。私たちは嘘を作るつもりはないの」

 

「……ていうか、狂三のことを無視しちゃうとストーリーが完全に破綻するんじゃない?」

 

「そうですよねー。私の時もー、狂三さんの助けがあったからですしー」

 

「同意。聞いた話では、十香を除く全ての話に関わっています」

 

「は、はい。影で……助けてくれたって、聞きました……!!」

 

「わ、私も狂三とは関わっているぞ!!」

 

「狂三を除いたストーリーを考える時間があるなら、正しく構築した方が時間に無駄がない」

 

「ふふん。遠慮するな。我らが完璧に仕上げてみせようぞ!!」

 

 怒涛の畳み掛けに一歩二歩とたじろいでしまう。いつもの調子なら、軽く反論(屁理屈)の一つや二つを飛ばせそうなものではあるのだが、今回は――――士道のためでもある、という大義名分を握られてしまっている。

 彼女たちはつまり、狂三の主観で彼女たちの知りえないようなものを補完してほしいと言っている――――――恐ろしい辱めに、狂三の頬は加速度的に熱を帯びつつあった。

 そもそも……そもそも、だ。つい半月前の事件の傷――という名の振り切った事故の傷跡――が癒えていないのに、この時崎狂三にプライドと羞恥心を捨てて赤裸々に気持ちを語れと? もはや問いを超えて拷問の領域にまで達している行為だ。狂三もただで愛を囁いているのではなく、持ち得る全ての感情の昂りを使って瞬間的に燃え上がっているというか……まあ、直訳すると思い返すと恥ずかしい(・・・・・・・・・・)というだけなのだが。

 単純に、士道の行動概念に狂三自身が関わりすぎていた、ということを失念していた。彼を助ける行動をし続けた結果――――――狂三なしでは、士道を語ることができない域まで達してしまっていたのだ。

 涙ながら、とまでは持ち前のプライドが許さないものの、半ば縋るように士道を見やる。狂三と同じように顔を赤くして頬をかいた士道が視線に気づき、あー、と言葉を選んで口にした。

 

「む、無理しなくていいんだぞ? できないなら、他の方法を考えて――――――」

 

 逆に、それがトドメとなったのは言うまでもない。

 ピシッ、と固まった狂三を見て、琴里たちはあーあと士道を見やる。なんのことかと困惑する士道だが、狂三は次に答えるべき言葉を決めていた。

 できない。そう言ったか、このお方は。それを士道が言うのか――――――この時崎狂三が、五河士道の期待に応えられないと? 

 

「――――いいですわ、いいですわ」

 

 他の言葉や己のプライドなど二の次。それを考えただけで、時崎狂三の中でスイッチが切り替わる。

 

 

「できない? はっ、そのようなお言葉、聞く耳持ちませんわ」

 

「く、狂三? ちょっと落ち着いて――――――」

 

「いいでしょう!! この時崎狂三が――――――士道さんの魅力を、余すことなく引き出してみせますわ!!」

 

 

 後には引けない。やると決めたからには、全力で勝ちへ導いてみせる――――――狂三を好きになった士道を、世界一素敵な人を伝える物語を、全力で語り切ってみせようではないか。

 

 世間一般では、これをヤケクソ(・・・・)と呼ぶのであるが、冷静さを取り戻すまで狂三がその言葉を浮かべることはなかった。

 

「いい顔ね。やっぱり、変にクールぶってるよりそっちの方が似合ってるわよ」

 

「人の人格を勝手に作っているものと思わないでくださいまし――――――両方、わたくしですわ」

 

 常に優雅に立ち振る舞う狂三も、士道を思う狂三も、どちらも『時崎狂三』だ。相入れることは、なくとも。

 目を丸くした琴里だったが、すぐに優しげな微笑みを浮かべて声を発する。

 

「……失礼したわ。それじゃあ、やるわよ」

 

 琴里がマジックペンの蓋を取り、ホワイトボードに『士道&狂三同人誌計画』の文字を記す。もう完全に狂三まで主役級で巻き込まれてしまったが、こうなっては腹を括るしかない。せいぜい、二亜がこの士道を見て納得することを祈る――――――いいや、納得させるだけの再現度を、作ってみせるだけだ。

 そして、琴里が皆の顔を見ながら、この無謀な計画を高らかに宣言した。

 

 

「さあ――――――私たちの原稿(デート)を始めましょう」

 

 

 

 

 






だから終盤になって友人枠に収まるんじゃないよ!! 愛人よりは良いと思うけど他に思いつかないのでぇ…。

これ以上はキャラ崩壊ないって言ったじゃないですかやだー!!!!何とかアンコール時空くらいには収まってると思いたい。実際これ、二亜編書きながらいや元のまま無理じゃね?狂三関わりすぎじゃね?から発展したものなので、本当はサポート枠程度のはずだったんですよ。想定不足すぎるでしょ君ね。
まあでも割と気に入ってます。琴里が狂三相手に平和的優位に立つの原作だとなかったりしますからね。そもそも狂三が立ち位置の都合上日常に絡んできませんし。距離感が縮まっている今だからこそコミカルシーンは積極的に描いていきたい。

そんなこんなで次回は二亜サイド。ここに挟まるということは、もちろん例のシーンのリビルドバージョン。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十三話『決意と矛盾の揺らぎ(カオス・ナイトメア)

 

 

 全知という知識を得た人間は、しかし全能ではない。人は人であるが故に、全知全能などという存在にはなりえない。

 

「……ふん」

 

 二亜自身が、何よりそれを証明してしまっている。積み木のように重なり、溜まりに溜まった漫画やライトノベルの山の消化も、新しいアイディアも考える気にならない。

 休む時間が必要な時はあるが、これは無気力で無意味な時間を消費しているだけだと二亜は天井を見つめその理由を吐き出した。

 

「……あたしも舐められたもんだよねぇ」

 

 彼に期待がなかったか、と言えばそうではない。むしろ、二亜は期待していたから士道と接触したのだ――――――この素晴らしくも忌まわしい力を、無くしてくれるかもしれない可能性として。

 ただ結果は、二亜の期待に応えられるものでは――――――

 

「……ああ、違うか」

 

 ぽつりと呟いた己の声は、どこか悲しげだった。

 士道ばかりが悪いわけじゃない。彼らも、無為に二亜の領域へ踏み込んできているわけではない。だって、信じられないのは、二亜の方なのだから(・・・・・・・・・)

 無言で虚空を撫でれば、すぐさま一冊の本が現れる。

 

「…………」

 

 全知の天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉。この世の全てを閲覧することができる、最高で最悪の天使。

 二亜が精霊としてこの世に降り立ち、その過程で〈囁告篇帙(ラジエル)〉に助けられたのは言うまでもない。大した欲望も持たない二亜は、生きていければそれでいいと思っていた――――それで満足していれば、良かったのに。

 

 ――――――自分は一体、どのようにして生まれたのだろう。

 

 精霊として当然の疑問であり、答えられるものがいないはずの疑問。だが、二亜だけは違った。答えを持つ全知の天使を持ち合わせ、なおかつ人の知りたがる欲に勝てるほど二亜は全能ではなかった。

 それを知ろうとして、知ってしまったその瞬間――――――本条二亜は、孤独になった。

 今の自分が生まれた理由。以前の自分(・・・・・)が生まれ変わった意味。それは二亜に人への不信感という猛毒を仕込み、〈囁告篇帙(ラジエル)〉によって人の裏側に潜む欲を知り、遂には二亜を裏切ることがない(・・・・・・・・・・・)者……想像上の人物にしか、心を許すことができなくなってしまった。

 だから、無駄なのだ。士道たちがどれだけ手を尽くそうと、救いようなどない。二亜は〝士道〟がキャラクターになろうが、現実から参考にされたキャラなど好きになるはずもない。仮に好きになるよう美化されたとして、それは〝士道〟であって士道ではない。ゲーム的に言えば、わかりやすく詰んでいる(・・・・・)のが二亜攻略ルートだ。

 

「……ま、そもそも勝てればの話だけど」

 

 二亜に売り上げで勝てなければ、彼らが完成させる本が二亜の目に入ることすらない。勝てなければ、そこで終わり。二亜は現実の人間に心を開くことはなく、一生〈囁告篇帙(ラジエル)〉と付き合い続けるだけの人生が待っている。

 己が考え、念じたことを記し、伝えることのできる究極の知恵。好奇心という猛毒で二亜を犯し続ける天使。今も手を伸ばせば、二亜が知りたい情報が流れ込んでくることだろう。

 

「……っ!?」

 

 たとえば、たった今鳴り響いた部屋のインターホンを鳴らした人物(・・・・・・)のこと、だとか。

 普段の二亜なら、さすがにそこまでは考えない。しかし今は、一度〈ラタトスク〉に荷物を仕込まれた直後。そして偶然、驚いた勢いで触れた〈囁告篇帙(ラジエル)〉がパラパラとページを開き始めてしまった。恐らく、触れた瞬間に考えていた訪問者が誰なのかを伝えるために。

 あちゃー、と頭に手を当てながら起き上がる。まあ、知ったところで大した問題にはならない。士道たちも今さら作戦を変え、愚策をしようとも思っていないだろうし、今回は本当に宅配か何かだろうと高を括り――――――

 

 

「――――ウェイッ!?」

 

 

 読み取れた情報に、二亜は自分でも聞いたことがないような声を上げてベッドから転げ落ちた。その衝撃で本の山が雪崩を起こすが、気にしている余裕もなく慌ててインターホンの画面目掛けて駆け抜ける。足の踏み場も怪しい部屋だが、何とか躓くことなく通話ボタンまで辿り着き、ボタンを押して声を発する。

 

「……は、はーい?」

 

 勢いのわりには、何とも情けない声だったが、それほどまでにこの訪問者に驚いてしまったのだ。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉がバグか何かを起こした、という可能性をこの瞬間考えはした。考えはしたが、その可能性でさえ次の瞬間には撃ち抜かれてしまった。

 

 

『初めまして――――――というのもおかしな話ですわね、本条二亜さん』

 

 

 艶かしい声に、同性の二亜ですらゾクリと震え上がるような感覚を覚える。

 声だけで、人を呑み込みかねない異常なほどの魅力。聞くもの全てを問答無用で虜にしてしまうような蠱惑の音色。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉は、一つも間違った知識をもたらしていない。この通話の主こそ、今の今まで二亜が覗くことができなかった(・・・・・・・・・・・)数少ない精霊。その名を、二亜は息を飲んで言い放った。

 

 

「そうだね。でも一応礼儀になるかな――――――初めまして、時崎狂三(・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あー、えっと、粗茶ですが、どうぞ……」

 

「あら、お気遣い感謝いたしますわ。突然の訪問で歓迎いただいたことにも。これは、お詫びの品ですわ」

 

「ど、どうも」

 

 テーブルの上でソソクサとやり取りされる品に、二亜はなぜこんなことになったのかと天を仰ぐ――――あ、これちゃんと作業中にも食べやすいタイプのお菓子だ。いや、そうではなくてと改めて正面に座る少女の容姿を確認する。

 美人だ。二亜からすれば眩しすぎるくらい美人だ、ではなく。のんびりと二亜が入れたお茶を啜り、ほぅ、と息を吐く仕草すら――――いや、感想がおっさんか!! それでもなくて、しっかりと容姿を認識する。

 均等に結われた黒髪。モノトーンを基調とした服装。どこを見ても、似合いに似合う普段着(・・・)。神か悪魔に愛されたとしか思えない顔立ちの中に潜む、神の御業――――時崎狂三が〝精霊〟である証たる、左目の金時計(・・・・・・)が僅かながら見え隠れしている。

 〈ナイトメア〉、時崎狂三。様々な理由から二亜が助けられた形になった精霊が、何故か自ら訪ねてきたことに二亜はこれ以上なく混乱することとなった。しかも、招き入れた結果粗茶を呑気に啜っているのである。荒事ならいっそわかりやすいのだが、そういうわけではないなら何だと言うのだろうか。

 

「……それで、どういったご用件かな。キミから恨みを買うようなことをした、とか?」

 

「そんなに警戒なさらないでくださいまし。知りたいのであれば、その全知の天使で知ることも可能なのでしょう――――――わたくしの〝力〟でさえも」

 

「…………」

 

 こちらを試すような物言い。二亜は目を細め、左手で今一度虚空を撫で〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手元へ導く。

 知りたいのは時崎狂三――――その〝天使〟。一度は調べながら、何かしらの干渉によって閲覧できなかった(・・・・・・・・)知識が、瞬間的に二亜の知識に変換された。

 

「……うわ、何このチート」

 

 額に汗を滲ませ、思わず二亜は小声でそうこぼしてしまう。

 天使、〈刻々帝(ザフキエル)〉。能力、時間加速、時間停滞、時間停止、対象時間の切り離し――――――時を超える力と、未来予測。

 二亜がこの能力をモチーフに漫画を作れと言われたら、まず間違いなくラスボスに据えるだけの能力をしている。彼女なりに苦労するデメリットはあるようだが、悪用された場合の危険度は〈囁告篇帙(ラジエル)〉とタメを張れる恐ろしさがあった。これを〝チート〟と言わず、何を反則と謳えばいいのか。

 そんな慄く二亜の様子を、くすくすと可笑しそうに狂三が笑う。

 

「法外な〝天使〟を扱う二亜さんが、それを仰いますのね」

 

「いやいや、キミにこそ言われたくないんだけど……」

 

 お互い様、ということになるか。これがまた違った対話の仕方であれば、二亜はこのように口を滑らすこともなかったのかもしれない。が、異様なほど警戒心、又は闘争心といったものが感じられない狂三に、二亜の警戒度も自然と緩んでしまっていた。

 無論、無警戒というわけではない。しかし、二亜の天使は情報というアドバンテージを得ているが、狂三の天使に対して実力的な面を覆すことは不可能だ。

 仮に狂三と今から戦闘になったとしても、勝ち目など万に一つも存在しない。だから二亜は、二亜なりに狂三の作る流れに乗っている。それが最善手と判断して、だ。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだと内心で自身を勇気づけるように笑う。

 二亜が考えていることが悟られたのかは不明だが、狂三が少しばかり苦い微笑みを浮かべ声を発した。

 

「申し訳ありません。わたくしを調べられる際、無用な警戒を抱かせる事象が存在していたようですわ。今は問題ありませんので、ご心配なく」

 

 言い回しからして、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の力を弾いたのは狂三自身ではない。閲覧した力の中にも、〈囁告篇帙(ラジエル)〉をピンポイントで防げるような力は〈刻々帝(ザフキエル)〉の内部にはなかった。

 なら、生じたのは外部からの介入(・・・・・・・)。そこまで考えてしまえば、〈囁告篇帙(ラジエル)〉は明確に介入者の存在を二亜に伝え、聞き慣れない対象に目を丸くして言葉を放った。

 

「〈アンノウン〉。キミの連れ、かな?」

 

「――――――素晴らしいお力ですわ。わたくしとしても少々予定外でしたので、対応に時間がかかってしまいましたの。……まったく、あの子の方が余程頑固者ですこと」

 

「……?」

 

 愚痴っぽく何かを吐いた狂三に首を傾げると、一転して綺麗な笑顔でなんでもありませんわ、と返された。何やら彼女も、問題を抱えていないわけではないようだ。

 しかし、わざわざ狂三をピンポイントに情報をジャミングするとは、〈アンノウン〉という精霊は二亜をそこまで警戒していたのか。〈囁告篇帙(ラジエル)〉の存在を知り、二亜が狂三の情報を横流しする勇気があると思っていたのなら、とんだ過大評価もあったものだと一瞬考え――――――あくまで想像だが、もう一つの考えを予測する。

 時崎狂三は〈囁告篇帙(ラジエル)〉に負けず劣らずの天使を持つ。時間操作に高次元の未来予測など、普通に考えればチートもいいところだ。だから恐らく、〈アンノウン〉は狂三を戦力的な意味で過小評価はしないのだろう。しかし、狂三が対応できない力――――そう、まさに〈囁告篇帙(ラジエル)〉のような全てを丸裸にする能力となれば、話は別だ。

 キミの連れ、と二亜は言った。そして狂三は、それを否定しなかった。それはつまり、それ相応に近い距離にいる精霊同士ということになる。その相手からの干渉を〝予定外〟と語るということは、〈アンノウン〉の単独犯――――二亜が何を考えていようと、二亜がどんな人物だろうが関係はない。狂三の情報が漏れることを万が一にも防ぎたかった、というのが二亜の想像だ。

 情報というのはそれほど力になるし、貴重なものだ。果たしてこの考えがどこまであっていて、〈アンノウン〉がどこまで考えて狂三の情報を遮断していたのかまでは、二亜もわかりかねるが。

 人間不信のくせに、妙に人間観察が冴えているのは皮肉だとその意味のまま二亜は笑う。

 

「……それで、わざわざ情報のアドバンテージを手放してまで、あたしに一体何のご用?」

 

 最終的な問題は、〈アンノウン〉ではなく狂三だ。二亜に対して圧倒的な優位性を持って従わせられる手を自ら手放し、乗り込んでまで何を求めるのか。

 

「まさか、恩を返して欲しい――――なんて理由?」

 

「お話が早くて助かりますわ」

 

「……へぇ」

 

 その恩を返させるために、ここまで用意周到に敵意がないことを示すとは、なかなかに肝が据わっている。

 顎を撫でて、狂三の用事とやらを推察する。二亜にできて、狂三にできないこと。情報に敏感な漫画家として、そこまで勘は鈍くないつもりだ。

 

「キミには確かに恩がある。けど、あんまり無茶なお願いは聞けないよ。生憎あたしは、見ての通り平和主義者なもんでね」

 

「ご安心くださいまし。これは極めて私的なお願い――――――状況が変わりまして、出来うる限り情報は握っておきたく、二亜さんにお願いをしに来ましたの。恐らく、この世で一番の知識を持つあなたに」

 

「持ってるのがあたしってわけじゃないんだけどね」

 

 苦笑気味に褒め言葉を受け取り、二亜は手を翳し〈囁告篇帙(ラジエル)〉のページを展開する。

 内心で何を思っているか悟ることは不可能とはいえ、少なくとも相手は礼節を尽くして二亜を頼っている。命の恩人がそうしているのであれば、二亜も相応の礼節を持って返すのが礼儀というものだろう。人を信じることができない精霊だとしても、それくらいは重んじておきたい。

 

「いいよ、引き受けた。何を知りたいのか……あたしと〈囁告篇帙(ラジエル)〉に答えられることなら、何でも教えてあげる」

 

「では、わたくしに教えてくださいまし――――――三十年前(・・・・)、この世界に現れたという『始原の精霊』。それが顕現した原因と理由、その正確な出現座標と時間、能力と……討滅(・・)の方法。そして――――――」

 

 言葉を切る前の願いですら、二亜の眉をひそめるには十分すぎる中身だった。

 狂三は、次の言葉を躊躇うように唇を開いたまま止めた。一瞬の逡巡。そののち、覚悟を決めたように花びらのような美しい色合いの唇を引き締め、開いた。

 

 

「〈ファントム〉と――――――〈アンノウン〉と呼ばれる精霊。両者の出自を、教えてくださいまし」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――『始原の精霊』に関しては、こんなところ。この程度ではあるけど、少しはお役に立てたかな?」

 

「ええ、とても。わたくしが求めていたもの……これだけで、大変価値があるものですわ」

 

 戦力的な換算は度外視して、出現理由とその原因。それさえわかってしまえば、今の狂三ならやりようはある――――――そう考えることがてきるのも、全ては一度世界を変えた士道のお陰だと思うと不思議なものだ。

 狂三の満足気な頷きが伝わり、二亜は続けて〈囁告篇帙(ラジエル)〉に手を触れさせ、呼応するように本のページが仄かな輝きを放つ。

 

「もう一つ、〈ファントム〉と〈アンノウン〉に関しては――――――」

 

「っ……」

 

「――――ごめん、大したことはわからなかった。多分、キミが握っている情報と大差がない」

 

 それは、狂三にどような感情を起こす言葉だったか。

 

「……そう、ですの」

 

 ――――――少なくとも、失望や落胆などという感情では、なかった。これは、どちらかと言えば。

 

「知らなくてよかった?」

 

「え……?」

 

 二亜が微笑みを浮かべながら言ったその言葉が、限りなく正解に近いものだと思った。

 目を丸くする狂三に対し、二亜が皮肉げな顔を作り、乱れた髪を気だるげに掻き上げる。

 

「……そんな顔してるよ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉でもわからなくて、ホッとしたんじゃない?」

 

「…………わたくしは」

 

 答えられなかった。なぜなら、二亜の指摘は正しく反論のしようがないほどの正論だったのだ。

 初対面の二亜に見抜かれてしまうほど、狂三の表情筋は緩くなったのか――――精神が、弱くなってしまったのか。

 知りたいと思った。知ってはいけないと思った。知ってしまったが最後、『時崎狂三』でいられなくなる気がして。

 真実とは猛毒だ。いつの日か、その人を殺す毒。その日を今とするか、全てが終わった後とするか――――――狂三は、悲願を果たした後を選ばなければならない。けれど今、狂三はまた知ろうとしてしまった。きっとわからない(・・・・・・・・)と、予防線を己の内に秘めてまで。

 気づいてはいけない。気づこうとしてもいけない。その境界線(ボーダーライン)を飛び越えた時、〝共犯者〟は狂三の前から消え失せる。そんな予感が、強く狂三を縛り付けていた。

 

「――――ごめんね。あたしが踏み込んでいい問題じゃなさそうだ」

 

 気遣わしげに表情を和らげ、ぱたんと〈囁告篇帙(ラジエル)〉を閉じる二亜。

 それを首を横に振ることで否定し、立ち上がって優雅に礼をしてみせる。

 

「いいえ。お気遣い、痛み入りますわ。これ以上お邪魔するつもりもありませんので、お暇させていただきますわ――――――試合(・・)の準備も、ありますでしょう」

 

「っ……お見通しってわけか。ま、準備って言ってもね」

 

 少しだけ驚いた様子を見せたようだが、それからは大した動揺もなく肩を竦めて余裕の表情を見せる二亜。

 唇に手を当て、狂三は煽るように言葉を紡いだ。

 

「自信はおあり、というご様子ですわね」

 

「そりゃ、あたしにもプロとしてのプライドってもんがあるのよ――――――負けるつもりはない、ってね」

 

「どんな手が使われようと?」

 

「もちろん――――――ドンと来いだよ」

 

 本条二亜は精霊であるなし関係なく、生粋の漫画家だ。漫画が好きで、だから描いている。相応の矜恃を二亜は持っているのだろう。故に、勝負を受けて立ち、己の漫画に絶対の自信がある。それだけの実績もある――――――ならそれが、唯一の勝ち筋となる。

 彼女は狂三の問いに堂々と受けて立つ。そう答えた。答えた以上、二亜は本当にどんな邪道であろうと受け入れてしまえるのだろう。結局、〈ラタトスク〉側は漫画を見てもらうためであるが、二亜からすれば見たところで心に響くわけがないと思っている。以前までの狂三なら、それに共感していたかもしれない――――――今の『時崎狂三』は、そうではないと言い切ろう。

 二亜の堂々とした受け答えに、狂三は超然とした微笑みを持って応じた。

 

「うふふ、素敵な答えですわ。ならわたくしも、遠慮はいりませんわね」

 

「キミも少年に、何か協力するのかな?」

 

「ご安心を。わたくしの(・・・・・)出演は既に済んでいますわ。――――『わたくし』は、別ですけれど」

 

 訝しげな顔をする二亜に、狂三は変わらず微笑みを見せるだけ。

 狂三の出番は終わっている。それでも足りないというのであれば、それは狂三が埋めるべき穴ではない。

 

「楽しみにしておいてくださいまし。きっと、心躍る光景をお見せすることができますわ」

 

「……ちょっとした疑問なんだけどさ、キミと少年ってどういう関係なの? キミの霊力、封印されてないみたいだけど」

 

「あら。ご自慢の〈囁告篇帙(ラジエル)〉でお調べになられませんでしたのね」

 

「…………」

 

 調べるはずもない。二亜の表情に陰りが出たのが、何よりの証拠だった。調べるはずもないというより、調べようとも思わないのだろう。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉でわかることは情報としての上面のみ。その関係性まで、完璧に把握しきれるわけではない。それでも、二亜にとって関係を覗き込むというのは、できる限り避けたいものなのだと狂三は読んでいる。

 それに――――たかが神が齎した本の一冊で、狂三と士道の関係が理解できるとも思えなかった。それを描いたものは、こちらから存分に見せてやろうではないか。

 

「わたくしと士道さんのご関係でしたら、健全なご友人ですわ」

 

 地面をつま先で突き、影に呑まれるように狂三は姿を消し始める。スカートを摘み、一礼して消えると共に、狂三は問いの答えを残していく。

 

 

「ただし――――――命の取り合いをする仲の、ですけれど」

 

「へ……?」

 

 

 ぽかんと目を丸くした二亜に可笑しそうに笑いながら、狂三は彼女の前から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影がシミのように滲み出て、本条二亜の住むマンションの屋上を侵食する。人ひとりを優に呑み込めるそれから、狂三は慣れた様子で姿を現した。

 軽く身体を伸ばし、空を見上げる。以前までなら話し相手にいた付き人の姿は、ない。踏み込めない関係でも、いなければいないで、寂しさを感じさせるのは狂三の心が変わってしまった証拠なのかもしれない。

 

「――――さて、さて」

 

「困ったことになりましたわね」

 

「一体如何なさいますの?」

 

 寂しさを感じさせる、とは言うものの。響く声は狂三一人のものではい。正確には、『狂三』のものではあるが狂三のものではない。

 幾つもの影から左右非対称に髪を括った少女――――【八の弾(ヘット)】によって過去時間から切り取られた『狂三』たちが各々好きに声を発していた。

 それらの声に、狂三は目にかかる髪を軽く掻き上げ、平然とした声を発する――――左目はまだ、何も視せていない。

 

「あら、あら。何か問題がございまして?」

 

「ありますでしょう。『わたくし』では――――――」

 

「ええ――――――『始原の精霊』には、勝ち目がありませんわね」

 

 ――――――冷たい沈黙と、神妙な面持ちが狂三を刺す。

 純然たる事実。〈囁告篇帙(ラジエル)〉によって得た情報。それは、全知の天使を以てしても不明瞭なものが多かったが、現状の狂三では覆せない結論として、狂三は絶対にあの存在に勝てない(・・・・・・・・・・・・・・・)、というものだった。

 仮に、『始原の精霊』との対決が現実のものとなったとして、狂三の全能力を完全なパフォーマンスで発揮できたとしても、勝ち目はない。未来を視る左目も、『始原の精霊』の前では沈黙を保つことだろう。狂三一人では勝機はない(・・・・・)、と。

 

 しかし。

 

「そのようなこと、わかっていたことではありませんの」

 

『え?』

 

 沈黙していた分身体たちが一斉に意外そうな声を上げる。

 『始原の精霊』。この世に存在が確認された、始まりの精霊。そして――――――

 

「わたくしに力を与えた存在が、初めからわたくしに劣るなどおかしな話ですわ。非常に憎たらしい話ですけれど、これは事実として受け止めねばなりませんわ」

 

 ――――――時崎狂三を、精霊とした存在。

 

 どんなに言い繕ったところで、この事実だけは揺るぎようがない。狂三に力を託し、狂三の運命を変え――――――狂三は〝彼女〟の口車に乗った。

 狂三の罪過。洗い流すことのできない原初の罪。地獄の底へ堕ちようと、それら全てを精算するため――――――狂三は再び、大切な人をこの手にかける悪魔となろう。

 

 

「ですが今、わたくしの記憶には『始原の精霊』を討滅するだけの確約がありますわ――――――士道さんが世界を変えた、その事実が」

 

 

 その道を以て、狂三は悲願を完遂する。それは『時崎狂三』の義務であり、願いであり、呪いである。

 そうでなくなった『時崎狂三』は、救われてしまう『時崎狂三』は、必要ない。

 軽やかに地面を蹴り上げ、屋上のフェンスの角に立つ。眼下に広がる光景に、悲劇の姿など見られない。それでいい。狂三の悲願の果てに――――――士道たちが平和に暮らせる世界があるのなら。

 

 

「時を操る天使はこの手の中に。わたくしは、『始原の精霊』が出現する〝原因〟を取り除き、その〝結果〟を必ず〝なかったこと〟にしてみせますわ――――――あの方の命を使って、できなかったなどとふざけたことを吐かすつもりはありませんわ」

 

 

 浮かべた形相を、狂三自身は知らない。だが、『狂三』たちが息を呑んでいるところを見るに、相当鬼のような形相をしているのかもしれない。

 〝原因〟の果てに〝結果〟は存在する。狂三が莫大な霊力を持ち込むことができたならば、必ずその〝原因〟を取り除ける自信があった。そのために、その確信があったからこそ、狂三は〝今〟〈囁告篇帙(ラジエル)〉を求めた。必要なのは『始原の精霊』の戦力ではなく、出現した原因(・・・・・・)だった。

 

「アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット。エレン・ミラ・メイザース。それに――――――エリオット・ボールドウィン・ウッドマン。まったく、随分と因果な話があるものですこと。一体、何が起こったのやら」

 

 前者二人は理解できる。しかし、最後の一人は狂三の頭脳をもってして不可解と言わざるを得ない。『始原の精霊』の出現に関わった者たちが、片や精霊を狙い、片や精霊を保護しようとしている。二つの組織による盛大なマッチポンプだと言われた方が、まだわかりやすいというものだ。

 そして、〝結果〟として産み落とされた『始原の精霊』――――――崇宮澪。

 

 

「『全ての霊結晶(セフィラ)を、人間に託すまで』。あなたは、そう言いましたわね」

 

 

 言の葉が風に消えていく。届きはしない。構わない。この世界のどこかで、今もまだ亡霊は生きている。

 運命の糸を辿れば、全ては〝彼女〟に行き着くのかもしれない。だが狂三には、その運命の糸を残らず断ち切るだけの力がある。ならば、何もかもを犠牲とし、成し遂げるまで――――――〝結果〟の果てに待つものから、少女と精霊は無意識に目を背けながら。

 

 

「その願い、わたくしが撃ち抜くまで――――――あなたに、士道さんは渡さない」

 

 

 例え愛しい人が誰に狙われていようと、全てを〝なかったこと〟にすれば終わりなのだと。

 

 ――――――精霊(少女)は、致命的な見落としに気がついてはいけないと、拒んでいた。

 

 

 







全知はイコールで全能ではない。全能の権能なんてものは、ファンタジーといえど存在してしまえばそれで終わりです。神様といえど、この世界では例外ではないのかもしれませんね。

二亜との対面は比較的友好的で数あるセリフの中にも狂三の心情の変化があります。ある意味、余計に背負うことが増えすぎていると見るか、狂三の決意が頑なになっていると見るべきか。世界を変えることへ、別の意味をつけてしまった彼女の行き着く先は……。

こちらもお久しぶりに名出しされた『始原の精霊』さん。勝てません。これは如何に狂三が強化されていようと変わりません。未来を予知しても、勝てる未来が存在しないなら同じことです。アレは最強や最凶などとは別次元にいますから。
まあ、それをよく知っている子が狂三の傍にいるわけですが、狂三のプランを知っているならそれ相応に勝算が……?なんて、考えてみても面白いかもしれません。こういうことを言っていると、本当に終章まであと少しなんだなと。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十四話『全知の裏側』

 

 徹夜明けの太陽が身に染みて、士道は眩しさに思わず目を眩ませた。

 作業に当てられる時間は実質二日未満。常識的に考えて、正気の沙汰ではない――のはいつも通りではあるのだが――突貫作業。七罪の進言で、士道たちは交代交代で作業能率を下げずに進行。それでもなお、完成までは程遠いと言わざるを得なかった。

 そんな中、士道が訪ねてきた琴里に連れられて外へ出たことにはもちろん理由がある。言うまでもなく、二亜に関することだ。

 

「うく……こんなに明るくなってたのか。やばいな、あと何時間だ?」

 

「原稿も大事だけど、取り敢えず――――――」

 

「――――――あら」

 

 マンションの外に響く声が増え、士道と琴里は一度動きを止め、第三者の声がした方へ視線を向ける。

 第三者とは言うが、二人にとっては馴染みのある滑らかな声色。想像通りの人物が、視線の先にはいた。

 

「ご兄妹お揃いで、仲がよろしいのですね」

 

 にこりと微笑みを持ってご近所さんのようなセリフを放ったのは、これまた言うまでもなく狂三だ。

色々と大火傷した(・・・・・・・・)ストーリー構成会議の後、どこかへ行ってしまったのだが、たった今帰ってきた様子だった。

 狂三を見つけた琴里が、辟易した顔を作りながら声を返す。

 

「嫌味と世辞はいらないっての。あなた、何してきたのよ」

 

「何をしにきた、ではありませんのね。ですが、立ち話をしている時間はないのではなくて?」

 

 手慣れてきた琴里の問いに眉根を下げた狂三がそう返すと、琴里も頷いてマンション前に止めた車を目指して歩き出す。

 

「そうね。ほら、ボケっと立ってないでさっさと乗る」

 

「うおっ……」

 

 何故か流れ弾で士道の扱いが雑だったが、軽く士道の足を蹴る仕草をした琴里に従って士道は車の後部座席に乗り込み、続けて琴里、狂三と乗り終える――――何の言及もなく狂三が同行しているのだが、どちらかと言えば、俺が席の真ん中が良かったなぁとか徹夜明けの頭で桃色なことを考えている間に、車はすぐに発進して道を走り始めた。

 

「で……一体二亜の何がわかったんだ?」

 

 一先ずはこの話題から。二亜に関して何かわかったのなら、移動中に把握しておきたかった。

 士道の問いを受けた琴里が、ああ、と素早く反応し答えた。

 

「――――――実は、二亜の漫画家仲間だって人にコンタクトが取れたの」

 

「ほ、本当か!? なら、その人に話を聞けば……」

 

「ええ。二亜の過去が何かわかるかもしれないわ」

 

 二亜が漫画家として過ごしていた過去。それがわかれば、彼女が抱える〝何か〟を知ることができるかもしれない。

 ゴクリと唾液を飲み下す士道に比べ、狂三は至極冷静ながらも興味深そうな顔をしていた。

 

「二亜さんの過去……わたくしも少しばかり興味がありますわ。精霊としての力を持ちながら、角もなく人間との交流を持つお方は珍しいものですこと」

 

「あなただって似たようなものじゃない」

 

「わたくしのそれは、交流とは間違っても言えませんことよ。物騒な(・・・)、という注釈を付けてよろしいのなら、幾らか宛はありますけれど」

 

 皮肉な微笑みを見せる狂三を呆れた目で琴里が見返す。

 士道の記憶が確かなら、狂三は基本的に空間震を伴った現界はしていない。だが、幾度となく戦闘行為を行っていたことは容易に想像できる。幾らかの宛とは、つまりそういう相手だろうと士道も苦笑いを浮かべた。

 

「あ、そうだ。狂三は昨夜、何してきたんだ?」

 

 さっきは聞き損ねてしまったことを改めて質問する。

 すると狂三は、んーっと人差し指を唇に当て悩む可愛らしい仕草を取り、いい笑顔で士道の問いに答えた。

 

 

「――――――宣戦布告ですわ」

 

「誰に何してきたの!?」

 

 

 どうしてその可愛らしい顔から、そんな物騒な言葉が飛び出してくるのか。

 思わず動揺して叫びを上げた士道をくすくすと狂三は笑い、琴里は腕を組み呆れを深めて深い息を吐いてから声を発した。

 

「……余計なことはしてきてないでしょうね?」

 

「あら、あら。そのようなお言葉を受けるのは心外ですわ。わたくし、信用がありませんのね」

 

「信用してるわよ。悪い意味でね」

 

「んもぅ、つれないですわねぇ」

 

 そんなこんなで、仲良く(?)じゃれ合うことおおよそ二十分。士道たちを乗せた車はとある喫茶店の前に停車し、中で客人に対応しているという令音と合流する。

 

「……ああ、来たね。シン、琴里、狂三」

 

 今さらということなのか、伝えていない狂三がいることにもノーリアクションで、徹夜明けの士道より眠たげな調子で向かいに座る人物を示してきた。

 

「……紹介しよう。こちらが漫画家の高城弘貴先生だ」

 

「あ、どうも――――――」

 

 会釈をしかけた士道の動きが一瞬止まる。名前からして、男性作家だと勝手に思い込んでいたが、士道の眼前にいたのは度の強そうな分厚い眼鏡をかけた二十代後半くらいの女性だったのだ。

 そしてその名前を思い返し、士道は二亜が言っていたことを思い出した。

 

『結構いるのよ。少年漫画を描くに当たって男性名のペンネーム使う女性作家って。ほら、『アナザーフェイク』の高城さんとかも実は女性だよ』

 

 二亜当人と同じく、男性名のペンネームを使っている女性作家。二亜を知っているほど交流があるとなれば、確かに納得のいく人物だった。

 

「初めまして、五河士道です」

 

「同じく、琴里です」

 

「友人の時崎狂三ですわ。本日はご足労いただき、感謝いたします」

 

 士道、琴里、狂三と続けて挨拶をする――――ここで茶目っ気たっぷりに狂三も同じくと続けた場合、間違いなく士道が吹き出してしまうところだったので、実は内心でいいのやら悪いのやらと思う士道だった。

 そんな士道の内心など露知らず、高城はテーブルに手をつき、合わせるように会釈を返した。

 

「おお、これはこれはご丁寧に。……それで、何でも今日は本条先生について聞きたいとか」

 

「あ――――はい、そうなんです。何でもいいので、知っていることを教えてはもらえませんか?」

 

「それは構わぬのですが……貴兄らは一体本条先生とどのようなご関係で?」

 

「へ?」

 

 高城は眼鏡の位置を直し、士道たちを探るようにレンズを輝かせた。

 

「いや失敬。しかしながら小生共は一応人気商売。無関係の方においそれと情報を漏らしてしまうわけにはいかぬのですよ」

 

「なるほど……」

 

 商売は信頼と人気が命。作家同士の情報など、まさに重要機密のようなもの。当然といえば、当然の返答だった。

 これはどう返したものかと思案を巡らせる一瞬――――その一瞬の間に、琴里と狂三が動いた。

 

「――――――実は二亜お姉ちゃん(・・・・・・・)とは遠縁の親戚なんですけど、何年か前から連絡が取れなくなってしまっていて……」

 

「わたくし、こう見えて人探しを仕事の一つにしていますの。それで、友人の(・・・)わたくしに依頼が回り、今はその情報収集を兼ねて、色々な方に二亜さんの事情を聞いているのですわ」

 

 二人揃ってつらつらと一部もつっかえることなく言葉を並べ立てる。車内でそういった話をした記憶もなかったし、これは完全に即興のアドリブということになる。

 顔色一つ変えず、嘘と本当を混じえながら場を乗り切る二人に、やっぱり相性良いんじゃないかという思いと、組ませたら一流の詐欺師になれるのではないかと戦々恐々してしまう士道だった。

 

「ふむ、なるほど。事情はわかり申した。小生も本条先生のことは案じておりました。出来うる限りの協力はさせていただきます」

 

「本当ですか!? ありがとうございます……!!」

 

 ペンネームではなく、〝二亜〟という彼女の本名を使ったことで信頼を得ることができたようだ。騙しているようで少しばかり申し訳なさがあったが、これで二亜のことを知ることができる。

 深く頭を下げる士道に――――高城は少し困った顔をして頬をかいた。

 

「しかしながら……小生がそこまでお役に立てるかどうか」

 

「っていうと……」

 

「いえ、実は小生も、ここ数年、本条先生とお会いしておらぬのですよ。それに……どうやら小生、本条先生に嫌われてしまっているようで……」

 

「え? どういうことですか?」

 

「いや……本条先生とは八、九年ほど前、出版社のパーティーでお会いしたのを縁に仲良くさせていただいていたのですが……ある時から急に態度がよそよそしくなられ、疎遠になってしまいましてな……。自分では勝手に、一番仲のいい作家さんだと思っていたのですが……その油断か、何か自分でも気づかぬうちに無礼を働いてしまったのかもしれませぬ」

 

ある時から急に(・・・・・・・)。その言葉に、士道は眉根を寄せた。狂三の表情は変わらないが、琴里も士道と同じような顔をしている。

 

「それって……」

 

 表情を変えない狂三は、もう既に当たりをつけていたのかもしれない。恐らくこれは――――全知の天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉が関わっていると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 店から出て、帰路のために再び車に乗り込んだのは、それから四十分後のこと。

 高城からの話でわかったことは二亜が人当たりの良い性格で、誰とでも気さくに話すことができる人だったということ。これに関しては、士道も理解を示した。初対面とは思えない距離の詰め方を、一度は経験していたからだ。

 しかし、漫画家になる以前のことはあまり話したがらず、特に昔の人間関係に関しては曖昧に言葉を濁していたこと。

 そして最も気になったのは――――――高城のように仲良くなれる人が現れると、逆に疎遠になってしまうという話だ。

 

「……どう思う?」

 

「どうもこうも、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の存在が関わっているのは間違いないでしょうね」

 

「わたくしも長い間、人がどういうものかは観察してきたつもりですわ。……ですが、二亜さんが見たものは、恐らくわたくしですら比較になりませんわ。人の悪意、人の業――――――全知とは、無慈悲なものですこと」

 

「…………」

 

 文字通りの、全知。それは、究極であり最悪な力なのかもしれない。

 二亜には全てが見える。人が見えない場所で話した会話、行動。人が影で自分をどう思っているか――――――全てが、余すことなく見えてしまう。

 狂三の哀れむような言葉を聞き、琴里はくしゃくしゃと頭をかいた。

 

「……意外と根が深いわね。二次元のキャラクターが好きなんて聞いた時は、何をふざけてるのかって思ったけど……それって要は、自分を裏切ることのない存在にしか心を開けないってことでしょう? そんなの……悲しすぎるじゃない」

 

「それは……」

 

 琴里の言っていることの大半には同意できる。二亜が心を開かない理由。過去を話したがらない理由。それら全ては、〈囁告篇帙(ラジエル)〉という神如き力があることが原因なのだろう。

 しかし――――――

 

「気になりますの?」

 

「え?」

 

「そんなお顔、していらっしゃいますわ」

 

 言わずもがな、二亜のことだと察している狂三が微笑んでそう言った。

 

「二亜さんのこと、まだ納得できていないのでしょう?」

 

「そうなの、士道?」

 

「ああ……まぁ、少しな」

 

 一点。ただ一点、士道の中に違和感が強く残っていた。そこに、二亜という少女の本質がある気がしてならない。それを理解できずして、二亜を救うことなどできないと思ったのだ。

 

「単なる人間嫌い。それで終えてしまうのは簡単な話ですわ」

 

「……それで終わったら、きっと二亜は救えない。二亜のこと、何もわかってないまま終わっちまう気がするんだ」

 

「ええ、ええ。わたくしも全てを見通せるわけではありませんが、あの方と言葉を交わし、得たものはあります――――――士道さんも、そうなのではなくて?」

 

「……!!」

 

 狂三の言葉にハッとなり、重い頭が少しだけ軽くなった気がした。

 二亜が本当に人間不信なだけなのか――――――きっと、違う。少なくとも、士道が見て、聞いて、話した二亜はそれだけじゃないはずだ。彼女の問題はもっと根が深く、それでいて……まだ、答えを出すには早急だと士道は頭を振る。

 

 

「――――――奇を以って勝つといえど、正を以って合わねば戦を制すことなかれ。士道さん、先ずは積み重ねから、ですわ」

 

 

 勝つためには奇策が必要だが、まずそこに至るまでの道で正攻法を用いる必要がある。でなければ、二亜の心を動かすことなど夢のまた夢。

 狂三の微笑みが、何より士道の力になる。気合いを入れるために狂三を見返し、コクリと頷き拳を強く握る。

 

「今は、同人誌を完成させる。それができなきゃ、二亜ともう一度話をすることもできないからな。何をするにも、そこからだ」

 

 タイムリミットは、残り少ない。それでも士道は、皆の力を借りて――――――本条二亜を救うために、持てる力を全て出し切るつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 十二月三十一日、午前一時。作業は既に佳境を迎えていた。

 緊張を強いられる作業の連続の中、士道たちはほぼノンストップで働き詰めだった。机の端に並ぶ栄養ドリンクとコーヒーの空き缶の数が、その恐ろしくブラックな突貫作業を証明してしまっている。

 それでも、どんな作業にも終わりは来る。一時を回り、タイムリミットが迫る中――――――士道は作画を完成させた。

 

「よし……これで……終、了……」

 

 原稿を避けるのを忘れずに、それから力が抜け落ちたように机に突っ伏した。ほぼ同タイミングで作業を終了した八舞姉妹も同じようなもので、鉄人もかくやという強靭さを持つ折紙ですら、背筋を伸ばしたまま動かなくなってしまった。

 残る作業は〈ラタトスク〉の面々に任せてしまって大丈夫だろう。と、終了に合わせるように部屋の扉が開き、別行動を取っていた琴里たちが大きなダンボールを抱えてやってきた――――――驚くべきことに、士道たちと同じような眠たげな顔をして。

 

「……ハイ、士道」

 

「お前ら……その顔、何してたんだ?」

 

 恐らくは、持ち込んだダンボール箱に関係することなのだろうが、頭が回らない士道には到底想像もつかなかった。

 

「それは秘密だぞ、シドー」

 

「お楽しみ……です」

 

「うふふ……本当なら睡眠不足は美容の大敵なんですけど、だーりんたちだけにお仕事をさせるわけにはいきませんからねー。それに、『狂三』さんたちに手伝ってもらって、クオリティもアップです!!」

 

 いぇい。と寝不足だというのにアイドルとして完璧なピースサインを見せる美九の背から、ひょこっと数人の『狂三』が現れて士道は目を丸くする。

 そう言えば、ストーリー会議の前にそんな風な話が一瞬あったことを思い起こし、出来る限りの笑顔で彼女たちを称えた。

 

「何だかわからんが、みんなありがとな。『狂三』たちも、大変だったろ」

 

「いえいえ、士道さんのお力になれたのなら、この時崎狂三、光栄の極みですわ」

 

「普段は『わたくし』に止められ、話すこともままならぬこの身ですものねー」

 

「まあ、『わたくし』の過去の経験が生きたということで――――――」

 

「あ」

 

 何か本体(オリジナル)とのキャラ乖離とか起きそうな発言だと思って苦笑していると、彼女たちの裏からニュっと古銃が現れてギョッとしてしまう。

 流れで、ガン、ガン、ガン! と、人を殴るにしても出して良い音なのか疑問を感じる容赦のない音が部屋に響き渡った。

 

「きゃん」

「あらぁ」

「いやん」

 

「もう少しまともな断末魔は用意できませんの?」

 

 トン、トン、と最近は聞き慣れた靴音を鳴らし、崩れ落ちた『狂三』たちを影で回収していく。

 「あーれーですわー」と何とも気の抜ける声を発して呑み込まれる『狂三』を気疲れした顔で現れた狂三は、はぁと息を吐いて見送った。

 

「皆様、お疲れ様ですわ。『わたくし』がご迷惑をおかけしたこと、謝罪いたしますわ」

 

「いや、迷惑どころか助けられたよ……ところで、狂三は何を――――――」

 

 してたんだ。そう聞こうとしたところで、士道は訝しげな顔をしてしまう。てっきり、いつものように『狂三』を回収したから気疲れした顔をしていたと思っていたのだが、よく見ると少し違う印象を受ける。

 士道たちのように疲労の寝不足、というわけではなさそうだが、何だか妙に疲れた顔をしている。何というか、あまり会いたくない相手と長時間話し込んだとか、そんな感じの顔に見えた。

 

「……何かあったのか?」

 

「いえ……必要とはいえ、あまり目にしたくない現実と向き合い、少しばかり精神をすり減らしただけですわ。大したことはございませんわ」

 

 それは、結構大したことあるんじゃないかなぁと、ほぼ全員が狂三に不思議な視線を向けてしまう。

 

「わたくしのことより、作業の方は?」

 

「ああ……俺はちょうど終わったところだ。あとはゴムかけしてスキャンしたら、アシスタントチームに送れる。耶倶矢と夕弦と折紙も多分、終わったんじゃないかな」

 

「そうですの。それでは――――――」

 

 狂三が視線を向けた先には、部屋の最奥があり――――――未だ大掛かりな作業を続ける七罪がいた。

 見るからに限界が近そうな彼女の様子に眉をひそめ、士道たちは七罪の元へ歩いていく。

 

「七罪……? 大丈夫か?」

 

「…………」

 

「七罪?」

 

「……!! あ、ああ……うん……」

 

 一目で、誰がどう見ても限界だとわかる疲労の反応。当たり前だ。この中で一番の重役であり、作業時間も長いのは七罪なのだから。

 

「俺たちの方の作業は終わったから、代わるよ。疲れただろ? 先に寝てくれ」

 

「……ううん、いい。もうちょっとだから……」

 

 霞む目を擦り、インクで汚れた顔を気にすることなく七罪はまだ作業を続行する。

 

「もうちょっとって……七罪、昨日から一度も仮眠を取ってないじゃないか。しかもネーム、下書きと一番作業してるはずなのに……」

 

「そうであるぞ。本番は即売会だ。あとは我らに任せて、常闇の眠りに誘われるがよい」

 

「同意。少し働き過ぎです、七罪」

 

「休養も立派な仕事」

 

 士道たちですら仮眠を取らせてもらっている中、七罪だけは頑なに休憩せずに完全なノンストップで作業を続けていた。もはや、いつ意識を失ってもおかしくない――――――けれど、七罪は決して手を止めなかった。

 

「……大丈夫……だから」

 

「で、でも……」

 

「……多分、私、本番じゃ役に立たないし、私にできるのなんて……これくらいだから。……だから、やらせて。こんな私が必要とされるなんて、思ってもみなかった。私だって、みんなの役に立ちたい……」

 

「七罪……」

 

「……私ね、士道や、みんなに助けられて、本当に嬉しかったんだ……それで、今度は、別の精霊を助けるために、一緒に力を合わせられる。それが、本当に……本当に、嬉しいの。だから、辛くなんてない。楽しくて楽しくて仕方がないわ――――――狂三も、私を助ける時、似たような気持ちだったのかな」

 

 そう小さく微笑んだ七罪の顔は、本当に嬉しそうな、彼女が取り戻した笑顔。狂三がいることに意識が向いているのかいないのか、反応こそしないものの狂三は少しばかり頬を赤らめていた――――――どうやら、図星のようだ。

 嬉しい、楽しいと思ってくれている。士道にとって、これほど救いとなる言葉はそうない。自分たちが必死にやってきたことは、無駄ではなかったと、救われた子が言ってくれることが、心の底から嬉しいのだ。

 

 

「あの二亜っていう分からず屋にも……早く教えてあげたい――――――友だちって、素敵だよ……って」

 

 

 そして、最後の線を引くと同時、身体から意識が抜け落ちた七罪はガクンと椅子から転げ落ちる――――――ところで、駆け寄った狂三が抱き抱えた。

 

「七罪!?」

 

 心配して声をかけると、狂三がシッと指を手に当て静止を促す。

 

「眠っているだけですわ。どうか、褒めて差し上げてくださいまし」

 

「……頑張ったな、七罪」

 

 すぅすぅと安らかな寝息を立てる七罪を、微笑みながら頭を撫でてやる。彼女がいなければ、本当にどうにもならなかった。いくら感謝しても、したりないくらいだ。

 そこで、狂三が七罪に顔を近づけ――――――

 

「七罪さん――――本当に、お疲れ様ですわ」

 

 ご褒美と言わんばかりに、頬に口付けを落とした。

 

「な……っ!?」

 

「きゃああああああああああッ!? 狂三さん、私にも、私にもくださいいいいいいいいいッ!!」

 

「MVP賞ですわ。次は会場で頑張ってくださいませ」

 

 さっきまでの流れとか疲れとか台無しに叫びを上げる美九に、狂三は無慈悲な社交辞令的な微笑みで一刀両断をした。最も、その微笑みに気づいた様子もない美九は、変わらずテンション高めに狂乱しながら身体をくねらせていたが。

 

「……七罪に嫉妬しちゃうのは、ちょっと情けないんじゃない、おにーちゃん?」

 

「……むぐ」

 

 どうにか動揺を美九のお陰で誤魔化せた……と思っていたのだが、妹様は目敏く誤魔化しきれなかったらしい。

 呆れた顔で隣を通り過ぎる琴里に、士道は返す言葉もないが少しだけ納得のいかない顔をする。

 いやだって、仕方ないだろう。――――――あんなこれ以上ない報酬を、羨ましがるなというのは士道にとってフェルマーの最終定理より難題なのだ。

 うぐぐ、と腕を組んで唸る士道をスルーし、七罪の机から原稿を手に取った琴里が、完璧と言わんばかりに小さく頷いた。

 

「――――――お見事」

 

 全員を見渡し、琴里は力強く宣言を出す。

 

「七罪の魂の玉稿よ。勝利の法則は、これで決まり――――――みんな、この勝負、絶対に勝つわよ」

 

『おぉっ!!』

 

 士道たちは拳を突き上げ、狂三も小さく七罪の手を取って合わせるように上げてやっていた。

 正攻法の武器は揃った。あとは――――――持てる奇策を出し切り、勝ち切るだけだ。

 






士道が寝不足でいろんな欲求が表に出てると思ったけど私の書く士道くんって割とこんなんかと思った。男の子は好意を持ってる子にはこれくらいわかりやすいのかなと。原作だとそういうのがある意味で全員に向いてるわけだから、あまりないとは思います。

ちなみに初期案だと真面目に五河狂三を名乗る流れありかなと思ったのですが、士道を巻き込んで綺麗に自爆する流れしか見えなかったので採用には至らず。残念……なのだろうか?

狂三も何やら企んでいるようですが、果たして彼女が疲弊するほどの相手とは。あと自分だからって雑に容赦のない本作の狂三ちゃん。いやほんと容赦ないね。自分だから士道相手になりするかなんてわかりますからね(

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十五話『黒の履歴は勝利の女神』

 

 夜明けを越え、午前七時三十分。戦場の狼煙が上がる。

 休息は十分とは言えないが、気力は十分過ぎるほどに有り余っている。天宮スクエアに集まった人は、まだ一般入場前だと言うのに目移りしてしまうほどの数だ。それぞれがそれぞれのスペースを持ち、思い思いに設営し着々と準備を進めていた。

 

「――――――いたわ。二亜よ」

 

 ホールの壁が見え、琴里が発した声で一同に緊張が走る。

 前方のサークルスペース――――精霊・二亜が数名のスタッフと長机に本を並べる作業を行っていた。

 

「……うん?」

 

 前方から歩いてきた士道たちに気がついた二亜が眼鏡のブリッジを手で上げ、パイプ椅子から立ち上がった。

 

「奇遇だねぇ、少年。まさかこんなところで会うとは思わなかったよ。おや、皆さんもお揃いで――――――ん?」

 

 士道の後ろに並んだ精霊たちに視線を送った二亜が、一通り見渡して訝しげな顔をする。初対面が多いのと、何人かは二亜を警戒して――今までいなかったタイプだとじっくり観察する美九は除く――いる者もいるので、もしやそのことかと思ったのだが、次の一言で疑問は氷解する。

 

「黒髪美少女ちゃんがいないみたいだけど」

 

「ああ、狂三のことか」

 

「……いや、それでわかるのはおかしくない?」

 

 応答に一秒とかけずにいると、言った本人の二亜が少し引き気味に笑みを浮かべていた。

 そうは言っても、会話の流れから二亜と狂三がどこかで接触していたのは知っていたし、士道の知人で黒髪美少女に該当する人物は必然的に時崎狂三くらいなものだ。

 従って、士道が即座に狂三だと断定したのは何もおかしなことではない。二亜としては、もう二、三のリアクションが欲しかったのかもしれないが。

 

「狂三ならいないぜ。ああ見えて、自由気ままなお嬢様なんでな」

 

「ふうん。もしかして、愛想つかされちゃった?」

 

「まさか――――――だったら俺は、今頃この世にいないさ」

 

 二亜の煽るような物言いに、士道は正面から超然とした微笑みで迎え撃つ。二亜がぴくりと眉をひそめ、一瞬だが複雑そうな顔をしたのが見て取れた。

 

「……本当に、君たち普通の友だちなの?」

 

「友だちさ。ちょっとばかし、物騒だけどな」

 

「っ……」

 

 理解などされない、友人関係だ。命を奪い合う関係など、大概の人には理解してもらえないだろう。

 だが、これが士道と狂三にとっての信頼関係(・・・・)だ。

 

「あいつと俺のこと、心配してくれてるなら、ありがとな」

 

「ふん、誰が……!!」

 

「あいつは――――――必ず来る。お前にも、そう言ったんじゃないか?」

 

 二亜が狂三のことを気にしたのなら、少なからず彼女の心に〝何か〟を残したに違いない。なら、士道もそれを信じるだけだ。

 身に覚えがあるのか、目を見開いた二亜は、それを振り払うように設営作業に戻ってしまった。

 その時、ちょうど琴里が呼び出したサークル〈ラタトスク〉――――士道たちが描いた本。その数は、示し合わせたように二亜の搬入したダンボール十個分の同人誌と同じ数だった。

 部数に二亜も素早く気がついたのだろう。こちらの意図を読み取り、面白い試みだと言わんばかりに挑戦的な笑みを浮かべた。

 

 無謀だと笑っているのか。できないことは止めろと暗に忠告しているのか。どちらにしろ、士道がここに来て立ち止まる理由はない。

 出来たての本、そのうちの一冊を手に取り、とても二日で作られたとは思えない出来に感動の息を吐いてしまう――――同時に、自分と狂三がモチーフになっていると思うと、気恥しさが込み上げてくるが。

 士道なりに、魂を込め、忠実に再現(・・・・・)したこの一冊を、士道は二亜に向けて差し出した。

 

 

「――――――今日はよろしくお願いします。サークル〈ラタトスク〉の五河士道です」

 

「っ――――――サークル〈本条堂〉の本条蒼二です。今日はよろしく」

 

 

 隣同士、本を交換する。それが通例であると知っている二亜なら、苦々しい表情をしながらも断れないと知っていた。彼女は、そういったことに関しては誰よりもしっかりしていると思った――――――だからこそ、二亜の心の闇には、まだ解けない謎がある。

 

「……この場で礼を失することはしたくないから、一応受け取っておくけど、あたしがこれを読むかどうかは、今日の結果で決めさせてもらうよ」

 

「ああ。それで構わない――――――楽しい一日にしよう」

 

 形だけでも、手を合わせて握手をする。それが真の意味での和解へと繋がるように――――――長い一日が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 皓々と光を放つ電灯。狂三が目を滑らせ文字を読み取る補助として活用されている、と言えるのかは定かではない。曲がりなりにも精霊。こんな形をしているとはいえ、目だけは人一倍に自信があった。

 はらり、はらり。ページを捲る音だけが室内に響く。何分、何時間――――ぱたん。本が閉じられる音を聞き、目の前に眠る少女がようやく声を発した。

 

「……行かなくていいんですか」

 

 第一声にしては、随分とつれない声だとくすりと笑みがこぼれる。まあ、以前までもこんなものだったかと狂三は声を返した。

 

「物事には最良の時期というものが存在いたしますわ。わたくし、それを見誤るつもりはございませんの」

 

「……あなた、また何か派手なこと企んでるでしょう?」

 

「人聞きの悪いことを仰らないでくださいまし。わたくしがいつも目立つことをしているようではありませんの」

 

「してるじゃないですか。あなたほどの凝り性は知りませんよ」

 

 失敬なことをズケズケと言ってくれる――――まあ、特別にこだわったことをしてしまうと、平気で数時間は感覚が飛んでいることがあるのは否定しきれない事実ではあったが。

 相変わらず表情の読めないローブの下で、小さく息を吐いた少女が心配を含んだ声を発した。

 

「……前みたいに私がフォローしたりもできないんですから、程々にしておいて下さいね」

 

「……っ」

 

 その何気ない一言に、狂三は僅かに息を詰まらせた。まるでもう、そんな機会が訪れないような、そんな風な言葉――――そんなはずはない。

 

「わかっていますわ――――――『わたくしたち』はわかっているのか、少し不安なものですけれど」

 

「……?」

 

 疲れと不安がありありと見える狂三の顔を見て首を傾げる少女だったが、言い方にピンと来たのか、ああ……と相槌を打ち声を返す。

 

「いります? あなた用に昔の衣装を――――」

 

「い・り・ま・せ・ん・わ!!」

 

 サラッととんでもないことを告げられて、狂三は病室ということも忘れ叫び返す。狂三の黒歴史、もとい忘れたい記憶シリーズが知らず知らずのうちに管理されていることに身震いする。あとで絶対に隠れ家を漁らせよう。そう誓う狂三だった。

 そうですか……と、ちょっと残念そうにしている少女にため息を吐き、狂三は椅子から立ち上がった。

 

「そろそろ向かいますわ。くれぐれも、あなたは大人しくしていてくださいまし」

 

「……ああ、そのことなんですが」

 

「なんですの?」

 

 ――――酷く、嫌な予感がした。何とも、自らの勘をそれなりに信用している狂三は、恐らく少女の次の言葉が自身の忠告に反するものだと予測できていた。

 

 

「結構、危ない橋(・・・・)を渡ると思います――――――アドリブをお任せしても、よろしいでしょうか、我が女王」

 

 

 扉へ向かう動きを止めて、狂三は思わず目を見開く。ただ、あくまで予想できていたこと。唐突に、何の脈絡もなく頼み事をしてくるのは変わらない。

 厄介なことに、その頻度が低いものだから――――――狂三は受け入れざるを得ないのだ。

 

「誰にものを言っていますの」

 

「…………」

 

 優雅で、華麗に。振り向いて、不敵な微笑みを見せつけた。

 

 

「必要なことなのでしょう? なら、演じてみせますとも――――――わたくしは、あなたの主なのですから」

 

 

 たとえ、仮初の関係だとしても。時崎狂三は、与えられた期待には必ず応えてみせる。

 

 それぞれの戦場へ――――――少女は再び、舞い戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 機先を制したのは、言うまでもなく二亜が掲げる〈本条堂〉だった。

 二日かけて仕上げたコスチューム、バニーガールの売り子。知人たちという名のサクラ。幻のサークルという話題性。それら全てを駆使してなお、本条蒼二というプロが培ってきた信頼という牙城を崩すには至らない。

 

「さあ――――――見せてあげますよ、二亜さん」

 

 だが、終わってなどいなかった。本条二亜は紛れもなくプロだ。超一流の漫画家――――――しかし、道は違えど、プロ(・・)という一言に関して一家言どころではない人物が、こちらにもいる。

 その名を轟かせ、その名が示す意味は――――――

 

 

「あなたが知りもしなかった女の力を。そして心に刻んであげます。この私――――――誘宵美九の名を!!」

 

 

 絶対的なアイドル。彼女はその名を知ろしめすが如く、両手を大きく広げる。

 天性の才か、或いは彼女という歌姫を祝福する運命か――――――ホールの入口から、会場と差がないほど夥しい数の足音が響いた。

 

「――――It’s show time!!」

 

 そこから先は、美九というアイドルの独壇場。SNS――――ソーシャル・ネットワーキング・サービス。それを利用した、美九自身が己の知名度を最大限活用する最大の切り札。

 それは、美九にとって諸刃の剣。未だ美九は、ファンであれ男性への恐れが消えたわけではない――――――けれど彼女は、七罪と同じく全力で力になりたいと言ってくれた。

 

「ふうん……やるねぇ。ホントに有名人だったんだ、その子」

 

「……ああ。凄いだろ。俺たちの自慢のアイドルだ」

 

 世界に誇れると言っても過言じゃない。士道は、彼女が素晴らしいアイドルだと、そう信じることができる。

 

 

「あら、あら――――――盛り上がっていますこと」

 

『……!!』

 

 

 そして、もう一人。美九を最高のアイドルだと知っている者は、ここにもいる。

 精霊たちがそれぞれの仕事をこなす騒音の中、こつり、こつり、響く靴音を鳴らし、追ってくる影のように姿を現した少女が一人。

 士道と二亜は彼女の登場に目を見開き、その間に、琴里が彼女を半目で睨みながら声を放った。

 

「盛り上がりは最高潮だけど――――――遅刻よ、狂三」

 

「いいえ、いいえ。予定通り(・・・・)ですわ――――――主役というのは、遅れて登場するものですのよ」

 

 不遜なまでに大胆不敵。妖艶な雰囲気を纏う、絶対者。いつだって、士道は彼女の姿を見慣れたことなどない。いつだって――――――時崎狂三は、五河士道を魅了する微笑みを浮かべているのだ。

 待ちかねた最強の救援に、士道は歓喜を隠しきれない声を漏らす。

 

「にしたって、遅いぜ狂三。待ちかねすぎて死にそうだった」

 

「あら、それは困りましたわね。士道さんに死なれるのは、わたくしが一番困ってしまいますわ」

 

「あ、狂三さーん!! 私、凄く頑張ってますよー!! だからご褒美はお願いしますねー!!」

 

 二人揃っていつもの会話をしていると、何やら大忙しの最中で美九が狂三を見つけて叫びを上げている。

 ひらひらと軽く手を振り、狂三は美九に聞こえる程度の声で応えた。

 

「美九さんの頑張り次第で、考えておきますわー」

 

「言質いただきましたー!!」

 

 ……考えておきますとは、善処しますと同じくらいの信用度だと思う。やるとは言ってないのだが、美九のやる気は出たようだし鼻歌で誤魔化す狂三が可愛いから、まあいいかと他人事に考える士道だった。

 

「……主役っていうけど、今更キミが来て何ができるのかな?」

 

 同じように狂三の登場に驚いていた二亜が、調子を取り戻して唇の端を上げて声を発する。

 だが、その挑発を――――――狂三は総毛立つほど狂気的な美しさである顔を、微笑みへと変えた。

 

「ええ、可能ですわ」

 

「……ッ!!」

 

「――――奇を以って勝つといえど、正を以って合わねば戦を制すことなかれ。二亜さんと美九さんの努力の証。素晴らしいですわ、素敵ですわ」

 

 こつり、こつり。再び、狂三が歩き出す。それを見咎める者はいない。観客全ての視線は、二亜と美九に向いている。

 

「努力がなければ奇策にはなり得ない。元の実力があってこそ、奇策なり得るのですわ」

 

「……何が言いたいのかな?」

 

「簡単な話ですわ――――――わたくしが、世界一素敵な方を魅了するほど、美しいというだけのこと」

 

 二亜が、そして士道はついでに顔を赤くして、狂三を驚きの目で見やる。

 指を高らかに掲げた狂三は、不敵な笑みを崩すことなく、舞台の幕を開くが如く名乗りをあげる。

 

 

「さあ、さあ!! 見せて差し上げますわ。『時崎狂三』がどれだけのものか。わたくしの履歴(・・)――――――存分に、ご堪能くださいませ」

 

 

 パチン。指を鳴らす音が会場に響き渡る。僅か一瞬、全ての視線が狂三へ釘付けになった。

 その一瞬で、十分。まるで、一点に意識を奪うマジシャンのような手さばきで――――――狂三の周囲は〝影〟に包まれた。

 

「な……っ!?」

 

 動揺は、またも一瞬。カーテンを開くように、影が散る。

彼女たち(・・・・)は、狂三に負けないほどの微笑みと共に、現れた。

 

 

「さあ――――」

 

 

 一人は、モノトーンのドレスと薔薇の意匠の髪飾り。医療用の眼帯を付けた、士道も見覚えがある彼女。

 

 

「ここからは――――」

 

 

 一人は、ゴシックパンクスタイルの装いと、全身に目立つ包帯を巻いた彼女。

 

 

「わたくしたちの――――」

 

 

 一人は、フリルのついた真っ白いドレスに、頭を覆うボンネット。ハート型の非常に可愛らしい眼帯。手には小さな傘を握った彼女。

 

 

「――――出番(ステージ)ですわ」

 

 

 一人は、黒地に花の模様が描かれた煌びやかな着物。帯風に仕立てられたコルセット。広い袖口から覗くフリル。何より、左目を覆う眼帯は刀の鍔をモチーフとし、和装とゴシックを見事に融合させた彼女。

 

 それら全員の名は、『時崎狂三』。そう、つまり――――――

 

「い――――――五つ子ッ!?」

 

「お、おおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 二亜の驚きをかき消すほど、士道は思わずという歓喜の雄叫びを上げ拳を握りしめる。それに釣られたわけでもあるまいが、何事かと少し離れた場所から様子を見ていたコミコの客たちも歓喜の声を上げ、美九のファンたちに負けないほど会場が打ち震える。

 この気を逃す狂三ではない。それぞれポーズを取る『狂三』たちの中心で、鮮やかな礼を見せ、言葉を放った。

 

「これよりは、『わたくしたち』がサークル〈ラタトスク〉にて――――――どうか、ご贔屓くださいまし」

 

『――――――!!』

 

 声にならない叫びとは、まさにこのことを言うのだろう。美九のファンに加え、狂三が即興で導いたファンたちも加わり、恐ろしいブーストがサークル〈ラタトスク〉にかかる。

 これが仮に、このような場でなければ異色の目で見られていたかもしれない。だが、しかし。世界を探してもそういない美少女たちのバニーガール。超一流アイドルの誘宵美九――――加えて、マジシャン顔負けの演出からの狂三五つ子。バックに〈ラタトスク〉がついているからこその荒業に、辺り一体が呑まれた(・・・・)のは言うまでもない。

 

 ――――奇を以って勝つといえど、正を以って合わねば戦を制すことなかれ。本の完成という正道を手にした今、何でもありの奇策で士道たちは勝利を狙う。

 

 在庫の数に圧倒的なアドバンテージがあった〈本条堂〉の二亜も、引き攣った笑みを浮かべて客に対応していた。

 

「そ、そんなのあり?」

 

「あら、どんな手でも使っていいと言ったのは二亜さんでしょう? わたくしなりに、会場での騒ぎにも最大限気を使いましたわ。それとも――――――千人以上の『わたくし』を変装させたサクラの方が、好みでして?」

 

「……手加減してくれてドーモ」

 

 今日一番の引き攣った二亜の笑みを、狂三はニッコリと返した。あまりに傍若無人な我が物顔の狂三に、流石の士道も――――最高の笑みを浮かべた。

 

「は、はははッ!! やっぱお前は最高に可愛いよ、狂三!! 終わったら写真撮影の時間を取ろうぜ!!」

 

「絶っっっっっっ対に、お断りいたしますわ!!」

 

 士道の心からの賞賛も、素っ気なく断られてしまう。

 見覚えのある過去の『狂三』。一度彼女を見ているからこそ、わかる。狂三は、こうして過去の自分を見られることを苦手としている――――にも関わらず、彼女は最後の一押し、隠された一手として『狂三』を策に組み込んだ。

 それほど、士道のため――――否、皆のことを信頼してくれている。嬉しくないわけがない。今日は、嬉しいことがありすぎて参ってしまうくらいだ。

 だから、残すところは。

 

「みんなにここまでしてもらったんだ……二亜、お前のためにも――――――俺たちは勝つ!!」

 

「はは、上等!! できるものなら――――――」

 

 不意に、二亜が発していた声が止まる。何事かと疑問を浮かべてサークルスペースを見やると、そこに答えはあった。

 

「た、高城……先生」

 

 分厚い眼鏡をかけた、見覚えのある女性に二亜が呆然とした声をこぼす。

 つい一日前、士道たちが二亜のことを聞くために接触した高城弘貴……つまり、二亜と旧知の仲(・・・・)である彼女が、二亜のスペースを尋ねていた。

 

「あはは、お久しぶりですな、本条先生。久々に先生がサークル出展されていると聞き及び、来てしまいました」

 

「あ、ええと……そりゃ、どうも……」

 

「突然すみませぬ。気分を害されたなら申し訳ない。でも一つだけ……お聞かせ願えぬでしょうか」

 

 高城が眼鏡のレンズ越しに二亜を見つめる――――それすら、二亜は視線を逸らしていた。高城からではなく、己自身から(・・・・・)逃避するように。

 

「……小生、気付かぬうちに何か粗相をしてしまったのでしょうか? もしそうならば、謝らせていただきたい」

 

「そ、そんなこと……あるはずないじゃないですか!!」

 

 頭を下げた高城に、二亜は慌てて声を荒らげる。そこに、いつもの調子で放たれる軽快な声色はなく、強く、悲痛なものがあった。

 

「そうなのですか?」

 

「……っ」

 

 けれど、それから二亜は言葉が続かず、高城もスペースを塞ぐことを防ぎたかったのか、本を一冊買い、もう一度礼儀正しくぺこりとお辞儀をした。

 

「たとえ嫌われていたとしても……小生は、本条先生の本を楽しみにしておりますよ」

 

「あ……」

 

 何かを告げたかったのかもしれない。叫びたかったのかもしれない。だが、二亜の言葉はそれ以上は続かず、ただ立ち去る高城を見つめるだけで終わってしまった――――――士道は頭の中で、欠けたピースが挟まる感覚を得る。

 線と線が繋がり、士道が感じたことが言葉として形にできる感覚。士道の顔を見て、狂三もそのことに気がついたのか、見守るような微笑みを浮かべながら接客作業を行っていた。

 

「二亜」

 

「……!! ああ、少年。みっともないところを見せたね。でも勝負は――――――」

 

「お前……あの人のこと、好きなんだな」

 

「は!? な、何言ってんの少年。あたしそういう趣味はないんだけど」

 

「いや、そういう意味じゃなくて。人間として……っていうか、友だちとして」

 

 そう、士道の経験で例えるなら――――――〈アンノウン〉。白い少女が、狂三や折紙に向けている感情。親愛の情として、二亜は高城のことが好きだと思ったのだ。

 でなければ、先程のような対応はできないはずだ。嫌いになったのなら、高城とは表面上だけでの関係を続けられたに違いない。士道の知っている二亜は、少なくとも楽々と世渡りができてしまうほどには、人間社会に適合していた。

 

「二亜、お前……もしかして、怖かったのか?」

 

「は? な、何を――――――」

 

「あのまま仲良くしてたら、いつか好奇心に負けて〈囁告篇帙(ラジエル)〉を使いそうだから――――――ようやくできた友だちに失望したくないから、身を引いたのか?」

 

 問いかけを受け、二亜は調子を崩して言葉を詰まらせ――――意地になったのか、顔を背けて本を売りながら言葉を返した。

 

「はッ、少年が何言ってんのか全然わかんないね!! ――――あ、五百円です」

 

「じゃあなんだよさっきのは!! お前、嫌いな人間にはむしろ普通に対応できるだろ!! ――――ありがとうございました!!」

 

 接客をしながらの珍妙な言い合いは続く。ここまで来たら、士道も一切引き下がるつもりはない。とことんまで追求してやると返す言葉を強めていく。

 

「うるさいなぁもう!! 販売に集中しなよ!! ――――あ、最後尾はあちらです!!」

 

「悪いがそうはいかない!! 俺が勝ちたいのはお前を助けたいからだ!! ならこの問題を放置してちゃ意味がない!! ――――はい、本の受け渡しはあちらです!!」

 

「ぐぅぅぅぅ――――――そうだよ怖くて何が悪いんだよ!! あたしだって友だち欲しいっての!! でもどうしようもないじゃん!! 超高性能監視カメラで相手の一生をずっと覗けるような奴が、友だち作れるわけないじゃん!! ――――千円お預かりします!!」

 

 悲痛な顔で言葉を吐く二亜を見て、士道はまた一つ、彼女という精霊を構成する大切なピースが埋まる感覚を得る。

 本条二亜は確かに人間に不信感を抱いている。けれど、それ以上に――――――自分自身が、不安なのだ。

 全知の天使という、抗いようのない超越者としての力。それを得て、親しくなれる間柄の人間と出会えて――――その人物の全てを覗けてしまう、自身への嫌悪感。それが負い目として重なり続け、二亜は他者と、何より自分を信じれなくなった。

 本条二亜を孤独たらしめる根本的要因。それは、超越者である二亜の恐れ(・・)諦め(・・)だ。ああ、なら――――――士道が叫ぶことなど、一つしかあるまい。

 

「そんなの、やってみなきゃわからねえじゃねえか!!」

 

「はッ!! 綺麗事だね!! じゃあ逆に聞くけど、少年。キミは四六時中、それこそトイレやお風呂まで自分のことを好き勝手に覗ける人間と、自分の知られたくない過去を勝手に漁れる人間と、心の底から仲良くなれるっていうのかい!?」

 

 並の人間なら、それで躓いてしまったかもしれない。だが、今の士道は――――――それを大きな笑い声に変えることができた。

 

「はは……ははははははははははははっ!!」

 

「な、何がおかしいのさ!!」

 

「――――悪いが、そういう手合い(・・・・・・・)には死ぬほど慣れててね!! 俺のプライバシーなんて元からあってないようなもんなのさ――――――それを気に病んでくれるお前が、天使に見えるくらいにはな!!」

 

「は、はぁ!?」

 

 意味がわからないと目を白黒させる二亜だったが、もう士道は止まらない。

 今、ようやく理解できた。二亜と士道の相性はむしろ良すぎるくらいに良い。最高に相性ピッタリだ――――――これを言うと、お嬢様が嫉妬してしまうから、心に秘めるだけにしておくが。

 

 

「覗きたいなら好きなだけ覗け!! 漁りたいなら好きなだけ漁れ!! 俺はそれでも!! お前を嫌ったりしない!!」

 

「……ッ!!」

 

 

 それが士道の伝えたい全てだ。五河士道は、全てを捧げると誓った少女がいる。だから――――――恥じるような生き方をしてきたつもりは何一つない。

 息を詰まらせた二亜は、すぐに切り返し、しかし悔しげな顔で叫びを返してくる。

 

「はぁぁぁぁぁぁ!? 何勝手言ってんの!? キミのことくまなく覗いたら、あたしがキミを嫌いになると思うんだけど!?」

 

 そんな言い争いをしている間にも、決着は刻一刻と迫っていた。

 部数において先手を取っていた〈本条堂〉を、会計のスピードで勝る〈ラタトスク〉が追い縋る。

 列は途切れることなく、熱狂が止むことはない。時に疲れたアイドルが癒しを求め『狂三』へ抱きつき、それがまたパフォーマンスとなって熱狂の渦を巻き起こす。いつ運営が飛んできてもおかしくはない馬鹿騒ぎ。

 そして――――――

 

「ありがとうございましたぁッ!!」

 

 士道が本を売り切り、その叫びを上げた一瞬の後。

 

「――――ありがとうございましたぁッ!!」

 

 ほんの一瞬。数秒の誤差で、二亜が全く同じ声を上げた。

 

「……!!」

 

「……っ」

 

 差などないに等しい。スタッフによる完売宣言も、全く同時に行われた。

 お互いが荒い息を吐き、真冬にも関わらず玉のような汗が滲んで止まらない。

 そんな中、相も変わらず涼しい表情の狂三が、熱気によって僅かばかり額に張り付いた髪を払い、声を発した。

 

「さて、判断の是非は二亜さん次第ですわね」

 

「…………」

 

 取れる手段の全てを出し切り、士道たちは二亜と競り合った。しかし、ここで二亜が意見を翻し〝卑怯〟の一言を使った瞬間、士道たちは何も言い返すことができなくなってしまう――――――恐らく、二亜はそれを嫌うだろうと思った。

 二亜が乱雑に音を鳴らして、パイプ椅子に座り込む。鋭く士道を睨みつける――――――けど、その手には。

 

 

「……いいよ。勝負は勝負だ――――――読もうじゃないの」

 

 

 始まりに渡した、士道たち渾身の力作(同人誌)が、手に取られていた。

 

 





なんかちょっとスタイリッシュなタイトルですけど要は黒歴史襲来って意味です。けど、時崎狂三という人外の美しさを理解しているのは他でもない狂三です。だからこその自信であり、実行可能の戦術。まあ運営来なかったの〈ラタトスク〉がバックにいるからでギリギリだとは思いますけどね!! 分身体サクラ戦術はいくらなんでも慈悲がないのでNG。

ということで、ここで狂三四天王推参。4人一斉に登場すると会話が成り立ちやしないってことがわかったので、二亜編後のいつの日か個別で書いてみたい。真っ先に士道が叫ぶのは仕様です(

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十六話『純粋で不純な物語』

 

 同人誌売り上げ勝負の決着。本の完売からおよそ一時間後。士道たちは一通りの片付けと着替えを済ませ、天宮スクエア裏手の公園へとやってきていた。

 同人誌を読んでもらうにしても、精霊に関わる事柄である以上、部外者のいない場所が適切だと判断しての行動だった。

 これであとは、二亜に本命の同人誌を読んでもらうだけ――――――

 

「……少年、大丈夫?」

 

「あ、ああ……気にしないでくれ」

 

 なの、だが。士道が苦しげに呻いているのには理由がある。全身に重しを付けたようにぎこちない動きをする士道だったが、それはそうだ。

 如何に軽いとはいえ、四人分(・・・)の体重をモロに組みつかせるのは、身体に響くというものだった。

 

「五年ぶりですわね、士道さん。わたくしのこと、覚えていらして?」

 

「そりゃあな、忘れるわけないだろ」

 

「わたくし!! わたくしは如何がですの?」

 

「いや、お前とは初対面だよな? というかどこか怪我してたり……ってわけじゃないのか」

 

「ずるいですわ『わたくし』。士道さん、わたくしのこともしっかり見てくださいまし」

 

「見るって言っても、この体勢じゃあな……あ、写真撮らせてもらっていいか?」

 

「もちろんですわ!! このわたくしが到達した真理、日本風ロリヰタ!! 心ゆくまでご堪能くださいませ!!」

 

「こ、こういう状況じゃなきゃ、ずっと堪能してたいんだがな……」

 

 ちなみに上から、五年前に出会った『狂三』。全身あちこちに包帯を巻いた『狂三』。甘ロリゴシック衣装の『狂三』。曰く『ロリヰタ』ファッションの『狂三』、である。

 まあ、言うまでもないことではあるのだが、士道の全身にくまなく組み付いて離れる気配がない。なお、同時に飛び込む蛮行に及ぼうとした折紙、及び作戦功労者の某アイドルは十香たち総掛かりで取り押さえられていた。

 二亜に案じられてしまうくらいには大惨事な光景なのだが、士道としても頑張ってくれた『狂三』たちを無下にできずにいた。如何に軽いとはいえ、人四人に高校生一人。またまた言うまでもなく、士道の身体は悲鳴を上げて全身汗びっしょりだった。

 いよいよ身の危険を――色々な意味で――感じ、どうしたものかと苦笑していると――――――ダン!! という地響きかと聞き違う音が公園に響いた。

 

『あーれーぇぇっ!!』

 

 何ともわざとらしい、打ち合わせでもしたのかという声を上げ、『狂三』たちが揃って士道の身体から剥がれていく。

 軽くなった身体で後ろを振り返ると、微笑む狂三と小さくなっていく彼女の〝影〟があった。微笑みとはいうものの、額には怒りを表す血管が見えているように思えたが。

 

「――――失礼いたしました。二亜さん、続きをどうぞ」

 

「……え、いや――――――」

 

「つ・づ・き・を!! どうぞ?」

 

 さも何事もありませんでしたという狂三の圧に、さしもの二亜も困惑気味に「えぇ……」と頬をかく。

 ちなみに、経験則でこうなった狂三はテコでも動かないと知っている士道は、コホンと気を取り直して声を発する。時崎流ゴリ押し術を正面から相手にするには、少しばかり手間がかかるのだ。それをしていると、日が暮れてしまいそうだった。

 

「じゃあ、二亜」

 

「……わかってるよ。言っておくけど、あたしが了承したのはあくまでこの本を読むことだけ。そっから先はまた別の話!! 変な期待はしないでおいてよ?」

 

「……ああ」

 

 視線を鋭くしてそう言った二亜を、士道は緊張を滲ませて頷き返す。全ては、この本が二亜の心に届くか、それだけにかかっていた。

 精霊たちも士道と似たような面持ちで二亜を見つめていたが、それが集中力を阻害するのか二亜がシッシッ、と手を払った。

 

「うんじゃ、ちょっとあっちに行っててよ。漫画を読む時にいちいち『ナズェミテルンディス!!』とか言いたくないのよね、あたし」

 

「お、おう……?」

 

 何を言っているかはよくわからないが、要は口出しどころか見ているところも見るなということだろう。

 今更、どう足掻いたところで変わりはない。士道は二亜の言葉に従い、少し離れた場所で精霊たちと共に静かに二亜の判決を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大口を叩いておいて、全くしてやられたと二亜はため息を吐いた。

 

「……分身がいることは知ってたけど、まさかあんな〝濃い〟とはねぇ」

 

 自身の魅力を最大限理解した上での、ギリギリまで自身の存在を伏せる戦術。

 一瞬あれば、己が人の視線を釘付けにできるとわかった上での、インパクトを残す五つ子(・・・)の登場。

 そこまで積もりに積もった奇策があってこそだが、ダメ押しは間違いなくあの子だろう。まったく、予測してやったというならとんでもない大物だ。

 

 ――――――そんな彼女が士道に力を貸そうと思う理由は、何なのか。

 

「……少年め、好き勝手言ってくれやがって」

 

 その少年、五河士道。彼もまた、とんでもない大物だ。二亜の心に遠慮も容赦もなしに、よくあそこまで踏み込んで来ようと思う――――――彼の言っていたことが、全てにおいて図星なのが、余計に腹が立って仕方がない。

 

「……あれだけ大口叩いてくれたんだ。パンパな出来じゃ許さないからね」

 

 表紙には、士道を模したと思しきキャラクターが描かれている。どうやら、本気で〝士道〟というキャラクターを作り出したようだ。その上、荒さはあるものの絵はかなりしっかりしている。

 

「ふうん。ま……でも重要なのは中身だよね」

 

 どれだけ綺麗だろうが、内容が二亜のお眼鏡に叶うようなものでなければ無意味だ。

 ぱらり、ぱらりとじっくり読み進めていく。色眼鏡を持つことなく、真摯に、丁寧に――――――そして、最後のページを読み解き、二亜は数分ぶりに大きく息を吐き出した。

 

「……なるほど、ねぇ」

 

 感想としては――――想像の上を行く完成度ではあった。これを二日で作ったなど、二亜でなくても信じられない出来をしている。そこは、素直に褒め称えてやってもいいだろう。

 だが、逆に言えば、そこまでだった。五河士道という少年が、精霊と出逢い、それぞれの心を救い出していく物語――――――その中で、始まりに出逢っていた(・・・・・・)少女が精霊であり、少年の命を狙う存在だった。余興を経て、二人は恋に落ちてしまい……命を奪い合う関係にも関わらず、誰より信を置く関係へと発展していく。話の流れとしては、そんなものだ。

 まず、〝士道〟をヒーローとして描きすぎた結果、あまりに現実感がない。加えて、ヒーローとして純然に描かれた士道の中にある、恋をした精霊とのやり取りが、ある種の不純(・・)としてあってしまうこと。

 少女を救うために全身全霊を尽くしている少年が、唯一と言っていいほど特別な感情を持ってしまっている。これはキャラクターとして矛盾していた。二亜をデレさせたいなら、他に描き方があっただろうに――――まあ、結局は現実感がないのは同じなのだが。

 

「残念だったね、少年。頑張ってくれたみたいだけど――――――」

 

『ただし――――――命の取り合いをする仲の、ですけれど』

 

『友だちさ。ちょっとばかし、物騒だけどな』

 

「っ……」

 

 締めくくろうとした二亜の脳裏に、そんな二人の言葉が蘇った。

 ありえない。命を奪い合う関係で、信頼を築けるはずがない。

 強大な力を持つ者への感情は、まず恐怖である。少年と精霊の純粋で不純な信頼関係など、現実感のない馬鹿げた想像上の話でしかない――――――けれど、二亜は、気づいた時には〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手にしていた。

 

「…………」

 

 違う。二亜はただ、この漫画の制作過程に興味があっただけのこと。ごく短期でこれだけのクオリティに仕上げたやり方を、知っておきたかっただけだ。

 全知が記す文字に手を触れ、二亜の頭の中に求めたもの全てが映し出されていく。

 

『ここの士道さんはもっと詳しく描くべきですわ!! わたくしの目から見て、惚れ惚れする活躍でしたもの!!』

 

『だったら狂三の方を力強く描くべきだろ!! 俺の目から見て、惚れ惚れする活躍だったぞ!!』

 

『だぁぁぁぁぁッ!! もうキリがないわ!! 狂三、あなた【一〇の弾(ユッド)】でみんなに記憶を共有してちょうだい!!』

 

『わたくしに死ねと!?』

 

『誰もそこまで言ってないわよ!!』

 

 何だか恐ろしくどんちゃん騒ぎをしていて、出来れば見なかったことにしてあげたい二亜だった。

 

「……なるほど。話をみんなで決めたあとは、七罪って子をメイン作画に据えて分業か……でも、あんまり参考にはならないかなぁ。あれだけの数のデジアシ集めるなんて現実的じゃないし。さすが〈ラタトスク〉。無茶するなぁ」

 

 二日で仕上げたカラクリは、この無茶苦茶な力技にあったということか。無論、作画班の努力の賜物なのだろうが――――そこまで読み解き、二亜は一人の言葉に眉を動かした。

 

『あの二亜っていう分からず屋にも……早く教えてあげたい――――――友だちって、素敵だよ……って』

 

「……ふん」

 

 七罪の声を聞いて、しかし二亜の心に変化はない。

 当然だ。その程度の綺麗事で、揺らぐような心は持っていない。不快そうに顔を歪めるのが精々だ。

 

「はいはい……ご高説どうも。悪いけど、キミたちの漫画じゃ、あたしは――――――」

 

 その時だった。〈囁告篇帙(ラジエル)〉が光り輝いた(・・・・・)のは。

 

「え……?」

 

 光は、文字。新たな英知。主が望んだもの(・・・・・・・)を刻み、知恵とするのが全知の天使。

 

「これ、は……」

 

 二亜は、思ってしまった。ほんの僅かでも、今、そして直前に――――――知りたいと。聞くに耐えない戯言を、信じられない関係を築く士道たちに、何があったのかを、二亜は己で知ってみたいと思ったのだ。

 だからそれを、最高で最悪の天使は正しく叶えたに過ぎない。

 七罪だけではない。折紙、美九、耶倶矢、夕弦、琴里、四糸乃、十香。彼女たちにも過去があり、闇があった。精霊として、辛い過去や残酷な自分自身を抱えていたのは、二亜だけではなかった。

 人であれば、挫けてしまうだろう絶望。

 人であれば、打ち砕かれてしまうであろう心の闇。

 

 だが、五河士道だけは、違った。

 

「あ……あ……」

 

 現実ではありえない。二亜はそう断言した――――――違ったのだ。この本で描かれたことは、全て真実。偽りのない、五河士道という少年が紡いだ道。

 全身全霊を懸けて、ただ救いたいという希望のため、己が身を顧みず戦った少年の軌跡。

 

 そして、二亜は、最も大きな闇に触れた。

 

「……ぁ」

 

 絶望があった。狂気があった。しかし、精霊は絶望に沈むことはなかった。沈んでしまえば、精霊は精霊でなくなってしまうから。

 長い、長い軌跡の欠片。それでもなお、精霊の闇は深淵を思わせる色――――――それを照らす、たった一つの感情。

 

 

『――――――好きだ、狂三』

 

 

 たった、それだけ。それだけで、精霊(少女)の心象風景は輝きを取り戻した。

 輝かしい感情は、どこまでも矛盾した感情は、だからこそ嘘偽りのない愛情(・・)という光。

 〝士道〟と士道が、重なる。綺麗事なんかじゃ、ない。士道は全てを本気で、受け止めてくれる人なのだ。

 

 みんなの勇者(ヒーロー)――――――それが五河士道だ。

 

「は……ははっ。無茶苦茶だなぁ、少年……っ」

 

 何があっても諦めず、心の闇を溶かす光。

 

 ただ好きという感情のために、誰よりも非情を演じる少女を救わんとする者。

 

 どちらも真摯で、どちらも本当。大切な者へ向ける感情に、壁などありはしない。士道にとって、どちらも大切だから、必要とあらば迷いなく命をかける。

 自身の命を狙う精霊の心さえ解きほぐして、その善性を認めさせるなんて――――――本当に、無茶苦茶(素敵な話)だ。

 

 ――――別の光が、ページに零れ落ちる。

 

「……っ」

 

 それは、二亜の感情全てを乗せた――――――涙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!! 二亜――――」

 

 士道たちが待つこと、数十分。待ち望んでいた人物が現れ、士道たちは各々弾かれるように立ち上がった。

 

「くく……来おったか」

 

「緊張。結果はどうだったのでしょう」

 

「……?」

 

 精霊たちと共に、ごくりと喉を鳴らす。が、士道は近づいてきた二亜を見て思わず眉根を寄せた。

 眼鏡をかけていてもわかるくらいに、二亜の目が充血していたのだ。気にするな、というのは無理な話だった。

 

「二亜、どうかしたのか……?」

 

「……、いやー、別にー……」

 

 とはいえ、当の本人が軽い調子で答えてしまえば、士道から追求することは難しくなる。

 

「で……どうだった、二亜。俺たちの本は」

 

「…………」

 

 それに、今はこうして真っ先に聞きたいことがある。

 この是非で、士道たちと二亜の命運が決まってしまうのだ。

 結果は――――――

 

「――――なかなかよくできてたけど、さすがにこれ一冊であたしを落とそうなんて、見通しが甘すぎるんじゃないかなぁ。悪いけど、そこまで安い女になったつもりはないよ」

 

「う……」

 

「――――――でも、まあ」

 

 駄目だったのか。全身を無力感が突き抜けようとした瞬間、二亜は言葉を止めることなく続けた。

 

「見所がないわけでもないみたいだし……なんていうの? もう一回くらいチャンスをあげてもいいよ」

 

「へ……?」

 

 今、二亜はなんと言ったのか。聞き間違えでなければ、その二亜が恥ずかしげに頬を染めているのが、間違いでなければ、彼女は。

 

 

「……だから、もっかいだけデートしてあげるって言ってんのさ。少年も男なら、そこで決めてみなよ」

 

「…………!!」

 

 

 今一度、チャンスをくれると言ったのだ。

 突き抜けたのは、無力感ではなく歓喜。思わず、周りの騒音も気にせず叫んでしまいそうになるのをグッと堪えるのに必死だった。

 

「シドー!!」

 

 感情の発露は、十香たちも同じだったようだ。迷いなく士道に飛びかかって、全身で喜びを顕にする。

 

「きゃー!! だーりんやりましたーっ!!」

 

「すごい……です!」

 

「当然。士道の魅力の賜物」

 

「ははは……やめろってお前ら。……って、美九と折紙はホントにやめてもらえますかね。あの、ちょっと? なんかどさくさに紛れて服脱がそうとしてないか!?」

 

「えぇー? そんなことしてませんよー。ねー?」

 

「していない。結果的にそうなっていたとしても、それは不幸な事故。誰のせいでもない」

 

「さっきのこと全く反省してないな!?」

 

「まあまあ、よいではありませんのよいではありませんのー」

 

「よくないから!! てか眼帯と包帯と甘ロリと和服の狂三はどうやって脱出してきた!?」

 

 なんと、どうやって脱出したのかわからない『狂三』たちまで参戦してさあ大変。折紙、美九、『狂三』を引き剥がそうとする他の精霊たちまで参加するものだから、士道を中心にもみくちゃの状態にされてしまった。

 無事なのは、仕方ないと言わんばかりに頬に手を当て息を吐く狂三と、堪えきれない笑顔を見せる二亜だけだ。

 

「……ぷ、はは、あははははっ。ほんっと、面白いなぁキミたちは」

 

「まったく、目が離せませんわ」

 

「――――けど、それが悪くないんでしょ?」

 

 狂三の中の何かを、覗くような。気づかいにも似た顔で二亜が言う。目を見開く狂三に、優しく微笑んだ二亜が言葉を続ける。

 

「……うん、いいなぁ――――――ねぇ少年、もしかして、キミなら」

 

 ――――刹那。

 

 『異常』は、二亜を、そして士道を襲った。

 

 

「え……? あ、あ、あ、ああああああ、あああああああああああああ……ッ!?」

 

 

 息を詰まらせた二亜が、身体を激しく震わせる。耐えきれないというように、頭を抑え膝をついた。

 当然、士道は二亜に駆け寄ろうとした――――――彼女の身体から溢れる、漆黒の霊力(・・・・・)を目にするまでは。

 

「二亜……ッ、な、――――――!?」

 

 ――――――痛い。

 

「が、……ぁ、ああああああッ!!」

 

「士道さん!?」

 

 頭が割れる。〝何か〟が、持っていかれる。劈く悲鳴。嘆きの怨嗟。鏡に映し出された、絶望(憎悪)

 立っていられない。引っ張られる(・・・・・・)。全身の寒気が止まらない。

 あまりに強く握り過ぎたのか、自制を促すために掴んでいた両腕から血が流れ始めた。それすらも、気休めにしかならない。

 一度、手にしたことがあるから、わかる。これは、己であって己ではない。己であり、己である〝何か〟。一度は手放した〝それ〟が、唸り声を上げてせり上がってくる。

 このままでは、士道は士道でなくなる。その、時。

 

 

「シドー!! しっかりしろ、シドー!!」

 

「士道さん、気を確かに。受け入れるだけではいけませんわ。受け流して――――――あなた様の意思を貫いてくださいまし!!」

 

 

 二人の手が、触れた。

 狂三と士道だけではない。精霊たちの声が聞こえてくる。

 士道の意思。士道のやるべきこと――――――全てを変える――――否、今は、ただ――――――二亜を、救う(・・)

 

 全力で、自身の頭を殴りつけた。

 

「ぐ、あぁッ!!」

 

「士道!?」

 

 脳が揺れる。皆が受け止めたことで、何とか倒れることだけは防ぐことができた。自分に対して遠慮せず拳をぶつけたことで、頭が恐ろしく痛む。

 しかし、お陰様で帰って来られた(・・・・・・・)

 

「士道さん、士道さん。意識はハッキリしていまして? 何か、おかしなところはありませんか?」

 

「大、丈夫だ……今のは、二亜(・・)の……」

 

 寄り添う狂三に返事を返すと、不安げな表情の精霊たちもホッと息を吐いた。だが、すぐに表情を引き締め直す。

 士道の中の何かと、二亜から漏れ出た〝何か〟が、合致して、引っ張り合うように共振(・・)した。

 下手をすれば、いいや、戻ってこられたのは狂三たちがいたからだ。士道一人だったら、間違いなく取り返しがつかないことになっていた。漠然とした予感に、士道は顔を歪ませ吐き気を抑える。

 

「……ええ。一度抑え込んだからと油断なさらず。どうか強く気をお持ちになってくださいまし――――――来ますわ(・・・・)

 

「……ッ!!」

 

 切れた額から流れる血を乱雑に拭い、士道は立ち上がって正面を見やる――――――あまりに、絶望的な光景があった。

 近づいただけで、身体が溶けてしまうのではないかと思える濃密な霊力。それに呼応してか、空間震警報が街全体に響き渡った。

 霊力の塊は、汚染された泥だ。触れた地面が溶解し、聞くだけで心臓が潰れてしまいそうな二亜の絶叫が辺りの物をひしゃげさせていく。

 もはや、確かめるまでもない。士道たちの目の前にいる二亜は、普通の精霊ではなくなった。

 疑問、戦慄、呆然。あらゆる色を声に乗せて、士道は言葉を作った。

 

 

「――――反転、精霊……!!」

 

 

 ――――――世界を狂わせる『魔王』。絶望の権化が、顕現しようとしていた。

 






ヒーローとして完成されているが故の、個人的感情からもたらされる不純。言ってしまえば、このリビルドという物語は邪道で歪んでるんですよね。本気でありのままを伝えれば、そら歪んでるとなります。
だって、ヒーローとして存在する士道が、最初から狂三にだけは特別な感情を持って救おうとしているのですから。純粋な救いの中に紛れた、不純な動機。けどそれは、人として正しいものだと思います。
人を愛することが罪だとでも…(ユートピア!)ただ、やり方間違えたらバッドエンドまっしぐらな感情ですけどね、これ(フラグ構築)

さあ、今回もクライマックスの時間です。ショーの幕開けも近づいて参りました。果たして、反転した二亜と霊結晶の行方は……?
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十七話『混迷の戦場(マジック・ショータイム)

「あ、ああああ、ああああああああああああああああ――――――ッ!!」

 

 その絶叫は、悲痛。その光景は、凄絶。

 二亜の額、手、足、身体の至るところ、全身くまなく傷が付けられ、夥しい血が流れていく。

 それは傷つけられている、というよりは思い出したかのように、時間を逆再生(・・・)している傷跡のように見えた。

 同時に、士道は全身から発する〝痛み〟に顔を歪ませた。

 

「が、……ッ!! く、そ……」

 

「士道さん、また……!!」

 

「だーりんから血が……し、止血しないと!! もー何がどうなってるんですかー!!」

 

 二亜よりはマシ、というべきか。美九の言う通り、士道の服にこびりつく血の痕(・・・)と匂い。

 また、持っていかれかけている。これは士道の痛みではなく、二亜が感じている痛みなのだと本質を理解する。だが、これを受け入れてはいけない(・・・・・・・・・・)

 

「落ち着いて。これはただの傷じゃない」

 

「士道さん、ゆっくりと呼吸を――――――わたくしに、身を委ねて」

 

 そっと、身体に血の汚れがつくのも厭わず狂三が士道の身体を抱きしめる。

 彼女の言うことに従い、息を吸って、吐き出す。それを幾度も繰り返し、士道は己のするべきことを刻みつけた。

 二亜の痛みに呑まれるな(・・・・・)。彼女と共振し、士道までも呑まれてしまえばそこで終わりだ。呑まれるのではなく、受け流す。彼女の痛みを知りながら、彼女を救うにはそれしかない。

 ――――――ようやく、痛みが引いていく。自然と荒くなる息をまた整えて、士道は気丈な表情で二亜を見やる。絶望の淵(・・・・)へ立たされた修道女を、見る。

 

「二、亜……」

 

 狂三に支えられながら立ち上がり、血と霊力で全身を覆う二亜と相対する。

 

 ――――反転体。精霊が絶望の淵に立たされた時に起こる、霊結晶(セフィラ)の転換現象。〈アンノウン〉曰く、霊結晶(セフィラ)が本来の形に戻った形。

 かつて、十香と折紙が反転してしまった時があった。

 十香は、士道が殺されかかるところを見た瞬間。

 折紙は、己の手で両親を殺めてしまったことを知った瞬間。

 そして、ここまで来たなら認めざるを得ない――――――士道も、道を踏み外しかけたことがあるはずだ。人間である士道が反転してしまったら、封印された精霊たちはどうなってしまうのか。果たして、止められる者は存在するのか。

 今は、考えるべきではないと士道は頭を振る。今優先すべきことは、二亜がどうして反転してしまったか、だ。あまりに突然のことで、反転の理由が皆目見当もつかない。

 

「二亜、どうして……!!」

 

「……嫌な、気配ですわ」

 

 士道の問いかけに答えたわけでもあるまいが、狂三が顔を顰め、霊装を展開し臨戦を取る。

 二亜の放つドス黒く重苦しい霊力に対してか、それとも士道が感じられない別の〝何か〟に対してか。

 狂三が霊装を展開したと同時、二亜がギロリと睨むように顔を上げる。自らの血で真っ赤に染まり、血の涙を流すそれは、染まり切った霊装と合わせ、まるで黒く歪んだ聖母の像のようだった。

 

 

「――――〈神……蝕、篇……帙(ベルゼバブ)〉――――」

 

 

 絶唱には程遠い、掠れきった呼び声。しかし、『魔王』は主の声に応えた。

 巨大な本は、もはや天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉とは全くの別種。〈暴虐公(ナヘマー)〉、〈救世魔王(サタン)〉と同じ『魔王』へと昇華してしまった。

 圧倒的な波動を解き放ち、本が開かれる。凄まじい速度で捲られたそれは、本から外され辺り一体へ数え切れない量の紙を撒き散らした。

 

「これは……!!」

 

「気をつけて、士道。あれは魔王の一部。ただの紙吹雪ではない」

 

 『魔王』は奇跡の体現たる天使と対になる存在。折紙の冷静な分析は、当たっていた。

 ページが怪しい輝きを放ち始め、それらが一層力を増したかと思うと――――――

 

「な……!?」

 

 闇の怪物。幾度も、幾度も、幾度も。繰り返すように、幾体もの異形の化物が這い出てきたのだ。

 

『――――――――!!』

 

「あら、躾がなっていませんわ――――ねッ!!」

 

 咆哮か悲鳴か、士道には到底判別が出来ない声を上げて一斉に飛びかかってきた怪物を、狂三は躊躇いの一つもなく銃で撃ち抜く。正確無慈悲、士道の目が追い切れない速さで次々と異形の身体に風穴を開けていく。

 

「――――〈絶滅天使(メタトロン)〉」

 

「――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 狂三だけではなかった。折紙、十香、だけでもない。琴里を除く精霊たちが皆、限定霊装を纏い〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉が生み出した異形の怪物を打ち払う。

 

「みんな……!!」

 

「事情はよくわからぬが……放っておけないことだけはわかった!!」

 

「周りの邪魔な子たちは私たちに任せてくださいー!! だーりんは二亜さんを!! あ、狂三さんはだーりんをお願いしますねー!!」

 

「つまり、いつもと変わらないということ、ですわねぇ」

 

 臨戦の態勢を取りながらも、どこか余裕のあるやり取りをする狂三と美九。が、優雅な微笑みはあれど油断は見られない。

 精霊たちを警戒してか、〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉から再びページが舞い、恐ろしい数の異形が姿を現した。

 姿勢を下げ、自然と走り出せる体勢を取る。そんな士道を見て、琴里が眉をひそめて言葉を発した。

 

「士道、大丈夫?」

 

「……ああ。二亜を助けられる可能性があるの、俺しかいないだろ」

 

 やるべきことは、ただ一つ。二亜を反転から救うこと――――――そのために、二亜とキスをする。それで二亜を救えるかは、正直に言えば分の悪い賭けだと思っている。

 十香は呼びかけとキスで、折紙は狂三の手を借りてようやく反転から呼び戻すことができたのだ。二亜の反転理由は不明な上、士道にどれだけ心を開いてくれているかさえわかっていない。

 けれど、士道しかいない。そして、士道もそれしか方法を持ち合わせていない。なら、それを実行に移す以外に選択肢はなかった。

 しかし、士道の応答を聞いた琴里は首を横に振る。そのことではない、というような顔だ。

 

「そっちじゃないわ。士道、あなたさっき二亜に引っ張られたわよね?」

 

「っ……」

 

「理由はわからないけど、士道までああなったら……」

 

 司令官らしくない、琴里の不安な顔が見て取れる。

 琴里の言っていることは、士道の感覚と一致する。何の因果か、関係かはわからないが、士道は反転した二亜と感覚を共有、或いは共鳴作用を引き起こしていた。

 こればかりは、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の再生能力でも賄いきれない。先程のように、士道が意思の力で押さえつけるしかないからだ。そのリスクを、琴里は士道を案じて口にしたのだ。

 司令官としては、士道へ行けと言わなければいけない。同時に、リスクを懸念して最後の静止をかけた。

 それを感じ取った士道は――――――とびっきり勇気を持てる、不敵な微笑み(・・・・・・)を借り受けた。

 

「心配すんな。俺を信じろ――――――もしやばかったら、狂三に引っぱたいてもらってでも何とかしてもらうさ」

 

「あら、あら。責任重大な役割が、また増えてしまいましたわね」

 

「嫌なら、私に譲って」

 

「誰も嫌とは言っていませんし、この権利は折紙さんでも譲れませんことよ」

 

 ペロッと舌を出して提案を拒否した狂三を見て、折紙は無表情ながら少しばかり残念そうな顔をした。……士道を叩きたかったのか、それとも別の何かで士道を呼び起こすつもりだったのか。考えたらちょっと身震いが起きた。

 士道の答えを聞き、僅かに逡巡するように目を閉じた琴里。だが、次に瞳を見せた時には、既に覚悟を決めた司令官としての、強い琴里がそこにいた。

 

「――――わかった。今まで私たちが積んできたこと、全て士道に託すわ。絶対、二亜に声を届かせるのよ」

 

「ああ……二亜を助け出す。みんな、協力してくれ!!」

 

『おお!!』

 

 精霊たちが士道の呼びかけに応える。それを聞き、士道は二亜を見据える。異様で、禍々しい――――――けど、それは救いを求めて叫んでいるような気がした。

 

 

「――――残念ですが、それは叶いません」

 

 

 瞬間、どこからか声が聞こえてきた。その声と共に、向かいに降り立つ一つの人影。それを認識して、否、認識より前に狂三の殺気が膨れ上がった(・・・・・・・・・・・・)

 

「なぜなら、私がいるからです」

 

「……ッ!! エレン……!!」

 

 白銀に輝く機械の鎧を身に纏い。我こそは、最強であるという自信から来る超越者たる立ち振る舞い。

 エレン・ミラ・メイザース。人でありながら、精霊と互角に相対できる数少ない人類。DEM最強の魔術師(ウィザード)

 降り立った彼女は、士道たちから視線を逸らし、『魔王』と化した二亜を見て目を細めた。

 

「――――なるほど、素敵な様になったではありませんか、〈シスター〉。さすがはアイクで――――――」

 

 言葉を切り取ったのは、鋭い銃声だった。

 

「――――不愉快ですわ」

 

 異形を撃つ狂三に躊躇いはなかったが、そこに殺意はなかった。だが、今の一撃は士道でも背筋が凍るほどの冷たい殺意(・・)が乗っていた。

 その弾丸は、エレンに当たることなく彼女の髪を僅かに揺らすに留まる。元より、当てるつもりはなかったのだろう。当たるのなら、エレンは容易く反応せしめたはずなのだから。

 まるで、簡単には殺さない(・・・・・・・・)。そんな意思を持った銃弾に、エレンは訝しげに眉を顰めた。

 

 

「――――〈ナイトメア〉」

 

「その名ですら、あなたの口から吐き出される不快感。嗚呼、嗚呼。素敵ですわ、昂りますわ――――――疾く、疾く、わたくしの視界から消えてくださいまし、魔術師(ウィザード)

 

 

 膨れ上がる殺気と、悪夢を体現する殺意。士道が止める間もなく、狂気で顔を染めた狂三が膨大な〝影〟を解き放った。

 狼煙のような開戦の合図。幾百の『狂三』が飛びかかり、異形の怪物が飛び立ち、最強の魔術師(ウィザード)と絡み合うように爆ぜた。

 霊力と魔力がぶつかり合い、士道が思わず身体を庇うほどの衝撃が飛ぶ。

 

「ち――――分身の『狂三』だけじゃあいつには敵わないわ!! 十香を中心にして、耶倶矢、夕弦、美九は『狂三』とエレンを!! 四糸乃、七罪、折紙は二亜の周りの黒い連中を片付けて士道の道を作ってちょうだい!!」

 

 後方で指揮を取る琴里の声に従い、精霊たちが声を上げて分散する。

 混迷を極める戦況の中、琴里は続けて声を張り上げる。

 

「狂三!! ちゃんと頭の中は冷静なんでしょうね!? それが取り柄なんだから、無くすんじゃないわよ!!」

 

「――――まったく、好き放題おっしゃってくれますこと」

 

 士道の隣で鳥肌が立つほどの殺気を膨れ上がらせていた狂三が、琴里の声を聞きふとそれを和らげた。

 和らげた、とは言うものの。未だその視線は十香たちと切り合うエレンに注がれている。

 

「狂三……」

 

「優先すべきは二亜さんですわ。それ以上は、いけませんわ」

 

 士道が声をかけようとしたその時、狂三はそう口にした。唇を噛み締めて、何かを耐えるように。士道に、そんな己の姿を見せまいとするかのように。

 聞きたかった。今この場を逃せば、きっと狂三はこの激情をしまい込んで士道から隠してしまうだろう。

 でも、〝今〟を使うわけにはいかない。狂三の意を汲んで、士道は首肯を返した。

 

「……わかった」

 

「……霊力が限定的な十香さんたちと『わたくし』では、あの女の足止めが精一杯でしょう。手早く、二亜さんの元へ」

 

「ああ……!! 頼む、四糸乃、七罪、折紙!!」

 

 一刻も早く、二亜の元へ。士道を助力するため、三人が頷き天使を展開する。

 

「退いて……ください……!!」

 

『ほーら、邪魔だよ君たちー!!』

 

「〈絶滅天使(メタトロン)〉」

 

「……〈贋造魔女(ハニエル)〉!!」

 

 氷の天使が異形の足を止め、光の天使が異形そのものを消滅させ、変質の天使が異形を生み出す紙を何の変哲もない木の葉に変えた。

 三人の連携で、一部とはいえ二亜に通ずる道が開かれた。このまま行けば、狂三の力を借りて何とか二亜までの道を完全に開くことも不可能ではなかった。

 

「……っ!! 皆様、下がってくださいまし!!」

 

「狂三!?」

 

 突如、狂三が焦った様子で声を荒らげて折紙たちに警告を飛ばす。

 眉をひそめて隣にいる狂三を見やると、細めた左目(・・)に手を当てた彼女の姿があり、士道もハッと目を見開く。

 狂三の左目に宿る金時計は、ただの瞳ではない。〈刻々帝(ザフキエル)〉の〝予知〟を伝える禁忌の瞳。

 〝何か〟が、起こる。漠然とした確信を得るには、十分すぎる動作だった。

 

「……っ!?」

 

「折紙!?」

 

 それは、既に事象として発現した。

 折紙の天使、〈絶滅天使(メタトロン)〉が、羽の先端を主である折紙に向け、光線を放ったのだ。必滅の光は、主の霊装を焼き苦悶の表情をもたらす。

 

「きゃ……っ!?」

 

「わっ、な、何よこれ……!!」

 

 それだけではない。四糸乃は〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の冷気で自らの足を縛られ、七罪は〈贋造魔女(ハニエル)〉の光で愛想のないマスコットキャラクターのようなものに変化させられてしまった。

 

「四糸乃、七罪!! これは……!!」

 

「事象への干渉、未来の確定――――!!」

 

 狂三が油断なく現象を観察し、それを聞いた士道は目を見開いて〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉を確認する。

 見れば、二亜の霊装の一部が筆記具と化し、〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉の紙面に恐ろしい速度で何かを書き記していた。

 折紙たちが己の意思とは裏腹に行動を制限、或いは強制させられている。一度士道は、それを目にしたこと、体験したことがあった。

 

「っ……未来記載(・・・・)か!!」

 

 相手の未来を自在に操る、〈囁告篇帙(ラジエル)〉が持っていた究極の事象干渉。だが、反転した二亜の〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉のそれは、〈囁告篇帙(ラジエル)〉を扱っていた二亜のそれとは速度が違う(・・・・・)

 如何に強力な天使があり、狂三が未来を視ることができても、未来を決められては根本から詰んでしまう。

 

「不味いぞ狂三!! このままじゃ俺たちも……!!」

 

「あら、一度確定した未来を変えたお方が、弱気なことですわね」

 

「お、お前なぁ。あの時とは状況が――――――」

 

 違うだろ。そう言いかけた士道の身体が、固まる。巨大な縛られる感覚とは異なる、身体が自分のものでなくなるような――――未来記載の力と気づくのに、時間は必要なかった。

 

「う、ぐ――――!!」

 

 首から下が士道とは別の意思を持っていかのように動けない。これでは、二亜の元まで辿り着くことなど不可能だ。

 

 ――――――本当に、不可能か?

 

「思い出してくださいまし」

 

「え……?」

 

「あなた様は、既に戸口に立っているはずですわ」

 

 狂三が、そんな士道を冷静に見つめている。身体を縛られていない(・・・・・・・・・・)彼女が、そう言っている。

 いつか、時崎狂三が言っていたはずだ。それを、士道は思い返す。

 〝魔王〟と〝天使〟は表裏一体であり、同一存在――――――ならば、霊力による対抗(・・・・・・・)が可能性である。

 

 ――――霊力による〝拒絶〟。

 

 

「っ――――うおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 全力だ。全力を出し切って、以前の感覚(・・・・・)を取り戻せ。

 狂三が縛られない理由。士道がその戸口に立つ意味。一度は、士道ではない士道が得た感覚を――――――遂に、掴む。

 

「〈颶風騎士(ラファエル)〉――――【縛める者(エル・ナハシュ)】!!」

 

 顕現させるは、物質を縛り、薙ぎ払う颶風の鎖。士道の腕に絡みついたペンデュラムが、なりふり構わずに振るわれた腕に釣られ、周囲の異形を巻き込みながら乱回転した。

 

「っ、はぁ……はぁ……」

 

「扱い方が雑なのではなくて?」

 

「む、無茶言うなよ……」

 

 ここにいない持ち主の代わりなのか、苦言を呈する狂三に士道は息を荒くしたまま応答する。

 手元に戻ったペンデュラムが光となって消え、遅れて士道の身体の負荷を内部から再生の炎が癒していく。二、三度、拳を握ったりして確かめる――――士道を縛っていた縛めは、完全に解かれていた。

 

「上手くいった……んだよな」

 

「……ええ。本当なら、扱って欲しくはないのですけれど、そう言っていられる状況でもありませんでしたので」

 

 そう言って、複雑そうな顔をする狂三。確かにこれは、士道の身体に負荷をかけるやり方だ。

 月初めの事件の折、士道は知らぬ間に天使を自在に操っていた。その時の感覚を、士道は奥底で覚えていたのだ。それを狂三の声で呼び起こし、霊力と霊力をぶつけ合い、未来記載の力を相殺した。

 霊力には霊力。これは、過去に狂三が美九と七罪の事件で言っていたことだ。そして、狂三の危惧がわかると共に――――この力が、これから必要となっていく予感を感じていることも、わかる。

 

「士道!!」

 

 後ろから琴里の声が聞こえた。どうやら、琴里も未来記載によって縛られている。折紙、四糸乃、七罪も同じだ。動けるのは、士道と狂三を置いて他にはいない。

 琴里の不安を打ち消すように笑いかけ、士道は声を放った。

 

「――――行ってくる」

 

 駆け出す。同じように、狂三も銃を構えて走り出した――――――ああ、ようやく、彼女と同じだけの土俵に立つことができている。

 その歓喜を、士道は静かに封じ込める。きっと、彼女はこれを喜ばないから。

 今はただ、二亜を助けるためだけに、精霊たちの力を借り受ける――――――!!

 

「――――〈氷結傀儡(ザドキエル)〉!!」

 

 士道が砕かんばかりの勢いで踏みつけた地面から、一面を凍りつかせる冷気が溢れ異形たちの足を封じ込める。

 絶対凍土の天使、〈氷結傀儡(ザドキエル)〉。士道ではない士道ほど、上手く天使を扱えるわけではない。十香たちほど、天使を扱うことも不可能――――――

 

「飛びますわ!!」

 

「ああッ!!」

 

 だが、これで十分。及ばずとも、士道の隣には最凶の精霊がいる。

 合図に応えた瞬間、狂三が士道の身体を支え上空へ飛び立つ。異形たちも、追い縋るように地を蹴りあげようとしている。

 

「〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 邪魔を、するな。その意思のまま、士道は裂帛の気合いで虚空から現れた最強の剣を横凪に振り払う。

 光が眩い軌跡を描き、縋らんとする異形たちの息の根を止めていく。

 しかし、扱えるとはいえ、士道にかかる負荷は未だ並大抵ではない。常人ならとっくに悲鳴を上げている軋みと、それを強引に再生する灼熱の炎。

 そんなものに、構っている時間はない。

 

【狂三!!】

 

「……っ、美九さんの【鎮魂歌(レクイエム)】をそのように扱って、叱られても知りませんわよ!!」

 

【あとで使用料込みにして謝っとくさ!!】

 

 鎮痛作用をもたらす天使、〈破軍歌姫(ガブリエル)〉の癒しの歌。士道のそれは、歌というには荒々しい叫びでしかなかったが、それでも十全に効力を発揮し、士道が振るう〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の負荷を和らげる。

 なかなかにその場しのぎの無責任な発言した士道に、狂三は支えながら呆れた声色で返してくる。

 

「口は災いの元と言っていますのに……それで、なんですの?」

 

【【一〇の弾(ユッド)】で折紙の時と同じことはできるか!?】

 

 折紙の時も狂三の力を借りていたが、あの時と同じ現象が起こせるなら、二亜の心に干渉して反転を止めることも可能なのではないかと士道は考えた。

 士道の問いに一瞬思考をした狂三だったが、即座に頭を振って片手間に異形を撃ち落とす。

 

「……推奨しかねますわね。あの傷が二亜さんの反転の原因なら、迂闊に意識共有などさせられませんわ――――――【一〇の弾(ユッド)】の本質、お忘れなきよう」

 

【っ……】

 

 狂三の冷たい声に息を呑む。【一〇の弾(ユッド)】の本質――――過去の疑似体験(・・・・・・・)

 過去を閲覧するだけでなく、対象の過去を擬似的に体感する力。意思共有領域に入った際も、士道は二人の折紙が有する過去を垣間見た。

 もし、その時と同じことが二亜との間に起こったら。あの傷が――――――士道の想像を絶するものだとしたら。

 

「ただでさえ、士道さんは二亜さんの影響下にあるのです。そんなこと、わたくしがさせると思いまして?」

 

【けど……っ!!】

 

「傷が原因だと言うのなら、その〝お声〟があるでしょう?」

 

【――――!!】

 

 〝痛み〟が二亜を蝕んでいる。士道自ら、体感したあの〝痛み〟。それを取り除けるなら、或いは。

 決意を込めて目を細め、手にした剣にありったけの力を込める。煌々と極光を放ち、異形たちが慄くように叫びを上げている。

 

「行くぞ、狂三ッ!!」

 

「ええ」

 

 交わす言葉など、それだけで十分。狂三に支えられ、士道は振り被った〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を全力で振り下ろした。

 

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッ!!」

 

 持てる力の限り、全力の一刀。携えた極光の大きさを再現し、超巨大な剣撃は地上へ向かって一直線に放たれ、辺り一体の異形を跡形もなく消し飛ばす。

 

「――――【一の弾(アレフ)】」

 

 次いで、加速。投擲の反動で骨が軋みを上げる中、狂三が一直線に二亜の元へと飛翔していく。

 筋繊維の断裂、骨がひび割れる感覚。それを癒す炎の痛み。敢えて、士道はそれを無視していく。癒しの歌、使うべきは自分自身ではない。

 息を大きく吸い込み、用意した渾身の霊力を込め、士道は喉を震わせた。

 

【――――二亜ッ!!】

 

「――――ッ」

 

 微かに、二亜の身体は震えた。苦しむばかりで、苦悶に支配されていた二亜の身体が士道の〝歌〟に反応した。

 

【……!! 二亜!! 俺の声が聞こえるか!? 今助けてやるからな!!】

 

「し……ど……」

 

 ほんの僅かだが、二亜の掠れた声が聞こえてくる。

 士道と狂三の仮説が立証された。二亜が感じている〝痛み〟は、彼女が反転してしまった理由に違いない。なら、士道が鎮痛の歌でそれを取り除くことができれば、二亜の意識を引き戻すことができるかもしれない。

 もう少しで、二亜の意識に届く。そう考え、士道は二亜に届くよう手を伸ばし――――――

 

 

「――――駄目だよ。そんなことしちゃ」

 

 

 閃光。

 

「ちッ……!!」

 

「うわっ!?」

 

 遥か彼方から飛来した何かが、士道の目前で炸裂する。

 すんでのところで、狂三が舌打ち混じりに後方へ飛び退いて士道も何とか事なきを得た。が、それで安心などしていられない。すぐさま体勢を立て直し、二亜に目を向ける。

 

「……え?」

 

 呆然と喉を震わせた原因は、二つ。

 一つ目は、現れた一つの光……否、一人の魔術師(ウィザード)

 ハーフアップに括られた金髪と、碧眼。エレンと同型のワイヤリングスーツに、白と紫で染め抜かれたCR-ユニット。

 その彼女が握る、両刃のレイザーブレード。その切っ先の果て――――――貫かれた二亜の胸(・・・・・・・・)の先に浮かぶ、黒く染った(・・・・・)霊結晶(セフィラ)

 

「お前――――ッ!!」

 

 見開かれた目を少女を射殺さんばかりに鋭くし、士道は〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を振り被ろうとした――――――刹那。

 

「ぐわッ!!」

 

 弾き飛ばされた――――いいや、狂三が投げ飛ばしたと気がついたのは数秒の後。

 

「させないよ、〈ナイトメア〉」

 

「はっ、どなたか存じ上げませんが――――無礼な方ですわねッ!!」

 

 次に見た光景は、激突する精霊と魔術師(ウィザード)だった。空中で投げ飛ばされながら、士道は交錯する二人を見やる。

 濃密な随意領域(テリトリー)と霊力がぶつかり合う。素人目から見ても、狂三と相対できる少女はエレンに勝るとも劣らない力量を感じさせた。

 

「士道ッ!!」

 

「折紙――――っ、助かった!! 二亜のところへ――――――」

 

 言葉を止めたのは、〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉に縛られていた折紙が受け止めてくれた、などという的外れな理由ではない。

 表情を戦慄の色に染めた折紙が、狂三と撃ち合う少女を知っていると物語っていた。

 

「――――アルテミシア・アシュクロフト。なぜ彼女がここに……!!」

 

「それは、あなた方が知る必要がないことです」

 

「ッ!!」

 

「エレン!!」

 

 十香たちが足止めしていたのを振り切ってきたのか、エレンが二亜と彼女から吐き出された漆黒の結晶体の前に降り立つ。

 

「……ッ!!」

 

 そのエレン以上に異質な気配に、士道は咄嗟に視線の向きを変えた。

 〝異物〟。士道はこの男(・・・)を即座にそう決定づけた。悠然と歩くその姿は、見るだけで相手を呑み込む蛇のような雰囲気を醸し出し――――――士道と精霊たちの前に、現れた。

 

 

「アイザック・ウェストコット――――!!」

 

「直接顔を合わせるのは久しぶりだね、イツカシドウ。会えて嬉しいよ」

 

 

 薄く唇を歪め、士道に笑いかけたウェストコット。その異質な雰囲気に、合流した精霊たちも顔を歪めて嫌悪感を露わにしていた。

 しかし、士道だけは殺意のこもった視線をひたすらにぶつけて睨んでいた。が、ウェストコットはそれさえも心地よいと言うように笑みを深める。

 

「全部てめぇの差し金か!? 二亜をどうするつもりだ!?」

 

「そう声を荒げないでくれたまえ。もう、この実験体に用はない――――――反霊結晶(クリファ)が現れたのだからね」

 

反霊結晶(クリファ)……?」

 

 倒れた二亜の直上に浮かぶ黒い結晶体。それを慈しむように見つめ、眇め、ウェストコットは狂気に満ちた笑みを浮かべた。

 

「素晴らしい。長かった、これで私はようやく、悲願への第一歩を――――――」

 

 刹那。

 

「――――!!」

 

エレンと斬り合う白い影(・・・・・・・・・・・)が、皆の視界に入り込んだ。

 光の刃と色のない刃が拮抗し、しかしエレンは勝ち誇るように薄い唇を歪めた。

 

「残念でしたね。如何に探知されないと言っても、来るとわかっているなら私には造作もないことです」

 

「〈アンノウン〉……くッ!!」

 

「…………」

 

「キミも来ると思っていたよ。初めましてになるかな、〈アンノウン〉」

 

 駆けつけた白い少女の不意の一撃。それすら、あの魔術師(ウィザード)は凌いでしまった。ここで士道が飛び込んだところで、強力な随意領域(テリトリー)に阻まれてしまうだけだ。

 十全の力を発揮できる狂三はアルテミシアと呼ばれる少女と。〈アンノウン〉はエレンと。

 このままでは、ウェストコットの良いようにされてしまうだけだ。一か八かでも、精霊たちと力を合わせて二亜を救出するしかない。そんな士道の考えさえお見通しなのか、ウェストコットは嘲り笑うような微笑みを見せた。

 

 

「キミたちにも礼を言うよ。イツカシドウ、〈ラタトスク〉の諸君。今ようやく――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうやって見下してるから、あなたは足をすくわれる」

 

 

 声が、全く別の方向から(・・・・・・・・)、響いた。

 

「え……?」

 

「なに――――?」

 

 驚きの声は士道だけではない。精霊も、エレンも、あのウェストコットでさえも目を見開いている。

 男が手を触れ、強い輝きを見せた(・・・・・・・・)反霊結晶(クリファ)の姿が、忽然と消え失せた。代わりにあるのは、舞い散る白い羽(・・・)

 

「では、初めまして(・・・・・)? アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット。そのいけ好かない顔が歪むのは、何とも心が踊りますね」

 

 そして、空に浮かぶ白い影。

 

 声色が、いつになく踊っているのは士道の聞き違えではない。皮肉げに言葉を返す少女の顔は、恐らく、本当に心底楽しく染まっているのだろう。その楽しくが、人の不幸を笑うという意味で、だが。

 

 

「そちらが勝手につけた名で呼ばれたのなら、私は敢えてこちらを使いましょう――――――通りすがりの精霊です。是非、覚えていってください」

 

 

 そうして、二人目(・・・)の白い少女は、手にした漆黒の宝石を手に、神から遣わされた天使の如く、男を見下ろした。

 





さあ、通りすがりの精霊、一世一代のショータイム。感情、関係、繋がりが混迷を極める二亜クリエイション、ここ一番の分岐点……楽しくなってきましたねぇ!!

ただ今六喰編を執筆中なのですが、二亜編と同じく終章が間近なのだなと感じられる場面が増え、我ながら心臓がドキドキです。
ガバガバだったり気づかない矛盾だったり、長期あるあるお前あと何回これやるねんだったりはあるかもしれませんが、精一杯頑張りますのでお付き合いいただければ幸いです。一見矛盾に見えるのでもちゃんと後に回収するのはあるので完結まではゆるして(小声)

感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございます!これからに向けて大変、本当にめちゃくちゃ、右手を掲げるくらいには助けになりますのでどしどしお持ちしておりますー。それでは、次回をお楽しみに!!


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第百二十八話『神の言霊(デウス)

 

 

「……!!」

 

 真っ先に士道の視界で動きを見せたのは、アルテミシアと呼ばれる少女だった。

 エレンと拮抗する白い少女と、悠然と天に立つ白い少女。二人のうち、閃光のように突撃したのは言うまでもなく反霊結晶(クリファ)を持つ〈アンノウン〉へ向けてだった。

 しかし、それは士道から見て最悪の手(・・・・)だと息を呑んだ。

 

 エレンに負けず劣らずの戦力を持つ金色の少女。だが、如何に優れていようと。如何に人外の随意領域(テリトリー)を持ち合わせていようと。

 

 

「あら、どちらへ行かれますの?」

 

 

 少女が背を向けた相手は、最凶の精霊だ。

 

「あなたの相手は、わたくしですわ――――!!」

 

 目にも止まらぬ速さで放たれた弾丸は、見るからに霊力を伴った〈刻々帝(ザフキエル)〉の一撃。触れれば、随意領域(テリトリー)であろうと確実に効力を発現させる時の力。

 

「っ――――」

 

 けれど、それは既にアルテミシアも知るところであったのだろう。

 後ろに目がついているとしか思えない反応速度で、超速で飛ぶ銃弾を難なく躱し――――――銃弾が、軌跡を変えた。

 

「な……!?」

 

 何も超常現象で変わったというわけではない。精霊の力を得て増した士道の視認能力が確かならば、一発目(・・・)の影の弾丸に追いついた二発目(・・・)の影の弾丸が、正確無比に撃ち抜いた。

 それはまるで、そうなることがわかっていたかのような方向へ跳弾。加えて、時間を加速して(・・・・・・・)アルテミシアに到達した。

 

 

「――――【七の弾(ザイン)】」

 

 

 時は、止まる。不可侵を犯し、我こそが理だと宣言するかのように。

 世界最強と比類する魔術師(ウィザード)だろうと、無慈悲なまでに。

 【七の弾(ザイン)】を【一の弾(アレフ)】で跳弾させた。しかも、アルテミシアが避ける方向へ、彼女は完璧な形で成功させてしまったのだ。

金色の時計に妖しく光を宿し(・・・・・・・・・・・・・)、自らの影を従えて、時の女王は超然と微笑む。

 

「残念――――――あなたでなければ、その心の臓に全て弾を費やしたというのに」

 

 夥しい数の銃弾。それらは全て、世界から切り離された少女へと殺到する。

 

「アルテミシアッ!! く……退きなさいッ!!」

 

 常に見せていた余裕の表情は見られない。エレンが鍔迫り合いをしていた白い少女を、その強大な随意領域(テリトリー)を応用したのか、力技で弾き飛ばした。

 士道たちへの牽制か、恐ろしい風圧がこちらを襲い全員が何とか身を守る。その中で、悠然と白い少女――――と思われる誰か(・・)は士道と精霊たちの近くへ降り立った。

 

「〈アンノウン〉……?」

 

「……違う。彼女は」

 

 何者かわからない。狂三のような分身か。そう幾つか可能性を考えていた士道の横で、折紙が何かに勘づいたように目を見開く。

 全身を覆う白いローブ。色のない刀。どこからどう観察しても、それは〈アンノウン〉にしか見えない――――――そんな彼女から発された声色に、士道は目を丸くした。

 

「皆様、下がっていてくださいまし」

 

「な……」

 

「――――マジックショーは、まだ続いていましてよ」

 

 その、声は。紛れもなく。

 確信に近い思考を口に出すより早く、エレンがウェストコットを守るようにもう一人の〈アンノウン〉を見上げながら声を発する。

 

「それを返しなさい――――!!」

 

「っ!!」

 

 一瞬あれば、エレンは〈アンノウン〉に斬り掛かる。

 士道たちの間に緊張が走る。〈アンノウン〉は今、武器がない。その上、まだ以前負った傷が治りきっていないはずだ。

 エレンが、士道が、精霊たちが、動く。

 

 

「〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉――――――」

 

 

 しかし、誰よりも疾いのは、少女だった。

 

 

「――――【翼片(ヘネツ)】」

 

 

 瞬間。白い羽が辺りの空間を一掃した。

 

「こ、これは……っ!?」

 

「きゃ……な、何なの!?」

 

「み、見えない……です……」

 

 空間という空間が、士道たちの視界が白く染る。

 普段は数枚見えるだけに過ぎなかった白い羽が、辺り一体を埋め尽くして飛び交っている。〈アンノウン〉が放った物である以上、士道たちへ攻撃の意思は感じられないが、これでは何も確認できない。

 だが、それが続いたの数秒のこと。目に見えて羽は一点へと収束していく。〈アンノウン〉、ウェストコット、エレン。そして、二亜が集う場所へと。

 

「〈アンノウン〉、二亜――――!!」

 

 羽を掻き分け、士道は走る。

 が、辿り着くより前に、士道は分厚い羽の壁に足を止められてしまった。

 巨大な球体上になった羽は、尚も美しい回転を描きながら――――――まるで繭のように、士道たちの目の前に鎮座していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「目くらましのつもりですか。このようなもの――――――!!」

 

 全方位を囲う羽の檻。その中で、ウェストコットはエレンの随意領域(テリトリー)に守られながら、白い精霊に目を奪われていた(・・・・・・・・)

 待ち望んだ反霊結晶(クリファ)さえ、目に入っていない。心臓の鼓動が鳴らすものは、歓喜(・・)か。

 

「…………」

 

 精霊は、エレンの激昂に応えない。人類最強の魔術師(ウィザード)を歯牙にかけてしないのか――――――その瞳に映すものを、ウェストコット一人だと思っていのか。

 自惚れた考えを過ぎらせるウェストコットの前で、精霊は自身の顔を隠すフードへ手をかけ――――――誰にも明かすことがなかったそれを、()せた。

 

「な……」

 

「――――――――――――」

 

 絶句するエレンのことすら、ウェストコットは気にかけることができなかった。

 言葉がない。思考もない。あるのは、ただ。

 

 

「ふ……はは。ははは、ははははははははははは、はははははははははははははは――――――ッ!!」

 

 

 感情のままに行われる、哄笑のみだった。

 笑う。笑うとも。これを笑わずして、男はいつ笑えるというのか。まったくもって愚かしい自分を、男は笑い飛ばしてやることが義務として存在した。

 

 

「ははははははは……ッ!! そうか、そうか。全てキミの手のひらの上か!! これほど滑稽なことはない!! 素晴らしい、素晴らしいよ!!」

 

「――――――『私』が欲しいなら、大人しく待っていて」

 

 

 ピタリと、男の哄笑が止む。

 少女は、反霊結晶(クリファ)己が内に取り込むと(・・・・・・・・・)、その顔を冷笑へと変えて、愛しい声(・・・・)を発した。

 

 

「必ず、『私』はもう一度、世界に顕現する。その時、あなたがどうしようと構わない。けれど、今は、待つといい――――――もうすぐ『私』は、望みを果たすから」

 

「く、はは……そうか。キミがそういうのか。なら、待つとしよう(・・・・・・)。ああ、退屈しのぎの暇潰しは、許してくれたまえよ」

 

 

 何、その程度は物語に些細な影響しか及ぼさない。

 ――――――神の描いたシナリオに、凡人が抗えるものか。

 

 

「ああ、そうとも。従おう。全ては悲願の成就のために――――――〈デウス〉。我が、愛しき精霊よ」

 

 

 その力を、我が手にするまで(・・・・・・・・)

 

 ――――――白き羽が、全てを覆い隠すように、爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「シドー!! 大丈夫か!?」

 

「疑問。この球体は、一体……」

 

「ああ、俺たちは大丈夫だ。これは……多分、〈アンノウン〉がやってる」

 

 羽の球体が構成され、士道たちが行動を決めかねている間に、離れていた十香たちが息を切らせて合流した。

 士道としても、曖昧にしか答えられない。耶倶矢、美九が呆気に取られたように目を丸くする。

 

「ふむ。突然、羽のようなものが散ったと思えば、狂三の従者の仕業であったか」

 

「何だか綺麗な繭みたいですねー。けど、どーするんですかー?」

 

「いや、それは……」

 

 答えあぐねて、士道はガリガリと髪を掻く。アルテミシアは念入りに霊力を込めたのか、未だ時間停止の中。士道たちに危険はない――――だが、中にいるはずの〈アンノウン〉、重症を負った二亜は話が違う。

 球体が構成されてまだ一分も経過していない。だが、士道にとっては長すぎる時間に思えてしまった。

 特に二亜は、早く治療しなければ手遅れになりかねない傷を負っているはずだ。何か手はないか。そう思考を巡らせる士道の前に、アルテミシアを捌いた狂三が降り立った。

 

「さて、説明してもらいましょうか、『わたくし(・・・・)』?」

 

 目を細め、士道とは違う人物へ視線を向ける狂三。全員がそれを追うように顔を動かすと、その先にはもう一人の〈アンノウン〉――――狂三が『狂三』と呼んだ白い少女がいた。

 狂三に声に応じて、ゆっくりと、少女がフードに手をかけ、それを後ろへ放り去る。

 

「『狂三』……っ!!」

 

 白いローブの下は、やはり、『狂三』。恐らく、狂三の分身の一人である『狂三』だった。

 手品の種が割れた『狂三』は、くすくすと無邪気さと妖艶さを兼ね備えた、芸術のような微笑みを見せた。

 

「ご覧の通りですわ。それに、わたくしが口を滑らせる必要もなく――――ほぉら」

 

 一本の指が羽の繭を指し示す――――――次の瞬間、羽が膨張を始めた。

 明らかに普通ではない動きに、士道は表情を変え喉を震わせる。

 

「っ――――みんな下がれ!!」

 

 士道が咄嗟に指示を飛ばし、全員が身を屈めた、その時だ。

 羽の膨張が静寂を伴い止んだかと思えば、衝撃と共に全方位に弾け飛ぶ。

 

「く……っ」

 

「あの子は……!!」

 

 腕で視界を覆い尽くす羽から身を守り、士道たちはどうにか弾け飛んだ中心の状況を確認するため奮戦する。

 だが、それは無用の長物と言えたかもしれない。視界を埋めつくしていた羽が、溶けるように消えていく。

 

「〈アンノウン〉、二亜ッ!!」

 

 叫びながら状況を確認する。状況は……なぜか、球体が生まれる前と変わっていないように見えた。

 倒れた二亜。白い翼で飛ぶ〈アンノウン〉。苦々しく、顔を歪めるエレン――――いや、一人だけ、違う。

 

「……?」

 

 思わず、士道はその光景を訝しんだ。手で顔を覆うウェストコット。しかし、そこに見え隠れする表情は、反霊結晶(クリファ)という目的のものを手放してしまった落胆ではなく――――――それ以上のものを手にした、歓喜だと士道には思えてならなかったのである。

 状況の変化に応じるように、アルテミシアを封じていた【七の弾(ザイン)】の効果が途切れ、時が動き出す。

 

「アルテミシアッ!!」

 

「平……気……ッ!!」

 

 驚くべきことに、幾数十の弾丸を受けてなお、アルテミシアは動き出した。

随意領域(テリトリー)を扱い、全身から血を流しながらもエレンとウェストコットへ合流する。狂三にとっても驚くべきことだったようで、呆れたような声を発した。

 

「あら、あら。もう少し撃ち込んでおくべきでしたわね。折紙さんの知人のようでしたので、思わず手心を加えてしまいましたわ」

 

「……冗談がわかりづらい」

 

「まぁ。わたくし、いつでも本気ですことよ」

 

 狂三は折紙と他愛のない会話をしながら、二人とも視線は絶対にエレンたちから外すことはなかった。

 状況は変わらず、どう転ぶかわからない。士道たちの勝利条件は、エレンたちに勝つことではなく二亜を救うことなのだ。

 仮に再び戦闘になり、エレンたちを追い込むことができたとして、血溜まりを作る二亜が持つとは思えない。本音を言えば、今すぐにでも駆けて行きたいのだ。

 数秒の拮抗が、焦れったい。血が混じった汗が士道の口元にまで及び、嫌な匂いが士道の鼻腔を刺激する。それがまた、二亜の血を現しているようで、士道は強い不快感に見舞われた。

 どうする、どうすればいい。冷静さを焦りが上回りかけた、その時。

 

「では諸君――――――今日はここまでにしておこうじゃないか」

 

 そんな、気の抜けるような提案をしたのは、他ならぬアイザック・ウェストコット自身だった。

 

「なに……?」

 

「アイク……」

 

「さあ、行こうか」

 

 急すぎる意見の鞍替えに面食らう士道たちを他所に、ウェストコットは楽しげにエレンを急かした。

 エレンはウェストコットの指示に逡巡を見せたが、屈辱に塗れた顔で一度〈アンノウン〉を睨むと、アルテミシアと共に随意領域(テリトリー)を収縮させ、三人の身体を宙へ浮かび上がらせる。

 

 

「近いうちにまた会おう。精霊諸君。そして、イツカシドウ。残り少ない安寧の時を――――――お互いに(・・・・)、どうか楽しもうじゃないか」

 

「てめぇ何を……!!」

 

「そして、今日は会えて嬉しかったよ」

 

 

 ウェストコットは視線を外し、〈アンノウン〉を見やる。

 相変わらずフードに隠れた顔を(・・・・・・・・・)、なぜか愛おしげな視線で眺めていく。

 

 

「敢えて、今一度伝えよう。我が愛しき精霊――――よ」

 

「……!?」

 

 

 確かに、ウェストコットは何かを口にした。しかし、それは士道たちに届くことなく風に消えていき――――――彼らのシルエットすら、捉えることが困難な距離へと消え去った。

 

「二亜!!」

 

 我先にと士道は地面を蹴り上げる。ウェストコットの突然の退却。気にはなるが、そんなものは捨て置いていい。

 仰向けに倒れ、血の海に沈んだ二亜。全身の傷……何より、アルテミシアの剣で貫かれた腹部が致命傷なのは火を見るより明らかだ。

 掠れた呼吸が、辛うじて二亜の命を繋ぎ止めているのがわかる。放っておけば、あと数分さえ持つかわからないことも。

 士道が取るべき行動。それは、一瞬の判断だった。

 

「――――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉ッ!!」

 

 心臓を核とし、炎が士道の身体から咆哮をあげる。即座に炎を右手に収束させ、傷だらけの二亜に押し当てた。

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の炎は二種。相手を焼き尽くす破壊の炎と、焼くことで再生を促す治癒の炎。〈アンノウン〉の一件から、治癒の炎は対外にも効果があるはず――――――だが。

 

「……ッ!? 傷が治らない!?」

 

「なんですって!?」

 

 傷を癒すはずの炎は、無常にも二亜を避けるように拡散し消えていく。何度押し当てても同じ結果になり、士道と駆け寄った琴里に焦りの色が灯る。

 原因を追求している暇などない。他に宛があるとすれば。

 

「くそ、これが駄目なら……!! 琴里!! 顕現装置(リアライザ)は!?」

 

「手配済みよ!! でも、〈フラクシナス〉が動かない以上、転送はできないわ!! 車を用意してるから少し待って!! けど……霊結晶(セフィラ)を奪われた精霊なんて〈ラタトスク〉も治療したことがないわ!! 一体どうなるか――――」

 

「く――――七罪、応急処置を頼む!!」

 

「わ、わかった!!」

 

 一度治療の経験があることも生きたのか、七罪が小走りにかけて〈贋造魔女(ハニエル)〉による応急処置を開始する。

 しかし、これはあくまで応急処置。〈アンノウン〉の時と同じで、損傷した臓器を完璧に修復できるわけではないし、失われた血も取り戻せない。

 降り注ぐ光が傷自体は塞いだものの、血の気の失せた顔は変わらず、呼吸も段々と薄くなってしまっている。

 

「くそ……二亜!! 俺の声が聞こえるか!? 今車が来るからな!!」

 

 二亜の手を握り、祈ることしかできない。それはあまりに無力で虚しい祈りであり、二亜には何の影響も及ぼすことはない。

 過ぎる数秒が惜しい。複数の天使を扱えようと、士道にできることなど限られていた。刻一刻と過ぎる時間に、拳を地面に突き立てた。

 まさにその時だ。白い外装が視界の端に移り――――〈アンノウン〉が降り立ったのは。

 

「〈アンノウン〉……!!」

 

「……本条二亜に、まだ霊結晶(セフィラ)が残っています」

 

「な、に……?」

 

 どういう意味だと詰め寄る前に、白い少女は言葉を続ける。

 

私の中にある(・・・・・・)反霊結晶(クリファ)と、本条二亜が反発しあっています。これを取り除かれる前、何かしたのではないですか?」

 

「っ、そうか!! 上から降ってきたあの女に刺される前に、士道は二亜の意識をほんの僅かだけど引き戻していた……!! あの時点で、完全な反転状態ではなくなっていたのよ!!」

 

「――――つまり、二亜さんの中に霊力さえあればよい、ということですわ」

 

 琴里から言葉を引き継ぐようにそう告げた狂三は、膝を折って士道と二亜が繋ぐ手に自らの手を重ね合わせるように置く。

 それは、温かな光を伴う霊力の循環(・・・・・)。ほんの少しではあるが、二亜の薄くなっていた呼吸が回復していることに士道は目を見開いた。

 

「反転した霊結晶(セフィラ)を今の二亜さんに戻すことは、反作用の危険が大きすぎますわ。ですが、切り離された霊結晶(セフィラ)があるのなら、取れる手段は存在し得る。わたくしでは気休め程度ですが、士道さんなら――――――」

 

「っ――――霊力の経路(パス)を、繋げられる」

 

 士道と精霊たちには見えない経路(パス)が存在し、そこを絶え間なく霊力が循環している。

 なら、仮に士道が二亜と経路(パス)を繋ぐことができれば、霊力による肉体の修復を促すことが可能なはずだ。だが、そのためには。

 

「士道、まさか」

 

「ああ――――一か八か、二亜を封印する……!!」

 

 霊力の供給。それさえ完璧なら、二亜を救うことができる。

 ただ一つの問題点は、二亜が士道に心を開いてくれていなければ、この希望すら消えてしまうということだ。

 信じるしかない。琴里が言ったように、自分たちが紡いだ道を――――――二亜の心に、士道たちの想いが伝わっていると。

 

 

「――――二亜。頼む。俺を……受け入れてくれ。俺の力、持ってけるだけ持っていけ!! だから――――――!!」

 

 

 生きろ。その願いを胸に――――士道の身体の中を、霊力の温もりが駆け巡る感覚。

 それは、幾つもの精霊を封印した時と、全く同じ感覚。二亜から顔を離し、必死になって二亜へ呼びかける。

 

「二亜!! 二亜!!」

 

「目を覚ますのだ、二亜!!」

 

「二亜……さん!!」

 

「士道さんの霊力を持っていって、目を覚まさないなど、このわたくしが許しませんわ。どうか、目を覚ましてくださいまし!!」

 

 士道に続いて、精霊たちが声を上げ続ける。次々と、祈りを捧げるように。

 その祈りは、無力などではない――――――二亜の瞼が、微かに動いた。

 

 

「…………、そんなに……叫ばなくって、も……聞こえて……るって……の……」

 

「――――!! 二亜!!」

 

 

 士道たちの顔が見えたからか、微かに微笑んだ二亜がもう一度目を伏せ、小さく唇を動かした。

 

 ――――ありがとう。そう、言っているように見えた。

 

 

 






割といつものことなんですけど、これ実は前話とセットで1話予定でした。お前の展開と文字計算ガバガバすぎない?

弾丸に弾丸の効力って入るの?制御細すぎない?というツッコミは狂三が器用だからで解決します。嘘です冗談です。明らかに精霊としての力が増大してます。初登場キャラ相手にシレッと予知をするんじゃない。

二回目の顔出しとなりました。フードを堂々と取る描写は、実はずっとやりたかったネタです。やはり正体バレは鉄板だぁ。顔出しが一回目じゃない理由?アレが一人目なのが嫌だったんじゃないかな(直球)

そんなわけでフラグバッキバキに破壊してくスタイル。この構想自体は初期の初期から決まっていて、ここ以外はあんま原作から変えられないんじゃないかなぁって不安になってました。結果は……ノリと勢いで結構変わってると信じたい。
特に灼爛殲鬼には言及してませんでしたけど、さすがに無条件他者回復はできません…………原作だとできないよね?てかしてないですよね?多分……。

毎回毎回語りたがりおじさんしてますけど、これで感想が減ったりしてないよなと不安になる今日この頃。
さて、次回はエピローグ。少女は霊結晶を手にし、どこへ辿り着こうとしているのか。そして、救われた二亜の口からは……。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百二十九話『神が運命(さだめ)し物語』

「アイク。なぜ撤退の選択を?」

 

 DEMインダストリー日本支社、社屋。

 アイザック・ウェストコットは上機嫌(・・・)で椅子に腰掛け、前方に立ったスーツ姿の少女――――エレンの不機嫌な顔を見やる。

 さぞかし、不満だろう。成功しかけた作戦は無に帰し、こちらの手にあった精霊も〈ラタトスク〉側に保護された。

 一度使った手は、二度は通じない。記憶を一度消去し、埋め込んだ超小型の顕現装置(リアライザ)による記憶復活の処理。人間不信で、あと一歩反転まで及ばなかった精霊を絶望させるには、これ以上ない手段だった。

 それが使えなくなった以上、もはやウェストコットの手にあの反霊結晶(クリファ)が齎されることはない。だと言うのに、ウェストコットの表情から笑みが消えることはなかった。

 

「そう気を落とさないでくれ。キミの実力は信頼しているさ。あの場で撤退を選んだことは、キミたちへの信頼を損なうものじゃない」

 

「ならばなぜ……!!」

 

 エレンの不満は最もだ。彼女の実力ならば、あの場で強引にでも反霊結晶(クリファ)を奪取する可能性は残されていた。

 しかし、如何に彼女と言えど不確定要素――――〈ナイトメア〉と五河士道がいては確実とは言えない。その不安定な要素と、何よりも〝彼女〟の存在が、ウェストコットに撤退の二文字を悟らせたのだ。

 

 

「――――〝彼女〟は、必ず現れるそうだよ、エレン」

 

「っ……!!」

 

「楽しみだ。ああ、実に楽しみだとも。そのためなら、一時の快楽などあってないようなものだ」

 

 

 くつくつと喉を鳴らし、何十年(・・・)と待ち望んだ〝彼女〟との相対を頭に浮かび上がらせる。

 

「それに、他にも少しばかりの収穫はあった」

 

「それは……」

 

 ウェストコットが手のひらを翳し、そこから光り輝く小さな本(・・・・・・・・)を生み出した。

 目を見開くエレンにフッと微笑み、ウェストコットは椅子を翻し、満天の星空へ己の悲願を夢想する。

 

 

「子供のお遊び程度だが、人を待つ間の暇潰しくらいにはなるだろう。何、そう長くは待たせないさ――――――彼がいるならね」

 

 

 永き時に比べれば、何と楽しき時間か。

 神が描いた道筋の中で、ウェストコットは自らの全てを差し出して身を任せる。

 その中で、恐らくは、神の流れに抗う者――――――五河士道に、気付かぬうちに期待を寄せながら。

 

 世界を壊す因果の再世は、目前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の手前で、少女は腕を組みながら目を伏せる。

 そのことがわかるのは、少女だけだ。ローブに隠された己の顔を見せることはない。次に中身を知らぬ誰かに、ベールを脱ぐのは、いつになるか。

 二度とは来ないかもしれない。すぐに訪れるかもしれない。或いは――――――死の間際(・・・・)か。

 

「何してるのよ」

 

 ふと、物思いに耽る少女の鼓膜を震わせる勝気な声。

 瞼を開けば、勝気な声に似合う烈火の如き瞳が映り込み、少女は目に見えない微笑みを浮かべた。

 

「そんなところに突っ立ってないで、中に入ったらどう?」

 

「……私が入るのは、少し違うと思いましてね」

 

「何よそれ」

 

 意味がわからないわ、と苦笑する琴里に、釣られて少女も僅かばかりにほろ苦い笑みをこぼす。

 〈ラタトスク〉地下施設の休憩室、の前。中には士道を含めた精霊たちがある一報を待っている。何なのかは、言うまでもない。本条二亜の治療結果、だ。

 

「……本条二亜の容態は?」

 

「痩せ我慢したどっかの誰かさんと違って、大事に至ることはなさそうよ。〈贋造魔女(ハニエル)〉による応急処置と狂三の霊力供給、経路(パス)接続による霊力の循環が大きかったわね」

 

「あら、そんな人がいるんですか」

 

「ええ。私の目の前にちょうどね」

 

 徹夜明けからの修羅場を超えての徹夜明けを挟んで、この軽口の応酬ができるとは大した気力だと少女は肩を竦めた。

 まあ、聞いた限りでは琴里の言うように大事に至ることはないだろう。霊結晶(セフィラ)の大半を失ったとはいえ、精霊の力が残っている以上、回復能力も少女などより余程有り余るはずだ。

 

「……狂三の霊力供給、ね」

 

「ん?」

 

 だから、少女の気を引いたのは二亜を救った者たちの行動……狂三が迷いなく霊力を分け与えた(・・・・・・・・)ことだった。

 

「……いえ。あの魔女っ子ちゃんの件も、聞いた時は正直少し驚いたんですよ。あの子にとって霊力というのは、自分の悲願を叶えるために絶対視していた(・・・・)もの。それを迷いなく人のために使うってことは――――――いよいよ、あの子は引くに引けなくなっている」

 

「…………」

 

 当人の善意ばかりが、時崎狂三を救うとは限らない。

 狂三にとって霊力を消費するということは、悲願から遠ざかるということ。とは言っても、元々精霊の霊力を溜め込める存在(・・・・・・・・・・・・・)なくして狂三のやり方はなし得ない。

 仮に、狂三が傍若無人なやり方を押し通していたとして、それでも【一二の弾(ユッド・ベート)】を目的の時間まで届かせるには、果てなく遠い道だったであろう。けれど、可能性がないわけではなかった――――――今の狂三のやり方は、士道の霊力を全て取り込む前提で成り立っているということだ。

 それ以外を考えないやり方。それが失敗した瞬間、狂三がどうなってしまうかなど想像に難しくない。

 

「……距離が近づけば近づくほど、あの子の決意は頑なになる。頑なになればなるほど、あの子の心は追い込まれていく」

 

「でも、止まらないわよ。狂三はそういう奴なんだから。自分から呪いを解こうなんて思わない。馬鹿みたいに優しくて……こっちが痛くなるくらい、真っ直ぐな奴なのよ」

 

「……当然ですね。今さら、止まれませんよ。あの子の足元には何万の命があって――――――それ以上に、五河士道の命がある。あの子は振り向かない。振り向いて、矛盾に気がつけば全てが終わる(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 止まれるものか、止まってたまるものかと。精霊は地獄のような道を歩き続け、少女は悲鳴を上げながらそれを肯定する。

 葛藤があった。苦痛があった。悲しみがあった。悲劇があった――――――数え切れない、流すことのない涙があった。

 それらを全て乗り越えたのが、否、背負い込んだのが今の『時崎狂三』だ。どれだけ愛おしい命だろうと、五河士道一人で足を止める狂三ではない。

 

「……ま、私たちが何度こうして問答をしたところで、あの子を止めることはできないのでしょうね。私もそれを望まない――――――そろそろ、私の役目も終わりが近いみたいです」

 

「っ……」

 

 少女の零した言葉を聞き、琴里が息を呑む。

 時間は無限ではない、有限。神が与えた力は、王の手の中に。それが誰の手に渡るのか――――――少女も、選択をしなければならない。

 

「あなたは、狂三に何をさせたいの?」

 

「……以前話した通りです。私はあの子を肯定する、それだけのこと」

 

「違うわ。私が言ってるのは、あなたが狂三に何を望むか――――――あなた自身の目的よ」

 

 鋭く見据える琴里の瞳は、少女を捉えて止まない。

 

 

「あなたが狂三を、そして士道を助ける理由はなに? 以前も、そして今回も自分の身を顧みず戦うのは情のため? それとも――――――誰かの願いのため?」

 

「――――――」

 

「教えて、あなたのことを。あの時と同じことを、もう一度聞くわ――――――あなたの、本当の(・・・)目的はなに?」

 

 

 狂三は狂三自身の願いのため。

 

 士道は士道自身の願いのため。

 

 なら、〈アンノウン〉と呼ばれる少女の願いは、何のために、どこにあるというのか。

 

 

「……私の願いは、私だけの願いです。誰に命じられたわけでもない。これだけは、私の意志。人にとっては、案外とても小さく、くだらないことかもしれませんけどね」

 

「それ以上は、教える気がないってことかしら?」

 

「ええ。何度聞かれても、私は同じ答えを返しましょう。全ては――――――我が女王のために」

 

 

 理由など、それで十分。何のために? 我が女王(自らの計画)のために。少女は初めから、同じ答えを繰り返す。何度問われようと、同じ言葉を繰り返す。

 なぜなら、狂三にとって悲願が答えであるように、少女にとって計画そのものが答えであるから。

 重い吐息を吐き出した琴里が、悲しげに目を伏せる。

 

「あれから、ちょっとは仲良くなれたと思ったんだけど、思い上がりだったかしらね」

 

「いいえ。私にここまで言わせるのは、あなただけですよ。五河琴里」

 

「なら、その他人行儀な呼び方はやめてほしいものね――――――そんなに、人が怖いの?」

 

「――――――!!」

 

 動揺は、微かに揺れた全身で表された。

 そう。本当に、ここまで少女に踏み込んでくる人間はいない。

 

「あなたは誰かを好きになれる人なのに、好きになった人とも距離を置こうとする。自己犠牲、なんて言えば聞こえはいいけど、私からすれば臆病で悲しい生き方よ」

 

「……厳しいですね」

 

「私はこういう言い方しかできないの。ねえ、あなたの願いの先に――――――あなたは、そこにいる?」

 

 真摯に向けられる瞳から目を逸らせるのは、自身の全てを隠す天使があればこそ。

 その下で目を逸らす少女は、この天使がなければ――――――きっと、彼女から目を逸らすことができない哀れな存在に成り下がる。

 

「私は――――――初めから、いないよ」

 

「……っ!!」

 

「どこにもいない。生まれた意味はない。私が私である限り、私は〝無価値〟という存在でいる。いつか通りすがって、去っていく」

 

 そうして、忘れ去られることを――――――だから少女は、通りすがりの精霊。

 

 

「だから、怖いよ。いつか無意味になるものを、優しく見せてくれるあなた達が。私にはないものを、そうして手放せるあなた達が」

 

「え……?」

 

 

 今にも少女へ掴みかからんとしていた琴里が、困惑の表情を作る。

 そんな琴里を見て、見えない影の下で少女は微笑んだ。

 

「これから、あなた達は残酷な現実を見させられる。それでも、あなた達はきっと前に進む。私も、それを信じたいと思う」

 

「……あら、何かの謎かけ?」

 

 訝しげに少女を見やる琴里へ向けて。

 

 

「――――――神様に逆らえるか、見物だってことですよ」

 

 

 最後は、今一度道化師の仮面を被る。

 

 もう少し。どうか、もう少しだけ、強い私でいさせて。そうすれば――――――その時までは、私は私でいられるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下施設の入口がある雑居ビルの屋上にやってきた士道は、辺りの暗さと寒さに防寒具があるにも関わらず身を震わせた。

 提案したのは士道とはいえ、さすがに年末年始の寒さは大したものだ。さすがに、皆も防寒具越しに寒さを実感し、身を縮まらせて――――――

 

「ひゃー、さすがに外は寒いですねー!! ねえ四糸乃さん。寒いですよね? 人肌で暖を取りたいですよね?」

 

「い、いえ、あの……」

 

「あら美九さん。でしたら『わたくし』をお貸し致しますわ。約束通り会場で頑張ったご褒美ですわ」

 

「きひっ!?」

 

「きゃー、ありがとうございますー!!」

 

 いなかった。徹夜明けとは思えない元気さで走り回っていた。「覚えておいてくださいましわたくしぃぃぃぃぃぃッ!!」という叫びと共に美九に追いかけ回される分身体(犠牲者)の一人を他所に、狂三本人は何食わぬ顔で四糸乃や七罪と談笑していた。

 ……まあ、本人たちが納得しているならいいかと、二重の意味で思いながら、あと被害者の『狂三』に内心で合掌しつつ、士道は車椅子に乗る少女へ声をかけた。

 

「寒くないか、二亜」

 

「んー、大丈夫だよ」

 

 〈ラタトスク〉で治療を受け、問題なく会話がこなせるまで回復した二亜。

 とはいえ、外出許可こそ降りたものの、まだ歩行をさせるわけにはいかないということで、こういう形でここまで来たというわけだ。

 

「それで……なんでこんなところに来たの?」

 

「ああ。そろそろだと思うんだが……」

 

 時間を見ても、思いつきにしてはいいタイミングだったはずだ。

 と、やはりバッチリだ。暗い空に上がり始めた、一つの輝き。

 

「おお……!?」

 

「すごい……です!!」

 

「……ふふっ。このような夜明けは、わたくしも初めての経験ですわ」

 

 狂三までもが感嘆の声を上げ、実像を帯び始めた日の出の太陽を見つめている。

 一度太陽を見やり、士道を見上げる二亜を驚かせることもできたようだ。

 

「少年、これって」

 

「ああ。そろそろ日が昇る時間だと思ってさ。コミコの準備に必死で忘れてたけど、今日は一月一日じゃないか。初日の出だぜ――――――二亜、お前の新しいスタートにはもってこいだ」

 

「……はは、キザったらしー」

 

 しばしの間、そうして日の出を眺める。物思いに耽るように、新たな始まりに何かを思うように。

 そうして、ぽつりと言葉を発する。

 

「……少年。ありがとうね。本当に、いろいろと」

 

「気にするな。俺だって、みんなにいろいろと助けられてるんだ」

 

「……、あたし、身体が万全になったら、もう一度高城先生と会ってみようと思う」

 

「ああ。いいんじゃないか。あの人はいい人だよ、多分」

 

「多分って」

 

 多分は多分だ。結局のところ、人の気持ちなんて言葉を尽くさなければわかりっこない――――だから、二亜と高城が言葉を尽くして語り合える日が来ればいいと、士道は心から願う。

 

「……なんだろう。妙に気分が楽だよ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉がなくなったから、かな」

 

「その〈囁告篇帙(ラジエル)〉に関してだけど、持っていった本人から伝言があるわ」

 

 そう言って、二亜の言葉に反応したのは微妙に不機嫌顔な琴里だった。コロコロと忙しなくチュッパチャプスを口で転がしている。

 

「反転した状態で切り離されたから、戻すのに時間をもらいます(・・・・・・・・・・・・)、だそうよ。もっとも、いるかどうかの判断は二亜に委ねるそうだけど」

 

「……え、反転した霊結晶(セフィラ)って、そんな簡単に戻せるもんなの?」

 

「さあ。知らないわ。あの子、言うだけ言って、さっさとどっか行っちゃったもの」

 

 琴里にしては珍しく投げやりにそう言葉を吐き出して――――――

 

「……あー!! やっぱりイラつく!!」

 

 ダンダン!! と地団駄を踏み始めた。士道や二亜だけでなく、精霊たちも琴里の豹変に目を丸くする中、本人は怒りを吐き出すためなのかめいいっぱい叫ぶように声を発していく。

 

「何のために言葉があると思ってんのよ!! どいつもこいつも思わせぶりなことばっかり言ってくれちゃって!! ちゃんと報連相しなさいよ!! 大体、神様って誰よ!? もし会ったら砲弾の一つや二つぶっぱなしてやるわッ!!」

 

 しまいにはチュッパチャプスを噛み砕き、代わりのチュッパチャプスまで咥え込んでようやく琴里は動きを止めた。

 何か、琴里の周りだけ〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の炎が溢れ出ているのかと思える熱量だった。当の本人は、にこりと士道と二亜が慄く笑顔で声を発した。

 

「ごめんなさい。見苦しいところ見せちゃったわね」

 

「……ねえ少年。もしかして妹ちゃん、ストレスすごい?」

 

「……ああ。日頃から、苦労かけすぎたかもしれない」

 

 本日のメニューは昂った気持ちが落ち着くやつにしようとか、デザートは琴里が好きなものを用意しようとか思う士道であった。

 

「――――ま、何にせよ、あたしには過ぎた力だったってことかもねぇ。三十年近く〈囁告篇帙(ラジエル)〉と付き合ってきたけど、改めて思い知らされるよ」

 

「三十年――――あなたが精霊になったのは、そんなにも前なの?」

 

 二亜の言葉に、精霊歴が比較的短い折紙が反応する。

 

「うん。まあ、正確には二七、八年くらいだったかもしんないけど……まあ四捨五入したら似たようなもんでしょ。どう? その割には若く見えない?」

 

「多分、霊力によって体細胞の老化が抑えられてたんでしょうね。もう霊力は封印されちゃったし、これからはどんどん歳を取っていくわよ、覚悟しときなさい」

 

「うわー、そういえばそっかー。あー、やっぱり戻ってきてラジえもーん……って、結局封印されちゃってるから意味ないのかー」

 

 ううう、さよならあたしの若き美貌……とわざとらしく嘘泣きする二亜を琴里が可笑しそうに笑う。

 と、二亜が思い出したように皆を見回す。

 

「……そういえばだけど、みんなはいつ頃精霊になったの?」

 

「ああ……私は今から五年前、美九は一年いかないくらいだっけ? 折紙はごく最近で、そこのお嬢様は黙秘権行使だそうよ」

 

 じろりと琴里が目を向けるが、狂三はさして効いた様子もなく肩を竦めるばかり――――――恐らくだが、狂三は人から精霊と化した者だと琴里は予想していた。

 士道も、それは同意見だった。最もそれは、士道の記憶にない〝何か〟の直感でしかないが。士道と琴里がどう考えようと、狂三が答えないのならそれは判明しないも同じこと。

 

「で、あとのみんなは純粋な精霊」

 

「へ……?」

 

 続けて琴里がそう言うと、二亜が不思議そうな顔をする。

 首を傾げる二亜と――――狂三が、少し表情を変えた気がした。だが、二亜を止めることはせず、二亜を止めるにも至らず、彼女は次の声を発した。

 

 

「純粋な精霊……? 精霊って、基本的にみんな、元は人間だったはずでしょ?」

 

 

 その、狂三以外の全員が(・・・・・・・・)、目を丸くするような言葉を。

 

 

 






あなたは、そこにいますか?

ぶっちゃけた話、琴里のキレ芸が言いたいこと全部じゃねぇかなぁと思う今日この頃。
いつか消え行く未来を自ら定めている。だから、通りすがり。それは全て、我が女王(自らの計画)のために。
序盤からいるのに全く攻略が進んでる気がしないこの子も、いつかはその時が来るかも、しれませんねぇ。

狂三と士道の関係は進めば進むほどに、両者が頑なになっていく。はてさて、このまま行くと……? 一つだけこれからのお話を予期するなら、彼らは決して二人きりではない、ってことです。これは士道が主人公、狂三がメインヒロインの物語ですが、登場人物は彼らだけではないのですから。

そんなわけで次回は番外編。少し前に触れたやつですね。その名も華麗なるデートの記録……いやさすがにタイトルは冗談ですけど。なんというか、ノリと勢いで書きました。反省とかは次回の後書きにて。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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EX・Ⅱ『とあるデートの記録』

「こら琴里。あんまりお菓子ばっかり食べるなって言ってるだろ」

 

「えー。お菓子ばっかりじゃないもーん。さっきちゃんと朝ごはん食べたもーん」

 

「だから駄目なんだろ……」

 

 兄貴が忙しなく掃除をしているというのに、妹はソファの上で転がりチュッパチャプスを舐めながらテレビ観賞とは、何ともまあ平和なご身分だと士道は掃除機の持ち手に顎を乗せため息を吐いた。

 

「程々にしておけよ」

 

「はーい」

 

 返事だけは元気な我が妹だと士道は苦笑を浮かべる。

 とは言うものの、それは形だけのため息でありリラックスできている妹を見て安心している気持ちの方が大きい。

 今は白いリボンで休日を満喫している琴里も、黒いリボンになれば一転して〈ラタトスク〉の司令官。こんな日くらいは、休ませてやるのが兄としての勤めだろう。

 こんな日くらい、という表現に嘘偽りはない。かなり珍しいことなのだが、本日の五河家には士道と琴里だけしかいない。いつもなら精霊たちが何人も遊びに来るのが通例となっているのだが、今日は全員がそれぞれ予定があったり、誰かと遊びに出かけたりと朝から留守にしていた。

 

「ま、たまにはこんな日もいいか」

 

 みんなと過ごす時間は好きだが、たまには以前のように妹と二人で過ごすのも良い。結局、夕方頃にはみんな何してるかなと意識してしまうのかもしれないが。

 と、一通りの掃除を終えた士道の耳に、ピンポーンという家の呼び鈴が届いた。

 

「はーい」

 

 はて、何か宅配でも頼んでいただろうか。早足に玄関の前へ行き、扉を開けて――――ぱちぱちと目を何度か瞬かせた。

 

「……狂三?」

 

 モノトーンのドレスに身を包み、肩口で結われた黒髪。宝石のような煌めきを持つ紅い瞳と、長い前髪に隠された羅針盤の瞳。

 誰かなど、見間違える者がいるはずもない。初めに出会った精霊でありながら、士道に霊力を封印されていない精霊。

 そして、士道が愛する(・・・・・・)者。時崎狂三が開け放たれた扉の前に立っていた。

 

「どうしたんだ、こんな朝早くから。何か――――――」

 

「士道さん」

 

 にこり。可憐に笑う狂三に、士道は心臓の鼓動がより一層跳ね上がるのを感じた。

 言葉を遮るように放たれた名から、狂三は続けて発する。

 

「――――今から、デートをいたしませんこと?」

 

「……デート?」

 

「はい。デート、ですわ」

 

 にこにこと両手を合わせ、ハッキリとした声色で呆気に取られた士道の声に言葉を返す狂三。

 デート、デート……デート。親しい男女が日時を決めて会うこと。その約束。又は約束自体の中身をデートと呼ぶ。

 士道の脳内本棚の知識に間違いがなければ、語弊なく狂三の提案と合っていると思われる。

 

「そりゃ、別にするのは構わないけど……」

 

「まあ、本当ですの?」

 

 正直、条件反射で答えてしまった感は否めない。考えるより先に、狂三とのデートなら受けない理由がないと士道の頭が勝手に判断したというかなんというか。

 嬉しそうに花咲く微笑みを作った狂三に、士道は照れながら頬をぽりぽりとかいて、なんてことないように告げる。

 

「ここで嘘を言う理由ないだろ。知っての通り、俺は嘘が得意じゃないんだ。ちょっと待っててくれ」

 

 一言残し、急いで自分の部屋へ行き必要なものを掴み取る。

 幸い、いつでも外出はできる服装をしていたので何とか体裁は保てる状態だろう。本音を言えばカッコをつけて行きたいのだが、狂三を長く待たせるわけにも行かない。

 チャイムに応じた時よりも早めの足でリビングに入り、ソファから顔を出した琴里がそんな士道を不思議そうな目で見ていた。

 

「おー、どうしたおにーちゃん。そんなに慌てて」

 

「悪い琴里。狂三とデートすることになったから、ちょっと出かけてくる」

 

「へ?」

 

 返事を待たず、じゃあそういうことだからと士道は玄関へ戻る。

 

「待たせたな、狂三」

 

「いえ、いえ。さあ、早く参りましょう士道さん」

 

「わっ、と……」

 

 ポーズで待ってないと言っていた気がするが、弾むように士道の腕に組み付き、先へ先へと歩き出してしまうものだから士道も慌てて足並みを揃えた。

 寄り添う身体が、狂三の柔らかい感触を伝えてくる。加えて、仄かに香水と思われる芳香が士道の鼻腔をくすぐり、朝から大変心臓に悪い――――本当は、悪いとは思わないし、良い意味での心臓負担だと、士道は赤く染った頬を狂三から隠しながら彼女に合わせたペースで歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今日はやけに急ね」

 

 リビングから去り、玄関の扉が閉められるてから数秒後、士道の妹、五河琴里は探るような声色で一人言葉を発した。

 口に転がるチュッパチャプスに変わりはないが、揃えられたツインテールのリボンは白から黒に変化している。

 マインドセットをかけた琴里は、急な来客と消えた士道と、その来客者について思案する。

 狂三の行動自体に疑問はない。何せ、彼女は士道を徹底的にデレさせると公言している。士道をデートに誘うこと自体に、そう違和感は持てない。

 が、如何せん急すぎると思ったのだ。あれでいて、時崎狂三という少女の性根は常識人だと琴里は考えている。士道が如何に時間を余らせている日とはいえ、こうも急に連れ出そうとするのは琴里に微かな疑問を覚えさせた。

 

「ま、ここで考えても仕方ないか」

 

 琴里一人で思案していたところで始まらない。一先ずは、精霊とのデートということで〈ラタトスク〉として動くのが正解だろう。

 ソファから起き上がり、端末を手に取ろうとした――――ところで、ピンポーンと家の呼び鈴が鳴る。

 

「? はーい」

 

 はて、次は誰だろうか。今度こそ宅配便かもしれないと、琴里は自分しかいないため早足で玄関へ向かい、その扉を開けた。

 

「…………狂三?」

 

 そして、目をぱちくりと丸くしながら訪問者の名を疑問符をつけて呼ぶ。

 名を呼ばれた少女――――時崎狂三は、ぺこりと頭を下げて声を発した。

 

「おはようございます、琴里さん。このような時間から大変失礼なのですが、士道さんはいらっしゃいますか?」

 

「え? 士道なら今あなたと――――――」

 

 そこまで言って、たった今起きた出来事と士道が外出した出来事を比べる。

 士道が狂三と歩いて消えて行ったと思われる方角を指差し、今度は狂三を指差す。それをもう一度ほど繰り返し、琴里は間違っている(・・・・・・)と思われる回答を提示した。

 

「一応、そうだと嬉しい方を先に質問するんだけど……あなたが分身(・・)ってこと、ないわよね?」

 

「……残念ながら(・・・・・)、ありませんわ」

 

 困った様子で目を伏せ、答えを提示した狂三を見て、琴里はまあ、そうよね、と意識する暇もなく息を吐く。

 

 士道を連れ出したのが分身で、琴里の目の前にいるのが本体。だとすると、琴里が言えることは一つだ。

 

 

「――――――面倒事よね?」

 

「琴里さんの察しが良くて、わたくし嬉しいですわ」

 

 

 休日返上、決定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そういや、狂三。デートって具体的にどこか行く予定はあるのか?」

 

 幾らか歩き始めて、商店街に差し掛かり一通りも増えたところで、士道は狂三にそう問いかけた。

 

「ええ……と言いたいところなのですが、恥ずかしながら何も決めていませんの」

 

「へぇ。狂三にしては珍しいな」

 

 突然誘われたのだから、何かしら行きたい場所があるのかと思っていたが、そういうわけではないらしい。

 計画性がありそうな狂三にしては珍しい、と思ってそう言葉にした士道に、狂三は眉を下げて声を返した。

 

「申し訳ございません。ふと、士道さんに会いたくなってしまったのですわ」

 

「謝ることじゃないさ。会いたくなったって言ってくれるだけで、男は嬉しいもんさ」

 

「まあお上手。ふふっ、たまには気の向くままに参りましょうか」

 

「ああ」

 

 計画性がある行動も悪くないが、狂三の言うように突発的な道行きもまた遊びの醍醐味だろう。

 狂三にしては珍しいと思いはしたものの、気まぐれなお嬢様としての面も持ち合わせる彼女なら特別、不思議なことではない。狂三がしたいというなら、付き合うのが士道のやり方だ。

 しかし、ふと狂三が足を止める――――いつか見た(・・・・・)微笑を浮かべ、ぺろりと唇を舐めながら、狂三は士道を見やる。

 

 

「――――あぁ、あぁ。本当に、美味しそう……ですわねぇ」

 

 

 それは、ゾッとするほど艶やかで、気が狂いそうになるほど、蠱惑的な魔性を感じさせる微笑みだった。

 時崎狂三とは、そういう存在だと正面から知らしめる。そんな風な微笑みに――――――

 

「……あんまり買い食いは良くないぞ」

 

 ぽんぽん。と、士道は彼女に取られていないもう片方の手で、狂三の頭を軽く撫でながら戒めた。

 士道の対応に目を丸くする狂三だったが、すぐ拗ねたように膨れっ面を見せる。

 

「もうっ、士道さんはからかい甲斐がありませんわ」

 

「可愛い可愛いお嬢様のお陰で、鍛えられてますから」

 

 得意気に笑いかけると、それがまた面白くないのか狂三はぷくっと可愛らしく頬を膨らませることをやめない。

 また違う形だったり、士道が狂三を警戒する人間だったのなら、相応に怖がったかもしれないが、生憎と狂三に心の底から狂っている士道にその手のからかいは通用しないと言っていい。

 そもそも、狂三がその気になれば士道の首はいつでも胴体からさようならだ。これくらい肝が座っていなければ、狂三をデレさせることだってできはしない。

 

「けど、本当に美味しそうですわよ。未知の森から取れたフルーツを使ったデザートだそうですわ」

 

「……いや。駄目だろ、いろいろと」

 

 そんな人体に影響を及ぼしそうなデザートを、こんなそこらの商店街で売らないでほしい。今すぐ撤去を求める嘆願書を募るか、〈ラタトスク〉に言って調べてもらうかしたい士道だった。

 ちょっと残念そうに店を見る狂三を半ば引きずりながら、士道はさっさと商店街を脱出する。

 

「――――よぉ、五河じゃないか」

 

「ん? ああ、殿町か」

 

 と、曲がり角を出た辺りで士道は意外……というわけでもない人物と遭遇した。

 殿町宏人。士道の学友で腐れ縁の一人だ。今日は休日ということもあり、街を出歩けば出会うこともあるだろうというタイミングだった。

 

「今日はどうした五河。一人寂しく遊びに出ているなら、この殿町様が――――――」

 

 手を上げて近寄ってきた殿町が、そこでピタリと動きを止めた。

 はて、と思い首を傾げた士道だったが、発言でおかしな部分があったことを思い起こす。どうやら、士道しか見えない位置から接近していたことで、狂三のことが見えていなかったようだ。

 

「あら。士道さんのご学友の殿町さん……でしたかしら」

 

 ちょうど、狂三がひょこっと士道の影から顔を出したことで、殿町にもハッキリと彼女の顔が見えたのだろう。更に身体が固まったのを見て、士道は訝しげに声をかける。

 

「おい、どうかしたのか殿町」

 

「――――どうかしたのか、じゃねぇだろ!!」

 

「おぉう」

 

 何かちょっと怒りを感じさせる爆発の仕方をした殿町に、さり気なく狂三を自身の背にやりながら一歩引く。

 

「なんだよいきなり」

 

「お前はなんでそんなに冷静なんだ!? くっ、一体いつの間に時崎さんと……十香ちゃん達だけに飽き足らず、このラブルジョワめ!!」

 

「ラ……な、なんだって?」

 

「とぼけるなぁ!! くぅ、どうして五河ばかり……しかし!! 俺にも彼女はいるぞ!! 画面の向こう側にな!!」

 

 それはいる判定に入るのだろうか? 琴里の部下の中津川辺りに聞けば、熱い答えが返ってきそうな案件だった。ちなみに、聞けば優に小一時間は取られる危険があるため、聞く気は毛頭ない。

 とにかく、発狂し始めた殿町に付き合っていては、狂三が誘ってくれたデートの時間が減ってしまう。それだけは避けたいと、士道は適当に言葉を発した。

 

「……何もないなら、俺たちはそろそろ行くからな」

 

「ぐぬぬぬ、勝者の余裕か五河ァ!!」

 

「おうそうだ。デートだぞ、羨ましいか」

 

 なおも引き留めようとする殿町に、もう何か面倒くさくなって条件反射で返してしまった。

 ちなみにこれは、割と真面目な本音である。いつもなら絶対に言わないことなのだが、殿町を大人しくさせるにはこのくらいハッキリと言った方が良いと思った、のだが。

 

「な……五河が事実を認めただと!?」

 

「おい」

 

 認めたら認めたで面倒くさい返しをしやがってと、士道は髪をくしゃくしゃとかく。

 

「馬鹿な……あれだけのハーレムを形成しておきながら、決して自分からは認めようとはしなかった五河が!?」

 

「誤解を招く言い方はやめろっ!!」

 

 狂三もいるのになんてことを言うのだこの友人は。

 確かに士道の周りには世界有数の美少女ばかりが集うが、それは士道が意図しているわけではなく精霊を救おうとした結果、そうなっただけである。文句なら、精霊の皆をあんな美少女で生み出した神様とやらに言ってほしいものだった。

 とはいえ、殿町の言う通り士道はこのことに関してはお茶を濁していたのは否定できないし、狂三との関係を知らない人に言うのは少し判断を間違えたかと今になって冷や汗をかいていると……ビッ、と殿町が何かの紙を二枚見せつけるように士道の眼前に突きつけた。

 

「な、なんだよこれ」

 

「ふっ……何も言わずに受け取るがいい五河よ。それだけの覚悟があるならな!!」

 

「受け取る前に押し付けてきてるじゃねぇか」

 

 グイグイと押し付けるようにしてくるものだから、士道も受け取らざるを得なくなった。

 中身を確認すると……何やら、どこかの遊園地のチケットのようなものだった。

 

「お前がそれほどの覚悟を決めたなら、見知らぬ人から貰ったこれで、陰ながら支援させてもらおう!!」

 

「全然陰ながらじゃないけどな」

 

「グッドラック、五河――――全然羨ましくなんてないんだからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 言うだけ言って、ひたすら叫んで、殿町宏人は駆け抜けて行った。周りの人が怪訝な顔で走る殿町を見るが、全く気にすることなく泣き叫びながら走り去っていった。

 職質されなきゃいいけどな、と適当な心配をしている士道の後ろから、ひょっこり出てきた狂三が立ち去った殿町を楽しげな顔で眺めた。

 

「あら、あら。愉快な方でしたわねぇ」

 

「いや、ただの馬鹿だよ。良い奴だけどな」

 

 親しい仲にも礼儀ありとは言うが、殿町との間には礼儀も何もあったものじゃないなと士道は半目で手にしたチケットを見た。

 『天宮ユートピア』。なんというか、安直な名前だなぁと感想を抱く。紙上のデザインなどから察するに、どうやら遊園地のチケットのようだが――――――誰かしらの意図を、感じざるを得ない中身だ。

 

 とは、言うものの。

 

「…………」

 

 じーっとチケットを見つめるお嬢様を見てしまっては、次に士道が言うべきことはこのありがたい支援にあやからせてもらうことだろう。

 

「せっかくだし、行ってみるか?」

 

「……!!」

 

 首を前に倒し、キラキラとした目で喜びを顕にする狂三を見て、士道は迷わず微笑ましさを顔に浮かべ、じゃあ行くかと彼女の手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……琴里さん。『わたくし』の支援をしてどうしますの」

 

「あ、ごめん。つい癖で」

 

「ワーカーホリックでは?」

 

 失礼な。これでもうら若き乙女にして中学生、五河琴里は青春を謳歌している。そんな働きすぎだなんて…………もしかして、あるのだろうか?

 いやいや。最近は肩が異様にこるだとかストレスで暴食が増えているだとか、そんなことはないはずだ。何かちょっと心配そうな顔をする狂三に、琴里は半笑いで声を発した。

 

「とにかく私達も行きましょ。尾行のために遊園地に入らなきゃならないわ。あくまで、尾行のために」

 

「……尾行と言う割には、そちらがオマケのように感じますわねぇ」

 

 そんなことはない。これも司令官として立派な責務だ。決して、新しくできたテーマパークへいつの日か士道と行くための視察とかそういう私情ではない。ないったらないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!?」

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ジェットコースター時の悲鳴。なお、写真に写った士道の顔は恐怖で引き攣っていたが、狂三は大変に楽しそうな笑顔だった。何よりである。

 

「どうしてゾンビしかいねぇんだよこのお化け屋敷は!?」

 

「きゃー、士道さーん、こわいですわー」

 

「怖いって顔してなくないか!?」

 

 押し寄せるゾンビの大群から狂三の手を引いて逃げる時の会話。

 なお、これもまた大変楽しそうな笑顔だった。幸せである。

 

「……コーヒーカップは普通なんだな」

 

「うふふっ。これが楽しいのではありませんの」

 

 比較的落ち着いた回転を見せるコーヒーカップに乗りながら、士道は楽しげな狂三を見て穏やかに微笑んだ。

 ジェットコースターはジェットコンバットかという勢いでの急降下やループでのスリル満点。

 お化け屋敷は、何故か大量のゾンビが押し寄せてくるニッチな仕様だった。ちなみに、どうやら不死身のゾンビという設定で、ゴールに辿り着くと不死身の抗体を打ち消せるプログラムが手に入るらしい。ただのお化け屋敷にしては随分凝った設定だなと、士道はゴールで呆れ返っていた。

 

「てか、飛べるのにジェットコースターは楽しかったのか……?」

 

「飛べることと、人の作ったアトラクションはまた違いますことよ。それを仰るなら、士道さんも飛んだ経験があるのですから、違いがわかるのではなくて?」

 

「俺は狂三に抱えられてることの方が多いからな……まあ、狂三と一緒にいられるのが嬉しいのは同じだから、そこは変わらないか」

 

 自分で飛ぶより抱えられることの方が多い士道は、どちらかと言えばジェットコースター自体より狂三と一緒に乗ったという事実の方が楽しめた。

 素面でそう言った士道だったが、ふと見ると何やら顔を赤くしている狂三に首を傾げる。

 

「どうかしたか?」

 

「……士道さん、たまに天然たらしですわ。女を泣かせるタイプですわ」

 

「たら……いや、せめて正直って言ってくれないか?」

 

 狂三に言われるとちょっと傷つく。士道だって、誰でもこういうことを言うわけではなく、親しい仲で本当にそう思っているから言ったのだ。

 まあ、少しばかりキザっぽかったかなと恥ずかしくなったりはするのだが。

 

「あら、あら。精霊さんを何十人と口説いたお方が謙虚ですわねぇ」

 

「何十人は口説いてないよ!?」

 

「『わたくし』を含めれば百はくだらないと思いますけれど」

 

「確かにそうだけど人を節操なしみたいに言うなよ!!」

 

 そんなこんなで冗談を飛ばし合いながら、士道は狂三と次から次へとアトラクションを堪能していく。

 以前、琴里と遊園地で遊んだ時も思ったのだが、この歳になってまさか遊園地でこんなにもはしゃぐことができるとは思いもしなかった――――いや、少し違うか。

 早足に駆けて、士道を急かすように狂三が振り向く。

 

「士道さん。早くいらしてくださいまし」

 

「はは。そんなに急がなくても逃げないって」

 

 ――――彼女たちが楽しそうにしているのが、士道は心から好きなのだ。

 だから、自分も楽しい。限られた時間の中で、それは士道の心に強く残る思い出だ。

 

 

 

「ん……美味いな、このアイス」

 

「ええ。お値段の割に、満足いくクオリティですわ」

 

 軽く腹ごしらえにと、露店からカップに入ったアイスを購入してみたのだが、これがまた美味い。意外な発見だった……『バニラブリザード』味やら、『ストロベリーマグマ』味やら、何だかヘンテコな名前のアイスではあったが、味は確かなようだ。

 スプーンですくい上げ、舌にひんやりと広がる感覚に舌鼓を打っていると、狂三がすくい上げたアイスをじーっと見つめていた。

 

「? どうした、狂三」

 

「――――士道さん。はい、あーん」

 

「……!!」

 

 瞬間、士道の脳内に衝撃が走った。あーん。と、差し出されたスプーン。言うまでもなく、男の夢だ。誰が否定できようか。誰にも否定はさせはしない。

 揶揄うように微笑んだ狂三の顔が士道の視界に広がっている――――――だから、士道に躊躇いはなかった。

 

「ああ、さんきゅ。あーん」

 

「……っ!!」

 

 ぱくりと、一口。既に狂三が口にしたスプーンを含み、舌に広がる新たな冷たさと甘味に刺激され――――――感じだ言いようのない快感は、ちょっと、神無月さんを笑えないかもしれない、なんて士道は内心で自分に苦笑した。

 ペロリと一口平らげて、動揺で顔を赤くした狂三をニヤリと見やる。

 

「ご馳走様。お返しに俺のもいるか? ――――――間接キスになるけど」

 

「な……っ!?」

 

 ぼふんとトマトもかくやという熱を帯びる狂三に、ちょっと虐めすぎたかな……と思いつつ、スプーンを差し出す手が止まらない士道だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「言っておくけど、あなた達はアレよりすごいわよ」

 

「いえ、わかっていますわ。わかっているのですが……」

 

 わかっているのと、認めるのはまた別の力がいるのだろう。

 幾つもアトラクションを乗り継いでいく士道と『狂三』を監視しながら、琴里は何とも言えない顔の狂三に難儀なことだとため息を吐く。

 

「大体、どうして分身(・・)が士道のところに来たのよ」

 

 この行動の根幹を成す部分。あちらにいるのが分身で、琴里と行動しているのが本体。であるならば、本体の意図しない範囲で分身が行動を起こしているということになる。

 問いかけを受けた狂三は、ふと冷たく瞳を細めた。

 

「さあ? わたくしに三行半を差し出して飛び出した『わたくし』がいる、と他の分身から報告があっただけで、あの子が何を考えているかなど知りませんわ――――――ただ、わたくしの意にそぐわない分身体を、放置するわけには参りませんわ。それが士道さんと関わるものなら、尚更」

 

 彼女の言わんとしていることを察して、琴里は微かに眉根を寄せた。

 『時崎狂三』という記号からの別離。過去の履歴から切り離された狂三が『狂三』という個体である。

 それは、狂三でありながら狂三とは別の意思を持つ者。同時に、時崎狂三(オリジナル)の考えから大きく乖離することはない。何故なら、彼女たちもまた『時崎狂三』だからだ。故に、崩れない団体行動が可能であり――――何かしらの要因で、そうでなくなった個体の末路など、想像に容易い。

 

「じゃあ、あなたはあの分身をどうしたいの?」

 

「…………」

 

 問いかけの答えは、沈黙。想像することが楽な結末を、この狂三が選ぶのかどうか。少なくとも、琴里には予知できる力などない。

 自分自身が何人もいる感覚など、それこそ狂三にしかわからないものだろう。難儀な話だと、琴里は手にしたソフトクリームを口に運んだ。

 

「あ、このソフトクリーム、美味しいわね」

 

「本当ですの? でしたら、わたくしの天下メロン味と一口交換いたしましょう」

 

「……買う時も思ったけど、変な名前ねぇ」

 

 まあ、琴里の手にした『花道オレンジ』味も大概だとは思うが。

 そんなこんなで、琴里たちは琴里たちで遊園地をエンジョイしていた。

 

 時刻は、夕暮れ時。終わりの時は、刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しい時間というものこそ、あっという間に過ぎていってしまう。

 

「士道さん。わたくし、次はあれに乗りたいですわ」

 

 幾つも幾つもアミューズメントを楽しんで、いつしか夕暮れまで見えてきたところで、狂三が一段と大きく見える観覧車を指さしてそう言った。

 もちろん、士道は「はい、はい。お嬢様」と二つ返事での了承だ。元々、一人で乗るものではないのもあって、他のアトラクションより待ち時間は短めだった。

 

 

「――――見てくださいまし士道さん。景色がとても綺麗ですわ」

 

「ああ。夕暮れ時ってのも、良い味を出してるな」

 

 観覧車から絶景となる景色を見下ろし、目を開いて溢れんばかりの笑顔でいる狂三――――士道からすれば、彼女の方が景色より見惚れるくらい美しいものだった。

 そんな自分の考えに思わず苦笑する。口を開けば狂三、狂三。口説き文句は狂三を相手に。ほとほと、恐ろしい狂い方をしたものだと。

 

 

「士道さん――――人は、死した時どこへ逝くのでしょう?」

 

 

 その、時だ。狂三が物思いに耽るような顔で、それを口にしたのは。

 

「狂三?」

 

「天に向かう? 地に向かう? それとも、その先には何もないのでしょうか? 如何な『わたくし』と言えど、消えていった者達の声はわかりかねますわ。少なくとも、わたくしたちは地獄へ堕ちると思っていますけれど」

 

「……死にかけたことは何度かあるけど、死んだ後のことは考えたこともなかったな」

 

 人の生き死に過敏になる人生など、今の常識的な高校生ではそうありはしない。五河士道は……弁護のしがいもなく、過敏な人生を送ってしまっているが。

 人は死んだらどこへ向かうのか。それは、わからない。けど、消えてしまった人がいる――――士道は、絶対に忘れないと誓った。

 

 

「死の先に何があるのかは、わからない。けど……俺は、覚えてる。誰一人、忘れたりしない――――――お前たちのことも」

 

「っ……地獄に堕ちるわたくしたちを、それでも?」

 

「仮にそうなったとして、俺が絶対に連れ戻す。狂三が行くところは、俺の場所だけだ――――――そもそも、行かせないけどな」

 

 

 不敵に笑って、言葉を締めくくった。

 地獄があったとして、時崎狂三がそこへ堕ちるというなら、士道は何がなんでも連れ戻しに行く。誰一人、忘れてなんかやらないし、誰一人、楽にはさせてやらない。

 あまりに格好をつけすぎたためか、それとも士道の答えがおかしかったのか、狂三は困ったように微笑んだ。

 

「甘いお言葉ですわ。覚えているご自身がわたくしたちより先に死んでしまったら、どうなさいますの?」

 

「無謀な俺がそうならないために、狂三たちが守ってくれるんだろ?」

 

「……勝手なお方ですわ」

 

「当たり前だろ。俺は勝手なんだ。みんなは優しいとか言うけど、好き勝手に世界を変えた人間が、そんな善人なわけないだろ。俺は悪いやつだから、お前のことだって絶対に忘れてなんかやらない」

 

 ふんぞり返って士道が言うと、狂三は堪えきれないと吹き出して笑う。

 

 

「きひひ!! そう言われてしまえば、返す言葉もございませんわ。何せ、稀代の殺人鬼と稀代のプレイボーイですものね。案外、堕ちる時は共に逝くことになるかもしれませんわね」

 

「そうなったらそうなったで、俺は笑ってると思うぜ――――――地獄の底だろうが、狂三が隣にいるなら俺にとっては天国の特等席みたいなもんさ」

 

 

 けれど、そうならないために。自分たちの世界をそうしないために。何よりも、士道は己自身の願望で狂三を救う。救いたいと願う。

 夕日のせいか、或いは、士道の浮ついた言葉がもたらした結果か。頬をほんのり赤く染めた狂三――――『狂三』が、悲しげに微笑んだ。

 

「ありがとうございました。士道さんとのデート、楽しかったですわ。わたくしの……一生の思い出です」

 

「……俺もだよ。ていうか、今日で終わりみたいな言い方しないでくれよ。お前が不安になったら、いつだってデートの一つや二つしてやるからさ」

 

 『狂三』は静かに首を振るばかりで、士道の提案を受け取ろうとはしない。

 その意味を、『狂三』の視線の先が指し示している。

 ゴンドラが地上へ近づく。夜が近づき、人もまばらな出入口付近――――――もう一人の時崎狂三が、待っていた。

 

 

 

 

 

「……随分と勝手をしてくれましたわね。覚悟はできていまして?」

 

 ゴンドラを降りると、憮然とした顔の狂三が腕を組んで士道たちを……否、『狂三』を待ち構えていた。見れば、狂三の後ろには琴里までいる。

 

「…………」

 

 どうするのか。そう、琴里の視線が訴えかけている――――――士道は、何もしなかった(・・・・・・・)

 『狂三』が狂三の前へ一歩近づき、手を前で組んでその身をさらけ出した。祈りの前の修道女か、或いは罪を認めた罪人か。

 

「ええ、もちろん。秩序を欠いた群体に待つのは破滅のみ。それに、臆病風に吹かれた(・・・・・・・・)『わたくし』など、もはや使い物にならない弱く、脆い存在――――――一思いに、終わらせてくださいまし」

 

「…………ふぅ」

 

 短く、息を切る音が大きく響いた、気がした。

 秩序を欠いた群体に待つのは、破滅のみ。時崎狂三(オリジナル)に忠実に従うからこそ、『狂三』という軍団は驚異的な力を発揮する。

 何より、『時崎狂三』は狂三の弱さ(・・)を強く否定する存在。自己の弱さが出た『狂三』を許せない――――――けれど、それは。

 

「――――帰りますわよ」

 

 少し前までの、『時崎狂三』だ。

 憮然としながら、しかし仕方ないと息を吐いて狂三は背を向けて歩き始めた。

 目を見開いて呆気に取られた『狂三』が、慌てたように狂三を引き止める。

 

「わ、『わたくし』? 一体、何を……」

 

「士道さんの手を煩わせた挙句、これ以上わたくしにまで手を焼かせないでくださいまし。やることが山積みなのですから、さっさと役割に戻りなさいな。その頭、わたくしと同じ物が存在しているのでしょう?」

 

「で、ですが……っ」

 

「――――あなたの行動を許したわけではありませんわ。けれど、今のわたくしには余分な労力を割く理由がありませんの。精々、士道さんに感謝することですわね」

 

 流し目で士道を見る狂三に釣られ、『狂三』までも士道を驚いた目で見やる。

 見られながら、士道は髪をかき上げて困った顔で声を発した。

 

「俺は別に、そういうつもりで言ったんじゃないんだけどなぁ」

 

「あなた様の意思はどうあれ、『わたくし』の心に届いたのは事実ですわ――――――届いていなければ、本当に撃ち殺して差し上げるつもりでしたけれど」

 

 言って、凄絶な微笑みを浮かべる狂三を見て琴里がうげっ、と言わんばかりの顔で引いている。

 士道はただ、『狂三』が何か思い詰めているような、そんな気がしたから士道なりに精一杯答えただけだ。

 

 だって、士道にとって、彼女もまた『時崎狂三』なのだから。

 

「お前の力になれたなら嬉しいよ。また何かあったら、『狂三』たちの力になるって伝えといてくれ」

 

「……堂々と浮気宣言とは、やりますわね士道さん」

 

「えっ。これも浮気になるのか?」

 

 精霊が良くて『狂三』が駄目なのか、と愕然とする士道を見て狂三がくすくすと笑う。どうやら、狂三なりのジョークらしい……ジョーク、だといいなぁ。

 そうして、くるりとターンした狂三が足を揃え、スカートを摘んで今度こそ別れの礼を尽くす。

 

「それでは、ごきげんよう。士道さん、琴里さん。本日の礼は、また近いうちにお伺いいたしますわ」

 

「いいよ……って言いたいところだけど、是非受け取らせてくれ――――――お前に会えるなら、大歓迎だ」

 

「ふふっ、本当にお上手になられましたこと――――――」

 

 すると、急に狂三が指を自身の唇に当てる。淡紅の唇が僅かに隠れたのは一瞬で。

 

 

「愛していますわ、士道さん」

 

「っ!?」

 

 

 チュッ、と投げキッスをしながら、狂三は身体を翻しあっさりと去っていった。呆気に取られていた『狂三』も、慌てて士道と琴里に頭を下げて走り去った。

 残されたのは士道の元へ歩いてくる琴里と、あーっと顔を隠してへたり込む士道だけ。

 

「……今のは、ズルくないか?」

 

「最後の最後で、一本取られたわねぇ」

 

 いくらなんでも、可愛いがすぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ士道」

 

「んー?」

 

 エプロンを着けて、料理の味見をしながら返事をする士道の姿は、とてもではないが先程まで『最悪の精霊』と世間で称される精霊とデートしていた男とは思えない。

 自然体な士道の魅力もわかるが、狂三相手に自然体でアレをやれるのは相当精神が強く鍛えられたなと、この一年での感慨深さと僅かな後悔を感じてしまう。

 

「もしかして、わかってたの? 狂三があの分身を処分する気がなかったって」

 

「まぁな。今の狂三なら心配ないって信じてた」

 

 調理器具を扱い、話しながらだというのに着々と夕食の準備を進める士道を見ながら、琴里はふーんとチュッパチャプスの棒をピンッと立てた。それは、まだ琴里の中で納得しかねる思いがある証明なのかもしれない。

 正直な話、琴里は士道の性格ならあの時点で狂三の説得に入ると思っていた。だから、静観を選んだ彼の選択は琴里に驚愕をもたらしたのは言うまでもない。

 

「どうしてそう思ったのよ」

 

「……狂三は、さ。自分のこと、好きじゃないだろ?」

 

「っ……そうね」

 

 自らのことではないのに、琴里は息を詰まらせた。

 自分が好きではない。七罪のような自己の否定とはまた違う。狂三は、己の容姿を客観視して最大限に活用できる術を知っている。もっと深く、根深いそれは恐らく――――――狂三の過去(・・)に纏わるものだ。

 

「どんな分身だとしても、『狂三』は狂三なんだ。理屈じゃなくて、本質的にさ」

 

「…………」

 

「だから、狂三が普段言えないこと。狂三が奥底に隠したこと。そういうのが言える〝時間〟から切り離された奴もいるんだと思う。ほんの一瞬、刹那の〝時間〟から生まれた『狂三』がさ」

 

 過去の履歴。狂三が生きてきた存在証明。それらから切り取られた分身。己であって、己の意思でありながら、それでいて己の意思に反する己自身。

 言わんとしていることは理解できる。琴里は士道の言葉に声を返す。

 

「……それが、今日あなたが会った子だってこと?」

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、狂三はそういう時崎狂三(自分の迷い)を〝弱さ〟って言って捨てたがってたのは確かだ。あいつは、世界っていう運命と戦うために自分の〝弱さ〟を認めるつもりが……いいや、認めたくなかったんだ」

 

「自分の〝弱さ〟と折り合いをつける気がない、か。潔癖がすぎるわね」

 

 思わず苦い顔をした琴里を見て、兄妹揃って感じることは同じなのか士道は悲しげな顔で言葉を続ける。

 

「自分自身と向き合うのは、大変なことなんだろうな。誰より優しくて、自分に厳しいから……自分がやってきたことへの言い訳をしない。だからこそ、自分で自分が許せなくなる」

 

 愚かな行為をしたのは自分だと。それ(過去)を精算するため、等しく愚かな行為を繰り返す時崎狂三の罪業。

 誰に許されるつもりもない。許されようとも思わない。許されるとは思っていない。そして、誰よりも自分自身を許さない。気高く、悲しい。

 

 きっと、士道を好いてしまうことにも想像を絶する葛藤があったのだろう。こんな自分が、そう思い続けていたのだろう。けど否定し切れなくて、世界を背負う狂三が同じくらい大きな想いを抱いてしまった。

 そんな思いを背負う狂三だからこそ、変われるものがある。

 

 

「あいつは、ずっと自分を許してないんだと思う。自分のこと、どこかで好きになれてないんだ――――――けど、俺や十香たちが狂三を好きだって気持ちは変わらない。それを狂三自身が知った今なら、少しずつでも自分のことを好きになってくれてるんじゃないか……そう思ったんだ」

 

 

 士道たちが認めてくれるなら、狂三は自らを少しでも許せるのかもしれない。

 自らの〝弱さ〟。自らの〝罪過〟。それらを分身として映し鏡のように見せつけられる狂三は、弱音を殺し続け、罪は自身を戒める鎖とした。

 弱さを認めてしまえば、歩けない。罪から目を背けてしまえば、狂三は狂三でなくなる。

 けど、今の狂三は独りじゃない(・・・・・・)。その罪を受け止めて、その弱さを優しさだと言ってくれる人たちがいる。まだ、彼女は全てを受け入れてはいないけど――――――自分の弱さを見て、受け入れられるくらいには、士道たちの影響を受けているということだ。

 そこまで言い切った士道が、熱く語りすぎたというように少し照れくさそうな笑みを浮かべ声を発する。

 

「って、結局は全部俺の想像でしかないんだけどな」

 

「いいじゃない。たとえそうじゃなかったとしても、いつか狂三がちゃんと全部の〝自分〟を受け止められるようになるくらい、士道がデレさせてやればいいんだから」

 

 弱い自分も、恐れを抱く自分も受け入れて、前へ進めるように。罪を背負いすぎるのではなく、罪を認めながら優しい狂三がちゃんと未来へ進めますようにと、琴里も願っている。

 願うだけでは叶わない。それを叶えるのが、〈ラタトスク〉の使命であり、士道の誓いというやつだろう。

 

「ああ。そうだな……『時崎狂三』を、絶対に助けよう」

 

 唇の端を上げて檄を飛ばすように言うと、目を丸くした士道が表情を引き締めて言葉と共に頷いた。まあ、エプロン姿では少し格好がつかないなと笑ってしまったが。

 

「……にしても、今日は士道の一人勝ちね。あんなに楽しんじゃうんだもの」

 

「そうか? 琴里たちも楽しそうにしてたと思うけどな」

 

「そ、そんなことないわよ!? あくまで私は士道が何かしでかさないかをね……」

 

 

「――――シドー!!」

 

 

 ダァンッ! と、士道と琴里が身体をびくつかせて力強く開け放たれた扉を見ると、声の想像通り十香が息を切らせながらリビングへ飛び込んできていた。

 

「お、おお。どうした十香。夕飯なら今できて――――――」

 

「そんなことはいいのだ!!」

 

「なん……ですって……っ!?」

 

 十香が、三度の飯より飯が好きな十香が、士道の夕飯をそんなことと言ったのか? などと愕然としている琴里を他所に、十香はゴソゴソとポケットを探り〈ラタトスク〉から支給された携帯端末をずいっと士道へ見せつけた。

 なんだなんだと訝しげな顔をしていた士道だったが、それを見てゲッと潰れたカエルのような声を出す。何事かと琴里も足早に覗き込むと――――――なんということでしょう。遊園地を背景に、狂三と仲良さげに腕を組む士道(・・・・・・・・・・・・・・)が映っているではありませんか。

 さっきまでの余裕の討議はどこへやら。汗をダラダラと流した士道が、震えている上に裏返った声で十香へ疑問を投げかけた。

 

「と、十香? これを一体どこで……?」

 

「亜衣たちが送ってきてくれたのだ!! ズルいぞシドー!! 今日、狂三とデートするなど言っていなかったではないか!! 私もシドーや狂三とデートがしたいぞ!! デートデートデート!!」

 

「お、落ち着け十香。これには深いわけがあってだな……」

 

 詰め寄る十香を両手で抑えていると、ドタドタとまた騒がしい足音が廊下から響いてくる。それも一人ではなく、複数人のものだ。

 

「――――議論。これはどういうことでしょうか、士道」

 

「我ら八舞の共有財産でありながら、無断で狂三と出かけるとはどういうつもりだ士道よ!!」

 

「増えたっ!?」

 

「あーん、だーりんずるいですよー。狂三さんとデートするなら私も呼んでくださいー!!」

 

「さらに増えた!?」

 

 どこから聞きつけてきたのか。情報源はどこなのか。まあ、人の交友関係というのは思った以上に深いものらしい。というか、琴里と狂三には気がついていたのに他の視線には気がついていないとは、何とも嬉しいのやら呆れるのやら。

 耶倶矢、夕弦、美九が十香と同じように携帯端末を手に詰め寄る光景を見ながら、琴里は微笑をこぼして一人安全圏でそれを眺める。この分では、まだまだ増えるだろうなぁなんてことを他人事のように思いながら。

 

「……ま、こんな騒ぎに狂三を巻き込めるくらいに頑張りなさいよ。稀代のプレイボーイさん?」

 

 それは、まだまだ先の話かもしれないが。どんなに格好をつけられるようになっても、女の子の前ではしょうがない兄だと琴里は笑いながら日常を見るのだった。

 

 

「た――――助けてくれよ琴里ぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――惜しいですわ」

 

 夜も更け始めた中、二人の少女が並んで歩く。こつこつ、こつこつ。足音も、外見も、瓜二つ。当然であるが故に必然。彼女たちはお互いが己自身なのだから。

 違いがあるといえば、その一人が発した言葉に呆れ返った声色で時崎狂三(オリジナル)が応じたことか。

 

「まだ何か企んでいますの? 忠告おきますけれど、次はありませんわよ。わたくしは脳で分身体(『わたくし』)は手足。今回は、あなたが戦えるだけの精神状態に戻ったからこその特例。脳に逆らう個体など、本来なら許しませんことよ」

 

「心得ていますわ。わたくしの命があることは、士道さんの慈悲のお陰――――――だからこそ、惜しいことをいたしましたわ。冥土の土産に、士道さんのキスの一つを盗んでいこうと画策していましたのに、あの方は全く隙をお見せにならないんですもの」

 

 悪びれもなく唇に指を当て残念そうに告げる『狂三』に対し、狂三は頭を抱えてこいつは……と言わんばかりの目線と共に声を返した。

 

「本気でやっていたら、死より残酷なことを『わたくし』にしなければならないところでしたわね」

 

「まあ、怖い怖い。けど、そんな士道さんを動揺させるだなんて、さすが『わたくし』ですわ」

 

 今日一日、『狂三』なりに士道を照れさせようと努力したつもりだったのだが、どうにも手応えが薄かったのだ。無論、反応がないわけではなかったが、それはあくまで時崎狂三という容姿や仕草に関して。狂三のように、士道を完全にノックアウトさせるまでには至らない。

 すると、あらあらと表情を微笑みに一変させた狂三が、勝ち誇るように言葉を紡いだ。

 

 

「当然、経験値が違いますわ――――――好意を伝えることを恥じているようでは、二流ですわね、『わたくし』」

 

「……!! きひひ、おみそれいしましたわ、『わたくし』」

 

 

 誰もが見惚れる微笑みを携えて、狂三がステップを踏みながら帰り道を歩んでいく。

 なるほど。それは、狂三が超えることのできなかった一線だ。大変勉強になった――――勉強代として、リンゴのように赤い『わたくし』の耳は、見えないことにしておこうと『狂三』は笑いながら狂三を追いかける。

 

 ああ、本当に。過去の『わたくし』が見たら、反吐が出るくらい甘く――――――優しい『わたくし』だ。

 

 

 

 

 

「ああそれと、『わたくしたち』が裁判の準備をしていますので、そちらは自分で何とかしてくださいまし。弁護はいたしませんわよ」

 

「きひっ!?」

 

 訂正。やっぱり『狂三』にはちょっと優しくない『わたくし』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 光り輝くページに指を滑らせ、記録(・・)を収集する。世界の記憶であり、地球のあらゆる事象。永遠に等しい時間の中で、切り取られた刹那の一瞬。

 その記録は、世界という物語に大きな影響を及ぼすものではない。当然だ。時崎狂三(オリジナル)から切り離された個体の一が、神の創りし世界(ものがたり)を揺るがすことなどない――――――それでも、価値あるものだと少女は微笑みを浮かべた。

 

「――――あら、あら。楽しそうなことをしていらっしゃいますこと」

 

 と。気配を殺した(・・・)狂三が少女の肩に触れた。それによって、少女の閲覧していた記録がその狂三の中にも入り込んだのだろう。目を丸くして、少しばかり意地悪な微笑みを作る。

 

「……ふぅん。何かと思えば、あの時の騒ぎの記憶でしたのね。随分と臆病な『わたくし』ですが、分身体一人に大した力の入れようですこと」

 

「そう言えるのは、あなたがまた別の分身の一人だからでしょう。死への厭忌は、人として持っていて当たり前の感情です。それを失くした人は、もう人ではなく怪物ですよ」

 

分身体(『わたくし』)を人として定義するなら、ですわね」

 

「人でしょう。思考して、悩むことができるなら。五河士道はそう考えていますし、それを否定してしまえば狂三(オリジナル)さえも人ではなくなってしまう。残酷な言い方をするなら、代わりがいるかいないかの違いでしかない」

 

 死への恐怖とは、生きていることの証明に他ならない。死への感情が薄くなった生き物など、生きているとは言わない。ただ事象を観測し、どこにもいない存在へと成り下がるだけだ。

 死への恐怖があるうちは、或いは――――死にたい(・・・・)と思う心があるうちは、人であれ精霊であれ怪物ではない。そう、少なくとも少女は定義付けている。

 

「だから、近しい死の前に何かを残したいと願う彼女は、人として正しい生き方だと私は思っています。まあ、分身とはいえそのような考え方を狂三がしたのは、純粋な驚きですがね」

 

「その台詞はわたくしの物ですわ。本当に、驚くほど丸くなってしまいましたわね、『わたくし』は。わたくしであれば、あのように腑抜けて独断専行をした個体など、その胸を貫いて差し上げますのに」

 

「……私に悪夢を押し付けるようなことはやめてください」

 

「あら、ごめんあそばせ」

 

 くすくすと笑みをこぼす狂三からは、反省という二文字は感じられない。考えるだけで鳥肌が立つような行為を、言動で予期させるのは避けてほしいものだ。

 ただ、狂三が甘くなったということは同意する。それに異を唱えることはしないし、するつもりもない。少女とて、過去の磨り減った狂三のままでいて欲しいとは思っていなかったのだから。

 けれど、狂三の生き死にの価値観が常人のそれに落ち始めているのなら、彼女はそれを人にも向ける。向けられてしまう。そうなった時が、少女の心をざわつかせる。

 

 仮に、今以上に少女に踏み込んでくるのなら、それは――――――

 

「……私が考えるのは傲慢、か」

 

 それこそ、無駄だ。狂三は最後の一歩を踏み込むことはしない。できないのだ。彼女が〝悲願〟という最終目的を手放すことがない限り。

 ひたすらに矛盾を抱えた彼女は、それを諦めることなどできないのだから。

 

「如何なさいまして?」

 

「いいえ。あなたなら、どう転ぼうと躊躇いなく動いてくれると思ったまでですよ」

 

「……褒められていますの?」

 

「褒めていますよ。これ以上なく」

 

 そう言って少女は、納得がいかなそうな狂三を背にして再びページへと触れる。

 さて、次は如何なる旅の記録か。はたまた、なんてことのない日常の記録か。どちらにしろ、少女の求めるものには変わりない。

 

 さあ、続けよう。少女は意味のない行動を続けようと思う。何のためか。それさえも、理解できない出来損ないの精霊。

 

 ――――――価値のない私が、価値ある『私』になる前に。

 

 

 






Q.士道はいつから分身だと気づいてたの? A.初めから。その程度は知っての通り御茶の子さいさいよ。


そんなわけでお送りしました、分身体とのデート編。その一幕。正直ノリと勢いで書いたので個人的反省点は多いです。デートシーンとかもうちょい量盛りたかったのは一番思ってます、反省。
この分身は最初はリクエスト通り誰かを決めていたのですが、書いていくうちにこれ定めない方がいいなってことで、皆様のお好きな子を当てはめてください。本編中に現れたどれかの個体なんじゃないかなぁ。死が怖いのか、はたまた死して会えなくなることへの恐怖か……それもご想像にお任せします。

殿町くん何気に会話シーンほぼ初めてだったり。こういうキャラだっけ…こういうキャラだった気がする(自己催眠)
ただの馬鹿だよ。良い奴だけどな、は今の士道の性格を表してる感じで割とお気に入りです。

オチはそういうこと。だからタイトルが〝記録〟であり、これは閲覧履歴みたいなもの。記録の時系列は決めずに書いたのですが、ディザスターから二亜クリエイションの間くらいを想定しています。
閲覧者たちの時系列は……秘密です、ふふふ。人は心がある限り人でいられる。死を恐れる限り。それを無くした者は、人ではなく怪物。あくまで少女の価値観の話、ですがね。
次章でも触れるのですが、この作品に残された一番の謎要素はメイド分身体なんじゃないかと思う今日この頃。

さて、次回からはいよいよ宇宙で戦争(デート)。六喰編に入っていきます。残すはあと一人。それが終わると、展開は最終章へ……今は可愛い六喰に集中いたしましょう。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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六喰ファミリー
第百三十話『新たな年をキミと』


 

 現時刻、現在進行形で祈りという願い事をしておいて何だが、士道は神様という存在をあまり信じてはいない。

 厳密な言い方をすれば、神様という存在定義を信じていないのではなく、その効力に関してのことだ。もし神様がいるのなら、祈りで何かが解決するのなら――――――精霊の封印を〝キス〟という方法にしてくれたことを、士道は心から恨んでいる。だから、懐疑的になってしまったのだ。

 

 まあ、恐らくは、それ以上に――――――

 

 

「何を、願いましたの?」

 

 

 この神様さえ殺してみせる(・・・・・・・・・・)と啖呵をきってみせたお嬢様の隣で、神を信じる気にはならないと言うだけなのだが。

 同じように手を合わせていた狂三が、目を開け顔を上げ士道と視線を合わせる。煌びやかな紅色の晴れ着は、同じ色だというのに彼女の霊装とはまた違うイメージを抱かせ、出会った時は士道を数秒間フリーズさせたものだ。数秒後、琴里によって強制的に起床させられたのは言うまでもない。

 狂三の問いに頬を緩ませ、士道は声を返す。

 

「んー……恒久的な世界平和、とか?」

 

「まあ……想像よりとても大きな願いで、わたくし驚きですわ」

 

「冗談だよ、冗談」

 

 手を口元に当て目を丸くする狂三に、士道は笑いながら即刻訂正を申し立てる。日本の神様である八百万も、世界的な恒久和平など願われても叶えられっこないだろう。

 

「本当は、なんと?」

 

「……今ある幸せが、できるだけ(・・・・・)続きますように」

 

「…………」

 

 士道の答えに、狂三は表情に僅かな悲しみを乗せる。

 できるだけ。その意味をつけなければならない理由は、狂三にあるのだから。けれど、士道はさらに言葉を続けた。

 

「ずっと続くように、ってのは、自分の力で叶えてみせるさ――――――神を殺す女の子をデレさせて、な」

 

「――――っ!!」

 

 今度こそ、完全に意表を突くことができたようだ。

 この願いだけは、神頼みをするつもりはない。自分の力で叶えなければ、叶えたいと思う気概がなければできはしない。改めて、ここでそう誓いを立てたいと思ったのだ。

 

「き、ひひっ。楽しみにしていますわ。わたくしは、それ以上に士道さんをデレさせて見せますけれど」

 

「はは、俺も楽しみにしてるよ――――狂三は、何をお願いしたんだ?」

 

 個人的に気にならないわけがないと、士道は狂三の手を取りながら後ろに並ぶ参拝客に頭を下げる。賽銭を済ませたのだから、迷惑にならないよう場所を開けるためだ。

 自然と二人は本堂から逸れて道を戻りながら、上機嫌な狂三が士道の手を握り返して声に応じる。

 

「はて、さて。わたくしは神に逆らう愚か者。願い事を明かすなど、恥ずかしさで顔も見せられませんわ」

 

「……めちゃくちゃ楽しそうな顔してるけどな」

 

 教える気がないということは伝わってきた。上機嫌なお嬢様の傍若無人っぷりが、新年早々全力全開なのはいい事ではある。それがまた、士道の悶々とした気持ちを加速させるのだが。

 一体、何をお願いしたのだろうか。自分に関することなら、とても嬉しいがいやしかし……などと悩む士道を見て狂三がくすくすと笑い声をもらしていた。

 

「おーい、おにーちゃーん」

 

 と、人の少ない場所で立ち止まった二人の後方から、元気な妹の呼び声が聞こえてきた。

 賽銭箱の大きさから、一度に参拝できる人数が決まっていたのもあり、それぞれグループを分けて別行動を取っていたのだ――――――ただ、狂三と二人きりにしてもらったのは、さすがに皆に気を使わせすぎていると狂三と揃って苦笑してしまったものだが。

 

「琴里――――お、絵馬か」

 

 振り返ると、小さな木の板を持って手を振る琴里の姿があり、そこには長机が設営され精霊たちも皆熱心に板に何かを書き込んでいた。

 願い事を書き込みぶら下げると、願いが叶うと言われている行事。皆、こういうの好きそうだからなぁと微笑ましさから頬を緩め、士道たちも皆と合流する。

 皆、真剣な顔で、だが楽しそうに思い思いの絵を書いていた。その中で、狂三が一人の絵馬を覗き込み優しげな微笑みを見せる。

 

「あら、お上手ですわ四糸乃さん」

 

「お、本当だ。よく出来てる」

 

 士道も習って手前にいた四糸乃の絵馬を覗き込み、そんな感想を抱いた。

 絵馬の右半分には、眼帯を付けた可愛らしいウサギの絵が描かれており、可愛らしさと絵としてのきっちりとした輪郭が鮮明に出ている。多少贔屓目はあるかもしれないが、とても素敵な絵柄だ。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

『うふふー、でしょー? 狂三ちゃんも士道くんもわかってるぅ』

 

 お揃いの若草色をした晴れ着を身につけた四糸乃、よしのんがそれぞれらしい反応を返してくる。

 

「ああ、大したもんだ。そんなに可愛い絵馬なら、神様も見つけやすいかもな」

 

「あ……でも、それなら七罪さんと二亜さんの絵馬も凄いですよ」

 

「え?」

 

 四糸乃の視線の先、その二人がいるであろう場所へ士道は顔を向け……何とも言えない表情を作る。

 濃緑の着物を着た少女と、ダウンジャケットを羽織った眼鏡の少女が、ペンを何色も使い分けながら(・・・・・・・・・・・・・)、絵馬に書くにはクオリティが高すぎる少女の絵を描いていた。

 それだけならば可愛いものなのだが、如何せん雰囲気が違いすぎる。絵がどう見てもプロレベルに加えて、新年の和やかな雰囲気には程遠い、締め切り直前の漫画家の原稿作業を思わせる雰囲気が相まって、恐ろしく注目を集めていた。

 

「……おーい、二人とも?」

 

「……はっ」

 

「お、少年にくるみん。手なんか繋いじゃってー。若いっていいねー」

 

 妙におっさん臭い反応を返しながらカラカラ人懐っこい笑みを浮かべる二亜と、対照的に動揺を顕にして肩を揺らす七罪。

 癖の強い髪が綺麗に結い上げられた七罪とはまた対照的で、特におめかしらしいおめかしをしていない二亜だが、絵のレベルは比類していて士道は手放しに褒め讃えたい気持ちになった。まあ、その野次はどうかと思うがと顔は苦笑いになるのだが。

 そもそも、グループ分けで士道と狂三をくっつけた主導者は二亜なのだ。半ば強引ではあったが、こうしてからかわれた狂三が微笑みながらも照れを隠しきれず、可愛らしく頬に熱を溜めているのを発見できると、感謝の一つは感じるというものかもしれない。

 そんなことを言った日には、二亜の性格上、絶対にからかいの矛先が士道へ一点集中するので、口からは別のことを発するのだが。

 

「たくっ……しかし、上手いもんだな。さすがはプロ」

 

「まぁねー。仮にも絵描きの端くれとして? 手は抜けないっていうか?」

 

 二亜はそう言い、ふふんと得意げな顔でペンを器用に回してみせる。二亜の漫画にかける情熱とプライドは、つい先日体感したばかりだ。そうだろうなと、素直に共感することができた。

 と、そのプロと比べられるほどの才を持つ七罪は、クオリティとは裏腹にバツが悪そうに絵馬を手で隠してしまう。

 

「……私は二亜に乗せられただけで、別に描きたくて描いてたわけじゃないし……」

 

「ええー、ここまでやっといてそんなこと言っちゃう? ついさっきまで二人でまんが道歩んでいこうって話してたじゃん」

 

「言ってないし!? 何まんが道って!?」

 

 快調な舌は相も変わらずなのか、そうやって七罪をからかい倒した二亜は士道へ視線を戻す。

 

「いやー、でも実際、なっつん有望よ。正直ウチのアシスタントに欲しいんだけど、どうよ。給料はそれなりに払えると思うし、もしその気があるなら編集にも紹介してあげられるけど」

 

「……いや、別に私、そういうのは。ていうかなっつんって何……?」

 

「え? あだ名だけど? ほら、あたしとなっつんくらいの仲になると、自然とそういうのできちゃう感あるじゃん」

 

「えっ、そんな深い仲になった覚えないんだけど……」

 

「ちなみに『なっつん』ってのはあれよ。『七罪』って名前と『ナッツ』をかけてあるからね。ほら、殻に籠ってる感じとかそれっぽくない? ピスタチオみたいにちょっと開いた殻の隙間からこっちを覗いてるイメージ」

 

「……ぶふっ」

 

「……きひっ」

 

 あまりにも容易に七罪が殻から様子を窺う姿が様になって浮かんでしまい、珍しく狂三まで巻き込んで吹き出してしまった。

 

「…………」

 

 冷静沈着な狂三までそんなリアクションを取ったのが不服なのか、ジトーっとした視線をぶつけてくる七罪。慌てて狂三と二人で咳払いをして、士道は誤魔化すように二亜へ言葉をかけた。

 

「そ、それより二亜は本当によかったのか? 二亜の分も〈ラタトスク〉が晴れ着を用意してくれてたみたいだけど……」

 

「あー、うん。昔資料用にと思って一回着たことあるんだけど、どうも動きづらくってねぇ。それにほら、あたしは基本裏方っていうか、フレーム外にいる人間だから。綺麗なみんなを見られれば満足なのよさ」

 

「そうなのか? 二亜も似合いそうだけどな」

 

 純粋な意味合いで、士道はそう思っている。精霊の例に漏れず、二亜の容姿は男目で見てかなりのものだ。

 仕事柄の都合上、或いは二亜の過去を考えるに、褒め言葉を純粋な意味で受け取ることもなかった故かもしれない。一瞬、慣れない言葉を耳にしたと言わんばかりに目を丸くした二亜だったが、ニマニマと口元を歪めていつものノリに戻ってしまう。

 

「えっへっへ、なーにぃ少年、新年早々二亜ちゃんを口説こうってぇの? 堂々と浮気するたぁ、英雄色を好むってやつかなー?」

 

「無駄ですわよ二亜さん。この方、本気で他意なく思ったことを口にしてしまう癖がありますので」

 

「お、さすがはくるみん。正妻の余裕ってやつですなー」

 

「……べ、別にそういうわけでは」

 

「あははー、またまたー。照れちゃって可愛いなぁ」

 

「………………」

 

 毎回毎回、非常に切実な思いで考えることなのまが……せめて、こういう会話は俺がいないところでやって欲しいなぁ、と重い沈黙を挟まざるを得ない。

 一応、七罪に助けを求める視線を送ったのだが、あえなく視線を逸らされてしまった。先ほど笑ってしまったツケである。

 とまあ、士道にとってはまだあまり触れたくないデリケートな話題からようやく話が逸れたのか、ニヤニヤとした顔は変わらず二亜がポケットから何かを取り出した。

 

「んーふふふ、でもそっかー。少年ったら晴れ着フェチかー。乱れた着物から覗く肌に興奮しちゃうやつかー。よし、じゃあそんな少年にはこれをあげよう」

 

 大変人聞きの悪いことを言ってくれる。晴れ着フェチではなく、狂三たちがそれを着ているからこその価値が――――なんて適当に思考を逸らしたものだから、士道は何も考えずに二亜が手渡しした物を受け取ってしまう。

 

「ん? なんだこれ。もう一枚買ってたのか……って」

 

 目に飛び込んできた絵馬の内容に、士道は息を詰まらせ目をかっぴらいた。

 なぜならその絵馬には、ギリギリ十五禁に収まるくらいの着物をはだけた美少女と、それに覆い被さる少年のイラストが描かれていたのだ。ついでに、『こんな感じのラッキースケベに遭遇したいです。二亜』と、具体的な著作名と欲の塊のような願いがしたためられていた。

 

「に、二亜、なんだよこれ!!」

 

「絵馬だよー。いやー、最初はそれを描いてたんだけど、妹ちゃんに『公序良俗いはーん!!』って怒られちゃって」

 

「当たり前だろ……!! 大体、こんな願いが現実で起こるわけな――――――」

 

 瞬間、浮遊感が士道を襲う。

 

「へ?」

 

 まるで、地面から生えた手が(・・・・・・・・・)、士道の足を引っ張りあげたような、そんな具体的な感覚を覚えながら、士道の身体は地面へ一直線。

 

「きゃっ……」

 

「狂三!!」

 

 不幸にも、強く手を繋いでいたことで狂三もそれに巻き込まれてしまう。咄嗟に狂三を支えようとするが、そもそも倒れているのは士道の方だ。上手くいくはずもなく、テーブルまで巻き込んでかなり派手に倒れ込んだ。

 

「ってて……すまん狂三、大丈夫――――か……」

 

 言葉が、止まる。

 上に士道、下に狂三。以前にも似たような構図はあったが、これは逆。着物をはだけた狂三の上に覆い被さる士道の思考は、停止しながらも答えを出していた。

 大きくはだけた肌は、霊装の露出とは違いそれが正しくないからこその背徳感を得られる。隠れた瞳が顕になり、紅黄の双眸が興奮した士道の顔を映し出しているのがわかる――――わかってはいるが、戻せるはずがないだろう。

 

『……ッ!!』

 

 お互いが息を呑む動作すらシンクロし、緊張感を最大限に煽ってくれた。

 

 ――――あ、ヤバい。これ、止まらない。

 

 再開した思考が全力で腕を動かそうとしている。待て待て待て五河士道。公共で神聖な場で何をしでかそうとしている。明日と言わず数分後に待っているのは我が身の破滅だぞ。いやでもキスが駄目ならその先はイケるのでは? 桃源郷はここにあった。イケるわけないだろ冷静になれ常識的に物事を考えろ。俺たちは清いお付き合いを、いやまだお付き合いに至ってないから困ってるんだけどな。

 

「……マジ? この神社の御利益っすげぇ……」

 

「――――っ」

 

 と、狂三も驚くであろう高速思考が正常な流れを取り戻せたのは、奇しくも同じ構図になった絵馬を手にした二亜の一言であった。

 あと、たたたっと素早い足音を響かせるアイドルの声もついでに。

 

「あー、だーりんと狂三さんばっかりズルいですー!! どっちでもいいので替わってくださいー!!」

 

「誰が譲るか!! ――――あ、いや、そうじゃなくて……ああもう、悪いな狂三。立てるか?」

 

「え、ええ」

 

 頬を染めながら裾を直す仕草にすら色気を感じ、差し伸べる手しか正面から狂三を見れない始末。

 視線を微妙に逸らして葛藤する士道を見て、心底可笑しそうに二亜が笑った。

 

「あっはは、大変だねぇ少年」

 

「笑い事じゃないぜ……俺の精神は鋼じゃないんだぞ」

 

 倒れたテーブルを直し、参拝客にもしっかりと謝罪をして、二亜とは逆に心底疲れた顔で言葉を返す。

 神の御利益というより()の御利益というか。未だ赤面した顔で地面を一発蹴る狂三の影から、『あいたっ、ですわ』と具体的な悲鳴が聞こえた気がして士道はまた一つため息を増やした。

 

「少年は今くらいの精神がちょうどいいんじゃないかなー。あんまり気を張りすぎると、大事なところで疲れるだけだよん。ま、自分のためにはもう少し気を張るべきだとは思うけど」

 

「それは俺なりにやってるつもりなんだがね……」

 

 自分のためも自分のため。士道にとっては自分の欲望が人を救うことに繋がっている、というだけなのだ。

 が、二亜を納得させるだけの回答ではなく、嫌に人生の経験を感じさせる笑みで彼女は声を発した。

 

「足りない足りない。もっと遊び心を覚えたまえよ少年くん。さてさて、御利益もわかったことだし、神様にお願いっと。『少年があたしのメイドになりますように』と」

 

「せめて執事とかあったよな!?」

 

 なんでそんなピンポイントで、どこかの士織ちゃんを狙い撃ちするようなことを願うのか。しかもご丁寧に、美麗なイラストの横に書き込むところを見てしまい、士道も堪らず叫びを上げた。

 

「あっはっは、ご愛敬ご愛敬。さて、これはどこに掛ければいいのかな――――っとと……」

 

「……!! 二亜、大丈夫か?」

 

 絵馬を片手に身体を起こした二亜だったが、目眩を起こしたように身体をぐらりと傾かせ、あわやという手前で士道が手を差し出して背を支えてやる。

 やはり、まだ(・・)二亜の身体は万全には程遠い。表情や仕草ではそれを感じさせまいとするかのように、二亜が口元に手を置いておどけて見せる。

 

「あらん。少年たら王子様みたい」

 

「言ってる場合か。本当に大丈夫なのか? やっぱりまだ休んでた方がよかったんじゃ……」

 

「じょーだん。みんなで初詣なんてギャルゲ必須イベントに来るってのに、二亜ちゃんだけ除け者ってそりゃないぜ〜」

 

 あくまで心配をかけさせまいとする二亜に、いつの間にかリボンを白から黒に変えた琴里が歩み出て、二亜の頭をコツンと小突いた。

 

「つい昨日まで車椅子だったくせに何言ってるのよ。……一応、裏に車は待たせてるから、調子が悪かったらすぐに言ってちょうだい。少なくとも、万全の体調とは言いがたいんだから」

 

「やーねー、妹ちゃんたら心配性。大丈夫だってば。今のはわざとよろめいて少年に合法的ハグをしてもらおうと思っただけだから。効果は実証されたし、妹ちゃんも使っていいよ」

 

「な……っ」

 

 琴里が動揺した隙を見て、二亜がカラカラと笑い、軽い足取りで絵馬掛所へ歩いて行ってしまう。

 

「わたくしがついて参りますわ」

 

「ああ。頼むな狂三」

 

 次いで、それを見た狂三が小さく息を吐き、二亜を追いかけていくのを見送る。狂三がついていれば、大丈夫だろう……「おぉ、すまんねばあさんや」とか、「おじいさん、それは言わない約束ですわ」とか外見からかけ離れすぎている茶番が聞こえてきたりしているが、大丈夫だろう、多分。

 

「まったく、深刻な話題になるとすぐはぐらかそうとするんだから」

 

 やれやれと腕組みしながら二亜と狂三を見送る琴里からは、身を相当案じているという気持ちが伝わってくる。

 それも、無理からぬことだ。本条二亜は、ほんの数日前に冗談でもなんでもなく、その命を散らしかけたのだから。

 

「…………」

 

 十二月三一日。二亜は、DEMの策謀によって反転させられ、精霊が持つ霊結晶(セフィラ)を奪われかけた。

 幸い、それ自体は〈アンノウン〉の介入により――少女への疑問と疑惑は増える形となったが――阻止され、士道たちによって二亜も一命を取り留めた。

 だが、決して油断することはできない。何故、あの場であの男が……アイザック・ウェストコットが撤退という選択を選んだかは依然として不明のままだ。精霊たちを諦めた、というのは楽観視がすぎるだろう。

 懸念は多く残されている。そして――――その中の一つ。気になることが残されていた。

 

「琴里。例の件って……」

 

「ええ」

 

 他の皆に聞こえないくらいの――――それこそ、精霊と言えど離れた狂三にも聞こえない程の声量で問うと、琴里も察してくれたのか小さく頷いた。

 

「一応、こちらでも調査を進めてるわ。でも、今のところ確証がないっていうのが正直なところね」

 

「――――そうか」

 

 思い返したのは、あの日の出来事――――――二亜の口から語られた、真実へのピースだった。

 

 

 





狂三が何を願ったのかは本気でご想像にお任せしますパターン。

というわけで始まってしまいました六喰編。ついに、ここまで来たかという感慨深い想いです。あとこれだけあるのかーとか思ってたんですけど、気づけば物語にも終わりが見えてくるものですね。次は絶対に長期再現とかしない、絶対にだ。

相変わらず思考が一直線でブレないなこの主人公という。まあブレなすぎて怖い一面もあったりするのですが……それは本編にていろいろと。

それはそうと、現在六喰編の前半まで書き終わっているのですが、二亜というキャラクターの完成度の高さというか、恐ろしいキャラだなと書いてみて改めて気付かされます。このキャラ、放っておくと勝手に喋るし大体のことこなせるマジで怖い。
天使不在の分、二亜さんの華麗(?)なる活躍を見逃すな!!

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百三十一話『精霊と天使と彼の理由』

最近体調がゲロいですけど私は多分元気です。




 

 

「純粋な精霊……? 精霊って、基本的にみんな、元は人間だったはずでしょ?」

 

 

 年を越えて、一月一日の未明。

 本条二亜が放った言の葉に、誰もが言葉を失っていた。

 その意味を理解している者。していないが、周りの反応から尋常でない雰囲気は感じ取れている者――――――意味を、元から知っていたであろう者(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ――――精霊。

 

 隣界より現れ出、特殊災害指定生命体。その発生原因、存在理由、共に不明。しかし、人類と敵対する驚異的な力を発揮する存在であり、裏の世界においての常識として認知されし者達。

 士道たちが知る限り、精霊の種類は二種。琴里や美九、折紙――――狂三のように、何者かの手によって精霊化した人間。そして、十香たちのような純粋な精霊(・・・・・)

 彼女たちが元は人であったなら、それは様々な疑問が根本から生じる真実となる。その真実が虚偽として否定できないのは、二亜が天使、全知の〈囁告篇帙(ラジエル)〉の宿主であったからだ。

 士道たちが信じていた情報が違うものだと、二亜ならば簡単に否定できてしまう。それが出来るのがあの天使の力。

 知らず知らずに息を呑む。もしも、士道が純粋な精霊だと思っていた十香たちが元人間なら、関わっているのは――――――

 

 

「――――なんちゃって。あは、びっくりした?」

 

 

 そんな緊張感を孕んだ空気を断ち切ったのは、他ならぬ二亜本人だった。

 

「………………、は?」

 

「いやー、漫画家的には、ここらで一発衝撃の真実!! 的なのがあると盛り上がるかなーと思ったんだけど、なんかみんな思った以上にポカンとしちゃうもんだから」

 

 二亜ちゃん焦っちゃったよー、と舌をペロッと出して戯ける二亜に、士道もそれに乗る形で(・・・・・・・)大きくため息を吐いた。

 

「お前なぁ……」

 

「えっへっへ、ごめんごめん。でも面白くない? 精霊全員元人間説。あたしとしてはことあるごとに推していこうと思うんだけど」

 

 そう言って反省の色を見せないものだから、琴里をはじめとした精霊たちも、二亜の発言を冗談だと受け取って呆れた顔をし始めていた。

 

「さ、じゃあそろそろ戻りましょうか。ここは冷えるしね」

 

 肩を竦めて言う琴里に続くように、精霊たちは建物の中へと戻っていく。少し遅れて、士道も二亜が座る車椅子を押してそちらへと向かう。

 

「――――少年、あとで病室に来て」

 

 その時、二亜が滅多に見せることがないだろう真剣な顔で、士道へ声を発したのを聞いた。

 

「……わかった」

 

 小さく、だが確かに返事をする。士道の目には二亜、そして――――精霊たちと笑い合いながら、それとは裏腹に瞳が妖しく光る時崎狂三の姿が映っていた。

 

 

 

 それから、一時間後。士道は精霊たちをマンションや自宅へ帰したのち、〈ラタトスク〉地下施設に備えられた二亜の病室を訪れていた。

 中には二亜、そして二亜によって司令として呼ばれた琴里の姿もある。至極真剣な表情で、士道は本題に切り込んだ。

 

「……で、さっきの話の続きだよな?」

 

「お、さすが少年。鋭いねぇ」

 

 相変わらず戯けながらニヤニヤと笑みを浮かべる二亜に、士道は当てこすりにも近い大きなため息を増やした。

 

「俺は二亜が誤魔化したことの真偽に気づいたわけじゃない。多分、俺だけならお前の嘘に騙されてたよ」

 

「んー、まあ純粋精霊組がいる場所で話す話題じゃなかったからねぇ。あたし、なかなかの演技派っしょ?」

 

「日頃の行いの結果だな」

 

「ははー、褒めるな褒めるなー」

 

「ほ・め・て・な・い」

 

 巷では、こういうのを『狼少年』と言って、日頃から嘘をついていると本当のことを言っても信じてもらえなくなる、という昔話がある。今回ばかりは、それが功を奏して良い結果になりはしたが、少しはわが身を振り返ってほしいと士道は呆れ顔で言葉を吐いた。

 

「んで? なんで少年は気づけたのさ」

 

「言ったろ、俺だけなら、って。あいつ(・・・)の様子がおかしかったから、嘘じゃないって確信しただけだ」

 

『――――あら、あら。わたくしを標識とされるだなんて、恐ろしいお方ですこと』

 

 と。瞬間、慣れた声が部屋の中に響く形で聞こえてくる。病室の壁に染み出すような影が現れ、広がりを見せたそれから一人の少女が姿を現した。

 つい先ほど、精霊たちより先に別れた狂三その人である。感覚からして、間違いなくオリジナルの彼女だった。

 曲芸のような登場をし、お辞儀をしてみせる狂三に、おぉーと二亜が拍手を送る。

 

「ごきげんよう、皆様」

 

「すげぇー、ノックいらないじゃん」

 

「……そこですの?」

 

 そこ、なのだろうか。士道と狂三は、イマイチ着眼点が掴めない二亜のウィークポイントに揃って困惑の表情を作った。

 すると、何故か二亜が琴里と顔を近づけてヒソヒソ話をするように小声で会話をし始める。

 

「ところで妹ちゃん。少年が気づいた理由、どう思う? ちなみにあたしは全くわからなかった」

 

「私もよ。あんなポーカーフェイス女の表情なんてわかるもんですか。最近は割と豊かだけど」

 

「お、そこんところ詳しい感じでよろしく」

 

「聞こえていますわよ、お二人とも?」

 

 ニッコリ、と若干怒りが見える狂三の笑顔見ても、二人は知らん顔で口笛を吹き始めた。狂三を相手にいい度胸をしている。

 単に、狂三が見せた表情から二亜の話を嘘とは思えなかった、というだけのことなのだが、この判別方法はどうやら士道にしかできないようだ。

 注視すれば意外とわかると思うんだがなぁ、などと少しばかり納得いかない思いを感じるが、今はそれより本題に話を戻さなければと士道は声を発した。

 

「いい加減、話を戻してもいいよな? 二亜、さっきの話はどういうことなんだ? 精霊がみんな……元は人間だったって」

 

「言葉通りの意味だよ。けど、そうじゃないかもしれない。あたしの手には〈囁告篇帙(ラジエル)〉っていう全知の力があったけど、それは決して全能じゃないんだ。それをわかっていてほしい」

 

「どういうことだ?」

 

「〈囁告篇帙(ラジエル)〉が何かしらの外部的要因によって、その閲覧能力を阻害される可能性がある、ということですわね?」

 

「な……」

 

 狂三の鋭い指摘は二亜の首肯を得るには十分で、士道はそれに言葉を失いながらも、〈囁告篇帙(ラジエル)〉に関して一つだけ解決していなかった件を思い出した。

 初対面時、二亜は〈囁告篇帙(ラジエル)〉の権能を思うがままに振るっていた。が、唯一――――たった今、問題点を指摘した時崎狂三に関してだけは、見えづらい(・・・・・)と表現していたのだ。

 

「……もしかして、狂三のことを〈囁告篇帙(ラジエル)〉で調べられなかったのと、関係があるのか?」

 

「あると言えばある、かもしれない。ええと、順を追って説明するとね――――――」

 

 と。ようやく話が本題に乗り始めたところで、病室の扉が誰かの手によって開かれた。

 医務官の回診かとも思ったが、それにしては時間が遅すぎる。士道は開けられた扉へ目を向け、現れた人物に驚きを見せた。

 

「折紙!! 真那!!」

 

 扉を開けて入ってきたのは、つい先程まで一緒に屋上にいた折紙と、二亜と同じような病衣に身を包んだ真那だった。

 

「二人とも、なんで二亜の病室に……。折紙も二亜に呼ばれたのか?」

 

「呼ばれてはいない。でも、屋上での二亜の態度に不審な点があったから、本当の話を聞きたくて」

 

「えっ何その通じあってる感じ。二亜ちゃんドキドキなんですけど」

 

「…………」

 

 二亜の茶番に付き合うつもりのない折紙が黙っていると、彼女の後ろから真那が声を上げた。

 

「私は、トイレに行こうと思ったら兄様の姿を見かけたもので。そういえば聞こうと思って聞きそびれたことがあったなぁと。鳶一一曹とは偶然そこで会っただけです。……〈ナイトメア〉がいやがるのは、予想外でしたが」

 

「あら、あら」

 

「あ、はは。いろいろあるんだよ、いろいろな」

 

 じろりと殺気立った視線を狂三へ注ぐ真那から、乾いた笑みを見せながらさり気なく狂三を庇うように背にやる。まさか病室で一戦交えたりはしないだろうが、妖しく微笑んでいる狂三が軽々と真那を煽るのが目に浮かぶため、その前に手を打たせてもらう。

 

「ちょっと待った。君今なんて言った?」

 

「え? だから聞きそびれたことを――――」

 

「ノンノン!! そこじゃない!! もう一個前!!」

 

「兄様の姿を見かけて?」

 

「兄様!!」

 

 言って手を組み合わせる二亜は、これで霊装があれば本当の聖職者に見えなくもないかもしれない。まあ、言葉と共に現れた恍惚とした表情がそれを台無しにしてしまうのだが。

 

「すっげぇ!! 兄様!! 二次元でしか聞いたことのない夢呼称の一つ!! リアルで初めて聞いた!! ね、ねぇねぇ、もっぺん言ってみてもらえる?」

 

「……な、なんでいやがるんですかこの人は……」

 

 強烈なキャラを見せる二亜に押される真那に、士道は苦笑を浮かべながら彼女を紹介するため手を向けた。

 

「本条二亜だ。精霊で、漫画家をやってる。つい昨日霊力を封印したんだが……ちょっといろいろあって、ここに入院してるんだ」

 

「はろはろー」

 

「そうでしたか……。崇宮真那です。兄様の妹で、魔術師です。ちょっと前まで〈ラタトスク〉で戦闘員をやっていたんですが、今は琴里さんの手にかかり虜囚の身となっていやがります」

 

「ちょっと!! 私を悪者っぽく言うのやめてくれる!? 無理をするあなたが悪いんじゃない!!」

 

 キャラの強さに関しては真那も大概で、琴里が不満げに声を上げた。が、二亜にはそれよりも興味を引く発言があったらしく、顎に手を当て声を発した。

 

「え、少年の妹なの?」

 

「さっきから兄様って言ってたじゃないか」

 

「いやごめん『兄様』って響きに感動しすぎてその意味まで考えが至ってなかった」

 

「…………もういい。これに関しては話が長くなるから、あとで説明する。取り敢えず本題に入ろう」

 

 霊力を封印されていようと、身体が弱っていようと二亜は二亜なのだと身に染みて実感しきったところで、士道は気を取り直してそう告げる。

 

「ああ、そうだったね。まあ予定よりギャラリーが増えちゃったけど、元人間の自覚があるオリリンに妹ちゃん二号なら問題ないか」

 

「ちょっ、ちょっ、待ってください。なんですかその妹ちゃん二号っていうのは」

 

「え? だってほら、妹ちゃんはもういるし」

 

「琴里さんは義妹で私は実妹。どっちかというと二号は琴里さんです!!」

 

「だ、誰が二号さんよ!!」

 

「……琴里さんまで、話の腰を折る話題に引っかからないでくださいまし」

 

 はぁ。と、ついに呆れた狂三が組んだ手を開いて軽く二亜を指し示す。

 

「二亜さん。真那さんが納得いくあだ名をお願いいたします。面倒ですので、二秒以内に」

 

「んー、じゃあマナティで」

 

「……なんか水棲生物っぽい気がしやがるのですが」

 

 本当に二秒で考えた二亜のあだ名に少々不満は残るものの、これ以上は話が完全に進まなくなるとわかっているのか、はたまた口を開けば狂三と喧嘩になるのが見えているか、真那が素直に引き下がった。

 コホンと咳払いをした二亜が、長く待たされた話の本題にようやく切り込むように言葉を発した。

 

「じゃあ、話すけど……『精霊は元人間』。これは正しくもあるし、そうでもないかもしれない」

 

「二亜はそう(・・)なんだよな? 昔の記憶があるんだし」

 

「んー、なんていうんだろうな。少年の考えでいくと、あたしは『純粋な精霊』のカテゴリーに入っちゃう気がするんだよねぇ」

 

「俺の考え? 精霊は、空間震を伴って何も知らないままこっちに来ている……ってことか? けど、それじゃあお前は――――」

 

「――――天使による記憶の閲覧」

 

答え(・・)を至極冷静に、けれど響く声で発したのは、士道の隣にいる時の精霊、狂三だった。

 士道がそれに目を剥いていると、狂三は言葉を続けていく。

 

「でしょう? わたくしのような例外(・・)を除いてしまえば、精霊の方々はこちらの世界のことを何も知らず、空間震を伴い出現したはずですわ」

 

「そ。あたしも何が何だかわからないまま、こっちに放り出された。それは変わらない。そんで、精霊にはもう一つ基本的に共通していることがあると思ってる」

 

「それは……?」

 

「簡単な話ですわ。この世界の秩序、自身に仇なす敵。それらがなんであれ、知らずとも対抗できてしまう力――――――自らの、天使」

 

「あ――――」

 

 そうだ。そうだった。十香、四糸乃のようにこちら側の事情や常識を知らない精霊でも、己が一部として存在する奇跡、〝天使〟については完璧に熟知していた。

 加えて、人間から精霊になった折紙。力の変質を起こす狂三も力の行使に支障を見せていない。精霊の天使とは、そういうものなのだという証明だった。

 

「如何に記憶の齟齬が生じていたとしても、過去に起こった出来事を欺くことはできませんわ。二亜さんであれば、〈囁告篇帙(ラジエル)〉による事象の閲覧。仮にわたくしであれば……これですわね」

 

 言って、狂三は右手の親指と人差し指を銃の形に見立て、それを自身の頭にばぁん、と撃つような仕草を取る。

 記憶、閲覧。そして狂三の仕草。そこまで提示されて、答えがわからないほど士道も鈍くはない。ハッと目を見開きその弾丸(・・)の名を口にする。

 

「【一〇の弾(ユッド)】!! そうか、〈刻々帝(ザフキエル)〉の回顧の力なら……っ!!」

 

 それなら、封じられた自らの記憶すら呼び起こせる可能性がある。或いは、失われた他人の記憶さえも(・・・・・・・・・・・・)

 そんな士道の考えはお見通しなのだろう。狂三は、薄く微笑みながら首をゆっくりと横に振った。

 

「ええ。ですが、これは理論上のお話ですわ。わたくし自身ならともかく、人の記憶に何が眠っているのか……それらを無為に開くような真似はしたくありませんわ」

 

「おや、随分と殊勝な心がけでいやがりますね。何人も〝喰って〟きた精霊の言葉とはとても思えません」

 

「っ、真那」

 

 咎めるように視線を飛ばすが、事実は事実であると真那は訂正する気はないと責めるような目で狂三を見やる。

 対して狂三は、誰に助けを求めることもせず真っ直ぐに視線を返した。

 

「そうですわね。わたくしが常識を語るのもおかしな話でしたわ。ですが、これだけは覚えていてくださいまし――――――あなた方ご兄妹の記憶に関して、わたくしは手を貸すつもりはございません」

 

「っ……!?」

 

識る(・・)必要のないことを、こじ開けてまで明かす意味は――――――いえ、これこそ、わたくしが言う資格はありませんわね」

 

 自戒の意味とも取れる皮肉げな笑みを作り、狂三はそれっきり黙りこくってしまう。

 士道と真那の記憶。それは、未だ謎が多く残るものであり――――〈ファントム〉と〈アンノウン〉は、何かを知っていると思える言動をしていた。なら、狂三も同じように〝何か〟を掴んだのだろうか。掴んだ上で、識る(・・)べきではないと、士道を愛する彼女が言うのか。

 

「――――ふん。最初から、汚いあなたの手を借りるつもりなんかねーです」

 

 僅かな沈黙を打ち破ったのは、そうして憎まれ口を叩く真那の言葉だった。続けて、二亜が不満げに手を挙げて抗議するようにそれを振った。

 

「ちょっとー、二亜ちゃんを無視しないでよー。今はあたしのターンでしょ。くるみんが説明好きなのはわかるけどさー、あたしの台詞取りすぎじゃない?」

 

「くるみ……まあ、マナティよりはいいですわね」

 

「なっ、水棲生物を馬鹿にしないでください!!」

 

「そもそもあなたは水棲生物じゃないでしょ……」

 

 今度は琴里がため息を吐き、二亜に話を続けて、と促した。真那も話を阻害する気はなく、狂三は狂三で申し訳ありません、と軽く謝罪をして主導権を二亜へ返す。

 

「了解。どこまで話したっけ……あ、そうそう、あたしがこっちの世界に来た時のことだったね。もちろん、頼るものがないあたしはくるみんの言う通り〈囁告篇帙(ラジエル)〉の力に頼ったわけよ。そうして、自分がどういう存在かを自覚した。元々は人間で、でもとあることがきっかけで生きることに絶望して――――そんな時、目の前に精霊が現れた」

 

「……!! 〈ファントム〉……!?」

 

 琴里が声を上げ、示唆された存在の名を叫んだ。

 〈ファントム〉。謎多き精霊であり、士道の〝何か〟を識る存在。そして、琴里、美九、折紙に精霊という力を授けた存在でもある。

 今、二亜が語ったことはそれまでの三人の事例をそっくりなのだ。それこそ、三十年近く前の話となると士道が思っているより〈ファントム〉という精霊は根深い存在ということになり――――連なって、もう一人(・・・・)にも関係があるのかもしれない。

 

「〈ファントム〉……」

 

「……ええ。私たちを精霊にした、ノイズのようなもので姿を覆い隠した精霊よ。それが、二亜の前にも現れたっていうの?」

 

「……ふーん、そういう存在なんだ。うーん、あたしの前に現れたのと妹ちゃんたちの前に現れたのが同じ精霊かどうかはわからないけど……一つ確かなのは、正直、あたしもあの精霊の正体は掴めなかったってこと」

 

「正体がわからない? 〈囁告篇帙(ラジエル)〉で調べなかったってこと?」

 

 全知の天使で調べる。持ち主でない琴里が思いつく方法だ。誰が思いつく、一番手っ取り早い方法だろう。

 しかし、士道には二亜の答えがたった今、わかった。あくまで、予測。けれど、どうしてか外れているとは思えなかった――――それほどまでに、

 

 

「調べたんだろ? 調べて、わからなかった――――――〈アンノウン〉と、同じように」

 

 

 幻影と不明の精霊は、強烈な酷似を示していた。

 士道が発した言葉に、狂三以外の誰もが目を丸くした。

 

「ちょ、ちょっと待って士道。どうして、そこであの子が出てくるの?」

 

「……仮に、二亜を精霊にした存在が〈ファントム〉と同じだったとして、あいつなら〈囁告篇帙(ラジエル)〉の能力を弾けると思ったんだ」

 

「――――何故なら、あの子と〈ファントム〉は恐ろしいほどに似通っているから、ですわね」

 

 狂三が目を細めて言った言葉に、士道は迷わず首肯した。

 一見、何一つ繋がりはないと思える二人。だが、士道は見てきた(・・・・)。五年前、〈アンノウン〉と〈ファントム〉に出会い……恐怖を覚えるほど、二人の存在は似通っていると感じていた。これで何も関係はない、と断言するより、士道や狂三が疑ってかかるしかないほどには。

 

「どうだ、二亜。合ってるか?」

 

「……正解。まったく、少年は察しが良すぎて怖いねぇ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉の検索機能は働いた、というべきかな。けど、それを読み取る機能がおかしくされてね。あたしには殆ど読むことができなかった。その精霊のことも、君たちが知っていて、あたしを助けてもくれた〈アンノウン〉って子のことも。あの子、何者なのさ?」

 

「…………」

 

 士道は、すぐに答えることができなかった――――知らない(・・・・)。士道は、もしかすると狂三でさえ、〈アンノウン〉という精霊のことを知らないのだ。

 狂三を守り、士道たちを救い――――〈ファントム〉と類似し、自分たちの知らない真実を識る謎の精霊。

 

 

「でも――――彼女は私たちを助けた」

 

 

 それは、抑揚のない声の中に、確かな感情が乗っている少女のものだった。

 そう言った彼女は、折紙はただ淡々と事実を、それでいて強い想いを語る。

 

 

「〈アンノウン〉への疑惑はある。私も、〈ファントム〉と交戦した経験からそれを感じた。けど、彼女は自分の意思で私たちを、その命を懸けて助けようとしてくれた。私は、彼女の全てを信じることはできなくても、私が知る(・・・・)彼女を、信じたいと思う」

 

「……そう、だな」

 

 

 何かを隠した少女へ疑念は残る――――でも、それ以上のことを、あの少女はしているのだ。

 ずっと士道たちを救ってきた少女。狂三にひたすら尽くす少女。それを士道は信じたいと思う。士道は折紙から引き継ぎ、真っ直ぐに二亜へ言葉を返した。

 

「〈アンノウン〉のこと、俺たちも全部がわかってるわけじゃない。けど、折紙が言うように、あいつは俺たちをずっと助けてくれた。少なくとも俺は、何を隠していてもあいつのことは信じられる……そう思ってる。それに」

 

「それに?」

 

 首を傾げた二亜に、士道は自らが言わんとしていることを考えて苦笑した。これは本当に、あくまで士道の主観でしかないし、個人的感情としか言えない。

 多分、狂三には何を言わんとしているか想像がついているのだろう。少々不満げで恥ずかしそうな顔を見せている。だが、士道にとって答えはこれしかないのだ。

 

 

「あいつ、狂三のことが大好きだからさ。俺と一緒でな。だから、俺は信じられると思う」

 

 

 たった、それだけの理由。でも、士道にとっては大切な理由だった。

 二亜がぽかんと目を丸くし、琴里が呆れ、真那が複雑そうな表情で「やっぱり私が兄様を救って……」とか言っているのが聞こえてくる。

 さすがの士道も少しだけ恥ずかしくなり、二亜から目を逸らしてガリガリと髪をかいた――――と、二亜が笑い声を上げたのは、次の瞬間のことだった。

 

「あはっ、はははははははっ!! そっかそっか。それは少年からしたら一番信用できる要素だよねぇ。うん、いいよ、気に入った。ほんっと、恥ずかしいくらい真っ直ぐなんだから……。あーあ、くるみんがいなかったら、あたしが少年を一生養ってあげたのになぁ。かなり惜しいことしちゃった」

 

「おいおい……」

 

「じょーだんじょーだん。けど、〈アンノウン〉って子に関してはそれで納得した。少年たちが信じるなら、あたしも少年たちの目を信じるだけだよ。どうせ、あたしの〈囁告篇帙(ラジエル)〉も今はあの子が持ってるわけだしね」

 

 だから、信じてるよ。そう言って、片目をパチンと綺麗なウインクを決める二亜。

 二亜にとって、一歩間違えれば世界のバランスが簡単に崩れ去る〈囁告篇帙(ラジエル)〉を持っている少女のことが内心で気がかりだったのかもしれない。どこか安心したような素振りを見せていた。

 

「果報者ですわね、あの子は」

 

「いろいろ聞きたいことは山積みだけどね。あなたを含めて」

 

「あら、あら」

 

 琴里に睨みつけられた狂三が、戯けて口元を覆い、さも初耳で驚きですわ、みたいな仕草を取る。それに応じて、琴里がビキッと額に青筋を滲ませ顔を歪ませた。

 

「……とまあ、あたしはその正体不明の精霊に霊結晶(セフィラ)を埋め込まれて、精霊になった。そして人間であった頃の記憶を封印された上で、こちらの世界に出てくるまで、隣界で眠らされ続けてたってわけよ」

 

「……なるほど、な」

 

 二亜の言うことに間違いがないのだとすれば、やはりあらゆる前提が覆るだけの真実だ。

 精霊がカテゴライズされる中で主な存在だった〝純粋な精霊〟。だが、もし十香たちが記憶を失っているだけで、大元が人間だとすれば……何者かの策略(・・・・・・)によって、精霊たちは生み出され続けていることになる。

 

「だから、てっきりみんなも同じ形で精霊になったものだと思ってたんだ。でもよく考えれば、全員が全員あたしみたいに自分の過去を覗けるわけじゃないし、みんなの前で言っちゃったのは失敗だったかなあと思って。あたしが調べたのはあくまであたしのこと……少なくともくるみんは、あたしとは違う感じっぽいしねぇ」

 

「……!!」

 

 探るような二亜の物言いで、士道も目を見開いて狂三の発言を思い返す。彼女は確か、仮に自分であれば(・・・・・・・・)と曖昧な言い方をした。果たして、その行動を行ったことがあるのか否か……基本的に嘘はつかないが、真実を直接語ることもしない狂三らしい言動だった。

 視線を向けた士道に対して、口角を上げ妖しい微笑みを浮かべ狂三は声を発した。

 

「うふふ、どうなのでしょうね? わたくしの口から語れることは、完全な形の全知の天使があれば知ることができたかもしれない、ということだけですわ」

 

 語るべきことはない、ということだろう。琴里は不満げな顔を隠しもしていないし、士道は士道で忍耐力の強さを試されている気がしてならないと苦笑をこぼす。

 

「……話してくれるまで待ってるとは言ったけど、待つ度に秘密が増えてる気がするよ」

 

「女は秘密を着飾って美しくなるのですわ。是非、覚えていてくださいまし」

 

「着飾らなくても綺麗すぎると思うけどな」

 

 人差し指を唇に添えて、非常に為になることを言う狂三にその程度しか返す言葉がない。というより、女性にそのような事を言われて、無理に暴きに行ける男は男ではないのではないだろうか。

 と、狂三を見た二亜が開いた手を口に当て驚いたような仕草で声を発した。

 

「わお、くるみんってばまだ綺麗になるつもりなの?」

 

「ええ、ええ。どうしてもハートを射止めたい殿方がいるものですから」

 

「クールビューティなのに情熱的だねぇ」

 

 うんうん、それもまた良い!! と謎にサムズアップをする二亜。ちなみに、当事者的にはハートを射止めるという表現は、心臓を止める意味合いを含んだダブルネーミングにしか聞こえなかったとは記しておく。

 

「ん、あたしが今話せるのはこのくらいかな。ごめんね、曖昧なこと言っちゃって」

 

「……いえ、十分よ。この仮説に時間をかけるだけの価値はあるわ。三十年前まで遡って、失踪した少女たちの中に該当する人物がいないか調査してみるわ――――――意外な人が、見つかるかもしれないしね」

 

 言って、ピコピコと動かしたチュッパチャプスの棒を示すようにとある人物に向けた。

 そのとある人物は、お好きにどうぞと表現するようにフッと微笑んで見せる。

 琴里はもう、半ば確信に近い考えを持っているに違いない。少しずつ、真実へと近づいている。狂三が望むまいと、精霊という存在と出会う度に、確実に。

 

「意外なお方と言えば、もう一人いらっしゃいますわね。件の魔術師(ウィザード)に関して、折紙さんはご存知のようでしたが」

 

「あ……」

 

 件の魔術師(ウィザード)。それは、反転した二亜と接近した瞬間、空から現れ、狂三と激しい交戦を行った金髪の少女。

 狂三が言うように、折紙は彼女の名前らしきものを口にしたのだ。

 

「――――そう。私は、あの魔術師(ウィザード)を知っている」

 

「……あれほどの実力者となれば、自ずと答えは導かれますわね。『わたくし』では歯が立たなかったのも頷けますわ」

 

 折紙だけでなく、交戦した狂三も彼女の正体に当たりをつけているらしい。平然と情報を仕入れている狂三に驚いた様子もなく、折紙は言葉を続けた。

 

「彼女の名は、アルテミシア・アシュクロフト。イギリス、対精霊部隊(SSS)に所属していた魔術師(ウィザード)

 

「……!! アルテミシア!?」

 

 その魔術師(ウィザード)の名前に目を見開き、大きな動揺を見せたのは真那だった。

 

「知ってるのか、真那」

 

「はい……魔術師の間では有名ですし、直接会ったこともあります。SSS最強の魔術師。ヘレフォードの鷹。M(メイザース)に最も近い女。もし彼女がDEMにいたなら、私のコールサインは一つ数字が下がっていたかもしれねーです」

 

「そ、そこまでなのか……」

 

 自然と額に汗が滲む。真那の魔術師(ウィザード)としての実力は、あのDEMでナンバー2の圧倒的な存在であり、世界を見渡しても五指には入るという話だ。

 その真那にここまで言わしめて、狂三とも渡り合った光景から、アルテミシアの驚異的な実力は測れるものだった。

 

「はい……でも」

 

「私たちが知るアルテミシアなら、DEMに入るようなことはしないはず。何かしらの事情があるのかもしれない」

 

「あら、あら。身体か、それとも脳でしょうか」

 

「どっちにしたって、悪趣味なことね。DEMなら何をしてても不思議じゃないけど」

 

 苦々しげな表情でチュッパチャプスを噛み砕き、司令官は引き締め直した顔で言葉を紡いだ。

 

 

「――――とはいえ、事情はどうあれ、アルテミシア・アシュクロフトが今、私たちに敵対しているということは事実よ。精霊たちの件と一緒に情報は探ってみるけど、警戒だけはしておいて」

 

 

 そうして、ひとまずはここで話はお開きとなった。まだ話したいこと――――〈アンノウン〉の行動なども残ってはいたが、これ以上は二亜の体調も考慮して無理はできない。まあ、二亜は締切前は完徹上等と笑っていたが。

 正直、大事の連続だったのだ。士道も今は身体をゆっくり休ませたい気分だ。だが、その前に一つだけ真那の要件だけは済ませて起きたかった。

 話を振ってみたところ、どうやら先月の頭にあった一件……経路(パス)の狭窄が起きた際、真那の手を借りた時の話らしい。

 

「一つ気になったことがありまして」

 

「あら、わたくしが礼を言いそびれたことですの? 必要だと仰るなら、誠心誠意真心を込めて礼節を尽くさせていただきますが」

 

「拷問の誘いならお断りします」

 

 鮸膠も無い。隙らしい隙もなく、狂三の冗談を真顔で拒絶する真那。相も変わらず気持ちがいいくらい正直で、我が妹ながら男の士道より男前である。

 

「で、気になったことって?」

 

「はい。エレンと戦っていて、兄様の側に落下した時、兄様は私に言いましたよね。――――『よかった、無事だったのか、真那』『ミオはどうした? あいつが助けてくれたんじゃないのか?』……と」

 

「ミオ……?」

 

 士道の記憶に、『ミオ』と名乗る人物はいない。聞き慣れない名を、あの時の自分が言ったということに士道は眉をひそめた。

 

「はい。それを聞いた瞬間、真那は不思議な目眩を感じたというか、頭の中に朧気な映像が浮かび上がってきたというか……だからもしかしたら、真那と兄様が失っている昔の記憶に関わりがある名前なんじゃねーかと思いまして」

 

「そうなのか? でも……」

 

 自分が発した言葉にも、名にも、引っかかるような覚えはない。琴里や二亜、折紙も不思議そうな顔をしていて――――唯一、違ったのは。

 

「ぁ……」

 

 唇を開きかけ、顔面から血の気を引かせた狂三だった。蒼白の顔は、あの狂三がそんなものを見せているという事実だけで全員がギョッとした顔になる。

 士道と真那の記憶に関して、協力しないとは言ったが、それは手を貸すつもりがないというだけのはずだ。なら、冷静な狂三がこの表情を見せる意味――――学校の屋上で追い詰められた彼女の顔が、士道の中で呼び起こされた。

 

「狂三、どうし――――」

 

 

【――――ミオ。それが……わたしのなまえ……?】

 

 

 声が、走った。

 

「え……?」

 

 天と地が平衡を失う。いいや、士道が失っているのだ。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉がもたらす感覚とはまた違う物。酷く、曖昧になる。〝五河士道〟という存在が、境界が、歪む。

 

「士道さん!?」

 

 傾いた士道の身体が、柔らかさを伴う狂三の全身で受け止められた。

 けど、彼女の顔が見えない。意識が混濁し、視界が別の〝何か〟を映し出す。

 

 

【ううん……うれしい。とっても……うれしい】

 

【大好きだよ。ずっと、一緒にいようね――――】

 

 

 知らない。知らない。知らない――――知っている?

 

「これ、は――――」

 

「士道さん、駄目!!」

 

 知っている。知っている。知っている――――ああ、知っている(・・・・・)

 

 根源。これ(・・)は、根源だ。『誰か』の声が重なる。『誰か』が長い髪を揺らしている。

 

 でも、どうして――――――あの少女の姿が重なるのだろう。

 

 

「いや、いや――――いかないで(・・・・・)!!」

 

 

 混濁する意識の中に浮かんだ光景と、目の前に映った羅針盤の瞳が輝く中――――瞬間、士道の意識は断絶した。

 







どうして精霊が生まれるのか。どうして精霊は世界に現れるのか――――どうして、五河士道は精霊を封印することができるのか。
半ば自然現象だと思っていたものがそうではなく、更に狂三がいることで開示されてはいけない位置まで情報が開示されかけてしまう。そう、五河士道という特異点が何者なのか、とか。
ここで狂三が完全に仲間というポジに収まっていたなら、もう少し円滑に情報が回っていたかもしれませんけど……狂三は士道の味方であり最大の敵であり、そして〈ラタトスク〉に属しているわけではないんです。だから伏せたいだけの理由がある。今回のラストの焦り方もそう。この辺の話はまた次回に。

〈アンノウン〉から話を聞ければ一番早かったりするんですけどね。力ずくで吐かせられるならの話ですけど。そもそも〈ラタトスク〉的にその選択肢は取れず、かと言って士道の口説きも狂三という存在に阻まれる…………ハードル高くなぁい?仮に聞けたとしても誰かさんの耳に入ったら即終了ですが。誰とは言いませんけど、HAHAHA。

感想、評価、お気に入りなどなどがあると最近体調不良の私が咽び泣いて大喜びして文字書きが進むかもしれません。もう歳かしらね…。次回をお楽しみに!!


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第百三十二話『救う者の過去/救われし者の未来』

うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!(最終巻に精神崩壊オタク)





 

 

「――――あの時は驚いたわよ。いきなり倒れるんだから」

 

 晴れ着を着た琴里が腕を組み、士道の隣でそう言ったのを聞き、士道もバツが悪い顔で言葉を返した。

 

「悪い……心配かけたな」

 

「別に。私は慣れてるわ――――私より、あの子でしょ」

 

「っ……」

 

 琴里が言いながら真っ直ぐに見つめた視線の先には、神社の境内で二亜と言葉を交わす狂三の姿がある。

 思わず士道が顔を顰めてしまったのは、後に聞いた話があるからだ。今は素っ気なく平気そうにしている琴里も、真那から相当狼狽えていたと聞いていたが、狂三はそれ以上だったというのだ。

あの狂三に(・・・・・)、そこまでの動揺をもたらしてしまったのは、単純ながら士道の心に強い罪悪感を残していた。

 

「……平気そうにしてるけど、あんな取り乱した狂三は初めて見たわ。……なんか、改めて考えると不思議ね。狂三がそこまで、士道のことを考えてるなんて」

 

「そうだな。俺も、夢みたいだと思うよ」

 

 でも、現実だ。夢なんかじゃない。士道は狂三に恋をして、狂三は士道に恋をして。

 もうすぐ、一年。狂三との出逢い。狂三との約束。狂三との戦い――――戦争(デート)。今なお続く、お互いの命運をかけた争い。

 

「不思議だって思うのに、受け入れてる自分が何だか怖いわ。士道が狂三のことを考えてるのもね」

 

「……一年前だったら、どう思ってた?」

 

「おにーちゃんを精神科へ問答無用で叩き込んでたわね」

 

「はは……」

 

 割と本気(マジ)なトーンで言うものだから、士道は乾いた笑いで曖昧な返答をする。多分、いや確実に、実行されていたに違いない。

 それくらい、自覚はあるのだ。真っ当な考えじゃないのは理解している。自分を殺しにきた少女と、殺される対象。常識を、論理を問えば、士道は立派な精神異常者だ。

 けど、だからこそ、五河士道は五河士道として歩いていける――――たとえ、秘められた記憶がなんであろうと。

 

「……何か、思い出した? その……ミオって人のこと」

 

「……全然だ」

 

 いろいろ、考えたりはしてみたのだが……結局、反応らしい反応があったのはあの時だけだった。

 『ミオ』という名を聞いて引き起こされた幻聴も、幻覚も、一切現れることはない。それに、狂三の前では意図的に『ミオ』の話題を避けていたのも大きかったかもしれない。

 

「狂三に、何か聞いたりしてないよな?」

 

「当たり前よ。封印前だからこそ、狂三ほどの精霊の精神を不安定にする話題なんて、聞けるわけないでしょ」

 

 渋面を作って答えた琴里に、そっか、と気のない返事をしてしまう士道。けど、事の重大さを理解しているからこその返答だった。

 〈ラタトスク〉の司令官として琴里がそう判断したなら、士道は迂闊に意見を述べるべきではない。というより、士道も琴里と同じような意見だった。

 十中八九、狂三は『ミオ』という人物が誰なのかを知っている、ないし知識にある――――士道の失われた記憶の中にある名前を、だ。

 

「偶然、なんて言葉で片付けられないわ。ミオって人の名前を出した瞬間、狂三が激しい動揺を見せて、それは士道の記憶にまで関わっている名前だった」

 

「…………」

 

 狂三に焦燥を抱かせるだけの名前。それが、士道の口から迸った。

 謎が多すぎる。というのが率直な感想だった。何故、一体いつ、士道は『ミオ』を知ったのか。狂三と『ミオ』はどういう関係なのか。そして何よりも、狂三が隠し、秘めたる過去――――彼女の言う犯した過ち(・・・・・)と、何か関係があるのか。

 

「それだけじゃない。〈アンノウン〉のことも、私たちはいろいろなものを見てきて、知って、それでも……今、何も知らないのと同じなのかもしれない」

 

「何も知らない、か」

 

 琴里の言う通りかもしれない。いろいろ知ったつもりになって、士道たちは何もわかっていない。

 精霊のこと。狂三のこと。〈アンノウン〉のこと。自身の記憶でさえも。

 

 けど、それでも(・・・・)

 

「その通りかもしれない。けど――――俺たちがやることは変わらない、だろ?」

 

「……!! ええ、そうね」

 

 快活に琴里に笑いかけ、琴里も目を見開いてから、即座に頷き言葉を返す。

 変わらないさ。士道は、助けたいと思った人を助けて、救いたいと思う人のために力を使う。何も知らなくても、何かをしたいと思うのだ。

 

「昔のこと、今は何も思い出せないけどさ……たとえ思い出しても、俺は俺でいたいと思う。狂三も、そう言ってくれたからな。琴里だって、そう思ってくれてるだろ? 何せ、俺の世界一可愛い妹さんなんだからな」

 

「な……あ、当たり前でしょ!? どっかに行こうとしたって、絶対に引き止めてやるんだからね!!」

 

「おう。頼むぜ」

 

 へへ、と笑う士道に、頬を赤くした琴里が誤魔化すようにフンッと腕を組んだまま胸を張る。

 生まれもわからない。どうして、精霊を封印する力があるのかさえ、わかっていない。己に疑問を持つことも、ある。

 

 けれど、〝五河士道〟はここにいる。

 

「……いかないで、か」

 

 空を仰いで、今一度呟く。

 誰でもない彼女が、士道を愛しているから、士道が誰であれ関係ないと言ってくれた彼女の言葉だから。

 

 

「――――いかないさ、どこにも」

 

 

 強く、胸に刻みつける。どんなに恐れる真実(・・・・・)が待っていようと、五河士道は消えてなんかやらない。

 

 

「琴里」

 

「何よ」

 

「俺、決めた。次に狂三を泣かせる時は、絶対に嬉し泣きさせてやるって」

 

 

 流れる雲を仰いで、一部の迷いもなく決意を口にする。あの泣かないお嬢様を、絶対に泣かせてやると。

 すると琴里は、ポカンと目を丸くしたのち……プッと吹き出して笑いながら声を返した。

 

「あはははっ!! そりゃ、いいわね。乗ったわ――――私も、決めたの」

 

「ん?」

 

「私が、私たちが目指すのは完膚なきまでのハッピーエンドよ。狂三も、あの子も、揃って笑える未来。付き合って、くれるわよね?」

 

 ニヤリと不敵に微笑む司令官様に、士道も同じだけ不遜な笑みを返してゆっくりと握った手を上げた。

 否定の答えは望まれていないし、持ち合わせてはいない。

 

「当然。頼りにしてるぜ、司令官」

 

「そっちこそ。頼りにしてるわよ、世界最強のプレイボーイさん」

 

「せめて他の名前にしてくれって」

 

 苦笑しながら、同じく琴里が掲げた拳とコツンとぶつけ合う。

 やるべきことは変わらない。何が待ち受けていようと、誰が何を企んでいようと――――士道たちは、未来(ハッピーエンド)を創って見せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ねー、くるみん」

 

「はい?」

 

 絵馬掛所で、適当に絵馬をくるくると振り回しながら、二亜は世間話と変わらないトーンで声を発した。

 

「言わなくて正解だったよね? いろいろと(・・・・・)

 

「……ええ」

 

 表情はいつもと変わらない微笑みだというのに、頷いた時の声色は酷く神妙なものだった。

 本当、どこまでも芸達者な子だなと二亜はその神妙な空気を流し切るべく、深く息を吐いた。

 

「あー、よかったよかった。どこまで話していいか、結構困っちゃったのよね。あたしはベッドと同居。くるみんは少年と付きっきりで、あの時はサシで話す時間もなかったし」

 

「申し訳ありませんわ。わたくしが頼み事をしたばかりに、二亜さんに余計な心労を負わせてしまいましたわね」

 

「ノンノン、ノープロブレム。秘密の共有ってなかなか楽しいもんだしねぇ」

 

 指を立てて左右に揺らし、茶化すように二亜は言葉を発する。

 そういう意味では、このタイミングで偶然二人きりになれたのはちょうどいい……というより、半分は狙ってのことなのだろう。

 

「くるみんは隠し事が多そうだったからねー。一応、気をつけながら喋ったんだけど、二亜ちゃんやっぱり演技派じゃない?」

 

「どちらかと言えば、余計なことを口走って物語の途中で退場してしまう重要キャラに見えますわ」

 

「わお、辛辣ぅ。……〈囁告篇帙(ラジエル)〉のこと考えたら、割と間違ってないのがまたね」

 

 余計なことを知れてしまうし、そのくせ戦闘能力は大したことがないのだから本気で『君は知りすぎた』、という定番の台詞を言われるタイプだと二亜は自分で自分の立場を苦笑した。

 と。冗談を口にした狂三が、眉を下げて申し訳なさそうな顔を見せた。

 

「……本当に、申し訳ありません。あの方たちに隠し事をする立場など、わたくしだけで十分でしたのに」

 

「いいよいいよ。憎まれ役は年長の仕事ってね。個人的な相談事の中身を、本人に許可なく話すつもりもないしね」

 

 それこそ、信用問題だろう。

 仮に、狂三が士道たちのと関わりが浅ければ何かの拍子で話題にしたかもしれないが、狂三は彼らと密接な関係を持っている。だから、その狂三が士道たちに隠したがっているということは……そういうことだ。

 

「感謝いたしますわ」

 

「気にしないでよ。……こっちも、いろいろ(・・・・)勝手に()ちゃった罪滅ぼしみたいなところもあるから、さ」

 

 眉根を下げ、小さく謝罪するように手を作ってみせると、狂三は大きく目を見開いてから、納得したように悲しげな微笑みを浮かべた。

 

「……視て、楽しい記憶ではありませんでしたでしょう?」

 

「あはは。得られたのは、少年もまだ知らないくるみんの記憶を視れた優越感くらい、かなぁ」

 

 記憶は全てではなく、所詮は断片的なものだ。けど、それでさえ狂三が抱えるものの大きさを感じさせるには十分すぎた。

 〈ナイトメア〉時崎狂三。世界に現存する精霊の中で、〝最悪の精霊〟と呼ばれる者。世界の災厄、大悪人――――そこに至るまでの道を、彼女は決して言い訳しない。

 

「ごめん。視るつもりはなかった……なんてのは体のいい言い訳だね。〈囁告篇帙(ラジエル)〉は、あたしが望んだものを視せただけなんだから」

 

「構いませんわ。それで、あの時の二亜さんが納得したなら、わたくしの過去の記録など安いもの――――――けど、知らないままで、いてほしいですわ」

 

 憂いを帯びた顔と、声音。

 それは、恐らく、二亜に向けられたものではない。彼女が誰より愛しいと思う少年に向けて、慈悲を以て形になった言の葉。

 慈悲であり、傲慢なまでに抱え込んだ罪業だった。

 

「……いいの?」

 

「よくはありませんわね。わたくしも、知りたいと思うことは多くありますもの。知らなかった結果を、わたくしは誰よりも知っているつもりですわ――――――同時に、知ってほしくない気持ちも、わかってしまいますのよ」

 

 その分かり切った二律背反。

 知りたくない。知ってほしくない。でも、あの人はきっと知りたいと思う。

 

「あたしも、なまじあんな天使を持ってたから気持ちはわかる。でもね、くるみん。知らないでいた方がいい時と、知らなきゃいけない時は別だよ。少年だって、それはわかってる」

 

「……知らずに全てを終わらせられるなら、何も問題はありませんわ」

 

「あらら、くるみんがそれ言っちゃう? 少年はそういうの、嫌いそうだけどな」

 

 結果を求めて道中にある〝何か〟を取りこぼす。それは、士道という勇者(ヒーロー)が見過ごせないものだ――――それをしたら最後、狂三は何もかも救われず、物語が終わってしまうのだから。

 

「漫画家として忠告しておくとね、何もかもどんでん返しで全てが丸く収まるなんて方法、そうそうないんだよ。都合のいい話には、何かしらの落とし穴(・・・・)があるってのが定番だからね」

 

「……っ!!」

 

「あんまり説教臭いのは嫌だから、あたしから言えるのはこれだけ――――――後悔だけは、しないようにね」

 

 狂三が何をしようとしているのかは、あくまで二亜の憶測に過ぎない。けど、本当にそれ(・・)を実行しようとして、何もかもを覆そうとしているのなら――――――せめて、この時間で狂三が後悔しない選択をしてほしい。

 我ながら似合わない真剣な顔だと内心で自嘲しながら、言葉を噛み締めるように沈黙を保つ狂三を見守る。

 やがて、表を上げた狂三が、その重々しい表情で唇を離した。

 

「……何だか、二亜さんが年上なのだと実感いたしましたわ」

 

「第一声がそれ!?」

 

 あまりに酷い言いように、さすがの二亜も無条件で傷つくいた。大仰に身振り手振り騒いでみせれば、調子を取り戻した狂三がくすくすと笑っていた。

 

「ありがとうございます。二亜さんのお言葉……肝に、銘じておきますわ」

 

「……ついでに言っておくとさ、いろいろ抱え込みすぎなんだと思うよ、くるみんは。少年にも言ったけど、ちょっとは遊び心を持ちなよ。重い荷物抱え込んで折れちゃったら、二亜お姉さんは悲しいからね」

 

「無用な心配ですわ。事を終えるまで、わたくしは決して倒れたりはしませんもの」

 

 だから、そういうところ(・・・・・・・)だと言っているのだが。結局、二亜が何かを言ったところで意見を曲げたりはしないのだろう。

 よくもまあ、これほどの頑固者と常日頃から対話をしていて折れないなぁ、なんて二亜は軽く息を吐いた。

 

「……はぁ。二亜さんは今後のくるみんの将来が不安だよ。今までの反動で、引きこもりのゲーム人間になって少年に世話されるシチュエーションとか展開しそうでさ」

 

「やけに具体例をお出しになりますわね……」

 

「もちろん、漫画家ですから」

 

 キランと歯を光らせるような仕草を見せたら、見事に笑われた。解せぬ気持ちである。やはり少年じゃないとダメかぁ、などとくだらないことを考えながら来た道を戻る。

 あまり長く話していては、怪しまれてしまうだけだろう。無言の行動だったが、二亜の意図を読んで狂三も同じ行動を取る――――その時、狂三が声を発した。

 

「――――先程の隠し事(・・・)に関してですが」

 

「うん?」

 

「わたくしが、士道さんと再び相対(・・)するようなことがあれば、遠慮せず話して差しあげてくださいまし。きっとあの方、わたくしが成すべきことは察してくださっているでしょうから」

 

「……そうかい。そうならないことを、あたしは祈ってるよ。できれば、自分から告げてくれってね」

 

 言って、ひらひらと手を振り士道の元へ歩いていく狂三を見送った。

 その背も、微笑みも、相変わらず変わりのないものだったけれど……僅かに見えた悲しみは、その未来を予期しているかのように二亜には感じ取れた。

 時崎狂三の、目的(・・)。『始原の精霊』を、討滅すること。

 士道が始原の情報へ達することを、狂三は間違いなく懸念している。それは、何故か……『ミオ』と呼ばれた名とも、関係があるのかもしれない。知らないまま、全てを終えたいと思っているのに、このように二亜に言伝を挟み込み、士道が一方的に不利になる事象は防いでいる。

 お互いに迷いのない好意を向けているのに、お互いの気持ちがすれ違って噛み合わない。物事は単純であるはずなのに、嫌に複雑化していると二亜は天を仰ぎたくなる。

 

「はー、めんどくさい子たちだなぁ。ねー、なっつん」

 

「ひゃいっ!?」

 

 びくぅ、と身体を揺らした拍子にガタガタと椅子も揺れ、大変に愉快な仕草で七罪が全身で体勢を整えていた。

 いやほんと、見てて飽きないなこの子と二亜はケタケタ笑いながら声をかけた。

 

「盗み聞きは感心しないなー。あたしみたいな悪い大人になっても知らないよん?」

 

「ぁ……ぅ」

 

 二亜が言った途端、七罪はテーブルに頭を俯かせ、恥ずかしそうに顔を隠す。

 

「……ご、ごめん。気になって……けど、話は殆ど聞こえなかったし……」

 

 まあ、そうだろう。精霊の力を失った七罪では、この広い境内で盗み聞きをしようにも限界があるはずだ。

 二亜が七罪の盗み聞きに気づけたのも単純な話で、七罪なら狂三のことを気にかけて悟っているのではないかと思っただけだ――――これは、他の子にも言えることだろうけど。

 

「あはは、そんな大層な話はしてないよ。ただ、あたしがお節介を焼いただけだから――――心配なんだね、少年とくるみんのことが」

 

「……当たり前じゃない」

 

 二亜の言葉を聞いた七罪は、さっきまでの弱気な声色とは違う、強い意志を持った声で顔を上げた。

 

「私はみんなに救ってもらった……なのに、あいつらだけ救われないのは嫌なの。どっちかしか報われないなんて、悲しいし……こんなの、ワガママなのかもしれないけど……」

 

「……ううん。全然、ワガママなんかじゃないよ」

 

 七罪の髪に手を触れさせ、軽く撫でて……軽くと思ったが、思った以上にふわふわしていて癖になると、二亜はわしゃわしゃと激しく手を振った。

 

「もう!! なっつんは本当良い子だなぁ!!」

 

「ちょ、やめて髪が崩れるから!! あー!!」

 

 癖っ毛でセットに苦労した七罪には悪いが、これは別の意味で癖になりそうだった。

 暴れる七罪を捕えて一通り戯れたあと、スッキリとした顔で七罪を解放する。逆に、七罪はぐったりとしていたが。

 

「……びょ、病人の癖に、なんでそんなに元気なのよ」

 

「あっはっは。漫画家はもっとヤバい状況に見舞われるものだからねぇ」

 

 締切とか締切とか、たとえば締切とか。

 エッヘンと無い胸を張って――喧しいわ、少しはあるわ――みせれば、七罪が呆れ果てた視線を向けていた。

 緊張感がありすぎる会話は、あまりに得意ではない。けれど、まあ少しは年上らしく頑張ってみましょうか、と二亜は微笑を作った。

 

「あたしも同じだよ、なっつん」

 

「え……?」

 

「いろいろと、辛い現実も見てきたけどさ……そんなどうしようもない絶望から救ってくれた人たちが、どっちかしか報われないなんて誰だって嫌でしょ――――良いもの(・・・・)、見せてもらっちゃったしね」

 

 かけがえのないものを見せてもらった。それだけで、どんな過去があっても新しく生きていける。

 そう笑いかければ、七罪が気恥しそうに頬をカァと赤く染めた。

 

「かか、何やら闇の会合が行われているようだな」

 

「拝聴。夕弦たちにも無関係ではありません」

 

 と。どこから聞き付けたのか、晴れ着姿の耶倶矢、夕弦が絵馬を持って二亜と七罪の元に現れた。

 いや……彼女たちだけではないようだ。残りの精霊たちも、ぞろぞろと惹かれ合うように、少し離れた場所に位置取っていた二亜たちの元へ集う。

 

「シドーと狂三の話か? 仲間外れは良くないと琴里も言っていたぞ!!」

 

「わ、私たちも……力になりたい、です……!!」

 

「秘密の作戦会議ですかー? 何だか楽しそうですー!!」

 

「……まだ借りを返しきれていない。何かをするなら、力になる」

 

「――――あーらら、愛されてるねぇ」

 

 全員が救われて、全員に迷いがない。かくいう二亜も、恩を返すことなく事が進み続けるのを許容する人間ではない。

 何ができるかはわからない。結果、最後は二人の選択に全てを委ねる他ない。けれど、そこに至るまでに――――二亜たちでも、何かを変えられるはずだ。

 

「それじゃみんな、集まった集まったー」

 

 ニカッと笑顔を浮かべ、みんなを集めて円陣の形を取る。その中心に二亜が手を翳して、意図を読んだ子たちと、流れに釣られた子たちが手を重ね合わせた。

 少々目立つが、第一声の気合いというのは大切だ。いっそ、見せつけてやろうと二亜は強く声を発した。

 

 

「それじゃ、『少年とくるみんを円満にくっつけちゃおうぜ!!』グループ、結成だー!!」

 

「その名は推奨しかねる」

 

「あれぇ!?」

 

 

 とまぁ、振り上げた手とは違い、意志が完璧というわけではなかったが――――――ハッピーエンドに向けて、自分たちなりに足掻いてみようと言うことだ。

 

 こういうのも、悪くないなぁ。そう、今の二亜なら思えるから。

 

 

 








それぞれの誓いを胸に、それぞれの未来を描く。さあ、終わりへ向かいましょう。

未来を予見する精霊となった狂三は、果たしてどこまで視えているのか。それとも、何も視ようとはしていないのか。
本当に二亜って子は勝手に動くというか、動いてくれると言うか。あれこんな頼れるキャラだっけ……?頼れるキャラだったわ(洗脳)みたいな感じです。

目指すべきは過去か、未来か。未来は過去によって培われる。過去を変えるということは、過去にあった何かを踏み躙るということ。かつて狂三が言った言葉ですね。そして、二亜は別の方面で苦言を呈する――――本当に、全てが救われるのかな?

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次話はついに六喰登場と、とある二人の未来(おわり)を語らいましょう。次回をお楽しみに!!


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第百三十三話『私に、さよなら』

「――――ふうん。これはまた」

 

 宙に浮かぶ一冊の本。そんな摩訶不思議な光景の真っ只中、ベッドから上半身だけを起こした少女は左手を本に翳し、輝く頁より得た情報を吟味する。

 

「……〈封解主(ミカエル)〉――――十人目。いえ、八舞を二人とするなら十一人目ですか。どこにいるのかと思えば……」

 

 残された最後の一人(・・・・・)の行方。新たに借り受けた(・・・・・)力を使い、粗方の情報を探り終えた少女は、かの精霊がいるであろう方角、直上(・・)へ視線を向けた。

 最も、そこにあるのはこの1ヶ月過ごした病室の天井だけで、該当する人物が見つかるわけでもない。

 そのような場所に雲隠れしていれば、最後に回るのは当然といえば当然の話であるし――――これは、今の士道でなければ到底手に負えない難物だろう。

 そうして、次の情報を探っていた少女だったが、ふと現在の光景(・・・・・)が頭に流れ込み、ピクリと眉根を上げた。

 

「……暇潰しの有言実行ですか。まあ、あちらが動かなければ始まることもないでしょうけれど……あの時、微かに力が流れましたか。まったく、これだから魔術師(ウィザード)という人種は……」

 

 とはいえ、できることなどたかが知れている。せいぜい、このように離れた相手の位置を長い時間をかけて探る程度のことしかできない。

 寧ろ、そちらより激突した際の対応だろう。一応、この力を利用してやれるだけの手(・・・・・・・)は加えはした。

 さて、どうなることやらと、少女は長い髪を右手でかき上げた(・・・・・・・・・・・・)

 扉の外からノックの音が聞こえたのは、まさにその時だった。誰かなどわかりきっている。間を置かず、少女はノックに声を返した。

 

「……どうぞ」

 

「……失礼するよ」

 

 扉を開けたのは、わざとらしいくらい深く刻まれた分厚い隈と、軍服のポケットに鎮座した傷だらけのクマのぬいぐるみが特徴的な女性、村雨令音だった。

 だが、いつもは感情の起伏が感じられない令音の目が大きく見開かれ、酷く驚いた様子を見せている。それは少女が扱う〝天使〟を見てか……或いは、白い少女の素顔(・・)を見てか。

 

「……私じゃなかったら、と聞くのは野暮かな?」

 

「野暮ですね。まあ、その面白みのない反応こそ野暮ですけれど」

 

 驚きはあっさり引っ込んで、状況の判断をきっちりしてしまうのは、わかってはいたが本当に可愛げがないことだと少女はため息を吐く。少女に可愛げを見せたところで、どうなるというものでもないのだが。

 

「あなたが来るのはわかってましたし、監視などその他諸々は先に目を潰してます、ご安心を。生憎、私は狂三と違って二つの天使を同時に扱えるほど器用じゃありませんので」

 

 言いながら、少女は宙に浮かせた本――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉を閉じ、消失させる。すると、機能を自主的に半停止させていた天使、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉が即座に少女の身を覆う衣を出現させた。

 それこそ、調べてさえいればこの短期間で誰がこちらを尋ねてくるかも容易に把握できてしまうし、機能の大半が扱えないと言っても、手馴れた天使は軽く応用して、なるようになってしまうものだ。

 

「……さすがだね。もう〈囁告篇帙(ラジエル)〉を使いこなしているなんて」

 

「……まさか。見様見真似です。本条二亜や、狂三ならもう少し上手く扱えるのでしょうが」

 

「……君は、いつも自身と比べる時には狂三がいるね」

 

「一番わかりやすいでしょう。あの子なら、本当に軽く扱ってみせますよ」

 

 あれほど扱いづらい〈刻々帝(ザフキエル)〉を手懐ける才女だ。少女はそれが出来ると狂三に信頼を置いているし、出来ないとも思っていない――――――変な話だ。力の行使にはこれほど信頼を置いているのに、他のことはお互いに踏み入らないままなど。

 けれど、もうすぐ終わる(・・・・・・・)。〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手にした少女は、元々あった確信を更に強めることができた。

 

「……ま、持って欲しいとは思いませんけどね。意外と、わかりすぎるというのはつまらないものでしたよ。迂闊に話して、先入観を持たれたら台無しです。良いことなんて殆どない」

 

「……今日は、やけに饒舌のようだけど」

 

「ええ――――そろそろ、お別れですから」

 

 今日くらいは、まあいいだろうと思ったまでだ。

 少女の突然の発言に驚くわけでもなく、しかし何も感じていないわけではないらしい。令音が眉根を下げて、言葉を返す。

 

「……琴里たちが寂しがるね」

 

「何かにつけて頻繁に皆さん訪ねて来ましたからね。退屈はせずに済みました――――ううん、こういう言い方は、ずるいか」

 

 正直な答えさえ満足に出せない自身の愚かさに、自嘲を込めた笑みをこぼす。

 思い返せば、何かと騒がしいと表現できる人たちだった。十香は元気づけのつもりなのか、やたらと食料を持ち込むし、八舞姉妹はいつの間にか話がヒートアップして姉妹対決を始めて、しばらくしてから現れた琴里に怒鳴られてしまうし、美九は相変わらず隙をついてローブを剥ぎ取ろうとするし、七罪と四糸乃は……平和すぎて困惑した。敢えて言えば、七罪のネガティブ病が発動して四糸乃と二人で困ったくらいか。

 折紙は、唐突に現れたかと思えば車椅子で外へ連れ出してくれたか。それは、率直に言うと悪くなかった。有り体な言い方をすれば、楽しかったというべきだろう。

 士道と狂三は――――本当に、目が離せない子たちだと、思わせてくれる。

 

 ああ、そうだ――――愛おしい(・・・・)。彼らの日常が、平和が、当たり前の全てが、少女にとっては愛おしい。狂三もきっと、同じ想いを抱いている。

 ならば、少女が成すべきことは決まった。否、元より決まっていたのだ。

 

「ここまで来たのは、少し意外でした。あなたからすれば、想定通りの状況なのでしょうけど」

 

「……いいや。私にとっても予想外のことはある。恐らく、君と考えは同じだよ」

 

「……ん。本当、最後まで引っ掻き回されそうですね」

 

 揃って、思い浮かべた二人が同じだと笑い合う。

 最後まで、あの二人はお互いのカードを手放さない。少女も、令音も、あそこまで情熱的な想いをぶつけ合いながら、どちらの願いも叶っていないというのは最初から予測することなど不可能だ。それだけは、ある意味で最初から揺るがなかったと言うべきかもしれない。

 

「……あ、私が送った例のデータ、〝秘密兵器〟に付け加えてくれました?」

 

「……ああ。けど、かなり急な話だったからね。ほぼ急造品同然のものになりそうだ」

 

「十分じゃないですか。この一回を乗り切る前提で、言ってしまえば使い捨てです」

 

 それも、特定の一人専用の機能を付け加えるという、一歩間違えればデッドウェイト同然の設備。時期を考えれば、よくもまあ作業に付け加えられたものだと素直に賞賛を抱いた。

 

「……うん、十分。私としてやるべきことは、もう殆ど残ってないですね」

 

「…………」

 

 残すべきものは残して、やるべきことは全て終わらせる。

 残された最後の力。それを円満に導くことができたなら、その時は――――――

 

 

「――――ねぇ、『私』」

 

 

 そう、だからこれは、ズルいお願いだ。

 ローブに手をかけ、再び顔をさらけ出す。ここからは、私ではない『私』としての願い。

 『私』がどれだけの想いでここにいるのか知っている。

 『私』がどれほどの願いを抱いているかも知っている。

 

「……なに?」

 

「『私』からのお願い。どうか――――あの子たちの決断を、最後の一瞬まで待ってあげて。どうなるかは、わからないけど……その時までは、士道(・・)を信じてあげてほしい」

 

 『私』の顔が僅かに歪む。当然のことだ。その決断の果てに、『私』の願いの全てが無に帰す可能性がある。

 けれど、彼女は『私』。いいや、少女が願うのならば『私』になれる。そうであるならば――――三十年の祈りの中に、慈悲があると信じたい。

 精一杯、慣れていない不器用な顔で笑いかけた。

 

「お願い。これは『私』だけじゃなくて……それなりに頑張ってきたつもりな、私の最初で最後のワガママです」

 

「……ずるいね」

 

「ええ、ずるいですよ。だから、お願いしますね――――私の、神様」

 

 ここぞという時に狡賢いのは誰に似たのか――――誰かの影響で、そうなっただけかもしれない。

 なまじ、元の影響下を受けて生まれただけあって、他の誰かの影響を受けやすいというのは否定できない。

 

「……おかしいなぁ。『私』の邪魔を、私がするつもりは全然なかったのに。ほんと、ごめんね」

 

「……いいよ。君の頼みなら、一瞬だけでも――――『私』が彼を手に入れる時間を、待とう」

 

「……ありがとう、『私』」

 

 全く、意味がないのかもしれない。その結果、誰かの願いが叶わなくなるだけなのかもしれない。

 だが、未来は神にさえわからない。だったら、最後まで悪足掻きでも何かをしてあげたいと思った――――――どの道、最後まで見届けることができそうにないのが、少しばかり残念だ。

 けど、嗚呼、嗚呼。〝計画〟さえ果たされればいいと思っていたのに、見届けたい(・・・・・)。そんな思い上がりを、少女は抱いてしまっていた。

 

「……嫌な、未練ですねぇ。まあ、いろいろ楽しくいさせてもらいましたし――――ありがとう、村雨令音。もう、私が会うこともないでしょうけど」

 

「……そうか。私からも感謝を。ずっと、彼と彼女を守ってくれたことへ」

 

 一つ頭を下げ、令音が扉の向こうへ戻っていく――――――次に会う時は、もういない(・・・)

 だから、なのだろう。最後に令音は、それを口にした。

 

 

「さようなら――――――私の、妹」

 

 

 彼女の表情は、遂に見えることはなく、薄い一枚を隔てて消える。

 

「……は、はは。なに、それ……」

 

 乾いた笑いだけが感情を表し、腕で顔を覆い隠すようにベッドに少女は背を預けた。

 最後の最後で、何だそれは。だから、話したくなんかなかったんだ――――――こんなモノにすら、慈悲をかける人だと知っていたから。

 

 

「……名無しの妹なんて、バカみたい」

 

冷たい何か(・・・・・)と共に流れたのは、取るに足らない感情の発露だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……五回は死んだな、これ」

 

無数に放たれた光線(・・・・・・・・・)に蜂の巣にされ、冷静なんだかヤケになっているのか、恐らくは半々の声をもらす士道。

 とは言うものの、実際に蜂の巣にされたのは士道の立体映像(・・・・・・・)。映るのは、果てしなく広がる漆黒と星々の光――――揺蕩う、長い、長い金色の髪を持つ少女。

 そう、士道は今まさに前代未聞の宇宙に住む精霊(・・・・・・・)と交信を試みていた。

 ……結果は、ご覧の通りの散々なのだが。光線、機械の破片、手に持った錫杖の一撃、機械の残骸、無数の光線――――ざっと、死亡回数は五回と言ったところか。

顕現装置(リアライザ)を活用した鮮明すぎる立体映像の力で、ご丁寧にさも士道が攻撃を喰らっているように錯覚させてくれる。以前に経験した、未来予知による半臨死体験(・・・・・)がなければ、もう少し動揺していたかもしれない。どちらが良いと言う話ではなく、どちらも心臓に悪いという話だが。

 

「……ふむ、まさかこんなにも攻撃的とはね。立体映像での接触にしたのは正解だったようだ」

 

「!! 待ってください。精霊が!!」

 

 クルーの椎崎が叫んだ拍子で、士道は顔を上げると――――精霊が、幾度目かの再生を遂げた士道の顔を興味深げに覗いていた。

 

 

 

 

『断る』

 

 結果からいえば、拒絶された。

 識別名〈ゾディアック〉。人としての名は、星宮六喰。

 士道の第一印象は、無機質が過ぎる、というものだった。そして、六喰という少女に、嘘は通用しない。そんな末恐ろしさすら感じさせる冷たい印象が士道を貫いた。

 が、怯んだわけではない。士道に必要なのは精霊への恐れではなく、精霊を救うという気持ちである。偽りを好かぬ、と言った彼女のため、士道は自身の所属、目的、想いを誠心誠意話した――――話した結果が、少しの逡巡もない拒絶だった。

 しかし、ここでも怯むわけにはいかない。士道は真っ直ぐに六喰を見つめ、言葉を続ける。

 

「……確かに、急に現れてこんなことを言う俺を信用はできないかもしれない。でも、俺はお前を――――――」

 

『別に、疑ってなどおらぬ』

 

「え……?」

 

 それは、士道からすれば想定外の返答だ。士道が言う精霊を救いたい、だから地上へ降りてきて欲しいなどという話は、馬鹿げたことだと初見で判断してしまうのが普通のはずだ。

 

『うぬの言うことは、きっと本当なのだろうよ。うぬの言葉には、純粋な善意が窺える』

 

「じゃあ、他の理由があるってことか……?」

 

『簡単な話よ――――――むくにはその施しを受ける必要がない、ということじゃ。むくは、ここを漂っていられればそれでよい』

 

「っ、でもそれじゃあ、またDEMから攻撃を受けるかもしれない!! 六喰が強いのはわかるけど、さっきみたいな連中とは比べ物にならない魔術師(ウィザード)だっている!! このままじゃ六喰が危ないんだ!!」

 

 士道なりに必死に訴えかける。だが、六喰の表情は一つとして変わらない(・・・・・・・・・・)

 

『うぬが案ずることはない。むくの天使に勝てるものなど存在せぬ――――――もし仮にいたとして、〈封解主(ミカエル)〉で「孔」を開けて逃げれば済む話じゃ。別に彼の星に未練があるわけでもなし。〈封解主(ミカエル)〉の気の向くまま、銀河を泳ぐのも楽しいじゃろうて。それとも、うぬの言う、でー、いー、えむには、光年の先までむくを追ってくる怪物がいると申すか?』

 

「それは……!!」

 

 言葉に詰まる――――――同時に、酷い違和感を覚えた。

 星宮六喰。相応の知と力を兼ね備え、己が天使を最強と謳うに相応しい能力をも備えている。自由自在に物質に『鍵』をかけ、『鍵』を開く。凄まじい力だ。

 だが、なんだ、この違和感は。士道の中で培われた経験が、六喰に対する()を感じ取っている。まだ、確信に至るまでは足りない。なら、至るまで言葉を尽くすまでだと士道は小さく首を振って、続ける。

 

「でも、地上には楽しいことが沢山あるんだ。お前と同じ精霊たちだってたくさんいる。こんなところに一人でいたら、寂しいだろう……?」

 

『寂しい、とな。心配痛み入るが、問題はない。むくは寂しさというものを感じぬのじゃ』

 

「……!!」

 

 感情のない精霊。そんなものはありえない、と否定する気にはならなかった。

 何故なら彼女の手の中には、士道の知識が正しいのなら、それを可能にしてしまえる絶対の奇跡(・・・・・)が握られているのだから。

 

「ま、さか……〈封解主(ミカエル)〉で……っ!?」

 

『左様。もっと正確に言うのなら、孤独のみではなく、痛痒も、悲哀も、憤激も、あるいは興奮も、歓喜も、京楽も――――愛も、感じぬのじゃ。心に、「鍵」を掛けてな』

 

 指し示したのは、六喰が手にした鍵のような錫杖。

 天使〈封解主(ミカエル)〉。その力はあらゆる権能に干渉が可能なのだろう――――――彼女の言うように、目には見えない感情(・・)という人としての機能でさえも。

 

「なんで、そんなこと……!!」

 

『さて……なぜだったかのう。必要がなかった……いや、違うな。それを持つことこそが不幸であると、かつてのむくが思ったからではないかの。今のむくには、もうよくわからぬがな』

 

「それで、お前はいいのかよ!? だって、こんなところを独りで彷徨って……そんなの、悲しすぎるだろ……!! 俺は、お前に、幸せになってほしいんだ!!」

 

『むくの幸福を、うぬが勝手に決めるでない』

 

「……っ!?」

 

 ただ、淡々と。六喰は事の本質を貫いた。それだけで、士道の言葉を止めて見せた。

 

『確かにうぬに救われた精霊もいるのじゃろうよ。むくはそれを否定しようとは思わぬ。じゃが、むくはむくじゃ。なぜ今の状況に満足しているむくに、余計な手を差し伸べようとするのじゃ?』

 

「…………」

 

『それに、大人しく聞いておれば、救うだの幸せだのと……お節介も甚だしいわ。それはうぬのエゴを押しつけているだけではないか? うぬの達成感のために、むくを利用するでない』

 

 お節介。確かに、そうだろう。六喰の言葉は刃となって、士道の心を突き刺す。

 エゴの押し付け――――息を詰まらせ、言葉が止まった。

 

 

「――――そうだ。俺は、エゴでお前を救おうとしてる」

 

 

 けれど、士道はそれを肯定する。

 

「六喰の言う通りだ。俺の想いは善なんかじゃない。俺がしたいと思ったからする、偽善の押しつけだよ。その為だけに、六喰に会いに来た」

 

『……ふむん。それがわかっているなら、むくの答えは決まっている。むくは――――――』

 

「違う。俺が欲しいのは――――――星宮六喰の答えだ。今の六喰じゃない(・・・・・・・・)

 

 士道のその言葉でさえ、六喰は眉一つ動かさない。言語を伝える機能は残っている。それ以外を、本当に『閉じて』しまったのだろう。

 しかし六喰は、たった一つだけ士道に違和感を抱かせる回答をしていた。

 

「偽りは好かない。六喰はそう言ったよな?」 

 

『然り』

 

「なら、俺の質問にもう一度答えて欲しい――――――どうして、心に「鍵」を掛けたんだ? 六喰、君に何があった?」

 

『…………』

 

「それを聞いてからでも、俺が引き下がるのは遅くないだろ? 六喰がそうしたこと自体に、もうとやかく言うつもりはない。けど、お前がここにいる理由を、心を閉じた理由を、俺に聞かせてくれないか?」

 

 警戒心、というものが生きているのかさえわからない。それでも士道は、立体映像で意味をなさないとしても、無表情の六喰へゆっくりと手を差し伸べた。

 士道が話をしたいのは今の六喰じゃない。何かしらの要因で、心を『閉じて』しまった星宮六喰――――――心を閉じてしまうような理由を誤魔化した、星宮六喰だ。

 空言を吐く度、星に礫を落とすとまで言った六喰が隠すこととは、何か。無神経でも、本当に六喰を救いたいからこそ、士道は言葉の限り全力でぶつかる。

 

 ほんの一瞬の、隙間がある。広大な宇宙に比べれば、ないも同然の間が。そうして、六喰は――――言葉を拒絶するように、錫杖の音を鳴らす。

 

『これ以上の問答は、不要じゃ』

 

「っ、六喰!!」

 

『うぬの気持ちは理解した。が、やはり迷惑じゃ。それに……なぜそうまでして(・・・・・・・・)精霊の力を束ねようとするのじゃ(・・・・・・・・・・・・・・・)。うぬは、いや、うぬの後ろにいる者は、何を考えておるのじゃ』

 

「え――――?」

 

 六喰の言葉に、士道は己の信念とはまた別の意味で喉を詰まらせる。

 後ろにいる者。精霊の力を束ねようとする、理由。

 精霊の力を欲するものは――――狂三は似て非なる表現だ。彼女は、士道を救う建前として封印に助力してくれているだけだ。彼女がその気になれば、ここに至る前、とうの昔に士道は喰われている。だから、士道の後ろにいる者、というものが完全に正しいかと問われれば、断じて否と答えよう。

 ならばもう一つは、〈ラタトスク〉。士道をバックアップする組織にして――――――そこまで考えて、士道は彼らのことを殆ど知らないと気づいた。ただ、妹に信頼を置いているから、それだけの理由だ。

 それとも、第三の可能性が――――――

 

『――――話はしまいじゃ』

 

「なっ……待ってくれ、まだ――――」

 

『六喰が望むのは平穏のみじゃ。今のこの現状が続くことのみじゃ。もし性懲りもなく誰かが六喰の前に現れたならば――――そうさな。この星の巡りを、〈封解主(ミカエル)〉で止めてくれよう』

 

「っ……!?」

 

 星――――地球の自転を、止める。

 あまりに壮大であり、あまりに致命的な宣言に、琴里やクルーたちの動揺が士道の鼓膜を震わせた。

 それに気を取られ、士道自身も六喰の宣言に気を動転させてしまったのは、ここまで冷静に事を運んでいた士道らしからぬミスだった。

 

『でー、いー、えむとやらにもそう伝えよ。では然らばじゃ、士道。もう会うこともないじゃろう』

 

 そう。動揺があり、立体映像である士道から六喰の行動を止める術などありはしない。

 士道の唇が動くよりも早く、六喰の無機質な声が魔力と霊力の漂う宙に響いた。

 

 

『――――【(セグヴァ)】』

 

 

 士道を投影していた自律カメラ。つまりは、士道と六喰を唯一繋ぐ存在へ六喰は錫杖の先端を突き刺し、鍵を回す。

 刹那、激しいノイズが走り――――士道の視界は、闇へと還った。

 




『私』に向けてのさよならか、(わたし)に向けてのさよならか。

村雨令音と〈アンノウン〉は、ここで終わり。思えば筆者としても不思議な関係でした。正直、ここのシーンも元はなかったはずのものですし。けど、二人を書いているうちに必要だなぁって……。
万由里の時もそうなのですが、ある一言だけはこの子からは口に出していないんですよね。それが未練なのか、ずるさなのか。
メタな生みの親的には好かれる要素あるのか?と最初から思っている子なのですが、この子の計画も最終段階です。不器用ながら道化を演じる子を、見守っていただければ幸いです。
〈アンノウン〉お見舞い編は希望があればそのうち書くかもしれません(言った時は大体やらない)

そして士道側。六喰攻略RTAかな???? 言うても予想出来てた人はいるんじゃないかなぁとか。リビルドの士道って自分の欲を肯定して、それがしたいから無理をして、勝手をしてるって認めてるんですよ。根本的には彼の善性と、何よりも狂三のために。
ある意味原作より強メンタルで狂メンタル。なのですが、一定の方向に強くなるものは一定の方向に弱くなるのが必然。もちろん原作より弱かったり致命的な弱点となる部分が幾つも存在します。何事も代償ですし……六喰編の本番って、後半戦ですからねぇ。

感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございます!!ラストスパートに向けて大変に励みになっております。後書き解説したがりおじさんみたいになっているのですが、ここに書いてあることだったり、それ以外でも感想もらえると物凄く嬉しいのでお待ちしておりますー。
それでは本日はこの辺で。次回をお楽しみに!!


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第百三十四話『四番目の記憶』

 

 

「映像、どうしたの!?」

 

「駄目です!! 自律カメラからの反応がありません!!」

 

「くっ……〈封解主(ミカエル)〉で『閉じられた』ってこと?」

 

 六喰が最後に放った言葉、【(セグヴァ)】。

 文字通りに、自律カメラの機能を『閉じた』ということだろう。艦橋から指示を出す琴里が小さく舌打ちをしたのを耳にしながら、士道はノイズの海に呑まれたヘッドセットを外し――――

 

「――――ぷ、はぁ!!」

 

 溜め込んでいた〝素〟を吐き出すように、ドっと息を吹き出した。

 

「……すまん琴里。上手くいかなかった」

 

 士道なりに考えをぶつけて、対話を試みたつもりだったが……結果は、無慈悲に〝拒絶〟という二文字を叩きつけられただけ。

 対面するだけで、相当な精神力を持っていかれた気分だ。掴みどころない、というより、掴めない(・・・・)。六喰という精霊の感情が、文字通り〝ない〟のであれば、士道の言葉は本当に意味を成していない。

 後方の椅子に座り、士道の補佐をしてくれていた琴里に頭を下げると、彼女は気にするなと言うように首を横に振った。

 

「あなたのせいじゃないわ。それより、よく言い負かされなかったわね」

 

「ああ……ま、今更だしな」

 

 外したヘッドセットをクルーの一人に預け、士道は指で軽く服の襟を広げながら琴里の元へ歩く。

 

「俺は俺がやりたいから、精霊を救いたいと思ったからここにいる。俺の意地とか、エゴでどこかのお嬢様(・・・・・・・)を縛り付けてるのに――――――あんな言葉一つで、今更止まってられないだろ」

 

今更(・・)というのは、そのままの意味だ。

 エゴで、自己満足で、精霊を救う愚か者。ああ、その通りだとも。だけど士道は、その結果の果てに誰かが救われるのを知ってしまった――――――だから今回も、無理だと思えるまで己の押し通す。

本当の六喰(・・・・・)を知り、それでも六喰が士道を拒絶するなら、またその時に悩むだけだ。今、あれくらいの言葉で怯んでいたら、狂三に嘲笑われること間違いなしだ。

 

「……?」

 

 と。士道がそれを口にした時、どこからか物音のような何かが司令室に響いた気がした。

 何かが動いたような雰囲気は感じられず、僅かに首を傾げる士道だったが、琴里はそれに気づいた様子はなく、複雑そうな表情でチュッパチャプスの棒を下げた。

 

「……手がかからなすぎるのも考えものね。躾のしがいがないわ」

 

「俺は犬か!?」

 

「にしても、言い負かされないだけならともかく、よくあそこまで踏み込めたわね」

 

 抗議は軽々とスルーされ、琴里は不思議そうな顔でそう問いかける。

 扱いに関しては慣れたものとはいえ、司令官は傍若無人だ。汗で張り付いた髪をかき上げ、士道は気疲れを押し殺し声を返した。

 

「ん……経験則、だな」

 

「経験則? 星宮六喰のような精霊なんていたかしら……」

 

「いたというか……ほら、狂三が学校に転入してきた時あっただろ? その時も、似たような違和感があったんだ」

 

 もう半年以上も前の話に、士道は少しばかりの懐かしさを感じる。半年だというのに、随分と濃いお付き合いになったものだと冗談を口にしたくなるくらいには、衝撃の連続で懐かしさも何もないのだが。

 

「その人と話してるのに、違う、っていうかな……上手く言葉にできるかわからないけど、狂三はあの時、自分を押し殺す〝仮面〟みたいなのを付けてた。だから、狂三と話してるのに、狂三じゃない誰かと話してるみたいな感覚になる時が俺にはあったんだ。六喰は、狂三でも比べられないくらいの〝違和感〟があったってだけだな」

 

「……何? 将来は人生相談で人を騙す職業にでも着く気?」

 

「人の将来を勝手に捏造しないでもらえるかな!?」

 

 真面目な話をしているのに、また一段と酷いことを言ってくれる。両手を上げた士道の抗議も涼しい顔で左から右――――の際、また物音がしたことには士道も何かを察して受け流す。

 まあ、人に理解してもらえる特技とは思えないし、まさかあの経験が役に立つとも思っていなかった士道は、琴里の気持ちがわからなくもないと腕を組んで息を吐いた。本当の六喰を知らないというのに、違和感を感じ取れたのは確かなのだが、現状はわかったところで(・・・・・・・・)、といった状況なのだ。

 

「……つっても、あの六喰と話して……いや、話したとも、言えないかもしれないな。言い方は悪いけど、機能を忠実に実行する『人形』と話をしてるみたいだった」

 

「『人形』、ね」

 

「――――あながち、シンの表現は間違っていないかもしれないね」

 

 すると、士道と琴里の会話を聞いていた令音が、これを見てくれ、とモニターに表のようなものを表示させる。

 琴里とそれをマジマジと見つめ、それが何なのかを二度見してから察した。二度、確認しなければならなかった理由は単純。ひたすらに並行な線(・・・・)が描かれた、六喰の精神状態や好感度を表す表だったからだ。

 

「……シンが六喰と会話をしている間、ずっとモニタリングを続けていたのだが、感情値、及び好感度には一切変化が見られなかった――――『心を閉じた』というのは冗談でも、慣用句的表現でもないようだ」

 

「それじゃあ、本当に……」

 

「……ああ。六喰の持つ鍵の天使〈封解主(ミカエル)〉。鍵を閉めた対象の力を封印してしまう力。それを自らの心に使ったとしたなら――――彼女の心は、外部からかけられるどんな言葉にも、さざ波ひとつ立てないということになってしまう」

 

 改めて、令音からその事実を聞くと、士道と琴里は愕然と言葉が出てこない。

 予測はしていた。しかし、それでは封印などできない(・・・・・・・・)。士道が行う霊力の封印には、精霊との信頼関係が必要不可欠なのだ。今まで、好感度が最低値からスタートする精霊はいたが、そもそも好感度が変動しない(・・・・・・・・・)精霊は初めての経験だ。

 

「……まずいわね。遠距離の対話が意味をなさない上に、彼女にとって人間は十把一絡げよ。もう一度DEMが六喰へ攻撃を始めたとして、その報復が起こらない保証はないわ」

 

 どうやったかは不明だが、そもそも事の発端はDEMが六喰を発見し攻撃。そして、それを返り討ちにした六喰が地球の各所に〈封解主(ミカエル)〉で『扉』を開き、報復としてDEM艦の残骸を『弾丸』として放った。

 被害規模はまだマシな方だ。六喰がその気になれば、地球に甚大な被害を及ぼす攻撃行動すら可能だろう。その驚異を、はいそうですかと見逃せるはずもないのは〈ラタトスク〉であり――――彼女が一人、宇宙を漂うことを捨て置けないお節介焼きが、士道だ。

 顎に手をやり、深刻な顔で告げる琴里に頷きを返し、声を発する。

 

「ああ。DEMの連中に手を出すな、なんて平和主義は通じない。それこそ、今更だ」

 

「そうよ。だから私たちには、六喰の心を解きほぐして、彼女の霊力を封印するしかない……んだけど」

 

「……どうやって六喰と話をするかが問題、か」

 

 対話が必要不可欠だというのに、その対話をする相手が鍵をかけて声が届かない領域に引きこもっているようなものだ。その上、放っておこうものなら地球の危機ときた。

 兄妹揃って腕を組んで考え込んでみるが、それで解決してしまうような案件ではない。重々承知してしまった士道は、仕方なしに司令室の扉へ目を向けた。

 

「ちょっと知恵を貸してもらえないか、狂三」

 

「え……」

 

 琴里が目を丸くして扉を見ると、その前の地面が淀み(・・)、じわりと影が蟠る。それは一瞬にして拡大し始め――――――

 

『……え?』

 

 と。そんな風に兄妹揃って意外な声を上げたのは、その見慣れた〝影〟が数人どころではない規模(・・・・・・・・・・・)に拡がり、勢いよく人が飛び出してきたからだ。

 

「話は聞かせてもらった!! 人類は滅亡する!! それはとてもとても困るので――――」

 

「途中からだけど、話は聞かせてもらった。私たちにも、出来ることはあるはず」

 

「あちょ、あたしの台詞を取らないでよオリリン!!」

 

「お、お前ら……」

 

 二亜、折紙だけではなく、別室で待機していたはずの精霊たちが次から次へと現れ、司令室は一気に騒動の真っ只中に呑み込まれた。

 

「な、何やってるんだ。狂三の影の中に入ってまで……」

 

「むう……すまぬ。だが……」

 

「十香さんは悪くありませんよー!! だいたい、こんな状況でだーりんの心配をするなって方が間違ってます!! ……っていう時に、ちょうど狂三さんが通りかかったので、力を貸してもらったんですよー」

 

 ……なるほど。額に先程までとは違う汗を滲ませ、士道は影から現れた最後の一人を見遣る。

 士道の考えでは、狂三一人が騒動を聞き付け耳を立てていると思っていたのだが、とんだ意表の突かれ方をされた。

 大方、そんな士道の考えを読み取ったのだろう。相変わらず悠然とした微笑みで頬に手を当て、狂三が士道へ向けて声を発した。

 

「話をきいているだけでも、成長いたしましたわね、士道さん。けれど――――士道さんがわたくしの行動を読み切るなど、百年早いというものですわ」

 

 読み負け、というものがそこにはあった。士道は狂三がいることまでは読めたが、狂三が精霊たちを巻き込むことを良しとする動きが出来ると、それを読み切ることができなくて――――今回は無性に悔しくて、負け惜しみを口に出してしまう。

 

「……さっきはちょっと動揺してたくせに」

 

「あら、士道さんにしては的外れなことを仰いますのね。断じて、わたくしは、動揺など、し・て・い・ま・せ・ん・わ」

 

「いーやしてたね。絶対してたね。俺が狂三の話をした時、ちょっと嬉しそうにしただろ!?」

 

「ええ嬉しかったですわ。けれど、動揺などありませんでしたわ。ええ、ええ。一切ありませんわ」

 

「ははは、お嬢様は本当に負けず嫌いだなぁ」

 

「うふふ、あなた様ほどではありませんわぁ」

 

 ははは、うふふ、ははは、うふふ――――それだけだと愉快で終わる笑い合いだが、士道と狂三の間では目線で激しい火花が散っている。

 

「ねーなっつん。少年って、あんなに負けず嫌いだっけ? 諦めが悪いのは知ってるけど」

 

「……いつもはどっちかが大人になるけど、たまにどっちも馬鹿になるのよね」

 

「ああー……」

 

 七罪の呆れを果ての果てにした声を聞き、そこで心の底から納得したような声をもらすのはやめてほしい。他者から見ればそうなのかもしれないが、士道と狂三は至って真面目に戦っているだけである。

 狂三と二人でじゃれ合っていると、琴里が頭を悩ませるように手を額に当て、司令室に集った精霊たちを見回した。

 

「あなたたちの気持ちは嬉しいけど……」

 

「ふん、出し惜しんでいる場合ではなかろう?」

 

「同調。このままでは、地球そのものが危険です。なら、夕弦たちも無関係ではありません」

 

「六喰さんも、この世界のいいところを知れば、壊そうなんて思わないはずです……!! お願いします、私たちにも、手伝わせてください……!!」

 

「みんな……」

 

 琴里の考えはわかる。出来うる限り精霊たちの危険を減らすのが〈ラタトスク〉の使命であり、琴里当人の気持ちでもある。

 だが、今は多くの力が必要な状況で、尚且つ琴里の心中を皆が察しているからこその決断だった。

 ふう、と士道との戯れを終えた狂三が息を吐き、見かねたように前に出て声を発した。

 

「もう良いではありませんの。琴里さんのお気持ち、十二分に伝わっていますわ」

 

「狂三……」

 

「仮にわたくしが力を貸していなくとも、この未来は訪れていましたわ。その程度、〈刻々帝(ザフキエル)〉に頼る必要すらない必然の予測。……大切になさる気持ちもわかりますが、彼女たちの気持ちも汲み取ってあげてくださいまし」

 

「…………はぁ」

 

 狂三にそこまで口を出されて、琴里はため息を吐いて令音へ視線を向けた。

 令音の答えも、この流れでは当然の首肯(・・)だったわけだが……今一度、大きくため息を吐いた琴里は、諦めたように言葉を発した。

 

「……わかったわ。あなたたちもここにいてちょうだい」

 

 押していた自分たちの要求が通った証明に、精霊たちの表情が一気に明るくなる。が、琴里は気を引き締め直すように強い口調で続けた。

 

「でも、今回の精霊は力押しで何とかなるような相手じゃないわ。好感度を上げないと霊力が封印できないのに、そもそもそれ自体が封じられているようなものだもの」

 

「質問。六喰の閉じられた心を、再度開ける方法というのは、存在するのでしょうか」

 

「……断言はできないが、方法があるとすれば、一つだろう」

 

「!! 方法があるのか!?」

 

 十香が目を丸くして、半ば令音に詰め寄るような勢いで前のめりになり、他の精霊たちもそれに続いた。

 

「……期待をさせて悪いが、天使によって閉じられた心は、天使によって開くしかない。鍵の天使〈封解主(ミカエル)〉を、もう一度六喰に使うしかないだろう」

 

「天使には、天使……」

 

 毒には毒を、天使には天使を。思考の時間を作り、士道は口元に手を当て考えを巡らせる。

 天使の力は膨大な霊力の塊が作り出す、絶対の奇跡。見える形となった神の御業だ。

 〈封解主(ミカエル)〉が引き起こした感情の封印という事象を解消するには、天使の力で『閉じた』という結果を無くす他ない。

 だが、鍵を閉じたのが〈封解主(ミカエル)〉なら、開くのもまた〈封解主(ミカエル)〉が前提となっているはずだ。同時に、その〈封解主(ミカエル)〉を使ったのが、持ち主で感情を封じた六喰なのだ。

 鍵がない以上、宝箱は開かない。力で無理やり開けようとすれば、取り返しのつかない報復が待ち構えているし、力で開けられるものとも思えない。元より、力づくというのはナンセンス(・・・・・)な話で――――――

 

「……あ」

 

 と。士道がもらした声に導かれ、視線が集中する。

 妙案、というべきなのか。天使には天使。力づくで駄目なら、相応にスマートなやり方を行える天使ならどうだろうか。

 

「なあ、狂三」

 

「はい?」

 

「――――【四の弾(ダレット)】で、六喰の心が閉じる前まで戻せないか?」

 

 そう。〈刻々帝(ザフキエル)〉、第四の弾丸。かの銃弾なら、六喰を傷つけることなく彼女の心が〝閉じる〟前の状態まで、文字通り巻き戻す(・・・・)ことが可能かもしれないのだ。

 すると、二亜が士道の提案にポンと手を叩き、なるほどなるほどと相槌を打った。

 

「確かに、それなら〈封解主(ミカエル)〉の鍵がなくてもいけるんじゃない? いやー、少年ってば冴えてるぅ。よっ、天才ゲーマーS!!」

 

「お前なぁ……はぁ。どうだ狂三、やれそうか……って」

 

 士道は言いながら狂三へ視線を戻すが、訝しげな顔を作らざるを得なかった。

 なぜなら、狂三が呆気に取られるように目を見開いて士道を見ていたからだ。それに、狂三だけでなく精霊たちも奇妙な視線を士道へ向けてきている。

 そんな視線を見て、二亜が目をぱちくりとさせ困惑の声を発した。

 

「……え、どったのみんな。狐につままれたような顔しちゃって」

 

 二亜にも理由はわからないようで、士道は訝しげな顔を作ったまま視線を受け止めざるを得ない。

 そして、見開いた目を細く、鋭く尖らせた狂三が硬い声を発した。

 

「士道さん……どうして、【四の弾(ダレット)】の効力を知っていますの?」

 

「え……? どうしてって……」

 

「二亜さんは〈囁告篇帙(ラジエル)〉で知識があるのでしょうが――――――わたくしは一度たりとも、あなた様の前で【四の弾(ダレット)】を披露した記憶はありませんことよ」

 

「は?」

 

 そんな、馬鹿な。士道は確実に銃弾の効力を知っている。知らなければ提案のしようがないではないか。

 今度は士道が呆然と目を見開き、記憶の奔流を辿る。

 

「あ、……れ?」

 

 そうして、ようやく記憶の齟齬を自覚した。

 ない。狂三が〈刻々帝(ザフキエル)〉で数々の弾丸を、見惚れてしまうほど美しく撃ち尽くしてきた中で、士道はただの一度であっても【四の弾(ダレット)】という銃弾を見たことがないし、聞いたことさえない。

 存在しない記憶を探そうと必死になっていると、頭に鈍痛が走って思わず顔を顰めてしまう。

 

「シドー、大丈夫か?」

 

「あ、ああ……。なんで、俺……」

 

 駆け寄ってくれた十香に声を返しこそしたが、呆然とした心は未だ返っては来ていない。

 見てはいない、扱ってもいない、記憶にすらない。なのに、士道は〈刻々帝(ザフキエル)〉のまだ見ぬ弾丸を識っていた。

 焦燥した士道を見て、狂三が眉を下げて令音へ助けを求めるような視線を送った。どちらかと言えば、狂三自身と言うよりは士道の困惑を解消するための気遣いだったのかもしれない。

 助け舟を求められた令音が、ふうむと顎に手を当て考えを言葉にする。

 

「……可能性としては、シンが以前〈刻々帝(ザフキエル)〉を現出させたことで、まだ見ぬ力の知識が流れ出た、という説が提唱できる」

 

「ありえない話ではありませんけど……そうですわね。士道さん――――【六の弾(ヴァヴ)】の効力はご存知でして?」

 

「……いや、名前も初耳だ」

 

 それは断言できると、士道は首を否定の意味で振る。

 本当に不思議なことに、【四の弾(ダレット)】だけが士道が見聞きしていない知識として、すんなりと把握できてしまっていた。

 まるで、士道が忘れているだけで、効果が発揮される様を見た(・・・・・・・・・・・・)としか思えない。問いを放った狂三が、考えを纏めるためか令音と同じように顎に手を当てブツブツと呟く。

 

「……わたくしと士道さんの経路(パス)が? いえ、しかしそれにしても……【六の弾(ヴァヴ)】ではなく、【四の弾(ダレット)】だけというのは一体……」

 

「――――考えても答えが出ないなら、今は考えても無駄でしょ」

 

 謎の行方をそう断ち切ったのは、司令席に座り直した琴里の一声だった。続けざまに、琴里は士道へ言葉を向ける。

 

「士道、体調に問題はない? あ、嘘ついたその瞬間、メディカルルームへ叩き込むからそのつもりでね」

 

「……だ、大丈夫だよ。ちょっと、戸惑っただけだ」

 

 多少の頭痛はあったが、それも今は収まりつつあるし、また精密検査の連続は士道としては御免こうむりたい。

 士道の答えに満足げに頷いた琴里は、チュッパチャプスの棒をピンと上げて今度は狂三に視線を向けた。

 

「狂三。気になるのは私も同じよ。けど、今はこっちを優先してちょうだい。――――簡潔に教えて欲しいのだけど、その【四の弾(ダレット)】って弾で、六喰の心を開くことは可能?」

 

 問いかけに、狂三は言葉を選ぶような言い淀みを見せた。

 

「……六喰さんがいついかなる時間に心を止めたかわからなければ、込める霊力を定めることができませんわ。出来るなら他の方法を推奨いたします――――それにまず、わたくしたちには、推奨する方法をこなすだけの〝足〟がありませんわ」

 

 トントンと足をステップさせて地面を踏んでみせた狂三を見て、夕弦が難しげな顔で頷いて声を返す。

 

「補足。仮にやり方を見つけても、六喰のいる宇宙にまで行く方法がない、ということですね」

 

「うぐ……そりゃー、颶風の御子の力でバビューンって…………無理、だよね」

 

「……まあ、いくらなんでもな」

 

 【颶風騎士(ラファエル)】の風が如何に優れてると言えど、さすがに大気圏を超えた宇宙旅行は現実的とは言えない。それに、やれたとしても行けるのは風の力を纏える者だけ。

 耶倶矢が困り顔で意気消沈したのに合わせ、士道も口ごもってしまう。

 六喰の閉じた心を開く方法にばかり気を取られていたが、そもそもそれを実行に移すためには士道たちも宇宙へ足を踏み入れなければならない。

 地上へ降りて来て欲しい、と説得は試みたものの、結果はあのザマだったのだ。こちらの覚悟が本物だということを封じられた六喰の心に示すためにも、宇宙へ上がることは決定事項だ。が、そんな都合の良い方法など、六喰が降らせた隕石のように簡単に降ってくるわけが――――――

 

「宇宙……宇宙、ね」

 

 しかし、神は士道たちを見放してはいなかったらしい。

 

 

「――――グッドタイミングよ。何とかなるかもしれないわ」

 

「え……?」

 

 

 唇の端を歪めた頼れる司令官様には、どうやら士道の知らない勝算があるようだ。

 

 

 






大体の物事を狂三基準で考える上にスーパー洞察力を発揮するタイプの士道くんです。狂三が味方だと無敵なのかこの子は。

たまには子供っぽい喧嘩をというかなんというか。狂三は負けず嫌いですけど引き際はわかってるし、士道も比較的大人びているのであんまりない一コマ。ちなみに長引くと喧嘩に見せかけて惚気始めるので外野がさっさと別の話題に移るが吉。

原作では大活躍の【四の弾(ダレット)】ちゃん、リビルドではようやく言及されるの巻。なぜ狂三が見せていないと断言する力を士道が知っているのか……たとえ記憶に残らなくても、本質を理解する機会があったのかもしれませんねぇ。ちなみに作者的にはこの伏線が前すぎて正確に覚えてる人は凄いと思ってます。

そんなこんなで次回、秘密基地へGO。そしてここのイベントと言えば可愛いAIと……さて、どうなることでしょうねぇ。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百三十五話『太極の罪人』

 

 

 冷静に考えれば、人が空を飛ぶには人類の英知が生み出した機械に頼る必要がある。それらの機械に乗ってから、そういえば最近は何かと生身で空を飛んでいたこともあって、こちらの方が珍しい体験なのではないかと思ってしまった。

 そんな考えているようで考えていない心情はともかく、今士道はまさにその人類が作り出した空を飛ぶ機械、輸送ヘリに乗せられ長距離移動の真っ只中にいた。

 無論、この場にいるのは士道だけではない。向かい合わせになった長い座席には、精霊たちや〈フラクシナス〉のクルーたちが全員座っている。

 

「……なあ、琴里。結局俺たち、どこに向かってるんだ?」

 

 輸送ヘリに乗せられ、はや数時間。士道の隣に腰掛けた司令官様からは、未だ満足いく説明がなされていない。

 十香や耶倶矢など、初めて乗る大きなヘリに気を取られ、楽しんでいる様子は見て取れるが、そうでもない士道は行き先が気になって仕方がないのだ。

 

「悪いけれど、詳しい場所は言えないの。別にあなたたちを疑ってるわけじゃないんだけど、今から向かう場所は、まさに〈ラタトスク〉の技術の中枢とも言える場所だから」

 

「――――そのような場所にわたくしを連れていくのは、些か配慮が足りないと言えますわね」

 

 チュッパチャプスの棒をピコピコと揺らした琴里が、真隣から飛んできた苦言に眉をひそめた。

 琴里の隣で膝に手を置き、礼儀正しい姿勢でジッと時間が過ぎるのを待っていた狂三。あの場にいた精霊全員を乗せたわけだが、その中には当然のように狂三まで含まれていたのだ。

 当然といえば当然であり、今更といえば今更の苦言に、琴里はブスっとした顔を作って言葉を返した。

 

「仕方ないでしょ。あなただけ置いていったら、私が悪者になるじゃない。それに、あなたから目を離したら逆に不安だわ」

 

「まあ、信用がありませんのね」

 

「あるわよ。前にも言ったけど、悪い意味でね。てか、これから行く場所の位置、知ってたりしないでしょうね」

 

「いたしませんわ。わざわざ意味合いの薄い調べ物をするほど、『わたくしたち』も暇ではありませんもの」

 

「へえ、〈ラタトスク〉の最重要機密が薄いだなんて、大それたこと言ってくれるじゃないの」

 

「……どう返しても不機嫌になるではありませんの」

 

 会話は殺伐としているが……何と言うか、以前に比べて二人の表情にどこか柔らかさがあるのは、きっと気のせいではないのだろう。

 例えるなら、友人同士が行う軽い冗談を交えた会話とでも言うべきか。仲良くなってくれたのは嬉しいが――――それはそれとして、士道が傍観者に徹するだけなのはちょっとだけ、ほんの少しだけ、寂しい気がした。

 いや、まあ? 大事な妹が大切な友人と仲良くするのは大変に嬉しいことなのだが? いつの間にか進展しているのはちょっとだけおにーちゃん寂しいというか? 誰に言い訳するでもなく、一体俺はいつからこんなに心が狭くなったのだろうか、と勝手に頭を抱え込んだ。

 すると、士道の百面相に気づいた二人が、訝しげな表情で士道の顔を覗き込んだ。

 

「何よ士道。この程度で乗り物酔い?」

 

「あら、あら。大変ですわ。何か気分を良くするものはありましたかしら……」

 

「え……あ、ああ!! 大丈夫だ、ちょっと考え事してただけだからさ」

 

 まさか、二人にジェラシー的なものを感じていたとか、男として器が知れる情けない考えを見せるわけにはいかず、笑顔を作りながら手を振ってなんでもないと誤魔化した。

 加えて、別のことを同時に考えていたのも嘘ではない。この先に、本当に士道の求めるものがあるのなら。

 

「……琴里。今から行く場所に、六喰のいる所まで行く手段があるんだよな?」

 

「ええ。もうそろそろ着く頃だと思うけど――――――」

 

『――――司令、目的地に到着します。準備をしておいてください』

 

「ビンゴ。私の体内時計も捨てたものじゃないわね」

 

 機内スピーカーからの音声の通り、数分後には軽い衝撃ののち、振動と駆動音が消え、それによって目的地に着いたことが示唆された。

 士道の想像では、降り立つ場所はどこかのヘリポートだろうと軽く思っていたのだが、機械後部のハッチから作業員と思しき男に促され、降りた先には全く別の光景が広がっていた。

 四方が壁に囲まれ、上方に目を向ければ空さえも見えない。ヘリポートとは程遠い、作業服姿の機関員たちも含めれば『格納庫』という表現が近しい。

 

 当然、琴里が目指す目的地の終点はここではなかった。迷うことなくクルーを連れて歩いていく琴里に釣られ、士道たちも格納庫を出て長い廊下、厳重なセキュリティが施された扉を何枚も潜り、ようやく大きな入り口の扉が設置された場所へ辿り着く。

 

「ここよ」

 

 琴里が扉の横に設えられた装置に手のひらを当てると、彼女の掌紋がトリガーとなっていたのか、何を撃ち込まれても平然としていそうな巨大な扉が開かれていき――――〝それ〟は、士道たちの目の前に現れた。

 

「……!! これは……!!」

 

 目に飛び込んできた〝それ〟を見て、様々なことに慣れていた士道も目を見開く。

 士道の後ろにいた精霊たちも、こぞって驚愕を顕にした。

 

「おお……!!」

 

「かか、なるほどな。確かにこれであれば、どこへなりと赴けるだろうて」

 

「ほぁー、すっご。何これ。ねえ妹ちゃん。資料用に写真撮っていい? 写真」

 

「駄目に決まってるでしょ。最高機密よ」

 

 興奮冷めやらぬ、とはこういうことを言うのだろう。

 かくいう士道とて、二亜の反応を笑うことはできない。目の前に広がる特大の建造物は、士道でなくとも興奮を抑えることはできないはずだ。

 ゆっくりとした足取りで士道の隣に並ぶ狂三も、どこか心が踊っているように見えた。

 

「ふた月程度だと言うのに、随分と久しい気持ちですわね」

 

「……ああ」

 

 久しぶり、と言える時間を離れていたか。だが、そう表現したくなるほど待ち侘びていたのかもしれない。今一度、狂三と共に〝それ〟を見上げた。

 

 それは、『(ふね)』。幾つもの矛盾を抱えた表現の中に、矛盾さえ捩じ伏せる力を持つ英知の結晶。

 白と瑠璃色で構成された先鋭的な艦隊。あらゆるものを必滅させる砲門に、大樹の枝のように広がる艦体後部。そこに輝く幾つもの『葉』。

 全てを睥睨する天空(そら)――――それをも上回る、星の海さえ飛翔せしめるこの艦の名は。

 

 

「――――〈フラクシナス〉……!!」

 

 

 そう。〈ラタトスク〉が所有する空中艦〈フラクシナス〉。反転した折紙との戦いで損傷して以来、改修が続いていたこの艦は完璧な形で――――否、完璧以上の形(・・・・・・)で、士道の前に姿をさらけ出していた。

 

「形が……少し、違う?」

 

「よく気がついたわね」

 

 以前の〈フラクシナス〉との違いに気がついた士道に、ふふんと我が子を褒められたような顔で鼻を鳴らした琴里が、高らかにご高説を謳った。

 

 

「そう。これは今までの〈フラクシナス〉じゃないわ。〈ラタトスク〉最新鋭の顕現装置(リアライザ)を搭載し、あらゆる性能をグレードアップした改良型――――その名も、〈フラクシナスEX(エクス・ケルシオル)〉!!」

 

 

 ばばーん、という音が鳴りそうな解説と共に、神無月が琴里の背後で両手両足を広げ、アルファベットの『X』のようなポーズを取る。あと、その両脇でクルーたちが左右対称のポーズを取ったり、残された令音が無表情でポケットから取り出した紙吹雪を舞い散らせていた。

 なお、士道の興味を一番引いたのは、唯一パチパチパチと祝いを込めて手を叩く大変可愛らしい狂三であったのだが、それはそれとして新たな〈フラクシナス〉への反応も行う。

 

「え、エクス・ケルシオル……?」

 

「ええ。〈フラクシナス〉が損傷した直接の原因は折紙との戦闘だけど――――『前の世界』で、エレン・メイザースの〈ゲーティア〉に手酷くやられたのも事実だからね。ただ元通りに修理するだけじゃ足りないって思ったの。お陰で、かなり時間かかっちゃったけどね」

 

 自嘲気味に肩を竦めた琴里の言葉に、士道は『前の世界』で起こった出来事を思い起こした。

 今、この世界は本来あった歴史を辿った場所ではない。一度、士道と狂三の手によって書き換えられた世界線なのだ。

 その書き換える以前、つまりはそれが『前の世界』。そちら側の歴史では、〈フラクシナス〉はDEMの艦に大敗を喫してしまったらしいのである。

 今回の改修はそれへの対抗策――――物語的に例えるなら、〈ラタトスク〉による一種のパワーアップイベントのようなものなのだろう。

 

「なるほど……これなら六喰のいる場所に」

 

「ええ。ひとっ飛びよ。まだ調整が終わってないから発艦には少し時間がかかるけど、もう艦橋には入れるはずよ――――付いてきて。会わせたい子がいるわ」

 

 指を曲げて士道を呼ぶ仕草をする琴里に、士道は首を傾げた。

 

「会わせたい子?」

 

「ええ。まあ、ある意味しょっちゅう会ってはいたけど、こういう形では初めてなんじゃないかしら」

 

「……? どういうことだ?」

 

「来ればわかるわ。ほら」

 

 言うなり、〈フラクシナス〉艦体の真下へと歩いていく琴里。恐らく、機能を受け継いでいるであろう転送装置のためなのだろうが……。

 

「む? 誰かシドーの知り合いがいるのか?」

 

「それにしては、士道さんに心当たりがないようですわね」

 

「ああ……まったくわからん」

 

 とはいえ、会えるのならさすがにわかるだろう。

 全員で艦体の真下へ移動すると、それを確かめた琴里が「いいわ。お願い」と誰かに指示を出した。すると、士道たちの身体が淡い光と不思議な浮遊感に包まれ、次の一瞬には格納庫の風景は、〈フラクシナス〉艦内の風景へ変貌していた。

 

「……っと」

 

 そうなのだろうとは思っていたが、やはり久しぶりに感じる不思議な感覚には、また慣れないものを感じてしまう。

 息を整え、顕現装置(リアライザ)を用いた転送装置で辿り着いた場所を見渡す。

 上下2段の艦橋。中心の艦長席と、下部にあるクルーたちの座席や設備は見慣れたもので、それでいて〈フラクシナス〉よりも設備や広さが増設されているように思えた。そして一番の違いは、士道たちがここへ直接転送されたことだ。

 

「転送、直接艦橋にできるようになったんだな」

 

「ええ。艦内に幾つかターミナルを作って、どこへ転送するか選べるようになったの。ターミナル間の移動も可能だから、居住エリアから艦橋へも一瞬よ」

 

「なるほど、そりゃ便利だな……ところで、琴里、会わせたい子って?」

 

 見渡したところで、見つけられるのは新品の艦内だけ。琴里が合図をした時、転送装置を起動したと思われる人物の姿もない。てっきり士道は、その人物こそ会わせたい子だと思っていたのだ。

 と。琴里はそんな士道の反応を見て不敵に笑い、軽く顔を上げて声を発した。

 

「ハロー。久しぶりね、〈フラクシナス〉」

 

 まるで、艦そのものに人格があるかのような言い方――――モニタがぼんやりと点灯し、意思が存在するかのような反応を示したことで、それが間違いではないのだと悟る。

 

『――――ええ。お久しぶりです、琴里』

 

「わっ!?」

 

 艦橋に設えられていたスピーカーから、少女のような声が響く。想像の上をいく現象に士道は思わず身を反らし、精霊たちも驚きの顔で少女の声を出迎えた。

 

「な、何ですかー?」

 

「びっくり……です」

 

『失礼な反応ですよ、士道。相手が精霊ならそれだけで減点です』

 

 感情の篭った声が響く。まるで艦そのものに説教をされたような感覚に、士道は心がけている冷静さをなくし目を白黒させた。

 

「こ、これは……」

 

「何を驚いてるのよ、士道。彼女にはいつもお世話になってるじゃない――――〈フラクシナス〉のAIよ。今回の改修にあたり、対話式のコミュニュケーションが可能になったの」

 

『こんにちは。お久しぶりです……というのもおかしいですね。いつもお世話をしています。コールサインは「マリア」です。これからまた、よろしくお願いします、士道』

 

 合わせるように続いたその声に、士道は奇妙な感慨と、どこかに懐かしさすら覚えながら、長い付き合いとなった彼女へ笑顔を返してみせた。

 

 

「――――――、ああ……よろしく、マリア」

 

 

 と。士道の挨拶を皮切りにして、精霊たちがモニタの前へなだれ込むように押しかけた。

 別にモニタにマリアの顔や人格があるわけではないのだが、そこには『MARIA』とわかりやすい文字が表記されていたため、標識として単純だったのだろう。

 

「皆様、長時間の移動のあとだというのに、お元気ですわねぇ」

 

「まあ、気持ちはわかるけどな」

 

 旧知であり、同時に新しい仲間を歓迎するという意味では良いのかもしれない。マリアを囲んでワイワイと騒ぐ精霊たちを、狂三と保護者気分で苦笑気味に見守っていると、琴里がやれやれという様相で手を叩いた。

 

「ほらほら、あんまりマリアを困らせないの。まだ仕事が残ってるんだから――――それで、発艦までどれくらいかかりそう?」

 

『機体調整にあと九十分は欲しいところです』

 

「時間がないわ。一時間で終わらせて」

 

『相変わらず容赦がないですね。将来の旦那さんが気の毒でなりません』

 

「……機体性能は上がっても、冗談のセンスは今ひとつのようね。今回の調整が終わったら再調整してもらおうかしら」

 

 琴里から半目で放たれた脅しのようなジョークを気にした様子もなく、マリアはそのままクルーたちへ言葉を投げかけた。

 

『パーソナルコンソールのカスタマイズは前と同じ設定にしてありますが、一応念の為、各々確認しておいてください。この作業はこちらの調整と並行できますので』

 

 クルーたちがマリアの言葉にそれぞれ頷く――――と、マリアは続けざまに声を発した。

 

『それと、艦橋への私物の持ち込みは最低限にしてください。居住エリアはプライベートな空間なのでそこまでうるさいことを言うつもりはありませんが、艦橋に藁人形や美少女のフィギュアが必要とは思えません』

 

 ……そういえば、あったなぁ。とか士道が呆れていると、当事者の〈藁人形(ネイルノッカー)〉椎崎と〈次元を超える者(ディメンション・ブレイカー)〉中津川が愕然とした表情を作った。

 

「そ、そんな!?」

 

「今までは何も言わなかったではありませぬかっ!!」

 

『伝える手段がなかっただけです。もしどうしても必要と仰るなら、理由を1200文字以内に纏めて提出してください』

 

「こ、これは敵の襲撃があった時、相手に呪いをかけられるように……」

 

「私は嫁たちが近くにいないとパフォーマンスをフルに発揮できないのでありますよっ!!」

 

『却下です』

 

 鮸膠も無く、是非もなし。無慈悲な宣告に悲痛な叫びを上げる二人だったが、救いの女神はまさかの士道の隣から現れた。

 

「まあまあ、お二人の仰ることにも一理ありますわ……敵を呪う環境が来るかはともかく、中津川さんのモチベーションを低下させるのは、少しばかりナンセンスですわ。その程度は、許容して差し上げてくださいまし」

 

『……ふむ。狂三がそういうのであれば、多少は検討の余地がありますね』

 

 さすがは狂三。AIにも見事な人望である。実のところ、藁人形に関しては適当なフォローに見えたので検討されるかは怪しいのだが、二人が狂三を崇め奉るように拝んでいたので良しとしよう。士道の目には、微笑む狂三から後光が差してる気がしてならない。というか差している。

 

「ああ、ああ。ですけど、その他のお方は擁護できかねますわねぇ、マリアさん」

 

『はい。別れた奥様やお店の女の子への私用電話はこれから一切取り次ぎませんのであしからず。自律カメラを昔の恋人のところへ飛ばしてくれないかなどというのは論外です』

 

『……えッ!?』

 

 拾う神あれば捨てる神あり。他人事のように笑っていた〈社長(シャチョサン)〉幹本と〈早すぎた倦怠期(バットマリッジ)〉川越、そして〈保護観察所(ディープラヴ)〉箕輪が狂三とマリアの慈悲なき宣告に一斉に目を見開いた。

 今更に今更を重ねたことだし、士道も日頃から助けられている以上あまり強くは言えないのだが、副司令(ロリコン)を含めたこのメンバーを纏め上げる琴里の苦労が偲ばれるなぁと、額に血管を浮かばせた彼女をチラッと見やる。

 

「あなたたち……〈フラクシナス〉の設備をそんなことに使ってたの?」

 

「あ、いえ、その」

 

「ご、誤解です!! 私たちは常に真剣に任務と向き合って……」

 

 必死の弁解も、〈フラクシナス〉の意思そのものと言えるマリアによる証言がある以上、全くもって説得力が皆無だった。というか、この調子だと罪状はまだまだあるのだろうなと、士道は呆れながら頬をかいた。

 

「はあ……とにかく、今は時間がないわ。マリアと一緒に調整を済ませておいてちょうだい」

 

『はっ!!』

 

 敬礼を見て、満足げに頷いた琴里は、続けて次の言葉を発した。

 

「さて、じゃあ私たちは……」

 

『琴里。そういえば基地内に、琴里たちとの面会を希望している方がいらっしゃるのですが、いかがいたしますか』

 

 すると、マリアが遮るようにそれを報告してくる。

 琴里たち(・・)と彼女が言うくらいなのだから、士道たちを含めた面会希望なのだろうが、当然、士道や精霊たちには皆目見当もつかない。琴里ならとも思ったが、彼女も不思議そうな顔でマリアへ聞き返した。

 

「面会希望? 一体誰よ」

 

『はい――――――エリオット・ウッドマン議長です』

 

「……は?」

 

 士道の聞き慣れない名前に、しかし琴里はポカンと口を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……シドー、シドー」

 

「ん、どうした、十香」

 

「いや、そのウッドマンというのは何者なのだ? 琴里が随分と畏まっているようだが……」

 

 確かに、相当珍しい光景がそこにはあった。

 艦橋で調整を進めるクルーたちと別れ、〈フラクシナス〉から出た士道と精霊たちは再び長い廊下を歩いていた。

 その先頭。琴里はマリアから『ウッドマン』という名を聞いた途端、慌てて肩掛けにしていたジャケットに袖を通し、ボタンまで閉めたのだ。普段の威厳を保つ司令官の琴里を見ていれば、まずありえない畏まり方。十香の疑問に答えたのは、まさにその琴里だった。

 

「――――ウッドマン卿は、〈ラタトスク〉の意思決定機関である円卓会議の議長よ。……実質的な〈ラタトスク〉のトップにして、創設者。彼なくして〈ラタトスク〉は生まれなかったといっていいわ」

 

「……!!」

 

 〈ラタトスク〉の実質的なトップ。なるほど、琴里が畏まるのも頷ける――――同時に、士道は六喰の言葉を思い起こした。

自身の後ろにいる者(・・・・・・・・・)。そうだ、士道は精霊を封印することに迷いはない。だが、士道以外がそれを望んでいたとして……一体、何を思い、何を考えて精霊を救おうとするのか、考えても見なかったのだ。

 知的好奇心とでもいうのか。それを知ったからと言って、士道の信念が変わることはない。けれど、知っておかねばならない(・・・・・・・・・・・)。自分をサポートしてくれる組織だからこそ、そんなふうに思うのだ。

 

「――――くるみん、ウッドマンって……」

 

「……二亜さんのご想像通りですわ」

 

 と、士道はひっそりと会話をする二人に気づく。士道たちからほんの少し距離を取り、狂三と二亜が難しげな顔をして会話をしていた。

 

「……どうした、二人とも。随分と怖い顔してるけど」

 

「……!!――――んー? 少年の顔はいつ見てもかっこいいなぁって話をしてただけだよん。ねーくるみん」

 

「ええ、ええ。本日も整ったお顔ですわ。とても女装が似合うくらいに」

 

「え、だーりんが士織さんに!?」

 

「ならんわ!!」

 

「えー、残念ですぅ。次の機会を期待しまーす」

 

「たくっ……」

 

 息を吐いて視線を前に戻す――――フリをして、チラリと後ろへ目を向ける。

 そこには相変わらず、冗談とはかけ離れた顔で会話する狂三と二亜がいた。誤魔化されこそしたが、二人にしてはかなりわかりやすい。それだけ、何かある(・・・・)ということになるのだろうか。

 が、士道が二人の会話の全貌を知るより前に、目的地に辿り着くのが先だったようだ。

 

「さ、入って」

 

「……失礼します」

 

 扉の横に付いていたインターホンのような装置のボタンを押し、来訪を報せた琴里が扉を開け、僅かな緊張を保ちながら士道たちは部屋に入っていった。

 先程までの機械的な建物の風景とは違い、そこは一つの書斎のような印象を抱かせる一室。その最奥、執務机の奥に、二人の人物がいた。

 一人は、車椅子に座った初老の男。縁の細い眼鏡に、長い髪を一つに結わえた温厚そうな男。その脇には、眼鏡をかけたまさに出来る女、という雰囲気のスーツ姿をした女性が控えている。

 

「え……?」

 

「む?」

 

 二人の姿に疑問を持ったわけではない。が、士道と十香は眉根を寄せて二人の姿をよく観察する。

 見間違いなどでは、ない。士道たちは一度、彼らに会ったことがある(・・・・・・・・・・・)

 

「ぼ、ボールドウィンさん……?」

 

 事は、数ヶ月前。ちょうど、七罪と出会う直前のこと。街に買い出しへ出かけていた士道と十香は、今目の前にいる組織のトップ(・・・・・・)と思われる男と、偶然(・・)にも出会っていたのだ。

 確かあの時は、病院の場所を知りたいと士道たちに道案内を頼み、士道もそれを快く受け入れたのだが――――彼が見せる年齢に似合わぬ悪戯者の少年のような表情から察するに、どうやら出会いは偶然などではなかったようだ。

 

「やあ、久しいね。そちらのお嬢さんも、元気そうでなによりだ――――改めて自己紹介をさせてもらおう。エリオット・ボールドウィン・ウッドマンだ」

 

 街で会った人が、まさか自分たちが世話になっている組織のトップだった。思わず、士道と十香は目を丸くして顔を見合せた。

 

「……!! ウッドマン卿、二人と会ったことが?」

 

「前に天宮市に行ったとき、少しね」

 

「お戯れを……!! 何かあったらどうするつもりですか!!」

 

「はは、悪かったね。以後気をつけるよ」

 

 言葉ほど悪びれた様子がないところを見るに、想像していたようなお堅い人という印象は見られない。むしろ、以前出会った時に見せていたプレイボーイな一面も合わせ、とても気さくな人という印象を抱かせる。

 ……まあ、額に手を当ててため息を吐く琴里を見るに、部下からすれば少し困りものなお茶目な性格をしているのだろうけど。

 と、ウッドマンがそれまでの表情から変わり、真剣な顔で士道の方へ向き直った。

 

「さて、今日は突然すまなかったね。本来ならこちらから出向かねばならなかったのだが……」

 

「いえ、そんな」

 

「――――まずは、感謝を。精霊たちを救ってくれて、本当にありがとう」

 

「え、あ、いや」

 

 改めて、礼を言われると戸惑いが先行してしまう。士道は士道のしたいことをしたに過ぎないし、そのことに関してこんな誠実に礼を尽くされては、何とも照れくさくなってしまう。

 

「お礼を言いたいのはこっちも同じですよ。〈ラタトスク〉がなかったら、俺は精霊って存在がいることすら知らなかったかもしれないんです。何も知らないまま……みんながDEMやASTに攻撃され続けてたかもしれないなんて、考えただけでも、辛くて仕方ない」

 

 〈ラタトスク〉がいなければ――――狂三の心を知ることすらなかったかもしれないのだ。それだけは、嫌だ。そして、もう一つ。

 

「それに、五年前、〈ファントム〉の手で精霊にされた琴里を助けてくれたことも、感謝してます。ありがとうございます」

 

 それは、士道では出来なかったことだから。ずっと言いたかった謝礼を頭を下げることで表し、ウッドマンはそれを素直に受け取るように頷いてから、士道の目をジッと見つめてきた。

 

「――――では、次は謝罪を。こんなことに巻き込んでしまって、本当にすまない。そして、先の〈ダインスレイフ〉の件についても、謝らせてくれ。今後ああいったことは絶対に起こらないよう、厳命を下した」

 

「……気にしてない、って言ったら嘘になります。けど、暴走の危険がある以上、それに備えることは必要です――――それに、事前に説明されてても、多分俺は、精霊たちを助けたいって馬鹿正直に言ってたと思うから……」

 

「シドー……」

 

 それはきっと、間違いなんかじゃない。少なくとも、士道の中では正しい感情だ。

 十香が歓喜の中に、士道の危うさを感じ取っている声を発した。それを安心させるように、彼女の頭をぐりぐりと撫でた。

 この優しい精霊たちを救うことができたのなら、士道のがむしゃらに走ってきた道も間違えではないと胸を張れる。

 だから、こそ。気づけば士道は、その問いを口にしていた。

 

「……あの、一ついいですか」

 

「なんだね?」

 

「〈ラタトスク〉には、凄く感謝してます。……でも、どうして〈ラタトスク〉は、精霊を助けようとするんですか?」

 

「……ふむ」

 

 士道の問いに、ウッドマンは僅かに首を傾げて声を返す。

 

 

「何か……迷うようなことがあったのかな?」

 

「……迷い、ってほどじゃないです。でも、自分たちを助けてくれる組織が、何を考えているのか、今だからこそ知っておきたいと思いました――――何も知らないで、大事な時に後悔はしたくないんです」

 

 

 士道の言葉に、部屋の反対で二亜と共にいた狂三の眉の端が僅かに動いた、気がした。

 すると士道とウッドマンの会話を見ていた折紙が、同調するように言葉を続ける。

 

「それは、私も気になっていた。〈ラタトスク〉が精霊を救う。それはいい。その点については私も感謝している。でも、その先に、何があるの。莫大な予算を使ってまで精霊を集める理由は、何」

 

「それを気にするのは当然だ。確かに〈ラタトスク〉という組織は、君たち精霊にとって『都合が良すぎる』。不審に思うのも無理のないことだ」

 

 しかし、そう自ら納得しながら、ウッドマンは苦笑をもらした。

 

「だが……困ったな。君たちがすんなり納得してくれるような理由を、私は用意できないかもしれない」

 

「……、どういうこと?」

 

「『精霊を救うこと』。……それが、私の最大の目的なんだ」

 

「…………」

 

 具体性のない答えに、折紙が訝しむように眉根を寄せた。

 そこで、折紙が言葉を紡ぐよりも早く、ことの成り行きを見守っていた二亜が声を上げた。

 

「さっすがに……聖人君子過ぎるんじゃない? 水清ければなんとやら。そこまでいくとちょっと胡散臭いよ」

 

「二亜……?」

 

 いつもの気のいいお姉さんではなく、鋭い刃物を突きつけるような声色。それを突きつけたまま、二亜は続けて声を発した。

 

「ウッドマン。エリオット・ボールドウィン・ウッドマン。それがあんたの名前。……間違いないよね?」

 

「ああ。間違いない」

 

「――――そ。じゃ、あたしからはここまで。あとはよろしくね、くるみん」

 

 言って、仕草だけは軽い調子で手を振って士道たちの元へ合流する二亜。彼女が離れたことで、ウッドマンともう一人――――時崎狂三が、視線を交わらせた。

 

「君が、時崎狂三か」

 

「ええ、ええ。まずは、わたくしも感謝を述べるべきなのでしょうね。あなたがいなければ、わたくしはこうも自由に動くことはできなかった」

 

「え?」

 

 狂三はまだ、〈ラタトスク〉の庇護下に入っていない精霊だ。それなのに、狂三とウッドマンにどういう関係があるのか。

 士道が意外そうな声を上げると、ゆっくりと足を運ぶ狂三がその理由を続けた。

 

「あら、お気づきになられませんでしたの。無害な士道さんお一人を恐れるような愚か者を抱える組織が、封印のなされていない精霊を〈ラタトスク〉の施設に自由に出入りさせるなど、ありえない選択だとは思いませんこと?」

 

「あ……」

 

「きひひ。まあ、わたくしが何か粗相をしてしまった時は、もちろん琴里さんの首一つでは済まなかったのでしょうが……わたくし、淑女の嗜みは心得ていますので」

 

「……ふん。借りてきた猫みたいにしてた理由はそれ? 可愛げがないわね」

 

 腕を組んで憎まれ口を叩く琴里に、狂三はフッと微笑んで肩を竦めた。

 指摘されてみれば、その通りだ。七罪の一件からわかる通り、力を持った精霊に自由にされては、莫大な資産と技術力を持つ〈ラタトスク〉といえどひとたまりもない。

 だと言うのに、〈アンノウン〉の件を含めて狂三は施設内で比較的自由な行動を許されていた。その理由は、一重にウッドマンが琴里を信頼して裁量を与えていたことが要因なのだろう。

 結果として、それらは士道たちに良い動向をもたらした……が、狂三の表情はとても感謝しているだけとは思えない。そう……まるで何かを抑え込むような微笑みに、士道は嫌な予感から眉をひそめた。

 琴里の隣についた二亜が、声を発したのはその時だった。

 

 

「ああ、少年。言い忘れてたけど――――くるみんの手綱、ちゃんと握っといてね?」

 

「な――――――ッ!!」

 

 

 その声から、駆け出すまで、一秒と必要としない。

 全力で狂三へ駆け寄り、半ば直感で手を伸ばす。ひたすら、愚直なまでに狂三のことを見てきたからこそ、彼女の癖は読めているつもりだ。

 伸ばした先で、イメージ通り狂三の指と接触させる――――ただ、いつものような高鳴りがないのは、挟み込んだ士道の指の裏側に、引き金(・・・)の感触がじわりと侵食しているからに違いない。

 ドっと汗が流れるのを実感しながら、士道は強がって笑い、冷たい微笑みを見せる狂三と接的する。

 

「……お転婆がすぎるぜ、お嬢様」

 

「ああ、ああ。士道さんなら、必ず止めてくださると信じていましたわ」

 

「悪いが左手は、なしだ――――二つは、止めれそうにない」

 

 言って、下げられた狂三の左手を自身の右手と絡ませる。

 二つ目はこれで封じた。しかし依然として――――ウッドマンに向けられた右手の銃口は、下げられていない。

 喪服すら連想させる黒の衣装は、一瞬にしてドレス(霊装)へと変貌していた。世界で一番、彼女に似合うと思える黒と、この場においては鮮血(・・)を思わせる紅。

 誰もが呆気に取られる中、狂三は明確な殺意を込めた瞳で、ジッと彼女を見据えるウッドマンを睨みつけた。

 

「エリオット・ボールドウィン・ウッドマン。知っていますわ、識っていますわ。〈ラタトスク〉の創設者にして――――――DEMインダストリーの生みの親」

 

「な……!?」

 

 狂三の言葉に思わず息を詰まらせ、指が引き金に微かに触れ、嫌な音を立てた。士道たちだけではなく、二亜を除く精霊たちも皆一様に息を詰まらせる。

 DEMインダストリー。それは、〈ラタトスク〉の対極に位置する組織の名。さらに狂三は、それを超える言葉を、酷く感情の篭った声で吐き出した。

 

 

「そして、アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット。エレン・ミラ・メイザース。DEMを創り上げたこの二人と共に――――――三十年前、因果の始まり、原初の精霊(・・・・・)を生み出した大罪人。その口から、是非お聞かせ願いたいと思い――――――わたくしは、あなたに銃を向けますわ」

 

 

 氷帝を思わせる零度は、されど憎しみの炎の如く。

 激情と、憎悪と、何もかもを乗せた時崎狂三の眼は、冷たすぎる微笑みと共にウッドマンを射抜いた。

 

 

 






因果の始まりを引き起こした罪人と相対した復讐鬼は、何を選ぶのか。

まあ、原作にないタイミングで狂三がいたら……次に会ったら殺してしまいそう、と原作でもらしていたのは当然のこと。
もしかして完全に狂三から問題起こしたのは狂三フェイカー以来なのでは。ここまで解決側に回っていましたし、主な問題の士道部分がデートによって進退繰り返していたのでそらそうなるわ。だからこそ、今回ばかりは狂三がスルーできることではないんですよねぇ。

さあ、無慈悲にして無意味な復讐を、それでも止められない衝動を、士道はどう受け止めるのか。今の彼らしいといえば、彼らしいものが見られるかもしれませんね。
感想、評価、お気に入りなどなどお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百三十六話『撃たれる者の覚悟』

 

 

「――――三十年前、因果の始まり、原初の精霊(・・・・・)を生み出した大罪人。その口から、是非お聞かせ願いたいと思い――――――わたくしは、あなたに銃を向けますわ」

 

 それは、この場のあらゆる空気を凍りつかせるには、十分すぎるほどの威力が篭った告発だった。

 エリオット・ボールドウィン・ウッドマン。〈ラタトスク〉の創始者――――彼は今、自らが保護を試みようとする精霊に銃口を突きつけられている。

 それを見てなお、温厚ながら重厚な顔つきを保っていられるのは、一組織の長としての威厳か。或いは、咎人として覚悟を決めているからか。

 

「っ!! 狂三、やめなさ――――」

 

「妹ちゃん、ちょいとストップ」

 

「二亜!?」

 

 急すぎる事態に呆気に取られていた皆の中で、真っ先に動き出そうとしたのは琴里……が、狂三とウッドマンの間に入ろうとした途端、琴里の隣に移動していた二亜が腕を掴んでその動きを止めてしまった。

 琴里が動くことを読み、そもそも狂三の行動を知っていなければできない二亜の行動に、士道は眉をしかめた。

 

「……二亜もグルか?」

 

「嫌だなぁ、人聞きの悪いこと言わないでくれよ少年くん。あたしは、この場ではくるみんの味方をしたいってだけさね――――あたしにも、思うところはあるしね」

 

「っ、離しなさい二亜!!」

 

「――――いいんだ、五河司令」

 

 暴れようとする琴里を制止したのは、他ならないウッドマン当人だった。

 

「ウッドマン卿……!!」

 

「いいんだよ。これは、私が向き合わねばならない咎だ。カレンも、下がっていてくれ」

 

「エリオット……」

 

 冷静な立ち居振る舞いに、しかし不安な表情を隠すカレンと呼ばれた秘書官のような女性は、手で制したウッドマンを見つめたのち、コクリと頷いて引き下がる。

 そうして、ウッドマンは細く息を吐き、再び狂三と見合う。同時に、彼の命を握る銃口を止める士道とも。誰もが動けない。それほどのプレッシャーが、銃を突きつけた狂三から放たれている。

 

「……今一度、あなたの口から確かめさせてくださいまし。あなたはあの二人とDEMインダストリー社を創り上げ、この世界に初めて精霊を現出させた。相違ありませんわね?」

 

 重苦しい空気の中、狂三が唇を動かした。それはまるで、知り得る罪状を読み上げているかのようだった。

 そして、それを聞いたウッドマンは、一部の迷いもなくその罪状を肯定した。

 

「間違いない。私はかつてアイク――――ウェストコットやエレンと共に、この世界に原初の精霊を出現させた」

 

「はっ……実に、潔が良いこと」

 

「っ……!!」

 

 狂三が指にかける力が、より一層強くなったのがわかる。冗談を抜きに、士道がいなければ狂三は今すぐにでもこの引き金を引き、ウッドマンの命を容易く散らすことだろう。

 それほどの力、それほどの殺意――――狂三自身にさえどうしようもないのであろう感情の波が、銃の震えと共に士道の心に伝わってくる。

 

 

「〝今〟のあなたを撃ったところで、何も解決はしない。〝今〟のあなたを討つことで、新たな憎しみが生まれる。数々の憎しみを生み出してきたわたくしが、このようなことをするなどお門違いも甚だしい――――この心に、意味などありませんわ」

 

「狂三……」

 

「こんなものに意味はない。わたくしにこんな資格はない。わかっていますわ。意味のない銃弾を放ったところで、わたくしの空虚な心が満たされるだけ。わかって、いますのに……っ!!」

 

 

 わかっていても、この銃を動かせない。

 震える銃口が、常に標的を撃ち抜いてきた狂三ならありえないほどの震えが、彼女の顔に浮かんだ迷いと殺意そのものだ。

 理由など、わかるはずもない。だが、止めてやりたい(・・・・・・・)。今、悲しみを産むとわかっていながら、銃口を突きつける精霊を止められるのは、士道しかいないのだ。

 

「ウッドマンさん、聞かせてください」

 

「…………」

 

 銃を突きつけて、狂三はこうも言った。是非お聞かせ願いたい(・・・・・・・・・・)、と。 狂三は迷いの中、知りたいのだ。ウッドマンが原初の精霊の出現に関わった理由。そして、〈ラタトスク〉を発足し精霊を救おうとする、その矛盾の答えを。士道もまた、それを知りたいとウッドマンを真っ直ぐに見つめた。

 

 

「俺は、この子に……狂三に撃たせたくない。これ以上、優しい狂三に傷ついて欲しくないんです――――――だから、聞かせてください。あなたが、精霊を救おうとする理由を」

 

 

 時崎狂三の銃弾は人を傷つける凶器であり、己の心を擦り減らす狂気でもある。

 きっと彼女は、この意味のない引き金を引くことを後悔してしまう。後悔すると、わかっている。わかっていて、それでも衝動が止められない。己の心に嘘はつけない。

 

「狂三」

 

「折紙さん……」

 

 その気持ちが痛いほどわかるのは士道ではなく、同じ激情を持っていた者(・・・・・・・・・・・)

 

「あなたに何があったのかは、わからない。私には、復讐(・・)を止める資格はない。けど、言わせてもらう――――その引き金で不幸になるのは、あなただけじゃない」

 

「……っ」

 

 引き金に近づいていた指が、僅かに離れた。折紙の想いの重さを、狂三が受け止めたかのように。

 少女たちの優しさを目の当たりにしたウッドマンが、その性根を表すような微笑みを見せ、そうして真剣な顔つきで声を発した。

 

「私たちのしたことで、君という人を大きく変えてしまう出来事があったのは、想像に難しくない。だから私は、甘んじてその銃口を受け入れよう」

 

「ウッドマン卿!!」

 

「……と、言いたいところだが、私たちの周りはそれに納得はしてくれないようだ。君たちに納得してもらえるかはわからないが……全て、話そう」

 

 本当に、覚悟は決まっているのだろう。殺意の銃口を向けられているというのに、威厳さえ感じさせる面持ちでしっかりと言葉を紡いでいく。

 

「これは……五河士道、鳶一折紙、君たち二人の質問に答えることにもなる。時崎狂三の言う通り、私はDEMの発足メンバーだ。最初は、ウェストコットたちと同様に、精霊の力を利用することを考えていた」

 

「…………」

 

 事実は事実として、言い訳はしないということか。

 精霊を救うために奔走してきた組織の長が、そういう考えを持っていたことがあると聞いて、動揺がないかと言われれば嘘になる。

 けれど、最初は(・・・)と、ウッドマン自身が告げたからには、変わるだけの何かがあったのだ。

 

「だが――――実際、原初の精霊を目の当たりにした時、私は……変わってしまった。それまでの目的を捨て、DEMを出奔し、〈ラタトスク〉という組織を作って、精霊の保護に自分の人生を使うことを決意した。――――――かつての同志に背を向けてでもね」

 

「……一体、何があったっていうんですか?」

 

 それまでの仲間を裏切ってまで、強大な力を持つDEMに抗ってまで、ウッドマンという男の全てを変えたものは何か。

 そうして、士道の問いかけを聞いたウッドマンは――――それまでの真剣な顔を緩め、答えた。

 

 

「――――恋をね、してしまったんだ」

 

「…………え?」

 

 

 あまりに予想だにしない――――それでいて、聞き覚えのある(・・・・・・・)理由に、士道は目を見開いた。

 

「恋、ですか……?」

 

「ああ。初めて原初の精霊と見えた瞬間、私は彼女に心を奪われてしまった。どうしようもないくらいに、彼女に焦がれてしまった――――彼女の力を奪い取ろうとしていた自分が、許せなくなってしまった」

 

 熱を帯びた声は、そうなのだと(・・・・・・)、信じられてしまうほど、まるで恋をした少年のような語りでウッドマンは続ける。

 

「だから、彼女と同じ存在である精霊が、辛い思いをしているのが耐えられない。私が精霊を救おうとしている理由は、それが全てだ。だからこそ、私自身の存在が精霊を苦しめているというなら……咎を受け止める責務がある」

 

「――――はは」

 

 それを聞いた士道は、無意識のうちに。

 

「あはははははははははっ!!」

 

 笑っていた。誰もが呆気に取られる中、それに構わず士道は笑う。笑うしかなかった――――嬉しさから、笑うしかないのだ。

 それを見たウッドマンが、苦笑しながら頬をかいて声を発する。

 

「やはり、馬鹿げた理由だったかな?」

 

「はは……ああ、違うんです。ウッドマンさんの理由を笑ったんじゃなくて、そっくりそのまま(・・・・・・・・)なことに、ちょっとビックリしちゃって」

 

「ほぉ……」

 

 嗚呼、嗚呼。こんな馬鹿な人間、世界に一人いればいい方だと思っていたのだが……思わぬ共通者を見つけて、思わず士道の心は滾りを見せた。

 

「俺も、同じなんです。精霊を救いたい、その気持ちに嘘はないって言えます――――――けど、狂三を救いたいと思ったのは、狂三に恋をしたからなんです」

 

「士道さん……」

 

 未だ溶けぬ殺意と迷いを、士道は絡めた右手を解き、穏やかに銃口ごと包み込むように手を添える。

 

「馬鹿げてなんてない。俺も、ウッドマンさんも、自分の信じた道を選んだ。だから俺はウッドマンさんを信じられます――――――そして」

 

 あとは、狂三にこの銃を撃たせないこと。

 

「狂三。俺は、お前に何があったのかを知らない。お前が銃を向ける理由を、わかってるなんて気軽に言えない。だからさ、俺も俺がしたいことをするよ」

 

「何を……」

 

 理を外れた両の眼に動揺を映した狂三を見つめ、士道は一息に己の想いを解き放った。

 

 

「――――お前が、俺以外を殺すことが許せない」

 

 

 驚いて目を見開く狂三を見て、しかし士道は止まらない。

 

 

「狂三のしたいことが間違ってるかなんて、俺にはわからない。けど、お前は俺を殺すんだろう? 俺の命が欲しいんだろう? 狂三だけが、俺を殺せるんだろう? なら、他の男なんか見るな。俺だけを見ろ――――狂三の銃が、他の男の心臓を撃つなんて、許せない」

 

 

 士道は、殺されるなら狂三にと約束した――――――ならば、狂三がその銃で他の誰かを士道の前に殺すことなど、耐えられない。

 どんなに正当性がある理由でも、撃たせない。撃たせたくない。だって、それは――――――士道が持つべき権利(狂三)だ。他人には、渡さない。

 

「頼むよ、狂三。君が俺以外を殺すところを、見せないでくれ」

 

「…………あなた様は、狡い方ですわ。身勝手に身勝手を返して、わたくしから理由を奪おうだなんて」

 

「うん。でも、謝らない」

 

 俺は狂三が傷つくのを、見たくないから。

 その願いと、エゴで。士道は両手をゆっくりと下げ始める。即ち、銃を握りしめた狂三の腕も同様で……ウッドマンに向けられていた銃口は、無機質な地面へと収束した。

 だが、それで終わりではない。狂三の瞳は、未だに憎しみの篭ったままだ。それでも、先程までとは違うと思える真剣な面持ちで、狂三は鉛の玉ではなく言葉を放った。

 

「あなたを許したわけではありませんわ。わたくしがわたくしでいる限り、決して許すつもりもありませんわ――――――わたくしが士道さんを愛したことに、せいぜい感謝してくださいまし」

 

「ああ。彼のような優しい少年が、精霊を封じる力を持ち、精霊を愛してくれたことを嬉しく思う。彼の信頼を裏切らないことを、誓おう」

 

「ふん……その身朽ちる時まで、あなたが信念を貫くことが出来るか、見物ですわね」

 

 言って、狂三の霊装が解けて影へと収束していき、手に持った短銃が彼女の所有する領域へ還っていく。

 左右非対称に結われた髪が均等に戻り、狂三にしては珍しく、だが必要な事だったのだろう。気持ちを切り替えるように小さく深呼吸して、精霊たちの方へ向き直り――――深々と頭を下げた。

 

「皆様。お騒がせして申し訳ありませんでした」

 

「狂三さん、あの……」

 

「蟠りがない。そう言い切ってしまうのは、嘘になってしまいますが――――この方がいる限り、もうこのような姿はお見せいたしませんわ」

 

 顔を上げて見せた微笑みと、絡められた指は、さっきまでのものとは意味合いが違う。みんなを安心させるように強く頷いて、士道は声を発する。

 

「ああ、俺がさせない。皆も、ありがとな。狂三が心配だったのに、俺に任せてくれて助かった」

 

「うむ。さすがは我らが八舞の共有財産。よくやったぞ士道」

 

「やーん。だーりんってば、かっこよかったですー!!」

 

「……ちょっと、怖かったけどね」

 

「あ、はは……」

 

 主に乾いた笑いをしてしまった原因は七罪が四糸乃の服の袖を掴んで隠れているからなのだが、そうしたのは狂三ではなく士道なのだと自覚はあった。

 狂人は狂人の自覚があれば常人に紛れられるとは聞くが、今の士道はまさにその通りだろう。撤回する気は更々ないが、頭がおかしい自覚は十二分にある。ああでも言わなければ、狂三が止まらなそうという理由も大きかったのだが。

 

「いやぁ少年、お見事お見事。さすがはあたしが見込んだ男――――あ、やめてください痛いです妹ちゃん」

 

 と。空気が読めないのか、わざと読まないのか、お気楽な顔で拍手を送る二亜と、彼女の足の小指を念入りに踏みつける琴里。

 琴里の力加減の基準が神無月なのもあるのだろうが、酷い脂汗を浮かべる二亜を見て、さすがの士道も助け舟を……出そうとは思わず、半目で彼女を見やる。

 

「二亜、お前な……」

 

「いやー、あたしは〈囁告篇帙(ラジエル)〉でいろいろ知る機会があったからねぇ。心情的にくるみんの味方したくなったのよ」

 

「だからって、他にやり方あっただろうが……!!」

 

「多少くるみんが無茶しても少年なら止めてくれるかなって」

 

 実際、止めてくれたっしょ? と自信満々な笑いを引き出されると、士道もぐぬ、と言葉に詰まる。

 すると、二亜が一転して反省したように眉根を下げて声を発する。

 

「黙ってたのはごめん。たまに感動してうるっときたし、騙して悪いなぁとも――――あだだだだだだだだっ!?」

 

 訂正。全く反省の様子が見られなかった。

 

「ちょっとは反省しなさい!!」

 

「妹ちゃん、顔面はマズい!! 顔面はアウトだから!!」

 

 司令官のアイアンクロー炸裂。一体、中学生の琴里のどこにそんな力があるのかとか、保護した精霊に対してその折檻はどうなのかとも思うが、不思議と助けようとは思わないのは人徳の為せる技だろうか。

 

「ちょ、少年ヘルプ!! このままだと二亜ちゃんの可愛い顔面がブラックホールフィニッシュしちゃう!!」

 

「チャオ」

 

「酷くない!? くるみんに比べてあたしの扱い酷くない!?」

 

 残念ながら当然の結果ではなかろうか。悲鳴を上げる二亜に手を振って別れを告げ、士道は再びウッドマンの方へ向き直った。

 

「すみません、騒がしくしちゃって……」

 

「いや、構わないよ。こうして元気な姿を見るのが、老人の些細な幸せというものだろう」

 

 それなら、出来ればもう少しマシな騒ぎを見て欲しかった気持ちがある。

 曖昧に苦笑を浮かべていると、おっとそうだと、何かを思い出したようにウッドマンが後方に控えていたカレンと呼ばれた女性を手で示した。

 

「紹介が遅れてしまったね。ここにいるカレンも、私と一緒にDEMを出奔した元社員だ」

 

「カレン・ノーラ・メイザースです。以後お見知りおきを」

 

「ああ、どうも――――ん?」

 

 小さく頭を下げたカレンが名乗った名前に、士道はふと首を傾げた。

 非常に聞き覚えがある、というか、さっき聞いた名前(・・・・・・・・)が、含まれているような気がしたのだ。

 

「メイ、ザース……?」

 

「はい。エレン・メイザースは私の実姉に当たります」

 

『ええぇぇぇぇッ!?』

 

 これで声を上げず、皆の叫びの方に顔を顰めたのは狂三くらいなものだった。まあ、未だ士道と手を繋いだままなので、耳を塞ぐことが出来なかったのは士道のせいと言えるのだが。

 すまん狂三と謝ってから、士道はカレンの容貌を改めて確認する。

 確かに、金色の髪はエレンそっくりだし、眼鏡を外して髪を伸ばせば、あのエレンと瓜二つに見えるかもしれない。が、エレンが二十歳より前に見える年齢に比べて、妹のカレンはどう見ても二十半ばに感じられたのが気になる。

 しかし、それよりも今確かめたかったのは、エレンの妹であるカレンが、ウッドマンと共にいる理由だ。

 

「エレンの妹であるあなたが、どうしてウッドマンさんと……?」

 

「私はエリオットに惚れていますので」

 

「……ぶっ!?」

 

 士道が持つなけなしの冷静さはとうに崩れ去り、情けない咳き込みを披露してしまう。

 大丈夫ですの? と狂三に背中をさすられながら、士道はどもり気味に声を発した。

 

「そ、そうなんですか……? でも、ウッドマンさんは原初の精霊に……」

 

「相手に想いの人がいるからといって諦めねばならない道理はありません。もしも彼が心変わりをしたその時、側にいなければ選ばれようがないではありませんか」

 

「そ、それは……そうかもしれませんけど……」

 

 ……なんだろうか。この恋に対しての我の強さ。どこか見覚えがある気がしてならない。

 

「もっとも、欲を言えば、生殖行為が可能なうちに胤をいただきたいところですが。エリオットの気持ちは最大限尊重するつもりですが、彼の血を後世に残さないのは世界の損失です」

 

「…………は、はあ」

 

 これは、その……こう言っては何だが、下手したら世界最強を名乗る不遜な姉より濃いのではないかと思える言動に、士道は目を白黒させ、当のウッドマンは困った顔をしていた。

 

「はは……これは参ったな」

 

「あなたが参る必要はありません、エリオット。私が勝手にしていることです」

 

 ――――ああ、やっとわかった。この既視感の理由が。

 たった今、カレンに歩み寄る〝彼女〟のやり方と、どこかそっくりなのだ。

 

「――――深く理解した。あなたの気高い決意に、賞賛と喝采を」

 

「こちらこそ、感謝を。私の考えに賛同を示してくれたのはあなたが三人目です」

 

 熱い友情の握手、とでも言えるのだろうか。士道では到底及びもつかない領域で分かり合う二人を見て、士道は考えることをやめた。

 

「……士道さん。わたくし、あれは理解できかねますわ」

 

「しないでくれ。頼むから……」

 

 狂三の全部を受け入れる度量はあるつもりだが、狂三が折紙みたいになったらいろいろと骨が折れるなんてものじゃない。

 遠い目をする狂三に、士道は頭を抱えて深々とため息を吐く。と、そんな士道をウッドマンがかけていた眼鏡の位置を直しながら、軽く机に身を乗り出した。

 

「すまないが、五河士道――――顔を、よく見せてはくれないかな。最近、視力の衰えが激しくてね」

 

「え? あ、はい……」

 

 特に断る理由もなく、士道は言われた通りにウッドマンの方に近づいていく。

 

「……なるほど、やはり、似ているな。――――――あの時の少年に」

 

「え?」

 

 まじまじと士道の顔を覗き込み、独白のように放たれたウッドマンの言葉に、士道は首を捻り、後ろで狂三が息を呑んだ(・・・・・)ような雰囲気が伝わってくる。

 

「あの時のって、一体――――――」

 

 その答えが返ってくるより、早く。

 

 

「――――ご歓談中、失礼いたしますわ」

 

 

 広い部屋の片隅から、狂三の声が聞こえた(・・・・・・・・・)

 

「な……っ」

 

 誰も気がつけなかったその気配に、息を呑む。

 

 急いで振り向いた先、部屋の片隅に――――――妙に様になるメイド服(・・・・)を纏った『狂三』が、不敵な微笑みと礼を見せつけていた。

 

 






誰も彼もがずるいのですよ。

間違っているかなど二の次。士道にとっては狂三が自分以外の男をその銃で穿つことを許容できない。復讐が間違っているかではなく、士道の願望だけで狂三に対しては行動してしまうんですよね。なんというか……業が深いな、これ。
まあ狂三の中の理性が絶対に意味がないと叫んでいるのにこういう非合理な行動をする時点で、折紙と同じく理屈じゃ止まらない。だから止めるなら愛ですよ、愛。狂ってる方の愛ですが。

二亜なら多少のネタ台詞も許されると思ってるなお前な。楽しい(楽しい)
そんなわけでまだ続くよ〈ラタトスク〉秘密基地編。さあ、そろそろあの子の戦争(デート)も進めましょうか。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百三十七話『ゲームスタート』

 

 

 その影に気配はなく、その影に圧はない。あるのはただ、彼女がここにいるという、目視した事実のみ。

 左右非対称に結われた黒髪。白のフリルが付いた黒のロングスカート。見た目麗しい彼女を着飾る、純白のカチューシャ。隠されたスカートの下とは対照的に、大きく開かれた胸元が男を狂わせる魔性の魅力を引き出している。

 

「――――『狂三』!?」

 

 そう。士道が名を叫んだ通り、それは『時崎狂三』に違いない。士道が初めて見る分身体――――いいや、違う。

 この奇妙な雰囲気は、僅かではあるが知っている。恐らくではあるが、二亜の反転事件の折、一人目の白い少女(・・・・・・・・)を演じた分身体と、同じだ。

 どうして、彼女がここに現れたのか。それを誰かが問うより速く、銃声が部屋に響き渡った(・・・・・・・・・・・)

 

「きゃ……っ」

 

「ちょっと狂三……!?」

 

 突然の銃声に身体を竦める四糸乃を庇いながら、狂三を咎めるように呼ぶ七罪。しかし、普段の狂三からは信じられないほど冷淡な表情で、結われた髪と顔の間を正確に狙撃した狂三は、底冷えするような声を発した。

 

「何のつもりですの、『わたくし』」

 

「っ、落ち着け狂三」

 

「士道さんは下がっていてくださいまし。これは、わたくしの問題ですわ」

 

 士道が静止に対して、取り付く島もない。このままだと今度は本気で『狂三』を撃ちかねない勢いで、狂三は彼女をギロリと睨みつけていた。

 状況を完璧に把握できたわけではないが、この『狂三』は狂三の意図しない行動を取っていると見て間違いない。そして狂三は、自身の手足と呼ぶ分身体たちの度が過ぎた専行を許さないというスタンスを持っている。

 だからといって、放っておくわけにいくかと士道は焦り顔を隠して、冷静な表情を作りながら短銃を握る狂三の手を取った。

 

「だから落ち着けって!! どうしたんだよ急に……」

 

「……わたくしはこの場所を、この『わたくし』に共有した覚えはありませんわ」

 

「え……?」

 

「わたくしの領域で、他の『わたくし』の介入を許したつもりもございません。わたくしの〝影〟と切り離された〝影〟から出現したというのに、知るはずのない場所を知っている……あら、あら、冗談のような話があったものですわねぇ」

 

 狂三の証言に士道や精霊たちは訝しげな表情になる。

 ここは〈ラタトスク〉の中枢施設。おいそれと明かすことができる場所ではない……琴里はそう言っていた。だからメイド服の『狂三』がここを知るには、オリジナルの狂三、もしくは影の中の『狂三』がこの場所を教える必要があるはずだ。が、唯一その権限がある狂三がこうも怒り心頭の様子を見せる限り、場所を共有したとはとても思えない。

 

「それに、この『わたくし』にはある程度の権限を与えてはいますが、これは明らかな越権行為。曲がりなりにも琴里さんの信用を得たわたくしが、これを許すわけにはいきませんわ」

 

「…………ぐ」

 

 ……なんか少し琴里が何か言いたげだったが、まさか自分が話の腰を折るわけにはいかないと思ったのか、複雑そうな表情で微かな呻き声を上げて堪えていた。

 そんな狂三の圧が籠った声色に焦ることなく、『狂三』はくすくすと微笑をこぼした。

 

「あら、あら。『わたくしたち』より、琴里さんを信頼するだなんて。『わたくし』は随分と、大人(・・)になられましたわねぇ」

 

「――――余程、死に急ぎたいようですわね」

 

「ひっ……」

 

 怒りの感情を表していた狂三の顔から、スっと表情が消える。

 士道でさえ冷や汗をかくほど、怒りを通り越した冷徹な顔なのだ。誰かが短く悲鳴を上げたのも無理はない。

 いよいよ、血が見えそうな予感が頭をよぎる。咄嗟に、士道は手を広げて狂三と『狂三』の間に立ち塞がった。

 

「っ……士道さん」

 

「待てって。とにかく、『狂三』から話を聞こう……な?」

 

 冷静な狂三らしくない行動を諌めるように笑いかけると、頭に血が上った狂三を少しは落ち着かせることができたのだろう。僅かに眉根を下げて、銃を握る力を弱めた素振りを見せる。

 先ほどまでの事といい、狂三の気が立っているタイミングで現れたのは、振り向いた士道を見て悠然と微笑んでいる『狂三』を見れば、わざと(・・・)なのは士道ですら見抜くことができた。

 

「『狂三』。お前、狂三をわざと煽っただろ?」

 

「きひひひ!! これは、これは、謂れのない立派な濡れ衣ですわ。わたくし、純然たる事実を述べただけですのに」

 

「士道はそういうところを言ってるのよ。何、あなたもしかして自殺願望者の分身体なのかしら?」

 

 琴里が煽るように口を挟む。だが、辛辣な琴里の言葉を受けてなお、『狂三』はあくまで超然とした微笑みを崩さない。

 

「さて――――依頼者(・・・)に、少しばかり似てしまったのかもしれませんわねぇ」

 

「依頼者……?」

 

 誰かから頼み事を受け取り、『狂三』はこの場に現れたということか。

 わざわざ死の危険を冒してまで、狂三を煽りに来たのではないだろうとは思っていたが、その狂三の依頼ではないなら、誰だというのか。

 

「ええ、ええ。その方の依頼で、わたくしはこの場に導かれた、ということになりますわ」

 

「どういうことよ。誰だか知らないけど、この基地の場所を知る人間なんてそうそういるわけが――――」

 

 言葉の途中、中途半端な位置で琴里は息を詰まらせた。士道と同じく、思い至ったのだろう。その不可能を可能にし得る力に。

 

「〈囁告篇帙(ラジエル)〉……!!」

 

 全知の天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉。かの天使ならば、如何なる手段で巧妙に隠された場所と言えども、世界という枠にある限りは全知の知識の中。

 そして今、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の霊結晶(セフィラ)を持っているのは二亜でも、ましてや反霊結晶(クリファ)として奪おうと目論んだウェストコットでもなく――――――

 

「まさか、〈アンノウン〉か!?」

 

「え、マジ? あたしの〈囁告篇帙(ラジエル)〉ちゃんNTR(ネトラレ)? あたしの立場はどうなるの? まさかのただめし食らい? アイデンティティークライシス? NTR、くやしい……!!」

 

『…………』

 

 わざとらしく肩を抱いてビクビクと身体をくねらせる二亜に、一同場の空気が別の意味で凍りついた。

 なんだか、さっきまで見せていたシリアスな二亜は、全くの別人格なのではないかと思えてくる。というか、よりにもよって自身の天使の話題でふざけるのかと、士道は顔の筋肉をひくつかせた。

 〈アンノウン〉の名前が出たのもあってか、ひとまずは銃を下げた狂三が士道の隣に立ちながら、深々とため息を吐く。

 

「…………二亜さん。少し、お静かに願いますわ」

 

「うふふ。『わたくしたち』とは違って、二亜さんには甘い対応ですこと……ああ、そう銃を向けないでくださいまし。わたくしの役割が果たせませんわ」

 

 口を開けば狂三(オリジナル)を挑発することが癖になっているのだろうか。それを行い、再び銃を向けられているにも関わらず、ものともしない態度で肩を竦める『狂三』。

 直球ではないとはいえ、ここまで喧嘩腰の分身体は初めて見たなと、士道は額に汗を浮かべて分身体の動向を見守る。

 『狂三』が相変わらず意図の読めない微笑みのまま、壁に浮かべた〝影〟に手を入れ何かを取り出した。それは、〈ラタトスク〉内で使われているようなタブレット端末に見えた。

 

「? それは……」

 

「ご安心を。ただの連絡用の機材ですわ。わたくしは仲介役を頼まれたに過ぎませんので」

 

「待ちなさい。この基地で通信は――――」

 

「ああ、ああ。それもご心配なく。先ほど、〈フラクシナス〉に立ち寄り、村雨先生に通信の中継を了承済みですわ」

 

 その手際の良さは、彼女が狂三の分身体なのだと改めて認識させられる。

 とはいえ、己の信頼をある意味で利用された狂三は面白くなさそうな顔をしている――――どうにも、この分身体は他の子とは訳が違うらしく、士道は僅かな警戒を持って声を発した。

 

「仲介役、ってことは……」

 

「ええ。あの子からの緊急連絡、ということになりますわね」

 

 タンと、軽く端末の画面をタッチし、どこかしらへ連絡を繋いだのだろうか、僅かなノイズ音と共に、聞き慣れた声が端末の音声出力から送り届けられた。

 

『――――はぁい。皆々様、ごきげんよう。宇宙旅行の準備、捗ってます?』

 

「〈アンノウン〉……」

 

 道化師のような、この妙に気取った声色も耳にするのは久方ぶりだと思えた。

 白い少女、〈アンノウン〉。今、〈ラタトスク〉の地下施設で治療を受けている少女の声であることは確かなようだ。

 

「……ええ。とっても順調よ。あなたの方こそ、ちゃんと大人しくしているのかしら?」

 

『私が連絡を繋いだことが、何よりの答えじゃないですかね』

 

「ああ、そう。それで、私たちは今その準備で忙しいのだけれど、何の用かしら」

 

 頭が痛いわぁ、と言わんばかりにしかめっ面で額を抑えながらも、声だけは凛としたもので琴里は白い少女との通信に対応する。

 

『ふむ、そうですね。あまり時間もありませんし、単刀直入に――――――星宮六喰を捕らえるための攻勢、その第二波が準備されています』

 

「な……っ!?」

 

 六喰に対する第二波。それが意味するものは、当然士道たちが想像する通りのものだろう。

 DEMインダストリーの仕業。どうやったのかは知らないが、DEMは六喰の居場所を探り当て、彼女の霊結晶を得ようとしている。

 

『あちらの戦力は、説明するのも面倒な雑魚が三隻。まあ、この程度なら捨て置いて問題ないと思ったのですが、あとの一隻は――――――〈ゲーティア〉』

 

「……!!」

 

 放たれた空中艦の名に、琴里が眉根を上げてチュッパチャプスの棒をピタリと止めた。

 空中艦〈ゲーティア〉。カレンの姉、エレン・メイザースが操るDEMの高速起動艦にして――――『前の世界』で、〈フラクシナス〉が辛酸を嘗めた相手だ。

 最初の攻勢は様子見で、こちらが本命ということだろう。滲んだ汗をそれごと舐め上げるように、琴里がぺろりと唇を舐めた。

 

「……上等じゃない。新生〈フラクシナス〉のデビュー戦には、相応しい相手だわ」

 

『ああそれと、いつもの人形兵と、鳶一折紙の顔馴染みもいらっしゃるようですね』

 

「――――アルテミシア・アシュクロフト」

 

 顔に表情という表情をあまり浮かべない折紙が、珍しく緊張を孕んだ顔色でその名を発した。

 無理もない。それは、最強の魔術師(ウィザード)、エレン・メイザースに次ぐ実力を持つ魔術師(ウィザード)の名なのだから。

 士道は無意識のうちに唾を飲み込み、全身の緊張を緩和させる。最高戦力の惜しみない投入は、士道だけでなく全員に緊張感を行き渡せるのに十分すぎた情報だった。

 

「DEMも本気……ってことか」

 

「せっかく指の先に触れかけた霊結晶(セフィラ)は手に入らなかった。焦る気持ちもわかるというものですわね」

 

「…………」

 

 本当に、そうなのだろうか?

 狂三の嘲笑混じりの微笑みを見て、士道は珍しく彼女の言葉を肯定することができなかった。

 あの時のウェストコットの顔は、悔しさの欠片すら見られなかった。どうして、あいつはあの時――――――

 

「とはいえ、わたくしたちも後があるとは言えませんわ」

 

「っ……!!」

 

 続けられた狂三の言葉にハッとなり、士道は頭を振ってウェストコットのことを一旦は頭から追い払う。

 狂三の言うことは最もだ。今考えなければならないのは、攻勢に晒される六喰と、その六喰の対応なのだから。

 

「エレンたちと戦えば、六喰も最初のようにはいかない。六喰が勝とうが負けようが、六喰に危険が及ぶなら放ってはおけない」

 

「その通りよ士道。それに、六喰がDEMを追い払ったとして、待ってるのは六喰が遥か彼方に引きこもるか――――――」

 

「危機。地球そのものの滅亡、ということですね」

 

 六喰がDEMの牙に喰われるか、六喰が遠い宇宙の彼方に独りぼっちで消え行くか、或いは報復として地球を襲う未曾有の大災害か、だ。

 そんなもの、どれも御免蒙る。覚悟を決め、強く拳を握って士道は声を上げた。

 

 

「――――行こう。六喰のところへ」

 

 

 それしか、道はない。

 覚悟を決める時間など、とうに過ぎ去った。士道の声に精霊たちが頷くのと同時に、白い少女が端末から声を届けてくる。

 

『そう言うと思いました。DEM側の作戦時間を軽く見積りましたが、そちらの新たな〈フラクシナス〉が全力で整備を終えることができたなら、先に星宮六喰の元へ辿り着くことが可能でしょう』

 

「それは吉報ね。情報提供、感謝するわ」

 

『いえいえ、こちらこそ――――――長い間、お世話になりました』

 

 白い少女の言葉に、皆が目を見開いた。

 パタン。と、通信の向こう側で本が閉じられたような音が部屋の静寂に響く。少女は、それから声を続けた。

 

『慣れない療養生活でしたが、あなた方のおかげで楽しかったです。通りすがりが、少しばかり入り浸りすぎたとは思いますけど』

 

「……このまま、居着いてくれてもいいんだぜ?」

 

『ご冗談を。私が仕える主は、ただ一人の女王様だけですよ』

 

 その言葉に、士道たちは狂三を見やる。すると狂三は、あくまで冷静さを見せる表情で通信の向こうへ声を返した。

 

「それが、あなたの選択ですのね?」

 

『もちろん。躊躇いも、情も、必要ありません。我が、愛しき女王よ』

 

「――――なら、わたくしからは何も言うことはありませんわ」

 

 元の形に、戻るだけ。それはつまり、少女の身が危険に晒されるということ。

 わかっていたことだ。士道が狂三を攻略しない限り、いつかこうなると。時崎狂三は白い少女の命を使うことに躊躇いを持つことはなく、白い少女もそれを望んでいる。

 

『さすがにそちらへ向かうには、私の準備が間に合いそうにありませんでした。ですので、私に出来るのはここまでです。どうかご武運を、我が女王』

 

「――――〈アンノウン〉!!」

 

 それを最後に、本当に途切れてしまいそうだった。だから、士道は考えるより先に少女の名を、仮の名を(・・・・)、呼んでいた。

 

「っ……」

 

 何を、言える。答えの一つさえ、持たぬ身で。

 覚悟は決めている。だが、狂三と白い少女、両者の手を取れるだけの〝答え〟を、士道はまだ見つけられていないのだ。

 そういう意味では、士道の知らない明確な目的を持つ白い少女の方が強いと言えた。だから、士道には白い少女を止めるだけの言葉がない。だとしても、何かを、伝えたかった。

 しかし、士道の決死の叫びも、数秒の沈黙が伝わっただけだった。けれど、通信は切られることなく続き――――――

 

『……仕方ないなぁ』

 

 道化師ではない少女の声が、聞こえた。

 

『……治療のお礼、してませんでしたね。そこまで私の霊力を封印したいなら、治療代の代わりにチャンスをあげますよ』

 

「え……」

 

『――――私を、捕まえられる?』

 

 初めて聞く、白い少女からの挑戦的な声音に、士道だけでなく狂三も目を見開いて驚きを露にする。

 

『初めの頃の魔女っ子ちゃんじゃありませんけど、ゲームをしましょう』

 

「ゲーム?」

 

『ええ。簡単なことです。誰でもいい、私を捕まえてみてください。私が敗北を認めるくらい、完膚なきまでに。そしたら、我が女王より先に霊力を封印されても構いません――――出来るものなら、ね』

 

「……なるほどね」

 

 琴里が困り顔の変わりなのか、眉根を下げて納得の声を発した。

 それは、過去最高難易度(・・・・・・・)のゲームの開始宣言だと、士道は半笑いで頬に汗を流す。

 

 

『私は狂三やあなた方ほど優秀な精霊ではありません。けれど、最強の(つるぎ)、永久凍土、灼熱の焔、最速の風、魅了の声、万象変幻、天の光――――――どれであっても、私を捉える(・・・)ことすら出来ない。その自負があります』

 

 

 卑下にした評価とは裏腹に、自信だけが溢れ出るその言葉は、だが事実として士道たちにのしかかる。

 力だけなら少女を上回る精霊がいる。特異な異能力というだけなら、少女以上の力を発揮できる精霊もいる――――――しかしながら、士道たちは一度として、〈アンノウン〉という精霊の実体を捉えられたことがない。それだけで、あまりにも絶望的な勝負と言えた。

 何せ、少女には空間的な干渉に対する絶対の鎧と、最速の風に迫る足と翼がある。加えていえば、全知の天使まで少女の手の中。勝ち目など、あるはずもない。

 

『……ああ、オマケもつけましょうか。あなた方からすれば、こちらが本命になるかもしれませんが――――――私が知る全てを、お話しましょう』

 

「なに……!?」

 

 白い少女の知る、全て。それは士道の心臓を高鳴らせるには、十分すぎるものだといえた。

 少女はあらゆるものを知っている。精霊、霊結晶、もしかすれば、士道の封印能力や――――〈ファントム〉の行動理由までも。

 そして何より、少女自身と、少女の〝計画〟に関しても、少女は暗に語ると言い切ったのだ。無論、そのためには……。

 

『……ふふっ、私に勝てたら、の話ですけどね』

 

 少女との〝ゲーム〟に、勝たなければならない。

 道化師の仮面を外した少女の声には、絶対に負けない(・・・・・・・)という少女らしからぬ自信に満ちた余裕がある。

 目を閉じて、次の一言のために集中する。息を吐いて、目を開く。ふと、隣を見ると、呆れ顔の狂三が見えてぷっと緊張と共に余計な力が抜けていった気がした。

 琴里を、精霊たちを見回す。皆、少女の絶対の自信に思うところがあったのだろう。皆が皆らしい顔で、士道の返事を待っている。

 だから、叩きつけられた挑戦状に、士道が返す返答は一つだ。

 

 

「その勝負、乗った。待ってろよ、六喰を救って、それから――――――必ずお前を、捕まえてみせる」

 

 

 少女の言う通り、チャンスだ。ようやく〈アンノウン〉という精霊を、〈ラタトスク〉の謳う精霊攻略の場に引きずり出すことが出来た、と言っても過言ではない。

 勝ち目がなくても、勝ち目を作るのが士道たちのやり方だ。それを実行してきたのが士道であり、不敵に笑う司令官様ということだ。

 

「ふん。やっと、その気になってくれたわね。私たちを舐めたこと、絶対に後悔させてあげるわ」

 

『……私は正当な評価をしたつもりなんですけど』

 

「あら、そ。だったら言葉を変えるわ――――――私たちの戦場(フィールド)に上がったことを、後悔させてあげる」

 

 琴里の言葉を聞いて、少女は通信越しでフッと微笑みを浮かべた、ような気がした。

 

『……だったら、相応にお別れの言葉を工夫してみましょうか。では、五河士道、〈ラタトスク〉、女王の皆様方。その〝未来〟にあなたたちが辿り着けるのかどうか』

 

 少女からの宣戦布告。我が女王のためにと謳ってきた不明の少女から引き出した、少女自身の言葉。

 奇しくもそれは、少女がずっと傍らで聞いてきた開幕の狼煙を上げる言葉だった。

 

 

『さあ――――――私たちの戦争(デート)を、始めましょう』

 

 

 







この子がこの台詞を言う日が来るとは正直最初は夢にも思ってませんでした。
言ってしまえば勝ち目のないゲーム。こと隠れる、という一点に関してだけはどんな精霊よりも少女は上です。比類するのはそれこそ宇宙の果てまで行ける〈封解主〉くらいなものですからねぇ。けど、提示した条件は少女に対するメリットがない。はてさて、気まぐれのお遊びなのか、それとも……?

思ったより煽り力が高い分身というか、本体がいろいろと丸くなってるから尖って見えるというか。でも相手を挑発する煽り要素や謎要素が狂三って感じはあるので、そういう役割を担っていると見せれていれば嬉しい。

それではまた次回に。そろそろ六喰編の前編も終わり際。
感想、評価、お気に入りなどなどお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百三十八話『天空(そら)への帰還、宇宙(そら)への飛翔』

表記上140話ってなってて改めて140……140!?って自分でビビりました。じゃあ最初どれくらい計算してたのと聞かれると、まあ適当で……くらいにはガバガバでした。
将来の想定が行き当たりばったりな感じで、六喰編前半終了話、どうぞ





 

 

「きひ、きひひひひひッ!! あの子も、意地が悪いですわねぇ」

 

 凄絶な微笑みを浮かべ、用を終えたタブレット端末を影へ投げ込んだ『狂三』が、影の余波で揺れたスカートを直しながら言う。

 

「絶対に捕まらないという前提を逃げ道にして、勝ち目などない戦いを提示するのですから。とても、とても、残酷なことですわ」

 

 どちらかと言えば、そうやって楽しそうに語る『狂三』の方が余程意地が悪いと言えてしまう気がするが。

 確かに、勝ち目の薄い勝負だとは思うが、勝てない前提を語られると士道としても気分が悪い。琴里もそれは同じなのだろう。不愉快な顔を隠さず声を発した。

 

「はっ、言ってくれるじゃない。売られた喧嘩は買うわよ」

 

「あら、あら。わたくしもただ事実を述べただけなのですが――――ま、あなた方がどう足掻こうと、わたくしには関係のない話ですわ」

 

 お好きになさってくださいまし、と、『狂三』は地を軽く蹴り、影の中へと消えていく。

 

「確かに、あの子の声はお届けいたしましたわ。それでは皆様、ごきげんよう」

 

 あっという間に『狂三』の姿は影に呑まれていき――――同じ顔をした精霊は、数秒と使わず立ち去った。

 本当に、今の〈アンノウン〉の通信だけを伝えに来たのだろう。なんというか、仕事熱心……とはとても言えそうにないが、ドライ(・・・)な感じがする分身体だったと、士道は髪をかきながら考えのまま言葉を使う。

 

「……言うだけ言って、帰っちまった」

 

「むぅ……以前も思ったが、あの『狂三』は、どうにも奇妙な雰囲気を纏っている気がするぞ……」

 

「そうだねぇ。くるみんの分身って、大体あんな感じなの?」

 

 二亜の言う〝大体あんな感じ〟には、恐らく先に出会った四人の狂三(・・・・・)も含まれていそうなニュアンスだった。当然、それはないと士道は知っていたし、狂三も心外な顔で首を振って否定する。

 

「まさか。『わたくし』はわたくしの履歴。多少の差異はありますが、大部分はわたくしと同じ思考を共有しますわ」

 

「それが共有できていない個体は、少なからずいる。あの個体は、その極地だと推測できる」

 

「……わたくしなりの言い方をするなら、アレ(・・)はギリギリでわたくしの指示を聞ける、いいえ、見極める(・・・・)ことのできる分身体ですわね」

 

「見極める……?」

 

 いまいちピンと来ない言い回しをした狂三が、士道の訝しげな表情を見て小さく息を吐き、続ける。

 

「知っての通り、【八の弾(ヘット)】はわたくしの履歴の一瞬(・・)を切り離す力。人の趣味趣向、好みというのは瞬間瞬間で変化するもの――――――何かに向ける思考にも、同じことが言えますわ」

 

「じゃあ、あの分身体は……」

 

「どうでしょうね。少なくとも、ろくな時間からは切り離されていないと、わたくしは記憶していますわ。ともすれば、わたくしの目的に懸ける情熱が極端に強い瞬間から、かもしれませんわね」

 

「……ねぇ。それってさ、分身なのに狂三と仲が悪いってことじゃない?」

 

「ええ、当然ですわ」

 

 さも当たり前、みたいな顔で七罪のツッコミに言葉を返した狂三に、大体の精霊が呆れた目を向ける。

 目的の情熱に懸ける一瞬、などと簡単に言ったが、それは言ってしまえば今の狂三(・・・・)の現状に不満を抱いていると宣言されているのと同じだ。

 当の本人は、仕方なさげに眉根を下げてそれを受け入れているようだが。

 

「わたくしに反逆したわけでもないのに、分身体を処分することはできませんもの。それにアレ(・・)あの子(・・・)へ預け、同時に監視を任せた個体。多少のことは大目に見るつもりですわ――――――わたくしが〝悲願〟を果たせていないのは、事実なのですから」

 

「……本当に、それだけ?」

 

「え……?」

 

 聞こえてきた疑問の声に、士道はその方向へ視線を向ける。

 そこには、顎に手を当て何かを思い起こすように思考する琴里の姿があった。

 

「琴里さん?」

 

「……私には、それだけだとは思えないのよ。確かに、『狂三』にそういう面があるのも否定はできないけど、何かそれだけじゃ……」

 

 琴里の思考を覗くことができない士道にはわからないが、琴里にはあの『狂三』の狂三(オリジナル)に対する感情について、思うところがあるようだ。

 だが、琴里の疑問もわからなくはない。狂三は『狂三』だ。たとえどのような感情でも、狂三たちだからこそ理解できてしまうものがある。同時に、『狂三』は狂三の〝悲願〟を当然他者より理解している。

 だから、従う。仮に不満があったとしても、こんな場で表に出すようなことはしない――――故に皆が、あの『狂三』に違和感を持った。言ってしまえば、子供の八つ当たりのような感情を、狂三(オリジナル)に向けてただ発するのか? ということだ。

 しかし、この場で出る答えではなかったのか、琴里は振り払うように目を閉じて首を左右に動かす。

 

「……ごめんなさい、なんでもないわ。それより今は行きましょう。私たちの、行くべき場所へ」

 

 姿勢を整え、己が上官――――ウッドマンへ最大限の敬意を払い声を発した。

 

「それでは、ウッドマン卿」

 

「うむ。私に出来る最大限の助力はしよう。〈ゾディアック〉の元へ赴き――――どうか、彼女を救ってあげてくれ」

 

「はい!!」

 

 美しい敬礼を見せ、琴里は踵を返して士道たちと視線を交わらせる。

 決意と、使命感。強く首肯を返し精霊たちとウッドマンに頭を下げてから――狂三だけは、複雑そうな顔で視線を送っただけだったが――再び長い廊下へ舞い戻る。

 早足で〈フラクシナス〉へと向かいながら、士道は琴里の声を聞いていた。

 

「DEMを警戒して作業を急かしたのが幸いしたわね。今度の先手はこっちのものよ。〈フラクシナス〉の調整完了後、即座に発進。六喰の元に向かうわ。皆は――――――」 

 

「無論、置いていくとは言うまいな?」

 

 耶倶矢がニヤリとした笑みを隠すことなく告げ、他の精霊たちも続々とそれに続く。

 

「……まあ、私たちも何かの力になれるかもしれないし……いや、やっぱ私は力になれないかもしれないけど……」

 

「わ、私も……七罪さんと、一緒です。〈氷結傀儡(ザドキエル)〉で何かの力になれれば……!!」

 

「先手。ここで仲間外れは空気が読めないというものですよ、琴里」

 

「んぐ……」

 

 未だ、精霊たちを巻き込んでしまうことに躊躇いがあるのだろう。一度立ち止まり、皆を見渡した琴里だったが、彼女たちの決意は断固として揺るぎない。

 わかりきったことではあるが、狂三を見やると……超然と微笑みを浮かべて声を発した。

 

「二度目の押し問答は不毛ですわよ。琴里さんが皆様を説得できるだけの材料をお持ちなら、わたくしが弁護に回ってもよろしいですけれど」

 

「……遠慮しておくわ」

 

 この訴えは、狂三の弁護があっても勝訴できそうにない。両手を上げて、降参と言わんばかりの溜め息を吐いから、琴里は歩みを再開する。

 

「置いていく、って言っても密航しかねないわね――――――良いわ、全員で宇宙旅行と洒落こもうじゃない」

 

『おおっ!!』

 

 拳を高く突き上げ、宇宙まで届けと願う。

 今度こそ、士道の声と願い(エゴ)を届けるために――――――宇宙(そら)へ。

 

 

 

 

 

 

「さて、士道さん。妙案(・・)は思いつきまして?」

 

 皆の意志を統一してから、数十分後。調整が最終段階に入った〈フラクシナス〉艦橋にて、発艦の時を待つ士道の横で、狂三が唐突に声を発した。

 それを聞いていた二亜が、あ、そっかと手を叩いて続ける。

 

「根本的な問題が解決してないんだっけ。宇宙旅行やらくるみん衝撃の事件やら〈囁告篇帙(ラジエル)〉NTR事件で忘れてたよ」

 

『忘れていたのはあなただけだと思いますが。もしや、知見の天使に頼りすぎで脳が劣化しているのでは? 早急な処置をオススメします』

 

「…………あれ? 二亜ちゃんディスられた? ほぼ初対面なのにナチュラルにディスられた?」

 

 調整を進めている中で大変器用なことだとは思うが、なぜか辛辣な態度のマリアに二亜も困惑を感じて眉を寄せる。

 それはそれとして、二亜の言う根本的な問題というのは、もちろん六喰に関してのことだ。

 

「そうだな。六喰の心を『閉じた』力……〈封解主(ミカエル)〉をどうにかしないと、六喰のいる場所に辿り着いても堂々巡りだ」

 

「えっ、あたしの疑問は軽くスルーなの?」

 

『少しは黙っていられないのですか? だとすれば、あなたの忍耐力は小学生以下だと判断せざるを得ません』

 

「……いややっぱおかしいって!! 妹ちゃん、マリアの即刻メンテナンスの実行を進言します!!」

 

「却下よ。時間がないんだから手間を増やさないでちょうだい」

 

 ジャケットを肩掛けし直し、チュッパチャプスを口に含んで司令席に座る琴里は二声で二亜の叫びを却下した。当然であり、現実である。

 「うう、おーぼーだ。今どきのAIはやっぱり危険だよぅ……」などと泣き崩れる茶番をする二亜を後目に、士道は改めて六喰の攻略に必要なことを整理する。

 

「〈封解主(ミカエル)〉の鍵は、物体、空間を問わずに開閉させることができる。その力で六喰は、感情自体に鍵をかけた……」

 

「面妖な天使よのぅ。しかし、天使ならここにいくらでも揃っておる。我が無理矢理にでもこじ開けてくれようぞ」

 

「疑問。本当にできるのでしょうか」

 

「仮にできたとしても、天使の力でできた鍵を無理にこじ開ければ、彼女がどうなるかわからない」

 

「うぐ……」

 

 夕弦、折紙の冷静な指摘に、槍を捩じ込むような動作をしていた耶倶矢が苦しげに呻く。

 無理にこじ開ければどうなるかわからない。最もな指摘だ。が、士道は耶倶矢が言ったことの半分は的を射ていると思った。

 無理にこじ開けることはできない。しかし、耶倶矢の言うようにここには数々の天使が揃っており、士道はそれを常に間近で見る機会があった。

 

「霊力には霊力、天使には……天使」

 

 物事を冷静に俯瞰、観察し、事前に対応策を打ち立てる。持ちうる限りの思考スピードを出し切り、士道は今一度借りられる(・・・・・)カードを反復した。

 ちょうど、〈アンノウン〉が言及していたのが大きかったかもしれない。士道が正確かつ迅速に扱える天使は、少女が表現した七つ。

 口元に手を当て考えを纏める士道を、微笑む狂三が見守っている。きっと、彼女の中では答えが出ているに違いない。だとすれば必ず、士道も同じ答えに辿り着ける――――――士道が学んできたことは、彼女の生き様そのものなのだから。

 

「……!!」

 

 そして、順々に天使を隅々まで洗っていった時、それ(・・)に至った士道は彼女の名を呼んだ。

 

「七罪!!」

 

「ひゃっ!? な、何……?」

 

 突然大声で呼ばれたせいか、四糸乃の背からびくびくと怯えながら士道と対面する七罪。だが、七罪を咎めようという気はなく、ましてや怒る気などさらさらない。

 それぞれの天使を扱える士道だが、士道のそれは本来の持ち主が持つ力量には遠く及ばない。それを逆説的に導けば、即ち本来の持ち主なら、天使の能力範囲を正確かつ確実に推測可能ということになる。

 七罪なら、知っているはずだ。それ(・・)が行える効果範囲を。

 

「聞きたいことがある。今わかってる範囲で――――――」

 

 士道の考えに、精霊たちは目を見開いた。しかし七罪だけは、多少の驚きと困惑はあれど……確かに、首肯を返してくれた。

 

「……出来る、と思う。士道は何度も見てる(・・・)わけでしょ? だったら出来るとは思うけど……で、できなくても保証はしないわよ!? 私なんかに責任は取れないんだからね!?」

 

「ああ。あとは俺が扱えるかどうかだ。ありがとな、七罪。やっぱお前はすげぇよ」

 

「べ、別に私のお陰じゃないでしょ……」

 

「そんなこと、ないです……。七罪さんはすごいです……!!」

 

「よ、四糸乃まで……」

 

 強く主張する四糸乃の言う通り、卑下にすることなんて何もない。七罪と七罪の力に助けられた。これがなければ、賭けに近い手段を取らざるを得なかったところなのだ。

 嬉しさのあまり、ぽんぽんと七罪の頭を撫でる。少しばかり恥ずかしそうに頬を染めた七罪だったが、嫌ではないのか素直に受け入れてくれていた。

 

「きゃー、凄いです七罪さん!! ここは私からもご褒美のハグをプレゼントしちゃいますー!!」

 

「それはあんたがやりたいだけでしょぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

 

 なお、直後にアイドル(妖怪ハグ要求)に連れ去られてしまったのだが。……割と頻繁に七罪は美九に捕まっているのだが、やはり抱き心地の問題なのだろうか? それとも、小動物的な可愛さからか。まあ、どちらとも+‪αの線が濃厚だと士道は推察していた。

 

「む……?」

 

 と。反動で全く関係のないことまで考察してしまった士道を他所に、十香が訝しげな顔で小首を傾げた。

 

「狂三、何を見ているのだ?」

 

 十香の視線の先には、じっと何かを見つめる狂三の姿があった。試しに、狂三の視線の先を追っては見たものの、あるのは艦橋内の壁だけ。特に彼女の目を引くようなものは何もなさそうだった。

 ただ、改めて見てみると、狂三の表情は何かを見るというよりは、何かを感じ取っている(・・・・・・・)。そんな風に士道には思えた。

 

「……いえ。この艦……艦内に、何か――――――」

 

「――――司令。全ての準備、完了いたしました。いつでも、航行可能です」

 

 その時、艦橋に待ち望んだ報告が響き渡り、全員がそちらへ顔を向けた。

 報告を受け取ったこの艦の司令官、琴里は己の使命、責任、それら全てを刻み込むように静かに息を吸い込み――――――

 

「よろしい――――〈フラクシナスEX(エクス・ケルシオル)〉、発艦用意!!」

 

『はっ!!』

 

 高らかに宣言し、バッと手を掲げ続けた。

 

基礎顕現装置(ベーシックリアライザ)並列駆動、随意領域(テリトリー)展開、不可視迷彩(インビジブル)及び自動回避(アヴォイド)発動」

 

「了解。基礎顕現装置(ベーシックリアライザ)、並列駆動を開始します」

 

随意領域(テリトリー)、展開――――いつでもいけます」

 

 クルーの声と共に大きくなる機体の駆動音。モニターに映る巨大なハッチが艦の門出を祝福するかのように、開く。

 その先には、広大な天空(そら)――――更にその先には、目指すべき宇宙(そら)がある。今一度、この時をもって、〈ラタトスク〉が誇る最大の空中艦が、戦場へ舞い戻ろうと産声を上げていた。

 

「さあ、行くわよ。念のため何かに掴まっ――――あ、やっぱりいいわ。狂三、よろしく」

 

「うふふ。五河司令の仰せのままに」

 

 琴里からの指示に狂三がスカートの冗談めかして裾を摘み、敬礼代わりの礼をしながらトントン、と足踏みをして影を広げる。

 すると、それは士道たちの足元や壁際に広がり、中から複数の白い手が現れベルト代わりに士道たちの身体を支えてくれた。

 わざわざそんなことを、と一瞬思いはしたが……最初の琴里の指示で、すかさず士道に飛びついて来ようとした折紙と二亜を見ると、割と必要な措置な気がして士道は航行前から冷や汗をかく。

 

「……あれ、これってもしかして狂三さんと事実上繋がっていることになりません? ああ、もっと強くお願いしますー!!」

 

『…………』

 

 若干一名、アイドルとして手遅れな発言が聞こえてきた気がしたが、発言にドン引きして中にいる分身体が手を離して、美九が放り出されないことを祈っておいた。

 やれやれと気疲れした顔で息を吐いた琴里は――――――しかし、一瞬にして司令としての表情を顕にする。

 その時ようやく、士道の中で帰ってきた(・・・・・)という感覚が目覚めたような気がした。

 天を超え、星の海へ。常識外れでこそ、〈ラタトスク〉。

 

 

「――――〈フラクシナスEX(エクス・ケルシオル)〉、発進!!」

 

 

 星の海を漂う、心を閉ざした少女の元へ――――――星の大海を目指し、翼が飛翔の声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「んー……」

 

 ぐいーっと、大きく身体を伸ばし、はぁと息を吐き出す。本格的な寒波が入り込み、白くなった息が空へあっという間に消えていった。

 

「さて、と」

 

 軽く身体の調子を確かめ、ビルの屋上から身を乗り出し風景を観察していく。

 数ヶ月前は、大した感情も浮かんでこなかった光景だが、数ヶ月ぶりにこうして覗くと、また新たな感情が……というわけでもなく、意外とロマンがないのだなと、自分で自虐をする羽目になった。

 

「……というか、本当に容赦ないですねあの子」

 

 そうして苦笑気味に思い返したのは、つい数分前のこと。

 監視の目などは一通り視て(・・)確認していたが、少女も思わず笑ってしまうほど逃がさない(・・・・・)という力が入っていたのだ。

 少女の力をよく知る琴里からすれば、どんな監視や縛りだろうが無駄だとわかっていそうなものだが――――わかっていて、用意していったのだろう。

 それで少女が油断して出られないならよし。脱走したなら、地の果てまで追いかけてやる(・・・・・・・・・・・・・)という意志と意気込みを嫌でも感じさせられてしまった。

 

「……ちょっと早まったかなぁ」

 

 ぽつりと、本音がこぼれる。そんな用意をしている相手に、感情のまま勝負を挑んだのは少女自身でさえ、今になって驚いている。

 何を、考えていたのだろう。自分で自分が、わからなかった――――『私』のことなら、もう手に取るようにわかるというのに。

 

「――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉」

 

 理解不能の感情を打ち消すよう、少女は天使の名を呼び虚空を撫でる。

 瞬間、少女を隠し通していた白い外装が粒子となって消え失せ、代わりに一冊の巨大な本が宙に浮かぶ。

 予想通りではあるが、自身の力量不足に少女は〈囁告篇帙(ラジエル)〉に触れながらその眉根を下げた。

 

「……せめて、外面だけは展開できるように努力しましょうか」

 

 でないと、使える場所が限定的すぎる。元より人前で使うつもりはないが、内部機構が機能せずとも外装は便利だと思い知らされた気分だ。

 長い髪が風に靡く慣れない感覚にくすぐったさを覚えながら、少女は新たに更新された情報を全知の天使より会得する。

 

「……予測はおおよそ的中、ですか。全知の天使の名に違わぬ正確さですね」

 

 世界のあらゆる事象を視る力。単純ながら、これほどの天使を持っていて正気を保っていられた本条二亜は、相当な人格者だと少女は評価したい。本人の性格上、言ったところで冗談でしか返してこないとは思うが。

 

「……ごめんね。あなたも主の元へ帰りたいでしょうけど、もう少しだけ、私に付き合ってね」

 

 言って、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の頁を撫でると、まさか言葉に反応したわけではないだろうが、光の輝きをもって天使が呼応して見せる。

 その偶然にくすりと少女は微笑み、〈囁告篇帙(ラジエル)〉を閉じて胸元に抱きしめるように抱え込んだ。

 

 

「――――あと少し、だから」

 

 

 何もかもが、あと少し。願いが、悲願が――――計画が。

 もう少しで、到達する。時間の終わりで、生み出されるもの、消えるもの――――少女の理解不能な想いは、後者なのだろう。

 

「……あなたなら、わかる?」

 

 本人にさえわからぬ想いが、この全知の天使ならば暴いてくれるのだろうか。

 定められた終わりへ向かう道で、必要のないことをしてしまった、壊れた少女の想いが。

 

「――――なんて、ね」

 

 わかるはずもない――――わからないでいた方が、きっと幸せだ。

 少女の浮かべた微笑みは、少女にさえ意味がわからないうちに、ローブの暗がりへ消える。

 

 

「さあ、あと一つ――――どうか、幸運を。我が女王よ」

 

 

 集った先にある絶望と希望に、どうか負けないように。

 道化の仮面を被る少女は、最後の舞台へと足を踏み入れた。

 

 

 






この辺、僅かに描写された『狂三』側の狂三の恋愛感情についてを考えたり、他の『狂三』と琴里の対話を思い出してもらえれば、特異個体の不可解な感情の謎も深まるかもしれません。
ただ結局、本質的には『狂三』は『時崎狂三』です。それだけは、何があっても変わらない。皮肉屋だけど、誰よりも情が深い、彼女なのです。

というわけで前半戦終了。〈神蝕篇帙〉関係がほぼ全部丸ごと消し飛んでるので、日常から六喰、始原の精霊に関連するワード、〈アンノウン〉に関してのお話となりました。
所謂、最終章一歩手前のこの章。六喰の本当の心に届かせに行くのは後半戦からが本番。宇宙戦は割とやりたい放題やると思います、いや本当にやりたい放題でした。本質外に追いやられてるとはいえDEM側可哀想過ぎない?ってくらいには。

感想と評価が原動力なところあるのでくれると嬉しい。ください(直球)
そんなわけで感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百三十九話『バトル・オブ・コスモス』

 

 宇宙。知識として存在し、だが人の身一つでは到底到達し得ない領域。全てを呑み込む漆黒の海、大海の星々。

 

「…………」

 

 五河士道は、宇宙に立っていた。

 否。立っている、という表現には語弊がある。今士道は、宇宙という領域において生命維持に必要な装置の一つさえ身につけていなかった。それでいて、この広大な宇宙の片隅に浮かんでいる。

 観光や遊覧が目的ならば、それらは必要なものだろう。だが、士道の目的は違う。

 ただ一人。無垢なる少女を救うため、そのためだけにここに来た。故に必要なものは己の身を包む道具ではなく、心へ届かせる力と言の葉のみ。

 

「――――六喰」

 

 その名を、呼ぶ。

 本来ならば届かないはずの声は、随意領域(テリトリー)に包まれたこの領域だからこそ通ずる。

 ゆらゆらと揺れる、身の丈を超えるほどに長い金髪。星座のような裏地を覗かせる衣、霊装。

 少女に表情はなく、少女に感情はない。ただ、現れた者を視認し、事実だけを返すに過ぎない。

 

「――――――ふむん。うぬもしつこいのう。それに、覚えも悪いと見える」

 

「諦めと物わかりの悪さ、それと嘘をつけないことには定評があるんでね――――だから、会いに来た。今度は、直接な」

 

 不敵な士道の口説き文句にも、六喰はため息を一つ返すだけ。そこに悪感情はなく、しかし裏返した感情も存在しない。

 あるのは無感情。ただ士道が言葉を放ったから、六喰は必要なだけ口を動かす。

 『人形』としての機能を残し、星宮六喰という少女は停滞している。六喰の手に握られた錫杖、天使〈封解主(ミカエル)〉の力によって。

 

「それで。うぬは何を求めてきたというのじゃ。むくは、うぬの救いなどいらぬ」

 

「そうか……いや、今のお前はそうなんだろうな」

 

 少なくとも、今の六喰は救いなど求めていない。あるのは停滞と、悲しいまでの静寂。

 ああ、そうだ。今の六喰(・・・・)は、だ。士道が話したいのは――――この六喰じゃない。

 

「けど、言ったはずだぜ。俺が答えを聞きたいのは今のお前じゃない。〈封解主(ミカエル)〉で鍵を掛けていない、本当の星宮六喰だ」

 

「…………」

 

 一度は問うたそれに、答えはなかった。

 六喰は心を『閉じた』。それを成したのは、確かに六喰の選択だったのかもしれない。余計なお節介なのかもしれない。

 だが、士道はその理由が知りたいのだ。幼き少女が、世界を感じるための心に鍵を掛けた。余程のことがあったとしか思えない、悲しみの理由を。

 曖昧な返事は誤魔化しだったのか。或いは、本当に忘却してしまったのか。どちらであっても、軽い理由ではないと想像に難しくない。

 だから、士道は。冷淡な表情の六喰を真っ直ぐに見つめ、言葉を発した。

 

 

「改めて聞く。六喰、君に一体何があった? なんでこんなところまで来て、心に鍵を掛けなきゃいけなかったんだ。教えてくれ――――それまで俺は、絶対に引き下がったりしない」

 

 

 それを聞き出すまでは、止まれない。そのために、士道は士道のエゴを通すために、皆の力を借りて宇宙へ来たのだ。

 士道の覚悟と決意に、六喰は表情を変えないまま錫杖を回し、士道へと向けた。

 

「むくも、言ったはずじゃ。警告はした――――それに従わぬのなら、どうしようとむくの自由じゃ」

 

 宣言と同時、六喰の周囲に漂う岩石や機械の破片が士道へ向かって降り注いだ。

 立体映像越しに体験した攻撃手段。立体映像出なければ、五回は死んでいたと確信がある遠慮のない流星群。そして今、士道は立体映像ではなく生身の肉体。まともに喰らえば、再生の炎を借り受ける士道といえど無事では済まない。

 だが、しかし。士道の顔に焦りは浮かばない。それでも内心に残る恐怖からか、額から汗が滲む――――それを超える意志の力で、士道は不敵に微笑む自分を演じ切る。

 

「そうか――――なら俺も、勝手にさせてもらう!!」

 

 ――――必滅の礫が、士道の身体を避けて通った(・・・・・・)

 

「む……?」

 

「助かったぜ――――琴里、マリア」

 

 表情に事務的な疑問を乗せた六喰に対し、士道はインカムに向けて感謝の言葉を述べながら右手を翳し、意識の集中を試みる。

 士道が攻撃を避けたのではなく、士道を包む随意領域(テリトリー)が攻撃を動かした(・・・・)のだ。事前にある程度の説明を受けていた士道は、驚くことなくそれに身を任せることができた。

 とはいえ、この随意領域(テリトリー)は万全ではない。〈フラクシナス〉を包むような防壁には程遠く、天使クラスの攻撃を受ければ士道は哀れ宇宙の塵になる。そうならないために、士道は最善の一手を選び取った。

 

「――――――」

 

 願いを標に、祈りを胸に。あらゆる可能性へ化ける力を持つ、その名を。

 

 

「〈贋造魔女(ハニエル)〉」

 

 

 全身を駆ける熱が増し、士道の手に光り輝く長柄の箒。

 七罪の持つ天使〈贋造魔女(ハニエル)〉。物質を変化させ、化けさせる魔女の力。それは他人だけではなく、天使自らを変える(・・・)ことができると、士道は知っていた。故に、続ける。

 

 

「――――【千変万化鏡(カリドスクーペ)】!!」

 

 

 かつての七罪が披露した、〈贋造魔女(ハニエル)〉の極地を。

 光を纏った〈贋造魔女(ハニエル)〉がその輝きの中で姿を変えていく。変化まで数秒と使わず、変質しきった外見に士道は思わず笑みを浮かべた。

 

「……何じゃと?」

 

 さしもの六喰も、士道の手の内に収まったそれを見て、訝しげな声をもらした。

 当然も当然のことだろう。何せ、士道の手に収まったのは――――――鍵のような形状をした、錫杖。

 何を隠そう。〈贋造魔女(ハニエル)〉は六喰の持つ天使〈封解主(ミカエル)〉へと寸分たがわず変貌してみせたのだ。

 これこそ、万物を真似る〈贋造魔女(ハニエル)〉の力にして、士道が思い至った二つ目のルールの穴だ。

 

『聞きたいことがある。今わかってる範囲でいいんだ――――〈贋造魔女(ハニエル)〉で〈封解主(ミカエル)〉の〝鍵〟の力を模範することって、できるか?』

 

 あの時、士道は七罪にそれを聞くことができた。やり方さえわかっているのなら、変幻自在の天使で模範することも可能なのではないか、と。

 七罪のように完全な模範でなくていい。ただ、士道がわかる範囲で六喰の心に掛けられた鍵を、開くことができるなら。

 自信はあった。何せ、士道は〈封解主(ミカエル)〉の『閉じる』力を目撃し、六喰からそれを使って心に鍵を掛けたと聞いている。ならば、この万物を真似る天使を借り受けて、化けられないはずがない。

 

「面妖な。〈封解主(ミカエル)〉を模したというのか」

 

「そういうことだ。これなら――――――」

 

 動きさえも模範するように、錫杖をくるりと回転させ、音を鳴らして〈封解主(ミカエル)〉の先端を六喰へ向けた。

 

「本当のお前と話すことが、できる」

 

「不遜なり。身の程を知るがよい。如何に形を真似ようが、うぬに〈封解主(ミカエル)〉を使いこなせるものか」

 

「さあ、どうかな。生憎と俺は、時間を超えたこともある人間だ――――やってみるまでわからないって、嫌というほど学んでるんでね」

 

 天使には天使。ルールの穴をついた奇策。あとは士道が、この鍵を六喰の心に届けられるかどうか。

 それこそ――――――やってみなければ、わからない。

 

「出来るか、出来ないか。やってみてから俺が決める――――――いくぞ、六喰。お前の心を、開いてみせる」

 

 

 同じ錫杖を両手で構え、士道は持てる知識、度量、覚悟。それらを総動員し――――孤独に漂う六喰へ全てを突きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――頼んだわよ、士道」

 

 〈フラクシナス〉艦橋。司令室に座った琴里は、送り出した士道が魅せる天使と彼の覚悟を決めた声を見聞きし、己の迷いを捩じ伏せるように言葉を紡いだ。

 士道を精霊の前に一人立たせる。それは必要な措置であり――――妹として、士道を愛する者としての琴里が、心に迷いを生じさせる要因でもある。

 再生の力があるから大丈夫? そんなものは楽観的な戯言に過ぎない。一歩間違えたら、士道はすぐさま宇宙の藻屑へと成り果てる。そうならないために琴里は司令官としての顔を生み出し――――――

 

『琴里。私たちは私たちのすべきことを』

 

 そして、我が子同然の〈フラクシナス〉とクルーたちがいる。

 せっかちなマリアの声に唇の端を吊り上げながら、琴里は艦橋に響き渡る声を返す。

 

「わかってるわ。私たちで士道を可能な限り援護するわよ!! 総員、気合いを入れなさいッ!!」

 

『はっ……!!』

 

 緊張を孕みながらも、心強く応えるクルーたちに首肯を返し、次に琴里は後方へ視線を向けた。

 そこにいるのは、実に九名の少女。〈ラタトスク〉の保護対象であり、本来ならこの場には適さない少女たち。だが、彼女たちの目は『いつでも行ける』、そう聞こえてくるような意志を宿して琴里を見ていた。

 気持ちこそ、わからなくもない。琴里とて、彼女たちの立場になったなら同じ決断をしてしまうに違いないのだから。しかし、それにはまだ早いと琴里は安心させるように微笑みながら意志に声を発した。

 

「皆の気持ちは嬉しいけど、六喰の警戒心を大きくさせないためにも、士道がピンチになるまでは待機して――――――」

 

「――――あら、琴里さんのその発言、十秒後(・・・)には撤回なさると思いましてよ」

 

 遮られながら告げられた言葉に、琴里は訝しむようにピクリと眉根を上げた。

 それを放ったのは、唯一この場において霊力を封印されておらず、それでいて現状は士道の味方をする精霊、時崎狂三。

 妖艶な微笑みを浮かべながら琴里を見やる狂三に対し、琴里は怪訝な顔を隠さず返した。

 

「どういう意味? まさか、士道がピンチになる予知でも浮かんだのかしら」

 

「いいえ、士道さんだけではなく――――わたくしたちも、ですわねぇ」

 

 ――――――瞬間。まさに、琴里の発言からちょうど十秒後(・・・)のこと。

 突然、艦橋に警告の赤いランプが灯り、けたたましいアラートが鳴り響いた。

 

「何ごと!?」

 

「……!! これは……敵です!! 地球よりDEM艦が四隻!!」

 

 箕輪の報告と同時、モニタに巨大な艦影が複数映り込む。

 うち三隻は通常のDEM艦だが――――その中で、一際小さな艦影がある。その名を、琴里はよく知っていた。

 〈ゲーティア〉。『前の世界』で〈フラクシナス〉に土をつけた仇敵。それ自体に、もう大きな驚きはない。DEMが六喰を狙ってくることは、既に〈アンノウン〉からの情報提供で開示されていたからだ。

 しかし、確実なタイミングだけはわかっていなかった。琴里たちが辿り着く方が先、というだけのことしかわかっていなかったのだ。

 

「狂三、あなた……」

 

 それを狂三は、正確に言い当てた。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉の未来予知が為せる技。だが……この予知は、狂三の五感(・・・・・)を含めた知識、情報を用いて算出される。

 琴里が驚くのは当然のこと。狂三は今、自身の知覚領域の遥か彼方より迫り来る者たちを、〈フラクシナス〉の警告を超えて予測して見せたのだから。

 〈アンノウン〉から情報を得ていたから。単純に、琴里が驚愕する未来(・・・・・・)を予知していたから。数々の可能性は考えられるが、狂三から銃弾を使わない予知はほぼ確定した未来(・・・・・・・・)、又は回避すべき未来を積極的に視せるとも聞いていた。

 ただ、もう一つだけ、琴里には思い至る可能性が存在する。

 

 

「琴里さん――――この艦、妙なもの(・・・・)を積んでいますわね?」

 

 

 それすら、鋭く言い当ててしまった狂三に、琴里は息を呑む。

 次いで、琴里の返答より早く反応したのはそういったことには目敏い二亜だった。

 

「なになに? もしかして秘密兵器みたいなのがある感じ?」

 

「む、何だやるではないか。この状況なのだ。我らの力と共に披露しようではないか」

 

「っ……駄目よ、アレは……っ!!」

 

 焦りの篭った声を聞いて耶倶矢がキョトンとした顔をし、琴里は躊躇いから渋面を作る。

 ――――アレ(・・)を作ることに、そもそも琴里は反対したのだ。

 令音からの提案を突っぱねたのは当然だった。精霊を救うために生み出された艦の中に、その精霊専用(・・)の補助装置を置くなど、本末転倒もいいところだ。司令官として座る琴里ならともかく、狂三はそうではないのだから。

 それ以外の懸念点も多くある。だから琴里は存在を告げるつもりはなかったのに――――――

 

「琴里さん、時間がありませんわ。皆様は士道さんの元へ。わたくしは士道さんのために、必要なことを為しますわ(・・・・・・・・・・・)

 

 見抜いた上で、このお嬢様は必要だと……自らの負担になるだろうことさえわかっていながら、引き受ける。

 ああ、ああ。時崎狂三はそういう子だ。必要なことなら、どんな泥水でも被って進むのだ。必要なことなら――――――それが、愛する士道のためになるのならと。

 

『琴里、狂三に部屋のキーを』

 

「マリア……」

 

『予定通り、私が狂三のフォローも行います。琴里は必要だと思ったから、機能の行使を私の権限に委ねたのでしょう?』

 

 無機質な電子音声。されどそれは、覚悟を問うマリアの顔が浮かぶようだった。

 迷いに使える時間は少ない。司令としての指示、迫り来るDEM艦――――――迷える指が司令席の肘掛けから外れ、胸のポケットへ伸びるまで、そう長くは待たなかった。

 

「受け取りなさい」

 

 指で挟んだ一枚のカード。勢いよく投げられたそれを、狂三は戸惑うことなく受け取ってみせた。

 

「これは……」

 

「それがなきゃ絶対に入れないのよ。あなたが感じ取った部屋にはね」

 

 ああ――――――こんなものを用意させて、置いてこなかった時点で、琴里も心のどこかでは思っていたのだ。

 令音の言う通り、これから必要になると。それを最後には受け入れてしまった自分も。聡明な狂三なら、全てを察して引き受けてしまえることも。

 

「詳しい説明はマリアがしてくれるわ――――いい? わかってるとは思うけど、無理だけはしないこと。負担は極力抑えた設計になってるけど、それでも相当な負荷があなたにかかるわ」

 

 琴里の厳しい視線にも動じず、狂三は優雅な礼を返す――――これで動じるようなら、初めからこんなところには来ていないのだろうけど。

 

「ご心配のほど、痛み入りますわ。ですが――――わたくし、そこまで弱いつもりはありませんことよ」

 

 言って、トンと一歩下がった狂三の身体が、皆の視界から消える。いつの間にか、転送装置の一歩手前まで動いていたらしい。

 相変わらず、可愛げのない演出家な面を覗かせる。苦い顔でそれを見送り……皆に指示を出す前に、誰にも聞こえないほどの声量で琴里は返事を返した。

 

 

「――――だから、言ってんのよ。ばか狂三」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――――」

 

 ターミナルへ転送された狂三は、自らの知覚領域が鋭敏になる感覚を更に(・・)強めた。

 しかし、〝自らの〟、と言うには語弊が生じている。視えているもの、これから視えるもの。それらは狂三の視認外にある事象。それを自らが視たものだと言うには、些か無理があるものだろう。

 狂三の経験則から似た事例を起こすのなら――――この遠隔予知は、十香が反転した際、士道の知覚領域と同期したあの瞬間の感覚と同じだ。

 

「……人の身には、余るものですわねぇ」

 

 ふと苦笑気味に言って、狂三は硬い地面を蹴って先を急ぐ。

 そう。この知覚領域は士道との共有ではない。人の領域外にある権能だからこそ、積極的な能力行使をしていない狂三の予知が冴え渡っているといえる。故に、そのようなものは人の身には重いと狂三は笑ったのだ。

 

『あら、あら。わたくしらしくありませんわ――――――化け物が、人らしくありたいなどと』

 

 だから、自らの愚かな思考を戒めるように響いた影からの声に、狂三は一瞬足を止めた。

 

「――――はっ。それもそうですわね」

 

 笑い飛ばしたのは、甘すぎる自分自身。

精霊(かいぶつ)が、力を捨てず平和を享受できない愚か者が、いつの間にか自分自身を〝人〟と定義付けていた。

 嗚呼、嗚呼。これほどまでに『時崎狂三』は甘さを否定できない。否定できないから、迷いという感情が生まれ、それを振り払うしかないから、また愚かな生き物なのだと自らを蔑む。

 愚かで、自己矛盾を抱えて――――そんな狂三を受け入れてしまう人達が、酷く眩しい。

 

『またこのようなことをなさって、一体何になりますの。懐かしき友愛の情が湧きまして?』

 

「理由など。わたくしとて、宇宙で皆様と心中など御免でしょう?」

 

 ほら。そうやって最もらしい理由を提示して、自分自身を納得させる。

 けど構わない。矛盾した時崎狂三だから、できることがある。彼らの未来に手を貸すことができる。その先に、狂三が望む〝悲願〟がある。

 士道が、皆が、踏み躙った命が――――失った大切な者が、笑って暮らせる世界があるのなら。狂三は喜んで精霊(かいぶつ)となろう。

 

 

『――――可哀想な『わたくし』。そうやって、未練を残すのですね』

 

 

哀れんだ(・・・・)声に目を見開いて、狂三は後ろを振り返る――――何もない。生み出される影は、本物の物。

 

「……未練など、今更ですわ」

 

 未練があるから、狂三は過去を求める。そこに、士道というかけがえのない人が加えられただけだ――――それならまだ、未練だけで済む。

 

 声は、何を伝えたかったのか。未来が視え過ぎて、今が曖昧にでもなったというのだろうか。硬い表情で進める歩みには、思考と反して迷いは見られない。

 

「――――ここですわね」

 

 ピタリと足を止めた目と鼻の先に堅牢な扉と、鍵の役割を果たすべく設えられた装置。そこへ狂三は躊躇うことなく手にしたカードを通した。

 鍵を開ける役割を正しく果たし、装置から甲高い音が鳴り自動で扉が開かれた。息を整える時間すら作ることなく、狂三は扉をステップを踏むような軽さでくぐり抜けた。

 

「…………」

 

 入った部屋を見渡し、どのようなものかを頭に叩き込む。

 ある程度の広さが取られた部屋の中には、無機質なコード類が幾つも散乱している。それだけで、如何にこの機能が急造で進められたか感じることが出来きた。

 この一室の中で最も特徴的なのは、中心に開いた大きな穴のような入口だろう。その中を覗き込むと、半径三メートルほどの空間の暗がりに琴里の司令席より大きなシートが備えられ、ほぼ全方位がモニタの役割を果たす壁に覆われている。

 それ自体は驚くことでもなかったのだが……何だろうか、シートがまるでロボットアニメにあるような造りになっていて、製作者の趣味を感じざるを得ないと狂三は微妙な表情を浮かべた。

 

「……中津川さんでしょうか」

 

『鋭い考察ですね』

 

 と。首謀者であろう人間の名を呟いた途端、上部に設置されたモニタが輝き『MARIA』の文字が表記され、スピーカーから電子音声が続けて聞こえてきた。

 

『正確には、琴里を除く〈フラクシナス〉クルー総出ですが。コックピットブロックの設計は流用とのことでしたが、シートだけは非効率的な組み立てがなされました』

 

「……光景が目に浮かびますわ」

 

 〈次元を超える者(ディメンション・ブレイカー)〉というだけあって、こういう方面の知識にも彼は強いのかもしれない。

 最も、マリアの言う通り急造でありながら非効率的だと狂三は軽く手を頭に当てて呆れてしまう。

 とは、いえ――――――

 

『――――口では呆れていますが、狂三はこういった遊び心が嫌いではないと推測します』

 

「うふふ、ご想像にお任せしますわ」

 

 こういう遊び心が、時崎狂三は嫌いではない。

 トン、と地を蹴り浮遊するように下段へ。穴をくぐり抜ける瞬間、一瞬にして紅黒のドレスを身に纏い、シートへ腰を落ち着かせた。

 すると、上段の出入口のハッチが閉じ、薄暗かった空間に電源が入ったように次々と光が投影されていった。

 壁面には全方位リアルタイムで外の映像を中継しているのだろう。広大な星の海と、加えて様々なデータ類が表示され始めた――――しかし、それらはほぼ無用の長物だと、狂三はこの装置の正体に当たりをつけていた。

 

「しかし、このようなものを設計されていたとは、わたくしも予想していませんでしたわ」

 

『基礎理論を持ち込んだのは令音です。琴里は最後まで造設に反対していたようですが』

 

「なるほど。まあ、敵となる精霊一人に艦の中心を任せることに反対するのは、司令官として当然の判断ですわ」

 

『そういう意味ではないとわかっていると推測します。狂三、ツンデレですか?』

 

「……どうやら、話せるようになっても無用な機能は残っているようですわね」

 

 横に浮かんだ『MARIA』の文字をじろりと睨むと、電子音声ながら本当に感情が乗っているような不満そうな反応が返ってくる。

 

『異議を唱えます。これは、士道をサポートする上で必要な知識です。不要なものなどではありません』

 

「たとえそうだとしても、わたくしは決してツンデレなどではありませんわ。そもそも士道さんならまだしも、琴里さんにデレた覚えはありませんわ」

 

『そこで士道を引き合いに出す辺り、さすがは狂三です。アピールが的確といえます』

 

「…………」

 

 ああ言えばこう言う。本当にこの子はAIなのかと狂三が息を吐いたのを確認したマリアが、今度は調子を変え――と言っても電子音声だが――声を発した。

 

『狂三。システムを稼働させる前に、伝えておきたいことがあります。あくまで、予測の範囲ですが』

 

「随分と煮え切らない仰り方ですこと。なんですの?」

 

『あなたの予知の変質、及び発動条件について、令音が立てた推察をお話します――――――』

 

 思わぬ話題に目を大きく見開き、告げられた内容に。

 

「……そういう、ことでしたの」

 

 驚きと、不思議な納得に心を落ち着かせた。

 

『あくまで予測と言っていましたが、私も過去のデータなどを参照し、正解に近いと思っています』

 

「ええ、ええ。そうでしょうとも、そうでしょうとも。わたくしと〈刻々帝(ザフキエル)〉は一心同体。なればこそ、あなた方の推察は正しいのでしょう――――故に、残酷ですわ」

 

 嗚呼、何故なら。何故、ならば。

 

 

「近い未来――――――わたくしはこの力を失うのですから」

 

 

 理由が正しいのなら。論理的な組み立てが可能だと言うのなら、狂三は瞳に微かな悲しみを乗せて未来を断言した。

 そうして、狂三とマリアが何かの言葉を交わすより早く、強烈な振動が〈フラクシナス〉を襲う。

 何かなど問うまでもなく、狂三が驚く必要もない。迎え撃つお客様――――にも満たない無粋で不遜な者が、早足に仕掛けてきただけだ。

 

「きひひひっ!! 盛り上がって参りましたわね」

 

『はい。それでは私が――――〈フラクシナス〉があなたの目となり、知となります。よろしくお願いします、時崎狂三』

 

「今この瞬間は、頼りにさせていただきますわ。まったく、おかしな話があったものですわね。わたくしが、このような立場にあるなどと」

 

 皮肉を込めて微笑み、次いで鋭くモニタに映る機影を睨みつけた。

 〈ゲーティア〉。恐らくは、現在の人類史において最強の空中艦。ただし、数分後にはその称号を奪われることになるだろう。これは予知ではなく、確定的な事実だ――――――いい加減、負け犬(・・・)がうろちょろするのは目障りだと思っていたのだ。

 微笑みに不敵で、いっそ不遜なまでの自信を纏わせ、狂三は高らかに真名を謳う。

 

 

「さあ、さあ。おいでなさい。おいでなさい。遠慮も、情けも、不要ですわ――――――〈刻々帝(ザアアアアアアアフキエエエエエエエエル)〉ッ!!」

 

 

 時間を告げる鐘が鳴り響き、狂三の背にシートすら上回る時計盤が姿を見せる。と、周囲のモニタに〈刻々帝(ザフキエル)〉と似通った時計盤が幾つも映り込み、歯車を回してようにくるくるくるくると乱反射していた。

 まったく、誰かさん(・・・・)の主張を感じざるを得ないと、狂三は一瞬だけ甘い微笑みを見せ――――――銃を手にした瞬間、細く冷たい目を作る。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【五の弾(ヘー)】」

 

 高く掲げた銃に時計盤から霊力が供給され、狂三はそれを真っ直ぐ(・・・・)突きつけた。

 どこへ撃とうと、結果は変わらない。狂三は何の説明も必要とせず、このシステムを理解していた。

 狂三はマリアであり、マリアは狂三である。この瞬間、そうなるというだけのこと――――個を幾つも持つ時崎狂三にとって、そのようなこと造作もない。

 

「さて、また琴里さんのお言葉を借りることになりますけど――――――」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、銃の引き金に指を掛けた狂三は、

 

 

「さあ、始めましょう――――わたくしの戦争を」

 

 

 開幕を迎え入れ、撃鉄を鳴らす――――刹那、時崎狂三は宇宙(そら)を翔ける白銀の翼と、一つになった。

 

 

 





最近は更新したらお気に入りが増えて、減り、増えて、減りを繰り返して気分が上がるんだか落ち込むんだかを繰り返してるいかです。前にも言いましたけど、私は私が考えるものしか書けないので、ここは仕方ないんですけどね。減るもんは減るし、増えてくれたらとても嬉しい。

そんなわけで始まりました、原作15巻に当たる展開。14巻は大幅カットの部分があるので、気になる方はデート・ア・ライブ14巻『六喰プラネット』を要チェック。

未練を感じながら、進み続ける者たち。その瞳に映る未来とは。さあ、さあ、戦争の時間です。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十話『三つ巴の戦争』

というか気がつけば投稿一周年超えてたんですね。あっという間の出来事。




 

 

「……!!」

 

 六喰と相対し、持てる天使で彼女の攻撃を受け流していた士道の鋭さを増した感覚。それが妙な気配を察知し、僅かばかりに動きを止めることとなった。

 

「何だ……!?」

 

 何かが、空間に響いた。そうとしか言えない。しかし、どこかで感じたことがある感覚。ここは果てのない宇宙空間ではあるが、士道を生かすために〈フラクシナス〉から随意領域(テリトリー)が展開され、随意領域(テリトリー)の空間内だからこそ、重力の概念がない宇宙で自由に動き回ることができる。

 その空間内に、何かが走った(・・・・・・)。まさか、〈フラクシナス〉に異常があったのかと周囲に視線を巡らせ――――――

 

「油断とは、どこまでも不遜じゃな――――【(ラータイブ)】」

 

「っ……!!」

 

 が、口説き相手(・・・・・)はそんな士道の懸念を察しても、ましてや待ってなどくれない。

 開かれた『扉』が様々な岩石、破片を吸い込み、士道の周りに展開された無数の『扉』を伝い飛礫となって降り注いだ。

 〈フラクシナス〉の随意領域(テリトリー)では逸らしきれない量の攻撃。ならばと、士道はイメージを練り上げ、左手を翳しながら謳う。

 

「――――【颶風騎士(ラファエル)】!!」

 

 無風の空間ではありえない、奇跡の暴風を呼び起こす。

 イメージした通りに荒れ狂う風は、全方位で士道を守る鉄壁の神風。飛礫を難なく打ち払い、ますます六喰の視線が細まるのが見て取れた。

 

「人の身でありながら、幾つもの天使を扱うか――――うぬは、本当に人間か?」

 

「……どうかな。自分ではそうありたいと思ってるよ。ただ――――――」

 

 士道が普通の人間か、そうでないかなど、今の士道が構うものではない。

 五河士道はここにいる。五河士道という存在は、精霊を救いたいと願っている。それだけで、十分だ。

 

【――――お前の心を開くために、自分の身を惜しむ気はない】

 

 〈破軍歌姫(ガブリエル)〉。人の領域を軽々と踏み越える声は、随意領域(テリトリー)を介して鼓膜を震わせ、士道の肉体を極限まで強化させる。

 

「うおおおおおおおおおッ!!」

 

 この瞬間、自身への気遣いなど不要。必要なものは、六喰のもとへ至るという意志のみ。

 裂帛の気合いと共に虚空を蹴り上げ、士道の意志と動作を汲み取った随意領域(テリトリー)が士道の身体を大きく跳ね飛ばす。

 一瞬にして、六喰との距離が一気に詰められる――――――が。

 

「――――ごめんね。その精霊は、私たちが貰うよ」

 

「――――ッ!?」

 

 視界に映る機械の鎧、士道の首際(・・・・・)に迫る必滅の刃――――アルテミシア・アシュクロフト。DEMの魔術師が、士道の視野の外から既に迫っていた。

 如何に虚勢を張ろうと、如何に他人を真似ようと、士道の力量は戦士のそれには遠く及ばない。DEMがこの場に現れることは知っていたはずなのに、一点しか見えていなかった士道の限界。

 刺突が迫る。アルテミシアの剣は喉元まで到達しかけ、あと幾秒と使わず士道の首と胴を離れ離れに切断せしめることだろう。さすがの〈灼爛殲鬼(カマエル)〉といえども、即死に至る傷は塞ぎようがない。

 士道に時間は止められない。士道に刃を防ぐ力量はない。そう、士道には止められない(・・・・・・・・・・)

 

「……!!」

 

 あと数ミリ。濃密な魔力で編まれた刃先が肌を焼き、切り裂くその瞬間――――――息を詰まらせたのは士道ではなく、アルテミシアだった。

 ああ、士道だけなら、今この場で命を散らし、六喰の運命を閉ざしてしまっていたかもしれない。

 だが、それは士道だけなら、という前提だ。士道はずっと、一人で戦っているんじゃない。

 

 

「――――士道、無事?」

 

 

 心強い、仲間がいる。

 

「折紙!!」

 

 九死に一生を得た士道は、かの救世主の名を叫ぶ。

 下方から現れた刃が、アルテミシアの刃を弾く。それを成し遂げてくれた人物、折紙の名を呼び、それから彼女の姿を見て士道は目を見開いた。

 そこにいたのは、精霊としての姿ではない、魔術師(ウィザード)としての折紙だった。純白のCR-ユニットに、肩や胸元を覆う西洋の甲冑にも似た鎧。何より手に持った武器は、剣というより長柄の槍を思わせる造りをしていた。

 

「その姿は――――」

 

「説明はあと」

 

 言葉を吐き出しながら、折紙は姿勢を崩したアルテミシアを槍で薙いだ。

 ――――折紙の言う通りだ。危険を押して士道を助けてくれる皆に報いるためにも、士道は何より行動で示す。だが、ほんの僅かな言葉でも力になるならと、士道は声を張り上げた。

 

「折紙、そいつを頼む!! こっちは必ず何とかしてみせる!!」

 

「!!」

 

 言葉ではなく首肯で返した折紙が、アルテミシアと随意領域(テリトリー)同士の接触を起こしながら、魔力光で編まれた剣と槍を打ち合わせる。

 目映い閃光を暗闇に描き、二人の魔術師(ウィザード)は激突した。しかし、窮地を脱したとはいえ状況が落ち着いたわけではない。

 

「く……!!」

 

 不意に六喰の放つ幾条もの光線が迫り、士道は近づいた距離を離れざるを得ない。

 仕切り直しか――――そんな考えが士道の頭を過ぎったその時、もう一人の救援隊が駆けつけた。

 

「シドー!!」

 

「――――十香!!」

 

 その身に限定霊装を、そして〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を手にし、士道を助けに来てくれた十香。彼女の手を借り、一度六喰から距離を取る。

 

「お前まで、ごめ――――いや、ありがとう、十香」

 

 彼女の手を取った途端、士道の心に安堵の光が灯った気がした。できれば自分一人で、そういう思いがあったのは確かだが、それでも心のどこかでは十香たちの助けに安堵している士道がいた。

 だから、こういう時は巻き込んでしまった謝罪ではなく、十香たちに対する礼が正しいと思い、士道は微笑みとともにそう言った。

 

「気にするな。シドーが精霊を助けたい想いと同じくらい、私たちもシドーを助けたいのだ――――――ッ!!」

 

 十香が心強い笑みでそう返すも、団欒は長く続かない。六喰が再び〈封解主(ミカエル)〉の力で飛礫を解き放ったことで、士道と十香は防衛のために意識を集中し、複数の来客(・・・・・)の存在を察知した。

 

「〈バンダースナッチ〉――――!!」

 

 意思のない人形兵。それらが、士道と十香、そして六喰を無差別に攻撃し始めた。

 

「〈氷結傀儡(ザドキエル)〉ッ!!」

 

「はぁッ!!」

 

 士道が凍土の壁を生み出し複数の攻撃を防ぎ切り、十香が〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の斬撃で人形を薙ぎ払う。

 が、状況がそれで解決するかといえば、否。精霊を捕えることが目的のDEM、それを士道たち諸共敵と見なす六喰。先程までとは違い、士道と六喰の一対一から完全な乱戦の様相を呈していた。

 乱戦――――攻撃を受け止めながら、士道の思考には一人の少女がいた。いつもなら、いの一番に駆けつけるはず彼女のことを。

 

「十香、狂三は!?」

 

「〈フラクシナス〉でやるべきことをやる、そう言っていた!!」

 

 〈バンダースナッチ〉をまた一体切断しながら、十香が叫んだ言葉の意味を確認する。

 恐らく、分身の一人すら送り込まないことにも何かしらの理由があるのだろう。やるべきことがある――――――なら、ここ(六喰)を任された信頼(・・)に、士道は更に全力で応じるまでのこと。

 

「行けるか!?」

 

「うむ、露払いは任せろ!!」

 

 士道の言葉の意図を読み取り十香が声を上げる。彼女の戦場における驚異的な判断力、直感は士道とは比較にすらならない。だから、十香であればこの状況をチャンス(・・・・)と見込んでくれると信じて士道は声を上げた。

 戦場の乱戦で荒れている。だが、多少の危険は承知の上だ。その上で、この乱戦を利用するなら尚更。

 人形の対処が必要なのは六喰も同じなのだ。そういう意味では、一対一より六喰の隙を狙える可能性が高い。

 

「行くぞ、十香!!」

 

「おおっ!!」

 

 危険は好機。ピンチをチャンスへ変えるべく、士道は叫びと共に幾つもの流星が流れる戦場へ、十香と身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 アスガルド・エレクトロニクス製CR-ユニットAW-111〈ブリュンヒルデ〉。

 折紙が琴里から渡された新たな力。魔術師(ウィザード)として、更なる高みへ到達することができるもの――――――だとしてもなお、届かないものがある。

 

「ふ――――ッ!!」

 

「ぐ……ッ」

 

 様々な方向から襲い来る斬撃。極限まで研ぎ澄まされた刃が、随意領域(テリトリー)により隙らしい隙を生み出すことのない神速の剣戟を折紙へ見舞う。

 無論、折紙とて防戦はしている。しかし、防戦に徹して、それでも腹部へ一撃を貰い後退を余儀なくされてしまった。

 鳶一折紙は魔術師(ウィザード)だ。それこそ、凡百の魔術師(ウィザード)には決して劣らない自負がある。けれど、相対する相手の魔術師(ウィザード)は、その凡百の頂点に近い力を持つ者。折紙を歯牙にもかけない、頂上に位置する存在なのだ。

 全てだ。断言をしよう。折紙が培ってきた魔術師(ウィザード)としての技量の全てが、アルテミシア・アシュクロフトに劣ると。

 

「……ッ、でも――――」

 

 折紙がそれで諦めると、それが諦める理由になるなど、嘘だ。

 士道からこの場を託された。負けるわけにはいかない。何より二度と、折紙は諦めない。

 生きると誓った。罪過を背負って生きると。士道と、皆と――――――彼女と、約束したから。

 

「アルテミシア・アシュクロフト。あなたは強い。私よりも、ずっと」

 

 故に、折紙がこの力を引き出すことは必然であった。

 

 

「――――魔術師(ウィザード)と、しては」

 

「……ッ!?」

 

 

 折紙へ追撃を測っていたアルテミシアの軌道が逸れ、一気に距離を取る。正しい判断だ。敵の身体が突如として光り輝くなど、未知なる可能性を警戒して離れるのは当然のこと。

 かつての折紙ならそうした――――今の折紙は、その驚きを実現する側となった。

 

「これは……」

 

 アルテミシアが驚きと共に折紙の姿を見やる。

 ――――限定霊装。霊力を封印された精霊が、一時的に経路(パス)の循環から霊力を取り戻すことで得られる鎧。そしてそれは、身に纏った衣服に影響され変化する。

 そう、今の折紙なら魔術師(ウィザード)という戦闘能力を有するCR-ユニット。それが限定霊装と融合すればどうなるかは、明白。

 精霊と魔術師(ウィザード)。敵対関係にある二つの力の融合体――――――この世で唯一、鳶一折紙だけが成し遂げられる奇跡のハイブリッド体である。

 かつて精霊を殺すため手に入れた二つの力を、士道を、そして彼が救わんとする精霊を守るために振るう。皮肉だが――――――今の折紙は、それを是として肯定できる。

 

「これなら、あなたと、戦える」

 

 こんなところで、負けていられない。アルテミシアを乗り越え、精霊を救い――――――彼女へ辿り着くためにも。

 武器を構え、純白の霊装を揺らす折紙。その時、

 

 

『――――システム起動完了。タイムラグ、誤差修正。同期開始(スタート)

 

「っ……?」

 

 

 声が、折紙の脳を直接揺さぶった(・・・・・・・・・・・・)

 

『多重接続。演算結果を送信――――――さあ、参りましょう。折紙さん、琴里さん』

 

「――――!?」

 

 その電子音声(・・・・)が聞き慣れた精霊の口調に瞬時に切り替わり、さしもの折紙も目を見開いて驚いてしまう。

 

「油断し過ぎだよ」

 

「っ!!」

 

 刹那、折紙の視界に映るアルテミシアの姿が膨張した。随意領域(テリトリー)によるノーモーションの強襲。まるで隙だらけだった折紙にとっては、致命傷を負うには十分な斬撃だった(・・・)

 

「な……」

 

「は――――ッ!!」

 

 だが、折紙はアルテミシアの攻撃を受け流し(・・・・)、完璧な形での反撃で虚を衝く。

 完璧とはいえ、相手はエレンに次ぐ実力者。打ち込まれた折紙の槍をギリギリで受け止め、アルテミシアは急速に距離を取る――――――その行動さえ、視えている(・・・・・)

 

「……!!」

 

「く……」

 

 視線を交わす暇さえ与えない。今度は折紙が攻勢に転じ、アルテミシアに迫る。宇宙に煌めく二つの軌跡。しかしその二つは、僅かに、だが確実に、折紙が押し始めていた(・・・・・・・・・・)

 普通ならばありえない。精霊の力があるとはいえ、それは限定霊装下でのもの。互角の勝負でなければならないはずだ。

 

 

 DEMと〈ラタトスク〉。星宮六喰を巡る戦場に――――――未来が、届く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 戦艦〈ゲーティア〉。最強を名乗る魔術師(ウィザード)、エレン・メイザースが駆るその空中艦。

 その最大の強みは、火力でも、ましてや耐久でもない――――速度。圧倒的な機動性。他の空中艦と異なり、エレン自らが制御することによって実現可能となる、あらゆる物理法則を無視した動き。

 初見であれば、新型の〈フラクシナス〉といえど翻弄されていただろう――――初見であれば(・・・・・・)、だが。

 

「うっわ!! 何今の!! 画面ぐるんって!!」

 

 今し方行われた〈フラクシナスEX(エクス・ケルシオル)〉の相手と同じ挙動(・・・・・・・)を見て、後方の耶倶矢が興奮した様子で声を弾ませた。

 琴里も気持ちはわかる。向こうの特許と思われていた機動を、たった今〈フラクシナス〉は見事に意表を突き披露してみせたのだから。

 

「〈フラクシナス〉改修における目玉の一つよ。随意領域(テリトリー)の中に、機体のみを包む随意領域(テリトリー)をもう一枚張って、随意領域(テリトリー)同士を反発させることによって、今までにない自由な駆動が可能となったの」

 

 それが回避不能と思える〈ゲーティア〉の高速機動に対応できたカラクリ。

 相手が高速機動を行うというのなら、こちらもそれに対抗できるだけの機動性を用意すればいい。八舞姉妹や〈アンノウン〉のような速度を持たない狂三が、【一の弾(アレフ)】の力で神速の領域に至る理屈と同じだ。

 と、琴里は得意げに言ったものの、すぐに自嘲気味に肩をすくめる。

 

「まあ、もっとも。その着想のもとが、まさに改変前の世界で見た〈ゲーティア〉だっていうのは気に入らないけどね」

 

 気に入らないが、それで意表を突くことができたなら安いものだ。戦闘直前、得意げな顔で間抜けな自信を語っていたエレンの訝しげな顔が容易に想像出来る。それによって思わず意地の悪い微笑みを浮かべてしまうくらいには、上出来だと琴里は考えている。

 

「うーん、でも妹ちゃん、本当に大丈夫? 確かに凄いとは思うけど、それって相手の真似っ子してスピード上げただけで、追いつけたってわけじゃないんでしょ?」

 

 すると、二亜が眉根を寄せて最もな苦言を呈した。

 

「そうね。あの女の鼻っ柱をへし折るにはもう一枚カードが必要よ。そのために、あなた達の力が必要なの」

 

 確かに、このままでは強がって拮抗が精々というところ。霊結晶(セフィラ)が不十分な二亜を除く、琴里、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九。ここに残った(・・・・・・)精霊の力を借りれば、勝ちを得ることも可能だろう。

 だとしても、不十分。確実とはいえない上に、ギリギリの戦いだ。必要ならば、琴里はその賭けを勝ち取りに行こう。しかし――――――

 

「あの子たちなら、そろそろのはずだけど……」

 

 その、瞬間。

 

 

『――――システム起動完了。タイムラグ、誤差修正。同期開始(スタート)

 

 

 琴里が懸念し、司令としては待ち望んだ声が艦橋に響き渡る。

 突然のアナウンスに精霊たちは面食らっているが、琴里だけはニッと唇の端を上げた。

 

「な、何!?」

 

『多重接続。演算結果を送信――――――さあ、参りましょう。折紙さん、琴里さん』

 

「狂三さん、でしょうか……?」

 

「で、でもこれ、マリアの声じゃ……」

 

 そう。まるでマリアの電子音声が狂三の口調で話している(・・・・・・・・・・・)。すると、二亜の疑問にモニタに映った『MARIA』の文字が再点灯し、誰よりも早く声を響かせた。

 

『その通りです。文句を付ければ格好いいと思っているタイプのクレーマー気質さん』

 

「マリアだ!! これはマリアだよ!!」

 

『判断基準が悲しいですわね。二亜さんは被虐趣味がおありなのですか?』

 

「くるみんだ!! このナチュラルSな気質を感じるのはくるみんだ!!」

 

 身振り手振りに二転三転。判断基準が二亜らしいといえば二亜らしいのかもしれないと、琴里は呆れ気味にやれやれと肩をすくめた。

 マリアが狂三を代行している? マリアが狂三を真似ている? どちらも間違っている。そして、二亜の言っていることは、何も間違っていない――――――今の彼女はマリアであり、狂三なのだから。

 

「行けるわね、マリア、狂三」

 

『はい――――もちろんですわ』

 

 一人で二人の声。琴里の呼び掛けに応じ、マリアと狂三が声を返す。その間にも、システムを起動した彼女たちは琴里では想像もつかない領域にいる。

 故に――――時は長く使えない(・・・・・・・・)

 

「――――神無月!!」

 

「お任せを!!」

 

 声を上げた琴里に応えたのは、艦長席の脇に控える副司令、神無月恭平である。既に彼の頭部には、顕現装置(リアライザ)に脳波を伝えるためのヘッドセットが装着されている。

 神無月が自ら機体の制御や〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉を管理する。普通の人間なら不可能な技だが、神無月はただの変態ではない。こと実力面において、副司令の座に相応しい技量を持っているのだ。

 そして、彼の脳には演算結果(・・・・)が即時に更新され、送り届けられていることだろう。

 かの仇敵、〈ゲーティア〉を琴里は見つめる。愛しい仇敵だ――――が、この瞬間に、その仇敵は取るに足らない〝敵〟でしかない。

 兄の愛しい人に無用な負担をかける、邪魔な〝敵〟だ。そんなもの――――――馬に蹴られて地獄へ堕ちろ。

 

 

「生憎、前座に長く構ってられないの――――――一分で終わらせるわ」

 

 

 さあ、蹂躙を始めよう(・・・・・・・)

 






次回、宇宙編決着。

たとえ愛しき仇敵であろうと、今この場においては愛する者を邪魔するただの敵でしかない。……まあ狂三が味方の位置に近いと仕方ないんですけど、エレンも大概こういう役回りが板についてきたというか。まともにやらせるとクソほど厄介なのは原作で証明されてるんですけどね。

果たしてマリアと狂三の能力とは如何に。なんかもう想像されている気がしますが!
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十一話『過去を目指し、未来を視る』

推薦書いてもらいました。最高に嬉しいです。そんなこんなで六喰編も無事書き終わりました。次の章は自分で緊張しています。









 

 

「な……」

 

 〈ゲーティア〉内部。最強の魔術師(ウィザード)が駆る戦艦内部。その艦橋は、〝艦橋〟と言うよりは一種のコックピットブロックだ。エレンが座するポッド状の座席に、ワイヤリングスーツに繋がる幾本のコード。

 この機体はエレン専用の大型CR-ユニットともいえる仕様であり、如何な〈ラタトスク〉の新型空中艦といえど、比類することなどありえない。ありえてはいけない(・・・・・・・・・)

 

「なんですか、これは……!!」

 

 だと、いうのに。エレンは無様に呻いた。無様な言葉を吐き散らして、拳を握りしめてしまった。

 〈ゲーティア〉の高速駆動に比肩する〈フラクシナス〉の駆動。なるほど、偶然(・・)にしてはよく出来ていると言えた。が、中身が違う。違いすぎる。伊達や酔狂ではなく、この〈ゲーティア〉はエレンが駆るからこそ最強足り得るのだ。その猿真似など、僅かな反応速度の差から埋められない隔たりを生み出すだけ。

 事実、ほんの数秒前までは〈フラクシナス〉を捉えかけていた。あと少し、だが確実に越えられるだけの力量差――――――それが、今はどうだ?

 

「ッ……!!」

 

 目も眩むような高速度。しかし、エレンの意識は〈ゲーティア〉と一体となり、何者も超えることができない超越と呼べる感覚を手にしている。

 それを以て〈フラクシナス〉へ肉薄し――――――また(・・)、逃れられた。

 

「く――――」

 

 接的さえすれば、その瞬間に〈フラクシナス〉を守る随意領域(テリトリー)は〈ゲーティア〉の随意領域(テリトリー)と接触を起こし、その隙に魔力砲を撃ち込む。これで、たったこれだけで全てが終わる。が、その一手があまりにも遠い。

 そんな思考をしてしまった自分に目を見開き、乱雑に拳を艦内に叩きつけた。

 

「馬鹿な、そんなことが!!」

 

 エレンは最強だ。最強の魔術師(ウィザード)なのだ。その自分が、詰める一手があまりにも遠いなどと思ってしまった瞬間に、自らの敗北を認めているも同義。

 これ以上の失態は許されない。一体何度、この〈ラタトスク〉に煮え湯を飲まされてきたか。一体何度、アイクの期待を裏切ってきたか。

 今ようやく、汚名を雪ぐチャンスが巡ってきたというのに。また、それが遠のいていく感覚。何度も、何度も、何度も。

 どうして、何故、いつも。あと一手というところで、誰か(・・)の邪魔が入る。今だって――――――

 

「――――――ぁ」

 

 小さく、漏れ出した声は、そこにいる悪夢(・・・・・・・)を察したものだったのかもしれない。

 反応速度で上回る敵艦に惑わされる理由。そう多く見当たるものではない。ましてや、出来るものでもない。

 再びの、接的。今度こそ、〈フラクシナス〉を捉えた〈ゲーティア〉の主砲が伸びる――――――敵艦の姿が、消えた。

 

 瞬間、エレンは己の敗北を悟った。

 

 

「――――――ナイトメアァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 

 怨嗟と、確信に満ちた声。血走った目。銀色の炎を纏った〈フラクシナス〉も、それがもたらす霊波反応も、緊急アラームも、何もかもがエレンの視野には入らない。

 最強の魔術師(ウィザード)に有るまじき失態。しかし、エレン・メイザースの目には、嘲笑う悪夢の顔が確かに映っていて――――――最強だった(・・・)空中艦は、二撃目の魔力砲によって黒煙を上げ地球へ墜ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――はっ、ざまあみなさいってのよ」

 

 立てた親指を、ビッと下に向けて墜ち行く〈ゲーティア〉へ最低で最高の別れを告げてやる。

 艦長席に座った琴里は、そこから伸びた電極のような装置を身体の各所に張り付けており、更に艦長席の後方には円柱状の装置にポカンとした表情の精霊たちが手を翳していた。

 ――――システム・ブロート。

 精霊霊力砲〈グングニル〉と同じく、精霊から霊力を直接供給することで随意領域(テリトリー)に限界を超えた力を付与することが可能となる、〈フラクシナスEX(エクス・ケルシオル)〉に搭載された新たなる奥の手。

 それを以て、〈フラクシナス〉は〈ゲーティア〉を下した――――というのは筋違いというものだろう。一人、状況を見守っていた二亜が納得の言っていない顔をしているのがその証拠だ。

 

「……妹ちゃん、ちょっと聞いてもいい? 駄目って言われても聞くけど」

 

「いいわよ。〈ゲーティア〉が完全に沈黙するまでの間なら受け付けるわ」

 

「じゃあ遠慮なく――――――何これ、チート?」

 

 ゲームなどにも精通している二亜らしい表現とはいえ、遠慮なしの問いに琴里は苦笑する。

 〝チート〟とは、まさに正しい表現だと言わざるを得ない。ゲームの仕様上、ありえないような行為を行っていることを〝チート〟と表現することがあるが、エレンを相手にここまで一方的な蹂躙(・・)は〝チート〟と呼ぶ他ないだろう。

 

「〝チート〟……ね。ま、概ね合ってるんじゃないかしら」

 

『そのような表現で片付けられるのは遺憾です。狂三も心外だと言っています』

 

 と。スピーカーからマリアの声が届く。内容としては、適当な一括りへのクレームといったところか。

 

『〝チート〟という行為は苦労をせずに成果を得る物の意です。この場合、私たちの苦労を考えてもらえれば、そのような表現には当てはまりません。二亜の子供のような発言に引き込まれないでください』

 

「……あたし、そんな悪いことした?」

 

 あまりに辛辣がすぎる態度のマリアに少し涙目の二亜はともかく、早めに訂正しなければマリアの機嫌を損ねてしまいそうだと琴里は言葉を返す。

 

「ごめんなさい、訂正するわ。これは〝合法チート〟よ」

 

「あ、結局チートなのは変わらないんだ……」

 

「当たり前よ。相手がどう動くか全部わかる(・・・・・・・・・・・・・)だなんて、どんなゲームでもチートでしょう?」

 

 両手を上げて肩を竦めて、琴里は自嘲しながら二亜たちにそう言ってのける。

 やっていることは、至極単純。ゲームという表現で例えるなら、琴里たちは相手の打つ手を全て知っている(・・・・・・・・・・・・・・)状態でプレイしていたのだ。

 

「……【五の弾(ヘー)】の未来予測? けど、いくらなんでも今のは……」

 

「ええ。強化された【五の弾(へー)】の未来視にも限界はあるわ。あくまで、狂三の五感や知識から演算結果を導き出す。連続の予知なんて以ての外――――――狂三だけならね」

 

 意味深に付け加えられたそれに、二亜はこれまでのことで大方の当たりをつけたのだろう。頬をひくつかせながら声を返した。

 

「――――まさか、顕現装置(リアライザ)を応用して、くるみんと〈フラクシナス〉を一時的にシンクロさせてる……の?」

 

 二亜を見て、琴里はニヤッと鋭い歯を見せびらかすような笑みを返した。察しのいい(・・・・・)二亜へ、それだけで十分〝正解〟だと伝わると確信して。

 

「百点満点よ。今の狂三はマリアという〈フラクシナス〉の全てと一体になってるの。それはつまり、狂三が受け取る情報は〈フラクシナス〉と直結していると言っていいわ。この状態の狂三は、並行して複数人(・・・・・・・)の未来を予知できる」

 

顕現装置(リアライザ)を応用し、狂三の意識データをマリアと共存させる。結果、〈刻々帝(ザフキエル)〉の予知、予測演算は飛躍的に上昇する。

 何せ、膨大なデータ量を捌くことが出来る巨大なデータベースと融合しているのだ。それは、如何に精霊とはいえ一個体の情報処理能力とは訳が違う。

 

「けど、本質は未来予測を肥大化させることじゃないの。観測、演算した人たちの未来。さらにそこから最適解(・・・)を導き出して、相手に送り届ける(・・・・・・・・)

 

 琴里はチュッパチャプスの棒を握り、スっと投げるようなジェスチャーをしてみせる。

 通常、【五の弾(へー)】の未来予測は狂三の中でのみ行われるもの。それを外部へ伝えるためには、どうしてもタイムラグが生じてしまう。結果、それを活かせるのは伝えられた予知を実行できる〝神速〟を持つ者に限られてしまう弱点がある。

 が、その送り届ける演算結果をタイムラグなしで随時更新し続けられるなら――――――随意領域(テリトリー)で繋がる空間内で、任意の対象へ転送することが出来るなら、どうなる?

 〈フラクシナス〉を贅沢にも一機の巨大なセンサーとし、その空間内の対象の未来を個別に、最速で、更に複数予知し、最適な未来をタイムラグ無しに導いてみせる。導き出される答えなど、目に見えていた。

 

「あとは単純よね。最適化された予測結果に対して、最適な行動を取れる人間、今だったら折紙や神無月たちがいるんだから――――――ゲームエンドよ」

 

 指し示したチュッパチャプスを再び口へ含み、ようやく沈み始めた〈ゲーティア〉を哀れみを持って見送る。

 確かに、〈ゲーティア〉とエレンは最強の空中艦足り得る実力を持っていた。システム・ブロートを駆使して、本来ならようやく勝ちを得る相手だろうとも――――――運がなかったのは、時崎狂三という精霊に目の敵にされていたことだろうか。

 すると、そんな琴里を見て二亜たちが戦慄を込めた目をして慄いていることに気がついた。

 

「恐怖。これが悪の大魔王ですか」

 

「あ、悪魔だ……悪魔がいる……」

 

「ちょ、失礼ね。これを考えたのは私じゃないわよ!! 令音よ令音!!」

 

 元々、原案を持ち込んだのは令音なのだ。諸悪の根源みたいに言われる筋合いはない。……まあ、最終的に開発許可を出したのは琴里ではあるのだが。

 指を指して責任転嫁を行うものの、当の本人はのほほんと涼しい顔でコンソールと向き合っており、ぐぬぬと琴里はあらぬ誤解を受ける羽目になった。

 

「……っと、遊んでる暇はないわね。各種確認急いで!! 残りの敵を速攻で片付けるわよ。状況が整い次第、士道と折紙の援護を!!」

 

『はっ……!!』

 

 〈ゲーティア〉が復帰する可能性を消すことができた時点で、琴里たちが足を止める理由はなくなった。あとは折紙と交戦中のアルテミア、本命の星宮六喰を残すのみ。

 その援護に回るべく、琴里はクルーに指示を飛ばし――――――手元に点灯したモニタの表記時間(・・・・)を確認する。

 三分。システムが起動してから計られた時間は、琴里にある判断を下させるには十分な時間だった。

 

「――――タイムリミットね。マリア!!」

 

『了解。システムを――――――まだ、やれますわ』

 

 声を上げた琴里と応えるマリア。そのマリアの声を遮るように、狂三の意志が発される。

 予想していた展開に短く舌打ちをし、琴里は苛立ちを隠すことなく声を荒らげた。

 

「駄目よ、これ以上は許可できないわ。〈ゲーティア〉を抑え込んだだけでも十分すぎる戦果よ。戻ってきてちょうだい」

 

『いいえ、折紙さんを限界までフォローいたしますわ……っ。〈ゲーティア〉を墜すことが叶ったとはいえ、状況は絶対のもの……とは言えませんもの』

 

「かもしれないわね。けど――――悪いわね、狂三。あなたに無理させたら、おにーちゃんに叱られちゃうわ」

 

 まったく、疲労を見せないのが上手いと言うべきか――――けど、狂三の口から限界まで(・・・・)なんて言葉が出てきてしまう時点で、琴里の判断基準では限界だと断じるべきなのだ。

 

「マリア」

 

『はい。上位権限により、システムリンクを強制終了(・・・・)――――――き、ひひ……抜け目、ありませんわ……ねぇ』

 

 途切れ途切れの電子音声が、ゆっくりと沈黙していく。抵抗の間もなく、やはり(・・・)限界だったのだと察することができた。

 

「琴里さん……狂三さんは、大丈夫なんですか?」

 

「安心して。ちゃんと医療班を待機させてるから」

 

 琴里が用意していた返答に、一旦は納得したようだがなおも不安な様子を見せる四糸乃。見回すと、他の精霊たちも同じ顔をしている。

 相手はあの時崎狂三、というのは時代遅れな理由だろう。不謹慎ではあるが、不思議と微笑ましい気持ちでクスリと声を零し、琴里は精霊たちへ声を返した。

 

「けどそうね。意地張って引きこもる可能性もあるし……士道のことは私たちに任せて、狂三を迎えに行ってあげてちょうだい」

 

『……!!』

 

 勢いよく首肯をし、四糸乃たちが転送装置へ足を踏み入れ、転送先へ消えていく。唯一、この場に残った二亜を除いて。

 

「確かに、〝チート〟で片付けるには難しそうだねぇ。〝あの〟くるみんで三分が限界時間?」

 

現状の(・・・)限界時間は、そうね。もっとも、二度目を使わせる気はないけど」

 

 並行未来予測。このような乱戦化において、多方面に戦略的な価値を付加できるこのシステムは、一見便利な物に見える。

 が、欠点はある。それは、大元として扱う者の精神があくまで人である(・・・・)、という一点だ。

 マリアと融合しているとはいえ、根本的に必要となるのは時崎狂三の霊力、及び精神力。最適な未来を選んだ対象に転送するということは、演算した未来の中から即座に最適解を算出しなければならない。演算された中にはもちろん、不利益な未来、非人道的な予測も含まれている。

 ――――端的に言えば、あらゆる死の未来(・・・・)。数多に到る、絶望の未来。誰かを犠牲にした、論理的思考から外れた戦術を導き出す予測。

 システムが稼働している間、それら全てを払い除け、複数人に未来を送り届けなければならない負荷が、狂三にはかかり続ける。

 ああ、強い。時崎狂三という女は、鉄の女だ。だが、こんなものは人が扱う代物ではない。狂三が持つ潜在能力や精神力を全て熟知していなければ、システムの基礎はともかく限界時間(・・・・)を見誤り、狂三に致命的な過負荷を強いる危険性もあった。

 それを見誤ることなく、さらに狂三の性格まで読み切って、彼女に負荷がかかり過ぎないラインでこちらから強制終了をかけられる設計。初めからきな臭いとは思っていたが――――――

 

 

「……こんなものを使わせて、あなたは何を望んでるっていうの?」

 

 

 どんな未来を、望むというのか。答えは――――きっと、問いかけたところで、返ってこないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ふ――――ッ」

 

「っ……」

 

 折紙の〈エインヘリヤル〉と、アルテミシアの魔力光剣が拮抗。暗い宙に激しい魔力光が迸る。

 鍔迫り合うアルテミシアが動きを見せ――――逃がさない。

 

「――――〈絶滅天使(メタトロン)〉!!」

 

 瞬間、折紙の背後に浮遊する幾つもの『羽』が折紙ごとアルテミシアを囲い込み、その先端から光線を放つ。

 

「っ、と」

 

 逃げ場のない四方八方からの狙撃。だが、アルテミシアは何とか折紙を払い除けながら攻撃の被害を最小限(・・・)に留めてみせた。

 

「ち……ッ」

 

 舌打ち混じりに、次の行動を。ことごとく先手を打つ。

 宇宙を自在に飛ぶ〈絶滅天使(メタトロン)〉の半数が〈エインヘリヤル〉の先端へ、残りを全てアルテミシアへ。光線の連続掃射による追い込み。

 

「はぁッ!!」

 

 そして、魔力と霊力が融合した槍が神々しい光を放ち、予測地点(・・・・)のアルテミシアへ向かって疾走する。

 無論、彼女もタダではやられてくれない。折紙が行う何度目かの先読みに眉をひそめながら、アルテミシアのバックパックに付いていた羽のようなパーツを動かし、集結した〈絶滅天使(メタトロン)〉に拮抗できるだけの魔力砲を解き放った。

 

「く……!!」

 

 二つの光がもたらす凄まじい衝撃波。だが、このまま行けば確実に押し切れる――――――そう、確信を持った決定的な一撃。しかし、刹那。

 

『――――リミットです、折紙』

 

「……!!」

 

 脳に響いた声に折紙は目を見開く。

 僅かな間、拮抗を崩すには至らない間だろう。が、常に隙を伺っていたアルテミシアは生み出された一瞬の隙間に、手にしたレイザーブレイドを遠慮なしに折紙の頭目がけて投擲。

 

「ッ!!」

 

 結果として、それを避けるために身体を逸らすことを余儀なくされた折紙は、勝敗を決める決定的なチャンスを逃してしまった。

 素早く身を翻し、折紙から大きく距離を取ったアルテミシアを鋭く睨みつける。

 ――――仕留め損ねた。表情にこそ大きく出さないが、苦々しい気分だ。

 責任は、間違いなく折紙にある。頂上的なアドバンテージがありながら、あと一手を取り損ねたのは折紙のミスであり、アルテミシアがそれほど強敵だとも言える。

 

「ふう……手品(・・)は、もうおしまい?」

 

「…………」

 

 身につけたCR-ユニットは傷だらけながらも、アルテミシアはその気迫にまったくの衰えを見せない。随意領域(テリトリー)操作で剣を手に取り戻しながら、こちらの手段が一つ失われたことを目敏く察している。

 三分と三十秒。折紙の元に送り届けられる未来予測から、アルテミシアが逃げ切った時間だ。驚くべきことに、彼女は折紙が自身の行動を予測していると即座に感づき、ひたすら防戦を行い時間を稼いだのだ。

 これが最強という名に絶対のプライドを持つエレンなら、まだ話は別だったのかもしれない。だがアルテミシアは、自身の形勢不利を悟り、折紙の優位による挑発にも乗ることなく、ひたすらに機を待った。

 絶対有利による詰め将棋――――――ギリギリで、折紙は競り負けた。

 折紙とアルテミシア。これが仮に試合(・・)だったなら、凌ぎ切ったアルテミシアに賞賛を贈るべきなのだろう。けれど、折紙は試合をしているわけではないし、究極的に言えば、アルテミシアに勝つことが目的ではない(・・・・・・・・・・・)

 だから、視界の端に映った光景と、アルテミシアが動揺と絶句を見せたことで、折紙はこの言葉を放つことができる。

 

 

「そう――――だから、私たちの勝ち(・・・・・・)

 

 

 ――――〈ゲーティア〉が、墜ちる。青い地球の引力に引かれ、エレン・メイザースの駆る空中艦が墜落していく。

 

「エレン!? まさか、〈ゲーティア〉が……!?」

 

「あなたたちの負け。大人しく諦めて」

 

 折紙の戦術的な優位は失われた。しかし、戦略的な優位は既に〈ラタトスク〉が握っている。

 大局は決した。この状況でシステムが停止したのも、恐らく狂三への負担を考えてこそのもの。ならあとは、折紙が自らの力で切り開くのみ。

 油断なく槍の切っ先を向ける折紙を、ギロリと睨むアルテミシア。――――諦めとは、程遠い。

 

 

「……勘違いしちゃ駄目だよ。確かにエレンがやられたのは予想外だったけど、それで勝敗が決したわけじゃない。私たちの今日の目的は――――――」

 

「――――――」

 

 

 大局的な勝利は得た。だが、局所的(・・・)な負けの目は残っている。それは、当然。

 

 

「精霊を墜すこと、なんだから」

 

 

 士道と精霊を失うこと、だ。

 

「く……〈絶滅天使(メタトロン)〉!!」

 

 アルテミシアの視線が右方へ向くのを捉えた瞬間、折紙は〈絶滅天使(メタトロン)〉へ指令を発する。

 ――――遅い。離された距離が、致命的な差をもたらす。魔力砲は光子をすり抜け、伸びていく――――――今まさに、六喰へ〝鍵〟を突き刺した、士道のもとへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――い、今よ、士道っ!!」

 

「……ふむん――――――っ?」

 

 合図。士道に化けた七罪(・・・・・・・・)が、その姿を六喰の前に晒した。

 まさにその時、士道は六喰の背後を取る。十香、そして救援にきた七罪の力を借り、間違いなく六喰の意表を突く(・・・・・・・・)

 

「馬鹿な。うぬは、一体――――――」

 

 感情を閉じたとはいえ、状況を判断する力が失われたわけではない。今の六喰の表情を表すなら、それは間違いなく〝驚愕〟の二文字に違いない。

 この機を絶対に逃さない、外さない。故に士道は、己が知る中で鼓舞の意味を込めた記憶を呼び起こし、気取った声(・・・・・)を発した。

 

 

「――――通りすがりの、高校生さ」

 

 

 突き出した〈封解主(ミカエル)〉が、抵抗らしい抵抗もなく六喰の胸に吸い込まれる。次いで、士道は己が欲と願いのまま鍵を開けた。

 

「……【(ラータイブ)】ッ!!」

 

 時が、刻まれる。止まっていた時間。止まっていた感情。止まることで失われていたものが、光が、六喰の瞳に灯った。

 

「ぁ――――――あ、あ……」

 

 『閉じ』られた心が『開く』。それによって何が起きるのか。六喰が何を感じるのか。

 こんなところまでやってきた、究極のお節介焼きに何を感じるのか。自分勝手に六喰の心を開いたことへの怒りか、呆れか、それとも――――――

 

「シドー!!」

 

「ッ!?」

 

 答えを得る前に、十香の叫びが随意領域(テリトリー)を伝い士道の鼓膜を大きく震わせた。

 何だ、など聞くまでもない。いいや、聞くだけの時間がない(・・・・・・・・・・)

 十香の叫びは警告だ。視界の端より至る、光の矢。それは六喰を貫かんと高速で迫り来る殺意の光。

 六喰は動けない。十香も七罪も間に合わない――――――士道しか、いない。

 

「六喰――――ッ!!」

 

「ぁ――――――」

 

 〈封解主(ミカエル)〉から手を離し、硬直する六喰の身体を抱きしめる。それは抵抗らしい抵抗もなく、あっさりと受け入れられた。

 だが、足りない。士道の身体は〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の再生能力を有してこそいるが、所詮は生身。鉄をも貫くだろう魔力光が相手では、盾の役割すら成すことが出来ない。

 冷静かつ正確に。危機的状況の今、手持ちのカードで最も士道と六喰を守れるもの。

 

「――――〈氷結傀儡(ザドキエル)〉ッ!!」

 

 堅牢なる凍土の壁。強い意志とイメージによって背後に生成された氷の壁は、見事その役割通りに魔力砲と衝突した。

 

「が、ぁ……っ!!」

 

 しかし、与えられた衝撃に士道は苦悶の声を上げる。完璧な形ならまだしも、咄嗟に作った氷の壁だけでは凄まじい威力の魔力砲の威力を殺し切ることは叶わず、六喰を抱えたまま士道は大きく吹き飛ばされ――――――強い力に引きずられた。

 それが随意領域(テリトリー)から外れたことによって訪れた、地球の引力によるものだと気づくのに数秒と使うことはなかった。

 

「ぐ――――〈颶風騎士(ラファエル)〉!! 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉!!」

 

 戻ることは出来ない。だが、手をこまねいている余裕もない。大気圏の高熱が迫る中、暴風と氷結の壁を展開し、士道は史上初であろう生身での大気圏突入(・・・・・・・・・)への覚悟を決めた。

 自分の身を守るため。それもある。こんなところで死ぬわけにはいかない――――それ以上に、六喰を失うわけにもいかないと思った。

 

 

「大丈夫だ……六喰!! お前は……俺が、守るから……ッ!!」

 

「――――」

 

 

 士道が六喰の心を開いた。士道のエゴで、六喰はこのような危機に晒されたと言っても過言ではない。

 自分勝手に動く以上、責任は相応に伴う。そして、そんなものがなくても、士道は自分の目の前で誰かが傷つくのを許容できない我儘な人間なのだ。

 見捨てない、絶対に。強く、六喰の身体を抱きしめる。お互いの心臓の鼓動が、身体を通して伝わってくる。

 

 ――――黒との繋がりに、何かが触れる感覚。己が裡にある何かに触れ、輝き――――――青い星に、二人の身体は吸い込まれていった。

 

 

 






Q.実際エレンが折紙と戦ったらどうなってたの? A.普通に限界時間まで耐えきります。エレンですから。


元ネタ? 羽生えたガン〇ムに決まってるじゃないですか。
システムの根本を簡単に言ってしまえば展開された随意領域内の対象に、弾き出した最適な予測をラグなしで届ける。それだけです。ことこういった乱戦時に置いて、これほど凶悪なやり方もないですけどね。

ただ条件が、狂三の未来予測がこの領域まで到達し、なおかつ狂三が味方時にのみ活用でき、更に使用中は強力なユニットである狂三が戦闘に参加できない。そして決めきれなければ狂三が一時戦闘不能状態に陥る……多分、普通の戦闘だとジ〇ウⅡばりの予測発揮する狂三立てた方が早いこの始末。
単純にマリアと狂三にかかる負荷が相当なものなので、こういうピンポイントな盤面でしか活用しきれない、んじゃないかなぁと。通称・〈ゲーティア〉に乗ってくるエレンを完膚なきまでにギャフンと言わせたいだけのシステム。……冗談ですごめんなさい。

そんなわけで士道チーム以外がRTAばりの速度で攻略を進める中、遂に鍵は開けられました。開けられてしまった、という方が正しいかもしれませんけどね。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十二話『キミの為に世界がある』

 

 その光景が現実のものではないことを、時崎狂三は理解することができた。

 夢。という現象がある。一つの意味合いとしては、現実にないものを睡眠中に観る。例えば以前、狂三が並行する可能性を浮かべたものが、その意味に該当する。

 しかし、これは狂三の夢ではない(・・・・・・・・)。というより、夢ではなく過去の記録(・・・・・)というのが正しいのだろう。

 並行する可能性ではなく、あった事象だからこそ、時崎狂三は観測者になり得る。

 そして、介入者にはなり得ない。何故ならこれは、既に過ぎ去った過去の記録を閲覧しているだけなのだから。

 

 少年は独りだった。現実を映す色彩に、色はない。白と黒。モノクロで構成された、諦観と虚無。

 

『……士道さん』

 

 士道は、ひとりだった。

 失ったのなら、悲しみ嘆く。

 得たものを知っていたなら、喪失感から寂しさを覚えることもできただろう。

 それが出来ないから、士道の世界には色がなかった。失うという感覚を、忘却の彼方へ消してしまった彼は、それが当たり前だった。

 時崎狂三でさえ、かつては持っていた大切な人――――家族というあるべき存在が、士道にとっては理解できない『特別』だった。

 月日だけが過ぎる過去を、どれだけ見続けた頃だろう――――士道は、『特別』を得た。

 家族というものは、決して血縁だけに生じるものではない。青臭い話ではあるが、それ以上に大切な記憶や、大切な思いがあるから家族になる。

 だから、そう……士道を引き取った父と母、そして彼の妹となった彼女は、間違いなく士道の家族なのだ。

 

(こんにちは。今日から私たちは、家族よ)

 

 母から、士道がそんな言葉を聞いた瞬間。

 

(――――、ぁ、あ、あぁぁああ……)

 

 彼は初めて、世界に色を見た。

 愛という感情をくれる人。愛という感情を返せる人。

 ――――――家族と士道が、光へ消えていく。この時、この瞬間、彼は五河士道として生まれたのだ。

 

 愛して、愛される。簡単で、難しい。ただ狂三は――――――それが嫌いでは、ない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……優しい、夢」

 

 泣くことが簡単な女なら、目覚めで涙の一つでも流していたかもしれない。生憎と、そこまでお優しい精霊になった覚えはなく、現実はただ事務的に行われる起床行為だったわけだが。

 

「――――お目覚めですか、我が女王。夢見の心地は如何でした?」

 

 それ故、起き上がった狂三が少女を視界の端に収めるのは自然なことで、息を吐いて声を返すのも自然なことだと言えた。

 

「あなたは、人の夢見を気にするのが趣味ですの? 一応、夢見自体は悪いものではありませんでしたけれど……」

 

 言葉とは裏腹に、狂三の顔は不機嫌そのものだ。決して夢の中身で不機嫌になったわけではなく、理由は見てしまったこと自体だ。狂三の意思で御せるものではないから、この気の悪さはタチが悪い。

 そんな狂三の機嫌急降下を見て、くすくすと笑う少女もなかなか肝が座っている。

 

「ここは……」

 

「〈フラクシナス〉の中ですよ。少し前まで精霊の皆様がいたんですが、ちょうど入れ違いでしたね。ま、私にとっては都合がいいですけど」

 

 言って、寄りかかっていた壁から背を離し、軽く伸びをする少女。

 確かに、一日前の少女なら精霊たちがいても問題はなかったのだろうが、今はそうでない事情がある。ある意味、こうして何事もなく合流できたのは理想と言えるのかもしれない。

 まあ、ベッドで眠っていた狂三が何事もなく、というのはおかしな話なのだが。混濁した記憶の糸を手繰り、意識が落ちる直前の光景を思い起こす。

 マリアとのシステムリンクを強制的に打ち切られ、仕方なしに部屋から出ると四糸乃のたちの出迎えがあり――――不覚にも、そこで意識が途絶えた。

 

「あー……」

 

「あら、頭を抱えて後悔するなんて珍しいですね、我が女王」

 

「自覚はありますわ……」

 

 本気で意外そうな声を出す少女に、ベッドの上で力なく項垂れてしまう。

 不覚だ。完全に不覚だった。大口を叩いて負荷の大きい物を扱った癖に、まさか人前で気を失うとは思いもしなかった。それも、士道や少女の前でならともかく、他の者の前で、だ。

 疲労があったとはいえ、意識を落とすほどのものではなかったはずだ。そうなる前に、あの場所から叩き出されてしまったのだから――――――それほど、彼女たちに心を許している?

 

「……っ」

 

 何を、馬鹿な。

 頭を振って余計な考えを振り払う。そこまで心を許したつもりはない――――ないはずだ。けれどいつから、狂三は自分の心を信じることができなくなってしまったのだろう。

 ただ、士道が大切にしている子たちだから、それだけだと、何故言い切ることができないのか。

 

「!!」

 

 思考の沼に落ちかけた狂三を引き戻したのは、至近距離で感じ取った霊力反応(・・・・)だった。

 あまりの距離の近さもあってか、少女も素早く反応して声を発する。

 

「〈ゾディアック〉……五河士道の元に現れたようですね」

 

「士道さんの? ということは――――」

 

「ええ。無事に作戦は成功しましたよ。ただ、〈ゾディアック〉と仲良く大気圏へダイビングしたらしいですけど。もちろん、生身で」

 

「………………」

 

 人間でいたいのか、人間を積極的にやめたいのか、どちらなのだろうかあの方は。と、狂三は慣れない絶句で返す言葉も失う。

 少女が特に言及しなかったのもあり、大事なく無事なのだろうと、たかをくくったのがまず間違いだった。狂三が傍にいようがいまいが無茶をやらかす人なのだ――――士道の予知(・・・・・)を断念したのも、それが理由の一つだった。

 

「……様子だけでも確かめますわ」

 

「了解しました」

 

 ともかく、一目だけでも見なければ嫌な胸の高鳴りは収まりそうにない。この場を立ち去るのはそれからだと、狂三はベッドを整え、少女を連れて部屋の外へ赴く。

 

「……士道さんに、会いに来た」

 

 ふと、言葉が漏れた。深い意味があったわけではない。止まった心が動き出した精霊が、士道に自ら会いに来た。好意的に捉えるなら、悪くない状況だ。

 けど、何故だか、妙な気が狂三の中に蟠っている。精霊の心を開く段階になれば、先は士道の領分。狂三は関わるべきではない……だが。

 

 

「――――このまま、上手くいくとよいのですが」

 

 

 予感が外れて欲しいと切に願う――――――精霊への予感など、大概は当たってしまうものだと、知っているのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――そういうことであればよいじゃろう。明日を楽しみにしているぞ、主様(・・)

 

 そう言って、琴里の提案を受け入れた六喰が笑顔で手を振り(・・・・・・・)、〈封解主(ミカエル)〉で開いた『扉』へと入り、姿を消す。

 残ったのは、元通りになった医務室と、士道と精霊たちの緊迫感のある沈黙。

 

「――――――ぷっはー!! びっくりしたねぇー!! なに、アレが噂のムックちん? 話に聞いていたのとは随分性格が違いますぞぉ!!」

 

 その緊迫感に耐えかねてか、或いは自ら先導を買って出てくれた二亜が声を裏返しながら叫び、皆もそれに続いてようやく緊張を吐き出した。

随分性格が違う(・・・・・・・)。それは、かなりの近距離で六喰と対面した士道が感じていたことだった。

 

『むくを待たせるとは憎い男じゃ。しかしまあよい。許してやろう。今は妙に気分がよいからの。――――なんじゃ、狐につままれたような顔をして。ふふ、愛いやつじゃ』

 

『むくの心の鍵を開けるために手を尽くしてくれた主様に心打たれるのは、そんなにおかしなことかのう。そんなことを言うのなら、顔を合わせた瞬間からむくを救う、幸せにすると宣うた不躾な男を一人、知っておるが』

 

『その理由に噓はない。心の鍵が開いた瞬間、それまで主様がむくに訴えかけた言葉、尽くしてくれた手をありがたいと感じた。これは本当じゃ。……じゃが、主様を好いた直接の理由は、そうじゃの――――なんとなく、かの』

 

 偽の〈封解主(ミカエル)〉で心の鍵を開けられた六喰は、驚くほど士道に友好的で、好意的だった。それこそ、突然現れてアイラブユーと叫ぶ士道側からすれば、困惑してしまうくらいに懐き過ぎていた。

 

 

『好き嫌いなぞ、突き詰めれば所詮はそんなものじゃろうて。なんとなく――――主様はむくに近いような気がしての』

 

 

 言葉の数々を思い起こす中、引っかかったのはこの言葉。

 一体、士道のどこに近い要素を感じたのか。感覚や好みが近しいものに、心を開くこと自体は不思議なことではない。しかし、六喰は士道にどんな親近感を覚えたのだろうか。

 

「驚愕。確かに二亜の言う通りです。もっと無愛想な精霊を想像していました。それで士道、肉奴隷とは一体どういうことですか」

 

「士道さんが心の鍵を開けたから……でしょうか? あの、気になり……ます」

 

「うーん、でも可愛かったですねぇ。身体はちっちゃいのに出てるところは出てるというかぁ。ぬふふ、だーりんもお好き者ですねぇ」

 

「……美九、気持ち悪い。ちなみに士道はもっと気持ち悪い」

 

 とまあ、士道が深く悩んでいるというのに精霊たちは士道が選択肢で言わされた台詞に興味津々、じっとりとした視線を送ってくるのだが。

 

「いや、だから、それは選択肢でだな……」

 

「もしや少年、くるみんにそういうプレイをお望み?」

 

「本人に言うなよ。撃つぞ、俺が」

 

「……え、マジ顔で怖いんだけど」

 

 意識したつもりはなかったのだが、二亜のニヤけた顔が引き気味になるくらいには低い声で返してしまったようだ。

 望む望まないはともかく、わざわざ狂三の耳に入れたくはない。彼女の今までの察しの良さから、勘違いは生まれないとは思っているのだが、それでも思春期を通り過ぎた少年にとっては悩ましい発言なのだ。断言するが、士道は言わされただけである、他意はない。

 そんなやり取りを見て、呆れ気味に息を吐いた琴里が声を発する。

 

「そういうこといつまでも気にしてるから、狂三に勝てないチェリーボーイなのよ」

 

「ここでそれは関係ないだろ!?」

 

 とはいえ、事実なわけだし違うとも言えないのが苦しいところではあるのだが。

 そうやってくだらない会話をしていると、不意に病室の扉が開いた。

 

「起き掛けだと言うのに、相変わらずお元気でいらっしゃいますわねぇ」

 

「狂三!!」

 

 扉を開いたまま入ってきたのは、射干玉の髪を肩口に結わえた精霊、狂三だった。いつもなら、こうして士道が一番大きく反応するのだが……。

 

「狂三、目が覚めたのか!?」

 

「大丈夫、ですか……? もう少し、休んでいた方が……」

 

『うんうん、もうちょっと寝てた方がいいんじゃなーい?』

 

「うむ。突然倒れたとあってはな。我ですら驚いたぞ」

 

 今回ばかりは周りの反応の方が大きく、士道はギョッと目を見開いた。無論、その中身に関してもだ。

 慌てて狂三の元へ駆け寄り、彼女の肩を掴んでいの一番に身体の無事を確かめる。

 

「倒れたってどういうことだ? もしかしてどこか怪我したのか!?」

 

「なんでもありませんわ。少なくとも、地球と宇宙をその身一つで行き来した士道さんよりは」

 

「あ……いや、それはだなぁ……」

 

 ジト目で責められると、士道もあまり強くは出れず、最初の勢いは難なく萎んでいく。詳細を問い詰めたいが、問い詰めようとしたら士道の無茶の方が問い詰められそうな雰囲気だ。

 複数の天使による防御と〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の回復があったとはいえ、人の身で大気圏を超えたダメージは士道の身体に蓄積されている。それを詰られると、必要なことだったとはいえ士道にとっては言い訳のしようがない。

 ただ、目の前のお嬢様は頑固者で意外と心配性だが、決して話がわからないわけではない。士道の無茶の理由も大方察してくれているのか、短く息を吐いて返した。

 

「……まあ、あなた様が無事なら深くは追求いたしませんわ。六喰さんとは、お話することが出来ましたの?」

 

「ああ。琴里が俺の身体を気遣って一晩時間をくれたけど、明日に六喰と会う約束が出来た」

 

「な……ッ!!」

 

 士道が言った途端、琴里がボン、とわかりやすく顔を真っ赤にし、流れ弾に激突したようにアワアワと首を振りながら慌てて会話に介入した。

 

「か、勝手に人の考えを捏造しないでちょうだい!! こっちのサポート態勢が整ってなかったからに決まってるでしょ!!」

 

「わかってるって。ありがとな、琴里」

 

「……むぐぅ」

 

「――――うふふ、ふふ」

 

 照れなのか、何なのか。なんとも言えない声で返事をした琴里を見て――――一瞬だけ、狂三が穏やかな顔をしたのを、士道は見逃さなかった。

 彼女が時折見せる、年の離れた妹を微笑ましく見守るかのような微笑み。士道はそれが、堪らなく好きだ。目を奪われるのも、無理はないと言い訳してしまうくらいに。

 ずっと見ていたいとさえ思う。だが、狂三がそれを見せるのはやはり一瞬のことで、直ぐに真剣ながら妖艶な微笑みへ変え、言葉を紡いだ。

 

「それでは、わたくしの助力もこれまでですわね」

 

「っ……行くのか?」

 

 ほんの少し動揺を見せてしまったのは、何も士道だけではない。端的に告げられた言葉には、精霊たちも大なり小なり目を丸くしている。

 皆の動揺をわかっている。わかっていながら、狂三は躊躇いなく首肯を返した。

 

「ええ。舞台を整えるまではともかく、精霊とのデートは専門家にお任せいたしますわ。それにわたくしも――――この子が戻ってきた以上、留まる理由が少なくなってしまいましたもの」

 

「え……っ!?」

 

 狂三の向ける視線に釣られて、士道たちが目を向けると、開けられた扉に寄りかかる白い影があった。

 知らぬ間に、誰にも悟られずそんなことを出来るのは、そして見なれた外装を纏うのは、一人しかいない。そんな彼女が、呑気に手を振りながら声を発した。

 

「はいはーい。今度は直接ごきげんよう。宇宙旅行、お疲れ様でした」

 

「〈アンノウン〉――――!?」

 

 次いで、その影を見て真っ先に飛びかかる勢いで駆け出した者を見つけ、士道は半ば反射で彼女の――――折紙の腕を掴んで止めた。

 

「お、折紙!?」

 

「士道、なぜ止めるの、離して」

 

「な、なぜってお前……」

 

「――――私たちには、彼女を捕まえる理由がある」

 

 折紙が冷静に、しかしどこか感情の昂りを感じさせる声色でそう告げたことで、士道もハッとなる。

 そうだった。どんな方法でもいいから少女を捕まえる。そうすれば、霊力を封印して、更には全てを話してもいいと言ったのは〈アンノウン〉自身だ。

 すると折紙の指摘で、飛んでいたのか突然の〈アンノウン〉にフリーズしていたのか、皆が大慌てで動き始めた。

 

「捕縛。優勝は夕弦たちがいただきます」

 

「くくく、颶風の御子として負けるわけにはいかぬな!!」

 

「むむむ、私も負けていられませんねぇ。〈アンノウン〉さんを一番に捕まえたら、そのお顔を拝んで……むふふふふふふ」

 

「……これ、そういう趣旨の企画じゃないと思うんだけど」

 

「へいくるみん!! こういう時こそいつものやつやっちゃってよ!! 影でババっといっちゃおう!!」

 

「……いえ、わたくしはお手伝いいたしませんわよ? 立場からいえば、この件に関してわたくしは皆様の敵なのですから」

 

『……あ』

 

 当たり前といえば当たり前の事実を、最近出会った二亜はともかく精霊たちも複数名は忘れていたらしく、素っ頓狂な声を上げた。

 白い少女は狂三の従者であるし、狂三も白い少女のことは自身に付き従う者として関わっている。当然の話ではあるが、今の狂三が手伝ってくれるわけがない。

 琴里が呆れて頭を抱え、士道も困り顔で頬をかく。何と、当事者の少女からもおかしそうな笑い声が聞こえてきた。

 

「おやおや。随分と馴染んでいますね、我が女王。このまま懐柔ですか?」

 

「相変わらず、冗談の質はマリアさんにも劣りますわね」

 

「あらら、これは手厳しい。努力するといたしましょう」

 

 変わらないやり取り、違和感を感じさせない会話――――それが、この二人が決めた選択なのだろう。

 

「それでは皆様、ごきげんよう」

 

「私もこれにて自主退院です。皆様方、またお会いしましょう。私はいつでもお待ちしていますよ――――――あなた方に見つけられるなら、ですけど」

 

 狂三は比較的簡素な別れの挨拶を、白い少女は挑発混じりの言葉を。思わず飛び出しかけた者もいるが、行ったところでどうにもならないことをわかっているのか、実行には移すことなく……二人の姿は、こんなにもあっさりと扉の向こうへ消えてしまった。

 

「……そういえば、〈囁告篇帙(ラジエル)〉返してもらう前に退院しちゃったね」

 

『あ』

 

 二亜がポツリと呟いたそれに、今度は士道も混ざって素っ頓狂な声を上げた。……忘れておいて何だが、割と重要なものを返してもらい損ねたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っあぁー……」

 

 狂三たちが立ち去ってから四十分後。数ヶ月ぶりの喪失感とでも言うのだろうか、とにかく似たような感覚に一同が言いようのない空気でいた中、琴里が気分を入れ替えるように士道にある施設を使わせてくれた。

 広い浴槽。温かなお湯が身に染みる。だが、ただの巨大な風呂と思うなかれ。驚くべきことに、液体に顕現装置(リアライザ)で発生させた魔力を帯びさせているらしく、風呂の役割を果たしながら治療効果まであるということだった。

 治療用ポットも便利なのはわかるが、あれにはない気持ちよさがあると士道もご満悦といったところか。

 

「こりゃいいな……疲れが抜け落ちてくみたいだ」

 

 肩に乳白色のお湯を浴びせ、溜まりに溜まった疲れを絞り出すように息を大きく吐き出した。

 

「……そういや、前にもこんなことした気がするな」

 

 以前のあれは真っ当な露天風呂だったが。などと、少しばかり懐かしい記憶に浸る。あの時は確か……そうだ、狂三の幻聴が聞こえてきて大慌てしたんだった。

 

「あら、あら。懐かしい思い出ですわ」

 

「そうだなぁ……ちょうどこんな風に――――――」

 

 ちなみに、今回はワンテンポ反応が早かったと明記しておく。微妙な成長の程を伺えるとも言うし、一周まわって頭がパンクしたとも言える。

 編み上げられた射干玉の髪が、先程までとは違う(つや)やかさに雫がしたる。

 普段は髪に隠されている首筋の白磁が(あで)やかに潤いを見せる。

 そして、(なま)めかしく笑みの形を取った薄紅の唇は、一瞬にして士道の理性という名の壁を粉々に破壊するには、十分すぎた。

 

「……ぶぉぶぉひて」

 

「どうしてここにいるのか、ですの? あら、わたくしは留まる用事が薄くなったとは言いましたが、なくなったとは一言も申し上げていませんわ」

 

 精神を落ち着けるために口元まで潜水してから喋ったのだが、熟年の関係なのか綺麗に伝わってくれたようだ。

 

「ん、ぁ……本当に、気持ちがいいですわぁ」

 

「……!!」

 

 凝り固まった身体を解すように軽く伸びをすると、辛うじて湯に収まっていた二つの大きな果実が浮遊し、士道の目にクリムゾンなスマッシュを決め込んでくれた。

 ついでに、水面に口をつけていると変態っぽいので諦めて顔を出す。もはや同じ湯に入っているという事実が、背徳的な快楽とさえ思えてきてしまう。

 

「…………いや、その、なんでいるの?」

 

「わたくしの生まれたままの姿は、お嫌いですか?」

 

「……好き、です」

 

 答えになってない。答えにはなっていないのだが、そのように頬を染めて問いかけられては据え膳食わぬは男の恥というもの。

 

「…………あんまりこういうことすると、手ぇ出すからな。どうなっても知らないぞ」

 

「ふふっ、構いませんわ。わたくしの霊力(くちびる)以外の全ては、あなた様に捧げているのですから」

 

「………………ぐぅ」

 

 今度こそ、茹でダコのように顔から熱を上げ、ザブンと顔から湯船に着水した。

 そんな、微かに目線を逸らす可愛らしい恥じらいを残しているくせに、それこそ狂三の方がよっぽど〝狡い〟じゃないかと愚痴を垂れたくなるが――――今狂三を直視して言おうものなら、士道の煩悩はどうなるかわかったものではない。

 こういった状況になると誰の助けも借りられないし、男の士道側が圧倒的に不利なのだ。狂三側が以前より明らかに適応しているのが、更に不利を加速させている。

 

「……どうやって入ってきたんだ?」

 

 苦し紛れの話題逸らし。露骨に狂三の方を見ずに聞くと、クスッと可笑しそうな声が浴槽に響いた。明らかに圧されているが、こればかりは仕方ない。

 

「まあ、皆様は鬼ごっこに夢中なご様子でしたので。ほら、聞こえませんこと?」

 

「鬼ごっこ……?」

 

 普段は聞かないような童の遊び用語に首を捻った士道だったが、狂三の言う通りに耳をすませてみると、浴室の外の脱衣場辺りから何やら騒がしい声が響き渡っていることに気づいた。

 

『あはは、鬼さんこちら手の鳴る方へー、なーんて、一度言ってみたかったんですよねー』

 

『逃がさない……!!』

 

『待つのだ通りすがりの人!!』

 

『それは私の台詞よ!! 待ちなさい二人ともせめて服を着てちょうだい服を!!』

 

 ……多分、妹がまた苦労してるんだろうなぁ、という悲痛な叫びに、兄としてちょっとだけ目元から別の水滴が流れ出た。……そこまで考えて、位置と服装的にまさか折紙たちまで突入してくる気だったのかと、戦々恐々に湯船の中で身震いという貴重な経験を得たのだった。

 

「なるほど、大体わかった……」

 

「おわかりいただけて、何よりですわ」

 

 恐らくニッコリと微笑んでいるんだろうなぁとは想像できるが、できるからと言って振り向けるわけではない。

 言葉が途切れて、浴槽に水滴が落ちる音が大きく鼓膜と心臓を震わせる。隣には好きな少女の裸体。見たいか見たくないかでいえば、脳内会議などするまでもなく見たいの一言。だが、やってしまうと士道の個人的なプライドがうんたらかんたらどうたらこうたら――――そんなんだからチェリーボーイなのよ、というシンプルな罵倒が今になって心に突き刺さった。

 

『…………』

 

 試しに、湯船の縁にさり気なく身体を寄せていく。士道が湯を揺らすのと同じだけ、隣からの流れも揺れていた。全くもって無駄な抵抗である。

 仕方ないので、気を紛らわせるように別のことを思考する。それこそ、余計な懸念と言えるかもしれないが――――心を開いた六喰のことだ。

 

「明日……か」

 

 無意識に呟いた士道の独り言は、小声とはいえ浴室にはよく響いてしまう。そうでなくても、精霊の耳は小さな声だろうと拾ってしまうのだろうけど。

 

「不安ですの?」

 

「…………」

 

「わたくしに対して嘘は無用のものですわ、士道さん」

 

 嘘をついたところで、見抜かるだけだしな。内心で笑ってしまうくらい、狂三に弱い自分に苦笑し、情けない己の裡にある気持ちを士道は暴く。

 

「……正直、精霊とデートする前はいっつも緊張してるんだ。情けないよな……一体、どうやったら相手が心を開いてくれるのかとか、考えちまうんだ」

 

 どれだけ強がっても。どれだけ己を冷静だと演じていても。どこかに、そういう士道が残っている。

 不安を抱え、本当にできるのかと自問自答を繰り返す五河士道がいることを、士道は否定することができなかった。

 

「情けないなど仰らないでくださいまし。どのような危険が伴うかさえわからない。精霊の心を開くことができるかさえ、わからない。あなた様だけにしかできないことだと言うのなら、尚のこと不安を感じて当然ですわ――――――ある意味、世界にとっての英雄的行為なのでしょうか」

 

「英雄、ねぇ……」

 

 ふと告げられた大それた称号に、思わず笑ってしまう。柄じゃないし、荷が勝ちすぎると思えてるのだ。

 

「世界がどうにかなるってなら、何だかんだで見捨てられない気はするけど……それよりも、大事な女の子のために俺は頑張りたいかな」

 

「世界より、わたくしの方が大切だと?」

 

「それを、今さら俺に言わせるのか? ちょっと不躾なこと(・・・・・)なんじゃないか」

 

 ――――勇気を出して振り向き、意趣返しのように微笑んでみせる。

 目をぱちくりとさせた狂三は、自身の発言をそのまま返されたことに気がついたのだろう、苦笑混じりの微笑みを返した。

 

「ふふっ、そうですわね。申し訳ありません、わたくしの愛しい人」

 

「気にしないでくれよ、ハニー…………うん、やっぱこれはないな」

 

「きひひひ!! もう少し工夫を凝らせば、わたくしのハートを射抜けるかもしれませんことよ」

 

「努力させてもらうよ」

 

 戯けることで、少しはマシな顔つきになったかもしれない。強ばった顔でデートなど、素人がやること。士道はデートのプロフェッショナルなのだ……いや、それで誇るのはどうかと思うのだが。

 別の意味での緊張は解れないが、明日への緊張や懸念は抑えられつつある。だが、我儘を通すと、あと一つだけ――――狂三の指に、触れる。

 

「……!!」

 

「ごめん。ちょっとだけ、いいか?」

 

 驚きから乳白色に波紋が広がる。けれど、それ以上の抵抗はなく、それどころか合わせるように重ね、絡まる指に士道は目を見開く。

 

 

「こういう時は、ありがとう、ではありませんの?」

 

「……ああ、そうだな――――――ありがとう」

 

 

 もう少しだけ、甘える勇気をもらおう。二人だけの秘密、二人だけの世界で。

 大好きな人から、救いたい子を助けるための勇気の儀式。ああ、こんな時間が、いつまでも続いてほしい――――――切に願う士道の心が、叶えられる日は来るのか。

 

 

「……あ、今度こそごめん。のぼせたかも」

 

「あら、あら……」

 

 

 誰にも予知できない未来を願い――――――星の世界とのデートが、始まる。

 

 

 





或いは、キミがいるから世界が在る。

ある意味で士道の恐ろしいまでの善性で成り立ってる世界は怖いのかもしれませんね。もしくは、そうなるように仕込まれた世界が。

寝不足頭がこんにちは。何か久しぶりに二人が脇目も振らずハチャメチャイチャイチャする話をかけた気がします。楽しい。
というわけで、スポット参戦し続けていた二人がここで一時離脱。まあ、〈アンノウン〉に関して狂三が手伝うわけがないのはご存知の通り。そして、現状では捕まえられないものご存知の通り。はは、何だこのクソゲー。

まあ一時離脱といっても、この作品のメインヒロイン様は誰なのか。ふふふ。
さあ、さあ、星宮六喰の本質を垣間見る時です。果たして士道の運命は。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十三話『無垢なる好意』

 

 

 大概、環境の変化に伴う感情の発露というものには、喜びの前に困惑が訪れる。

 感情とは刻一刻と揺れ動き、たった一つを制御しようと思っても、容易くはいかないものだ。恐らくは、狂三が観測者として再び見えたこの少年にとっても、そうだったのだろう。

 己を守る殻とは、否定。

 自分はこうなのだから仕方がない。

 自分にはそれがないのだから、仕方がない。

 そうやって言い聞かせることで、他者への羨望や嫉妬を抑え込む。なぜ、自分はこんな境遇なのかと、誰かを恨んだりすることのないように。

 自己否定は逃避ではなく、他者への攻撃を行わないための自衛なのだ。

 

 少年――――士道は捨てられた自分は無価値なのだと、必要とされていないのだという諦観の防波堤。

 狂三の場合は……さて、どうだっただろうか。消えてしまいたいと、思ったことがあるかもしれなかった。誰かと殺し合うことで、復讐しか残っていない空虚な心を満たそうともした。

 ただ、どうだったかと己に問わなければいけないほど、時崎狂三は長い時の中で憤怒だけを糧に生きてきた。喜びは忘却し、悲哀は機械的なものへ――――憎悪だけが、長き時を経てなお同じ貌を示している。

 憎悪がなければ生きてはいけなかった。それ以外に必要なものなどなかった。多分、否定という一点で共通する狂三と少年は、同じことで困惑したに違いない。

 

 とどのつまり――――――突然与えられた強い愛情に、戸惑ってしまったのだ。急に必要とされたことへの疑い。どうせ、この人たちも自分を捨てるのだという疑念。

 切り捨てようとして、彼の強い想いに打ち負けてしまったばかりに、忘れていた……忘れようとしていた、変質した感情の数々を無遠慮にぶちまけられてしまった狂三。

 ただし、それは狂三の場合だ。精霊として長い時間を過ごしている狂三と、生まれて間もないと言っていい年齢の少年では感情の整理に雲泥の差がある――――――まあ、感情の整理がついた頃には、「お父さん」、「お母さん」と呼ぶタイミングを逃していたという、何とも可愛い悩みというだけだったのだが。

 そんな悩みを解消したきっかけは――――――子供らしい勇気の花と、優しい家族のお話として、狂三の胸に留めておくことにしよう。

 

『っ……』

 

 すると、その時。〝何か〟が狂三と少年の間に入り込んできた。たとえるなら、二本の繋がれた線に、横からもう一本の線が混濁したような感覚。

 夢の中で狂三が顔を顰め、視線が一度途切れる。それが収まった一瞬後に、狂三が観測する家族の構成(・・)は入れ替わっていた。

 

 父と母と、()。彼女にとっては、手に入れた家族こそが文字通りの〝全て〟。自分を取り巻く〝世界〟。

 家族が揃う何気ない朝食。輝かしい色彩の中で、流れ行く時間。

 

(――――の髪は、本当に綺麗だね)

 

 大好きな姉が梳いて、褒めてくれること。長い髪をお団子状に編んでくれる姉は、彼女からすれば魔法使いのように見えたのだろう。興奮のままそれを伝えると、姉は驚いた顔をしてから、表情を微笑みに変え――――優しく頭を撫でてくれた。

 それが嬉しくて、たまらなく嬉しくて。彼女の〝世界〟はそれで完結していて――――――

 

 

(ねえ、――――ちゃん。随分髪長いけど、少し切った方がいいんじゃない? ねえ、――――もそう思うよね?)

 

(うーん……そうだね。ちょっと伸びすぎかな? 今度切ってあげよっか?)

 

 

 だからこそ、酷く、脆い(・・)。たったそれだけの言葉で、何の悪意もない言葉で、ただ友人へ姉が同意をしただけで――――――彼女の〝世界〟は崩壊した。

 何を馬鹿なことを、などと言えるのは部外者だからだ。少なくとも彼女にとって他人とは、愛する人との一番(・・)ではないと証明する外敵に等しいものだった。自分より大切なのだ(・・・・・・・・・)という、被害意識。

 綺麗だと、好きだと言ってくれた姉が、友人の何気ない一言で言葉を曲げてしまったと思い込む(・・・・)

 引き取ってくれた母も、父も、姉も、皆が自分の知らない世界を持っている。誰かと話をしている。それを許せない、歪に育った独占欲。誰も正してはくれない致命的な誤認識。

 

 ――――あの忌まわしい女が目をつけるのも当然だと、狂三は戻りゆく意識の中で現れたそれ(・・)に届かない毒を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――狂三?」

 

「!!」

 

 意識を回帰させた狂三の鼓膜が震え、感じたのは久方ぶりに少女に名を呼ばれた懐かしさだった。

 とあるビルの屋上で、網膜に映り込む景色を俯瞰しながら、狂三は頭を振って本を手にした(・・・・・・)少女へ向き直る。

 

「……いつから、わたくしは意識を飛ばしていました?」

 

「ほんの数秒前でしたよ。あなたにしては珍しいですね」

 

「ええ……こんなことでは、『わたくし』にも笑われてしまいますわ」

 

 指で目元を抑える仕草をしてみるが、特別疲れが溜まっているような様子は見られない。

 それに、数秒で視る(・・)にしては、妙に長い夢だった。時の精霊が自身の体感時間を疑うというのも、おかしな話ではあるが。

 様子がおかしい狂三を見て、少女もただの疲労ではないと察したのか首を捻り声を発する。

 

「また何か視えましたか?」

 

「……〈刻々帝(ザフキエル)〉が、というわけではありませんわね。恐らく、士道さんとどなたかの過去の記憶ですわ」

 

 士道はともかく、その他の者の記憶が狂三にまで流れ込むなどおかしな話があったものだ。

 ビルのフェンスに指を遊ばせ、物思いに耽る狂三へ少女が素朴な疑問を提示した。

 

「……我が女王、見ない間に潔癖になりましたね」

 

「また何ですの。相変わらず藪から棒に」

 

「だって、【一〇の弾(ユッド)】を使った時は、そんな風に不機嫌になったりしなかったでしょう」

 

 まるで、誰かの記憶を遠慮なしに覗く思慮の浅い人のような言い方をしてくれる。自身のことながら表情筋が歪むのがわかるが、狂三は少女の言いたいことがわからないわけではない。

 これまで誰かの記憶を覗く機会はいつもあった。しかし、それは必要なこととして割り切られたもの。今回のように強制的に誰かの過去を垣間見るのは、狂三だって遠慮というものが存在する。

 それに、もう一つは……くだらない自己満足だと、狂三は息を吐いて言葉を継いだ。

 

「わたくしとて、士道さんの記憶でなければこんな感情を抱いていませんわ。例えばあなたの記憶であれば、情け容赦なく拝見するでしょうね」

 

「私に対する慈悲とか遠慮はないんですね……」

 

「あなたが遠慮するなと仰ったのでしょうに。けれど士道さんは――――――わたくしの記憶を、知りませんわ」

 

 それも、知らないだけではない。知ろうとしてくれて――――狂三はそれを恐れ、拒絶している。

 心のどこかで、知ってほしい(・・・・・・)と思っているくせに。自分の心への苛立ちから、指に込める力が自然と加わりフェンスが歪む。

 

「待ってくださっている方の記憶を、わたくしが一方的に視てしまうなど、不平等ですわ、公平ではありませんわ。勝負は公平でならなければならない、などと綺麗事を吐くつもりはありませんわ。ですが、せめて……」

 

「…………」

 

 せめて、それくらいは、平等(・・)でいたかった。これもまた、狂三の弱い心が生み出した自己満足に過ぎない。

 

「……意外と素の思考が乙女チックですよね、我が女王」

 

「無論、わたくしの同情を誘う、という意味での不平等ですけれど」

 

「そういうところがツンデレと呼ばれる所以なのでは?」

 

 誰も呼んでないし、何だったら少女が限定的に言い張っているだけだ。マリアと言い、ああ言えばこう言うタイプは言い返してもこれだと、狂三は半目で睨み、話を元の方向に戻すため叱咤を放つ。

 

「余計な口を開く前に、必要な情報を選んでくださいまし」

 

「ああ、これは失礼しました。我が女王の仰せのままに」

 

 相変わらず戯けるような礼を見せ、手にした大きな本を宙に浮かべ、開かれた頁にか細い手を触れさせる。

 すると、少女の意志に呼応するように本が――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉が光を放ち、少女と狂三が求める情報の解を即座に導き出す。

 その力こそ、唯一無二、全知の天使が持つ輝き。地球上のあらゆる事象を閲覧できる能力。たとえば、今起きている出来事、士道と六喰のデート(・・・・・・・・・)を見ること、とか。

 

「……今のところ、大きな問題はないようです。強いて言えば、星宮六喰の長い髪を切る提案をした時、彼女の感情が大きく揺れ動いたことでしょうか」

 

 続けて「ま、本人にも理由はわからないようですけど」、と付け加えられた情報を聞き取り、狂三は顎に手を当て思考を巡らせた。

 〝髪〟。六喰の足元まで及ぶ長い金色の髪――――そういえば、先の夢に同じような光景が浮かんでいた気がして、狂三は微かに眉をひそめた。

 と、少女が今度は少し言いづらそうに声を発した。

 

「……それと、五河琴里が煽りを受けました、胸の」

 

「…………ああ、なるほど」

 

 大方、目立つ服から着替える時に何かあったのだろう。デート前に士道の家に立ち寄ったことは検知済みだ。

 六喰と琴里は見た目でいえば同年代に見えるが、胸部に決定的な格差がある。それこそ、レベル1とレベル99の差くらいはあってしまうのだ。

 同情と哀れみから、今度会う時はさり気なく甘い物の差し入れをしてあげようと思う狂三だった。そんな哀れみと悲しみの視線を作る狂三に、少女が乾いた笑いを返した。現実というのは、非情ながら受け入れなければならないものなのだ。

 

「……というか、一応本条二亜からの借り物なのに、躊躇いなく使いますね」

 

「『わたくし』のものはわたくしのもの。あなたの力はわたくしのもの。つまり、二亜さんの〈囁告篇帙(ラジエル)〉もわたくしのものですわね」

 

「……さすが我が女王」

 

 ふふんと得意げに微笑んで見せると、少女がそう言葉を発する。言葉とは裏腹に、褒め称えるというよりは呆れ果てている声色ではあったが。

 

「私もそのつもりで力に慣れるよう努力はいたしましたけど……いつものやり方で、問題はなかったのでは?」

 

「あら、あら……」

 

 確かに、少女と狂三は今まで同じ方法でデートを見守ってきた。初めは士道の監視という観点から、次第に士道の危機を素早く察知できるように、という理由から。今は霊装を纏っているとはいえ、素早く駆けつけられるという立ち位置ではない。

 苦言という程ではないにしろ、従者からの疑問には答えねばならない。

 

「あなたの言う通りですわ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉越しでは、感じ取り方に違いが出てしまうのも事実」

 

「それを差し引いても、星宮六喰と距離を置きたい理由があった、と?」

 

「……一つは、六喰さんの〈封解主(ミカエル)〉。移動に活用されては、監視に支障が出てしまいますわ」

 

 事実、士道を出会い頭に〈封解主(ミカエル)〉の力で扉を開いて拉致、ということや、提案されて真っ直ぐ士道の家に扉を繋げることまでしている。

 幾ら少女の足があるとはいえ、距離をいきなり離されては面倒なことこの上ない。それなら、〈囁告篇帙(ラジエル)〉で確実に監視した方が安全かつ素早い。

 だが、理由としては今一つだろう。だから、一番なのは狂三自身のとある感情によるもの。一つの警戒心(・・・)からだった。

 

「もう一つは、わたくし自身が六喰さんに対して少しばかり警戒をしている、というものでしょうか」

 

「……〈封解主(ミカエル)〉の力ですか? それとも、〈刻々帝(ザフキエル)〉が何かを視せたと?」

 

「そういうものではありませんわ。これは――――――」

 

 これは、そう。他人には理解し難いものなのだろう。過去の『狂三』に聞いたところで、理屈のないそれは、理解からは程遠い答えが返ってくるものだ。

 しかし、狂三にはその確信があった。後ろ手に組み、薄く微笑んだ狂三は風に乗せて言葉を紡いだ。

 

 

「――――女の勘、ですわ」

 

 

 たったそれだけで、狂三は星宮六喰と一切接触しなかった(・・・・・・・・・)

 いつもより感情の読みやすい白い外装の下から、ぽかんと呆気に取られた反応の波が伝わってくる。

 無理もない。指示を出す狂三がこんな一般的な理論から外れた理由を提示するなど、白い少女からすれば驚きが一番に来る感情のはずだ。事実、少女はそのまま正直な感想を口に出した。

 

「……未来予知まで出来るあなたが、女の勘に頼るとは」

 

「わたくしもそう思いましてよ。非論理的な感情ですわ。今回ばかりは、あなたが方針を変えたいというなら、無理強いはいたしませんことよ」

 

「我が女王がお決めになったことであれば、私が何かを変えようなどとおこがましい。まあ、あなたの言う通り些か非論理的で――――――」

 

 と。少女が不自然に言葉を切ったところで、狂三もそれ(・・)に気が付き眉根を上げる。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉が一層に輝きを増し、少女に何かを伝えた。それも、外装の下で少女の感情を動かすほどの〝何か〟を。

 

「何か士道さんの方に変化がありましたの?」

 

「……ええ。少し、いえ、かなり状況が切迫するかもしれないものが――――げに恐ろしきは女の勘と執念、ですか」

 

「……? 何を――――ッ!?」

 

 目を見開いた狂三の視界が、刹那――――真っ白に染まった(・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 六喰とのデートは至極単純明快でオードソックスなものであり、それでいてかなりの充実感を与えられたものだった。

 街並みを散策し、気になった店に立ち寄り、六喰の趣味に合うものを購入し――――だからこそ、気になることができてしまった。

 蒔絵の扇子という古風なものでパタパタと扇ぎながら、六喰が上機嫌に鼻歌を歌っている。そんな六喰の隣でベンチに腰掛けた士道は、インカムから届く琴里の声を揺れる心で聞いていた。

 

『――――いい感じね。今日一日で、六喰は士道に十分心を開いている。封印可能域までもう一押しってところよ。あれだけ苦労したのは一体なんだったのかしら。気を抜かず、このまま一気に畳みかけましょう』

 

「……ああ」

 

 無邪気にはしゃぐ六喰を横目で捉えながら、士道は僅かに躊躇いを乗せた声を返した。僅かではあっても、琴里には当然悟られてしまうほどのものだったのか、彼女がインカムから不思議そうに尋ねた。

 

『何、どうかしたの?』

 

「いや……確かに、六喰は凄く楽しそうだし、好感度も機嫌も上がってるならそれに越したことはないんだけど……ちょっと、気になってな」

 

『何がよ』

 

「――――六喰が自分の心に鍵を掛けた理由。どうして、宇宙に一人でいたんだろう……って」

 

 鍵を開き、心を開いた。結果、士道は六喰の好感度を上げることができている。それ自体は喜ばしいことだし、六喰が〝楽しい〟と感じてくれていることが士道にとっての喜びだ。

 だが、素直に感情を表すことができる六喰だからこそ――――士道は、宇宙で問うた疑問の答えが気になってしまったのだ。

 何も必要とせず、感じることをせず、考えることもなく。人形のように静止した世界で生きることを選んだ六喰。どうしてそうなったのか(・・・・・・・・・・・)。結果に至るまでの過程を、士道は手にすることができていないのである。

 なぜ、悲しき選択をしてしまったのか。今の六喰を見てしまったからこそ、士道は理由を想像することさえできなかった。

 

『それは……確かにね。でも、大事なのは昔の六喰じゃなくて、今の六喰でしょ? 霊力封印のチャンスを逃す理由にはならないわよ』

 

「ああ……わかってる」

 

「――――ふふふ」

 

 と、琴里と話し込んでいた士道の耳に六喰の笑い声が届いたことで、会話に集中していた意識を即座に六喰へ向き直した。

 

「なるほどのぅ。主様が言うだけある。実に楽しい一日じゃった」

 

「はは……気に入ってもらえたなら何よりだ」

 

「ほむ。礼を言っておこう。確かにむくがあのまま空にいたなら、生涯味わうことのなかった楽しみじゃろう。いやしかし、むくにここまでしてくれるとは、さては主様――――――」

 

 不意に細められた六喰の目に、士道は心が見透かされたような気になり、逃げるように身体を逸らした。

 宇宙で相対した時も思ったのだが、六喰という少女は事の本質――――裏側を見抜く力に長けた子だと思わされてならなかった。

 

「え? な、なんだ?」

 

「――――むくのことが好きなのじゃろう?」

 

 が、今回は的外れな思考だったようだ。いたずらっぽい笑みを浮かべて放たれた言葉に、警戒し過ぎたかと士道は苦笑に望みの言葉を返す。

 

「……ああ。六喰のことは好きだし、守ってやりたいと思うよ」

 

 嘘はない、本当の言葉だ。偽りを好かないと言った六喰のためにも、士道は今の六喰が相手だろうと嘘を言う理由はない。精霊たちを守りたいのも、皆が好きなのも、士道が本気で貫くものなのだから。

 士道がそう返すと、六喰は豊かな表情の口元を扇子で隠し、足をパタパタとさせながら言葉を継いだ。

 

「ふむむん、そうか、そうか。むくのことが好きか。ふむむん――――むくも、主様のことが気に入ったのじゃ。好きじゃぞ、士道」

 

「っ――――ああ、俺も好きだよ、六喰」

 

 士道の顔を覗き込むように――――幼いながらも、妖艶さを感じさせる六喰に息を詰まらせながら、何とか彼女の求める言葉を解き放ってみせる。

 答えに満足したのか、六喰は満足げに笑みを作ってくれた。

 

「んふふ。そこまで言われては仕方がないの。――――よかろ。主様が宇宙で申した件、考えてもよいぞ」

 

「!! 本当か?」

 

「むん。ま、霊力を失うという点だけは気に掛かるが……その分主様がむくを守ってくれるというのであれば、悪い気はせぬ」

 

 満更でもない、といった様子の六喰を見て、士道の中で張っていた気がほんの少しだが緩むのがわかる。

 依然として、六喰が心を閉じた理由は気にかかる。しかし、それに囚われすぎて、琴里が言うように今の六喰を蔑ろにするわけにはいかない。大切なのは、六喰が納得し、封印に応じてくれることだ。六喰が幸せに暮らせると士道を信じてくれるのなら、全力でそれに応えよう。

 だが、上機嫌のまま次に放たれた言葉に、士道は返す言葉を失った。

 

 

「――――ただ、もちろんあれじゃぞ? むくと契る以上、昨日あの部屋にいたおなごたちとは金輪際会わぬと違うのじゃぞ」

 

「――――――え?」

 

 

 あまりに、自然であり……そして、それが間違っているなどとは一切思ってもいない顔。

 呆気に取られた士道に、六喰は不思議そうな顔で続ける。

 

「何を不思議そうな顔をしておるのじゃ。当然のことではないか。主様はむくのことが好きなのじゃろう? むくも、主様のことが好きじゃ。ならば主様はむくに何をしても構わぬ。しかし、そこに別のおなごが入ってくるのはおかしな話じゃろう?」

 

 当然、といえば当然なのかもしれない。今まで、そういった精霊がいなかったことがある意味で異常だったのだろう。

 六喰が言っているのは、士道の好きからは外れた――――言うなれば、一生の婚姻関係(・・・・)近いものだ。つまりそれは、精霊が現れる度に封印してきた士道たちにとって、致命的な打撃となり得る一打であり、士道個人としても、受け入れることは不可能なものなのだ。

 士道にはまだ、救わねばならない人がいる。救いたい人が、いる。改めて考えれば、士道の行動を許容してくれている狂三は……精霊たちを受け入れてくれている狂三だからこそ、絶妙なバランスで成り立っていると再認識する。

 それが崩されてしまった瞬間、どうなってしまうのか。少なくとも、現状で士道が取れる行動は一つだけだ。

 

「むん? むくは何かおかしなことを言っておるか?」

 

「……あのな、六喰。よく聞いてくれ。それはできないんだ」

 

「むん? 主様は浮気性か?」

 

「………………」

 

『傷ついてる場合じゃないでしょ。封印と婚姻は違うものだって、ちゃんと説明してみるのよ』

 

 わかっている。わかってはいるのだが、何一つ反論ができない自身の現状と心に刺さる指摘に、さすがの士道のハードボイルドな魂にもヒビが入るというもの。どっちかといえば、ハーフボイルドじゃない? とか琴里からテレパシーが飛んできた気がするがスルーし、コホンと咳払いをしてから気を取り直して言葉を返す。

 

 

「前も言ったように、俺は、精霊みんなを救いたいと思ってるんだ。だから……これからもお前みたいな精霊が現れたら力を封印しなきゃならない。それに――――俺は、今まで封印してきた精霊たちのことも、六喰、お前と同じくらい大好きなんだ。六喰にも、みんなと仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 

 これでわかってくれるなら、話は簡単に済むのだが……六喰は、士道の言葉にキョトンとした表情を作った後――――何かを思いついたように手を打った。

 

「――――そうか、そうか。そういうことか。主様は優しいの」

 

「へ?」

 

「わかった。みなまで言うな。むくに任せておくがよい」

 

「お、おい、六喰……?」

 

 言うなり、軽やかにベンチから立ち上がり、蒔絵の施された扇子を閉じて、口元に触れさせる。

 驚くほど様になる美しい仕草――――だが、士道に漠然と不安を覚えさせる妙な気配が、今の六喰からは感じられた。

 

「――――では、今宵はここでお別れじゃ。また近いうちに会おうぞ、主様」

 

「六喰!?」

 

 暗い夜道をあっという間に走り去る六喰を見て、士道も遅れてあとを追いかける。彼女が普通の少女であれば、それで追いつくこともできたかもしれないが……〈封解主(ミカエル)〉を持つ六喰に、そのような理論は通じない。

 一瞬あとにも関わらず、六喰は影一つなく消え去っていた。

 

「一体……何をしようっていうんだ……?」

 

 心を開いた彼女が残した、不可解な言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを正しく理解したのは、母と父と、()()の夢を見た次の朝。

 

 

「――――あなた一体誰よ!! なんでうちの中にいるの!?」

 

「…………………………は?」

 

 

 ――――閉じた心を開くことが、必ずしも心を正せるものではないと、士道は嫌というほど思い知る。

 

 

 







割とこの二人の軽いテンポな会話は久しぶりな気がする。折紙編辺りから会話が重くなっていましたのでね。(表面上は)元通り。

そんなこんなで、我が女王の視点からお送りしました六喰デート編。何だかんだで、一番恐ろしいのは女の勘と執念だと思いますよ。というより、人の執念でしょうか。

さあ、さあ。無垢なる善意。最後の精霊が持つ真の狂気が明らかに。本当の意味で、その心を救うことは叶うのか。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十四話『白い悪夢』

 

 

『――――すまんが、何を言っているのだ?』

 

 どこにも、存在しない。

 

『あなたは一体誰?』

 

 記憶とは、存在の証明。記憶とは、他者が個人を認識するために必要なもの。

 

『え、えっと……すみません、わかりません』

 

『……意味わかんない。いこ、四糸乃、よしのん』

 

『あっははー、ごめんねおにーさん。別当たってー』

 

 記憶こそが歴史を積み重ね、記憶こそが世界を創る。記憶が、〝時間〟を生み出す。

 それが失われた瞬間、世界は容易く崩壊する。世界とは即ち、個人のもの。たった一つ、存在の証明の手段が失われれば、世界と個は離別し、完全なる孤立を意味する。

 

 故に、士道が最後の〝希望〟に縋り付くのは当然の結実なのだ。

 黒と紅。誰よりも愛おしい、彼女の背中を目にして。士道は力の限り彼女の名前を呼んだ。

 

 

『狂三ッ!!』

 

 

 手を伸ばせば、いつだって彼女は応えてくれた。勇気を奮い立たせた士道を、いつだって助けてくれた――――――だから、今回もと、思っていたのか?

 

『――――あら、あら』

 

 振り向いた、〝最悪の精霊〟。鮮血の瞳と、魔の時計盤が士道を射抜く。蠱惑の微笑。魔性を思わせる雰囲気――――士道の知る狂三はいないのだと、絶望の淵で悟る。

 

『どなたか存じ上げませんが、随分と――――イイモノ(・・・・)をお持ちですわね』

 

『くるッ――――――』

 

 〝影〟が出。白き悪夢の腕が士道の身体を絡め取り、深い深淵へと呑み込んでいく。

 抗う術などない。元より、時崎狂三がその気(・・・)になれば、こうなることは運命として決まりきっていたのだから。

 けれど、こんな結末を望んでいたわけではない。そう抗う士道の胸板に、分厚い靴の底が叩きつけられた。

 

 

『が……ッ』

 

『さようなら、士道さん(・・・・)。せめて、わたくしの中で、わたくしの全てを、知ってくださいましね――――きひ、ひひ、ひひひひひひひひッ!!』

 

 

 見上げる鮮血のドレスが、歪んでいく。ああ、歪んでいるのは士道の方だ。呑み込まれていく。士道の全てが、彼女の中に溶けて消えていく。

 

 ああ、それでも――――――凄絶に笑う時崎狂三が、途方もなく美しい(・・・)と、無数の腕に抱かれながら、士道の意識は失落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うあぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 喉を痛めるほどの絶叫で、目覚める。跳ね起きて、それが自分のものだと認識するのに、そう時間はかからなかった。

 

「は……っ、ぁ――――う、っ」

 

 そうして引き起こされる強い嘔吐感。口元を覆いながらベンチから立ち上がり、公園に設置された水飲み場へ走る。

 

「ぐ……げほっ、げほっ」

 

 幸い、朝から何かを摂取したわけではない士道の胃からは、多少の胃液が吐き出される程度で済んだ。

 荒い息に構わず、手を洗いながら乱雑に口元を拭う。今、目の前に鏡があったなら、士道はさぞ人には見せられない顔をしているに違いないと苦笑する。

 

「……どんな〝悪夢〟だよ、まったく……」

 

 妙な夢を見て、寝不足と心労による疲労が祟ったのか。途方に暮れて公園のベンチでうたた寝をして、恐ろしい夢を見てしまったようだ。

 時崎狂三が、五河士道を忘れる。考えただけで、死んでしまいたくなるほどの絶望だ。想像もしたくない。多分、本当に狂三が士道を忘れ、みんなのように(・・・・・・・)なっていたら、その時は――――――

 

「……はは、だから最後は〝願望〟が入ったのかよ、五河士道」

 

 夢の最後を思い出し、濡れた手を顔に当てながらどうしようもなく乾いた笑いをこぼした。

 忘れられるなら――――いっその事、士道をその身に刻み込んで欲しいと。だから、最後の狂三だけは、五河士道の破滅願望(・・・・)。心のどこかにある、狂三の願いを受け入れる馬鹿な男の願望が、夢に現れたということかもしれない。まあ、夢が士道の願望を正しく受け取ったのであれば、だが。

 

「……しっかりしろ、俺」

 

 現実逃避をしても、仕方がない。気合いを入れるように、両手で自分の頬を叩き、残っている気力を奮い立たせる。

 まずは、現状の確認からだ。客観的に、そして逃避なく整理をするなら――――五河士道という存在を、周りの人間が忘却(・・)した。

 琴里も、十香も、折紙も、耶倶矢も夕弦も二亜も美九も四糸乃も七罪も。誰も彼もが、士道〝だけ〟を忘却し、他人のように振る舞っていた。

 まだ確かめていないのは、士道から連絡が取れない〈アンノウン〉と……前述の夢に出た狂三だ。が、士道がこの状況で姿を現さないとなれば、最悪の場合――――――

 

「っ……馬鹿か」

 

 頭を振り、ネガティブな考えを追い出す。確かめてもいないのに、何を想像して絶望に浸ろうとしている。

 本当に忘れられていたとして、士道は狂三を諦められるのか――――諦められるわけがない。惨めにもがいて、絶対に思い出してもらう。諦めるより先に、士道の命が尽きる方が早いに決まっている。

 とにかく今は、現状を打破方法を探すのだ。たった一人でも、士道は諦めるわけにはいかない。

 

「何が、どうなってんだ……」

 

 言葉にするなら、士道〝だけ〟が存在しない世界。昨日までは普通に接していた人たちが、他の関係性をそのままに士道という人間だけを、急に忘却したような感覚。

 たった一点が違うだけで、こうも周りを取り巻く世界は変わる。士道なりに全員と接触を試みては見たものの……結果は散々たるもの。

 別の世界、パラレルワールドに迷い込んだような違和感。いっそのこと、士道の知らぬ間に歴史が改変され、士道以外の誰かが成り代わっていれば話はまだ楽になる。しかし、曲がりなりにも精霊を救ってきた存在がいない歴史改変など、相当力技な介入を行ったとしか思えない。そもそも、その場合は士道がここにいること自体がおかしくなる。

 取れる手段など、もう多くは残されていない。考えの通りに乗っ取るなら、士道が接触すべきは狂三と〈アンノウン〉だ。今までは〈ラタトスク〉の助けがあったが、今回ばかりは期待することができない。

 あらゆる手段が失われている。あの二人でさえも、士道から探し出す手段が少なすぎる。過去、初対面(五年前)の狂三と接触できたのは、当の狂三がいたからなのだ。普通に考えれば、神出鬼没な二人を探し当てることなど不可能に近い。

 だが、手当り次第だろうとやるしかない。士道を覚えている可能性がある者など、もう――――――

 

 

『わかった。みなまで言うな。六喰に任せておくがよい』

 

「――――――」

 

 

 否、いる。たった一人だけ、士道が接触しておらず、行方を眩ませている精霊が。

 星宮六喰。宿す天使――――〈封解主(ミカエル)〉。万物を閉じる(・・・・・・)ことのできる、天使。

 六喰の不可解な言動。〈封解主(ミカエル)〉の絶大なる力。周りの異常現象。士道でなくとも、関連付けるのは簡単なことだった。

 

「まさか、お前の仕業なのか、六喰……!?」

 

 記憶を『閉じた』なら、どうなるか。有機物、無機物……そんなもの、形のある奇跡足る天使には無意味な境界だ。心に鍵を掛けられる〈封解主(ミカエル)〉なら、記憶に鍵を掛けることなど造作もないだろう。

 所詮は士道の憶測。証拠のない決めつけ。しかし、現状の状況を考え、推測をしていくと、こんな状況を作れる精霊は六喰と、過去改変を可能とする狂三しか上げられなかった。

 

「…………」

 

 仮説を立てられたなら、残るは実践。憶測、推測……己の知識を動員し、解を導き出すのが、今まで彼女から学んできた士道のやり方の一つ。

 〈封解主(ミカエル)〉が原因となっていると仮定。打開への策は、鍵を開く(・・・・)こと。士道の知る限り、それができる天使は二つ。

 一つは、現状の士道では頼ることができない狂三の天使〈刻々帝(ザフキエル)〉、【四の弾(ダレット)】。あの弾丸の力なら、記憶が『閉じる』前まで、対象の時間を巻き戻す(・・・・)ことが可能。

 もう一つは、今、士道の手のひらに集中する〝力〟。

 

「――――〈贋造魔女(ハニエル)〉」

 

 公園に人気がないことは確認済み。遠慮なしに、士道は魔女の天使を現出させる。

 

「【千変万化鏡(カリドスクーペ)】……!!」

 

 次いで、言葉を紡ぐ。

 集中力を高め、〈贋造魔女(ハニエル)〉の極地、秘奥とも言える形へ昇華。千変万化の名の元に、もう一つの手段――――〈封解主(ミカエル)〉の複製を生み出す。

 一度、六喰の心を開いて見せることができたからこそ、士道はこの力で皆の記憶を開くことができると予測、いいや、確信を持った。

 

「え……?」

 

 だが、士道はここで選択を誤った。確かに〈封解主(ミカエル)〉の複製は、状況打開の解だった。

 必要だったのは、冷静な分析と、冷静な状況判断。士道に欠けていたのは、後者。

 天使とは、精霊が持つ絶対の矛。持ち主が扱うからこそ最大の力を発揮し、持ち主だからこそ全ての特性を理解し得る。

 故に、士道の持つ巨大な鍵の形をした錫杖に、巨大な鍵の先端(・・・・・・・)が刺さったことで、己の失策を悟った。

 

「しま――――」

 

「――――【(セグヴァ)】」

 

 何もかもが遅い。全てが後手に回ったこの状況で、士道の後悔など無意味に等しい。

 偽の〈封解主(ミカエル)〉の横から小さな穴が開き、突き刺された鍵が音を立てて回される。

 刹那、士道の手にあった錫杖が淡く輝き、〈贋造魔女(ハニエル)〉の形に戻ってから粒子となって溶けて消える。

 ――――偽の〈封解主(ミカエル)〉が、『閉じ』られた。

 

「……六、喰」

 

 目を見開いて、広がりを見せる穴を呆然と見続ける。

 空間の穴、『扉』は鍵を通す細穴から人が容易く通れる大きさへと変貌したのち、そこから一人の少女が現れた。

 首元にくるりと巻かれた金髪に、琴里の持つ服のデザインを再現した物を纏う、小柄な少女。

 

「むふふん。むくの鍵を開けた主様であれば気づくと思っておったぞ。さすがじゃの」

 

 星宮六喰は、そう言ってニコリと微笑んだ。

 そんな微笑みとは対照的な戦慄を、士道は六喰の言葉から感じ取る。

 天使は持ち主が一番特性を理解している。わかっていたはずだ。わかっていた、つもりだった。

 六喰がしたことに気づき、対策に士道が偽の〈封解主(ミカエル)〉を持ち出す――――そのタイミングで、今度は六喰が〈封解主(ミカエル)〉で偽の力を封じ込める。

 解錠の力で心を開かれた六喰が相手だからこそ、解錠の力を封じる可能性を考慮に入れておくべきだったのに。持ち主の六喰が、士道の力を放っておくはずがないだろうに。

 これは士道の過失であり、同時に、士道の仮説が立証されたことを意味していた。

 

「六喰……やっぱり、お前がみんなの記憶を!!」

 

「むん、そうじゃ。すごいじゃろう」

 

 得意げに腰に手を当て胸を反らす六喰を見て、士道は理解できない思いと共に叫びを上げた。

 

「なんで!! 一体なんでこんなことを!!」

 

 理解ができない。一体、みんなの記憶を『閉じ』て何をしようというのか。引き起こされた現象の理由は推察できても、引き起こしたこと自体の理由を、士道は推察どころか理解さえできない。

 その答えは、返された言葉の中にあった。

 

 

「なんで? ふむん。異なことを聞くのう――――――こうすれば、むくと主様は二人きりじゃ。もう何も心配はいらぬぞ。心置きなくむくを愛でるがよい」

 

「な……!?」

 

 

 屈託ない笑みと、狂気に満ちた言葉の差異が、士道の息を詰まらせた。

 〝異質〟。一言で表すなら、それが正しく相応しい。

 狂三のような殺意混じりの狂気ではない。〈アンノウン〉のような、主に立ち塞がる者全てに容赦をしない狂気――――ある意味で、これが近しい。それでいて、違う。

 愛情は同じ。しかし、善意があまりにも一方的(・・・)なのだ。許容などない。悪意などない。あるのは――――――無垢という名の、狂気。

 

 

「のう、主様」

 

 

 嫋やかな仕草。穏やかな微笑み。

 

 

「むくのことが、好きなのじゃろう?」

 

 

 しかし士道は、答える術を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「あーっ!! 惜っしい!! そこそんな!? あー!!」

 

「勝利。危ないところでしたが、夕弦の勝ちです。昼食のおかずトレード権はいただきです」

 

「うぐぅぅぅっ!!」

 

 何やら得意げに胸を反らす夕弦と、逆に悔しげに床を叩く耶倶矢。

 今日も騒がしい五河家のリビングでは、精霊たちが絶賛勢揃いしていた。その中で、八舞姉妹はどうやら可愛らしい賭け事をしていたようだ。やれやれと琴里は息を吐き、時間を確認しながら声を発した。

 

「勝負に口を出すつもりはないけど、ちゃんとバランスよく食べないと身体に悪いわよ――――ん?」

 

 そこまで口に出して、考える。時刻は昼時。昼食にはちょうどいいと言える時間帯――――――はて、琴里は今までこれほどの大所帯を抱えて、どうやって料理を用意していただろうか。

 

「……ッ」

 

 それを考えていた時、鈍い頭痛が頭に走り片目を閉じて顔をしかめる。何やら、今朝から妙に――――そう、あの男(・・・)を見てからというもの、時折頭痛が襲いかかってくる。

 すると、琴里のおかしな様子に気づいた四糸乃が、つい数分前に美九の魔の手で墜ちた七罪の背中をさすりながら、心配そうに目を向けてきた。

 

「どうかしましたか、琴里さん」

 

「え? ああ、いや……なんでもないわ。そろそろお腹空いてきたし、今日はピザでも――――――」

 

 と。誤魔化すように昼食のメニューを決めたところで、琴里の鼻腔をどこからか漂ってきた良い匂いがくすぐった。

 それは追うまでもなく、ご丁寧にキッチンから歩いてくる演出までオプション装備した彼女、メイド服(・・・・)の狂三。彼女が両手に大皿、その上に焼き上がったピザを乗せて現れたことで、あっさりと正体が発覚した。

 

「さあ皆様、食事のお時間ですわ。存分に召し上がってくださいませ」

 

『わーっ!!』

 

 大半の精霊が食いつき、置かれた大皿から思い思いにピザを手に取る中、琴里は半目でメイド服の狂三を見やる。

 どうやって持ってきた。そもそも、いつ入ってきた。そんな琴里の考えなどお見通しなのか、胡散臭い微笑みを狂三は浮かべている。

 

「……何か変なもの入れてないでしょうね?」

 

「あら、あら。琴里さんは闇鍋をご所望でしたの? 残念ながら、ご期待には添えない普通のものですわ」

 

「どうだか……狂三(オリジナル)ならともかく、あなたが出すとなるとね」

 

 髪をくるくると弄り、皮肉った一言を告げてやる。メイドがメイドらしいことをしているのが違和感など、おかしな話があったものだ。別に服がそうだからと言って、メイドの狂三がメイドというわけではないのだが……これは、頭痛のする頭で考えると、よくわからない思考になるという一例だろう。

 とまあ、狂三(オリジナル)の名前を出した途端、分身である狂三が妖しげな笑みを作り出したことで、琴里も訝しげな顔をしてしまう。

 

「……何よ」

 

「いえ、いえ。つかぬ事をお聞きいたしますが――――――琴里さん、いつ(・・)『わたくし』へ、そのような信頼を置くようになりましたの?」

 

「はぁ?」

 

 若干の苛立ちを込めた声を発したのは、別に親しいわけではないという意思表示からかもしれない。……以前よりは、気兼ねなく話せるようになったとは思うが。

 とにかく、意図が読めないというより、本当につまらないことを聞いてくれる。分身体の狂三が、本体と琴里の交流を知らないはずがない。呆れた目で狂三を睨み、琴里は言葉を返した。

 

「そんなの決まってるでしょ。狂三は――――――あ、れ」

 

 言葉を、返そうとした。返せなかった(・・・・・・)

 どこで、何があった。そう、あの時、狂三が全力で()への想いを明かした瞬間。()を殺すため、守ろうとして、琴里を立ち直らせた狂三だから、いつの間にか信頼を置いていて――――――()とは、誰?

 

「あ、ぐ……」

 

 致命的に欠落している。欠けてはいけないもの。欠けるはずがないもの。その違和感は、表面化しないはずのもの。〝何か〟の力で、欠落の原因が〝消失〟しかけて――――何を、言っている?

 不明な知識と、不明瞭な記憶が琴里の頭を酷く痛ませる。鈍器で殴られたような痛みに、琴里が頭を抱えて呻いていると、狂三がくすくすと笑っているのがわかる。

 

「あんた、何か……知って……!!」

 

「ええ。わたくしが何かを述べたところで、意味などないのでしょうけれど――――きひひひ!! 高々、人間一人の記憶にこの騒ぎ……世界を騙すことなど、考えるより簡単なのかもしれませんわねぇ」

 

「何を――――――」

 

 追求をしようとした琴里の背後から、何やら騒がしい声が響き、そこでようやく異常事態に気がついた。

 頭痛に呻いていた琴里に皆が気づかなかった理由が、振り向いた先にあった。あの鉄の女とまで言われている折紙が倒れていて、ちょうど琴里が気がついたその瞬間、何事もなかったかのように起き上がったのだ。

 

「折紙……? どうかしたの? どこかおかしいなら――――――」

 

「ううん――――大丈夫です。心配かけちゃってすいません」

 

 真っ直ぐに見つめる純真な目と、丁寧な口調。

 

「…………」

 

 思わず、一瞬頭痛すら忘れて気味の悪い汗が背中を伝う。

 

「お、折紙?」

 

「はい、なんですか?」

 

「あの、一応聞くけど、あなた折紙よね?」

 

「えっ? そうですよ。何言ってるんですか」

 

 苦笑する折紙の表情に、折紙らしいものは何一つない。例えるなら、お話に出てくる良いとこのお姫様か、超絶優等生を思わせる笑顔。

 断じて、絶対に、琴里たちの知る折紙ではない。

 

「ひ、ヒェ……ッ」

 

「戦慄。高熱ですか? いえ、マスター折紙、まさか既に脳が……」

 

「誰かー!! 折紙さんをー!! 折紙さんを助けてくださぁぁぁぁぁいっ!!」

 

「えっ、私の扱いそんな感じなんですか……?」

 

 若干ショックを受けたように力なく笑った折紙だったが、何かを思い直して表情を引き締める。その視線の先に――――――分身体の狂三がいた。

 

「時崎さん――――の、分身ですよね?」

 

「ええ、ええ。肯定いたしますわ。そして、お待ちしていましたわ……少しばかり、予想外ではありましたけれども」

 

 言って、本当に意外そうな顔で微笑みを浮かべる狂三。

 

「オリジナルの彼女は……」

 

「健在ですわ。もちろん、記憶も(・・・)

 

「!!」

 

 狂三との会話の中で驚いたように目を見開く折紙を見て、精霊たちはみな首を傾げている。

 当然、琴里もそれは同じだった。一体、二人は何の話をしているのか。なぜ、突然に折紙は豹変したのか。

 その疑問を問いかけるより早く、狂三が長いスカートの裾を掴み、オリジナルにも負けない優雅な礼を行う。まるで、折紙の変質を歓迎するかのように。

 

「予定とは異なりますが、好都合ですわ。折紙さん、あなたをお連れいたしますわ」

 

「待ってください!! 皆さんの記憶は……」

 

「無駄ですわ。周到に、六喰さんに関する記憶まで『閉じて』いかれた以上、ここで出来ることはありませんことよ――――それに、時間が許すとも思えませんもの」

 

「え……きゃっ」

 

 言うなり折紙を背に抱え、悲鳴を上げる彼女に構わずリビングから退出しようとする狂三に、呆気に取られていた琴里は正気に帰り慌てて静止をかける。

 

「ちょ、待ちなさい!! 一体何を……!?」

 

「琴里さんは、いつも通り(・・・・・)サポートをお願いいたしますわ。どうやら、跳ね返すまでもう少しお時間が必要なようですので。まあ、頑張ってくださいまし」

 

「いや、だから何言って……!!」

 

 何とも心のこもっていない激励に、そもそもその激励の意味さえ理解ができない琴里は声を上げるが、狂三は構うことなく部屋から退出する。

 

 

「さて、間に合うといいですけれど――――――こと士道さん(・・・・)となれば、熱くなる『わたくし』には困ったものですわ」

 

「……ッ!?」

 

 

 苦笑にも似た困り顔と、琴里の頭痛を強めるその名を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ふむむん、楽しいの。のう、主様も楽しいか?」

 

「……、ああ、楽しいよ、六喰」

 

「ふふ、そうかそうか」

 

 士道から返される言葉が心底嬉しい、と言うように六喰は繋いだ手をブンブンと振った。

 

「のう、主様。主様はむくのことが好きか?」

 

「もちろんだ。大好きだよ」

 

「むくもじゃ。ふふ……幸せじゃの」

 

 屈託のない笑み。頬をほんのりと赤くし、本当に幸せだと感じている六喰。

 宇宙で漂っていた頃に比べれば、人らしく、幼い子供らしい感情表現――――ただし、それが今は完全に裏目に出ていた。

 皆の記憶が『閉じ』られたのち、士道と六喰は天宮市を練り歩いていた。先日のデートは、六喰の中でも大層気に入ったらしく、再び二人で街を見て回りたいと言い出したのだ。

 

「のう、あれはなんじゃ!!」

 

 見るもの全てが六喰にとっては目新しいのだろう。目を輝かせて問うてくる六喰に、士道は彼女が望むだけの優しさを込めて言葉を返す。

 ……返さざるを得ない、のだ。数時間前、〈封解主(ミカエル)〉が封じられた士道は、当然ながら六喰の説得に集中した。

 六喰と同じくらい、皆のことも大切に想っている。だから、皆を元に戻してくれ、と。

 が、六喰がそれに応じることはなかった。価値観の、致命的なズレ(・・)。今までも精霊の中には、常人離れした価値観を持っていた者がいたが、六喰のそれは他者の排斥(・・・・・)

 六喰が好きなのだから、他の女の子はいらない。そして、士道が素直になれないのは他の女の子がいるから……そんな価値観を、何の疑いもなく六喰は持ってしまっていた。

 純粋無垢。それが星宮六喰という精霊の本質であり、異質さだ。

 

「…………」

 

 状況打開の策を、一つ完全に潰された。だからといって、士道が本心から諦めて付き従っているかと問われれば、答えはNOだ。

 無言で自らの唇に手を当て、切り札を再確認する。

 ――――口づけによる、霊力の封印。

 唯一にして最大、未だ六喰にも知られていない士道の切り札にして、目的達成のための力。霊力の封印が行えれば、自ずと『閉じ』られた皆の記憶も元に戻るはずだ。

 だが、迂闊に実行には移せない。現状、士道に味方は不在。その上、一度冷静さを欠き、切り札の一つを封じられているのだ。仮に、好感度が真の意味で封印可能な領域へ達していなければ……最悪の場合、同じことがもう一度繰り返される可能性だってある。

 そして、もう一つ士道にはどうしても気がかりなことがあった。

 

「……六喰。お前は、なんで」

 

 他者の介入を拒み、狂気的なまでに士道を独占したがる理由。自らの心に鍵を掛け、一人宇宙を漂っていた訳。

 六喰が全てに納得をして封印に了承してくれたなら、優先からは外れていたかもしれない。しかし、こうなった以上、士道は六喰の全てを知りたかった。知った上で、救うことができなければ、六喰という精霊の問題は何一つ解決しないような気がしてしまうのだ。

 

「むん?」

 

「なんで、お前は、そこまでするんだ。俺がお前に『近い』って言ったよな。あれって、一体どういう意味だったんだ?」

 

「じゃから、なんとなくじゃ。……まあ、強いて言えば――――主様がむくを抱いて地上に落ちたあと、妙な夢を見てからかの。妙に、主様のことが気になってしまったのじゃ」

 

「夢?」

 

「むん。……とはいっても、夢に主様が出てきたというわけではない。それ自体はただの切ない夢じゃ。物心ついたときから一人であった幼子が、家族を得るという、な。……じゃが、そのもの悲しさを覚えたまま目を覚ましたとき……なぜかむくは、主様に会いたいと思うてしもうたのじゃ」

 

「え――――」

 

 士道が眉根を寄せたのは、夢の中身を聞けば当然のこと。なぜならそれは、その夢は――――――

 

 

「――――五河くんっ!!」

 

 

 が、その思考をかき消すほどの衝撃が士道を襲う。

 

「……、えっ!?」

 

 正確には、一拍を置いて、士道は目を見開いて振り返った。

 今日士道は、散々自分のことを誰も覚えていないと思い知らされていた。だから、六喰以外の誰かが自分を呼ぶなどと、今は考えてもいなかったのだ。それが一度、既に出会っていた者の声なら、尚更だろう。

 

「お、折紙――――に、『狂三』!?」

 

 同時に、現れた鳶一折紙――――を背負って(・・・・)たった今地上へ降り立った様子の『狂三』に、士道は二度目の驚きを顕にした。

 狂三ではなく『狂三』だと断定したのは、士道が分身との見分けを付けられる以外にも、その身なりがわかりやすいもの……メイド服(・・・・)だったということだ。

 

「な、なんで……って、あ……」

 

 もしや、狂三が【四の弾(ダレット)】を使用したのか、とも考えたが、士道にはそれより高い確率で当たっている推測が浮かび上がった。

 折紙は今、士道を「士道」ではなく「五河くん」と呼んだ。折紙であれば使わない呼び名、懐かしい、とは程遠いそれは、今の折紙が纏う雰囲気に相応しい穏やかなもの。

 よいしょ……っと『狂三』の背から降りた少女の正体に、士道は目をまん丸にしながら声を上げた。

 

「も、もしかして……『この世界』の!?」

 

「う、うん。久しぶりだね――――っていうのも少しおかしいけど。『私』はずっと五河くんと会ってたわけだし」

 

 ああそうだ。苦笑する折紙らしからぬ豊かな表情――――――間違いない、『この世界』の折紙だ。

 人格の統合により、混ざり合った以前の世界の折紙と、こちらの世界の折紙。だが、確実に、この折紙は『この世界』、士道と狂三によって改変された世界側の人格を表にした折紙だったのだ。

 

「折紙……お前、俺のことを覚えてるのか!?」

 

 興奮が抑えきれない。だって、折紙と隣で微笑む『狂三』の存在は、今の士道にとって大きな希望となるのだから。

 

「もちろん。表の『私』の記憶には、鍵が掛けられちゃったみたいだけど。いや、正確には、記憶を引き出すチャンネルっていうのかな?」

 

「……っ!!」

 

 希望が繋がった。不安ばかりが募っていた士道の心に、突如として光が差し込む。

 孤立無援だった士道の強い味方として折紙が。その折紙を連れてきてくれた『狂三』も――――狂三は、動いてくれている。その事実だけで、士道は泣き出してしまいそうなほど、自身の心を強く震わせた。

 

「……ふむん?」

 

 だが、士道の心が奮い立ったとはいえ、事態の全てが覆ったわけではない。

 

「一人は知らぬ(・・・)が、うぬは……士道とともにいた女じゃの。おかしいのう、うぬの記憶にも鍵を掛けたはずじゃが」

 

 自ら生み出した環境を侵された怒りからか、不機嫌な表情を隠そうともせず右手を前に掲げて見せた。

 

「――――まあ、よい。如何にして〈封解主(ミカエル)〉の鍵を開けたかは知らぬが、そこの女ともども、今一度『閉じて』くれようぞ」

 

「……!! 六喰!!」

 

 虚空から現れる光り輝く鍵。

 どうにかして六喰を止めなければ、次には孤立無援に逆戻り。しかし、如何にして六喰を――――――瞬間、『狂三』がおかしくてたまらないといった様子で笑った。

 

「きひ、ひひ、ひひひひひひひひひッ!! 何を、勘違いしていらっしゃいますの? 愚かですわ、悲しいですわ。自分の本当の敵(・・・・・・・)さえ、見つけられていないだなんて」

 

「何?」

 

 訝しむ六喰に尚も『狂三』は嗤う。嘲笑い続ける。まだ気づかないのか(・・・・・・・・・)、と。

 

「……!!」

 

 その意図を、士道はようやく読み取ることができた。

 星宮六喰は知らないのだ。だって、六喰は一度足りとも見ていない(・・・・・)。戦場になった宇宙でも、心を開いた直後に現れたあの場所でも、記憶に鍵を掛けていった時も、彼女(・・)を知らない。

 知らないのなら、警戒など必要ない。いないものだと言うのなら、関わる必要もない。

 

「さあ、さあ。お待たせいたしました。ご覧なさい――――――悪夢が、そこにいましてよ」

 

 だが、しかし、関わってしまったというなら――――――

 

 

「――――遅いですわよ、『わたくし』」

 

 

 彼女は、悪夢を見せに現れる。

 

「っ、おわ……ッ!?」

 

「主様!? ――――くっ!!」

 

 突如として現れた〝影〟より這い出た白い腕。無数の腕が士道の身体を掴み取り、即座に後方へ投げ飛ばした。

 異常に気づいた六喰が〈封解主(ミカエル)〉を掲げるが、街中だということを全く気にもとめずに降り注ぐ銃弾豪雨が士道と六喰の距離を一気に離し切る。

 

「五河くん!!」

 

「ぐ……っ。ありがとう。助かった、折紙――――!!」

 

 投げ飛ばされた先で、士道は何とか折紙に身体を受け止められる。さすがは元ASTと言うべきか、男の士道を折紙はあっさり受けてくれたことで、素早く前を見据えて――――――舞い降りた彼女の姿に、目を奪われた。

 

「何者じゃ!!」

 

「き、ひひひひひひッ!! そうですわねぇ。わたくしは――――――」

 

 見慣れた黒髪と、白い外装(・・・・)。その背には、巨大な羅針盤。細緻な装飾が施された古式の銃を両手に遊ばせ、悪夢は嗤う。

 いつだって、彼女の後ろ姿に助けられ、救われてきた。どんな時でも救いたいと願い、どうなろうと必ず救うと誓った、士道の宿敵(愛しい人)

 

 

「時崎狂三――――――この方の先約(・・)を奪い返しに、参上いたしましたわ」

 

 

 誰よりも美しく、世界は彼女を中心に廻る――――そう士道は信じ込んでやまない、最凶の精霊が駆けつけた。

 

 

 







Q.実際のところ狂三が忘れたらどうなるの?
A.お話がBADENDに直行するんじゃないですかね、いろんなルートで(意味深)


そら、特化してるんだから相応の欠点があって然るべきでしょう。この士道の場合、狂三が間違いなくウィークポイントです。まあ、原作裏ヒロインは伊達ではないし過保護なセコムついてるので現状は早々ありえないと言えますけど。むしろ士道が死ぬほうが早いまである。

冒頭の悪夢(?)はどこの世界線に繋がったのかわかるかな?どうやって観測したんでしょうかね、この選択肢ミスのBADEND。

そんなわけでデビルオリリンと武装狂三の増援がご到着。六喰編はまだまだこれから。そして本来いるべきもう一人の役者は……?
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十五話『悪魔と悪夢の救援隊(デビル&ナイトメア)

 

 小柄な方とはいえ、女子高生一人を抱えて容易く上空を飛ぶのは、さすがは精霊の分身だと言わざるを得ない。

随意領域(テリトリー)なしでの飛行初体験が、まさかこんな形で実現するとは、と折紙は直風に煽られながら何とか『狂三』と会話を試みていた。

 

「あ、あの……」

 

「何ですの? ああ、ああ、飛行が荒いのは謝罪いたしますわ。見ての通りわたくしも急いでいますので、折紙さんには耐えてもらうしかありませんけれど」

 

「い、いえ。それは大丈夫です!! そうじゃなくて……オリジナルの時崎さんと〈アンノウン〉……さんは、今どこに?」

 

 分身がわざわざ精霊たちの元へ訪れ、誰かの記憶が戻る(・・・・・・・・)タイミングを見計らっていたというのなら、分身ではない時崎狂三は、一体どこに行ったというのか。同時に、記憶を閉じられた折紙に残っていた知識から、彼女に付き従っている精霊に関しても気にかかった。

 折紙の疑問に納得がいったのか、『狂三』は飛行速度こそ落とすことはなかったが、折紙に聞こえる声で返してきた。

 

「あの子でしたら、『わたくし』に力を託してどこかへ行ってしまわれましたわ。まったく、どこまでも勝手で過保護なこと」

 

「は、はぁ……」

 

「そして『わたくし』は、士道さんと六喰さんの監視に励んでいるところですわ。……騒ぎが起こっていないということは、何とか堪えているようですわね」

 

「へ?」

 

 一体、なんのことを言っているのか。『狂三』の言うことが正しいとして、二人を監視している狂三が、なぜ騒ぎが起こることに繋がるのだろうか。

 疑問に声を上げて首を傾げると、『狂三』がくすくすと笑い声混じりに続ける。

 

「このような状況になったとしても、あくまで士道さんの意志の中には『六喰さんを救う』、という、わたくしから言わせれば愚かしいほどの善意がある――――と、『わたくし』は読んでいましたわ」

 

「……確かに、五河くんならそうします」

 

 する気がする、ではなく、そうする(・・・・)と言ってしまえるほど、士道という少年は度を越したお人好しだ。

 親しかった人たちの記憶が失われ、士道だけが残される。想像しただけで、身の毛がよだつほどの恐怖。普通なら、正気を失うのが当たり前の状況だ。

 それでも、彼は絶対に諦めたりしない。その生き証人ともいえる存在の鳶一折紙だからこそ、そう断言できる。

 

「だからこそ、士道さんの理想を現実にするだけの味方が必要だったのですわ。『星宮六喰』という精霊の全てを解き明かすため、孤立無援では話にもなりませんわ」

 

「だから私が……」

 

「ええ、ええ。本来は、琴里さんの記憶を取り戻す手筈だったのですが、嬉しい誤算ですわ。こちらの(・・・・)折紙さんであれば、良い緩衝材になってくれますもの」

 

 褒められているのかどうか少し怪しいが、確かにもう一人の折紙よりはそういった役に向いている自覚はあると、折紙は苦笑し……てから、言葉の意味を理解し、えっ、と声を上げた。

 

「あの、緩衝材、って……」

 

「もちろん、『わたくし』と六喰さんの間を平和的に取り持つ役割ですわ。どうにか士道さんが六喰さんの心を解き明かす時間を、折紙さんが稼いでくださいまし。ちなみに、案は任せますわ。お好きになさってくださいな」

 

「えぇぇぇぇぇぇぇッ!?」

 

 事実上、清々しいほどの丸投げ宣言。折紙も叫ばずにはいられないというもの。

 これまで以上の危機にスイッチしたのは折紙の意志とはいえ、寝起きに恐ろしいことを任されてガタガタと身体が震える思いだ。

 それに、懸念すべき点はもう一つある。

 

「ちなみに、騒ぎが起きる前に、っていうのは……」

 

「あら、簡単な話ですわ。『わたくし』は確かに士道さんの理想を手助けしたいと考えてはいますけれど、個人的な感情を排したわけではありませんもの。自覚があるのか定かではありませんが、あなた方に対しても情が芽生えているようですので、尚更ですわ」

 

「えっと、その、つまり――――怒ってる(・・・・)、ってことですか?」

 

 士道がこれまで積み上げてきた日常、精霊たちの日常、それらを何の盟約もなく土足で壊されてしまったことに、安直な表現ではあるがキレている(・・・・・)ということではなかろうか。

 答えは、唇の端を吊り上げてニヤッと笑う『狂三』だけで、折紙には十分すぎるものだった。

 

「聡明な方は好ましいですわ。まったく、自身が壊す側(・・・)だと自覚がある分、『わたくし』ながら相当にタチが悪いと言えますわね」

 

「……私たちが着くまでに、時崎さんの我慢が限界に達したら?」

 

「それほど予想が楽なものはありませんわねぇ――――――街一つ燃え上がる程度で済めば……よいですけれど」

 

 きひひひひ!! と楽しげに笑う『狂三』を見て、折紙は血の気の引いた頬をひくつかせた。

 ここに至って、士道だけではなく街の命運まで背負わされた折紙の思いは一つ――――――お願いだから、間に合ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 精霊は、世界にとって脅威として確立された存在だ。

 突出した身体能力。驚異的な戦闘能力。人の力では実現できない、奇跡を齎す者。

 

「貴様……主様から離れろ。これ以上の狼藉、容赦はせぬぞ」

 

「あら、あら。その言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ。感情の赴くまま動くのは構いませんが――――その代償は、高くつきましてよ」

 

 その精霊が、二人。一触即発などという域はとうに超えている。

 〈封解主(ミカエル)〉を槍のように突き出す六喰と、〈刻々帝(ザフキエル)〉を顕現させ、白い外装を靡かせながら銃を構える狂三。

 どちらが先に動こうと、どちらも譲歩などしない。お互いに、目の前の敵を倒すために街が戦場になろうと知ったことではない。それほどの殺気が士道の足を止めてくる。

 

 

「鍵の精霊。世界さえ騙すことができる天使。きひひひっ!! 昂りますわ、昂りますわ。その力――――――わたくしの〝時〟を止めることはできますでしょうか」

 

「わけのわからぬことを……だが、主様を奪いにきたのは理解したのじゃ」

 

「ええ、ええ。理解していただけたようで、わたくし嬉しいですわ。これで遠慮なく、あなたと死合える(・・・・)のですから」

 

 

 刹那――――二人の霊力が膨れ上がり、衝突する。

 不可視の霊力同士がぶつかり合い、凄まじい衝撃となって振動が周囲を襲う。地面や壁の破壊は相当な距離まで進行し、舗装道路のアスファルトにさえ容易く亀裂を及ぼした。

 

「わっ!?」

 

「な――――なに今の!?」

 

「や、やべぇ……!!」

 

 突然の爆発音と振動に、遠巻きの通行人たちが驚愕の声を上げる。

 が、二人はそんな有象無象など気にも留めていない。六喰は己の領域を侵す者へ最大の警戒をし――――――狂三は、間違いなくキレている(・・・・・)

 狂三が怒りの感情を持った場面は幾度となく見てきた士道だが、戦いという場においてここまで狂三が激情を見せることはなかった。しかし、今の狂三は言動こそ普段と変わらないが、言葉の端々や狂気に歪んだ表情は、士道から見て起伏が一目瞭然だった。

 これはもう、相手を完膚なきまでに叩き潰す(・・・・)まで止まらない。驚くべきことに、〈アンノウン〉の天使まで纏って完全武装しているのだ。このまま六喰と衝突すれば、どうなるかなどわかり切っている。

 人間が二つの激突の間に入れば只では済まない。実際、二人の間にある緊張感は士道程度では足がすくんでしまうほどのものだ。

 だからといって、このまま野放しにはしておけない。狂三が助けに来てくれたのはありがたいが、二人が戦うという結果を許容することができないのが士道なのだ。

 引きかけた足を踏みしめ、一歩踏み出した――――そこで、誰かが士道の肩を掴んだ。

 

「五河くん、ここは私に任せて。私に……考えがあるの」

 

「え……? で、でも」

 

 折紙だ。士道は躊躇いを見せるものの、折紙の決意は固い。緊張した面持ちで、狂三と六喰の間に割って入った。

 

「――――待ってください!!」

 

「なんじゃ」

 

「邪魔ですわ。士道さんを連れて下がっていてくださいまし」

 

「ひ、ひぃっ……!!」

 

 一刀両断の睨みを利かされ、先程までの勇ましさが涙目に変わる。……大丈夫なのだろうか、と心配する士道を他所に、折紙は何とか踏みとどまってか細い声を発した。

 

「あ、あのですね、落ち着いて聞いてください。――――六喰ちゃん」

 

「むん?」

 

「む、六喰ちゃんは、五河くんのことが好きなんですよね? だから、五河くんを奪いにきた時崎さんが許せない」

 

「……むん。まあ、簡単に言うとそうじゃの。もっとも、それにはうぬも含まれておるが」

 

 言いながら錫杖をゆっくりと向ける六喰を見て、折紙は慌てて言葉を継いだ。

 

「駄目です!! 五河くんは乱暴事が嫌いなんです!! そ、それに、五河くんの愛を勝ち取るには、もっと別の方法があると思います……!!」

 

「……ふむん?」

 

「――――なるほど」

 

 難しげな顔をして首を傾げる六喰に対し、狂三は銃を顔の位置まで持ち上げながら、自然な流れで折紙の話に乗る。

 

「折紙さんは、わたくしと六喰さんが戦場以外で士道さんのお心を射止める方法がある、そう仰るのですね? 更に、折紙さんが提示する方法であれば、今以上に士道さんがお喜びになられる、と」

 

「そ、その通りです!!」

 

「して、どうすればこの怪しい女から、主様の愛を勝ち取れるというのじゃ」

 

「わたくしも気になりますわ。ええ、ええ。折紙さんが、わたくしたちが揃って納得できるような勝負を、どのような形で提示してくださるのか」

 

「…………」

 

 六喰はともかく、狂三は表情から『ふざけたものならどうなるかわかってるだろうな』という冷酷なオーラが現出している。

 折紙の後ろにいる士道でさえ冷や汗もの。二人の視線を一身に受ける折紙は、顔中に脂汗を浮かべていた。

 

「はい。至極単純に、二人の勝敗を決める方法があります……!!」

 

 それでも、己を奮い立たせるように大仰な仕草で片手を持ち上げた折紙は、それを勢いよくとある人物へ指した――――――

 

 

「五河くんの唇を奪った方が勝ち……というのはどうでしょう」

 

 

 とある人物というのは、紛れもなく士道だったわけなのだが。

 

「………………、えぇっ!?」

 

 当然、当事者である士道にとっては寝耳に水。裏返った声を上げる。

 それは他の二人も同じようで、訝しげな表情を……。

 

「…………」

 

「む、無言で撃とうとしないでくださいぃ……」

 

 訂正。狂三はニッコリと輝かしい笑顔で折紙へ銃を突きつけていた。無論、笑顔というのは額に血管が浮かびかねないほどに、怒りのオーラがこもったものだったが。

 ……まあ、誰もがご存知の通り、狂三にとってこの勝利条件は〝地雷〟そのものだ。勝ってしまえば、士道と行っている戦争(デート)の有無に関わらず、狂三は霊力を封印されてしまう。かといって、彼女がこの勝負に手を抜くのかと言えば、ありえない(・・・・・)

 時崎狂三はプライドが高く、実は相当な負けず嫌いだ。加えて、自分で言うのもなんだが、士道を有り難すぎるほど愛してくれている。その狂三が士道を巡る愛の勝負でわざと負けを演じるなど、たとえ世界が変わってもありえないだろう。

 

「お、お願いします、時崎さん……」

 

 折紙が小さく両手を揃えて、ここは耐え忍んでくれと言うように狂三へ語りかける。

 その行動を見るに、六喰の霊力を封印する以外(・・)の意図が隠されているらしい。でなければ、狂三がこの勝負を引き受けてくれる勝算はない。

 その証拠に、狂三は小さく息を吐き銃を下ろし、一転して穏やかな声色で返した。

 

「仕方ありませんわね。それで士道さんの機嫌を伺うのも、また一興というものですわ」

 

「待つのじゃ。勝手に話を進めるな。主様の唇を……じゃと? そんな勝負が受けられるものか」

 

「あら――――わたくしには勝てない、と?」

 

 冷たい微笑を浮かべた狂三の言葉に、六喰が眉根をつり上げた。

 

「なに?」

 

「だって、そう仰っているではありませんの。士道さんの心を繋ぎ止める自信がない、ということでしょう? 士道さんがお喜びになられる手段ですのよ。勝てる確証があるのなら、受けない理由がありませんわ。まあ、わたくしに武力でしか勝ち得ない、というのなら元のやり方で――――――」

 

「黙れ」

 

 シャン、と錫杖を狂三に突きつけ、劈くような殺気を放ち六喰は挑発に乗った(・・・・・・)

 

「よかろう。先んじて主様の唇を奪う……ふむん、この女に格の違いを知らしめるには妥当な手段かも知れぬの」

 

「うふふ。どうか、わたくしを楽しませてくださいまし」

 

 何とも悪い顔で笑う狂三に六喰は不快そうに眉をひそめ、それを見た士道は苦笑を浮かべた。

 相も変わらず口が回るというか、挑発だとわかっていても乗らざるを得ないだけの理由を用意しているというか。

 どうにか穏便なやり方へ導けたことで、折紙も一瞬気を抜いて一息吐いていた。功労者に声をかけてやりたかったところなのだが。

 

「それで、具体的にはどうような方法をお考えですの? まさか、勝負を決める舞台の具体案がない、とは仰いませんわよねぇ?」

 

「……むん」

 

 非常に刺々しい視線が再び折紙へ向いたことで、それも叶わなくなった。

 大変申し訳ないのだが、こればかりは折紙に頼りきる他ない。

 二人の精霊に三度圧力をかけられた折紙は、顔中に脂汗を浮かべ、目を泳がせながらも何とか言葉を発した。

 

「え? ええと、た……たとえば――――――」

 

 

 

 

 

 そして、一時間ほど経過したのち。

 

「さあ、士道さん。あーん、ですわ。わたくしが、たぁっぷりと愛を込めたイチゴ、召し上がってくださいませ」

 

「そんな面妖な女の言うことになど耳を貸すでないぞ、主様。主様を取って食ろうてしまうに違いない。それよりほうら、むくの方を向くのじゃ」

 

「きひひ。小娘の声が騒がしいですわねぇ」

 

「ふん。言いよるわ女狐めが」

 

「…………ううん」

 

 何でこうなったのか。左右から固有のプレッシャーを与えられ、士道はどうにも普段とは違ったやり辛さを感じて、微妙に唸るような声を上げた。

 左には霊装と天使を隠した狂三――――隠した、と表現したのは、私服を催していながらも、〈アンノウン〉の天使が生み出す独自の雰囲気が消えていないからだ。ともあれ、『わたくしを選ばなければわかっていますわよねぇ?』という浮気、ダメ、絶対なオーラをか持ち出しながら、フォークに刺さったイチゴを差し向けている。

 右には六喰が。なお、企画の趣旨が何やらズレているのか、妙にプレスするようにイチゴが押し付けられていた。

 あのあと、話自体はトントン拍子で決まっていき、取り敢えずは士道の心を掴むために『あーん』を実践してみよう、ということで纏まった。……何かがおかしい気がしたが、折紙と狂三には考えがあったらしい。遠く離れたこの喫茶店へ移動する際、何とか折紙から話を聞くことができた。

 

『折紙、どうしてお前が……』

 

『えっと、六喰ちゃんに記憶のチャンネルを閉じられてしまったから、アクセス権の残っている部分――――普段あまり表に出てない『私』を顕在化させたの。それから、分身の時崎さんに連れてきてもらったの。五河くんをフォローして、六喰ちゃんの心を救うために、って』

 

『……っ!!』

 

 やはり、士道のやりたいことを理解し、狂三はそういう意味で折紙を連れてきてくれたのだ。恐らく、折紙でなければ別の誰かを何かしらの方法で、だったのかもしれないが……兎にも角にも士道の味方となってくれる人を、狂三は待っていたのだ。

 そして、その理由こそ狂三が六喰の前に姿を見せた最大の要因。

 

『……要は、狂三を間に挟んで、六喰の思考がここまで偏った――――心を『閉じて』いた原因を探せ、か』

 

『うん。だから緩衝材が必要……時崎さんの分身はそう言ってた。方法は何でもいいから、とにかく時間を稼いで手段を増やす、っていうことだと思う』

 

『の割には、狂三のやつ、本気で六喰と戦いかけてたように見えたけど……』

 

『時崎さんなりに、五河くんのために怒ってくれてたみたい。……私が間に合わなかったら、かなり危なかったらしいけど』

 

『…………』

 

 それ、折紙の記憶が戻らなかったら、堪忍袋の緒が切れた狂三が六喰と全力で戦ってたってことか? そう聞きたかった士道だが、答えが自分で出ている問いを投げかけるほど不毛なものはない、と口を噤んだ。

 なるほど。狂三の仕込みは大体呑み込むことができた。どんな方法であれ、六喰から事情を知る機会、ないし外部からのサポートが復旧する目処が立つまで、全員で時間を稼いでいくということだ。

 六喰と相対するのは、〈アンノウン〉の天使という、概念(・・)的な能力に、絶対の鎧となる力を借り受けた狂三。そこに、対話という方法を取ることができる折紙が来てくれたことで、万が一にも備えられた布陣となった。

 ただ、なんというか。恐らく折紙が捻り出したであろう、それなりに平和的な狂三と六喰の勝負には、致命的すぎる欠陥があった。

 

 

『でもなぁ、折紙』

 

『どうしたの?』

 

『俺――――狂三から一方的にアプローチされて、陥落しない自信がないんだけど』

 

 

 ていうか、反撃できないと普通に陥落する。だって、五河士道だもん。

 そうなった場合、六喰がどうなるかなど火を見るより明らかだし、狂三だって粘ってくれないと困るはずだ。いや、その場合だと狂三が持つ本来の目的は達成されるのだが。

 ちなみに、折紙の答えは。

 

『…………頑張って!!』

 

 清々しい人任せのサムズアップが返ってきた。他人事だと思って、簡単に言ってくれると頬の筋肉が痙攣を起こした。そりゃあ、折紙からはそれ以外言えないわけなのだけど。

 そういうわけで、狂三と六喰の勝負もとい、士道の精神耐久レースが始まりを迎えているわけだ。

 

「おかえりなさいませ、ご主人様ー!!」

 

「いってらっしゃいませ、ご主人様!!」

 

 ――――なぜか、フリル付きのエプロンを着けた可愛らしい店員が客を出迎え、送り出す店で。

 そう。ここはただの喫茶店ではなく、メイド姿の女の子たちが接客をしてくれるメイドカフェなのだ。

 ちなみに、ここが一番似合いそうなメイドの分身体は、役割は果たしたと言わんばかりに早々と消えてしまっていた。相変わらず、本体より考えが読めない分身である。

 

「……なあ、折紙。なんでこんな店なんだ?」

 

「ご、ごめん。ここなら目立たないかと思って……」

 

 向かいに座った折紙が申し訳なさそうな顔で答えたのを見て、士道も納得はしたと苦笑する。

 確かに、時間を稼ぐのに目立ってしまってはどうしようもない。ただでさえ、狂三、六喰、折紙と三人揃って目立つ容姿をしているのだ。まあ、士道を加えたこの奇っ怪な集団に、何かしらのコンタクトを取りたがる無謀な人間はいないだろうが……。

 

「――――ほれ、何をしておる主様。これを受け取るのじゃ」

 

「え……あ、ああ」

 

 と。そんなことを考えている場合ではなかった。今はとにかく、六喰と狂三の相手をして、どんな小さなことでも六喰から引き出さなければならない。

 六喰から、となると真隣からの負のオーラが凄まじいのだが、後で言い訳を聞いてくれそうなだけマシだと意を決して士道は口を開ける。

 士道の行動にパァっと表情を明るくした六喰が、満足げに手元のフォークを動かして――――イチゴが、重力に負けて落下する。

 

「あ……」

 

 フォークへの刺さりが甘かったのか。偶然にもそれは、編み込まれた六喰の長い()に吸い込まれていき――――――

 

「――――っと」

 

 すんでのところで、狂三が汚れを厭わず素手で受け止めた。

 

「いけませんわ。淑女たるもの、こういったことには、常に気を配るべきですことよ。――――せっかくの、綺麗な髪なのですから」

 

「っ……!?」

 

 

 狂三の何気ない一言。恐らく、狂三らしく身だしなみに気を使い、自然と出てしまった素の台詞なのだろうが――――どうしてか六喰が、狂三の言葉に反骨以外の反応を見せていた。

 驚きや、動揺に近い。ここまで、狂三と折紙が現れてからも隙らしい隙を見せなかった六喰を見ていればおかしいとわかるほど、彼女は目を見開いて身体を震わせていた。

 それに気づいた士道は、さり気なく、六喰を刺激しないよう優しい声色で語りかける。

 

「……どうかしたのか、六喰?」

 

「――――!! な、何でもないのじゃ。……敵に礼は言わぬぞ」

 

「うふふ、必要ありませんわ」

 

 だが、動揺から何かを引き出すほどではなく、直ぐに誤魔化されてしまった。

 早々、簡単な話ではないかと気を落とすが、まだまだこれからだと士道は気持ちを切り替える。

 何かが、あるはずだ。〝結果〟は〝原因〟によって生み出される。ならば、六喰が愛を狂気的なまでに独占しようとする〝結果〟にも、〝原因〟があって然るべきである。

 その〝原因〟に繋がる過去は、星宮六喰の中にある。それに辿り着き、六喰を救う方法を探すためには――――狂三の力を借りる必要が、ある。

 チラリと狂三に視線を向けると、ちょうど手で受け止めたイチゴを自らの唇に運ぼうとしていたところだった。まあ、素手で手に取ったのだからそうなるか、と考えていると、士道の視線に気がついた狂三がニヤリと笑った。

 

「あら、あら。そのように物欲しそうな顔をして……わたくしの手を介した果実が、そぉんなに欲しいんですの?」

 

「……お前、わかっててやってるだろ」

 

 蠱惑な声色と、魔性の微笑み。いつもなら反撃といきたいところだが、六喰がいる手前そうはいかない。

 こういう時、絶妙なさじ加減で動いてくれていたのが狂三なのだが――――今回はそうもいかないらしいと、士道はここから数時間続く胃痛に耐えることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 踏み締めて、超える。その動作は、もはや踏み締めるなどという域を上回り、踏み砕く(・・・・)という方が正しい。

 一息に人の街を、移り行く景色を背に消し去る。今の自分に、そのようなものは意味がない。

 あるのはただ、衝動。己の渇きと飢えを癒すだけの闘争を――――〝彼女〟の寂寞を粉砕するための行動を。

 

「――――!!」

 

 また一つ、人の造りしもの踏み砕いたところで、留まる。

 

「――――ああ、やっぱり出てきちゃったんですか」

 

 精霊。微笑を浮かべ、霊装を纏った(・・・・・・)精霊。

 幻想的な輝きを放ち、肌が透けるほど薄く、法衣を思わせる白い霊装。要所に施された十字の衣装と、頭部を覆うケープ。

 これだけならば、こちら側(・・・・)の精霊ではないと判断しただろう。だが、少女の持つ気配は寧ろ――――――

 

「……あれ、斬りかかって来ないんですね。『私』から生まれた(・・・・)時は、問答無用だったと教えて(・・・)もらいましたが」

 

「貴様が敵意を持っていたなら、そうしてやろう。だが、殺気の一つもない腑抜けに構ってやる義理はない。失せろ――――その顔は(・・・・)、初めを思い出して不愉快になる」

 

 睨みを効かせると、感情に呼応した霊力が霊装を揺らし、周囲に小さなひび割れを生み出す。

 しかし、そのプレッシャーを受けてなお、少女は平然と道化のような微笑みを浮かべ、返した。

 

「まあそう言わずに。少しだけお話に付き合ってください、夜刀神十香」

 

 ――――十香。

 あの男が、口にしていた名。だから、それが意味するものは。

 

「……それが、私の名か」

 

「ええ。あなたたち(・・・・・)の名前です。素敵でしょう? ――――――それも含めて、あなたが知るべきこと、私がお話いたしましょう」

 

 言って、少女が手のひらに収まり切らない巨大な本を開く。

 付き合う義理はない。斬り捨てる手間を取らずとも、踏み越えていくのは容易い。苛立ちと、渇きと飢え。それらを、この女の話で解消できるとも思えない。

 しかし――――――

 

 

『――――シドー!!』

 

 

 もう一人の自分の心を、無下にはできない。

 

 

「――――いいだろう、話せ。私の不興を買わぬようにな」

 

「努力はいたしますよ。では、静粛に願いまして――――語りましょう。あなたが知るべき、彼らのことを」

 

 

 そうして、今しばらく。何の気まぐれか。帝王は、道化師の語りに耳を傾けた。

 

 

 





原作より楽になってるはずなのに原作より胃痛案件。これ如何に。

だって五河士道だもん、という一文は140話の積み重ねが説得力になっている……といいなぁなんて。毎回思いますけど、140話て。我ながらよく続いてますね…。

そして最後の二人は……? 六喰編、終盤戦。拙い文章ですが楽しんでいただけたら幸いです。

話に関係の無いことなのですが、一度付いた評価が減るのは作品にその価値がない、ということですし、仕方がないのですがやはり心に来てしまいますね……私はこういう目に見えた評価が嬉しいと感じる俗物なので、遠慮なしに感想とか評価をくださると更新速度が加速すると思います、よろしくお願いします(直球)

そんなわけで感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十六話『修羅を求めし暴虐公』

 

 

「………………むん」

 

 苛立ちが、止まらない。不機嫌に息を吐いたところで、胸を突き刺すような痛みは増すばかり。

 それも、当然。士道と二人きりであれば絶対に感じないはずの不快感は、二人きり出なければ感じてしまう。

 記憶を『閉じた』はずの少女と、見ず知らずの精霊。

 折紙の記憶は、確実に封じ込めた。〈封解主(ミカエル)〉の力は絶対……のはずだった。だが、折紙はこうして現れてしまい、更には正体不明の精霊、狂三までもが邪魔をしにきた。

 何者なのか。気配すら悟られることなく、この女は現れた。とにかく、排除しなければならない――――それが難しいから、六喰の心は更に荒む。

 無防備に見せながら、隙がない。精霊として相応の力を持ちながら、気配らしい気配を感じさせない気味の悪い存在。何より、時折士道が見せる仲睦まじい狂三との距離――――許せない。許せない、許せない、許せない。

 六喰だけのものだ。士道は、士道の愛は六喰だけのものなのだ。それ以外の誰も、間に入ることは許さない。士道が六喰に向けるはずの言葉、笑顔、声、それらが奪われる(・・・・)

 耐え難い苦痛が、ひたすらに六喰を襲っていた。六喰に愛を向けるのなら、六喰だけでなければならない。だって、そうでなければ――――――

 

 

『――――せっかくの、綺麗な髪なのですから』

 

「――――っ」

 

 

 痛い。頭から、自分の知らない何かが、自分が知っている何かが、語りかけてきているようで。

 先から、こればかり。勝負の初めに、狂三が口にしたあの言葉を聞いた瞬間から、妙に頭が痛む。

 

「……何だというのじゃ、一体」

 

 誰にも聞こえない声で呟いたが、苛立ちまでは隠せず親指の爪を噛む。

 褒められたからといって、何かを感じたわけではない。狂三は士道を奪おうとする敵なのだから、当たり前だ。

 だからこれは、狂三自身というよりその言葉自体に対する〝何か〟。六喰の知らない〝何か〟が、奥底から語りかけてきているような違和感に、顔を強く顰めた。

 と、そこで次の戦場(デートスポット)の案内を先導していた折紙が足を止め、声を発した。

 

「え、えっと、じゃあ、次はここです」

 

 ようやくか。そう思い、六喰は顔を上げる。士道と二人きりならば、実に心地がよかったはずの逢瀬は幾つもあった。それを実現するために、ここで決着をつけると折紙の示した方向に目を向けて――――――

 

 

「――――、……っ」

 

 

 どくんと、心臓が収縮する。

 尖塔のような形をした、大きな建造物。それを見て、どうしてか、どうしても――――嫌だ(・・)と、心が否定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まあ、確かにデートスポットだな」

 

 天に高く聳える尖塔を指し示され、士道は内心であー……となんとも言えない声を上げていた。

 通称、天宮タワー。三十年前の南関東大空災のあと、新しく建てられた総合電波塔である。

 タワー周辺の商業施設に加え、展望台が設えられてある。無論、観光地としても認知され、カップルや家族連れがよく訪れるだけあり、展望台にも土産屋や小さなカフェ、恋愛成就(・・・・)の神様を祀った簡易的な社まである、とのことだった。

 三十年前の大空災があったからか、昔ながらの街並みとは縁がないながらも、こういった場所には困ることがない。……だからこそ、ここが被るかぁ、という思いが隠せないのであるが。

 士道の様子がおかしいことに気がついた折紙が、小首を傾げて声をかけてくる。

 

「五河くん、どうかしたの?」

 

「いや、何でもないよ。……今度のデートプランが、一個消えただけだから」

 

「え゛。ご、ごめんね五河くん!!」

 

「本当に大丈夫だから、うん。キニシナイデクレヨ」

 

「すごい気にしてる声だよ五河くん!!」

 

 アワアワと慌てる折紙に、士道は遠い目で天宮タワーを見ながら、机の中にしまってある『天才ゲーマー監修! 必見、ハイパームテキなデートプラン!!』の一ページが無駄になったことを嘆いた。正直、ゲーマーが恋愛雑誌を監修してどうにかなるのだろうか、と思いながら読んでいたのだが。

 と。この天宮タワーのことは知っていても、噂話に関しては耳にしていなかったのか、狂三にしては珍しくピンと来ていなさそうな顔で、口元に手を当てながら声を発した。

 

「この天宮タワーは、わたくしたちの勝負に何か関係がありますの?」

 

「ええとですね、このタワーの展望台でキスをしたカップルは幸せになれるっていう噂、というか都市伝説がありまして……今回の勝負にはぴったり、なんじゃ……ない、かと……」

 

 終わりに近づくにつれて、狂三の美しい微笑みが歪みのあるニッコリ笑顔になったのを見て、折紙が目を逸らしながら再び顔中に脂汗を流し始めた。

 

「あら、あら。わたくしへの嫌がらせと受け取ってよろしいのでしょうか。そこまで折紙さんに嫌われていたとは、悲しいですわ、泣いてしまいますわぁ」

 

「そういうのじゃないんですってばぁ……」

 

 言動とは裏腹に、折紙の方が涙目になっていた。というか、さり気なく狂三が楽しそうな顔を見え隠れさせているのを見るに、わかっててわざとやっているな、と士道はため息を吐いた。

 まあ、普段の折紙と違い表情豊かな今の折紙をからかうと楽しい、という気持ちは理解できなくもない。できなくはないものの、この状況でそれをするほど、士道は鬼畜ではない……と自分では思っている、多分。

 

「ん……?」

 

 そこで士道は、おかしなことに気がついて軽く振り返る。

 理由は簡単。ここまで士道にくっついていた六喰が、三人の会話に何も反応すら見せなかったのだ。

 

「六喰? どうかしたか?」

 

「………………っ、ぁ」

 

 様子が変だ、と士道は六喰の顔を覗き込んで、目を丸くした。

 ここまで、狂三のとある言葉以外に動揺らしきものを見せなかった六喰の顔色が、誰の目から見ても変わっていた。もはやそれは、変わっている、というよりは、怯え(・・)の領域に入っている。

 

「お、おい、大丈夫か、六喰」

 

「……ふむ」

 

 こんな状態で、心配にならないわけがない。顔を覗き込みながら、微かに震えが見える六喰の肩に手を置くと、心配げな折紙と口元に手を当て様子を伺う狂三へ士道は視線を向ける。

 

「どうやら、六喰さんはこの場所がお気に召さないようですわね」

 

「あ、ああ。とにかく場所を変えて――――」

 

「――――ならぬ」

 

 と。他の場所を探す流れを作ったところで、六喰が視線を鋭くして狂三を睨んだ。同時に、踏みしめるような調子で一歩前へ進んだことで、士道は驚きから目を見開いて静止にかかる。

 

「お、おい六喰、無理しちゃ駄目だ。狂三は場所を変えることくらい……」

 

「っ……ならぬ!! 敵の情けなど、受ける必要はない。主様を、この女には渡さぬのじゃ」

 

「六喰……」

 

 蒼白な顔を隠すこともできず、それでも六喰は有無を言わさぬ雰囲気で歩みを進める。

 放っておくことも、かといって止めることもできそうにない。狂三への対抗心が、余程譲歩されることを拒否していると見える。

 折紙とは心配げな表情を共有し、狂三は澄まし顔で肩を竦めながら六喰のあとを追いかけた。

 チケットを買い、エレベーターで移動する間も、六喰の顔色は優れない。それどころか、展望台に辿り着いてからの方が悪くなっているように見えた。

 

「六喰、大丈夫か?」

 

「……むん。平気じゃ」

 

 とても平気には見えない。が、そう言ったところで、空元気を振り絞る六喰には意味がないのは目に見えていた。

 しかし、何も言わないでいられるほど、六喰との関係は薄弱ではない。虚勢を張る六喰に、士道は心配する気持ちをそのまま原因を問うた。

 

「なあ、六喰。一体どうしたんだ? 高いところが苦手なのか?」

 

「……違う。ただ……何かわからぬが、ここは嫌な感じがするのじゃ」

 

「嫌な感じ……か。六喰、もしかしてここに来たことがあるのか?」

 

「……っ」

 

 そう。心を『閉じる』前に、六喰はここにきたことがあるのかもしれない。それならば、この場所、又は似たような場所で六喰に影響を与える出来事があり、それが六喰の〝原因〟に繋がっている可能性は十二分にある。

 ぴくりと肩を揺らす六喰の顔色は、今もなお悪くなり続けている。

 

「……わからぬ。むくには、わからぬ。覚えて、おら、ぬ――――、……ッ」

 

 そこが限界だった。目眩と嘔吐感に襲われたように、六喰が腹部と口元を押さえて倒れ込むように身体を折った。

 

「む、六喰!?」

 

「六喰ちゃん!?」

 

 客のざわめきを受け流して、折紙と士道が六喰へ駆け寄る。――――――狂三はそれを、冷静に観察していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫かな」

 

「平気ですわ。精霊の肉体は、そうヤワにできていませんことよ」

 

「そうかもしれないけど、精霊だって精神的には人間と変わらないだろ?」

 

 士道がそう言っても、狂三は皮肉を浮かべた顔で肩を竦めるばかり。それは、中身に『よくあのような仕打ちを受けて、六喰の心配ができるな』という呆れがひしひしと感じられ、士道は頬を掻きながら苦笑を返した。

 

「ああ、そうだ――――助けに来てくれて、ありがとう」

 

 これを、再会してから言い損なっていた。だが、ずっと言いたかったのだ。

 そう真っ直ぐに口に出すと、狂三は目をぱちくりと丸くして言葉を返した。

 

「あら、あら。常々、あなた様は律儀なお方ですわ」

 

「いや……今回ばっかりは、相当やばかったからさ――――――狂三に忘れられてたら、折れてたかもしれない」

 

 強がってこそいたが、万が一にもそうなっていた時、士道の心は壊れてしまっていたかもしれない。

 狂三は士道を失うことを恐れているが――――逆もまた然り。否……もしかすると、士道の方がより酷いのだろうか。

 士道の弱気な表情を見て、狂三はやんわりと否定するように首を横に振った。

 

「そんなことはございません。あなた様であれば、きっと進み続けるはずですわ」

 

「……買いかぶりだよ。知っての通り、結構情けないんだぜ、俺は」

 

「そういったところを抱えて、歩みを進めるお方だと、わたくしは言っているのですわ――――夢の中のわたくしのイメージには、少しばかり心が傷ついてしまいましたけれど」

 

「……え?」

 

 急に出てきた単語に驚いた士道に対し、狂三は拗ねたように可愛らしく頬を小さく膨らませていた。

 ユメ、夢……ここ最近の夢見は悪かったが、狂三が指摘するものに該当したのは――――――アレ(・・)しかない。

 どうやったのか、まさかの物を覗かれた士道は慌てて声を上げた。

 

「ちょっ、もしかして……!?」

 

「もしかしなくても、ですわ。恐らく、士道さんとわたくしの経路(パス)が影響しているのでしょうが……悲しいですわー。士道さんの中のわたくしのイメージは、あのようになっているのですわねー」

 

「いやいやいや!! 誤解だって!!」

 

 ツーンとした態度を取る狂三を見て、慌てが大慌てになり汗が頬を伝う。

 何と弁明すればよいのか。夢が伝わってしまったことは、仕方がないし気にもしていない。が、士道の中にある狂三のイメージがあの夢で伝わるのは非常に不味い。

 ついでに言えば、あんな美人な彼女の機嫌を損ねたのか、という周りからの厳しい視線が痛かった。違うんです、誤解なんです。あとまだ彼女じゃないんです。

 

「大体、いつの『わたくし』ですの、アレ(・・)は。もしや、知らぬ間にそういった分身と戯れていらしたので? まあまあ、士道さんったらケダモノですわ」

 

「何かすごい方向に飛び火したね!? あ、あれは、こう……その……なんというか、そうなったんだよ、うん」

 

「なるほど。返答に窮するほどの理由、と」

 

「……すまん」

 

 言えるか。あれはわたくしめの奥底に秘められた願望です、とか言えるか。大体、そうでなくても好きな女の子に足蹴にされる夢とか、よくよく深く考えてみれば駄目すぎるだろ、色々と。

 じとっと向けられる冷たい視線に汗ダラダラで耐えていると、はぁっと深いため息と共に頬に手を当てた狂三が途切れていた言葉を継いだ。

 

「まあ、いいですわ。夢の内容を自由にするなど、顕現装置(リアライザ)でも用いらなければ不可能ですもの。士道さんの責任ではありませんわ」

 

「ん、悪かったな。変なもの見せちまって。……怒ってるか?」

 

「ええ、ええ。怒っていますわ――――でなければ、もう少し冷静に事を運んだというのに」

 

 言って、二つ結われた射干玉の髪を指に絡ませる。怒っている、の意味が先程までとは違い、自らに向けられたものだと思えるのは、士道の気のせいではない気がした。

 ああ、ああ。この子は、どこまでも優しい。それほど士道を想い、士道のために(・・・・・・)怒ってくれているのだ。

 

「優雅ではない部分も、多少は大目に見てくださいまし。斯様な悪夢など、わたくしが本物の悪夢で塗り潰して差し上げようと思ったまで。まったく、非合理的ですわ――――あなた様のせいですわ、反省してくださいませ」

 

「うん……ありがとうな」

 

「……礼ではなく、反省だと言っていますのに」

 

 苦言とは裏腹に引き出された穏やかな微笑みに、釣られて士道も笑顔を返す。

 これまでになく悪化した状況に怒り、追い詰められる士道の姿に憤りを感じ、それでも狂三は限界まで耐えてくれた。士道がしたいこと、為すべきことを知っているから、狂三は冷静に事を運んでくれた。

 士道がしたいこと、今すべきこと。それは――――星宮六喰を、救うことだ。

 

「……狂三は、六喰をどう思う?」

 

「危険ですわ、これ以上なく。軽い同情や親切心などで手を出せば、破滅を齎すほどに。これは六喰さんの天使だけではなく、彼女自身の精神性が相まっているからこそ、ですけれど」

 

「俺は――――」

 

「――――それでも、と仰るのでしょう?」

 

 言葉を取られて目を丸くした士道に、狂三は見惚れてしまう快活な微笑みで魅了しながら、続けた。

 

 

「士道さんの考えなど、お見通しですわ。誰かに甘いと言われても、誰かがあなた様を指を指し笑っても……わたくしは、あなた様のそういったところが――――大好きなのですから」

 

「っ……」

 

 

 未だ、伝える言葉が気恥しげになる時がある。場所も相まって、士道の好感度でいえば急所に当たるほど、その笑顔は絶大な効果を発揮してくれた。

 

「……六喰がいないのにそれは、ちょっと公平じゃないんじゃないか?」

 

「あら、あら。此度はあまり機会がなかったものですから。仕方ありません、自重いたしますわ」

 

 こちら側から返せないのがわかっていて、くすくすと挑発するように笑う狂三。

 耳まで茹でダコのように赤くなったそれを隠すこともできず、狂三なら知っていると確信があったのに迂闊だった自分を呪いながら、士道は改めて言葉を続ける。

 

「俺の考えは、今狂三が言った通りだ。六喰を救いたい。でも、そのためには六喰の考えを……」

 

「ええ。否定し、改めさせなければならない。そのためには、六喰さんが自らの記憶を取り戻す必要がありますわ」

 

 〝原因〟が存在する限り、〝結果〟という因果関係に結び付く。

 何かしらの〝原因〟が起こり、〝結果〟として今の歪な六喰を生み出すことになった、と士道は見ている。六喰の価値観に原因がないなら、そもそも攻略の糸口すら存在しないことになる。

 それはない。今の状況が、それを物語っているはずなのだ。だから士道は、狂三の言葉に首肯で返した。

 

「多分、ここ(・・)、だよな」

 

「それ以外に、思い当たる節はございませんわね」

 

 軽く足踏みをするように地面を示唆し、今度は狂三が肯定の意で返した。

 天宮タワー。この場所に来てから、六喰の顔色は一変した。ここで何かを経験した、六喰に関わる何かがあった……あの反応は、無関係とは思えない。

 六喰は今、折紙に付き添われながらトイレへ行っているため、戻ってくるまでが状況改善のチャンスとも言える。

 

「六喰さんの言葉を信じるのであれば、彼女は過去を覚えていらっしゃらないのでしょうね」

 

「……記憶を『閉じた』、ってことか?」

 

「はて、さて。しかし、仮にそうだとして、記憶を『閉じた』ことさえ忘却しているにも関わらず、六喰さんの人格は今のものに固定されている。記憶とは、人格を映し出す重要な役割を果たしますわ。それを抜きにして、人格は存在し得ない。余程、強い影響を及ぼした記憶なのか……」

 

 興味が尽きませんわね、と言葉を一旦は閉めた狂三。士道は腕を組み、狂三が推察した六喰に関することを頭の中で纏め上げる。

 記憶と人格は繋がっている。たとえば士道は、狂三との記憶があるからこそ今の考え方がある。それなくして、五河士道とはならない。忘却してしまえば、今の士道は士道でなくなる。

 忘却――――そうだ。忘れ去る、という考え方が違う(・・)のではないか。

 

「でも、〈封解主(ミカエル)〉は記憶を消してるんじゃない。『閉じて』いるだけだ。その証拠に皆、俺がいなくなっただけじゃ人格までは変わらなかった」

 

 士道に関する記憶が丸々〝消えた〟のなら、相応に影響が及ぶ。精霊たちが今の生活を送る原因には、必ず士道が付いて回るのだから。

 だが、士道が見た限り、『五河士道』という存在だけが抜け落ちただけで、他の違和感はなかった。単純に消失した、というのなら致命的な矛盾に気がついてもいいはずだ。

 それが記憶を封じる(・・・)という形を取っているから、矛盾を認識できなくなる。故に、士道がいなくなった違和感はあれど、解決には至らなかった。

 

「六喰もきっと、自分の記憶をまっさらに出来たわけじゃないんだ。だから、何かを感じて苦しんでる」

 

「面白い考え方ですわ。それを踏まえると、忘却というよりは意識に対する催眠――――思い込み(・・・・)に近いですわね。それが強ければ問題はなかったのでしょうけれど、過剰に掛られた鍵の一つは、解かれてしまった」

 

 狂三が指を擦り、捻る。まさに鍵を開ける(・・・・・)仕草をした。

 『心』の鍵。人格を形成する、もう一つの重要な役割を担うもの。心がなければ、揺れ動くこともなく、心がなければ、痛みや悲しみ、喜びすら浮かばない。

 その状態であれば、六喰は記憶を『閉じて』いても問題はなかった。しかし、今の六喰の鍵は士道が開けた。開けられて、しまった。

 

「その影響か、はたまた別の理由(・・・・)かもしれませんが、どうであれ〈封解主(ミカエル)〉の拘束が緩んでしまっている。六喰さんの苦しみは、それに伴うもの……ということになりますわねぇ」

 

 顎に手を当て言う狂三に、士道はこくりと頷いた。

 過剰に封じられていた時ならば、それは忘却と呼んで差し支えなかったかもしれない。けれど、心が開かれ、喜びや悲しみを感じられるようになった今は、記憶の齟齬に応じた不具合が生じる。

 〝結果〟があるというのに、〝原因〟を全て封じられているのだ。どこかに違和感が生じて当然だ。消し去ったわけではないのだから、意識と思考はいつか矛盾を起こしてしまう。即ち、六喰が過剰に他者を排斥(・・・・・)する理由を、六喰自身が理解しきれていない可能性。

 先も考えた通り、本来はその違和感ごと『閉じる』のが〈封解主(ミカエル)〉の絶対的な力である。否、こうなってくると絶対的(・・・)という表現は正しくない。なぜなら、持ち主の六喰自身が、あるはずのない矛盾に苦しんでいるのだから。

 

「しかし、律儀に六喰さんが思い出すまで待っていられませんわ。皆様の記憶に関しても同様ですわ。琴里さんには手を打ってありますが、他の方は放っておけば何年かかるか……」

 

「何かをするならせめて、琴里の手は借りたいけど……」

 

「それまで、この茶番を保てるかどうか、ですわねぇ」

 

 両手を軽く上げて笑う狂三に、士道は苦笑を返すしかない。決して笑い事ではないのだが……現状、六喰の霊力を封印しても、全てが解決とはいきそうにもないのだ。

 

「いっそのこと、ショック療法が早いのではありませんの? 【一〇の弾(ユッド)】を使うか……あの子を呼び戻して、〈囁告篇帙(ラジエル)〉で記憶を識る(・・)のも考えられますわねぇ」

 

「おいおい……」

 

 そんなことをすればどうなるか。わかっているのだろう狂三は、「冗談ですわ」と肩を竦めてのんびり展望台の外の景色を堪能し始めた。

 呑気だなぁと一瞬考えたが、それくらい身体から力を抜いた方が何か思い浮かぶかもしれないと、士道も狂三に習うように外の景色を眺める。名所なだけあり、絶景と言う他ない。

 

「はぁ……」

 

 とはいえ、こんな状況では景色の魅力も半分以下だ。息を吐いて、案を考えるがどれも採用とは至らなかった。

 士道たちが六喰の記憶を知り、無理に話す。手段としてはありえるかもしれない――――だが、記憶の鍵になるこの場所に来ただけで、あの六喰が体調を崩してしまうくらいだ。

 無理やりにでもこじ開けようとして、精霊の感情を悪い方向へ揺さぶったりすればどうなるか……最悪の事態(・・・・・)も、十分考えられた。

 

「やっぱり、待つしかないのか……」

 

 〈ラタトスク〉の支援が欲しい。率直な意見だ。六喰ができる範囲、してしまえる影響範囲を考えれば、どれほどの策だとしても用心のし過ぎ、とはならない。むしろ、現状は足りないくらいなのだ。

 琴里が動いてくれれば、状況も変わる。精霊の精神状態、好感度。その他のあらゆる支援。いざなくなると、普段から感じているありがたみが、数倍になってわかるというものだと士道は髪をかく。

 狂三が琴里へ手を打っているのなら、それを待つのが現状の選択肢ではある。が、狂三の言い方では、いつになるか不明瞭なものだ。それまでこの膠着を維持できるか、という問題がある。

 残る選択肢は――――六喰自身に、問いかけること。天宮タワーを離れる前に、六喰の記憶へアクションを起こす。外部からの働きかけ、という点は同じだが、六喰自身の意志がもたらすものであれば、感情の揺さぶりもまた変わる。

 これは膠着した状況が崩れる可能性がある危険な賭けだが、〈封解主(ミカエル)〉の拘束が緩み始めた今なら、或いは……。

 

「……!! 六喰!!」

 

 と。思考を中断した士道は、足音と気配を感じで振り向く。そこには六喰と、六喰の背を摩る折紙の姿があった。

 

「大丈夫か? まだ顔色が悪いんじゃ……」

 

「心配は無用じゃ、主様……っ」

 

 駆け寄っだ士道に対し気丈に振る舞うものの、また顔を顰めて慌てて折紙が背を摩る。

 やはり無理をしている。記憶を取り戻してもらいたいとはいえ、これは……と士道が眉をひそめていると、狂三が含み笑いで六喰へ声をかけた。

 

「あら、あら。随分と折紙さんと仲睦まじくなりましたのね? いいですわ、いいですわ。調略も、立派な戦術ですもの」

 

「戯言を抜かすでないわ。主様の唇は渡さぬ。うぬの記憶を『閉じる』時は、この女と違い優しくなどしてやらぬわ」

 

「きひひひ!! それは、それは、訪れることの無い未来を、楽しみにしていますわ」

 

 狂三の煽りで気が紛れたのか、幾分か六喰の調子が戻ったように思えてホッと息を吐く。まあ、この感情はおかしいのかもしれないが……どうしても、六喰に対して非情にはなり切れそうになかった。

 ……ところで、折紙に対しては優しく『閉じる』つもりがあるような言い方だったが、何かあったのだろうか? そう思い折紙へ視線を飛ばしてみるものの、彼女も小首を傾げて疑問符を浮かべていた。

 

「さて、それでは始めてもよろしいですわね?」

 

「聞くまでもないわ。主様は、誰にも渡さぬ……!!」

 

「ふん――――士道さんは、誰の玩具でもありませんことよ」

 

 そうこうしている間に、眉間に皺を寄せて睨む六喰と、不敵に微笑みながらも不機嫌さを見え隠れさせる狂三の勝負が、再び始まろうとしていた。

 

「っ……」

 

 その光景にハッとなり、士道は息を飲んで策の分岐を思考する。

 現状維持か、突破か。守るか、攻めるか。

 だが、守ったところで、この天宮タワーを離れてしまっては、六喰の記憶から遠ざかる可能性が高い。

 なら――――狂三と折紙を信じて、士道は攻めの一手を打つ。

 

「待ってくれ。六喰、お前の――――――」

 

 拳を握り、意を決して士道がそう言葉を放った瞬間――――背筋が凍る。

 

 

「――――――」

 

 

 比喩的な表現などではなく、絶望的な重圧(・・・・・・)が迫ってきている。

 力の塊。負の領域そのもの。指向性を持った、魔王(・・)。知っている、知らないはずがない。深い深い、黒の感情を直に受け止める士道だからこそ――――――反転した力を察知するのは、誰よりも速かった。

 

「――――狂三、壁だッ!!」

 

「っ……!!」

 

 半ば狂乱に近い形で叫んだそれを、狂三は的確に察知してくれた。

 士道が示した方向へ手を翳し、霊力の壁を生み出す。士道はそれを認識するより早く、六喰と折紙を庇うように引き寄せた。

 

「六喰、折紙、伏せろ!!」

 

「え……っ!?」

 

「な……!!」

 

 二人が動揺を見せた、まさにその瞬間だ――――凄まじい衝撃が、展望台を襲った。

 狂三が張った霊力の壁を数秒使わず打ち破り、身を伏せた士道たちを過ぎ去って分断された黒い斬撃(・・・・)が展望台内を暴れ回る。二人を庇いながら、士道は強い衝撃に呻いた。

 

「く……っ」

 

 しかし狂三の霊力の壁は、士道たちだけではなく攻撃範囲(・・・・)をカバーするように張り巡らされていたため、周りを見渡すと幸いにも観光客たちが犠牲になることはなかったようだった。

 先ほどまでの静寂が嘘のように騒ぎが起きる暴動の中、乱れ舞うガラス片を振り払うように士道は前を見た。

 

 

「見つけたぞ――――――修羅(・・)

 

 

 ――――夜色の髪が、天に靡く。紫紺が風に揺れ、漆黒の霊装(・・・・・)が、宵闇に溶けてしまいそうな淡い輝きを放つ。

 黒い粒子を纏った魔王を片手で振るい、たったそれだけで荒れ狂う突風が生み出された。

 その名を、〈暴虐公(ナヘマー)〉。全てを塵芥に還す天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉と対を成す、魔王。

 乾いた喉を通して、士道は彼女の名前を現実に浮かび上がらせた。

 

 

「――――十、香」

 

 

 夜刀神十香――――その、反転体(・・・)

 暴虐の王が、立っている。全身から警鐘を鳴らすように総毛立ち、そうなのだ(・・・・・)と告げている。

 

 

「ふん、貴様か――――ちょうどいい。纏めて灰燼に帰してくれる」

 

 

あの時(・・・)とは違い、明確に士道の呼び掛けに反応を示した十香が、そう冷徹な宣告を下した。

 

 

「あ――――あ、あ……」

 

 

 全ての中心が十香へと移り変わる中で――――士道は同時に、一筋流れる金色の絹糸(・・・・・)を、見た。

 

 

 

 







この二人の作戦会議兼イチャイチャタイム兼平常運転も板についてきた気がしますね。この関係でのやり取り、もう残り少ないかもしれませんしね(不穏)

そんなわけで勝利条件の確認回。六喰の封印、というより隠された心を開かなくてはいけない。多分、心を開いてるはずなのに一番めんどくさい子ですね。今までとは勝手が違う上に、力づくで開ければ何があるかわかったものではない。加えて〈封解主〉の器用万能っぷり。残された最後の一人なだけはあります。
そして遅れて登場、暴虐公。わちゃわちゃ盛り上がって来た気がします。ふふふ……。

感想、評価、お気に入り登録ありがとうございます!!励みになります、マジで!!本当に!!ありがとうございます!!
こういう俗物な人間ですが、完結までにお付き合いいただければ幸いです。いか、目に見える評価と感想とお気に入り大好き。幾らあっても悶えるくらい嬉しい。
お陰様でストック10話くらいあったりするので、相変わらず採用できる番外編ネタとかあれば形にできる……かもです。

それではいつもの三点セットもお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十七話『鍵と剣と銃』

 

「――――と、いうのがあなたと、そして彼を取り巻く現状です」

 

 騒音と静寂に響く、巨大な本を閉じる音。穏やかに瞑られていた瞼が開かれ、水晶が如き瞳が少女を射抜いた。

 

「ご清聴、ありがとうございました。信じるか否か、それはあなた次第ですが……私なりに、伝えるべきことは伝えたつもりです」

 

「……ふん」

 

 鼻を鳴らして、彼女は少女へと迫り――――通り過ぎていく。

 夜闇の霊装が淡く輝き、横に掲げた右手に漆黒の粒子が収束した。それは魔王の剣。一振にして、暴虐の帝王。

 

「どちらへ?」

 

「貴様の言葉、嘘か真か。どちらでも構わん。私が為すことは変わらない――――自らの目で、確かめるまでだ」

 

 少女の問いに、暴虐の王は迷いなく答えた。全てを滅する魔王は、己の目で見たものを善と悪で判断する――――どちらにせよ、彼女の判断一つで平等に塵と成り果てることに、変わりはないのだが。

 ならば、と少女は再び〈囁告篇帙(ラジエル)〉を掲げ、彼女が追い求める〝到達点〟を読み取った。

 

「ここから北へ。天を衝く大きな塔があります。そこの上層に、あなたが探し求める人物たちがいらっしゃいますよ」

 

「――――何のつもりだ?」

 

 顔を振り向かせ、冷酷に細められた目が少女を映す――――その水晶に映る者は、笑ってしまうくらいに、仮面を貼り付けた笑顔だった。

 

「あなたが存分に力を振るえる存在なんて、世界に早々といないんですよ。ですが、あの場にいるあなたが探している人物、そうでない人物も等しく、あなたを楽しませてくれるでしょう」

 

「……気に食わんが、ここは貴様の口車に乗ってやろう――――――それと」

 

 僅かに姿勢を落として、この場を去ろうとする魔王は――――冷淡な声色を変えずに、言った。

 

 

「貴様の道化、まるで似合っていない。不愉快だ――――次にその顔で会う時は、斬って捨てるぞ」

 

 

 瞬間、地を踏み砕き、魔王は駆けた。天を自在に飛翔する彼女の姿は、一瞬にして小さな星と同化していった。

 それを最後まで見届けてから、少女はポリポリと本を持っていない手で頬を掻き、困り顔で独り言を呟く。

 

「……向いてないかな、これ」

 

「ええ――――本当に、その通りですわ」

 

 ――――冷ややかで、殺意の籠る感触が、背に現れた。

 突きつけられたそれは、霊装越しにでも感じられる神秘の細緻。だが、少女はそれを恐れることなく……恐れなど、もう消え失せてしまった少女は、軽々と振り向いた。

 

「おや、いけない子ですね。私は五河士道のフォローをしてほしい、と頼んだはずですが」

 

「異な事を仰いますわ。わたくし、頼まれたことを蔑ろにしたつもりはありませんことよ。それを終えて、戻ってきてみれば――――まあ、まあ。懐かしい(・・・・)顔と、ご対面ではありませんの」

 

 大仰な仕草に隠し切れない、怒気と怨嗟(・・・・・)

 一つの引き金で、眉間を撃ち貫き弾痕を生み出す。しかし、何を躊躇って(・・・・・・)いるのかと、少女は小首を傾げた。

 

「撃たないんですか? あなたには、『私』を撃つだけの理由が、過去が――――歩みが、あるはずですが」

 

「――――ッ!!」

 

 声にならない悲痛な声が、少女の鼓膜を震わせた。

 彼女にはある。彼女にこそ、ある。正当な理由。撃つべき理由。撃たなければならない、理由。

 何故ならば、ああ、アア、嗚呼――――彼女もまた、『時崎狂三』なのだから。

 身勝手な理由であるべき生を奪われた、〝最悪の精霊〟その人なのだから。

 

「あなたは、何なんですの……!!」

 

「……あなたなら、とっくに解っていたのでは? 狂三が、心の奥底では理解しているように、あなたも――――私と『私』を解っている」

 

 故に、少女はこの『時崎狂三』を選んだ。他の誰でもない、瞬間から産み落とされた彼女を。

 

「……理解など、出来ていませんわ。あなたが何を求めているのか。わたくしには到底、理解など出来ようものではありませんわ。『わたくし』で、何をしようとしていますの(・・・・・・・・・・・・)?」

 

「あなたにとっては好都合だと思うけど――――あの人は、こんな風に返していましたね」

 

「〈ファントム〉と、〈アンノウン〉。人が名付けたにしては、出来すぎた偶然ですわね」

 

「どちらもわからない、ですか。まあ、そうかもしれませんけど、私の名が『私』と同一視されるというのは、遠慮願いたいですね」

 

 それは些か、高望みというものだ。身に余る名誉、とも言えるかもしれない。

 未だ外れぬ銃口を目にしてなお、少女は『狂三』との相対を止めるつもりはない。

 

 

「私の目的なんて、初めから話しているじゃありませんか。ずっと、いつだって、私は私の望みに忠実です。それ以外に、意味も理由も必要ない。それ以外を求めてしまう私は、壊れた私なのです」

 

「……全ては、『わたくし』のために?」

 

「ええ。全ては、私の計画(我が女王)のために」

 

 

 それ以外に、それ以上の、異なる答えは必要としない。

 少女の答えを聞き、『狂三』は狂気的に――――どこか、悲しげな微笑みを浮かべた。

 

「そのお顔で、存在で、『わたくし』を語るなど、皮肉にも程がありますわねぇ」

 

「……そうでしょうね。私は『私』で、けれど『私』は私ではない。だから、『私』の罪は私の罪です」

 

「故に、わたくしに討たれても構わない、と。――――あなた、酷く歪ですわ」

 

 誰もが思う少女の歪さを、『狂三』はさらけ出すように言葉とした。

 

「果たすべき事柄がありながら、あなたの心は乖離していますわ。いつ死んでもいい、意味などない、自分がいなくても問題はない――――そのような考えで生きている。これを歪と言わず、何と言うのでしょう」

 

「……私自身、理解しようと思っていませんよ。どの道、もうわからなくなる(・・・・・・・・・)。いえ、なっている……のかもしれません」

 

 自分のことがわからない。わかる必要はない。必要のない存在なのだから、理解を深める理由がない。

 少女の曖昧な物言いに、『狂三』は眉をひそめ訝しげに声を返す。

 

「また異な事を仰いますわ。自分が自分を理解せずして、誰が理解してくださると?」

 

「さあ、誰なのでしょうか。そもそも、識別する特定の記号を持たない私には、不要なことなのでしょう。事実として、私は狂三に付き従う者を演じて(・・・)ここまで辿り着いた。私が誰かなど、私にとってはさして重要なことではない――――私は、『私』になるんだから」

 

「…………」

 

 私への理解など不要。必要なのは、私が果たすべき〝計画〟のみ。

 ――――いよいよ、思考が破綻してきている。

 混濁し、呑み込まれ始めたのはいつからだったか。抑え込んでいられるのも、限界があるとは思っていたが、それをしなければ――――これを受け入れる(・・・・・)となれば、加速するのも当然のことだった。

 憤怒の中に入り混じる悲しみが、『狂三』から伝わってきている。それを見て、少女は悲しいと思ってしまう。彼女に、そのような顔をさせてしまう罪深さが、悲しいと。

 

「あなたは、あなたですわ。――――そう言えたのなら、どれほど簡単なのでしょうか」

 

「……あなたの運命と、私の生まれを考えれば、そう言えないのは当然。いいんだよ、それで。私に情なんていらない。あなたは、人でなし(・・・・)なんでしょう?」

 

 いつかの言葉を、今ここで使う。少女の矛盾を知っていてなお、歩みを止めなかった狂信者。

 少女はそんな彼女に優しく微笑みかけて――――『狂三』は、引き金から指を離した。

 

 

「――――人でなしが、情を持たないといつ仰いましたの?」

 

 

 そんな『狂三』が放った言葉に、少女は目を見開いて驚きを見せた。

 彼女は、少女の心からの驚きをくすくすと笑いながら続ける。

 

「その顔を見て、撃ち殺したくなる気持ちがないとは言いませんわ――――――けど、情が上回るのは、仕方ないのではなくて?」

 

「情があってはいけないと、私は言ったと思いますが」

 

「あら、あら。別によいではありませんの。確かに、情と非情は矛盾していますわ。けど、両立ができないわけではありませんもの。――――これでもわたくし、あなたには感謝していますのよ」

 

 楽しげに、場違いなほど嫋やかに踊る『狂三』の姿は、少女にとって恐ろしいほど美しく映った。

 矛盾を語り、力で肯定する彼女は――――そうだ、『時崎狂三』だ。撃つべき理由があるように、持ってしまえるのだ、撃たない理由を(・・・・・・・)

 器用で、不器用で。非情で、情に厚くて。

 

「……ああ、そうでしたね。あなたは、あなたなのですね」

 

 誰かのために、何かを犠牲にできる人。そう思ったから、彼女ならばと少女は選び取った。

 嗚呼、嗚呼。結局は、誰を選んでもこうなってしまったのかもしれない。――――背負って、しまうのだ、彼女なら。

 

「なら……優しい優しい、我が女王様。私の最後の願い、引き受けてくださいますか?」

 

「さあ、さあ、どうでしょう。わたくしは非力な身ですので、頼みの内容によりますわ」

 

 かしずいた少女に、『狂三』は超然と微笑んで返す。こうして、くだらなくも、変わらない言葉の遊びをしている時が――――ああ、これも少女にとって、楽しかったのだ。

 だから、私が私であるうちに、少女は精一杯の笑顔で、最後の願いを語った。

 

 

 

 

「私のために――――死んでくれる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 絶望が立つ。世の全てを塵へ帰す。それだけの威圧を通して、十香は現れた。

 十香は刃を振り上げ――――――

 

「うわ……!?」

 

 同時に、士道の元から光が溢れ、何かが飛び立った。

 吹き荒む突風の中、顔を庇いながら何者かを確認する。いいや、確認するまでもなく――――〈封解主(ミカエル)〉を構えた六喰が、重力へ逆らって十香と相対していた。

 

「六喰!?」

 

「――――許、さぬ……許さぬ、許さぬ、許さぬ……ッ」

 

「六喰、やめるんだ!! 十香は――――!!」

 

 剣呑な気配を撒き散らす六喰には、もはや士道の声すら届いていない。

 

「むくの髪を……切ったな。主様が、――――さまが……褒めてくれた、むくの……髪を――――」

 

「髪……――――!!」

 

 一瞬の後、思い当たる光景に士道は気がつく。

 十香の斬撃から六喰と折紙を庇ったその時、士道の視界に金色の絹糸が映り込んだ。全くの偶然、十香の意図するものではなかったのだろうが……反転した十香の斬撃が、六喰の髪を切ってしまったのだ。

 たったそれだけ。否、六喰にとってはそれほど(・・・・)のこと。それを大切に思うようになったのは、誰の影響か――――それさえわからぬまま、星宮六喰は激情を振るう。

 

 

「〈封解主(ミカエル)〉――――【(シフルール)】!!」

 

 

 六喰が錫杖を握る手に力を込め、突き刺す――――自らの胸元へ(・・・・・・)

 鍵を開くように回されたそれの力は、言葉で表すよりも速く語られた。

 一瞬にして纏われていた霊装は、優美なる造形を尖鋭な形へ。

 〈封解主(ミカエル)〉もまた、宿主の変貌に応じて変質する。錫杖の形から、鋭く敵を穿つ長大な戟を思わせるフォルムへと生まれ変わった。

 猛将。世を捨てた女仙から、敵を打ち倒す戦場の将を思わせる様相へ、六喰は変化してみせた。

 

「こ、これは……!?」

 

「六喰ちゃん!?」

 

 尋常ではない濃密な霊力。煽られる展望台そのものが揺れ動いている程の圧力を感じ、士道と折紙の動揺の声が重なる。

 

 

「秘められた自己能力の解放――――鍵の天使というのは、伊達ではありませんわね」

 

「ほぉう……?」

 

 

 空間そのものを揺るがすほどの霊力。天使〈封解主(ミカエル)〉の真の力に動揺らしい動揺を見せなかったのは、いつの間にか霊装、その上に白い外装を纏い、冷静な分析を見せた狂三。

 そして、歓喜の感情を隠さず目を細めた十香だった。

 

「貴様、面白い力を持っているな。ふん、奴の言っていたこと、嘘ではないようだな。――――いいだろう。修羅の前に、貴様から相手をしてやる」

 

 不敵に顔を歪め、〈暴虐公(ナヘマー)〉の凶刃に漆黒の霊力を纏わせる。その余波が六喰の霊力とぶつかり合うだけで、展望台に残されたガラスが次々と砕け散っていく。

 

 

「もはや、もはや、許さぬ。記憶を封じるなど生ぬるい――――塵も残さず無と消えよ!!」

 

「その意気で私を楽しませてみせろ――――でなければ素っ首、すぐに落としてくれる」

 

 

 万象を塵芥へ還す剣。万象を開閉せしめる鍵。

 

 十香と六喰――――反転精霊と精霊が、激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「まったく、落ち着きという言葉はありませんのね……!!」

 

 吐き出しては見たが、そのようなもの無縁も無縁なのだろう。狂三とて、その程度のことは知っている。

 が、狂三がそれなりに苦労し、人目を気にしているというのに、自分の力に絶対の自信を持つ精霊はこれだからと、狂三は相対する十香と六喰を見やる。

 否。相対、という表現は適当とは言えない。何せ二人は、強大な霊力を憚らず衝突させ、今この瞬間、剣と戟は激突したのだから。

 傍迷惑なことに、宙から展望台の外壁へと戦場を移した十香と六喰は、双方の武器を交わし合いながら辺り一帯を破壊していく。

 意図してそうなっているわけではない。精霊と反転精霊。しかも両者ともに戦闘に秀でている結果として、自然にそうなってしまうのだ。

 

「――――折紙さん、連絡用の端末はお持ちですわね? 貸してくださいまし」

 

「え……は、はい!!」

 

 ブーツでガラスを踏み砕き、折紙の元へ駆け寄りながら狂三はそう呼びかけた。

 彼女も狂三の意図するものを察し、すぐに携帯電話を取り出し、狂三の手に預けてくれる。それを見た士道が、激突の衝撃に身体を揺さぶられながらも問いかけてきた。

 

「何する気だ?」

 

「わたくしがお二人の間に入り、足を止めますわ」

 

「止めるって、お前一人じゃ危険すぎる!! 俺も――――――」

 

「今の状況で、あなた様をお連れする方が危険ですわ。以前の十香さんと同じ状況ではありませんのよ」

 

 論破の隙を見せない狂三の言葉に、士道は息を詰まらせ次の言葉を失った。

 そう。以前――――一度目の反転時は、仕方なしに士道を接近させた。が、今はそうはいかない。反転の十香と全力で打ち合える精霊が狂三以外にもう一人、とてもではないが味方とは言えない存在、六喰。

 その二人の戦闘空域に、生身の士道を無策で連れていく――――あまりにもナンセンスな選択だ。

 

「けど、俺がいかなきゃ……!!」

 

「待って五河くん。時崎さんは今の状況で、って言ってるんだよ」

 

 折紙の正確な指摘に、「あ……」っと声を漏らし落ち着きを取り戻す士道。

 自分が必要、ということまではわかっているのだろうが、こういったところは、まだまだ落ち着きがない少年らしいと狂三は苦笑して言葉を継ぐ――――――それくらい、狂三がいる時は冷静という面を託してくれているのだと思えば、嬉しいものだ。

 

「ええ。士道さんの登場は、状況を整えてからですわ。せめて『わたくしたち』と折紙さんとで、動きを抑え込める範囲まで。そのために――――――」

 

 勝利条件は六喰、及び十香の霊力封印。倒すことではない。

 故に、狂三だけでの打開は不可能。精霊という存在の中で、間違いなくトップクラスの危険度を持つ二人に、士道を近づけさせることすら叶わない。

 驕ってはならない。悪化した状況に、焦ってもならない。狂三は極限まで研ぎ澄まされた神経を駆使し、打開までの道を整えるまで。

 そのためには、白い少女から力を借り受けた狂三と、折紙の力を結集してもまだ不完全。もう一つ、この事態を既に察知しているであろう組織の力が必要だ。

 

 

「――――琴里さんを叩き起しますわ」

 

 

 だから狂三が、不本意ながら、わざわざ喝を入れてやらねばならなかった。

 

「準備が整い次第、『わたくし』が合図を送りますわ。折紙さん、それまで士道さんを――――いいえ。突入から、士道さんとわたくしの(・・・・・)フォローを」

 

「っ、はい。任せてください……!!」

 

「頼りに、していましてよ」

 

 相変わらず不思議な気持ち。それでいて、穏やかな心。こんなにも、誰かを信頼することになるとは。

 だが、事実として折紙の力は信頼に値する。それに頼らない理由はないし――――〝想い〟を共にする者として、感じない物が無いわけでも、ない。

 強い表情で頷く折紙を見届け、破壊されたガラスへ向かい、戦場となった外壁へと飛び出る――――前に、今一度士道と視線を交わした。

 

「……怪我、しないでくれよ」

 

「あら、あら。わたくしだけに向けたお言葉ではないことは、減点と言わざるを得ませんけれど――――――ふふっ、お気遣いという点では、及第点ですわね」

 

 言って、今度こそ外へ足を――――踏み出す前に、戯れに人差し指を唇に当て、投げキス(・・・・)を一つプレゼント。

 なっ、と狼狽える士道と、はわ、と顔を赤くした純情な折紙に微笑みながら、狂三は空高く舞い上がった。

 

「お行きなさい、『わたくしたち』!!」

 

 天空タワーの上層を一望できる高さまで上がり、空中に〝影〟を生み出して無数の分身体を呼び出す。

 

『きひひひひッ!!』

 

 それらは狂三そっくりに歪んだ笑みを浮かべ、タワーの外壁を駆け巡る精霊と反転精霊へ集っていく。

 しかし、これでは気を逸らすことがせいぜいだろう。〝数〟という総体の力はあれど、分身体に全力の精霊を抑える力はない。足を止めることは可能だが、拘束するなどの行為は不可能だ。

 

「なんじゃ……!!」

 

「ふん、いつぞやの分体か」

 

 戦火に身を投じた分身体たちが、二人の振るう刃に蹴散らされていく。被害こそ抑えられるが、やはり長くは持たせられない。

 だから狂三はもう既に、耳元に詰めの一手を寄せていた。折紙の携帯電話――――〈フラクシナス〉と繋げることが出来る連絡端末を。

 程なくして、ブツッという音の後に、騒がしい〈フラクシナス〉艦内の音声が鼓膜を震わせた。

 

「御機嫌よう、琴里さん。お忙しい中、失礼いたしますわ」

 

『――――本当よね!! あなた折紙と一体何していたの!? 十香は……それにあの精霊は一体何者!?』

 

「それにお答えする時間は、残念ながらありませんわ。――――どうやら、記憶は『閉じ』られたままのようですわね」

 

 まあ、ここまでアクションがなかった時点で、そうだろうと当たりをつけていた。

 白い少女の力、その分け身(・・・)と言える力を所持している琴里なら……と思っていたのだが、やはり狂三が借り受けている力とは質が大きく異なり、存外手こずっているらしい。

 

『っ、あなたまで、またそんなこと……ッ。この頭痛は、一体何なのよ……ッ!!』

 

「琴里さんが『閉じ』られた記憶を開こうとしている痛みですわ。さすがに、直に干渉する天使ともなれば、ある程度自我による指向性が必要……ということでしょうか。あの子の力、更に興味が増しましたわ」

 

『だから、何を、……言っ、て――――ぐっ』

 

 出鼻の強気な声音が、段々と呻き苦しむものへと変わる。

 それを聞いて、狂三の顔に動揺はない。時間がないとは宣言したし――――生憎、狂三は士道ほど優しくないのだ。

 すぅっと息を吸い込み、全力で琴里を叩き起した(・・・・・)

 

 

「さっさとお戻りなさいな。さもないと――――――士道さんの身体、余すことなく(・・・・・・)わたくしがいただきますわ!!」

 

『は――――――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

 

 

 キーン、と。強化された精霊の聴力が凄まじい叫びを鼓膜に拾わせ、狂三は思わず片目を閉じて顔を顰めた。

 相も変わらず狂三にダメージを負わせるその声は、続けて声を張り上げる。

 

『ふざけんじゃないわよ!! 私の目が黒い内は、あなたなんかに士道の童貞はあげられないわ!!』

 

「ど……!? 何もそこまで言っていませんわよ!! そのような言葉、どこで覚えて来られたのかしら!?」

 

『そういう意味じゃなかったら何なのよ!! 紛らわしい言い方するんじゃないわよっ!!』

 

「煮え切らない琴里さんが悪いのではありませんの!! わたくしの手を煩わせないでくださいまし!!」

 

『うっさいわね!! このツンデレナイトメア!!』

 

「うるさいですわ!! このツンデレイフリート!!」

 

 ぜぇ、はぁ、とお互いの荒い息遣いが通信で交わされる。……乗っかっておいて何だが、緊急時に何をしているのかと狂三は汗で張り付いた髪をかき上げ、本当の(・・・)琴里とようやく言葉を交わした。

 

『……迷惑かけたみたいね』

 

「お互い様、ということにしておきますわ。ご気分の方は如何でして?」

 

『頭痛が酷くて、最高の気分(・・・・・)よ。――――随意領域(テリトリー)、十香及び六喰の戦闘領域に展開!! 同時に〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉を射出!! 周囲への被害を抑えるわよ!!』

 

『司令!?』

 

 琴里からの指示にクルーが意外そうな声を上げたのがわかる。

 当然だろう。突然、封印処理のされていない警戒すべき精霊と言い争いをしたかと思えば、人が変わったように迷うことなく指示を出す。

 この場において、明確な意志を持って精霊を妨害することは、解決策を見出していなければできない。それは可能なのか――――――可能に決まっている。

 白昼夢から抜け出した琴里は、その最愛にして最大の切り札を、取り戻すことができたのだから。

 無意識のうちに唇の端が吊り上がる。狂三は勝機へ繋がる道が整ったことを、これで悟ったということだ。

 

「素晴らしいですわ、素晴らしいですわ。わたくしたち(・・・・・・)が為すべきこと、存じ上げていらっしゃいますのね」

 

『当然。行くわよ――――――』

 

「ええ――――――」

 

 声を揃えて、踏み出す。白い外装が靡き、黒と紅のドレスが揺れる。

 

 

(わたくし)たちの戦争(デート)を始めましょう』

 

 

 二人の声が、麗しき二重奏となって響き渡った。

 

 為すべきこと共有し終えた通信を切り、携帯を後方へ投げやる。それを分身が受け取る動作を気配だけで流し――――混迷を極める戦場へ、身を躍らせた。

 

 

「――――楽しげな舞踏会に仲間外れなど、悲しいですわ、泣いてしまいますわ」

 

 

 己の身にかかる重圧に、訝しげな顔を作った二人を見下ろすように狂三は降り立つ。

随意領域(テリトリー)の効果範囲では、全身を無遠慮に撫で回されるような不快感と重圧が、二人を襲っていることだろう。

 まさか、狂三が重圧を受ける側ではなく、恩恵を受ける側に回ることになるとは、思いもしなかったと内心で苦笑する。

 

 

「うぬか……ちょうどいい、纏めて無に還してくれる――――ッ!!」

 

「ふん。分体では退屈だったが、本体が来たのなら申し分ない。いつぞやの夜の続きだ――――来い、修羅」

 

「ええ、ええ。存分に踊るといたしましょう。お二人とも――――――わたくしを、退屈させないでくださいましね?」

 

 

 鍵を。剣を。銃を。

 それぞれの奇跡を手に取り、少女たちは戦場にて命懸けの闘争(ダンス)を踊る。

 

 

「――――〈封解主(ミカエル)〉……ッ!!」

 

「――――〈暴虐公(ナヘマー)〉!!」

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 狂気に委ねた瞳。

 冷酷な殺意を灯した瞳。

 二つの色彩に矛盾を抱えし瞳。

 

 三つ巴。類を見ない精霊戦争が、幕を開けた。

 

 

 






道化を演じる少女の真意は、どこにあるのか。歪な少女は狂三に何をさせようというのか。そして、『狂三』は……?

というところで舞台は三つ巴。てか、本当に仲良くなったねこの二人…原作だとまずありえない関係なので、違和感なく届けられていたら嬉しいです。
くるみん結構激情家なところあるから売り言葉に買い言葉はやる気がして…4巻での言葉の殴り合いも割と正面から受けてたってたし。
まあよっぽど親密かつ緊急時にならんと絶対ここまで淑女投げ捨てた応酬はしないでしょうけど。原作だったら分身体相手にははっちゃけるくらいでしょうし。いやあれは分身体がはっちゃけてるのか……?
だからこそ、心を開いた狂三なら思わずこういう買い言葉が出てしまう時もあるんじゃないか、という説得力が積み重ねることができていたら幸いです。でもこれ、やってる事普通の友達じゃry

そんなくるみん分析はさておき、いよいよ六喰編クライマックス間近です。評価とお気に入りが沢山で、いかはとてもとても嬉しい…!!くださるといつでも喜びます!!

あとラストの三つ巴は厨二心全開で書きました。そうだよ、私の趣味だよ。いいですよね、それぞれの特色が出た名を謳う場面。なんだこの凶悪メンツって感じですけど。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十八話『乾きと飢えを癒す者』

「五河くんって、時崎さんのどういうところが好きなの?」

 

「ぶっ!?」

 

 あまりにも唐突で直線的で場違いな質問に、狂三の投げキスから続く不意打ちとなって士道は息を吹き出した。

 

「わっ。ご、ごめんね、五河くん」

 

「……い、いや、いいけどさ。…………よくはない、のか?」

 

 咳き込む士道を見た折紙は、慌てて謝りながら背をさすってくる。ついでに状況が状況なだけに、冷静になりながら首を傾げることも忘れない。

 そんな士道の疑問に折紙はえへへ、と可愛らしく小さな笑いを見せて声を発した。

 

「時崎さんと五河くんを見てたら、何だか気になっちゃって。こんな時に聞くようなことじゃないと思うんだけど……『私』が目覚めたら元に戻っちゃうし、そうなったら私が五河くんと話せる時間はなさそうだから、聞いておきたくて」

 

 確かに、折紙の言葉に納得はする。二人の人格が融合した折紙とはいえ、先のような質問を日常に戻った折紙がするところは想像できない。それどころか、自身のことを積極的にアピールしてきそうだと、眠っている折紙のことを思い出して急に懐かしい思いを感じる。

 そして、少し寂しげに理由を語る折紙に、士道としても無下にできない気持ちが芽生えてしまう。

 とはいえ、どういうところが好きなのか、と聞かれたのは初めてのことだった。これまで会った人たちは、大体が士道の言動や行動で狂三に好意を抱いていると気がついていたから、面と向かってこういった問いは投げられてこなかったのだ。

 そんなわけで、普段にはない少しばかりの気恥ずかしさを顔に出しながら、士道は声を返した。

 

「どういうところが、って聞かれたら――――全部、かな」

 

 そう。全部(・・)だ。

 

「元々、俺の一目惚れだったからさ。顔はもちろん好きだし、あんな美人なのに影で努力を怠らないところも、それを見せないところも好きだ。声も当然好きだし……あ、知ってるか? 狂三、実は猫が好きなんだぜ。本人は隠してるから、秘密にしていてくれよな。あとは、全部が好きとは言ったけど、一人で背負い込み過ぎるところは直して欲しいよなぁ。人に無茶するなって言って、今みたいに正論を盾にして自分が一番無茶するから――――――」

 

「す、ストップ!! わかった、十分わかったからその辺りでお願いします……」

 

 ……士道としては全くもって語り足りないのだが、質問者が顔を真っ赤にして必死の形相で手を翳して止めに入ったので、仕方なしに言葉の矛を収める。

 

「す……すごいね」

 

「そうか? まあ、狂三の好きなところは大体こんなところだ――――――だから、さ。今みたいに、狂三に守られてばっかりなのは、ちょっと悔しいかな」

 

 頬をかいて、覗かせた弱音に折紙が目を丸くする。

 悔しい。悔しくない、わけがない。今の士道では、狂三を守ることができないと、彼女自身に言われたも同然なのだ。

 無力感が、握る拳に表れる。力が足りない。守るための力が足りない。想いだけでは、何も守れないから。気高く、美しい狂三を、士道はこの手で守りたい。だから、士道は――――――

 

「――――けど、時崎さんは嬉しいんじゃないかな」

 

「え……」

 

 意外な言葉を放った折紙は、手の指を組み合わせながら背を向け、続けた。

 

「五河くんにそう思ってもらえるだけで、時崎さんは嬉しいと思う。だって、好きな男の子が守ってくれるんだから、嬉しくないわけないよ。でもね、そんな五河くんの想いと同じくらい時崎さん、ううん――――女の子だって、好きな男の子を守りたいんだよ。女の子も守られるだけが、幸せじゃないんだから」

 

「折紙……」

 

「それに、五河くんは時崎さんが無茶するっていうけど、私から言わせればお互い様だよ」

 

 よく琴里に二人揃って指摘される悪癖をこちらの折紙にまで指摘されると、士道もバツが悪く苦笑いで誤魔化すしかない。

 硬い笑いを見せた士道を肩越し見やる折紙は、くすくすと笑いながら言葉を続けた。

 

「でも、そうやってお互いを守りたいって思い合って、肩を並べて、隣に立って――――ちょっと、妬けちゃうな」

 

「へ……?」

 

「何でもないよ。女の子は、男の子には秘密の悩み事が多いのですよ、五河くん」

 

 指を唇に当て、士道が可愛らしいと思ってしまう魅了的な悪戯っぽい微笑みを見せた折紙。

 そして、ポケットから銀色のドッグタグのようなものを取り出し、それを額に翳した。

 

 

「承認、鳶一折紙――――〈ブリュンヒルデ〉、展開」

 

 

 瞬間、折紙の身体を淡い光が包み込む。

 人知を超えた技術顕現装置(リアライザ)の結晶、CR-ユニット。

 奇跡の体現足る精霊の鎧、霊装。

 光が弾ける。二つの奇跡を重ね合わせ、優美で靭やかな姿を生み出した精霊と魔術師の融合体。それこそ、鳶一折紙の真骨頂。

 

「その姿は――――」

 

「――――言ったでしょ。好きな男の子を、守りたいって」

 

 そう言った折紙に、今度は士道が目を丸くしてしまう。

 恥ずかしげに頬を染め、けれど士道から視線を逸らさない折紙が言葉を紡ぐ。

 

 

「私も……そして『私』も、負けたくない(・・・・・・)。時崎さんと同じくらい、五河くんが好きだから。同じ想いを持ってるあの人に、負けたくないって、五河くんを守りたいって思うの――――それは、時崎さんもきっと同じ」

 

「折、紙……」

 

「わかっちゃうんだ。五河くんに、救われた人同士だから」

 

「――――――」

 

 

 ああ、嗚呼。折紙の言葉に、士道の脳は衝撃を受けたように熱くなる。

 そうか、彼女は、狂三は――――士道との出会いに、後悔ではなく救いを感じてくれているのだ。

 

「……あーあ。やっぱり、時崎さんより一番にはなれないかぁ」

 

 すると、士道の表情から思考を読んだように折紙が苦笑しながら声を発した。

 

「え……あ、いや……」

 

 士道が返す言葉に迷っていると、折紙は冗談だよ、と笑いながら手を差し出した。

 

 

「『私』と時崎さんを見てたら、私も頑張らなきゃって思えたんだ。ちょっと恥ずかしいこと言うけど――――――五河くんが惚れ直すくらい、頑張っちゃうんだから」

 

 

 以前見た折紙と同じ……いいや、同じと言っては失礼だ。

 

 

「五河くんも時崎さんも、一人で背負わないで――――一緒に、行こう」

 

 

 一回りも二回りも成長して、魅力的な笑顔で差し出された折紙の手を。

 

 

「――――ああ。頼む、折紙。俺に……俺たちに力を貸してくれ」

 

 

 守るだけでもなく、守られるだけでもなく――――――並び立つ(・・・・)その手を、士道は強く結び取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 死角に開かれた『扉』から迫る戟を薙ぎ払い、降り注ぐ銃弾の雨を斬撃で打ち払う。

 三つ巴の戦い。積極的に攻めいったのは六喰、十香。両者の戦いに介入し、均衡を保つかのように立ち回るのは狂三。

 並の精霊でさえ、ここまで十香と切り結ぶことはできない。〈封解主(ミカエル)〉で霊力を解放、または潜在的な能力を解放したのであろうこの精霊は、狂三や十香と正面から渡り合える実力を開花させた。

 鍵の天使と剣の魔王が交差する。閃光が踊る神速の世界に、白い外装を纏った狂三が追従した。

 

「は――――ッ!!」

 

「小癪――――!!」

 

 何かしらの霊力が込められた銃弾だけを的確に避け、十香はもはや足場として機能しなくなった展望台のガラスから鉄塔部分へと足場を変える。

 修羅――――狂三と呼ばれる精霊の力は、六喰や十香のそれとは大きく異なる。直接的な戦闘能力という点で十香と今の六喰を相手取るには、狂三は水をあけられていてもおかしくはない。

 だが、事実として狂三はかつて十香と打ち合い、今は外部からの援助(・・・・・・・)を受けながらも、十香と六喰の行動を上手く制限している。

 天使の特殊性。狂三自身の冷静な判断能力と、経験値。それら全てが――――否だ。十香の目には、時崎狂三がそのような表面的な理由で戦えているなどとは見えない。

 

「き、ひ――――!!」

 

笑っている(・・・・・)。この極限の状況下で、いつ命を落としてもおかしくはない戦場で。今も神速の戟を見舞う六喰を前にして、時崎狂三は美しくも狂気的な微笑みを浮かべてしまっていた。

 

「は――――ああ、よいな」

 

 そう。戦うものにしかわからない感情。

やはり(・・・)、同じだ。渇きと飢えが、癒えていく。『私』が感じている絶望とは別の絶望を、この〝修羅〟ならば癒してくれる。

 死が迫るから、生を実感できる。最強と比肩し得る最凶の好敵手を前に、十香は歓喜に満ちた声を零し――――二人の間に割って入る。

 

『――――!!』

 

 六喰を振り払った狂三の銃口と、振り下ろされた十香の魔王が衝突する。僅か一瞬の後、押し出された狂三と十香は視線を巡らせ――――お互いが笑っていることを認識した。

 

 

「もっと、もっとだ!! 静止など、つまらんことを考えてくれるな!! 私に本気を見せろ――――修羅よ!!」

 

「きひひひひッ!! わたくしはいつだって本気ですわ。さっさと目覚めてくださいまし――――眠れるお姫様!!」

 

 

 〈暴虐公(ナヘマー)〉から振り下ろされた斬撃が、狂三と狂三の〝影〟から放たれた数百の流星とぶつかり合い、霊力の塊が宙に激しく拡散する。

 足りない。まだ足りない。この修羅の狂気はこんなものではない。知っている、感じていた。あの歪なる両の眼に描かれた深淵は、十香の渇きと飢えを存分に満たすもの。

 

「ぜやぁぁぁぁぁッ!!」

 

「……!!」

 

 まだ、こんなものではないだろう。その心のままに地を蹴り、宙に躍り出た狂三に手を伸ばすように剣を振るう。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 が、今度は六喰が割って入るように加速し、十香へ向けて〈封解主(ミカエル)〉を五月雨の如く繰り出した。

 一撃一撃が、必滅の意志を持つ刺突。標的を狂三から変え、冷静に刺突を捌く十香だったが、六喰の攻撃に僅かな違和感を持つ眉を顰める。

 勘。一言に勘と言っても、それは経験や実力から導き出される一種の答えのようなもの。適当な当てずっぽう、というものでは決してない。

 その十香の勘が違和感を告げていた――――六喰の行動は、繋ぎ(・・)だと。

 

「……ふん」

 

 ――――どんなものを見せるのか、興味が湧いた。

 一度距離を置き、鉄塔に足をつけた十香へ向かって、先より強い威力の刺突が繰り出された。 霊装すら抉り取るだろう火力。しかし、まだ〝弱い〟。身を捩り、紙一重で避ける十香――――その背後に、『扉』が開いた。

 

「〈封解主(ミカエル)〉――――【(ラータイブ)】!!」

 

「――――っ」

 

 攻撃が仕掛けられるかと思ったが、違う。

 空気が爆発したかのような暴風。それが十香たちがいる側の空間から『扉』へ向かって、急激に生み出される。

 『扉』の先がどこへ繋がっているかは定かではないが、恐らくこの上階と相当な気圧差がある場所に繋げたのだろう。

 十香を吸い込む、とまではいかないものの、十香の足を一瞬だけ掬うことに成功する。

 

「【(ラータイブ)】!!」

 

 続けて響く声に、『扉』。それも、通常出力の『扉』ではない。十香の頭上に開かれた超巨大な『扉』は、そこから直径一〇〇メートルは優に超える鉄、木材、石材――――何かの建造物を大胆に使った攻勢を仕掛けるためのものだった。

 

「ふ――――ッ」

 

 〈暴虐公(ナヘマー)〉を下段に構え、振り抜く。

 正面から、一閃。如何な巨大であろうとも、魔王の剣が断てぬ道理はない。両断された建造物は、二つに分かれて十香を避けるように落ちていく――――――刹那。

 

 

「〈封解主(ミカエル)〉――――【(ヘレス)】!!」

 

 

 建造物と十香の間、ほんの僅かな隙間に『扉』が生じ、鍵の形をした戟が突き出された。

 直撃は、避ける。が、剣を振るったばかりの十香が捌き切れるほど生半可な速度ではなかった。

 身を翻した十香の霊装の端を貫き、そのまま落下する建造物の一部を突き刺し――――――

 

「何……?」

 

 十香の纏った霊装と、巨大な建造物が〝消滅〟した。

 切り裂かれたわけでも、砕かれたわけでも、どこかへ転移させられたわけでもない。ただ、事実として〝消滅〟したのだ。

 

「はぁッ!!」

 

「ち――――」

 

 無論、それで終わりではない。開かれた『扉』が広がり、〈封解主(ミカエル)〉だけでなく六喰までもが現れ、十香を穿たんと突撃をかけた。

 霊装のない十香が受ければひとたまりもない。かといって、霊装を構築する時間などあるはずがない。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 

 穿つ戟と受け止める剣が相対――――――その神速の世界に、神速を超える(・・・・・・)者が介入した。

 狂三が身を躍らせる。刹那の攻防の最中、切り裂かれた建造物の片方を足場にして接近、瀬戸際で六喰の攻撃から十香を守る(・・・・・)

 神速では間に合うはずもない。今の狂三は、以前の死合いで見せた極地、加速の重ねがけ(・・・・・・・)を行っている状態なのだろう。

 念入りな下準備からの本命を邪魔され、奥歯を噛み締めて殺意を露わにする六喰に対し、狂三はあくまで優雅な微笑みで相対する。

 

「霊子の結合すら分解してしまえるとは、想像以上の素晴らしいお力。ああ、ああ。心から感服いたしますわ」

 

「邪魔を、するでないわ……ッ!!」

 

「あら。わたくしも纏めて無に帰すのでしょう? 今十香さんにした事を、わたくしにもしてみせて見せてくださいまし――――できるものなら(・・・・・・・)、ですが!!」

 

 銃と戟が弾き合い、霊力と火花を散らす。物理的な衝撃を伴い、三者ともに勢いに乗って地面へと降り立った。

 

「…………」

 

 消滅させられた霊装を再度顕現させながら、十香は油断なく狂三と六喰を視界に収める。

 霊子の分解――――通常、精霊の意志により己の内に戻る霊装は、構成された霊力も同時に還元される。しかし、今の消滅にはそれがなく、十香は新たな霊力で構成された霊装を生み出さねばならなかった。

 そして周りに僅かではあるが、霊子の残滓を未だ感じることができる。なるほど、分子や霊子の消滅ではなく分解――――〈封解主(ミカエル)〉・【(ヘレス)】。これこそ、六喰の切り札ということになるか。

 同時に、六喰がこれを狂三にではなく十香へ向けた理由にも察しがつく。

できるものなら(・・・・・・・)。そう、狂三は言った。事実、そうなのだろう。以前には見られなかった、狂三の纏う白い外装。十香からすれば、視界から外さなければ気配に違和感を持たせる程度のものでしかないが、どうやら六喰にとっては違うようだ。

 それを悟ったからこそ、狂三ではなく十香から仕留めにかかった。思考の全てを殺意に回しているというのに、冷静に物事を判断する能力は残されている――――冷静でありながら、狂っている。

 

 

「――――ふん。童かと思えば、一端の戦士ではないか」

 

 

 あの男を見定める(・・・・)事と、狂三との決着が望みだったが、この戦士も存外に楽しませてくれる。

 そんな考えを薄い笑みに表し、〈暴虐公(ナヘマー)〉の切っ先を好敵手たちへ向けた。

 

「待ってくれ、十香、六喰!!」

 

「お願いします、落ち着いてください!!」

 

 だが、愛おしい至福の時間を邪魔する者たちが、十香の視界に割って入る。

 

「――――士道、さん」

 

 その、瞬間だ。修羅の狂気が消えた(・・・・・・・・・)。あの時と、同じように。

 

「ち――――邪魔だ、消えろッ!!」

 

 舌打ち混じりに柄を握り直し、〈暴虐公(ナヘマー)〉を振り下ろす。叫びと共に漆黒の剣閃が三日月の形を成し、割って入った二人へ迫る。

 が、そのうちの一人――――あの道化師が語っていた人間から消去法で、折紙と呼ばれる少女が、金属の鎧と純白の限定霊装を纏い、手にした槍を翻し斬撃を打ち払った(・・・・・・・・)

 

「……何?」

 

 十香が目を細めたのは、打ち払われたことに対してではない。本気の剣撃ではない上に、不可視の力で動きを制限された状態なら、精霊の力を持ってすれば打ち払うこともできよう。

 しかし、槍を翻した瞬間に収束した闇色の霊力(・・・・・)は、今の十香からみれば同種――――つまり、反転体の霊力に他ならなかったのだ。

 よくよく観察してみれば、折紙の出で立ちは精霊と大きく異なる。通常の霊力と、十香と六喰の動きを制限している物と似た人工的な力が、折紙の中で混ざり合っている。

 槍の先端に、周囲に漂う霊力を収束――――なるほど、容易く打ち破れるわけだ。何せ今、この周囲には六喰の手で分解された霊装の霊力という、天使にも劣らぬ濃度の霊子が溢れているのだから。

 

「ふん……どいつもこいつも――――」

 

 苛立たしいと思っていたが、同時に。

 

「――――私を楽しませてくれるッ!!」

 

「折紙さん!!」

 

「うん!! 五河くんは六喰ちゃんを!!」

 

 〈暴虐公(ナヘマー)〉を振りかぶり疾走した十香の前に、槍の先端に闇色の霊力を纏わせた折紙が立ち塞がり、狂三が折紙の援護に入るように無数の分身を従えて並び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺す……殺す。主様を奪おうとする者は、敵じゃ。むくは……むくは、ひとりは嫌じゃ――――――」

 

 少女が嘆きを零す。それは殺意の籠る怨嗟の声――――同じくらい、苦しみを込めた悲しい声音。

 

「――――六喰!!」

 

「っ……主様」

 

 士道はそれを、放ってなどおけない。

 駄目だ。無垢なる狂気を現実にしてしまえば、巡り巡ったその果てに、六喰は――――そんなことは、させない。

 

「おお……主様。主様。安心するのじゃ。すぐに、むくが全てを無に帰してくれようぞ。そうすれば――――――」

 

「六喰!!」

 

 それ以上の言葉を、過ちを(・・・)、紡がせてはいけない。

 士道は六喰の肩を掴み、驚いた様子の彼女と再び対話を試みる。

 

「どうしたのじゃ、主様。あとはむくに任せておけばよい」

 

「違うんだ……そうじゃないんだよ、六喰……!! それじゃあ、駄目なんだ。もうこんなことは止めてくれ。俺は、誰かが消えるのも、俺のことを忘れちまったりするのも嫌なんだ……!! 十香も、折紙も、狂三も――――六喰、お前だって、みんなみんな、俺の大切な人たちなんだ!!」

 

「……っ」

 

 士道の言葉に六喰が息を詰まらせ、顔を歪ませた。それでも、士道は言葉を止めない。止めるわけにはいかない。六喰のためにも、みんなのためにも、士道は今度こそ六喰の『心』を開かねばならない。

 

「なんで……なんでなんだ? 教えてくれ、思い出してくれ(・・・・・・・)、六喰。なんでお前はそこまで、みんなを排斥しようとするんだ?」

 

 どうして、他者という存在を受け入れることができないのか。受け入れられないだけではなく、頑ななまでに排斥しようとするのか。

 士道も、六喰自身も知らない〝原因〟はあるはずなのだ。それがたとえ、六喰の苦しみだったとしても、過ちだったとしても――――繰り返させては、いけない。

 

「――――なにゆえ」

 

「え?」

 

 しかし、静かに、打ち震える悲しみの声が、返された。

 

「なにゆえ、そのようなことを言うのじゃ。主様は……むくのことが好きなのじゃろう? むくも、主様が好きじゃ。ならば、それでよいではないか。なのになぜ!! なぜじゃ!!」

 

「っ……そうじゃないんだ、六喰。俺は――――――」

 

「嫌じゃ。ひとりは嫌じゃ……!! 主様は誰にも――――――」

 

 すると。その時。

 

「――――十香さんっ!! 折紙さんっ!! 狂三さんっ!!」

 

 遮るように叫ばれたその声に、士道はハッと目を見開いて声の方向へ視線を向けた。

 

「な、何戦ってるのよあの三人……!!」

 

「きゃー!! 大変ですー!!」

 

「み、みんな……!?」

 

 記憶を封じられた、六人の精霊たち。予想外の登場に、士道も驚いて声を上げる。

 どうしてここに、という考えはすぐに排除される。異常な霊力を感知してか、空間震警報は発令されている。が、それを聞いたからこそ折紙や十香を探しに来たのだろう。

 あくまで、『閉じ』られた記憶は士道に関してだけのもの。それ以外は、優しい精霊たちのままなのだ。こうなってしまうのも、必然。

 

「あ――――」

 

 そして、彼女たちの姿を見て、六喰が別の考えに至ってしまうのも、必然だった。

 

「うぬら……うぬらまで、皆、皆むくから主様を奪おうというのじゃな。許さぬ。許さぬ。もはや――――――」

 

「六、喰?」

 

 異様な、取り返しのつかない何かが〝予知〟させられる。

 〈封解主(ミカエル)〉を両手で握った六喰は、その切っ先を下方、つまりは地面――――否、地球(・・)という概念へ向けて、突き刺し、

 

 

「〈封解主(ミカエル)〉――――【(セグヴァ)】……ッ!!」

 

 

 鍵を、廻した。

 ――――瞬間。

 核を起点とし、凄まじい振動が辺りにゆっくりとだが広がっていく。

 血液の脈動のように、ゆっくりと、だが確実に。しかしそれは、生命活動を促すものではなく――――――

 

「っ、ぁ……!?」

 

 鋭い痛みに左目(・・)を覆う。何かが、訴えかけてきている。この行動の意味を、訪れる結末を。

 薄い笑みを浮かべた六喰の手が、士道の頬に伸びる。

 ああ、どうしてか、士道の左目に映る彼女の背景が歪み、今のものではなく――――果ての見えない宇宙(みらい)が広がっていた。

 

「もう……安心じゃ。これでもう……誰にも邪魔はさせぬ」

 

「六喰、お前……〈封解主(ミカエル)〉で、地球を――――!!」

 

「聡明じゃの、主様――――星に、【(セグヴァ)】を施した。対象が巨大すぎるが故、時は掛かるが、やがてこの星は巡りを止めるじゃろう」

 

「――――――」

 

 わかっていて、理解していてなお、息が詰まる。紡ぐべき言葉が、止まる。

 あまりに壮大すぎるそれに、あまりに滑稽至極に思えるそれは、六喰の、そして士道の左目に宿る時計盤(・・・)が、紛れもない真実だと告げていた。

 星の巡り。地球の自転の崩壊。それが意味するものなど、子供でも理解できる――――訪れる結末など、予知がなくとも理解できよう。

 

「これで、邪魔者は皆消える。主様は、むくと一緒に、ずっと(そら)で暮らすのじゃ。ふふ……楽しみじゃのう」

 

 言って、もはや士道の表情すら気にかけることなく、六喰は空に目を向けた――――未だ天に煌めきを描く、精霊たちへ。

 そうして、六喰は震える地面を蹴り上げる。恐らくは、最後の決着をつけるために。

 

「六喰!! 待ってくれ、六喰っ!!」

 

 追いかけるために駆け出した足を――――一度止める。

 

「く……」

 

 追いかけて、六喰を説得する。それは確定的な行動だ。

 しかし、時間がない(・・・・・)。時は掛かると六喰は言っていたが、〈封解主(ミカエル)〉ほどの天使の力ならば、人の体感でいってそう長くは掛からず、地球に致命的な影響を及ぼす。そうなってしまったら、六喰を止めたところで取り返しがつかない。

 士道だけでは手が足りない。かといって、十香を止めている狂三と折紙に頼ることはできない。

 なら、どうするか――――決まっている。そのために、士道は声を張り上げた。

 

「――――みんな!!」

 

 ここにいるのは、士道だけではない。精霊たちが、士道の声を聞いて訝しげな顔(・・・・・)をしている。

 

「あ、あなたは、あの時の……?」

 

「……えっ、空間震警報鳴ってんのにストーカー続けてんの……? なんかそこまでいくと感心しちゃうわね……いやしないけど」

 

 四糸乃と七罪、いやそれ以外の精霊たちも記憶が戻っていない。だから、今の士道は空間震警報が鳴っているにも関わらず、七罪たちにまとわりつく不審人物でしかない。

 そんな男に、力を貸してくれるはずがない――――けれど、士道は迷いなく精霊たちの元へ走り寄り、深々と頭を下げた。

 

「みんな……頼む!! 力を貸してくれ!!」

 

「……は? え、何……?」

 

「えっと……何かあったんですか?」

 

 戸惑った様子を見せながらも、四糸乃がそう問うたことで士道の中に希望が生まれる。

 顔を上げて、皆に伝わるよう真摯に思いを込めて言葉を続けた。

 

 

「六喰が――――精霊が、地球に『鍵』を掛けちまった。このままじゃ、大変なことになっちまう!! 頼む……みんなの精霊の力を……貸してくれ!!」

 

 

 半ば無謀な賭けに等しい願い出だろう。何せ、彼女たちは士道のことを何も知らない。なぜ、精霊のことを知っているのか。それが不審さに拍車をかけ、DEMやASTなどの精霊と敵対する者たちと判断されてもおかしくはないのだ。

 それでも、彼女たちの力が必要だ。世界を――――いいや、六喰を救うために。

 逡巡の沈黙が、心臓の鼓動を早め痛める。だが――――――

 

「……わかりました。私でよければ」

 

 四糸乃がそう答えたことを皮切りに、場が大きく移り変わる。

 

「よ、四糸乃? もっとよく考えた方がいいんじゃないの? 怪しすぎるでしょ、こんな……」

 

「はい……でも、悪い人には見えませんし。それに……なんて言えばいいのかわからないんですけど、私――――この人のお役に、立ちたいんです」

 

「四糸乃……」

 

 決意に満ちた瞳が、士道の心を奮い立たせた。縁が切れ、一度は全てが無に帰ったと思わされた――――違う。

 どこかで、残ってくれていたのだ。精霊たちと紡いだ道が、絆が。人が手にした想いは、簡単に封じられたりしない。それを表すように、次々と精霊たちが名乗りを上げる。

 

「呵々、まあよいだろう。最低限の礼はわきまえているようであるしな」

 

「首肯。なぜかはわかりませんが、以前にもこんなことがあった気がします」

 

「むー……まあ、皆さんがそう仰るならぁ……男の子は男の子ですけど、トリミングしたら可愛いお顔してますしぃ」

 

「あーうんいんじゃない? なんかこういう展開燃えるっしょ」

 

「みんな……」

 

 皆の言葉に思わず視界がボヤけてしまい、慌てて手でそれを拭うと、七罪が呆れたのか大きく息を吐いて声を発した。

 

「……何よ。これじゃ私だけ悪者みたいじゃない。わかったわよ、私もやるわよ――――で、一体何をどうすればいいっていうの」

 

「ああ、それは――――――」

 

 あまりにも七罪らしい物言いに嬉しくなりながら、士道は次に続けようとして、上から降ってきた(・・・・・・・・)黒い影に中断されられた。

 

「うおっ!?」

 

「驚愕。大きな岩が落ちてきました」

 

「――――あら、淑女を捕まえて岩などと。失礼ですわねぇ」

 

 その声と、砂埃から現れたシルエットの見覚えに、士道は当然のように彼女の存在を言い当てた。

 

「『狂三』!!」

 

「ごきげんよう。士道さん、それに皆様方」

 

 ニコリと微笑み、今し方墜落紛いの着地をしたとは思えないほど優雅な礼を見せた。

 恐らくは、十香との戦闘空域から離脱してきた『狂三』なのだろう。どうしたのか、と問いかける前にすすす……と距離を詰めてくる。

 

「それより、聞いてくださいまし士道さん。『わたくし』ったら酷いんですのよ。必死に十香さんを止めようとするわたくしを掴まえて、いきなりこちらへ投げ飛ばしましたのよ。痛いですわ、泣いてしまいそうですわー」

 

「お、おう、そうか。大変だったな……」

 

「ええ、ええ。ですので、ご褒美にまた頭を撫でてくだ――――――」

 

 『狂三』の声が不自然に途切れる。まあ、士道の『狂三』の間に一筋の線が差し込まれ、鈍い音を立てて地面に刻まれた弾痕をみれば、理由は誰でも察することができるだろう。

 一度それを眺めて、しかし顔を上げた『狂三』は、何事もなかったように微笑みながら続けた。

 

「……さあ、士道さん。是非にお願いしますわ」

 

「いや、次は本気で撃たれるぞ」

 

 どちらが、とはわからなかったが。今のが流れ弾の可能性もないわけではなかったが、狂三の技量を考えると戦いの合間にやったと言われても不思議には思わない。

 士道の指摘は最もだとわかっているのか、唖然とする精霊たちの前で更にぷくっと頬を膨らませてから、改めて要件を伝えてくる。

 

「『わたくし』から言伝を授かりましたわ。――――十香さんは必ず抑え込んでみせますので、六喰さんはお任せいたしますわ、とのことです。まあ、そう仰ったあの顔は、『何かあったら必ず呼べ』というものでしたけれど」

 

 肩を竦めて伝えられた内容に、士道は過保護な最悪(さいこう)の精霊さんの困り顔を思い起こし苦笑を返した。

 

「……ああ、わかってる。あとで説教は勘弁だからな」

 

「本当にわかっているのやら、わたくしも心配ですわ。それと、この騒ぎは琴里さんと精霊の皆様方の力を……と、こちらは『わたくし』の杞憂でしたわね」

 

 すると、『狂三』がそう言った、その時。

 

『――――当然じゃない。こっちの仕事まで奪わないでほしいわね』

 

 どこからか、何かを通した琴里の声が聞こえてきた。

 

「!! 琴里さん!?」

 

「えっ、どこ?」

 

随意領域(テリトリー)を通して〈フラクシナス〉から声を送ってるわ――――士道(・・)の言う通り、地面に霊力が侵食しつつある。これが地球にどんな影響を及ぼすか……なんて、言うまでもないわね。今から、所定のポイント六ヶ所に〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉を打ち込むから、それを起点として、それぞれ霊力を送り込んでちょうだい。それで、しばらくの間侵食は防げるはずよ』

 

「ほう、なるほどな。やるではないか琴里!! 我が眷属にしてやろう」

 

『遠慮しておくわ――――でも、私たちにできるのはそこまで。散々迷惑かけておいて、結局はそうなっちゃうのよね……』

 

「琴里さん……?」

 

 精霊たちから見れば不思議な物言いの琴里に、皆が首を傾げる。

 が、士道だけは違った。責任感の強いいつもの(・・・・)妹らしい言葉に、彼女を勇気づけるように口角を上げて笑う。

 

「気にするなよ。俺だって、いつも迷惑かけてるんだからさ。あとはいつも通り俺の役目だ、任せてくれ」

 

『お願い。……みんなでちゃんと、無事に帰ってきてよ、おにーちゃん(・・・・・・)

 

「ああ……本当にありがとう、琴里、みんな。――――よろしく頼む」

 

 言って、歩き出そうと振り向いた士道の背に七罪の声が届いた。

 

「……どこに行くの?」

 

 それに、士道は。心から出た、するべきことだけを答えた。

 

 

「――――俺の手を待ってる子の、ところに」

 

 

 いつだって、士道はそうしてきたから――――今身体を動かす力など、それだけで十分だった。

 

 

 




さては鳶一嬢好きだなって言われるとそうだよと返すタイプの人間です。だってデビの方はあんまり出番取って上げられないし…。実際これには反転十香も該当してますけどね。乾きと飢えがあるけど、でも根っこは……?

大惨事の三つ巴。でもこの辺、もう少し付け足して書きたかったなという印象。この章の反省会は六喰編ラスト辺りにしようかなと思っています。うーん難しい。

この分身体はいつの子かわかるかなと言いたいけど、よく考えたら100話も前の個体じゃねぇかって自分でびっくりしてます。美九編そんなに前なの……。

次回、六喰編クライマックス。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百四十九話『開かれた鍵と繋ぐ銃弾』

 殺す。殺す。殺す。必ず、殺す。

(ころ)す。誰であっても。なんであっても。六喰の、六喰と士道を邪魔する者は、全て。

 

「主様は――――渡さぬ」

 

 視線を鋭く、対象となる標的を睨みつける――――狂三と折紙を相手に戦う、十香へ。

 あの女も同じだ。〈封解主(ミカエル)〉の縛りを抜け出し、士道を奪いにきた。攫いにきた。ならば、必ず殺す。今すぐに殺す。士道と六喰の前から、消し去る。

 そうでなければならない。だって、そうでなければ、士道の愛は、六喰に向けられる愛は、限りのある愛は――――奪われ、無に帰る。

 

「〈封解主(ミカエル)〉――――【(ラータイブ)】!!」

 

 叫びと共に鍵を捻り、極小の『扉』を開く。

 如何に強大な精霊といえど、狂三と折紙を相手にしながら六喰の不意を突いた攻撃を避けることはできない。それが、〈封解主(ミカエル)〉によって造られた『扉』からの不意打ちなら、なおのこと。

 〈封解主(ミカエル)〉・【(ヘレス)】。鍵の天使が司る力の中で、必殺にして秘中の極地。

 突き刺し、廻す。たったそれだけで、万物は崩壊し、無に帰る。

 

「【(ヘレス)】……ッ!!」

 

 それはたとえ、精霊であっても例外ではない。物質分解の力に抗う術などありはしない。

 狂三の援護を受けた折紙が、十香と打ち合いお互いの動きを止めたその瞬間、六喰は〈封解主(ミカエル)〉を『扉』目がけて突き出した。

 

「駄目だ!! 六喰ッ!!」

 

「――――ッ!?」

 

 だが、その時、六喰にとって予想外の光景が目に飛び込んでくる。

 既のところで、両手を広げた士道が六喰の前に立ち塞がった。如何に六喰といえど、突き出した鍵を止める手段はない。

 が、何としても止めねばならない。【(ヘレス)】の力を乗せた鍵は、穿てば例外なく物質を分解する。精霊だろうと、精霊の力を封印した人間だろうと識別はしない。

 このままでは士道が――――そんな思いも虚しく、僅かに狙いは逸れたものの、〈封解主(ミカエル)〉は士道の肩口に突き刺さった。

 

「く……!?」

 

 苦悶に呻く士道を見て、六喰は急ぎ〈封解主(ミカエル)〉を引き抜こうとし――――流れ込んだ(・・・・・)ものに、気づく。

 

「――――え?」

 

 戟が繋ぎの役割を果たし、怒涛のようにイメージが交錯する。士道と、そして六喰の〝記憶〟。

 同じだ。宇宙で、士道の扱う偽の〈封解主(ミカエル)〉によって鍵を開けられた時と。それによって、もたらされる、取り戻す(・・・・)ものは。

 

 

「――――――」

 

 

 

 ――――あの時だ。

 失意に沈んでいた、寒い冬の日。『何か』が現れて、力をくれた。

 水で滲んだような形をした『何か』が、黄金に輝く宝石のようなものを差し出して――――受け取った瞬間から、星宮六喰は〝精霊〟になった。

 

 けれど、そのことに恐怖はなかった。あったのは、期待と希望と、歓喜。

 鍵の天使〈封解主(ミカエル)〉は万能の力。その力は形のあるもの、ないものを問わず『閉じる』ことができた。

 ああ、それだけで、六喰がどのような行動を取ったかなど、明白にして当然の結論だと言えた。

 

 ――――六喰の家族を知る者、全ての記憶を『閉じた』。

 

 だってそうすれば、六喰だけを愛してくれるに違いなかった。そうしなければ、家族は六喰を愛さなくなると考えたから――――――その結果、六喰は何もかもを失った。

 混乱の中で、六喰が母、父、そして姉から、何を言われたのか。それはもう、断片的にしか覚えていない。おかしな話だ、その光景の瞬間瞬間は、ひとつ残らず覚えているというのに。

 胸の痛みが、苦しみが、六喰を守ったのかもしれない。それを記憶していては、きっと六喰が壊れてしまうと思ったのかもしれない。身から出た錆だというのに、愚かな話だ。

 あんたなんか――――家族じゃない。

 

 果たして、その言葉が本当のものだったのか。今となっては、六喰にすらわからない。その上、それを問う機会さえ失われている――――気づけば、父が、母が、姉が、それぞれ持っていた六喰に関する記憶が、『閉じ』られていた。

 

 

 

 もとより、間違いだったのだ。何も知らなければ、苦しみを感じることはなかった。けれど、知ってしまえば、失った時の苦しみはより強くなる。そうなれば、後に残るのは後悔だけ――――だから六喰は、『心』までも『閉じ』た。

 愛を知らずに生まれ落ちた怪物は、己の愛が歪なことにすら気がつかなかった。

 歪な怪物でいるためには、愛を知っていなければならない。狂人は常人を知るからこそ、理解をして溶け込むことができる。常人を、愛することができる。

 ああ、そう。だから六喰は、諦めるしかなかった。

 愛したならば、愛してもらいたい。

 だが、愛してしまえば、自分だけを見てもらわなければならない。

 そんな愚かな自分を、記憶と心を、星宮六喰は『閉じ』た。

 温かな感情を、家族がいたという幸せを、思い出してしまわないように。

 

 ――――もう二度と、誰かを愛して(間違いを冒して)しまわないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ――――」

 

 〈封解主(ミカエル)〉から流れ込んでくる、記憶。

 封じられていた最後の鍵が開かれたことを示唆する、星宮六喰の過去。

 それは、士道がこの数日間、夢の中で見た自分の――――六喰の、記憶だった。

 理屈はわからない。だが、士道が繋いだ偽の〈封解主(ミカエル)〉は、心の鍵だけではなく記憶の鍵にまで影響を及ぼし、擬似的な経路(パス)を生成。

 それが今、本物の〈封解主(ミカエル)〉を通して再び機能した。お互いの記憶を綯い交ぜにし、伝え合うように。

 

「六喰……お前は、いや、お前も――――――」

 

 触れた記憶と心。士道は震える声を発しながら、六喰へ手を伸ばそうとして。しかし、出来なかった。

 

「あが……ッ!?」

 

 凄まじい激痛が肩口――――〈封解主(ミカエル)〉が差し込まれた箇所から生じて、次の瞬間、腕が弾け飛んだ(・・・・・・・)

 

「ぐ……っ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 今まで感じたこともない衝撃的な痛みが、喉を潰さんばかりの絶叫として表へ出る。

 切断、圧殺、そういったものからはかけ離れた別途の力。士道の腕を繋ぐ組織そのものが、分解され、消滅した。

 手首を残して、肩と腕が丸々全て消し飛ばされた。僅かに残った手首など、地面の血溜まりに落ちるものでしかない。

 

【が……あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!】

 

 士道の行動は思考的なものではなく、生存本能からくる反射的なものだった。

 〈破軍歌姫(ガブリエル)〉による痛みの緩和。〈贋造魔女(ハニエル)〉による傷口の修復。

 とはいえ、どちらも根本的な解決に至るものではない。意識が飛びそうになるほどの激痛は治まることはなく、傷口の修復も腕そのものが吹っ飛んでいるのだから焼け石に水だ。

 しかし、意識はある。意識があれば話せる、止められる――――士道に残されるものは、それだけでいい。

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の治癒の炎が燻り始めたのを確認し、士道は意識を繋ぎ止めながら六喰を見やる。

 

「六、喰――――」

 

「あ……あ、ああ――――主様、違うのじゃ……むくは、むくは、主様を殺そうとなど……」

 

 恐らく士道の声は届いていない。その瞳の焦点は合わず、虚空を見つめ、〈封解主(ミカエル)〉さえも取り落とした六喰はうわごとのように声を零す。

 

「いやじゃ……むくを、ひとりにしないでくれ。あ、あああああ、主様、あねさま、むくは、むくは………………ッ」

 

 混濁。夢と記憶と現の境界が曖昧になり、六喰の心を揺さぶっている。

 そして、六喰の目から涙が落ち――――士道は、全身のあらゆる細胞が警鐘を鳴らす感覚を感じた。

 

「う――――ぁ、あ、あぁぁぁぁぁああぁぁぁああ――――――」

 

「反、転……か……っ」

 

 掠れた声でその現象、そして自らの身に引き起こされるであろうものを予測する。

 全身に残された血が沸騰したように熱い。六喰から溢れる濁った色を持った霊力と呼応するように、内側から痛みが加速していく。

呑み込まれる(・・・・・・)。このままでは、絶望しかけた六喰を止めるどころか、士道までミイラ取りがミイラになってしまう。

 士道を自分の手で傷つけた絶望。過去の記憶への絶望。その二つは、六喰の心を砕くには十分すぎたのだろう。

 

「駄、目……だ、六喰ッ!!」

 

 それを受け入れてはいけない。だが、思いも虚しく、霊装に禍々しいヒビが走り、消えた〈封解主(ミカエル)〉と入れ替わるように六喰の背後に巨大な鍵が現出する。

 ――――これでは、届かない。士道の心までもが呑み込まれれば、士道の声は六喰に届きはしない。

 

「く……そ、ったれ……っ!!」

 

 一瞬でいい。一瞬だけで、いい。僅か一瞬、士道の心が六喰の絶望に惹かれる前に戻れば、その数秒にも満たない時間さえあれば、あとは〝彼女〟の力がある。

 だから、その一瞬を。何でもいい。何か、何か、何かを。士道の識る何かを――――――無意識に、引いた(・・・)

 

 

「――――――――――」

 

 

 ほんの一瞬。願った通りに、叶う。

 『六喰の絶望に呑み込まれる前』の心へ、巻き戻される(・・・・・・)

 その刹那の間に、士道は全身から力を振り絞り、血溜まりを吐き出し、めいいっぱいに〝彼女〟の名を叫んだ。

 

 

「くる――――みぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」

 

 

 ――――黒が舞う。

 白い外装を脱ぎ捨て、紅と黒に彩られたドレスを身に纏い、天から舞い降りる精霊。

 人はそれを、命を刈り取る死神のようだと言うのかもしれない。けれど、士道には――――最高の天使様にしか、見えない。

 

 

「――――次からは、こうなる前に呼んでくださいまし」

 

 

 士道の身体を支え、守るように立つ狂三の顔は、さぞご立腹なものなのだろうと苦笑する。正直、腕が吹き飛ぶような事態、次に待っているというのは勘弁願いたいものだ。

 六喰の身体を中心として放たれる霊力塊――――それは、天から降り注いだ魔力砲(・・・)により打ち消された。

 直感的に、それが〈フラクシナス〉からの援護だと悟る。それに反応したのが、微笑みを浮かべた狂三だというのが理由だったのだが。

 

 時の文字盤が震え、浮かぶ十二の文字のうち、指し示されるは十番目。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 

 世界が、移り変わった。

 

 

 

 

 

 

 

「――――死ぬかと、思った……」

 

 というより、あの瞬間は本当に死んだと錯覚するほどのものだったと、士道は無くなった(・・・・・)腕を見て、自らのしぶとさに感謝の意を示す。

 そんな士道を見て、隣に立つ狂三が心底、本当に見捨てるか考えている一歩手前――という建前であろうが――といったような声色を、あからさまに吐き出した。

 

「ほとほと、呆れ果てるとはこのことですわね。次はわたくしが、あなた様を攫って拉致監禁いたしましょうか」

 

「は、はは……冗談だよな?」

 

「ご想像にお任せしますわ」

 

 その回答が一番恐怖を煽る気がする。背筋が凍るのだから暑くなるのだか、よくわからない感情を覚えながら、士道は見渡す限り真っ白な空間で重い腰を上げて立ち上がる――――ふと、腕の痛みが消えていることに違和感を覚えた。

 腕を消し飛ばした、痛みが消えている? まさか、ありえない。ここは意識の共有領域だからこそ、現実の痛みや感情はそのまま引き継がれているはずなのだ。

 だから、士道が痛みを感じていない理由は、きっと――――――

 

「狂三、そこまでは頼んでない」

 

「あら、あら。何を仰っているのか、さっぱりですわ。無駄口を叩くより、一刻も早く六喰さんを引き戻すべきなのではなくて?」

 

「…………」

 

 相変わらず反論がしにくい正論をぶつけてくれる、と士道は背負い過ぎる狂三に怒りの視線をぶつけながら、彼女の言う通りに目的を果たすことに意識を戻す。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【一〇の弾(ユッド)】。

 回顧の力から逸脱し、変質したこの効力が続いている間に、

 

「六喰……」

 

 目の前で絶望しかけた、星宮六喰を救う。

 狂三が見守る中、一歩、一歩と六喰へ足を踏み入れる。その度に、六喰の心を象徴するかのように昏い霊力が迸り、士道の行く手を塞ぐ。

 それでも、士道は突き進んだ。

 

「六喰、戻ってきてくれ。そっちに行ったら、駄目だ」

 

 語りかけるよう、穏やかな声を。心に響かせるには、繋ぎ止めるにはどうすればいいか、士道とて手探りだ。

 だとしてもわかる。そちら側へ、行かせてはならないと。

 そうして辿り着いた六喰の身体を、抱き締める。片腕を無くした状態では、もたれ掛かるというものに近い。でも、残された力を込めて、強く、強く、訴えかけた。

 

「わかる。今なら、やっと。六喰の心がわかるんだ」

 

 ようやく、理解できた。無垢でいて、残酷。士道には理解できなかった、六喰の狂気的なまでの心。

 けど、違った。それを理解して、直してやれるのは士道しかいない。士道が(・・・)、理解してやらねばならなかったのだ。

 

 

「六喰……お前は――――俺だ」

 

 

 かつて本当の母に捨てられ、物心ついた時には、誰もいなかった。

 ああ、ああ。どうして気がつかなかったのか。あの夢は、士道だけのものではなかった――――士道だけのものだと誤認してしまうほど、六喰の過去は士道と同じ(・・)だったのだ。

 父と母と、きょうだい。家族の温かさを初めて知った六喰は、士道だった。

 だから、わかった。ようやく、理解できた。

 

「六喰……お前は、不安だったんだよな。心細くて、仕方なかったんだよな」

 

 言葉が響いて、空間が揺れる――――いや、きっとその揺れは、六喰の心に言葉が届いている証明だ。

 六喰の不安は、士道の不安そのものだった。

 『愛』を知らない子供が、突然それを与えられる。知らなかったものが、愛しくて、眩しくて、心地よくて――――いつか、消えてしまうのではないかと思った。

 世界は狭く、脆い。家族が自分の知らない他者と親しげに話しているだけで、心が締め付けられるように痛かった、苦しかった。

 所詮、誰かの代わりなのだと。もっと大切な人たちが、士道(むく)以外にいるのだと――――――それを正してくれる人たちも、また家族だったのだ。

 

「でもな、六喰。……大丈夫なんだ」

 

 それを今度は、士道が教えてやる番だ。

 六喰の頭を優しく撫でながら、続けた。

 

 

「そんな心配、いらなかったんだよ。父さんも、母さんも、きょうだいも……どんなに遠く離れたって、繋がってるんだ。だってそれが――――家族ってもんなんだから」

 

 

 母に、父に、そして琴里にそれを教わった士道は、六喰が辿らなかった道を歩んだ者。けれど、一つ間違えたら、士道も同じ過ちを犯していたかもしれない。

 

「……、……っ、でも……むくは……むくには……もう……」

 

「――――いるだろ、ここに」

 

 何をするにも、遅すぎることはない。いくらでもやり直せる――――誰より士道が、これからそれを肯定してみせるから。

 

「愛ってさ……小難しくて、厄介で、一方通行じゃこんがらがって、めんどくさくて……けど、家族でも、そうじゃなくても、それが愛なんだ。一方的じゃなくて、伝え合うから繋がる――――そう考えたら結構、素敵だと思わないか?」

 

 めんどくさくて、辛くて、苦しくて――――けどそれを全て変えてしまうくらい愛おしい感情。

 それは家族に対しても、それ以外の、愛しい人に対しても、変わらない。

 どうなったって、繋がっている。士道がそう笑うと、六喰が呆然と声を……確かに、六喰自身の声をもらした。

 

 

「……主様、むく、は――――」

 

「俺はお前のこと、忘れたりしない、嫌ったりしない。でも、それは一方的じゃ駄目なんだ。六喰にも、誓ってもらわないとな――――家族、なんだからさ」

 

 

 六喰の涙の色が、黒から透き通るような水の色へ――――――世界が、崩れかけている。

 もう時間は残されていない。未だ、六喰の霊力は瀬戸際の境界を維持している。

 だから、最後の手段。というより、最後の賭けだった。受け入れてくれなければ、士道も六喰も世界も、何もかもがおしまい。ただ、そういった賭けの方が、向いているし――――何より、絶対に譲れないものが、士道にはあるから。

 何がなんでも受け入れてもらうべく、六喰の顔を上げさせ――――半ば誰かさんに向けての言い逃げのように、宣言した。

 

 

「ああ、それと――――嬉しいことに家族って、増えるもんなんだぜ。俺にも、将来(・・)はその予定があるから、よろしくな」

 

 

 ――――その誰かさんの動揺を背に受けながら、六喰と士道は重なり合い――――――世界が白く染まり、温かな光(・・・・)が、満ちた。

 

 

 

 

「……!!」

 

 士道の目の前で、六喰の霊装と、顕現しつつあった魔王が輝きを失い、無に帰っていく。

 

「……っ、六喰!!」

 

「あ……う……」

 

 相変わらず、現実と空間の境界が曖昧で不思議な力だと思っている暇はなく、霊力の封印(・・・・・)により一糸まとわぬ姿となった六喰が、力なくもたれかかってくる。

 腕の痛みがないとはいえ、士道にも六喰を支えるだけの痛みは残っていない。あえなく体勢を崩した士道は背から地面へ――――落ちることなく、狂三の手に受け止められた。

 

「あ……助かったよ、狂三」

 

「……まったく、無茶苦茶な方ですわね」

 

 それは多分、士道の行動というより、空間が砕ける直前の発言を指摘しているように思えた。

 その証拠に、ゆっくりと地面に下ろされながら見上げた狂三の耳が、炎もかくやという勢いで真っ赤に染まっていた。

 ……まあ、正直あの宣言はやりすぎたとは思ったものの、後に回せる問題ではなかったので、どんな形であれ六喰が受け入れてくれて助かった、というべきだろう。

 

「……、……」

 

 ひとまず身体を隠せるようにと、狂三が影から取り出した大きめのブランケットに覆われながら、士道の血に濡れた胸板ですぅすぅと寝息を立てる六喰。

「六喰……ありがとうな、俺を、信じてくれて……」

 

 泣き疲れたのか、大きく力を使い果たしたのか……どちらにせよ、お疲れ様と士道は六喰の頭をぽんぽんと叩いた。

 ようやく一段落、と言いたいところだが、士道の腕をどうにかしないと、狂三に負担がかかる(・・・・・・・・・)

 とにかく、どうにかして琴里と連絡を取らねば。朝の一件の騒ぎで、持ち歩いていたインカムは家の中だからそれは無理だとして――――――

 

「……ん?」

 

 そこまで考えて、先ほど援護をくれたのだから、六喰の霊力が封印された以上、琴里からアクションを起こしていてもおかしくないのではないか? ということに気がついて、珍妙な声を上げた。

 何か、とんでもないことを忘れている気がする。

 それを思い起こさせてくれたのは、左手で銃を取り出した狂三だった。

 

「士道さんもお休みになられたいところ、大変心苦しいのですが――――最後の大仕事が、残ってしまいましたわねぇ」

 

 瞬間――――暴風のような飛来物が、士道と狂三の目の前に叩きつけられた。

 

「な……ッ!?」

 

 目を見開き、飛来物の姿を視認する。

 叩きつけられた、という表現は正しくなかったと言える。それは、最大風速から急激に減速をかけ、凡そ人の域を超える挙動で着地をしてみせたのだから。

 闇色のスカートがはためき、水晶の瞳が冷たく士道たちを撫でた。

 

「十香……!!」

 

「……『わたくしたち』と折紙さんを振り切るとは。実力は十香さんと変わりなく、面倒なことですわ」

 

 反転精霊・十香。

 介入者として現れ、未だ反転理由が判明していない彼女が、この状況に降り立った。

 もう呆れた声を出すのも飽き飽きだ、という風に狂三が風に揺れる髪に構うことなく、左手に持った銃だけ(・・)を掲げ、十香と相対する。

 

「っ……お前、やっぱり……」

 

 六喰の身体をできるだけ優しく地面に横たえて、ふらつく身体に力を入れて立ち上がる。たったそれだけで済んでいるのは、不自然なまでに動いていない(・・・・・・・・・・・・・)狂三の右腕のせいだ。

 気がつかないわけがない。痛みが引いた瞬間から、狂三は一度たりとも右腕を動かしていない。まるで、そこに存在しないかのように扱っている――――――士道の痛覚を、肩代わりしているのだ。

 

「く――――無事!?」

 

 と、十香から少し離れた位置に、折紙と分身体たちが降り立つ。

 しかし、その姿は装備、霊装ともに損傷の跡が見られる。反転した十香との激しい戦闘を物語っていた。

 

「…………」

 

 折紙たちを一瞥した十香が、再び士道と狂三、そして六喰に視線を戻す。

 心なしか、その瞳は戦うためのものではなく……何かを、見定めるように穏やかなものに見えた。

 

「ふん……」

 

「……!!」

 

 しかし、それも一瞬のこと。

 十香が〈暴虐公(ナヘマー)〉の切っ先を突きつけ、狂三がそれに反応して左手の銃を返すように突き出した。

 

「っ、やめろ狂三!! 十香も……!!」

 

 無茶だ。そんな思いで、士道は声を上げる。

 如何に狂三といえど、片腕の感覚が消失――――いや、消失しているならまだマシだ。腕が消し飛んでいる激痛に耐えながら、反転した十香を相手取るのは不可能に近い。

 素面を装ってこそいるが、想像を絶する痛みが襲っているはずなのだ。士道が天使を重ねがけて耐えたものを、狂三は引き受けるだけ引き受けて何の対策も取っていない。恐ろしい精神力に敬意すら抱くと同時に、それを通り越して無茶をする狂三へ怒りすら込み上げてくる。

 叫ぶ士道を見て、十香は今一度横たわる六喰を――――そして、相対する狂三を見て、冷たく声を発した。

 

 

「――――戦士を童に……ふん。修羅を、女にしたか(・・・・・)

 

「え――――?」

 

 

 剣呑な声と相反し、眼光は酷く穏やかに映る。

 十香の言葉に狂三が動揺を見せるように肩を揺らし、士道が疑問の声を漏らす中、十香が〈暴虐公(ナヘマー)〉を光に帰し、他には目もくれず士道へ近づいてくる。

 

「五河くん!!」

 

「――――退け。興が冷めた」

 

 十香の行動に慌てた折紙が攻撃を加えようとした時、彼女は冷たく、それでいて寂しげに言葉を吐き出した。

 どちらかと言えば、折紙へ向けたものというよりは、無言で銃を構えた狂三へ向けたもので――――瞬間、一歩前へ踏み出していた士道の胸倉を乱雑に掴み上げ、引き寄せてきた。

 

「んん……ッ!?」

 

「な……!!」

 

「きゃ――――っ!?」

 

 当事者の士道と、それを目撃した狂三と折紙の声が重なり合う。

 唯一、その行動(・・・・)をした十香だけは狼狽えた様子を見せず、胸倉を掴んだ士道を狂三へ向けて投げ飛ばした。

 

「……っ!!」

 

「士道さん!!」

 

 狂三に受け止められながら、士道は十香を今一度見やる――――霊力を封印された証として、霊装が光へ帰り始めている、彼女の姿を。

 どうして、という疑問が浮かび、表に出るより早く、十香が冷淡な、けれど穏やかに感じられる不思議な双眸に士道と狂三を映して、小さく呟いた。

 

 

「――――修羅を手懐けた貴様なら、大丈夫なのだろうよ」

 

「え……?」

 

「だが――――『十香』を、あまり、悲しませるな」

 

 

 そうして、反転した霊力が底をついたように消え失せ――――意識が途切れたように、その場に倒れ込んだ……ところを折紙が受け止める。

 

「と、十香っ!?」

 

「……大丈夫。霊力が封印されて、眠ってるだけみたい」

 

 覗き込んだその顔は、折紙が言ったように険の取れた穏やかな寝顔で、士道も狂三に支えられながらホッと息を吐き出す。

 ……だが、結局、いろいろな謎が明かされていないと言葉を続ける。

 

「……そもそもなんで、十香は反転しちまって、反転した十香はこんな行動を取ったんだ……?」

 

「案外、十香さんを案じて見定めにきた、のかもしれませんわねぇ」

 

「十香を、十香が?」

 

 こくりと頷く狂三に、何とも紛らわしい表現だと、自分で言って苦笑してしまう。狂三の手でゆっくりと地面に下ろされる士道の前で、そういえば……と折紙が口を開いた。

 

「最後の方、六喰ちゃんの霊力を封印する前くらいからかな。何だか、戦いより五河くんと時崎さんを見ていたような……」

 

「まあ、当の本人が帰ってしまった今、確かめる術はありませんわ。先の論も、わたくしの想像でしかありませんもの」

 

「……それも、そうか」

 

 反転した十香が何を思い、何を見定めるためにやってきたのか。今となっては、彼女の残した僅かな言葉を推察することしかできない。

 結局、十香が元に戻ってくれたのが一番なのだから。そう安堵して、膝にぐったりと頭を預ける士道を狂三は片方の肩を竦め、折紙はハッと慌てたように声を荒らげた。

 

「――――って、そんなこと言ってる場合じゃないよ!! 早く医療用顕現装置(メディカル・リアライザ)を使わないと!!」

 

「ああ、そうだった……。狂三、もう肩代わりしてくれなくていいから。お前、絶対痩せ我慢してるだろ」

 

「あら、あら。突如として現れる痛みによるショック死がご所望ですの? 意外な自殺願望をお持ちなのですね、士道さんは」

 

「……おーい琴里ー。割と早めにヘルプミー」

 

 妖しく笑う狂三を見て、取り敢えず、今の状態で士道の痛覚を戻す気がないことはわかったので、混乱する折紙を置いて空中へ言葉を投げかける。

 そんな届いているかわからない言葉で呑気なことをしていると――――――不意にその場に起き上がった六喰によって、次の言葉は塞がれた。

 

「――――!?」

 

「……むふ、油断大敵じゃの、主様」

 

 よろめきながら不敵に笑う六喰に、士道は驚愕の声を返す。

 

「む、六喰!? い、一体何を……」

 

「今、十香とキスをしておったじゃろう」

 

「え……」

 

「――――安心せよ。もう……大丈夫じゃ。士道が何をしようと、むくはもう不安がることはない。何しろ……家族じゃからの」

 

 一瞬、六喰がまだ士道の言葉を受け入れてくれたわけではないのか、とも考えたが、それを杞憂であると六喰自身が語ってくれる。

 少し恥ずかしそうに、年相応の少女らしく頬を染める六喰を見て、士道はようやく完全に肩の荷が降りたのだと感じた。

 

「六喰……」

 

「じゃが――――このくらいのスキンシップは構わんじゃろう? 家族じゃからの」

 

 が、艶やかな唇を指でなぞり、年相応とは思えないいたずらっ子な笑顔をしてみせた六喰に、それが間違いなんじゃないかと思ってしまう。

 

「……ええと」

 

 困り顔で、助けを求めて狂三の顔を見上げる。

 頼られた狂三は――――もう本当に疲れた、という顔で、無情な一言を紡いだ。

 

 

「ご自身のお言葉は、ご自身で責任を負ってくださいまし」

 

「…………はい」

 

 

 ……家族って、なんだっけ。

 

 思いはしたものの、責任を投げ捨てることはできない士道なのであった。

 

 

 






小難しくてめんどくさいくて、それでも素敵だから愛なんじゃないかなぁ。物語の醍醐味ですね。

そして先に断っておきます。本日は特別後書きが長めです。

そんなわけで、無事残すところエピローグのみとなった六喰編。反転十香の出番がもっと見たいという方は『六喰ファミリー』をどうぞよしなに。いやできる限りはやったつもりなのですが、やっぱり反転体の出番は難しいなぁって……。

さあそれでは反省会の時間です。
一番にね、狂三が〈アンノウン〉の天使を完全装備で纏ってるの。これ、ぶっちゃけて白状するとプロット変更があって意味合いが少女の過保護程度になりました。本当はこの章、特に〈封解主〉に対しての重要なカウンターの役割で、満を持しての装備だったのですが、路線変更で敢え無く六喰への牽制と戦闘用装備に。
この辺りに突貫の名残が見える見える…予想以上の長編になったので修正は多々あるのですが、個人的な反省点です。戦闘転用にしたってもうちょい見せたかったのですが、狂三も精霊を倒しに行っているのではないという縛りがまた難しい。せっかくの完全装備くるみんなんだからもっとかっこよく活躍させてあげたかった。
まあ、そもそも天使を譲渡できることに関してはまだ触れてもいないしここからなんですが(小声)

反省会は一旦切り上げて、本編の方へ。
狂人は常人がわかるからこそ、常人に溶け込むことができる。たとえば狂三とかね。けれど、六喰は常人を知らないんです。いいえ、知っていても理解ができないというべきですか。それが間違いだと、どこかでわかっているはずなのに。
そんな彼女を救えるのは、そりゃあヒーローしかいないわけです。腕一本吹っ飛んでるのに意識があって話せるなら十分とか言い出し始めてる狂人なヒーローですけど。

狂三の痛覚引き受けはどうやったの?意識共有領域のちょっとした応用だ。この二人の特殊経路が要因ともいう。
将来は、果てさてどうなっていることやら。自分の発言の責任は取る男ですよ彼は。
自分で言うのもなんだけどをずっと言っている気がしますが、修羅を女にしたか、は割とお気に入りです。ずっとやりたかった。

さて、めちゃくちゃ語りたいおじさんで長くなりましたが次回は六喰編エピローグ。長くなった理由は六喰編で言うべきことは今回に詰め込んでおきたかったからです。

久しぶりにタイトル予告。次回、『別れの時』。九つの天使を集えた、その意味は……。
感想、評価、お気に入りなどなどお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十話『別れの時』

 

 流れる星々の海は、近いようで、遠い。手を伸ばせば掴めそうで、けれどどこまでも遠くて――――星といえば、以前に狂三とプラネタリウムを見に行った時、彼女の問いに士道なりの答えを返したら、狂三史上類を見ない笑い声で返されたことがあったか。士道は別に笑わせる気はなかったので、少しばかり拗ねた気持ちになったのを覚えている。

 なぜそんなことを思い起こすことになったかといえば、理由は至極単純。

 六喰の霊力を封印してから数日。彼女のご所望で、精霊マンションの屋上に揃って寝転び、夜空を眺めているからである。

 

「六喰」

 

「むん。なんじゃ、主様」

 

「本当によかったのか? 夜空が見たいなら、琴里がもっと見晴らしのいい場所を用意してくれるって言ってたけど……」

 

「よいのじゃ。むくはこれからここに住まうことになるのじゃろ。ならば、ここがよい」

 

「そっか」

 

 六喰自身がいいと言っているのなら、いいのだろう。

 口元を緩め、六喰に向けていた視線を星空に戻す。そうして、右手を伸ばして先の指を閉じて、開き、また閉じて……すっかり元通り(・・・)になった腕に、奇妙な思いを抱いてしまい士道は苦笑いをした。

 文字通りに弾け飛んだ士道の右腕だったが、現在自由に動かせているように再生させることができた。……とは簡単にいうものの、物質の分解という驚異的な力で消滅した部位を短期間で再生させるには、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉だけでなく顕現装置(リアライザ)に頼らざるを得なかったのだが。

 それに加えて、六喰の収容、事態の隠蔽は思いの外早急に対応されることとなった。六喰の霊力封印に呼応して、記憶を『閉じ』られていた皆が一斉に士道のことを思い出し、手を尽くしてくれたというのが大きかった。

 まあその際に、士道の怪我の大きさを見て、記憶を失っていた自分を責める精霊たちを宥める方がよほど大事だったかもしれない。

 ちなみに、この件に関しては、士道の痛覚を狂三が引き受けていると皆にチクって、素知らぬ顔でいた狂三へターゲットを向けさせることで事なきを得た。……狂三からは恨みがましい視線が飛んできていたが、特に気にすることは無いだろう。

 そして六喰は、士道の言葉を受け入れてくれたことからか、琴里や令音の言うことも素直に聞き入れてくれたようで、各種検査は驚くほど順調に進んだ。

 それから数日、つまりは今日この日、それぞれの治療や検査が終わり久方ぶりに顔を合わせた六喰が、一緒に星が見たいと言ってきたのである。

 

「――――昔」

 

「え?」

 

 静寂の中でぽつりとこぼれ落ちた呟きに、士道は視線を六喰へ向ける。

 

「こうして、あねさまと星を眺めたことがある。むくは……その時間がたまらなく好きじゃった」

 

「ああ……そうだな」

 

 知っているように、静かに返す。

 正確に、知っている(・・・・・)から。六喰と擬似的な経路(パス)が結ばれ、彼女の記憶と士道の記憶が混ざり合い、夢を見るようにその光景を目にした。

 心からの安堵と、幸せ。好きな人と過ごす、何気ない時間。士道の感じたそれは、まさに六喰の心そのものだったのだろう。

 

「なぜ……あのとき気がつかなかったのかのう。むくが心配せずとも、あねさまは……ととさまは、かかさまは、むくのことを愛してくれていたと」

 

「仕方ねぇよ。誰だって、一人になんてなりたくない。自分の居場所を守ろうとした六喰の気持ちは、間違いなんかじゃない。……俺にだって、わかる。ただ、やり方を間違えちまっただけさ」

 

「主様……」

 

 六喰の気持ちが過ちなのではない。取ってしまった手段が、出来てしまえた力が間違いだった。

 一度受けた心の痛みは、消えない。

 一度手を犯した過ちは、残り続ける。

 罪を犯した人は、ずっと背負っていかねばならない――――けれど、それは決して、何もかもが進めなくなるということではない。

 痛みを知った六喰なら、過ちを犯した六喰なら、ここからまた進んでいける。遠回りで、取り返せないものもあるかもしれないけど、これから手にしていけるものが、必ずある。

 目を伏せた六喰が、ゆっくりと受け入れるように言葉を紡ぐ。

 

「そうか……そうであったの。主様も、むくと同じじゃった。じゃからむくは……主様といると安心したのかもしれぬの」

 

 頬を緩めながらそのようなことを言われると、士道もさすがに照れくさくて誤魔化すように頬をかいた。

 そう。士道が六喰の夢を見たということは、同時に六喰も士道の記憶を夢としてしっているということになる。

 

「むん、そういえばいくつか見た夢の中で、気になるものがあったのじゃが」

 

「へえ、どんなだ?」

 

「何やら、学校の屋上で好きだ好きだとおなごに何度も――――――」

 

「ぶふっぅ――――――ッ!?」

 

 あまりに予想外の方向からの右ストレートを受け、呼吸の吸う部分を忘れてしまうほど息を吹き出した。

 動揺した士道の様子など何のその。六喰は関係ないと言わんばかりにそのまま続ける。

 

「むん。あのような告白をしたというのに、他のおなごに現を抜かすとは、士道はやはり浮気性じゃの」

 

「ちがっ……いや、その、違くはないかもしれないんですけどね? これには、時を超えるより深い事情があってですね……」

 

 浮気ではないと強くは言えない上に、ある意味で公認なのだが毎度毎度後ろめたさが物凄いのは事実。

 なんと説明して誤解でもない誤解を解こうか、などと士道が目をぐるぐると泳がせていると、六喰が可笑しそうに口元を緩ませた。

 

「冗談じゃ。わかっておるよ。家族とは、向ける感情が違う。しかし、それは繋がりを否定するものではない、のじゃろう?」

 

「……うん。ごめんな、最初に話してやれなくて」

 

 本当なら、始めに話さなければならないことなのだ。それを話せないのは、精霊の攻略には向いていないから――――本当で、あれば。たぶん士道は、誰か一人に特別な感情を抱くことは許されていないのだろう。

 精霊を救うものが、一人の精霊に固執する。誰かを愛する時、誰か一人を選び取る。なんと愚かで、なんと救えない傲慢か。

 ――――だとしても、貫くと決めたのが、この五河士道だから。

 せめて士道にできることは、真摯に思いを込めて言葉を伝えることだけだ。それに六喰は、首を横に振って返してくれた。

 

「いいや。どの時であれ、むくがこのような言の葉を聞き入れたとは思えぬ。今でよかったと、心から思うておるのじゃ」

 

「六喰……」

 

「じゃが、次からはどのようなことであっても話してほしいのじゃ。むくと主様の間に、そういう隠し事はなし、じゃ」

 

「ん……わかってる。俺たち、家族だからな」

 

 言って、六喰の頭を優しく撫でてやる。

 家族の間に事情の隠し事はなし。それは、新たに追加された家訓となるのかもしれない。

 家族だから、伝えたい。これから知ってほしいことは、沢山あるんだから。 

 

「俺と狂三のこと、まだまだ話せてないからさ。ちょっと長くなるかもしれないけど、聞いてもらえるか?」

 

「むん。いくらでも、構わんのじゃ。いつか――――家族になるかもしれんのじゃろう。むくも、よく知りたいのじゃ」

 

「……!! ああ。ついでに、次に狂三に会う時には、あいつをからかえる方法も教えておくよ」

 

「それは楽しみなのじゃ。あの不遜な顔を、どうにか歪ませてやりたいと思うていたからの」

 

 ニヤリと笑ってそう宣言する六喰を見て、士道も同じような笑みを返す。これは、強力な味方ができたかもしれない。

 次に二人が会う時は、いつになるか。まあ、少なくとも六喰と狂三の唇をかけた胃にくる勝負は勘弁だなと内心笑っていると、六喰が笑みを収めて穏やかな声音で言葉を紡いだ。

 

「礼も……伝えねばな」

 

「ん?」

 

「主様と、むくを繋いでくれた礼を、まだしていないからの」

 

「はは。『わたくしは自分自身のために、役割を果たしたに過ぎませんわ』、とか言って、恥ずかしがって受け取らなそうだけどな」

 

 すると、そんな話をした途端、初めから感じていた気配(・・・・・・・・・・・)がフッと消えて、それがまた士道の笑いを誘って六喰が小首を傾げた。

 

「主様?」

 

「ああ、いや……なんでもない。ただ――――――」

 

 そう、ただ。

 

 

「――――恥ずかしがり屋でお節介焼きな子が、見ていただけさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「まったく。此度の戦争(デート)も、まるで実入りがありませんでしたこと」

 

 誰もいない夜道に、事実だけを口にした愚痴が小さく響き渡った。

 あったのは霊力と分身体の消耗と、予知や二重加速による負荷ばかり――――そのようなことは重々承知の上なのだから、言っていて恥ずかしくなるだけのことを口に出すべきではないのに。などと、自分の性格を恨むことになったのだが。

 

「――――の割には、とても嬉しそうですね。我が女王」

 

 それと、いつの間にか背後に現れる主様に反抗的な従者に対しても。

 

「……どこの『わたくし』を見て、そのような発想に至るんですの?」

 

「言ってほしいです?」

 

「ぜひ止めてくださいまし。撃ちますわよ」

 

 自分のことは自分でよくわかっている。熱を灯した頬と耳は、誤魔化しきれないほど赤くなっていることだろう。ポーカーフェイスだの、表情がわかりづらいだの文句をつけられた時崎狂三が笑ってしまう。

 振り向いて、笑う従者に銃を向ける仕草をした狂三が――――ふと、違和感を持った。

 

「……あなた、何かありましたの?」

 

 雰囲気に、言いようのない妙なものがある、気がする。それほど曖昧であるにも関わらず、どこかで気になって口に出してしまった。

 しかし、少女自身にどこかおかしな様子はなく、当の本人も外装の下で小首を傾げて声を返した。

 

「え? どこか変ですか? これ(・・)もちゃんと返してもらいましたし、何も変わっていないと思うんですが……」

 

 少女が言いながら、外装をペラペラとはためかせる。

 少女が語る通り、その雰囲気も、力も、変わりはない。狂三が借り受けていた力と全く同じものが、今の少女の手に戻っていた。

 気のせい、なのだろうか。事が一つ終わったことで、気が立っているのかもしれないと、狂三は軽く手を振って返した。

 

「ふふっ、どうやらわたくしの勘違いだったようですわ。忘れてくださいまし」

 

「なーんだ、驚かせないでくださいよ。――――ああそれより、星宮六喰の様子はどうでした?」

 

「安定していらっしゃいましたわ。あれほど暴れていた精霊が、嘘のようですわね」

 

 あれなら、霊力を暴走させる心配もないだろうと狂三が表情を和らげるほど、六喰の状態は安定していた。

 吐き出すものを吐き出し、得るものを得て、一つ成長したということかもしれない。巡りに巡って迷惑をかけられたが、ああなったのなら狂三が茶々を入れることはないだろう。

 苦労はさせられたが、見合うものはあった。大仰に手を広げ、狂三は続ける。

 

 

「さあ、今宵はこれにて幕引きですわ。また一つ、悲願に近づく力を士道さんへ導くことが――――――」

 

 

 

 

 

 

 

「――――はい。これで、終わり(・・・)です」

 

 

 

 

 

 

 その、言葉に。

 

 

「――――――は?」

 

 

 そんな、在り来りで美しくない声を、返してしまった。

 心臓が、音を立てる。嫌な音だ。幾度も体験した――――士道の命が、消えゆく時に鳴る音色。

 

「何を……言って、いますの」

 

 半笑いのぎこちない顔で返す言葉は、あまりにも滑稽。

 何を言っているのか――――狂三であればわかるから、少女は言ったのではないのか。

 だから少女は、慈悲などなく言葉を紡いでいるのではないのか。

 

 

「精霊は……五河士道が封印するべき精霊は、星宮六喰で最後です――――狂三。あなたを、除いて」

 

「――――――」

 

 

 言葉が浮かび上がらない。境界が、曖昧になる。

 それでも、狂三の優れた聴覚は、言葉を聞き逃すことをさせてくれない。優れた頭脳は、考えることを止めてはくれなかった。

 

 

「もう、わかっているのでしょう? 人から精霊へ至りし者。器を満たすために用意された、数々の屍の上に立つ者――――神化(しんか)に至るためにある、十の欠片」

 

 

 神に選ばれし者。それが――――――

 

 

 

「精霊。『始原の精霊』――――崇宮澪(・・・)が生み出した、神の御使い。とでも仰りたいんですの?」

 

 

 

 笑ってしまう出来の悪い妄想のような産物を、しかし少女は首肯を以て肯定した。

 

「私がお教えしたものは、精霊を、五河士道が封印できるというもの。ですが、封印できる精霊が無限に現れるわけではない」

 

「力を切り分けるが故か、満たす器の許容限界か――――どちらにせよ、反吐が出ますわ」

 

 何を思ったのか。何を得ようとしているのか――――士道を利用して(・・・・・・・)、何を企んでいるのか。

 今何よりも、狂三の心を苛立たせるのは、それに関してだった。

 巫山戯るな。士道は、誰かに利用されるために戦ってきたのではない。誰かを救いたいと思って――――――――

 

 

「――――はっ。同じ穴の狢、ですわねぇ」

 

 

 そこまで考えて、思考して、吐き捨てた。

 外道に堕ちているのは、狂三とて同じだろう。

 同じだけの屍を。

 同じだけの悲劇を。

 同じだけ――――士道を利用し、扱おうとしている。

 血が煮えたぎるように暴れている。握りしめた手の内が、焼けるように熱い。

 

「……我が女王。今一度、あなたの答えを聞かせてください」

 

 何を、などと。それこそ愚問極まりない。

 答えを、時崎狂三はずっと握りしめていた。

 わかっていた。いつの日か、この心地が良い温もりが失われると。

 わかっていた。いつの日か、苦しくも愛おしい繰り返しに終わりが訪れるのだと。

 わかっていた。いつの日か、自らの心を撃ち抜く行為でしかないと。

 わかっていた。わかっていた。わかっていたわかっていたわかっていたわかっていた――――――ピリオドを打つ者は、誰でもない『時崎狂三』であると。

 

 精霊・〈ナイトメア〉。世界の敵、世界の災厄。最悪の精霊は――――答えを、既に持っている。

 

 

「――――何があっても、わたくしは辿り着きますわ、必ず」

 

 

 故に、この地に降り立った瞬間と、全く同じだけの言葉を、決意と時を宿す瞳を以て返した。

 時は、無限。そして、有限。

 辿り着くべき地平をゼロとするならば、今このときを以て、その地平は、ゼロは時を数える度に離れ続ける。

 今は過去となり、明日は未来。明日は人々にとっての希望であり、狂三にとっての絶望。

 

 同じようで、けれど違うものを。

 始まりは、偶然だった。

 矛盾した感情を抱いたことは、必然だった。

 

 果てにあるのなら。その果て(かこ)に、『時崎狂三』が悲願を遂げることができるのなら――――救い(みらい)など、喜んで殺し切ろう。

 そこに、『時崎狂三』は必要ない。世界(みらい)に必要ないものは、澪と、狂三そのものだ。

 

 そのために。そのために。そのために。その、ために。

 誰よりも、愛しい人を。

 誰よりも、優しい人を。

 誰よりも、世界を救った人を。

 

 生涯で、狂三が最後に愛した人を。

 

 

「誰の手にも渡さない。この手を汚すのはわたくしだけ。わたくしだけが手にする。わたくしだけの権利。わたくしが、わたくしが、この手で――――――」

 

 

 この先の未来で、彼の生きてきた全てから、狂三が消え去ったとしても――――――

 

 

 

 

「士道さんを、殺しますわ」

 

 

 

 

 殺すことで、彼の生きる未来を生み出そう。

 言霊のように身を焦がす痛みも、張り裂けてしまいそうな感情も、そのためならば、捨て去る。

 どんな企みが待ち受けていようと。あの女が、何を想っていようと。渡さない、譲らない。

 神すら超える、時を塗り替える天使の力で。

 

 全てを――――――〝なかったこと〟にしてみせる。

 

「――――では、私からは祝福を」

 

 道化師が手を掲げ、告げる。

 

 

「これまでのあなたに、感謝を。これからのあなたに、どうか――――最良の結末が、待っていますように」

 

「……わたくしからも、感謝いたしますわ」

 

 

 少女なくして、狂三はここに至ることはなかった。

 もしくは、全く別の未来が待っていたかもしれない。ああ、ああ。それは、今の狂三にとって酷く残酷で、悲しい。

 

 恐ろしいことに。哀れなことに。この期に及んで、時崎狂三という女は――――士道を愛したことを、後悔していないのだ。

 

 

「あなたがいたから、わたくしはここまで辿り着くことができましたわ。あなたがいたから、わたくしは士道さんと巡り会うことができましたわ。――――ありがとう。名もないわたくしの、従者様」

 

「……勿体なき、お言葉です」

 

 

 深々と頭を下げる少女を、狂三は最後まで見届けた。

 せめて、それが礼儀だ。最後の最後まで、変わることのなかった少女との関係への。

 嗚呼、嗚呼。本当に、最後だ。少女と、誰よりも連れ添って、けれど誰よりも理解することができなかった主と従者(偽りの関係)

 どこかで理解している。狂三の悲願が叶う時、少女がどうなってしまうのか。それでも、それでも、止まれない。止まることは、憐れむことはできないのだ。

 それは冒涜だ。少女に対する、何より『時崎狂三』に対する。狂三は『時崎狂三』を、遂に裏切ることができなかったのだから。

 

「――――決着は、わたくしの手でつけますわ」

 

 以前と同じ。だけど、背負うものが、知ったものが違う。

 後に引くことなどできない。有限の砂時計は、もはや返すことは叶わない。

 その決意を聞き届け、従者が最後の礼を取った。

 

「……それでは、ご武運を。我が女王」

 

「ええ、ええ。行って――――いいえ。終わらせて、参りますわ」

 

 そうして、新たに世界を創り出そう。

 歩みを進める。帰路ではなく、終わりを始めるために。

 一歩、一歩、一歩――――これまでの道が離れ行く中、狂三は振り返らずに、言った。

 

 

「――――叶うといいですわね。あなたの、願い」

 

 

 結局、知ることはなかったけれど。

 

 

「――――叶えてみせますよ。私の、悲願を」

 

 

 共に時間を過ごした狂三だから、なんであれ叶って欲しいと思った。

 

 

 これが――――『時崎狂三』が少女と交わした、最後の言葉となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その背は、もう見えなくなっていた。

 

 黒と紅の美しいドレスも。それを着こなす、世界で一番愛おしい背中も。

 

 その表情に滲むは、決意。

 その隻眼に灯るは、愛情。

 その未来(とけい)に宿るは、過去(みらい)

 

 誰より美しく。誰より気高く。誰より強情で。誰より優しくて――――――誰より、好きな人だから。

 

 

 

 

 

「さようなら、時崎狂三」

 

 

 

 

 

 卑怯な別れを、告げた。

 

 

 

 





NEXT TIME・『五河アンサー』


さあ――――運命の戦争(デート)を、終わらせましょう


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五河アンサー
第百五十一話『狂った物語』


狂うのではなく、既に狂っている。

さあ――――少年と少女の、最終章を始めましょう。







 

 

 煌々と輝く夕焼けを、見ていた。否、そうではない。

 夕焼けに照らされる美しい精霊を、見ていた。

 

 優雅で、大胆。可憐で、不敵。

 最悪の精霊にして、士道にとっては最高の精霊。

 

 

「――――士道さん」

 

 

 時崎狂三が、五河士道と相対している。

 かつての日のように――――違う。かつての日の彼女とは、比べ物にならない覚悟と決意を以て。

 狂三は、銃口を士道へ向けている。

 

 

「その命――――わたくしに、捧げてくださいまし」

 

 

 できない。それは、できない。だって、そうしたら、士道の望みは叶わない。

 全てが、消え失せてしまう。世界は、移り変わってしまう。

 だから士道は、思ったことをそのまま(・・・・・・・・・・)言霊のように、現実にした。

 

 

「――――うん。俺の全部、狂三にやるよ」

 

 

 そうして、世界は反転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……てぇ」

 

 目覚めて思う。まず、視界がおかしい。普段、目を開ければ見える天井が妙に遠い上に、微妙に斜めになって見えている。

 それはまあ、痛む首と身体を密着させていると感じる硬い感触で、大体の理由に察しがつくのだけれど。

 ベッドから、転げ落ちた。もう、小学生でもやらないような体勢で転げ落ちていた。具体的には、頭からベッドの下の地べたに一直線。逆さ立ちもどきな体勢での起床と相成った士道のご機嫌は、最高に最悪である。

 

「ぐ……おぉ……」

 

 一度身体を倒し、一回転させ起き上がる。相当な勢いで落ちてしまったのか、コブが出来ているのではないかという痛みに思わず後頭部を抱え、鈍痛に呻く。

 時折ある襲撃――者は言うまでもない人選――があったわけでもなし。我ながら、随分と間抜けな起床になったと髪をかき上げる。

 その際、壁に掛けられた小さな鏡に自分の顔が映っているのが見て取れた。寝起きで人相が悪い無愛想な顔と――――変哲のない双眸。

 

「…………」

 

 左目に手を当て、幾度か瞬きを繰り返す。……なんか、思春期中学生のような行動だなと、自分の行動に朝からげんなりとしてしまう。

 

「なんだ、今の夢……」

 

 言葉をこぼしてしまうほど鮮明で、夢というには現実と近しい。

 そして何より、士道の身体は何の不満も訴えていない。悪夢を見たなら、寝苦しさからくる寝汗の一つがあってもおかしくはないのだが――――笑えてしまうほどの健康体。

 士道は、士道の心は、今の光景を悪夢とは思っていないのだ。

 

「……狂三」

 

 言い慣れた、愛しい名。

 でも、どうしてか。今はその名を口にしても、士道の顔が晴れることはなかった。

 

 

 

「――――おにーちゃん、朝から辛気臭いぞー」

 

「へ……?」

 

 どうやら、その顔は朝食を用意してからも続いていたらしい。それも、白いリボンの妹に直球な苦言を呈されるくらいには、わかりやすすぎるほどに。

 そうか? などと返しながら顔を触っては見たものの、そんなわかりやすい士道の演技などお見通しの琴里は、一瞬にして黒リボンな司令官に様変わりし、声を発した。

 

「で? 何を足りない頭で悩んでるのよ」

 

「……べ、別に悩んでるってほどじゃ――――」

 

「言え。美味しい朝食が不味くなるわ」

 

「…………」

 

 言いなさいとかじゃなく、〝言え〟の一言な辺り本気の圧力を感じて冷や汗をかく。さり気なく士道の作る朝食を褒めてくれているのが、飴と鞭……なのだろうか?

 ともあれ、半ば睨むような視線の琴里に観念して息を吐き、箸を置いて士道は今朝からの不安を打ち明けた。

 

「今日、夢を見た」

 

「夢?」

 

「ああ――――俺が、狂三に負けを認める夢だ」

 

 言った途端、琴里がギョッと目を見開き、それから怒りとも思える顔で食卓越しに顔を詰め寄らせてきた。

 

「はぁ!? 朝から何見てるのよ!!」

 

「俺のせいか!?」

 

 夢の内容をコントロールできる天使があるなら話は別だが、そういうのを持ち合わせた覚えがない士道に文句を言われても困る。

 叫びに叫びを返すと、琴里もムッと表情を不満なものに変えながら、落ち着くように椅子に座り直す。

 

「……そんな夢を見るなんて、気持ちが弛んでる証拠よ。状況が落ち着いたからって、油断したら駄目――――あの子がいつ現れるか、わからないんだから」

 

「……っ」

 

 琴里の指摘に、息が詰まる。

 六喰の封印から、およそひと月――――あの日から狂三が士道の前に姿を見せることは、なかった。

 それ自体は、決して不思議なことではない。基本的な主導権は狂三が握っており、それに士道が応えている状態なのだ。時期がひと月空いた程度――――しかし、いつになく長期的に姿を見せない狂三に、士道だけでなく精霊たちも気にするような素振りを見せ始めている。

 新たな精霊も、DEMの影もなく。平和そのものな日常。おかしな話かもしれないが、皆、その中に狂三や〈アンノウン〉がいないことに、強い違和感を感じてしまっていた。

 ――――何か、あったのだろうか。皆口には出さないが、その思いは同じだった。士道も、そして目の前にいる琴里も。

 

「しゃんとしなさいよね。あなたがそんな気の持ちようじゃ、その夢が現実になるかもしれないんだから――――そんなの、嫌よ」

 

「……ああ、わかってる」

 

 夢が、現実に――――士道が負けを認めれば、士道の命は尽きる。

 もとより、そういう約束。そうなってしまっては、悲痛な顔で呟いた琴里を、それ以上に泣かせることになってしまう。

 ただ、狂三を救いたい。そう思う中で、士道の心は定まっているとは言い難い。あんな夢を、見てしまったのがその証拠。

 

 

「――――嫌だって、思ってるのにね」

 

 

 ぽつりと、琴里がそんな言葉をこぼした。

 

「琴里……」

 

「…………」

 

 士道の声に答えることはなく、琴里は無言で箸を取り朝食を再開した。士道もそれに習いながらも、それは琴里の気持ちを汲み取るためのもの。

 その先を、口には出せない。琴里は士道を支える、勝たせるための司令官。それを言ってしまったら、同情の念(・・・・)を出してしまえば、組織は容易く崩れ去る。

 でも、思ってしまうのだ、琴里も。心のどこかで、士道と同じことを。

 その日の兄妹の朝食は、いつになく無言で、食べた気がしないものだった。

 

 

 

 

「――――シドー、どうかしたのか?」

 

 その後も。

 

「士道さん、何か……あったんですか……?」

 

『お悩み相談なら乗っちゃうよーん?』

 

「……まあ、私が力になれるとは思えないけど、四糸乃が言うんだったら……」

 

 行く先々。

 

「ふはははは!! 先へ行かせてもらうぞ士道、そして我が眷属よ――――うん? どうしたのよ、そんなアホみたいな顔して」

 

「指摘。耶倶矢が寝起きから鏡を見た瞬間の顔より酷いです」

 

「な、そんな顔してないし!! 馬鹿にすんなし!!」

 

 偶然にしては多めに出会う精霊たちに。

 

「むん? 主様、悩みの相談なら任せよ」

 

「きゃー!! 奇遇ですねだーりん、十香さーん!! 今日もまた一段と……あれ? 何だか今日のだーりんは少しイケてないような――――うそうそ、冗談ですよぉ」

 

「おう少年。朝から通学とは精が出るねぇ。……どったの、その徹夜明けの二亜ちゃんより酷い顔」

 

 そんなことを言われ続け。

 

「――――士道。事情を話して、今すぐに」

 

 さすがの士道も、骨が折れたのは言うまでもなかった。

 そもそも、他の精霊たちはともかく、同じように学業がある美九はどうやって士道たちの通学路に現れたのか。断っておくが、美九が転校した形跡は全くない。

 そんなわけで、まだ余裕はあるとはいえ、皆と話していたことでいつもに比べれば随分と遅い時間に十香、折紙と共に来禅高校の校門を潜ることになった。

 

「――――狂三に、霊力を差し出す夢を見た?」

 

「あ、ああ……まあ、ただの夢の話だからな。あんまり気にしないでくれ」

 

 歩きながら折紙に事情を説明する。しかし、口に出した通り所詮は夢の話。行く先々でこの話をした結果、幾分か気持ちも楽になったというものだ。

 皆、話半分で笑わず真摯に答えてくれて、改めて良い子たちだと嬉しい気分になったくらいだ。それはどうやら折紙も同じだったらしく、笑う士道に対して真剣な顔で首を横に振った。

 

「そうとも限らない」

 

「へ?」

 

「――――士道は、狂三の〈刻々帝(ザフキエル)〉を扱っている。それが作用していないとは、限らない」

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉を扱う――――幾度か干渉があったこと以外でも、経路(パス)の狭窄が起きた一件で、士道は何とオリジナルと遜色ない能力を持つ〈刻々帝(ザフキエル)〉を行使したと聞いている。

 つまり折紙が言いたいことは、今朝の夢はただの夢などではなく……。たらりと頬に汗を垂らし、士道は折紙の推測を口にした。

 

「……まさか、予知夢だって言いたいのか?」

 

「……」

 

 無言は肯定の意、なのだろう。

 予知夢。読んで字の如く、夢として出る予知。確かに、〈刻々帝(ザフキエル)〉の影響があればありえない話ではないが……些か飛躍し過ぎではないかと、士道は苦笑を返した。

 

「凄い予想だけど、さすがに考えすぎだって。最近、狂三に会えてないから、俺が気にしすぎて変な夢を見ちまっただけだ」

 

「……シドー。本当に、本当の本当に大丈夫なのだな?」

 

「おいおい、十香まで気にしすぎだって。――――けど、ありがとうな」

 

 今朝の最初から付き合わせてしまったせいで、どうやら十香には特別不安な思いをさせてしまっていたようだ。

 不安げな顔を見せ、念を押してくる十香の頭を撫でてやる。精霊の精神を、士道の夢程度で不安定にさせていては琴里に怒鳴られてしまう。

 

「むぅ……」

 

 誤魔化されたことには不満だが、士道の手のひらの感触にはご満悦。……なのだろうと想像できる複雑な顔と声音を微笑ましく見ていると、折紙が十香を押し退けるようにぐいーっと頭を詰め寄らせてきた。

 

「十香ばかりは不公平」

 

「こ、こら!! 順番は守らんか!!」

 

「あはは……」

 

 ここで出るのが拒絶ではなく、順番という言葉が出るのは、二人の距離が近しくなった証拠だろう。

 以前の彼女たち……殺し合いの関係に比べると、夢のような光景――――けど、それを現実に出来たことが、本当に喜ばしい。

 

 ――――いつか。この光景に、狂三がいてくれる日が、来てほしい。

 

「…………」

 

 どうせなら、そんな優しい夢を見せてくれれば、良かったのに。

 

「む? どうしたのだ、シドー」

 

「――――ああ、なんでもないよ。早くしないと、遅刻しちまうなってさ」

 

 我ながら、いつまでも成長しない誤魔化し方をして、士道たちは寒空の下から校舎の中へ入り、下駄箱から上履きを取り出し履き替える。

 慣れた手順だ。そしてこれからも、付き合っていく日常の一コマ。

 これが、ずっと続いていけばいいと――――――

 

 

「――――――――」

 

 

 思ってもいないことを、考えてくれる。

 

 久しい感覚を感じ取り、士道は一人で駆け出した。

 

「シドー!?」

 

「士道!!」

 

 二人の声にも反応せず、たった一人で。

 走り出して間もないのに、心臓の鼓動が痛い。数十秒前まで寒空の下にいたとは思えないほど、身体が熱い。

 付けていたマフラーを脱ぎ捨てるように取り去り、勢いを加速させる。鍛えていたからか、それとも無意識に精霊の力を発現しているのか。通り過ぎる人たちの驚きの目や声が感じられ、けれどそれらは全て雑音として処理されていく。

 

 一人。たった一人。今の士道の中にある人は、一人だけなのだ。

 

「……っ!!」

 

 辿り着いた教室の扉。二年四組。通い慣れた、あと数ヶ月もあれば通うことはなくなる教室。

 

 ――――今ならまだ、引き返せる。

 

 そんな思いが、刹那の時、士道の指を抑え込んだ。

 何も知らぬふりをして、引き返す。この扉を開けなければ、士道は事象を観測することもなく、時は進まないのではないか。

 馬鹿な。目を閉じていようと、時は進み続ける。無情に、残酷に、故に時は平等である――――ある一人を、除いては。

 刹那の時を超え、士道は扉を――――最後の扉(・・・・)を開いた。

 

 

「――――――」

 

 

 その少女は、可憐にて妖艶だった。

 

 相反する美しさを持つ、矛盾を司る少女だった。

 

 時が止まったかのような静けさを纏う――――精霊だった。

 

 

「――――うふふ」

 

 

 それ、故に。士道の全てが、取り込まれるのも無理はない。

 幾度、目を奪われてきたことだろう。

 幾度、見惚れてきたことだろう。

 幾度、彼女の隣を歩いてきたことだろう。

 

 その裡に秘める情熱の色とは裏腹に、闇を塗り込めたような漆黒の髪。抜けるような白磁の肌。

 数十、数百、数千。同じ言葉を繰り返して――――それでもなお、彼女の美しさは語りきれない。

 

 

「ごきげんよう、お久しぶりですわね」

 

 

 魅力を超え、蠱惑の領域に踏み入れた声が脳を揺さぶる。

 両の眼が士道を捉える。揺れる士道とは全く別の次元。それでいて、彼女なのだと思わせる偽りのない瞳。

 隻眼に灯る決意の色は、これまでとはものが違うと感じさせるには十分なもの。

 

 彼女がここにいる理由を、士道は知っている。

 だから、ああ、そうだ。士道が望まずとも、時は進み続ける。未来を目指しながら――――過去へ、誘う。

 

 

「わたくし、今日から復学することにいたしましたの。これからまたよろしくお願いしますわね――――――士道さん」

 

 

 そう言って。呆気なく、舞台の幕は再び開かれる。

 穏やかな、狂気(けつい)の滲む微笑みを浮かべて。

 

 

 ――――最悪の精霊・時崎狂三は、最後の始まりを謳った。

 

 

 

 

 







さあ、二人の物語も最終楽章。

五河アンサー編。攻略ヒロインはもちろん、〈ナイトメア〉・時崎狂三。士道にとって最大最高の味方であり、最大最凶の敵。

ようやく、ここまで辿り着くことができました。折れずに続けてこられたのは皆様の支えのおかげです。もうひと踏ん張り……で済むかはわかりませんが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

この章から、私はあまり多く語りすぎず進めていきたいと思います。でも感想とか評価はめちゃくちゃほしいです。煩悩の塊だなこいつ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十二話『返すべき未来』

 

 

『――――そういえば、名前を知らねーですね。ありやがるんですか、名前』

 

『名前……』

 

 名前。物や人、事象を区別するための名称、及び記号。

 普通の生まれであれば、主と言える存在から授けられるもの――――が、少女はそのようなものは持ち合わせていなかった。そして、付けてくれるような相手も記憶になかったのだ。

 

 だから、こそ。

 

 

『――――(みお)

 

 

 少年が名付けてくれたその名が。

 

 

『――――まあ、対外的なこともありますから、もしここで過ごすなら、私たちの親戚って扱いにしといた方が面倒はなさそうですね。なんで、フルネームは『崇宮澪』ってとこじゃねーですかね』

 

 

 生まれたことよりも、嬉しかった。

 

 彼が名付けてくれたから。

 彼が初めにくれたものだから。

 

 

『崇宮、澪……』

 

 

 零した言葉が、自らの名。

 たったそれだけのことが、言葉が、貰ったものが――――少女にとって、生涯の宝物になった。

 初めて、涙を流すほどの歓喜となった。

 

 

 

 ――――一つの記憶が、取り込まれる。

 知ったのではない。少女は既に記憶の中にある事象を――――――同期を、再開。

 

 少女は、夢の続きを視る。

 

 

 

 ――――――――――きて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 制服に袖を通すのは、実に半年以上も遡ることになる。

 以前は、揺れる心が生み出した戯れから。今にして思えばそれは――――迷える狂三が、士道に手をかけるという業から僅かでも逃避するためのものだったのかもしれない。

 

「…………」

 

 伏せた目を、開く。

 纏う装束は同じであれど、その隻眼に灯るは迷いではなく、決意。

 

「……長い時を、待たせてしまいましたわね」

 

 捧げるように、祈るように――――墓前に花を添える。

 ここに来ることは、もうない。

 どうしてかなど、決まりきっている――――世界を変えて、墓石に名が刻まれたことを〝なかったこと〟にするからだ。

 そのためなら、狂三はどんな業をも背負う。数々の未来を犠牲にして。数々の命を踏み躙って。最低最悪の精霊は、ようやくここまで辿り着いた。

 原初の罪業。狂三が撃ってしまったかけがえのない人を、本来失われるはずのなかった人を、在るべき形へ戻す。

 

「聞いてくださいまし、紗和さん。わたくし――――恋を、しましたの」

 

 きっと、言葉が届いていたなら大層驚いて、問い詰めてくることだろうと狂三は言いながら苦笑を浮かべる。

 墓石に手を触れようとして――――止める。

 見えない血に塗れた手で触れるのは、躊躇われた。これより先、狂三が創る未来に、狂三は必要ない(・・・・・・・)

 

「……楽しかったですわ。幸せでしたわ。何千、何万の未来を奪ってきたわたくしには、過ぎたものだと思える幸せでしたわ」

 

 伸ばした手を胸元へ、いくつもの思い出を唇から語る。

 楽しかった。幸せだった。彼の隣にいられるだけで、彼の日常を垣間見るだけで、それだけで良かった。

 

 

「――――だから、お返しいたしますわ。紗和さんの……皆様の、未来を」

 

 

 それだけの幸せを手放すことで、返すことができる未来がある。

 もう、『時崎狂三』に迷いはない。

 時間とは無限であるが故に、有限。狂三が決意を固める時間でさえ、消え行く有限。

 迷える時間は、もう終わり。幸せな時間は、もうおしまい。

 

「っ……」

 

 そうして立ち上がった瞬間、強い風が吹く。抑えきれなかった髪から、金色の時計が覗いた――――その目に、未来は映らない。

 

『――――当然のことを考えますのね。愚かな『わたくし』ですわ』

 

「…………」

 

 その声を聞くのは、二度目となる。或いは、狂三にしか聞こえていない『狂三』の声。

 

『『わたくし』は未来を否定した。そんな『わたくし』に、〈刻々帝(ザフキエル)〉が視せるものなどありませんわ。嗚呼、嗚呼。愚かですわ、悲しいですわ』

 

「そのようなこと、わかっていますわ」

 

 しかし、惑わされることはない。

 止まれるだけの理由が失われた今、狂三に迷うことは許されない。

 知っているとも。狂三が、未来を視ることが出来た理由。そしてそれが、既に失われた理由も。

 それでもなお、『狂三』の声は鳴り止まない。刃で肌を切り裂くように、咎めの声を響かせる。

 

『わかっているというのなら……いいえ、わかっているからこそ、迷いの中にいらっしゃるのでしょうか――――きひひひひ!! すっかり染まってしまわれたようですわね、『わたくし』。時間を浪費して得た快楽は、どのようなお味でしたの?』

 

「何とでも仰いなさい。わたくしは、わたくしの悲願を果たしますわ――――神を殺し(・・・・)、それを証明してみせますわ」

 

 神を、全てを仕組んだ元凶――――『始源の精霊』の存在を、〝なかったこと〟にする。

 それだけが唯一、皆が救われる道なのだ。数々の悲劇を、〝なかったこと〟にする道なのだ。

 それを信じて、それを信じなければ、狂三がそれを実証してみせねば――――このために奪われてしまった命は、何のためにあったというのか。

 

『ねぇ、『わたくし』。わたくしでありながら、唯一わたくしとしての道を歩むことのなかった『わたくし』。愛する士道さんのため、友愛のために戦った理想にして、正義の『わたくし』。それを捨て去り――――――あなた(・・・)の行動の先に、わたくしの〝悲願〟はありますこと?』

 

 

 であれば、答えなど明白。告げられる言の葉と、返す決意も、収束は必然。

 

 

「ありますわ――――――五河士道(この世界の未来)と、あの子を犠牲にして、わたくしは世界を創る」

 

 

 そのために、狂三は狂三のまま、今一度修羅となろう。

 

 振り返り、歩き出す――――――最後の舞台へ、『時崎狂三』として立つために。

 

 

 

 

 

 

 

『憐れな人。彼らが無くす大切なもの。その中に――――――時崎狂三が入っていることさえ、気が付かないなんて』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「狂、三……」

 

 名を、呼ぶ。それこそが喜び。士道が感じる快楽の一つ。けれど今は、少し違う。

 動揺、戸惑い、疑念。様々な思いを乗せて、だから士道は名を零した。

 

 ――――精霊・時崎狂三。

 

 精霊を知っていて、名を知らぬ者など存在しないであろう少女。

 非日常の化身でありながら、士道の日常に幾度も入り込み、士道自身もそれを望んでいた少女の存在。

 それは今まさに、完膚なきまでに、望み通りに、望まぬ形で、日常の象徴という場所に鎮座している。

 

「一体、どうして……」

 

「――――ふふ」

 

 呆然と言葉を零した士道を見て、手を付いた机の上から面白がるように椅子へ座り、返した。

 

「どうして……? あら、あら。おかしなことを仰いますのね。久しぶりに復学してきた級友に対する言葉とは思えない――――と、士道さんでなければ返す言葉なのでしょうけれど」

 

「……!!」

 

「わたくしがここにいる理由。あなた様なら、もうおわかりなのでしょう」

 

 言って、理由を示すため僅かに身を反らす狂三。

 戦意の証である霊装ではなく、彼女が纏うは来禅の制服。それでなければ、ここにいられるわけがない――――そして、誰よりもそれ(・・)を纏う意味を、士道だけは知っていた。

 その日が来ることを願いながら、来ないことを願っていた士道は、知っているのだ。狂三が学校の制服を纏う、意味を。

 

「シドー!!」

 

「士道!!」

 

 不測の事態に唇を噛み締めていた士道の耳に声が届き、ハッと視線を後方へ向ける。

 十香と折紙。士道を追いかけてきた二人を見て、気が動転していた士道は僅かではあるが冷静さを取り戻した。

 

「急に走り出したりしては、心配するではないか。何か――――ッ!?」

 

「――――!!」

 

 士道に駆け寄ってきた二人が、士道と同じく異常な光景に気づいて、目を見開いた。

 狂三は、そんな二人を歓迎するかのように椅子から離れ……それこそ、学友に見せるような笑みを作った。

 

「おはようございます、十香さん、折紙さん。わたくし、本日より復学いたしましたの。これからまた、よろしくお願いしますわね」

 

「狂三……?」

 

「…………」

 

 十香は違和感を持って一歩進み、折紙は異常なほどの警戒心で十香を手で制した。

 二人とも、感じている。狂三から感じる異質さを――――異質でありながら、それは狂三であるのだと感じさせる違和感を。

 

「さて、さて。士道さんが察してくださっているのなら、わたくしの説明は不要なものだと考えますが」

 

「……んなわけ、ねぇだろ」

 

 口元に手を当て、妖しい笑みを浮かべる狂三に、士道は自分でも驚くほどに低い声で返した。

 嘘だ。本当は、伝わっている。これ以上ないくらい、彼女の行動の意味を察している。でも、納得はしていない。できるものか――――それを聞き出すまで、絶対に納得なんかできない。

 衝動のまま狂三に詰め寄り、握った拳を開いて彼女の肩を掴み、半ば叫ぶように問い詰めた。

 

「言葉にしてくれなきゃ、わかることなんて何もないだろ!? どうしてだ、なんでお前は――――――」

 

「――――いけませんわ、士道さん」

 

 ぴたり、と。一つの華奢な指先が、士道の唇を射止めた。

 その視線を士道から逸らし、状況を示唆するように声を潜めて続ける。

 

「皆様、見ていましてよ。それは、士道さんが望むことではない……のではなくて?」

 

「!!」

 

 指摘を受け、狂三の肩を掴んでいた手が緩む。

 周りに目を向ければ、唯ならぬ様子の士道を見たクラスメートたちがひそひそと話を始めていた。

 

「……五河くん、また何かやったの?」

 

「ていうかあれって、六月に転校してきた時崎さんだよな?」

 

「俺は知っているぞ五河ー!! お前が時崎さんに手を出し、デートしていたことをぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 ……まあ、今さら士道の評価がどう落ちようがこの際どうでもいい話だし、どんな噂が流れようが構わない。それはそれとして、殿町は後でシバく。

 ただ、確かに狂三の言う通りだ。何も知らないクラスメートがいる中で、士道たちの事情を大声で話すわけにはいかない。本来あるべき自制心も、ほぼ機能していないのだから。

 ギリッと奥歯を噛み、仕方なしに狂三から離れる士道を彼女は良い子ですわ、と言わんばかりの微笑みを浮かべ見届ける。それがまた、士道の神経を逆撫でした。

 

「狂三……!!」

 

「まあ、まあ。そのような怖いお顔をなさらないでくださいまし。学生の本分は勉強――――放課後、またお会いしましょう」

 

 たったそれだけの言葉を残し、狂三は士道のもとから去っていく。

 

「シドー……」

 

「……士道」

 

「…………わかってる」

 

 不安げな視線を向ける二人へ、辛うじてそう返した――――――何を、わかっているというのか。

 好いた少女一人の心さえ掴み取れぬ男に、何をわかるというのか。

 

「……急すぎるんだよ、いつも」

 

 いつも、そうであったけれど。今度ばかりは、感情が理解から遠い。髪をかきあげ、士道は現実を噛み砕くように理解しようとする。

 ただ一つ、確かなのは。今の狂三は――――士道を容易く呑み込む。

 そう思わせるだけの決意を、滲ませていることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の授業の記憶は、大して残っていない。

 言ってしまえば、最初の焼き増しのような感覚。許容量を超える事態に、士道の処理能力が……この場合は、感情といえるものがオーバーフローを起こしている。

 しかし、泣き言ばかり言っていられないのは同じであり、決められた覚悟はあの時以上だ。

 

 

「――――士道さん」

 

 

 ドクン、と。

 あの日をなぞるように、再現するように。心臓が強く鼓動した。

 顔を上げれば、そこには愛しい人がいる。かけがえのない――――士道の命を狙う、精霊(しゅくてき)がいた。

 

「狂三」

 

「あなた様の時間、わたくしがいただいても、よろしくて?」

 

 それは、狂三の目的を知った今となっては比喩的な表現と受け取りかねない言葉だった。

 だが、しかし。

 

 

「――――いいよ。むしろ、俺から誘おうと思ってたところだ。少し、悔しいな」

 

 

 狂三の微笑みに、不敵な顔で攻め返す。

 時崎狂三が言葉に込める意図を履き違えるほど軽い付き合いでないことは、士道を知る誰もが知っている事だ。無論、士道の返答にわざとらしく目を丸くする狂三も、それは同じだ。

 

「うふふ、嬉しいですわ、嬉しいですわ。士道さんと同じ気持ち、胸が高鳴りますわぁ。さあ、早く参りましょう、士道さん」

 

「ああ、そうだな」

 

 そうして立ち上がって士道の腕に、狂三が自身の腕を組みつかせた。思いの外勢いが強く、士道も少し体勢を崩してしまう。

 

「っと……おいおい、お転婆がすぎるぜ」

 

「ああ、ああ。申し訳ありませんわ。けれどわたくし――――――もう一秒でも、士道さんといる時間を無駄にはしたくありませんの」

 

「……っ」

 

 妖艶で、蠱惑的で――――でも、どうしてか。酷く、真摯と思えてしまうその微笑みに、士道は知らずのうちに圧倒されかけた。

 明確に、違う。それが同じでない理由。狂三から感じる全てに、偽りはない。だからこそ、狂三は狂三であるが故に、士道を呑み込む雰囲気を纏っている。

 それを失わずに、時崎狂三は士道を呑み込まんと決意を固めている。一体彼女に、何があったのか。

 確かめたい、確かめねばならない。クラスメートたちの視線を一身に受けながら、士道は狂三と教室から退出するべく歩き出す――――視線の中には、十香と折紙のものもあった。

 

「――――――」

 

 声には出さず、口だけを動かし折紙へ伝える――――『みんなを頼む』、と。

 即座に士道の声なき声に反応を示し、折紙もまた十香の手を取り士道と狂三とは別に教室から出ようとする。

 

「何をする折紙!! 私はまだ……」

 

「いいから、こっちに」

 

 折紙に連れ出される十香を見送り、ひとまずは憂いを断つことができたことに内心息をつく。

 十香も、折紙だって、狂三と話したいことが山ほどあるに違いない。しかし、今は――――その時間を、誰にも渡すわけにはいかなかった。

 

 

 

「――――楽しいですわね、士道さん」

 

「……今のところ、ただ一緒に帰ってるだけじゃないか?」

 

 それも、特に変哲もない士道の通学路を逆に歩いているだけ、だ。

 教室から出たあとも、特に何かアクションがあったわけではない。廊下を下り、昇降口を抜け、校門に至るまで様々な視線を受けながら、狂三は鼻歌交じりに士道と腕を組み歩いていただけ――――俗に言う、友人と共に帰路につく行為と、何も変わらなかったのである。

 そんな士道の意地の悪い返しに、プクッと頬を膨らませた狂三が可愛らしく返してきた。

 

「もうっ、そういうことではありませんわ。それとも士道さんは、楽しくありませんの?」

 

「……まさか。楽しいよ。楽しいに、決まってるだろ。狂三と、一緒に帰れるだなんて」

 

 士道の答えに満足したのか、不満を見せていた顔を引っ込め、再び士道と歩調を合わせて寄り添う狂三。

 傍から見れば、仲の良い男女のカップルに見えるに違いない。士道とて、先の言葉は心の底からの本音である。

 嬉しくないわけが、ないだろう。それがたとえ――――次の一言で、否定されてしまうものだとしても。

 

 

「――――卒業まで毎日、こうしてたいくらいには、楽しいよ」

 

 

 けれど、口に出さずにはいられなかった願望を。

 

 

「――――それは、叶いませんわ」

 

 

 狂三は、一部の躊躇いも見せずに否定した。

 

「……また、フラれちまったな」

 

 以前と同じ言葉で。けれど、揺るがぬ決意を感じさせる言葉で。士道の望みを、否定する。

 

「何があった?」

 

 端的に、そう士道は問いかけていた。

 うふふ、と笑う狂三が腕を離し、踊るようにステップを踏み、士道の前へ。

 

「何も。これは、当然のことではなくて? 十人もの霊力を封じ、莫大な力を蓄積したあなた様を、このわたくしが〝喰らう〟。初めから、そういう約束で――――――」

 

「……そうじゃない。言ってくれなきゃ、俺は納得できないよ」

 

 それは、狂三の〝建前〟だろう。

 狂三は士道に協力をしてくれた。精霊を救うという目的のために戦う士道に、狂三はその霊力のためならと〝建前〟を持って、ここまで共に戦ってきた。

 であるならば、いずれ決着をつけねばならないのは必然。狂三が求めるものは霊力で、士道が求めるものは封印。相容れない二つは、いつの日か分かれ道へ突き進むも道理――――しかし、なぜ今なのか。

 

「教えてくれ、狂三」

 

「…………」

 

 今この時だけは、ただの士道として狂三を見やる。

 制服を――――最後の決着をつけるために纏い、舞い戻った狂三は、士道を見つめ、優しい微笑みも、凄絶な笑みもなく、一人の覚悟を決めた精霊としての顔を見せ、桜色の唇を花開かせた。

 

 

「精霊――――『始源の精霊』より、産み落とされた存在」

 

「え……?」

 

 

 突如語られた名に困惑が浮かび、同時に士道の脳裏にある会話が思い起こされた。

 

『――――三十年前、因果の始まり、原初の精霊を生み出した大罪人。その口から、是非お聞かせ願いたいと思い――――――わたくしは、あなたに銃を向けますわ』

 

 恐らくは、同じ意味合いを持つ存在。始まりの精霊。曰く、全ての因果の収束点。始原の名に相応しい、この世に初めて生まれ落ちた精霊。

 そして――――時崎狂三が、何かを〝なかったこと〟にするため、必要となる存在。 

 だが、どうして今その名が必要なのか。それに、産み落とされた、とはどういう意味なのか。その問いを投げかけるより早く、狂三が続けた。

 

「士道さんが集えた九つの天使。わたくしの天使。合わせ、十もの天使――――ですが、それで終わりですわ」

 

「っ……どういう意味だ!?」

 

「そのままの意味、ですわ。少々のイレギュラーを除けば、『始源の精霊』が用意した鍵は十。このわたくしを含めて」

 

「……!!」

 

 『始源の精霊』が用意した――――それは即ち、〈ファントム〉と呼ばれる存在がその『始源の精霊』なる者と同一存在である、と決定づけていなければできないものだ。

 何を、どこまで知っているのか。そもそも、精霊を生み出した『始源の精霊』は何をしようとしているのか――――そこに関わる士道は、一体何を意味するのか。

 

「――――けれど、あの女(・・・)の思い通りにはさせませんわ。集えた霊力は、このわたくし、時崎狂三が貰い受けます。――――もう、理解できましたでしょう? わたくしが、勝負を急く理由が」

 

「…………」

 

 ああ、わかってしまった。ここまで丁寧に答えを置かれて、わからない士道ではない。

 当然の話だ。理解力、冷静な判断、考察――――全部、全部、彼女から貰ったものなのだから。

 正解を、士道は迷いを振り切り口に出した。

 

 

「今封印できる精霊は、お前が最後だ――――時崎狂三」

 

 

 士道の答えに、狂三は微笑みを以て返した。それが紛れもない正解である、と。

 十の霊力。イレギュラー。前者は封印された精霊と狂三。後者は、万由里や〈アンノウン〉のような精霊。そして〈アンノウン〉を現状、捉える手段は〈ラタトスク〉には存在しない。

 時計の針は進む、進み続ける。過去を置き去りに、未来へ進み続ける。過去へ戻るためには、相応に時計の針を巻き戻す〝霊力〟が必要――――では、得るべき霊力が止まり、針だけが進み続ける現状は、どうなっているのか。

 

 

「そう。あの子がわたくしの手の中にいる以上、あなた様はそれを選ぶ他ない。そしてわたくしも、増えることのない霊力を傍観するわけには参りません。故に、わたくしの全身全霊を以て――――――」

 

「――――俺を、デレさせる」

 

 

 満足のいく答えを見いだせたからか、狂三が上機嫌な足取りで士道のもとへ至り、妖艶な手つきで頬を撫でる。

 上目遣いで覗き込む狂三の顔は、まさに士道を虜にする名酒のような酩酊感。油断などしようものなら、士道は今すぐ狂三に全てを持っていかれるだろう――――自らの意志で(・・・・・・)

 それをグッと押し殺し、士道も合わせるように狂三の頬を撫でた。動揺は、見られない。あるのは、愛しい人と分かち合う歓喜だけだ。

 

「……わかった。『始源の精霊』ってやつが何を考えてるのかは知らない。けど、みんなの霊力を利用されるわけにはいかない。そのために……いや、俺自身のために、俺もお前を――――全身全霊を以て、デレさせる」

 

 そして、次に放たれる言葉も、同じ。

 

 

「――――狂三の命、俺が奪う」

「――――士道さんの命、わたくしが喰らいますわ」

 

 

 平行した二つの意志は、平行するが故に相容れない。

 強すぎるが故に決着のつかなかった勝負は、けれどつけなければならない。

 賭ける者は、お互いの命。勝つものは、お互いの全てを呑み込んだ者。

 最後に立つ者は、どちらか。

 

 

 

「さあ――――わたくしたちの、最後の戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 

 無情なる最後の幕開けは、この瞬間、運命を受け入れた二人によって、真の意味で開かれた。

 

 

 







決意も好意も、ありのままの狂三だから。仮面(フェイカー)ではない『時崎狂三』は、あまりに強いのかもしれませんね。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十三話『見える目的と、見えない答え』

 

「――――せいはぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 拝啓、見ず知らずのどなたかへ。玄関を開けたら、可愛い妹の回し蹴りが胴へ迫っていました。

 

「――――甘いっ!!」

 

 しかし、士道とて伊達に身体を鍛え始めたわけではない。僅かに身体を反らし、某オレンジ神のような気合いで放たれた回し蹴りを躱し――――――

 

「せいぃぃぃぃぃぃッ!!」

 

「ばななっ!?」

 

 ――――た後、着地から放たれた二発目の回し蹴りによって沈められた。

 噫無情。如何に鍛えようとも、愛する妹には勝てない兄なのであった。

 ふんっ、と鼻を鳴らし倒れた士道を冷たい目で見下ろす琴里に、腹を押さえながら抗議の声を投げかけた。

 

「……は、反抗期か、我が妹よ」

 

「あら、そんなわけないじゃない。愛してるわよ、おにーちゃん」

 

「…………」

 

 の割には、非常に視線が冷たい上に声音が氷の女王もかくや、という絶対零度なものだった。

 経験則として、妹ではなく一人の女性を相手にしたものとなるのだが、こういった状況で反論は自殺行為だ。

 まあもっとも、この状況になったのは士道のせいという自覚はあるので、反論する気は更々なかったわけだが。

 身体を起こし、だが立ち上がることはせずに小さく琴里へ頭を下げながら、告げた。

 

「ごめん。勝手なことして。どうしても、狂三の事情が知りたかった」

 

 伝えようと思えば、伝える時間はいくらでもあった。相談できる時間も、対策を立てられる時間も。

 それをしなかったのは、士道が狂三と向き合う時間が欲しかったという、紛れもない私情だ。士道の個人的感情による、どうしようもない我儘だ。

 

「……わかってるわ。折紙からはちゃんと連絡を受けてたし、今のでチャラにしてあげる。感謝しなさいよね」

 

「おう……」

 

 わかっていたなら、暴力で訴えかけるのは止めてほしかった――――とはいえ、力加減はじゃれ合いの域であったし、不器用なんだか起用なんだかわからない優しさに、士道は救われた気分だ。

 と、返事に頷いた琴里が親指でリビングの扉を示し声を発する。

 

「みんなはもう集まってるわ。まったく、どこから聞きつけたのやら……とにかく、全員で話し合いましょう」

 

「ああ」

 

 琴里の口調は呆れ気味ではあったものの、狂三のこととなれば精霊たちを無関係だと追い返すことはできなかったのが見て取れた。

 それは、そうだ。あらゆる精霊事件に関わり、皆を救ってきた時崎狂三が、遂に――――――

 

「士道」

 

「ん?」

 

「私の前ではいいけど、みんなの前でそんな顔したら、心配されて大変なことになるわよ」

 

 言って、琴里は加えたチュッパチャプスの棒をピコピコと揺らしながら、先に言ってるわよと付け加えて歩いていく。

 そんな琴里を見届けながら、立ち上がって備え付けられた鏡を見て……思わず、その酷さに吹き出してしまった。

 

「……ひっでぇ顔だな、俺」

 

 とても、これから好きな女を口説く男の顔とは思えない、歪み切った面だ。

 気合いを入れろ。と、強めに頬を両手で張り、幾分かマシな顔つきを作る。心配はされるかもしれないが、さっきの顔よりはマシだ。

 ああ、しかし。そう考えると……結構、しんどいんだなと、士道は苦笑しながらリビングを目指した。

 ――――それほどまでに、いつの間にか狂三を精神的な支柱にしていた自分の情けなさを、笑った。

 

 

 

 

 

 

「――――狂三から聞いた事情は、こんなところだ」

 

 説明を終えた士道が、リビングに居並んだ皆を見渡す――――沈黙。それも、かなり重いものだ。

 ここには、来禅に通う十香、折紙、八舞姉妹だけではなく、四糸乃、七罪、六喰、更に市内の自宅に住む美九、二亜、そして極めつけには〈ラタトスク〉の解析官、令音までもが勢揃いしていた。

 理由など簡単だ。仕事という側面がある令音はともかく、他の皆は一様に狂三のことを案じている。そんな状態で告げられた狂三の目的に、皆が口を閉ざすのは無理もないことだ。

 

「……何よ、それ。いくらなんでも、急すぎるじゃん。この前まで、あんなに……」

 

 誰も言葉を発せない中、沈黙を最初に破ったのは耶倶矢だった。

 急すぎる。士道が何度思ったことだろうか。今に思えば、油断があったのだろう。長らく、この戦争(デート)に浸っていたが故に、終わること(・・・・・)を無意識に遠ざけていた。

 それは、他の精霊たちも同じだったようで、皆一様に声を発し始めた。

 

「はい……。狂三さん、士道さんと一緒にいる時、本当に楽しそうでした……でも……」

 

「……そもそも、さ。話に出てきた『始源の精霊』ってやつは、何なの? そいつが精霊を生み出した、とか……」

 

「それは……」

 

 精霊を生み出した、精霊。話すべきか迷ったが、避けて通れるものではなかった。

 即ちそれは、精霊の皆の出生に関わるような重大な情報なのだから。

 答えあぐねた士道の代わりに、琴里が難しげな顔で言葉を継いだ。

 

「『始源の精霊』が用意した十の鍵……ちょうど、私たちの天使と同じ数ね。今さら、私たちに狂三が嘘をつく理由も見当たらないし、その説を信じるのなら……私たちが〈ファントム〉と呼ぶ存在は、その『始源の精霊』ってことになるわね」

 

「けど、私たちだけでは〈アンノウン〉という精霊の存在に、説明がつかない。彼女が〈ファントム〉に関わっていないと、私は考えていない」

 

「……そうね。そっちも、今さら避けて通れない、か」

 

 〈ファントム〉と〈アンノウン〉。この状況になって、殊更避けて通る理由はない。

 仮に、〈ファントム〉が『始源の精霊』と呼ばれる存在だと仮定した場合――――連なるように、〈アンノウン〉の存在が浮き上がり、宙吊りになる。

 ふと、憂いを帯びた顔を見せた琴里が、それでも司令官として責任を負う強い声色で続けた。

 

「〈ファントム〉と〈アンノウン〉はどういう関係なのか。〈ファントム〉と『始源の精霊』は、同一存在なのか。だとしたら、目的は何なのか――――自分と同じ精霊を生み出して、何をしようとしているのか」

 

 同族を増やすという単純な私欲か。はたまた、士道たちの想像の外にある目的があるのか。

 何かをしようとしているのは間違いないが、その何かを掴むことは容易でない。何せ、神出鬼没の〈アンノウン〉と並び、正体が掴めないのが〈ファントム〉――――『始源の精霊』と呼ばれる存在なのだから。

 

「いろいろと謎が増えるばかりだけど……今はとにかく、狂三のことね」

 

「ふむん……しかし解せぬの」

 

 唸るように小さな声を発し、小首を傾げた六喰。その拍子に、彼女の長い金髪がソファの表面をふわりと撫でる。

 相変わらず見事な長髪だと一つの仕草に美しさを感じながら、士道の思考は自然と六喰を促す言葉を紡がせていた。

 

「何か気になることがあるのか?」

 

「精霊の霊力を求むる……そのために、主様を狙う。そこまでは理解出来よう。じゃが、狂三はそうまでしてなぜ霊力を求むる。大切に想う男を犠牲にするとわかっていながら、狂三は何を得ようと言うのじゃ」

 

「ふっ、精霊として生を()けた以上、最強を求めるは道理――――って、言えたら簡単だったんだけどねー」

 

「嘆息。そのように単純な理由であれば、決着は早期についていたことでしょう」

 

 夕弦がそう言ってため息をつくのと合わせて、耶倶矢も仲良く嘆息した。

 時崎狂三の目的。愛する士道の手を振り払ってまで、果たすべき目的。そちらは、ずっと共に歩んできた士道だからこそ、士道と出会う前に決意したであろう狂三の目的の片鱗を、知ることが出来ていた。

 

「――――過去を、変えること」

 

「過去を……」

 

「変える……?」

 

 士道が呟くように放った言葉に、一部を除いた精霊たちが疑問符を浮かべる。

 顎に手を当て、間違いのない情報を整理しながら士道はそれを言葉として伝える。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉が持つ最後の弾丸、【一二の弾(ユッドベート)】。それを使って、俺は一度この世界を変えた。たぶん、狂三は同じことをやろうとして、そのためにとんでもない桁の霊力が必要なんだと思う――――それこそ、人を何万と手にかけても、足りないくらいの〝時間〟と釣り合う霊力が」

 

『……!?』

 

 精霊たちがゴクリと息を呑むのが伝わってくる。

 当然だ。彼女たちからすれば、あの狂三が、という印象が強くなる。

 しかし、士道は知っている。狂三がどれだけ過酷な選択をしてきたか。一人が背負うには重すぎる業を背負い、それでも精霊の霊力を封印できる人間……つまりは、士道まで辿り着いたか。

 士道がいなければ、狂三は今以上に多くのものを手にかけ――――だというのに、届かない〝悲願〟にもがき苦しむことになっていたかもしれない。考えるだけで、身が引き裂かれるような思いだ。

 

「けど、それで何を〝なかったこと〟に出来るのかまでは、俺にもわかってない。少なくとも、五年より前……途方もない時間を越えようとしてることは確かなんだが――――――」

 

『――――三十年前』

 

 揃った声色は、何とも意外な組み合わせだった。皆が視線を揃えて見た先には、折紙に加えて真面目な顔をした二亜が指で眼鏡を上げ、言葉を続けた。

 

「結局こうなっちゃったかー、って感じだからさ……ぶっちゃけて言うと、あたし実はくるみんと秘密の密会をしちゃったんだよねー。それも、霊力を封印される前にさ」

 

「俺たちが同人誌を作ってる最中に、だろ?」

 

「ありゃ、バレちゃってたかー」

 

 これは恥ずかしいですなー、と手を頭の後ろに当て快活に笑う二亜に、士道は一つため息をつく。

 何をしていたかまではしらないが、やたら物騒な〝宣戦布告〟なんて言葉を聞かされていた以上、狂三が訪れていた場所など容易に想像がついた。

 その時の二亜の一件には様々な騒動があり、自然と流れてしまっていたのだが……真剣な顔つきに戻った二亜は、その内容を明かしてくれるようだ。

 

「その時に、〈囁告篇帙(ラジエル)〉で調べてほしいことがあるって頼まれたんだよね。で、そのうちの一つが、今話題の『始源の精霊』……三十年前(・・・・)、この世界に現れたその精霊を生み出した状況、位置、原因――――そいつを討滅(・・)する方法」

 

「な……」

 

 あまりに不穏な情報に、士道は眉根を寄せた。

 狂三が『始源の精霊』を敵視しているのは感じ取れたが……まさか、直球に滅ぼそうとしているというのは大きな驚きだった。

 

「始源の精霊を、討滅する……それが、狂三の最終目的だっていうのか?」

 

「うん。〈囁告篇帙(ラジエル)〉でも干渉できない部分は多かったけど、それでもくるみんが求めてた最低限のことは伝えられたって感じかな」

 

「そして――――開示された情報を元に、三十年前の時点で始源の精霊の存在を〝なかったこと〟にする」

 

 言葉を継いだのは士道ではなく、折紙だった。

 彼女もまた、狂三の目的について少なからず知る一人。琴里が驚いたように折紙へ視線を向けた。

 

「何か知ってるの?」

 

「詳しくはわからない。でも、『前の世界』で私が狂三と〈アンノウン〉を頼った時、狂三はそんなことを言っていた」

 

 そう。折紙もまた、士道と同じく【一二の弾(ユッドベート)】をその身に受けた者。

 時間を超えようと狂三に接触を試みたその時、士道と同じく狂三の目的の片鱗と言えるものを、覗くことが叶ったということだろう。

 

「天使〈刻々帝(ザフキエル)〉の力で時間を超える。そうして、三十年前に現れた始源の精霊を討滅して、その事実を歴史から消し去る……それが狂三の〝悲願〟だっていうの?」

 

「でもー、狂三さんはどうしてその精霊さんを倒したいんでしょうかー」

 

「……そいつに恨みとかあるんじゃないの? そのために――――ってのは、士道の命を狙う理由には弱いか……」

 

 七罪が一人浮かべた答えを、相変わらず不機嫌そうな――曰くこれが普通――表情で考え直す。

 復讐。そういった面は、少なからずあるはずだ。

 始源の精霊の精霊を生み出した者たち――――そのうちの一人、ウッドマンと会った狂三の行動は、まだ士道の記憶に新しい。

 彼に銃を向け、身に宿す怒りの炎は凄まじいものだった――――しかし、狂三は銃を下ろすことができた。

 だから、こそ。そうではない。それだけではない。狂三は決して、自らが受けた何かの仇を返すためだけに戦ってきたのではない。

 咎を受けた、許されない者。事の始まりから、理不尽に命を奪った者。かつて彼女は、自らの存在をそう結論付けた。

 執念。人の執念が、未だ狂三を動かす力だ。その原動力は、自らの罪業というべきもの。だが、なんだ? 時崎狂三は、一体何をしたのか。時崎狂三は、始源の精霊に何をされたのか。

 

 

『えぇ、えぇ! わたくしは救われますわ!! でもわたくしは救われても――――――あの人は救われない!!』

 

 

 自らの救いを拒んでまで、時崎狂三が取り戻そうとする事象とは、何か。

 士道という人間を犠牲にして、狂三は何を取り戻そう(・・・・・)というのか。誰より優しく、誰より気高い精霊は、悲願の果てに何を望むのか。

 一つ確かなのは、憶測の域を抜け出せないことだ。

 憶測を確かなものにするためには、実証する必要がある。士道は唯一、その手段を口に出すことができる人間だった。

 

「やっぱり、知らなきゃいけない」

 

「シドー……?」

 

「――――狂三に何があったのか。狂三が、始源の精霊を倒そうとしている理由を」

 

 それを知らねば、前には進めない。

 狂三を救うために、全てを受け入れると誓った。

 どんな理由で、狂三は血を吐くような思いをしながら、世界の敵として歩き続けてきたのか。

 愛する者を得ながら、友たり得る者を得ながら、振り払ってでも――――〝なかったこと〟にしなければならないものを、士道は知らねば狂三を救うことはできない。

 だが、そんな士道を見て、二亜が覚悟を問うように言葉を発した。

 

「いいの、少年。君がそれを知ったら……」

 

「っ……」

 

 二亜が何を言わんとしているか、士道はわかる。

 狂三の過去。狂三が味わった地獄。それを知ることは、その瞬間を以て残された彼女の全てを知ること――――――諸刃の剣。

入り込みすぎた(・・・・・・・)。精霊と寄り添える士道は、だからこそ精霊を幸せへ手助けしてやりたいと思った――――しかし、狂三の過去を知れば、恐らく今の士道では……。

 それでも、やらねばならない。表情を険しくし、士道は強く訴えるように吐き出した。

 

「けど、このままじゃ駄目なんだ。俺が……やらなきゃいけない。狂三との決着は、俺が――――――あいたぁ!?」

 

 と。次の瞬間、凄まじい勢いの平手打ちが士道の頬に突き刺さった。あまりに遠慮のない一撃に、半ば吹っ飛ばされるように士道の身体は地べたに横たわった。

 

「ってぇ……な、何するんだよ琴里!!」

 

 十香たちが心配して駆け寄ってくる中、士道は平手打ちを浴びせた本人……琴里に対して、本気の抗議を送る。

 琴里は、本気の平手で自分の手を痛めたように手首を振りながらも、毅然とした態度で士道を見下ろす。

 

 

「ばーか。確かに、決着は士道じゃなきゃいけないわよ。けどね、そこに至るまで、全部を全部、あなたが背負い込んでどうするのよ。狂三はもう――――――あなただけの狂三じゃないの」

 

「あ……」

 

「忘れないで。狂三を助けたいと思ってるのは、士道だけじゃないんだから」

 

 

 諭すように語りかけられたその言葉に、士道はようやく周りを見ることができた。

 皆、同じだ。誰もが士道を、そして狂三を(・・・)案じている。そして、助けたいと思っている。

 

「シドー。私たちも、お前と同じだ。皆、狂三のことが〝好き〟なのだ」

 

「むん。むくは、まだ〝好き〟と言えるほど付き合いは長くないがの」

 

「そんなこと言わないでくださいよー。これから、ちゃんと知っていけばいいんですからー。そうですよねー、だーりん」

 

 美九が優しく士道を抱き起こし、穏やかに微笑んでそう言った。

 ああ、そうか。と、士道は自分の愚かさに苦笑してしまう。

 これはもう、自分たちだけの問題じゃない。みんなが、一緒なんだ。これから先、狂三と共に歩む〝時間〟を生み出すために、みんなでやるべき事なのだ。

 

「……悪い。いつの間にか、自惚れてた」

 

 今一度、気合いを入れ直すように両の手で頬を叩き、今度こそ険しく、けれど独り善がりではない思いを胸に皆を見回し、言葉を続ける。

 

 

「俺もみんなと同じ――――いや、それ以上に狂三のことが、好きだ。だから、あいつを救うために……同じ〝時間〟を過ごす為にも、みんなで一緒に考えよう」

 

『おぉっ!!』

 

 

 気合いを突き出すように手を上げて、皆が一丸となって最後の精霊との戦争(デート)に立ち向かう。

 

「…………」

 

 でも、士道は……わかっていた。表情を僅かに曇らせ、己の心と向き合う。

 皆の力を借り、狂三に立ち向かったとして――――今の士道では、絶対に勝てない(・・・・・・・)と。

 

 

 





この章に残された鍵は、実はそう多くありません。なぜなら、必要なものはこれまでの物語で、全て紡がれてきているのですから。
どのような結末に辿り着くのか。それとも辿り着くことはできないのか…。

感想、評価、お気に入りありがとうございます。いつでもお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十四話『大義のない願い』

 

 

 少女にとって、あらゆるものが興味の対象だった。

 信号機、郵便ポスト、自動販売機エトセトラエトセトラ。本の中の知識を吸収し、瞬く間に適応しては見せたものの、まだ見ぬ未知が世界には溢れていた。

 加えて、吸収したといっても、そこに体験が伴わなければ想像の中のものでしかない。俗に、机上の空論という表現が近しい。

 だから少女――――澪は知りたかった。いろいろなことが、知りたかった。その中でも、一番に知りたかったのは、

 

『――――よっしゃぁぁぁッ!! どんなもんじゃーい!!』

 

 澪の隣ではしゃぐ少年の存在。彼のことを、もっともっと知りたいと願った。

 

『……と、とにかく。ほら、澪』

 

『……、……?』

 

 クレーンゲーム、というもので取ったクマのぬいぐるみ。それを差し出すようにしていることに、澪は不思議な目で彼を見やる。

 すると彼は業を煮やしたのか、澪の手を引っ張りクマのぬいぐるみを強引に握らせた。そこでようやく、彼の意図を理解することができた。

 

『……? 私に、くれるの?』

 

『ああ。そのために取ったんだしな。……それとも、いらなかったか? 熱心に見てるもんだから、てっきりこういうの好きなのかと……』

 

『好き……』

 

 表現を繰り返し、手渡されたぬいぐるみを見つめた。

 その表現方法は、知っている。

 

『好き……好ましいと思う感情……対象に強く興味を引かれること……』

 

 好き。それが、好き。当てはまる相手は、いる。

 ぬいぐるみを胸元で抱きしめて、澪は拙くも真っ直ぐに言葉を紡いだ。

 

『――――それだ。……うん、きっとこれは『好き』。あなたに感謝を、謝意を示す。……違うな、ええと……』

 

 これでは不十分で的確ではない。であるならば、伝えるべき表現は、これだ。

 

 

『――――ありがとう。嬉しい。私、あなたのことが、『好き』』

 

『……へっ!?』

 

 

 目一杯の微笑みで、その言葉を告げた。どうしてか、彼は真っ赤な顔で目を泳がせていて、澪は小首を傾げることになったのだけど。

 

 

 また一つ。大切な一ページ。

 『私』を形成する核。

 『私』を歩ませる支柱。

 『私』を止めることを許さない、祈り(のろい)

 

 私が一つ、『私』になった。

 

 

 

 ――――――――――起きて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……?」

 

 朝、玄関の扉を開けると目の前に飛びっきりの美少女が立っていました。

 扉を閉めて、一秒戻る。

 

「…………?」

 

 もう一度、扉を開けて扉を閉める。

 はて、疲れた頭が幻覚でも見せているのかと目を擦り、三度目の正直。

 

「………………!!」

 

 カッと目を覚ました士道を、黒いコートを羽織った件の美少女はとびきりの笑顔……の中に、士道の不可解な行動に困ったような顔を交えて待ち構えていた。

 

「おはようございます、士道さん。いい朝ですわね」

 

「……ん? おは、よう?」

 

「ふふっ、おかしな士道さん。どうして疑問を交えているんですの?」

 

 くすくすと笑う狂三を目に焼き付け、これは夢などではなく現実だとようやく飲み込むことが叶う。

 人間、驚きすぎると逆に困惑が勝ると経験としてあるが、今日朝一番でそれを体験することになろうとは思いもしなかった。

 

「……いや、だって、驚くだろうよ。なんでこんなところにいるんだよ」

 

「あら、あら。好いた男女が通学を共にする。それは驚くことですの?」

 

「――――当たり前のことだな、うん」

 

 天上天下唯我独尊。基本的に狂三の言う理論は正しい。なので、狂三がそう提唱するならそうなのだろう。実際、士道も間違ってないと思うし。

 

「けど、わざわざ迎えに来てくれるなんて……嬉しいことしてくれるじゃないか」

 

「ええ、ええ。あなた様のためならば――――それに一度だけでも、共にして見たかったのですわ」

 

「っ……」

 

 何をなどと、寂しげな顔を見れば問うまでもない。

 自然と手に力が入りながら、士道は狂三に歩みを寄せて強引に彼女の手を取って、身体を自分から密着させた。

 

「あ……」

 

「――――これが最後みたいに、言うなよ。これから、何度だってやってやる」

 

 声を零して驚く狂三に、士道は堂々とそう告げて狂三を引っ張るように歩き出した。

 これから、何度だって。出来る。狂三が望みさえすれば――――――それを望みながら受け入れないことを、士道は誰より知っているのに。

 

「嬉しいですわ、嬉しいですわ――――受け取ることは、出来ませんけれど」

 

 だから、そんな寂しい顔をして、言わないでくれ。

 見たくないと思うのに、見てしまう。唇を噛み、士道は――――限りある通学路を、狂三と歩き出した。

 

 とは、いえ。

 

「――――なあ狂三。ちょっとだけ、寄り道して行かないか?」

 

 やられっぱなしは、性にあわない。

 

 

 

 

「……士道さん、ここは?」

 

 通学路とは離れた道を進み、裏路地。

 目の前に広がる光景を見て、狂三はらしくない震えた声を発してきた。

 まあ、狂三の好み(・・)を考えれば、無理もないこと。

 その裏路地に広がる光景とは、何を隠そう――――様々な種類の猫たちが集まる、溜まり場だったのだ。

 これぞ、士道の秘密兵器……と、自慢していいものかと思うのだが、ここで使わずしていつ使うというのか、という場所である。

 

「ああ、少し前に偶然見つけたんだ。この辺の野良猫がよく集まってくるスポットみたいでさ。――――狂三、猫好きだろ?」

 

「べ、別にそんなことはありませんけれど」

 

 ぷいっと顔を背け、明らかに無理をしている様子で言ってくる。

 何とも天邪鬼な子である。今更、士道の前で自身の好みを隠して何になるのか。まあ、勝負を急くのなら、自身の弱みを隠すのも一つの手だが――――間違えている。それは、間違えているぞ、狂三。

 好みが明かされる。狂三にとっては、弱みとなるかもしれないが……士道にとっては、狂三の可愛さを加速させるファクターでしかないのだ。

 そういうわけで、士道は一計案じ、猫を刺激しない程度の大仰さで声を発した。

 

「……そうかー。残念だなぁ。実は、狂三のためにみっちり下調べしたんだけどなぁ。あーあ、狂三が猫とじゃれ合うところを見れば、俺も霊力を渡したくなるかもしれないのになー」

 

「く……」

 

 安い棒読みの挑発――本音を隠せていると言っていない――を聞き、狂三が我慢の限界を迎えたようにチラりと野良猫を見やると……ちょうど、人馴れした虎猫がそろりそろりと近寄ってきていたから、さあ開幕。

 

「……ま、まあ。士道さんがどうしても見たいと言うのなら、仕方がありませんわねぇ」

 

 堪えきれない、と言わんばかりに慣れた動きで腰を下ろし、虎猫をじっくりと待つ。

 

「うふふ、大丈夫。わたくしは怖くないですわよ。にゃー」

 

「ぐっ!?」

 

 士道の心臓にパーフェクトノックアウトクリティカルボンバー! 

 いや死にはしないが、それくらいの衝撃を伴う狂三の猫撫で声と、指を猫じゃらしに見立てる可愛らしい仕草がとてもとても素晴らしい。ただでさえ魔性の声だというのに、そこまで属性を加えられるともはや士道特効の兵器に等しい。もしくは録音して五河家の家宝にするとかありなのではないか。真面目に検討しておこう。

 

「にゃー、にゃー――――あら、あら。人懐っこい子にゃんですから」

 

 虎猫がぺろりと指を舐めた途端、甘く恍惚とした声音と顔で片手を使い猫を撫で始める。

 すると、他の猫たちも狂三に反応して続々と集まり始める。

 

「ああ、ああ。こんなに愛らしい……はいはい、皆さん順番ですわよ。にゃー」

 

「…………」

 

 さすがは狂三、猫にも人望がバッチリである、と感心しているわけではない。

 狂三が喜んでいるのは、素直に嬉しい。士道の策が上手くいった証明でもあるし、何より国宝級に愛らしい狂三を見ていられるのは至福の時間だ。

 だというのに、士道は同じように狂三の隣に腰を下ろし、彼女の制服の袖を引いてしまった。

 

「? 士道さん、如何なさいまして?」

 

 猫を一匹抱き抱え、気のせいなのだろうが揃って小首を傾げているように見える狂三と抱えられた猫。

 何か、考えていたわけではない。だから士道は、衝動的に言葉を口走った。

 

 

「――――にゃ、にゃあ」

 

 

 ……言語と言い張るには、些か不十分なものだったのだが。

 

「……なんでもない。忘れてくれ、今すぐに」

 

 ぽかんとした表情の狂三に、やっちまったと顔を覆い士道は早口で言う。

 馬鹿なのか。自分が仕掛けた策だというのに、構われる猫を羨ましがるなど。本当に、馬鹿なのかと自分を罵倒したくなった。

 だが、狂三はそんな士道を見て、ふわりと優しい微笑みをこぼした。

 

「――――もう。本当に、可愛らしい人」

 

「へ……?」

 

 

 顔を赤くし、笑みを見せる狂三――――士道も負けず劣らず、耳まで真っ赤にしていたのだけれど。

 伸ばされた狂三の手が、士道の喉元を擽った。

 

「うひゃっ!?」

 

「まあ、まあ。大きな猫さんですわー。ほうら、にゃんにゃん、ですわ」

 

「……にゃ、にゃん」

 

 ――――何のプレイだ、これ?

 

 そんなこんなで、まるで猫を撫でるように喉を頭を永遠と狂三からの愛撫を受け、それが満更でもないから士道も止められずに……猫たちからの『何だこいつは』と言わんばかりの視線を、士道は一生忘れることはないだろう。

 

 言うなれば、ああ、こんな言葉があった――――策士策に溺れる、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、士道、狂三」

 

「シドー、狂三。おはようだ!!」

 

 始業のチャイムが鳴る寸前、教室へと入った士道と狂三を出迎えたのは先に登校していた十香と折紙だった。

 二人とも、学友に挨拶をする自然な態度。士道も合わせて「ああ、おはよう」と手を上げて返す。

 

「……え、ええ。おはようございます、十香さん、折紙さん」

 

 ただ、狂三はそうではなく、多少の困惑を含んだ声音でそう返していた。それを見て満足げに自分の席へ歩いていく二人を見て、狂三は更に困惑を強めながら声を発した。

 

「どういうつもりですの?」

 

「何がだよ。二人とも、一緒に学校へ行く友達に挨拶してくれただけじゃないか」

 

「きひひひ!!」

 

 小さく、けれど狂気的な笑い。幾度となく見たそれは、士道へ向けてではなく、狂三自身へ向けたものだと察することができる。

 

「ご学友を殺そうとする友人など、いるものですか」

 

「――――それでも、狂三がやってきたことは〝なかったこと〟になってない」

 

 士道の言葉に、ハッと目を見開く狂三。

 そうとも。十香と折紙が友好的なことの何が不思議なのか、士道が聞きたいくらいだ。

 だって狂三は、それだけのことをしてきたじゃないか。士道を、みんなを、救ってきたじゃないか。

 

「それが俺を殺すためだったとしても、お前が俺たちを救ってくれたことには変わりない。だから、皆も態度を変える気なんてないよ。狂三が学校に来てくれることは、大歓迎なんだからさ」

 

「そんなもの……綺麗事ですわ」

 

「でも、嫌いじゃないんだろ?」

 

 たとえ皮肉を口にしたとしても、彼女はそれを嫌いとは決して言わなかった。十香たちの優しさを、否定したりはしなかった。

 矛盾していても、狂三の目的と優しさは共存している。それと同じで、複雑に思いながらも狂三のことを慕っている精霊たちは存在しているのだ。

 

「……わたくしの甘さが、嫌になりますわね」

 

 やはり、否定はなく。顔を伏せた狂三は、鞄を握りしめ早足に自分の席へ歩いていく。

 黒髪が靡く、その後ろ姿さえ、様になる。心底、狂三に当てられているなと苦笑しながら士道は狂三の背に向かって声を投げかけた。

 

「そうだ――――昼休み、空けといてくれよな」

 

「――――望むところ、と言わせていただきますわ」

 

 本日の第二幕――――昼食(たたかい)の時間は近い。

 

 

 

 

 

 

「ふーはっはっはっ。我らが貴公らの運命の戦いを見届けてやろうぞ!!」

 

「監視。お手並み拝見です」

 

「…………おう」

 

 昼休み。気持ちのいい陽光に照らされた屋上で、何故か八舞姉妹と十香まで連れ出して仲良く昼食と相成った。

 というか、今度は何に影響されたのかと言いたくなるほど、士道以上に大仰すぎる耶倶矢の高笑いに頭を痛めながら、士道は眉をひそめて小声を発した。

 

「……いいのか、狂三」

 

「拝聴。普段と変わらぬ振る舞いを、皆で決めたではありませんか」

 

「うむ。ならば問題はないぞ、シドー。私も狂三の昼餉に興味があるからな!!」

 

「……」

 

 聞かれていたらしい。というか、問題があるかを判断するのは士道の役目なのだが。あと、たとえ十香でも狂三の弁当一番手を譲るつもりはない。

 

「うふふ。よいではありませんの。二人きりになるのは、後のお楽しみ、ですわ」

 

「な……」

 

『あーあ。押されっぱなしじゃない。みんながいてよかったわね』

 

 インカムから聞こえる声に「う、うるせっ」とボソッとした声で返しながら、押されっぱなしの空気を咳払いで仕切り直す。

 とにかく、皆が見ていてもやるべきことに変わりはない。主軸は士道。主導も士道。相対するは、最凶の宿敵(愛しい人)

 であるならば、己の武器を総動員して戦うは道理。己の武器、とは即ち培ってきた経験。故に、狂三が全く同じ答えに辿り着いていたのも、必然であると言えた。

 

『……!!』

 

 不敵に笑った士道と狂三が、お互いに蓋を開けた弁当箱を見て、全く同時に息を詰まらせる。

 先手は、譲れない。お互いの思いが交錯するからこそ、開戦の火蓋を切って落とすは、これもまた両者ともに同時だった。

 

「一口――――」

 

「――――如何かしら?」

 

 研ぎ澄まさされた剣を突きつける。それはまさに、戦争において得難い強敵と相対した瞬間である。

 ……まあ、士道の『剣』というのが、にゃんこキャラ弁であったのは、真面目ながらシュールな絵面だとは思ったが。

 

 

 

「……ところで、折紙はどこ行ったのよ」

 

「返答。――――外せない用事がある、とのことです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 士道と狂三。二人の行く末を見守ること。それは、折紙にとっても最重要のミッションだった。

 しかし、彼女が今しなければならないと思ったことは、別にある。

 一言で、情報。狂三に関するものは、本人が明かさない以上は不用意な考察はできない。けれど、それ以外の事象……先日の議題でようやく輪郭を帯びた〝彼女〟に関しては、話が別だった。

 

 

「――――出てきて、〈アンノウン〉」

 

 

 昼休みだというのに人気のない校舎裏で、折紙はその名を呼んだ。

 暫しの沈黙を挟みながら、折紙はジッと待ち構える。季節柄、冷たい風が折紙の制服を揺らし、髪を撫でる――――刹那。

 

「――――こんにちは。鳶一折紙」

 

 白い少女は、現れた。

 気配さえ悟られず、瞬きの間に不明の精霊は折紙の瞳に映り込む。

 驚きはない。少女がそういう存在だということは知っているし、呼び寄せたのは折紙だ。驚くのではなく、現れてくれた安堵の方があるかもしれない。

 変わらない外装を身に纏い。小柄ということだけかわかる身体を僅かに揺らし、少女は続けた。

 

「何かご用ですか? 私を捕まえたい、というのなら相手になりますけど」

 

「今日は別件。あなたに、聞きたいことがある」

 

「……なるほど」

 

 回りくどい手段は好まない折紙は、直球に要件だけを伝える。現れたということは、折紙と話をするつもりはあるということだ。なら、話は早い方がいい。

 折紙の単刀直入な言い分は予想通りなのか、さして驚いた様子も見せず、腕を組んで校舎の壁に寄りかかりながら少女は声を発した。

 

「……いいですよ。何が聞きたいです? 狂三のこと、私のこと――――始源の精霊のこと、とか」

 

「…………」

 

 ぴくりと眉を上げ、沈黙を返す折紙に肯定と受け取ったのか、少女が外装の下で笑みを零すような仕草を見せながら、続ける。

 

「狂三に関しては、恐らくあの子が語った通りです。あの子には霊力が必要で、その霊力は五河士道が持ち、しかしそれが増える見込みはもうない。なら、あの子が動かない理由はないでしょう?」

 

「なぜ、精霊が現れないとわかるの」

 

「さぁて、なぜでしょう――――私という存在が、その答えですよ」

 

 謎かけにも似た答え。少女そのものが謎なのだから、少女自身から語られることがなければ推測の域を出ない。そして、行き過ぎた推測は深入りとなり身を滅ぼす。

 〈アンノウン〉は狂三の味方であって、折紙たちの味方ではない。どれほどの情があろうと、狂三のためならば他者を切れるだけの覚悟を持つ者。折紙の問いに答える義理どころか、本来ならば姿を現す理由さえない。

 けれど、少女は折紙の前に現れた。自惚れなどではなく――――少女は折紙だから(・・・・・)、姿を見せてくれたのだ。

 

 

「――――あなたは、私のことが好きだと言った」

 

 

 だから折紙は、卑怯だと言われようと、それを武器として振りかざした。

 藪から棒で放たれた折紙の蒸し返すような言葉を聞き、少女は露骨に身体を揺らして動揺を見せた。

 

「…………、え、今その話します? ほら、雰囲気とかあるじゃないですか」

 

「関係ない。事実は事実。好ましいと思ったものへ好意を口にすることは、人間の感情として正しい生き方」

 

「私、一応は精霊なんですけどね。……まあ、あなたはそういう人でしたね。で、それがどうかしたんですか?」

 

 なぜ今その話なのか、という疑問に立ち返り投げかけてくる少女に、折紙は目を逸らさないよう強く視線を向け、秘めた言葉を発した。

 

 

「私は――――あなたが嫌いではない(・・・・・・)

 

 

 ただ事実を、言葉として伝える。

 呆気に取られた雰囲気が少女から溢れ、何とも言い難いような仕草で身体を揺らし、少女は言葉を返した。

 

「……あの、嫌いなら嫌いってハッキリ言って欲しいんですけど。思わせぶりな女子高生じゃあるまいし」

 

「そうではない」

 

 首を左右に振り、少女のネガティブな考えを否定する。

 嫌いじゃない。事実、折紙は少女へ負の感情を持ち合わせていない。感謝の気持ちすら、持っている。けど、そこから先は、まだ折紙にもわからない(・・・・・)のだ。

 

「私は、あなたのことを何も知らない。あなたがどこから来たのか。どんな思いで、戦っていたのか」

 

「っ……」

 

「だから、教えてほしい。それがわからなければ、私はあなたを好きになる資格すらない。本当のあなたを、教えて」

 

 道化ではなく、狂三の従者としてでもなく、本当の少女を。

 

 

「あなたは――――何を願って戦っているの」

 

 

 教えてほしい。鳶一折紙は、少女を知りたいと思った。

 本当は、始源の精霊など関係がないのかもしれない。折紙はただ、自分を救ってくれた少女のことが、どうしても気になって仕方がなかった、のかもしれない。

 

「…………物好きな人」

 

「お互い様」

 

 掠れ声で零れた皮肉を、即刻打ち返す。言葉を詰まらせ、ムッとした雰囲気を見せた少女は、次に大きくため息を吐き、ぽつぽつと語り始めた。

 

「……元々ね、大した欲はないんだよ。私も、あの人も」

 

「〈ファントム〉――――始源の精霊?」

 

「……好きに解釈したらいい。とにかく、人っていうのは目的を持ち、その先にある大義のために進むものだよね? 狂三だったら過去へ戻るため。あのいけ好かない顔の男だったら反霊結晶(クリファ)のため。〈ラタトスク〉だったら、精霊たちを救うため。昔のあなたなら、これ以上悲しみを生み出さないため」

 

「…………」

 

 そんな大それた理由ではない。大義名分はどうであれ、折紙が復讐という私欲に囚われ過ちを犯した事実は変わりない。

 過去を思い起こし微かに眉をひそめたのが伝わったのか、「意地悪なこと言って、ごめんね」と柔らかい声音で笑いかけられる――――それは、どこかで聞いたことのある、感じたことのある雰囲気だった。

 

「……私たちはね、そういうんじゃないんだ。大義とか、そういうのとは全く別の目的を目指した。――――そのために、いろんな人を犠牲にした。でも、『私』にはそれしかなかったんだよ。他にどうすればよかったの? 何をすればよかったの? 『私』は、何をしたら――――――」

 

「っ、〈アンノウン〉?」

 

 様子がおかしい。同じであるはずなのに、違う少女が話しているような(・・・・・・・・・・・・・)、不可思議な感覚に折紙は咄嗟に少女を呼ぶ。

 折紙の声に少女は目を覚ます(・・・・・)ようにビクッと身体を揺らし、ハッと顔を上げた。

 

「……ああ、『私』か。まあ、上手くいってるってこと、だね」

 

「〈アンノウン〉、あなたは――――」

 

「どこまで話したかな。うん、確か私たちの欲に関してだったね」

 

 何事もなかったかのように続ける少女を訝しみながらも、ここで話の腰を折ることはできないと折紙は再び耳を立て穏やかな声音に聞き入った。

 

「……皆ね、私たちの目的を気にしてるけど、本当に小さなことなんだ。当たり前だと思っていて、けど突然無くしてしまうもの――――――言ってしまえば、私利私欲で人を弄んでる極悪人なんだよ、私とあの人は」

 

「そんな自覚があって、それでも人を精霊にして、自分を投げ打って、あなたたちは何を望むの」

 

 自らを極悪人と罵ってまで、何を欲する。何を求める。何を、掴む。

 力は十分なほどある。生きていくには、十分だ。ならば、当たり前と思って無くしてしまったもの――――――何かを、取り戻そうとしている?

 そこまで思考した折紙の前で、壁に寄りかかっていた少女が身体を起こし、折紙へ背を向けた。

 

「……それは、本人から聞いて。――――もうすぐ、嫌でも目にすることになる」

 

「っ!?」

 

「……特別に忠告してあげる。どんな相手でも、容赦はしないこと。あの人は躊躇ったりしない。躊躇はない。無慈悲に、でも慈悲を持って、自分の目的を果たそうとする――――――こんな忠告が意味を持つ相手ではないけれど」

 

 話の中身の半分さえ理解できないもの。けど、それは本当に忠告(・・)の意味を持つ言葉なのだろう。

 少女が意味を持たないと思っていても、少女の忠告を心に留めた折紙は首肯と共に返答をした。

 

「ありがとう。覚えておく」

 

「――――ま、そもそもとして狂三が勝ったら、今話したこと全部意味がなくなるんですけどね。だって、〝なかったこと〟になったら、何が出てきても意味がないんですから」

 

「士道が勝たなければ、〈ファントム〉は現れない?」

 

 当然の疑問を背に、道化に戻った少女は肩を竦めることで応答した。つまりは、これ以上語ることはない、ということだ。

 〈ファントム〉が何かを目的として、それが自身のためという片鱗はわかった。しかし、もう一つ肝心なことが聞き出せていない。

 

「〈アンノウン〉。それなら、あなたは? 士道と狂三、どちらが勝っても構わないというあなたの目的は、なに」

 

 そう。肝心の部分……〈アンノウン〉という精霊が暗躍する理由に関して、はぐらかすように語り切らなかった。

 二人の戦争(デート)。狂三が勝つか、士道が勝つか。

 少女は狂三側にも関わらず、士道が勝つことへの期待を持ち合わせていた。狂三を勝たせること自体が目的でないのなら、少女が狂三に入れ込む理由は何なのか。

 ここに至ってなお、見えない。あらゆる目的、感情が渦を巻く中、少女の目的だけは依然として見えていない。

 

「……あの人と同じです。私は私の私欲のために動いている。それを誰かに言うつもりは、最初からなかった。知りたがっていた物好きに教えたことはありましたけど、それは特別です」

 

 続けて、「化けて出られたら怖いですから」と苦笑気味に告げられたことに、折紙がひそめた眉を深くしていると――――――

 

 

「――――叶う頃に、私は存在していないでしょうし、ね」

 

「な……」

 

 

 思わず、声が漏れ出てしまうような言葉を聞き、折紙は咄嗟に走り出し手を伸ばし――――空を切る。

 視界の遥か上を、少女は跳んだ。

 

 

「さようなら、折紙。ごめんなさい。もう、何もしてあげられないけど、叶うことなら――――――長く、生きて」

 

 

 それだけを、残して。真に願っているのだろうそれを残し――――――折紙の恩人は、存在した証明を記憶だけに残し、消えた。

 

 

 

 その意味を理解できる瞬間は、全てが手遅れになった時だということを、未来を予知できない折紙は知る由もなかった。

 







大義名分とは全く別の願いを持って、神様と天使は突き進む。たとえ、何を犠牲にしようとも。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十五話『タイムリミット』

 

 

「――――ふ、ふふ。腕を上げたな、狂三」

 

「――――き、ひひひ。士道さんこそ。出会った頃とは、比べ物になりませんわ」

 

 互いの力量を賞賛し、讃える。

 素晴らしい、この短期間で、更に力をつけ高みへと昇華してみせるとは。士道が油断し、努力を怠っていたら、運命はここで決していたことであろう。

 雌雄を決するには、まだ早い。己が努力に感謝を述べた。

 

「……ねー。私たち、何見せられてんの?」

 

「直球。惚気でしょう」

 

「うむ!! 今日も二人の昼餉は美味い!!」

 

『…………』

 

 まあ、外野から見ると、何やってるんだと言われてもおかしくはないことをしていたのは、否定しない。

 お互いがお互いを思って作った弁当が、不味いわけがない。両者がその味に悶絶し、合間に十香へ餌付け……じゃなくて、ご飯を分け与え、弁当箱が空になるまでおよそ三十分。

 何だろうか。士道と狂三はお互いが好きであることは明白なので、褒め讃え合戦になるのは目に見えていた。ので、見届け人がいたらどうなるかなどはもっと目に見えていたのだが……いざやられると、凄く恥ずかしい三十分になってしまった。

 

「美味かった。ごちそうさまでした」

 

「こちらこそ。ごちそうさまでした」

 

 それでも、互いにいただいたものへと感謝を告げて。ひとまず、勝負の二手目を締めくくった。

 ……勝負の中身は、士道と狂三の名誉のために伏せておくこととするが、許してほしい。そう誰に向かって言うわけでもなく、士道は自分たちの暴走具合を胸の内に封印した。

 

「さて、士道さん。これからのご予定のお話でも、如何かしら」

 

「……!! ああ。君の相談事なら、もちろん大歓迎だ」

 

 昼休みも残り少ない中、突然提案されたことに対し士道は身を引き締めて望む。耶倶矢、夕弦、十香も、先ほどまでの緩やかな雰囲気を一変させ、緊張した面持ちでゴクリと喉を鳴らし見守っている。

 気取る士道の態度を見て、狂三はくすりと微笑みを浮かべ声を発した。

 

「明日、明後日……こちらは休日といたしましょう」

 

「休日? 会わない、ってことか?」

 

 土曜と日曜。確かに、休日といえば休日なのだが、だからこそデート日和だと思っていた士道は、当然のように彼女を誘う予定を立てていた。

 他ならぬ狂三の提案なら仕方がないが、それはそれとして出鼻をくじかれた気分になってしまう。

 そんな表情が顔に出ていたのか、狂三は小刻みに肩を揺らして笑った。

 

「うふふ。可愛らしい子猫のようなお顔をしても、だーめ、ですわ。お預けの時間があるからこそ、ご褒美は輝きますのよ」

 

「へぇ。俺が霊力を渡しちまうほどのご褒美を、期待してもいいってことかな?」

 

「ええ、ええ。当然、わたくしが心を込めた贈り物を、ご用意いたしましょう」

 

 自信に満ち溢れた狂三の態度に、士道はある確信を持つ。

 彼女は勝負を急いている。ならばこそ、確実に士道を射止める日を定め、行動しているはず。

 

「ねぇ、士道さん――――――」

 

「――――来週の、水曜日」

 

 後の先を、士道は取る。

 恐らくは、言葉の先を取られた狂三が目を丸くしているのがわかって、士道は不敵に微笑みながら言葉を続けた。

 

 

「お嬢様――――君の時間を、いただいても?」

 

 

 わざとらしく、狂三を意識した特有の言い回しを扱い、狂三の手を取り――――その甲にキスを一つ落とす。

 

「……!!」

 

 顔を赤く染め、身を縮めるように強ばらせている狂三に、どうやら効果は抜群だったらしい。

 

「わー、わー……ちょっと夕弦、あれすごくない?」

 

「同調。士道が士道ではないようです」

 

「むぅ……」

 

 ただ、外野は外野で騒がしくなっている辺り、メリットばかりではないらしい。というか、夕弦はどういう意味だそれは。普段の士道を何だと思っているのか彼女は。

 三人が自分の顔に手を当て、何故かそこからチラチラと動向を覗く中、ほんの少し息を吐いた狂三は――――――美しい微笑みと、凄絶な意志の光を以て答えた。

 

 

「はい。その日、わたくし時間を、全てをあなた様に――――――士道さんの〝時間〟を、わたくしに」

 

 

 するりと、手が士道の頬を撫でる。見合う狂三の隻眼は、カチリ、カチリ、と音を立て、妖しく士道を映し出す――――まるで、士道の命の残火を数えているようだと、思った。

 

「――――では、ごきげんよう。楽しみにしていますわ、士道さん」

 

「ああ。俺も期待してるぜ、狂三」

 

 ふっと表情を緩めた士道と狂三。しかし、見合う視線の強さは互いに変わらない。狂三の信念と、士道のエゴは相容れずぶつかり合う。

 立ち上がった狂三は、くるりとターンを決め、スカートの裾を摘み、制服でも変わらぬ芸術のようなお辞儀をしてみせた。

 そうして、その軽い足取りのまま校舎の中へと戻っていく。見送り、たっぷりと時間を取り――――士道が息を吐き出した瞬間、三人が崩れ落ちるように姿勢を楽にした。

 

「って、なんでお前らが疲れてるんだ……」

 

「し、仕方ないじゃん。二人とも緩急ありすぎだし……」

 

「そんなもんかね。俺と狂三はいつもこんなだけどな……」

 

 ぽりぽりと頬を掻きながら答えると、耶倶矢がうへーっと呆れたような顔をした。

 ああ、けれど。今は少し違うかもしれない。幾度となく繰り返されてきたやり取りは、ひたすらに続いていた平行線は、もう――――――

 

「疑問。どうして狂三を誘う日を水曜日に指定したのでしょう」

 

 と。士道の思考を遮って、夕弦が疑問を投げかけた。十香も耶倶矢も首を傾げ、更にはインカムから琴里まで疑問の声を上げた。

 

『そうね。狂三の言い方だと、休日明けがちょうどいいと思うのだけれど、あなたたちは示し合わせたように水曜日を指定した。どういうことなの?』

 

「狂三、凄い凝り性だろ。だから俺も、この日しかないって思っただけさ」

 

 頑固者で天邪鬼な狂三は、加えて妙に凝ったことが得意で大好きときた。あの派手な分身体を思い起こしてもわかる通り、彼女はこだわると決めたら徹底的にやる。一見とんでもなく見える演出も、狂三の手にかかれば魔法のように人を魅了するものとなる。

 それを知っている士道は、狂三がどうしてこの時期を選んだのか、手に取るようにわかった。

 来週の水曜日。その日でなければ、駄目な理由。その日が、決着をつけるに相応しい理由。

 なるほど、愛し合う二人だというのなら、これほどロマンチックな日もあるまい。

 

「次の水曜日――――――」

 

 携帯していたスマートフォンを取り出し、月の日付を表示させる――――そこに予定はもう、詰められていた。

 

 

「――――二月十四日。バレンタインデー」

 

『っ……!!』

 

 

 琴里が息を呑み込むのを感じ、士道も表情を険しく、来るべき日を見定める。

 士道と狂三の、運命が決められる日。

 長きに渡る戦争(デート)の結末は、迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「――――以上が、〈アンノウン〉から聞き出せた話の全て」

 

「…………そう」

 

 司令席に座り、折紙からの報告を聞き終えた琴里は、少女の語った事柄を反復する時間を求めるように沈黙を乗せて、短く吐き出した。

 白い少女。〈アンノウン〉。謎多き精霊。琴里たちを救い、それでいて救いを拒む者。

 そんな少女が語った真実の欠片に、琴里は心から悲しみと、確かな怒りを、感じた。

 

「ありがとう、折紙。貴重な情報……ううん、違うわね。――――私じゃ答えてくれなかったことを、聞き出してくれて」

 

「気にしないで。私が知りたかった……彼女のことを」

 

 かぶりを振って、琴里からの感謝をやんわりと辞退する折紙。

 折紙なりに、思うところがあっての行動なのだろう。そのおかげで、少女に関して一つ進展があったのは嬉しい限りだ……まあ、琴里が聞いてもはぐらかすだけだった問いかけに、折紙にはやけに答えていたのが行き場のない腹立たしさを感じさせるのだが。

 偉そうに口出ししても、いざやってみると兄のようにはいかないか、と琴里は肩掛けにしたジャケットを擦りながら、司令席へ深く座り直し息を吐く。

 

「……何が自分の意志、よ。やっぱり、死ぬ気なんじゃない」

 

 司令席の肘掛けを握り、口に含んだチュッパチャプスから歯軋りでひび割れた音が鳴る。

 そうだとは思っていた。少女は、自らにまるで重きを置いていない。あるべきはずの生存本能。どんな理由であれ、自己であれ、他者のためであれ、なければならないはずの生きようとする意志が、備わっていない(・・・・・・・)

 

 

『私は――――――初めから、いないよ』

 

 

 だから、あんなことが言える。誰かが少女に手を差し伸べようとも、少女は己の自己欲求のため、己を捨てる。

 死なせるか。ここまで来て、死なせてなるものか。琴里が目指すのは、完膚なきまでのハッピーエンド。誰一人だって、欠けさせるわけにはいかない。

 

「とっ捕まえて、絶対死なせたりなんてさせないわよ」

 

「……」

 

 ぽつりと零した決意表明は、折紙の首肯によって拾われる。

 何が〝計画〟だ。何を考えているか知らないが、絶対に捕まえて中身を聞き出してから拳骨の一つでもくれてやろうというものだ。

 と。琴里は思考を一旦別の議題へ切り替える。というのも、折紙が聞き出した情報の中には、少女だけでなくもう一人、見逃せない人物の情報があったからだ。

 

「〈ファントム〉の目的。私利私欲、ね」

 

 俄には信じ難い、というべきなのだろうか。自然と難しい顔になりながら、琴里は続ける。

 

「人を精霊にするだけの力を持ちながら、大義名分じゃない、完全な私欲ですって? 仮に、全ての精霊の生みの親が〈ファントム〉だったとしても、それで何をしようっていうんだか……それに――――――」

 

 それに、もう一人。〈ファントム〉が精霊を生み出したというのなら、避けては通れない人がいる。

 精霊ではない、ただの人間。人間でありながら、霊力を封印できる存在(・・・・・・・・・・)

 額に深い皺が寄る。それほど、〈ファントム〉の目的を想像していくことが、忌々しく感じられた。それを、口に出してしまうことも。

 

 

「――――士道を、どうしようっていうの」

 

 

 〈ファントム〉は士道を助けたことがある。

 十二月。士道と精霊たちの経路(パス)が狭窄を起こした事件。その時、〈ファントム〉は士道を〈ダインスレイフ〉の光から身を呈して守った。

 士道を失うわけにはいかない。だから〈ファントム〉は、こちら側に手を貸した。けれど、その行為は士道という、精霊を封印できる存在を折り込んでいなければしないはずの行動。

 

「士道は精霊を封印できる力を持っている。それを、〈ファントム〉は初めから知っていた……?」

 

「けど、士道が精霊を救いたいと願ったのは、本人の意思」

 

「ええ、それは間違いないわ。大体、本当に士道が〈ファントム〉に必要な存在だったとしても、精霊の前に立たせるのは危険すぎて――――――」

 

 瞬間、琴里の脳裏をある言葉が過ぎり、全身に鳥肌が立つ。

 折紙もまた、同じ言葉を思い浮かべたのだろう。目を見開いて、琴里と顔を見合わせる。

 五河士道は、精霊を封印できる。しかし、それは本人も知らなかった事実。故に、士道を精霊封印に駆り立てるには本人の意思と、何より〝環境〟が必要。

 

 

『――――だからこそ、始まり(・・・)は〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を選んだ』

 

「はっ――――そういう、ことね。やってくれるじゃない」

 

 

 いやはや、やってくれる。呪詛を吐き出すが如く、琴里は唸るように怒りを言葉に乗り移した。

 〈ファントム〉が琴里へ霊結晶(セフィラ)を授け、その上士道へ封印させた。それこそが、〈ファントム〉の目的へ近づくために、確実に必要な手段だったのだ。

 精霊を生み出すことを注視しすぎて、琴里はあまりに無様な見落としをしてしまった。

 精霊は自然的に生まれる存在。その過程が崩れ去ったとするならば、あらゆる前提は逆転する。

 即ち、精霊が存在するから士道が霊力を封印できるのではなく――――――士道に封印させるために、精霊は生み出されていたという予測。

 

「私たちの行動を利用して、精霊を封印させていた?」

 

「でも、回りくどい。〈ファントム〉自身が力を持っているなら、士道に集めさせる理由がわからない」

 

「……ええ。自分の力を分け与えて、分散。それを今度は士道一人に纏める? 意図が読めないわね」

 

 簡潔的に考えて、そんなことをする意味がどこにある? 人間の士道に力を束ねなければならない理由が、琴里たちには皆目見当もつかなかった。

 そして、少女は語った。十の力を束ねし時、あの人は現れる。何が起きるというのか、何を引き起こそうというのか――――神様に抗えるかとは、どういうことなのか。

 考えこそしてみたが、やはり答えは見えてこない。やがて、折紙は諦めたように首を振った。

 

「輪郭が見えただけでも十分。相手の狙いがわかっただけでも、警戒のしようがある。情報の少ない中での深入りは、危険」

 

「……そうね。忠告感謝するわ。私たちの推測が間違っている、ってこともあるものね」

 

 今話したことはあくまで推測。琴里たちの想像の産物でしかない。言うなれば、机上の空論、絵に描いた餅。

 あっているかどうかもわからない以上、この理論に囚われすぎては大局を見誤る可能性だってある。

 

「…………」

 

 それに、本当に士道に霊力を封印させることが狙いだったとしても――――――とっくに賽は投げられている。

 もう止まれない。〈ラタトスク〉も、DEMも、士道も、果ては狂三でさえも。たとえ〈ファントム〉の企みがあろうと、各々の願いは引き返せないところまで来てしまっているのだ。

 琴里が精霊を封印することを止める、と言ったところで、士道は納得なんてしないだろう。否、止められたと仮定しよう――――結果、狂三が士道の命を〝喰らう〟ことには変わりない。

 どう足掻こうと、動き出した時は止められないのだ。〈ファントム〉がどうであれ、〈ラタトスク〉は精霊を救う組織で、士道は精霊を救いたいと願い、ここまできた。それが間違いだったなど、考えるべきではないし、思いたくはない。

 

「……にしても、杜撰ねぇ」

 

 重くなってしまった艦内の空気を入れ替えるように、敢えて明るい声色で頬杖をつきながら琴里は声を発した。

 

「初めから〈灼爛殲鬼(カマエル)〉があるって言っても、決してそれは万能じゃない。現に、狂三みたいな相手には効果がないじゃない。もしもの話になるけど、士道がどこかで諦めでもしてたら……って考えたら、何だかどこまでも士道頼みな気がしてね」

 

「確かに。時間遡行を行う狂三は、〈ファントム〉にとっても非常に危険なはず」

 

 折紙が言うことは正しく、琴里も同意して首を縦に倒した。

 時間遡行。どうやら、始原の精霊を消し去るつもりらしい狂三は、〈ファントム〉にとって非常に都合が悪い存在のはず。入念に積み重ねたここまでの歴史を、根本から〝なかったこと〟にされては意味がない……まあ、それは琴里たちにも言えるのだけれど。

 行き当たりばったり、とまではいかないものの。士道に霊力を集めたい割には、どこか一つ欠けていたら頓挫するとしか思えてならないほど、士道を信頼している計画、のように琴里たちには思えた。

 だが、そうなると矛盾が生じる。何せ、士道が生まれたのは精霊が生み出されるより遥か後。付け加えるなら、士道の性根はともかく、人格は十七年生きたからこそ生まれたものだ。それを制御など誰にもできはしない。

 士道にいつ精霊を封印できる能力が発現したかは今だ定かではないが……偶然ではないというのなら、なぜ士道だったのか――――それも、よりにもよって始原の精霊自身と敵対する狂三と親密な関係なってしまった、士道なのか。

 それを考えると、琴里には不思議で仕方がない。頓挫する可能性が高いというのに、なぜ〈ファントム〉は自らに害を為す者に、力を分け与えるような危険な真似をするのか。

 行動の片鱗しか見えてきていない今、琴里の目には継ぎ接ぎの線が酷く歪に繋がっているようにしか見えなかったのだ。

 

 

「――――それでも、叶えたかったのかもしれないね」

 

 

 その声は、琴里でも折紙でもなく。

 

「令音……?」

 

 二人の会話を聞きながら、黙々と作業をこなしていた令音のものだった。

 琴里の声に顔は向けず、けれど透き通るような声量で続けた。

 

「……針の穴を通すより小さな穴でも、極僅かな可能性だったとしても、叶えたい願いがある……のかもしれないよ」

 

 静かに、胸ポケットから顔を出したクマのぬいぐるみの頭を撫でるのが、艦橋上部いる琴里たちからも見て取れた。もっとも、言葉の裏にある表情までは読み取れなかったが。

 

「叶えたい願い……か」

 

 誰しもが持っている。利己的な欲求、願い。

 少女と〈ファントム〉には、あるのかもしれない。令音の言う、極僅かな、それこそ〝奇跡〟に縋り付いてでも叶えたい、大切な願いが――――――そこまで考えてから、それに巻き込まれた自分たちにとっては、たまったものではないなと、琴里は深くため息を吐くことになったのだが。

 

「――――ああ、そうだ令音。あなた、明日明後日は休暇ね」

 

 閑話休題。それはそれとして、と。琴里はちょうどよく会話に参加した令音へ、そう命令形で指示を下した。

 ゆっくりと振り向いて見上げた令音は、こてんと小首を傾げることになっていたが。

 

「……うん?」

 

「だから、休暇よ。きゅ・う・か。休みを取りなさいって言ってるの。あなた、今日で何連勤よ」

 

「…………」

 

「あーもう、律儀に数えんでよろしい!! ていうか、数えなくてもわかってるでしょ」

 

 わざとらしく指を折って数え始める令音を止め、琴里は頭に指をついてため息を吐く。相変わらず、ボケが天然寄りというか、自分のことなのにのんびりしているというか……などと、琴里は親友のことが心配になってくる。

 というのも、令音の連勤の理由については様々な理由がある。

 六喰の一件が大事で、後処理を含めて忙しかったのもあるが、一番は令音があまりに優秀すぎる、という点になるか。その原因の発端たちを、琴里は舐めるように睨みつけた。

 

「あなたたち、令音に頼りすぎ」

 

『ひぃ……っ!!』

 

 ドスを効かせてやった声に、クルー一同肩をビクッと揺らして悲鳴を上げていた。……中には、対象ではないというのに歓喜の顔をしている神無月(へんたい)もいたが。彼の場合、琴里に叱られるためにわざと仕事をしない可能性まであるから、それはそれでタチが悪い。

 優秀なのだが、どうしてこう手がかかるのかと思う琴里に、一連の流れを見ていた折紙が首を傾げて声を発した。

 

「〈ラタトスク〉は、ブラック企業?」

 

「違うわよ!?」

 

 これは単純に、内職(・・)に精を出したり、私用で〈フラクシナス〉の設備を使う馬鹿者どもが、困った時に令音に泣きついて、それを令音が処理できてしまうから起きたことだ。

 結果、琴里が気づいた時には令音の連勤が恐ろしい桁を示していて、琴里自身令音に頼ることが多いことに反省し、慌てて(無断)申請を受理した、ということである。不可能と言うなかれ、司令官は絶対なのだ。

 

「……しかし、狂三とシンのことは」

 

「平気よ。狂三が休日って言ったなら、恐らく嘘はないわ。休める時に休めなくて、本番に倒れられちゃ困るもの。マリアもいるんだから、心配ないわよ」

 

『その通りです、令音。メンテナンスも終了しました。存分に、クルー全員をシゴいてさしあげます』

 

 なんというか、文字だけだというのに顔が見えるような妙な迫力のある声だなと、悲鳴を上げるクルーたちを他人事で見やる。

 〈フラクシナス〉のAI『MARIA』のメンテナンスは、先の戦闘で使用した狂三とのリンクシステムによるものだ。

 あれは狂三だけでなく、マリアにも少なからず負担がかかる。負荷がバグ、人間で言うところの〝ストレス〟になる可能性は捨てきれていなかった。

 念入りにメンテナンスを行った結果、幸いにもそれらしいものは発見されず、マリアは今日も元気に不真面目なクルーたちを泣かせている。

 これに懲りたら、自分のことは自分でしてほしいものだと、琴里は令音へ向かって諭すように表情を変えて言葉をかけた。

 

「そういうことだから、こっちのことは心配しないで、ゆっくり休んでちょうだい。士道も、休日は一人で考えたいことがあるって言ってたから、ね?」

 

「……わかった」

 

「あ、隠れてここへ来るのも駄目だからね」

 

「…………」

 

 その沈黙はやるつもりだったなと、一度は納得した顔をした令音をジト目で追求し、彼女はスっと視線を外す。表情に乏しい割に、表情が器用な親友に琴里は呆れた声を零した。

 

「……シンが一人になりたいなら、君たちはどうするんだい?」

 

 すると、今度は令音からそう声が返ってきた。

 その答えは、もちろん決まっている。折紙と顔を見合せた琴里は、お互い笑いあってから、令音に明日の予定を返した。

 

 

「私たちも――――――」

 

「――――狂三に負けていられない」

 

 

 つまりは、そういうこと。

 

 狂三を認めこそしているが――――士道を好きな気持ちは、負けていないのだから。

 

 

 






賽は投げられた。これが全て。気がついたところで、もう後戻りはできませんよ、我が女王。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十六話『罪の終わりは訪れない』

 

『な、なあ澪。今度俺と……で、デートしませんか?』

 

 なぜか敬語と呼ばれるものを扱い、少年が部屋の中の鏡に向かってそう言っているのを見て、澪は首を傾げた。

 

『澪、俺とデートしてくれないか?』

 

 コホンと咳払いをしてから、今度は願い気味に少年は言った……どうしてか、やはり部屋の鏡に向かって。

 おかしな話だ。少年が言う相手は、鏡ではなくここにいるというのに。そして、答えは――――――

 

『澪、俺とデートしよう』

 

『――――うん』

 

 どんなものであれ初めから、こうして決まっているのだから。

 

『……!? み、澪……?』

 

『うん。どうしたの――――シン』

 

 何をそんなに慌てて少年――――崇宮真士は驚いているのかと、澪は不思議と小首を傾げる。

 真士は澪を〝デート〟に誘いたくて、澪はそれに答えた。何を驚くことがあるのか。

 

『い、いつからそこに……?』

 

『さっきから、だけど。――――それよりシン、いつにするのかな?』

 

『へ……っ!? な、何が……』

 

『だから、デートだよ』

 

 せっかく彼が誘ってくれたのだから、いついかなる時も澪は構わないと思っている。

 だって、彼が求めることなら、澪はなんだって受け入れてしまえそうだから――――何故なの、だろうか。

 

『あ、えっと……つ、次の日曜とか……どうだ?』

 

『わかった。楽しみにしてる』

 

 笑顔で返し、それから彼の妹が呼んでいたことを告げて、澪は真士の部屋から退出した。

 

 嬉しい。また一つ、真士との楽しい一時を過ごせるのは、本当に嬉しい。感情豊かに思いを馳せ――――――ところで、毎日会っているのに、日付を決める〝デート〟とは、どういうことなのだろう?

 

 

 

 

 

 ――――――――はやく、起きて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「はい、ちゅうもーく」

 

 皆を見渡しながら、腰に手を当てて琴里は迷惑にならない程度の声量で声を発する。

 迷惑にならない程度、というのは琴里含めた精霊たち総出でいる場所が自宅でも精霊マンションでも〈フラクシナス〉でもなく、天宮市大通りにある製菓材料専門店だからである。

 

「それじゃあ、最低限必要なものはさっき説明した通りよ。各自好きな材料を探してみて、わからないことがあれば遠慮なく周りか私に相談すること。いい? ――――みんなで、素敵なチョコレートを士道に贈りましょう」

 

 理由はもちろん、この通り。

 二月十四日、バレンタインデー。乙女の祭典にして、狂三と士道の宿願が決まる運命の日。

 とはいえ、琴里たちが黙ってそれを見守るだけか、と聞かれれば断じて否と答えよう。

 想いは狂三にだって負けていない。戦略的に見て、狂三だけがバレンタインチョコを贈るというのは、士道が非常に不利になる意味合いもあるが……皆の気合いの入った表情を見るに、意味はそれだけに留まらないのがよくわかる。

 

「うむ!!」

 

「はい……!!」

 

「了解」

 

 思い思いの返事をし、それぞれが希望のチョコを作るため店の中へ散開していく。

 それを見送ってから、琴里も一人行動を開始した。監督役ではあるが、もちろん琴里も士道へチョコを贈ると決めた内の一人なのだ。

 

「さてと、じゃあまずはベースになるチョコから……と」

 

 そうして奥のエリアを目指してみると、時期が時期というのもあって相当な量のチョコレートが飾られており、琴里たちのような少女のためのレシピなども用意されていた。

 

「……け、結構種類があるのね」

 

 コンビニで売っているようなものとはわけが違い、成分表が記されただけの簡素なパッケージがずらりずらり。……さっそく、休暇を出してしまった手前、令音へ救援を頼めなかったことを若干後悔した琴里である。

 まあ何とかなるだろう、いざとなったら折紙もいるし、などと楽観視しながら散策を続ける。

 と、このエリアにはどうやら四人の精霊、十香、四糸乃、七罪、六喰が滞在しているようで、ちょうどいいと思い琴里は真剣な面持ちの少女らに声をかけた。

 

「どう、みんな。よさそうなのはあった?」

 

「おお、琴里。むう……どれも美味しそうなのだが、たくさんありすぎてな」

 

「はい……どれがいいのか迷います」

 

「……ね。ちょっと甘く見てたわ」

 

「ふむん。妹御。このベネズエラ産とコロンビア産のカカオというのは、一体何が違うのじゃ」

 

「……え゛?」

 

 緊急事態発生。琴里の頭で真っ赤なランプを灯し警報が鳴り響いた。

 六喰からの問い。まあ、至極当然の疑問である。であるのだが、琴里は当たり前だがその問いの答えなど知らない。琴里の料理スキルは士道の手伝いありきのものだし、産地の違いとかわかるはずもない。

 

「お、おり――――――」

 

 がみ、と救援信号を打ち上げるが、噫無情かな。少なくともこのエリアに彼女の姿はない。

 

「え、えーと……それはあれよ」

 

 とはいえ、折紙がいないからと琴里が黙るわけにはいかない。わからないことがあれば相談しろ、と言ったのにその琴里が無知などとあまりに不格好だ。

 目を泳がせ、何とか答えを用意しようと四苦八苦する琴里――――の背後から、チョコのように甘い声が聞こえた。

 

「――――カカオには、主に香りの良いクリオロ種、病気に強いフォラステロ種、その両方の利点を受け継いだトリニタリオ種がありますが――――この場合は、もう少し噛み砕いたものがよいですわね」

 

 ピンと指を立て、得意げに語る彼女の姿はどこか学校の先生を思わせる。そう、以前も少しだけ思いはしたが、仮に彼女が先生なら学級が崩壊しかねないな、と自分の想像に呆れ返った――――無論、彼女が美しすぎるという意味で、だったが。

 

「重要なのは、それらの区別より配合比率。色が濃い方が苦く、薄い方が甘いと考え、皆様が求める味へ近づけるとよろしいですわ」

 

「おお!! なるほど!!」

 

 彼女のわかりやすい説明に納得を得た十香が手を叩き、再び陳列棚に目を向け物色を再開する。他の三人も続くようにチョコを探し始め、琴里もはぁっと息をついて救援にきた彼女へ感謝を述べた。

 

「悪いわね、助かったわ。狂三」

 

「いえ、いえ。大したことではありませんわ」

 

 いや本当に、狂三がいなければ苦し紛れに折紙を探しに行くしかなかった。彼女がいて助かったと胸をなでおろした――――――

 

「――――狂三!?」

 

 ところで、ここにいるはずのない精霊の存在に驚き、声を上げながら振り向く。

 そこには、可愛らしいモノトーンのコートを着た時崎狂三が立っていた。相変わらず、そういう色合いを好み、誰よりも似合うと思わせるのはさすがではある。が、苦笑気味の顔はいつもとはまた違った日常の狂三を感じさせた。

 

「気がつくのが遅すぎますわ。……油断大敵ですことよ、司令官様」

 

「……悪かったわね」

 

 あまりにも、自然だった。その反応は、十香たちがたった今驚いた顔で振り向いていることからも、よくわかると言うべきか。

 皮肉に対してキレがない返答をしてしまうのも、琴里は自分で無理はないと言い訳してしまう。なぜなら、それほどまでに狂三という精霊は、

 

「――――ついこの前まで、あなたはこの中にいたじゃない」

 

「っ……」

 

 自分たちの〝日常〟に、馴染んでいたのだ。

 皮肉ではなく、事実を琴里が口に出せば、僅かに息を呑んだ狂三は、それでも微笑みを返した。――――少しの寂しさと、覚悟の程を滲ませて。

 それに突っかかってやりたい気持ちはあったが、ここで押し問答していては話も作業も進展しない。皆に材料集めを続けるよう言い含めて、琴里は改めて狂三と向き合った。

 

「それで、あなたは何を……なんて、聞くまでもないか」

 

「ええ。皆様と巡り会うのは、わたくしとしましても予想外ではありましたが、目的は共存するもの……まあ、琴里さんの元を訪れたのは、あのお二人の導きですけれど」

 

「あの二人……?」

 

 ちょいちょい、と狂三が指を指す方向に目を向けると……なんというか、いえーいと言わんばかりにピースサインをする二亜と、無駄にアイドルらしく決めポーズをする美九の肉体年齢最年長にして精神年齢最年少組が視界に映り込んだ。

 

「…………はぁ」

 

 即座に目を背けたくなる衝動を抑え込み、隣のエリアへ仕方なく歩いていく。

 そこは、ペン状になったチョコ、小さなハート型のチョコなど、お菓子のデコレーションに扱うようなものを中心として取り揃えているエリアだった。先んじて見ていた八舞姉妹などは、食用の金箔を手に取り目を輝かせていた。

 

「えっ、うそ、これ食べられるの? 包装紙とかじゃなくて?」

 

「確認。パッケージに食用と書いてあります」

 

「マジで……? く、くく……これさえあれば、我が燐光の十字架(クロイツ)を現世に顕現させることさえ可能――――また我らの真理に一歩近づいたな、我が同士よ」

 

「ええ、ええ。これでまた、わたくしの力作が一歩完成に近づきますわ。うふふ、五時間越えの傑作、これであれば士道さん胸キュン間違いないで――――ふぎゅ」

 

 ……誰か一人紛れ込んでいた気がしたが、たぶん気のせいだろう。

 随分と甘々ロリロリな衣装の狂三が八舞姉妹と仲良さげに話し、金箔を手に取ろうとしていたつい一瞬前、大きな影に吸い込まれた気がしたが、それはきっと気のせいなのだ。耳を真っ赤にして、『わーチョコレートがいっぱいですわ〜』みたいな顔で店内を見回す狂三がいるが、気のせいったら気のせいだ。

 若気の至りがあることも士道との共通点ではあったが、現在でも形として残って動くものをからかうのは、さすがの琴里であっても同情が勝るということだ。

 とにかく、琴里は狂三をけしかけた犯人二人へ事情聴取を始めた。

 

「二亜、美九。狂三を見つけてたなら、先に相談なり何なりしてちょうだい。びっくりしたじゃない……」

 

「いやー、ごめんごめん。あたしらも作りたいチョコのために悩んでてさー。ちょうどそんな時、情熱的な視線で材料を選んでるくるみんを見つけちゃって……相談に乗ってもらおうかなー、なんてねー」

 

「私が後ろから抱きつこうとしても、ぜーんぜん気がつかなくて、むしろ私たちがびっくりしちゃいましたよぉ。でもでも、だーりんのために真剣になってる狂三さんは、とーってもキュートでしたー!!」

 

 何もそこまでは聞いていないし、美九に至っては狂三に抱きつこうとする命知らずなことをまたやろうとしたのかと呆れた目を向けてから、琴里は改めて狂三を見やる。

 なんとも言えない、羞恥が入り混じった顔でらしくない狂三は視線に言葉を返した。

 

「……なんですの、その視線は。笑いたければ笑うがいいですわ。油断していたのはわたくしですわ。ええ、ええ。この時崎狂三、一生の不覚ですわ」

 

「別に笑ったりなんてしないわよ。士道が好きだから、それだけ一生懸命になってるんでしょ」

 

 琴里の推測に返答が返ってくることはなかったが、狂三が否定しないということは、合っているということだろう。

 それくらい兄を本気で想って、勝負とか関係なく渾身の一作を作ろうとしている狂三を、妹の琴里が笑うわけがない。

 まあ、艶々な美九の顔色を見るに、結局は不意をつかれて抱き着かれてしまったようなのは、ある意味ご愁傷さまと言うべきなのかもしれない。

 美九と二亜の証言から、狂三が遅れたタイミングでかち合った理由はわかったが、悪びれない二人の作りたいチョコは何なのだろうか。

 

「ていうか、狂三に相談してまで二人はどんなチョコを作りたいの?」

 

「えっとですねぇ、こう、常温でもトロトロして固まらないものが作りたいんですけどぉ……あ、でも完全に液体じゃない感じでー。具体的には私の身体に塗れるくらいの粘度が欲しいんですけどぉー」

 

「あたしはね、あれ、一粒食べたら少年の少年が元気百倍になっちゃうようなやつを作ろうかなって。それで既成事実作っちゃえば、少年の勝ちになるかなーとか。どうよ、二亜ちゃんの華麗なる作戦は」

 

「普通に作りなさいッ!!」

 

「……二亜さんの理屈、士道さんが責任を取る側だと思うのですけれど」

 

 呆れたんだかツボに入ったんだか、半々の笑いで狂三が声を発した。

 そりゃ、士道のナニがナニするんだから、責任を取るのは士道の方だろう。いや、そんなことを言いたいのではなく、手のかかる年長コンビに頭を悩ませていると、ふとあることに気がついた。

 

「……ん?」

 

「如何いたしましたの?」

 

「あ、うん。折紙がいないのよ。どこにいったのかしら」

 

 狂三に返しながらキョロキョロと辺りを見渡してみるものの……チョコレートの棚には十香、四糸乃、七罪、六喰、デコレーション材料の棚には二亜、美九、八舞姉妹がいた。わけだが、どうしてか、唯一折紙だけはどちらにも属さず、姿を消してしまったのだ。

 狂三まで発見できたというのに、折紙がいないとはどういうことか。包装用の箱やリボンを先に見繕っているのかと思い、店の入口付近に目を向けると、ちょうど折紙が目に入る――――――予想とは違い、製菓材料店向かい、ホームセンターから出てくる彼女の姿が。

 

「……え?」

 

「あら、あら」

 

 両手に買い物袋を抱えた折紙が、訝しげに眉をひそめる琴里と狂三の元へ歩いて戻ってくる。

 狂三がいることにさして驚いた様子もなく、折紙は平然と製菓材料店に舞い戻った。前述の通り、両手に買い物袋を抱えて。

 

「え、どこ行ってたの? チョコ作りってわかってるわよね?」

 

「もちろん。必要なものを調達してきた」

 

 とても自信ありげにそう言うので、琴里と狂三も興味が湧いて、一度目を合わせて示された買い物袋を二人で覗き込んだ――――――何に使うかわからない円筒形の容器がたくさん詰まっていた。

 

「……何これ」

 

「シリコン」

 

「…………何に使うの?」

 

「型取り」

 

「……………………何の?」

 

「私」

 

 一分の一スケール鳶一折紙チョコ、爆現。

 迷いがない、あまりに迷いがなさすぎる。少しは狂三の葛藤とか躊躇いとか見習ってほしい。折紙と狂三が似てるとか、やっぱり夢を見すぎではないのだろうかとツッコミを入れたくなった。

 今日一番の非常に大きなため息を吐き、この暴走特急鳶一嬢の説得に当たる。

 

「……いや、やめときなさいって。いくら寛容な士道でも引くわよ、さすがに」

 

「でも、狂三に対抗するためにはこれしかない」

 

「わたくしを恐ろしいことに巻き込まないでくださいまし!?」

 

「しかし、士道の狂三への愛は事実として、強い。対抗には私もこの程度は必要と判断した。それに、仮に狂三が同じことをしたら、士道は喜んで受け取ってくれる」

 

「…………」

 

 あ、その表情は『士道さんならやりかねませんわ……』みたいに納得しかけている顔だ。

 不味い。ここで狂三に納得されては押し切られると、琴里は呑気に顎に手を当て納得しかけている狂三の肩を掴み、顔を寄せ作戦会議を試みる。

 

「ちょっと!! 納得してどうするのよ!?」

 

「わたくしに折紙さんをどうしろと……この手の管轄は琴里さんでしょう? ふぁいとですわ、司令官様」

 

「こんな時だけ司令官扱いはやめてくれない!? そんな見え透いたお立てに騙されるのは士道だけよ!?」

 

「……仕方ありませんわねぇ」

 

 琴里に泣きつかれたのだから仕方がない、とでもいうような顔の狂三に若干イラッときはしたが、狂三に頼る以外に説得方法がない琴里は煮え湯を飲まされた気分で受け止める。

 

「折紙さん。お気持ちが大きいのはよいことですが、殿方の体調を気に留めるのも淑女の嗜みですことよ。特に、士道さんは優しさの塊のようなお方。気持ちばかりが先行し、過剰な糖質を与えては……」

 

「……!! 目先にとらわれて、その考えに至らなかった自分が恥ずかしい。――――クオリティを保ったままのダウンサイジングは手作業では困難。至急3Dプリンターを用意しなければ」

 

『…………』

 

 もうこれ以上は知りませんわ。と視線で訴えかけられ、琴里も労うように狂三の肩を叩いた。取り敢えず、士道の健康が守られるなら良しとしよう。

 と、そんなことをしている間にも、皆は着々と材料を揃えている。それを確認した狂三は、優雅に微笑むと自身の買い物カゴを手にして歩き出した。

 

「うふふ。それでは、わたくしはこれにて失礼いたします。皆様、ご健闘を――――」

 

「――――あ、あの……!!」

 

 それを止めたのは、意外や意外。普段の控えめな声とは裏腹に、狂三の足を止めてしまうほどの強い声音を奏でた、四糸乃だった。

 

「あら。どうされましたの、四糸乃さん。何か、お聞きしたいことがありまして?」

 

 まるで、可愛がっている妹を相手にするような態度。膝を曲げて目線を四糸乃に合わせ、優しげに笑う狂三は以前感じた恐ろしい精霊、というイメージからはかけ離れたものだった。

 とはいえ、狂三の性根は知っているし、四糸乃や七罪には妙に甘いところがあることも琴里は把握していた。

 もしかしたら、狂三は意外と子供が好きなのかもしれない、なんてことを考えていると、四糸乃はおずおずと狂三の目を見て声を発した。

 

「そうじゃ、なくて……もしよかったら、なんですけど――――――」

 

「……え?」

 

 四糸乃の提案に、狂三は目を丸くして意外そうな声をもらした。かく言う琴里も、少しばかり驚いてしまったのだが――――いい案だと、琴里はニヤリと笑いながら外堀を埋めにかかるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 製菓材料店での買い物から、およそ一時間後。

 

「……何ですの、この状況」

 

 狂三はなぜだか、本来なら自分が言うべきではない台詞を口に出してしまったような気分になり、どこか気が遠くなった。

 それもそのはず。材料を集め、いざ士道の心を掴むチョコレートを……というところで。

 

「さあみんな。私たちのチョコ作りを、始めましょう」

 

『おぉー!!』

 

 この能天気極まる精霊たちと、士道の命を狙う狂三が、何故か共にチョコレートを作ることになった。

 そう。四糸乃からの提案とは――――――

 

(一緒に、チョコレートを作りませんか……?)

 

 そんな、予想外の願い出だったのである。

 当然、狂三は返答に窮した。常識的に考えて、今の狂三と精霊たちは紛れもなく〝敵〟である。その敵を相手に、己の手の内を見せるような真似ができるものか……と、狂三なら考えるのが自然で、答えもまた明白だった。

 だが、そこで当然(・・)と考えてしまっている以上、狂三は即座に答えることが叶わない。常に冷静、最速の答えを見つけ出す狂三の思考は、四糸乃の提案で不覚にも停止寸前の状態に追い込まれたと言える。

 戦場で思考を止めることは、即ち死に直結する。そんな隙だらけの狂三を見逃す琴里たちではなく、あれよあれよと狂三は流され、結果こうして精霊マンション内のキッチンスペースに案内されてしまったわけだ。

 

「ふぅ……」

 

 らしくもなく、翻弄されている。思考の大部分を士道攻略に割きすぎて、精霊たちへの対処が疎かになっているとでもいうのだろうか。

 小さく呼吸をし、なったものは仕方がないと気持ちを切り替える。

 精霊マンション。様々な精霊たちが住まうマンションということもあり、〈ラタトスク〉は不測の事態も想定しているのだろう。このように、全員で使ってたとしてなお余るほど広い、厨房のようなスペースを設営していた。

 クリスマス、そして今まさにのバレンタインデー。精霊たちが並んで作業できる調理台、洋の東西問わず集められた調理器具。果ては業務用の大火力コンロ。

 如何に狂三といえど、早々このレベルの設備はお目にかかれない。狂三がこれほど感心させられるのだから、恐らく――――――

 

「ははーん。さてはくるみん、少年のこと考えてるなー?」

 

「な……」

 

「正解ね。お察しの通り、ここが完成した時の士道ったら、まるで子供みたいに大はしゃぎしてたのよ」

 

 ニヤニヤとした顔を隠さず、両脇から二亜と琴里が狂三を挟んで言うものだから、思わず狂三はムキになって声を返してしまう。

 

「……別に、そのようなことは考えていませんわ。敵であるわたくしを誘うような皆様の能天気さに、呆れ返っていただけでしてよ」

 

「馬鹿ね。誰も、あなたを敵だなんて思ってないわよ」

 

「っ、そういうところが……!!」

 

 甘いというのに。精霊を救おうとしている人を殺そうとする精霊が、敵でないものか。

 

 ――――冷静さを欠いている。

 

 そんなことわかっている。でも、狂三の心は決まっている。決まっているから、こうして士道を〝喰らう〟ための準備をしている。

 だけど――――心のどこかで、『時崎狂三』からはぐれた少女が叫んでいる気がする。

 それでも。狂三は狂三のまま、手遅れになる前に全てを終わらせると誓った。散々、迷うための時間を使ってしまった狂三に、もう泣き言は許されない。

 

「……ふん。そう思い込みたいのなら、勝手になさってくださいまし。能天気な皆様に代わって、わたくしが士道さんのハートを射止めて差し上げますわ」

 

 そうして二人を振り払い、備え付けられたエプロンを身につけ、腕を捲り手を丁寧に洗い調理台の前に戻る。

 用意した材料は、そこに広がっている。今から作るものは、さながら士道の心に残る壁を破壊する爆弾、といったところか――――それ以外の純粋な意味が、ないわけではないが。

 さあ、わたくしのチョコレート作りを――――――

 

「……ところで琴里、ここからどうすればよいのだ? んぐんぐ」

 

「え? ああ、そうよね」

 

「…………」

 

 食べている。明らかに作業用のチョコレートを十香が頬張っている。ツッコミたいところではあったが、今の狂三は彼女たちの敵、敵なのだ。付き合ってやる義理はない。

 さあ、わたくしのチョコレート作りを――――――

 

「……むう、琴里。これはどうやって溶かすのだ?」

 

「え? 何言ってるのよ。チョコを……」

 

「……琴里さん?」

 

「どうしたんですかー?」

 

 ……さあ、わたくしのチョコレート作りを――――――

 

「……ちょっと、何か焦げ臭くない?」

 

「へ――――ひッ!? た、大変!! 水、水をちょうだい!!」

 

 …………さあ、わたくしの――――――

 

「……む、むん……?」

 

「琴里……? なんだか味が薄いのだが」

 

「えっ? ――――うげ、何これ。美味しくない……」

 

「……いや、まあ、そりゃ、お湯と混ぜてるんだからそうなるでしょ……」

 

 ――――集中できませんわッ!!

 

 そう叫んでしまいそうになったのを、どうにか内心だけで堪える。

 大体、チョコを鍋に直入れするなど料理初心者か。テンパリングすら知らないとは思いもしな……くもない。万全にできてしまいそうな該当者が、よりにもよって士道なのだから、彼女たちが知らないのは当然と言えば当然の話。

 どうやら微妙に惜しいところまでは到達しているのだが、どうにも煮え切らない。これでは、先程から作業が全く進んでいない狂三にまで支障が出てしまいそうだ。

 とは、いえ。ああいった手前、狂三が直接手を貸すのは気恥し――――ではなく、敵に塩を送ることになる。いや、だがしかし、一人いる。狂三と同レベルで料理や菓子作りを行える者が、該当者はあの中に存在している。

 彼女ならば、と狂三はさり気なく伝えようと目を向け――――――

 

「…………」

 

「…………」

 

 目が合った。『わたくし(分身体)』を手伝わ(パシら)せて迅速に運び込んだパソコンと3Dプリンターで、自分の裸体を成形している折紙と。

 できれば目を合わせたくなかったですわー、なんて思いながら、申し訳程度に首を振ってなんでもないことを告げる。

 すると、『大丈夫、私はわかっている』と言わんばかりにサムズアップをした折紙は作業を再開した。何もわかっていないし、同類にされたくはない。

 と、まあ、肝心の該当者は全く役に立ちそうにもないので、あと一人の候補は……今、まさに目が合った。

 

「うえ……」

 

「…………」

 

 全員大慌てでいる中、唯一狂三と目を合わせられた少女こそ、『なんですか、私になにか用があるんですかないですかごめんなさいしにます』みたいな声を発した七罪である。

 実のところ、狂三は七罪の持つ多種多様な技術を信用している。時には、狂三でさえできないことを平然と――卑屈になりながら――やってのける彼女だ。先程の発言からも、恐らく答えは知っているはず。

 なら、さっさと言えばいいではないか、と普通の人なら思うのだが、そこは七罪クオリティ。間違いなく自分なんかが、とか思っているに違いない。

 けれど、七罪に動いてもらわなければ狂三も動くに動けない――――以下、小さなジェスチャー混じりのやり取り。

 

『七罪さん、あなた作り方はお分かりですわね?』

 

『し、知ってるっていえば、知ってるよりの知ってるかもしれないけど……』

 

『ああもう、まどろっこしい方ですわね!! なら、皆様に教えて差し上げてくださいまし!! わたくしが集中できませんわ!!』

 

『じ、自分でやればいいじゃない!! わ、私なんかより狂三の方がよっぽど……』

 

『恥ずか……ではなく、わたくしが敵に塩を送るわけには参りませんわ』

 

『今恥ずかしいって言ったわよね!? まどろっこしいのは狂三じゃない……!!』

 

『言っておーりーまーせーんーわー。ともかく、七罪さんからご教授願いますわ。火事を起こす前に、迅速に』

 

『で、でも、合ってるかわからないし、責任も取れないし、そもそも私の言うことなんてみんな聞きたく――――――』

 

『――――『わたくし』、出番ですわ』

 

 トントン、とリズムを奏でるよう足元へ合図を乗せ、分身体の一人を七罪の背後に送り込んで、その背を軽く押し込む。

 

「ひゃっ……」

 

「……七罪?」

 

「あ……いや、その……」

 

 注目の視線を浴びてなお、未だ口をもごもごとさせてはいたが、ようやく観念したのかものすごく遠慮がちに、しかも目を逸らしながら、それでもようやく前進の一言を発した。

 

「……私、簡単な作り方くらいなら、わかるけど」

 

「…………先生ッ!!」

 

 七罪の手を握りしめた琴里と、七罪を尊敬の眼差しでみる精霊たちを見て、やっと進展したかと狂三は隠れてため息を吐く。

 本来、ここまでする立場ではないのに、何故だか放ってはおけなかった――――甘い行動とは裏腹に、ほろ苦いチョコレートを食べた時のように顔を顰める。

 ――――クイクイと、そんな狂三のスカートを摘み、呼ぶ者がいた。

 

「あら、四糸乃さん」

 

「――――ありがとう、ございます」

 

 そんな、笑顔で。パペットのよしのんと並んでぺこりと可愛らしく頭を下げられたものだから、狂三も面食らって目を丸くした。

 

「なんのことですの? わたくしは何もしていませんことよ」

 

「はい……。だから、私が……言いたかった、だけです。ありがとうございます、狂三さん」

 

「……まあ、なんの事かは皆目見当もつきませんけれど、礼は受け取っておきますわ」

 

 言って、この優しい気遣いができる小さな女神の頭を撫でた。

 ――――思わずやってしまったが、なるほど。以前、士道が『四糸乃は心のオアシス』とまで言い切ったことがあったが、その気持ちがよくわかる。

 本当に、可愛い。ふと気が緩むと、頬の筋肉まで緩んでしまいかねない。純心無垢。清楚。そんな言葉は四糸乃のためにあるのではないか、と思えてくる。

 狂三の指先に身を委ねて、愛らしく笑う四糸乃は幸せそうで――――――それを狂三は、奪う。

 

「っ……」

 

「……狂三、さん?」

 

「――――なんでもありませんわ。さあ、早く皆様の元へお戻りになられなければ、チョコレートを作り損ねてしまいますわ」

 

 突如として止まった手の動きを怪しまれぬよう、四糸乃を促して精霊たちの元へ送り出す。

 

「…………」

 

 しっかりお辞儀をしてから、自分の材料がある作業台に戻っていく四糸乃。手を振りながらそれを見送り……狂三は、己の手を返し、見た。

 華奢な指だ――――その指で、狂三は幾億の人生を狂わせた。

 

 覚えている。忘れない。だから、忘れるな。この光景を――――――時崎狂三が〝なかったこと〟にする、幸せの光景を。

 

 罪人が忘れ、救われることなど、あってはならないのだから。

 

 

 





こと分析力で彼女の右に出るものはそういないので個人的に狂三は七罪への信頼が高いと思っていたり。

番外編でもいいから四糸乃の出番をもっと作るべきだったけど私の発想力のなさが招いた後の祭りみたいな心残り。150話かけても足りてないところは足りていませんね個人的に。

雰囲気の違う原作回を越え、次回はオリジナル回。時崎狂三の回となります。さて、女王の紡いだ絆は……果たして。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!



ここでこっそりと。お気に入り1000件突破、ありがとうございます!
実は完結までの目標でした。最初は200いけばいいとか思っていたのに皆様のおかげで信じられないくらいの評価をいただけましたこと、光栄に思います。
ご存知俗物な人間なもので、いつでもこういった目に見える評価は大歓迎です。残りも少なくなってきましたが、完結まで突っ走りますので最後までよろしくお願いいたします!!


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第百五十七話『記憶という時間(ナイトメア・メモリー)

 

 

 数式には必ず解が存在する。論理を組み立て、形成し、完成させる。答えが存在するからこそ、人はそれを求め続け、完成という答えを見つけ出す。

 それでは、感情はどうなのか。感情に解はあるのか。論理を組み立て、形成し――――――不可思議な感情一つで、それを台無しにしてしまう。

 不条理で、理不尽。けれど澪は、それを嫌いではないと思った。

 

『み……ッ、澪、サン……? どうかいたしましたでしょうかはい……』

 

 何故か奇妙な動揺を見せる真士に対し、澪は己の行動が間違っていたのだろうか、と絡ませた指(・・・・・)はそのままに声を返す。

 

『……間違っていたかな? やっぱり知識と実践は勝手が違うね。デートの時はこうするものって真那に聞いたんだけれど』

 

『!! あ……いや、違わないと、思います、です……』

 

 目を見開いた真士がそう言ってくれて、澪も内心でホッとした。

 よかった。そう、心から思えるのは、この行為が澪にとって望ましく、何度でもしたい(・・・・・・・)と思ってしまうものだったから。

 

 

『――――この行為は、なんと言えばいいんだろう、非常に……好ましい。シンと手を繫いでいると、安心感がある。けど、心が休まるだけじゃない。微かな興奮……高揚? 心拍が少し上昇している感覚を覚えるんだ。きっとシンは、不思議な力を持っているんだね』

 

 

 きっとこれは、彼だけが持つ不思議な力なんだろう。

 澪は、彼だけにこの感情を持っている。不思議で、高揚感に溢れて、抑えきれない気持ち。数式では書き起すことの叶わない、澪の真士に対する感情。

 

 

『お、俺も……同じだよ。澪と手を繋げるのは……嬉しい。こうしてるだけでドキドキして……なんかもう、生まれてきてよかったって感じだよ』

 

『ふふ、大げさだよ』

 

 

 ああ、でも――――澪も似たようなことを思っているから、そうなのかもしれない。

 生まれてきて、よかった。真士に、会えたから。

 これからそれを、もっともっと感じていたい。澪は繋いだ手を引っ張り、一語一句聞き逃さない彼の言葉を真似て、言った。

 

 

『――――さ、じゃあ始めようか。私たちの、戦争(デート)を』

 

 

 

 

 

 ――――――さっさと、起きなさいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 右へ。そうして左へ。それから真っ直ぐ。ふらり、ふらり、ふらり。

 行き場もない、目的もない放浪など、一体いつぶりだろうか。いや、目的がない、というのは些か語弊ではあったが……こうすることが目的なのだから、行き先に目的がないも同義だろう。

 休日真っ只中。街並みは人で賑わい、溢れる。街、物、人――――様々なものを目に焼き付けるように見つめ、狂三は行くあてのない放浪を続けた。

 

「…………」

 

 何かを見つけようなどとは、思っていない。

 誰かを〝時間〟の糧としよう、などとも考えていない。

 ただ、無意味な感傷に浸る。狂三が狂三として存在する時間の中で、この世界で残された時間の中で、狂三が個人として望む最後の〝自由時間〟、とでも表現してみようか。

 

「……思えば、こうした目線は少ないものでしたわねぇ」

 

 歩きながらふと、そんなふうに思い起こす。街並みをビルの上から睥睨することは日常茶飯事ではあったが、こんな無意味に歩き回り、平和な営み、街並みを眺めることなどなかった――――あったとしても、それは狂三の記憶に強く残るものではなかったのだろう。

 事務的に、義務的に、必要だからと行う。街並みも、そこに住む人々も――――――祭りごとに浮かれた雰囲気も、狂三は苦手としていた。

 自らもよくわかっていなかった、その理由。だが、今なら、士道という存在を得てしまった今ならば、理解できる気がしている。

 

「――――あら」

 

 そんなことを考えながら、宛もなくさ迷う狂三の前に、懐かしい光景が目に飛び込んできた。

 天宮駅東口前――――士道と、初めてデートをした、待ち合わせ場所。

 気づかない間に、こんな場所まで迷い込んでいたようだ。懐かしさを感じて穏やかに目を細め、軽やかな足取りで当時の待ち合わせ場所へ導かれるように留まる。

 犬の銅像から、少し外れた場所。そう、当時の狂三は、ここで士道を今か今かと待っていたのだ。

 

「懐かしい、懐かしいですわ」

 

 当時の心境を思い起こすと、今に思えば浮ついて目も当てられない未熟な自分だった。

 仮に、【八の弾(ヘット)】であの一瞬の分身体を生み出したりなどすれば、それはもう頬の筋肉を極限まで緩めた時崎狂三が生み出されることだろう。

 それを思い返せば、今の狂三は成長したものだとくすりと笑いがこぼれようというもの。恋を自覚すらしていない、未熟な少女。世界最悪の精霊も、恋の前には無力だったということか。

 だが、それは士道も同じだった。待ち合わせの時間より遥かに早く訪れた士道――狂三にも言えたことなのだが――が、狂三を見つけた瞬間――――ああ、ああ。あれが、恋をした少年の姿なのだと、やはり今なら理解できる。

 過去となった思い出は、狂三の胸の内に刻みつけられて、消えない。

 

 なかったことに、なったとしても。

 

「っ……」

 

 肺腑を貫き、抉る痛み。

 幻想だ。狂三の、気の迷いだ。胸に手を当て、念じるように自らに言い聞かせる。

 迷いなど、ない。事実、士道の前で狂三はもう迷いを見せていない。ならばこれは、未練だとでもいうのか――――だとしても、今さら、何になる。

 他に方法があるのか? あるわけがない。分身を何千、何万と生み出し、問いかけたところで答えは同じ。

 そう、他に方法はない。狂三は士道の心から虜にし、自らの〝悲願〟を果たす。

 苛立ちと、痛みと。狂三の心をざわつかせるそれは、奇しくも別の苛立ちをもたらす騒音によって遮られた。

 

「――――あれぇ、君もしかして一人?」

 

 伏せた目を上げて、狂三はぴくりと眉根を震わせた。

 三人組の男たち。そのうちの一人が、馴れ馴れしく話しかけてきている。

 接近に気がつかなかった自身の腑抜けに内心舌打ちしながら、狂三は外面だけは穏やかに返した。

 

「いえ。待ち人がいますので」

 

「えー。そんなこと言ってさ、ずっと一人じゃんか」

 

「そうそう。だからさ、俺たちとちょっと遊ぼうよ」

 

 彼らの言葉に目を目開いたのは、狂三自身が見られていたからではない――――時間を忘れてしまうほど、思い出に浸っていたと気付かされたから。

 気を抜くにしても、些か笑えない。男たちは俗に言うナンパ、というやつだろう。人通りの多い駅前で度胸だけは認めてやってもいいが……分不相応を、学んでおくべきだったといえる。

 自身の容姿を自覚している狂三は、通常であればそれを利用し生半可には近づけないだけの気配りをこなしている。

 それをしなかった、というより、できなかったのは――――――

 

 

「――――ああ。わたくし、そんなにも……」

 

 

 ――――そんなにも、士道たちと共に過ごす時間が、多くなっていたのか。

 していなかったのではない。必要なかったのだ。だって、狂三の隣には士道がいた、精霊たちがいた。だから、出歩くような機会があっても、気にする必要がなかったのだ。

 誰かと共にいることに、違和感を持たなくなっていた。必要なこと、必要のないことと割り振り、精霊たちに必要以上に関わろうとしなかったはずの狂三が――――彼女たちがいて当然だと、立ち振る舞いを決めてしまっていた。

 

「……ちょっとちょっと、無視はないんじゃない?」

 

 と。狂三が自分自身の感情に戸惑いを隠すことができない中、男たちが苛立った様子で狂三へ手を伸ばした――――防衛的に影を行使しなかったのは、当然といえば当然と言えよう。

 このように人通りが多い場所で、白昼堂々と人から〝時間〟を吸い上げてしまったらどうなるか、火を見るより明らか。それに、この程度の小物に付き合ってやる義理はないし――――愛する少年の悲しげな顔が浮かんでしまったことも、否定しない。

 というよりも、狂三がわざわざ何かする必要はなくなった、のが大きいか。

 

「あだだだっ!?」

 

 いきなり、狂三の肩を掴もうとしていた男が、腕を捻り上げられ、地面に組み伏せられてしまったのだ。

 当たり前だが、狂三ではない。もっと言えば、過保護な従者様の仕業でもない。

 銀の髪を靡かせた、狂三でさえ手放しに評価できる端正な顔立ち。

 

「退いて。彼女は、私たちの連れ」

 

「……折紙さん?」

 

 鳶一折紙が、いた。何と、それだけではなく。

 

「かっこいい折紙さん、とっても素敵ですぅ。きゅんきゅんしちゃいますぅ。かっこいい、かっこいいですわー!!」

 

「強調。それは、狂三の真似でしょうか」

 

「あんま似てない……。――――くく、過日を去り、再び垣間見えたな、吸血鬼よ」

 

 美九、夕弦、耶倶矢――――何とも凹凸のとれたメンバーが、いつの間にか近くで手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 目立つ容姿が五人集まれば、もう騒ぎなど目に見えている。

 というより、帽子と眼鏡で申し訳程度の変装をしているとはいえ、人気アイドルの美九がいるのだ。騒ぎになりかけた駅前から慌てて離れ、移動先の公園のベンチに腰掛けた狂三は、いろいろな意味で凹凸が激しい――そもそもあの精霊メンバーで凹凸がないわけがないのだが――四人を見回し、声を発した。

 

「それで……皆様は、どういう集まりですの?」

 

「だーりんが考え込んでいるので、皆さんで元気づけちゃいましょう会の買い出しですぅ!!」

 

「補足。本来であれば昨夜には終えていたのですが、追加の発注が必要になったので、夕弦たちが出動したのです」

 

 相も変わらずテンション高めな美九と、相も変わらず平坦な夕弦の説明に、納得がいった狂三は首肯を一つ挟んだ。

 なるほど。この奇天烈なメンバーで現れたのは、そういった理由だったわけか。

 美九、折紙、夕弦……そして、耶倶矢。最後の耶倶矢に目を向けると、いつもの元気はどこへやらな彼女が訝しむように見返してきた。

 

「な、なに?」

 

「いえ。捕食者三名被食者一名の組み合わせなどとは、思っていませんことよ」

 

「思ってるじゃん!! 言ってるじゃん!!」

 

 ……必死に叫ぶ耶倶矢には悪いが、狂三の目にはそうとしか見えなかったのだ。本人も自覚があるのか、叫びに涙目が入っているし。

 何しろ、美九、折紙、夕弦という前科何犯かわかったものではない組み合わせ。士道を交えた件の雪山遭難事件は、未だ記憶に新しい。

 士道限定の折紙はともかく、美九と夕弦によって散々からかわれているのだろうな、というのは狂三でなくとも想像がつき、買い出しの中身にも一抹の不安を覚えてしまう。

 

「ちゃんとした買い出し……ですのよね?」

 

「問題ない。個人的な要件は既に済ませてある。抜かりはない」

 

「さすがはマスター折紙。完璧な仕事に惚れ惚れします」

 

「個人的な要件ってなに!? 私聞いてないんだけど!!」

 

 まあ、折紙なら昨日のうちに仕込みを終えているだろうな、と謎の信頼感があり、おかしな納得を狂三は覚えるのだった。

 そうして可笑しそうに微笑む狂三を見た耶倶矢が、ふと眉を下げて唇を開いた。

 

「……何かあったの?」

 

「はい?」

 

「だって、いつもの狂三だったら、買い出しの話したら『あら、あら。士道さんの最後の晩餐の準備ですの。それは素晴らしいですわ。きっひっひっひ』くらい言うでしょ」

 

「…………わたくし、そこまで性格は歪んでいませんことよ」

 

 絶妙に似てるんだか似てないんだかなモノマネに、真似された当の本人が一番困った顔になる。というか、少なくともそんなおばあちゃん魔女な笑い方をした記憶はない。

 とはいえ、耶倶矢の言う通り皮肉の一つすら浮かんでこないのも事実。先の助けられた件とて、普段の狂三なら一人で対処ができていたはずだ。

 その変化をわからない耶倶矢たちではなく、手を貸してきた折紙がまず狂三の目的へ切り込んだ。

 

「そもそも、あなたこそ何をしていたの? 時間を集めるにしては、非効率的」

 

「ちょ、ちょっと折紙……!!」

 

「構いませんわ。過去に、したことがないとは言えませんもの」

 

 慌てた様子で折紙を止める耶倶矢に、狂三は妖しい微笑みを焚いてぺろりと唇を舐めた。

 

「ええ、ええ。そうですわ、そうですわ。だってわたくし、最悪の精霊ですもの。皆様のことだって、食べてしまうかもしれませんわよ?」

 

 封印されているとはいえ、濃厚な霊力の経路(パス)を持つ精霊たち。リスクは大きいが、相応の見返りのある相手だ――――――けれど、そんな狂三の脅しに、誰一人として警戒をしようともしない。あの折紙でさえも、だ。

 狂三の真の言葉を待つように、じっと狂三を見つめる。根負けしたのは、もちろんのこと、狂三だった。

 

「……何をしていた、と問われれば――――街並みを、眺めていました」

 

「街、ですかぁ?」

 

 不思議そうな美九に対し、「ええ」と返して狂三は続ける。

 

 

「流れ行く人。時間の中で生まれたもの――――あの方の生まれ育った街を、目に焼き付けておきたい。そう、思い立ってしまいましたの」

 

 

 たった、それだけのこと。

 もう、見れなくなってしまう意味を持った風景。愛おしい人が、生まれた街並み。

 ただ一人、記憶を持つことが叶う狂三だからこそ、二度と巡り会えない光景を、目に焼き付けたいと願った。

 

「っ……あんたは、さ。時間を変えようとしてるんだよね?」

 

「ええ。その通りですわ」

 

 息を呑み、それでも問いかけを引き継いだ耶倶矢に、狂三は迷いなく答えた。

 今さら、隠す意味もない。士道を通して伝わっていることを隠すのは、それこそ時間の無駄というものだ。

 

「だったらさ……仮に、本当にもしもの話ね。あんたが、時間を、世界を変えて……そのあと、狂三はどうするの?」

 

「……え?」

 

「要求。夕弦も、実のところ気になっていました」

 

 耶倶矢、そして夕弦からの問いかけ。それに狂三は、言葉を止めた。

 全てを〝なかったこと〟にした、その後の世界。

 未来。この世界ではなくなった、別の未来。それを狂三は、考えていなかった――――『時崎狂三』という存在を、未来に置いてはいなかった。

 

「……どうするつもり、だったのでしょうね、『わたくし』は。全てを(ゼロ)に戻して、その後に残るわたくしを」

 

「考えて、なかったの?」

 

「さあ。考えていたかもしれませんわ。……士道さんに会う前の、わたくしは」

 

 夢物語のような〝悲願〟の果てを、狂三が想像した時はあっただろう。

 しかし、夢物語ではなくなった今。士道と出逢ってしまった今。時崎狂三は、未来に何を願うのか。

 歴史を書き換えた世界。仮に、その世界で狂三が生きていたとしよう――――それは、時崎狂三ではない時崎狂三だ。

 狂三は、改変世界の狂三の記憶を持たない狂三として存在することになる。そうなった時、どう生きていくのか……そうならない場合も、有り得る。

 

「大規模な改変を行った世界で、〈刻々帝(ザフキエル)〉を持つわたくしがどうなるのか。不明瞭ですわ、不確定ですわ。記憶だけを引き継ぐのか、大規模な改変の影響を防ぐため、世界から弾き出されてしまうのか……きひひ!! 探究心がくすぐられますわァ」

 

 精霊という世界の根本に組み込まれた存在を、根底から覆す。

 あまりに規模が大きく、士道が行った改変さえ比較対象としては小さい事象干渉。改変者である狂三がどうなるかなど、狂三自身にさえ想像ができない。

 だが、そうして仮定の話をするならば、と。狂三は目を細め、為すべきことを口にした。

 

 

「耶倶矢さんの問いに、敢えて答えるのなら――――――『時崎狂三』は、消えますわ。書き換えた世界を見届けて、どこへなりとも。少なくとも、あなた方の前へ二度と現れるつもりはありませんので、ご安心を」

 

 

 何かを求めるだけの幸せなど、手にする資格はないのだから。

 不条理に命の灯火を奪い続け、果ては自らを愛した男を犠牲に全てを覆す。救いようのない大罪人に、未来など不相応というものだ。

 ずっと、ずっと、五河士道を見守ってきたからこそ――――狂三は、全てを奪う狂三を許すことはできない。

 そう答えを出し、目を伏せた狂三の前で、耶倶矢が声を震わせた。

 

「何、それ……っ」

 

 目を上げれば、怒りに身体を震わせて狂三を睨みつける耶倶矢がいた。

 当然、だろう。憎くないはずがない。自分たちの過ごした時間を奪い、士道を奪う狂三が、耶倶矢たちにとって憎くないはずがない。憎まれて、今この瞬間に討たれても不思議ではない。

 

 

「――――逃げるな、時崎狂三」

 

 

 しかし、咎められた意味は、大きく違った。

 目を見開いて、耶倶矢の言葉をオウム返しのように復唱する。

 

「逃げる? わたくしが……?」

 

「だって、そうじゃん。まだ私たち、何も返せてないし。それなのに、勝ち逃げなんて許さないから」

 

 ビシッと突きつけられた指先に、狂三は面食らって目をぱちぱちと数度瞬きさせてしまう。

 物珍しいことに、狂三には耶倶矢の言っていることが理解できなかったのだ。

 すると、微笑んだ夕弦が継ぐように言葉を発した。

 

「救済。夕弦たちは、士道、そして狂三……あなたによって救われました。その借りを返せないままでは、八舞の名が廃るというもの」

 

「わたくしは何も――――――」

 

「あーはいはい。そういうの聞き飽きたから。とにかく、世界が変わったからって〝なかったこと〟にしないでよ。ちゃんと恩は返させなさいよ――――も、もちろん!! 士道が負けるとか思ってないけど!!」

 

 なかなか無茶苦茶なことを言ってくれるな、と狂三は思わず微笑をこぼした。

 世界が変わっても、会いに来い。つまるところ、そう言っているのだ。

 彼女たちもまた、察しているのだろう。己の出自――――狂三と同じく、元人間(・・・)であるということを。

 続いて、と言わんばかりに、膝を曲げ狂三の手を取ったのは、美九だ。

 

「私も、狂三さんとの約束を〝なかったこと〟にするつもりはありませんからねー」

 

「約束……?」

 

 美九と、何か契りを結んでいただろうか? 記憶にない疑問を感じ、首を傾げた狂三を見ても美九はニッコリと笑いながら言葉を続けた。

 

「はい。だーりんが言ってくれました。狂三さんは私の歌を、〝声〟を褒めてくれたって。だーりんと狂三さんは、私の本当の歌を、どんなことがあっても聴いてくれる、って」

 

「……もう、あの方は本当に……」

 

 呆れて言葉が最後まで出てこない。大方、狂三が離れていた時、美九が士道とDEM日本支社のビル内を上っている間の話だろうが……狂三のいないところで、勝手にそんな約束をしていたとは。

 加えて、今になって美九が取り出してくるとは思ってもみなかった。それも、狂三の知らない約束を、だ。

 

「えへへー。約束を破ったりしたら、怒っちゃいますからねー。ちゃんと会いに来て、私の歌を聴いてください」

 

「呵呵、案ずるな。こやつは存外律儀なやつよ。自らの契約を違えたりはせぬ」

 

「狂三さん、約束破ったらこわーいですもんねー」

 

 『ねー』と快活に笑う美九と耶倶矢を見て、外堀を念入りに埋め立てられている気分になり、狂三は素直に困った顔を表情に出す。

 まあ、確かに、美九が士道との約束を破った時、美九のもとへ乗り込んだことはあったが、逆を蒸し返されると狂三も立場が弱い。

 自分がした覚えのない約束に縛られるのは、どうかとは思うのだが――――美九の歌が好きだと言ったことは、一度も撤回した記憶がないのだから、否定しきれないのだ。

 

「私は、どちらでも構わない」

 

 四人の中で最後に残った折紙は、そう口にして他の三人の目を丸くさせた。が、当然彼女もそれだけでは終わらなかった。

 

「あなたが姿を見せないのなら、好都合。私が士道を独り占めする。――――――素敵な人に出逢うチャンスを、不意にするつもりはない」

 

「っ……」

 

「あー!! 折紙さんばっかりずるいですよぉ!!」

 

 次いで騒ぎ立てる美九のおかげで、身体を揺らすほどの動揺は隠すことができた――――まったく、恥ずかしい記憶を覚えていてくれるものだと、狂三は息を吐いた。

 

「……新たな世界で折紙さんが士道さんと出逢うか。それさえも、不確定ですのよ」

 

 そう。狂三以外は、記憶を失う。世界を変えるということは、一度全てを(ゼロ)に戻し、新たな歴史を紡ぐということ。

 今の折紙と士道が出逢えた奇跡。士道たちと精霊たちが出逢えた奇跡。それら全てを、リセットする。生まれ変わった世界で、縁が繋がるかはわからない。

 それが、狂三の目指す改変世界――――身勝手な独裁者。

 一度の奇跡があったからと言って、二度の奇跡があるとは限らない。それを指摘してなお、折紙は強い決意を込めた顔で返した。

 

「出逢う。世界の繋がりは強固。私はそれを知っている」

 

「きひひひ!! 折紙さんが仰ると、これ以上ないほどの説得力がありますこと」

 

 何せ、世界を跨いで精霊としての人生を歩んだ少女だ。散々手を焼かされた狂三からすれば、その説得力に笑うしかないだろう。

 

 

「そして――――たとえ世界を変えたとしても、あなたの想いは〝なかったこと〟にはならない」

 

「…………」

 

「それを忘れないで、狂三」

 

 

 何を、伝えたいのか。

 狂三には、理解が難しくて、けれど心が痛ましくて――――――『時崎狂三』は、何も返すことが、できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡り巡って、思いを馳せて――――最後は、気づいたら、足がここに向いていた。

 

「……」

 

 五河家。親のいない士道が引き取られ、五年前の火災を得て、時を過ごしてきた象徴――――数々の精霊が足を踏み入れた、日常の結晶。

 もう二度と、狂三が踏み入ることはない大切な場所。

 

「…………士道さん」

 

 届くはずのない声が、冷たい夜空へ消え、虚空を裂く。

 けれど、そう思うのなら、なぜ狂三はここに来てしまったのか。狂気に囚われた哀れな精霊が足を踏み入れることを許されていないこの場所へ、何を思って足を向けたのか。

 ただ、あと一度だけ、この目に焼き付けておきたかったのか。

 振り切ったはずの迷いが、まだ狂三の心の裡に潜み、蝕んでいるとでもいうのか。

 どちらにしろ、救えない未練だ。夜も更けてきた。早く、立ち去ろう。

 そう、冷たい風に煽られるコートを翻した狂三の目の前に――――――

 

 

「――――十香、さん」

 

 

 宵闇よりも美しい彼女が、そこにいた。

 

「どうして……」

 

「なぜ、だろうな。お前がいる気がしたのだ、狂三」

 

 夜色の髪を靡かせ、フッと笑って言った十香。

 十香の言動に、狂三は目を丸くして少しばかり吹き出してしまった。

 

「ふふっ。士道さんのようなことを仰りますのね」

 

「そ、そうか……?」

 

 狂三の指摘で一転して、いつもの十香の顔に戻る。ああ、そっくりだった。士道なら、同じ口説き文句を使ってもおかしくはないほどに。

 

「ええ、ええ。わたくし、思わずときめいてしまいましたわ」

 

「む、むぅ……」

 

 少しばかり妖しく微笑みかけ、そうからかってやると十香は困ったように声をもらした。

 どうやら、本当に自然と出た言葉だったようだ。十香らしいといえば、十香らしい。

 

「しかし、こんな夜更けにお一人とは、感心いたしませんわ」

 

「それは狂三も同じではないか」

 

「わたくしは平気ですわ。精霊ですもの」

 

「ならば私も平気だ。精霊だからな!!」

 

 エッヘンと胸を張る十香が何だかおかしくて、また狂三は笑いをこぼしてしまう。それに釣られて、十香もまた笑顔を見せた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 それから、沈黙を挟む。決して嫌なものではない。そう思える心地良さが、あった。

 沈黙は、必ずしも不快感をもたらすものではない。それを知って――――そして、だから狂三は、今もっておかしなものだと感じていた。

 

「……不思議、ですわ」

 

「む?」

 

「いえ……わたくしが、こうして十香さんと、皆様と話していることが、不思議なのですわ」

 

 ぽつりと零された狂三の言葉を意味を掴み取れず、十香が困惑した顔で首を傾げた。

 せっかくだ。言わんとしていることを、狂三は正しく伝えてみようと思った――――十香には、どうしてか素直になれたから。

 

「もしも、そんなお話ですわ。わたくしが、士道さんを好きにならなければ。たった一つのことだけで、この未来に到達することはなかった」

 

「狂三……」

 

「そうなっていたら、の話ですわ。けど、そうであったのなら、わたくしは皆様の敵として、まるで違う関係になっていたのでしょうね」

 

 幾度となく考えた、もしもの話。けど、精霊たちに対して考えるのは、あまりなかったかもしれない。

 なぜなら、答えは明白だからだ。狂三は士道を狙う明確な敵として、精霊たちと敵対する。決まりきった別の未来を想像しても、無意味なものだろう。

 こうして、気まぐれに打ち明けることがなければ、考えもしない未来。しかし十香は、そんな別の未来を肯定しながらも、首を振って否定した。

 

「たとえそうだったとしても、シドーは絶対に狂三へ手を伸ばす。それだけは変わらない――――だから、私たちの関係も、きっと最後には変わらないはずだ」

 

 希望論。想像の産物。そう切って捨てねばいけないはずの理論を、だけども狂三はわかってしまえた。理解できてしまった。無意識に、唇の端を吊り上げて無邪気に微笑んだ。

 十香と同じだ。十香と同じくらい、狂三は五河士道という少年を、ずっと見てきたから。

 

「ええ、そうですわね。どんな極悪非道な方でも、救いたいと願ったのなら、救うと決めたのなら手を伸ばす。それはきっと、世界が移り変わっても、不変の事象ですわ」

 

「うむ!! シドーは、誰より頼れる男だからな!!」

 

 少女たちにとって、それは紛れもない真実で。

 精霊たちにとって、かけがえのない救いの記録。

 士道は、変わらない。世界が変わって、狂三と士道が巡り会うことのない時間軸へ移動して、二人が恋をすることがなくなって――――でも、士道は精霊を、狂三を救うのだろう。

 決して諦めることなく。そんな彼だから、皆が救われ、力を貸し、いつしか〝最悪の精霊〟と呼ばれる存在さえ、デレさせてしまう。そんな、気がするのだ。

 もしもの、想像の話。訪れることのなかった、別の未来。

 けれど優しい十香は、悲しげな顔で、別の未来を口にした。

 

 

「……私も、思う時がある。笑ってくれて構わない。シドーの願いが、狂三の願いが――――皆の願いが、全て叶う世界があればいい。そう、思わずにはいられないのだ」

 

「――――――」

 

 

 それこそ、夢物語。

 誰もが幸せに暮らせる世界があればいいと願う、子供の絵空事。

 ありえない。ありえるはずがないことを、狂三は嫌というほど目にした。

 何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない。

 自らの叶えるためには、誰かの願いを犠牲にしなければならない。

 それが世界の摂理。残酷な世界の法則。でも、でも、嗚呼、嗚呼――――――狂三は、微笑んだ。

 

「誰もが願いを叶えることができる、あらゆる懸念が取り払われたご都合主義の世界。夢想の中にある優しい世界――――――素晴らしいですわ。最高ですわ。少なくとも、わたくしは支持いたしますわ」

 

「本当か!?」

 

「ええ、ええ。だって、素晴らしいではありませんの――――本当に、優しい世界」

 

 彼女ならば、世界を変える力を手にした時、本当にやってしまうのではないか。そう思わせるだけのエネルギーが、十香からは感じられた。

 優しい優しい、夢物語。けれど、叶うことのない理想郷。

 だから狂三は星空へ、理不尽な世界へ向けて、独白せずにはいられなかった。

 

 

「――――世界が、十香さんのように優しければよかったのに」

 

 

 優しくない、残酷な世界に、言わずにはいられない。

 何かを強いる。最低でクソッタレな世界を相手に――――――今、狂三の心は固まった。

 

「――――ありがとうございます、十香さん」

 

「狂三?」

 

 突如として感謝を述べた狂三に、十香はキョトンとした顔を見せる。

 決心したから。十香のおかげで、変えた後の世界での答えが、見つかった。

 世界は矛盾を許さない。世界は恐ろしく強大だ――――――そんな世界を丸ごとひっくり返すのだ。少しくらい、我が儘(・・・)を言っても、構わないだろう。

 

 

「わたくし、世界を変えますわ。変えた先の世界で――――もう一度、皆様と士道さんの因果を結んでみせますわ」

 

 

 士道たちが平和に暮らせる世界があるなら。かつて狂三は、そう願った。

 それが少しばかり、大きくなっただけの話。始源の精霊を討ち、精霊を世界から消し去り――――士道を再び、十香たちと巡り合わせる。

 

 奪ってきた全ての命を無駄にしないためにも、この命の全てを賭して〝悲願〟を完遂する。

 もう一度、大切な人を手にかける過ちを、犯してでも。

 

 

「だから――――皆様の大切な人を、わたくしは殺します」

 

 

 だから、さよなら(・・・・)を告げる。

 身勝手で、理不尽で、暴虐な狂三の願いを、叶えるために。

 全てを〝なかったこと〟にして――――世界を創る。

 

 

「十香さんと同じ人を好きになれて、よかった。次の世界で、その想いがもう一度実りますように――――――どうか、お元気で」

 

「……私は、さよならは言わぬ」

 

 

 十香は、耐えるように身体を震わせ言う。

 

「狂三の、ばーかばーか。この頑固者め――――シドーは必ず、お前に目に物見せてくれる」

 

「き、ひひ。きひひひひひ!! それは、それは。楽しみですわァ。期待、してしまいますわ」

 

 全てを無くす精霊の前に立つ、最後の障害(誰より愛しい人)

 

 

 この邂逅を終え、時崎狂三の最後の休息は幕を閉じた。

 

 精霊は、既に答えを得た――――――少年は、どんな答えを得ることができたのだろうか。

 僅かな期待と、自らが創る世界への高揚感を胸に――――――運命の日は、迫っていた。

 

 

 







バレバレかもしれないですけど、物語で別の道を辿ったことで、知る由もない別の未来を示唆するのが性癖です。原作要素を見つけておや……?って思っていただけると嬉しい。


さて――――そろそろ答えは出たのかい、恋する少年くん。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十八話『女王へ捧ぐ愛の答え(ラスト・アンサー)

 

 ――――海を見たいと思った。

 

 地球の七割を占めると言われる特徴的環境。書物、映像から知識を吸収した澪にとって、特別興味を引く対象だった。

 知識があろうと、実践が伴わなければ意味がない。この場合は、全てが澪の想像の産物でしかない、というべきか。

 だからこそ、崇宮澪という存在にとって、その記憶は輝かしく、同時に、これから続いていく幸せの象徴だった。

 

 

『ああ――――――』

 

 

 なんて、心地よい。

 

 彼が見せてくれた光景が、体感が、なんて素晴らしいものなのだと。

 照り返す陽の光。寄せては返す波が、澪の足を打つ。心地のよさを存分に感じさせる冷たい水の感触、鼻腔を刺激する強い香り。どれをとっても、澪の知識を上回る素晴らしさがあった。

 

 

『――――シン!!』

 

 

 けれど。ああ、そうとも。

 それ以上だ。この『海』という興奮の衝動を、それ(・・)は上回る。

 澪にとって、何よりも勝る内なる衝動。歓喜、喜び、慈しみ――――どれだって構わない。それら全てが、本当のことなのだから。

 

 心に生まれた感情を、言語にするというのなら、至極単純にして痛快至極。

 

 

『ああ……『好き』。私、シンのことが大好き。どうしたらいいのかわからないくらい、あなたが愛おしい。シンのためなら、なんだってできる気がする』

 

 

 比喩表現などではない。彼のため、真士のためなら澪はなんだってできる。

 海を見れたことは嬉しい――――――違う。

 真士と見れたことが嬉しい。

 真士が澪の見たいものを覚えていてくれたこと。

 真士が海に連れてきてくれたこと。

 

 ――――真士が一緒にいてくれることが、たまらなく愛おしく、世界を覆しても有り余る得がたい大切なことなのだ。

 

 

 嗚呼――――だから、『崇宮澪』は世界を変える。

 ただ一人のために、世界を変える。

 ただ一人のために、世界を踏み躙る。

 ただ一人のために、世界を凌駕する。

 

 『私』は私じゃない。私は、『私』。

 

 

 事象融合を確定。同期、かん――――――――

 

 

 

 さっさと――――――起きなさいってのッ!!

 

 

「――――は?」

 

 少女は、夢の中で目を覚ます(・・・・・・・・・)

 

「遅い。こっちが何回呼びかけたと思ってるの」

 

「――――――――」

 

 長く、思考が停止する。

 その声を聴き、その容姿を見て、しないわけがない。再会は、まだ早い(・・・・)

 繊細な金色の髪と、勝気を思わせる桜色の瞳。

 端正な顔立ちは、儚さと慈しみを感じさせ、それでいながら弱さを感じさせない。

 あらゆる感情を混ぜた複雑怪奇でありながら、その実は一つの感情に収束する者。

 

 

「――――万由里」

 

 

 万象を選定する裁定者。

 

 

「なんて顔してんのよ。ばーかばーか」

 

 

 いるはずのない彼女が、笑顔で少女を出迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「…………」

 

 こうして沈黙を繰り返し、昨日から何時間が立つことだろう。沈黙で答えが得られるというのなら、士道は百を超える答えを手にしているに違いない。

 

「……ふぅ」

 

 生憎、そのような便利な頭をしていない士道は、息を吐き出すことで一度沈黙を遮ることにした。結局、それでは何も変わらず、変わらない故に繰り返すだけなのだが。

 ベッドの上に転がり、天井を見上げる。そんなことをしていると、初めの頃を思い出す。

 始まりは、狂三との出逢いから。士道よくこうして、狂三のことを考え、身悶えしたりデートプランを立てたりしたものだ。そう思うと、何かを考える時の姿勢としては、存外理にかなっているのかもしれない。

 

 こうして考えなければいけないことは、山ほどある。

 〈ファントム〉のこと。自分を知っていた、あの精霊のことを考えねばならなくて――――でも気づけば、狂三のことを考えている。

 この無限ループを繰り返し、繰り返し、繰り返し――――――結局、一つ足りとも答えは出ていない。

 

「……これじゃ、琴里たちに合わせる顔がないな」

 

 一人で考えたいことがある。そう無理を言って、この二日は士道が冷静になって思考をする時間にしてもらった。

 独り善がりではなく、士道自身が考えを纏めなければ、相談できることもできないと思ったからだ。

 しかし、このザマじゃあなと、士道は独り言ちて目を閉じた。

 

 答えを、士道は持っていたはずだった(・・・・・)

 狂三を救う。絶対に救う。己のエゴを以て、自分たちが信じる救いを以て、士道の手を取らせてみせる――――――

 

「っ……」

 

 今は、それを考えてしまうと、狂三の悲痛なまでの決意が浮かび、遮られてしまう。

 否。今は、ではない。士道は以前から――――【一二の弾(ユッド・ベート)】で世界を変えたあの日から、ずっと思っていたことなのだ。

 それを棚に上げ、見て見ぬふりをしてきたのは士道で、ツケを払うのもまた士道。

 

 履歴を、(ゼロ)にする。

 

 未だわからぬことが多い中で、狂三の最終目的は絞られた。

 始源の精霊という因果を断ち切り、世界をやり直す。結果――――――士道と狂三の縁は、呆気なく消え去る。

 嫌だ。嫌に決まっている。身の毛のよだつ恐怖が、考えただけで士道を襲う。それさえも〝なかったこと〟になり、世界は生まれ変わる。

 それが狂三の『救い』だ――――決して、士道の『救い』と相容れることはない。

 

 狂三は、士道の『救い』を肯定しながら否定する。

 士道は、狂三の『救い』を正しいと思いながら拒絶する。

 

「けど、俺の答えじゃ――――狂三は救えない(・・・・)

 

 同じようで、違う。言霊は重くのしかかり、士道の思考を鈍くする。

 救えない。士道の答えでは、時崎狂三を救うことなどできはしない。

 狂三が士道の手を取り、精霊の力を手放す――――――それは、諦め(・・)と何が違う?

 『時崎狂三』は生涯、狂三を許すことはないだろう。

 無為にした命の叫びに蝕まれ、救えなかった命に指を刺され、狂三はその生涯を仮面の笑顔(・・・・・)で過ごすだろう。

 そんな狂三を、士道が望むはずもない。望みたくなど、ない。

 彼女の生き様、彼女の信念を知る士道は――――――いつの間にか、認めてしまっていたのだ。

 

 絆されてしまったのは、士道。

 だから、思ってしまう。考えてしまう。もしかしたら、狂三の『救い』を手に取ることが、狂三の笑顔を失わせない正しい選択なのではないか――――――そんなわけがないと、狂三を知る士道ならわかっているというのに。

 狂三が士道を理解していると同時に、士道も狂三のことを理解している。愛する人を手に掛けて、そのあと狂三がどのような行動を起こすのか、理解してしまえるのだ。

 両者の答えは、相容れない。

 両者の答えに、狂三の笑顔はない。

 

「……全部、背負うって決めたのに」

 

 開けた眼前に広がる無力なこの手のひらが、憎たらしい。握る拳は、振るう先を持たずあまりに非力だった。

 考えて、どうするか悩み、行き詰まり、立ち返る。

 もう、時間がないというのに。士道の〝時間〟は狂三の〝時間〟と共存している。彼女が定めた決断の日までに士道が思考ループを抜け出せなければ、待っているのは腑抜けた精神で望む狂三とのデート。デレさせるどころか、失望までさせてしまうかもしれない。

 けれど、両者の相容れない矛盾(・・)をどう解消すればいいのか。わからないものはわからない、そう決めつけてしまうことだけは簡単なのだが……。

 

「ままならない……な」

 

 士道は狂三が好きで。狂三は士道が好きで。

 たったそれだけの、鮮やかで色を帯びた世界で、完結してしまえればいいのに。

 

 息を吐き出し、余計な思考を追い出すように今一度瞳を閉じて――――――

 

「――――――は?」

 

 唐突な浮遊感に、開かざるを得なかった。

 

 士道はベッドの上にいて、移動した記憶はない。であるならば、物理法則を無視した浮遊感など感じるはずもない。

 可能性その一。ベッドの老朽化により、士道が気がつかない速度で穴が空いた。まあ、これはありえないと鍛え上げた冷静な思考が判断する。

 では、その冷静な思考によって可能性その二を導こう――――――一瞬見えた『扉』が、何よりの答えだ。

 

「――――やあやあ少年。こんなところで奇遇だねぇ」

 

「……こんなところも何も、ここは俺の家だよ」

 

 『扉』の先は、どうやら五河家から五河家直通であったようで、士道の目の前には電源の入ったテレビと既に遊ばれた形跡のあるゲーム機。そしてクッションの上に座らされた士道を覗き込むように、にっこり笑顔の本条二亜が姿を見せた。

 

「……ふむ。コツを掴めば、こんなものかの」

 

「こ、琴里さんに内緒で……大丈夫でしょうか……?」

 

「大丈夫じゃない? 私もしょっちゅうやらかしてるし……」

 

 加え、『扉』を開いた張本人の六喰は何食わぬ顔で〈封解主(ミカエル)〉を消し、霊力の解放を心配する四糸乃に、誰の影響か随分と図太くなった気がする七罪が答えていた。

 まあ、自由に使われては封印の意味がなくなる気はするのだが、士道が相手ならば取り敢えずは置いておこう。

 肝心なのは、どうしてこんなことをしたか、だ。頭を掻きながら、士道は大方の首謀者であろう二亜へ向けて声を発した。

 

「何か用か?」

 

「つれない声だなぁ少年くん。気分転換に、ゲームでもどうかなって思ってさー」

 

「そういう気分だと――――――」

 

「思わないからムックちんに協力を仰いだわけですとも」

 

 真面目にやらせれば大概に弁が立つ二亜なので、士道が口にする文句など先の先まで見通していたのだろう。畳み掛けるように言葉を続ける。

 

「まあまあいいじゃないのさ。あたしらの精神安定のためだと思って、ね」

 

「むぐ……」

 

 それを引き合いに出されると、士道の反論は封殺される。

 優先順位があるとはいえ、士道に求められるのもは精霊たちのメンタルケアも含まれている。精霊たちの精神を安定させるのも、立派な仕事の一つなのだ。

 それに――――士道を気遣った二亜たちを、個人的な意地で無下にできるわけもない。

 

「……少しだけだからな」

 

「へへ、そう来なくっちゃ。さあみんな、盛り上がっていこー!!」

 

 おぉー、と、個々のテンションの差はあれど全員で腕を上げ、各々のコントローラーを手に取る。

 ……まあ、行き詰まっていたのは事実。少しは気分転換になるだろう。そんなことを考えながら、士道は小さく息を吐いてゲーム画面と向き合った。

 

 

 

 

「――――今のはズルいだろ!?」

 

「へへーん。これは『破壊妨害なんでもありのレースゲーム』って説明書に書いてあるんだよねぇ!!」

 

「俺は説明書を読まないのがプレイスタイルなんだよッ!!」

 

 ちなみに、その場の勢いの嘘である。

 盛り上がった。なぜか盛り上がってしまった。二亜と言い争いをしながら、レースゲームで醜い最下位争い(・・・・・)に火花を散らす。

 なぜ最下位争いかと言えば、六喰、四糸乃、七罪の三人がぶっちぎりに上手いからである。

 

「むん。やりおるな……しかし、負けぬのじゃ」

 

『ふっふっふ、やるねぇ二人とも。けど、勝つのはよしのんと四糸乃だよぉん。ファイトだよ四糸乃ー!!』

 

「う、うん……!!」

 

「いや、私はどっちでもいいんだけど……」

 

 初心者のはずなのに、驚異的な吸収率で走る六喰。

 反射と思考の融合とでもいうのか、よしのんとの完璧な共同作業で操作をしてみせる四糸乃。

 言葉とは裏腹に、熟練の技を見せつけ二人に追従する七罪。

 以上、三人の仲良しデッドヒート走行の遥か後ろということで、こちらは仲良くドベ争いということであった。

 というか、と士道は画面に集中しながら二亜へ声をかける。

 

「そもそも、発案者なのになんで初心者の俺と競り合ってるんだよ!?」

 

「ははーん、経験者が上手いという定義が間違っているぜ少年!! 言い返すようだけど、そもそもこのゲームを遊ぶ友達なんて、あたしにはいなかったからね!!」

 

「返しづらいデリケートな自虐ネタはやめてくれ!!」

 

 確かに二亜の専門外と考えれば納得はいくが、もう少し返しやすいもので言葉の殴り合いはしてほしいものである。

 だが二亜は、あははーと笑いながら、士道の言葉など気にも止めず続けた。

 

「だから、こういうことできるようになって、嬉しいって話なわけよ!! 凄い感謝してるんだよね!!」

 

「っ……褒めてくれても手加減はしないからな!!」

 

「くるみんみたいな捉え方しないでよ!! 少年は少年でしょ!? あたしと会った頃の少年は、もっと単純で馬鹿だったじゃん!!」

 

「売られた喧嘩なら買うが!?」

 

 話の流れで唐突に喧嘩を売られたとしか思えない言葉に買い言葉を使うと、二亜が相変わらず元気に笑いながら返した。

 

「違う違う、いい意味で言ったの!! だって、少年はそうでしょ!! 無鉄砲で、とんでもなく無謀なこと考えて、それを絶対叶えてやるんだってエネルギーがあった!! 今は肩に力が入って、いろいろ難しく考えすぎなんじゃない!?」

 

「っ、そんなの――――わかってるさ!!」

 

 わかっていない。士道がわかっていないから、二亜がわざわざ言葉にして伝えてくれているのではないか。

 自分が馬鹿で、無鉄砲で、どうしようもなく人を頼る人間なのは知っている。けど、だから士道には必要だったのだ。

狂三と並び立つために(・・・・・・・・・・)。彼女のような強さと、聡明さが。

 だけど、それだけでは駄目だ。狂三の真似ばかりではなく、士道自身が――――士道が出す答えが、必要なのだ。

 

「わかってるけど……っ!!」

 

「はは、悩めよ若人――――そんで、いつもみたいにやればいいんだよ。真っ直ぐに、自分に正直にさ。頑張りなよ、ヒーロー――――くんっ!!」

 

 そう言って、士道が操作するキャラを追い抜き二亜がゴールし――――士道のドベが決定し、後ろへ崩れ落ちた。

 

「あー、くそ……っ!!」

 

「うわ、凄い悔しそう……もしかして、くるみんの負けず嫌い移った?」

 

「……かもしれないな」

 

 もっとも、狂三の負けず嫌いはこんなものではないし、彼女は冷静だと思わせてその実悔しがっているタイプなのだろうが。

 コントローラーを置いて、地面に崩れたままため息を吐く士道に、レース上位三人組が覗き込むように顔を見せた。

 

「主様、悩んでおるようじゃの」

 

「……まあ、ぼちぼち」

 

 まさか、二亜と叫び散らして悩んでません、とも言えない士道は六喰に対して曖昧にそう返す。

 悩んでいるとも、悩みすぎて、何に悩んでいるかも曖昧になってしまっている気分。どん詰まり、というやつだ。

 

「どうすればいいか……俺が、どうしたいのか。いつまで経っても、答えが出なくてさ。今まで、がむしゃらにやってきて、やりたいことを押し通して――――――大切な人とのデートを前に、迷ってる」

 

 幾つもの、出会いと別れがあった。

 

 それらを全て乗り越え、五河士道は運命の相手と決着をつける。つけなければ、いけない。

 ずっと続いてくれればいい。そう思っていた時間は、進み続ける時計の針によって否定される。

 時間は戻らない。それは、時崎狂三だけが望める神への越権行為。故に士道は、どうしても答えを出さなければいけないのだ。

 己のエゴで狂三を人の身へ落とすか。

 狂三の願いを聞き入れ、全てを(・・・)〝なかったこと〟にしてしまうか。

 

「……むくは、主様が死んでしまうのは嫌じゃ」

 

「……うん」

 

 そのつもりはない――――そう無責任に言えない士道は、悲痛な六喰にそう返すことしかできなかった。

 しかし、それでも六喰は眉根を上げて続けざまに言葉を紡いだ。

 

 

「けれど、むくは主様が大好きじゃ。変わらぬ主様が、好きなのじゃ。家族になろう、そう言葉を告げてくれた、それだけで十分――――――主様は、ありのまま(・・・・・)進めばよい。そう、むくは思うのじゃ」

 

「六喰……」

 

「そうそう。二亜ちゃんもそういうことが言いたかったわけよー」

 

「…………」

 

 なら、もう少し伝え方があるだろうに、と半目で二亜を見ながら士道は起き上がって髪をかき上げた。

 ありのまま、士道らしく。二人はそう言ってくれている。士道は士道の信じるまま、答えを出せばいい。

 

「俺のまま、か……こんな、悩んでばっかで情けない俺で、本当に――――――」

 

 覚悟を決めた狂三に対して、覚悟の定まらない士道が、皆に信じられるだけの男なのか。

 小さく、それを口に出した瞬間――――――

 

「そんなこと、ありません……っ!!」

 

 大きく否定したのは、小さな声を張り上げるように発した四糸乃だった。

 気の弱い四糸乃にしては意外で、しかし、芯の強い四糸乃だからこその叫びだと士道は目を見開く。

 

「士道さんは……情けなくなんか、ありません。ずっと私たちを助けてくれた、すごい人です……!!」

 

「四糸乃……けど、俺は……」

 

「――――私、狂三さんに憧れてるんです」

 

 強い意思の篭った、四糸乃の告白。

 それに驚いた顔をしたのは士道ではなく、隣にいた七罪だった。ギョッとした顔で、慌てて声を発した。

 

「よ、四糸乃。それは、やめた方がいいんじゃない? ううん、四糸乃がすごく優しくて、天使のような慈しみを持ってることは知ってるわ。けど、狂三に憧れるのはよくないわよ。狂三、常識人の皮を被ったとんでもない発想する狂人なんだから」

 

「……なっつん、思った以上にくるみんに容赦ないよね」

 

「まあ、いろいろあったからな……」

 

 いろいろの中身が、七罪の一件で見せた狂三の行動に収束しているとは思うのだが。

 七罪の必死の説得(?)に、四糸乃はふるふると首を横に振り、返した。

 

「狂三さんは、士道さんと最初に私を助けてくれました。その時から、綺麗で、私なんかと違って堂々として大胆で――――でも、狂三さんも悩んでました」

 

「っ……」

 

 四糸乃の言葉に息を詰まらせる。

 そう、狂三は悩んでいた。悩んだ末に、狂三は一つの答えに辿り着いた。悩んで(・・・)、辿り着いたのだ。

 

 

「悩んで、いいんです。だって……士道さんも狂三さんも、悩み続けて答えを見つけてきたから……。それを情けないなんて、思っちゃダメです……っ!!」

 

 

 蒼玉の瞳は、見違えるほど強固な光で士道を映し出した。

 ――――思えば、狂三と共に初めて救った精霊は、四糸乃だった。

 悲しいほどに優しく、慈悲に溢れた少女。あの時の狂三は正体を隠し、本来であれば手を貸す意味もなかったはずだ。なのに彼女は、力を貸してくれた。六喰まで続いた不思議な戦友とも言える関係は、あの頃から始まったのかもしれない。

 そんな四糸乃が、強い光を宿すほどに成長している。狂三に憧れた四糸乃は、だからこそ士道の背中を押せるほどになり得た。彼女は元々、強い意思を持っていたのだから。

 ああ、強いとも。いつの間にか、狂三を常に精神的な依代として、今まさに弱り切った情けない士道より、ずっと。

 

 悩んでいい。悩むことは、悪いことではない。悩み続け、答えが出ないと諦めることが悪いのだから。

 そうとも、同じだとも。今までと、同じ。悩んで、自分らしく、そしてみんなの力を借りて――――――無謀で、単純で、馬鹿な答えを見つけ出す。

 少し、ネガティブになりすぎていたのかもしれない。世界を探しても二人といない美少女の狂三を落とそうという男が、そんなことでどうすると、士道は気合いを入れ直し精霊たちに向き直った。

 

「ありがとう、みんな。ちょっと、ネガティブになりすぎてた――――連れ出してくれて、助かった」

 

「……そうよ。ネガティブすぎる考えはよくないんだからね」

 

「………………うん、そうだな」

 

 七罪ほどじゃないし、鏡を見たらどうだ? と言いたいのは山々ではあったが、それを言った瞬間『ごめんなさいしにます』モードを発動してしまいそうなので、言葉はそっと心の奥底にしまい込んだ。

 七罪も可愛いのだから、もう少し自信を持ってくれていいと思うのだが……と、士道が別の悩みに頭を悩ませていると、唐突に二亜がピンと指を立てて口を開いた。

 

「それじゃあ、少年の復活を記念して――――――」

 

 

 

 

「俺の復活記念に、なんで俺がデザート買って来なきゃいけないんだ……」

 

 二亜の発案から数分後、げんなりとした表情で、士道は買い出しへの道を歩いていた。

 『少年がビリだったから罰ゲームとしてよろしくー』とは二亜の言葉だが、あまりに横暴がすぎるそれに文句の一つも言いたくもなろう。……まあ、士道の息抜きを兼ねて気を使ってくれたのはあるのだろうが。

 その証拠にと、士道は隣を共に歩く少女の姿を見遣り、言葉を発した。

 

「無理に付き合ってくれなくていいんだぞ、七罪」

 

 そう。実はレースゲームで一位を取る快挙を成し遂げた七罪が、何故か一位特典で士道の買い物に付き合うことになったのだ。

 プロ漫画家曰く、ご褒美とのことであったが……ビリの買い出しと違いがあるのか、甚だ疑問である――――自意識過剰にいくなら、士道と二人の時間を過ごせるということではあるのだが、それを口に出せたかと問われれば、言うまでもないことだった。

 そんな士道の気遣いに、七罪は遠慮がちに声を返した。

 

「……わ、私も士道と話したいことあったから、ちょうどいいのよ――――あ、私と買い物になんか行ったらご近所さんに笑いものにされて除け者にされるわよね。ごめん、そこまで頭が回らない馬鹿な女でマジでごめ――――――」

 

「はいストップー!! 誰もそんなこと思ってねぇって!!」

 

 言葉一つ捉えて脅威のネガティブ力。これこそ七罪が七罪足る所以ではあるのだが、せめて士道といる時くらいは自信を持ってくれて構わないのに、などと先のものと似たようなことを思わざるを得ない。

 これでも前進はしてる方なんだがなぁも考えて、そうだ今後はもっと七罪の可愛さを推していこうなんて思いながら、士道は七罪の気を落ち着かせて再び歩き出した。

 

「で、七罪が話したいことってのは? 可愛い七罪のことなら、幾らでも話してくれて構わないぜ」

 

「か、かわ……っ。きゅ、急にチャラくない……?」

 

「俺らしく、って言ったのは七罪たちだろ?」

 

「わ、私は別に、付き添ってただけで何もしてないし……」

 

「謙遜するなって。本当に、助かったんだからさ」

 

「う、うぅ……」

 

 蒸気が立っていそうなほど耳まで真っ赤にした七罪を見て、やりすぎたかと士道は苦笑した。

 助かったのは本当のことだ。七罪たちが連れ出してくれなければ、あの思考ループから抜け出すことができなかった。……チャラいというのは、実はちょっと傷ついたのだが、これは対精霊用のキザったらしい士道の一つなので、軽薄と言われてしまえば返す言葉もなかったりする。

 

「まあ、可愛いのも別に冗談じゃないけど、何かあるなら聞かせてくれよ」

 

「う、うん……私のことじゃなくて、狂三の……ことなんだけど……」

 

 七罪は言いながら、切り出すべきか迷っているように数度視線を彷徨わせる。足取りも遅くなり、士道は七罪に合わせて歩幅を調整しながら――――彼女が言いたいことが何なのか、当ててみることにした。

 

 

「――――なんとか狂三の望みを叶えてやれないか、だろ?」

 

 

 士道の予想が正しいものだと確信したのは、この言葉に大層驚いた顔をして七罪が声をもらしたからだ。

 

「な、なんで……」

 

「みんな、考えてることだって思ったからな」

 

 それを、士道に話すことができない(・・・・・・・・・・・・)、というだけの話だったのだ。

 言えるわけがない。それはつまり、士道が死ぬ可能性を肯定してしまうようなものだ。恐らく七罪も、迷いながら口には出せなかったに違いない――――――たとえ、士道自身が考える可能性だったとしても、だ。

 狂三があんなにも苦しんで掴もうとするものを、誰だって助けてやりたいだろう。けれど、目的を果たすためにある士道の死(・・・・)が、どうしても邪魔をする。

 

「……俺も、考えたさ。大人しく狂三に霊力を差し出すのが、いいんじゃないかって」

 

「だ、駄目に決まってるでしょ!! そしたら士道は……!!」

 

「わ、わかってる。例えばの話だ」

 

 士道の例え話に声を上げた七罪を手でそう落ち着かせながら、これはみんなの前じゃ絶対に言えないなと内心で独り言ちる。

 勝負の内容を考えれば、士道がこんな弱気な発言をしてはならないし、皆も普通なら考えたりはしない――――――時崎狂三が培ってきたもの、皆との〝記憶〟が、そうさせるのだ。

 皆、狂三がどんな想いで士道を救ってきたのかを、知っている。

 それほどまでに優しい少女が、士道を犠牲にしてまで成さねばならぬものがあることを、知っている。

 それを知ってしまったが故の迷いであり、誰もが思いながらも言えなかったことであり……狂三の望みが、狂三自身の幸せに繋がるとは限らない証明でもあった。

 

「……この仮の話が狂三の幸せに繋がるなら、たぶん俺は――――黙って、行動してたと思う」

 

「……っ!!」

 

「自分勝手なやつだよな。狂三が望みを叶えて、幸せに繋がるなら、なんて、俺を想ってくれるみんなのこと考えないでさ――――でも、それじゃ駄目だった。あいつは……何もかも背負い込んで、全部を終わらせるつもりなんだ。――――――全てを〝なかったこと〟にして」

 

 狂三の望みが、狂三の幸せに繋がるとは限らない。

 思い出を、世界を、〝なかったこと〟にして。それを知りながら前を見続ける狂三は、美しくもあり、残酷でもあった。

 皆との繋がりが消えた世界で、狂三は何を思うのか。

 孤独の中で生きていく世界で、狂三は何を感じるのか。

 それを思うと――――士道は、動けなくなってしまった。

 

「……我が儘、なんだろうな。狂三を救いたいと思ってるのに、同じくらい狂三の願いも叶ってほしいと思ってる。けど、その先に狂三の幸せはないんだ――――――だから、嫌だって考えちまう。自分が我が儘すぎて、困っちまうよ」

 

 狂三の答えが嫌だと言いながら、士道の答えでさえ狂三を救えないから嫌だと言う。

 まるで、癇癪を起こした子供のような言い分だと、士道は吐き捨てるように呟いた。

 

「――――我が儘で、いいじゃない」

 

 それを切り裂いたのは、かつて自らの欲を無理だと諦めていた、七罪だった。

 

「え……」

 

「……前に、狂三の目的を訊いてからでも遅くないって、私あいつに言ったの――――けど、さ。今こうやって、あの時の答えを知っても、やっぱり、士道が死ぬのは嫌なの。狂三が何かを諦めるのも嫌なの。こんな我が儘なこと考えちゃうのよ。私を、みんなを救ってくれた人が、どっちか救われないなんて……悲しいから、絶対に嫌だ、って」

 

 どちらも、嫌だ。七罪はそう言いながら、それでも諦めとは無縁の意思を掲げ、キッと士道を見据えながら士道の身体にしがみついた。

 

 

「……我が儘でもいいから、叶えちゃいなさいよ……!! 私の時も、みんなの時も、士道と狂三は(・・・・・・)、そうやってきたじゃない……っ」

 

「――――――――」

 

 

 脳裏に宿る、数々の記憶。

 

 狂三との戦争(デート)を初めてから、ずっと士道の隣にいたのは、他ならぬ狂三だった。

 無理だと思える困難も、諦めかけた苦難も、士道と狂三は(・・・・・・)、皆の力を借りて乗り越えてきた。

 

 

『――――悩んで、いいんです。だって……士道さんも狂三さんも、悩み続けて答えを見つけてきたから……』

 

『――――主様は、ありのまま進めばよい』

 

『――――そんで、いつもみたいにやればいいんだよ。真っ直ぐに、自分に正直にさ』

 

 

 

 微かに過ぎる、一つの答え。

 

 夢物語で、荒唐無稽な机上の空論。

 

 いいのだろうか。士道がそれを願うことは、許されるのか――――許す許される、ではない。

士道が決める(・・・・・・)のだ。できるかできないかではなく、やり遂げる。

 これが最後だ。思い出せ。

 何のための祈りか。誰のための願いか――――お前が望む未来は、なんだ。

 そのためにお前は戦ってきた。抗ってきた。不純な想いを抱いて、願ったのではないのか。

 それを考えた時――――――士道の答えは、繋がった。

 

 

「――――そう、だったよな」

 

 

 ――――狂三が、好きだ。一緒にいたい。それだけの、ことだったのだ。

 そのために、踏み躙る覚悟はある――――世界という神を超えるエゴが、士道にはある。

 

 神を殺す少女の横に立つならば――――そのくらいは出来なければ、ならないだろう?

 

 自身の考えに呆然としていた顔が、つり上がるように笑みを浮かべるのがわかる。そのまま七罪を抱き返すと、ビクッと肩を震わせた七罪は、またネガティブな考えを得たのか、慌てたように士道から離れようとしてきた――――が、そんな彼女を、士道は抱き返すどころか抱き抱えた。

 

「うへぁっ!?」

 

「やっぱ、七罪はすげぇよ!! お前のお陰で、やっと答えらしいもんが見えてきたんだ!!」

 

「うひゃぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 悲鳴を上げる七罪に構わず振り回すように抱き上げながら、士道は道を一直線に走り出す。

 

「ありがとうな七罪!! 礼に、今日は好きなだけ好きなものを買ってやるからな!!」

 

「こ、子供じゃないんだから――――って、見られてるっ!? 近所の人にすごい見られてるから!! おーろーしーてー!!」

 

 

 

 ――――あるじゃないか。唯一にして単純な答えが。七罪や、皆の望みを叶えられる答えが。

 二亜も言っていた。士道はもっと単純だったと。

 どうして、二者択一にしてしまっていたのか。

 いつの間にか、その方法しかないと、固定概念に囚われていた。答えを見つけ出そうとして、二つに一つしかないと思い込んでいた。

 何をやっていたんだと、さっきまでの自分を笑い飛ばす。いつから士道は、そんなに物分りがよくなったのか。諦めと物分りの悪さが、士道が持つ特技の一つであろうに。

 

 五河士道という男は初めから――――世界より、一人の女の子を選んだ大馬鹿者だというのに。

 

 

「さあ――――勝負だ、狂三」

 

 

 今こそ、『時崎狂三』の全てを背負う。

 

 自らの〝答え〟を胸に秘め――――五河士道の最後の休息は幕を閉じる。

 

 

 

 役者と、舞台と、力でさえも、全てを揃えた今この瞬間を以て――――――そして、舞台の幕は上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 人気もなく、照明が薄い〈フラクシナス〉艦橋。

 ――――転送装置が淡く光り、その中から一人の女性が姿を現す。琴里は、彼女へ向けて(・・・・・・)呆れた声を発し、出迎えてやった。

 

「なーにやってるのよ、令音」

 

「……君こそ、どうしたんだい?」

 

「休日に無断で出勤してくる友人を追い返すために決まってるでしょ」

 

「…………」

 

 ふいっ、と隈目を逸らす令音を琴里は半目で見つめ、ため息を吐いた。

 どちらかの休日で――多分、昨日もやっていたのだろうが――恐らくやるとは思っていた。無理やり取らせた休日だ。狂三のこともあるし、もしかしてと思い待機していて正解だった――――まあ、琴里の宛が外れた場合は、二度目はないとマリアが何とかしていたのだろうが。

 

「とにかく、急用じゃないなら明日までここは立ち入り禁止よ。話し相手なら私がなってあげるから」

 

「……わかった。降参だ」

 

 どうやら、本当に大した用事があったわけではないらしい。あっさりと両手を上げ負けを認めた令音に「よろしい」と満足げに告げ、二人で転送装置から〈フラクシナス〉の廊下へ渡り、休憩エリアを目指した。

 精霊たちの精神面を考慮し、〈フラクシナス〉内部には『空』を眺められる休憩エリアや、快適さを追求した宿泊環境。果てはレクリエーション施設まで存在している。

顕現装置(リアライザ)という技術によって駆動し、随意領域(テリトリー)により守られる艦だからこその切り捨て選択――――そこにウッドマンや琴里自身の〝遊び〟があることは、暗黙の了解というものだ。

 

「っていうか、時間を持て余してたなら私を呼べばよかったのよ。今日は空けられる時間があったのに」

 

 それこそ、電話一つで待ち合わせだと琴里は言い切る。

 気晴らしに『ラ・ピュセル』の新メニューを味わうもよし。ショッピングをするもよし。琴里にとって令音という女性は、階級も年齢も超えた友人なのだから。

 すると令音は、息を吐いて前置きを挟みながら返した。

 

「……ん、実はチョコを作ることに時間を使ってしまってね。気がついたら、日が落ちてしまっていたわけさ」

 

 その予想外の返答に、琴里は目を丸くして、当然のように食いついた。というか、食いつかないわけがない。

 

「え? なに、令音もチョコ作ったの? ねぇねぇ、誰にあげるの?」

 

「……言葉が足りなかったね。日頃お世話になっている皆に、さ」

 

 まあ、思った以上に面白みのない返答が返ってきたことで、結局は肩を落とすことになったのだが。

 

「なぁんだ。てっきり、令音にいい人でもできたのかと思っちゃった」

 

「……ご期待に添えなくてすまないが、ここのところ、そういった話にはあまり縁がなくてね」

 

「ここのところ……ね」

 

 確かに、令音に浮いた噂がないのはわかっているし、それを追求してきたこともない。

 頭脳明晰、あらゆる分野を一流以上にこなし、人を見下すことなく対等に関係を持つことができる。しかも、恐ろしく美人。不健康そうな隈を補って余りある抜群のプロポーション。

 大した時間も使わず、琴里がこれだけ良いところを上げられる女性というのはそういない。

 だからこそ、少しばかり興味が湧いた。バレンタインが近いというのもあるのだろうが、村雨令音という色恋沙汰と無縁の人へ、聞いてみたくなったのだ。

 

「そういえば、あんまり令音からそういう話は聞いたことなかったわね。やっぱ昔はいたの? ほら――――恋人とかさ」

 

「…………ふむ」

 

 なんと珍しいことに、頭をかいて答えに窮する令音を見てしまった。

 いつもはあまり見せない反応に、琴里は思わず立ち止まって話を急かしてやることにした。意地の悪い笑みを浮かべることも忘れない。

 

「ほーら、やっぱりいたんじゃないのー? 減るもんじゃないし、教えてくれたっていいじゃない」

 

「……ん、まあ、そうだね。いたよ。――――一人だけ、ね」

 

 ――――物憂げに、遠くを見つめ零すように告げられたそれは、琴里に何かを悟らせるのに十分なものだった。

 一人だけ、いた。その言葉は、どこか哀愁すら漂わせるものだ。けれど、琴里は同情ではなく確信を持って声を発した。

 

 

「……令音が好きになるくらいだから、いい人だったんでしょうね」

 

「……そうだね。優しい人……だったよ。とても、優しい人だった――――恐らくあとにも先にも、私の中で彼を超える人は現れないだろう。私の最初の恋人で、きっと最後の恋人さ」

 

 

 言葉を多く語ることの令音が告げる、極上の評価なのだろう。

 今なお想い続ける恋の結末に、興味がないわけではない。だが、だからこそ無遠慮に探るという行為は、琴里にとっても無粋極まるものだ。

 短く息を切り、琴里は令音に想われる幸せな人と、彼女の想いを感じ取り、それを言葉に変えた。

 

 

「――――素敵。あなたにそこまで想われるだなんて、その人は幸せ者ね」

 

「……ん」

 

 

 目を伏せて、誇らしげに。その心は未だ、想い人を秘めている。

 僅かな返答だったけれど、それだけでわかってしまえるだけの愛があった。

 この話は、それでおしまい。琴里の胸の裡に仕舞い込まれる、村雨令音のちょっとした秘密――――何だか、不思議と浮ついた気分になって、琴里は司令官らしくない自分に苦笑した。

 

「はぁ、あの二人に当てられちゃったのかしらね。浮ついた気分が収まらないわ」

 

「……そうかも、しれないね」

 

 琴里に比べれば薄い変化ではあるものの、令音にもそういった気持ちがあるのか、琴里と同じく苦笑を浮かべる。

 ――――――士道と、狂三。

 付かず離れず、とはあの二人のための言葉なのではないか、そんなことさえ思ってしまう不可思議な関係。

 

 曖昧なようで、強固。

 甘いようで、苦い。

 緩やかになったかと思えば、鋭く生まれ変わる。

 

 きっと、士道と狂三の関係は、本人たちにしかわからないものなのだろう。

 そして、もう僅かな時を以て、二人の関係は終曲を奏でる。

 

 

「――――士道、答え出たんだって」

 

 

 短くも明確な言葉を聞き、令音が驚いたように目を見開いた。

 

「……そうか」

 

「うん。どんな答えかは、その時にならないと教えられない、だなんて生意気なこと言ってたけど――――あの顔なら、心配ないわ」

 

 憎たらしいくらい自信に溢れて、唯我独尊。

 世界は自分を中心に回っているという、大胆不敵な笑み――――似て欲しくないところが、どうにも似てしまったようだ。

 それもまた、どこかで受け入れていたこと、なのかもしれない。あの兄が、分け隔てなく愛を注ぐ愛しい兄が、生涯にかけて添い遂げると誓ったのなら、必然であったのだろう。

 数々の出逢いの中で、それを成し遂げてしまった彼女へ、琴里は複雑な心境ながらも確かな肯定を持っていた。

 

「……ま、少しは認めてあげるわよ、狂三」

 

 ここにはいない、強がりで寂しがり屋な女王様へ向けて、琴里は小さく言の葉を紡いだ――――――今はまだ、この呼び方から変えてやる気はない。

 

「大丈夫よね。あの二人なら」

 

「……ああ。シンと、狂三を信じよう」

 

 誰よりも長く続いた戦争(デート)の結実を、誰よりも見守ってきた琴里たちは見届ける。

 

 

 

 

「――――信じているよ、最後まで(・・・・)

 

 

 

 ――――待ち受ける〝何か〟を、乗り越えるためにも。

 






そろそろ、この戦争のエンディングは近いようですね。

少年が悩む時間は終わり。女王へ捧げた数々の愛は、果たして生み出した答えを届けるに至るものだったのか。
誰もが少年を信じる中、最後の戦争(デート)の幕が上がります。長い勝負の行方は、勝つのは、どちらか。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百五十九話『最終戦争(ラスト・デート)

「――――本気で化けて出た?」

 

 彼女の名を呼んでからの第一声。あまりにもなものだとは思ったが、いるはずのない人物が自らの中に現れたなら、誰でもそう言うはずだ。

 もっとも、ぶつけられた当の本人は、空想にしては豊かにムッとした顔を作り、言葉を返してきたのではあるが。

 

「失礼なやつね。人が親切心で来てあげたのに」

 

「……普通の人は、親切心で人の中に入ってこないよ?」

 

 それも、消えたはずの(・・・・・・)人物がそんなことを言うのだから、少女も困惑が先行するというもの。

 ――――万由里。世界という構造から生まれた〈システムケルブ〉の管理人格であり、士道に封印された精霊たちの霊基集合体。

 そして、霊結晶(セフィラ)を持たぬが故に、士道の中へ封印され、現実での器を失いし者。

 そんな万由里が、目の前にいる。久方ぶりの再会を喜ぶべきか、まだ早い再会を焦るべきか。

 どちらにしろ、何の用があるのか。これが妄想の産物であるならば、それで終わりではあるのだが、と少女は息を吐いて声を発した。

 

「……どうしたの? というより、どうやってるの、と問うべきかな」

 

霊結晶(セフィラ)を持ってない精霊だからこそ、霊力の繋がりでやりようがある。起きたら、〈囁告篇帙(ラジエル)〉で調べてみれば?」

 

「……しないよ。余計な情報(・・・・・)は持ち込みたくないから」

 

 霊力による現象というのならば、霊力にて異能を発現する天使にわからないことなどない。まあ、与えられた情報を理解できるかは、所有者次第ではあるが――――生憎と、生まれから継がれたものは、相当に優秀であると言わざるを得ない。

 だからこそ、知るわけにはいかない。過度に持ち込んだ情報は、可能性を狭めるだけだ。

 少女の返答に、万由里は己の瞳を細く、咎めるような形に変えた。

 

「あんた、本気?」

 

「……うん。万由里と同じ――――っていうと語弊があるかな。でも、使い方(・・・)は決めていたから」

 

 ――――初めから、決めていた。

 

 あの子を見つけて、全てを賭してあの子へ。そう決めた瞬間から、少女は存在理由を定めていた。

 〝計画〟の道中に多岐にわたる修正はあったものの、少女自身の扱い方に変化はない。

 

 

「誰に渡るか、誰に渡すか。そこに違いがあるだけの話、だよ。だからこそ、最後の瞬間まで気が抜けないけれど」

 

 

 付け足すように、困ったことにね、と少女は苦笑して目を伏せた。

 まったく、最後の最後まで世話を焼かせられる。しかし、だから少女の手には全知の天使(・・・・・)が存在していた。

 少女に未来は見通せない。けれど――――未来を定めることは、できる。

 

「そうね。けど――――あんたも、大概よ」

 

 それは、咎めるような声音ではなく……どこか優しい声色。それこそ、手のかかる兄を見守る〝彼女〟のような音色に、少女はハッと伏せた目をあげる。

 

「それをするからこそ、あんた自身(・・・・・)が消えたら意味ないでしょ」

 

「え……」

 

「ほんと、世話の焼けるやつなんだから」

 

 ――――夢から、覚める。

 

 今際の夢か、それとも繋ぎ止める夢か。

 

 

「――――あんたはまだ、こっちに来るんじゃないわよ」

 

 

 少女の意志は、裁定された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 二月十四日、朝。

 聖ウァレンティヌスの名を冠した恋人たちの日――――――士道にとっては、その恋人が生まれるかもしれない日。

 

「……随分と、余裕なこと考えてるな」

 

 洗面所の鏡に映る自身の顔は、思考と相まって随分と不敵に見える。……まあ、狂三がやるならともかく、士道がやると悪人面になっていないか不安になるのが、少しばかり残念だと個人評価を下した。

 

「――――よし」

 

 いつも通り顔を洗い、いつものように気合を入れ頬を張り、士道は準備(・・)に取り掛かるため洗面所を後にする。

 

 相対するは、士道にとっては最高で、神にとっては最悪の女。

 曰く、最悪の精霊。

 曰く、悪夢を齎す最凶の精霊。

 幾度となく世界を救いながら、最後には世界を破壊する精霊。

 今生の出逢いにおいて、これほど濃密で飽きがこない女は彼女をおいて他にいない。

 最高最悪で、士道の宿敵(愛しい女)――――――時崎狂三。

 

「――――約束、守らないとな」

 

 いろんな約束を、してきた。どれも大切な約束で、破るわけにはいかない士道の誓い。

 自らの願いを叶えるということは、誰かの祈りを届けられないということ。

 己のエゴを貫き通すということは、罪業を背負える覚悟があるということ。

それでも(・・・・)。士道は抗ってきた。歪みが生み出した数々の試練を打ち破ってきた――――――だから今度も、存分に逆らわせてもらう。

 そうして、自身の部屋に戻る……前に、リビングの扉を開く。――――総出での出迎えに、士道は自然と表情を和らげた。

 

「みんな……」

 

 そこには、妹の琴里を始め、四糸乃、七罪、六喰、美九、二亜。学生服を身に纏った十香、折紙、耶倶矢、夕弦。更には、令音。

 精霊、そして保護者役まで全員集合。士道の家のリビングもそれなりに大きいが、それが手狭に感じてしまうほど人の繋がりが増えたのだなと、感慨深さを覚える。

 そんな精霊たちの手には、思い思いの箱や袋があった――――バレンタイン・チョコレート。一年までは、家族から贈られるものが数個程度だった士道にとって、生涯最大量のバレンタインになるに違いない。

 

「シドー!! ハッピーバレンタインだ!!」

 

「士道さん……頑張って、ください……!!」

 

「……私のなんて、必要ないとは思うけど、一応渡すわ」

 

「むん。受け取るのじゃ、主様。感想は、狂三を連れ帰ってからでよい」

 

「お、おぉ……」

 

 十香、四糸乃、七罪、六喰から。順々に受け取り、促されるように箱の中身を確認する。

 十香は黄色い粉――匂いからして、きなこだろう。十香ならではのチョイスだ――がまぶされたトリュフチョコ。

 四糸乃は『よしのん』型。その再現率は見事なもので、食すのが大層惜しい。

 七罪は十香とはまた別に、シンプルながら細緻な技術を伺わせるトリュフチョコ。

 六喰は宇宙の光景を思い出させる大小様々な星型。

 各自、テーブルに並べてみると士道も驚くべきクオリティに、思わず感銘の息を吐いてしまうほどだった。

 しかし、息を落ち着かせる暇もなく、続々と士道の前にラッピングされたチョコが怒涛の勢いで現れる。

 

「くく、我が金色の十字陵此処に聳えり!! 士道よ、受け取るが良い!!」

 

「贈呈。受け取ってください、士道」

 

「えへへー。自信作ですよぉ。隠し味もありますからねぇー」

 

「変なものじゃなくて、ちゃんと自然物だからご安心をってねー」

 

「おい、後半二人」

 

 相も変わらず両極端に決めてくる八舞姉妹と、相も変わらず堂々と恐ろしいことを言ってのける美九と二亜。

 耶倶矢のチョコは金箔の貼られた十字架で、何とも、実に彼女らしいもの。夕弦のチョコはアラザンがまぶされた美しい銀色で、姉妹ながら違いを感じさせる一品だった。

 美九はアイドルらしい音符模様……何かが入っているのは冗談だろう、多分。二亜はブロンドミルクチョコの先端にイチゴチョコで突起を――――よそう、朝から不健全だと士道は思考を切り替えた。

 精霊たちの残るは琴里、折紙だったが――――実は、折紙のチョコは最初から見えていたりする。

 

「……折紙」

 

「なに」

 

 精巧な天使の彫像が、テーブルの上に飾られていた。

 よもや、思うまい。それこそがチョコでできた、恐ろしい完成度を誇る彫像だと。

 ちなみに折紙のものだと気がつけたのは、単純にこんなことをできるのが折紙か令音、もしかしたら多芸な七罪くらいしか思い浮かばず、消去法で折紙になったからである。そうでなくとも、天使の彫像の顔が完全に折紙を再現しているので、気が付かない方がおかしいのだが。

 まあ、なんだ。返事が届いた士道は、一言。

 

「嬉しいんだが、これはしまっておけないんじゃ――――――」

 

「抜かりはない」

 

 素早くプラスチックのカバーを被せると、あら不思議。何とも美しい美少女フィギュアを飾るようなパッケージングが為されたではありませんか。鮮やかすぎる謎の技術。その道のプロを目指しても通用する折紙の技量に、敬意を持って拍手を送りたくなった。

 

「は、はは……さすがだな――――ところで、どうやって作ったか、あとで教えてもらえるか?」

 

「用途による」

 

「…………男にも、秘密を着飾ってかっこよくなる時があるんだぜ」

 

「……狂三のホワイトデーが不安ね」

 

「まあ、少年のことだから大体予想はできるけど、実は自分用に作っちゃったりしてねー」

 

 はいそこ、七罪と二亜は黙らっしゃい。男には隠し通さねばならない秘密があるのだ。……大概、碌でもない秘密な上にしょうもないことだったりするのだが。

 額に一汗流しながら折紙の追求から目を逸らし逃れると、ラッピングの施された小さな箱が、その逸らした視界にちょうど入り込んだ。

 無造作に突き出されたそれは、赤い包装紙に黒いリボンが絡まり、この一年で見慣れた軍服姿の造り手を思い起こさせた――――言うまでもなく、琴里からだ。

 

「……激励よ。妹からなんて自慢にもならないでしょうけど」

 

「んなわけねぇだろ。琴里は最高の妹なんだから、みんなに自慢してやるさ――――それはそうと、手作りする時、鍋に直接チョコ入れたり、お湯に突っ込んだりしなかったよな?」

 

「そ、そそそそそそんなことするわけないでしょッ!?」

 

 語るに落ちるとは、こういう態度のことを言うのかもしれない。

 最高の妹発言に頬を染めてから一転、あからさまに目を泳がせる琴里に、精霊たちも何やら可笑しそうに笑っている。

 割と当てずっぽうで言ってみたのだが、どちらも似たようなことはしてしまったらしい。とはいえ、それを経てこれだけの品を作れるのだから大したものだ。

 琴里のチョコは、王道のハート型。冷静でありながら、直情的な面も両立する琴里らしい真っ向からの愛情。口にする前から、身に染みて力になる気持ちだ。

 

「……シン」

 

 そして、静かに時を待っていた、令音が士道を呼ぶ。しかし、その手には何も握られておらず、もう出勤している感じに見える白衣とそのポケットから覗く傷だらけのクマさんが目立つくらいである。

 

「……すまないね。精霊たちのチョコを考慮して、私からは控えさせてもらったよ」

 

「あ、そうなんですか……気を使ってもらってすいません」

 

 まあ、これだけの量だ。令音らしい気配りだと言える。残念という気がないわけでもないが――――それなら、普段なら士道たちのフォローのために学校へいるはずの令音がなぜ。そう考えていると、令音が微笑を――――士道でさえ、胸が高鳴ってしまうほどの微笑みを浮かべ、言った。

 

 

「……だから、代わりに言葉を贈ろう――――楽しんできたまえ」

 

「……っ!!」

 

 

 目を見開いて、感情を昂らせる。ああ、そうだ。命をかけた戦争(デート)。待ち受ける運命の選択――――だが、士道の中には、確かな歓喜があった。

 愛する女とのデートに、胸を踊らせないわけがない。

 

「――――はいっ!!」

 

 だからハッキリと、令音の激励を頷きを持って受け取った。

 士道の答えに満足げに首を縦に振った令音が一歩下がり、それぞれ士道を見遣る精霊たちを立てる。

 信頼と愛情と激励の証。それらを受け取り、士道は精霊たちを見回し、一つ息を吸い込み、声を発した。

 

「十香、折紙、四糸乃、耶倶矢、夕弦、美九、七罪、二亜、六喰、令音さん――――琴里。みんな、ありがとう」

 

 皆が士道を想い、背中を押してくれている。

 それが、士道と狂三の紡いできた道の証明でもあり――――それを確信したからこそ、士道は皆に告げた。

 

 

「みんなに頼みがある――――俺が、狂三とのデートでどんなことをしても(・・・・・・・・・)、最後まで俺を信じて、手を出さないでほしいんだ」

 

『……!!』

 

 

 士道の言葉に、精霊たちが驚きを露わにするのも無理はない。

 最後まで。その意味を、彼女たちは知っている。けど、どうしても士道は譲れないのだ。僅か一手の均衡の崩れが、辿り着くべき未来を遠ざける。

 士道は士道の思い描く未来を創るため、己を貫き通す覚悟を決めた。それを、皆にもわかってほしい。

 胸に手を当て、士道は真っ直ぐに過去と未来(・・・・・)を見据えた。

 

「頼む――――俺と狂三を、信じてほしい」

 

「――――無論だ」

 

 真っ先に、返したのは、水晶のように美しい瞳を輝かせた、十香。

 

「信じているぞ、シドー」

 

 士道と、十香と士道が信じる狂三を。少ない言葉ながら、全幅の信頼を持って。

 それは何も、十香だけではなかった。

 

「当然。私も同じ」

 

「はい。私も、よしのんも……信じます」

 

『キバって行っちゃいなよー、士道くぅん』

 

「かか。然らば!! 我ら御子の加護があらんことを――――――信じてるからね」

 

「信頼。全幅を、士道と狂三へ」

 

「これが終わったらぁ、狂三さんも含めて、本当の意味でみんなでコンサートに来てくださいね、だーりん」

 

「……まあ、信じるって決めてから、ずっと信じてるわよ」

 

「あっはっは。みんな若くて素敵だねぇ――――柄じゃないけど、本気で幸運を祈らせてもらうよ、少年」

 

「むん。案ずるな。主様の心のままに――――信じておるよ」

 

 折紙、四糸乃に『よしのん』、耶倶矢、夕弦、美九、七罪、二亜、六喰。

 

「――――まったく、こんな時でも勝手なんだから」

 

 そして、琴里。

 

「いいわ。ケツはこっちで持ってあげるから、好きにやっちゃいなさい。ただし、わかってるわね?」

 

「ああ。約束したからな――――あとは、頼む」

 

 狂三を救い、それで終わりではない。士道が琴里と約束したのは、完膚無きまでのハッピーエンド。今はまだ、その道中なのだから。

 頷く士道に、満足げにニヤッと笑った琴里が、返した。

 

 

「ええ。それじゃあ――――さあ、私たちの戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 始まりの戦争(デート)であり、もっとも長く果てない戦争(デート)

 その最後の火蓋を、お決まりの台詞で、切って落とした。

 

「……さて、と」

 

 それはそれとして、だ。士道はテーブルに並べられたチョコを丁寧に箱に戻してから、それを自室へ運び込むために分けて手に取って、皆に声をかけた。

 

「じゃあ、十香たちは先に行っててくれ」

 

「む。シドーはどうするのだ?」

 

「あー……ちょっと、な」

 

 秘密だ、と人差し指を唇に当てる。すると、二亜が含みな笑みを浮かべて声をかけてくる。

 

「おんやぁ。その顔は悪いこと考えてる顔だぞぉ、少年くん」

 

「はは、どうだかな。そうだ――――戦いは正を以って合し、奇を以って勝つ、だったか?」

 

「お、くるみんの真似? キザだねぇ」

 

 孫子の兵法の一節で、有名な言葉だ。戦いとは、正攻法を用いて敵と対峙し、奇策を巡らせ勝つ、という意味がある。

 かつて、二亜に向けて放った狂三の言葉を覚えていたのか、懐かしげに肘で士道の脇腹を突く二亜。

 それに対し、士道も不敵に笑って――――自分らしい答えを、大胆不敵に返した。

 

 狂三はかつて、こうも言った。努力がなければ奇策にはなり得ない。元の実力があってこそ、奇策なり得る、と。

 ならば、士道に出来ないことはない。ここにいるのは、数々の精霊をデレさせ――――稀代の才女・時崎狂三と渡り合う、世界に二人といない男なのだから。

 

 

「さあ、さあ。それは見てのお楽しみ。俺は俺なりのやり方で――――正攻法と奇策を、同時に(・・・)やるだけさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……あら?」

 

 教室の扉を開いた瞬間、狂三は不思議な光景を見た。

 ――――士道が、いない。

 

「おお、狂三。おはようだ!!」

 

「おはよう」

 

「……ええ。おはようございます、十香さん、折紙さん。」

 

 十香、折紙が狂三に気が付き挨拶をしてくる。当然、狂三は内心に困惑を隠しながら返した。

 二人がいるのに、士道はいない。今日という日は、昨日までとは違う。だからこそ、士道がどう動いてくるか、見物だとは思っていたが……当の本人がいないとは、予想外だった。

 戦争を制するは情報。今さら、余計な勘繰りは無粋というものだが、まあ世間話の戯れなら構わないだろうと狂三は声を発した。

 

「お二人とも、士道さんは如何なされましたの?」

 

「むぅ……シドーは秘密だと言っていたのだ」

 

「右に同じ」

 

「……ふうん」

 

 どうやら、情報の隠匿は完璧なようだ。まあ、仮に知っていたところで狂三に話す義理などないだろうが。

 何を企んでいるのやら、と期待を込めて先手を譲ることにした狂三は、微笑と共に言葉短く返し自身の席へ向う。

 そして、二人の横を通り過ぎる際――――折紙が、声を発した。

 

「――――あなたが、羨ましい」

 

「……はい?」

 

 狂三が立ち止まり、聞き返す頃には、折紙は無表情のまま何事もなかったかのように席に着いた。

 はてさて、何が羨ましいというのか。折紙が羨ましいと思うような出来事が、この先にあるのか。知れる可能性のある狂三の予知は既に失われているし、よしんば残っていたところで、士道の行動を予測しきれるとは思えなかったが――――できたところで、不躾というものだ。

 知らぬから、予測しないからこそ、楽しい(・・・)のではないか。つまるところ、先手を譲った以上はお手並み拝見、というのが狂三の取るべき行動といったところか。

 そうこう算段を立てているうちに、始業のチャイムが鳴り響き、程なくしてクラス担任の岡峰教諭が出席簿を抱えて入ってきた。

 

「五河くん――――あれ? 欠席、でしょうか……?」

 

 クラスの出席を取るにあたり、『五河』の苗字を持つ士道は早い段階で呼ばれる。岡峰教諭が困惑しているところを見るに、どうやら欠席が前もって伝えられているわけではないらしい。

 

「おい。まさか俺たちの努力が実ったんじゃ……!?」

 

「そうに違いねぇ……やった、俺たちはやったんだ……っ」

 

「五河死すべし……絶滅タイムだ……」

 

「…………」

 

 まあ、クラスの男子のように怨嗟の念にて妙な憶測を立てている者もいたが、それは置いておこう。士道が女性関係充実者なのは事実ではあるし、世がバレンタインデーともなれば多少は目を瞑ることにしている。度が過ぎたものがいるなら、とっくに対処されているに違いない。何せ、あの士道の友人なのだから。

 

「……味気ない、ですわねぇ」

 

 ポツリと、そんな言葉が漏れた。

 行儀悪く頬杖をつき、窓の外を眺める。いつもなら、輝いて見える教室が何とも味気なく見えた。外の景色も、同じだった。

 何故か、だなんて。今さら心に問うまでもない。

 

 ――――そんな、狂三の心を読んだかのような瞬間。

 

「……!!」

 

 教室の扉が開き――――――運命の人は、現れた。

 

「――――――」

 

 時が止まったかのような、静寂。

 

 その少年を見た瞬間、狂三の心音は幾許の猶予もなく跳ね上がった。

 どんな凄惨な戦場より、どれほどの因縁のある仇敵が現れた瞬間より――――――五河士道を見つけた。それだけで、何十、何百倍と、死んでしまいそうになるほど、色鮮やかに世界が映る。

 

「……」

 

 扉を開けたその時から、士道の瞳は狂三だけを映していた。証拠に、今まさに士道は狂三を見てフッと微笑んだ。それだけで、心音がまた一つ鐘を鳴らす。

 こつり、こつり。教室を歩く足音が酷く大きく響き渡る。

 彼の姿は、学業のための制服ではなかった。言わば、勝負服――――たとえば、愛しい女と逢瀬を堪能するためのもの、とか。

 しかし、それを咎められるものはいない。誰もが、彼の圧倒的な雰囲気に呑み込まれている。冗談でも、ましてや誇張でもなく、本気で少年は空気を一変させた。

 嗚呼、嗚呼。だが、至極当然だ。彼はもはや、狂三と出逢った頃の幼い少年ではない。

 不可能と思える所業を成し遂げ、難攻不落の精霊たちをデレさせ、力を封印してきた者。大人びて、最高に素敵になって――――今や、狂三と渡り合える唯一の男なのだから。

 

 士道は迷いなく狂三の前に立ち、仰々しく、超然とした立ち振る舞いで、手を差し出した。

 

 

「約束通り――――君の時間を、いただきに参りました」

 

 

 今ある場所を、最高の舞台にする。その自信と、自負があった。

 士道を見た瞬間、彼が何をしようとしているのか、すぐに理解できた狂三は――――その手を取ることに、初めから迷いなどなかった。

 

 

「お嬢様。お手を、どうぞ」

 

「――――わたくしでよろしければ、喜んで」

 

 

 狂三が手にした全てを、この瞬間に捧げるような優雅さで。自らですら、完璧と思える仕草で、士道の手を取り、立ち上がる――――瞬間、狂三の身体は容易く浮き上がる。

 

「――――!!」

 

「では、参りましょう」

 

「……ふふっ」

 

 思わず笑いながら、狂三は合わせるように士道の首へしなやかに己の手を絡ませる。

 まったく、これでは逢瀬というより、愛しの方に攫われているようだった――――ときめかないわけが、ないだろう。

 

「じゃあ、先生――――五河士道と時崎狂三は、これから二人でデートに行くので、早退します」

 

 狂三を抱き上げながら、そんな素行不良な生徒まっしぐらなことを笑顔で言ってのけた士道は、開け放たれた扉から教室を後にした。

 

 閉じられる扉――――数秒後、学校中に響き渡る文字通りの阿鼻叫喚が溢れたことは、一生忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、あら。情熱的ですわね、士道さん」

 

 クラスから聞こえる阿鼻叫喚を遠くに、騒ぎが始まる前にさっさと学校を出ようと足を早める士道の手の中で、狂三が実に楽しげな(・・・・・・)微笑みを浮かべていた。

 士道も、始めてしまった責任と高揚感を表に出すように、笑顔のまま応じる。

 

「いやいや、これでも抑えた方だぜ。精霊の力を使って何かやろうとも考えたけど、それは可愛い妹に迷惑かけちまうからな」

 

「うふふ、英断ですこと。ですが、士道さんがこのような手段を自ら選ばれるとは、意外でしたわ」

 

「――――だって、こういうの狂三は大好きだろ?」

 

 優雅で、華麗で、大胆不敵。

 そんな彼女なら、好む。それを確信していたからこそ、士道は叩き込まれた技術の全てを駆使し、最高に彼女好みな大掛かりな演出(・・・・・・・)を、全力で行ったに過ぎない。

 士道の迷いのない答えに、狂三は目をまん丸にして……堪えきれないと言わんばかりに、笑い声をあげた。

 

 

「きひ、き、ひひひひひひッ!! ええ、ええ。そうですわ、そうですわ。最高ですわ、素敵ですわ。感激ですわ――――――わたくし、大好きですもの」

 

 

 言って、極上の微笑みを見せてくれた狂三は――――それだけで、士道の行動に価値があったのだと思わせてくれた。

 けれど、こんなものじゃない。今日の時間(・・・・・)を、お互いに。そう、言ったから、約束したから、始めるのだ。

 

 

「お気に召してくれて、光栄だ。さあ――――俺たちの、最高の戦争(デート)を始めよう」

 

 

 高々に、士道は最高の一日を謳った。

 

 

 ――――最終戦争(ラスト・デート)の、始まりだ。

 





奇策を奇策たらしめるのは基礎の正攻法があってこそ。まあ、これまでの戦争(デート)を乗り越えてきた少年には、言うまでもないことでしたね。

在るべき運命に逆らい続けた二人の戦争(デート)。もう、多くは語れないほど少なくなってしまいましたね。少女の計画は、裁定者が下した結論は、少年の答えは……五河アンサー、クライマックスは、すぐそこに。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十話『焔の誓い』

 

 

「――――どーして教えてくれやがらなかったんですか!?」

 

 キーン、と。司令席真横の耳元で、特徴的な日本語をお使いの少女が大声で叫ぶものだから、思わず頭にそんな効果音が通り過ぎていった。

 耳を塞いでいた手を下げ、お冠な少女――――士道の実妹、崇宮真那へため息を吐きながら声を返した。

 

「急に乗り込んできたかと思えば……なんのこと?」

 

「あれですよ!! あれ!!」

 

 何ともまあ身体の状態に反して元気なことで、ビシィっと勢いよく突きつけた指が示す方向には、とある二人――――などと隠すまでもなく、士道と狂三を観測するためのメインモニタが存在している。

 現在は、教室から連れ出されたがちゃっかりデート用に用意していた服に着替え、手を繋いで仲睦まじく並んで道を歩く姿が映し出されている。

 モノトーン調に紅を加えた色合いはいつもと変わらないものであるが、余程気合いを入れているのだろう。それは、少なくない日数狂三と関わっていた琴里が一度も見た覚えがない服だった。

 

『服。すげぇ似合ってる。今日のために、着てくれたんだな』

 

『ふふっ。当然ですわ。今日は特別。わたくしの時間はあなた様に、あなた様の時間はわたくしに。最高の時間には、最高の準備を。士道さんも、よくお似合いですわ』

 

『ああ。俺も同じこと考えて、今日のために考えに考えたんだ――――やっぱ俺たち、似たもの同士かもな』

 

『ええ、ええ。そうかもしれませんわ。だとしたら、こんなに嬉しいことはございませんこと』

 

 狂三は言いながら、士道の腕に自身の腕を絡ませ、士道もそれを拒むことなく優雅で完璧な合わせ歩調で歩みを進める。さながら、名家の令嬢とどこかの王子か、とでも言いたくなる絵面だ。

 口に含んだチュッパチャプスが即溶けしそうな甘ったるさに関しては……まあ、いつものことであると琴里は割り切っていた。

 こうなることを仕向けた責任の一端は琴里にあるとはいえ、兄がここまでできるようになるとはと呆れ半分の気持ちで琴里は監視を続ける。が、見慣れていない真那にとっては、文字通り全身に鳥肌が立つほどの光景のようで、全身を震わせてから琴里に肩に掴みかかった。

 

「どうしてこうなるまで教えてくれやがらなかったんです!! 悪逆非道人面獣心、ついでに性格最悪焼肉定食の〈ナイトメア〉が、兄様と、こんな……こんな……っ!!」

 

「あー……」

 

 そういえば、琴里たち以外だと狂三の印象は変わっていないので、こういう反応も当然かぁと新鮮な気分を味わう。

 というより、狂三のスタンスが大きく変化したわけではない、ということだ。単純に、見せる優しさの域が士道や精霊たちに大きく傾いたに過ぎず、依然として真那――は他二つに比べ百倍はマシだが――、AST、DEMにとって時崎狂三とは〝最悪の精霊〟に違いないのである。

 万由里の一件や経路(パス)の狭窄事件で多少は蟠りも溶けたかと思いきや、狂三と顔を合わせれば殺し合いが始まりかねない空気感。内面はともかく、表面上は馴れ合うような関係でもないのだから仕方がないとはいえ、間に挟まる琴里からすればたまったものではない。

 ので、琴里も真那に関しては相応の言い分、という名の言い訳を用意していた。

 

「まあ落ち着きなさい。そもそも、私だってあなたに教えようとしたわよ。なのにあなた、私からの連絡には居留守使うんだもの」

 

「うぐ……っ。ち、ちげーますよ琴里さん。私は別に逃げようとしたわけねーですよ?」

 

「ふーん……」

 

 一転攻勢。琴里の冷たい視線に押し返され、一歩二歩と頬に汗を垂らして後退る真那。足を組みかえ、肘をついて拳の上に頬を乗せ、ここぞとばかりに『私は怒っています』アピール。我ながら完璧な攻勢だ、なんて自画自賛してみたり。

 対士道をこなせる琴里にかかれば、似たタイプの真那もこんなものである。

 ――――教えようとしたことまでは本当。ただし、電話一回に出なかった時点でこれは好都合と直前まで黙っていたことを伏せていいなら、だが。

 自分の身体の状態をわかっていながら無理をする真那には、このくらいの方がいい薬になるだろう。と、鏡を見たらさぞ悪い顔をしていのだろう己に苦笑し、勢いを失った真那を説き伏せにかかる。

 

「とにかく。こうなった以上、あなたは〈フラクシナス〉で大人しくしてること。何があっても手を出すな、っていうのが士道のオーダーよ」

 

「な……!?」

 

 琴里の言葉に驚いた様子で目を見開き、真那が声を荒らげる。

 

「正気でいやがりますか!? そんなの〈ナイトメア〉が何をしやがるか……!! 琴里さんは、兄様が心配じゃないんですか!!」

 

「……私は〈ラタトスク〉の司令官よ。士道を信じて、最大限サポートするのが仕事――――それが、士道と私の信頼なの」

 

「っ……!!」

 

 たかが小娘の威圧、真那ほどの戦士が怯む理由はない。しかし、僅かでも真那が慄いた理由があるとするならば――――きっと、琴里の中にある感情を見抜いたのだろう。

 〈ラタトスク〉の司令官・五河琴里。それが琴里に課せられた義務であり、艦の全責任を背負うものとして、超然としていなければならない所以。

 艦を預かるものが、その場において不安を口にするなど以ての外。部下の意見を取り入れこそすれど、部下の顔色を伺って態度を変えることが許されないのと同じ。

 だから、そう。五河琴里が司令ではなく、今この瞬間泣き喚きたい(・・・・・・)妹しての顔をさらけ出してはいけないのと、また同じ。

 

 信頼があるから、心配していない? ふざけるんじゃない――――――琴里は、士道が好きだ。

 

 いつだって、琴里の心には不安があった。次の瞬間には、士道がいなくなってしまうのではないかという絶望があった。

 それらを断ち切る要因が時崎狂三であったのなら、それらを持ち込む原因もまた、時崎狂三。

 

 今すぐ、叫び出したい。おにーちゃんを、取らないで(・・・・・)、と。

 

 

「だから今、士道の信頼に応えるためなら――――真那、あなたにだって容赦しないわ。それが私に託された……狂三を救う(・・)ための、役割なのよ」

 

 

 故に、琴里は司令として牙を剥く。本来であれば、真那と同じ立場にいてもおかしくない琴里は、それでも士道のために全ての私情を封じる。

 今、〈ラタトスク〉がすべきこと。精霊保護、霊力封印のためやるべきこと。それは、誰であろうと立ち入らせない(・・・・・・・)

 士道が必要だと言うなら、琴里は応えるまで。ただそれだけ。そのためなら、誰であっても容赦しない。

 あらゆる策、あらゆる外道な手段を用いて、士道と狂三の領域を死守する。

 実妹の真那でも、精霊たちでも――――琴里自身であっても、だ。

 

「……」

 

「……」

 

 無言の睨み合いが数秒、或いは数分。殺気立つ司令と妹の対面は、

 

「……わかりましたよ」

 

 どうにか、妹に身を引かせることで終結した。

 女の命である髪を片手で掻き毟る真那から、未だやり切れない思いは伝わってくる。それでも、納得を撤回はしなかった。

 

「私にも、部隊に所属してた経験がありやがります。その目は、汚れ仕事だろうと喜んでやる、って良い上司の目でいやがりますね……」

 

「あら、どうも」

 

「……琴里さん。立派な司令官でやがりますよ」

 

「ありがと。最高の褒め言葉よ」

 

 毅然と、面の皮を厚くしてニッコリと兄受け売りの返しをしてあげれば、今度こそ真那が呆れ返って大きなため息を吐いた。

 ちなみに、これでも真那が行くと言ったら、待機させているマリアに侵入者用のトラップを起動してもらわねばならなかったのだが、そんな骨を折らずに済んで助かった。

 琴里が悪魔のような発想をしているとは露知らず、真那が再び眉根を吊り上げて声を発した。

 

「邪魔はしねーです。けど、ここで兄様を見守らせてください」

 

「もちろんよ。みんなに(・・・・)、その権利はあるわ」

 

みんな(・・・)と強調したことに、真那が不思議そうに首を傾げた。

 その答えは、すぐさま理解できるはずだ。光り輝く転送装置から――――個性豊かな面々が、揃って姿を見せたのだから。

 

「いえーい、一番乗りー!! ――――って、マナティ!? くっ、実妹に負けた……っ!!」

 

「全員で来たのに一番も二番もないでしょ……」

 

 呆れ顔の琴里に、それもそうかーと適当極まる立ち直りで笑う二亜。

 無論、彼女だけではない。六喰、七罪、四糸乃に加え、学生組の十香、折紙、耶倶矢、夕弦、美九……つまるところ、全員集合というわけだ。

 十香たちが制服なのを見るに、着替える間もなく〈フラクシナス〉へ拾われたということだ。まあ、許可を出したのは琴里ではあるが、迷いのなさに敬意すら評したくなった。

 仕方のない表情でチュッパチャプスの棒を手に取り、琴里は精霊たちへ声を向けた。

 

「……まったく。結局みんな揃って学校をサボちゃって。教師の涙が目に浮かぶわ」

 

「騒ぎに乗じて抜け出すのは、造作もなかった」

 

「うむ、あの行事は中々に楽しめたぞ」

 

「逃避行騒ぎを行事にされたらたまらないわね……」

 

 折紙と十香のしたり顔に、教師の苦労を思い浮かべ顔に出して同情した。

 あれやこれやと、今も尾ひれをつけて大混乱に違いない。別クラスの耶倶矢や夕弦まで十香と似たような顔で誇っているところを見るに、来禅高校は実に愉快な学校のようだ。

 士道の関係者が全員揃って早退となれば、明日には様々な憶測が飛び交う誤解が、学校中に知れ渡っていることだろう。なお、別高校の美九に関しては……女の子を誑かして何とかしていそうなので、敢えて触れないでおこう。

 

「ふふーん。二亜ちゃんはその辺は無問題(モーマンタイ)だもんねー」

 

 えっへん、と胸を張る二亜だったが、はてと琴里は顎に手を当て疑問の声を返した。

 

「でも、あなた原稿は――――――」

 

「ここでやらせてもらっていいですか!?」

 

『非承認。艦に汚れがつきます』

 

「うわーん!!」

 

 ……特に、考えていなかったようだ。とはいえ、マリアの不許可は当然のものであるし、締切は二亜が真面目にやれば泣くことはなかったはずなので同情はしない。

 

「さて、と。それじゃあ、見守ってあげましょうか――――――」

 

 司令席に腰を落ち着かせ、琴里はモニタに視線を集中させる。

 通常であれば、士道と精霊のデートを他の精霊に見せるのはありえない。士道に一定の好意を持つ精霊にとって、他の精霊の攻略はよい影響を与えるとは言い難いからだ。

 けれど、その理屈を上回るほど――――士道と狂三の終局を……否、始まりを(・・・・)、精霊たちは見届けたいと強く願っているのだ。

 選択肢も、介入も存在しない。自由気ままなデートを、琴里は声に乗せて紡いだ。

 

 

「――――甘くて苦い、長い戦争(デート)の行方を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「懐かしい――――そう、考えてしまいますわねぇ」

 

 並び腕を組んだ狂三が、該当の建物を見つめてポツリと呟いた。

 彼女の言葉を聞き、士道も正直に首を前に倒して返す。

 

「ああ。もう、半年以上も前の話なんだな……」

 

 人の大切な記憶を思い起こすという行為は、どうしても感慨深くなってしまうものだ。それが、好きな女の子との初デート(・・・・)の経験ならば、尚さら。

 デート、という定義を提唱し、確定させるための条件が整い、二人が明確にそれ(・・)だと認知していた日――――去年の六月、あの日だ。

 巡った場所を、士道は一つも逃すことなく覚えている。つまり、目の前の建物――――ゲームセンターは、その一つということだ。

 来てみたかった。数々の仮面を被りながらデートに望んだ狂三が、本気でこぼした本音の一つをよく覚えている。今日初めにここを選んだ意味合いは、少し逸れて、けれど想いは同じなのだろうと思ったのだ。

 

「……遅くなったけど、さ。あの日のデート、途中だったろ」

 

「だから、今一度、と?」

 

「うん。今の俺なら、もっと狂三を楽しませられる。中途半端なまま記憶に残しておくのは、何かモヤッとしてさ」

 

 そう思ったから、士道は初デートをもう一度(・・・・)行うと決めて、今日のルートを選んだ。

 想いは同じ、と考えているものの、いきなりこれを外したら目も当てられないな、なんて頬を掻きながら苦笑した。

 ただ――――言葉を聞いて微笑んだ狂三を見て、間違いはないと確信した。

 

「わたくしも、一緒ですわ。あの日は未熟な我が身により、あのような(・・・・・)別れになってしまいましたが――――お互い、そのようなことはもうないでしょうから」

 

「……」

 

 無言は肯定。数々の対話で、その程度のことは学んでいる。

 真実、あの日のようなことは起こりえない。今日この日、決着をつけるために士道と狂三はデートをする。

 清算、とでもいうのか。お互いに、後悔を残してしまったデートを、今一度。そう、思ったことは確かだ。

 

「それに――――他の意味合いもありますわ」

 

「え……?」

 

 意外な声を上げた士道に、狂三はフッと笑い続けた。

 

「わたくしたち、刺激的な戦争(デート)は幾つも持ち合わせていますけれど、普通(・・)のデートは、あまり経験がないのではなくて?」

 

「あ……」

 

 あまりに普通のことを、今更ながらに指摘されて呆気にとられた。

 狂三が共にいる場所が、二人の戦争(デート)。そんな想いで駆け抜けてきた士道は、いつも狂三が共に戦うことが自然で、刺激的な戦場ばかりだと気付かされた。

 狂三は、どこかでそのことを気にしていたのかもしれない。何も気にすることのない、普通(・・)。それができない自身へ、ずっと。

 

 

「今日は、高級な贈り物も、用意された風景も、必要ありません。ただ……普通で、素敵なデートを――――最後に、士道さんと送りたかった」

 

「狂三……」

 

「うふふ。大正解ですわね、士道さん」

 

 

 笑う瞳には、最後と定めた悲しい決意が。ああ、まただ(・・・)。彼女はまた、そうやって最後を受け入れようとする。

 士道がもし失敗(・・)したら、本当に最後のデート。世界が変われば、二度と今の士道と今の狂三は、出逢わない。永劫、狂三の記憶は、今日で止まる。

 だから、欲しいのだろう。常に戦場を駆けた精霊は、記憶に残る〝特別な普通〟を求める。

 

「――――だったら、残してやるよ」

 

 なら、どのような結末になろうと(・・・・・・・・・・・・)、今この瞬間に応えずして何が男か。

 決して離さぬよう、狂三と手の指を絡ませ、ニヤッと笑いながら強く手を引く。

 あの日と同じやり方で――――でも、伴う歩は士道が引くまでもなく、強かった。

 

 

「あの時の俺たちが羨ましいって思うくらい、最高の記憶(デート)をな」

 

「あら、あら」

 

 

 目をわざとらしくぱちくりとさせた狂三は、赤く染めた頬を隠すこともなく返した。

 

「本当に、様になっていましてよ」

 

「そりゃ、相手がいいんだろうさ」

 

 お互いをデレさせるための言葉の応酬(こぜりあい)を繰り広げながら、士道と狂三は第一の記憶(デート)を更新するために歩みを進めた。

 

 ゲームセンターの中身は、半年以上も経てば筐体が入れ替わったり、配置が変わっていたりなどはよくあることだ。そうならないゲームは、一定以上に人が入るゲーム――――たとえば、今からやろうとしているシューティングゲーム、とか。

 

「うーん……やはり、別の銃というのは違和感がありますわねぇ。一度練習させてくださいませんこと?」

 

「いいけど……全国の女子高生たちの中でも、それ(・・)を言えるのは狂三くらいだろうな……」

 

「あら、心外ですわ。折紙さんも同じことが言えましてよ」

 

「……訂正するよ。お前を含めて二人、だ」

 

 士道が言うと、狂三は満足げに頷き、筐体へ姿勢を戻して妙に様になる構えでゲームの銃を持った。

 ていうか、〝別〟の意味合いが強すぎるだろうと。そりゃあ、究極の幻想が形になった〈刻々帝(ザフキエル)〉の古銃と、ゲーセンに用意されたガンコンを比べたら違和感の塊に決まっている。

 以前、シューティングゲームがやたら強いと驚いていたが、今に考えると誰にものを言っているのだという話だ。相手は、どんな小さな標的だろうと正確無比に撃ち抜いてみせる超一流の銃使い。

 ――――そこまで考えて、士道は「ん?」と疑問の声を上げた。

 

「でも、あの時はそれなりにミスしてたよな……」

 

 顎に手を当て記憶を呼び起こすと、その時の光景が楽々と思い起こされた。

 そうなのだ。やたら強い、と驚いたのは事実なのだが、中身には士道と共に挑む初挑戦にしては、という意味合いが込められていた。

 何でもこなしてしまう狂三にしては珍しいことで、もしかして銃への違和感というのが原因なのかと思ったが――――――あっという間に流れた、パーフェクトクリア(・・・・・・・・・)の音に、士道は目を丸くした。

 

「……あれ?」

 

「ふふっ。士道さん、覚えておいてくださいまし――――小手先の技術は、淑女の処世術ですのよ」

 

 フッと銃口を吹く仕草をして、狂三は答え合わせを行う。

 士道は頬をひくつかせながら理解した――――さては、狂三のいいように接待されていたなと。

 なるほど。狂三を楽しませていたと記憶していたが、実は狂三の処世術――という名の偽装を込めた猫被り――だった、と。ならば、彼女がそれを行う必要がないと決めたのなら、狂三と組んでゲームを楽しませるためには――――――少なくとも、狂三を呆れさせない程度の腕は必要、ということになる。

 

「さて……」

 

 カチャリ、と。二P用のガンコントローラーを手に取り、くるりと反転させた銃を、いつかの士道とは逆に狂三から差し出した。

 

 

「士道さん。わたくしに――――ついて来れまして」

 

 

 そんな、楽しませてみろ(・・・・・・・)という挑戦的な微笑みに――――――誰かさんの負けず嫌いが移った士道が返すものは、一つだった。

 

 

「ああ、ああ――――狂三こそ、ついて来てくれよ」

 

 

 そう言って受け取って――――揃って、可笑しそうに吹き出した。

 

「くっ、ふふ」

 

「き、ひひっ」

 

 これではいつもと変わらないじゃないかと、自分たちが見せる大仰さに、お互いが顔を見合わせて笑ってしまったのだ――――それが愛おしく楽しいのも、いつだって変わらなかったから。

 

 それは、さておき。

 

「っていうか、ランキング一位の『Kaguya』と『Yuduru』って……」

 

「……はてさて、何番目の勝負だったのでしょう」

 

 狂三と揃えて、頭に浮かぶ二人を想像して微笑ましくなる。

 両者パーフェクトで超協力プレイしていた形跡を見るに、仲睦まじい四十九分けの一部ということは確かだろう。

 これは強敵だなと士道は苦笑し――――彼女たちを超えるという目標が追加された楽しい協力ゲームに、熱中したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お……」

 

 あの日と同じようにゲーセン内を狂三と巡っていた士道の目に、またもや懐かしいものが目に入った。

 クレーンゲーム機の中にある可愛らしい猫のぬいぐるみ。そう、かつて狂三にプレゼントした黒猫のぬいぐるみの白猫、つまり色違いが置かれていたのだ。

 それに目を奪われたのは何も士道だけではなく、目線を柔らかくし狂三も思い出に浸るように声を発した。

 

「懐かしい子ですわ。士道さんがわたくしの〝ハジメテ〟をいただいた時のものですわね」

 

「大分誤解が生じる表現だな!?」

 

 〝ハジメテ〟に込められた意味がわからないと、恐ろしい方向にぶっ飛びそうな発言に叫びを返すと、くすくすと相変わらず人を揶揄う笑いを狂三は見せた。

 

「けど、あなた様だけに通じる意味を持つのなら、悪くないと思いませんこと?」

 

「狂三、俺がお前の言葉なら大体肯定すると思ってやってないか……?」

 

「違いますの?」

 

「…………」

 

 違わないなぁ、としか言えない悲しい男の性というかなんというか。

 返す言葉を失い、コホンと咳払いを一つしてから士道は話の流れを戻すことにした。

 

「でも覚えててくれたんだな。俺が初めてプレゼントしたやつ。えーっと、確か二十……」

 

「二十二回、ですわ」

 

「……うん。二十二回の努力の結晶だな……」

 

 まあ、そうでもしないと商売が成り立たないのだから仕方がないのだが、改めて思うと〈ラタトスク〉の介入がないクレーンゲームはまさに〝沼〟そのものだった。

 狂三が士道を必死に止めることは数あれど、あれほど平和的に止めてくれたのはあの時くらいなものだな、なんてほほんと考えていると、狂三が財布から小銭を数枚取り出すところを目にし、キョトンとした顔を作る。

 

「狂三?」

 

「同じことでも、変化があれば楽しみは変わるもの――――せっかくですので、今度はわたくしが士道さんにプレゼントして差し上げますわ」

 

「え……――――――」

 

 さすがに、士道が持つには可愛らしすぎる。そう口にしかけたが――――その〝意味〟に気づいて、狂三が続けるであろう言葉を待った。

 

「うふふ。わたくしとのペアルック……受け取ってくださいまし」

 

「っ――――嬉しいよ。お嬢様」

 

 微笑みだけを、見るならば。愛する者に贈るための言葉。

 受け取る者の微笑みも、また同じである――――けれど、その悲劇的な覚悟の程を察すればそう返すしかないではないか。

 今は、まだ。顔に滲み出そうになる感情を押さえ込み、あくまで普通のデートを楽しむために士道は続けた。

 

「でも、取る前から言うには早すぎるんじゃ――――」

 

「取れましたわ」

 

「はやっ!?」

 

 僅か数コイン分の出来事に、狂三の行動力を知って慣れているはずの士道ですら驚きを隠せず戦いた。

 全くもって無駄のないアーム捌きは、とてもではないが初心者とは――――もしかして、隠れて遊びに来てたのか? なんて思いながら、上機嫌に取り出し口からぬいぐるみを手に取る狂三を見て、士道は感嘆を顕にした。

 

「……狂三ってさ、できないことを数えた方が早くないか?」

 

「あら、そんなことはありませんわ。到達し得ないものというのは、誰しも多いもの。わたくしであれば――――――」

 

 言って、士道の手に白猫のぬいぐるみを握らせ――――その隙に、人差し指を士道の唇に押し当てた。

 

 

「ッ……!!」

 

「あなた様の心を奪うことは、わたくしが人生でもっともできなかったこと(・・・・・・・・)に、当たりますわね」

 

 

 ニコリと、魔性が笑う。

 ああ、ああ。そう、なのだろう。きっと、時崎狂三という少女の世界で、一番愛しい男であり、一番手をやかされたのが五河士道という男なのだ。

 なんと愛しいことか。なんと光栄なことか。

 

 でも、少しだけ、間違っている。

 

 

「悪いな――――好きな女は、困らせたくなるタイプでね」

 

 

 不敵に微笑み返すその裡に――――心など、とうの昔に奪われていたのだと、少年は告白した。

 

 もう少し、あと少し――――気付かれていないのなら、この時間を。少女の手を握り、少年は切に願った。

 







多分それなりに思われてたであろうマナティって何してんの?の答え。琴里が綺麗に足止めしていた、でした。なお首謀者は琴里だが実は共犯もいた模様。一体村雨なに音なんだ……。


時計の針は巻き戻っているように見えて、少しつづ前へ進む。心は受け入れていても、想いは終わりを拒絶する。だから、あと少しだけと。――――さあ、最後に残された時崎狂三を、開け放ちましょう。

次回、『過日の罪業』。過ぎ去るはずの記憶は、今なお続いている。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十一話『過日の罪業』

 

 同じ道を辿り、違う思いを馳せる。

 同じなのは道だけ。考えも、経験も、何もかもが――――宿す決意の程さえ、比較にならない。

 天宮駅前に聳える駅ビル内にて、狂三と二人で足を揃えてショーウィンドウを眺めながら、ふと士道は彼女へ問いかけたくなった。

 あの日の疑問の一つ――――このランジェリーショップの意味を、士道は未だ知り得ていないのである。

 

「なあ、ずっと聞けなかったんだけど……狂三があの日、俺をここに連れてきたのって何か意味があったのか?」

 

 あの日のデートには、今日と同じく選択肢は存在しなかった。故に、狂三が行きたい(・・・・)と望んだ場所へ、士道は連れていったのだ。

 そのうちの一つが、このランジェリーショップだったわけだが……あの時、状況が流れてしまわなかったら、狂三は本気でここで選んでほしい(・・・・・・)。そう、思っていたのだろうか。

 狂三は、士道の問いに頬にぴたりと人差し指を当て、あの日の思考を思い起こすかのようにしながら声を返した。

 

「……どうでしたかしら?」

 

「おい」

 

 随分とすっとぼけた返しをしてくれた。まさか、自分で連れてきた場所の意味を忘れるような子ではないだろうと、士道が素早くツッコミを入れると、狂三も観念したように肩を竦めて続けた。

 

「さて……士道さんを揶揄うためだった、という記憶はありますけれど」

 

「やっぱり……けど、お前割と自爆して――――――」

 

「い・ま・せ・ん・わ」

 

 ……半年を超えてもあの日の自爆を認めないのは、さすがの筋金入りと評価するべきか、その強情さに呆れ返るべきか。

 どちらにしろ、狂三の負けず嫌いここに極まれり、かもしれない。まあ、自身が仕掛けた攻勢で自爆しました、など彼女のプライドが許さないのも無理はないが。

 

「でも――――あの日、あなた様に選んでいただきたいと言ったこと、嘘ではありませんわ」

 

「え……」

 

 驚いた顔を作る士道に、狂三は妖艶でいて可憐な微笑みを見せ、真実を語る。

 

 

「この時間を得て、わたくしの想いは更に大きく、強かになりましたわ。ですから、士道さんが望むのであれば、あなた様の選ばれた装束にて、今宵を――――――」

 

「っ……」

 

 

 息を呑んでしまったのが、自分でよくわかった。

 油断してはならないと、わかっていても動揺を隠せない。狂三が語る言葉の意味を理解できないほど、士道も子供ではない。

 士道が望むなら、構わない。狂三はずっと、そう口にしていた。今日この日を迎えて、気持ちは変わっていない、と。

 それは、極上の快楽を得られる、魔性の魅惑。僅か一瞬でも、彼女を手にすることが出来るのなら、惜しくはない。そう考えてもおかしくはない魅力があることを、世界で誰よりも士道が知っていた。

 

「――――悪いけど、それ(・・)は受け取れない」

 

 けれど、士道はそれを跳ね除けた。見上げる狂三の顔が、士道の答えに歪むのがわかった。

 

「そう、ですの。いえ、そうですわね。わたくしなど――――――」

 

「――――でも」

 

 間髪を容れず、言葉を遮る。そうして、このデートを見ている人には聞かれぬよう(・・・・・・)、狂三の耳元にそっと近づき、囁いた。

 

 

「君から貰うんじゃなくて、俺が奪う(・・・・)

 

「ぁ……」

 

 

 狂三の器官が急速に熱を帯びたのを認識し、全てを呑み込む孤独のようでありながら、純真な彼女に愛おしさを感じる。

 そうとも。貰うのではなく、奪う(・・)

 

「同情の一度なんて、冗談じゃない。俺たちの関係が次に行ったら――――もう容赦しないから、覚悟しとけよ」

 

「っ、……ふ、ふふ。それは楽しみですわ」

 

 持ち直しこそしたが、不敵に笑う士道に比べ、頬に赤みがかった狂三は些かぎこちなさが見て取れる。

 どうやら、カウンターは上手くいったようだ。正直、ここに至らなければ決して使えない手。この手の話題(・・・・・・)は、諸刃の剣と言ってもいい。場合によっては、男の欲望により積み重ねた雰囲気をぶち壊しかねないのだから。

 だとしても、ハッキリとさせておきたかった。同情と代償でなど、受け取りたくはない。士道のプライドの問題ではなく、欲望の問題(・・・・・)――――士道の狂三への欲は、その程度じゃ満たされない。

 それを感じ取らせることができたのか、狂三が困ったように笑い声を発した。

 

「……士道さんの欲、甘く見ていましたわ。てっきり、わたくしの身体には興味がないのかと」

 

「俺がどれだけ我慢してると思ってるんだ。大体、そういう意味でお前以外の誰に興味があるってんだよ……」

 

「いえ。未成熟な方が好みなのかと」

 

「人の性癖を想像で歪めないでくれないか!?」

 

 ていうか、精霊たちのことを思うと冗談にならないくて思わず苦笑いだ。男として、ないとは断言できないものの、現状は狂三にしか欲を見せたりはしない。……だからこそ、口にしたようにどれだけ我慢をしている(・・・・・・・・・・・)のか、狂三に知ってもらえたなら幸いである。

 

「さて、それじゃあ選ばせてもらおうかな」

 

「ええ。期待していますわ。士道さんがわたくしに、どのような欲を見せてくださるのか」

 

 ニっとお互いに微笑み合い、遂に店の中へ足を踏み入れる。

 色とりどりの花が咲き乱れるように、店の中には女性用の下着が幾つも並び、目移りをさせる。

 

「…………」

 

 この中から選んだ下着が――――そう考えると、冗談と受け取ったあの日とは比べ物にならない緊張感が、士道の心臓を揺さぶった。

 ここで選んだものを、あの狂三が――――男であれば、誰もが羨ましいと思うのだろう。士道だけが持つ絶対的な権利が、目の前で花のように燦々と降り注いでいる。

 じっくり、それでいて焦らさない数分間。これは、全てを成し遂げた後に、使われるもの。だから、今の勝負には関係がない。なら、士道が選ぶべきものは――――――

 

「狂三。これで、いいか」

 

 見繕った下着を見せると、狂三は少し意外そうな表情で士道が選んだものを手に取った。

 

「あら、あら。随分と可愛らしい……。ああいったものでも、わたくしは拒みませんことよ」

 

 狂三が楽しげに笑いながら指し示した下着は、精緻な生地で縫われた扇情的なものであったり、シースルー素材で作られた非常に際どい代物であったり……とにかく、男心を嫌でもくすぐられる類だった。

 対して、士道が選んだものは少しそういった扇情的なものからは外れた大人しく、狂三が言うように可愛らしい()の下着。

 拒みません、などとはっきり言われては、士道も男として揺れない心がないわけではない。けれど、士道は真っ直ぐに、それを選んだ意味を告げた。

 

 

「ああ。正直、心が揺れないって言ったら嘘になる――――――けど、着飾りすぎないくらいが、狂三の美しさにはちょうどいいのさ」

 

 

 素朴で、単調で――――しかしそれが、狂三の〝良さ〟を全て余すことなく映し出してくれると、士道は確信していた。

 ただ、一つ。士道がこうであってほしいと願い、欲を入れてしまったものがある。それもいっそのこと、伝えてしまおうと続けた。

 

 

「それに――――狂三は、世界で一番〝黒〟が似合うから。それを贈りたいと、思ったんだ」

 

「……まあ、まあ」

 

 

 頬に手を当て、恥ずかしげに微笑む狂三。

 それは、間違いなく士道の欲。色を決める瞬間から、それ以外は目に入らなかった。

 黒を纏う彼女は、美しい。黒という色は、彼女のためにある。そんな錯覚を感じたとことさえあった――――今なら、断言できる。黒という色は、時崎狂三のために生まれたのだ、と。

 自らの意志を貫く光沢。麗しの漆黒。それは士道にとって眩しく、輝いて自分の世界を照らしてくれた。

 

「好む色ではありましたけれど……いざお褒めに与るのは、照れてしまいますわね。愛しい人からの賞賛ともなれば、なおさら」

 

 士道の言葉、一つ一つを噛み締めるように、刻み込むように。想いを抱きしめて、狂三は言葉を返す。

 

「……ええ、ええ。あなた様が、そう仰るのであれば、わたくしはわたくしに一番似合う装束を纏いましょう――――――もっとも、それを士道さん自身が見ることが叶わないのが、悲しいですけれど」

 

「――――そいつは、どうかな?」

 

 未来は、まだ決まっていない。そう微笑んだ士道と、定めた過去(みらい)へ進む狂三。

 

 あと、少し。もう少しだけ――――――そう願える時間も、終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あれ絶対夜の約束だって!! 間違いないって二亜ちゃんを信じなさいって!!」

 

「よ、夜……ご、ごくり……。これは胸が高鳴っちゃいますぅ」

 

「私は冷静。私は冷静。私は冷静――――私は、冷静」

 

「夜……? 夜のデェトというものがあるのか!?」

 

「は、初めて聞きました……」

 

「二亜、美九、シャラップ。それ以上十香と四糸乃に変なことを教えないで。気持ちはわかるけど折紙も頼むからそのままでお願い」

 

 ――――あの現場と、どうしてここまで温度差が出てしまうのか。

 〈フラクシナス〉艦橋にて、大騒ぎする精霊たちへあれやこれやと指示を飛ばしながら、琴里は何本目かのチュッパチャプスを口に加え直した。

 ……取り敢えず、艦橋上部に用意された予備席に真那と精霊たちを座らせているのだが、席が席の役割を果たしていないくらいには大騒ぎである。

 特に、ランジェリーショップの一件からはもう酷い。酷すぎて収拾がつかないと諦めるくらいには。意味がわかっていない純真な子はともかく、自重しない子たちの世話までは難しいと言わざるを得なかった。

 

「まったく……」

 

 息を吐いて、なおも騒ぎ続ける精霊たちからメインモニタへ――なお、真那の席がガタガタと猛烈に震えているのは見なかったものとする――視線を移す。

 士道と狂三がランジェリーショップを後にし、雑談を交えながらゆっくりとした足取りで次の目的地を目指していた。

 琴里が注視したのは、その画面端の数値。狂三の精神状態を示すもの。

 好感度はとうに限界を超え、しかし封印可能には至らない。

 精神面では安らぎを感じながら、同時に強い負荷が掛かっている。そしてそれは、今なお数値が上昇し続けていた。

 

「……難儀な子ね」

 

 狂三の精神は、何一つ嘘をついていない。だからこそ、琴里はそう難しい声音で吐き出す他なかった。

 誰に許されるつもりもない。そうして狂三は、救いを拒む。強靭な覚悟は、心の壁薄皮一枚――――その薄皮は、どれほど言葉を尽くしても貫けなかった狂気(けつい)

 士道と共にいたい。けれど、自分は士道を殺すのだと。二律背反の想いは、狂三を常に蝕み続ける。矛盾した感情の行き先は、全て時崎狂三に収束する。

 俯瞰で見ていては、決して理解し得ない矛盾の塊。それが今の『時崎狂三』だ。矛盾するが故に絡み合い、螺旋を描く、何よりも強固な意志。

 それを崩せる術はあるのか――――それを考えた時、琴里は結論を言の葉にして零していた。

 

 

「――――そろそろ、決着かしらね」

 

 

 琴里がぽつりと零した言葉だったが、勝手に盛り上がっていた精霊の誰もがそれを聞き逃さず、意外そうな顔で琴里を見やる。

 

「討議。それはどういうことでしょうか」

 

「むん。まだ、夕刻に差し掛かる前じゃが……」

 

「……琴里はわかるの? 士道の考えてること」

 

「んー、どうかしらねー」

 

 七罪の問いにわざとらしく曖昧に返すと、耶倶矢がすかさず切り込んできた。

 

「ちょっと、それ絶対わかってる言い方じゃん!!」

 

 教えてよ、と声を上げる耶倶矢と、表情で追従する精霊+真那。

 それを見て、琴里は仕方なくメインモニタから視線を外してわかっていることを言葉にした。

 

「私だって大したことはわかってないわ。でも、あの二人があの日のやり直しだ、って言うなら――――相応の場所があるじゃない」

 

 真那ならわかるでしょ、と目をくれてやると、察した真那が目を見開いて返した。

 

「まさか、あの時の……?」

 

「そういうことね。あの二人が一度は袂を分かった場所――――実際は場所なんてどうでもよくて、意味合いがほしいだけだとは思うけれど」

 

 結局、最後に必要な儀式のようなものなのだろう。

 二人とも、想いは固まっている。それぞれの〝答え〟を用意している。だけど、その〝答え〟を出す瞬間を躊躇っているに過ぎない。

 意味合い。言うなれば、踏み出す意味(・・・・・・)を持てる場所なら、どこだって構わない――――逆説的に、それがなければこの二人は続けてしまう。居心地のいい、二人だけのデートを。

 人の想いは、覚悟の一つで踏み切れるほど楽なものではない。それがずっと続いてきたものなら、尚更だ。

 そして、それにピリオドを打てるほどの力があるカードは――――――たった一つだけ。場所も、タイミングも、二人は理解している。理解しているから、恐れている。それは重圧となり、精神に負担をかける……琴里が読み取れたのは、その程度だ。

 

 

「あとは、士道の〝答え〟がどんなものかだけど――――士道が私たちに隠すくらいだから、とんでもないってことだけは保証するわ」

 

 

 士道という少年は、隠し事ができない。できないから正直で、真摯なのだ。それが武器になり、精霊たちを攻略する要になったと言える。

 しかし、これまでと違い、士道は己のやりたいこと、すべきことを沈黙(・・)で通した。信頼する琴里にすら、口を割らなかった。

 つまりこれは――――琴里に言えば、間違いなく反対(・・)するやり方という証明に違いないだろう。

 極力軽い口調で、と思ったのだが、固唾を呑んだ精霊たちを見るに、意味があったのかは怪しかったが……覚悟をしてもらう(・・・・・・・・)には、いいさじ加減だったかもしれない。

 琴里は士道を信じる。士道の紡いだ道を、司令官が信じずして誰が信じてやるというのか。

 賽は投げられた。士道と狂三、そして琴里も、勝負が終わる瞬間まで決めたカード(切り札)を掴み続ける。

 機を逸することは、即ち死を意味する。ならば、琴里の役割は決まっている。機を、決して壊さないこと。

 

 

「――――信じてるよ、おにーちゃん」

 

 

 唯一それだけが、五河琴里にできることなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 楽しく感じられる時間ほど短く。

 苦しく感じられる時間ほど長い。

 

 主観的に感じる時間は、脳がそう感じるから体感によって変化する。それが簡単な相対性理論の一つ……だったはずだ。

 なら今、士道にとっての体感時間は――――恐ろしく、短かった。

 同じ店で遊び、同じ店で食事を摂り、同じ店で買い物をして。

 ゆっくり、ゆっくりと、どうかこの時間が長く続きますように。そう願って、けれど時間は儚くて――――――定めた終わりの地へ、辿り着いた。

 空は夕焼け(・・・)に覆われ始め、あと数時間もあれば月明かりが士道たちの街を照らすことだろう。

 まだ行きたい場所がある。見せてやりたい景色がある。でもそれは、叶わない。

 いつまでも、先延ばしにはできないから。幾ら幸福だと考えていても、二人は答えを出さなくてはならないから。それが自分のためであり、互いのためだから。

 

「士道さん、覚えておられまして? この場所を」

 

 この公園(・・)のベンチに並んで腰掛け、狂三が口にした言葉へ即座に返答した。

 

「……忘れられるかよ。今でも、たまに思い出すんだからな――――お前に、フラれたこと」

 

 恨みがましい視線を向けてやれば、狂三がくすくすと笑いながら声を返した。

 

「まだ引きずっておられたのですね」

 

「むしろ、一生忘れん。女々しいって言われても、俺にとっちゃ世界が滅びるより大変だったんだからな」

 

 あの日、この場所で。士道は狂三の目的の一部を知り、仮面を被った彼女の言葉に、一度は心を折られた。

 もし仮に、あれが真実の言葉だったとしたら、士道の心は二度と修復できなかった……かもしれない。まあ、もしもの話であり、ありえない過去の話でもある。結局は、その瞬間にならなければ人の心などわかりはしない――――――今、その瞬間は訪れようとしている。

 士道の女々しい言葉にも、呆れることなく微笑ましげな顔を見せた狂三は、

 

「――――士道さん、ハッピーバレンタイン」

 

 まるで、マジシャンのよな手さばきで、一瞬にして可愛らしい箱を士道に差し出した。

 そう。今日の本命の一つ。バレンタインチョコ、というやつだろう。

 ありがたくそれを受け取り、返すように士道も一つの小さな包みを取り出した。

 

「ありがとう。――――じゃあ俺からもだ。ハッピーバレンタイン、狂三」

 

「あら、あら……」

 

 意外そうな顔の狂三に、士道はチョコの意味を丁寧に説明し始めた。

 

「逆チョコだ。こうすれば、来月も(・・・)狂三からチョコを受け取れるだろ?」

 

「まあ、士道さんったら欲張りですこと」

 

「おうよ。お互い十倍返しといこうじゃないか」

 

 得意げに笑えば、狂三が「なんですの、それ」と可笑しそうに笑いを返す。

 バレンタインで互いにチョコを贈りあって、ホワイトデーでお互いがまた贈り合う。なんとも、おかしなことをしているとは思うが、したかったのだ。

 先の未来は、あるのだと。これが最後なんかじゃ、ないと。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ひとしきり笑い合って、無言で見つめ合う。

 

 もっと触れ合いたい。もっと話していたい。もっとデートがしたい。

 

 言葉になどしなくとも、伝わる関係がある。士道と狂三は、まさにその関係だ――――けれど、言葉にしなければ伝わらないものも、ある。

 

「――――――」

 

 逡巡はきっと、士道の中に残された最後の迷い。

 

 言わなければ、ならない。士道から、告げなければならないのだ。それを狂三に言わせるのは、卑怯だ。

 全てを、知る。それが士道の〝答え〟を真実にするために必要なこと。

 『時崎狂三』が生まれた理由。積み上げた命を対価とし、世界に抗う宿命を背負った狂三の、過去(・・)

 

『――――その時に、〈囁告篇帙(ラジエル)〉で調べてほしいことがあるって頼まれたんだよね。で、そのうちの一つが、今話題の『始源の精霊』……三十年前(・・・・)、この世界に現れたその精霊を生み出した状況、位置、原因――――そいつを討滅(・・)する方法』

 

『そして――――開示された情報を元に、三十年前の時点で始源の精霊の存在を〝なかったこと〟にする』

 

『えぇ、えぇ! わたくしは救われますわ!! でもわたくしは救われても――――――あの人は救われない!!』

 

 数々の言葉が、叫びが、脳裏に甦る。

 愛した者さえ犠牲にして、狂三が成し遂げたい目的――――始源の精霊へ辿り着くこと。

 時崎狂三が胸の裡に抱える覚悟、決意、願い――――それらを知った今、士道が知らない狂三は、一点。

 

 原初の罪業。矛盾した少女と精霊が併せ持つ、過去。

 

「……なあ、狂三」

 

 だから、士道は声を発した。

 

「はい、士道さん」

 

「教えてくれ。お前が取り戻そうとするものを――――『時崎狂三』のすべてを」

 

「――――――っ」

 

 悠然と、超然とした表情を見せる狂三の、動揺があった。

 張り詰めて、凍り付いた表情。狂三が自らの過去に触れられた瞬間に見せる、強い否定の意志。しかし、もう士道は恐れ退くことはできない。

 ここしかないのだ。ここを過ぎれば、互いに同情と迷いを抱えて、救われない未来へ時は進む。

 

「教えて、くれ」

 

 故に士道の意志は、狂三を貫くに足る。揺れる紅い瞳と、隠された時を刻む左目を、真っ直ぐに。

 彼女の中にある恐れ(・・)を、打ち消すように。

 

「――――これが最後の務め、なのでしょうね」

 

 決意が躊躇いを打ち消すことができたのか。それは定かではない。

 だが、狂三は確かに言葉を口にした。

 ゆっくりとベンチから離れ、前へと歩く、歩く、歩く。士道が合わせるように立ち上がった瞬間、狂三もまた相対するように振り返った。

 演劇のワンシーンを生み出すかのように。舞台の最終局面を演じるかのように。

 

 狂三が右手を頭上に掲げる。それが天使の召喚ではなく――――かつて、狂三自身を追い詰めた時に見せたものと重なると、士道だから気づくことができた。

 

 重苦しい耳障りな音色――――空間震警報が街に鳴り響いた。

 

「……」

 

「待機させていた『わたくしたち』が、遠く離れた位置にて空間震を呼び起こしました。全ての目は、そちらへ向かうことでしょう」

 

 動揺を見せない士道に、狂三が淡々と警報の意味を説明してくれる。

 分身の『狂三』を利用しての空間震。これから先、何が起ころうとASTもDEMも現れることはない。囮の空間震、そして万が一に備えた『狂三』が全ての目を引きつける。

 そして、唯一残された〈ラタトスク〉も手を出して来ない。なぜなら、士道自身が封じているからだ。

 掲げた手を狂三が下ろす頃には、世界は変わっていた。

 人の音も、街の音も、何もかもが存在しない静寂。

 

「……本当の意味で、二人っきりだな」

 

「ええ。もう、後戻りはできませんことよ」

 

 冬の空気だけが冷たく二人を撫でる。世界に取り残された、二人。

 ああ、ああ――――最高のシチュエーションじゃないかと、士道は不敵に笑った。

 

 

「後戻りなんて言葉――――狂三に心を奪われた日から、捨ててるさ」

 

 

 そうして、狂三からの最後通牒を撃ち抜く。

 

「――――なら、受け止めてくださいまし」

 

 蟠った〝影〟が歪み、狂三の身体を覆い尽くす。

 腕に、身体に、足に、髪に。それぞれの影が移ろい、この世ならざる鎧を産み落とす。

 鮮血の紅と、純黒の悪夢。顔を上げた彼女の目には、双極の魂魄が宿る。

 

 

「わたくしの罪過の、すべてを」

 

 

 主の意志を継いで、過去と未来を知ろしめす天使が浮かび上がった。

 羅針盤から影が蠢き、狂三の手にした細緻な意匠が施された短銃の銃口へ力を与える。

 時が止まったような世界で、狂三は自らのこめかみに銃を突きつけた。

 狂三にとって、その仕草は――――許されぬ罪を背負った、証なのだと言うかのように。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 

 引き金は落ち、静寂の世界に重音が奏でられる。

 

 それは、禁じられた過去へ誘う音。

 

 それは、世界へ反逆する精霊が生まれた日。

 

 それは、正義を信じた、心優しい少女の記憶。

 

 ――――閉ざされた錠が、落ちる音がした。

 

 

 







最後に必要だったのは、きっかけという後付け。だって、そうしなければ、続けたくなってしまうから。距離なんて、とっくの昔にゼロになっていたんですよ。デートという儀式を必要としたのは……関係の進展ではなく、決意を定めるため、だったのかもしれませんね。

五河アンサー、残すところ二話となりました。ついにここまで来ると、本当に感慨深いですね。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十二話『長き戦争(デート)の終焉』

 時崎狂三をどういう人間かと問うたのなら、狂三を知る全ての人が揃ってこう答えるだろう――――心優しい少女、と。

 品行方正。絵に書いたような優等生。それが時崎狂三だと。

 裕福な家に生まれ、子煩悩な両親に育てられた狂三。そこに不自由も不満もなく、しかし付け上がることもなければ鼻にかけることもなく。

 誰かを恨むことも、誰かに恨まれることもない。平穏で幸せな毎日。そこで、終わらなかった。思考を止めず、抱えてしまった少女の優しさであり、罪。

 

 ――――恵まれるが故に感じた、無力感。

 

 環境か、教育か、或いは生来から併せ持つ性分か。狂三の胸には、小さくない感情が蟠っていた。

 艱難辛苦。理不尽な条理。弱肉強食、と言えば聞こえはいいか。

 それらが世界に蔓延し、だが狂三は見ている事しか出来ない。無常に、時は平等に過ぎ行く。

 

 世界とは、そういうものなのだ。そう、大半の人間は折り合いをつけ、生きていく。なぜなら、関係がないから(・・・・・・・)

 見て見ぬふりをして、己の幸せを守る。それもまた人の生であり、正しい道だ。

 ただ、そうでない……勇敢な生き方を選ぶ者もまた、正しい。

 

 しかし――――時としてそれは、両方が間違えた道になる時もある。

 

 誰かを救える手を持ちながら、己が身の可愛さに選択をしないことは、愚かであり臆病。

 己の手を超えて、誰かに手を差し伸べようとすることは、勇気ではなく無謀。

 

 彼女は、恐らく後者であった。けれど、それ(・・)は本来起こりえないことだった。

 狂三の裡にある甘く、幼稚な正義感は、消えることはなくとも、誰かに見せることもない。

 誰かに手を差し伸べることができるのなら。自分にも、何かができるのなら。

 そんな想いを抱えて、狂三が日常を生きることができたなら。きっとそれは、正しい生き方になったはずだった。

 

 理由を言葉で表すのなら、運命の悪戯と呼ぶもの。そんな彼女だからこそ、開かれてしまった宿命。

 

 ――――その日は、突如としてやってきたのだ。

 

 

 変わらぬ日々、夕暮れ時。

 

「ねぇ、紗和さん」

 

「はい?」

 

 狂三は、級友と変わらぬ日常の会話を交わし、帰路についていた。

 山打沙和。栗色の髪を三つ編みに結わえた、素朴な少女。どこに出しても恥ずかしくない……と表現するのはおかしいが、時崎狂三が恥じ入ることのない親友である。

 そんな紗和が小首を傾げたのを確認してから、狂三はコホンと息を整え言葉を続けた。

 

「明日、何か予定はありまして? もし何もなければ、また家にお邪魔したいのですけれど」

 

「はい、それはいいですけど……あ、もしかして、またマロンを撫でたいんですか?」

 

 ふふっと微笑む紗和にギクリとした表情を見せてしまった。

 マロンは紗和の家で飼われている猫の名だ。アメリカンショートヘアで、それはもう大層人懐っこく、狂三もマロンの魅力にメロメロ――――閑話休題。

 

「い、いえ、そういうわけではないのですけれど。ほら、また一緒にお勉強がしたいと思いまして……」

 

「ふふ、ではそういうことにしておきましょう。是非いらしてください。でも、そんなに猫がお好きなら、狂三さんも飼えばよろしいのに」

 

「……母が猫アレルギーですの」

 

 飼えるものなら頼み込んでいる。これでも、甘やかされている自覚はある狂三だったが、猫のためなら使えるものは使う主義を主張したかった。が、この通り両親に迷惑をかけてまで私情を押し通す気にはなれなかった。

 

「なるほど。では将来一人暮らしをするまでお預けですね」

 

 そう言って、紗和は笑顔を見せて手を振りながら自分の家の方角へ別れた。

 手を振り返し、紗和の背が見えなくなってから狂三も帰路への道を再開する。

 これもまた、平和な日常。こうして友人にも恵まれ、狂三自身には何一つ不満はない。狂三自身には(・・・・・・)、だが。

 力のない、ただ子供な自分に今できることはない。心の奥をちくりと刺すような痛みに、そう言い聞かせて狂三は歩く。

 

「……え?」

 

 平和な日常は、そんな平凡な一声で〝異常〟と化した。

 

「な、何ですの、これは……」

 

 困惑と、恐怖。

 人も、動物も、あらゆる音でさえも、消えた。残されたのは狂三と、狂三から生じる音だけ。

 まるで、自分だけが異世界に迷い込んだ、不可思議な現象。

 とにかく、離れるしかない。そう考え、走り出した狂三だったが――――――

 

「な……」

 

 その足は、止まる。

 止まらざるを得なかった。そのまま進めば――――〝怪物〟に押しつぶされていただろうから。

 黒い影が人の形になったような、この世ならざる怪物。身体からはぼんやりと光が立ち上がり、悲鳴とも、咆哮とも取れる声を上げていた。

 

「ひ――――ッ!?」

 

 殺される、と。

 誰もが思う。こんな怪物を見れば、当然だろう。彼女にはまだ、怪物に立ち向かう土台がない、力がない。しかし、逃げられるだけの冷静さも、なかった。

 逃げようとした足がもつれ、その場に尻もちをついてしまった。

 

「きゃ……!!」

 

【――――――――】

 

 怪物が、近づいてくる。逃げられない。逃げられたとしても、どこへ逃げ遂せると言うのか。

 

「い……いや……っ!!」

 

 身を竦ませ、最悪の未来を想像して思考を凍らせる。家族、友人、皆の姿が走馬灯のように浮かび上がり、そして――――――

 

 

「――――大丈夫?」

 

 

 危機は、一声で過ぎ去った。

 

 一瞬の閃光と、爆発音。怪物と入れ替わるように現れた、少女。

 

「え……あ――――え、ええ……」

 

 それが自分に掛けられた言葉だと気がつくのに数秒を使い、狂三はようやく彼女の姿を見た。

 ――――美しい、少女だった。

 長い髪を靡かせ、物憂げな色の瞳と表情は、彼女の神秘性を引き立てている。身に纏ったこの世のものとは思えない光を帯びたドレスを交えると、さながら天使か女神――――或いは、神様。

 思考が回復を果たし、理解する。彼女が、自分を命の危機から救ってくれた恩人なのだと。

 

「あ、ありがとうございます。助かりましたわ……――――今のは、一体……」

 

 差し伸べられた手を握り、どうにか立ち上がった狂三が浮かべた疑問。それに答えるように、少女は目を伏せ返した。

 

「――――精霊。世界を殺す、怪物だよ」

 

「精霊……」

 

「……そう。それより、君は一体誰? なぜこんなところにいるの?」

 

「あ……申し遅れました。時崎狂三と申しますわ。なぜこんなところにいるのかは……わたくしが聞きたいところですけれど」

 

 生を受けて十と七年。少なくとも、狂三が蓄えた知識に正確な解答は存在し得ないと断言してもいい。それだけの超常現象が起こったのだから、狂三の言葉は紛うことなき本音だった。

 それを聞いた少女はふむ、と顎に手を当てて声を発した。

 

「……自然に迷い込んだ? ふむ、もしかしたら君には適性があるのかもしれないな」

 

「は……?」

 

 彼女が何を言っているのか……混乱した頭にはさっぱりだったが、少女は困惑する狂三の目を真っ直ぐに見つめてきた。

 

 

「――――突然ですまないのだけれど、狂三。君は、力が欲しくはないかい?」

 

「力……ですの?」

 

「……ああ。私と同種の力が、欲しくはないかい? きっと君ならば、霊結晶(セフィラ)に適合する。もし君さえよければ――――私と、世界を救って欲しい」

 

「――――――」

 

 

 あまりに現実離れした、荒唐無稽な言葉。

 常識があるなら、手に取るに値しない――――その常識は、今まさに破壊されてしまったのだけれど。

 故に、狂三の中にあったのは不安と――――それを遥かに上回る、心の裡にある衝動。

 だから、時崎狂三が彼女の言葉を受け入れてしまうのは、必然であったのかもしれない。

 

「よかった。君がいてくれたら、百人力だ」

 

 それは、神の思し召し、とでも言えばいいのだろうか。

 

 

「――――よろしく、狂三。私は崇宮澪。いわゆる……正義の味方だよ」

 

 

 そうやって、神様は残酷に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ミ、オ」

 

 記憶の奔流、時の交差路。混ぜ合うように、体感してしまう。

 人の記憶を、己のように。それこそが回顧の力。時崎狂三の生涯と、始まりを(・・・・)

 その中に現れた謎の少女――――崇宮澪(・・・)

 『崇宮』――――真那と同じ苗字。

 『ミオ』――――忘我の淵にて、士道が口にした名前。

 全くもって理解ができない。意味がわからない。考えようとするほど、酷く頭が痛む(・・・・・・)

 今はそれより、語らなければならないこと、見なければならない光景が、ある。

 

「……狂三、お前もやっぱり」

 

「そう。わたくしも人から精霊へ――――崇宮澪から、霊結晶(セフィラ)を受け取った人間だった、ということになりますわね」

 

 この空間において、距離ほど無意味なものはない。

 そこにいると思えば、いる。だから士道が言葉を発すれば、狂三もまた言葉を返す。

 崇宮澪なる少女から霊結晶(セフィラ)を譲渡され、精霊になった。それはまるで、〈ファントム〉から霊結晶(セフィラ)を渡された琴里たちと同じ。

 違う点があるとすれば、それは――――――

 

「――――わたくしには、選択肢があった」

 

「っ……」

 

 心を見透かしたように――――いや、事実として見透かした、のだろう。意識を共有する領域というのは、そういうことだ。

 狂三が目を伏せて発した言葉、士道には意味を正しく理解できる。

 〈ファントム〉が精霊の力を与えてきた確証のある精霊たちは、共通して心の隙間(・・・・)といえるものがあった。言うなれば、それを受け取ってしまう状況、とでも呼ぶべきか。

 ともあれ、追い詰められた彼女たちは選択肢など存在せず、縋るように精霊の力を手にした――――狂三は、違う。

 彼女は日常を謳歌し、そこに無力感はあれど不安はなかった。しかし、だからこそ狂三は手に取ってしまったのだろう。引き返せる道を、引き返せない道にしてしまったのだろう。

 

 高潔な正義感。性根がもたらす優しさ。それは正しいものだ。でも……。

 

「…………」

 

 否応なしに、時は進む。記憶は進む。絶望へと、進む。

 それを望んだのは士道だ。受け入れると誓ったのも士道だ。

 ああ、けれど……けれど。狂三から受け取った止めない思考は、否が応でも結末を予測してしまう。

 精霊と称される異形の怪物と、真に精霊である狂三。

 

 この先に、何が待ち受けているのか。それを知った時、五河士道は――――――

 

「士道さん……」

 

「――――続きを、視に行こう」

 

 気遣うように掛けられた声を、敢えて遮り士道は歩を進める。

 士道自身が選んだ道に、甘えは置いていく。震えそうになる足を、飛び出そうになる手を抑え、士道は記憶の奔流に身を委ねた。

 

「……はい」

 

 狂三はただ、そんな士道へ寄り添うように、身体を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とあるなんてことのない日常。

 

「……ううん」

 

 一人、トイレの中で鏡を覗き込んだ狂三は、そんな日常に入り込んだ非日常(・・・)な出来事に、少しだけ頭を悩ませていた。

 

「やっぱり、目立ちますかしら?」

 

 左目を覆う眼帯をずらした下にある――――黄金の時計と化した、己の瞳。

 鏡に映るそれは、メイクやカラーコンタクト、ましてや鏡がおかしくなった訳でもない。確かに、確実に、現実として、狂三の左目は〝時計〟になっていた。

 長針、短針、秒針まで付いている時計の目は、今もかちり、かちりと時を刻んでいる。

 先日会った謎の少女、崇宮澪。彼女から不思議な輝きを放つ宝石のようなものを渡されてから、狂三の左目は、身体は、常人のそれとは異なる進化を果たした。

 

「……うふふ」

 

 だが、狂三の身体を満たすものは、恐怖ではなく高揚感。使命感を伴う充実感であった。だから、少しだけ頭を悩ませる、なんて表現程度に収めてしまえる。

 

「――――狂三さん? どうかされたんですか?」

 

「……!!」

 

 と。高揚感に囚われて油断していた狂三に声がかけられた。

 慌てて眼帯を元の位置に戻し、声の主――――山打沙和へ誤魔化すように手を振った。

 

「い、いえ、なんでもありませんわ」

 

「……まだよくならないんですか? その左目」

 

「え、ええ。少し厄介なものもらいのようですわ」

 

 ……この言い訳でどこまで誤魔化し続けられるか、それも不安の一つかもしれない。かと言って、カラーコンタクトは怖く――――少し躊躇われる理由があるので、いっそのこと澪に相談してみようかなんて考えてみたりしている。

 そんな狂三の嘘を信じた沙和が「大変ですね……どうかお大事に」と狂三に気遣うように言ったのち――これは大変に心を痛めた――沙和が提案を思いついたように手を打った。

 

「そういえば、狂三さん。今日の放課後はお暇ですか? 叔母様が、マロンの兄弟を連れて遊びに来るのですけれど」

 

「え……っ!?」

 

 マロンの、兄弟? あの猫界でも上位の可愛さを誇るマロンの、兄弟と言ったのか?

 マロンの艶やかな毛並みと肉球の感触は、未だ記憶に新しい。その兄弟となれば……言葉で表現するのは難しい価値があると言えるだろう。

 素晴らしく魅力的な提案に飛びついてしまいそうになったが――――すぐに思い直す。今日は、どうしても外せない用事があるのだ。

 

「も、申し訳ありませんけれど、遠慮させていただきますわ……」

 

 苦渋の決断。断腸の思いとはまさにこの事か。苦しみながら言う狂三に、紗和は意外そうな顔で声を返した。

 

「あら、何かご用事が?」

 

「ええ……少し野暮用が。また、また是非誘ってくださいまし」

 

「残念ですけれど、仕方ありませんね。ではまたの機会に」

 

「絶対、絶対ですわよ?」

 

「え、ええ。わかりました」

 

 念を押すことも忘れず、狂三は絶対に外せない用事――――澪との約束へ、向かう。

 

 

 

「――――〈神威霊装・三番(エロヒム)〉」

 

 ビルのフェンスを飛び越え、その身に輝く霊装(ドレス)を纏う。

 目標は、暴れ狂う氷の精霊(・・・・)――――曰く、世界を殺す怪物。

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉!!」

 

 名を謳う。天使、澪から与えられた力・〈刻々帝(ザフキエル)

 

「まったく、間の悪い時に来てくださいましたわね――――今日のわたくしは、少しばかり機嫌が悪いですわよ」

 

 精緻な細工が施された二挺の古式銃を手に、狂三は隠すことのない苛立ちを銃口と共に精霊(かいぶつ)へ向けた。

 

 

 

 ――――精霊を倒し、世界を救ってほしい。

 

 まるで、お伽話の謳い文句。それをあの不思議な雰囲気を纏う自称『正義の味方』、崇宮澪に言われ、まさに世界を救う力を手にしたのだから、事実は小説よりも奇なり、だろうか。

 澪が操る結界、のような空間で、〝敵〟である異形の怪物、精霊を打ち倒す。それこそが、時崎狂三の使命なのだ――――なんて、友人や家族に話そうものなら、出来の悪く、らしくない冗談だと笑われてしまうだろう。

 けれど、本当のことなのだ。常識を外れた超常現象を引き起こす者と、同じだけの奇跡を以てそれを討つ者。

 

 現実を受けいれた狂三は、斯くして精霊を狩る『正義の味方』――――の新米、といったところか。

 

 命を失いかねない行為。そんなことはわかっている。だが、この命は澪に救われたものだから、その恩義に報いたい気持ちがあった。

 何より、狂三の心を動かしたのは己の願い――――奥底に秘められた感情が、今ようやく動き出したのだ。

 為したいことを、為すための力。何かを救える力があるなら、狂三はそれを受け入れる。

 それは確かに、狂三の心に空いていた穴を埋めるに足る、素晴らしいものだったのだ。

 

 

 だから、殺した。

 

 

『……だ、めだ』

 

 

 殺して、殺して、殺して――――殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺した。

 

 

『やめて、くれ……』

 

 

 世界を、友を、家族を守るため、殺した。

 

 信じるべき正義と、信念のために。

 

 

 

『――――やめてくれっ!!』

 

 

 

 時崎狂三は、精霊(かいぶつ)を殺し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――う、あああああああ……っ!!」

 

 吐き出してしまいたい。血を、異物を、何もかもを。

 乖離する。士道の感情と、狂三の記憶が。相反し、混濁し、否定と肯定の狭間を駆け巡る。

 

「士道さん!!」

 

「なんだよ、そんなの……こんなの、ないだろ……っ!?」

 

 否定したい。無くしてしまいたい。だって、それは、あまりにも――――残酷すぎるじゃないか。

 正義を信じて、誰かを助けたいと願った少女が、間違いだったとでも言うのか? そんなはずは、ない。

 少女は、記憶の少女(・・・・・)は正しいものだと胸を張って生きている。それを体感してしまっているから、士道はこの先に待つ運命を、悲劇を理解して、乖離、剥離する。

 自分の感情と、体感する感情は共存できない。反発し合い、しかし同一化しようとして、心は矛盾する。

 今にも、壊れてしまいそうだった。それでもなお、残酷に進む――――時は、進む。

 

 

「――――――ぁ」

 

 

 

 映る光景は、炎。

 

 炎を纏った異形が、強大な〝敵〟と狂三は戦う。五十を超える(・・・・・・)怪物と戦ってきた狂三は、もはや怯むことなどない。

 

「これで――――終わりですわ……ッ!!」

 

【――――――――】

 

 甲高い銃声と、倒れ伏す炎の怪物。

 

 生きている。生きて、狂三へ手を伸ばしている――――殺さなくては。

 

 

『……やめろ』

 

 

 世界の滅ぼそうとする〝敵〟をまた一つ討ち滅ぼすことができた。この〝敵〟も、早く撃ってしまおう。

 

 

『やめろ……っ!!』

 

 

 だって今日は、急がなくてはならない。友人の紗和と、約束がある。またマロンの兄弟がやってくるというのだ。

 大変喜ばしい、楽しみだ。もちろん、紗和と共に過ごす時間も、含めて。

 

「――――しつこいですわよ」

 

 だから――――――狂三は伸ばされた手を払い退けるように、最後の銃弾を撃ち込んだ。

 

 

 

『やめろおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――ッ!!』

 

 

 

 それは、衝動だった。スクリーンを破り去るように、悪夢を映す鏡を砕くように。

 ただ、衝動だけで、士道は狂三(かこ)の銃口の前に立ち塞がり――――――銃弾は、士道を抜けて、精霊(かいぶつ)の頭蓋を撃ち抜いた。

 

 

「ぁ……あ……っ」

 

 

 無様にえずいて、両の目から枯れ果てるほどの涙が――――倒れそうになる身体を、狂三が抱き止めた。

 触れられる、狂三(いま)が、優しく諭すように声を発した。

 

「士道さん……これは、過去。もう、終わったことなのですわ」

 

 だから気に病むな。悲しむな。そう言うのか――――――時崎狂三が、それを言うのか?

 

「――――終わってなんか、ない」

 

 狂三の霊装を握り、噛み砕かんばかりに歯を食いしばった。

 この血に濡れた霊装が、狂気(けつい)が、何よりの証ではないか。

 

 

「何も、終わってないだろ!! お前の中で、何も終わってないから……っ、こんなに、痛い(・・)んじゃないか……っ!!」

 

「っ……」

 

「今が残ってるから、こんなに痛くて、苦しくて……だから、狂三は――――――」

 

 

 ずっと、戦っている。

 

 終わってなどいない。蝕んでいる、犯している。時崎狂三の中で、この猛毒は続いている。

 悲しみと絶望は、永劫に渡って咎人として狂三を苦しめる。それがわかってしまうから、士道は身体に流れる血が沸騰し、逆流しそうになる苦しみを味わう。

 

 狂三は、泣かないんじゃない――――生み出した悲劇で流す涙など、当に枯れ果てたのだ。

 

「く、ぁ……」

 

「士道さん、もう……」

 

 ここまでにしよう。十分だ。わかりきったものを見て、聞いて、体験して、何になる。誰が救われる――――狂三を救うために、視ている。

 

「っ――――大丈夫だ……!!」

 

 立ち上がり、振り返る。目を逸らすな。結末が変えられなくとも、決まっていたとしても、五河士道は視る義務がある、責任がある――――資格が、ある。

 ちぐはぐな心が、砕けて消えてしまいそうになる。

 それでも、士道は立った。立って――――因果の始まりを、観測した。

 

 『時崎狂三』の始まりを、焼き付けた。

 

 

 

 

 

「――――そうですわ」

 

 精霊を倒す狂三と、あとの始末をする澪。そんな慣れたやり取りの後、澪の結界から出る手前で、狂三は思いついた。思いついてしまった(・・・・・・・・・)

 大層な理由など、なかった。ただ、いつも憂いを帯びた表情しか見せない澪も、可愛い猫と触れ合えばきっと笑顔になる。友人なのだから、誘うことに違和感はないはずだ、と。

 そう思って、踵を返した――――それが、終わりであり、始まりであったと。

 

 

「……え?」

 

 

 狂三は、その目で真実(もうどく)を見た。

 

 少女の、遺体(・・)

 

 

「……ッ」

 

 

 悲鳴を詰まらせて、それを見てしまう。

 

 今し方、殺したばかりの精霊(かいぶつ)が倒れていた場所には澪と――――狂三の友人、山打紗和が倒れていた。

 

 

「な……、え……っ?」

 

 

 意味が、わからない――――――本当に?

 

 

「……ああ、狂三。戻ってきてしまったんだね――――残念だ。君とはもう少し、いいパートナーでいたかったのだけれど」

 

 

 ゆっくりと向き直った澪の手に浮遊する、赤く光る美しい宝石。

 それは正しく、狂三が渡された宝石と、別色という点を除き同一存在であることは間違いない。

 それが精霊(かいぶつ)から取り出され、そこに紗和が倒れている(・・・・・・・・・・・)

 

「ど、どういうことですの……なぜ紗和さんが……」

 

「ああ、もしかして知り合いかい? それは……すまないことをしたね」

 

「……ッ、まさか――――――」

 

それ(・・)が結びついた瞬間、途方もない嘔吐感が狂三を襲う。

 

「……やっぱり、君は頭がいい」

 

それ(・・)を肯定された瞬間、恐ろしいほどの絶望が狂三を喰らう。

 

「あの、精霊は……」

 

 炎の精霊を撃ち殺した位置に倒れる紗和と、澪が手にした霊結晶(セフィラ)

 わからなければ、よかったのに。わかってしまうから、澪は狂三を選んだのかもしれない。

 全身を悪寒が襲うように震え、歯がかち合って上手く言葉にできない。

 

 けれど、狂三は、

 

 

「――――紗和、さん……?」

 

 

 その絶望を、口にしてしまった。

 

 

「あ……あ、ああああああああああああああああ……ッ!?」

 

 

 狂う。時崎狂三という存在が、世界が、失われる。

 殺し尽くしてきた精霊たち、その正体。霊結晶(セフィラ)を受け取った、狂三という存在そのもの。それら全てが、絶望(・・)の糧となる。

 膝を突いた狂三を痛みが襲う。全身が砕け散りそうになる痛み、苦しみ。淀んだ黒い感情が、心の壁を壊そうとする。

 

 ――――自分が自分でなくなる(・・・・・・・・・・)

 

 

「……っ、ざ、〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【四の弾(ダレット)】……ッ!!」

 

 

 銃弾が、狂三の頭を撃ち抜く。

 気が狂ったわけでも、自殺をしようとしたわけでもない。

 

 ――――〈刻々帝(ザフキエル)〉・【四の弾(ダレット)】。撃ち抜いた対象の時間を巻き戻す(・・・・)銃弾。皮肉にも、澪から受け取った天使は狂三の身体の一部のように働き、本能的に最適な弾丸(・・・・・)を選び取った。

 そうしていなければ、恐らく今頃狂三はここにいない(・・・・・・)。驚嘆を見せる澪が、その証拠だった。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……っ」

 

「驚いた。自力で反転状態から脱するなんて」

 

 息を絶え絶えに睨みつける狂三を意に介さず、澪は普段通りの声色で――――冷徹であることが慈悲のように、続けた。

 

「でも、助かったよ。せっかく精製した霊結晶(セフィラ)が元に戻ってしまったら大変だから」

 

「反、転……精、製……?」

 

「うん。きっと君は気づいてしまったとは思うけれど、精霊っていうのは霊結晶(セフィラ)を得た人間のことなんだ――――いや、私の力を分け与えた、って言った方が正しいのかな? 本来は最初の精霊である私だけを指す言葉だったわけだし」

 

 次々と放たれる真実に、言葉を失う。だが、澪は止まらない。淡々と、慣れたように(・・・・・・)声を発する。

 

「でも、本来の霊結晶(セフィラ)というのは、人間の属性とは相容れないものなのさ。そんなものを無理矢理与えられたなら、溢れ出る力を抑えきれず、暴走してしまうだろう(・・・・・・・・・・)

 

 ――――脳裏を過る、数々の異形。

 彼らは、力の制御ができていなかった(・・・・・・・・・・・・・)

 もう、答えなど明白。

 

霊結晶(セフィラ)を人間に適合させるためには、精製が必要なんだ。精製した霊結晶(セフィラ)を、適性のある人間に与えれば、きちんと自我を保ったまま精霊になってくれる――――ちょうど、君みたいにね」

 

「……ッ、まさか、精製、って――――」

 

 今まで倒してきた精霊(かいぶつ)――――怪物と思っていたもの、全てが。

 そんな恐ろしい想像を、現実を、しかし崇宮澪は感情を動かすことなく告げた。

 

 

「うん。人間の身体を通すんだ。もちろんその人間は暴走してしまうけれど、何度かそれを繰り返すと、その身体から回収した霊結晶(セフィラ)は、綺麗に精製されているんだよ。濾過装置みたいなものを想像してくれればわかりやすいかな? でも、それを回収するのが大変でね。君がいてくれて本当に助かったんだ」

 

 

 暴かれた偽りは、絶望の象徴。

 

 信じていた。信じていたのだ。信じて、信じて、信じて、戦った。

 でも、その全てが、偽り。狂三は、利用されていたに過ぎなかった。己の幼稚な正義感を、偽りの『正義の味方』に、これ以上なく踏み躙られた。

 人を、世界を救うつもりで――――人を、虐殺していた。

 

「なぜ……あなたは、そんなことを――――ッ!!」

 

 憤怒の絶叫。世に生まれて、狂三が初めて吐き出す強烈な殺意と、憎しみ。

 押し寄せる絶望の中で、狂三にあるものはそれが全てだ。それ以外の感情が、枯れ果てるかのようだった。

 その憤怒の形相を見て、澪は初めて顔を歪めた。困ったように――――それしかない、そう言わんばかりに。

 

 

「……すまないね。本当に、すまなく思っている。君たちに恨みがあるわけではないんだ。でも私は、やめるわけにはいかない。全ての霊結晶(セフィラ)を、人間に託すまで」

 

 

 澪が、手を向ける。それは、駄目なものだと理解できた。でも、身体が動かない。軋んだ心が、急速に錆び付くように、怒りと憎しみに囚われた心と反して、身体が動かない。

 

 

「――――それまで、お休み、狂三。今まで、本当にありがとう」

 

 

 ――――まるで、母のような温かさ。

 

 そうして、狂三の意識を呑み込むように――――――白が、駆けた。

 

「――――――?」

 

 視界が、飛ぶ。空が見えて、結界を突き抜けて――――天使が、いた。

 

 一対の大きな翼を広げた、天使の腕に抱かれて、狂三は飛び立った。

 

 誰が、なぜ、なんのために、何が――――ただ、一瞬、澪がありえないものを見た(・・・・・・・・・・)顔をしていたような気がして――――遠く、遠く、白い天使は飛び去った。

 

 

 

「……ぁ」

 

 一体、どれだけ飛んだことだろう。見知らぬ地で、天使の手から優しく下ろされた狂三。その行為さえ、酷く曖昧な意識が思考を遮って、正常なものなのかすらわからなくなる。

 ああ、けれど、狂三がここにいて、澪がいない。それだけで、現実なのだろう。

 

「……ご無事ですか?」

 

 天使は、壁に背を預けた狂三にかしずくように目線を合わせ、そう気遣った。

 白い、天使。大きな翼と、身体を覆う真っ白なローブ。顔は見えない。ただ狂三を、澪から救ってくれた。その程度のことしか、わからない。

 

「あな、たは……?」

 

「…………」

 

 答えない。天使は、その問いの答えを持っていない(・・・・・・・・・)のか……何を馬鹿なと思うが、本当に、そう感じてしまった。漠然と、そう感じとってしまったのだ。

 でも、それは、不幸なことなのだろうか。知らなければ、ああ、ああ、知らなければ――――混濁した意識の中、押し寄せる罪過(・・)に狂三は目を見開いて覚醒した。

 

 

「あ――――あ……あ、あああああ……ッ!!」

 

 

 撃った。狂三が、撃った。人を、誰かを――――紗和を、殺した。

 

 

「い、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 殺した、殺した殺した殺した殺した殺した――――狂三が、やった。

 発狂。絶望。何も考えられない。自らの愚かしさと、取り返しのつかない罪の重さに、耐えかねる。

 

 次に押し寄せてきたのは、死への感情(・・・・・)。消えてしまいたい。死んでしまいたい。愚かしいこの女を、自分の手で。

 感情の赴くまま、銃を握り締め、そして――――――

 

 

「駄目。それだけは、駄目(・・)

 

「え……?」

 

 

 それを優しく、天使が塞き止めた。

 

 手に触れて、見開いた目に触れて、降ろす――――意識が、沈む。

 

「なに、を……」

 

「今は、休もう。忘れることはできないけど、あなたには時間が必要だから――――私は、傍にいるから」

 

 瞼を開いていられない。眠りに落ちる。穏やかに、世界へ、沈む。

 瞼の外で淡く光が輝いて、大きな何かが――――天使の翼が、包み込んだ。

 

 

「おやすみなさい――――せめて、眠りの中では、優しい夢を」

 

 

 それは、子守唄にも似て――――悪夢のない、穏やかな夢の中へ、狂三は深く堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――目覚めは、いつのことだっただろうか。

 

「……あら、あら」

 

 ただ、穏やかなものであったことは、確かなのだろう。

 意識が覚醒し、舞い散る白い羽根(・・・・・・・・)が無数に瞳に映し出される中、異常な光景を狂三は目にした。

 まるで、超巨大な爆弾が爆発でもしたような破壊跡と、中心に立つ自分――――訂正しよう。目覚めは穏やかではあったが、世界は穏やかではないようだ。

 

「っ……」

 

 酷い耳鳴りがしたかと思えば、機械の鎧を纏った人間が、遠くから何人も飛んできているのを見て、狂三は呆れたように声を発した。

 

「……見ない間に、随分と物騒な世界になりましたわねぇ」

 

 その〝見ない間〟というのが、一体どの程度のものなのか、眠っていた狂三自身にさえ判断ができないのだが。

 まだ、曖昧な感覚が抜けない。人間たちは、そんな無軌道な狂三を待ってはくれず、手にした武器を構えた(・・・・・・・・・・)

 

「ふぅん……」

 

 ――――精霊(・・)の敵、ということだけは、確かなようだ。

 考察は的中し、人間たちは狂三目掛けて何発もの銃弾やミサイルを放ってきた。

 

 思考は一瞬。幸いにも、狂三にはそれなりの頭が備わっているようだ。

 手持ちから考えられる手段は二つ。

 一つは己の〝影〟へ逃げ延びること。

 もう一つは――――天使を以て、戦うこと。

 

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 時計の針が、鳴る。

 

 狂三の影が蠢き、その背に巨大な羅針盤――――天使が現れた。

 構えを取る。己自身を文字盤の針とするかのように、その手に、銃を。

 

 ――――掃射。

 

「――――!!」

 

 刹那、ありったけの銃弾を撃つ、撃つ、撃つ――――!!

 狂ったように引き金を引き、その度に影が弾となって二挺の銃へ装填され、放たれる。

 力が有り余っている。この程度の弾丸、何万発撃ったところで減ったうちにも入らないほど――――けれど、足りない。

 

「……ふん」

 

 時間にして、数秒。数々の銃弾も、ミサイルも、狂三に届くことなく沈黙する。

 爆煙が晴れると、人間たちの驚愕の表情が見て取れた。それを見て気分が晴れるわけでもなく、狂三は不機嫌に鼻を鳴らすだけだったが。

 

精霊(かいぶつ)を殺したいのなら、もう少し牙を研ぐべきですわね」

 

 一体、どういう原理かは知らないが、精霊には遠く及ばない装備だ。人間にしてはよくできているが――――嗚呼、嗚呼。悲しいかな、精霊(かいぶつ)には、決して届かない。

精霊(かいぶつ)を殺すのであれば、同じだけの精霊(かいぶつ)を――――なるほど、よくできている原理だ。

 

「……はっ。今さら、それを悟るだなんて、無様な話ですこと――――ねぇ、澪さん」

 

 吐き捨てるように、その名を口にして。今一度、そうして銃を顔まで上げて、見遣る。

 それだけの行為で、全身が炎の塊に放り込まれたように熱くなる。痛みが穿つ――――憎しみが、溢れる。

 戦意が感じられなかった狂三から放たれた殺気に、人間たちが慄いた様子で武器を構えた。

 

「あら、あら……」

 

 少し、悪いことをしてしまったと狂三は困ったように声を発した。

 特別、あの方たちに向けた殺気ではなかった上に、起きがけに事を荒立てるのも面倒だとは思っているのだが、どうにも思考が、記憶が、安定していない。

 

「仕方がありませんわね」

 

 降りかかる火の粉は、払わねばなるまい。一転して、気だるげに銃を構えた狂三だったが――――閃光が走った。

 

「な、なんだ……!?」

 

「気をつけろ、何か――――がッ!?」

 

「あら……?」

 

 閃光が、一人、二人、三人――――瞬時に意識を刈り取って、鎮圧していく。地上に叩きつけられて無事なのかと身を案じたが、見たところ装備の安全性は確かなようで、遠目で見ても死んではいないことが確認できた。

 閃光――――それは、人間の目では追い切れないものなのだろう。しかし、狂三の持つ異形の瞳に、それ(・・)は映っていた。

 

 狂三を救った、天使の姿が。

 

 やがて、銃火器の音が嘘のように止み、天使は現れた。

 

「…………」

 

 見上げる狂三を、見下ろすように――――否。

 見下ろしているのではないと、思った。だって、それはまるで、狂三を待ちわびていた(・・・・・・・)かのように、見えたから。

 ゆっくりと、天使が地上へ降り立つ。合わせるように、狂三は天使のもとへ歩を進める。

 見合う距離は、あと数歩足を踏めば届く。そんな距離で――――天使は、翼を天へと帰し、敬意を表すように膝をついた。

 

「お待ちしていました、時崎狂三(・・・・)

 

「あなたは……。いえ、わたくし、は……」

 

 自分を救った天使――――そう、狂三は救われた(・・・・)

 誰の手から? あの、崇宮澪の手から。なぜ? それは、澪から託された力で、狂三は――――――

 

 

「――――――――」

 

 

 殺した。親友を、手にかけた。

 

 記憶が濁流のように押し寄せてくる。

 心の裡に燻っていた正義感。そのために、手に取ってしまった力と、偽りの使命。

 騙した澪と、騙された狂三。簡単な構図で――――込み上げた憤怒は、途方もないものだった。

 

「ああ、ああ……ッ!!」

 

 後悔と、絶望。愚かしい自分への、怒り。

 震えて挫けそうになる足を、取り落としそうになる銃を――――強く、握り締めた。二度と、離さないように。

 

「――――感謝、いたしますわ」

 

 膝をつく天使へ――――恐らくは、自分と同じ精霊(・・)である少女へ、感謝を告げる。

 少女がいなければ、狂三は澪の手に落ちていた。自らの愚かしさに、命を絶っていたかもしれない。

 そんなことは、許されない。許さない(・・・・)

 生きている。狂三はまだ、生きているのだ。なら、何も終わっていない。終わらせてはならない。

 

 ここから、始める。

 平穏に浸ったお嬢様も、正義の味方に憧れた子供も、『時崎狂三』には必要ない。必要なのは――――この身を焦がす、復讐の炎。

 

 紅の瞳に、決意を。

 時を奏でる瞳に、憤怒を。

 

 そうして、狂三は背を向けて歩き出した。その背へ、立ち上がった少女が問いかける。

 

「……どこへ、行かれるのですか」

 

「――――時の、果てへ。始まりの因果を全て、『なかったこと』にするために」

 

 どれだけの犠牲を払っても、どれだけの業を重ねようとも。

 

 ――――世界を、やり直す。

 

 天使・〈刻々帝(ザフキエル)〉には、それが出来る。だが、今この身を満たす全てを費やしても、それは星を掴むより遠く、遠く、まだ遠く。

 けれど、狂三の心にはそれだけがあった。それだけが残った。

 ならば、答えはその一つしかない。世界で唯一、狂三にしか出来ないことを――――たとえ、この身が滅びようとも。

 

「なら――――私も、共に」

 

「……!!」

 

 言葉に、狂三は驚きを持って振り返った。視線の先には、顔を隠した天使しかいない。その言葉を放つ者もまた、天使しかいない。

 なぜ、どうして。そんな在り来りな疑問が浮かんだ。

 狂三は少女に救われこそしたが、少女のことなど全く知らない。狂三が恩を返すことはあれど、少女は狂三に付き合う理由などないはずなのに。

 同時に、少女の提案もまたおかしなものだ。少女が狂三の意図をどこまで読んでいるかは想像しかできないが……この先に待つ道は、地獄そのもの。それに付き合うというのか、少女は。

 でも、きっと嘘は言っていない。次の言葉が、それを証明した。

 

 

「あなたが平穏を望むというのなら、私は力の限りを持ってあなたを日常へ返しましょう。あなたが世界を壊すというのなら、私は世界さえ滅ぼしてみせましょう。でも、あなたが運命(かみさま)に逆らうことを望むのであれば――――どうか、私を共に」

 

 

 ――――断るべきだ。

 

 少女は、何者かさえわかっていない。何を知っているのかさえ、わかっていない。得体の知れない相手だ。恩があるとはいえ、ここで関係性を断っておくことが最善なのだろう。

 何より――――この旅に、誰かを道連れ(・・・)になどしたくなかった。

 これは、狂三の業だ。誰に重ねるわけでも、誰に背負ってもらうわけにもいかない、狂三の責務であり、使命であり、罪過なのだ。

 

 けれど。嗚呼、嗚呼、なら、どうして――――――

 

 

 

「――――ならば。わたくしに付いてきてくださいまし、名も無き天使様。この、時の果てまで続く、死出の旅に」

 

 

 

 どうして、少女を受け入れてしまったのだろう。

 

 きっと、優しい夢のせいだ。深い眠りの中で、誰かが見せた、夢のせいで――――狂三は、独りになれなかった。

 

 それは、時崎狂三に唯一残った、弱さだった。

 

 

「――――はい」

 

 

 躊躇うことなく、頷いた少女を連れて、狂三は歩き出した。

 

 果ての見えない時を目指して。

 光の届かない闇の底へ向かって。

 

 精霊は少女と、二足で立って、歩き続けた。

 

 胸に狂気(けつい)を秘めて、その瞬間――――少女(くるみ)は、精霊(『時崎狂三』)として生まれ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――わたくしは」

 

 滔々と、狂三が声を発する。

 裡から聞こえるものではなく、主観するものでもなく、現実にて。

 静止した世界と見紛う街の中、公園の一角。

 自らの頭蓋に銃口を向ける狂三。時間にして、一秒となかった。もはや、士道を撃ち抜く必要もなく【一〇の弾(ユッド)】役割を果たした。幾度も切り開いてきた運命――――その終焉を、導くように。

 

「始源の精霊を、殺しますわ。たとえ何があろうとも。何が起ころうとも――――愛しいあなた様を、犠牲にしようとも」

 

 それは、『時崎狂三』の言葉。紛うことなき、精霊の言霊。

 

「わたくしのしていることが正しいなどと言うつもりは毛頭ありませんわ。わたくしは始源の精霊の口車に乗り、幾人もの人を殺め――――そして今は、その始源の精霊の存在を消し去るために、あらゆる未来を摘み取った大罪人。人類の敵であり、滅ぼされるべき存在。地獄というものがあるのなら、わたくしには誰とも巡り会うことのない、特等席が用意されていることでしょう」

 

 狂三は、それでも構わないと本気で思っている。彼女が、戯れで人を弄んだことなど一度たりともない。

 誰より優しい子が、地獄すら生温い修羅の道を歩んだ理由を、ようやく知った。

 

「構いませんわ。それで、構いませんわ。わたくしが地の獄に落ちようとも、引き摺り下ろせるならば本望――――そのためには」

 

 ああ、ようやくだ。ようやく、五河士道は『時崎狂三』という精霊を理解することが、できた。

 孤独な精霊の生き様を、理念を――――後悔を。

 この身で感じることで、生涯を受け止めることで。士道は彼女の全てを、やっと理解することができたのだ。

 あの時、手を取っていなければ。

 あの時、引き金を引くことがなければ。

 あの時、あの時、あの時――――そんな無限に近い後悔を、繰り返した。その一瞬は地獄の牢獄と化し、幾度となく少女の記憶は再生(リフレイン)する。

 

 狂三が、夕焼けを背に、銃口を士道へ突きつけた(・・・・・・・・・・・)

 

 

「わたくしに、どうか、どうか――――その命を」

 

 

 『時崎狂三』は、精霊だ。少女を押し殺した、精霊だ。

 

 士道だけでは止まらない。止まるはずもなかったのだ。大切な者を撃ってしまった狂三は――――自分の幸福のために、止まることはできない。

 でも、それはわかっていた(・・・・・・)

 

 答えはもう、出ていたから。

 

「わかった」

 

「……え?」

 

 そう言って、狂三の理解を超えて。

 

 

 

「――――俺の全部、狂三にやるよ」

 

 

 

 士道は、己の敗北を決定づけた。

 

戦争(デート)の終焉は、呆気なく、静かに――――訪れた。

 




次回、五河アンサー編、クライマックス。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十三話『運命に背きし勝利者』

「――――――っ、ぁ」

 

 空気が凍りついた。意味の通り、今の艦橋を包む空気は、まさに一触即発。

 瞬間、言葉を失った。何を言うべきか。何を伝えるべきか。それを無くした琴里は――――――

 

 

『――――あとは、頼む』

 

 

 まだ何も終わっていないのだと、叫んだ。

 

「っ――――マリア、転送装置を緊急停止!! 全扉閉鎖!! ここから、誰一人出さないで(・・・・・・・・)!!」

 

『了解――――!!』

 

 必要なだけの経験を積んできた。即ち、今士道のために必要なことは何か、だ。故に琴里はマリアにそう命じ、マリアは忠実にそれを実行してくれた。

 琴里の部下たちも、精霊たちも驚きの表情で琴里へ視線を向けた。そして何より、まさに転送装置へ駆け出していた真那が信じられない顔で琴里を見た。

 

「なに、しやがるんですか……っ!!」

 

 真那の顔にありありと浮かぶ憤怒。もはや、殺意(・・)と呼んでも差し支えないかもしれない。

 正気じゃない。そう、言葉ではなく睨み付ける視線にて語られている。けれど、琴里は一歩も引かずに司令席から立ち上がった。

 

「聞いての通りよ。ここから出ることは……士道のもとへ行くことは、私が許さないわ」

 

 無論、琴里自身であっても(・・・・・・・・・)、だ。

 今度こそ、堪忍袋の緒が切れた。そう言わんばかりに、真那は隠そうともしない殺気を琴里へぶつけてくる。

 

「ふざけてる場合ですか!? それとも、〈ナイトメア〉に絆されたとでも……それでも、兄様の命を預かる司令官でいやがりますか!!」

 

「ええ、そうよ。士道の命を預かってる。だから、ここにいなさい(・・・・・・・)と言っているの」

 

「っ、話になりません!! こうなったら腕尽くで――――――」

 

 真那が手で何かを掴む――――顕現装置(リアライザ)を使うつもりだ。彼女ほどの腕なら、〈フラクシナス〉の中から強引にでも脱出できる。

 ふと、息を細く吐き出す。ああ、今なら、思う存分戦えそうだ(・・・・・・・・・)

 

 

「そう――――なら私が、あなたを止めないといけないわね」

 

 

 刹那、琴里の身体から焔が溢れた(・・・・・)。唇の端を上げ、琴里は片手を正面に構え、焔を操るように収束させる。

 実態を伴う紅蓮の炎――――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉顕現に、静観していた精霊たちの中で二亜が「げっ……」と慌てた様子で声を上げた。

 

「妹ちゃんズちょっと待った!!」

 

「待たない」

 

「妹ちゃんそんな頑固だったっけぇー!?」

 

 こんな時でも――――こんな時だからこそ、おちゃらけた二亜を一瞥し、琴里はいつでも限定霊装を呼び起こせる状態にする。

 いつになく力の引き出しが簡単だった。まあ、至極当然なのだろう。何せ、琴里の精神は今これ以上なく不安(・・・・・・・・)なのだから。

 それを悟られぬよう不敵に微笑む琴里に対し、真那はもう笑うしかないというかのような半笑いで声を発した。

 

「……正気ですか?」

 

「何度でも言うわ。正気も正気よ。士道の邪魔は、私がさせない」

 

「っ……邪魔、ですって……?」

 

 カッと目を見開いた真那が、大型のモニタを手で指し示し声を張り上げた。

 

「何を見て、そう言いやがるんです!? 兄様は――――負けを認めたんですよ!?」

 

「…………」

 

 それは、真実なのだろう。精霊たちも、真那の言葉に堪えきれない悲痛な表情を浮かべる。

 士道が、負けを認めた。今し方、狂三と士道の戦争(デート)は――――狂三の勝利という形で、幕を閉じた。

 だが、終わっていない(・・・・・・・)戦争(デート)は琴里たちの負け。それでも、何も終わってなどいないのだ。その先(・・・)を、琴里は観測しなければならない。

 だから琴里は、尚も冷静に真那へ呼びかける。

 

「……どうしても、行くつもり?」

 

「あったりまえでやがります!! たとえ、琴里さんが相手でも……!!」

 

 答えは同じ、ということか。仕方がない。黙っているとはいえ、精霊たちも真那と同じ考えを、という可能性も当然考慮しなければならないのが琴里だ。

 ――――あまり、使いたくはなかった。しかし琴里は、躊躇なく隠されたカード(・・・・・・・)を切った。

 

「そ。だったら――――落ちるわよ(・・・・・)。この〈フラクシナス〉が」

 

「は……――――ッ!!」

 

 一瞬、何を言っているのかわからないという顔をした真那も、その視線に気づく(・・・・・・・・)

 

 四方八方から突き刺さる、無数の視線(・・・・・)

 

 我が子同然の〈フラクシナス〉を、琴里が落とすはずもない。その相手は、別にいた(・・・・)

 精霊たちも、同じように視線の正体に勘づいたのだろう。恐る恐る声を上げ始めた。

 

「……くるみん、抜け目なさすぎじゃない?」

 

「質問。琴里はいつから気がついていたのですか」

 

 夕弦の問いかけに、琴里はフッと表情を緩めて返した。

 

「いつからかしらね。私は、狂三なら多分こうするだろうって思っただけよ」

 

「い、以心伝心とはこのことか……」

 

「こ、これはイケナイ関係を感じますよぉ……」

 

 慄いた様子の耶倶矢はともかく、美九はどうしてこの状況でその発想が出るのかと琴里も呆れ返って息を吐いた。

 やはり、仕込んでいた。狂三なら(・・・・)、そう信じていた。『時崎狂三』ならば、士道が負けを認めた時を想定し、仕掛け(・・・)を用意していると確信があった。

 感情と戦略を切り離して考える。狂三はそれを実行できる。そしてそれは、琴里も同じ(・・・・・)

 すると、電子音声で異議申し立てが琴里の耳に届く。

 

『琴里。この案件は聞いていません。後ほど、問題として抗議させてもらいます』

 

「ごめんなさい、マリア。言うわけにはいかなかったのよ」

 

 苦笑しながら答えた琴里に、不満だらけと言わんばかりの無言抗議が発せられる。

 言ったら、巧妙に隠れた『彼女たち』でも筒抜けになってしまった可能性が高い。策は、相手に気取られず、悟られないからこそ意味がある。

 今、『彼女たち』と琴里の利害は一致している。『彼女たち』は狂三の邪魔をさせない。琴里は士道の邪魔をさせない。向こうからすれば不可解極まりないだろうが、琴里からすれば好都合な配置なのだ。

 如何に真那と言えど、『彼女たち』と琴里をこの艦橋で相手にすることはできない。精密機器が並ぶ艦橋で暴れれば、場合によっては全員が空の彼方へ放り出されてしまうのだから。

 それを悟った真那は、やはり信じられない顔をして、震えた拳を握りしめ声を発した。

 

「どうして、ここまで……!!」

 

「――――シドーを、信じているからだ」

 

 答えは、琴里ではなく十香が。真っ直ぐに、放たれた。

 その瞳に曇りはなく、その信頼は曇りある盲信ではなく――――救われた者としての、究極の信頼。

 

 

「シドーは、最後まで信じてほしいと言った。それを私たちから裏切ることは、できぬ」

 

「士道さんは、嘘をつけない人です……だから、自分の言ったことを、嘘にしたりしません……っ!!」

 

 

 十香と、大人しい四糸乃でさえも強い意志で宣言する。そこには真那は疎か、琴里でさえも圧倒しかねない力強さがあった。

 嘘にしない。するわけにはいかない。させるわけにも(・・・・・・・)、いかない。琴里は、あの一瞬で崩れかねない均衡を、保つ責任がある。

 ならばこそ、精霊たちの想いは同じ。言葉はなくとも――――否。琴里は彼女たちの想いを纏め上げるように、言い放った。

 

 

「馬鹿でお人好しのおにーちゃんが、一世一代(・・・・)の我が儘を願ったなら、叶えてあげるのが家族の役目ってもんでしょ」

 

「っ……それは」

 

「私たちは信じるわ。士道を――――そして、狂三を。今するべきことは、それだけで十分よ」

 

 

 二人を、信じる。どちらかだけではなく、あの二人の――――未来を信じる。

 しかし、まあ。

 

 

「ほんと――――羨ましいわ」

 

 

 一世一代の告白に続いて、一世一代の我が儘まで必要とされてしまうとは、とんだ高飛車なお嬢様だと、琴里は言葉を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 理解が、出来なかった。

 時崎狂三がその考えを抱くのは、士道を相手にして言葉の意図を理解できない(・・・・・・・・・・・・)のは、二度目。

 あの時は、理性は受け止めきれず、けれど心は理解していた。今度は、逆――――(少女)は理解しきれず、理性(精霊)は受け入れる。

 

「――――今、なんと?」

 

 それでも、訊かずにはいられなかった。問わずにはいられなかった。それほど、士道の口から出た言葉だとは、にわかに信じられなかったのだ――――ずっと、それを望んできたくせに。

 狂三の馬鹿な問いかけに、士道は己の命運を決めたとは思えぬ穏やかな顔で返した。

 

「俺の負けだ。そう言ったんだよ。……お前に、心の底から落とされた、ってことさ」

 

「どう、して……」

 

 自分の声の震えが伝わってくる。握りしめた銃がかたかたと揺れているのが、何よりの証拠だった。

 狂三の狂三らしくない言葉を聞いても、士道に動揺は見られず、むしろ困ったように微笑みながら声を発した。

 

「どうして、なんて言われてもな。元から、そういう約束だったろ?」

 

「っ、それは……」

 

「お前は俺を、俺はお前をデレさせる。――――悔しいけど、俺は負けたんだ。お前になら、全部を捨てても構わない(・・・・・・・・・・・)。そう思わされちまった」

 

 そう言った士道は、相変わらず酷く穏やかな顔で――――困った、ことに。狂三には、それが嘘ではない(・・・・・・・・)と、気づいた。気づいてしまったのだ。

 気づけないわけがない。この一年、狂三の視線には士道がいた。瞳の中には士道がいた。狂三が、士道の嘘を見抜けないはずがない――――――彼は、嘘をついていない。

 

 

「お前の覚悟も、怒りも、知った。全部、受け止めた――――優しすぎるんだよ、狂三はさ」

 

 

 ――――違う。

 

 叫ぼうとして、目の奥が熱くなり、視界が歪む。

 違う、違う違う違う!! 狂三は優しくなんかない。優しさなど、甘さの裏側でしかない。そんなものに意味はないと、『時崎狂三』は捨て去ったのだから。

 知っていたのだろう? わかっていたのだろう? 士道が狂三の過去を知った時、どんな選択をしてしまうのか(・・・・・・・)。この過去は、文字通りのジョーカー――――狂三(少女)にとって、使ってはならないババの札。

 その結果が、今まさに示されているではないか。現実になったのだ。『時崎狂三』の望み通りに(・・・・・)

 

「お前の勝ちだ、狂三。最後の戦争(デート)で、俺はお前に負けた。俺の命は、お前のものだ(・・・・・・)

 

 士道が、近づいてくる。

 

「ぁ……」

 

 無様にも、足を引こうとした。恐怖(・・)があったというべき、なのだろう。

 でも、留まった。それは、士道に対する侮辱だ。真摯に馬鹿げた勝負に望み、逃げずに立ち向かい、狂三に敬意を表した士道を相手に逃げるなど、これ以上ない侮辱だろう。

 一歩、また一歩と近づいてくる――――時間が、止まってしまえばいいのにと、思った。

 

「狂三」

 

「っ……」

 

 けれど、叶わない。叶うわけがない。この世で、摂理を捻じ曲げられるのは狂三だけで、『時崎狂三』が望まないのであれば、現実にはなり得ない。

 かたかたと震える銃口を下ろそうとする。もう、必要ない。そう言い聞かせて、右腕から力を抜き――――大きな手が、銃を掴んだ。

 

「な……」

 

「最後に、我が儘を聞いてくれないか?」

 

 微かに声を上げた狂三に士道はそう言う。

 温かな手が、しかし今は冷たく感じられて――――死神に握られているようだと、錯覚してしまう。

 ごくりと息を呑み、隠しきれない動揺の中で狂三は声を返す。

 

 

「何を、望みますの?」

 

「俺を、撃ってほしい(・・・・・・)

 

「――――――――」

 

 

 理解できない、ではない。理解を超えた願いが、あった。

 

「前に言ったよな。狂三が、俺以外を殺すことなんて許さない。今も、その気持ちは変わってない。俺は、お前だけには殺されてもいい。いや、お前の手で殺されたい(・・・・・・・・・・)

 

「そん、なの……!!」

 

 狂いに狂って、倒錯的な願望。拒絶しようと腕を僅かに動かそうとして、出来なかった。そんなはずはない。精霊と人間の力であれば、今すぐにでも士道の手を振り解ける――――できないのではなく、しないのだ。

 業を、背負えと。ただ霊力を喰らうのではなく、狂三が命を奪う弾丸は、士道で最後にしろ(・・・・・・・・)と、彼が言うのか。

 士道がそんな考えを持っているはずもない。でも、狂三にはそう聞こえてしまう。この手で、この指で、最後の引き金(・・・・・・)を引け、と。

 

「……お前なら、出来るよな」

 

「…………」

 

 そんな顔を、しないでくれ。見せないでくれ。どうして、そんなに穏やかに笑える。どうして、狂三を憎まずにいられる。

 歪んだ顔で、狂三は言葉を吐き出そうとして――――止めた。もう、狂三に何かを言う資格など、ないのだ。

 言うべきことは、ただ一つ。

 

 

「――――ええ。承りましたわ」

 

 

 この戦争(デート)に、終止符を。

 

「……ありがとう、狂三」

 

 殺される相手に礼を言うなど、馬鹿だ。大馬鹿だ。けど、そういう人間だと狂三は誰より士道を知っている。

 ゆっくりと誘導された銃口は、士道の胸元へ。そうして、士道は目を閉じた。己の運命を、受け入れるかのように。

 

「……っ」

 

 悲鳴を上げそうになる声帯を押しとどめて、狂三は強く銃を握った。ずっと、離すことなく握っていた銃が、冷たく、感触が感じられない。

 

 終わりは、こんなにも呆気ないものなのかと、嘆く。

 

 触れた先から、心臓の鼓動が聞こえるようだった。そんなはずがないのに、士道の鼓動が、聞こえそうになる。幻聴だ。これから撃ち抜くのは士道の心臓ではない。これは、士道の意識を刈り取る、士道と狂三の儀式だ。

 その先で――――狂三は士道を、殺す。

 

「……は、ぁ」

 

 息が、上手く吐き出せない。

 この引き金一つで、全てが終わる。これまでの旅、これまで、踏み躙ってきた未来を、返すことが出来る。

 喜ばしいではないか。一人の少年の想いを犠牲にして、世界を救う。とんだ美談だ。ハッピーエンドだ。何を躊躇う必要がある。

 

 

『そうでしょう? 『時崎狂三』』

 

 

 黙れ。

 

 

『あなたが望んだことですわ。あなたが望んだエゴですわ。出来ないのなら、初めから道を選ばなければよかったのですわ』

 

 

 うるさい。

 

 

『現実から逃げ、快楽に浸る。それもまた、人間の生き方。あの子も仰っていましたのに。それを望むのであれば、受け入れると』

 

 

 それ以上、喋るな。

 

 

『それを望まなかったのはあなたですわ。『時崎狂三』、精霊に成り果てた怪物(・・・・・・・・・・)なのでしょう? 狂三(少女)を捨てた精霊なのでしょう? 何を迷っているんですの。何を躊躇っているんですの。いつから『時崎狂三』は――――恋心(しょうじょ)に揺れ動かされる、甘い存在になってしまったのかしら』

 

 

 ――――黙りなさい!!

 

 わかっている。わかっているとも。『時崎狂三』が迷うことは許されない。狂三(精霊)狂三(少女)に心動かされることなどあってはならない。

 どれだけの未来があった?

 どれだけの命があった? 

 どれだけの幸福な現実があった?

 

 それら全てを理不尽に奪い去り、踏み躙った『時崎狂三』が、たかが小娘一人の恋心に負ける? そんなこと、出来るわけがない。それをしてしまったら、狂三は狂三を許せない。絶対に、許さない(・・・・)

 

 故に『時崎狂三』は、狂三(少女)の心を捩じ伏せた。

 

「……!!」

 

 指先に、力が灯る。

 

 撃て。そして、終わらせろ。数々の悲劇を、惨劇を。

 撃て。そして、幕を引け。馬鹿馬鹿しく、最悪な世界を。

 

 たった一瞬、それで終幕を迎える。狂三は、引き金に指を触れさせ――――――

 

 

『また……、デェトに連れていってくれるか……?』

 

 

 知らない記憶を、視てしまった。

 

 

『違……ます、来て、くれ……嬉し……て……っ』

 

 

 記憶の、奔流。混線した、履歴。

 

 

『好き!! 私も大好きよ!! おにーちゃん大好き!! 世界で一番愛してる!!』

 

 

『だから、まあ、つまんないもんだけど、お礼にと思って』

『請願。目を閉じていてください』

 

 

『たとえこの声を失っても。みんなが私の歌を聴いてくれなくなっても――――あなたがいるなら、それで、いい。もしその時は……あなたのためだけに、歌ってあげます』

 

 

 何を、訴えている。何を、叫んでいる。

 

狂三(少女)の知る記憶が、知らない記憶が、浮かんで、消えない。

 

 

『私…………本当に、可愛い?』

 

 

『この恋は、負けない』

 

 

『けど、それが悪くないんでしょ?』

 

 

『もちろん、主様が切ってくれるのじゃろう? 家族以外にこの髪、触れさせる気はないぞ?』

 

 

 どうして、こんなものが、今さら――――今さら、来ないでくれ。

 

 

「ぁ……ぁ、ああ……っ!!」

 

 

 揺らぐな。お前はなんのために、ここまで来た。お前はなんのために、戦ってきた。お前は何を背負っている。

 

 こんなもの、『時崎狂三』には関係ない。

 こんなもの、『時崎狂三』は関わっていない。

 

 全て、〝なかったこと〟になる。

 

「ぅ、ああ……ああああああああぁぁぁ――――――」

 

 

 だから、撃て。撃て、撃て、撃て――――!!

 

 

「っ――――――あああああああああああああああああッ!!」

 

 

 絶叫が劈く。そうして――――――

 

 

 

『私は――――――シドーが〝好き〟だ』

 

 

 

 時崎狂三は、〝選択〟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ぁ」

 

 

 かちゃんと、音が鳴った。

 

 振り払った手を離れ――――銃が、落ちた音。

 

 

「……、う、あぁぁ」

 

 

 その、瞬間。

 

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」

 

 

 

狂三(少女)は、『時崎狂三』を裏切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 少女が、泣いていた。

 

「あ、あ、ッ――――あぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」

 

 決して、泣くことのなかった。涙を忘れた少女が、泣いていた。

 滂沱が表す感情は、怒り、悲しみ、嘆き――――どれも、撃つことが出来なかった(・・・・・・・・・・・)少女への、自身への怒り。

 両の手で覆ってなお溢れ出る涙は、少女が流せなかった一生分の涙のようで……少女は、力を失ったように崩れ落ちた。

 

「狂三……!!」

 

 身体を支えるようにして、ゆっくりと狂三を地面へ下ろす。へたり込むように座り込んだ彼女の手に――――銃は、握られていなかった。

 古式銃は影に帰らず、士道の視界の先に落ちている。狂三の手で手放されて(・・・・・・・・・・)、落ちていた。

 

「…………」

 

 それがどれほどの意味を持つのか。泣き崩れる狂三を見て、士道は噛み締めるように目を伏せた。

 狂三は、何があろうと(・・・・・・)銃を手放さない。

 そのままの意味だ。彼女は、悲願を決意したあの瞬間から、一度たりとも銃を手放すことはなかった。たとえ、士道と安らぎを覚える瞬間でさえも、彼女は必要とあらば瞬時に銃を握っていたことだろう。

 『時崎狂三』という刃をしろしめすものとして、士道は気づいていた。その彼女が、銃を手放した。

手放させて(・・・・・)しまったのだ。士道が……否。士道たちが(・・・・・)

 

 

「――――ず……る、い」

 

 

 噦る狂三は、普段の気丈さからは信じられないほど幼く見えた。そんな彼女が、たどたどしく言葉を発した。

 

「し、どうさんは……ずるい、ですわ……っ。わたくしが、わたくし、は……撃てなくては、いけなかったのに!!」

 

 そうだ。『時崎狂三』であるが故に、撃てなければならなかった。撃たなければ、これまでの全てを無に帰してしまうのだから――――でも、撃てなかった。

 その業を押し付けたのは士道だ。だから、全てを受け入れるように、泣きじゃくる狂三を抱きしめ、言う。

 

「うん。そうだな――――でも、狂三は撃たなかった」

 

「っ……!! 卑怯、ですわ……!!」

 

「うん。でも、俺は謝らない」

 

「……あ、ああああああああ――――ッ!!」

 

 士道の胸板を弱々しく狂三の手が叩く。気の済むまで、させてやるつもりだった。

 狂三の心に渦巻く激情は、恐ろしいほど混沌としているはずだ。怒り、戸惑い、悲しみ、喜び。全てが全て、彼女自身の感情。

 

 ああ、ああ。やはり、狂三は視てしまったのだろう。

 

 記憶が流れ込むのは、士道だけではない。あの空間は心の距離が全てを決める。視たのだ、狂三は――――自分が紡いできた(・・・・・・・・)、思い出を。救いを(・・・)

 

 それは、『時崎狂三』ではない狂三(少女)が紡いだ奇跡。士道と共に歩み得た〝友〟たちの救い。

 

「お前は、優しいから……自分のためには、止まらないもんな」

 

「う、ああああぁぁぁ……」

 

 士道だけでは止まらない。ああ、そうとも、止まるはずなどなかったのだ。士道の持っていたエゴは、元々狂三を手にしたいという欲、狂三に普通の幸せを与えたいという欲。極端に言えば、狂三自身の救いに繋がるものだ。

 受け取るはずがなかったのだ。狂三は、自身の幸せの代償に悲願を捨て去れる子ではない。

 

 

「だけど――――誰かの幸せのために、頑張れちまう。どこまでも優しいんだもんな、狂三は」

 

 

 けれど、誰かの幸せを、幸福を、それを見て、創って、生み出してしまったのなら――――狂三は、『時崎狂三』ではいられなくなる。

 これが最後――――そう言い聞かせるように、言霊にしてた。

 嫌だと叫ぶ少女を殺すように、精霊は自らの想いを犠牲にする。犠牲にできる

 だが、ああ、ああ。大切な皆の想いは、犠牲にできなかったのだ。

 

 士道だけではない。彼と共に得た、かけがえのない〝友〟を。その大切な繋がりを。その救いを、〝なかったこと〟にするなど出来ない――――――したくない。

 

 『時崎狂三』は、時崎狂三(自らが紡いだ世界)に、負けてしまったのだ。

 

 

「け、れど……わたくし、は――――!!」

 

 

 それでも。士道の胸板を突く拳は、強く。

 

 

「諦めるわけには、いきませんわ!! 紗和さんを、皆様の未来を返して――――でも、でも……っ!!」

 

 

 諦めきれない悲願への決意が燻り続ける、悲しい精霊の姿があった。

 そう。少女が精霊を押さえつけたとしても、狂三が救われるわけではない。この選択は、ただ狂三が紡いだ履歴を消すことができなかったという結果が生み出され、狂三の心に深い悲しみをもたらす。

 何のために罪を重ねたのか。泥を被ってきたのか。それら全てを、取り返さぬまま無駄にしてしまうのか。

 

 それこそ。士道が迷っていたこと。狂三を諦めさせることができたとして、それは果たして狂三の救いになるのか――――なるわけが、ない。

 

「なあ、狂三」

 

 だから士道は、未来(・・)を選ぶ。

 存在しなかった未来。第三の選択肢。さっきのが士道の我が儘? 何を言っている――――ここからが、士道が持つ最高の我が儘なのだ。

 

「俺たち、どっちも目的を果たせなかった。これって、引き分けってことでいいよな?」

 

「……どちらかといえば、わたくしの試合放棄のように見えますけれど」

 

「……お前、こんな時でも変わらないな」

 

 こんな時だと言うのに、呆れ顔にならざるを得ない。

 本当にこのお嬢様は減らず口が減らないというか。自身の不利に関してすら頑固というか。

 まあ、とにかくこの先が肝心なのだ。狂三が撃てなかった。皆との奇跡で起こした結果の先――――狂三を、口説き落とす(・・・・・・)

 

「俺はお前になら殺されてもいい。けど、お前は俺を殺せなかった。さて、困ったな。俺と狂三、二人の望みは平行線。このままじゃ、どっちの希望も叶わない」

 

「士道さん……?」

 

「――――そうやって俺たちは、難しく考え過ぎてたんだよな」

 

 フッと笑い、士道は立ち上がる。涙で腫れて、別次元の美しさを纏う狂三が見上げてくる。

 片方の望みが叶えば、片方の望みが失われる。等価交換。常識だ。現実だ。

 

 それを受け入れていたことこそ、士道が強大な世界に負けを認めていたことに他ならない。

 

 だからこそ、士道は士道らしく。自分らしくなかった自分を捨てて。大馬鹿(・・・)の五河士道として、狂三へ手を差し出した。

 

 

「歴史を、変えよう――――俺たち、二人で(・・・)

 

 

 それこそ、士道の出した最後の答え――――究極の我が儘だった。

 目を丸くして、理解が追いつかない狂三がぱちくりと瞼を何度か瞬きする間に、士道は堂々と世界への文句を口に出した。

 

「大体、何で俺たちが妥協しなきゃいけないんだよ。俺は狂三が好きで、狂三は俺が好き。何も問題ないのに、世界に邪魔されちゃたまらない」

 

「は……ぁ。え……?」

 

「だから、世界を壊す(・・・・・)。俺だけじゃなくて、狂三だけでもなくて。俺たちで(・・・・)、な」

 

 どうして、こんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。

 答えは、ずっと手にしていたはずなのに。士道と狂三は、どんな困難も乗り越えてきた。それこそが、答えそのものだった。

 理解に苦しんでいる狂三を見遣り、士道は不敵に笑って言葉を続けた。

 

「俺だけじゃ時は越えれない。けど、狂三だけじゃ始源の精霊ってやつが生まれるのを防ぐことしかできない。なら、両方合わせちまえば、どうだ?」

 

「な……そ、そんなの理想論でしか……っ!!」

 

「ああそうだ、理想だよ!! 我が儘だよ――――けど俺たちは、ずっとそうやってきただろ!!」

 

 意図せずして、士道と狂三はそうやって何度も奇跡を起こしてきた。世界すら、一度は変えてみせた。

 それと同じ。いいや、それ以上のことを〝完璧〟にやってしまえばいい。狂三と士道で、だ。

 

 

「過去を〝なかったこと〟にするんじゃない。新しく創る。世界を創り変える(・・・・・・・・)。俺たちで……俺たちの最高のハッピーエンドを、創り出す!!」

 

「ど、どうやって……」

 

「それを、みんなで考える!!」

 

 

 ポカンと。今度こそ狂三は心底呆気に取られた顔をした。

 当然。現実を見れば、当たり前のようにぶつかるだろう。人は不可能だと笑うだろう。けれど士道は、不可能を捩じ伏せて、可能にしてきた。だから、言えるのだ。

 

 

「みんなの力を借りて、やり方を考える!! 今までだってそうしてきた。俺たちはそうやって、明日を創ってきた。方法はめちゃくちゃでも、理屈は変わらねぇ!! ――――奇跡を起こすのが精霊ってもんなら、それを使わない手はないよな?」

 

 

 幾つもの、奇跡を見た。〈刻々帝(ザフキエル)〉は狂三と士道に応え、いつだって奇跡を謳った。

 それと同じことを、すればいい。奇跡を起こすのが精霊ならば、士道は何度でも奇跡を起こす。不可能な事象を、可能にしてみせる。

 

「その始源の精霊ってやつも、〈アンノウン〉のことだってまだ何も知らない。〈刻々帝(ザフキエル)〉だって、狂三の知らない力を得たんだろ? 最初から無理だって諦めるのは、勿体ないぜ」

 

「そ、それは……」

 

 眉根をひそめる狂三の気持ちは理解できた。正直、士道自身めちゃくちゃを言っているのはわかっているのだ。

 二人で過去に行くための霊力はどうするのか。世界という強固な壁を前にして、都合よく物事を書き換えるなどできるのか。

 

 ――――出来るさ。士道と狂三の二人なら。

 

 確信を持って、言える。数々の奇跡を生み出して、あの『時崎狂三』さえ止められる履歴を生み出した士道と狂三ならば、その程度の奇跡起こしてみせようとも。

 

 

「俺たちだけじゃない。狂三の力があれば、できるかもしれない。同じことを、もう一回言うぜ――――出来るか、出来ないか。そんなの、やってみてから決めればいい」

 

 

 士道は狂三を信じて。狂三が、士道を信じてくれるなら。出来ないことなど、ない。

 世界を変えたあの日と同じ言葉と、あの日言えなかった言葉を、紡ぐ。

 

 

「俺は、狂三と未来を創りたい。そのためなら俺は――――――自分の身勝手(時崎狂三の幸せ)のために、この理不尽な世界をぶっ壊す」

 

 

 そのためなら、士道という存在の全てを賭ける価値がある。

 士道は、そのために答えを出した。己の欲(・・・)のためだけに、世界を壊す。狂三を苦しめる、この気に入らないクソッタレな世界を、好き勝手に創り変えてみせる。

 

 それが――――五河士道の得た、答えだった。

 

 

「――――本気で」

 

 

 ぽつりと、狂三が言葉を零した。

 

「出来ると、思っていますの」

 

「出来る。俺たちなら、やれる」

 

「わたくしのために、世界を壊すと?」

 

「お前のためだけじゃない。俺自身のためだ。そのために、都合のいい世界を創る。俺たちの思い出を、なくさなくていい世界を」

 

「……死んだ方がマシだと思える、道かもしれませんわ」

 

「慣れてるさ」

 

「正しいことでは、ありませんわ」

 

「今まで、俺はやりたいようにやってきた。それが正しいかなんて、今さら知ったこっちゃない」

 

「…………ああ、ああ。どこまで、どこまであなた様は……」

 

「何度でも言ってやる。頭がおかしくなるくらい、俺はお前のことが好きだ。お前を手に入れるためなら――――世界を壊したって、惜しくない」

 

 五河士道が目指す道に、倫理や道徳が邪魔になるなら、躊躇わず捨て去ろう。あらゆる可能性を模索して、不可能など撃ち抜いてみせよう。

 悪夢の女王と並び立つためなら、世界を壊す魔王にだってなってみせる。

 

 手を伸ばしたあの瞬間に、士道に足りなかった全てを懸けて。

 

 

「――――バカな、人」

 

「おう、知ってる――――五河士道は、時崎狂三がいなきゃ、どうしようもない人間なんだ」

 

 

 繰り返した問答は、終わりを告げる。

 

 勝利者のいない戦争(デート)。けれど、最後の勝利者は、二人(・・)

 

 

「本当に、仕方のない人」

 

 

 花咲くような微笑み。少女は、いつだって少年を魅了する。

 

 

「けれど、そんな士道さんだから――――わたくしは、信じてしまうのかもしれませんわね」

 

 

 けれど、その笑みには一筋の涙があって。

 その涙の意味を知って、目を見開いて打ち震えた――――少し、遅くなったけど。

 

 

「ならば、二人で(・・・)参りましょう。この世界を、存分に破壊して(楽しんで)差し上げましょう」

 

「ああ、行こう――――俺たちの戦争(デート)へ」

 

 

 少女はやっと、素直に泣けたのだ。悲しみではない涙を、士道の前で取り戻すことが、できたのだ。

 

 あの日、重なることのなかった手のひらが――――――想いが、重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう。君なら、この時間(・・・・)を生み出せると、信じていたよ」

 

 

 

 そんな脳髄を揺さぶる(・・・・・・・)声が響いたのは、一瞬。

 誰もいない。二人だけの世界に、光が走った(・・・・・)

 

 

「――――え?」

 

 

 それは、どちらの声であったのだろう。士道であったかもしれない。狂三であったかもしれない。或いは、両方であったかもしれない。

 確か、なのは。それ(・・)が見えているのは士道だけだった。狂三へ迫る(・・・・・)それが見えているのは、士道だけだった。

それ(・・)が何なのかは、わからない。けれど、本能的に、直感的に、狂三をそれ(・・)に触れさせては駄目だと悟った。

 

 だが、何も出来はしない。

 

 一瞬の後、それ(・・)は狂三の胸を穿つ。避けられはしない。庇うこともできない。天使の顕現など、間に合うはずもない。そして、狂三自身があまりにも無防備だ(・・・・・・・・・)

それ(・・)は、それ以上の声を上げる間もなく狂三を穿ち――――――

 

 

 

「うん――――『私』なら、そうするよね」

 

 

 

 因果が、未来が書き換わる(・・・・・・・・)

 

 

「は――――――?」

 

 

 目を疑う光景を、士道と、そして士道に抱き込まれた狂三が見た。

 

 薄くしなやかな光の帯。一目で、何かを貫けるものではないとわかるそれは――――士道たちの目の前で、一人の少女の胸を貫いていた。

 

 眼球そのものが震えているように、視界が揺れ動く。

 

 

「――――君、は……」

 

 

 呆然と、そんな声が届いた。それは士道でも狂三でも、ましてや胸を貫かれた少女でもなく、少女と同じ貌をした少女(・・・・・・・・・・・)が、零した。

 

 こんな状況で、三者が食い入るように見る少女は――――――笑っていた。

 

 まるで、こうなることが正しかったように、笑っていたのだ。

 

 

「……これが、君の選択なの?」

 

「……そう、だよ。だから、ね」

 

 

 同じ貌を持つ少女たちが、向き合う。否、胸を貫かれたはずの少女が少女へ向き直り、重なり合うように身を委ねた。

 

 

「――――ただいま。『私』」

 

「――――おかえり。『私』」

 

 

 少女が、溶けて、消え逝く。

 

 残されたのは、胸を貫いた少女と、少女に取り込まれる二つの霊結晶(セフィラ)

 そう。それは、精霊の力の源。灰色の光を放つ一つと、もう一つは――――――白を黒で染めた(・・・・・・・)ような色だった。

 

 士道は、消えた少女を知らない。あまりに可憐で、美しい少女。それだけではないと、士道の中の何かが叫んでいる少女。

 

 故に士道は、少女の名を呼んだ。

 

 

 

「……アン、ノウン――――?」

 

 

 

 偽りの名を、この世にいない少女の名を肯定するかのように、少女は――――最初にして最後の精霊(デウス・エクス・マキナ)は、愛を持った微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ては、この瞬間のために。

 

 

 

「……久しぶり。ようやく会えたね――――シン」

 

 

 

 原初の神が、世界に顕現した。

 

 

 





NEXT TIME『澪バッドエンド』。



二人の最終章とは言ったが、物語の最終章とは一言も言っていない。そんなこんなで五河アンサー編、完結いたしました。あ、記念に感想もらえると嬉しいです(ラスト付近不評続出なんじゃないかと常にドキドキしていた顔)。
原作以上に頑なで自罰的で恐ろしい頑固者になった狂三を止める方法。それは士道のエゴでも、狂三が封じた自身の幸せでもなく、誰かの救い。自分が手を貸して、救ってしまった大勢の記憶。それを〝なかったこと〟になんて出来ないと、気づかされてしまった。今さら、というのはそういうことです。
ちなみに、ここは一つのルート分岐点です。たとえば士道がこのリビルドで得た二人なら、という答えを持ち得なかったら……それもまた一つのエンディングである狂三ENDを辿る分岐。本編が完結したらちょっと触れたいですね、個人的に(盛大な自己満足)

さて、誰もが士道を信じていた。十香たち精霊も、〝彼女〟でさえも。だからこそ致命的な隙が生まれ、白い少女はある運命を変えた。


さあ――――〝計画〟を始めましょう。


感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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澪バッドエンド
第百六十四話『白は女王となりて(プロモーション)


 もしも、時を戻せるなら。

 

 

『……行け。その子を――――澪を頼んだぞ、坊主』

 

 

 もしも、後悔のない選択を出来たのなら。

 

 

『やれやれ、困ったな。私は嘘を吐いているつもりはなかったんだが』

 

 

 誰しもが、思うこと。神に等しい力を持つ者でさえも、思う。

 だが、神と崇められし少女は、等しい力と象徴があろうと、ただ一人の少女でしかなかった。

 空想上の神は全てを必然によって決める。ならば、運命という名の偶然によって生き方を定めた少女は、既に神ならざる身であったのだ。

 

 崇宮澪は、自身を高尚な存在とは認めない。

 

 けれど、無力な存在とも定義づけしなかった。

 

 

『そう……か……』

 

 

 失って、たった一人を取り戻すことが出来なくて。時を巻き戻すことができても、きっとまた同じことが起きる。

 たとえ起きなかったとしても……一度、人間の死という概念を知ってしまった澪に、有限の命は耐えられるものではない。無限に等しい命を持つ精霊だからこそ、それを知るべきではなかった。

 

 考えた。考えた、考えた、考えた。考えて考えて考えて考えて考えて――――――答えを、見つけてしまった(・・・・・・・・)

 

 

『――――作り直せば(・・・・・)……いいんだ』

 

 

 失ったのなら、取り戻せばいい(・・・・・・・)

 

 やり直すのではなく、作り直せばいいのだ。

 

 

『――――私が、もう一度産んであげる。

今度は絶対に死なないように(・・・・・・・・・・・・・)

今度は絶対に壊れないように(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 少年を生き返らせることは、できない。

 

 なら、澪がもう一度少年を産み落とす(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 今度は、死なないように。そのために、力を配置する。人間が器として適応できるように、少しづつ、少しづつ――――最初は、『力を吸収するための、力』。

 

 そう。そうすれば、完成する。澪と並び立つ、愛しい少年が。

 

 

『もう、絶対に離さない。もう、絶対間違わない』

 

 

 その時、少年と澪は永遠の時間を手に入れる。

 

 ああ、困った、ことに。世界すら覆す精霊は――――少年がいなければ、生きていけなかったのだ。

 それを悟るのが、あまりにも遅すぎた。それ、故に。

 

 

 

『だから……待っててね――――シン(・・)

 

 

 

 悲劇は、繰り返される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 音のない世界とは、今この瞬間を意味している。

 街の音が極限まで削り取られた世界で、士道はそれを体感していた。

 本当に消えているのではない。ただ、どうしても――――目の前の少女に全てを奪われそうになる。

 

「ぁ――――」

 

 二つの霊結晶(セフィラ)を慈しむように抱く、光を纏う少女。

 絹糸のように艶やかな髪。透き通るような白い肌。どこかで見たような(・・・・・・・・・)物憂げな双眸。その全てをもってしても、彼女の美しさ一握りしか表現できていない。

 しかし、それだけならば士道が思考を停止するはずもない。人外なる美しさなど、穴が空くほど見てきた。身体を抱き込むようにして腕の内に収めた狂三がそうなのだから。

 なら、この胸の高鳴りは、なんだ? 根拠のない想像を浮かべてしまいかねない、強烈な憧憬。

 それは、士道なのかと疑ってしまうほどの奔流。まるで、士道ではない士道(・・・・・・・・)が、彼女と出逢うために生きているような強い感覚。

 

 だが、まさに少女はそれ(・・)を口にしたのだ――――ようやく会えたね、シン(・・)、と。

 

 そうして、少女は霊結晶(セフィラ)を取り込んだ。

 

「っ……!!」

 

 そこでようやく、士道の目に警戒(・・)という二文字が浮かび上がる。

 正体不明の……精霊。手の中にいる狂三は、目を見開いて震えている。それは少女の消滅(・・・・・)に起因するものか。はたまた、この精霊に対してのものなのか。

 少なくとも、冷静な狂三はいない。ならば、自分が狂三を守らなければならない――――やっと、本当の意味で心を繋げることができたのに、どうしてこんなことになる。

 彼女は狂三を狙い、少女を殺した(・・・・・・)。その行為は、士道の心の裡にある呪いにも似た激情を超え、彼女に対して警戒を抱くに十分足るものだったのだ。

 

「……ん」

 

 けれど、彼女は……士道をシンと呼ぶ(・・・・・・・・)少女は、取り込んだ霊結晶(セフィラ)の残滓を眺め、手ですくい上げるようにして、言った。

 

 

「わかった――――それが君の願いなら、『私』が叶えないわけにはいかないね」

 

 

 慈しみの心と、願いを以て。殺したはずの少女に対して、血を分けた姉妹(・・・・・・・)のような愛を以て。

 

「な……」

 

 意味がわからない。少女を――――〈アンノウン〉を消し去ったのは、彼女だ。

 狂三を狙った光を庇い、霊結晶(セフィラ)を奪われた〈アンノウン〉。だが少女は、望んでいたようにその身を差し出し、謎の精霊もまた、少女を受け入れた。

 

「さて……」

 

「……!!」

 

 ふと、視線が向けられる。警戒し、狂三を彼女の視線から庇うようにより一層抱き込む。

 

「……ふふ」

 

 が、それさえも見透かしたように彼女は微笑んだ。微笑んで、近づいてくる――――逃げられ、ない。

 

「なん、で……」

 

 そうだ。未知の相手に、背を向けることだってできたはずだ。狂三の正気を無理にでも取り戻し、彼女に対抗することだって。

 それをしなかったのは――――士道ではない士道が、彼女という存在そのものを無条件に受け入れている(・・・・・・・・・・・)。そう、客観的に士道は感じ取った。

 少女の手が士道の額に触れる。刹那――――ハッと目を見開いた狂三が、士道を引き剥がした。

 

 

「士道さん、駄目――――!!」

 

「くる――――!?」

 

 

 しかし、遅い。

 

 凄まじい量の、記憶(・・)。【一〇の弾(ユッド)】のように共有するものではなく、言うなれば、自分の中の記憶が溢れ出る(・・・・・・・・・・・・)。不可思議で、理不尽な情報の渦。

 

「…………!! ……!?」

 

「士道さん!! しど――――ぁ、あぅ……っ!?」

 

 鋭く痛む頭と、倒れそうになる身体を狂三が支えようとする。けれど、狂三も同じように(・・・・・・)頭を抱えた。

 士道と同じものを、見てしまったかのように。

 

「あ……あ――――――」

 

 そして、溶け合う(・・・・)。士道の記憶と、士道ではない士道の記憶。

 それは、目の前の少女が誰なのか。判断するには容易くて。

 

 

「――――み、お……?」

 

 

 有り得ならざる、狂三の宿敵の名(・・・・・・・)を、呼んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「な……っ!?」

 

 琴里の狼狽を咎める者は、いなかった。

 指揮官とは、毅然としていなければならない。いつ如何なる時も、組織のトップは堂々と構えることが必要とされる。たとえそれが、己の命が危機に瀕した時であったとしても。

 なら、誰一人として琴里の狼狽に気が付かなかったとでもいうのか――――是である。

 皆、琴里と同じようにモニタに映し出された光景に、視線を釘付けにされてしまっていた。

 

「あ、〈アンノウン〉の生命反応……消失しました……」

 

 戸惑いと、現実感のないクルーの声が艦橋に響く。

 何が、起こったというのか。狂三と士道が分かり合ったその瞬間、一瞬、刹那――――〈アンノウン〉が、消えた。

 突如、今になって反応が現れた(・・・・・・・・・・・)精霊によって。

 あまりにも、呆気のない幕切れ。状況を判断など、出来るはずもない。

 

「っ――――索敵は、していなかったの……!?」

 

 だとしても、と。真っ先に声を上げたのは折紙だった。

 そうだ。心神喪失をしている場合ではない。琴里は即座に言葉を投げ返した。

 

「していたわ!! どんなことがあってもいいように、どれだけ小さな反応でも見逃さないように指示を出していたのよ!!」

 

 何があっても、邪魔をしないように。そして、されないように(・・・・・・・)

 邪魔は琴里たちだけではなく、外部からのものも想定していた。DEM、ASTに対しての備え。二人の均衡は、介入があった瞬間に脆くも崩れ去ると容易に想像できるほど瀬戸際だったのだ。

 琴里の部下たちは、忠実に指示を実行してくれた。信頼がある。実績がある。だから、こんなことは起こりえなかったはずなのに。

 

 

「けど、何なのよ、あいつは……現れるまで何一つ反応がなかったなんて、そんな馬鹿な話があって――――――」

 

 

 言葉が途切れだだけでなく、嫌な汗が全身から吹き出す。悪寒、とでも言うものが、琴里を襲った。

 何一つ、反応がない。顕現装置(リアライザ)を用いた高度なセンサーをすり抜けて、瞬く間に目の前に現れる(・・・・・・・・・・・)

 

 どこかで、聞いたことがないか。

 どこかで、見たことはないか。

 

 それは正しく――――アンノウン(正体不明)の力では、なかったか?

 

 嫌な予感というものは、重なる。もう一つは、消えた少女と瓜二つの容姿を持つ、あの精霊に対する既視感。

 初めて目にした顔。間違いないはずなのに、琴里は誰かの面影を感じた(・・・・・・・・・)

 

 

『……久しぶり。ようやく会えたね――――シン』

 

 

 優しく囁くように、士道へそう告げた少女の声を聞いて。

 

 

「――――っ」

 

 

 気づいた。気づいて、しまった。まとわりつく霧が、晴れていくように。視線、思考、疑念。あらゆる感情がノイズによって〝消失〟させられていた――――それが、無くなっていく感覚。

 身を乗り出し、艦橋の左方を見やる。見慣れた席だった。

 〈ラタトスク〉の優秀な機関員。琴里の親友。村雨令音解析官の座る席だった。

 

 シン。それは、令音が士道を呼ぶ固有名詞。

 

 そして、あの精霊が持つ、儚げで端整な顔立ち。

 

 あの精霊は、まるで令音を数歳若くしたかのような姿をしていて。

 消えた少女は、またそれをほんの少し――――それこそ、琴里と同世代(・・・・・・)くらいの幼さの残る容姿を見せていた。

 

「…………」

 

 令音は静かに、モニタを見つめていた。涼しげで、眠たげで。気にかけていた少女が消えたことを、既に受け入れている異常な光景。

 常であれば、頼もしさを感じていたかもしれない。しかし今、村雨令音から感じるものは――――深淵にも似た、途方もない恐ろしさ。

 

 

「……令音、お願い」

 

 

 答えなど、見えている。だって、彼女を守っていた不可視の布は、取り払われている。

 だけど、微かな可能性に縋りたかった。共に精霊を救い、唯一無二の親友として歩んできた村雨令音へ、琴里は懇願のように声を震わせた。

 

 

「私の馬鹿な考えを否定してちょうだい。ただの偶然だって笑ってちょうだい。いつもの調子で、私を窘めてちょうだい」

 

「………………、琴里」

 

 

 長い沈黙と、短い吐息。

 

 

「……君は、本当に頭のいい子だ」

 

 

 一番正しく、一番聞きたくなかった言葉が、零れた。

 

「――――――」

 

 心臓が収縮する。冷静を保つことに必要な呼吸が、酷く乱れる。

 だが、五河琴里は〈ラタトスク〉の司令官だ。皆の命を預かり、間違うことは許されない責任を持つ者だった。

 その理性。或いは、情動。どちらだって構わない――――身体が、唇が、動いてくれるならば。

 

「マリア――――『狂三』!!」

 

『了解』

 

『きひ、きひひひひひひひひッ!!』

 

 艦橋のスピーカーから発せられる少女の声と、艦橋全体から(・・・・・・)重なるように響き渡る狂宴の歌声。

 一つ目は、令音が触れていたコンソールから火花が散る。

 二つ目は、艦橋のありとあらゆる場所から影が滲み、幾人もの『狂三』が令音へ向かって飛びかかった。

 過電流による電気ショック。本来であれば、侵入者による不正操作を防ぐプロテクトの一種。殺傷能力は高くないが、出力を上げれば人間を動けなくする威力はある。

 

「……ん。感情に流されない、冷静な判断だ。思い切りもいい」

 

 そのはず、だった。

 令音は、顔色一つ変えることなく平然と立ち上がり、迫り来る『狂三』たちを眺めた。

 

 

「……君たちも、相変わらず察しがいい。さすがは、『狂三』だ」

 

『っ――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』

 

 

 激情に押し流されるように、令音の姿が『狂三』たちの波へと消え、潰される。

 そう。これが琴里の予測――――決着の際、琴里たちの邪魔が入らないよう、〈フラクシナス〉のあらゆる場所に〝影〟を仕込み、分身体を休眠(・・)させているであろうという。

 狂三には、幾らでも仕込みの時間があった。結局、琴里と狂三の利害は一致し、真那への牽制に終わったが、こんなところで使うことになるとは。そんなこと思いもしなかったし――――思いたくも、なかった。

 数秒の沈黙を挟み、一塊となった『狂三』たちの足元に巨大な〝影〟が現れる。それは沼に引きずり込むようにゆっくりと沈んでいき、

 

「――――!?」

 

 文字通り、弾けた(・・・)

 

 影に『喰われ』ていた令音から発せられた光に、『狂三』たちが一斉に吹き飛ばされる。壁に、床に、そして艦橋上段の琴里たちのところにも何人も飛ばされてくる。

 

「狂三さんたち、大丈夫ですかー――――わきゅ!?」

 

「な、何、今の……!?」

 

「驚愕。令音が……」

 

 ――――人間の技じゃない。

 電気ショックに怯みもせず、幾人もの分身体を瞬時に弾き飛ばす。冗談では済まない……アレ(・・)は、本当に令音なのかと戦慄の色を隠せなかった。

 幾人かの精霊が既に霊装を展開しようとしている。が、こんなところで複数の天使を使わせるわけにはいかない――――琴里より早く、吹き飛ばされながらも、咄嗟に美九の全身で受け止められた『狂三』の一人が叫んだ。

 

「ぐ……真那、さん!!」

 

「――――気に食わねーですが、乗ります!!」

 

 返した真那の身体には、〈ラタトスク〉製のCR-ユニットが展開されていて、意思の疎通が完了した頃には宙に飛んでその身を急降下させる。

 と、同時。未だ令音の足元には〝影〟が広がっている。そこから、無数の『手』が彼女の身体を捕らえた。

 

「はぁぁぁぁぁ――――ッ!!」

 

 身体中を縛る『手』の拘束。目にも止まらぬ真那の斬撃。一部の迷いもない。それほどまでに、今の令音は〝危険〟そのものだった。

 ここで、止めるしかない。必殺の一刀が、令音へと届く――――はず、だった。

 

 

「いい手だ――――しかし、相手との戦力差を把握する前に、行動を起こすことは感心しないな」

 

「――――な」

 

 

 真那、琴里、クルーたち、精霊、誰もが目を疑った。

 一流の魔術師である真那の振るう刃の煌めきは、常人には捉えられるものではない。だが、令音は『腕』の拘束を振り切り、刃の軌道を見切り、止めた――――たった、2本の指で。

 

「く、この――――」

 

 そうして、離れようとする真那を制止するかのように、令音は拘束を強引に引き剥がした片方の手を真那の頭に翳した。

 ビクリと、真那の身体が震えた。

 

「っ、真那!?」

 

「――――み……お、さん……?」

 

「は……?」

 

 呆然と、驚いたように名を呼んだ。目の前の令音をみて――――『ミオ』、と。

 

「……ああ。少し待っていてくれるかい? シンはきっと、君を必要とするはずだから」

 

「待っ――――――」

 

 真那の叫びは届くことなく、消える(・・・)。人体の消失、ではない。その光景は、まるで〈フラクシナス〉の転送装置に運ばれたような既視感。

 

「真那!!」

 

「真那さん……!!」

 

 どうであれ、真那は消えた。恐らくは、移動させられた。琴里と四糸乃の叫びは虚しく響き、ふと、令音が視線を向けた。いつもと変わらないはずなのに、異質な視線を。

 

『……っ』

 

 息を呑みながら、琴里は精霊たちを守るように立つ。艦長席の隣にいる神無月も、その琴里を守れる位置へ場所を移動している。

アレ(・・)は、なんだ? つい、数分前と同一人物とは思えない。琴里、『狂三』、真那。普通の相手ならば、過剰とも思える戦力をもってして、行動を制限することさえできなかった。それどころか、みすみす真那を拐われてしまった。

 精霊の分身と、精霊と戦える魔術師を歯牙にもかけない力が、令音にはある。

 緊張感が艦に浸透していく。その沈黙を断ち切ったのは、令音の意外な言葉だった。

 

「……感謝するよ、琴里」

 

「…………何ですって?」

 

 不意に放たれたそれに、意味を捉えかねた琴里は眉をひそめた。令音は、そんな琴里に構うことなく言葉を続ける。

 

「……君には、いや――――君たち(・・・)には本当に世話になった。今までシンを守っていてくれて、本当にありがとう」

 

「……意味がわからないわ。どういうこと? それに、真那をどこへやったの?」

 

「……無事だよ。安全なところへ飛ばした。安心してくれたまえ」

 

「そう、よかったわ。今のあなたが言ったところで、説得力はないけれど」

 

 皮肉を受けても眉一つ動かさずにいる令音。今度は、僅かに身を乗り出すように折紙が震えを感じさせる声を発した。

 

「……村雨令音――――いいえ、始源の精霊(・・・・・)?」

 

『……!!』

 

 そのありえない(・・・・・)呼び名を前に、琴里たちは目を見開き、令音は、言葉を以て肯定(・・)した。

 

「……どちらでも構わないよ。折紙、君は少し特別だったね。あの子(・・・)が特別な好意を寄せる子。そんなあの子の忠告が、効いたかな?」

 

「忠告――――!!」

 

 琴里は、折紙は、聞いていた。他ならない、消えてしまった白い少女から、忠告(・・)を。

 残酷な現実。嫌でも目にすることになる。そして、容赦はするな(・・・・・・)、と。

 彼女が、村雨令音こそが、そうなのだと告げている。状況が、言葉が、何よりも明確な真実を告げてしまっていた。

 

「そう……あなたが、そうなのね。なら、あなたとあの少女。そして、〈アンノウン〉。一体どういう関係なの?」

 

 わからない。〈アンノウン〉はこの事態を予期していた。だと言うのに、モニタに映る少女へ取り込まれるように消えた。

 同じ顔をしながら、差異のある精霊。入り組んだ状況が、混乱を呼び真実を見えなくさせる。

 答えが返ってくるとは限らなかった。だが、令音は隠すほどのものではない、と言わんばかりに淡々と続けた。

 

「……『あれ』は、『私』。『私』そのもの。そして、〈アンノウン〉と呼ばれたあの子は――――『私』の知らない『私』、かな」

 

「あなたの、知らない……?」

 

「……『私』は『あれ』であり、『あれ』は『私』。あの子もまた、今は『私』になった(・・・・)。狂三の分身体とは違って、一つの意思に二つの身体と思ってくれていい。こちらの私にも仕事があるのでね。分けておいた方が都合が良かったんだ――――皆に霊結晶(セフィラ)を与える際には、特にね」

 

「っ、やっぱりあなたが――――〈ファントム〉!?」

 

 平然と発せられた言葉に動揺が走る。

霊結晶(セフィラ)を、与える。それは〈ファントム〉と呼ばれた謎の精霊の特徴であり、始源の精霊と同一の疑いがあった。それをまさか、彼女によって裏付けられるとは。

 モニタに映る少女と令音は『私』。〈アンノウン〉は『私』の知らない『私』。今は、『私』になった? 何がどうなっている。それに、令音が正体を明かし、始源の精霊が現れた意味は――――士道。

 

「……さて、私はそろそろ行かねばならない。琴里、君と過ごした日々は楽しかったよ。けれど、もう終いだ」

 

「何を――――ッ」

 

「約束のときは、過ぎた(・・・)

 

 目を伏せて、歓喜と祝福を捧げるように。

 

 

「……私の願いが叶うときがきた。

私の悲願が成就するときがきた。

全てはこのときのために。

全てはこの瞬間のために。

私が切り捨てた全ての人間に祝福を。

私が踏み躙った全ての生命に感謝を。

私は――――もう一度彼を手に入れる」

 

 

 令音が床を蹴る。咄嗟に、手を伸ばした。伸ばさずにはいられなかった。

 友として。一時のことであったとしても――――大切な、友人だったのだ。

 

 

「待ちなさい、令――――――」

 

 

 ああ、けれど。村雨令音と呼ばれた人は、ただ、今までの日々を虚構へ変えて――――琴里たちの前から、幻影のように消えていった。

 

 

 

 






昇格(プロモーション)。最奥まで進んだポーンが役割を変えること。
ポーンの少女は誰がために役割を、未来を変えたのか。幾度となく繰り返した言葉だけが、その答え。

全ては――――我が女王のために。


澪バッドエンド編、開幕です。作中屈指の実力にしてチートの権化。崇宮澪が遂に姿を現し、白い少女は姿を消した。
村雨令音と崇宮澪、そして〈アンノウン〉。彼女たちと精霊の因果が絡み合い、主導者が消えた中で計画の真相へ迫る章でもあります。
少女は何を望み、何を願ったのか。前章が士道と狂三が紡いだ精霊たちの総決算であったならば、澪バッドエンドと次章は狂三リビルドという物語の最終章。黒幕と密接に関係する精霊〈アンノウン〉が遂にそのベールを脱ぐ、ということ。
もちろん、主役は士道と狂三。答えを重ね合わせ、道が交わった二人の未来。この章は折紙、琴里にも注目していただければなと思います。それぞれの方面でヒロインたちと関わった白い少女と、その計画。最後までお付き合いいただければ幸いです。

章の始まりで長くなってしまいました。ちなみに白い少女の容姿は澪を少しばかり幼くして瓜二つな感じです。令音が大人バージョン、澪が高校生くらい、白い少女が中学生に近い感じ……というイメージですかね。あの抜群なプロポーションが中学生サイズになった言っても色気とか胸とか合法的にヤバそry

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十五話『未来を刻みし悪夢の瞳(ニュー・ナイトメア・クロニクル)

「う……、く……っ」

 

 自分じゃない『自分』が、いる。

 士道の中にある、士道であって士道ではない者(・・・・・・・・・・・・・)。その感覚は、侵食ではなく融合(・・)と表現した方が適切かもしれない。

 襲い来る絶え間ない頭痛の中で、誰かに抱えられる感覚を覚える――――狂三だ。同じく襲っているであろう痛みに顔を顰めながら、士道を庇うように狂三が立った。

 

「っ……!!」

 

「…………」

 

 影から抜き出した古式の長銃を構える狂三。しかし、目の前に立つ可憐な少女はただ微笑むだけで、銃口に恐れることはない。

 そう。狂三を敵として見ていない(・・・・・・・・・・・・・)。その視線から感じられるのは、敬意と――――親愛(・・)

 

「あ――――」

 

 そして、朧気な意識の中で、士道は彼女(・・)を見た。

 少女の背後の空間が歪み、一人の女性が現れた。分厚い隈で容貌を彩り、軍服のポケットに常に離すことのなかった傷だらけのクマのぬいぐるみを携えた女性。

 

「令……音、さん……?」

 

 村雨令音。〈ラタトスク〉の解析官、令音その人だった。

 なぜ、こんなところに現れたのか。どうやって、何もない虚空から出現して見せたのか。どうして、魔術師(ウィザード)や精霊の所業を、令音が行えるのか。

 

「なる、ほど……っ」

 

 疑問の答えは、狂三が吐き出した。士道より早く頭痛から抜け出し、殺意(・・)を剥き出しにした顔で少女と、そして令音を睨みつけた。

 かたかたと震える銃は、今にも銃口から弾が爆裂しかねないほどの迫力がある。それは知人に向けるものではなく、仇に向けるものだ(・・・・・・・・)

 

「そういう……ことでしたの。迂闊でしたわ。愚かでしたわ。あの子(・・・)と同じ力で、わたくしの違和感を〝消失〟させていたなんて……!!」

 

「……あの子ほど上手くはないよ。君の目から逃れられたのは、本当に運が良かった――――いや、君のおかげだね、シン(・・)

 

 その呼び名は、士道の意識を何よりも奪った。いつもの調子でいる令音への違和感ではなく、それ(・・)に意識を持っていかれてしまう。

 

「ああ……そう、か――――――」

 

 霧が晴れていく。狂三から一足遅れて、士道はようやく気がついたのだ。

 謎の少女、いいや――――澪に覚えていた強い既視感。原因は、少女の雰囲気が令音と酷使しているからに他ならなかった。

 銃口を向けられてなお、微笑みを崩さない澪に対し、狂三はギリッと歯を噛んで叫んだ。

 

「あの子を、どうしたんですの!?」

 

「……あの子はもう、『私』だよ」

 

「戯言を!!」

 

 今すぐにでも引き金を……そんな雰囲気の狂三を見遣り、澪はふぅと息を吐いて声を発した。

 

 

「……君は、とっくに気づいてるんじゃないの? 気付かないふりをしているだけで――――シンのこともね」

 

「――――ッ」

 

 

 狂三が心臓を撃たれたように息を呑む。彼女の動揺が手に取るようにわかる。何を話しているのか、理解し始める(・・・・・・)

 頭痛が、段々と引いていく。それと同時に、令音が澪を背から優しく抱きしめて――――光を放ち、二人のシルエットが結合(・・)する。

 

「な――――」

 

 瞬間、澪が纏っていた淡い光が意志を持っているかのように姿を変え、()を生み出していく。

 極光の如き幻想的な色を描く、光のドレス。背に、十の星を頂く白き羽を携えた光臨。そのうちの二つ、漆黒と灰の星が煌々と輝いている。

 その名は、霊装。精霊が纏う絶対の鎧であり、城。

 狂三たちの霊装が女王の装束だというならば、澪のそれは正しく――――『神』。神話に生まれた『神様』を想起させるものだった。

 

「……っ」

 

 村雨令音、否。

 

「澪……」

 

 崇宮澪。士道ではない士道――――崇宮真士が名付けた、名。

 始源の精霊。原初の零。識別名――――〈デウス〉。神の名を冠する最強にして究極の精霊。

 

 ああ、ああ。そして、崇宮真士が、愛した女(・・・・)

 

 三十年という因果の果てにて、シンと澪は、再会した。再会してしまった(・・・・・・・・)

 

「士道、さん……?」

 

 士道が澪の名を呼んだその時、狂三が声を震わせた。

 伝わってくるものは、恐れ(・・)。その意味を理解し、感じた士道は安心させるよう狂三に向かって士道として(・・・・・)笑いかけた。

 

「――――ああ、俺だ」

 

「ぁ……」

 

「……俺が話す。だから、狂三」

 

士道がまだ存在する(・・・・・・・・・)ことへの安堵の声。狂三もまた、士道を通して見てしまったのだ。崇宮真士の記憶(・・・・・・・)を。

 士道とシン。澪と令音、〈アンノウン〉。聞きたいこと、言いたいことが山ほどある。そして、恐怖で震えかけた(・・・・・・・・)腕を押さえつけ、士道は狂三を守るように立つ。

 その時見せた苦渋の表情は、きっと納得していないのだろう。けれど、この切迫した状況が狂三を前に出させることはない。

 

 

「……シン」

 

 

 感極まる、狂気に満ちた愛(・・・・・・・)

 万感の想いを乗せて、澪が言葉を紡いだ。

 

 

「――――ずっと、会いたかった。ずっとずっと、逢いたかった。君が死んでしまってから、それだけを想って、今まで生きてきた」

 

 

 あの日から――――シンが、アイザック・ウェストコットの凶弾に命を奪われた、あの日から。

 澪は本当に、それだけを想って生きてきたのだろう。

 

 

「……シン。シン。君に伝えたいことが山ほどあるんだ。君に言えていなかったことがたくさんあるんだ。それこそ、とても語り尽くせないくらいに。ああ、でも、でも大丈夫。今度の私たちには、いくらでも時間があるんだから。どれだけでもお話しよう? 何日かかっても構わない。何年かかって構わない。――――ねぇ、今度こそ、ずっと一緒だよ、シン」

 

「……、――――」

 

 

 ああ、その想いにどれほどの愛おしさがあることだろう。

 ああ、その歩みにどれほどの苦しみがあることだろう。

 だからこそ、言わねばならない。問いかけなければならない。五河士道の罪(・・・・・・)を。

 

「俺も――――会えて嬉しいよ、澪」

 

「……!! シン――――」

 

「ずっと放っておいてごめん。寂しい思いをさせてごめん。先にいなくなってしまって――――本当に、ごめん」

 

「そんな、君が謝ることじゃあ――――」

 

「――――でも」

 

 そうだ。でも(・・)これ(・・)はなんだと、士道は己の額に手を置いた。

 士道とシンだけではない。先の狂三と、断片的ではあるが澪の体験した記憶もまた、士道の脳に蓄積されていた。

 

 

これ(・・)は……何なんだ? お前は――――『シン』を生き返らせるために……一体何を(・・)してきたんだ?」

 

 

 それはもはや、問いかけの意義を無くしたものなのだろう。

 だって、士道の中にある記憶が全て本物なら、それが答えになっているではないか。

 だけど、認めたくなかった。認められなかった。士道と、シンが否定していた。

 士道という存在の足元に、数多の少女の亡骸が横たわっているなど――――時崎狂三(愛する少女)の受けた悲劇が、全て士道(シン)という存在のためであったなどと。

 澪がそんなことをするはずない――――被害者(・・・)がいる限り、その理屈は初めから破綻しているというのに。

 

 

「――――なんでも(・・・・)、でしょう? わたくしと同じく(・・・・・・・・)

 

「…………ッ」

 

 

 被害者は――――運命を弄ばれた少女は、同時に加害者としての立場を迷わず選んだ。

 澪は、それを受けても真っ直ぐに見つめ返す。

同じ(・・)なのだ、二人は。被害者と加害者でありながら。士道にはそれがわかる。

 

 

「彼を、崇宮真士さんを生き返らせるために。そのためだけに、あなたは全てを犠牲にした。あらゆる想いを踏み躙ったッ!!」

 

「……うん。なんでもしたよ。考え得る限りのことをした。シンともう一度会うために必要なことは、全てした。そうしないと、きっとシンにはもう二度と会えないと思ったから」

 

「そのために、それだけのために、あなたは紗和さんを……!!」

 

「そう――――狂三。君が、『士道』やあの子を犠牲にして、『私』を消し去ろうとしたように」

 

「――――――!!」

 

「っ……狂三、聞くな!!」

 

 真実は、パンドラの箱。開けてはいけない――――その中には、絶望が眠っている。

 澪は、狂三の恐れを淡々と突きつけた。真実だけを、淡々と解き放った。

 

 

「……『士道』がいるのは、シンが死んでしまったから(・・・・・・・・・)。私と出逢ってしまったから。過去を変え、三十年前のあの日を〝なかったこと〟にする。それが何を意味するのか――――君は、気づこうとしなかった(・・・・・・・・・・)

 

「っ、あ……」

 

「狂三。君の決意に敬意を評する。君の聡明さに感謝する――――そうしなければ、君の心は死んでいた(・・・・・・・・・)。そのおかげで、私はシンにもう一度会うことができた」

 

「それ、は……」

 

 

 ああ、なんて皮肉があるのか。時崎狂三が目指していた新しい世界。精霊が存在しない世界。崇宮澪が生まれない世界――――五河士道が、存在しない世界。

 あまりに単純な理屈。澪によって作り直された(・・・・・・)士道。それは、澪を否定することによって、容易く消滅する運命にある。

 つまり狂三は、己の恋心によって生み出された迷いで、澪の手助けをしていた(・・・・・・・・・・)のだ。

 迷いの中で、誰よりも士道を守ることで。

 迷いを振り切ったとしても――――せめてと願った未来は、存在しなかった。

 

「澪ッ!!」

 

「――――その通り、ですわ」

 

 遮るように叫んだ士道の声を、他ならぬ狂三が塞き止めた。

 

 その絶望では、今の狂三(・・・・)の心を折ることはできない。そうだ――――狂三はもう、希望と手を重ねたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたくしは、悲願を最善と偽り目を閉じた。覚悟の程で比べるのなら、あなたの腐れた夢とやらにかける覚悟の方が上だったのでしょう」

 

「……けれど、その悲願は私を滅ぼし得るものだった。違うかい?」

 

「違いませんわ。わたくしがその道を選んだならば、必ずあなたの存在を消滅させていたことでしょう。もっとも、今は意味のない仮定の話ですけれど」

 

「狂三にしては、おかしなことを言うんだね。過去を変えるのに、その仮定はもう無意味だと言うの?」

 

もしも(・・・)。それは、狂三が語ることにより、意味のないものが意味のあるものに変わる言葉。

 もしも。そう、もしもあの時、あの瞬間、時崎狂三が士道を犠牲にできていたのなら――――崇宮澪に、隙を見せることなどなかった。

 それは、意味のない仮定ではないと澪は語る。今からでも過去を変え、狂三が士道を殺せば(・・・・・・・・・)、澪を殺すことが叶う。

 

 ああ、ああ。それはなんて――――意味がなく、くだらない願いなのだろうか。

 

 

「無意味ですわ――――わたくしは、もう選びましたのよ」

 

 

 故に、時崎狂三は澪と相対する。決して勝てないと知りながら、過去(数分前)へ戻ることはしない。まだ出来ない(・・・・・・)

 

「お互い、やってはいけないこと(・・・・・・・・・・)など、説教をいただく必要もありませんでしょう?」

 

「……うん。そうだね。私たちにはそれしかなかった(・・・・・・・・・・・・・)

 

 そう、そうだとも。誰かの願いを踏み躙り、人を犠牲にする。それは悪だ。修羅の道だ。言い訳はしないし、できない。

 

 たとえ過去を変えようとも、消えない。

 たとえ愛する者を手にしようとも、消えない。

 

 狂三と澪は、煩悶など飽き飽きするほど繰り返した。罪は罪。何があろうと、被害者と加害者であろうと、変わりはしない。

 

 ただ、少女は望んだ。精霊は、選んだ。これが最善だと、妥協も言い訳もしない。狂三は全ての未来を望む(・・・・・)

 

 

「だから、あなたに返す答えはこれですわ――――士道さんと出逢わせてくれたことだけは、感謝して差し上げます」

 

 

 再び、金色の時計が動き出す。回り出す。輝きを放つ。未来を、視るために。

 脈絡のない狂三からの言葉に、澪は遥か過去では見たこともないほど目を丸くしていた――――あの子も、ローブの下では、こんな顔をしていたのだろうか。

 

「…………驚いた。もう、君から感謝の言葉なんて、得られないと思っていたから」

 

「わたくしだって、予知どころか考えても見ませんでしたわ」

 

「ふふ、そうだろうね。やっぱり、シンは凄いや」

 

「ええ、そうですこと。やっぱり、士道さんは最高ですわ」

 

 場違いなほど崇められた当の本人は、照れていいのか焦ればいいのかわからない顔で百面相をしていた。

 まったく、本当に世話が焼けて、目が離せなくて、愛らしい人だ――――だから、渡せない(・・・・)

 ふぅ、と。澪が憂いを帯びた息を吐く。何かを、躊躇っているかのように。

 

「君を説得(・・)できれば一番だったんだけど、それは難しいみたいだね」

 

「先のものが説得(・・)に当たるかはともかく……異なことを仰いますのね。わたくしを殺すこと(・・・・)が目的なのではなくて?」

 

「な……!!」

 

 狂三の予想に士道が目を見開いて声を上げ、直前に見たあの子(・・・)を思い出したのだろう。悔しげに歯噛みをした。

霊結晶(セフィラ)。十の繋がりを宿す器。崇宮真士。ここまで出揃っていて、答えを出せないほど能天気な頭はしていなかった。

 けれど、澪はかぶりを振った。そして、予想外な言葉を発した。

 

「ううん。君を殺す気はない――――君だけは、殺せないんだ(・・・・・・)

 

「……どういう意味ですの?」

 

 意味を掴みかねる。澪を前にして問答などしている暇はないのだが、少しでも時間を稼ぎたかった狂三にとっては好都合とも言えた。

霊結晶(セフィラ)を持ち、〈刻々帝(ザフキエル)〉という唯一彼女を脅かす可能性がある天使を持つ狂三を、殺す気はないだなんて。大体、先の行動と矛盾して――――――

 

「――――あの子の、霊結晶(セフィラ)……?」

 

 無意識のうちに零れた言葉を、澪は寂しさを感じさせる微笑を以て受け止めた。

 

「そして、あの子の願い(・・)、かな――――でも、君を見逃しては(・・・・・)あげられない」

 

「……っ!!」

 

「狂三、逃げろ!!」

 

 刹那、霊力が膨れ上がる。感じたことのないほどの圧力。恐らく、生きとし生けるもの全てが、この原初の神には及ばない。

 士道が狂三を逃がそうと立ち塞がる――――ああ、それは逆だろう(・・・・)

 

「あなた様は、こちらですわ!!」

 

「え――――おぉっ!?」

 

 影から躍り出た分身たちの腕が、士道を空中へと逃がす。それを追うように狂三は銃をこめかみに構えて(・・・・・・・・)、澪と言葉を交わした。

 

「やはり、君は聡明だ」

 

「あら、あら。澪さんに褒められたのは、いついらいかしら」

 

 そうして、笑いあった。同じでありながら、ただ一つだけ、致命的な違いを除いた言葉を解き放って。

 

 

 

「――――士道(・・)は、渡さない」

 

「――――シン(・・)は、渡さない」

 

 

 

 ――――絶望的な戦いが、幕を開けた。

 




同じ人を見て、けれど違う者を見ている。

評価が減ってコフるのが定期的になってきた、どうもいかです。メンヘラかな? 評価と感想はモチベです、遠慮なしに積極的にくださると嬉しい(俗物ここに極まれり)

当然といえば当然の因果にして始まり。士道と真士の存在は共存しない、できない。それを見て見ぬふりをして、悲願を果たしてしまった時……士道の存在が違う誰かに置き換わるのか、それとも特異点となり誰も覚えていない存在として新たな世界に投げ出されるのか……まあ、今のなってはありえない可能性になったわけですがね。

さて、悪夢の瞳は華開き、時計の針は再び未来を刻む。けれど、原初の絶望と相対してしまった。これからどうなるのか……ていうかメインヒロインのPT正式参入に165話もかけたんですよね。なげぇ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十六話『希望(みらい)を信じる者たち』

 

 

「――――俺が話すって言わなかったか!?」

 

 【一の弾(アレフ)】の力で加速し、神速にて街中を駆け回りながら士道は自身を抱き抱える狂三へ向けてそう声を張り上げた。

 体感時間がおかしくなっていなければ、つい数分前、士道と狂三は始源の精霊――――崇宮澪と、再会(・・)を果たした。

 狂三は精霊として、士道はシン――――崇宮真士として。そうして、気がつけば分身体に投げ飛ばされ、いつの間にか狂三に抱えられてゴーストタウンと化した街を疾走している。

 その手前で、士道は澪と話があったのだ。まだ、シンとして伝えなければならないことがある。だが、狂三は面白くなさそうな顔をして返してきた。

 

「あら。士道さんが澪さんを説得できる札をお持ちなら、出し惜しみせずに教えていただきたいものですわ」

 

「そ、それは……」

 

ありませんわ(・・・・・・)。よしんば有り得たとして、あの場で引き出せるものとも思えませんわ」

 

 それはいけないことだと、士道(シン)が言えば止まるのか。否、そのようなことはありえない。

 生半可な気持ちで、澪は三十年の時をシンと再会するために費やしてきたわけではない。

 悪を為そうとしたわけではない。

 快楽のために血を望んでいたわけではない。

 

 ただ、必要だったから(・・・・・・・)。考えて、考えて、考えて――――考え抜いた上で、澪は修羅の道を選んだ。皮肉にも、『時崎狂三』が選んだ道と同じ、血塗られた道を。

 

 そんな彼女に、何を告げればいいのか。嫌というほど同じ覚悟を見て、悲しみを覚えた士道に、すぐに出せる答えではなかった。

 それに、と狂三は言葉を続けた。

 

「――――澪さんは、あなた様を消すつもり(・・・・・・・・・・)なのですから」

 

「――――――」

 

 それは、残酷な予測であり、事実(・・)なのだろう。

 士道は、そのために『作られた』。令音……澪は、士道を見守るために傍にいた。そして、器としての完成が近い今、真士が澪と永遠に寄り添える肉体を手にした今――――『士道』という人格は、必要ない。

 自分が消される。勝手に生み出されて、なんて理不尽な仕打ちなのだろう。けれど、この上ないほど残酷な死に方(・・・)を選ばされようとしているのに、士道は……恨みではなく、寂しさを覚えてしまった。

 僅かばかりに表情を曇らせたことに気が付かれてしまったのか、高速飛行の最中一瞬ビルに足を付け、更なる加速を付けるついで(・・・)に士道を自身の胸に押し付けるように持ち替えた。

 

「むぐっ!?」

 

「涙を流したいのであれば、それだけの時間は稼いでみせますわ」

 

「っ……」

 

 泣きたい。ああ、そうとも。悲しい気持ちで胸が痛い。眼球が揺れて、奥底が熱くなる。

 でも、と。士道は微かに首を振った。

 

 

「今は、いい」

 

「ええ、ええ。感傷に浸る時があるならいいでしょう。悲しみにくれる時が許されるのなら、そういたしましょう。ですが今、わたくしたちがすべきことは他にありますわ――――あの子の行動を、無駄にしないためにも」

 

 

 きっと、言葉は彼女自身にも向けられたもの。

 泣いて、喚き散らし、どうしてと問いかけをぶつけたい。誰より、狂三はそう思っているはずだ。

 だが、それを出来ないことを誰より知っているのも、狂三だ。悲劇に嘆くだけならば、あとでいくらでも出来る。士道たちは今しか出来ないことをするしかないのだ。

 士道はこくりと頷き、言葉を返すため声を発した。

 

「ああ。今はとにかく、澪を止めるしかない。……それで、狂三はどこへ向かってるんだ? 琴里たちと合流するのか?」

 

「いえ。今回ばかりは、〈フラクシナス〉逃げ込んでだとしても安全とは言えませんわ。澪さんの最優先は士道さんとはいえ、恐らく残りの霊結晶(セフィラ)の回収も狙いでしょうから」

 

霊結晶(セフィラ)の回収――――まさか」

 

 嫌な予感が過ぎる。〈アンノウン〉の霊結晶(セフィラ)と、少女が所持していた二亜の霊結晶(セフィラ)。恐らくはその二つが澪の手に渡り、その瞬間から澪の背にあった十の星のうち二つが光り輝いた。

 澪はシンを自身と同じ次元へ引き上げるため、霊結晶(セフィラ)を渡し人を精霊にしてきた。であるならば、士道が精霊を封印していき器としての成長を果たした時、未だ繋がる精霊たちの霊結晶(セフィラ)をどうするのか。答えは……狂三に対して行った行動から、察するに余りある。

 無言で頷いた狂三を見て、士道は苦々しく顔を歪めた――――――

 

「あ、れ……?」

 

 だが、そこで士道の脳裏に疑問が浮かび上がった。

 

 折紙、二亜、狂三、四糸乃、琴里、六喰、七罪、耶倶矢と夕弦、美九、十香。

 

 十一人の精霊と、十の天使。澪が生み出した力で器を満たす。では――――取り込まれた〈アンノウン〉の霊結晶(セフィラ)は、なんだ(・・・)

 

「士道さん?」

 

「っ……い、いや、なんでもない。〈フラクシナス〉じゃないなら、どこか目当てがあるのか?」

 

 とにかく、今は澪を止めなればならない。しかし、相手は精霊の生みの親にして原初の精霊。どのような力を持っているのか、想像することさえ難しい。

 だけど、諦めるわけにはいかない。ようやく、狂三と手を繋ぐことが出来た。〈アンノウン〉への道も――――そんな瞬間に訪れた絶望を前に、士道の心はまだ死んでなどいなかった。

 

「ええ。予測(・・)通りであれば、そろそろ……」

 

「そろそろ――――ッ!?」

 

 なんだ? そう聞こうと口を開いた直後、士道はその口を閉じなければならなかった。

 正確に言えば、狂三の手に塞がれ閉じられた。でなければ、急な旋回によって思わず舌を噛んでしまいかねなかっただろう。

 刹那。避けた(・・・)先に爆発音。それが遠く聞こえるほど、狂三はコースを変えながら街中を駆け巡る。

 澪の攻撃か。そう思ったのもつかの間、士道の視界の端で攻撃の正体(・・)が映り込み、目を見開いた。

 

「〈バンダースナッチ〉!?」

 

 街を埋め尽くす人形の束。いつの間に――――いや、恐らく元からいたのだ。ただ、狂三が速すぎるあまり、視界に入る頃には豆粒程の大きさから、間近で確認できるほどの距離に来ていたのだと理解した。

 それだけではない。軽やかに〈バンダースナッチ〉の魔力砲を回避する狂三に抱えられながら、士道は空を隠す影(・・・・・)を見た。

 

「な……」

 

 驚嘆の声が漏れる。

 広大な天を翔ける〈フラクシナス〉と同じでありながら、違う。ある種、支配の象徴を思わせるそれらは、雲を割くように現れた。

 目に見えるだけで、()は下らない。それだけの空中艦(・・・)から、人形兵が、更には魔術師(ウィザード)までもが降下し始めていた

 

「なんだよ、これ……!?」

 

 ――――異常だ。直感的に、そう断定する。

 断定せざるを得ないのだ。何故なら、空間震は狂三がブラフとして引き起こしたもの。それが仮にブラフでなかったとしても、この規模はおかしい。

 過剰すぎる。これから全面戦争でも始めようというのか。以前、DEM日本支社で発覚した大規模な戦力と比較しても全く相手にならない差があった。

 

 だが、思い当たる節はある。この地にいる精霊は狂三と、まさにもう一人(・・・・)

 

「狙いは、澪か!?」

 

「恐らくは。二亜さんの一件で、あの子があの男に対して何かをしたとは思っていましたが――――――」

 

 

 

「――――うん。彼の狙いは、私だから」

 

『!?』

 

正面から響いた声(・・・・・・・・)に、狂三がビルの一角に足をつけ、地面を砕かんばかりに急ブレーキをかけて後ろへ飛び退く。

 即座に銃を引き抜き、士道を身体の後ろへ隠しながら狂三は彼女へ、崇宮澪(・・・)へ銃口を向けた。

 微笑みを以て相対してみせた澪からは、敵意がない。それが却って、戦場の破壊音が支配し始める中で不気味であり、それでいて美しく輝いていた。

 

「鬼ごっこは、もうおしまい?」

 

「さて、さて。それは、澪さん次第ですわねぇ」

 

 立っているだけで感じ取れる、力の差(・・・)があった。

 それを士道以上に感じていながら、狂三は相も変わらず超然とした微笑みを崩さない。

 

 

「……策がないなら、策を生み出す。君らしい手だ――――その瞳、今は(・・)、どこまで視えているのかな」

 

「……」

 

「ふむ。しかし、親愛なる私の友人の策だ。乗せられることとしよう」

 

 

 降り注ぐ砲火を意に介すことなく、澪は左腕を高く掲げた。

 狂三が天使を謳うそれとは、似て非なる仕草。狂三が女王の絶唱であるならば、澪のそれは権能を振るわんとする女神のように映った。

 

「……おいで」

 

 ぽつりと零れた言霊が、澪の遥か上空の空間を歪めた。

 撓んだ空間から、巨大な球体が顕現する。

 その()の名は、澪によって告げられた。

 

 

 

「――――〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉」

 

 

 

 花が、咲いた。

 

「な……」

 

 荘厳なる花弁が、幾重にも重なる花弁が、咲き誇る。

 その中心には、見知った(・・・・)少女のような形をした柱頭が、祈りを捧げるように鎮座している。

 球体から花弁へ変貌を終え、澪は次なる言の葉を告げようとする――――その感覚は、本能から来るものだった。

 言葉を生み出すために必要な一呼吸。その間に、アレ(・・)はそういうものなのだと、全身の感覚が告げていた。

 

 かつて、銃弾に穿たれた時。

 かつて、剣で胸を突かれた時。

 かつて、『鍵』の力で肉体の一部を消失した時。

 

 かつての中で、幾度となく味わった感覚。違いがあるとするならば――――アレ(・・)は、感覚そのものが形を持ったものであること。

 

 

「咲き誇れ」

 

 

 次の瞬間――――『死』が、戦場を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 世界の終わり。そんな光景があるとするならば、今男の前に広がるものが、それに近しいものなのだろう。

 降り注ぐ光の胞子が触れた瞬間、物が、人が、有機物、無機物など関係なく『死』を与えられている。

 逃れる術はない。『死』は平等に訪れる。差があるとするならば――――神の加護を受けたものなら、或いは避け得る未来は存在している。

 

 

「ははは、ははははははははは、ははははははははははははは――――――ッ!!」

 

 

 男は、笑っていた。濃密なるマナの脈動。あの日、あの瞬間、顕現した神なる者。その一端が、長い時を得て目の前に現れた。

 

 待ちわびていた。待ち焦がれていた。これを見るためなら、この程度の犠牲など安いもの。ただの座興に過ぎない。

 

 

「〈デウス〉。我が、愛しき精霊よ」

 

 

 しかし、神に選ばれし者は自身ではない。

 

 しかし、悲観することを男はしない。

 

 男には自信があった。自分なら成し遂げられると。

 

 男には確信があった。彼ならば(・・・・)成し遂げられると。

 

 

「――――さあ、期待しているよ。イツカシドウ(・・・・・・)

 

 

 故に、男は時を座して待つ。それだけでいい。

 

 圧倒的な『死』を前にして、男は笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ここが、数分前まで敵の軍勢が溢れ返る戦場だったなど、誰が信じられようか。

 戦場の残り香など、ありはしない。ある者は砕け散り、ある者は事切れるように。全て(・・)が死んだ。

 地に落ちた人形が、巨大な艦が、長い時を得たように『死んで』いる。数刻前まであった生などない。生きるために必要なものを、瞬間的に消失(・・)させられた。

 そう。その天使の効能は、まるで――――――

 

 

「あの子の天使みたいだ、でしょ?」

 

「!?」

 

 

 澪に思考を読まれ、早鐘を打つ心臓がさらに激しくなる。

 澪の天使・〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉。かの天使より降り注いだ光は、街を埋め尽くすDEMの戦力を一瞬にして(・・・・・)死滅させた。

 物だろうと、人だろうと、例外はない。神の選定。存在証明の消失――――〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉と、類似する力。

 

「あの子と私の力に本質的な違いは存在しない。ただ、あの子は外から向けられたものを奪う(・・)ことができて、私は外へ向けても奪う(・・)ことができる。理解出来たかな?」

 

「……余裕だな。随分、詳しく教えてくれるじゃないか」

 

「……こうでもしないと、折れて(・・・)くれないと思ったから」

 

 そう言って、困ったような微笑みを浮かべた澪。それだけを見るなら、この終末を生み出した張本人とは思えない。

 だが、現実として生み出したのは澪だ。彼女の目論見通り、絶対に折れないと誓った心にヒビが入ってしまったように、士道は悔しさを滲ませ歯噛みする。

 

「く……」

 

 相手は始源の精霊。止めるにしろ、相応の力は必要だとわかっていた。その覚悟は持っていた――――しかし、差がありすぎる(・・・・・・・)

 力が近い相手ならば、策を弄じて対処しよう。冷静さが必要になるというのなら、士道は学んだ全てと天使を駆使して対応してみせよう。だが、目の前の精霊はそんな次元の話はしていない。

 悪い言い方をすれば、程度が違う。今までの戦いで駆使してきたこと全てが、澪の前では子供の遊び成り果てるほどの決定的な差がある。そう、思い知らされる(・・・・・・・)

 

 だが――――それでも(・・・・)

 

「……だってさ。諦めるか、狂三」

 

「士道さんが心からそう仰るのであれば、わたくしなりの諦め方(・・・)をしてみせますわ」

 

「じゃ、絶対諦めてやんねぇ」

 

 そう言い続け、相手が世界()であろうと抗ってきた愚か者。それが士道と狂三だった。

 軽口を叩き合い、お互いの気持ちを確かめ合うまでもなく笑う。

 

「――――ふふっ」

 

 その時、くすりと笑った澪を見て、狂三が皮肉げに顔を歪めた。

 

「何がおかしいんですの? 力の差を理解していながら、愚かにも抗うわたくしたちが哀れでならないと?」

 

「ううん、違うよ。君たちらしいって、思ったんだ――――やっぱり君たちに、絶望は似合わない」

 

「え……」

 

 愛おしさすら感じているような独白――――そして、澪は視線を外し天を見上げた。

 

 

「そんな君たちだから――――皆、希望を信じるんだろうね」

 

 

 ――――刹那。流星が風を裂いた。

 

「な――――ッ!?」

 

 それを認識した次の一瞬、顔を覆わねばならないほどの衝撃波が撒き散らされる。

 初めて手を掲げる防御行動(・・・・)を行う澪と、彼女の障壁が防ぐ円錐形の矢(・・・・・)

 そう。風を裂いたのではなく、その矢こそ風そのもの。暴風を纏う必滅の一撃――――〈颶風騎士(ラファエル)〉・【天を駆ける者(エル・カナフ)】。

 

 次いで、障壁を呑み込むほどの巨大な斬撃(・・ )が澪に襲いかかる。

 

 士道が知る最強の一撃。その名は――――――

 

 

「【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】――――!?」

 

 

 最強最大の斬撃と、最強最大の暴風。それらが澪ただ一人に向かって炸裂する。

 一撃であっても空間が軋むほどの霊力を、全力を超える(・・・・・・)域を以て、二撃。どれほど頑丈に出来ていようと、人の領域にある建物が耐えられる理屈は存在しない。足場にしていたビルが破砕機をかけたように粉々に砕けていき、狂三が士道を連れて飛び立つ――――数秒遅れて、澪を包む防壁諸共、霊力の爆発を引き起こした。

 

「ぐ……!!」

 

 恐ろしい衝撃波に、落ちてきたDEMの艦によって破壊されていた建造物の残骸が舞い散り、散弾の雨となって辺りへ飛び散っていく。

 その大爆発の中でさえ、斬撃と暴風は未だ続いている。それは、中心に捉えた澪を地上へと誘い、着弾。それからさらに数秒を使い、ようやく衝撃波が収まった。

 

「今のは……!!」

 

「――――シドー、狂三!!」

 

「っ――――十香!!」

 

 声の主は、墜落と見間違うほどの猛スピードで着弾(・・)し、地上に降り立った士道と狂三を見つけるなり飛びつかんばかりに走ってきた。

 彼女が――――紫紺の限定霊装を纏った夜刀神十香は、騒がしくも頼もしく駆けつけた。

 

「二人とも無事か!? 大事ないか!? 令音――――澪に、何かされていないか?」

 

「……ああ。俺たちは大丈夫だ。十香たちのおかげでな」

 

 名を出すことに一瞬の躊躇があったことに、士道は眉根を下げた。

 当たり前だ。たった今、十香が全力で攻撃を放ったのは澪であり、あの村雨令音なのだ。十香が得た数々の記憶の中に、当然令音は多く存在している。存在している分だけ、人の太刀筋というものは鈍ってしまう。

 それがありながら、十香は士道たちのために全身全霊で刃を振るった。その決意を、余計な気遣いで鈍らせるわけにはいかないと、士道は不安顔の十香へ強がりの笑みを返した。

 

「ええ。ありがとうございます、十香さん。それに、耶倶矢さんに夕弦さんも。良いタイミングでしたわ」

 

 同じように微笑みを返した狂三が、十香に次ぐように風を纏って降り立った姉妹、耶倶矢と夕弦へ声をかけた。

 それぞれ巨大な突撃槍(ランス)とペンデュラムを手にした八舞姉妹は、大技の後での疲労を見せながらも気丈に笑い返した。

 

「ふはははは!! 我らにかかればこの程度、赤子の手をひねるより容易いことよ――――って言うけど、半分は狂三の指示じゃん」

 

「同調。夕弦たちだけでは、このタイミングでの攻撃は不可能でした」

 

「は……狂三の指示(・・・・・)?」

 

 一体、いつそんなものを飛ばしていたというのか。澪から逃れ、高速で飛翔しながら士道と会話する狂三にそんな時間はなかったはずだ。

 士道が訝しむように言葉を復唱すると、狂三は人差し指を唇に当て、いたずらっ子な顔で声を返した。

 

「ちょっとしたアドリブですわ。本当に即興でしたので、上手くいったのは皆様のおかげ、ですわね」

 

「…………」

 

 この極限状況下で、まさか十香たちにまで何かをしていたことに、さすがの士道も絶句せざるを得ない。

 澪の天使にしたって、あの状況は使わせる(・・・・)ために意図的に生み出したのだろう。

 何とも、こと策略という駆け引きでは一生狂三には敵わないのだと思い知ってしまう――――一生、狂三と生きるつもりなので敵わなくても問題はないのだが。

 

「さて……」

 

「っ……!!」

 

 視線の向きを変えた狂三に、再会を喜ぶ時間は終わりだと士道たちも気を引き締めてそれ(・・)を見遣る。

 十香と八舞姉妹、双方の攻撃によって崩壊したビルの跡地。残骸を跡形もなく消し飛ばして、さらには巨大なクレーターまで生み出してしまった。ようやく、宙を舞う砂埃が晴れていくが――――そこに、澪の姿はない。

 

「どこへ……!!」

 

 倒せたとは思えない。今の一撃に耐えきれる生物など、士道の記憶にはなかった(・・・・)。つい数刻前までの記憶には、だが。

 相手は始源の精霊。全ての精霊の祖にして、頂点。士道は見たのだ。【天を駆ける者(エル・カナフ)】によってもたらされた暴風の中で、表情を変えることなく、髪の先すら靡かせることなく最強の一撃を防ぐ澪の姿を。

 瓦礫が崩れる音だけが響く。その沈黙の中で――――十香が叫んだ。

 

「耶倶矢!!」

 

「え――――?」

 

 

 光が、走る。

 

 

「逃げろ、耶倶矢ッ!!」

 

それ(・・)に触れてはいけないと知っていた士道は、必死に叫びを上げた。

 だが、間に合わない。如何に最速の耶倶矢と言えど、認識する領域の外側から迫る攻撃を避けられはしない。

 

 薄皮一枚――――氷の障壁(・・・・)が、存在でもしていなければ。

 

「な――――」

 

「え……っ!?」

 

 士道のみならず、救われた耶倶矢ですら驚きの声を上げた。

 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の氷が生み出した障壁。それによって、すんでのところで光の帯が耶倶矢の胸を貫くことを防いでいた。

 驚きの声を上げるだけに留まったのは、その直後、氷が砕かれるよりも速く士道が地上から放り投げられ、天地が逆転したせいだった。

 

「んな……っ!?」

 

 一体、この短時間で何度目かの空中浮遊なのだと文句を言う暇もなく、士道の捉える視界が不自然に変わる。まるで、違う空間同士を扉で繋げたように(・・・・・・・・)

 それくぐり抜ける瞬間、先程までいた辺り一帯に光の光線――――〈絶滅天使(メタトロン)〉が放つ光が降り注いだ。流星群(メテオ)と見紛うそれを見ながら、士道は潜り抜けた先で抱きとめ(・・・・)られた。

 

「むぐぐっ!?」

 

「やーん、だーりんのえっちー」

 

「……絶対わざとでしょ。ていうか、苦しそうだから離してやりなさいよ。何してんのよこの非常時に」

 

 抱きとめられたのは美九の胸の中で、力加減のないそれに喜びより苦しみのタップアウトを繰り出す士道。その意図を読み取って七罪が呆れた声を漏らした。

 どうにか脱出し、美九と七罪を確認する。二人とも、限定霊装を纏い、七罪の〈贋造魔女(ハニエル)〉は美九と〈破軍歌姫(ガブリエル)〉と全く同じ形に擬態していた。

 

「……!! そうか、二人があの攻撃を……」

 

 それを見て合点がいく。あの限定解放の限界を超えた十香と八舞姉妹の一撃は、二つの〈破軍歌姫(ガブリエル)〉による【行進曲(マーチ)】の二重奏によるものだったのだ。

 そしてもう一つ。耶倶矢を救い、士道をまた別の破壊された街中へ移動させた二人。

 片や錫杖を地面に立て、片や大きなウサギ型の人形に跨る少女たち。

 

「ふむん。全員、無事のようじゃの」

 

「よかった、です……」

 

「…………し、死んだかと思った」

 

「感謝。ありがとうございます、四糸乃、六喰、マスター折紙」

 

 九死に一生を得た耶倶矢と、彼女を支えながら功労者たちへ感謝を述べる夕弦。気がつけば、士道と同じように六喰の〈封解主(ミカエル)〉・【(ラータイブ)】で開かれた扉を通って狂三、十香、そして先の支援砲撃を行った折紙が士道の周りに集っていた。

 危なかった。一先ずはそう息を吐き、士道は皆へ礼を言った。

 

「ありがとう、みんな。けど、どうやって……」

 

 澪が繰り出した視認範囲外からの攻撃を、〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の氷晶で防いだ。離れた場所から展開できた理屈は、四糸乃の足元から伸びる冷気の跡を見れば察しはつく。地面を伝わせ、ピンポイントで防壁を展開したのだろう。

 が、それは理論上の話でしかない。四糸乃とよしのんは視界を共有している。つまりは、ここにいた四糸乃では耶倶矢の危機を知りようがないし、折紙の援護や六喰の緊急離脱も鮮やか過ぎる。

 そうだ――――未来を視ている(・・・・・・・)。そう思えてならないほど完璧な連携だった。

 士道の疑問を受け止め、答えたのは限定霊装とCR-ユニット〈ブリュンヒルデ〉と複合した鎧を纏った折紙であった。

 

「彼女のおかげ」

 

「彼女って――――え?」

 

 視線を追った先にいた両目の色彩が異なる少女――――丁寧に礼をして見せた狂三の分身体(・・・)を見て、士道は目を見開いた。

 

「彼女って……『狂三』が、どうやったんだよ」

 

 見ただけで、二人いる狂三のうち、どちらが分身か士道にはわかる。間違いなく、折紙が示唆したのは分身体だ。

 であれば、おかしな話になる。分身に天使は扱えない。引いては、〈刻々帝(ザフキエル)〉の予知(・・)も同様のことが言える。だが、先の連携は未来予測でもなければ説明がつかない。

 混乱する士道に、肩を竦めたオリジナルの狂三が出来て当然(・・・・・)のような口調で声を発した。

 

 

「『わたくし』の一人と意識の共有(・・・・・)を行ったのですわ。言ってしまえば、わたくしの意識を一時的に二つで一つ(・・・・・)にした、ということになりますわね」

 

「………………はぁ!?」

 

 

 俺がお前で、お前が俺で。なんてフレーズを頭の中で流しながら、しれっととんでもないことを言い、しかもやってのけたお嬢様に士道は素っ頓狂な驚きを見せた。

 

「何を驚いていらっしゃいますの?」

 

「驚くに決まってるだろ!! 今までそんなことしてなかったじゃないか!!」

 

「はい。出来ませんでしたもの」

 

「出来なかったのかよ!?」

 

 あまりに素面で言う上に、驚いているのが士道だけなので自分がおかしいのかと皆を見渡すと……事情を先に知っていたのか、驚きよりも呆れが先行している表情を一様に見せていた。

 狂三も自慢する気はないのか、手短に説明したいのか淡々と続ける。

 

「理屈自体は単純ですわ。わたくしと〈刻々帝(ザフキエル)〉が視た未来を選出し、『わたくし』を伝い四糸乃さんたちへ予測を届ける。共有が可能な距離に限りはありますけれど、ここまで凌ぐことが出来たなら上出来ですわ」

 

「簡単に言うけどな……」

 

「ええ、簡単ではありませんでしたわ。本来、脳内情報の共有だけでもわたくしの脳に負担がかかる行為でしたから。ですが、この程度をこなせずして、未来は変えられませんわ(・・・・・・・・・・・)――――そうでしょう、澪さん」

 

『ッ!!』

 

 狂三の声に反応し、全員が一斉に辺りを警戒する。

 ――――彼女は、いた。未来予測を加えた猛攻の果てに。

 

 

「本当に――――君には驚かされてばかりだ、狂三」

 

 

絶望()は、無傷(・・)で士道たちの前に立っていた。

 

 

 







希望と絶望は表裏一体。未来予測もまた、同じ。


白い少女の〈擬象聖堂〉と澪の〈万象聖堂〉。それぞれ最大の違いは、少女が範囲内にある空間・概念事象に対しての『死』という防御行動であるのに対し、澪のそれには制限がない。物理だろうが空間だろうが生きているのなら例外のない『死』がそこにある。
あの子が言いましたからね。澪にできて少女にできないことはあれど、少女にできて澪にできないことはない、と。あえて言わせてもらおう、何だこのチートを超えた何かは。

さあ、絶望の前に希望は集結した。どうしてそうなったのか。次回はほんの少し時系列を戻し、希望の集結に至るまでの幕間をお届けします。くるみん火事場の馬鹿力もしれっと流されてましたしね。

沢山の感想、高評価、お気に入りありがとうございます!!現金なやつなのでこういった目に見えるものが本当に、本当に励みになります!!これからもどしどしよろしくお願いします!!私はこうやって常に厚かましくいこうと思います。更新は一定を保つのでゆるして。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十七話『それでも、焔は前を向く』

 

「――――敵影確認!! 十――――いえ、二十……!? 新たに現れた精霊へ向かって、進行してきます!!」

 

 〈フラクシナス〉艦橋。〝敵〟となった令音の姿が消え、数秒と経たぬ間にその報告は飛び込んできた。

 令音に裏切られた――――いいや、彼女からすれば、それは正しくないのだろう。最初から、令音は味方ではなかった。

 あの時、あの瞬間、見せてくれていた表情、言葉、わかり辛くも優しい笑顔。今まで過ごした日々は、変え難いと思っていたものは、虚構に過ぎなかった。

 

「令音……ッ」

 

 打ち震えた拳と、くしゃりと歪んだ顔。今の琴里は司令官ではなく、ただの少女。親友を失い、心の支えを一つ折られてしまった年相応の子供だった。

 

 だが、滲みかけていた涙は見せない。五河琴里は少女であってはならない。ここに、司令席に座っている以上、座る資格がある以上、琴里はどこまでも〈ラタトスク〉の司令官でなければならないのだ。

 

「士道と狂三を救出するわ。DEMの艦隊が到着する前に、こっちで隙をみつけるのよ」

 

「し、司令」

 

「落ち着きなさい。令音は味方じゃなかった……それだけのことよ。今は、目の前のことに集中なさい――――私が、まだここにいるわ」

 

 そうでしょう。と、琴里が下段のクルーたちへ不敵に発破をかけた。

 彼らにも動揺はある。それでも、琴里という司令官は幾らか人望があったということなのだろう。ハッと目を見開いたクルーたちが敬礼を返し、各々のコンソールへ向き直った。

 

「……そうよ。まだ、何も終わっちゃいないわ」

 

 だから、泣くな、五河琴里。涙を流すことは、後でも出来る。悲しみにくれる時間を、これから作り出すのだ。

 前を向け、指示を出せ。それが務めだ。それが責務だ――――きっと彼女も、同じことを考えるはずだ。

 

「琴里」

 

「折紙?」

 

 意を決し、次なる指示を頭に浮かべようとしていた琴里の鼓膜を、折紙の声が震わせた。視線を向けると、恐らく折紙や二亜が纏めてくれたであろう精霊たちの姿も見て取れる。

 皆、各々の細かい反応は違うが、共通して困惑が強い。下手をすれば、霊力の暴走までありえる事態になっていたかもしれない。そう思い頭を下げ、折紙へ声を返した。

 

「……助かったわ、折紙。みんなをありがとう」

 

 まず素直に感謝を。いつ、誰が飛び出してもおかしくなかった。琴里に、それを止める余裕はなかった。折紙だって胸に激情が存在しているはずなのに、それを抑えられる冷静さに琴里は感服の念を抱く。

 折紙は琴里の感謝に、平静ながらも常時より感情が現れた顔で言葉を返してくる。

 

「構わない。それより今は、私たちを士道のもとへ送り出してほしい」

 

「……何ですって?」

 

 それが耳を疑うものだったことで、琴里は目を見開いて返すように声を発した。もっとも、折紙の表情は変わらず、聞き間違いという線は初めからなく、無駄に終わったが。

 

「駄目よ。あなたたちはここにいて。士道と狂三は、必ず連れ戻すわ」

 

「承服しかねる。あの精霊の力を考えれば、救出すら確実とは言えない」

 

「だからこそよ。令音の力を見たでしょう? 真那が攫われて、DEMの軍勢も迫ってきてる。あなたたちをみすみす送り出すことはできないの」

 

 狂三の分身と真那を一蹴するほどの力。士道と狂三の前に現れた精霊と同じ(・・)と令音は言っていた。なら、あの精霊も同様の、或いはそれ以上の力を持っているということだ。

 加えて、DEMの大艦隊。理由までは定かではないが、あれほどの艦隊を用意されては顕現装置(リアライザ)の技術で上をいく〈ラタトスク〉であっても、総戦力で対処する他ない。そして、今すぐには不可能だ。

 折紙たちが士道と狂三の救出に向かい、万が一にもそこへDEMの艦隊が現れては、最悪全滅もありえる。精霊を保護した責任者として、到底許可などできない。

 だが――――――

 

「危険なのはシドーたちも同じだ!! 琴里が止めても私は往くぞ!!」

 

「私たちだけ、安全なところにいるなんて……そんなの出来ません……!!」

 

「ていうか、簡単に回収できるとも思えないんだよねー。出来たとしても、あっちはこの〈フラクシナス〉のことだってズバッとお見通しなわけだし」

 

「それは……」

 

『同意することに若干の腹立たしさは覚えますが、二亜の言う通りです。琴里、令音は知りすぎています(・・・・・・・・)

 

 二亜、そしてマリアの言う通り、令音があの精霊であるならば、この最新鋭の技術で開発された〈フラクシナス〉の機能、戦力、それらを知らないわけがない。

 仮に士道と狂三を転送装置で回収できたとしても、正体を現した彼女が逃がしてくれるとは思えない。どれだけ密閉しようと、精霊という存在は条理を外れて行動できるのだから。

 それに、十香や四糸乃のような子たちの意見も大半を占める。たとえ琴里が止めたところで、聞き入れてくれるはずもない。

 けれど、だからといって無策で行かせるわけにはいかないのだ。断腸の思いで、琴里も考えを口にした。

 

 

「だけど、あの精霊は――――あの子を殺したわ(・・・・)

 

『っ!!』

 

 

 言いたくなどない。けれど、現実として突きつけなければ折紙たちは止まってくれそうにない。

 〈アンノウン〉。琴里たちと深い縁を結ぶもう一人の精霊。その少女は、自分たちの手の届かない場所で、一瞬にして姿を消した。身体すら残さず(・・・・・・・)、消えてしまったのだ。

 息を呑む精霊たちへ、琴里は感情を抑え込みながら続けた。

 

「いい? 令音の分身は霊結晶(セフィラ)を私たちに与えた。そして、あの子がされたことを見るなら、逆もまた然りと考えるべきよ。彼女の目的が不透明な以上、迂闊に近づいたら、あの子の二の舞になる可能性だってある。無策で助けに行ったら、ミイラ取りがミイラになるかもしれない。それだけは避けなきゃいけない」

 

 目的がわからない以上、可能性の段階だ。しかし、未知の可能性がある以上、捨てるべきではない。

 目的不明。力は未知数。そんな相手に精霊たちを向かわせるわけにはいかない。これまでとは、何もかもが違う。助けに行って、逆に全滅しましたでは話にならないのだ。

 

「わかったら、ここで待っててちょうだい。大丈夫よ。士道には狂三がついてる。手早く合流して、態勢を立て直してから――――――」

 

「それでは、遅い」

 

 なおも、言葉を遮るように折紙が言い、琴里は咥えたチュッパチャプスを噛み砕いて立ち上がり、キッと折紙を睨みつけた。

 

「いい加減にしてちょうだい!! 私だって士道や狂三が心配よ!! 今すぐにだって飛んでいきたいわ!! でも、だからといって無策であなたたちを危険に晒すわけにはいかないのよ!!」

 

 この判断が正しいかなどわからない。だが少なくとも、作戦もなしに飛び込んでの全滅だけは避けられる。

 折紙たちは強い。精霊としても、人としても。しかし、相手は精霊を生み出してきた存在。士道と狂三が手の内にいる今、不用意に手を出してしまっては眠れる獅子を起こす結果になりかねない。

 臆病だと言われようと、泥を被ろうとも構わない。彼女たちを送り出して、命を無駄にさせるよりはマシだ。そんなことになったら、士道と狂三に顔向けができない。

 琴里の激情を受けた折紙は……こくりと頷いた。そして、諭すように声を発した。

 

 

「わかっている。あなたの心も、気遣いも。けど――――私は、あの子も助けたい」

 

「え――――?」

 

 

 意図しない言葉を聞き目を丸くする。あの子を――――〈アンノウン〉を、折紙は諦めていない。

 真っ直ぐな瞳が、それを如実に告げていた。

 

「あの子の霊結晶(セフィラ)は取り込まれた。けど、私たちと同じなら、それで身体まで消えてしまうのはおかしい。元になった肉体が存在しなかったと過程して、それなら――――――」

 

霊結晶(セフィラ)を取り返せば、あの子を復活させられるかもしれない……?」

 

 こくんと頷く折紙に、琴里の顔に迷いが浮かび上がる。

 確かに、霊結晶(セフィラ)を奪われ肉体まで消失したのは不自然だ。少女は、琴里たちとは違う形で精霊なった可能性がある。たとえば、本来そうだと想定されていた自然発生した精霊(・・・・・・・・)

 

 『私』の知らない、『私』。

 

 令音が語った言葉が頭を過る。今は『私』になった、とも語っていた。その言葉が正しいのであれば、少女の正体も始源の精霊に近しいものだと推測できる。

 肉体が単純な死滅(・・)を起こしていたならば、即座に否定していたかもしれない。だが、そうでないのなら――――まだ、希望(・・)が残っているのならば。

 決意の表情を浮かべ、折紙は覚悟の灯る言葉を放つ。

 

「私は諦めない。僅かでも可能性があるのなら、それに賭ける」

 

「共感。お供します、マスター折紙」

 

「……私も、行きたい」

 

 折紙、夕弦、そしてあの七罪が、迷いのない意志を灯した瞳が琴里を射抜く。

 加えて、電子音声――――マリアまでもが精霊たちの援護に回るように音を発した。

 

『琴里、今はリスクを承知の上で行動のプランを推奨します』

 

「っ……」

 

『無謀な作戦ではありますが、このまま手をこまねいていては手遅れになりかねません。――――まさか、負けることを前提にしているのですか?』

 

 半ば確信めいたマリアの声に、返す言葉がなかった(・・・・・・・・・)

 正しく、その通りだったからだ。琴里の胸には、ある確信がある。このまま精霊たちを行かせては、間違いなく全滅する(・・・・)と。

 恐らく、これは琴里の感情ではない。胸ポケットに手を当て、強く握りしめる。あるもの(・・・・)の感触から伝わってくる――――今すぐ、逃げろ。そう、訴えかけられているようだった。

 

アレ(・・)は根源の渦。

アレ(・・)は祖なる者。

アレ(・・)は原初の零。

 

 彼女こそが――――神と呼ばれし、来るべき絶望。

 

 わかっている。逃げたところでどうにもならないと。士道と狂三を〈フラクシナス〉で救出したところで、あの精霊からは逃れられはしない。

 けれど、琴里には言えない。言えるわけがない。士道と狂三のために、皆で死にに逝け(・・・・・)などと。

 

「……やっぱり駄目よ。せめて、何か策を……」

 

 頭を振ってそう言い、琴里は自ら頭を抱えるように手を当てた。

 一体、どんな策があるというのか。こちらの手の内は全て見通されている相手に、こちら側は向こうの手の内がまるでわかっていない。

 盤上――――あの子が言っていたように、ゲームの駒で例えるなら、琴里たちの駒の動きは読み切られ、士道という(キング)にいきなりチェックを突きつけられているようなものだ。そんな状況で、どうやって攻め込む策を生み出せと――――――

 

 

「――――策があれば、いいんですのね?」

 

 

 その声を聞いて、ハッと顔を上げる。声の主は、気を失って美九の膝の上にいた――若干看護者の手つきが怪しかった――狂三の分身の一人。彼女が、急に意識を取り戻して起き上がってきた。

 

「い、生き返ったぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「こ、こういう時は落ち着いて脈を測らないとですよぉ!!」

 

「もともと死んでいませんわよ。それと美九さん、脈を測ると言いながらスカートの中に入り込まないでくださいまし」

 

「えへへへへ。絶景ですぅ……」

 

「聞いていませんわね……」

 

 現実逃避なのか混乱していると見るべきなのか、ともかく耶倶矢と美九にそれぞれツッコミを入れた『狂三』は、改めて艦橋内の惨状……数多の分身たちを見遣り、片手で髪を跳ね上げため息と共に声を発した。

 

「ふん、随分と暴れてくれたものですわ。こうして動ける分身が残っていたのは奇跡――――いえ、美九さんに感謝するべきでしょうか」

 

「そんなのいりませんよぉ。私と狂三さんの仲じゃないですかー。こうしてご褒美ももらっちゃいましたしー」

 

「差し上げたつもりはないのですが……まあ、美九さんが満足ならそれでいいですわ」

 

 他の分身たちと違い、どうやら起き上がれたのは美九が身を呈して吹き飛ばされた『狂三』を受け止めたのが要因だったらしい。

 とはいえ、スカートの中に侵入した美九を意に介さないのはどうかと思う――――いや、そんなことよりと、呆気に取られていた琴里は慌てて狂三(・・)に声を発した。

 

「『狂三』……いえ、あなた――――狂三、なの?」

 

 まさかとは思う。だが、独特の雰囲気を纏う『狂三』は、狂三(・・)として首肯した。

 

「察しがよくて助かりますわ。手短に申し上げますと、あちら(・・・)にいるわたくしと思考の共有を行いましたの。このわたくしは、時崎狂三(オリジナル)と解釈していただいて相違ありませんわ」

 

 全員が狂三の説明に呆気に取られ、言葉を失ったのは言うまでもない。が、付き合っている時間はないと言わんばかりに狂三は続けた。

 

「理由などの質問は受け付けませんことよ。わたくしも今試したばかりですので、正直余計なことを思考できる自信がありませんの」

 

「……オーケイ。理解したわ。なら、必要なことを手短にお願い」

 

「ええ。伝えたいことは三つ。あの精霊の目的は……崇宮澪の目的は、士道さんの記憶を消し、崇宮真士さんを甦らせること」

 

『な……!?』

 

 指を立てた一つ目の内容から、驚きの余り声を荒らげた。士道が目的とは考えていたが、士道の記憶を消すなど精霊たちが、琴里が許容できるはずもない。

 ガバッと狂三のスカートを跳ね上げ中から現れた美九――士道がいなくて今だけはよかったと思う瞬間だった――が眉根を下げて声を発した。

 

「た、大変じゃないですかぁ。今すぐだーりんを助けに行かないとー!!」

 

「そうだねぇ。危険でもなんでも、少年の危機となりゃあ向かわない選択肢はないっしょ」

 

「ところが、そうとも限りませんの。二つ目――――澪さんは、あなた方の霊結晶(セフィラ)も回収するつもりですわ」

 

 二つ目の驚き……だが、こちらはすぐに受け入れられた。タダより高いものはない、とはよく使われる言葉だ。

 そして、狂三がこういう言い方をするのであれば、霊結晶(セフィラ)を奪われた時、その精霊はどうなるのか、容易に想像ができた。

 やれやれ、と肩を竦めて琴里は言葉を返した。

 

「用事が済んだから返してくださいって? まったく、悪趣味なことしてくれるわね」

 

「その物言いなら、奪われた後(・・・・・)の説明は必要ありませんわね。それでは三つ目。こちらは、伝えたいことと言うよりは皆様が取るべき選択肢ですわ」

 

「もったいぶらないでいいわ。私も、澪って子の力は何となく理解してるから」

 

 嫌でも伝わってくるから、琴里は次の選択肢を選びかねていた。普段、これが精霊攻略に提示される選択肢だったなら、ご機嫌を伺う女の子の好感度の低下は免れなかったことだろう。

 だから、正直助かった。狂三はそうやって、事実上の一択(・・・・・・)を示してくれたのだから。

 

 

「では選択肢を――――死に抗うか、逃げて僅かな生存に縋るか、ですわ」

 

 

 選択肢は、まるで死刑囚に告げられたもののようで。決意で固まっていた少女たちを凍りつかせるには、十分すぎるものだった。

 

「……あの子を失ったことで、わたくしの【十二の弾(ユッド・ベート)】での遡行も確実は言えなくなりましたわ。まあ、わたくしが違う決断(・・・・)をしていたのなら、話は別でしたけれど」

 

「――――後悔、してる?」

 

 士道の手を取り、本来なら澪を消滅させられた手段を、失ってしまったことを。

 そう問いかけた琴里へ――――狂三は、鼻で笑いながら吐いて捨てた。

 

 

「一切、しておりませんわ。未来が沈黙するのであれば、わたくしは士道さんと未来を叩き起します(・・・・・・)。皆様を巻き込んでしまったことは、申し訳なく思っていますけれど」

 

「はっ、何言ってんのよ。今までを〝なかったこと〟にされる方が迷惑だっての」

 

 

 狂三は、未来を視れる。それが何を意味するのか。未来を叩き起さねばならない状況が今ならば、狂三が視た未来は恐らく――――――逆に、腹を括ることができた。

 

「あなたが伝えたいことはわかったわ。あとは、私から言わせてちょうだい」

 

 ふぅ、と息を吐き。改めて精霊たちを見やる。そして、さっきは言えなかったことを、琴里は言葉にした。

 

 

「ごめんなさい、みんな。本当は、あなたたちを守る立場なのは理解してる。逃げたいって子がいるなら、絶対に手出しはさせない。今すぐ逃げてほしい、そう思ってる。でも、願うことなら――――――おにーちゃんが手にした未来を守るために、力を貸して」

 

 

 深く、深く頭を下げる。司令官としてではなく、士道の妹として。

 こんなもので責任が取れるとは思っていない。琴里は、言ってしまったのだ。士道のために死んでくれ(・・・・・・・・・・・)、と。

 死なせるつもりはない。だが、生存の可能性は果てしなくゼロに近い。ああ、矛盾している。

 

 

「当然だ!!」

 

 

 だが、そんな矛盾を打ち砕くように、全てを理解してなお、少女たちは一歩足りとも引かなかった。

 

「私はシドーに救われた。恩義がある――――恩義以上に、私はシドーを助けたい。皆を助けたい!!」

 

 十香が。

 

「駄目だって、最初から諦めてたら……きっと、もっと駄目になります。士道さんが諦めなかったから……狂三さんも、ここにいると思うんです。だから私も、諦めたくありません……!!」

 

 四糸乃が。

 

「令音が始源の精霊だったとか、ついでに〈ファントム〉だとか、てんこ盛りがすぎるとは思う。けど、やることは変わんないっしょ」

 

「協力。我ら八舞……いえ、皆が力を合わせれば、創れない未来などありません」

 

 耶倶矢が、夕弦が。

 

「私たちだけ仲間外れなんて、初めっから選択肢にありませーん!!」

 

 美九が。

 

「……以下同文。――――みんながいなくなるとか、死んだ方がマシよ」

 

 七罪が。

 

「いやはや、なっつんはこんな時でも筋金入りですなー。ま、あたしもあたしなりに頑張ってみるさね。ムックちんはどう?」

 

 二亜が。

 

「むくの答えは初めから同じなのじゃ。困っている家族(・・)を助けることに、難しい理由など必要なかろう」

 

 六喰が。

 

「同意見。将来は家族になる(・・・・・)のだから、水臭い」

 

 折紙が。

 

「どうやら、未来の選択は為されたようですわ」

 

 狂三が、誰一人として惜しむことはなく、さりとて捨てるつもりのない勇気の心を、揃えた。

 さも、選ばせた(・・・・)ような口振りの狂三に、琴里はフッと唇の端を上げて笑った。

 

「よく言うわ。初めから、こうなることわかってたくせに」

 

「そうでもありませんことよ。琴里さんの英断がなければ、そもそもわたくしが間に合っていなかったのですから」

 

「あら、そ。私の臆病風も役に立つのね」

 

「英断、ですわ」

 

 念を押す狂三にはいはいと返事を返し、琴里は司令席を前へ向けた。

 会話は聞こえていたはずだが、クルーたちに動揺は見られない。まったく、よく出来た可愛げのある部下たちだと――――琴里は、瞳に二度と消えない焔を灯した。

 

 

「狂三の指示に従って、作戦を始めるわ。目的は士道の救出。そして始源の精霊、崇宮澪を止めること。及び――――全員の生存よ。異論は認めないわ」

 

 

 まあ、異論があるとも思えなかったが、戦意高揚は司令官の務めだ。大目に見てほしいと琴里は仄かに笑う。

 腰元のホルダーからチュッパチャプスを取り出し、いつもの司令官としての自分を奮起させ――――ふと、言葉が脳裏を過る。

 

 

『これから、あなた達は残酷な現実を見させられる。それでも、あなた達はきっと前に進む。私も、それを信じたいと思う』

 

 

 残酷な現実は、訪れた。そして、琴里たちは選択した――――前へ、進むと。

 大いなる神に抗う愚かな行いなのかもしれない。だけど、怯えて滅びを待つことなどできなかった。

 そして、琴里は誰かを信じる人間だ。だから――――自身を信じてくれたのなら、その信頼も裏切りたくない。

 

 

「いくわよ、みんな――――目一杯、神様に逆らってみせようじゃない」

 

 

 希望を、未来を変えるために。

 

 

「さあ――――始めるわよ。私たちの戦争を」

 

 

 少女たちは、絶望へと突き進んだ。

 

 

 






その先に、絶望しかなかったとしても。

合流直前までのお話。如何に強靭な精神があろうと、本質的に力の差を理解させられては――――少女がそれを伝えるためだけに彼女に何かを託したというのなら、そこまでの未来だったのでしょうけれど。

未来を創るために母なる神へ挑む者たち。原初の零を前に、士道たちの運命は。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十八話『VS〈万象聖堂〉』

 

 

「……困ったな。侮っていたつもりは、なかったのだけれど」

 

 傷一つない霊装。鎧に編み込まれた霊力は、完全な状態の狂三ですら及びがつかないほど濃密で、神々しささえ感じられた。

 背に浮かぶ十の星。翼に奉られたそれは、今だ二つ(・・)の光を宿すのみ。

 

 それこそ――――未来が、変わっている(・・・・・・)証明。

 

 圧倒的強者に対して、狂三は不敵な笑みを作り出し言葉を紡いだ。

 

「あら、あら。澪さんが侮っていたからこそ、こうしてわたくしたちは存在しているのではなくて? 精霊……あなたが霊結晶(セフィラ)を与え、生み出し、そして滅ぼすべき存在は、誰も欠けることなくここにいましてよ」

 

「……君の言う通りだ。私はまだ君の……いや、君たちの力を侮っていた。心のどこかで、慢心があった――――シンを手に入れるために、この感情を捨てよう」

 

 目を細める――――たったそれだけの仕草に、強烈な霊力が乗っているような重圧を感じる。

 挫けてしまってもおかしくはない力の差。けれど、誰一人、足を引く者はいなかった。

 

「令音……いや、澪。出来ることなら戦いたくはない――――そんな甘い考えは、捨てる。シドーは、渡さん」

 

「あなたが何を求めていようと、誰も奪わせない。あの子も、返してもらう」

 

 十香と折紙が〈鏖殺公(サンダルフォン)〉と〈絶滅天使(メタトロン)〉を構え、恐れることなく澪を見据える。

 他の精霊たちもそれぞれ天使を構え、士道は己の中にある天使をいつでも引き出せるようにしている。皆、澪の力を目の当たりにして、恐れはない――――否。

 きっと、恐れはあるのだろう。令音に対する恩義だって、精霊たちの中には感じている者も多いはずだ。それを切り捨てなければ、澪の前にすら立てないと、誰もが本能的に感じ取っていた。

 強い意志を以て神の前に立つ少女たちを――――神は、羨ましそうに(・・・・・・)笑った。

 

「……君たちは、強いんだね」

 

「澪……」

 

 零れ落ちた言葉を拾い上げ、士道が悲痛な顔で言葉を返す。

 

「どうしても、駄目なのか? シンを甦らせるために、お前がどんな思いで孤独に苦しんでいたのか……。他ならない俺が言うのは、お前にとって残酷なことなのかもしれない。けど、こんなの……!!」

 

「――――そうだね。正しくなんてない」

 

 冷酷に、残酷に――――悲しげに。

 幾度となく繰り返した煩悶では、澪を止めるに至らない。

 

「でも……正しくなくたっていい。私にはシンしかいなかった。私は人間みたいに弱くない。だから、死を望んでも死ぬことは出来ない――――君たちのように強くあれたなら、よかったのかな」

 

「ッ……!!」

 

「私は君たちのように強くはなれなかった。シンを忘れることなんて、できやしなかった――――私たち(・・・)は、そういう生き方を選んだ」

 

 そう宿敵に、視線と言葉を振られた狂三は――――迷わず、それを肯定した。

 

 

「ええ、ええ。そうでしょうとも、そうでしょうとも。その行為に正当性など存在しない。責任の所在は己に。流される(つみ)は誰でもない、自分自身のもの――――――独りよがりの理想郷ですわ」

 

 

 目指すものは違えど、流した血は同じ。狂三の流した血は取り戻せるもの……だからといって、してきたことの罪は消えない。正当化はできない。

 

「高尚な理屈を並べ立てたところで、結局は個人の我が儘(・・・・・・)でしかありませんわ。言葉一つで説得できるのであれば、士道さんはわたくしで苦労なさらなかったでしょう」

 

「狂三……」

 

 だが、狂三はもう独りよがりではない。狂三の理想は――――この愛しい人と共にある。

 微笑みかけ、そして装飾の施された瞳で澪を穿つ。

 

残念ながら(・・・・・)、今のわたくしたちには澪さんの意志を曲げさせる手段はありませんわ」

 

「……うん。君たちのことは大切だ――――それでも(・・・・)、私はいかなければならない。それが君の言う、独りよがりの理想郷だとしても」

 

「そうですわ。ですが、わたくしたちはそれを……士道さんが消える未来を、認めるわけには参りませんの」

 

 澪はシンを。狂三たちは士道を。それぞれ相容れない、鏡合わせの少年を守ろうとする。故に反発し、故に対立する。

 力の差も、自身の命さえも関係ない。そこにあるのは、少女たちの〝恋〟という感情でしかないのだ。

 息を吐き、お互いに霊力を高めていく。その中で、澪は束の間の会話を楽しむように続けた。

 

「多少のイレギュラーはあれど、シンに集まる力に狂いはなかった。DEMの暗躍、封印された精霊、全て想定内だった。想定外だったのは――――時崎狂三、君の存在だ」

 

「あら、あら。自分で選んでおいて、尊大で鼻持ちならない言い分ですこと」

 

「そうじゃあない。君がシンに絆されること、それによってシンを守ってくれること。それらも想定の範囲内。イレギュラーだったのは、それが行き過ぎて(・・・・・)いたことさ」

 

「…………」

 

 狂三が澪を倒そうとしていると承知の上で、澪は令音として狂三の存在、士道と縮まっていく距離を黙認していた。

 全ては、士道という器を守るため。万が一にも、士道が失われることを防ぐのに、封印を拒む狂三はうってつけだったということだ。

 万事上手くいっていた。狂三が士道の答えに折れて、致命的な隙(・・・・・)を見せた。それによって、白い少女も澪の中に還った(・・・)

 そんな崇宮澪にとって唯一の誤算は、まさに今、この状況(・・・・)を許してしまったこと、なのだろう。

 

「君の心変わりだって、シンならやってくれると私は信じていた。けれど、その力(・・・)は、想定を遥かに上回るものだ」

 

「あら。己の分身と行う意識の共有など、精霊であるあなたに出来て、精霊であるわたくしに出来ない道理はありませんでしょう?」

 

「……そんな小手先のことを言っているんじゃあない――――君のその瞳は、私を捉え始めている」

 

 適当な話術で誤魔化せるとも思っていなかったが、澪ほどの存在に警戒され始めていることに狂三も目を細めた。

 澪は気づいている。精霊たちがこの場で欠けることなく揃うことができた理由に――――異常なほど視える、未来視の力に。

 

「……本来、私に立ち向かえる精霊がいるとするなら、狂三、少なくとも君ではなかった。それは――――――」

 

 そうして、独白のように言葉を零した澪の視線が狂三から逸れる。

 

「なに……?」

 

 その視線の先に、困惑を浮かべた十香がいた――――意味を、知る。

 

「――――なるほど。だから、十香さんとあの子は……」

 

 狂三の思考と、金色の左目が澪の言わんとしていることを悟る。

 当然、知ることができたのは狂三だけだ。士道が、説明を求めるように声を発した。

 

「どういうことだ? 十香が、一体どうしたって……」

 

「説明して差し上げたいところですが――――その時間は、許してもらえそうにありませんわねぇ」

 

「そうだね。『私』は、冥土の土産(・・・・・)という表現が、好きではないようだから」

 

『――――!!』

 

 ゾッとするほど静かで、穏やかで……けれど、心臓を直接掴まれたと錯覚するほどの意志(・・)が狂三たちを貫く。

 それが殺気と呼ばれるものではなく、かといって狂三と士道以外に向けるものでも殺す気がないなどという可愛いものではない。

 ただ澪は、必要だからやり遂げる。相手が誰であろうと、必要だから――――神の如き権能を、躊躇いなく振るう。

 

 

「理由はどうであれ、君は私を脅かすほどの存在になろうとしている。『士道』の力か、あの子の力か――――新しい未来は、もう視えた?」

 

 

 そんなもの、知っている(・・・・・)はずであるのに、澪は微笑みを以て問いかけてくる。

 それに対して狂三は、片手を高々に掲げ、己が天使をその背に。愛しい人と、多くの〝友〟を隣に――――超然とした微笑みを以て、返した。

 

 

「これから――――皆様と創り出すところですわ」

 

 

 それが、未来を視る者の務めであり、権利だろう。

 

 

「……何今の、めっちゃかっこいいじゃん。本当は私がバシッと決めたかったのに」

 

「二亜辺りが聞いてたら、次の漫画に採用するかもね……」

 

「お前ら、こんな時に……」

 

 まあ、こんな時でも変わらない人たちに、調子は崩されてしまうのだけれど。

 くすりと、笑みを零したのは狂三だったか、それとも澪だったのか。

 

「そう――――けど、限りなく低い可能性だとしても、君に私を超える未来を視られては、困ってしまうからね。止めさせてもらう(・・・・・・・・)

 

 それが、未来を変えることはないのだから、どちらだって構わなかった。

 

「……楽しい時間だったよ。けど、もう言葉を交わす時間さえ惜しい。私はシンと話したい。シンと触れ合いたい。そのために、君たちの大切なものを返してもらう。君たちには感謝がある。すまないと思っている。君たちの怒りも、覚悟も、全部受け入れる。だから、抵抗するなだなんてことは言わない」

 

 さあ、と。澪が両手を開いてみせる。それは母のようであり――――未来を閉ざす、大いなる(ゼロ)の無慈悲な宣告だった。

 

 

「……かかってきたまえ、『士道』。そして――――私の可愛い、娘たち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「…………」

 

 霊装から光の帯を展開し、手を伸ばすように全方位に放つ。それは意志を持ち、文字通り手足のように操ることが出来る力。

本来ならば(・・・・・)、これで戦いは終わっている。それほどの力の差が、澪と精霊たちにはある。

 

 だが――――――

 

「はぁッ!!」

 

「〈絶滅天使(メタトロン)〉ッ!!」

 

 光の帯を躱し、斬撃と光線が迫る。それらは澪を脅かすには至らず、展開した障壁に阻まれ消える――――背後から、衝撃波となった暴風が襲いかかった。

 それもまた、澪には届きはしない。位置を把握した澪の手掌で光の帯を高速で操り、霊結晶(セフィラ)を奪う一撃を見舞う。

 

「……!!」

 

 しかし、避けられる(・・・・・)。十香は『孔』に逃げ込み、折紙は氷の壁に隠れ、八舞姉妹は分身(・・)から伝えられた道を抜い驚異的な速度で澪を牽制する。

 動きが、読まれている。前衛は必ず二人以上で動き、危険なタイミングがあれば六喰、四糸乃の防衛。それで足りないのであれば士道が扱う様々な天使の汎用性で残りを補う。さらに後方から美九、七罪の演奏で必要なだけの力を押し上げていた。しまいには、彼女たちを守るように〈フラクシナス〉から〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉が展開されている。

 

「ふむ……」

 

 よく出来た動きに、澪も感銘の息を吐いた。波状攻撃と高速回避を混ぜた隙のない見事な連携。事前の打ち合わせなどろくになかったはずだが、数々の死線をくぐり抜けた彼女たちからすれば、造作もない連携だといえる。

 しかし、これを可能にしている存在……言うなれば、精霊たちの繋ぎ目(・・・)は唯一、一人。

 贅沢な霊力が込められた幾つもの銃弾が、澪の障壁、その一点目掛けて次々に炸裂した。

 

「きひ、きひひひひひひひッ!!」

 

「あら、あら。随分と動きが緩慢ですわァ!!」

 

「始源の精霊とやらの力、その程度ではありませんでしょう!!」

 

 思い思いの叫びを上げる、同じ貌を持つ幾人もの少女たち。〈刻々帝(ザフキエル)〉によって作り出された分身たちが、戦場の流れをコントロールしている。

 士道の天使、精霊の天使、〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉。その全容を澪は知っている。それらに澪の想定を上回る動きを授け続けているのは、間違いなく『狂三』たち――――正確には、『狂三』と意識を共有した狂三(・・)だ。

 

「……まさか、ここまでとはね」

 

 思考共有を会得したのは今し方であろうに、それを何の制約もなく振るう狂三に澪は息を漏らす。

 常に思考を共有するのではなく、必要に応じて配置された分身に乗り移り、指示を下す。そして、幾ら分身を排除しようと〝数〟で勝る『狂三』には無意味だ。

 何よりも、澪の上をいく……澪を捉える(・・・)力。狂三の未来視(・・・)が勝負を分けていた。

 

 数刻前、澪と対峙する以前。狂三の未来視は沈黙(・・)していた。しかし、今の狂三は沈黙していた力で澪に喰らいついてきている。以前、警戒した時とは比べ物にならない潜在能力を開花させ、新たな未来を開こうとするほど成長している。

 

 ――――進化。

 

 数秒の間に、恐ろしい速度で狂三の未来視は進化している。それは彼女自身の意志であり、士道の存在であり、そして――――――

 

 

「あの子の、霊結晶(ちから)か」

 

 

 白い少女の霊結晶(セフィラ)は、今なお澪の中で鼓動を刻んでいる。澪自身の力であるそれは、同時に狂三にも影響を与えていた。

 士道と狂三、あの子の霊結晶(セフィラ)。二者の感情と想定外の力が作用している、ということになる。

 つまりは、澪と対峙している限り、狂三の未来視は止まらない。悪循環だ。このままいけば、万が一にでも澪を脅かす未来を観測し得る可能性があるかもしれない。

 それこそ――――澪の第二の天使(・・・・・)すら、その観測領域に収めてしまいかねないほどに。

 

「……私と同じ過去を視ていた狂三が、未来を変える、か」

 

 皮肉な――――いや、妬ましくも誇らしい気持ちで、澪は無意識に浮かべた微笑みと言葉を零した。

 澪を超える未来の可能性。有り得ならざる未来を、切り開かんとしているという、最愛の親友(とも)が澪には誇らしいのだ。

 希望を生み出す悪夢(ナイトメア)。その希望は輝かしく、異なる希望を導くものだ。精霊と――――士道と。

 

 しかし、だからこそ澪にはわかる。シンを失った澪にはわかってしまう――――希望と絶望は、表裏一体であると。

 

「折紙さん!!」

「了解」

 

 半歩足を引き、折紙が〝槍〟を構えた。

 〈エインヘリヤル〉。勇者の魂を意味するその槍は、周囲に満ちる魔力や霊力を収束させることができる。

 その意味は即ち、澪自身が撒き散らす超高密度の霊力すら、取り込んでしまえるということ。それが必殺の一撃となり、この場において士道以外に唯一(・・・・・・・)、崇宮澪に傷を負わせることが可能であるかもしれない存在。

 無論、喰らうつもりはない。だが、折紙をフォローするように精霊と士道が既に動き始めている。今の狂三であれば、その未来を引き寄せる可能性(・・・)があった。

 

 

「〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉――――――」

 

 

 その未来に到達してしまう前に、未来視の力が不安定なうちに、片をつける。

 両手を広げ、十の翼を羽ばたかせる。知識の中では、こうするのだったか(・・・・・・・・・)

 

 

「――――【翼片(ヘネツ)】」

 

 

 白い欠片が、空間の全てを一掃(・・)する。

 

「な……!?」

 

「しまった――――!!」

 

 映る視界を奪い去る幻影の羽根。

 

 

「――――貸してもらうよ、『私』」

 

 

 刹那、澪は他者からの存在証明を消失(・・)させた。

 

 如何に消滅の力があれど、彼女たちほどの戦士から一度に認識の消失(・・・・・)を行うことは不可能。だが、こうして一瞬でも五感を狂わせることができれば、この程度は容易いものだ。

 

「く……耶倶矢さん、夕弦さん!! 見えなくても構いませんわ。下方目掛けて、全力で風を放ってくださいまし!!」

 

「合点!!」

 

「了承。えいやー」

 

 狂三の声が聞こえたその瞬間、羽を払いながら暴風が地面目掛けて解き放たれた。台風を小型に凝縮したような勢いで着弾し、衝撃波と砕かれた建造物とコンクリートを礫のように撒き散らした。

 衝撃波と礫による索敵。なるほど、理にかなっている。この力は人の認識、機械の感知を消失させることは可能だが、存在そのものが消失しているわけではない。ここに〝いる〟のであれば、物理的な索敵は可能だ。

 

「ッ――――士道さん!!」

 

「え……」

 

 だが、一手遅い。狂三の観測領域から一瞬でも逃れられた時点で、既に勝負は決していた。

 後方で七罪と美九をフォローしていた士道――――の、真後ろ(・・・)。澪は、優しく抱きしめるように士道の身体を捕らえた。

 

「捕まえたよ、シン」

 

「み、お……」

 

 愛おしく囁きかけ、彼の身体はそれだけで硬直してしまい、動けなくなる。

 唯一、その光景を捉えていた狂三が、激昂の感情を表すかのように飛翔した。

 

 

「【一の弾(アレフ)】ッ!!!!」

 

 

 引き金を二度(・・)叩き、神速の領域を一段飛び越え、超神速の領域に狂三は到達する。脳に相当な負荷をかけて戦っているにも関わらず、肉体にまで鞭を打つ自殺行為にしか見えないそれは、狂三の悪い癖だ。

 けれど、迷いなく命を使うことができる高潔な精神に、澪は敬意を払う。

 

 必ず、時崎狂三(オリジナル)が駆けつけると、信じていた(・・・・・)から。

 

「……ごめんね、シン」

 

「な、にを……っ!?」

 

 身体の〝中〟に干渉し、一つの経路(パス)にアクセス――――やはり、二人の特殊な経路(パス)は、澪であっても干渉が出来ない。が、それ以外(・・・・)であれば、可能だ。

 驚愕の表情を浮かべた士道は、そのまま唇を澪が望むままに(・・・・・・・)動かした。

 

「〈破……軍、歌姫(ガブリエル)〉――――!?」

 

 美九が扱うものと全く同じだけの質量を備えたオルガンと鍵盤。士道は震える指で、完璧に、そして軽やかに音を奏でた(・・・・・)

 

「【独唱(ソロ)】……ッ!?」

 

 そう。歌姫に許された他者を従えるための音色(・・・・・・・・・・・)を。

 

「だ、だーりんの、歌……!!」

 

「身体が、動かな……い……っ!?」

 

 機敏な動きを見せていた精霊たちが、誰一人として身体を動かせずに落ちていく。

 この天使の資格者、美九であればこのような効能は発揮することができない。だからこそ、美九も驚愕の表情を浮かべているのだ。

 

「みん、な……」

 

「……あまり、君の気持ちを利用したくはなかったのだけれど」

 

 必死の抵抗も虚しく、士道は声を苦しげに発することしかできない。心苦しいが、澪は冷酷に演奏を続けさせた。

 〈破軍歌姫(ガブリエル)〉・【独唱(ソロ)】。

 本来ならば、一定の指向性を持たせて相手を支配下に置く歌。だが、今回はこの一帯に洗脳の音色を響かせた。霊力を持つものであれば、拒絶することなど容易いはずだった――――しかし、士道が使うなら話は違う。

 士道は、全ての精霊をデレさせた(・・・・・)少年。この場で、彼に心を開いていない精霊など存在しない。心を開いていればいるほど(・・・・・・・・・・・・)動くな(・・・)という演奏は本人たちの意志に反して効果的に働く。

 が、精霊に危機が迫れば、士道の意志で解除されてしまう危険性も含んでいる。全ての霊結晶(セフィラ)を回収するには不十分。

 

「っ……!!」

 

 故に、澪の狙いはただ一人。超神速を止められ、澪の視認距離で顔を歪ませる時崎狂三(オリジナル)のみ。

 効果作用は一瞬。だが、一瞬でも狂三を止められるなら十分だった。

 霊装から伸ばした複数の光の帯。それら全てを狂三へ向けさせる。万が一にも取り逃してはならない。万が一を、澪はこれから取り除く。

 狂三へ迫る光の帯――――ほんの僅かに、動きが鈍る。それに眉根を下げた澪は、諭すように声を発した。

 

 

「……平気だよ。傷つけたりしないから」

 

 

 狂三を傷つけるようなことは――――最後の想い(・・・・・)を踏みにじるようなことは、出来なかった。

 

「狂三ッ!!」

 

 予想通り、縛りを振り切った士道が精霊たちへ向けていた演奏を断ち切る――――しかし、狂三の拘束はその瞬間に終わった。

 

「く……この……ッ!!」

 

 そうなっては、超神速の時間加速も、未来視も意味を為さない。あの一瞬、狂三が澪を観測できなかった瞬間に、既に勝負は決していた。

 

 

「ずっと見守ってきた――――もう私は、君たちの未知数を侮ったりはしないさ」

 

 

 ここで、未来の可能性を閉ざす(・・・)。奇跡はもう、起こさせない。

 光の帯が狂三の腕を、足を、胴を縛り付ける。狂三を苦しめるためのものではない。狂三を送る(・・)ためのものだ。

 

「シドー、狂三!!」

 

「今行く――――!!」

 

 そこに斬撃と光線が届く。真っ先に攻撃を放った、十香と折紙だ。

 しかし、悲しいかな――――狂三を拘束していた帯が光を放ち、狂三ごと姿を消した(・・・)

 

「な――――」

 

 目を見開き、その光景を見た士道が、呪縛を振り切るように霊装を掴み上げ、鋭い眼光で澪を射た。

 

 

「澪ッ!! 狂三をどこへやった――――ッ!?」

 

「安心して。悪いようにはしない――――シンも、少しの間だけ、待っていてね」

 

 

 な、と。士道が声を漏らす一瞬で、彼を戦いのない場所へ転移(・・)させた――――これ以上、シンが自分を責めるような目で見ることに、耐えられなかったのかもしれない。

 

 そして、これから起こす惨劇(・・)を、あの二人には見せたくなかった。たとえこの感情が、身勝手なエゴだったとしても。

 

「澪――――ッ!!」

 

「…………」

 

 十香の怒りを込めた叫び。折紙の冷静な顔の裏にある灼熱の如き怒気。他の精霊たちも、同じように澪を見据えていた。

 それらを等しく受け入れ、ゆっくりと手を天に伸ばす。観測者は、もういない。ならば、次の権能を振るうことに何の躊躇いがあろうか。

 

 

「――――――――」

 

 

 ああ。けれど、悲しみの声が聞こえる。己の裡から発せられる制止(・・)の声に顔を曇らせながら――――――

 

 

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 

 高々に、法の天使を謳った。

 






それは、独りよがりの理想郷。神は愚かであっても少年を求める。何故なら、存在を無くすことなど出来ないから。出来ていたら、神などと呼ばれていないでしょう。


澪が狂三を侮っているというより、力を把握し終えた次の瞬間には狂三の未来視が加速している、って感じです。それでもなお、未来は遠い。
精霊への好感度上げてきたの知ってるの澪ですからね。そら士道くんの〈破軍歌姫(ガブリエル)〉の暗示は精霊にえげつないくらい効果があります。気持ちで奇跡を起こしてきたなら、好意の込められた歌がどうなるかなど火を見るより明らか。……この戦術めちゃくちゃ性格わるry

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百六十九話『零へ迫る勝機(せいぞん)

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 澪が祈りを受け取るかのように手を天へ掲げ、言う。

 その瞬間――――折紙たちの胸に、恐怖(・・)の感情が芽生えた。

 それは、本能。生に必要な本能であり、根源的に刻まれた人間の感情。何より、胸の裡に収まるもう一つの心臓(セフィラ)が告げている。いいや、識っている(・・・・・)と、言うべきなのか。

 大地に振動が走る。澪の背後から現れた巨大な尖塔が、振動の正体。幾つもの枝葉を広げ、幹に少女を抱いた大樹――――変化は、一瞬だった。

 

「ッ……!!」

 

 動揺が喉を通り過ぎる。折紙だけではなく、他の精霊たちも同じだった。

景色が変わる(・・・・・・)。空、地、物。例外はない。折紙たちの見る景色すべてが、樹が侵食するかのように様変わりしていく。

 

「……ッ!? これは……」

 

「……この、感覚は」

 

 得体の知れない現象に最大限警戒する十香。彼女とは別に、折紙は折紙にしかわからない感覚を覚えていた。

 ――――白と黒とで構成された、モノクロの世界。方眼紙のように整然と区切られた地面。ブロックに連なる段差。夜闇の色ともまた違う、漆黒の空。

 世界にある色を一度、白と黒でリセットしてしまったような風景。ここは既に、別の空間(・・・・)である。そう、直感的に悟らされた。

 

「……、随意領域(テリトリー)?」

 

「むん、これ(・・)正体がわかるというのか?」

 

「拝聴。是非伺いたいのですが」

 

 精霊たちも動揺の中で怯むことなく澪と対峙しているものの、やはり新たな天使の力に戸惑いを隠し切れず言葉を零した折紙に問いかけてくる。

 確かに、この感覚に思わず近い(・・)ものを上げたのは折紙だ。だが、折紙は僅かに首を横に振って返した。

 

「わからない。随意領域(テリトリー)には似ている。けれど、こんな……」

 

「――――その感覚は間違いではないよ」

 

 他ならない澪自身が、折紙の感覚を真っ先に肯定するように声を発し、続けた。

 

「DEMが『これ』をモデルに再現したのが、随意領域(テリトリー)という空間だ」

 

「…………」

 

 再現、と澪は言う。なるほど、ならば効果は然るべきだろうと、折紙は苦虫を噛み潰したような気持ちを、何とか表情に出さずに済んだ。

随意領域(テリトリー)とは、文字通り領域。魔術師(ウィザード)が持つ最大の武器にして、もっとも力量という面が試される力。

 その空間内に置いて、魔術師(ウィザード)は自分だけの奇跡を具現化させることができる。空間にあるものであれば、己の技量次第で自由自在に操ることができるのだ――――その力の祖と、澪は言った。

 折紙には、容易に想像ができてしまう。この力の規模を。折紙が正体を断定できなかった理由は、折紙自身が自分の感覚を疑ったことにある。

 たとえば、通常の魔術師(ウィザード)随意領域(テリトリー)を蛇口から流れ出る極小量の水だとするならば、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉と呼ばれるこの天使の領域は――――街一つを呑み込む津波(・・)だった。

 

「……私の随意領域(テリトリー)は、常に展開され続けている。この世界から、薄膜を一枚隔てた先に。そして今、私はその核たる〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の一部をここに召喚した。つまり今、私を中心としたこの一帯は――――『隣界』と化している」

 

 隣界。特殊災害指定生命体・精霊が棲まうと言われる異界。しかし、折紙は澪の言葉を理解し切ろうとは思えなかった。

 士道と狂三の行方も気にかかる。けれど、二人の安否の前に――――一秒後の生存(・・・・・・)を、必死に考えねばならない場面だった。

 

「十香」

 

「うむ」

 

 目配せは必要ない。言葉一つで、刃を構え並び立つ十香へ意志を通達する。

 恐らく、考えていることは同じだ。折紙は理屈で、十香は狂三とは異なる未来視とも言える直感で、全く同じことを悟ったはずだ。

 次の瞬間――――――

 

「――――はぁッ!!」

 

「ふ――――ッ!!」

 

 渾身の霊力を込め、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の煌めきと〈絶滅天使(メタトロン)〉の極光を解き放つ。

 届きこそすれど、こんなもので澪は倒せはしない。強烈な爆風――――一目散に、折紙たちは背を向けた(・・・・・)

 

「皆、一度退くぞ!!」

 

「異議なし!!」

 

 耶倶矢、夕弦が風を押し上げるように放ち、精霊全員の速力を高め上昇させる。

 折紙と十香だけではない。耶倶矢、夕弦、六喰、四糸乃、七罪、美九。この場にいる誰もが、狂三と士道を欠いてしまった今、新たな天使を展開した澪と戦うことは無謀だと判断した。

 折紙たちを助けてくれていた〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉は、視界に入っている範囲では機能をほぼ(・・)停止している。つまり、少なくとも外部との繋がりは、断ち切られてしまっているということになる。

 ならばせめて、この空間の外へ。脱出し、澪の力を観測している〈フラクシナス〉と通信を取れなければ、勝機どころか生存すら出来ない(・・・・・・・・)と、本能と経験が叫んでいる――――!!

 

「……ん。素早い判断だ」

 

 しかし。

 

 

「――――もう、出られない(・・・・・)けどね」

 

 

 無慈悲に、澪の声が響いた直後――――見えない壁(・・・・・)に、全員が弾き飛ばされた。

 

「く……っ!!」

 

「きゃん!?」

 

「な、何……!?」

 

 対応できるように集っていた精霊たちが、散り散りに吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるように衝突してしまう。

 外界へ出ようと空へ飛んだ折紙たちは、空にぶつかって(・・・・・・・)、強く拒絶されたように弾き飛ばされたのだ。

 

「っ、これは……!!」

 

 手遅れだった。既にこの空間の奇跡(・・)は澪の手の中。天使を展開してから、一歩も動かず(・・・・・・)にいる澪の中に、折紙たちは封じ込められてしまったのだ。

 起き上がり、状況を確認する。それぞれ遠くはないが、一息に集える距離ではなく折紙は渋面を作る。

 どうするか。呻く折紙が声を発するよりも早く、しゃりんと音が鳴り響く。

 

「むん。ならば、本体を狙うまでじゃ」

 

 手にした錫杖を澪へ、正確には、澪の背に聳える大樹へ素早く向けた。

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉とやらの力が如何様であろうと――――そこに在る(・・)ならば、止めて(・・・)しまえば、その権能も意味を為さぬ……!!」

 

 構えた前方の空間から『孔』が生じ、その中へ天使の先端を突き刺し、六喰が力強く錫杖を捻った。

 

「〈封解主(ミカエル)〉――――【(セグヴァ)】!!」

 

 鍵の天使、〈封解主(ミカエル)〉。万物を封じることが出来る、絶対なる力だ。始原の精霊の天使と言えど、直接『閉じて』しまえば効力の全てを失う。

 

 それが、この空間で――――許されるならば(・・・・・・・)

 

「……!! 駄目だ、六喰!!」

 

「止めて……ッ!!」

 

 折紙と十香の警告は、全くの同時。

 そう。六喰の選択は正しい。未知の力に対して、力そのものを『閉じる』。本体に隙はなくとも、その天使が目に見えるのなら鍵は届く。

 

 

「あ……が……っ――――?」

 

 

六喰自身の首すじに突き刺さって(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「……駄目だよ」

 

 この世界の()は、淡々と言葉を吐き出した。

 

 

「……言っただろう? 『ここ』は、こちらの世界に侵蝕した隣界――――私の世界だ。全ての法則、全ての条理、全ての自然律が、君たちの知る世界とは異なる。この世界において、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を攻撃することは、できないことになっている(・・・・・・・・・・・・)んだ。――――人が水の中で生きられないように。木から離れた林檎が空に落ちないように」

 

 

 それこそが、この『世界』の法則(ルール)

 澪がYESと決めればYES。澪がNOと決めればNO――――そんな、全能感に満ちた子供のような『世界』こそ、天使・〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の正体なのだと……あまりに絶望的な力を、こんなにも容易く振るってしまえる存在が、現実を超える空想が、折紙たちの前にあった。

 澪が言うと同時、天使を『閉じ』られた六喰の身体がぐらりと傾き、モノクロの地面に落ちる。六喰の霊装が消失し、その背から淡い輝きを放つ宝石が姿を現した――――霊結晶(セフィラ)

 それを視認した折紙が動く。その動作を圧倒する二陣の風が、薙ぎ払うように撒き散らされた。

 

「渡すかっての――――!!」

 

「介入。させはしません」

 

 最速の暴風、耶倶矢と夕弦が駆け抜ける。六喰の命を救うために。澪に引き寄せられる霊結晶(セフィラ)が緩やかに思えるほどの、最大最速の速力。

 

 

「――――ふむ。なら、風は吹かない(・・・・・・)、ということにしよう」

 

 

 だが、澪は手を上げて、そんな無慈悲な判決を下した。

 

「へ……」

 

「驚、愕」

 

 風は、止まる(・・・)。永遠から切り取られた刹那の時、『世界』の風は消し去られた。

 最速の風が失われれば、残るのは――――伸ばされた光の帯に、抗うことが出来ない耶倶矢と夕弦のみ。

 

「〈氷結傀儡(ザドキエル)〉!!」

 

「〈破軍歌姫(ガブリエル)〉・【輪舞曲(ロンド)】!!」

 

「〈贋造魔女(ハニエル)〉ッ!!」

 

 氷の壁が生み出される。防御の〝声〟が進行を止める。千変万化が〝声〟を重ね合わせるように合唱する。

 

「折紙ッ!!」

 

「六喰は私が」

 

 その隙を縫うように十香は八舞姉妹へ。折紙は六喰の元へ大地を蹴って飛び出した。

 間に合うか――――否。間に合いはした。ただしそれは、折紙と十香ではなく影から滲み出た(・・・・・・・)存在によって、だが。

 

「きひひひひひッ!!」

 

「わたくしたちを忘れていただいては困りますわァ!!」

 

 モノクロの世界から滲む黒。『狂三』――――狂三の残した分身体が、六喰、耶倶矢と夕弦へ至る。

 六喰の身体から排出された霊結晶(セフィラ)を押し戻すように手に取り、耶倶矢と夕弦と守るように抱き込む『狂三』。

 

 

「ううん――――忘れてなんて、いないよ」

 

 

 光の帯は、何事もなく全てを貫いた(・・・・・・・・・・・)

 

「が……あ……っ!!」

 

「君たちは『狂三』だ。親愛なる友人を、私が忘れると思うかい? ――――君たちなら、必ずを機をうかがっていると思っていた」

 

 苦悶の声を上げる『狂三』に、澪は本気でそう告げていた。氷と〝声〟の壁を存在しないかのように(・・・・・・・・・・)すり抜け、光の帯は折紙たちの目前で『狂三』――――耶倶矢と夕弦を、貫く。

 

 

「ぁ――――ち、っく……しょう。ここ……、で、リタイ……ア、とか。夕……弦、みんな、ごめ――――――」

 

「謝……罪……、すみ……ません、耶、倶矢、マス、ター……折、紙――――――」

 

 

 弱々しくも、互いを想い合う姉妹――――それが、最後の言葉だった。

 

「耶倶矢、夕弦――――ッ!!」

 

 愕然とし、手を伸ばす折紙たちの目の前で――――無情に、命が『死』を得る。

 墓標のように積み重なった『狂三』たちの上へ、耶倶矢と夕弦が落ちる。彼女たちの纏っていた霊装が光へ還り、その身から霊結晶(セフィラ)が抜き出され……散らされた『狂三』が手にしていた六喰の霊結晶(セフィラ)共々、澪の元へ吸い寄せられて行った。

 

 

「……これで、四つ」

 

 

 耶倶矢と夕弦の霊結晶(セフィラ)は合わさるように一つの結晶へ。それは六喰の霊結晶(セフィラ)と共に澪の胸へと吸い込まれ――――呼応するかのように、星に二色の光が灯った。

 

「……!!」

 

 澪から発せられた霊力の波動が、新たな波長を示した。それがわかって、折紙はギリッと歯軋りをして澪を睨みつけた。

 橙色と黄金の光――――――

 

「六喰さん、起きて……ください……っ!!」

 

「耶倶矢、夕弦……っ!!」

 

 命の灯火が消え失せた、三人の輝き。

 四糸乃が目に涙を貯めて六喰を揺すり起こそうとしている。美九も七罪も、同じようなものだ。

 十香は離れた場所にいる耶倶矢と夕弦の元へ、今ようやく駆けつけることができたが――――同じだ。烈火の如き激昂を、その顔に貼り付けている。

 

 

「――――――」

 

 

 かくいう折紙だって、同じ。人よりも多く、死と関わる生活を送っていた。覚悟はしていた――――けれど、友人の死に憤怒を高ぶらせないほど、折紙は冷酷にはなれなかった。

 激情を霊力に込め、込めすぎた霊力による激しい火花を散らしながら『羽』を幾つも、幾つも、幾つも生み出す。

 自身でもわかってしまう、感情の渦が迸る。極度のストレス下(・・・・・・・・)に、折紙はある。怒りに飲まれることなく、怒りを制御する。かつて、十香が引き起こした霊力の解放(・・・・・)を――――――

 

 

「――――させないよ」

 

「ッ!!」

 

 

 爆熱していた霊力の流れが緩やかに……そう、開けられた蓋を、強制的に閉じられてしまったかのように。

 原因は、言うまでもなく折紙の霊力解放を察知した澪。士道に天使を強制的に使わせるだけでなく、このようなことまで可能だいうのかと、折紙は苦渋に顔を歪めた。

 

「……またシンに封印する手間を増やされては面倒だからね。十香、君も同じだ。悪いが、一時的に経路(パス)を狭めさせてもらったよ」

 

「く……」

 

 折紙と同じことを為そうとしていた十香が、悔しげに言葉を詰まらせたのを感じ取る。

 悉く封じられていく。戦う術を、立ち向かう術を。自分たちが摂理から外れた力を持っている――――そんな慢心を、真の精霊(かいぶつ)は懇切丁寧に打ち砕いていく。

 一度伏せた目を上げた澪は、折紙たちへ言い聞かせるように続ける。

 

 素早く、だが確実に。

 

 

「……戦う前に、私は言ったはずだよ――――君たちの力は、全て想定内だと」

 

 

 折紙たちの勝機(せいぞん)は、刻一刻と失われていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 身体の感覚が曖昧になる。広がっているはずの視界が遮断される。奇妙な感覚に、上下左右の認識させ狂わされている。

 既知の感覚で例えるならば、〈フラクシナス〉の転送装置に運ばれている時に近しい。

 

「――――きゃっ!?」

 

「…………え?」

 

 そして、突如として開ける視界というのも、また類似していた。

 何が起こっている――――級友の山吹亜衣を、士道が覆い被さるように腕を押さえ込んでしまっていた。

 

「や、山吹!? なんでこんなところに!?」

 

「それはこっちの台詞なんだけど!?」

 

 冷静に考えればご最もではあるのだが、今の士道に上手い返答が用意されているわけもなく、自分以上の声量に返す言葉もなかった。

 というより、士道が返すより早く、後方から別の声が聞こえてきた。

 

「な……っ!! 五河くんが亜衣を押し倒してる!?」

 

「ていうかどこから現れたの!? 天井に張り付いて亜衣を狙ってたの!? そもそも今朝の騒ぎはなんだったの!?」

 

「そういえば前もなんかあったなこんなこと!! テメェ十香ちゃんたちだけじゃ足んねぇってのか!? あと今朝について詳しく話せ今すぐにだ!!」

 

 亜衣の友人の麻衣と美衣、ついでに士道の友人の殿町宏人が驚愕の表情とポーズ、あと今は関係ないことを追求していた。

 

「え……こ、ここって……」

 

 士道の感覚で一瞬前、認識していた場所と大きく異なる空間――――天宮市の地下に備えられた避難用のシェルター。最近はめっきり馴染みのなくなったこの場所に、士道はなぜか飛ばされて(・・・・・)しまった。

 ――――飛ばされた。無意識に、士道はそう考えた。理由は、単純だった。

 

『安心して。悪いようにはしない――――シンも、少しの間だけ、待っていてね』

 

「――――――――」

 

 そうだ。狂三が飛ばされた(・・・・・・・・)

 見開いた目をくっと歪め、力を込めて立ち上がって叫んだ。

 

「狂三!! どこだ、返事しろ!!」

 

「へ……時崎さん?」

 

「くそ、頼む。返事をしてくれ!!」

 

 周りを見渡して叫ぶが、一向に声は返ってこない。見知った顔が怪訝そうな表情を返してくるだけだった。

 

「っ……くそ!!」

 

「お、おい。五河?」

 

 大急ぎでシェルターの出口まで駆け出そうとして――――止まる。

 

 戻って、何が出来る? 精霊の劣化した力を振るうことしか出来ない士道が行ったところで、状況は変わるのか? 寧ろ、さっきのように澪に力を利用される可能性だってある。

 

「くそ……くそッ!!」

 

 ギリッと奥歯を砕かんばかりに噛みしめ、激しく髪を掻き毟る。

 何も出来なかった。自分のせいで狂三は澪の手に落ちて、十香たちもまた危機に晒されている。自分がいったところで、更に状況が悪化してしまうかもしれない。けれど、ここで案山子のように黙って立っていることなどできるものか。

 どうする。どうしたらいい。何をすればいい。何が出来る。何かを探そうとして、焦りだけが積み重なる悪循環――――――

 

「おい、落ち着けって!!」

 

「っ……」

 

 誰かに肩を掴まれ、士道の思考が一度止まる。

 肩を掴んだ殿町は……否、殿町だけでなく、亜衣、麻衣、美衣も士道を案じる表情で声を発した。

 

「何やってんだよ、お前らしくないぜ五河」

 

「そうそう。五河くんがおかしいのはいつものことだけど、そういうのはよくないよ」

 

「十香ちゃんが悲しむからやめときなってー」

 

「何かあったなら相談に乗るけど……」

 

 友人たちが、自暴自棄になった自分の身を案じていることがわかる。

 一瞬、そのことに煩わしさを覚え――――そんなことを考えてしまった自分に対し、激しい嫌悪感に顔を顰めた。

 純粋に心配をしてくれた友人たちへ、何故そんな黒い感情を抱く。決まっている。自己嫌悪からの、八つ当たり。最低な行為だ。らしくない、本当にらしくない。

 頭を振って無様な自分を追い出し、改めて殿町たちへ礼を言う。

 

「……ありがとう、殿町。亜衣、麻衣、美衣」

 

「いや、いいけどよ……。マジで何があったんだ?」

 

「それは……」

 

 答えあぐねる。というより、答えられない。殿町たちは外の騒ぎなどしらない。十ヶ月前、何も知らなかった士道と同じく。

 ようやく手を取ってくれた大切な人が、自分のせいで危機に瀕している。それだけで胸の裡から黒い感情がせり上がってくるようで――――――

 

 

『――――ですが士道さんが冷静にならねば、救える方も救えませんわよ』

 

「――――ああ、大丈夫だ」

 

 

 殿町に向けた言葉ではないと思われたのか、彼が不思議そうに首を傾げている。

 黒い感情……絶望(・・)の声。耳障りで、身を浸したくなる。それを、愛しい少女の教えで抑え込んだ。

 思考を止めるな。反省を活かして、次に繋げろ。

 冷静さを、他人に任せるな。彼女の聡明さを思い出せ。覚悟をもって前へ進む、凛々しく、そして美しい女王の姿を刻み付けろ。

 

 今、時崎狂三を助けられるのは自分だけだと自覚し、決して揺らぐな。

 

「――――皆さん、さっきからどうかしましたか?」

 

「た、タマちゃん……。いやー、五河のやつが何か体調が悪いみたいで……」

 

 外部からの音を断ち切れ。唇に指を当て、思考の海に入る。

 狂三のように刹那の思考を熟考に置くことは叶わない。だが、真似事くらいは出来る。それだけの経験を、士道は積んできたという自負がある。

 狂三はなぜ、澪の手で転移させられた――――狂三の未来予測をもっとも警戒していたからだ。

 澪はなぜ、狂三に危害を加えない――――これは違う。今は思考から外せ。

 

「た、大変じゃないですか!!」

 

「あー、大丈夫ですよー。五河くんが体調悪いのはいつものことなんで」

 

「そーそー。今日も早退したわけだしねー」

 

「あれはまじひくわー……ちょっとかっこよかったけど」

 

 重要なのは、何処へ(・・・)飛ばされたか、だ。

 士道だけを天宮市内のシェルターに飛ばした理由。恐らく、士道だけならば問題にならない、つまりは〝想定内〟に収めてしまえるということ。もう一つは、士道が戻る前に決着をつけてしまえる、ことを終える自信がある……そういう意味だと、士道には思えた。

 であるならば、なおのこと、今すぐ狂三を取り戻さなければならない。手遅れになる前に、士道の手で。引き離されてしまった狂三を、士道が奪い返す。

 単純明快だ。それでいて、かなりの難題だ。何せ、澪が狂三を何処へ転移させたかなど、皆目見当もつかない。なら、打つ手はないというのか。

 

 

「いや――――あるな」

 

 

 否、ある。有り得る。士道の身には精霊の力――――澪の思惑通りに封印された、十香たちの力が宿されている。

 確かに、精霊の祖たる澪には通用しない力なのかもしれない。だが、彼女の策をただ一つ見透かし、一矢報いることなら可能かもしれない。

 

「お、おい五河!! 神妙な顔してないで大丈夫だってタマちゃんに言ってくれよ!!」

 

「え……ああ、悪い悪い」

 

 と。士道が相当考え込んでいると気がついて、士道の担任、岡峰教諭、もといタマちゃん先生を止めていてくれたらしい。どういう言い訳をしたのか知らないが、タマちゃんが随分と心配そうに士道を見ている。

 いやはや、今朝から……いいや、普段から随分と気苦労を掛けているのだろう。苦笑し――――更に気苦労を掛けてしまうと、士道はフッと頬を緩めた。

 

「すみません、先生(・・)。心配かけたみたいで。俺なら大丈夫です」

 

「そ、そうですか。よかったぁ……」

 

「でも――――俺、行くところが出来ました」

 

 へ? とタマちゃん先生と殿町たちが目をぱちくりとさせ、呆気に取られた。

 瞬間、士道は意識のスイッチを切り替える。願い、集中し、唱える。

 

 

「――――〈封解主(ミカエル)〉」

 

 

 それだけで、天使は応えてくれる。手の中に淡い光が収束し――――鍵の天使・〈封解主(ミカエル)〉をこの世に顕現させた。

 

「は……!?」

 

「なん!!」

 

「じゃあ!!」

 

「そりゃぁぁぁっ!?」

 

「――――えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 人知を超えた超常現象を目の当たりにし、級友たちと先生がこれ以上ない驚きを顕にした。

 まあ、そうなるだろう。かつての士道は、驚きより先に理解を超えたことへの達観にも似た感情を覚えたが、全員が全員そういうわけではない。驚くのは当然のこと。

 そして、この場で天使を扱うことが、明確な違反行為であることも理解している。一般人の目に触れさせてはいけない、耳に入れさせてはならない。琴里から厳命されていた。

 しかし、妹からの有難いお説教と大事な少女の命。どちらを取るか、士道も男なら覚悟は決めていた。

 

「な、な、なななななな……!! い、いいいいい五河くん、なんですかそれぇ!?」

 

「悪い殿町。集中するからタマちゃん先生頼んだ!!」

 

「た、頼んだって、おま……え、えぇい、ままよ!!」

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

「タマちゃん先生に何してんだ殿町ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

「今回ばかりは誤解だからお前らも手伝ってくれぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 周りの騒ぎを無視し、全ての雑念を叩き伏せる。求めるべきものは、この天使へ捧ぐ想いだけでいい。

 天使とは、使い手の想いを映し出す水晶。そして〈封解主(ミカエル)〉は万物を『閉じ』、『開く』ことが出来る鍵の天使。

 つまり、願えば道は『開く』のだ。何処へいるかなど関係はない。世界で一番、狂三のことを識り、狂三のことを愛しているのは、この五河士道を於いて他にない。至るだけの〝縁〟は、士道がこれまで紡いできた記録だ。

 

「く……っ」

 

 手にした錫杖に全神経と狂三への想いを乗せる。〈封解主(ミカエル)〉は士道が初めて扱う天使だ。どこまで『孔』を開くことが出来るのか、その確証すら得られていない。

 確証はない。だが、士道には確信があった。天使の本質。想いの力。士道の心は、今一つだけだ。

 感じる、時崎狂三の存在を。彼女はまだ生きている。呼吸をしている。心臓が鼓動している。士道の中にある狂三との強固な繋がりが『道』を繋げる。

 

 そうとも。想うことは単純明快、至極当然。

 

 

「お前は――――俺の女だろ、狂三ッ!!」

 

 

 奪われたなら、奪い返す。ただそれだけだ。

 

左目(・・)が――――見えた。

 

 

「【(ラータイブ)】ッ!!」

 

 

 呼応する瞳が導くままに、士道は錫杖を虚空に突き刺し、躊躇うことなく回した。

 『孔』が開かれる。感覚が導き出した『道』の先には――――――

 

「海――――なの、か?」

 

 断定しかねてしまったのは、その〝海〟の暗さ。眉をひそめてしまう暗さがあった。しかし、海に存在する深海ともまた違うような……そもそも、全く別の空間(・・・・・・)のようだと、直感が士道へ教えているようだった。

 とにかく、〈封解主(ミカエル)〉が開いたというのなら、この『扉』の先に狂三は――――――

 

「――――ッ!?」

 

 が、次の瞬間、士道の身体に強烈な違和感が襲いかかった。厳密には――――〈封解主(ミカエル)〉の根本的な部分が、震えたかのような感覚。

 何かがおかしい。原因はなんだ? そんなことを考えた士道の目前で、『孔』が閉じ始めた(・・・・・)

 

「やべ……っ!!」

 

 一瞬途切れた集中力が原因なのだろう。扱い慣れていない天使であり、見知らぬあちら側(・・・・)への道を維持できない。

 咄嗟の判断――――士道は思いっきり『孔』へ向かって飛び込んだ。

 

 

「うおおおおおお――――ッ!!」

 

「五河ぁっ!?」

 

 

 タッチの差で士道が潜り込んだ。士道を呑み込むように『孔』は塞がっていき、殿町の叫びを最後に空間は完全に断ち切られる。

 

 

 始原の海――――現実と幻想の境界へ、士道は足を踏み入れた。

 






未知は想定内へと収束し始め、消えかけた可能性へ少年は手を伸ばす。
狂三は何処へ行ったんでしょうねー(棒)いやぁわからないなぁ…まあ、ある意味で『時崎狂三』と因縁のある場所の近く、かもしれませんねぇ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十話『神はサイコロを振らない』

 

 

 状況は、ほぼ最悪に近いものとなっていた。

 

「通信の回復は?」

 

「……どんな方法も受け付けません。困難であると思われます」

 

 いいや、断言しよう。近いのではなく、最悪だった。

 クルーからの報告は変わらず、無情の一言に尽きる。モニタに映る異空間――――澪が展開した新たな天使は、外部からのあらゆる通信手段を拒絶していた。

顕現装置(リアライザ)を駆使していようと変わりはしない。天を突く大樹と、それを中心に形成された異空間に囚われた精霊たち。直前、恐らく何処かへ転移させられた士道と狂三。援護の一つも叶わないほど一瞬の出来事に、琴里は己の不甲斐なさを隠せない。

 

「二亜、解析結果は?」

 

 だが、琴里に落ち込んでいる暇などない。すぐさま別の結果を求め、本来なら令音が座っていた場所へ収まった二亜へ言葉を飛ばした。

 二亜は他の精霊と異なり、霊結晶(セフィラ)の大部分を失っている精霊だ。本当なら、安全な場所へ避難させるのが筋なのだが、彼女たっての願い出もありこうして令音の後釜に収まってもらっている。

 しかも幸運というべきなのか、二亜は時間さえあれば観測機器の使用法について、令音から重点的に教わっていたため、この役割(・・・・)をこなすにはうってつけな人材だったというわけだ。

 琴里からの問いに二亜は……何やら顔をひきつらせている。どうやら答えは、琴里たちの望むものではあれど好むものではない、ということらしい。

 

「……はは、ヤバすぎってレベルじゃないね、こりゃあ」

 

「あら。ぜひ聞かせてもらいたいわね、その中身について」

 

「これを聞きたいってのは相当なドMだぜぃ、妹ちゃんよ」

 

「安心なさい。どんなものだろうと、喜んで受け付けるわ。神無月が」

 

 もちろんでございます司令!! などという忠犬神無月の雄叫びは愛のムチという名の軽いスルーを行い、二亜に先を促す。

 口を噤みたくなる気持ちはわかるが、今の琴里たちは知らなければならない。そして、伝えなければ(・・・・・・)ならないのだ。

 あははと苦笑した二亜が、慣れない作業に忙しなく動かしていた腕を止め、モニタを見つめながら返してきた。

 

「……おし。ちょうどもう一個の方も解析が何とか追いついたから、まとめて解説させてもらうけど――――まず最初の丸っこい花みたいな天使。あれから出た光を浴びた生物は例外なく死んで、物体は全部壊れてる。ダメージを負って……とかいう問題じゃないわこれ。なんていうの? そのものが持ってる生命とか、寿命とか、耐久限界とか? そういうのを一瞬でゼロにしてるっていうか……一言で言うと絶対死ぬビーム? やや、あたしのくるみんへの感想がラスボスちっくな能力なら、こっちは裏ボス的な出鱈目さだわ」

 

「生命を消し去る――――消失の力、ってことかしら」

 

 顎に手を当てた琴里の頭には、ある天使の存在が既視感のように浮かび上がっていた。

 白い少女の天使。概念干渉という難を喰らう外装。そう、理屈が似ているのだ。アレは、あらゆる干渉を〝消滅〟させる法外な力を宿していた。

 似ている。澪の天使と少女の天使は、限りなく似通っている。〝消滅〟の理屈が澪の天使と同じならば、干渉してくるエネルギーを全てゼロにしているならば――――言わば『死』の概念をぶつけ、事実上の消滅を促している。……不思議と琴里には、両者が同じものとしか思えなかったのである。

 理屈だけでなく、琴里の〝経験〟がそれを悟らせていた。

 

「で、まあ本命のもう一つは……なんかもう、あの一帯だけ完全に別の世界だよありゃ。数値狂い過ぎてるし、構成する霊子も一秒あれば全く別のもんになってる。……内部まで入れれば、マシな情報が計測できるかもね」

 

「マリア」

 

『既に終わっています。分身の狂三へ、解析結果の譲渡は完了しました』

 

「……さすがね」

 

『こういう時こそ、AIの処理速度を活かすべきです』

 

 得意げながら茶化すように言うマリアに、琴里はくすりと笑い、そうねと頷いて返した。

分身の狂三(・・・・・)へ。そう、それが琴里たちに託された役割。直接戦闘ではなく、澪の力を解析し、万が一(・・・)のために備えること。その万が一は起こってしまった。

 備えあれば憂いなし……とはいうものの、ろくな備えもなく挑んでしまった決戦中に言える言葉ではないと苦笑し、声を発した。

 

「マリア。『狂三』を脱出させて」

 

『了解。琴里、それでは』

 

 マリアへ、そしてクルー各位へ。琴里は、もう一つの躊躇いもなく激励を発した。

 

 

「ええ。あの空間へ、突入するわ」

 

 

 死地へ、向かう。もはや、留まる理由は存在しない。狂三と士道を探す時間も、ありはしないだろう。……正直、空間が展開された時点で艦を突入させるべきだと迷いはした――――けれど、琴里は求められた役割すらこなせない無能ですと、皆へ責任を押し付けることはできなかった。

 行って、琴里たちに何が出来るのか。神と呼ばれし精霊を相手に、自分たちがどう立ち向かえばいいのか。わからない。わからないが、退路は既に絶っている。ならば、前へ進むしかないのだ。

 

 絶望の中に眠る、希望があることを信じて、琴里は最後の最後まで抗いたかった。

 

「二亜。突入後、解析も並行して続けてちょうだい。〈フラクシナス〉なら、内部から外へ情報を届けられるかもしれないわ」

 

「ラジャー!!」

 

 何ともまあ、元気だけは一人前の適当な敬礼をする二亜。

 そんな二亜へ……否。クルーたちへ、指示こそ出したが、琴里は言わねばならないことがあった。

 

「その前に――――みんな、聞いてちょうだい」

 

 声が震えないように、出来ているだろうか。琴里は、司令官としてやれているだろうか。いつになく不安になるのは、この場で澪の力を悟って(・・・)しまっているから。

 けれど、そんな恐怖を抱える琴里だからこそ、伝えなければならないことが、どうしてもあったのだ。

 

 

「司令官として、これを言葉にしてしまうのは駄目なのでしょうね。でも、言わせてちょうだい――――この先、私たちが生き残れる確率は限りなくゼロ(・・)に近いわ」

 

『……!!』

 

 

 クルーたちが息を呑む。当たり前だ。士気を上げる役目のある司令官が、自ら士気を下げるようなことを言ったのだから。

 でも、琴里には出来なかった。愛する部下たちを、楽観的な慰めで道連れに出来なかったから。彼らは関係者だが、霊結晶(セフィラ)を持つ精霊ではない。なら、艦から降りれば澪も無意味に危害を加えることはしないだろう。

 座る資格のない司令席に爪を立てて、なおも琴里は続ける。

 

 

「けど、私は諦めない。可能性が限りなくゼロに等しいものだとしても、ほんの僅かな〝一〟の何かが残されているなら、私はそれに賭ける――――ここまでついてきてくれて、ありがとう。精霊の因縁に、あなたたちまで付き合うことはないわ。『狂三』と一緒に、艦を降りなさい」

 

 

 事実上の退艦命令を、下した。

 ああ、まったく。言う機会などこないと思っていたのに、こんなところで使わされることになるとは夢にも出てこなかった。

 クルーと二亜たちが驚いた顔をして――――だが、誰一人として逃げ出そうとはしなかった。

 

「何言ってるんですか、司令」

 

「さっきの十香ちゃんたちと一緒に、伝わってると思ってたんですけどねぇ」

 

「大体、マリアがいるとはいえ、司令と副司令を二人にするなんて危険すぎます」

 

「わかる」

 

 彼らは口々に、軽いノリで言うが……微かに震える手や、額に滲む汗が、どれほどの覚悟を持つか痛いほど証明している。

 琴里の隣に立つ神無月は……問うまでもなく、最後まで共すると顔に書いてあった。

 

「ご安心を。この神無月、最後まで司令の部下であり続けます――――司令のお慈悲をいただけない人生など、なんと味気ない。考えただけで……あぁっ!!」

 

「…………」

 

 生きるか死ぬかだというのに、呆れ顔にさせてくれる、どうにもブレない副司令だ――――それが神無月の美点だともいうが。

 死地など、これまで幾つもあった。今回は、それが分の悪い方へ転がっているだけだと、皆はそう言うのか。

 そして二亜も、仕方なさげに肩を竦めて笑っていた。

 

「あたしゃそもそも降りたところで、つー話だからねぇ。身体の中に霊結晶(セフィラ)が少しでも残ってる以上、逃げたところで命はない――――なら、勝ってみせてよ司令官さん。あたしの次期連載のためにもね」

 

 パチンとウィンクをしながら、二亜は今一度覚悟を打ち上げた。

 再度、言葉にして起きたかった。けれど、二度問うても同じなのだ。クルーたちも、二亜も。だったら、三度目の正直ではなく、仏の顔も三度まで、になるのだろうか。

 だったら、まだこの席に座っていいのだと。この席に座るのは琴里しかいないのだと。皆が言ってくれるのなら――――――琴里は司令官としてあり続けよう。

 

 

「……わかったわ。いきましょう――――愛してるわよ、みんな」

 

『はッ!!』

 

 

 愛すべきクルーたちが声を揃えて答え――――天空艦〈フラクシナス〉は、後戻り出来ぬ戦場へ飛翔した。

 

『私は、負けるつもりなど毛頭ありませんよ』

 

「わかってるわ。リスクの分散ってやつよ」

 

 少しばかり勝気なAIへ冗談の一つを返してやる。結果として、皆リスクに気持ちで打ち勝ってしまったのだから、今日は琴里の方がおかしくなっているのかもしれない。

こんなもの(・・・・・)を持っているから、悲観的な部分が誰かさんに似てしまったのかもしれないと、胸ポケットに手を当て苦笑いを浮かべる。

 しかし、あの少女は悲観的ではあったが――――自らの望みを諦める子ではなかった。それは琴里だって、同じだ。

 

「マリア、主砲準備。全力で、ぶちかますわよ」

 

『了解。精霊霊力砲〈グングニル〉、起動承認――――それでこそ、琴里です』

 

 〈フラクシナス〉の切り札。精霊を守るべき最強の力を、精霊へ向けて放つ。〈ラタトスク〉創設の根本的理由とも言える澪に向けた解答としては、総じて究極的な矛盾。

 だが、撃たねばならない。琴里の大事な人を、大事な友だちを傷つけた。そして、友だちを殺そうとしている。それを許すわけにはいかない。

 たとえ神に等しい相手でも、弓引く覚悟がある。

 

 

「……神様に逆らえるか、ね」

 

 

 誰にも聞こえぬ大きさで、琴里はかつて聞いたもう一つの言葉を唇に乗せた。

 

 

「――――逆らってやるわ、存分にね」

 

 

 逆らえるか。ああ、今さらだ。罰当たりなことに、現在進行形で逆らってしまっている。

 故に琴里は、言葉と行動で返そう。あの日の叫びを、今こそ全力で叩きつけてやろう。

 

「約束の砲弾、先ずは一つ(・・・・・)――――届けに来たわよ、神様」

 

 

 焔を纏い、不敵に笑った琴里は――――そう高々に、反逆の砲弾を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……さて、次は誰が来る? 一人でも、二人でも、遠慮なくかかってきたまえ」

 

「…………」

 

 澪はそう言って順繰りに視線を向け、なんてことのない風に言葉を投げかけてくる。

 十香、四糸乃、七罪、美九、そして折紙は動くことができない。思考を停止しているわけではない。むしろ、これ以上なく働いていると言っても過言ではない――――それでいて、何も出てこないのだ。

 

 生命に『死』という概念を与える天使〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉。

 世界に『法』という条理を与える天使〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉。

 

 この二つが澪の力。正体は知れた……知れたからといって、対抗手段があるとは限らない。

 戦いとは、勝算を常に頭に入れて望むもの。戦う前から負けを認めては、誰にだって勝てはしない。だがそれは、自分たちの戦力で勝ちの目があれば(・・・・・・・・)の話だ。

 結論に入ろう――――勝てない(・・・・)。幾つ戦略と戦術を頭に描いていても、勝てるだけのイメージを一切として想像することができない。これでは、思考を止めているのと何ら変わりがなかった。

 

「……ふむ」

 

 仕掛ける気配を見せない折紙たちを見て、澪は小さく言葉を零してその手を掲げた。

 

「……来ないのなら、こちらからいかせてもらうよ」

 

「ッ!!」

 

 迷うより先に、最善の行動を取る。全力を以て、槍を構えてモノクロの大地を蹴った。

 

「待て、折紙ッ!!」

 

「時間を稼ぐ」

 

 つまりは、一秒後の全滅か、折紙以外の僅かな生存(・・・・・・・・・・)か。

 静止の声も聞かず、折紙は持てる全力を尽くして澪へ攻撃を仕掛けた。

 こうするしか十香たちが生き残る術はない。同時に、折紙は唯一この場で澪に対抗できる〝可能性〟を所有している。たとえ澪の想定内だとしても、優先されるのは折紙だ。囮としては、まさに最適解だと言えた。

 

「……そうか。君からか、折紙」

 

「……っ」

 

 驚きはなく、当然という声色で澪は霊装から光を走らせる。

 

「蛮勇とは言わない。君の勇気に惜しみない賞賛を」

 

「――――――」

 

 五秒。計算される折紙の生存時間だ。光の帯を『羽』による迎撃、槍による衝突、十香たちの援護。全てを計算に入れて、僅か五秒。

 諦めは存在しない。けれど、事実は事実として存在する。折紙の視界に映る光景が急速に遅れるような感覚。全身が死の感覚に、凍りついていく。

 一つ、二つ、三つ、四つ――――それが、限界。五つ目の光は、折紙の胸元へ迫る。背中に、十香たちの絶叫が突き刺さる。

 光の帯は降り注ぐ光をすり抜け、振るい返す槍の一撃は――――間に合った(・・・・・)

 

「え――――」

 

「…………」

 

 半ば受け入れかけながらも、抵抗の意思を貫く一撃。

 間に合うはずはなかった。防ぎ切れる道理はなかった。折紙は目を見開き、澪も眉根を曇らせ怪訝な顔を見せる。

 生死を分けた刹那の間。それは誰の意思であったか、動きが鈍くなった(・・・・・・・・)光の帯を見れば、一目瞭然。

 

 

「まさか――――!!」

 

 

 まだ、間に合う(・・・・)。確信に近い予感。折紙に対して動きを鈍らせた澪、否、澪の中にいる者(・・・・・・・)

 

 

「……君は余程、あの子に気に入られているらしい」

 

 

 僅か一秒の生存。少女が折紙にもたらした、絶望の中の希望。それは、確かな可能性(みらい)を生み出した。

 ――――突如として、周囲に爆発が生じる。

 

「!?」

 

 何か――――それが、モノクロの世界に取り残されていた〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉の身命を賭した〝自爆〟であると、天から地へ引く光の線(・・・)によって折紙は気づかされる。

 比類なき裁きの雷。折紙自身、己の目で確認するのは初めてだったが、〈フラクシナス〉が誇る最大最強の一撃、精霊霊力砲〈グングニル〉であることは、すぐに断定できることだった。

 精霊の力を増幅して放つ、〈フラクシナス〉と琴里に隠された切り札。それが澪を呑み込み、大地を削り、凄まじい衝撃波を撒き散らす。

 

 

「――――折紙!!」

 

「わかっている――――ここで、決める」

 

 

 生み出された勝機。この機を逃せば、もう次はない。〈フラクシナス〉による不意打ちは一度きり。折紙の生存は奇跡の――――いや、明確な意志の産物。ならば、賭けるべきはこの一瞬にある。

 

「〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 十香が叫びを上げ召喚した王座を蹴り倒し、流線型に変形させた。その王座へ、飛び退いた折紙が足をつけて着地する。

 

『〈破軍歌姫(ガブリエル)〉――――【協奏曲(マーチ)】!!』

 

 それと同時、美九と七罪による二つの〈破軍歌姫(ガブリエル)〉の演奏。それによって、折紙の身体に熱が灯る。しかもそれは、通常の演奏の比ではない。この二重奏の全てを、折紙一人に(・・・・・)注いでいるのだ。

 

「――――〈エインヘリヤル〉」

 

 その注がれる力の全てを、この槍の刺突へ。

 〈エインヘリヤル〉。勇者の魂という言霊を授かったこの槍は、周囲に満ちる魔力や霊力を収束させる機能を有している。

 条件は整っている。狂三が整える戦略を練ったのだ。精霊たちによる全力の一撃、要となる澪自身の膨大で濃密な霊力。そして、降り注ぐ霊力砲の余波。

 それはもはや、一個人の精霊が扱う代物ではない。収まる霊力が暴れ狂い、〈エインヘリヤル〉そのものが砕け散るかと思えるほど悲鳴を上げる――――この一瞬、どうか持ってくれ。折紙は肺腑を満たす全てを賭けて、全身全霊の号令を鳴らした。

 

 

「四糸乃――――ッ!!」

 

「はい――――〈氷結傀儡(ザドキエル)〉ッ!!」

 

 

 極限まで研ぎ澄まされた氷嵐(ブリザード)が、折紙と〈鏖殺公(サンダルフォン)〉目掛けて、四糸乃の意志の強さを乗せた絶唱と共に解き放たれた。

 台風と見紛う強烈な冷気。その威力のほどは、かつて四糸乃と対峙した折紙が、士道と同じだけ知識に収めている。

 

「く……っ」

 

氷嵐(ブリザード)を推進力に、猛スピードで玉座が突き進む。苦悶に歪めた顔さえも、音を立てて凍りつく。

 霊力に守られているとはいえ、折紙自身も凍結させるほどの莫大な冷気。この時のために溜め込んだ一撃なのだから、それは至極真っ当な結果だ。

 

 

「――――――ッ!!」

 

 

 故に、躊躇いはない。己を守る霊力さえ最小限に、槍を振るう指が残っていれば構わない。〈氷結傀儡(ザドキエル)〉の放つ霊力さえも取り込み続け、育て上げた渾身の一撃を突き出す。

 一点集中。狙いは外さない。己を一つの槍と成し、その一撃は澪を貫いて――――――

 

 

 

「ぁ…………」

 

 

 その小さな声は、届かない(・・・・)という結果を目撃してしまった、絶望。

 

 槍が障壁と衝突する、その刹那。

 

 

「いい手だ――――ただし、届かせるだけの〝目〟があれば、だけど」

 

 

  返すように放たれた光の槍が、折紙の身体を穿通した。

 

 

 

 

 

 

 

「…………、ぅ」

 

 身体が、上手く動かない。瞼が、酷く重い。

 それでも、弛緩した筋肉を強ばらせ、腕だけで上半身を起こした折紙が見たのは――――倒れ伏す、十香たちの姿。

 

「――――ぁ、あぁ……」

 

 目に見えるものが、灰色と黒だけで塗り潰されるような絶望感。

また(・・)、折紙は無くしてしまった。己の無力が、何もかもを失わせる。あの日と同じ、折紙の絶望と過ちは繰り返された。

 

 そこには必ず――――――天使がいた。

 

 

「――――――――――どう、して?」

 

 

 恨みを込めて顔を上げた。上げたつもりだった。その天使を、見たつもりだったのに。

 

 天使は、泣いていた(・・・・・)。あの日の、もう一人の折紙と、同じように。

 

 

「……ごめんね、折紙」

 

 

 きっとそれは、神様じゃなくて、その天使が零したもので。

 

 だから、鳶一折紙に去来する感情は怒りでも、恨みでも、絶望でもなく――――ただ一つ、悲しみだけだった。

 

 どうして、泣いているの。

 

 そんなに苦しんでまで、何を求めていたの。

 

 

「――――ごめん、なさい」

 

 

 けれど、問いかけは言葉にならない。最後に零れ落ちたのは、少女が折紙へ望んだことを叶えられなかったことへの、謝罪。

 

 空で広がる破壊音が、無情に轟いていく。身体を支えられず倒れた折紙の頬に、一粒の温もりが触れて――――――白は、堕ち逝く。

 

 

 緩やかな、滅びを。世界に翻弄された少女の落命は、こんなにも、呆気ないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……う……、……ッ」

 

 途方もない痛みと灼熱感。裡から淡く広がる〝何か〟。それらを感じながら、琴里は目を覚ました。

 目覚めから判断まで、数秒。鈍った思考だとしても、琴里が判断を下すには十分すぎる時間だった――――――ああ、負けたのだ、と。

 勇猛なる空の覇者〈フラクシナス〉は、見る影もなく地に落ちて、粉々に砕けた。

 将である琴里もまた、朽ち果てようとしている。生きていることが不思議なくらいの傷を受けて、なおも意識を保っていられるのは〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の炎と、天使の光を緩和した〝何か〟のお陰だろう――――その力があっても、致命傷。

 

「…………」

 

 全身が炎に焼かれ、いっそ死んだ方がマシな苦痛を感じさせられながら、それでも琴里が声を上げることを選択しなかったのは、目前に迫る『死』があったから。

 二亜から霊結晶(セフィラ)の残滓を回収した、崇宮澪を見つけてしまったから。

 

「――――ハイ、令音。いえ、澪って呼んだ方がよかったかしら?」

 

 血溜まりが吐き出そうになる掠れ声で、琴里は軽口を叩く。この期に及んで、とは思うが、こんな時だからこそ、出てしまうものだ。

 令音……澪は、それに目を細めて、返した。

 

「……どちらでも構わないさ」

 

 本当にそう思っているのか――――思っているんだろう。彼女が澪と呼ばれたいのは、数少ない人間のみ。少なくとも、琴里ではなかった(・・・・・・・・)のかもしれない。

 今際となって、琴里にわかるものではないかと、自嘲気味に笑った。

 

「……見るに堪えないかしら? ごめんなさいね。どこかの誰かさんに手ひどくやられちゃったものだから」

 

「…………」

 

「……令音」

 

 不思議と、破壊衝動は感じなかった。だから、聞かせてほしかった。

 

 

「全部、嘘だったの? 私を助けてくれたことも。私を支え続けていてくれたことも――――私を、親友だと言ってくれたことも。全部、全部嘘だったの?」

 

 

 五河琴里と巡り会った村雨令音は、全て幻だったのだろうか。

 数瞬、無言で琴里と向き合った澪は、その唇を開く。

 

「……嘘ではないよ。私の言葉に、気持ちに、嘘は一切なかった。私は精霊たちを大切に思っているし――――今でも、君を無二の親友だと思っている」

 

 いっその事、偽りであった方が、優しい現実であったのかもしれない。

 けれど、そうではないから。ただ、と続けられた言葉に、琴里は目を見開いて――――悲しげに、目を伏せた。

 

 

「……シンを取り戻すためならば、私は親友でも喰らう。それだけだ」

 

「――――――」

 

 

 霊装が消え、炎を失い、残された痛みさえも消えていく。

 力を奪われ、今際の際で。琴里はそれでも、澪の想いを確信した。

 

 村雨令音は、一切の嘘を吐いていないと。

 

 くだらないジョークに令音が苦笑し、皆の騒がしい姿に令音が笑い、ささやかな日常を楽しんでいた。それら全て、未だ彼女の中に存在している。

 このような悪魔の所業を行いながら、その心に一切の偽りがない。

 

 親友として、琴里の命を奪っているのだ。嗚呼、酷く歪で――――――

 

 

「……そっくり、なのね。あなた、たち……」

 

 

 あの子と同じ、考え方だ。

 

 

「……あぁ」

 

 

 やっと、少しは少女のことを理解できたかもしれない。けど、ここまでのようだ。

 

 消えゆく意識の中で、友に遺す酷薄な言葉を言い損ねたと――――琴里は、僅かに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トン、トン。小刻みなステップ。重い靴音。

 

 

「――――あら、あら」

 

 

 誰だ。わからない。瞼が重い。頭が重い。そこにいるのが誰かなんて、考えられない。

 

 

「これが天命――――いいえ。神を否定するわたくしには、そのようなものは不要ですわ」

 

 

 誰かがいる。何かを、語っている。

 

 

「これはわたくしと、あの子の選択。誰に決められたものでもなく、あの子とわたくしの契約――――さあ、さあ。わたくしたちの運命が、あなたを生かしましょう。幸か不幸かは、あなた自身がお決めになってくださいまし」

 

 

 何を――――――

 

 

 

「――――Der Alte würfelt nicht」

 

 

 

 止まりかけていた鼓動が、動き出す。

 

 ただ一度、琴里はその感覚を知っていた。これは、新たな心臓(・・・・・)が、取り込まれる際のもので。

 

 ――――焔の命運は決することなく、燃え盛る。

 

 

 






全てを賭してなお、届くことはない。天使は、天使の涙を受けて沈み逝く……理不尽から救われるべきだと願った好きな人さえ切り捨て、少女は何を求めたのでしょうね。

Der Alte würfelt nicht(神はサイコロを振らない)。果たして〝彼女〟はどんな思いを込めて誰を、神と呼ばれし者を、否定するのか。一つ言えることは、ここで消えるはずだった運命は、焔は、決してなどいない。

感想、評価、お気に入りありがとうございます!! 最近は少々進みが鈍っているのですが、目に見えた表はたいへん励みになります。これからもお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十一話『邂逅を穿つ銃弾(デート・ア・バレット)

 

 ――――堕ちる。

 

 眠たい。揺り籠の中で、ただ眠ってしまいたかった。

 心地がいい。落ちる、堕ちる、墜ちていく。深い海の中で、自分が何者なのか、それさえ怪しくなっていく。溶けていく。解けていく。

 

 疲れた。疲れてしまった。頭が酷く痛い。身体が痛い。心が痛い。

 痛くて、苦しくて、消えてしまいたい。ああ、ここは、本当に心地がいい。何も考えなくていい。だから、このまま――――――けれど、あの人はいない。

 

 

『――――あら』

 

 

 あの子も、いない。

 

 

『ええ、ええ。少しお待ちくださいまし――――これは、これは、奇妙なことがあるものですわ』

 

 

 誰もいない。狂三が好きになった人たちは、誰も。

 

 

『どうしてここへ、などと問いかけるのは野暮なこと。この場ほど、時間と空間の括りが無意味な場所はありませんもの。『わたくし』は、さらにその境目にいらっしゃるのですから。まあ、時間と空間に大きな違いがないのは、わたくしたちの〈刻々帝(ザフキエル)〉も同じようなものですけれど』

 

 

 琴里はいない。十香はいない。七罪もいない。折紙、耶倶矢、夕弦、六喰、美九、二亜、四糸乃――――誰も、いない。

 

 

『さて、さて。どうしたものでしょう。わたくしに出来ることは、こうして堕ち往く『わたくし』を押し留める程度。堕ち切ってしまうと、簡単には戻れなくなってしまいますことよ――――わたくしと同じように』

 

 

 嫌だ。狂三は、そこへはいけない。

 

 

『まあ、ここで素直に諦めるような『わたくし』とは思っていませんけれど。どうやら、『わたくし』の中でも相当に特異な経験を積んでいらっしゃるようですし』

 

 

 たとえ地獄の底に招かれようと。踏み躙ってきた命たちの腕が、狂三を地獄の業火へ引き摺り込もうとも。

 逝くわけにはいかない。過日の罪業が、狂三に罰を下したとしても――――取ったのだ、あの人の手を。

 

『ん――――あら、あら。あなた、随分と恵まれた『わたくし』ですのね』

 

 

 だったら、狂三が諦めるのは筋違いだ。このまま狂三が膝を突くことなど、最も否定するべき行為だ。

 

 

『どうやら、お迎えがきたようですわね。まったく、あの方直々とは、羨ましい限りですこと。わたくしは未だ……手助けしてしまったことを、少しばかり後悔してしまいそうですわ』

 

 

 ――――声が、聞こえる。

 

 

『――――まあ、あの方が悲しむ顔は、もう見たくもありませんから。これも致し方ないことですわね』

 

 

 大好きな人が、呼んでいる。

 

 

『それでは。もう会うこともないのでしょうが――――いいえ。いつかまた、時が交差するそのとき、相見えることになるかもしれませんわね』

 

 

 ああ、だから。目を覚まそう。夢から覚めよう。あの人に、会いたい。あの人の、名前は――――

 

 

『お別れですわ。これは泡沫と消える夢――――また会いましょう。わたくし以上に、『時崎狂三』へ逆らった『わたくし』。そのことが幸運であったのかどうか――――――』

 

 

 ――――士道、さん。

 

 

『――――お互いにそうであることを、祈っていますわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――狂三ッ!!」

 

 目覚めた瞬間に聞こえたのは、自分を呼ぶ彼の声。目を開けた瞬間に見えたのは、自分の顔を覗き込み、身体ごと抱き込んで揺すり起こす彼の顔。

 彼は――――五河士道は、瞼を上げた狂三を見て、ホッと安堵の息を吐いた。

 

「よかった……目が覚めたんだな」

 

「士道さん……。ここ、は……」

 

 辺りを見渡すように首を回し――――何も存在しないこの空間に、眉をひそめる。問いかけられた士道も、狂三と似たような顔で首を横へ振って声を返した。

 

「わからない。狂三を探すのに必死で、ここがどこかなんて調べる暇がなかったんだ」

 

「わたくしを……――――!!」

 

 そこで、ようやく狂三は己がここへ堕とされた(・・・・・)時の状況を思い出し、ハッと目を見開いた。

 澪の術中に嵌り、捕らえられた狂三はこの空間へ堕とされた。なら――――――

 

「士道さん。わたくしが飛ばされたあと、皆様は……!!」

 

「っ……ごめん、そっちも駄目なんだ。狂三が飛ばされてすぐ、俺もシェルターに転移させられて……。〈封解主(ミカエル)〉を使って、何とか狂三を見つけられたんだが……」

 

「〈封解主(ミカエル)〉で……なるほど。天使の力なら、この空間へ干渉できるのも納得ですわ」

 

 見渡す限りの虚無。天も地も、果てのない暗闇。まとわりつく、現実感のない独特の霊力(くうき)

 士道の手を離さないまま、狂三は空間に立つ(・・)。浮くことと立つことに、差異が見られない。

 意識の一つが確固たる影響を及ぼす。ここは、そういう風に出来ている。それでいて、現実としての事象も兼ね備えた、言うなれば現実と虚構の狭間だ。

 恐らく、精霊ではない士道には、違和感の塊のような空間なのだろう。霊力をその身に宿すが故、常人よりは程度が軽いのだろうが、その違和感に顔を顰めていた。

 

「何なんだ、ここ。水がまとわりついてるみたいに……っていうより、霊力の中(・・・・)にいるみたいだ」

 

「ここは〝隣界〟――――その狭間ですわ」

 

「ここが隣界の、狭間?」

 

 奇妙な表現に首を傾げる士道に、ええ、と狂三は続けた。

 

「現実世界と隣界を隔てる、言うなれば境目。本来であれば、澪さんは隣界へわたくしを幽閉するつもりだったのでしょうが……士道さんのお陰で、命拾いいたしましたわ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。隣界って、精霊が現実世界へ来る前にいる場所なんだろ? そんなところに狂三を送り出して、何の意味があるんだ?」

 

 狂三の説明に、士道は解せない部分を感じている。真っ当な感性だといえる。普通の精霊であれば、隣界に送られたところで、意志の力さえあれば無理矢理にでも脱出ができる。

 が……狂三は生憎、そういう意味では普通の精霊ではない。それはもう、士道も知るところであると狂三は返した。

 

「お忘れですの、士道さん。わたくしは他の方とは違い、あの子の力で隣界へ訪れた」

 

「あ……」

 

 その思い出したのだろう。士道は小さく声をもらした。

 そう。狂三は精霊の中でも、早い段階で霊結晶(セフィラ)を受け取った。しかし、最後の詰め――――記憶を奪い、隣界へ送られる直前、白い少女の手で連れ出された精霊なのだ。

 

「あの後も、わたくしは何度か隣界で眠りにつくことがありましたが、常にあの子はわたくしと共にあった――――澪さんから、わたくしを守るために」

 

「あいつが……」

 

 新たに伝えられた真実に目を見開き、驚きを露にする士道。

 今にして思えば、少女に対する疑念を抱いた最初の出来事だ。どれだけの精霊を目にしても、隣界で他の精霊を連れて眠る精霊など、少女しか存在しなかった。

 だが、狂三は追求しなかった。『時崎狂三』はそれを必要としなかった――――そうでなくても、狂三を守ってくれた少女へ、不要な追求をしたくなかった。

 今はそれを、後悔している。眉根を下げ、狂三は言葉を継いだ。

 

「わたくしは、あの子がいたから隣界での干渉を免れた。ですが……あの子の助けがなければ、隣界へ墜ちたわたくしが、わたくしでいられる保証は何処にもない――――随分と、頼り切っていたものですわ」

 

 少女は、どんな思いで狂三と共にあったのか。澪と同じ顔をした(・・・・・・・・)少女は、何を思って狂三へ尽くしたのか。

 今になっては、答えてくれる者はいない。そして、誰よりも知っていなければならなかった狂三は、己の悲願のためにそれを切り捨てていた。

 後悔してからでは、何もかもが遅い。わかっていたはずなのに――――そんな後悔を抱いた狂三の手を、士道が包み込むように握りしめる。

 

「士道さん……?」

 

「あいつに会ったら、ちゃんと礼を言おうと思ってたけど、その理由がまた増えちまった」

 

「っ……」

 

 そう言って、狂三の不安を呆気なく吹き飛ばしてしまうほど、優しい微笑みを見せてくれる。

 こういうところも、また彼らしい。後悔なんてしてる暇はない。狂三は、そんな後悔などもう必要ない。少女にまた会うために、今はやるべきことを。

 こくりと頷き、狂三は決意を込めた顔で言葉を紡ぐ。

 

「そうですわ。あの子へ言いたいこと、聞きたいことは山積みですもの。そのためにも、急ぎここから脱出いたしましょう。それに、皆様の安否が気にかかりますわ」

 

「ああ。のんびりしてたら、ここから出られなくなりそうだ」

 

 肌感覚でこの空間の意味を感じ取っている士道に、狂三も同意して首肯を返した。

 ここは、時間と空間の意味合いが酷く歪だ。二人は空間に立っているが、立ちながら堕ちている(・・・・・・・・・・)。そんな、物理法則に反した、というより法則が意味を失う時空間と命名すべき位置。それが狭間の世界。

 この歪な狭間から脱する方法は――――――

 

「なら、〈封解主(ミカエル)〉を使用し、脱出いたしましょう。ここへ来れたのなら、出ることもまた可能なはずですわ」

 

「あ、いや……実は狂三を見つけた時に、〈封解主(ミカエル)〉で『扉』を開こうとしたんだけど、入った時と違って上手く開けなくて」

 

「あら……」

 

 既に試していて、だが上手くいっていなかったわけか。困り顔の士道に、狂三は冷静に順序を立てて原因を探ろうと決めた。

 急がなければならないが、急ぎすぎてもいけない。早急で、冷静に。空いた手をあごに当て、問いかけを声に乗せた。

 

「こちらへ『扉』を開いた時は、どうなさったんですの? 位置が不明な以上、何かしらの方法が必要だったはずですが」

 

 数を導き出す数式が存在するように、結果をもたらすには相応の何かがなければならない。士道は隣界を訪れたことすらないのだ。誰かの手を借りたのでなければ、一体どうやって〈封解主(ミカエル)〉での道を繋げたのか、狂三には不思議でならなかった。

 狂三の疑問に対し、士道は少しだけ言いづらそうに頬を掻き、ちょっとだけ視線を逸らしてから答えた。

 

「えーっと……狂三のことを思い浮かべて、無理矢理」

 

「……はぁ」

 

 思わず呆れで半目になり、ため息を吐いてしまう。あまりにも根性論。そんな漠然としたものを受け止め、正確に答えてくれた〈封解主(ミカエル)〉の苦労が偲ばれる。

 狂三の呆れ具合に焦った士道は、慌てて言い訳を並べ始める。

 

「だ、だって狂三が言ったんだろ。天使っていうのは水晶みたいなもので、想いを込めれば返してくれるって……」

 

 なるほど。確かに狂三は言った。よく覚えていると褒めて差し上げたい。が、言い訳としてはいい所五十点だろう。

 

「何でもかんでも漠然とした願いを叶えられる万能機とは、わたくし一言も申し上げていませんわ。大体、運良くわたくしに直接『扉』が繋がったからいいものの、わたくしに縁が深い場所へ繋がる可能性の方が高いとは思いませんでしたの?」

 

「うぐ……そこまで考えてませんでした……」

 

 なんというか、それで本当に叶えてしまうのだから、士道の規格外な心が反映されると言うべきなのか。

 呆れ半分、それだけ愛されている嬉しさ半分。複雑な顔をして息を吐き、狂三は言葉を続けた。

 

「ま、あなた様の無茶な理論に助けられるのはいつものこと。感謝いたしますわ」

 

「……素直に喜べないんだが」

 

「素直に喜んでくださいまし。さて、なら同じ方法を使うとなれば、話はそう難しいものではありませんわ」

 

 無茶苦茶な理屈で開かれた道を、もう一度開き直す。理屈や理論は無理矢理でも、一度開いたのだ。決して不可能なことではない。その道を狂三が〝舗装〟してやればいいのだ。

 

「よく聞いてくださいまし。士道さんは十香さんたちのことを思い浮かべ、〈封解主(ミカエル)〉へ想いを込める。他の想いは不要、それだけを行ってくださいな」

 

「え……けど、それじゃあ――――むぐ」

 

 今言った、不十分な理論と変わりがないじゃないか。そう言いたげな士道の唇を指で遮り、狂三は微笑みながら繋げる。

 

「そう。ですので、足りない部分はわたくしが補いますわ。召喚した天使を扱えるのは、あくまで当人に限ること。その事実に変わりはありませんが……士道さんとわたくしが想いを繋げることが出来るのなら、それは明確にあなた様の想いの力となる」

 

「それって……」

 

 かつて、一度似た経験が士道にはあるはずだ。初めて封印した天使を召喚したあの時――――耶倶矢と夕弦を止めるだけの力を振るった、あの瞬間。

 視線を鋭くし、自身の手をぐっと握る士道。こくりと、決意を固めて首を縦に倒す。

 

「……わかった。やってみよう――――〈封解主(ミカエル)〉!!」

 

 再び開いた手のひらに一条の光を走らせ、形を定めた天使を握る。

 顕現させた錫杖の先端を虚空へ向け構えた士道は、もう片方の手で狂三をエスコートするように傍へと寄せる。

 

「狂三」

 

「……はい」

 

 緊張を吐き出す一瞬の呼吸を挟み、導かれるままに鍵の天使へ手を添える。重ね合わせた手のひらは、自然と二人で錫杖を構える形となる。

 

「いくぞ……っ!!」

 

「ええ……!!」

 

 互いの顔を見合い、頷き合う。

 

 刹那、込み上げた想いを叩き込む。士道は十香たちを想う気持ちを。

 そして、狂三は――――天宮市という、壮大な街の風景を(・・・・・)

 イメージが混ざり合っていく。狂三がどんな想いを浮かべたのか、明確に伝えられた士道が目を見開いて驚愕を顕にする。

 

「お前、これって……!!」

 

 人で不十分ならば――――()を想い、位置を定めればいい。

 この異界から現実へ『孔』を繋げるのは、本来であれば容易でないこと。内側からなら尚更だ。だが、士道と狂三であれば容易いことにできる(・・・)

 士道は精霊と紡いだ決して解けぬ絆がある。そこに狂三の想い人が生まれ育った街(・・・・・・・・・・・)のイメージがあれば、不完全な『扉』は完成を得る。

 

 

「お恥ずかしながら――――自分の情動に救われることになるとは、思いもよりませんでしたわ」

 

 

 つまりは――――数日前、街を隈なく記憶した狂三のイメージが、この上ない手助けになるということだ。

 恥ずかしげに笑う狂三を見た士道が、不意に唇の端をつり上げ微笑みを浮かべる。嬉しいと、表情だけで告げていた。

 幾つもの想いを受け止めた天使が、空間を染め上げんばかりに発光する――――鍵を、回した。

 

 

『――――【(ラータイブ)】!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潜り抜けた先にある、広大な空。正確には、空から睥睨する街並み。

 

「ぐ……〈颶風騎士(ラファエル)〉!!」

 

 即座に状況を把握し、急激な気圧の変化を御する天使を周りに展開する。狂三ごと包み込むように範囲を広げながら、士道は街並み――――そう呼ぶべきなのか、破壊された風景を目に収めた。

 帰ってこれた、間違いない。ここは、士道の体感で十数分前まで激しい戦闘を行っていた天宮市そのものだ。

 しかし、地上に近づくにつれ、どこか様子がおかしいことに気づき眉をひそめる。

 

「みんな、は……」

 

 驚くほどに、静かだった。まるで、戦いが始まる前の静けさそのもの――――戦いが終わったあとの(・・・・・・・)、静けさ。

 最悪の想像が頭を掠めた。それを否定してほしくて、狂三を見やった。

 

「狂、三……?」

 

「っ……」

 

 狂三は、認めたくない結果(・・・・・・・・)を噛み砕くように、強く歯を食いしばっていた。

 地上へ降り立っても、それは変わることがなく、今は否定がほしい士道が唇を動かす――――そんな一瞬の間に、世界がモノクロに変わる(・・・・・・・・)

 

「な……!?」

 

 驚愕に呻きながら、周囲に視線を巡らせた。

 破壊された街並みが、白と黒で構成された非現実的な空間へと塗り変わっていく。

 明らかな異常。驚くべき光景。だが、狂三はそれを受け入れ、士道の知らないこの天使(・・・・)を言い当ててみせた。

 

 

「……〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

「――――正解だ」

 

 

 そう――――答え合わせをするように、その少女は現れた。

 

「み、お――――」

 

 荘厳な霊装を纏う精霊・崇宮澪。存在だけで周りを潰してしまいかねない威圧感と、相反する穏やかな表情。

 細めただけで凍りつくような雰囲気を生み出す目線が狂三を捉え、そして言葉を発した。

 

「君なら当然。そう褒めるべきかな? 分身を情報のバックアップとして用意していたんだね……。シンも、この短期間でよく狂三を連れ戻せた。あちらとは時間のズレがあるとはいえ、君たちを迎えにいくだけの時間はあると踏んでいたのだけれど――――」

 

「――――みんなは!!」

 

 言葉を遮る。止めずにはいられなかった。士道には、確かめねばならないことがあった。

 たとえそれが――――目の前で、証明されていることだとしても。

 

「み、みんなは……」

 

「…………」

 

 澪が掲げた手から……否。その背に浮かぶ、輝きを取り戻した(・・・・・・・・)十の星から、それぞれ美しい宝石たちが姿を現した。

 

 

「――――っ、ぁ」

 

 

 迫り上がる嘔吐感に、立ち向かう力が失われていくのがわかる。澪が示した答えを、拒絶してしまいたくなる。己の無力を、たった今証明されてしまった。

 

 みんな――――もう、いない(・・・)

 

 死んでしまった。死なせてしまった。みんなを、守れなかった――――心と身体が、死へ向かっていく。

 

「……さあ、準備は整った。どうする、狂三(・・)

 

 そんな、今にも崩れてしまいそうな身体を支えたのは、皮肉にも心を折ってきた澪の静かな問いかけだった。

 士道ではなく、未だ澪を見据えて動かない狂三への、問いかけ。

 

「【一二の弾(ユッド・ベート)】は、『私』という存在を消すことでしか通用しない。それ以外に手段があるなら、遠慮はいらないよ。この先に抗う未来が残っているのなら、私はそれを存分に受けて立とう」

 

「……どこまでも、傲慢な方ですこと」

 

 あくまで冷静に息を吐く狂三は、士道から見れば恐ろしく異端な光景だった。

 【一二の弾(ユッド・ベート)】は、使えない。最奥の弾が行う時間軸の変更――――しかし、改変された世界の〝記憶〟を、澪は引き継げる。どうしてか、など説明される必要もなかった。〈アンノウン〉と呼ばれた白い少女が、そうであったから(・・・・・・・・)だ。

 澪が正体を現した。この時点で、【一二の弾(ユッド・ベート)】の使用は限りなく制限される。たとえ、過去へ戻り澪の出現を阻止したとしても、未来へ辿り着いた瞬間、全てを把握した澪は動き出す。それこそ、最悪のタイミングさえ想像できてしまう。

 浮かび上がった他の可能性は、僅かな過去へ戻り、精霊たちの死を救い、再び澪と対峙する。だが、それは堂々巡り(・・・・)でしかない。

 

 たった今、澪自身が宣言したのだ。消すことでしか通じない(・・・・・・・・・・・)、と。澪には確信があるのだ。ここで澪の攻勢を掻い潜り、士道か狂三が過去へ戻ったとしても、精霊を殺し切る(・・・・・・・)だけの、圧倒的な力による自信が。

 

「…………っ」

 

 息を詰まらせる。今の可能性を実行したとしよう……今度は、精霊たちの死を、間近で見ることになってしまうかもしれない。

 それで心が折られたら、終わりだ。今だって、身体が錆び付いたように動きが鈍い。希望の秘奥は、始原の精霊を消すことにしか使えない。しかし、それでは誰も――――――

 

 

「士道さん」

 

 

 それは、あくまでも冷静に。けれど、士道の心を掬い上げるには、十分すぎる声音だった。

 顔を上げると、狂三は立っていた。色の異なる双眸は、迷うことなく士道を映し出していた。

 

 

「いつか、仰っていましたわね。あなた様の人生で、わたくしを背負ってくださると」

 

「…………」

 

 

 なぜ、今そんな話をするのだろう――――今だから、するのだ。

 ここでもし、時崎狂三が諦めを口にしていたなら、五河士道はその運命を受け入れていただろう。

 だが、狂三が見せたのは眩しい笑顔で――――士道が取り戻した少女の笑顔が、士道の心を突き動かした。

 

 

「まだ――――わたくしを、支えてくださいますか?」

 

「――――ったり前だろ」

 

 

 そんなもの、聞かれるまでもない。折れかけた心がなんだ。その程度、一体何度乗り越えてきたか。

 

 士道は折れない。だって、士道の肩には狂三の人生が乗っているから。狂三も同じ想いだ――――だからこそ、互いが折れない限り(・・・・・・・・・)、二人は誰にも屈することはない……!!

 

取り返すぞ(・・・・・)

 

「ええ、ええ。それでこそですわ、それでこそですわ」

 

 わたくしを射止めた人が、絶望に屈するなど許さない。そんな想いが、繋げた手を通して伝わってくる。

 不思議、というわけでもない。彼女となら当たり前のこと。絡め取られそうになっていた絶望が、染められぬ黒に消し去られる感覚。

 ああ、ああ――――士道はまだ、神に敗北を認められない。

 

 

「――――そうか」

 

 

 立ち上がる士道と狂三を見て、澪がポツリと呟いた。

 その視線には僅かな苛立ち(・・・・・・)と、不思議な感慨が絡み合っている、ような気がした。

 

「君たちらしいね。複雑なのに真っ直ぐで、歪なのに迷いのない愛――――それを踏み越えてでも、私はシンを取り戻す」

 

「……!!」

 

 澪の霊力が膨れ上がり、圧力を増していくかのように、モノクロの世界が士道と狂三を包むような気配をかもしだす。

 勝負は、その一瞬のこと。

 

 

「――――〈贋造魔女(ハニエル)〉ッ!!」

 

 

 魔女の杖を瞬時に召喚し、箒のようになってる先端を鏡のように変化させ、目が潰れるほどの極光(・・・・・・・・・・)を解き放つ。

 

「……ふむ」

 

 光が溢れる中で、澪が声を零す。それは、どこか疑問を感じているように思えた。

 それもそのはず。本来、〈贋造魔女(ハニエル)〉の光は変幻の力。千変万化の輝きであるはずだ。しかし、それが通用しないことを澪自身、よくわかっている。そして士道も、この光が澪に何ら影響を及ぼさないことは百も承知。

 光の最中――――黒い影が飛翔する。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 それは、自身の背を一回り大きくした時計盤、〈刻々帝(ザフキエル)〉を背にした狂三。目眩しに乗じて、時間加速の弾丸を撃ち込み、神速の世界へ足を踏み入れた狂三だった。

 士道と澪の目が使えない一瞬の間に、狂三は澪へと迫る――――だが。

 

「……甘いな」

 

「あぐ……っ」

 

 如何に神速であろうと、届かない。澪の一声で、地面から幻想の如く光の帯が現れ、狂三を縛り付ける。

 澪に伝わっていなかったはずの不意打ちは、呆気なく防がれた。しかし、そのことに怪訝な顔を見せたのは、止めた張本人である澪だった。

 

「……解せないな。君ほどの子が、こんな単純なやり方で――――――」

 

「きひっ、きひひひひひひひひひひッ!!」

 

 笑う。特徴的な笑い声を大にして、時崎狂三(・・・・)が笑う。

 

「嗚呼、嗚呼。愉快ですわ、愉快ですわ――――なんて、無様」

 

 そうして、時崎狂三(・・・・)は嘲り笑うように、言葉を紡いだ。

 

 

 

 

「あなたの目には――――わたくしが時崎狂三(オリジナル)に、見えていますのね」

 

 

 

 

 左右不均等に結われた漆黒の髪。血と影で染め抜かれた霊装。刻まれ続ける時を奏でる金時計の瞳。

 そう――――『狂三』は、狂気的な微笑みで、澪と対峙した。

 

「な――――」

 

 そこで、澪は初めて動揺らしい動揺をみせた。精霊であれど、感情は人と同義――――神に等しくも、神ではない証明のように。

 しかし、遅い。不敵な笑みを浮かべた士道は、かけられた魔法(・・・・・・・)を解き放った。

 

 

「あ、はァ――――らしくないとは、誰のことですかしらァ!!」

 

 

時計盤が光を放つ(・・・・・・・・)。それは入れ替わるように――――時崎狂三という女王へと変貌した。

 変貌の女王は、銃を抜き放っている。止められない、避けられない。たとえ神と見紛う存在であろうと、この世で女王の瞳から逃れられる者など、いない。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【三の弾(ギメル)】」

 

 

 その銃弾は、黒の軌跡を描き――――十の星にある、紫紺の輝き(・・・・・)を撃ち抜いた。

 

 僅か一瞬の攻防は、それだけだった。銃弾を放った狂三は、空中を蹴り士道の元へと帰る。

 

「…………」

 

 残るのは、静寂。澪の時が止まるわけでも、澪の時が進むわけでもない。

 〈贋造魔女(ハニエル)〉の光は、何も影響を及ぼさなかったのではない。澪以外を(・・・・)変化させたのだ。

 士道は七罪ほど上手く〈贋造魔女(ハニエル)〉は扱えない。が――――〈刻々帝(ザフキエル)〉の造形を完璧に再現しろ、と申し付けられたなら、誰よりも精巧に真似てやれる自信があった。事実、士道の模倣は天使の生みの親である澪さえ騙してみせたのだ。誰彼構わず、自慢してやりたいほど気が高ぶるというもの。

 たった一度だけ許された不意打ち。それは見事、澪を欺き通し、狂三が望んだ銃弾を撃ち込むことに成功した。

 

「何を――――」

 

 沈黙を貫く狂三と士道へ、澪は意図を計りかねたように呟く。

 当然のことだろう。勝機、という一点を狙うならば、必ず切り札である【七の弾(ザイン)】を使う。狂三の力を知る澪なら、そう考えていたはずだ。

 しかし、澪の時は止まらない。そう、澪の時に干渉はしていない(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「あら――――あなたが仰ったのでしょう?」

 

 

 超然と、狂三は笑う。人より優位に立ち、威圧し、掌握する時崎狂三が持つ特有の微笑み。

 そうだ。あの弾丸が到達し得たその瞬間から、この世界は狂三が支配している。

 

 その〝原因〟を生み出すことが出来たなら、次には〝結果〟が世界に生まれる――――!!

 

 

「あなたという存在に立ち向かえる者は、わたくしではなかったと――――だから、呼んだ(・・・)だけですわ。あなたを、澪さんを討滅し得る〝彼女〟を!!」

 

「まさか――――っ!!」

 

「そのまさか、ですわ――――さあ、さあ!! 盛り上がって参りましたわねぇ!!」

 

 

 狂三が手を振りかざした瞬間――――閃光が走る。

 

 決して傷つくことのなかった澪の霊装に、鋭い亀裂が生じた。

 

 

『――――――ぉぉぉおおおおおッ!!』

 

 

 その叫びは高々に、世界()を斬り裂く。

 

彼女(・・)は――――――

 

 

「っ……十香ッ!!」

 

 

 誰でもない、夜刀神十香(・・・・・)は。

 

 

「シドー!! 狂三!! ――――すまぬ、待たせたな!!」

 

 

 涙ぐむ士道の目の前で、力強く、澪から二人を守るように立ちはだかった。

 

 

 反逆の刃は育ち――――定められぬ未来は、ここに抗いを示した。

 

 

 







それは束の間の夢。有り得ならざる邂逅。辿るべきだった世界と、辿らなかった世界の交わることがない奇跡。けれど、いつの日か――――時が巡るのなら、また。

ちょっとしたサプライズ出演なので一切匂わせとかしてませんでした。驚いてくださったら嬉しいです。そうでもない?ソンナー。
前にも話した通り、収集が付かないのが一番困るので隣界ととある別の時間軸についてはあえて触れてきませんでした。ていうか、今回も厳密には境界の空間なので触れたとも言えないんですよね。
なので、士道と狂三すら知ることのない邂逅は、皆様だけが知るもの。そんなわけで今回も感想とかくださると真面目にとても嬉しいでry

さて、二人の手でもうひとつの邂逅は開かれた。今章もいよいよ終局が近づいて参りました。次回より三話はかなり分量が多くなってしまいましたので、着いてきてください(直球) さあ、結末の引き金を引くのは、誰か。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十二話『白い炎』

 自我の喪失。たとえるなら、空間そのものに、意識(じぶん)が溶けていくような。

 恐怖はある。けれど、どうしてか安心感もあった。まるで、元いた場所(・・・・・)へ還るような、不可思議な感覚。

 

『……ぅ、ぁ……』

 

 落ちれば捕えられる。十香は抵抗する。でも、抗えない。優しい悪魔の手招き。このまま、身を浸して、覚めぬ眠りへと――――――

 

 

『その美しい名を散らすには、諦めが早すぎるんじゃないですか――――夜刀神十香』

 

 

 瞬間。その有り得ならざる声に、十香はハッと目を見開いた。

 

『……っ――――』

 

 ――――目覚める。

 溶け合い始めていた身体の感覚が舞い戻り、手足が、頭が、思考が働く。戻ったからこそ、一瞬前まで心地良さを感じていたこの空間に対しての〝違和感〟が急速に表面化する形となった。

 

『な……』

 

 『何』なのか、わけがわからない空間で、十香は彼女を見つけた。

 

『さて、どう挨拶をするべきでしょうか。お久しぶり? それとも、初めまして? どちらも正しく、どちらも間違っていると言えますが……あなたは、どちらだと思います?』

 

 境界に揺蕩う、一人の少女。

 絹糸のように艶やかな髪。物憂げな色を映す双眸を、わざとらしく歪めて微笑む――――崇宮澪と同じ貌(・・・)をした少女。

 十香がわざわざ、そんな奇妙な表現をした理由は幾つかある。少女と容姿は、澪をほんの少し幼くした印象を抱かせるものであるということ。

 もう一つは、その雰囲気。今ならわかる。感覚を殺されることなく、十香は素直に少女から発せられる〝匂い〟を嗅ぎ取ることができる。

 疑問を感じながら、十香は自分が知る少女の通称を音に流した。

 

『お前は……通りすがりの人、か……?』

 

『……そうですね。間違ってはいないでしょう。我ながら、奇妙な通り名で呼ばれているとは思いますけれど』

 

 苦笑しながらも、否定を行うことなく受け入れた少女。

 顔を隠す外装はなく、十香は初めて少女の顔を見た。だとしても、わかった。間違いなく、少女はあの〝通りすがりの精霊〟であると。

 

『なぜお前が……いや、そもそも〝ここ〟はどこなのだ?』

 

『……んー。まあ、『私』の中? って言えば、適当でも正しいような気はしますね。私がいることに関しては、私に聞くより〝彼女〟に聞いてください』

 

 ちょいちょい、と少女は横に指を指し示す。それに従って目線を動かしてみると、十香はさっき以上に目を剥くことになった。

 

 それは、合わせ鏡にも思える、宵闇の少女。

 

『な……お、お前は、一体……』

 

 十香と同じ、夜色の髪。

 

 十香と同じ、水晶の双眸。

 

 十香と同じ――――貌。

 

 紛れもなく〝彼女〟は、夜刀神十香その人だったのだ。

 故に、十香の困惑は当然のものとなる。十香は、間違いなく自分だ。だが、目の前の少女もまた、十香だった。

 少女は、通りすがりの人から押し付けられたことに不機嫌な顔を作りながらも、十香を無視することはせずに声を返してきた。

 

『名か。そんなものはない――――敢えて言うならば、私は(・・)お前だ(・・・)

 

『私……?』

 

 理解が及ばない。しかし、不思議と理解させられた(・・・・・・・)

 十香は十香であるが、少女もまた十香である。そう思わざるを得ないほど、少女は十香と似すぎている。十香の知る知識の中では、これほどに相違点を探せない人は、それこそ過去の狂三と同一存在である狂三の分身くらいなものだ。

 

『一体、何がどうなっているのだ……これは夢なのか?』

 

『夢、か。ふん、当たらずとも遠からずというところだろう。お前の頭の中か、この道化の言うあの女の中か、という違いはあるがな』

 

『あの女――――?』

 

 その一言が起点となり、十香の脳裏に記憶が再現される。

 澪と戦う十香たち。貫かれ、倒れる折紙。そして、次の一瞬――――光の帯に貫かれ、十香たちは敗れたのだ。

 

『皆は……皆はどこだ!? 私と通りすがりの人がいるということは、皆もここにいるのか!?』

 

霊結晶(セフィラ)を澪に吸収された十香と白い少女がここにいるということは、少なからず十香たち以外の精霊、その意識が存在している可能性はある。

 皆はどこだと見渡して、自身の言葉に足らない部分があることに気づいた。白い少女はともかく、十香と同じ貌した少女に、当然のように通じていると思ったが……十香が知っていても彼女は知らないと思ったのだ。

 

『あ、皆というのはだな――――』

 

『他の精霊のことか?』

 

『!! 知っているのか!?』

 

 補足しようとして、的確に情報を当ててみせた少女は、小さく息を吐いて続けた。

 

『――――前の目覚めより、時折お前の目を借りて、世界を眺めていた』

 

『む……? 目を……?』

 

 少女が何を言っているのかよくわからず、十香は首を傾げた。もしかしたら、狂三や琴里なら理解できたかもしれなかったが……少女は特に気にした様子もなく首を振り、問いの答えを続けてきた。

 

『ここにいるのはお前と、この道化だけだ。他の者たちは、あの女に霊結晶(セフィラ)を奪われ、人間として死んだ。女の中にあるのは、あくまでその霊結晶(セフィラ)のみだ』

 

『……っ』

 

 息を詰まらせる。心臓が、痛い。精霊たちの死を、十香が知らぬはずがない。けれど、どうしても、知っていたとしても……痛みを覚えずには、いられなかった。

 だが、すぐに十香は少女の言葉の中にあった違和感に気づいた。でもそれを言語化する前に、黙っていた白い少女が不満げに声を発した。

 

『ちょっとちょっと、私だってここにいる〝予定〟はなかったんですよ。あとは消えるだけだった私の残りカスを、あなたが無理やり引き摺り出したんでしょう』

 

『ふん。目の前でうろちょろされて目障りだったからな。斬って捨てなかっただけ、ありがたく思うことだ』

 

『わー、覇王様ったら慈悲深ーい』

 

 言葉とは裏腹に、全く感謝していないジト目で白い少女は十香と同じ貌をした少女を見やるが、彼女は我が道をゆく唯我独尊な空気でそれを難なく躱していた。

 ……わけがわからないが、どうやら白い少女からしてみれば〝ここ〟にいることは予想外だったようだ。

 

『ど、どういうことなのだ? なぜ、私とお前だけが……』

 

『……私は、厳密に言えばあなたの知る私とは言えないんですよ。私を構成する大部分は、『私』として溶け合った。仮に全くの同一存在がいたとして、強い方に取り込まれるのは必然ですからね』

 

『む……うむ?』

 

 ……益々、わけがわからない。いつも思うのだが、白い少女は難しく喋りすぎていると十香は思う。

 

『……ま、私は『私』から外れた残滓、みたいなものなんです。本当なら、『私』になる際には残さず消すつもりだったんですが、誰かさん(・・・・)のお節介と、慈悲深い覇王様のお陰で、こうして消えそびれてしまったというわけです』

 

『っ……消える、つもりだったのか?』

 

『ええ、もちろん。こうなった場合の〝計画〟は、どうしても博打の要素が多くなってしまいましてね。私自身のイレギュラーはなくしておきたかったのですが……まあ、どの道早いか遅いかの違いでしかありません。問題はないでしょう』

 

 少女の物言いに、自然と眉が吊り上がった。怒り、とも呼べる感情が身体の中に現れる。が、少女が十香の様子に気づいた素振りはなく――もしかしたら、気づいていて気にしていないのかもしれない――言葉を続けた。

 

 

『――――こうして、あなたが来てくれたわけですから、ね』

 

『な、に……?』

 

 

 まるで、十香が十香としてここへ辿り着いたことを、当然のように確信していた口調で。

 澪と同じ貌の微笑み――――そう、あの(・・)崇宮澪と同じ、だ。

 

 ただ一人の人間のため、あらゆる尊厳を踏み躙れる崇宮澪と、同じ存在(・・・・)。それが、この白い少女なのだ。十香は、半ば予知に近い直感で悟った。

 

 敢えてか、少女は言葉の意味を伝えることなく、別の疑問への答えを吐き出し始めた。

 

『どうして私たちだけが、あなたはそう言いましたね。厳密には、あなただけが(・・・・・・)特別なのです、夜刀神十香――――名も無き精霊だった、あなただけが』

 

『なん、だと……』

 

『かつて、世界に生まれた始源の精霊。彼女から切り離された力を受け継ぎ、人から精霊へなった者。それが狂三たち〝精霊〟。たとえ狂三であっても、霊結晶(セフィラ)を失えば人として生を終えるのみ。それだけは平等です』

 

『私は、違うというのか……?』

 

 精霊は、始源の精霊から霊結晶(セフィラ)を渡されて生まれた者。確かに、以前そのような話が上がったことは覚えている。

 だが、本当にそうだったとして、十香は違うというのか。だとしたら、夜刀神十香という精霊は何者なのか。

 そうして少女は――――微笑みを崩して、砕けた表情で十香と同じ貌をした少女へ声を発した。

 

『それじゃあ、残りの説明はよろしくお願いします』

 

『……最後まで貴様が話せばよかろう。なぜ私の手を煩わせる』

 

『私は遠回しな説明が癖になっているみたいなので。あなたは〝夜刀神十香〟なのですから、わかりやすい方が彼女も理解が早いと思いましてね』

 

『ち……』

 

 嫌そうな顔で少女は舌打ちを打つ。しかし、十香と見合った瞬間、そんな素振りは露程も見せることなく、少女は大人しく言葉を継いでくれた。

 

 

『――――――――』

 

 

 簡潔的な言葉と、覚悟を問うように細められた瞳。

 告げられた真実に、思わず目を見開いた――――けれど、気がつくと、唇を引き結び、拳を握る十香がいた。

 

『……ふん? 困惑するかと思いきや、存外飲み込みが早かったな』

 

『……うむ。いや、困惑は、している。だが……もしもそれが本当だとするならば、今は、その事実に感謝したい』

 

『ほう……?』

 

 困惑はある。だが、それを超える――――決意が宿る。

 

 

『――――私は、こうして生きている。そして生きているのなら――――まだ、戦える』

 

 

 この手に刃を握れるのならば。この心がまだ折れていないのならば。この心に従うことが許されるのならば――――十香は、迷わず戦うことができるのだ。

 そんな十香を見て、白い少女はフッと微笑み、目の前の彼女は対照的に小さく鼻を鳴らした。

 

『なるほど――――だが敵は我らが母。仮に戦えたとして、まず敵いはするまい。できることといえば、せいぜい数分の時間を稼ぐ程度だろう。再び死の苦痛を味わうだけだぞ。いや……今度こそあの女は過つまい。次は意識の断片さえ残さず消し去られるだろう』

 

 それは厳しくも、現実を見据えた指摘だった。脅しとも見える、十香への気遣い(・・・・・・・)

 わかっている。彼女の言うことは正しい――――わかっていながら、十香は逡巡することなく首を横に振った。

 

『構わん。数分の時があれば、シドーと狂三は逃げることができるかもしれない。何かこの状況を打開する方法を思いついてくれるかもしれない。――――私の命を賭けるに値する、十分な希望だ』

 

『ほう。しかしお前が死ぬということは、私もまた滅びるということだ。私はお前なのだからな』

 

『な……そ、そうなのか? それは……むう……、すまん。……だがお前も、私が戦うことを望んでいるのではないのか?』

 

『ほう? なぜそう思う』

 

 少女か不思議そうに首を傾げてくる。十香は、思いのままに答えを口に出した。

 

 

『――――お前は、そのために通りすがりの人を起こしてくれたのだろう?』

 

『――――――』

 

 

 目を丸くした少女と――――堪え切れないと言わんばかりに、吹き出すように白い少女が声を発した。

 

『……え、もしかして、あなたが直接やると恥ずかしいからって、私叩き起されちゃったんですか? そんなことのために、私をわざわざ、あんなに苦労して、何度も呼びかけながら、私の意識を連れ戻したので?』

 

 白い少女の一語一句を激しく主張しながらの言葉に、音が響くことが幸いしてビキィ、と額に青筋を浮かべる少女。怒りのオーラがひしひしと伝わってくるようだった。

 

『黙れ。その首落として地に叩きつけるぞ』

 

『わーお、照れ隠しが我が女王よりバイオレンス――――ああ、ちょうどいいみたいですね』

 

 ふと、白い少女が何もない上を見上げる――――何かが撃ち込まれた(・・・・・・・・・)ように、空間が揺れた。

 ある感覚が、伝わってくる。それは、何度か十香が体感したことのあるもの。そう、これは……!!

 

『狂三の、〈刻々帝(ザフキエル)〉……!?』

 

『内的時間の加速……なるほど。内側の時間を動かして、帳尻を合わせたわけですか。大半がアドリブと賭けに左右される残してきた〝計画〟も、ここまで上手くいきそうだと、不思議な笑いが込み上げてきますね』

 

『ふん、勝手に笑っていろ道化。……食えない女め』

 

 苛立たしい気持ちを全面に押し出した少女は、しかし手先は器用に十香の肩を抱き、言葉を紡いだ。

 

 

『その心に迷いがないというのなら、行くがよい、私よ。気の済むまで、暴れてこい』

 

『……うむ。ありがとうだ、私』

 

 

 十香の返事に、満足したように小さく微笑んだ少女は、十香から離れ、その背を押し出す。

 ふわりと、中に浮かぶ感覚。少しづつ二人と離れていく中、十香はハッと白い少女へ声を届けた。

 

『――――通りすがりの人、何か狂三に伝えることはないのか!?』

 

 少女はきっと、別れの言葉すら伝えていない。狂三に対して、白い少女は何も伝えていない(・・・・・・・・)

 そう思った十香は、衝動的に叫んでいた。白い少女は、澪と同じ貌でポカンとした表情をするという、些かシュールな光景を作りながらも、笑いながら声を返してきた。

 

『それじゃあ、貴殿の今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げますとでも――――』

 

『早く行け、私。今すぐこの道化の首を落とす』

 

『……ちょっとした冗談じゃないですか』

 

 ぶー、とこれまた愉快な表情で……もしかして、ローブの下でもそんな顔をしていたのだろうか? だとしたら、少しばかりの驚きである。

 少女は、今度こそ――――その顔を、憂いを帯びた瞳と同じ色に変えて、言の葉を零した。

 

 

『最後まで共にいれなくて(・・・・・・・)、ごめんなさい。あなたの幸せを、祈っています――――そう、伝えてください』

 

『っ……』

 

 

 言葉を受け取り、息を呑んだ十香は――――唇を噛み、グッと拳を握りしめて、渾身の叫びを轟かせた。

 

 

『――――必ず、狂三と迎えに来る!! だから、絶対に待っていろッ!!』

 

 

 それだけを伝えて、前を向く。目に決意を灯し、虚空を蹴り上がる――――――希望を、その身に宿して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――私が彼女に望んでること、わかっているんでしょう。どうして、行かせたんですか?』

 

 十香の姿が見えなくなってから、時を置かず。少女は十香と同じ貌をした少女へそう問いかけた。

 少女からすれば不思議な疑問。だが、彼女はなんてことのないように返してきた。

 

『貴様の思惑がどうであれ、私の決断は変わらん。なら、貴様にくれてやる慈悲はない(・・・・・)。それだけの話だ』

 

『……確かに、あなたの言う通りでしょうね』

 

 少女が想定している、この先に至るもの。聞いたところで、十香は迷うことなく飛び出していっただろう。なら、話したところで変わるのは少女の心でしかない。故に、彼女が語る意味もなかった。

 楽になろうなど、思ってはいない。少女はただ、自らが望むことのために他を救わなかった(・・・・・・・・)。彼女の言葉を借りるなら、それだけの話だ(・・・・・・・)

 

『貴様は』

 

『はい?』

 

『私が来るとわかっていながら、なぜその用意をしていなかった』

 

 ――――まさかまさかの、問いかけ。

 返すように放たれたそれに、少女は……けれど、迷わずに答えた。

 

『なぜ、と言われましても……あなたがいたからですよ。あなたは夜刀神十香(・・・・・)だ。誰かを見捨てることを良しとしない、誰より彼女を想う人でしょう。なら、立ち上がるのに私は必要ありません――――私、他人を見る目に関しては、そこそこ育ったつもりですよ』

 

 そう、それだけ。少女は、この街で色んな出会いを見てきた。『私』ではない自分を見る目はあるとは言えないが――――誰かに信頼を押し付けろ、と言われたなら、迷うことなく信頼できる人を挙げられる自信がある。

 そして、残してきたのはそういう賭け(・・・・・・)だ。だから、ただの一度だけ話をした裏側の少女のことを、信頼を押し付ける形で信じていたに過ぎない。押し付けられた少女は、とても嫌そうに顔をしかめていたが。

 

『ちっ……気に入らんな。やはり、貴様とは相容れん』

 

『相入れる方がおかしいんですけどね、こんな得体の知れない女は』

 

 それこそ、どこかのお人好し集団くらいだ。

 

 

『――――ま、だからこそ、分の悪い賭けをしてしまったんですけれど』

 

 

 使い道は決めていたが、使い方(・・・)は、初めの少女なら思いもしなかった。針の穴を通すほどの、微かな可能性。『私』以上に、分の悪い賭け。

 

 

『さあ、我が女王――――私の願い、どうか叶えてくださいませ』

 

 

 それでも、消えゆく道化師は愛おしく、女王を想い、狂ったように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 その姿は正しく、威風堂々。

 その身はまさに、勇猛果敢。

 

 それは、極限なる強さが魅せる、最強の名に恥じぬ美しさ。

 

「十、香……十香!!」

 

 精霊・夜刀神十香。完全なる紫紺の鎧を身に纏い、感極まる士道の前に彼女は現れた。

 半信半疑の可能性。けれど、士道は迷うことなく伝えられたやり方を貫き通した――――ああ、十香が、生きていた。

 

「ああ、私だ。シドー……お前から名を貰った、十香だ」

 

「っ……ああ、ああ!!」

 

 十香の言葉に何度も頷き、涙ながらにその姿を見る。

 生きている。生きていてくれた。諦めることのなかった士道と狂三の前に、十香は想いに応えるように立ち上がったのだ。

 

「……【三の弾(ギメル)】。内的時間の加速――――視えていたのかい? 十香が生きていることが」

 

 と、一矢報いられる形になった澪が、狂三へ向かって声を発した。狂三は、澪に対し肩をすくめながら答える。

 

「わたくしなりの直感、ですわ。あの子の意識が澪さんに干渉している以上、同じ(・・)十香さんの意識が存在している可能性に行き着くことは必定。ならば、答えは自ずと見えてくるものですわ」

 

「ほう……」

 

「わたくしからすれば、たかが分身の一人に今さら踊らされる澪さんのお姿は、まさに傑作でしたけれど」

 

 煽るように挑発的な笑みを浮かべ、軽く腕を振り投げ打たれた分身を影へ戻していく。その分身も、澪を小馬鹿にするような微笑みを浮かべている辺り、『狂三』は狂三らしいと士道は十香と苦笑を零した。

 だが、事実その通りなのだ。千変万化の〈贋造魔女(ハニエル)〉があったとはいえ、分身は狂三の戦術における初歩中の初歩。あの令音と同一である澪が、よりにもよって狂三の分身戦術を失念していた、など士道にとっても信じられなかった。

 

「……未来視に気を取られて、君の本質を見誤っていたようだ。君の資質は、その強かな精神にある。狡猾、と言い換えるべきかな?」

 

「きひひひひッ!! 澪さんの貴重な負け惜しみとして、受け取って差し上げますわ」

 

「……ああ、そう取ってもらって構わないよ。難儀な話だ。真っ先に排除すべき親愛なる友を、最後に残さなければならない――――だとしても、結果は変わらないがね」

 

 反省した素振りを見せながら、狂三の皮肉へ対応するように返す澪。

 士道は、そんな澪を見て眉をひそめる。今まで、何をしても余裕の態度を見せていた澪が、どこか対応や返答を変えている……そんな気がしてならなかったのだ。

 しかし、未だ戦いを止める気配など微塵も感じさせず、澪は視線を狂三から十香へと移し、声を発した。

 

「……そして――――十香。やはり、君か。……ああ、そうだろうね。もしも私に立ち向かう者がいるとするなら、それはきっと君だと思っていたよ」

 

「何……?」

 

 言葉への疑問から、士道は訝しげに声を返す。同時に、ある一言が思い起こされる。

 

 ――――少なくとも、狂三ではなかった。

 

 そうだ。澪はあの時から確信していた。狂三ではなく、十香を見ていた。もっとも自分を脅かす時間遡行を持つ狂三ではなく、可能性は十香にあると。

 その理由を知っているように答えたのは、他ならない十香だった。

 

「詳しくは私もわからないのだが……私は――――皆とは違う精霊らしい」

 

「違う……精霊?」

 

 新たな疑問に、今度は澪が答える。どこか、感慨深さを感じさせる声音で。

 

「……私は自分の力を十の霊結晶(セフィラ)に分け、人間に与えて精霊を造った。……けれど何の因果か、その霊結晶(セフィラ)の中に一つに、自我が芽生えてしまったのさ――――あたかも、私が生まれたその時のようにね」

 

「っ、まさか、それが……」

 

「……シン、君も――――いや、君たちも気づいていたのではないかな? 他の精霊と、十香、そしてあの子の差異に。他の精霊が持っていて、二人が持っていなかったものに」

 

 何を、と言いかけて、士道は飛来した思考に肩を揺らした。

 十香と白い少女。他の精霊にあって、二人が持っていなかったもの――――――

 

 

「――――名を、持ち合わせていなかった。わたくしと出会ったあの子も、そうでしたわね」

 

 

 そう。十香と出会い、狂三の過去を視た士道は知っている。二人は精霊たちの中で特異な例外として、名前を持っていなかった(・・・・・・・・・・・)のである。

 あって当然のものがない、その違和感。十香は名を得て、白い少女は当人が気にする素振りを見せずに風化させていった。今ここで、忘れ去っていった二人の共通点が結びついた。

 

「…………」

 

 狂三が告げた事実を知ってなお、十香の目に迷いはなく、動揺もなかった。それを既に、知っていた(・・・・・)かのように。

 迷いの全てを振り切りながら、十香は鋼鉄のように硬い意志を言葉に乗せた。

 

 

「――――困惑は、ある。名を持っていなかったことに苦しんだことも、ある」

 

 

 名は、他者に〝自分〟を示す大切なものだから。

 

 

「だが私は今、その事実に感謝している。私は、名を持っていなかったから、シドーに名を付けてもらうことができた。私は、人間でなかったから、こうしてシドーと狂三の前に立つことができた!!」

 

「十香――――」

 

 

 気高き決意と、覚悟。そこには、名を持たず彷徨う悲しき精霊の姿はなく――――ただ一人、夜刀神十香という絶対的な仲間の姿があった。

 感極まるとは、まさに今の士道のことを言うのだろう。力が全身へ行き渡り、みなぎっていく。それは狂三も似たようなもので、お互いに頷いて十香と並び立つ。

 十香もまた、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構え――――油断こそすることはなかったが、ふと狂三へ声を発した。

 

「そうだ、狂三――――通りすがりの人から、言伝を預かってきた」

 

「……え?」

 

「……っ!!」

 

 狂三は一度言葉を失ったように反応が遅れ、澪は(・・)、本気で驚いているのか息を呑んだ雰囲気が伝わってくる。かくいう士道も、驚きながら十香の言葉に反応を示す。

 

「通りすがりの人――――〈アンノウン〉から……!?」

 

「うむ。何やら自分は消え損ねた残滓、のようなことを言っていたが、そやつから狂三へ――――最後まで共にいれなくて、ごめんなさい。あなたの幸せを願っています、と」

 

「――――――」

 

 なんだ、それは。伝える十香も、剣の柄を握りしめ何かしらの感情を押さえつけている。恐らく士道と、同じだけの感情を。

 死んだことへの後悔でも、自らの死に対する言葉でもなく――――死を受けて入れて、狂三との約束を完遂できなかったことへの謝罪を、伝えたかったと?

 

「あの……子、は……っ!!」

 

 もっとも言いようのない感情の渦に呑まれようとしているのは、誰でもない狂三だった。

 自らを律するように吐き出し損ねた、白い少女に今の狂三(・・・・)が伝えたかったはずの何か。

 『時崎狂三』は、悲願のために少女の命を見捨てることを良しとした。白い少女も、それを間違いなく受け入れていた。

 

 そうしてまで……狂三の代わりに死してなお、あの少女は狂三を想っている。自らを無くして、それでも消えかけた残滓でさえ、狂三の幸せだけを願っている。

 

「――――そう、か」

 

 もう一人、この場に別の感情を持ち合わせる者がいた。

 彼女は、澪は、どこか読み切れない感情の束を吐き出すように、紡いだ。

 

 

「……あの子が『私』になって、それでも――――狂三、君はあの子の愛を受けるんだね」

 

 

 それは、人で言う――――〝嫉妬〟。そのようなものに、数えられる気がしてならなかった。

 

「……なぜ君とあの子は出会ってしまったのか。かつての私の選択に、もう一つの後悔があるとすれば、知らずにあの子を君へ授けてしまったことかもしれない」

 

「あら、あら。女の嫉妬は、見苦しいですことよ」

 

「……君に、それを言う資格はないんじゃあないかな――――あの子を見捨てた、時崎狂三には」

 

 澪の言葉は、狂三の心へ突き刺さるものだろう。事実、士道しか気がつけないほどの微かな動揺が、狂三の顔に現れていた。

 けれど、士道は知っている。だから口を出すことをしない。

 『時崎狂三』ならば、澪の言葉を受け入れるしかなかった。だけど――――今の狂三は、絶対に違う。

 

 

「いいえ――――今の(・・)わたくしだから、言えるのですわ」

 

「…………」

 

「あなたを超えて、わたくしはあの子へ会いにいきますわ。何もかもが、わたくしとあの子には足りなかった。けれど、遅いなんてことはありえませんの――――わたくしのこの手に、〈刻々帝(ザフキエル)〉がある限り」

 

 

 そう、迷いという感情を見て見ぬふりするのではなく、迷いを振り切った時崎狂三は真っ直ぐに宣言した。

 『時崎狂三』は白い少女と分かり合うことはなかった。分かり合うことはできなかった。共犯者であっても、理解者であっても、それ(・・)だけは得られなかった。

 でも、今こうして、狂三が違う道を選べたのなら――――言えるはずなのだ。伝えられなかった、簡単な一言が。

 消えてしまったなら手遅れだと、人は言うだろう。しかし、狂三は違う。時の女王だけは違う。やり直せる(・・・・・)。それを背負う覚悟がある――――共に背負える、士道がここにいる。

 

 

「……不可能だよ。私が、この世界に立っている限り」

 

 

 それを不可能だと選定した神と見紛う少女は、細く息を吐き、両の手を天に翳す。

 応答して花のような天使が天へ、地から無機質な天使な大樹が顕現した。

 花開いた天使の名は『死』の概念を司る〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉。だが、空間を膨張させている大樹は士道が見たとこのないものだ。十香はそれを知っているのか、視線を鋭く声を発した。

 

「気をつけろ。あの天使は――――」

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉――――空間を小規模の〝隣界〟へと塗り替え、自在に法則を操ることができる天使、でしょう?」

 

「な、知っていたのか!?」

 

 こくりと頷いた狂三に十香は目を見開いて驚いているが、士道はその名を狂三から聞くのは二度目で、何となく理由を察していた。『狂三』から伝えられ、〝視た〟ということだろう。

 しかし、狂三が知っていることに対する驚きはないが、その天使に対する驚きは存分にあった。狂三の口からそんな理不尽な説明がなされると、なおのこと汗が滲むというものだ。

 

「……なあ、それって滅茶苦茶ヤバくないか?」

 

「滅茶苦茶ヤバい、ですわねぇ」

 

「ああ、ヤバいぞ。――――二人とも、諦めてしまったか?」

 

「まさか」

 

「諦めていたのなら、十香さんを起こしたりなどいたしませんわ」

 

 汗を拭う士道と、相も変わらず余裕な微笑みを浮かべる狂三。それを見て、十香は唇の端を吊り上げ――――地を踏み砕いた。

 

「うおおおおおお――――ッ!!」

 

 裂帛の気合と共に放たれる剣閃。三日月の衝撃波が澪へと迫っていく。澪は以前と変わることなく、それを受け止めようと手のひらを翳した――――が。

 

「……!!」

 

避けた(・・・)。何かに気づいたように、剣撃が触れる瞬間、逃れるように身体を反らす。

 鼻先を掠める剣閃――――士道たちは目を見開いた。

 

「な……!?」

 

 士道の驚嘆は、それまでの澪を考えれば当然のこと。澪が攻撃を避けただけに留まらず、十香の放った斬撃は、一部とはいえ澪の霊装を切り裂いた(・・・・・・・・・・)

 攻撃が、通った。それには狂三も、さらに攻撃を放った十香自身でさえも目を丸くしていた。

 

「おおっ!? やったぞシドー!! 攻撃が通ったぞ!!」

 

「あ、ああ!! けど、どうして……」

 

 ほんの擦り傷。だが、その擦り傷はありえないものだった。精霊たちの全力の攻撃、攻勢は、ただの一度もその障壁を打ち破ることは叶わなかった。

 それを、十香が放った霊力の斬撃。それも【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】すら無しに、澪に回避という択を取らせて見せたのだ。喜ぶな、という方が無理な話だ。

 だがどうして……そんな疑問もまた、当然のように浮かんだ。

 

「これは、この力は……」

 

「……!!」

 

 小さく驚きを顕にして呟いた狂三を見て、士道は変化に気づく。狂三の左目の時計が、幻覚のように恐ろしい速さで回転していた。

 いいや、幻覚などではない。確かに回転している。まるで、十香の力を〝観測〟した〈刻々帝(ザフキエル)〉が、新たな未来(・・・・・)の事象を測定しているかのように。

 

「狂三、十香!!」

 

「ええ」

 

「うむ!!」

 

 このチャンスを逃してはならない。士道の呼び掛けに、二人はそれぞれの武器を構えて澪を見据える。

 圧倒的な力を持つ始源の精霊。それに傷を付けられる十香。理由はわからないが、これこそが蟻の一穴になる。漠然とそんな考えが浮かんだ。

 士道以上に、狂三がそのことに気づいているのは言うまでもないだろう。十香、士道と並び立った狂三は、今一度チームを纏めあげるように声を発した。

 

「アタッカーは十香さん、あなたですわ。必要な時はわたくしが指示とフォローを行います。十香さんは迷うことなく全力で、本能の赴くままに暴れてくださいまし。どのようなことがあろうと、わたくしは必ず十香さんに追いついてみせますわ」

 

「よし、任せろ!!」

 

「士道さんはわたくしと十香さんのサポートですわ。惜しみなく、応援(・・)と参りましょう」

 

「よっしゃ!!」

 

 拳を手のひらに叩きつけ、士道は己の中にある霊力を一気に練り上げる。気合いも想いも、十分すぎるほどみなぎっていた。

 

「……なるほど。これは、少々厄介なようだ」

 

 微かに表情を動かす澪。未だ焦りの色は見られないが、それでも余裕の一つは崩すことが叶っているようだ。視線に確かな警戒の色を以て、澪は声を発した。

 

「――――失礼をした、十香。既に君の力は、狂三の眼と同列に扱うべきだと判断した。全霊を以て、シンを君たちから奪い取ろう」

 

「そうはさせん!! シドーは――――」

 

「させませんわ!! 士道さんは――――」

 

 全く同時。歴戦の相棒のように叫び、動きすら共に地を蹴った二人。

 

 

士道は(シドーは)わたくしたちのものですわ(私たちのものだ)!!』

 

「へ……っ?」

 

 

 その予想外の言葉に――と、珍しい呼び方に――一瞬思考を停止しかけたが、そんな場合じゃないと思い直して、為すべき役割を全力で全うするべく天使を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 目にも留まらぬ超神速の斬撃。如何に【一の弾(アレフ)】の力で速くなろうと、先程までの十香であれば取るに足らない攻撃。

 しかし、剣の天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の剣撃は、澪の防護と霊装を切り裂くに足る力を得た。その閃きは、真の意味でこの世のあらゆるものを切り裂くことができる。

 

「……そうか、これは」

 

 光の帯を操り神速の剣撃に応戦する澪には、この驚異的な力の出処がわかっていた。

澪自身(・・・)だ。もっと正確に事を把握するのであれば、澪と、他の精霊たちの霊力。脱出の際、それらを少しずつ奪っていったのだろう。

 それによるイレギュラーは、澪を傷つけるだけに留まらない。十香は澪の霊力を保有している――――逆説的に、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉による縛りを受けることはない。

 精霊を殺し得るのは、精霊。始源の精霊を脅かし得る力もまた、始源の精霊から力を得た存在ということだ。

 

「……よもや君が、私の力を奪うとはね」

 

 誰にも聞かせることはない小さな独白。苛立ちと、不可思議な思いが綯い交ぜになった言葉。

 他の精霊と異なる生まれを持つ十香――――澪とあの子以外に存在する、純粋な精霊。

 澪と同じく無から生じ、澪と同じく名を持たず――――士道(シン)と出会ったことさえ、同じ。

 あの子とは、またベクトルが異なる澪の写し身。それが夜刀神十香という少女なのである。

 澪と同一存在であるあの子は、澪の中へ還った。けれど、その心は未だ狂三のためにある。そして、もう一人の写し身は澪の力を使い、澪の前に立ち塞がっている。

 運命の巡り合わせ。澪が紡いだ世界は、彼女たちの運命を結びつかせた――――この想いは、何と例えるべきなのだろうか。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉――――【枝剣(アナフ)】」

 

 激しい気合いと共に振りかぶられた剣を、虚空より呼び寄せた〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝で受け止める。

 どんな剣をも上回る天使の枝……けれど、受け止めた十香の剣は、この【枝剣(アナフ)】でさえ重みを感じさせる。

 澪の力を奪い取り、士道から〈破軍歌姫(ガブリエル)〉での集中支援。よもやこれほどとは――――だが。

 

 

「――――貫け、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 十香が扱っているのは、澪の力の一端でしかない。

 唱えた澪に従い、周囲の空間が歪み、そこから幾本もの〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の『根』が十香へと迫る。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の法は通じない。しかし、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉そのものである『根』で貫かれれば、今の十香といえども無事では済まない。

 

「……ッ!!」

 

 切り結んでいた枝から弾かれるように飛び退き、『根』を振り払う。だが〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の刃をもってしても、『根』は鞭のようにしなると執拗に十香へ追い縋る。

 

「……逃がさないよ」

 

 手を掲げ、複数の『根』を十香の身体目掛けて伸ばし切る――――完全に捉えた。

 十香の直感は、『根』がどのようなものかを理解しているはずだ。そして、この『根』が避けられないものだとも。けれど、その顔に動揺はなく、焦りも現れていない。

 何故か。それは、『根』に向かって放たれた黒い銃弾(・・・・)が理由を明確にした。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【七の弾(ザイン)】」

 

 法を犯す、絶対時間の力。全く別の動きを伴う『根』の挙動を完璧に読み取った狂三の、正確無比な連続射撃。

 狂三の力もまた、十香と呼応するかのように引き上げられている。その瞳で観測した力の全てを、影の領域に引きずり込まんとするかのように。

 

「――――【枝剣(アナフ)】」

 

 だが、澪とて負けるつもりはない。見事窮地を退けて見せた十香へ、追撃の枝を伸ばし刃として迫らせた。避けられることを想定しての攻撃だ。超神速で澪の周囲を駆ける十香へその刃は合わせるように迫り――――刹那、十香の動きが揺れる(・・・)

 

「……!!」

 

 否。揺れたのではない。遅くなった(・・・・・)。超神速から、鈍足の世界へ。十香の動きを予測して貫かんとしていた枝が、それによって狙いを逸らされ虚空を凪ぐ。

 

「はあああああッ!!」

 

 次の瞬間、鈍足だった十香は空中で再び超加速し、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を澪へ直接叩きつけにくる――――既のところで、新たに伸ばした枝で剣を受け止めた。

 

「く……!!」

 

「っ……」

 

 互いに顔を歪ませ、力は拮抗する。

 これは、危険だった。一瞬遅ければ、十香の刃は澪に届いていた。援護した狂三も、恐らく届くと〝予測〟していたのか、構えた銃口の裏で僅かながら顔をしかめているのが見て取れる。

 今のは――――【一の弾(アレフ)】を打ち消すほどに込められた、【二の弾(ベート)】の停滞の力か。

 ほんの一瞬、十香の動きを鈍らせ、澪の攻撃を空振りに終わらせる。しかし、【二の弾(ベート)】には運動エネルギーを保持する性質がある。そのため、一瞬あとには超神速の十香が再び澪を襲うという算段。

 

「ぬお……っ!?」

 

「…………」

 

 見事な連携だ。十香を一度力技で弾き飛ばし、狂三を一瞥する。

 十香と狂三は、能力上の相性(・・・・・・)がいい。これは、幾度かの戦闘で二人が組んだ事例から周知の事実といえる。

 単純明快であり精霊屈指の破壊力を持つ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。

 複雑怪奇であり精霊屈指の利便性を誇る〈刻々帝(ザフキエル)〉。

 完璧に使いこなすが故に、両者が互いにないものを理解し、与え合うことができる。

 ――――いや。今十香と狂三を繋いでいるのは、そのような理屈ではないのだろう。

 

『……!!』

 

 僅かな仕草と、一瞬にも満たない視線の交差。それだけで、互いが何を求めているかを手中に収める。

 並大抵の技術ではない。お互いの信念が繋がり、高め合う(・・・・)。自分たちの優れている部分へ追いつけるよう、相手を成長させる(・・・・・)

 狂三の瞳が進化し続けているように、十香の神がかった獣の本能、直感と表現するべきそれが、未来予知の領域へ引き上げられる(・・・・・・・)

 

【――――――!!】

 

 二人の精霊――――その中心で結びつくのが、澪が目を向けた士道という少年なのは、全く因果な話があるものだと無意識に笑みが零れた。

 たった三人に、澪が圧され始めている。だが、同時に確信した――――狂三の未来予測は、まだ澪を捉えきれていない(・・・・・・・・)

 

「……〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 『根』を再び召喚し、十香へ。当然、狂三はその軌道の全てを見切り、十香の道を開く――――それが狂三にとっての最大の隙となる。

 

「……そこだ」

 

 前もって狂三の死角に仕込み(・・・)を入れていた。十香への攻撃と同時に、それを起動させる。

 狂三の数少ない欠点は、その身体能力だけは精霊の中でも特異ではないことにある。それを補うための分身が澪という圧倒的な暴力に意味をなさない以上、如何に彼女といえど、自らに対する警戒が遅れざるを得ない状況で、死角からの攻撃は避け切れるものではない。

 空間が歪み、狂三の背後から『根』が高速で伸ばされ――――次の瞬間。

 

「狂三!!」

 士道が突然、狂三の背後を庇うように躍り出た。

 

「士道さん!?」

 

「……っ!!」

 

 驚いたのは狂三だけではなく、澪もだ。微かに肩を震わせ、咄嗟に『根』の軌道を二人を囲い込む形に修正する。

 もとより、狂三を深く傷つける気はなかった。それに、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を持つ士道は狂三以上に死なない保証がある。そのために、澪は治癒の力を持つ〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を最初に託したのだから。

 でも、出来なかった。澪に士道を傷つけることなど、不可能に等しい。あの子(・・・)が狂三を傷つけることが出来ないように、澪も士道を傷つけることは出来ない。

 そしてよりにもよって、この瞬間――――澪の脳裏には、三十年前に見た最悪の光景が過ぎってしまったのだ。

 

「……く――――」

 

 その苦しみから表情を歪めながらも、澪は『根』を操り狂三と士道の身体をまとめて遠くへ投げ飛ばす。

 

「うわ……っ!?」

 

「ち……!!」

 

 声を上げて二人が地面へ転がっていく。これで数瞬、十香に届けられる強力なサポートは封じ込められた。

 しかし、予想だにしない動きを強いられた澪の思考に、僅か一拍の隙が生まれる。

 僅か一瞬。だが、されど一瞬。今の十香にとってこの一瞬は、最大最高の好機足りえた。

 

 

「――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 

 天使を謳い、踵を地面に叩き付ける。応じるは、女王の証である巨大な王座。モノクロの世界を犯す、女帝の座。

 ――――【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】。

 極限にして最強。必滅にして究極。澪を除く全精霊の中でも、突出した火力を持つ研ぎ澄まされた一撃。

 決めにかかるなら、それしかないだろう。以前の十香ならいざ知らず、今の十香が振るう究極の一は澪を滅ぼす可能性を秘めている。

 

 

「〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉――――【蕾砲(ヘネツ)】」

 

 

 だからこそ澪は、読み取った動きに対する切り札を切る。

 突き出した両手に、手の平大の球体を呼び出し、花開いたその中心から『死』の光を放った。

 極死の蕾。『死』の礫とは比べ物にならない威力を誇るそれは、霊力の加護で無視できるものではない。

 切り札となる最強の一撃。それ故に重大な欠点を抱えている。攻撃までに展開を必要とする、そのプロセスこそが唯一の隙。

 王座を呼び出し、分解し、剣に纏わせ、振り上げる。

 狂三の時間加速による恩恵を受けられるのは、十香のみ。新たに呼び出された天使は、また新たに撃ち込まれた銃弾がなければ、超神速の十香が求める速度についてはこられない。

 澪が狙ったのはその乖離し無防備になる状態。狙い通り、十香は王座を分解し、そして――――――

 

 

「――――【(レートリヴシュ)】!!」

 

「……なに?」

 

 

 澪の知らない名が轟き、思わず眉根を寄せた。

 剣ではなく、全身に(・・・)天使を纏う。その様は城を護る騎士の鎧を思わせた。

 それをもってして、十香はすんでのところで〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉の光線を避けてみせる。

 四糸乃の【凍鎧(シリヨン)】を思わせる十香の新たな(・・・)姿。

 天使の権能は一つではない。属性の違いはあれど、力の発現は霊結晶(セフィラ)の所有者に委ねられる。そして、その者の意志によっては、霊結晶(セフィラ)は新たな輝きを放つことがある。

 澪の想定を超える可能性――――狂三がそうであったように、十香また同様の感情(・・・・・)によって天使を変質させた。

 

「な――――」

 

「はあああああああああああ――――ッ!!」

 

 金色に輝く王座の鎧を身に纏い、力と超神速を以て〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の『根』と『枝』を難なくすり抜け、十香は澪へと肉薄する。

 全力の一刀。避けられるはずもなく、受け止められる速度ではない。袈裟懸けに切り払われたそれによって飛び散る――――鮮血。

 

 

「――――――」

 

 

 痛い――――あの子と同じ、痛み。そんな単純な痛みが、霊装を切り裂き、傷つくことのなかった澪の肌を赤く染め上げる。

 衝撃波が叩き付けられ、裂傷から血が吹き出す。

 嗚呼、そうだ。澪があの子と違えるしかなかった感覚――――本来あるべき、痛み(・・)。それを今、生まれて初めて感じ取った。あるべきものを知らなかった澪に、初めて痛みを与えたのが、自分の娘であり分身とも言うべき存在。

 些か、出来すぎた因果だ。奇妙な感動と陶酔感に満たされる――――右手を、前に突き出す。

 

「……見事だ、十香」

 

 この上ない喝采を。十香の気高い心は、仲間が殺されても、自分が取り込まれたとしても、折られることはなかった。

 

 

「……その気高き心に、想いに、最大限の敬意を表する――――私も、それに応えよう」

 

 

 存在するが故に、逃れられないものがある。

 天も、地も、等しく無意味。

 

 それを、唱える。

 澪が持つ最後の天使――――唯一、純粋な姿であの子と全てを同じとする、天使の名を。

 

 

 

 

「――――〈   (アイン)〉」

 

 

 

 

 瞬間。

 

 『無』が、世界を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!!」

 

それ(・・)は、光と表現することしかできないもの。

 十香が王座を纏い、澪へ斬りかかった――――そうして、世界は光に包まれた。

 

「十香……っ!!」

 

 澪によって吹き飛ばされていた士道は、目を覆い十香の名を呼んだ。祈るように、そうすることしかできなかった。

 十香の一撃は、確かに届いていた。士道にはその確信があった。十香ならば、という気持ちもあったが、光が溢れる一瞬前、士道は〝観測〟した。同時に、士道を支える狂三も――――――

 

 

「――――――」

 

 

 士道のように目を覆うことすらせず、瞠目したその瞳で〝観測〟していた。

 狂三には、わかっていたのだろう。この光の意味(・・・・・・)が。

 

 数秒か、数分か。士道が目を開けた先には、澪の姿があった。霊装を切り裂かれ、身体を血で染め上げた彼女の姿が。

 

「……!!」

 

 シンとして感じる澪への感情。士道として感じる十香への賞賛。それが自身の中で混ざり合っているのがわかった。

 十香の刃は、澪を脅かすほどだった。その事実に凄まじい情動が押し寄せて――――致命的な違和感に、気がつく。

 

「十、香……?」

 

 十香が、どこにもいない。何が起こった。一体、この瞬間に何が――――――

 

 

 

「――――〈   (アイン)〉……」

 

 

 

その名(・・・)が、澪ではなく時崎狂三から零れ落ちたことに、士道は全身から総毛が立つ感覚を覚えた。

 知っている? 否、知らなかったはずだ。けれど、聞いたことはあった(・・・・・・・・・)。ただ、士道が認識できなかった(・・・・・・・・)だけで。

 澪は、狂三からその名が零れたことに対して、細く、長く息を吐いて、視線を向けた。

 

「……まさか、この天使さえも〝観測〟してしまうなんてね」

 

「っ、……『無』の、天使……」

 

 苦しげに、この世ならざるものを吐き出すように、狂三が左目を抑えて言葉を発する。

 無の天使。禁忌の名を、狂三は知った。狂三は観測した――――もたらす意味さえも、視た(・・)

 

「……そう。十香はもういない(・・・・・・・・)

 

「……何……、を……」

 

「無の天使〈   (アイン)〉は、あらゆる条理を無視し、全てのものを『消滅』させる。敢えて、もう一度言葉にしよう――――十香はもういない。この世のどこにも」

 

「――――――っ」

 

 十香は、消えた(・・・)。言葉にすれば、ただの一息。たったそれだけの事柄。でも、士道には上手く理解ができなかった。

 

 

「もちろん、十香が持つ霊力も一緒に消えてしまう。それに、狂三の予測領域をこれ以上広げたくなかったから、使うつもりはなかった……でも、あの十香を確実に仕留めるには使わざるを得なかったんだ――――奥の手を晒さなければならないほど、十香は私を追い詰めた。どうか十香を褒めてあげて。彼女は、君への想いだけで、自分の限界を超えてみせたんだ」

 

 

 ――――傷口が再生していく。

 掲げた手で傷を撫であげる。それだけで、十香の生み出した傷が塞がっていき、切り裂かれた霊装が再び濃密な霊力を伴って元の形へ戻る。

 そうして澪は士道から視線を外し、座り込む狂三へ見下ろすように視線を向けた。

 

「――――私の全ての天使を、狂三の予測領域に収めた。その事実は驚嘆に値する。だが、終わりだ(・・・・)

 

「っ、わたくしは……!!」

 

「君には視えているはずだ。この先の結末が、未来が」

 

 未来視とは、望む未来を引き寄せるだけではない。望まぬ絶望(・・・・・)を引き寄せる力でもある。

 幾度も、未来を目にした士道はそれが理解できる。一秒後に崩れ去る、自分たちの世界。足場さえ確かでない、未来の光景。希望と絶望は、表裏一体。

 今この瞬間、十香を失った狂三の瞳には、果たしてどのような絶望が浮かび上がっているのだろう。士道を失ってしまう――――どれほどの恐怖が、狂三を支配しようとしているのだろう。

 

「っ……、ぁ……」

 

 気丈な狂三が、両の足を挫いて、立てなくなるほどの絶望。人より先を知ってしまえる、おぞましい恐怖――――それでも狂三は、手に持った銃を手放すことなく、前を見ていた(・・・・・・)

 だから士道は、狂三の前に立つ(・・・・・・・)

 

「――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉」

 

「……」

 

 士道と狂三に勇気を示した十香の剣を構えて、澪の前に立ち塞がった。

 

「……無駄だよ。狂三の心は、たった今折れた。君がどう足掻こうと、結末は変わらない」

 

「いいや、折れてなんかない。仮に折れたとしても、俺がいる限り、狂三は絶対に諦めない――――だから俺も、諦めたりしない!!」

 

 士道は無敵の精霊に向かって、そう吠えてみせた。

 何も変わらないのかもしれない。振り出しに戻ってしまった。復活した希望さえ、打ち消されてしまった。

 それでも、諦めない。十香に、精霊たちに、誓いがある。決して、絶望を受け入れたりしないと――――狂三と二人で、ハッピーエンドを迎えてみせると。

 

 

「――――君たちの気高い魂に、賞賛を。でも、全ては無駄な抵抗だ。今の君たちに何ができる? 君が隙を作り、【一二の弾(ユッド・ベート)】で過去を変える? 確かに狂三の本質(・・)はあの弾にある。しかし、無意味だ。今の『私』が存在する以上、結果は何も変わらない」

 

「――――それでも!!」

 

 

 それでもと、士道は叫び続ける。

 

 

「それでも、結果は何も変わらない」

 

 

 それでもと、澪は否定を続ける。

 

 

「――――え」

 

 

 そして、ありえない光景(・・・・・・・)に、狂三が声を発した。

 

「……何?」

 

 澪が訝しげに眉根を寄せる。モノクロの世界、崇宮澪の〝世界〟に生まれた、その光景。

 

 

「……ゆ、き?」

 

 

 雪が、降り注いでいた。

 

 そして、気づく。頭上から迸る()に。高熱を帯びた、雪と見紛うもの――――即ち、白い炎(・・・)が現れたことに。

 

 

「ぁ……」

 

 

天女(・・)は――――『天使』は、舞い降りた。

 

 かつて、士道と狂三は〝彼女〟を見た。たった二人だけの戦場で、〝彼女〟はあの瞬間、有り得ならざる力を纏い現れた。

白い炎(・・・)を纏いし和装。白い両翼(・・)。炎熱の帯さえも白く、特徴的な戦斧さえも白く、何もかもが白く――――唯一、その赤髪だけは見間違えるはずもなく。

 

 

「少し――――遅刻しちゃったかしら」

 

 

 女神が如き美しさを持った少女が、軽々と言葉を発する。

 まるで、デートに遅れてしまった時のような重さのそれは、士道を、狂三を、澪を、驚愕に落とすには十分すぎるものだった。

 

 

「――――琴里」

 

 

 それは、幾度となく聞いた村雨令音(・・・・)としての、呼び方だった、気がした。

 口元を緩ませた〝彼女〟は、白と黒のリボン(・・・・・・・)で赤髪を結んだ――――士道の妹であり、狂三の友であり、令音の親友である五河琴里(・・・・)は、変わらぬ言葉を、希望と共に送り出した。

 

 

「さあ――――私たちの戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 

 




有り得なかった未来を引き寄せ、終局へ――――計画は止まらない。


ナチュラルに2万字超えました。ボリューミーな仕上がりになっていると嬉しいです。謎が明かされたような何なような。この道化者っぽい少女は久しぶりというか。文字通りの残滓なので、1番馴染みのある道化で再現されちゃったみたいです。天香ちゃんは王道ツンデレ……なの、か?

次回は少し過去を覗きましょう。白い炎を纏う琴里。その身に何があったのか。何が起こったのか――――計画とは何だったのか。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十三話『全ては我が女王のために』

「ぁ、が……っ、……!?」

 

 身体が、燃えている。

 肉体を引きちぎられる凄絶な痛みと、内側を駆け巡る灼熱による激烈な痛み。どちらがマシかと言えば、どちらも等しく地獄であろう。

 あえて幸運な一面をあげるのなら、明滅する視界によって少なくともここが天国ではないことがわかった、というところであろうか。

 あの世というものがあるのかは、齢十四の琴里にはわかり兼ねる。しかし、ここが天国でないというのなら、周りに広がる業火は地獄か――――否。

 

「っ……」

 

 横目から見える愛艦の残骸(・・)が、幽世の存在を否定している。

 ここは、現世だ。それも、澪によって地獄と化した(・・・・・・・・・・・)。何も変わっていなかった。目覚めは夢ではなかった証明。優しい幻想などありはしない。

 

「……どう、し、……て?」

 

 ならば、なぜ琴里は生きている。苦しみながら息を吐き、返されることのない疑問を浮かべた。

 生きている者など、いない。現に、琴里だって自分が死んだと思っていた。霊結晶(セフィラ)を抜き取られて、生きているはずがないのに、どうして琴里の身体は燃えている(・・・・・)

 

 なぜ――――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の炎が生きている。

 

「あら――――思いの外、早いお目覚めでしたわね」

 

「!?」

 

 疑問に答えるものなど、いないはずだった。だが、その声は幻聴などではなく、確かに琴里の耳に届き、鼓膜を震わせた。

 見開いた目を必死に声がした方向へ向けると――――彼女は、いつものように超然と微笑んでいた。

 

「狂、三……!?」

 

 瓦礫の上に座るその姿さえ、悔しいくらいの美しさがある。足を組みかえ、手のひらで顔を支えながら、狂三は、メイド服(・・・・)を着た狂三は、琴里の驚きを容易く受け止めてみせた。

 

「うふふ。このわたくしが身を粉にして働いてみせたのですから、目覚めないなどありえないことでしたわ。おはよう……という時間でもありませんが、ご気分の程はいかがかしら、琴里さん?」

 

「なん、で……ぐ……っ」

 

 身体を起こそうとして、身体の中で暴れ狂う炎に諌められ顔を顰めた。

 荒れ狂う再生の炎は、琴里の意志を無視して体内を焼き尽くしている。相変わらず荒っぽい治療法だが、おかげでどうにか声を発する喉は元に戻りつつあるようだ。それに、動くには至らないとはいえ、四肢も完全に元の形を維持していた。

 

「命が惜しくば、迂闊に身体を動かすべきではありませんことよ。まあ、動こうと考えて動けるようであれば、琴里さんは死にかけていないのでしょうけれど」

 

「……皮肉を交えないと、何も喋れない頭でもしてるわけ?」

 

「あら、あら。それだけ憎まれ口が叩けるなら、もう心配はいりませんわね」

 

 くすくすと笑うその様は、とてもではないが琴里を心配していたとは思えなかった。もはや懐かしささえ覚える狂三の対応に、出るため息を抑えられない。

 とはいえ、自分の状態が半死半生なのはよくわかる。大人しく、寝かされていたストレッチャー用のマットに身を委ね、狂三へ視線を向けた。

 訊ねるように向けたそれは、聡い狂三が相手だ。正しく伝わったのだろうことが、彼女の表情から読み取れた。

 

「ふむ……どの道、琴里さんの再生まで時間がかかりますわ。わたくしの口で、何を語ってほしいんですの?」

 

「全部よ」

 

 迷わず断定する。

 

 どうして、琴里だけが生き残っているのか。

 

 どうして、琴里の中に精霊の力が残っているのか。

 

 この分身は――――一体何者なのか(・・・・・・・)

 

 何もかもが、今の琴里には理解の外であった。迷うことのない口調の琴里に、狂三は僅かながらの苦笑を混じえて返した。

 

「さすがは士道さんの妹君。欲張りな方ですこと。それでは、まず琴里さんが生き残った理由について。主な理由は、三つ」

 

 戯けるように三本の指を立て、狂三は続けた。

 

「一つ。始源の精霊が扱った『死』の天使。逃れ得ない死から、琴里さんを守った直接的な要因。こちらは、察しがついているのではなくて?」

 

 立てた指を一本に変え、狂三は琴里のある一点を指す。導かれるように手を動かし、ボロボロになった軍服の胸ポケット――――肌身離さず持っていた〝それ〟を握り、呟いた。

 

「……あの子の、お守り(・・・)

 

Exactly(イグザクトリー)。あの子の分霊ともいえる力を宿した宝具。それによって、琴里さんは『死』の概念を免れた、ということですわ」

 

 そのお守りは、狂三から士道へ託され、そして琴里へと行き渡った曰く付きな代物だった。大元は、あの少女が琴里を盤上から落とさぬように(・・・・・・・・・・・)という理由によって、根回しの末に託された。

 宝具、とは言い得て妙であり、的を射る表現だった。

 天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉――――『死』の天使〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉と同じ性質を持つ、かの天使。その力を宿した、まさに宝物じみた奇跡のお守りだ。

 この力がなければ、琴里も皆と同じく死の概念に呑まれていたはずだ。だが、これを肌身離さず持っていたことで、放たれた『死』という概念(・・)を、防いだ。言うなれば、対消滅させ琴里を救ったのだ。

 

「無論、力の規模は始源の精霊が圧倒的に上。多少の加護では、死から逃れられるものではありませんでしたわ。それゆえ、琴里さんの中に力の全てを溶け込ませ(・・・・・)、再生の範囲内へ抑え込んだ。しかし、再生の天使を失ってしまっては、それも意味を失うこと」

 

「そうよ。私は確かに、霊結晶(セフィラ)を奪われた……」

 

 あの一瞬の感触は、脳裏にこびりついて離れない。琴里の死は、確定した事項だった。

 けれど、琴里の心臓は動いている。手を当てれば、強い鼓動がその手を揺らし、這い廻る炎は止まることをしない。

 狂三は頷き、あくまで事実を否定はせずに二つ目の指を立て、続けた。

 

「二つ目の理由。霊結晶(セフィラ)を奪われたその瞬間、死に至る琴里さんの身体を随意領域(テリトリー)で保護した存在がいたんですわ」

 

随意領域(テリトリー)……?」

 

顕現装置(リアライザ)によって発現する、特殊領域。用途は様々だが、肉体の保護なども可能ではある。

 だからこそ、疑問は随意領域(テリトリー)そのものではない。誰がそんなことをしたのか(・・・・・・・・・・・・)、だ。深く切り込むのであれば、誰がそのようなことを可能としたのか。

 〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉による死の光を受けて、それでもなお琴里を守れるものなど――――――

 

 

「あ……」

 

 

 可能性を閃き、琴里は思わず声を零した。そして、告げる。唯一、可能性を持っている者を。

 

 

「――――マリ、ア……?」

 

 

人ではないが故に(・・・・・・・・)、ほんの僅かな時間だとしても、電子の海にて死から逃れ得た者の名を。

 驚嘆に打ち震えた琴里に、狂三は深く首を倒した。

 それはきっと、死を悼む者の顔だった。

 

「そう。マリアさんが自らの意志を振り絞って生み出した随意領域(テリトリー)は、たとえ数えられるほどの時間であっても、溶けたあの子の力と共に琴里さんを生きながらえさせた。僅かな生存の可能性を信じて、マリアさんは決断した。誇るべきですわ――――艦が、司令官であるあなたを生かしたことを」

 

「っ……」

 

 目の奥が炎では熱を帯び、顔を歪ませて閉じた目から涙が零れ落ちる。

 死の光を受けて、〈フラクシナス〉という肉体を失って、電子の海にある自身の(データ)までも滅びゆくその瞬間――――マリアは、最後まで乗組員(クルー)を生かすためだけに死力を尽くした。

 ごめんなさい。あなたを守ることが出来なくて。そして、

 

 

「……あり、がとう――――っ!!」

 

 

 最後まで自らの意志を貫き通した彼女の『愛』へ、敬意と感謝の念を送る。

 燃え盛る残骸と成り果ててもなお――――琴里の中に、勇猛なる空の覇者は生きている。

 

「さあ。天命などではない、意志によって引き起こされた奇跡によって、わたくしはあなたに〝託す〟ことができた。それこそ、琴里さんが生存した最大にして三つ目の理由」

 

「……!!」

 

 三つ指を立てた狂三がスカートを翻し、琴里へと歩み寄る。その指で、琴里の心臓部を押して、ニヤリと口を歪ませ、奇跡(・・)を起こした理由を放った。

 

 

「簡単な話ですわ。奪われた霊結晶(セフィラ)――――その代わりとなる霊結晶(セフィラ)を、新たに埋め込んだ。それだけですわ」

 

「――――は?」

 

 

 あまりに、理解の範疇を超えた回答に、素っ頓狂な声が零れる。言葉にならない声というものがあるのなら、琴里が発したものはそれであろう。

新たな(・・・)霊結晶(セフィラ)。意味は、わかる。失った心臓に代わる心臓を、という滅茶苦茶ながら単純な理屈。それでいて霊結晶(セフィラ)の特異性を考えれば、非常に理にかなったやり方。

 それで、琴里が助かったという。理屈は存在している――――道中が転げ落ちているため、納得などできないが。

 

「……あなた、分身じゃなくてオリジナルだったりするの?」

 

「何を寝ぼけたことを仰っていますの。大体、仮の話であれ『わたくし』の霊結晶(セフィラ)を琴里さんへと託すなど……わたくしのご主人様(・・・・)が琴里さんになるなど、ゾッとしませんわ」

 

 ああ、この憎まれ口は間違いなく狂三の分身だ、と琴里は奇妙な感慨と安心感を抱かずにはいられなかった。

 ようやく服装と似合う発言が飛び出したのはともかく、なおのこと琴里にこびり付く疑問は晴れない。

 

「だったら、一体誰のものを……」

 

「あら、異なことを仰いますこと。琴里さんの身体に溶け合う(・・・・)ほど、深く刻まれたモノを考えるのなら、適合に叶う霊結晶(セフィラ)などただ一択。謎掛けにすらなりませんわ」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。確かにそうかもしれないけど、あの子(・・・)霊結晶(セフィラ)は令音に……!!」

 

 そう。たとえ、琴里の身体に適合するその霊結晶(セフィラ)が存在していたとしても、琴里に埋め込むことは不可能なはずである。

それ(・・)は令音……澪の手で、真っ先に取り込まれた霊結晶(セフィラ)であるのだから。

 

「き、きひ、きひひひひひひひッ!!」

 

 そんな考えを抱いた琴里を、狂三は我慢の限界というように腹を抱えて高らかに笑う。

 その屈折した笑みに浮かんでいた表情の意味。それは――――観客を騙し切った手品師のようだった。

 

 

「そうですわ、そうですわねぇ!! 不可能なことですわ!! ええ、ええ。ありえないことですわ。ですが――――ありえてしまったのですわ」

 

「何を……」

 

霊結晶(セフィラ)を複製した? 霊結晶(セフィラ)を新たに生み出した? いいえ、いいえ。理由は至極、単純明快――――元から(・・・)、あの子の霊結晶(セフィラ)二つ存在した(・・・・・・)。この大掛かりな仕掛けは、そんな子供のような理屈でしたのよ」

 

 

 そういって、絶えず笑い続ける狂三に圧倒され、琴里は数秒の間言葉を発することができなかった。

 ああ、そうだ。あの子の出自は、誰も知らなかった。琴里の知る精霊は誰しも、例外なく一つの霊結晶(セフィラ)を共有している。

 だが、同じ霊結晶(セフィラ)二つ以上(・・・・)存在しないなど、誰が言っていた? 誰がそれを断定した?

 十に分けた霊結晶(セフィラ)――――そこに属さない白い少女の霊結晶(セフィラ)が二つあるなど、誰が予想できたことだろう。

 

「あの子は『わたくし』にのみ、力を譲渡(・・)することができますわ。けれどその間、あの子は力を振るうことが叶わない。あら、あら。おかしいですわ、おかしいですわ――――わたくしはあの時、あの瞬間、あの子と共に天使を纏い、存在していたというのに」

 

「あの時……っ!!」

 

 ぶわり、と。琴里の全身がその瞬間の記憶を呼び起こし、脳裏に浮かび上がらせた。

 あの時――――二亜を救出したあの瞬間、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉は二つ存在した(・・・・・・)

 少女の纏う者と、狂三が纏う者。力の譲渡によって可能となる、他の精霊が少女の天使を従える事例。時崎狂三(オリジナル)が行使する時間に、白い少女は同時に、同空間に姿を表したことは一度たりともなかった――――唯一の例外が、あの事件における一瞬の出来事だったのだ。

 

「答え合わせですわ。わたくしは、あなた方の前で、あの子の力を存分に振るうことが叶っていた。その理由は……」

 

「――――もう一つの霊結晶(セフィラ)の権限を、ずっとあなたに託していたから」

 

「き、ひひひひひ!!」

 

 狂気的な笑みと妖しく輝く紅と金色の瞳が、言葉の代わりに正解だと如実に告げる。

 

「存在が知れたのなら、これほど簡単な話はありませんわ。あとは、生き残った琴里さんに、あの子から託された霊結晶(セフィラ)を与えた。これが、あなたが生き残った全ての真相ですわ」

 

「あの子の霊結晶(セフィラ)が、私に……」

 

「そのとき、長年身体と融合していた精霊(ちから)の残滓が同調、増幅し、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の力が表へ押し出されたことは、意外ながら幸運な結果でしたわね――――この結果さえ、あの子は識って(・・・)いたのかもしれませんけれど」

 

 肩を竦め、付け加えるように狂三は言う。

 幸運な結果――――いや、そんな楽観的な偶然で片付けていいものではないと琴里は首を振る。

 琴里たちの知らないものを、少女は知っていた。〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手にし、望むものを識る(・・)力を手にしていた。

 そんな少女が導いた琴里の生存(・・・・・)は、偶然の一言で済ませられるものではない。

 

「あの子は……いいえ。あなたたち(・・・・・)は、何を考えていたの?」

 

「…………」

 

「聞かせてくれないかしら。あなたたちの〝計画〟を」

 

 次なる疑問は、白い少女とこの分身の関係。なぜ、こんな大切なものを琴里へ託そうとしたのか。一体、どこまで事態を予測していたのか。どうして、二つの霊結晶(セフィラ)を所持していたのか。

 目を細めて琴里の言葉に応えた狂三は、もう一度瓦礫の上に腰を落とす。

 

「……?」

 

 その時、狂三の仕草に乱雑な――――言ってしまえば、身体から力が抜けてしまった。そんな風に見える動きがあったような気がして、琴里は彼女らしくないと首を傾げた。が、狂三が何事もなく声を発し始めてからは、話に集中するため疑念は溶けて消えてしまった。

 

「わたくしでも、あの子の〝計画〟の全てを知っているわけではありませんの。お話することができることは、わたくし自身の想像が多分に含まれますわ」

 

「いいわよ、別に。多少の過大解釈があったって、今さら誰が何を隠してたとしても驚いたりしないわ」

 

 わざわざ何かに驚くことに労力を使う、ということに疲れ果ててしまった。令音が始源の精霊で、琴里は半死半生から九死に一生を得て奇跡的に生き返った。これ以上、何をどう驚けというのか。

 どっちみち、琴里の肉体はまだ再生の最中。話を聞く時間は残されているのだ。

 琴里の言葉にそれもそうですわね、と苦笑した狂三が続ける。

 

「わたくしは『時崎狂三』の分身。他の個体と差異は存在いたしません。ある一瞬(・・・・)の時間から生み出された、狂三という精霊の一人。違いがあるとするならば、分身であるが故に共犯者(・・・)ではなく協力者(・・・)であったこと」

 

「共犯者と、協力者……」

 

 白い少女にとって時崎狂三(オリジナル)は、もっとも優先すべき対象であり、狂三の悲願成就を願う――――道を同じとする共犯者。

 対して、この『狂三』は悲願成就までは同じながら、白い少女の〝計画〟の一部を担う――――秘密を抱えた協力者。

 

「あの子の霊結晶(セフィラ)は二つある。……ですが、それは全く質を同じとする(・・・・・・・・・)霊結晶(セフィラ)が、二つ存在しているというだけ。あの子一人では持て余すもの……あの子自身の身体も、当然含めていますわ」

 

「…………」

 

 琴里は無言で顔をしかめた。少女自身は隠したがっていたが、少女の肉体は通常の精霊のそれとは異なる。ある種、虚弱体質ともいえる状態。

 精霊の中で真っ先に保護すべき対象を選べ、となれば琴里は真っ先にあの少女を候補に挙げる。これは私情などではなく、少女の事情を知るものなら誰もが首を縦に振るものだろう。横に振るのは、それこそ少女くらいなものだった。

 同質の霊結晶(セフィラ)が二つ。しかし、持ち主はそれを活かすことができなかった。ソフトを動かすハードが、追従できるだけの強度を持っていなかったといえる。

 

「だからこそ分身の一人、つまりはわたくしに片方の天使の力を譲渡することによって、ただの分身であったわたくしを自在に暗躍させることが叶った――――それが、表向きの理由(・・・・・・)

 

 意味深な言い方に、琴里の眉根がぴくりと上がる。表向きの理由、つまり少女にとって力の譲渡は……。

 

「あの子には、あなたに力を譲渡した本当の理由があった、ってこと?」

 

「ええ。今の琴里さんを拝見して、わたくしの仮説が正しかったことが証明されましたわ」

 

「今の、私を見て……?」

 

 少女の霊結晶(セフィラ)を取り込んだ、琴里ということか。

 こくりと首肯をみせた狂三は、謎を解き明かす探偵のように得意げな顔で言葉を紡ぐ。

 

「まず、計画の中核――――『わたくし』の悲願の達成を目前とした状況。恐らく、ここがあの子にとっての分かれ目でしたわ」

 

「狂三の悲願。始源の精霊……いいえ、澪が生まれる過去を、『なかったこと』にする」

 

 その悲願成就の目前――――つまり、莫大な霊力を保有する士道との決着。

 

「あの子にとって、士道さんの存在は計画の前提。つまり、『わたくし』と士道さんを出会わせる、そこまでは計画の範囲内ということになりますわ」

 

「……でも、そこであの子にとって〝誤算〟が生まれた」

 

「そう。よりにもよって、殺し殺され(・・・・・)の関係であった二人は、互いを想い人としてしまった。それが過ちであったかどうか、それはわたくしには関わりのないことですわ」

 

 狂三の分身であるというのに、ドライな言葉を使う『狂三』。構うことなく、彼女は言葉を続ける。

 

「当然、あの子にとっては計算外の出来事だったことでしょう。士道さんの中に霊力を封印し続ける選択とは、皮肉なことに倒すべき始源の精霊と同じ手段でしたわ」

 

「けど、あの子は……」

 

「ええ、ええ。『わたくし』の想いを最優先とし、健気に付き従った……どうやら、あの子の計画は、『わたくし』の意志を最重要事項に置いていたようですわね」

 

 いつもの皮肉顔で胸元に手を当てる狂三――――その顔に、少しばかりの口惜しさが感じられた……ような気がした。

 

「ともかく、『わたくし』と士道さんは次々に精霊を封印。悲願成就へあと一歩――――同時に、『時崎狂三』が〝敗北〟する可能性も、現実味を帯びていましたわ」

 

「……あの子は、それが〝計画〟にとって最善になるかを探っていた」

 

「そのことがわかっていらっしゃるのなら、話が早いですわね。勝利と敗北。どちらの可能性も、あの子は予見せざるを得なかった。それは、あの子の霊結晶(セフィラ)使い道(・・・)に密接に関わっていることでしたから」

 

霊結晶(セフィラ)の……使い道?」

 

 自らの命と言っても過言ではない霊結晶(セフィラ)。それを少女は、使い道(・・・)として用意していた、ということ。

 事実、少女の懸念と期待通り『時崎狂三』は敗北――――正確にいえば、士道と狂三は互いの敗北を認めた。結果として、二つの霊結晶(セフィラ)は澪、そして琴里を生き長らえさせる使い道(・・・)となった。

 

 

「恐らく、これこそが〝計画〟の最終段階。なぜあの子が、わたくしへ霊結晶(セフィラ)の権限を譲渡していたのか。それは――――『わたくし』にその霊結晶(セフィラ)を託すため、ですわ」

 

「っ……狂三に、霊結晶(セフィラ)を……」

 

 

 息を呑む驚きと――――納得があった。あの子が命を賭して何かを為すのは狂三か……もしくは、折紙か。妥当といえば妥当であり、納得がいくもの。しかし、だからといって憤りを感じないわけではなかった。

 冷静な狂三は、なおも己の考察を言葉にして聞かせてくる。

 

「ただの譲渡ではなく、属性を染め上げる。〈刻々帝(ザフキエル)〉との完全同調を果たし、始源の精霊に対抗し得る力(・・・・・・)を『わたくし』に授ける。そのために、もう一つの霊結晶(セフィラ)をわたくしという『狂三』と接続することで、わたくしの色に染め上げた」

 

「完全、同調……」

 

「あの子の霊結晶(セフィラ)を受け取り、適合した琴里さんには、感覚で理解してしまえるのではなくて?」

 

 狂三は唇の端を上げ、フッと微笑み視線を向けてくる。応じるように、琴里は再び胸元に手を当て、意味(・・)を感じ取る。

 ――――わかる。霊結晶(セフィラ)を通じて伝わってくる。

 だが、わかるが故に、琴里は眉根を下げて声を返した。

 

「……けど」

 

「ええ、ええ。そうはならなかった(・・・・・・・・・)。本来なら、士道さんの霊力を〝喰らう〟ことに成功した『わたくし』に、時間を遡行し過去を改変する力としての一端を担うはずだった」

 

 そう。はずだった(・・・・・)。真剣な面持ちの狂三が表現したように、そうはならなかった。

 だから琴里は、こうして生きている。琴里が少女の霊結晶(セフィラ)を持っていることこそ、本来あるべき〝計画〟から外れてしまったこの証明なのだ。

 

「故に、あの子は〝計画〟に幾つかの分岐を備えていたのですわ。『わたくし』が悲願を果たす未来。士道さんの手を取り、そして仇敵である始源の精霊の横暴を許してしまう、今の未来――――どちらにせよ、あの子は自身の命を代用品(スペア)として扱うつもりでしたのでしょうけれど」

 

「そんなの……っ!!」

 

 無慈悲な物言いに琴里は感情的に声を荒らげて……狂三の顔を見て、止める。

 少女の決意に対する感情を、この狂三にぶつけたところで意味はない。そして、ぶつけようとも思えなかった――――狂三のその表情を見て、喚き散らせるほど琴里も子供ではなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

「なんのことですの。わたくしは、事実を申し上げただけですわ」

 

 そう言って、狂三は気丈に顔を上げてみせる。顔を伏せては、琴里に見えてしまうだろうその顔を隠すように。

 どれほどの想いが、あったことだろう。狂三は〝計画〟を悟っていた――――悟っていながら、少女を見殺し(・・・)にせざるを得なかったのだ。それはどれだけの、苦痛であったことか。

 人より知れてしまうことが、幸せとは限らない。人の死に纏わるものなら、尚更。

 

 

「さて、ここまで丁寧に説明して差し上げれば、もうおわかりでしょう? あの子は時崎狂三の代用品(スペア)として成り上がり(・・・・・)を果たした」

 

「そして――――もう一つ、あの子の色(・・・・・)を保有した霊結晶(セフィラ)を、私へ託した。澪への、最後の切り札(・・・・・・)として」

 

 

 ぱちぱち。と、正しい答えを見つけた生徒を褒め讃え、狂三が手のひらを叩く音が響く。

 本来、狂三へ託すべき色を変えた霊結晶(セフィラ)を己の裡に秘め、あの子は狂三の代わりに消滅した。

 もう一つは、どこかのタイミングでこの狂三へ託し――――霊結晶(セフィラ)を奪われた琴里を救うために、誰にも悟らせない伏せ札として存在させた。

 

「あの子、どこまで……」

 

 感服と畏怖の念を込めた言葉が、自然と琴里の口から零れ落ちた。

 こうなることを予測していた。言葉にするのは簡単だが……こうなること、とは、精霊たちの死(・・・・・・)を少女は予見していたことになる。

 それは、当然といえば当然の結実なのだろう。少女の数々の言動は、始源の精霊を知っていなければ説明がつかない。否、令音の言葉が正しいのであれば、知っていたのではなく、少女が始源の精霊そのものだったということだろう。

 ああ、だからこその異常。始源の精霊という死の運命を前にして、自らの命を厭わず使い(・・)、精霊たちを慮りながら――――

 

 

「――――これが全部、狂三のため(・・・・・)だっていうの?」

 

 

 愕然と目を見開いて、琴里は身体を震わせた。

 それはいっそ、狂気的(・・・)だ。本来の〝計画〟でさえ、狂三が悲願を果たせば澪と連なる白い少女のまた、消える。

 自分の命を必要がないと切って捨てる、その歪さ。狂三のために何もかもを犠牲にできる、崇宮澪の同一体。

 

 その全ての根源、言うなれば愛が、たった一人の少女――――時崎狂三のために、存在していた。

 

 

「あなたは、一体――――――」

 

 

 何を、望んでいたというの。

 

 もはや問いかけるべき少女は、いない。少女は自らの命を賭して、希望を残した。

 救いたい者たちは、琴里の他にもいたはずだ。琴里が特別だったわけではない。琴里を取り巻く環境(・・・・・・・・・)が、計画に適していたというだけのこと。

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉という生存に適した天使。琴里を救うために動ける周りの存在。少女の力を宿したお守りによって、琴里の肉体そのものが少女の霊結晶(セフィラ)に近しい色として、気付かぬうちに再構成されていたこと。

 それら全ての要素を計算に入れ、私情を抜きに少女は琴里を選んだ。

 

 そうだ、全ては――――――

 

 

「――――我が女王のために。あの子の、口癖でしたわね」

 

 

 込められた感情は、不思議とはっきりとはしていなかった。姿を隠す天使は、既に琴里の中にあるというのに。

 ゆっくりと、狂三は穏やかに……悲しげに、瞳を閉じた。

 

 ――――瞬間。

 

「――――っ!!」

 

 熱が迸る。炎が燃え上がる。身体の中が、魂が、激熱する。

 先程までの痛みを伴う炎ではない。まるで、ギア(・・)を入れたような肉体と力の噛み合い。懐かしい全能感が血肉を満たす。それでいて、極限まで冷えきった思考回路。以前までにはなかった、圧倒的な力の循環。自らの意思(・・・・・)で、制御ができる。

 そのことに驚きながら、琴里は身体を起こす。その動作も靱やかに行われ、つい数秒前まで動かすことが叶わなかった身体の変質にも驚愕して、思わず自分の手と身体へ視線を送る。

 

「これって……」

 

「あら、どうやら琴里さんの肉体が相応に馴染んだ(・・・・)ようですわ。少なくとも、その霊結晶(セフィラ)に込められた〝計画〟を果たせる程度には、ですけれど」

 

「……!!」

 

 狂三が示す通り、霊結晶(セフィラ)を通じて琴里の中に想いが伝う。

 言葉と、込められた想い――――琴里に果たしてほしい役割。

 

「これが、あの子の狙い……」

 

「〝計画〟の最終章、その一歩手前、といったところでしょうか。その分、最大の障壁が存在していますわ。賭けに等しい、あの子の願い。今一度、『死』の前に立つ覚悟――――あなたには、ありまして?」

 

 あくまで問いかけるように、意地の悪い夢魔が笑う。

 狂三の紅の瞳に、己の瞳が映る――――業火の如く燃える烈火が、自身の答えを映していた。

 

 

「拾った命の使い方を決めるのは私よ。けど、命の恩人に報いるのも悪くないし――――何より、喧嘩しなくちゃいけない相手がいるのよね」

 

 

 誰より、親友であった彼女と――――初めて本気の喧嘩(殺し合い)をしなければならないらしい。

 琴里の答えにニヤッと楽しげな微笑みを浮かべた狂三が、導くように右手を掲げ、芝居がかった口調で声を発した。

 

 

「よろしいですわ。さあ――――――」

 

 

 そうして、狂三が笑った、その刹那。

 

 

「……は?」

 

 

 狂三の手が、黒く変色した(・・・・・・)

 いいや、変色したなど生易しいものではない。狂三の扱う〝影〟を思わせる深淵の黒。それが狂三の手を染め上げていた。

 目を疑う光景は、狂三が目をぱちくりとさせ、煩わしげに黒く侵食された手を眺めたことで、決して錯覚などではないと思わされた。

 

「あら、あら。空気が読めない身体ですこと」

 

「あなた、それ……っ!!」

 

「ん、ああ……大したことはありませんわ。分身であるわたくしの、単なる生存限界(・・・・)ですもの」

 

 他人事のようにふざけたことを口走る狂三に、琴里は目を剥いて詰め寄りながら叫びを上げた。

 

「な、何よそれ!! なんでそんなことになるのよっ!!」

 

「なんで、と申されましても……。元々、分身体の身体は不安定ですし、寿命もたかがしれていますわ。それを外部からの天使で強引に支え、あまつさえ一度高純度の霊結晶(セフィラ)を宿した――――ま、それを手放せばどうなってしまうか、自明の理ですわね」

 

 狂三が呑気に言葉を紡ぐ間も、黒の侵食は止まらない。肩をすくめる狂三の身体は、崩壊し続ける。

 

「それに、琴里さんを死の淵から呼び戻すため、わたくしの霊力と時間も根こそぎ使い切ってしまいましたもの。あの子だけでなく、わたくしにも感謝してくださいましね?」

 

「っ、してるに決まってるでしょ!! そんなこと聞いてるんじゃないわよ!!」

 

 琴里が言いたいのはそんなことじゃない。目の前で消える〝命〟に対しての、激しい感情だ。

 だが、狂三は心底理解できないと言うかのように首を傾げる。

 

「なら、何を怒っていらっしゃいますの? 琴里さんは以前、わたくしの分身と対峙し、味わっているはずですわ。『わたくし』は、幾らでもいる(・・・・・・)。オリジナルある限り、わたくしたちは存在し続ける。新たに生まれ続ける。何を悲しむことがありましょう。そのような感傷など、時間の無駄ですわ」

 

「っ……!!」

 

 一瞬、言葉に詰まった。ああ、その通りだと。琴里は、狂三と分身体を殺している(・・・・・)。何人も、何人も――――未だ、そのおぞましい感触を、琴里の手が覚えている。

 けれど、だから、五河琴里は覚えているから――――〝命〟として、『狂三』を覚えているから。

 

 

「――――うっさい!! それの何が悪いのよ(・・・・・・・・・)!! 狂三は沢山いるかもしれないけど、私と今話した狂三は、あなただけでしょ!?」

 

「は……?」

 

 

 琴里は、叫ぶことを止めなかった。らしくもなくぽかんと口を開いて、その動いた表情すら闇に呑まれかける狂三を相手に、感情の迸るまま唇を動かし続けた。

 

「私を助けてくれた狂三は、あなただけなのよ!! それが急に死ぬだなんて……あなたが納得できても、私が納得できないわ!!」

 

「……わたくしを個の命として扱うだなんて、士道さんのようなことをいたしますのね」

 

「悪い!? 私は士道の妹なのよ!! だから、だから……っ」

 

 ――――ああ、駄目だこれ。

 耐えていたのに。考えないようにしていたのに。強い琴里でいようって、思っていたのに。

 目の前の『死』が、琴里の抑え込んでいた感情を、『強い琴里』を打ち負かす――――解けかけた黒リボンが、はらりと落ちた。

 

 

「――――誰も……、死んでほしく、なかったのに……っ!! 令音に誰かを傷つけてほしくなんて、なかったのに――――っ!!」

 

 

 惨めにも、無様にも、打ち明けてしまった。

 

 マリアの時だって、我慢していた方なのだ。今はそれ以上に、ぽたぽたと涙が零れ落ちてしまう。

 司令官として己を律して、司令官として皆を守らなければならない――――守れなかった。今この未来には、愛するクルーも、友達も……大事な親友も、琴里の前から消えてしまった。

 琴里だけが生き残って、琴里の両肩には大事な人たちの命が重くのしかかって、これから相対するのは大切な親友で……自分を救ってくれた恩人の死に、律していた感情が雪崩のように崩れて崩れ去った。

 

「ぅ、……ぁ、あぁ……っ」

 

「……まったく。消える間際に、とんだ失態を犯してしまいましたわ。この時崎狂三、一生の恥ですわ」

 

 ふぅと息を吐いて、狂三が指で琴里の涙を拭い、落ち着かせるように頭を撫でる。

 黒い手に、感触は残されていなかった。時間が存在しないその腕に――――けれど、もし琴里に姉がいたのなら、こんな優しい手のひらがあったのかもしれないと、思った。

 

「死を恐れなくなった者は、人ではなく怪物……。ふふっ、でしたらわたくし、まだ人であったようですわ」

 

「……?」

 

「――――大丈夫。琴里さんは、戦えますわ」

 

 ふわりと、魔法のように指が動いて、琴里の髪を撫でた。

 一瞬の間に拾われた黒のリボン――――『強い琴里』と。

 取り出された白のリボン――――『弱い琴里』を。

 カードの裏と表のように交わることのなかった二人の琴里を合わせるように、白と黒のリボンで髪が結われる。

 

「あら、可愛らしいですわ。とてもお似合いですこと」

 

「え……で、でも……」

 

 不安な気持ちを覚え、琴里は片方の白いリボンに触れた。

 これは、これから向かう戦場には似つかわしくない。琴里は黒いリボン――――誕生日に士道から贈られたプレゼントを結ぶことで、意図的なマインドセットを施していた。

 それは琴里が司令官でいるために必要なことであり、琴里の強さの証明。戦うために不可欠な自己暗示のようなもの。同時にそれは――――琴里の弱さの証明。

 これでは駄目だ、戦えないと、琴里は白いリボンを解こうとして……狂三が手を添えるように、それを制止した。

 

「死を恐れ、誰かの死に涙すること。あなたのそれは、弱さではありませんわ。ご自身の強さを、履き違えてはなりません」

 

「私の、強さ……」

 

「その黒いリボンでは、言えぬ言葉があったことでしょう。故にあなたは涙し、悲しんでいる。けれど、その白いリボンでは戦えぬ者がいたことでしょう」

 

司令官(五河琴里)として、言わなければならないことがあった。皆に、死んでくれ(・・・・・)と。

士道の妹(五河琴里)として、言いたい言葉があった。皆に、生きてくれ(・・・・・)と。

 

 結局、琴里はどっちつかずに終わってしまった。死んでほしくなかった人たちに、未練を残してしまった。傷つけてほしくなかった人に、何も伝えることができなかった。もっと語りたいことが、想いが、沢山あった。

 それらが涙になって、琴里の心を縛っている。まだ生きている人達がいる。いかなければならない。だけど、こんな弱い心でどうすればいいの。

 

 

「けれど、二つ揃えば伝えられるはずですわ。士道さんに、『わたくし』に――――あなたの親友に」

 

 

 だけど狂三は、それは違うと優しく否定してくれた。

 身体が死という闇に覆われてなお、狂三は温かさで包み込むように、琴里の頬を撫でた。

 

 

「涙のない強さとは、〝未練〟ですわ。未練があるからこそ、強く在らねばならなかった。でも、強さだけでは何も伝えられませんわ――――わたくしのように」

 

「え――――――」

 

 

最後に(・・・)見せたそれは、穏やかで、でも悲しげで――――――

 

 

「結局あの子は最後まで――――わたくしの名を呼んでは、くれませんでしたわね」

 

 

 たった一つの〝未練〟を、残した顔で。

 

 

「くる――――っ」

 

 

 琴里の目の前から、〝命〟が消え去った。

 掴んだと思った手の中には、何もなく。ただ、影に還るように、失われた時間のように――――そこには、何もなかった。

 

 何もなかったのだ。伝えられなかった未練は、未練のままに消えて。

 

 

「……何よ、それ」

 

 

 ただ、無力な琴里の声だけが、燃え盛る炎の中にあって。

 

 

「どいつも、こいつも……なんなのよ、それ……っ!!」

 

 

 死んでほしくなかった人たちが、琴里の心にだけ残って。

 

 

「っ――――――あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」

 

 

 守りたい人たちと、言葉(・・)を伝えたい親友が、まだ生きている。

 

 吼える。全身から溢れる激情の炎を烈火の如く――――――

 

 

「〈灼爛聖鬼(カマエル)〉――――ッ!!」

 

 

 掻き立てられるまま、己の裡に叩きつけた。

 

 燃え盛る炎が、白く(・・)

 

 纏う衣を、白く(・・)

 

 白の両翼を、小さな背に羽ばたかせ。

 

 開いた熱い両の眼に、強さと弱さの涙を流し――――白い炎を纏いし少女が、飛んだ。

 

 

 

(キング)を動かす、最後の切り札(ルーク)は飛翔する。

 繋ぎ止めた未来を、引き継がせる(・・・・・・)ために。

 






時崎狂三・分身特異個体。
他の分身と大きな差は存在しない。ある一瞬、ある強い感情を抱いた時間から切り離された分身。ただ、その感情を見せることは、ましてや伝えることはなく彼女は計画においての役割を終えた――――ただ一つ、強さと引き換えた未練を残して。

彼女が一体、どんな願いを受け継いで生まれ落ちたのか。それはご想像にお任せします。ですが彼女もまた、時崎狂三の悲願成就を願った一人の狂三だったことは確かです。

そんな分身に対して、少女は告げた。私のために、死んでくれと。『私』ではなく、私のため……全ては、我が女王のために。
明かされた計画の全貌。数々の屍を超えたその根幹、到達点は、果たして。

役割を継いだ琴里。この物語でしか起こりえない可能性を加え、次回、澪バッドエンド編クライマックス。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十四話『神を超え往く魔王(キャスリング)

後書きも本編も長めな章クライマックス、どうぞ。








 士道は、それを夢かと認識しかけた。目の前の光景は、あまりに現実から掛け離れていた。澪の手で消されかけた士道が見た、走馬灯とも思えた。

 けれど、彼女は――――五河琴里は、そこにいる。

 

 

「琴……、里」

 

 

 雪のように舞い散る白い炎。舞い降りた天使の証明である白い翼。烈火の輝きを放つ焔の双眸。天女の羽衣を白く、白く――――少女のように、白く。

 白い炎と混ざり合った袂を一つ振るい、赤い髪を風に靡かせ、茫然自失の士道が零した己の名を、彼女は確かに返したのだ。

 

「なぁに、おにーちゃん(・・・・・・)

 

 にこりと笑った琴里の顔は、人懐っこい、愛する妹そのもので――――安堵の涙が零れてしまうことを、止められるはずがなかった。

 

「琴、里……琴里!!」

 

「うん、お待たせ。狂三も久しぶり……になるのかしら」

 

 たはは、と苦笑しながら狂三へ視線を向ける琴里。思い返せば、確かに二人の顔合わせは少なかった気がするが、狂三はそんなことよりと言わんばかりに大きく目を見開いて驚きの感情を発露していた。

 

「……琴里、さん?」

 

「そうよ? 何よ、お化けでもみたような顔しちゃって。それ、あなたの専売特許じゃなかった?」

 

 琴里の変わらない、琴里らしい返答に、今度こそ狂三は、普段は見せない破顔の表情になって、涙を見せないように目元を必死に拭った。

 

「っ……ああ、ああ。その憎まれ口、琴里さん、ですのね……!! 本当に……っ!!」

 

「狂三……」

 

 狂三らしくない――――そう、らしくない姿を見せてしまうほどに、彼女は安堵し、そして追い詰められていた。

 長い間共にいた大切な子は、自分を庇い消滅した。やっと憂いなく向き合えるはずだった友達を一瞬にして失って、希望を次々と打ち砕かれ、それでも絶望の未来に立ち向かい続けていた。そうして芽生えた十香という希望でさえ、目の前で奪われた。

 どれほど狂三の精神が強固であろうと、彼女は無敵の存在ではない。友を無常に殺され続け、人より多くの未来を視ることになって、心が磨り減らなかったわけがないのだ。

 絶望的な状況で、遂に万策尽きたと思われた瞬間、殺されたはずの琴里が駆けつけてくれた。ありえなかった未来が、目の前に開示された――――それは狂三と士道にとって、どれほどの救いとなったことだろうか。

 急いで傍に駆け寄る士道と、狂三を見た琴里は心を痛ませるように眉をひそめて声を発した。

 

「……無理させたわね。二人とも下がってなさい。ここからは私に任せて――――司令官も、たまには身体を動かさないとね」

 

「な……待ってくれ、俺たちも――――」

 

 純白の戦斧を肩にかけ、向き直る琴里へ士道は慌てて静止を投げかけた。

 琴里がどうやって生き延びたのか。なぜ白い少女と同じ翼(・・・)を生やしているのか。その白い炎は一体、どういうことなのか。疑問は尽きないが、琴里は澪と戦う気なのだろう。

 ――――無茶だ。澪は十香を含めた三人でも敵わない、生み出した精霊の原初存在。神に等しい力を持つ。今の琴里がどのような状態かはわからないが、それでも一人で行かせるわけにはいかない。

 そんな思いで言葉を発した士道……それを遮ったのは、意外な人物だった。

 

 

「……琴里」

 

 

 それは、恐らく放心や驚愕。信じられないものを見た士道たち以上の感情を、起伏の薄かった彼女が見せていた。

 あの――――崇宮澪が。

 

「あら、どうしたの令音。そんなあなたの表情、初めて見たわ。いやね、可愛い顔が台無しよ」

 

「……なぜ、君が。君は、私が」

 

「――――殺した、でしょう」

 

 琴里が、真っ直ぐに言葉で穿つ。それに事実以上の感情はない、と士道は感じた。……少しはあるのかもしれないが、少なくとも憎しみの類は乗っていないように思えた。

 けれど、澪は僅かながらにぴくりと眉を動かす。それも、これまで冷静に事を運んでいた澪らしくない動揺だった。

 

「ま、そうよね。私も死んだとばかり思っていたんだけど――――綺麗な死神(メイド)さんに、命を救われたのよ」

 

 言いながら、少しだけ顔を反らして狂三を見遣り、フッと複雑な表情を見せた琴里。だが、直ぐに澪へ視線を戻してしまい深く読み取ることはできない。

 

「だから、殺されたっていうのは間違いないわ。あなたにとっては殺し損ねた、の方が正しいかしら」

 

「……その力は、なんだい?」

 

 琴里の纏う白い炎と、翼。それを見て、澪が訝しげな顔で問う。それによって、琴里の力は澪の想定を超えている――――恐らくは、狂三と十香以上に〝イレギュラー〟な状況なのだということが理解できた。

 澪の問いに、琴里は皮肉を混じえた声音で答える。

 

「わからない? これ、元々はあなた(・・・)の力じゃない」

 

「……あの子(・・・)、か。だが、君とあの子の霊結晶(セフィラ)は私の中にある」

 

 回収された。士道と狂三はそれを見ていた。しかし、今琴里が纏っている力のそれは、士道が感じる限り澪が取り込んだ〈灼爛殲鬼(カマエル)〉と、もう一つ(・・・・)

 士道たちを背にした琴里が、困惑する令音をくつくつと笑いながら声を返す。

 

 

「自分のことになると、何にもわかってないのね、令音。私たちを騙し切ったあなたが言ったんじゃないの――――あの子は、『私』だって」

 

「……!!」

 

 

 琴里の言葉で、士道は気づいた。同時に同じことを思ったのだろう狂三も、士道と顔を見合わせる。

 

「狂三、あいつが……」

 

「ええ、ええ。どうやら、そのようですわ――――本当に、困った子ですこと」

 

 複雑そうに零した狂三に、大いに同情してしまい士道は苦笑を漏らす。

 間違いない。あの過保護な従者(・・・・・・)が何かを仕込んで(・・・・)いたのだ。それも、ここに至るまで士道や狂三どころか澪さえも気がつけない、何かを。

 澪も何かの答えに行き着いたのだろう。細く、しかし深い息を吐き琴里へ――――自分の中にいる少女へ、視線を向けた。

 

「……困った子だ。個人として私の邪魔をする気はないと、あの子は言っていたはずだが」

 

「ああ。あの子ったら、そんなこと言ってたのね。でも、間違ってないじゃない――――あの子は(・・・・)、あなたの邪魔をしてないわよ」

 

 きっとしたり顔をして、少女の代わりに言葉を吐いた琴里。

 その通りだった。確かに、ここに至る少女の妨害策――――しかし、少女は(・・・)澪と直接敵対はしていない。しているのは士道や狂三、精霊たち……少女の力を継いだ、琴里だ。

 あまりにも詭弁だが、真実を語らない少女らしい物言いだ。澪も、少女の言葉を鵜呑みにした自身を戒めるように目を細めた。

 

「……そうだね。あの子は、そういう子だ。狂三のためなら、自分だって騙してみせる――――さて、琴里」

 

 ふと、会話を断ち切った澪は、細めた目で琴里へ舐めるように視線を向けた。

 

「っ……」

 

 その仕草に士道は息を呑む。幾度か対峙して、感覚でわかる。それは、澪が力を行使する直前に見せる、澪なりの殺気に当たる行為だと。

 

「……君は生き延びてなお、私の邪魔をしに来た。そういうことになるのかな?」

 

「半々ね。あなたに言いたいことが山ほどあったから、そのついでに邪魔しに来てあげたわ。大人しくしてられない私の性格、よく知ってるでしょ?」

 

「ああ、だから琴里――――逃げてくれないかい?」

 

 そんな、意外すぎる澪の言葉に士道と狂三は目を見開き、琴里が戦斧を持つ指を僅かに揺らし、声を返した。

 

「なんですって?」

 

「逃げてほしい。そう言ったんだ」

 

 琴里が聞き返すも、返答は提案と変わりない。

 

 

「今さらどうしたっていうのよ。霊結晶(セフィラ)を回収するのに、鬼と見間違うくらいの働きをしてたじゃない」

 

「……幾分かの霊力は欠けてしまったが、シンを不死にするには今ある力だけで十分だから――――親友(・・)を、二度も殺したくはない」

 

「――――――」

 

 

 真摯に、傲慢(・・)に、告げられた言の葉。

 澪にとって、嘘のない願い。琴里を殺したくない気持ちは、本当。澪は一度であっても、殺意で精霊を殺したりはしなかった。精霊たちを、娘のように大切に想っていた。

 だからこそ、令音の親友で澪の娘のような存在の琴里を、二度殺めることはしたくないと言っている。

 精霊の力を回収した時点で、既に雌雄は決した。琴里が逃げるなら、澪は追いかけない。澪はあくまでシンを永遠の存在とするために――――だが。

 

 

「ねぇ、令音――――それ、私が聞き入れると思う?」

 

「……ん、思わないな」

 

 

 それ故に、澪は誰より残酷になれる――――敵対するというのなら、親友でも手にかける。大罪を被る。

 

 

「でしょう? だったら――――」

 

「……ああ。それならば――――」

 

 

 ああ、ああ。お互いに、親友である二人が微笑んで。言葉を交わして――――――

 

 

「――――〈灼爛聖鬼(カマエル)〉ッ!!」

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 戦斧を振るい、手を掲げ、殺し合い(・・・・)を再開した。

 焔の刃が煌めき、白い炎を無慈悲な破壊の力として解き放って、法たる世界と衝突。瞬間、凄まじい爆炎が壁のように立ち上った。

 

「狂三!!」

 

「ええ!!」

 

 衝撃と降り注ぐ火の粉、とは名ばかりの大きな石ほどの火の礫に怯むことなく、士道は狂三と共に走り出そうとした。

 琴里がきた。まだ、士道たちの希望は失われてはいない。最後まで諦めない。戦う意志を、二人は失っていない。

 

 が――――――

 

 

「――――――――」

 

「な……」

 

「っ!!」

 

 

 琴里から告げられた、伝えられた(・・・・・)ある言葉に、揃って足を止めてしまう。

 自身のものではない言葉を伝えた琴里は、果たせたことを満足げに微笑み、足で地面を踏み砕いて炎の柱を幾つも生み出す――――こちら側は、自分たちの領分だと言わんばかりに。

 

「琴里!!」

 

 凄まじい火の勢いに顔を両手で覆いながら、士道は愛する妹の名を叫ぶ。振り返った琴里の顔を見て、気づく(・・・)

 その顔は、知っている――――自分がずっと、琴里へ向けてきた笑顔(・・・・・・・・・・)だったから。

 

 

「ちゃんと伝えたわよ。じゃ、私は私でいってくるわ――――私の戦争(デート)にね」

 

 

 ――――無茶する妹を見送る、兄。

 

 そんな、いつもと真逆のシチュエーションを背に、琴里は白い翼を羽ばたかせ、業火の中へ飛翔した――――己の戦争(デート)を、始めるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉。正常作動を確認。〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉、及び〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の干渉を遮断。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉――――障害発生。同時に――――の使用不能。適合時間の不足によるものと推測。

 推奨行動を提案。直ちに撤退を――――――

 

 

「――――黙って、なさいっ!!」

 

 

 頭の中に響く煩わしい何者かの声。戦斧を全力で振り回し、『根』を焼き払うついでに声まで焼き尽くす。

 自身の力、どれほど無謀なことをしているかなど先刻承知。

 琴里に必要なのは、無茶無謀だと進言する司令官としての言葉ではなく、無茶と無謀を押し通す力と意志。

 

「だぁ!!」

 

「…………」

 

 〈灼爛聖鬼(カマエル)〉を振り被り、白い炎を纏った刃を全力の一刀にて叩き付ける。澪は手を掲げ複数本の『枝』を重ね受け止める――――が。

 

「っ――――ああああああああッ!!」

 

「……!!」

 

 業火爆現。己の中を燃やし尽くし(・・・・・・)、全力を超える一撃を生み出す。

 己の体内にある肉が、骨が砕かれていく。砕きながら、琴里は吹き出る炎を加速源とし『枝』を叩き潰した(・・・・・)

 

「……速度は十香以下。だが力は十香以上、か」

 

 驚異的な剛力に防御の札を砕かれながらも、冷静な分析で琴里の戦力を把握し、距離を取りながら相対する。辺り一帯の『根』を焼き尽くしながら、琴里も澪を逃がすまいと翼を羽ばたかせる。

 澪の感情は見えている。表情にも出ている。が、嫌になるくらい平坦なそれに、琴里は戦斧を振るいながら声を発した。

 

「はっ、相変わらず嫌ってくらい冷静ね!!」

 

「……そうでもないさ。十香といい君といい、私の法が通じないんだからね」

 

 法の天使〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉。モノクロの空間を一つの世界に、澪は世界の法則を自在に書き換えられる。精霊たちを尽く葬り去った、圧倒的な法の暴力。

 だが、澪の力は琴里へ干渉できない。それは何故かなど、これまでの経験があれば当然誰であっても理解できると琴里は口を歪ませた。

 

「馬鹿ね。法だの何だので理論的に縛ろうとするからよ――――空間的干渉(・・・・・)を〝殺す〟と確証をくれたのは、あなただったわよね、令音」

 

 天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉。その力は、物理的な干渉には無力だが、空間、概念といった特殊な干渉には無類の強さを発揮する。

 それはもちろん、この究極の空間干渉さえ例外ではないのだ。法が概念である限り、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉は法を殺す(・・・・)。琴里を縛ろうとする法の力を、『死』の概念を以て打ち払う。

 それを琴里が気づき、何より解き明かしたのは令音。他ならぬ始源の精霊その人なのだ。

 

「……そうだね。それは確かに〝道理〟だ。私の世界といえど、その道理に合わせなければいけない。なら――――」

 

 琴里の振るう戦斧を難なく避けた澪は、ふわりと宙を舞うように上空へ浮かび上がる。それを追う琴里へ、澪は手を向けて、

 

「――――君ではなく、君の周り(・・・・)を支配しよう」

 

 瞬間、琴里を取り巻く重力(・・)が何十倍にも重く、人を潰せるほどの質量を以て襲いかかった。

 

「な……」

 

 がくんと飛行高度が落ち、羽ばたかせていた翼が押し潰されるように琴里の身体にへばりついてくる。

 重力操作。魔術師の随意領域(テリトリー)でも行われるもの。あちらは空間内の対象を明確に計り、イメージするはずだが……澪のそれは、琴里ではなく周り(・・)という漠然と曖昧なイメージで、なのに魔術師の何百倍という規模と質であった。

 

「ち、洒落臭いわね……っ!!」

 

 子供騙しの小賢しいやり方だ。すぐさま、重力に対抗できるだけの力を練り上げる――――しかし、二手目を要した澪が一手、速い。

 

「――――【枝剣(アナフ)】」

 

「が――――ッ」

 

 モノクロの地面から夥しい数の枝が密生し、琴里の全身を隈無く串刺しにした。

 人間なら即死と思える殺され方。だが、琴里は二度、三度と、喀血しながらも深々と突き刺さる枝を燃やす(・・・)。対外も、内外も分別なく焼き尽くしていく。

 破壊と再生の炎。この程度(・・・・)、数秒あれば傷一つなく元通りにできる――――――

 

 

「そこまでだ」

 

 

 澪はその数秒の隙を突き、手ずから琴里の胸を貫いた。

 

「ぁ……」

 

「……あの子の力を返してもらう。それは、『私』のものだ」

 

 貫いた手を探るように動かし、琴里の体内に同化した霊結晶(セフィラ)へ澪が干渉し、眉をひそめた(・・・・・・)

 

「……っ」

 

 違和感を覚えたように、澪が手を戻そうとし――――琴里の腕がそれを掴み取る。

 

「――――捕まえた」

 

「な……」

 

 目を見開く澪と、不敵に笑う琴里。澪を逃がさぬよう体内の炎へ霊力を焼べ、潰さんばかりに腕を掴む。

 自身のもう片方の腕を使い、〈灼爛聖鬼(カマエル)〉を振り上げた。

 

 

「――――切り裂け(・・・・)、〈灼爛聖鬼(カマエル)〉」

 

 

 琴里が告げたそれによって戦斧は焔に巻かれ、一刀(・・)へ生まれ変わる。

 白い炎を、白い刀へ。辺り一面を焼き尽くしていた炎を全て、刀身へ注ぐ(・・・・・)

 豪炎の音が消え、世界を一瞬の静寂が包み込む。

 

 

「――――【翼刀(ヘネツ)】」

 

 

 己の翼を振るうような軽々しさで、琴里は静寂を切り裂いた。

 

「く……!!」

 

 澪目掛けて振り下ろされた刃を、澪が『枝』と『根』を呼び出し、さらに障壁を下に敷くように展開――――それを重ねた紙のように切断し、刀は振り切られた。

 モノクロの世界が、割れた(・・・)

 

「ちっ……!!」

 

「……」

 

 触れた切っ先から切断されたのは、モノクロの地面(・・)。空間の果てまで見えるほど、地面の果てが見えないほど、琴里の一刀は深く地面を割いた。

 だが、外した。『枝』と障壁が僅かではあるが澪から攻撃を逸らさせる時間を与えてしまい、必殺の一刀は澪の霊装をほんの少し切り裂いた程度に留まる。

 攻撃を外し、無防備なまま苛立たしく舌打ちした琴里へ『枝』による刺突を解放。琴里が貫かれ再生している間に、澪に一定の距離を取られてしまった。

 

「普通、掴まれてるのに避ける?」

 

 〈灼爛聖鬼(カマエル)〉を戦斧へと戻して確かめるように一振し、呆れた声音を零す。

 〈灼爛聖鬼(カマエル)〉・【翼刀(ヘネツ)】。変形させた天使の刀、その刀身へ生み出される炎の全てを収束。切っ先に触れるものを焼き切る一撃。

 澪の不意を完璧についた一撃だった。事実、澪とて焦りを感じていた。にも関わらず、避けられてしまった。焦りを感じたなら当たるべきだろう、そこは。

 まったく、理不尽この上ないと愚痴を零す琴里へ、澪は以前(・・)時たま見せていた何とも言い難い顔で拾った言葉を返してくる。

 

「……君こそ、致命傷を受けてからの動きとは思えないが」

 

「何よ。そういう天使を私に押し付けたのはあなたじゃない」

 

「……それもそうだね」

 

 あっけらかんと天然気味に返す澪に、琴里も思わずぷっと吹き出して笑う。そういうところは、本当に変わっていない――――令音と澪は、同じなのだとわかる。

 

「……ふむ」

 

 澪が目を細め、琴里の胸を貫いた手を閉じては開きを繰り返す。恐らくは、その違和感を思い返すために。

 

「守護――――いや、呪詛。もはや、呪いの類いと考えるべきかな」

 

 数々の霊結晶(セフィラ)を回収してきた澪が、用心を期して手ずから奪いに来たはずの霊結晶(セフィラ)。それを防いだ琴里の仕掛けを、一発で看破してみせた澪に琴里は賞賛の声を贈る。

 

「らしいわね。決められた言霊を込めて、霊結晶(セフィラ)を埋め込む……。当然、取り出すにはその合言葉が必要になる。知らないなら、埋め込んだ精霊へ霊結晶(セフィラ)はへばりついたまま――――私が死ぬまで(・・・・・・)、取り出せない」

 

 琴里がこれを知ったのは、霊結晶(セフィラ)との同調が強くなってからだった。霊結晶(セフィラ)を定着させるだけに留まらず、呪い(・・)じみた繋がりを持たせる。

 澪の〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉なら、この程度の呪いは『法』で無視できるはずだが……琴里へ『法』の力は通用しない。単純に込められた言霊を知ればいいのだろうが――――唯一、込められた言葉とその意味を知っていたものは、時間へ溶けて消えた。

 つまり、琴里の霊結晶(セフィラ)を取り除く方法はこの世にたった一つ――――琴里を、霊力行使が出来ぬほど殺し切る(・・・・)こと。

 

「……なるほど。用意周到だ」

 

 息を吐く澪に、琴里も内心で同意しておく。

 澪以外で精霊を半殺しにすることなく、霊結晶(セフィラ)を取り出せる存在はいない。正直他の、例えばエレンやアルテミシアが相手ではまったく役に立たないだろう。

 澪を強引に人の法則へ落とし込むだけの、力技(・・)。法外な澪が相手だからこそ、意味を生むやり方だった。

 

「……だが、それだけじゃあない」

 

 琴里を、否、琴里の力(・・・・)を澪が見やる。

 

 

「異なる霊結晶(セフィラ)の同調作用。属性を逸脱した進化融合――――あの子の霊結晶(セフィラ)が、よもやこんな力まで持っているとはね」

 

 

 そう。琴里の中にある少女の霊結晶(セフィラ)がもたらした、異常現象。

 残された〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の残滓を白い少女の霊結晶(セフィラ)が取り込み、融合。まるで力を掛け合わせるように膨れ上がり、精霊としての力が飛躍的に増大している。

 仮に、元の封印されていない〈灼爛殲鬼(カマエル)〉であったとしても、ここまで無茶苦茶な戦い方は叶わないことだった。

 

「……あの子を〈灼爛殲鬼(カマエル)〉で治療したことが、さらに繋がりを強める結果を引き出した、か。厄介だが、興味深い現象だ」

 

 今にして思えば、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が白い少女を治療できたのも、お守りによる繋がりが大きかったのだろう。それにより両者の性質が大きく近づいたことで生まれた、半ばイレギュラーな形態。

 精霊同士の繋がりを、始源の精霊が興味深そうに探る不可思議な光景がそこにあった。戦っているというのに、何だか不思議な気分で琴里は声を発した。

 

「そうねぇ。言うなれば、私たちのミレニアム特別バージョン、ってところかしら」

 

「……珍しいね。琴里が、そんな冗談を言うだなんて」

 

 キョトンと目を丸くした澪に、琴里は自嘲気味な表情を見せ声を返した。

 

 

「――――こうでもしなきゃ、やってられないでしょ」

 

「…………」

 

 

 どうして、琴里たちは戦っているのだろう。琴里は、なぜ親友と殺し合っているのだろう。

 理由はある。原因もある。なるべくして、そうなった。だからこうして、琴里は親友と対峙している。大切な人たちを、これ以上奪わせないために――――もう一度、言葉を伝えるために。

 

「ぐ――――あぁッ!!」

 

 裂帛の気合いを込め、炎を纏う。強圧が琴里の身体を縛る。琴里への干渉ではない『法』を無力化することは不可能。しかし、対処法がないわけではない――――重力が何十倍もあるのなら、あると弁えた上で力を叩き込めばいい。

 己の肉体を溶かしかねない熱量を展開する琴里へ、澪が眉をひそめて声を発した。

 

「……もう止めたまえ。肉体を破壊するほどの強化再生――――それは、遠回しな自殺(・・)だ」

 

「……っ」

 

 身を案じている。裏表のない本心からの忠告に、琴里は喉元から迫り上がる血溜まりを乱雑に吐き出して、口元に弧を描いた。

 精霊の肉と骨を断つ炎による肉体強化。その反動すら、即座に炎によって再生し、さらに強化し続ける。琴里が戦斧を一つ振るう度、身体の細胞は強化の反動によって死に至り、そして再生する。

 傍から見れば、澪と拮抗しているように見えるこの状況――――そこに、埋め難い隔絶した差があることは、琴里と澪だけが知ることだった。

 

「遠回しな自殺、か。……ま、そうなるかしら。もってあと数分、もしかしたら数秒かもしれないわね――――けど、十分よ」

 

 地面を踏み砕いて足場を作り、脚部に炎を集中。

 

 

「あなたに、言葉を伝えるくらいならね」

 

 

 瞬間、炸裂した炎を加速源に、脚の骨を砕きながら突撃。澪の分析を上回る速度を以て戦斧を振り下ろした。

 

「ねぇ、令音」

 

「……ん」

 

 戦斧を振るう琴里と、『枝』で貫かんとする澪。

 そんな殺し殺されのやり取りの中で、二人は穏やかに言葉を交わし始めた。

 

「……ほんと、あなたには感謝してるのよ」

 

 血飛沫が舞う。琴里の命が、刻一刻と減らされている。それでも琴里は、言の葉に力を注ぐことを止めなかった。

 

「助けてもらったことは山ほどあるし、楽しかった思い出も数えられないくらいある。たぶん、人生でこんな親友に出会えるのは二度とないんだって、私は思ってる」

 

「……私も、そう思っているよ」

 

 炎が枝を焼き、枝が琴里の肉を断つ。けれど、互いの信は崩れることなく、続く。

 

「そんなあなたが、私たちを精霊にしたとか、正直悪い夢だって思いたかった。悲しみとか、怒りとか、困惑とか、何かいろいろごちゃ混ぜになっちゃって。あなたがいなくなったあとで、よく司令席に座れてたと自分でも思うわ」

 

「いや……琴里なら、どんな状況でも司令官を選ぶさ。私が言えた言葉ではないがね」

 

「あはは。光栄だけど――――今はもう、私は司令官じゃないわ」

 

 愛するクルーを守れず、艦を墜とし、一人生き残った〈ラタトスク〉の司令官。今の琴里に、人の上に立つ司令の立場などありはしない。

 けれど、だから琴里は――――齢十四の女として、伝えたいことを、叫びたい言葉を我慢しないと決めた。それもまた五河琴里なのだと、教えられた(・・・・・)から。

 

 

「――――なんで、言ってくれなかったの」

 

 

 ただ子供のように、琴里は令音へ感情を打ち明けた。

 

「言ってくれたら、何かが変わったかもしれない。私にだって、何か出来たかもしれない」

 

 無理だ。不可能だ。霊結晶(セフィラ)から伝わってくる、白い少女の中に眠っていた悲劇の記憶。澪の優しい心を三十年の妄執へと変えてしまった、静かで狂気的な意志の光。小娘一人に話したところで、結論は何も変わらない。そう、琴里の中に残された記憶が叫んでいる。

 そして、少女を蝕んでいた〝何か〟の正体にも、気づく。記憶と妄執の中に消えてしまったもの。澪と少女では気付くことが出来ない、確かな感情。

 

「私たち、それくらい親友じゃない。私、あなたのこと好きよ」

 

「……ああ。私も琴里が――――皆のことが好きだ」

 

 偽りならざる言葉の応酬。真実、澪は琴里の言葉へ真っ直ぐに返した。

 けれど、と続けながら。

 

 

「――――でも、私はシンがいないと駄目なんだ。もうすぐ、シンと一緒にいられる。そのために、君たちとは一緒にいられない」

 

 

 琴里が令音を嫌うことができないように、令音も琴里を嫌うことはない。でも、止まれない。親友を喰らってでも取り戻したいものが、村雨令音にはあったのだ。

 そう言った澪の表情に、琴里は歯を食いしばって、戦斧を振り下ろしながら、告げた。

 

 

「だったら――――笑ってよ、令音」

 

 

 その顔に、笑顔なんてなかった。

 

「え……」

 

「笑いなさいよ。三十年、願いに願った好きな人に会うんでしょう? 笑って、満たされなさいよ。どんな形であれ、それが頑張ってきたやつの権利でしょ――――なんで、そんな顔してるのよ」

 

 澪は、令音は、立ち向かってくる琴里へ――――ただ、悲しげに力を振るうだけだった。

 

「あなたが喜ぶなら、私は何も言わなかった。司令としても、士道の妹としても、あなたの親友としても……何も言わずに、ただあなたを倒そうって思った」

 

 自分たちを脅かす、ただの敵として琴里は戦うつもりだった。同情の念も親友としての情も捨てて、琴里は戦えただろう。

 

 

「だけどあなたは、全然嬉しそうじゃない。答えてよ、令音。大事な人を取り戻して、寄り添って――――未来のあなたは、ちゃんと笑えてる?」

 

「――――――――」

 

 

 その未来を、澪は思い描いたのだろう。思い描いて、しまったのだろう。

 白い少女を蝕んでいた、尋常ならざる無価値の証明。それは、それは――――――記憶に眠る、あまりに悲しく、破滅的な願望。

 

 

「――――シンとなら笑える、はずさ」

 

 

 琴里の切なる問いかけに澪は、令音は――――後悔も未練をも押し殺す妄執を以て、その腕で刃を振るった。

 

 

「この――――ばか、令音ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 叫びがただ虚しく、令音の心には届かない。美しく軌跡を描く焔の刃――――涙のように落ちて、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 閃光。爆炎。モノクロの世界に轟音と、幻想的な白い炎。それは戦場の音であり、殺し合いの音でもあった。

 琴里と澪が、戦っている。勝算を考えれば、助太刀に入るべきなのだろう。元々、士道と狂三だけでは澪に対する勝算は〝ゼロ〟。皆無であり、絶望的だった。

 だが、士道と狂三は動かない。動かないだけの理由を、他ならぬ琴里から得てしまった。

 

「どういうことだ……?」

 

 士道はぽつりと、新たに生まれた疑問を呟いた。

 琴里の攻撃により、澪と士道たちの境界が断絶されたあの一瞬。琴里は、ある言葉を士道たちに届けた。

 

 

『戻るなら、全てを観測して、尚且つ十二じゃなく〝六〟を使え――――だそうよ』

 

 

 それは、琴里の言葉ではない。間違いなく、澪に取り込まれ消えたはずの白い少女が残していた、今この状況だからこそ意味を持つラストメッセージ。

 士道には完全な理解ができずとも、メッセージの意味を読み取れる狂三がいる。彼女なら、そんな信頼に応えたかのように、狂三はあごに手を当て神妙な顔で声を発した。

 

「〝六〟……六番目(・・・)――――【六の弾(ヴァヴ)】を使い、澪さんの力を〝観測〟したわたくしの意識だけを……まさかとは思いましたけど、あの子はやはり……」

 

「ど、どいうことなんだ? 【六の弾(ヴァヴ)】って、確か〈刻々帝(ザフキエル)〉の……」

 

 【六の弾(ヴァヴ)】。〈刻々帝(ザフキエル)〉の弾の一つであり、士道が一度だけ名前を耳にし、それ以外は何も知らない(・・・・・・)数少ない弾の名。

 それが今になって、どのような意味を持つのか。狂三の口から、確信となった推察が語られていく。

 

「恐らくは、これがあの子の〝計画〟。わたくしに始源の精霊の力を全て〝観測〟させ、【六の弾(ヴァヴ)】――――意識だけを過去へ飛ばす(・・・・・・・・・・・)弾を使い、この事態を『なかったこと』にしながら、経験を継続させること……」

 

「な……!!」

 

 【六の弾(ヴァヴ)】の正体と、少女の〝計画〟。

 過去へ遡る力を持つ弾が、【一二の弾(ユッド・ベート)】以外に存在していたことへの驚き。白い少女がこの事態を想定し、そして狂三を必ず生き残らせるため、躊躇なく自身を犠牲にしながらも〝計画〟を続行したことへの畏怖にも似た驚嘆。

 しかし、それは正しく希望の一撃。全てを救う道を開く弾丸に違いなかった。

 

「じゃあ、【六の弾(ヴァヴ)】を使えば――――――」

 

 意識だけを過去へ飛ばし……如何な力を持ってしても退けることが叶わなかった澪を出し抜き、このチェス盤で常にチェックをかけられた〝詰み〟の状況から抜け出すことができる――――考えて、士道は言葉を止めた。

 狂三が眉を歪めていること、そして何より、狂三が己の力をここに至るまで忘れていたとは思えなかったのである。

 チャンスは、幾つもあった。澪といえど、狂三の遡行を阻止できないタイミングはあった。しかし、狂三は【六の弾(ヴァヴ)】を一度であっても使う素振りすら見せていない。

 

「……〈刻々帝(ザフキエル)〉!!」

 

 それが何を意味するのか。今一度、巨大な時計盤を影から持ち上げた狂三によって、すぐさま理解させられた。

 刻まれた『Ⅰ』から『ⅩⅡ』の数字。今まで、幾度となく目撃し、違和感だけを覚えていたそれ(・・)が氷解すると共に、背筋が凍る。

色を失った(・・・・・)二つの数字。一つは『IV』。もう一つは――――【六の弾(ヴァヴ)】を示す、『VI』の数字。

 文字盤の一番下に位置するそれに触れながら、狂三が悔しげに言葉を吐いた。

 

「……琴里さんとの戦いから、【六の弾(ヴァヴ)】は眠った(・・・)ままなのですわ。今も呼びかけ続けていますわ。ですが……」

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉は、何も示さない。雄大な文字盤の輝きを示すこともなければ、狂三の呼びかけに影を返すこともない。

 完全なる沈黙。天使は使い手の心を映し、力を返す水晶――――だが、沈黙した力を扱えるわけではなかった。

 

「【五の弾(ヘー)】や【一〇の弾(ユッド)】の力が増大したことにも関係しているのでしょうけれど……幾ら霊力を込めたところで、扱えなくては意味がありませんわ」

 

「そん、な……」

 

 芽生えた希望が失われ、再び絶望が肺腑を満たしていくのがわかってしまった。

 これで、本当に詰みだというのか。白い少女が、命を賭して残してくれた言葉が――――命を賭して(・・・・・)

 

 

「――――――」

 

 

 思考が冷える。絶望してしまったからではなく、ある違和感を感じだからこその無駄のない思考。

 【六の弾(ヴァヴ)】を前提とした〝計画〟。狂三を知る白い少女だからこそ、織り込むことのできた――――そんな少女が、狂三に起こった異常を見逃していた?

 断じて、ない。少女と士道には、ある種の絶対的信頼のようなものがあった。時崎狂三という精霊に対して、一部の隙もない観察(・・)考察(・・)を可能にする眼力。互いにそれを、持っていること。

 だからわかる。少女は間違いなく、狂三が扱うことのできなくなっていた弾を知っていたはずだと。少女が命を賭して事を為す以上、知っていなければならない。終わりを定めていたというのなら、最大限に活用してみせるのがあの少女だ。

 そして、行き着く。少女が言葉を伝えたかったのは、狂三ではなかったのではないかと。

 

 ――――【六の弾(ヴァヴ)】の力を知らない、士道にこそ知らせたかったのではないのかと。

 

「――――っ」

 

 考えることを止めるな。思考を、ここで停止してはならない。このために少女は、持てる力と情報の全てを賭して今の〝時間〟を生み出した。きっとそうなのだと、士道には思えてならなかったのだ。

 なぜ、士道だったのか。狂三は初めから【六の弾(ヴァヴ)】の可能性には行き着いていた。故に、あのメッセージは狂三に対する意味はない。狂三を必要としたのは、士道が【六の弾(ヴァヴ)】の存在を知らなかった(・・・・・・)からで――――――

 

 

「――――俺が、知らない?」

 

 

 呆然と零した自身の言葉に対する、強烈な違和感。明らかにおかしいと、士道は気がついた。

「士道さん……?」

 

 様子がおかしい士道に、狂三が気遣うように声をかけてくる。

 そんな狂三の肩を掴み、士道はしっかりと狂三の瞳を覗き込みながら声を発した。

 

「狂三、お前は今眠ってる(・・・・)って言ったよな。〈刻々帝(ザフキエル)〉の中に、〝眠っている〟、って」

 

「え、ええ……恐らく、琴里さんとの戦闘の損傷から、士道さんとの経路(パス)やあの子の力を通じて、想定しない変化が――――――」

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉を知り尽くした、狂三ならではの考え方。その異常を、そう捉えてしまうもの無理はない。

 けれど、士道は狂三の考え方を首を横に振って否定した。そして、狂三の考え方への〝矛盾〟を、己の知識から証明した。

 

 

「違う、それはおかしい――――なら、俺は知っているはずなんだ(・・・・・・・・・・・・)!!」

 

 

 眠っている――――〈刻々帝(ザフキエル)〉の中に存在しているのなら、士道が知らないはずはない(・・・・・・・・・・・・)

 思い出した。ああ、知っていた(・・・・・)。あの日――――経路(パス)の狭窄を起こした士道は、設計にない(・・・・・)繋がり方をした狂三との経路(パス)を通じ、〈刻々帝(ザフキエル)〉を顕現させた。その時に、〈刻々帝(ザフキエル)〉に存在する力の全てを、頭の中に刻み込んだ。

 

 対象時間を加速させる【一の弾(アレフ)】。

 対象時間を遅延させる【二の弾(ベート)】。

 内的時間を促進させる【三の弾(ギメル)】。

 高次元の未来予測を可能とする【五の弾(ヘー)】。

 対象時間を停止させる【七の弾(ザイン)】。

 過去の履歴を切り離し再現する【八の弾(ヘット)】。

 異なる時間軸の対象と意識を繋ぐ【九の弾(テット)】。

 記憶を経験として伝える【一〇の弾(ユッド)】。

 莫大な霊力を喰らい、未来と過去へ時を繋ぐ【一一の弾(ユッド・アレフ)】と【一二の弾(ユッド・ベート)】。

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉という天使の全貌――――その中に、【四の弾(ダレット)】と【六の弾(ヴァヴ)】の力は存在しなかった(・・・・・・・)

 おかしな話だ。眠っていると表現するならば、力は存在していなければ(・・・・・・・・・)ならない。何故なら、そこに在る(・・)のだから。

 

「俺じゃなきゃ気づけなかったんだ……だってお前は、〈刻々帝(ザフキエル)〉の力の全てを知ってるんだからな!!」

 

「ど、どういうことですの?」

 

 いつもとはまるで逆の立場に、士道は不可思議な感慨を覚えながら笑みを作った。

 精霊と天使は一心同体。天使の力を手にした瞬間から、精霊は天使の力がどんなものかを知っている――――故に、狂三は誤認してしまった。

 

 狂三の中から〝消えた〟力が、〝眠っている〟と誤認したのだ。

 

 しかし、士道は違う。〈刻々帝(ザフキエル)〉から後天的にその力の情報を会得した。だから士道は気づく。士道だけが(・・・・・)気づくことができる。その力が、既に狂三の〈刻々帝(ザフキエル)〉から失われている(・・・・・・)、と。

 狂三は知っていた。士道は知らなかった。それがこの〝矛盾〟を紐解く鍵だったのだ。

 

「俺が知らないから、気づけた……!! 【六の弾(ヴァヴ)】は眠ったんじゃない、狂三の中から消えたんだ(・・・・・)!!」

 

 思考が止まることを知らない。ああ、ああ。今までわからなかった疑問が、次々に紐解かれていく。

 士道は【四の弾(ダレット)】を知り、【六の弾(ヴァヴ)】を知らなかった。

 それは何故か。ああ、やっと思い出せた――――士道はあのあと(・・・・)、狂三の記憶の断片を覗いていた。

 では何故、そんな記憶を除くことが出来たのか――――狂三と経路(パス)を繋いだから。

 

 そう。士道は精霊の力を、精霊と経路(パス)を繋ぐことで振るうことが出来る。逆説的に、経路(パス)がなければどんな絆があろうと扱うことは出来ない。

 封印もなしに、士道が完全なる〈刻々帝(ザフキエル)〉を振るうことなどできるのか。答えは、もちろん先の理屈により〝否〟と断定できてしまう。

 どんな歪な経路(パス)であれ、経路(パス)が生み出される〝原因〟が存在していなければならない。

 〝原因〟が在るからこそ〝結果〟がある。どうして気がつかなかったのか――――自然発生した経路(パス)など、存在しなかったのだと。

 

 では、士道と狂三はいつ(・・)その繋がりを得たのか。忘れ去られていた、最大の疑問。そして【四の弾(ダレット)】と【六の弾(ヴァヴ)】は、何処へ消えてしまったのか。

 

「狂三――――お前、俺とキス(・・)したか?」

 

「……はぇ?」

 

 歯が浮いたようなぽかんとした返答が狂三から返ってくる。この状況下で、士道は頭がおかしくなったとしか思えないことを言ったのだから、当然といえば当然のこと。大変可愛らしい反応ではあるが、士道はいつだって本気だ。能力上〝キス〟に関しては、特にだ。

 グッと顔を寄せ、間近に迫った狂三と瞬きする間もなく目と目を合わせる。

 

「答えてくれ!! お前は俺とキスをしたことがあるか!? いや、どこかで絶対にあるはずだ!!」

 

「な、なな何を仰っていますのこんな時に!!」

 

「こんな時だからだよ!! 思い出してくれ!! 唇と唇じゃなくてこう……なんていうか、えぇっと……」

 

 顔を真っ赤にした狂三に、士道もまたこんな自意識過剰なことを言ってしまって顔が熱を帯びているのは理解している。まあ、それ以上に周りが高温なので釣り合いが取れているかもしれないが。

 必死にある一点を思い出そうとして頭を抱える。経路(パス)が繋がった〝原因〟。あるとすれば、士道の意識が途切れたあのとき(・・・・)

 そうだ。忘れ去られた感覚があったはずだ。あのとき、士道は意識を失い、夢を見て、そして――――――

 

 

「――――頬、だ」

 

 

 自身の頬に触れ、その微かな感覚を思い起こす。

あのとき(・・・・)、士道と狂三が命の危機に瀕し、白い少女の手で救われた直後――――何かが士道の中に吸い込まれた(・・・・・・・・・・・・・・)感覚。それは次第に失われ、誰にも、当事者の士道でさえも忘れていった違和感。

 だが、思い出した。士道だけでは意味がないそれは、観測してこそ意味を持つ(・・・・・・・・・・・)

 

「……キス――――あのとき(・・・・)、わたくしは……」

 

「っ、狂三!!」

 

 顔をしかめ、忘我の中へ消えていった記憶を甦らせるかのように狂三が言葉を零していく。

 そう。狂三は知っているはずだ。他ならぬ狂三だからこそ、士道の知らない〝原因〟をしている(・・・・)はずなのだ。原因なくして、結果はありえないのだから。

 そうして、目を見開いた狂三は、士道に全ての意識を奪われたように見つめ合い、言った。

 

 

「――――しましたわ。わたくし、あなた様の頬に口付けを――――あなた様を、守ってほしいと」

 

 

 祈りを、込めて。互いを祈り、互いを救おうとした士道と狂三。その歪な繋がりが、有り得ならざる経路(パス)が――――観測された。

 

『……!!』

 

 瞬間、士道と狂三の中に繋がりが引き起こされた。胸に温かい光が鼓動を鳴らすように、起きる(・・・)

 一つは祈り。士道を守りたいと願い、ずっと助けてくれていた時間の逆転。

 もう一つは、士道たちが望む力。繋がりが深すぎたばかりに、封じた士道ですら存在を認知できないほど深く沈んでいた、時を超える可能性(・・・・・・・・)

 

 士道と狂三の間に結ばれた、想定外の経路(パス)。それは――――正規の方法ではない、精霊から行われる唇以外へのキス(・・・・・・・)

 『力を吸収するための力』として用意された士道唯一の固有能力と、二人の想いが混ざり合った言わば〝バグ技〟に等しいものだったのだ。

 

「……まさか、こんな方法だったなんてな」

 

 零したそれに、苦笑が混じってしまうのは我ながら無理もない。誰も思わない。士道を生み出した澪でさえ、わからなかったこと。

経路(パス)は必ず、唇と唇のキスでなければならない。そう思い込んで(・・・・・)いたからこそ、誰も気づくことができなかった。何せ、士道と狂三は本当に唇と唇のキスはしていないのだから。

 

「わ、わたくしだって思いもしませんでしたわ……あのような戯れのキスが、まさかこんなことに……」

 

「……戯れって割には、随分と恥ずかしそうだな?」

 

 視線を逸らして愚痴る狂三という物珍しさから、思わずからかいの言葉を投げかけてしまう。が――――――

 

 

「し、士道さんがキスを迫る光景が、わたくしには否応になしに視えてしまうのですわ!! 恥ずかしいのも当然でしょう!!」

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉の中の俺は、そんな節操なしのケダモノなのかよ!?」

 

 

 別方向から殴り返されてしまった。そういえば、今の狂三が異常な程に未来が視える。だから、士道が迫った(・・・)と狂三視点からは観測されたのだろう。

 ……そりゃあ、まあ、命の危機に瀕した際の吊り橋効果とかあったりなかったりするのかもしれないが。邪な考えが一瞬でもなかったかと言われると、嘘になってしまうかもしれなくもないが。というか、こんな時なのに可愛すぎるぞこの女の子。

 

「――――だぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 そんなやり取りの最中、琴里の猛々しい叫びと炎の衝撃波が空間を振動させ、ハッと二人は視線を向けた。

 炎の隙間から琴里と澪の姿が見て取れる。思いの丈をぶつけ合うかの如く、ボロボロの霊装で力を振るう二人。だが、やはりというべきか、あのままでは澪を打ち破ることは叶わない――――それで、よかったのだ。

 

 

「士道さん」

 

 

 差し出された手を繋ぎ。

 

 

「……ああ!!」

 

 

 息を大きく吸い込んで、吐き出す。

 己の中にある力。士道はこのためにここにいた。

 決して諦めずに絶望の中でもがいた。誰もが足掻き続けた。

 

 そんな皆の想いがあるからこそ、士道は――――この引き金に指を掛けることが出来た。

 

 

 

「来い――――〈刻々帝(ザアアアアアアアフキエエエエエエエル)〉ッ!!」

 

 

 

 告げる。汝の名を指し示し、謳う。

 

 瞬間、士道の左目が無機的な音(・・・・・)を奏、蠢いた影が集い、見慣れた短銃を士道の手に握らせた。

 狂三のものではない、士道の銃。時の天使〈刻々帝(ザフキエル)〉。顕現させることに、何一つ不自由はなかった――――理由など、言うまでもないだろう?

 

 

「……なに――――?」

 

 

 士道の動きに気がついた澪が、その表情を変えた。

 澪もまた、狂三と同じ考えを持っていた。聡明であるが故に引き起こされる、勘違い。彼女は常に【六の弾(ヴァヴ)】の存在を警戒していたはずだ。狂三が使えないことも、知っていたはずだ――――士道を生み出した澪だからこそ、士道と狂三の経路(パス)を繋いだ想定外(・・・)に気づくことなど不可能だったといえる。

 

 全てはこのためにあった。狂三の未来予測――――それが狂三の力の〝本質〟ではないことは、澪自身が語っていたことなのだから……!!

 

 そして気づくことができたとしても、澪を止める精霊がいる(・・・・・・・・・・)

 

 

「――――どこを見てるの?」

 

 

 琴里の右手を包み込む大砲(・・)

 

 

二つ目(・・・)――――受け取ってちょうだい、神様」

 

 

 表情は不敵に――――けれど、悲しげに。

 焔を吸収し、その先端から産声をあげるような熱唱が鳴り響く。

 

 

 

「〈灼爛聖鬼(カマエル)〉――――【白砲(メギド)】ッ!!」

 

 

 

 かつてのそれとは違う、熱く、紅の意志を保った『天使』の絶唱。

 

 ――――爆裂。

 

 万象を焼き尽くす紅蓮の咆哮。造られた楽園を滅ぼす、反逆者の砲炎。

 この世のあらゆる炎を凌駕する焔が、一本の線を引き、澪を中心に拡散する超高密度の炎塊を作り出した。

 空気すら焼き焦がす滅殺の焔――――撃ち込んだ反動で、琴里でさえも翼を散らし、彼方へ吹き飛ばされていく。

 

「琴里――――っ!!」

 

 吸い込む空気が肺を焼き焦がすかのようで、それでも叫ばずにはいられなかった。

 そして、琴里は満足したように、笑っていた(・・・・・)

 

 

「いってらっしゃい、おにーちゃん――――お義姉ちゃん(おねーちゃん)

 

 

 そう言って、送り出す声が、士道と狂三には聞こえたから。それ以上の言葉は、必要なかった。

 全ての視界が炎に包まれるその中で、二人はいく――――この時間へ、悲劇が起こらない未来へ辿り着くために。

 

『――――――』

 

 狂三の身体を引き寄せ、その背に銃口を向ける(・・・・・・・・・・)

 それはまるで、愛する者と心中する姿――――だが、事実は逆転する。

 

 未来を、運命を、世界を変えるため。

 

 少し早い約束を、果たしにいこう。

 

 

 

『――――【六の弾(ヴァヴ)】』

 

 

 

 かくして――――引き金は落ちる。

 

 螺旋する銃弾が、二人を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――――!!」

 

 目覚めというには、薄暗い部屋の中。靄のかかった意識が引き戻された士道の視界に映り込む、見慣れた天井。

 眠り慣れたベッドに、見慣れた風景の部屋――――それが自分の部屋だと確信したとき、士道の身体は動いていた。

 置かれたスマートフォンを手に取り、起動し――――――

 

 

「ああ――――」

 

 

 その安堵を、激情を、ただ一言に収めるには重すぎるものを、心の底から吐き出した。

 繋がった。ここへ、繋がった――――もう一つ、確かめねばならないことがある。

 

 半ば飛び出すように、士道は足早に出かけた。

 まだ早朝とも言えぬ時間の中、周りの景色すら定かではない記憶で、必死に足を動かす。走る、走る、走り続け――――――

 

「……ぁ」

 

 〝彼女〟を、見つけた。

 かつて約束をした、高台の公園で。夜空が見える、この場所で。

 

「ああ――――!!」

 

 同じように息を切らして、両の目に涙を溜めた愛しい少女が――――時崎狂三が、そこにいたのだ。

 

 どちらからともなく、再び走り出した二人は、気づけば互いの身体に飛びつくように重なり合っていた。

 

「士道さん、士道さん!!」

 

「ああ、ああ……っ!!」

 

 言葉にならない激情を、互いの鼓動を確かめ合う。

 ――――取り戻した〝時間〟を、確かめる。

 失われかけたこの温かさを。失われかけた記憶を。全てを覚えている自分たちを――――それが何より、皆が生きている(・・・・・・・)証拠なのだと。

 抱き合い、見つめ合い、けれど歓喜だけではないその表情で、こくりと頷いた。

 

 

「ここから、ですわね」

 

「ああ。俺たちの戦争(デート)は――――まだ終わってない」

 

 

 何も終わってはいない。否、始まっていない(・・・・・・・)

 

 だからこそ、世界は変わる。未来は変えられる。

 

二月十日(・・・・)――――悲劇を打破しうる可能性を秘め、この日に二人は帰還を果たした。

 

 

 

 

 

 全ての運命を変える――――最後の戦争(デート)を始めよう。

 

 

 






FINAL TIME『狂三リビルド』

さあ――――物語を、創り変えましょう。


入城(キャスリング)。キングとルークを同時に動かし、キングを安全圏へ逃がすこと。そもそも五河士道の役割は戦うことではなく、初めから澪を観測した狂三を逃がすことにあった。……壮大にやったんで細かいところは勢いで大目に見てくださると嬉しいです、はい。チェック手前の状況を押し返せる駒、それが何このチートな琴里だったというわけですが。

五河琴里、〈イフリート〉・霊結晶(セフィラ)融合体。
琴里の中に残された灼爛殲鬼の残滓が新たな霊結晶と融合〝進化〟を果たした形態。ミレニアム特別バージョン。ぶっちゃけ仮〇ライダーの劇場版特別フォーム。一話限定でのみ許されるチート形態。
天使〈灼爛聖鬼(カマエル)〉には〈擬象聖堂〉の特性が組み込まれ、空間干渉を殺し、物理干渉には不死身に近い再生能力で対応する。組み合わせてはいけないチートその一。
体内で炎を燃焼させ、内部を破壊するほどの強化を施しながら瞬時に肉体再生を行う。これにより霊力吸収状態の十香すら超えるパワーを得る。チートその二。
翼刀(ヘネツ)】。戦斧を刀へと変質させる。空間さえも焼き尽くす全ての炎を刀身へ込め、至近距離にて一瞬ではあるが爆発的な破壊力を有する。
白砲(メギド)】。言わずもがな最大最強の必滅兵装。範囲攻撃という点で見ても、この火力に迫るものは澪の霊力を取り込んだ十香の【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】、もしくは澪の霊結晶そのものを取り入れたごにょごにょ……くらいなもの。

なお、本編を参照しての通り、この琴里をもってしても澪を討滅し得る可能性は決して高くはなく、むしろ時限強化での自滅の可能性が高い。強い、崇宮澪とっても強い。

書いてて、何でここまでして勝てない雰囲気出てんの……?って思ってました。ちなみに本当に今話限定の特殊フォームです。こんなチート何度も出せるかい。最終章手前で澪が現れてしまったからこその切り札でした。
ちなみにチートにチートを返す戦いは書いててとても楽しかったです。重力が数十倍ならそう弁えた上で強化すればいいじゃない……理不尽すぎるこれ、1回やってみたかった。

この展開は最初期から決めていて、士道たちを送り出すのは琴里。【六の弾】は心中のように描写して……っていうのもずっとしたかったことでした。正直、【六の弾】を隠せた理由捻り出すのに苦労しましたけどね!!知らなかったからこそ、気がつけた。澪ですら干渉不能で出処不明の経路の中にあって士道もしっかり自覚しないと取り出せないとか、どう対策しろと。

琴里に関しては、そういえば令音の親友だけど正体判明からの対面はあんまりなかったなぁ……と。立場を失って、白と黒を重ね合わせた琴里だからこそ……私の独自解釈大目でしたが、いかがでしたでしょう。お義姉ちゃんも書けましたね!!


さて、さて。とても長くなってしまいました。何せ、最終章なもので。そう、最終章なのです。最終章に来てしまったのです。五河アンサー編は二人の最終章、こちらは物語の最終章。この屁理屈ずっと用意してましたごめんなさい。
完結まで遠すぎるわ!とか言っていたのに、いつの間にか最終章まで辿り着いてしまいました。これも一重に、皆様の応援のおかげ。ありがとうございます!! そして、現在遅れながらも最終章進行中なので、評価とか感想とか評価とか感想とか!!お願いします!!本当に!!待ってます!!

どこまで強欲なんだ、って感じですけど評価にはお話で返すつもりです。今話で回収された伏線は多数ですが、まだ語られていないもの。そして、取り残したものがあります。
最終章・『狂三リビルド』。長い、長い物語の終局点。どうか、最後までお付き合いいただければ幸いです。
それでは、次回お楽しみに!!


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狂三リビルド
第百七十五話『11番目の精霊(スピリット・ゼロ)


本当の本当に最終章。ここまで、士道と狂三の物語を見守っていただいたことへの感謝を。そしてどうか、この物語の終わりを見届けていただければ幸いです。








 

「ん」

 

「……ああ。ありがとうございます、士道さん」

 

 差し出した温かい缶コーヒーに一息遅れて(・・・・・)顔を上げ、確認した狂三が両手を使い缶を受け取る。

 そんな狂三の仕草に眉を下げて、彼女の座るベンチの隣に腰掛けながら声をかけた。

 

「大丈夫か? 予知の負担とか……【六の弾(ヴァヴ)】は意識を引き継げるけど、その分精神的な負担も引き継いじまうだろ」

 

 【六の弾(ヴァヴ)】は【十二の弾(ユッド・ベート)】とは異なり、意識のみを過去へ飛ばしその時間からやり直すことが出来る力。つまりは、意識のみの時間遡行。

 その分、過去へ遡れる時間もしれている。今回はおよそ四日前、時間に換算して百時間相当の時間遡行。だが、【十二の弾(ユッド・ベート)】では決して行えない、士道たちの主観(・・・・・・・)による遡行によって、澪に知られることなく時を巻き戻すことが出来たわけだが……無論、主観で引き起こされる時間遡行には欠点もある。未来世界での全て(・・)の事象はリセットされるが、自分たちの精神まではリセットされることはない。

 事ここに至るまで、士道が消滅する未来を回避しようとし、ひたすら未来予知を行っていた狂三の精神負荷は、常人では計り知れないもの。それらの負担は、危機を乗り越えたからこそ今の狂三に大きくのしかかってくるはずだ。

 だから士道は、これからのことを話す前に一息をつこうと提案した。気を抜くわけではないが、張り詰めた糸を切るわけにはいかない。

 士道の気遣いに、狂三はふるふると首を振って気丈な微笑みを見せる。

 

「平気ですわ。この程度、皆様が受けた痛みに比べれば……」

 

「…………」

 

 だが、その美しい貌には隠し切れない疲労が見て取れ、士道はもう一度顔を歪めることとなる。

 精霊たちの死の未来。最悪の結末から、脱することこそ出来たものの、悪夢の記憶は未だ消えたわけではなく、結末が訪れていないだけでもある。

 それに、狂三は〈刻々帝(ザフキエル)〉の予知によって、想像もつかないほど数えきれない精霊たちの『死の未来』を〝観測〟しているはずだ。それは、士道では肩代わりしてやることは出来ないものだった。

 でも、放ってはおけない。その未来を回避するために、士道と狂三は二人で舞い戻ったのだから。

 

「でも、苦しいのは事実なんだろ。みんなも同じだったからこそ、俺はみんなと同じくらいお前のことが心配だ。今は遠慮なく寄りかかってくれ」

 

「……ふふっ。わたくしが一番とは、仰ってくださらないのですね」

 

 冗談めかして返す狂三に士道は、はぁとため息を吐いて言葉を返す。

 

「お前、それ言ったら怒るだろうが」

 

「ええ、叱らせていただきますわ」

 

 ほらやっぱり。なんて絶妙な顔を作る士道を可笑しそうに笑った狂三が、士道に寄り添うように肩を乗せてくる――――以前までと違い、憂いも躊躇いも感じられない、愛おしい少女の香り。

 狂三の髪を梳くように撫で、士道は囁く。

 

「もっと欲しいなら、幾らでもしていいんだぞ」

 

「……これで、十分ですわ。現在(いま)のあなた様を感じられる。それだけで、わたくしには……急に増えすぎては、パンクしてしまいますもの」

 

「……そっか」

 

 今まで、修験者のように自分を戒めていた狂三らしいやり方だな、など失礼なことを考えてしまい、士道はフッと顔に出して笑う。

 夜は明けず、緩やかに時が流れる。けれど、深淵からは遠く、穏やかな行為。互いに身を寄せ合い、慈しむ。たったそれだけのことが、士道と狂三には黄金以上の価値があった。

 

 だから今は、今だけは。

 

「ん……」

 

「……あぁ」

 

 この二人の時間を、手に入れた時間を――――刻み付けたかった。

 抱きしめ合うのではなく、口付けを交わすのでもなく、ただ寄り添うこと――――士道たちが望んで止まなかった、幸せの一つが叶った瞬間だった。

 

 

 

 

「――――これから、どうする?」

 

 仄かに陽の光が差し込み始め、真夜中の街がほんの少しだけ照らされだした頃に、士道は長い沈黙を破り声を発した。

 沈黙を破ることに、抵抗がなかったわけではない。けれど、士道と狂三は自分たちの幸せのために時間を戻したわけではない。運命を打ち破る(・・・・・・・)ために、過去へ戻ってきたのだ。なればこそ、休息は必要だが行動を止めるわけにはいかなかった。

 

「……わたくしたちの最終目的は、世界を変えること(・・・・・・・・)ですわ。そのための行動を起こすといたしましょう」

 

 はっきりと瞼を上げ、何かを見据える狂三。その瞳には、士道には視えないものが映し出されている。

 士道と狂三の最終目的――――世界改変(・・・・)。自分たちに都合のよく世界を変えてしまう、極限のエゴ。今さら、言い繕うことも逃げることもしない。士道は、狂三の手を取るために魔王になることすら厭わない。

 しかし、当然壁は大きい。ただでさえ巨大な壁だったものに、それを超える壁が士道たちの前にはあった。

 

 始原の精霊・崇宮澪。

 

 〈(デウス)〉の名で呼ばれる窮極絶対の精霊。

 狂三の未来予測。十香の神をも裂く剣。琴里が新たな霊結晶(セフィラ)を得て姿を変えた、精霊融合体。

 そのどれを取ったとしても、並の精霊の次元を遥かに超える力があったが――――それさえも凌駕し、何者も寄せ付けることのなかった澪の強さは、まさに神の名に相応しいと言えた。

 澪の存在を観測し、時間を遡ることに成功した。が、それは事態の解決を意味していない。

 その力に怯んでばかりはいられない。同じことをしては意味がない。士道はこくりと頷き、狂三へ言葉を返した。

 

「そうだな。令音さん……澪を何とかしなくちゃいけない。そのために――――あいつ(・・・)は俺たちを過去へ向かわせるよう、手を尽くしてくれたんだから」

 

「…………、ええ」

 

 躊躇い、澱む返答。士道の服をぎゅっと握り、狂三は少女へ思いを馳せていた。

 狂三に付き従い、狂三が一度は見捨てる選択をし――――死してなお、狂三のために何もかもを投げ打った精霊・〈アンノウン〉。

 少女の尽力がなければ、こうして分かり合えた狂三との時間も、きっと存在していなかったことだろう。澪のことを何も分からぬまま、士道という存在は消滅していたことだろう。狂三だけでなく、士道にとっても深く思い入れがある精霊。

 だから……狂三も、今までにない顔を見せている。

 

「わたくし、ずっとあの子と一緒にいたのに……あの子のことを、何も知りませんわ」

 

 悔やむように、いや、悔やんでいるのだろう。未来では、ようやく向き合うことができる道を選べた時に、狂三の目の前で手遅れだと思い知らされたのだから。

 それだけじゃない。少女がどういう存在なのか、誰と関係があるのか(・・・・・・・・・)。それは想像や澪の言葉でしかなく――――少女自身からは、何も教えられていない。

 けれど、知らないからこそ知ることができる。狂三が知らないというのなら、士道は狂三以上に少女のことを知らない。知ろうとしても、知ることができなかった。

 

「ああ。俺たちは知らない(・・・・)。だから――――」

 

「――――あの子へ、会いにいきましょう」

 

 

 だが、今は、今ならば――――時崎狂三は、知ることができるはずなのだ。

 後悔を得て、迷いを振り切った狂三と士道の心は同じものを見る。この世界で為すべきことを決め、休息を終えるように二人は立ち上がった。

 

「…………」

 

 振り向けば、街並みが目に映り込む。平和な街並みだ。数日後に、皆が見ることができなくなっていた光景――――この世界で、そんなことはさせない。もう一度、同じ景色が見られるようにと胸に誓った。

 

「そのためにも、まずは味方(・・)を増やすことから始めましょう」

 

「……そう、だな」

 

 少し、重い返答をしてしまったのは、士道も狂三と同じ相手を思い浮かべたからであり、事情を真っ先に話すべき立場の相手であり――――出来ることなら、背負わせたくないと思ってしまう大事な人。

 

「士道さん」

 

 その葛藤を、狂三は支えるように名を呼び、手を差し伸べる。微笑みは穏やかで――――幾度となく、その顔を見て思うのだ。

 

 

「ああ――――ありがとう、狂三」

 

 

 どんな絶望が待っていたとしても、士道は後悔をしないと。

 重ね合わせた手を、もう二度と離すことはないのだと――――時を超える旅路を、最愛の少女と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――確か令音さんは今日と明日、休みだったはずだ」

 

 帰路に着き、五河家を目前としながら士道は狂三と情報の整理を行う。

 士道の記憶が確かならば、令音は土曜、日曜と休暇を取らされた(・・・・・)という話を耳にした。両日ともに部屋に引きこもっていた士道だが、最低限の情報は琴里から受け取っていたのは幸運だったと言えよう。

 狂三も、士道の情報と照らし合わせながら言葉を選ぶ。

 

「今日、皆様はチョコの材料の買い出しに向かうはずですわ。その中に、令音先生は不在……完全に安心できるわけではありませんが、ひとまずは情報漏洩の危険は少なくなりましたわね」

 

「ああ。けど――――だから俺は、今日(・・)である程度ケリを付けたい」

 

 もっと正確に言うなら、今日の夜(・・・・)までには、少なくとも令音を除く全員から理解を得たいと思っている。

 明日は、士道の中でするべきことが決まっていたのだ。狂三は唐突な提案に目を丸くして――――察したように、細く息を吐き出した。

 

「確かに、あの時とは違い説得のできる札を用意できるのなら、澪さんと今一度ぶつかり合うよりは〝勝算〟の高い戦術とは思いますけれど……肝が据わっていますこと」

 

「伊達にお前と繰り返して(・・・・・)ないさ――――俺にできることは、元から一つ(・・)だけだからな」

 

 頭の中で思い浮かべる、ただ一つの方法。

 未来の世界で、士道にできることは限られていた。皆に守られながら、最後の最後で【六の弾(ヴァヴ)】に行き着き、ようやく士道は精霊たちの戦いに報いることができた。

 だから、考えていた。未来予測、最強の剣、不死の焔。どれであっても、澪を倒すには至らなかった。なら、士道にできることは何か――――士道だけに(・・・・・)、できることは何なのか。

 答えは、ずっとそこにあったのかもしれない――――だが、それを確定させるためにも、まずは白い少女から話を聞くことが先決である。

 

「ま、今はとにかく、家に戻って琴里が外出する前に話をしないとな」

 

「ええ、そうですわね……?」

 

 ふと、士道の言葉に頷いた狂三があごに手を当て物思いに耽ける。まるで、何かを思い出したような反応に、士道は首を傾げた。

 

「どうかしたのか?」

 

「……士道さん。外出の際、そのことを琴里さんへ伝えましたの?」

 

「え……いや、急いでたし、こっちへ戻ったのもあんな時間だったからな。何か残したりはしてない……な」

 

 そこまで言い切り――――ピタリと、士道も動きを止める。

 凄く、嫌な予感がした。士道はこの時間軸において、今はまだ泥沼の迷いにいた。そして、精霊たちは酷く士道を案じてくれていた。特に琴里は、士道の妹ということもあり、極力言葉にはしなくとも士道を気遣ってくれていた記憶が、自分の中に真新しく残っている。

 さて、ここで問題となるのが、士道と周りの〝差異〟である。士道の中では、この問題は乗り越えた上に狂三とも隔たりがないとわかっている。が、精霊たちは違う。理解を示してくれたことも『なかったこと』になってしまった。

 琴里の視点を想像してみよう。朝起きたら、深く思い詰めていた兄が忽然と消えていた――――――嫌な汗が背中を伝う。いやいや、まだ気づかれていない可能性も、なんて楽観をしてみた士道に、狂三がシレッと恐ろしい事実を口に出した。

 

 

「ところで、士道さんのご自宅が妙に騒がしいのですが」

 

「それを早く言ってくれない!?」

 

 

 楽観的な想像をしている場合ではなかったらしい。いきなり大ピンチ。士道がこの状況で失踪など、最悪の場合琴里から令音へ連絡が飛ぶことだってありえる。眠れる獅子を起こす、なんてレベルの話ではない。

 狂三と手を繋いだまま大急ぎで家まで戻る――――ここで、念の為に狂三と別行動をしなかったのは、冷静さが足りなかったと言わざるを得ないだろう。

 

「琴里!!」

 

 バァン、と強く玄関のドアを開け、妹の名を叫ぶ。

 

「!? お、おにーちゃん!! 一体どこに――――――」

 

 朝早くに帰ってきた兄を出迎えた琴里の姿は、寝巻きを着崩して非常に危ないものだった。恐らく、相当な心労をかけたのだと思われる。

 扉を開けた士道を見つけ、ギョッと目を剥いて琴里は大慌てで駆け寄り――――ピタ、と動きを止めた。

 

「し、士道……?」

 

「あ、ああ。黙って出かけて悪かったな。ちょっと外せない用事が……」

 

 とりあえず当たり障りのない説明だけでも、と言葉を並べた士道だったが、わなわなと震える琴里の様子にはて、と首を捻った。

 疑問符を浮かべた士道だったが、ちょんちょんと脇腹を突く華奢な指先の存在で、その理由をようやく悟る。

 

「……士道さん。今日この日に、あなた様といるわたくし、という違和感を忘れないでくださいまし」

 

「…………あ」

 

 今思い出しました。そんな声をもらした士道に、狂三が呆れ顔で息を吐いた。

 そう。先ほど考えたばかりだったというのに、急ぎ過ぎて失念していた。琴里にとって、このタイミングで士道がいなくなったことは一大事であったのだろうが……それ以上に、帰ってきた兄が狂三を連れてきた(・・・・・・・・)――――――ああ、そりゃあ、家が揺れるほど驚く(・・・・・・・・・)に決まっているだろう。

 

 

「――――思い詰めて逃避行はどうかと思うわよ!?」

 

「なんでその考えに行き着いた我が妹ォ!!」

 

 

 そんな何とも騒がしい朝が――――士道は、涙が出るほど嬉しかった。

 

 琴里が生きている。皆も、何も知らずに生きている――――これから知る絶望に、負けないことを、願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で――――一体どういうことか、ちゃんと説明してくれるんでしょうね、士道」

 

 チュッパチャプスの棒をピンと立てながら、普段着に着替えた琴里が訝しげな顔をして言う。

 今朝の騒ぎを一段落させ、士道自身も一度落ち着く意味を込めて服を着替えてから五河家リビングにて琴里と対面した士道……と隣に座る狂三。

 

「ああ。そのために、狂三と会ってきたんだ」

 

「……わかった。何があったのか(・・・・・・・)。全部、聞かせてちょうだい」

 

 頷きながら、覚悟を決めて琴里と向き合う。

 ――――過去に一度、同じようなことがあったことを思い出す。

 【十二の弾(ユッド・ベート)】の力で過去を変えたこの世界で、士道は狂三と共に琴里へ事情を説明した。が、今の心境は、正直に言えばあの時の比ではなかった。

 あの時は既に世界を書き換えた後。今は、これから(・・・・)世界を書き換える。士道と狂三だけでなく、琴里たちの協力も必要不可欠――――その超えるべき壁(・・・・・・)が誰なのか、琴里に知らせるのはあまりにも酷すぎた。

 

「…………ふぅ」

 

 深く息を吐き出し、落ち着かせる。それでも、言わねばならないことがあると。

 ここで立ち止まっては、自分自身を裏切ることになる。今の士道は、ただ告げる役割の自分を恐れているだけなのだ。己の身の可愛さに、恐れているだけ。

 それは――――命を懸けて道を作った琴里への、皆への冒涜ではないのか。

 

「……きっと、前以上に信じられないことだと思う。けど……俺たちに力を貸してほしい。そして、琴里に、みんなに信じてほしい」

 

 蕩々と、士道は話を始めた。

 

 

「俺と狂三が――――未来で、視てきた全てを」

 

 

 深い悲しみが連鎖した、失われし悲劇と絶望の物語を。

 

 

 時崎狂三が抱えた過去のこと。

 

 士道と狂三が重ね合わせた新たな希望のこと。

 

 白い少女を取り込み、姿を現した始源の精霊・澪のこと。

 

 ――――令音が、澪の仮の姿であったこと。

 

 抵抗も虚しく、狂三以外の精霊の霊結晶(セフィラ)が奪われてしまったこと。

 

 澪の力を奪った十香でさえ、消し去られてしまったこと。

 

 そして、少女の霊結晶(セフィラ)と融合した琴里の助力を最後に――――士道の中に存在した【六の弾(ヴァヴ)】を使って、狂三と共にこの時間軸へ戻ってきたことを。

 

 長い、長い話を終えて。

 

 

「………………、そう」

 

 

 長い、長い沈黙を挟み。琴里は、苦しみの中でもがくことを耐えるかのように、たったの二文字を吐き出した。

 だが、それだけで……琴里の心中を察するに余りある。

 未来で体感した士道たちと、まだ未知の出来事である琴里では、まるで違う。何より、琴里は令音の親友なのだ。信じられないと、喚き散らしてもおかしくはない。

 だけど、琴里は、士道の妹は――――――

 

 

「辛かったでしょうに、よく話してくれたわね。士道、狂三――――生き残ってくれて、ありがとう」

 

「……っ」

 

 

 泣くこともせず、士道と狂三を信じ、さらには気遣えるだけの精神を有していた。

 それが幸運であったのか、不幸であったのか。少なくとも、兄である士道以上に強靭な精神を持ってしまったのは間違いない。

 涙が出そうになるくらい、士道には優しい言葉だった。けれど、泣くことはできない。言葉とは裏腹な琴里の悲痛な表情を見て、泣くことなどできるわけがなかった。

 礼を述べた琴里に、狂三がふるふると首を振って言葉を返す。

 

「いいえ。生き残ることができたのは、琴里さんを含む皆様の力があったからこそ……本当に、ありがとうございます」

 

「……何か、あなたにそう言われるのは照れくさいわね。しかも、未来の自分がやったことでなんて」

 

 そう言って、琴里は苦笑しながら頬をかく。恐らく、本当に両方の違和感が琴里の中にはあるのだろう。

 暗くなりかねない空気を払拭するように、士道も未来の琴里の姿を思い起こし言葉を述べる。

 

「いや、本当に凄かったんだよ。琴里がいなかったらどうなってたか……今の琴里にも見せてやりたいくらい、琴里はカッコよかったぜ」

 

「何よそれ。私が私を見るだなんて……せめて、凛々しかったにしてほしいわね」

 

「うふふ。そうですわね。士道さん、女性を褒める言葉選びは慎重に、ですわ」

 

「おっと。これは失礼しました」

 

 大仰に肩を竦めながら言うと、二人が楽しげな笑い声を漏らした。

 ……きっと、こんな状況でなければ素直に喜べたのだろうやり取り。狂三が、憂いなく精霊たちと笑うことができたのなら。それこそが、士道の望みの一つであったから。

 そして、一つの望みが果たされていることに、喜びを覚えるのは士道だけではなかった。

 

 

「――――お姫様には、なれたみたいね?」

 

 

 その言葉と微笑みは、心からの祝福であると士道には思えた。

 向けられた狂三は目を見開き、そうして受け入れるように目を伏せ――――変わらぬ妖しい微笑み(・・・・・・)を以て言葉を返した。

 

「はて、さて、それはどうでしょう。わたくしには、魔王と寄り添う悪夢の女王がお似合いですわ」

 

「……はっ。素直じゃないのは変わらなそうね」

 

「あら、あら。琴里さんは素直なわたくしが好みだと? 困りましたわ、困りましたわ。わたくしには五河家を誘惑してしまうDNAが刻まれているのかしら」

 

「ほんと可愛くないわね、あなた……」

 

 頬に手を当て素敵に微笑む狂三と、呆れ顔でため息を吐く琴里。

 皮肉をもって優雅たれ、というのは些かおかしな言葉ではあるが、とても狂三らしいものだと思う――――それを受け入れて、彼女の中の優しさを感じられる友人がいてくれるということも。

 これだけの報告だったのなら、会話だったのなら、どれほど幸せであったことだろう。士道が笑い、狂三が笑い、琴里が笑う。それだけで――――だけど、それ以上の結末を望むからこそ、士道はこの先の言葉を告げる他ない。

 

 今はまだ――――何も終わっていないのだから。

 

 

「みんなのお陰で、俺たちは過去を変えることができた。だから、未来を変える(・・・・・・)戦争(デート)を、俺はやり遂げる」

 

 

 妹を慰め、思いっきり抱きしめてやるのは兄の役目。そしてそれは、全てが終わったあとと決めている。

 今変えることができたのは、何も知らなかった自分たちの過去。であるならば、変えるべきはここより先の未来事象。

 これまでの経験、士道の力。それらをよく知っている琴里だからこそ、士道の言葉の意図に気づいて目を見開き低く言葉を返した。

 

 

「そうね……私たちのするべきことは変わらない。〈ラタトスク〉の使命は、精霊の封印(・・・・・)

 

「どんな相手だろうと、精霊なら俺たちのやるべきことは一つしかない、だろ?」

 

 

 武力による討滅? 過去改変による事象干渉?

 

 否。断じて、否。士道がこれまで行ってきたことを、否定してはならない。なかったことに、してはいけない。

 例え、誰かに仕組まれたものであったとしても、士道が精霊を救いたいと願った想いは――――誰かに押し付けられたものではなく、士道自身の切なる願い。

 首を前に倒し毅然とした顔を作り、〈ラタトスク〉司令官・五河琴里が馴染みの、しかし異なる開幕の鐘を謳った。

 

 

「さあ――――私たちの、最後の戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 全ての因縁、因果の始まりへ向かうため――――――

 

 

「と、わたくしも水を差したくはないのですけれど、最後の前にするべきことが残っていますわ」

 

 時の女王が、文字通りの待った(・・・)をかけた。

 

「……止めるなら、もう少し早くしてほしかったわ」

 

最後(・・)という言葉まで加えて、完璧な決め台詞を見せつけた琴里が、憮然としながらも頬を染めて恥ずかしげに腕を組む。

 文字通り、これは最後の戦争(デート)になる。だから琴里の宣言は間違っていない。いないのだが、狂三はニコニコと笑顔な調子で声を返した。

 

「いえ、琴里さんがうずうずしていらしたもので、つい」

 

「ついじゃないわよ、ついじゃ。最後って言っちゃったのにどうしてくれるのよ」

 

「この手の最後は、基本的に最後にはなりませんので心配いりませんわ。ほら、テレビ放送が終わったあとに直ぐに二号さんを主役にした番外編が発表されたりなど……」

 

「何の話!?」

 

 本当に何の話なのだろうか。困惑する士道と琴里を後目に、狂三は言葉を続ける。

 

「最後に至る前に幾つかすべきこと、しておきたいことがありますの。文字通り、それ(・・)は後戻りができないことですので」

 

「……なるほどね」

 

 琴里も相応に納得を得たのか、組んだ腕をそのままに息を吐いた。

 そう。士道たちの選択肢は、本当の最後(・・)。選んでしまえば、後戻りはできない。言うなれば、今の士道たちはRPGのラストダンジョンに挑む直前の状況。やり残したことがあれば戻れ、という警告を受けた状態なのだ。

 最後である以上、尽くせる最善は尽くすべき。士道も頷き、声を発した。

 

「ああ。俺たちには絶対、会わなきゃいけないやつがいる――――それに、みんなにも伝えないと」

 

 それもまた、気が重いものではあるのだが、と士道は深く息を吐いた。

 令音のこと、白い少女のこと。どちらも、琴里や狂三ほどではないにしろ精霊たちとは縁がある。

 村雨令音。彼女は精霊たちを気遣い、愛し――――未来の世界で、皆殺しにした。どちらの感情も偽りなく本物だからこそ、士道の心に重くのしかかった。

 士道の葛藤を表情から読み取り、琴里が難しげな顔で繋いだ。

 

「そうね……みんなを除け者にはできないわ」

 

「ああ。みんなは、きっと乗り越えてくれる……でも、な」

 

 やはり、気分が重いことには変わりなかった。

 未来の世界で、精霊たちは一人として欠けることなく令音と相対した。選択肢のない、という側面は否定しない。が、それ以上に――――彼女たちは、士道が思うよりずっと強かったのだ。

 彼女たちがいたから、士道はここにいられる。自身がやるべきことを続けていられる。返し切れない恩をもらった彼女たちに、ここに至って情報を隠したまま、などと侮辱的な行為はできない。

 だから士道は、琴里に話す時に言った。みんな(・・・)の力を貸してほしいと。故に、首を振り言葉を切って、士道は笑みを浮かべた。

 

「……いや。みんななら、大丈夫だ。確かこれから集まるんだったよな? ここに集まってもらって――――――」

 

「――――いえ」

 

 と、狂三が全く別の方向を見ながら、言葉短く否定を述べた。

 脈絡のない唐突な否定に、士道と琴里は顔を見合わせて首を傾げる。

 

「どうした、狂三」

 

「……どうやら、懸念は不要のものでしたわね」

 

「へ……?」

 

 瞬間――――何やら、騒がしい声が聞こえてきた。

 それは扉を開く大きな音と共に、段々と近づいてきて――――

 

「――――シドー、狂三!!」

 

 先ず、いの一番。エントリーナンバー1、夜刀神十香。

 

「と、十香!?」

 

「うむ……狂三!!」

 

 急にリビングに飛び込んできた十香が、士道と狂三の姿を確認するなり、狂三に飛びかからんばかりの勢いで迫り、彼女の手を取って言葉を続けた。

 

「もうシドーから――――私たちから、離れてはいかぬのだな!?」

 

「っ……!?」

 

 十香の発言に、士道は息を詰まらせて言葉を失う。

 狂三が離れていかない――――士道と狂三の道が完全に交わったことを、どうして十香が知っているのか。

 狂三は士道とは違い、フッと優しく微笑むと十香の手を取りながら言葉を返した。

 

「ええ、ええ。わたくしは士道さんと……皆様と同じ道を歩くことを選びましたわ。今さらと思われるかもしれませんけれど……」

 

「そんなことはない。狂三が選んだのなら、私は胸の奥が嬉しい気持ちでいっぱいになる……何かを諦めたわけでは、ないのだろう?」

 

「もちろんですわ。寧ろ、士道さんのせいでもっと欲張りになってしまいましたの」

 

「なんと!! さすがはシドーだな!!」

 

 女子二人、ワイワイと盛り上がって、何やらあっという間に分かり合ってしまった。

 士道は琴里と共に目を丸くしながら、ハッとなり慌てて士道が十香へ声をかける。

 

「お、おい十香。なんでお前が――――――」

 

「――――観葉植物の裏手」

 

 それに応えたのは、十香ではなく彼女の髪を撫でる狂三。またもや要領を得ない一言だが、的確に〝原因〟を察することができる〝理由〟を続けざまに提示した。

 

 

「まあ――――精霊マンションからこの家の距離なら、盗聴範囲(・・・・)はわけないですわね」

 

「……あぁ!!」

 

 

 呆れた視線の狂三。それがまさに答えであり、声を上げた琴里が駆け足に部屋に飾られた観葉植物の裏手に手を入れ、小さな電子機器(・・・・)を手に取ってみせたのだから、士道も理由に行き渡ることが叶った。

 

「そ、それって……」

 

「間違いないわ。やられた……こんな古典的な方法で出し抜かれるだなんて……」

 

 念の為、〈フラクシナス〉管理AIのマリアにまで依頼し、令音への警戒は厳に敷かれていた。士道の家と言えど、何から漏れるかわかったものではない――――だが、士道の頬がひくついてしまう盗聴器(・・・)というやり方は、自分たちの頭の中にはたった一人しか思い浮かばない。

 

「シンプルな方法は、最後の最後で効いてくる」

 

 抑揚の薄い声で、淡々と。静かな足取りで彼女はリビングの扉を開いた。

 

「村雨先生が同じ手段を取っていたならこの時点でゲームオーバーだった。気を付けて」

 

「…………折紙」

 

 精霊&同級生、もとい士道ストーカー資格一級。鳶一折紙嬢は、そう有難くご高説をかましながら姿を現した。

 

「さすがは狂三。見破られるとは思わなかった。考えることは同じ」

 

「同類に分別されて、こんなにも嬉しくないことは初めてかもしれませんわね……」

 

 分身を使い、人より多くの目を持つ狂三にすらため息を吐かせた折紙は、なぜか反省の色はなく誇らしげだった。

 精霊マンションではなく、自身のマンションに住む折紙がここにいて、さらに十香にまで話が通っているということは――――

 

「呵呵、深淵の闇より我、降臨!!」

 

「請願。夕弦たちにできることがあるなら、協力させてください」

 

「なーにー、知らない間にくるみんと少年が和解しちゃってるとか、熱い展開になっちゃってるじゃないのよさー。これ以上乗り遅れるのは二亜ちゃんの主義に反するのよねぇ」

 

 耶倶矢、夕弦、二亜。後ろから四糸乃、七罪、六喰がひょっこりと顔を出し……三人に覆い被さるように、美九が至福の表情で顔を出している。

 まあ、つまり、これは全員集合(・・・・)と表現して構わないのだろう。

 予想外の方向で事態が進展してしまったことに、士道は頭を抱えながら首謀者へ問いただした。

 

「こんな方法を思いつかなかった俺も悪い……いのかはともかく、この際方法に関しても一旦置いておく。どこからどこまで、聴いてた?」

 

「全て」

 

「おぉう……」

 

 ズバット超剣豪……ではなく、ズバッと断言されてしまい、さっきまでの気負いは何だったのかと士道は目が回り始めてきた。

 そんな士道を見て、二亜が相変わらずのお気楽な笑いを見せながら声を発した。

 

「いやー、たまには早めに集まってみるもんだよねぇ。話を聞けたのはオリリン様々って感じだったけど」

 

「折紙、あとでたっぷり話があるわ」

 

「あなたは誤解している。この盗聴器は注意喚起のため。事実、今役に立った」

 

「へぇ。じゃあもちろん盗聴器はこれだけなのよね?」

 

「ああ。士道さんの着替えに、幾つか仕掛けられていましたわよ」

 

「そうだと思ったわよ!! ていうか狂三も気づいてたなら言いなさいよ!!」

 

 うがー、とテーブルを叩いて怒りを顕にする琴里――――ただ、その表情には隠しきれない嬉しさが滲み出ている。

 士道も、同じだった。予想外の形ではあったが、その予想外が自分たちらしく笑いすら込み上げてきた。

 

「……じゃあ、もうみんな事情は理解してくれたんだな?」

 

「そう」

 

「はい……!!」 

 

「むん」

 

 思い思いに、迷いのない肯定。彼女たちなら、きっと――――そのきっとすら、余計な気遣いだったのかもしれない。

 一人一人の顔をしっかりと目に焼き付け、士道も迷いを振り切った言葉を放った。

 

 

「わかった。みんなの力を貸してくれ。俺たちの戦争(デート)を――――始めよう」

 

『――――おぉっ!!』

 

 

 精霊たちが、一斉に答える。

 士道と精霊。これまでの因縁、全てを精算するために。士道だけでは行えない、全員の戦争(デート)が――――始まった。

 

 

 

「……それで、私たちは具体的に何をすればいいの?」

 

 一致団結の後、七罪がおずおずと手を挙げて質問を投げかけた。

 投げかけられた相手……無論、士道と狂三であるが、士道より先に狂三が不敵な笑みを浮かべ、僅かに左目にかかる髪を掻き上げた。

 

「そうですわね……皆様のお力添えが必要であり、同時に皆様がやり残していたこと。それがこの〝計画〟の第一段階ですわ」

 

「やり残したこと……?」

 

 金色の左目。時を刻む瞳が見据えるは未来と過去。

 未来へ進むため、過去の事象を掬い取る。士道が、精霊たちが、狂三が残してしまった過去。

 

 それは――――――

 

 

「あの子――――精霊・〈アンノウン〉との戦争(デート)。わたくしの可愛らしい従者様を、完膚なきまでに捕らえて(・・・・)差し上げましょう」

 

 

 明かされない真相の鍵を握る、白い精霊との戦争(デート)だった。

 

 

 






『狂三リビルド』編、開幕。攻略対象は11人目であり、そして0の精霊。物語の根幹にして因果の始まり、崇宮澪と密接に関係する精霊・〈アンノウン〉。

この子を語る上でまあ考えていたことは、あんま友好度上がるキャラじゃないだろうなぁって。真相を知っていて、言えない事情がある意味深キャラですからねぇ。その辺り、作者的には今もこの子はどう思われてるのか、みたいなところはありますね。
まあ、この作品唯一のオリジナルキャラということもあり、酷い目に合わせることに容赦とかはありませんでしたけれど。自分が作ったキャラは遠慮なくいけますよね!!

この章は、そんな何を考えているか……は基本狂三ばっかなのでめちゃくちゃわかると思うんですけど、その始まりや計画の到達点は未だ明かされない少女の全てを明かすことになります。やっとこの子のことを色々語れるなぁって……プロローグから登場して攻略は狂三より後という。いや、狂三より前になることはありえないんですけれども。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十六話『白と女王(ファースト・メモリー)

 

「――――折紙さん、これを」

 

 それは、作戦会議が終盤に差し掛かりつつあったその時、見計らったように狂三から差し出された。

 〈フラクシナス〉のブリーフィングルーム。士道を含めた精霊たち全員が例外なく集結している中、狂三は迷いなく折紙へそれ(・・)を渡そうとしてきたのだ。

 

 ――――天使〈刻々帝(ザフキエル)〉の力が宿った、一挺の古式銃を。

 

 間違いなく作戦の要であり、〝詰め〟となるそれを折紙は手に取り、そして大きく目を見開いた。

 

「……!!」

 

 古式銃の重さに驚いたわけではない。己の力の象徴を他者に託す狂三と、銃の中に込められたモノに折紙は動揺させられた。

 霊力を解放していない人の身である折紙ですら、この銃に込められた膨大な霊力に衝撃を受けてしまう。

 

「? 狂三さん、それ何なんですかぁ?」

 

「霊力の弾が込められている……ということはわかるがの」

 

 周りの精霊たちも込められた霊力まではわかるが、それが〝何か〟まではわかっていないのか、個人がそれぞれ小首を傾げて疑問符を浮かべていた。

 だが、折紙にはこれに込められた〝何か〟を理解できていた。直接受け取ったからではない、それでわかるような単純な力の塊ではないのだ。

 しかし、わかってしまうのだ。この古式銃に込められたものは――――かつて、折紙が受けた銃弾(・・・・・・・・)と同じでありながら、全く性質が異なるものである、と。

 真っ直ぐに見つめる折紙の瞳に、狂三は応えるように首を一つ前に倒した。

 

「この銃には、わたくしと〈刻々帝(ザフキエル)〉が持つもう一つの秘奥(・・・・・・・)が込められていますわ」

 

「なぜ私に?」

 

 単純な疑問を折紙は提示する。確かに、これ(・・)はあの少女の意表を突くに足るものかもしれない。が、狂三は迷うことなく折紙へ銃を託した。

 この疑問は、折紙だけでなく会議に加わっていた士道も同じだったようで、続けざまに声を発した。

 

「待ってくれ狂三。やりたいことはわかるけど、いくらなんでも危険すぎる。それなら俺が……」

 

「士道さんでは、勢い余って自分から飛び込んでしまいかねませんでしょう? それに、あなた様はわたくしの予測を良くも悪くも変えてしまいますの。今回ばかりは、琴里さんと一緒に大人しくしていてくださいまし」

 

「…………はい」

 

 些か容赦のなさすぎる一刀両断が士道を襲った。士道は倒れた!

 ……ブリーフィングルームの壁際で七罪のように落ち込む士道を慰めにいきたいが、断腸の思いで折紙は狂三との会話を優先する。

 

「この力を使う最大の理由。折紙さんにはおわかりいただけますわね?」

 

「――――この時間軸でのあなたが、絶対に使わない弾(・・・・・・・・)だから」

 

「ご明察、ですわ」

 

 指を一つ立て、狂三は上機嫌に折紙の答えを肯定した。

 本来、この時間の狂三は別の思考を持っている。即ち、霊力の使用を避けている(・・・・・・・・・・・)状態の狂三だ。

 過去改変のために、大規模な霊力行使を控えている狂三では、絶対に使うことのない弾の一つ。意表を突くには、白い少女の意識の外(・・・・)にある弾に頼る他ない。

 何せ、白い少女が持つ天使は一つではない(・・・・・・)のだから。

 

「わたくしはあの子の戦い方、振る舞い方、感情を相応に理解していますわ。ですが、それはあの子も同じこと。あの子は皆様の力を観測し、理解していますわ」

 

「それに、あの天使がある」

 

「おーよしよし。少年はちゃーんと活躍シーンがあるはずだから心配しなさんなって――――ん?」

 

 狂三と揃って視線を向けた先に、士道を慰めるある少女の姿があった。

 一応、会話の流れもきっちり把握していたのか、向けられた視線に頬をかいて苦笑いしながら声を返した。

 

「あー……そうだねぇ。そりゃあ、あたしたちの力は丸見えだ――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉ってのは、そういう天使だからね」

 

 そう。持ち主である二亜も認める全知全能(・・・・)。それが、天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉。

 かの天使には、この世界のありとあらゆる知が保有されている。この会話でさえも、一語一句間違えることなく丸裸にされてしまう〝可能性〟があった。

 可能性。その一言に落とし込む事が出来る理由は、全知全能が〈囁告篇帙(ラジエル)〉に限る話であり、所持者は誰であれ決して全能ではない(・・・・・・・・・)からだった。

 それを誰より知る二亜が指で眼鏡の位置を整えながら、表情を一転して真剣なものに変えて続ける。

 

「でも、それは知ろうとした場合(・・・・・・・・)。〈囁告篇帙(ラジエル)〉は自動で答えをお出ししてくれる万能機じゃなくて、答えを自分で検索して初めて返答をくれる天使……そこを突くってわけだ」

 

「ええ。普段のあの子ならいざ知らず、未来のあの子の状態から予測した結果、わたくしと士道さんの時間遡行をまだ識って(・・・)はいないはずですわ」

 

「わーお、未来予知かぁ。でも、その割には曖昧じゃない? 何か、くるみんらしくないかも」

 

 高次元の予測。という割には〝はず〟などを加えた狂三の言葉に、二亜が不思議そうに言及する。

 

「仕方ありませんわ。予測といっても確定事項ではありませんもの。そこのお方のように、未来予測を書き換えてしまう可能性もありえますわ」

 

 狂三はそれに苦笑を見せながら、未来視ができる者にしかわからない理論を声にして続けた。

 

 

「それに――――一つに確定させた未来予測など、何かの拍子で崩される弱いもの。ですから、望む未来を〝選ぶ〟ことこそ、【五の弾(ヘー)】が導く未来の本質なのですわ」

 

 

 未来を視せられ、身を委ねるのではなく。

 未来を視て、自らが〝選択〟する。

 その予測者のみが理解できる理論を聞き、二亜は「そんなもんかぁ」と納得を載せた表情で返す。

 確定した未来予測、固定化された未来(・・・・・・・・)というのは、未来視ができる狂三から言わせれば脆いもの、ということらしい。

 そんな狂三の解説に、耶倶矢が隣の七罪の耳元へコソッと声を発した。

 

「ねぇ七罪、わかった……?」

 

「……まあ。言いたいことは、何となく」

 

「え、すっご……」

 

「挑発。耶倶矢の残念な思考回路では理解できなくても仕方ありません。ぷっぷー」

 

「は、はぁ!? 夕弦だって大してわかってないでしょーが!!」

 

 耶倶矢と夕弦のいつもの小競り合いに巻き込まれ、哀れな子羊の七罪が中心で目を回している。広いブリーフィングルームを最大限に活用した騒がしさである。

 ともかく、未来視というのは未来を確定させることではなく、未来を予測し可能性を広げる(・・・)ことこそ本質なのだろう。少なくとも、折紙の持ち得る知識ではそう判断した。

 

「さて、あとは折紙さんを作戦の要に選んだ理由、でしたわね。理由は至極、単純明快――――――」

 

 言いながら、狂三が折紙を見据え立てた指を折紙の頭部へ向け、トンと突くような仕草を取った。

 

 

「あなたか、わたくし。どちらかしかいないのなら、予測に集中するわたくしではなく折紙さんしかいないではありませんの」

 

「私か、あなた……?」

 

「ええ、ええ。だって折紙さんは、わたくし以外に唯一(・・)、あの子が心を開いたお方ですもの」

 

 

 ニコリと告げられた狂三の言葉が、自然と折紙の中に入り込んでくるような気がした。

 唯一。その単語に、琴里が納得を得たように何度か頷きながら声を発した。

 

「言い得て妙だけど、確かにあなたか折紙じゃなきゃこの役は出来っこないわね」

 

「ええ。そしてチャンスは一度きり。だからこその人選ですわ――――少し、悔しいですけれど」

 

 その役割を――――少女を繋ぎ止める大事な役目を、自分でこなすことが出来ないこと。それに対しての感傷ともいえる表情を狂三は見せる。

 

「…………」

 

 今まで数ある銃を手にしてきた中で、これほど意味を重くのしかかる銃は、なかった。

 この一撃に、少女の未来が込められているような気がして。

 真剣な面持ちで銃を見つめる折紙を見て、狂三はフッと目を伏せて言葉を紡いだ。

 

「――――あの子にとって、わたくしとあなたに大きな違いはなかったはずですわ」

 

 狂三と折紙。復讐に生きた者。復讐を裏切った者。裏切られた者。

 ――――白い少女に、見定められたもの。

 

 

「後か、先か。あの子が先に見つけたのが、わたくしだったというだけのこと。その運命が違えば、少しのボタンの掛け違えが――――あの子は、わたくしでも折紙さんでもない者に、仕えていたのかもしれませんわね」

 

 

 ボタンの掛け違え。だがそれは、取り返しのつかない掛け違えだ。

 もしかしたら、折紙だったかもしれない。もしかしたら、別の誰か(・・・・)だったかもしれない――――――それは、少女を生み出した存在だったかもしれない。

 でも、違う。折紙は首を横に振り、狂三の〝もしも〟を否定した。

 

 

「それは、ない。彼女は、何があっても狂三を選んだ……。私が、世界が変わっても士道のことを好きになったように。あなたと彼女も、同じだと私は確信している」

 

「――――――」

 

 

 世界という繋がりは、それだけ強固なのだと知っている。誰より、鳶一折紙は体験させられたのだ。

 折紙の言葉に狂三は目を丸くして――――感慨深さを感じさせる微笑みを浮かべた。

 ……そんなにおかしなことを口にした覚えはないのだが、と折紙は首を傾げて続ける。

 

「どうかした?」

 

「いえ、いえ。世界の繋がりは強固――――それを今、身をもって実感いたしましたわ」

 

「? そう」

 

 折紙の言葉にそれを感じられるものがあったのかは疑問だが、狂三の中では確証を得られたのか満足気に頷いていた。

 そして狂三は視線を鋭く変えて、覚悟を問うように声を紡いだ。

 

「けれど、だからこそ世界を変える価値がある。折紙さん――――自身の命を他者に委ねる(・・・・・・)覚悟、あなたにありまして?」

 

 揺るぎのない世界を変える意志。紅と時計の瞳が、折紙の価値を定めるように射抜く。

 己の命を、己で責任を負う。折紙はそれに慣れている――――そうではない。

 銃口を己に向けて放ち、己が命の全て(・・)を相手に委ねる。次に垣間見える光景は、本当の死の間際。折紙ではなく、命を握った相手が選択することで生死を分かつ。

 生殺与奪の権利を押し付け、命運は折紙ではなく少女に。覚悟を問う銃弾。ああ、けれど、この命は少女に救われたものでもある。

 折紙の指先は、引き金に掛けられた。

 

 

「ある。彼女の手は――――私が掴む」

 

 

 それが、鳶一折紙の選んだ――――戦争(デート)だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『実のところ、どう思っているのです?』

 

「口惜しいに決まっていますわ」

 

 コクピットブロック内のシートにふんぞり返り、とても士道には見せられない歪んだ顔を手で隠しながら、狂三はモニタに出力された『MARIA』の文字に向かって声を発した。

 薄暗いブロック内で霊装の光が仄かに輝き、幾つかの電子音が反響する小さな空間。狂三がここに足を踏み入れるのは、二度目のことであり、元の歴史においてこの二度目は存在しなかったことだ。

 

「元はと言えば、あの子との因縁はわたくしのもの。一度はあの子を見捨てたわたくしが、今さら子供のように自分がやると申し出るつもりは毛頭ありませんけれど……」

 

『理性と感情は別物、と。難しいものですね、人の感情というものは』

 

「そういうものですわ。人というのは度し難く、愚かですわ――――本当に欲しいものを、手に入らぬからと目を瞑ることだってありますもの」

 

 手に入らないなら、諦めて見て見ぬふりをすればいい。愛が憎しみに変わってしまう前に、その人の幸せを願う者。願わずに、憎悪の情熱に囚われる者。

 狂三は、一際そういった人との関係には矛盾を抱えてしまっていた。

 恋した人は、悲願のため犠牲としなければならない人。

 数々の友は、その恋した人に救われ、狂三と同じだけの感情を抱く優しい子たち。

 そして果てまで共にあると誓った従者は――――狂三が仇敵とするかつての友と、同じ存在(・・・・)

 目を閉じれば、誰の顔でも思い出すことが出来た。けれどあの子は、自分の従者だと、その命は狂三のものだと自信を持って言ったあの子の顔だけは――――本当の意味では、知らないのだ。

 

「そうして目を瞑ってしまっては、相対する者のことを何一つ理解できませんわ」

 

『如何に優れた目を持っていようと、閉じてしまえば無意味……そういうことですね』

 

 目を閉じて、可能性を閉ざす。可能性が残されていなければ、未来は閉ざされる(・・・・・・・・)

 狂三は少女のことを知らない。少女の好みを知っている。少女の力を知っている。少女の行動理念が、狂三にあることを知っている。

 

 だけど、何も知らなかった。

 

 知ろうとしなかったのだ。知ることを恐れていた。少女を知る者と定義してしまえば――――少女への感情が、負へ反転してしまいそうだったから。

 

 

「初めから独りだったのなら――――わたくしは、『時崎狂三』であれたのかもしれませんわね」

 

 

 孤独な旅路を選んでいたのなら。それこそ、十香と話した――狂三だけが覚えている――〝もしも〟の話。

 未来を視て、ふとそれを考えてしまうのだ。士道ではなく、あの少女との出会いこそ『時崎狂三』の分岐点ではなかったのか、と。

 士道とはきっと、何があっても出会う。精霊と士道という少年は、そういう因果だ。

 崇宮澪という原因が、精霊という結果を生み出す限り。

 どんな世界でも、士道と狂三が存在する限り。

 だが、その因果の中で異質であり異端なものが、狂三と少女ではないのだろうか。

 封印されていない精霊同士の出会い。澪の想定を超える、新たな因子。結果、辿り着いたのはこの可能性が広がる世界。

 

 複雑怪奇に考えてしまうのが、狂三の悪癖の一つ。故に、結論を一つ――――少女との運命は、きっと奇跡のようなものだったのだろう。

 

 

『――――ですが』

 

 

 深く沈む狂三の思考を、モニタに灯る光が強く引き戻した。

 

『狂三はもう、目を閉じていません』

 

 瞬間――――薄暗かった瞳の外が、煌々と輝きを放つ。

 

『同期完了――――これが何よりの証拠です。その目に迷いがないのなら、その悔しさをAI相手であっても表せるのなら……今口にしたことは、もう過去のものなのでしょう?』

 

「……ふふっ。そうですわね」

 

 少女から目を背け、士道との未来に目を閉じた狂三は、もういない。

 

 『時崎狂三』は――――合理的な精霊は、いなくなってしまった。

 

 今の狂三は、AIを相手に何となしに口を滑らせ、とんでもなく我が儘な少女になってしまった――――五河士道の愛する女だ。

 と、システムの起動まで他愛のない会話を続けていた狂三だったが、ふとマリアの意図を察して問いかける。

 

「もしかして、わたくしのことを慰めてくださいましたの?」

 

『はい。シミュレート結果を元に、適切な〝選択肢〟から私が選出しました』

 

「……感情豊かで気遣いの出来るAIですこと」

 

『お褒めの言葉として預かります』

 

 思考速度はAIのそれであるにも関わらず、受け答えは下手な人間より人間らしいとは。この〈フラクシナス〉のAIは、随分と感情豊かに育ってくれたようだと狂三は息を吐いた。

 語ったことは、嘘ではない。狂三は心の躊躇いを握り潰し、悲願を果たそうとした。そのことを、今さら釈明しようとは思わない。

 だが、そうやって後悔するために狂三は士道と過去へ戻ってきたのではない。このクソッタレな世界をぶち壊すため――――大切な人たちの手を、残らず掴むため。そのために、時崎狂三は戦う。

 

 

「――――システム、起動」

 

 

 瞼を上げて、網膜に視るべきものを焼き付ける。これが最善だと、他に方法はないのだと諦めることは二度としない。

 唯一、この席の主として座ることの許された狂三は、正しくその権利を受け入れよう。

 現実に見え得る情報のみを受け取ったとしても、常人には流しきれぬ滂沱の如きデータの波。それらをマリアと共に取り捨て選択をし、並行予知の準備段階を進めて――――行いながら、以前との違いに眉をひそめた。

 思考リンクの影響からマリアが狂三の考えを読み取り、どこか得意げな声音で声を発した。

 

『気づきましたか。初回時のデータを反映し、システムの完成度を高めることに成功しました。粗の多いシステムを許す私ではありません』

 

「あら、あら。さすがですわね」

 

『もっとも、最終的な調整は狂三がいなければ叶いませんでした。元々、狂三のためだけに作成した設備ですので』

 

 指揮官である琴里はともかく、単なる一精霊である狂三のために〈フラクシナス〉に完全に専用の設備を用意され、あまつさえそれを完成に持ち込んでいるのはどうかとも思ったが、結果的にここへ戻ってきたことで、マリアたちの努力も水泡に帰すことなく日の目を見たようだ。

 

「ま、完成したというのなら、存分に扱わせていただきますわ」

 

 〈フラクシナス〉が収集する情報の全て。それらを狂三とマリア、二人で一人の思考にて引き上げる。空中艦を目とし、二人は艦の頭脳となる。

 

「……?」

 

 すると、これも以前には存在しなかったある一つの名が〝登録〟されていることに気づく。

 登録名。即ち――――この予測システムの名称。

 

『名前がなければ格好がつかない、とのことでした。名称のないものは不便ですから、私が最終的な許可を出しました』

 

「……だからといっても、これ(・・)は自意識過剰が過ぎますわ」

 

『おや。言われ慣れていると思いましたが、女王様』

 

「…………」

 

 どこまでも口の減らない人間くさいAIに頬をひくつかせながらも、狂三はマリアと共にシステム起動完了の最終段階へ移行していく。

 

『オールクリア。狂三、起動タイミングを委ねます』

 

 そうして、作業を終えたマリアが全てのタイミングを狂三へ託した。

 くるりくるりと歯車が回り、かちかちと針が刻まれる。言葉を一つ。もはや、撃ち込まれる銃弾さえ必要とせず狂三は意識を先へと向かわせることが出来る。

 息を吸い、吐く。基礎動作を念入りに、狂三は伏せた目を覚ます。

 両の眼を――――未来へ。

 

 

「同期完了。システム――――〈黒の女王(クイーン)〉、開始(スタート)

 

 

 女王の凱旋――――従者を出迎えるために、少しばかり派手にいこう。

 

 仰々しく、そして誰より大胆不敵に、時の女王は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 記憶こそが人格となり得るのならば、少女にとって人格とは曖昧なものである。

 『私』であって私ではない記憶。生まれながら持っていたにも関わらず、自らのものでないと拒絶した記憶。

 自らのものとすれば、壊れてしまっていた記憶。生まれながらに『私』と定義したのなら、少女は少女でなく、神に仕える役割を果たしていた。言うなれば、価値のある(・・・・・)精霊になっていたのだろう。

 生まれながらに取るべきだった答えに、少女は幾度後悔を持ったことだろう。

 けれど、その答えを選ばなかったことに――――心の底で安堵していた。

 

 私は誰なのか。何のために生まれたのか。意味は、ない。意味は、なかったのだ。

 『私』の計画に不要であったから、私という存在は何ら影響を及ぼさない。イレギュラーなのではなく、可能性がないのだ。少女という存在そのものは、始源の精霊の計画を脅かすことはない。

 

 何故なら――――『私』であれ、私であれ、少女にその気はなかった(・・・・・・・・)のだから。

 

 だって、そうだろう。生まれながらにして知っていた記憶を、少女は受け入れることはせずともそうなのだ(・・・・・)と受け止めた。とどのつまり、少女は所詮〝彼女〟の出来損ないでしかなかった。

 何もなければ、始源の精霊の行いを〝肯定〟していた。意志を持たない出来損ないの精霊。それが、生まれながらに持ち合わせていた少女の宿業。

 

 そんな先天的な宿業に、後天的な願いが生まれてしまった理由。少女が自身の神へ逆らうだけの意味を、持ち込んでしまった特異点。

 それに見返りがなくたって構わない。何を犠牲にしてもいい。ただ、少女はたった一つの願いを叶えたいと思った。

 

 

『――――無事で、よかった』

 

 

 あの子にとってその行動は、きっと特別なことではなかった。

 勇気のある行動ではあった。けど、あの子にとっては当然の行動。自分の正義に従い、省みることなく。力があろうとなかろうと、あの子は同じことをした。

 

 それが、それだけが、何よりも――――少女にとっては、美しく見えたのだ。

 

 

 

 『私』の夢は記憶に。私の記憶は夢に。

 

 夢は、いつか醒めて消えるもの。だけど――――――この記憶(ゆめ)だけは、どうしても消えてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ん」

 

 瞼を開いて、眼球を動かし、少女は己の意識と視界を覚醒させる。

 時間にして数秒、記憶の齟齬が発生している。

 

「……おかしいな。上手くいった、はずだけど」

 

 元々、難しい作業ではなかった。――――の影響によって、隔離されていた記憶の侵食は進みつつあった。それを正しい形で修正を施した。

 結果、私は消えて『私』が表に出た。だが、それならばこの違和感……消えきらない〝何か〟は何なのか。

 

「…………」

 

 考えたところで、わかるものではない。鈍痛の広がる頭から手を離し、廃ビルの中から外へ足を進める。

 淀んだ空気を入れ替えるように外に出た少女は、手を翳してその手のひらに一冊の大きな本を召喚した。

 

「……〈囁告篇帙(ラジエル)〉」

 

 大らかな光を放ち、巨大な本が頁を自ら捲り始める。

 全知の天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉。この力ならば、どのような病魔であれ異常であれ、瞬く間に解をもたらす。

 とは、いえ。少女が知りたいのは自らの異常ではない。消えた私(・・・・)の知識にないというのなら、それは『私』が知る必要のないものなのだろう。

 故に少女が整えるべきは他にある。〝計画〟は既に最終段階へ突入した。どのような結末であれ、〝計画〟の到達点は揺るぎないものでなくてはならない。

 少女の手が頁の一枚に触れる――――刹那。

 

「っ……!?」

 

 強靭な暴風(・・)に、手を止めて勢いよく飛び退いた。

 勢いのまま壊れかけのフェンスへ足を入れ、それを勢いで破壊しながら足場にまた別の地点へ着地。

 それから、攻撃(・・)を受けた空を見上げる――――見上げずとも、少女に回避の姿勢を取らせるほどの暴風など、答えは一組(・・)いないだろうに。

 

 

「――――ふはははははっ!! よくぞ避けてみせた。さすがは我らが競合者(ライバル)よ!!」

 

「対抗。しかし、速さで八舞に負けはありません――――勝負です、〈アンノウン〉」

 

 

 霊装に揺れる鎖は、彼女たちを縛る鎖でなく、風を支配する象徴。

 

 天使〈颶風騎士(ラファエル)〉の資格者にして、二対一翼の精霊・八舞耶倶矢、八舞夕弦。

 

 

 

気まぐれ(・・・・)に残された戦争(デート)の終幕を――――一陣の風が巻き起こした。

 

 

 






バレット側の事情と彼女の正体を考えると、黒の女王(クイーン)は死ぬほど皮肉なんじゃねぇかと書いてて思いました。いや、クイーンまでは決まってたし女王様で狂三の色を考えたらこれしかなかったので、避けられないんですけどこれさすがにry

さて、さて。ここまで長かったですが、楽しい戦争(デート)の始まりです。折紙が手にした弾とは。リビルド本編で使用されていない〈刻々帝(ザフキエル)〉の銃弾と言えば……?

狂三の運命を変えた者が士道であるならば、白の少女は狂三に運命を定めた者。メタ視点で言えば、少女は物語を歪めた特異点です。
彼女はよく〝もしも〟のことを考えていますが……白の少女はその〝もしも〟の最足るものなのでしょうね。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十七話『誰がための目覚めか』

 

 

「……耶倶矢、夕弦」

 

 音として吐き出されたその名すら、吹き荒ぶ暴風に拐われて消えてしまいそうになる。

 扇情的な霊装と、刺突の矛と拘束の振り子。それぞれを自在に操り、実力と拮抗するだけの不敵な笑みを浮かべる風の姉妹。

 八舞耶倶矢と八舞夕弦。颶風の御子が、少女の前に立ち塞がるように滞空している。

 

「くはは!! 何を惚けた顔をしておるか!! 我らが手ずから参ったのだ。感涙に咽ぶがよい」

 

「指摘。顔は隠れています。耶倶矢には何が見えたのですか?」

 

「ひ、比喩表現だし!! いちいち気にしなくていいし!!」

 

 大仰な仕草で高笑いする耶倶矢を、冷静に――だが楽しげに――夕弦がからかい、耶倶矢が素の姿を見せる。

 変わらない二人のやり取りに微笑ましさを感じる――――同時に、疑問を感じて眉をひそめた。

 

 どうやって、少女を探知した(・・・・・・・)

 

 その理由は定かではないが、少女を相手に何をしにきたのか。ある程度は察せられるものがあると少女は言葉を返した。

 

「……そうだね。感涙に咽ぶのもやぶさかじゃない。けど、見ての通り私も忙しい身だ。お引き取り――――というわけにはいかないかな?」

 

 聞き慣れない口調の少女に、或いは足らう少女の言葉にキョトンと二人が目を丸くする。しかし、当然というべきか、またすぐに快活で好戦的(・・・)な唇の描きを見せた。

 

「つれないことを言ってくれるなよ、精霊。見つけられるのなら、いつでも(・・・・)待っていると貴様が告げたのだぞ」

 

「……口の軽い過去の私に、後悔を覚えるよ」

 

 『私』に覚えはないが、過去の私は恐らく言ったのだろうと想像に難しくないと少女は息を吐いた。

 過大評価はしないが、過小に評価しすぎる人格でもなかった。それの持つ力と結果を、相応に想像はできていたはず。それ故に、この事態は想定できなかったともいえるのだが。

 ――――軽口を培うのも考えものだったと、後悔先に立たずだ。

 

「……こんな場所で霊力を使っては、琴里に叱られてしまうんじゃあないかな」

 

「杞憂。この程度は誤魔化してみせる、とのことです」

 

「……あの子はもう少し、深く考えて動く子だと思っていたんだけれど」

 

 ――――いや、深く考えた結果(・・・・・・・)と、想定するべきか。

 人気が少ないとはいえ、街中で精霊の霊力を行使するデメリットの大きさを、琴里が考慮していないわけがない。

 外装の下で目を細め、八舞姉妹を観察する。その表情は変わらない。変わらないからこそ、少女には不気味に映る。

 その笑みは、確かな〝勝算〟がなければ出せないものだから。

 

「……」

 

『……』

 

 睨み合いが続く中、少女は自身の中にある違和感を〝確信〟に変えられる術に目を向けた。

 左手に抱えられた巨大な書物。この世全ての知識と記憶を詰め込んだ禁書〈囁告篇帙(ラジエル)〉。

 この天使を開くことができれば、彼女たちの〝勝算〟を容易く閲覧することができる。たとえ彼女たちが少女へ知らせなくとも、世界がそれを知っていさえすれば少女が〝識る〟ことができる。

 あまりにも容易い選択肢だ。無論、少女とて真っ先に考えつく――――少女が、考えつくならば。

 

「――――どこを見ているっ!!」

 

「先手。必勝です」

 

「……!!」

 

 歴戦の戦士である八舞姉妹に、考えつかないはずがなかった。

 烈風と見紛う疾走。旋風は少女が一瞬前までいた地面を抉り、砕く。飛び退くのが遅れていれば、間違いなく少女は二人に捕らえられていたであろう。

 

「……乱暴だね」

 

 それだけ本気ということか。呟きながら、少女も暴風から逃れんと人気の少ない道へと足を踏み入れる。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉は使えない。知見の天使は万能ではあるが、効力発揮まで僅か一瞬のプロセスが生じる。頁を開き、知りたいものを天使へ告げる、一瞬の工程。

 普通なら、障害にすらならない一瞬の隙。だが、油断すれば呑み込まれる暴風を前に意識を〈囁告篇帙(ラジエル)〉へ集中させるなど、それこそ敗北を認めるようなもの。

 隙を見せれば、神速の軍神たちは躊躇うことなく風を伸ばし、少女を捕らえる。彼女たちはそれができる。風が吹き荒れる空間である限り――――舞台(フィールド)は常に、八舞の味方なのだ。

 

「……ふむ」

 

 不利だ。単純な自身の劣勢を、少女は一言で片付けた。

 反撃を試みることが叶うならまだしも、今彼女たちを傷つけるという択を存在させてはいけない。単純な速力というのなら、完璧な連携で追うことができる耶倶矢と夕弦が有利だ。

 元々、少女は能力上見つかってからの戦闘は望ましいものではない。見つからずに不意を突くのが少女の専売特許なのだ。

 まあ――――それは狂三も得意とすることなので、私は目立つことを優先していたようだが。

 だが、少女の能力はそこまで生易しいものではない。一度見つかったからといって、逃げられない程度の能力であれば、少女はとうに捕まっている。

 

「……ごめんね」

 

 追いかけてくる二人を見遣り、少女は軽く地面を蹴りビルの壁に手をかけビルとビルの合間(・・・・・・・・)に入り込んだ。

 一瞬。その一瞬の視界が失われれば、如何に動体視力に優れた八舞姉妹であっても少女は追い切れない。見失えば、それまで。存在という認識を〝殺す〟。

 余裕があれば付き合ってやりたかったが、生憎と今の少女に余裕はない。万が一のことを考えて、自身の天使を行使することすら控えたいのだ。

 計算通り、少女は細い隙間の路地に身を躍らせ――――――

 

 

「な……」

 

 

 瞬間、少女を呑み込む『孔』が、視界いっぱいに広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――〈封解主(ミカエル)〉。……六喰」

 

 少女は自身の状況を変えた力を、小さく断定的に呟いた。

 鍵の天使〈封解主(ミカエル)〉が生み出した『扉』。それを潜り抜けさせられた少女は、即座に状況を見極める。

 殺風景で、幾つかの障害物が用意されている以外は、何もない広い空間。しかし、感じ取れる微かな違和感――――〈フラクシナス〉の仮想訓練室と断定。

顕現装置(リアライザ)と艦内設備を併用し、現実空間と変わりない様々な環境を再現することができる。改修された〈フラクシナスEX(エクス・ケルシオル)〉にかかれば、もはや再現された物に触れることすらできる仮想空間の完成というわけだ。

 

 場所に問題はない。彼女らが少女を殺す気がないのはわかりきっていたこと。問題なのは――――空間の中心に立つ、紫紺の鎧を身に纏う精霊の姿を見てしまったことだ。

 

 

「――――十香」

 

 

 美しき名を、呼び。揺蕩う瞳が、現世のものとは思えぬ輝きをもって少女を映した。

 剣の天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を地に突き立て、両の手を柄に添えた威風堂々足る姿。

 それは先を封ずる守護者の姿か――――或いは、挑戦者を待つ王者の姿か。

 

 

「――――剣を取れ、精霊(・・)

 

 

 どちらか。そう問われれば間違いなく、後者であろう。

 絶大の剣技を持つ最強の精霊(・・・・・)、夜刀神十香。その威圧感は、何者も寄せ付けぬ絶対王者。纏う霊装は、精霊の城と称されるものではあるが、少女には十香こそが突き崩せぬ難攻不落の城のように感じられてしまった。

 最強が、待っている。その手に剣を握れと、待ち焦がれている。

 

 

「真意を問うは、剣を交えてからとしよう。貴様の意図が何であれ、私たち(・・・)は全て受け止めてみせる――――来い、名も無き精霊(・・・・・・)よ」

 

 

 心に届く、女王の声。王足る者の資質を持った十香の偽りなき、言霊。

 

 瞬間。

 

【――――――――!!】

 

 空間を震わせる、歌姫の声。勇猛果敢な曲調(・・・・・・・)のそれは、十香に大きな力を与える。

 

「……美九、か」

 

 天使〈破軍歌姫(ガブリエル)〉の歌声。聴く者に力をもたらす心躍る協奏曲。どの道、少女には届かない歌声ではあるが――――私たち(・・・)というのは、嘘偽りのない真実のようだ。

 

 どの天使であっても、届くことはない。

 

少女(わたし)は確か、そう言ったはずだ。真実を多く語らない少女ではあったが――――嘘偽りを好まないのは、どうやら主と変わらないようだ。

 

「…………」

 

 ゆっくりと手に持った本を翳し――――それを、己の裡へ還す。

少女(わたし)が確かめたいことは多くあるのかもしれない。けれど、最強の剣士を前にして関係のないこと(・・・・・・・)を閲覧している時間はない。これがもし、命の取り合いであったならば、そうした瞬間に少女の首は胴から離れていることだろう。

 翳した左手を正面に開く。そうして、少女は威圧された空気を切り裂く天使の名を呼んだ。

 

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 奇跡の理が具現化する。鞘に納められた、色のない一刀。

 天使〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉。出来損ないの『法』。少女に『私』のようなことは、出来ない。出来ることは、『法』を物質という形に落とし込み、収めるというだけのこと。

 その鞘に左手を添え、柄を右手で掴み――――躊躇いなく、抜き放つ。

 

「……いいよ。『私』が、君たちの挑戦を受けよう」

 

 色という意味を持たない、決して折れぬ『法』の刀を構え、少女は真っ直ぐに精霊たちの戦いを受けて立つ。

 十香もまた、突き刺さった剣を引き抜き、一振り。風を切り裂き、ゆっくりと剣の天使を構えた。

 

 ――――それ(・・)は、恐らく少女(わたし)に残された矜恃。プライド。呼び方など何でもいい。ただ、そう宣言したのなら、受けて立つ勝負に負けるわけにはいかない。

 少女は少女なりに、自身の〝能力〟には相応の意識を持っている。曲がりなりにも、力の一部を生まれ持ったものとして――――何より、最凶の女王に仕える者として、仕掛けた勝負に負けるわけにはいかないのだ。

 

『…………』

 

 白が構えるは刀。紫紺が構えるは剣。それぞれの違いはあったが、折れることのない奇跡の神刃は同じ。

 剣気がぶつかり合い、仮想空間にノイズを生む――――それが、言葉ではない合図だった。

 

 

「はぁ――――ッ!!」

 

「ふっ――――!!」

 

 

 目に見えぬ神速の一刀と、神を裂く絶技がぶつかり合い、火花を散らす。

 名も無き精霊と、名を得た精霊。戦うことのないはずだった鏡合わせの精霊。

 形を違えた始原の分霊(・・・・・)の刃が――――遂に、交わった。

 

 

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「っ……」

 

 剣閃。一瞬の間を置き、風が哭く。振り抜かれた剣に対し、少女は防御ではなく回避を選ぶ。タン、と軽い跳躍をした少女と地面の間を衝撃波がすり抜け、設置された障害物が横薙ぎに切断された。

 

「ふ――――っ!!」

 

 ノイズとして処理されたそれに構うことなく、少女は十香を超える速度をもって接敵し、一刀を振るう。

 神速の閃光が奔る。それは十香――――の、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉によって軽々と防がれた。鍔迫り合い、甲高い音を立てて神刃の刀身が互いを削り合う。

 しかし、力で圧されたのは、やはり少女だった。

 

「はぁッ!!」

 

「く……」

 

 裂帛の気合いを用いて、十香が少女を弾き飛ばし、地面を踏み砕きながら追撃の一閃を見舞う。

 十香とは対照的に、少女は軽やかに地を蹴り上げ彼女を大きく跳躍する形で裏を取る――――反撃は、叶わない。

 

「…………」

 

「…………」

 

 また一つ障害物を切り裂きながら、十香が悠然と振り返り少女と相対する。

 その剣閃に陰りはない。躊躇いもない。少女なら避けてみせるという信頼が読み取れる――――まったく、妙に評価されているなと少女はローブの下で苦笑した。

 戦いとなれば勇猛果敢。戦場に迷いは持ち込まない。日常を得てなお、十香という精霊には戦いに必要な精神が備わっていた。

 そして、高潔な精神に追従する〝力〟。限定的な霊力解放にしてはおかしいとは思ったが、どうやら完全解放の一歩手前(・・・・)を維持しているようだ。

 霊力が逆流し切る、その僅かな猶予。それに歌姫の応援歌が加われば、完全解放とはいかないものの限りなく近い(・・・・・・)能力の行使が可能となる。

 

「……さて」

 

 そうなってくると、力では敵わない(・・・・・・・)。今の十香は、かの最強の魔術師(ウィザード)とさえ渡り合える能力を解放している。

 ――――単純ながら、絶対的な相性の悪さ(・・・・・)

 万象の事象を殺してみせる天使は、その強靭な物理干渉には無意味。

 八舞と渡り合う神速は、ただ速いというだけのこと。風を操ることなど出来ない以上、それだけでは十香に遠く及ばない。彼女は、どれほど速くともその目と獣の直感でそれを見切ってみせることだろう。ただ速いだけでは、決して刀は届かない。

 確かに、十香の力は単純が故に能力の欠点は明らかにされている。〈囁告篇帙(ラジエル)〉で〝識って〟いなかったとしても、変わらない――――変わらないからこそ、厄介極まる。

 あの時崎狂三が、他の精霊を差し置いて十香を〝最強〟と称するその理由。少女は今、身をもって知らされているといえる。

 

 ならば、だ。

 

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉――――――」

 

 

 少女は、刀を手放した(・・・・・・)

 

「何……?」

 

 十香を目の前にして、武器を手放す。さぞ十香には怪訝に映ったことだろう。

 落ちる切っ先が地面に触れ――――吸い込まれた(・・・・・・)

 

「ッ――――!!」

 

 それを見て悟り、或いは誰かから知らされた(・・・・・・・・・)十香が、大きく後方へ飛び退いた。

 微かに眉を揺らし、少女は名を唱えた。

 

 

「――――〈枝刀(アナフ)〉」

 

 

 瞬間、少女の前方から十香へ至る無数の刀(・・・・)が現出した。

 

「これは……!!」

 

「触れたら、斬れる――――その程度の『法』だよ」

 

 少女の言葉を理解したのか、又は本能的に触れることを避けたのか、迫り来る刀身の壁を十香は全力の〈鏖殺公(サンダルフォン)〉で薙ぎ払い始めた。

 ――――形を得た〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉そのものに意味などない。刀はただ、刀。振るい、斬ることしか出来ないのだから。

 しかし、だからこそ裡に込められた力を解放することで、真なる役割を果たすことが出来る。今は、武器としての役割を破棄させ、地面に溶け込ませることにより、地の空間に『法』を侵食させた。

 出来損ないが思うがまま……とはまでは出来ない。が、無機物に『法』を適応させ、刃の現出をあったことにする(・・・・・・・・)程度のことは叶う。

 

 そのとき。

 

「ぁ……」

 

少女(わたし)の声が零れ落ちて、何かが夢に還った(・・・・・・・・)

 まだ微かに残されていたそれに、けれど感慨はない。もはや、必要のなくなったものなのだろう。

始原の精霊(オリジナル)に近い権能を振るうということは、必然としてそうなってしまう。力を阻害する自我など、邪魔になる以外にありえない。

 事実であるからこそ、少女はなくなった少女(わたし)への余計な情を必要としない。それがあの『私』との――――唯一の違いかもしれなかったが。

 

「〈囁告篇帙(ラジエル)〉」

 

 構うことなく、刀を散らすことに気を取られた十香の隙を突いて物陰に身を隠し、天使を〈囁告篇帙(ラジエル)〉に切り替えた。

 天使の同時使用は叶わないが、一度視界から外れ認識を殺してしまえば、如何な十香といえど索敵に一瞬は必要とする。作られた一瞬の隙を、全知の天使を扱うことに注ぐ。

 互いの勝利条件は、単純な力の差では決まらない。力の差で優劣が決まるというのなら、少女は十香と同条件で霊力を解放した半数の精霊に勝てはしない。負けるつもりもないが、勝ち切るには秘中の秘を使う他ない。つまり、勝ち切るという選択肢はあってないようなもの。

 この戦争(デート)も、それ自体は同じこと。しかし、少女は力比べよりは負けない立ち回りが行える自信が遥かにある。

 密室空間に少女を送り込み、少女との相性が悪い十香が全支援を以て立ち塞がる。だったら、少女が最後まで付き合う必要はない。出口がないなら、知ればいい(・・・・・)

 光輝いた頁が少女へ情報を送り――――出さなかった。

 

「……?」

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉の不自然な挙動に眉をひそめる。求めた情報が、引き出せない――――否。

 

「――――二亜」

 

 引き出せては、いるのだ。だが、少女へ辿り着くまでに情報が阻害(・・・・・)されている。それを為した人物の名を、頭に思い浮かべながら呟いた。

 本条二亜。〈囁告篇帙(ラジエル)〉が本来主とする精霊。霊結晶(セフィラ)の大半は少女が所有権を得ているが、全てではない。未だその一部は二亜の中に眠っているはずだ。それは霊力の解放(・・・・・)が可能である、という事実に繋がっている。

 二つの〈囁告篇帙(ラジエル)〉。それは表裏一体どころか、表と表が二つ平行しているようなものだ。反転の魔王などより余程、二亜は妨害工作がしやすかったことだろう。能天気なようでその実、精霊たちの中でも思慮深い微笑みが目に浮かぶようで――――――次の瞬間、光が瞬いた(・・・・・)

 

「……!!」

 

 視界に映り込んだ光が、光ではないもの(・・・・・・・)に変わるまで、瞬きの一つすら怪しい。

 隠れられるだけの障害物だったもの(・・・・・)。それは、巨大なウサギに跨る二人の少女に瞬く間に変化した。

 

 

「――――四糸乃、七罪」

 

「〈氷結傀儡(ザドキエル)〉!!」

 

 

 躊躇いの感じられない天使の呼び声。当然だ。心優しい少女は、傷つけるための力に躊躇いはあれど、救う(・・)ための力に躊躇いは持たない。

 そういう強い少女なのだ、四糸乃という精霊は。それに感化され、誰かを救いたい、救いたいと願ってもいいのだと思うことができた、魔女の帽子をかぶった少女もまた――――ああ、なんて喜ばしい(・・・・)

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 外装の下で愛おしさの笑みを浮かべながら、少女は重本の持ち手を瞬時に刀の柄へ移り変える。

 凍える冷気と共に周囲に展開されていく球体の氷牢。不意を突いた策であろうと、少女を捕らえるには些か遅い(・・)

 継ぎ目を切り崩し、難なく氷の侵食から逃れる――――同時、十香が少女の前方へ躍り出る。

 

「……甘いよ」

 

 隙を逃さない。ああ、そうだろうとも。それだけの実力を持っていると、知っているとも。だから(・・・)、甘いと少女は言う。

 最速の八舞を囮に。道を六喰が。正面を十香。支援は美九。封じ手は二亜。不意は七罪と四糸乃。

 それだけの策を用いた、この一瞬。牢から逃れ飛び退いた少女が、空中で十香とぶつかり合えば結果は空いて見えている。それこそが詰め手。こうなった少女は、翼を出さざるを得ないと踏んでいるはずだ。それを想定してなお、今の十香で先手の切り込みが叶うであろう距離。翼による姿勢制御の時間と、十香の全速力。どちらに分があるかは明白。

 

 故に――――少女は空中を蹴り上げた(・・・・・・・・)

 

「っ……!!」

 

「……生憎、私はこっち(・・・)の方が速いんだ」

 

 息を呑んだ十香へ告げながら、空中を蹴り上がった少女は彼女の真上を取る。

 翼は少女にとっての飛行手段であり、速さを維持することも可能だ。が――――この特異な身体は、飛ぶより〝跳ぶ〟方が得手としているらしい。

 目立つことから好まないのは本当。翼なければ飛べないのも本当。これはその場しのぎに過ぎず、決して距離を飛ぶことは叶わない――――しかし、飛ばない方が速い(・・・・・・・・)とは、少女(わたし)は告げていなかったらしい。

 

「は――――っ!!」

 

 ずらした距離の先で再度空中を蹴り(・・)、加速。先ほどまでの小手先ではない、全力の神速(・・・・・)。十香の絶技を僅かに潜り抜け、狙うは腕を覆う霊装。

 一時的にでも、動きを鈍らすことができればいい。致命傷にならなければ、あとは痛み分けで終えることができる。

 あくまで少女が軌道を変更し、不意を突くことで可能となる一撃。通常の条件であれば、十香を相手に刃を通す可能性など絶無。十香が振るいかけた剣を防御の姿勢に変え、少女が速度差での攻勢を掛けることで起こり得る奇跡。

 この機を逃せば、次は存在しない。確実に、十香は少女の本気の速度でさえ己の距離にしてしまう。全身全霊の神経を一点に集中させ、少女は刃を全力で振り下ろした。

 

 

「――――――え?」

 

 

 そんな渾身の一刀だったからこそ、少女は呆然と声を発した。

 

 少女が狙いを違えたわけでも、十香が刀を防いでしまったからでもない。ましてや、刀は振り切ってすらいない(・・・・・・・・・・)

 ならば何故、少女は呆気に取られたのか――――螺旋した世界が、答えだった。

 

 目の前で起きた螺旋の渦巻きが、一人の少女を呼び込んだ(・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――――――」

 

 

 思考が、凍りつく。少女の名を知っている。少女がどういう存在で、どういう〝価値〟があるのかも知っている。

 それ、以上に――――少女(わたし)にとってそれは、絶対に傷つけたくない人だということを、叫んでいる(・・・・・)

 振り下ろされた刃は止まらない。寸分違わず、現れた彼女を切り裂く。彼女はその身に、霊装を着けていない。魔術師(ウィザード)としての装備でさえしていない。

 目に映る光景が酷く鈍い。まるで、自分が死に近づく直前のようだ。そんな光景の中、現れた彼女の目にあったのは死への恐れではなく、曇りの一つすら感じられない意志。

 

 彼女は『私』に必要な存在。殺してはならない存在。傷つけては、ならない存在。

 

 たぶん、そんなことはどうでもよくて(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――折紙っ!!」

 

 

少女(わたし)が、鳶一折紙(好きな人)に傷ついてほしくないだけだった。

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉!!」

 

 神速の世界で、刹那を切り取った一瞬。少女は刀を己の裡へ封じ込める――――不十分。

 翼なくしてこの速度で軌道修正は不可能。ただの衝突でさえ、人の身体である折紙には致死すら考えられる。僅かでも軌道を変え、折紙を抱えながら地上へ――――足りない。

 この速度で折紙を抱えての着地は、恐らく地面への激突にしかならない。姿勢制御などかなぐり捨てた少女の攻勢は、ここに至っては不利な要素でしかない。

 翼による速度の低下――――推奨は出来ない。折紙の肉体に急激な衝撃を与えることになる。

 抱えることは出来る。そのあとが問題だ。銃弾の如く放たれた少女自身が、折紙を抱えながら致命傷を避けて辿り着く方法は――――輪廻の『法』を使い、少女は一時的に肉体を変質(・・)させる。

 

「折紙っ!!」

 

「……っ」

 

 空中へ投げ出された折紙を拐うように抱き、少女は地上へ墜落(・・)していく。

 不思議と、折紙は少女へ全てを任せ抱えられたまま。少女はそんな彼女を力の限り抱き締めて――――追突。

 

「ぐ……!!」

 

 身を任せながら仮想空間の地面を転がり、激しく土煙を上げ、数秒をかけてようやく勢いを収めた。

 

「っ……折紙、大丈――――――」

 

 すぐに強化を施した身体を起こし、抱き抱えた折紙の顔を覗き込んだ少女――――身体を起こし切るその前に、力強い手が少女の胴体を掴んだ。

 息を荒く、大事な服もボロボロにして、顔は薄汚れて……でも、目の離すことのできない眩しい〝笑顔〟が、眼前にあった。

 

 

「――――捕まえ、た」

 

 

 鳶一折紙はそうして、絶対的な〝勝利宣言〟を行ったのだ。

 けれど、どうでもよかった(・・・・・・・・)。強化の代償か、もしかしたら安堵からかもしれない。身体が弛緩して、目が熱い(・・・・)

 

 

「……馬、鹿」

 

 

 咄嗟に言葉にできたのは、何とも情けない一言だけ。

 次いで飛び出したのは、頬を伝う熱が生み出した感情の嵐だった。

 

「っ、馬鹿っ!! この、大馬鹿っ!! あなたは、霊力も解放しないで何してるの!? 私じゃなかったら死んでるんだよ!?」

 

「あなたの前に〝飛ぶ〟ことを前提としていた。だから、問題ない。驚かせたのは、ごめんなさい」

 

「ああ、もう!! 何であなたたちは、いっつもそうなんですか!! 人の話なんてろくに聞きもしない癖に、勝手に身体を張って、勝手に命を懸けて!!」

 

 釈明も謝罪も、勝手だ。いつもいつも、この子たちは勝手だ。勝手に険しい道を走って、その選択から逃げればいいのに、逃げ出せない責任感があって。

 人の忠告なんて、聞いているようで聞いていない。少しでも少女を想う気持ちがあるというのなら、少女の想いを感じ取ってほしい。わざわざ、こんなもの(・・・・・)のために命を使わないでほしい。

 

「私はっ!! あなたたちに――――――」

 

 何が、言いたいのか。少女(わたし)は、誰に何を伝えたかったのか。

 

 

「……私、は」

 

 

 取り繕って、本音を隠して、真実を伏せて。

 

 最後に待つ絶望を知っていて。それでも、少女(わたし)は願っていた。ただ願っていた。ただ、それだけでよかった。

 

 

「私の、前で――――死なないでよ……!!」

 

 

 心であっても、身体であっても。叶うことがなくても、叶える未来があればいいと。

 折紙の心が死んでしまった時、心が張り裂けてしまいそうだった。終わらせなければならなかった――――刃を向けながら、少女は殺したくなんてなかったから。

 

「……ずっとあなたは、本当のことを言っていた」

 

 何度も、何度でも。少女は言っていた。折紙はそんな少女を抱きしめて。

 

 

「――――大丈夫。私たち(・・・)は、死なない。今度こそ(・・・・)絶対に、約束を守る」

 

 

 ――――心臓が鳴り、震える。

 

 予想が、確信へ。絶無だったはずの可能性が、未知数へ。

 そんな理屈よりも、抱きとめられた温もりが、何よりの真実であり。

 

 

「ありがとう――――私たちの大切な、命の恩人」

 

 

 どうしようもなく、神様に逆らうほどに、大好きな人がそこにいた。

 

 価値のある『私』から、価値のない私へ――――好きな人は、それを望んでいる気がした。

 

 

 







精霊戦争。万由里編で使わないやろって出しちゃってたのでタイトルに使えませんでした(懺悔)

さあ、そんなわけでして。精霊側の戦力を惜しみなく使った戦争回。隠れたら見つけられなくて速くて〈囁告篇帙〉持ちとか意味わからんことになってた子を捕まえたのは……ただ少女の感情を揺さぶることが出来る折紙でした。
能力上、殺意に溢れた不意打ちがメインなんですよねこの子は。なので逃げられると手をつけられない。ではどうするかと言うと、〈擬象聖堂〉の能力に阻害されない、当人の観測によって引き起こされる自己完結型の未来予測を行う……能力に妨害されることなく、誰が一番この子のことを知っていたのか、が答えですね。初めから、少女を誰より知る狂三を引き入れることでようやくスタートラインだったわけです。

さて、前哨戦を終えて次回からはいよいよ〈アンノウン〉の真相に迫っていきます。主人公の出番もあるよ!てかこっからが本番だよ!!

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十八話『無の精霊』

「で――――結果よければ全て良し、にはならないのよね」

 

 はぁ、と。司令席に座り深くため息を吐く琴里。モニタに映った仮装訓練室の状況を見て……見ているからこその言葉なのは言うまでもないだろう。

 かくいう士道も肝が冷えたし、艦橋下方で令音の代わりにコンソールの前に座った二亜は二亜で、手にした〈囁告篇帙(ラジエル)〉を光へ還しながら士道と琴里を労わるように視線を向けていた。

 

「まあまあ、とりあえずお疲れってことじゃない? いやはや、なかなかの激闘でしたなぁ」

 

「なかなか、で済ませられるあなたが羨ましいわ……」

 

 部下の手前、表立っての態度こそ見せていないものの、琴里の顔には『胃が痛い』という表情がありありと見て取れた。

 琴里の立場――――〈ラタトスク〉の司令という立場を鑑みれば、当然だと士道は苦笑した。

 

 ――――【一一の弾(ユッド・アレフ)】。

 

 時崎狂三が鳶一折紙に託した弾の名。禁忌にして、秘奥。【一二の弾(ユッド・ベート)】と対を成す、撃ち込んだ対象を未来へ送る弾(・・・・・・)

 莫大な霊力と引き換えに、時を超えて未来へ辿り着くことが出来る銃弾。本来、このように限定的な状況下に送り出すことは叶わない。何故なら、過去と違い未来はわからない(・・・・・)のだから――――士道の愛する、彼女を除いては。

 狂三の予測演算。そして精霊たちの力を結集し、折紙が辿り着く未来の〝位置〟へ白い少女を誘導した。これこそ、この〝計画〟の本命であり、唯一の勝算。寸分の狂いすら許されなかった計画を、精霊たちは見事成し遂げでみせた――――が、心労は当然のように司令官である琴里へ向かっているようだ。

 立場上の問題があるとはいえ、いつもこんな心労を背負わせているなと、士道は琴里の頭を撫でて優しく声をかけた。

 

「お疲れ、琴里」

 

「……私は何もしてないわよ」

 

 憎まれ口を叩きながらも、大人しく手の中に包まれる琴里を見て、士道は柔らかに微笑む。

 この作戦は、どうしても避けられぬ矛盾がある。精霊を救うために、精霊を表に立たせなければいけない、致命的な矛盾。

 特に折紙は、少女の意表を突き計画の完遂を完全なものとするため、少女が〝馬鹿〟と称するほどの軽装で挑むことになった。申し訳程度に服の内側に衝撃緩和用のものを仕込んでこそいたが……少女のあの焦りようを見るに、焼け石に水だったようだ。

 

「ふふふ。そう言いながら満更でもない司令もまたお美し――――ありがとうございます!!」

 

「黙りなさい神無月。お仕置きが必要みたいね?」

 

 もうしてるんじゃないか? とはいつものことなのでスルーしておいた。顔面に突き刺さるグーパンがいつもの、というのは感覚麻痺もいいところなのだが……確信犯で余計な口を挟んだ神無月は至福の表情だし、まあ構わないのだろう。

 

「はぁ……」

 

 そんな中で、無意識にため息が零れる。先の矛盾の続きとなるが、やはり叶うことなら士道が――――――

 

「できれば自分が行きたかった、って顔してるねぇ」

 

「っ……二亜」

 

 いつの間にか艦橋上段へ上がってきていた二亜が、士道の思考を読んでクスッと笑みを浮かべていた。

 普段からではあるが、今のは特にわかりやすかったと士道でも思うくらいだ。気恥ずかしさに頬をかいて、士道は言葉を返した。

 

「……納得はしてるさ」

 

「理屈では、でしょ? 少年ってそういうところは少年だからねぇ」

 

「んぐ……」

 

 俗にガキっぽいと言われたような気がして、士道も自覚がある故に図星を刺されて詰まらせた。

 理屈では、わかっているのだ。幾ら危険だとしても、折紙が望んで折紙にしか出来ないことだったと。代わることが許されているなら、無理やりにでも代わりを名乗った。……それを折紙が了承するかは、ともかくとして。

 ただ、それが叶わないから、少しばかり奇妙な気持ちになってしまう。今まで、精霊を救うためにやるべきと思ったことをしてきた士道だからこそ、いざ救いたい精霊を前にして何もするなと言われると、何とも言えない感覚が襲ってくる。

 精霊は自分が救いたい、だなんて傲慢なことを思うつもりはないが……複雑な心境が顔に出る士道を見て、二亜と琴里が苦笑しながら声を発した。

 

「ほんと、欲張りだなぁ少年は。未来予測を変えちゃうから大人しくしてろ、とか最高の褒め言葉じゃん」

 

「あなたの気持ちもわかるけど、あなたを送り出す時はみんなあなたと似たような気持ちなのよ。それをわかってちょうだい」

 

「ん……悪いな、二人とも」

 

 どうにも気を使わせてしまっているようだ。未来を変えるため、皆の力を貸してほしいと願ったのに、士道だけが気負ってどうすると冷静に息を吸い込んだ。

 ――――それほど、精霊たちが辿ったあの未来(・・・・)が、士道の記憶に強く残っているのかもしれない。

 

 

『あら、あら。士道さんを慰める役目、逃してしまいましたわね』

 

 

 と。軽快な通信音を響かせたマリアの声(・・・・・)が艦橋へ届く。

 

「いいじゃない。少しくらいは妹に譲ってちょうだいよ。お姉様?」

 

『うふふ。たまになら構いませんことよ、可愛い妹様?』

 

 琴里とマリアの会話ではないそれは、半分は狂三(・・・・・)であるから起こる現象。

 システムの起動下であり、マリアとの思考融合を解いていない狂三を相手に冗談の応酬する琴里、という非常に難解な中身に不思議な感情を覚えながら、士道は艦橋に伝わるように声を発した。

 

「狂三。予知の方は平気か?」

 

『問題ありませんわ。士道さんも知っての通り、随分とスパルタな鍛え方をしたものですから』

 

「そいつは残念だ。これから迎えにいって、倒れた狂三を抱きしめてやろうと思ってたんだがな」

 

『きひっ。及第点(・・・)としておきますわ』

 

 マリアが混じっているのか、なかなか手厳しい評価に士道は肩を竦めた。それでいて、少しばかり楽しげな声色だとも思ったが。

 と。次に狂三は、先の発言を拾い直したような言葉を続けた。

 

『士道さん。あなた様が気にすることはありませんわ。確かに、精霊の攻略はあなた様の役目――――ですが、あの子には違う意味(・・・・)が混ざってしまう。あなた様のせいではございませんわ』

 

「……ああ、わかってる。ありがとな」

 

 そう。わかっている。この不可思議な感情の揺れは、士道の感情だけで引き起こされているものではないと――――崇宮真士が、士道の中に生きているからだと。

 正確には、その記憶が白い少女を見て、少女を救いたいと言っている……崇宮澪(・・・)を救いたいと。

 私は、『私』。あの子は、『私』。崇宮澪と少女は、存在を同じくする精霊――――だから士道ではなく、折紙が最初に手を取らなければならなかった。

 

 

「――――俺たちは、俺たちが出会ったあいつと、話がしたい」

 

 

士道(シン)ではきっと、あの子を『澪』として助けようとしてしまう。それでは駄目だ。

 士道たちが言葉を聞きたいのは、澪という存在になった少女ではなく――――狂三や折紙、皆のことが好きな白い少女なのだ。

 基点には、澪がいたのかもしれない。澪としての人格が〝表〟に出ていては、崇宮真士として士道は認識されてしまう。けれど、純粋に折紙を好きになったのは、少女自身の感情のはずだ。

 この未来に辿り着いたことで、予測は現実となった。少女はまだ、そこにいる(・・・・・)。消えていない――――消える必要なんて、ない。

 

「……そうだよな、狂三」

 

『ええ、ええ。幾度、何度、同じことを繰り返そうとも、わたくしは同じことを口に致しますわ――――そのために(・・・・・)過去(ここ)へ来たと』

 

 皆を救うために。過去(ここ)へ辿り着いた。少女の全てを知るために――――存在しなかった未来を、士道たちは創る。

 琴里が司令席から立ち、二亜が眼鏡を上げニヤリと笑みを浮かべた。

 

「狂三が口を挟んだってことは、いいのよね?」

 

『はい。既に狂三も向かっています』

 

「何か盛り上がってきたー! って感じだね。謎の美少女の秘密編!! みたいな?」

 

「遊びじゃないんだぞ……」

 

 というか、美少女とわかっているだけ謎ではないような気がしてくる。そのくらい、白い少女のことを何も知らなかったというだけではあるが。

 

「士道」

 

「ああ――――」

 

 頷いた士道の中に渦巻く、緊張感と高揚感。常に感じていたそれが、今は心地がいい。それは、士道が為すべきことを知らせてくれるものだから。

 ここより先は、士道の領域。皆が繋いだ道を、五河士道(・・・・)が攻略する。戦争(デート)ではない。これは、いうなれば――――――

 

 

「――――俺たちの計画(デート)を、始めよう」

 

 

 士道たちが少女を救うための〝計画〟が、進行を意味するものだった。

 

 伏せた片目から――――時を刻む音(・・・・・)が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――二人とも、大事ないか!?」

 

「私は平気。彼女も、無事」

 

 凄まじい衝撃による土煙を振り払い、少女と折紙の安否を確認しにきた十香へ折紙が短く、だがしっかりと言葉を返した。

 ――――記憶に残っている範囲を鑑みれば、折紙が無事なのは恐ろしい幸運だと、少女は呆れながら息を吐いたのだが。

 

「無事なものですか。私の精神は、生憎とあなたたちのように鉄で出来てないんですよ。少しは私を労わってください」

 

「そう思うなら、大人しく私たちの手に捕まっていれば良かった」

 

「順序ってものがありましてね。私も、迂闊に喋るわけにはいかなかったんですよ」

 

 言い換えれば、確証がほしかったのだ――――それ以上に、少女の〝自我〟の問題もあったようだが。

 相変わらず少女の身体を掴んだままの折紙へ肩を竦めて返すと、続々と集まってきた精霊たちが声を発した。

 

「ふむ。汝のその言葉、今は機が熟したと受け取ってよいのだな?」

 

「……さあ、て。それは、『私』次第でしょうね。八舞耶倶矢」

 

「指摘。いつもの〈アンノウン〉です」

 

 囮役として先陣を切った八舞の二人だからこそ、少女に感じる違和感は強かったのか、夕弦が確かめるようにそう言い少女を舐めるように見た。

 それによる、もう一つの確信。〝彼女〟は、どうやら少女(わたし)を引き摺り出したかったらしい。

 

「……ん。私一人を引き摺り出すために、これだけの精霊、を……それは、大したもの、ですけど……」

 

「っ……〈アンノウン〉?」

 

 覗き込む折紙――――そんな彼女を見る〝意味〟が、頭の中で変わる。

 元々、なかったもの(・・・・・・)何故か(・・・)残り、そして強い衝撃で表へと出ているに過ぎない。頭の中にある〝自我〟が、拒絶されたかのように夢へ還る(・・・・)

 

「私、――――『私』、は……」

 

「っ!! しっかりして、〈アンノウン〉。あなたは――――――」

 

「……違う。私は、『私』は……!!」

 

 頭が痛い。手で頭を抑えて、蹲る少女を折紙が必死に引き止めようと身体を揺する。けれど、止まらない。根本的な侵食は、一度少女が望んだからこそ止められるものではない。

 私は、誰なんだろう。私は、『私』だ。違う。それは、『私』であって私ではない。記憶を望んだのは少女。必要だと望んだもの少女。なら、どうして、少女(わたし)はここにいる?

 

 誰に望まれて生まれたわけでも、ないのに。

 

 

「――――違うだろ」

 

 

 否定は、静かに。だけど、確かな意志を。

 

 ハッと顔を上げた――――上げられたのは、それが私にとっても『私』にとっても、特別な意味を持つ〝彼〟だったから。

 

 

「……シン(・・)

 

 

 少年は、少女が呼んだ名を受け入れ、微笑み――――でも、悲しげな微笑みだった。

 

 

「そうだな。お前たちにとって、俺はきっと『崇宮真士』だ――――それがたとえ、記憶しか持たない虚構(・・)の存在だとしても」

 

「――――――――」

 

 

 記憶しか持たない〝虚構〟。それは、どれだけ突き詰めても、他者の記憶でしかない証明。どれほど魂が似ていようと、同一存在ではない、なれない(・・・・)

 悲しく、悲劇的で、だけど彼女に告げなければならない(・・・・・・・・・・・・・)言葉。

 だったら、少女は何なんだ。記憶を受け継いで、『私』になることを選んだ少女(わたし)は、一体、どうして――――――

 

 

「俺は、お前だ。お前は、俺だ。誰かの記憶を持って生まれたとしても、俺は俺だ。五河士道だ。狂三が、みんなが認めて、好きだって言ってくれたのは、誰でもない『五河士道』なんだ――――お前も、そうなんだよ」

 

「っ……」

 

「俺がそうだったように、お前も価値のない存在なんかじゃない。誰かのために消える必要なんて、ない」

 

 

 そう言って、少年は銃口(・・)を少女へ突き付けた。

 

 

「帰ってこい――――俺は、『崇宮澪』じゃないお前と、五河士道として話したいんだ!!」

 

 

 そして、意志に従う引き金は引かれ――――少女の世界が、巻き戻った(・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃弾は己を世界と螺旋し、唸りを上げる。黒の銃弾は、精霊たちが見守る中、折紙を過ぎ去り――――白い外装の下へ、差し込まれた。

 瞬間。

 

「……あ、あ、あああああああああ……っ!?」

 

「〈アンノウン〉……っ!?」

 

 少女の咆哮。何かの支えがなければ、起きてすらいられないのだろう。しがみついた折紙の背中に爪を立て声を荒らげた。

 その苦しみは、精霊たちにも伝わっているのか、驚きと不安が入り交じった表情で声を発した。

 

「シドー……!!」

 

「主様、これは……」

 

 十香と六喰だけではなく、他の精霊たちも同じ顔をしている。例外なのは、琴里と二亜――――そして、精霊たちを手で制した狂三だった。

 

 

「落ち着いてくださいまし。わたくしと士道さん――――この子を、信じて」

 

『……っ』

 

 

 既に投げられた賽は、止まることはない。だから今は信じろと。理屈ではなく、士道と狂三と、何より少女をただ信じろと、あの狂三が視線だけで物語る。

 そのことに精霊たちは息を呑み、一つのことを悟る。

 

「っ――――――あああああああああああああ――――ッ!!」

 

 一際大きな叫びを上げたことで、それ(・・)は収まった。

 説明などする必要もなく、目の前の事象は完結した。それほど、一瞬とも言える出来事。

 折紙の背に立てた爪が、ゆっくりと外されていく。少女自身の手で、恐らくは明滅する意識の中で。

 

 そうして、決定的な一言を放った。

 

 

「――――まさか、久方ぶりに見たその弾を、あなたから受けることになるとは思いませんでしたよ……五河士道(・・・・)

 

 

 精霊たちが目を見開き、士道は僅かながら緊張感が和らぐ感覚に息を吐き出す。次いで、自身でも信じられないと声を返した。

 

「俺もだよ……〈アンノウン〉」

 

「……ふふっ。〈刻々帝(ザフキエル)〉、【四の弾(ダレット)】。危なっかしい我が女王の手から、この弾が離れていたと知った時は肝が冷えましたよ」

 

 危なっかしいと称され、露骨にムッとした顔を作る狂三に士道は苦笑する。まあ、気持ちはわかる(・・・・・・・)ので、ここは素直に少女の会話に乗らせてもらう。

 

「ま、それは俺も同意見だ。うちのお嬢様は、危険に首を突っ込むのが趣味なところがあるからな」

 

「……それ、あなたが言います?」

 

「士道は言えない」

 

「だーりん、自分のことを棚に上げがちですぅ」

 

「…………」

 

 たぶん、ほぼ全員がブーメランが刺さっていると言いたげだった。士道も自覚はあるが、今は口を挟んでほしくなかったと咳払いをして空気を入れ替える。あと別に趣味ではない。士道が首を突っ込むところに危険があるだけだ。

 

「――――それで? わざわざ私を巻き戻して(・・・・・)、何のご用が?」

 

「用しかないな。これはお前の〝計画〟の範囲内じゃないのか?」

 

「……元々、私はいない予定(・・・・・・・)でしたよ。誰かの意志か、悪戯か……僅かに残った私が、【四の弾(ダレット)】によって現れてしまったようですけれど」

 

 ふぅ、と息を吐いて少女は立ち上がる。折紙の手を離れ、真っ直ぐに精霊たちと相対した。

 自身がいなくとも問題ない。そう語る少女に、誰もが眉をひそめた。

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【四の弾(ダレット)】。

 

 【六の弾(ヴァヴ)】と共に士道の中に眠っていた、事象逆転(・・・・)の弾。今回は、狂三が予測していた少女の状態を〝巻き戻し〟、澪と少女が『私』と呼ぶ人格から、士道たちの知る少女へ引き戻した。

 が、少女の言うことが確かならば、これはイレギュラーなもの。少女の想定通り、少女の〝自我〟に当たる部分が消えてしまっていたのなら――――【四の弾(ダレット)】では呼び戻せなかった。

 失われた人格(いのち)は、戻らない。時間を戻しても、命までは戻せない。失われた事象そのものを変えない限り、戻したところで命の灯火は蘇らない。それは時を戻す【四の弾(ダレット)】であっても変わらない不変の法則。

 士道と狂三は、知っていた。しかし、出来ると確信があった。未来で見てきた(・・・・・・・)士道たちだから、これを実行に移せると確信していたのだ。

 

「お前がどう思っていようと。俺たちは知ってた(・・・・)。お前が生きてる、ってな」

 

「……そうですか。では、視てきた(・・・・)のですね――――時崎狂三」

 

 〝計画〟の根幹を、少女は見遣る。未来を見通し、全ての真実を明らかにする時崎狂三――――その異形なる瞳は、細まりながら少女を映し返した。

 

 

「ええ――――あなた以外の、すべてを」

 

 

 崇宮澪を。崇宮真士を。精霊の真実を。五河士道が生まれた意味を。

 全てを、余すことなく。だが、その〝全て〟の中に、少女は少女を含めなかった。故に、零れ落ちている。

 時崎狂三を愛した少女は、何を持って〝計画〟を打ち立てたのか。

 

 

「ずっと、返ってこない問いかけをしていたわ」

 

 

 真実を前に、琴里が前へ踏み出す。

 

 

「今なら――――返してくれるんでしょう?」

 

 

 勝負に勝ち、そして少女は生きている。ならば、話せないことはないはずだ。

 琴里の烈火の瞳が、語るべき真実を告ろと射抜く。

 少女は一人一人、琴里を、折紙を、士道を、精霊たちを――――狂三を見る。

 誰一人、欠けることなく少女へ辿り着いた士道と仲間たちを見て、少女は感銘にも似た声を吐き出した。

 

「――――海を、見せてくれますか?」

 

「海……?」

 

 海――――その唐突な願い出を、呆然と聞き及んだ士道の脳裏に、ある光景が浮かび上がった。

 ハッと目を見開く士道と、連なる狂三。二人で頷き合い、琴里へ声を発した。

 

「琴里さん、お願いできますかしら?」

 

「そのくらい、おやすい御用よ」

 

 ニヤッと唇を笑みの形にした琴里が、耳元へ手を当て艦内へ連絡を飛ばす。

 次の瞬間――――世界が切り替わり、開けた。

 

 

「――――きれい」

 

 

 少女は、誰かの記憶(・・・・・)と同じ光景に、そう声を零した。

 少女だけではない。精霊たちも、士道でさえも――――海。それだけの価値に、目を奪われてしまった。

 照り返す陽の光。寄せては返す波の音。鼻腔を刺激する強い香り。それらを余すことなく再現し、ゆらゆらと揺らめく青の平原は、どこまでも広がっているように映った。

 

 

「……『私』は、海が好きなんだ」

 

 

 その私は、きっと少女(わたし)ではない。士道にわかるように、狂三にもわかっていた。

 

 

「……触れて、自分の中に取り入れて――――こうして、君たちと一緒に見ることが出来て、素晴らしいと思えるんだ」

 

 

 かつての崇宮澪が同じだったように。否、大切な人を持つ誰もが想うことだ。

 その光景だけが美しいのではない。大切な誰かと、共に歩き、共に同じものを見て、感じて――――ただそれだけが、得がたいことのように思える。

 

 

「……でも、その気持ちを初めから理解できていたわけじゃなかった。私の中には、『私』があった。けれど、私は何もなかった(・・・・・・)

 

「〈アンノウン〉……」

 

「……ねぇ、五河士道。あなたは私があなただって言ったよね。ううん、違うよ。君は望まれて生まれた。私は誰にも望まれていない――――私は、何者でもない」

 

 

 そう言って、漣を背に少女は隠してきた白のベールに手を触れ――――不可侵の領域を、無くした。

 

 

「――――初めまして、愛しき女王たち。そして女王に、神様に愛された運命の人」

 

 

 ――――あまりに、美しい少女が立っていた。

 

 この世の美しさを全て呑み込む。あらゆる美を結集してなお、再現などできはしない。

 髪の網目の一つ一つ。物憂げな色を映す双眸。愛する狂三と同等の美しさ。士道の中で最上級の褒め言葉を、少女に投げかけることさえ叶う。

 そして、何よりも。士道を依代として生きる記憶が叫ぶ、強烈な憧憬。

 

 

「私は――――崇宮澪から望まれなかった、崇宮澪の出来損ない(デッドコピー)。存在する意味のなかった――――ただ一人の、価値のない(名も無き)精霊だよ」

 

 

 ――――崇宮澪と同じ貌(・・・)を持つ少女は、そう言って微笑んだ。

 

 

 

 

 

 最後に残された、この物語にだけ存在する精霊の想いが――――――存在しなかった真実が、今ようやく、時を刻む。

 

 それは、少女の神様と同じでありながら、見返りを求めることのなかった。悲しく、哀れで、歪な――――――独りよがりな愛の物語。

 

 

 






知 っ て た。……みたいな反応されそうだなぁ、って。

皆さんはいつ頃からあっ……と察していたのでしょうか。ちなみに作者である私は最初から知っていたので、狂三を裏切ると思われてたら面白いなとか考えてました。いや、めっちゃ裏切りそうじゃないですか。というか、この正体で裏切らないのもあれ?と思うかもしれませんけれど。楽しかったぜ、お前との従者ごryの予定は一ミリもありませんでした。くるみんいじめ隊の皆様すいません。

万能弾もとい【四の弾】ちゃん満を持してご登場。誰かが繋ぎ止めていなければ、この弾でも間に合いませんでした……それが誰なのかは、士道たちは知る由もない、ということにしておきましょう。
【一一の弾】も出演ノルマ達成できて良かったです。実は使い道が最後に決まったのはこの子でした(小声)

さぁて、最終章にてようやく、リビルド最大の謎を紐解く時間が参りました。この数話は名実共に〈アンノウン〉の真相に迫るお話となります……オリジナル精霊の話って、見ていてどうなのかなぁとか思ったりはしていますけれど、楽しんでもらえるよう頑張ります。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十九話『アンノウン』

 

 

「――――澪の、出来損ない(デッドコピー)……」

 

 始源の精霊、崇宮澪。世界に存在する中で、最強の生命体。

 そんな彼女と瓜二つな精霊が放った言葉を、士道は無意識のうちに繰り返していた。

 髪、双眸、表情の起伏。容姿の全てが、崇宮澪その人。僅かな違いは、仄かな幼さを感じさせる貌と体格。令音が澪から数歳ほど年月を重ねた容姿であるならば、少女は澪から幾歳若くした容貌を備えていたのである。

 

「令音、さん……?」

 

「うん……姉妹みたいに、そっくり……」

 

 士道にとってはどちらもだが、精霊たちにとっては令音が大きな標識になったのだろう。四糸乃の呆然とした呟きに、七罪も驚きの表情でそう声を零した。

 

「姉妹……ですか。恐れ多くも、他に適当な表現は見つからないかもしれませんね」

 

 七罪の呟きに少女は眉根を下げて言葉を返し、続ける。

 

「……私が知りすぎている。そう、あなた方は思っていたのでしょう?」

 

「……ああ」

 

 戸惑いながらも、問いかけに首肯を返す。

 少女の言う通り、少女は様々なことを知っていた。狂三のこと、士道のこと、精霊のこと――――〈ファントム〉と呼ばれた、崇宮澪のこと。

 それらは、士道たちも様々な予想をしていた。〈囁告篇帙(ラジエル)〉のように、そういった特異な能力を隠している。或いは、精霊の謎に関わる者と深い関係がある――――結果的には、深い関係、などで済むものではなかったと少女の口から語られている。

 

「知っていて、当然なんですよ。私は生まれながら『崇宮澪』としての知識と記憶があった。あの人が何をしようとしているのか、最初から全部わかってたんです――――私が、何も語ることの出来なかった理由は、察しがつくでしょう?」

 

 試すように次の問いかけを放った少女に、琴里が迷いなく答える。

 

「令音ね。ま、私たちに言えるわけないわよね――――ずっと、仕掛けの黒幕が聞き耳を立ててるようなものなんだから」

 

 声の調子こそいつもの琴里だが、僅かに滲む悲しみが、士道の心を揺さぶり耐えるように唇を噛む。

 村雨令音は〈ラタトスク〉において欠かすことが出来ない、最上に褒めるのなら最優の機関員である。それ以前に、彼女は琴里の唯一無二の親友なのだ。それは過去(いま)も、そして『なかったこと』になった未来(かこ)でも、変わることのない不変の関係性。

 言えるわけがない。言ったところで、信じてもらえるわけがないのだ。村雨令音が、全ての悲劇を仕組んだ災厄をもたらす精霊であるなどと。

 同時に、言えなかったのは狂三に対しても同じだった。狂三もあくまで冷静に、琴里から言葉を繋ぐ。

 

「仮に、わたくしに伝えたところで……わたくしは、迷うことなく士道さんを〝喰らって〟いたことでしょうね」

 

 皮肉げな声色で語る狂三。それは、取ることのなかった未来の選択肢であり、恐らくは最も可能性を残していた選択肢。

 狂三に澪の、そして士道の存在がどういうものなのかを知らせる。過去の狂三であれば、迷いながらでも士道を手にかけていたはずだ。士道を殺せば、澪の計画は完全に頓挫する。同時に、狂三は澪へ至るだけの霊力を得ることが出来る。

 

「……そう。だから私は、あなたには何も伝えなかったのですよ、我が女王」

 

 しかし、だからこそ少女は口を噤んだ。少女は、尽くすと決めた女王へ何一つ語ることはなかった。

 

 

「……従者が最も憎むべき仇だなんて、物語では在り来りなことですが――――――本当に、皮肉なものですね」

 

 

 最も忌むべき敵。殺すべき精霊。狂三から全てを奪った、狂おしい仇敵。

 それが、誰より狂三に尽くした共犯者の真の姿。狂三にとって悪逆非道の存在であった、『崇宮澪』の記憶を引き継いだ(・・・・・・・・)精霊。

 少女自身がそう決定付け、定義し、それは間違いとは言えないものなのかもしれない。

 でもそれは、以前までの時崎狂三(・・・・・・・・・)であれば、だ。

 

「ですが、あなたは『崇宮澪』の意志に反逆していますわ。確かに、おかしな話ですわ。皮肉な話ですわ。誰より『崇宮澪』に近いあなたが、わたくしに力を貸していたなど」

 

 そう。少女の口から語られた中で、決定的に矛盾していること。

 時崎狂三を〝我が女王〟と呼び、記憶を引き継いだ崇宮澪の敵対者である彼女に、最大限助力していた、その矛盾だ。

 この場にいる精霊たちも、その矛盾には誰もが気がついていた。

 

「むん。生まれに従うべき、などとは思わんが……何故、うぬは狂三に付き従ったのじゃ?」

 

「信条。行動には、必ず心に信じるものが必要です」

 

 夕弦の言った言葉は、誰しもが持っているものだろう。

 かつての夕弦たちがそうであったように、士道であれば精霊を、狂三を救うため。狂三であれば過去を覆すため。重要な行動の裏には、必ず他者にはわからない目的、信念が存在している。

 今、少女が語ったことには、それらが抜け落ちていた。澪に付き従っていたなら、記憶は理由になっていた。が、少女が命を懸けて尽くしたのは、その澪に利用され、精霊にされた一人である狂三。精霊全員ではなく、士道でもなく、誰よりも時崎狂三を少女は要としているのだ。

 しかし、少女は理由を語ることを否定するかのように首を横に振った。

 

「……別段、取るに足らないものですよ」

 

「――――ところがどっこい、そうでもないんじゃない?」

 

 疑問を切って捨てようとした少女の言葉を、そう遮ったのは……眼鏡を拭いて掛け直し、真剣な表情で少女を睨むように見た二亜だった。

 

「二亜……?」

 

「受け答え次第で、黙ってようかとも思ったんだけどねぇ。その取るに足らないもの、なんて曖昧なものでね――――あたしの〈囁告篇帙(ラジエル)〉を自殺幇助(・・・・)に使われちゃうのは、たまらないのよ」

 

「な……!?」

 

 目を剥いた士道に続いて、二亜へ詰め寄らんばかりの勢いで折紙が怒気を込めた声を発した。

 

「どういうこと?」

 

「オリリンも聞いたでしょ、未来の状況。少年とくるみんの話の中で、どーにも引っかかる出来事があったのよ」

 

 いつになく、二亜の表情には怒りが込められていた。それを見てもなお、少女は曖昧に微笑んで何も弁明することなく、見守るままに二亜の考察は続く。

 

「あたしたちの中で、真っ先に霊結晶(セフィラ)をぶんどられたのはこの子だったんでしょ? けど、それはくるみんを庇ったから――――まず、そこがあたしには引っかかった」

 

「ふむ……こやつが狂三を庇うことが、何かおかしなことになるのか?」

 

「庇ったこと自体は、おかしなことじゃないんだよねぇ。けどさ、始源の精霊の行動を先読みして、くるみんの霊結晶(セフィラ)を守った……いいや、守れた(・・・)ことに、疑問は感じない?」

 

「ぁ……」

 

 ぽつりと声を零した士道は、二亜が言いたいことを察する。狂三は――――元から、粗方の予測を終えていたのだろう。動揺は見られなかった――――悲しみは、瞳に込められていた。

守れた(・・・)。そう、守れてしまった(・・・・・・・)のだ、少女。その結果、少女は澪と一体化し、様々なイレギュラーを引き起こした。

 少女は自らが未来で行った行動を耳にしても、さして感情の揺らぎが見られない声音で言葉を紡ぐ。

 

「……ふぅん。可能性としては幾つか考えていましたけど、我が女王が彼の手を取った未来でしたか。まあ、私を捕まえるのなら我が女王の力は絶対に必要だと思っていましたから、今の状況を鑑みれば当然ですか。少し、不思議な気分ですけれど」

 

「おいおい。自分が未来で死んだ(・・・)って聞かされたのに、リアクション薄くない?」

 

「そちらは想定していた事象です。驚くに値しませんよ」

 

「……なるほど。前々から気になってはいたけど、確信したよ」

 

 淡々と、当然のことのように自身の死を断ずる少女に、二亜は深く息を吐き――――その手に、〈囁告篇帙(ラジエル)〉を顕現させた。

 ぺらり、ぺらり。意味を口にし、紐解くが如く、二亜は言葉を紡いでいく。

 

 

「あたしの〈囁告篇帙(ラジエル)〉には、ちょっとした秘密兵器があってね。過去と、現在(いま)視る(・・)ことが出来る天使。そんで、くるみんとは毛色が違う未来への干渉(・・・・・・)

 

「――――未来記載」

 

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉に記される事象は、全て事実(・・・・)。偽りのない、全知全能。それがたとえ、新たに書き加えられた(・・・・・・・・・・)ものであっても。

 士道が口にした天使の秘技を聞き、精霊たちの顔色が変わる。皆が、未来の世界で少女が何をしたのか、限りなく近い真実へ辿り着いた。

 

 

「そもそもさ、庇えるはずがないんだよ(・・・・・・・・・・・)。くるみんほどの精霊の〝隙〟ってやつを狙って、その攻撃は未来で何をしても勝てなかった始源の精霊のもの。近くにいた少年にだって、そんな芸当は不可能ってもんさ」

 

 

 そう。二亜の推測は全て真実。

 

 士道は庇おうとした。しかし、間に合わなかった。あの光の帯は間違いなく、寸分たがわず、時崎狂三を貫くはずだった。

 けれど、未来は捻じ曲げられた(・・・・・・・・・・)。士道の目の前で、事実は夢へ、幻想は現実へ。

 二亜は、己の天使を忌み嫌い、だが誰よりも〈囁告篇帙(ラジエル)〉のことを知っているからこそ、未来を聞いただけで真実へ辿り着き、それをわかりやすく――――残酷な言葉にした。

 

 

「キミ――――未来記載で、自分の死(・・・・)を描いたでしょ」

 

 

 記された真実を紐解き、一冊の本が、二亜の手で閉じられる音が響いた。

 再び、漣の音が大きく響く空間で――――少女の困ったような微笑みが、真実を語っていた。

 

「……未来記載は〈囁告篇帙(ラジエル)〉の能力の極みみたいな力。とてもじゃないけど、不完全な状態で使えるものじゃない――――自分自身の未来(・・・・・・・)を、定めるやり方でもなければ、ね」

 

「――――さすがですね、本条二亜」

 

 少女が二亜へ賛辞を送り――――その身が光に包まれる。

 白いローブが消え去り、薄手の霊装(・・)が少女の身体を包み込む。修道女を思わせる意匠と、称される鎧とは正反対な印象を抱かせる半透明な姿。

 少女のローブに隠されていた華奢な体格と、邪な想いを感じるはずなのに、崇敬にも似た美しさを感じさせる肉体のラインまで。

 それは、二亜が一度士道に披露した鎧・〈神威霊装・二番(ヨツド)〉。それを、少女の纏う白という色に染めたものだった。

 

「……苦労したんですよ。付け焼き刃ですし、私は他の天使を扱えるような器でもありませんし。そういう使い方(・・・・・・・)でもなければ、未来記載なんて〈囁告篇帙(ラジエル)〉の秘奥、夢のまた夢でしたでしょう」

 

 他人事のような言い方をしたのは、少女にとってそれは未来の出来事だからであろう。

 

「……何故だ」

 

 そのことに、士道は薄ら寒い(・・・・)ものすら感じ、気持ちを代弁するように十香が声を震わせた。

 

「お前は何故、そんなにも平然としていられる」

 

「……あなた方だって、死を前にして幾度となく立ち向かった。それと、何の違いがあるのですか?」

 

「同じではない。お前からは――――恐怖を感じない」

 

 十香は、少女の異常性を真っ直ぐに突きつけた。

 死へ向かうとき、人の精神に引き起こされる〝恐怖〟。

 それは、人としてあって然るべきものだ。幾度となく経験したから、士道にだって理解できる。死への感情とは、必要なものだと(・・・・・・・)

 死を恐れるから、人は生きたいと思う。死地へ向かう人は、恐怖を感じていないのではない。感じる恐怖を、勇気という感情で抑え込んでいるに過ぎない。

 十香にだって、折紙にだって、狂三にだって、それはあった。数々の戦場を経験してきた精霊たちは、正しく人としての機能と呼べるものが備わっている。生を諦めたくない、諦められない理由があればこそ、士道たちは生き残ってこれた。

 

 ――――崇宮澪の分霊を語る少女からは、それを一切感じない。

 

 死への恐れがない。死というものを理解してはいる。他者の死を回避しようとしている。けれど、少女自身は己の死に何の感慨も覚えようとはしていない。

 繋がりを得たのは、少女の肉体。令音が語った、肉体が生きようと望んでいない――――それは、必然だったのだ。少女自身が、生きようなどとは思っていない(・・・・・・)のだから。

 自らの死など、少女の目的を達成させる〝道具〟にしか過ぎないと、少女の行動が物語っていた。

 

「お前は、どうしてそんなに……っ!!」

 

「……私の生き方は、あなた方と出会ったときから変わっていませんよ」

 

「っ……」

 

 冷徹なまでに言葉を紡ぐ少女に、士道は息を詰まらせる。

 そうだ――――変わっていない。誰かのために生きて、死ぬ。綺麗なだけの、綺麗すぎる(・・・・・)生き方。酷く歪で、自身という存在が全て抜け落ちている。

 

 白い少女は、何一つ生き方を変えていないのだ。

 

 

「――――けど、それは直球な〝自殺〟だよ。自分の死の運命を決めるなんて、正気じゃない(・・・・・・)

 

 

 二亜は、生きることの意味を知っている。五年もの間、命を弄ばれ、士道たちと出会い、死の淵に堕ちて、生きることを望んだ。

 だから二亜は、少女へ対してその〝歪み〟を指摘する。自らの死を利用し、あまつさえ死を定めた少女は、酷く歪んでいると。

 そのとき、六喰が悲しげに震わせた瞳を少女へ向け、声を発した。

 

「むくには……解らぬ。うぬは――――一体、何をしようとしているのじゃ?」

 

 かつて、心を封じ人形のように生きた六喰。しかし、人形の六喰であっても生存本能は存在していた。

 それがない少女は、六喰の目には人形ですらなく――――名も無き精霊(かいぶつ)のように、映ってしまったのだろう。

 誰にも理解されず、誰に理解されようとも思わない――――少女はそう言うかのように目を伏せ、言葉を返した。

 

「……私の〝計画〟。あなた方は殆ど理解しているでしょう?」

 

「狂三に、未来を視せる(・・・・・・)こと」

 

 折紙は平坦で、しかし力強さを感じさせる絶妙な声音で続けた。

 

「避けられない始源の精霊の出現。避けられない絶望に、〝対抗〟するための力……狂三の〝未来予測〟の効力を鍛え上げる(・・・・・)

 

「……正解」

 

「そのために、あなた自身を最初に。そして恐らく、私たちの抵抗を含めても霊結晶(セフィラ)の回収は避けられないと踏んで、琴里へもう一つの霊結晶(セフィラ)を託す準備をしていた」

 

「……ええ。私個人から評価するなら、こちらはあまりにも分の悪い賭けでしたけれど」

 

 考えてはいたが、考えるだけで頭が痛かったと少女は肩を竦める。その理由を、未来の時間軸で体感した士道は声にした。

 

「澪の力を、知っていたからか?」

 

「……言ってしまえば、あの人は私の上位個体です。それも、格どころではなく次元が違う(・・・・・)

 

 始源の精霊、崇宮澪の力。少女と類似する力ではあるが――――文字通りの次元違い。

 『死』を万物にもたらす天使。『法』を世界にもたらす天使。どちらも、少女のそれとは規模も程度も全く比較にならない。それは、士道の目からでさえ史実だと映った。

 だが、琴里にはそれこそが違和感だったのだろう。すかさず声を発する。

 

「でも、あなたはそれを知っていて〝計画〟を進めた。澪の力を知っていながら、私たちに色んなものを残した」

 

「……私は〝計画〟のために、あなた方を利用した。勝てないと、生き残れはしないだろうと知っていていました――――恨んでくれて、構いません」

 

「そんなことしないわ。私たち、今こうして生きている(・・・・・)んだから」

 

「……結果論です、そんなもの」

 

 少女の伏せた目が、声が震えている。

結果的に(・・・・)、士道たちは生きている。正確には、精霊たちの死の未来が『なかったこと』になった。

 誰も少女を責めはしない。だって、少女は誰かを大事に想える人だと知っているから――――ああ、知っているからこそ、士道は先を知るために声を発した。

 

「澪が十香たちを……十香たちの霊結晶(セフィラ)が、澪に奪われることは避けられないと知っていた。だから俺たちと澪が戦って――――澪の力を、狂三に〝観測〟させることが、お前の〝計画〟で重要なことだった」

 

 澪に勝てる相手は存在しない。少なくとも、現時点のこの世界、過去に存在した時間軸に置いて、それは確定的に明らかな事実。

 白い少女は、誰より知っていた。白い少女は、誰よりわかっていた――――そして、時崎狂三の〝可能性〟に気づいていたのも、少女だった。

 〝計画〟完遂に必要なものは、もう一つあった。少女へ向かって、要である狂三が言葉を継いだ。

 

 

「そして、わたくしが新たな未来を紡ぐ〝可能性〟を宿したまま――――士道さんの中に眠る【六の弾(ヴァヴ)】によって、あなたにすら悟られない時間遡行を行うこと。それが、澪さんと相対した場合(・・・・・・・・・・)における〝計画〟の本筋、ですわね」

 

 

 確信に満ちたその言葉を、少女は否定せず肩を竦め声を返すことで応えた。

 

「……その様子だと、二人揃っての時間遡行だったみたいですね。それはさすがに予想外というか……ま、我が女王を説得できた未来の方が、私にとっては不思議でなりませんけれど」

 

「聞きたいなら、お前の話が終わったらじっくり聞かせてやるよ」

 

 我ながら、無茶と無謀を押し通した戦争(デート)だったのだ。さぞ、少女のようやく拝めた端整な顔を呆れで歪ませられることだろう。

 不敵に笑ってそう告げた士道を見て、少女はフッと穏やかな微笑み――祝福や喜びと言い換えてもいい――を浮かべ、だが次の瞬間には大仰な役者のような笑みを作り、士道たちへ――――狂三へ向かって、両手を広げ言葉を発した。

 

「さあ、我が女王。ここまで辿り着いた我が愛しき主君。あなたであれば、この〝計画〟の最終段階(・・・・)を読み取ることが出来ているのでしょう?」

 

「〝計画〟の、最終段階……?」

 

 狂三に未来を〝観測〟させ、狂三を士道の手で時間遡行させ――――その上で、少女はまだ何かを残している。それも、時崎狂三に関わる何か(・・・・・・・・・・)を。

 一瞬、首を傾げた士道だったが、狂三が粛々と語る真相に、心臓がドクンと跳ね上がった。

 

 

「わたくしへ――――あなた自身の霊結晶(セフィラ)を、託すこと」

 

 

 少女は安堵と満足を得て、狂三へ捧げものを進呈するかのような表情を返す。

 崇拝と、愛と――――狂気。それを感じた士道は、怒声混じりに声を発した。

 

「っ……霊結晶(セフィラ)を狂三に渡したら、お前はどうなる!?」

 

「消えるんじゃないですか? もう一つ(・・・・)は隠しておきたいですし、私は『私』と同じで霊結晶(セフィラ)から生まれた精霊。他の精霊の霊結晶(セフィラ)では依代になりませんから」

 

 感情の起伏を感じさせない令音のような声音が、酷く恐ろしい。今度こそ、士道たちは少女の言い分に身体を凍りつかせた。

 身体を強ばらせた士道たちの様子に、仕方なさげに少女は息を吐き、続けた。

 

「……何を今さら。言ったでしょう、私に価値はない(・・・・・・・)と。私の〝計画〟は、どんな道筋を辿ろうと私の生存なんて余計なものは組み込んでいないんですよ。使う(・・)タイミングが違うだけです」

 

「それが、そんなものが……お前の〝計画〟だっていうのかっ!?」

 

 己を消すことが〝計画〟の本懐。否、それさえも〝過程〟でしかない。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉を取り込んだことも。

 澪への対抗策を講じていたことも。

 士道に【六の弾(ヴァヴ)】を使う鍵を提示したことも。

 

 全て――――時崎狂三(我が女王)のために。

 

 

「さあ、さあ。我が愛しき女王。私の霊結晶(セフィラ)を取り込み、彼と共に世界をどう創り変えるのか。友を生き返らせ、憎き仇敵を滅ぼし、大切な人たちと生きていく――――再構築(リビルド)。それは、あなただけが叶えられるものです」

 

 

 道化が、笑う。時崎狂三に、犠牲を強いて世界を変えろと笑う。

 確かに、可能かもしれない。狂三が未来の琴里と同じように、いいやそれ以上の力を少女の霊結晶(セフィラ)と融合し得て、士道の霊力を使い世界を変える。崇宮澪の想定を超える力を持って、あらゆるもの『なかったこと』へ変える。崇宮澪を、滅ぼす(・・・)ことさえも可能とする。

 恐らくは、本来の計画(・・・・・)の到達点だったそれを。

 

 

「――――お断りしますわ」

 

 

 唯我独尊の愛しきお嬢様は、あっさりと切って捨てた。

 

「……何故です? あなたの望んだ〝悲願〟が、ここにあるというのに――――まさか、『私』を相手に何の犠牲もなく全てを終わらせる。そんな夢物語を、『時崎狂三』が望むと?」

 

 眉をひそめ、理解ができないという顔で問いかける。

 理解など、今の少女が出来るはずもない。だって、少女の中では士道の手を取った狂三という〝客観的〟な事実しか知らない――――狂三と士道が、どんな想いでこの時間軸へ帰還したのか、知らない。

 だから、大胆不敵に微笑む凛々しくも美しい愛し人を見て、少女は目を見開いた。

 

 

「お約束の言葉を返しましょう――――そのまさか、ですわ。わたくしは、完全無欠のハッピーエンドを掴み取るために、あなたに会いに来たのですわ」

 

 

 『時崎狂三』であれば、決して語らなかった夢物語。

 『時崎狂三』であれば、決して取ることのなかった不確定な道筋。

 『時崎狂三』であれば、決して認めることはなかった非効率な選択。

 

 だから少女は驚き、だから精霊たちは笑い、だから――――士道と狂三は、手を取り合って少女と相対する。

 

「あなたの〝計画〟は理解いたしましたわ。わたくしに力を託すこと――――ですがまだ、わたくしたちにはわからないことがありますわ」

 

 そう。士道たちは、まだ知らない。〝計画〟の到達点(・・・)。それこそが、初めに皆が感じ、少女が答えを提示しなかった疑問。

 

 

「誰かに利用され、真実を知らなかった。都合の悪い真実から目を背け、知ることを恐れた。わたくしは、もう嫌ですわ」

 

「……狂、三」

 

 

 眩しいものを見た。輝かしいものを見たのだろう。少女は呆然と、ようやく(・・・・)時崎狂三の名を読んだ。

 狂三は優しく微笑んで、伝えられなかった言葉を、告げた。

 

 

「自分の愚かさで、大切な人(・・・・)を失いたくはありませんわ。澪さんのことではありません。わたくしは――――大切なあなたのことが、知りたいのですわ」

 

 

 ただ、少女の犠牲を許容できない。だから狂三は――――想いを同じとする士道たちと、長い時間を得て道を同じくした。

 ならば、少女にも出来るはずである。崇宮澪ではない(・・・・・・・)、時崎狂三を大切に想える少女であるなら。

 

「なあ、教えてくれないか? お前は狂三のために、自分の女王のためにここまで独りでやってきたんだよな。だったら、さ――――――」

 

 教えてほしい。士道は手を差し伸べるように、一人の精霊へ向き合い、それ(・・)を告げた。

 

 

 

「お前は、時崎狂三に――――何を求めたんだ?」

 

 

 

 誰かを犠牲にして、自らを生み出した神に叛いて、少女は時崎狂三に何を求めた。何が欲しかったのか。何を望むのか(・・・・・・)

 士道を、折紙たちを、狂三を。少女は……物憂げな瞳で映し出した不明の精霊は。

 

 

「――――何も(・・)

 

 

 ただ、そう言葉を零して。

 

 

「私が狂三に求めるものなんて――――何もないんだ」

 

 

 少女は、少女だけが知る真実の扉を、開いた。

 

 

 








やだ……何この二亜。自分でやっておいてなんだけどかっこいい。

あの一瞬の答え合わせです。そもそもね、デアラ界最強の存在がここぞ、って瞬間に放った攻撃を、内心も含めて武器を手放していた狂三が避けられるはずがないし、士道も庇えないんですよ。だって澪がその致命的な隙を狙ってたわけですから。逆説的に、このルートでなければ狂三の隙は突けないわけですが。
だからこその未来記載。筋書きそのものを新たに創る力。単純であればあるほど、拘束力は強くなる。ありえない因果を捻じ曲げる――――その果てが、持ち主の自殺だったとしてもね。

さて正体不明の精霊……少女に残された不明を、開きましょう。狂三から欲しいものはない。なら、少女は狂三に何を願ったのか。狂三に何を見たのか。
それは意外なほど単純で、見たものも人によっては驚くほどではない……かもしれませんね。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十話『たった一つの』

 

 最初の目覚めは、光の中で始まった。

 

『…………?』

 

 疑問と、答えを探した。肉体の存在しない、光だけの空間――――肉体という知識があるにも関わらず、それを持ちえない矛盾。

 生まれながらにして、その存在は〝知識〟を得ていた。世界がどういうもので、世界がどうあって、自身がどういう存在かを識っていた(・・・・・)

 

 精霊。この世で唯一無二、世界に偏在する〝マナ〟と呼ばれる因子を集め、生み出された超常生命体。

 

『………………』

 

 しかし、疑問が残る。それだけの知識があり、それだけの痕跡がありながら――――己の肉体が存在しないのか(・・・・・・・・・・・・)

 だから、探した。己の中にある〝知識〟から、探した。それは一種の本能のようなもの。何もない無が生を得るために必要な行為。

 

 だが――――――

 

 

『――――作り直せば……いいんだ』

 

 

それ(・・)を視てしまった瞬間。

 

 

『――――――――ぁ』

 

 

 愛情。色欲。激情。憎悪。執念――――崇宮澪(オリジナル)の記憶。

 

 

『ごめんね――――許してくれとは、言わないよ』

 

 

 神なる者の傲慢。神なる者の歩み。

 

 

 それの業を。それの罪を。生まれながらに様々と見せつけられる。

 

 だから、目を閉じた(・・・・・)。視ていられなかった。悲しくて、苦しくて、残酷で、哀れで――――同情してしまいそうで。

 

 始まりの覚醒は、そこで断絶する。識った(・・・)記憶はそのままに、無意味な意識(・・・・・・)だけを残し、(いしき)を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 次の目覚めは、少なくとも穏やかなものではなかった。

 覚醒時に引き起こされた肉体の動作(・・・・・)。全身を覆う霊力の塊(・・・・)。そして、それを打つ冷ややかな礫。

 

「……ん」

 

 身体を起こし、世界を見る――――世界が、見える。

 光だけだった空間に存在していた意識が、外側の世界へ躍り出た。

 どこともしれない場所。広大な空。空を覆う、大きな雲。降り注ぐ大粒の雨。〝知識〟の中に存在していた光景と照らし合わせて、そういうものかと理解する。

 何が、どうなっているのか。再び考えたのは、その単純な疑問。雨の一粒一粒を認識し、ゆっくりと視線を下げた――――水溜まり、と呼ばれるものの中に、それ(・・)は映っていた。

 

 

「――――『私』?」

 

 

崇宮澪(オリジナル)が、映り込んでいた。

 

それ(・・)が自らの貌だと認識し、無意識に零れた言葉に、少女(わたし)は強烈な違和感を感じた。

 

「……私、だれ(・・)?」

 

 存在の、誤認。それ(・・)は崇宮澪だ。精霊、この世に現存する唯一の――――否。崇宮澪(オリジナル)は唯一ではあるが、精霊は唯一ではなくなりつつある。

 『私』はその一人――――それも、否。じゃあ、少女(わたし)はだぁれ?

 

「……? ぁ、……ぅ、?」

 

 ここにいるのは、だれなの?

 

 手で触れて、表情を変えて、けれどそれは、崇宮澪(オリジナル)のもの。記憶は崇宮澪(オリジナル)のもの。なら、意識は『私』でなくてはならない。でも、少女(わたし)は『私』を否定した。拒絶した。

 

 じゃあ、少女(わたし)は一体、どうして生まれたのか。

 

「…………」

 

 ふらりと、立ち上がった。ふらりと、さまよった。

 

 きっと、その答えが欲しくて――――その答えはどこにもないと、〝記憶〟という『私』を持つ少女(わたし)には、わかっていたはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二度目の目覚めから、変わることはなく。三度目の目覚めは、なかった。

 いいや、あったのかもしれない。けれど、それは少女が感じるものを変えるほどのものではなかった。

 

 精霊。少女は、精霊と呼ばれる存在。天使を纏い、人ならざる力を振るう世界の天災。

 

 なまじ、少女は崇宮澪(オリジナル)の知識を持っているが故に、己の存在を事実として識ることとなった。

 なぜ、生まれてしまったのか――――何らかの時期、崇宮澪(オリジナル)から零れ落ちた霊子が残留。世界に流れるマナと融合――――通常ならばありえない現象だが、己の裡に眠る霊結晶(セフィラ)進化の促進(・・・・・)に秀でていた。

霊結晶(セフィラ)は自然的に成長を続け、そして同じ力が二つ現出した(・・・・・・・・・・)。なぜそうなったのか。肉体に適合するべく進化したのか、それとも耐えられる肉体がないからこそ二つに分離することで、生命の崩壊を防いだのか――――恐らくは後者。少女は、精霊として不完全(・・・)であると決定づけた。

 進化する霊子。しかし、少女という肉体と意識が生まれたことで、その進化は止まってしまった。何故か。それは、耐えられないから(・・・・・・・・)だ。

 少女の肉体強度では、霊結晶(セフィラ)が望む進化に耐えられない。少女では望む結果を得られない。

 

 結論は、少女が精霊として、崇宮澪の分霊として、不完全な出来損ない(デットコピー)でしかなかったというだけのこと。

 

 

「…………ああ」

 

 

 それならそれで、少女は構わなかった。不思議なことではない。自然的に育った力など、所詮はそんなものだ。

 少女が知りたかったのは、それではない。それより前、少女が生まれた理由(・・・・・・)だ。

 

少女(わたし)は、どうして生まれたの。

 どうして、少女(わたし)を生んだの。

 

 何度も。何度も。何度も何度も何度も何度も――――――何度も、問いかけた。

 

 

「――――うん、そっか」

 

 

何も無かった(・・・・・・)

 

 

「私、意味なんてないんだ」

 

 

少女(わたし)が生まれた意味は、どこにもなかった(・・・・・・・・)

 

 崇宮澪の出来損ない(デッドコピー)。生まれながら、唯一意味を持たない精霊。それが、少女(わたし)に与えられた無価値(・・・)という価値であった。

 

 

 

 故に、三度目の目覚めは訪れない。少女(わたし)は、そこで考えを止めてしまった。

 だって、生まれた意味がないのなら、考える理由がない。少女は、崇宮澪が望むことを邪魔しようなどとは考えなかった。

 崇宮澪の考えは、人間的な常識に当てはめれば狂っている。やってはいけないこと。倫理から外れた超常生命体など、世界にとっての脅威でしかない――――それが少女に、何か関係があるか?

 

 意味のない存在が、何を思ったところで、何の影響があるというのだ。

 

 崇宮澪が生み出す悲劇から、犠牲から、少女は目を背けた。崇宮澪の善性は、崇宮澪のもの(・・・・・・)。だから少女は、生まれながら悲劇への感情など持ち合わせていない。

 

 何故なら、それは崇宮澪が培ったものだから。

 何故なら、それは崇宮澪が体感したものだから。

 

 少女はそれを識っているが、少女はそれを知らない。知識にはあるが、少女の感情には存在しない。

 喜怒哀楽。精霊としても人としても持ち合わせるべきそれを、少女は欠落させてしまった。あって当然のものを、記憶として『そういうものがある』とだけ識ってしまったのだ――――それがどれほど、愚かなことかなどわからないままに。

 

 そうして、少女(わたし)は――――三度目の目覚めで、崇宮澪と同じだけの後悔を、得たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん。この辺り、かな?」

 

 トン、トン。と、軽々と人の造った建造物を飛び越え、それでいて誰にも知られることなく少女は目的の街へ辿り着いた。

 目的の、とは言っても……特に確証らしい確証があるわけではない。ただ、それらしい形跡を感覚で辿り、少女はこの街を選んだというだけだ。

 

「……ここに、いるのかな――――私の神様は」

 

 崇敬を感じさせるであろう言葉とは裏腹に、込められたものは虚しさすら感じさせた。

 そもそも、崇宮澪(私の神様)は少女のことなど知りはしない。ただ、少女にとっては生みの親――――自分の神と称するだけの存在。それだけの話だ。

 少女を生んだ存在に、会いにいく。特別、他に思い浮かんだことがなかった。思い浮かぶまで、どれほど時間を使ったかも覚えてはいない。

 思いついて、歩き出して、あの人の残した僅かな〝痕跡〟を淡々と辿って、この街へきた。一見平和で、だけど〝惨劇〟が起こっているであろうこの街へ。

 

「……まあ、どっちでもいっか」

 

 いても、いなくても。ここに来るまでも、ハズレは引いていた。〝痕跡〟だけは見つかるが、本人は既に去ったあと。犠牲にする〝人数〟を考えれば、当然といえば当然の選択と少女も考える。

 会えても、会えなくても、構わない――――ただ、会えば何かが見つかるかもしれない(・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

 余計な考えを追い出すように、少女は頭を振る。

 見つかるわけがない。少女を生み出した人に、何を問いかけろというのか。お前など知らない(・・・・・・・・)と、決まりきった答えを返されにいくのか。

 ああ、けれど、そう言ってもらえたら、少女(わたし)は――――――

 

 

「……うん――――?」

 

 

 そのとき、精霊である少女の視界にとあるものが映った。

 

 ただ、車に轢かれかける子供がいた(・・・・・・・・・・・・・)、というだけだった。

 

「……ああ」

 

 感情を動かすことなく、少女は何となしに声を零した。ああ、あれは間に合わない(・・・・・・・・・)と。

 事実と、客観的な分析。傍から見ても暴走と言える速度の車と、車道を歩く幼い子供。別に少女でなくとも、間に合うはずがないと判断してしまう。

 ――――これを見ていたのが崇宮澪であれば、咄嗟に救いの手を差し伸べていたのかもしれない。その超常的な力で。〝彼〟を見て育った善性で、子供を救ったのかもしれない。もちろん、ありえない前提ではあったが。

 けれど、少女(わたし)は『私』ではなかった。わざわざ救うために動く義理はないし、動いたところで間に合う距離ではない。遠距離と言えど少女が間に合わないのであれば、近場の人間ではなおさら間に合わない――――間に合ったところで、助け出そうとして、行動できるはずがない。

 

 人は死を恐れ、避けようとする。本能だ。目の前の他者の死を、関係のない人を、救おうとする人間を少女(わたし)は知らない。

 

 

「……え?」

 

 

 じゃあ、少女が捉えたその光景(・・・・)は、何なのか。

 黒髪の少女が、子供を抱えて命懸けで助け出した(・・・・・・・・・)光景は、何だ?

 

「っ……」

 

 わからなかった。見ていたはずなのに。無意識に足が動き、音が正確に拾える位置まで足を踏み入れる。

 現場は凄惨たるものだった。暴走車は車体が浮き上がるほど派手に激突。どうやら巻き込まれた怪我人もいるようで、一瞬にして騒ぎは拡大していた。

 

「狂三さん!!」

 

「っ……わたくしは平気ですわ。それより紗和さん、救急車をお願いできますかしら?」

 

「え……は、はい!!」

 

 〝彼女〟に大慌てで駆けつけて声をかけた三つ編みの少女――――紗和というらしい彼女は、冷静に子供を抱えた狂三の言葉に、また大慌てで駆け出していく。

 そう、冷静に(・・・)。〝彼女〟は、ただ冷静に巻き込まれた子供を抱き抱え、服が、艶のある黒髪が汚れることすら厭わずに……泣き叫ぶ子供をあやして――――――

 

 

「もう大丈夫ですわ――――無事で、よかった」

 

 

 ただ、見ず知らずの子供の無事だけを喜び、安堵していたのだ。

 

「……なん、で……?」

 

 疑問だけが少女の脳裏にこびりついて、言葉が零れ落ちた。

 やったことは理解できる。出来損ないとはいえ、少女は精霊だ。どんな一瞬の出来事であろうと、見逃しはしなかった。

 〝彼女〟がしたことは、単純。迫る暴走車を相手に迷わず足を踏み出し、子供を抱えて地面を大きく転がった。結果、子供は助かった――――それが、異常だというのだ。

 〝彼女〟の行動は非効率極まりない。〝彼女〟の身体能力は特異ではあるようだが、それでも間に合う保証などなかった。結果的には(・・・・・)間に合ったが、助け出そうとした〝彼女〟ごと轢かれていた可能性だってある。いや、そちらの方が可能性は高かった。

 

「……っ、どうして……!?」

 

 わからない。知らない(・・・・)。見ず知らずの子供を命懸けで助けて、それでいて自らの命ではなく、助け出した子供が無事だったと安堵する。

 ――――少女はそれを、識ってはいた(・・・・・・)

 崇宮澪の記憶に深く刻まれた〝彼〟は、同じような善性を持っていた。他人を慮り、理解し、助けようとする強い正義感。それは、識っていた(・・・・・)

 だが、少女(わたし)は『そういうもの』と記憶に残していただけだ。実際に、見たわけではなかった。知ったわけではなかった――――少女(わたし)は、何も知らなかった。

 

少女(わたし)は、その尊い価値を、自身の目で見てしまったとき、どう感じるのか、理解などしていなかったのだ。

 

 

「――――――ああ」

 

 

 感銘。感嘆。感慨。言葉での表現など、どうでもよかった。

 どうして? 簡単な話だ。〝彼女〟にとって今の行動は、当たり前(・・・・)のことだったのだ。自分がどんな状況であろうと、〝彼女〟は自らの感情を信じて手を伸ばす。そういう人なのだ。

 

 たった、それだけの話。

 

 けれど、それが。けれど、それだけが。少女(わたし)には眩しくて、灰色にくすんでいた世界が、〝彼女〟を通して色鮮やかに見えた。

三度目(・・・)の目覚めは、そうして訪れた。正しい人として生きていれば、こんなにも強い感情は持ち得ない。でも出来損ないの精霊は、初めて、その世界を見た。

 雛鳥が初めて親を見たように、刷り込まれ、感じた。

 射干玉の髪が。白く汚れなどに汚されない肌が。何よりも、〝彼女〟の全てが。

 

 

 

「――――きれいな、人」

 

 

 

 ――――美しいと、思えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、私は初めて少女(わたし)を得た――――それだけで終わっていれば、少女は〝自我〟を独立させるだけに留まっていた。

 〝彼女〟と関わることはない。〝彼女〟は、その美しい心を秘めて、少女と関わることなく生涯を終える。それでよかったはずだった(・・・・・)

 なぜ、気がつかなかったのか。〝彼女〟の特異な身体能力(・・・・・・・)。既に、片鱗は見ていたはずなのに。

 

 それを見てしまったのは、崇宮澪の〝痕跡〟を辿り、行き着いた、その瞬間。

 

 時が、止まった。

 

 

「――――――――――――――――ぁ」

 

 

 鼓動が、時を動かした。

 

 

 

「やあ、狂三。今日もよろしく頼むよ」

 

「ええ、任せておいてくださいまし――――澪さん」

 

 

 

 〝彼女〟の名は、時崎狂三。

 

少女(わたし)が初めて美しいと思った少女であり――――神に定められた、精霊になった(犠牲になる)少女。

 

 ――――避けられぬ原初の〝罪〟は、生まれた瞬間から少女(わたし)を殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……あ、あああ、ああああああああああああああああ――――ッ!!」

 

 矛盾が少女を穿ち、慟哭が少女の世界を破壊した。

 吐き出したい。立っていられない。消えたい、消えたい、消えたい――――少女(わたし)の感情でないものさえ、次々に溢れ出してくる。

 そんなもの、慰めにもならない。

 

「なん……で……どうして……ッ」

 

 生まれて初めの涙は、止めどなく滂沱と溢れ、喉から引きずり出される悲鳴は永遠と続く。

 

 ――――どうして(・・・・)

 

お前がそれを言うのか(・・・・・・・・・・)。生まれながらに目を逸らし、ただ無感情に無駄な生を受けた少女に、そんな資格はない。

 お前は識っていたはずだ。崇宮澪が何を望み、そのために何を犠牲にしていたのか。どれだけの人間を屍にしていたのか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 その一人が、あの時崎狂三だった。それは誰のせいだ? ――――少女(わたし)だ。私が、彼女を引きずり込む運命を見過ごした。関係ない。崇宮澪が何を望もうと、何を犠牲にしようと私には無意味だ――――それをいざ、目の前にして、後悔をしている。

 愚かで、道化。無様で、救いようのない。『私』の罪は、記憶を持つ私の罪。私の罪は、私だけの罪。

 

「……っ、……」

 

 噛み締めた唇から血が滲む。厭わず、思考を巡らせ続けた。

 

 時崎狂三は――――死ぬ。

 

 定められた運命だ。時崎狂三は、神に見定められ、そして死ぬ。果てに至る澪の〝計画〟の犠牲となり、避けられない死が訪れる。

 

 

「――――いや、だ」

 

 

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ――――だって、理不尽(・・・)じゃないか。あんなに美しくて、あんなに綺麗な生き方をしている人が、誰かに利用されて、死ぬ。それも、そんな生き方を誰より知る、あの神様の手で。

 そんなの、ただ理不尽じゃないか。

 

少女(わたし)は、崇宮澪の〝計画〟を識っている。時崎狂三の死を識っている――――だが、識っているからといって、何とする。

 崇宮澪を止める――――不可能だ。やろうとも思わないし、出来るとも思えない。崇宮澪は不滅であり、永遠の存在。永劫の命を持つ、完璧な生命体。この世の誰も、あの人には敵わない。

 だったら、時崎狂三の死を許容する――――嫌だ。少女(わたし)の全てが、それを否定していた。死んでほしくない。死んでいい人じゃない。時崎狂三は、価値のある人だ。美しい人だ。少女(わたし)は、時崎狂三に――――――

 

 

「…………ぁ…………」

 

 

 ――――生きていて、ほしい。

 

 

「そう……か……」

 

 

 何だ、単純なことじゃないか。ボロボロになった唇から、細々と、けれど確信に満ちた声が零れた。

 

 少女は、崇宮澪の邪魔をしたいわけじゃない。

 少女は、何かを望まれて生まれたわけじゃない。

 

 だから、生まれて初めて、この想いを感じた。感じた想いは、至極単純なもの――――衝動。そう言い変えてもいい。

 

 

「――――生きていてくれれば(・・・・・・・・・)……いいんだ」

 

 

 少女が時崎狂三を――――生かせばいい(・・・・・・)

 時崎狂三に何かを求めるのではない。時崎狂三は美しい人だ。時崎狂三は綺麗な人だ――――少女は、そんな彼女が生きているだけでよかったのだ。

 

 そのためなら――――他の何が犠牲になろうとも、構わない。

 

少女(わたし)が初めて得た目的は、後悔から始まって、奇しくも『私』と似通っていた。結局は、自我があろうが因果から逃れられるものではない。

 違いがあるとすれば、崇宮澪が〝彼〟に向けた感情が人の根源的欲求、恋だと定義するのに対し、少女のそれはもちろん異なる欲求だった。

 

 

「――――私が、あなたを生かす。

永遠なんかじゃなくていい(・・・・・・・・・・・・)

時崎狂三が望むだけでいい(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 一度死んだ人が蘇ることはない。だが、死んでいないのなら間に合う。

 少女が覚えた感情は、崇宮澪が〝彼〟に覚える感情と似ていた。それは確かだ。致命的に違ったのは、それは愛ではなく崇拝(・・・・・・・)。信教にも似た原初の衝動であったこと。

 つまり――――その想いは、あまりに一方的(・・・)なのだ。

 『私』が感じた、〝彼〟のいない世界で生きていけない愛の感情とは異なる。

 

 少女は見返りなど求めない。少女は正しさなど必要としない。

 美しいあの子が、生きていられない選択など理不尽だと。ただ、己の裡に芽生えた根源的衝動を目的とした。

 一度目の目覚めは、拒絶。

 二度目の目覚めは、無価値。

 三度目の目覚めは、後悔。

 

 だから、少女は。

 

 

「――――もう、絶対間違わない」

 

 

 その決意は、歪。出来損ないが唯一持つ、独りよがりの愛。

 構わない。それであの人が生き残れるなら。少女の命など無価値である。いつの日か、消え去る運命にある。故に、価値などいらない。ただ、時崎狂三を生かすためだけに(・・・・・・・・)、記憶と知識を扱えばいい。

 近い未来。時崎狂三は絶望を得る。崇宮澪の手で、〝計画〟に必要な精霊として昇華される――――――させない。

 〝計画〟を阻止することを考えるのではなく、崇宮澪の〝計画〟を進めながら(・・・・・)最終目的を果たす。

 

 崇宮澪ではない。名も無き精霊の〝計画〟。

 

 時崎狂三は、何を望むのだろうか。時崎狂三は、何を果たそうとするのだろうか。今は、何もわからない。だから少女の〝計画〟も、彼女の意志によって決定される。

 ただ、一つだけ決まっていることは。

 

 

「だから……生きていて。――――我が女王(・・・・)

 

 

 時崎狂三の生存(・・)。それだけだった。

 

 

 

 






望みは、そんな小さなものだった。


澪が真士を想う気持ちと同じでありながら、それは明確に違うもの。澪と真士は通じ合う愛があった。けれど、少女のそれは愛ではなく崇拝。つまり、一方的な情動。一方的であるが故に愛ではなく、ただ暴力的なまでの望みです。
有り体に言ってしまえば一目惚れ。あるいは刷り込み。なんにせよ、少女が世界に生まれて初めて明確に色を持って認識したもの、それが時崎狂三。そして色を持ってしまったが故に、理不尽だと感じてしまったものが、何の因果か狂三だった。ボタンのかけ違え。見たものが狂三でなければ、少女は少女ではなかった、かもしれません。
これが仮に他の精霊だったなら……まあ、違っていたでしょうねぇ。恐らく唯一、絶望の縁ではない、尚且つ澪が澪として関わったのが狂三です。士道の妹という特殊な琴里を除くと、他の精霊はある意味澪が絶望から救った、とも言えます。狂三でなければ、少女は彼女を美しいとは感じなかった。狂三以外の精霊であれば、同情はすれど少女は理不尽と感じるまでは至らなかった。
澪と少女が狂三を見定め、少女が澪であったが故に、少女は罪と答えを得てしまった。

意味のない精霊が、自我を認識してしまったが故に背負った原初の業。ただし、この記憶はあくまで少女の主観しかない――――ということを、片隅にでも置いていると良いかもしれませんね。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十一話『最後の攻略者』

 

「――――それだけの、ために……?」

 

 

 独白の果て、狂三はそう震える声で音を零した。

 時崎狂三に仕え。時崎狂三に従い。時崎狂三に何かを望んでいた少女。

 少女は伏せた目を上げ、迷いのない狂気を宿した瞳で、その時崎狂三だけを見た。

 

 

「そう――――たった、それだけ(・・・・)です」

 

 

 命を懸けて、命を賭して、命を投げ打って。少女は誰かのために戦っていた。〝計画〟成就のために、ひたすらに己を犠牲にする選択を取り続けた。

 狂気の執念。精霊の信念。何を犠牲にしても、愛する少女を――――――

 

 

「私は――――時崎狂三が生きていてくれれば、それでよかったんです」

 

 

 ただ、生き残らせる(・・・・・・)。崇宮澪と同じ貌を持つ少女は、澪と似て非なる妄執を開け放った。

 たった、それだけ。少女の語るそれを、士道たちは呆然と受け取った。だが同時に、納得のいくこともあった。

 白い少女の行動理念。少女は精霊たちに好意を示しながら、ただ一つの線引きだけはしていた。それは、時崎狂三へ害を為す行動(・・・・・・・・・・・)への、過剰なまでの敵意。

 剥き出しの敵意は、誰に対しても殺意を込める。たとえ、それが気にかけていた相手だったとしても変わりない――――当然だったのだ。

 

 〝計画〟の到達点を揺るがす可能性を持つ者を、少女は〝敵〟と見なさないわけにはいかなかったから。

 

「……あなたにとっては、きっと当然の行動だったのでしょう。後の絶望に比べれば、片隅に置いていて当然の記憶です。常に憎悪を心に秘めていた、あなたには」

 

「…………」

 

 狂三は未だ、少女の願いを呑み込み切れていない顔で、眉根を下げながら沈黙という言葉を返す。

 時崎狂三が、見知らぬ誰かを助けた記憶――――不思議なことではない。狂三であればそうするだろうと、本当の狂三を知る者なら苦笑混じりに返すはずだ。

 時崎狂三という女は、頑固者で、意地っ張りで、高くとまった不遜な人――――けれど、そんな仮面の下に、隠し切れない善性を抱えた人物だ。

 どれだけの絶望を見て、望まぬ狂乱を望むものだと言い聞かせ、己の罪に言い訳をせず許しを乞うことをしない。あまりに高潔で、それでいて誰にも理解されなかった生き方。

 そんな心を侵される狂気の中で、それでもなお時崎狂三は裡に秘めた『優しさ』を消すことが、遂に出来なかった人間なのだ。

 

 

「……けど、私にとって、あの時のあなたは――――私の全てを懸けるに足りる人だったんです」

 

 

 そんな時崎狂三だからこそ、白い少女は彼女の〝全て〟が美しいと思った。

 生まれながら、何も無いと自身を決定した少女が、そんな悲しい精霊が初めて目にした輝きは、少女にとっての〝世界〟そのもの。

 

 時崎狂三が、白い少女の生きる意味そのものになってしまった。

 

「……私があなたと会ったとき、言いましたよね。あなたが平穏を望むというのなら、私は力の限りを持ってあなたを日常へ返しましょう。あなたが世界を壊すというのなら、私は世界さえ滅ぼしてみせましょう――――全部、本気ですよ」

 

「っ……」

 

「……私は、あなたさえ生きていてくれればいい。あなたが幸せであればいい。あなたが望む生き方があればいい。あなたが絶望して世界を殺すなら、それだって構わないと思いました。あなたが本気で何かを望んだなら、私はそれが自分の死だって厭わない。あなたが逃げたいと言ったのなら、私は私の全てでそれを叶えようと思っていました」

 

 あなたが望むなら、それで構わない。そう、本気で言葉を語る少女の姿に、士道たちは畏怖すら感じ言葉を失った。

 少女は、本気だ。少女は、狂三が何かを本気で望むなら(・・・・・・・)、それを躊躇うことなく実行に移す。それこそ、少女が以前言っていた通り少女は狂三の全てを〝肯定〟する。そこに否定はない――――唯一、時崎狂三が生存を放棄すること以外は(・・・・・・・・・・・・)

 狂気に満ちて、だが能面のように感情の動きがなかった少女の表情が、ふと和らいだ。

 

「……まあ、そんな身勝手を望むような人じゃなかったのは、あなた方も知っての通りでした――――それを言ってしまえば、あなた方は皆、そうなのでしょうけれど」

 

 精霊が望めば、世界を壊すことが出来る。精霊が願ったのなら、それは現実となる。

 世界を殺す天使。形のある奇跡。それらは等しく、神なる者の権能――――だが、誰一人としてそれをしなかった。

 誰かに止められた。絶望の向きが世界ではなかった。そういった者もいたであろう――――――けれど、誰もが、誰かを想える、誰かと繋がりたいと願った優しい少女たちだった。

 そのとき、耶倶矢と夕弦が困惑した声を発した。

 

「……本気で、そう思ってんの? 何かが欲しいとか、生きていたいとか、ないの?」

 

「請願。好きな人がいるのなら、その人の感情を理解できるはずです」

 

「……ああ、あなた方はそうでしたね。八舞耶倶矢、八舞夕弦。互いのために、己を敗者と選んだ精霊――――ええ、理解はしています(・・・・・・・・)

 

 耶倶矢と夕弦は、互いに互いを生かそうとして、己を消すために相手を慮っていた精霊だ。

 相手のために自らを消す。耶倶矢たちと似ている。似ているが、少女のそれはあまりに一方通行。そして、理解していると言った少女は――――その程度の思考は、とうに過ぎたと表情が告げていた。

 

「……理解をしたところで、私が望む結果は変わらない。何かが欲しいだなんて、私にとっては余計なものです」

 

「余計、だと……?」

 

「……余計なんですよ。初めから、消えることが決まっている(・・・・・・・・・・・・)私は、価値なんて必要ないんです」

 

 十香の鋭い視線を、あくまでも冷たく映し返す少女の思考は、頑なで、悲しくて――――少女は、事実を語っていった。

 

「……さっきの私、見たでしょう? 私が望もうと望むまいと、『私』に喰われる未来は変わらないんですよ」

 

「あれは、あなたが望んで起こしたものではないの?」

 

「半分はそうです。けれど、もう半分は〝侵食〟のようなもの。私の中にある『私』は、力を行使する度に私を呑み込む――――それを意図的に進めただけです。近い未来、間違いなく私は『私』に呑まれて消える(・・・)

 

「……!!」

 

 士道は腹の底から冷えるものを感じ、己の中にある『崇宮真士』の記憶を思い起こした。

 士道と真士。士道の中に封じられた真士の記憶は、士道の中で溶け合って融合した。士道は士道のまま……だから澪は、士道の記憶を『消す』ことで真士を完成させようとしていた。

 だが、少女は違う。記憶を主観として受け止めた士道と違い、少女は澪の記憶を客観的に受け止め、それゆえ自我を確立した。

 唯一、この中で感覚としてそれが理解できた士道は、唾を飲み込んで声を発した。

 

「お前の中にある澪の記憶が、お前を澪として存在させようとしてる……そういうことだな」

 

「……【四の弾(ダレット)】で戻せたのは、恐らく受け入れる直前までです。それに、私の生まれに『私』がいる以上、この終わりは解決できないんですよ」

 

 答えをはぐらかさず、真っ直ぐに事実だけを突きつける。眉根を顰め――――しかし、少女の状態を聞いて、士道の中にあった考えが、また一つ確かなものへと変わる。

 

「……なら、もう少し有効活用をしたかったんですよ。あなた方が私の考えを認めないのは理解しています。けれど、他に方法がありますか? 知ったはずですよ――――崇宮澪の力を」

 

 認めるわけにはいかない。それは士道たちの総意。しかし、少女とて退けない理由がある――――誰より、崇宮澪という神に等しい存在を識る者だからこそ。

 澪と同じ貌をした少女は、ここに至って初めて狂三を〝否定〟する。

 

「……未来であの人の力を、考えを観測したのでしょう? それでもなお、私の犠牲なくしてあの人を倒そうと考えているのなら――――私は、私の〝計画〟を進めるだけです」

 

「わたくしの言葉でも、聞けないと?」

 

 目を細め、色違いの眼で少女と相対する狂三。こんな状況でなければ、少女は間違いなくこの美しき女王に従っていたのだろう。

 けれど、退けない理由がある。少女の〝計画〟を知った士道には、わかる。

 澪と同じ貌をした少女は、皮肉とも思える澪と同じ微笑みで狂三を見やった。

 

 

「……あなただからですよ、我が女王。私は、あなたの生存が唯一絶対の目的。あなたの言葉は本気だとわかる。五河士道と、どのような形であれ道が交わったというのなら、祝福しましょう――――でも、聞けないよ。私を生かしたままあの人と対峙するなら、あなたは、あなたたちは未来と同じ結末(・・・・・・・)を迎えるもの」

 

 

 重すぎる言の葉が、精霊たちから返す言葉を失わせた。

 未来の時間軸。あらゆる手を尽くし、立ち向かった先で、崇宮澪に勝てないと知った。

 それは、澪を観測した狂三の未来視がある過去(いま)の時間軸に置いても、変わることはない。このまま、澪とぶつかり合うことが引き起こされれば――――士道たちは、今度こそ敗北する。

 澪は原初の精霊であり、精霊の母。澪の力を分散させた個々の精霊たち――――ましてや、未だ未熟な士道では勝ち目などない。だからこそ、イレギュラーな〝進化〟の因子を持つ少女の霊結晶(セフィラ)が鍵に――――――――

 

 

「――――――――」

 

 

 鍵に、なる。なってしまう(・・・・・・)

 

 

『私は人間みたいに弱くない。だから、死を望んでも死ぬことは出来ない――――君たちのように強くあれたなら、よかったのかな』

 

『――――未来のあなたは、ちゃんと笑えてる?』

 

 

 ――――士道と真士の記憶だけでは、確信には至らない。

 

 けれど、少女へ言葉を告げるだけであれば、十分なものだった。

 

 

「……本当に、それがお前の全て(・・)だったのか?」

 

 

 故に、士道は精霊を〝攻略〟する。武力ではなく、口説くことで(・・・・・・)

 

「え……?」

 

「士道……」

 

 眉を寄せ、首を傾げる少女。不安を残す顔で、それでも士道を止めない琴里。それに精霊たち――――狂三は。

 

「士道さん、わたくしは……」

 

「わかってる――――真打の前に、俺が決めたいだけさ」

 

「……ふふっ。キザなお方」

 

 彼女へパチンとウィンクをして、その一歩を少女へ。

 

「士道?」

 

「お前が願っていること。お前が叶えたいと思ったこと……やっと、理解できた。俺を守ってくれたのは、俺が『崇宮真士』の器で――――狂三のことを、助けようとしていたからなんだな」

 

 少女の行動には、必ずそれ(・・)が存在していた。

 始まりの後には、少女の感情があったのだろう。だが、士道を好ましいと思ったこと。折紙に好意を抱いたこと――――それらの始まりには、必ず時崎狂三への感情があった。

 

 士道は狂三への好意があったから。

 折紙には狂三と重なる生き様を見たから。

 

 少女が育て、連ねる感情には狂三がいた。狂三の存在があった。狂三が見ているから、狂三が気にかけているから、狂三が殺したくないと思っているから――――狂三が、未来を望むならばと。

 

「……そうだよ。私が〝彼〟じゃなく君を信じた理由は、君のその真っ直ぐな好意があったからだ。君なら、もしかしたら狂三を……頑固な狂三を変えることなんて出来ないって思っていた私が、そう信じられるくらい君は素敵な人だよ、士道」

 

「光栄だな。だったら、俺を信じて俺たちに協力する、って選択は出来ないか?」

 

「……出来ないよ。出来るわけがない。私はね――――私の神様が、怖い」

 

 そう、緩やかに言葉を紡ぐ少女からは、恐怖は感じられなかった。自分の死への恐怖は、なかった。

 ただ、誰かの命が失われることへの強い恐れを、物憂げな瞳の奥から感じさせたのだ。

 

「……あの人は、止まらない。私が士道を信じたのだって、私の霊結晶(セフィラ)があれば最悪の場合(・・・・・)でも、狂三の命だけは助けられると考えていたから。事実、厄介であるはずの狂三を、あの人は見逃していたんでしょう?」

 

「そうだな。だからこそ、俺と狂三はここにいる」

 

 それは間違いなく、正しい。澪は殺戮を行う者ではあるが、その殺戮を楽しんだことなど一度たりともない。

 深い敬意と感謝。彼女らの死を悲しんでさえいた。だけど、それを踏み越えてでも『シンにもう一度会う』確固たる覚悟がある。

だからこそ(・・・・・)、狂三を殺さなかった。命を拾った琴里を、逃げろと見逃そうとした。何故なら、必要がないから(・・・・・・・)。シンを甦らせるために必要な犠牲は厭わないが、必要のない犠牲までは求めない。傲慢と思われようと、それを可能にする力を持つのが崇宮澪なのだ。

 頷いて肯定した士道に、少女は微笑みと共に声を発した。

 

「……うん。だから、私が――――――」

 

「けど、それだけじゃなかった」

 

 それだけでは、なかった。少女の言葉を遮り、士道は続ける。

 

「澪が狂三を見逃したのは、お前の影響(・・・・・)があったからだ。必要がなかっただけじゃない――――お前たち(・・・・)は、互いに影響を与える存在なんだよ」

 

「――――私、が……?」

 

 理解が及ばないというように、訝しげな顔で小首を傾げる少女。

 ああ、やはりそうだ。士道は心の底で、また確信へと近づいた。

 澪が必要がないというだけで、狂三を見逃すはずがない。親友の琴里でさえ、立ち向かうなら容赦などなかった。狂三は、あの時点で澪の中で最大の障害。立ち向かってくるなら……たとえば、復活した十香が現れた時点で、狂三を諦めていてもおかしくはなかった。

 それをしなかったのは――――――

 

「お前の〝自我〟は、澪に非合理な行動を取らせるくらい、強い影響を与えていたんだ――――お前の中にあるもの(・・・・・・・・・)と、同じくらいに」

 

「――――っ」

 

 息を詰まらせた少女を見て、士道の中に微かな迷いが生まれる――――少女も、心のどこかで気がついていたはずなのだ。自身の行動にあった〝矛盾〟に。少女を蝕んでいる〝感情〟に。

 確信ではない。けれど、士道は言わなければならない。あまりに残酷で、少女に与えられた〝価値〟を。

 

「お前は、何かを求めた(・・・・・・)。自分に意味がないって思っていたなら、迷わず消えることを選んだはずだ。けど、そうしなかった。そうしなかったから、お前は狂三と出会った――――お前の意志は、最初からあったんだよ」

 

 何もなかったのなら、少女は狂三と出会わなかった。少女は、澪の記憶に抗った――――抗わなければいけないほどの〝願い〟が、そこにあったはずだ。

 自分の価値を大きく否定した。果てに死しかないのなら、価値を求める意味もないと。

 

 けれど、それは――――本当に、少女だけの感情なのか(・・・・・・・・・・)

 

「お前は、生きた。それを選んだのは、お前自身の感情だ。狂三の会う前に芽生えていた、生きることを願ったお前のはずだ」

 

「……何が、言いたいの」

 

 微かな怒気すら感じさせる少女の空気に負けず、士道は息を吐き出し続けた。

 

「きっと、お前の中にお前のものじゃない〝願い〟がある。それがお前を縛り付けて――――殺そうとしている」

 

 避けては通れない。もう一つの現実(・・・・・・・)を、含めて。士道が言わなければならない。彼女たちに(・・・・・)。そうでなければ、士道と狂三の願いは果たされない。

 そうでなければ、それを自覚しなければ、少女は永遠に澪の影に犯される。自分を無価値と思い込んで、縛られてしまう。

 

 

「お前は、お前たちは(・・・・・)――――――」

 

 

 漣の音を切り裂き、踏み込もうとした瞬間――――――

 

『――――肝心な場面ですが、失礼します』

 

 そんな音声(・・)とも思えるものが仮想訓練室に響き渡り、〝攻略〟は唐突に中断された。

 その声の主は、誰もが知る有能なAI。船の中であれば、どうであれ声が届くからこそ士道と琴里は『彼女』へ言葉を返した。

 

「マリア!?」

 

「どうしたのよ。あなたにしては空気が読めないわね……二亜に似ちゃった?」

 

「……え、さりげに酷くない妹ちゃん。あたし今回ばかりは、そこそこかっこよく決めたと思ってるんだけど。あたし空気読めてたよね?」

 

『二亜と一緒くたにされるのは心外です。AIの人権侵害です。〈フラクシナス〉から放り出しますよ、二亜』

 

「あたしかい!!」

 

 そういうところじゃないかな。という空気はともかく、遊んでいる暇はないとマリアは粛々とそれ(・・)を告げた。

 

 

『緊急事態です――――令音が〈フラクシナス〉へ帰還しました』

 

「……!!」

 

 

 風雲急を告げるそれに、誰もが顔色を変える。

 村雨令音。彼女の存在が〈フラクシナス〉にないこと自体、以前までならば違和感を覚えさせるものであったのだが――――今は、士道たちに冷や汗さえかかせる緊急事態(・・・・)だった。

 露骨に眉根を顰めた琴里が、舌打ち混じりに声を発した。

 

「ちっ、予定より早いわね。仕事熱心なのはいいことだけど、上官の命令は聞いてほしいものだわ」

 

「ど、どうするの? 私たち、本当はここにいないわけでしょ? それに狂三だって見られたら……」

 

 七罪の言う通り、本来なら(・・・・)この時間軸で彼女たちは〈フラクシナス〉にいない。狂三もこの場にはいないし、ましてや〈アンノウン〉など以ての外だ。

 令音に勘づかれてしまえば全て水の泡となる以上、少しでも疑念を減らすために精霊たちは接触させたくない。

 故に少女と、士道の選択は決まっていたのだろう。

 

「……ふむ。分離体の調整は入念に行ったと思いますが、それでも流石の速さですね――――さて、時間はあまりありませんよ。大体、私たちが何だというんです。どうであれ、あの人と戦うというのなら――――――」

 

「そもそも――――前提が間違っているのではなくて?」

 

 焦りと緊迫を消し去る、女王の宣言(・・・・・)

 その威厳と人望は、正しく彼女に相応しいもの。

 その不敵な笑みと大胆な発想は、正しく彼女そのもの――――今回は、士道も半分といったところだと唇の端を上げ微笑んだ。

 

 

「お前の〝計画〟で、確かに狂三は澪を〝観測〟した。けどな――――いつ俺たちが、澪を倒そうとしてる(・・・・・・・・・)なんて言った?」

 

「何、を――――?」

 

 

 そう。その顔は、未来で澪がしていたもの。士道もそれを〝観測〟した。

 崇宮澪には勝てない。敵わない。〈アンノウン〉というイレギュラーの二つの霊結晶(セフィラ)を駆使し、士道たちの力を総動員すれば或いは勝ち得るであろう――――だが、それでは意味がない(・・・・・)。士道たちが戻ってきた、意味がない。

 士道は約束した。狂三は手を取った。ならば、士道が約束を違えるわけにはいかず、狂三は諦めを口にはしない。

 完全無欠のハッピーエンドを目指すために、全ての力を(・・・・・)。まさに、そんな理想を集めるための力が――――いるじゃないか、ここに(・・・)

 自らを指で指し示し、士道は強く言葉を告げた。

 

 

「お前は、誰より知ってるはずだぜ。俺がどういう存在か(・・・・・・・・・)。相手がどうであれ、精霊だっていうなら――――俺は負けるつもりがないんだよ!!」

 

「……っ!! 待って士道、それは――――!!」

 

 

 少女が崇宮澪の記憶を持っているのなら、それの知識がある。

 恐怖と戦慄を味わった。澪がどんな存在かを知った――――神に等しくも、彼女は神ではないことも知った。

 顔色を変えた少女に対し、士道は――――士道と狂三は、絶対的な不敵の微笑みを崩すことなく、突きつけた。

 狂三の微笑み(奥の手)を出したならば、勝つ。士道はそう決めている――――――ただし、士道の舞台の上で、だが。

 

 

「お前が終わるしかないっていうなら、そうじゃない運命を見せてやる。お前たち(・・・・)が生き残れる運命を、創る。覚悟しろよ――――俺たち(・・・)が、お前たちを〝攻略〟する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……!!」

 

 ピクリと眉根を揺らし、目的の人物が足を止めたのを見た。

 それもそのはず。士道がここにいることは、彼女にとっても予想外であるのだから。とはいうものの、彼女も似たようなものなのだろうと苦笑し、士道は壁から背を離して〈フラクシナス〉の廊下で彼女と相対した。

 

「こんにちは、令音さん」

 

「……ああ。こんにちは、シン。どうしたね、こんな場所で」

 

 ニコリと微笑みを向ければ、令音が普段通りの調子で返してくる。

 ……『シン』という呼称を、もう純粋に受け取ることの出来ない寂しさを隠し、士道はあくまでも士道らしく言葉を返す。

 

「令音さんこそ。休暇中だっていうのに、どうしたんですか?」

 

「……少々と、忘れ物をね」

 

 こういった嘘は吐きなれていないのか、僅かばかりに目を逸らす令音。急な休みに、手持ち無沙汰になったということか――――だからこその、行幸。

 

「あはは。何か、令音さんらしくないですね」

 

「……ふむ。そうかね。いや、恥ずかしいところを見られてしまったな」

 

「そんなことないですよ。でも、ちょうど良かった。令音さん――――――」

 

 女性の目を見つめて話す。基本中の基本。基礎訓練の賜物か、もはや一年前の士道はいない。

 精一杯の感情と、好意(・・)を込めて、五河士道は――――――

 

 

「――――明日、俺と、デートしませんか?」

 

 

村雨令音(崇宮澪)へ、高々と戦争(デート)の狼煙を見せつけた。

 

 

 






少女が生まれ落ちた時、感じたことは……本当に、それだけだったのかな?

俺たちが。そう、澪と少女を攻略するのは士道一人ではありません。……最後の攻略対象者は、奇しくも同じ貌を持つ精霊。はて、さて、どう転ぶのでしょう。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十二話『戻されし時の中で』

 

「令音さん。――――明日、俺と、デートしませんか?」

 

 上空高度一万五千メートル。逢瀬への誘いにしては、些かロマンスが過ぎる高度でありながら、些かロマンスに欠けた空中艦〈フラクシナス〉の通路にて――――五河士道は、高々に開戦の合図を送る。

 士道の前に立つは、〈ラタトスク〉の軍服を纏った二十歳(はたち)ほどに見える女性。ぞんざいに纏められた髪に、生白い面、目の下を飾る分厚い隈――――ため息が出るほど美しい、その容貌。

 整った鼻梁。憂いを帯びた双眸。その儚げな雰囲気は、面を明かした白い少女とまるで姉妹のように感じられ……なるほど、これはあの子が顔を見せられないのも無理はないと、士道は内心で苦笑した。

 

「…………」

 

 無論、こちらの意図を測りかね、士道を見つめる令音を相手にそのようなものは内心だけに止めきる。

 彼女の名は、村雨令音。精霊保護組織〈ラタトスク〉の解析官であり、士道のクラスの副担任であり――――原初の精霊・崇宮澪。

 今からおよそ百時間後の未来(・・・・・・・)で、精霊たちを殺した(・・・)精霊である。

 

「……驚いたな。急に何を言い出すんだい、シン」

 

 起伏が薄く、言葉とは裏腹に驚いた様子を感じさせない声音が返される。

 令音の中では、これでも驚いている方なのだろう。加えて、士道が一定の好意を向ける相手(・・・・・・・・・・・)が限られ、それがこんな状況でのこととなれば、令音は今混乱の中にいても無理はない。

 こちらの意図を、思考を探る令音の瞳。本来の意味を知り、以前のように感じられない瞳を見つめ返し、士道は冷静に声を発した。

 

「駄目ですか? 思い立ったら吉日、ってわけじゃないですけど……明日まで、令音さんは休暇だって聞いていたんで」

 

「……それはそうだが、訓練というのなら私でなくてもいいんじゃあないかな? 件のデートへの気晴らし……という言い方は失礼だね。気分を変えたいのなら、何か好きなことでもしていた方が――――――」

 

「訓練なんかじゃありません」

 

「…………」

 

 士道なりに、真摯に返したつもりだ。だからこそ令音も、ますます意図を測りかねて言葉を返してくる。

 

「……こんなところで冗談を言うものではないよ、シン」

 

「冗談で言ってるつもりもありません。――――令音さん、今言いましたよね。何か好きなことをするといいって。俺は、後戻りが出来ない(・・・・・・・・)今だからこそ、あなたをデートに誘いたいんです」

 

「…………」

 

 目を細め、再び無言を返す令音。士道の言葉が、本気だからこその困惑。

 だが、士道が後戻りが出来ないデートを控えていると思っているからこそ(・・・・・・・・・)、令音も無下にはしない。

 

「……このことを皆には?」

 

「もちろん、言ってません。みんなには内緒の、秘密のデートです」

 

「……一応、聞いてもいいかな。なぜ私なんだい?」

 

「嫌ですか?」

 

「……そうは言っていないよ。けれど、もし心残りのないデートをしたいのであれば、もっと他に相手がいるはずだ。皆、君からの申し出なら喜んで受けてくれるだろう」

 

「それじゃあ、駄目なんです。俺は、令音さんとデートがしたいんです」

 

「…………」

 

 その沈黙は、如何なる意味を持つものか。だけど、不思議と断られる未来は視えることがなかった。

 ――――不思議ではなく、必然と言うべきであっかもしれない。

 

 

「……ずるいな。君は」

 

 

 故に、その答えもまた必然――――運命。

 

 

「――――そんな言い方をされては、断りようがないじゃあないか」

 

 

 輪廻の果て。運命のデートは、こうして繰り返された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふは――――っ」

 

 令音と約束をし、一旦別れ、更に念には念を入れて艦内に設えられたトイレの個室の中で、ようやく士道は緊張の全てを吐き出した。

 令音に万が一にでも目的を悟られれば、ゲームオーバー。一手違えれば詰みの状況で、令音をデートに誘う。それを成し遂げたのだから、一人息を吐くくらいの安堵は許されてもいいだろう。

 

「……とりあえず、は、か」

 

 とはいえ、本当にとりあえず(・・・・・)だ。そもそも、令音が士道の――――否、澪が真士の誘いを断るはずがないことは、知っていた。

 だから、少しばかりの不自然さがあったとしても、こうして受け入れてもらえると思っていた。

 

狂三とのデートを前にして(・・・・・・・・・・・・)。士道にとって、このタイミングで他の女性をデートへ誘うことは、相当の意味を持つ。それほどの感情を、士道は見せつけてきたつもりである――――まあ、その実、狂三とのデートは終え、これが狂三公認(・・・・)であることは令音の知らない事実だが。

 個室の鍵を閉め、ポケットから携帯端末を取り出し、(勝手に)インストールされていたマリアと個人で通信できるアプリを立ち上げ、彼女を呼び出した。

 

「マリア」

 

『はい。どうかしましたか。一途と思わせて浮気性。好きな女性とのデートを前に、女教師をデートに誘う、五河・節操なし・士道』

 

「…………それ、今の俺に言う?」

 

 事実、状況だけ見ると士道は物凄い節操なしなので、思わずハートがメモリブレイクしそうになった。

 少なくとも、この時間軸の士道は当てはまらなかったはずなのだが……折れそうになる繊細な心を奮い立たせ、士道は感情豊かな管理AIへ声を返した。

 

「それより、みんなは?」

 

『抜かりはありません。ログの偽装も済んでいます』

 

「そうか……よかった。流石だな、マリア」

 

『もっと褒めてくれてもいいのですよ』

 

「はは。君は優秀で素敵な子だよ、マリア」

 

 ふふん、と語尾が付きそうなくらい上機嫌な声色を滲ませたマリアに、士道は重ねて口説き文句にも似た褒め言葉を放った。

 

「――――あら、あら。令音先生だけに飽き足らず、マリアさんも毒牙にかけようとは……英雄色を好むとは、二亜さんは正しいことを仰いますわねぇ」

 

「おいおい。俺はそんなつもりじゃ――――――」

 

 と。何かとても自然な感じで会話に混ざったある少女の声に、途中までは普通に反応した士道だったが、ギョッと顔を上に向けて〝彼女〟の姿に目を丸くした。

 

「く、狂三!? お前、こんなところで何を……って」

 

 〈フラクシナス〉に滞在して、万が一にも令音に悟られたら不味い、と思った士道の感覚(・・)が、何かおかしいと言葉を止めさせる。

 壁に生み出した〝影〟からくすくすと笑うのは、狂三その人だ。が、彼女を構成するそれ(・・)は、本体(オリジナル)のものではなく……。

 

「……分身に、意識を移してるのか?」

 

「ふふっ、正解ですわ。感覚が残ってくれていて幸いでしたわ。緊急時でもありませんので、地上にいる『わたくし』の意識は閉じていますけれど」

 

 そう。未来で狂三が披露していた分身と意識を共有する(・・・・・・・・・・)、という離れ業。今の彼女は、分身の狂三に本体の意識を宿しているということになる。

 

「……どうりで、俺が気がつかないわけだな」

 

「きひひひっ!! 不思議なものですわねぇ。わたくしがどういう存在かを認識できるというのに、本体以外は感知できないとは……ふむ」

 

「その『何かに使えますわね』みたいな顔はやめてくれないか?」

 

 狂三がそういう顔をしていると、大概ろくでもないことに使われそうだったので、一応は釘を刺しておく。まあ、楽しげな笑みを見ていると、無駄だとは思うがと士道は息を吐いた。

 と、好き勝手していた狂三がするすると士道の隣に降り立ったところで、マリアが音声を伝えてくる。

 

『それで、狂三。何をしていたのですか?』

 

「ええ。少々と後始末を。分身の回収(・・・・・)を行いましたの」

 

「か、回収?」

 

 何やら、知らぬ間に仕掛けが施されていたようで、困惑する士道の言葉に頷いた狂三が続ける。

 

「ああ、士道さんは知りませんでしたわね。以前の世界(・・・・・)で、実は〈フラクシナス〉に分身を仕込んでいましたの」

 

「は、はぁ!?」

 

「正確には、時間の消費を極限まで抑えた半休眠状態の分身を、ですけれど。あなた様との決着に、余計な手出しをされてはたまりませんもの。ま、琴里さんは気づいて、逆に利用していたようですけれど」

 

 ……つまり狂三は、士道との決戦に備えて〈フラクシナス〉に仕掛けを施していた、ということか。

 士道が敗北を認めた瞬間、分身が妨害工作をする算段……士道が前もって邪魔が入らないようにしていなければ、割と一触即発だったのではと冷や汗をかく。

 マリアも、どことなく不機嫌な様相(顔は見えないが)を見せながら声を発した。

 

『不覚です。わたしの艦体(ボディ)にあっさりとそのような仕掛けを施されるとは……』

 

「電子的な手段でマリアさんに叶うものはそうありませんけれど、こういった古典的な手段への対処はまだまだですわね」

 

 いや、お前しかやれないだろ、こんなこと。などをドヤ顔で肩を竦める言いたくもなかったが、まるでキリがないので、『これからはもっと入念に……いえ、狂三専用の対策を』などとうんうん唸る珍しいマリアを聞き流しながら、士道は話を別の方向へ変えた。

 

「本体の意識を飛ばしてる、ってことは、みんなは無事に戻れたんだな」

 

「ええ。今は士道さんのご自宅にいらっしゃいますわ…………美九さんが、少しばかり不安ですけれど」

 

「あー……」

 

 若干遠い目をしている狂三に、苦笑混じりに同情する。

 確かに、眠り姫な狂三を美九がただで置いておくはずがなさそうだった。

 

「……」

 

 けれど、士道は唇の端が上がるのを止められなかった。狂三が、そういったことを許容できるくらいに――――いや、意識を失った本体を任せられるほどに、皆を信用してくれている。

 分身を回収したことだって、そうだ。もう、このような仕掛けは必要ないと。狂三はもう離れたりしない(・・・・・・・・・・・・)と、言ってくれていて、嬉しくなった。

 ――――それがずっと、続くように。

 未来を、創る。まだまだこれからだと、士道は両手で頬を張り、立ち上がる。

 

「よし。俺も戻る……まだまだ、話したいことがあるしな」

 

 令音の行動で順序が逆転してしまったが、あの子(・・・)に伝えたいことは山ほどある――――が、その前に、士道は〝影〟へ戻ろうとする狂三へ声をかけた。

 

 

「――――それはそうと、こういう場所で男と二人はマズいと思うぞ」

 

「……あら。士道さんは意外な趣味をお持ちですのね」

 

『ケダモノです。狂三、気をつけてください。やはり紳士の皮を被った五河・節操なし・士道です』

 

「一般論の話だよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――と、いうのが、未来の大まかな筋書き(・・・・・・・・・・)ですわ。理解していただけましたかしら」

 

 トン、トン。と、靴音を鳴らし――――『時崎狂三』は、大胆な微笑みを浮かべその人物たちを見やる。

 書斎のような空間に佇む『狂三』はメイド服(・・・・)に身を包み、来訪者でなければその筋の仕事と誤解されかねない。もっとも、金髪の秘書官を従えているのだから、今回ばかりはその役職は不要なものであろう。

 その金髪の秘書官……かのエレン・メイザースの実妹、カレン・ノーラ・メイザースを控えさせた初老の男――――エリオット・ボールドウィン・ウッドマンは、難しげな顔で声を発した。

 

「ああ、理解させてもらったよ。貴重な情報に感謝するよ、時崎狂三くん」

 

「いえ、いえ。琴里さんもお忙しい身でしょうし、手遅れになる前にわたくしが……と馳せ参じたまでですわ」

 

 遠く離れた〈ラタトスク〉の本拠地ではあるが、一度捕捉した基地に再び侵入することは造作もなかった。それに、通信によるリスクを考えれば、狂三が直に飛んだ方がより速く正確だ。

 全ての元凶と言える男を相手に肩を竦め、交渉者として狂三は口を開く。

 

「さて、さて。あなたはどちらを(・・・・)選択いたしますの? 始原の精霊へ恋をした大罪人――――エリオット・ボールドウィン・ウッドマン」

 

「……ふむ」

 

 ここで選択を誤つのであれば、所詮はその程度の男。時崎狂三(オリジナル)が引き金を引けなかったのではなく、引く価値すらなかった男というだけの話だ。

 精霊への恋。それだけで、ウッドマンは〈ラタトスク〉という組織を創設し、精霊を救うために身を粉にして動いた。が、その根源的な原因である始原の精霊・崇宮澪は精霊を殺そうとしている(・・・・・・・・・・・)

 

「……やれやれ、とんだ悪女に惚れてしまったものだ」

 

 ウッドマンは自嘲気味にそう呟く――――その心中は、推して測るべきものがある。

 恐らくは、奇跡のような巡り合わせであった。精霊へ恋し、組織を創り上げ、霊力を封印できる少年を見つけた――――それらが全て、その始原の精霊によるものであった。

 幾つかの偶然もあったのであろう。しかし、〈ラタトスク〉の機関員として村雨令音が存在している以上、ウッドマンの存在と動向を計算に入れていた可能性……とんだ悪女、というのも間違いではないのだろう。狂三は同情などするつもりはないが。

 果たして、ウッドマンという男は何を(・・)選ぶのか。

 

「ならば私も、したいことをするとしよう」

 

「…………」

 

 重苦しく開かれたそれに、狂三が鋭く目を細め――――――

 

 

「――――両方(・・)。という選択肢は、あるのかな?」

 

 

 野心に――――否。男の性に満ち足りたその笑みを、堂々と返した。

 そんなウッドマンに、狂三は僅かに目を丸くして、ニヤリと唇を三日月型に変えて言葉を返す。

 

 

「もちろんですわ。どうやら『わたくし』と士道さんも、あなたと同じ答えを選んだようですし。まったく、欲張りな方々ですこと」

 

「はははっ!! 精霊一人のために、こんな大掛かりな組織を創り上げた。我儘も結構なことだ。それに、若者があんなにも頑張っているんだ。老人の私が、その道を支えてやらねばならんだろう――――この歳で、好きな女を救う手伝いができるとは……何と幸せなことかな」

 

「あら、あら……」

 

 

 その物言いは、とてもではないが老人を自称するには早すぎる気がしてならない。苦笑し、気苦労が多いと見られる秘書官へ狂三は声を発した。

 

「さぞ、若い頃は女性を泣かせていたのでしょうね……同情いたしますわ」

 

「それを承知で、私はエリオットに付いてきましたので」

 

「……本当に、女泣かせはどの人も似たようなものですわ」

 

 モテるから女を泣かせるのか。それとも、女を泣かせるのからモテるのか。まあ、世間一般の度量では計り知れない泣かせ方をしているのは確かかと、狂三は狂三(オリジナル)の想い人を重ね合わせた。

 男冥利に尽きる、と表情から感じさせるウッドマンへ狂三は改めて続ける。

 

「それでは、お任せしてよろしいですわね」

 

「ああ。こちらも出来うる限りの新鋭装備を整えよう。些か無理のあるスケジュールではあるが……何、足りない『数』を補う術は、ここにある(・・・・・)

 

 不敵な笑みを見せ、金色に輝くドックタグ(・・・・・・・・・・・)を手にしたウッドマン――――冷静沈着なカレンが、僅かに顔を強ばらせたのを狂三は見逃さない。

 どうやら、相応の秘策(・・・・・)はあるようだが、秘書官殿の顔色を変えさせるほどリスク(・・・)があるもののようだ。

 

「……よろしいんですの?」

 

「秘策というのは、使わなければ意味がないものだ。これが最後(・・)というのなら、出し惜しみなくいこうじゃないか。それがたとえ、舞台裏(・・・)だとしてもね」

 

 何とも気持ちのいい思い切りの良さ。一組織の長として、十分な素質を持つと言えるウッドマンに、狂三も無用な気遣いだったと小慣れた礼を披露した。

 

「失礼いたしましたわ。『わたくし』からも分身の大半を送らせていただきますわ――――それと、もう一人」

 

「ほう。当てがあるのかな?」

 

「ええ――――――」

 

 こくりと頷き、狂三はとびっきりに頼りたくない(・・・・・・)人間の顔を思い浮かべた。

 或いは、宿敵(・・)を称しても良かった関係だった。皮肉が混じる微笑みを零し、狂三は言葉を形にした。

 

 

正義の味方(・・・・・)を仲間外れにしては――――盛り上がりに欠けてしまいましてよ」

 






ちょっとした休息回。終わりに向けて、箸休めでも……いや、まあ。次回の印象強くしたくてキリがいいところがここだったって話なだけなんですけれども。

舞台裏は静かに、迅速に。さて次回は、歪な関係を突き進めた二人の……?

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十三話『狂三コネクション』

「――――いやぁぁぁぁぁぁぁ!! 私は絶対に諦めませんよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

「くっ、ここまでやってまだ戦えるっていうの!?」

 

「ギャグ補正はどのアニメでも最強の存在なんだよ妹ちゃん!! なっつん、縄の追加!! とーかちゃんにパス!!」

 

「だからって全身縛られて動き回るのはおかしくない!?」

 

「静まるのだ美九よ!!」

 

 扉を開けて、早一秒。阿鼻叫喚。どうしてこうなった、などと聞くことすらも野暮なことなのかもしれない。

 ソファーに眠る狂三と、いつでも彼女を待避させられるように備える折紙。それに飛びかからんばかりの勢いで……アイドルに対する表現ではないのだが、もはや芋虫と見紛う拘束のされ具合で暴れる美九。それを抑え込む琴里、二亜、七罪、十香。あまりの光景に部屋の隅に八舞姉妹の手で待避させられ、呆気に取られる六喰と四糸乃。

 そして、キッチンでマイペースに角砂糖フルチャージで俺の必殺技パート五みたいなオリジナルブレンド(?)を啜りながら、悠々と白い少女が士道を出迎えた。

 

「……おかえりなさい」

 

「……ただいま」

 

 よくもまあ、この状況でそこまで冷静にいられるな。とツッコミたいのも山々だったが、少女の場合は関わって苦労したくないのが本音かもしれなかった……美九の矛先が、自身に向けられる的な意味で。

 狂三を守るためなら、それもやむなしと考えそうなものではあるが、七罪たちが(霊力まで使って)涙ぐましい努力を行った結果、それは未然に防ぐことが出来ているらしい――――と、少女が再び外装で顔を隠していることに、士道は小首を傾げながら声を発した。

 

「顔、もう隠さなくていいんじゃないか?」

 

「……こうしていないと落ち着かないんです。癖みたいなものですよ」

 

「いや、それはそれでどうなんだ……」

 

 とはいえ、強く強制することも出来ず困った顔を作る士道。すると、そんな士道の帰宅にようやく気がついた二亜が声をかけてくる。

 

「おお、おかえりー少年。首尾はどうだい?」

 

「とりあえずは、何とかなった……って感じだ。悪かったな、心配させて」

 

「ひゅー、さすが少年くん。経験値が違うねぇ」

 

「何だよそれ」

 

 確かに、この一年でそこらのナンパ師とは比べ物にならないスキルを修得した士道ではあるが、妙な表現の仕方に思わず吹き出して笑みを零す。……こういう二亜の軽い調子の気遣いが、今の士道には十分な助けになっているのは言うまでもない――――暴れ狂う美九の姿がなければ、より様になっているのだろうけれど。

 

「いい加減諦めなさいよ!!」

 

「しんみょーにお縄につくのだ!!」

 

「嫌ですぅ!! そこに理想郷があるんですぅ!! ユートピアをインストールしなきゃいけないんですぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 

「アイドルが言語を壊したらおしまいじゃないの!?」

 

 〈贋造魔女(ハニエル)〉の物質変化を用いた拘束――本人を変えないのは霊力不足か良心の呵責か――を受けてなお、狂三への襲撃(自主規制により穏やかな表現)を諦める様子がない美九に、十香までいて抑えきれないほどバーサーカーだったか……? なんて疑問を浮かべながら、さすがにこれ以上は放って置けないかと士道も手を貸そうとしたところで――――――

 

「……ん」

 

 眠り姫の瞼が、ゆっくりと浮き上がった。

 そのあまりに幻想的な光景に目を奪われて――美九の「あぁっ!?」という切実な悲鳴はともかく――動けない間に、狂三は無事に覚醒を終えた。

 狂三の傍で控えていた折紙が、彼女の状態を確かめるため起きがけに声をかける。

 

「狂三」

 

「……ああ、ああ。折紙さん、お手数をおかけいたしました――――――」

 

 わ。まで続くことはなく、狂三は辺りの光景に絶句した。

 荒れたリビングと、息絶えだえが複数人に、地面に顔を伏せ咽び泣く美九。誰がどう見ても、異常事態である。

 

「…………何がありましたの?」

 

「戦争の爪痕。気にしなくていい」

 

「いつの世も、犠牲を伴う戦場(いくさば)は悲しきことよな」

 

「合掌。また一つ世界が護られたのですね」

 

 ……狂三の美貌という美しき世界を救えたという点で、夕弦のそれは間違っていない気がすると士道は何度か頷いた。愛する妹と七罪からの視線が痛々しいが、もはや気にはしない。

 その間にも、狂三は幾度か目を瞬かせて、軽く頭を抱えながら感覚を確かめるような仕草を取った。それを見た四糸乃が、案じるように狂三へ言葉をかける。

 

「大丈夫……ですか? 少し、休んだ方が……」

 

「いえ、いえ。少しばかり慣らし(・・・)が必要なだけでしたので、ご心配には及びませんわ――――扱うことがなければ、一番なのですけれど」

 

 狂三が見せた顔は、先を見据えた(・・・・・・)もののそれ。どうやら、狂三には狂三の準備があるようだ。

 それは後で共有するとして、思案顔の狂三に四糸乃の手で動くパペット『よしのん』が声を発した。

 

『んー、よくわかんないけどー、無理はよくないんじゃなぁい? ほらほらー、四糸乃の可愛いパワーで癒しちゃうよーん』

 

「よ、よしのん……!!」

 

「うふふ。それではお言葉に甘えさせていただきますわ」

 

「狂三さん!! 私もご伴侶に預からせてください!!」

 

「美九さんはもう存分に癒して差し上げましたわよ、未来で」

 

「何も覚えていない今の私が憎いですぅ……!!」

 

 血の涙を流す美九はともかく、四糸乃を抱いて頭を撫でる狂三という構図は大変に眼福。とてもとても癒されて最高だな、と無性に髪をかいて喜びたい気分だった。また最愛の妹となつなつなっつんの視線が厳しいことには目を瞑ろう。

 

「……」

 

 心が和む光景を目にした少女が、僅かに微笑んだ――――結局、目に見えなければ士道の想像でしかないのだが。

 白い少女は、そうして士道が入ってきた扉へと向かっていく。士道が止める……より早く、反応した狂三が声を上げる。

 

「お待ちくださいまし。わたくし、これからあなたに話が――――――」

 

「嫌です」

 

 瞬間、リビングの空気が一気に凍り付いた。

 

 

「……はい?」

 

「……だから、嫌です。私、あなたと話すと素直に従ってしまいそうになるので、嫌です」

 

 

 まさかの『嫌です』三段活用。しかも、今まで狂三の頼み事に従順だった白い少女がやるものだから、破壊力が恐ろしいことになっている。

 他の精霊たちも口をあんぐりとさせているし、狂三も固まってしまっていた。それを見ながらも、少女は息を吐いて扉に手をかけて出ていこうとする。士道は辛うじて、それを止めにかかることができた。

 

「お、おい、〈アンノウン〉!!」

 

「……外の空気を吸ってくるだけです。逃げたりなんかしませんよ」

 

「そんな心配をしてるんじゃなくてだな――――――」

 

 バタン、と。鮸膠も無いとはこのことを言うのだろう。あっさりと扉を閉められ、いつもの調子を見せることもなく――こちらが素なのかもしれない――立ち去った白い少女に、沈黙が落ちる。

 誰もが、狂三へ視線を向けていた。何ともまあ……器用なフラれ方(・・・・)をした狂三は、ポツリと言葉を零す。

 

「……この想い。何と例えるべきなのでしょう」

 

 頬に手を当て、いつにない曇り顔になった狂三。……実のところ、士道は似ている事例を知ってはいるのだが、さすがにトドメとなる一言を告げるつもりは――――――

 

「むん。じゃが、うぬも主様に好意を示しながら、似たようなことはしておったのじゃろう?」

 

「……………………」

 

「許したげてムックちん。それはもうオーバーキルだよ……」

 

 なかったのだが、容赦なく六喰から告げられたその事実に、さしもの狂三も頭を抱えて黙りこくった。同情気味な二亜の言う通り、恐ろしいオーバーキルである。

 そう。何を隠そう、相手への好意を口にしながら一線を引く行動――――少し前までの狂三が、狂三自身に返ってきてしまっているのだ。

 あまりにも居た堪れないのか、強気な黒リボンの琴里が完全な同情の表情で狂三へ声をかける。

 

「あ、あの子も色々考えたいことがあるのよ、うん。ほら、元気だしなさいよ」

 

「……気にしていませんわ。ええ、気にしてなどいませんわ。因果応報ですわ。わたくし、泣いてなどいませんわ」

 

「く、狂三さん……」

 

『ありゃー。狂三ちゃんが七罪ちゃんみたいに……こりゃあ大分重症だねぇ』

 

「……士道」

 

 チラリと、折紙が士道へ視線を飛ばす。恐らく、あちら(・・・)は任せろということだろう。

 

「狂三」

 

 あちらも気にはかかるが、士道が行ったところで狂三と結果は同じになる。言われずとも、士道はそうするしかない。

 だから、物珍しいメンタルケア――――彼女(・・)の体調を気遣うのも、彼氏(・・)の仕事だろうと士道は声を発して狂三へ歩み寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お邪魔いたしますわ」

 

「おう……って、何でそんなに緊張してるんだ」

 

 狂三にしては珍しく、という表現も珍しくは無くなってきたかもしれない。

士道の部屋(・・・・・)へ招き入れた狂三は、借りてきた猫のようにガチガチに緊張していて、士道が吹き出してしまったくらい可愛い姿をしていた。

 士道に笑われたからか、頬を赤くした狂三がなおも緊張を孕んだ声音で返してくる。

 

「し、仕方ないではありませんの。士道さんから、このようなお誘いは……その、初めてのことですわ。そう思ってしまうと……」

 

「……そ、そう言われてみると、そうだな」

 

 何故か、気楽に構えてた士道まで緊張してしまう。

 そりゃあ、しているわけがない。男女の関係。しかし、一線は越えられない。ずっとそんなことをしていたものだから、士道は狂三を自分の部屋という領域に誘ったことがあるはずもなく――――しかし、二人で話そうと誘った(・・・)手前、引き返す選択肢とてあるはずもなく、士道はベッドの上に座り、狂三に座るように促した。

 

「ど、どうぞ」

 

「……え、ええ」

 

 軽い衝撃を伴って、士道の隣に狂三が収まった。

 

「……」

 

「……」

 

 暫しの、沈黙。隣から感じる体温が、微かな息の音が……お互いに、緊張しているのだと理解できる。

 愛おしさの熱量。緊張から解放されていたはずなのに、別の緊張が士道を襲う。縮まった距離では、もうこのようなことは起こらないと思っていたもので――――――

 

「……ぷっ」

 

 士道は思わず、笑ってしまった。突然の笑い声に、狂三が目を丸くする。

 

「士道さん?」

 

「ん、いや……俺たち、チグハグ(・・・・)だなぁって思ってさ」

 

チグハグ(・・・・)。それは、滅茶苦茶(・・・・)と言い換えてもいい。

 男の部屋に招いて、二人きり。そのことを自覚して、緊張感が満ちる――――今さら(・・・)、何をしているのかと、士道は笑ってしまったのだ。

 今まで、自分たちは何をしてきた。精霊を相手にし、自分たちだけの世界を作り、何度も愛を伝え合い……傍から見れば、さぞおかしなものだったであろう。

 そんなことをしていた士道たちが、今さら、この程度のことで動揺している――――相手の愛おしさから、逃れられない。順序が滅茶苦茶で、こんなもの笑うしかない。

 目をぱちくりとさせていた狂三も、きっと士道と同じ考えに行き着いたのだろう。口元を抑えて、小さく笑い出す。

 

「ふ、ふふっ!! 確かに、おかしな話があるものですわ。わたくしたち、もっと過激なことをしていましたのに」

 

 部屋へ招き入れたことは初めてだが、狂三が部屋を訪れたことは何度もある。しかも、添い寝に目覚めから狂三と、二度とも衝撃的な形で。

 狂三という特別な女の子と出会わなければ、こうはなっていなかった。出会って、そして今は通じ合って、こんな当たり前の緊張を感じられて。

 

 

「はは、本当にな。こんなの……普通の、高校生みたいだ」

 

 

 その言葉の重みに、士道は自分で驚かされたのだ。

 普通の高校生・五河士道。それが一年前の士道であり――――――最初から、普通ではなかったことを知った。

 運命という大いなる意思は、士道に普通を許さなかった。小さな日常があればいい。そう、思った時もあった。皆とただ、小さな世界で、普通に――――もうそれは、叶わない願いなのかもしれない。

 普通の少年と少女では、いられない。精霊という宿命を背負う少女と、精霊の力を受け入れる器として生まれた少年。そういう運命の中、二人は出会い、力を受け入れた(・・・・・・・)

 

「学校。また、行こうな」

 

「……ええ。あなた様となら、是非に」

 

 だからそれすらも、叶わないことなのかもしれない。世界を変えるという大罪を背負う士道たちには、遠すぎる願いなのかもしれない――――そんな普通がなくとも、構わない。

 この握った手の温もりがあるのなら、世界の果てであろうとも。皆が幸せになるハッピーエンドのためになら、多少の普通(・・・・・)が得られなくても。

 ほんの少しの小さな願いを、士道は狂三の手を握り、祈った。

 

 

「〈アンノウン〉のこと、どうだ?」

 

 ふと、零すように問いかけた士道。それに対し、狂三は難しげに眉をひそめた。苦々しい、とまではいかないものの、彼女の中でも難儀な課題のようだ。

 

「……会話すら拒絶されたのは、初めてのことでしたわ」

 

「だろうな。つっても、好きだから話したくない(・・・・・・・・・・・)なんて理由、初めて聞いたよ」

 

 似たような、とは表現したものの、会話が成立しない状況にまで追い込まれた経験は士道にもない。

 好きだから、話さない。白い少女は、複雑だろう。自身が命を賭して果たそうとした計画――――時崎狂三の〝生存〟というたった一つの願い。少女の存在があるが故に、一見無謀とも思える選択肢を士道たちが手にし、不安定になってしまった。

 士道たちは譲らない。が、少女もまた簡単には譲れない。令音とのデートを明日に控え、楽に解決できるものではないとわかっている。だから狂三も、こうして悩ましい思いをしているのだ。

 大胆不敵で頭の回る狂三が、ずっと一緒にいた従者一人のことで頭を悩ませるのは、少し可愛げがあるなと微笑ましい気持ちになる。

 

「……士道さん。悪いお顔をなさっていますわ。悩んでいるわたくしで、楽しんでいらしているのではなくて?」

 

「おっと、そんなことないぜ。俺の彼女は今日も最高に可愛い、って思っただけさ」

 

「騙されませんことよ」

 

 ジト目で見つめてくる狂三に、「本当のことなんだがなぁ……」と苦笑混じりに返す。嘘は言っていない。全てを告げているというわけでもないが。

 ただ、よく見ると頬の赤みが引いていない辺り、少しのダメージはあったようだと士道は満足を得た。本当に、可愛らしい彼女(・・)だ。

 

「あいつに何を伝えるのかは、考えてるのか?」

 

「……そう、ですわね。何から伝えるべきなのか――――けれど、伝えたい言葉は、はっきりしていますわ」

 

「そっか」

 

 狂三がそう言うなら、大丈夫なのだろう。時崎狂三が少女に望んでいることは、誰より狂三が知っている。

 そんな狂三が確信を持って、笑顔を見せるのだ。余計な気遣いは、それこそ余計。釈迦に説法は御免蒙るというものだ。

 ただ、そうなってくると聞いた当人(・・・・・)の方が問題だなと、士道は息を吐いた。

 

「あら、あら……士道さんは、少々迷いがあるようですわね」

 

「ん……まあ、な」

 

 狂三に対して、隠し事をする意味などない。素直に頷いて、続ける。

 

「あいつの中にあるものが、あいつを縛り付けてる。あいつだって、心のどこかでわかってると思うんだ」

 

「…………」

 

「確証なんてないし、俺だけの記憶じゃ得られない。俺の勘違いかもしれない……正直、そうであってほしいと思っちまう。けど、それは――――――」

 

 きっと、悲しく残酷な〝価値〟。零してしまった言葉を、しかし崇宮真士の記憶を垣間見た狂三には、自然と理解が及ぶものだったのだろう。

 その瞳に――――苛立ちの色は、なかった。

 

 

「……それが、澪さんの(・・・・)本当の望みなのだとしたら――――自分勝手も、そこまで極まると笑えてきますわね」

 

 

 その真実に、澪自身さえ気づいていない。願いを受けた白い少女ですら、忘れようとしたものなのかもしれない。

 これは全て、士道の想像だ。もしかしたら、澪はそんなことを考えていなくて、本気で自分の願いを叶えようとしているだけなのかもしれない。いや、そうであってくれた方が、まだ救いがあると思えてしまう。

 けれど、五河士道と崇宮真士。崇宮澪と白い少女。そして、ただ悲しげに目を伏せた狂三が、澪の矛盾を認めてしまいそうになる。

 

「……その願いが、本当にあるんだとしたら――――あいつは、それに抗って『生きたい』と願った。そう、考えてた」

 

 生まれ落ちた瞬間に感じた願いは、悲しく破滅的なものだった。それが少女に影響を与え、僅かな〝自我〟を芽生えさせ……今も、無意識に少女を犯す願いとなっている。

 それが士道の考えだった(・・・)。だが――――――

 

「そういう物言いになるということは、士道さんの中に迷いがある、ということですわね?」

 

「……ああ。完全に、間違ってるとは思ってない。けど、俺が見てきたあいつとは、違う(・・)気がしてならないんだ」

 

それ(・・)が影響を及ぼし、結果的に少女は生き残った。そこまでは、士道が違和感なく考えついたもの。しかし、その〝理由〟が……少女の信念を見せつけられた士道には、しこりのような違和感となって残されてしまっていた。

 あとほんの一歩のこと――――それはやはり、時崎狂三の口から語られた。

 

「……士道さんは、澪さんの〝願い〟があの子に影響を及ぼしている。そう、お考えですのね?」

 

「ああ。お前は、違うと思うか?」

 

「いいえ。けれど、あの子がわたくしに願ったことを鑑みることで、答えらしい答えを見つけ出すことが出来ますわ。あの子は、きっと――――――」

 

 今度は、狂三が。誰より白い少女と共に過ごした時崎狂三が、士道へ〝答え〟を告げる。

 それを聞いた士道は、一瞬目を丸くし、

 

 

「――――そう、だよな。あいつ、そういうやつなんだよな」

 

 

 でも、納得と悔しさ(・・・・・・)に彩られた声を吐き出した。

 その〝答え〟を得て、なんとも言えない悔しさに、士道は笑いながら不貞腐れるように勢いよくベッドに背を預けた。

 

「あーあ。答えに行き着きそうだったのに、やっぱ狂三には叶わないのかぁ」

 

 澪のかもしれない(・・・・・・)に行き着いた時点で、気がついてもよかっただろうに……と、自分の至らなさに士道は愚痴を零す。

 そんな拗ねた様子が可笑しいのか、狂三はくすくすと口元に手をやり声を発した。

 

「うふふ。士道さんがわたくしに口先で勝とうなど、千年早いというものですわ」

 

「お、言ったな? 何があって、俺の可愛い狂三はここにいるんだっけ?」

 

「わたくしが負けたのは皆様。士道さん個人ではありませんわ。つまり、わたくしは士道さんとの口喧嘩に負けたことはありませんわ」

 

「ああ言えばこう言う……」

 

「何か仰いまして?」

 

「いえ、何でも」

 

 ニッコリとしたとてもありがたい圧のある笑顔に、こんなの俺じゃなくても口答え出来ないよなぁ、なんてことを贔屓目に思う。

 多分、士道は狂三に一生叶わないのだろう――――惚れた弱み、というやつかもしれない。

 感慨にふける士道の視線の先で、ふと、狂三が表情を硬くしたことに気がつく。

 

「狂三……?」

 

「士道さんは……どこまで、本気でしたの? わたくしに……敗北を、認めたときのこと」

 

「へ?」

 

 まさか、今更になってそれを聞かれるとは思っていなかった士道は、素っ頓狂な声を発して、それから「あー……」と気まずい声を零す。

 頬を掻きながら、それでも隠すことでもないと士道は天井を仰ぎながらハッキリと言葉を声にした。

 

「全部だよ。お前だって、本当はわかってるんだろ? 大体、俺の目的を先に話したとして、狂三は絶対聞かなかった。『聞いて損をしましたわ。論外ですわね。話になりませんわ』、くらい畳み掛けてたと思うぞ」

 

「いえ、あなた様のお言葉を何もそこまで……恐らく、否定はいたしましたけれど」

 

 申し訳なさそうな表情で微笑む狂三に、士道はだろうな、と苦笑した。

 時崎狂三という少女は、頑固で負けず嫌いだ。目的のためなら敗北を選ぶことはする。しかし、本気の勝負から逃げることはしない。けれどそれは、確かな実力と類まれなる天賦の才があるからこそのプライド。そして彼女は、現実的な視点が存在している。

 つまりは、この世界の士道の死という確実的な現実と、何の犠牲もなく理想の世界を目指すという夢物語――――前者を成し遂げる確実な自信がある狂三には、後者を示したところで届きはしない。

 浅薄な見立てをしてきたわけではなく、士道は狂三という精霊を理解していた。わかっているからこそ、士道の言葉は全て本気(・・)だった。

 

 

「俺は、本当にお前がそう望むなら、それでいいと思ってた。死ぬなら、お前に殺されたいって。今だって、その考えは変わってない――――――でも、信じてた」

 

 

 だからこそ、士道の選択肢はそれ(・・)しかありえなかった。

 狂三の手を取るため、取らせるため。

 

 

「――――狂三が俺と、俺たち(・・・)と生きたいと思ってくれる、って。俺だけじゃない。みんながお前と生きたい。お前の笑顔が、好きなんだ。だからさ、そんな綺麗な笑顔を見せるやつが、それを『なかったこと』になんて出来ないと思ったんだ――――――ちょっと、意地悪だったかな」

 

 

 決して、正しいやり方ではなかった。琴里たちには迷惑と、ひたすらに心配をかけてしまった――――けれど、狂三へ見せる笑顔から、士道に後悔がないのはよくわかることだろう。

 それは狂三の、心底呆れながらも愛おしさを感じさせる微笑みから、士道自身が読み取れた。

 

「……仕方のない人。それで撃てなかったわたくしも、随分と甘い女ですわ」

 

「いいんじゃないか、それで。俺はどんな狂三でも愛してるぜ」

 

「まあ、まあ……」

 

 ――――狂三(せいれい)は士道たちに……一人の狂三(しょうじょ)に、負けた。

 でも、そうでなければ狂三は今の選択をすることはなかった。だから士道は謝らないし、この選択を、一生後悔なんてしない。

 後悔のない選択だったと誇るためにも――――澪を救うためにも、明日のデートは成功させなければならない。

 

「……明日の勝算は、如何程のものでして?」

 

「勝算のない勝負じゃない、とは思ってる」

 

 元々、好感度自体は高いと予想している。澪……令音は精霊を愛している。だからその好感度を、如何に異性として意識してもらうか(・・・・・・・・・・・・・)にかかっている。

 精霊をデレさせて、封印する。単純明快な理屈は、相手が始原の精霊であっても有効。だが――――――

 

「そのお顔。何かしらの不安があるようですわね」

 

「……やって見なけりゃ、わからない。今は、これしか方法がないからな。けど、もし上手くいかなかったときは(・・・・・・・・・・・・)……」

 

 士道は予知能力者ではない。だから、予測から成る漠然とした不安だけが心にあった。

 もし、もしも、この漠然とした不安が現実になった時、士道は、彼女に告げられるのだろうか――――あまりにも残酷な、可能性を。

 

「そのときは」

 

「え……?」

 

 恐らくは、狂三らしく思考までも読んだ言葉が零れ落ちる。

 目を丸くして彼女を見上げる士道に、狂三は口元に優雅な笑みを浮かべ、覆い被さる(・・・・・)

 髪に隠れた瞳が顕になるほど、近く。

 胸の高鳴りが聞こえてしまうほど、近く。

 

 

「――――わたくしが、共に背負って差し上げますわ。あなた様の苦しみも、痛みも……背負ってしまえる、澪さんの痛み(・・・・・・)も、全て」

 

 

 時崎狂三は、女神よりも美しかった。

 

 息が止まってしまいそうなほど。

 時が止まってしまいそうなほど。

 誰より、何より。五河士道が、世界を見て感じた全てのものより、美しいと思った――――きっと、白い少女が見た狂三も、世界で一番美しかったのだろう。

 世界で、狂三の真なる美しさに最初に気づけたのが、士道ではなく少女だったのかもしれないと思うと、少し妬けるなと士道は僅かに頬を緩ませる。

 

「一心同体、ってやつか?」

 

「ええ。わたくしたち、運命共同体ですわ。とっても、とっても……素敵でしょう?」

 

「最高だな。俺好みだ」

 

 一方的ではなく、互いに伝え合う。恋の先にある愛とは、共同体ではなくてはならない。たとえ歪でも、他人に理解されなくても、互いが繋がっているのなら――――それは正しく、愛なのだろう。

 

「さて、さて。それはともかく」

 

「ん……?」

 

 大変素敵な笑顔です狂三様。しかし、どうして不穏な雰囲気を醸し出していらっしゃるのでしょうか? 士道の思考が勝手に声になってくれるはずもなく、雰囲気を変えた狂三が蕩けるような声を発した。

 

「士道さんは、落とす心配より落とされる(・・・・・)ご心配をなされた方がよいのではなくて?」

 

「……えっと」

 

「令音先生、綺麗ですわ。真士さんの感情を差し置いて、士道さんが令音先生に籠絡される……という可能性もありますわよねぇ?」

 

「そ……」

 

 そんなことはない、とは簡単に言い出せないのが困ったものだ。

 デートとは、一方的であってはならない。即ち、手段で終わってはならないということ。士道が心から楽しまなければ、相手を楽しませることなど出来ない――――そういう意味で村雨令音という女性の相手をすることは、さほど難しいものではないのだ。

 士道には崇宮真士の記憶がある。崇宮真士は澪が好きで好きで仕方がない。それを差し置いて(・・・・・)、士道は令音に対する特別な感情があった。恋とは違うのかもしれない。恋慕ではないそれは――――――けれど、確かに令音への好意である。

 そもそも、ないわけがないのだ。村雨令音という女性は、魅力的で、不思議な雰囲気を纏って……精霊を救いたいと願った、士道の大事な恩人なのだから。

 ……とまあ、言い訳を垂れたところで、士道が言葉に詰まってしまった事実に変わりはなく、狂三の圧が増した事実にも変わりはない。

 

「素直なのはよろしいことですわ」

 

「す、すまん……」

 

「きひひひひ!! さあ、さあ――――そもそも、わたくしは怒りなど感じていませんわ」

 

 え、と。続けられた言葉に士道は意外な声を零して――――はだけた素肌が、視界を熱をもって侵食した。

 

「っ……!!」

 

「所詮、建前のようなもの。けれど、あなた様の想いを、譲りたくはないのですわ」

 

 下に着飾られた――――()。それは、士道にとって特別な意味を持つもの。今となっては、二人だけが知る未来の盟約(・・・・・)

 

 

「狂、三……」

 

「もう、我慢などしなくていいのです。わたくしも、あなた様も……どうか――――――」

 

 

 この世で唯一、士道と狂三にはあるのだと。許容量を容易く超えた興奮が、脳に熱を持たせる。

 多くは語る必要はない。ただ、その美貌を。その熱を――――――

 

 

「感じさせて、刻ませてくださいまし。わたくしと士道さんの――――――心を」

 

「――――ああ」

 

 

 ただ狂三と、全てを重ね合わせた。

 

 

 

 

 




見せられないよ!!!!

士道くん外でもやれるんでね(参考出展輪廻ユートピア・狂三リメイン)。部屋は余裕でしょう。ナニとは言いませんけれど。ナニとは言えませんけれど!!!!タイトルも繋がりとか関係とかの意味なので他意はないです。コネクトはさすがに直球がry

美九こんなだったかなぁ……と原作を読み返し、これより酷いなぁ……となる。美九を真面目に書きたいと思うのに勝手に暴れていく。

こんな『嫌です』の使い方初めて見た気がする。直訳は『好きだから話したくない』です。えぇ……次回はそんなあの子のお話です。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十四話『不明者の優先順位』

「……精霊って、そういう道具は必要なのかな」

 

 ……少女は夜空を見上げ、何ともロマンに欠けることを呟いた。生憎と、孤独な風景にロマンチックなものを感じる趣味はないので、気にはしなかったが。

 精霊にそういった問題は、恐らく起こりえないだろうとは思う。可能か不可能か、だけで考えるのなら、そもそもと原初の精霊が模範を用いて産み直し(・・・・)を行っているので、可能ではあるのだろうけれど。

 一応、〈囁告篇帙(ラジエル)〉なら、精霊の機能そのものを知れるし、澪の記憶の中に存在している可能性もあったが……止めた。

 

「……ていうか、何で私がそんなことを……」

 

 気にする必要があるのは当人たちだろう、と少女は目にかかる髪を軽く払いながら、仰向けに寝転んでため息を吐く。

 目を閉じて数秒後……精霊マンションの屋上から、士道の部屋に目が向いている自分に気づいて、今度は大きくため息を吐いた。

 

「……あの二人、霊力を封印しちゃいけないってわかってるよね……?」

 

 気になるものは気になる、と言わんばかりに少女は独り言を零す。

 というのも、士道と狂三が澪という強大な存在の裏をかくことが出来たのは、両者の間にある特殊な経路(パス)の影響が大きい。それによるイレギュラーを差し引いても、今わざわざ狂三の霊力を封印し、経路(パス)を通常の流れに戻すことは少女としても避けたかった――――少女が理解しているのだ、狂三に理解できないわけがないともう一度目を閉じる。

 

「……保護者じゃないんだから」

 

 今度は目を向けぬよう、ごろりと反対側へ転がり無理やりにでも視線を逸らす。今更、少女の手など必要としていない。二人は、もう精霊たちと歩いていける――――少女の役目は、終わった。

 

「…………」

 

 そう。終わったのだ、少女の役割は。〝計画〟の最終段階、霊結晶(セフィラ)の譲渡まで遂に辿り着いた。喜びがないわけがない。少女は、本願を果たす力を狂三へ託すことが出来る。そこに、少女自身の感情は不要だ――――なのに、少女は生きている。

 『時崎狂三』は、敗北した。ありえない結果のはずだった。『時崎狂三』は何者にも敗北しない。少女はそれを知っていた――――知っていたのに、敗北の先を想定していた。

 心のどこかで、期待があったのか。五河士道なら、成し遂げられると。

 『時崎狂三』は、『時崎狂三』であるが故に誰にも負けない。

 しかし、時崎狂三(・・・・)であるが故に、敗北する。

 『時崎狂三』という狂気の修羅は、狂三(しょうじょ)の未来という不確かなものに敗れ去る。

 だから少女は〝計画〟を歪めた。

 だから少女は〈囁告篇帙(ラジエル)〉で未来を歪めた。

 だから少女は――――――

 

 

『お前は、お前たちは(・・・・・)――――――』

 

「っ……」

 

 

 過ぎる彼の姿に、息を詰まらせる。

 私たちが、何だというのか。今更(・・)、何だというのだ。崇宮澪が抱えた三十年の妄執――――少女の世界を生み出した、神様(・・)

 わからない。わかりたくもない。分かり合うことなど、諦めればいい。『私』を知っているから、少女(わたし)はあの人が怖い。崇宮澪は諦めたりしない。筋金入りという意味では、狂三にだって負けはしないだろう。

 怖いのだ。怖いから、あの人の邪魔をしたくなかっただけ――――――本当、に?

 

 本当に、そんな幼稚な感情だけが、崇宮澪に対する感情だったのか?

 

「――――やっと見つけた」

 

「っ!!」

 

 自分の考えさえ曖昧になったその瞬間、鼓膜を震わせた声に少女はハッと目を開く。その先には、二人の少女がいた。

 

「探したわよ。こんなところにいるなんてね」

 

「夜は冷える。……これを」

 

 呆れ気味に言う人と、少女を案じてタオルケットを手渡してくる人。しかも、自分たちの分まで揃えている周到さに、少女は彼女たちの名を呟いた。

 

「五河琴里……鳶一、折紙」

 

 今となっては、珍しくもない組み合わせ。ただ、行き先を告げなかった少女を簡単に見つけ出せた驚きはあったが。

 特に許可を取ることもなく、二人は少女の両隣に座って陣取りを行う。……出ていくわけにもいかず、少女は冷たくなった息を吐きながら身体を起こした。

 

「……何かご用ですか?」

 

「べっつにー。ご主人様に冷たい言葉を浴びせた従者様が、落ち込んでないかなって思っただけよ」

 

「…………」

 

 非常に意地が悪い琴里に、少女も思わず渋い顔を作る。というか、普通逆だろうと思わなくもないのだが……咄嗟のこととはいえ、他に言い方があったことは否定できない事実だった。

 無言で表情を変えた少女を見て、クスッと笑った琴里が膝の上に置いた手に顔をうずめて、隠れ見える感慨深い表情で声を発した。

 

「あなた、話す時はそんな顔をしてたのね。可愛いじゃない」

 

「……ん。ああ……」

 

 言われて、先程までしていたローブを取り払っていることに気づき、不思議と声が漏れた。普段、人に顔を見られるようなことがなかったので、忘れていたのだ。

 自分の顔を不思議そうに触る少女に、折紙が疑問符を浮かべて口を開く。

 

「癖になっていたんじゃなかったの」

 

「……まあ、そちらも否定はしませんけれど――――気にするでしょう、特に狂三は」

 

この顔は(・・・・)、特に。

 意図に気づいた二人が、眉根をひそめた。彼女たちも、狂三の過去は知っているはずだ。この貌が――――崇宮澪と同じ貌がどういう意味を持つかも、知っている。

 

「……あの子なら、あなたをあなたとして見てくれるわよ」

 

「……それでも、理解と感情は別です。あの子は、まだ……」

 

 理由を知った。理解を示した。だから――――許せるわけが、ない。

 時崎狂三から全てを奪った存在……それが崇宮澪。白い少女のオリジナルであり、決して無関係でなどいられるはずもない。

 因果は結ばれ、故に憎悪と怨嗟は生まれ落ちる。『私』と少女(わたし)を別物だと定義したところで、少女は崇宮澪の出来損ない(デッドコピー)であることに変わりはなく、少女もまた狂三に討たれるべき精霊だ――――否、狂三だけではないと、少女は続けた。

 

「……狂三だけじゃなく……あなた方、全ての精霊にだって同じことです。私は崇宮澪の同一体。私は、あなた方の運命を歪めた存在と変わりないんですよ」

 

「馬鹿ね。誰もそんなこと思ってないわよ」

 

「……私は思っています。そうでなくても、私は知っていたんですよ」

 

 精霊たちがそれは違うと、幾ら繰り返しても、少女の中で納得は得られない。

 少女は、澪の全てを知っていた。村雨令音の真実を知っていた――――知っていて、止められなかった。凶行を、虐殺を、悲劇を。手を汚すことと、見過ごすこと。そこに、さしたる差があるとは少女には思えなかったのだ。少女だからこそ、思うわけにはいかなかった。

 けれど――――――

 

「でも、あなたは伝えようとしてくれた(・・・・・・・・・・)

 

「っ……」

 

 琴里は、穏やかな表情で少女を許そうとする。

 

「前にも言ったけど、私は頑張ったなら相応の見返りがなきゃおかしいって思ってるの。全部が全部、そんな綺麗事で通るわけじゃないのはわかってるわ。けど、あなたが狂三を想う気持ちと、そんなに差はないでしょ?」

 

「それは……」

 

 返す言葉に迷いが生じる。少女は、理不尽なことが嫌だ。それは、必死に生きている人たちが流転する運命に翻弄され、何であれ少女は許容をしたくないと思ってしまうこと。

 所詮は、綺麗事だ。万事全てが上手くいくはずもない。綺麗事だけで世界が回るのなら、因果の始まり、澪の悲劇(・・・・)など引き起こされていないのだから。

 けれど、琴里はわかっている。その理想は綺麗事だと。彼女は立場上、大人の汚い世界を見せられている。まだ齢十四にも関わらず、下手な大人より現実が見えてしまっている……それでも、琴里は俯かない。

 

「綺麗事は綺麗事。現実は違うかもしれない――――でも私は、そうなればいいと思って行動したいの。あなただって、そうだった。だから、私たちは生きてるんだもの」

 

「……私がしたことなんて、些細なものでしょう。あなたたちの努力があればこそです」

 

「だーかーらー、そういうのが不当な評価、理不尽(・・・)って言うのよ。あなたの情報がなかったら、未来の私たちは士道と狂三を過去へ送れなかった。それを認めないのは、あなたの嫌いな理不尽なことよ」

 

「……む」

 

 ビシ、と指を突きつけて少女を怯ませる琴里の反対側から、更に折紙が鋭く切り込む声を発する。

 

「根本的な原因を追求するなら、村雨先生の正体を知っていたあなたが情報を公開するのは困難。あなたの選択は正しかった。私は敬意を評する。そして、あなたに感謝を贈る……ありがとう」

 

「…………」

 

「あ、顔赤くなってる。さては、好きな子に褒められて照れてるんでしょ。何よー、可愛い子ねー」

 

 このこのー、と頬を指で突く琴里に顔を逸ら……すと折紙の顔が間近に迫るので、大人しく無心で正面を見ることにした。

 ……言われなくても、わかってはいるのだ。ただ、自分が認められないだけで――――誰かに許されたら、自分が自分を許してしまいそうで、少女は恐ろしい(・・・・)のだ。

 

「……私のことより、あなた方はいいんですか」

 

 そう、息を吐いて言ったのは苦し紛れだった。二人が帰るつもりがない以上、話題を別のものに出来ればいいと思った……だけだったのだが。

 

「…………」

 

「…………」

 

 揃いも揃って、表情を能面のように固まらせ真顔のまま目が死んでしまった。先程までの活発具合が嘘のようだ。……何かおかしなことを言ったかと焦るが、二人がブツブツと呟き始めたことにより疑問が氷解した。

 

「へ、平気よ。お、おおおおおにーちゃんがそんな簡単に越えられるわけないわよ。ヘタレでチェリーボーイな私のおにーちゃんなのよ!?」

 

「空気を読む。とても空気を読む。私は空気を読む。今、二人の邪魔をすることは、とても理不尽。今日だけは冷静。とても冷静。私は冷静」

 

「……ん、言葉が足りませんでしたね」

 

 ガタガタを身体を震わせる琴里に、明後日の方向を見ながら虚空へ説得を行う折紙。正直、適当すぎた言葉選びを猛烈に後悔した。

 触らぬ神に祟りなし、と少女は定番となった言霊を内心で再生しながら、足りなかった言葉に主語を付け加えた。

 

「そちらではなく……あの二人の目的に関して、ですよ」

 

 通じあってなお、神に逆らう道を選ぶあの二人を。

 少女の言葉に、折紙と琴里は表情を真剣なものへと変える。彼女たちにとっても、無関係ではない――――士道が、過去改変(・・・・)を最終目的としていること。

 しかも、ただの過去改変ではない。白い少女という確定していた死どころか、あらゆる悲劇を無くす究極の救済(・・・・・)にして、極限のエゴ(・・・・・)

 可能かどうか、の可能性を協議すると……不可能ではない、と少女は考えている。もっとも、前提にしてその前段階である崇宮澪の救済(・・・・・・)が不可能であると考える以上、それは無意味な可能性とは断じてしまえるのだが。

 なので、ここで可能か不可能かを協議するつもりはなく、単純に彼女たちの倫理(・・)の問題だ。即ち――――身勝手な独裁者を生み出すことを、許容できるのかということ。

 真っ先に答えたのは、やはりというべきか、一度世界に挑んだ経験のある折紙だった。

 

「私は、構わない。士道と狂三が選んだ道を阻むつもりはない。協力してほしいと言われなくても、協力するつもり」

 

「……そうですか――――あなたは、一度過去へ飛んだ経験もありますからね」

 

 それどころか、未来への跳躍まで経験したことがある折紙だ。過去と未来を経験したのは、彼女が世界で唯一と言っていい。

 ただ、一度過去改変で恐ろしい真実(もうどく)を得たというのに、どんなものでも支柱があるとこうも硬い(・・)のかと少女は息を吐いて続けた。

 

「……まあ、私に対して狂三への取り次ぎなんて無謀なことをしたあなたですから、そう答えるとは思ってましたけれど」

 

「反省はしている」

 

「……できれば反省を活かしてほしいんだけれど、君の性分は変えられないよね」

 

 たぶん、折紙の無茶と無謀は筋金入りなのだろう。あと、狂三と程度の差はあれど思い切りの良さも。

 心底、惚れた弱みというのは悲しいもので。その無謀さに実力が伴っているのも厄介なもので。もう隠す必要もないからと、はっきりため息を吐く少女に琴里が苦笑しながら声をかけた。

 

「苦労したみたいね。今に考えたら、気が気じゃなかったんでしょ?」

 

「……そりゃあ、もう。随意領域(テリトリー)に戦術の大半を委ねる魔術師ならともかく、精霊同士となると私も強くは出れません。万が一、衝突するようなことがあったとしたら、どちらも死なせない(・・・・・・・・・)必要がありましたから」

 

 ――――最悪の場合は、排除せざるを得ないと思っていたが。

 それは、本当に最悪の場合。時崎狂三を確実に殺す可能性がある……復讐心に囚われた鳶一折紙が、一番に可能性があったというだけのこと。

 だが、それ以外で狂三が精霊と衝突した場合、少女だけでなく澪の計画にすら支障をきたしかねなかった。搦手を含めた狂三の実力は、精霊の中でもトップクラス。狂三が加減を誤らなくとも、そこで生じるDEMの介入も計算に入れなければならない――――もっとも、士道と関わった狂三がそれを想定していないわけがないのだが。

 そういう意味では、反転(・・)時の衝突がかなり危うい事態だった。だからこそ、DEM本社での十香と狂三のぶつかり合いは、少女の肝が冷えるなんてものではなかったのだ。思い出したら、またため息が漏れてしまいそうなくらいに。

 折紙といい狂三といい、実力を信じられているからと無茶をしでかすのは控えてほしいのだが、なんて自身を棚に上げながら、少女は続けた。

 

「……鳶一折紙はともかく、あなたはどうなんです? 五河琴里」

 

「んー、そうねぇ……」

 

 新しいチュッパチャプスを、ぱくり。まるで世間話のような軽さで、琴里は少女の問いかけを受け止める。

 恐らくは、答えを持ち合わせているから。琴里にとってこの問いかけは、悩む必要のない……彼女なりの答えを、既に持っているものなのかもしれない。

 覗き込めば曇りのない、真っ直ぐに燃え上がる情熱の瞳――――琴里のそういうところを〝彼女〟は好ましいと、思っていたのだろうか。

 

「正しさとか、倫理観とか……そういうのだけで判断するなら、駄目なんでしょうね」

 

「…………」

 

 世界に仇なす行為。神に逆らう愚か者。過去を変えるということは、そういうことだ。そこに正しさなど存在しない。倫理が追いつく事象ではない。

 崇宮澪がそうであったように。

 『時崎狂三』がそうであったように。

 五河士道と時崎狂三は、世界という理不尽に反逆し、運命に背き世界を壊す(・・・・・)

 だけど、言葉とは裏腹に……五河琴里は、覚悟をもって微笑みを浮かべた。

 

「けどね、正しさなんて、〈ラタトスク〉っていう世界の敵を救う組織(・・・・・・・・・)に入った時点で、自分だけのものなのよ。正義は人それぞれ違う……在り来りな台詞でしょ。世間に知らしめれば、私たちの行動は間違いなく狂人のそれよ」

 

 鼻で笑い飛ばした琴里は、ニヤリと唇を歪め続ける。

 

「私たちは、私たちが正しいと思ったことをする。それが精霊を救うこと……世界を変えることがそれに繋がるなら、とことんまで付き合ってやろうじゃない」

 

 そうして、不敵に笑った琴里は、決意を絶やすことなく世界へ啖呵をきった。

 

 

「あの二人が苦しんで、悩んで、必死になって繋げた願い。ずっと見守ってきた私が、世界に負けて嘘を吐きたくないの――――たとえ世界中の人が否定しても、私は二人の願いを肯定するわ」

 

 

 こういうのを、カリスマ(・・・・)というのだったか。人を惹きつける強い魅力。

 五河琴里は強い。自身の心さえ不明瞭な少女より、ずっと――――いいや、人とはそういうものなのかもしれない。

 それ故に少女は、美しいかの女王に自身の〝世界〟を見たのだから。

 結局、わかりきっていた問いかけだったと少女は唇に弧を描き声を発した。

 

「……世界を壊す魔王様御一行、ってところです?」

 

「人聞きが悪いわね。世界をちょっと良くするだけよ……私たち好みにね」

 

「……それ、思いっきり悪役の台詞なんですよねぇ」

 

 十四の少女とは思えない悪い顔に、将来は〈ラタトスク〉の老害共など相手にならない女傑になりそうか、などとあまり嬉しくない予感まで過ぎる。

 頬をひくつかせる少女を見てクスッと笑った琴里が、ふと表情を変え言葉を続ける。

 

「……ほんと、想像も出来なかった。いつの間にか狂三に絆されてた自分に、驚いてるわ――――ちなみに、あの子を頼みます、なんて遺言は受け付けないからよろしく」

 

「琴里に同じ」

 

「…………」

 

 そんなにわかりやすい表情をしていただろうか、とぺたぺたと顔に触れてみる。やはり、隠せないというのは不便なものだなと思う……それが普通だと言われれば、返す言葉もないのだが。……二人に半目で睨まれても、同じく返す言葉はなかった。

 

「まったく……ま、みんな(・・・)同じ意見じゃあないの」

 

「え……?」

 

 呆然と言葉を零し、ようやく(・・・・)気がつく。

視線が多い(・・・・・)。それも、この屋上の入口付近から――――八人(・・)。ちょうど、残りの精霊たちと合致する人数。渋い顔で、少女は白い吐息を吐き出した。

 

「……いつからです?」

 

「初めの方からよ。てっきり、気がついてるかと思ってたわ」

 

「……少々、他に気を取られることがありましてね。迂闊でした」

 

 というか、入口側は都合よく折紙が視界を遮っている。極力見ないようにしていたが、それが仇となってこんなにわかりやすい気配に気がつけなかった。他に理由があったとはいえ、これは相当不用意だったと言わざるを得ない。

 少女の飛ばした視線が、向こうにも伝わったのだろう。屋上の入口から騒がしい声と人が入り込んできた。

 

「ふっふっふ、バレてしまっては仕方がありませんねー」

 

「怪盗『ミッドナイト・カイト』が、君のハートを奪いにきたぜ!! さあオリリンも一緒に!!」

 

 訂正しよう。恐ろしく騒がしく、それでいて派手な決めポーズで美九と二亜が乗り込んできた。ちょうど、一人分が空いたちょっと古風な怪盗ポーズなのだが……チラリと折紙に視線を向けると、真顔だった。ちょっと頬に赤みが刺した。

 

「……折紙?」

 

「記憶にない。私は怪盗を名乗ったことはない。きっと人違い」

 

「ええー!! そりゃないよーオリリン!! また怪盗しようって約束したのは嘘だったの!?」

 

「そうですよー!! 一緒に〈アンノウン〉さんのハートを盗んで……うへへへへへ」

 

「盗むという話なら、私は既に彼女の心を盗んでいる」

 

「ちょ……っ!?」

 

 自爆するなら他所でやればいいものを、何故かこちら巻き込んでいくものだから、思わず立ち上がって思いっきり息を詰まらせながら抗議をした。

 

「わ、私を巻き込まないで……っ!!」

 

「でも事実」

 

「事実だからって、言っていいことと悪いことがあるでしょ!?」

 

「好意を示すことは恥ずかしいことではない。人間の正しい本能で――――――」

 

「あなたのそういうところ、好きだけど嫌い……!!」

 

 淡々と小っ恥ずかしいこと言う折紙に、面と向かって……は恥ずかしいので顔を逸らして叫びを上げる。妙に顔が熱いし、これも見られていると思うと熱が加速していく気がした。

 

「く……と、尊い。これは……永久保存、です……ぅ……」

 

「みっきー!! 傷は浅い、しっかりするんだみっきー!! みっきぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 ……鼻血を垂らして倒れる美九と、変な小芝居をする二亜はともかく――美九はどの道変わらないが、二亜の評価を訂正したくなった――少女は段々と騒がしくなってきた屋上に、頭を痛めるように手を当てた。その間にも、遅れて続々と精霊たちが静かだった屋上に足を踏み入れる。

 おずおずと少女へ声をかけてきたのは、騒がしくなった場所に相応しいとは思えない穏やかな気性を持った精霊、四糸乃だった。

 

「あの……ごめんなさい。お邪魔、してしまって……」

 

「……ん。別に、悪くはないですけれど……」

 

 一人になりたかったというよりは、狂三や士道とは顔を合わせたくなかっただけだ。申し訳なさそうにしている四糸乃を見ると、逆に申し訳なさがせり上がってくる。主に、罪悪感で。

 それでも、気にかかった。このように良い子(・・・)が、士道と狂三の選択をどう感じたのかを。

 

「……あなたは、どう思ってるんです? あの二人が望む、世界を」

 

「私、ですか……?」

 

 夜に光る碧の瞳を困惑に歪め、けれど無下にすることなく手に着けた『よしのん』と顔を見合せ、じっくりと、しかし少女が驚くほど心の籠った声を四糸乃は返した。

 

「……幸せな世界を創るのは、きっと……辛くて、大変なことだと、思います……士道さんと狂三さんが望むものだから……人を傷つけることより、ずっと……」

 

「……そう、なのでしょうね」

 

 静かな吐息を、少女は頷き同意した。ただ世界を変えることより、望む世界を創ることより、険しく辛い道のり。

 幼いながらも、四糸乃はそれがわかっている。他者を傷つけないために……そんな、力を持つ者が忘れていく優しさを持つ四糸乃だからこそ、二人が選んだ修羅の道を理解している。

 しかし、四糸乃のまた、理解しているが故に琴里と同じ答えを出す(・・・・・・・・・・)

 

 

「だから――――そんな優しい世界(・・・・・)を、士道さんと狂三さんだけに背負わせないように……少しでもお手伝い出来たら……私は、そう思います」

 

 

 ――――優しい世界を生み出す罪を、二人だけのものにしないために。

 本気で思っているのだろう。本気で……四糸乃は二人を慮り、誰かを傷つけないよう、救いたいと願う。

 幼い少女の強い意志。以前から思っていたことだが、その容姿や控えめな言動とは裏腹に、氷のように砕け得ぬその覚悟と優しさ。それに少女は、心から感服してしまう。

 

「……前々から思っていましたけど、聖人も驚きの慈悲がありますよね、この子。ねぇ、魔女っ子ちゃん」

 

 四糸乃の裏に隠れた七罪に唐突に話を振ると、微妙に身体を揺らし四糸乃以上におどおどとした仕草で声を返した。

 

「ど、どうして私に振るのよ……」

 

「……いえ、何となく。一番彼女のことをわかっていそうだなぁ、と」

 

「え、うん……そりゃあ、私なんかと違って四糸乃は女神級に優しいし、その意見には全面同意するけど……」

 

「な、七罪さん……!!」

 

 恥ずかしがる四糸乃に、正気に返った七罪がハッとなり顔を真っ赤にし始めた。……なんというか、弄りがいがある子だなぁと思いながら、また斜め上の七罪ネガティブを発動される前に少女が言葉を続ける。

 

「事実を恥ずかしがることはないでしょう。内容による程度の差はあれど、ですけれど」

 

「そこで私を見るのは、何故」

 

「他意はないよ。恨みはあるけれど」

 

 ニッコリと折紙へ微笑みかける。言っておくが、羞恥の恨みは根深いのだ。相変わらず無表情に見える折紙からの抗議はさておき、少女は気を取り直して四糸乃たちのフォローを行った。

 

「……ま、本当に凄いと思いますよ。いやほら、そこの二人に望む世界を聞いてみてください。物欲塗れですよ」

 

「みなさんがアイドルデビューする過去を作りまーす!!」

 

「みんなに漫画制作の技術を教えた過去を捩じ込んで、仕事場の修羅場を減らしたいです」

 

「微妙に現実的なのが生々しいわね……」

 

 苦笑いを隠さないコメントの琴里に、少女も予想以上に我欲塗れの美九と二亜に若干引いてしまった。

 というか、美九はともかく二亜のそれは、げっそりとした顔をしている自業自得な本人次第で解決できるのでは……? とも思ったのだが、たぶん公然の事実だろうと黙っていることにした。それに、そんな願いが通るわけもないとわかっているだろうし、もちろん冗談だろう……恐らくは。

 

「むん」

 

 と、騒ぎに関せず、少し離れて少女を観察していた精霊、星宮六喰がその長い金色の髪を揺らし、見定めるように声を放つ。

 

 

「うぬの考えは、どうなのじゃ。主様と狂三が世界を変えること――――其の方、目に迷いが見えるのぅ」

 

「――――!!」

 

 

 六喰の瞳が、少女の迷いを映し出していた。彼女の瞳は大きく、広大な宙を抱かせる。その瞳は他者の迷いを射抜く賢者の意思さえ、備わっているように思えた。

 答えられなかった。驚いた、というのも否定はしない。けれど、少女の答えは決められているはずなのに――――答え、られなかったのだ。

 動揺を見せた少女が何を考えたのか……それを別の解釈で捉えたのか、耶倶矢が相変わらずの決めポーズとわかるんだかわからないんだか、結果よくわからない言語で少女へ語りかけた。

 

「呵呵、案ずるな始原なる者の姉妹よ。我が宿敵(とも)を殺させぬという願い、然と感じ取った。必ずや、強大なる運命を打ち破ってみせようぞ!!」

 

「請願。どうか、夕弦たちと異なる道ではなく、重なる道を選んではいただけないでしょうか?」

 

「っ……」

 

 耶倶矢と夕弦――――声にはしていないが、他の精霊たちも同じなのだろう。

 数々の出会いが定められ、数々の運命を掴み取り、道を同じくする選択を成したあの二人。

 少女はそれを祝福した。その気持ちに嘘偽りはない。それに、出来るのなら(・・・・・・)、それが精霊たちにとって最善になることは理解している。

 始源の精霊を〝攻略〟する。少女は澪と記憶を共有するものだ。故に、わかる……それがどれほど困難なものかを。失敗した先に待つ、最悪の未来。時崎狂三が生き残る道を選ぶなら、あまりに現実からかけ離れた選択。

 確実性でいうならば、少女を犠牲にする選択が賢いものだ。少女はそれを受け入れている。つまり、迷いは少女自身ではなく――――――

 

「…………」

 

「む……?」

 

 不意に視線を向けられた十香が、意図を計りかねて小首を傾げた。

 夜刀神十香。少女と同じ、始源の精霊から生まれた精霊。少女と違い、名と意味を持った精霊。

 少女の選択とは、犠牲を支払い確実に狂三と多数を取ることに他ならない。結果、どのような形でも始源の精霊を討滅することができる――――少女の迷いの一つに、十香がいることは否定しない。彼女は狂三の大事な友達、だから。

 

「私は……」

 

 だが、それだけではない。声が震え、心が酷く痛むのだ。少女の計画への迷いは、士道たちが示した可能性を望むことを選ばせるに足るのかもしれない。

 

 けれど、士道たちの願いは――――――

 

 

「――――『私』、は……」

 

 

 崇宮澪の――――救いになり得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――この部屋、必要なものは揃えてあるから、好きに使ってくれていいわ。あ、勝手にいなくなったりしないでよ。明日の作戦、見届けてもらわなきゃ困るんだから」

 

「……わかってますよ」

 

 どれだけ信用がないのか。人をフラフラと立ち去る風来坊だとでも思っているのか、玄関前で扉を手で抑えながらジト目で少女を見やる琴里に、平坦な声音に僅かな呆れを混ぜて返す。

 もっとも、令音と常日頃から付き合っている琴里には効くはずもなく、ニッコリと笑顔で打ち返されてしまったのだが。

 

「素直でよろしい」

 

「……この部屋、よく用意していましたね」

 

 軽く見て、掃除なども行き届いていることに気がつき、少女は何となしにそう呟いた。

 通常、精霊マンション内の部屋というのはその精霊の攻略中、或いは攻略後に用意されるものだと思っていたが、少女の特殊な事情と時期を鑑みると恐らくこの部屋、別の精霊(・・・・)を想定していたもののはずだ。

 事情を一番把握している琴里は、「あー……」と一瞬言葉を濁しながらも言葉を返す。

 

「元々、狂三用に準備していた部屋なのよ。『安心していいぞ。精霊マンションの部屋はもう用意してあるからな』……って口説き文句のために、前もって準備してたんだけれど」

 

「……なるほど」

 

 士道のモノマネをしながら理由を語る琴里に相槌を打ち、大体の事情を察した。

 その口説き文句が採用されたかどうか――あの士道なら、もっと過激にやる気がしたが――はともかく、今現在の事情を垣間見るに半ば空き部屋になってしまったのだろう。わざわざ用意してもらうのは忍びないが、そういう事情なら関係者である少女が今日くらいは引き取ってもいいだろう。

 

「……それじゃあ、ありがたく使わせていただきます」

 

「今日だけと言わず、明日も明後日も使ってくれて構わないわよ。それじゃ、おやすみ」

 

 ジョーク混じりのそれに少女はおやすみなさい、と返し扉を閉める琴里を見送り――――彼女が振り返り、別れ際に続けた。

 

 

「――――ありがとう。今の私たちを、助けてくれて」

 

「っ……」

 

 

 ――――違う。

 

 少女は、見捨てた(・・・・)。未来の彼女たちを、狂三を生かすためだけに……見捨てたのだ。

 

 

「今度は、私たちがあなたを救うわ。嫌って言われても、無理やりね」

 

「……期待はしてません、と言わせていただきますよ」

 

 

 愚かだとわかっていても、そんな選択しかしなかった少女は、救われようとは思わない。

 それでも、少女の皮肉に勝気な微笑みを浮かべた琴里は――――彼女たちは、最後まで見捨ててはくれないのだろう。

 

「…………」

 

 見送られ、薄暗い廊下を明かりも付けずに歩く。最初に辿り着いたのは、鏡のある洗面所――――憎たらしいほど綺麗な貌が映り込む。

 

「……ほんと、こんなところは完璧なんだね」

 

 崇宮澪の出来損ない。精霊の不純物。白い少女が唯一、崇宮澪から正しく受け継いだのはこの貌だけ。

 だから、これだけは否定したくなかった。少女の何を否定しようとも、澪から正しく受け継がれたこれだけは――――これを否定してしまっては、澪を否定することになるから。

 髪の色。色を帯びた瞳。端整な顔立ち。自信がありながら、見せることがなかったそれは。

 

「……こういうのを、ナルシズムって言うのかな?」

 

 その貌に触れて、微笑んで――――それが、少女の中にある答えの一つなのだろう。

 ただ、その答えより大切な答えが少女にはあった。それだけの話だ。

 少女は何を望むのか――――変わらない。時崎狂三の生存。

 けれど、ただ生きているだけではダメだ。ダメになってしまった。狂三に、大切なものが増えすぎたから。

 

「……私は」

 

 今一度、零した声に……未だ先はなかった。

 少女と、少女ではない〝何か〟が不協和音を強いている――――不協和音だと、思い込んでいるのか。

 考えたところで、答えは現れなかった。いつまでもこの貌と向かい合っていては、色々な意味で複雑だと場を離れベッドが設置された部屋へと向かい――――それはそれとして、ため息の種を見つけてしまうのだ。

 

「……不法侵入」

 

「――――過去のあなたに聞かせて差し上げたいお言葉、ですわねぇ」

 

 そう、ベッドの上に我が物顔で座り、顔に手のひらを添えた彼女……少女にとっては見慣れたメイド服を着こなす時崎狂三(分身体)は皮肉げに微笑んだ。

 突然の来訪に平坦な声音で応じた少女を見て、その皮肉は残念そうな笑みに変わる。

 

「残念ですわ。驚かそうと思っていましたのに」

 

「……私が、知っていないわけがないでしょう」

 

 そもそも、精霊たちの気配に気がつけなかったのは、彼女が近づいて来ていることに気を取られたせいなのだ。ここまで接近されていて、いることに気がついていないはずがないだろう。

 少女と彼女を繋ぐ霊結晶(セフィラ)の繋がり。それは未だ継続されたままだ――――それに、と少女は続けた。

 

「あなたなら、記憶しているのでしょう。【六の弾(ヴァヴ)】は、そういう特性を所有した銃弾ですから」

 

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【六の弾(ヴァヴ)】。その特性は、対象の意識を数日前の時間軸へ飛ばすこと。士道は狂三と共に過去を超えたようだが、狂三に連なる分身も同じように未来から過去へ導かれる。

 彼女もまた、例外ではない。計画が正常に進行したのなら――――未来で死んだ、『狂三』である彼女も。

 肩を竦め、何も語らぬ彼女に、少女は細く息を吐き、続けた。

 

「……何のご用で? あなたに死んでくれ(・・・・・)と願った、親友の仇である私に――――――」

 

「勘違いなさらないでくださいまし」

 

 凛と、少女の声をかき消す声。異形の瞳は澪と同じ貌をした少女を、けれど澪と違うものとして見ていた。

 

 

「わたくしは、あなたに願い請われた(・・・・・・・・・・)。間違っても、あなたが『私』と呼ぶ存在ではありませんでしたわ。あなただから引き受けた。時崎狂三を愛したあなたであればこそ――――それが、わたくしの矜恃ですわ」

 

 

 そう言って、目を見開く少女を超然とした微笑みで見つめ、彼女は言葉を継ぐ。

 

 

「それと、わたくしもまた『時崎狂三』であるということを……お忘れなく」

 

「……忘れてなんて、いませんよ。死んだって、忘れられません。神様より頑固で、神様より負けず嫌いな私の女王様だから。私の願い、叶えてくれてありがとうございます――――我が愛しき女王」

 

 

 声を形にするだけで愛おしく、死んで忘れられるくらいなら、少女は初めから生きていない。

 『狂三』は狂三だ。何が起きて、何を経験しようと、狂三が出す結論を『狂三』は肯定するのだ。だから、先の言葉は、先の言葉も(・・・・・)、時崎狂三が感じ取り、言霊としたものなのだ。それを否定できるのは、少女ではなく狂三だけだった。

 ……と、考えついた故に返した言葉だったのだが、彼女は少々と不機嫌に顔を歪めポツリと一言を零した。

 

「……鈍いお方。ま、我慢して差し上げますわ」

 

「……?」

 

「なんでもありませんわ。わたくし、空気が読めますので。時崎狂三(オリジナル)の立場を奪う不躾なことはいたしませんわ……それにしても、澪さんが神様とは」

 

 何かの納得を彼女の中で得たのか、少女がわからぬまま別の方向に話題を変える。感心の声音ではなく、皮肉たっぷりのそれに少女は苦笑を交えながら声を発した。

 

「……納得がいかない、って表情をしてますね」

 

「当然ですわ。確かに、澪さんが神如き権能を自在に扱えることは否定いたしませんけれど――――神が、自らの願いのために選択を他者に委ねるわけがありませんでしょう」

 

 ここで時崎狂三の言う神とは、全能の存在。全てを必然で決め、必然で事を成す――――機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)

 崇宮澪はそうではない。〈(デウス)〉の名で呼ばれた窮極の精霊でありながら、澪は針の穴を通さねばならない儚き希望に縋り、その希望は澪の願いに反旗を翻している。そこには必然だけでなく偶然が生じる。

 事象に偶然など存在しない、全てが必然だと決められるのなら、澪は神なのであろうが――――狂三が否定した必然を、少女は思わず笑みを零して受け入れた。狂三が訝しげな顔をして声を発する。

 

「どうなさいましたの?」

 

「……いえ、その解釈は合っていると思いますよ――――崇宮澪(オリジナル)も、同じことを考えていますから」

 

 崇宮澪は人のように弱くはなかった。

 崇宮澪は人のように強くはなかった。

 

 神など所詮、人間の空想が生み出す存在。多種多様な意味を持つ言葉の一つでしかない。神と呼ばれし澪は神であることを否定し、澪を宿敵とする狂三も彼女は神ではないと定義した。……もっとも、同一の答えを出した狂三は、恐ろしい形相で憎々しげな感情を顕にしていたのだが。

 

「……あはは、不満そうですね」

 

「当然ですわ。不愉快ですわ。まったく、笑い話にもなりませんわね――――なら、あなたにとって神という澪さんはどういう存在ですの?」

 

「……ん。簡単な話ですよ。私が世界を見つけるために必要なものをくれた――――私の神様。私にとって(・・・・・)、あの人は神様というだけのことなんです」

 

 誰の神でもない、少女の神様。少女に世界を歩く足をくれて、少女に世界を見る目をくれて――――意味のない存在を生み出した、少女の神様。

 大層な言葉を使っていたからか、狂三が不思議そうな顔で言葉を返してくる。

 

「神様……という割には、あなたは『わたくし』を優先いたしますのね」

 

「うん? 私は神様より女王様の方が大切だから、当然のことだよ」

 

 少女の比重は神様より女王様。それこそ、それだけのことだ。

 当然のことを軽く即答した少女に、珍しく狂三が少し引いていた。

 

「迷いがありませんわね……」

 

「迷う必要がありませんから。私、分身のあなたと崇宮澪(オリジナル)のどちらか、と聞かれたとしても、分身のあなたと答えますよ」

 

「……ありがとう、ございます?」

 

 首を傾げ、相当珍しい困惑したリアクションを取った狂三にクスッと素の笑いが零れた。

 

 ――――本当に、そう思っている。

 

 少女の中の優先に、絶対的な存在として狂三がある。その次に彼女たち分身の存在がある。分身は時崎狂三のために消える。彼女だって、狂三の悲願があるからこそ、少女に力を貸しているという前提は覆せないものだ。

 それがなければ、如何な感情があろうと時崎狂三は少女を捨てる――――捨てるはずだった。

 

 捨てずに済む選択肢を手に取り、それが澪の救いではなくとも、澪のことを――――――

 

 

「――――――――」

 

 

 そう考えた時――――不思議と、その優先度が高いことに気がついたのだ。

 ああ、そうだ。少女の迷いには彼女がいて……狂三ほどではないにしろ、それを考えて迷えるくらいに、少女は――――――

 

 

「――――それでも(・・・・)

 

 

 〝計画〟は、変わらない――――最後にどうなるかは、わからないけれど。

 優雅に座る狂三を見遣る。視線に晒された狂三が、不敵に微笑んだ。

 

「あら、あら。何か、このわたくしに頼み事ですの? ちょうど、手が空いてしまっているのですけれど」

 

「ええ。我が儘な女王様がいらっしゃるものですから――――――」

 

 少女に未来はわからない。少女に結末はわからない。少女に、どちらの願いが勝るかなど、わからない。

 

 だが――――――

 

 

「――――私の〝計画〟を、少し修正しましょうか」

 

 

 生み出された希望を、もう少しだけ、見定めようと思う。

 

 

 

 




私の神様、ただし我が女王の方が上。たぶん、これも読者の皆様は大体察せられてましたね……。自分の神様より大切と即断即決即答できるのもどうかと思う。澪泣いちゃうよ。
前回ボカしたのに開幕から直球勝負な子。もう隠すこともありませんので言いますけど、こういうところは令音に近くちょっとズレてます。心配するところはそこなのか。

ミッドナイト・カイトはアンコールが出典。でも士織ちゃんに釣られたオリリンも悪いと思うの。
ちなみに、少女が折紙に極端に弱いのは惚れた弱みもありますけど、単純に過剰な友愛に対する耐性がないんですよ、この子。それは澪の記憶にも存在していませんし、単純な経験値の差です。自分はいいのにやられる側になると弱くなる。価値観的な話も含みますが、ぶっちゃけた話、折紙が特別直球すぎるだけ。
じゃあ恋愛面はどうなのかと言うと、主観ではないとはいえ強烈な記憶があるので、ご存知の通り狂三の恋心に対してはうまい付き合いをしました。じゃあ、自分自身はというと……それは、まだ秘密です。

神ではない。神であるならば、サイコロを振ることはない。仇敵との答えの一致。さてはこれ私の性癖相当バレてry

単純な優先順位は狂三の分身も相当上。ただし、彼女たちは狂三に尽くすために生まれてきたとも言えるので、そこに折り合いは付けています。狂三を生かす為ならば、と。ただ、優先順位自体は高いので必要のない犠牲は許容しません。百六十話くらい前の狂三フェイカー編、真那から分身を救った時とかね!話が前すぎて自分でもビックリしました……。

原作20巻以降の伏線をチラッとお見せして、おや?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。はてさて、どうなることやら。

さあ、次回からはいよいよ……ここまで来ると、本当に終盤という感じがします。ラスト付近を書いていると、ああ、ここまで来たんだなぁ……と。高評価とか増やしてもらえるとクオリティ高まると思うので、よろしくお願いします、直球に!!

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十五話『『二度目』のデート』

 

 

 

「…………」

 

 家――と言っても寝泊まりを行う程度の宿舎に近い――で端末から流れる文字列を一語一句間違えず記憶し、その作業を一通り終えた令音は座る椅子の背もたれを鳴らした。

 作業は名の通り、事務的なもの。元々、〈フラクシナス〉外に迂闊に重要な情報を持ち出すわけにもいかない。そのこともあり、令音がこの母屋とは名ばかりの家を利用することは少なく、専ら寝泊まりは〈フラクシナス〉の個室で行っていた……結果、こうして強制的に帰宅を余儀なくされたのではあるけれど。

 

「……ふむ」

 

 零した声の意味は、少しばかり迂闊であったか、というもの。

精霊である令音には(・・・・・・・・・)、心身の疲労は人の身に比べて限りなく抑えられている。無論、令音は違和感を感じさせないように振る舞い、一般的な二十代女性の標準行動を心がけていた。のだが、精霊封印と狂三の騒動は一般的な無理(・・・・・・)を演じる他なく、こうして休暇を取らされてしまった。

 

 だが――――それも、もうすぐ終わる。

 

 約束の時は、近い。それまでは座して待つ。しかし、時が終局を奏るのならば……。

 

 

「――――デート……、か」

 

 

 けれど、過ぎる考えを反芻した言葉が、約束の時を遮った。

 まさか、という思い。このタイミングで、という予想外。

 令音の正体が割れた――――それは、限りなく低い可能性。正体が割れたのなら、真っ先に狂三が時を超える(・・・・・・・・)。それこそ、始原の精霊を消し去るために。

 令音が精霊である、ということが知られる可能性は幾つか……どれも杞憂と言ってしまえるほど低いものではあるが、たとえば令音の正体を知るあの子ならば――――――

 

「……いや」

 

 小さく頭を振り、否定する。その方法は確かに存在しているが、あの子がそれをするとも思えない。

 あの子は『私』だ。『私』に仇なす行為を、直接的にするような子ではない。第一、狂三の道を無理やりに定めてしまう方法は、あの子の本意ではないはずだ。

 今考えるべきことは、士道の思惑なのだが――――彼が何を考えていようと、令音が彼の誘いを断ることなど、あるはずがなかった。

 

「…………」

 

 だから、不思議と憂鬱な雰囲気を纏う沈黙は、彼のことではなく、結局はあの子(・・・)のこと。

 彼とのデート。歓喜がないわけがない――――でも、考えてしまうのだ。

 

 あの子は、最後まで彼との逢瀬は望めなかったことを。

 

 あの子は、『私』だ。どんな出生であれ、それが令音――――澪の預かり知らぬもの(・・・・・・・・)であれ、令音にとってあの子は血を分けた自分自身(・・・・・・・・・)

 それでいて、狂三を第一と考えたあの子は……妹、とも言える存在だった――――それにしては、別れは薄情なものだったけれど。

 仕方がない。そういう関係なのだ。いいや、正確には、そういう関係にしか収まれない(・・・・・)

 

 

「……きっと、あの子は――――――」

 

 

 ――――私のことを、恨んでいるだろうから。

 

 わからないなりに、生を押し付けた存在として……そう思った。

 そんな令音が、あの子より先に彼との逢瀬を楽しむ。まったく――――皮肉な結果が、あったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 ラタトスク空中艦、〈フラクシナス・エクス・ケルシオル〉。

 その艦橋内は、一風変わった風景と人影があった。これから始まる戦争(デート)に必要なもの。精霊たちの強い思い。

 

 そして、何より――――――

 

「…………」

 

「…………」

 

 とある女王様とその従者の、今朝から続く恐ろしく気まずい空気感が漂っていた。

 再びローブを着込み、壁際で寄りかかっている少女と、艦長席を囲う予備席に腕を組んで目を閉じる狂三。

 ただそうしているだけならば、特に気にする必要はないもの。が、

 

「……!!」

 

「……っ」

 

 時折、示し合わせたようにお互いを見て、一瞬にして目を逸らしてまた同じ体勢に戻ってしまうのだから、狂三の隣にある司令席に座る琴里も顔を渋くするというもの。

 

「……へい、妹ちゃん」

 

「わかってるわよ……こんな不器用な狂三、初めて見たわ」

 

 コソッと耳打ちしてきた二亜に、琴里も深い息を吐いてそう対応する。

 器用で不器用。いつだったか、士道が狂三を表現した一言だ。こうして目の当たりにすると、それを嫌という程に実感する。

 基本的に、距離感の掴み方が上手い狂三ではあるのだが、長年付き合っていたからこそ、表面上だけは一番に近い少女と、今壊されてしまった距離感に翻弄されている節が見られる――――とは、いえ。

 

「どっちかって言うと……問題は、あの子ね」

 

 ふぅ、と言葉を零して琴里は席を立つ。

 実際、狂三が距離感を計りかねているのは仕方がない。今の今まで、常に主と従者という仮初の距離で接して、ようやく歩み寄れる段階になったのだ。

 それより問題なのは、少女がそれを頑なに拒んでいるということだ。作戦があるから、と連れ出してきたが、狂三が話しかけようとすればふらりと消えて、戻ってはの繰り返し。少女側の拒絶が、狂三側の不器用な一面を出してしまっていた。

 お馴染み〈ラタトスク〉のクルーたちは、令音の正体に驚きながらも、相手が精霊ならば変わらないと気合いを入れて本日の作戦に参加してくれている……のだが、さすがにこの二人の空気には困惑気味だった。

 肝心の作戦を開始する前から、この雰囲気を引きずられては敵わないと、琴里は自ら少女の元へと歩き抑え気味の声で話しかけた。

 

「ちょっと。昨日、私たちと話してた時のあなたはどこにいったのよ」

 

「……さあ?」

 

 さあ、じゃない、さあじゃ。苛立ちから額に青筋を浮き立てながら、琴里は矢継ぎ早に言葉を捲したてる。

 

「あなたと、狂三のことでしょ!! 大体、作戦開始前から空気悪くされたら困るのよ」

 

「……私、協力するとは言っていませんし。不満があるなら、ここから出て――――――」

 

「却下。勝負に勝ったのは私たち。負けたのはあなた。なら、最後まで付き合ってもらうわ」

 

「…………」

 

 なんだこの傍若無人な司令官、という視線はこの際無視するに限る。こういう頑固者のわからず屋には、多少なりとも強引にいかねば事は進まないというもの。

 頭に手を置き、致し方なしと琴里は呆れ気味に言葉を続けた。

 

「とにかく……納得しろとは言わないし、今すぐに元通りに出来ないのも理解してる。でもせめて、狂三と話すくらいはしてあげなさいよ――――あなただって、狂三のああいう顔は本意じゃないでしょ?」

 

「……ん」

 

 返事を返すように零した言葉は、狂三に視線を向けることと同時になされていた。少女の視線の先には……落ち込んでいるとか、しょげているという風に近い狂三の顔がある。

 無論、人よりもわかりづらく、表立ったものでもないが――――狂三がああいう態度を見せるのは、士道かこの子くらいなものだろうと琴里は思うのだ。

 琴里に促され、少女がようやく重い腰を上げて狂三の元へ寄り……目を上げ、少女と視線を交わした狂三へ、少女は声を発した。

 

「……あなたの願いに、納得はできません。私は、あなたの生存率が低い事象に賛同はできませんから」

 

「……そうですの」

 

 僅かに動揺して瞳を揺らした狂三に対し、少女は構わず――その拳が痛いほど握られていることは、気づいていた――に言葉を継ぐ。

 

「……けれど、あなたが士道(・・)の可能性を信じるというのなら……せめて結論(・・)は、このデートを終えてからにしたいと思います――――我が女王」

 

 目を見開いてその言葉を聞き届けた狂三は、全てに納得はしていない。それでも、こくりと首を縦に倒した。

 

「今は、それで構いませんわ。わたくしたちの選択を……士道さんの行動を、見届けてくださいまし」

 

「……もしも、それがダメだったら、その時は――――――」

 

 その時に、少女は迷いなく狂三を生かす選択肢を選ぶ。

 暗にそう言い残し、言葉を切った少女は再び席から離れた壁際に寄りかかり……これでいいのだろう? と言わんばかりに琴里を見やった。

 

「たくっ……」

 

 ガリガリと髪をかきあげ、琴里は愚痴を零すように声を吐き出した。

 我が女王。その呼び名に、ここまでの距離(・・)を感じられたのは初めてのことだった。それも、狂三に愛想を尽かしたのではなく思っているからこそ(・・・・・・・・・)の距離。

 

「やれやれ、我が宿敵(ライバル)ながら難儀なものよのぅ」

 

「参照。夕弦たちを見習ってほしいものです」

 

「…………いや」

 

 二人揃ってやれやれ系を装っているが、聞いた話だと、あなたたちも似たようなものじゃなかったかしら? という指摘を既で飲み込んだ。口は災いの元。特に、大事な時期を前にしてこれ以上はやぶ蛇……ぶっちゃけた話、精霊関係では大半が人のことを言えない面倒さがあったのである。

 大人しく司令席に戻った琴里を、右方に座る六喰が気遣う声で出迎えた。

 

「むん。大義じゃの、琴里」

 

「ふふっ。ありがたき幸せ……かしら?」

 

 琴里の気を紛らわすために、わざと大層な言葉遣いをした六喰。琴里は明るく笑い声を発して続きを返す。

 

「ま、放っておくわけにもいかなかったし……貸し一つにしておくわよ、狂三」

 

「……少しばかり、琴里さんからの貸しが増えていますわねぇ。嘆かわしいことですわ」

 

 ニヤッと隣の狂三へ投げかけると、彼女は否定することなく受け入れ、コンソールで遊びながら自分の立場を皮肉るような声を返す。

 貸しというものであれば、琴里は――絶対に表立って認めはしないが――狂三へ大きな貸しがあるのだが、狂三は狂三で未来の琴里(・・・・・)が恩を売ったらしい。……自分が経験していない貸しというのは、存在していないも同じであるとは思うが。

 とまあ、貸し借りの有無を頭で算段しながら琴里は会話を続ける。

 

「ふふん。そう思うなら、もう少し殊勝な態度を見せてほしいわね。ああ、そのために、もっと貸しを作っておくのも悪くないかしら」

 

「性格の悪い方ですこと。そもそも、へりくだったわたくしを見たいんですの? 司令官様?」

 

「……止めておくわ。想像したら鳥肌が立ってきた」

 

 琴里へ謙る狂三を想像すると、想像しただけで気味が悪くなってしまう。思わず、自分の両腕を擦り合うくらいには。

 司令官様、とか言われるだけでも気味の悪さがあったというのに、謙る狂三の姿など頭に浮かべ続けたら鳥肌では済まされない。と、そんな琴里をすかさず二亜が茶化してくる。

 

「あっははー。妹ちゃん、そりゃ〝解釈違い〟ってやつだねぇ」

 

「カイシャクチガイ? 何だそれは、介錯の親戚か?」

 

 小首を傾げ物騒な親戚を並び立てた十香に、琴里は慌てて手を振って返す。

 

「気にしなくていいわ、十香。二亜の戯言よ」

 

 十香は感受性豊かで物覚えがいいのだ。一度間違えたことは殆ど繰り返さないその分、変な言葉を変な意味で教えたらそのまま覚えてしまうことだってある。さすがの琴里も、〈ラタトスク〉の失態エピソードを飾りたくはない。

 二亜の「えー、妹ちゃんひどーい」という心のこもっていない抗議を聞き流し、琴里はチュッパチャプスの棒をピコピコと上下に揺らし、チラリと狂三を見遣る。

 ここは素直になって、琴里の部下として敬意を評した立ち回りを行う狂三の姿を今一度浮かべてみてることにした。〈ラタトスク〉の制服に、似合う伊達眼鏡を添えて、イメージは出来る女秘書・時崎狂三。

 

『五河司令、本日のご予定ですわ。……あら、あら今日も凛々しく愛らしいですわ。素敵ですわ、最高で――――――』

 

「……正直ないわー」

 

「何をご想像いたしましたの?」

 

 突如奇っ怪な顔で奇っ怪な言葉を発した琴里に、狂三が怪訝な顔をみせた。

 いや、本当にない。マジでない。イメージが色々混ざってかなりおかしくなったことは認めるが……なるほど、これが〝解釈違い〟ということか。

 

「うんうん。これで妹ちゃんも、こっちに一歩近づいたねぇ」

 

「何のお話……でしょうか?」

 

『うーん。義妹(いもうと)的な悩みかなー』

 

「ちょっと違うと思うけど……ていうか、書き方おかしくなかった?」

 

「そうですかー? とっても素敵な響きだったと思いますけどー」

 

 ……聞こえる範囲で大変に失礼な会話が成立していたが、コホンと咳払いをして改めて空気を入れ替える。

 

「――――琴里」

 

「……ええ。そろそろ、ね」

 

 目を細め、少女の様子を観察していた折紙から短く意思が伝えられる。

 狂三と少女のことは、あくまで応急処置。いっそ、二人きりの空間(・・・・・・・)でもあればいいのだが、便利なものは簡単に転がって来はしない。今はとにかく、乗り切ってもらうしかない。

 ――――頭の中でスイッチを切り替える。

 司令官として、求められるものを。

 士道の命を預かる者として、適切な精神力を。

 息を吸って、吐く。基本動作を繰り返し――どんな超人であれ、基本がものを言うのだ――押し慣れたスイッチに指を接地させ、五河琴里は、全ての命運を握る最愛の兄へ声を届けた。

 

 

「そろそろ時間よ――――準備はいいかしら、士道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ」

 

 囁くように、しかし強固な意志を以て。五河士道は妹――――〈ラタトスク〉司令官に声を返す。

 耳元のインカム……ではなく、首元に張り付けられた骨伝導型通信機から、〈フラクシナス〉側の声は伝わっている。

 初見の精霊ならまだしも、今まで精霊攻略の第一人者であった令音には、インカムでは気づかれてしまうかもしれない恐れがある――――実際、最初のデートでインカムを封じた精霊がいたわけで、それだけでも説得力が違う。

 どこまで用意しても、杞憂とは言い切れない現状。そのため、こうして最新式の通信機が支給されたわけである。

 そんな通信機の用途について気になった士道は、ふと声を発した。

 

「もしかしてこれ、本当は……」

 

『お察しの通り、対狂三用よ。……その様子だと、結局は使わなかったみたいだけれど』

 

「あはは」

 

『適当に笑って誤魔化すんじゃないわよ』

 

 実際、誤魔化そうとしているのでこれ以上の言葉はなかった。

 便利なものを今まで使わなかったのではなく、使わせようと思ったデートにおいて、士道が固辞して使わなかったというのが正しいようだ。こんなものがあると伝えられる前に、士道は狂三と対等の立場で望むと宣言していたので、知るはずもないことだった。

 

「…………」

 

 緊張や恐れ。目を閉じて、それらがないと言えば嘘になる。けれど、そんなものを消し飛ばしてしまうくらいに、崇宮真士が澪を想う気持ちは強く、怒涛の如く溢れる慕情となって存在している。

 それだけでないのは、昨夜に士道自身が再確認したこと。

 

 

『――――もう、絶対離さない。もう、絶対間違わない。だから、』

 

 

 夢の中の声。それも、ごく最近のものではなく、およそ十ヶ月ほど前――――令音と出会う、直前のもの。

 十香と出会い、医務室に運ばれ目覚めた士道の文字通りの眼前に令音はいた。今にして思えば、夢の声の主は令音()だったのだろう。

 第一印象は……正直なことを思うと、『変な人』だった。というより、令音を見てこの感想を抱かない人はそう居ないだろう。それこそ、令音と似た感性を持つ者――――白い少女とか、どうだったのだろうかと気にはなる。

 ただ、そんな『変な人』という印象を越え――――綺麗な人、と思う者が大半であるとも考えている。それ以上の感情は、昨夜に自覚した通りだ。

 刻んできた。狂三と交わしたものがある。実のところ、彼女にも念押しされていることだが……何よりも、楽しむ(・・・)ことがデートには必要なのだ。

 そして士道は――――令音とのデートを、楽しみにしている。だから、大丈夫だ。そうして目を開けた士道は。

 

 

「……やあ、待たせたね」

 

「うひぁっ!?」

 

 

 かつてのように、目の前にあった令音の顔に驚き、素っ頓狂な声を上げた。愛しい彼女のため息が、通信機を通して伝わってきた気がした。

 

「れ、令音さん……!? いつの間に……!?」

 

「……ん。今来たところだよ。何やら考え事をしているようだったので、邪魔をしてはいけないと思ってね」

 

「そ、そうですか……」

 

 どうにか言葉を返した士道の目に、令音の装いが飛び込んでくる。

 綺麗に結い上げられた髪。唇にうっすらと引かれたリップ。どちらも、普段の令音であれば見せることのない――――女が、男に見せる装い。

 だが、何より目を奪われたのはそれ(・・)。令音が用意した装い、白のコートとワンピース。季節の違い、細部の違いはある。けれど、間違いなくそれは――――澪が真士とのデートで着ていた服を意識した装いであった。

 恐らくは、狂三も、あの白い少女も気がついている。士道の中の真士が、深い感慨を抱いている。

 ああ、だからか。僅かな空白を置いて、士道は真っ直ぐに……ただ、素直な言葉を万感の想いで解き放った。

 

 

「令音さん――――綺麗です。普段、そういう格好を見たことがなかったから、見とれちゃいました」

 

 

 士道が放ったそれに、令音は眠たげな双眸を僅かに見開いた……のが見えて、ハッとなった士道は慌てて弁解の言葉を続けた。

 

「す、すいません突然。素直に気持ちが言葉に出ちゃったっていうか……ああ、いや、何言ってんだろ、俺……」

 

 開幕出会い頭で、一体士道は何をやっているのか。衝動で気恥しい口説き文句をぶつけてしまうなど……いや、今日はまさに令音を口説く日なのだけれど。

 

「……ふむ? ……そうか。ふむ。そうか」

 

 しかし、慌てる士道とは裏腹に、令音はあごに手を当てながら、受けた言葉を幾度か転がすように呟いている。表情に変化は見られなかったが、それはどこか喜びの感情が乗っている気がした。

 

「……ありがとう。君の装いも素敵だよ」

 

「あ……ありがとうございます」

 

 サラリと反撃を喰らい、士道の方が頬を染める結果が生じる。

 それには褒められた気恥しさ……というより、この服装を選んでくれた皆の努力が結実したことへの喜び、というのが大きい気がしたけれど。

 

「……さて、それで、シン。今日はどこへ行くんだい? 随分大荷物のようだが」

 

 士道の携えたキャリーバッグ。令音の問いは、それを見れば当然というもの。

 狂三との決戦を前にして、遠出の支度を整えた荷物。まず、案じが先行してもおかしくはないものだった。

 

「ああ、安心してください。全部が嫌になって逃避行……ってわけじゃありませんから」

 

 以前……それも『前の世界』での受け売りジョークを混ぜ、冗談めかした士道の答え。それに「……ふむ?」と令音は小首を傾げてきた。

 

「……そうなのかい? それは残念だ」

 

「へ?」

 

 冗談に対しての返答としては、予想外のものがあった。

 

「……逃避行の相手に私を選んでくれたのなら、光栄だと思ったのだが。君が逃げたいというのなら、私はどこにでも付いていくよ」

 

「え、ええと……ジョーク、ですよね?」

 

「……君の冗句に返したつもりだよ。気持ちに偽りはないがね」

 

「そ、そうですか……」

 

 なんて返すのが正解だったのだろうか、これ。と、士道は冷や汗をかく。

 冷静に考えられたのは、令音が士道の狂三に対する熱意を見てきたから、という事実があるからだ。……それを差し引いても、思わず確認を取ってしまったのだが。客観的(・・・)な状況が状況だけに焦ってしまった。

 コホンと咳払いをして、気を取り直して言葉を続ける。

 

「今日行くところは……まだ内緒です。令音さんを驚かせたくて。――――俺を信じて、付いてきてくれますか?」

 

「……ああ、もちろん。では行こうか」

 

 思考に迷いを感じさせない。心から信じてくれている――と士道は感じた――返答ののち、令音は何かを思い出したように小さく眉を揺らした。

 

「令音さん? どうかしましたか?」

 

「……これは一応、デートだったね?」

 

「はい。――――一応、ではないつもりですけど」

 

「……ふむ。なら――――――」

 

 令音は、士道へ手を伸ばす。ごく自然な動作――――それこそ、幾度も士道が成してきた誘い(・・)の動き。

 

 

「……手くらい、繋いでおいた方がいいかな?」

 

「――――!!」

 

 

 白く細い指先と、その腹が無防備に士道へ向けられる。

 けれど、それからの対応は慣れたもの(・・・・・)

 

「そうですね。デートですから。――――でも、失敗したな」

 

「……失敗?」

 

「はい。それは俺から言おうと思ってたのに」

 

 士道の微笑みと言葉に、令音はきょとんと目を丸くし、それから釣られるように小さく笑みを零した。

 

「……そうか。それは悪いことをしたね」

 

「いえ。令音さんのレアな表情が見られたのでよしとしておきますよ」

 

 冗談めかした言葉を返した士道は、令音の手を優しく握った。

 慣れたと言いながら、それは微かな緊張を孕ませるに足る感触を帯びて。ひんやりと冷たく、小さな手。

 興奮と緊張。それらは士道自身にも熱を帯びさせる。けれど、これまでの全てを上乗せするかのように、少年は己という仮面を造り上げる。それは偽りではなく、士道という人間が培ってきた技能を駆使した自分自身への暗示(・・・・・・・・)

 初めの頃のように、ハリボテでも上っ面でも、ましてや空白と小手先のものではない。士道が救い上げてきた、数々の道がその証。

 

 十の道標を胸に、令音の手を引いて街を歩いていく。

 

 ――――精霊たちの、士道と狂三の、そして少女と令音()の未来を賭けた戦争(デート)の、始まりであった。

 

 

 






Q.なんで本人と分霊なのにこんなすれ違うんですか? A.だからこそ言葉にしないと分かり合えないんじゃないかなぁ。

互いの目的は知っているし察しがついてる。そして会話もある程度あり別れも済んでいる。だからこそ致命的に食い違う。分かり合えない。この子ら、相手をどう思っているかはほとんど口にしていないんですよ。せいぜい、令音が別れ際に告げた言葉くらいで。
〈アンノウン〉と士道のデートがなかったことは……まだノーコメントで。

狂三が歩み寄れば終わると思うじゃろ? ところがどっこい、歩み寄ったら逆に距離が離れる狂三ガチ勢。
なおこの子、狂三がフェイカー辺りで早期に霊力を封印されるルート→影ながら狂三を守る狂三セコム。
狂三が士道の霊力を得るルート→霊結晶を渡して歴史改変で退場。もう一つ、士道IFはゴニョニョな感じですが、まあ狂三の従者から関係が外れることはなし。
なので、距離を詰めようとするとこのタイミングしかない。不具合かな?ちなみに士道と狂三の答えが早いと今度は澪デッドエンドが待ってます。なんだこれ。

原作は原作で気味が悪いくらいは言いそうですけど、この琴里的にはもはや解釈違いの領域になるのかなって。義姉のそんな姿はショウジキナイワー。

それでは次回、いよいよデート編。今回からも感じる、士道のちょっとした心境の違いだったり……の前に、愉快なあの子と精霊たちをお届けできるかなと。
感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございます&どしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十六話『少女と令音』

「一応、選択肢は用意してたんだけど……」

 

 言う暇もなく対応したわね、と琴里は感心と一抹の寂しさを兼ねた声音を響かせた。片手でコロコロと飴の棒を転がしていると、狂三がクスッと笑みを零す。

 

「よろしいのではありませんの? あの方は、世界で唯一の対精霊における特異点。あの方が決めたというのであれば、皆様も異論はありませんでしょう」

 

「わかってるわよ。私だって無闇に我を通したいわけじゃないし、サポートが必要になったらそうするだけよ」

 

 令音の反応は良いものだったし、間を置かない口説き文句としては上々なものだろう。意外なことに、悠々と得意げな狂三には少し不思議なものを感じてしまうが。

 すると――――――

 

「……選択肢、何があったんです?」

 

 壁に寄りかかり、我関せずを貫いていた白い少女が、唐突な問いを挟み込んできた。

 

「むん。うぬは干渉せぬはずじゃろう?」

 

「……干渉はしませんよ。気になることには口を挟みますけど」

 

「それ、同じじゃん」

 

 耶倶矢のツッコミも、文字通り顔を見せずにスルー。

 このマイペースは令音に通ずるものがある気がすると、琴里は苦笑しながら少女のご希望に沿って、予定されていた選択肢を開場した。

 

 

 ①すみません、令音さんに見とれてました。 

 ②いつもと髪型が違いますね。素敵です。 

 ③その服ってどうやって脱がせればいいんですか?

 

 

 相も変わらず絶妙に不安な選択肢が混ざっているが、士道は図らずも①に近い選択肢を選んだことになる。

 モニタに表示された選択肢を一通り眺めた少女は、「……ふむ」とこれまたどこかで聞いたような相槌を打つ。

 

「それで? 何か気になることでもあったのかしら」

 

「……いえ。これなら、どれを選んでも受け入れられたとは思いますよ」

 

「疑問。どうして、そう言いきれるのでしょう」

 

 それは令音にしかわからないこと――――だが、少女は躊躇うことなく夕弦の問いに回答を示した。

 

 

「……私が(・・)、嬉しいからですよ――――あの人の言葉なら、大概は肯定してしまえるんです」

 

 

 その心が赴くままに、好意を示す相手(・・・・・・・)からの言葉を受け取る。それが嬉しくないわけがない。

 崇宮澪から生まれた、崇宮澪の同一体が語ったそれに精霊たちは――――――

 

「え。君、そんなに少年のこと好きだったっけ?」

 

「……てっきり美九と同じなのかと思ってた」

 

「あー、七罪さん酷いですよー。私はだーりん限定で、どっちでもウェルカムなだけですー!!」

 

「…………」

 

 ああ、これは少女の顔を見れなくてもわかる。凄く、ダメージを受けている。

 

「……ぷっ、ふふ。き、ひひひ……っ!!」

 

 ついでに、心無い主様の爆笑が悲壮感を漂わせていた。ちょっと声を抑えてはいるが、この主様笑っていることを隠す気がない。なかなかの外道である。

 

「……我が女王?」

 

「だ、だって……もう、可笑しくて可笑しくて……」

 

「そのくらいにしてあげなさい、狂三」

 

 さすがに可哀想になってきた琴里は、腹を抱える狂三を諌めながら改めて少女に言葉をかける。

 

「私ならっていうけれど……①と②はともかく、③はかなり特殊じゃないかしら。本当に令音が喜ぶの?」

 

 ①は王道。②も状況次第では変化に目敏い、というアピールを行えて悪くない。が、③は如何せん変化球が過ぎる。一部には、それを喜んで選びそうな子たちもいるが、デートの開幕には不味いだろう。

 だが、問いかけられた少女はさもありなんと言わんばかりに返してきた。

 

「……まあ、好意を示す値で言えば、今の彼が最も正解でしょう。ただ、③もそれはそれでと思いますよ。私、彼に問われたら真面目に答えますし」

 

「はい!! その服の下はどうなってるのか教えてくださいー!!」

 

「企業秘密です。彼のように、私の好感度を上げてから出直してきてください」

 

 さり気なく明かされていない謎なのだが、本当にどうなっているのだろうか。あしらわれた美九は置いておくとして、琴里は残る疑問を声に発した。

 

「でも、そう上手くいくもの?」

 

「……上手くいくかはともかく、男女の仲(・・・・)は強調できるでしょう。あの人の好感度数値、面白いことになってると思いますよ」

 

「令音さんの、好感度……?」

 

『面白い、ってどういうことー?』

 

 四糸乃とよしのんが、揃って小首を傾げる可愛らしい光景と同時、たった今、令音と士道をモニタリングしていた観測装置が結果を弾き出し、新たに令音が士道へ示す好感度が数値化して表示された。

 それは確かに面白い(・・・)……というよりは、琴里からすれば不可思議なものだった。

 

「この波形……好意を抱いているのに、封印可能の反応が出ていない。感情値も安定しているけど……」

 

「……あの人、『私』と同一とは言っていますけど、『村雨令音』という人格が存在しないわけじゃないんです。別人格、というほど離れてはいませんけれど、距離を計る(・・・・・)という意味合いでは、崇宮澪のそれとは明確に違いが出る」

 

「ふーん……母親と恋人の差、みたいな感じ?」

 

「……!!」

 

 二亜の要約に、琴里は眉の端を小さく揺らし相応の理解を得る。

 好意はある。けれど、封印可能なものではない。

 感情は安定している。けれど、突出した反応はない。

 物事を俯瞰し、親愛の情がありながらも自ら干渉は控える――――たとえば、この子が狂三と士道を見守るような。

 

「母親……ね」

 

「澪さんは士道さんの生みの親、でもありますものねぇ。皮肉なことに、ですけれど」

 

 狂三が肩を竦めて、ニヒルな笑みを余すことなく披露する。

 澪は全ての精霊の生みの親にして、崇宮真士の亡骸を吸収し、士道を産み直した精霊。ある意味では、母と呼ぶに相応しい存在なのかもしれない。

 

「……母なる君。慈愛の化身にして、子を呑み込む太母(グレートマザー)――――その矛盾が、あの人らしいかな」

 

 その声音に込められた皮肉は、しかしながら……どこかに、悲しさがあった。

 精霊たちの生みの親。だが、少女だけは事情が異なる。少女だけは澪の同一体として生まれ落ち、そうして生きながらどこか違うものとなった。それは母と子ではなく、生き別れた〝姉妹〟のようで。

 互いを想っているはずなのに――――どうしてもすれ違っているようで、悲しかった。

 

「――――ねぇねぇ。ところでさ、シロちゃんは少年のどこが好きなの?」

 

 少しばかり重くなった空気を霧散させるように、二亜が明るく少女へ問う。……本当は士道と令音の動向を慎重に見守っていなければならないのだが、今二人はタクシー――万一のことを考え、運転手は令音に面の割れていない機関員――に乗って、少し長めのドライブ中だ。

 多少ならばいいだろう、と琴里は止めなかったが、少女としては止めてほしかったのか複雑そうな声色で返した。

 

「……シロちゃん?」

 

「うん。全身白いから、シロちゃん」

 

「……漫画家ですよね? あなた、人気漫画家なんですよね……?」

 

「いやいや、同じ〈囁告篇帙(ラジエル)〉使いのよしみってやつじゃない。親しくやろうぜシロちゃんや。んで、少年のことは実際どうなのさ」

 

 誤魔化そうとしたが、誤魔化せなかったらしい。二亜の追求と、絶妙な愛称になんとも言えなそうな空気を纏った少女が仕方なさげに口を開いた。いつもの如く、開いたところは見えなかったのだが。

 

「……あなた方のように劇的なものではありません、とだけ申し上げておきますよ」

 

「えー、何それもっと気になるじゃーん」

 

「むぅ……二亜、あまり通りすがりの人を困らせてはならぬぞ」

 

「うぐ。とーかちゃんに叱られると効くなぁ……」

 

 十香に苦言を呈され、割とあっさり反省した様子で引き下がる二亜――――恐らく、少女が馴染みやすいように率先して話題にしているのだろう。

 

「はーい。ごめんねシロちゃん」

 

「……いえ。私としては、シロちゃんという名称の方が気になるのですが」

 

「通りすがりの人はいいの……?」

 

「……そちらは、一応の自称ですので」

 

 問うた七罪が、線引きがよくわかんない、という顔をしていた。

 確かに、通りすがりは白い少女の自称なのだが……琴里としても、〈アンノウン〉は良くてシロちゃんは微妙な線引きがよくわかっていなかった。やはり、色合い判断は本人には不評となるのだろうか。

 うーん、と二亜が考えるように両手を組んだ。……で、カッと目を見開き指先を少女へ向けた。

 

「よしわかった!! あたしが君の名前を考えて――――――」

 

「……シロちゃんでいいです」

 

「拒否はやっ!?」

 

「二亜が考えると、ろくな名前にならなそうじゃん」

 

「二亜さんに任せるのなら、せめてわたくしが名付けますわ」

 

「あたし一応漫画家だよ!? その道のプロだよ!? 少しは信じてよ!!」

 

 耶倶矢と狂三の情け容赦のない言葉に、「結構ショックなんだけど!!」と二亜が喚き散らし、一同の笑いを誘う。

 と、高速道路を走って参道を超えたタクシーが、もうそろそろ目的地に辿り着きそうである。気を紛らわすのもいいが、と気を引き締めるように琴里は手を叩いて声を発する。

 

「はいはい。世間話はそれくらいにして、そろそろサポートに集中してちょうだい」

 

『はーい!!』

 

 なんというか、自分たちの命運を賭けた作戦にしては、軽い引率者になった気分だと琴里は苦笑する。

 まあ、緊張ばかりしていては、それが士道に伝わり余計な負担となる。自然体がちょうどいい、とも言えるが……。

 

「ふむ……」

 

 それはそうと、と琴里はあごに手を当て疑問符を浮かべた。

 少女が士道のことを好き。それは実のところ、琴里と狂三なら知っていることだった。以前行えた少女との対話にて、少女の口から語られた事実だからである。ただ、その時は『あなたと話すことは好き。ただし、狂三の次に』という遠回しなものだったが。

 ところで、それによってどうしても気になる疑問が浮かぶのだ。正直、人としてどうかと思うのだが、あの大々的な告白を見たあとだと聞かずにはいられなかった。

 

 

「ねぇ――――今のあなたなら、士道と折紙のどっちが狂三の次になるの?」

 

「…………」

 

「……それ、どう答えても地雷ですよね」

 

「……そうね。ごめんなさい、忘れてちょうだい」

 

 

 言われてみると、士道を他人がドン引きするレベルで愛している折紙からすれば、どちらを選んでも地雷選択肢だった。能面の沈黙というのは、傍から見ると恐ろしいものである。

 とても気になるというところが、琴里も二亜のことを言えないらしい。結局、取り下げたことで真相は闇の中のまま、議題は本筋に戻されるのであった。

 優先順位というのは、人によって価値観が異なるものではあるが、少女のそれは人から見てもかなり歪だった――――否。ある意味で、それが人として正しいことなのかもしれない。

 

 

 

「――――旅館、ですか」

 

 士道と令音がタクシーを降り、こちらでも複数のモニタから場所を把握した段階で、少女が問いかけるように呟いた。

 

「そ。これで決められるとは思ってないけど、舞台装置としては上々でしょ?」

 

 この旅館こそ、昨晩に少女の元を訪れるより前に、琴里たちが導き出したデート場所だった。

 令音に必要なもの。それは――――『癒やし』なのではないか、という結論。

 令音の親友であり上司である琴里は、彼女の仕事量が飛び抜けていることを知っている。琴里の裁量で抑えられてこそいるが、それがなければ無制限に働いてしまうのではないか、と思えるほどに。

 それほど、村雨令音は有能な人材だった。〈ラタトスク〉の職務。士道たちを補佐するために就いた高校の教師としての仕事。何より――――三十年もの間、一つの目的のために邁進してきた精神力。

 

 

『精霊であれ、精神的な構造は人と変わりありませんわ。どれだけ強靭な志があろうと、人の尊厳を踏み躙るだけの精神があろうと……それ(・・)は必要なことなのですわ――――わたくしが、そうであったように』

 

 

 それが『癒やし』。狂三が会議で語った言葉は、琴里の頭に焼き付いている。狂三もまた、長い年月を目的のために費やした精霊。

 何かのために、何かを犠牲にすることを厭わない。狂三と澪という被害者と加害者であれ、共に背負うものは同じだった。

 故に、理解が及ぶ。街の喧騒を離れ、温泉を始めとする様々なリラクゼーションを駆使した心と気持ちをほぐす――――無論、それを成す士道が要であり、そういう意味でこの場所は〝舞台装置〟の意味を持つ。

 と、何か言葉を返すこともなく、考えに耽る少女に琴里は首を傾げた。

 

「何? また、気になることでもあったのかしら」

 

「……ん。まあ、気になるというか――――」

 

『……そういえば、今日のことは精霊たちには内緒だったね?』

 

『はい。二人だけの秘密です』

 

 そうこうしている間にも、士道と令音の会話は続いている。あの正直者の兄が、令音を相手にサラリと嘘を返せる……ちょっとした成長なんじゃないか、と感慨に耽ける琴里の耳に、

 

 

『――――なんだか、不倫旅行のようだね』

「――――なんか、不倫旅行みたいですね」

 

『ぶ……ッ!?』

「ぶ……ッ!?」

 

 

 恐ろしい想定外のシンクロが襲いかかり、通信越しで兄妹揃って激しく咳き込んだ。

 

「おお、なんか姉妹と兄妹っぽいー」

 

「複雑な気持ちですわね……琴里さん、ご無事でいらっしゃいまして?」

 

 けほ、けほ、と激しく咳き込む琴里に他人事の二亜。そして、得難い気持ちを声音に乗せた狂三に背中をさすられ、琴里は軽く手を上げることで返事を返した。司令官として、凄い醜態を晒してしまった気がして、そういう意味でもちょっと涙目になった。

 

「……ごめんなさい。わざとじゃないんですが、つい」

 

「う、うん。わかってるわ、気にしないで」

 

 ちなみに、画面上の令音も似たような言葉で謝罪をしていた。……本当に、狙ってしているのではないかと琴里は頬を痙攣させるように苦笑した。

 狂三が公認する、令音と士道の不倫旅行。珍妙な状況が織り成す淫靡な響きに、兄の性癖が開花してしまわないか不安を覚える琴里だった。

 

 それから、士道と仲睦まじく手を繋ぎ、フロントで手続きを済ませ仲居の案内に従って部屋へと歩いていく。

 ここまでは、無事に想定通り。二十畳ほどの和室の中は、高校生が取るには少々と豪華すぎる内装と設備、飾りだった。なんと、部屋専用の小さな露天風呂まで付いている。

 

『……ん、いい部屋だね』

 

『はは……そうですね』

 

 これまでの経験があるとはいえ、これほどの部屋を見ることは初めてであろう士道も、自然と感嘆の声を上げている。演技ではない素の感情としては、及第点といったところか。

 さて、ここからどう出るか――――――

 

 

「――――士道。選択肢が出たわ」

 

 

 ようやく、琴里たちの出番が回ってきたということだ。

 状況と感情値を分析し、〈フラクシナス〉のメインモニタに三つの選択肢が表示された。

 

 ①大浴場でゆったりひろびろ。

 ②専用露天風呂でリラックス。

 ③マッサージでリフレッシュ。

 

「総員――――選択!!」

 

 言い慣れた掛け声と、それを聞き慣れたクルーたちは応えるようにコンソールを操作する。

 精霊たちはというと、選択肢の内容に一瞬戸惑うような素振りを見せたものの、すぐに持ち直して選択を完了した。

 選び出された選択肢は――――――

 

「ふむ……②ね」

 

 多少のリスクはあるが、一番距離が近づく選択肢。圧倒的多数なのも納得だった。

 

「……うむ。シドーが令音と二人で風呂に入るというのは……その、なんだ、もやもやしないでもないのだが、もしも私ならばそれが一番嬉しいと思うぞ」

 

「はい……いっぱいお話できた方がいいと思います……」

 

 どこか複雑そうながら、それでも断腸の思いを告げる十香と四糸乃。彼女たちも、自分たちの命運を士道だけに背負わせまいと協力を申し出た身だ。覚悟の大きさは痛いほど伝わってくる。たとえば……無表情ながら、拳を小刻みに震わせる折紙とか。

 

「邪魔が入らず、狭い浴槽で二人きり。理想的と言っていい条件。大丈夫。私は冷静。私は冷静。私は冷静。私は冷静。私は冷静」

 

「えっなんで五回も言ったの……」

 

 戦慄した様子で肩を震わせる七罪。というか、昨日より回数が増えていて琴里もちょっと怖かった。

 ちらりと、琴里は隣に座る狂三を見やる。さすがに、この選択肢は何かしらの反応があると思ったが、視線に気づいて優雅に微笑むのみだった。

 

「あら、あら。どうかなさいましたの?」

 

「何でもないわ。……冷静ね、って思っただけよ」

 

 何でもないと言いながら、気にかける自分が少し気恥しい。ささやかな矛盾行為に、狂三はくすりと微笑を浮かべて応える。

 

「それが必要なこととあらば、ですわ。琴里さんもそうでしょう?」

 

「まあ……そうね。その通りだわ」

 

 琴里も司令官として、精霊をデレさせるために必要な行為はかなり許容している方だ。余程、行き過ぎたものがなければ積極的に実行させるし、そこに琴里の私情は挟まない。

 しかし、狂三がここまで平穏なことに多少の違和感を覚えてしまう。ポーカーフェイスが得意な彼女といえど、である。頷きながらも訝しげな表情を崩さない琴里に、狂三がニッコリと邪悪な(・・・)微笑みを返した。

 

「それに、二人きりというのであれば最も回数が多いのは琴里さんで――――――」

 

「オーケイ。その銃口を下げてちょうだい」

 

 ただでさえ後方では風呂談義が活発なのに、琴里の過去を掘り返されて話が逸れては叶わない。ついでに「ですですぅ!! せっかく温泉宿に来たんですから裸のお付き合い!! そしてそれなら狭い方がいいですよー!! これっくらいの!! お風呂桶に!! だーりんと令音さんをちょっと詰めて!! 世界最高の幕の内弁当じゃないですかぁ!! 残さずいただきますぅぅぅ!!」などと極限まで荒ぶる精霊までいたりするのだ。収集をつけねば先へ進めないというもの。

 両手を上げて狂三の銃口を落ち着かせながら、精霊たちも宥める。司令役兼引率も楽ではないな、と琴里はマイクへ向かって声を発した。

 

「――――士道、②よ。その露天風呂を使いましょう」

 

『……了解』

 

 指示を聞き取り、通信機でなければ聞き取れない――狂三の例からかなり念を入れた――くらいの声で士道が返事をする。

 これでどうなるか。戸惑った反応はなく、恐らく士道も攻めなければならない意見は同じだったようだ。

 

「……ふむ」

 

「っ……」

 

 と、思わず琴里が息を呑むほど――そう思い込んでしまっているのかもしれないが――令音にそっくりな声音を少女が零す。

 以前までならば、こんなにも反応することはなかったのだが――――〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉。かの天使の力で、五感を用いた違和感を殺す(・・・・・・)ことによる影響は存外大きかったらしい。

 気を取り直し、琴里はまたもや思案を重ねる少女へ声をかける。

 

「今度は何? また気がついたことでもあった?」

 

「……ん。これ、彼女の水着とかは用意してますよね?」

 

「ええ。たった今、士道が説明し始めるでしょうけど……」

 

 混浴を想定、となれば令音といえど抵抗を覚える可能性はゼロではない。念の為、マリアに頼んで用意してもらった……という体になっている。

 

「それがどうかした?」

 

「……あー。あなたなら、わかると思いますけど……」

 

「……あぁ、そういうこと」

 

 言葉を濁す少女に、琴里は理由を察して苦笑した。周りは不思議そうに小首を傾げているが、琴里には少女の懸念と令音の取る行動がわかってしまう。

 現在、士道が気を使って障子を閉めて広縁で着替えているのだが、何とも甲斐甲斐しい努力だ。同時に、無駄なことをするわねぇとも思うが。

 水着を用意はした。が、使われるとは思っていない(・・・・・・・・・・・・)。令音を知る琴里と、事情が特殊な少女の予測が一致した以上――――もはや、確定事項である。

 

『……シン。開けてもいいかい?』

 

『あ、はい。どうぞ』

 

 備え付けの露天風呂に入るためには、士道のいる広縁を通らなければならない。士道の返事に応ずるように、障子戸が開いていき――――――

 

「な……」

 

「こ、これは!?」

 

 瞬間、艦橋が騒然となる。

 理由は至極明快。障子戸が開かれる直前、モニタがブラックアウトを起こしたのだ。

 ただ、琴里に動揺はないし、白い少女も心做しか安堵の息を漏らしていた。

 

『れ、令音サン……?』

 

『……なんだい、シン』

 

『あの……荷物に水着、入ってませんでした?』

 

『……ん? どうだったかな。なに、二人しかいないんだ。別に構わないだろう』

 

『っ……そう、ですね。二人ですしね』

 

「……!?」

 

 スピーカーから変わらず流れる二人の会話に、居並んだ男性クルーたちがざわ……っと色めきたった。

 正直、そんなどうでもいいことより、あの令音の裸体を前にして妙に士道の肝が座っていることの方が琴里には気がかりでならないのだが。

 

「し、司令!!」

 

「村雨解析官のはだ……いえ、重要な攻略画面が見えません!!」

 

「今すぐ復旧を!!」

 

「きゃー!? なんでですかぁ!? 何もしてないのに壊れましたぁ!!」

 

 川越、幹本、中津川が揃って声を上げ、巨乳に興味がなく平然としている神無月の代わりと言わんばかりに、美九が悲鳴じみた声を上げた。美九はパーソナルモニタの裏を覗き込もうとしているが、もちろん特に意味はない。

 

「……助かりました、マリアさん」

 

『〝さん〟は必要ありません。データが波立つようでソワソワとします』

 

 AI式『鳥肌が立つ』の意訳なのだろうか。少女の感謝にスピーカーから声を返したのは、〈フラクシナス〉に搭載されたAI、マリアだった。とどのつまり、このブラックアウトは彼女の仕業ということだ。

 

『我々の目的は精霊をデレさせることですので。霊力を封印したのち、令音が知って不快に思う可能性は潰しておいた方が賢明と判断しました』

 

「適切なご配慮痛み入るわ」

 

 さり気なく毒舌なところはあるが、相変わらず気の回るAIである。

 ちなみに、琴里のパーソナルモニタには変わらず画面が表示されている。タオル一枚のみを持ち、惜しげもなく外気に晒されたその肌は、視線を介してその感触さえも伝わってきそうな肌理の細やかさ。なだらかで、しかし減り張りのきいたあまりに美しいライン……同性である琴里をして、息を呑むほどに美しかった。

 

 ――――それはそれとして、裸体の令音を相手に動揺を抑えられる士道はどういうことなのか。やはり、超えたのか? 超えてしまったのか? 恋のABCのAを勢いよく飛び越えてCをヤってしまったのか?

 

 ……などと、指を組み合わせる司令官度が増すポーズで威厳を保ちながら、その実悶々と複雑な表情の琴里を他所に、男性クルーは未だに食い下がっていた。

 

「しかし!!」

 

「二人の状況が音声でしかわからないのでは!!」

 

「判断に狂いが生じる恐れが!!」

 

『ご安心ください』

 

 そんな暴動にも似た反応も織り込み済みというように、マリアがメインモニタ、そして琴里以外のパーソナルモニタに再び火を入れる。

 一瞬、男性クルーと美九の顔がパァッと明るくなるが、表示されたそれ(・・)に頬が引きつることとなった。

 何とも優秀なAIの力により表示されたのは、映し出されたのは士道と令音の動きをトレースした、人型のCG映像だったのだ。補足すると、当然のように服は着ている。

 

『これで二人の動きは把握できるはずです。引き続き攻略をお願いします』

 

『…………………………はい』

 

 祭りの中止を言い渡された子供のようなテンションの下がりように、やれやれと琴里は肩を竦めるのだった。……美九はそれ以上に、咽び泣いて顔を俯かせているが。令音と士道の世界最高の幕の内弁当(命名者より引用)を見逃したことが、相当に堪えているらしい。

 普段の彼女の行動を見ている精霊たちからは、特にフォローも同情もありはしない……。

 

「……無事にあの人を封印できたら、私が代わりにあなたと入ってあげましょうか?」

 

 はずだったのだが、なんと、誰もがギョッと目を剥いて白い少女のおかしな言動を耳にした。一番驚いたのは、設置椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がって少女へ詰め寄った美九であろうが。

 

「ほ、ほほほほほほほほ本当ですぁ!?」

 

「……近い近い。さすがに露天風呂とはいきませんけれど、そのくらいなら別に……なので、真面目に攻略を手伝ってくださいね」

 

「もちろんもちろんもちろん!! やった、やりましたよ七罪さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

「ちょ、私関係な――――ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 本当に関係のない七罪がハグの犠牲になり、尊い断末魔が響いた。まあ、真面目にやれと言われているので、少ししたら戻るだろうと琴里は疲れ気味な少女へ不安込みの声をかけた。

 

「そんな安請け合いしてよかったの……?」

 

「万一にも霊力を暴発させられても困ります。それに、無事に(・・・)と言いましたので」

 

「ああそう」

 

 無事に、の部分をわざわざ強調する辺り、まだこちら側というわけでもないようだ。

 まあ、そちらは行動で示していくとして……あごに手を当て思案していた狂三が、琴里以上に不安げな顔で声を発した。

 

「本当に無事に事が運んだ時は、どうするおつもりですの?」

 

「……約束は守りますよ。……反撃は、するかもしれませんけど」

 

『…………』

 

 やっぱりちょっと不安そうだった。何と言うか……実は、精霊になら大概は甘い対応をするのではないか? と思いながら、自己犠牲精神な少女を救うために、後手のプランを立てておく必要が出た琴里なのであった。

 

 

 







精霊視点だと少女が士道への好意を示す場面ほとんどなかったという。なお狂三と折紙へはかなりありました。まあ読者の皆様にはわかるように……なってないかもしれない(困惑)
一応、それっぽい好意とか信頼は描写してあるはずなんですよ。でも狂三への友愛が強すぎるのと士道とは狂三の好意を持つ同盟者みたいな感覚が強いかもしれません。
ちょっとしたお話になると、あくまで少女の立ち位置は裏ヒロイン。特異個体と共に原作にあった時崎狂三のトリックスター役を担う関係上、その分狂三と士道の恋物語の隔たりにはしたくなかったんですよね。その意図がなくとも、強い好意や原作のような熱いデートがあると、どうしても役割を喰ってしまいかねない。狂三と士道を強調するために、決着がつくまではメタ的な意味でも、もちろん物語として少女の秘密という意味でも、少女の恋心をそれまでは……という感じです。

え、この子は士道のどこに惚れたかって?答え合わせはありますけど、誰でも予想できるんじゃないかなぁと。とても、この子らしい理由だと思いますよ。

執筆が滞るとストックがあって良かったなぁとしみじみ思います。オラに元気(評価と感想)を分けてくれという心境です。こいついつも飢えてんな。

というわけで感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。俺、クライマックスを書き終えたらゆっくり休むんだ……そんなこんなで次回をお楽しみに!!


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第百八十七話『優しさと、修羅と』

 

 

 身を焦がす熱というものは、こういうことを示すのであろうか。

 露天風呂の湯船は、冷えた身体を温めてくれる素晴らしいものだ。だからその熱は、熱を持つ感情の正体は――――――

 

「……ふむ、いい湯だね。それに景色もいい」

 

「そうですね。雪も残ってて……ッ!?」

 

 咳き込んでしまったのは単純に、恐ろしく興奮を誘いながら目に毒なものを視界に入れてしまったからである。

 景色よりも先に目に飛び込んできた、たわわに実った桃源郷。なんと、湯船にぷかぷかと浮いていた。……実のところ、似たようなシチュエーションでこっそり見た記憶は残っているのだが、二度目だろうと驚かない人間はよほど女性をはべらせていることであろう。

 士道の視線と反応でこのことに気がついた令音が、視線と下へ、そしてまた上に戻した。

 

「……ああ。すまないね。どうも浮いてしまうんだ」

 

「いえ……結構なお点前で」

 

 自分でも何を言っているかわからなかったが、何故か言わなければならない気がした。ちなみに、手を合わせて拝むことは控えておいた。どこからか強烈な殺気が飛んできている気がしたからだ。愛しい女に殺されるのは結構だが、せめて理由は恥ずかしくないものでありたかった。

 ともあれ、露天風呂に二人きり。水着などの衣服もなく、浴槽に注がれる湯の音と木々の騒めきは距離を塞ぐものではなく、距離を縮めるものにすらなり得る。

 距離はなく。隔てられるは透明な湯のみ。距離を詰めるには、最高のロケーションというもの――――もっとも、普通であれば詰める距離とシチュエーションの順序がおかしくはあるのだが、その辺は狂三で慣れていた。

 

「――――そういえば令音さんって、いつ頃から〈ラタトスク〉にいるんですか?」

 

「……ああ、そうだね。今から五、六年ほど前になるかな。琴里が司令官に着任したのとだいたい同じくらいだよ」

 

「そっか。……なんか、ありがとうございます」

 

「……何がだい?」

 

 不思議そうに首を傾げた令音に、士道は偽りない本心を口にした。

 

 

「いや、ずっと琴里を支えてくれてたわけですし。あの頃――――琴里、大変だったと思うんで」

 

 

 琴里は精霊化の直後、〈ラタトスク〉に見出され、今の司令官という立場に着いた。創設者のウッドマンの尽力もあったのだろうが、やはり身近に頼れる人がいたというのは、何も知らなかった士道からしてもありがたいことだった。

 ……その〝結果〟を生んだ〝原因〟が他ならぬ澪であるのだから、美談というわけにはいかないのだが。

 

「……大したことはしていないさ。私などいなくても、きっと彼女はいい司令官になっただろう」

 

「まあ、琴里が優秀って点については否定しませんけど」

 

 兄というフィルターを通さずとも、琴里は世界に出しても恥ずかしくない自慢の妹だ。それは、迷いなく誇っていい。

 冗談めかして笑いながら言うと、通信機の向こうから小さく噎せるような音と特徴的な笑い声が聞こえてきた。なんか、妹が背中をさすられているような気もした。

 

「その前は一体何を?」

 

「……その前、かい。妙なことを聞きたがるんだね」

 

「――――はい。もっと知りたいんです。令音さんのこと。俺、よく考えたら令音さんのこと、全然知らないから」

 

 知らない。知ろうとしても、やんわりとはぐらかされていたであろう。

 ――――白い少女の過去を聞いて、感じた。いいや、他の精霊たちもそうだった。過去を知り、感じて、ようやく士道は彼女たちの心に触れられた。触れることを、僅かであっても許された。

 救いたいから、そう願うから。何より……知りたかったのだ。『村雨令音』という女性の、履歴(かこ)を。

 士道の言葉に数秒の無言を挟み、水滴の波紋を広げ令音は声を発した。

 

「……別に、面白いことは何もないよ?」

 

「いいんです。それでも」

 

「……その前は、普通に学生さ。別に特筆すべきこともないが――――ある日〈ラタトスク〉からスカウトを受けてね。どうも、私の書いた空間震に関する論文が、〈ラタトスク〉上層部の目に留まったらしい」

 

 あの少女もそういうきらいがあるのだが、物凄いことをなんてことないように語るよなぁ……と、士道はまた一つ共通点を浮かべながら会話を続ける。

 

「いや、その時点で普通じゃない気が……ていうか学生って、大学ですか? まさか高校の話じゃないですよね? そもそも令音さんって今……」

 

「……女性に歳を尋ねるのは野暮というものだよ」

 

 当人にそれを言われては、士道も追求を止める他ない。人差し指を口元に当てる令音に、苦笑しながら肩を竦めた。

 精霊という存在に、実年齢が意味を成さないことを知っている――――確か以前、狂三が提唱した〝精神が肉体の状態に引っ張られる〟という理論も関係しているのかもしれない。

 ただ、それを差し引いても、令音の過去は上っ面だけではなく実際に〝あったこと〟なのだろう。

 令音は狂三同様頭のキレる精霊だ。〈ラタトスク〉に入るため、偽の経歴を用意する程度は惜しまなかったはずだ。詳細な調査に耐えうる戸籍と実際の生活。長い時を、耐え忍んできた。

 全ては、無関係な人間として士道と再び会うために。

 その側で、真士の覚醒を待つために――――白い少女が狂三を生かすためだけに『女王の従者』を作り上げたように、『村雨令音』として、必要な人生を作り上げた。

 

「…………」

 

 悲痛すぎる覚悟が胸を痛めつける。狂三のことを想い、士道が涙するように。澪のことを想い、真士が涙する。

 自分が死んでしまったばかりに、澪に歩ませてしまった悲愴の道行き。零れそうになる涙を誤魔化すように、士道はぱしゃんと顔に湯をかけた。

 

「……シン?」

 

「……、もっと聞きたいです。令音さんの――――昔の話。教えてくれませんか?」

 

「……それは、構わないが」

 

 ――――滔々と語られる。白い少女と同じように、過去を。

 幼い頃両親と死別したこと。少ないながら仲のよい友だちと過ごしたこと。学生時代は科学部に所属していたこと。常に寝不足で青白い顔をしていたものだから、昔のあだ名が吸血鬼だったこと――――

 全てが本当、というわけではない。誇張や冗談も当然含まれてはいた。けれど、『崇宮澪』ではない人間の、紛れもない履歴だった。

 

「……と、まあ、そんなところさ。――――退屈な話だろう?」

 

「いえ……そんなことはないです。そんなこと……ありません」

 

 首を横に振り、退屈という言葉を否定する。

 退屈なものか。彼女の人生を、士道はもっと聞いていたかった。

 ――――令音の過去から抜け落ちた、最も重要な存在のことも。

 

「もう一つ……いいですか?」

 

「……ん、なんだい?」

 

「令音さんは――――好きな人とか、いたんですか?」

 

 それは、令音が口を噤むには十分な問いかけだったのだろう。しばしの間沈黙を挟み、だが数秒をして令音は普段の声音で返してくる。

 

「……あいにく色恋沙汰にはとんと縁がなくてね。ただ――――――」

 

 ただ。そう、令音は深い一泊を起き、ふっと顔を上げた。

 

 

「……そうだね。一人だけ、いたよ――――君が狂三を想う気持ちと同じくらい、大切な人が」

 

「――――っ」

 

 

 小さく、士道は息を詰まらせる。

 『一人だけ』。そして、士道にとっての狂三と、同じだけ。それは『令音』として愛した誰かではなく、真士を示しているのだと、士道には理解できてしまった。

 ああ、そうだろうとも。澪にとって真士がそうであったように、士道にとっては狂三がそうなのだ。

 もし、もしも、狂三が真士のように――――そうなった時、きっと士道は士道ではなくなる。『五河士道』ではない別の何か(・・・・)になってしまう。澪が覚えた絶望。それは、士道が味わえば彼女とはまた別の答えを導き出す。たとえ、どれだけ間違っている答えだとしても。誰に咎められようとも、必ずその道を選ぶ。

 同時に、士道は真士としての記憶がある。だから、感じる。自分の死後、澪を縛り続けてしまった悔恨。死してなお、自分を想い続けてくれた複雑な歓喜。

 士道と真士。複雑な記憶と感情――――抑え込むために、咄嗟のことであった。

 

「令音、さんは……」

 

「……うん?」

 

「――――狂三のこと、好きですか?」

 

 士道の問いは、令音の目を見開かせる。驚くに、決まっている。令音にとってそれは――――澪にとってそれは(・・・・・・・・)、特別なことだから。

 その問いに意味はあるのか。その問いは、ただ士道の自己満足なのだろう。二人きりで、他の女の名を出す。それだけで、決して良いことではない。それでも、誰より彼女から聞きたかった。

 士道の意図を……いいや、そのようなものは、わかりきっていると言わんばかりに微笑んで、令音は唇を震わせた。

 

 

「……好きだよ。とても、好ましく思う――――彼女には感謝している(・・・・・・)。もちろん、他の精霊たちのこともね」

 

「ああ――――良かった」

 

 

 不思議と、そんな言葉が零れ落ちていた。

 

 令音の感じる狂三への情は、単純なものではない。

 数々の激動から士道を守り、士道の生きる世界を繋ぎ止めた精霊。士道の生きる活力となり、ここまで道を切り開いた精霊、時崎狂三。

 精霊を産み落とすという罪過。その過程にて、恐らくは唯一、崇宮澪の友人(・・・・・・)として存在した精霊――――時崎狂三。

 言わば、誰より澪の道を繋ぎ、澪を真士へと導いた特別な精霊。それが、狂三という少女だったのだ。……まあ、もしこれが狂三に聞かれていたら〝反吐が出る〟やら〝クソ喰らえ〟などの普段は聞けない罵詈雑言の嵐なのだろうけれど、と想像に容易く士道は内心で苦笑を浮かべた。

 だから、〝良かった〟のだ。澪が誰かを想う気持ちは嘘なんかじゃない。誰かを想い、優しさと慈愛に満ちた精霊。澪がそれを捨ててしまっていたならば、士道と狂三もまた別の未来(・・・・)を選んでいたかもしれない――――それがないということは、澪の〝妹〟ともいえる少女が、何より証明している。

 そんな士道の心からの安堵を、どうやら別の理由(・・・・)として令音は受け取ったらしい。

 

「……安心したまえ。皆、同じ気持ちさ……君がどのような答えを出そうと、信じているよ(・・・・・・)

 

「っ……はい、ありがとうございます」

 

信じている(・・・・・)。澪として、令音として……士道ならば、と。だからこそ澪は、狂三を出し抜くことが出来た。だからこそ少女は、澪を出し抜くことが出来た。

 強い親愛の念。そこに、歪なものを感じざるを得ない理由。それは……。

 

「……ところで、先程から私ばかり話しているのは不公平ではないかな」

 

「へ……?」

 

「……少し、君の話を聞かせてくれないか?」

 

 言われてみれば、令音にばかり話をさせていたのはもっともなこと。だが、士道の話と言っても……そんな意味を込めて、士道は戸惑いの声を返す。

 

「って言っても……俺のことなんて、大体〈ラタトスク〉が調べているでしょう?」

 

 それこそ、黒歴史から士道の知らない士道のことまで、隅々と。〈ラタトスク〉の力を駆使すれば、士道一人のプライバシーをフリー素材に貶めるのに実力の二割と必要なかったであろう。

 しかし、令音は乾いた笑みを浮かべる士道へ首を振って否定した。

 

「……それはあくまで文字の羅列、外面的な事実のみさ」

 

 外面的な事実があるなら十分なのでは……と、以前までなら考えていたかもしれない。

 外面的な事実が、その人の全てではない――――少なくとも〝最悪の精霊〟と呼ばれた彼女に関しては、事実が真実ではなかった。

 

「……私も前から、君の昔の話を聞いてみたかったんだ」

 

「昔の話……ですか?」

 

「……ああ。君は――――五河家に引き取られる前のことを覚えているかい?」

 

「……!!」

 

 ――――興味と好奇心、そして不安感。

 令音の双眸から感じ取ったものから、士道はその問いかけが純粋に『士道』へ向けられているものだと悟る。

 真士ではなく、十七年……『五河士道』としての記憶を頼りに、答えた。

 

「……正直、あんまりはっきりとした記憶はないですね。覚えているのは、温かい手に抱かれる感覚と……その手が、どこかへ行ってしまうような喪失感……ですかね。きっとそれが……俺のは母親だったんだと思います」

 

「…………」

 

 その答えに数瞬の間を使い、令音は続けた。

 

「……君は、自分を捨てた母親を恨んでいるかい?」

 

「え……?」

 

 驚くべき問い――――否。令音にとっては、当然の問いかけなのかもしれない。

 『五河士道』は崇宮真士の器となるべく、精霊の力を付与され、産み直された存在である。そんな士道にとって令音は母親と言っても差し支えない対象であるし、令音にとっても士道は子供という側面を持つ。……その意図に、士道が気がついていると令音は知る由もないのだろうけれど。

 十七年に及ぶ己の生。士道は、記憶に従う本心だけを顕にした

 

「恨んでなんて……いませんよ」

 

「……ほう。そうなのかい?」

 

 興味深そうなその声音には、真実を知った今だからこそ感じられる、僅かな安堵が含まれている気がした。

 

「……はい。確かに今の家に引き取られたばかりのときは、泣いてばかりいた気がします。でもそれは、それだけ母親が好きだったから……なんじゃないかって思います。それに……覚えてるんです。俺を抱く手が、どんなに優しかったかを」

 

「…………」

 

「――――きっと、何か事情があったんだと思います。捨てたくて捨てたはず、ありません。そんな人を……恨んだりなんか、できませんよ」

 

「…………そうか」

 

 言霊を噛み締めるかのように、令音が深く目を伏せる。

 士道は、「それに……」と付け加えるように、もう一つの隠された感謝を彼女へ告げた。

 

 

「俺を産んで、狂三と出逢わせてくれた――――どんな事情があっても、そのことだけは絶対に変わらない。ありがとう……って、伝えたいです」

 

「――――――」

 

 

 その表情は、未来で見てきた中にあったもの。どんなことがあろうと、士道と狂三の気持ちは同じだった。たとえ間接的だとしても、士道は士道の言葉で改めて、その感謝を伝えておきたかった。

 ただ、目を丸くした令音に士道は苦笑しながら続けた。

 

「すみません。また狂三のことで……今日は令音さんとのデートなのに、不誠実だな」

 

「……いや、構わない。むしろ、君のそういったところを好ましく思うよ。……〈ラタトスク〉としても、好ましい選択かな?」

 

「あ、あはは……」

 

 これまた、笑いづらい冗句である。頬をかいて曖昧に笑いながら、士道はもう一つ付け加えるように言葉を発する。

 

「まあ……できることなら、もう一度抱いてくれたらと……思わなくはないですけどね。……こんな歳になっておかしな話かもしれませんけど」

 

「……ふむ」

 

 見慣れた思案顔であごに手を当てた令音が、しばしその仕草を継続したと思ったら、ちょいちょい、と士道を手招きし始めた。

 

「……おいで、シン」

 

「………………へ?」

 

 困惑する士道を他所に、令音は士道の手を引っ張り、引き寄せた背中へ覆い被さるように手を回し、ぎゅうと抱きしめた。

 

「……よし、よし」

 

 柔らかな感触が二つ――――あ、マジで狂三と渡り合えるくらいあるな、とか妹にぶん殴られそうなことを現実逃避として考えながら、士道は真っ赤にした顔のまま悲鳴の如く声を絞り出した。

 

「ちょ……令音さん!?」

 

「……何もおかしくはないさ。少しくらいいいじゃあないか。――――私では代わりにならないかもしれないけれどね」

 

「令音さん……」

 

 強ばっていた身体から、自然と力が抜けていく。

 その温もりは、士道の記憶の奥底にあるものと相違ない――――そう、思いたかった。

 

「…………」

 

 微睡みの中で、士道は小さく唇を噛んだ。

 

 崇宮澪は、無慈悲な虐殺者でも、狂った殺戮者でもない。

 未来の世界で聞いた澪の言葉。令音と過ごした十ヶ月の記憶。白い少女の存在(・・・・・・・)

 士道を思いやり、精霊たちを慈しみ、自らが犠牲にしてきた人々を悼む心を持つ。三十年前と変わらない。否、より一層強くなっている優しさと慈愛がそこにはあった。

 ただ――――真士と再び出会う(狂三を必ず生かす)。その目的を達するために、あらゆる犠牲を厭わないと決めてしまった。決めさせて、しまったのだ。

 悲愴なる覚悟と、修羅の道――――それを知っていた少女は、澪に対してどのような感情を抱いていたのであろうか。あの少女にとって、崇宮澪とは、何者なのか。

 

 

『私は――――崇宮澪から望まれなかった、崇宮澪の出来損ない(デッドコピー)

 

 

 あの時の表情は、感情は――――ただ記憶を受け継いだ存在(・・・・・・・・・・)というだけではないと、士道は思う。

 澪であって澪ではない。澪と同じ道を選びながら、交わらない道を歩んだ精霊。

 彼女たちの歩みを、心を思うと、士道は胸が張り裂けるような錯覚を覚えてしまう。

 

「――――――」

 

 だから、止める(・・・)。これまでの悲劇を、これから起こり得る悲劇を。

 どの選択が正しいのかはわからない。けれど、彼女を止められる可能性があるとすれば――――一つ、賭けるべきものがあった。

 

「――――令音さん」

 

「……ん、なんだい、シン」

 

 自分を抱きしめる令音の手を握り、囁くように問う彼女へ、意を決して士道は言葉を続けた。

 

 

「あとで……見せたいものがあるんです。付き合ってくれますか?」

 

 

 これは、命運を分かつ賭け。だが、士道はその賭けに勝算を見出した――――澪の記憶を知る白い少女がその光景(・・・・)を求めたことが、最後の決め手だったのかもしれない。

 令音は不思議そうな顔をしながらも、

 

 

「……ああ。もちろん」

 

 

 そう、頷いた。

 

 三十年、精霊を縛り付けた宿命――――ここに因果は、巡る。

 

 

 







令音としてならば琴里がいたのでしょうが、澪としては生きている親友は狂三しかいないんですよね。まあ、親友と呼ぶには些か歪なものなのでしょうけれど。
澪は狂三のことが好き。そこに偽りはない。ないからこそ、澪の覚悟が目に見えるというもの。狂三側は……めちゃくちゃ複雑、だとは。特にリビルド内では〈アンノウン〉の存在で拗れが加速してますし。

ところでこの士道、肝が据わっていらっしゃる。やっぱ大人の階段を登って強くなry

高評価ありがとうございます!!いや本当に!!活力になります!!これからもよろしくお願いします!!
自分でもどうかと思うくらい評価とか感想が好きなんですけど、俗物な分、私なりに物語で返していけたらなと。ここまで一度も失踪してないの我ながら褒めたいです。まさか本当にこのペースで最終章まで来れると思わなんだ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十八話『理解者たちの矛盾』

「やー……俺ああいう本格的なマッサージって初めてだったんですけど、気持ちいいもんですね」

 

「……ああ、そうだね。肩の凝りが軽くなった気がするよ。それに、宿の近くで売っていた酒まんじゅうも中々の味だった。蒸し立てというのはああも違うものなんだね」

 

「ですよね!! 十香たちに買っていってあげたら喜びそうです」

 

「……ふ、今日のことは精霊たちには秘密ではなかったのかな?」

 

「あ……そうでした」

 

 すっかり忘れてた、というように士道が苦笑して、何かに気がついたように「あ」と続けてきた。

 

「令音さん、そこ段差ありますんで気を付けてください」

 

「……ん、すまないね」

 

 慎重を期した足取り――――令音は今、目を瞑り、士道に手を引かれながら外の道を歩いていた。

 

「……にしても、見せたいものとは何だい? 随分宿から歩いたようだが」

 

「それは見てのお楽しみです。でも……きっと気に入ると思いますよ」

 

「……ふむ。ならば楽しみにしておこう」

 

 目を開けず、士道の手を頼りに歩き続ける。その行動に、令音が感慨を覚えないはずがない。

 なぜなら、その願いは、この行動は――――三十年前(・・・・)、初めてのデートの際に澪が真士にされたものと全く同じであるのだから。

 真士の記憶が士道の人格に影響を与えているのか。それとも、士道もまた真士である以上――あの子のように――似たような発想をするということなのか。どちらにしろ、令音はこのお願いをされた時、内心で大層驚いてしまった。

 ただ、今日の驚きがそれだけだったのか……そう問うたならば、否定を乗せて首を横に振る他ない。突然デートに誘われたことはもちろんだが、行き先が旅館だったこと、そして令音の過去を知りたがったことも驚きだったからだ。

 何か士道に心境の変化があったのか。それとも、狂三との決着を前に、常日頃から抱いていた欲求や疑問を解消したいと思い立ったのだろうか。

 前者であるならば、一つの推測を立てるのは簡単だ。士道の中にある真士の記憶が、段々と表面化し彼へ影響を及ぼしている可能性。

 必要な霊結晶(セフィラ)、その大半を手中に収めた彼ならば。残すはあの子が持つ二亜のものと、特殊な経路(パス)を持つ狂三のものだけだ。澪をもってして〝特殊〟と言わざるを得ない都合上、こちら側(・・・・)の調整は念入りに行った。そういう意味では、既に二亜と繋がりを持つ霊結晶(セフィラ)と狂三が最後になったことは、非常に理にかなっている。無論、狂三の未知数を度外視した場合で、だが。

 そうして士道が霊結晶(セフィラ)を集める段階で、一瞬とはいえ真士の人格を表面化させたことがあった。もし似た現象が起きているのなら、澪と真士が惹かれ合うことは必然。今日の出来事の全てに、必然性が生まれることになる。

 だが、もしそうでなかったとしたら。つまりは後者――――狂三との決着を前にして、士道が令音に何かしらの興味を抱き、それを表面化させていたのだとしたならば。

 そうであった場合、令音の感情は〝喜び〟から〝複雑〟という意向を示すことになる。

 五河士道は崇宮真士に至るための仮の人格であり、村雨令音は崇宮澪の仮の姿――――――ならば、あの子(・・・)はどうなるのだろう。

 

 澪から生まれ、けれど澪が認知しなかった存在。そんな『私』の知らない『私』を、令音は仮初の人格(・・・・・)と断ずることが、できるのであろうか。

 

「令音さん」

 

「――――っ」

 

 思考を巡らせていたの思考が、士道の声で現実へ帰る。一瞬、無言での思案が悟られたのかとも考えたが、士道はその考えを否定するように次いで言葉を使った。

 

「着きました。もう目を開けてもいいですよ」

 

「……ん――――」

 

 士道の言葉に従い、ゆっくりと目を開ける。

 

 そう、かつてと同じように(・・・・・・・・・)

 

 

「――――――」

 

 

 故に、言葉を失う。壮大な光景に、目を奪われる。

 視界の全てを呑み込む水平線。それは陽光を浴びて輝く、水面。

 砂浜に寄せては返す波。潮騒が音楽のように穏やかで。海猫の声、磯の香り。普段の令音ならば、手を引かれていた段階で気がついていたはずなのに。思考に気を取られ、気がつくことが出来なかった。

 だからか、その景色を構成するあらゆる情報が、かつてと同じように五感に叩きつけられる。

 

「……っ」

 

 それは――――海と呼ぶものだった。

 

 そして、何よりも、この場所は――――三十年前、真士が澪を連れてきた海岸(・・・・・・・・・・・・)だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……無茶、しますね」

 

 自然と零れ落ちた言葉は、自覚をするほどに震えていた。

 当たり前だ。モニタに映し出された光景は、それほど少女に衝撃を与えるものだった。

 少女にわからないはずがない。少女が知らないはずが、ない。少女は『崇宮澪』の記憶を所持している。主観ではないにしろ、強く、恐ろしく、そして少女へ影響を及ぼす記憶。

 その記憶の最たるもの。その記憶が決して忘れ得ぬもの。見紛うことなどありえず、否定することもまた、ありえない。

 ――――士道と令音が訪れた場所は、少女の記憶領域に収められた中で、時崎狂三を除き最も強烈な残滓の一つである、澪と真士の思い出の海そのものなのだから。

 この場所を使うということは、即ち真士を連想させるということ。士道と真士――――片時も忘れることのなかった澪にとっての愛しい人を、どこまでも意識させることに他ならない。

 

「ええ……これは、危険な賭けよ。石橋を叩いて渡るどころか、石橋を壊しかねないやり方」

 

 モニタに注視しながら、琴里は額に汗を滲ませ少女の呟きに答えた。他の精霊に関しても、皆一様に固唾を飲んで見守る、という表現が適切な顔をしている。

 無茶、無謀……恐らく、彼女たちは聞き飽きている(・・・・・・・)。少女は高鳴る鼓動を必死に落ち着かせ、琴里との会話を続ける。

 

「……リスクは承知の上、なのですね」

 

「この作戦で一番紛糾した場所だもの。でも、ここしかないのよ。令音に――――澪に、心を開いてもらうには」

 

 崇宮澪が、神と見紛う存在が永劫記憶に刻む地平。そこを敢えて選ぶという、多大なリスクを背負う選択。しかし、だとしても避けては通れない(・・・・・・・・)と琴里は続ける。

 

「あなたが海を見たい(・・・・・)と言った時から、士道は決めていたわ。澪であって澪ではないあなたでさえ、この記憶は強烈なイメージとして残っている……そうでしょ?」

 

「……ええ」

 

「だからこそ、よ。……それほどの場所があるなら、使わないわけにはいかないわ。いいえ、他の場所は役に立たない(・・・・・・・・・・・)。ここじゃなきゃ、駄目なのよ」

 

 唇を引きしめ、祈るように手を握る琴里を見て、少女は彼女たちの意図を……士道の意図を理解した。

 士道はこの場所で、真士の存在ごと(・・・・・・・)、士道という〝個〟を認識させようとしている。士道と真士。同じであって、違う存在を。

 崇宮澪が大切だと語る存在を。嘘偽りのなかった時間を。士道たちと令音の〝時間〟を――――今、ここで。

 士道と澪の動向を唾を飲んで見守る精霊たちから、懸念と不安の声は当然上がってくる。

 

「むん。とはいえ……主様の目的を悟られてしまえば、一巻の終わりじゃ」

 

「つっても……今のあたしらには、少年を信じて見守ることしか出来なそうだねぇ。割り込める雰囲気じゃないし」

 

「はい。……けど、令音さんは、とても楽しそう……です」

 

 四糸乃が告げた楽しそう(・・・・)という言葉。それに、少女は目を細める。

 そうだ。モニタ越しに見る彼女は――――他者にさえわかるほど、感情を表に見せていた。それを聞いた琴里が、観測機の波長に目を向けた。

 

「少なくない困惑……それを上回る強い喜び。凄いわね。今日一番、だけど……封印までは、まだ足りていないわ」

 

 あと一手先が届かない。切り札を使用してなお届かぬ状況に、渋面を作る琴里。

 だが、効いている。彼女の心に何かしらの影響を与えていることは、誰の目から見ても明らかだった。琴里たちの懸念は、令音に事を悟られてしまうかどうか――――少女には、その事象への否定を告げることが出来た。

 

「……あの人は気が付きませんよ。あの人だから(・・・・・・)、気が付けない」

 

「…………」

 

 この場において、正確に少女の意図を読み取れたのは、無言を貫く狂三だけだったのだろう。事実、二亜は首を捻って疑問を投げかけてきた。

 

「でも、れーにゃんは頭もいいし察しもいいんだぜ? くるみん絡みなら、何か閃いちゃう可能性だってあるんじゃない?」

 

「……そうですね。我が女王を警戒しているからこそ、もう一人の『私』も接近を避けている。あの人なら〈刻々帝(ザフキエル)〉の関与に気がついても、特別不思議じゃあない――――普通なら(・・・・)

 

 ――――普通でないから、少女は確信している。

 

「……これは、私だから(・・・・)ではありません。私であれば、あの人とは別の選択をしてしまうでしょう」

 

 少女なら、気がついてしまうかもしれない。少女は澪の記憶を持ち、澪に近い感性や性格を持つかもしれない。

 けれど、それ(・・)は少女にはない。少女は、それ(・・)を目的のために切り捨てられる。

 

 少女は、死ぬことができるから(・・・・・・・・・・)

 

 

「……あなたたちには、出来ますか? かけがえのない人と……大切な人と過ごす失われた時間を、たとえこの一瞬でも(・・・・・・・・・)――――自分の疑いだけで、終わらせることが」

 

 

 精霊たちを見渡して、少女はそう問うた。誰もが息を詰まらせ、そして一瞬の躊躇を見せる――――――

 

 

「――――不可能ですわ」

 

 

 ただ一人、時崎狂三の回答を除いては。

 ただ一人、彼女の気持ちに〝共感〟を行える時崎狂三だけは。

 

 

「出来ませんわ。終わらせませんわ。不合理だとしても、目的に反することだとしても……核心へ至る事象がないのなら、その事実を突きつけられるまでは――――決して、手放すことができませんの」

 

 

 狂三の表情が歪む。それは澪だけではない、過去の自分(・・・・・)への言葉。

 誰より、あのデートを終わらせることを拒んだ時崎狂三は、故に澪の心に触れることが叶う。

 

 

「澪さんは、とっくに気が付いていますわ。気が付かないふりをしているだけ――――合理的であれば、そのような結果には至らない。しかし、合理的でないからこそ(・・・・・・・・・・)、わたくしたちは一つの〝悲願〟を掲げ、他者を踏み躙ることを厭わない」

 

 

 独白のように零れ落ちる狂三の語らいは、自然と精霊たちから言葉を奪い去っていた。

 ああ、そうだとも。気が付くことが出来るのなら、終わらせることが出来るのなら――――彼女たちは、失われたものを取り戻そうなどと思わなかった。

 

 優しくなければ、狂気には至れない。他者を踏み躙ることを厭わない彼女たちは、悲しいほどに矛盾している。

 

 

「澪さんならば? いいえ――――澪さんだから、目を背ける。精霊とは得てして、そういう生き物なのかもしれませんわね」

 

 

崇宮澪(『時崎狂三』)は強い。人を超えている。

崇宮澪(『時崎狂三』)は弱い。人を超えられない。

 

 矛盾を孕んだ心は、乖離する。矛盾から目を逸らす心は――――なればこそ、矛盾を肯定する人間(・・・・・・・・・)が、眩しく映るのだろう。

 

 被害者と加害者でありながら、親友であり理解者である。大事なものを奪われた者でありながら、奪ってしまった者でもある。同じ人を見ているのに、違う人を見ている。

 酷く捻じ曲がった関係にこそ起こる矛盾。ならば、この二人は――――一人の少年に繋がれた狂三と澪の運命は、どこへ向かうのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん、本当に――――綺麗な場所だね。陳腐な表現だが、心が洗われるようだよ」

 

「あはは、大げさですって。でも、気に入ってくれたなら何よりです」

 

「……しかし、一体なぜここを?」

 

「令音さんはこういう場所、好きかなって。何となくなんですけど」

 

「……そうか。ならば君の勘は非常に冴えているよ」

 

 のんびりとした会話を交わしながら、ゆったりとした足取りで海岸を歩く。

 思案など、もう必要なかった。多くの語らうべき言葉は、日常、これから、目先のこと、誰かのこと――――そんな、他愛もない会話だ。

 ああ、ああ。それがいい。それで(・・・)、よかった。

 思い出の海を彼と二人で歩きながら、言葉を交わす。

 欲しかったものは――――たった、それだけだった。

 

 

 やがて、傾きかけた陽が赤く海を照らし始める。

 令音と士道は、堤防の上に並んで腰を掛けていた。漣の音だけが、緩やかな音色として耳を震わせる。

 

「……シン」

 

「はい」

 

「……ん、いや、何だっかな」

 

「はは……何ですかそれ」

 

 ああ――――心地がいい。

 

 何と表現すればよいのか。少なくとも、この三十年、感じたことのない感覚だった。もっと、正確に表現するのであれば、忘れ去った感覚(・・・・・・・)

 けれど、嫌なものではない。本当に、心地がいい。ゆっくり、ゆっくりと、意識が溶けていくような――――――

 

「……ん……」

 

 それが三十年ぶりの微睡みであることに気が付く前に、令音の意識は優しい闇に沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……令音さん?」

 

 士道が不思議そうな声を発したのは、無理もないことだった。令音が、不意に肩にもたれかかってきたのである。

 ――――眠っている。両の目を閉じ、穏やかな寝息を立てていた。まあ、それも無理はない。朝からの遠出に加え、色々と付き合わせてしまったのだ。このまま出来るだけ寝かせてあげよう……そう考えた士道の耳に、突如としてある人物の声が飛び込んできた。

 

『……眠って、る?』

 

「っ、〈アンノウン〉……?」

 

 僅かに言葉を詰まらせた理由は二つ。一つは、少女がこのデートで初めて、明確な意志でこちらに届く声を発したこと。もう一つは単純な理由――――少女が意図して変えていなければ、その声音が令音と瓜二つ(・・・・・・)であるから。

 つまり、今の少女はこちらの驚きを気にかける余裕がないほど、驚いている(・・・・・)

 

『……士道。本当に、あの人は……眠って、いるの?』

 

「え……あ、ああ。それが、どうかしたのか?」

 

 念の為、令音を気遣う小さな声でそう返した。よく聞くと、〈フラクシナス〉側でも少女に何があったのか問うような声が上がっているらしい。

 何があったのだろう。少女を動揺させるほどのもの……令音が眠ること(・・・・・・・)が、そうだとでもいうのか。

 思案を巡らせ、表情を硬くする士道。次に飛び込んできたのは。

 

 

『――――そっか。うん……そう、なんだね』

 

 

 微睡むような、全身から安堵したような……そんな、優しい声音だった。

 

「〈アンノウン〉?」

 

『……気を付けて。あの人が起きた時が、勝負(・・)だよ。――――たぶん、その先も』

 

「何……?」

 

 意味深な忠告に訝しむように返す――――と、士道の肩に微かな揺れが生じた。

 

「おはようございます、令音さん」

 

 思いの外、浅い眠りだったようだ。軽く顔を上げた令音に、士道は驚かさない程度の大きさで挨拶をする。

 

「…………、…………」

 

 その挨拶が届いているのかどうか。それさえも曖昧なほど、令音は不思議そうに目を数度瞬かせた。

 そうして数秒ののち、この状況を呑み込んだように小さく目を見開いた。

 

「……まさか、私は――――――」

 

「はい。眠ってました。……って言っても、少しだけですけどね。たぶん五分も経ってませんよ」

 

「…………」

 

 しばしの沈黙を返した令音だったが、おもむろに自分の額や頬に触れ始めた。その仕草はまるで、そこにあるべきものがない、というふうに士道の目には映った。

 

「令音さん……?」

 

「…………ふ」

 

 その行動を不思議に思い、首を捻った士道を迎えたのは、

 

 

「……ふふ、ふふ、あははははは……」

 

 

 ――――令音の、笑い声だった。

 笑う。人は誰しも、嬉しいことがあれば笑うものだ。それは当然の権利であり、別段珍しいものではない。

 だが、令音が……あの村雨令音がこんな風に笑うところを、士道は初めて見たのだ。士道だけでなく、琴里たちだってそうであろう。

 

「……そうか、私がね。はは……なるほど、これは参った」

 

 唖然とする士道の前で、ひとしきり笑い続ける令音。その声音には、いつになく穏やかな喜びがあった。

 

「……礼を言うよ。久しぶりに心地のよい眠りにつけた。よほど、君の肩の寝心地がよかったようだ」

 

 士道の肩に手を置き、表情もまた優しげな笑みを浮かべる令音。それは、士道の息が詰まるほどの美しさ――――魅力の変化。憂いを帯びた美しい貌が、柔らかな印象を持つ。多少のことでは揺るがない士道ですら、思わずどきりとしてしまう魅力を纏っていた。

 

 瞬間――――――

 

『……!! 士道!!』

 

 興奮と焦燥。二つを綯い交ぜにした琴里の声とブザーが、鼓膜を鋭く震わせた。

 

『令音の好感度及び精神状態に変化あり!! 今よ……!!』

 

「……!!」

 

そういうことか(・・・・・・・)。眉をぴくりと揺らし、士道は少女が告げた先の言葉、その意味を悟る。

 令音に、澪にとって、人に寝姿を晒すということはそれほどの意味を持っていたのだ。それこそ、こうして封印のチャンスが巡ってくるほど、士道たちの予想を大きく上回る重要な意味が。

 

「――――令音さん」

 

 士道の心に、迷いはない。故に静かに、落ち着きを払い令音の名を呼ぶ。

 封印可能領域に至った。ならば、士道は言葉を伝えるのみ。士道が自分自身の意志に基づく、自分だけの言の葉を。

 

「……ん。何だい、あらたまって」

 

「いえ……さっきの、露天風呂でのことなんですけど」

 

「……ああ、安心してくれ。皆には内緒にしておくよ」

 

「そうじゃなくて……いや、内緒にはしておいてほしいですけど」

 

 妙に締まらないなぁ、と頬をかいた士道は……それでも自分らしく真っ直ぐ、気を取り直すように続けた。

 

「令音さんの――――好きな人の話です」

 

「…………、それがどうかしたのかい?」

 

 躊躇いを含んだ数瞬の間。それを逃さない、逃してはならないと、士道は意を決して令音と瞳を合わせた。

 

「――――俺じゃあ、駄目なんですか?」

 

「…………」

 

 返される沈黙。しかし、今の士道にはわかる。令音の瞳にあるものが。拒絶や嫌悪ではない、逡巡と困惑――――罪悪感。

 それらを押し流し……いいや、士道という存在で呑み込むような勢いを以て、続けた。

 

 

「何も俺が、その人の代わりになれるとか、その人を忘れさせられるだなんて思ってません。でも……俺は俺として、その人とは違う形で、令音さんを想うのは……駄目ですか?」

 

「…………」

 

 

 否定と肯定の狭間で、揺れ動いている。ここに至って、躊躇いは必要ない。後の先すら呑み込む行動を取り、士道は令音の肩に手を置いた。

 

「俺、すごい我が儘です。でも、他のことを言い訳にして、諦めたくない。狂三のことも、令音さんのことも。だから――――――」

 

「……シン。私は――――――」

 

 これは、士道の狡さ(・・)だ。士道の気持ちを理解している令音に、狂三の名前を出し――――狂三と同じだけの熱がある(・・・・・・・・・・・・)。そう、告げているに等しい。

 

 拒絶は、なかった。瞼を閉じた二人の距離は、夕日に彩られた海色の中で――――やがて、零になった。

 士道と令音は、三十年前の再現ではなく――――三十年前に交わせなかったものを、交わしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ――――」

 

 伝わってくる。士道ではなく、令音を通して。その想い、その感情――――――それは、蓋をされているだけ。

 崇宮澪は、弱い。その心は、強くあれなかった。

 

 だから、だから――――だから。

 

 

「――――私が、言わなきゃだね」

 

 

 その役目を、誰かに押し付けてはいけない。

 

 少女は、『私』にはなれなかった。けれど、だからこそ――――――その破滅を、告げねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間が止まるかのような錯覚を覚えた回数は、士道の中で未だ数えられる範囲だ。それ故に、その衝撃は恐ろしいほど強く響く。

 士道の中の真士の記憶が、令音の肩を抱く腕に力を込めて止まらない。

 あまりにも長い、時の果て。澪を抱きしめるのに、これほどの時間を要してしまった。

 この情動は士道のものではない。けれど、士道の意識を塗り替えてしまうのではないかと思えるほどに、燃え盛る情動だった。

 真士の渇望を抑え込み、士道は令音と愛を語らう。そうして、士道の中に温かな光が流れて――――――

 

「――――――」

 

 ――――こない(・・・)

 

「……っ」

 

 あるのは燃え盛る情動と、激しい心臓の高鳴り。そこに、霊力の封印(・・・・・)という事象は含まれていない。

 息を詰まらせ、思考を早める。幾つもの可能性が浮かんでは消え、自問は数秒の時間を生み出す。

 

「…………」

 

 それは令音に、僅かな距離を開ける時間を与える。

 微かに濡れた唇を指でなぞり――――――

 

 

「……なるほど。君は――――未来を見てきたのか(・・・・・・・・・)

 

 

 衝撃で、士道たちを撃ち抜いた。

 

「――――ッ!?」

 

『な――――』

 

 肩を震わせた士道と、その士道の頭蓋に琴里の驚愕が響く。

 だが、それを成し遂げた令音は、至極落ち着いた様子を崩さず続けた。

 

「……何を驚いているんだい? 経路(パス)を通して記憶を共有する……君たち(・・・)は、既に何度も体験しているだろうに」

 

 そこに恨みはなく、そこに怒りはない。ただ、慈しむように令音は士道の頭を撫でた。

 

 

「……今日一日の不思議な出来事の謎が解けたよ。……ああ、いや、もしかしたら薄々勘付いていたのかもしれないな。けれど、きっと理解したくなかったんだ。君がデートに誘ってくれたことが、とても嬉しかったから――――私も、狂三のことを言えないね」

 

 

 そうして。

 

 

「……本当に楽しかったよ。ほんのひととき、辛い過去を忘れてしまえるほどに――――けれど、夢はいつか覚めるものだ」

 

 

 耳元で、優しく囁くように。

 

 

「そうだろう――――士道(・・)

 

 

 優しい夢の終わりを、告げた。

 

 

 





(あなた)なら気付いてもよかっただろう(でしょう)に。この子たち、特大ブーメランを投げ合ってる……。

できないんですよ。できるわけがない。その愛が深ければ深いほど、悲願を叶えるために邁進していた精霊は矛盾する。
愛の矛盾を、目を背ける真実を。その破滅(ツケ)は、必ず突きつけられる。それを行うのは、誰でもない……。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百八十九話『魔王へ囁くI love you』

 尽き果てぬ涙は、やがて執念へと変わる。

 彼の存在が全てだった。彼が生きているから、自分は生きていられた。自分は彼と会うために生まれてきたのだと、なんの冗談でもなく思っていた。

 故に、彼女は絶望した――――彼が死んでしまったのに、自分は生きていることに。

 その情動に耐えられるほど彼女は強くはなかった。彼女が人であるならば、そこで終わっていた。けれど精霊は、そんな小さな望みすら叶えてはくれなかった。

 願えば、叶う。神如き力を持った者が、ただ一つの小さな願いを、叶えることができない。否、強大であるからこそ、叶わない願いがそこにはあった。

 

 けれど――――――

 

「……もう、大丈夫。だって、君がいるから(・・・・・・)

 

 少女は、自らの腹部を優しく撫でた。

 

 それは希望。それは歪。それは、それは、それは――――希望と絶望は、表裏一体。

 長い時間がかかるだろう。構わなかった。彼女には無限の時間が備わっている。どれだけ時間がかかろうと、何を踏み躙ることになろうと、必ず。

 

「……ふふ」

 

 少女は微笑む。頬を伝う涙を、拭うこともなく。もう一度、生まれ変わる彼を撫でて――――――零れ落ちた涙に込められたものに、気が付くことすらなかった。

 

 彼女の涙は、希望と絶望を綯い交ぜにして。

 彼女の涙は、有り得ならざる結果を生み出して。

 

 

『――――――――――』

 

 

 流転する運命を、駆け巡る。意味を持たないのではない――――――意味を持っては、悲しすぎるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……っ!!」

 

 覚醒は唐突に、それでいて猶予など存在しない。状況を認識した瞬間、士道は勢いよくその場から飛び退いた。

 未来の世界で、澪と令音は同様の力を持っていた。あのまま接近していては、あの時行われた瞬間移動や記憶消去と同じ理屈で何かを仕掛けられる危険があった。

 

「…………」

 

 令音は、そんな士道を見て焦るでも迫るでもなく、ただ冷静に立ち上がるという選択肢を選んだ。ゆっくりと、至極落ち着いた様子で……未来の記憶(・・・・・)に、混乱するのでもなく唇を動かした。

 

「……ふむ、嫌われてしまったね。私の所行を思えば仕方のないことだが、君に拒絶されるのはなかなかにこたえるものだ」

 

 士道たちの危機であるというのに、その寂しげな声音は儚ささえ感じさせ、指一つで世界を滅ぼす精霊などではなく、恋人と喧嘩をしてしまった少女か何かを思わせ――――あの少女も、ローブの下ではこのような表情をしていたのかと、フッと頬笑みを浮かべ言葉を返した。

 

「……嫌ってなんかいませんよ。むしろ今すぐ抱きしめて、もう一度キスしたいくらいです」

 

 令音の一挙手一投足に気を払いながらも、士道は冗談めかして調子を崩さない――――言葉の裏には、偽りなざる本心があるのだが。

 真士の記憶は当然のものとして、士道自身、あのような仕打ちを受けてなお、令音を嫌うことができずにいた。

 

「……私だってそうさ。君が愛おしくてたまらない。君と再会したとき、衝動のままに君を抱きしめなかったのを褒めて欲しいくらいだ」

 

「なら、いい方法がありますよ。今ここで仲直りして、俺と、精霊たちと、みんなで一緒に暮らすんです。きっと毎日楽しいですよ」

 

「……ああ、それはとても魅力的だね。私がシンと出会っていなければ、きっと一も二もなく乗っただろう」

 

 迷いのない本心を、しかし令音はそれ以上の本心を以て切って捨てる。

 

 

「……だが駄目だ。私はシンと出会ってしまった。私は愛をしってしまった。シンのいない世界に意味などなく、シンのいない人生に価値などない――――精霊たちのことを好きというのも、偽らざる真実だ。けれど、再びシンと出会うためなら、私はその全てを捨てることができる」

 

「…………」

 

 

 幾度となくそれ(・・)を体験しているのに、その戦慄に肌が粟立つ。

 揺るぎのない覚悟。何を踏み躙ることになろうとも――――澪はそういう精霊だ。あの子と同じ(・・・・・・)、大切なものをわかっていながら、自らの望みのために他の全てを捨てることができる。

 令音を見つめながら、士道は思考を展開する。あくまで冷静に、的確に。物事を再度進める。

 もしも、上手くいかなかったその時は……しかし、士道の中にはまだ確証がない。さらには、――――の記憶を経路(パス)を伝って共有――てしまった。【六の弾(ヴァヴ)】――――遡行の使用すら――――見逃すとは――――

 

「……っ、う、く……?」

 

 断続的に思考を鈍らせる〝何か〟に士道は眉をひそめ、顔をしかめた。

 令音からの干渉――――否。彼女もまた、士道の急な変調を把握しきれていないようだった。

 この不可思議な現象と感覚。覚えがある(・・・・・)

 未来の世界で令音に呼び起こされた真士の記憶。自分のものではない自分の記憶を、主観として体感するような感覚。これは、その時のものと非常に類似している気がした。

 だが、真士の記憶は士道、そして狂三の中に既に呼び起こされている。ならばこれは一体……。

 

 ――――慟哭。絶望。悲しみ。希望。喜び――――?

 

 喜び。それは、零れ落ちる霊子と共に――――断片的な光景のピースの中にあった、それ(・・)は。

 

「……これ、は――――」

 

「……シン?」

 

 激しくなる頭痛に立っていられず、膝を突いた士道を令音が身を案ずる声音を零し、足を踏み込む――――――まさに、刹那。

 

「――――っ!!」

 

 明滅する視界に溢れる〝白〟。舞い散る白い羽。一瞬ののち、吹き荒れる風。

 痛む頭を支え、士道は顔を上げた。そこに飛び込んできたものは、絹糸のように艶やかな髪と、一対の翼。

 

 

「……君は――――」

 

「……さよならは、早すぎたみたいだね」

 

 

令音()少女()は、そうして鏡と向かい合うように相対した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 時間は、僅か数分遡る。空中艦〈フラクシナス〉の艦橋を支配しているのは、焦燥と狼狽、悲嘆と困惑。

 

「大丈夫か狂三!! しっかりするのだ!!」

 

「狂三さん……!!」

 

「……く、また……ですの……っ!!」

 

 そして、頭を抱えて蹲る狂三を案ずる声だった。

 狂三が突如として変調を見せ、驚いた精霊たちが駆け寄っていく。その変調に少女は眉をひそめた――――今まさに、モニタ内で士道が同じ反応を示していることも関係している。

また(・・)、と呟いた狂三。一息で少女は彼女の元へ馳せ、意識を朦朧とさせる彼女へはっきりと通る声で覚醒を促す。

 

「我が女王、その記憶は誰のものですか(・・・・・・・)?」

 

「っ……これ、は……澪、さんの、士道さんを――――?」

 

「っ……」

 

 少女の声に答えたのかすら定かではないが、零された断片的なワードからある程度の推察は可能だった。

経路(パス)による記憶の共有。今までにも見られた現象だが、士道と令音の間に繋がれた経路(パス)が狂三の特殊な繋がりとも通じてしまっている。

 あまり無理はさせたくはない。が、そうも言っていられないアラートが艦橋に鳴り響いた。

 

「司令!! 空間震警報が発令されました!!」

 

「なんですって……!? このタイミング、どうやってこっちの動きを……っ。とにかく、今すぐ士道の回収を――――――」

 

 忙しなく指示を出す琴里を見遣り、少女は今一度狂三へと視線を戻す。

 空間震警報。この状況下で、新たな精霊が現れるはずもない。恐らくは、あの男(・・・)が澪の動きに注視しているからこその……しかし、わざわざ人払いをするということは確証には至っていない。DEMはある程度、彼ら(・・)に任せていいだろう。

 問題は、やはり澪。決断が迫る中、少女は意を決して声を上げた。

 

「……待って、琴里。その前に、私を下ろして(・・・・・・)

 

「は? ちょっと、あなたまさか……!!」

 

 何かよからぬ方向に考えを至らせたのか、琴里は顔色を変え声を荒らげる。他の精霊たちも怒りの表情を見せ始めていたが、今回ばかりは濡れ衣だと少女は冷静に言葉を続ける。

 

「……違うよ。私が彼を迎えにいく。転送装置だと、あの人に妨害される危険もあるからね。それと、私なりに少しでも時間は稼いでみる。だから――――やれますよね、我が女王(・・・・)?」

 

 あくまでも、従者として。不意に放った言葉を、

 

 

「き、ひひひひ――――あなた、誰に物を言っていますの?」

 

 

 主として、狂三は睨むように瞳を動かし答えて見せた。

 額に脂汗を浮かび上がらせながら、恐るべき精神力で立ち上がった狂三に、精霊たちも半ば慄いたように声を発した。

 

「わーお、不死身かよくるみん……」

 

「ふむん、豪傑じゃの」

 

「殺しても死ななそうなのはわかるけど、それって褒めてる……?」

 

 些か乙女に向けるには不適合な羅列に、少女も苦笑を浮かべてしまう。そんな戯れも数秒、惜しむ時間を使い少女は未だ渋面を浮かべる琴里へ言葉を作る。

 

「……死ににいくつもりはないよ。私の霊結晶(セフィラ)、今はあの人に渡せない事情もあるし……こうなった以上、私も目的が増えたんだ」

 

「目的……? けど、作戦は――――」

 

 失敗した。琴里は、そう言いたいのだろう。いや、琴里だけではなく精霊たちも同じ意見だ。しかし少女は、首を横に振り否定の意を示した。

 

 

「……ううん。ここまできたなら、君たちはやり遂げなきゃいけない。それに足りなかったのは、ほんの一手――――いや、二手か」

 

 

 澪と、そして士道(・・)。どちらにも、あと一手ずつ足りないものがあった。それ故に、封印が不完全なもので止められてしまったのだ。

 ――――本当なら、即座に〝計画〟を戻すべきなのだろう。だが、あれ(・・)を見た少女は……今は、と頭を振って曖昧な考えを追い出す。

 

「……記憶の共有が行われたなら、我が女王を警戒していたあの人の半身もすぐに現れる。最悪の結果だけど、こうなった以上は――――マリア」

 

『はい』

 

 今度は正しく、彼女の望む呼び名で〈フラクシナス〉のAIに声を届ける。不機嫌もなく、この緊急時に落ち着いた声音で――AIの声に焦りが存在するのかは定かではないが――マリアが返してきてくれる。

 

「……〈黒の女王(クイーン)〉の他に、無理を承知で願い出があるんだけど――――頼まれてくれる?」

 

『その解答に、『YES』以外は存在していますか?』

 

「……ないかなぁ」

 

 自分のことながら、少々と困り顔でマリアの問いにそう愚痴を零した。ここで『NO』を突きつけられてしまうと、〝詰み〟の状況が発生してしまう。我ながら無茶な注文だと思いはしたが――――くすり、とAIとは思えない感情豊かな声が少女の鼓膜を震わせた。

 

『なら――――答えは『YES』です。心配の必要はありません。なぜなら、私は優秀ですので』

 

「うわぁ。誰よ、ロボ子をこんな自信過剰に育てた人。親の顔が見てみたいわー」

 

『漫画家にしてはあだ名のセンスがありませんね、二亜。少なくとも、あなたではありません――――と、常時泥酔者(フルタイムドランカー)に構っている場合ではありませんでした。琴里、決断を』

 

 軽い皮肉りあいの口喧嘩を挟み、マリアが琴里へ決定権を委ねる。そう、少女がどう願い出ようとこの艦の最終決定権は司令官である彼女、五河琴里にある。

 

「…………」

 

 空白。逡巡の色が浮かぶその瞳は――――しかし、一時を以て移り変わる。一度の瞬きを見せて、琴里は瞬時に決断を下した。

 

 

「いいわ……あなたは士道をお願い。私たちに出来ることがまだあるなら、戦いましょう。――――未来の私たちが託してくれた希望を、『なかったこと』にしないためにも」

 

『――――おおっ!!』

 

 

 一度潰えた未来を、まだ潰えていないこの過去(いま)で。

 再び、運命られた絶望と対峙する――――希望はまだ、潰えてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……少し、騒がしいね」

 

「……まあ、いいんじゃあないかな。最後くらい、観客は必要だもの」

 

「……招かれざる客、という言葉を知っているかい?」

 

「……知ってるよ。全部、『私』が知っていた言葉なんだから」

 

 まるで、歩くようなテンポを奏でて、令音と少女は言葉を交わす。

 士道の眼前で、令音と少女は相対していた。瓜二つで、だけど明確に違いがある。同じように見えて、違う。

 騒がしい――――空間震警報が発令されていると、士道はそこでようやく気が付いた。これほどの騒音に気が付けなかったのは、士道の意識がある記憶(・・・・)に持っていかれていたからだ。

 

「っ……」

 

 どうする。このままでは、士道どころか少女が――――痛みの引かない頭に意識を取られながら、それでも打開の策を探し続ける士道を、少女が僅かに視線を向けて微笑んだ――――気がした。

 

「……彼との逢瀬は楽しかった?」

 

「……ああ、とても。是非、君にも……そう思えてしまうほど、本当に」

 

「……そう。でも――――」

 

 一度言葉を切り、少女は……否。

 

 

『――――夢は、終わらせないといけない』

 

 

少女と令音は(・・・・・・)、全く同じだけ、同じ吐息、同じ時間、声を紡いだ。

 でも、同じであるのに。同じ声で、同じ人が演じた言葉であるのに――――同じ意味では、なかった気がした。

 

「……未来では、随分と〝おいた〟をしたようだね」

 

「……ん、こういう時だけお姉さんぶるのは、どうかと思うけれど。それは、お互い様じゃあないかな」

 

「……ふむ。返す言葉もないな」

 

 表情にほんの僅かな苦味を乗せ、冗談めかして調子を見せ――――ふと、その身を輝きに委ねた。

 

「あ――――」

 

「……士道、こっちへ」

 

 それを見て思わず士道は声を漏らす。トン、と軽く跳躍し宙へ浮遊した少女に抱えられながら、令音の纏う光の先を見つめる。

 光は、その一瞬のみ存在した。いや、令音の纏う衣そのものが光として存在している、と言うべきか。

 たおやかにして優美な、女神の如き霊装。少女とは様相の異なる背に負った翼と、色を失った十の星。分け身の影響か、少々形こそ異なるものの、それは紛れもなく始源の精霊の霊装。

 神なる者――――〈デウス〉。この時間軸で、遂にその姿を現した。

 

「……さて、どうしたものかな。これは私の〝計画〟。……そして、君の〝計画〟にも存在していない」

 

「……そうだね。彼と女王様の導き、なのかな?」

 

「……だとすると、君はそちらを選んだ、か」

 

 令音の呟きに士道は眉根をひそめる――――それは、彼女らしからぬ感情の起伏があったから。寂しさ、とでもいうのだろうか、とにかく複雑な感情を乗せているように感じられた。

 

「……私は、私の願いのために動く。あなた(・・・)を選んだら、それは叶わない。わかるよね?」

 

「……いいや。君が望むなら、私が狂三を生かす道を取ることも叶う。それなら――――――」

 

 なら、少女が令音に……澪と共に歩む道もあるはずだと。

 でもそれは、少女(わたし)ではない。そう告げるかのように少女は悲しげに首を振り、そして――――――

 

 

「駄目だよ。それは誰も幸せになれない。あの子は幸せになれない――――あなたは(・・・・)、幸せにならない」

 

「――――――」

 

 

 令音が息を詰まらせた――――刹那、少女は翼を羽ばたかせ、彼女の前から飛び去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 舞い落ちる白い羽根を見上げ、令音は目を細める。少女の行き先は、わかっていた。どの道、令音が未来を知った時点で逃れられる場所など限られている。

 

「……何を」

 

 何を、少女は言いたかったのだろう。無意識に、その疑問が零れ落ちた。少女は『私』であるはずなのに、どうして食い違ったのか(・・・・・・・・・・・)

 令音は真士に会う。そのために、この三十年の全てを費やした。幸せは、もう目の前にある。なのに、なぜ――――――

 

 

『――――未来のあなたは、ちゃんと笑えてる?』

 

「……おいで、『私』」

 

 

 未来において、狂三が既に観測を終えているのであれば、もはや自分自身を遠ざける必要はない。一度、狂三の観測領域に入れてしまったことへの警戒からだったが、こうなったのならもはや不要。

 

 未来と同じ行動を取り――――目を背けたまま、彼女は一つになって、空へと舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐ……!!」

 

 急激な気圧の変化と、人知を超えた速度。少女の腕に守られているとはいえ、人の身の士道は呻きを抑えることができなかった。

 

「な……」

 

 だが、その現象はすぐに収まった。少女が止まったわけではなく、とある距離に踏み込んだ瞬間、突如として士道の身体にかかる重圧が薄くなったのだ。

 この包み込むような感覚は身に覚えがある。以前、宇宙空間で活動できていた時と同じもの。即ち、たった今視界の大半を染める空の大海原を飛翔する影――――

 

「〈フラクシナス〉……!!」

 

 空中艦、〈フラクシナス〉の随意領域(テリトリー)の影響に他ならない。士道がその巨体の下方を認識した次の瞬間には、少女が艦体の上段、つまりは艦の外装に着地し足を落ち着けた。

 

「ありがとう、〈アンノウン〉。お前が来てくれて助かった」

 

 少女の手から自分の意志で外装に足をつき、助けてくれた少女への礼を述べる。一万五千メートルという目も眩むような高度で些か場違いではあったが、幸いにも随意領域(テリトリー)のお陰が、地上と変わらない環境で言葉を交わすことが出来ている。

 士道の礼を受け取った少女は、気にするなと言うように首を横に振りながら声を発した。

 

「……振り切ったわけじゃないから、あの人はすぐにくるよ。たぶん……こっちの準備と、ほぼ同時かな」

 

「っ、そうだな――――澪が、くる」

 

 士道の記憶を消して、真士と再会するために(・・・・・・・・・・)

 こうなって、しまった。士道の力が足りなかったばかりに。後悔に拳を握り、決意を新たに顔を上げる。

 澪は、必ずくる。未来の記憶を共有し、その目的を果たすために。もはや、伏せた説得は不可能。しかし、手にしたもう一つの記憶(・・・・・・・)により士道は確証を得た――――それを突きつけるために、士道が……。

 

 

「――――ごめんね」

 

 

 突然の謝罪が、そんな士道の思考を遮った。その主は、少女。精霊たちはまだ転移してきていないのだから、少女しかいない。

 

「〈アンノウン〉……?」

 

「……本当は、もっと早く言わなきゃいけなかった。私が、あの人に言わなきゃいけなかった。私はきっと、そのために……」

 

「っ……違う!! そうじゃない……そうじゃ、ないんだ……っ!!」

 

それ(・・)を思うと、目の奥に揺らぎが生まれる。少女の悲しき決意に、士道は首を振ってその肩を掴む。

 

「お前は、それを拒絶したからここにいる!! だったら、俺が……っ!!」

 

「……ううん。でも、それは『私』に夢を見続けさせていい理由にはならない――――君に言わせるのは、卑怯だよ」

 

 私だから、言わなきゃいけない。澪と少女。澪の本当の願い――――記憶が指し示す真実を。

 悲しい覚悟がそこにはあった。澪と同じ貌で、士道も真士も、そんな澪を見たくはなかった。

それ(・・)を少女に告げさせることは、恐ろしく残酷だ。澪に近しい存在である少女に、それ(・・)を告げさせるなど。けれど、澪に届けることができるのはこの世で士道と少女しかいない――――それを少女は、士道に言わせたくないと言う。

 

「……あの人は許されないことをした。悲劇があったとして、別の悲劇を人に押し付けていい理由にはならない。あの人だって、そんなことはわかってる。……私たちは受け入れなきゃいけないんだ――――それが、私とあの人の罪だから」

 

「っ……」

 

 三十年もの間、一途に真士を想い続けた澪へ、彼女の心を壊しかねない一撃をもたらす役割……士道にだって、その覚悟はある。けれど、士道も真士も澪と令音を慮る心でそれを拒んでもいる――――少女にそれを言わせることだって、嫌だ。

 二重螺旋は矛盾を描いている。士道は選ばなければならない。何かを、少女を止める何かを――――刹那の思考は、そこで終わりを告げた。

 

「――――!!」

 

 瞬きの間に、世界が移り変わる。夕陽に染まる雲海が、色を失ったモノクロの空間へ。

 それと同時、幾つもの淡い光が外装を照らす。それらが転送装置の光であることは、容易に窺い知れた。

 

「士道さん!!」

 

「狂三!! みんなも!!」

 

 霊装を纏った狂三と、限定霊装を展開した幾人もの精霊たちが姿を現した。〈囁告篇帙(ラジエル)〉を失った二亜以外の全員……そこには、戦斧を持つ琴里まで含まれていて、士道は目を見開いた。

 

「琴里、お前は……!!」

 

「大丈夫。少しの間なら平気よ……それに、この子の力で破壊衝動も抑えられるわ」

 

 琴里はそう言って、胸元に輝く白い光に手を当てる。その意味はわかる……少女の力を宿した〝お守り〟であれば、破壊衝動が抑えられる可能性がある。しかし、それでも――――続けようとして、士道は言葉を呑み込んだ。

 

「……わかった。無理はするなよ」

 

 出し惜しんでいられる時ではない。言ったところで聞きはしないのはお互い様、似た者兄妹(・・・・・)というのはこの過去と未来を繋ぎ合わせた連日、常に自覚させられていることだ。

 ニヤッと勝気な笑みを浮かべながらうなずいた琴里。精霊たちも覚悟を決めた顔で、それぞれの天使を展開した。

 士道は振り返る――――先に、彼女がいると確信をしながら。

 

 

「……澪」

 

「――――シン」

 

 

 彼女は、澪は、名前を呼んだ士道へどこか嬉しそうにそう返してきた。

 その所作、表情……一つ一つに心臓が締め付けられるような感覚を覚える。

 

「…………」

 

 虚空に漂う澪の頭上には、中心に少女を包んだ花が、背後には幹に少女を抱いた大樹が。

 〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉。死と法の天使。現実という常識を犯す両翼がその姿を見せている。澪もまた、この時を以て全てを決するつもりなのだ。

 

「……ねぇ、『私』」

 

「〈アンノウン〉!!」

 

 だから、前へ進み出ていった少女を見て、士道は手を伸ばした――――その手が、愛おしい手に止められる。

 

「っ!!」

 

「……」

 

 無言で首を振る狂三を見て、士道は僅かに躊躇った。それでも、少女に言わせたくないという気持ちと、少女の覚悟を尊重する狂三の気持ち。板挟みになり、身動きが取れなくなる。

 

「……『私』は、『私』だよ」

 

「……?」

 

 握りしめた手を胸に押し当て、少女は震えていた(・・・・・・・・)。そのことに、はたまた意図を読みかねてか、澪が訝しげな顔を作る。

 

「……『私』は、『私』の気持ちがわかる。でも、〝私〟は違った。『私』はシンを見ていて、〝私〟は士道を見ていた。……どうしてだろうね。〝私〟は、『私』として生まれたはずなのに」

 

「何、を……」

 

「……『私』はあなた。あなたは『私』。……ごめんね。〝私〟が言わなきゃいけなかった。ずっと、あなたと向き合うことから逃げていた。価値のない〝私〟に、目を向けてくれたのは『私』だったのに……そんな『私』を悲しませるのが、怖かった(・・・・)

 

 理解が及ばない――――理解を拒む(・・・・・)。澪の心に、少女()の言葉が突き刺さる。

 目を背けることはできない。粛々と、残酷な真実へと言霊は進み続ける。

 

「……彼との時間は、幸せだったんだよね。終わらない悪夢を、忘れられるくらいに」

 

「……!!」

 

「……わかるよ。『私』のことだもの――――わかるから、違う(・・)

 

 同じであるのに、違う者を見ている。同じ存在であるはずなのに、違う視点を持ってしまった。

 それは――――澪の目的を否定する、澪自身の矛盾。

 

「……精霊の霊力を封印するためには、精霊に心を開いてもらう必要がある。そう決めたのは『私』。……だけど、心を開いていたはずの『私』の霊力を、士道は封印できなかった――――――」

 

 言葉が、一度途切れた。ああ、止めたい。滲みそうになる涙を必死に抑える。本当に泣きたいのは、きっと士道じゃない。

それ(・・)は、残酷に、冷酷に――――けれど、穏やかに告げられた。

 

 

「『私』はいつまで、いない人(・・・・)の夢を見ているの?」

 

「――――――――」

 

 

 言葉を失った澪が、目を見開く。

 悪寒か背筋を通り抜ける。それは、決して士道だけが感じたものではないだろう。〈輪廻楽園(アインソフ)〉との共鳴なのか、どちらにしろ少女の言葉は澪に届く――――少女()だから、届いてしまった。

 

「何を――――言ってるの。シンは、いるよ? だから私はシンを作り直した。精霊の力を与えて、今度は絶対死なないように――――――」

 

「……『私』が〝私〟を見た。『私』であるはずの〝私〟を見た」

 

 澪の同一体であるはずの少女は自我を確立し、令音はそれを観測していた――――ああ、ああ。それは、自分自身が生み出す究極的な反論。

 少女が『私』というのなら、『私』が少女だというのなら。

 

 

「……だから、問うよ。私の神様――――――」

 

 

 己を産み落とした己自身へ――――そう、思い込んでいた自分たちへ、破滅の一言を放った。

 

 

 

「記憶を消し去った〈アンノウン(五河士道)〉は――――本当に崇宮澪(崇宮真士)だったの?」

 

「――――――――」

 

 

 

 それは。

 破滅的な一言であるとともに、誰かが言わねばならないこと(・・・・・・・・・・・・・)だった。

 誰かがそれを、突きつけなければいけなかった。澪自身が心のどこかで思いながらも、蓋をしていた事実。もしかしたら……そう感じながら、自らが信じた希望のために目を背けた可能性。

 少女は、澪を傷つけることになるとわかっていて、その心を砕くとわかっていて、あえて掘り起こした――――自分自身の罪を、人に押し付けてはならないと。

 

「……初めから、気が付いてた」

 

「……やめて」

 

「……だから私は、あなたの記憶を正しく受け入れられなかったのかもしれない。同じ記憶を持った、同じ存在。……それを、証明したくなかったんだよね?」

 

「……やめ、て」

 

 震え、掠れた声で。士道が、真士の記憶が彼女に手を差し伸べたいと叫んでいる。けれど、そうではない。それでは、駄目だ。澪の心は、三十年前から止まっている――――真実というネジを巻き、時は再び奏を。

 

「……シンを自分の中に取り込んで、知ったはずだよ。死んだ人は、覚えている人の心にしか留まらない。シン()と同じ姿と記憶を持った人。でも――――――」

 

 そう。それは決して――――――

 

 

「――――シン()の魂は、あなたの中にしかないんだ」

 

 

 澪の心を満たしはしない。

 

 ――――瞬間。

 

 

「っ――――やめてッ!!」

 

 

 世界が、震える。怒りと悲しみを混ぜ合わせ、感情の発露を。未来の世界を見てきた士道ですら見たことがない澪の叫びは、法の世界〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を呼応させる。

 

「澪――――!!」

 

「令音!!」

 

 その悲しみと怒りが、士道にも強く伝わってくる。士道だけではない。霊結晶(セフィラ)を通して、精霊たちにも伝わっていく。

 わかっていたこと……それでも、縋らざるを得なかったのだ。澪にはそれしかなかった。真士しかいなかった。気付かないふりをしていたのは、澪自身だった。

 士道であっても、澪に事実を告げることはできた。でも、少女であれば――――澪が自分だと思っていた少女に告げられたのなら、澪はその真実を受け入れざるを得ない。

 

 真士は、もうどこにもいない。

 

「士道さん。すべきことは、理解していますわね?」

 

「もう一度――――澪にキスをする」

 

 故に、士道を士道として認識する(・・・・・・・・・・・・)

 士道と狂三の会話に、琴里たちが辺りを警戒しながら目を見開いて声を発した。

 

「な……今の澪の精神状態で、封印ができるっていうの!?」

 

「ああ、今だからできる。今しかない(・・・・・)!! 今度は真士としてじゃない。俺を、五河士道を澪に見てもらう!!」

 

「だが、どうするのだ!! このままでは澪の天使が来るぞ!!」

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構えた十香が叫ぶように問うてくる。澪にキスをする――――言うは易し。士道は眉をひそめ、激情を込め手を翳す澪を見やる。冷静さを失った澪は、既に二つの天使に力を込めていた。十香の言う通り、澪の天使に阻まれてしまえば士道が接近するどころか、精霊たちの身の危険が生じる。

 澪の札を観測した狂三。精霊たちの力。そこから、あと一手――――ある。

 

 白の少女が、手を掲げた

 

 

「――――〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉ッ!!」

 

 

 絶唱とともに少女の手が外装へ叩きつけられる。次の瞬間、少女の翼から幾つもの白い羽根が舞い上がった。

 

「これは……!!」

 

 幻想、あるいは芸術か。一瞬目を奪われそうになるほど、それは美しさを描く。だが、変化はそれだけではなかった。士道にすらわかるほど、目に見えた異常現象が〈フラクシナス〉の随意領域(テリトリー)に生じる。

 艦の装甲を純白の輝きが包み込み、偉大な空の翼がより一層の神々しさを見せつける。それはまるで、少女の天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉が〈フラクシナス〉そのものと一体化しているかのようだった。

 その大きな変化は、激情に駆られる澪でさえ目を見張るもので、困惑を含んだ声音を聞かせた。

 

「〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉を随意領域(テリトリー)と融合させたの? でも、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の効果範囲は、君自身(・・・)にしか――――――」

 

 そこで言葉を切った澪が、何かに気付いたように少女を――――否。少女が手を突く外装部分に目を向けた。釣られるように目を向けた士道も、その色のない輝き(・・・・・・)に息を呑んだ。

 澪と同じ貌で、けれど澪と違う不敵な微笑みを少女は大胆に返す。

 

「……そう、逆転の発想だよ。私の天使が私にしか意味のないものなら、相手を私に変えてしまえばいい(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 狂三がマリアと意識を一つにするように、少女は今〈フラクシナス〉と一つに、いいや、〈フラクシナス〉を少女として扱っている。

 精霊と空中艦。琴里のように一時的に力を借りることはできるが、艦そのものを精霊として認識させるなど本来ならば不可能。ありえない法則――――それを可能にする『法』が、ある。

 

 

「……私の『法』はあなたの『法』を止められない。でも、私の『死』は、あなたの『法』を止められる――――形が存在しないなら、私の〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉に殺せないものはない!!」

 

「く……」

 

 

 少女から発せられる白の光が羽根を伝い、陽光のような温かさで士道たちを包み込んでいく。

 同じ〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉では、少女に勝ち目はない。しかし、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の『死』の概念ならば、どれだけ強大であろうと、それが空間的な侵食であるならば……!!

 微かに見え始めた勝機の光。精霊たちも少女に続いて構えた武器を振るう。

 

「たくっ、人の艦の上で好き勝手な法則をぶつけ合わないでちょう――――だいっ!!」

 

「ふはは!! 不可能な奇跡を起こすのが精霊――――しからば、我らが続かぬわけにはいくまい!!」

 

 琴里が〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を、耶倶矢が〈颶風騎士(ラファエル)〉を振るい、炎を巻き込みながら広がる暴風が天地に広がり始めた『枝』と『根』を打ち払う。それも、澪が士道たちへ攻撃を始めるより先に(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 振るわれたのなら、目にも止まらぬ早さで士道たちへ迫っていたであろう〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の物理攻撃。しかし、それは――――――

 

 

「もう視えていますことよ(・・・・・・・・・)、澪さん」

 

 

 既に、時崎狂三が観測している。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉を背に、銃を顔の横に構え澪を挑発するように狂三が笑う。金時計の針が幾つもの未来を演算し、正しい時を刻んでいく。

 狂三を見やる澪は、彼女の中に燻る感情を抑えつけるように目を細めた。

 

「やはり、君は厄介だ。……私の親愛なる、友」

 

「あら、あら……」

 

 皮肉はなく、けれど含む感情は抑えきれない――――そんな様子の澪に、狂三は微笑みを浮かべた。生の感情を吐き出そうとする(・・・・・・・・・・・・・)彼女を、好ましいと感じているかのように。

 狂三の未来予測は、崇宮澪の力さえ手中に収めた。それを皆に伝えるカラクリ(・・・・)も、既に起動している。

 士道たちを包む随意領域(テリトリー)は、これでただの随意領域(テリトリー)ではなくなった。僅かな時間ではあるが、澪の天使に対抗できる空間――――未来を観測した士道たちが扱える、最大最強のカウンター。

 故に、チャンスは今しかありえない。拳を握り、士道は迷いなく澪を見据える。そして、叫ぶ。

 

 

「みんな、頼む――――ッ!!」

 

 

 澪を、悪夢から救うために。

 

 

「士道さんに――――道を!!」

 

 

 士道に応えるように撃鉄を打ち鳴らし、高らかに銃声は響き渡る。

 

『おおっ!!』

 

 強く、頼もしい号令は精霊たちを鼓舞し、銃声は戦いの鐘。外装を蹴り、拮抗する空間へそれぞれの力を解き放つ。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を封じ、狂三の未来予測を授けられた十香たちであれば、澪の攻勢と拮抗できる。あとは、士道が一瞬の隙を見逃さないこと。そして、何より――――――

 

「く……ぁ、ッ!!」

 

 少女の身体が、保てるかということ。

 

「〈アンノウン〉ッ!!」

 

 片膝を不自然に曲げ、外装に身を預けるような仕草を見せた少女へ、士道は急ぎ呼びかけた。この状況では、力を溜める士道しか少女の元へ駆けつけられない。

 飛び交う『根』や『枝』に気を配りながら、士道は膝を突く少女の身体を支えて声をかける。

 

「大丈夫か!?」

 

「……ふふっ。私の心配をしてる場合ですか。我が女王の分身がこちらを守っているとはいえ……この状況、真っ先に狙われるのはあなたですよ、五河士道(・・・・)

 

 返されたのは、澪であれば決してしない類の笑みと、茶化すような言葉遣い。

 

「お、お前なぁ……!!」

 

「あはは、こっちの方があなたはやりやすいでしょう?」

 

 面食らって、少しだけ素の状態に戻りながら応える士道に、聞きなれた道化の声音と、見慣れない道化の顔で少女は返してきた。

 確かに、士道にとっては澪に近い少女より、狂三の従者の少女の方が馴染み深いものであるが、この極限の状況下で見せるとは思ってもみなかった。

 

「……ええ。こっちの方が――――〝私〟らしいですよね」

 

「え……?」

 

 戦闘の騒音に掻き消され、少女の呟きは士道の耳に届かない。

 その代わり、少女は士道の顔を覗き込んだ。吸い込まれてしまいそうなほどに、近い。澪と同じ貌をした少女――――ああ、けれど、やはり少女は澪ではないのだ。

 物憂げな瞳。細やかな肌。一つ一つの造形が、完成された形を生み出す。それら全てが澪でありながら、それでも士道は少女を澪と同じ人とは思えなかった。それは……士道が真士ではないのと、同じ理由だったのかもしれない。

 吸い込まれそうになる。吸い込まれている――――少し、違った。

 

 少女から、士道に近づいていた。

 

 

「――――――ッ!?」

 

 

 驚愕は当然。言葉はなかった。いや、言葉を発することはできなかった。

 言葉を発するための唇が――――キスによって、塞がれていたから。

 触れ合い、柔らかく、えも言われぬ感情が湧き上がる。小さな世界に静寂を。頭脳には混乱を。

 幾つの時間か、やがて幸福な時間は終わりを告げ、少女がゆっくりと士道の唇から唇を離した。微かに濡れた唇を指でなぞり――――――

 

 

「えへへ……しちゃいました」

 

 

 少し困った、可愛らしい笑みを浮かべたのだ。

 

 それと同時に、少女の天使が光を帯びて消えていく。が、それはすぐに元の形に回帰した。霊力の限定解放(・・・・)。即ち、十香たちと同じ状態へ少女は即座に移行したのだ。

 

「な、なんで……」

 

 天使は再び展開されている。だが、士道の中に温かな光が流れ込んできたのは、間違えようがない事実。少女は、本当の意味で士道に霊力を託してくれた――――狂三を一番に考える少女が、士道へと力の根源を託した。

 

「……理由は色々ありますよ。まず第一に、あの人の力を封印できなかったのは、あなたの力がまだ完成していなかったからです。だから、私の力をあの子の代わりに託しました」

 

 士道の当惑に対する回答は、実に的を射るものだった。

 澪の霊力を封印できなかったのは、単純に士道ではなく真士を見ていたから。しかし、それだけではない。士道はまだ、精霊の力を全てが受け取ったわけではない。狂三との繋がりは、あくまで士道個人のもの。澪が想定していた器として、士道はまだ未熟であった。

 だから、少女は本当の意味で狂三の代役(・・)を担う――――けれど、その感情だけでは封印には至らないことを、士道は一番知っていた。

 精霊を封印する条件。心を開かせ、キスをする。少女が先程、言ったばかりのことだ。そんな士道の思考を読んだかのように、少女は笑う。

 

「……ばーか。私は崇宮澪じゃない。そう言ったのは、あなたでしょう。あなたの中に崇宮真士がいて、彼の影を見ることもありました――――でも、〝私〟は初めから(・・・・)、『五河士道』のことを見ていましたよ」

 

「初めから、俺を……?」

 

 少女は、士道を士道として見ていてくれた。迷いなく、五河士道(・・・・)と呼んでいた。シンではなく、士道と。澪の記憶を持つ少女なら、士道の正体と意味をわかっているはずなのに。

 崇宮真士のための器だと、知っていて、それでも少女は――――――

 

 

「……あの子のために、こんなに頑張ってくれた男の子を――――私が好きにならないわけ、ないでしょう」

 

 

 ――――狂三のことが好きな士道を、好きになってくれた。

 普通とは違う。でも、とても少女らしい〝恋〟の形に、士道は不思議とそこに納得と喜びを得た。

 

「好ましいだけじゃない。信じられるだけじゃない。私は、あなたに恋をしています。慕っています。〝私〟はシンじゃない――――五河士道に恋焦がれているんです」

 

 誰より狂三を想う少女に、恋をさせるほどの信頼を得る。それが至上の喜びで在らずして、何であるのか。

 

「……あの人は、誰かのように強くはあれなかった。でもね、自分でわかっていることは受け入れる人だよ。――――行ってください。私の好きな、五河士道」

 

「ああ。ありがとう、俺もお前のこと――――好きだ」

 

 うなずいて、もう一度軽やかにキスを落として、切り開かれつつある道へ身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あら、あら」

 

 士道の背を見送る少女に横影。そして、聞き慣れたからかうような声音。

 

「随分とやるようになりましたわね、士道さんも」

 

「……誰かさんの教育の、お陰でしょうね」

 

 返しの一撃とは、まったく恐れ入る。自覚があるほどに顔に熱がこもっている。初めの頃の初心な彼はどこへ行ったのかと……まあ、文字通り〝喰われた〟のかもしれないけれど。

 

「きひひひ!! にしても、綺麗に持っていかれましたわねぇ。気分は如何でして?」

 

「……思ったより、悪くないです。我ながら、困ったことに」

 

 そう。この子のために尽くすと誓い、あれだけ拘っていた自身の霊力。それを彼に託して、悪くない。むしろ、心地が良かった。

 全ては我が女王のために。少女はもう、心の中で信じ切っていたのだ――――士道に託すことが、女王のためであると。

 ただ、心残りがないわけではない。それは、

 

 

「……我が女王より先に、というのは――――少々と格好がつきませんね」

 

 

 従者が主より先に、同じ想い人から……そんな気持ちが、なかったわけでもないのだ。

 冗談めかした少女の言葉を聞き、この状況にも関わらず彼女がポカンとした顔を作ったのが雰囲気から伝わってくる――――まあ、一瞬あとには、身に纏う大胆不敵な微笑みが戻っていたのだけれど。

 

 

「あら、構いませんわ。――――大切な殿方の最後というのは、大変わたくし好みですもの」

 

 

 言って、女王は再び戦場へ飛び込んでいく――――その後ろ姿を僅かな案じすらなく見つめるのは、初めてのことだったかもしれない。

 仮初の従者を連れた孤独な時の女王の姿は、もういない。

 

 

「……ん。やっぱり――――きれいな人」

 

 

 隣を歩ける人たちと共にある、世界で一番きれいな人がそこにはいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 力が、漲る。

 少女の霊結晶(セフィラ)と、二亜の霊結晶(セフィラ)。今まで封印した皆のものと合わせて、その数は十。約束の数と違いない霊結晶(セフィラ)は、万能感にも近い感覚を士道に与えてくれた。

 身の丈に合わなかったものを脱ぎ捨て、殻を破り捨てた。疲労もなく、痛みもない。今までとは比にならない超常的な霊力も、これならば十全に扱えよう。

 ――――いける。

 

「〈颶風騎士(ラファエル)〉!!」

 

 軍神の風を纏い、空を駆けた。皆が開いてくれた道を、神速の頂点を以て駆け抜ける。なおも迫る『根』や『枝』の動きさえ、今の士道には緩慢にすら見えている。否、それどころか、士道の左眼はその先を視ていた(・・・・・・・・)

 

「――――!!」

 

 その時、全能とも思える超感覚と、狂三の力を得ていたことにより知覚したその差異に士道は僅かに眉根を動かす。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉と〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉。それぞれに奉られた少女像――――どこか悲しげに微笑んでいたその子たちの言葉は、きっとあの少女と同じものであった。

 

「――――任せろ」

 

 だから、返す言葉は必然。偶然ではなく、必然であると。

 空を蹴り、真なる颶風の質を以て澪の元へ至る。

 

「――――シン」

 

 その悲しみに濡れた――――けれど、狂気から放たれようとしている澪を抱き締め――――――

 

 

「ん――――」

 

「――――――」

 

 

 二人の想いを、重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ(・・)の変質は、まさに一瞬の出来事であった。

 

「――――ッ!!」

 

 士道が澪の元に至り、キスをした。次の瞬間、澪の背後と頭上に浮遊していた二つの天使が変容し、明確な意志を持って士道と澪を包み始めた――――光の帯を、少女へ伸ばしながら。

 

「〈絶滅天使(メタトロン)〉――――!?」

 

 それに真っ先に反応を示したのは、警戒を解くことなく――あるいは予測結果を受け取った――折紙。しかし、そんな彼女の目に驚愕が浮かぶ。

 無理もない。折紙が放った光線は光の帯をすり抜け(・・・・)、何の障害にもなりはしなかった。――――あれ(・・)は、本来の用途とは質が異なる。目を見開き、少女は迫る光の意味を悟る。

 

「っ――――みんな、私から離れて!!」

 

『な……!!』

 

 瞬時に少女を救おうと駆け出した精霊たちへ、鋭い静止を投げかけた。その一瞬の動揺で、十分。あれ(・・)はそれほどに速く、少女を取り込もうとしている(・・・・・・・・・・・・・)

 唯一の、計算違いは。

 

「そういうわけには――――参りませんわ!!」

 

「っ!?」

 

 彼女が――――時崎狂三が、少女を抱きとめたこと。

 狂三の手と無数の光の帯、その二つに一瞬の差も見られなかった。狂三が影から呼び出した分身の手で身体を支える。が、それ以上の力と速度で光の帯は少女と狂三を絡め取った。そのまま、抗いようのない力の差で引き寄せられる。

 

「く……!!」

 

 彼女だけでも逃がす――――無理だ。そもそも、狂三をこの一瞬で説得できるとは思えない。元々、少女には逃げる力すら残っていなかったのだ。ならせめて、この先に必要となるものを残す(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「我が女王!!」

 

「!!」

 

 叫び、胸元から取り出した小さな宝玉、即ち霊結晶(セフィラ)を摘出する。それは、一見して誤解を招くものだろうが、今の狂三(・・・・)であれば正しく意味をできるはずだ。

 期待通り、狂三は少女を抱いていない片腕で銃を振るい、霊結晶(セフィラ)長銃へ取り込んだ(・・・・・・・・)

 

「――――六喰さん!!」

 

 刹那、銃声が劈く。構えて引き金を引くまで、ほんの数秒にすら満たない時間。しかし、狂三が狙いを付けて放つには容易い時間だ。

 

「むん!! 任せよ――――【(ラータイブ)】!!」

 

 その完璧なタイミングを逃すことなく、金色の髪を揺らす少女、星宮六喰が声に応えて鍵を開けた(・・・・・)

随意領域(テリトリー)によって、狂三の未来予測はこの場にいる者に誤差なく伝わる。そして、随意領域(テリトリー)の制御空間であれば、対外の気圧差は存在しない。つまり、その『孔』を開く条件は自ずとクリアされている。

霊結晶(セフィラ)を宿した銃弾が、六喰が『孔』を開いた瞬間、その中へ吸い込まれるように飛び込んでいく。外から、内へ。その霊結晶(セフィラ)は――――――

 

「ん? なんか後ろが寒――――あいたぁ!?」

 

 〈フラクシナス〉の艦橋で解析を行っていた、本条二亜――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉の本当の持ち主(・・・・・・)の元へ、完璧な形で返却された。

 彼女ならば、〈囁告篇帙(ラジエル)〉が必要な意味を理解してくれる。

 あとは、取り込まれる少女と狂三。士道と澪を包む『繭』は二人の目前に迫っている。――――咄嗟に、少女は己の翼で狂三を包み込む。そうして、叫んだ。

 

 

「狂三――――手を!!」

 

「――――!!」

 

 

 ――――咄嗟のことで、彼女の名を呼んでしまったことさえ気が付かずに。

 抱きとめられた少女の手が、決して離れぬよう狂三の手を握り――――そこで意識は、光に取り込まれた。

 

 

 

 




デレたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! まあ元々デレてましたけど(冷静)

以前、ちょっとだけ話したこの子の攻略条件。正規解禁いたしますと、狂三を愛すること、狂三を一番に考えること、狂三を守り通すこと、狂三から好意を抱かれること……ね、簡単でしょ? え、無理?ソンナー。
セオリー通りの精霊直接攻略は、そもそもルートが存在しないんだからできるわけがない。実は狂三攻略が一番ルート解放に近い条件です。ていうかリビルドの頑固くるみん攻略できたら、自動的にデレます。後にも先にもデアラでこんな攻略ヒロイン考えるの私くらいでしょうね。実はキャラの初期案だと狂三と一緒にメインヒロインしてたんだよ、ホントダヨ。

そも記憶を持ちながら自我を確立した少女は、結局澪ではない行動を取り、澪に近づいた未来でさえ……答えなんて、初めから出てしまっていたんですよ。まあ、気が付かないのは原作も同じことですし、気が付くはずもない……自分と同じなはずの存在に、夢を否定されるのは、悲しく残酷。けれど、そうでなければ……。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。ていうか最終章らしく文字数マシマシになってきます。楽しんでいただけていたら嬉しい。それでは次回をお楽しみに!!


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第百九十話『二人のデート』

「きひ」

 

「きひひひ」

 

「きひひひひひひッ!!」

 

 叫びは狂気。振るうは銃器。閃光、硝煙、悲鳴、騒乱。

 人形とそれぞれの陣営の魔術師。数々の空中艦。同じ貌を持つ精霊。それは、正しく戦争。人類至上、類を見ない規模。顕現装置(リアライザ)という兵器と、奇しくもそれの大元となった精霊という種を交えた全面戦争。

 しかしこれが、本当の決戦の裏で行われる座興だと、誰が信じられるだろう。故に、『狂三』たちは笑わずにはいられない。

 

「――――ッ!!」

 

 ただ、その座興の中で一人、規格外の働きを見せる少女がいた。人形を斬り伏せ、魔術師を歯牙にもかけないほどの実力者。そうでなくては困るし、当然の光景だと言えた。何せ彼女は、最も多くの狂三を殺した女(・・・・・・・・・・・・)なのだから。

 

「調子がよろしいようで何よりですわ、真那さん」

 

 なので、ひょっこりと逆さまに顔を出して、驚かせてやることにした。まあ、随意領域(テリトリー)を扱う彼女からすれば、驚くに値しない行動だろうが、絶妙にイラッとした顔が狂三の目に移った。

 

「……次にやったら、その首が胴体から離れても文句は言わせねーですよ」

 

「あら、あら。ちょっとした冗談ではありませんの。まあ、まあ。真那さんは、この状況で戦力を減らす愚策を行う方でしたのねぇ」

 

 嫌ですわぁ、と続けると、本気で斬りかかって来かねない真那の真顔がそこにはあった。それでも、手を止めずに敵の戦力を減らし続けるのはさすがと言えるものだろう。

 

「そう思うなら、もっと手を動かしやがってください!!」

 

「これは失礼いたしましたわ。ですがこれでも、『わたくしたち』は全力ですのよ。ただ、退屈なだけですわ(・・・・・・・・)

 

 語る表情は、狂気と引き換えたつまらないもの。ああ、そうとも、そうだとも。つまらない。本当に、つまらないのだ。

 単なる座興。それも、観客のいない、知られることのない決戦。無意味で、無価値。そこに何の意味があるのか、どんな意味があるというのか。

 向かってくるのは、真那や『狂三』たちに及びもしない人形や魔術師ばかり。これを退屈と言わずになんと言う。

 狂三が一体、二体、三体と無感情に敵を撃ち抜き、真那は一体、二体、飛んで六体を斬り伏せ、背を合わせて声を交わした。

 

「そのつまらない戦場に、私を呼びつけたのは誰でいやがりますか!!」

 

「少なくとも、わたくしではない『わたくし』ですわねぇ」

 

「結局あなたじゃねーですか!!」

 

「嫌ですわ、理不尽ですわ。了承してくださったのは真那さんではありませんの。責任転嫁はよくありませんわよ? 顕現装置(リアライザ)を扱う脳は飾りでして?」

 

「はっ。よーくわかりやがりました。そのよく回る舌、素っ首ごと落として――――――」

 

 売り言葉に買い言葉の会話は、戦場を薙ぎ払う金色の光によって遮られた。

 

「……えぇ」

 

「あら、あら……」

 

 それだけで、周囲に展開していた人形の大半が消し飛ばされている。一瞬、僅か一瞬の規格外に引き攣った表情の真那と、呆れ気味に顔に手を当てる狂三が揃って声を漏らした。

 次の瞬間、亜音速を疑うほどの物質が狂三たちの探知範囲に飛び込んでくる。

 

「――――よう、余裕そうだな、お嬢さん方」

 

 凄まじい衝撃を伴いながら、軽薄な声音が鼓膜を震わせた。余裕そうなのは、一体どちらなのかと、こちらに現れながら周囲の敵を一瞬にして斬り伏せ、鉄クズに変えてしまった恐ろしい男の名を呼んだ。

 

 

「それはこちらの台詞ですわ――――エリオット・ボールドウィン・ウッドマン」

 

 

 その男は……その若い男は(・・・・)、狂三が零した名を受け入れるようにニヤッと笑ってみせた。

 明るい金髪と、光り輝く金色のCR-ユニット。全身から立ち上る魔力と、周囲に巡らされた常識を超えた密度の随意領域(テリトリー)。勇ましく、力に溢れたその男が――――あの〈ラタトスク〉の最高権力者、エリオット・ボールドウィン・ウッドマンだとは、言われなければ誰も気が付けないであろう。

 

「いやいや、そうでもないさ。これでもギリギリでやっていてね。若いお嬢さんたちについていくのがやっとだ」

 

「ご謙遜を。力を抑えることに苦労する(・・・・・・・・・・・・)、というだけの話でしょうに」

 

 絶対者というのは、得てしてそうなってしまうものか。

 狂三は戦場をつまらないと称した。この最大規模の戦争を、だ。理由は幾つかあったが、その最たるものは、間違いなくこの男。

 一目見て理解する。この男は、全力の精霊にさえ比肩し得る。分身の狂三たちでは話にすらならない。魔術師としての高い実力を備えた真那ですら、決して及ぶことのない領域。そんな過剰戦力(・・・・)が飛び交っているこの戦場に、心を躍らせる物事などあるはずがないだろう。

 

「…………」

 

 それ故の、疑問(・・)。敵を撃ち抜く感動もなく、無感情に処理を施しながら、狂三は思考する。

 これほどの戦力、これほどの力。ウッドマンの参戦は、この短期間のものとはいえ〈ラタトスク〉のパワーバランスがDEMを上回ってしまうほどのもの――――――しかし、この戦争はそもそも〈ラタトスク〉を狙ったものではない。あの女(・・・)を狙った行動。だからこそ、幾つもの不可解な点がある。

 

「――――解せねぇ。そんな顔をしてるな、お嬢さん」

 

「!!」

 

 背中を合わせた彼からの声に、狂三は純粋な驚きを目に乗せる。人に思案を悟られるほど、狂三は生半可な生き方をしてきたつもりはなかったが……どうやら、年季という意味ではウッドマンが上手らしい。

 敵を一切寄せ付けない驚異的な随意領域(テリトリー)を維持しながら、数ある分身の狂三から的確に表情を読み取る。年の功――――あのアイザック・ウェストコットの元同志というだけはあった。

 

「ええ。始源の精霊を狙っての行動。組織を丸ごと私物化。それ自体は大したものですが……こんなもの(・・・・・)ですの?」

 

 そうだ。この程度(・・・・)、という決定的な疑念。あの男が、こんなお粗末な戦力で始源の精霊を相手取ろうと考えたのか。

 数とは、確かな脅威。それは狂三たちが証明しているし、この圧倒的な軍勢によっても証明は成される。しかし、故に〝数〟を力とする者は誰より知るのだ――――如何に脅威の〝数〟があろうと、究極的な絶対の〝一〟には敵わない。

 この絶対の〝一〟とは、狂三の疑問に訝しげな顔を返すウッドマンを当然含む。そして恐らく、魔術師として唯一、彼に対抗せしめる女、世界最強の魔術師、エレン・メイザース。加えて、あのアルテミシアが健在ならば、ウッドマンと真那がそれぞれ対抗せねばならず、戦局は再び五分以下に落ちることだろう。

 

「エレンのやつなら、脇目も振らず俺のところへ突っ込んでくると予想していたんだが、振られたかね?」

 

「…………」

 

 二枚目な顔立ちと言動。エレンの妹が彼に入れ込んでいる。そして、ウッドマン自身が認める因縁。何やら、人の関係という面倒事の片鱗を見てしまった気がした。

 とはいえ、時崎狂三(オリジナル)でない狂三には予測という反則手で真実を読み取る叶わないし、下世話な真相を知ろうとも思わない。構わず、狂三は銃の引き金を引き続けながら彼の随意領域(テリトリー)へ向けて声を返した。

 

「まるで、本当の意味での座興(・・)ですわ。一時の暇潰し。本心では、何の感情も抱かぬ無意味な余興……そのような意図(悪意)を、わたくしは感じますわ」

 

 戦場に蔓延り、渦巻く悪意……その禍々しい、隠しきれない悦楽(・・)が。

 人の絶望――――それらを餌とする、異なる意味の死神の意志を、狂三はこの意味のない戦場から感じていた。

 

意図(悪意)、ね。――――変わらないな、あいつは。三十年の月日は、人を変える時間には至らないってことなのかね」

 

 狂三の読み取ったものを反復し、ウッドマンはそう厳しい表情で……けれど、どこか悲しげに呟いた。

 三十年。人の生にとっては、長く。悠久の時を持つ者にとっては、永く――――だが、考えを変えるには至らぬほど、短い時間なのかもしれない。

 この期に及んで、エレンという最強の切り札を使わない。始源の精霊の力を利用、ないし取り込むためには相応の力が必要だとわかっていながら、あの男は不気味なほど沈黙を保っている。

 

 何かを、企んでいる。しかし、終わりが近づく精霊たちの因縁に、かの魔術師は未だ傍観者(・・・)。ここからの逆転劇ともなれば、さぞ計算高いか、もしくは――――――

 

 

「時に、ウッドマン卿」

 

「なんだい、お嬢さん」

 

「あなたの知るウェストコットという男は――――自身の命運を、それを知らぬ誰かに委ねる。そんな身勝手を出来る人間でしたかしら」

 

 

 その可能性を浮かべ、狂三はウッドマンに問うた。

 一も二もなく、答えは返される。かつての同志であり、ウェストコット――――アイクの友である、エリオットという男から。

 

 

「そうだなぁ。大体は自分でやっちまえてたから、そういうのをするタイプじゃなかったが――――自分のそっくりさん(・・・・・・・・・)でもいるなら、無意識でもやっちまうかもしれねぇな」

 

 

 漠然と――――しかし、迷いの感じられない答えに、狂三はそうなのだろう(・・・・・・・)という納得を得た。

 ウェストコットが何を企んでいるのか。それは、当人にしかわからない。全知の天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉であろうと、人の思考までは読み取れないのだから。

 賽は投げられた。〈ラタトスク〉、DEM、士道、精霊――――今は、運命の中心であった崇宮澪でさえも、その言葉には抗えない。

 狂三が幾ら思考を巡らせようと、ウッドマンが受け答えをしようと、訪れる結果は変わらない。なぜならこの場は、座興でもあり観客席でもあるのだから。

 

 故に、時は前へと進む。

 

 

「ああ、ああ。無常ですわ。残酷ですわ」

 

 

 故に、傍観者は大仰に踊った。

 

 

「それと、真那さん。あなたの知人御一行様が、『わたくし』と交戦中ですわ。確かASTの方々ですので、気が向いたら説得へ向かってくださいまし」

 

「それを早く言えってんですよ!! この性悪女!!」

 

 

 流転し、歪んだ運命は、知られざる決戦の裏側で――――――静かに、終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 雲海の上。鎮座する空の城〈フラクシナス・エクス・ケルシオル〉。読んで字のごとく空に座する勇猛な城が――――がくんと、崩れた。

 

「な、なんですかぁー!?」

 

「まさか落ちるの!?」

 

 外装の上に着地した精霊たちにも、少なからずその影響は動揺となって及ぶ。だが、多少のズレ(・・)程度のことでこの艦は沈まない。それを知っている琴里は、精霊たちを落ち着かせる声を大きめに発した。

 

「みんな落ち着いて。艦が少し揺れただけよ。――――艦橋、聞こえる? そっちの状況を知らせてちょうだい。それと観測装置を――――――」

 

「はいはーい、ちょっと待ってね妹ちゃーん」

 

 と、琴里が言い切る前に声が返ってくる。が、その発信源に琴里は眉根を寄せた。琴里は今、耳の裏に装着した骨伝導の通信機を用いたはずなのだが、返ってきた声は通信機ではなく生の声(・・・)で耳に届いた気がしたのである。

 その物理的現象を起こした理由は、琴里たちの視界に入る形で知れ渡る――――光り輝く限定霊装(・・・・)を身に纏った二亜が、外装の上段から浮遊してきたのだ。

 

「どもー、呼ばれて飛び出る二亜ちゃんデース」

 

「二亜!? あなた、その霊装……」

 

 二亜は気安い調子でヒラヒラと手を振りながら、他の精霊たちと同じく霊力を伴って降りてくる。驚いた様子の琴里に、「あ、そっか」と自身の身体を舐めるように見回した。

 

「へへん、どーよこの霊装。二亜ちゃん完全体……でもないのか、封印されちゃってるんだし。まあとにかくよ!! ようやく二亜ちゃんの真骨頂を見せたげられ――――――」

 

「そんなことより、〈囁告篇帙(ラジエル)〉であの(・・)中の様子を」

 

「そんなことより!?」

 

 折紙の直球な要請に、ガガーン(と口で言いながら)わざとらしくショックを受ける二亜。……まあ、折紙の気持ちもわからなくもないが、と琴里は息を吐きながらそれ(・・)を見た。

 視線の先に佇むは――――天使が変容した、大きな球形状の物体。直径にして十メートル程だろうか。光の加減で色を変える宝石のような外装に覆われた、滑らかな球体。

 見たこともない、とは言い切れない。かつて少女が見せた〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉・【翼片(ヘネツ)】によって生み出されたあの球体、言うなれば『繭』と酷似していた。もっとも、それがイコール害がないものに繋がるかは、琴里が断言できるものではなかったが。

 

「さて、と。実際、これを調べるためにあたしが出てきたんだよねぇ。ああ、そうそう。〈黒の女王(クイーン)〉にいたくるみんの分身、本体と意識の共有が途絶えたって。それと……ちょっと困ったことに、さっきの無茶の反動で艦のあちこちに不具合が見られるのと、随意領域(テリトリー)の強度が弱まってる。マリアが元の調子に戻るのにも、少し時間が必要だってさ」

 

「そう……あれだけの無茶をしたんだから、その程度で済んでよかったってところかしら――――よく、頑張ってくれたわ」

 

 柔らかに唇を曲げ、痛ましい内情の愛艦へひとまずの苦労を労う。

 〈フラクシナス〉の外装を包むように展開した随意領域(テリトリー)。狂三が分身と意識を共有し(・・・・・・・・・)、〈黒の女王(クイーン)〉の未来予測を随意領域(テリトリー)を伝い琴里たちへ転送する。

 それだけでも相当な負荷がかかるにも関わらず、今回は少女の〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を艦と同化させ、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉を随意領域(テリトリー)で擬似展開。その出力は、澪の〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を僅かな時間であっても無力化させるほどのもの。艦だけでなく、それを内部から支えるマリアに甚大なダメージがあったとしても何ら不思議ではない。

 それらの負荷を受け止め、落ちることなく琴里たちを支えてくれた。艦橋で頑張ってくれているクルーたちも含め、琴里にとって大きな誇りだ。

 だが、そうであるなら琴里たちが知りたいことは士道たちの安否――――しかし、二亜の表情にはそれ以外の懸念があるように見えた。

 

「む、どうした二亜。真面目な顔をして、似合わんな」

 

「不穏。おちゃらけた二亜がそういう顔をしていると、本当に不安になってしまいます。士道たちは無事なのですか?」

 

「や、あたしの顔を不安標識にしないでほしいんだけど……。んー、ちょっと、ね。正直、あっち(・・・)は今のあたしらにはどうにもならなそうだし――――久しぶりに、やっちゃいますか」

 

 言って、おもむろに右手を掲げる二亜。その動作に、わかっていても息を呑んでしまう。

 そう。それは、今この時を持って正しき主の元へ帰った。

 

 

「さあさあ、よってらっしゃい見てらっしゃい。はたまた、そこのけそこのけ二亜ちゃんが通る――――いくよ、〈囁告篇帙(ラジエル)〉」

 

 

 名を呼ばれ、二亜の手の中に巨大な本が姿を現す。触れることなく紙を揺らし、その紙面に光り輝く文字を刻む。

 全知の天使・〈囁告篇帙(ラジエル)〉。少女と狂三がこの『繭』に巻き込まれる刹那、二人の手で二亜に返却された、この先の道標とも言える力だった。

 

「ふんふん。頭ガリガリされるとか胸に穴開くとかよりはよっぽどマシだっとはいえ、あんなダイナミックな返され方されてもちゃんと動くんだ。れいにゃん、この辺もしっかり作り込んでたんだねぇ――――お、少年とくるみん、それにあの子も発見。無事みたいだね」

 

『……!!』

 

 二亜の言葉に、精霊たちの表情から少なくなかった不安が消え、明るいものが現れた。かくいう琴里も、表情にはできるだけしないようにはしていたが、安堵の息までは隠せなかった。

 

「――――んん? あり? おいおい、マジかよ……」

 

「二亜?」

 

 が、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の紙面を視線でなぞる二亜が、驚きと呆れを綯い交ぜにした顔で呟いた。

 その表情には、単純な驚きではない何かがあった。首を傾げる琴里たちへ二亜は、次の言葉を吐き出した。

 

 

「聞いて驚けよ、皆の衆――――この中、同じ貌が勢揃いだ(・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 ――――熱い。

 初めに感じた五感の感触のうち、浮かび上がったもの。思考の海に一つ、ぽつりと確かな感覚が浮かんだのだ。

 次に、光。覚醒を促す、否、覚醒を強制するほど強い輝きが、網膜を刺激した。

 

「ん……」

 

 身動ぎの際、自分の状態を把握する。仰向けに横たわり、光を、熱を浴びている。なぜ、どうして、どうやって。起き抜けだというのに、順繰りに繰り出され癖になった思考は止めどなく歩みを進める。

 絶え間のない思考は、必要な解をもたらす。即ち、正しい意識の覚醒である。

 

「そうだ、俺は――――――」

 

 少女に霊力を託され――――澪の力を封印するために……。

 

「……!!」

 

 そこに至り、士道は目を見開き自身の身体を弾かれるように起こした。

 一体、何がどうなった。澪は、少女は、皆は――――狂三は?

 そんな数々の疑問は、飛び込んだ視界の情報によって再び混迷を極めた。

 

「……………………は?」

 

 たった一文字の、困惑。しかし、これは士道でなくとも、たとえばあの狂三であっても同じ反応をしたであろうことは想像に易い。それはそれで、是非拝んでみたいものではあるのだが――――閑話休題。とにかく、その衝撃と困惑は誰であっても同じこと。

 なぜなら、辺りに広がっていたのは――――ただ穏やかで、緩やかな海波の色彩だったのだから。

 海原と、空。それも、先ほどまで士道がいたはずの空の上ではなく、空の下。鼓膜を震わせるのは、寄せては返す波の音と、海猫の鳴き声。

 

「ここは……」

 

 見覚えが、ある。言いかけて、士道はそのことに気がついた。

 ここは――――士道が令音とのデートに選んだ海岸だ。

 だが、微かな差異が士道に違和感を与える。防波堤が新しく、テトラポッドの数も少ない。海が、心なしか澄んでいる。何より、士道の覚醒前後での季節が違う。季節をそのまま反転させたようなこの熱、これは――――――

 

 

「……シン」

 

「うひゃぁ!?」

 

 

 思考を強制的に遮られ――たぶん、狂三が見ていたらため息を吐くくらい――冷静さをかなぐり捨てた驚愕の具合で、士道はビクッと肩を震わせ砂浜に手を突いた。

 そうして、声のした方向に身体を向ける。するとそこに、涼しげな格好をした『令音』が立っていたのだ。

 

「れ、令音さん……!?」

 

 裏返った声を上げてしまうのも、当然。

 先ほどまで天使をぶつけ合って戦っていた相手に、落ち着いた声音で声をかけられたのだ。驚かない理由はないし、ここで驚かないのなら士道は人生で驚くことはないと言っても過言ではない。

 それだけではない。やはり、見間違いなどではなく、そこにいるのは『令音』。そう、『澪』ではなく、士道の副担任にして〈ラタトスク〉の解析官である『令音』その人だったのだ。

 

「な、何がどうなってるんですか、これ……いやいや、こんな時だからこそ冷静に――――――」

 

「……手を」

 

「……え? あ、ああ……ありがとうございます」

 

 もはや、士道の行う一種のルーティンのように移行しかけた思考を、落ち着き払った――払い過ぎな気もするが――令音が手を差し伸べてくれたことで中断する。

 考える前に、自然と手を取ってしまった。が、正直な感性としては正しく思えた。彼女の様子を見る限り、士道に害意を持っているようには見えない。

 この摩訶不思議な空間は、恐らくと言わず令音の手によるものなのだろうが、それを含めても疑問が残る。なぜ、彼女は『澪』ではなく『令音』の姿なのだろうか。〈フラクシナス〉の外装にて相対した彼女の姿は、未来と同じ『澪』だったはずなのだが――――――

 

「――――おーい、こっちこっち!!」

 

 高い、呼び声。

 士道の思考を中断させたのは、背後から聞こえた少女の声だった。

 再び身体を動かして見やると、砂浜でこちらに手を振る少女と、隣に立つ少年(・・)の姿を認めることができた。

 

「は――――――」

 

 ちょっとやそっとのことでは、驚かなくなった……そういう自負を凌駕する驚きで、士道は息を詰まらせた。

 一人は、少女。つばの広い麦わら帽子に、真っ白なワンピースを纏った士道と歳の近さを感じさせる――――それ以上に、あの子(・・・)の姉を思わせる可愛らしい女の子。長い髪を緩く三つ編み状に結わえて、手を振るたびにその先端が揺れ動いていた。

 澪。始源の精霊・崇宮澪その人に間違いない。

 

「え……」

 

 『令音』と『澪』。二人が同時に存在し、同時に話している。ただ、それだけならば士道の驚きは半分以下であったことだろう。彼女たちは分身のように並列して存在していたし、〈アンノウン〉のことを考えれば尚更、驚くという行為からは遠ざかる。

 故に、士道を本当の意味で驚かせたのは、〝彼〟。澪の隣にいる少年だった。

 涼しげな夏服に身を包み、気恥しげにはにかむ、中性的な顔立ちの少年――――士道と、同じ顔をした少年(・・・・・・・・)

 

「俺、……っ――――いや、お前は……」

 

 『同じ』。瓜二つなどではない、全く同じだけの顔を持つ(・・・・・・・・・・・)者。

 ドッペルゲンガーでも見ているかのような。それでいて、士道にとってはある意味で見慣れているといっていい現象。

 ああ、そうだ。同じ顔。しかし恐らく、記憶は違う。士道は世界で一番、当人をカウントするならば二番目に同じ顔を見慣れている。であるならば、冷静に答えを運ぶことができた。

 士道にとって、同じ顔をした自分とは、誰か。

 

 

「――――シン。崇宮真士……か?」

 

 

 士道がそう言うと、少年は頬を緩め、小さくうなずき、

 

 

「ああ。一応初めまして……になるのかな? 俺、いいや――――五河士道」

 

 

 かの〈ナイトメア〉と同じように、過去の自分自身と、士道は初めて向き合ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ――――陽光。

 備わった五感のうち、即座に意識へ伝えられたもの。次いで、過敏な感覚が多くの情報を肉体へ伝達する。

 熱。蝉の啼き声。街の匂い。それでいて、人の気配が薄い。どこかに座っている。そして何より、誰かが自身の肩に、寄りかかっている……?

 

「ん……」

 

 そればかりは目を閉じたままでは、正確に確認をすることはできない。

 目を開く。かちり、かちりと刻む左目は変わることのない。その正しく人外の視野を以て、狂三は少女(・・)を見た。

 

 

「――――――」

 

 

 美しい貌の少女だった。狂三をもってして、そう断言せざるを得ない少女だった。

 その少女の貌は、自身の仇敵と同じものだった(・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

 言葉が出ない。過去の自分だったのなら、何かもっと感じ入るものがあったのかもしれない。

 けれど、穏やかなものだった。眠る、彫像のように艶美で、しかし矛盾したように幼い少女。今は、憎しみを感じる心など残ってはいなかった。――――仇敵本人との対面なら、また違うのかもしれないけれど。

 

「さて……」

 

 小さく言葉を零し、少女を肩に乗せたまま狂三はこの空間(・・・・)の状態を詳しく探る。

 街並み。地形。気温。湿度。どれをとっても、完璧に再現(・・)された異空間。〈刻々帝(ザフキエル)〉・【一〇の弾(ユッド)】で行われる士道との意識共有領域とは質の異なるもの。言ってしまえば、あの意識領域よりもう一歩先の空間――――つまるところ、意志が事象の変動を行える場所。

 現実的には、魔術師(ウィザード)随意領域(テリトリー)に近い。いいや、狂三の知識の中には、その力の大元となった〝天使〟の名が自然と浮かび上がっていた。

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉……極小の『隣界』ともなれば、便利なものですわねぇ」

 

 しみじみと呟いた狂三だが、よくもまあという思いがあった。一つはこれを〝観測〟できた自身への呆れと、もう一つは挑もうと思った自分と士道への褒め言葉。

 意志が作用する空間というのは、それ即ち物質さえも意志一つで移り変わる法則(・・)があるということに他ならない。

 通常世界ではありえない現象を起こすことも、逆に通常で起こり得るあらゆる事象を再現することも叶う。

 こうして、狂三の記憶に強く残った天宮市(・・・)の街並みを完璧に再現することも、違和感を持たせず現実の気候を反転、再現することも、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉にとっては隕石を降らせることより容易い。……それは比喩表現で、実際は無造作に岩を降らせる方が楽なのだろうけれど。

 

「ああ、ああ。いけませんわ、いけませんわ。また、深く考えてしまいますわ……」

 

 と、嘆くように頬に手を当て呟く。

 探究心、とでも言うのだろうか。時間遡行に必要な情報を収集、精査する過程で悪い癖となってしまっている。好奇心は猫を殺すとは言うけれど、狂三の場合は殺しにきたものを半殺しにして、あわよくば士道と調査デートというのも――――閑話休題。

 その士道ではあるが、気配は感じられる。何やら、妙に似通った気配もあるが、狂三との繋がりは一つだ。間違うことはないだろう――――近くにいる気配には、狂三も仏頂面をしてしまうが、今はいい。いいということにしておかないと、狂三が空気を読めていないだけになる。

 だから、ここはやはり隣人を起こすべきなのだろう。

 

「……そういえば、わたくしが起こすのは初めてのことでしたわね」

 

 思い浮かんだそれは、少しばかり意外で――――ああ、だから令音の安眠にあのような反応を示していたのか、という納得があった。

 

「もし、起きてくださいまし」

 

「んん……」

 

「……案外ねぼすけさんですわね」

 

 長年連れ添った従者の意外な一面にクスッと微笑みを零しながら、少女の肩を揺する。そうしていると、程なく細やかな睫毛が僅かに動き、ゆっくりと瞼が起き上がった。

 寝ぼけ眼と、瞳が合わさる。

 

「……狂三?」

 

 それでも、正しく時崎狂三だと視認できたのは、少女なのだと嬉しさがあった。

 うなずき、滑らかに声を返す。

 

「ええ。おはようございます」

 

「……おはよう、ございま――――!?」

 

 ビクッと、まるで触れようとしてきた相手を警戒した猫のような仕草で、少女がバッと座るベンチから飛び退く。

 

「あら、あら。わたくしを相手に、そのような反応をなさるだなんて……悲しいですわ、泣いてしまいますわ」

 

「え、あ、……なんで――――っ!!」

 

 仰々しい狂三を見て思わず、といった様子で少女が手を首筋の辺りへ持っていき、そこにあるはずのものがないことに、目を見開く。

 それもそのはず、今の少女は天使を纏った姿ではなく……。

 

「……なんですか、これ?」

 

「さあ。澪さんの趣味ではありませんの?」

 

 真っ白いワンピース。夏の出で立ちに相応しい服選びだった。実のところ、肩を竦めた狂三も、その色違いである黒のワンピースを纏っていたりする。色合いはともかく、霊装との差異で普段はあまり肌を見せないゴシック調の服を好んで着ていたので、慣れない服装に落ち着かないのは狂三だって同じだ。

 とはいえ、いつになく落ち着きがない少女を見れば、狂三は逆に自然と落ち着くというもの。狂三が言うのも何なのだが――――考えすぎなのだ、この子は。

 ため息を吐き、狂三がパチンと指を鳴らす。すると、辺りから光の粒のようなものが集まり、イメージ通り(・・・・・・)のものを生み出す。

 

「はい、どうぞ。お贈りいたしますわ」

 

 ふわりと浮かばせた、黒いリボンが結ばれた麦わら帽子を手にし、狂三はそれを少女へ被せてやる。

 

「え……?」

 

「お顔を見せたくないというのなら、それで隠しておきなさいな。もっとも、わたくしが気にすることなどありませんけれど」

 

 懸念はそもそもと、的外れなのだ。狂三が気にしていないのなら、少女が隠す必要などもうない。

 そう――――狂三と少女の隔たりなど、自分たちの意識一つでなくなる。

 

「さあ、参りましょう」

 

 麦わら帽子のつばの下でぱちくりと目を瞬かせる少女へ手を差し伸べ――――焦れったくなり、さらに伸ばして手首を握る。

 

「ちょ……」

 

「もう小賢しい言い訳は受け付けませんわ――――――」

 

 そんなもの、もう必要がないから。狂三にも、少女にも。互いのことを白日の元に晒し、二人きりになった。なら、するべきことはただ一つ――――――

 

 

「さあ――――わたくしたちのデートを始めましょう」

 

 

 晴れやかな陽の下で、憧れを形にするだけだ。

 

 

 




二人のデート(士道でもあり狂三でもある)みたいな……。ていうか、隙を見せたら地の文でも惚気けてないかこの主人公とヒロイン。

真那の扱い、っていうのはなかなか苦心したと告白します。まあ、色んな理由で苦心していると自分では思う子の一人です。
殺し殺され、でも狂三は内心で……そして彼女は『崇宮真士』の妹。そこに制約が入る上に、登場して狂三と相対するとどうしても殺伐になる上、妹ととして狂三と対するのはご存知の通り琴里の役割です。
この辺り、以前話した〈アンノウン〉の士道に対する描写と同じで、押し出してしまうととっ散らかるというか、強く押したい、一つのイメージを届けたいことが分散して弱くなってしまいかねない。という考えです(アンノウンの折紙への感情も、狂三を越えるものでは無いと絶対的な一線は常に引かせていましたし)なので、妹ながら出番は据え置きという……『十香ワールド』での美しい展開に私が満足しているのもあり、遠慮なく煽りありで絡めるのも分身体に収まりました。
理解はしてるし兄の大事な人だけど、それはそれとしてやってきたことを許すつもりはない。狂三も許されるつもりはない。そこはリビルドでも変わらないかなぁって。
精霊たちも、蔑ろにする気はないと頑張ってきましたが、キャラによって出番が減ってしまったところは多々あり、やはり全員参加は難しいなと……完結したらその辺も語りたいところです。ちなみに二亜は予想外に増えた枠。この子、書いてたら勝手に動くんですけどぉ!!!!

殺し合いの殺伐とした関係とか、真那メインの出番。狂三との因縁。愛が振り切れる前、それを見た士道の葛藤……この辺りの題材は次回作へ持ち越しです。あ、なんかすごい最終回っぽい!まだ早い!!

さて、原作澪編のラスボスさんもチラホラと……? そんな中、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉内で士道たちの運命は……。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百九十一話『遠き日の楽園(パラダイス・ロスト)

「それにしても……熱いですわねぇ」

 

 手で軽く顔を仰ぎながら、狂三はボヤくように呟く。照りつける陽射し……アスファルトの大地を燦々と照りつける陽光が、現実的な熱を狂三たちに与えてくる。

 精霊である狂三には、こういった熱さはあまり縁がなく、平気で袖の長い服を選んでいたものだが、今そんなことをしたら倒れてしまう自覚、いや意志があった。

 

「……熱いなら、空間を変えてしまえばいいのでは?」

 

 麦わら帽子を深く被り、熱帯を遮りながら狂三の左斜め後ろを歩く少女が、そんな身も蓋もないことを言い出したものだから、狂三ははぁっとため息を吐いた。

 

「あら、あら。相変わらず、風情がありませんこと」

 

「悪うございましたね。性分なんですよ、これ」

 

「性分なら、仕方がありませんわね。誰に似てしまったのかしら」

 

「……該当者が一人しかいらっしゃらないのですが」

 

「ま、酷いですわ。わたくし、あなたほど風情を感じない女ではありませんのに」

 

「どの口が言いますか。五河士道が絡まなかったら、見向きもしなかったくせに」

 

 売り言葉に買い言葉――――ああ、懐かしい。

 二人きりでの会話というものが、酷く懐かしく感じる。それほど、狂三の側には人という関係が増えた。封じ込めていた感情が、より多くのものとなって芽生えた。

 その中で少しずつ、離れていったものがあった。離さなければならないものがあった。主と従者とは、その意味の象徴とも言うべき表現だった気がした。

 懐かしいやり取りをして、仄かな感傷に浸る。随分と、人間くさくなった――――もしかしたら、そんな自分を見たくなくて、弱さだと言い聞かせていただけなのかもしれない。

 

「――――ああ、ありましたわ」

 

 ふと、そんなことを言ってわざとらしく狂三は足を止める。

 足を止めた先の建物。その扉をくぐると、カランカランとドアベルが鳴る。特に疑問を持たず、狂三に続いて歩いていた少女が、そこでようやく目を丸くして声を発した。

 

「喫茶店、ですか」

 

「ええ。良い雰囲気でしたので、覚えていたのですわ。来る機会は、ありませんでしたけれど」

 

 街を巡る機会があった狂三は、その記憶に多くのものを留めていた。この場所は、その一つ。何の変哲もない、少し古めかしい喫茶店。普通の(・・・)、場所。

 

「行かなかったのですか? 精霊たちや、それこそ五河士道がいたのに……」

 

 疑問符を浮かべ、小首を傾げた少女に狂三は――――何だかおかしくなってしまい、微笑を零した。

 ここまでしてまだ気が付かないとは、本当に自分のことになるとこの子は鈍い。

 

 

「あなたと――――訪れたかった」

 

「……!!」

 

「まったく、鈍いですわね。言わねば、伝わならないのですから」

 

 

 驚いた表情を見せた少女へ、そして自分への皮肉で。言わなくても伝わる。それは、散々と想いを伝えあった者たちにようやく与えられる特権。

 狂三と少女は、違う。ずっと共に過ごして、けれど伝え合うことはなかった。

 ああ、そうだ。狂三はずっとこうしたかった。誰の干渉も受けない箱庭の日常ではなく、理由を付けたものでもなくて――――ただ緩やかな、普通の時間をこの子と。

 場所は再現されていても、人までは再現されていない――しようと思えば出来てしまうのかもしれないが――狂三は少女を連れ、好き勝手に席を選び向かい合って座った。

 

「さて、メニュー表は……ああ、わたくしの記憶から再現いたしましたのね。表で見たもの以外は、別の店のものまでありますわ。どれにいたします?」

 

「私は何でも」

 

「あなたの苦手な刺激物、用意して差し上げますわ」

 

「……ショートケーキとアップルティー。砂糖は多めで用意してください」

 

 長年の付き合いなので、その辺りの癖というものは理解している。笑顔で人質の如く言葉を突きつけてやれば、この程度はお手の物だ。傍若無人、唯我独尊。視線が語るそれは、もはや狂三にとって褒め言葉に等しい。

 オーダーを受け取った狂三は、パチンと指を鳴らして一瞬にして食べ物を構成する(・・・・・・・・・・・・・)。どうぞ、と少女の前に並べてあげると、それを見た少女が小さく息を吐いた。

 

「……なんで扱えるんですか。ここ、『私』の空間なんですけれど」

 

「きひひひ!! おかしなことを仰いますわ。〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉をわたくしに〝観測〟させたのは、他ならぬあなたではありませんの」

 

 完璧なまでに再現されたティーカップを見せびらかすように揺らし、狂三は堂々と人の空間で(・・・・・)変わらぬ立ち振る舞いをしてみせる。

 

「〝観測〟というのは、未来をもたらす〝可能性〟の追求。それらが持つ理屈がわからなければ、未来が視える理由になりえない……でしょう?」

 

「……だから、理屈を知るなら〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を自在に扱える、と」

 

「ええ。あとはわたくしの知識の中にあるもの。つまりこういった飲食における素材、そして作り方。それらが備わっているなら、完成したものを再現することは容易いものですわ」

 

 それが何で出来ているか。それがどうやって出来るのか。その作り方(・・・)さえ知っていれば、大半の工程を無視して形に出来る。そういった〝奇跡〟を起こすのが〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉で創られたこの空間だ。多少の不条理など、この条理の前では無意味である。

 これは狂三だから出来る、というものではなく、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を理解している精霊、或いは霊力を持つ者なら誰でも出来ることだ。なぜならここは、そういう空間なのだから(・・・・・・・・・・・)

 

「そういうことですので、味の保証はいたしますわ」

 

「……そこは、最初から疑っていませんけれど」

 

 信用されている部分が複雑なのか、微妙な箇所だけは否定しながら、少女が砂糖をたっぷり溶かしたアップルティーを一口すすった。……霊力を封印した現実の空間では、できるだけ止めさせたい行為だなと健康を案じながら狂三もケーキに口をつける。

 

「とはいうものの、澪さんが空間の権限を遮断していないからこそのやり方ですわ。元を辿れば、あなたの天使の影響を受けたことで、自然と扱えてしまえているのかもしれませんけれど」

 

 原因らしい原因、大半の心当たりは幾らでも思い浮かぶ。仮に、この空間が完全な澪の支配下であったのなら、そもそも天使を扱うどころか身動きすら取れなかったことだろう。

 

「……というか、落ち着き過ぎなのでは? 私たち、ここに取り込まれたも同然なんですが」

 

「驚いていますわよ。ですが、普段から驚かされる方と付き合っていますので、落ちついて見えてしまうだけでしてよ。それに……」

 

 アップルティーに砂糖を溶かして一口……実に身体に悪い味がする。顔を顰めて、狂三は言葉を続けた。

 

「空間に悪意があったのなら、わたくしもあなたを連れて士道さんを見つけ出していたでしょうけれど――――そんなもの、欠片すら見つかりませんでしたわ」

 

 起きがけですら理解ができた。この空間は、妙に澄んでいる(・・・・・・・)。元々、澪に悪意など存在しなかった。当たり前だ。澪の中にあったのは自身の目的のための心。妄執、けれどそこに悪意はない。

 だからこそ、この空間は異質だ。妄執も、危うさもなく。あるのはただ、穏やかな時の流れ。

 目を細め、それを存在し得る中で正確な意味の言の葉として、狂三は形にした。

 

 

「――――ここはいずれ無へと帰る、失われた楽園。主たちの願いを映した天使の水晶ですわ」

 

 

 終わってしまった時間を映す、奇跡の世界。捻じ曲がり、凶渦と化した想いを包み込む楽園(エデン)

 甘いとは言わない。愚かだとも思わない。この優しい世界に、そのような感情は求められていないはずだ。

 あるはずだった。けれど、ありえない夢の続きを――――主の心を正しく映し、天使は謳っているのだろうから。

 果たして、狂三が語る言葉を、少女はどのように受け取ったのだろう。複雑な口元を、少女は崩した。

 

「……夢は、いつか終わります」

 

「ええ。どのようなものであろうと、至上の快楽であろうと、夢は夢でしかないのですわ。だからあなたは――――せめて、夢の中ではと。わたくしの幸せを願ってくれましたのね」

 

「…………」

 

 夢の中では、幸せに。悪夢(ナイトメア)への皮肉――――そんな、わけはない。

 少女は、ずっとそれを願っていた。少女は、狂三へ祈りを捧げていた。狂三に幸せがありますように。狂三に救いがありますように。苦しい現実があるのなら、その道が悲しきものであるならば……せめて、夢だけは。

 夢は、終わる。きっと、この夢を見ている誰もが気が付いている。いつか誰かが、幕を引かなければならない。狂三たちの時間もまた、同じ時を刻んでいる。

 ならば、狂三は言葉を尽くす。幸せな楽園の裏で、これからの時間を産むために。弱々しく微笑む少女へ、狂三はただの時崎狂三として、ぽつりぽつりと言葉を零した。

 

「わたくし、あなたには感謝していますわ」

 

「……なんです、急に」

 

「いいから、聞いてくださいまし。あなたのおかげで、わたくしはわたくしでいられましたわ。あなたがいなければ、わたくしもまた、違う生き方をしていたかもしれませんわ」

 

 少女がいたから。従者である少女という存在があればこそ、時崎狂三は『時崎狂三』としてあれた。

 けれど少女は、それを否定するように首を振る。

 

「……そんなことは、ありません。私がいなくたって、あなたはきっと同じ道を選んでいました。あなたは、強い。強く在らねばならなかったのかもしれない。でも、強いという事実は、変わりありません」

 

「ええ、ええ。しかし、しかしですわ――――あなたがいたから、わたくしは〝心〟を失わずにいられた。そう、考えることもできますわ」

 

 それは恐らく、他の――――『時崎狂三』ではないもの。

 孤独の道を歩んだ狂三は、誰より非情な〝修羅〟としてあった。そういう未来(・・)は、可能性は、過去に存在している。

 修羅はきっと、救われる。誰でもない、五河士道の手で。でもそれは、今とは明確に意味の異なるもの。

 狂三は笑った。心から笑った。この微笑みは、全てを賭して狂三へ尽くしてくれた従者のためだけに。

 

 

「ありがとう。わたくしを孤独から救ってくれて。――――あなたがいたから、わたくしは士道さんと同じ道を歩むことができましたわ」

 

 

 その心があったから。まだ、狂三の心に残っていたから、取り戻すことができたから……狂三は、彼の手を取ることが叶った。

 

 そして――――――

 

 

「――――ごめんなさい。誰よりあなたを縛り付けていたのは、わたくしでしたのね」

 

 

 少女の人生を、本来あるべき生き方を捻じ曲げたのは、誰でもない時崎狂三だった。

 返せるものなど、なかった。時の果てまで共にあること――――どちらが本当に一方的(・・・)であったかなど、明らか。

 それでもなお、少女は悲しげに髪を揺らす。

 

「……違います。私が望んだことです。私が望んだ役割です。見返りなんて――――あなたが、生きていてくれるだけでよかった」

 

「…………」

 

 見返りというには、あまりに歪。狂三がいることを望む。けれど、少女自身が寄り添う結果は望まない。

 主と従者とは、対等ではない。対等で、いてはいけない。

 

「――――時の果てまで。そういう契約、でしたわね」

 

「……ええ」

 

 時の果てまで続く死出の旅。狂三と少女が交わした契約。共犯者、そして主と従者の密約。

 それは、少女にとっての死の約束であり、狂三にとっての生の約束でもあった。

 悲劇を『なかったこと』にするために。

 崇宮澪の存在を消し去るために。

 

 少女の生まれた価値を――――果たすために。

 

「終わりに、いたしましょう」

 

「…………」

 

 長き契約の終わりは、そんな呆気ないものだった。

 ただの一言と、少女の沈黙。たった、それだけ。でも、終わらせなければいけない。狂三のエゴで少女を縛り付けては、いけない。

 

「仮初の主に、ここまで付き従ってくださったことへの感謝を。あなたは、わたくしの最高の従者様でしたわ」

 

「……いいえ。主の願いを叶えられない、不出来な従者でした」

 

「そんなことはありませんわ。だってわたくし――――これから叶えにいくんですもの」

 

 そう。狂三は何も諦めていない。狂三の取った手には、狂三が望むことを諦めない選択肢が用意されているのだから。

 ああ、そうとも。だからこそ、狂三は言える。言い出せる。ようやく、言葉を見つけられた。

 

「そして、主と従者の関係は終わりましたけれど――――――」

 

 ああ、ああ。緊張の一瞬だ。これ以上ないほど、心臓が高鳴る。備えた手が鼓動を受けて、揺れている。

これ(・・)を言葉にすることは、出来なかった。『時崎狂三』には不可能だった。不可侵の領域だった――――こんなにも、簡単な言葉なのに。

 

 

「わたくしと――――友達になってほしいんですの」

 

 

 狂三に言えなかった難しい言葉が――――ほら、こんなにも簡単になっていた。

 言葉を迎え撃つように固唾を呑んで見ていた少女が、目を丸くしてポカンとした表情をしている。可笑しな様子に、狂三は声を上げて笑った。

 

「うふふっ。どうしたんですの、そのお顔」

 

「だ、だって……」

 

「だって? おかしなことはありませんわ。主と従者の関係はおしまい。でしたら、新しい関係が必要ですことよ」

 

 主と従者の関係を解消する理由は何か。もちろん、必要なくなったからだ(・・・・・・・・・・)

 悪い意味ではなく、良い意味で必要なくなった。そうであるならば、と、狂三はティーカップをテーブルに置き、言葉を続けた。

 

「わたくしは、あなたを犠牲にはいたしませんわ。そう、決めましたの。悲願のために、大切な人を諦めたりはしない――――あら不思議。あっという間に、友達の条件が開けてしまいましたわ」

 

 おどけながら肩を竦め、狂三は過去の皮肉げな微笑みとは違う、欲しいものを手にするための微笑みを使う(・・)

 願いを変えた時崎狂三は、果たして意味を変えたのか――――変えるわけがない。それを願って、叶える。そんな単純かつ強欲な願いを、狂三は叶えたいと思っている。

 

「本当は、ずっとしてみたかったのですわ」

 

「……何をです?」

 

 平静を装って、意地の悪い問い方をしてくれる。が、狂三はもう怯まない。怯えない。

 ここは、いずれ無へ帰る楽園。だけど、ここで願ったことは、現実にすることが出来る。

 

 

「あなたとこうして語り合うこと。日常を謳歌し、精霊ではなく一個人として――――あなたと出会った時崎狂三の、小さな願いですわ」

 

 

 その結果が奇跡だと言うのなら――――奇跡とは、努力をした者に与えられる報酬だと狂三は謳おう。

 心で思うことと、現実が同じとは限らない。生きていれば、そうでないことの方が多い。現実論で、誰もがその壁にぶつかってしまう。……たまに、現実を相手に正面から打ち破っていく規格外の人間(・・・・・・)がいたりするのだが、まあ稀な話だ。少なくとも少女や狂三は、そういった現実への折り合いをつけていた。

 心のどこかで、思っていた。この子と、穏やかに。この子と、ただ健やかに。ああ、そうだ――――あの琴里や令音のように。

 彼女たちもまた、終わりが定められた関係だった。けれど、その関わりや交流は決して嘘ではなく、なかったことにもならない。

 故に、狂三は苦笑を浮かべた。あの二人に比べると、自分たちはあまりに遠回りをしていたと。

 

「わたくしは、わたくしの罪を。あなたは、崇宮澪の罪を。互いに近づけないのも、当然ですこと」

 

「……仇の半身だと自分がわかっていて、あなたと甘い関係に浸れるほど、私はそれ(・・)を捨てられませんでした」

 

 狂三は『時崎狂三』の罪を背負った。許される大罪を侵した。許されるものではない。許されようとも思わない――――そうして、狂三は目の前の幸せから目を背けた。

 少女は『崇宮澪』の記憶を識っていた。それを止めようとしなかった。故に、悲劇は繰り返された――――時崎狂三は、悲劇の渦中に引きずり込まれた。

 その痛ましい表情に、狂三は眉を下げて息を吐いた。きっと、苦しいものだった。悲しいものだった。だってそれは、生まれながらの罪(・・・・・・・・)だから。

 でも、理不尽だ。生まれを選ぶことはできないし、ありもしない罪(・・・・・・・)で、少女は生きるべき人生を縛られてしまった。それでも、澪を憎むことをしなかったのは、捨てようとしなかったのは、少女がきっと――――――ああ、それはこの子の祈り(・・)なのだろう。

 

「ですが、今のわたくしは迷いませんわ。士道さんの、皆様の、そしてあなたの手を取りますわ。あなたが拒絶するというのなら……構いませんわ。それがあなたの意志によって為されるものならば、もうわたくしにあなたの決断を妨げる権利はありませんもの」

 

 狂三の毅然とした結論に、少女が息を呑む。

 時崎狂三に、もうその権利は存在しない。従者の主という、一定の権利を手にしていた狂三は、今し方捨て去った。少女が望まないというのなら、狂三はもう少女の手を取る手段を失う。

 だが――――――

 

 

「しかし、それはあなたの意志(・・・・・・)であればこそ。同じ貌だから、生まれだから――――そんな理由で拒絶をするというのなら、わたくしは絶対に引き下がりませんことよ」

 

「っ……」

 

 

 恐らくは、吐き出そうとした言葉を詰まらせて、少女が不意に目を逸らす。やはりそうだったか、と狂三は目を細めた。

 ティーカップの口縁に指を乗せ、軽く水面を揺らす。揺れる水面に、僅かだが向こう側の光景が見えた――――そろそろ、あちら(・・・)の時間も気にしなければならない。

 この場所の時間軸は、狂三の眼が常に違和感を訴えるほどに歪んでいる。一定ではなく、寄せては返す波のように気まぐれ。現実との隔たりは、驚異的な時間のズレを引き起こす。

 ――――だが、無限ではない。時は有限であり、進行時間の切り取り(・・・・・・・・・)というだけならば、狂三と士道が作り出す意識共有領域の方が実のところ優れている、という結論に達した。それを理解できるのは狂三と、誰より――――士道が理解していることだろう。

 

 

「わたくしは、ただの時崎狂三ですわ。一人の男に愛され、愛してしまった。その結果、とんだ夢物語を信じてしまった女……そこに幸せを感じてしまうのは、もうどうしようもないほどにあの人を好きだからなのでしょう」

 

 

 ただ一人の、時崎狂三。悲願のために全てを捨てた『時崎狂三』は敗れた。恋という夢に溺れ、愛を覚え、そして無くしたくない絆を手にした狂三(しょうじょ)に敗北した。

 そうして生まれた狂三は、『時崎狂三』では選べない選択肢を選んだ。

 

「――――もう、罪に苛まれる必要はありませんのよ?」

 

「あ……」

 

「あなたが澪さんの罪を背負うというのなら、止めはしませんわ。あなたなりに、澪さんに感じ入るものがあるのでしょう。ですが、その罪をわたくしは許します(・・・・・・・・・)

 

 狂三だから許せるものがある。狂三にしか許せないものがある(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「澪さんの罪の全てを、わたくしの一存で許すことはできないのでしょう。当然のことですわ。わたくしの罪とて、決して『なかったこと』にはならないのですから」

 

 澪の罪の全て。失くしたものを取り戻したいという願い。それ自体は間違ったものではない。しかし決意は、取ってしまった手段は、許すことの出来ない罪過だ。狂三も同じことをして、罪を背負っている。

 無くしてはいけない。背負っていかなければならない。許されるものではない。

 

 だが、少女がもっとも罪を感じたことだけは、狂三が許すことが出来る。何故ならば――――――

 

 

「でも、わたくしは許しますわ。だって、この痛みはわたくしが受けたものですもの。その罪を許す〝権利〟は、わたくしにありましてよ」

 

 

 それは他ならぬ、時崎狂三のことだから。なんと単純な理屈であろうか。しかし、罪過というものが人の心から生じるものであるのなら、それもまた必然の理屈だ。

 狂三は許す。少女が罪過を背負うというのなら、狂三はそれを許してやりたい。だって、理不尽だ(・・・・)。記憶を受け継いだからといって、その罪を少女が背負わねばならない義務はない――――誰もそのことを、少女に言ってはやれなかった。

 

「あなたへの恨みなど、何一つありませんわ。感謝なら、数え切れないほどありますけれど。恩を売るためにしたつもりはない、それは承知の上ですわ。だから、恩を返すためではありませんわ。……ああ、ああ。士道さんのようにはいきませんわね」

 

 ただ言葉を伝えて、想いを、意味をもたらす。それだけが、何と難しいことか――――士道はそれを、心を曲げずにやってきたのだ。

 伝える。分かり合う。そのために必要なことは、知っているはずだ。心の鎧を脱ぎ捨てろ。あの人を、誰より見てきたのだろう。冷静沈着で大胆不敵な時崎狂三ではなく、あの人のように真っ直ぐに。考え、思ったことを為せ。

 

 

「難しいお話は、もう散々いたしましたもの。ですから、簡単な言葉を何度でも――――わたくしはあなたと友達になって、生きていきたい。ただそれだけですわ」

 

 

 その言葉ですら、不十分。その言葉ですら、簡単ではない。

 あるじゃあないか。伝えるべき言の葉が――――返すことが出来なかった、最高の言葉が。

 時崎狂三は、物事を半端な状態では投げ出さない。捧げられた愛を、今ここに返そう。

 

 

「わたくし――――あなたのことが好きですわ」

 

 

 ただ真っ直ぐの愛を。捧げられた親愛に対する、偽りなき親愛を。

 笑顔で。自身の〝価値〟を知る狂三は、極上の微笑みを少女へ向けた。

 返されたのは――――耐えても、堪えられないほどの、歓喜(・・)

 

 

「……ずるい、人」

 

「ええ――――わたくし、誰もが認める賢しい女ですもの」

 

 

 そう。これは、ずる(・・)だ。少女が狂三に対して、どのような感情を持っているか――――恋情を上回る友愛の情。

 崇宮澪が、あらゆる情を超えて崇宮真士を想うように。

 少女は、あらゆる情を超えて時崎狂三を想う。

 それを知りながら、狂三は口にした。拒絶できるわけがない。どれだけ見返りを求めていなくても、人はその欲求には抗えない。澪でなくても、澪の血を引く少女であればこそ――――狂三からの要求を、少女は必ず〝肯定〟する。

 

「――――っ」

 

 だが、その歓喜の裏に隠された陰りを、狂三は見逃すことができなかった。

 ――――少女へ、告げなければならないことがあった。

 それは狂三のことではなく、少女自身の――――崇宮澪のこと。少女はもう、気付いているのかもしれない。けれど、その〝呪い〟は誰かが解かなくてはならない。

 

 

「――――少し、外を歩きましょうか」

 

 

 たとえ真実が、価値のない呪いより――――価値のある、残酷な願いだったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広がる浜辺に、四人の足跡。描かれては、波に消える。

 降り注ぐ太陽。潮風。漣――――永遠に続くと思える理想の楽園。

 実に四時間、五時間は経過したところか。澪と真士に連れられ、初夏を遊び尽くさんばかりに渡り歩いた。果ては、自分自身との料理対決ときたものだ。それは経験の差(・・・・)で士道が勝利をせしめたが――――当たり前の、ことだった。

 この空間では、士道と令音に真士と澪であった実感が抜け落ちている。互いに確認したことだ、間違いはない。

 

「本当に――――気持ちいいね。ふふ、ここに連れてきてくれたシンに感謝しなくちゃ」

 

「お気に召したなら何よりだ。景観がいい場所探すの、結構苦労したしな。あんまり遠すぎても行けないし。――――士道の時代はスマホとかいうのがあるんだろ? ずるいよなー。いつでもどこでも世界中の情報が収集できるって便利すぎるだろそれ」

 

 深く息を吸い、本当に楽しげに話す澪と、冗談めかして肩をすくめる真士。士道はそれに、曖昧な表情での苦笑を返した。

 

「……士道」

 

 そんな士道の様子を察したのだろう。声をひそめた令音に、小さくうなずいて平気だと意を返す。

 当たり前のこと――――ああ、当たり前の、ことなのだ。誰もが気付いてしまうほどに(・・・・・・・・・・・・・)

 

「――――あ、私あれやってみたかったんだ。花火。海っていったら花火なんでしょう? 三十年前にきたときは、夕方には帰っちゃったからできなくて」

 

「し、仕方ないだろ。それくらいには帰らないと遅くなっちまうし。真那にも心配かけるし邪推されるし……」

 

「ふふ、むしろ、これからやる楽しみがあるじゃない。ダイビングや、バーベキューもしてみたいな。あとで街にも行ってみよう? 私と、シンと、令音と、士道で。ああ、きっと楽しいよ。――――本当に、このときがずっと続けばいいのに」

 

 心の底から、楽しみ、弾んだ声。士道たちの様子に、気付いた様子もなく。

 澪は本当に、望んでいる。この時間を、永遠に。この時間を、どうか――――だから、士道の心は、一拍の時を要してしまった。

 

 

「――――ああ、そうだな」

 

 

 だが、言わなければならない言葉がある。拳を握りしめ、士道は――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この夢は――――永遠には続かない」

 

 少女は、言った。

 

「時は止められない。それは、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の領域ではありません」

 

「よしんば止められたとして、それは美しいだけの一瞬ですわ。時間というのは優しくもありますが――――また、残酷でもあるのですわ」

 

 時間は優しい。誰よりも優しい。平等であるから。

 時間は残酷だ。誰よりも残酷だ。平等であるから。

 平等でないこの空間でさえ、時が流れるという事象だけは変えられない。

 

「……告げたのですね、五河士道は」

 

「ええ、ええ。永遠でないというのなら、終わりは必要――――相変わらず、損な役目を引き受ける方ですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ごめん。士道に言わせちゃったね」

 

「澪……」

 

 真士が澪に、その肩に触れようとし――――手を下ろす。

 夢の終わりを、実感する。誰かが幕を引かねばならなかった。士道、令音、澪、真士……皆、気が付いていた。しかし、口にできなかった。

 この夢はいつか覚めるものだとわかっていながら、できなかった。この夢がずっと続けばいいと――――幕を引くのは、きっと士道の役目だったのだ。

 

「……最初に令音さんとキスをしてから、経路(パス)を通って澪の記憶が流れ込んできた。――――あの子とキスをして、それがもっと確実なものになった」

 

 滲みかける涙を拭い、澪の目を見据える。ああ、ああ。痛い、痛い、痛い――――でも、逃げてはいけない。

 確信に至らない。そんな言い訳は、もうできないから。

 

 

 

 

 

 

「――――澪さんは、亡くなられた崇宮真士さんを甦らせるために、あの方を産み直した。そうですわね?」

 

「……はい」

 

 記憶を持つ少女が、こくりとうなずいた。

 三十年の妄執。三十年に亘る切なる願い。

 失われた命を甦らせる。人のあるべき姿を超え、死なず年老いぬ永遠の恋人として作り替える。〈デウス〉と呼ばれた精霊に相応しい、神に迫る所業だろう。

 

「その望みに嘘はないのでしょう。偽りではなく、真なる願い。でも、一番の願い(・・・・・)ではないはずですわ――――あなたという存在が、誰よりも同一存在を否定しているのですから」

 

「…………」

 

 向き合った少女は、麦わら帽子の下に物憂げな瞳を隠して――――崇宮澪とは違う想いで、狂三を見据えた。

 そう。少女は崇宮澪でありながら、崇宮澪ではなかった。記憶を主観できなかったから? 否、たとえ主観であったとして、少女は決して崇宮澪にはなれない。

 澪が少女を観測した時点で、その結果は見えていた。見えていながら、虚構の崇宮真士に縋ることで、心の穴が埋まると澪は信じていたのか――――それも、また否。

 

「あなたは、自分を価値のない精霊だと……崇宮澪に望まれなかった生命だと、そう言いましたわね?」

 

「…………はい」

 

 逡巡は、少女自身の心の現れ。だが、止めなかった。たとえ涙が滲もうとも、狂三は言葉を止めるわけにはいかなかった。

 

「違いますわ。ありえませんわ。澪さんが望んだ生命が、あなたなのですわ。でなければ――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――〈アンノウン〉の霊結晶(セフィラ)に、自己進化(・・・・)という特性が生まれるわけがないんだ」

 

 意味がないのなら、模範した存在が生まれるはずである。劣化した能力はありえるはずもなく、違える力は存在し得ない。無価値だと言うのなら――――そこに進化は、存在してはならない。

 少女が自らの幸せを否定するのは、狂三への罪悪感だけではない。少女自身の価値と意味。崇宮澪の望み(・・・・・・)。それらが絡まり合い、少女に無価値という刷り込みを働かせた。

 澪が、己を模範した生命を意味もなく創るはずがない。そこに偶然があってはならない。あるのは、必然のみ。

 なぜ、少女は自己進化の霊結晶(セフィラ)を持ち合わせながら、その身体は受け入れられなかったのか。

 なぜ、劣化した能力という特性を持ち合わせながら、秘奥の天使だけは正しく受け継がれてしまったのか。

 なぜ――――五河士道は、霊力封印能力(・・・・・・)を授かったのか。

 

 故に、答えは導き出される。

 

 

「お前が自覚していたかどうかはわからない。でも、お前の記憶を第三者の視点で見たからこそ……至ったことがある」

 

「あなたが自覚していたかどうかまでは……いいえ、きっとわかっているのでしょう。けれど、わたくしが言わなければならない。あなたを見てきたわたくしだから、至ったことがありますわ」

 

 

 答えに至る道筋は、幾度となく描かれていたから。

 

『私は人間みたいに弱くない。だから、死を望んでも死ぬことは出来ない――――君たちのように強くあれたなら、よかったのかな』

 

『知ったら、きっとあなたは私を撃ち殺したくなる』

 

『シンのいない世界に意味などなく、シンのいない人生に価値などない』

 

『私は――――時崎狂三が生きていてくれれば、それでよかったんです』

 

 くずおれそうになる膝を保ちながら、言った。

 

 

「――――澪、お前は、自分を殺せる存在を創るために、俺を生んだんだ」

 

「そして、自らを滅ぼし得る存在、死を望む願いこそ――――それがあなたへの、祈りですわ」

 

 

 その、言葉に。

 

 

「…………」

 

 

少女()は何も答えず――――しかし悲しげに、笑った。

 







アンノウンの〈   〉枠の名はパラダイス・ロストだったというお話。

ポシャっちゃった☆とかやったゲーム編。つまり、凜祢ユートピア編があったとしたらの原案。万由里との関係で気付く方も多いのでしょうが、凜祢も澪の天使から生まれた存在であるため、当然少女と密接に関わる精霊でした。
ぶっちゃけ話、この章は唯一アンノウンがある意味で〝敵側〟として描かれる章だったんです。〈無へと帰す者(パラダイス・ロスト)〉を乗り越えた士道たち。しかしその瞬間、歴史は再び繰り返され――――というのが大まかなあらすじ。
繰り返しは終わり、閉じ行く世界で狂三だけが違和感を感じる。救われる(・・・・)世界で、望む幸福のため忘れ去られることを望んだ少女を……とまぁ、そんな感じのお話でした。
ポシャっちゃった理由は簡単で、一つはタイミング。時系列は狂三アンサーと八舞テンペストの間なので、士道と狂三の戦争はこれからだ!!って時にやる話かよってのと、もう一つはこれアンノウンの正体モロバレやん()という感じでした。あと、敵対側として描くとこの子の目的もバレちゃいますしね……この時点では、基本的に狂三が生き残る最善手を探す子ということを忘れてはならない。
ネタバレだらけな上に、狂三に狂ったやべーやつをバラすにも早すぎる。あといきなり敵側、しかも章のボス枠にするのはなぁ、ということであえなく没に。ので、〈   〉もそのまま登場しました。これはこれで良かったと思ってますけれど。
というか、救われる世界という言い回しもできますし『十香ワールド』の再現枠でもありますね。今さら気がついたというか……。正直偶然なのですが、こういう意識した仕掛けは察しの通り好きなので自覚して書くとなおのこと寄せられそう。凜祢との関係もありますからね。アンノウンが強行した理由はまさに……とか。

本編終わったら書くかなぁとか言ったけど、その本編長すぎるわ!!って作者自身思ってて、終わったらちょっと休ませてみたいな願望もなくはないという。あと次回作書きたい。
この章自体は狂三が主人公に近い役回りなので(あと夢の世界なので制約なしで士道とイチャイチャする)くるみん好きの要望があれば気合いが入るかも(これ言って来たことはない)。
あと狂三アンサー直後なのもあって人間関係が面白いかもしれませんね。折紙はアンノウンと敵対した程度の関係、狂三とも当然仲が悪いどころの話じゃない。琴里も狂三相手は警戒モード。癒し枠の十香と四糸乃に頑張ってもらわないと詰む。うわ書きずれぇ……。

今回なんでそんな話をしたかと言えば、本編中にちょっとした言葉遊びを入れたのと、ちょくちょく書いてかないと完結後の後書きが大変なことになるかなと。今も後書きのくせに大惨事な文字数ですしね!!

さて、本編ではついに進んだ、というべきでしょうか。軽口な二人のやり取りも懐かしさを感じる今日この頃。
望まれた生命はそこにある――――たとえそれが、祈り(のろい)であったとしても。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百九十二話『その狂気は誰がために』

 

「――――それで、シドーたちはどうなったのだ二亜!!」

 

「一体あの中はどうなっているの? 士道と澪は一緒にいるということ? あの子と狂三は?」

 

「きゃー!! そんなのずるいですぅ!! なんで私も一緒にいれてくれないんですかぁ!!」

 

「至急。正確な情報を請求します」

 

「ええい、焦れったいぞ二亜!! その本、我に貸してみよ!!」

 

「いや、ちょ、いたっ、痛い!! みんな近いから!! 集中できないから!! ちょっと本当に――――だぁぁぁぁぁぁ!! くるみんの分身、いるならヘルプ!!」

 

 千切られる。このままではもげる。腕とか足とか胸とか。〈囁告篇帙(ラジエル)〉で繭の様子を探っていた二亜は、たまらず声を張り上げて救助を求めた。

 瞬間、〈フラクシナス〉の外装上に〝影〟が広がり、無数の分身体が二亜の要請に応じて躍り出、二亜の周囲に張り付く精霊たちを引き剥がした。こういうのはあたしのキャラじゃないなぁと思いつつも、わしわしと頭を掻きながらため息を吐いた。

 

「少年たちが心配なのはわかるけど、だからってあたしの扱いを雑にしないでほしいよ!! まあ、いつもちょっと雑だってのはそうなんだけど!!」

 

「二亜さん、話が逸れていますわ」

 

「そうだった!! ――――とにかく、すぐに調べるからちょっと待っておくれよ。二亜ちゃんにお任せってね」

 

 苦笑気味に語りかけた二亜に、精霊たちがこくりとうなずいた。落ち着いたのか、申し訳なさそうな表情だ……なぜか、分身に強めのクラッチをかけられている美九以外は。まあ、いつかの恨みなのだろう。具体的には年明け辺りの犠牲者とか。

 とはいえ、精霊たちの心配もわかるというもの。士道だけではなく、狂三と〈アンノウン〉までこの繭の中に吸い込まれていったのだ。中の様子がわかるとなれば、多少の混乱は致し方ないこと――――それにしたってもみくちゃは酷いと思うけど。これくるみんなら絶対扱い違ったよね!? とか考える二亜であった。

 

「いやぁ、助かったよくるみんみん。悪いね、あたしの言うこと聞いてもらっちゃって」

 

「構いませんわ。わたくしたちも、冷静でいられるのは二亜さんのお陰ですもの……くるみんみん?」

 

「さてさて、お仕事お仕事」

 

 くるみんがみんみんでくるみんみん……何を言っているのか、自分でもわからなくなってきた。戯言を頭に浮かべながら、二亜は再び〈囁告篇帙(ラジエル)〉の紙面に浮き出た文字をなぞる。

 使えなくなっていたのは、ほんの一ヶ月程度だというのに、酷く懐かしい感覚が二亜を襲う。全知の天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉。その力は謙遜なく、完璧な形で二亜の元へ返却されていた。随分と大事に扱ってくれていたあの子に感謝を示しながら、二亜は読み取ったイメージを言葉にしていく。

 

「――――少年とみーにゃん……あとれーにゃんに、少年がもう一人? ちょうどこの下にある、海岸みたいなところにいるね。くるみんとシロちゃんは、そこからちょっと離れてるみたいだけど……いや、今合流したのか、な」

 

 必要な箇所だけを取り出し、断片的に言葉にしていく。精霊たちの反応は様々だが、到底納得を得たような顔ではなかった。

 

「むん……主様が二人と申したか?」

 

「ふしぎ……です」

 

「え、それに澪と令音が別々にって……この繭、増殖効果でもあるの?」

 

「うんにゃ、そう単純な話でもない気がするけど……今、なんでそうなったかを検索して――――――」

 

 情報から情報へ。いもずる式に解を求めようとした――――瞬間。

 

『――――――ッ!?』

 

 ――――霊力。それも、凄まじい奔流となって合流しようとしている(・・・・・・・・・・)。精霊たちは残らず気づき、肩を震わせた。――――二亜だけは、別の意味合いを伴った驚愕を口にしたが。

 

「おいおいおい――――マジで運ゲー(・・・)乗り越えてきちゃったわけ? 冗談キツいっての……!!」

 

「!? どういうこと、二亜!!」

 

 この状況下で冷静に言葉を摘み取った琴里が、慌てて二亜へ問うた。

 二亜は苦々しい表情で答える――――答えないわけにはいかない。それがたとえ、手遅れ(・・・)だったとしても。

 

「あいつだよ。――――アイザック・ウェストコット」

 

「っ……!!」

 

 琴里が、いいや、精霊たちの誰もが息を呑んだ。そうだろう。その名を、知らないわけがない。敵の総本山、DEMの事実上のボス。それでいて、ここに至るまでひたすらに沈黙を保ってきた親玉。

 それが今になって、二亜から名前を聞くなど思ってもみなかったことだろう。二亜とて、数秒前までは半信半疑だった。

 まさか、思うわけがない――――一手違えば完全なゲームオーバーを迎える状況下で、運だけの特攻(・・・・・・)を仕掛けてくるなど。それでも、〈囁告篇帙(ラジエル)〉は情報を違えることなく、二亜に詳しいイメージを送り届けてくる。

 

「あのもやし女が乗ってる戦艦、〈ゲーティア〉ね。あれに、精霊術式(・・・・)を積んで突っ込んできてる。ていうか、完全にそれ専用機って感じだね」

 

「精霊術式……?」

 

「飛びっきりにヤバい代物だよ――――三十年前、始原の精霊を生み出した術式(・・・・・・・・・・・・・)さ」

 

『な……!!』

 

 二亜の答えに精霊たちが目を見開き、驚愕の声をもらす。渋面を作る二亜も、知らなければ同じように驚いたことだろう。

 

「精霊術式を積んでる、って……そ、それって澪と同じ始原の精霊を、もう一回生み出そうってこと……!?」

 

「なっつん大せーかい。精霊術式を起動するために必要なポイントは二つ。モチのロンでその精霊術式と、マナの中心、霊脈。精霊術式は現在稼働しながら移動中。霊脈は――――あたしらの目の前にある」

 

 目敏い精霊たちは即座に二亜の示したものに気づき、そうでなくても全員がまず正解へ行きついた。

 三十年前、始原の精霊を生み出した折、彼女はその霊脈の機能を丸ごと吸収したらしく、霊脈は力を失った。当然、超常生命体を生み出す霊脈は幾つもあるはずがない。何百、或いは何千年と時間がかかるという結果が算出されている。

 では、霊脈の代わりとは何か――――答えは簡単。霊脈を取り込んだ崇宮澪が霊脈そのもの(・・・・・・・・・・)だ。澪を介して――あの少女も含めて――ウェストコットはマナを集積させようとしている。

 

「く……冗談じゃないわよ!! 二亜、今すぐ〈ゲーティア〉の場所を――――――」

 

「わかってるけど、わかったところで(・・・・・・・・)なんだよ、妹ちゃん」

 

「っ……どういうこと?」

 

 息を詰まらせた琴里が問う。〈囁告篇帙(ラジエル)〉という全知を持つ二亜の答えは、さぞ琴里たちには疑問だろう。

 しかし、二亜は識っている(・・・・・)。〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手にしているからこそ――――この力を手にできなかったウェストが、どれだけの〝賭け〟に望んでいるのかを。

 

「まず、精霊術式を積んだ〈ゲーティア〉だけどねぇ……そもそも、マナを集束することに機能を全振りしてる。飛びっきりの濃いマナだ――――下手な魔力や霊力と誘爆したら、街ひとつは更地どころじゃ済まないだろうね」

 

「じ、自爆ですかぁ!?」

 

「間違ってないよねぇ。向こうさんも後がないわけだし。ま、あのもやし女がついてるから、向こうだけは生き残るだろうけどね。んで、こっちも消耗が激しいじゃない? あたしの〈囁告篇帙(ラジエル)〉も、せいぜい時間稼ぎがやっとだし、〈フラクシナス〉は姿勢制御で一杯一杯ときたもんだ」

 

 はーやれやれ、と口では楽観を描きながらも、二亜は手を止めず〈囁告篇帙(ラジエル)〉に筆を走らせる。

 ――――〈未来記載〉。書の天使の極地であり、二亜が行える数少ない外部干渉。

 だが、この力でも限界はある。未来への干渉スピードと、向こうがデタラメなマナを吸収する時間と不安定な環境。あと忌々しいが無駄に能力の高い魔術師。まるで、釣り合っていない。こんなことになるなら、もう少し鍛えておくべきだったと考えるのは後の祭りだ。

 

「みんなはみんなで、少年の道を造るのに全力を尽くした。腐っても、あのもやし女の操る艦は超一流。小手先の牽制なんか、一秒のそのまた半分の足しにもならない」

 

「そんな……」

 

 事実上、こちらの手出しが封じられている。そのことを知り、呆然と言葉を漏らし、悔しがるように歯ぎしりをする琴里。

 当然、琴里の落ち度ではない。誰の落ち度でもない。そう――――――

 

 

「気にすることないよ――――向こうが無謀な賭け(・・・・・)をして、奇跡的に勝ったってだけさね」

 

 

 運だけでもぎ取った奇跡を、誰が止められるというのか。

 

「え……?」

 

「みーにゃんを霊脈にするって言っても、そんな簡単なことじゃない。みーにゃんが少しでも動けるなら、精霊術式なんて一瞬で解体される代物さ。ちなみに、向こうはこっちの状況なんて何もわからない(・・・・・・・)。みーにゃんとシロちゃんが派手にやり合った時、中心部以外の観測機器は約立たずになってるっぽかったしね」

 

 『法』の天使〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉。

 『死』の天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉。

 この二つの衝突は、外界にも少なからずの影響を及ぼしていた。観測機器に留まらず、様々な障害を周囲に撒き散らしたことだろう。本来ぶつかり合うことなどありえない、法則を捻じ曲げる力と力のぶつかり合いだ。その余波がどうなっているかなど、考えても見ろというのだ。

 魔術師の随意領域(テリトリー)にも、当たり前のように影響は及ぶ。ここから距離を置いた戦闘(・・)にさえ、ある程度の影響があった。少なくとも、衝突の瞬間は〈ゲーティア〉がこの付近に滞在していることはありえない。何かあると、悟られてしまうからだ(・・・・・・・・・・)

 つまりは、DEM側が知れた情報は二つ。澪が出現したという情報と、こちらの位置(・・・・・・)。たった、二つである。

 

「そいで、ここからが本題なわけなんだけど……目と耳を潰されて、ウェストコットはどうやってこの数分(・・・・)を判断したと思う?」

 

「どうやって、って……」

 

「不審。できるわけがありません。直接戦っていた夕弦たちでさえ、その判断はできませんでした」

 

 この数分。時間にして、僅か数百秒。澪はこうして動きを止めた。

 しかし、それを予測できたものはいたか? 否、いるわけがない。狂三の未来予測を以てしても、数秒の誤差。それほどまでに、始原の精霊の力は次元違いだったのである。

 では、なぜ(・・)。〈囁告篇帙(ラジエル)〉を受け取った二亜が、ウェストコットたちの所在を認識し、動く気配がないこと(・・・・・・・・・)を知って、その数十秒後に繭の観測を始めた。

 

「そう、できるわけがない(・・・・・・・・)。できたとしても、〈囁告篇帙(ラジエル)〉にわからないわけがないんだよね」

 

 二亜は、そう告げて指の動きを止める(・・・・・・・・)

 理屈がなければ説明ができない。しかし、理屈があれば〈囁告篇帙(ラジエル)〉に理解できないものはない。

 故に、この数分に理屈は存在しない(・・・・・)。あるのは、個人の考えと意志。それは〈囁告篇帙(ラジエル)〉が唯一読み取れないものであり、それを読み取るのは作家である二亜自身。

 眼前に迫る巨体。それを目にした二亜は、ただ冷静に事実だけを告げた――――誰も、信じられないであろう真実を。

 

 

「〈囁告篇帙(ラジエル)〉でわからない。なら、答えは一つ。策なんてない(・・・・・・)。アイザック・ウェストが用意したのは、成功の確率が限りなく低い――――ただの直感による特攻(・・)さ」

 

 

 精霊たちの顔が驚愕に歪む――――瞬間、〈フラクシナス〉の艦体が大きく揺れた。

 無論、理由は一つ。〈ゲーティア〉が艦の横っ腹に突撃、その随意領域(テリトリー)を同化させて横付けしている。

 

「こっちの随意領域(テリトリー)が弱ってるんだから、干渉するのも簡単なんだろうけど――――是非、お聞かせ願いたいもんだね、世界最悪の社長(プレジデント)さん?」

 

「――――その呼び名、あまり正確ではないのだがね」

 

 ――――喰らいついた艦体の影から、一人の男がゆっくりと歩み出る。

 光を帯びたその男は、薄ら寒い笑みを浮かべて二亜たちと相対した。それだけで、異質。控えには、世界有数の魔術師(ウィザード)もいるであろうに、その空気感だけでこの男が一番の驚異であると理解できた。

 対して、あくまで皮肉な笑みを見せつけ、二亜は応答する。

 

「なら、こう呼んだ方がいいか――――魔術師(メイガス)。純粋なマナを扱える一族の末裔、その数少ない生き残り」

 

「ふっ――――はははは!! やはり、素晴らしい力だ。その力が欲しかった……が、今はそれすら意味をなさない」

 

 ウェストコットが高々に笑う――――その纏う光から、小さな光の塊が分離し、二亜へ向かって飛翔する。避ける間もなく、いいや、避ける必要はなく(・・・・・・・・)、それは二亜の胸元へ吸い込まれた。

 

「二亜!!」

 

「平気だよ。これ、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の力だし――――なーるほど。これを取られたくなくて、ずっと隠れてたってわけ」

 

 顔色を変えて二亜を案じる琴里へ冷静に返し、自身の胸元に手を当てながらウェストコットへ嘲笑を向ける。

 ほんの僅かな欠片。恐らくは、ウェストコットという魔術師が触れたその瞬間、偶発的に移された力の一旦。ただ、知りたいものの位置を知る(・・・・・・・・・・・・)ことができる力、といったところか。

 知る力が弱く、そして遅い。しかも、こうして宿主に近づけば吸収されてしまう。悪の親玉がこれを後生大事に隠し持っていたというのは、些か滑稽に映るというものだ。

 だが、皮肉をぶつけてもさして気にした様子はなく、むしろ楽しげにウェストは笑う。

 

 

「許してくれたまえよ。待つだけの時間は、慣れているとはいえ退屈なものだ。暇つぶしというものは、人生に必要な醍醐味だよ」

 

「心にもないこと言うねぇ。もうそれ(・・)が全身に回る頃だろうし、教えてほしいんだけど――――何を確信したのさ、魔術師(メイガス)

 

 

 既に、手遅れ。収束したマナは、余すことなくウェストコットの全身を巡り、その身を変える(・・・)。だからこそ、二亜に出来るのは口先で時間を巡らせることでしかない。

 この男は、それすら読み取っているはずだ。それ故に愉快だと、悦楽だと――――偶然(・・)を手にし、破滅を楽しむこの男は、

 

 

「何、君たちと同じさ――――私は、イツカシドウを信じていた(・・・・・)。あとは、私が生きるか死ぬかの賭けでしかなかった」

 

 

 その、立場を変えるだけで醜悪となる言葉を放ち――――――絶望を、その身に宿した。

 

 

「実に喜ばしい。彼のお陰で私は――――二人目の始原精霊として、誕生する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 時を超えて、静かに。その静寂は、時を流す。

 夢のように美しい砂浜で。移り変わらぬ美しさの中で――――故に、いつか消えゆく楽園の中で。

 士道が澪に放った言葉は、あまりに残酷で、無慈悲で、破滅的であった。

 全ての悲劇を捧げ、全ては愛しい人と再会を果たすため。言葉の刃というものがあるのなら、士道が放った言葉は正しく刃。少女の心を切り裂く、破滅の牙であろう。

 けれど澪は、笑っていた。ただ静かに、微笑んでいた――――恐らくは、あの少女も。

 

「……私を殺せる存在、か……。確かに……もしも霊力が封印されたなら、私は普通の人間――――とまではいかずとも、今とは比べものにならないくらい脆弱な存在に変貌する。それこそ、自死さえも可能かもしれないくらいに」

 

 自分の言葉を濾過し、自分の心へ導くように。澪はゆっくりと言葉を紡ぎ、不意に視線を外す。

 そうして、先にいる二人を見て、細く息を吐いた。

 

 

「そして、私の力を受け継いだ存在なら、私を滅ぼすことができる。或いは、その助力になる。そんな身勝手な望みを、私は叶えてしまったんだ――――そうでしょう、『私』」

 

 

 ――――砂浜に、足跡が刻まれている。士道と令音、澪と真士。どちらでもない、少女たちのもの。

 澪が見据えた先を見て、真士が目を見開いた。崇宮真士は、士道から切り離された真士の記憶の具現化。それを鑑みれば、驚くのも無理はなかった。

 対して、士道に驚きはない。現れた少女のどちらも、士道にとっては馴染み深い存在であり――――一人は、この世の誰より愛した人なのだから。

 

「――――狂三。〈アンノウン〉……」

 

「ごきげんよう、皆様」

 

「…………」

 

 狂三は淑やかな微笑みを。少女は、澪を悲しげに見据えた。

 二人がいることは、感覚でわかっていた。だから士道の顔には驚きは現れない――――いや、姉妹のように白と黒のワンピースを着た二人には、少し驚かされた。こんな時でなければ、いの一番にベタ褒めをしたであろうに。

 士道、澪、令音と狂三が視線を巡らせ、そして真士を見た。そうして、丁寧に礼を――ワンピースなためドキリとする領域で――見せつけた。

 

「あら、あら。あなたが崇宮真士さんですのね。初めまして、になりますかしら。わたくし、時崎狂三と申しますわ」

 

「あ、ああ。こちらこそ、初めまして。崇宮真士です……」

 

「……ほお」

 

 あ、わかる。今、真士が何を思ったか凄くわかる。育ちは違えど自分自身――――今絶対、狂三を綺麗な子だって思った。

 

「士道」

 

「……わかってます」

 

 士道の隣にいる令音が、すかさずといった様子で声をかけてきた。軽く息を吐いて、落ち着く意味合いも込めて小声を返した。

 

「さて――――――」

 

 そう、言葉を零した狂三――――その空気(・・・・)は、当然のように澪へ注がれた。

 

「随分と身勝手なその願い。ようやく自覚されたようですわね、澪さん」

 

「……そうだね。君たちを振り回した挙句、死にたかった(・・・・・・)なんて願いを知れば……君がするべきことは一つだ」

 

 鋭く、痛ましい両の眼を粛々と受け止め、それでも澪は落ち着いた語調で言葉を紡いだ。

 

「シンを甦らせようとしていたのは嘘じゃないよ。それが、私の希望(のぞみ)だった。あの日死んでしまったシンともう一度会うために、私は三十年の間生きてきたんだから」

 

 確かにそれは、本当のこと。けれどそれは、事の真相ではない。

 

「――――士道と狂三の言うとおり、そうして生まれたのが本当にシンなのか、っていう疑問は、ずっと心のどこかにあったんだ。……でも、他に方法はなかった。だから私はそんな不安に蓋をして、ずっと見ないようにしてきたんだ。きっと新しいシンが生まれれば、そんな気持ちごと吞み込んでくれるって、何の根拠もなく思ってたんだ」

 

 超越者として、果たされない望みを。たった一つの望みを、澪は自覚などできなかった。

 その自覚を受け継いだ者が、存在していたのに。

 

 

「……そうか。私は――――ずっと、死にたかったのかもしれない。シンを不死にしようとしたのも、シンがいつか死んでしまうことに耐えられなかったんじゃなく、シンが死んでしまったとき、自分だけ生きているのが耐えられなかったからなのかもしれない。……ああ、そうか。なんで、今までそんな単純なことに気づかなかったんだろう――――――」

 

 

 言って、澪は狂三から、士道から視線を外した。再び巡る瞳は、令音でも真士でもなく――――――

 

 

「――――君が、いたはずなのにね」

 

「……」

 

 

 自らが産み落とし、自らの願いを背負った少女を捉えた。言葉を返すことなく、悲しげに瞳を揺らす少女。

 背を向けることもせず、澪は歪んだ願いを、悲しき罪過を、少女へ突きつけた。

 

 

「でも、そうか。なら、君が私を――――殺してくれる(・・・・・・)んだよね?」

 

「…………」

 

「――――っ」

 

 

 澪の言葉に令音が眉根を寄せ、真士が息を詰まらせる。

 ああ、その回答は道理だ。行き着くことは、不思議ではない。澪の願いを受けた自分自身(『私』)だというのなら、その願いを自覚した時点で果たすこともまた叶うべき。

 だが、士道は違う。

 

「違う。澪、この子は――――!!」

 

 そして、彼女も、違う。

 

 瞬間、溢れるは殺気(・・)。長い年月を得て育った憎悪と、それを超える絶大な怒り(・・・・・・・・・・・)

 

「この期に及んで、その程度の答え(・・・・・・・)しか出せませんの?」

 

 その怒りは、狂三自身ではない。誰かを思っての怒り。故に、澪すら目を見開く絶対零度の激昂がそこにはあった。

 

 

「でしたら、無駄でしたわ。愚かでしたわ。あまりにも、哀れですわ。これ以上、この子の想いを愚弄(・・)するというのであれば――――――」

 

 

 黒い装束は、意味を変える。可憐な少女から、遠き過去の復讐鬼へ。

 

 

わたくしが(・・・・・)、澪さんを殺して差し上げますわ」

 

 

 黒き復讐鬼が、その銃口を因果の始まりへと突きつけた。

 その復讐心は、正しきものである。

 その復讐心は、正当なものである。

 でも、その復讐心はきっと――――大切な少女のために、奮い立ったものだった。

 

 

 





二亜ちゃんめっちゃ奮戦中。

行動の対価に支払われるものが奇跡なら、それは万人に与えられなければ平等じゃないよねぇ。自身に降りかかる分の悪い賭けですら、哀れな自分を見て楽しみそうな人ですけれど。

許したはずの憎悪を奮い立たせたのは、誰のためなのか――――――次回『黒き復讐鬼の最期』。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百九十三話『黒き復讐鬼の最期』

 

 その殺意は純黒。永久を撃ち抜く憎悪の銃弾。

 

「――――よりにもよって、あなたがその程度の答えしか出せないとは」

 

 その怒りは、人のため。復讐鬼は、そのために怒り、そのために銃を取る。

 崇宮澪に、過去の因果を断ち切る銃口を突きつけた。

 

「無駄でしたわね、何もかもが。わたくしの復讐は、ここまで意味を違えた愚かな人を相手にしていた……そのことに、虚無感すら覚えてしまいましてよ」

 

「…………」

 

「目的は手段を正当化する理由にはなり得ません。わたくしも、あなたも。……同じだけの未来を奪ったわたくしに、復讐の権利などありませんわ。ですがわたくし、それを知りながらエゴで引き金を引くことができますの。そして、それ以上に(・・・・・)――――この子の想いを踏みにじるあなたを、絶対に許しませんわ」

 

 復讐という大義名分を、時崎狂三は秘めている。秘めていたものを、今この瞬間解き放った。

 けれど、それよりも(・・・・・)、彼女には許せないものがあるのだろう。紅の瞳が煌々と燃え盛り、黄金の輝きが澪の命を刻む。

 そう。たった今、崇宮澪は――――自身の分霊である少女の心を、読み違えた。それが、それだけは何より狂三には許せなかった。士道でさえ止められないほどの憤怒が、この空間では目に見えるようだった。

 一触即発の空気に息を呑み、拳を握った士道は喉を湿らせて砂浜に僅かな跡をつける――――半ば睨むように、狂三の眼球が行動した。

 

「手出しは無用ですわ、士道さん」

 

「っ……」

 

 他者を圧倒する威圧感。上位者であり、絶対的な捕食者の権能。忘れかけていた懐かしい感覚を、士道は今まさに味わい、足を動かすことを止めてしまった。

 時崎狂三は、強者である。獲物を狩る者である。敵を欺く微笑みは、転じて敵を喰らう蠱毒。それを様々と見せつけられ、士道は感じてしまった。狂三は今、本気(・・)だ。誰が立ち塞がろうと、その極まる銃口は寸分たがわず澪を撃ち抜くことだろう。それほどの怒りと憎悪が――――――

 

「〈アンノウン〉……」

 

「……っ」

 

 狂三の背中で顔を悲痛に歪ませた少女のためであると、わからないはずがない。

 ああ、そうだ。自分のためではなく、人のために怒りを感じる狂三だからこそ、士道では邪魔をできない。誰かのために引き金を引く狂三を止められるのは、士道ではない(・・・・・・)

 

「――――撃つといい」

 

 であれば、時は止まらない。静止をする理由はなく、穏やかに、慈しみを表に、友を親しむように澪は言葉を紡いだ。

 

「この空間でなら、或いは私を殺せるかもしれない――――権利ならある。君には、その権利がある。私は君から、全てを奪った女なんだから」

 

「……最後まで、傲慢な方」

 

 引き金が、命を刻む音を立てる。

 

 

「さようなら、澪さん。変われないというのは――――悲しいことですわ」

 

 

 その残酷さを哀れみ、別れの言葉を告げた狂三が指を引く――――その瞬間、澪と、士道の隣にいた令音の顔色が変わった。

 

 

「――――待ってくれ」

 

 

 それも、そのはず。殺意の銃口。恐らくは、この空間で澪の心を破壊し得る(・・・・・・・)悪夢の銃弾を前にして、立ち塞がった少年がいたというのなら、誰であっても驚くであろう。

 幾度でも言う、士道ではない。士道はもう、狂三の隣にしか立つことはできない。

 

 だが、崇宮真士(・・・・)ならば、狂三の前に両手を広げて立ち塞がることができる。

 

「シン、駄目……っ!!」

 

 澪が声を荒らげ、けれど身体を硬直させた。――――思い出しているのだろう。真士が存在して、士道から切り離されたが故に、士道ですら顔をしかめる光景。

 銃口が真士へ――――三十年前、あの凶弾に倒れた時と同じように。

 だが、真士は澪へ優しく微笑みかけた。大丈夫だ、そう言うかのように。あの時と同じ、自身を遥かに超える力を持つ者を相手に、決して澪を傷付けさせぬように立ち塞がる。

 愛する者を守る。士道と真士……同じ人間でなかったとしても、きっと同じことをするのだろう。

 

「……士道さんと同じ貌を持つお方。だからといって、わたくしが慈悲をかけるとお思いですの。崇宮真士さん」

 

「そんなつもりはないさ。けどな、好きな女(・・・・)が殺されそうになってるのを、黙って見てられるかってんだ」

 

 悪夢の殺気は、身が竦むほどのものだろう。真士であった自覚が士道からなくなっているように、真士も士道としての感覚は失っている。修羅場を潜り抜けてきた士道と違い、真士には精霊と相対できるだけの経験は存在しない。

 真士は、何の力もない状態で精霊の前に立ち塞がっていた。両手を広げ、震える身体を必死に奮い立たせて――――その姿は、初めの頃の五河士道(自分自身)を思い出させるもので、士道は奇妙な感覚を覚えてしまった。

 そしてそれは、狂三も同じだったようだ。感慨深さを表情に載せ、彼女は声を発した。

 

「同じものは貌だけでないようですわね。しかし、怖くはありませんの? あなたは、一度……」

 

「怖くない、ってのは嘘になるかな。君は強い。俺でもわかるし、きっと士道(おれ)は――――君に何度も助けられてきた。違うか?」

 

「否定はいたしませんわ。今にして思えば、私情を挟み続けていたものですけれど」

 

 冗談めかして軽く肩をすくめる狂三は――――だが、その銃口を下ろすことはない。

 一度、凶弾に倒れた。その瞬間の記憶は、真士の中にも残っている。夢魔の銃口は、真士の恐怖を再現するのに十分足る代物だ。

 ああ、ああ。けれど、それでも(・・・・)

 

 

「君の気持ちがわかるなんて言わない。それをわかってあげられるのは、俺じゃない。俺のせいで、君が澪を憎むことになった――――この真士(おれ)の想いも、本物じゃない」

 

「……それでも(・・・・)?」

 

 

 問う。幾度となく繰り返された、その言葉を。真士の答えは、首肯を以て返される。

 

 

「ああ、それでもだ。この記憶だけは、嘘じゃない。俺は君に勝てない。けど、勝てないからって俺が澪を守らない理由にはならない。愚かだと言われても――――俺は、あの日と同じ選択をする」

 

 

 死の銃口を前にして、崇宮真士は何度でも選び続けよう。愛する者の手を取ることを。

 魂はそこに無く、故に贋作。しかし、記憶だけは本物。であるならば、それは正しく崇宮真士の選択(・・・・・・・)

 真士と対する狂三は、それを見て唇の端を上げて微笑んだ。

 愛おしいものを見た彼女は、

 

 

「――――――」

 

 

 その銃声を――――――響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

「――――え?」

 

 それは、誰の声であっただろう。澪、それとも真士か。はたまた令音であったかもしれない。

 誰であったか。それは、さほど重要なものではなかった。重要なのは、零れ落ちた声の意図。肝心なそれは、明確な意志を意味していた。

 呆然と、放たれた銃弾の()を見ていた。硬直していた澪も、思わず目を瞑った真士も、狂三が引き金を引いた先――――海を、見ていた。

 

 

「これで――――終いですわ」

 

 

 穏やかな声音を乗せて、少女(くるみ)は銃口を下ろした。

 その海に、その心を眠らせたかのように。海へと埋葬したものは、復讐という狂気に身を委ね、己の中に僅かに残されていた『時崎狂三』。どうか、安らかに――――黒き復讐鬼の最期を。

 目を丸くする澪たちへ向かって、狂三は遠慮のない幸せを感じさせる微笑みを作り、言った。

 

 

「わたくし、これから士道さんと世界を変える素敵な、素敵な旅路が控えていますの。それに比べれば、このような感情(モノ)――――――些事で、実に取るに足らぬことですわ」

 

 

 そう――――狂三は、復讐など些事だと言えるだけのものを手にしているのだ。

 それに比べれは、僅かに残った復讐心などないようなもの。だから、士道の懸念はそちらではなかった。その懸念を消し去る光景に、士道はホッと息を吐いた。

 

 

「それに……この子が、こんなにも訴えかけて(・・・・・)いますもの。意を汲んで差し上げるのが、筋というものですわ」

 

 

 言って、狂三は振り返り、手を取る(・・・・)。狂三の服を、小さな手で握りしめていた――――狂三の意志を知り、小さく、けれど確かに狂三に意見した(・・・・・・・)白い少女の手を。

 

「……ごめんなさい。でも、私……」

 

「わかっていますわ。まったく、わたくしといい澪さんといい、あなたには苦労をかけていますこと」

 

 目を伏せ、言葉通り顔を歪める少女に、狂三も苦笑してその頭を優しく撫でた。

 ――――これは、あくまで士道の予想になる。

 狂三は、初めから撃つつもりなどなかったのだろう。いや、撃つだけの理由は存在していた。仮に、真士が立ち塞がらければ……少女が訴えかけなければ狂三は確実に、その引き金を澪へ向けて引いていたと思う。

 人のために憤怒を。しかし、そうであるが故に、その少女の心を感じられる。慮り、銃弾の軌跡を変えることができるのだ。

 少女の手を離さず、今度は目を丸くしたまま立っている真士へ振り向き、声をかけた。

 

「真士さんも。心労を与えてしまいましたわね――――おかしな話ですけれど、澪さんが三十年間想い続けるのも、無理はないと理解できますわ。良い殿方ですのね、真士さんは」

 

「え、あ……いや、君こそ、優しい人なんだな。ありがとう、くる――――――」

 

「……っ!!」

 

 士道が冷静に見ていられたのは、その辺りが限界だった。足早に言葉を遮り、狂三を背中に隠して立つ。

 澪はぱちくりと目を瞬かせ、令音は珍しくぷっと息を吹き出し、真士は――――何かを察したように、苦笑して遮られた言葉を呑み込んだ。

 

 

「ああ、そういうことか。悪かったな、士道(おれ)

 

「ああ、そういうことだ。俺の女を口説くのはナンセンスだぜ、真士(おれ)

 

 

 ニヒルな笑みを浮かべて、他ならぬ自分を牽制する――――その理由は、自分に対する嫉妬心なのだけれど。

 くすくす、と笑い声が後ろから聞こえてくる。言うまでもなく、口元に手を当てて笑う狂三と、微笑を浮かべる白い少女のものだった。

 

「まあ、まあ。嫉妬深いお方ですわ――――わたくしの気持ち、少しは理解できまして?」

 

「……嫌というほど、な」

 

 顔を手のひらで隠し、僅かに項垂れる。以前、あれは過去での話であったか。狂三が『狂三』に対する複雑な気持ちを口にしたことがあったが――――なるほど、ようやく理解に至った。

 私的な感情。しかして、それは自然な発露である。自分自身(・・・・)だからこそ、譲れない、許容したくない感情(おもい)が生まれる。

 士道と真士は鏡合わせだ。けれど、別人。故に譲れないものがある。

士道(おれ)にとって、それは誰でもない時崎狂三。

真士(おれ)にとって、それは誰でもない崇宮澪。

 同じであって違うもの。真士と澪は、別の道筋を辿った士道と狂三。永遠の恋人でありながら……そうであるが故に、時を止めた恋路。

 

 止めたならば、動かさなければならない。止めた時間を動かすのは、今しかない。

 

「澪」

 

「……士道」

 

 だから、今一度士道は澪と相対する。

 澪の祈りは破滅的であり、自暴自棄とも言える願望だ。けれど、祈りだ。ただ一つ、澪が真に望んだ祈り――――その祈りが生み出したものを、履き違えさせてはならない。そう思うから、士道は澪の目を見据えて言葉を紡いだ。

 

「お前の願いは、わかった。お前が〈アンノウン〉を……自分の姉妹のような存在を生み出した理由も、わかる。自分自身の死を望みながら、自分自身を滅ぼす存在を望む。でもそれは、生み出した自分自身を〝矛盾〟させる祈りだ」

 

「……うん。『私』を崇宮澪とするのなら、それはどうしようもなく矛盾だ――――そんなところまで、私が原因だったんだね」

 

 憂いを帯びた瞳を、心底懺悔するように澪は揺らす。

 白い少女が精霊として歪だと、かつて令音(みお)は少女を調べ尽くした。

 ――――矛盾していて、当然なのだ。

 死を望む崇宮澪と、自らを滅ぼす存在を望む崇宮澪。それらは、本来であれば干渉しない。矛盾などしない。しかし、崇宮澪は滅ぼす存在の仮想として、己という絶対的な存在(・・・・・・・・・・)を想像してしまった。

 ありえない仮想は、致命的な矛盾を起こしてしまった。二つの祈りは、交差する。奇しくも、それらの祈りは並行した願いとして叶うことになる。

 澪を脅かす力を得ながら、澪自身と定義したが故に力に適応しない精神(にくたい)。澪を滅ぼすため自己進化する霊結晶(セフィラ)を持って生まれた精霊は、死への願望を生まれ持つ歪な存在として誕生した。

 それこそが精霊〈アンノウン〉誕生の真実。祈り(呪い)を以て誕生した、崇宮澪の分霊。

 澪が視線を士道から狂三の隣へ――――自らが産み落としたもう一人の『私』へ、向けた。

 

「……ごめんね。こんな役を押し付けて。君は、私のことが嫌いだろうけれど――――――」

 

「――――そうじゃないだろ!!」

 

 言葉を遮り、はっきりと叫んだ。澪を夢から覚ますために。

 肩を揺らして驚く澪に、士道はもう遠慮などしない。一体いつまで、間違った答えを少女へ押し付けるのか。何を口走ろうとしたのか――――想いとは、一方的であってはならない。繋がらなければ分かり合えない。たとえそれが、自分自身に等しい存在であってもだ。

 歯を食いしばり、皮膚に爪をくい込ませ、少女の祈りに寄り添うように言葉を紡ぐ。

 

「違う……違うんだよ。――――なぁ、澪。お前の願いを生まれ持って、どうしてこの子が生きることができたのか。お前なら、わかってやれるはずだ」

 

「え……?」

 

「わかるだろう。お前の祈りは、お前の願望そのものだった。死んでしまった真士のいない世界から、消えてしまいたい……そんな祈りを生まれて持っていたら、生きてなんかいられない(・・・・・・・・・・・)

 

 そう、その祈りは呪い(・・)だ。まだ生まれたばかりの少女へ押し付けるには、残酷すぎる自殺願望。もし、少女が記憶を受け入れていたら、少女が本当の意味で『私』と定義していたならば、澪を滅ぼすよりも先に少女の存在そのものを失わせていたであろう。

 けれど、そうはならなかった(・・・・・・・・・)。少女は、生き延びた。そして狂三と出会い、士道たちの運命を変えた。

 この、崇宮澪の祈りという運命さえも変えようとしている。

 

「最初、俺はこの子が生きたいと願ったから、その衝動に打ち勝ったと考えた。けど、違った。この子を動かしたのは、自分への欲求じゃなかった」

 

「じゃあ、どうして――――――!!」

 

 そこで、ようやく澪が気が付いた。愕然と目を見開き、その意味を悟る。

 少女はどうして、死という根源的衝動に抗うことができたのか。澪ならば、わかるはずだ。

 

 白い少女が始まりに見た記憶が何なのか、それを誰より知る崇宮澪は、声を震わせて言の葉を作り出しだ。

 

 

「――――わた、し……?」

 

 

 始まりの祈りは、紐解かれる。

 

 

「……私を、生かそうと(・・・・・)した、の……?」

 

「……私自身、自覚したのは狂三と士道のお陰ですけれど――――私、あなたが思っているほど、あなたのことは嫌いじゃないんですよ?」

 

 

 困ったように微笑んだ少女こそ、祈りの答え。

 根源的衝動。それに抗った少女の想い。自我の祈り。そう、少女は自分を生かしたかったのではなく――――崇宮澪を生かしたかったのだ。

 悲しみと悲劇に彩られた澪を、それでも少女は生きてほしいと願った。だって、理不尽(・・・)だから。たとえ、澪の救いにはならなくても、幼い心で生きてほしいと願ったのだ。だから、少女の自我は死ななかった。祈りに、抗った。

 

「どう、して。だって、私は……」

 

「理由、必要です? 何もなかった私の唯一の繋がりがあなたで、初めに見たものがあなたの記憶だった。言ってませんでしたっけ? 私、狂三を見るまではあなたに従う気でしたよ」

 

 問う澪に、少女は戯けるように、道化のように微笑みを浮かべて返す。次いで、眉根を下げて続けた。

 

「……なんて、ね。たぶん、最初は深い理由なんてなかったはずなんですよ。私、明確に自分の思考を持ったのは狂三と出会ってからですから。あの時、あの瞬間、心のどこかでそう祈った自分がいたのかもしれない――――あなたが残酷な人だったら、違ったのに」

 

 だけど澪は、優しい人だった。

 

「……あなた、自分が殺した人の顔と名前(・・・・・・・・・・・・)、全員覚えているでしょう?」

 

「……っ」

 

 澪の瞳に動揺が浮かぶ。少女にとって、澪のそれは肯定のようなものだったのだろう。息を吐き、ゆっくりと歩を進め、砂浜に足跡を付ける。

 

 

「……どうせ、踏み躙った全ての生命に感謝を、とか本気で言ったりしたんでしょうね。精霊にする人だって、偶然の狂三や必然の琴里はともかく、他の人は同情できる理由ばかり持ち合わせていましたし――――折紙といい、どうしても甘くなっちゃうのは……仕方ないかなぁって」

 

 

 そう言って、自身の性分に皮肉を交えた少女は、澪の目の前に立つ。

 少しばかりの身長差と、あどけなさ。初めから、たったそれだけの差だったのかもしれない。

 澪と違う生き方を選んだ、〈アンノウン〉という少女の証明。

 澪が残酷なだけだったなら。犠牲を肯定し、逃げ道に使ってしまう人だったのなら。少女は澪を否定したかもしれない。でも、そうではないと知っていたから、令音を見て(・・・・・)少女は道化の微笑みを作り出しだ。

 

 

「――――ね? 私のお姉さん(・・・・・・)

 

「……そう、だったね」

 

 

 令音もまた、少女そっくりに困った笑みを見せた。

 村雨令音は〈アンノウン〉を気にかけていた――――少女がその回答を決めるのは、それだけで十分だったのかもしれない。

 〈アンノウン〉という少女の本質。それは、他者に対して極端に甘い(・・・・・)。少女の無価値や死にたがりは、本質的には澪の祈りだ。しかし、それを差し引いたとしても〈アンノウン〉という少女は好ましいと思った人に、甘い(・・)

 言ってしまえば、彼女は究極的に身内贔屓(・・・・)の精霊なのだ。少女が澪の邪魔をするつもりがないと言ったのは、恐ろしいからという理由だった――――士道は、ここに至って確信する。

 そうではない。澪への恐怖ではなく、無意識的に感じていた澪への好意(・・・・・)があったからこそ、少女はその行動を避けていたのだと。

 

「……けど、私は目的がありましたから。そのために、あなたのことは見ないようにしていた。それは結果的に、あなたの願いも叶えることに繋がる。そう、思っていました。ああ、でも――――――」

 

 再び視線を巡らせた少女は狂三と、そして士道を見据えた。

 

 

「だから――――最後まで、士道に賭けてしまったのかもしれませんね。こういう結果は、さすがに予想もしていませんでしたが」

 

 

 苦笑いを隠さず言葉を吐く少女へ向けて、士道も少女の調子に合わせるように茶化した声音で返してやる。

 

「……の割には、令音さんとのデートには賛成してくれなかったな?」

 

「当たり前じゃないですか。現実を見てくださいよ。結果的にこうなりましたけど、さっきの戦闘だって、この人が問答無用で〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉を撃ってきてたら、本気でどうしようもなかったんですよ。私の霊力封印のタイミング、かなりギリギリだったんですから」

 

「……士道が近くにいるのだから、使う気はなかったよ」

 

「ええ、ええ。そうだと思いましたわ。わたくしの予測でも、その理由が大半でしたもの」

 

 冷や汗ものですけれど、と言葉とは裏腹に汗一つなく令音へ返す狂三。……どうやら、あの戦闘は改めて考えても相当の綱渡りだったらしい。

 〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉は結果的に〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を抑えることには成功したが、同質の〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉はまた話が別だった。未来世界で少女の霊結晶(セフィラ)を取り込んだ琴里は対応こそして見せたが、それは個人範囲でのこと。随意領域(テリトリー)があるとはいえ、『死』の天使を大出力で衝突させられてはどうなっていたことか。

 改めて実感させられる。恐ろしい綱渡りを選んだことを。まあ、そうでなくては世界を変えることなど夢のまた夢だと、士道は表情に出すつもりはなかったが。

 

「だからね、あなたの願いは叶えてあげられない(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 三度、少女は澪と鏡合わせに相対する。同じ存在から脱し、剪定を覆す。

 

「……夢は、終わらせないといけないから。それを無くしたあなたの絶望、あなたの希望。わかってあげられるのは、『私』なんだと思う――――けど〝私〟は、別の結論をあなたに望みます」

 

「――――――」

 

 澪の絶望と希望。真の意味で共有できるのは、この世で澪自身しかいない。

 少女はたった今、その可能性を手放した。少女自身が『崇宮澪』として存在し、彼女の希望を叶えることを。

 見開かれた水晶の瞳に、少女は己を刻ませるように微笑んだ。

 

 

「〝私〟は、あなたに生きていてほしい。〝私〟に生命を、〝世界〟をくれた誰でもないあなたに――――生き抜いてほしい。それが、あなたからもらった生命で得た、〝私〟の結論(こたえ)です」

 

 

 道化でもなく、『澪』としてでもなく――――これまで経験した数々の物語を見た少女の結論(こたえ)

 初めから、変わることなどない。少女はただ、自分が大切だと思う人に生きていてほしい。たとえそれが辛く、苦しい選択だとしても、それだけでいい。

 その選択があるのなら、〝私〟は幸せだと――――そう、結論(こたえ)を導き出した。

 

「っ……でも、私は、私は……もう……っ!!」

 

 その結論(こたえ)を前に、けれど澪はくしゃりと堪えきれなくなった表情を見せる。

 そこにいたのは絶対的な精霊でも、神に等しい存在でもない。愛する人を失い、取り戻す手段すら失い、絶望だけが残された悲哀の少女だった。

 

「っ……!!」

 

 詰まらせた言葉を、そのまま呑み込んだ。

 士道が澪を救う手段は、一つだけ存在する(・・・・・・・・)。それは以前、澪が指摘した狂三の〝悲願〟の矛盾点。即ち、澪という存在を消しされば『士道』という存在もまた、ありえないものになるという考え。

 真士が死んでしまったから、士道は生まれた。なら、ああ、そうだ――――時を巻き戻すことで、士道の犠牲と引き換えに(・・・・・・・・・・・)真士を救うことができる。

 そうすれば、澪を一時的に(・・・・)救うことができる。けれど、真士は人間だ。ただの、人間なのだ。たとえ士道が時を超えて外敵を排したとしても、いつの日か澪は絶望へと堕ちる。いつかまた、永劫の絶望へと。

 言えない。それを士道が言ってはいけない。一時の救いのために、士道はもう己が身を犠牲にはできない。

 握りしめた手のひらには、様々なものが乗っている。精霊たちもそう。自らが生かした少女の運命もそう。何より――――――

 

「…………」

 

 士道の手を掴んだ、この世で一番愛おしい恋人は、絶対に言わせてなどくれない。

 

「……そうだよね。〝私〟はすごく残酷なことを言ってる。希望っていう夢から覚めて、絶望の中で生きてほしい。そう言ってるのと変わりない」

 

 泣き出してしまいそうなのは、どちらなのだろう。恐らくは、どちらもなのだろう。

 生きていてほしい。それは、澪の祈りを呪いとしてしまう言葉なのかもしれない。永遠に等しい存在である澪に対する、呪い。

 それでも少女は――――新たな希望を澪に望んだ。

 

「……シン、あなたはどう?」

 

 それ故に、少女が呼びかけたのは一人の少年。悲痛な表情で二人を見守っていた真士だった。少女の呼び掛けに、真士は細く息を吐き出した。

 

「俺、か……」

 

 返された声に含まれていたのは、複雑怪奇な感情。真士は、厳密には『崇宮真士』ではない。士道の記憶から切り離され、この空間でのみ存在し得る虚構存在。この真士から言わせれば、贋物の贋物。そんな思いも込められている。

 だが、少女は迷うことなくうなずいた。同じ……記憶だけを持つ『崇宮澪』になり得た存在だからこそ、少女は真士へ言葉を発した。

 

 

「……うん、あなたです。あなたが言ったんでしょう。この記憶だけは、嘘じゃないって。なら、あなたの言葉は本物のシンと同じなはず――――あなたの言葉で、〝私〟も最後の結論(こたえ)を決めたい」

 

 

 〝私〟の結論(こたえ)か、『私』の希望(こたえ)か。

 重大な責任を負った真士は、それに反して気負った様子もなく肩を竦め、澪へと歩み寄った。

 

 

「澪」

 

「――――シン」

 

 

 まるで、舞台の再演。けれど、それが再演ではないことは、士道が知っていた。

 士道と真士が導き出す答えは、きっと同じではない。ああ、同じであるはずがない――――一番に愛した人が、違うのだから。

 

 

「――――ごめんな、澪」

 

 

 傷付ける刃ではなく、温もりを。

 澪を抱きしめた真士は、記憶が導くまま、滔々と思いの丈を零した。

 

「さっきは、時崎さんに良い殿方なんて褒められたけど……三十年も女の子を縛り付ける男が、良いやつなわけないよな。ずっとお前を縛り付けてたのは、俺なんだ」

 

「そんなこと、ない……!! 私が……、勝手に……シン、私は――――ッ!!」

 

 うち震える身体は、濡れる声は、真士にだけ見せる澪の感情そのもの。

 

「ごめん、本当にごめんな……っ!! もっと見せたい景色が沢山あった。連れていきたい場所があった。体験させたいことが、山ほどあったんだ……!!」

 

 そんな彼女を強く、強く抱きしめる。抱きしめてやれるのは、真士だけだった。

 

 

「……この海は綺麗だよ。澪をここに連れてこられて本当によかった。……でも、そろそろ別の場所にも行かないとな。俺は澪に、もっと色んなものを見てほしかったんだ。それが俺の――――真士の記憶の願い(こたえ)だ」

 

 

 ――――結論と願いは、希望を否定した。

 少女は祈りという呪いを、記憶は愛という願いを。

 

「…………」

 

「――――――」

 

 ならば、士道たちは(・・・・・)、澪に何をしてやれるだろうか。何を与えられるのだろうか。

 交差する自分自身との視線。真士は初めから答えを得ていた。澪と出会い、答えを持っていた。

 それもまた、士道と狂三がそうであったように――――長い戦争(デート)の先で、自分たちだけの答えを得た二人のように。

 

 

「なら――――その願い、俺たちが叶える」

 

 

 その道標は、士道たちのエゴによって現れる。

 涙に濡れた澪の瞳が士道たちを映す。悲しみと絶望と――――少女たちの祈りを受け止められない自分自身への、強い怒り。

 

 

「おまえは勘違いしてるかもしれないけどな、俺はおまえを殺すために霊力を封印しようとしたんじゃない――――俺たちの願いのために、お前を救いたいと思ったからだ」

 

 

 澪からすれば、澪の本当の希望を知っていながら士道の取った結論は、自分自身を殺してくれるということなのかもしれない。

 ――――そんなわけがあるか。生憎、自殺願望者の死を背負ってやれるほど、士道は人が良くないのだ。

 不敵な笑い顔を作り出し、士道は高らかに声を上げる。宣言をする。絶対的な士道たちの答え(エゴ)を。

 

 

「澪、おまえは真士のいない世界じゃ生きていく意味がない。そう言った――――なら、変えてやるよ(・・・・・・)。その生き地獄、俺たちが変える」

 

 

 真士の手の中で目を見開いた澪へ向けて、士道は指を突きつけながら言う。

 

 

「俺たちは真士にはなれない。けどな、だからこそ俺たちは、おまえの中の真士と同じくらい……いや、それ以上の存在になれるって信じてる!! 俺たちの手で見せてやる――――真士が見せられなかった世界を!! 新しい希望を!! 俺たちが創る新しい世界で!!」

 

 

 世界の再構築(・・・)。その果てで、実現してみせる。澪が生きていける世界を。真士が見せたかった、美しい光景の数々を。士道たちを大切だと思わせるくらいに。生きていけると思えるくらいに。

 不敵な笑みを、いっそ悪役じみた微笑みに変えながら言葉を吐き出し続ける。止めてなんかやらない。

 

「罪があるとかないとか、もう関係ないぜ。何せ、俺たちは澪を超えるとびっきりの悪役だ。おまえがくれた精霊の力で、世界を丸ごと書き換えようってんだからな」

 

「うわ……俺ってあんな顔できるの?」

 

「……ん。狂三の影響、かな」

 

「……好きな人が好きな人そっくりになるのは、何とも言えない気分ですね」

 

 三者三様の感想はこの際気にならない。振り切れて、フルスロットルだ。

 

「きひひひッ!!」

 

 心なしか、見守る狂三も楽しげな微笑みを見せていた。当然、士道と道を共にした狂三は士道と同じ気持ちだ。

 士道と狂三は――――――運命共同体なのだから。

 

 

「おまえの希望を、俺たちの希望に変える。文句も嘆きも、必要ない。だから――――俺たちの創る世界を一緒に見届けてくれ、澪。そして、〈アンノウン〉」

 

「士道……」

 

 そうして、士道は澪へ手を差し出す――――刹那の間。

 

「――――わたくしは、士道さんのように優しくはありませんわ」

 

 時崎狂三が、澪へ言葉を放った。

 

 

「あなたのための救いなど、御免蒙るというもの。ですが、この子があなたに生きていてほしいと祈りを捧げるというのであれば――――わたくしなりに、その祈りを呪いといたしましょう」

 

 

 そして狂三は、悪夢(ナイトメア)はその名の通りに。少女は決して、救われるだけのお姫様を求めない。

 士道が一番愛する少女は、優しくも厳しい女王として君臨する。

 

「あなたの死への希望など、わたくしは絶対に許しませんわ。あなたが、復讐の権利はわたくしにあるというのであれば、わたくしはあなたに生という呪いを掛けますわ。かつて、あなたがわたくしに呪いを与えたように」

 

 指で銃を構える仕草をし、狂三は澪を撃ち抜いた。

 

 

「あなたがこれから何百、何千と死を臨もうと――――何百、何千と時を戻し、わたくしは澪さんを生かしましょう(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 その希望(ぜつぼう)を、女王は撃ち抜いた。

 彼女らしく厳しくて、彼女らしく遠回し(・・・)な言葉に、士道は思わず顔に手を当てて嘆くように声を零した。

 

「……もう少し、素直に言えないもんかね」

 

「あら、あら。不躾なことを。わたくし、素直なのはあなた様の前だけで十分だと思っているのですけれど」

 

「困ったデレ方してくれるお嬢様だ」

 

 要は、絶対に澪を死なせない(・・・・・・・・・・)宣言だというのに、何かと理由を付けて本心までは見せたがらない。狂三らしいといえば狂三らしく、それをわかるのも士道がいるとはいえ、と調子を合わせて言う。

 澪はしばしの間呆気に取られてから――――力なく、だが確かに可笑しそうに笑った。

 

「――――ふ、ふふ、あははは……困ったなぁ。みんな、厳しくて優しいんだから」

 

 本当に、困り果てた。けれど、それだけではない澪の表情。伝わったのだろうか。それとも――――緊張を孕んだ数秒の間を超えて、白い少女が息を吐いた。

 

「……言ったでしょう。あなたが残酷な人だったら、私だってそうなっていたんですよ。そうなったら、二人仲良く心中で世界はもう少し平和だったかもしれませんね」

 

「ふふっ、これも身から出た錆……ってことかな」

 

「おいおい……〈アンノウン〉に澪まで、冗談にしては笑えないこと言わないでくれよ……」

 

 こう言っては何だが、澪や少女がいなければ士道と狂三が繋がることもなくなり、下手をすれば今までの全てが『なかったこと』になるのである。冗談にしては些かブラックがすぎて、士道も苦い笑いが抑えられない。

 そんな士道の反応に、少女は面白がって笑い声を零して――――――

 

 

「――――ああ、そうだ」

 

 

 ふと、何かを思いついたように言葉を零した。

 いつの間にか手に持っていた黒い意匠の入った麦わら帽子を被り、士道に背を向けてゆっくりと息を吸う。大事なものを、大切なことを丁寧に言葉とするかのように。

 そうして少女は、振り返った。少女が初めて見せる、生気に溢れた微笑みと共に。

 

 

「――――名前、つけてください」

 

 

 そう、士道へ向かって放った(・・・・・・・・・・)

 

 それは――――初めて、少女が自分自身に求めるものだったのかもしれない。

 

 

 




元々、復讐なんてする気なかったと思いますよ。ていうよりは、しないって言う方が正しいですね。だって狂三、前の話で澪がやったことを少女のために許してますし。言った言葉は筋を通して、真の約束事は違えない。時崎狂三のプライドってもんですよ。
故に黒き復讐鬼は終わる。奮い立った理由である少女がそれを否定するのなら、復讐鬼はただ己に幕を引く。黒衣を捨て去り、狂三は愛する少年と世界を変えにいく。これが私が書くそれぞれの復讐の終わりです。

多分それなりにフラグ立ってたんで予想できた方もいらっしゃるでしょうけれど、狂三と真士の絡みはもう凄いやりたかったですね!言ったじゃないですか、もう一人の自分でもいればーみたいなこと。楽しい(楽しい)

目的のために全てを犠牲にできる澪の側面を持ちながら、所々他者への甘さがあったアンノウン。理由なんて簡単で、そのために自分自身を軽くできるから。澪との最大の違いは、到達地点に少女がいなくて構わない。むしろいない前提、ということです。澪は真士がいなければ駄目ですが、少女は自分が隣でなくていい、ということ。まあ、これで狂三が死んでたりしたら……それをさせないために自分自身を代役として立てたのですけれど。
究極的に、少女は死ねる存在。死を定義できる存在が、死を望まれた存在なら、そりゃ価値観も軽くなります。けれど、始まりを見て『誰かに生きていてほしい』と願う衝動が〝私〟であると。小さな根源を秘め、美しいものを見てようやく形を得たものが〝私〟なんです。
結局、仕方ないかなぁ、が少女の本音ですかね。だって、見捨てられないものは仕方ない。

澪に関しては作中での紐解きが大半ですが、私自身の考えはもう少しあとで。まあ……前章のタイトルがヒントですかね(

実は前後含めたこの話数を一話でやる予定だった。いつものご病気が最後まで治らないでいらっしゃる?
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百七十四話『君の名は――――』

 

 ――――名前。

 人、又は物、それらを呼称する上で必要となる名称の定義。

 それがわからなかったわけではなく、ましてや士道は常々それ(・・)を感じていた側の人間だった。それは大事な、大切な定義。人と人とが呼び合う、繋がり合うために必要な贈り物。

 ただ、それが――――――

 

「――――お、俺か?」

 

 自分を名指していることが、少しばかり意外だったというだけのこと。

 自分自身を指差して困惑の表情を浮かべる士道に、少女が微笑みを呆れに変えて声を発した。

 

「……いやいや、あなた以外の誰がいるんですか。ていうか、この状況で普通疑問に思います? 私、結構ショックなんですけど」

 

「そ、そうは言ってもだな……ほら、おまえなら狂三とか、令音さんも澪もいるわけだし……」

 

 わざわざ士道に名指しで付けてほしいというのが、こちらからすればかなり意外だったのだ。少女の好感度指数で言えば狂三は幾人の士道をごぼう抜きして最上位のはずだし、澪や令音も言動を聞くに間違いなく好いている。

 そんな中で一番に名指しされ、士道もしどろもどろな様を見せてしまう。自ら上げた候補を順々に見ていくと――――――

 

「……士道、それはないんじゃない?」

 

「……この子が気の毒に思えるね」

 

「士道さん。こういった部分は鈍いままですのねぇ」

 

 実に冷ややかだった。言語化するといやこいつマジか乙女心わかってなさすぎるだろ、くらいの強烈な視線を体現している。

 

「…………」

 

「俺に振るなよ……」

 

 士道はさらに視線を流して真士に助けを求めたものの、あえなく撃沈させられた。自分の半身に対して非情なやつである。

 情けない士道の様子に懐かしさを感じさせる深いため息を吐いた少女は、麦わら帽子のつばを持ち上げ半目でこちらを見据える。

 

「あなたが言ったんじゃないですか。『嫌じゃないのか、こんな名前で呼ばれるの』って。――――その意味がわからなかったわけじゃないんですよ。ただ、本当に意味がなかった(・・・・・・・)というだけです」

 

「あ……」

 

 その言葉の裏を知り、合点がいった。声を零し、再度少女の心を認識し直す。

 少女は死を終わりと定めた(・・・・・・・・・)。いや、少女にとってそれは死ですらなかったのかもしれない。最初からいなかったものが、元の形に戻るだけ。そこに意味はなく、価値はない、と。だから名はいらない、大事なものはいらない。

 ――――つまり、それを求めたということは。

 

 

「――――〝私〟と『私』が生きていける世界を、創ってくれるんでしょう?」

 

 

 微笑みは、答え。狂三の生存と、澪の生存。それらを満たしながら――――少女が生を選べる世界を。

 伝わっていたのだ。士道の想いが。そしてきっと、伝えたのだ。狂三の想いを(・・・・・・)。真っ直ぐに、少女に伝わるほど、ただ真っ直ぐに。

 フッと微笑んだ少女が、表情を誤魔化すように麦わら帽子を深く被り直す。

 

「……見ていいというのなら、あなたたちの行く末を見ていたい。消える理由もなくなってしまいましたから。名前がないのは、ただ不便なだけでしょう――――まあ、好意が伝わっていなかったのは残念です。あーあ、『俺もお前のこと、好きだ』とか言ってくれたのは嘘でしたかー。私、好きな人以外とキスする趣味はなかったんですけどねー」

 

「わ、悪かったって!! ちょっと、驚いちまっただけだ」

 

「はいはいそうでございますか。まったく、狂三以外の好意にはてんで鈍いんですから……琴里の苦労が目に浮かびますよ」

 

 小声で呟かれた最後の言葉は、様々な含みを士道に感じさせるものだった。

 精霊たちに対して――――琴里自身のこと(・・・・・・・)。別段、士道は人の心情に鈍いつもりはない。むしろ、過敏なくらいだと自分で思っている……乙女心を察する、という点では劣ることを認めるが。

 だから、少女の好意は士道へ伝わっていたし、それを蔑ろにする気もなかった。が、少女に名を付けるなら狂三の方が、という気持ちが勝るからこそだ。

 故に――――ほんの一瞬だけ狂三と目線を交わす。

 

「――――――」

 

 短く唇の端を上げ、微笑んだ。それだけの動作で、狂三が何を言いたいのかわかる――――――譲って差し上げますわ。

 

「……よし」

 

 息を短く吐き出し、気合いを入れ直す。

 少女が求めて、狂三が譲ってくれるというのなら、これ以上恥の上塗りは許されない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 手のひらを表に、虚空を掴む。その虚空に、少し長めの棒を現出させた(・・・・・)。〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉内でなら霊力を持つ士道であればこういうことも可能だろうと、四人でのデートの最中に令音から聞かされていたことを思い出す。中身が薄いこの程度のものならたとえ士道でも簡単に想像し、作り出すことが可能だった。

 これで描くものは――――実のところ、決まっていた。

 澪と令音、そして狂三。彼女たちを見て、その時に頭に思い浮かんだもの、その意味。

 

「よっ、と……」

 

 力強く、丁寧に。砂浜に文字を刻んでいく。〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の空間内だから、なのだろうか。それは士道の確かな意志として、確固たる一つのものとして刻まれているようだった。

 やがて、最後の一凪を終えた。皆が刻まれた字に注視している。僅かに、一息。

 

 

「――――――未零(みれい)

 

 

 士道はその名を、ハッキリと告げた。文字にして、二文字。発音にして、三文字。たったそれだけの文字列――――しかし、士道が与えたかった少女への祝福に他ならない。

 

「……どうだ?」

 

「……ミレイ。みれい。ミレい――――――未零」

 

 問う士道の声も聞こえていないかのか、噛み砕くように言葉を繰り返し、少女はそれを己の裡に秘めるように――――そうして、名を得た少女は笑ったのだ。

 

 

「――――未零。それが、私の名前。うん……気に入りました。ありがとう、士道」

 

「どういたしまして……かな」

 

 

 悠々と返した士道ではあったが……実は、多少の不安が脳裏をよぎっていた。少しばかり喜びを隠している、そんなふうに見えてしまったのである。

 気に入らなかった、という可能性を感じたことは否めない

 そんな懸念は、駆け出した少女――――未零を見て吹き飛んでしまったのだが。

 

 

「――――狂三」

 

 

 未零がどこへ向かったかなど、もう疑問にすら思わない。迷いなく狂三のもとへ行き、狂三の名を呼ぶ。

 少し屈んで、狂三に対して無言の訴え。そんな可愛らしい未零にクスッと微笑を零した狂三は、未零の求めるものを口にした。

 

 

「――――未零さん」

 

 

 呼び合う。その名を、ただ呼び合う。

 零れ落ちた言の葉に、未零は一度キョトンとした顔を作り――――麦わら帽子を揺らし、快活に笑った。

 

「あ――――はははは!! 〝さん〟はないんじゃない?」

 

「……き、ひひひひっ。それも、そうですわ。可笑しな話ですわ――――――未零」

 

 愛おしさを全面に、言う。未零は噛み締めるように顔を伏せ……今ようやく、何の憂いもなく狂三と目を合わせた(・・・・・・)

 

 

「……狂三」

 

「未零」

 

「っ……狂三?」

 

「なんですの、未零?」

 

「――――えへへへ。何でもないですよ、狂三」

 

「――――うふふ。未零は変な子ですわ」

 

 

 それだけが、それだけのことが――――どれだけ、待ち遠しかったことだろう。

 ただ幸せで、ただ尊いものに。士道は目に浮かぶものを誤魔化すように独りごちた。

 

「あーあ、結局は狂三なんじゃないか」

 

「ふふっ、拗ねちゃダメだよ士道」

 

「だってなぁ……」

 

 クスクスと笑う澪に、指で頬を掻きながら反論にならない言葉を零す。

 名前を求められて、さらに我ながら力作である渾名を名付けたのは士道だ。だというのに、未零が真っ先に駆け寄ったのは結局のところ狂三。澪に諌められようと、少しくらい拗ねてもいいではないか。

 まあ、命名を譲ったのだから、という考えももちろんあるのだが……二人の仲が本当の意味で縮まって嬉しいのと、絶妙な疎外感で複雑なのである。

 

「……意味は、あるんだろう?」

 

 と、真士と共に狂三と未零を見守る令音が、士道へ問いかけてくる。コクリとうなずきながら、当人たちを前に(・・・・・・・)、気恥しさを顔に映し出して答えを返した。

 

「はい。――――俺たちが創る未来を、初めから見ていってほしい。そんな、勝手な理由です」

 

 酷く、自分本位だなと笑ってしまうのだが――――そんな意図でさえ未零は気付いているのだろう。

 創り出す世界で、生きていてほしい。零から狂三と(・・・)。令音と、澪と――――三人から由来をもらったというのも、まあバレバレかと苦笑する。

 自嘲気味な士道を見た令音は、その首を横に振って返した。

 

 

「……そんなことはないよ。私たちができなかった……いや、これはしようとしなかったことだ。……ありがとう。あの子に――――未零に、名を与えてくれて」

 

 

 ――――慈しみ。

 令音が表す感情から、それが伝わってくる。『村雨令音』という人から、生き様から、その喜びが伝わってくるようだった。

 士道と真士が違うように、切り離された令音と澪もまた違う。感じるもの、記憶したもの――――ならば、澪はどうなのだろうか。

 

 

「――――――」

 

 

 その目の先は、何を映しているのか。何を思い描いているのか。

 自らの終わりか。祈りへの答えか。それとも――――それを問う、まさにその瞬間。

 

「っ!?」

 

 ――――ノイズが走った。

 閉じた世界を、無理やりこじ開ける。そんな不可思議な感覚が視覚を通して襲い掛かる。次いで、物理的な振動を伴って砂浜と海を揺らした。

 

「なんだ……!?」

 

「うわ――――っ!?」

 

 士道と真士が――経験による程度の違いはあれど――似たようなリアクションを取って辺りを見渡す。

 

「っ、これは――――!!」

 

「狂三……!!」

 

 対して狂三と未零は――――特に狂三は、何か別のもの(・・・・・・)を認識し、虚空を見て驚愕を顕にしているようだった。

 恐らくは、この閉じた楽園を揺るがすもの。それを異形の左目を以て〝観測〟する。干渉によって引き起こされた事象を算出、解析、演算――――即ち、未来予測とは擬似的な過去視(・・・)を引き起こすことすら可能としている。無論、それほどまでに狂三の力が増幅されているのなら、の話ではあるのだろうが。

 だが、彼女には出来るのだ。神に等しい存在にさえ通して見せたその瞳は、この現象の原因を正しく、それでいて過程を通り越して答えを見つけ出す(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「精霊術式による干渉――――アイザック・ウェストコットが、始源の精霊に成り果てようとしていますわ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「な――――っ!?」

 

 

 意味を破壊した答えであっても、それは士道に戦慄の声を抱かせるには十分すぎるほどの衝撃を伴っていた。

 時間軸のズレたこの空間内での観測。その上で過去と、これから起こり得る未来――――それを狂三は言ってのけた。それはもはや、確定事項(・・・・)に等しい意味合いを所持している。

 

「ウェストコットが始源の精霊って、どういうことだ……!? それに、精霊術式って何なんだ!?」

 

「三十年前、『私』を創り出した魔術の秘奥のことですよ。元々、あの男は『私』の力が目的で霊結晶(セフィラ)を集めようとしていましたから、まあちょうどいいショートカットというところでしょうね」

 

 悲鳴じみた士道の叫びに、未零が素早く簡潔な答えを返してくる。その声音は酷く冷静であったが、表情はどこか硬い。士道の表現できる範囲の言葉で表すなら、解せない(・・・・)と言いたげにあごに手を当て思考を巡らせていた。

 しかし、士道はそれ以前に段取りが掴めていない。精霊術式、ウェストコットの暗躍。こんな時に限って、士道側の〈刻々帝(ザフキエル)〉は沈黙したままだ。それは同時に、真士にも相応の疑問を抱かせていた。

 

「ちょっと待ってくれ。そんなことが可能なら、なんでもっと早くやらなかったんだ? 自分を精霊にできるなら、わざわざ他の霊結晶(セフィラ)を集めようとする必要なんて……」

 

 当然に行き着いたその問いを、真士が難しげに眉根を寄せながら首を捻った。

 そんな術式があるというなら、わざわざリスクを侵して霊結晶(セフィラ)を集めるメリットがない。現に、DEMほどの戦力があってなお精霊から霊結晶(セフィラ)を奪うことは困難を極めた。澪を生み出した術式が手元に残っていた……ならば、こうしてもう一度術式を発動させる方が確実で手っ取り早かったはずだ。

 それを行わなかった理由。ウェストコットのような男が、その行動を起こさなかった意味。

 

 

「いや――――しなかったんじゃない。できなかったんだ(・・・・・・・・)

 

 

 確信に満ち足りた言の葉を、心臓の焦りを抑えながら構築する。

 あの悪辣で性格の悪さを煮詰めて鍋の中に丸ごと詰め込んだような陰険男――――アイザック・ウェストコットは、実行を躊躇うような人間ではない。

 なら、士道が出せる答えはそれしかない。しなかったではなく、できなかった(・・・・・・)。理由は知るところではないが、士道はその答えが核心を捉えていると言葉にした。

 

「……その通りだよ、士道」

 

 そして、士道の勘を確かなものへと変える理論を持つ者――――令音が言葉を継いだ。

 

「……術式を成功させるには、あるものが足りなかった。世界が蓄えたマナと、その流れの要衝――――魔術や仙術で呼ばれるところの、いわゆる霊脈が必要なんだ」

 

「霊脈……それが今の世界には存在しなかった、ってことですか?」

 

 あるならば実行した。実行していないのならば、逆説的にその霊脈と呼ばれるものは失われていることになる。それはいつのことが――――言うまでもなく、士道の問いに答えた澪が生まれた瞬間だろう(・・・・・・・・・)

 

「うん。私が生まれた時、世界に蓄えていたマナと同時に、霊脈の機能を丸ごと私が吸収してしまったんだ」

 

「霊脈の機能を――――!!」

 

 ハッと目を見開き、答えを合わせるように狂三を見やる。こくりとうなずいた狂三が、士道の予想と寸分違わぬ言葉を用意していた。

 

「ええ、ええ。たった今、この数分のみ(・・・・・・)、澪さんというとびっきりの霊脈が存在いたしますわ。加えて、ユーラシア大陸で三十年前に行われた儀式用の術式とは、精度の桁も違うご様子……よくも、こんなものを隠し持っていたものですこと」

 

 狂三をして、ウェストコットの策は鮮やかな手腕だったのだろう。僅かに唇を噛み、出し抜かれた悔しさを見せている――――――そこに、士道は違和感を持った。

 狂三を出し抜いた――――どうやって(・・・・・)

 観測したあらゆるものを演算、予測する【五の弾(へー)】の力。それをありえないほど極限まで高めた狂三を出し抜く、文字通り目を欺く(・・・・)など不可能に等しいではないか。澪ですら狂三を警戒して、〈ファントム〉としての接的を避けていたのだ。

 ――――否。接的を避けていた、それは同じこと。この場合は、

 

 

「ちょっと待ってくれ――――一体、ウェストコットはどうやってこの状況を知ったんだ……っ!?」

 

 

 ウェストコットが如何な手段を用いて、澪が動けない状況を知ったのか(・・・・・・・・・・・・・・)。こちらの方が圧倒的な疑問だった。

 情報を隠し通すということは、同時に自分たちの動きを制限されるということにも繋がる。ウェストコットが口をつぐめば、確かに狂三の予測の範囲から逃れることが可能だろう。だが、それでは自分たちも知ることが出来ない(・・・・・・・・・)

 それこそ、解せない(・・・・)。一体どんな魔法があったというのか。〝結果〟を引き起こす〝原因〟は、果たしてどこにあったというのか。

 

「……〈囁告篇帙(ラジエル)〉が唯一、この世で読み取れないのは――――人の思考」

 

「……っ!!」

 

 思考に耽った頭を上げ、未零をバッと見やる。そう、未零が手にした天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉。この世界の本棚(・・・・・)ともいえる権能を司るかの天使は、無論、DEM側の動きを〝読む〟ことが可能であった。

 ここでその名を出すということは……士道の意図を、未零はうなずくことで肯定した。

 

「……私も、あの男は警戒していたよ。けど、何もなかった(・・・・・・)。少なくとも、〈囁告篇帙(ラジエル)〉が私の手の中にあった段階では、ね。せいぜい、『私』がいつか現れる(・・・・・・)。その程度の手札しか、あの男には存在していなかった」

 

「なら、どうやって――――――」

 

「それこそ、知らなかった(・・・・・・)のでしょう」

 

 断じた声は、未零から言葉を継いだ狂三のもの。士道の疑問に対して、狂三は次の言葉を使い正気を疑う回答を用意して見せた。

 

 

「当人が知らないのであれば、〈刻々帝(ザフキエル)〉の予測、及び〈囁告篇帙(ラジエル)〉の知識に刻まれることはありませんわ。皆様の疑問の答えを提示いたしましょう――――――偶然(・・)ですわ。偶然、アイザック・ウェストコットが行動を起こし。偶然、澪さんの動きが封じられた瞬間だった。そうとしか、説明ができませんわ」

 

 

 ――――皆を沈黙させるのに十分すぎるほどの威力が、狂三の解には備わっていた。

偶然(・・)。それは計算では存在しない、非常識な数式。或いは――――行動したもののみに引き起こる〝奇跡〟、とでも称するもの。

 それは奇跡というのなら、何と醜悪な結果なのであろう。だが、奇跡とは平等でないからこそ、その名を授かることが許されるのだ。アイザック・ウェストコットが奇跡を引き当てたからといって、それをありえないと断ずる権利は誰にもありはしない。

 

 だが――――――

 

 

「だったら――――そんな性悪な偶然、ぶっ飛ばしにいくだけだ」

 

 

 その奇跡(ぐうぜん)を、士道たちの力で捩じ伏せる権利は、誰でもない士道たちにあった。

 拳を握り、手のひらに打ち付ける。やっと、ここまで辿り着いたのだ。士道と狂三の〝約束〟まで、あと一歩――――誰であろうと、邪魔をするのなら遠慮はいらない。

 

 

「ええ、ええ――――人の恋路を邪魔するというのであれば、わたくし手ずから地獄へ導いて差し上げるのも、また一興というものですわ!!」

 

 

 蠱惑の微笑を浮かべた狂三が――――天上天下、誰がその邪魔をできようか。その覇気を以て黒の影を使役し、艶やかな四肢に自らの紅黒の城を纏う。

 

 

「〝私〟個人としても、あの男は思うところがあります――――それに、『私』がアレ(・・)と同質に扱われるのは、心の底から願い下げです」

 

 

 未零が不快さを隠すことなく、白い装束の上に自らの外装(つるぎ)を羽織る。通す袖から小さな腕が伸び――――貌を隠していた外装を、払い除けた。

 もう、それは必要ないから。言葉のいらない宣言に、士道と狂三は揃って笑みを浮かべた。

 それぞれの決意は、十二分に満たされた。そして――――――最後の一人は。

 

 

「……私も、いくよ」

 

 

 これまでの悲しみと憂いを帯びたものとは異なる、心震える言霊と共に。

 崇宮澪は、士道たちと並び立とうとしていた。

 

「あんな奴に利用されるなんて御免だし、シンとの思い出の世界を台無しにされるのはもっと嫌」

 

 言葉を一度区切り、複雑そうな表情を浮かべ押し黙る澪。しかし、それを吹っ切るように頬を緩め、続けた。

 

 

「……力を貸してほしい。狂三の過去を殺して、未来の世界でみんなを殺してしまった私がこんなことを言うのもおかしな話かもしれないけど――――――」

 

 

 憂いではなく、非情な覚悟でもなく。その瞳に、慈しみと優しさの覚悟を灯して。士道を、狂三を、未零を見つめてくる。

 

 

「――――みんなを、助けに行こう」

 

「……!! ああ……っ!!」

 

 

 強く、喜びを込めてうなずく。

 状況は、はっきり言って最悪だ。よりにもよって――或いは、だからこそ――ウェストコットが始源の精霊の力を手に入れた。それだけで、どれほど恐ろしいことかわかる。

 ――――でも、澪がそう言ってくれるのなら。皆を助けたいと願ってくれるのなら。士道にとって、それはたまらなく嬉しいことなのだ。まあ、呆れた表情で息を吐く、愛しく可愛い狂三様もいるのだけれど。

 

「まったく……人騒がせな上に、遠回りをするお方ですわ」

 

「ふふっ……女王様には、言われたくはないかな?」

 

「――――あら、あら。喧嘩なら買いますわよ? むしろ、ここで決着をつけて差し上げてもよろしくてよ」

 

「……神様も女王様も、どっちもどっちでしょう」

 

 そればかりは大いに同意する他ないなと、未零の呟きに密かな苦笑を士道は浮かべた。

 いい笑顔で睨む狂三にふっと微笑んだ澪は、一度その視線を切ると――――真士へ、最後の歩みを向けた。

 

「シン」

 

「ああ」

 

 二人にとっては、そんなやり取りだけで意思疎通としては十分だったのだろう。真士が両手を広げ、もう一度、澪をぎゅっと抱き締めた。

 

「……行ってくるね」

 

「……ん、気をつけてな」

 

 永遠から切り取られた、一瞬の邂逅。

 真士は、名残惜しさを振り切るように士道へ視線を投げかけた。

 

「士道。――――澪を頼む」

 

「――――、ああ」

 

 それを受け取るのに、多くの言葉は必要としなかった。海の深さを凌ぐ、その愛の形を。士道は首肯と共に受け取った。

 すると、そんな澪と真士の様子を見てか、今度は令音が真士のように両手を広げてくる。

 

「……士道」

 

「えっ? えぇ……と」

 

 気まずげに士道の目が泳いだ先は、まあ言うまでもないだろう。その先ですら、「さっさとしてくださいまし」と言いたげにあごで示す彼女がいるだけだったのだが。

 

「えっと……じゃあ、失礼します」

 

「……ん」

 

 ――――こうして抱き締められると、不思議と力が湧いてくる。

 幾度、この温もりに助けられてきたのだろう。決して、それは偽りではなかった。士道が令音を想う気持ちが、偽りでないように。

 

「……最高のデートをありがとう。――――君たちなら、大丈夫だ」

 

「……はい。絶対、次も用意してみせますよ」

 

 それくらいできなければ、世界を変える(殴りつける)ことなどできはしないから。

 今一度デートの約束を取り付け、互いの存在を確かめて身体を離す。少し早めに切り上げたのは――――令音の視線が、もう一人を指していたからだ。

 

「……ん」

 

「……え。いや、私は、別に……」

 

 指し示された少女――――未零は、令音の視線から逃れるようにしどろもどろな――どことなく七罪を思い出させる――声音を発する。さっきまでとはえらい違いというか、澪と令音ではかなり違うというか……そんな分析をする士道を後目に、はぁと息を吐いた狂三がその背中を無理やり押すように一歩二歩と足を運ぶ。

 

「時は有限です、わ!!」

 

「ちょ――――っ!?」

 

 ……押すというよりは、手で突き飛ばすといった方が正しかったかもしれない。全くの余談だが、多分これが自分の分身とかだったら足だったんだろうなぁ、と思わせる力強さがあったとか何とか。

 突き飛ばされてきた未零を、難なく受け止めた令音が華奢な身体を抱き締めた。僅かに抵抗する素振りを見せた未零だったが、恐る恐る……そんな様子を見せながら令音の身体を抱き返した。

 

 

「……こんな時に限って、月並みな言葉しか伝えられないが――――――いってらしゃい、未零」

 

「……それで、十分です。いってきます――――――令音」

 

 

 互いの体温を、鼓動を確かめるように、二人は目を閉じた。

 

「……姉さんでも、構わないのだが」

 

「……まあ、帰ってきたら善処してあげます」

 

 そんな微笑ましいやり取りに、士道は唇を笑みの形にしながら――――――最後は己の愛した少女を見据える。

 

「――――――」

 

 その黄金の瞳には、何が映っているのか。今この瞬間も、狂三は未来を視ているのか。視ているのだとすれば、それは想像するに難しくなく――――想像を絶するほど、凄絶な未来なのだろう。

 絶望に震えているのか。凄惨な光景に恐怖をしているのか――――否。断じて、否。

 

 

「――――参りましょう、士道さん」

 

 

 士道へ手を差し伸べた女王の瞳に、そのような絶望は余計なものだと、映すべきは他にあるのだと、絶望(せかい)を塗り替える希望の女王の手を――――――

 

 

「――――ああ。行こう、狂三!!」

 

 

 隣に立つ魔王として、強く握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仄暗い、宵闇へと誘う星空と、絶望を纏う煌々とした輝き。

帰還(・・)した士道たちが、まず初めに目にした光景である。

 二つ目は、精霊たちの歓喜の顔(・・・・・・・・・)だ。

 

「シドー!!」

 

「狂三さん……!!」

 

「あの子も、きた」

 

「おお!! 無事じゃったか!!」

 

「焦らしてくれたねぇ、少年――――待ってたよ」

 

 待ち望まれた登場だったのだろうが、少しばかり照れくさくなる。その思いを表に出しながら、士道は己が手に天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を顕現させた。

 

「おう――――待たせたな、みんな」

 

 士道に続き、狂三が、澪が、未零が、それ(・・)と対した。

それ(・・)の両隣には、纏う力の密度を増したエレンとアルテミシア。だが、彼女たち以上に禍々しく、濃密な気配がそれ(・・)にはあった。

 しかし、躊躇いはない。恐れを乗り越える感情を、士道は手にしている。背負っている。

 

 故に、士道はその男と対等の立場で相対する――――その男が自分と同じことを考えていると、何故か理解できてしまったから。

 

 

 

「よう、息災で何よりだぜ――――――アイザック・ウェストコット」

 

「君こそ。その顔を見ることができて、嬉しい限りだよ――――――イツカシドウ」

 

 

 

 魔王となる少年と、魔王を纏う男――――――世界を壊す者たちの最終局面が、今訪れようとしていた。 

 






名無し脱却!!!!一番苦労したのは筆者な気がしますね本当に!!台無しな感想だなこれ!!

込めた意味は色々と。まあひねくれた名を考える頭が私にはないので、意味合いは単純ですね。狂三と澪と令音で未零……これだな(
書いてて思ったのですが、狂三と未零の友愛面を押し出すとすごくむず痒い。主と従者の二人が染み付いててこれはその……上手くいったんですかねぇ?みたいな。おかしい、狂三ガチ勢とか呼ばれるくらいに狂三大好きっ子に未零を描いたはずのこの私が恐れているとでも……!?

まあそんな茶番はさておき、今の狂三たちを出し抜く方法は単純。作戦を脳内で済ませて優秀な部下にただついてきてもらって運ゲーに勝つ。以上です。できるか!!!!

というわけでそれを乗り越えたラスボスとの最終決戦です。何か少し原作と雰囲気が違うようで……?
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百九十五話『ラスト・オブ・アライブ』

 

 アイザック・ウェストコットがどういう人間か問うたのなら、万人は揃って〝得体が知れない〟と口にすることだろう。

 人は、理解できないものを忌諱する。相容れないものと理解すれば、その人間を受け入れようとは思えなくなる。精霊たちでさえ、ウェストコットという男に対しては例外なくそう考えるに違いなかった。

 

 ならば、士道はどうだったのであろうか。あの男を見て、あの男と話をして――――どうしてか、忌諱はなかった。

 理論に語弊はある。士道はウェストコットと一生分かり合えないだろうし、当然そのつもりもない。何せ、崇宮真士という己の半身、彼の記憶が何より怒りを感じているのだ。想い人を傷つけられた恨み。妹を人質に取られ、あまつさえ彼女の命を弄んだ怨み――――己を殺された、憾み。

 でも、それは自分のものじゃない。真士の記憶には悪いが、士道はその感情(ふくしゅう)を一番の目的にはしたくなかった。すれば、悪辣なDEMの連中と同じになってしまう気がしたし――――復讐を振り払った人たちに、顔向けができなくなる気がしたから。

 では分かり合えないと、そのつもりはないと感じながら、士道はなぜウェストコットに対して精霊たちが感じたような嫌悪を感じなかったのか。何とも、不思議なことではないか。

 

 理由など未だ士道にさえわかっていない。ただわかっているのは、ウェストコットを殴りつけるのは自分であるということと――――――妙に気に入らない(・・・・・・・・)。そんな幼稚で、子供じみた考えがあることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――あんた、策もなしに突っ込んでくるタイプだったか?」

 

 濃密な霊力の中心点。アイザック・ウェストコットという男が始源の精霊に成り果てるその様を見て、士道は思わず場違いな言葉を吐き出してしまった。

 事ここに至って衝突は避けられない。魔術師のエレン、アルテミシアは共にウェストコットから強力な力を受け取っている様子。ウェストコット本人に至っては、未来の世界で澪と相対した時と互角のプレッシャーを発している。向かい合っているだけで、その実力の程を肌で感じられた。

 ――――だが、それでも聞きたくなったのだ。ウェストコットという強大な敵にして、思慮深く、狡猾な男が……まさか、勘に頼った特攻(・・)を仕掛けてきたなど、士道からすれば疑問しかないのだから。

 一見して煽りとしか思えない士道の疑問は、ウェストコットの機嫌を損ねる――まあ、その側近は睨みを利かせていたが――ことなく、彼は大仰な笑いを蓄えて返してきた。

 

「ふははは!! おかしなことを言う。そうするしか選択肢を無くしたのは、君たちの力だろう?」

 

「殊勝な答えだな。あんたらしくない……心でも入れ替えたか?」

 

「誰かに影響を受けることを意味するのなら、そうなのだろうね――――――同胞以外の誰かに信を置くのは、存外悪くはない気分だったよ」

 

 悠然とした調子でニッと笑ったウェストコットへ、士道は不快極まりない嫌悪感を全面に押し出した表情を突き返した。

 

「誰かに信じられて、ここまで最悪な気分になったのは初めてだ。礼は言わねぇけどな」

 

「私も君から礼など受け取った日には、人生で感じたことのない寒気に襲われるに違いない。まあ、その感覚に興味がないと言えば、嘘になってしまうがね」

 

「そうかい。なら、絶対言ってやらねぇよ。あんたを喜ばせる趣味はないし、何度も何度もあんたの顔を見たくはないんでね――――――いい加減、ケリをつけようぜ」

 

 三十年前から続く、この因縁に。

 神を生み出すという過ぎた夢を持った魔術師が引き起こした、数々の悲劇に。

 軽口の応酬はこの程度でいいだろう。あとは、刃を向け合いながら語ればいい。天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の鋒先をウェストコットに向け、十全の覚悟を以て宣戦布告を行う。

 士道の姿勢から、それが決して虚勢を張っているわけではないことを察したのか、ウェストコットが醜悪な笑みを濃くした。

 

「よい気迫だ。〈デウス〉すら隣に伴うだけのことはある――――それでは、始めようか」

 

 ――――それは正しく、闇そのもの。

 

「――――!!」

 

 漆黒の闇へと変貌し、その背後に浮かび上がった モノ(・・)に士道は身構えた。士道だけではない。その禍々しい力の塊に、精霊たちも戦慄を覚えていた。

 それは、巨大な『樹』であった。幻想を殺す、朽ち果てた漆黒の大樹。意味を、魔王。絶望を振りまく、魔王がそこには在った。

 

「ッ、あれは……!!」

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉? いや……」

 

「魔、王――――――」

 

 空を見上げ、圧倒される精霊たちを見下ろし、ウェストコットは指揮者の如くその両手を振るい、恍惚とした表情で曲想を奏でた。

 

 

「さあ、世界を創ろうか――――〈永劫瘴獄(ベリアル)〉」

 

 

 世界は、移り変わる。枝を天に、根を地に。胎動する大樹が、世界そのものと言うかのように。

 けれど、視えている(・・・・・)。仕掛けを見破られたマジックなど、観客を楽しませるに値しない。

 

 

「澪さん――――!!」

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉!!」

 

 

 手を取り合うことをありえないとしていた、女神が如き女王の号令は、神と見紛う少女を導く。

 士道たちが飛び出してきた繭。澪の背後に浮遊していたそれが、光の大樹〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉へと変貌した。

 瞬間、〈永劫瘴獄(ベリアル)〉と同じだけの枝と根が拡散し、喰らいつく(・・・・・)。世界と世界が絡み合うかのように喰い合う。そのとき、白と黒の世界が拮抗した(・・・・)

 

「――――そう、長くは保ちませんわね」

 

「うん。私たちより、外の世界が壊れる方が速い(・・・・・・・・・・・・)

 

 狂三の眼に追従し、澪が冷静な分析を下す。その瞬間――――澪は確かに、精霊たちを対等な立場に置いた。

 

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉で〈永劫瘴獄(ベリアル)〉を抑え込んだ……でも、長くは保たない。みんな、お願い。力を貸して。シンと出会ったこの世界を――――守るために」

 

『……!!』

 

 

 澪の言葉は、精霊たちに少なくない驚きをもたらした。

 無理もない。未来での澪の行動。そして、つい先刻までは命を賭けて戦っていた相手――――――だが。

 

 

「遅いわよ――――令音」

 

 

 彼女は、精霊たちを見守り続けた優しい解析官だった。琴里にとって、そして精霊たちにとって、それは不変の事実。

 驚愕の時間は多くなく、どの精霊もどこか嬉しそうにうなずき、それぞれの象徴たる天使を掲げた。

 

「うむ……!! 一緒に戦えて嬉しいぞ、澪!!」

 

「何か、あたしらの知らぬ間に和解して熱い展開になってるじゃん!! あとで詳しく聞かせてね!! あ、シロちゃんのこともね!!」

 

「ふふっ、その呼び名も新たなものに変えていただきませんと……それとわたくしは、澪さんと和解したつもりはありませんわ」

 

「この女王様はまた……」

 

 いつものように憎まれ口で素直じゃない精霊もいるが、どうであれ志は共通している。

 と、一致団結で息巻く中、七罪が頬に汗を垂らしながら言った。

 

「……いや、でも力を貸すって何すればいいわけ? 私たちの攻撃、全然通らないんだけど……」

 

 恐らく、士道たちが介入する直前まで精霊たちなりに攻撃を行っていたのだろうことを推察した。そしてそれが、未来での澪と同じく全く通用しなかったことも。

 始源の精霊に力を通す可能性は、幾つか観測している。狂三の未来予測。未零の霊結晶(セフィラ)による進化融合。そして、始源の精霊自身の力(・・・・・・・・・)

 答えはあった。ふっと目を伏せた澪は、祈りを捧げるように手と手を組み合わせた。

 

「――――そんなことはないよ。だって君たちの天使の力は、本来そんなものじゃあないだろう?」

 

 刹那。未来と同じ光景が目に飛び込んだ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「な……っ!?」

 

 一瞬、士道は当惑に息を詰まらせる。澪が取った行動は、伸ばした光の帯を精霊たち、そして士道の胸へ突き刺すというものだったからだ。

 しかし、それで終わらない。未来と違う光景が、今この瞬間から描かれていく。精霊たちの霊力は、消えるどころか漲り、その身に眩い光を纏い始めた。

 

「おお……っ!?」

 

「これって――――――」

 

 光の物質化。奇跡が形を成す、天使と同じだけの意味を持つ絶対の鎧にして城――――完全な霊装が、ここに顕現した。

 士道、未零、そして完全な霊装を元より纏っていた狂三も、精霊たちと同じだけの凄まじい力を纏っている。エレンやアルテミシアと比べても遜色のない力の供給。

 

「……ふぅん」

 

 それを感じ取りながら、一人の精霊――――未零が何かを思考した(・・・・・・・)。自らの手を数度開き――――それこそ、その手の平から連想されるものを、嫌でも頭に浮かばせるように。

 

「――――言っておくけど、今注いだ程度の霊力じゃあ、君の根本的な肉体強度は補強しきれていない。間違っても、それ(・・)は使わないことだ」

 

 しかし、即座に目を細めた澪は、そんな未零の考えを見通したように否定した。一瞬で示された答えは、狂三、折紙の視線までも強くしたのか、耐え兼ねたように未零が肩をすくめる。

 

「……わかってますよ。――――それより、これでもあの男を倒しきるには不十分でしょう」

 

「ええ、ええ。対抗には十分。ですが、決め手には欠けていますわ。現状、全ての天使を集えた一撃であれば……といったところですわね」

 

「全ての天使を……ですか?」

 

「え……っ、エレンとかいる中で全員合体攻撃とか無理ゲーじゃない……?」

 

 七罪の考察の通り、相手もまた始源の精霊を得た存在。狂三の未来予測があるといえど、全員の息を合わせてウェストコットへ攻撃を加えるのは至難の業。

 それを知りながら、狂三は優雅に目線を流す――――他でもない、士道へ。

 

「あら、あら。おかしなことを仰いますのね。お忘れですの? ここまで余すことなく、あなた方の力をその身に収めてきたお方を(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「ああ。いるじゃないか、ここに――――一人で、全ての天使を扱える者が」

 

 狂三と澪の言葉に導かれ、皆の視線が士道へと進む。

 

「――――――」

 

 かつての自分であれば、言葉の意味を理解したところで、恐怖と狼狽に囚われていたはずだ。

 けれど今、士道の手には皆の天使(しんらい)がある。精霊たちという心強い仲間がいる。

 仲間。それは力を与えられる言葉だ。だがしかし、士道にとって彼女たちの存在はそれ以上の意味と力を表していた。

 ――――男ならば、好きな女の前でかっこ悪いところは見せられない。

 虚勢だと言いたければ言えばいい。着飾った言葉と態度は、しかし士道にとってはこの上なく相応しい。世界を壊す者としては、軽薄すぎる理由と動機――――――でも、だからこそ士道は答えを見出したのだ。

 皆の視線に応え、力強くうなずいた士道は、ふっと微笑み声を高々と打ち上げた。

 

 

「いくぞ、みんな。世界を救う――――不本意ながら、な」

 

「き、ひひひひッ!!」

 

 それは、誰の意とするものか――――言うまでもなく。その人物は超然と微笑み。

 

 

『おおッ!!』

 

 

 精霊たちは皆、示す意味を理解しながら応え、各々が〈フラクシナス〉の外装から飛翔した。

 彗星が夜空を裂く。あまりにも幻想的な光景は、しかし敵の心を動かすものではない。〈永劫瘴獄(ベリアル)〉の枝が蠢き、同時にウェストコット以外の外敵が立ち塞がった。

 

「させると――――思いますかッ!!」

 

「いかせない……!!」

 

 エレン・メイザース。アルテミシア・アシュクロフト。共に強大な魔術師である上に、ウェストコットに力を授けられた二人が精霊たちの前に立ちはだかる。

 しかし、臆しはしない。濃密な魔力を用いて振るわれたレイザーブレードを十香と折紙が受け止め、その足を止める。その隙に〈永劫瘴獄(ベリアル)〉の包囲を〝視て〟突破した精霊たちが、各々の天使を掛け合わせて突撃した。

 

「吹っ――――飛べぇ!!」

 

「いき、ます……っ!!」

 

「旋風――――!!」

 

「激昂!! 激震!! 誰ぞ、颶風の御子を止めてみよ――――なんてね!!」

 

 〈封解主(ミカエル)〉【(シフルール)】によって限界を超え、必滅の業火【(メギド)】を放つ琴里。

 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉に相乗りした七罪は、〈贋造魔女(ハニエル)〉の変貌万化を存分に披露する。その巨体をより強く、大きく変容させ、【一の弾(アレフ)】による時間加速まで上乗せした突撃を行う四糸乃。

 〈破軍歌姫(ガブリエル)〉によって極限まで引き上げられた〈颶風騎士〉の風を連続装填(・・・・)。【天を駆ける者(エル・カナフ)】の連続掃射という規格外の攻撃を与える耶倶矢と夕弦。

 並のものであれば生きた痕跡一つすら残さない、幾つもの天使が組み合わさった一斉攻撃。これでさえ、〈永劫瘴獄(ベリアル)〉と身に纏う霊力による防御によって、決定打となるダメージにはなり得ない。だが、決して無傷ではあれない。次第に、目に見えた傷が蓄積していくのが見て取れた。

 ――――無論、あの男がこの程度で狼狽などするわけがない。

 

「ふむ。やるじゃあないか。ならば――――これはどうかな?」

 

 笑い、嗤う。ひたすらに、士道たちの抵抗を楽しむように、ウェストコットは嗤う。片手を高々と掲げ、それ(・・)を呼び起こした。

 

「……!! あれは――――――」

 

 その球体(・・)は、巨大であり、漠然としたある感覚を士道へもたらすもの。

 識っている。なぜならそれは――――――

 

 

「――――〈極死祭壇(アティエル)〉」

 

 

 形を持った、『死』そのものなのだから――――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は僅か、遡行の必要すら感じられないほどの間まで遡る。

 〈フラクシナス〉の外装上。猛然と飛び立った精霊たちを、二亜は〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手に眺めていた。というより、眺める他なかった。

 

「――――で、何をしているんです? 本条二亜」

 

 と、そんな二亜に声をかける唯一の人物は――――士道の道を作る精霊たちを見送った二亜と同じく、この場に留まった白い精霊、通称シロちゃん(二亜渾名の力作)であった。

 

「あれ? シロちゃんこそどうしたのさ」

 

「……私はやりたいことがあったのですが、それを伝えたところ、この場で待機を命じられました。けど、あなたは違うでしょう?」

 

 どうやら、二亜と違ってシロちゃんには正当な理由があったようだ。不思議そうな顔で問いかけてくる少女――顔を拝むことができると、本当に令音と澪そっくりである――に、二亜はばつを悪くして頭をかいた。

 

「いや……よく考えたら、あたしも〈囁告篇帙(ラジエル)〉も戦闘向きじゃないじゃん? ずっと非戦闘員ポジションだったのに、〈バンダースナッチ〉とか雑魚魔術師(ウィザード)とかならまだしも、初戦闘がいきなりボス戦ってちょーっとハードル高くにゃい……?」

 

「……ああ。それで場の雰囲気に隠れながら、こうして困り果てていた、と」

 

 当人からすれば、単なる状況確認の復唱に過ぎないのだろうが、なかなかに突き刺さる一撃が放たれた。二亜の心にマイティブラザーズクリティカルフィニッシュという感じである。

 あごに手を当て、冷静に断じられるとダメージプラス。身長差から年下的なイメージも含めてさらにクリティカルヒットだ。若干泣きそうになりながら、二亜はこれまでの鬱憤を込めて叫びを上げた。

 

「し、仕方ないじゃん!! あたしここまで頑張った方だよ!? 未来記載はチートに思えて思ったより役に立たないし!! てか、今さらだけど未来の固定化ってことは間接的にくるみんにディスられてない!?」

 

「……未来予測の固定化と、記載される未来の固定化は意味合いが異なりますからねぇ。どちらもすごいのでは?」

 

「シロちゃん優しい!! あと、人の頭ガリガリしてくれやがった男相手に口先で頑張るのめっちゃ疲れたね!! キャラじゃないことした二亜ちゃんを誰か労ってくれてもよかったと思う!!」

 

 わーっと吹き出す不平不満の雨あられに、「……ふむ」とどこかで見たような仕草と、それでいて足音すら立てない俊敏さで少女は二亜へ歩み寄り、その後頭部に手を伸ばし、自らの胸――いやでっか、結構でっか、将来性しかないじゃん――に二亜の顔を押し当て、優しく撫でた。

 

「……よしよし。それについては私も心から感謝していますよ。咄嗟の判断でしたが、やはりあなたに託してよかった」

 

「うう、幸せだぁ。こうしてあたしを労わってくれるのはシロちゃんだけだよぅ……これが終わったら、あたし専属のセラピストとして雇ってあげるからね。将来安泰だよ」

 

「……資格、持ってたかなぁ」

 

 むしろ、他の資格は持っているのかと、ちょっと気になった二亜だった。

 とまあ、戦場の後方で遊んでいる、もとい癒される二亜の背後から、唐突に声が這い出てくる(・・・・・・)

 

「――――あら、あら。何を遊んでいらっしゃいますの?」

 

 それは比喩的な表現でもあり、直接的な表現でもある。狂三、その分身体が〈フラクシナス〉の外装上に影を生み出し二亜たちの前に現れたのだ。

 彼女の出現に二亜は小さく肩を揺らし、恐る恐る分身を視界に収めるように振り返った。

 

「いやちゃうんすよ。ちょっとした出来心だったんすよ。でも仕方ないやん? この子、基本的に何でもしてくれそうだし、できそうだし」

 

「何故にエセ関西弁ですの……まあ、後半については同意ですわ。だからこそ、隠れて独り占めはよくありませんわね?」

 

「競争率高そうだなって。そして、あたしはお給料に関してはそれなりに支払える。〈ラタトスク〉に手をつけられる前に、先手必勝とはこのことよ」

 

「少しは我欲を隠してくださいまし」

 

 少女の手の中できらん、と歯を見せて己の策を誇ってみせると、狂三の分身は腕を組み呆れた目でため息を吐いた。

 

「大体、本気で流されて決めてしまいかねない子に、悪影響を与えるのはやめてくださいまし」

 

「……私は子供か何かです?」

 

「さぁ、遊んでいないで準備をしてくださいませ。時は有限。手早く済ませてしまいましょう」

 

 少女の半目な抗議を一切受け付けることなく、分身はぱんぱんと手を叩いて二亜へと(・・・・)言葉を掛けた。

 そう、少女ではなく二亜へと、である。疑問符を浮かべ、二亜は首を大きく捻った。

 

「え、くるみんみん、それあたしに言ってる?」

 

「二亜さん以外に誰がいまして?」

 

「……あたし、ここから役に立てる能力ある?」

 

 それは、二亜なりに分析を重ねた結果、かなり的を射る正当な評価だと二亜自身は自嘲を込めた確信を持って言った。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉に関しては、言うに及ばずだ。直接戦闘能力は低く、秘奥の未来記載とて、あれほどの霊力を纏った相手では十全どころか縛ることができるかすら怪しい。

 かといって、その識る(・・)という能力に関しても、相手は狂三が命を賭して観測した(・・・・・・・・・・・・)始源の精霊と〝同質〟のもの。加えて、あれだけ激しい戦闘の中だ。二亜の能力値では、味方に情報を伝えるどころか足を引っ張る可能性すらあった。それだけは絶対に避けなければならず、知略を巡らせるもさしたる代案は浮かばず……そうして、取り残されるに至った、というわけだ。

 ――――ようやく力になれたと思ったが、やはり戦闘という面で二亜は領域に踏み入ることができない。おちゃらけて誤魔化そうと、悔しいに決まっている。だが、現実は受け入れる。でなければ、皆の足を引っ張るだけだ。

 だから、分身の催促に対して放った二亜の言葉は否定、自虐的なものだけではなく――――確かな〝期待〟が含まれていることは、それもまた言うに及ばずだった。

 二亜の表情の変化を見て、スっと目を細めて魅惑の引き立つその微笑みを――――少々と小生意気(・・・・)な笑みへと変えた。

 

 

「ええ、ええ――――――現状お役立ち度ゾウリムシ以下の二亜を、ミジンコくらいにはしてあげます」

 

「へ?」

 

 

 その、淑女・時崎狂三から放たれたとは思えない馴染みある暴言(・・・・・・・)に、二亜は呆気に取られるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――『死』を絶望と定め、光は堕ちる。

 巨大な黒花〈極死祭壇(アティエル)〉から放たれた闇の粒。絶え間なく、残酷に、死の光は周囲に降り注いだ。

 

「みんな!! それに当たっちゃ駄目だ……!!」

 

 『死』の概念。対外を廃するその力は、如何に万全な霊装があろうと、その身に触れるだけで害を成す理不尽な殺戮者。

 触れてしまえばタダでは済まない。精霊たちが一斉に飛び退く――――が、エレン、アルテミシアを妨害していた十香と折紙が、今度は逆に二人の妨害に遭い、その射程範囲に取り残されてしまう。

 

「く……!!」

 

「ぐぬ……!!」

 

 澪の力を得ている十香と折紙とはいえ、エレンとアルテミシアもまた条件は同じ。あちらも、これが絶好の機会であると心得ているのか、二人を弾き飛ばす未来(・・)がすぐには訪れない。

 

「十香!! 折紙――――!!」

 

 間に合わない。そう士道は叫びを上げた――――否。

 

「え――――?」

 

 士道の脳裏に、ある光景が届いた(・・・)。それは〝未来〟。僅か、数秒先の〝未来〟。しかし、それは絶望ではない。降り注ぐ闇の粒を、十香と折紙に訪れる『死』の光を、同じ貌をした少女たち(・・・・・・・・・・)が身を挺して受け止める光景。

 そして、現実の視界を幾つもの白い影が横切り――――未来は、現実(いま)になる。

 

「な――――!!」

 

 『死』の光はその法則を存分に発揮し、少女たちの命を一瞬にして奪い去る。

 しかし、亡骸はない(・・・・・)。存在するのは、無数の紙。それすらも法則を得て消滅していくが――――舞い散る紙。本の頁(・・・)。いつかの記憶を甦らせるには、十分な光景だった。

 

「まさか、あれは……」

 

「きひひひひ……っ!! 最っ高のタイミングですわ――――!!」

 

 目を剥き、眉根を寄せた士道とは対照的に、狂三が狂気的な微笑みを辺りに響かせる。

 間違いなく、今のは狂三の放った策の一つ。同時に、実行者の声が後方から発せられた。

 

「やー!! 間一髪だったねー少年!! どーよ、二亜ちゃんとくるみんの見事な作戦は!! あたしが来たからにはもう安心だぜー!!」

 

「なぜこの流れでそんな大口を叩けるのか理解に苦しみますね」

 

「二亜!! と――――――」

 

 弾かれるように振り向いた士道の声が、一度詰まったように止まる。それもそのはず。二亜の隣には、この場にいないはずの少女の姿があったのだから。

 色素の薄い髪に、白い簡易霊装。可愛らしく、けれどなぜだか生意気さが窺える顔立ち――――いつか、電子の海(・・・・)で出会った記録。

 そして何より、その口調と声が士道に正しく少女の正体を認識させた。

 

「――――マリア」

 

「はい。よくできました。待望のリアルボディを手に入れ、完全無欠のマリアです」

 

 言いながら、アイドルのような――ちょっと昔ながらで、誰からラーニングしたかはわかりやすい――ポーズを取って見せたマリアの姿に、場違いな雰囲気の明るさを感じ士道は苦笑を浮かべた。

 

「でも、一体何がどうなってるんだ? 今十香たちを助けてくれたのもマリア……だよな。狂三の分身みたいなものなのか?」

 

「『わたくし』よりは、澪さんと令音先生が近しいですわね」

 

 そう言った狂三は、珍しく得意げな顔で――実にエクセレントな表情だ――髪を払い、この手品の種明かしを行う。

 

「一の自我に、複数の肉体。〈黒の女王(クイーン)〉から成るマリアさんを思考の起点とし、〈囁告篇帙(ラジエル)〉と顕現装置(リアライザ)による肉体の生成――――〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉の権能。士道さんなら、覚えておいででしょう?」

 

「あ、ああ――――なるほど、な」

 

 天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉の反転。即ち魔王〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉。かの魔王がウェストコットの手に渡ることはなかったが、その力の一端は記憶に刻まれている。

 士道が思い浮かべた能力は、紙から成る怪物(・・・・・・・)。魔王〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉が描く〝物語〟を現実にし、無数の生命体を生み出す力。その驚異的な力を忘れるはずもない。

 そしてもう一つ。天使と魔王は表裏一体(・・・・)。天使が在って魔王が在り、魔王が在りて天使は在る。存在が鏡合わせであるならば、力もまた同義。魔王が行使する力を、天使が扱うことも可能(・・・・・・・・・・)なのである。

 〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉を模範した〈囁告篇帙(ラジエル)〉と、顕現装置(リアライザ)という空想を現実に書き起す権限。それらを用いて、複数のボディを生成した――――その理屈は、士道の頭でも数秒かからず整理できた。しかし、それは答えがあったからこそ(・・・・・・・・・・)だ。故に、士道は素直にその疑問を口にした。

 

「けど、この短期間でヒントもなしに、どうやってこんな発想を――――――」

 

「あら、ヒントなら幾らでも転がっていましてよ。それこそ、無限に(・・・)

 

 ニィと歪めたのは、左眼(・・)。時を刻み、時間を制する〈刻々帝(ザフキエル)〉が変質し、明確な進化(・・)を果たした証。それを見た士道は、ハッと目を見開いた。

 ――――未来の可能性。幾度か、その未来予測に触れた士道にはわかる。あの力は、有り得た同一時間軸(・・・・・)すら観測できる。士道自身、以前似たような現象を身をもって体感している。七罪攻略の際、こちらでは起こらなかった美九の行動(・・・・・・・・・・・・・・・・・)を、〈刻々帝(ザフキエル)〉は予測結果として弾き出した。

 つまり狂三は、マリアと思考を共有し、できる(・・・)結果を弾き出した。それは有り得た未来、有り得なかった過去すら存在していたかもしれない。たとえば――――ウェストコットが魔王を手にした、別の未来(・・・・)なんてものも存在し得る。という意味でもある。

 

「可能性が存在しているのなら、私と狂三に導き出せない解はありません。大きくリソースを割くことになりましたが、相応の結果を見せることができました」

 

 ならば、答えから別の正解を導くことなど、狂三とマリアにかかれば造作もない。

 手を掲げたマリアの意を組み、二亜の〈囁告篇帙(ラジエル)〉から幾枚ものページが舞い散る。物語を現実に――――その中から、マリアと同じ貌をした少女たちが姿を現した。

 

「無論、〈極死祭壇(アティエル)〉の力を浴びた個体は蘇生できませんが」

 

「この身体を以て数瞬の間、皆を守ることは可能です」

 

「なに、死に尽くしても二亜の霊力が空になるだけです」

 

「もともとなかったようなものですし、大した損害ではありません」

 

 無数のマリア――――本当の意味で、一を全、全を一とする少女たちは、冗談めかすように言葉を組み立てながら〈極死祭壇(アティエル)〉へと向かっていった。

 合わせるように、見事調子を取り戻した……まあ、調子に乗っているともいう二亜が、ビッと人差し指を〈極死祭壇(アティエル)〉へ向けた。

 

「いっけー、マリア!! きみに決めた」

 

「マリアはいうことをきかない」

 

「あたー!?」

 

「わたくしとマリアさんを従えるには、レベルが足りませんわねぇ。鍛えてくださいまし、一兆レベルほど」

 

 残っていたマリアに脇腹をつつかれ、狂三の大概な無茶ぶりに晒されながら身体をくの字に折る二亜。

 

 刹那――――一陣の風が、士道の背を叩いた。

 

「――――!!」

 

「ああ、ああ。それともう一つ」

 

 暴れ狂う神風。その域は、自然が引き起こす風を容易く凌駕する。吹き飛ばされかけてマリアにしがみつく二亜と、それを無情に引き剥がそうとするマリア……はこの際やらせておこう。士道とて、暴風に対して余裕でいられるのは、揃った霊力の支えがあればこそだ。

 同じく、悠然と風を受け止める狂三は、その先を見た。風の中心――――導かれようとする、死を殺す存在を(・・・・・・・)

 

 

「――――顔は譲ります。代わりに、土手っ腹はいただく(・・・・・・・・・)、とのことですわ」

 

 

 言葉を理解し、噛み砕く――――その思考の隙間を縫うように、誰かが視界の中心を横切った(・・・・・・・・・・・・・)

 

「な……!?」

 

 それが何者なのか、士道が正しく理解したのは――――――

 

 

「が――――っ、は――――」

 

 

 ウェストコットの身体の中間――――文字通りの土手っ腹(・・・・)を未零が蹴りを叩き込んだその瞬間のことであった。

 

「――――一度、その気に入らない顔を歪ませてみたかったんですよね」

 

 声音に載る、隠しきれない感情。少女なりの恨みつらみ――――あとは、姉を想う心(・・・・・)、とか。

 

「命中。完璧です。惚れ惚れする働き。MVPは夕弦たちのものでしょう」

 

「これぞ、八舞カタパルトなり!! ……く、咄嗟に何も出なかった……!!」

 

 後方から快活に響いたのは、未零を射出した(・・・・)八舞姉妹の声。

 神速の跳躍と神速の暴風。二つを掛け合わせ、さらに未零の天使は『死』を司る。認識を、警戒を――――降り掛かる『死』を殺す。五感で捉え、避けられるものなど、この世に存在しない。

 だが、無茶苦茶なことを相談もなしにしでかした未零と狂三へ、ツーカーを羨むジェラシーを感じながら士道は飛んだ(・・・・・・)

 決着には、速い。ウェストコットがまだ、笑っている(・・・・・)

 

「く、ははははははは――――!! 歓迎するよ、〈デウス〉。まずは、君からだ」

 

「っ……!!」

 

 〈永劫瘴獄(ベリアル)〉が、動く(・・)。〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉と複雑に絡み合う世界の一部が、無理やり切り離された。小規模とはいえ、世界は世界。取り込まれれば、ただでは済むまい。

 

「させない――――!!」

 

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を制御している澪は、察知した瞬間から天使を操り、分離した世界を追うように再び同化させる。それ自体は成功して――――まだ、生きている。

 士道の目からでもわかる。同化し、絡み合う世界。権能こそ相殺されているが、〝世界〟という枠組みを利用し未零ごと(・・・・)取り込もうと迫っていた。

 

「いや――――強引なのは嫌われるぜ、ウェストコットさんよ!!」

 

「士道……!?」

 

 故に、その役目は士道のものだ(・・・・・・・・・・・)

 未零をウェストコットから引き離し、士道は自らウェストコットを〈永劫瘴獄(ベリアル)〉の世界へ引きずり込む。

 士道とウェストコット、互いの顔が映り込む――――まるで、こうなることを確信していたと思える表情が。

 

「アイク――――!!」

 

 世界が閉じる、直前。その声は後方から響いた――――十香を強引に振り払い、ウェストコットの救援へと馳せ参じたエレンだ。

 

 それを遮る、一人の〝影〟。銃を交差させ、神速の刃を受け止めた。

 

 

「舞台に相応しい役者は、もう十分ですわ。さあ、さあ、わたくしたちも決着をつけましょう? エレン・メイザース(人類最強の魔術師)――――――!!」

 

「っ、邪魔をするな、時崎狂三(ナイトメア)――――――ッ!!」

 

 

 最強の魔術師と、最凶の精霊。幾度となく相対し、始源の精霊という因果が結びつけるその縁。

 全ての精霊の力を得た士道と、始源の精霊の力を得たウェストコット。ああ、ああ。確かに、役者としては十分なのだろう。

 ならば、互いの顔を見合わせて――――――

 

 

「――――いってくる」

 

「ええ、ええ――――いってらっしゃいませ」

 

 

 不敵に、笑う。互いの勝利を確信(・・)する絶対無敵の微笑みと共に――――――因縁の終止符へ、士道たちは身を投じた。

 

 

 






名実共にラストバトル。さあ、さあ、物語の幕を引くのは誰の願いか。次回、いよいよ最終章クライマックスです。

二亜が最後の最後までスルスルと動いてくれる……キャラのギャップでシリアスやらせても様になるから本当にこの子は凄い。そしてさり気なく未零の胸事情を知るの巻。…………まあ、その、この子の事実上の成長者を見てもらえればわかるかと。泣くな、妹御。実は琴里と同じと言うより六喰と同じなのじゃ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百九十六話『願いを叶えし者』

「そこを退け、ナイトメアァァァァァァァァァァ――――――ッ!!」

 

 絶叫を咆哮と化し。吐き出す怨嗟に形という意味を持たせるのなら、その名は執念。

 凡百の情を宿し、人類最強の魔術師(ウィザード)が放つ斬撃は狂三と言えど正面から受け止めればタダでは済まない。

 けれど、狂三は受けて立った(・・・・・・)

 

「く……っ」

 

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」

 

 閃光が散る。交差させた双銃を力で押し込み、刃は狂三の眉間まで迫る。力技もここまで極まれば大したものだと狂三は称賛を笑みにし、片方の銃を犠牲に(・・・・・・・・)エレンの剛を柔を以ていなした。

 

「っ!?」

 

 エレンの目に浮かぶのは、大きな驚愕。自ら手馴れた武具を戦いの最中で迷うことなく捨てる。この一瞬を凌げると言えど、後には続かぬ技。エレンからすれば正気とは思えない戦術を狂三は取った。

 愚かな選択。明確なミステイク。【一の弾(アレフ)】の加速化にあってなお、エレンは次の一瞬で距離を詰めてくるであろう。

 しかし、狂三には視えている(・・・・・)。なんてことはない――――刀を振るうのに、両手を塞いでいるのは間抜けというものだろう?

 

「は――――ッ!!」

 

「何……!!」

 

 神速の下に振るわれる刃を、返しの刃で打ち払う。

 ただそれだけのことにエレンは驚愕を示した。狂三の手のひらに握られた色のない刀(・・・・・)に想定外の動きを強いられ、後方へ退いたのはエレン側だった。

 一瞬の攻防の答えは、そう難しいものではない。眼球の動きだけで狂三は少女を――――未零を捉えた。

 一つとて、狂三の敗北を想定していないあの少女の瞳を、見た。

 

 

「――――き、ひ、きひひひひひひひひッ!!」

 

 

 ああ、ああ。笑ってしまう。そういう子だ。それは変わっていない。あの少女は、狂三を案じている。その上で、狂三の実力を誰より知っている(・・・・・・・・・・・・・・)

 だから敗北はないと。時崎狂三を傷つける存在はあれど、勝てない存在など唯一『私』自身でしかないと、傲慢にもほどがある考えを持っていたのだろう。

 これを笑わずにいられるか――――それに応えずにいられるか。

 

「――――!!」

 

 全ての予測を、目の前の〝敵〟へ。ただの敵だ。如何に強大、如何なる因縁であろうと、ここに至る意味合いは一つでしかない。

通さない(・・・・)。そのために、倒す。士道の邪魔をしようというこの魔術師(メイガス)を、一部の隙もなく、完膚なきまでに討ち果たすのみ――――――!!

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」

 

「は――――ッ」

 

 光の軌跡を描き迫る無数の刃を、同様の軌跡を以て炸裂させる。

 

「っ……銃使いが、剣士の真似事ですかっ!!」

 

「あら、あら。魔術師風情がよく吠えますこと。この程度の曲芸、淑女の嗜みですわ」

 

「戯言を――――!!」

 

 二撃。三撃。二双と見紛う斬撃を、刀と銃を駆使して受け止める。濃密な魔力で編まれ、さらにはウェストコットの力を注がれた光の刃は、霊装の上からだろうが切り裂かれれば無傷ではいられない。

 しかし、その刃を全面に受けてなお、幾度打ち付けられてなお、色のない刀はその煌めきを失わない。

 当然。そこには理由しか存在しない。この刀は、天使〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉。かの楽園は、『法』という己の世界を生み出すもの。であるならば、この刀が決して折れぬは法則にて定められている(・・・・・・・・・・・)

 この刀は、それだけ。刀身から斬撃を飛ばすような奇跡はない。王たる意味を持たせる天使ではなく――――決して、折れない。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の世界を内包した、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の世界そのもの。極小の隣界であり、法則を纏うもの。それが明確な形として顕現した刀こそが、時崎狂三を守るために打たれた一刀(・・・・・・・・・・・・・・・・)なのである。

 それ故に、狂三がエレンに容易く打ち負けることは有り得ない。しかして、狂三がエレンに打ち勝つこともまた、容易くはない。

 

「…………」

 

 左眼は常に未来を捉え、右眼は常に現実を俯瞰する。

 その両の眼を以て、狂三はエレンに賛辞を抱く。憎悪の感情を排斥して、否、あったとしても狂三はこの評価を覆さない。打ち込まれる鮮烈な刃と、思い描いた自らの幻想を現実にする随意領域(テリトリー)。それらを駆使したこの魔術師は、狂三が最強と認める精霊を相手にして、恐らく互角の切り合いを演じることができる。

 これほどの技。血の滲むような研鑽が目に浮かぶ(・・・・・)。この実、顕現装置(リアライザ)を用いない能力は見せられたものではないのだろうが――――――だからこそエレンは、魔術師として最強(・・・・・・・・)なのであろう。ありえない自分を、幻想の自分へ。肉体が及ばないのなら、類まれなる意志の力を極限まで鍛え上げた。それは、随意領域(テリトリー)という奇跡のあり方として極めて正しい選択だ。

 で、あるならば。狂三がわざわざエレンと打ち合う理由は少ない。エレンを討ち果たすのであれば十香の方が確実であり、未来予測を用いたところで、狂三自身の身体能力は精霊たちの中で下から数えた方が速い。狂三がこうして打ち合えているのは、常に防御の構えを取っていること。エレンが激情の中で散々と味わった狂三の優位性、即ち〈刻々帝(ザフキエル)〉の搦手を警戒している二点だ。

 狂三が十香級の敵と近接で結ぶには、以前の反転した十香と同じように捨て身で一つの勝機を狙う、という方法があるのだが、あの時と違い狂三には制約はない。わざわざ【七の弾(ザイン)】を狙ってやる(・・・・・)理由が存在しない、と言い換えてもいい。

 しかし、それなら十香や折紙ではなく狂三がエレンと戦う理由は何か。答えは明白――――捨て身すら必要なく、狂三の方が手早くエレンを倒せるから(・・・・・・・・・・・・・・・・・)である。

 あらゆる意味で、それは必定なのである。エレンを脅かす近接戦闘を行わない狂三は、十香や折紙のように長い剣舞を見せることはない。エレンからしても、狂三を仕留めるのにそう時間は使わない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。以前の攻防が一瞬だったように、だ。

 

「〈シャスティフォル〉!!」

 

 故に、雌雄を決する時間は、一瞬にして到来した。

 刃ではなく腕を振り上げ、エレンは自らの随意領域(テリトリー)へ指令を下した。すると、エレンの纏うCR-ユニットから展開されたバックパックより、無数のレイザーエッジが射出。避けるには多すぎる数が正確な狙いを付け、回転しながら狂三へ迫る。

 なぜ正確とわかるのか。言うまでもなく、視えている(・・・・・)からである。

 

「――――っ」

 

 一息に後方へ跳躍。すかさず、片手の長銃の引き金を絶え間なく引き続ける――――閃光。無数のレイザーエッジは爆風に加えた衝撃となって空中で四散した。

 目を細め、思考。今のは狂三の銃撃だけではない。エレン自身が魔力機雷としての役割を果たさせるため、指令を発したに過ぎない。

 衝撃に叩かれ、僅か一瞬ではあるが狂三の反撃は封じられた。補助兵装であっても、人類最強が振るうのであれば十二分に敵を屠る威力を持つ。無論、精霊が相手では一瞬の時間と視界を遮るだけに終わる。

 

 

「貫け――――!!」

 

 

 しかし、エレンという規格外の魔術師(ウィザード)にとって、それは隙を作ったと同意義なのである。

 晴れた煙の向こうより覗く、ユニットが背に負った武装を変形、さらに前方へ押し出したエレンの姿。

 それは巨大な砲門と見える。だが違う。間違っている。狂三にはそれ(・・)の意味を〝観測〟した。

 砲に非ず。それは――――――

 

 

「〈ロンゴミアント〉――――――!!」

 

 

 ――――槍。敵を刺し貫き、撃滅する光の槍であった。

 CR-ユニット〈ペンドラゴン〉。王の名を冠せし鎧の切り札は、尊大にも王の槍というわけだ。

 理論は同じだ。生成した魔力を研ぎ澄まし、その一撃につぎ込み、放つ。【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】、【砲冠(アーティリフ)】、【(メギド)】、【天を駆ける者(エル・カナフ)】。数ある究極に至った〝一〟と並ぶ、最強の矛。

 絶対の矛に求められるものは、極限へ至るその破壊力。どのような防御であろうと貫く力のみ。その点、これらの力は合格と言えるだろう。競ったなら、それは互角の鬩ぎ合いになるに違いない。

 避ける、というのなら七罪が可能か。

 止める、というのなら四糸乃が可能か。

 反らす、というのなら六喰が可能か。

 数々の未来を、己の時間を極限まで引き伸ばし、弾き出す。時崎狂三という精霊は、果たしてどれに該当するのであろう――――どれも正しく、どれも間違っている。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――――」

 

 

 唱える。自らが誇る、究極の天使を。時間という炉を燃やし、霊力へ。

 結論という意味では、取れるであろう。だが、それは本質ではない。時崎狂三の本質ではない。〈刻々帝(ザフキエル)〉の本質ではない。

 光は眼前に捉えている。一秒後、光は狂三を貫き、死に至らしめる。刀で防いだところで、刀は無事でも狂三の肉体は消失する。力を力で上回る術などなく、相殺などできるはずもない。なぜなら――――など、もう十分であろう。

 結論へ至ろう。防ぐ、反らす、止める。否、否、否。時崎狂三できることなど、一つしかない。時崎狂三が至る究極など、一つしか存在していない。

 

 時崎狂三がすべきこと、それは――――――

 

 

「――――――【三の弾(ギメル)】」

 

 

 時を司り、時を制す。時崎狂三に許された極地は、たったそれだけのことだった。

 

 ――――目眩い白が、歪に歪んだ世界の中を染め上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――な」

 

 呆然とした声音は、己の力を識る故に。最強という矜恃を手放さずにいたエレンだからこそ。

 ――――その光景を認めるわけにはいかなかったのであろう。

 

「あら、あら……そのお顔は二度目ですわね。同じ芸(・・・)だというのに、些か驚きすぎではなくて?」

 

 エレンの前に立つ、時の天使を背負う狂三の姿を、認めることなどできはしない。

 最強の槍を使い、エレンは確信していたのだろう。だからこそ、かつてのように驚愕を感情に載せ、それを激昂へと変えた。

 

「な……、ぜ――――何をしたのです!!」

 

 防いだのなら、相応の消耗がある。相殺したというのなら、拮抗の衝撃がある。だが、先の瞬間、拡散した光は確かに魔力光〝のみ〟のものであり、それはどこかへ反らしたという反論を打ち消すものでもあった。

 光は炸裂した。だが、狂三は消滅するどころか新たな傷は得ていない。筋があまりにも通らず、理論は破綻する――――破綻していて当然だと、狂三は肩をすくめた。

 

「何を驚いているんですの? あなたは一度、その身で味わったはずですわ。体感していたはずですわ。あなたがわからないというのは、おかしな話があるものですわ」

 

「巫山戯るな……!! 私の――――――」

 

「そう。あなたが誇る最強の一撃、でしたわね。脅威ですわ。恐ろしいですわ。魔術師(メイガス)の極地、この目にしかと焼き付けましたわ。技の威力で相殺など叶わず、避けることも叶わず、防ぐことなど以ての外。それほど、完璧でしたわ。誰もが認めることでしょう。ええ、ええ。素晴らしいですわ、素晴らしいですわ」

 

 大仰に手を広げ、ただ相手を称賛する。なればこそ、その行動はエレンの神経を逆撫でするであろう。わかっていてやっているし、止めるつもりもない。

 時崎狂三は、そういう女だ。そういう精霊だ。尊大なる言動は相手を掌握するもの。不遜なほど大胆な微笑みは――――――

 

 

「故に。ええ、ええ。強大であるが故に――――――時を進めて(・・・・・)、消えてもらっただけですわ」

 

 

 完膚なきまでに、敵の心を折るためのものだ。

 時崎狂三は、何も特別なことはしていない。ただし、狂三の行使できる力の範囲で、だが。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【三の弾(ギメル)】。一度見せた弾を、同じように使うなど些か芸がない。そう考え、思案して――――今の狂三(・・・・)が【三の弾(ギメル)】の力を行使した。やったことは、それだけだ。【三の弾(ギメル)】の持つ時間の促進。〈刻々帝(ザフキエル)〉が奏でる時の数だけ、狂三の眼前の時間を歪めた(・・・・・・・・・・・・)

 練り上げられた魔力は脅威。寸分違わず、狂三を殺すために〝完璧〟に編み上げられた魔力。その〝完璧〟は、完成されているが故に――――時を支配する狂三に届くことはなかった。

 その理不尽は、届いているであろうか。

 その不条理は、心を穿つものであっただろうか。

 狂三の背に浮かぶ〈刻々帝(ザフキエル)〉が奏でる絶対の時刻(とき)を、人類最強たる魔術師は感じているであろうか。

 

 

「この、化け物が――――ッ!!」

 

 

 感じていなければ、このような言葉は吐き出されないであろうが。

 冷ややかなものだった。他ならぬエレン・メイザースが、その言葉を口にするのかと。自らの自壊を選んだ魔術師へ、狂三は冷徹な視線を投げかけた。

 

 

「あら、異なことを――――最強(・・)が、わたくしを怪物と認めるなど」

 

 

 それこそ、負けを認めているようなものではないか。

 ああ、ああ。少し、間違っているか。エレンは自らを最強という怪物に仕上げた。しかし、その心には常に――――――

 

 

「嗚呼、嗚呼。悲しいですわね――――あなたは、自らの最強(エリオット)を越えられないことを、その意志で認めてしまっているのですから」

 

「――――――――――」

 

 

 そうでなければ――――最強を名乗りながら、他の最強を知っていなければ、他者を怪物などと定めはしないだろうに。

 目を見開いたエレンの身体が、随意領域(テリトリー)が震える。

 

 

「貴様が――――――その名を口にするなァァァァァァァァァァ――――ッ!!」

 

 

憤怒(なげき)呪い(いのり)――――憎悪(あいじょう)

 知る限りの負の感情。知る限りの正の感情。愛があるから人は狂い。愛があるから人は恋をし。友愛は尊きものとして扱われ――――――愛を裏返し、人は憎しみを覚える。

 

 

「今一度――――肝に銘じておきますわ」

 

 

 人の心は、わかったところでそれほど単純なものではない。魔術師も、精霊も……それは変わることのない真実なのだろう。狂三がそうであったように、エレン・メイザースが、その祈りを呪いに変えたように。

 絶叫の下に、音速で振るわれる――――――二重の神速を以て、この一瞬のみ凌駕する。

 

 切り上げられた色のない刀が、光の刃を断ち切った(・・・・・)

 

「――――――」

 

 驚くものではない。創り上げた幻想を現実に。それが意志の力で成し得るものならば、そこに乱れが生じればこうなるは必定。どれほど優秀であろうと、その綻びを視る(・・)のが狂三と〈刻々帝(ザフキエル)〉だ。

 返しに、銃を。【七の弾(ザイン)】、【三の弾(ギメル)】。エレンの脳には、狂三の銃弾が様々と去来しているのだろう。

 だが、弁えていたか、魔術師(メイガス)。精霊の枠組みを超えて、時崎狂三は凝り性(・・・・・・・・)だということを。種が割れた同じやり方というのは、些か風情がない。

 そして、もう一つ――――それ(・・)が士道にできて、狂三にできない道理はない。

 

 

「奥義――――――瞬閃轟爆破」

 

 

 純粋な霊力を、叩きつける。

 

 銃身を超える凄まじい霊力の奔流が――――五河士道の奥義が、エレンを呑み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 最強が、堕ちる。肉体こそ健在ではあったが、そのユニットと搭載された顕現装置(リアライザ)には、相当なダメージを負ったであろう。

 

「…………ああ」

 

 思わず、吐息が零れる。靡く黒髪も、霊装も健在。一見して、エレンを圧倒したようにも見えるが――――――その目を閉じて空に身を投げ出すのに、一秒と使わなかった。

 

「――――まったく。相変わらず、見ていて不安になる戦い方ですね」

 

 堕ちかけた狂三の身体を、そんなため息と共に包み込んだのは、白い翼を羽ばたかせた少女だった。

 

「……仕方ありませんわ。こうでもしなければ、長引いて仕方なかったんですもの」

 

 大人しく抱き抱えられながら、狂三は自らの正当性を主張しておくとした。

 狂三とて、内面で余裕があったわけではない。〈黒の女王(クイーン)〉を最大まで起動させたのち、最強の魔術師であるエレンに挑む。何とも、無茶を押し通したものだ。反則手と搦手を存分に押し出し、それでもなおエレン・メイザースという女は厄介極まりなかった。

 暴れられ、万一にでも士道の邪魔をされては叶わない。だからこそ、最速(・・)で勝負を決する道を視れる(・・・)狂三がいかねばならなかった……もっとも、その代償として今は指の一本とて動かしたくはないが。

 

「皆様は?」

 

「〈永劫瘴獄(ベリアル)〉の処理、それと予測通り(・・・・)アルテミシア・アシュクロフトの保護(・・)に成功しました――――といっても、〈永劫瘴獄(ベリアル)〉に関しては動きを止めた程度ですが」

 

 どうやら、狂三の残した予測は正しく機能していたようだ。

 アルテミシアの保護――――これに関しては、こうなってはそれほど難しくはない。彼女は元々、記憶を封じられ(・・・・・・・)、DEM側についた。なら、逆説的にその記憶が封じられていなければ(・・・・・・・・・・)、彼女はDEM側につくような人間ではない、ということになる。こういう時、精霊の力というものは本質をつく。強く封じ込めようと、それに干渉できるのなら、扉を開けることは容易である(・・・・・・・・・・・・・)

 〈封解主(ミカエル)〉。未来でも過去(いま)でも、かの天使の頼もしさは変わらない。

 

「さて……」

 

 休めていた目を外界へと放つ。されど、大局は動かない。〈永劫瘴獄(ベリアル)〉と〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉は拮抗。分離した空間は、未だ狂三たちの前に存在している。

 

「この場を制したところで、大局はあちらにありますわ。無駄な労力を使わない――――いえ、使えないのでしょうね」

 

「……あとは、見守ることしかできない、ということですか」

 

 今の士道を前にして、狂三たちを気にかける愚策を用いる男ではない。如何に狂三たちがエレンを抑えようと、ウェストコットを討ち果たすことができなければ全ては水泡に帰す。

 

「……狂三には、視えているのですか」

 

「愚問ですわね」

 

 不安と期待を滲ませる未零へ、即座に返す。問われたことと、その答えを込めた回答だ。

 狂三にはわかる。狂三には信じられる。だというのあれば、重ねるべき言葉はそれしかありえなかった。

 

 

「――――決まりきった結果など、わたくしが視るまでもありませんわ」

 

 

 それはもう、時崎狂三の中で定められた未来だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 因縁はある。悪意がある――――――理由を知らない。

 

「――――あんたさ、結局何がしたいんだ?」

 

 それは、続きであったのだろう。同時に、士道の好奇心が生み出した結果。

 白と黒。明暗分かれるこの空間で、それ以外は世界に存在しない空間で、士道は眼窩の中の眼球をその男にのみ向けた。

 

「ふむ……理由を話せば、私は君に同情してくれるかな?」

 

「んなわけあるか。おまえだって、俺の事情を聞いたところで同情なんかしないだろ」

 

「そうだろうとも。では、私が話す理由も存在しないのではないかね?」

 

 ……それもそうだ。と、士道は頬をかいた。思わず口走った言葉を、相手に正論で返されるとは何をやっているのだろう。力を手に入れた者同士、今さら交わす言葉もないかと士道は〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の柄を握り直し――――――意外にも、ウェストコットは問いの答え(・・・・・)を返してきた。

 

「――――新しい世界を創るためさ」

 

「……へぇ」

 

 返す声が、少しばかり上擦ったのがわかる。それに気づいているのかどうか、ウェストコットの性悪な笑みを見れば一目瞭然だ。ただ、それを指摘することはなくウェストコットは続けた。

 

「エリオットから聞いているかもしれないが、私たちは人造魔術師(ウィザード)とは違う、純正魔術師(メイガス)と呼ばれる者たちの末裔でね。ある時、その力を恐れた人間たちによって集落を焼かれ、仲間を皆殺しにされたのさ」

 

「……!!」

 

「だから私は〈デウス〉の力を求めた。隣界を以て、この世界を上書きする。私たちの家族を殺した人類に復讐するために――――――」

 

 大仰に大義名分を掲げるウェストコットに、士道は表情を変えることなく、ただ一言告げた。

 それは必要な大義名分であり、結論(・・)ではないと。

 

「嘘だな」

 

「ああ、その通りだ」

 

 それを呆気なく、事実として受け入れたウェストコットは、見抜いた士道へと薄ら笑いを見せた。

 

「まあ、全てが嘘というわけではないさ。私の中にある絶望や怒りは本物だ。でなければ、こうして実行に移すことはなく、凡百の人間と同じ生を送っていたことだろう」

 

「どうだか。あんた、そんな小さな器じゃないだろ」

 

 大人しくしようとしたところで、周りに祭り上げられるのが目に見えている。アイザック・ウェストコットという男の才覚は、この一年で数々の才を見てきた士道をして賭け値なしに称賛するものだと思った。やり方はともかく、という注釈は欠かせないけれど。

 呆れた目でウェストコットを見る士道に対し、男はフッと唇の端を歪めた。

 

「そう言わないでくれたまえよ。十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人……という言葉が、この国にはあるのだろう?」

 

「蛇は寸にして人を呑む……って言葉もあるがな」

 

「ふっ、これは参ったな。想像ですら、私に落ち着いた人生は存在しないのかね」

 

 白々しく嘆き、心にもないことを口にしたウェストコットは、気安い調子で言葉を続けた。

 

「一説によると、人間が最初に得る感情は、『快』と『不快』の二種らしい。成長していくに従い、喜怒哀楽などの様々な感情に分化していくわけだが……どんな感情も基本的には『快』か『不快』に属し、人は『快』を好み『不快』を嫌う」

 

 つらつらと並べ立てられる理論を頭で理解し――――理解した瞬間には、士道は〝答え〟を返していた。

 

 

「あんたは、その『不快』を――――――人の不幸(・・・・)を、自分の幸福に感じる人間ってことか」

 

 

 答えにして見れば、簡単であり、当然人の倫理からかけ離れたものを――――――ウェストコットは、哄笑を伴い自ら肯定した。

 

 

「ふ――――はははははははははははは、ははははははははははははははははははははは――――ッ!! そう、その通りだイツカシドウ。私の悦楽はそれ(・・)だ。悲劇、惨劇、悲哀、絶望……全てが、私には心地がいい。それが大切であればあるほど――――――世界を書き換える光景は、私にどれほどの快楽をもたらしてくれるだろうか」

 

 

 ――――理解が及ぶ(・・・・・)。アイザック・ウェストコットという男の意志を、士道はようやく理解した。

 男は倫理を外れながら、倫理を知る人間だった。誰かを愛し、友を想うことのできる男だった。だからこそ、その悦楽のために他者の愛を利用できる(・・・・・・・・・・)

 なぜなら、愛がどんなものかを知っているから。

 それがどのような結果を産むか知っていれば、幾らでも利用ができる。悲しいことを悲しいと感じ、涙を流すことができる――――ただ、それを快楽(・・)としても感じるだけの話だ。

 ああ、ああ。だから士道は理解した。やっと、自分の心がわかった。どうして、この男に対して言いようのない苛立ちはあっても、倫理を外れたことへの拒絶感は存在しなかったのか。

 

 

「ああ、そうか――――あんたも(・・・・)、ただの人間なんだな。アイザック・ウェストコット」

 

 

 哄笑が、止まった。

 

 

「あんた、俺と変わらないよ。使命とか、大義名分とか、そんなものはどうだっていいんだ。自分の好きなことに全部を捧げた、どうしようもなく哀れになるくらいに人間だ(・・・)

 

 

 男の表情を、あえて言語とするならば――――それは〝歓喜〟と呼ぶものであろう。

 

 

「俺は好きな女の笑顔が欲しいから世界を変える。あんたは自分の笑顔が欲しいから世界を変える。……別に、隠すほどのことじゃない。あんたと俺は――――――平凡な、一人の小さな人間だよ」

 

 

 特別なことはない。

 士道は欲しいもののために。

 ウェストコットは欲しいもののために。

 欲に違いはなく。善悪はなく。あるのは、純粋な願いだけ。我欲(エゴ)に塗れた、己のための願いだけ(・・・・・・・・・)。ある意味では、運命ともいうべき男だった。

 異なる倫理など、士道には些細なことだった。共通の願いを求める以上。己の快楽を譲らない以上。士道とウェストコットはどこまで突き詰めようと、ただの人間なのである。

 嗚呼、嗚呼。だから、最初から気に入らなかった(・・・・・・・・)

 

 

「ああ、ようやくか。まさか君が、私の理解者(・・・・・)だったとはね。だが――――――」

 

「ああ、気に入らないけど、そういうことらしい。だから――――――」

 

 

 そんなこと、当たり前だった。心のどこかで、感じ取っていた。

 同じ我欲。同じ願い。ならば、この男は理解者であると同時に――――――

 

 

 

「そこを退け、アイザック。俺の願いに、おまえは邪魔だ」

「そこを退きたまえ、シドウ。私の望みに、君は必要ない」

 

 

 

 決して交わることのない、最後に打倒すべき宿敵であるということだ――――――!!

 

 

「〈極死祭壇(アティエル)〉」

 

 

 粛々と、死は招き入れられた。謳うは魔王。迎えるは死。

 ウェストコットの頭上に咲く、黒い蕾。それは死を招く花にして、死を纏う散花。その対象は複数に非ず、士道に全てを捧げる死人花(・・・・・・・・・・・・)

 冴え渡る感覚、全神経が警鐘を鳴らす――――一歩前へ。

 

 

「〈鏖殺公(サンダルフォン)〉――――――」

 

 

 一歩先へ。ひたすら先へ。道は前にしか存在しない。後ろには進めない。警鐘など不要。叩き起した全神経を、湧き上がる専心を、余すことなくあの宿敵へ。

 ――――あれは『死』の暴龍。概念を目に見えるものとした魔王。死の塊であるならば、防御の姿勢は通用しないだろう。黒い蕾そのものが士道へと降り注ぐ以上、取るべき戦術は至極シンプルなもの。

 

 

「【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】――――――!!」

 

 

 『死』を切り裂く王の剣を、その手に。

 王座を纏い、敵を鏖殺せし天の剣を顕現させる。

 士道が知る最強の一撃。全ての天使を束ねた士道を以て、この剣を最強最後と認める。夜刀神十香という最強の精霊が放つ絶技、その全てを今解き放つ。

 人が握るにはあまりに強大な剣だ。しかし、今の士道であれば十全に扱って見せよう。この力で、あの『死』を乗り越え――――――

 

 

「――――――」

 

 

 ――――足りない。

 本能が、士道の中に眠る〝何か〟が叫びを上げる。

 これでは、足りない(・・・・)。士道が知る最強の絶技。最後の一撃。これを以て、砕けぬものはないと確信している――――――そこまでだ。

 そこで、終わる。名の示す意味は、最後(・・)。士道が生き残ることはできるだろう――――だが、敵を倒すことは叶わない。

 

 

「――――――――――」

 

 

 超えなければならない。士道はあの敵を、乗り超えなければならない。士道の剣を認識し、勝利への確信を以て魔王を振るうアイザックを倒さねばならないのだ。

 奴の悉くを凌駕し、圧倒し、打倒する。であるならば、最後であってはならない(・・・・・・・・・・・)。五河士道は、その先を創り出さねばならないのだ。

 

 

「――――――――――――――――」

 

 

 ならば探せ。見つけ出せ。凌駕する術を。圧倒する力を。この最強の剣を、最後にしてはならない。

 思考を。己が持つ全ての記録を。許された一瞬のうちに思い起こせ。

 この剣に込められた想いを。守ると誓った意志の奔流を受け止めろ。

 誰がために、あるか。何のために、あるか。思い出せ、五河士道。おまえが初めて、この剣を手にしたあの瞬間を。

 守る力というのなら、壊す力も存在する。天使は矛盾を対とし、必ずその意味を形に持つ。

 絶望と希望は表裏一体。希望があるからこそ絶望は生まれ――――――絶望の中に、希望はある。

 

 

『――――ちっ。業腹な男だ。十香の剣、その権能を知りながら、まだ〝先〟を求めるか』

 

 

 ――――生憎、底なしの強欲らしいからな、俺は。

 

 

『気に入らんな、その不遜。人間如きが――――そこまでして、何を求める』

 

 

 ――――みんなと生きる、未来だ。

 

 

『――――守れるのか?』

 

 

 ――――守るさ。もう、悲しませない。

 

 

『――――違えるなよ、人間』

 

 

 ――――ありがとう。

 

 

『――――貴様が、守れ』

 

 

 十香の、心を。

 その声にならない言葉を最後に、声の主は去っていった。

 新たな誓いを、約束を残して。違えることは許されない、心優しい少女との約束。

 刹那の瞬き。士道だけが記録した、力。

 右手には〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を。

 ならば左手には――――一瞬の先に現れる柄を握り、五河士道はその名を謳う。

 

 

「〈暴虐公(ナヘマー)〉――――――!!」

 

 

 誉れ高き、魔王の名を唱える――――――!!

 

 白銀を携えし魔王の剣。あの日、僅かな時間、士道の想いに応えてくれた剣が、今再び士道の手に収まった。

 次いで、新たに顕現した白銀の玉座。瞬間、幾つもの破片に変わり、闇を纏う王剣の真なる姿を見せつけんと迸る。

 

 

「【終焉の剣(ペイヴァーシュヘレヴ)】――――――!!」

 

 

 二双の剣。天使と魔王。守護と破壊。希望と絶望。対を成し、相反し、矛盾する――――それを受け入れ、二振りの剣を重ね合わせた。

 

 

 

「――――【創世の剣(イェツェルーヘレヴ)】――――!!」

 

 

 

 最後を超え、終焉を凌駕し、創世へと至る。あまりに巨大な一振の剣が、光と闇の奔流から姿を現した。

 渾身の力を込めて握り締めた剣を振り上げる。死の蕾は目前。ならば、あとは振り下ろすだけ――――――左眼が時を刻んだ。

 

 振り下ろすだけでは、全てを凌駕するに至らず。『十香』の技量を、絶技を持ち得ない士道では、この窮極の剣を振り下ろすだけに終わらせてしまう。

 ならば、識る(・・)。結果を識る。全の〝観測〟を得て、窮極に至った瞳を士道は繋げた(・・・)

 

 

「――――ああ、ああ。わかってるよ、狂三」

 

 

 常に、ある。士道の隣には、必ず愛しい彼女がいるのだから。

 幾数、幾百、幾千。ひたすら、ただひたすら剣を振り下ろす。凌駕すべきは、宿敵。打倒すべきは、己。

 幾億――――――景色を超え、未知なる世界を到来させる。

 士道は微笑みを(・・・・)、浮かべた。ウェストコットが目を見開く。

 

 瞬間――――――

 

 

「――――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――――――ッ!!」

 

 

 自らが創り出す未来の果て。創世の剣を振り下ろし、『死』の花を両断した。

 

 

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉は見えざるものを切り裂く剣。あらゆる条理、概念、世界を隔てる壁をも。同じ生まれの未零と似て非なる、関わり深い力――――力を抑えていた優しい十香と違い、貴様は扱いきれていなかっただけだがな、人間――――――などと、余計な一言が士道の脳裏を過ぎった。

 未熟者の士道を不器用ながら、手厳しく信じてくれたあの少女に苦笑交じりの感謝を浮かべ、士道は凄まじい衝撃波の中心を突き抜ける。

 『死』が切り裂かれていく。絶対の概念を打ち破る。並大抵の力では不可能だ。これがどれだけ不条理な力か、士道は幾度となく目撃していた人間の一人。そのことは重々承知していた。だからこそ(・・・・・)、相殺で終わらせるわけにはいかなかった。

 力が似通うのならば、あとはどちらが勝るか――――負けるわけがない。

 天使は宿主の心を映す水晶。魔王も然り。心は意志となり、意志は力となる。

 あの男は独り。士道は違う。沢山の想いを、約束を、誓いを胸に宿している。同じ願いであろうと、士道が勝らぬ道理はない――――――!!

 

 

「――――よう」

 

 

 霊力の塊に呑まれる男の前に、士道は姿を現した。

 相殺では、許さなかった理由。それは単純なものだ。決着を付けねばならないということ――――己の私情を叶えるため、こうする必要があったというだけのこと。こうするために、寸分の狂いもなく〈極死祭壇(アティエル)〉を完全消滅させる必要があったのだ。

 幾億の未来はこのために。選びとった未来の一は、振り上げた士道の右腕に。

 

 

「シドウ――――――」

 

 

 宿敵は目を見開く。驚愕や戦慄でもあった――――歓喜や興奮でもあった。

 

 

「――――狂三も澪も、自分がしたことに言い訳しない。だからこれは、俺の勝手な怒りだ(・・・・・・・・)

 

 

 生命を踏み躙ったこと。彼女たちは決して、許されようとは思わない。だから彼女たちは、元凶に責任を押し付けることはしないのだろう。

 故に、振り上げた腕は身勝手なものだ。しかし、ウェストコットがやってきたことも身勝手な行いだ。怒りを、悲劇を産むとわかっていながら、その凶刃を振るい続けた。

 誰もが承知の上での行いならば――――――士道は遠慮などなく、自らのエゴで拳を叩きつけよう。

 

 

「歯ぁ食いしばれよ、アイザック――――――三十年分の痛み、この一発で返すぜ……ッ!!」

 

 

 この身に宿る全ての天使。渾身の力を込めた拳で――――――始まりの魔術師(メイガス)を、殴りつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………っ!!」

 

崩壊(・・)の衝撃は、澪の全身を通り抜けた。

 一口に崩壊といっても、澪の〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉が崩れたわけではない。むしろ、真逆――――抑えつけていた〈永劫瘴獄(ベリアル)〉が、崩落を始めたのだ。

 そんなことが起こる理由は単純明快、一つしか存在し得ない――――士道が、勝ったのだ。

 

「――――――か――っ、は――――ッ」

 

 崩落の中心地。鳥籠の中から苦悶の声を響かせたウェストコットが現れ――――――

 

 

「――――――!!」

 

 

 血の滲む拳を掲げ、勝利をしろしめした士道の姿もまた、そこに存在した。

 

「おお……っ!!」

 

「士道!!」

 

「きゃぁぁぁ!! だーりぃぃぃんっ!!」

 

「……ふう」

 

 精霊たちの歓声の中、澪もまた小さく息を吐いた。拮抗していた〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の負荷が軽減したことが、何より勝利を証明していた。

 

 だが――――――

 

 

「っ――――士道さん、逃げて!!」

 

 

 鋭く、劈く声が――――未零に抱えられた狂三から発せられたことで、澪もそれ(・・)を悟ることができた。

 魔王は、未だ死してはいない。

 

 

「ふ……はは――――――、は、はは――――、見事だ――――シドウ。だが――――一歩足りなかったようだね」

 

「な――――!?」

 

 

 全力を賭して、ウェストコットは言葉を零した。

 それが負け惜しみなどではなく――――いや、そうであったのかもしれない。

 忘我の淵で、意識が途切れる一手前。あの男は最悪の悪足掻きを、喉の奥から発したのだ。

 

 

「――――〈■■■(ケメティエル)〉」

 

 

「――――――っ」

 

 

 全身を穿つ、悪寒。

 狂三は放つ前から、澪は放たれる直前から、その魔王の権能を知っていた。それは、そうだ。誰より知っていなければならないのは、同様の権能を持つ澪なのだから。

 最悪なことに、瀕死のウェストコットはその力を制御できていない。膨大なマナが嵐のように渦巻き、臨界状態だと警告を鳴らしている。

 

 思考は冷えきり、一瞬だった。それはかつて、真士の亡骸を前にした時と同じ思考スピードだった。明確に違うのは、あの時に感じた絶望だけの感覚ではなく、士道という希望を伴う感覚だということ。

 その時だ。刹那を超える思考の中で、士道の背を見た澪は、また(・・)、友の声を聞いた。

 

 

『――――未来のあなたは、ちゃんと笑えてる?』

 

 

 今度は、目を背けなかった。

 その乾き、その飢え。真士を取り戻そうとしてなお――――――まるで、満たされていなかった。

 

 

「――――――」

 

 

 それは既に、答えが示された証明だったのかもしれない。

 澪は飛ぶ。迷わずに、その選択を手に取った。

 

 

「――――まあ、そうなりますよね」

 

 

 その背を見ていた、少女の存在に気付かぬままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てめぇ……!!」

 

「ふ、はは――――、使うつもりは、なかったのだがね。これは、共倒れ(・・・)しかできないものだ」

 

 その言葉を最後に、ウェストコットの声は途切れだ。意識を失ったか、交わす言葉は既に終えていたか、そんなことはどうでもいい。

 そう、士道は眼前の感覚を切り抜けなければならない。全身に走る凄まじい悪寒。ウェストコットの前に集った闇が、小さな種子のような小さな塊を形作る光景。

 知っていた。その存在を。だからこそ、士道は常に警戒しながらも、それが振るわれない意味も知っていた。ウェストコットは〝勝利〟を目指していた。それを使えば〝最後〟、士道とウェストコットは相打つしかなくなる――――互いに倒れるしか、なくなる。

 だが、それ以上に士道は感じていた。死の直感の中、それ(・・)が見えれば――――必ず、彼女は動く。

 

 

「――――駄目だよ、士道。君には、待っている子たちがいるんだから」

 

 

 全力を賭し、動くことすらままならなかった身体が、引っ張られた(・・・・・・)

 

「っ!!」

 

 理解するのに、一拍と要さない。絶えず士道たちの前に立ち塞がっていた〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝が、士道の腹部に絡みついている。

 それを成した一人の精霊――――澪が、ウェストコットへ向かっていく。

 

「澪……、おまえ……っ!!」

 

「――――霊力が暴走している。あれを放置しておいたら、辺り一帯を消し飛ばしてしまうよ。それこそ、余波だけでユーラシア大空災の比じゃあない。――――――でも、〈   (アイン)〉で相殺して対消滅を起こせば、あるいは――――」

 

「っ……!!」

 

 ――――ああ、そうだ。澪ならば、言う。わかっていた。わかっていたのに、士道は失敗した(・・・・)

 それが何を意味するのか、心臓が握り潰されるような感覚が如実に示している。澪の声から、表情から、わからないはずがない。

 認めるか。認めてたまるか。悲鳴にも似た声で、士道は訴えかけた。

 

 

「ふざ、けんな……っ!! 俺は真士に頼まれたんだよ!! おまえに、まだ何も見せてないんだ!! 止まれ、行くな――――――生きろ、澪っ!!」

 

「――――ありがとう、士道。大好きな士道――――――」

 

 

 さようなら。

 

 伸ばした手が、届かない。そうして、澪は士道へ背を向けて――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ――――――『私』なら、そうすると思っていました」

 

 

 

 光の帯が、澪の胸元を貫いた(・・・・・・・・)

 

 

「え――――――?」

 

 

 白い翼が羽ばたく。未来が、紡ぎ上げた因果によって書き換わる。

 

 白の〝天使〟は――――――未零は、優しげに微笑んでいた。

 

 

 






「……ところで、あの奥義気に入ったんです?」

「…………それなりにですわ」

(かなり気に入ったんだろうなぁ)

こんな会話があったとはなかったとか。

初めから互いに気に入らないのも当然というか、それでいて互いへの信頼感はあるというか。だからこそ譲れないとわかっているし、必ず立ち塞がる宿敵となる。
ちなみにウェストコットの内心とか過去は原作に特に詳しく乗っています。あの過去がなければ、やっていいのだと大義名分がなければ……はてはて。

さぁ、願いを叶えた者は――――――次回『〈   (アイン)〉』。
感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございます!まだまだお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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第百九十七話『〈   (アイン)〉』

 

 

 僅かに数秒。それが、命運を分つ時の流れだった。

 

 

「――――狂三をお願いします、折紙」

 

 

 精霊たちが――折紙さえも例外でなく――叫びを上げる中、少女の声が鼓膜を震わせたのは幸いと言うべきだった。

 それも、当然。今、折紙たちの視線の先には絶望的な光景――――アイザック・ウェストコットの放つ闇に呑み込まれかける、五河士道の姿があったのだから。

 

「何を……!?」

 

 問いを投げかける暇もなく、折紙へ狂三が押し付けられた。というよりは、頼むと言った瞬間には届けられていた、という方が正しい。白い翼が、一瞬にして視界の外へ消え失せた。

 ――――だからこそ、折紙だけはそれ(・・)に気がつくことができたのかもしれない。

 

「折、――――紙、さん!!」

 

「――――っ!!」

 

予測(・・)が映像として視界を掠める。思考より先に、身体が動く。鍛え上げられた反射神経と狂三の警告がなければ、折紙もまた皆と同じようになっていた(・・・・・・・・・・・・)

 

「ちょ、何よこれ……!?」

 

「これは、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の――――澪!!」

 

「く……!!」

 

 無数の枝が精霊たちを捕らえ始める。突然のことに、折紙以外の精霊は残らず枝に引き寄せられていく。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉が今になって折紙たちを害する理由はない。ならば――――僅か一秒の失策を折紙は悟る。その後悔すら惜しいと、痛みを堪えるように目に手を当てた狂三が叫びを上げた。

 

「早く――――あの子を、未零を!!」

 

「ッ!!」

 

 言葉などそれだけで十分。空中を蹴り上がり、消えた少女の背を追いかけた。要領を得ない言の葉が、時崎狂三がそうせざるを得ない状況を物語っている。

 士道の危機に澪がいなくなり、精霊たちの動きを封じた――――それを、あの子は誰より早く先読みしていたのだ。

 全てを出し尽くした狂三は動けない。十香たちの手を――――数秒遅い。もはや、動けるものは折紙しかいない。狂三を抱き抱え、無数の枝を避けながら身体にムチを打つように飛翔する。

 

「間に合って……!!」

 

 そう、声を出さずにはいられなかった――――――数秒抜け落ちた時間が、あまりに致命的だと理解してしまったから。

 

 

「――――――」

 

 

六枚の翼(・・・・)が現れたのは、まさにその瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ――――――」

 

 忘我の間際、辛うじて繋ぎ止められたのは、自身が零した小さな声だった。

 迫り来る無の魔王。飛び込もうとする澪――――澪を貫く、光の帯。

 それこそ、再演。舞台の役者が、その演じる役割を入れ替えたような光景。

未零が澪の(・・・・・)霊結晶(セフィラ)を貫き、澪が驚愕の表情を張り付け振り返る。

 

 

「――――君、は……」

 

 

 それも、再演。言葉さえも、未零の表情でさえも(・・・・・・・・・)

 

 まるで、こうなることが正しかったように、未零は微笑んでいた。

 

 

「――――私に従え、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 瞬間、命じられた天使が、堂々たる〝主〟の宣言に従った。無数の枝が霊結晶(セフィラ)を貫かれ、力なく動きを止めた澪を絡め取り、士道の元へ引きずり戻す――――入れ替わるように、未零が先へ飛んだ。

 

「未零っ!!」

 

「…………」

 

 未零は答えない。ほんの少し振り返った少女の顔は、笑っていた――――死を前にして(・・・・・・)、笑っていた。

 そうして、戻された澪の胸元から光の帯が消え、目映い光が士道の視界を遮った。

 

「うわ……っ!?」

 

 腕で顔を守り、何とか視界の全てを潰されることだけは防ぐ。発せられる光が、膨大な闇さえも押し戻さんばかりに輝きを強めていく――――――〝白〟が咲いた。

 

 

「――――――っ」

 

 

 息を呑んでしまう。全ての言葉が呑み込まれて、消える。

 それほどまでに、少女の背は美しかった――――天使の六枚羽。三対六枚の翼は、少女を大天使として生誕させたようだった。

 白い外装を纏い、巨大な翼を背にし、少女はそれを羽ばたかせ――――――

 

 

「――――未零っ!!」

 

 

 その愛おしい声(・・・・・)に一度だけ、少女は足を止めた。

 

「狂三、折紙!!」

 

 すかさず声の方向へ視線を向けた士道は、二人の名を呼びながら目を見開いた。

 枝に絡めとられたのは士道と澪だけではない。ここからは距離を置いた場所で、他の精霊たちも枝によって引き寄せられていたのだ。恐らくは澪、そして権限を略奪した(・・・・・・・)未零によって。

 動けるのは狂三を抱き抱えた折紙のみ――――だが、そんな折紙でさえ、消耗した状態ではここへ辿り着くだけで限界だったのだろう。追いついてすぐに、伸びる数を増やした枝に絡め取られてしまった。

 

「く……、離して……っ!!」

 

「未零!! 戻ってくださいまし!! 未零っ!!」

 

 どうにか振り払おうとする折紙と、なおも呼びかけ続ける狂三。しかし、未零は足を止めるだけで戻ろうとはせず、ふと息を吐き、手のひらを上に向けて声を発した。

 

「ま、そういうわけです。あなたの望みは諦めてください」

 

「っ」

 

 それは、狂三ではなく澪に向けられたものだと、息を呑んだ澪の雰囲気から感じ取ることができた。

 澪の望み――――――自らでさえ自覚できなかった願望。

 

「どうして、なんで君が……っ!!」

 

「合理的判断でなら、あなたに消えられたら困るからですよ。大元の霊結晶(セフィラ)が消えたら、連なる他の霊結晶(セフィラ)にまで影響が出るんです――――よ!!」

 

 言葉と共に、少女が前方へ六枚羽を羽ばたかせ、数え切れないほどの羽根で壁を作り出す。闇を抑え込んだ白の壁は幾許も無い――――未零が別れを惜しむ時間のようだった。

 顔をくしゃくしゃに歪め、大きく首を振った澪が力に抗い進もうとする。しかし、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉が澪に従うことはなかった。天使は主を生かそうと、もう一人の主に従う。そう見えてしまった。

 

 

「代わりに、力の半分はもらっていきます。でないと、あれと対消滅するには足りなそうですから。複数人が消えるより、私一人が受け持つのが合理的判断というものでしょう」

 

「そんなこと聞いてるんじゃない……!! だって、君は……私は、君を……っ、ずっと……」

 

「――――仕方ないかなぁ、って」

 

 

 ――――そう言って、少女は笑った。

 死に向かう者とは思えない微笑みで、少女はいつものように、仕方ない(・・・・)と笑ったのだ。

 

 

「……うん、仕方ないよ。始まりから、私はあなたに死んでほしくなかった。それが〝私〟の始まりなら、私は〝私〟に従う。結局ね、私はそういう生き方しかできない――――――〝私〟の望みは、あなたたちが生きることで達成される」

 

 

 自らの欲がないのではない。未零という存在は、誰かの生存の下で満たされる。

 

 

「――――生きて、澪。残酷で――――だけど、優しい人たちがいる、この世界で」

 

 

 生まれ落ちた一人の精霊として、その言葉を贈る。

 

 

「……ああ、それと――――――好きですよ、お姉ちゃん」

 

 

 時間を共にすることのなかった姉妹として、その言葉を贈る。

 

 

 

「――――ただし、士道や折紙と同じくらいにね?」

 

 

 

 天を駆ける。少女を背負う六枚の翼が、少女を誘う。

 同時に、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝は半ば強制的に士道たちを後方へと離脱させようと――――――駄目だ。

 

「――――待てよ、未零!!」

 

 勝手に、決めるな。

 

「俺たちは、まだおまえに何も見せてない!! おまえが生きる世界を創る!! それを見てくれるんじゃなかったのか!?」

 

「……見せてくれましたよ。あの人が生きる未来――――狂三や折紙が生きていける未来。それだけで、十分でした」

 

「っ……勝手なこと、言うなよ!! いつも屁理屈ばっかり言いやがって!! 狂三ばっかじゃなくて、少しは俺の言うことも聞けってんだ!!」

 

「いつも勝手なこと言ってる人に、そう言われてもなぁ……」

 

 冗談めかすように未零は言い、遠ざかる士道たちと言葉を交わす。遠く、小さくなる――――何も出来ない。

 折紙が、言葉を届ける。

 

 

「私は……まだ、何も伝えられていない。戻って、今すぐ、未零――――――!!」

 

「……気になるけど、聞いたら未練だけが残りそうなので、聞けません。あなたにもらった傷と、呼ばれた名前だけを覚えて逝きます。ごめんね、折紙――――――あなたに自己紹介、ちゃんとしたかったな」

 

「――――――!!」

 

 

 届かない。声が届かない。引き寄せた〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉がその姿を変える。〈フラクシナス〉ごと士道たちを呑み込み、天使と魔王の激突の余波から、自分たちを守るために。

 もはや、声など届かない。閉じ行く世界は隔絶され、夜空は遠くへと消える。士道の声は、折紙の声は、澪の声は、未零には届かない。

 

 

「――――生きて、未零!!」

 

 

 ただ一人。彼女の声だけが、届いていた。同じはずの祈りが、そこにはあった。

 

 

「わたくしの望みを、願いを――――誰より、肯定するのでしょう!? わたくしの望みを、我が儘を、っ……あなたが隣にいないことを、許しませんわ!! だから、だから――――おね、がい……っ!!」

 

 

 涙に濡れて。不敵さなどなくて。一人の少女の声は、確かに届いていた。

 その願いを聞き届け、願いを叶えるはずの少女は――――――優しげな微笑みを、別れに使った。

 

 

「ありがとう、狂三。私の一番の友達(・・)――――――だから、その願いだけは、聞けない」

 

 

 伸ばした手を閉じて――――少女は、幕を引く。

 

 

 

「――――――さようなら。世界の誰より、大好きな人」

 

 

 

 時崎狂三が生きていることが、未零の望む一番の幸せだから。

 

 

「――――未零ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――ッ!!」

 

 

 動かぬはずの腕を伸ばし、閉じられる夜空の景色に向かって、遠く、遠く、狂三はその名を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 激流の中心地。膨大なマナが集結するその場所で――――精霊・未零と魔術師・アイザック・ウェストコットが相対する。

 未零が来たことが意外だったのか、だがその姿を認めるなりウェストコットは死に体の身体を気にもとめず、憎たらしい笑みを浮かべてきた。

 

「……もう一人の〈デウス〉か。介添人が、よもや君とはね」

 

「ご不満です? 『私』を、あなたみたいな人にはあげられない。――――私の〝計画〟通りですよ」

 

「――――ほう。理解していたのかね、私という男を」

 

 笑みを浮かべたまま問うウェストコットに、未零は大層不快な表情を張り付けて返してやる。

 

「……そんなわけないでしょう、気色悪い。〝私〟はあなたのこと何か知らなかったし、知ろうとも思わなかった。でも――――――」

 

 

『おまえがこっちにいる限り、あいつらは真那に手を出せやしない! なら――――ここは態勢を立て直して、真那を取り返して澪もそのまま万々歳ってのが最高のルートだろうが!!』

 

 

「――――『私』は、あなたという男が最悪のタイミングで最悪なことをする(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。……そういう人間だと、知ってたんです」

 

 

 サー・アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット。

 

 未零が知っていたのは、その男の名と――――――崇宮澪の大切な者を奪い去った、最悪な死神ということだけである。

 故に、未零が確信していたのは、信じていた(・・・・・)のは、まさに必然というべきものだった。

 

「……私の〝計画〟に含まれたもう一つの目的。あなたという存在の排除(・・・・・・・・・・・)。こうして順当に果たせるのは、あなたの最悪(・・)のお陰です――――――ちょうどいいでしょう。厄介者を纏めて処理できるだなんて」

 

 そのための〝計画〟。もう一つの完遂地点――――未零の存在でウェストコットを道連れにできるのなら、行幸という他あるまい。

 

「は、は、は――――――」

 

 大仰に……そこには、ウェストコットが初めて見せる感情があった。天を仰ぎ、数々の悪行を重ねた男の身勝手な嘆きがあった。

 

 

「――――どこだ? 一体どこで私は間違えた? 魔術の秘奥を漁り、精霊術式に辿り着いたというのに。顕現装置(リアライザ)を作り上げたというのに。――――今こうして、始原の精霊の力を手にしたというのに」

 

 

 ウェストコットが零した言葉に――――未零は、笑った。

 

 

「ぷっ――――はははははは!! あなた、まだわかってなかったんですね。だから、あなたは負けたんですよ」

 

「なに――――?」

 

「……少年少女の〝恋〟に負けたくせに自覚がなかったなんて、笑うしかないでしょう。教えてあげますよ――――――」

 

 少年と少女は〝恋〟をした。恋は理不尽で不条理だ。それ故に、独りよがりな〝愛〟に打ち勝つ。

 ただ、まあ、それは結果でしかない。根本はもっと単純で、どうしようもないものだ。

 未零は道化師の微笑みを携え、言った。

 

 

「――――あなた、私たちの好みじゃないんですよ」

 

「――――――」

 

 

 呆然と、その理不尽な答えに目を丸くし、

 

 

「……は、はは、はははははははははははははははははは――――っ」

 

 

 そんな自分がどこまでも可笑しかったのか、高々に笑い始めた。

 

 

「なるほど、なるほど。……それでは仕方がないな」

 

「……ええ、仕方ないです――――――」

 

 

 そう、仕方のないことだ。笑い疲れた男へ向けて、未零は右手を向けた。

 必要なことであり、手向け(・・・)

 

 

「だからせめて、私が一緒に死んであげる」

 

「――――それは、それは。私は最後に、幸運に恵まれたようだ」

 

 

 笑みを浮かべたウェストコットが、向けられた手と重ね合わせるように、ゆっくりと右手を前へ向けた。

 

 

 

「――――〈■■■(ケメティエル)〉」

 

 

 

 男の前に出現していた漆黒の種子から、闇が滲み出る。

 応じるように六枚羽が光輝く。白い羽根を散らし、未零は同じように突き出した右手――――それが、震えていることに気が付いた。

 ――――そのことに笑みを浮かべて、最後の天使を唱えた。

 

 

 

「――――〈   (アイン)〉」

 

 

 

 ――――『無』と『無』の力が、ぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――自分に、そんな感情が生まれたことに驚いた。

 少女は自分の生に執着がなかった。偶然生まれて、偶然美しいものを知った。その美しいものに生きて欲しいと願った。そこに、自分自身はいらなかった。

 だけど、〈   (アイン)〉を放つその瞬間、未零の手は震えていた――――――怖い(・・)。そう、感じていた。

 死という瞬間を、死を纏う少女が恐れた――――――無価値な存在が人並みの死を得た(・・・・・・・・)

 

 

 ああ――――――満足した。

 

 

 生まれた意味なんてないと思ってた。消える事が最初から決まっている私に、価値なんて必要ないと思ってた。

 でも、生まれた意味はあった。たとえ呪いでも、未零という精霊は存在する価値があった。

 こんな綺麗な名前をもらって、あの子に生きろって言われて――――――こんな満足して消えて行けるなら、私はそこに意味があると誇ろう。

 

 ただ同時に――――満足した先から、後悔が浮かぶ。

 

 もっと、一緒にいたかった。一緒に、見られるようになった未来を感じたかった。

 みんなに自己紹介をしたかった。綺麗な名前でしょう、って。みんなのことをもっと知りたかった。あんないい子たちなんだ、もっともっと素敵なことがあったに違いない。短い間だったけど、それだけは確信できる。

 ――――もう、泣かせたくなかったんだけどなぁ。

 士道も、折紙も、澪も――――狂三も、泣いていた。

 折紙は見ていないと何をしでかすかわかったものではないし、澪もちゃんと生きていけるか不安だ。士道とはデートをすることができなかったのが、少しだけ残念だ。一応、精霊なのだから無理を押し通しておけばよかったと思うばかり――――狂三の想い人なのが悪い。

 結局、どうしても狂三に行き着くのだ。これこそ、

 

(仕方がない……なぁ)

 

 未零自身が考えて、何度も何度も思考して……最後にはきっと、狂三が一番に来てしまうのだ。仕方がない、としか言いようがないではないか。

 美しいと思った。その生き様が、姿が、時崎狂三の本質が、美しすぎた。

 それは自分自身に最も近い愛を抱いた姉より、恋焦がれた少年より――――その想いが勝ると、未零が決めてしまったのだから。

 生きていてほしかった。未零には耐えられなかった。澪が、折紙たちが、狂三が、狂三の恋焦がれる少年が、未零の目の前で死んでしまうのを見ることなど。

 そう考えれば、何もかもが仕方がないと思う。未零がしなければ澪がしていた。澪がしなければ、狂三たちは間違いなく死んでしまっていた。それを考えれば、最小限の犠牲だ。ついでに、ウェストコットの野望を完璧に阻止できた。〝計画〟の終着点としては、なるほどよく出来たじゃあないか。

 みんなに生きていてほしい――――未零の得た結論(こたえ)は、完璧な形で完遂することができた。

 

 

(……ごめんね、みんな)

 

 

 それでも、誰かが未零を想ってくれていたことは、なかったことにならない。けど、今度はちゃんと、卑怯じゃない別れを告げることが出来たから、それでいいのだ。

 ――――意識が、消えていく。微睡んでいくように、穏やかに意識が薄れていった。

 最後の天使と最後の魔王。ぶつけ合えば、対消滅を促す使用者の結末など知れたことだ。もとより、そのつもりで澪から霊力を奪ったのだ。撃ったあとのことなど考える必要はなかったし、どのみち消滅は免れなかった。

 だから、届かぬ謝罪を残して、未零は消える。最後に残った未零の意識が、そうして溶けて――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「謝るくらいなら、なんでこっちに来たのよ」

 

 閉じかけた目が、一気に見開かれた。

 

「は……!?」

 

「おはよう。ていうか、こんばんは? 私の親切心、役に立ったみたいね」

 

 金の髪をたなびかせ、あっけらかんと少女は――――精霊・万由里は言葉を作った。

 

「まあ、結局あんたはこっちに来ちゃったみたいだけど。琴里よろしく、あんたを蹴り倒したい気分だわ」

 

「……や、士道と違って私は身体が丈夫じゃないんですから、嫌ですよ」

 

 思わず反射で答えて、疑問――――なんで、万由里と話せている?

 未零の脳が見せる幻覚。あるいは幻聴。にしては妙に姿形がはっきりしている上に、応答が現実的すぎる。

 澪譲りの思考スピードを駆使し、あらゆる可能性を模索する。以前と似た感覚から、辛うじての予測――――ここは、一種の霊子空間。世界を揺るがすほどのマナが乱れた瞬間、知覚化された空間。

 言ってしまえば、あの世とこの世の境目。霊力を頼みに意識だけを繋ぎ止める場所……何とか言語に落とし込むと、そんなところだろうか。

 結果として、意味がわからない(・・・・・・・・)という言葉を送ることになるのだが。渋面を浮かべる未零に、万由里は息を吐いて続けた。

 

「ほんと、何してるんだか。私の言ったこと、聞いてなかったの?」

 

「……私は先に、すぐそっちに行くと言いました。はい、これで私が先攻です」

 

「あんたが病室抜け出してたときのことなんて、私は聞いてないから無効よ。よって、あんたの負け」

 

「絶対見てたし聞いてたじゃないですか!!」

 

 あまりに具体的すぎる。歯に衣着せぬ物言いは、一体誰譲りなのかと聞いてみたくなった。

 と、そんなことが聞きたいわけではない未零は、ぐっと拳を握ると万由里へ言葉を放った。

 

「……今さら、なんですか。こんなところに連れてきたところで……」

 

 ここにいて、感じる。ここは霊力で繋ぎ止められた空間だ。しかし、それだけ(・・・・)。あるのは意識だけでしかなく、未零はあくまで消えかかった意識が――――もしくは、消えてしまってから拾い上げられているに過ぎない。

 どうにもならない。未零は死んで、もうどうすることも出来ない。死の実感を、意識があるうちに突きつけられているようなものだ。……そうしてまで、どうして万由里までここにいるのか。

 そんな未零の思考を受け取ったのか、万由里が目を細めて返してきた。

 

「そうかもね。私たちにできることは、そう多くない。せいぜい、見てることしかできない」

 

「……だったら、もういいでしょう。私は――――――」

 

「――――けど、見守ることはできる」

 

 その声は、万由里のものではなかった(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「え――――――」

 

 

 振り返り、思考が停止する。

 少年が、いた。一人の少年が立っていた。愛しい少年と、同じ貌を持つ(・・・・・・)少年が立っていた。

 ありえない。そう思考が断じる。間違いない。そう心が断じる。無意識に、未零は唇を動かしていた。

 

 幾度となく、記憶の中で繰り返された人の名を。

 

 

「……シ、ン――――?」

 

「ああ。君とは、初めましてだな。澪の妹さん、でいいよな――――未零」

 

 

 その笑顔も、その声も――――感じる全てに、記憶が呼びかけてくる。

 崇宮真士。記憶から再生されたものではない、本物の崇宮真士(・・・・・・・)の魂が、そこにあった。

 

「どう、して……?」

 

「……ずっと、見ていたんだ。見ていることしか、できなかったけど――――だから、わかる。君はまだ、こっちに来ちゃいけない」

 

「っ……で、でも、シン……私は、もう……っ!!」

 

 どうして真士がここにいるのか。死した人の魂が、こうして話すことができるのか。それでも、本物だとわかるから――――本物の彼が言うから、未零は涙が止まらない。

 

 

「――――――私、戻れないよ……!!」

 

 

 そう、戻れない。未零は選んだ。みんなが生きていける道を、未零という存在を対価に選んだ。

 それは等価値ではない。けれど、一つの対価ではあった。未零という犠牲をなくして、この結末は得られない。

 それでよかったのだ。これ以上なく満足した――――――したはずなのに、涙が止まらない。

 浮かび上がって、それでも仕方ないと抑え込んだ後悔が、滂沱のように流れ落ちた。

 それは残酷だ。死体に鞭を打つ行為だ――――――けれど、真士は未零たちに笑いかける。

 

「大丈夫だよ、未零。言ったろ、見ていた(・・・・)、って。未零だって知ってるだろ? みんな諦めが悪いし、それに――――――」

 

「……っ!!」

 

 そう言って少年は――――――

 

 

「――――――世界を壊すのは、いつだって魔王の役目だろ?」

 

 

魔王(ゆうしゃ)を信じて、未零の涙を拭った。

 

 

 

 

 

 結末は定められた。流転した運命は、形を変えて物語の終着へ。しかし、特異点を超えてなお、それ(・・)は残されているではないか。

 刻まれた結末を覆す――――――魔王と女王の約束が、果たされていない。

 

 

 終末の戦争(デート)――――――世界を超える再構築(リビルド)を、始めよう。

 

 

 







次回、『リビルド』。さあ、ありえないはずの結末を、再構築しましょう。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。残り、二話。次回をお楽しみに!!


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第百九十八話『リビルド』

 

「――――そんなの、できるわけない」

 

 強く、否定する。未零は真士の言葉を、記憶が告げる大切な存在を、けれど信じることはできない。

 彼は見ていた(・・・・)と言った。なら、わかっているはずだ。判らないはずがない。

 

「……始原の精霊同士のぶつかり合いでの対消滅。それは、【一二の弾(ユッド・ベート)】の力を超えている。存在が生まれただけなら、精霊の力で書き換えられるかもしれない――――けど、特異点同士(・・・・・)が消える事例なんて前代未聞だ」

 

 歴史を変えることに必要な条件。〝原因〟と〝結果〟。そして恐らく、その存在がどこまで世界に影響を及ぼしているか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 始原の精霊という存在だけならば、【一二の弾(ユッド・ベート)】で遡行した精霊の力で書き換えることが可能かもしれない。しかし、未零とウェストコットが引き起こした事象は、想定上ですらその域を超えていた。

 天使と魔王の窮極。互いに至った極限を衝突させ、対消滅を起こした。ウェストコットも、そしてあの瞬間だけならば未零もまた『始原の精霊』という原初存在。そんな者が二人揃って消滅する事象を、世界という存在が固定化しないわけがない。

 言わば、今の未零たちは歴史の特異点。この瞬間、確定した歴史(・・・・・・)として世界が定めようとしている――――ここを離れれば、その世界に溶けて消える(・・・・・・)未零だからこそ、理解してしまえるのだ。

 

「未零の言う通りかもしれないな。前代未聞、誰もやったことがない――――――やったことがないからって、士道は諦めるやつか?」

 

「……っ!!」

 

 息を呑んで、真士の言葉を一瞬でも受け入れかけてしまう。

 士道はやり遂げた前例がない、誰もが無理だと諦めるようなことを、ずっとやり遂げてきた。精霊たちを、未零を――――あの狂三でさえ、士道なら出来るかもしれないと力を貸した(・・・・・)

 過去は確定した。誰でもない、世界の意志によって。

 

 

「――――――未来(・・)は、まだ決まってない」

 

 

 しかし、確定した未来は存在しない。

 

「万由里……」

 

「あんたも、私も……消えるために生まれた存在じゃない。あんたは、もうそれをわかってる――――――戻れないってことは、生きたいってことでしょ?」

 

 万由里がそう言って微笑む。優しく微笑むから、未零はまた涙を堪えられなくなった。

 涙なんて、あの日以来流したことはなかった。それも、誰かのためじゃない――――――未零は狂三たちと生きたいと願って、泣いているのだ。

 大切な誰かに生きていてほしい。見返りなんて必要なかった。満足をして、無価値が死を得るところまできて――――――未零の心は、未来を望んでいる。

 

「……私。ずっと、死にたかった(・・・・・・)

 

「うん」

 

 独白を、真士と万由里はただ受け入れた。

 

「……けど、できなかった。私は、生きていてほしかった。願ったことは、ただそれだけだった。あの子が生きていく世界は悲しくて、辛くて、苦しくて――――――でも、生きていてほしいって、思った」

 

「だから、頑張ったんだよな」

 

 素直にうなずく。未零が死を止めた理由は、それだけでしかなかった。

 未零が生きて何かを成せば、それは誰かが生きることに繋がる。そうやって、自分が戦っていれば、いつの日か未零という存在が消えてしまっても、あの人が生きていけるかもしれないと。

 それだけだった。それだけ、だったのに――――――多くのものを、拾おうとしてしまった。

 

 

「……本当は、狂三だけだったのに。狂三の大事な人が増えて……狂三が大事だと思う人を、私も生きていてほしいって思って――――お姉ちゃんだって、最初から生きていてほしいって、私は思ってたって気付かされて……」

 

 

 それは、できないことだと諦めていた。未零の犠牲を等価値として、狂三一人を救うことができるのならと。未零に他の者は救えない。大事な一人のために、大事だと思える人たちを見捨てる。所詮、少女にできることは澪ができることより劣るのだと。

 ――――――けれど、救えてしまった。

 士道が、狂三が……ありえないと思っていた希望を繋いで、未零の犠牲を払い、切り捨てるはずだった澪でさえ。そうして、救いたかった人を救えたのだ。それは等価値として歪んでいる。でも、対価としては正しい。

 そう、正しい。元は消えるだけの存在が、正しい意味を持って対価を払った。未零は納得するべきだし、これ以上の結末はない――――――流す涙は、その結論(こたえ)を自ら否定するものだ。

 

「……いいんだよ、君は生きてて」

 

「っ!!」

 

「難しく考えすぎなんだ。結局、俺たちの言う価値なんて後からついてくるもんさ。君が生きていてほしいと願った人たちは、君に生きていてほしい(・・・・・・・・・・)と思ってる。価値なんて、そんな単純なものでいいんだよ――――――そう願われたから、君は生きたいと思ったんだろう?」

 

 そうだ。友達になりたいと言われ――――嬉しかった。必要ないと思っていたものが、少女は嬉しいと感じた。感じることが、できるようになっていた。

 生まれて罪を背負って。それは自分のものだと定義して。その幸せを知らなかった。記憶の上で成り立つ故に、未零という少女は目を背けていた。消えるために生まれた存在だと、信じていた。

 けど、違う。名を貰って、生きろと言われた未零は――――――もう、消えるために生まれた存在ではなくなった。

 それは、(『私』)祈り(のろい)を超えるほどに育てられた、未零(わたし)の意志だ。

 

「……いいのかな。一緒にいたいって、思ったままで」

 

「いいに決まってるだろ。大体、そこに関しては未零が頑固だったんだぞ。まったく、そういうところは澪にそっくりだな……いや、俺が言える台詞じゃないんだけど」

 

 そう言って、真士はバツが悪そうに頭を搔く。大元を辿れば、真士がいなくなって澪が頑固になった原因はウェストコットのせいであるのだから、真士が苦笑するのもおかしな話ではあるのだが。

 コホンと場を整えるように咳払いをし、真士が快活に笑う。ああ、それは――――――三十年前の記憶と、同じものだった。

 彼の時は止まったままなのだと――――もう進むことはないのだと、わかってしまった。未零の中に残った澪の記憶が、狂おしいほどの感情の渦として吐き出されそうになる。

 

「……シン」

 

「そんな顔するなよ、未零。可愛い顔が台無しだぜ? ……やっぱこれ、俺には似合わないな」

 

「ううん。そんなことないよ。お姉ちゃんなら笑ってくれる」

 

「それはそれで複雑だぞ……」

 

 嬉しいのやら悲しいのやら、真士はむむむとあごに手を当て物思いに耽ける。大方、澪の反応を想像でもしているのだろう。……大概、想像に易いものな気はするが。

 

「まあ、良かったよ。どのみち、士道たちに無理やりにでも連れ戻されるけど、心が決まってる方が気持ちがいいからな。義兄さんは安心です」

 

「……妙に含みがある気がするんですけど、その呼び方」

 

「いいんじゃない。間違ってなさそうだし――――――真士の頼み事、これなら預けられそうね」

 

「……え?」

 

 万由里が含みを持たせた物言いをして、真士がゆっくりと頷いた。一体、何を――――――瞬間、世界が揺れた(・・・・・・)

 

「っ、何……!?」

 

「おっと、もう始まりそうだな」

 

 何をだなんて、問うまでもなく。揺れる世界で、真士は一度目を伏せて、沈黙した。

 それは、感情の整理であり――――――生涯抱いた願いを、抑え込むようなものに見えた。

 そうして開いた目に迷いはなく、未零の心臓が嫌に鼓動を鳴らす。その意味を、未零の中に残った記憶(崇宮澪)が悟る。

 

 

「澪に――――――伝えて欲しいことがあるんだ」

 

 

 言葉の意味は――――――今生の別れであると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 肉体はとうに限界を超えた。血肉が沸き起こる闘いを終えて、時崎狂三という精霊の肉体は限界を迎えていた。

 動けようはずもない。戦いの果てに、狂三は勝利を――――――まだ、手にしていない。

 手にしているはずがない。新たに生まれた始原の精霊を超えた。ただ、それだけだ。そんなものは道中でしかない。

 

 時崎狂三は、五河士道との約束を果たしていない。

 

 ならば、動ける。狂三は足掻く。なぜなら、ずっとそうして生きてきたから。

 肉体が動かないのなら、思考がある。思考が働かないのなら、心がある。最後の最後まで、時崎狂三は望みを捨てない。こんなところで膝を折っては、『時崎狂三』に笑われてしまう。

 

 『時崎狂三』に、少女は勝った。その事実があって、どうして諦められよう。その勝利に誓って、少女は決して諦めることをしてはならない。

 

 

『――――――わたくしが、この時崎狂三が、全てを諦めたと、本当にそうお思いですの? 亡き友を思い、殺めた命を悔い、ひたすら神に許しを請うか弱き人間に成り果てたと』

 

 

 ――――記憶が、過ぎった。

 それはきっと、狂三ではない狂三の未来。その未来の中で、時崎狂三は凄絶に笑っていた(・・・・・・・・)

 友の死を、罪業を背負った最悪の精霊は、力を失ってなお諦めなど心に存在させはしなかった。ああ、ああ、そうだろうとも。諦めるくらいなら、狂三は初めからこんな道を選んでいないのだから。

 ならば、ならば、ならばならばならば――――――狂三は、最後まで笑おう。

 

 神を殺し、世界を壊す。救われるお姫様ではなく、悪逆を成す女王として、魔王の隣へ並び立とう。

 

 故に――――――狂三が紡いだ絆を信じることは、必然といえるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「〈刻々帝(ザアアアアアアアフキエエエエエエエル)〉――――――ッ!!」

 

 

 歌うように。唱えるように。女王は天使の名を謳う。

 涙を流し、赤く腫れ上がった目を見開き、時崎狂三はその手に銃を取る。

 諦めなど、一瞬で捨て去った。納得など、一秒の足しにもならない。一歩でも、先へ。誰でもない自分自身の望みを、約束を果たす。今やらずして、いつ行うというのか。今この瞬間を諦めて、あの子の未来を誰が掴み取るのか。

 狂三が言ったのだ。あの子と友達になりたいと。一緒に時を過ごしたいと。その責任は、誰にも奪わせはしない――――――!!

 

 

「【七の弾(ザイン)】!!」

 

 

 選んだ弾丸を、二発(・・)。装填された銃口をそれぞれに向け、狂三は彼女たちを呼んだ。

 

「折紙さん!! 十香さん!!」

 

「……!!」

 

「わかった!! 来い、狂三!!」

 

 その向けられた先を見て、二人が迷うことなく意志を返す。銃口の先は、折紙と狂三、十香を縛る〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝。

 強固さはなおも現在。主が去り、しかし命に背くことはなく狂三たちを安全地へ引き寄せ続ける。だが、退いてくれ。狂三は、今その主を救いにいく(・・・・・)

 

「っ!!」

 

「おおおおおおお――――ッ!!」

 

 折紙と十香、二人が全力で霊力を解放し、僅かばかりに枝の拘束を緩ませた――――――刹那、狂三は寸分違わぬタイミングで時間停止の弾を、緩んだ二つの枝に撃ち込んだ。

 二人が拘束を一瞬緩ませた時間を〝固定〟する。停止する枝と、不測の事態にも新たな〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝が迫る。

 ――――全身の霊力を練り上げ、肉体の撃鉄を叩き起す。

 

「っ、ああ――――っ!!」

 

 悲鳴を上げる。狂三という精霊の限界を超え、拘束が緩んだ一瞬を付き、折紙の手を借りてまで、跳ぶ。跳んだ先は、目的の人の下ではなく、そこへ狂三を導く人(・・・・・・・・・)

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構えた十香へ――――王の刃の上に立つ。

 

 

「往け、シドーの下へ――――――ッ!!」

 

 

 十香が全力を以て〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を振り抜き、合わせるように跳躍。十香という最強の精霊を最高の中継地とし、狂三は〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉内の空間を流星の如く貫く――――――それでも、遠い。

 

「っ……」

 

 息を詰まらせる。狂三を危険に晒すまいと、空間内の枝が迫り来る。普段であれば数秒とかからず突破できる道が、あまりにも遠い。

 無理もない。それは一番、誰でもない狂三がわかっていたことだ。皆を生き残らせるための度重なる未来予測。エレン・メイザースとの激戦。霊力より、狂三の肉体と精神の負担が許容量から溢れている。

 だからといって、ここで止まってなるものか。今でなくては、駄目なのだ。『無』の力の衝突。暴走するマナの奔流は、この瞬間にのみ発生する。世界に溶けて消えては、使えなくなる(・・・・・・)

 届かせる。あの人の下へ。分身に身体を入れ替える。時間加速を強引にでも扱う。僅かな未来へ飛ぶ。一瞬のうちに去来し、そして否決されていく。

 ――――――ああ、そうだ。届くだけでは駄目だ(・・・・・・・・・)

 この肉体、精神を使い物になるようにしなくてはならない。けれど、どうやって。士道の下へ至る僅か数秒の間に、狂三が精霊として必要な力を得るにはどうすればいい。

 狂三の中に道はある。だけど、届かせるだけの答えが見つからない。狂三を絶望(せいぞん)へと誘う天使の呼び声がにじり寄る。それでも、たとえ存在しない可能性だとしても、狂三は手を伸ばした。

 

 

「――――――え?」

 

 

手が取られた(・・・・・・)。誰かが、狂三の手を取った。

 長い、長い一瞬の間に、時崎狂三は〝彼女〟を認識した。

 酷く、倒錯的だ。その光景を見た誰もが、そう考えて止まないことだろう。だって、時崎狂三の手を掴んだのは――――――

 

 

「その諦めの悪さに敬意を――――――これは、ナルシズムというのでしょうね」

 

 

 『時崎狂三』。自らが生み出し、自らと定義し――――――自ら道を違えた彼女その人だったのだから。

 その奇抜なメイド服(・・・・・・・)をはためかせ、閃光のように銃を振り抜き引き金を引く。銃弾は狂三の足先に追いついていた枝を撃ち抜き、ほんの数瞬の隙間を産んだ。

 それが何だというのだ。きっと、人はそう告げるのだろう。しかし、狂三は違う。狂三は彼女(・・)を知っている。『時崎狂三』を知っている。

 『時崎狂三』は、考え抜いた行動に於いて、決して無為と呼ばれるものを存在させない精霊であると。

 

 ――――――狂三の胸元に、銃口が押し当てられた(・・・・・・・・・・)

 

 

「――――これは、契約(・・)ですわ」

 

 

 過去を同じとし、現在(いま)を違えた『時崎狂三』は道を違えた狂三への蔑みを、あるいはそれでも自分自身なのだという誇りを浮かび上がらせ、告げた。

 

「違えることは許しませんわ。間違えることは許しませんわ。『わたくし』を裏切ったからには、時崎狂三(あなた)にはその責務を果たしていただきませんと。これを受け取る以上、後などない(・・・・・)。絶望など、甘えたことは許されませんわ」

 

「……ええ、ええ。それが、わたくし(時崎狂三)の責任ですもの」

 

 その間にも枝が回り込み、狂三たちを包み込み始めた。構うことはない。見向きもせず、瞳にはその理解だけを込め狂三は『狂三』と相対する。

 『狂三』はフッと微笑むと、感慨とも悔しさとも、えもいえぬ感情をそこに載せた。

 

 

「まったく、腹立たしいですわ。腸が煮えくり返るようですわ――――――わたくしでありながら、あの子のことを見捨てないだなんて、羨ましいですわ」

 

 

 そうして、最後の引き金は引かれる。

 

 

「あの子の未来を――――――どうか、あの方と創り上げて見せてくださいまし」

 

 

 胸を穿つ、黒に染った白の霊結晶(・・・・・・・・・・)。同時に、言葉を吐いた『狂三』が影へ呑まれ、時崎狂三の内側を刻まれる。

 ――――道を違え、けれど狂三は狂三でしかない。抱いた想いは、過去を切り離せど『なかったこと』にはならなかった。

 嗚呼、嗚呼。あまりに多くのものを『時崎狂三』は取り零した。これはその一つだった(・・・)

 その過去を無為にはしない。『なかったこと』にはしない。紡ぎ上げた全てを、取り零したものを――――――

 

 

「おいでなさい――――――〈刻聖帝(ザフキエル)〉」

 

 

 拾い上げるために、狂三は飛ぶ。

 

 黒の翼が――――――羽ばたいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 躊躇いはなかった。故に、少年の心は定まっている。

 元より、そういう約束だ(・・・・・・・)。士道は、彼女といたいから誓った。彼女を手に入れるために約束を守る。

 全てを『なかったこと』にするのではない。紡いだものを、紡いだ思い出を消させない。奇跡を起こした履歴を信じて。

 

 五河士道という男は、諦めの悪さに定評がある――――――なら、あえて語ろう。

 

 これから生きる少女を犠牲にしたハッピーエンドなど、クソ喰らえ(・・・・・)だと。

 

 

 

 

「――――そうだろ、澪!!」

 

 マナの傍流が空間を叩き、こちら側でさえ凄まじい衝撃に打ち付けられる。意識を飛ばすまいと、士道は力の限り叫びを上げた。

 

「……士道」

 

 力なく、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝木にされるがままに囚われた澪。その瞳に映るものは――――――ああ、言ってやるまでもない。

 

「はっ――――なんて顔してんだよ、おまえ……!!」

 

 だから士道は、目一杯の叱咤激励を言葉にする。なんでいい。なんでもよかった。ただ、思うがままに澪を立ち上がらせる(・・・・・・・・・)だけの言霊を叫んだ。

 

「何勝手に諦めた顔してんだよ……っ。おまえが諦めて、どうすんだよ!! 言っとくがな、俺はおまえが犠牲になる結末も、未零が犠牲になる結末も願い下げなんだ!! だから、ここでおまえに諦められたら困るんだよ!!」

 

「っ……じゃあ、どうしろって言うの……!? 私はもう、シンに会えない(・・・・・・・)……っ!! あの子を犠牲にして、私はまた生き残って……!!」

 

「っ……」

 

 優しさを知り、悲しみを背負い。贖い切れない罪を犯した。

 その澪の叫びが、告げている。澪の本心――――――シンが戻らないならせめて、シンと添い遂げる(・・・・・・・・)ことが澪の願いだった。

 癇癪を起こした子供のように、支離滅裂な思考を言葉にする。今の澪の心は、澪にすら制御できていない。

 死にたかった。殺してほしかった。そうすれば、真士にまた会うことができるかもしれない――――――そんな祈り(のろい)を受けて生まれた少女が、自らの死を防いで犠牲になった。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の制御権を澪が失った理由も、恐らくはそこにある。主を天使が生かそうとした(・・・・・・・・・・・・)。それだけの話――――――小を犠牲にし、大多数を生かす未零の選択を天使は推奨したのだ。

 澪の心に寄り添うのが、崇宮真士の心だ。しかし、士道は(・・・)拳を握り、血の滲む唇を噛み締め、己の心に従った。

 生憎、士道は狂三ほど優しくはない。だからここで放つ言葉は、死を望む少女への慰めなどではなかった。

 

 

「生きてるなら――――――責任を取れよ!!」

 

 

 不条理でも、望まなくても、それは崇宮澪に生じた責任(・・)だ。

 

 

「おまえが死にたいのはわかってる!! 俺と、記憶の中の真士の……!! 狂三、それに未零!! みんなの願いを受け取って、それでも死にたいっていうおまえの希望(ぜつぼう)!! ああ、結局俺たちの勝手な押しつけだよ!! 俺たちの勝手なら、澪が死にたいって気持ちを捨てないのも自由だ!! けど、けどな――――――」

 

 

 生きていてほしい。それは一方的な願いだ。最後には、死を願う彼女が決めること。そこに責任はない。澪の罪は、生きることへの意味にはなりえない。

 ならば、責任は何か。澪が背負った責任とは、彼女自身が決めたこと(・・・・・・・・・・)にある。

 それは絶対に看過できない。士道は決して、見過ごすことはできない。五河士道が生きてきた十数年で、揺らぐことのない答え――――――

 

 

「妹を守るのは、姉貴の役目(・・・・・)だろうが――――――ッ!!」

 

「――――――っ!!」

 

 

 言葉を受け、目を見開いた澪。それを見て、確信に至った士道は目を細める。

 やはり、そうなのだ。未零が自ら名乗るわけがない。ならば、いつかの過去――――――(令音)は未零を自らの妹(・・・・)として認めた。

 それが彼女なりの慈悲だったのか。それとも気まぐれだったのか。それは、彼女自身にしかわからないことだ。だが、士道は信じる。澪の心を、優しさを。

 言葉に出したのなら責任がある。妹としていてほしいと願ったのなら――――――妹を守るのは、姉貴(兄貴)の役割なのだから。

 

「言ったなら果たせ!! おまえは生きてて、まだそれを果たせるんだろ!? 死にたいとかそういうのは、姉貴として責任を取ってからにしやがれってんだ!! それまでは、俺はおまえの言い分なんて聞いてやらねぇ!!」

 

 手を伸ばす。手を取るため、取らせるために。

 

 

「そんで全部終わらせてから、そのあとおまえを生かすために思う存分言葉をぶつけてやる!! そのためにも――――――未零を助ける力を貸せ、澪!!」

 

「――――――」

 

 

 士道が伸ばした手――――――それを握り返した手が、言葉より雄弁な行為であった。

 そして、澪と士道が驚愕を表情に浮かべたのは、もたらされた光景を目撃してのことだった。

 

「これは……!!」

 

 瞬間、失われていた澪の星に光が輝く。灯るはずのない光の色は、無色(・・)

 色を変え、光り輝く星の意味は――――――

 

 

「――――――士道さん!!」

 

 

共振(・・)している。共鳴の光を携え、光を受け煌々たる輝きを放つ一対の黒き翼。

 狂三が、そこにいる。諦めなど存在しない、異形の瞳を見開いて。彼女であれば必ず、そうだろうと思った。

 狂三が諦めないのなら、士道は諦めない。狂三が良しとしたなら、士道はそれを信じる。士道が選び取った道を狂三もまた迷うことなく突き進む。

 運命共同体。ああ、ああ。最高じゃないか。世界を壊す(・・・・・)には、十分すぎる動機だ――――――!!

 

「ああ、やろうぜ――――――狂三!!」

 

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の一部は、澪の意志に従い(・・・・・・・)権限を取り戻している。拘束が緩んだ枝を振り払い、士道は翼を羽ばたかせた狂三の下へ至る。

 事ここに至って、やるべきことを口にする必要はない。

 見てきて、成した。世界を変えるということが、どういうものなのかを。士道の中の疑問と燻っていた考え、それらは今まさに視えている(・・・・・)

 

「澪、アイザックが撒き散らしたマナの制御を頼む!!」

 

 暴れ狂うマナの制御も、今の澪であれば必ず御しきれるはずだ。そもそも、マナの集合体である澪が(意志)を取り戻したのであれば、不可能という方が難しい。

 応え、うなずいた澪だが、その唐突な指示に眉をひそめた。

 

 

「わかった。……けど、どうする気?」

 

「決まってんだろ――――――世界をぶっ壊すんだよ。俺たち好みにな(・・・・・・・)

 

 

 不敵に笑う士道に、澪は目を丸くすると――――――数々の想いを込めた笑みを返した。

 

 

「うん――――――やっちゃえ、士道」

 

 

 この最悪な世界(・・・・・)に対する鬱憤を晴らすことを託して。

 膨大なマナの奔流。規則性のなかった流れが、一定の方向へと収束していく。

 マナと、全ての受け皿(・・・)になる隠された霊結晶(セフィラ)を取り込んだ狂三。だが、まだだ。足りていない。世界の条理を超えるには、この程度では至らない。

 ――――――いつか、考えたことがあった。

 世界とは、都合よく変えられるものではない。それは〈刻々帝(ザフキエル)〉という時の女王の力を借り、それでもなお士道が味わったことである。

 条理を超え、変革させた世界。しかし、世界に大きな変化はなかった。変えられたのは僅か数人の運命。それも、世界という意志に阻まれ、完全な形にはなり得なかった。

 どうすればよかったのか。何をするべきだったのか。人ひとりが考え、行動するには恐ろしい思考だ。けれど今――――――士道は一人ではない。

 正しいことではない。そんなことは承知の上だ。士道は一人じゃない。狂三を一人になんかしてやらない。理が世界によって捻じ曲げられる恐怖を、狂三だけに味わわせてたまるものか。

 定めた答えに、疑問の解答は存在した。世界の意志により士道たちの行動が捻じ曲げられるのなら――――――世界の意志を凌駕するだけの力を、手にすればいい。

 あまりにも単純。考え得る中で、これほど馬鹿正直な答えはないだろう。だが、この最悪な世界をぶち壊すつもりなら、この程度は超えなければならない。

 

『――――――』

 

 士道は狂三と顔を見合わせる。こくりとうなずいた、うなずき返した。

 士道は一人ではない。狂三は一人ではない。そして、士道たちは二人ではない(・・・・・・・・・・・)

 

 

「みんな――――――っ!!」

 

 

 声を張り上げ、希望を呼び起こす。

 マナの暴風が巻き起こる中で、届くはずのない士道の声――――――いいや届くと、確信があった。

 士道の中には、彼女たちと繋いだ(きずな)が存在しているのだから。

 

 

「世界を、ぶっ壊しに(救いに)いくぞ――――――ッ!!」

 

 

それ(・・)は確かに、士道たちの心へ届いた。

 

 

「――――必ず助ける。今度こそ、世界を変える」

 

 

 〈絶滅天使(メタトロン)〉。白の輝きが。

 

 

「――――ここまできたら、もう最後まで振り切ったお話を見せてくれよ、ってね!!」

 

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉。灰の輝きが。

 

 

「――――皆さんと、楽しく笑っていける優しい世界を……!!」

 

 

 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉。青の輝きが。

 

 

「――――こっちはとっくに腹括ってるわよ。ぶちかましてやりなさい、おにーちゃん。それと、おねーちゃん!!」

 

 

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉。赤の輝きが。

 

 

「――――その行為が罪だとしても、止めはせん。じゃが、共に背負うことが家族じゃろう」

 

 

 〈封解主(ミカエル)〉。桃源の輝きが。

 

 

「――――私にできることなんて、ない。でも、みんなの一歩になるくらいは、したい……っ!!」

 

 

 〈贋造魔女(ハニエル)〉。緑の輝きが。

 

 

「――――鼓舞。八舞の御子、本領発揮です」

 

「――――然らば!! 我らが世界を穿つ槍とならん!!」

 

 

 〈颶風騎士(ラファエル)〉。橙の輝きが。

 

 

「――――コンサートの〝約束〟、一名様追加しちゃいますよー!!」

 

 

 〈破軍歌姫(ガブリエル)〉。水の輝きが。

 

 

「――――大事な名を得たまま、逝かせはしない!!」

 

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。紫紺の輝きが。

 

 

 

 天の光を携え、集う。想定された質を凌駕した(・・・・・・・・・・・)、絶大なる力の傍流。

 水晶に映す想い。想いが力になる。誰かを愛するということが、何より霊結晶(セフィラ)を輝かせる意志の光。

 色を伴い天を昇る光たち――――――だが。

 

「……士道、駄目だ!!」

 

「く……!?」

 

 澪の警告に、士道は顔を渋面に歪め呻く。その意味を身をもって知る。

 九つの光は、士道を伝い狂三へと至るはずだった(・・・・・)。しかし、それぞれの主から放たれた光は、規則性を持たず空間内で暴れ狂おうとしている。

 ――――士道の能力は封印(・・)だ。今士道が行おうとしていることは、その真逆と言える放出(・・)。自らの身に収めるならいざ知らず、この行為は器として完成された士道といえど相反するものと言えた。

 だから――――だけど、士道は狂三の手を握り意識を集中する。

 

 

「っ……それでも、届ける――――ッ!!」

 

 

 手を握り、自分を信じて祈るようにその時を待つ女王(てんし)に、士道は全てを届けるのだ。

 集められた(しんらい)を。叶えるべき願いを。ここで士道が手にできなければ、犠牲になるあの少女を救うことすら叶わない。

 あの子を救う。取り零したあらゆる者を救う。たとえそれがエゴだとしても。過去を踏み躙る行為だとしてもだ。

 それが正しいというのなら、正しさなんかいらない。士道は士道の中でそう決めた――――――その裁定を下した。

 

 

『――――――大丈夫』

 

 

 瞬間――――――

 

 

『私の力は、士道の中にある』

 

 

 友を救わんとするその声は、士道の中にあった(・・・・・・・・)

 嗚呼、そうだった。食いしばっていた歯が緩んで、自然と笑みが零れる。

 過去は無意味なんかじゃない。あの瞬間、あの行為には意味があった――――――消えるためにあった生命など、士道の中には存在していない。

 覚えている。忘れていない。ずっと、共にあった――――――眠れる天使の名を、士道は叫んだ。

 

 

「――――〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉!!」

 

 

 裁定者の力をここに。

 形を失いし天使は、だが精霊を封印する能力(・・・・・・・・・)によって納められた。

 ならば、その力は残されている。器を介して霊力を一点に集める、万由里の力(・・・・・)が残されている――――――!!

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――ッ!!」

 

 万由里は精霊たちが持つ霊力の集合体。それにより、彼女は十香へ全ての霊力を集結させることができた。

 それが精霊の力というのなら、士道に扱えぬはずがない。そしてここには、皆の霊力を封印した士道(・・・・・・・・・・・)という絶対的な〝器〟がいる。

 澪の力、想いの力。それによって増幅された莫大な天使の霊力――――――全てを収め、一つに(・・・)

 皆との経路(パス)を伝い、器である士道が力を収める。時を支配する狂三が中心に存在しなければならない。しかし、精霊たちとの経路(パス)は士道にしか存在しない――――――ならば、狂三との繋がりを持つ士道(・・・・・・・・・・・・)が、力を繋いで狂三へと導く。

 

 

「――――――約束だ」

 

 

 マナが、霊力が。祈りを捧げる狂三の翼へ。黒の翼に全ての色を載せ、天使の羅針盤は脈動する。

 少女の願いを叶えるために。少女の望みを実現するために。

 想いと力。両方をこの瞬間に兼ね備え、士道は運命の女王に告げた。

 愛しい女の頬に手を添えて――――――少年の(こたえ)を。

 

 

 

「一緒に、世界を創り変えよう」

 

 

 

 誰に命じられたわけでもなく、士道はその答えを得た。

 身勝手に、傲慢に。それでも士道は――――――好きな少女のために、この世界に宣戦布告するのだ。

 思い出をありのままに。出会ったことを無くさずに。都合の悪いだけの悲劇を消し去る。ああ、ああ、なんてご都合主義な話であろうか。

 だけど、世界一愛しい少女は――――――ただ微笑んだ。

 

 

「ええ、ええ。士道さんとなら――――――士道さんでなくては、嫌ですわ」

 

 

 士道ではなくてはいけないと、最上級の愛(・・・・・)を以て返した。

 言葉は、多くは必要ない。なぜなら、この時刻(とき)から始まる旅路で、もっと多くの言葉を交わすことになるのだから。

 彼方の地平から始まりし記録を、書き換える。自分たちの都合がいい記録へ。けれど、精霊たちが紡いだ歴史は『あったこと』のまま。自分たちの出会い(思い出)を残すために。

 あまりにも身勝手な独裁者(かみさま)は――――――――

 

 

『〈刻聖帝(ザフキエル)〉――――――』

 

 

 その名を、告げた。

 

 

 

『――――――〈0の弾(エフェス)〉』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――ッ!?」

 

 知覚は突然、振動から時を置かずに――あるいは未零たちが合間を知覚できない〝時間〟で――襲いかかるように訪れた。

 だが、そんなものよりも未零には見過ごせないものがあった。世界を揺るがす振動。目の前で言葉を交わしていた真士が、遠くなっていく(・・・・・・・)

 

「シン……っ!!」

 

「…………」

 

 手を伸ばす未零に、真士は目を伏せて首を振る。まるで、自分はそちらにはいけない(・・・・・・・・・・・・)。そう、言葉のみならぬ証明をしているかのように。

 

「俺は、君たちとはいけない」

 

「でも、シンがいなきゃ……あの人は……!!」

 

 澪は、救われない(・・・・・)

 

「……だから、だよ」

 

 その事実を知りながら、真士は悲しげに微笑んだ。

 

「ずっと見てきた。どんなに叫んでも届かなくて、それでも会いたいって思った。ずっと、ずっと会いたかった」

 

「だったら……!!」

 

「だけど――――――そのために、全部(・・)を犠牲にしてきた」

 

「っ!!」

 

 愕然と目を見開き、万由里に引き寄せられ、抱き止められてなお伸ばされた未零の手は、真士の言葉で塞き止められた。

 

「会いたい。澪に会いたいって、思っちまったんだ。……そんな俺と澪のために、さ。他の全部を『なかったこと』には、できない。ここで俺を戻したら、あったはずの救いが台無しになっちまう。それだけは……しちゃいけない。全ての始まり(・・・・・・)だった俺だけは、士道たちに救われてやるわけにはいかないんだ」

 

 それは、贖いきれない罪の証だった。

 許されるとは思っていない。許されようとも思わない。あらゆる犠牲は無くなる。だけど、その罪は重く、残酷に伸し掛る。刻まれた記憶は決して、『なかったこと』になどならない。

 崇宮真士という優しい少年に、そんな罪を背負わせてしまったことこそ――――――澪が生きて、苦しく背負っていく罰だと突きつけられた。

 そして、その罰を受けさせて生きてほしいと願うのは、他ならぬ未零なのだ。

 

「……短い間だったけど、ありがとうな、万由里。俺の義妹(・・・・)をよろしく頼むよ」

 

「あんたは――――――ううん、わかってる。あんたに言われるまでもないわ」

 

 別れを向けられた万由里は、何かを言いかけて止めた。生意気で偉そうで、けれど優しく笑って。万由里らしい短い言葉に、真士は笑って――――――涙を流していた。

 

「……ああ、くそ。駄目だなぁ、俺」

 

「……シン」

 

 笑って別れようとして、下手くそな笑顔を浮かべながら、真士は泣いていた。

 ただ会いたい。純粋な願いをもって、その純粋な願いが歪めた世界をずっと見てきた少年は、澪の罪を共に背負うことを選んだ。

 

「駄目だってわかってるのに、会いたいって思っちまう。俺が連れていってやりたかったのに……澪が生きてるだけで嬉しい、そう思ってるのも本当のことなのに――――――あーくそ、悔しいなぁ!!」

 

「っ……シンは、どうなるの?」

 

 泣いて、別れを告げる真士に聞かずにはいられなかった。自らの震える声で、未零は問わずにはいられなかったのだ。

「……できれば、ここで待っていたかったけど――――――澪はもう、前を向いていける(・・・・・・・・)

 

 ――――わかっているのに。ここがどういう場所であるか、わかっていたのに。

 

「だったら、俺がここにいられる理由はないし、いちゃいけないんだ。だから――――――澪に、伝えてほしい」

 

 最愛の人に届くことのない、涙に彩られた微笑みを浮かべ――――――

 

 

「――――待ってるから。向こうで、ずっと君のことを待ってる」

 

 

 別れと再会を、約束する。

 

 

「色んな場所を、世界を見てほしい。俺はもう、同じ景色を澪の近くで見てあげることはできないけど……だから、また会えたそのときは……沢山、いっぱいの話を聞かせてほしい。そのとき、まで……っ!!」

 

「……っ」

 

「――――――愛してる。ずっと、大好きだ」

 

 

 ――――――生きてくれ。大切な人たちと、この世界で。

 

 

「シン――――――!!」

 

 

 叫んだ。ああ、傲慢だ。このときだけは、崇宮澪であれなかった自分自身を呪った。

 だけど、真士は笑っていた。未来を祝福して、救われない自分たちを――――――遥か未来への希望を託して。

 

 

 それが彼との最後の記録。無色の世界が崩れ去る――――――霊力によって保たれた魂が、解き放たれる。

 

 矛盾の螺旋を描き、全てを受け入れ――――――世界が、創られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――未零。起きて、未零」

 

「…………、?」

 

 誰かに――――この声は、一人しかいない。

 訂正。折紙に身体を揺すられ、落としていた意識がぼんやりと覚醒へと移り変わる。

 起き上がる瞼。映り込む光景は、想像だけでなく実像を伴わせた。

 未零を揺すり起こしたのは、折紙だ。起伏が薄いながら、心から安堵の表情を浮かべているように見える――――――何とも珍しいものが見れたなと、場違いな考えが浮かぶほどだ。

 見れば、彼女たちだけではない。琴里、耶倶矢、夕弦、四糸乃、七罪、美九、二亜、六喰、マリア――――――澪。

 

「――――――」

 

 二人が、いない。

 その事実を認識し、未零は身体の負担を無視して跳ねるように飛び起きた。

 同時に、現状の把握――――――わかるのはせいぜい、この場所が海岸だということくらいだ。

 

「!! 未零!!」

 

「おぉー、目覚めたかいシロちゃん……あれ、この場合れーちゃんの方がいい? けどれーにゃんと被っちゃうな……」

 

「そもそも、もう少し派生を広げるべきです。あなたの想像力は小学生並みですか? いえ、失敬。小学生に失敬でしたね」

 

「ねぇ……普通に呼ぶのは駄目なの……? あ、私みたいな陰キャがすいません……」

 

 安堵なり歓喜なり、個人単位で目を覚ました未零への対応は変わるが、彼女たちらしいものだった。

 だが、そのことに丁寧な対応をしている余裕はなかった。一番近くにいた折紙へ、未零は真っ先に確認しなければならないことを問うた。

 

「折紙。あの二人は……狂三と士道は――――――」

 

「…………」

 

 僅かな沈黙。それは無力感や絶望とは異なる、言葉にするなら困惑(・・)というものが正しいのかもしれない。

 一瞬、冷ややかな予測が脳裏を過るも、すぐさま首を横に振った折紙によってそれも否定された。

 

「わからない。私たちも、気づいたときにはここにいた」

 

「え……?」

 

 どういうことだ。彼女たちは未零とは違い――――そうだ、未零は消えた(・・・)。『無』の天使と魔王。その対消滅の衝撃で、無事でいられるはずがない。

 けれど、未零は生きている。夢ではない。身体は動くし、思考も働く。

 試しに澪の顔を見てみるも、自身と同じ顔で違う表情が返されるのみ。澪でさえ(・・・・)、状況を説明できるだけの知識がないとみていい。いや、この場にいる誰もが説明など不可能に違いない。

 

 何が起こったのか。それを言葉にできるものなど――――――この二人しかいない。

 

『っ!?』

 

 瞬間、星空の下に光が瞬いた。皆が警戒を顕にした、また次の瞬間――――――目の前で水しぶきを上げ、海に落ちた(・・・・・)

 

「は……?」

 

 思わず呆気にとられた声を零す。というより、この状況で呆気にとられない者がいるのなら教えてほしいくらいだった。

 しばらく穏やかな波が寄せては返していき、比較的浅瀬というのもあったのか――――――二人は、驚くほど元気に姿を見せた。

 

「――――もっとマシな着地地点はないのかよ!?」

 

「困った子ですわ。真面目な時は真面目なのですけれど……まあ、水も滴るいい男ということで、お一つどうでしょう」

 

「騙されないからね!? 狂三だけ霊装で無事なの見ればわかるからな!? でもいつまで経っても嬉しいんだなちくしょう!!」

 

 ――――あまりに、普通の日常だった。

 普段通りの彼らだから。変わらない、二人がそこにいたから。誰もが言葉を失い、その光景に目を奪われていた。

 頬に手を当て戯ける少女と、大仰に叫びをあげる少年。だけど、その笑顔は酷く眩しくて――――――

 

 

「――――――狂三、士道」

 

 

 ただ、二人の名を呼ぶことが未零にとっては精一杯のことだった。

 その小さな呼び声を、二人は逃さなかったのだろう。揃って目を向けてきて、勢揃いの精霊たちに目を丸くし――――――ああ、ああ。勝ち誇る不敵な微笑みで、世界を照らした。

 

 

「皆様、ごきげんよう」

 

「待たせたな――――――ちょっと、世界を変えてきた」

 

 

 あっけらかんと。まるで、近場に出てきたような軽さで、狂三と士道は旅路からの帰還を果たした。

 

「あ、はは――――――」

 

 それは、なんて理不尽なのだろう(・・・・・・・・・・・)

 

「あははははははははははははははははは――――――ッ!!」

 

 そんな思いを乗せて、未零は笑った。生涯を思い起こして、これほど愉快なことはないと堪えられない笑い声を上げた。

 腹を抱えて、砂浜に背を預けて――――――心ゆくまで笑う。

 

 

「――――もう、何ですかそれ。本当に世界を変えてくるなんて、反則です。勝ち目なんて、ないじゃないですか」

 

 

 これ以上ないと思っていた結末を。満足を得た選択を。こんなにも呆気なく――彼女たちにしかわからない物語の中で――覆してしまうだなんて。

 〝計画〟も〝悲願〟も、こんな形で幕を引くことになるとは、予想だにしていなかった。

 

 ある意味で、これは自分たちの負けだと言うべきなのかもしれない。

 

 

「……まあ、受け入れるべきなのでしょうね――――――澪」

 

「………………」

 

 

 長い、長い沈黙が落ちた。少女の眼前、崇宮澪が少女を見下ろしていた。

 膝を下ろして、少女へ寄り添うように。精霊たちも、士道と狂三もそれを黙して見守っていた。

 澪は少女へ何を言いたいのか。望み果たす絶好の機会を断たれた恨み言か、はたまた別の何かか――――――そこで、思い出した。自身が得た答えと、

 

 

「――――――シンに、会ったよ」

 

 

 澪に伝えなければならないことを。

 

 

「…………――――――――え?」

 

 

 長い沈黙の先にあったのは、少女へ初めて向けられた声音だったと思う。

 思い出したから、未零はその事実だけを口にした。彼の言葉を、想いを。

 

「伝えてほしい。そう言ってた」

 

「な……、に、を……?」

 

 澪の唇を動かしていたのは、本能、あるいは執念のようなものであったのかもしれない。

 ――――これを告げれば、澪の望む救いは訪れない。だけど、それでも、未零は願った。

 

 

「――――待ってる。向こうで、ずっと君を待ってる。もう、近くにはいられない(・・・・・・・・・)けど、同じものは見られないけど……」

 

 

 澪に、生きていてほしいと願ったのだ。

 

 

「ずっと待ってるから……色んな場所を、世界を見てほしいって。そしたら、また会えたときに、その沢山の話を聞かせてくれ――――――愛してる。ずっと大好きだ」

 

 

 ああ、そうか。言葉にして、受け取って、気が付く――――――三十年前、少年が伝えられなかった愛の告白なのだと。

 抱き締めて、澪が好きだと告げて。人が言葉をよりも先に得た愛情表現。だが、少年はその先を告げる機会を永遠に失った。

 長い時を超えた愛の祈りが、今ようやく澪に届いた。

 

「……澪?」

 

 ――――――その涙は、少女の頬に落ちる。

 

「……あ、ぁ……、あ、ぁ……っ」

 

 少女が流す涙のように、温かな水となって落ちる。

 

「……そっか」

 

 起き上がって――――――抱き締めた。

 自分の半身を。優しい姉を。その罪を。

 彼女の涙は、決して歓喜などではない。己の罪を自覚した、贖いきれない罪の中にある大罪を知ってしまった少女の涙。

 

 

「……ごめんね。私が、もっと早くに止めてあげなきゃいけなかった。もっと早く、あの人をそこから出してあげなきゃいけなかった。……ごめん、本当にごめんね。あなたの一番の苦しみをわかってたつもりで、わかってなかったんだ」

 

「ち、がう……私が、……あ、あぁ……私がシンを、ずっと、ずっと……縛り付けてたのは(・・・・・・・・)、私の方だったのに……!!」

 

 

 嗚咽を交えた言葉を受け止めて、救われぬ少女を抱き締め続ける。

 三十年間、澪を縛り付けていた――――――違う。逆だった(・・・・)のだ。

 真士を縛り付けていたのは、澪だ。その霊力は魂にさえ干渉する。夢か現か幻か……だけど確かに、縛られた崇宮真士はあそこにいた。

 三十年もの間、澪の全てを見ていた(・・・・・・・・・)シンは、確かにそこにいたのだ。

 それはなんて、残酷な仕打ちなのだろう。

 それはなんて、救いのない死なのだろう。

 死してなお、大好きな少女の凶行を、狂気を、自分を愛したが故に犯す全ての過ちを――――――目を伏せることさえ許さず、魂を捕らえたままにしていた。

 もう、戻ることはないと知りながら。その幻想に縋り付き、近くにいてくれた彼のことを考えもせずに。独りよがりの理想郷を目指した。

 そんな澪を――――――シンは愛してくれている。

 

 

「――――ごめん、なさい。ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ。私のせいで、ごめんなさい、シン……!! ごめんね――――――未零……っ!!」

 

「……うん。みんなにもちゃんと謝ろう。……謝って、許されることじゃない。してきたことは消えない。けど、私はあなたと一緒にいるから。〝私〟は『私』じゃないけど――――――〝私〟はあなたの妹だから」

 

 

 歪で、悲しい祈り(のろい)を受け取って生まれ落ちた生命だけど――――――罪を背負ったただ一人の家族と一緒にいることくらいは、できるから。

 

 ――――――だから。

 

 

「――――――生きよう(・・・・)、お姉ちゃん。残酷で最悪で、だけど大好きな人たちがいる世界で――――――その人たちが優しくしてくれた世界で生きて、いつかシンに会いに行こう」

 

 

 生きてほしいという祈りと、生きる意味(いのり)を込めて、生きよう(・・・・)と。

今度こそ(・・・・)、間違わないように。離さないように。

 また会える日まで。胸を張って会えるように。大好きな人と、大好きな話ができるように。

 

 

「――――――うん……っ!!」

 

 

 少しだけ優しくなった、この世界で生きよう。

 

 これが、崇宮澪の救いなのかはわからない。それは『()』にしかわからない。きっと、澪の中には消えない後悔と、生きる意味だった少年と会うことが出来ない途方もない想いが残るのだろう。

 だけど、その声は決意に満ちて。後悔を背負って、その手は抱き締め返されて。優しく、悲しい少女が、贖いきれない罪を背負って生きていく人並み(・・・)の強さを、よくやく手に入れられた気がした。

 

 

 一つだけ、言えることがある。あの日から始まった悲劇と悪夢は、三十年という月日を得て――――――時を超えて、ここに終止符が打たれたのだ。

 






彼の魂は放たれたのか。それとも初めから幻想だったのか――――――どちらであろうと、静止した時は今ようやく動き出したのだと思う。

次回、エピローグ。次回は後書きが長いのでご注意を。言いたいことを全てぶち込んだので本当に長いです。今回の後書きが短い代わりにこの忠告分の100倍くらいあります――――――ついて来れるか。

アホなことはともかく、感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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エピローグ『狂三フィナーレ』

一年半、これまでご愛読ありがとうございました。士道と狂三の物語を見届けてくれた皆様に、感謝を。







「……慣れたかい?」

 

「…………」

 

 藪から棒。主語が抜けている。時折、そんな苦言を狂三より承ったときがあったが、自分の癖はこの人譲りじゃないかと思うときもある。

 とはいえ、これをやるのは短くとも端的に解釈してくれる相手のみ。そういう意味では、目の前の彼女も人を選んでやっていると見るべきか。

 飲み物のストロー――見事、琴里に苦言を呈されたので普通のジュース。彼女はいいのに理不尽ではないだろうか――から中身を吸いながら、未零は半目を作って返してやった。

 

「……慣れたも何も、ここ数日はあなた方の検査に付き合わされていただけでしょう」

 

「……その通りだ。すまないな、忘れてほしい」

 

 ……この人、こんなにコミュニケーションが下手だっただろうか? と能面で返されたそれに、不思議な疑問を抱かずにはいられなかった。

 慣れた――――――ここでの生活には慣れたか、という意味を含むことは理解していた。が、言葉にした通り、ここ数日にかけて〈ラタトスク〉の施設で精密な検査を受けていた未零には、何とも縁遠い問いかけであった。

 普通の精霊であれば、検査にここまでの時間を要することはなかったかもしれない。未零自身、特別手のかかる要望などは述べたつもりもないからだ。

 それがなぜ、数日も入念な検査を行っていたかといえば、一つは未零の特異体質に違いない。

 始源の精霊から生まれた劣化品(・・・)――――――と言うと、多方向からあらぬ視線が飛ばされてくるので、ここはオブラートに分霊とでも呼称させてもらおう。とにかく、そういうことだ。

 一度目は自傷。二度目は重症からの痩せ我慢。三度目は自爆特攻。以上が〈   (アイン)〉の使用回数、及び連なる未零の負傷回数である。精霊と名乗る割に、肉体が脆弱なのが特色とも言えるのだが、〈ラタトスク〉からすれば特に気にかける事柄らしい。

 未零から言わせれば慣れたことで大した問題ではなかったのだが、さすがに霊力を封印された(・・・・・)身であるため、その影響がどうなっているか調べることに異論はなく、大人しく付き合うことになったというわけである。

 理由の半分は以上となる。そして、もう半分は――――――ふと、外の風景へ視線を向けた。

 

「……ふむ」

 

 独り言つ。ガラスの向こう側には、変わらぬ光景があった。親子、兄妹、恋人、夫婦――――――変わらぬままの関係性と、至って平和な日常風景。

 この世界が、たった二人の手で創り変えられた(・・・・・・・)とは、到底信じられないほどに世界は平和だった。

 検査を終え、彼女と共に帰路につきながらも、未零の心からはその不可思議な感覚が抜け切っていない。当然それは、ティーカップに手をつけて隈深い目元を未零へ向ける彼女も同じことのようだ。

 

「……気になるかい?」

 

「まあ、あなたと同じくらいには」

 

 再び問いかけられ、彼女に――――村雨令音(・・・・)にその言葉を返すのは、思いを同じとする上で必然だった。

 長引いたもう一つの理由――――――狂三と士道が世界を書き換えた、その影響によるものだった。

 確かに、目に見えた変化は……多くないとは言わないが、大多数には見られなかった。問題なのは目に見えない内部。細部までの情報。何より、琴里たちは記憶を持ち越している(・・・・・・・・・・・・・・・)ということだった。

 

「……霊力の経路(パス)を強化していた影響だろうね。記憶と情報の擦り合わせは、まだ時間がかかりそうだ」

 

「……それが良いことなのか、悪いことなのかは別にして、ですけれど」

 

 記憶を保持することを選んだのが誰の意志なのか。少なくとも、精霊たちは望んで記憶を持ち越したことになるのかもしれない。

 世界は、塗り替えられた。たった二人の意志で、独裁的な判断で……それが世界にとって良いことだったのか、それとも悪いことだったのか。それこそ、答えは出ないのだろう。

 世界が再構築されたことを知覚している人物は、そう多くは数えられない。多くはないからこそ、その中に〈ラタトスク〉の司令である琴里が含まれていたことは、苦心に値することなのだろう。もっとも、部下が優秀であるため問題はない……と言いたいが、令音も琴里側であるため存外(部下の性格を含めた理由で)苦労はするかもしれない。幼き司令官様の手腕に乞うご期待、といったところか。

 

「……まったく、どれだけ変えてきたのやら」

 

 何が変わり、何が変わらなかったのか。スケールの大きさに想像もできず、未零は頬杖を突いて苦笑を浮かべる他なかった。

 

「……精霊たちの心情に配慮して書き換えたこと、同じ意味で書き換えなかったこと。それは様々にある。一つ言えることは――――――あの二人は世界に勝った、ということだけだろうね」

 

「世界に勝った……か」

 

 放たれた言葉を繰り返し、呑み込む。世界に勝った――――――それがどれほどのことか、士道たちがよく知っているはずだった。

 一度世界を変えた。そうして幾度となく世界を救い、二度目は自分たちの約束のために、エゴで世界を変えた。それも、未零が想定していた狂三の到達点を中継地(・・・)扱いとまできたものだ。

 

「あなたをどうにかする手段だったはずでしたが、あなたをどうにかしてからあの霊結晶(セフィラ)を使うとは……」

 

「……君の想定は、どこまでだった?」

 

「私の霊結晶(セフィラ)であなたの力を取り込んで、もう片方はどう転ぶかでしたね。正直、あなたを抑え込むのにどちらかは犠牲にするつもりでしたし」

 

 そのために、未零は攻略前夜に己の裡にある霊結晶(セフィラ)と『狂三』の霊結晶(セフィラ)入れ替えた(・・・・・)

 士道が攻略に成功した、あるいは一歩手前まで到達したとき、未零が澪の力を抑え込むだけならば自然の色を保つ霊結晶(セフィラ)の方が都合がよく、もう一つを『狂三』に託しておくことで最悪の場合(・・・・・)でも狂三だけは生かせるようにした。

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の中でも言いましたけど、結構ギリギリだったんですよ。あの正面からの場面で狂三に霊結晶(セフィラ)を渡そうものなら、あなたが間違いなく本気で取りに来てしまいますし」

 

「……否定はできないな」

 

 令音の返しにはぁ、とわざとらしく気苦労の息を吐く。

 本当なら、当の本人の目の前にしてすることではないのだが、ここまで苦労させられたのだ。この程度は言わさせてくれないと気が済まない……当の本人は、今は令音だとシレッとした顔をしているのだが。

 ――――――賭けに勝っていたのは、実のところ未零だった。あの時点で同じ賭けを乗り越えたウェストコットの動きも、そして澪の動きも読めていた。しかも都合のいいことに、澪の力を受け取った未零は想定していた以上に澪の霊力を吸収(・・・・・・・)できる状態にまでなっていたのだから、取るべき行動は一つしかなかったと言えよう。

 狂三に士道に精霊たち、果ては諦めていた澪まで。ウェストコットを道連れに、未零が欲したあらゆる望みを叶える道があの時間軸だった。

 

 そうして、未零の〝計画〟が完璧な形で到達した瞬間――――――

 

 

「……私が少しづつ進めて、やっとチェックメイトまで持っていった駒を、盤上ごとひっくり返しちゃうんだからなぁ」

 

 

 どんでん返し。テーブルに頬を押し当て、その理不尽さに感服した。

 完膚なきまでに理不尽を吹き飛ばす、理不尽。まるで、本物のデウス・エクス・マキナ。しかも、解決へ向かっていた物語を好き勝手に変える、相当に我が儘な神様とは恐れ入る。

 さしもの未零も、完全に敗北を認める他なかった――――――不満があるわけではない。あまりに不条理な方法に、呆れ返っているだけだ。

 心から感謝はしている。嬉しいという気持ちが大きい。彼らの目的が達成されたことを、存分に祝福しよう。が、それでも言わせてもらいたいのだ。そんなのありか(・・・・・・・)、と。

 

 

「――――――一種の空間転移(・・・・)

 

 

 ぽつりと零された言葉、見解(・・)に未零はぴくりと眉根をあげ、顔を上げて令音と目を合わせた。

 

「……君はどう思う?」

 

「……どうもこうも、あなたと出す答えなんて大概同じになりますよ。あの弾……ていうかもう弾すら撃ってませんね。〈刻聖帝(ザフキエル)〉・【0の弾(エフェス)】の特性は、間違いなく空間転移です」

 

 文字通り、空間と空間の跳躍。それだけならば、令音と未零が驚くことはないし、わざわざ互いの意見を示し合わせる必要もない。第一、空間跳躍というだけならば澪、澪の力を再現した顕現装置(リアライザ)が行使できる。ああ、それだけならば(・・・・・・・)、だが。

 

「……ただし、空間の定義は大きく異なりますね。あれの意味する空間転移は、時間移動(・・・・)。空間と空間というよりは、時間と時間(・・・・・)を自在に行き来している。結果として、それが空間転移に見えるだけです。――――――下手したら違う世界(・・・・)にも飛べますよ、あの人たち」

 

 もしくは、未零たちの観測外で既に体感した(・・・・・・)可能性すらあるか。その答えは、狂三と士道の二人にしかわからないことだ。今は置いておくとしよう。

 結果として、あの力は時崎狂三の〝本質〟を余すことなく捉え、生み出された銃弾。時を超える性質、彼女の本質を突いた理想の力と言えよう。

 時を超える。それも、【一一の弾(ユッド・アレフ)】や【一二の弾(ユッド・ベート)】のように一方方向でも、【六の弾(ヴァヴ)】のように意識だけでもなく、あらゆる時間、あらゆる瞬間へと転移を可能とした究極の時空間転移(・・・・・・・・)。それが狂三の〝本質〟が生み出した【0の弾(エフェス)】の意味である……というのが、未零と令音の予想だった。

 令音としては予想通りの見解よりは、違う世界(・・・・)という部分に興味を示したのか、あごに手を当て「……ふむ」と思案をし始める。

 

「……凄まじい力だね。私であっても、世界の壁を隔てた干渉には時間がかかってしまうものだ」

 

「……出来ること自体、おかしいと思うのですが」

 

 まあ、澪の力ならそのくらいは出来ておかしくはないか、とも未零は考える。同時に、澪ですら難しい時空間干渉を行うあの力は、世界すら超えるもの(・・・・・・・・・)なのだろう。

 時間と時間を行き来する能力。それだけなら、強化された【一二の弾(ユッド・ベート)】というだけのことかもしれなかったが、未零は目を細めてもう一つの予想を打ち立てる。

 

 

「あの力、もう一つ仕掛けがあるはずです。恐らくは、世界の抑止力。因果の修正――――――そういう条理を超える(・・・)力。言い換えてしまえば、あの二人は世界より強い(・・・・・・)。身も蓋もない単純明快な理屈ですけれど、それが肝心なことだったのでしょうね」

 

 

 もとの歴史を辿ろうとする強制力。時間の辻褄合わせ、とでもいうべきか。一番の例は、間違いなく折紙の両親の死。【一二の弾(ユッド・ベート)】によって変更された時間軸上で、未来の折紙が過去の折紙へ復讐心を与え、それにより遡行した折紙がまた両親を――――その遡行すら組み込まれた歴史的特異点の改変を行った。が、それでも折紙の両親は現代へ至る時間の間に死してしまった。

 だが、それを実感すると同時に、士道はこう考えたのだろう。世界の意志というものを上回る力(・・・・・・・・・・・・・・・)があれば、歴史の改変はより完璧なものになるのではないか、と。もっと単純な話、【一二の弾(ユッド・ベート)】を超える権能があるのなら、因果の強制力を排除できるのではないか、ということになる。……実際にそれをやれたとして、今度は複雑化する歴史を自分たちの望み通りに変えられるか、という問題に行き着くのであるが――――――

 

「……不可能ではないだろうね。士道の中には、精霊の天使が残らず封印されている」

 

「……ていうか、現実にまざまざと見せつけられてるんですから、可能だって認めるしかないじゃないですか」

 

 未零の思考を読んだ令音へ、その簡単すぎる答えを返した。

 そう、そうなのだ。こうして考えを重ねたところで、既に歴史は変えられている(・・・・・・・・・・・・)。未零たちは歴史改変の生き証人でもあるのだから、認めないわけにはいかないのだ。何度も言うが、不満があるわけではない。ただ、あまりにも荒唐無稽の理想論をデタラメな理屈で完遂させられて、今になって言葉として呆れが飛び出しているだけだ。

 

「……まさか、ここまでとはね」

 

 令音の零した言葉のニュアンスは、そこから読み取れるものがいくつもあった。そのうちの一つを拾って、未零は声を発する。

 

「到達点の可能性としては、精霊全員にあるものだと思いますよ。精霊に優劣はない――――――原因があるとしたら、器側です(・・・・)

 

 精霊は澪から霊結晶(セフィラ)を受け取り、あるいは霊結晶(セフィラ)から生まれた者。今回は狂三が神化(しんか)へ至り、澪と同等の領域に踏み入ったわけだが、別にそれは狂三だけが到達し得る領域だったというわけではない。

 先の通り、精霊として生まれ直した時点で誰もがそこへ足を踏み入れる可能性(・・・)を秘めていた。霊結晶(セフィラ)に適合した存在というのだから、それは当然の推測である。その時点で問題となるのは、述べた意味をそのままに〝器〟の問題だ。

 

「あなただって、士道の感情次第で精霊の状態が移り変わることは想定していたでしょう?」

 

「……ああ」

 

「……けれど、私にもあなたにも予想できないことがあった。今回は(・・・)、器側の想いまで予想以上に膨れ上がり、しかもそれが長期的に、さらには予期せぬ状態で維持されていたのが大きなファクターです」

 

 封印をせずに霊力の経路(パス)を繋ぐ。正確には、封印の自覚すらなく歪な経路(パス)を繋いだこと、だろう。どちらにしろ、澪と未零が共有する知識の中には存在していなかった可能性。

 極論、精霊とは〝器〟に霊力を封印させるために生み出したものであったのだが――――――封印をされていないくせに、一番に心が通じ合うなど理屈を通り越したイレギュラーだ。

 これが果たして、この世界だけの力だったのか。あるいはそうではないのか。まあ、並行する世界を観測していない未零にはわからないことだった。

 

「結果、天使は予期せぬ形で進化を遂げていった。歪だったからか、その歪を適応させるためかはしりませんが、その機能は短期間のうちに極限まで研ぎ澄まされていった……ちなみに、カッコつけて言ってますけど、大体はあなたのせいですからね、これ」

 

「……私かい?」

 

 小首を傾げ、何を他人事みたいに話しているのか。大元、根本的な元凶で事の原因は間違いなく澪だというのに。

 それは霊結晶(セフィラ)を与えたからとか、狂三が最悪の精霊として生きる原因を作ったとか、そういう後から生じた理屈ではない。もっと単純で根深く、そしてどうにもならないものだ。

 大きく息を吐き、その原因を言葉にして示す。経路(パス)が歪になったことはファクターの一つとは言ったが、本家本元はこうだ(・・・・・・・・)

 

 

「――――――もとの持ち主が恋に溺れたんです。進化の理由には最適でしょう」

 

 

 言い切って、乾いた喉を潤すためにジュースを煽るように一気に飲み干した。それを令音は、大きく目を丸くして見ている。自覚がなかった、というほどではないと思っていたのだが、どうなのだろうか。そればかりは、未零とは違うものだからわかりようがなかった。

 天使は主の心を映し出す水晶。霊結晶(セフィラ)もそうであるならば――――――恋に狂った少女が生み出した水晶が、恋心で進化を果たすことに何の障害があろうか。

 

「狂三の未来予測も、あれは恋心故に士道との未来(・・・・・・)を視せていた。だから士道との未来を手放せば視せる必要はなくなりますし、逆もまた然り。……利用した私が言うのもなんですが、私たちの天使まで〝観測〟範囲に入れるのは冷や汗ものでしたけれど」

 

 狂三の意志ではなく〈刻々帝(ザフキエル)〉の意志によって行われる予測は、時崎狂三の心を映す天使が望みを叶えているともいえる。だからこそ、未零が従者としてついていた時点では未零の正体を予測して狂三に視せることはしない……というのは理屈だけの話で、割と焦らされたものだと終わってから溜息が下がる思いだ。

 すると、半ば感想のように言葉を口に出していた未零を、令音がじっと見つめていることに気がつく。こうして見ると、成長した自分(・・・・・・)であろう人といるのは、思った以上にむず痒くなりそうだなんて思いながら未零は口を開く。

 

「……何か?」

 

「……いや。――――――君は本当に、好きな人のことをよく見ているね」

 

「――――――――」

 

 そう微笑ましげに微笑を浮かべた令音に、思わず指で遊ばせていたストローを容器の中に落とした。

 確かに、端的に、それも極限まで切り詰めたならば、令音の言う通りではある。未零は好ましいと思った人のことは気にかけるし、大体が危なっかしい人ばかりなので注意深くもなる。

 狂三は言わずもがな、認めよう。だが、だ。今の話、話題の半分は――――――

 

「……わかってて言ってます、それ?」

 

「……?」

 

「…………いいです。わかってないなら、それで」

 

 もしかして、真士以外からの好意には鈍くなっていたりするのだろうか。ありえる。凄くありえる。そのくせこの人、街中に出かけたらひたすらに声をかけられるタイプだ。本質は澪なのでお人好しで押しに弱い――意図せず自分への戒めになった気がするが――実際、ここに来るまでに何件――――――ああ、やめよう。慣れない疲れがぶり返してきた気がして、頭を抱える。こればかりは、同じ貌が揃って歩くことによる弊害を甘く見ていた未零が悪い。

 喫茶店の壁にかけられた時計をちらりと確認する。休憩にしては、長く居座り過ぎたかもしれない。 

 

「……そろそろ行きますか」

 

 言って、椅子から腰を浮かせようとすると、

 

「……ん。なら、少し付き合ってほしいんだが」

 

 そんなことを唐突に言い始めたものだから、未零は訝しげに聞き返した。

 

「何にです?」

 

「……家に日用品の買い足しと、その他の必要そうな物もかな」

 

「……? あなた、日用品が足りなくなるほど家にいたんですか……?」

 

 あごに手を当てて必要なものを打ち出していく令音に、未零は疑問を重ねた。

 この村雨令音という人は〈ラタトスク〉解析官、及び来禅高校物理教師という脅威の二足わらじを成立させている。その分、家に帰ることは稀のはずだ。未零の近しい記憶の範囲でも、病室で寝込む未零に空いた時間のほぼ全てを回していたくらいには、家に帰るという習慣から離れている。

 彼女が家を持つのは形式上、それが人間らしいから(・・・・・・・・・・)だ。隠す必要がなくなったら、平気で〈フラクシナス〉の私室が日常範囲で構わないと言いかねない……は言い過ぎかもしれないが、そこに強いこだわりはない人だろう。

 総評にすると、日用品が足りなくなるほど、しかも他のものまで買い求める必要があるのか、ということだ。〈フラクシナス〉の私室ならともかく、未零を付き合わせてというのは疑問を感じる。

 と、変わらず訝しむ未零を見て、令音は平然と爆弾発言(・・・・)を繰り出した。

 

 

「……いや、君の分(・・・)が足りなくてね」

 

「――――――は?」

 

 

 ここ一番、素っ頓狂な自分の声を聞いた気がした瞬間だった。

 指を自分に向け、大きく首を傾げる。

 

「……私?」

 

「……君だね」

 

 指を刺される。自分と併せて二つの指で指定をされれば、どれだけ鈍かろうと理解が及ぶというものである。

 

「……なんで?」

 

 まあ、それで感情的な理解が追いつくのかどうかは、また別の話ではあった。

 

「……これから一緒に暮らすからじゃあないかな」

 

「……なんで!?」

 

 それも、強制的に理解をさせられてしまうのではあったが。

 落ち着きかけた腰が全力で浮き上がり、平静を保つ令音と自然と距離を詰めて未零は新事実に驚愕を露にした。

 

「……言っていなかったかな?」

 

「……聞いてませんけど!?」

 

 思わず叫びをあげると、他の客が僅かばかりこちらへ視線を向け始める――――ハッと目を見開き、一度落ち着きを取り戻すため一呼吸を入れる。内容が内容であったため、令音が意図的な認識を反らして(・・・・・・・・・・・)いたのだが、さすがに声を荒らげては意味をなさなくなってしまう。

 気を落ち着かせ――こうしていると、令音と自分が似ているという意見には些か同意し兼ねる――改めて令音の真意を問うた。

 

「……どうしてそうなったんです?」

 

「……どうしても何も、君が言ってくれたんじゃないか」

 

「……はい?」

 

 いつ、どこで、どういう意図で、未零がそんな言葉を――――――幾らかの疑問が頭を過ぎった瞬間、同時に思い起こされる自身のとある発言までも甦った。

 

 

『――――――私はあなたと一緒にいるから。〝私〟は『私』じゃないけど――――――〝私〟はあなたの妹だから』

 

 

 ――――――言った。確かに言った。それがそう解釈されるのかどうかは、賛否が別れると言う他ないものだったが。

 

「過大解釈がすぎるでしょう……!!」

 

 あの時の、しかもあれだけ取り乱した状態での発言一つで、よくそこまで解釈して決断できるものだと未零は顔を手で覆って自らの迂闊さに嘆く。

 そんな後悔先に立たずの未零に、相も変わらず無表情な、それでいて少し悪戯な笑みのようなものを見せる令音が声を発する。

 

「……しかし、現実的に君は行き場がないだろう?」

 

「……や、狂三と使っていた隠れ家の一つや二つはありますし、わざわざあなたの家じゃなくても……」

 

 加えて言えば、〈ラタトスク〉側は喜んで精霊マンションに未零の場所を用意しているだろう。狂三がどうなるのかはわからないが、未零は正当に封印された精霊と同じなのだから。

 それは令音とて知り尽くしていることのはず。未零の主張はそういった正論であるのだが――――――

 

 

「――――――駄目、かな?」

 

「っ――――」

 

 

 正論だとしても、時として感情が容易く覆すことはあろう。

 その物憂げな瞳が曇る様を未零は直視したくなかった――――――その上で、重ねると。

 

 

「――――駄目なんて、言ってない」

 

 

 未零自身、嫌だとは一言も言っていない(・・・・・・・・・・・・・)のだ。

 紅潮した顔が自らの頭に浮かび上がるように熱く、誤魔化すように伝票をひったくり勢いよく立ち上がった。

 

 

「……どうせ行き場があるわけじゃないんです。どこへだって付き合います(・・・・・・・・・・・・)

 

「……そうか。ありがとう――――――未零」

 

 

 そうして、並んで歩き出す。ありえるはずのなかった光景が、二人の間で現実となって存在している。

 姉妹と言うにはまだぎこちなくて、あるはずだった姿には程遠いけれど――――――三十年に比べたら、なんてことはない長さになるだろうと、未零は仄かに微笑んだ。

 

「……うん?」

 

 表情の変化に令音が小首を傾げる。それを見て、未零は道化ではない自分自身(・・・・・・・・・・)の笑顔で令音の顔を覗き込み、言葉を発した。

 

 

「……ううん。なんでもないですよ――――――姉さん」

 

 

 いつかの明日。果ての約束を守るため、創造された未知なる未来へ歩き出す。

 それはきっと――――――止まっていた時間が動き出した、何よりの証明なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 天宮市から電車とバスを乗り継ぎ、そう長くは続かない時間だった。

 それが、そんな程度の距離が、『なかったこと』になった凄惨な悲劇が引き起こされた場所だということを知る者は、この世界(・・・・)でも多くはない。

 そのうちの二人である士道と狂三は、道すがらゆっくりとした足取りで言葉を交わしていた。

 

「元気そうだったな」

 

「ええ、ええ。とても喜ばしいことですわ。――――――本当に、よかった」

 

 宿願の成就を噛み締めるように――――真の意味で噛み締めているのだろう。狂三は万感の想いを乗せて言葉を発した。

 時崎狂三が打ち立てた悲願の根源(・・)。今日この日は、再確認にすぎなかった。だが、士道たちが存在する時間へ帰還を果たした今、それは言うまでもなく重要の一つだった。結果がわかっていても、こうして予定を立てて訪れることは必要だったのだと、狂三が浮かべた表情を見て士道はホッと息を吐く。

 同時に、僅かに目を細めて士道は言葉を続ける。

 

 

「――――会っていかなくて、よかったのか?」

 

 

 狂三は今、それができる立場にある。力がある。それでも狂三は、首を縦には振らなかった。

 

「……世界を変えたとはいえ、折紙さんのような記憶の残留からあの瞬間(・・・・)のフラッシュバックが起こり得ないとは言いきれませんわ。ましてや、わたくしは彼女を殺した女(・・・・・・・)――――――わたくしの存在は、あの方々には既に余分なものなのですわ」

 

 ――――――いつか必ず、取り戻すと誓った人がいた。

 犠牲にしてしまった大切な人がいた。大切にしてくれた人たちがいた。それら全ての平穏を取り戻すため、少女の短い生涯を無へと封じ込め、精霊は修羅となった。

 そして、手にした力の果てで取り戻した存在へ――――――狂三は触れることをしなかった。

 贖罪であったのかもしれない。本当に、口にした理由だったのかもしれない。どちらにせよ、狂三は選択した。家族を、命を賭して取り戻した友の平穏を、揺るがす可能性を排することを。

 ならば、士道が言えることなどただの一つしかあるまい。

 

 

「そっか――――――なら、いつかは会いにいかないとな」

 

 

 狂三の選択を肯定しながら、望む未来を提示する。

 目を丸くした狂三へ向かって、続ける。

 

「俺たちが約束したハッピーエンドなら、そうじゃなきゃおかしい……だろ?」

 

「……き、きひひひひひひ。まあ、その通りですこと。まさか、士道さんに当然のことを諭されるだなんて……ふふっ」

 

 士道が言ったことがそんなにもおかしかったのか、聞き慣れた笑い声の後にもくすくすと笑みを零す狂三。だが、そこに否定の色はなかった。それだけで、士道が穏やかな気持ちでいられる理由になる。 

 今は、それでいい。けれど、いつか必ずその日(・・・)を迎えさせてみせる。

 

「じゃあ……帰るか」

 

「ええ。帰りましょう――――――皆様のもとへ」

 

 繋いだ手には、罪がある。この手を繋ぐために犯した罪過を、世界の誰よりも身勝手な行いを、士道は決して忘れることはない。この罪に終わりはなく、永き時の中で背負い続けるものだ。

 だけど構わない。士道はそうしたかったから、選んだ。狂三といたかったから、みんなの救いを『なかったこと』にしたくなかったから、そこに正しさなど存在しない道を選んだ。この手を繋ぐことができたのだから、それだけで十分すぎる価値があると士道は――――――世界を創り変えた最悪の魔王は前を向いて笑うのだ。

 

「さて、帰ったらみんなの手伝いをしないとな。令音さんが未零を連れてくるまでに終わらせないと。ええと……なんて名前だっけ?」

 

「『れーちゃん歓迎会もといくるみんと少年の帰還を祝してもとい色々お疲れ様でした会』ですわ」

 

「漫画家なんだからもう少し捻ったらどうなんだ……? いや、捻ったネタは漫画に使うからこそなのか?」

 

「わかりやすくても、覚えられなければ意味がありませんわねぇ」

 

「はは、違いないな」

 

 くだらない話をしながら道を歩く。こうしていると、周りからどう見られているのだろうか。やはり、恋人だろうか。ああ、そう思われていたら嬉しい。だって、素直に『そうです』とやっと胸を張って言えるようになったんだから。

 久方ぶりに感じる自然と流れるだけの時間の中で、ゆっくり、ゆっくりと士道と狂三は歩く。それは今までできなかった士道たちの願いを、ようやく叶えることができたからかもしれない。

 夢物語だった。叶うことはないと言われた。だけどこうして掴めた――――――皆が生きる穏やかな未来を。

 そうして歩き続け、見慣れた光景が常に視界へと入り込むようになった時、自然と二人の足先は言葉もなく同じ方向へと向かっていた。

 

 一陣の風が凪いだ。それは、狂った運命を祝福し、迎えられるかのように――――――二人はそこ(・・)へ至った。

 

 

『――――――――』

 

 

 互いの手だけを繋いで、少年と少女は足を止めた。

 時期は違う。始まりとは景色が違う。それでも見紛うはずはない。違えるはずはない。その光景に意味があったのではない。士道の意味はあの瞬間、あの少女へ捧げられていたのだから。

 運命の日々。始まりに出会った少女。最初に出会ってしまった精霊。絶対に忘れられぬその名。

 運命は交わるべくして交わった。そして狂うべくして狂った。

 

「…………いろんなことが、あったな」

 

 始まりを目の前に、ようやく士道が吐き出したものはそんなありきたりな言葉だった。

 

「……そう、ですわね」

 

 とは言っても、狂三とて同じようなものではあったのだが。一拍を置き、そんなふうに返してくる。

 そう……まるで、互いに何かを狙うため、隙をみつけようとしているかのように(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 故に、ここから始まるは思い出の語り。座興にして、それでいて舞台に必ず必要なものである。

 

「――――十香と六喰が石窯のオーブンレンジと圧力鍋をプレゼントしてくれたことがあったんだけど、今に思えば何があったんだ……?」

 

「乙女には秘密が付き物ですわ。ふふっ、仲が良くなって微笑ましいものでしたわ……見ているだけで胃がもたれましたけれど」

 

「現場は見てたのかよ……。そうだ、七罪が学校に通いたくないからって、いろんなことに挑戦したりもしてたな。ちょっと上手くいかなかったみたいだけど……友達がいるみたいだから、安心してよさそうだな」

 

「……知らぬは本人ばかり。能鷹隠爪。才能を隠すにも卓越した才能が必要なものですが、七罪さんのそれは些か特殊ですわねぇ」

 

「……? まあ、七罪がすごいやつなのは事実だよな。もうちょっと自信が付けばなぁ。――――――みんなでスキーに行ったりもしたよなぁ」

 

「おひとり様、車椅子での参加でしたけれど。四糸乃さんが楽しそうで何よりな小旅行でしたわ……遭難という理由をつけての淫行はどうかと思いましたけれど」

 

「それ誤解だって言ったよね!?」

 

「悲しいですわー。残念ですわー。士道さんの倫理観があそこまで欠如していただなんて。ああ、ああ。捜索の立役者である四糸乃さんが報われませんこと。ま、あの時のわたくしには関係ないことでしたが」

 

「……狂三だって、【一〇の弾(ユッド)】を使ってまで俺たちを探すくらい焦ってた癖に」

 

「!? だ、誰から……」

 

「匿名希望の赤と白の人さんたちから」

 

「もう答えではありませんの!! まったく……夜のドッキリは如何でしたか?」

 

「分身まで使って念の入れようが酷かった。マジで焦ったんだからな……」

 

「ふふっ。夕弦さんの悲鳴は大変に貴重なものですわ。……その分、そのあとの十香さんが現れた時が皆様一番の悲鳴だったのは、実に口惜しいものでしたわ」

 

「悔しかったのかよ……はは、少し取り出しただけでもこれだけあるんだもんなぁ。みんなと出会って、本当にいろいろあったよ」

 

「うふふ。ですが、これからはもっと増えていきますわ。もちろんあの子とも……楽しみですわね」

 

「それは、女王様の予言かな?」

 

「いいえ。女の勘ですわ」

 

「そりゃあ、信じないわけにはいかないな。ていうか、今に思えば狂三はちょっと覗き見しすぎじゃないか?」

 

「仕方ありませんわね。わたくし、目が多いものでして」

 

「それで言い訳を片付けるなよな。……まさかとは思うけど、精霊攻略の最初から見てたのか?」

 

「ええ、ええ。そのまさかですわ。十香さんとのデートも、最初から最後まで見ていて――――――」

 

 ――――――あ、まずいな。

 漠然と、直感的に悟る。どちらからともなく、もしくは全くの同時に。

 ああ、いけない。その中身がいけない(・・・・・・・・・)。言うなれば、これはチキンレースだったのだ。どちらがそのワードを引き出すのか、という。たとえ直接的でなくても、狂三は今悪手を打った。彼女らしからぬ、無防備な一手と言えよう。

 最初から最後まで見ていた――――――精霊とのデートの終わりに何があるのか、狂三は知っているだろうに。

 だがしかし。ああ、しかしだ。策略、策謀を巡らせるのが時崎狂三という女だが、彼女は決してそれだけで成り上がってきた女ではない。一途で優しくて、けど変なところで強がりなこの少女は、最後の最後まで勝負を手放したりはしない(・・・・・・・・・・・・)

 まあ、なんだ。ご高説を垂れ流し、期待をさせて申し訳ないが――――――最後の一瞬は、早撃ち勝負(・・・・・)だったのだ。

 

 

「ん――――――」

 

「――――――!!」

 

 

 それは、互いの驚きであったのかもしれない。

 近く、近く、あまりにも近く――――――二人は、口づけをした。

 甘くて、愛おしい気持ちが溢れて。離したくない。暴力的な快感が、甘く、甘く、甘く――――――ああ、これが幸せというものなのなら、この価値は世界を一つぶっ壊ししてなお幾億の釣りに等しいものだった。

 

 

『――――――――――』

 

 

 長い。時が止まったようだった。けれど幸せな感覚が、時を動かしているようだった。

 唇に伝わるえも言われぬ感触が離れた瞬間、閉じた目を開いた二人は、互いの考えに思わずぷっと吹き出してしまった。

 

「今の……どっちが勝ったと思う?」

 

「あら、あら。わたくしの勝ち……と言いたいところですが、今回は引き分けという形を取って差し上げてもよろしくてよ、わたくしの愛しい人(士道)

 

「ふっ。それはまたとない提案だ。俺のお嬢様(狂三)

 

 焦れったくて、恋しくて。幾度となく繰り返したやり取りさえ、また愛おしくて。赤く染まった貌が、ただ好きで。

 勝ち負けなど、どうでもいいのだ。ただ言葉を交わしたかった。ただ愛し合いたかった。だから士道は、狂三の頬に手で撫で上げる。乱反射する紅と金色(・・)に映り込む自身の貌は、これ以上なく幸せに映っていた。

 意味など、士道と狂三にだけわかればいい。もう一度、何度でも、何度でも、何度でも、またキスをする。

 

 

 

 

 

「愛してる、狂三。おまえのために世界を壊しても足りないくらいに――――――好きだ」

「はい。士道さん、愛していますわ。命を捧げても足りないほどに――――――好きです」

 

 

 

 

 

 ――――――愛して、狂う。

 

 狂っていてもいい。あなたのためなら、何だって構わない。

 行為に正しさはなく。形はどうしようもなく歪で――――――矛盾を貫く愛だけは、正しいと時は刻まれる。

 

 好きだから。それだけで、人を愛する理由は揃っているから――――――この戦争(デート)の勝者たちは、その報酬(キス)を勝ち取った。

 

 

 

 

 

 

 恋に始まり、愛に終わる。神に抗いし少女(ヒロイン)と出会った少年(主人公)は、神など関係ないと少女の手を取った――――――ただ、恋をしたから。

 

 歪んだ運命が紡いだ二人の物語は、これで終幕(フィナーレ)。けれど、時は止まらない。

 進み続ける時の中で。変わり続ける未来の中で――――――手を繋いで歩く少年と少女の道は、その時を刻み続けるのだろう。

 

 

 








終わりましたわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――ッ!!

皆さん今です!評価の瞬間はこの完結の時に!!タイミング逃したとかあったら是非に!!

まあ最後まで欲求にがめつい私の願いはともかく、『デート・ア・ライブ 狂三リビルド』。無事本編完結と相成りました。わーわーどんどんぱふぱふぱちぱちー。
長かった。本当に長かった。もう二度と本編全再現とかやらないです。ていうかやれないです。よく完結できたもんだと思います。
ここからはバラバラな裏話とか今後の予定を語っていこうかなと思います。よろしければ作者の長語りにお付き合い下さいませ。ちなみに自分でもドン引くくらい長くなったのでお気を付けを。

まず初めに、このエンドについて。澪、令音の生存。これは初めからほぼ確定させていたことでした。多分、後半にかけて割と露骨に伏線があったので予想できた方が多いと思われます。未零がたまに語っていた〝代役〟なんて最たるものですからね。
その上で原作と違う『澪バッドエンド』というタイトルを使用したのは、まさに澪の救いは生き延びることではない、というところにあるんです。
澪の救いというのは、私は原作19巻『澪トゥルーエンド』が全ての答えだと思っています。彼女はシンと再会し、愛する人と永遠を得る結末を迎えました。それは澪にとって何よりの救いであり、トゥルーエンディングです。そんな死を願う澪にとって、生きることは地獄であり罰である。
だから私は生きることは澪の救いではないと思い、そう書きました。この世界の澪は犯した罪を背負い続け、生き続けるという罰を受ける。だけどそこに大切な人たちはいるから、約束があるから――――――バッドエンドのその先で、いつかの明日があると信じて。
『澪バッドエンド』というタイトルはそういった意味を込めました。あの時点で、実は澪がトゥルーエンディングへと至る道は消えていたんですよね。澪が士道たちを超えたところで、その先に待つのは独りよがりの理想郷。決して満たされぬ仮初の楽園。そんな澪、令音の今後については……また後程。

そして世界の再構築エンド。これに関しては、実のところ固まっていたのは四糸乃編辺りだと記憶しています。それまでは少し違う形だったのですが、士道と狂三の約束が決まった時点で完全にルートが固定されましたね。その前の時点だと、タイトルの狂三リビルドってのは単純に狂三メインヒロインの再構築という意味でした(照れ)
まあでも、狂三をメインヒロインとして狂三を完璧に救うというのなら、この士道はこの道を選ぶと私は行き着きました。約束したなら、絶対に果たしに行くよなぁ、と。
あ、原案でも未零は生きていますよ、さすがに。私はハッピーエンドありきのifバッドエンドはわりと好きですが、ハッピーエンドなしのビターやバッドエンドは書けませんしね。

次はそんな『未零』のお話。この子も何だか成長していったキャラでしたね。無価値が意味を持ち、生きる道を選ぶ。最後はこの子から言わないとな、と思いキャラが動いてくれました。
オリジナルヒロインの癖にメインではなく、メインヒロインにぞっこんなキャラ。でも狂三に好意があるなら大歓迎。ただし狂三の敵なら殺す……いやほんと、ド直球に忠犬なキャラ付けしたなぁと。
最初期、このリビルドを考え出した当初は未零はメインヒロイン、もっと言うなら狂三とのダブルヒロイン枠でした。〈擬象聖堂〉の能力に死に位置づけた阻害系があるのも原案の名残で、眼鏡がスイッチとなり違和感などを殺して士道たちと学園で平然と生活を送る精霊。そして偶然街で出会った琴里と正体を隠して交流……だったかなぁ。始原の精霊の分霊、という設定はこの頃からありました。この子と折紙関係は一切なかったの今考えると凄い。
変えた理由はダブルヒロインでこの要素は私が扱い切れる気がしなくて、とっ散らかるというのが理由でしたね。単純に狂三をメインに据えたかったというのも理由。
それで弄り考えながらやっていたら、いつの間にか狂三の忠犬……じゃない忠臣キャラにジョブチェンジ。仇とも言うべき存在が何より近い従者だったという王道になった、のかな?
連載初期の頃はバレないようにキャラ付けが大変でしたけれどねぇ。道化師のキャラなんてまさにそのためですし。結果として澪の側面とは別の未零の側面として生き残ったなぁって。大仰なリアクション取るのは未零の側面です。いや人に好意を告げるくせに人の好意には受け身なこの子が楽しくてね……。
オリジナルヒロインの戦闘能力としては、かなり抑え目に考えました。というよりピーキーなキャラ。澪の小規模版、肉体的ハンデ、超火力は自爆前提〈   〉のみ、などなど。相性問題強烈にしたのも、無双する立ち位置にはしたくなかったというのがあります。特殊マウント、高機動!ただし物理防御力0回復力マイナス!あと味方のバフ無効!どうしろと。その分この子に特殊技通る時は余程の緊急時です。例にすると【四の弾】は判定が割と際どかったり。
仮に十香や折紙と戦ったらまず勝てねぇな、的ポジショニング。魔術師相手には特性上強気に出れるけど、精霊相手だと大体に不利がつく。というか戦闘系精霊には基本〈   〉で殺す以外には勝ちの目が薄かったりします。まあそうなったら一目散に逃げれるのがこの子なんですけれど。だから戦争(デート)もデレてる士道ではなく精霊たちほぼ総掛かりのものでした。勝てないけど逃げるから負けもしない、みたいな。無双はメインヒロインの役目なのでね、いっそ清々しい。

お次は精霊たち。はい、大変でした、本当に。出番作るのに苦心していたのがもうバレバレだったでしょう。メインヒロイン固定化させると視点使えるキャラこんなに少なくなるんだなって……。
出番が増えたキャラ、減ったキャラはそれぞれいます。増えたキャラの最たる例は、言わずもがな折紙と二亜でした。

『折紙』は本人の章で大々的に扱って、その後はサブに落ち着くかなーとか思ってたんですよ。落ち着きませんでした。むしろ未零との絡みが数倍増えてました。おかしい、未零が勝手に動いた……。未零の好意云々は元からあったのでそこまでは予定調和。あれでもこの子って好意を抱いたら尽くすキャラだし葛藤があったとしても、狂三がやばくなるまでは折紙も贔屓するよなぁ……はい、ここが分岐点でした。
反転折紙の攻撃を受けて、ってのも初期の初期からあったのですが、そこからここまで関係が派生するとは想像力が足りなかった。いや書けたから足りたのか……?
元々メイン枠の中でも重要な役割を担うヒロインでしたが、メイン章が終わったあとは未零と繋がるヒロインとなりましたね。変態ですけど、だがそれが折紙だ。デビ紙の台詞と出番は勝手に増えた、私は悪くない。いや実際『十香ワールド』をやらない時点で増やす以外にありえなかったわけですが。

お次は『二亜』。可愛い二亜ちゃん。君のおかげでマジでやりたい放題だった。ありがとう二亜。ギャグからシリアスまでおちゃのこさいさい。ただし酷い目には合う。
この子はマジで動かしてからその力に気付かされました。時期は六喰の手前で最終章直前だというのに〈囁告篇帙〉込みで目立ちすぎる……。なお未来記載は本人の元に行くとそこまで役に立たないものとする。だって難しい未来は霊力で弾かれちゃうし……。

お次は扱いが難しかったキャラと出番が思ったより伸びなかったキャラ。
一番難しかったのは…………『四糸乃』です(懺悔)

これには理由があって、四糸乃がいい子すぎる。いい子すぎて題材にしようとすると『女神四糸乃はそんなこと言わない!!!!』って脳内の七罪が殴ってくる。自分で解釈違いを起こして書きづらい。正直万由里編のツッコミギャグ描写すらあれ『よしのん』の台詞だったなぁとか反省してます。マジでいい子すぎて言わせたい台詞がなかなか思いつかなかったです。それでも神的にいい子なのを伝えられていたら嬉しい。

出番が思ったより取れなかったかな?と反省したのは『十香』ですね。もう少し狂三と同じ想いを持つ原作メインヒロインとして出番を上げたかったのですが、下手をすると一気に持っていく力強さもあり……とはいえ狂三フェイカー、五河ディザスターなどはやりたいことをやらせてあげられたし、五河アンサーでも狂三が答えを見出す最後の一人として描けたのでそこは大丈夫だったかなぁと反省中に思いました。狂三との友情を強く押し出したし、しいていえば日常とかでもう少し狂三と絡ませてあげたかったかな、みたいな。ていうか折紙の侵略がマジで大きすぎて私がそう思ってるだけなのだろうか。
狂三は親友であり戦友であり恋友である……的な感じに書けていたら嬉しい。未零ともそれなりに共闘したり相対したりと最強の精霊としては推し出せていたかなぁとも。あれこれ意外と頑張れてた?

十香を語ったならこの子も必要。というわけで反転十香、『天香』ちゃんです。…………メッタメタな話をすると、この小説を書き始めたのは去年の2月頃だったんですよ。その頃って『十香ワールド』が発売前なんですよ。つまり天香は謎多き反転精霊だったというわけです。そして、ご存知の通りこの小説の終着点は『澪トゥルーエンド』の再構築――――――あとは判るな?
カッコつけてねぇで何も考えてなかったって言えよこのバカ野郎!!!!!!!
とまぁ割と天香に関しては触れられない棚上げ状態でした。それが早い段階で『十香ワールド』での肉付けが行われたのは本当に行幸でしたね。
十香の幸せを願うが故に、十香の幸せが失われれば途方もない喪失感、渇きと飢えが襲いかかる。自らが満たせるものは闘争。十香を悲しませる存在を消し去ることで、修羅と交わることで癒される……そんなキャラとして私は描きました。
そんな彼女だからこそ、長く続いた故に起こった狂三が女になったことには気がついて、士道に対してまあこれほどの修羅を女に変えるなら多少は買ってやる、くらいの気持ちです。あとは狂三と関わって、霊結晶(セフィラ)に込められた黒の面が必然的に増した士道が偶発的に召喚した魔王が繋がりとなっています。最終的に彼女は十香の幸せを願う者。ならば力を貸さないわけがない、ということ。
……未零とはそういう意味で同族嫌悪かもしれませんね。未零が目指すものは狂三の生存ですが、そこに狂三の幸せが伴うのなら最高、的な考えはありますし。ていうかなかったら問答無用で過去改変ルートにぶち込みますしね。それは澪の分霊ということを考えると、それこそありえないことでしょう。人の気持ちを考えられず、慮ることができないなら、そもそももっと目的だけの効率を目指してるんじゃないかなぁ。

話が逸れちゃいましたね。ていうか長ぇ。お次は恐らく想定通りの出番と活躍を見せたキャラ、『琴里』。
今作では士道の〝妹〟という絶対的な側面を重視しました。作中でも士道と似たり寄ったり、影響が強いとよく念押ししていましたしね。代わりに真那が割を食いました。狂三を味方にすると真那の扱いが辛い。
兄のために。そして兄の想い人への情。歪なのに、士道の命を狙っているのに、誰より士道の命を諦めなかった時崎狂三への友愛。多分、この二人が関係性としては原作から一番かけ離れていると思います。狂三が精霊たちの中で気楽に、長らく話しているのは琴里ですからね。何かを企む時も仕方ないわね、と言いながら巻き込まれてあげる枠。
そんな彼女が澪とガチバトルしたのは、未零を見ていた流れとして澪に、令音に言葉をぶつけさせてあげたいな、というのが一つ。単純に構成を練っていた時に琴里は超メイン枠だったというのがもう一つ。未零の枠で触れましたが、琴里は未零との関わりが密接にあるヒロインだったので、狂三、未零に負けないほどの出番があった……ていう流れで、一話限定特別フォームを習得。
原作では終盤まで暴走の関係で精霊での殴り合いには参加できなかったので、派手にやらせてあげたかったんです。おかげさまでビックリ精霊の万国ドッキリショーもといチートとチートの殴り合いになりました。絶対的頂点が澪だからそれ以下は何をしてもインフレにならないと思ってるだろこいつ。

その他の子達に関しても、実は天香と共通している『澪トゥルーエンド』までの構想という点がなかなか難しかったです。特に八舞姉妹。マジでヤバかった。元は一人って前提崩れなくてマジで良かったです。この辺仕掛け人の記憶を持つ未零ちゃんの思考面を描写してしまった弊害ですね……。

なつなつなっつん、もとい『七罪』は士道と狂三に明確に救われ、同時に二人の相容れない願いを尊重したいと思うキャラになりました。友達だから叶えてあげたい、けどそれをするには……という願いと悲しみをぶつけて最後の答えに至る。七罪に関しては過去も明かされたのが『十香グッドエンド』なのでさすがに本編中には絡ませられなかった、無念。

『六喰』はそもそも最終章一歩前、というどうにもこうにもな中、頼れる仲間として頑張ってもらいました。家族として支え、思慮深く心理を見抜く。戦闘では……よく考えたら仲間入りしてから初めて戦ったの無理ゲー澪なのか(困惑) 〈封解主〉がいちいち無茶ぶりに答えてくれて有能。この子も解決していない事柄はどうなったのか、というところですが……?

『美九』は…………もうちょいシリアスな面に関わらせたいんだけど関わるところが少なかった、ていう自己分析です。なので二亜以上にギャグ振りで暴れてました。五河アンサーとかは真面目だったのに……。なので彼女の歌姫としての側面だったり、すごい子なんだぞ、というのは反省点であると同時にやり残したことです、ええ、ええ。

『耶倶矢』、『夕弦』。セット運用が前提で話をしていたり、士道が〈颶風騎士〉をちょくちょくメイン使用していたり、賑やかしから重要なアシストを含めて縁の下の力持ちという形でした。その分、メインとなるのはやはり少なかったかなぁ、と。八舞合体イベントは『十香グッドエンド』でしか起こりえませんしね。この子たちは次回作に持ち越し、かもしれません、ふふふ。

そして『万由里』。彼女は唯一、外伝系列の作品から登場となりました。未零と絡んだ理由は言わずもがなでしょう。凜祢も本来は同様の理由で出演予定でしたし。蓮はまたちょっと複雑かもですね。ネタバレになるので未登場キャラは曖昧にしますが。
未零との交流は決して長いものとは言えませんでしたが、それでも残したものはありました。未零は性格上、自分以外の誰かの死を忌諱します。それは理不尽だから、という未零の基本方針にもなっているわけですね。その中で、それでも未零は狂三を生かすための選択を取る。そのために、万由里は救えないと知ってしまっていた。自らの霊結晶は、必ず狂三のためにあらねばならかったから。
だから万由里は救えない。救わない。救えないけど、消えることが決まっているならせめて……。万由里の消滅は、少なからず未零に影響を及ぼしました。最後には見捨てなければならない人たちも、万由里と違い僅かな可能性が残されているならば、それを狂三が望むのならば、未零ひとりの命で済むならば……それが折紙編での未零の行動に繋がっていた、のかも。
そんな万由里が最終章で再登場するのも必要なこと。霊結晶を持たない霊力体だからこそ、割と自由なんですよねこの子。サラッと霊力を伝って夢の中に侵入して未零の存在を繋ぎ止めたり、無意識下の霊力で構成された無間地獄空間に留まっていたり。
え、結局未零を手助けしてた万由里がどうなったかって?本当はご想像にお任せエンドだったんですけどネ。


さてさて、いよいよと主人公の『士道』。正直、語りたいことはあまりないです。彼が取る行動、言動、答え。それらは余すことなく物語に叩きつけて満足した気がします。主人公ですから。
狂三に恋をして、恋をしたから救いたい。狂三がほしいから諦めない。狂三のためなら、世界を壊しても惜しくない……私の書く士道くんは我欲的な側面が強かったでしょう。救いたいと思った人を絶対に救い、その上で狂三を救う。絶対的な我が侭主人公、それがリビルドにおける『五河士道』の人物像です。
そこに力が備わっていたのは偶然かもしれない。でも、救いたいと願ったのは自分自身の意志。たとえ力がなかったとしても、士道は狂三を諦めない。『十香グッドエンド』で解釈一致した時は嬉しかったりして。
恋のため、愛のため、狂った少年の強欲な物語。原作とは違った主人公の形、になってたらいいなぁとか。結局言いたいこと言ってるじゃねぇか。

そして大トリ『時崎狂三』。絶対的メインヒロイン。物語の構想から寵愛を受けし者。まあハッピーエンドになるなら精神的には追い込んでいいよね、みたいな考えはありました。そりゃあ、未零という狂三セコムが肉体面の損傷背負ってるならねぇ。
コンセプトは可愛い狂三を存分に。狂ってるけど底にある心を隠しきれない少女。少年と出会い、恋と罪過に揺れる精霊。そして主人公とベッタベタな甘々に興じるヒロイン、などなど。
知っての通り、私は恋愛面のドロドロした感じは苦手なので、精霊たちとの絆も描いていって士道と狂三の関係が自然となるように書いていきました。だって、引き離す以前にくっつかねぇんだもんこの二人。霊力という名目で精霊たちを救うにつれ段々と対応が甘くなりながら、最終的にそれが原因で狂三は五河アンサーの結末を迎えることになりました。
この子は自分のためには諦めない。罪を背負い戦い、取り戻すためだと謳いながら、自分自身のためには諦められない精霊。甘さを抱えながら、若き個体が士道に絆される可能性を持ちながら、だとしても自分だけのためにそれを諦めることをしない。そんな修羅と化した子だからこそ、自ら創り上げてしまった皆の救いは『なかったこと』にはできないのかな、とか。
諦めない女、それが『時崎狂三』なのかなと私は考えます。諦めないからこそ立ち上がり、諦めないからこそ苦しむ。結局彼女、五河アンサーでも士道を殺せなかっただけで諦めはしてませんしね。だから士道も答えがなければあの選択はしなかった、ていうかできなかった。心が絶望するだけですから。

当然の結実ですが、士道と狂三の関係という話の決着は『五河アンサー』といえるでしょう。『狂三アンサー』から始まった戦争(デート)の答えにして、終着。あの手を取った時点で、二人の物語は決着し、残りは澪との因縁などを含めたエクストラステージ。いやだって澪くらいなんだもん、憂いなく手を組んだ士道と狂三を相手にできるの。
メインヒロインだから多少盛るか、くらいの考えだったんですけど澪がいるからとめちゃくちゃ盛る結果になりましたね。軽い気持ちで考えた未来予測とか最初はここまで重要になるとは思いも……狂三が士道にとって最凶の味方であり敵だったからこその強化判断なので、今回限りでしょうけれど。

最終的になぜ私が士道と狂三の物語を書いたかといえば、なかったからです。ええ、あまりないんですよ士道と狂三のお話。そら公式が最大手なんですからわざわざ書きませんよね。だから書きました。デアラで士道のメインヒロインを絞るというナンセンスな禁じ手を投じてでも書きたかったのです。
さしあたって原作にはない狂三とは……つまりイベント事へ軽々と出演はできないくるみんは必然的に強襲イベが多め、だから大っぴらに(意地を張りながら)味方になって士道たちと交流する狂三が見たかった。
ただ、本編が最優先だったので避けたのですが、そう言うならアンコール時空のお話こそやるべきものがあった……かもしれません。狂三が関わる〝理由〟であり〝建前〟は精霊ですので、そこをあんまり崩したくなかったという事情もあるのですが、一番はやはり本編の進行を止めたくなかったのが……うーん難しい。実際、裏設定で士道との戦争にかこつけて精霊たちとのアンコール時空のイベントはこなしてますしね。

そういった事情の分、トリックスターは未零とメイド個体の仕事でした。ちなみにメイド個体は結構好き勝手に動きました、瞬瞬必生ともいう。大まかな役割は変わっていないのですが、終始ギブアンドテイクな予定だった未零との関係が少し絆された感じになったからなぁと。まあ、未零と澪でもそうですが、根本を変えてしまうと説得力がないですからね。メイド狂三は特異ではあるけど『時崎狂三』なので、良かったと思っています。え、結局この個体はどの瞬間の感情から生まれたかって?それは本編で察してもらえると嬉しいです。いや未零に関して言及してる時点でバレバレでしょうけど。この設定にして良かったとは思います。あと私、他意はなく女同士の友情描いてるつもりなんですよ、本当に――――――ちなみにメイド服はこの狂三の趣味です。

あとは裏設定とかは語るとキリがないので裏設定のままですね。狂三の霊力供給を本編中は割と未零が担っていた、とかせいぜい折紙編くらいでしか描写しませんでしたし……使わなかった設定とか甘いものがありますねぇ。
あとは文章。これ、折紙編を境に明確に変えています。そこまでは三人称よりで折紙編からは視点を固定した地の文の形成をしました。如何せん、創作をするのが数年ぶりだったので手探りで申し訳ない……強調する感じで文を書くのが癖のようなものなので、くどさとかもあったでしょう。でも強めにいきたい今日この頃。

はてさて、ここからはこれからのことを少しばかり。士道と狂三の物語は書ききりました、が、狂三に関しては書き切ったとは言えません。これはリビルドではなく『時崎狂三』という少女の魅力を伝えきったか、というお話。
途方もない罪を背負った精霊とどう向き合うか、というのが狂三の一つの魅力ですが、今作はその点を少し柔らかくしているのが見てわかると思います。確かにリビルドの被害も死より残酷なものだと言いましたが、原作だと死者の分の重み凄まじい女の子というのも純然たる魅力。あの修羅を、摩耗しきった精霊を書かないのはあまりに勿体ない。初期士道では太刀打ちできないほど心が死にかけていた狂三ですからね、原作初期って。だからこそ士道の光が眩しく映り、絆されていくのは同じなのでしょうけれど。

というわけで次回作は狂三の過去を忠実にした『時崎狂三』を書きたいなぁとか。具体的には原作の一年前を舞台にした狂三の〝記憶喪失〟ネタ。……やだなぁ、士道と狂三のイチャイチャ甘々青春ラブコメものに決まってるじゃないですかー、やだなーもー、嘘じゃないですよー。別に狂三を虐めないとは言ってないですけれど。修羅の狂三が記憶を失うことが、どのような意味を持つのか、うふふ。
暫定タイトルは『狂三フォーシーズン』です。うわ凄いエロゲっぽい……。

それでチラチラとそれっぽいことを言っているので察していると思いますが、狂三リビルドの後日談もお届けしようと思っています。やり残したこと、皆様にお見せしていないもの……などなど、ですかね。

EXTRA TIME『未零アナザー』。

本編の後日談、この世界の先を少しお見せしようかなと。恐らくこの後書きが届けられている頃、私が再び執筆をしていると思いますので、一週間~二週間ほどの期間をおいて更新できたらと思います。
リビルドでの狂三と士道は書き切ったのもあり、この章のメインは未零が担当です。まあでも士道と狂三の憂いなしのイチャイチャは入れておきたい。皆様に砂糖を吐かせたい。あとはこの組み合わせが見たいなーとかあれば……後日談以降は、その辺はかなり融通が効きますからね。

残るは以前に言ったif、士道エンドと狂三エンドを形にできたらなーとか。
狂三エンドはこの世界の士道を犠牲にする選択肢を選んだ先。
士道エンドは時崎狂三の死が成立(・・・・・・・・・)したifです。はい、本編でさりげなく積み重ねていた士道闇堕ちフラグ成立ルートですね。でもこれ最後に書くのか……という気持ちはあったりなかったり。迷いどころですねぇ。

さあ、バカほど長くなった後書きも、そろそろ〆といたしましょう。一年と半年もの間、皆様の評価や感想が大変に嬉しかったです!ちなみに今も待ってます!!
それでは、次は『未零アナザー』でお会いしましょう。なんか完結した気がしませんが、いつもの感じでいきます。次回をお楽しみに!!


ちなみにライダーネタはガチで私の趣味です。もしかしたら士道と狂三しか知らない旅の中で通りすがりや別世界の騎士(ライダー)と出会っていたりして……なんてね。この長い後書きまで本編を完走してくださった方、本当にありがとうございました!!



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未零アナザー


さぁ――――――私たちの戦争(デート)を続けましょう。







 

 

 それを声と呼ぶにはあまりに小さく、対極し大きすぎるものだった。

 ただ『在る』はずの存在が意志を保ち、語りかけてくる。

 

『――――――を』

 

『……………………だぁれ?』

 

 誰、などと。おまえはその存在を誰より知っているはずなのに(・・・・・・・・・・・・・)

 だからこそ、だろうか。なればこそ、と言えるかもしれない。どちらにしろ、少女はそう返す他なかった。問う他ない。

 

 

『かの――――――を――――――――』

 

 

 極めて近く、限りなく遠い存在へ。

 

 

『――――――――とどけて』

 

 

 嘶くように、弾けるように、震えるように――――――その世界は脈動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……どんな夢を見たんだい?」

 

「………………………………………………………………別に、何も」

 

 たっぷり二十秒の熟考。未零が姉へ(・・)返した言葉は、夢見を案じる人へのものとは思えない実に薄情なものだった。

 とはいえ受け取った姉――――村雨令音は、不自然な未零に詰め寄るわけでもなく「……そうか」と返して朝食の味噌汁を啜った。まあ不自然とはいえ、未零が夢の中身を思い出そうとして、思い出せなかった、とでもいえば誤魔化せてしまう程度のものだ。未零が話すつもりがないというのなら、詮索をするつもりもなかったのだろう。

 たとえそうだとしても、夢を見たことは聞くまでもなく察されている、ということになるのだが。何とも察しが良すぎる令音に続き、未零も同じように味噌汁に手を付けた。

 

「…………」

 

 ついで、令音を見やる。特別、変わった様子はない。以前と違うのは、以前に比べ多少はマシになった隈。肩の力が僅かに抜けた様子、という程度のもの――――――それで、全てが解決しているとは思わないけれど。

 

『ごちそうさまでした』

 

 行儀よく、朝食を済ませる。いつも通りの光景だ。少々と様相が異なるのは、

 

「……すまないが」

 

「やっておきます。私が原因ですからね」

 

 令音が仕事へ向かうため、足早に準備を済ませていることくらいか。

 無論、優秀な令音が仕事へ向かう時間を気にするほどギリギリを攻める、というのは考えられず、理由は幾つか存在している。

 当然最たるものは未零が口にした通り、少女自身が原因だ。本来今日は、所用が重なり早めに出かけることになっていた令音のため、朝食当番を引き受けたのだが……妙な夢(・・・)に気を取られて、不覚にもそれを令音自身に行わせてしまったのだ。

 結果、未零に時間を合わせた令音側の時間は圧迫され……不運とは重なるものである。共に暮らし始めて(・・・・・・・・)初の失態に眉根を下げると、それを悟られたのだろうか。令音が柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「……気にすることはないさ。特別な不備は生まれないし、君が後片付けを担当してくれれば役割は分担できている。――――――それじゃあ、私は先に出よう」

 

「っ……あ」

 

「……ん?」

 

 息を詰まらせ、小さく言葉を吐き出した。そんな仕草でさえ、令音は足を止めて振り向いてくれる――――――だけど。

 

「……ううん、何でもないです。いってらっしゃい、令音」

 

「……ああ。行ってきます、未零」

 

 言いたかったことは、在り来りなやり取りにかき消された。微笑を浮かべ、手を振って令音を見送る。振り返される手をそのまま送り届けて――――――

 

 

「――――――気をつけて、なんて言葉も言えないんですか、私は」

 

 

 言いたいこと一つ伝えられない自分に、ため息を吐いて呆れ返った。もっとも、霊力を封印されてなお力を振るうことができる令音に、気をつけて(・・・・・)が必要な対象は存在しないのだけれど――――――妙な夢が、そう思わせてしまうのか。

 

 

 手早く片付けを済ませ、未零は未零で通学(・・)の準備を済ませる。さっさとしないと、小生意気な同級生に朝から突っ込まれること間違いなしだ。

 そんな急ぎの時に――――――傷だらけのクマのぬいぐるみが視界に入ってしまったのは、未零の心境故か。

 

「……シン」

 

 丁寧に飾られた、ボロボロのぬいぐるみ。一見して相反するものだが、事実としては成り立つものだ。

 三十年もの間、主の心を支え続けた影の功労者。ようやく前を向いて歩き始めた澪たちに従い、長い長い勤務から休暇をもらった、といったところか。

 ツギハギで随分とくたびれて、だけど修復は人力で行われているために、これは『崇宮真士』からもらったものの中で唯一形として残っている。三十年もの間、そしてこれからも、傍に在らずとも澪を見守り続けてくれる。

 そんな相手にだからこそ、未零は指を伸ばし――――――八つ当たるように、その鼻を押した。

 

 

「姉妹って、どうすればいいんですか――――――お義兄ちゃん(・・・・・・)

 

 

 返ってくるものは、押した指に対抗する柔らかな反発くらいなもので、未零はまた深くため息を零した。

 

 

 

 世界が再構築され、半年余り――――――村雨未零が俯瞰する世界は、信じられないくらいに平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――――夢見が悪いって顔してるわね」

 

「…………」

 

 開口一番。これは果たして彼女の察しが恐ろしいほどにいいのか、自分が思っている以上に顔に表情を出してしまうタイプなのか、辟易としながら未零は言葉を返して彼女と――――――万由里と歩き始めた。

 

「……私、そんなにわかりやすいです?」

 

「わかりにくい。だから注意深く見てないといけないんでしょ」

 

 サイドテールに括った金髪をぴょこぴょこと揺らし、さもありなんと万由里は答える。どうやら、彼女の観察眼が優れているという説が正しいらしい。それにしたって、人の夢見を的中させるのはどんな観察力だと思うけれど、と未零は額に汗を流した。

 

「……そこまで見てなくてもいいじゃあないですか」

 

「ちゃんと見てるように頼まれたわ」

 

「誰に?」

 

「私を含めて全員かしら」

 

「………………」

 

 一度、個人的信頼度に関して話し合った方が良い気がすると考え込む未零だったが、自身の立場を考えて何とかそれを呑み込む。

 そもそも、大学へ行ってみたい(・・・・・・・・・)と言い出したのは未零なのだから。それに万由里まで付き添わせる形になってしまったのは――――――

 

「私が行きたいと思っただけよ。大体、半年過ぎてるんだから今更でしょ」

 

「……だから、人の考えを当てないでくださいよ」

 

 ――――どこまで人を見ているのだ、この子は。

 睥睨気味に目線向けると「はいはい」と空返事で返してくる。反省している様子はないし、反省する意味もないだろう。別に、その観察眼は悪いものではないのだから。つっけんどんな物言いも、未零が相手だからしていると理解はある。

 

「……半年、ね」

 

 半年。世界を改変して、半年。もうすぐ七月を終え、八月に差し掛かろうか。冬を越え春を過ぎ、夏の日差しが照りつける。声に出した季節の移り変わりは、そんな時期を迎えていた。

 当然、封印された精霊である未零には幾つもの選択肢が生じた。通りすがりを卒業し、〈ラタトスク〉の保護下に落ち着いた未零は、何となしに大学への進学を申し出た――――――何となし、というのは少し趣旨が異なるか。

 行ってみたかったのだ。それは、令音が経験したものだから(・・・・・・・・・・・・)

 村雨令音の人生とは、偽らざる履歴(・・)が存在している。紙面となった経歴などを洗われることを想定し、彼女は現実の学生生活を送っていた。その履歴は、確かに『在る』のだ。世界が書き変わっても、否、書き変わったからこそ事実は消えていない。

 だから、未零はふと言ってしまった。まあ――――――狂三と士道の逢瀬に遠慮をした、という密なる想いがないわけでもなかったが。

 あのときは、恐らく〈ラタトスク〉としては中学か高校などを想定していたのだろう。高校は先の理由、中学はさすがに遠慮願いたかった。理由はというと、ふと同じ高さの目線で(・・・・・・・・)万由里が都合よく声にした。

 

「それにしても……急に伸びたわね」

 

「……まあ、私はあなたとは別の意味で澪の明確な分霊ですからね。元が元なので、伸ばそうと思えば令音くらいは簡単ですよ」

 

 というより、霊力封印の影響で勝手に伸びるという方が正しいか。

 そう。万由里の言及の通り、未零の身長は急速に伸びた。成長期と言うにしろ、さすがにやりすぎなくらいには。未零からすればこうなることは目に見えていたので、間違いなく悪目立ちする中学は遠慮願ったのだ。なお、身長がほぼ同じだったはずの琴里は、そんな未零の成長を見て膝を折った一幕があったのだが。

 と、そんな騒ぎがあったりなかったりしたのだ。まあ、あったりなかったり、という曖昧な表現なのは――――――

 

『未零の好きにすればいいですわ。そうしたいというのなら、わたくしは歓迎いたしますもの』

 

『……ああ。私は構わないよ。すぐに手配しよう』

 

 狂三と令音。ある意味、未零という精霊の保護者的立場――狂三はむしろ逆だろうと主張はしたい――の二人が、あっさりと認めたからに他ならない。

 ……というか、必要になった未零の苗字(・・)の方が大騒ぎだった。五河、時崎、何故か鳶一まで乱入した大騒動に発展――――――思い返すと血色が令音のように悪くなりそうなので、閑話休題。学内で『吸血鬼』の渾名をもらうのは姉だけで十分だろう。

 〈ラタトスク〉としても精霊の願い出は極力叶えていく方針なのだろう。たったそれだけで、思いの外あっさりと未零の出願は認められ、晴れて自由に大学へ……とはならず、こうして万由里まで巻き込んで学資の歴を積み重ねようとなったのである。

 他の精霊たちも、それぞれの道を歩んでいる。変わる者と変わらぬ者。周囲が変化し、大切な人たちとの再会を得た者。未だ己の所業を後悔し、身勝手に入り込む資格はないと首を横に振った者。様々ではあるが、確実な変化はある。万由里など、まさにその最たる例なのだから。

 だから、こそ。

 

「気になるの?」

 

「……はっきり覚えているわけじゃないんです」

 

 未零は自身に生じた〝変化〟を、軽々と無下にはできなかった。

 

「……ただ、夢と呼ぶにも曖昧だったのに――――――私は、その声を知っている気がしたんです」

 

 気がした、で済めばいいと未零は顔をしかめた。起きがけに感じたものは、知っていなければおかしい(・・・・・・・・・・・・)とさえ思ってしまうほどのものだった。

 単なる夢、そう断じることは簡単だ。しかし、それができないということは――――――未零にとって、未零以外の誰か(・・・・・・・)への影響を無視できない事柄、かもしれないということだ。

 たとえば士道、たとえば折紙、たとえば万由里――――――たとえば、狂三と澪。

 未零のみで完結できる問題ならまだしも、あの〝声〟は何か引っかかる。

 

「知っている気がする……か。あんた、人より色んなことを知ってた分、曖昧なことは捨て置けそうにないわね」

 

「…………」

 

 沈黙で返したそれは、肯定の意。未零は識っていた(・・・・・)。始源の精霊、士道の力、アイザック・ウェストコット。あらゆるものを記憶に収めながら、それを駆使して狂三が生き残る術を模索する精霊だった。

 だが、今その記憶に意味はない。狂三の生存は成された。心情的な問題(・・・・・・)は個人に委ねるにしろ、この世界は未零にとって想定を上回る結末を迎えた。故に、起こり得る異常に対して未零は記憶を持たない。なぜなら、澪が引き起こすものではない(・・・・・・・・・・・・・)のだから。

 今の澪が何かしらの干渉を行ったのなら、わからないはずはないし、彼女がそうする必要もない。なら、未零が聞いた声は何者なのか。それがどのような影響を及ぼすのか。対象が未零だけならいい。だが、もしものことがあれば――――――

 

「また一人で抱え込もうとしてる」

 

「……!!」

 

 咎めるような棘を感じ、未零は思考の沼から無理やり引き上げられた。桜色の瞳には、強ばった未零の顔が映り込んでいた。

 はぁ、と息を吐いた万由里は、せめてもの説得のように髪に指を搦めながら声を発した。

 

 

「あんたの性格は知ってる。だから無理に言えとは言わないし、まだ告げ口もしないわ。ただ――――――あんたの姉さんくらいには、相談してもいいんじゃないかしら」

 

「っ……」

 

 

 それは、初めから未零の性格を熟知しての線引き(・・・)であったし、同時に煮え切らない未零に対しての提案(・・)でもあった。

 詰まらせた息を吐き出し、万由里の気遣いを今度こそ呑み込む。

 巻き込みたくはない。未零は今の平和が好きだ。未零が聞いた〝声〟は、所詮夢見の一瞬。何の確証すらなく、現実には何も起こっていない。恐らく、〈ラタトスク〉に何かしらの調査を頼んだところで意味を為さないだろう。そんなもののために動いてもらうには、些か早計がすぎるというものだ。だから万由里も〝まだ〟という表現を使ってくれている。

 けれど、未零一人でこうして悩んでいても埒が明かない。あの夢の声がもう一度届く保証もない。ならば――――――今もっとも近くにいる家族くらいには、相談をするべきではないのか。

 

「……そう、でしたね」

 

「必要なことはやっといてあげるから、あんたの気の済むようにやればいいわ。ま、私が口を出す前に片付けてほしいけど」

 

 髪を手で払い、すげなく返す万由里を見て苦笑を浮かべた。素っ気なく生意気な態度を取るのに、手助けは怠らないお人好しは誰に似たのやら、そんな思いからの苦笑だった。

 そんなお人好しの友人(・・)へ、未零は心から感謝の言葉を発した。

 

「……何か奢りますよ、万由里」

 

「チュッパチャプスの新フレーバー。発売日の朝に用意しておいてよね、未零」

 

「――――――了解」

 

 優しい同級生に返事を返し、足並みを揃えて大学へ向かう。さて、ここからの予定は――――――

 

 

「向こうは明日から――――――夏休みでしたね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「夏休みだぞ五河ぁ!!」

 

「暑苦しいわっ!!」

 

 終業式を終え、さあ帰宅だぞというこの時、突如として押しかけてきた悪友を一刀両断で叩き伏せた。もっとも、この程度の悪態で怯むような男ではないとわかっていてのことだが。やはりというべきか、大仰に手を広げながら言葉を継いだ。

 

「そうつれないこと言うな、我が同胞よ。高校最後の夏休み、思い出をたくさん作ろうじゃないか」

 

「おまえとの時間を山ほど作るなら、一人で狂三とのデートプランを考える時間に当てるがね」

 

「こんの、裏切り者がぁ!!」

 

 誰が裏切り者だ、誰が。……まあ、一年の頃は彼女の影などなかったことは認めるけれど。本音半分冗談半分、涙を浮かべた悪友・殿町宏人の叫びにようやく頬杖を解いて士道は少々と真面目な声を返した。

 

「つっても、おまえ三年生の夏休みがそれでいいのかよ……他にやることあるだろうが」

 

「だからじゃねぇかよ。俺だって青春的な思い出がほしいんだよぉ五河ぁ。みんなで遊びに行こうぜぇ……女の子含めて」

 

「やっぱそっちが本音かよ」

 

 士道が言えたことではないが、欲に正直な奴めと呆れ顔を作る。

 どの道、精霊たちとのスケジュールは山のように詰め込まれるはずなので、間違ってはいないのだが……と士道&殿町のくだらない会話に、一人の女神が現れた。

 

「よろしいのではありませんの? 殿町さんを含め、亜衣さん麻衣さん美衣さんもお誘いしては如何でしょう」

 

 愛しの君、狂三が学生鞄を携えニッコリと微笑みを作り声をかけた。その姿からは、正しく後光が差していたと殿町は後に熱く語っていた。というより、感激のあまり咽び泣く殿町から、言葉でなく熱量で伝わってきている。

 

「と、時崎さん!! やべぇ、マジ女神です……!!」

 

「おうそうだ、ありがたい女神様だぞ。だから拝み料金に財布の中身全部置いていけ」

 

「こっちは魔王!?」

 

 随分とみみっちい魔王がいるものである。というか、

 

「ま、そもそも誘う予定は立ててたんだけどな、最初から」

 

「な、なにぃ!? 謀ったな五河!! く、覚えてろよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 鞄を引っ掴んで涙を拭い走り去る殿町に、「おまえこそなー」と適当な言葉を投げかけて別れを告げた。フォローついでに、あとで予定の連絡を入れておけばいいだろう……帰り際に笑顔を見せていたし、必要かどうかはともかくとして。

 顔を緩ませて殿町を見送った士道を見てか、狂三がくすくすと微笑を零した。

 

「まったく、意地が悪いですわよ」

 

「はは、誰かさんに似たのかね」

 

「あら、あら」

 

 誰のことかしら、と素知らぬ顔で頬に手を当てる狂三。間違いなく、このいたずらっ子の影響だった。

 ただ、再び頬杖を突いた士道の余裕もそこまでだった。

 

「ふふっ。ですが、殿町さんと美衣さんは良い雰囲気ですわね。お節介かもしれませんけれど、悪くない流れをプレゼントできそうですわ」

 

「…………え、そうなの?」

 

 作り上げた外面というものは、本物に対して無力である。愕然と目を丸くした士道に、机の横からひょこっと二人分の顔が飛び出してきた。

 

「うおっ!?」

 

「うむ。そうだぞシドー!! 気が付かなかったのか?」

 

「わかりやすかった。士道、私たちもするべきだと思う。今すぐに」

 

「今さら、あの甘酸っぱさは難しいのではなくて……?」

 

「……………………マジ?」

 

 顔を出した十香と折紙、そして狂三の顔を幾度も行き来するが、全員揃って「うんうん」とうなずくばかりだった。間違いとかではなく、真実(マジ)らしい。

 亜衣麻衣美衣の三人娘に殿町とは、世界が変わろうと(・・・・・・・・)相変わらずよく話す間柄ではあったが、まったくもって気が付かなかった。気を抜きすぎたか、あるいは――――――

 

「……わたくしばかりを見すぎ、ですわね」

 

「うぐ……」

 

 仕方なさげに息をつく狂三に、呻くことしかできない士道であった。

 恋は人を盲目にするとは言うものの、それで鍛えた観察眼が恋にしかいかないのも問題である。これは、それ以前の話な気はしたけれど。

 

 俺、そんなに鈍いかなぁ……? などと精霊攻略がご無沙汰ながら、意外と学生生活は見えていなかったかもしれないとか士道は考えながら学校の玄関口をくぐる。

 

「……ん?」

 

 そこで、何やら外側が妙にざわざわとしていることに首を捻った。狂三たちも同様なのか、小首を傾げている。

 

「む……この匂いは……」

 

「お、おい十香?」

 

 いの一番に鼻を利かせ、十香が早足に駆けていく。続けて折紙と狂三、士道もそれに続いた。

 やはりというべきか、普段ではないほどの人だかりが校門前に出来ている。終業式とはいえ、こんな光景は見たことがないと目を丸くする。

 すると、その少し手前に見慣れた顔を二人発見し、士道は流れるように彼女たちへ声をかけた。

 

「耶倶矢、夕弦!」

 

「む、遅いぞ、我が友たちよ」

 

「指摘。速さが足りません」

 

「いや、おまえらと比べられてもな……」

 

 こちらの教室へ来るなり、「我らの勝負に決着を!!」みたいなことを言って下校競走を始めたはずの耶倶矢と夕弦も、この人だかりに足止めをされていたらしい。

 先に来ていたということもあり、二人には人だかりの原因がわかっているようで、やれやれと困り顔で首を振った

 

「当人が切り抜けると思っていたが、あやつは存外に人が良い。集まり過ぎてキリがないぞ、あれは」

 

「増大。あの魅力は魔性です。顔を隠していた気持ちが理解できます」

 

「顔を隠してた……って、まさか……!?」

 

 そのまさか、が視界の先に存在した。

 目を奪われる、などという次元ではない。別世界の美しさを描く少女がそこには在った。見慣れた士道ですらそう思うのだ。見慣れていなければ、その物憂げな双眸と滑らかで清らかな髪の流れに目を奪われ、ゾッとするほど美しい芸術的な造形に心を奪われてしまうことだろう。

 美しさの体現があった。だが、その美しさに物怖じしない、あるいは呑み込まれた者が一人でもいたならば、それに釣られる形で人が集うのも無理はない。

 

「――――未零!?」

 

 そう。そこにいた人物とは、半年前から大学に通っているはずの少女であり、令音の妹(・・・・)である村雨未零だったのである。さしもの狂三も目を見開いているし、折紙とて似たようなものだ。士道の驚きは、それより勝るというものだろう。

 ただでさえ騒ぎが恐ろしい規模で、聞こえてくる話題も「もしかして村雨先生の……」など純粋な興味本位とか、「良かったらこのあと……」などのナンパ目的とか、「うおおおおおお通りたかっただけなのにいいいいい」など巻き込まれた哀れな悪友の声だとか、その他諸々だった。まるで、お忍びで現れたアイドルが顔バレしたような大騒ぎ。

 来禅の生徒はここまで無遠慮ではなかったはずだが、魅了の天使でも使用しているのだろうか。唖然と口を開いた士道は、そんなふうに思わざるを得ない。

 

「……いえ、私は用事があって。……あ、大丈夫です」

 

 その明らかな異常状態は、未零自身が来る人来る人を拒み切れていない様子から形成されているように見えた。

 耶倶矢の人が良い(・・・・)とは、正しくその通り。本人はあまり自覚症状がないようだが、令音以上に未零は押しに弱い。見ず知らずの相手だろうと、自分に用があるのであれば決して無下にはできないのだ。

 何とか一歩手前で押し止めているものの、これでは教師まで飛んできかねない暴動に発展する危険さえあった。とはいえどうするべきか、などと悩むまでもなく解決策は提示される。要は、未零に見ず知らずの他人より優先すべき対象を見せればいいという話で――――――

 

 

「――――未零」

 

 

 ここに一人、お誂え向きに未零の女王様がいる。

 鶴の一声とはこのことか。凛とした狂三の声は、暴動手前の人だかりすら一瞬の静寂に伏し、中心の未零はハッとこちらへ顔を向けて――――――

 

 

「――――狂三」

 

 

 花咲くような微笑みが、大衆を更なる魅了へと突き落とした様を見てしまった。

 ……笑顔が素敵なのは結構なことではあるが、夏休み明けの噂話が怖くなった士道は頭を抱えた。

 先ほどまでの躊躇いが嘘のように容易く人だかりを抜け出し、未零は士道たちの前で足を止める。そうして、何事もなかったかのようにニッコリと今度は作り笑顔で挨拶をしでかした。

 

「皆さん、どうもこんにちは」

 

「うん、こんにちは。……何か、後ろの言い訳はあるかな?」

 

「………………気付いたら、こうなってました」

 

 目を逸らされる。それで通るならアイドルだって顔を隠す必要はないだろうよと、士道たちは揃って半目を作るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……なるほど。それであの騒ぎというわけか」

 

「……大変ご迷惑をおかけ致しました」

 

 来禅高校の物理準備室――とは思えぬ〈ラタトスク〉が持ち運んだ機材が並んでいるが――にて、コーヒーカップを受け取りながら未零は令音へ割と心からの謝罪をした。それはそれとして、精霊攻略を終えても私物化されているこの部屋にツッコミを入れたくはなかったが、そちらはどうにか抑え込んだ。

 

「……君は、もう少し自分の容姿を理解した方がいいかもしれないね」

 

「……あなたの容姿は嫌というほど理解していたつもりなんですけれど、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉がないとどうにも慣れません……」

 

 ――――――特別なことは、何もしなかった。

 問題があるとしたら、そこだったのだろう。高校の門を潜り、令音へ会いに行こうとしたまではよかった。が、話しかけてきた生徒へ無難な返事を返してしまったのが運の尽き。見事囲まれ、会っていくつもりはなかった士道たちにまで世話をかけてしまったのは失態だった。

 自分が目を引く容姿なのは理解している。というより、崇宮澪の分霊である未零が知らないはずはないし、この貌に一種の誇りを感じていたのも事実。しかし、半年を迎えてなお己の身を隠す天使がないことは、少なからず未零の危機意識の欠如をもたらしていた。

 常にあったものがない。注目を浴びることを自然と〝消す〟ことができた未零にとっては、よりにもよって単独行動での認識不足を招いていると言える。これがたとえば令音と共に、ならば未零側が警戒心を高めるためこのようなことにはならないのだが――――――つまるところ、絶望的なまでに人を惹き寄せるのだ、澪の容姿というのは。

 令音のように立場がはっきりしている。澪のように浮世離れしている。というのなら避けようはあるが、普段の未零は意図的に澪と雰囲気を離す努力をしているので、こういった不幸な事故が引き起こされてしまうという結論を得た。

 思わぬ発覚とコーヒーの苦味に顔をしかめながら、適当なテーブルに軽く背を預け未零は令音と言葉を交わす。

 

「……とはいえ、今日のような経験は初めてでしたが」

 

「……ふむ。生徒が私を知っていたから、かもしれないね。知り合いの身内とわかれば、人の意識は自然と関連を覚え興味が生じる」

 

「……まあ、あなたも来禅に勤務して一年以上ですからね。知名度はあるでしょうし」

 

 廊下で幾度も倒れる血行不良の美人物理教師で副担任。健康健全な生徒たちが、何気ない令音の仕草に心を射止められていないか不安になる日々である。

 からかい気味に告げた未零に、令音はほんの僅かに表情を変えて言葉を継いだ。困り顔、というやつだ。

 

「……私としては、目立つことは本意ではないよ。どのみち来年には、私に変わる皆のサポート役が派遣されるがね」

 

「ああ――――――あの女ですか」

 

 自然と、言葉の端に鋭い棘を感じさせる声音になったことは否定できない。だが、令音はこくりと納得したようにうなずいた。少なくとも、未零よりは冷静に受け入れている。そう受け取れる。

 

「……ん。思うところはあるかもしれないが、私たちが案ずることじゃあないさ」

 

「私は――――――別に」

 

 何かを挟み込みかけて、誤魔化す時の口癖のように否定を重ねた。令音の言う通りだったからだ。あの女――――――エレン・ミラ・メイザースは、今や〈ラタトスク〉の機関員として活動する令音の同僚(・・)なのだから。

 一体、どんな過去をでっち上げたのやら、と未零は息を吐く。とはいえ、管轄があの男(・・・)から恩人(・・)に移ったというのであれば、未零はそれを受け入れ呑み込むと決めていた。かつて全ての元凶にして敵だったとはいえ、今は嫌う理由がない――――――わざわざ好く理由もないが。

 特別、未零個人の因縁で警戒しているわけではないのだから、本当にタチが悪い話だと自嘲する。複雑な未零にくすりと微笑を零した令音……しかし、その目を細めて改めて本題に切り込んだ。

 

「――――それで、君の相談事(・・・・・)を聞かせてくれるかい?」

 

「…………」

 

 ――――そりゃあ読まれるかと、未零は細く息を吐いた。

 わざわざ令音の手伝いがあるから(・・・・・・・・・・・)などと、未零こそでっち上げで令音と二人きりになる状況を作ったのだ。

 上手く合わせてくれた令音に感謝すると同時に、この察しの良さは狂三以上に隠し事ができない相手だとも思う。

 

「……実は――――――」

 

 しかし、だからこそ令音を頼るために来たのだと、未零は重い口を開き、包み隠さず己の現状を吐き出し始めた。

 

 

 

 

「――――――夢の声、か」

 

 未零が一通り話し終え、聞き終えた令音があごを撫で思考を巡らせる。

 〝夢の声〟。問題はそこに収束する。逆に今は、そこにしか問題がない(・・・・・・・・・・)。だから頼る対象が令音しかおらず、その令音相手ですら万由里に説き伏せられなければならないほど、未零は乗り気にはなれなかったと眉根を下げた。

 

「……もちろん、私の気のせいという可能性が大きいです。というより、本当なら問題にだってしたくなかった。でも……」

 

「――――君はその予感を無視できない、だろう?」

 

 令音の確信めいた問いに、未零はいつも以上に素直な首肯を返した。

 所詮は夢。それも微かな感覚と記憶しかなく、何もかもが曖昧――――――曖昧な中で、未零は無視することができないでいる。

 この〝声〟がどういうものなのか。誰のものなのか。害がないのならいい。人としての機能が生ませた幻想というのなら構わない。だが、未零は無視できなかった(・・・・・・・・)。収束というのであれば、問題の中心はここにある。

 

「……私たちは過去の夢(・・・・)ならば常にあったものだが、これはそうではないね」

 

「……令音」

 

「……うむ。冗句だ」

 

 とんだブラックジョークがあったものだ、と未零は半ば睨むようにコーヒーを啜る。苦々しいジョークに苦いコーヒーが更に苦味を増した気さえした。

 そんな未零たちの夢見はともかくと、問題定義を掲げて会話の流れを戻していく。

 

「……その声が本当にあったもの(・・・・・・・・)だとしよう。ここで問題となるのが――――――」

 

「――――なぜあなたではなく、私だったのか」

 

 言い換えるなら、なぜ崇宮澪(オリジナル)ではなく村雨未零(デッドコピー)だったのか、だ。

 あの〝声〟が未零の予感にあるものだったとして、どうして未零なのか。その〝声〟は何を伝えたかったのか。

 

「……私はその〝声〟を耳にしたことはない。君が聞けるだけの理由があったか――――――もしくは他の精霊たちへ届いてはいたのか、かな」

 

「……!!」

 

 確かに、その可能性はあると未零は顔を上げる。これを相談しなかったのは未零の性格故でもあるが、第一に記憶のできない夢の声だったという前提がある。

 たとえば……の話になるが、他の精霊(・・・・)が同じ夢を見ていた場合、引っ掛かりすら覚えない可能性はある。直感、予感になってしまうが、あの〝声〟を聞いた時に懸念を覚えるなど、それこそ未零か令音――――――あるいは、士道。

 けれど、士道に変わった様子はなかった。では他の精霊ならどうか。ただの夢(・・・・)と認識するであろう精霊なら、どうなるか。ただの夢ではない、そう認識するなら既に問題にはなっているはずだ。そうでない今は果たして〝声〟を聞いたのか、あるいは聞いていないのか。蓋を開けてみなければ検討も付かない、ということになる。

 令音と揃って腕を組み、現状の案を纏めあげるように声を発する。

 

「……聞こえていたのか、いないのか。それさえわかれば……」

 

「……あくまで、可能性の話だ。だが、世界改変(・・・・)によって綻びが生まれた可能性もある。以前と比べ、洗練された力であるとはいえ、ね」

 

「……実例、ありましたからねぇ」

 

 肩を竦め、それも身から出た錆だと思えば責任は澪と未零にある、そう言ってしまえると苦笑を零す。

 可能性が見えてしまったなら、未零は責任をもってことに当たる必要がある。杞憂であればいい。そうでないなら……左腕側で無造作に纏めた髪を払い、未零はこの懸念に乗ることを決めた。

 

「……それとなく折紙たちに当たってみます。その前に一人、思いつく可能性は潰しておきますが……ま、不自然にならない程度に私が動きますよ」

 

「……わかった。琴里には私から――――――」

 

「いやいやいやいや」

 

 ぶんぶんぶん、と勢いよく頭を振り切ると、令音が不思議そうに小首を傾げた。

 

「何のためにあなたに相談していると思ってるんですか。琴里に知られたら、問答無用で検査室に叩きつけられた挙句病棟にがんじ絡めですよ」

 

「……君の発想は、時折とても物騒になるな。狂三の影響かな」

 

「あの子はもっとえげつないことしますし、言います。……じゃなくて、琴里にはまだ黙っていてください。何が起こるかどころか、確証の一つすらないんですから」

 

 何も起きていないし、何が起きるとも言えない。日常という平和に向かい半年、未零という存在で余計な懸念を持たせたくはなかった。無論、何かあれば頼る腹積もりではあるものの、未零一人で解決できるものならしてしまいたい。

 

「……せめて、折紙たちに話を聞いてからにしてください。私の問題ですから、私がやるべきことを終えてからが筋でしょう」

 

 期限の落とし所は、その辺りでいいだろう。譲歩を願う未零に令音が微かに目を細める――――――白衣越しの腰に片手を添え、意を酌むように声を返したのは僅かな逡巡の後だった。

 

「…………わかった。琴里にはそれとなく私から聞いておこう」

 

「……あと、狂三もお願いできればと」

 

「……まあ、君がいいなら引き受けるが」

 

 訝しげな顔をした令音だったが、無事引き受けてもらえてホッと一息つく。

 良いも悪いも、未零は狂三を相手に嘘を吐ける自信がなく、駆け引きという面では令音の方が上だという自覚があるからだ。これは単純な経験値の差で、ただでさえ琴里から暗に『向いてない』と言われているのである。〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉をおいそれと使えない今、ありがたみが身に染みるとはこの事だった。……もしかしたら、経験がある令音が向いているだけで、澪も向いていないのかもしれないけれど。

 一安心と息を吐いた未零だったが、直後に令音の視線が鋭くなったことで、その嫌な予感に頬の筋肉が硬直した。

 

「……ただし、問題が起きた時には即座に琴里へ伝えること。私なりに調べ、何か見つかった場合も同条件。それと、常に連絡は取れる状態にしておくこと。……これらが条件だ。いいね?」

 

「…………………………はい」

 

 目一杯の躊躇いは、『多くないです?』と未零が言った瞬間に、端末を取り出して琴里へ連絡を飛ばしかねない雰囲気があったからである。

 

 信頼とは、行動から培われていくものであり、得ようとしなければ底へ落ちていくものである。と、せめてもの抵抗から目を逸らして未零は自覚するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 懸念、とはいうものの。

 

「四糸乃さん、四糸乃さん」

 

「……?」

 

 夕食の支度をしていた狂三が、その手伝いに台所に同伴していた四糸乃を小声で呼ぶ。不思議そうに小首を傾げ、小さな歩幅で狂三へと歩み寄り――――――ぱくっ、と四糸乃の幼い口元へ調理した食材を上手く放り込む。

 

「…………!!」

 

 すると、カッといつになく強く目を見開いた四糸乃は、パタパタと可愛らしく身振り手振りをし、グッと狂三へ親指を立てた。どうやら、とても美味しかったらしい。

 それを見た狂三が柔らかい微笑を浮かべて、人差し指を自分の唇に当てる。

 

「しー、ですわ」

 

「……!!」

 

 四糸乃も合わせるように唇に指を当て、大変に心が和む光景である。

 

「……女神、いいよな」

 

「……いいわね」

 

 それを眺める信奉者(士道と七罪)は、歴戦の猛者を思わせる理解っぷりであったが。ちなみに、『よしのん』は四糸乃のこれから(・・・・)の訓練のため、七罪の左手で休憩中である。器用なことに、うんうんと頷かせていた。

 

「…………ううん」

 

 ――――平和すぎて、気が緩みそうになる未零であった。

 

 

 







我が悲願の成就のため、番外編を届けるため――――――ソ〇モンよ、私は帰ってきたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

私だ……呉島だぁ!! はい、ということで前書き真面目にしたから後書きふざけてもいいやろ。って感じのいかです。二週間ぶりにおはようこんにちはこんばんは。やり残しを完遂するため、再び更新に舞い戻ってきました。

と、いうわけで番外編、『未零アナザー』開幕です。主役はもちろん白の少女、狂三の忠犬……じゃない元従者にして令音、澪の妹、村雨未零。当方のオリジナルキャラクター。ある意味、本編の後だからこそ立たせられたヒロインとなります。
士道?彼をもう一度主役にすると一話で未零攻略終わり!になりますよ(真顔)
……まあ、ご存知の通り狂三と士道、二人の恋物語はきっちりと完結させたつもりというか完結をさせたので、ここからはあくまで後日談兼未零編。さりげない感じで夫婦……じゃない、恋人な二人を少しお見せできたらと思います。そもそもあんだけ苦労して創り上げた世界でこの世界発の問題起きて士道と狂三が出張って解決とか台無しだしね!!

そんなわけでして、基本的に平和な時空なのでのんびり、本当にのんびりな進行となります。日常、残された過去、未零のこれから、などなどを長い目で期待しすぎないくらいで見守っていただけると幸いです。
めちゃくちゃ予防線を貼っている理由?評価と感想が想像の10倍は飛んできたからですね。一週間は嬉しさで悶えてたんですけど、そこからこの章面白いんか……?って内側のネガティブが囁いて来て大変でした。結局、私のモットー『私は私に書けるものしか書けない』を発動させて書き進める他ないですね。

改めまして数多くの感想、評価、お気に入り本当にありがとうございます。完結させることの重大さを読者として知っていたつもりなのですが、作者としてこれほど評価をいただけるとは夢にも思いませんでした。一気に読み進めた、といった声もあり最高に嬉しかったです。
本編完結後ということもあり、残すはこの章、士道と狂三を再びメインに据えたif、そして最後に一つの構想を残すのみとなりましたが、最後までお付き合いいただければ幸いです。あ、評価はこれからもめちゃくちゃ待ってます!私、信条、ブレない。

それでは、争いが起こり得るはずのない平和な世界で、果たして何が到来するのか……そして、村雨未零は心の迷いを振り切ることができるのか。創り変えられた世界で、己の意味を探す少女の物語を――――どうかよしなに。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。あ、更新ペースはいつも通りです。では、次回をお楽しみに!!


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 螺旋した世界。移り変わった時間。あらゆるものが反転し、あらゆるものが残留した世界線。

 世界を超え、時間を書き換える御業。そう、世界を創る――――――それは、想像上の神に等しい行為だろう。

 それを体感した者は、多くはいない。そのうちの一人、村雨未零は改変の中でも特に際立って事象改変の影響を受けた精霊だ。何せ事実上、一度死んで甦った(・・・・・・・・)のだから。しかも、それを自覚している数少ない(・・・・)存在である。

 

「――――気に入ってもらえたかな?」

 

 憎たらしく、こういうのを怪しい魅力というのだろうか。くすんだアッシュブロンドの髪を揺らし、対面する未零へフッと微笑みを散らした。

 気に入ったか、気に入らないか。特に嘘を吐く理由はなく、しかしおべっかを使う必要もない。未零は鼻を鳴らし、用意された個室をわざとらしく見回してから答えを返した。

 

「はっ……密会(・・)にはちょうどいい部屋でしょうね」

 

「ふむ、言い得て妙だ。君と私の関係に、これほど素晴らしい表現は他にない。――――ああ、安心したまえ。ここでの会話を盗み聞きするお喋り(・・・)な人間がいる……そんな安い場所を選んだつもりはないさ」

 

 だろうな、と未零は姿勢を崩さずその男を見据えた。この男にかかれば、人ひとりを路頭に迷わすくらいは容易く、優しすぎる(・・・・・)くらいである。

 刃のように鋭い目元を歪め、未零に対しては友好的に接している――――――そんな楽観的な意見は、今すぐに焼き尽くしてしまった方がマシだろう。

 

 未零は、ある意味で死を経験して甦った。けれど、それは果たして未零だけだったのか。否――――――いたのだ。あの場には、未零との死を選んだ者(・・・・・・・・・・)が。

その男は(・・・・)黙して語らぬ未零を見てニヤリと唇を歪めた。常人であれば背筋が凍りつくような笑みを携え、彼は言う。

 

 

「さぁ、私に如何なる目的を持っているのかな。――――〈デウス〉。我が愛しき精霊よ」

 

「……本当なら、二度と会う理由は作りたくはありませんでしたよ――――――サー・アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット」

 

 

 そうして男へ――――――死の淵から甦った死神へ、未零は嫌悪を隠すことなく言葉を告げた。

 

 

 

 

 

「……ふっ。嫌われてしまったな。こうして君のために時間を作り、邪魔をされない場所まで用意したというのに」

 

 白々しく肩を竦めたウェストコット。が、白々しくの表現がよく似合い、未零の物言いを気にした様子は見られない。

 しかし事実として、このような高級料亭の個室を選んだのは誠実な対応と言えるだろう。嫌な顔は変えないが、ふぅと息を吐き礼の一つを述べてやった。

 

「それについては感謝します。それはそれとして、私はあなたが嫌いです」

 

「ははは!! こうして素直な感情をぶつけられるのは、心地がいいものだ」

 

「……うわ」

 

 ウェストコットの言動から感じた気色悪さに、思わず素で顔を歪めて呻いてしまった。だというのに、ウェストコットは笑みを浮かべたまま言葉を拾い上げた。

 

「そう邪険にしないでくれたまえよ。この頃、野心に満ち溢れた若者の相手をするのに苦労していたものでね。君を見て癒されたい老人の気持ちを汲み取ってもらいたい」

 

「地獄へ落ちてください」

 

「一度落ちているさ。期待したものではなかったがね」

 

 とんだブラックジョークだ――――――同じ感想を抱くのに、出てくるのはため息ではなく舌打ちなのだから、対応の差というのはこうして目に見えているのだろう。

 これ以上話して、この男の癒しに使われるのは御免蒙る。細く息を吐き出し、未零は単刀直入に目的を告げた。

 

 

「……質問の答えだけを求めます――――――何か企んでいることがあるなら、洗いざらい全て吐いてください」

 

「――――――ほう」

 

 

 恍惚と零された言葉は、関心や興味の類であろう。その時点で、未零の目的の殆どは達成されてしまったのかもしれない。ウェストコットが続けた言葉は、その確信に更なる意味を持たせるものだった。

 

 

「では答えよう――――――ノーだ(・・・)。私は君たちへ何ら干渉はしていないし、金輪際するつもりはない」

 

 

 相も変わらず歪んだ笑みで、ウェストコットは未零へ向かって問いの答えを吐き出した。

 その言葉に嘘はない――――――そう簡単に信じられる相手ではないことは、未零の記憶が強く訴えかけている。

 未だ離れえぬ『記憶』が表に出てしまったのか、未零の疑念を悟ったようにウェストコットは初めて人間らしい苦笑を見せた。

 

「私は『以前の世界』での元凶だ。いやはや、疑われるのも無理はない。なら――――――」

 

 言って、ウェストコットはスーツの胸元から何かを指に挟め、それを未零へ向かって投げ渡してきた。難なく受け取り、裏表を返して見遣る。それは俗に言う〝カードキー〟だと識別できるものだった。

 

「受け取りたまえ。我が社の日本支部内にあるデータベース、それも私の許可なしには(・・・・・・・・)閲覧できない極秘資料が収められている部屋のIDカードだ。ああ、ちなみに君であれば日本支社へは顔パスで通れる。安心したまえ」

 

「……なんで、そこまで」

 

 社内の極秘資料を社外の人間、しかも未零のようにウェストコットを害する可能性を持つ者へその閲覧権限を渡すなど、世界に名だたる企業の長がしていいことではない。

 訝しむ未零だったが、ウェストコットはこれは当然の権利という主張を崩すことはなかった。

 

「おや。親切心とは、こういうものなのだろう? 何せ、私は君が好きだからね(・・・・・・・・・・)

 

「っ……」

 

 歯が浮つき、咄嗟にIDカードを投げ返さなかった自分自身を未零は褒めることとなった。

 この会話が成り立つ理由――――――ウェストコットは『前の世界』の記憶を保有しているからだ。曲がりなりにも始源の精霊としての力を得たウェストコットは、世界改変が行われた世界において、士道たちと敵対した記憶を所持したままだった。

 当然、未零は正気を疑った。それでも、士道と狂三の選択を信用した。敵対した彼らがそうしたのなら、と。だからこそ、こうして確かめずにはいられなかった――――――一体、ウェストコットはこの世界で何を得たのか(・・・・・・)

 息を整え、いい加減訝しむのも疲れてきた未零に、ウェストコットはなおも苛立たしいほど流暢に言葉を返してくる。

 

「それに、敗者は勝者に従うものだ。この世界はシドウが私に勝ち、全てを書き換えた世界。それをどうしようという見苦しさを見せるつもりはないし――――――私自身、興味をなくしてしまってね」

 

「……え?」

 

 意外だった。言の葉が紡がれたこと自体が、それをすんなりと受け入れた(・・・・・・・・・・・・・)ことが。

 面食らった未零を見て、ウェストコットは仄かな微笑を零す。

 

「意外かね? まあ、意外だろうとも。元々、エレンという最強の右腕を失った私に、何ができるとも考えるが……それ以上にモチベーション、やる気(・・・)という単純なものが私の中にないのだよ」

 

「……理由を聞いても?」

 

 まさか、一度夢破れたから諦めるような殊勝な人間ではあるまい。だが、その口振りから虚言と切って捨てることもはばかられる。

 アイザック・ウェストコットが己の夢を――――――世界を弄ぶ力を求めないだけの理由は、どこにあったのか。

 すると、ウェストコットは自嘲気味な笑い顔へと変えてから声を発した。

 

「いや何、君が薄情にも先に消滅してしまったときの話になるが」

 

「……それはあなたの生き意地が汚いだけでしょう。そもそも初耳です。どれだけ往生際が悪かったんですか」

 

「はっはっは」

 

「…………」

 

 まったく悪びれていない、しかも似合っていない相好を崩した自称老人の顔に辟易する。

 人がわざわざ『一緒に死んでやる』と言ってやったのに、未零より長く留まっていたなどほとほと呆れ果てる。

 だが、ウェストコットの心境を変えたものは、確かにその瞬間にあったのだろう。彼はゆっくりと目を伏せた。まるで、刹那の恍惚を己の裡で噛み締めるかのように――――――

 

 

「――――――私が欲しかったものは、あんなにも簡単に手に入れられるものだったのか。そう、思うだけのことがあったのだよ」

 

 

 ――――――男が〝満足〟するだけのものを、手に入れたかのように。

 たとえどれだけ醜悪な感情であろうと。たとえどれだけ倫理から外れた快楽であろうと――――――アイザック・ウェストコットは、憑き物が落ちた笑顔を浮かべていた。

 あらゆる悪事を重ねた男が、何を持って満ち足りたのか。それはもはや、男の記憶にしか残されていない。その満ち足りた顔も、戯けるように手のひらを上げた瞬間には消え去っていた。

 

「だが、簡単に手に入れられるからこそ、あれほどの心地よさを意図して手にしようとするのは惜しい。意図しないからこそ、美しいものもある――――――今の私は、狡猾な若者と暇を潰し、時に友と語らうだけのしがない社長(プレジデント)というわけだ」

 

「――――――そうですか」

 

 ただそれだけを返して、未零は席を立つ。この男が世界が変わる刹那の瞬間、どのような答えを得たのかに興味はない。けれど、吐き出された言葉は本音であると――――――偽りではないと、未零は信じてやることにした。

 だから、未零は迷わずこの場を後にし――――――

 

「おや、行ってしまうのかい――――――困ったな。このあとは料理が運ばれてくる予定なのだが」

 

 ぴたりと、扉にかけた指が止まった。

 

「いやいや、本当に困ったな。これから来るだろうエリオットたちの分を含めても、一人が欠けては平らげることができるかどうか……はっはっは、私には(・・・)関係がないが、料亭には(・・・・)申し訳がないな」

 

「…………………………」

 

 振り向けばさぞ、良い笑顔(最高の不愉快)が待ち構えていることだろう。

 自らの不愉快と、見知らぬ誰かの曇り顔を天秤にかけて――――――未零は、耐えるように席へ戻った。次いで現れたその笑顔に、一層の後悔が訪れる。

 

「くくく……君は本当に可愛らしく、人がいい」

 

「……次は絶対、一緒に死んでなんかあげませんからね」

 

「ああ、それは当然だ――――――」

 

 男は笑った。己が快楽のため世界を滅ぼそうとした魔王だった男は、喜びを待ちわびる人らしい姿(・・・・・)だと思えてしまった。

 

 

「振られた男があれ以上を求めるなど――――――紳士的ではないからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……本当に顔パスで入れる大企業はどうかと思うのですが」

 

 独り言ちたそれに、返してくれる人などいはしない。まあ、大企業の日本支社に出入りした人間にわざわざ声をかける物好きはいない、ともいうが。

 今どき、顔パスはないだろう顔パスは、とウェストコットにもそれとなく聞いてみた未零だったのだが――――――

 

『ほう。その気になればあらゆる侵入方法がある君が言うかね。無駄な努力はしないし、させたくはないのだがね』

 

 ――――と、至極正論が返された。ちなみに料亭の料理は大変に美味であった。業界の超大物は伊達ではないらしい。

 とはいえ、相応に気にはなった未零はあの後すぐに日本支社へ足を運んだ。運んだ結果――――――ウェストコットの言葉以上のものは得られなかった。

 

「……何かあれば、狂三と士道が動いてる、か」

 

 今一度大企業のビルを見上げ、そこに憎たらしい顔を思い浮かべてしまい未零は不快を表に視線を切った。

 丁寧に案内までされ、IDカードを通して閲覧した機密資料。問題など、あるはずがなかった(・・・・・・・・・)。そもそもとして、この世界を書き換えたあの二人がこの程度の問題を残しておくはずがない。

 もちろん、この世界にあるべき一通りの情報は残されていた。精霊、顕現装置(リアライザ)、魔術師。しかし、それだけだ。『以前の世界』に存在した倫理が欠如している非合法の実験、それに伴う成果――――――全て『なかったこと』にされていた。

 つまりDEM、デウス・エクス・マキナ・インダストリーという企業は、真っ当な意味でアイザック・ウェストコットという男の才覚が一代で築き上げたホワイト企業(・・・・・・)ということになる。

 今や〈ラタトスク〉の母体の一つであるアスガルド・エレクトロニクス社と友好関係(・・・・)にまである、世界有数の超巨大企業――――――というのが、この世界での成り立ちということだ。

 

「……何か、背筋が凍る思いですね」

 

 日本支社の人間に見送られながら、未零は改めてえもいえぬ複雑な感情が胸に渦巻くようだった。

あの(・・)DEMがホワイト企業など、何の冗談だと半年前も思ったことだが、今一度確かめようとこの気持ちに変わりはない。が、ウェストコットが何かを企んでいる、という可能性は切り捨てていいだろう。

 ウェストコット以外が、という可能性を考えて資料を閲覧したが、それもなさそうだと安堵の息を吐く。顕現装置(リアライザ)の技術面では、どうやらとある事件(・・・・・)を境に〈ラタトスク〉の一歩手前まで迫るようになったDEMだったが、それも『以前の世界』での話。

 見たところ、機密資料を用いたところで出来ることはたかが知れてる上に、精霊術式のような特別な理論は記されておらず、ウェストコットが口を噤む限り事実上は失われた技術(ロスト・テクノロジー)、技術的特異点と化した。

 だがそれすら誰かに扱えたところで澪を利用する術などなく、未零ではそれこそたかが知れている……低い可能性から潰しにかかったら、思いのほか徹底的に潰せてしまったことになる、と未零は自らの骨折り損で済んだことに感謝を示す。

 それはそれとして、どういう道筋で歴史を書き換えたのか気にはなるところではあったのだが。非合法なものはなくなっていたとはいえ、正気を疑う技術は現存したままであった。たとえばこの世界、性能だけを追い求めた〝白の彼岸花〟は変わらず存在している。しかも未零が頬をひくつかせたのは、その命知らずの搭乗者も試験的に存在していたことで――――――

 

「それは、どういう意味の思い?」

 

 まさしくそれは、未零を待ち構えるように見せていた完璧な直立姿勢を小首を傾げ僅かに崩し、切り揃えられたショートカットを揺らす美しい少女のことであったのだが。

 待ち構えるようにではなく、待ち構えていた(・・・・・・・)の断定が正しいのだろう。咄嗟に天を仰いだ未零は、悪くないと思うのだ。

 

「……待っているはずのない人が、待っていた時の気持ちかな」

 

「そう――――――私は今来たところ。会えてよかった」

 

「――――絶対嘘ですよね!?」

 

 ご丁寧に日傘まで刺して、少し離れた場所にはどこかで見たような彼女の元同僚(・・・)の姿まで見えて、未零は目立つことも厭わず叫び声を上げた。

 やられる側になると、意外と肝が冷えると士道への同情を今更ながら感じて――――――鳶一折紙の微かな微笑みに出迎えられた未零であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ていうか、どうやって私を見つけたんです?」

 

 天宮市外れにある喫茶店で、とりあえず名物だからと頼んだロイヤルミルクティーに手を付けすらせず、未零は折紙へと問いを投げかけた。

 折紙は先日から夏休みに入り学業がないとはいえ、独自の行動をとっていた未零を見つけ、あまつさえ出待ちを行うなどできようはずもないのだが……そんな疑問に、折紙は眉一つ動かさず淡々と答えた。

 

「あなたに仕掛けた発信機の反応が不自然に消えたから」

 

「はい令音。今すぐ私の身体検査を」

 

「冗談」

 

「だから冗談に聞こえないんですよ、あなたの冗談は」

 

 とてもとても冗談には聞こえないし、冗談ではない可能性がまるで捨てきれず冷や汗が額を伝った。辛うじての二文字がなければ、本気で首元の通信機のスイッチを入れていた自信がある。

 前提条件として、DEM日本支社内で発信機の反応が途絶える、というのは妙にリアリティがありシャレになっていない。それ以上に、折紙ならおかしくはないという考えもあった。まあ、士道限定だろうと油断していた未零が悪い……か?

 

「……で、本当のところは?」

 

「みんなと待ち合わせをしていたら、見慣れない方向へ向かう未零を見かけた」

 

「……すみません、後ろのご友人」

 

 まさか自分のせいで折紙たちの予定が崩れてしまうとは、予期せぬ誘発にボソリと謝罪を口にする。――――折紙の後ろの席でわちゃわちゃと話をする女性たちには、聞こえていないだろうけれど。

 何やら「あれが噂の……」とか、「噂に違わぬ美人さんですねー」とか、「ま、負けません……!!」とか、「あの子の雰囲気、どこかで……」とか……最後に至っては、聞き逃すには不都合がありすぎた。

 今度は別の意味合いで冷や汗を流した未零は、折紙にだけ聞こえる程度の声量で会話を続ける。

 

「……折紙、後ろの人たちは――――――」

 

「隊長たちなら心配ない」

 

 にべもなく、と見えて折紙なりの感情が乗せられた声音は、未零に二の次の追求を取り止めさせる。折紙がそこまでいうならば、折紙がそこまで信頼するならば(・・・・・・・・・・・・・・)、とも言えるか。

 折紙の交友というだけなら、未零が特別に言及する必要はない。単なる友人(・・・・・)、というだけならば、だが。

 四人。普通なら、せいぜい離れて十という程度の友人同士を思わせる四人だが、未零としてはこちら(・・・)ではどうなっているか、皆目見当もつかない相手だった。

 一つに括った髪と切れ長の目、加えて鍛え上げられた筋肉が見て取れる折紙が〝隊長〟と呼んだ女性――――――陸上自衛隊対精霊部隊(AST)隊長・日下部燎子。未零は一度、戦場にて相見えている相手だった。

 

「……私、隊長さんとは気まずいんですけど」

 

「あの時はありがとう。そう言えば、まだ礼を言っていなかった」

 

「……や、助けない理由が見つからなかっただけですし、今言います? 纏めて礼も貰ってますよね……?」

 

 つくづくと未零に対しては律儀な人である。ではなく、未零はASTのメンバーとあまり顔を合わせたくはなかった。まあ、封印された精霊ですら他人の空似(・・・・・)で押し通しているのだ。未零の正体がバレるとも思えなかったが、それはそれこれはこれ。

 ため息を吐いて、気苦労の大半を担う人物を気づかれないように見遣る。日下部燎子の部下・岡峰美紀恵とメカニックのミルドレッド・F・藤村はいい。だが、未零が警戒するのは最後の一人、陽光の金髪と大海の碧眼――――――アルテミシア・ベル・アシュクロフト。

 そう、未零たちと刃を交え死闘を繰り広げた、エレン・メイザースに次ぐ実力を持つ魔術師(ウィザード)の姿だった。そんな彼女が折紙と共に、しかも未零を雰囲気だけで見覚えがあるなどふざけたことを言っているのだ。今不安にならないなら、未零は己の身体的機能を疑いにかかる。

 

「……なんで彼女がいるんです? どうなってるんですか、この世界のあなたの交友関係」

 

「元の世界でも面識自体はあった。ただ、この世界ではDEMに入社した事実は、単純に存在しているだけ(・・・・・・・・)

 

「……ああ、なるほど」

 

 納得した。そういうことになっている(・・・・・・・・・・・・)のだ。声音から未零の考えを悟り、折紙はコクリとうなずいて考えを肯定する。

 簡単な辻褄合わせは残されたまま、らしい。つまるところ、非合法の権限にてアルテミシア・ベル・アシュクロフトはDEMに入社した。という以前の世界の出来事は、非合法の権限(・・・・・・)という部分だけが綺麗に抜き取られ、それでいてDEMに入社した事実は消えていない。そんな、あまりにも力技な辻褄合わせが行われていたらしい。

 未零が閲覧した機密資料に彼女の名は記されてはいたし、相応の関わりはあったのだろう。だが、それ以上の詳しい情報は――利用させないため意図的に隠された可能性はあるにしろ――得られなかった。だからこそ、折紙と共にいたアルテミシアの姿に目を剥いたのだが……。

 

「…………」

 

「……ん」

 

 そう思い、もう一度アルテミシアを見遣る。目が合ってしまい、自然と会釈に応じる。

 穏やかを通り越して、いっそ天然的な気質すら感じさせた。そこに未零が目撃した冷徹な魔術師の姿はなく、こちらが本当のアルテミシアなのだろう……そう思わせるし、折紙とその友人が関わっているのだ。そうなのだろうと、信じるだけの理由になった。

 ならば警戒心を抱く方が不自然だろうと未零は肩に入った力を抜き――――――

 

「私からも質問がある」

 

「………………はい」

 

 余計に力が入った。ついでにどうしてか、折紙の顔を直視したくなくて目下のロイヤルミルクティーに視線を注ぐ。水面に映る自身の顔は、自分だけにわかるくらいには焦っていた。夏場で冷房が効いているというのに、妙に身体が熱い気がする。

 

「――――未零」

 

 だが、そんな未零の逃避行動は伸ばされた折紙の手によって遮られる。ひんやりとした感触が頬に伝わり、下げられた視線が強制的に引き上げられる。

 青い、色。空色の瞳に吸い込まれて、未零の視野は全てその端正な面に支配された。

 

 

DEM社(・・・・)で、何をしていたの」

 

 

 静かな声音だった。表情の変化も、未零同様に薄い。薄い中で、微かに強ばった肉質の変化は認められた気がした――――――その顔は、未零の罪だ。

 かつて折紙の叫びを受け、そして彼女を置き去りに死を選んだ未零がもたらしたもの。少女の想いが一方的であればよかったのに――――――彼女たちは、どこまでも優しかった。

 

 

「――――あれから、半年でしょう。ちょっとした情報収集(・・・・)ですよ」

 

 

 だから未零は、死してなお性格は変わらない(・・・・・・・・・・・・・)

 平然と、その選択をする。平和を掴んだ彼女たちが、平和のまま生きていられればいいと。

 ひんやりとした、それでいて温かみのある折紙の手に触れながら彼女へ本当のこと(・・・・・)を告げる。

 

「……色々、聞いて回っているだけですから。私が特別、用心深いと思ってください」

 

 嘘は言っていない。本当のことも言っている。それが全てではない、それだけのこと。真実の一端を、全てと思い込ませるだけでいい。それに、何も起こっていない(・・・・・・・・・)のは、間違ったことではないのだから。

 ――――この答えで折紙が納得してくれるかは、未零自身半信半疑だったが。

 

「……未零」

 

「大丈夫ですよ。あなたたちに迷惑をかけるようなことはしないつもりです」

 

「そうじゃない。私はあなたの心配をしている」

 

 首を振り、その手は決して未零を離そうとはしてくれない。未零の身を案じている、そう真っ直ぐに語りかけてくる折紙に、優しさを素直に出せるようになった折紙の姿に場違いな感慨を覚えてしまう。

 それが未零に向けられている――――――嬉しいと感じられてしまうのは、未零が少しは人として前進している証拠なのだろうか。

 その温かさに微笑みをこぼし、心地よさに浸るように目を閉じて折紙の手に擦り寄る。

 

 

「……うん。わかってる――――――危ないことをするときは、ちゃんと相談するから」

 

「そうなる前に相談して――――――あなたは、もうあなただけのものじゃない」

 

「……ん」

 

 

 ああ、ああ。嬉しい、不覚にも、嬉しい。好きな人に案じてもらえることが不本意にも、不謹慎だとしても喜ばしい。士道へ向ける感情とは違う、未零が愛おしいと感じられるものを折紙へ向け――――――そういえばこれ見られてるよね、と正気に帰って目を開けた。

 

「…………」

 

『…………』

 

 よりにもよって、凄い顔をしている彼女たちと目が合った。自分の顔が紅潮していくのは、間を置かずして理解できてしまう。

 たっぷりと時間を使い、折紙の手を離して数分前と同じ体勢を取らせる。コホンと咳払いをしたら、ほらさっきと変わらない光景が作り上げられた。恥ずかしいので、そういうことにさせてほしかった。

 

「……ところで折紙。流れのついでにお聞きしますが、最近何かおかしなことはありました?」

 

「おかしなこと?」

 

「……ええ。些細なことでいいんです。たとえば……ん、私がよく聞くでしょう? 夢の中(・・・)のこととか」

 

 切り出した流れで、聞いてしまおうと未零は一口に深く切り込んだ。夢見の話は、未零の口癖のようなもの。適当に問うてしまえば、冗談半分で押し通せるだろう。

 すると、小首を傾げた折紙は、あごに手を当て思いのほか深く考え込んでしまった。

 

「……や、そんなに深く考えなくていいんですよ?」

 

 そこまで本気に取られては、未零が重要なことをしていると思われてしまうかもしれない。……あまり間違ってはいないかもしれないけれど。

 しかし、苦笑した未零へ折紙は今一度首を横に振った――――――それが単なる否定ではないと、折紙が告げた言の葉で知ることになった。

 

「あなたの言葉で思い出した――――――先日、おかしな夢を見た気がする(・・・・)

 

「――――――っ」

 

 心臓が、久方ぶりに嫌な鼓動を鳴らした。

 折紙が曖昧な意味合いを持たせることは多くない。彼女は直情的で、士道以外では論理的思考と理屈を持ち合わせている。つまりそれは――――――

 

 

「――――――獣の爪。それが私を、切り裂く夢だった」

 

 

 折紙の中で無視できぬものがあった(・・・・・・・・・・・)。そういう、夢だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「士道さぁん。飲み物を持ってきてくださいましー」

 

「はいよ、お嬢様」

 

「……うっわ、マジか。今の当たるの……」

 

「ないわー、ですわねぇ。カバーいたしますわ、七罪さん……ああ士道さん、お菓子の追加を所望いたしますわー」

 

「なんなりと、狂三様」

 

「ふぇふぃるひゃけ……ん。できるだけ早くお願いしますわー」

 

 

 

 

「――――――なんですか、この惨状」

 

 会話を聞いているだけで頭が痛くなりそうな光景とは、まさにこのことを言うのだろうか。絶望的にだらけきった撫で声の狂三が七罪とTPS(サードパーソン・シューティングゲーム)に興じながら、テキパキと動く士道に半ば介護される姿を見て、未零の感想は間違っていないと思うのだ。

 

「『いつも頑張りすぎてる狂三をだらけさせてみたい。というか俺が是非見たい。だから狂三は考えうる全力でだらけてみてくれ大作戦』だってさー。あははー、面白いよねー」

 

「素っ頓狂にも程があるでしょう……」

 

 どうして、どう気が狂えばその発想に至り、こうして実行できるというのか。白リボンの琴里の解説に、頭痛が酷くなり未零は頭を抱えた。

 

「……うーん。動くのも面倒になってきましたわねー。七罪さん、わたくしをお風呂に連れて行ってくださいましー」

 

「なんで私に言うの!? しかも確殺は丁寧に入れてるし!! こわっ!?」

 

 ……堂の入った怠けっぷりには、普段からそうなのではないかと思わせる熟練の技があった。さりげなく七罪についていけるだけのPS(プレイヤースキル)まで持ち合わせている辺り、やると決めたことはとことんまで突き詰める狂三らしいと言えばらしいか。

 さすがに、これはどうなのかと見た瞬間は思ったが――――――

 

「しーどーうーさーん」

 

「おう。ああ、可愛いよなぁ俺の狂三は……七罪も遠慮なく何でも言ってくれよな!!」

 

「え、はい。……だ、大丈夫? いろんな意味で……」

 

 大丈夫じゃないだろう、いろんな意味で。

 

「……ま、幸せそうだしいっか」

 

「いいのね……いや、いいのね……?」

 

 たぶん、未零も同じ狂三に出会えば士道と同じことは喜んでするだろうし、と黒リボンの琴里が若干引いているのは聞き流し、士道が満足するまでやり取りを眺めるのだった。

 

 今日も五河家は、あくびが出るほど平和だった。

 

 

 







私はウェストコットを退場させたとは一言も言ってません。なので無実です!!

はい。そんなわけで生きてました。正確には生き返ってましたラスボスさん。一言も言及してなかったけど誰も気にしてなさそうだったからいいかなって。よくはない。
ウェストコットの死に際に何があったのか。それはデート・ア・ライブ19巻『澪トゥルーエンド』を要チェックだ!!……まあ、解説をすると、あの展開で挟むには変わりなさすぎる上に、これ語らない方が未零視点では面白いんじゃね?ってことで『ウェストコットが満足する何か』があったという結果を番外編で提示しよう、と思ったんです。
まあ番外編書きながら『あれせっかく若返りウッドマンと真那いたんだからやってもよかったんじゃね』と思ったのは内密です。とはいえ、ラストのテンポは削りたくなかったんですよねぇ。結果挟まなかったのでどうなったのかはわかりかねますがね。

ウェストコットの中であれ以上のものはなく、世界を変えることより愛おしいこと……だったのでしょうね。未零はそれを理解しようとも思わないでしょうけれど。彼、未零が数少ない〝嫌い〟の枠にぶち込んでる人間ですので。ここまで辛辣な態度を未零に取らせるのこいつしかいないと作者の私が太鼓判を押します。辛辣でこれなのか、というのは置いておいて。

折紙は…………友情、だと定義して書いてます。百合の定義は解釈が広いのでね。二人とも恋の相手は別にいるしね!モーマンタイモーマンタイ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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「……それじゃあ、私はおいとまします。これ以上、貴重な時間を使わせるのは忍びないですから」

 

 特に、折紙の友人は全員で都合よく集まる機会はそう多くはなくなっているだろう……何か一人、鼻血を出しながら悔しい顔をしているし。どういう感情なのだろう、あれは。内心で疑問符を浮かべながら、未零は領収書を手に取り席を立つ。

 貴重な時間。これは折紙が〈ラタトスク〉の庇護下に入った、というのもあるが――――――

 

「……待って。私も――――――」

 

 一瞬の思考を置き、だが折紙が未零を呼び止める。正確には、呼び止めようとした(・・・・・・・・・)。できなかったのは、彼女のポケットに入れられたスマートフォンが着信音を鳴らしたから。

 

「……!!」

 

 次いで取り出した画面を見て顔色を変えたのは、この世界の――――――いいや、以前の世界(・・・・・)の記憶を持つ折紙にとって、無視できない意味を持つものだったからだろう。

 折紙が少なくない感情の起伏を見せる時は、相応に限られてくる。たとえばそれは士道、たとえば――――――

 

「――――私に構うよりは、親孝行をしてあげてください」

 

「っ……」

 

 ――――家族のこと、だろう。

 まだ半年。狂三の言葉を借りるなら、本来あるべきだったもの(・・・・・・・・・・・)が取り戻されて、まだたったの半年なのだ。折紙が時間をかけることに、バチは当たらないはずだ。

 息を詰まらせる折紙に、ひらひらと手を振りながら未零は茶化すように声を発する。

 

「……私を見る暇があるなら、それこそ士道を見ていた方がいいでしょう?」

 

「それは抜かりない」

 

「あはは、結構結構。じゃあまた――――――」

 

 見ていたら、折紙の姿に後ろ髪が引かれそうになると思い、視線を切る。瞬間、折紙が差し込むように声を発した。

 

 

「あなたに何かあれば、私は今度こそ泣く」

 

「いや何その脅し方!?」

 

 

 ギョッとして振り返ってしまった。澪の顔ですることではない驚き方を自分でもしている自覚はあったが、それほどまでに折紙が言ったとは思えない脅し文句だったのだ。

 

「本当に、気をつけて」

 

 ただ、脅し文句と言うだけあって恐ろしく未零に響く一撃だったのは確かで……雑に結い上げた髪に手を置き、眉根を下げて未零は折紙へ――――――仏頂面だけど、未零を案じる優しい友人へ言葉を返した。

 

 

「……そこまで心配しなくても大丈夫です。自分にできることしかしませんし――――――あなたを泣かせるのは、私の役目じゃあないからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――カッコつけたのはいいけど、家族関係って私が言えることじゃないですよね……?」

 

 ふと、先日の別れ際の会話を思い起こし、未零は暑い空の下で自らの反省を呟いた。

 よりにもよって、おまえが言うのかと。折紙の方が余程、家族間の繋がりは密接なものだと予想できるというのに――――――そんな愛らしい一人娘が、物騒な組織に所属したり気が狂ったとしか思えない愛情表現を男の子にしていたりするのは、両親的にはどうなのだろうと未零は熱気とは違う意味で汗が流れてきた。

 その辺り、あの二人はどういう風に過去をねじ込んだのだろうかと気になるところでもあるが……余計に浮かぶ考えを軽く頭を振って払い除け、歩きながら折紙得た情報の精査を行う。

 

「……獣の、爪」

 

 それ以上のことは、わからないと。未零に聞かれなければ、思い出すこともなかったと言っていた。だというのに、折紙には不可思議な感覚が残っていたようだった。

 折紙らしくない曖昧なものだと感じられたそれは、それこそ未零が感じた感覚とそう違いはないと見えた。

 未零と同じ感覚を得ながら、未零とは全く違う夢を見た。それが何を意味するのか……生憎と、〈刻々帝(ザフキエル)〉ように少ない情報を高度な未来演算で補う天使を持たない未零には、出せない答えに息を吐くことしかできはしない。

 

「……まだ一つ、ですからね」

 

 少ない情報での断定行動は危険だ。如何に澪譲りの思考能力があるといえど、未知なる情報と予感にに踊らされるのは視野を狭める。

 情報がない間は、早計な結論は避けてひたすら情報をかき集めるのみ――――――そもそも、この程度で出せる答えならばとっくに解決している(・・・・・・・・・・)

 

「……ん」

 

 空を見上げ、目映い太陽を手で隠す。あの空のどこかに、人智の結晶である天空(そら)を行く戦艦があるのだろう。

 そう、未零は〈ラタトスク〉を信用していないわけではない。逆だ。何かあれば、必ず彼らは気がつく。未零が何かを言う前に、仕事を終えている。その彼らが気が付かないということは、この世界に霊子的な異常は起こっていない――――――士道と狂三に関しても、同じことが言えるだろう。

 琴里は何の忠告もしてこなかった。それこそ異常がない証明であり、異常が引き起こされていない平和の証でもあり――――――未零だけが聞いた〝声〟は、誰にも伝わらない懸念というわけだ。

 一応、未零は特殊な身体の問題で定期検診の回数が他の精霊より多く、〝声〟が聞こえてからも一度検診を受けているのだが、結果は言うまでもなく異常なし。

 何もないとは言い切れない。だが、何かあると不用意に言いたくもない。煮え切らないこの状況、解決した日には何かしらの褒美がほしいと未零は思案したい思いだ。……待っているのは、単独行動が明るみに出た説教かもしれないけれど。それはそれは億劫である。

 

 ――――そういうわけで、未零は真夏の炎天下を悠々と歩き、精霊マンションへ向かっている最中であった。あの場所なら、誰か一人くらいは引っ掛けられると踏んでの判断。まあ、時折聞こえる長期休暇の賜物である遊び声に順次し、全員が不在という可能性もなくはないが……その時はその時だろう。

 真夏の行軍、と言っても一人だけの軍隊(ワンマンアーミー)だが、苦でもないそれをこなし見慣れたマンションが視界に映り込んだ。

 その瞬間である。未零が私服のポケットに入れていたスマートフォンが、着信音と振動を知らせたのは。

 

「……?」

 

 もしや、精霊のうちの誰かだろうか。そう思い、手早くスマートフォンを取り出し画面に目を向けた。

 精霊のうちの誰か、という予想は間違っていなかった。ただし、それは未零が訪ねようと思った精霊の誰でもない者だったのだけれど。それでいて、応答するに躊躇いはない相手、即ち、

 

「……もしもし――――万由里?」

 

『ハロー。首尾はどうかしら、可愛らしいサボり魔さん』

 

 可愛らしいをそっくりそのまま返そうか悩み、声の向こう側ではさぞ目を細め皮肉な微笑みを見せているであろう同級生、万由里である。

 軽快な切り口に、未零は口元が緩むのを自覚した。無論、万由里に声音から伝えるようなことはしないが。

 

「……サボりも何も、今は私たちだって相応の休暇期間ですよ。私は少し早いですけれど」

 

『屁理屈ばっかり。まあいいわ。単刀直入の本題――――――気になる金髪が一人で(・・・)バスに乗ってるのを見かけたわ』

 

 万由里の本題に、スマートフォンの持ち手が微かに揺れた。

 名前を濁したところで、未零の知人に金髪など該当者はそう多くなく。うち一人はこうして会話をし、うち一人は今頃上空高度一万うんたらメートルで司令への愛を叫び――最近はどこかの高校教師と面白い出会いがあったそうだが――最後の一人は、未零が知るところではない。つまり、必然的に該当者など絞られるというわけだ。

 

『普段なら気にするほどでもないけど、あんたの件があったから一応知らせとこうと思ったのよ。あんたみたいに一人を好む、って子でもないしね』

 

「……や、私が独り身を好むみたいな言い方やめてくださいよ」

 

 狂三とのツーマンセルでは必然的に一人行軍が多くなり、能力上でも一人で先行する方が都合がよかっただけだ。一種の手癖だし、別に好んではいない――――――巻き込む必要がないなら、単独行動が好ましいとは思っているが。

 軽口を叩きながら、未零は空いた片指をあごに当て思案する。万由里の言う〝彼女〟が一致しているのであれば、未零の脳裏にはある情報(・・・・)が去来したのだ。

 

「……万由里。あの子が乗っていったバスの方角か地名、大雑把でいいので覚えています?」

 

『ん、確か――――――』

 

 万由里から告げられた方角及び地名――――――ビンゴだ。と、未零は万由里の観察力と察しの良さに敬服の念を抱く。

 

「……助かりました。私の方で当たってみます。必要そうなら、士道へは私から連絡します」

 

『了解――――――礼は追加注文よ』

 

「はいはい」

 

 抜け目ない友人に苦笑を返し、画面をタップして通話を切る。次は、と未零はこの真夏に隠した首元へ手を伸ばし、小型通信機(・・・・・)の機能を起こした。

 

「……ね、っ――――――令音」

 

『……こちら令音。何か物入りかな』

 

 どうやらこちらが詰まらせたものは届いておらず、小気味の良い返事が返されて未零は静かに息を吐いた。

 ――――何かあれば連絡を、というのはこういうことだ。〈ラタトスク〉謹製の通信機を拝借し、令音との専用回線に用いている。令音の職権乱用甚だしいものだが、素晴らしい勤務態度は同僚と素晴らしい信頼関係が構築される。そういうことだ――――――まあ、これ以上に職権乱用しているクルーだらけという話だけれど。

 とはいえ、必要のない世間話に用いるものではない。未零は要点を絞るように言葉を紡いだ。

 

「……とある子を探してほしいんです。少々と気になることを耳に挟んだので。……何もなければ、それはそれで私が話を聞くに留まるだけです」

 

『……承知した。君はどうする? 〈フラクシナス〉の転送装置は使えるようになっているが』

 

「……私一人のために艦を動かすというのは、些かはばかられますね」

 

 それこそ精霊のケアを行う士道ならともかく、未零は精神面では専門外だ。これから彼女を訪ねるにも、下手をせずとも士道を呼び出す可能性も考慮に入れている。

 そもそも、見かけた(・・・・)だけの少女を相手に転送装置まで扱うのはやりすぎだろう。精霊とて一人の人間。〈ラタトスク〉の理念は、精霊を平和的かつ当人の意思を尊重し日常的暮らしを保証する。精霊が一人で行動することに過保護になりすぎるのは、独り立ちを求めるにあたりおかしな話になってしまう――――――この場合、向かった方向に問題があるから、未零としても見過ごせないのだ。

 取り越し苦労。杞憂。無用の不安。それらの美辞麗句を並び立てて、真実なら未零は構わないと思っている。だからこそ、未零の目的を果たしながら真実を確かめる一石二鳥の必要性があるのだが、さすがに〈フラクシナス〉の転送装置に頼るのは如何なものか。

 とはいえ、公共交通機関で追いかけるには時間がかかるし、半年前のように自らの足や翼で駆け回ることも今はできない。なら――――――

 

 

「――――――あ」

 

『……うん?』

 

 

アレ(・・)があったと妙案を思い出し(・・・・)、未零はポンと手を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……ふむん……」

 

 何を、しているのだろう。少女は自身の理論的でない行動の果て、さらには動きを止めた不可解な結果に自らが疑問を呈する。率直に言って、何をしているのだろう、そう今一度問おう。

 少女は今、ある意味で見慣れ、ある意味で見慣れない景色を見ていた。木陰に座り、熱で滴る汗を手拭いで拭き取り――――――緑豊かなその景色を、眼前に収めた。

 昔馴染みだ。けれど、違う光景もある。それは少女の記憶と年月の経過を感じさせるものでもあり、幼い少女がこうした光景を目にするのは専ら車の中からだった、という意味でもある。

 かつて手にして、愚かにも少女が破壊した(・・・・)景色があった。

 

「…………むん」

 

 木陰に注がれる風が、少女の長い、長い髪を揺らす。金色の髪。靡き、光を浴びるこがね色――――――大事な人だった。自分が無くさせた、大事な大事な姉が綺麗だと褒めてくれた大切なもの。

 少女が壊した。少女以外の悪いわけでもなかった。

 少女が、自らのエゴで、壊した。

 責任の所在は少女にある。自身のエゴを振りかざすというのなら、そのエゴによって生まれる罪過を背負うだけの決意と覚悟があらねばならない。エゴを貫くというのは罪に鈍感になることではなく、己の積み上げる全ての罪業と向き合うことだ。罪を背負う形がどうであれ、だ。

 あのDEMの総帥、世紀の悪役(ヴィラン)でさえ、己が積み重ねた罪過を受けて立つ(・・・・・)者だった。自らがしたことで誰かが目の前に立つというのなら、それさえも打ち砕いて進む。そういったものでさえ、罪と向き合う覚悟と言えるだろう。開き直りの極地、ともいうが。

 ならば少女にその覚悟はあったのか――――――あったわけがない。最悪なことに少女は、己がした所業に後悔した、だけでなく〝逃げる〟という最低な選択肢を選んだのだ。

 心を閉じて。何も考えることなく。何も感じることはなく。物言わぬ石と成り果てる。ああ、最悪だ。ああ、身勝手だ。傲慢ここに極まる逃避の選択。究極の思考停止。それほどまでに救えない少女に、手を差し伸べるものがいたならば――――――度を超えた、それこそ好きな女のために世界を変える(・・・・・・・・・・・・・・)ような、身勝手なお節介者なのだろう。

 

 

「――――――見つけた」

 

 

 独特な排気音と、それに負けない透き通るような声音。いつの間にか下げられていた目線が、ハッと起き上がるのを少女は自覚した。

 

「……申し訳ありませんね、士道ではなくて」

 

 言って、鉄の馬(・・・)に跨ったその人は顔を覆うヘルメットを取り去り少女へ素顔を見せた。

 そこで、少女は――――――星宮六喰は、その少女と向き合った。

 知らぬ仲ではない。が、かの少女は狂三を優先としている者。けれど六喰の目の前に現れた。誰にも言わず、自分でさえもわからずにここまできた六喰を、わざわざ見つけにきてくれた。

 当然といえば当然の結実。それは、お節介者の知り合いは――――――同時に、恐ろしいお人好しでもあるのだ。

 六喰は、士道ではないからと謙遜して笑う少女へ向かって、少女の大切な名を呼んだ。

 

 

「――――――未零」

 

「……おはようございます。六喰」

 

 

 そのお人好しは――――――村雨未零は、少し遅めの朝礼を以て六喰の前に姿を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――はい。水分補給は大切ですよ」

 

「む……すまぬの」

 

 手渡された水筒を素直に受け取り、素直に礼を述べる。前々から思っていたが、この歳で老齢の域に達した礼儀作法を持つのではないかと、古風な喋り方から感じさせた。もちろん、内面は年相応の子供らしいところがあるのが星宮六喰なのであるが。

 靡く金の髪に気をつけながら隣に腰かける。どうやら、体調面は問題ないらしい。実のところ、その辺りは令音に洗ってもらった後であり、未零は安心して憂いを断つだけであったのだけれど。

 丁寧に水筒の中の水分を摂り、一息を吐いた六喰の視線は、自然とある方向へ向けられていた。言うまでもなく、未零がここに至るまでに使用した〝バイク〟だ。白いボディが自慢の〝一応〟ご立派な愛車である。

 

「……うぬ、免許など持っておったのか」

 

「知ってます? 証拠に成り下がった資格って、単なる紙切れなんですよ」

 

「…………通報、した方がよいのかの?」

 

「……さすがに冗談です。みれージョークってやつです」

 

 無垢な子にする冗談ではなかったなと、ちょっとだけ汗を流して大仰に手を上げた。如何に脆弱性があろうと、二十一世紀に於いてこの理屈は通らない。というか、通ったら不味い。

 

「……狂三といると、何に備えていても備え過ぎにはならないと思って。これでも、幾つかは真面目に免許を持ってるんですよ」

 

 ――――まあ、それを引き継ぐのにマリアの力を借りたので、半ば偽造のようなものなのは内緒だと密かに苦笑する。

 それに、資格を持っていると言っても大半は飾りのようなもの。狂三は個人能力が高く、加えてそんな己の分身がいた。結果として、未零は令音のように実践を伴うことが多くはなかったわけだ。こうして意外な形で日の目を見ることもあれば、使う機会が一切巡ってこないものもあるのだろう。

 

「では、あの二輪車は……」

 

「……あー。あれは貰い物です」

 

 だから、〝一応〟と注釈を入れねばならない曰く付きなのだと、未零は続ける。

 

「……二亜が何か欲しいものはないかとずっと言い続けていたので、思いつきで『バイクが欲しい』と言ったら……」

 

「誠になった、のじゃな」

 

「……さながら孫にでもなった気分でした」

 

 二亜が聞いていたら『まだそんな歳じゃないやい!』とか言いそうなものであるが、未零からすれば本当にそう感じてしまったのだ。

 まさか思うまい。適当な話半分、それも雑誌を読みながら目に付いたもので対応したため、未零自身が半ば忘れていたことだったというのに、後日ご立派な本物が届くなどと。さしもの未零も唖然とした上に、二亜は二亜で満足そうに胸を張っていたものだから、返すに返せなくなってしまった。

 乾いた笑いとは、まさに思い返して今の笑いを表現したものだろう。元々、贈りたいものは思いつけど欲しいものはなかなか見つからない未零だ。まともな返答をしておけばよかったと実感を伴った。

 

「……人気漫画家の財力を甘く見ていました」

 

「むん。二亜は『二亜ちゃんランド』の建設も予定しているからの。楽しみなのじゃ」

 

「……………………あぁ」

 

 気のない返事は、また無茶なことをしでかしたんだなという察しから。

 高性能AI『MARIA』曰く、二亜は『薄っぺらで考えなしで見栄っ張りで、そして子供の夢を壊すことをよしとしない精霊』だという。真横の六喰が屈託のない笑顔を見せていることから、非常に的を射た本条二亜の人物像と言えるだろう。同時に、蒼白どころか灰になりかけた二亜が目に浮かび、思わず未零は微笑を浮かべた。

 だが、六喰の笑顔はすぐに引っ込められた。塗り潰された、ともいうか。

 

 

「して、うぬは何をしに来たのじゃ?」

 

 

 ――――ほぉら、想像通りだ。

 

「……質問に質問で返すようですが――――――故郷(・・)を目にして、何を思っていたんです?」

 

 だから未零は、敢えて避けて通らずに切り返す。

 あいにく、未零はあの二人ほど優しくはないし、令音ほど精霊のケアができるわけでもない。ただ、話を聞いてやる(・・・・・・・)くらいしかできないのだ。

 無遠慮に踏み込まれた六喰は、目を驚きで見開き、納得したようにうなずいた。

 

「むん……そうか、うぬは識って(・・・)おるのか」

 

「…………」

 

「――――――何を思ったわけでもないのじゃ」

 

 ぽつ、ぽつと。星宮六喰は湧き上がる気持ちを、自らが御し切れぬ思いを言葉に載せ始めた。

 

「何時しか道行きをして、何時かしか止まっていた。むくは何を、考えたのじゃろうな」

 

「――――――あなたが願えば、たとえ今からであろうとあの二人は変えますよ(・・・・・)

 

 禁忌の誘惑。未零はそれを事実として、六喰の故郷を前に口にした。

 しかし、六喰は強く首を振った。受け入れることなく、己の心を保つ。束ねた髪を強く握り締め、六喰は心からの声を吐き出した。

 

 

「それだけは、出来ぬ。むくが壊し、むくが犯した。それをどうして、『なかったこと』になど出来よう。どうしてむくが素知らぬ顔で母様に、父様に――――――姉様に、会うことなどできよう」

 

 

 変えたもの、変えなかったもの。

 変わったこと、変わらなかったこと。

 六喰には選択肢があったはずだ。何もかもを取り戻し、自身が壊してしまったものを、壊した事実そのものを『なかったこと』にする選択肢が。

 究極の救済。問答無用のハッピーエンド。それがあの二人にはできたはずだ――――――今でさえその過程なのだと、未零は知る。

 

 

『――――謝罪ができないのは、君が考えているより辛いことだよ』

 

 

 かつての忠告が甦る。ああ、そうだ、その通りだ。星宮六喰は記憶を閉ざし、その権利すら閉ざした。けれどいつの日か、鍵が開けられる日が来るかもしれない。その可能性を残しているかもしれない。

 でも『なかったこと』になった時、罪すらも消え去ってしまえば――――――星宮六喰は、二度と家族の前で笑うことはないだろう。

 家族は何も知らない。何も起こらなかった(・・・・・・・・・)のだから、知るはずもない。

 六喰は知っている。何かが起こった(・・・・・・・)ことを誰より知っている。六喰しか知らず、謝罪の対象すら存在せず、罪の意識だけが少女を苛む。

 犯した罪は消えない。それは、己の中から消えない(・・・・・・・・・)からだ。悲劇を殺し、友を甦らせた時崎狂三が、未だ友との再会を願わぬように――――――過去を変えることは、全てを救えるということではない。

 

 

「だから、変えてもらうことは望まぬ。他の者とは違う。むくはむくの意志で、幼稚な思い込みで愚かな過ちを犯した」

 

「なら――――――あなたは何を望みますか、星宮六喰」

 

 

 過ちを犯し、無くすことを望まず、再会を禁ずる。

 ならば何を望む。独裁の神によって創り変えられたこの世界で、戻ることなく生きることを選んだ六喰は、果たして何を望むと未零は問うた。

 卑怯だ。そう思いながら、問うのだ。未零は〝答え〟を知っている。かつて願った者として、六喰が至るであろう〝答え〟を知っている――――――ただ幸せに生きていてほしいという〝答え〟を。

 けれど、その結論を出すのは自分自身であらねばならない。わかっているから、卑怯と知りながら六喰を導くように問うた。

 

「わからぬ。わからぬが――――――」

 

 トン、と六喰が足を付ける。風を浴びるように、緑の色彩を目に焼き付けるように。

 息を吸う。故郷の空の下、星宮六喰は吸い込んだ息を言葉にした。

 

 

「――――――見れば(・・・)、わかる。そんな気がするのじゃ。そのために、むくの足は動いたのかもしれんのぅ」

 

 

 だけど、決意とは裏腹に震えていた。六喰の心は、身体は、言葉になることはない恐怖を抱いている。

 無理もないことだ。六喰が壊した。六喰が犯した。それを『閉じた』六喰の中には、一つの疑問があるはずだ――――――果たして、今の家族は幸せなのか、と。

 知りたいのだ。会うのではなく、見ることで。今の家族を〝観測〟せねば、六喰の心は決まらない――――――どうせ最後には、力技(・・)のハッピーエンドが待っているのだろうと、未零は内心で苦笑を貼り付けているが。

 

「それなら連れてくる……いいえ、着いてきてほしい人(・・・・・・・・・)がいるんでしょう?」

 

「むん……」

 

 足を止めた理由など、それしかあるまい。一人で無理なら、誰かの手を借りればいい。そういうのが家族というもの――――――だと未零は知識から(・・・・)解釈している。

 だが、六喰の反応が芳しくないことに未零は小首を傾げた。

 

「うん……?」

 

「む、ん……隠し事はしないと約束したむくが、こうして主様への隠し事をしてしまうなど……」

 

「……えー」

 

 潔癖すぎる。どこかへ衝動的に出かけることを隠し事というのなら、大体の行動は隠し事に繋がるでしょうにと未零は呆れた吐息を零した。……まあ、そういうことではないのはわかっている。六喰の家族の問題を、士道という家族に打ち明ける前に行動してしまったことが六喰の心を病ませているのだろう。

 仕方がない、と未零は腰掛けた石積みから離れ、自分の愛車へと足を向けながら声を発した。

 

「……単なる事後報告で問題ないとは思いますが、体のいい理由は作っておきますか――――――ん」

 

「む……?」

 

 未零が手元から放ったものを難なく受けとり、それをクルクルと回し見ながら六喰は目を丸くする。そんなに驚くものでもないだろうと未零は唇の端を釣り上げ、彼女が手にしたヘルメット(・・・・・)を指し示して、大仰に懐かしき礼を取った。

 

 

「――――――一つ、私の愛車と気長な散歩は如何でしょうか、愛くるしい女王様?」

 

 

 後付なら、それはそれは上々な理由になるだろう。

 ポカンとした顔を見せた六喰は、次の瞬間に吹き出したように口元を押さえながら、返してきた。

 

 

「むん。許す――――――よきにはからえ、なのじゃ」

 

 

 今だけは、その笑顔が未零の女王様(共犯者)になる。道化はそうしてハンドルを握り、女王様の到着を待つばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――ちなみに、士道以外に将来の家族という体で候補者一人の同伴は如何でしょう?」

 

「……おぬし、淡々と外堀を埋めてはおらぬか?」

 

「もちろん――――――〝私〟は、誰より狂三の味方ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――士道、います?」

 

 コンコン、と親しき仲にも礼儀ありのノックをし、士道の部屋を訪ねる。言うなら早い方がいいだろうと思い、六喰を送るついでに士道と話す機会を設けようとしたのだが……返事がない。

 

「……?」

 

 しかし、おかしなことに物音はする――――否、人の話声だ。

 もう一度ノックする。やはり、返事はないが話し声は聞こえてくる。

 

「……入りますよー?」

 

 少し大きめに声を張り、扉を開く。鍵がかけられていなかったそれは、楽々と開かれて――――――

 

 

「――――最っ高だよ狂三ー!! 似合ってる!! 世界一、いや宇宙一可愛い!!」

 

「そ、そうですの? わ、悪い気はいたしませんわね……」

 

「へいへーいくるみん目線をこっちこっちー! いいよぉ、素晴らしい! ぐへへ、これであたしの参考資料も潤って――――――」

 

 

 ――――――バタン。そんな在り来りな音を立て、未零は在り来りではない光景を締め出した。

 最後に見たのは、過去の狂三以上にかなりの決まり方――それこそ誰かが資金提供をしたような――をしたチャイナ衣装を決め、決めポーズを決め、撮影班にノリノリで撮られる狂三の姿だった。

 何が、起こって、そうなった。切った一言を三つ、未零には回答ができそうになかった。

 

「むん? 何をしておるのじゃ、未零――――――」

 

 追いついてきた六喰の肩を掴む。目線を合わせ、困惑する六喰へ未零は声を発した。

 

 

「――――――家族でも、秘密にした方がいいことってあると思うよ、六喰」

 

「……………………………………………………………………………………………………………………むん?」

 

 

 あれは少し狂気が入っていて、幼子には見せられそうになかった。

 

 

 それはそれとして、このあと写真を処分するか押収するか、友愛のせめぎ合いに未零は要らぬ苦悩をする羽目になるのだった。

 






変えたもの、変えなかったもの、変えることを望まなかった者。
それでも、〝何か〟は残してきたのかもしれませんよ。たとえば六喰の家族の記憶の鍵をほんの少し……可能性の話。私から言えることは、彼女たちの物語は必ずハッピーエンドへ辿り着く、今はまだその道中ということです。最悪の精霊と最悪の魔王が変えた世界が、悲劇なんて言う不条理に負けるわけがない、なんてね。

感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございますー!いつでもお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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 ――――結論から言えば、六喰からはそれらしい情報は得られなかった。

 

「……ん」

 

 テーブルに着いて椅子に軽く背を預け、組んだ手の指をリズミカルに揺らすように叩きながら、未零は思慮分別を進めていた。

 

「……見たことを覚えていない。もしくは、本当に見ていない」

 

 昨日の一件の折、それとなく六喰に折紙と同じことを聴取しては見たが、それらしい反応は返って来なかった。精霊全員、そう都合よくはないと思ってはいたが、初めの折紙でいきなり嫌な当たりを引いていた未零だ。少し、意外だったというのが本音であった。

 声にして確認したように、理由の予測はできる。折紙の一件は、あくまで偶然の産物。または折紙だけが特別で、他の精霊は夢を見て、あるいは受け取って(・・・・・)いない、など。

 決定に至るにはサンプルが少なく――――無視するには、未零の中の予感が大きくなりすぎていた。

 

「……っ」

 

 ――――果たして、この予感は〝私〟のものなのか。

 ふとした疑問に、自ずと息が詰まる。だが、すぐに頭を振った。仮に未零の中に眠る『私』が原因ならば、本人(オリジナル)である澪に何かしらのアクションがあって然るべきなのだ。

 何をするにも、精霊たちに話を進めるのが先だ。焦る必要はない。わかっているはずだ。ならば、動悸する鼓動は何を示して――――――

 

「っ!!」

 

 逸れた思考を正常な流れに引き戻したのは、なんてことはない。来客を告げる鐘の音だった。

 令音は不在。家には、これから行動を起こそうという未零のみ。今日は特に誰かが訪ねてくる予定はなく、令音からの言及もなかったはずだが――――――そうして思案しているうちに、二度目の音が鼓膜を震わせた。心なしか、控えめな音色だ。

 

「……はーい」

 

 まあ、出ないわけにも行くまい。そもそも、出迎えをしない理由もない。精霊の誰かが突如訪ねてくることは珍しくもない――締切間近の二亜が泣きつくのは決まって士道か七罪か未零だ――ので、未零は先までの動悸を抑えるよう落ち着きを払いながら玄関へと向い、その扉を開けた。

 

「……ん?」

 

 ここで未零の誤算は、目算を見誤ったことにある。普段の対応と全く変わらぬことをした。であれば、その意外な来客の目線(・・)に合わせ損ね、ピントがズレたとも言える。

 とはいえ、一瞬のことだ。半年で変わったとはいうが、未零は目の前の少女(・・・・・・)と似た身長的な体格を持ち合わせていた。すぐにズレた目算を修正し、それはそれで目をぱちくりと瞬かせて少女の名を呼んだ。

 

「……四糸乃に、よしのん?」

 

「おはようございます、未零さん……」

 

『朝早くから歓迎してもらってすまないねー』

 

 控えめで可愛らしい印象を抱かせる優しげな相貌の少女と、活発な印象を抱かせる左手に着けられたウサギのパペット。

 

「……あら、あら」

 

 その意外な来客者たちに、思わず元主様の口癖が零れ落ちた未零だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。朝早くなのに、突然……」

 

「……いえ。それは構いませんよ」

 

 好都合ですし、とは当然内心だけに留めた。

 訪ねてきた二人をひとまず家に招き入れた側としては、予定が都合よく転がり込んできて助かるという話だ。未零から切っ掛けを作りすぎると、誰かさんに目をつけられかねないのだから困りものだ。

 

「……今日は何かご用事ですか?」

 

 それはそれとして、と未零は対応する笑みを浮かべて言葉をかける。出迎えで面を食らったように、四糸乃が一人で訪ねてくるのは珍しいことなのだ。複数人で、というのは珍しくもないのだが。

 

「……あ、あの……、えぇと……」

 

「……もしかして、令音に?」

 

 久方ぶりに見たたどたどしく、遠慮気味な四糸乃に一つの予想をつけて未零は言葉を次ぐ。令音に用事が、というのなら少しばかり遠回しではあるにしろ未零を訪ねるのは一つの手ではあろう。

 しかし、ブンブンと小さな顔を横に振る四糸乃を見ると、この予想はハズレのようだ。令音ではなく、未零への用事となると……皆目見当もつかず、小首を傾げた。

 

『ほらほらー、言っちゃいなYO! 遠慮しないでさー。みれーちゃんならやってくれるってー』

 

「……え、何かすごく嫌な予感が」

 

 珍妙な口調で投げやりな期待を抱かれ、未零は警告のような直感が脳裏に警鐘を鳴らし始めたような気がした。

 ただ、未零は余程のことが――たとえばというより美九案件くらい――なければ断ることをしてこなかったので、よしのんもわかってやっているのだろう。彼女(?)が火付け役となり、四糸乃なりに顔を上げ覚悟が決まった様子が見て取れた。……話す内容は違うのに、一心同体とはこういうことを言うのだろうか。

 

「あ、あの! 昨日の夜、六喰さんに話を聞いたんですけど――――――」

 

「……ええ」

 

 一瞬、未零の行動が明るみになったかとドキリとした思いが過ぎったが、ニュアンスから恐らく違う。言葉がつんのめる中、固唾を飲んで四糸乃の言葉を見守り、

 

 

「――――私も、バイクに乗せてほしいんです……!!」

 

「……………………はい?」

 

 

 こういう声を出したのは久方ぶりだなぁと、感慨深いものを感じたりした。

 

 

 

 

「六喰さんが、とっても楽しそうに教えてくれて……」

 

『あれはいいものじゃ。是非に乗せてもらうがよいぞ、だってさー。よしのんたちワクワクでさー、早速来ちゃったのよぉん』

 

「…………」

 

 すごい、すごい輝いている。こんなに目を輝かせた四糸乃は……割と見たことがあった。というか、この前も見ていたなぁとか未零は逃避した。

 なるほど。四糸乃が単独で訪ねてきた理由にこれで合点がいった。バイクでは二人乗りが限界で、運転手の未零ともう一人。それは確かに、複数で訪れるよりは順番を決めた方が効率的だろう。いや、順番が決まっているかはわからないが、と未零は内心でうんうんとうなずいて、

 

「――――少々、待っていてもらえます?」

 

 ニッコリと笑顔を見せて、席を立った。

 

 

 

『――――何よそれ、乗せてあげればいいじゃない』

 

 未零の事情説明の後、開口一番がそれである。赤い司令官様は、何とも慈悲がないと嘆きたくなる。

 

「……それで解決するなら、私だってご連絡差し上げてないんですよ、司令官殿」

 

『ごもっともね。そうは言っても、聞いた限りは状況に問題はなさそうだけど?』

 

 何かの作業をしているのか、それらしい物音が通話越しに聞こえてくる。夏休み、育ち盛りに苦労しているなぁなどの考えが過ぎる中、未零はチラリと扉を開けて四糸乃を観察する――――――すごく、楽しそうによしのんと会話をしているのが見えた。その時点で、断るという選択肢はありえないものになっていた。だからこそ、こうして琴里に相談しているのだ。

 

「……ん、それはそう、なんですけど……」

 

『あなたのお茶濁しは久しぶりね。ほら、早く言ってみなさいよ』

 

「正直――――――危なくないです?」

 

 一縷の望みをかけてぶっちゃけた。そしたら、『はぁ?』とわかりやすい声が返された。

 

『六喰を乗せてあげたんでしょ? 今さら何言ってるのよ……』

 

 一部の隙もない理屈だ。そうなるか、と未零は気の重い喉を鳴らして声を発した。

 

「……六喰は武人タイプで肝が据わってますけど、四糸乃だと同じことで楽しめるか不安なんですよ」

 

『ああ、そっちが本音なのね。あなた、相変わらず人のことには(・・・・・・)必死ねぇ……』

 

「……含みがある気がするのですが」

 

『そうね。気のせいじゃないもの』

 

 あえて触れずにおいた。とはいえ、これで未零の言いたいことは伝わったであろうと安堵の息を吐く。

 安心安全は正直、建前だ。操作技術に不安はないし、四糸乃は問題行動を起こすタイプとは根本的に程遠い。つまりこちらもノープロブレム。

 問題はここから。六喰がそこまで気に入っていたのは、本当に予想外だった。送り届けた直後は特別なことは言っていなかったはずなので、まさか友人各位に自慢していくとは思いもしなかったのだ。

 単刀直入に言うと――――――期待が重たい。

 

「……とにかく、六喰のように行くかって問題があるんですよ。成熟して安定してきてるとはいえ、私のせいで精神が乱れたら問題でしょう」

 

『心配性ねぇ。信じてるんだかそうじゃないんだか……ま、精霊を楽しませるってことには私たちも賛成よ』

 

 そこに賛同が得られると、未零も穏やかな心持ちになる。何だかんだと、精霊に過保護なのは〈ラタトスク〉だ。士道が絡まない精霊同士の接触には、積極性をもって協力してくれると思っていた。

 

「……よかったです。六喰がどう言ったかは聞いていませんが、問題は四糸乃とよしのんが楽しめるかどうかですね。今までの移動手段は車かバスかヘリか〈フラクシナス〉だったでしょう?」

 

 ……言っていて、どうしてこれでバイクが最後に回るのかと自問自答を重ねた。結果、大人数なのだから当たり前かと納得した。それに、あくまで目的地のための移動手段(・・・・)だ。四糸乃が求めているのは、今回は逆と言えるだろう。

 

「……それに、バイクとなると会話も難しいですし、四糸乃の期待に応えられるかどうか――――――あと、精霊の体感的にも」

 

 何せ四糸乃は、機動力を兼ね備えた大型駆動パペット『よしのん』を自在に扱える精霊である。それこそ、今さら単なる移動を楽しむという名目のバイクで彼女を喜ばせられるのか……そんな懸念が未零の中にはあった。

 未零が挙げた問題点をふむふむ、と通話越しで琴里が丁寧に思案を巡らせる。

 

『んー、体感に関しては心配ないと思うわよ。四糸乃は感受性が強い子だもの。道中の会話に関しては、まあそれも乙なものだって思うけど、あなたたちの仲を深めるに越したことはないから――――――そうだわ』

 

 琴里側からパチンと指を鳴らす音が聞こえ、妙案を思いついたと言わんばかりに上擦った音域で続けてきた。

 

『未零、顕現装置(リアライザ)は扱えるわよね?』

 

「……ええ。そりゃあ、もちろん」

 

 空想具現化。演算結果を物理法則を捻じ曲げ現実にする装置。それが顕現装置(リアライザ)――――――要は、天使〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の技術的再現だ。

 もっと言うなら、精霊が扱う天使と互換があると表現して相違ない。本家本元(オリジナル)の複製である未零に、顕現装置(リアライザ)と連なる随意領域(テリトリー)が扱えないはずもない。が、それを確認されたことに一瞬戸惑い――――――すぐに察することで目を丸くした。

 

「……まさかと思いますけど、そのまさかです?」

 

『あなた好きでしょう、この返し――――――そのまさかよ。一時間、貰うわ』

 

 そう言って、ニヤリと不敵な笑いが頭に浮かび上がり、未零は大胆だなぁと他人事のように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本当に一時間で仕上げるとは」

 

 四糸乃とよしのんを相手に世間話をすること小一時間。納車され直した我が愛車は、生まれ変わっていたと遠い目をする未零。

 外見上にさしたる変化はない。白く美しく磨かれた素体は、値段に違わぬ価値があることを示している。変わったのは、当然だが中身だ。

 

「……小型顕現装置(リアライザ)搭載型って、どんな魔改造ですか」

 

 グローブ越しにバイクに触れる――――触れた途端、未零の脳に顕現装置(リアライザ)の制御権が備わるのがわかった。

 〈フラクシナス〉にも活用されている小型顕現装置(リアライザ)を活用した随意領域(テリトリー)。安全性どころか、風圧を制御し軽々と会話をするのも自由。限界突破の速度を出すことはお手の物。無論、後者は道交法違反なので元よりお断りだが。

 確かに、未零の懸念はこれによりクリアされる。顕現装置(リアライザ)の制御など、未零にとっては指を動かす手間と変わりはしない。よくもまあ、個人用顕現装置(リアライザ)など上からの許可が降りたものだとは思うけれど。……変な手段は使っていないと思いたいと、背中に冷や汗が流れた気がした。

 つくづく、〈ラタトスク〉はなんでもありかと自分を棚上げして思い知ったのだった。

 

『おぉーう。焦らされただけはあるねー。かっこいい機体じゃなーい、みれーちゃんの愛車』

 

「……お幾らで、私に返せる額になっているのか不安ですけれどね」

 

 間違っても壊せないな、とは思っている。想像以上の怪物マシンとなった愛車の最終確認をし、未零は四糸乃へと視線を向けた。

 

「……行きます?」

 

「はい……!!」

 

 ……キラキラとした瞳が、より一層期待を裏切れないなぁという気持ちにさせてくれる。狂三はどうだったか、と元臣下は考えたが……彼女は未零の手を離れて突き進むタイプだ。心労度合いでは、四糸乃ほどの可愛らしい主張と比べるまでもない。

 そんな女帝も、好きな男には手を取ってほしいのだと可愛らしいところがあったり――――――逸れた思考を引き戻すようにコホンと咳払いをし、未零の背から正面に四糸乃が手を回したことを確認する。よしのんも健在。随意領域(テリトリー)によって飛ばされる不安はなし。

 

「――――――!!」

 

随意領域(テリトリー)によってヘルメット越しの景色がより鮮明になり、久方ぶりに感じる人知を超えた感覚を伴いながら――――――風を切り、地面を疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごい、です……!!」

 

『うっひゃー! こりゃ気持ちいいもんだねー!』

 

「……喜んでいただけて何よりです」

 

 走り出して数十分。止まらずスムーズに進めるような道を選びながらハンドルを切り続けた甲斐があり、四糸乃とよしのんの反応は良好。思わず、らしくもない安堵の息が零れ落ちた。

 

「風が気持ちよくて、音が普段とは違くて……未零さん、すごいです……!!」

 

「……ありがとうございます。すごいのは私じゃないですけど」

 

 面映ゆく、ハンドルから手を離せない未零はその感情を苦笑だけに留めておいた。ある程度、自然に感じられるように随意領域(テリトリー)の制御は行っていたが、やはり精霊が天使に跨って感じる感覚とは違いが出るようだ。

 大人しい四糸乃にしては珍しい、隠すことのない感情表現の発露――――――あるいは、それほど彼女が成長している証かもしれない。

 

『いやっはー、前にやったスキーも楽しかったけど、誰かの背中に任せるのも面白いもんだねー。いやぁ、こんなのを隠しておくなんてみれーちゃんも悪よのぅ』

 

「……隠してたわけじゃないですよ? ただ、使う機会がなかっただけで」

 

 よしのんの冗談めかした声に、未零は事実での対応をする。実際、未零がバイクを使う機会など早々と訪れなかった。

 受け取ったのがごく最近なのもあったが、有事の移動手段は〈フラクシナス〉、または令音が車を出すかだ。学生と社会人の身分差で、社会人の令音が先導になるのは当然の流れではある――――――だが。

 

「――――誘う方が、妹らしいのかな」

 

「え……?」

 

「……いいえ、なんでもありません。もう少し、飛ばしましょうか」

 

 何かを振り切りたいのか、それとも振り切れないのか。風を切る。思考は途切れない。

 思えば、そうだ。四糸乃のように自ら何かを願い出ることを――――――自分自身の願いの先(・・・・)を、考えたことなどなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悩み事、ですか?」

 

「……え?」

 

 休憩中、バイクに腰掛けていると、その隣に座る四糸乃が不安げな顔で声を発した。まあ、自販機で買った飲み物に一口も手をつけないでいれば、心配もされるかと自身のわかりやすさに小さく鼻を鳴らした。

 

「……んー。悩み事がわからないのが悩み、ですかね」

 

『お、みれーちゃんったら哲学的だねぇー』

 

「哲学というか……単なる人生の迷子でしょう、これは」

 

 自分で言っていて、理解ができないと息を吐く。これ以上、何が不満なのだ。これ以上、何を望むのだ――――――それがわからなくなって、無意識の苛立ちに缶をコツンと機体に当てる。ほんの少しの甲高い音。それは未零の思考をクリアにするには至らなかった。

 

『まあまあ。少しでも四糸乃たちに話してみんさいよ。スーパーよしのんがズバッと解決しちゃうかもよぉん』

 

「わ、私でよければ、お話相手になります……」

 

「……――――ん」

 

 逡巡は、僅かに。個人の問題、と言って誤魔化すことはできる。しかし、それによって四糸乃の顔が曇ることは目に見えているし――――――歩み寄りを無下にするほど、未零は成長を止めたつもりはない。

 唾を飲み込み喉を鳴らす。真摯な瞳で見つめる四糸乃へ、未零は自分なりの言葉を放った。

 

 

「――――――私は、どうすればいいのかなって」

 

 

 純然たる疑問の定義。村雨未零は――――――〝私〟は〝私〟がわからなくなりそうだった。

 

「……どうすれば、っていうのもおかしな話ですけれど。私は澪の傍にいるって、隣に立つって決めて――――――けど私、隣に立つ(・・・・)ということを……してこなかったんです」

 

 そう、常に未零は人の前か後ろ(・・・・)だった。狂三を守るために前に立つか、後ろに立つか。間違っても未零は、狂三の隣には立っていなかった。士道と同じでは、なかった。

 だからこそ、未零はわからない――――――妹というのは、姉に何をしてあげられるのだろうか。

 大切な人といつの日か出会うため、罪に苛まれる姉へ……生き延びた未零は、隣に立って何ができるというのだろうか。

 

「……それに私、生き延びる(・・・・・)なんてこと、考えてませんでしたしね」

 

「未零さん……」

 

 目を伏せて語る未零を見て、四糸乃が悲痛な顔をしてしまう。ああ、口下手だと未零は安心させるように四糸乃の髪に触れ、撫でる。

 

「……もちろん、今は違います。あのとき、私が思った〝後悔〟は覚えていますから。けど――――――」

 

 そうだ。けど(・・)、だ。未零は生き残った。生きたいと思った。生きていていいのだと、真士は言ってくれた。みんなが生きてほしいと、願ってくれた。

 ――――――故に。

 

 

「〝私〟は――――――〝私〟のことがわからない」

 

 

 〝私〟の望みは、既に果たされてしまったから。

 村雨未零の望みは、完膚なきまでに実現した。未零はその先(・・・)に自分がいるなど、考えたこともなかった。

 あの日の後悔は嘘ではない。一緒にいたいと、見ていたいと思った。だが、そこで止まってしまった。

 未零が何をしたいのか。

 〝私〟は何をしたいのか。

 澪に、何をしてあげられるのか。

 わからないのだ。答えを持たないのだ。だって、これは〝私〟の意志だ。〝私〟にわからないのなら、誰にわかるというのだろう。行き先を決める答えなど、自分自身が決めねばならないことだ。

 澪の傍にいること……それは、未零でなくてもいい。

 〝私〟は狂三が、皆が生きていてくれればよかった。その先にいる自分を、考えたこともなかった。見守るだけなら、そこに未零という存在は必要なのだろうか?

 〝私〟は答えを持たない。どうしても、自らが成すことを難しく考えてしまう。何をするにも、今は令音の後追い。自分から何を求めることをしない。皆の平和があれば、それでいい――――――〝私〟がもらったものを、そこで終わらせたくないと思う未零がいた。

 

「……『私』()なら、答えを出せるのかな」

 

 そんな思考迷路に迷い込んだ未零が、無くしたもの(・・・・・・)にすがり付いてしまいそうになった。

 零してしまった言葉に四糸乃が目を見開き、決意を固めるようによしのんの手を握り、その唇を開いた。

 

「未零さんの中の、澪さんは……」

 

「……あの日(・・・)以来、一度も『私』が出てくることはありませんね」

 

 かつて未零が名もなき頃、いつの日か少女を喰らうだろうと思っていた記憶侵食。少女はいつか、澪と同一存在となる。そのはずだった――――けれど、あの日……崇宮澪が生きることを選んでくれたあの日以来、未零の中の澪が表に出てくることはなくなった。『記憶』は残されている。だが、澪の屈折した感情、未零を産み落とした獰猛なる祈り(のろい)は、その呼び声は忽然と消え去った。

 それは澪が選んだ道か、未零の意志が起こした事象か。眠りについた『私』にしかわからぬことだった。

 どちらにしろ未零は、離れたはずの姉の意識に頼ろうとまでしているのかもしれない。その姉に何かをしたいのか、したくないのか。決めるのは意識を確立した〝私〟でなければならないというのに。

 だけどわかっていながら答えが出ない。わかっていながら答えを焦る。ままならない人としての心に、未零は瞼を閉じて唇から言葉を零した。

 

「……いっそ、『私』と入れ替わってしまえば解決するのかもしれませんけれど――――――」

 

 言って、未だにこれほど屈折した感情が残されていることに愕然とした。

 ああ、そういうことだ。未零はどこまでいっても〝怖い〟のだ。培われた自身の価値を、真士が肯定してくれたはずの〝私〟という存在が。自らの中にある『私』()の方が上手くやれる――――――言い訳だ。

 誰より未零を信じていないのは、自分を肯定できないのは――――――

 

「――――っ」

 

 何かに頭を突かれ、未零は瞼を上げる。

 眼前にはウサギのパペットが。釣られ、あどけない顔に怒りを浮かばせる四糸乃の姿が見えた。

 

「冗談でも、そんなこと言ったら……めっ、です」

 

『みれーちゃんったら、自虐ジョークのセンスがないねー』

 

「……ああ、私……」

 

 叱られるようなことを、口走ったのか。今までの――――精霊〈アンノウン〉であれば平然と言葉にして、当然と思っていたことを。

 一度死んで、ようやくそのことを自覚できる程度にはなれたのだ。

 

「自分がいなくなればいいなんて、言わないでください。そんなの……悲しい、だけです。未零さんが本気でそう思ってるなら、私は精一杯の言葉で止めます……!!」

 

 ――――――自分より幼い子に、当然のことを教えられたのだ。

 

「……ごめん、なさい」

 

 それは人の形をした紛い物が、必死に人であろうとしているかのようだった。

 目的のために思考を停止した自我ではなく。満足して消えようとした自我でもなく。〝私〟(未零)という自我が、停止ではないが故に矛盾螺旋に囚われる。

 こうして考えると、『私』ではない〝私〟は――――――案外、澪には似ていないなと思った。

 

 

「――――――――」

 

 

 だから、こんなにも悩んでいる。澪が突然、わからなくなってしまった気がして。

 結局――――――何かを求めているのは、〝私〟なのかもしれない。

 

『……みれーちゃんはさー、難しく考えすぎなんだよ思うよー?』

 

「え……?」

 

 気まずく逸らした視線を戻せば、よしのんが流暢な語り部として声を発した。

 

『頭がいいからって、何事も難しく考えすぎなのさー。何をしたいとか、何が欲しいとか、もっと素直に言ってみなよー。それがわからないって言うけど、みれーちゃんの中に答えはあると思うなー。だって、自分の中になかったらそんなに悩んだりしないでしょ?』

 

「……私の中に、あるもの」

 

 胸に手を当てて、未零はよしのんの言葉を呑み込んだ。

 すんなりと言葉が入り込んでくるのは、よしのんが未零と似た存在――――――澪という人格から確立した未零と、四糸乃の意思を汲み取る人格であるよしのんだからか。

 極論として、未零はその先(・・・)を知りたいのだ。生き延びた。生きていたいと思った。共に先を見たいと。そのために、自分がどうしたいのか(・・・・・・・・・・)

 決して気持ちが晴れたとは言えない。けれど、自身が何を悩んでいるのか……それすらもわかっていなかったときより、遥かに気の持ちようが楽になった。次いで、柔らかに微笑んだ四糸乃が言の葉を紡ぐ。

 

 

「未零さんなら、きっとすぐに答えが出ると思います……上手くは、言えないですけど――――――未零さんが未零さんらしく考えればいいって、私は信じてます」

 

「……うん。信頼に応える……っていうのも変ですけれど――――――ありがとう。四糸乃、よしのん」

 

 

 用事と、四糸乃とよしのんを楽しませるつもりだったが――――――計らずして、助けてもらったのは未零の方だったようだ。

 笑顔を以て本心からの感謝の気持ちを表し、言葉を返す。そうしてから、情けない話ではあるが、もう少し付き合ってもらおうと未零はヘルメットを手に取った。

 

「……まだ付き合ってもらえますか? 四糸乃、よしのん」

 

「……!! もちろん、です」

 

『いえーい、貰ったバイクで走り出していこうぜぇー!』

 

「……締まらないなぁ」

 

 少しずつ、変わっていく。この優しい世界で、皆が。

 だけど――――――まだ未零は、誰かを泣かせてしまう精霊のままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「士道、未零からデートに誘われたことある?」

 

「……へ?」

 

 さて、今日はどんな夕飯にしようか。おお、本日はあれがお買い得か。など何とも主夫な観点でスーパーの食材に手を伸ばしていた士道は、万由里の唐突な問いかけに縫い止められた。

 

「……いや。覚えている範囲じゃ、ないな」

 

 手を呼び戻し、あごにそれを当て記憶を探ってみるが、やはり思い当たるものはない。デート、逢瀬と呼称するものは、士道にとって馴染みが深い……というと語弊が生じるが、決して間違ったことは言っていないと思う。

 一口に逢瀬と言っても種類があり、それを士道から誘うこともあれば精霊たちから誘われることもある。色気のないことだが、こうして万由里と買い出しにいくことも強引な理論では〝デート〟と呼称されるべきかもしれない。

 そう言われて思い返してみると、何に関しても未零からの(・・・・・)アクションは数える程さえなく、改めて認識させられて士道は面食らってしまった。

 

「やっぱり。あのバカ未零……」

 

「……何かあったのか?」

 

 不機嫌そうな声を零した万由里に士道は探りを入れてみる。が、万由里はにべもない声音で返してくる。

 

「あんたは普通にしてて。あんたの力を考えたら、もう軽々しく使えるもんじゃないんだから」

 

「そう言われると弱っちまうな……」

 

 髪を掻き上げ、万由里の正論に返す言葉を見失う。というより、返す言葉がない。

 

「それに、あんたは未零にとって〝別枠〟みたいなもんだしね。出番が来るにしても最後かしら」

 

「……喜んでいいのやら、悪いのやら」

 

 つい半年前までは、引っ張られるか突っ込んでいくかの二択だった男が外野扱いとは、変われば変わるものだと息を吐く。

 ともかく――――――何か、士道が関われないことが起こっているのは、確かなようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――あんたから手を伸ばすだけでいいのよ、未零」

 

 それを自覚するのは、いつになることやら。

 手のかかる友人を想い、腹いせに夕飯を豪華にしてもらおうと万由里は士道におねだりへ向かうのだった。

 

 

 

 







「あれで、よかったのかな……?」

『いやー、こういうのは順々にヒントをもらっていくのが本人のためになるんじゃなーい?』


悩みを受け止めたり、悩みを受け止めてもらったり。悩めよ若人。悩めるということは、思考を停止していないということなんじゃないかなぁ。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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 口が滑った。まあ、言ってしまえばそんなものなのだろうが。

 

「…………」

 

 日を跨いで、炎天下の外を渡り歩く未零は、今更ながらにその後悔に襲われていた。遅い、とは自分自身がよく自覚し、だからこそ乱暴に結い上げた髪を掻き上げようとして――――――

 

「……あぁ」

 

 手が止まる。いつも、無意識に結んだそれに気づかされる。気にもしていなかった。来ている服装だって、人の隣に立つにあたって当たり障りのないものを選んで――――――纏め上げる髪は、無意識のうちにあの人を意識していたのかもしれない。

 

「……簡単に、か」

 

 こうして鑑みれば、姉離れができない未熟な妹でしかないのだが。離れる必要がない、と言えばその通りで。……こんな風に、無意味な思考ループに囚われてしまうのも先日、四糸乃とよしのんに話を聞いてもらってからだ。

 彼女たちが特別だった、というのは語弊が生じる。しかし、未零にとって『よしのん』という人格の概念が避け難い意識を持たせたことは確かだ。だから未零は、折紙にすら隠し通していたわからない悩み(・・・・・・・)を言語化するに至った。

 その結果、未だ自身の中に屈折した考えがあることに、未零自身が気づかされる事となったのではあるけれど――――――結局、わかっていないのだ。

 簡単に考えた。簡単に考えて、考えた結果、何がしたいのか(・・・・・・・)ということだ。

 何がしたいか。何を求めるのか。未零の目的は果たされている――――――訂正。精霊〈アンノウン〉の目的は果たされた、だ。

 

「……〝私〟……、は」

 

 ああ、そうだとも。四糸乃とよしのんに告白した通りだ。〝私〟は〝私〟のことがまるでわかっていない。村雨未零という新たに形成された人格のことを、何一つわかっていなかった。

 あのときに感じた衝動を。生きたいと願った情動を。確かにそれはあったはずなのに、手にしたはずだったのに。

 

「っ……」

 

 不思議と息が詰まり、心が苦しくなる(・・・・・・・)

 今まで、こんなことはなかった。誰かの感情は理解できた。それをわかっていながら、利用することもしてきた。それが自分の目的だから。他に必要なものはないから。がむしゃらに、必要のない思考を止めて――――――この優しい世界は、思考を止めるには優しくて、けれど無理に進めるには穏やかすぎた。

 

「――――――登りますか」

 

 だから、そう――――――目の前の建物に登りたくなったのは、思考ループを無理やりにでも断ち切りたくなったから、かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 魔が差した。まあ、言ってしまえばそんなものなのだろうが。

 

「…………」

 

 何をするにも、身に入らない。七罪の不機嫌気味な目――別に不機嫌なわけではない――が、ここ数日はより一層鋭さを帯び、嫌な雰囲気を増している気がした。一応、誰かと会うときには気をつけてはいる。そういう意味で、一般学生は夏休みという陽キャイベント陰キャ引きこもりイベントに突入したことは、喜ばしいと言えることかもしれない。

 もっとも、それで気分が晴れるような陽気な性格など、七罪は持ち合わせていなかったのだけれど。

 

「はぁ……」

 

 自分らしい陰鬱なため息だ、と七罪はもう一つ深く息を吐き出した。次いで、大の字に身体を広げたまま目線を薙ぐようにずらし、デーブルの上に置かれた開封された(・・・・・)大判の封筒に目を向けた。

 用を達して、もはや七罪には必要のないもの。けれどその結果に反し、封筒は長い時間、それこそ数日は開けて放置され続けている。全くもって七罪らしい、振り切れない感情そのものではないかと、鏡を見たわけでもなく目付きがより鋭くなるのを自覚した。

 魔が差した。嗚呼、嗚呼。それしか言えない。

 せっかく、七罪は目を背けるだけの環境があったというのに。

 せっかく、士道と狂三が世界を変えてくれたというのに。

 いつまで経っても――――――七罪は七罪を、認めてはやれなかった。

 

 そのとき、窓を誰かがノックするような音がした。

 

「……?」

 

 一瞬の思考。そして、気のせいだと目を向けることはしなかった。七罪の部屋は精霊マンションの最上階、ついでに言えば端の端の部屋割りだ。大方、何かものでも飛んできたのだろう――――――気疲れから、ここで自身の病的なまでの観察眼を休めていたのが運の尽きだったのかもしれない。

 ――――初めの頃こそ様々な警戒をしたものだが、この精霊マンションのセキュリティレベルはそこらの企業とは比べ物にならない。危険が危ないを地で行く精霊が住める場所なのだから、封印されているとはいえ当然のレベルなのだろう。七罪には勿体ないと常々思っている。

 

 なので、ありえない可能性を捨てるように自然と疲れた目を閉じる――――――もう一度特殊なノック音がして、さしもの七罪も何だと目を開けることになってしまう。

 イタズラか、とも思ったが最上階にイタズラを仕掛けるもの好きはいないし、セキュリティを考えても無理がある。動物か何かがいるのか、と七罪は起き上がって窓へ視線を向けると、

 

 

『――――おはようございます、魔女っ子ちゃん』

 

 

 白いローブを纏った何者かが、最上階の窓から手を振っていた。

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッ!?」

 

 

 年頃の乙女っぽい悲鳴など、七罪には縁がないと悟った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな可愛らしい貌を捕まえて悲鳴を上げるだなんて、酷いことしますね」

 

「……前々から思ってたけど、あんたのキャラ付け適当すぎない?」

 

「適当ですよ? それっぽくやってるだけですから」

 

 開き直りをした未零を部屋に招き入れた七罪は、心の底から疲れたと言わんばかりに深い深い溜息を吐いた。

 実際、〝適当〟極まるものなのだから仕方がない。未零はそれっぽく、それこそ手探りの感覚でこの道化を演じていたに過ぎなかったのだから。本物の道化師をするのであれば、もう少し芝居がかった大仰な演技が必要となることだろう。

 たとえば、本物の悪役(ヴィラン)を演じるなどすれば話が違うこともありえる。しかし、それは未零や澪にはない領分(・・)というものだ。求めたところで、簡単に手に入るものではなかった――――――求めて犯すつもりもなかったけれど。

 

「っていうか、普通に入って来てくれない!? なんでわざわざ登ってきたのよ……っ!!」

 

「そこに高い建造物があったものですから、つい」

 

「つい……で登ってこられたらたまったもんじゃないんだけど!?」

 

 相変わらずなかなか切れ具合がいいツッコミ。こういうところは見習っていきたいと、天使(・・)を霊子へ還しながら感銘の息を吐いた。

 逆流するにしろ、させるにしろ、本気でなければ大した霊力は扱えない。今のは、天使を纏い大雑把に身体を動かすくらいが適量だ。

 多少の運動は欠かしていないとはいえ、久しぶりにそれらしく動き、問題を感じないところだけは精霊らしいと考えながら未零は来客用の椅子に腰をかける。ナチュラル過ぎたのか、七罪はギョッとした顔をしていたが。

 

「……え、居座るの?」

 

「……ん。締め出す気ならそもそも入れてくれないと思ったので。邪魔なら出ていきますが……」

 

「じゃ、邪魔とかそういうのじゃなくて……な、何しに来たのよ」

 

 つっけんどんでぶっきらぼう。だが、それでいて人を拒絶しようという意思はない。むしろ、七罪自身に向けられているような――――――声で気を逸らしながら、眼球を動かして未零はその封筒を視界に収めていた。

 

「ちょっと世間話でも、と思いましてね。――――――学業、楽しんでます?」

 

「う……」

 

 痛いところを突かれた、と七罪が手で言葉を防ぐようにしながら呻く。とはいえ、この話題が不正解ではないことは未零にはお見通しというもの。その証拠に、ゆっくりとだが七罪は重い唇を開き始めた。

 

「………………ま、まあ、ぼちぼち」

 

「おや。年端もいかない子供を閉じ込める強制収容施設。学校は地獄をオブラートに包んだ表現……などから随分と成長して――――――」

 

「わー!! わーわーわー!!」

 

 地雷を踏み抜く行為とは、わかりやすくこういうことを言う。大慌てで手を回して未零を止めにかかる七罪だったが、悲しいかな、これでも未零は戦闘では近接を主とする精霊である。錯乱して振り回される華奢な腕など、ジャグリングをするより簡単に全て受け止めてみせる。

 やがて、体力を消耗し肩で息をする七罪。未零は足を組んで頬杖を作りながら言葉を続けた。

 

「……気にしなくてもいいんじゃあないですか。それだけ、あなたが学校を楽しめているということなんですから」

 

「……あんなこと言ったのに、みっともないじゃない」

 

「誤解なく理解ができる環境を得た。それだけで、みっともなくなんかないですよ」

 

 過去の七罪の言い分は、現代社会において無くはない考え方……行き過ぎているきらいはあったが、間違ったことばかりではない。

 しかし、この天宮市では少なくともそういうものはなく、七罪は楽しく学業を送れているはずだ。紅潮した七罪の頬は、激しい動きをしただけのものではなかった。

 

「……ぼ、ぼちぼち。本当に、ぼちぼち……楽しい、わよ。と……と、友達もできたし……!!」

 

「……うん。良かったですね、七罪――――本当に」

 

 ニコリと微笑みかけると、七罪は気恥しそうに手で顔を隠す。ただ、言葉を撤回する様子はなく、吃りながらであっても吐き出したものに嘘はないようだった。

 ――――半年前。世界が創り変えられた、そのあと。

 未零と万由里は大学へと。となれば、他の精霊たちも自ずと道が決まるもの。職業を持つ二亜や、既に学業へと精を出していた他の精霊たちとは違い、七罪、そして四糸乃と六喰は〈ラタトスク〉の庇護下にて、日常に馴染むための訓練などが主だったわけだ。が、晴れて四月より琴里と同じ中学校への編入と相成ったわけだ。

 まあ、六喰は過去の記憶と今の士道たちとの交流。四糸乃、七罪は一度体験入学という形で経験をしていた。許可が降りるのは自然、という形の収束だ。

 そして、編入はもう一人。それは――――――

 

「……真那、崇宮真那はどうです?」

 

「え……真那?」

 

 虚をつかれた顔をした七罪へ、未零はこくりと首肯をする。

 崇宮真那。かつての世界で狂三の仇敵だった者であり、崇宮真士の忘れ形見(・・・・)とも言える少女。そのことを察した七罪が短く息を漏らしながら返してくる。

 

「ん……元気にやってる。てか、エンジョイしてるんじゃない? 剣道部のエースしてるし、何か事ある毎に告白されてるし」

 

「……あら、あら。お年頃ですねぇ」

 

 それっぽい青春を送れているじゃあないか、と明るめの声で返した未零だったが、七罪は少々と浮かない顔で続けた。

 

「うん……今のところ、全員女子からだけど」

 

「………………あぁ」

 

 ――――青春、かなぁ?

 と、さしもの未零も言葉を濁した。まあ、世が世である。驚くほどのことではあるまい。未零には縁がないものではあるけれど。

 

「……で、なんで真那?」

 

「……ん。私というより令音――――――気にしてるのは澪ですよ」

 

 未零はその副産物。暗にそう言い切ると、七罪は複雑ながらも納得したようにうなずく。

 崇宮真那はかつての世界で、DEMの毒牙にかけられその命が十年はないと言われていたが、当然ながら『この世界』では取り除かれている。……果たして、どういう力技を行ったのかはわからないが、真那との縁は切れないまま不都合なものを取り除いた形になるか。

 結果、真那は元の世界と変わらぬ状況で〈ラタトスク〉の庇護下にある。肉体への影響を治癒した代わりに、彼女に魔術師(ウィザード)としての資質は残されていないが、どのみち『この世界』では不要のもの。事情を説明された当人も軽く割り切っていると聞いた。

 度々に思うことではあるが、道中があの二人にしかわからない世界改変は、常に不可思議な現象が目撃されることになっている。万由里、真那、折紙の両親。親の繋がりで言うなら――――――

 

「……四糸乃のご家族には、お会いになられました?」

 

「っ――――うん」

 

 息を詰まらせ、僅かに含みを持ったそれを、未零はあえて言及を避け言葉を続ける。

 

「どうでした?」

 

「どうもこうも……明るい人だったわ。でも、あの人が四糸乃の母親(・・)だっていうのは、すごく納得できた」

 

 うんうんと、崇拝者へと賛美を捧げるかのように七罪が首を縦に倒す。相も変わらず、七罪の四糸乃への感情は大きいもののようだった。

 そう。幾つかある大きな改変を打ち明けるのなら、決して避けては通れない――――――四糸乃の母親に関してだ。

 四糸乃。氏名、氷芽川(ひめかわ)四糸乃。それが四糸乃が持つ正式な名称。

 そして、氷芽川渚沙(なぎさ)。今からおよそ二十六年前、事故で亡くなった(・・・・・・・・)四糸乃の実の母親である。

 それがどうして、現代で会うことができているのか。冷凍睡眠、はたまた時を超えた(・・・・・)――――――どの可能性にしろ、狂三たちしか知ることのない話だ。

 世界改変後、折り合いを見て精霊たちの過去を開示する、ないし意図的に避ける選択肢は提示されたはずだ。

 

 

「まだ無理させられないからって、長くは話せなかったけど……良かったわよ。私なんかと違って――――――――」

 

 

 ――――――このように、だ。

 自身の本音には慎重な、否、臆病な(・・・)七罪にしては極めて珍しいミスだったのだろう。文字通り、口が滑った彼女はサッと顔色を変えた。

 だが、未零の心境は落ち着き払っている。驚くことではなく、動じることもない。

 

 

「……やっぱり(・・・・)、そうなんですね――――――鏡野(きょうの)七罪」

 

「っ!?」

 

 

 そんな未零が零した言葉は、七罪の顔に驚愕の二文字を張り付かせるには十分すぎるものだった。

私なんかと違って(・・・・・・・・)。その台詞は、以前までの七罪なら出てくるはずはないもの。残酷なことに(・・・・・・)、彼女は――――――鏡野七罪は知っている(・・・・・)

 

「な、ん……――――――あ」

 

 そして聡明な七罪は――当人は悪知恵が働くだけと謙遜するが――未零が七罪のことを知る理由に気が付き、呆然と言葉を零した。

 まさしく、その通り。七罪の予測はこの上なく正しい。村雨未零は、精霊〈アンノウン〉は識っていた(・・・・・)

 かつて未零の手の内あった全知の天使(・・・・・)は、それを可能とする奇跡であったから。

 

「〈囁告、篇帙(ラジエル)〉……」

 

「……ええ。その、通りです」

 

 不自然に唇が乾き、眉根を下げて未零は肯定を返す。

 思えばこれは、懺悔のようなものかもしれない。未零は識ることができた。しかし同時に、識る必要はないとすることもできた。

 けれど、万が一だろうと不都合なことがあってはならない。その心で選択をしたのは未零だ。

 

「……申し訳ありません。本当なら、墓まで持っていくつもりでした」

 

「縁起でもないこと言わないでよ……っ! 私は、気にしてなんかないから……」

 

「……ん」

 

 誠実でないことは、確かだったから。踏み込むにしては浅く、けれど何も無かったことにするには深く。

 六喰の時とは事情が違う。鏡野七罪の過去は、本来なら未零が踏み込めるものではない。だが、識ってしまった以上、それを未零が見過ごすこともまた不可能。

 気まずさからか、それとも今一度過去を思い返してしまったからか、渋面を作る七罪に対して未零は乾いた唇を濡らし、声を発した。

 

「……思い出した(・・・・・)、んですよね」

 

 ある種、確信に近い問いかけだった。置き去りにされた封筒の中身。それを用意した人物。彼女の手で精査された情報に、未零が識ることのできた情報が取られているとは思えなかった。

 ――――母親に殺されかけた記憶など、無理に思い出す必要はなかったのに。

 

「…………そーよ。みんなが過去と向き合ってるのを見て、柄にもなく――――魔が差した、っていうのかしらね。素敵なものがある、なんて思い上がりは微塵もなかったけど、こうして散々ってもんよ。私らしいと思わない?」

 

「…………」

 

 言葉を見失い、悲痛な七罪を未零は見つめることしかできない。

 

 鏡野七罪。母親の名は、わざわざ語る必要もないと切り捨てる。それは〈囁告篇帙(ラジエル)〉で鮮明に描かれた情報を読み取り、未零が感情のまま下した結論だった。未零はあいにく、好んだ相手に危害しか加えないような人間に、好意的な感情を抱くほど人間ができていないのだ。たとえそれが、情報でしかない過去の履歴だったとしても、だ。

 七罪がなぜ、これほどまでに自分を蔑むようになったのか。未零とは違い、人としての生を受け、そこに命という価値があったのに。なるべくしてなった、というのは簡単だ。それが運命だった、というもの簡単だ――――――理不尽だ、と未零は憤りを感じる。

 ネグレクト。それだけならマシだ。幼い七罪はそう判断して、母親に目を付けられぬよう振舞ったのだろう。買い置きの食料には決して手を出さず、僅かな調味料を目を盗んで摂取し、厄介払いのために口出しをしない教員によって通える学校での給食がご馳走。

 味方などどこにもいない。子供は残酷だ。自分たちとは違う、と決めにかかれば一人の少女を平気で迫害する。

 これだけの要素が揃ったのだ。七罪の人格の形成は、相応になるというもの。結果として、未零とは違う悲観主義――――――自らをみにくいアヒルの子として存在させた。

 けれどそれは、未零のものとは違う。断じて違う。未零は、精霊〈アンノウン〉は誰かに教えられなければ思い浮かべることすらなく、今も辿り着いてはいない(・・・・・・・・・・・)

 

 鏡野七罪が根源に抱いた感情。それは、既に提示されていた(・・・・・・・・・)

 

「……優しいですね、あなたは。私なんかより、ずっと立派です」

 

 ああ、そうだとも。七罪は優しい。

 

「――――そんなんじゃない! 私は、あのときの私は……ただ……ただ……っ!!」

 

 彼女は激しく否定をする。けれど未零は、その否定を否定する。

あのとき(・・・・)。運命が捻じ曲がった、あの瞬間。数々の運命を変え、悲劇を繰り返した『私』()だが、鏡野七罪という少女を見定めたことは褒めるべき結果か。もっとも、それこそが七罪が生き残った最良からの結果論でしかない。

 あのとき、殺されかけた(・・・・・・)七罪に霊結晶(セフィラ)を託した。それは復讐に使える力だ。虐げられた全て、それらに鏡野七罪は復讐をする力を得た。母親に〈贋造魔女(ハニエル)〉の権能を振るい、願望の通りに殺すことを――――――しなかった。

 七罪は立ち去った。母親の下から。いいや、やろうと思えば今まででもできた選択だ。七罪は聡く、賢い。その卓越した知恵を絞れば、子供であろうと突破口はあった。

 ならばなぜ、〈贋造魔女(ハニエル)〉を手にした瞬間であったのだろうか。そしてなぜ、七罪は不自然に立ち去ったのか。〈囁告篇帙(ラジエル)〉では、人の思考までは読み取れない。かの天使はだからこそ全知であり、全能ではない。

 だけど未零にはわかる。未零は自身の心はわからない。けれど、どうしても人の心は不用意に読み取れてしまう。

 母親への復讐をあと一歩とし、七罪の胸に去来したのは達成感などではなかったのだろう。その先の答えは、過去で示された(・・・・・・・)

 

 

「――――愛して、ほしかったんだよね」

 

 

 たった、それだけのことだったのだ。

 人の望みとは、単純でありながら不可解なことがある。精霊〈アンノウン〉の望みが、人にとって〝たったそれだけ〟であったように。

 母親の下にいた理由。虐げられた環境で、それでも生きていた理由――――――七罪は、誰かに愛されたかった。

 

 

「っ――――あぁぁぁぁぁぁぁ!! そうよ、その通りよ!! あんなのでも私の親だったのよ! 馬鹿馬鹿しいことにね!!」

 

 

 悲鳴にも似た絶叫。耐えかねた心が縛ることを止めたように、七罪は声を張り上げた。

 未零はただ、立ち上がって歩み寄る。

 

 

「せっかく琴里が気を使ってくれたってのに、私らしい落ち度よ。記憶再生が随分とインスタントってもんよね! 最悪よ、最悪。今さらになって思い出したわよ! 私がどうしようもない屑みたいな人間で、思考で――――――」

 

 

 その語りは悲しげで。その語りは歪で。嗚咽が混じり、涙が流れ。

 

 

「私の中じゃ――――――『なかったこと』にはなってなかった」

 

 

 ――――七罪をそっと、抱き締めた。

 

「……っ、ぁ……今さら、今さらじゃない……! あいつら、優しいから。色んなことを変えてくれて……なのに、私はこんな……こんな……っ」

 

「…………」

 

 この華奢な身体は、『前の世界』に比べて幾分かマシになっているのだろうか。きっと、彼女の過去も変わっている。士道と狂三は力を出し尽くし、自分たちが望むものへ変えた――――――けれど、『なかったこと』にはならない。

 頭を押し付けるように未零の胸元へしがみついた七罪が、くぐもった声を吐き出してくる。

 

「……犯した罪は、過去を変えても『なかったこと』にならない……ね。――――身に染みたわ。こうならなきゃ理解できないとか、私らしいけどね」

 

 折紙が、澪が、狂三が。過去に犯したこと。命を踏み躙ったこと。それらは存在した事実から、存在しない過去へと創り変えられた。だが――――――今なお、彼女たちの中に過ちは刻まれたままだ。

 それと同じだ。どれだけ過去を変えようと。どれだけ救いある過去を創り上げようと。七罪が七罪のまま(・・・・・・・・)士道たちと出会う(・・・・・・・・)ためには、その因果を変えることは許されない。そして何より、記憶を保持した精霊たちの過去は、精霊たちの中で『なかったこと』にはなり得ない――――――良くも悪くも、だが。

 未零に、精霊たちの感情を救う手立てはない。当然だろう。未零は救う側ではなく、悲劇を生み出した側(・・・・・・)だ。それでも、吐き出したものを受け止める役割くらいなら、分不相応でも担うことができる。

 

「……母親に、会いたいと思います?」

 

「…………思うわけないでしょ。顔だって、ろくに見ようともしなかったから覚えてないし。どんだけ過去が変わってても、それは変わらないし――――――だけど私は、みんなと出会えた。ゴミみたいな過去だけど、そこだけは感謝したいわ」

 

 ああ、それは優しい救いだ。その感情は共有できる。未零もまた、同じだから。

 後悔だらけのものでも、存在するべきではなかったと思っていても。この出会いだけは、未零の中で輝かしいものだ――――――あの美しい人を見れたというだけで、価値あることなのだ。

 

 誰もが未零たちを肯定してくれる。

 自らを醜いと思い込む七罪を。

 価値がなかったはずの未零を。

 

 だけど。いや、だからこそ。

 

 

「――――まだ、自分を好きなれない?」

 

 

 誰かに肯定される自分自身の価値を、認められずにいるということだ。

 嗚呼、嗚呼。認めよう。未だ未零は、自らを認められてはいない。だから〝私〟がわからないと、愛されている(・・・・・・)村雨未零の未来がわからないと、心に迷いを持っているのだ。

 何も無かった未零が持ち得た感情に、戸惑い、それを持て余している。

 

 

「――――お互い様じゃない、そんなの」

 

 

 自分のことがわからないのに、人のことは理解できる――――――だから、似て非なる七罪にそう言われて、ようやく未零は自覚を持ち得たのかもしれない。

 七罪を強く抱き締める。否、互いを強く抱き締める。ある意味では、ネガティブな七罪が少しでも同一視(・・・)してくれるのであれば、他の精霊たちにはない光栄なものかもしれない。

 

「……女王様に太鼓判を押されたのに、私もあなたも贅沢だね」

 

「ぐ……そう言われると罪悪感が酷いからやめて」

 

「……こういう関係、なんて言うんだっけ?」

 

「共依存、傷の舐め合い」

 

「……せめて支え合いとかでお願いするね」

 

 さすがに決まりが悪い。それに、そこまでのものは必要がない(・・・・・・・・・・・・・)はずだ。

 

「……ん。辛くなったら、いつでも呼んで。相手になるから」

 

「……ちょっと言い方ズレてるけど。……ま、お互い様にね(・・・・・・)。私なんかでよければ、相手になるわ」

 

 オウム返しされた言葉に、確かに少し変だなと未零は苦笑を浮かべた。

 やはり、令音のように上手くはできない。だから、未零は未零らしくやるしかない。

 

 

「――――いつか、自分は可愛いって言えるよ。こんなに可愛い七罪なら」

 

「――――あんたこそ、自分の価値を認めなさいよ。狂三に認められた未零でしょ」

 

 

 歪で、矛盾した中で――――――まあ、こういう不可思議な関係も、〝私〟らしいのかなと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………え、もしかして、慰めに来てくれただけなの?」

 

「…………それだけでもないんですけれど、掘り返すの止めません? 恥ずかしくなってきましたから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――『わたくし』たちの定時報告に変わりはありませんわ」

 

「ん……そっか。まあ、何かあったら『狂三』たちだけじゃなくて、琴里たちも気が付くよな」

 

「ええ、ええ。とは言っても、わたくしとあなた様が迂闊に動けぬ駒なのは事実ですわ」

 

「万由里に釘を刺されてるからな。……よく見てるよ、あいつは」

 

「あの弾は万能の力、というわけではありませんもの。ある方向を強くすれば、どこかに綻びが生じるというもの……それがわたくしたちの力か、或いは外部からのものか。まだ判断はつきませんけれど――――――それにしても」

 

 平然と会話をしながら、狂三は己の身体が火照っている自覚をしていた。

 そりゃあ、士道の部屋にいるとは。距離があまりにも近いとか、理由は多々ある。最たるものは、薄着のまま士道に抱き締められている(・・・・・・・・・・・・)ことかと自己分析を下した。

 

「……近いですわよ、士道さん」

 

 布団に寝転がり、抱き締められながらその手で胸下の辺りをさすられると、さしもの狂三も意識をせざるを得なかった。

 無駄な贅肉はつけていない。他の精霊たちにも目を向けなければ士道ではないと言ったのは狂三だが、それはそれとして士道に相応しい女になるべく日々精進は欠かしていない。その甲斐あって、さすられる腹回りはさぞ手触りが良いことこの上ないだろう。いや、される側は妙に気恥しいのだけれど。

 狂三の反応から嫌がるという三文字は感じ取れなかった――そもそも込めてすらない――のか、士道は変わらず手で狂三の細部を愛おしげに撫で上げる。

 

「ん……くすぐったいですわ」

 

「んー――――――うちのお嬢様がご機嫌ナナメ三十度なもんでね。少しサービスを、と思ってな」

 

「あら、あら」

 

 その言い分に、どちらかと言えば士道が楽しみたいだけな気がしてならないと、狂三は息を吐いた。それでもなすがままに心地良さに浸るのは、この方の腕の中なのだから仕方がないと言い訳をする。

 機嫌が悪い、わけではない。いいや、世間一般常識論では悪いと言えるのかもしれないが、それは決して狂三のせいではない。

 

 大事だからと、好きだからと。それで除け者にされて機嫌をよくするような守られ姫でないことを、あの子は誰より知っているだろうに。

 

 

「まったく――――――わたくしが好きだというのなら、迷わずわたくしに構えばいいのですわ」

 

 

 髪を、腹部を、唇を。愛撫を受け続ける愛おしい微睡みの中で、狂三は誰より少女のことを知っている者として、ままならない愚痴を零すのだった。

 

 

 






ありえないなんてことはありえない。そんな世界。

世界そのものは都合よく、それでいて優しいものですが、精霊たちの心情は精霊たちのもの。もちろん、既に割り切っている子たちもいますが、七罪は特級のお悩み案件。記憶を思い出すと逆戻りする仕様……ですが、いつか必ず、ですね。
問答無用のハッピーエンドで始める世界なので、エンドマークの先で必ず……この子たちは自分を好きになることができますよ。お互いは認められるのに、自分自身は好きになれない。難しいですねぇ。

感想、評価、お気に入りありがとうございます!どしどしお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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「何か収穫はあった?」

 

「……………………」

 

 長きに渡る沈黙があった。それを生み出したのは当の未零ではあるのだが、そうなるのも無理はないと声を大にして言いたい。

 相手は万由里。沈黙を保つ理由はないし、気まずさを感じるような関係でもない。故に、沈黙には理由があった。未零はその理由のまま、重苦しく唇を開いた。

 

「…………先にお聞きしたいんですけれど」

 

「なに?」

 

 小首を傾げ、不思議そうな顔をする万由里。そっくりそのまま返したい気持ちを抑え、続けざまに言葉を放った。

 

 

「――――メイド服着て、何してるんです?」

 

 

 ――――ギャル系メイドというのは、ジャンルとしてどうなのだろうか。

 そう。万由里は出会い頭に先の問いをしたのだが、その出会い頭のタイミングがあまりにも不可解すぎた。

 どうして万由里が、メイド服を着て、客引きをしているのだろうか。……文字にして事実を陳列すると、不可思議さが増すのだからおかしなものだと未零は疑問符を浮かべた。

 

「バイトよ。ヘルプを頼まれたから特別にね」

 

 言って、『キラッ☆』という感じの決めポーズを取る万由里。可愛いといえば可愛いのだが、表情が真顔であるため奇抜さは感じざるを得ない。これはこれで、客引きにはなりそうではあるけれど。

 

「で……それらしい情報でも見つかったのかしら?」

 

「……残念、というべきなのかは複雑ですが、殆ど見つかってませんね」

 

 再度、改めて問われたものに肩を竦めて回答を用意した。

 四糸乃、七罪。両者共に『夢の声』に覚えはなく、折紙のような思い起こしも存在しなかった。結果としては、人生相談と屈折した感情を持つ者同士の屈折した会話となったわけなのだが、そちらは悪くないものなのではなかったかと思っている。無論、未零の自己満足という可能性はあるが。

 ともあれ、相変わらず収穫はなく変化はなし。それを伝えられた万由里は、相槌を打ちながら返してくる。

 

「ふぅん……じゃあ、あんたがここ(・・)に来たのもそれのため? あんたがこんな人混み選ぶのは、かなり珍しい気がするけど」

 

「……ん」

 

 万由里らしいもっともな指摘に、未零は髪に指を絡ませ応答する。

 確かに、ここ(・・)を好む趣味を未零は持ち合わせていない。万由里と未零が揃えば相応に目立ち、現在進行形で視線も幾らか飛ばされてはいるが……雰囲気が独特で、そういった礼節や無言のルールが出来上がっているのか、不躾な人間は早々とは現れない。だからとって、未零はあまり人混みを好む趣味はない。そして、人混みに入り込んでまでここ(・・)にくる趣味も持ち合わせてはいない。

 だから、未零がここ(・・)に来た理由は――――――

 

「……頼まれたんですよ。二亜を探して欲しいって(・・・・・・・・・・・)

 

「……あぁ。だから秋葉(・・)なのね」

 

 答えに、多少の同情を含む苦笑で万由里は返してくる。恐らくは、未零の少ない言葉で内容を的確に察してくれたのだろう。

 未零が秋葉を訪れた理由はただ一つ。原稿の進行途中に謎の失踪――まあ実のところ謎でも何でもないのだが――を遂げた本条二亜の捜索だった。万由里とは、その道中で偶然にも出会ったと言うだけのことだったわけだ。

 

「……ま、形だけでもということです。本気で見つかるとは思ってませんよ」

 

 依頼主の方も、理由は違えど似たような意見だろう。曰く、『二亜は切羽詰まっているとお金の勘定が雑になる』とのことだ。飴と鞭とは、こういうことを表現しているのだろう。どちらかというと、背水の陣を意図的に作り上げ利用していると表現するべきかもしれないけれど。

 

「いいの、それで……」

 

「……いいんじゃあないですか。私もお手伝いしますし、今くらいは楽しませてあげるべきだと思っていますよ」

 

 後の地獄は本人も承知の上だろう。本条二亜という人物は、そういうところは弁えていると未零は知っていた。彼女の原稿がデッドラインギリギリになることなど、あまり珍しいことではないのだとこの半年で未零も学んでいる。それによって泣きを見る人たちのことは――――――あいにく未零は、身内を優先してしまうタイプだった。気持ちは謝っておくことにしている。

 苦笑を交えて返した未零に、万由里は少し複雑そうな顔を作り言葉を返す。

 

「あんたは本当、自分以外の誰かはとことんまで甘やかすわね」

 

「……ん。私だって駄目なものは駄目と言いますよ?」

 

 未零とて、思ったことがあれば苦言は呈するし、必要と言うのであれば力は貸す。特別、甘やかしているつもりはないのだが、万由里は取り合うことなく「はいはい」と客引きのチラシを配っていた。

 そこで、疑問。ヘルプに入ったと言っているが、秋葉のメイド喫茶で働くような知り合いが万由里の伝にいるのかと――――――

 

 

「――――あら、あら」

 

 

 ――――いた。

 独特で甘美なる声色。その凄絶な美貌。姿を現した瞬間、引き寄せられる視線の数々――――――親しみあるメイド服でなければ、もう少し超然とした雰囲気が感じられそうなものではあったけれど。

 しかして、彼女は現れた。

 

「お久しぶりですわねぇ、未零さん(・・・・)

 

「……これは、また。意外な顔を見ましたね」

 

 魅惑の微笑みを使いこなし、未零という意外な人物との邂逅に唇で弧を描いている。しかし、意外なものはこちらも同じだ。

 『時崎狂三』――――――かつて、精霊〈アンノウン〉の協力者であった『狂三』その人と、久方ぶりに未零は相対した。

 

 

 

 

 

「実に半年ぶり、ということになりますかしら。会いに来てくださらないだなんて、酷いですわ。泣いてしまいますわ」

 

「…………」

 

 それはあまりにも白々しく、未零をして半目で彼女を見やることしかしてやれなかった。

 休憩時間だからと、人気のない店の裏まで連れられてきてみれば、開幕の一言から皮肉と嘘泣き。どうやら、特に変わった様子は見られないようだと未零は息を吐いた。

 

「そのようなお顔をなさらないでくださいまし。ちょっとした場を和ませる冗談ですわ。せっかくの再会なのですから、そういった雰囲気作りは重要でしょう?」

 

「……まあ、お久しぶりですとは言っておきますよ。社交辞令で」

 

「まあ、まあ。本当に酷いお方ですわぁ」

 

 大してそう思った様子はなく、くすくすと楽しげに笑っている相も変わらぬ『狂三』の姿に、未零は不思議な安心感すら覚えていた。同時に、彼女と常日頃から付き合っていた精霊〈アンノウン〉はよくやっていたと思うわけだが。

 

「……ていうか、何してるんですかあなた」

 

「自分磨きの旅、と言ったら未零さんは信じてくださいまして?」

 

「……それ以上、磨く必要があるのか、という疑問から先に解決したくはなりますね」

 

 どうであろうと彼女は『時崎狂三』。絶世の美貌。何者も及ばぬ美しさの超越者。讃えようと思えば、未零はあらゆる美辞麗句を並べ立て『時崎狂三』を心から賛美してみせよう。

 だから、未零としては『狂三』の理由を信じる信じない以前の問題だ、と壁に寄りかかって声を発した。そんなこちらの対応にも、悠々とした笑みを変えずに彼女は言葉を返した。

 

「ありますわ。わたくしにも目的がございますもの。そのために、ご縁からこの店を任されたのですわ」

 

「……ご縁?」

 

 メイド喫茶と『狂三』に、なんのご縁があるのか。いや、確かにメイド服を着ていたには着ていたのだが、それとは別で些か話が飛躍しすぎている。

 すると、彼女は未零が傾げた小首を見て実にわかりやすい解答を提示してきた。

 

「琴里さんですわ。正確には、彼女の組織の母体のご縁ですわね」

 

「……ああ。なるほど、手が広いですね」

 

 未零の声音は感心と呆れを半々だった。

 琴里の組織。つまりは〈ラタトスク〉。さらに深く切り込んでバラしていくと、それは〈ラタトスク〉の母体であるアスガルド・エレクトロニクス社ということになる。

 そのご縁、となれば間違いなくアスガルドの関連会社。『前の世界』ではDEMの分散させる目くらまし、という意味合いがあったようだが、この世界では〈ラタトスク〉の潤沢な資金源の一つ、という意味合いが強くなっているのかもしれない。

 普通に考えれば管理はアスガルド経営陣が担っているはずだが、確か持ち株会社が琴里にもあったはずだ。一応、などと謙遜はしていたが、『狂三』がシレッとメイド喫茶で働いているとなると、一応の看板は取り外しを考えた方がいい気がしてならなかった。

 

「ふふっ。これでも業績はこの半年で伸びに伸びていますのよ。このわたくし、やるからには徹底的にですわ」

 

「……なんというか、マルチ的な才能がありますよね、あなたたちって」

 

 狂三の場合、初めから何でもできるタイプ、というわけではなく、努力をすれば大概のことはできるようになるタイプだ。人はそれを才女だとか天才だと呼ぶのだろうけれど。

 褒められて悪い気はしていないのか、ふふんと得意げに胸を張る『狂三』。……大きく開かれたデザインの胸元は、売り上げが関わっていそうだが、少しばかり意見書を出しておこうかと考えてしまった。それは正式に願書としての提出を企てておくとして、未零は『狂三』との会話を続けた。

 

「……他の分身も、この店に?」

 

「ええ、何人かの『わたくし』は。それ以外は自由にしていますわ。この間は、大規模エキストラの募集に当選して、それを何人かの『わたくし』が取り合っていましたわねぇ」

 

「いや自由すぎるでしょう」

 

 頬に手を当て、実に微笑ましいように語る『狂三』にすかさずツッコミを入れる。あくまで個人の自由ではあるが、それにしたって分身ライフを満喫しすぎている。

 ――――――世界改変後、分身の行方は疎らだった。

有り余った霊力(・・・・・・・)で維持に関しては心配するところではない。そのため、『彼女』たちの行動はこうして個人の自由に委ねられた。

 使命は果たしたと、眠りについた者。影に帰る者。たまに現れて士道に粉をかける四天王。先のように個人の自由を楽しむ者。様々と分岐した可能性。それが『狂三』の選択だと言えた。

 そして我が愛しき共犯者は自分磨きときた。しかし、共通していることは――――――

 

 

「あなたほどではありませんわ。――――――『わたくし』に隠れて、何をしていらっしゃるのかしら」

 

 

 未だ分身は、時崎狂三の目となり耳となる、ということである。

 詰るというより、見定める。そんな視線の流れを受け止めながら、未零は仕方なしに息を吐いた。

 

「……少しばかり、野暮用ですよ」

 

「あなたにしては派手な野暮用ですこと。わたくしにまで届くだなんて、あの『わたくし』は相当にご心配なようで」

 

 バレていない。そう、高を括っていたつもりはなかった。だが、こうして目の当たりにすると『狂三』の役割は変わりなく、聞き耳を立てることにおいて右に出る者はいないと感服してしまう。

 こつ、こつと靴音を鳴らし近づいてきた『狂三』が、未零の唇を指でなぞる――――えもいえぬ感覚が全身を通り抜け、刺激する。

 

「あまり〝おいた〟をしてはいけませんわよ? あの御二方を動かすということは、簡単に世界を反転させる、ということでもあるのですから。特に、あなたは」

 

「……わかってますよ。――――――ところで、どこまで掴んでいます?」

 

「悪びれませんわねぇ」

 

 呆れ気味に言葉を吐く『狂三』だが、未零は性分だと開き直る。わかっている、あの二人が案じていることなど――――――わかっていて、あの二人は容易に動くことができないとさらに知っているのだ。

 

「それを、わたくしが教えて差し上げるとお思いで?」

 

「……駄目?」

 

 両手を合わせて、ダメ元でお願いをしてみる。繋がりのある分身に対して、未零が何を言おうと普通は教えてはくれないだろう。事実、彼女は半目で未零から一歩距離を取り、

 

 

「――――大した情報は掴めていませんわ」

 

 

 あっさりと、その唇から情報を割り出した。

 

「『わたくしたち』が調べたところで、元々たかが知れていますのよ。物理的な情報、隠蔽された情報でなければ、『わたくしたち』の情報網がマリアさんを兼ね備えた〈フラクシナス〉に勝る道理もなし。あなたが何かをしている、ということ以外はあなた自身がより詳しいでしょう。それ以外は、プライバシーで控えさせていますわ」

 

「……随分とあっさり、調べたことを教えてくれますね」

 

 てっきり、彼女は狂三側で分身の共有情報を未零へ差し出すことはしないと思っていた。彼女はあくまで『時崎狂三』の分身体。情報をひた隠す未零に肩入れする理由はない、はずだった。

 けれど、そうして情報提供を行った『狂三』は鼻を鳴らし返してくる。

 

「言いましたでしょう。大した情報は掴めていない、と。それに……わたくしとてたまには時崎狂三(あの方)の鼻を明かして差し上げたくなるというもの。――――――ささやかな八つ当たりとでも考え、受け取ってくださいまし」

 

「……?」

 

 不思議な物言いに、未零は小首を傾げ疑問符を浮かべる。まあ、彼女(『狂三』)に関してだけなら今に始まったことではない。妙に狂三(オリジナル)への当たりが強い傾向はあったし、今回もその気まぐれか何かなのだろうと考えられた。

 ――――犠牲の全てを覆し、士道と世界を変えた時崎狂三は『時崎狂三』ではない。それはある意味、主を同じとするはずの『時崎狂三』ではありえなかったはずの現象と結末。

 無論、『狂三』がその地に到達する可能性はあるのだろう。が、狂三が〝今〟に到達したのは五河士道という特異点との運命があったからこそ。狂三の分身は、基本的に天宮市に到達する前の個体しか存在していない。そこに意識の乖離が発生するのは必然であり、危険性でもあった――――――可能性を加味してなお、少女は恋心を優先したのかもしれない。

 ともあれ、狂三に思うところがある『狂三』の気まぐれで情報を得たのは事実。素直に頭を下げ、礼を述べる。

 

「……ありがとうございます」

 

「ふふっ。早急に決着をつけることをオススメいたしますわ。『わたくし』の小言は、長いですことよ」

 

「……善処しますよ」

 

 できるだけ大事にならず、かつ早めの決着を望んでいるのは未零とて同じ。しかし、不明瞭で不透明な現象だ。できれば狂三の小言は避けたい心持ちではあるのだが、善処レベルに留まってしまうのも悲しい現実だ。

 未零の力のない返しに微笑みを貼り付けて、彼女はスカートを翻し店の裏口へ足を向けた。

 

「さて、わたくしも休憩時間の終わりですわ。また自分磨きの時間へ戻ることにいたしましょう」

 

「……応援はしていますよ。よくわかりませんけれど」

 

 本当に、磨く必要があるのかが未零には甚だ疑問だ――――それにキョトンとした顔を『狂三』が見せたことも、意外だった。

 

「信じて、くださいますの?」

 

 ほとほと見なくなったその顔は、さらに意外な気分にさせられる。もっと言えば、心外だと未零は眉をひそめ声を返した。

 

 

「ん――――――私が(・・)狂三(・・)の言うことを信じないと思う?」

 

「――――――――」

 

 

 そう思われていたなら心外だ。と述べてやると、彼女は目を大きく丸々と見開いて驚いていた。

 何を驚くことがあろうか。未零は狂三へ意見をしないわけではない。それが未零の望むものから大きく外れた時、未零は狂三へ言葉をかけることはあった――――――しかし、時崎狂三(・・・・)が心から放った言葉を、村雨未零は本質を絶対に取り逃さない。その意図がどうであれ、どう向けられたものかわからないものであれ、だ。

 

「きひ――――きひひひひひひひひひッ!!」

 

「……狂三?」

 

 今は懐かしき、狂気的な笑い声。それは感情の昂り。その瞳は魔性の権化――――――未零という存在を根源から惹き付ける、女王の眼差し。

 

「……まったく、わたくしを乗せるのが上手い人ですわ。ええ、ええ。もう少し、時の猶予をとも思いましたが――――――未零さんが言うのなら、遠慮はいりませんわよねェ」

 

「っ……」

 

 息を呑む。笑みは狂気にも似て、それ故に純粋である。

 『時崎狂三』は、そうして凄絶な微笑みを灯し、最後に言葉を残していく。

 

 

「わたくしは時崎狂三(あの人)のように甘い少女ではありませんので――――――これからは、覚悟なさってくださいましね?」

 

 

 呆気に取られた未零を置き去りに、『時崎狂三』は去っていった。

 このとき、未零は初めて、『時崎狂三』という子の言葉を理解しきれなかったのかもしれない。

 

「……士道のこと、です?」

 

「にぶちん」

 

「……ちょっと、気配を消すのはやめてくださいよ」

 

 いつの間にか真後ろにいた万由里へ、手馴れた文句を付ける。気配遮断は未零と万由里の得意技……しかし、折紙が待ち構えていたときと同じく、される側となれば文句の一つは浮かぶというもの。

 まあ、そんな未零の抗議を気に留めず、万由里は無愛想に見えながら意外と感情表現が豊かなその顔で、なんとも言えぬ複雑な声音を返した。

 

 

「――――親友って言うのは、また違うものなのかもね」

 

「……はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「譲渡。次は夕弦が前です、耶倶矢」

 

「ちょ、まだ早いし! 座ったばっかだし! ……おぉ、なかなかの座り心地。呵々、これはよいものだ。この我にこそ相応しい」

 

「…………」

 

 拝啓、家主へ。帰宅したらガレージで仲良し姉妹がバイクで遊んでいました。妹より。

 

「嘲笑。ふっ、へちょ耶倶矢の身長に似合っている(笑)ですね」

 

「(笑)って言うなし! 身長なら夕弦だって変わらないじゃん! ていうか未零よりは上だし! 未零に似合って私が似合わないなんてこと――――――あ」

 

「模倣。あ」

 

 目が合ってしまった。バイクに二人乗りをし、ノリノリで写真でも撮るのではないかと思える双子と。

 ふむ……と、ぽりぽり指で頬をかいて、未零は困った声音を吐き出した。

 

「……幾ら私でも、無免許運転の幇助は容認できないかなぁ」

 

「いや、やらないし!? マジトーンはやめてよ!!」

 

「動揺。口調が本気のものでした」

 

 大慌てでバイクから降りる二人を見て、冗談が通じなかったことに未零は眉根を下げた。本当に、ちょっとした冗句のつもりだったのだが、本気と取られると少し傷つく。

 

「……や、冗句ですし、遊んでくれて構いませんよ。さすがに三人乗りはさせてあげられませんけれど」

 

 この魔改造モンスターマシンなら出来てしまいそうなものではあるが、というのは内心に留め置く。〈フラクシナス〉内の設備を駆使すれば、本当に出来てしまいそうなのが恐ろしい。

 

「え、本当? じゃあ遠慮なく――――――じゃないし!」

 

 未零の許可を受け取った耶倶矢は、遠慮なしにバイクに跨ろうとして、ノリのいいツッコミを入れながらこちらへ向き直る。……ちょっと名残惜しそうなのが可愛らしかった。

 改めて、耶倶矢が己の手で顔を隠すように覆い、曰く考え尽くされたかっこいいポーズを取りながら大仰に声を上げる。

 

「くくく……よくぞ我らを恐れず逃げず帰ってきた、我が永遠の宿敵(ライバル)よ。その帰還、歓迎しようぞ」

 

「翻訳。寂しかったので、早めに帰ってきてくれて耶倶矢嬉しい! と言っています」

 

「悪意ある翻訳反対!!」

 

 相も変わらず小気味のよい話術の応酬。クスリと笑みを零しながら、未零も声を返した。

 

「……これは失礼しました。ちょうど用事があってのこちらに帰宅でしたので、噛み合ってよかったです」

 

 あまり客人を待たせるのは忍びない。どの道、八舞姉妹の下へ訪問の予定はあったことを考えれば、連絡をなしに入れ違いを避けれたのは幸運だと考えるべきだろう。

 

 ――――余談ではあるが、二亜が見つからなかったと報告したときのマリアの返事は『そうですか、ありがとうございます』と実に簡素なものだった。

 その『ありがとうございます』に、随分とした含みがあったと思うのは未零の気のせいではないのだろう。鴨がネギしょって戻ってくるのは、そう遠くないのかもしれない。

 

「拝聴。用事とは?」

 

「……ああ、気にしないでください。『マイ・リトル・シドーVRMMO・Ver.2.0』の調整のことですから。あなた方の用事を優先して問題ありませんよ」

 

「むしろすごく気になるんだけど!?」

 

「お気になさらず。……令音の趣味です」

 

 精霊攻略の必要性がなくなった今、純然たる事実であった。にしては完成度が恐ろしいほど上がっているので、未零は調整を重ねながら何とも言えぬ気分にさせられるのだけれど。

 釈然としない様相ながら、耶倶矢はコホンと咳払いを一つ挟み、鋭い指捌きにて未零へそれを突きつけた。

 

「呵々、此度の用事は他でもない――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――鬼事を興じようではないか!!」

 

「……ああ。鬼ごっこですね」

 

「羞恥。言い回しの解説を冷静にされて、恥ずかしがっています」

 

「そんなことないし! 適当言うなし!」

 

 場所を変えても、元気な姿は変わらないなと未零は苦笑混じりの吐息を零した。

 ――――まあ、苦笑が混じってしまうのも仕方がないと自己判断を下した。

 場所を変えた、というのは至極単純な話、地上では手狭(・・・・・・・)だと判断したから。精霊が三人、遊びに興じるにしろ、それが遊びの範囲から逸脱する(・・・・・・・・・・・)にしろ、変わりはない。

 つまりは、速さを突き詰めた精霊三人が自由に、人目を気にせず戯れることができる場所――――――〈フラクシナス〉の仮想訓練室に辿り着くのは必然だった。

 すると、この場所を使うことになった未零の心境でも読み取ったのだろうか。耳に装着したインカムから揶揄うような声音が鼓膜を震わせた。

 

『あら、どうしたの未零。もう少し可愛い顔をしたらいいのに』

 

「……顔は可愛いです。表情の起伏は令音に文句を言ってください」

 

 こういう風に産んだのは澪だ。ここぞとばかりに、責任は押し付けさせてもらうことにしている。

 とはいえ、通信先の琴里に察されるほど僅かに苦味を伴う表情をしてしまったことに変わりはなく、未零は大きくため息を吐いた。

 

「……大体、いいんですか。私用でこんなことして」

 

『問題ないわ。精霊のメンタルケアは最優先事項。ガス抜きっていう名目があるなら、この程度は私の裁量で自由にできるもの』

 

「……封印の状態を考えると、これからも〈ラタトスク〉は苦労しそうですね」

 

 この世界で〈ラタトスク〉の上層部がどうなっているのかは知らないが、DEMという脅威がなくなったとしても、精霊とその封印者がアレ(・・)では胃に穴があくことだろう。……創設者だけは大いに満足しているだろうし、未零はそれで構わないと思っているけれど。

 と、未零が呑気に琴里と会話を交わしている間に、耶倶矢と夕弦の方は纏まったのか、未零に対して声をかけてくる。

 

「継続。今日はあの日の続きと称しても過言ではありません」

 

「くく……以前は水入りとなったが、此度は存分に楽しむとしようぞ」

 

「……あー」

 

 ――――やっぱり、あのとき(・・・・)かぁ。と、未零は否が応でも苦い思い出を頭に浮かべた。

 仮想訓練室。未零。この単語二つで、精霊たちの誰もが思い浮かべる事柄は、半年前のあの日の出来事。当然、記憶に新しく未零とってはあまり思い返したくない〝勝負〟の結果だった。

 勝負の結果を覆すつもりはない。実際に未零はしてやられたし、事実は事実として変わりない。ただ、それはそれとして思い返して面白いものではないのだ。自分の土俵で敗北した……のはいいのだが、それ以前に、目の前に折紙が現れた(・・・・・・・・・・)ときの衝撃が今でも夢に出てきそうで恐ろしかった。

 率直に言うと、二度と経験したくないしさせたくない出来事なのだ。ある意味、未零最大のトラウマと言っていい。寿命が縮まる、という言葉はあの瞬間のために未零の知識の中にあったのかもしれない。

 

「……全体として、私の負けということには?」

 

「ならん」

 

「否定。なりません」

 

「…………」

 

 ダメ元でお願いをしてみたものの、これは率直にダメであったようだ。

 あのときの勝負は、確かに精霊〈アンノウン〉の敗北だった。しかし、想像通りあの勝利は精霊たちの勝利(・・・・・・・)であり、八舞姉妹の勝利(・・・・・・・)ではなかったということだ。

 彼女たちの役割は囮。未零を勝負の場に引きずり出すための殿であり、その役目に納得はしていたとしても、その結果に納得はしていない。

 とどのつまり――――――神速が駆けた。

 

「――――――っと」

 

 全身を余すことなく駆使したしなる一刀を避け、未零は設置された建造物に足を掛ける。避けられたというのに、耶倶矢は好戦的な笑みを崩すことなく未零へ視線を向ける。

 

「触れれば負け――――――などと、つまらんことは考えておるまいな?」

 

「……もう、鬼ごっこじゃないですよね、それ」

 

 未零は何度目かの苦笑いで応える。普通の鬼ごっこは、鬼が触れたら勝ち。耶倶矢はそれをつまらないと言った――――――建前は風の前に消え、残るものは本気の取り合い(・・・・・・・)だけだ。

 

「……琴里」

 

『怪我はしないようにね』

 

 理不尽である。これはつまり、再三に渡り忠告され、未零自身も意識はしていたが――――――怪我をさせず、怪我もせずにこの状況を乗り切れと。なるほど、有能な司令官様にしては珍しく傍若無人な指令だと未零は本気でため息を吐いた。

 

「さあ――――――往くぞ!!」

 

「っ――――――」

 

 疾風怒濤の突進。地を蹴り、暴風が駆け抜ける――――――驚くべきことに、彼女はこれで天使は使用していない。

 一定の霊力行使は確認できたものの、こちらも再三に渡り忠告された天使の使用禁止(・・・・・・・)を律儀に守っているのである。

 清く正しいスポーツマンシップに涙が出てくるようで、もう少し手加減がほしいと嘆くように、未零は拳を振り返す(・・・・・・・・・)

 

「な……!?」

 

 その驚愕は、耶倶矢の動体視力が人より優れているが故に気が付き、優れているが故に引っ掛けられたもの。

 耶倶矢が未零の振るう拳に高速で反応、さらには防ぎながら攻めるという行動を取ったその瞬間、

 

 

「ふっ――――!!」

 

「ちょ、おおおおおおおっ!?」

 

 

彼女の身体を足で抑え込み(・・・・・・・・・・・・)投げ返した(・・・・・)

 そのまま拘束とはならなかったのは、一瞬でも遅れてしまえば反撃が待っていたから。不意打ちで投げ飛ばしはしたものの、耶倶矢は難なく建物の外壁で受身を取り素の表情で叫びを上げた。

 

「なに今の、器用すぎるでしょ!」

 

「そうでもありませんよ。二度目は通じないでしょう?」

 

「むぐ……そうなったら他の策を弄するであろう。忘れておったわ、貴様は蹴りに関しては一家言持ちであったな」

 

「……私が初めて聞きましたが」

 

「言ってたのは折紙だから」

 

「…………」

 

 もしかして、彼女が精霊になった時に入れた一撃に関して、まだ根に持っていたりするのだろうか。そこはかとなく不安が表になる――――――蹴り癖に関しては、実のところ少し狂三に癖が移ってしまった気がして反省はしていたのだ。まあ、反省したからと言って自分の武器を扱わないかは別なのだけれど。

 とはいえ、二度目が耶倶矢に通用しないのは本気での考えだ。外壁にて器用に身体を浮かせ、ウォーミングアップは済んだと言わんばかりに耶倶矢が指を鳴らしてニヤッと笑う。

 

「呵々、だがそれでこそ――――――」

 

「奇襲。えいやー」

 

 瞬間、未零の視界の先で外壁が砕けた(・・・・・・)

 僅か一秒にも満たない刹那の間、飛び退いた耶倶矢とジェット機のような速力と軌道を描き蹴りを放った夕弦。その一瞬の攻防だった。……怪我をさせないという制約を忘れていないのか、未零の額に一筋の汗が流れ落ちる。

 

「ちょっと夕弦! 今決め台詞だったんだけど!!」

 

「忠告。耶倶矢の決め台詞は長すぎると常々苦情が来ていました。今のは夕弦の良心が配慮した結果です、感謝してください」

 

「え、嘘でしょ……」

 

「冗句。もちろん、嘘です。ショックを受ける耶倶矢は可愛いですね。ぷぷー」

 

「笑ってんじゃないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 刹那の、暴風。天使の行使をなしに、正面から霊力のみで激突した二人が引き起こす自然現象に煽られながら、未零は目を丸くして声を発した。

 

「……えっ。三つ巴なんです?」

 

 ――――――適当な理由を付けて、姉妹二人で勝負をしたかっただけなのではないか。今度は未零が釈然としないものを抱えながら、風が吹き荒れるド突き合い(・・・・・)を演じることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……っ、はぁ……っ」

 

「……ふ、はぁ――――っ」

 

「…………二人とも、大丈夫です?」

 

 そりゃあ、天使もなしに全力全開の取り合いをしようものなら、体力切れで大の字になり倒れ込むは必定だろう。しかしながら、小一時間は全力で動いていた辺り、異次元のスタミナだと軽く汗を拭きながら未零は二人へ声をかけた。

 息は絶え絶えながら、さすがは神速と名高い八舞姉妹。未零の問いに、想像以上に早く息を吹き返すように声を発する。

 

「か、呵々……な、何のこれしき――――――ていうか、なんで未零は平気なの!?」

 

「驚、愕。恐るべきHP(ヒットポイント)です……」

 

 理不尽だ、と暗に自分が言われる側となった未零だったが、冷静に頬をかいて正論を投げ返す。

 

「……や、あなた方が積極的に組手を交わしているからでは?」

 

「ぐぐ……ついいつもの癖が出て……」

 

「苦悶。反論の言葉がありません」

 

 どれだけ普段の勝負を重ねているのか。その応答は自覚がなかったのかと未零が内心で呆れるには十分なものだった。

 ――――もっとも、未零の体力が多いことは事実ではあるのだけれど。

 曲がりなりにも未零は始原の精霊から生まれた〝歪な分霊〟。周知の通り自己再生や肉体強度は常人以下だが、その分速力や持久力は優れているという、普通ならばありえない〝歪〟な造りをこの肉体はしているのだ。

 故に、この勝負は双子が未零を集中砲火しない限り、絶対に取り切れないと決まっていた。ちょっとした裏技を涼しい顔で行使した未零に気付かず、耶倶矢が「あーあ」と伸び伸びとした声を零し、続けた。

 

「ま――――――これでちょっとは、気分も晴れたんじゃない?」

 

「っ……」

 

 即座に意図を読み取り、未零は息を詰まらせる。満足気に微笑んだ耶倶矢に釣られるように、夕弦も仄かな笑みを浮かべて声を発した。

 

「同意。身体を動かし、気分は晴れやかという顔をしています」

 

「……どういう顔です?」

 

「そういう顔でしょ」

 

 断言されたところで、自身の表情がわかる特技を持ち得ない未零は、己の顔をぺたぺたと触る。当然、それで何がわかるというものでもなかったのだが――――――彼女たちの言う通り、気分は少しばかり晴れやかな気がした。

 だからこそ、八舞姉妹の真意に対して未零は疑問の声をあげる。

 

「……どうして、と聞いても?」

 

「拒否。黙秘権を行使します」

 

「匿名希望って約束なのよねー。それに、企画したのは私らだし」

 

 白々しい二人に息を吐き、汗で張り付いた髪を掻き上げる。相談者は候補のうちの誰か……全員(・・)、という可能性もあったが、口を閉ざされれば未零には知りようのないことだった。

 なるほど。急だとは思っていたし、少々と強引な流れだとも感じていたが、八舞姉妹が動いたのは未零のため(・・・・・)であると――――――世話をかけてしまった分、思考が澄み切っている気分だ。

 以前までなら、忙しなく動いて感じることはなかったもの。今は、穏やかな流れの中で考えてしまうもの。

 このとき、浮かんだものは。八舞姉妹だからこそ、問いかけたかったもの――――――四糸乃とよしのんは、こういう意味で後を誰かに託したのかもしれないと思った。

 

 

「……耶倶矢、夕弦――――――姉妹って、どういうものなんです?」

 

 

 素直に、言の葉を。自分の心に従い、自分の心の中で形になっているはず(・・)のものを、改めて具現化するために。

 問いかけられた二人は、キョトンとした顔を作り未零を見上げた。

 

「へ? 何その質問」

 

「疑問。その心は?」

 

「……ん、そのままの意味です。あなた方にとって、〝姉妹〟とは何ですか?」

 

 姉妹。血縁上の繋がり。切っても切れぬ関係。正確には、どう扱われようと血の繋がり(・・・・・)を断つことはできない相手。

 形式上、そして互いにそう(・・)だと未零は認識している――――――わからないのだ。それが正しいものなのか(・・・・・・・・・・)。それ以上に、未零は何をしたいのか(・・・・・・・・・・)

 未零の求める答えが返ってくるわけではないだろう。よしのんの言うように、それは未零の裡にしかないものだ。だけど、八舞という姉妹らしい姉妹(・・・・・・・)なら、何かが掴めるかもしれない(・・・・・・・・・・・・)

 未零が二度問いかければ、二人は難しげな顔を見せ応える。

 

「何、って言われても……別に、未零たちと変わらないと思うけど」

 

「質問。悩みとは、令音とのことですか?」

 

「…………違う、とは言えないかもしれません。実際、問題はないですから(・・・・・・・・)

 

 姉妹としての生活に何か問題があるのか、と問われれば、〝無い〟と返してしまえる。そのくらいこの半年間は平穏そのものであったし、未零が『声』を聞き入れるまで、まったく問題らしい問題は表面化していなかった。あったとしても、精霊の過去に関する個人的なもの。解決済みであったり、これから始まるものであったり――――――未零の悩みにも似た何かは、そのあったとしても(・・・・・・・)、に属するものなのだろう。

 だから、そう。大層な答えが聞きたいのではない。純粋な疑問の答え、八舞姉妹が持つ姉妹らしさ(・・・・・)を知りたかった。それだけ、なのだが……問われた当人たちは、困り顔で腕を組んで言葉を絞り出そうとしていた。

 

「姉妹が何なのか……って、そのまんまじゃん? 二人でいるのが楽しくて、何かを競い合うのが好き。私たちはそうだけど……」

 

「議論。それが一般的、或いは未零が描く姉妹(・・・・・・・)のものかどうか、それは違うと夕弦は考えます」

 

「そうそう。まあ、私と夕弦、未零と令音の状況が似てる(・・・)ってのは否定できないけど、関係がどうとかはまた違うんじゃないの?」

 

「……ん」

 

似てる(・・・)。そう、似ている(・・・・)。曖昧に答えを濁し、未零はその言葉を反復した。

 八舞耶倶矢。八舞夕弦。――――――旧姓、風待八舞(かざまちやまい)

 名が示す通り、八舞姉妹は本来二人で一人(・・・・・)。複雑化した因子が混ざり合い、純粋な意識を確立し、独立した自我として顕現した。それは、ある意味で村雨未零の在り方と同じものである。

 彼女たちが如何様な結論を下したのか。未零や澪が答えを告げたわけではない。彼女たちは彼女たちなりに、答えを探し得たのだろう。それを未零に当てはめることは、できない。耶倶矢の言うように、未零は似て非なるものなのだから。故に、未零が答えを出すには自らの手でなければならず、他者の手を借りるにももう何手か必要だと思えた――――――そのうちの一手は、意外なほど呆気なくもたらされたのだけれど。

 

 

「けどさ、そんな悩むほどのことなの? ――――――未零、令音といるときすごく楽しそうだし、気にしなくていいんじゃない?」

 

「――――――え?」

 

 

 それは、意外なほどに突き刺さり、自らが発したとは思えない声を未零に零させた。

 それこそ、真面目に自身の顔をもう一度ぺたぺたと触れるくらいに、耶倶矢の指摘は動揺を孕ませ、未零の表情筋を揺らがせるものだった。

 

「えぇ……。自分で気づいてなかったの?」

 

「追従。未零の表情は変化が薄いですが、だからこそ理解できることがあります――――――令音といるときは、特にでした」

 

「…………うそ」

 

『ほんとほんと』

 

 口調が崩れ、揃えられるほどの指摘では仕方がない。それはもはや、認める以外に道などないではないか。

 楽しそう。ああ、そうだ。嬉しい(・・・)。村雨令音が、崇宮澪が生きていることが。未零の近くで、死を選ばずにいてくれることが。

 ――――――なんだ、それは。未零は腰が抜けたように地面にへたり込んで、抱えた膝に顔を埋めた。

 

「……我が宿敵よ、何をそのように落ち込むのだ」

 

「懐疑。今の指摘のどこに落ち込む理由があったのでしょうか」

 

「……だって」

 

 もう、どうにもこうにもぐちゃぐちゃだった。未零は令音に、澪に……〝何か〟を望んだ。言い換えて、未零は何がしたいのかもしれない。それは令音に限った話ではない。

 だと、言うのに――――――

 

 

「……私――――――貰ってばっかりだな、って」

 

 

 未零は、自分が受け取るばかり(・・・・・・・)で、何も返せてはいない(・・・・・・・・・)のだ。

 自分自身のわからなさも、ここまで来ると筋金入りだ。ため息を零して、ふと顔を上げると――――――仄かな怒りを浮かべた、そっくりの双子がいた。

 

「……耶倶矢、夕弦?」

 

「貴様はどこまで……えぇい、こうなればその面倒な性格、我らが矯正してくれるわ!!」

 

「怒涛。未零、そこに直るべきです。――――――とう」

 

「……は、ちょ――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……第二ラウンドなんて、元気ねぇ」

 

 小一時間は走り回っただろうに、再び戯れ始めた三人をモニタリングしながら、呆れ顔で手に取ったチュッパチャプスを口に含む。もっともこれは、当初の目的からはズレているように思えるが……まあ、好きにやらせた方が未零のためになるだろうと琴里は放任することにした。

 

「うーん……あと一歩、って感じはするのよねぇ」

 

「思ったより早そう、かな」

 

「――――っと、万由里?」

 

 いつの間にか、司令席の琴里の隣に立っていた金髪の少女、万由里に面を食らう。ついでに、彼女の指には琴里のホルダーから抜き取られたチュッパチャプスが挟まれていた。……驚くべき達人の早業に、琴里の背筋は凍ったとか何とか。

 

「どうしたの……って、聞くまでもないわね」

 

「うん。――――――どうして自分が笑顔になるのか。それがわかりさえすれば、簡単なのにね」

 

 気の強い彼女らしい表情。しかし、そこに未零を案じるものが含まれていることを見抜くのは、琴里でなくとも容易い。

 ああ、万由里の言葉通りだ。未零は既に、答えの一歩手前にいる。どうして、令音の前で無意識に喜んでいたのか――――――未零は、どうして時崎狂三の〝幸せ〟を願ったのか。

 そこに立ち返ってしまえば、なんてことはない。村雨未零の欲(・・・・・・)はあるはずなのだから。

 

 だが、琴里には不思議だった。未零が己の願い。将来的なものにいつかは当たるとは思っていた。日常を送っていれば行き当たるものではあるし、叶ってしまった願いの〝先〟を求めるのは、人として正しい思考選択だろう。けれど、

 

「……ゆっくりでいいって思ってたはずなのに、何の心境の変化があったのかしらね」

 

 この連日、今日を含めて精霊たちと接触した(・・・・・・・・・)結果だろうか。それにしても、いつになく急務だと訝しむ。琴里が知る村雨未零という少女は、何かがなければ自ら行動を起こさない(・・・・・・・・・・・・・・・・・)精霊だ。かといって、士道と狂三が未零と日常以外で含みを持った気配はない。

 つまり――――――

 

 

「――――何か、きな臭いわねぇ」

 

「…………」

 

 

 司令の直感は、こういうときに当たるもの。隣の仏頂面はボロを出すことはないとして――――――自身の親友に聞いてみるのが一番かと、久方ぶりの喜ばしくも気苦労を感じる心労に、琴里は大きく肩を落としたのだった。

 

 

 






キラッ☆ってもう十三年前なんですよ。ホラーですねこの話。

色んな人がエンジョイしている世界でありんす。その中で、村雨未零の本質はあと少し……つか、なんで気づかないんだと思えるものです。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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 ――――誘宵美九という少女は、村雨未零にとって未知なる存在であった。多少の語弊は含むが、概ね間違った評価にはならないだろう。

 第一印象は……まあ、幾らか察するものがあるだろう。未零とて、混乱の方が勝る精霊など初めての経験だったのだ。あの人(オリジナル)も妙な人間を選んだものだ、と内心で思ったほどには。

 とはいえ、未零はそこに余分な感情を持ち込んだつもりはない。そういうものもある(・・・・・・・・・)と受け入れこそすれど、未零が否定する理由など一つ足りともなかった。美九を構成する価値観の歪さ、その本質は別のものであったし、士道はそれを見事攻略してみせたのだから。もっとも、意図してというよりは彼らしい行動から、だったようだが。

 第二印象は、恐ろしく勘の鋭い少女(・・・・・・・・・・)だ。狂三のような持ち前の経験、執念。七罪のような超人的な観察眼。それらが美九に備わっていたわけではなく――――――まさか、ただの勘で未零の天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉を感覚で突破せしめる精霊がいるなど、考えても見なかった。あれは、唯一かの天使が敗北を喫した相手と言っても過言ではない。もはや、精霊がどうとか関係がなかったけれど。

 無論、『死』の方向性を絞ることでその勘を殺すことも可能ではあったのだろうが、澪から受け継いだこの容姿が美九のお眼鏡に叶った事実は消えはしないし――――――本音を言うと、あのときの少女は嬉しかったのだろう。それは間接的に、澪が優れている証明であったのだから。

 だから、そう。美九に対しての好印象は、事実上澪の容姿を褒めてくれたから(・・・・・・・・・・・・・)だった。我ながら、好意の当てはめ方がズレていると思えるが、思い返して他に当てはめようがないのだから仕方がない。

 

 ああ、ああ。故に――――――村雨未零は、改めて誘宵美九に惹かれたと言うべきなのだろう。

 

 

『――――さあ、次の曲いきますよぉー! 皆さんちゃんと――――――付いてきてくださいね』

 

 

 甘美で流麗。甘噛みのように蕩ける声音から、人をどうしようもなく惹き付ける精錬された究極の音へ。

 万雷喝采。カーテンコールを超えて、誘宵美九は高みへ登る。滝を登り、龍へと至る。そこにいるのは龍ではなく、絶美を備えた崇拝される者(アイドル)なのだけれど。

 ――――以前、士道が言っていたことを思い出す。誘宵美九は、天性のアイドル(・・・・・・・)なのだと。

 事実、それは的を射るものだと未零は認識させられた。誘宵美九は、確かに崇宮澪に選ばれた精霊だ。澪が彼女にどういった感情を抱いたのか、理由がどうであれ、その因果に変わりはない。だが、それが誘宵美九のアイドルとしての資質に関わるものなのか――――――美九を知る誰であれ、否、と答えるであろう。

 再起には精霊としての力が必要だったのかもしれない。誘宵美九が本当の意味で立つには、五河士道という存在が不可欠だったのかもしれない。だが、

 

 

『――――――――!!』

 

 

 その〝声〟は、誘宵美九だけのものだった。人を捉えて止まない歌声は、努力と実力に彩られた彼女自身のもの。驕らず、そして臆することもなく、美九というアイドルは全身全霊のパフォーマンスを以て、自身を待つファンへ向かって美しい声音を届けていく。

 ステージの上の彼女は、あまりにも美しかった(・・・・・)。熱を帯びる歓声、絶え間なく揺れ動く煌めき。全て、全てが誘宵美九のためにある。光舞うアリーナで、輝きを纏う女神が踊り、歌う。

 

 

「――――――きれい」

 

 

 無意識に、その言葉は零れ落ちた。ただ子供のように目を輝かせ、舞台袖という特等席で、村雨未零は圧倒された。

 絶美なる歌姫の姿は、マイクを握る誘宵美九の姿は、幻想にも似た超常的な美しさを未零に感じさせたのだ。

 

 ――――きれいな人。未零が持つ最大の賛美を、彼女へ向けることも厭わないほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ああん、可愛い子ですねー。それじゃあ、一つ特製のハグを――――――」

 

「……はい。ありがとうございましたー。次の方どうぞー」

 

「あぁ! もー、未零さんはドライすぎますよー」

 

 未零にだけ見せるような不満げな顔も、まったくもってありがたみを感じず、無心でファンの誘導を行う。

 ――――あとは、これがなかったら素直に賞賛できそうなのにぁ……などと、未零は無表情を貫き通しながら、世間一般の握手会で使われる『剥がし』とは違う、美九から無垢なファンを守るため(・・・・・・・・・・・・・・・)の『剥がし』を黙々と遂行していくのだった。

 

「きゃー! いつも応援ありがとうございますー。よかったら今度――――――」

 

「……ありがとうございましたー」

 

 段々と、手を出す速度が上がっていっている気がしてならない。あと何人、罪のない少女たちのこの美九妖怪から守り抜けばいいのか――――――狂三がいればかの天使が正確な人数を言い当ててくれたのかもしれないが、未零の天使は何も答えてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お疲れ様でした」

 

「はーい。未零さん、今日はありがとうございましたー」

 

 本当に、とは口には出さず、軽く頭を下げて未零は安堵の息を吐いた。軽々しく仕事を引き受けたはいいものの、士道が一瞬『げっ……』と苦い顔をしていた気持ちがよくわかった。

 臨時マネージャー、の響き自体は良い。実態は、美九が暴走しないよう見守る(・・・・・・・・・・・・・)役回り。むしろ、実力行使を許可された役所だった。

 発端は暮林昴(くればやしすばる)――――美九のマネージャーから依頼だった。何やら、事故で足に怪我を負い――士道が『おいマジか』という既視感を抱いていたことから、似たような事例があったと推測――彼女から代理の依頼が〝また〟飛び込んできた、というわけだ。

 本来、こういったトラブルには事務所からの代理がいるはずなのだが、美九は事例が特殊ということもありそういうわけにもいかず――ここでも士道は『まだあのブラック体制直ってなかったのかよ!?』と叫んでいた――緊急につき、とにかく今日は空けないでくれ、と士道側も引き受けざるを得なかった。

 そこでようやく、どうして未零が引き受けることになったのかといえば……特に壮大な理由はなく、単純に美九と話ができる(・・・・・・・・)から、である。なお、士道の代わりに名乗り出たときに、七罪から『正気かこの人』と暗に思われるような視線が飛んできていた。日頃、美九がどう思われているかよく理解できるエピソードだろう。

 実際、こうして引き受けて呆れた思いがなかったわけではない。そのまま、未零は控え室の壁に寄りかかりながら声を発する。

 

「……もしかして、いつもこんなマネージャーを困らせてるんです?」

 

「えぇー。そんなわけないじゃないですかー。未零さんが特別ですよぉ」

 

「…………」

 

 なお悪い、と半目で睨んだところで美九は「きゃー、熱烈な視線ですぅ」とポジティブに受け取るばかり。多分、遠い目をしていた士道も以前は苦労させられたのだろうな、という気持ちと、美九を案じるマネージャーの気苦労が知れるというもの――――――もっとも、美九の才覚を絶対に無駄にはさせない。あのマネージャーには、そういう気概があるのは言うまでもない。

 

「――――――」

 

 意識して美九を観察してみると、マネージャーの気持ちが読み取れるようだった。

 誘宵美九の才覚。そう、美九は紛れもない天才(・・)だ。間近でそれを再認識し、七罪を前にしたときのものと同じものを未零は感じていた。この才覚が人の身勝手な欲で潰されることは理不尽であり、その生命を曲がりなりにも繋ぎ止めた澪の行動に感謝してしまうほどに。まあ、狂三が言っていたように『それはそれ、これはこれ』というやつだ。

 美九一人が何万という人の想いを動かし、救う――――――人に裏切られた偶像(アイドル)が、再び人を信じて歌えるようになって、本当によかった。今日のライブは、心の底からそう思わせてくれた。

 ……マネージャーがもたらした対策の一つに『美九が女の子をぺろぺろしないこと』があったことは、それらを台無しにしかねないまさに『それはそれ、これはこれ』案件だったのだけれど。

 と、美九をじっと見つめていた未零の視線に気がついた彼女が、ハッと目を見開き大仰に手を広げた。

 

「その熱烈な視線、未零さんの愛に間違いありませんねー。というわけで未零さん、ハグさせてくださ――――――」

 

「……いいですよ」

 

「――――い?」

 

 躊躇いなく、戸惑いもなく。平坦な口調で許可の言葉を返すと、遅れて言い終えた美九が何故か疑問符を浮かべた顔をした。女の子へのハグは問答無用、疾風迅雷の誘宵美九にしては珍しい表情だった。はわわ、とか口に出しそうなその仕草から、常日頃アイドルは可愛くあるべし、の心情が伝わってくるような気がした。……できれば、未零以外の精霊たちの前でもそうあってほしいものである。

 美九らしくない美九に小首を傾げ、壁から背を離した未零は、七罪のように抵抗らしい抵抗はせずもう一度言葉を続けた。

 

「……いいですよ?」

 

「…………えっーと、私ちょっと耳が遠くなっちゃったみたいですぅ。もう一度、未零のお声で、聞かせてもらえませんかー?」

 

「……や、アイドルが何を言っているんです」

 

 商売道具の一つだろうに、とあまり気分のよくない冗談に僅かに顔を顰めながら未零は次いで声を発する。

 

「……だから、別にいいですよ、ハグくらい。したいんでしょう?」

 

「――――えぇー!?」

 

 美九が意外そうな声を上げるものだから、釣られて未零は面食らった顔を作ってしまう。

 

「……なんですか、その意外そうな反応。私としては、飛びついてこないあなたに不思議なものを感じますけれど」

 

「だ、だって未零さん、私がハグしようとするといっつも逃げちゃってたじゃないですかー!」

 

 そうだっただろうか――――――そうだった気がする。記憶から思考を翻すのに二秒と使うことはなかった。

 大概、美九の犠牲者というのは決まっている。誰かというのは名誉のため名を伏せるが、ゴッデス四糸乃もとい尊い女神を護るための致し方ない犠牲者とは述べておこう。信望者という方々は、いつの時代でも真っ先に犠牲となるものなのかもしれない。いや、勝手に奉られる女神としては絶妙な苦笑いなのだろうが。

 まあとにかく、未零はその犠牲の下で成り立つ平和を享受していたわけであるが、眼前で必死な顔をした美九へ苦笑を浮かべて言葉を返す。

 

「……急に飛びかかられたら、誰だって避けるんじゃあないですか?」

 

「じゃ、じゃあ許可を得ていたら……?」

 

「……否定する理由が見当たらないです」

 

 少なくとも、村雨未零の倫理観の中では。

 

「――――そ、そんな……! 私のやり方が間違っていたんですかー!?」

 

 膝を折り、ショックを受けたように項垂れる美九。余程のカルチャーショックだったのだろうか。その姿は何かに打ちひしがれた琴里を思い出させた。こちらも彼女の名誉のために口に出すことはなかったけれど。

 

「……何をそこまで。多少のスキンシップなら皆さん許してくれるでしょう?」

 

「うぅ……実は最近、皆さんが許してくれないんですよぉ。近づいたら避けられるか防がれるか、七罪さんに不意打ちで楽しむことしかぁ……」

 

「……多少じゃないのが問題でしたね」

 

 美九の多少は多少ではなく、世間一般の同性に対するスキンシップとは意味も程度も違いすぎたと未零は頭を抱えた。

 

「うぅぅ、次からは頼んでから皆さんにハグをしようと思いますぅ」

 

「…………」

 

 多分、拒絶されるか逃げられるかの二択でしょうね、というのは良心の呵責を感じて目を逸らしながら黙っておくことにした。そして、逃げた七罪が捕縛され悲鳴を上げるのだろうな、という予測をして先に謝っておいた。未零が悪いわけではないのだが、形式上で。

 と、涙ながらに落ち込んでいた美九が顔を上げた。心なしか、その目をキラキラさせているように見えた。

 

「では未零さん!」

 

「……だから、したいならすればいいでしょう」

 

「やりましたぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 何をだろう。問い返す前に、飛びかからんばかりの勢いで美九が両手を広げ未零を抱き締めてくる。

 しばらくすれば大人しくなるだろう、とされるがまま身を委ねようとして――――――ふと、その穏やかさ(・・・・)に眉をひそめた。

 

「……美九?」

 

「はいー。ただいまミレーリンを補給中ですよぉ」

 

「……ん。何ですかその栄養素みたいなもの」

 

 奇妙な語録を作る美九に笑みを返しながら、未零はいつも見るものとは違う美九の仕草に思考を深める。

 いつもの美九なら、それはもう凄まじいハグをする。七罪の精気が根こそぎ吸い取られ、代わりに美九の肌がつやつやに潤うくらいには。しかし、今未零が美九から受けているものはそういう一方的に美九が癒されるものではなく、むしろ――――――ああ、心地がいいものなのだ。

 ――――どうやら、余程わかりやすい(・・・・・・)変化を見せてしまっていたらしい。

 なので、

 

「……美九」

 

「なんですかー?」

 

「――――現金の振り込みは、どこからすればいいです?」

 

 今日一日の礼をしておこうと思った。

 ――――驚くべきことに、美九が神速で未零を引き剥がしながら肩を掴み、ギョッと目を見開いてこちらと見合った。

 

「どうしてそうなるんですかー!?」

 

「……ん。あなたのライブをタダで拝見するのは如何なものかと。贈り物の方がよかったです?」

 

「そういう問題じゃないですぅ! タダじゃない上に働いた分はギャラでこちらから支払いますし、私だって間に合ってますよぅ! お礼にしてもこのハグで十分すぎますし、今日の未零さんは一体どうしちゃったんですかー!?」

 

 美九から見て、未零の行動はかなりおかしなものに映るのか。大慌てで混乱している美九の前で頬をかき、自身のおかしさに困惑(・・)することとなった。

 

「……やっぱり、おかしいです?」

 

「んー……おかしくはないですけど、何だかいつもより素直というか。けど、その素直さが飛んでいっているというかー……」

 

 言い得て妙ではあるが、ともかく美九を混乱させるくらいおかしなことをしているのは事実らしい。眉根を下げて謝罪の言葉を発する。

 

「……ごめんなさい。何か、おかしくて」

 

「いえいえー、未零さんが謝ることじゃないですけど……何かあったんですかー?」

 

 不思議そうに小首を傾げ、美九が未零の異常を案じる。

 おかしい。何かがあった。まあ、そう考えるのが妥当である。けれど未零からすれば、心に従っている(・・・・・・・)だけだ――――――ともすれば、思考停止(・・・・)の状態と言えるかもしれない。

 

 

「――――令音といて、笑ってるんですよ、私」

 

 

 ――――自分で自分が、わからなくなりそうだった。

 

「……それだけじゃないんです。あなた方の誰といたとしても、たぶん私は笑っています。楽しんでいます」

 

「えぇっと……それの何が駄目なんですかー? とっても素敵なことじゃないですかぁ」

 

「……駄目なわけじゃないんです。けれど、貰うだけだと申し訳ないって気持ちがありますし……」

 

「もー、そんなこと言っちゃ駄目ですよぅ。私たちだって、未零さんからたくさんのものを貰ってるんですからねー!」

 

「……耶倶矢と夕弦にも、同じことを言われました」

 

 ぷんぷんと可愛らしく怒る美九を相手に、八舞姉妹に散々と指摘された未零は困り顔を見せる他ない。

 未零が何かを……精霊たちに何かを与えている。そのことに実感などなかった。未零はただいる(・・)だけ。拾われた生命を、澪の傍で過ごしているだけ。

 けれど、ここにいていいのだと。無意味なものではないのだと。村雨未零という精霊に価値はあるのだと――――――認めて貰えたからこそ、未零の心にこの〝焦り〟と〝困惑〟は生まれたのかもしれない。

 悩みがわからないことが悩みだった。だが、形の見えない悩みがようやく形になってきた気がした。それは、誘宵美九という人々に愛される偶像(アイドル)を見てから、急速に形へと発展し浮かび上がってきたのだ。

 

「……あの二人に教えられたから、というわけではないですけれど、先程のものはそういう義務感からではないです。――――――〝私〟が欲しいもの、〝私〟の願い。それがわからないから、私なりに感覚で行動してみました」

 

「感覚で――――はっ、もしかして私が未零さんの一番に!? やだー、移り変わる禁断の恋じゃないですかー!!」

 

「いやそれはないです」

 

「否定が早いですってばぁ……もう少し浸らせてくれたっていいじゃないですかー」

 

 そうは言っても、事実は事実なので仕方がない。そもそも、一体未零の愛で何に浸れるというのかと不満げな美九に息を吐く。

 兎にも角にも、おかしい(・・・・)と言われた以上、未零の思考停止での活動は少々とズレているのかもしれない。それに、美九に何かを貢いだからといって未零の願いが形になるのもなのか、という疑問は最もだ。

 

「……〝私〟、何がしたいんでしょうね?」

 

「うーん。奉仕がしたいってわけじゃないでしょうしー――――――でも、不思議なことで悩んでますねー。未零さんはちゃんと、自分の〝願い〟を持ってるじゃないですかぁ」

 

「――――――――」

 

 二息で告げられた言の葉は、未零から言葉を失わせた。

 〝持ってる〟。美九はそう言った。答えは未零の中にある。そう言いきったよしのんたちと同じくらい、鮮明に彼女の言霊が脳に響く。

 

「……私の、願い?」

 

「はいー。未零さん、狂三さんに生きていてほしかったって言ってたじゃないですか。私たちもそれに含まれた、って……それだって、未零さんの立派な願いですよー」

 

「っ、……だって、それは――――――もう、叶っています」

 

 それは、名も無き精霊の願いだった。祈りだった。夢だった。叶えてしまったそれを、村雨未零の願いとして機能させたところで、叶えてしまったものに未零は必要ない(・・・・・・・)

 その意味合いを以て否定をした未零に、美九は自身の朗らかに飾られた貌と目を未零へ真っ直ぐ見つめ合わせる。

 

「未零さんは、それでいいんです?」

 

「……いいも、何も……叶えたなら、私は――――――」

 

「私だったら嫌です。私はもっと、歌を届けたい(・・・・・・)

 

 毅然として、その存在感は誘宵美九が持ち合わせるもの。声だけではない。今の彼女は、もたらす全てが偶像(アイドル)として――――――夢に向かって伸びていた。

 

 

「私だったら、歌いたい。歌を聴いてほしい。それで誰かが、だーりんや未零さんが笑顔(・・)になってくれたら嬉しいんです。だから、私はずっと歌い続けます。自分の〝願い〟を、一つ叶えたくらいで止めたくありませんから――――――未零さんは、同じじゃないんですかー?」

 

 

 締め括り、嫋やかな表情と透き通る声を未零へと伝えた。

 

「――――〝私〟の、願いは」

 

 彼女の声は、届いていた。自分自身では駄目でも、村雨未零は誰かの声なら聞き届けることができるのだと。

 願いの〝先〟。その先が、見えなかった――――――見えないと思い込んでいた。切り離していた(・・・・・・・)。見えるわけがなかったのだ。叶えて終わり(・・・)なのだと、思っていた精霊がいたから。

 どうして、〝私〟は笑えるのか。そこに生きていてほしい誰かがいる。だけどそれは、未零が在らずともよかった――――――そうじゃない。おまえは何を願った(・・・・・・・・・)

 

 生きていてほしいと願ったおまえは、どうしてそう願うに至った(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――美九」

 

「はいー?」

 

「……あなたは」

 

 

 ――――――願いの形は、人それぞれだ。

 

 

「私といて――――――笑顔になってくれてる?」

 

「――――当たり前じゃないですかー。未零さんといれば、誰だって笑ってくれますよぉ」

 

 

 それがたとえ、人にとっては当たり前のことでも――――――未零にとって、どうしようもなくかけがえのないものだと、あの瞬間(・・・・)から知っていたはずなのに。

 輝くような満面の笑顔が、それまで持てなかった〝私〟の確信をもたらした。そんな気がした。そうに違いないと思った。

 

「……ふふ、ふふ、あははははは……!」

 

 そしたら、不思議と笑い声が零れ落ちた――――――あの日見せた村雨令音と同じものだと気がついたとき、それがさらに増したように思えた。

 

 

「……そっか。〝私〟は、そうだった――――――ほんと、鈍いなぁ」

 

 

 自分のことになると、恐ろしくそう思えた。まったく、あの人のことを笑えない(・・・・・・・・・・・)

 よしのんの言葉を思い出した。彼女の言ったこと、それこそ真理だと思えた。未零は今の今まで、存在しない答えを探していたのだ。あるはずがない。そこに数式が存在しない以上、それより先の解は存在し得ない。

 未零が答えだと思っていなかった。当然だと初めからあったものが、答えだった。

 最初に、未零は思った。感じた。生きていてほしい――――――それは過程の願いだ。でなければ、未零は別の選択をしていた。狂三の感情など顧みずに、ただ彼女が生きているだけでいいと願っていたはずだ。

 

 難しく、考えすぎていた。未零がほしいものなど、この創り変えられた世界に存在していて、それは未零が手を伸ばせばいつだって見られるもの。そういう世界に、あの二人がしてくれたのだから。

 〝私〟の答えは初めから存在していた。だって、名も無き精霊は、それを受け継いだ村雨未零は感じたのだ――――――あまりにも綺麗なあの瞬間が、堪らなく愛おしいと。

 

 なんてことはない。精霊〈アンノウン〉と村雨未零の差など、たったの一つ――――――その望みの中に、自分自身を数えていいのだという肯定のみだったのだ。

 

「お悩み、解決できたみたいですねー」

 

「……とりあえず、〝私〟のことは。ありがとう、美九」

 

「いえー、お役に立てたなら嬉しいですけど、私だけじゃないと思うので……けどハグはしちゃいますよー!」

 

「……むぐ」

 

 先程と違い、随分と手厚いいつもの抱擁に息が詰まる。とはいえ、彼女のおかげで悩みの一つが打破できたので今は苦しくも心地のよいハグを受け入れるとしよう。

 ――――――彼女だけではない。先へ進もうとする精霊たちの姿に、未零は先延ばしにしていた己の気持ちを整理しようと思えたのだ。

 残る問題は、『声』。そして、

 

「……ところで、姉への贈り物って何がいいと思う?」

 

「えっーと……未零さんは、貢ぎ物から離れた方がいいかもしれませんねー」

 

「…………」

 

 姉への、感情だけなのだろう。

 

 とりあえず、何とも言えない美九の表情をまざまざと見た未零は、贈り物という線からひとまず考えを離すことになった。

 

 ――――わかりやすくていいのと思うのだけれど。贈ればいい、というものでもないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――どう? あの子との生活は順調?」

 

 そう、艦長席を離れ、左方に設えられたクルー席へと琴里は声を飛ばす。

 その席に座る、優秀な機関員であり、琴里の部下であり、かけがえのない無二の親友であり――――――村雨未零の姉、村雨令音は表を上げた。

 

「……順風満帆、と私からは言えるだろうね」

 

「何よそれ。あの子からは違うみたいじゃない」

 

 奇妙な言い回しをする令音に、苦笑気味な笑いを返す。

 令音の表情は穏やかだ。いいや、以前も穏やかなものはあった。しかし、その深い隈はどこか和らいでいるように見える。見慣れていたツギハギだらけのクマぬいぐるみは、今は胸ポケットにはなく、巣立ちを見届けたように家に収められているという――――――ああ、こうして彼女が再びここに座っている奇跡に、琴里は時折泣きそうなほど嬉しくなるときがあるのだ。……司令官として、涙を表にすることはないけれど。

 琴里に言葉の端を指摘された令音が小さく声を零す。

 

「……ふむ、どうだろうね。……少し、悩みのようなものがあるらしい」

 

「――――なんだ、知ってたのね」

 

 肩を竦め、それもそうかと琴里は納得する。未零が今、自身の悩みを零す相手となれば、必然的に令音くらいしか該当しない――――――これを言うと該当者は不機嫌になるのだが、〝彼女〟は未零の悩みを聞けるタイプではないからだ。

 一番大切な人だからこそ、そういうものを無縁として関わり合う。村雨未零という少女は、面倒なきらいがあるのだ。そのことを考慮に入れるなら、打ち明ける対象は令音なのだろうと考える。万由里は打ち明ける前に気づくし、〝彼女〟もそのパターンだろう。令音はその両方、というわけだ。

 

「……全て、というわけではないさ。――――――夢見が悪い、とは言っていたが」

 

「夢見――――それ、大丈夫なの?」

 

 一瞬にして嫌な想像が脳裏を駆け抜け、琴里は渋面を浮かび上がらせながら返す。

 未零の夢見、というと思い浮かぶものは一択だ。琴里は特に、一度少女の本音(・・)を聞いてしまっているから尚更だった。

 懸念に対して琴里を安心させるよう、令音はゆっくり頷いてから言葉を返した。

 

「……君が思うような〝悪夢〟ではないさ。私も含めてね。……ただ、君たちと私たちの夢見の基準が同じとは限らない。それを解明しようにも、難しいということもね」

 

「……そうね。人が寝ている時に見る夢なんて、起きたら基本的に忘れちゃってるものよ。私だって、最近の夢を聞かれたって覚えていないわ(・・・・・・・)顕現装置(リアライザ)を使えば話は違うかもしれないけれど……あなたたちには釈迦に説法かしら」

 

「……いいや。そんなことはないさ」

 

顕現装置(リアライザ)が発明された根本的原因、始源の精霊。その精霊姉妹に提案するには、些か程度が低い提案だと琴里は曖昧な笑みを浮かべざるを得ない。根本を否定はしない令音の謙遜もよくわかる。

 

 

「……できれば、私が解決してあげたいものだ――――――私は、あの子に貰ってばかりだからね」

 

 

 その自然と流れ出た言葉に、琴里は唖然として口を半開きにし、無意識のうちに言葉を吐き出していた。

 まさか、このセリフを自分が言う側(・・・)に回るなど、思いもしなかったけれど。

 

 

「――――この似た者姉妹め」

 

 

 それが褒め言葉であるかどうか、未だ曖昧だと琴里は息を吐いた。

 

 

 







そういえば〈擬象聖堂〉どういう原理で突破したんだ、という美九。愛か、愛なのか?……いやまあ、作中の令音に対する琴里みたいに一回〝そうだ〟と気づければ正体感知だけなら何とかなることもあります。本編みたいに大体手遅れですけれど(

さあ、さあ。ようやくエンジンが入って参りました。真面目な美九をなかなか描けないので良い機会だったんじゃあないかなとか。緩やかな進行となっていますが、未零の答えを得て物語はおしまい――――――なら話は楽なのですけれど。起承転結、転と参りましょうか。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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 未零に未来を予知する力はないが、〝予測〟をすることはできる。というより、そういう〝予測〟は人の思考を持つ者であれば誰もが持ち得る未来予測だ。そもそも、零からの未知という意味を授けられた未零が未来予知の力を持つなど、台無しにもほどがあるため提案されたところで願い下げだが。

 

「……はぁ」

 

 まあ、とにかく未零にはこの状況(・・・・)を予測できていたわけである。ここで未零が言いたいことは、予測できたからと言って必ずしも対処ができるわけではない、ということ。現状、未零が抱える問題の一つがそうであるように。

 阿鼻叫喚、地獄絵図。死屍累々、はまた少し違い、恐らくは未零が訪れなければ発生する未来であろうか。

 兎にも角にも、風貌は二十歳ほどの機能性以外女性としてのあらゆる尊厳を捨て去ったような彼女を見ながら、未零は作業台(・・・)の汚れを拭き取りながら救いの手を差し伸べた。

 

「――――――あと何時間です?」

 

「七時間でぇぇぇぇぇぇぇぇす助けてれーちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 ということは、夕方頃がデッドゾーンかとあごに手を当て作業の計算に入る。

 一息で叫び切る辺りはまだまだ余裕そうだなと、プロの漫画家にして絶賛〝修羅場〟という体験をしている本条二亜へ向かって、半目になって冷たい目線を投げかけた。

 

「……以前の修羅場から感じたのですが、もしや二亜の思考には〝計画性〟の文字が存在しないのです?」

 

「そこまではあるって思っててくれたんだ!? ――――いや、はいすいません。その節は本当に申し訳ありませんでした……」

 

「……できれば、これからはあってほしいものですね」

 

 ないとは思うが、と会話をしながら必死に手を動かす二亜を見て、人間無理なものは無理だろうと未零は既に諦観の念を覚えていた。ジェットコースターばりに緩急の凄まじいスケジュールを少し控えるだけで、こういった二亜の作業環境は比較的マシになると思うのだが、前述の通り不可能なことを可能にすることは困難というもの。

 締切のデッドラインで苦労をするのは二亜だけではない――――――のは、未零にとっては関係のないことだと割り切らせてもらう。心配になるのは二亜自身のことだと渋面を作る。

 

「……こんな生活して、身体を壊して誰かを泣かせても知りませんよ。私だってこうして助けに来られる時が常にある、というわけではないんですから」

 

「うう、すいません……けど、助けに来てくれる前提なのはお姉さん感激だよぉ。まあ前半はちょっとブーメランな気もして――――あいたー!!」

 

 瞬間、スパーン! と一瞬手を止めた二亜の頭をハリセンが直撃した。無論、それは間違っても未零の手によるものではない。

 可愛らしい少女が、黒縁の眼鏡をかけ『制作進行監督役』と書かれた腕章を身に着け、可愛らしさとは裏腹に厳しい顔で二亜へ叱りを飛ばした。

 

「手が止まっています。未零の優しさに漬け込んで仕事を増やさせず、さっさと作業に戻ってください」

 

「はいはい」

 

「〝はい〟は一回」

 

「はーい……くっ、修羅場とはいえロボ子を軽率に雇った己が恨めしい」

 

 ぐぬぬ、と呻きながら少女の感じを受けてペン入れに戻る二亜。少女は未零が訪れるより先に、二亜を監視する役割――先日逃避した前科からか――を担うために雇われたのだろう。

 ――――少女、と一括りにするには少々と複雑な人物だが。彼女は未零にも視線を向け、ぺこりと頭を下げた。

 

「そういうわけで、このズボラな作家に力を貸していただき私が代わって礼を送らせていただきます。――――――ちなみに、特別時給は私と同じ手当てですよ」

 

 瞬時に悪い顔を作れる辺り、そのボディ(・・・)の優秀さがわかるものだろう。

 そう。何を隠そう、彼女は人間ではない。インターフェースボディを得た〈フラクシナス〉の中核を担うシステムAI『MARIA』――――――少女の正体はマリアであったのだ。

 因んでおくと、〈フラクシナス〉に出入りする未零にとっては見慣れた光景であり、特に驚きもなく会話のパスを受け取り、返すことができた。

 

「……特別こだわりがないので、私は遠慮してもいいんですけれど。バイクの礼もありますし」

 

 別段、現金に対してこだわりがあるわけではなく、まして困っているわけでもない未零には心は揺れないことだ。ヘルプで入る程度、それで二亜が助かるというのなら構わないと思っている。

 しかし、未零の対応に異を唱え叫びを上げたのは他でもないその二亜だった。

 

「駄目に決まってるでしょ! いいかねれーちゃん、そういうことをしてるといつか悪い大人に騙されちゃうんだから、働いた報酬はきっちり受け取ること!!」

 

「……ん。それはそうかもですけれど、冷静に考えて時給二万は――――――」

 

「皆まで言うな! れーちゃんの生活面はあたしに任せときんさい!!」

 

「…………」

 

 だから、別に困ってはいないのだが。修羅場でおかしくなったテンションなのか、話の通じない二亜を指差して現場監督のマリアを見てみたものの、とても良い笑顔をしていた――――――次辺りの修羅場、無数のインターフェースボディで毟り取るだけ毟る気だなと気づき、ぽりぽりと頬をかいて曖昧な表情を返した。

 二亜がその場のノリでも納得しているなら、未零としては手助けのしようがない。仕方なしに、もう一人部屋でどことなく涙目で作業をする女性の姿を視界に収めた。

 目を引く淡い色の金髪。似合わぬ黒のジャージ。彼女の風貌は、嫌というほどに見覚えがあった。

 

「な……なぜ私がこのようなことを……」

 

「……で、なぜ彼女がいるんです?」

 

 エレン。エレン・ミラ・メイザース。『以前の世界』では士道たちと敵対したDEMの魔術師(ウィザード)にして、数少ないオリジナルの魔術師(メイガス)、その生き残り。あの男の右腕――――――現職、〈ラタトスク〉の機関員であるエレンの威圧感の見られない姿がそこにはあった。

 身体中が悲鳴を上げているのか、凄まじい倦怠感を覚えさせる表情をしている。だというのに、決して作業の手を止めないのは彼女の性根を何となく感じさせるものだった。

 

「やー、なっつんはタイミングが悪くて捕まらなくて、人手が足りないーって言ったらついでに派遣されてきた。正直、想像以上に何も出来なくてあたしが泣きそうになってる」

 

 ……それに力量がついていっているかは、察するに容易いというものだろう――――――しかし、

 

「……いいんです?」

 

「うんにゃ、よくないからこき使ってる――――――こっちのエレンに罪はないのに、あたしってば悪よのぅ」

 

 集中するエレンに聞こえない程度に、未零へ向けてわざとらしい笑いを返す二亜。それに対し未零は、思考の中にある言葉ではなく、彼女の望む納得を返すことにした。

 

 

「――――――そうですか。わかりました(・・・・・・)

 

 

 二亜がそれで納得しているなら、構わない。二亜がそれで納得しろ(・・・・)と言ってくれるのなら、それもまた是だ。

 本条二亜が望むのなら……『以前の世界』で徹底的な〝報復〟を望んでいたのなら――――――エレンは今、ここにはいないのだろうから。

 特に表情に載せた返し方ではなかったが、二亜はフッと優しげな微笑みを零して、そうして目の前の原稿(きょうてき)へ向き直った。

 

「よし――――――さあ、あたしたちの原稿(デート)を始めようぜ」

 

「格好をつけたところで、怠慢の結果には変わりありませんよ」

 

「ぎゃふん」

 

 まあ、キメ顔はギャフンと言わされ一秒ともたない楽しい現場だと未零は苦笑し、己の仕事に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、お疲れ様でしたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「……思ったより早く終わりましたね」

 

 時計を見遣れば、所要時間は五時間といったところ。切羽詰まった状況の割には、それなりに余裕をもたせることができた、というところであろう。……これを繰り返してしまえば話は別になるのだが。とはいえ、脱稿のテンションで冷却シートをゴミ箱に「超銀河フィニィィィィィィイッシュ!!」などと叫びながら叩き込んでいる二亜に、忠告をしても徒労に終わるのは予想に容易いというもの。

 

「お疲れ様、とは言っておきます。しかし、未零の言う通り彼女がいつも助けられるとは思わないことです。――――ちなみに、代わりに令音を引き抜こうとした場合、火葬が死因になることをお忘れなく」

 

「……」

 

 死んでからではなく、死因そのものが火葬なのは些か無理があるのではないか。そんな困惑顔の未零に何かしらのフォローを入れてくれる人は、あいにくこの場にはいないようだった。

 腕章をと眼鏡を外したマリアは「では、私はこれで。報酬は月末までに口座へ」とクールに去っていった。その顔は『次も必ず呼ばれる』という確信に満ち満ちていた、ような気がした。

 二亜は前述の通りテンションが破壊されて数分は戻りそうにないし、エレンはといえば、

 

「――――――ぐぅ」

 

 返事はある。ただの寝息のようだ。終わった瞬間、死んだように倒れ込んで、死んだように眠ってしまっていた。どうやら、もやし(・・・)と呼ばれる彼女の肉体は、とうに限界を迎えていたようだ。

 これがかの人類最強なのかと思う面と、小学生にも劣る体力にしてはよく保った方か、と二つの相反する思考に自然とため息が零れた。

 

「……はぁ」

 

 もう一つため息。そうしてから、未零はエレンを抱きかかえて(・・・・・・・・・・)、備え付けられた仮眠室にきちんと寝かしつける。一応、女性として最低限の身嗜みを整え、毛布を掛けてから作業場に戻った。機能性が充実していることから、特に体調を損なうということはないだろう。

 ついでに荒れた部屋の掃除をするために崩れた髪を再び纏めあげようとして、誰かの視線が向けられていることに気づく。マリアは帰宅し、エレンは熟睡。該当者は、微笑ましいものを見るような顔をした本条二亜しかいない。

 

「……何か?」

 

 訝しげに視線を向け直すと「んーん」と何もない返事が返ってくるが、その表情は正しく何かがあるといったもので、当然のように二亜は言葉を連ねた。

 

「キミ、ホントに人がいいなぁって。エレンのこと、正直好んでないでしょ?」

 

「……私自身は否定も肯定もしません。私にとってあの人は、関わりのない他人(・・・・・・・・)です。令音やあなたが受け入れるというのなら、私はそれを否定しない。……それだけのことですから」

 

 そう、他人(・・)だ。知り合いの知り合い。恩人の身内。『以前の世界』の悪逆非道を、『この世界』のエレンが背負う理由はない。彼女は、その罪を知らないのだから――――恐らくは、だけれど。

 だから、未零は『この世界』のエレンを嫌うことはないし、かといって好く理由もない。仮に令音や二亜がエレンを排除したい、というのなら未零はその憎悪を否定する謂れはない。だが望まれなかった以上、エレンに対して個人的感情は存在しなかった。それだけの話だ――――――人がいいなどと、そんなわけはない。村雨未零は、あくまで大切な人たちの世界を大切にするだけなのだから。

 あくまで無関心(・・・)を貫き、作業の後片付けを続ける未零に、二亜は苦笑を交えて返してくる。

 

「れーちゃんらしい割り切り方だなぁ。あたしの選択一つってのは、試されてるみたいで悪い気はしないけど――――――あ、そうだそうだ。この後、時間があれば付き合ってほしいところがあるんだけど」

 

「構いませんよ」

 

 即答で返し、荒れ果てた作業場と言う名の戦場跡地の整理整頓を続けていると、今度は何とも言えない視線が注がれていた。さっきから何なのだろうか、と不満になる受け答えをしたつもりはない未零は小首を傾げて何度目かの同じ言葉を返した。

 

「…………何か?」

 

「いやさ。気持ちよく答えてもらえて嬉しいんだけど、れーちゃんに誘いに対する否定という概念はないの?」

 

「……そりゃあ、ありますよ。それを引き受けることが二亜に対する不都合(・・・)になるなら、私は安易に引き受けたりしません」

 

 それでも、なるべく引き受けるだけの何かを捻出する努力はしてみせるだろうが。未零の拒否は、どちらかといえば拒否された(・・・)側の事情が重要になってくるであろう。

 そう返すと、二亜は視線と同様に何とも言えない顔で声を発した。

 

「それは実質、あたしらの頼み事を断らないってことじゃないかにゃあ……」

 

「……そうとも言い換えられますね。私は気にしませんから、ご安心を」

 

「そのうち誰か(・・)が気にすると思うけどねぇ――――――じゃ、ちょっと付き合ってちょうだいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一定の身嗜みを整えて、未零は二亜が運転する車(・・・・・・・・)の助手席に座り、高速で流れる景色を眺めながら声を発した。

 

「……車の免許。持ってたんですね」

 

「こんな言葉を知ってるかい、れーちゃん。証拠に成り下がった資格は――――――」

 

「……それ、前に使ったんですよね」

 

「なぬぅ!? ぐぬぬ、二亜ちゃんとあろうものが完全ネタ被りをしてしまうとは……」

 

 ハンドルを握ると途端、二亜が別人に見えたのだが、悔しがる結局中身は漫画家の二亜らしい――――――そう外面で思わせて、〝大人〟な一面を覗かせるのが本条二亜の本質なのかもしれない。

 悔しがる顔を器用に引っ込め、二亜は改めて話を自身の免許へ戻した。

 

「免許証もちゃんと更新してきたし、そこは安心してくれていいよ」

 

「……ん、常識なのでは?」

 

「そう言ってくれないでよぅ。『この世界』だとどうなってるかとか、思い返すまで時間かかっちゃってさぁ」

 

 困ったように笑みを浮かべた二亜は、比較的安全運転を心がけながら――曰く、何かあったらくるみんに殺されると呟いていた――言葉を続けた。

 

「まあでも、『前の世界』だったら間違いなく免許失効してたし、そこはラッキーだったかなぁ。監禁五年(・・・・)はさすがにねぇ」

 

「……無免許運転にならず、安心しましたよ」

 

 無免許運転で警察に捕まる人気漫画家……なかなか、面白くない光景だ。無難な答えを返しながら、未零も言葉を重ねる。

 

「……変わったんですね」

 

「んー、あの二人、変えない理由がないところは徹底的にやったっぽいよねぇ。ま、あたしが少年たちと出会う過去をなくさない程度に――――――あたしたちの知人も含めて、だとは思うけど」

 

 その考察は間違っていないのだろうな、と未零は二亜と同意見で結論を出していた。

 

「我が儘だよねぇ。都合のいい選択を残しながら、あたしらが出会ったこと、大事なことや人は何一つ取りこぼしたくない、なんて。それくらいの覚悟がなきゃ、こんな大それたことできやしなかったろうけどね」

 

「……それがたった一人、大事な人を手に入れるためだって言うんですから、独裁者の論理も突き抜けていますよ」

 

 無論、未零はそれを批判するつもりなど一切ないけれど。けたけたと笑う二亜だってそうだろう。自分たちは――――――否、精霊たちはあの二人の答えに賛同した共犯者なのだから。

 

「にゃははは、言うねぇれーちゃん。そんな独裁者のくせに、あたしらの人生はきっちりあたしらに選ばせるんだからちゃっかりしてるよねぇ――――――あたしも、似合わず前に進もうかなって考えちゃうわけだ」

 

「っ……」

 

 ――――――〝何か〟を成そうとする意志。それはひたすらに人を成長させる。

 もちろん、失敗することはあるだろう。語り部の二亜とて、その道で知らぬ者はいない漫画家。しかし、精霊として生まれ変わる前に本条二亜という少女は――――――だけど絶望を超えて、二亜もまた成長しようとしている。

 誰もがそうだ。この創り変えられた世界で。優しい世界で、そのことに胡座をかくことなく、誰一人として挫けることなく。真っ直ぐに、眩しく、輝かしく、愛おしさを以て。

 

「……私も」

 

 ぽつりと、零れた。私〝は〟ではなく、私〝も〟と。

 自らの願いを定めた村雨未零は――――――成長という名の先へ、進むことができているのだろうか。

 出来ているなら喜ばしいと、仄かな未零の微笑みを乗せて二亜の駆る車は目的地まで迫ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで」

 

 なすがままに着いてきてから問いかけるのも何なのだが、とは思いながらその口は止まることなく言葉を紡いで行った。

 

「――――――どうして、プールなんです?」

 

 自らの困惑も、水の中でぷかぷかと浮いた状態では色々と台無しだなぁ、なんて考えの未零に、完全にだらけながら身体を浮き上がらせる二亜はグッと親指を立てて応えた。

 

「最近熱いから、打ち上げにはプールかながぼかぼがぼ……」

 

「……意味がわかりませんし、仕事疲れて溺れてるじゃあないですか」

 

 世話が焼けると疲労で沈む二亜を未零は素早く引っ張りあげる。遊びに来てまで大掛かりな人命救助はごめんである。

 引っ張りあげられた二亜は「やーごめんごめん」と言いながら放ってあった浮き輪を引き連れ、今度はそれに挟まるようにぷかぷかと浮き上がる。反省しているようで反省していないし、施設内であっても自由だなと息を吐く。

 

 というのも、未零が二亜に連れられて訪れたのはホテル《・・・》内のフィットネスプールなのだ。

 屋内プール内にはオシャレなカフェまで兼ね備えられており、説明を受けずともわかる超高級な公共施設。まあそれは、ここへ通された時の道なりで嫌というほど理解できていたことだが。

 そのことを考慮に入れ、さらに二亜が初めて訪れたわけではないところを見るに――――――ふむ、と未零は濡れ手をあごに当て声を発した。

 

「……もしかして、さっきの車と同じで、担がれた(・・・・)んです?」

 

「――――――」

 

 答えはなかったが、顔を上げた二亜のニヒルな笑みが答えの代わりだったのだろう。未零が返したのは尊敬より呆れだったけれど。

 ここに来るまで乗ってきた車は、到底普通の稼ぎでは買えない、維持できないような高級車だった。加え、このホテル施設の会員証を二亜が好んで作ったとは思えない。

 ……酒の勢い、あるいは噂程度に聞いた『出版社はヒットを打つと煽てて大きな買い物をさせる』に該当するとしか考えられなかった。二亜が否定をせず決め顔で誤魔化しているところを見るに、両方ともという可能性が濃厚なのだろう。お調子者の二亜らしいと言えば、二亜らしいか。

 

「まーまー、いいじゃないいいじゃない。こうして落ち着けるわけだし。それにぃ……」

 

 にやぁ、という擬音が漫画なら間違いなく表現として書かれるであろう笑みを浮かべた二亜に、未零は思わず悪寒を感じ胸を手で隠した(・・・・・・・)

 プール。それは当然、未零の持ち込んだ私服では入ることはできない。いや、カフェであればそれも叶ったのかもしれないが、二亜はプール側に用事があるのだから未零もそれに付き合うわけで……流れに乗せられて、露出度が高いビキニを着せられてしまったというわけだ。なまじ二亜も揃い種類を選んでいるから、文句が付けられない辺りタチが悪い。

 

「お、いいねぇそのポーズ! えぇもん持ってますなぁお嬢さん、一枚いただき! ささ、もっと目線をこっちこっち!!」

 

「……オヤジですか、あなたは」

 

 いつの間にか防水処理が施された資料用のカメラを構えた二亜に、目線ついでに咎めるようなものを送った。

 

「あぁ!! その蔑むような視線、いい! 癖になっちゃう!!」

 

「…………」

 

 もしかすると、二亜は無敵の人なのではないか。何をしても堪えることがなさそうな――――或いは、後悔しても三歩歩けば忘れるのではないか、という未零の疑問を他所に二亜は流暢な会話のテンポを外さない。

 

「やー、さすがにれーにゃんだと妹ちゃんに焼かれそうだから、れーちゃんが協力してくれると助かるよー。いやほんと……えぇもん、持ってるね」

 

 と思ったが、意外なところでダメージ判定が入っていたようだ。勝手に未零の胸に着目し、浮き輪を外して再び水の中に沈んでいった。なお、その茶番の間もカメラはしっかりと浮上させていた。

 確かに、姉譲りのプロポーションは自分自身で認めるところではある。褒められて嬉しいという気持ちにもなる。が、それを告げればよからぬ予定を企てる可能性があるので、二亜に言うつもりはない。

 

「……まったく、私だからいいですけど、これを他の精霊にしたらセクハラですからね」

 

「いやー、れーちゃんが相手でもセクハラだと思うよ?」

 

「……自覚はあるんじゃあないですか。まさか、この前の狂三にも――――――」

 

「ああ、あれは少年との共謀。参考資料三割、趣味七割」

 

「なお悪いです……!!」

 

 流れ弾で士道への信頼度が下げられた気がした。狂三をある意味で大事にしていると思えて、好感度は上がっていそうなのが困りものだった。そもそも『本条蒼二』の名義で出す雑誌類に必要な参考資料なのか、それは。

 様々な疑問と信頼度の揺れ幅に頭痛の種を増やしながら、悪びれない二亜に声を向けた。

 

「……というか、最初の質問の答えをもらっていないのですが」

 

 何だかんだと流されはしたが、二亜は『どうしてここへ連れてきたのか』という肝心なことへの回答を提示してはいない。偶然なのか、人の気配らしい気配もなく二人きり。精霊二人がわざわざこんな場所を選ぶなど何か話がある、と解釈をするのが普通だ。

 訝しげな未零に、二亜はなんてことがないふうに振る舞いながら言葉を返す。

 

「やー、一人じゃまったく行く気にならなくて、誰かと来たかったってのもあるけど――――――リラックスできるような環境の方が、れーちゃんも話しやすいかなって」

 

「……!!」

 

 二亜の言葉に眉を揺らし、未零はその意図を察した。同時に、たったそれだけのために連れ出した二亜の突飛な発想に苦笑してしまったが。

 普段の二亜とは違う顔は、優しげで真面目で――――――自身の将来という〝夢〟を叶えた人生の先輩がそこにいた。

 

「何を悩んでるかまではわからないけど……れーちゃんがれーちゃんらしく居ればいいさ。キミの中に答えは――――――」

 

「……それは、四糸乃とよしのんから言われました」

 

「…………」

 

 おや? といった顔で首を捻った二亜が、コホンと咳払いをしてから何事も無かったかのように話を続ける。

 

「ほらさ、あたしらのことばかりじゃなくて、もっと自分の欲を持ってその先へ――――――」

 

「……美九から。……そういえば、欲張れという意味では、昔の私が琴里から似たような指摘をされましたね」

 

 欲張ってこれだ、という答え自体は変わっていないが、その範囲は広がっているのだろうと思う。そして、欲の答えこそ、未零がすることが自分自身の幸せ(・・・・・・・)だと気づくことができた。

 

「…………か、身体を動かすと――――――」

 

「……夕弦と耶倶矢に誘われて」

 

「――――――全部じゃん! 全部先回りされてるじゃん!!」

 

 二亜の我慢ゲージが振り切れたのか、派手な水しぶきを上げながら水面にダイブした。律儀なのは、資料撮影用のカメラは空中へ放り投げているところか。しっかりカメラをキャッチし、ついでに水柱で濡れた髪を掻き上げる。……見るからになかなかの衝撃だったが、大丈夫なのだろうか。

 

「……いったぁい……」

 

 大丈夫ではなさそうだった。器用にも正面から飛び込み、腹部を強打して涙目になっている。まったくもって飽きがこない愉快な人である。

 とはいえ、未零の様子から何かを察知して、気を遣ってくれたのは間違いない。頬を緩め、未零は小さく頭を下げた。

 

「……ありがとうございます、二亜。あなたといると楽しく、退屈しません」

 

「このタイミングで言われると嬉しさが複雑だよ……ま、悩みが解決してるなら何よりだよ」

 

 全てが解決したのか、というと嘘になるけれど。そんな考えが曖昧な笑みとなって表へと出ていたのか、聡い二亜は眉根をぴくりと揺らして間延びした声で続けた。

 

「あー……まだ全部ってわけじゃなさそう?」

 

「……ええ。これから〝あの人〟の悩み(・・)をどう解決できるのかとか――――――〝私〟が叶える願いは、本当に〝私〟がしていいことなのか、なんて……」

 

 僅かな迷い。ほんの少しの躊躇い。目を伏せたくなるような、己の感情。それは精霊〈アンノウン〉の残り香であり、己を否定してきた少女のツケなのだろうか。

 自分自身を好きになることに――――――村雨未零にこれ以上の〝価値〟を付けることに、未零自身が恐れを抱いている。

 未零では、そこまでだ。どこまでいっても、未零という精霊は自己の価値を肯定しきる、信じきることができない。

 だから、

 

 

「――――――いいんじゃない。受け取れば(・・・・・)

 

 

 未零は未零を肯定する誰か(・・・・・・・・・)のことを、今は信じられる気がしたのだ。

 

 

「確かに、キミの愛は見返りを求めないものだった。でもね、たとえそれがキミ自身の願いだったとして――――――キミの心が見返りを求めることを、キミが止めちゃいけないとあたしは思うよ」

 

 

 未零が未零を否定しても、目の前で笑顔を見せてくれる人たちは、きっと村雨未零を心から肯定してくれる人たちだから。

 誰も彼もが、そうであったから。論拠の証明は行われ、故に己のために生み出された幸福の結果(・・・・・)を受け取ることができた。

 

「……あなたに、いえ――――――あなた方(・・・・)にそこまで言葉を重ねられれば、〝私〟もようやく納得ができた気がします。心からの感謝を」

 

 何に悩んでいるのかさえわからず、それを形にして、ずっと示されていた己の欲を自覚し、その背を押されてようやく未零は〝私〟の蟠りを呑み込むことができた。

 村雨未零は心から望む。その行為こそが未零の欲に他ならないのだと。その行為によって生まれる愛おしいものは、自らの〝価値〟を同時に肯定するものなのだと。

 

 

『――――いいんだよ、君は生きてて』

 

「……そうだよね、お義兄ちゃん(・・・・・・)

 

 

 去来する言霊を胸に当て、通ずる想いに耽るように目を閉じた。

 一緒にいたい。皆と、共の時間を歩みたい。そこに自分自身がいる必要があるのか――――――そうではない。未零がいたいと思ったから、未零がいることで未零の望みが叶う(・・・・・・・・・・・・・・・・)ことを望んだのだ。

 今になって、やっと己の中にある迷いを認識することができた。誰の影響か――――――あの『声』のせいで、久方ぶりに悩むということをしたせいかもしれない。もしくは、崇宮澪の窮愁(・・・・・・)が見えていたから、だろうか。

 どちらにせよ、今は、

 

「……さて――――――誰の入れ知恵です?」

 

「…………え゛?」

 

 少しばかり、答え合わせ(・・・・・)をしようではないか。

 変わらぬはずの微笑みで二亜へ声をかけると、彼女は露骨に動揺して上擦った声を上げる。

 

「……そりゃあ、わからないはずがないでしょう。私の感情表現、万由里にも太鼓判を押されるくらい乏しいそうですよ?」

 

「そっかー、あたしの察しが素晴らしいってことだねぇ。アッハッハッハッハッ」

 

「……〝私〟自身の悩み、先日の時点でほぼ解決していたので、感情表現で悟られるはずがないんですよねぇ」

 

 二亜は悩みを解決できるかもしれないとここへ連れてきたのだろうが、仮に悟られていたとして解決済み(・・・・)の案件を察するのは時間がズレすぎている。これが美九の前であれば、二亜の行動は自然さを保つことができたであろう。が、美九との対話を終えた未零が相手では不自然さが先行してしまった。

 八舞姉妹にはシラを切り通されたが、ボロを出した二亜を逃がすつもりはない。笑いながらさり気なく水の流れに乗る二亜の捕まえて、しっかりと両の頬を手で挟んで正面から向き合わせた。

 

「……二ー亜ー」

 

「も、もーくーひーけーんー」

 

「……」

 

 ここで『次は手伝いませんよ』と脅し文句を入れれば陥落する気はしたが、脅しとしては手段が卑怯であるし、未零を思っての行動は本当のこと。それは些かはばかられた。

 こういう時は、素直な引っ掛け(・・・・)が一番だろうと、未零はわざと息を吐いてある人物の名を挙げた。

 

「……士道ですか。まったく、あの人は……」

 

「へ、なんでわかっ――――――」

 

 かかった。確信を以て未零が目を細めれば、二亜はあからさまに『あ、やっべ』という表情で目を逸らし始める。駆け引きが得意な二亜にしては珍しい失策だったが、内心の警戒が強い人ほど軽い引っ掛けにはかかるものだ。

 まあ、一概に二亜が悪いというわけではない。未零を案じて誰かに相談をする候補らしい候補など、現状では限られている。それでいて、二亜が悩みを見抜いて「まーまー打ち明けてみなさいって。おねーさんに任せんさい!」などと大見得を切る可能性があるのは、まず間違いなく士道だった。

 相変わらず、何があっても放って置くことをしないお人好し具合を思い知り、二亜の頬から手を離して呆れ気味な声音を発する。

 

「……私に構う必要はないでしょうに」

 

「卑屈なところは治ってないねぇ……まーそう言うなってれーちゃんや。少年だって心配なんだよ。れーちゃんが無理してないか、って」

 

「……どの口が。だから相談なんかできない(・・・・・・・・・)んですよ。……今の、あの人たちには」

 

 それもわざわざ、未零が懸念した何の根拠もない不安のために、だ。そんなことができるわけがない。

 これが仮に未零自身の問題だけなら、未零とて避けることはなかった。しかし、万が一にもあの二人を動かす事態が訪れる〝可能性〟があるなら、未零は極力避ける方針を取らざるを得ない。

 ――――あの二人が得た力とは、そういうものなのだから。

 そう言った未零を見て、何かしらの確信を得たように二亜は鋭く目を細めた(・・・・・・・・・・)

 

「それ――――――あたしが視た変な夢(・・・)と、最近のれーちゃんの行動に関係あったりする?」

 

「――――っ」

 

 まさか、ど真ん中(・・・・)を二亜から撃ち抜いてくるとは思ってもみなかった。瞳孔を僅かに見開き、さしもの未零も二亜の真剣な面持ちに息を呑む。

 適温で保たれた水気が、身体を急速に冷やすような感覚が襲う。見つけたくはなかった――――――二人目が見つかった。

 

「……お聞きします。それは覚えていましたか? それとも、思い出しましたか(・・・・・・・・)?」

 

「後者、かな。見た日にゃあ飛び起きたってもんだけど、不思議なことに何を見たのかさえ覚えてなかった。それが、れーちゃんと会ってから思い出していった。――――――ありがた迷惑でここまでしてくれたら、ただの夢じゃないってのはあたしの中の直感が悟ってくれるさね」

 

 やはり、折紙と同じ。否、二亜のそれは折紙よりも確信という形を得たものだと、二亜のいつになく真に迫る表情から推測ができた。

 隠し立ては必要ない。冷えた息を吸い込み、熱を持つ胸に水で冷やした手を押し当て、声を発した。

 

 

「……もう一つ――――――その夢は、『獣』に襲われる夢でしたか?」

 

「――――――ビンゴ。まさにって感じだよ」

 

 

 未零が受け取った夢と乖離した『獣』の夢。折紙が見たそれは、折紙を『獣』の〝爪〟が切り裂く悪夢だったという。ならば、二亜も同じであろう。それを示すかのように、二亜はあえて平坦な声音を保ち続ける。

 

「悪夢にしちゃあリアリティがありすぎだったねぇ。もっと早くに知れたら、あの感覚(・・・・)を漫画に取り入れられたのに、とか考えるくらいには」

 

「…………二亜」

 

「ん、ごめんごめん。キミにする話題じゃなかった。――――――けど、あたし(本条二亜)が体験したもの。そう誤解してもおかしくないくらい、あの夢が現実と見間違いそうになった。今にして思えば、だけどね」

 

 負の想像は、未零にとって不快感を顕にする結果を予測させる。謝罪を口にしながら肩を竦めた二亜は、なおも言葉を連ねた。思わず、未零が眉根を動かし意外な反応を示すような言葉を。

 

「でもねぇ……夢のあたしに、殺されそうなあたし(・・・・・・・・・)に、恐怖も怒りもなかった(・・・・・・・・・・)

 

「……え?」

 

「……そんな気がするだけだけどね。あったのは後悔とか、疑問とか――――――憐れみ。憐憫(・・)、かな。とにかく、あの『獣』を恨む気持ちを、あのあたしは持ってなかったんだよねぇ」

 

殺される(・・・・)ことへの恨みつらみではなく、殺してくる相手への憐れみ(・・・・・・・)。恐ろしく不可解であり、事情がわからなければ理解し難い感情だろう。

 すると、ここまで真剣な面持ちだった二亜がフッと表情を明るくした。

 

「ま、所詮はただの夢だし、あたしの妄想を真面目に受け取る必要ないっしょ――――――って、れーちゃんが知らなかったら言うつもりだったんだけどねぇ」

 

「……ええ。二亜、申し訳ありませんが――――――」

 

「わかってる。皆まで言うなってね――――――」

 

 返し、水滴を零す手を二亜が掲げ、滴る水が光によって弾け飛ぶ。

 

 

「――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉」

 

 

 本と呼ぶには、あまりに荘厳である。神の御使い、その名に相応しき権能を振るう天使――――全知の天使〈囁告篇帙(ラジエル)

 そう。情報という絶対の知恵において、全知の力を持つ天使。幸運、というべきなのか。未零が警戒を強めざるを得ない二人目が、かの天使を持つ二亜であったのだ。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉はこの『世界』の知識。それを主へと伝え得るもの。理屈などなく、天使とは不条理の上に成り立つ結果をもたらす力(・・・・・・・)

 かつて〈囁告篇帙(ラジエル)〉の絶対的な権能を手にしていたが故に、その不条理であり書の天使が持つ『識る』という権能が機能しないことはまず有り得ない。

 

「っ――――?」

 

 その不条理を、異なる条理を以て(・・・・・・・・)覆すことがなければ。

 光り輝く紙面に触れた二亜が、見たことのない不可解な表情で動揺を見せた。まさか、と未零は心臓の鼓動の早鳴りを抑え、声をかける。

 

「……二亜、〈囁告篇帙(ラジエル)〉は……」

 

「…………いや、これは参った。安心して、機能はしてる。あたしが見たものは予知夢じゃない、ってことも理解できる――――――でも、それ以上は〈囁告篇帙(ラジエル)〉には載ってない(・・・・・)

 

 奇妙で、言い得て妙な言い回しだ。しかし、未零には理解できた。即座に二亜の知り得た情報、そうでないものを理解して返す。

 

 

「――――――この世界(・・・・)の中に、私たちが望む情報が存在しない。ということです?」

 

 

 つまり、『この世界』にその『夢』の原因、繋がり合う知識が存在しない(・・・・・)

 未零の言葉を、二亜がうなずき言葉として返す。

 

「概ね、その解釈で間違いないかな。れーちゃんやれーにゃんみたいな特例でもなく、知識が存在しない(・・・・・・・・)んだよね。言い換えれば、因果がこの世界にない、かな――――――変な話だよね。だったら、あたしが視た夢はどこが原因なのさ(・・・・・・・・)

 

 原因がなければ、結果は起こり得ない。結果だけをもたらす力は、因果を歪めるものだ。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉の知識にはない。だが、こちら側で引き起こされた事象。致命的なまでに、その理論は矛盾していた。

 

「で……ついでにそうなった原因(・・・・・・・)についても探ってみたんだけど、難しい答えを返してきてくれたよ。翻訳するのはあたしだってのに、優しくない天使様だこと」

 

「……結果は?」

 

 難しかろうと、それは知らねばならぬことだ。急かすように促す未零に、二亜は唇を固く結び直し、それから重苦しく口を開いた。

 

 

「――――――どこかの〝何か〟と、繋がりかけてる(・・・・)。言葉にしたら、そうなるかな」

 

 

 繋がりかけた〝何か〟――――――繋がりかけた、世界(・・)

 

 

『――――――とどけて』

 

 

 理解が追いつき始めた。理屈的思考ではなく、同一存在の干渉(・・・・・・・)として。

 

「……二亜。私の情報を全て渡します。それを琴里へ伝えてくれますか? 令音が一緒にいるのであれば、話は通しやすいはずです」

 

「おっけー。……ちなみにれーちゃん、何する気? まさか、こっちと繋げる(・・・)の?」

 

 繋げる。そう、知識が僅かに零れ落ちた現状は、繋ぎ(・・)さえすれば全てが明かされるのであろう。そして、解決策(・・・)も同時に提示されるはずだ。

 この世界にはそれだけの力が揃い、それだけの〝歪み〟がある。予感ではあるが、この問題はこちら側に出てきさえすれば問題にはならない(・・・・・・・・)のだ。

 

 

「いいえ――――――()、ですよ」

 

 

 それ故に――――――村雨未零は、彼女の望みを叶える(・・・・・・・・・)ため、力を尽くすのみなのだ。

 

 

 






人間関係据え置きのスーパー仕様。美九の過去などはどうでしょうね。想像におまかせしますが、相手方は顔面が凹むくらいで済んでればいいですね、なんてね。

さあエンジンに火をつけて。ここから終盤戦、一気に行きます。未零が振り切れたからこそここから。ところで――――この章のタイトルはなーんだ?

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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 村雨未零――――――というより、重ねるように精霊〈アンノウン〉の事柄になるのだが。少女は食文化というものにあまり精通はしていなかった。

 腐っても精霊、というのは第一に。少女の好みは基本的に狂三が作るもの(・・・・・・・)で構成されていた。料理しかり、和菓子洋菓子しかりだ。それ以外は、形ばかりに道化の気まぐれといったところだ。

 とはいうものの、幸い人の構造に欠かせない五感には恵まれたらしく、何を美味とし何を不味と定義するかは好みを中立にした常人のそれと変わらぬものだった。例にあげれば士道の料理は美味しいと感じ、ウェストコットが選んだ料理は彼が選んだという事実さえ目を背ければ賞賛に値する。

 

 最終的に、何が言いたいかと言えば――――――

 

「……美味しい」

 

 連れて来られたハンバーグ専門店の肉は、未零をして美味と感じるものだったということだ。

 ナイフとフォークを使い、一口。口に広がる重厚な肉の塊。その重圧な肉厚は、煮込まれたソースと肉汁が存分に存在を示し、口内を旨味が蹂躙する。

 なるほど、正しく名店と言えるだろう。

 

「…………」

 

 まあ、目の前の肉塊が未零の小顔を上回る大きさをしていなければ、もう少し気に入っていたかもしれないけれど。

 未零が一口を進める間、対面に座りナイフとフォークを巧みに操り豪快に喰らい尽くす少女の姿は、さぞ対比の標本として優秀だと遠い目をした。

 食に真摯でありながら、鋭い感の良さで未零の様子に気がついたのだろう。少女は一瞬手の動きを止めて、その水晶のように透き通る瞳に未零を映し出した。

 

「む……どうかしたのか、未零。もしや口に合わなかったのか……?」

 

「……いえ。味はとても好みですよ…………量は好みではありませんけれど」

 

 少女の笑顔(ぜんい)を曇らせないために、最後はほぼ内心に等しい声だった。こちらを笑顔で見ている豪快な店主にも悪いし、確認を取らず少女に注文を任せた未零の罪だ。

 未零の失策があったとすれば、少女の胃袋を信用して、なおかつ把握しきれていなかったこと。確かに味は保証されたが、量は通常とは逆の意味で保証されなかった。ちなみに補足しておくが、未零の食は太い方ではない。そのことを加味しての量(・・・・・・・・・・・)を選んでくれたのは、把握不足というよりは許容量が違いすぎると言うべきか。

 若干の困り顔を誤魔化しながら返すと、少女が「そうか!」と元気に言葉を発した。どうやら、上手く美味だということだけは伝わったようである。

 

「……ただ、少し完食に時間がかかるかもしれません」

 

「うむ、遠慮することはない。ゆっくり味わうとよいぞ――――――店長、サイコロステーキを頼む!!」

 

「…………」

 

 宵闇の麗しい髪色が、一つ料理を頼むごとにその輝きを増しているかのようだったと、後に未零は己の日記にそう纏めることになった。

 屈託のない笑顔。この世のものとは思えぬ絶美――――――精霊・夜刀神十香。

似て非なる生まれながら(・・・・・・・・・・・)、どうしてここまで許容量に差ができてしまうのか。是非とも、造物主もとい姉上様には問うてみたいことだと、未零はまた一口肉を運びながら遠い目で考えるのだった。……本当に、味はしっかりと美味なのが救いである。

 

「……ふぅ」

 

 完食の息を吐いたのは、開幕から約一時間後の出来事であった。この炭焼きジャンボハンバーグDX――店主曰く、最近になって進化という名の増量を施したらしい。タイミングが悪いことである――を、こうして時間をかけてどうにか解体することが叶った。かなりの強敵であったが、何だかんだと十香と似た作りが幸を奏したのかもしれない。

 

「……ごちそうさまでした」

 

「うむ!」

 

 ――――なお、未零がこの一食を解体する間に、十香は五食は喰らい尽くしていたと言っておく。

 許容量はともかく、早食いの才能は十香にしかないと判断を下し満足を込めた息を吐いた。注釈としては、十香の五食は十香の一食に満たないという、文字では言い表せない矛盾があるというオチが含まれているのだが、未零が気にすることではないだろう。

 

「しかし……珍しいではないか。未零からこうして誘いをかけてくるとは。私は嬉しいぞ!」

 

 意気揚々と山盛りハッシュドポテトを解体せしめながら、十香がそう未零に話を振ってくる。

 

「……そうですかね――――――いえ、そうでしたね」

 

 一言目を入れてから、未零は自身の行動を思い起こして苦笑を零した。確かに、十香の言う通りだった。こうして誰かに昼食の誘いをするなど、つい先日までの未零ならば考えもしなかったことだ。

 色々と事情が重なっているとはいえ、一つ答えを見つけたというだけで発想に浮かぶものなのかと、未零自身が驚くほどだった。

 

「……まあ、たまにはと思いましてね。十香は変わらずお元気そう……なのは見ればわかることですが」

 

 小一時間、食の許容量でわかってしまうことではあった。一応、今回はそういう確認の面もあったのだが、意図せずして問うまでもないことになったか。

 未零の表現に十香が小首を傾げ声を発する。

 

「うむ、私はいつでも変わらぬぞ。それがどうかしたのか?」

 

「……ええ、そのことに安心をしているのです。――――――あなたは、特別ですから」

 

 それは、以前――――『この世界』に移り変わってから、今一度(・・・)彼女に伝えたことであった。

 夜刀神十香は、特別(・・)だ。二度は生まれぬであろう精霊の特異点。霊結晶(セフィラ)の特異点。彼女は崇宮澪の感情、祈りの体現者。こういう言い方をしては語弊が生じ、さらに十香と比べることは失礼に値するというものだが――――――十香と未零は、唯一出自を同じとした純粋な精霊(・・・・・)なのだ。

 精霊としての機能を考慮に入れれば、十香は未零より余程〝始原の精霊〟に近しいと言える。未零が勝る点は、澪と限りなく同一の肉体を有し、澪の力を取り入れ(・・・・・・・・)不具合なく適合(・・・・・・・)できる程度。それが第二の〝始原の精霊〟を相手に、あの一度きりの奇跡を起こすに至ったということだ。

 だが、十香と未零が必ず共通している事柄が一つだけ存在する。二人は、人としての器を持たない(・・・・・・・・・・・)。故に名がなく、故に〝始原の精霊〟と近しい――――――故に、

 

「澪の消滅は、私たちの消滅(・・・・・・)という話か」

 

 崇宮澪の生死は、十香と未零の生死に直結している。切り離しようのない、直列の事象である。

 未だに、そのことに言いようのない罪過(・・)を感じる未零に、十香は眩しすぎるほど清々しい微笑みを以て応えた。

 

「気にするな。……と言っても、おまえは気にしてしまうのだろうな」

 

「……性分、なのでしょうね。私はそれを知っていて、一つの選択肢(・・・・・・)にしていました。澪と同じことをしていた私の、忘れてはならない過去です。……付き合わせてしまって、ごめんなさい」

 

 深々と頭を下げれば、十香の困った雰囲気が伝わってくる。それは、そうだろう。起こり得なかった可能性の話だ。結局、これは未零が通すべき筋であり、未零の自己満足(・・・・・・・)でしかない。

 未零が手にしていた選択肢の一つ。『時崎狂三』が単独で実行する過去改変(・・・・・・・・・・・)。『この世界』が存在する奇跡は、未零が消滅した後に士道たち全員(・・)が繋ぎ止めたもの。狂三一人では、未零の霊結晶(セフィラ)があるといえど限界は透けて見える。始原の精霊の〝消滅〟という絶対的事象は必須事項――――――即ち、十香の存在を知った時点で、未零の選択肢は常に十香の死(・・・・)と隣り合わせだったと言える。

 

「構わぬ。未零の気が晴れるというのなら、いくらでも付き合おう。しかし、だからこそあのとき(・・・・)、私を思ってくれたから躊躇って(・・・・)くれたのだろう?」

 

「っ……」

 

「ならば光栄だ。私の存在が、おまえを繋ぎ止める一つの楔の役目を果たした。私は自分の存在に感謝を覚える――――――通り過ぎた未来で、シドーと狂三を救えたこともだ!!」

 

 どこまでも輝かしく、愛おしく、誇りを感じさせる生き様。狂三の大切な人だったから、なんて言い訳すら呑み込んでしまうほどに、それだけで未零を救う(・・・・・)言葉と自信を持って。

 誰一人、欠けてはならなかった。全ての道を束ね、こうして奇跡を謳歌している。『夢の声』を聞いてから、ひたすらに過去の精算をしていると自身で自嘲めいたものを感じていたが――――――胸を張って生きる精霊たちを見れただけで、それは無駄ではなかったと考えられる。

 文字通りに胸を張った十香に、未零は頬の緊張をようやく和らげて穏やかな息を吐き出すことができた。

 

 

「……ええ。本当に、あなたがいてくれて――――――澪があなたを生かしてくれて、良かった」

 

 

 それは、かつて(・・・)の記録。十香が生み出された瞬間の記録。

 

「――――――ふん。嫌な記憶を思い起こさせてくれる」

 

 ――――――それは、〝彼女〟が生まれた記憶(・・)でもあった。

 

「……あなた(・・・)は」

 

 一瞬にして、移り変わった。未零が僅かに霊力を行使し、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の認識消失を行っていなければ、その変化は対外にすら知れ渡るほどだったであろう。否、未零のみを護るこの天使では防ぎきれているとは言い難いかもしれない。

 それほどなまでに、未零が目を細めるほどに、夜刀神十香の纏う空気そのものが一変した。穏やかだった紫紺の色彩が、戦場の十香のように鋭く、さらに濃く、鮮烈に。

 

 ――――――精霊の霊結晶(セフィラ)は、本来であれば反転(・・)状態が正常、或いは初期化(・・・)の状態と言える。『この世界』ではともかく、『以前の世界』ではそうであった。

 では、澪の同一体でありながらイレギュラーの未零。それとは違うイレギュラーでありながら、澪手ずから生み出された十香の霊結晶(セフィラ)はどうだったのか。

 答えは、〝彼女〟そのもの。訝しげに張り付けた疑念が伝わったのか、〝彼女〟は唇を吊り上げながら声を発した。

 

「ほう。少しはマシな顔が出来るようなったか」

 

「……どうして、あなたが」

 

 すると、〝彼女〟は十香と同じ貌を不機嫌――そうに見えるだけだと思ったが――に歪めた。

 

「叩き起された。貴様が知りたがっている声(・・・・・・・・・・・・)にな。――――――ちっ、我ながら(・・・・)人使いが荒い」

 

 言って、〝彼女〟――――――反転十香(・・・・)は未零の眼前に置いてあるポテトを奪い取るように手にし、苛立ちの解消なのか乱雑に口に収めた。……元々、十香に譲る予定のものだったが、相変わらずの傍若無人に未零は僅かながらの懐かしさを感じた。といっても、彼女との対面は未零の記憶では(・・・・・・・)一度きりなのだけれど。

 本来、十香の裡に潜む彼女の人格は表に出ることはない。それは彼女自身望んでいることであるのは明白。つまり、言葉通りに受け取ることで未零は十香に求めるもう一つのもの――――――この世界に迫る者(・・・・・・・・)を知ることができるはずだ。

 

「……この際、深い事情は問いません。その『声』というものは――――――」

 

「詳しくは知らん。が、貴様が受け取ったであろうものとは違う。アレ(・・)は今の私には関わりがない。――――――十香が聞いたものは〝叫び〟だ」

 

「……〝叫び〟?」

 

 未零が受け入れた『夢の声』とは違うものを、十香も受け取っていた。恐らく、彼女の物言いから察するにそれは内なる『十香』の手で捌かれたのだろう。

 彼女は〝叫び〟を受け入れ、それを伝えるために起き上がった。では、その〝叫び〟とは何なのか。追求するように言葉を反復した未零に対し、彼女は鼻を鳴らして応えた。

 

「満たされぬ絶望。取り戻せぬ絶望。言の葉にするは容易く、しかしあの〝叫び〟はそれが何かさえ理解する心を失いかけているのだろうよ」

 

「……反転を超える絶望(・・・・・・・・)、ということです?」

 

「ふん。好きに解釈しろ。二度同じことは言わん」

 

 彼女はそうして腕を組み、一度目を伏せる。しかし、閉じる直前に見た彼女の瞳には、隠し切れぬ悲しみがあったように思えて、未零は眉を下げた。

 負の感情が極限まで達したとき、霊結晶(セフィラ)は属性反転を引き起こす。仕組みはそうだ。それにより引き起こされる現象は別人格の顕現。例えばそれは、〝彼女〟のように霊結晶(セフィラ)に宿った初期人格であったり、その者が持つ別人格ということも有り得る。

 だが、反転存在、純然たる魔王の化身である〝彼女〟が口にするほどの『絶望』など、普通の反転現象で表して良いものではないと未零は予測する。

 

 ――――――或いは、崇宮澪が覚えた原初の絶望(・・・・・)に迫るものがあるとすれば。

 それが、『この世界』に迫り来る〝叫び〟に関わっているとすれば。

 飛躍としか思えぬ理論。だが、その程度の飛躍は未零ではなく『声』が補完しているように思えた。十香が〝叫び〟を察知するほど近づいているおかげなのか、奇妙な話ではあるが未零の感覚も鋭くなってきている。

 

「……では、あなたを目覚めさせた者は」

 

「その〝叫び〟の内側にいる者。……ふっ、自分自身(・・・・)に泣きつくとは、我ながら情けない」

 

「……いや」

 

 絶対、『――を助けねば殺すぞ』とか言う脅し文句を伝えにきた気がしてならない。〝彼女〟はそういうことを言うし、けれど〝彼女〟自身は自分に厳しい。それでいて十香には優しいのだ。まったくもって複雑怪奇だが、未零だからこそ気持ちはわからなくもないと苦笑を零す。

 ここまで答えを提示されれば、迫り来る〝叫び〟の正体は知れるというもの。もっとも、知らずとも未零の取るべき選択は変わらない。

 

「して、貴様は私からこれを聞き出し、どうするつもりだ。貴様はあの〝叫び〟を救えるのか?」

 

 ここで〝彼女〟の求める答えは、間違いなく士道や狂三たちと同じものなのだろう。未零とて、同じであったかもしれない。

 だから、

 

 

「――――――救いません。私は(・・)、その〝叫び〟を救えない」

 

 

 未零は、その選択を選び取らない(・・・・)

 

「――――――――」

 

 正面から拒絶を返した未零に注がれる紫紺の瞳。宿るものは、何か。魔王の化身は、ただ未零を見つめる。

 幾秒。或いは数分であろうか。

 

「……勝手にするがいい」

 

 零れ落ちたものは、殺意ではなく穏やかな声音だった。

 

「……任せてもらえるのですか?」

 

「知るか。私はどの道動けんし、動く気もない。貴様が無理なら、あの男か修羅が動くだろう。あれほどふざけたことをしたのだ、してもらわねば興が冷める」

 

「……なるほど。それでは、任されたと解釈させていただきます」

 

「ちっ……」

 

 きっと、何を返したところで苛立たしげな舌打ちは返されるのだろうと、未零はフッと微笑みを零した。

 夜刀神十香。『十香』。霊結晶(セフィラ)生成の折、澪が余計な犠牲の少ない(・・・・・・・・・)方法を生み出し、その実験で生み出された純粋な精霊。未零が知ったのは〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手にし、限りなく澪に近づいたことで未零が生まれた後の精霊生成を記録として閲覧することができたときのこと。

霊結晶(セフィラ)は込める色によって属性を変える。それを感情と言い変えよう。未零が寄り添う精霊の色へ霊結晶(セフィラ)を変えることができるのは、澪が澪を殺せる存在として自分自身を表現した以外にも、消滅を望む彼女の感情が『無』であったからに他ならない。

 ならば、ああ、ああ。『十香』に込められた、産み落とすに至る感情は――――――澪をして、澪を滅ぼす存在だと予見を覚えさせた感情は。

 

 

「……ありがとう、『十香』。今なら言える――――――あなたの()に変わり、あなたに感謝と祝福を」

 

 

 ――――――崇宮澪の原動力。その身を焼き焦がす『恋心』こそが祈りであった。

 

 それは罪だったのかもしれない。

 それは毒だったのかもしれない。

 

 けれどそれは、澪が抱いた感情は――――――決して、間違いなどではなかった。それを夜刀神十香は証明してくれている。今は彼女たちという存在が生まれたことを、未零は祝福を以て受け止めることができた。

 故に、少女は贈ろう。届くことのなかった言霊を、正しい形で。

 

 

「……ようこそ、我が姉の娘よ。――――――この優しい世界(・・・・・)へ」

 

 

 未零は呟くようにそう言い、『十香』へ慈しみの微笑みを送り届けた。

 

 

「ふっ――――――一応は、受け取っておいてやる」

 

 

 『十香』は仏頂面で、変わらずぶっきらぼうにそう返して――――――紫紺の瞳が、穏やかな色彩を映し出した。

 

「む……?」

 

彼女(・・)は、何かしらの違和感を感じて何度か目を瞬かせていた。その動作で、未零は確信を持つ。表に出た人格が、裏側に戻ったのだと。

 

「……結局、どうやって出てきたのかは聞き損ねましたね」

 

 起こされた、とは言っていたものの。如何にして精神が安定している十香と入れ替わったのか、その理屈は未零の知識を持ってしても知りようがないこと。

 単なる偶然か。それとも彼女を知るお人好し(・・・・・・・・・)が仕込んだのか。

 

「未零、私は今何をしていたのだ……?」

 

「……そうですねぇ。――――――あなたを大好きな人とお話をしていましたよ」

 

 そうだ。どうであれ、〝彼女〟が傲岸で不遜で乱暴で――――――けれどその瞳は、十香と同じ色を映していたのは真実だから。

 おどけるように告げた未零に、十香は理屈はわからないが感覚は何となくわかる、と言いたげに首を傾げながら不思議そうな顔をする。

 はてさて、十香が『十香』と出会うのはいつの日になるのか。お人好し(・・・・)が痺れを切らさなければよいが。などと内心で笑みを浮かべて、未零が再び十香との日常を謳歌しようとした。

 

 その瞬間、

 

「な――――――」

 

「……!!」

 

 十香が呆然とした声を零し、未零が目を見開く。それは自分たちならば当然で、知識がなければ理解し難いものだろう。

 響き渡る音。意図的にそう作られているのだろう。その音は、街中に広く大きく絶対的な音として轟く。

 天宮市の空に響き渡る不穏な警報――――――空間震警報(・・・・・)

 

「馬鹿な。なぜ……」

 

 半年もの間、沈黙を保っていた。至極当然の理屈があり、十香が信じられぬのも無理はない。空間震とは、精霊が隣界より現れ出ため発生する現象。

 だがその精霊は、空間震を引き起こせるだけの精霊は、全て出揃っている(・・・・・・・・)。あまりに単純な理屈だ。空間震が起こるわけがない。その因果と輪廻は、あの二人が断ち切ったはずなのだから。

 ああ。そうであるからこそ、理由など一つしかありえない(・・・・・・・・・・・・・)。店主が慌てて客を誘導しながら、いつまでも動かない十香たちの下へも駆け寄ってくるのが見える。

 

「……十香、今日のお会計です。――――――私、行かないと」

 

 次の瞬間、未零は駆け出した。

 

「っ、待て未零! どこへ行く……!?」

 

 十香の反応は素早かった。が、彼女が未零の置いたものに一瞬気を取られた以上、未零が飛び出す方が圧倒的に速い。

 店を出る一瞬に未零は十香と視線を交わらせて、答え(・・)を明確に返した。

 

 

「――――――この現象の中心へ」

 

 

 未零には、向かうだけの〝理由〟があるから。

 

「――――――――」

 

 久方ぶりの空間震に驚きながら、速やかに避難をする住民たちとすれ違いを続ける。数分足らず、街中から人気という人気が消えていた。その懐かしさに浸る暇もなく、未零は神経を集中し封印された霊力を引き出した(・・・・・・・・・・・・・)

 

 白の外装。現れた純白の天使を手に取り、身に纏う。足に力を集中し、一足飛びに感覚の中心へ飛び立つ――――――まさに、その時(・・・)

 

 

「――――――どこへ行くおつもりですの?」

 

 

 その、美声が奏でる蠱惑の呼び声に、未零の足は止まる。止まらざるを得なかった。

 

「っ……」

 

 眼前に、彼女はいた。婉容なりて、淑やかなりて、嫋やかなりて、端麗なりて――――――誰より苛烈であり、誰より優しい精霊。

 紅の瞳と、僅かに覗く金色の時計盤(・・・・・・)が少女を映し出した。封印されてなお、それを望んでなお、彼女を示す絶対の証。

 揺れる黒髪。こつり、こつりと靴音を奏で、動きを止めた未零の眼前へ迫り、その手を取った(・・・・・・・)

 

 

「わたくしが、あなたを行かせると思いまして――――――未零」

 

「……思わないよ。けど、だからお願い。私を行かせて――――――狂三」

 

 

 未零の全て。未零の原初。未零の中心。それら全ての表現でさえ足りない。彼女は――――――時崎狂三は、息を呑む未零の前に立ち塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少し目を離したら、すぐこう(・・)ですわ。まったく、油断も隙もありませんこと」

 

 思えば、少女の手を握ることはそう多くなかったかもしれない。精霊〈ナイトメア〉と精霊〈アンノウン〉は、そういったものを馴れ合いと定義し相容れることはなかったからだ。

 故に、今狂三が少女の手を握るのは精霊としてではない。村雨未零の友人として(・・・・・・・・・・)、大切だからこそ手を取って止めるのだ。

 

「……さすがに、耳が早いね」

 

 白の外装を纏った未零と対面するのは、実に半年ぶりである。その戦装束(・・・)、精霊〈アンノウン〉が持つ不可侵の鎧を纏い、狂三の行動に苦笑を浮かべた未零へ狂三は鋭く言葉を投げかけた。

 

「令音先生と共謀して、随分と好きに動いていたではありませんの。その程度なら見過ごせようものでしょうけれど――――――さて、さて、一人で何をしようといいますの(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

 狂三の問いに、少女はかつてのように口を噤む。

 村雨未零が個人で、それも精霊たちと関わるというのなら過干渉は必要ない。罷り通る事象であると言い切ろう。

 だが、アレ(・・)は見過ごすことができない。今この瞬間も近づいてきている。数分前までは狂三や〈フラクシナス〉でさえ感知できなかった驚異的な〝霊力〟――――――壁一枚という絶対的な領域を挟んだ向こう側で、アレ(・・)は存在している。否、進行している(・・・・・・)

 その中心へ単独で(・・・)向かおうとしている未零は、真っ当な理論を組み立てれば気が狂っているとしか言えないのだ。

 

「……どうしても、行かせてくれない?」

 

「愚問ですわね」

 

「……じゃあ、聞かせて――――――狂三、これは一回目(・・・)?」

 

「――――――――――」

 

 言葉の衝撃は、狂三自身が腕の力を不本意な形で強めるに足るものだった。思わず、未零が顔を顰めるほどに力を込めた手を、それを厭わず狂三は怒気を纏い声を返した。

 

 

「ふざけたことを――――――このわたくしが、あなたの生命が消える瞬間をもう一度(・・・・)見過ごしたと、それをあなたが仰るのですわね。悲しいですわ、残酷ですわ(・・・・・)

 

 

 あの悲劇を。あの悲しみを。あの絶望を。

 もう一度、狂三が味わったと。狂三が体感していると。そんなこと、させるわけがない(・・・・・・・・)。その愚行、その愚かしいまでの選択。狂三が体感せねば未零を止めないと本当に言っているのならば、狂三は愚かしい自らを一度殺し尽くして矯正せねばならないだろう。

 

「……ごめんね。けど、だったらやっぱり、私は行くよ。行かなきゃいけない――――――ううん、私が行きたい(・・・・)

 

「っ……」

 

 頑ななまでに鋼鉄の意志。いつか、狂三に見せた必ず狂三を生かす(・・・・・・・・)という狂気と同じものが垣間見え、狂三の中で動揺が走る。

 だからといって引き下がれない。未零を止めるのは自分だと言い、飛び出したのは狂三なのだから。

 

「何故ですの? あなたの聞いた『声』はこちら側に至るあの方(・・・)を示唆していた。ならば、わたくしたちで事に当たることは可能なはずですわ。士道さんと皆様、わたくしたちの力ならば――――――」

 

「……そうじゃあないんだ」

 

「……?」

 

 首を横に振る未零を見て、さしもの狂三も表情を歪め思考の継続を行う。

 こちら側へ至る存在。繋がりかけた道。狂三たちが知ることが叶わなかった、その理由は定かではない。しかし、探知できないほど刹那の間に繋がり、途絶えるはずの道を、〝壁〟を打ち破ろうとしている。ならば、現れ出かの精霊(・・)を狂三たちで迎えることは可能だ。場合によっては、士道と狂三の力で元の世界へ連れ帰ることも。

 しかし――――――

 

「……あの子は、この世界に連れてきちゃ駄目(・・・・・・・・・・・・・)。――――――行くべきところへ、とどけて(・・・・)あげないと」

 

「何を――――――っ!!」

 

 ――――――情報の再演算。観測結果の算出。予測される幾億の予測情報から、導き出されるものは。

 僅かな一瞬。時を奏でる左眼が新たに示した可能性。それ(・・)は歯軋りを生み、行き場のない憤りが少女の手を握っていない狂三の手に現れ、強く拳を握らせた。

 

「……本当に、勝手な方ですわ。世界が違っていようと(・・・・・・・・・・)――――――身勝手極まる願いではない(・・)からこそ、腹が立ちますわ」

 

 そうであったのなら、狂三は憤りをもっと感情に載せることができたであろうに。勝手極まる願いであれば、吐き捨てることもできたであろうに。

 狂三と〈刻聖帝(ザフキエル)〉が導いた結論は、そうでないことを確信させるに十分たるものだった。

 けれど、それを彼女が言うのか――――――この子に、別の世界から願いを押し付ける(・・・・・)のか。

 

「……違うよ、狂三。――――――私が望んだことだよ」

 

「え……」

 

 まるで、狂三の思考を読んだように。いいや、少女にはお見通しなのだろう。狂三がどう考え、何をしようとするのかなど。

 時崎狂三が、村雨未零の考えを理解してしまえるのと同じように。

 

 

「……私、みんなの笑顔が好き(・・・・・・・・・)。あの日に見た、綺麗な人が浮かべていたものが大好きなの。誰かを想って、自分を想って笑える人が好きなんだ」

 

 

 慈しみに満ちて。慈悲が溢れて。包み込む優しさがあって。

 それはかつて、夢に落ちる狂三が聞いた母なる君の子守唄にも似た言の葉。

 

「未零、あなた……」

 

「……それだけ。本当に、私が欲しいものはそれだけなんだ。だけど、それだけは譲れないから。私がいることで、狂三が笑ってくれるなら嬉しいことだって思えるし――――――私は、〝私〟を好きになれるんだと思う」

 

 誰かのために事を為す。それが全て自らのためだと謳う。

 たったそれだけの見返りが、少女の欲だと少女は言う。

 その生き方は、あまりにも純粋だった。

 その在り方は、あまりにも歪だった。

 

 だけどそれは、時崎狂三のためだけに生きた少女が導き出した、己の(エゴ)という祈り。

 

 

「……だから、〝私〟は行くよ。あの人(・・・)の願いを叶えに。叶えてあげられる人が私しかいないなら――――――〝私〟は、あの人の願いを絶対に叶えてあげたい」

 

 

 憂いを帯びた瞳に確かな願望(けつい)を。

 村雨未零は――――――崇宮未零(・・・・)は、大切な人の願いを必ず叶えたいと自らの欲を謳う。

 たとえそれが、別の世界の大切な人(・・・・・・・・・)だとしても、求められたというのなら。

 

 ――――――止められない。誰に止められよう。狂三が止められないのなら、誰も未零を止めることなどできはしない。

 だって、己のエゴを貫き通すことを――――――それを肯定して世界を変えた狂三が、止めていい権利などないではないか。

 それでも、長い、長い沈黙を保つ。その行為(時間の浪費)が狂三の嫌うものだったとしても、その葛藤に抗うことなどできはしないと。

 それでも、それでも、それでも――――――

 

 

「………………一つだけ、約束をしてくださいまし」

 

 

 狂三は、強く握り締めた少女の腕を、遂に離してしまった。

 でもそれは、少女の生命を手放したわけではないと、真っ直ぐに村雨未零を見つめて言う。

 

 

「あなたが誰かに生きていてほしいように……その誰か(・・)は、あなたに生きていてほしい――――――忘れないでくださいまし。もうあなたは、誰かを涙させる〝価値〟を持った人なのですわ」

 

 

 ほんの少し、その言葉に違いがあるとするならば――――――恐らく狂三は、初めから少女がいなくなることに涙していた。

 かつての狂三であれば、失ってから気づいた。気づきながら、失おうとした。だけど、今は、

 

 

「――――――必ず帰ってきて、わたくしを笑顔にしてくださいまし」

 

 

 素直に、言葉にできる。かけがえのない大切な友に、自らが創り上げたこの世界で生きていてほしいと。

 そして――――――

 

「あなたが失敗したら――――――この世界ごと、全てひっくり返して今度こそ独裁者(・・・)になってみせますわ」

 

 同時に狂三(しょうじょ)は、どこまでも傲慢に超然とした微笑みを以て言葉を終えた。

 狂三の言葉を聞き、一瞬呆気に取られたように目を丸くした未零が、苦笑混じりにその顔を緩ませて声を返す。

 

「……それは、失敗できないなぁ。私、今の世界のあなたたちの生き方を『なかったこと』にはしたくないから」

 

「ええ、ええ。ですから、必ずですわ。わたくしたちも全力を尽くしますわ。だから、だから――――――」

 

 グッと歯を食いしばり、狂三は未零を見送る(・・・)

 

 

「行ってらっしゃいまし、未零」

 

「うん。行ってきます、狂三」

 

 

 笑顔の背に、白の羽が舞い上がる。一対の翼が羽ばたく。

 天へと舞い上がる〝天使〟を今度こそ(・・・・)見上げることになった狂三は、その光景の美しさと儚さに息を吐いた。

 神に仕える〝天使〟ではなく、人々に施しを与える〝天使〟の姿がそこにあった。

 狂三が誰かにとって〝最悪の精霊〟であったのなら――――――未零は誰かにとっての〝施しの精霊〟なのだろう。

 その生き方しかできない。その生き方しか知らない。あまりに不器用で、あまりに純粋な精霊。

 誰かのため。その在り方は、五河士道と同じであるはずなのに、どうしてこうも違うのか。答えなど、狂三でなくとも導き出すことが叶う。

 士道は己のエゴを貫き、誰かを守るため自らの犠牲を厭わない。しかし、誰かが自身を思う気持ちは理解し、寄り添える。だが――――――未零はその足し引きの〝引き〟を全て自分で賄ってしまうのだ。

 士道が算数(ぎせい)の引き算を致命的に苦手とする(受け入れない)のなら、未零は引き算の計算式を自分自身で賄う〝施しの精霊〟。

 

 ――――――それがあの子の喜び。それがあの子の祝福。

 少女は己の生命にどこまでも執着がなかった。己の欲を、己の喜びを、その生命と引き換えにできてしまう。なぜなら、仕方がないから(・・・・・・・)と。己が犠牲になることが、誰かを生き残らせる最良なのだと。そこでどれだけの後悔があろうと、それを上回る納得を以て完結させる。だが、消え去る瞬間に、それを止めた者がいた(・・・・・・・・・・)

 だから、今の(・・)未零なら。人の声を受け入れた未零なら――――――その生命を他者に捧げる施しの精霊であればこそ。〝死〟の意味を理解している村雨未零ならば。

 

「……狂三」

 

 未零を見送った狂三の後ろから声をかけられる。振り向けば、きっと未零を追いかけてきたのだろう十香の姿があった。

 その瞳を悲しげに、その顔を僅かに俯かせ。様々な感情を思わせる十香に、狂三は困ったように唇を歪めて声を発した。

 

 

「いやですわ――――――待つ女というのは、性に合わないものですわね」

 

 

 それを今更ながら、思い知る。待つ側になって、その気持ちを知る。

 だが、生憎と時崎狂三という女は――――――待つだけを受け入れる、お姫様気質は願い下げだった。

 視線を鋭く、それを察した十香が顔を上げる。こくりとうなずいて、狂三は言葉を続けた。

 

 

「十香さん、力を貸してくださいまし――――――わたくしたちの戦争を始めましょう」

 

「……!! うむ、往こう、狂三!!」

 

 

 ただ帰りを待つ女など願い下げ――――――狂三たちは、久方ぶりの戦場へ精霊(・・)として舞い戻る選択を手にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――そういうわけなので、狂三をよろしくお願いしますね、士道」

 

『…………』

 

 できるだけ愛嬌を載せて媚びた声音を努力したつもりなのだが、スマートフォンのスピーカーから返ってきたのはどこか釈然としない沈黙のみで、未零はおや、と小首を傾げた。

 

「どうかしましたか?」

 

『どうかしましたか……じゃないだろ。このタイミングっておまえ、もしかして俺のこと嫌いなのか?』

 

「好きに決まってるじゃあないですか。可愛い士道、愛してますよ。狂三の次に」

 

『狂三の次に、以外に感情がこもってないんだよ!!』

 

 未零なりに最大限込めたつもりなのに失敬な人だな、などと士道の叫びを軽く受け流しながら言葉を返す。

 

「……そんなことないですよ。ありがとう、士道――――――私のやりたいことを尊重してくれて」

 

『…………狂三が止められないなら、俺が止められるものじゃないって思っただけだ』

 

 遺憾だが、自分の中で納得はしている。そんな声色の士道に、上空に滞空した未零は彼に感謝と共に苦笑を届けた。

 

『おまえを止めて、それで万事解決ってなら俺が行って力ずくでも止めたさ。けど、狂三が止められなかったってことは――――――おまえがいかないと、幸せになれないやつがいるんだろ?』

 

「……うん」

 

 小さく、だが確固たる意志を以て。伝えると、士道が深々とため息を吐いたのが通話越しに伝わってくる。

 そう。士道ならば未零を力ずくで止めることが可能なのだ。ある程度の情報――壁の向こうに在る者の到来――は確保できていた以上、正確な時間の予測までは不可能とはいえ事態に備えていたはず。だからこそ、未零の動きに狂三は着いてこれたし、そこに士道がいなかったということは、

 

 

『だったら俺は、その手伝いをする側だ。背中は任せろ。必要なら無理も押し通してやる。俺たちが掴むのは完全無欠のハッピーエンドだ。――――――だからその人だけじゃなく、おまえも笑顔で帰ってこいよ、未零』

 

「……ん。わかってる――――――大好きだよ、士道」

 

 

 何となく、そう伝えたくなった。狂三に、澪に、折紙に対するものとはまた違う感情の渦。刹那的でありながら、永遠に続く矛盾の情動。

 ああ、ああ。歪かもしれないけれど、この情動は間違いなく本物だ。

 

 村雨未零は、五河士道に恋をしている。

 

 

「……ねぇ、士道――――――これが終わったら、私とデートしよう」

 

 

 求めていいのだと。この鼓動の赴くままに。この愛が指し示すままに。

 一瞬、未零から求めた(・・・・・・・)ことに驚いた雰囲気が士道から伝わってきた。けど、さすがは世界を救った稀代のプレイボーイというべきか。

 

 

『ああ。俺とおまえを笑顔にする、最高のデートをしよう』

 

 

 未零が一番嬉しい答えを、心からの思いで返せてしまうのだ。

 頬が熱く、胸が高鳴る。必要なものは、そう多くないつもりだけれど――――――だからこそ、欲しいものが手に入る時は嬉しいと思えた。

 

「……あ、それと折紙に伝えておいてください。『相談するタイミングがなかったので、結果的に仕方がないということにしてください』と」

 

『台無しだな!?』

 

「……いや、答えがわかるまで一足飛び過ぎて、相談するタイミングが本当に見当たらなくて」

 

 言い訳になるが、と頬をかいて困り顔を作る。

 未零とて、今の結論に至ったのは二亜から〈囁告篇帙(ラジエル)〉の情報を聞いてからだ。その時点で、未零しか解決できないと判明したことをどう相談しろというのか。……まあ、そうなる前に相談して、と直々に言われた以上、過失十割で未零の責任なのだけれど。

 

「……じゃあ、こちらはお任せします。ま、必要なことはしてくれると万由里も言っていましたから、頼りますよ」

 

『とんだ過大解釈だ、ってその何某からの視線が厳しいんだが』

 

「……気にしないでください。誰か譲りのツンデレさんですよ」

 

 誰なのかは言わずもがな。この期に及んで、未零一人の問題だと抱え込みはしない。事が引き起こされた瞬間から、これは誰かを頼るべき問題となった。

 だから、誰かを頼りながら未零は自分にしか出来ないこと(・・・・・・・・・・・)を背負うだけだ。

 

『……無茶はするなよ』

 

 強ばった声音を隠さず、士道が別れ際の言葉を発する。

 

「保証はしかねますが、善処はしますよ」

 

 あくまで、いつも通りに。おどけた口調で返して、通話を切る。

 熱くなった身体を冷やすように息を吐き、未零は最後に首に着けた通信機に音を入れた。

 

 

「……心配しないで、お姉ちゃん――――――行ってきます」

 

 

 返事は、聞かなかった。自分の中にある確固たる決意が、あの人(・・・)を助けたいという気持ちが、他ならない姉によって鈍ってはいけないと思ったから。

 

 ――――――刹那。

 

 

「――――――!!」

 

 

 感傷に浸る未零の思考の全てを切り裂き、空に『傷』が生じた。

 有り得ならざる現象。空間を侵略する物理作用。五の線を描き、物質の究極を以て世界を破壊する力。

 

 

「……駄目だよ、それは」

 

 

 来させない。あなたが来るべきは、『この世界』ではない。

 

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 世界を壊す力と、世界を創る力。手を掲げ、解き放った『法』の世界を以て、数瞬の未来で炸裂するはずだった物質を押し戻す。

 そのとき、未零の肉体が先へと導かれる。引き込まれる――――――僅かに、直下の街並みが目に映った。

 何の変哲もないただの街路。だが、覚えている。かの精霊は、そうなっても覚えていてしまったのだろう。

 全てを忘れた方が幸せだったのかもしれない。『獣』の名の通り、いっそ畜生に堕ちてしまえば罪に苛まれることもない。

 

 嗚呼、嗚呼。残酷か、悲劇か――――――彼女は、最愛の出逢い(・・・・・・)を忘れることなどできはしなかったのだ。

 

 世界が螺旋する。光景が移り変わる――――――原罪を受け継ぎし『獣』の化身と、相対するために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「状況は!!」

 

「み、未零ちゃんのシグナルロスト! しかし、空間の揺らぎはなおも継続!!」

 

「……!!」

 

 それは、空間震が発生予測を上回り、突如として収められた数秒後のこと。

 クルーからの報告に、琴里は上擦る腰を無理やり押さえつけながら隣に立つマリアと共に状況整理を行う。

 

「あの子が空間震を抑え込んだ。けど、空間の揺らぎが収まっていないってことは……」

 

「恐らく、無理やり空間の〝壁〟を破りこちら側に侵入しようとした者の力を、未零が〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の力で抑え、逆にあちら側(・・・・)へ侵入したのでしょう。ですが、根本的な解決には至っていないようです」

 

 もっとも、この程度で解決をするなら、未零が協力を申し出ることもないでしょうが、と無表情に肩をすくめるマリアに琴里は渋面を作り言葉を返す。

 

「……とにかく、私たちも動き出すわよ。――――――それにしても、何者なのよ。世界の〝壁〟を壊そうなんてやつは。私たちが知らない未知の存在なのかしら?」

 

 常識外も常識外。そもそも、直前に未零が察知していなければ琴里たちはおろか、『この世界』を創り上げた士道と狂三ですら予測できなかった異常事態。

 何者かがこちら側へ迫り来る。その対策を琴里たちが担当する。そこまでは確定している。が、琴里たちは未だその〝何か〟の正体を知らない。

 手で唇を覆い、答えのない疑問に眉根を寄せる。狂三がこちらに合流すれば、あるいは知れる可能性がある――――――それより先に、声が響く。

 

 

「……いいや。彼女は(・・・)、私たちがよく知る精霊(・・)だ」

 

 

 穏やかで、落ち着き払った――――――だが、どこか悲しげな声音だった。

 左方に設えられた彼女専用の席、つまりは村雨令音からの発言に琴里は目を見開く。

 

「令音……」

 

「……私も、()ようやく理解できた。恐らく狂三――――――そして、二亜もね」

 

「二亜が――――――!!」

 

 ハッとなり、司令席に繋がる通信を立ち上げる。瞬間、狙い済ましたように通信回線が回される。その主は、まさにたった今名前が上がった少女のものだった。

 

『へいもしもし、妹ちゃん。ついでにロボ子』

 

「この有事です。多少の発言はスルーします。要件を」

 

 二亜についで扱いされたことにご立腹なのか、微妙に多めの発言とはいえ単刀直入にそう促すマリアに、二亜もいつもの調子はなりを潜めた様子で言葉を継いだ。

 

『そらこっちの台詞だっつーの。まあいいや――――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉が新しい知識を仕入れたよ』

 

「な……」

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉が知識を増やす。それは、世界が進む事に増えていく情報とは些か理由が異なるもの。

 

『多分、一度はあの子の手に渡ったからだろうね。さすがのあたしもひっくり返るようなこと教えてくれたよ』

 

「一体何なのよ、それは……」

 

 『この世界』の侵略者。或いは全く別種、未知の存在。そんな数分前のあらゆる予想を上回り、二亜は文字を言葉として綴る。

 

『いい、落ち着いて聞いてね。あの存在、いいやあの子(・・・)は――――――』

 

 放たれた真実は、琴里の全身を通り抜け、言葉を喪わせることを容易く達成してのけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……」

 

 境界。人が狭間と呼ぶもの。時間と空間の境界を超え、果てのない虚無を映し出す空間。

 だが、その中に侵入した未零は息を呑む。本来、深淵であるべきこの空間が無秩序に歪んでいた。

 

 

「あ……ア……、――――――」

 

 

 恐らくは、かの『獣』の力によって。

 

 

「あ、あ、アアアアアアアア――――――」

 

 

 吠える。吼える。慟哭、『獣』の叫びを。それ以外、彼女が彼女であることを忘れてしまったかのように。

 その行動だけが、『獣』に許された行為だと言うかのように。

 

 その色は幽鬼。その髪は灰。燃え尽きた焔の灰。

 彼女を守るひび割れた楼閣。精霊が纏う絶対の鎧。

 浮遊する十の剣は、力か、或いは永劫と彼女を縛り付ける牢獄か。

 そして何よりも『爪』。五の指に沿う巨大な獣の爪。彼女の本質を決定づける、絶対的な〝物質〟の頂点。

 

「――――」

 

 一息。村雨未零は、呼んだ。呼ばざるを得なかった。

 その『獣』が忘れ去ったであろう、彼女(・・)の名を。

 

 

「夜刀神、十香」

 

 

 名を失いし『獣』は――――――夜刀神十香(・・・・・)は絶望を超え、世界の絶望そのものとなり世界へと襲来した。

 

 

 






『アナザー』。もう一つの。そして別の、という意味を持つ言葉。

事実上のダブルネーミングでした、というお話。村雨未零のもう一つのお話であり、異なる世界からの来訪者との邂逅。

今作で使われなかった原作台詞は後や先に回収したりする、というお話は以前しましたが、今回は真面目に偶然だったりします。『十香』に、駄目だよ、それは。という台詞を未零が扱う……未零の素は当然澪をベースとした口調ですので、自然とこの台詞を書いて、あれ何か既視感が……っていうコントみたいなことしてました。やはりこうなる運命か!

未零という精霊の本質はこういうことです。少女は自分の欲がないのではなく、自身の行動で得られるもの、それこそが自身の欲だと定義している。それが村雨未零のエゴだと。それが始原の分霊の祝福だと。故に、施しの精霊。

さあ、遂に現れた精霊〈ビースト〉、『夜刀神十香』。異なる世界の精霊と有り得ならざる精霊が織り成す異色の戦争(デート)。その行方は……。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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 ――――――吠える。

 

 

「ァ、あ、アアア……」

 

 

 ――――――吼える。

 

 

「――――アアアアアアアアァァァァァァァァァァ――――――ッ!!」

 

 

 原罪の『獣』。十に至りし窮極の精霊が、空間を揺るがせ高々と咆哮する。

 地を砕く力。天をも切り裂く絶対の一。彼女こそが、新たな原初の存在だと告げるかのように。

 

「……っ」

 

 空間に手を付け(・・・・)――――という表現が正しいわけではないが、所詮は細部のこと。未零は空間の修復(・・・・・)を行いながら、その『獣』から決して目を離さず、射抜くように視線を鋭くする。

 

「……まったく、好き勝手暴れてくれたもんですね」

 

 この〝道〟を今から修復し、彼女が辿る正規の――と表現するかは未零の知るところではない――〝道〟へ導くことこそ未零の役割。だが、想像以上に暴れ回られていたのか、見るからに空間が歪み、楽観的な言い方をなしにすればこの〝道〟は崩壊寸前(・・・・)だった。

 

 それも、そのはずだ。

 

「――――――、ァ――――」

 

「……十香」

 

 もはや、言語の機能すら半ば捨て去り、正気などとうに失われた『獣』――――――夜刀神十香。

 幽世の存在と見紛う蒼白。咎人を思わせる十の牢獄(つるぎ)。恐らくは、未零でなければ〝彼女〟が『十香』であるとわかりすらしなかった。それほどまでの変貌だった。

 こちら側の世界の『十香』とは明確に異なる。別人、といっても過大ではなく、けれど同一人物と称して違うものでもない。

 『獣』に堕ちた『夜刀神十香』。その正体は、

 

「……違う世界(・・)で、こうも変わってしまうのですね、あなたは」

 

 それは悲劇的であり、向こう側(・・・・)では避けられぬ運命だったのかもしれない。十の精霊の中で、唯一『崇宮澪』の祈りによって願われ、偶然にも生まれ落ちた存在。その可能性は、あらゆる精霊を凌駕し――――――澪と同じ悲劇を得て、覚醒を果たした。

 同情や憐憫。『十香』を知っていたならば、それらを抱かぬ者はいないであろう。未零とて、感情が表に出てしまいそうになるほどなのだ。

 あの心優しい精霊が、気高き誇りを持つ精霊が、畜生にすら劣る彷徨える一匹の『獣』に堕ちるなど。誰であっても耐え難い現実だ。

 望まぬ悲しみに支配され、望んだ破壊を肯定した、並行存在(・・・・)

 

 そう――――――彼女は『この世界』に飛来した、限りなく近く(・・・・・・)限りなく遠い(・・・・・・)夜刀神十香。

 

「…………」

 

 並行世界。干渉の方法が、ないわけではなかった。観測の可能性は、常に存在していた。

 崇宮澪。原初にして全なる力。

 時崎狂三。時という究極の概念を司る力。

 そして――――――夜刀神十香の持つ天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。

 かの剣は物質の極地。形あるものが至る極限の刃。その〝本質〟とは、形なきもの(・・・・・)見えざるもの(・・・・・・)を切り裂く剣。

 条理、概念、世界を隔てる〝壁〟さえも。全てを塵に還す刃。澪や狂三の権能が条理に対しての反逆であるならば、十香の権能は不条理に対しての反逆(・・・・・・・・・・)

 つまり、この『夜刀神十香』は異なる可能性の世界から飛来した窮極に至った精霊(・・・・・・・・)の一人ということだ。

 

「……言いたくはないですけれど、大概な人を呼んで(・・・)くれたものですね」

 

 言って、本能的な予感が止まらず、未零は滴る汗を払うように腕を振るう。

 そう。本来ならば、ありえない事態。なぜなら、世界を超える力に至ったこの『夜刀神十香』は、獣に堕ちた者(・・・・・・)。この『獣』とは、本能のまま無造作な破壊を行う理性を失った『獣』のこと。

 その『獣』と呼ばれる存在が、その力を偶然(・・)振るい、偶然(・・)この世界に辿り着いた――――――そのようなことが起こり得るならば、未零は今すぐに引き返して『十香』をこちら側で迎え撃っている。

 彼女はそれほどまでに危険でありながら、それほどまでに望まれた(・・・・)のだ。あの人(・・・)が、『夜刀神十香』という存在を呼んだ(・・・)のだ。

 

 そして――――――一つの不運が起きたことが、事の始まりだった。

 

 全てを失った『獣』が認識した呼び声。音というには儚く、震えと呼ぶには弱く。けれど、『獣』に堕ちた『十香』には十分すぎる道標だった――――――世界を揺るがす時空改変を引き起こした、未零たちの世界が存在しなければ。

 それは、本当の意味での偶然(・・)。『十香』は声に導かれ、彼女の世界で失われた〝匂い〟を求めた。かの声だけならば、間違えようもなかったこと。だが、狂三と共に世界を破壊するほどの力を持ったその〝匂い〟の主を感じ取ってしまった『十香』は、道を誤認した。

 世界を〝壁〟を超え、しかし彼女が進むべき世界はこの世界ではない(・・・・・・・・)。目的は無軌道であれど、彼女が辿り着くべき世界は無軌道であってはならなかった。

 当然、『十香』を呼び込むだけの理由を持っていたあの人(・・・)は承服しかねたであろう。世界を超えるほどの可能性に至り、さらに声に応えてくれるだけの『十香』など、ありとあらゆる可能性を模索して、ようやく辿り着いた世界だったのだろうから。

 だが、『十香』は〝道〟を定めてしまった。無理矢理世界を越えようというのだ。修正を促そうにも、大きすぎる力で対抗すればこの〝道〟は容易く崩壊し、近しい世界――――――未零たちの世界に『十香』は強制的に投げ出されてしまう。投げ出されてしまえば最後、『十香』が本来辿り着くべき世界との縁は失われ、未零たちではどうしようもできない。

 故に、『声』は一計を講じた。ほんの僅か、〝道〟にすらならない繋がり。結論に至り、未零は皮肉な笑みを抑えることができなかった。

 

「……はっ。よりにもよって〝私〟を選ぶなんて、よっぽど叶えたい願い(・・・・・・)があるんですね」

 

 嗚呼、嗚呼。よりにもよって、崇宮澪の劣化品である未零を選んだ――――――少し、違うのだろう。

未零にしか託せなかった(・・・・・・・・・・・)。たとえ並行存在といえど、同一ではない。『夜刀神十香』へ薄く、声と呼ぶには儚い誘いを行いながら、全く別の世界へ声を届けられる存在。即ちそれは、向こう側の声と近しい存在(・・・・・・・・・・・・)でなければ成り立たなかった。

 

「……そっか。あなたは――――――」

 

 そこで、今ここに至って未零は『声』が一体どういうものなのか、どういう状態(・・・・・・)なのかを悟る。

 なぜ未零だったのか。なぜ澪ではなかったのか。なぜ『十香』を必要としたのか。

 

 その一瞬、思考を他のことに割いてしまったことか。或いはここまでの運が良かったのか――――――

 

 

「――――――――――ァ」

 

 

 『獣』が呻き声にも似たものを零し、未零を視認する(・・・・・・・)

 この歪な世界は、時間と空間を文字通り歪ませる。距離が離れていようと認識され、距離が近かろうと認識されない。そんな不条理がまかり通る世界の狭間。それを利用して、一時的に動きを止めた『十香』を警戒しながら空間の修復を行っていたが――――――ここまでか、と刹那の間に飛び退く(・・・・・・・・・)

 

「ァァァアアアアアアアア――――――ッ!!」

 

「――――――!!」

 

 瞬時に振るわれた『爪』が、驚異的な衝撃波を伴って未零を襲う。

 閃光。斬撃の光は霊子を崩壊させながら空間を切り裂く。比喩表現ではなく、未零の翼の端を掠めて空間に傷を付けた(・・・・・・・・)

 

「っ……この、誰が直すと思っているんですか……!!」

 

 無論、言ったところで無駄な不平不満だとは理解している。『十香』はただ、目の前に物があるから壊す(・・・・・・・・・・・・)という『獣』としての本能だけで爪を振るった。

 それが敵対者かどうかなど関係ない。目前に映る全てを屠り尽くし、物体という物体を喰らい尽くす。倫理などなく、理念などなく、思想などなく、エゴですらない――――――原罪の獣は、村雨未零を目の前から消し去るためだけに行動を始める。

 

「ぁ、アア、――――――」

 

「……くっ」

 

 一閃。また一閃。当たってはやれないが、受け止めてもやれない。『声』に呼ばれた『十香』と未零で、世界と世界を繋ぐ〝道〟は限度一杯。だからこそ、崩落を防ぐために〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の権能での正常化を必要としている。

 だが、回避に専念する未零の視界で新たに浮かぶ空間の傷は加速度的に増えていく――――――それが、塞がっていった(・・・・・・・)

 

「……!!」

 

 目を見開いた未零の視界の端で、傷が次々と塞がり、増え、また塞がる。未零の力ではない、身に覚えのないその現象に――――――しかし、この光景を生み出す者たちを容易に想像し、確信に満ちた未零は微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

『――――次のポイントを』

 

『おっけぃオリリン。さすがに絶好調だねぇ。……けど、ちょっと作業が荒っぽくない? もしかしてれーちゃんが何も言ってくれなかったから拗ねて――――――』

 

『〈絶滅天使(メタトロン)〉』

 

『危な!? え、何その長距離射撃! 殺気篭もりすぎでしょ!!』

 

『……殺気を気取られるのは未熟の証。私も、まだまだアマチュア』

 

『物騒すぎる! 暴力はんたーい! あとでれーちゃんに言いつけてやるんだからなー!!』

 

『こら二亜、遊んでいては駄目なのだ!!』

 

『……ちょっとは真面目にやったら?』

 

『ここであたしだけ怒られる理不尽!?』

 

 

「……何してるのよ、あの子たちは」

 

 聞いているだけで頭のネジが緩くなりそうな会話を、それでもしっかりと聞き逃さずにいた琴里だったが、思わずはぁと落とした頭を手で支えざるを得なかった。

 

「……いいんじゃあないかな。このくらい、気負わずにいた方が修復(・・)も上手くいくだろう」

 

「村雨解析官の仰る通りです。つきましては、僭越ながらこの私が司令の緊張を解きほぐし――――――ぐぶばっ」

 

「…………うぅん」

 

 令音の太鼓判を信じていないわけではないし、精霊のことも信頼しているが、それはそれとして肩の力の抜け具合が不安すぎる琴里だった。ついでに、神無月には無言でブローを三発ほど打ち込んでおいた。

 とはいえ、琴里に何かできるわけでもなし。司令官は動じずどっしりと構えておくことも仕事のうち。精霊たち総出で行われる霊力による空間修復(・・・・・・・・・)を油断なく見守りながら、琴里は先の続きを促した。

 

「それで……本当なの? 今未零と対峙しているのが……並行世界(・・・・)の『十香』だって」

 

「……ああ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉と『私』の解答が一致している。……〝彼女〟は、異なる可能性の一つから現れた存在。――――――もっとも、それは視点を変えてしまえば、この世界も同じことだがね」

 

「異なる、可能性」

 

 渋面を作り、未知なる感覚をどうにか掴もうとするように令音の言葉を切り出し、呟く。

 『並行世界』。琴里たちの今いる世界から外れた、別世界。たとえば、琴里たちの選択肢。どんなものでもいい、今朝食べた朝食の違い……たったそれだけでも、琴里たちの世界から分岐した並行世界と言えるだろう。

 無論、それは理屈での話。理論上、荒唐無稽、否定の言葉など幾つでも並べられることだろう。――――――『この世界』が、改変されたものでなければ。

 そう、琴里たちは既に体験しているといえる。世界が書き換えられたこと。時間のやり直し。狂三の〈刻々帝(ザフキエル)〉によって琴里たちの観測外で一度歴史は変えられ、〈刻聖帝(ザフキエル)〉によってそれ以上の歴史改変が行われた世界。それが今の琴里たちの世界だ。この歴史改変を言い換えれば、異なる選択肢を選んだ(・・・・・・・・・・)と捉えられる。

 にわかには信じ難い。が、自身の体験と照らし合わせ、全知の〈囁告篇帙(ラジエル)〉と精霊の母の解答を信じられないほど、琴里は頭を固くして育ったつもりはなかった。

 

 並行世界の『夜刀神十香』。異なる次元の来訪者。特級のイレギュラーが現れたことを受け入れ、故に琴里の脳裏には少なくない疑問が浮かび上がり始めた。

 

「けど、その『十香』はどうして私たちの世界に来たの? それも、この世界には出しちゃいけないなんて……」

 

 『十香』が現れ、こちら側で対処を行うならまだわかる。イレギュラーとはいえ、聞き及ぶ話の中で琴里は彼女を〝精霊〟と断定し、保護すべき対象と判断する。

 しかし、未零はこちら側に連れてこないために(・・・・・・・・・・・・・・)、壁と壁の境界、隣界に近しい異空間への侵入を試みた。『十香』とこの世界の関係、その因果が見えてこないのだ。

 すると、令音は僅かに眉根を下げ、難しげな表情で声を発する。

 

「……〝道〟が途切れてしまうんだろう」

 

「〝道〟……?」

 

「……ああ。本来、『十香』が行くべき世界への〝道〟さ。……彼女を導いた意志と〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の権能が合わさり、それは創られた。――――――こちら側に繋がりかけた〝道〟を、未零に(・・・)修復させようという理屈さ」

 

 つまりは、『十香』が本来辿り着くべき世界は別にあり、そこへ繋げるためには『十香』を押し止めることが必要不可欠、という解釈で構わないのだろう。だが、と琴里は苦々しさを隠さずに声を返す。

 

「理屈はわかったわ。だけど、どうして未零一人なの? 精霊って括りなら、他の誰かと一緒に――――――」

 

「それは、難しいご相談ですわね」

 

 艦橋内で唐突に響いた声にハッと振り向けば、小憎たらしい頬笑みを浮かべた淑女が一人。

 

「狂三」

 

「ごきげんよう。仕込み(・・・)を済ませ、こちらに馳せ参じましたわ」

 

 非常時だというのに完璧な作法で行われる礼の形も品も損なうことなく、狂三は異形を含む両眼(・・・・・・・)の表を上げて相も変わらぬ貌で姿を見せた。

 

「そりゃどうも。どうせなら丁寧に説明してほしいものだけれど」

 

「いえ、いえ。実際にお見せした方が手早いというものですわ」

 

 説明責任。報連相という教育を一度した方がよいのではないかと琴里の頬が引き攣る。元単独行動組は最低限以外の連絡が壊滅的だった。……まあ、それだけこちらが合わせられる(・・・・・・)と信頼があるのだろうが、少々とありがた迷惑である。

 そんな琴里の思考を何のその、わかってやっていると確信を以ていえる軽い仕草で、狂三は言葉を続けた。

 

「さて、話を戻しましょう。あの子が侵入した〝道〟は、当然本来であれば『十香』さんおひとり様専用のもの。しかも、意図せず想定しない世界と繋がってしまったものですから、未零がわざわざ修復しなければ元の道には戻せないほど。言わば崩落寸前(・・・・)ですわ」

 

「……なるほど。修理屋一人で重量オーバー、ってわけ」

 

「理解が早くて助かりますわ。もっとも、あくまで〝概念〟のお話。『未零』という存在で定義し、受け入れたのであればやりようはありますけれど――――――とにかく、あの〝道〟を生み出した意志と未零が近しい(・・・)からこそ、今の状況が成り立つということに他ならない。そう受け止めてくださいまし」

 

「それなら……」

 

 近しい。近しいからこそ未零は異空間への侵入を許され、現状を維持できている。ならば、と琴里が令音へ視線を向けるのは必然だった。

 だが令音は、ゆっくりと首を振って琴里の意図を否定する。

 

「……『私』では無理だ。向こう側の『意志』と呼ばれるものは、『私』と形容(・・)を違えている」

 

「形が違う?」

 

「……恐らくは、だがね。しかし、『私』がその『意志』の声を受け取れていない事実がある以上、『()』より未零の方が『意志』に近い、ということさ」

 

「つまり、澪さんでは空間への干渉を可能としても、空間を維持することは難しいということになりますわね」

 

 狂三は言って、「わたくしも似たようなものですけれど」と肩をすくめる。

 あごに手を当て、琴里は得た情報をまとめあげる。未零の空間侵入は成功。外側へ吐き出される傷は、現在精霊たちに協力を要請し――というより、全員が率先して飛び出していってしまったのだが――対処の真っ只中。なら、ここより先は見守るしかないというのか――――――否。

 

 

「狂三――――――切り札、持ってるんでしょうね」

 

「ええ、ええ。わたくし、そのために参りましたわ」

 

 

 ないわけがない。その予感は、不敵な笑みの狂三によって肯定される。

 狂三が単独で〈フラクシナス〉まで躍り出た。士道を連れずに(・・・・・・・)。或いは逆でも構わないが、どちらにしろ二人が別れた場所にいるのは相応の理由があるはずだ。

 しかし、と琴里は細く息を吐く。半年で破られた均衡――――――狂三の左眼から覗く金色の時計盤を見遣る。ため息を吐かずには、いられなかった。

 

「……はぁ。あなたの封印はいつ安定するのやらね」

 

「さて、さて。退屈しない世界ですもの。――――――末永く、よろしくお願いしますわね、わたくしの義妹様(・・・)

 

 責任を取るのは、いつだって上の役目だとは思うけれど。

 これほど大きな力を封印に馴染ませるのは容易ではない――――――このように、定期的に霊力解放が行われてしまえば尚更だ。如何に精霊の母から授かった封印能力といえど、繋がりが深すぎて(・・・・・・・・)正常化は難しいとはその母の弁。証明のように、狂三の左眼は精霊化の証を保ち続けている。これでは封印ではなく、士道との共同体(・・・)だ。

 平和ながら、きっと『この世界』は退屈しないことだろう。まったくもって同意見だと、琴里は悪戯に笑う狂三へ苦笑を返した。

 

「ですが、わたくしの予測を実現させるためには、皆様のお力が必要不可欠となりますわ。極力、小さなものでも妨害は避けたいですわね」

 

「ASTね。そろそろ、動き出してもおかしくないと思うのだけど……」

 

 目を細め、狂三の言う唯一の妨害要素に含んだチュッパチャプスの棒を上げ、思案を巡らせた。

 陸上自衛隊AST。『この世界』でも、多少の誤差はあれど立ち位置は健在といえよう。大っぴらな空間震警報に加えて、隠し切れない精霊たちの霊力行使。如何に半年のブランクがあるとはいえ、見過ごしてくれると思う方がどうかしている。

 いざとなれば、〈フラクシナス〉を晒してでも精霊たちを守る必要がある――――――まあ、守ると言っても結果的にどちらになるかはともかく、だ。相手に気を遣うのも楽ではない仕事だが、やるしかないと考えていた琴里だったが、

 

「――――――どうやら、そちらの心配は不要のようです」

 

 思考を遮る声は、意外にも琴里側から発せられた。クルーたちと共にこの艦の中枢を支えるマリア、彼女のリアルボディであった。

 

「マリア?」

 

「先んじて、あちらへの侵入を試みていたのですが」

 

「……この際だから大目に見るわ。結果はどうだったの?」

 

 こちらは構えていたが、ASTにしては随分と立ち上がりが遅いという疑問はあった。久方ぶりの出撃に、上がごたついたのかと予想を立てていたが、マリアからの報告は当たらずも遠からず(・・・・・・・・・)だった。

 

「掻い摘んでの報告となりますが、ご了承を。――――――何かしらの圧力(・・)がかかり、本部から全隊の待機が命じられている様子です」

 

「は……? 全隊の待機(・・・・・)ですって?」

 

 訝しげに聞き返すが、マリアは首を縦に振り、その正気とは思えない指令を間違いではないと示した。

 全隊待機。文字通り、完全な待機命令だった。もちろん、琴里たち精霊の立場からすれば歓迎するべきことである。琴里たちは何も世界を壊そうというのではなく、平穏を守ろうとしているのだから。

 しかし、そんな事情など知るわけもないAST側の視点に立てば、如何に狂った命令か誰が聞こうと伺い知れることに違いない。指令を受諾した現場の隊長も、さぞ琴里と同意見でご立腹だろうことだ。

圧力(・・)。マリアは圧力といった。それを思い起こし、琴里は狂三と顔を見合わせる。

 

「……国直轄のASTに、出撃停止の圧力をかけられる権力者」

 

「…………あら、あら。嫌な顔を、思い出してしまいましたわ。不快ですわ、不快ですわ」

 

 思い浮かべるのも嫌だ、と言いたげな表情の狂三、そして令音も露骨ではないが似たようなもので、琴里とて自分ではわからないが同じようなものだろう。

 国の直轄である陸上自衛隊AST。彼らは顕現装置(リアライザ)を用いて精霊と戦うチーム。では、その顕現装置(リアライザ)どこから供給されているのか(・・・・・・・・・・・・・)

 〈ラタトスク〉の母体であるエレクトロニクス社は、表向きには(・・・・・)異なる。となれば、次なる候補などただの一択。問いかけ、謎解きにすらならない。

 たとえば、たとえばの話。そんな唯一(・・)顕現装置(リアライザ)を所有する会社(・・)圧力(・・)をASTにかけた場合、彼の機嫌を損ねた場合(・・・・・・・・・・)、どうなってしまうのか。

 一企業、そう侮るのは勝手だ。だが、現実を見よ。その一企業の長は、紛うことなき天才の名を勝ち取った男――――――

 

 

「まさか――――――DEM(・・・)の手助けを受けるなんてね」

 

 

 そんなもの、世界に二人といない。いいや、いてもらってはいい迷惑だと琴里は額から汗を滲ませ笑った。

 

「……何を企んでいるかは存じ上げませんけれど、今は乗らせていただきましょう」

 

 不本意だが、という不満を全面に押し出しながら狂三は言う。普段、こういった時にはポーカーフェイスな彼女にしてみれば、さぞ乗りたくはないといったところだろう。

 しかし、考えてもみなかった。そんなことになるとは思ってもみなかった。それを思うと、ふと表情が緩み自然と言葉が零れる。

 

「人生、何が起こるかわからないものね」

 

「……まったくだね」

 

 その最たる例である令音がシレッと同意したものだから、琴里は堪えきれずプッと吹き出してしまった。

 何が起こるかわからない。『この世界』だからこそ、というものだ――――――仮にここで、DEMが再起するようなら、迎え撃つまでだが。

 

「さあ、さあ」

 

 カチャリ、と聞き慣れた音が鳴る。それは、黒を鮮血と合わせたドレス(霊装)を纏った精霊が、その力を解放する鐘の音。

 見慣れた古式銃を手に取り、封印された鎖を引きちぎった時崎狂三は――――――

 

 

「それでは、それでは、問いましょう。わたくしはあえて、問いかけましょう――――――未零のために、自己を懸けながら生き残る覚悟(・・・・・・)。あなたにはありまして、澪さん(・・・)?」

 

 

 その銃を令音に――――――崇宮澪へと突き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これなら」

 

 いける。その確信が未零にもたらされた。翼を駆使して『十香』の攻勢を巧みに捌き、元からの歪みを修復し続ける。新たに向こう側へと刻まれる傷――――――あの『爪』による空間の進行は、外部からの補強によりその都度消し去られていっている。

 未零一人の力ではない。外側からの支援、精霊たちのおかげだ。霊力には霊力、天使には天使(・・・・・・)。如何に常識外に対しての驚異といえど、同じ天使であるならばその現象を抑えることができる。

 随分と勝手を押し通した自覚はある。それでも、手を貸してくれる人々に未零は不思議と温かい感情を抱く。

 一定の条件はクリアされた。残すは、

 

「――――――アアアアアアアアアアアアアァァァァァ――――ッ!!」

 

 如何にして、あの『獣』の慟哭を防ぎ切るか、だ。

 より一層の叫び。絶唱にも似た咆哮と共に手を掲げた少女は、その爪を消し去った(・・・・・・・・・)

 

「……っ!!」

 

 悪寒。それは、村雨未零という精霊が戦闘時に置いて感じる直感だった。翼をはためかせ、全速力で距離を取る未零に、少女は構わず〝剣〟を手に取る。

 少女を守るように、或いは縛るように浮遊していた十の剣。そのうちの一本、第一の剣。研ぎ澄まされた刃を持つ天の剣は、未零に向かって音速の剣技を以て振り切られた。

 虚空を薙ぎ払う剣。だが、薙ぎ払われた虚空を辿るように、巨大な光線(・・・・・)が未零の視界を遮った。

 

「ア、アアア――――――」

 

 二撃、三撃が追い縋る。その光線は天を駆ける未零を不遜だと、堕ちろと願われ幾千幾万と天空を蹂躙する。『十香』が立つ場所を地上とするのであれば、だが。

 

「……っ、ぁ」

 

 そんな未零の余裕も、次の瞬間には光によって吹き飛ばされる――――――一条、白の翼を閃光が掠めた。

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 刹那、右手に収まった刃が神速を以て振るわれ、迫り来る閃光を切り落とす。

 光の砲撃は凄まじい。識っている(・・・・・)。だが、少女とてこの色のない刃には込めた想いがある。これを扱い、防ぐこと自体は叶うとわかっていた――――――修復のための力を、防御に使わねばならぬほど追い詰められた、という裏返しでもあったが。

 あと一手遅れていれば、『十香』の振るう光線は未零の身体を貫いていた。光線を超える速度で飛翔を繰り出しながら、未零は『十香』の振るう剣の――――――そこに込められた霊力の残滓に、顔を歪めた。

 

「……〈絶滅天使(メタトロン)〉」

 

 そして、天使の名を当てる(・・・・・・・・)。それを生み出した精霊の分霊たる未零が違えるはずもなく、それを十全に振るう精霊を知る未零が見抜けぬはずはない。

 天使〈絶滅天使(メタトロン)〉。必滅の威力を宿す天の光。それは天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉にさえ劣らぬであろう。

 けれど、その力を持つものは夜刀神十香ではない(・・・・・・・・・)。だが、『十香』が振るう剣には間違いなくかの天使……折紙(・・)が所有していたはずの天使の力が宿っていた。

 それは、即ち――――――

 

「ぁ、ア――――――」

 

 『十香』が、三番目の剣を手にした(・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――――ぁ」

 

 

 刹那。僅かな時間の間際。重ねる言葉は幾らあれど、結果など一瞬にして導き出されるもの。

 未零に油断などなかった。けれど、止まってしまったのだ。それ(・・)の意味を。なまじ彼女の纏う霊力を感じ取れてしまうからこその失策。

 

 『獣』に堕ちようと、彼女の戦闘能力に衰えなどない。かの最凶を以てして最強と認め得る精霊は、未零のほんの隙間程の誤差を逃さない。もとより、それほどの差がある精霊だ。一瞬たりとも、気を抜くことなどしてはならなかったはずなのに。

 

 けれど、だけど、それでも。村雨未零はそれ(・・)を感じてしまったのだ――――――込められた時崎狂三(・・・・)の霊力に、全てを捉えられてしまった。

 

 

「――――――――――」

 

 

 逃れ得る術などなく、結果など知れていること。

 

 神速を上回る斬撃が、少女の身体を切り裂き、その意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う、っ」

 

 ――――――ああ、死んだな。

 起きがけ、思考を再開した村雨未零は己の命運を悟った。

 身体が、動かない(・・・・)。上も下も曖昧な空間に叩きつけられ、肉を構成する血脈が零れ落ちる。『十香』の斬撃を咄嗟に刀で反らすことこそできたものの、致命傷だ。並の精霊以下の強度で、霊装もなしに彼女の斬撃を受け、肉体が人の形として残っていること自体奇跡。仮にあの五指の『爪』に裂かれていれば、今頃意識すらこの世になかっただろう。

 

「ァ、ぁ……、アア」

 

 死にかけてるからか、妙に頭が冴えた思考もその『獣』の声には無意味だった。『獣』の足音が不思議と響く。手にした剣を振りかぶる空気が感じ取れる。

 

 『獣』の本能に躊躇いなどない。常に変わらない。眼下の存在を消し去り、再び本能に従うだけ。

 何もかもが曖昧な場所で、剣が霊子(くうき)を切り裂く音が鳴った。

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――あ」

 

 

 死ぬ。避けられない。零れ落ちた声など、何を止められるものでもない。

 村雨未零は死ぬ。その剣に裂かれて。いつか、かつて、そうあるべきだと受け入れ、そうであってほしいと願った少女の力を宿した剣に切り裂かれる。

 それは倒錯的だ。それはかつての喜びだ。それは必然の運命だ。

 

 

 

『あなたに何かあれば、私は今度こそ泣く』

 

 

 

 その運命を、〝(未零)〟は認めない。

 

「――――――っ!?」

 

 瞬間、『十香』の纏う雰囲気が変化した。驚愕、疑念。そういうものだった。彼女をして、彼女の未来視に等しい直感をもってして、引き起こされた現象は不可解なもの。

 しかし、引き起こされた現象そのもの(・・・・)は至極単純。驚くほどのものではない――――――死に体の未零が、手にした刀で『十香』の剣を受け止めたのでなければ。

 

「……な、ぜ……」

 

 『獣』が、『十香』が言葉を零す。なるほど、疑問はもっともだと未零は剣を押し返し(・・・・ )ながら血で滲む唇をフッと上げ、声を発した。

 

「……はっ。ちゃんと話せるんじゃあないですか」

 

 思うほど、『獣』に堕ちてはいなかったということか。それが幸福であったかどうかは、未零が関与するところではないけれど。

 立ち上がる。立ち上がって、押し返す。万全なはずがない。『十香』の驚愕は当然の権利である。死に体の未零が、強大な力を手にした『十香』の膂力を上回る理屈などない――――――全てを使役する『法』の力でもない限りは。

 

「……なぜ、ね。〝私〟の願いを、人に理解してもらおうだなんて思いませんけれど――――――」

 

 立てた理由など、明確。村雨未零という少女は、どこまでも変わらない。優先順位は変わらないし、自分自身の価値をそこまでのものとは考えていない。するべきこと、なすべきこと、変わるはずもない。

 だから、こそ。少女は立つ。殺されてはやらない。そこにある願いは自分自身などではない。

 

 

『ああ。俺とおまえを笑顔にする、最高のデートをしよう』

 

 

 声が聞こえる。

 

 

『……そうか。ありがとう――――――未零』

 

 

 鳴り止まない。置いてはいけない。

 

 

『――――――必ず帰ってきて、わたくしを笑顔にしてくださいまし』

 

 

 それは、村雨未零の〝信念〟となる。

 

 

「私があの子たちを泣かせるわけには、いかない――――――私は、あの子たちの笑った顔が大好きだ……!!」

 

 

 泣かせない。未零が生きていていいのなら、笑顔にしたい――――――そのために、〝私〟が死ぬ(失う)わけにはいかない……!!

 

「はぁっ!!」

 

「っ!?」

 

 裂帛の気合いを込め、拮抗に持ち込んだ刀と剣の鍔迫り合いを制し、『十香』を弾き飛ばす。衝撃を利用して後ろ手へ――――――瞬間、肉体の崩壊が始まる。

 

「ちっ――――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉……!!」

 

 迫り上がる血溜まりを吐き捨て、天使の権能を一部ではなく完全に分解。一つの目的、つまりは未零の肉体の維持へ移す。以前やったことと変わりはない。だが、未零の意識はまるで違う。ここで死ぬ気は、死んでやる気は毛頭ない。

 

「アア――――――ッ!!」

 

 弾き飛ばされた『十香』が手を見えない地に叩きつけ、肉体の負荷を厭わず衝撃を反転させ飛びかかってくる。

 顕現する五指の『爪』。刀の形を無くし、肉体へ溶け込ませた未零が防ぐ手段はない――――――ないなら、あるように創るだけだと未零は肉体の再生を加速させ、

 

「ッ!!」

 

「……え」

 

 片や先を超える驚愕を。片や呆気に取られた声を零した。

 世界が振動する。固定化(・・・)した。間髪を入れず歪みを超え、彼女(・・)は到来した。思考整理はその程度のこと。

 どこに、などと。当然一つしかあるまい。ここには『十香』と未零の存在しか許されない。それ以外は、許容量を超えた不可侵の領域となる。

 故に、唯一。鼓動する心臓(セフィラ)は、未零に答えを導き出させるには十分なものだったのだ。

 

 

「――――――おねえ、ちゃん……?」

 

 

 そして、『私』は応えた。

 

 

『まったく。常に連絡は取れるようにって言ったよね――――――未零』

 

 

 最愛の姉は、崇宮澪(・・・)は――――――村雨未零の内側で、その声を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「あるよ。どっちもね(・・・・・)

 

 突きつけられた銃口に向かって立ち上がり、()は狂三へ迷いのない声音で応えた。

 告げるべき言葉など、多く必要としない。

 証明すべき決意など、これだけで十分だ。

 たったそれだけを伝えて、澪は狂三の瞳に射抜かれる。未来を伝えるその瞳は、たった数秒の時だけを伝え――――――笑みの形を描いた。

 

「よい覚悟ですわ。あなたの存在は神でなくとも、強大でなければならない。いいですわ、いいですわ。強く(・・)、なられたではありませんの」

 

「君たちほどじゃあないよ。けど、『私』なりにエゴは押し通す。それは、いつだって変わらない」

 

 そうだ、変わらない。『崇宮澪』という女が本質的に変わることなどない。自らのために欲し、自らがその罪を背負う。その罪は決して『なかったこと』になどならない。誰もが同じだろう――――――澪は違えてはならない。今度こそ、向き合い、生きていく(・・・・・)。約束した、うなずいた。ならば、決して嘘は吐けないから。

 

 

「『私』はあの子を助けたい――――――妹を守るのは、おねーちゃんの役目だからね」

 

 

 そして命を賭ける理由など、そんな単純で、大切なものでいいのだ。澪は、そう教えられたから(・・・・・・・・・)

 令音として、澪として精一杯の微笑みに、狂三だけでなく琴里やマリアも驚いて目を丸くする。……そこまで珍しいものだろうか、と頬をかいてコホンと咳払い一つで話を進める。

 

「それで、君たちの力――――――【0の弾(エフェス)】をどう使うつもり?」

 

 状況打開の弾丸は、その一択しかありえないと前提として澪は口を開いた。

 【0の弾(エフェス)】。〈刻聖帝(ザフキエル)〉究極の銃弾にして、『この世界』を創り変えた根源。全ての天使、常識外れのマナ、進化を促す霊結晶(セフィラ)、士道と狂三、精霊たち全ての想いの結晶。

 かの力に越えられぬものはない。時間という概念に特化したそれは、次元の壁すら超越する。世界という条理を上回る。が――――――

 

「……けど、その【0の弾(エフェス)】が原因で不安定な〝壁〟の崩壊を招く可能性は、当然あるわよね?」

 

 世界を超えるからこそ、迂闊に扱えば今の現状は水泡に帰す。澪と同格の領域であるが故に、一定の制約が生じる盤面というのは必ず存在する。それが今だと琴里は言っている――――――しかし、琴里はさらに言葉を重ねた。

 

「――――――それを解消する仕込み(・・・)は、済んでるって解釈で進めるわよ」

 

「き、ひひひひ! さすが琴里さんですわ。よく、わたくしのことをわかっていらっしゃる」

 

「そんな自信満々な顔されたらねぇ……」

 

 唯我独尊なのはいつものことか、と琴里が手を上げ肩をすくめたのを見て、狂三も応じるように得意げな顔を作った。まあ、その顔を見て琴里が判断を下したことは誰が見ても明らかであろう。

 

「ええ、ええ。細工は流々。そして仕掛けを上々にするには……マリアさん」

 

「了解」

 

 問いなどなく、優秀極まる少女は狂三に合わせて首を縦にした。満足げに狂三が微笑み、銃を指で回転させ、自身の顔の隣で構えて言葉を続けた。

 

揺らぎの固定化(・・・・・・・)は皆様にお任せいたしましたわ。あの歪な空間が耐えられる強度の力を注ぎ込み、その瞬間に澪さんを空間内に送り届ける。一瞬、わたくしが仕損じることがないと信じてくださるなら、ですけれど」

 

「心にもないことを……」

 

「何か、仰いまして?」

 

「べつにぃ。どうせ失敗なんてする気ないくせに、って思っただけよ」

 

「いやですわ。わたくし、琴里さんと違って謙虚な淑女ですのよ? まさか、まさか。琴里さんのように自信過剰ではありませんわ」

 

「同じ意味を重ねるんじゃないわよ!!」

 

 やいのやいのと言い争い、じゃれあいを繰り広げる狂三(あね)琴里(いもうと)を見て、澪は自身の口角が自然と曲がるのがわかった。

 あくまで自然体、彼女たちらしさ失わないことに意味があるのだ。澪たちが行うのは精霊との戦争ではなく、精霊との戦争(デート)なのだから。

 

「さぁ、澪さん。あなたならば、わたくしたちの意図がお解りになられましたわね?」

 

「うん。構わない、やろう(・・・)

 

 躊躇いはない。否、躊躇いこそ危険を呼ぶ(・・・・・・・・・・)

 この作戦の最大の問題点。歪な空間は、未零だからこそ受け入れられた。如何に澪とはいえ、その縛りは無視できない――――――が、澪だからこそ無視できるものがある。

 村雨未零は誰から生まれたのか。何を以て妹と呼ばれたのか。それを正しく理解し、受け入れた澪なら狂三がさせたいことを結論付けられる。

 

「『私』をあの子の中へ。擬似的に〝私〟との融合を試みる」

 

「……!! そんなことが……」

 

 出来るのか。琴里のそんな懸念に、澪は迷いなく首肯を返した。

 

「やれるよ。『()』と〝(未零)〟なら。以前であれば、あの子とは一方的に溶け合う関係だった。けれど――――――」

 

 そう、けれど(・・・)。今は違う。変わらないものはある。でも、変わったものもある。それは『()』と〝(未零)〟を、明確に区切る事象の発現。

 同じでありながら、異なるものと。楔を打ち込み、それでいて共に歩む。今の二人(姉妹)に、出来ぬはずがない。

 

 

「――――――ええ、ええ。素晴らしいですわ、素晴らしいですわ。さあ、さあ、始めようではありませんの(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 歌う、唄う、女王が謳う。それは絶唱。我らに向けしものであると。天使に向けたものであると(・・・・・・・・・・・・)

 影の蠢動。翼の顕現。黒の翼はその背に巨大な時計の文字盤を背負う。次いで、〈刻聖帝(ザフキエル)〉そのものが蠢動を始め、全ての数字(・・・・・)から影が滲む。

 

 『Ⅰ』・【一の弾(アレフ)

 『Ⅱ』・【二の弾(ベート)

 『Ⅲ』・【三の弾(ギメル)

 『Ⅳ』・【四の弾(ダレット)

 『Ⅴ』・【五の弾(ヘー)

 『Ⅵ』・【六の弾(ヴァヴ)

 『Ⅶ』・【七の弾(ザイン)

 『Ⅷ』・【八の弾(ヘット)

 『Ⅸ』・【九の弾(テット)

 『Ⅹ』・【一〇の弾(ユッド)

 『ⅩⅠ』・【一一の弾(ユッド・アレフ)

 『ⅩⅡ』・【一二の弾(ユッド・ベート)

 

 天使〈刻々帝(ザフキエル)〉が有した全ての数字。全ての力。影となりし数字が一つの銃口へと至る。

 全ての力を束ねた銃弾。その中になく、その中にある銃弾の名は。

 

 

「〈刻聖帝(ザフキエル)〉――――【0の弾(エフェス)】」

 

 

 時間を従えた、時間そのもの(・・・・・・)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「緊張してる?」

 

 大役を任されて。込めた意図を読み取り、空に滞空(・・)する士道が万由里を見遣り、細く息を吐いた。

 

「してない、って言ったら嘘になるな。……まあ、いつものことさ」

 

 今の士道を襲うものは、並大抵のプレッシャーではないだろう。けれど、口ではそう言いながら気負いの見られない声音で彼は応える。

 

「精霊とのデートだって、慣れない戦いをする時だって、いつも緊張してたさ。だけど――――――俺はあいつが好きだから、そんなものに構ってられない。それだけだ」

 

「士道……」

 

 真っ直ぐに。士道の愛は素直さがある。助けたいから助ける。救いたいから救う。己がエゴを押し通す意味を、彼はよく知っている。

 だからこの程度の重圧に構っていられないと。その上で――――――

 

「だけど、緊張してるのは本当だからさ――――――手を握ってくれるか、万由里」

 

 こちらが欲しい言葉を、間違えることなく選択できるのだ。

 優しい微笑みで。慣れた手つきで。黒と金に彩られた霊装を纏う万由里へ、臆することなく。

 思わず目を丸くして、フッと口元に手を当てて笑う。そうして手を差し出して、好意を受け取りながら声を発した。

 

「ほんと、生意気なんだから」

 

 本当に、上手くなった(・・・・・・)。万由里が見定め、裁定を下すまでもなく。五河士道という少年は合格だ。もっとも、世界を超えた少年に世界からの使者が裁定を下せるのか、との疑問には万由里とて苦笑を禁じ得ないけれど。

 

「ん……」

 

 ギュッと手を握り締める。温かい。安心する。言葉を並べて、気持ちを描いて、また一つ確信をした。

 万由里は、士道を愛している。一度肉体を失い、こうしてまた温もりを感じる。そのことが有難く、愛おしい――――――きっと、向こう側にいる万由里の友も同じなのだ。

 

『おや、上手いですね万由里。さり気ないか弱さをアピール……私もまた一つ、ラーニングさせていただきました』

 

 と、耳許から鳴る声がなければ、まだこの温もりに浸れたのだが。なんて、万由里の雰囲気と空へ向けた半目が伝わったのだろうか。くすくすと笑い声が続いた。

 

『冗談です。が、緊張しているのなら提案があります。成功したら、私が所有する飴ちゃんセットを万由里へ贈呈しましょう』

 

「私は子供?」

 

 少なくとも、マリアと生まれた時期は大差がないと考えているのだけれど。

 

『ですが好きでしょう、飴ちゃん。私も好きですよ』

 

「…………」

 

 それは間違っていないと、万由里は何とも言えぬ沈黙をマリアへ返した。手を握ったまま、士道が万由里とマリアのやり取りに笑いを堪えていて、まったく失礼なやつだと腹を立てた――――――結果的にそれで気合が入ったことは、幸運と共に感謝すべきことなのだろうか。

 

 褒美がある。助けたい友がいる。愛する人がいる。万由里が己の武勇を披露する理由など、そんな人間的なものがあれば十分なのだ。

 左手を掲げ、形なきものを握る。その意志に、万由里を包む白の翼が呼応した。

 

 

「――――〈滅殺皇(シェキナー)〉」

 

 

 謳え。我が天使を。

 現れたそれ(・・)は弓。荘厳と呼ぶに足る神々しさを纏う弓。黄金に彩られ、その意匠に様々な色を加えた弓矢。

 この力は、万由里のものであっても万由里〝だけ〟のものではない。

 

「みんな、もちろん準備はいいよな?」

 

 それを証明するかのように、士道がどこかへ合図を送る。どこかへ、ではなく誰かへ、だ。それすらも、万由里の視点からは不足している。

 正しくは未零に力を貸す、ここにいる精霊たち(・・・・)へだ。

 

『おぉッ!!』

 

 少女たちの声が一斉に集う。その勇猛な声に、己の唇が弧を描き、高揚を得たのがわかった。

 万由里は精霊たちの霊力から生まれた。言わば、彼女たちの想いが形になった結晶。そして、万由里自身の想いもまた、同じ――――――必ず、未零を助ける。

 

「――――――――」

 

 まだ見ぬ〝矢〟を引き絞る。狙いはマリアのナビゲート。随意領域(テリトリー)を介して霊力を撃ち込み、空間の固定化を謀る。精霊たち一人一人の霊力と想いを込め、放つ。

 精霊たちが一斉に天使の霊力を解放。士道が中心点、仲介を務め、あとは万由里の天使へと霊力が流れ得る。規模と人数が以前より増し、難しくはなっているが、その分だけ思いの丈は強くなっていた。ならば、万由里は精霊たちを信じるだけでいい。

 虚空を定め、深呼吸。息を止め、照準を固定。

 

 一秒の静寂。

 

「――――――今だ!!」

 

『せーのッ!!』

 

 二秒。異形の左眼(・・・・・)で空間の揺らぎを感じ取った士道の合図と、精霊の掛け声が響く。

 

 

「――――――行きなさい、〈滅殺皇(シェキナー)〉」

 

 

 三秒。濃密な霊力で編み込まれた矢が現れ、天を薙ぐ。

 

 天使は、主の想いを映し出す水晶。以前は想いに苦しむ者を救うべく、破壊の力として顕現した剣であったそれは、想いを繋ぐ弓矢となりて――――――

 

 

「口を出すより、手を出しちゃったけど――――――やること、やってあげたわよ、未零」

 

 

 祈りのまま、蒼穹に光を咲かせた。

 

 

 

 

 

 刹那。

 

 

「さあ――――――わたくしたちの戦争(デート)を、終わらせましょう」

 

 

戦争(デート)の撃鉄は女王の言葉とは裏腹に、その狼煙を上げるように鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……なんて、めちゃくちゃ」

 

 融合した影響か、『私』がどんな手段を用いたのか瞬時に理解してしまった未零は、『十香』を前にして愕然と空いた口が塞がらなかった。

 

『そうかな?』

 

 もっとも、当該の澪は未零の中から(・・・・・・)悪びれのない声を発している。未零の懸念など知らないと言わんばかりに、出来る前提(・・・・・)で実行に移していたようだ。

 

「……そうです。そうに決まっています。あなた、自分の自我が消えるとかそういう危険はわかっていたでしょう?」

 

 わかっていないはずがない。暗に断言して未零は苦言を呈した。

 澪へ【0の弾(エフェス)】の時空間移動を撃ち込み、未零の中へ送り込む(・・・・・・・・・)。マナの結晶体。霊子で構成された澪と、連なる未零にのみ許された技。それは以前――と言っても直接の記憶はない――澪に取り込まれた未零と、まったく逆のことをしているのだ。

 故に、危険性は計り知れない。同一に近い存在は、自我の融合を招く。事実、取り込まれた精霊〈アンノウン〉の人格はほぼ消失していたはずだ。

 しかし、今は、

 

『心配かけてごめんね。お互い様と思って(・・・・・・・・)、水に流してくれると嬉しいな』

 

「っ、あなたね……!!」

 

『――――――大丈夫。君と私の意志(・・)は、あのとき(・・・・)とは違うから』

 

 澪の言葉は、未零に息を呑ませた。

 嗚呼、その通りだ。澪と未零、その自我は二人の中で確立(・・)している。どちらが弱い、ということはない。互い互いを認識し、同じものとし、別のものとし、共存している。

 以前までなら、ありえなかった。未零に〝個〟は存在せず、あったものは祈り(のろい)の結晶体。歪な願いの成れの果て。

 だが、今こうして未零は生きている。澪は生きている。それぞれ呑まれることはなく、生きることを望んでいる(・・・・・・・・・・・)

 それは、それはなんて――――――無意識のうちに、笑みが零れ落ちた。

 

「ァ、ァぁ――――――アアアアアアアアアアア――――――ッ!!」

 

 咆哮に表を上げる。澪の存在を感じ取り、距離を取っていた『十香』が再び踊りかからんと『爪』を立て、空間を揺るがす絶叫を上げた。

 けれど、未零の微笑みは消えなかった。

 

「……もう、色々なことは後にします。今は――――――」

 

『うん。『私』も一緒に戦うよ。さあ、全力でいこうか、我が妹よ(・・・・)

 

「っ……誰の真似ですか、それ!!」

 

 無論、返されるまでもないし、微笑みは保たれたまま未零は声を上げた。

 立ち上がる。ふらつくことはない。揺らぐことはない。なぜならば、嗚呼、なぜならば――――――未零が究極と認めた(あね)が、共に戦うというのだ。

 負けるはずがない。負ける気がしない(・・・・・・・・)

 

 

 

「一緒にいくよ、『私』」

『一緒にいこう、〝私〟』

 

 

 

 光を纏い、未零は浮かび上がる。その極光は、『十香』すら怯ませるほどの輝き。

 白の外装が溶け、虚空から現れた衣が全身を包み込む。

 霊装。精霊が宿す城。絶対の鎧。その頂点に位置する権能を、今このときのみは未零が――――――否、澪と共に纏うことが叶う。

 極光が如き幻想の色。未零()の絶世の威容に勝るとも劣らない、十二枚(・・・)の翼。

 慄け、平伏せ。我こそは原初なるものだと。十の天使を統べた精霊を、祖なる者が見下ろした。

 

「……抵抗をするな、だなんてことは言わないよ。それは君にとって当然の権利であり、本能だ」

 

 両手を広げ、彼女の全てを受け入れる。かつて神の名で呼ばれた精霊が。

 世界を創り出した独裁者(かみさま)ではなく、世界によって生み出された超越者(かみさま)

 だが、今その名()は必要ない。ここにいるのは崇宮澪(・・・)であり、崇宮未零(・・・・)。なればこそ、()の者に伝えるべき言葉は、これだけでいい。

 

 

「……かかってきたまえ、『〝私〟』の可愛い――――――異世界の()よ」

 

 

 

 




完全に私のせいなんですけど後半戦は平気で中身2話分αな量になってます。ちなみにそのおかげでまだエピローグ書き終わってません(多分間に合うとは思います)

私の作品の神様の定義っていくつかありまして、一つは単純に澪を指す言葉。原初に生まれた精霊の神と、未零を生んだ神様。前者は否定的な側面が多いですね。まあ本人も万能じゃないと否定していますし。
もう一つは、単純に新たな世界を創り出した神様の意味です。新しい世界の想像こそ、未知なる世界を創り出す行為そのものを指す神様。誰のことかは言わずもがな。
あ、大元になった小説版仮〇ライダー〇武をよろしくお願いします(元ネタダイレクトマーケティング)

ちなみに万由里の滅殺皇は劇場版の裏設定から。想いで能力変化は独自解釈ですけどね!万由里とマリアは実体化時の時系列が近いというメタな指摘(美九から七罪は中身の時系列がギチギチ)

そしてさあさあドリームマッチ。そら味方側での番外編出演となればやるしかないでしょう。過剰戦力VS過剰戦力、ふぁい!

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!


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ⅩⅠ

 世界が、崩落を始める。

 

 当然といえば当然の結果であり。避けられぬ世界の結末。この空間は、もとより『十香』と未零のみを受け入れる歪な境界。如何に澪と同じもの(・・・・)と定義したところで、力の規模が急速に増せば自ずと世界は崩壊へと向かう。

 だが、

 

「おいで――――――」

 

未零()が手を掲げる。そう、この方法で解決へと導くことができるのなら、未零とて初めから澪へ解を求めていた。

 未零が侵入し、精霊たちが道を繋ぎ、狂三が導く。その遠回しを以て、回りくどい道順を辿った今のみ、この選択肢は起こり得る。

 即ち、世界が崩壊する数秒(・・)の間があれば、『〝私〟』たちには十分すぎる。

 

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 それは一つの世界。それは無限の世界。それは『〝私〟』たちの世界。

 十二枚羽の背にそびえ立つ尖塔。幹が少女を抱き、大樹が天を突く。

 世界が反転する。くるくる、くるくる。地面が、空が、上下もない空間が、パネルをひっくり返したように。

 白と黒の世界へ、漆黒の空が睥睨する世界へ。先とは違う無機質な意味を持った空間が、崩落する境界を侵食した。

 

「ァ――――――」

 

 そして、

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!」

 

 

 『獣』が鳴く。哭く、啼く。精霊に対しての反逆を。持てる全ての本能を以て、『十香』は母へと逆らう。

 世界が違えど、思想が違えど、立場は違えど。相対するのならば、交わる他ない。生まれからの宿命だと。決するは運命だと。

 けれど、異なる運命はある(・・・・・・・・)

 

「……〝私〟が、あなたを受け止める」

 

 祈りを否定し、祈りを受けた精霊は、二人の運命を裁定した。

 即ち、また、或いは――――――どちらが消える運命など、願い下げだと。

 

 『十香』が剣を握る。五番目と、八番目。五番目の剣を突き立て、炎が上がる。八番目の剣を振るい、暴龍が襲う。

 

「…………」

 

「アアアアアアッ!!」

 

 腕を払い、霊力の壁を行使した未零。阻まれる炎嵐を厭わず、『十香』は四番目と九番目の剣をその手に収めた。

 灼熱の業火から、永久凍土の氷結へ。音の壁が未零の動きを縛り付け、人体を砕く炎氷風が未零を包み込んだ。

 

「――――【枝剣(アナフ)】」

 

 大樹から侵略せし剣は、容易くその縛りを切り裂く。

 『十香』が剣を新たな振るう。『獣』であろうと、否、『獣』であるからこそ彼女は全ての天使を躊躇いなく選択し、扱うことができる。超自然の結晶、形となった奇跡。知っているとも、識っているとも。『私』が創り出したものを、〝私〟は収めている。

 その力の規模。十の剣に秘められし権能。どれほど厄介で、どれほど手を焼く力か。澪に迫る力を得てしまった(・・・・・・)『十香』が扱うのだから、なお警戒は当然のこと。

 故に、未零は目を細め、動きもなく唇を動かした(・・・・・・)

 

「……ふむ。ではそれは、禁止(・・)しよう」

 

「……ッ!?」

 

 瞬間、『十香』の動きが不自然に止まる。正確には、剣を掴もうとした彼女の動きが止まる(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 彼女が取り込んだ力は、九つ。九の天使、己の天使と魔王(・・)。それを未零は感知できていたからこそ、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の持つ未来記載すら上回る権能を容赦なく振るうことができる。

 

 

「――――――君は、その剣を握れない(・・・・・・・・)

 

 

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉が持つ絶対権能。この世界は今、『〝私〟』たちのものだ。それがどれだけの不条理であれ、世界の法則(ルール)は『〝私〟』たちが決める。そう定められている。

 どれだけの力があろうと、始原より生まれし精霊の力は絶対のものだと。未零は裁定を下す。

 

 

「――――――」

 

 

 しかし、吼えた。声にならない咆哮。声すら超えた咆哮。『十香』は、『爪』を束ねた(・・・)

 金色の意匠を宿す、白金の剣を何の躊躇もなく手にした。それが必要だと、『〝私〟』を屠るにはその〝剣〟でなくては駄目だと本能が答えを出したように。

 

「……」

 

 未零は静かに呼吸をし、無数の枝剣を周囲に展開した。

 如何に〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の力であっても、アレを縛ることは叶わない。凄まじい霊力を喰らい尽くした『十香』を縛る法則(ルール)など、せいぜいと一つか二つ程度。そしてもとより、『十香』にとって他の天使など攻撃の択にある武具に過ぎない。

 最後に示すは己が武勇。己が天使。『獣』に堕ちてなお勇猛果敢。手にした天使の剣・〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。形無きものを裂く異形に対する脅威。法則(ルール)に対する反逆者。

 

 

「…………」

 

「――――」

 

 

 視線が数瞬の交差を行う。それすら、『十香』にとっては交差をしたなどと思ってはいないのかもしれない。

 剣と剣が見合う。殺しにくるものと、受け止めるもの。

 ――――――刹那。

 

 

「ァ――――――」

 

「……!!」

 

 

 『獣』が古びた霊装を揺らす。『〝私〟』が十二枚羽を散らす。

 無の法の司る者と、有の反逆者。窮極へと辿り着いた精霊同士の霊力が――――――白と黒の異界を染め上げた。

 

 

 

 迫る煌めきは一にして全。切り下ろし、袈裟斬り、右薙、右斬上、逆風、左斬上、左薙、逆袈裟、刺突。

 剣術の基本からなる九つの斬撃。驚くべきことに、『十香』はその剣術の基礎を徹底的に抑えている。剣を極めるとはこういうことだと、九つの斬撃を同時に放つ(・・・・・・・・・・・)

 剣技の極地。絶技の果て。世界を隔てる壁より分厚く、『夜刀神十香』という少女は剣技に置いて誰より〝最強〟の名を欲しいままとする。時崎狂三をして〝最強〟と称揚した少女が、『獣』に成り果てたその身で未零への剣舞をみせる。

村雨未零に(・・・・・)、その絶技は受け止められない。未零の身は『十香』には及ばない。彼女のような剣戟の極地へ至る可能性など皆無。どれほど研鑽を積もうと、答えは変わらない。

 

「……やっぱり、あなたはすごいね、十香(・・)

 

 賞賛を、喝采を。それは終に未零が持ち得なかったものだ。時崎狂三の()に立って戦うことのできる絶技。それを未零は純粋に賛美した。

 ――――――その攻撃を受け切りながら(・・・・・・・・・・・・)

 

 村雨未零が『十香』に勝ち得る可能性などない。あるとすれば、それは未零だけの可能性ではない。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を展開した未零の死角は存在しない。十香が同時斬撃という基礎を極めた剣技を披露するのなら、未零は空間を歪め四方より(・・・・)奇跡の体現に決して劣らぬ研ぎ澄まされた『法』の枝を使役する。

 

「ァ――――――アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ――――――ッ!!」

 

 静からの咆哮を、阿修羅を思わせる怒気の咆哮へ。

 膂力、反応速度、剣技。それら全てが狂っている(・・・・・)。四方八方から襲いかかる枝の刃を打ち払い、切り払い、掴み取り、叩き伏せ、激昂する。

 正しく『獣』。原罪の『獣』。原初の罪を受け継ぎ、その瞳は憎悪を超え、狂気に呑まれている。だというのに攻めへ転じ、防御へ転じる。天武の才とでもいうのだろうか。まったくもって理不尽の化身を相手取り、同じだけの理不尽の化身と共にある未零はふと、そうして言葉を吐いた。

 

「……お姉ちゃん」

 

『どうしたの?』

 

「……これ、慣れない」

 

『………………』

 

 神速の刺突を優に十は受け止めるだけの沈黙を挟み、未零が困り顔で放った言葉に澪も困った声音で返す。

 

『……あくまでメインは未零だから、慣れてとしか言えないよ?』

 

「……やー。私って、あなたの純粋な分霊の中だと、武闘派からは程遠いんですよねぇ」

 

 別にできないとは言わないし、できてはいる。が、それとこれとは話がまた別。この手の正面からの戦いは、相変わらず未零の性分ではなかった。

 

「万由里とかバリバリの武闘派ですし、凜祢も負けず劣らず、蓮は最終的には言わずもがな――――――妹の私だけ、不平等じゃないです?」

 

『……君には方向性の違いがあるじゃない』

 

「微妙に言葉を濁さないでくださいよ。拗ねますよ、ちょっと妹っぽいですし」

 

『歓迎するよ?』

 

「……やぶ蛇でしたか」

 

 他愛のない会話は、ここが日常的な空間だと錯覚させかねない。襲いかかる剣は、未零が纏う澪の霊装すら切り裂く非日常が形になって振るわれているようなものであるけれど。

 まあ、ただ、という気持ちはある。確かに武闘派ではないし、万由里たちに比べて能力的な劣化はある。だが、今の未零にはプライドがある。澪の能力、澪の霊結晶(セフィラ)を手にした時、誰よりも上手く力を引き出してみせる自信がある。

 それはかつて『私』がいたからではなく――――――未零が澪の()であるから。

 

「……ふ、ふふ」

 

 そんな自分の考えに、笑みが零れた。以前の自分、自身にできないことはあれど、澪にできないことはない――――――それがどうだ。これはまた、随分な成長じゃないかと本当の意味で自画自賛をし、

 

「はっ!!」

 

「ッ!!」

 

 渾身の【枝剣(アナフ)】で『十香』を打ち払い、距離を取る。

 十二枚羽を羽ばたかせる未零に対し、その全身が武器でもある『十香』は白黒の地面へ強引に踏み止まる。

 距離にして五十とない。彼女ならば一瞬で零の距離を作り出す程度の隙間。だが、彼女は踏み止まった自らの足、踵を地面に叩き付けた(・・・・・・・・・・)

 巨大な王座。白黒の景色に鎮座する、不遜な世界を破壊する王の玉座。『十香』の身の丈を超え、十の剣すら比較にならぬほどの大きさ。

 

 知っているとも。ああ、その存在こそ知らぬはずがない。『夜刀神十香』が、天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉が持ち得る究極の一。破壊の意味そのもの。万物を破砕せしめる最終奥義――――――【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】。

 

 『十香』であるならば、扱えぬはずはない。物質の頂点を極めた剣の極地と彼女の極地。相容れこそすれど、相容れぬことはありえない。たとえ主が畜生に堕ちようと、天使は必ず主に従う。例外は、その主が二人いる場合のみ(・・・・・・・・)

 

 

「――――――――」

『――――――――』

 

 

 今こそ、その例外を返上しよう。心を一つに。思考を重ね。極地を超え、未零と澪は〝最強〟と相対する。

 

 黄金の剣、その白銀の刀身に鞘たる玉座が収束する。やがてそれは、一振の長剣を形作る。

 剣と呼ぶには、あまりに長大。

 剣と呼ぶには、あまりに不動。

 しかし、難なく刃を振り上げた『十香』は、

 

 

「――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――ッ!!」

 

 

 忘れ去られた貴き名に代わり、周囲の空間ごと、未零()を両断する咆哮(嘆き)と共に巨大な剣を振り下ろした。

 

 

 

 ――――――そう。或いは『十香』の選択一つで、決着は変わっていたかもしれない。

 今の『十香』が放つ【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】は、物質の頂点に位置する〈鏖殺公(サンダルフォン)〉と十の精霊の頂点に位置する『十香』が合わさり、形なきものさえ塵と還す権能を得た。

 或いは、未零()さえも滅ぼし得る。

 或いは、精霊の力を束ねた士道の見せた奇跡の天使(魔王)にすら比類する。

 或いは――――――その隣に、あのとき(・・・・)と同じように、彼女の愛する人がいたならば、届き得る奇跡だったのかもしれない。

 

 

「――――――虚しいんだよね、悲しいんだよね」

 

 

 だから未零は、その感情を抱いた。二亜の気持ちがわかる。恐らくは、あちら(・・・)の折紙も同じであった。いいや、あの天使全ての主たちが同じであったのかもしれない。

 

 極限の破壊を眼前に、未零はただ途方もない憐憫を覚えてしまったのだ。

 

 

「……だから『〝私〟』が、殺して(・・・)あげる」

 

 

 その狂獣は虚しく、悲しく、憐れだった。これほどの力を持ち、世界さえ壊す力を持ち――――――原初の罪と変わらぬ想いを抱いた。いや、彼女は澪以上であったかもしれない。彼女は、取り戻す術を浮かべられなかった(・・・・・・・・・・・・・・・)

 たとえ偽りでも。たとえ叶うことのない虚構だとしても。救いのある選択肢を浮かべる前に、絶望を超え『獣』へ至った。

 天使は想いを映し、心を広げ、進化していく。放たれる力は意志そのもの。『十香』は確かに、根底にある心を映し、技を放った。だけどそれは悲しいまでに、だけどそれは虚しいほどに――――――目的も意味も見失った、憐れな心の形だった。

 

 

「〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉――――――」

 

 

 その一刀(想い)を、未零()は重ねた心を両手に載せ――――――

 

 

「――――【蕾砲(ヘネツ)】」

 

 

 極死の極光を解き放ち、迎え撃つ。

 

 

 『死』を齎す光が花開き――――――悲しき覇道を、殺した(・・・)

 

 

 

 

 

 

「――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 迫る。逼る。なおも、迫り来る。自らの最強最後を殺され(・・・)、なお彼女は強靭な脚力の一飛びで未零へと剣を振りかざす。

 長大に過ぎる剣を、未だ消えぬ怒り(絶望)が残る瞳で未零を捉え、振り下ろす。

 殺して(ころ)して(ころ)し尽くす。死んで()んで()に尽くせ。言葉はなく、彼女はきっとそうしてきた。そうするしかなかった。そしてこれからも、そうするのだろう。

 ここで滅してしまえば、彼女の苦しみは終わる。彼女の悲しみは終わる。だけど、だけど、だけど――――――鮮血が、舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ァ……?」

 

「…………」

 

 困惑する『十香』へ、未零は優しく微笑みかける。

巨大な刀身を左手で受け止め(・・・・・・・・・・・・・)、白い肌に滴る血、鋭い痛みの全てを無視して、右手を突き出す(・・・・・・・)

 それは『十香』の美しい貌――――――絶望に堕ちて、それでも暴力的なまでに美しい面を超え、煤けた髪を靡かせ、十二枚の翼が輝きを増し、そして――――――――

 

 

 

「――――〈   (アイン)〉」

 

 

 

 『無』の光が、境界の世界に満ちた。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ァ」

 

 

 ――――――あまりに長い、感銘の息だった。

 

「……ぁ、ァァ、あ……」

 

 消え入るような掠れ声は、彼女の涙の代わりとも思えた。

 長大な剣が崩れ去り、金色の剣を伝い、『爪』へと帰順する。十の剣を縛り付けていた『法』は、既に未零の手で解かれている。そのことさえきっと『十香』は、未零に背を向けている彼女は気づいていない。

 境界に開かれた『扉』の光、扉の先の匂い(・・・・・・)に、微かに残る感覚の全てを捉えられたように。

 

「……往くといい。あなたを求める世界へ(・・・・・・・・・・)

 

 その先に何が待つのか。あの人(・・・)が何を求めているのか。『十香』は知る由もない。

 だけど――――――未零は、生きていてほしいと願う者だから。

 誰かの笑顔のために、誰かの願いを叶える精霊だから。

 

 

「さようなら、十香。全部が終わったら――――――君を救う強情で意地っ張りな人(・・・・・・・・・・)に、よろしく伝えてね」

 

 

 必ず、救いはあると。

 届くことのない言葉と、伝わることのない微笑み。きっと、それでいいのだと未零は笑い――――――長い夢の終わりを求める『夜刀神十香』の旅立ちを、見届けた。

 

 

 

 

 

 

 

『……無茶をする』

 

 モノクロの世界に開いた『扉』を両手をかざして塞いでいると、ふとそんな声が未零の中から聞こえてきた。

 集中を途切れさせる程ではないそれに、未零は顔を苦笑で崩して言葉を返す。

 

「どの辺りが、です?」

 

『……何もかも、だよ。『私』に霊力の制御を託して何をするかと思えば、【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】を素手で受け止めて、〈   (アイン)〉で強引に道を作るとはね』

 

 どちらかと言えば、令音の顔が浮かび上がりそうな苦言だった。未零と澪は心を通わせた、が……実のところ、最後の攻防は未零の独断、アドリブだった。

 相談の猶予はなしの一発勝負。衝撃を放出し尽くした【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】の斬撃といえど、一歩間違えれば腕ごと持っていかれていた。とはいえ、霊力の塊を出し尽くした『十香』が、その身一つで立ち向かってくることは澪とてわかっていたはず。後にも先にも、あのやり方以外はありえなかったと未零は考えている。

 

「私の〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の特性を瞬時に見抜くような相手に、あれ以上は付き合ってられないです」

 

 〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の特性、空間に対する『死』の事象を『十香』はいの一番に見抜いていた。だからこそ、物理的な波状攻撃からの時間加速(・・・・)による奇襲を選択し、見事速度で勝る未零を切り伏せてみせたのだ。

 その『夜刀神十香』を相手に、手加減など悠長な行為をしなければならないなど、一体何の冗談だと未零は物申す思いだった。

 

「だから、【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】を殺して、空間の修復を終えた時点で私にはあの択しかなかった――――――あなたの霊装の防御力、〝私〟が知らないはずがないでしょう」

 

 信用していた。崇宮澪が持つ始原の霊力、天使、霊装。それら全てを余すことなく出し尽くし、その上で未零は澪の全てに信頼を置いていた。最後の息を合わせられると思っていたし、どこまででも合わせてくれると思っていた――――――〝私〟に出来て、『私』に出来ないことなどないのだから。

 

『……信頼されていることに、悪い気はしないがね』

 

 それこそ、仕方がない(・・・・・)令音()がクスリと笑みを零す。目を閉じれば、同時に頬をかいた困り顔が見えるようだけれど。

 〈   (アイン)〉によって開かれた『扉』も、時期に修復が終わりそうだとほぅ、と未零は息を吐いた。

 

『……彼女は』

 

「……辿り着いた、と思いたいですけれど。これだけ〝壁〟を破壊して、無理やりにでも『十香』の感覚を引き寄せてもらいましたし」

 

 むしろ、そうであってくれなければ壊した価値がなくなる。こちら側に寄っていた『十香』の意識を逸らすためには、確実に向こう側の世界へと繋がる〝道〟を作り出し、さらに『声』の側から『十香』を導いてもらうことこそ最良――――――もっとも『十香』が感じたものは、『声』以上に()の存在があったのであろうけれど。

 

「……まあ、二度目はもう引き受けたくありませんし、あの人(・・・)を信じますよ。今度は許してもらえそうにはありませんしね」

 

『許せないし、許さないよ?』

 

「………………」

 

 温情とかはなさそうな上に、含みをもたせられて似合わぬ冷や汗が背中を伝った。

 

『その『声』にも事情があるだろうし、『私』としては理解は示す。けれど、君を巻き込んだことに対しては良い顔はできない――――――そう、『私』が考えることは『声』にもわかるはずだけれど』

 

「……どうでしょうね」

 

 それは肯定できず、眉根を下げてしまう未零がいた。その『声』は、確かに澪の考えをトレース(・・・・)出来るだろう。が――――――未零という存在がどういうものか(・・・・・・・)までは、経験していない(・・・・・・・)のではないかと思える。

 ただ、認知をすれば愛情を持つことに変わりはない。どちらにしろ、未零と澪にはわからぬことだが。

 

今はまだ(・・・・)

 

「……私は、どちらにせよ得るもの(・・・・)はありました」

 

『……ほう。それはなんだい?』

 

 独立した思考であるが故に、澪は未零が言う〝報酬〟に当たるものを見い出せず、小首を傾げて――あくまで雰囲気だが――不思議そうな声を発した。

 未零は不敵に微笑み、指を一つ唇に当てる――――――あの瞬間、『声』と繋がったのは『十香』だけではない。

 

 

「――――――まだ、秘密」

 

 

 ――――――空間の『扉』が塞がった。

 腕を下ろし、モノクロの世界を解放する。晴れていく境界の世界は、正しいものへと還る。あるべき姿へ、あるべき役割へ――――――これだけの壁を〝消失〟させたのだから、すぐに元通りとはいかないだろう。

 

『……ところで、最後に『十香』へ何かを伝えていたね』

 

 先の追求を諦めたのか、深追いはせず令音が問いを投げかける。

 ああ、と声を返して未零は続けた。

 

 

「……〈刻々帝(ザフキエル)〉の霊力だけ、妙に弱かった(・・・・)のはお姉ちゃんも気付いてたよね?」

 

『っ……まさか』

 

 

 そう。その〝まさか〟だと、彼女(・・)は得意げに返すのであろうさ、とカラカラ笑みを浮かべた。

 澪が生み出した士道に封印させるための霊力を持つ精霊たち。それらの天使を取り込み、使役した『十香』。だが、漠然とした違和感を『十香』は取りこぼしてしまったに違いない。

 

 天使〈刻々帝(ザフキエル)〉。彼の天使の霊力だけが、半分だけ削り取られたように(・・・・・・・・・・・・・)、ごっそりと失われていた。

 

 未零がそのことに気がついたのは、『十香』が〈刻々帝(ザフキエル)〉を宿した剣を握った瞬間のこと。二重の驚きで動揺してしまったものだが、しかしあの剣に込められた霊力が正常であったのなら、未零は今頃この世にいないだろう。

 

 嗚呼、嗚呼。まったく、つくづくと思い知らされ、尽くを凌駕していく人。

 

 

「……世界の一つが違っていても、強かで賢しくて諦めが悪くて――――――本当に、綺麗な人」

 

 

 ――――――全ての意味で、未零は彼女に勝てないということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 瞬間、世界が鼓動した。

 

『……!!』

 

 万由里の〈滅殺皇(シェキナー)〉がその役割を果たし、『傷』による破壊が現れなくなってから十数分。士道と精霊たち全員が固唾を呑んで待ち構えていた真正面に、驚異的な空間の振動が発生した。

 全員が目を見開く。しかし、そこに恐怖はない。それが何なのかを理解しているから。それが誰なのか(・・・・)、士道たちは教えられずともわかっていたから。

 

 眩い極光。現世への回帰を促す十二枚の白き翼。極大なる十二枚羽の中心地、そこに無色の宝石と見紛う霊結晶(セフィラ)が現れ、段々と人の形を持つシルエットを描いていく。

 少女が世界へ顕現するのに、そう時間はかからなかった。身に纏いしは極光が如き幻想なるドレス。その威容は、かつて過去となった未来(・・・・・・・・)で目撃した崇宮澪と同じもの。だが、星を頂く光臨の役割を担うようにその十二枚羽が羽ばたいている。そこから、士道は少女の正体を察する。

 あまりにも美しく。数多の神話に数えられる『神』を思わせる少女。しかし、士道はその威容に圧倒されることなく、家族を迎え入れる時と同じ微笑みで、己の唇を開いた。

 

 

「――――おかえり、未零、澪」

 

「――――ただいま、士道、みんな」

 

 

 静かな、そして確かな帰参の証を立てて――――――精霊たちが色めき立ったのは、次の瞬間だった。

 全員が一斉に未零()へと駆け寄り――空中でコケる器用な二亜もいたりしたが――また一斉に声を張り上げた。

 

「むん。よくぞ無事に帰った。褒めて遣わすのじゃ」

 

「安堵。そして、不安をかき消す素敵な姿です。これには涙目の耶倶矢も感動で咽び泣くことでしょう」

 

「そのネタはもういいわ! ま、まあ、無事だったのはいいことだし、喜んでるし!」

 

『あはー、耶倶矢ちゃんがすごい安易なツンデレちゃんになってるねぇん』

 

「安易ってなに!?」

 

 次から次へと言葉が繰り出されるものだから、当事者の未零が一番に困り顔で頬をかいている姿を見て、どちらの気持ちも理解ができる士道は苦笑を浮かべて声をかけた。

 

「ほらみんな、一斉に喋りかけたら未零と澪が困っちまうだろ」

 

「はっ! それならこの誘宵美九が代表して未零さんと澪さんにハグを! これぞ一石三鳥――――――」

 

「ちょうどよかった。私もハグをしたい気分だった」

 

「あー! 折紙さんやめてくださいそれはハグじゃなくてヘッドロックですぅぅぅぅぅ!! ……あ、でも折紙さんのふくよかな部分に当たってこれはこれで……」

 

「聞いてるようで聞いてねぇな……」

 

 軽いプロレスに美九が新たな扉を開きかけているのはともかくとして、士道とて気持ちは理解できる。自身の経歴から相変わらずどちらも(・・・・)という立場にはなってしまうのだけれど。

 すると、喜ばしい雰囲気の中で十香だけが虚空を見上げ、何かを感じ取るように――――――己であって己でない者(・・・・・・・・・・)の存在を、一人感じ取っていたように。

 

「未零、あの者は……」

 

「大丈夫」

 

 しかし、そんな十香の憂いを未零は強く否定し、同時に首肯した。未零にしては珍しい断定したものに十香が面食らっている中、少女は優しげに目を伏せて続ける。

 

 

「……あなたと同じだよ、十香(・・)。あの子を――――――彼女を肯定する人と、ちゃんと出会えるから」

 

 

 だから、大丈夫だと。別の世界の自分(・・・・・・・)を信じていいのだと、未零は十香を肯定(・・)する。

 祈りと予感と、祝福と。少女からの言霊は、

 

 

「――――――そうか。ならば、よかった(・・・・)

 

 

 紫紺の瞳を、迷いのない輝きに戻すことができたのだろう。

 十香の中で何があったのか。何を思ったのか。彼女(・・)の存在は十香にとってどう映ったのか。それは士道にもわからないことだが――――――『この世界』の十香は、また別の道を辿るということだけは確信できた。

 

「……あの」

 

 と、穏やかに言葉を交わす中、四糸乃が控えめにふわりと〈氷結傀儡(ザドキエル)〉から未零の傍に降り立ち、その左手に触れた(・・・・・・・・)

 その動作自体は、何ら激しいものではない。触れた四糸乃の性格を考えても当然であり――――――だからこそ、触れられた瞬間、僅かに眉尻を下げた未零の仕草は、士道にとっては意外すぎるほどに目立つものだった。

 

「……四糸乃?」

 

「手、怪我してますよね――――――七罪さんが、教えてくれました」

 

「え……」

 

「うぇ……」

 

 驚いたような声音の未零と、別の意味で驚く七罪の声が重なる。前者は見抜かれるとは思っていなかったからか、後者単純に性格の話なのだろう。

 まずは七罪に向いた視線だが、多少の後退を挟みながらも遠慮がちな声にして返してくる。

 

「……何か、動きがちょっとおかしかったから。見た目は何もないけど、だから変に見えたって言うか……多分、怪我してるのはその手だけじゃないでしょ」

 

 遠慮こそあるが、指摘自体は半ば確信を持つものだ。士道には普段通りにしか見えず、精霊たちと顔を見合わせた。

 未零の表情の起伏、その低さより七罪の観察眼が上回ったということ。皆の視線と、そしてもう一人が咎めるように鋭く声を飛ばした。

 

「諦めなさい。あんた、隠し事できないんだから」

 

「〈囁告篇帙(ラジエル)〉からは逃げられても、なっつんからは逃げられなかったみたいだねぇ」

 

 万由里と、繋ぐように二亜が荘厳な本を閉じて促すように視線を流す。

 精霊たちと士道、全員からの視線――――十中八九〈フラクシナス〉からも――を受けて、未零は右指に髪を絡めながら声を発する。

 

「……わかってますって。いい機会ですし、荒療治でも受けたものは活用します……コホン」

 

 わざとらしく、恐らくは中にいる澪との会話を打ち切るように咳払いをした未零。だが、なんと言えばいいのか……その覆った口元と恥ずかしげに顔を逸らす仕草が、妙に色っぽいというか、士道としてはむず痒くなってしまうというか――――――

 

「……士道」

 

「お、おう」

 

「…………」

 

 名前を呼ばれ、小さく手招きをされる。壮大な翼を持った『天使』が人を呼び込む仕草としては、大変に庶民的だった。士道としては、それ以上に自分の胸の高鳴りが不思議だったけれど――――――久方ぶり、というほどではない。

 いつだって、『この世界』になってからも、士道の生活は刺激的だった。士道の心は、変わることはない。狂三のことが好きで、精霊たちのことが好きで――――――胸の高鳴りは、それこそ確信だったのだ。

 

 

「ん……」

 

「――――――!!」

 

 

 近づいて、その口づけを。幾度となく行われてきた儀式を。幾度となく繰り返された快感を。飽きることのない、愛の祝福を。

 

「わぉ!!」

 

「うっひゃー……」

 

「…………」

 

 周りの反応はそれぞれだったが、如何な士道といえどわかるのはそこまで。全て、目の前で閉じられた瞼に。この世の芸術を超えた端正な貌に。愛おしいキスの味に。

 十二枚の翼が、その役割を終えて未零の内側へと還っていく。祝福のように舞い散る白い羽。やがて、士道の中に温かな霊力が流れ込むと共に、未零の纏う霊装の光が空を舞い、解けて消えていく中――――――未零の背、つまりは士道が未零を見るさらに先に、構成された粒子と宝石が一人の精霊を形作った。

 

「――――ふふっ。お熱いね、士道」

 

「…………」

 

焚き付けた(・・・・・)やつが言うことか、という半目の視線も何処吹く風。引き継ぐように幻想の色を纏う澪は、微笑ましげに士道を未零を見守っていた。

 長い、とても長い口づけだった。唇を離し、全ての霊力を封印した士道の身体に、未零が寄りかかる。甘えるように、或いは美しすぎる裸体を士道の身体で守るように。昔なら、動揺して仕方がなかっただろうけど、今の士道は未零を落とさぬようにしっかりと抱き返した。

 

 

「……ちょっと頑張ったから、そのご褒美。もらっちゃいました」

 

 

 いつから、こんな甘え上手になったのだろうか。囁くような声で、自身の権利を主張する未零に、士道は周りの視線など気にもせず――――――もう一度、キスをした。

 

「…………一回で、いいのか?」

 

「……もう、二回もしちゃってるじゃないですか」

 

「欲張りが足りないぜ、未零」

 

 何回でも、してやろう。不敵に未零を口説く士道に少女は、何かを求めることが不器用な少女は――――――

 

 

「――――――努力するよ、これからね」

 

 

 これから咲き誇る花の笑みを、士道に思わせてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「む……?」

 

 少し先を歩いていた十香が足を止める。訝しげな彼女の声音に問いの言葉を投げようとして、折紙もまた足と言葉を止めた。

 理由は、単純明快。

 

「……ぐ」

 

 何故か呻き、病室の扉に手をつき何かを葛藤する七罪の姿を見たからである。七罪が何を考えているか……なんて、それなりの付き合いになった折紙なら、というより折紙でなくともわかるというもの。

 

「何をしているのだ、七罪よ」

 

「ひゃぁっ!!」

 

 そんなに驚くことなのか、と聞くべき飛び上がり方を十香に声をかけれただけでした七罪が、手で心臓の辺りを抑えながらようやく折紙と十香が来ていることを認識した。

 

「あ……十香に折紙」

 

 何しに、までは繋がらなかった。折紙が持つ見舞いの花束を見れば、同一の目的なのは一目瞭然だった。

 

『……ところで、士道を血だらけにはしたくないので一旦離れてくれません?』

 

『吐きそうなくらいに辛いならもっと早く言ってくれよ!?』

 

 脳裏に思い起こされた光景のことを考えれば、結果として随分と平和的な見舞いになってくれて折紙もため息が下がる。無論、憤りや不満がないわけではないが、無事に帰ってきてくれたのなら強く言うつもりはなかった。今回は(・・・)、だが。

 なお、その相手役の士道は、折紙たちと共に来ていたところを強制検査だと令音に連行されていった。恐らく、その時に七罪とは入れ違いになったのだろう。

 

「うむ。……入らぬのか?」

 

 挨拶もそこそこ、切り出しはやはり十香から。

 

「え…………わ、私なんかの見舞いとか、逆に体調不良にならないかって。最悪の場合そのまま長期入院なんてことも……!」

 

 返しは普段通り、相変わらずの七罪だった。とはいえ、予測可能な返答に首を振ることこそ折紙の役目だった。

 

「彼女は思わない。あなたのことを歓迎する」

 

「……う、うん。わかってる……」

 

「ならいい。今日は一人で来たの?」

 

 だとしたら、そちらの方が珍しいと折紙と十香は首を小さく傾けた。来るならば、渋る七罪を連れてやってくる精霊の誰かがいると考えたからだ。事実、今朝方の七罪が不在でなければ折紙たちが誘うつもりではあった。

 すると、七罪は何やら両指をつんつんと合わせ言葉を濁す。

 

「あ、いや……実は、その――――――」

 

「な・つ・み、さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

「ぴゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 気配を消して飛びかかる美九と、脱兎の如く十香の後ろに退避する七罪。どちらも、折紙が感心してしまうほどの攻防だった。もっとも、一瞬で体力を使い果たした七罪は十香にもたれ掛かりながらではあるが。持久力が課題か、と折紙の脳内で何故かトレーニングメニューが思い浮かび始めた。

 抱き締める予定だった両手が空振りし、美九が不満げに唇を尖らせる。

 

「あーん、二回も避けるだなんて酷いですよー。七罪さんのいけずぅ」

 

「さ……けるに、決まってるでしょぉ……」

 

「……何をしているのだ、美九よ」

 

 先の問いと言葉であるのとは裏腹に、わかりきった半目で美九を見遣る十香。彼女にしては珍しい表情は、美九の前科が何犯あるかを如実に物語っている。

 しかし、これで大体は予測できた。七罪は美九の襲来で見舞いのメンバーとはぐれ、先に来ていた折紙たちを入れ違いで追い越し、さらに追いかけてきた美九が合流、奇襲が二度目というところか。〈ラタトスク〉の地下施設は広く、言い得て妙ではあるが人が入れ違うのにそう苦労はしない。

 事実――――――

 

「おぉー、みっきーは本日も絶好調だねぇ」

 

「良きことか、とは口が裂けても言えぬがの」

 

「こんにちは、みなさん」

 

 気楽な二亜、神妙な六喰、丁寧な四糸乃。そして四糸乃の口ぶりから、今度は反対方向、つまり折紙たちの背に新たな影。

 

「会釈。こんにちは、そして合流です」

 

「くく、我が友の闇の儀式によくぞ集った、皆の衆よ!」

 

「……素直にお見舞いって言えないの」

 

 微笑する夕弦。気取った耶倶矢。困り顔で笑う万由里。

 

「全員、揃った」

 

「考えることは、皆同じだな!」

 

 そして、折紙と十香。〈ラタトスク〉のメンバーとして当然先にいるはずの琴里、加えて〝彼女〟を除けば、あの日のメンバー全員が時間を揃えたわけでもなく、偶然に同じ目的で居合わせた。それもかなりの入れ違いがあったであろう。

 奇妙な偶然に、折紙はらしくもなく感慨を覚え、不思議と言葉と笑みが零れた――――――それほどあの子を思っている気持ちは、誰もが同じなのだろうから。

 

「いやー、抜け駆けしてれーちゃんをあたし専属のセラピストに改めて勧誘しようかなー、って思ってたんだけどなぁ。……少年も一緒に」

 

「あー! ズルいですよ二亜さーん。未零さんは私専属の付き人的癒し人にスカウトする予定なんですからぁ。……だーりんも一緒ですぅ」

 

 後半は小声で付け加えられたものだが、聞き逃す人は一人としていない。

 

「や、何かおかしくない? ていうか、どうせ中身は未零の自由意志ないんじゃない……? あと士道を巻き込むとすごいの来ると思うけど」

 

「むん。当事者の性格を利用するのは目に余る行為じゃの」

 

「未零さんと士道さん、優しいですから……あまり、よくないと思います」

 

『……うぅ』

 

 中学組、果ては心優しい四糸乃にまで諭され、大人二人が押されて萎縮する光景は些か呆れと微笑ましさが溢れていた。そのうち、未零の勧誘には専用の条例が組まれる日が来るかもしれないと冗談半分で考える。

 ちなみに、士道に関しては既に組まれている、折紙の中で。

 

「そもそも、あいつは今私と大学に行ってるんだから、困らせるのは程々にね。まあ、勧誘を止めはしないけど」

 

「瞠目。大人の対応。さすがは夕弦の成分を受け継いだ万由里です。暗に無理だと思うけれど、という声が聞こえてきます」

 

「いや夕弦の言い方もおかしいし。ふふん、それに大人の成分っていったら私でしょ」

 

「嘲笑。ぷっ、嗤笑。大人(笑)の成分ですか。万由里に失礼というものです」

 

「新しい感じでバカにするバリエーション増やすなし!」

 

「……両方とも、私に失礼じゃない?」

 

 病院で騒ぐな、という注意も厳密には病院ではなく、これでは精霊全員で騒がしく押しかけてきたのと変わりはない。そう思う折紙だったが、これも未零は受け入れてしまうのだろうという思いも存在して、それは士道とて同じことで――――――

 

 

「折紙?」

 

「ん――――――なんでもない」

 

 

 ただ――――――恋と友情、どちらも前途多難であると思ったまで。

 けれど喜ばしく、そして清々しく。十香が目を丸くするほど穏やかな表情で、折紙は命の恩人から友になった人の病室を、真っ先にノックするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……なるほどね」

 

 そう息を吐き、ベッドの上で身体を起こした未零と手にした端末を見比べながら、もう一度大きく息を吐く。揺れる赤いツインテールと、どこか萎びたように見える飴の棒から彼女の心労が見て取れるようで、しかし当事者としてはどうにもならない未零は苦笑いで声を発した。

 

「……成功してます?」

 

「自分が一番わかってるでしょ――――――人並みの回復力にはなってるわ。それは、素直におめでとう」

 

 端末内のカルテを閉じたのだろう。テーブルの上に置き、頬杖を突いた琴里はとてもではないが祝っているようには見えない。それも、当然ではあると未零は受け入れていたが。

 未だ痛みの残る己の身体――――――正確には、残した(・・・)傷。見た目の応急処置は融合時に済ませていたが、それ以外は自然治癒に任せる(・・・・・・・・)形にしたのだ。

 無論、そんなことをすれば、虚弱体質の未零は数ヶ月ベッドに括り付けられることを避けられない。が、未零はそれなりの自由を保証された生活を送れている。その理由こそ、わざわざ傷を残した意味でもあったのだ。

 

「……確かに、あなたの体質は元々『澪』の願いが引き起こした矛盾。融合した澪、何よりあなたの意識が既に改められた今なら、こういう結果を引き起こすこともできたでしょうけれど……」

 

「わかってます。私だって、自分から死にに行ったりはしてませんよ。偶然に状況が重なったから、次のためにできることをしておきたかっただけです」

 

「次、なんてのはあまり考えさせないでほしいわねぇ……」

 

 そうは言うが、〝次〟があれば琴里は迷いなく対処をしてしまうのだろう。その優秀な司令官を平時で疲弊させないためにも、これからは気を遣う必要があるなと未零はフッと頬を緩めた。

 ――――――人並みの回復力。それを得るには、二つのことが必要だった。

 一つは単純な〝意識〟だ。存在矛盾を無くすことができる、即ち未零と澪の意志。今だからこそ(・・・・・・)、なのは言うまでもない。

 もう一つは、肉体意識の問題。そうだ(・・・)と定義し、思い込んだ肉体が単なる意識一つで改善するなら苦労はしない。だからこそ、自然な治りが正常である(・・・・・)と認識させる必要があった――――――トリガーとなるのは単純な話、未零が瀕死に近い負傷をするというだけだったのだ。たとえば、天使に切り裂かれる(・・・・・・・・・)、とか。もっというのなら、澪との融合という特別な力も。

 とにかく、平時では叶わない状況が偶然重なり、未零は〝荒療治〟という体で虚弱体質の改善に取り組んだ、という後日結果が残された。いつかはやらねばならなかったことだが、この平和な世界、こんなものが巡って来る方がおかしいなどと考えながら未零は言葉を継ぐ。

 

「……まあ、そうそう次はないです。今回の一件も、私たちの世界というよりは、私たちの世界と似た世界(・・・・)の問題でしょうから」

 

「そうだといいわね。詳しいことは、あなたと令音しかわからないことだけど……」

 

 琴里たちからすれば、現場対処を頼まれているうちに現場的な被害は――折紙が隊長殿の猛烈な愚痴を受け止めたとは聞いたけれど――抑えられ、何もなかったといえる。

 こちら側には何も起こらない。厳密には、起こさせず、起こしてもならなかった。少なくとも、『十香』を似て非なる世界へ送り届けるまでは。

 

「……大まかには、二亜から?」

 

「ええ。あなたを通して〈囁告篇帙(ラジエル)〉から『十香』の一部始終はね。……並行世界、か」

 

 ふと、眉根を下げた琴里が暗い顔で呟く。

 『夜刀神十香』のこと。かの世界にて引き起こされた悲劇のこと。()を失った世界。考えることは様々だと未零にもわかる。

 だからこそ、未零たちには言えることがある。

 

 

「……私たちの世界にも、そういう〝可能性〟はあったのでしょう。事実、私がそうなのですから。でも――――――」

 

 

それでも(・・・・)

 

 

「――――――この世界を創った(・・・)神様ってやつは、そんな悲劇をクソッタレ(・・・・・)だと蹴り飛ばす人達だった、でしょ?」

 

 

 故に、悲劇は終わりを告げた。

 言葉を切り、琴里と笑い合う。そう、この世界でこれ以上の悲劇はなく、これ以上は幸せな物語。ありえるはずのなかったハッピーエンドの世界。

 仕方がないのではなく、当たり前のことなのだ――――――身勝手な神様が世界を壊し定義したものを、世界で一番物騒な愛を超えることなど、そう簡単にできはしないのだから。

 

「大丈夫よね、『十香』は」

 

「……ええ。あの人(・・・)が信じたあなた方(・・・・)なら、必ず」

 

 そして、いつも良いところを持っていく大胆不敵で唯我独尊、難攻不落な女王(・・)の手で、必ず。

 できることはした。あの人(・・・)の願いは叶えた。ならば、未零の領分はここまでだ。未零は主役(ヒーロー)を引き立てる役回り。相応しい人たちへ、知られることなく託す。それだけで、十分だ。

 

「そう。――――――でも、その『声』は結局、どうして『十香』を自分たちの世界へ呼び込んだのかしら」

 

 解せない最後の疑問。あごに指を当て、不思議そうに唸る琴里。

 『十香』を救う――――――それだけなら、こんなに苦労することはない。如何に『十香』の力が強大といえども、『この世界』の精霊は今だ健在であり、『十香』一人なら幾らでも救いようはある。その『声』の目的が『十香』を救うことだけであったならば、今回のような苦労はしなかったであろうことは明白だ。

 『声』の目的。今は(・・)繋がりが薄い壁の向こう側ということもあり、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の知識に深く刻まれてはいなかったのだろう。

 

「……『十香』がどうしても必要だった、のでしょう。一方的ではなく、世界の壁を超え、尚且つ強固に繋げることができた〝道〟を辿り、自らの世界へ帰還できるだけの力を得た『夜刀神十香』が」

 

 故に道標が必要であり、修正が必要だったということだ。数ある可能性の中で、極めて近く、限りなく遠い世界。繋がる可能性がある世界。それでして、限定的な存在。

 『声』の目的は――――――『世界の意志』が求めたものは、

 

 

「……きっと、帰してあげたかったんだ。――――――本当に、仕方のない人」

 

 

 この世界にはない、可能性の帰還(・・・・・・)

 彼の世界で、〝私〟のもう一つの望みは果たされなかったのだろう。けれど、それは決して――――――救いがなかったわけでは、ないと思う。

 

「………………、そう、ね。本当に、仕方ないみたいね」

 

 未零の言葉から、表情から、幾らかの察しはついたのか。琴里は含みを持たせながらも、追求をすることはしなかった。

 そうして、よし、と立ち上がった琴里は厳しい司令官の顔に戻る。自分たちの日常へ、少しずつ帰っていくために。

 

「それじゃあ、しっかり養生してちょうだい。回復力が人並みになったといっても、あなたの怪我は本来なら医療用顕現装置(メディカルリアライザ)を使わなきゃいけないようなものなんだから」

 

「……ええ。個人的な用事には、まだ少し時間があると思いますので、そうさせてもらいますよ」

 

「…………その言い方」

 

 嫌な予感からか、未零から見て大分の渋面を琴里は披露する。慣れてはいるが、慣れたくはない。そんな顔だった。

 

「今度はちゃんと相談してよね。今回の件は仕方ないけど、次はないってみんな口を揃えてるんだから」

 

 それでも、尊重はしてくれる優しさを見せ、未零はありがたく好意を受け取るのだ。

 

「……わかってます。次は、心配のない人助け(・・・)ですよ」

 

「……はぁ。ほんと、わかってるんだか不安だわ」

 

 じゃあね、と手を振って病室を後にする琴里を手を振り返して見送る。

 もちろん、嘘は言っていない。

 

 

「――――――嘘は言わずとも、本当のことを仰らないのは、よくないところが誰かに似てしまいましたわねぇ」

 

 

 〝彼女〟の言う通り、未零の真意を見せたわけではないけれど。

 〝影〟が人の形を造り、〝影〟は少女そのもの。射干玉の髪を揺らし、紅の瞳で未零を射抜き――――――時崎狂三は、音もなくそこに存在した。

 いつか見た、しかしあの頃とは何もかもが違う――――――いつも、彼女とはそうである気がして、抑え切れぬ微笑みと共に未零は唇を離した。

 

「……さて、誰のことでしょう。あなたでしょうか、我が女王?」

 

「あら、あら。懐かしいですわね。わたくしではなく、澪さんに決まっていますでしょう。――――――それで、あなたにはまだやり残したことがあると?」

 

 議題は直通、未零の目的(・・・・・)だと狂三は琴里が座っていた椅子に、これまた優雅な仕草で座り、こちらと対面する。未零しかいないというのに、無機質な椅子すら上品に見える令嬢のような姿に見惚れながらも、未零は言葉を返す。

 

「……はい。私個人の目的(・・・・・・)があります。というより、出来ました」

 

 床に伏せる、は些か過剰な表現だが、似たような状況でも未零は悪びれもなく受け答える。

 生憎と、この身は弱く、脆く、我欲というものは薄く――――――それでも、望むものは人一倍押し通したくなる厄介な代物だ。それを理解し、体感もしている狂三は、深々とため息を吐いた。

 

「まったく。自分自身と仰いながら、その実他者のための望み。自覚を持つということは、決して無条件に祝福できるものではありませんわね」

 

「……そうすることが、〝私〟の願いに繋がるものですから――――――ごめんね。きっとまた、〝私〟は同じことをする。自分に出来ることをする」

 

 未零はそっと手を伸ばし、狂三の左眼にかかる髪を手に乗せる。そこには、精霊の証(・・・・)である金色の左眼が、正しい時を奏でていた。

 時崎狂三にあるべきものであり、少女にあってはならないもの。封印されるべきもの。精霊・時崎狂三は澪を超えたイレギュラー(・・・・・・)として『この世界』にある。

 士道の霊力封印能力は、澪の想定によって造られた機能だ。そこに、澪の想像を超える、原初の精霊さえも上回る力を得て、さらには想定されていた繋がりなど無視してしまうほどの関係を築き上げた。

 そんな狂三の力を封印など、そう簡単にできるものではない。士道と狂三は、もはや一心同体。どちらかが動けば、必ず力は動く。今回のように【0の弾(エフェス)】を扱うようなことがあれば、ゆっくりと馴染ませていた封印は再び緩んでしまう――――――もっとも、士道と狂三が封印を望むかと言われれば、そうではないのであろう。

 

 

「構いませんわ、構いませんわ。わたくしたちもまた、自分自身のために、あなた方が生きる世界を創ったのですから。――――――お好きになさいな。わたくしが生き、あなたが生きる。それが許されることこそ、『この世界』の意味ですわ」

 

 

 二人は未だ、満足などしていない(・・・・・・・・・)。『この世界』の先、約束の果て。完膚無きまでのハッピーエンド。その先でようやく、二人は力を使うことがなくなる。そんな予感があった。

 なんと我が儘なことか。なんと身勝手な神様か――――――そんな二人に惚れ込んだ未零たちは、もう手遅れということなのだろう。

 包み込むように、肯定を示し、未零の手をその華奢な手で、世界を創り変えた手で触れる。

 

「ですが、未零のその顔を見ることが出来たのなら――――――」

 

 手を伝い、未零の頬に手を伸ばす。触れる。愛おしく、優しい少女の手。それが触れる、触れることがおこがましいとは思わない。

 だって、未零は見つけた(・・・・)から。自らの意味を。時崎狂三は笑っている(・・・・・・・・・・)。その笑顔が、未零の存在があるからというのなら――――――

 

 

「――――――世界を一つ、ぶち壊して差し上げた〝価値〟がありましたわ」

 

 

 村雨未零は自分を――――――狂三の友の笑顔を、受け入れていけるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……さ、士道。『あーん』です」

 

「あ、ああ」

 

 世間一般、男子高校生が可愛い女の子から『あーん』という素晴らしいハイパームテキなシチュエーションのアプローチを受け取って、それでリアクションをしない人などまずいない。一般論とは、相対数が多い故に一般論と呼ばれるのである。

 同時に、経験豊富といえる――幾らかの風評被害を含む――士道とて、その一般論には大いに同意する。たとえば、目の前で天使のように愛らしい貌を向ける少女が、自分に向かって『あーん』をしようものなら、男子たるもの据え膳食わぬは男の恥というか。無事口に含めた唐揚げはとても美味だというか。

 嬉しい。大変に嬉しいのだが。

 

「……はい。では次は――――――」

 

「待て待て待て、ちょっと待て」

 

 これがひたすらに続き、もはや士道が手を動かすまでもないというのはさすがに問題ではないかと、動かさない手で静止を促す。

 

「……?」

 

「いや、さも『どうかしましたか?』みたいな顔は可愛いんだが、俺は要介護が必要な怪我はしてないぞ」

 

 むしろ、相手方の未零が病み上がりの状態だろうに。

 

「……嫌です?」

 

「嫌じゃない」

 

 小首を傾げたそれには即答を返す。すると、ふむとあごに手を当てた未零が、令音を思わせる穏やかな説得力を込めた声音で声を発した。

 

「……なら、問題はないですね。あなたは私に『あーん』されて嬉しい。私はあなたの笑顔が見れて嬉しい。とても健全で健康的で建設的な関係じゃあないですか」

 

「そうじゃなくてだな……」

 

 その声音は素晴らしいものだが、いくらなんでもそれは通らないと士道は頭を抱える。素直に士道へ望みを言ってくれるようになったかと思えば、素直すぎて奉仕の精神が恐ろしく滲み出ている。ここで幾らかの説得を試みなければ、誰かしら駄目人間(犠牲者)が出てもおかしくはない。

 

「あのな、未零。デートっていうのは、一方的に相手に尽くすだけじゃなくて……」

 

「ええ、知ってますよ。見てましたし」

 

「じゃなんでこうなる!?」

 

 叫ばざるを得なかった。今日は人気が少ない高台の公園であったことが救いか。

 

「……つい?」

 

「〝つい〟で済ますなよ! おまえと狂三は〝つい〟を言っておけば許されると思ってるだろ!」

 

 断っておくが、お茶目をして〝つい〟で許されるのは貌の良い美少女だけである。……二人は思いっきり条件を満たしていて、反論としては0点だった。

 士道の荒声にくすくすと笑う未零を見て、やはりからかっていたのかと思いの外お茶目な少女に呆れと笑みを返し、士道はようやく自身の箸を手に取り弁当箱に詰め込まれたいっぱいの料理をひとつまみ。それを未零の方へと差し出した。

 

「ほら、未零も」

 

「……ん」

 

 これまた思いの外――――というほど、未零はひねくれてはいないか。士道の取った卵焼きを口の中へしまい込み、自分自身で作った料理の味を味を噛み締めるようにゆっくりと咀嚼していく。早く、それでいて味わう十香とは別に、のんびりと味わう未零の姿も士道には嬉しいものだった。

 

「……けど、よかったのか。デート(・・・)の場所がここで」

 

 未零が幾らか食を進め、しっかり飲み込んだことを確認してから、士道はふと気になっていたことを問うた。

 そう、これはデート。物騒なことなど何一つない、未零とのデート。未零から望んだデート(・・・・・・・・・・)だ。しかし、意外な、と言っていいものか。未零が選んだのは未零自ら弁当を作り、近くの公園で時間を過ごすこと。

 街を巡るわけでもなく、遠出をするわけでもなく、店を予約して……そういったものではなく、未零はわざわざここを選んだ。士道は、その理由をまだ聞いていなかったのだ。

 すると未零は箸を置き、唇に小さく笑みを描き、言う。

 

「うん。あなたとなら、いいと思える。それに――――――」

 

「それに?」

 

 一瞬、逡巡するように言葉を呑み込もうとした未零が、グッとそれを堪えるように胸に手を当て、白い頬をほんのりと赤く染めた。

 

 

「これからも、士道とデートがしたいから」

 

 

 今は、ここがいいと。次は、別の場所をと。

 未零の言葉で、未零の意志で。消え入りそうなくらい小さいけれど、ちゃんと求めるように。

 

 

「ああ。どこへだって連れていってやるさ」

 

 

 士道の言葉で、士道の意志で。力強く受け止める。好きな女の子の好意を、士道は逃げずに受け入れる。

 皆と共に生きる『この世界』で、デートを続ける。それが、五河士道の選んだ最高最善の道なのだから。

 村雨未零のその笑顔は、五河士道にとって最高の報酬だ。

 

 

 

 

「……けれど、次のデートは少し先になるかもですね。行くところがありますから」

 

「ん? 何か遠出の予定でもあるのか?」

 

 そういう話は聞いていないし、比較的短かったとはいえ入院期間でも話題には上がっていなかったはずだが。と、士道が首を傾げると、未零は誰かさんに似た悪戯娘の笑みを携え、声を発した。

 

 

 

「……ええ、ええ――――――少々と、別の世界まで(・・・・・・)

 

「………………は?」

 

 

 

 

 




ここからは補足とか諸々。

十二枚羽は澪単独より上とかではなく、単純に分散した精霊たちの天使の代用として未零の霊結晶の特殊能力を組み合わせてブーストすることで、あくまで霊力分散前のオリジナルに等しい霊力を未零と共に振るう。という感じですね。ぶっちゃけ天使分散させて火力落ちてるとは思えないですけれども。
以前までだと『私』という定義の関係で叶わなかったです。あくまで澪と未零で別れたからこその荒業。ちなみに未零メインですが普通にメイン澪バージョンも存在します。自由ですね。

澪の死への願いと澪を滅ぼせる自分という矛盾の祈りによって生まれたこの子は、だからこそ澪の力を澪と共に振るうことが出来る唯一無二の分霊です。本人も言っていますが、他の子と比べて武闘派からは離れているのが自虐ネタ。ちゃうねん、他の子が色々と万能すぎるねん。
そういえば未零が正式な〈万象聖堂〉を使うのは初めてでしたね。お気づきかとは思いますが、あの撃ち合いは澪の力を取り込んだ十香戦の対比となっています。この作品、十香編を省いたのを口実に【最後の剣】を好き放題するのが趣味みたいなところあります。
総評としては、楽しかったです。男はこういう厨二ロマンバトルが好きなのかも知れません。のんびり構成で積み重ねていたのをここぞとばかりに発散しました。

ちなみに解決方法も補足しておきますが、単純ですね。空間を無理やり安定させて、崩壊を防ぎながら『無』の権能でリビルド世界より本来行き着くべき世界へ大きな『孔』を開きました。つまるところゴリ押しである。要は『十香』がリビルド世界に現出してしまったら届かなくなる道を、そうなる前に無理やり作って何とかしただけですからね。それでどうなるのか、未零は何をしたのか……それはまた次回。

さて、平和な日常へ戻り行き。無事、己の答えを見つけた駄目人間製造機もとい村雨未零。好意は素直でありながら、行為には素直でなかった少女の士道とのデートでのギャップが可愛く描けたと思いたい、多分。そんな少女がこの一件に望む最後の願いとは。次回、未零アナザー編エピローグとなります。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみ!!


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ⅩⅡ

 

 荒涼たる死の大地。世界の終わりを思わせるその場所にて、五河士道(・・・・)は精霊と対峙していた。否、対峙というものは正しくはない。

 精霊〈ビースト〉。獣の名で呼ばれた精霊との戦争(デート)は、今この時をもって終わりを迎えようとしていた。

 

 

「おまえならば、きっと会える。わかるのだ――――――私も、十香だからな」

 

 

 灰の髪を揺らした少女が、最後を告げる寂しくも頼もしい言葉を向けてくる。

 名残惜しさがないと言えば、嘘になる。〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の軌跡によって空間の生じた傷。その空隙を潜り抜ければ、この十香とは再会することはないのだろうから。

 けれど、

 

 

「――――――、ん、なら問題ないな」

 

 

 五河士道が返す言葉は、決まっていた。

 

 

「さらばだ、我が友。我が親友。私は生涯、おまえを忘れることはないだろう」

 

「ああ。俺もさ。――――――じゃあな、十香」

 

 

 それでいいのだと、手を振る。彼女には彼女の世界があり、士道には士道の世界がある。待っている人たちがいる。会いたい人がいる(・・・・・・・・)

 新たな出会い。それが十香の救いとなったと信じて、士道は士道の『十香』へ会いに行く。そうして、『傷』へ身を投じようとした士道を――――――十香は、その手で止めた。

 

「待て」

 

「え――――?」

 

 それは、あまりに鮮烈で。

 

 それは、あまりに温かく。

 

 それは――――――唇を限りなく掠めた、優しいキスだった。

 

 

「――――――続きは、そちらの十香にしてもらえ」

 

 

 呆気に取られる士道に、ふっと微笑みを濃くした十香が身体を押し込むように手で押して――――――世界は、螺旋した(・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は……」

 

 一拍を置き、強烈な目眩が襲う。世界を飛び越えた(・・・・・・・・)代償としては、安いものだと考えるべきだ。

 故に、士道が呆気に取られ、そして驚愕したのは一度経験があったことに関して、ではなかった。

 僅か一瞬、士道は世界を超えた。その証拠に死出の旅を思わせる大地の姿はなく、視界には一般的な母屋の天井(・・・・・・・・・)がある。少なくとも、士道の家ではないとわかる。ならば、士道はどこへ落ちたのかと落下で微妙に痛めた背筋を擦りながら起き上がり――――――――

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――は、ぁ?」

 

 

 〝少女〟の姿に、目を奪われた。

 あまりにも、尋常ではなく、暴力的なまでに美しい(・・・・・・・・・・)少女の姿に。

 単純に、それだけではない。それだけならば、士道が思考を停止させることなどありえない。

 しなやかであり艶やかな髪を片方で括り、どこまでも続くような広大な空色を思わせるその瞳。世界のどこを探そうと、その美しさを再現などできはしないその貌。

 君は――――――その言葉を呑み込み、士道はカラカラに乾いた喉を鳴らし、声を発した。

 

 

 

「――――――澪?」

 

 

 

永遠に失われた名(・・・・・・・・)を、呼んだ。

 その貌。その瞳。その髪の一筋に至るまで、崇宮澪(・・・)が士道の眼前にあったのだ。

 夢であろう。夢でなければ、幻想、同じ意味の幻覚か。だが、口にできてしまった言の葉は、確かに士道のもの。或いは、士道の中に残る崇宮真士(・・・・)のものであろうか。もはや言葉を交わすことさえ叶わないと思っていた。澪は士道たちの胸の中で、そして世界に溶けていった。じゃあ、士道の見ている人は――――――

 

「……これはまた。ノックもなしに、意気な来客があるものですね」

 

 話した。口を開き、士道を認識している。澪が士道を認識している(・・・・・・・・・・・)。士道を見て僅かに目を開く大きさを変え、されどわかっていたかのように(・・・・・・・・・・・)澪は声を発した。

 たったそれだけのことでさえ、士道は困惑と驚愕を強く、強く押し出してしまった。

 

「……澪、なの……、か?」

 

 そんなはずはない。そうであるはずがない。そうであるならば、何もかもが覆る。全ての前提が覆る。だから、ならば、彼女は一体。

 狼狽した士道の思考が沈静化するよりも先、士道の言葉に少女はぴくりと眉を揺らした。その時である――――――リビングと思われるこの部屋の扉が開き、ある人物(・・・・)が声を発して入ってきたのは。

 

「……随分と大きな音がしたが、平気――――――」

 

「――――――っ!?」

 

「……士道(・・)?」

 

 二度目の驚愕。思わず視線を向けた先、その女性と士道は目を合わせた。彼女もまた言葉を打ち切り、士道の名を呼びながら訝しげに瞳を揺らしたことが伝わる。

 その女性も、知っている。少女とは反対に髪を括り、物憂げな瞳と重い隈で彩られてなお美しい面。その声は、その貌は、

 

 

「……令音、さん……」

 

 

 崇宮澪のもう一つの存在(・・・・・・・)。村雨令音。士道の世界から、失われた人。

 けれど、士道は気がついた。その特徴的な隈が、そうであるが故に僅かながら薄くなっていること――――――シンから貰ったクマのぬいぐるみが、どこにも見当たらないこと。

 

「……!!」

 

 もう一度、()を見遣る。ある可能性が思い浮かび――――――或いはそれは、違う世界の十香(・・・・・・・)が示した可能性の再考か。

 澪は椅子から立ち上がり、士道へ手を差し伸べた。澪は――――――いいや、澪と似て非なる(・・・・・)雰囲気を漂わせた少女は、

 

 

「……初めまして(・・・・・)、五河士道。別の世界からの来訪者。〝私〟の望みの道標となる人――――――私は、村雨未零」

 

 

 名を、形にする。その微笑みは、士道をして見惚れさせるほど魅力的な〝価値〟があった。

 

 

「――――――令音の、崇宮澪の妹(・・・・・)だよ」

 

 

 そして少女は、士道の記憶に終ぞ現れなかった、崇宮澪の血縁(・・)――――――それを迷うことなく、名乗ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、ここは……」

 

 テーブルを挟み向かい合わせ、士道の眼窩に二人。瓜二つに美しい。違いがあるとすれば、姉と妹というほど明確な体躯の差が見られることと、左右対称に結ばれた両者の髪。

 丁寧にお茶と菓子まで用意され、腰を落ち着けた士道はようやく『この世界』のことを少しだけ理解できた。

 

「俺の世界とは違う世界。……ってことで、間違いないんだよな」

 

 俗に『並行世界』と呼ばれる理論。異なる選択肢、異なる世界線、異なる人物。数多の可能性の分岐が行われた、荒唐無稽な世界の話。しかし、士道はそれを信じた。否、知っていた(・・・・・)

 事実として、存在する。体感した。そして、令音(・・)未零(・・)。知らぬはずがない人と、士道が知らぬ少女。両者ともに、士道の言葉に首肯を返す。

 

「……ええ。あなたが訪れたもう一つの世界(・・・・・・・)と、また似て非なるものです」

 

「な……」

 

 思わず、息を詰まらせる。まだ士道は、自分がどこからやってきたのかも語ってはいなかった。なのに、未零と名乗る少女は苦もなくそれを当てて見せたのだ。

 そんな士道の驚きに、未零は可笑しそうにくすりと笑った。

 

「……そう驚くことではないでしょう。それに、〝私〟と『この世界』は少々と事情が特殊ですから。私と令音を見て、即座に『この世界』を察したあなたこそ聡明です」

 

「あ、いや……」

 

 直前に士道は『並行世界』――――異なる可能性を辿った『十香』の世界を訪れ、自らの世界に帰還する直前、『この世界』に漂流した。その上で、令音――――――崇宮澪という、自身の世界で失われた人(・・・・・)を目撃したのだ。それで察することができなければ、相当に頭が固いということになる。

 つまるところ、そう微笑まれて賞賛を受けるほどではない、と士道は曖昧な回答を返した。

 

「……異なる世界、という答えに行き着いた君の柔軟な発想をこの子は褒めているんだ。謙遜することはないよ、士道(・・)

 

「……っ、……令音さん」

 

 彼女の、村雨令音の名を呼ぶことに、士道は幾許の時を必要とした。

 眠たげでぼうっとした声色。だが、同時に声は優しげだった。変わらない。変わっているとすれば、物憂げな瞳の中に確かな強い意志が見えていると思えること――――――士道の名を、違えることなく呼んでいること。

 そうだ。士道のことを士道と呼ぶ。シン(・・)ではなく、士道(・・)と。それ故に、士道の反応一つで多くを察する聡明さも変わりはない。

 

「……どうやら、君の世界と私たちの世界の大きな違い(・・・・・)は、私たち二人の存在のようだ」

 

「っ――――――それは」

 

 事実だ。けれど、『この世界』の令音を前にして事を語る。それを士道がしていいものなのか、と濁してしまう。

 異なる世界とはその名の通り。士道が訪れた『十香』の世界と『この世界』、そして士道自身の世界。どれも大きな、大きすぎる違いがあった。『十香』の世界は十香、何より士道そのもの(・・・・・・)。『この世界』は――――――言わずもがな、士道が知りながら知りえない彼女たち姉妹。

 士道は細部を知らない。『この世界』では令音が、さらに士道の知らない令音()の妹が生きている。ならば、士道の世界の顛末を悟られていたとしても、無闇矢鱈と言葉にしたくはない。

 

「……ふむ」

 

 少女が、令音とそっくりの声音と仕草であごに手を当て、声を零す。士道の葛藤を見抜いたように、続けた。

 

 

「――――――〈   (アイン)〉の対消滅」

 

 

それ(・・)を、容易く言い当てた。

 

「……ああ、やっぱり。澪を見てあなたがそこまで驚くともなれば、あの場面しかありませんよね」

 

 士道の言葉にすらならない驚愕、絶句を目にして少女は冷静に思考を続けているように見える。

 

「…………、この世界、は……」

 

 だが、士道に余裕はない。余裕などないが、それでも言葉にしてしまった。

 崇宮澪の〝死因〟――――――『無』の天使と魔王、その力の衝突を知っている。つまりは、同じこと(・・・・)が『この世界』で引き起こされたのではないか、という単純な予測。それは大きく違ってはいないはずだ。なぜなら、繰り返すように、村雨未零は知っている(・・・・・)のだから。

 絞り出すような士道の声に、未零がどこか苦笑気味に言葉を返した。

 

「……あったといえばありましたし、なかったといえば、なかったこと――――――言葉にするには、少しばかり複雑なんですよ」

 

「それは、どういう……」

 

「……まず、崇宮澪の〝消滅〟。これはどの道、私たちの世界では起こり得ませんでした。なぜなら――――――」

 

 言葉を引き継ぐように、沈黙を破り令音が、()が声を発した。

 

 

「――――――私の代わりに、この子が士道の世界の『私』の役割を奪った(・・・)から」

 

 

 目を見開く士道と、ムッと表情を変えた未零。反応は違えど、明確な『並行世界』の差異として士道に強く伝わる。

 

「奪った……?」

 

 妙な言い回しをした令音に、士道は眉をひそめオウム返しのように彼女の言葉を繰り返した。が、士道以上に言及したのは他ならない奪った(・・・)本人であるとされる未零だった。

 

「……合理的判断の賜物と言ってほしいですね。というか、まだ根に持っていたのですか。執念深さは人一倍ですね」

 

「……君だって同じだろう? それに、合理的というのなら、君も私ももう少し賢い選択をしていたと思うけれど」

 

「……自分を巻き込んで自虐しないでくださいよ。ああ言えばこう言うの典型例ですか」

 

「……君ほどじゃあないと思うがね」

 

 

「――――ぷっ、あははははは!」

 

 二人のやり取りを見て、姉妹(・・)の応酬を目撃して、士道は思わず声を上げて笑った。身体の奥底で燻っていた緊張を解すように。

 

「……五河士道?」

 

「や、気を悪くしたなら謝るよ――――――仲、いいんだな。それと……」

 

 士道が見たことがない令音がいた。士道の知らない、令音の妹がいた――――――なんてことはない。『この世界』には令音がいる。『十香』と同じ、違う世界に住まう人がいる。そういうことだ。

 違う道筋を辿り、違う救いを得た人たち。その人たちに、士道はふっと身体の底から息を吐き出し、はっきりと告げた。

 

 

「……最初に言わなきゃいけなかったな。初めまして(・・・・・)、俺は五河士道だ。よろしく、令音さん――――――その妹の、未零」

 

「……ええ。本当に――――――世界が違えど、どこまでも律儀な方なのですね」

 

 

 ――――――こちら側の世界でも、士道の性格は変わらないようだ。

 ようやく、初めの挨拶を返すという礼節を通した士道に、こちらの筋を律儀だと微笑みながら未零はそう返した。

 士道は確かに、澪を知っていた。だが、それはあくまで自分の世界の澪、そして令音だ。『十香』のように激しい出会いがなかったため、強く澪の存在に惹かれてしまったが、改めて感じ、改めて理解する。『この世界』の村雨令音とその妹に、自分の世界を重ねすぎることなく話をしたいと。

 自分たちの世界は自分たちの世界。『この世界』は『この世界』のこととして、割り切って話そう――――――そう思えば、この出会いに不思議な高揚感が湧いてくるようだった。

 

「それで、話を戻すけど……あのとき(・・・・)があったなら、一体どうやって君は……」

 

 役割を奪った(・・・)と令音は言っていた。恐らくは、などと言う意味もないだろう。間違いなく、天使と魔王の対消滅は引き起こされているはずだ。

 澪と未零。士道の世界との分岐点があるのなら、士道の知り得ない存在である未零の〝消滅〟がターニングポイント――――――しかし、こうして未零は目の前にいる。辻褄が合わない。そもそも、士道は〝未零〟と名乗る澪の妹がどういう存在(・・・・・・)なのかを何一つ知らないため、何事も予測でしか話すことが出来ない。

 一体、『この世界』はどうなったというのか。その事の顛末、目の前にある事象を知ることができるなら、知ってみたくはなる。けれど、士道の問いに姉妹は揃って困ったように頬をかく。どうやら、共通の癖らしい。

 

「あ、言い辛いならいいんだ。俺が深入りしていい事情じゃないしな」

 

 もとより迷い込んだだけの士道が、『この世界』の事情に首を突っ込んでいい理由はない。『十香』のように士道が救いたいと願った事情ならともかく、だ。

 気負いなく、できるだけ気を遣わせないよう言葉を撤回した士道だったが、姉妹の反応は士道の予想とは違っていた。

 

「……いえ、話すことに問題はないのですけれど、あなたの反応を見るにさぞ驚くだろうなー、なんて」

 

「へ?」

 

「……そうだね。私たちの存在が大きな差異であると定義はしたが、それ以上にもう一つ違いがあると見ていい」

 

「な、なんです?」

 

 興味深そう、或いは脅すように言うものだから、士道は先程までとは全く違う緊張が全身を巡る。違う世界とはいえ、令音のこういった話し方は久方ぶりで懐かしさを感じてしまう。

 畏まった士道に、未零が何やら重要なことを話すように茶をしっかりと飲み込んでから、思いがけない質問(・・・・・・・・)をしてきた。

 

「……つかぬ事をお伺いしますが――――――五河士道、あなたはご自身の世界の時崎狂三(・・・・)とは、どういったご関係です?」

 

「…………………………え?」

 

 そう、思いがけぬ質問だ。もっと壮大なことを問いかけられると思っていた士道が、間の抜ける時間を置いて素っ頓狂な声を発するほどに。

 

「狂三、っていったら、あの(・・)時崎狂三……だよな?」

 

「……はい。あの(・・)時崎狂三です。……あの(・・)、という辺りで察するものはありますけれど」

 

 聞き返し、士道が思い浮かべた少女に間違いはないことを確認する。どこか気になる反応はついて回っているが、士道にわかるはずもない。

 狂三。時崎狂三。通称〈ナイトメア〉。曰く〝最悪の精霊〟。禍々しい異名で呼ばれ、数々の人的被害を及ぼした精霊だが、その実始原の精霊の誕生を『なかったこと』にし、友を手にかけた己の罪業を贖うために全てを投げ打った心優しい少女。

 当然、士道の世界の精霊の一人であり、士道の大切な存在であり――――――

 

 

「狂三は……友だち――――――仲間、かな」

 

 

 そう、狂三自身への回答に用いたものと同じものを返すのが正しいと思った。紆余曲折を経て、狂三とは分かり合うことができた。もっとも、出会いやその道中はそう簡単に纏められるものではなかったけれど。

 再確認し、別世界の初対面で堂々と宣言するなら恥ずかしさもなく十分だろう。と、思ったのだが、

 

『……ああ』

 

「な、なんだ……?」

 

 姉妹揃って、心の底から納得した、という息を零すものだから、さしもの士道も何かおかしなことを言ったかと動揺してしまう。

 狂三は友であり仲間。それが『この世界』では違うというのだろうか――――――違うとしたら、何が変わっている(・・・・・・)のか。訝しむ士道に、未零が若干の呆れを込めた声色で言葉を紡いだ。

 

「……いえ。ただ、そこまでの違いがあるというのに、よくあなたの世界と私たちの世界を〝近しい〟と定義付けできるな、と。余程、細部(・・)に位置する事象が『十香』の世界よりは似通っていたのでしょうか。……前か後か、ということも考えねばならないことから答えなどないのでしょうけれど」

 

「細部……そういえば、『十香』の世界と俺のいる世界とじゃ、細かいところが違っていたな……」

 

 思い起こしたのは、つい数刻にも満たないほど前、『十香』とのデート。

 士道と『十香』、それぞれ別の世界の住人であり、似て非なる存在。同じ人であるはずなのに、士道の世界と『十香』の世界では辿る道筋が異なっていた。最終的な人間関係に差はなくとも、至る道中に差はできるということ。よって、『並行世界』と呼ばれるのかもしれない。

 恐らく、未零が〝近い〟と言っていたのはその〝細部〟、つまりは道中が比較的近いしいということであるはずだが――――――

 

「――――――待ってくれ。俺、『十香』のことはまだ何も言ってなかったよな……?」

 

 ハッとなって思考に耽っていた顔を上げ、未零の顔を見やる。文字通り言葉の細部を読み取り、士道の疑問は一点に集中する。先までの『この世界』の疑問は置き換え、その問いをせざるを得ない。

 確かに、士道はもう一つの世界、異なる歴史を辿った(・・・・・・・・・)世界から流れ着いた。それを見抜かれた時は誤魔化されたが、今度はさらなる疑問が表面化していく――――――士道はまだ、『十香』の世界から訪れたとは口にしていない。『並行世界』と呼ばれる場所、それも可能性でしかない世界を、どうして明確に、それでいて〝知っている〟前提で語ることができるのか。

 

「……君は一体――――――何者なんだ?」

 

 この知りすぎている少女は、一体何者なのか。

 

 村雨未零。村雨令音の妹。士道の世界とは違うだろう『この世界』――――――〝私〟の望みの道標。

 『十香』の世界を、『十香』を知っていた。そして、『十香』の手によって自身の世界へ辿り着くはずだった士道は、どうしてか『この世界』に流れ着いた。今になって、初めて言葉を交わした未零を思い起こしてしまう。

 まるで、士道の来訪を待ちかねていたかのような言動。その美しい貌が、妖しく思えてしまう。そう錯覚してしまいかねない未零の微笑み。

 

 

「……少し前の私であれば、その問いに意味はない。返すべき価値を持たないと答えるところでしたけれど――――――〝私〟は、一つの願いを叶えたいと思う、一人のしがない精霊です」

 

 

 そういって、目を笑みの形にして道化(・・)を思わせた少女は――――――

 

 

「……ですので、共に行きましょうか(・・・・・・・・・)。五河士道、あなたの世界へ」

 

「……は?」

 

 

 あまりにも気楽な帰還(・・)の意を求められ、固唾を呑んで受け止めようとしていた士道は空気が抜けてしまうようだった。同時に、令音はため息を吐かんばかりの顔で声を発した。

 

「……未零。招いた客人で遊ぶものではないよ」

 

「うんうん。からかいがいがあるのはどちらの(・・・・)士道も変わりありませんね」

 

「…………」

 

 『この世界』の士道も、そういうところに違いはないのかもしれないと、苦笑を交えて士道は曖昧に言葉を噤むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは――――――」

 

 令音の運転する車に同乗して、道行く人々を眺めた先。

 平和な世界だった。士道たちの世界と変わらぬ、平和な街並みがあった。

 

 そして、この場所(・・・・)も同じであった。

 

 波音が響く海岸。穏やかな漣が、潮の匂いが、士道の五感を通して伝わってくる。耳、鼻、目……直接的な感覚を刺激し、思考は一つの核心へと至る。

 この場所は士道の世界での特別であり、『この世界』でも変わらず特別なのだ。

 

 

「真士と澪の、思い出の場所……」

 

 

 そうだ、ここは――――――崇宮澪の思い出の地にして、士道の世界で澪と別れた海岸(・・・・・・・)だった。

 

「……恐らく、〝縁〟という意味ではここが近しい。万が一があってはならないので、念の為、ですけれど――――――変わらないな」

 

 砂浜に痕を付け、ゆっくりと感慨に耽けるように、噛み締めるように言葉を紡ぐ。内容までは計り知ることができない。けれど、未零という少女にとっても、この海岸は大切な場所であると感じさせるに十分すぎるもの。

 自らの世界への帰還。士道がまず、一番に手段を考えなければならなかったことだが――――――澪の存在は、驚きと同時にどこかに安心感を士道に感じさせていた。

 

「〝縁〟……ここが、俺の世界と『この世界』を繋ぐ縁、ってことでいいのか?」

 

「……正確には、あちらの『私』との縁だろうね。――――――もっとも、もはや同じ表現として扱うべき存在なのかもしれないが」

 

 士道の問いに答えた令音が、意味深な視線を未零へと向けた。

 

「……『私』のため?」

 

「……ううん。〝私〟がしたかったこと。……余計なお世話だったら、彼だけを帰してあげるけれど」

 

「……いや」

 

 静かに、令音は首を振った――――――或いは、澪として。士道はふと、そんなことを考えてしまった。

 村雨未零の目的。それは、恐らくではあるが、

 

「未零。君は、俺が来ることがわかっていたのか? それで、俺の世界に……」

 

「……少し、順序が違います。あなたの出会った『十香』と縁がありましてね。あなたの世界とはその時に繋がりができ、同時にあなたを呼んでほしいとお願い(・・・)しました」

 

「……誰にだ?」

 

「それは……二亜風に言うと、ネタバレ厳禁?」

 

「…………」

 

 どうやら、『この世界』でも二亜の性格に変化は生じていないようだ。間接的な判明だが、嬉しいといえば嬉しいし、呆れるといえば呆れる。

 色々と複雑な事情が入り交じっているのは想像に難くない。あの『十香』と如何なる縁があったのだろうか。士道の世界とこちら側の世界の繋がりとは――――――そういった事情を、未零は申し訳なさそうに眉根を下げながら纏めあげた。

 

「……申し訳ありません。事情を深く話すには、あなたと語らう時間が多くなって、私たちとしてもあなたの世界の話に興味が出てしまうもので――――――そうなってくると、今以上にあなたの世界の狂三たちに申し訳がないのです」

 

「っ!!」

 

「……ご心配しているでしょう。これ以上、〝私〟の我が儘に付き合わせては困らせてしまいますから。対話の時間は、あなたが十分に休息できるだけ、と決めていたのです」

 

 目を見開いて、少女の意味深な態度の意味、配慮(・・)に合点がいく。

 士道は『十香』を追うため、別の世界への道を切り開いた。しかし、それは帰還の手段が確定していたものではない。当然、士道の帰還を信じている精霊たちには士道がどうしているかは伝わらない。それを思えば、一刻も早く帰ってやらねばならない。士道の世界で、士道の十香(・・・・・)と再会するためにもだ。

 少女は士道を己の願いのために呼んだと言っていた。だからこそ、世界を渡る士道の身体を最大限考慮し、時間にまで気を遣ってくれている――――――未零という少女の本質に、ほんの少し近づけた気がして、士道は唇を笑みの形に変える。

 

「……ありがとう。そこまで考えてくれてたんだな」

 

「……礼節の話です。あくまで、あなたが私たちの世界を訪れたことは、〝私〟の我が儘ですから」

 

「それでもだ。『この世界』のことは気になるし、みんなには会ってみたいけど……そうだな。あんまり長話してたら、琴里に叱られちまうな」

 

「……どうやら。そこは変わらないようだね」

 

「はい。俺の自慢の妹で――――――令音さんの親友です」

 

 それは決して、変わることがないと思うから。士道は真っ直ぐに、笑顔を見せて応えた。

 こちら側の世界のこと、気になりはするのだ。こちら側の世界の皆はどうしているのか。けれど、士道には帰るべき場所があって、『この世界』は平和なのだ。ならば、士道の出る幕ではないし、そういう世界も存在しているのだと、心から安心ができた。

 だが、

 

「一つだけ、聞かせてくれないか?」

 

それ(・・)だけは、聞いておきたかった。

 

 

「――――――『この世界』で、この場所で、何が起こったのか」

 

 

 士道の世界と『この世界』、最大の相違点。崇宮澪と村雨未零の存在。

 他の世界の出来事。士道が関わるべきものではない。それでも、知っておかねばならない気がした。故に今一度同じことを問いかける。

 

「……そうですね。あなたの反応から察するに、恐らくはあのとき(・・・・)が分岐点です。以前か今か、の違いはありますけれど、あなたの世界と私たちの世界、今辿っている時間は大きく分岐しているのでしょう」

 

「っ……」

 

 狂三、時間、分岐。そこまで言葉を散らされて、気がつけないほど士道の経験は薄いものではなかった。

 僅かに高鳴る心臓を押さえつけるように拳を握り、士道は波の音に負けない声を発した。

 

 

「ここは狂三か、この世界の俺が――――――歴史を書き換えた世界なのか」

 

 

 天使〈刻々帝(ザフキエル)〉の権能。士道と狂三の約束。あのとき崇宮澪が生存する〝奇跡〟など、優しい神様(・・・・・)が創り出した世界か、それこそ歴史改変という大規模な事象しかありえない。

 同時、士道の世界と異なる象徴である未零は、士道の言葉を肯定するように微笑んだ。

 

「……ご明察です。正確には、士道と狂三が共にですけれど」

 

「――――――そうか」

 

 肺腑を満たすものは、何か。士道の中に、確かなものが生まれた。別の世界のこと。別の世界の自分。それは決して、自分のことではない。だけど――――――

 

 

「おまえは、約束を果たせたんだな(・・・・・・・・・・)

 

 

 たとえそうだとしても、嬉しかった。誇らしかったのかもしれない。

 士道が残した悔恨。きっと、約束したものは違うけれど、果たせたことは本物で。よかった(・・・・)、そう思うことだけは、許してほしい。

 一抹の悔しさと誇らしさ。異なる世界の自分に対する感情は、その二つだけでは収まりようもない。だが、士道は自身の世界の平和も負けてはいないと誇ろう――――――先にある、大切な人との再会を含めて。

 

 

「――――――ありがとう、五河士道」

 

「え……」

 

 

 伏せていた目を上げ、声の主を見る。その貌は美しく、綺麗で――――――慈愛に満ちた少女だった。

 

「……異なる世界でも、〝私〟がいなくとも、あなたは時崎狂三を救ってくれた。――――――それは、〝私〟にとって言葉にし難い喜びであり、祝福です」

 

「……君は」

 

 その表情は、あまりに穏やかで、人の美しさに満ち満ちている。

 

 

「きっと、あなたの約束はあの子にとっての救いだ。別の世界でも変わらない。五河士道、あなたは向こう側の世界でも本当に素敵な人だよ」

 

 

 たったそれだけで、村雨未零という少女の全てが理解できるようで――――――

 

 

「――――――ただし、あなたの世界の狂三の次にね?」

 

 

 冗談めかして片目をぱちりと閉じた未零に、士道は唖然とした笑いを堪えることが叶わなかった。

 

「……あ、はははは! いや、そう言ってもらえて光栄だ。未零が会ってもいない狂三に負けるのは、ちょっと悔しいけどな」

 

「……すまないね、士道。こういう子なんだ――――――可愛いだろう?」

 

「はい。とても」

 

 ――――――わかった気がする。『この世界』で果たされた約束の意味が。士道がまだ知らない理由もあるのだろうけれど――――――未零という精霊が、狂三という少女を大好き(・・・)だということが、とても大きな理由なのだ。

 世界を滅ぼす恋とは違う情愛。どうしてそうなったのか、など野暮なこと。そして、もしかして、と士道は声を発した。

 

「未零が俺たちの世界に来たい目的って……こっちの狂三に会うためなのか?」

 

 狂三に対して特別な感情を見せる未零の〝望み〟というのなら。そう考えての問いだったが、未零は静かに首を振った。

 

「……いいえ。〝私〟が何かをするまでもなく、あなたの世界の狂三は心配ないでしょう。どんな目をしているか、手に取るようにわかります。――――――こういうのをマッチポンプというのでしょうけれど、あなたの帰還をお手伝いする代わりに、あなたの世界で僅かな自由を許してほしい。構いませんか?」

 

「あ、ああ……」

 

 こうして話をしていて、澪と関わりある少女が士道の世界に不利益になることをするとは到底思えなかった。そもそも、騙そうというのであればもう少し上手くやることだろう。

 何をするのかまではわからないが、士道は信じることにした――――――精霊を信じてやることこそ、士道が今までしてきたことでもある。別の世界であっても、精霊の力を失ったとしても(・・・・・・・・・・・・)、士道の信念が変わることなどありえない。

 

「けど、そんなにあっさり俺の世界に行けるものなのか?」

 

「……ふむ」

 

「な、なんだ?」

 

 少しばかり意外そうにあごに手を当てた未零に、士道は妙なものを感じた――――正確に言うのなら、未零側が感じていることなのだろうけれど。

 

「……いえ、こちらの世界の士道であれば、『じゃあ行くか。俺と狂三なら余裕だ』くらいのことは言いそうでしたので」

 

「こっちの俺はどんな力を持ってるんだよ!?」

 

 思わず声を大にして叫んだ。士道が世界を超えることができたのは、並行世界から現れた『十香』の力があればこそ。……というより、

 

「ていうか、気になったんだけど……『この世界』の俺と狂三は、どんな関係なんだ?」

 

「……んー、話してしまうと一番長いですよ。でも、あなたを殺しに来たことは変わってないと思います。ご安心を」

 

「全然安心できないし、そこは変わってないのかよ……」

 

 むしろ、肝心なこと過ぎて変えようがないのかもしれない。元を辿れば、士道と狂三の縁はわりかし物騒なもの。げんなりとはするが、今さら不満に思うことはない。もっとも、『この世界』に関する疑念は更に深まったとも言うが。

 

「……君の世界へ行くこと自体は、恐ろしく単純な理屈だよ」

 

「へ?」

 

「……君自身の存在が、君の世界の〝縁〟だ。念の為、この場所を選んだのもそのためだよ。それがなければ難しいが、それさえあれば容易い。……士道、君が異なる世界の道を切り開いた時、手にしていた力は異なる世界の物(・・・・・・・)だったのではないだろうか?」

 

「あ……」

 

 令音の指摘が頭の中にあったパズルのピースをハマらせ、小さく声が零れた。

 士道は『十香』の世界を訪れた。しかし、それは士道の力ではなく『十香』の力――――――天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉と対を成す魔王〈暴虐公(ナヘマー)〉。彼の魔王の力と意志により、士道は異世界へと足を踏み入れることができた。あの力の由来は『十香』の世界のもの。元の世界への道を開くことなど造作もない、と言っても過言ではない。

 

 そして、この場には異なる世界に生まれた士道と、全ての精霊の母(・・・・・・・)がいる。

 

「あの世界で〈暴虐公(ナヘマー)〉が担っていた役割を、今度は俺の存在が肩代わりする……」

 

「……そういうことだ。本来、君は〝道〟を知った『十香』の権能、そして君自身の存在を利用し元の世界へ帰されるはずだった。それを私たち(・・・)の力で自然な形に戻す」

 

「……自然ではなかったのは、あなたを導いた『意志』と私たちとあなたの世界を繋ぐ『孔』の存在があったからです。イレギュラーの修正程度、訳ありませんよ」

 

 続けて、「……付き合わせてしまって、本当に申し訳ありません」と未零が何度目かの謝罪を口にする。そこまで謝られても、士道にとっては特別気にすることではなく逆に苦笑してしまったのだが。

 

「いいさ。むしろいい経験になったよ。世界の壁を二度も超えるなんて、みんなへの土産話が増えたくらいだ」

 

「……おや、良い切り返しだ。さすがは稀代のプレイボーイだね」

 

「うぇ、それこっちでも言われてるんですか?」

 

 嫌なことを聞いた、と呻く士道に令音がふっと僅かに表情を笑みにする。そんなやり取りでさえ、懐かしい。

 ――――――だが、不名誉ながらこれほど名誉な称号もあるまい。それは、士道が誰かを救うことが出来た(・・・・・・・・・・・・・・)証なのだから。

 

「……さて」

 

「……そろそろ、始めよう」

 

「っ」

 

 穏やかな空気が、姉妹が向き合った瞬間に切り替わる。

 否、その表現は間違いだ。一帯の空気は激しくなったわけでも、重苦しくなったわけでもない。ましてや、戦いの中へ突入しようということでもない。

 ただ、静かだった(・・・・・)。静かすぎるほどに。世界が肯定し、ひれ伏すように。あまりにもそのことが自然だと。作られた空気がおかしいものだと錯覚してしまうようだった。

 ――――――この感覚は、身に覚えがあった。かつて士道の世界で澪が三十年の時を超えて姿を見せたとき。令音と一つになり、真の姿を取り戻したとき。あの瞬間と、そっくり重なる。

 

「……澪」

「……未零」

 

 視線と交わらせ、名を交わらせる。互いの存在を認識し、確立し――――――どちらからともなく、姉妹は両手を広げて抱き合った。

 閃光。姉妹の身体が光を帯び、徐々にシルエットを一つにしていく。

 

 

「――――――――」

 

 

 精霊が、そこにはいた。士道の世界で失われた存在が、その奇跡を士道の前で見せつける。

 懐かしき極光の霊装。だが、その背に羽ばたく白の十二枚羽の意匠は、士道の知る澪ではないことを示していた。まるでそれは、士道の知らない澪の妹の力が合わさっているようで、目を奪われるほど壮大な光を放っている。

 凡そ人の放つ意気を超えた彼女は、相も変わらぬ人外の美貌でふわりと微笑んだ。

 

「それじゃあ、準備はいい? まず深呼吸をしてね」

 

「お、おぉ……」

 

「それから準備運動も欠かさずに――――――」

 

「そこまでするのか!?」

 

「もちろん、冗談だよ。士道は可愛いね」

 

「…………」

 

 こちら側の澪はこういうキャラだっただろうか。いや、正確には澪と未零なのだけれど、と自己的なツッコミが脳裏を過った。

 からかいもそこそこ、くすりと笑った未零()が僅かに身体を浮き上がらせ、その翼で士道を包み込む。

 

「じゃあ、緊張もほぐれただろうし――――――帰ろう(行こう)、あなたの世界へ」

 

「……ああ。頼む」

 

 身を委ねる。士道にできることが、それしかないのであれば、出来うる限りのことをするだけ。

 十二枚の翼が光を放ち、それが段々と強まっていく。ただ心身を落ち着け、動揺はなく、温かな光に包まれ――――――

 

 

士道(・・)!!」

 

 

 それは、不思議なものだった。

 

 響いた声は誰よりも知っていて、それでいて聞き覚えが薄い。当然だ。自ら発すると聞くとでは、まるで意味が違うのだから。あるとすれば、士道が一年前に経験した〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉内での出会いだろう。

 

「……!!」

 

「…………」

 

同じ顔(・・・)を持った少年が、士道を見送るようにそこにいた。目を見張る士道と、不敵な笑みで――――――狂三そっくりの微笑み(・・・・・・・・・・)でこちらを見る士道。

 しかし、それ以上の言葉はなかった。消えゆく視界で、その先で、彼は右手を士道へ向けた。

 

 拳を握り、親指を立てて。信じるように。激励のように。言葉を使うことなく士道へ思いを送っていた。

 

 

「――――――!!」

 

 

 なら、士道も言葉はいらなかった。わかるから(・・・・・)。自分たちは違う存在だ。だけど、同じだけ『五河士道』なのだ。

 同じ仕草を返す。お互いの持つ笑みは違うけれど、意味は同じだ。異世界の自分へのエール(・・・)を送り合い――――――士道の意識は、光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――よろしいんですの? あのようなもので」

 

 ひょっこりと、砂浜に足を付けて狂三が士道の背後から現れる。

 数秒前、霊力を放って消えた()の姿を見て、狂三はそう言っている。異なる己へ、向けるものがたったそれだけでよかったのか、とも。

 

「わたくしたちから出向くならばまだしも、あまり経験することのない出会いですわ。言葉を交わすくらいは、してよかったのではありませんの」

 

「……いらないさ」

 

 ぐっと身体を伸ばし、一部の迷いもない言葉を返す。

 確かに、得難い経験だ。士道と真士とは違う、本当に異なる世界の自分自身。言葉を交わせば、弾む話はあるだろう。互いの世界でのことは、とても興味深い話にもなるだろう。皆と会っていってほしい。そんな気持ちもあった。

 

 だけど、

 

 

「あいつは『五河士道』だ。だったら、余計な言葉は必要ない。無理ばっかりして、その度に誰かに支えられて――――――最高に諦めが悪い『五河士道』なんだよ」

 

 

 目を見ればわかる。あれは、何かを欲しがる(・・・・・・・)士道の目だった。

 

 

「俺もあいつも、欲しいもののために前を向く――――――それが伝わったなら、十分さ」

 

 

 立ち止まっている暇なんてない。自分自身との対話など、想いを伝える一つで事が足りている。

 異なる世界で、異なる自分が諦めない姿を見せつけられる――――――何とも、心が躍ることものだと士道は胸を張った。

 すると、そんな士道の気持ちを汲み取ってか、狂三がくすくすと楽しげな笑い声をあげる。

 

「あら、あら。男の子ですわね、士道さんは」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ。……まあ、それに」

 

「それに?」

 

 なんですの、と小首を傾げて狂三が士道の顔を覗き込む。ドキリとする仕草に紅潮した頬を誤魔化すように指でかいて、士道は一息に〝理由〟を声にした。

 

 

「――――――士道()が狂三に見惚れたら、困るだろ」

 

 

 異なる世界だろうと、あいつは『五河士道』なのだから。

 独占欲の塊だし、それで『士道』がこちらに留まるなんて思わない。男というのは、理屈では済まないということだ。

 それでいて、見惚れなければまた身勝手な憤りを感じる。まったくもって理不尽極まりない矛盾の感情――――――きっとあの『士道』も、それくらい誰かを想っているのだと思う。でなければ、あの目は作れない。彼の瞳もまた、意志を貫くものを無くしてはいない。そういう意味でも、これでよかった(・・・・・・・)と思っている。

 

「きひ、きひひひひひっ!!」

 

「……んだよ。悪かったな、子供っぽくて」

 

「いえ、いえ」

 

 そういう意味ではないと首を振った狂三は、その両の瞳を優しく綻ばせ――――――士道にだけ見せる愛おしい貌で、声を発した。

 

 

「本当に、お可愛い人ですわ」

 

 

 どっちがだ。と言葉にするより速く、士道は動く。

 

 

「はっ――――――おまえほどじゃ、ないさ」

 

「な……!!」

 

 

 ――――――とりあえず、減らない口を塞ぐことから始めようか。思い立ったが吉日、士道の眼は僅かに目を見開いた狂三の貌をたっぷりと堪能して――――――逢瀬は、未零()が帰ってくるまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「おぉ……!?」

 

 光が開けた視界で、士道が空中へ投げ出された。正確に状況を補足するのならば、艦橋内の空中に(・・・・・・・)だったけれど。

 

『おっと』

 

 少しばかり位置がズレたか、と未零は思考だけを使役し士道を保護する空間を生成。無事に〈フラクシナス〉の艦橋へと足を付けて彼を下ろすことに成功する。

 そう、皆が見守る艦橋内(・・・・・・・・)に、だ。

 

「……士道」

 

「主様――――――」

 

「士道さん!」

 

 反応はそれぞれだった。何かしらの作業をしていたのだろうか、それでも士道を見て皆が我に返り、肩を震わせ士道へと駆け寄る。

 折紙、二亜、四糸乃、琴里、六喰、七罪、耶倶矢、夕弦、美九――――――狂三。未零の目から見て、時間のズレがあるのだろうか。こちら側の世界より、皆がほんの少し大人びている気がした。他にもマリアに神無月、〈フラクシナス〉のクルーたち。

 そこに万由里と未零の姿はなく――――――令音のクルー席には、つぎはぎのクマが座っていた。

 

『……士道。私は用事を済ませてくるから、事情をゆっくり話しておいてね』

 

「え……お、おい」

 

 静止の返事を待たず――そもそも姿を見せなかったのだが――姿を消して、〈フラクシナス〉の艦橋外へと転移した。

 

『未零』

 

「……大丈夫。わかってるから」

 

 望みを叶えるために来たというのに、心配する澪の声音に縋りたくなってしまうほど、心に動揺が走ったとでもいうのか。あの場にいてはどうしても、感傷(・・)を覚えてしまいそうだった。

 

『ん。でも、全てを士道に任せなくてもよかったんじゃあないかな』

 

「人徳の差があるでしょう。私たちが姿を見せるより、士道の口から言った方が説得力があります」

 

 こちら側の士道も、相当精霊たちの信頼を得ているのは見て取れた。ならば、この世界の死人(・・・・・・・)が突如姿を見せるよりは、士道が皆へ説明している間に用事を済ませた方がいいと思ったまで――――――という建前を、澪はあっさりと見抜いた。

 

『……ふぅん。てっきり、説明がないと狂三の目が厳しいからだと思ったけれど』

 

「…………………………別に」

 

 暗に気にしている間のとり方をしてしまったのは、以前より澪との距離が近いことの証明ということにしておいた。

 この世界に、村雨未零はいない(・・・)。それによって、と自惚れていいのなら、こちら側の狂三が澪にどんな感情を抱いているのか。未零と、何より澪には手に取るようにわかる。

 

『ごめんごめん。意地悪だったね』

 

「……ふんだ。お姉ちゃんのばーか」

 

 わかってわざと言っているならタチが悪いだけだ。つーんと顔を背けて、まあ未零と同化している澪にはまったく意味がないのだが……ともかく、十二枚羽を羽ばたかせ目的地へ向かう。無論、〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉による感知遮断も怠らない。

 進むべき場所は決まっている。寸分違わず、さしたる時間を使うこともなく。未零と澪は辿り着いた。

 

 その海に、足を踏み入れた。

 

 

「――――――」

『――――――』

 

 

 感じ取るものは、同じだった。心地よく冷たい水は、蠢く波。沈み込む砂は、かつてと変わらぬもの。

 変わらない。きっと、こちら側の士道とて全く同じことを考えていたに違いない。

 

 ――――――波が、一際大きく足をさらう。

 

「……っ!!」

 

『…………』

 

 それは、世界の声(・・・・)。『世界の意志』と呼ぶもの。未零と澪には、それが如何なる存在か手に取るようにわかる。

 

『……そう。だから、未零を選んだんだね――――――君は(・・)

 

「……」

 

 どうして、『世界の意志』が澪ではなく未零を選んだのか。声に耳を傾けるように目を伏せ、理由などその数秒で結論を迎える。

 当然のことだったのだ。必然である、と言い換えよう。『私』と違う結末を辿った澪――――――置き換えれば、その結末は未零が経験したもの(・・・・・・・・・)

 そうだ。未零はあの瞬間、意識を引き上げられる僅かな一瞬、世界に溶けた(・・・・・・)

 マナから生まれた存在が、マナに還る。世界に還る。その行為は、同一に近い(・・)存在の未零にも当てはまってしまった。澪の力の半分を得て望んだものは、奇しくも別世界の澪との繋がりを持つに至ったということだ。

 

 嗚呼、嗚呼。そうして世界に溶けた澪は、世界そのものとなった。それが意味することは――――――

 

 

『――――――会えたんだね、彼に』

 

 

 異なる世界の結末を、如実に表すものだった。

 

 その可能性は残酷なのかもしれない。

 澪に見せるべきではないのかもしれない。

 それでも、だとしても、未零は――――――

 

『ありがとう。未零』

 

「……もう、いいの?」

 

 姉の心残りを、どうしても無為にはしたくなかったから。

 

 

『うん、十分。心のどこかで、シンのことを縛り付けていた『私』が忘れられなかった。まだ、それが続いているんじゃないかって思っていた――――――違うよね。シンは、待っていてくれてるんだ』

 

 

 生きることは、罰なのだろう。だけど、信じたかった。前を向いて歩いていける――――――崇宮真士が残した祝福を。

 

 

『帰ろう、未零。私たちの世界へ。この世界の救いに負けないくらい――――――私は、救われているから』

 

「――――――うん」

 

 

 それがどれほど、未零の救いになることだろう。

 たった一つの言葉に、価値を見出すことができる。

 姉がそう言ってくれるのなら。シンは必ず待っていると信じることができたのなら、十分だ。

 翼を羽ばたかせ、大海原に背を向ける。その時――――――別れを見送るように、海が泣いた。

 

 

「……どうか、あの子たちをよろしくね」

 

 

 世界に溶けた悲しくも優しい少女へ。異なる世界の姉へ。

 きっと、彼女は会えた。会うことが救いとなったのなら、その救いが存在しているというのなら、未零もまた、胸を張って前へ進もう。

 

 自分が求めた生命の輝きは。自分が求めた誰かに生きていてほしいと思った願いは決して――――――間違いなどではなかったと。

 

 それに救われたと言ってくれた、大切な姉が〝私〟にはいるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――――お待たせしました』

 

「っ……未零か」

 

 唐突に響いた声に反応し、精霊たちと言葉を交わしていた士道が顔を上げる。未零の声を聞いた精霊たち、〈フラクシナス〉クルーもほぼ等しい反応を見せていた。

 

『……ええ。用事は終わりました。私たちは、元の世界へ帰ります。感謝します、士道』

 

「俺は何もしてないし、してもらった側なんだけどな。……なぁ、帰る前に姿を見せてくれないか? このままお別れってのは、少し寂しいからさ」

 

『……それは』

 

 言葉が詰まり、未零は己の視野で艦橋内を見渡した。皆、それぞれの表情を見せているが……恐らくは、皆が澪に対して相応の感情があるはずだった。結果としてはだが、同じ容姿の未零が土足で入り込むべきものではないと考えてしまう。

 しかし、言い淀んだ未零の雰囲気を察して、士道が言葉を続ける。

 

「誰も気にするやつはいないさ。別れぐらい、顔を見ながらの方がいいだろ?」

 

『…………』

 

 このまま無視をして帰ってしまうのは、それこそ礼節に反する行為だ。こうなった士道はなかなか引かない、というのも共通しているだろうし――――――精霊たちの性格とて、恐らくは乖離するものではない。

 決断はそう長く待たせるものではなかった。空間転移を駆使し、未零は艦橋の中心に光のシルエットを生み出す。皆が見守る中――――――十二枚羽を揺らし、降り立った。

 

「――――――初めまして。というのも、少々とおかしな感覚になってしまいますね」

 

 別世界の精霊たち。名を知りながら、未零を知らぬ少女たち。ゆっくりと頭を下げて、未零は己の名を告げた。

 

「……私は別の世界の精霊。村雨、未零と申します。まずは謝罪を。あなた方の士道を連れ回してしまったこと。本当に、申し訳ありませんでした」

 

 それだけは、伝えておかねばならない。時間を引き伸ばし、士道の帰還を遅らせたのは未零の個人的な願いが原因だ。責任を取り、必ず無事に元の世界へ帰すとは誓っていたものの、それでも謝罪は必要不可欠だ。

 

「……なるほどね。士道が言ってた通り、礼儀正しいというか。――――――かしこまる必要はないわ。うちのおにーちゃんは騒がしくて馬車馬のように働くくらいがちょうどいいらしいから。お役に立てたのなら光栄よ」

 

「おい」

 

「むしろ、一人じゃ帰り道で迷子になってたかもしれないもの。それに関しては私たちが感謝すべきね」

 

「俺は子供か!?」

 

 兄にかける言葉とは思えないが、それも琴里(・・)らしいと未零はくすりと笑みを零した。

黒と白(・・・)のリボンを合わせた琴里は、やはり未零たちの世界より少し大人びている気がした――――――身体的にあまり変化が見られないのは、元の世界に帰っても口にはしないでおこうと思ったけれど。

 他の精霊たちも、未零の容姿に囚われることなくしっかりと未零へ(・・・)声をかけた。

 

「むん。主様を傷一つなく連れて帰ったこと、むくからも感謝を伝えるのじゃ」

 

「士道さんを守ってくれて、ありがとうございます」

 

「……言うほどではないですけれど」

 

 やったことと言えば、士道と話をしてこちら側へ転移を試みた程度のこと。相変わらずなのだが、途端にむず痒くなった未零は誤魔化すように頬をかく。

 その何気ない仕草にぴくりと眉を揺らした人は、それなりにいるようだった。

 

「あ、その癖……そっくりなのは顔だけじゃないんだ」

 

「……ああ」

 

 この癖、いつの間にか移っていたのかと七罪の指摘でようやく気が付き、不思議と悪い気がしないなと言葉を零す。

 

「……別の世界と言っても、性格に大きな変わりはないようですね。本条二亜は相変わらず締切を守らず、八舞姉妹は勝負好き。誘宵美九は何かと抱きついてきますし、鳶一折紙は………………家に盗聴器を増やしていましたね」

 

 最後に言い淀んだのは、言っても聞かないという思いと若干の贔屓が未零の中にあったことが否めないからだった。幸いにも表情に出すことはなかったが、視線は逸らさせてほしいと後ろめたさを押し出す形となった。

 

「えぇ? あたしはちゃんと締切守って――――――あ、ごめんなさい。次のヘルプもよろしくお願いします」

 

「かか、別の世界の我らも良い闘争心を持ち得ているらしいな。是非、相見えたいものだ」

 

「主張。勝数は夕弦が勝ち越しと予測します」

 

「むむー、こんな美人さんに合法的に抱きつけるなんて、向こうの私はずるいですー」

 

「誰かに悟られるような私は、まだまだ未熟」

 

 反応は人それぞれ。事情を知らぬのだから無理はないが、折紙は少しズレた解釈をしたようで内心で苦笑を見せる。曰く、『あなたなら構わない』と不可思議な意味でこちら側の折紙に信頼されているのは未零だ。もっとも、そのように嬉しくない信頼は得たくなかったけれど。

 

 

「――――――あら、あら」

 

「――――――――」

 

 

 その時だ。〝彼女〟を視界に収めたのは。意図して、避けていた――――――未零は必ず、〝彼女〟に対して意図した感情を見せてしまうから。

 果たして、そのことに気付いていたのか。艶やかな黒髪を揺らし、左右揃いの色をした双眸(・・・・・・・・・・・)で未零を捉えた〝彼女〟は、蠱惑的な微笑を浮かべていた。

 

「わたくしには何かありませんの? わたくしも皆様と同じ元精霊ですのに、悲しいことですわ」

 

「……時崎狂三」

 

 咄嗟に出たものが、彼女の名前だった。外見は、精霊の力を無くしたことで少しばかり大人びている。気がした、ではなく未零にはそうであるとわかる。別の世界とはいえ、時崎狂三のことがわからないはずがない。

 だから、わかる。わかってしまう。見るまでもなかったのに、見てしまえば確信に等しく近づく。色を違わぬ両の瞳。精霊の力を失いし少女。己が犯した罪業を清算する術を喪いし者――――――そのようなか弱い存在であるならば、精霊〈アンノウン〉の計画が穏やかなものになっていたに違いない。

 

 

「……変わらないよ、あなたは。――――――どんな世界でも、綺麗な人だから」

 

 

 その瞳は諦めを知らず。神に許しを乞うことなどありえない。誰に不遜であると言われようが、彼女はそれが己の権利だと謳う。

 困難である、不可能である――――――その程度の安い言葉で膝を突くのならば、時崎狂三は我が道を往くことなどなかったのだ。

 白の翼が舞う。気が付いた時には、村雨未零の身体は狂三の目の前にあった。目を丸くした狂三の手を取り、未零は思考の時間すら忘れ、未零が未零である所以のまま言霊を形にした。

 

「……あなたは変わらない。力があるかどうかなんて関係ない。どこまでも真っ直ぐで強かで、誰より綺麗な人」

 

「あなたは……」

 

 きっと、理解などされない。この世界には未零がいない。精霊〈アンノウン〉は生まれることなく、時崎狂三は我が道を貫き、救われた(・・・・)

 それでいい。それで、いいのだ。姉と同じ結論だった。それが別の世界での救いであるならば、私は〝私〟を誇ろう。

 膝を突き、かしずく。懐かしき仕草。この世界で終ぞ行われることはなかったもの。

 

 

「……私が仕えることのなかった時崎狂三。美しい時崎狂三。あなたの旅路に祝福を。あなたの選んだ道に幸運を。その心のまま、どうかお進みくださいませ――――――愛しき女王よ」

 

 

 手の甲に、キスを落とす。そうして、未零は宙に浮かび上がる(・・・・・・・・・・・)

 

「……ありがとう。短い間でしたが、あなた方に会えたことを誇りに。あなた方の道に、祝福があらんことを――――――まあ、心配するまでもないことですけれど」

 

 道を乗り越えた彼らと『私』がついているのだ。それこそ、観測の必要などありはしない。

 機会があれば、また巡り会うこともある。皆が驚きで目を見開く中、未零を包む極光が輝きを増し――――――

 

 

「あなたの祝福――――――覚えておきますわ、村雨未零」

 

 

 たった、その一言で十分だった。

 

 そして、

 

 

『みんな――――――『私』を救ってくれて、ありがとう』

 

 

 届いたのだろうか。それだけを残し、未零()の世界は螺旋した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よかったんです? あれだけで」

 

 境界。世界と世界を繋ぐ僅かな時間軸を通り抜け、道すがら向こうから繋がる『孔』を修復しながら、未零は己が内側にある姉に声をかけた。

 結局、別れまで澪が残した言葉はあの一つだけ。他は未零に全てを任せてしまっていた。別の世界とはいえ、士道たちと言葉を交わしても構わなかったのだが。

 

『いいんだ。私は私。向こう側の『私』とは違う。だが、そうだね――――――今度はみんなが揃っているとき(・・・・・・・・・・・)に、話をしたいものだ』

 

「……ん。そうだね――――――」

 

 誰のことか。あの世界の意志が求めた人。士道が再会すべき人――――――故に告げたのだ。あなた方の道に祝福を、と。

 未零が伝えたもの。正しくは、

 

 

「君たちの物語は、祝うまでもなく祝福に満ちている(・・・・・・・・)

 

 

 異なる世界で、別の道筋を辿った者たち。素晴らしき救いは、必ず続いていくものだから。

 

 

「次は会えるよね――――――私の可愛い、姪っ子ちゃん」

 

 

 そうであるならば。否、そうであるからこそ――――――あの人の『声』を聞いたことに、感謝を示すのだ。

 

 

 

 

 

「……ああ。それと、ちょっとだけ寄り道しますね」

 

『うん?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「おや……君にしては珍しい顔つき。何かあったのかね、アイク」

 

 迎えの車に乗り込むなり、同じクラスの重役である友人がそう声をかけてくる。隣に乗り込み、ふっと笑みを浮かべウェストコットは彼の軽口に応えた。

 

「なに、少々遊び心を見せてしまってね。数々の小言を受けて私の身も疲れ気味なのさ。いやまったく、最近は顔のシワが増えて歳を感じるよ」

 

「ふっ、私の前で当て付けか。この若作りめ」

 

 少しの懐かしさを感じさせる勝気な笑みを見せた友人、エリオット・ウッドマンに冗談だ、という意味を込めて両手を上げる。外見の年齢こそ差はできたが、彼とは幼少期からの付き合いなのだ。この程度の軽口は――――――ウェストコットの記憶からすれば、不思議と懐かしさを覚えた。

 だが、以前の世界での関係を考えれば、まったくもって笑ってしまう。冗談ですら考えても見るまい。そんな笑みが思った以上に表に出ていたのか、ウッドマンが訝しげな表情を作り、声を発した。

 

「アイク?」

 

「……ふっ。人生とは、何が起こるかわからないものだとは思わないかい、エリオット」

 

「はっはっは! 急に詩人のようなことを言い出すな」

 

 ジョークの類に取られたのか、それでも構わないとウェストコットも笑みを深める。

 と、そこでウェストコットは己の切れ目をぴくりと揺らす。広々とした車内、それもウッドマンが座る座席の隣辺りに、無骨なダンボールのようなものが置かれていることに気づいたのだ。

 視線の行き先を察したウッドマンが、おぉとそれを手に取りウェストコットに差し出してきた。

 

「そうだ、君にプレゼントがあってね。――――――未零くんからだ」

 

「……ほう」

 

 らしくもなく声音が上擦った。当然、意外すぎる人物の名前が飛び出してきたからである。

 

「先ほど、出会い頭に渡してくれと頼まれてね。直接会って渡してくかい? とも聞いたのだが――――――」

 

「『私、あの人嫌いなので、自分からは会いたくないです』、だろう?」

 

「まさに正解だ。……あんな良い子に嫌われる君の多方面な才能は、賞賛に値するかもしれないね、アイク」

 

「まったくだ」

 

 寧ろ、好かれることをした記憶がないウェストコットからすれば、殺されないだけマシな対応と思えてしまうのだけれど。

 皮肉を素直に受け取り、ついでに荷物も手渡しで受け取る。果たして、中身は何なのか。積もり積もった恨みを多少は晴らす悪戯の一品なのか。それとも空の玉手箱か――――――どちらでもなく、ウェストコットとウッドマンは目を丸くした。

 

「これは……?」

 

「ふむ……」

 

 外面とは裏腹に、中身は丁寧に梱包されている。幾つか見える機械のそれは――――――

 

「……健康グッズ?」

 

 そう、俗に言う健康器具(・・・・)と呼ばれるものたちであったのだ。

 

「っ――――――ははははははははははっ!!」

 

 呆気に取られるウッドマンを後目に、ウェストコットは丸くした目を次の瞬間には大きな笑みの形にすることとなった。

 これが笑わずにいられるか、というのだ。未零かこれを選んだ時の表情、手に取るようにわかる。ウェストコットに対する複雑な感情と、それはそれとして(・・・・・・・・)礼節。しかし、素直に役に立つものを贈ることは未零以上に彼女の姉(・・・・)が良い顔をしなかったのだろう。

 それ故に、健康器具。顕現装置(リアライザ)を持つ大企業の長に贈るには、やはり笑いが込み上げてくるもの――――――だが、他者への毒を持ち切れない少女らしいものではないか。外箱と梱包から実物に至るまで、さらにウェストコットの冗談ですら聞き逃さない未零の心情をその手に取ることで、ウェストコットは大層満足した(・・・・)と言っても過言ではない。

 

 つまりは、

 

 

「ふはは! 人がよすぎるというのは、本当に面白い。ありがたく使わせてもらおう。我が愛しき精霊――――――未零」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やはり、外からではわからない腐った果物など良かったんじゃあないかな?」

 

「急に手の込んだ嫌がらせを考えるのやめてくださいよ……」

 

 神妙な顔でとてもではないが真士に伝えられないことを言ってのけた姉に、深々とため息を吐く。そもそも、やったところで顕現装置(リアライザ)を扱う一流企業の主に通用するとは思えない。

 ようやく帰ってきた自宅の椅子に座り、もう一度深々と息を吐く。まあ、礼の品としては皮肉が効いて及第点であろう。助けられたことは事実、『それはそれ、これはこれ』の精神は生きていく上で大切なことなのだ。

 

「……ま、これで今回の一件は全て片がつきましたね」

 

 言って、手のひらを軽く上に上げて肩を竦め、顔だけを飾られたぬいぐるみに向けた。

 長いようで、短いデートだったけれど――――――

 

 

「――――――これからも退屈はしなさそうだよ、お義兄ちゃん」

 

 

 また一つ、澪の土産話が増えたと思えば、悪くない気分になった。

 すると、締めのように言葉を吐き出した未零を見て、令音が指をあごに当てながら声を発した。

 

「……しかし、まだ君の悩みが解決していないんじゃあないかな?」

 

「……はい?」

 

 何のことだ、と未零は訝しげに視線を返した。未零の悩みと言っても、大半は精霊たちとの交流によって解決されていった。加えて、大きな問題もたった今全てが解決したと言える。これ以上、どれだけ贅沢な悩みがあるというのか、と思った未零だったが――――――

 

 

「――――――あの日は、何か他に悩みがあったと思っていたが」

 

 

 それは何とも、呆気に取られる指摘だった。

 あの日、この事件の始まりの日。令音は未零が聞いた『声』のことだけに気がついていたと思っていたのに、

 

「……気づいてたの?」

 

「……私は、君のお姉さんだからね」

 

 ――――――そんな慣れていない顔で言ってのける姉の姿に、愛らしさすら覚える。

 見てくれていた。当然のことなのに、気づけなかったのは未零の方だった。見ていたのは、未零だけではなかったのだ。

 

 

「あはは――――――たった今、解決しちゃったよ、姉さん」

 

 

 悩んでいたことが不思議なくらい、自然と笑顔が零れた。

 姉妹とは何なのか。少しはわかった気がする。互いを見ていれば、それでいい。そうでない時は、これからわかればいい。ほら――――――三十年に比べれば、なんてことはない長さになったでしょう?

 

「……? ん、解決していたならそれでいいが……」

 

 まさか、自分の行動で解決したとは露ほども思っていないのだろう。薄い表情筋で釈然としない顔を作った令音に、また一つ笑みを浮かべる。

 その時だ。クマのぬいぐるみを見て、令音を見て、勢いのままに言葉を発したのは。

 

「……姉さん、旅行に行かない?」

 

「……旅行?」

 

「うん。旅行っていうか、旅? ほら、二亜からいただいたバイクも活かして、私と二人で。――――――見に行こうよ、色んなものを」

 

 二人の目で。確かな意志で。それはきっと素晴らしく、大切な土産話(・・・)に加えられることだろう。

 未零の提案に一瞬目を丸くした令音だったが、常に憂いを帯びていた目を輝かせたことで、それを見た未零はより一層の微笑みを深める。

 

 

「……いいね。どこへだって付き合うよ(・・・・・・・・・・・)

 

「……!! ふふっ、言ったね、お姉ちゃん」

 

「うん。言ったよ、未零」

 

 

 笑い合う姉妹は、早速予定を立てていく――――――大切な人と生きる、明日のことを話し合う。

 

 

 

 生きるという救い()を背負った姉と、生きていてほしいと願った妹。けれど、そこには嘘のない笑顔があって……いつかの明日に向けて、二人は長い旅路を歩き続ける。

 その救い()は矛盾しているのかもしれない。だけど、二人は知っている。彼がいつかの明日で待っていることを知っているから。

 

 だからこれが――――――この優しい世界における姉妹の祝福なのだ。

 

 

 





ここまで長くなってしまったのは私の責任だ。だが私は謝らない。君たちなら、全てを読んでこの後書きに辿り着いてくれると信じているからな。いやそれ自体は謝れや。

発端は〈刻々帝〉の数字で収められたらシャレオツじゃね?って思いつきから。あと本編終わったのにタイトル考えんのめんどくさかった。そして出来上がったのは分量3話は優に超えるエピローグでしたとさ。

はい。というわけで、ここまで大変長らくお疲れ様でした。『未零アナザー』編、完結となります。補足だったりこの章に感じてだったり、それからこれからに関しても話していこうかなと。どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。

後日談とも言いますし、蛇足ともいう。そんな感じの番外編。ぶっちゃけ肉付けしたのはそこそこ最近の話になるでしょうね。本来毒もなく短い番外編の予定でしたし、少なくとも数ヶ月前とかになるでしょう。書きたかったことは精霊たち、敢えてこう呼ばせてもらうなら崇宮姉妹のお話でした。自然と『十香グッドエンド』編が本当の意味でクロスした形にもなります。
姉妹のお話、きっちり蹴りを付けてあげたかったんですよね。この作品でやらないとこの未零は他に持ち込めませんし、スッキリさせたかった。同時に、澪に関してもそうなりますね。これが私に出すことができる祝福。本編後のお祝いです。澪に関してガッツリいきたかった……理由は未零と同じという話題ループなのですけれど(
実際、この関係性はリビルドでしか行えません。澪の生存と200話をかけて作られた精霊、未零というキャラクター。今しかできないからこそ、やり切ったつもりです。

軽い補足に入りますが、折紙と二亜だけが夢を見た理由。本筋には関わらない理由なのでぶっちゃけますが、折紙は未零に霊力による攻撃を通した過去があること。二亜は同じ天使を使ったことがあること。それが異なる世界の来訪者から僅かに記憶が流れた理由です。
メタなことを言うと原作だとこの二人しか描写がないからですがね!! そしてこの方面で最も感知していたのは十香なのですが、それは裏側の彼女がセーブしていた、という答えです。え、狂三?だって殺られたの分身なのでry

こんだけ書いといてアレですが、量的に予定より削った箇所はあります。最後は万由里や折紙を出してあげたかったですし、あちら側の世界のその後の会話とかも……ちなみに、祝福に満ちていると決まっている二つの世界のことを知りたいなら21、22巻『十香グッドエンド』の上下をよろしくお願いします。君は泣くだろう、最後のエピローグで。
私が詳しく書いてしまうのは野暮ってもんですからね。リビルドの世界から観測したのは、あの世界たちの未来は必ず祝福されてる。それでいいんです。
あとウェストコット書くの何か楽しい。若者で癒される老人枠かよ。

そんでまあ、フォロー役に徹した士道と狂三。理由は二つで、以前話をした通りこの二人は本編の流れは描き切ったことと、エピローグであちら側の士道が現れるからこそ、ですかね。向こうの世界の狂三に関しても同上。
五河士道は精霊たちの笑顔を見たい。時崎狂三はその眼に諦めを灯すことはない。言葉などなくとも、伝わることはある。

そんなわけで一旦は世界を創り変えたものとしての存在を主張させた二人ですが、この小説の主人公とヒロインは誰かって話ですよ。
完全に個人的なこだわりなのですが、この小説を完結させるなら士道と狂三で〆たいのです。いや本編がまさに王道でそれだったのですが、後日談で思った以上に姉妹が綺麗に持っていったものでして……。
そういうわけで、狂三リビルドを完結させるためにあと4話は書くつもりです。

一つは感想欄からいただいたアイディアをピンと来たものと組み合わせた短編。私、このネタは絶対に書くつもりなかったんだけどなぁ……っていうものです。

二つ目、三つ目は狂三、士道それぞれのIF。正直士道側の始まりは固まりきってないので若干不安ですが。いや、本編であれだけ無双させた狂三を死なせる展開自分で書くの辛い……いや書きますけど、書きますけどね。どうしようかなぁ……。

そして四つ目。これは単純な話、暗いIFの後にはハッピーエンドでしょ。士道と狂三をメインにした最後の後日談。狂三リビルド完結のエピローグをお送りします。気を軽くして読めて、終わったーって感じにしたいなぁと。

以上となります。とはいえ、本編完結からここまで突っ走ってきたので今回は若干長めの休息をいただいております。後日談までノンストップで書いていたので数日手に付けないの久しぶりですねぇ。
あまりスパンが長くなりそうなら一つ目の短編だけは先に送り出そうと考えているので、気長にお待ちください。あと章完結記念に高評価とかいただけたら速度上がると思います。投げ損ねとかあったらいつでもお待ちしております。このスタンス最後まで絶対ブレない気がする。

長くなってしまいましたが、後日談までお付き合いいただき、そして感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございます! 本当に残り少なくなってきましたが、私は変わらず自分に書けるものをお送りしていきたいと思っています。
それでは、この言葉もあと数回となりますが……次回をお楽しみに!!


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五河ドリーム
『いつかの夢』


正直作者側の気持ちとして八割はボツにしようかと思案したネタです。警告はしたので後悔のないようお進みください。














警告はしました。それでは短編、どうぞ。




「平和ね……」

 

 紅茶を一口。ほぅ、と琴里は思わずそう独り言を通す。

 静けさとはまさにこのこと。静寂と平穏。絶えることのない騒がしさが嫌いではない琴里だが、たまにはこういうのも悪くはないと手にした薄手の本を丁寧に読み進める。

 

「…………」

 

 平和だ。口にした言葉を、改めて己の中で噛み締める。

 書類に追われることもなく。無能な利権漁り共の相手をする必要はなく。まして、琴里の本職である〈ラタトスク〉司令官としての立場は、半ば形骸化しつつあった。

 当然といえば、当然の話だ。〈ラタトスク〉は精霊を保護するために生み出された組織であり、その精霊は――澪が生み出した存在だけを精霊と呼称するのであれば――全て存在を確認し、保護したということになる。

 ともすれば、〈ラタトスク〉の目的の半分は成し得たといっても過言ではない。仮にそれが――――――世界を創り変えた者(・・・・・・・・・)によって、結果的に手元に残されたものであったとしても。

 

「ま、私が言えたことじゃないか」

 

 独り言ちる琴里の顔は、自然と苦笑の形を描いていた。好き勝手に世界を変えた独裁者(かみさま)。それに賛同したのは、他ならぬ琴里なのだから。

 それに、形骸化したといっても精霊たちのこれから先をサポートしていく〈ラタトスク〉の明確な存在意義に変わりはない。保護して終わり、などと匙を投げることはできないのだ。来年には琴里たちも高校へ上がり、士道たちは大学。また、緩やかに忙しくなっていくことだろう。

 だから、たまにはこういう静かな日だって必要だ。これで愛しの人がいたならば言うことはないのだが……などと冗談を思う気持ちさえ産まれてくる。

 優雅に、再び紅茶を手にした琴里――――――――の目が、目映い極光に覆われた(・・・・・・・・・・)

 

 

「…………うっそでしょ」

 

 

 これこそ思わず、思いがけず言葉が零れ落ちた。ほんの少しばかり明滅した目を指で擦れば、一瞬の閃光が幻ではないことを示唆しているようだった。

 同時に、頭を抱える。現在、この家にいるのは琴里といつもの二人(・・・・・・)。そして、今の光は琴里ですらわかるほどの指向性を持っていた。まさに、士道の部屋がある2階から(・・・・・・・・・・・・)放たれたという意味でだ。これで頭痛を催さない人間がいてたまるものか。

 

「最近は大人しいと思ってたのに……」

 

 最近は、というより世界を創り変えてからは、だが。自然と訂正した言葉を口にする気にもならず、せめてもの救いはリボンの色をわざわざ変えずに済むタイミングだったことか、と琴里は息を吐いて椅子から立ち上がる。

 今の光、覚えがある。というより、覚えしかない(・・・・・・)。触れずに済むことが一番なのだが、琴里の立場を弁えればそうも言っていられない。

 まあ、とはいえと琴里は階段を登りながら思考する。兄はそこそこの常識がある方だし、隣に立つ彼女もあれでいて根本的な領分は弁えすぎるくらいだ。まさか、なんてありきたりな言葉を口にする事態にはなっていないだろう。

 

 ――――――数秒後、琴里はその甘い考えを放棄することとなる。

 

 考えても見てほしい。彼らは確かにそれなりの常識は持ち合わせている。士道に至っては、一年と半年前であれば琴里という妹を溺愛(個人的主張)する平々凡々な高校生だったのだ。持ち合わせていないわけがない。が――――――その良識と両立する非常識を持ち合わせていなければ、世界を変える選択など選ばなかった二人でもあるのだ。

 とどのつまり、常識外に常識を問う(・・・・・・・・・)など、彼女の言葉を借りればナンセンスな話だったのだ。

 

 そう。扉を開けた先で幼子――――――十、下手をすれば五には満たないであろう容姿を得た時崎狂三(・・・・)の姿を見れば、一目瞭然なのだ。

 

「あ」

 

「あら」

 

「……は?」

 

 三者三様。少なくとも、琴里は己の声が零度の如く低いものだと自覚していた。扉を開けた先に、そのような光景(・・・・・・・)が広がっていれば必然、誰が相手だとしてもそうなろう。

 その幼子(・・)を時崎狂三だと判断した理由は幾つかある。一つは、その類まれなる容姿。幼くなれど、射干玉の髪の質は保たれ、何より幼くなったことで大人しくなる、どころか異質さを感じさせる黄金の時計盤(・・・・・・)が見え隠れしている。それは、この時代において狂三(精霊)しか持ちえないものだった。

 もう一つ、確実な事柄があった。琴里の兄が『うわやっべ』という顔をしていることと、その手に箒型の天使(・・・・・・・・・)を手にしていることが最たる理由であり、結論であり――――――とっちめるには十二分なものだろうと、琴里は地を蹴った。

 言い訳は後で聞く。そして、こうなるのは久方ぶりだと懐かしさを感じながら、

 

 

「――――――さすがに見境を持て、このバカ兄がぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「全面的にごめんなさい!!」

 

 

 謝罪があるだけ、マシだったのかもしれない。兄を平行水平キックで蹴り飛ばしながら、琴里はそんな甘い感想を述べたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで」

 

 ブスっとした顔しながらトントンとテーブルを指で突けば、兄が対面でこちらも久しく見ていなかった肩身が狭そうな姿を披露する。

 琴里が懐かしさを感じるのも無理はない。何せ、成長していった士道は自分に押し通せる無理は積極的に胸を張って行っていた。身を縮めることはなく、ただ真っ直ぐに。

 しかし、物事には限度と見境というものが存在する。そして、過失割合という便利な言葉もだ。

 

「成り行きで狂三の子供時代(・・・・)の姿が見たい。そう言ったら狂三が思った以上に乗り気になってくれて、気が付いたら〈贋造魔女(ハニエル)〉を持ち出していた、と?」

 

「間違いありません」

 

 さて、それではこの場合はどうなるのか。言葉にするまでもないのだが、子供にもわかりやすく琴里が言葉にしてやろうと、一瞬見せた笑顔をカッと目を見開いた怒り顔で染め上げた。

 

「――――――擁護のしようがないじゃないの!!」

 

「申し開きのしようもございません!!」

 

 もうすぐ大学生にもなろう兄に説教とは、些かの情けなさとシュールさに琴里の頭痛が加速していった。

 素直に頭を下げる士道にため息を吐き、チラリと横を見遣る。

 幸いにも、それなりに広い家のリビング。それを大胆に活用した狂三(小)が自身の身体を興味深そうに眺めたり、その身体を器用に動かしたり、バク転をして――――――

 

「ちょ……狂三、危ないからやめてちょうだい」

 

「あら、あら。この程度は平気ですわー」

 

 ……子供時代は、こんなにもアグレッシブな子だったのだろうか?

 以前、狂三自身が提唱した『思考は身体の年齢に共鳴する』論を思い起こし、打って変わって元気が有り余る様子の狂三をハラハラとした心境で見守ってしまう。

 

「心配だわ……」

 

「……むしろ、琴里が狂三の状態に引っ張られてないか?」

 

「そ、そんなことあるわけないでしょ!!」

 

 無意識に零れた思考を士道に拾われ、慌てて否定の言葉を返す。司令たるもの、外見の年齢に惑わされるつもりはない。そもそもとして、琴里は以前から惑わす立場にあったわけなのだけれど。

 コホンと威厳ある咳払いを挟み、琴里は言葉を続ける。

 

「けど、もう少し考えて行動してほしかったわねぇ……」

 

「考えた結果こうなった」

 

「いきなり開き直ったわね!?」

 

 あまりに唐突すぎて、琴里以上に威厳がある雰囲気が感じ取れるようだった。

 

「琴里は気にならなかったのか!? 狂三の子供時代の姿が!! 物凄い貴重映像なんだぞ!!」

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

 立ち上がった士道の異様な情熱に琴里が圧されてしまったのは、単純な話として気にならないわけではない、ということを示している。

 実のところ、狂三の子供時代の姿は幻に近い。一度精霊たちが子供に化かされた時でさえ、単純に霊力を保有した彼女に七罪が仕掛けた〈贋造魔女(ハニエル)〉は通用しなかった。

 その上、狂三の過去を知った今となっては、おいそれと幼少期の写真など探し出せるはずもない。あるにはあるだろうが、狂三の経歴上、『この世界』において保管場所は大変にデリケートゾーンと言える。まさか、『見たいから』などという曖昧な理由で〈ラタトスク〉を動かすわけにもいかない。

 その辺り、諸々の事情を加味した結果、本人が乗り気ということで士道の〈贋造魔女(ハニエル)〉使用に踏み切られた……筋書きとしては、このようなものなのだろう。

 まあ、平時での天使使用の過失度を引けば、琴里とて士道の気持ちはわからなくもない。お互いの了承があったなら、とも思う。今や士道は、全ての精霊の力を備えた人間。琴里がとやかく言うより、自身の権能のことは彼自身が理解している。だからこそ、琴里は腕を組んで眉根を下げて苦言を呈するのだ。

 

「だからってねぇ……せめて、あなたたち二人の中だけで完結すればよかったじゃない。私にバレるくらい天使の出力上げて、何してるのよあなた」

 

 やるならバレないように。そうすれば琴里が苦言を呈することもないし、二人の目的は穏便に達成される。あくまで琴里の立場から言えるのは、その程度のことなのだ。本来なら、天使の使用をもっと咎めなければいけないのだが……琴里も、大概二人には甘いということになるか。

 そんな自身の甘さに深いため息を吐きそうになる琴里と、その助言とも言える苦言を前に、士道は困惑した顔で言葉を返した。

 

「ああ。そうしようとしたんだけど……」

 

「けど、何よ?」

 

 士道が言いあぐねる。というより、言葉にすることが難しい(・・・・・・・・・・・)と感じられる姿に、琴里は訝しみながら続きを促す。

 

「いや……なんつーか、俺の想像と勝手が違ったっていうか。なんて言えばいいんだろう――――――俺の想定した骨子(・・)が、ほんの少しズレてた、って言えばいいか」

 

「……なんですって?」

 

 ゆっくりとだが、確かに言語化されたそれに琴里は目を剥いた。にわかには信じ難く、組んだ腕に力が入る。

 琴里の反応を見て、慌てたように両手をこちらに向けた士道が声を発する。

 

「あ、大丈夫だ。それで込めた霊力が多くなったから、戻るのに少し時間がかかるだけだ。時間が経てば、狂三の意志で元の身体に戻れるからさ」

 

「…………」

 

 納得のいく情報だ。が、琴里が違和感を感じたのはそこではない。狂三の安全面など、士道がいの一番に確認している。わざわざ琴里が心配するまでもない。

 問題は――――――あの士道が(・・・・・)、狂三を構成する骨子を見誤った、という点だった。

 見れば、狂三の幼少期の姿という点では合格だろう。〈贋造魔女(ハニエル)〉による見事な想像力と構成。故に、琴里は強烈な違和感を隠せなかった。変える手前(・・)において、士道が狂三に関してのミスを犯すことなどありえるのか、と。

 渋面を作る琴里……幾秒かそうしていると、服の袖がくいくい、と小さな指に引っ張られて視線を向ける。

 

「狂三……?」

 

 そこには、申し訳なさに満ちた(・・・・・・・・・)顔をした、幼い狂三の姿があった。琴里が椅子に座っていてなお、背丈が大きく低く見える幼少の姿に琴里の目が眩みそうになる中、少女が遠慮がちに声を発した。

 

「お……士道さんをあまり怒らないであげてくださいまし。わたくしも同罪ですわ」

 

「あ、いや、もう怒ってるってわけじゃ……」

 

 どうやら、琴里の思案顔に怒気の気配を感じたらしい。どこか言葉使いの端まで幼く感じられ、そのやり辛さに琴里は軽く髪を掻く。

 ――――――士道とて人間。何かの拍子でのミスなど付き物だろう。そう琴里は一度結論を出し、あくまで軽い調子の声音を披露する。

 

「そういうことなら仕方がないわね。なってしまったものは割り切って、時間が経つのを待ちましょう」

 

「ああ。本当にごめんな、琴里」

 

「申し訳ありませんわ、琴里さん」

 

「今度は先に相談するか、バレないようにしてちょうだい」

 

 琴里が肩を竦めて冗談を言うと、士道が曖昧に苦笑を返す。どちらにせよ、止めろと言い切れないのは形骸化した司令官らしいと琴里こそ、やはり苦い笑いを浮かべたいくらきだった。

 

「――――――そうだ。だったら、ちょっと買い物に行って来てもいいか?」

 

「ん、そういえば昨日の騒ぎで何も残ってなかったわね……」

 

 台所事情に関して、琴里が詳しく知るところではない。が、昨夜――――「脱稿記念の時間だぁぁぁぁぁぁ!!」――――などと押しかけてきた該当者一名、大騒ぎの化身の存在により、冷蔵庫の中身がすっからかんになっていることは琴里にも覚えがあった。

 お昼時にはまだ早いが、のんびりもしていられない。時間が経てば、続々と人が増えて日常の騒がしさを取り戻すことだろう。そういうことなら、と琴里は手で追い払う仕草を取りながら声を発した。

 

「じゃあさっさと行ってらっしゃい。狂三は私が見ておくから」

 

「ぐ……タイミングの悪さを恨むぜ、二亜……」

 

 本当なら、思う存分希少な狂三の姿を保存しておきたい。そんな士道の悔しさがありありと感じ取れる。これに関しては、二亜からすれば責任転嫁も甚だしいというものだろう。

 仕方ねぇか、と士道が腰を重そうに上げる――――――まさにその瞬間、小さな手が高々と上がった。

 

「でしたら、わたくしが代わりに行って参りますわ!」

 

「はい……?」

 

「く、狂三?」

 

 いつもなら狂三側のリアクションだろうものを見せてしまった琴里と、ここしばらくは目撃することのなかった心の底から困惑を見せる士道。兄妹揃って、目を輝かせたやけにテンションの高い(・・・・・・・・・・・)狂三に面食らってしまう。

 もちろん可愛らしさはあるし、小さな身体が今にも飛び跳ねそうな勢いがある。しかし、何というか――――――これが本当に狂三の幼少期になるのか? という疑問が二人を襲ったのだ。

 とはいえ、肉体に引っ張られているだけで完全に再現されているわけではない。否、だからこその違和感を覚えたのだが、そんな琴里たちを後目に狂三は捲し立てるように言葉を積み重ねていく。

 

「この身体、ただ待つだけでは退屈ですわ。またとない機会ですもの。視点を変え、様々なものを見て回れると考えれば悪くありませんわ!」

 

「……そうは言っても、ただの買い物じゃあ――――――」

 

「それでは、お二人は待っていてくださいましね!」

 

 侵略すること火の如く。いつもの落ち着きや優雅さはどこへやら、脱兎を思わせる――ここまで来ると、失礼ながら耶倶矢さえも連想させる――足踏みで小柄な身体を駆使した狂三が外へ向かって駆け出した。

 

「あー……」

 

「………………どうなってるのよ、これ」

 

 動かざること山の如し。明らかに様子がおかしい狂三に呆気に取られた琴里と士道が動き出すことができたのは、信じられないものを見たと互いの顔を見合わせた時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――って、この流れ前にもやったな……」

 

 狂三を見送ってしまった数分後。琴里に連れられた士道は、いつかの既視感に囚われながら琴里の執務室(・・・・・・)で呟きを発した。

 そう。場所は天宮市上空一万五千メートルに浮遊する空中艦〈フラクシナス〉内部、司令の琴里に設えられた執務室。一転して、地上から大空中へ鞍替えとなっていた。

 

「これが一番手っ取り早いじゃない。士道が天使を私用で扱うよりは、余っ程健全よ」

 

「さいですか……」

 

 それはそれで、立派な職権乱用なのではないのか。士道は思いこそしたが、得意げな琴里を相手にわざわざ興を削ぐこともあるまいと口を噤んだ。よくマリアが文句を言ってこないものだ、とは聞いておきたかったけれど。

 ついでにいえば、既視感があって当然なのだ。似たような流れは『村雨令音わらしべ長者事件』で体験している。……以前であれば令音の『いつも』がどういう意味なのか判断の難しさがあったものだが、時たま未零がどことなく疲れた表情で令音と帰っている日があることを鑑みれば、大方の察しはつく。不思議な魅力というのも考えものかもしれない。

 士道個人の既視感はともかくとして、机の上の端末に映像を出力し始めた琴里へ声をかける。

 

「……けど、ここまでするか?」

 

「何よ、士道だって気になってるんでしょ」

 

「う……まあ、なぁ」

 

 気にならない……と断言してしまうことは嘘になる。そんな在り来りな答えさえ濁した士道に、琴里が訝しむように顔色を変えた。

 

「変ね。いつもの士道なら積極的に関わろうとするはずよ」

 

「そこまで強く断言されるか」

 

「事実じゃない」

 

 確かに、事実ではある。琴里は一度端末の操作を止め、軽く握った拳で顔を支えながら士道を見遣る。その表情には、あからさまな疑問が浮かび上がっていた。

 いつもの士道なら――――――琴里らしい表現だ。そして、士道自身それを否定する気にはならない。

 

「まだ何か隠してるなら言ってごらんなさい。あの狂三が分身でした、って告白しても怒らないわよ」

 

「や、それはない……と、思う」

 

「……?」

 

 士道の回答に首を傾げた琴里。これも言わんとしていることはわかるし、次に発せられる言葉は未来予測など要さず予知できる。

 

「随分と曖昧ね。初めてね、あなたが狂三の見分けで曖昧な判断を下すのは」

 

「ああ……」

 

 首肯を返し、士道は初めての経験に戸惑いを隠せなかった。

 今朝方、狂三と出会った時。その時は、大きな違和感ではなかった。しかし、〈贋造魔女(ハニエル)〉の効果を狂三へ振るってから、奇妙な感覚が士道の中でわだかまっている……それさえ、ような気がする(・・・・・・・)でしかないのだが。

 

「狂三の感覚は感じられるし、絶対に分身じゃないのは断言できる。だけど、なんて言うかな――――――違和感が違和感として成り立ってない。そんな気配が感じられるんだ」

 

「……もう少し具体的に言語にしてくれないと、私にはわからない感覚だわ」

 

「だよなぁ」

 

 眉をひそめた琴里に、士道は短く同意をした。

 ありのまま、何とか言葉にはしてみたものの。結局は士道と狂三の関係というものとなれば、他の人間には理解できない。極端で乱暴な言い方をしてしまえば立ち入れない(・・・・・・・)ものがある。そもそも、士道自身が感覚として確かなものを得ていない以上、それを理解できる者などいるはずがない。

 結局のところ、彼女は時崎狂三だと結論を出さざるを得なかった。それほどまでに、幼少期の姿を取った彼女の気配は狂三なのだ。それなのに、こうして士道と琴里が言葉を重ねる理由といえば……、

 

「……それ以上に、何か様子がおかしかったしな」

 

「ええ。さすがにねぇ……」

 

 互いに腕を組んで唸る。それほどまでの違和感、士道と琴里は同じ感想を抱く――――――幼くなったと言っても、あのテンションは何なのか、と。

 

「意外と子供の頃はお転婆だった……とか?」

 

「いや、狂三のご両親はかなり過保護だったと思うけどなぁ」

 

 それこそ、蝶よ花よとお嬢様として育った狂三の姿だ。士道が困り顔で髪を掻き上げ、否定をする程度には現実味がない(・・・・・・)

 それが二人が頭を悩ませる一番の要因。出かける直前、狂三の性格が豹変した(・・・・)としか思えぬ変化を目の当たりにした。

 議題は〈贋造魔女(ハニエル)〉による性質変化。だとしても、何かを隠しているとしか思えない豹変っぷりに、さしもの士道たちとて無視することはできなかった。

 しかし、だからといって出かけた狂三に直接話を聞くことは叶わないし、何より聞いたところでだ。『あなたは狂三ですか?』などと失礼すぎる問いかけは言わずもがな、仮に聞けたところではぐらかされるのがオチだろう。

 故に、ここは最新鋭の設備に頼るに限るということだ。

 

「よし。準備完了よ」

 

「……あんまり褒められた手段じゃないよな、これ」

 

「今さら?」

 

「…………」

 

 その常識外に助けられてきた士道が返せる言葉などなく、そっと妹から目を逸らした。

 やることは単純。自律カメラを放ち、それによりどこへいようと狂三をモニタリングできるという寸法だ。余談にはなるが、以前にも増して多機能かつバッテリー増設により長期運用が可能になった……と胸を張る妹様が孫を褒めているようで印象的だった。

 士道にツッコミを入れた手前だからか、クスッと自嘲するように笑った琴里が言葉を返す。

 

「ま、あなたの気持ちがわからないわけじゃないわ。けれど、未零の一件も解決したばかりだし、用心するに越したことはないでしょ? 何事もなければ、私たちの杞憂で終わることよ」

 

「そうだな」

 

「あと、子供の姿で何かしらのトラブルになった時に面倒だわ。狂三が犯人を半殺しにした時の後処理が」

 

「……そ、そうだな」

 

 大変に同意したくはないが、仕方なく同意せざるを得ない。チュッパチャプスを新たに一本咥え、非常に辛辣な琴里へ冷や汗を流す。

 万が一。その言葉は有り得るからこそ存在している。たとえば皆との豪華客船のクルージングに大層と胸を躍らせていた可愛らしい精霊が、シージャック犯を相手に最悪の精霊になったりとか――――――そういう話も、ありえないというわけではないのだ。

 とまあ、建前は十分。その実、琴里は友人として心配なのだろうと隠した兄目線も加わったりしている中、彼女が端末を操作した数秒後、端末の画面に自律カメラの映像が出力された。

 

『――――――じゃあ行きましょう、狂三さん』

 

『ええ、ええ。参りましょう、四糸乃姉様(・・)

 

『……!! ね、姉様なんて、そんな……』

 

『あはーん。ここは四糸乃の大人の魅力を存分に発揮する場面だねぇー』

 

 

 

「……増えてる」

「……増えたわね」

 

 目を離した十数分で、同行者が増えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 ステップを踏んで、ご機嫌に鼻歌まで歌ってしまう。

 いつもとは違う景色を。普段とは違う雰囲気を楽しむ。丁寧に結ばれた左右の髪をゆらゆら、ゆらゆら。少女は思うがままに、一人で街並みを眺めながら足を進める。

 

「ふふっ、うふふふ。たまには(・・・・)、こういう気分も悪くありませんわ」

 

 誰かと共に歩くことは好きだが、希少な体験(・・・・・)を得ることは人としての喜びだ。

 だが、あまりこちら(・・・)を楽しんでばかりもいられない。時間は限られているし、手早く済ませて戻るべきかと思案した狂三が舗装された道を歩いていると――――――

 

「狂三、さん……?」

 

 疑問含む、少女の脳に刻まれた声音。鼓膜を震わせ、足を止めるには十分なものだった。

 狂三の背丈を遥かに越える、と言っても琴里とさして変わらぬ体躯。蒼色の光沢を見せる瞳と、可愛らしい帽子に合う背まで伸びる髪。そして、手に付けられたウサギのパペット。

 あら、と声を零した少女は、彼女をしっかりと認識して言葉を返した。

 

「四糸乃――――さんではありませんの。よしのんさんも奇遇ですわね。どうされましたの?」

 

『どうされましたの、って……そりゃこっちの台詞だよー』

 

「その、どうしたんですか……?」

 

 二人の返しにキョトンとした顔をしてしまう少女だが、ふと思い返す。そういえば、あちらから見れば(・・・・・・・・)視点がおかしいのだった。

 滞りなく返した言葉で『時崎狂三』であると判断をしたのだろうが、なぜそうなったかまではさすがに予測などできないだろうことは目に見える。

 

「ああ、ああ。実はですね――――――」

 

 かくかくしかじか。適当な座り場を見繕い、掻い摘んでここまでの経緯を大まかに説明する。これでも、それなりに説明は得意だという自負はあり、理解力のある四糸乃たちも、その納得したような頷き具合からすんなりと呑み込んでくれたようだった。

 

「そういうこと、だったんですね……」

 

『いんやぁ、士道くんもなかなか自分の欲に忠実になってきたわねぇん。これはよしのんたちが世界を支配する日も近いね!』

 

「ふふっ、飛躍しすぎですわ。――――――そういうわけですから、わたくしは少しばかり買い物をしてから士道さんのご自宅へ戻りますわ」

 

「――――――それなら、私も手伝わせてくれませんか?」

 

 意外かつ、即興の提案を耳にした少女は、浮きかけた身体を硬直させ四糸乃へ視線を戻した。次いで、四糸乃が続ける。

 

「あ、その……今の狂三さんの身体じゃ、色々大変だと思って……」

 

「ああ……」

 

 言われてみれば、と思わなくもない。だが、これでいて少女は人並みとは比べ物にならない膂力を持ち合わせている。四糸乃が心配するほどのことは起こりえないのだけれど――――――彼女の意図を読み取り、少女はくすりと笑みをこぼした。

 四糸乃の中にあるのは純粋なる善意の形。そして、庇護欲(・・・)に似たものを少女は感じ取った。

 まあ、それほど難しい疑問ではない。四糸乃は精霊の中では幼い部類に入る。もっと具体的に言えば、同世代、上世代は数多くいるが、下世代とはあまり縁がなかったのだろう。そう考えれば、普段は見ることのできない四糸乃の可愛らしい一面だ。受け入れず、結果後悔をするのは少女であろう。

 

「確かにその通りですわ。では、お願いできますかしら」

 

 自然と手を差し出し、握ってくれと意思表示をすると、四糸乃の顔がパッと明るくなった。

 

「!! はい! 行きましょう、狂三さん」

 

「ええ、ええ。参りましょう、四糸乃姉様」

 

「……!! ね、姉様なんて、そんな……」

 

『あはーん。ここは四糸乃の大人の魅力を存分に発揮する場面だねぇー』

 

 戯けるよしのんが発した言葉に、また少女は一つの微笑みを浮かべた。妙な感覚だ――――――少女から見れば、そんなことをしなくとも四糸乃が大人に見えるのだから。

 

 

 

 

 ――――――同行してもらう、とは言っても。

 

「……これで十分ですわね。さあ、帰りましょう」

 

『全速前進、ヨーソロー!』

 

 どこで覚えたか、そんな元気な声を発するよしのんとこくりと頷く四糸乃。

 実際のところ、特に苦労はない。二人で買い物袋を下げ、帰路に着く。必要なものはいつも見ていた(・・・・・・・・)から、少女にとっては容易い。足りない部分も、それとなく四糸乃に問いかけて見れば簡単に解決することができた。

 今日の夕飯は何にするか、午後からはどうしようか。日常、言うなれば取り留めのない話が続いていく――――――新鮮だ。ここにきて、何度目かの笑みを零した少女に、四糸乃が小首を傾げた。

 

「どうか、したんですか……?」

 

「いえ、いえ。強いていえば――――――」

 

 ふむ、と内心で言葉を選ぶ。あいにく、この楽しい時間はあまり残されてはいない。ならば、選ぶべき言葉はそう多いものではない。

 

 

「――――四糸乃姉様は、士道さんのこと、好きですの?」

 

 

 だからこそ、搦手などなく、少女は直線的な言葉を繰り出した。

 小首を傾げたままキョトンと少女の問いを受け取った四糸乃だったが、

 

「え、……そ、それは……」

 

 意図を理解した途端、頬を赤く染めて恥ずかしげによしのんで顔を隠した。まあ、その反応で大体は察せるものがあると少女も苦笑してしまう。

 

「うふふ、少し意地が悪い問いかけでしたわね。――――――ですが、『わたくし』はどうなのでしょう?」

 

「え……?」

 

「将来――――――」

 

 そう、将来(・・)。その気持ちを抱えて、彼女たちはどうなっているのだろう。何を思っているのだろう(・・・・・・・・・・・)

 少しばかり、賢しい(・・・)。思いながら、少女の唇は音を奏でることを止めなかった。

 

「変わっていきますわ。景色、関係、居場所。その時、士道さんに対する気持ちを、あなた方は――――――」

 

 ああ、ああ。本当に狡賢い。今、この瞬間にしか聞くことができない。その本音をこじ開けることは、少女でさえもわかる狡賢い所業だ。

 けれど、

 

 

「――――――好きでいます」

 

 

 大人びた彼女は、その綺麗で美しい声音で、慈しみに溢れた言霊を紡いだ。

 

「士道さんのことが好きです。同じくらい(・・・・・)、狂三さんのことが好きです……!!」

 

「同じ……?」

 

 少女は、理解しきれなかった――――――人に向けた感情はそれぞれ、違う。少女にさえわかるものだ。果たして、人間の根源的欲求の数々が――――――恋と友愛は、釣り合うものなのだろうか。

 

 

『――――――場合によっては、劣らないと思いますよ』

 

「……!!」

 

 

 本音だ。四糸乃の言葉は、間違いなく心の底からのものだ。狂三が相手だから(・・・・・・・・)、嘘偽りのない思いを――――――たとえ少女が相手でも、そうであったのかもしれないけれど。

 そして、言葉はなお続く。

 

 

「だから、ついて行きます(・・・・・・・)。士道さんと狂三さんが創った世界で、大好きな皆さんと――――――置いていかれないように、胸を張っていきます……!!」

 

『まあ、狂三ちゃんたちの場合、置いていかれるより無理やり連れていってくれそうだけどねー。――――――心配しなくても、よしのんたちも欲張りさんだよ』

 

 

 ――――――皆が一緒に。

 恋に劣らぬ友愛で。友愛に劣らぬ恋で。人の感情が誰かを排することなどなく。それは少しばかり歪なのかもしれないけれど――――――与え合う愛の形。

 

『――――にしても、どったの狂三ちゃん。士道くんハーレムに物申す! みたいなこと聞いちゃってさー。確かに狂三ちゃんの比重は大きいだろうけど、士道くんはそこのところわかってよしのんたちのこと見てくれてるよん』

 

「……いえ。少しばかり、記憶が混濁しているようですわ。すぐに戻るとは思いますけれど」

 

『えぇー! それを早く言ってよー。じゃあビシッと言っちゃおう。みんな、狂三ちゃんのことが大好きで、狂三ちゃんもよしのんたちのことが好き! ね、四糸乃』

 

「うん……!」

 

 だから共にある。だから繋がっている。だから時間を共にする。

 

 

「なるほど――――――」

 

 

 美しい考え方だ。そして、夢物語のお話だ。だけど――――――

 

 

「ええ。ええ。誰かが欠けてしまうことが耐えられないのは、わたし(・・・)も同じですわ」

 

 

 大切なものを手放さないことの想いを、少女は理解している。

 だから、幼き(・・)笑顔を返す。

 

「ありがとうございます、お二人とも。――――――我が儘を押し通した甲斐が、ありましたわ」

 

「い、いえ。上手く答えられて、よかったです」

 

『うんうん。まま、狂三ちゃんの我が儘にはなれてるからねぇ』

 

「……それはそれで、どうなのでしょう?」

 

 曖昧に笑う少女に、二人が不思議そうに首を傾げた。

 

「なんでもありませんわ――――――四糸乃姉様」

 

 なんてことはない――――――こちら側(・・・・)の呟きだと、少女はただ微笑みを浮かべ帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま戻りましたわ」

 

「ただいま、です」

 

『よしのんのご帰還だぁー!!』

 

 

「おかえり。四糸乃も一緒だったんだな」

 

 何事もなかった風を装い、玄関先で三人を出迎えた士道。当然、放っていた目で知っていたことも知らぬ振りをしておく。

 控えめながら、やり取りに慣れた四糸乃と相変わらずムードメーカーなよしのん。精霊マンションの存在があったとしても、士道の家に『ただいま』と言ってくれるのは嬉しく、士道の『おかえり』に笑顔を見せる四糸乃にさらに嬉しくなる。

 

「はい士道さん。お約束の品ですわ」

 

「お約束って言っても、あなたがいきなり出ていっただけじゃない……」

 

「よいではありませんの。たまには、というものですわ」

 

「あなたの気まぐれはたまにじゃないから困るのよねぇ」

 

 買い物袋を士道へ渡しながら、同じく出迎えにいた琴里と変わらぬ(・・・・)やり取りをする『狂三』――――――そう、知っていなければ(・・・・・・・・)できない。

 四糸乃との会話。今朝からの違和感にならない違和感(・・・・・・・・・・・)。士道は膝を折り、彼女の顔を覗き込むように視線を合わせた。

 

「っ……士道、さん?」

 

 紅潮した頬。幼さを押し出す小柄な体躯。僅かな動揺。しかし、そこに含まれた士道への感情は――――――

 

 

「――――――()、は……」

 

 

 意識などない。感覚、直感。士道の奥底で時を刻む天使が告げる不可思議な音。

 ただ、そう問わねばならない気がしたのだ。驚いたように目を丸くした少女が、フッと笑みを浮かべたことで、予感から確信へと至る。

 

「……くっ、ふふ。どうやら、ここまでのようですわね」

 

 それは、その笑みは狂三のものではない。まるで、鏡を見たような(・・・・・・・)笑み。

 そうして一瞬、硬直した士道――――――

 

 

「――――――答えは、いつの日かあなた方(・・・・)の口から、きっと聞くことができますわ」

 

 

 その頬へ(・・)口付けを落として、少女は走り去っていった。

 

「あ……!!」

 

「っ、待ちなさい!!」

 

 咄嗟に追うことのできない士道の代わりに、琴里が走り出して後ろ姿を追いかける。直後に士道、何事かと目を剥いた四糸乃も続くが――――――

 

「な……いなくなった……?」

 

「…………」

 

 玄関口を過ぎ、小さな身体を隠す僅かな塀へ向かって曲がった少女の姿は、誤差と称することの出来る間にて消え失せていた。

 どういうことだ、と訝しむ一同。その中で、士道だけは眉を揺らし〝彼女〟を察知した。

 

「狂三……」

 

「え!?」

 

 士道の声に反応した琴里が声を上げ、辺りを見渡す。どこに、と士道へ問うより先に結果はあっさりと現れる。

 ――――家の前にゆっくりと一台の車が止まり、その後部座席から渦中の人物が優雅に降り立った。

 

 

「あら、あら。士道さんに琴里さん、四糸乃さんまで。このような車道の前で、如何なさいましたの?」

 

 

 出迎えにしては、あまり褒められた位置ではありませんわね。肩を竦め、軽いお洒落に小綺麗な買い物袋を携えた狂三はそう言葉を発した。

 三人とパペットが一人。互いに何度も顔を見合わせ、再び狂三へと視線を向ける。すると、その反応の意図が読み切れなかったのか、狂三は逆に不思議そうな声音で返してくる。

 

「……本当に、如何なされましたの?」

 

 わけがわからない。いや、こちらの台詞ではあるのだけれど……と全員が困惑する中、琴里が代表してスっと片手を上げた。

 

「ねぇ、狂三。あなた、今日はどこに行ってたの?」

 

「見ての通り、ショッピングですわ。今朝早くから未零と令音先生に誘われましたので、これから先の季節へ良い機会だと思いましたの。都合よく誘えたお方も、見事コーディネートして差し上げましたのよ」

 

「都合よく誘えた?」

 

 運転席と助手席から軽く手を振る姉妹に手を振り返しながら、ふふんと可愛らしく得意げな狂三へ士道は疑問の声をあげる。狂三と未零と令音、それに誰かいるということになる。

 

「では、皆様にお見せいたしましょう。――――――いつまで隠れていらっしゃいますの?」

 

 狂三の声掛けに、人の驚きとしては大きめのビクッ、とした動きに車が揺れた。……それだけで、誰なのかは容易く予想ができるものである。

 

「……は、恥ずかしいから、このまま帰りたいんだけど……」

 

「そこで『似合わない』と仰られない進歩に、わたくしは感動を覚えますわ」

 

「覚えられても困るんだけ――――――にゃあっ!!」

 

 思いっきり噛んだのだろうか。狂三に抱えられた小動物が美しい放物線を描き、士道たちの前に着地した。

 

『おぉ……』

 

「わぁ……」

 

「……うぅ」

 

 兄妹の感銘が重なり、四糸乃が彼女の煌びやかな装いに手を合わせ声を上げる。

 恥ずかしげにスカートを握り、シワになることを防ぐためか次いで顔を覆った少女の装いは、本当に煌びやかなものだった。付け加えるのであれば、以前彼女にもたらしたコーディネートは彼女の年相応に合わせたものであったのだが、今目の前にあるものは彼女――――七罪を大人っぽく(・・・・・)魅せる見事な手腕だと言うべきものだった。

 その感銘に満足を得たのは、そのコーデを見繕った一人、狂三であった。ポンと手を叩き、いい笑顔を声を発した。

 

「七罪さんも来年には高校生ですわ。少しばかり先取りをし、楽しんでおくのも悪くないと思いましたの」

 

「体のいい理由付けて、やっぱり狂三の趣味じゃない! 恥ずかしいし、まだ気が早いわよ……」

 

「そんなことありません……!」

 

「ひゃっ……」

 

 四糸乃が両手で顔を覆った手を取り、七罪が素っ頓狂な声を上げる。ちなみに、よしのん側は器用に口部分で七罪の手を咥えている。

 

「とっても、似合ってます! 本当に素敵です……!!」

 

「……そ、そう? えへ、へへへ……」

 

 いつになく押しの強い四糸乃に圧倒され、何より仲が良く、嘘をつけない女神のような四糸乃の褒め言葉だったからなのだろう。七罪が満更でもなさそうに相好を崩す。狂三も言っていたが、なかなか目に見えた成長で士道までもが嬉しくなる。

 狂三が「今度は四糸乃さんや六喰さんもご一緒にお出かけしましょう」など仲睦まじい会話を交わす中、温かな気持ちに包まれていた士道を琴里が現実に引き戻した。

 

「ちょっとちょっと、癒されてる場合? あの『狂三』のことは……」

 

「あ、や……忘れてないさ。……忘れては、ないんだがなぁ」

 

 そう琴里へ返し、士道は困ったように頬をかく。恐らく、あの少女が見つかることはもうないだろう。そんな予感からだった。

 今朝方には感じなかった――――――正確には、感じることができなかったもの。言葉として曖昧ながら、それは士道にとって明確な違いだった。

大人の姿で(・・・・・)、士道の狂三への感覚を誤認させる。分身体では決して行うことのできない御業だ。

 

「……まさか」

 

 それこそ、士道が〝まさか〟と言いたくなる予感。

 違和感にならない違和感。己の中で、敢えて意味を持たせるとすれば、それは常に身近にある感覚。故に気がつくことができないもの。

 

自分が自分へ感じる感覚(・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――まさか、なぁ?」

 

 

 楽しげに微笑む狂三――――――あの少女の笑みはとてもよく似ていた。

 似ているだけなら良い。しかしあの笑みには確かに士道の――――――えもいえぬものを感じ、士道はそれを表情に貼り付けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……それで、満足いく答えは得ましたか?」

 

「半々ですわ。思考としての納得は、しかねますわねぇ」

 

「……彼女たちの過程を知らず、彼女たちの答えだけズルをして得ればそうなるでしょうね」

 

「う……何だかトゲがありますわ」

 

「我が儘に付き合わされる身になればわかりますよ。安芝居まで見せられましたし」

 

「し、仕方ないではありませんの! せっかく七罪姉様から指導していただいたというのに、元の姿に戻ってしまったんですもの……元の姿にも細工をしておいて助かりましたわ」

 

「加えて、私の天使があってよかったですね。まあ、用意してあれでは〝よかった〟とは言えない0点の芝居ですけれど」

 

「道化師様は演技元に対しての贔屓が過ぎますわ……」

 

「なんとでも。あなたを一人で来させないで正解でしたよ。ほら、帰りますよ。こっぴどく叱られにね」

 

「……うぅ、やはり道化師様に見つかったのは失敗でしたわ」

 

 得たものはあったが、わからないものがほとんどだ。

 それでも少女は頬笑みを浮かべ、矛盾した結末に言霊を残した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、いつかわたし(・・・)と会いましょう――――――お父様、お母様」

 

 

 

 




「……急な誘いは、君にしては珍しいね。藪から棒じゃあないか」

「……まあ、あれです。珍しい相手から頼まれ事をされたので、引き受けようと思ったまでですよ」




本当は書くつもりなかった。二次創作を書く作者としてはナンセンスだと言わざるを得ないというか、でも過去と現在を扱って未来を扱わないのもナンセンスというか。そして頂いたネタが悪魔合体した結果というか。面白いかどうかの是非は私の視点ではわかりかねるので皆様に委ねます。
正直、想像におまかせしますとしたかったんですよね、このネタ。本編の後は必ずハッピーエンドですと太鼓判を押していますし。なので、今回登場した少女も細かいところはかなり曖昧にしています。一応私の中で設定はありますけど明かすつもりはないです。それこそ、ご想像におまかせします。母君と違ってカラコンくらいは付けられる程度のことは教えてry

普通に誤魔化しを貫通してきそうな面子はちょっとした依頼で解決しています。初見の戸惑いで士道は誤魔化せてもあの演技で七罪の目は誤魔化せないかな……。実際、登場人物を誤魔化せたのは『まあありえないでしょ』という先入観です。それがなけりゃ天使でも誤魔化せるもんじゃありません。それでも来てしまったのは……この膨大と言っていい積み重ねの上に成り立つ関係の不思議さを、理解したかったのかもしれませんねぇ。

ちなみに二度は書きません。触れません。本編上でも半パラレル扱いと思ってください。いつかの明日、いつか先にある夢が叶い、出会うことがあれば。そんな幕間のイマジナリーなお話でした。



残すは三話。

EXTRA TIME 『そして、悲劇は終わる』

狂三if。ありえならざる世界の物語。終わる悲劇の中で、救われぬ少女の後語り。

感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございます!いつでもお待ちしておりますー。また期間が空きはしますが、必ずお届けいたします。次回をお楽しみに!!


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狂三イマジナリー
『そして、悲劇は終わる』


 ――――――痛みなど、慣れていた。

 

 ――――――悲しみなど、とうに過ぎ去った。

 

 ――――――悲劇の涙など、全て枯れ果てた。

 

 身を引き裂くような絶望も、いつか己を滅ぼす悲しみも、やがては穏やかに消えていくもの。適応、或いは摩耗と呼ぶものなのでしょう。

 怒りは己へ還り、他者より与えられた狂気は、同じように誰かへと与えるものとなるのでしょう。だけど、これは己のものだと抱え、忘れず、ただ歩き続ける愚か者がいたとしたならば。

 そうして、狂った者は生きていく。どうしようもない空虚で満たされぬ心を抱え、人の構造に抗いひたすらに絶望を刻み続けて生きていく。

 

 心を砕くことを許さず。

 

 膝を折ることを許さず。

 

 思考を止めることを許さず。

 

 抗う。抗う、抗う、抗う、抗う。抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って――――――『時崎狂三』という精霊は生誕してしまった(・・・・・・)のでしょう。

 それが世界にとって幸か不幸か。その是非を、わたくしは持ち合わせていませんわ。

 それがあの方たちにとって幸か不幸か。その是非は――――――きっと、出会うべきではなかったのでしょう。

 

 出会わなければよかったのです。共にあるべきではなかったのです。牙を抜かれた復讐者に、一体何の価値が残るのでしょう。

 ただお互いが不幸になるだけ。ただ互いの気持ちがぶつかってしまうだけ。その先にある結末を、あの方たちは受け入れられません。なぜなら、『時崎狂三』は諦めを知らない――――――諦めという言葉を、心という炉に焼べて捨ててしまったのですから。

 優しさを以て、『時崎狂三』に接する。それはなんて、救われない選択なのでしょう。素直に恨むことが、真っ直ぐに敵視することが、ただ敵なのだと断ずることが、心を救う方法。

 

 友を救わんとして、友と呼べたかもしれない者たちの心を撃ち抜く。これを救いようのない愚か者と呼ばずして、何と称するものなのでしょう。

 

 

 

 

 

 人はいつか、忘れるもの。

 

 時間は優しく、忘却という救いをもたらす。

 

 時間は厳しく、忘却という悲劇をもたらす。

 

 忘れ得ぬと思う記憶と、憎悪。それさえ、新たに刻み続けなければ散らされてしまいます。刻み続けなければ、わたくしはわたくしの道を歩むことができなかったのです。

 だけど、そう、けれど――――――この想いだけは、忘れさせてくれないのでしょう。

 身を焦がすなど生ぬるく、身を狂わすことでさえ足り得ない。甘ったるく、忘れてしまいたい少女の残骸。骸と化した夢、その成れの果てなのかもしれません。

 

 生涯、忘れることはありません。忘れさせてはくれません。幾年もの間、絶望に身を委ねた『時崎狂三』の記憶に勝るほど、たった一年の幸せは記憶ではなく心に刻まれてしまいました。

 

 嗚呼、嗚呼。繰り返しましょう。繰り返してしまいましょう。忘れることなどできはしません。忘れさせてなどくれないお方。

 

 愛しています、誰より。

 

 お慕いしております、時の果てまで。

 

 ――――――好きです。もし許されるのなら、生まれ変わりというものがあるのなら、またあなた様の手を取らせてください。

 

 だから、その心を利用して、その心を踏み躙った少女の行く末は――――――残るものは果たして、人間と呼べるものなのでしょうか。

 

 そこにあるのは精霊では、ましてや人間ではないのかも……しれませんわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 煌々と照り付ける夕焼けが沈み行き、粛々と光を穏やかなものへと変える。宵闇が支配する時間へ近づきつつある世界。

 時崎狂三にとって、これから生み出される星空など一つの現象でしかない。幾つもの星々、光の輝き。そこに人の意志など干渉し得ない。ましてや、その光が失われた生命を示すものと能天気なことを考えるなどありえない。

 知っているからだ。失われた、失われる生命の数々を。犠牲にしてきた者たちの全てを。知らぬ間に失われた、彼らの時間を。

「――――士道さん」

 

 故に――――――狂三が銃を下ろすことなどあってはならない。

 過去を『なかったこと』にするためにも、犠牲を『なかったこと』にしてはいけない。

 鋼の意思で銃を掲げ、少女を殺す決意を以て悪を成す。

 

 

「その命――――わたくしに、捧げてくださいまし」

 

 

 全ては、己が〝悲願〟を貫くために。

 貫き通した道の先で、少女が得た〝今〟の全てを犠牲にしようとも。

 『時崎狂三』は必ず、世界を変えるのだ。

 

 少女と少年の望みは、叶わない。初恋は実らないというけれど、これほどのものはないだろうと狂三は場違いな微笑みを浮かべてしまった。

 どうして笑えるのか。どうして心が死に絶えないのか。

 もう既に、少女の心など残っていないからか。もう既に、決意の先を過ぎてしまったからか。

 どうなのだろう。どうであるのだろう。どれも、外れている気がした。

 少年の表情はわからない。暗がりを照らす光はあるというのに、見たくない(・・・・・)。だって、わかってしまうから。理解してしまえるから。

 共にいたのだ。恋を知って、愛を手にして。お互いのことを、誰より理解してしまえたから。その願いは相容れなくても、その心は相容れることができたのだ。

 

 だから、わかる。少年の心、少年の考え。銃口を向けられ、だけど恐怖など存在しない彼は酷く()だった――――――狂三が言えたことでは、ないけれど。

 

 そうして、

 

 

「――――うん。俺の全部、狂三にやるよ」

 

 

 五河士道から返された答えは、戦争(デート)の終焉を奏でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 わかっていた。いずれ、こうなる運命なのだと。

 

「…………」

 

 一歩、士道が足を踏み出した。

 

「……」

 

 銃を下ろし、狂三はそんな彼よりも早く足を踏み出していた。

 一歩、また一歩と歩み寄る。もとより、あまりに近い距離だった。心と願いという壁が消え失せた今となっては――――――二人が触れ合うのに、幾秒と使うことはなかった。

 

「……ごめんな」

 

 互いを抱き合う行為の中、士道がぽつりと言葉を紡いだ。それは、状況を鑑みれば本当におかしいとしか言えないもので、狂三は思わず吹き出してしまうそうになる。

 どうして、彼が謝る必要があるのだろう。悪いのは、狂三でしかないのに。

 

「おかしなことですわ。あなた様が謝罪なされる必要が、一体どこにあるというんですの?」

 

「俺は――――――」

 

 強く、より強く抱き締められる。痛いくらいに抱き締められているはずなのに、温かさしか感じないのは何故だろう。

 全ての後悔を吐き出すように。ありもしない己の罪業を告白するように。士道は声を発した。

 

 

「俺は……、君を――――――救えなかった」

 

 

 なんて――――――愛おしい。

 

「救いたかった。救うって、約束……したのに……俺は狂三が救えるだけの〝答え〟が、見つからなかったんだ……っ!」

 

 狂三を抱き締める士道の顔は、狂三からは見えない。だけど、見えなくても……やはり、わかってしまうものだと狂三は寂しさと悲しさを表情に映し出す。

 狂三の答えは、正しいものではない。決して、それだけはありえない。

 どれだけの時間、どれだけの幸せを奪い取ったことだろう。

 

 そこにあるはずだった幸福を。

 

 そこにあるはずだった人生を。

 

 そこにあるはずだった現実を。

 

 その果てに、世界を変える。全てを『なかったこと』にしてみせる。世界をあるべき姿に変えた先で――――――時崎狂三は、全ての罪を背負う。『なかったこと』になどならない罪は、狂三を永劫に渡り裁く。

 それを士道は悲しんでいる。嘆いている。自らの力が足りなかったと。自らの運命ではなく、時崎狂三の運命を嘆く。

 どこまでも、彼は士道だった。彼女たちが愛する五河士道だった。誰より優しく、誰より勇敢で、誰より精霊を愛し――――――これから狂三が奪い去る、この世に二人といない少年だった。

 

「それなのに、おまえになら……殺されたって構わない。そう、思ってる自分がいる。それで、狂三の願いが果たされるなら、って。ごめん……っ! ごめんな、狂三……!!」

 

「本当に――――――お優しい人」

 

 温かな体温。寒空さえ感じさせぬ人の温もり。これから、これより先へと至る時間。永劫に感じることはなくなるであろう人の温かさを、狂三は激しく抱き返した。

 

「……何も気にすることはありませんわ。わたくしは、誰にも救えぬ〝最悪の精霊〟。ええ、ええ。それでいいのですわ。一体誰が――――――これほど血に塗れた女を、救うことができるというのでしょう」

 

「……ッ!!」

 

「わたくしは、この結末を望んだのですわ」

 

 狂三が望んだ戦争だ。狂三が望んだエゴだ。できないのなら、初めからこの道を選ぶことなどしていない。

 もう、弱い少女は晒さない。精霊に成り果てた怪物は、少女の恋心を殺し尽くした。

 

 嗚呼、嗚呼。初恋は、実らないものというけれど――――――最低で最悪の失恋だろう。

 

「ですから、謝りは致しません」

 

 それは、狂三の願いを受け入れた士道に対する冒涜だ。

 『時崎狂三』は、後悔を口にしてはならない。

 

 

「だから、ありがとうございます、士道さん。わたくしの〝悲願〟への道を切り開いてくださったのは、あなた様ですわ。紗和さんを、幾つもの命を返すための道。そのために、このような公平でない賭けに、嘘偽りなく挑んでくださった士道さんを――――――愛していますわ」

 

 

 愛してる。誰よりも、世界よりも、愛している。

 

 愛して、いるから。

 

 

「わたくし――――――士道さんを殺しますわ」

 

「ああ。狂三がいい――――――狂三じゃなきゃ、嫌だ」

 

 

 きっと、この愛は何よりも歪んでいる。

 

 初めての恋は、二度と巡らぬ愛は――――――この最後のデートを以て、罪人の中へと永遠に刻まれる。

 

「……すぐに、行くのか?」

 

「あなた様の覚悟次第、ですわねぇ」

 

 返す言葉は意地が悪く、狂三自身が笑ってしまうくらい悪役模様だ。士道が苦笑を浮かべる雰囲気がありありと伝わってくる。

 その中で、士道の腕の動き、言ってしまえば抱き方(・・・)が変わる。それまで、強く手放さないためのものだったものが――――――愛でる、それは。

 

「なら、最後に頼みがある」

 

「……なんでしょう?」

 

 わかりきった答えへの返しとしては、及第点。これは受け答えをすることに、意味があるものだから。

 

 

「一瞬でいい。ほんの少しだけでいい――――――狂三が、欲しい」

 

 

 けれど、その願いに言葉は不要だった。

 

 逞しい少年の指に、己の華奢な指を絡ませる。それだけで、十分だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 通されたのは、簡素な一室だった。

 

「…………」

 

 とはいえ、廃ビルを再利用した拠点の一つと考えれば、かなりしっかりとしていると言えるものだろう。事実電気は通っており、掃除も行き届いている。窓にはカーテンが引かれ、簡素なベッドがぽつんと置かれていた。

 状況を把握し、慣れた呼吸を挟む――――――いつもであれば緊張を吐き出すそれは、機能したとは言い難い。

 それも、当然なのかもしれない。だって士道は、緊張などしていない(・・・・・・・・・)のだから。

 

「……ろくでなしだな、俺」

 

 そのことに、否、それだけではない全てを自嘲し、士道は懺悔のように沈黙の中で言葉を落とした。

 当たり前、というべきか。霊装を解き、少女(・・)の装い――――士道が最後に見る狂三という少女の姿を見せる彼女は、またおかしそうにくすりと笑った。

 

「あなた様がろくでなしならば、わたくしはひとでなし(・・・・・)ですわね。〝最悪の精霊〟を、人と呼称するのであれば、ですけれど」

 

「いつも思ってたけど、おまえって人に誤解されるように一言付け加えるよな」

 

「あら、あら。場にそぐわぬ指摘でしてよ?」

 

「そりゃ失礼。――――――人間だよ、狂三は」

 

 少なくとも、士道の前では――――――士道にだけは、そうであってほしいと願う。

 世界に疎まれる怪物ではなく。これから世界を変える。歴史を(ゼロ)に戻す精霊でもなく、士道を愛した少女でいてほしい。

 これは士道の願いだ。願いを、約束を、己の信念を捻じ曲げた士道に残された今だけの願いだ。

 

 わかっていたことだ。恐らくは、狂三と同じことを考える。士道が【一〇の弾(ユッド)】という回顧の力で全てを知り、全てを体験したその時、士道に抗う術などない(・・・・・・・・・・)ことは。

 理解していないはずはない。答えを持たぬ五河士道が、『時崎狂三』の決意と想いの情動を受け止め、無事でいられるはずがない。それを知りながら、士道は最後の戦いを挑んだ。これまでの記憶(思い出)が、狂三との出会いが、『なかったこと』になるという事実を知りながらだ。

 そうして、士道は狂三の衣服に手をかけた。

 

「っ……」

 

 僅かながら、狂三が息を呑む。だが、抵抗はない。

 当然の権利だ、そう言っているかのように。抵抗の権利はない。そう主張しているようだった。

 今は、それで構わない。手を、指を動かし続ける。世界で一番の輝きを誇る宝石を、決して壊さぬよう、穢さないように。

 下には士道が選んだ黒の下着が顕になって――――――

 

 

「――――――――――」

 

 

 あまりの美しさに、言葉を失うことしかできなかった。

 美しかった。その言葉しか現れなかった。人は、本当に目を奪われるものを見て、言葉が少なくなってしまうものなのだろうか。

 少女の裸身は、劣情より先にある崇敬、果てはその先でさえ思わせる。気づけば、その白い肌に触れ、後ろ手のベッドへ狂三を押し倒していた。

 潤む瞳と赤に染まった頬は、士道にされるがまま、むしろ行為を促しているようにさえ思えた。

 

「――――――構いませんわ」

 

 事実として、そうなのだろう。僅かに残された士道の理性を撃ち抜くように、狂三は男の下で無防備に裸身をさらけ出し、蠱惑の声音を発した。

 

 

「何を、望もうとも。わたくしの霊力(いのち)以外の全てを。どのように残酷な行為であろうと、身を焦がす欲であろうと――――――あなた様に、捧げますわ」

 

 

 少女を照らすものはない。あるものは、少女を遮る士道の影だ。

 それでさえ、美しい。それでさえ、極上。身を滅ぼすはずの少女が、全てを受け入れる慈悲の女神のようにさえ、思えた。

 この精霊を、今から抱くのだ。冥土の土産、という比喩表現が人の言葉にはあるが、本当の意味で体験をすることになるとは考えたこともなかった――――――というのは、男として嘘になってしまう。

 だから、士道として(・・・・・)望むものは、たった一つだ。

 

 

「――――――忘れないでくれ」

 

「……え」

 

 

 潤んだ瞳に動揺の色が浮かぶ。それでも、五河士道は呪いをかけた(・・・・・・)

 

 

「忘れないでほしい。君を好きでいた男のことを。一生(・・)、覚えていてくれ。君だけが、全てを――――――今の俺(・・・)は、君しか覚えていられないから」

 

 

 これはそのための儀式。刻ませてほしい。彼女の肉体に、心に、彼女の全てを愛した男がいたということを。

 

 

「君しかいない。君がいなくちゃ、俺がいたことを証明できない。だから、君だけは忘れないでくれ――――――時崎狂三。この先に何があったとしても、俺が君を好きなことを」

 

 

最後まで(・・・・)

 

「ぁ……」

 

「――――――――」

 

 涙が、零れた。紅色の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。

 それは美しくも悲しく。儚くも確かに――――――

 

 

「……泣いてるところを見るのは、嬉し泣きだって決めてたのにな」

 

 

少女(くるみ)がそこにいる証だった。

 

 これは、呪いだ。

 

「ごめん、なさい……っ!!」

 

 狂三を生かす、最悪の呪い(・・・・・)だ。

 

「わたくしは、必ず! 必ず、世界を変えてみせますわ!! あなた様の、皆様の生きる世界を……!! 絶対に、絶対に、やり直して――――――!!」

 

「うん。狂三なら、できる」

 

少女(くるみ)は、ここで死ぬのだろう。二度と、世界に現れることはないのだろう。

 だけど、士道は呪いをかける。今ここにある五河士道だけに許された呪いを。(ゼロ)に還る世界の士道では、きっと成すことのできないことを。

 

 どんな形でもいい。彼女にどんな苦難が待ち受けていようと構わない。たとえ、この恋が実ることがなかったとしても。

 

 

「さようなら、士道さん」

「さようなら、時崎狂三」

 

 

 ただ、『時崎狂三』が生き続けることを、望んだ。

 

 

 

 

【――――】

 

 

 その祈り(呪い)が届いてほしいと、士道は最後に願ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 少女の〝計画〟は、実現する。

 

「…………………………ああ」

 

 だが、少女の長い長い沈黙から放たれた小さな声音は、計画の成就への歓喜が溢れるものではなかった。

 ローブの下で眺める街並み――――――もはや、街とは言えない。

 そこに景色はなかった。そこに輝きなどなかった。あるものは塵と化し、あるものは風に消え、あるものは焦土と化し、あるものは――――――そこにあるものは、世界に対する憎悪。行き場を失った憤怒。世界を殺すことでしかやりどころのない絶望。

 

 

「反転――――――したんだね」

 

 

 決着がついた。かつて少女が予見した結末そのもの。女王は最後までカードを手放すことなく、後戻り出来ぬ悲願へと。

 少年の命に、彼女たちに残された霊結晶(セフィラ)が呼応し、反転し、残された僅かな霊力を無尽蔵に膨れ上がらせる。何故ならば、それは〝恋〟であるから。

 

 たとえ歪んでいようと、原初の存在が得た心と同じものであるから。

 いや、それ故に必然なのかもしれない。

 

「……ねぇ、私の神様」

 

 始まりに恋を得て、恋故に愛を知り、愛のために全てを捧げた我が創造主よ。

 

 

「これで、満足?」

 

 

 本当の望みは、果たされる?

 

「…………」

 

 返されるものなど、未だ止まぬ負の霊力たちと少女の沈黙のみ。

 人間が想像した景観は怪物の前に崩れ去り、怪物は世界を殺し尽くすまで止まりはしない。ああ、しかし大した問題にはならないだろう。

 

 そもそも、この世界は失われる(・・・・・・・・・)のだから。

 

 白の翼を羽ばたかせ、少女は飛び立つ。大手を振って姿を現せるというのに、存外に心は沈んでいた。

 

「……どうして、でしょうね」

 

 少女の願いが叶うというのに――――――なぜ、こんなにも虚しさを感じてしまうのか。

 名も無き少女は、終にその〝答え〟を得ることはなかった。

 

 

 

 程なくして、彼女の姿を見つけた。不思議なことに、彼女の立っている場所は滅びることなく物質が残されている。

 やがて明ける冬に蕾を咲かせんとする木々たち。その場所が原因なのか、或いは彼女自身がそこに在るからか。どちらも、ということもありえるかもしれない。結局、少女にはわかりえない、関係のない話ではあったけれど。

 翼を光へと還し、少女は降り立つ。景色が残されているといっても、街中を襲う霊力光はここから視認できるほど。彼女に見えていないわけがない。少女の接近に気が付かないわけがない。

 しかし、彼女は微動だにせず背を向けていた。血溜まりを浴びたように紅い霊装を靡かせ、射干玉の髪を煌めかせる。唯一無二の精霊がいた。

 少女が見紛うはずがない。少女が違えるはずがない。ああ、ああ。でも――――――

 

 

「……狂三?」

 

「――――――――――――――」

 

 訊かずには、いられなかった。

 振り返るその姿へ、問わずにはいられなかった。

 

 だって、そこにいたのは、

 

 

「――――――ああ、ああ。あなたでしたの」

 

 

 一人の修羅(・・)だったのだ。

 

両の眼(・・・)に人ならざる異形の黄金を抱え、螺旋した時を奏でる。

 精霊であることを示す霊装は、全てが紅く(・・・・・)。まるで――――――永劫に忘れ得ぬ人の返り血を染み込ませたように。

 

 少女を表すもの。少年を愛した少女のありとあらゆるものを影へと消し去った狂気の修羅。

 

 完成された『時崎狂三』が存在していた。

 

 

「――――――綺麗ですね、我が女王」

 

 

 この世の倫理から外れた美しさに、気づけば少女はそう告げていた。

 ああ、だって、仕方がない。本当に、そう思ってしまった(・・・・・・・・・)のだから。

 そうまでして己の悲願を貫き通し、自らが奪い去った大切な人の幸せを取り返すため、己の幸せと大切な人を犠牲にする矛盾行為。まるで正しさなどない道を往く愛しき女王が――――――心から、好きだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女なら、来ると思っていた。

 

「……久方ぶりの再会に告げる言葉が口説き文句とは、お変わりありませんのね」

 

 ふっと微笑む――――――微笑みが歪でないか、狂三は自らを不安視してしまった。恐らくは、目に見えない少女の微笑みの方が、余程綺麗なものなのだろう。

 とんだ、皮肉だ。彼から受け取ったものが多々ある。数々のものを磨き、そして愛を囁かれた狂三。そんな狂三が狂三と呼べるものは、もうその名しかない。

 彼から似合うと褒められ、歓喜を噛み締めた色も。

 彼を映すために残されていた少女の瞳も。

 何も残されてはいない。二重奏を奏でる両眼は、人が見ようものなら美しいなどと到底言えたものではないだろう。

 

「その方がらしい(・・・)でしょう? 愛しき、我が女王」

 

 けれど、少女だけは。終ぞ少女(くるみ)と心を通わせることのなかった『時崎狂三』の従者だけは、心の底からそう告げているように思えた。

 楽観なのかもしれない。現実からの逃避なのかもしれない。だけど、そう思えてしまった。そう思いたかったのかもしれない――――――これから犠牲にする少女に対する負い目を、なくしたかったのかもしれない。

 

 

「ええ、ええ。その通りですわ、その通りですわ。あなたは最後まで、変わらない。そういう〝契約〟でしたわね」

 

「はい。時の果てまで、私はあなたと共にある。あなたが神様に逆らうというのならば――――――運命(かみさま)を討ち滅ぼす力へと、私がなりましょう」

 

 

 名も無き天使は、そうして輝き(・・)を解き放った。

 契約の天使。両の手で支えるように、小さな宝石を――――――かつて、罪を背負った少女が『正義の味方』から授けられた時の再演。

 異なるものがあるとすれば、その『正義の味方』と同じ(・・)であるはずの少女は、本当にその力を授けるため〝だけ〟に与えようとしていることか。

 圧倒的な輝きを放つ黒く染った白(・・・・・・)霊結晶(セフィラ)。まだ取り込んでもいないというのに、霊子の鼓動が心音を増す。まるで、己の裡に秘められた輝きと共振しているかのようだった。

 

「…………」

 

 舞台の再演。なんという皮肉があろうか。

 過去を喰らうため、過去を繰り返す。少女が相手でなければ、否、少女が相手であっても正気を疑うものだ。

 また繰り返すのか、と。悲劇を、過ちを――――――違う。悲劇を終わらせる(・・・・・)ため、狂三はここまで進んできた。

 数々の未来を踏み躙り、数々の想いに背を向けて。そして、自らを想う少女さえも犠牲にしようとしている。

 悪鬼羅刹。最悪の精霊の名に恥じぬ所業。構わない、構いはしない。

 それで悲劇に終止符が打たれるというのなら。

 奪ってしまった命に報いることができるのなら。

 皆が暮らす、幸せな世界があるというのなら。

 

 『時崎狂三』に、迷いなど存在しない。

 

「……」

 

「……」

 

 互いに歩み寄る。手を伸ばせば届くであろう距離――――――それが、女王と従者の境界線(ボーダーライン)

 精霊〈ナイトメア〉と〈アンノウン〉という、絶対的な線引きだった。

 

「……これが本当に、あなたの望んだ結末ですの?」

 

 『時崎狂三』は新たな世界を創り出す。そこに、精霊の居場所はない(・・・・・・・・・)

 始原の精霊。そこから全ての因果が始まった。狂三の予測が正しければ、もはや言い訳のしようがない。精霊〈アンノウン〉とは、即ち――――――

 

 

「……うん。これが、私の望み(・・・・)。『私』たちの願い」

 

 

 少女は、狂三の問いかけを肯定した。真っ直ぐに、真摯(・・)に。

 

「……これで、いいんだ。『私』の希望(絶望)は、ここで終わらせなきゃいけない。『私』が自覚しているのかまではわからないけれど、それができるのは君だけだよ、『時崎狂三(・・・・)』。どうか――――――『私』の身勝手な願いを、叶えてほしい」

 

「無論ですわ。そのために、わたくし(『時崎狂三』)は存在を許されているのですから」

 

 全ての因果を断ち切るため。精霊という存在を『なかったこと』にするため。

 その始原の精霊がどう考えていようと知ったことではない。狂三は狂三が失わせてしまったものを正しい過去へと書き換える。書き換えてみせる。

 

 極小の極光へと、指先を触れさせた。

 

「――――――!!」

 

 刹那、驚異的な霊子の循環が狂三の身体を駆け巡る。今までとは比にならない、ある種の全能感ともいえる絶大な感覚。

 

 

「〈刻聖帝(ザフキエル)〉――――【一二の弾(ユッド・ベート)】」

 

 

 ――――――飛べる。

 確信があった。狂三を縛り付けていた制約、世界の理。因果の鎖を粉々に撃ち砕く力がある。霊力がある(・・・・・)

 銃を手にした。決して離すことのなかった銃を手にし、窮極への進化を果たした天使を使役する。

 

 

「ここからは――――――〝私〟の望み」

 

 

 極光の中、その声を聞いた。

 

 極光の中、少女は崇宮澪と同じ貌で笑っていた(・・・・・)

 

 

 

「生きて、狂三」

 

 

 

 全ての履歴が消え、少女が生きる事実は消失する。

 その中で、少女はようやく本当の目的を告げた。

 

 

「〝私〟が望む、たった一つのこと。〝私〟があなたにしてあげられる、唯一の祈り。――――――ありがとう。何もなかった〝私〟に、願いをくれた人」

 

 

少女(くるみ)の成れの果てが、手を伸ばした。

 

 

 

「――――――さよなら、狂三。世界の誰より、大好きな人」

 

 

 

 だけど少女(くるみ)は――――――少女の名前さえ、知らなかった。

 

 光に包まれる景色の中に少女は消えて――――――世界は、螺旋した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めた世界に、少女の姿はなかった。

 

「……たった、それだけでしたの?」

 

 問いかけるべき少女は。少女(くるみ)が言葉をかけねばならなかったはずの少女の姿は、ない。

 虚空へ消える言霊。届けるべき主を失った声が虚しく響く。

 

 

「わたくしがあなたに――――――何かをして差し上げられたことなど、あったと……?」

 

 

 そんなこともわからない。少女の今際の願いでさえ、狂三は何一つとして理解してやれなかった。

 何故なら、少女(くるみ)はもういないのだから。

 何故なら、少女(従者)はもういないのだから。

 問うべき者、問われるべき者。両者が存在しないのであれば、それは〝無い〟も当然のこと。

 

 ああ、ああ。それこそ――――――なかったこと。そうなってしまったのだ。

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――それでも(・・・・)

 

 

少女(くるみ)が手にしたものを全て失い、捧げた。

 

 友と呼べたかもしれない者たちを

 その命を、女王へと捧げた者を。

 ――――――最後に愛した、大切な人を。

 

 そうすることで。そうしてしまったから。そうなるべくしてなり。故に――――――『時崎狂三』は目覚める。

 己の罪を贖い、清算する。世界を正しい形へと戻すために、世界へ反逆する。

 その黄金の両眼に狂気を宿し、執念を燃やし尽くす。

 

 

「――――――『わたくしたち』」

 

 

 静かに声をあげた『時崎狂三』の号令に、全ての影が集う。

 産声をあげている。世界が軋み、歪んでいる。違う――――――戻るのだ。正しい世界へ。

 

「ええ、ええ、参りましょう」

 

「この身に宿る仮初の命」

 

「存分に使い潰してくださいまし」

 

「それが『わたくしたち』の役目となれば」

 

「それが『わたくしたち』の意味となれば」

 

「喜んで『時崎狂三』へ捧げましょう」

 

「失われた全ての生命のため、『わたくしたち』を捧げましょう」

 

「さあ、さあ」

 

「さあ、さあ」

 

『全てを、(ゼロ)へと還しましょう』

 

 世界に対する宣戦布告。世界に対する終焉の鐘。

 

 

「では、往くとしましょう――――――世界を救って差し上げますわ」

 

 

 『時崎狂三』の戦争を、始めよう。

 

 

 

 この顛末を語る必要はない。物語ですらないものを語るなど、まるで意味などないことであろう。

 判りきった結末だ。『時崎狂三』は修羅となり、世界を変える。それが三十年の因果を滅ぼす執念の物語そのもの。

 人ならざる者の執念。敢えて、『時崎狂三』の行動を書き記すのであれば、そう。

 

 

 ――――――そして、悲劇は終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「っ……?」

 

 目覚めは、いなれた影の中(・・・・・・・)であった。

 影の領域。精霊(・・)、時崎狂三が持つ空間。その中で目覚めた時崎狂三(・・・・)は、ハッと目を見開き起き上がった。

 

「な……」

 

 狂三は息を詰まらせる。それは当然のこと。自分自身の姿が何より驚愕を促すものだった。姿見がなくとも、己が身に纏う装束はあまりにも自然に馴染んだ――――――精霊の霊装。

 

「どういう、ことですの……?」

 

 なぜ影の領域がある。

 なぜ精霊の霊装を纏っている。

 なぜ――――――精霊の力が残されている。

 

 数々の疑問が浮かんでは消える。記憶の糸を手繰り寄せ、動悸を起こす身体を何とか押さえつけた。

 

「わたくしは……」

 

 不自然に途切れた意識。その直前の記憶――――――狂三は、間違いなく世界を変えた(・・・・・・)

 因果の始まりを紐解き、全てを終わらせた。〈刻聖帝(ザフキエル)〉・【一二の弾(ユッド・ベート)】の力によって狂三は遥か過去へと導かれ、そして元の時間軸へと帰ってきた――――――()と同じように。世界は変えられると証明をしたあの方と全く同じ道筋を辿って。

 

「…………――――――――」

 

 心臓に手を当て、嫌な音色を奏でる心音を自覚する。

 失敗などできはしない。失敗など、しているはずがない。その確信がある。それでも鼓動は収まることを知らず――――――

 

「『わたくし』」

 

「っ!!」

 

 空間を揺るがす呼び声へ向かって、縋るように振り向いた。

 紅と黒の霊装。異形の片眼。今の狂三と瓜二つ(・・・・・・・・)の分身。しかし、狂三は全く別の理由で目を見開いた。

 あまりにも、気配が薄い(・・・・・)。消えかかっている。それこそ、これほど近くに在ったというのに狂三(オリジナル)が悟れないほど。

 全てを出し尽くした分身の運命を如実に表す光景だった。

 

「……世界は、変わりましたわ」

 

「ぁ……」

 

 たった一つ、自分自身(・・・・)にそれを伝えられただけで、狂三の全身から力が抜け落ちる。張り詰めていた糸が途切れ、長い、長い時間が終わったかのように。

 

 それは、幾千の月日が作り出した歓喜の一瞬。犠牲にした全てが報われる瞬間。巨大すぎる感情の渦。情動の嵐に一言でさえ発することができない。

 やったのだ。本当に、多くの犠牲を払い、多くの犠牲を取り戻すことが――――――

 

 

「――――――ですが」

 

「……………………え」

 

 

 たった一言で、その歓喜は無に帰す。

 

 弁えていただろう。知っていただろう。

 

 

 どれだけ価値を払おうと、大切なものを取り零す者が『時崎狂三』なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――!!」

 

 走った。ただ、走り続けた。そんながむしゃらな思考であろうと、自らの視野は嫌になるほど冷静だった。

天宮市(・・・)。元はと言えば、精霊の存在が深く関わっている街。だが、再編された世界に於いて、その街の名は変わらず存在していた。

 世界の力。或いは歴史を戻そうと試みる因果律か。それでも、確かに世界は変革した。狂三の目的、という観点でみれば間違いなく成功している。

 だから、いるはずだ。この街があるのだから、あるはずだ、いるはずなのだ。

 

 どこまでも目を背けた(・・・・・)狂三が辿り着いた場所は、五河家(・・・)。何らかの因果で全く同じ場所に建てられたそこは、体内時間にして数十時間前と変わらぬ姿を見せている。

 敷地の隣に聳え立つ精霊マンションの姿がないことを除けば、だが。

 

「っ……」

 

 感傷に浸る間など作らず、一も二もなく目の前のボタンを押し込む。それは音を鳴らし、来客を家の主に伝えた。

 出てくれる。期待が胸を締め付けた。そうであったなら、狂三がすべきことは終わる。狂三の中にある懸念、疑念、恐れ(・・)

 あと一瞬の後、消え失せるはずの思考。けれど、消えない。消すことができない。いつものように、思考を重ねて押し潰すことができなかった。それは、それは、それは――――――

 

「はーい」

 

「――――――――」

 

 開かれた扉の先にいた人物に、狂三は息を呑んだ。少女(・・)からすれば、変わらぬ対応なのだろう。でも、狂三にはそれができなかった。

白のリボン(・・・・・)で髪を結んだ五河琴里を目の前にして、狂三にはできるはずもなかったのだ。

 

「えっと……」

 

「――――あの!」

 

 物言わぬ狂三に訝しげな表情を浮かべた琴里に対し、逸る気持ちから思わず声を張り上げた。狂三がそのような声を出したことが意外だったのか(・・・・・・・)、驚いた顔をする琴里。しかし、狂三にそれを気に留めるだけの余裕はなかった。

 何もかもが足りない。冷静な思考。相手の言葉を引き出す余裕。優雅たる微笑みをかなぐり捨て、狂三は持てるだけの作り笑顔で問いかけた。

 自らの死に迫る、その一言を。

 

 

「この家にあなたの兄上――――――五河士道さんは、いらっしゃいますか?」

 

 

 答えてくれ。短く、それ以上の願いなどない。それ以上は望まない。何もいらない。ただ、いてくれるだけでいい。たったそれだけの願いは、

 

 

「え――――――私は、一人っ子ですけど……」

 

 

 呆気なく、打ち砕かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む――――――どうかしたのか、琴里」

 

 人影が消えた玄関先をじっと見つめていた琴里だったが、なかなか戻らないことを案じてか彼女がここまで来てしまった。

 

「あ、十香(・・)おねーちゃん。ううん、なんでもないんだー」

 

 そんなに長く見つめていたのか、と自分に驚きながら手を振って心配がないことを伝える。

 水晶のように吸い込まれそうな輝きを持つ瞳を持つ少女。歳は、中学生の琴里より上の彼女、夜刀神十香は両親が家を空けることが多い琴里を案じる近所のお姉さんだ。世話になることも多いため、余計な心配はかけたくなかった。

 

「そうか。……ふむ、もしや客人だったのか?」

 

「……んー。そういうわけじゃ、ないと思うけど……」

 

 今し方、琴里の前に現れた少女を思い起こし、十香へそう返しながら琴里は不思議な感覚を覚えていた。

 綺麗な人だった。十香も領域外の美しさを持つ少女だと思っているが、あの少女を見た瞬間の衝撃は同じだけあったと言えた。まだ子供の琴里でも、それくらいはわかる。

 特色のある夜闇色の髪を揺らす十香に負けず劣らず、射干玉の髪は同じ女として崇高な尊敬の念さえ抱く。その長い髪で片目を隠していたが、紅色の瞳は極上の宝石にも勝るほど――――――だから、目を引いた。

 

 

「……何だか、悲しそうな人だったなー」

 

 

 その瞳の中に、虚しさ(・・・)さえ感じてしまったのは、どうしてだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 失敗した。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 失敗した。間違えた。間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた――――――狂三は、間違えた。

 

「わ、た……、く、し……――――――殺、した」

 

 何を間違えた。どこで間違えた。全てを覆したはずだ。精霊という存在、世界を壊す毒。狂三が犯した過ち。何一つ、取りこぼしはなかった(・・・・・・・・・・)

 

「――――――――――――――あ」

 

 だから、か。だから、成功した(・・・・)のか。

 肝心な時に気が付けない愚鈍な思考は、いつも手遅れになってから働く。

 

「あ、あ、あぁ……」

 

 『時崎狂三』は、失敗などしていない。完璧に(・・・)、当初の目的を果たしてみせた。

 そこに落ち度はない。喜ぶべきことではないか。

 

 ――――――『時崎狂三』が初めから完成していたのならば、だが。

 

「は……、ぁ――――――」

 

 聡明と褒め称えられた思考が解を導き出す。否、封じられていた解(・・・・・・・・)を放つ。

 思考以外の全てが苦しい。鉄の味がせり上がってくる。指が全身を掻き回す。今すぐ、その思考を止めろと暴れ狂う。

 止まらない。止まりなどしない。狂三へ罪を突きつける。正しさはないと、いつかツケは払われると命じていた己の意志を貫き通して、残された狂三を焼き尽くす。

 

 五河士道がいない世界。当たり前だ(・・・・・)

 『崇宮澪』。精霊を生み出す者。

 『五河士道』。精霊を封印する者。

 ――――――ただの人間が偶然その力を持って生まれた? 本当にそう考えていたなら、愚かしいなどという言葉だけでは済まない。

 

 故に、知っていた。わかっていたはずだ。なのにわかろうとしなかったのは、理解した瞬間から『時崎狂三』が死ぬ(・・)からだ。狂三という存在そのものが消え失せた上で、それでもなお足りない代償を支払うことになっていた。

現に今がそうだ(・・・・・・・)。狂三が狂三でなくなりそうだった。自分自身、精霊狂三を構成する世界が反転(・・)しようとしている。

 

 それを、誰かの力が押し留めている(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――どうして」

 

 

 どうして、そこまでして。もう、何も残されてはいないのに。

 せめてもの救いを願ったのに。せめてもの未来を願ったのに。

 そんな願いを。よりにもよって一番大切な人を、犠牲にした世界を創り上げた。

 

 取り戻せない。取り返せない。実行に移し、成功(・・)させた狂三は唯一、理屈で感じられてしまう。

 あらゆる想いを犠牲にした到達点。己を好いた少女と、愛した少年を糧として創り上げた悲劇のない世界。

 そうだ、悲劇はない。存在しない。だって、覚えているのは狂三だけ(・・・・・・・・・・・)なのだ。事象が証明できないのであれば、それは悲劇ではない。

 

 そして、悲劇は終わった(・・・・・・・)

 

 

 

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――ッ!!」

 

 

 

二度(・・)、五河士道を殺した狂三の手で、悲劇はその幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涙は、出なかった。

 

「……………………………………」

 

 未来さえ視た瞳は何も映さない。声は枯れ果てた。涙は、捨ててきた(・・・・・)

 あの瞬間、少女(くるみ)と共に死んだものは、どれほどの悲しみと絶望が肺腑を満たそうと蘇ることはなかった。

 代わりに、血が流れていた。血が滲んでいた。何も映さない瞳が血に滲んだところで、何が起こるわけでもない。

 

 

 そもそも、なぜ狂三がのうのうと生きている(・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――――」

 

 

 ふざけるな。どうして生きている。なぜ生きている。彼は生きていないのに。あの子は存在を許されなかったのに。友の生を戻し、悲願を果たした狂三が生きているのか。

 

 その心臓の鼓動が絶望を許さないのなら。

 

 せめて、死ね。ここで死ね。消えてしまえ――――――初めから、いなければよかった。

 

 

「――――――――――――――――――」

 

 

 手に染み付いた銃把は何たる皮肉か、正しく今までの行動を返した(・・・・・・・・・・)

 己の頭蓋に銃口を突きつけ、逡巡の時間を作らず指をかけた引き金を――――――

 

 

「こ――――のっ!!」

 

 

 引くことなく、銃が殴り飛ばされた(・・・・・・・)

 

「…………?」

 

 手に握っていた古銃の感覚が消え、指を幾度曲げてようやくそのことに気がついた。まるでもって現実感のない。事務的に思考を実現するだけの機械動作。

 そんな狂三が次に目を向けたのは、座り込んだ狂三の眼前で荒く息をした一人の少女(・・・・・)に対してだった。

 

 

「な――――――」

 

 

 なんで、どうして。もしかしたら、そんな在り来りな言葉が言いたかったのかもしれない。どちらにせよ、少女を認識した狂三の目にようやく自我が宿った。

 ここにいるはずのない少女。天然で癖のある髪が変わらず、その一見不機嫌に見える目付きの中に住む気難しい翠色の輝き。

 どうして。今一度、形になりかけた言葉は、狂三自身の意志によって塗り替えられた。

 

 

「……七罪(・・)、さん?」

 

 

 何とも皮肉なことに、呼び慣れてしまうくらいには、少女のことを知っていたようだ。

 狂三が声を返した。それだけのことで少女……七罪は大きく息を吐いた。ありありと見える安堵の吐息。

 

「っ、七罪さん……!?」

 

 未だ疑問の残る思考と節穴の目を凝らし、やっと(・・・)七罪の身体に気がついた。

 怪我をしている。それも、決して軽いものではない。服はあちこちが切り裂かれ、肌に幾つもの裂傷を作っている。よく見れば、七罪の素足まで鋭利な刃物を踏みつけたように血だらけだった。

 

「な、何をして……それに、その怪我は……っ!!」

 

「……それ、全部こっちの台詞なんだけど……」

 

 ――――――何度目かのようやく(・・・・)で、狂三の思考は状況を見極め始めた。

 場所――――――狂三が以前から拠点にしていた洋館、その一室なのだろう(・・・・・)。あくまで予測に収まっているのは、ここは以前の世界とは事情が異なる可能性があることと、恐らくは狂三が――その霊力が――暴れ回ったからだろう。狂三の周りは特に酷く、鋭利な破片で足の踏み場もありはしない。狂三の傍に来るためには、それこそ怪我をする覚悟で(・・・・・・・・)行動を起こす必要がある。

 つまり、眼前で疲れ果てた七罪の様相は、霊力の渦の中を生身で突破したことによるものだと判断した。

 しかし、状況を理解したからといって全てを理解できるわけではない。むしろ、理解できないことしかない。

 どうして七罪が狂三と知り合っている?

 どうして七罪は狂三を助けようとした?

 客観的に見れば自殺のそれを、自らの身を危険に晒してまでなぜ止めようとしてくれた?

 わからない。ついには困惑しか表情に残らなくなった狂三を見て、らしくないとでも語るように七罪が弱々しく笑った。

 

「帰ってきたらやけに家が揺れてるし……めちゃくちゃ怖くて嫌だけど見に行ったら狂三がいるし……現実感のない不思議な力撒き散らしてるっぽいし……もう、めちゃくちゃよね。オマケに見たことない銃まで持っててさぁ……ほんっと、やめてよ。私のノロマで愚図な頭が追いつけないっての……」

 

「だ、ったら……」

 

 逃げればよかった。聞いている限り、七罪は精霊の存在を知らない(・・・・・・・・・・)。同時に、狂三もこの世界の七罪のことは知りえないが、少なくとも精霊に関わりのない七罪が〝逃げる〟という選択肢を持っていないなどとは思えなかった。

 七罪は聡い少女だ。頭は回り、狂三以上の観察眼を持つ。自らの手に負えないと判断したならば、逃げるなり助けを呼ぶなりの行動が浮かんだはずだ。わざわざ大怪我をしてまで、霊力の中心地に飛び込んでくることなど用意された選択の中では馬鹿げている。

 だというのに、狂三の疑問を前にして、七罪はゆっくりと瞼が落ちる中で当然だ(・・・)と言わんばかりに声を発した。

 

 

「……人生のどん底から助けてくれた人って考えたら、勝手に身体が動いてた」

 

「え……」

 

「私、どうしようもないけど――――――恩を感じる心くらいは、あった、のかな……」

 

「っ、七罪さん!!」

 

 

 ぐらりと傾いた七罪の身体を受け止める。顔を顰め、病状の確認は一瞬。今だけは、己の感情や疑問を投げ打って駆け出した――――――彼なら、そうしていただろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 部屋のベッド――部屋割りはそれなりにわかりやすくされていた――に眠る七罪。知識と実際に手を使い念入りに確かめ、狂三は『この世界』に至って初めて穏やかな息を吐いた。

 貧血などの症状が強く出たことによる昏倒。見た目に反して、怪我の度合いは深いものではなかった。家に備えられたもので治療は済んだ。

 それを一目で見抜けなかったとは、本当に節穴になってしまったか、それほど気が動転していたのか。

 

「はっ……なんて、無様」

 

 吐き捨て、己を笑った。無様なことに、言うまでもなく後者だ。心神喪失によって己を失い、精霊の力を失った――というと語弊がある――七罪に救われる。情けないことこの上ない。言い訳、弁解の余地もない。もしこれが例えば琴里に見られていたら笑われ――――――

 

「ちっ……」

 

 お気楽な思考を黙らせる。狂三を知る七罪に出会ったことで、狂三も多少は落ち着きを取り戻したといえた。或いは現実逃避、そうしなければ同じことを繰り返す(・・・・・・・・・)からか。

 

「う……ん……」

 

「…………」

 

 功労者はすっかり夢の中だ。癖は残っているものの、しっかりと手入れがされている七罪の髪を梳く。『以前の世界』で初めて彼女を目にした時に眉をひそめた血色も悪くない。健康状態に問題らしい問題は見られず、目つきの悪さは……こう言ってはなんだが、生まれつきだろう。目に関しては一家言あるが、同じくらい人に物を言える代物でないことは重々承知している。

 つまり問題は、健康的に問題のない七罪(・・・・・・・・・・・)がどうして狂三を知り、狂三と共にいるのか、だ。

 

「はて、さて……」

 

 あごに手を当て、一瞬の思案の後に椅子から立ち上がる。白の少女の霊結晶(セフィラ)を取り込むことで、幾らかの策(・・・・・)を講じた狂三。要は、その一つが的中していた可能性を冷えた頭に思い起こす。

 情報は力。正しい知識こそ道を開く――――――狂三自身に対する皮肉を考えられる程度には、まだ動くだけの精神が保たれているようだと苦笑する。

 ここはどうやら七罪に宛てがわれた私室。そして、七罪の真面目な性根とひねくれた思考を読み取れるならば、容易くそういったものがあると想像に難くない。多少目と手を凝らせば探し物は簡単に見つかった。

 

「何層に積み重ねているんですの……」

 

 もっとも、参考書や厚みのある辞書の間に念入りも念入りに挟まれた日記(・・)は、狂三をして些かコメディチックな笑いを誘うものだったのだけれど。

 日記を引き抜いた瞬間、特定の条件を踏まなければ焼却される……なんて、ミステリーな仕掛けがあったなら狂三はもう少し先を考えねばならなかったが、幸いにも日記は無事に引き抜くことが叶った。七罪のネガティブ癖を七罪の常識が上回らずに済んだ幸運か、などと思考を掠める冗句を程々に、狂三は日記に手をかける。

 

 その時、己の右手が僅かに手を開く――――――こういった情報収集で、癖になっている動作だ。

 

「きひ、きひひひ……」

 

 虚しく、声が響く。己が半身。精霊の心。切り離すことができない最も信頼すべき武器。

 それを今は、手にしたくなかった。だから狂三は、空白を描く手の内で日記の頁を開いたのだ。

 

 中には、つらつらと丁寧な文字が書き連ねられていた。七罪らしい文才と言えるそれは、たちまちに引き込まれる。まあ、時折溢れ出す負の表現というべきもの。端的に言えば〝ネガティブ〟を凝縮したような文に、狂三も困り顔を禁じ得なかったのだが。

 

「……………………――――――――」

 

 一つ、一つを読み耽る。そこには『この世界』の七罪の経緯が余すことなく連なっていた。七罪のことだ。自分自身を卑下にするものはあれど、誇張して書くようなことはしていないはずだ。

 七罪の生まれ。親のこと。学校のこと。初めは辛いことばかりが淡々と文字に起こされ、さらには■■の手で命すら奪われようとし――――――『狂三』に救われたこと。

 

「やはり……」

 

 そこからは、『狂三』と新しい生活を送る自身のこと。心なしか、文字に力が入り活気が溢れているように思えた。

 

 けれど――――――それは、『この世界』七罪の主観であるからだ。

 

 七罪が救われたもう一つの歴史。彼と、友と出会い、今までの全てを帳消しにしても良いと思えるほど七罪は救われていた。かけがえのないものを手にしていた。それは何も、七罪に限った話ではない(・・・・・・・・・・・)

 

「それを『なかったこと』にしたわたくしが……ふっ、責任を果たしたとでも言うつもりでして?」

 

 思い出を無に帰した。存在した救いの履歴を犠牲に、世界を想像した。

 日記を閉じ、元へと返す。そうしてから、拳を爪が肉に食い込むほど握り締めた。

 己の行いが正しいとは思わない。

 それでも、と、狂三は貫いた。『時崎狂三』を貫いた。全ての履歴を無に帰した。あの少女を見捨てた――――――五河士道を殺した。

 結果は、出た。なるほど、想像の通りだ。しかも、あるべき救いの代役までこなしている。大したものだと笑った――――――結果を受け止めた狂三には、空虚な心が残されていた。

 正義の味方を目指した少女、その成れの果て。醜悪なものだ。世界を創り、救いを創り――――――

 

 

「ああ、ああ。見捨てるものを見捨て、救うものを救い――――――けれど、あなた様の未来だけは、救えなかった」

 

 

 ただ一人、取り零した。愛した人を、創らねばならなかった未来を、最悪の形で壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 では、『この世界』の『時崎狂三』とは、誰のことを指しているのか。

 初めから、前提が壊れている。確かに狂三は精霊の力で世界を変えた。〝精霊〟という存在を〝なかったこと〟にした。けれど、その行為は矛盾している。精霊という力無くしてなし得ない事象が、精霊という事象そのものを消失させる。事象と事象の矛盾行為。

 単純に、それを成し遂げた者が狂三でなければ違ったのかもしれない。しかし、それは狂三であった。時の天使〈刻々帝(ザフキエル)〉と死の天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉を重ねた狂三だったのだ。

 世界は矛盾を孕み、抵抗する。歴史を無慈悲に元の形に戻そうと試みる。結果が天宮市であり、巡り巡って七罪である、のだと仮定しよう。

 かなり乱暴かつ抜け落ちた羅列によるが、結論に至ろう――――――『時崎狂三』という改変者は、世界から弾き出された(・・・・・・・・・・)『この世界』で唯一の精霊だ。

 改変に対抗する力を持った存在が改変者となり、奇跡的に巡り合わせが行われ、困り果てた世界という存在が強引に〝結果〟を生み出した。『この世界』の時崎狂三と、今ここにいる『時崎狂三』。つまりは、改変を跨いだ〝異物〟を世界は不本意ながら、存在を吐き出すことで認めざるを得なかった……と、強引な解釈に基づき狂三は結論を下した。

 

「我ながら……強引ですわねぇ」

 

 呆れてしまい、玄関先ですっかり暗くなった星空を見上げながら狂三は下された結論に異を唱えたくなってしまう。

 だが、事実として予測はこの程度しかないのだ。『時崎狂三』が『この世界』の狂三と統合されなかったこと。不自然に白の少女の霊結晶(セフィラ)が弱っていること。そもそもとして、精霊の存在を保ったままの狂三が生き証人だ。それ以上はない。あらゆる力は失われ、かの全知の天使は葬り去られた。だから、終わり。

 

 

「ええ、ええ――――――お終いにいたしましょう」

 

 

 そう。狂三がこの銃声を響かせれば、全て終わりだ。

 世界は創り変えられた。友は正しい人生を送っている。なら、残りは後始末。精霊が存在しない世界で、唯一の精霊を残しておく理由などありはしない。理屈を詰めて、さらに詰めていけば到達する。言ってしまえば、事を終えた異形の持ち主など平和な世界では邪魔者でしかない。

 

 

「さようなら、時崎狂三(わたくし)

 

 

 別れの言葉は簡素で、感情がなかった。所詮、建前の大義名分などそんなものかと狂三は目を閉じて――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「………………嗚呼、嗚呼」

 

 

 嘆くように、悲しむように、手を下ろした(・・・・・・)

 

「……駄目、ですのね」

 

 ああ、駄目だ。もう無理だ(・・・・・)。チャンスがあったとすれば、あの瞬間しかなかった。それを無くした以上、狂三は己へ向けて引き金を引く手段を永久に失った。正気になってしまったのなら、責務を果たすことを止められない。

 衝動的に死ねたならよかった。だというのに、『時崎狂三』は未だ責任を問いかけてくる。『この世界』のこと。あらゆること。何より、七罪のこと。

 

 

『生きて、狂三』

 

 

 それだけではない。

 

 

【愛してる】

 

 

 己に架せられた祈り(呪い)を自覚し、狂三はくしゃりと顔を歪めた。

 

「まったく……天使(・・)まで使って、困った人たちですわ」

 

 だから、もう死ねなくなってしまった。絶望させてはくれない。愛を忘れさせてはくれない。狂三が死んでしまっては、彼らを覚えている人が誰もいなくなる。それは、酷く悲しかった。

 後を追わせてもくれないのだ。復讐を終えた復讐鬼に残るものなど、ありはしないというのに――――――それを知っていたから、祈り(呪い)を遺したのか。

 やはり、涙は出なかった。だけど心は苦しくて。顔は泣きそうで。身体は軋んで。それでも絶望は許されず、涙の流し方を忘れてしまっていた。

 有り体に、悲しいことに、当然の事実。狂三は苦笑を浮かべ、振り返りもせずに扉の裏に隠れた彼女(・・・・・・・・・)へ声をかける。

 

「そんな顔をせずとも、もうしませんわよ」

 

「ぴゃっ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げ、微かに開かれた玄関のドアが大きく開いた。『以前』に比べ彼女の気配の隠し方一つに違いがあるのだから、今更ながら世界を変えた自覚を持つ。何とも不可思議な感覚だった。恐らくは、『この世界』で狂三が唯一無二の感覚なのだろう。

 狂三の思考が逸れたとはつゆ知らず、七罪が控えめな主張でおずおずと狂三の前に姿を見せる。その姿……至る所に包帯が巻かれ、年頃の少女にさせるものとしては少々と眉をひそめてしまう。そうさせてしまったのが狂三自身なのだから、尚更。

 

「……いけませんわ。まだ横になっていた方がよろしいでしょうに」

 

「平気。それに、狂三はいつも大袈裟だし……」

 

「…………」

 

 確かに気にかけてはいたが、そこまで過保護だった記憶はない。とはいえ、七罪がそう言うのならそうなのだろうと軽く割り切る。

 そこで、七罪の視線が一瞬だけ移動したことに気がつく。今となっては大して誇るべきものではないが、これでも目はいい方だ。どこへ向けられたのかはすぐにわかった。

 自然に垂れ下がった右手が持つ古銃。七罪が見たことがない(・・・・・・・)と言っていた、天使がもたらす奇跡の欠片だ。

 

「気になりまして?」

 

「うぇ……な、ならないって言ったら嘘になるけど、私みたいなミジンコが聞いていい事情じゃなさそうだし怖いし……ていうか、狂三がそういうの持ってても不思議じゃないかなー……とか」

 

「どういう意味ですの?」

 

「だって、左目が時計とか普通じゃなかったし」

 

「……………………」

 

 せめて目を隠すなりをしなかったのか。記憶にない自分か分身かは知らないが、『狂三』に頭が痛くなってきた狂三は思わず頭を抱える。七罪の観察眼を誤魔化すことが面倒、という意味があったのであれば大いに同意する。普通であれば、カラコンか何かと解釈するであろうこともだ。

 そして、そうではないとわかったとしても、七罪は軽々しく踏み込む早計な思考の持ち主でないことは、織り込み済みだったのだろう。

 故に、気にすることはない。狂三は、迷うことなく指から力を抜いた。

 

「あ……」

 

 銃を手放せば、七罪が小さく声を漏らして目でそれを追いかける。自由落下に身を委ねた古銃はくるりと半回転で間もなく――――――影の底へ、消えていった。

 そうして、精霊として形を成し銃を手にしてから初めて、狂三は銃を手放した(・・・・・・)

 

 事を終えた。悲願を遂げた先に武器を手放す。幸せなことのはずなのに――――――どうしても、虚しかった。

 

「さあ、中へ入りましょう。夜は、冷えますわ」

 

 何事もない。何事もなかった。それでいいと、狂三は笑顔(・・)を向けた。

 その笑顔は果たしてどう映ったのだろうか。

 その笑顔は正しく向けられていたのだろうか。

 

「……いいの?」

 

 七罪の声音には、様々なものが込められている。悲痛なものと言ってもいい。七罪なりの精一杯。

 

 

「――――――ええ」

 

 

 だけど、いい。もう、いいのだ。

 

 疲れてしまった。痛みに、悲しみに。

 悲劇は終わった。そこに、狂三の幸せなどなくていい。けれど、あってほしかった未来がない。

 それでも時は過ぎる。後悔は、してはいけない。道を選んだ者は『時崎狂三』。運命を決めた者は『時崎狂三』。

 それを後悔してしまったら、あのときに全てを投げ出した彼への侮辱行為だ。

 

 何があっても狂三を好きでいると言ってくれた彼へ、それだけは後悔したくない。

 

 愛して、愛されて。殺して、また、殺した。

 

 

 

「それでも――――――愛して、いますわ」

 

 

 

 何もなくなった精霊(にんげん)は、それでも歪な愛だけを生んだ。

 果たしてそれは、『時崎狂三』だったのか。

 それとも、死した狂三(しょうじょ)だったのか。

 その答えを持つ人には、もう会えない。会ってはならない。一度決めた救いを『なかったこと』には、してはいけない。

 

 世界は救われた――――――戦争(デート)の時間は、もうおしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――――――また、春がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「うぉりゃー! 待ちなさいよ夕弦ぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

「嘲笑。待てと言われて待つ者は馬鹿かへちょ耶倶矢くらいなものです。あっかんべー」

 

「あんたは一々ネタが独自で微妙に古くてわかりづらいわー!!」

 

 

 

「……よ、陽キャパラダイス。恨むわ世界……う、陽気に当てられて吐き気が……」

 

 春うらら、花見日和……というのは陽キャ御用達のイベント。七罪は怠惰。どちらかといえば春眠暁を覚えずの精神でいたい。

 浮かれに浮かれや。辺りには桜並木に盛り上がる人、人、人。何がいいのだ。どうせ桜だなんだと託けて勝手に盛り上がりたいだけ。そのくせ陰キャに一人で場所取りをさせるときた。え、七罪ちゃんまだいたの……? ちょっとこいつ呼んだの誰ー? はーシラケるわー。などなどの声が聞こえて――――――

 

「あら、あら。また百面相をしていますのね。可愛らしいものではありますが、七罪さん、もしかして思春期ですの? ですが、病状が燃え盛るには少し遅いですわねぇ」

 

「私は適齢だけど!?」

 

 ちなみに、一般説では八歳から十八歳くらいを思春期と呼称すべきであるらしい。中学に一応、仕方なく、絶対に行きたくはないが、席を置くことになった七罪は普通に該当する。まあ、年齢不詳のこの女は思春期などなかった気さえしてくるのだけれど。

 

「まあ、七罪さんのそれ(・・)は思春期とはまた違うものでしょうけれど」

 

「悪かったわね。……どうせ狂三は、私くらいの歳でも大人びてたんでしょ」

 

「さあ、て。わたくしよりはさ……友人が随分落ち着いた方だったとは記憶していますわ」

 

「昔話みたいに言うわね」

 

 実際、昔話なのかもしれないが。繰り返しにはなるが、年齢不詳のこの女は不思議な色香のようなものを纏っている。いや、本人の前で言うと『わたくしが年老いていると? 蛆虫風情がほざきましたわね。くたばり遊ばせ?』……とか、七罪でもただでは済まないのではと隠してはいるけれども。また、最後は天地がひっくり返っても言わないでしょ、七罪自身ツッコミを入れる。

 訝しげな七罪に対し、狂三は少々と懐かしそうに――そういう表情ができるだけホッとする――声を発した。

 

「ふふっ。実際のところ、昔の話ですわ。それに、わたくしにも思春期の時期はありますことよ?」

 

「えぇ……ちょっと信じらんない」

 

「うふふ。教えるつもりは毛頭ありませんので、それで構いませんわ」

 

「何よそれ……」

 

 随分と気になる言い方をしてくれる。また狂三の謎が一つ増えただけになってしまった。……「あれらは思春期というよりかは黒歴史ですけれど……」、と小声で遠い目をした狂三が気になりはしたが、それよりも歩幅を合わせてくれる狂三と並走しながら、七罪は見回すだけで身震いと鳥肌が立つ光景への不満を垂れ流した。

 

「ていうか、何でわざわざ外に出て花見(・・)なのよ」

 

「あら、あら。花見は外でするものですわ、七罪さん」

 

「家の敷地でいいでしょ」

 

「あの春の陽気とは程遠い外観で寒々しさを七罪さんが感じないのであれば、わたくしも喜んで受け入れますわ」

 

「……お化け屋敷の自覚、あったんだ」

 

 狂三と七罪が住む家は、比較的閑静なエリアに位置する古めかしい洋館風の一軒家だ。言葉を凝らして褒めてみれば荘厳。貶してみれば唯一お化け屋敷のような外観をしていて、差し込む日差しも台無しというものであった。

 陰キャの極みに到達しようという七罪にとっては有難い話ではあるのだが、事リフレッシュという意味では狂三の言うように全く向かない。物事の向き不向きを如実に表現しているといっても過言ではない。

 ニコニコと顔の良さを全面に押し出し意見を封殺してくる狂三に、さしもの七罪も降参だ。それに……反論があったとしても、言うつもりはなかった。

 便宜を図り、七罪の世話をわざわざ焼いているのは狂三で、家の家主も狂三。もともとは七罪に決定権や否定権などない。その中で、狂三はかなり七罪の言葉を受け入れてくれる。というより、否定されることが殆どないと記憶していた。

 つまるところ、今回はあの狂三が自らの主張を押し通している。如何に捻くれ者の七罪といえど、狂三の自主性を感情的に否定などできるものか。

 

 あの日のことは、今でも覚えている。

 

「…………」

 

 あれ以降、狂三があのとき(・・・・)に触れることはない。なることもない。だから、七罪は触れなかった。触れてはいけない、そう思った。

 触れられるものか――――――悲しみと絶望しか(・・)感じられなかった彼女の姿を見て、できるはずがない。

 

「――――――人が多いですわね。七罪さん、はぐれないように手を繋いでもよろしくて?」

 

「え……う、うん」

 

 考え事でボーッとしていた七罪を見てか、狂三がそう提案してくる。気を遣わせてしまったか。とはいえ、人が多く七罪も慣れていないのは本当のことだ。特に迷いもなく差し出された狂三の手を取ってから――――――

 

 

「――――――――――」

 

 

 時崎狂三の手を取る人は、他にいるのだと思った。

 

「……七罪さん?」

 

「っ……な、なんでもない!」

 

 小首を傾げた狂三に、慌てて首を振って温かな手を握る。おかしな感覚は、刹那の間にのみあった。

 きっと、気のせいだ。手が触れただけで、何を考えているのか。たったそれだけで相手のことがわかって、理解できるならそれは本当に〝奇跡〟と呼ぶものだろう。

 だけど、そんなことがあるのなら。奇跡と呼ぶものがあるのなら。

 

「さあ、さあ、参りましょう。腕によりをかけて料理を作りましたのよ」

 

「うん。た、楽しみにしてるから……!」

 

「あら、珍しい七罪さんですわ。嬉しいですわね」

 

 どうか、そんな奇跡がほしいと思った。

 

 

「ああ、ああ――――――あの日とは違い、よく見える……綺麗な桜ですわ」

 

 

 ――――――悲しい顔で笑う彼女が、心の底から笑顔を見せられる人が現れる奇跡がほしいと、願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つの結末。永い悲劇が終わる物語の終幕(フィナーレ)

 救われた世界で、救われない少女(ヒロイン)の後語り。消えた救いと、新たな救いの物語。

 それでも、時は進む。それでも、春は過ぎ逝く。

 

 救われぬ者がいる中で、それでも、繰り返そう。悲劇は、終わったのだと。

 

 悲しみは消えずとも――――――悲劇が消えた救いだけは、確かなのだから。

 







「――――――おまえは、誰だ」

「――――――さあ、さあ。答えるべきものなど、忘れてしまいましたわ」


「車に忍び込んだ挙句隠れるとは、手癖が悪いでは済まされませんわよ」
「……嫌って言っても、着いていくから」

 悲劇は幕を閉じた。

「むくは……うぬを知っている気がするのじゃ、折紙とやら」
「はい。私も……あなたを知っているような、気がします」

 けれど、世界は続いている。

「銃がばばばば〜って出て、それでそれでー、それを撃ってる女の子がすっっっっごい美少女だったんですよー!」
「なんで後者の方が重要度高いわけ……?」
「諦観。ある意味で尊敬に値します」

 それでも、未来は繋がっている。

「行ったら……駄目です、七罪さん……!!」
「四糸乃は――――――私が守る!!」

「妹ちゃん――――って呼ぶのはおかしいのに、何かそう呼ばなきゃいけない気がするんだよねー」
「二亜は不思議だなー。でも――――――私も、そんな気がしてるわ」

 そして、

「全ての精霊は消える――――――おまえが最後だ、〈ナイトメア〉ッ!!」
「わたくしとあなたは――――――戦うことでしか分かり合えないッ!!」

 大切な記憶は、消えたりしない。

「ずっと、好きです――――――士道さん」






嘘予告です。本編中はやる気なかったのでここぞとばかりにおふざけでやってみました。ちなみに狂三となっつん以外9割はその場で考えました。何だったら最後のパロディ言わせたかっただけです。多分次はもっと酷いです。

と、言うわけで狂三IF『そして、悲劇は終わる』をお送りしました。そうですね、悲劇〝は〟終わりました。世界は救われ、ハッピーエンドです。……いや、リビルドのストーリー的にはバチクソにバッドエンドなのはお分かりだと思いますが。
あと両目とも時計になるってありそうでなかったかなとか思ってぶち込みました。悲願を果たすまで止まれない、諦めない修羅の証。なお世界改変後は『成功した』ので諦めではなく終わりです。人の心って難しいね。

Q.なんでなっつんなの? A.状況的に描写ないとヤバそうな十香、八舞、七罪の中で家族が物理的にやべぇのからの選出。メタなこと言うと狂三の隣に置くロリ枠として最適だっry

書いといてあれですけど、余程選択肢と好感度管理ミスってないとならないルートですね狂三IFは。色々足りなかったんだろうなぁ、と。
これでちゃんとIFは完結しているのですが。一応後に何か思いついたようにぼかしたり部分や伏線は残してあります。なんで士道いないのに十香いるの?とかはまさに。実は世界側が仕掛けた狂三へのカウンターシステム……と考えるのも面白いかもしれませんね。八舞姉妹はモロに歴史を出来うる限り戻そうと世界側が対抗した証ですし。世界改変に関してもぼかしたり。

士道に関しては言わずもがな。〈破軍歌姫〉に込めたものは狂おしいほどの愛。伝わるけど、一方的な愛。うんうん、それもまた愛だね。

そして、ここでは敢えて白い少女と呼びましょう。ある意味で少女の勝ち。当初の目的を達成し、狂三を生き残らせることに成功した。見事計画成就です。……嬉しそうじゃないのは、狂三はきっと絶望してしまうだろうなぁというのがわかっているから。だけど情を捨てるような子なら初めからそうしているしなぁ、というのもわかっているので少女は計画だけを押し通しました。
生きていてほしい。少女が願ったものは、ただそれだけなのです。
互いの望みのため、すれ違うことを望んだ少女たちは本編が救いになっていると思います。呼ぶべき名前がないって最悪の対比だなと(自画自賛)

まあ長々と語りましたが、色々と考察できるルートだとは思います。そして、この後にどのような物語があるのか、どうぞご自由に想像くださいませ。
嘘予告の中身は全く考える気がないのですが、狂三となっつんのコメディくらいは考えついたら良いかもしれませんね。や、悲劇は終わったって言ってるのに台無しにしたくないし……。そして狂三となっつんのコメディもどうせ〆は湿っぽいですよ絶対。

ちなみに一番初めに考えた時は完全にビ〇ドパロでした。忘れられた二人が再会するふたりぼっちエンド。あのエンディングと冬映画の覚えている人が一人でもいればそれでいい、あの関係性好きです。
今でもちょっと自分で見たいんですけど完全にパロディでしかないのと、バッドエンドの士道IFが対のエンドなのにそれは合わないかなぁと。あくまで狂三と士道が真っ当に結ばれる本編を大切にしたかった。というわけでこちらのエンドが採用されました。士道と狂三のふたりぼっちエンドは見たかったんですけどね本当に(未練)

それでは次回は士道IF。

EXTRA TIME 『そして、悲劇は繰返す』

今回は相応の対価を支払い一応救いよりで終わりましたが、次は……一番好き勝手やると思います。けど全滅エンドとかは絶対に書く気がないのでそこはご安心ください。私なりのバッドエンド、狂三ヒロイン物という前提条件を最後まで駆使しながらお送りしたいと思っています。

感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございますー。いつでもお待ちしておりますー。
それでは残り二話。次回をお楽しみに!!


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五河イマジナリー
『そして、悲劇は繰返す』


ルート分岐点。澪の霊力を取り込んだ十香の増援後から。












 ――――――救いたいと思った。

 

 ――――――欲しいと願った。

 

 どっちも本当で、どっちも俺の感情なんだ。たとえ、間違ってるとわかっていても。彼女がしてきたことが許されないとわかっていても。背負うと決めた。背負わせて欲しいと思った。

 あの気高く美しい少女は、厳しく優しい精霊は、あまりにも綺麗だ。本当に、輝いて見えた。

 

 だから、五河士道っていう男は初めからおかしくなってた。そう気づいてた。

 

 一つの出会いがあった。大切な、出会いがあった。無くしたくない思い出があった。

 少女は人を狂わせる美しさの体現者。それは、精霊と出会うことを決定づけられた俺でも例外じゃなかった。いや、俺だから、かな?

 俺だから頭のどっかで理解できてた。彼女が持つ霊結晶(セフィラ)。それに近づくに連れて、深すぎるほどの後悔(・・・・・・・・・)が込められていることに。それを澪がわかってやったのかまでは、狂三の真似じゃないが俺の知るところじゃない。

 ともかく、それが俺自身にどんな影響があるのか。そんなもん、わかるわけがない。わかるわけがなかった(・・・・)。その時になってみないと。

 

 ――――――きっと、本当は理解していた。

 それに身を浸してしまえば、そこに在るのは士道()じゃない。崇宮真士(もう一人の俺)でもない。

 何事も対価が必要だ。踏み倒すにしろ、元にする事象がなきゃどうにもならない。そしたら多分、そこに士道()はいない。士道()じゃない何かがそこにいる。それじゃあ、守れない。何も守れない。五河士道が欲しかった、守りたかったもの。その全てを失う。対価は必然のように支払われる。

 

 

 己を手放し、信念を捨てた五河士道に未来なんて無い。

 

 

それでも(・・・・)、その対価を欲する士道()がいたとしたら――――――それだけで良い。そんな根源の願いを抱いて呑まれた、無力だと絶望した士道()がいた、ってことじゃないかな。

 

 全てを捨てて、その願いだけを叶えた士道()は、どういう存在になるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ――――――()った。

 

「はあああああああああああ――――ッ!!」

 

「――――――――」

 

 狂三の眼前で、十香が振るう黄金の剣が、その最強の絶技が始まりの精霊に届いた。

 本来なら、届くはずはないもの。根源の一。原初の零は無慈悲であり無情。分け与えられた力しか持たぬ精霊が、全てを束ねる窮極に届き得るものか。理屈では(・・・・)、そうだった。

 けれど、届いた。ありえない鮮血が舞う。衝撃波が始原の精霊、崇宮澪を叩く。子が親を超える。僅か一瞬、原初の零は未知なる未来へと引き摺り込まれる。

 それを成し遂げられたのは狂三と十香、二人だけのものではない。

 

「――――――狂三、十香っ!!」

 

 澪の天使に投げ飛ばされ、動きを封じられながら、確かに十香の勇姿を見届けた彼がいたからこそ。五河士道への想いがあればこそ到達し得る高みがこの瞬間にあった。

 行ける。澪の霊力を取り込んだ十香の絶技。彼女の力と同調し力を積み上げる狂三の高次予測。そして、士道という精霊の力を束ねた心の支柱。あまりにも遠く、糸口さえも極小であった澪の力。そこへ刃を通す領域に届き始めている。

 狂三は自然と時計の目が歪み、勝機への微笑みを零す。

 

 

「――――――見事だ、十香」

 

 

 それが、さらに歪む。否、凍りついた(・・・・・)

 濁りのない喝采。この上のない賞賛。今の一撃に対してだけではない。それは、()であり分身とも言うべき夜刀神十香という精霊そのものに対してだ。

 全身がそのことへ警鐘を鳴らす。澪の思考が切り替わり、引き出す力が視てはいけないもの(・・・・・・・・・)になる。

 熱い、熱い、熱い。目が焼ける。先を認識せんと走る思考が、脳が焼けるように熱い。だけど、狂三は足を踏み出した。前へ突き進んだ。

 

 

「……その気高き心に、想いに、最大限の敬意を表する――――私も、それに応えよう」

 

 

 突き出された右手。十香は何もできない。できるわけがない。『死』の極光を避け、【(レートリヴシュ)】による必殺の一刀を放った彼女にその時間はない。いいや、仮にあったとしよう。だが、十香の距離ではどれほどの速さがあろうと避けられる距離ではないのだ。

 その光からは逃れられない。存在するが故に、逃れられぬものがある。蒼空を駆ける天であろうと、大地を穿つ地であろうと、等しく無意味。

識っている(・・・・・)。あの子の極地を、時崎狂三は認識してしまっていた(・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――させ、ませんわっ!!」

 

 

 だから狂三は、十香の前に立ち、無理やり十香を逃れさせた。

 

「狂三っ!?」

 

「な……っ!?」

 

 まったく同時に驚きの声が発せられる。一つは後ろに下げられた十香。もう一つは、今まさに天使を唱えるはずだった澪。正確には、既に天使は放たれた(・・・・・・・・・)

 恐らくは、澪自身の感情に由来しない何か。何かしらの作用が働き、元より狂三に危害を加えるつもりがなかった澪の意志も重なり、『無』の光は本来の輝きを保てない。

 だが、一度放たれた最後の天使、その全てを止めることなど始原の精霊であっても出来はしない。

 

「ぎ――――ぁ……」

 

 故に、直撃は避けられない。『無』の極光。光を集わせた小さな種子。発生した抗えない極限の力に、焼かれる。

 悲鳴さえ声になりきらず、一瞬で消滅をしなかったのは奇跡だった。しかし、霊装の機能を破壊された。内側の構造、肉体の維持に必要な機能を消滅させられた。目の殆どの機能を壊された。

 

 

「狂――――――三ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

 

 だが、聞こえた。幸いにも、術者の手で止められた最後の天使は完全な発動までには至らず、狂三の内側を消失させる程度(・・)に留まった。

 聴覚が残っていれば、士道の声が聞こえる。拘束を振り切り、霊力をつぎ込んで駆ける音が――――――それがあれば、狂三が未来を視ることは容易い(・・・・・・・・・・・・・・)。たとえ目が潰されようと、送り込まれる情報は〈刻々帝(ザフキエル)〉と直結した狂三の脳が処理を行う。

 

 

「ぁ」

 

 

 そこに現れた死の未来(・・・・)を、知覚してしまった。

 

 十香は間に合わない。狂三を守るため再び狂三と澪との間に自らを滑り込ませたからだ。

 澪は動けない。最後の天使を無理に抑え込んだ僅かな一瞬、澪だとしても誰かを助けるには(・・・・・・・・)致命的な隙だ。

 

 

「――――――士道さん」

 

「え――――――」

 

 

 迷いなどなかった。躊躇いなどなかった。あのときと同じことを、心のままに選び取った。

 今度は、生き残ることはない(・・・・・・・・・)と知りながら。

 

 狂三は、その胸を刺し貫かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後悔という言葉の意味を、士道は生まれて初めて味わう。

 そうなのだろう、というものは幾つも体感した。あのとき、あの行動をしていれば。自分がもっとしっかりしていれば。そのようなことは幾らでもあった。その度に、士道は一歩、また一歩と前へ進んでいった。進んでいけばいい――――――そう思っていた。

 

「――――――――」

 

 視界を染めた赤色を、士道は理解できなかった。

 真っ赤に染まった視界を、士道は理解したくなかった。

 ああ、ああ。後悔というものは、反省をして次に活かせるから軽々と扱えた。本当の後悔を知らずにいたから、士道はそう思っていただけだというのに。

 一瞬のことだった。澪と対峙した十香。澪に傷をつけた十香。澪から十香を庇った狂三。それを見て、天使の『根』を全開の霊力を以て――澪の中にいる少女の動揺でか――振り払い、光に押し出された狂三の身体を全力で受け入れた。

 それだけ。それだけしか(・・・・・・)考えていなかった――――――五河士道という男は、未熟なのだ。

 如何に修羅場を超えてきたといえど、士道は極地には至らない。精霊たちと異なり、最強には届かない。

 狂三しか見えていなかった。狂三だけを見ていた。だから、渾身の力で押し出された(・・・・・・)とき、やっと己を襲った殺意に気がついた。

 

 瞬きの間に、剣が狂三の胸を刺した。飛来した少女、金の髪に風を纏わせた――――――魔術師(ウィザード)、エレン・メイザースの手で、それは行われた。

 

 

「アイクの予測は外れてしまいましたが――――――私の屈辱は、ようやく返すことができました」

 

 

 能面ように色のない顔。その中の、狂三とは似ても似つかぬ、淀みと恨みと醜さに塗れた瞳に喜び(・・)を滲ませた女の手によって――――――士道は、取り返せぬ後悔を心に刻まれた。

 

 

「お――――――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 刹那の、神速。エレンすら上回る知覚外の暴力を駆使した十香が、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の刃で狂三を貫く魔力剣を中心から真っ二つに切り裂いた。

 

「ち……っ!!」

 

 舌打ちをし、白銀の鎧に指令を下す動きを見せたエレン。そんなことはどうでもいい。そう言わんばかりの十香が、白と黒だけの世界に怒声を響かせた。

 

 

「シドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ――――――ッ!!」

 

 

 何を指し示しているのかは、わかる。わからないはずもない。十香の言いたいことを理解して、そこで士道は、目の前で起こったことが現実だと知った(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「あ……ああ、ぁ……」

 

 その鮮血が。士道へと降り注ぐ生々しい血溜まりが。匂いが、力なく空を舞った彼女の姿が。

 

 

「あ……ああああああああああああああああああッ!!」

 

 

 取り返しのつかない、絶対的な過ちだと気付かされてしまった。

 

「狂三、狂三、狂三、く、ぁ……、狂三……、っ!!」

 

 苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい。息が続かない。何も見えない。何もわからない。見たくない。己の手の中で力尽きようとしている愛しい少女の姿を見たくない。だけど、見てしまった。

 

「〈贋造魔女(ハニエル)〉っ!! 〈封解主(ミカエル)〉っ!!」

 

 二つの杖を使役し、傷を塞ぎ、空間に『孔』を開ける。前者は、まるで意味を為していないようで血を吐く思いで霊力を叩きつけた。

 後者は――――――不思議なことに、外へと通じる『孔』が開かれた。彼女の空間であるはずのこの場所で、入り込むならいざ知らず出ることは不可能なはずだったのに。

 その意味を、士道は理解などできなかった。することなどできはしない。

 熱い。血が流れ落ちる手が。全てを吐き出してしまいそうな身体が。なんだ、これは。なんだ、これは。わからない、わからない。わかりたくもない。

 

 内側から迫り上がる〝何か〟から逃げるように、士道は『孔』に身を投じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【狂三っ!! 目を覚ませ!! 目を覚ましてくれ!! 狂三、狂三、狂三――――――狂三っ!!】

 

 呼びかける。ひたすら呼びかける。彼女が士道の呼び掛けに応えなかったことは一度もなかった。起き上がってくれる。だって、彼女は時崎狂三だ。

 士道が愛した。士道が愛おしいと思った。士道が誰より憧れた時崎狂三なのだから。

 ――――――起き上がらない。

 

【っ……〈贋造魔女(ハニエル)〉!! 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉!! 〈封解主(ミカエル)〉!!】

 

 癒しの声。変化の光。再生の焔。傷そのものを塞ぐ鍵。

 ありったけの力を込めた。ありったけの想いを込めた。天使は想いを糧に奇跡を起こすもの。だったら、彼女を治せ。彼女を起こせ。目の前に迫り来る理不尽(・・・)を捩じ伏せろ。起きろ、起きろ、起きろ――――――目を覚まさない。

 

「な……、ん……で……」

 

 狂三の白磁を紅く染める血が。霊装を消していく赤い血が。士道の鼻腔を破壊し吐き気さえ起こさせる朱い血が。

 黒い。滂沱のように流れる涙では消せぬほどに黒い血が。滴り落ちる命の灯火が、一つであれ奇跡を寄せ付けることなく広がっていく。

 

「――――――止まれ」

 

 士道の手へ。

 

「止まれ、止まれ、止まれ」

 

 士道の足へ。

 

「止まれよ。止まれってんだよ」

 

 士道の、士道の、士道の、士道の――――――――

 

 

「止まりやがれ――――――ッ!!」

 

 

 押さえ付ける全ての行為を否定するかのように、狂三を死へと至らしめるもの(・・・・・・・・・・・・・)は、溢れ続けた。

 

「――――――もう、おやめくださいまし」

 

 声が鼓膜を響かせたのは、狂三の血が士道の全身を染め上げた頃だった。

 

「汚れて、しまいますわ」

 

「狂、三……」

 

 喜ばしいことのはずだ。その微笑みを見て、なぜ五河士道は悲しく惨めな涙を流している。

自分自身の死期を悟った(・・・・・・・・・・・)彼女を、この期に及んで士道を気遣う優雅な姿を見せる彼女を見て、何を――――――

 

「……精霊としての……、機能を内側か……ら壊された上で、喋ることができているのは奇跡、ですわね。まったく、どこまで……生き意地が、汚い……」

 

「……!! 止めろ狂三、喋ったら――――――」

 

 ぴたりと、指が士道の唇を制した。どこにそのような力が残っているのか。もはや、血に塗れていない場所などない身体で。喀血した唇で。

 時崎狂三は、最後の言葉を吐き出した(・・・・・・・・・・・)

 

「十香、さんと……大丈夫、ですわ。お二人なら、必ず……」

 

「待てよ……」

 

 なんだそれは。

 

「そしたら、わたくしの力を使い……、全てを『なかったこと』に……」

 

「待ってくれ……」

 

 止めろ。止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ――――――――!!

 

「そうす、れば……皆様と、また……ああ、あ、あ……けれど、また策の練り直し……ですわ、ね……」

 

「っ――――――待てって言ってるだろ!!」

 

 怒声が飛ぶ。拒絶する。霊力が士道の意志に従って、辺りの全てを拒絶した。

 だけど、士道が抱き抱えた狂三の事実だけは、消しされなかった。

 

 

「ごめん、なさい――――――約束、守れませんわ」

 

 

 言葉は、止まらなかった。

 そうして、距離は零になる。振り絞られた力に抗うことなく、士道の顔は血濡れ、霞んだ瞳に吸い込まれた。なお、美しいと思った。

 

 唇と唇が、重なった。

 

 

『――――――――――』

 

 

 それが、初恋の人との最初の――――――そして、最後の口付けだった。

 血溜まりと鉄の味が染み渡り、離れ、

 

 

「――――――――――狂三?」

 

 

 全てが、抜け落ちていった。

 

 

「…………狂三」

 

 

 全身から熱が消えた。

 

 

「狂三」

 

 

 何も、言えなかった。

 

 

「…………………………………………………………………………………………嫌だ」

 

 

 愛してる。それすら言えなかった。

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――嫌だ」

 

 

 彼女は、物言わぬ。辺りに広がる瓦礫と同じものになった。

 何も無い。そこには、何も無かった(・・・・・・)

 

 彼女だけは、駄目だ。彼女だから、駄目なのだ。

 

 約束したのに。二人で、そう約束したのに。

 

 どこにもいない彼女を探して、気が付く。

 

 ああ――――――この未来(・・・・)を視てしまった士道に、取るべき未来など残されてはいない。

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

 

 

 心が、身体を砕く。想いが、心を砕く。

 

 何がいけなかった。どうして狂三はいなくなった。どうして士道じゃなかった。

 未熟だったから。何も見えていなかった。エレン・メイザース。アイザック・ウェストコット。常に考えていなければならないことを、考えられなかった。

 なら、奴らが悪いのか――――――違う。士道だ。士道が全てを無に帰した。

 もっとだ。もっと、もっと、もっと根本的なもの。あの優しい少女が死ななければならなかった理由。優しくも厳しい少女が、どうして死ななければ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「あ」

 

 

 そうか。士道は、笑った(・・・)。あまりに醜悪。あまりに醜い。あまりに、あまりに、あまりにあまりにあまりにあまりにあまりに――――――当然の結実だったのだ。

 

「あ――――――はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 

 笑う。嗤う。優雅とは似ても似つかぬ、嘲笑いを。

 己が内側から手を引かれる。それを、引きずり出す(・・・・・・)。呑み込む。別の何かに、成り果てる。

 力を。もっと、もっと力を。彼女を守れるだけの力ではない。それでは意味がない。意味がなくなってしまった。

 簡単なことだったのだ。抱き締める。少女であった者の亡骸を。愛おしく、誠実に。そっと、そっと。

 初めからそうすればよかった。ゆっくりと地面に横たえる。美しい少女を飾るには相応しくない墓標。けれど、大丈夫(・・・)

 ああ、何もかもが間違いだった。力のない士道も。日常を望んだ士道も。士道でなくてはならない理由は、もうない。約束を果たせなかった五河士道に居場所などない。

 どうすればよかったのか。どうすれば、この全てがどうでもよくなる未来を閉ざすことができるのか。ああ、本当に簡単な話だったと士道だったもの(・・・・・)は嗤う。

 紅と黒に染まる身体で。幽鬼の如く色を失った髪で。

 

 

「なあ、そうだろ――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 応えるように黄金の左眼が刻の涙を流し――――――少年が鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「――――――っ」

 

それ(・・)は、過敏すぎる程に進化を遂げた――友を救えなかった今となっては慰めにもならない――十香の知覚領域が反応したことによる、十香自身の震え(・・)だった。

 眼前にはDEMの魔術師(ウィザード)と呼ばれる者たち(・・)動きのない(・・・・・)澪。今の十香と言えど、完全に意識を逸らすことは致命傷に繋がりかねない。

 だが、それでも止まった。十香の全神経が震え、剣の柄を握る指が、覆われた霊装が細やかな音を掻き鳴らす。

 

「これ、は……」

 

恐怖(・・)。憤怒、憎悪、絶望、殺意――――――十香に向けられたものではないとわかっているのに、それがわかっていてなお、十香は恐怖の感情を抱いた。

 迫り来る〝何か〟。十香より遅れ、魔術師(ウィザード)たちもまた気が付く。白と黒の世界に、それ(・・)は現れた。

 

 

「――――――――な」

 

 

 そして、十香は、言葉を喪失した。

 

 言わなければならない言葉があったはずだった。なぜなら、十香が()を見紛うことなどありえないのだから。

 だから、ありえないことのはずだった。しかし、何もかもが違った。

 いつも勇気を与えてくれた瞳は、鮮血のような紅に染まり。崩れた髪は鮮やかだった色を落とし、彷徨える亡霊の如く揺れている。

()のはずだ。十香の心を救い、皆を救い、決して諦めることのなかった。なのに、

 

 

「――――――シ、ドー……?」

 

 

 なぜ十香は、五河士道と呼ぶことに疑問を持ってしまったのだろうか(・・・・・・・・・・・・・・・)

 ああ、だけど、これだけはわかる。十香の直感が告げていた。

 揺れる幽鬼の髪から垣間見える時の奏は――――――十香が遅すぎたのだと、教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、よかった。無事だったんだな、十香」

 

己であったもの(・・・・・・・)を呼ぶ声に、僅かばかり思考を取り戻し、返す。

 十香の顔はよく見えない(・・・・・・)が、まあ些事なこと。そこにいて、無事ならばいい。

 

「下がっててくれ――――――終わらせるから(・・・・・・・)

 

「待て……待つのだ……っ」

 

 身体が軽い。血が固まり、染み渡り、全身に行き渡る。なのに、全てが容易く行える。

 万能感が支配する。力が漲る。これまでできなかった全てが、指先一つで行える。そんな確信があった。

 

 今になって、今更となって、無駄な力がここにはあった。

 

 そうであるなら、終わらせる。故に、己の手を掲げ。

 

「――――――随分、様変わりしたようですね、五河士道」

 

耳障りな声(・・・・・)が、鼓膜を震わせた。

 

「ですが、ちょうどいい。アイクのために、あなたの霊力も回収させていただきましょう」

 

 誰だったか。あいつを取り巻く連中はどうでもいいが、あの女だけは目が捉えている。十香の顔はよく見えないというのに、煩わしいことにだ。

 さて、どうしてだったか。今すぐにでも目的を果たしたいところではあるのだが、あの女を見ると思考が止まってしまった。

 金色の髪。白銀の鎧。他者を見下し続けるあの女は――――――――

 

 

「その様子だと、〈ナイトメア〉は息絶えたようですね。我々に逆らうということは、そういうことだと――――――――」

 

 

 ああ、ああ。思い出した――――――殺す相手だった(・・・・・・・)

 

 

【黙れ】

 

 

()に込めた。言葉の全て、その意味の通りに込めた。

 

「っ……!?」

 

 憂いもなく、止まった。他の邪魔な取り巻きも、どうやら勝手に動きを止めたようだ。好都合、というのはこういうことを言うのだろう。

 もっとも、こんな乱雑な使い方をしていては、美九に叱られてしまいそうだ――――――もう、いないのに。

 

 瞬間、〝鍵〟を回し女の目の前に位置を変える。風を纏わせた腕を振るい、その土手っ腹に拳を叩きつけた。

 

「ァ……!!」

 

 喋るなといったのに。その煩わしさに顔を顰め、耳にひしゃげたカエルのような無様極まる悲鳴が走る。女の身体が白黒の地面にめり込む。

 

 

「〈救世魔王(サタン)〉」

 

 

 虚空より出、闇の極光が女の四肢を穿ち、鮮血を上げる。今度は悲鳴すらなかった。

 右の手のひらを見せ、柄を呼び起こす。

 

 

「〈暴虐公(ナヘマー)〉」

 

 

 片刃の剣。誉れ高き魔王の(つるぎ)。だが、些か失敗したと思ってしまったのは――――――それを、女の胸を突き刺すことで、汚してしまったことだろうか。

 

「ぁ……、……が、……」

 

「……なんだ、まだ生きてるのか」

 

 身体の内蔵を吹き飛ばした闇色の霊力、その軌跡を残しながら剣を胸元から引き抜けば、女は死にかけの動物のように幾度も身体を痙攣させ、震えながら生命にしがみつく。

 なるほど、生き意地が汚いとは、本当ならこのことを言うのだろう。存外、魔術師(ウィザード)というのはこうもしぶといものかと眉根を下げる。

 動けない身体で随意領域(テリトリー)を扱い、何とか吹き飛んだ肉体の組織を取り戻そうと試みているのかもしれない。哀れなことだ。仮にこちらに対抗できたところで、こいつらの望みは叶わない。

 こんな相手に無様に敗北する人間が、十香や澪に――――――狂三に勝てるものか。

 そして思案は続く。なぜ意味のないことをしてしまったのか。この女がどうなろうが知ったことではない。だが、目障りだった。ああ、そうだ。怒りとか、殺意とか、そういうものじゃない。

 

 ただ、この存在が目の前にあることが許せないだけなのだ。

 

「終われ」

 

 最強と呼ばれた存在が生き恥を晒すのは、苦しいだろう。

 思ってもいない慈悲を浮かべ、〈暴虐公(ナヘマー)〉の刃を女の首へ振り下ろし――――――――

 

 

「シドー!!」

『士道さん』

 

 

 止まった。神速の一刀として、紙のような随意領域(テリトリー)など文字通り紙のように切り裂き、首を切断せしめたであろう漆黒の剣が止まる。

 止めるつもりなどなかった。声が聞こえた。顔が見えなくなってしまった十香の、悲痛な声が響いた。

 それはどうしてか、愛しい少女のものに思えた。

 

「止めろ……止めてくれ、シドー。こんなこと……シドーらしく、ないぞ……」

 

「…………」

 

 涙が流れている、気がした。好いた子の涙が。声が震えている気がした。自分が守らなければならなかった涙、だったはずなのに。

 ――――――どうでも、いいか。そんな思考が過ぎった。手にしていた剣を手放し霊子へと返し、もはや興味の欠片すらなくなった女を蹴り飛ばす。

 

「が……ッ」

 

 聞くに絶えない悲鳴を響かせる。ああ、ああ、不愉快だ、不愉快だ。

 この程度の女に大切な存在を奪われた自分自身の存在そのものが、一番不愉快だ(・・・・・・)

 だから始めよう。

 

 

「来い――――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 謳う。呪うように謳う。それだけは、ただ唯一女王が遺せしもの。受け継ぎしもの。譲ることなく、揺らぐことのない時の概念。

 影が揺らぎ、時の全てを奏でる天使が我が背に浮かぶ。トン、トン――――と、慣れた靴音を鳴らし、どこまでも広く影を伸ばした(・・・・・・・・・・・・・)

 

「シドー、一体何をするのだ……!?」

 

 どこまでも、どこまでも、どこまでもどこまでもどこまでも。伸ばして、延ばして、喰らう(・・・)

 

 

「シン」

 

 

 そのとき、声が聞こえた。顔はよく見えないけど、声だけは聞き取ることができた。

 

「澪」

 

 応えはした。応えることはしたが、彼女の満足いくものではなかったのだろう。動揺が伝わってくる。

 ああ、確かに申し訳ないことをした(・・・・・・・・・・)。こうなっては、霊力を封印できたところで崇宮真士の器としては最悪もいいところだと苦笑する。しかし、そう案ずることはない。

 

「心配するなよ、澪。おまえは、また待つだけでいいんだ(・・・・・・・・・・・)

 

「……何を、するつもり?」

 

 急速に高まる霊力。時間。その二つを従え、ありったけの力を〈刻々帝(ザフキエル)〉へと導き、微笑みを以て知れたこと(・・・・・)に答えた。

 

「――――――作り直す(・・・・)。それで、いい」

 

「――――――――――――」

 

 ああ、ああ。それでいい。それだけ(・・・・)が確定していればいい。

 問いかける言葉。問われる言葉。もう出し尽くした。結論へと至るには、待ちに待った。

 

 時を戻る? それは、少年の中では、少年の望みを叶えるには意味のない行為だ。だって、視てしまった。感じてしまった。観測してしまった。凄惨な未来を。彼女がいなくなってしまう未来を。

 何の意味がある。時を戻り、何の意味があるというのだ。その可能性がある(・・・・・・・・)。それだけで、耐えられないほどの苦痛。もう一度、あの時を繰り返すなど不可能だ。

 

 だから、

 

 

 

「もう、絶対に死なせない。もう、絶対に間違わない。

だからもう一度、君のいる世界を創ろう――――狂三」

 

 

 

 そのために人間・五河士道という存在と、精霊・時崎狂三という存在は――――――必要ない。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――――」

 

 

 手にした銃口に込めしは、全にして一。全ての数字から影を呼び、あらゆる時間を歪め、収め、引き金に指をかけた。

 引き金が引かれた音は、悲劇を終わらせるものか。

 それとも――――――めぐるめぐ悲劇の狼煙か。

 

 

「【■の弾(エフェス)】」

 

 

 それを、世界へ撃ち込んだ(・・・・・・・・)

 闇が、世界を呑み込む。

 

「シドォォォォォォォォォォッ!!」

 

 誰かの声が、聞こえた気がした。

 

「…………」

 

 悲しげな沈黙が、闇の中にあった。

 

 

 そして、時が螺旋し――――――世界が、巻き戻った(・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ふんふーん。うふふ……」

 

 鏡の前で、ひらり。スカートが翻り。我ながら、なかなかに着こなせていると自画自賛。左右揃いの色をした(・・・・・・・・・)双眸と、今日この日のためにしっかりと整えられたストレートの髪が評価を告げていると言っても過言ではない。

 

「そうでしょう――――――『わたくし』?」

 

 鏡に向かい、問いかける。……まあ、答える者はそれこそ己しかいない。はてさて、と小首を傾げたのは自分自身。自分の分身(イマジナリー)を作り上げてしまうとは、そういう年頃なのだろうか――――――そう、時崎狂三(・・・・)は苦笑した。

 そもそも、だ。春休みが明けた(・・・・・・・)程度で、一体何をやっているのかと冷静になる。生憎と、又は好都合ともいうが、一人暮らしの狂三の奇行を止めてくれる人はいなかった。

 

『――――今日未明、天宮市近郊の――――――』

 

「あら?」

 

 妙に熱くなった顔をパタパタと手で仰ぎ冷ましていると、付けっぱなしにしていたテレビのニュースの内容に狂三は眉根を上げた。

 画面に映し出された街の様子。それは、単純な災害と呼ぶには悲惨で、それでいて『この世界』でのある種日常と呼べる光景。

 

「空間震、ですのね」

 

 広域振動現象。発生原因、発生時期、被害規模、どれを取っても不明、不定期、不確定。文字通り空間を抉りとる振動、とでも言うべき現象。

 日常にありながら、非日常。平和でありながら、この世界はどこか歪だ。

 

「…………」

 

 狂三にどうにかできるものではない。悲惨な事故現場(・・・・)を見れば、誰の手にも余る。人の領域を超えた現象。たかが小娘一人の正義感で、何かができるものではない。慈善事業の真似事がせいぜいといったところだろう。

 けれど、思ってしまう。考えてしまう――――――狂三は、理不尽を覆す力を持っていたのではなかったのか、と。

 

「……思い上がりですわ、ね」

 

 息を吐き、テレビを消し、用意した鞄を手に取る。そうすれば、いつも通りの時崎狂三。平和を享受する未熟ながらも恵まれた時崎狂三。

 きっと、思春期や子供によくある全能感。少しすれば、なくなってしまう感覚だ。今は、それも楽しむことにしよう。

 

 

「あ――――――」

 

 

 家を出て、無駄に背の高い塀を横目に、狂三は見慣れた人影を視界に収めた。

 中性的な顔立ちの少女(・・)。とはいえ、勇ましさや無骨さではなく、線の細い少年を思わせる中性的な、だ。その物腰、雰囲気共に狂三の肥えた目を満足させるに足る少女だった。

 狂三の姿に気がついたのだろう。狂三と同じ制服を纏った少女が、長い髪をふわりと揺らし穏やかながら快活な微笑みを見せた。

 

「おはようございます、狂三さん」

 

「おはようございます――――――士織さん(・・・・)

 

 彼女の名は士織。五河士織(・・・・)。都立来禅高校、狂三の学友にして幼なじみ(・・・・)の間柄。昔から、彼女の妹共々世話になっているご近所さん。

 

「お久しぶり……というわけでもありませんわね」

 

「そうですね。春休みでも変わらずでしたし」

 

 休み明けではあるものの、互いに苦笑してしまうくらいには全く久しいという感覚はない。

 しかし、学年が上がりクラス替えとなれば話は別か、と士織と学校へ向かい歩きながら雑談に興じる。

 

「クラス替え……同じクラスになれるといいですね」

 

「さて、さて。こればかりは神のみぞ……いいえ、教員のみぞ知る、でしょうか。まさか、データを改ざんして同じクラスへ、なんてこともできませんものね」

 

「あはは、そんな人いないですよ。殿町くんとも同じクラスになれるといいなぁ」

 

「あら、あら。そのお心は?」

 

「だって、面白い人なので……」

 

「……殿町さんに同情いたしますわ」

 

 距離が近しければ良い、というものではないと学べるよいサンプルデータだ。殿町宏人殿には申し訳ないが、貴重なデータとして頭に刻んでおかせてもらおう。

 そんな戯れ、これからの話を続ける。本当に、狂三は恵まれている。

 

「………………」

 

「狂三さん?」

 

 ああ、ああ。なのに、どうして、

 

 

「いえ、いえ。なんでも……ございませんわ」

 

 

 どうして――――――心の虚しさが、消えないのだろうか。

 一番大切なものを失ってしまったかのように、狂三の心は、いつまでも満たされることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――こうして、世界は平和になった。……ですか?」

 

 フェンスに身体を預け、少女は戯れを謳う。二人の少女を見下ろし、道化のように語る。

 物語を締めくくる道化の語り。しかし、それは独白ではなく問いかけ。

 隣でフェンスに背を預けた少年(・・)への問いかけだった。

 

「本当に、そう思ってるのか?」

 

 問いかけの返しに、ローブの下で少女は笑う。まさか、と。

 

 

「いいえ。そうだとしたら、私はここにいない。そうでしょう――――――精霊・〈ナイトメア〉?」

 

 

 少年は――――――精霊(・・)は、装飾の施されたコートをはためかせ、歩く。深い、深い闇を思わせる黒と、血を塗り固めたような赤い光の膜で彩られた霊装(・・)。それを翻し、幽鬼の髪と不揃いの双眸(・・・・・・)を見せつけ、精霊は不敵な微笑みを浮かべた。

 

「く、はははっ! ああ、ああ。そうだ。俺は、世界を平和にしたつもりなんてさらさらねぇよ」

 

「…………」

 

「初めからさ、間違ってたんだ。役割は俺じゃなくていい――――――でも、狂三じゃなくてもいい(・・・・・・・・・・)

 

時は逆転した(・・・・・・)。白の少女が全てを理解した時、全てが手遅れだった。

 希望を託した少年は堕ち、少女は全てを無くし全てを得た。否、それ故に手遅れというのは間違っている。

 白の少女の計画は成就した。これ以上ない形で。彼女はもう、異なる世界の住人(・・・・・・・・)だ。

 常識に対しての驚異ではなく、常識に適応した普通の高校生。それが、『この世界』での時崎狂三。

 常識に適応した普通の高校生ではなく、常識に対しての驚異。それが、『この世界』での五河士道。

 正しくは、五河士道だったもの(・・・・・・・・・)、だが。

 

 

「……これがあなたの〝答え〟ですか、〈ナイトメア〉」

 

「そうだ。これが俺の〝答え〟だ、〈アンノウン〉」

 

 

 濁り、憎悪し、それでもなお輝きを失わぬ時を刻む左眼。そこに、少女が希望を見出した少年の瞳はなかった。

 そこには、大切なものを二度と失わぬため、手にできないほど遠くへ封じ込めた悲しき精霊の瞳があった。

 少年はいない。いるのは精霊。それが理解してしまえる。だけど、白の少女は彼を呼んだ。

 

「……士道」

 

「誰だよ、それ」

 

「……あなたの、名前でしょう。大事な名前だって――――――」

 

「忘れた。おまえも忘れていい」

 

 もはや何の情も、ましてや未練はない。顔は氷のように冷たく、瞳の中に闇を抱く。あんなにも優しかった少年が、それは、それは――――――あまりにも悲しくて、少女は言葉を重ねた。

 

「……忘れません。私だけは、絶対に」

 

「そうか」

 

 少年は興味を持たず、けれど否定もしなかった。白の少女には、それが酷く悲しく、同時にありがたかった。

 だって、白の少女が忘れたら、もう誰も彼を呼べはしない。

 『私』は別の人を見ている。彼女は全てを忘れてしまった。なら、〝私〟しかいない。裏返したカードを表にし、再び裏へと返した『この世界』で、士道を覚えていたかった。

 

 ――――――あの時の感触が、記憶が、士道を蝕んでいる。覚えていてしまう。なかったことにはならない。

 そして、悟ったのだ。士道は、狂三と出会うべきではなかったのだと。士道なんかと出会ってしまったから、狂三はああなってしまったのだと――――――それを否定できる人は、彼の腕の中で事切れてしまったから。

 恋なんて、知らなければよかった。彼女がいなくなった痛みが、今この瞬間に伝わってくるようだった。

 だから否定した。世界を拒絶した。絶望の未来。一つの未来を観測した士道は、その未来が存在することそのものが許せなかった。

 これがその結果。始原の領域へと一度は至った少年が放った〈刻々帝(ザフキエル)〉の銃弾は、世界そのものの時間を凌駕し、反転させ、因果の一つを極限まで捻じ曲げ――――――もう一度、繰り返させる。

 

 そして、悲劇は繰返す。

 

「さて、さて。じゃあ、始めるか」

 

「……何をするつもりです?」

 

「はは、澪そっくりの反応だな」

 

「っ……」

 

 思いがけぬ反撃に眉根を揺らした少女を知ってか知らずか、士道は不敵な笑みを消すことなく続ける。

 

「決まってるだろ。〈ナイトメア〉の目的なんて、おまえがよくご存知のはずだろう?」

 

「……それは」

 

 知っているとも。〈ナイトメア〉。数多の命を摘み取った大罪人。許されることのない罪過を背負いし精霊。

 その〝悲願〟を白の少女は知っている。

 その〝悲願〟を五河士道は知っていた。

 

 

「俺が、狂三を殺した。やったことへの責任は取るさ。俺は――――――何があっても辿り着いてみせる。必ずな」

 

 

 故に、〈ナイトメア〉は精霊〈ナイトメア〉の〝悲願〟を、必ず実現させる。

 何を犠牲にしようと。己を捨て去ろうと。精霊〈ナイトメア〉が叶えねばならなかった願いを、〈ナイトメア〉は必ず叶えてみせると。

 

「おまえはどうする? って言っても、おまえの願いは叶った形になったんだよな?」

 

「……ええ」

 

 白の少女の願いは、確かに叶った。今一度、確認しても構わない。時崎狂三という精霊は存在せず、時崎狂三という人間になった。それは、本来の想定から外れたとはいえ十二分に〝計画〟の遂行は果たされた、と言っても過言ではない。

 だが、

 

「なら、ここで別れても――――――」

 

「一緒に行きます」

 

 士道が目を丸くした。それほど勢いが強かったのか。まあ、構わないだろうと少女は声を上げる。

 胸に手を当て、かしずく。かつて女王と呼びし者への礼節を、再び少女は纏った。

 

 

「〈アンノウン〉は〈ナイトメア〉に付き添う者――――――あなたが〈ナイトメア〉だというのなら、私はどこまでも共に在りましょう。我が魔王(・・・・)よ」

 

 

 どういう感情なのだろう。自分自身、衝動に従っただけ。白の少女の目的が達せられた今、〈アンノウン〉にやるべきことなどない。

 それでも、よかったと思った。見上げた先に彼は、笑ってくれたから(・・・・・・・・)

 

 

「そっか。――――――ありがとう、〈アンノウン〉」

 

「っ……」

 

 

 それは、笑顔だけど、悲しげだった。だけど、笑ってくれただけで、よかったのだ。

 〝影〟を操り、士道が〝影〟の中へと消える。残された少女は、独りごちた。

 

 

「……私、好きだったんだ。士道の笑顔」

 

 

 彼の笑顔が。彼が狂三に見せる笑顔が(・・・・・・・・・)、堪らなく愛おしかった。

 それは恋心だったのだろうか。それとも、愛であったのだろうか。今となっては、意味のないことかもしれないけれど。まるで、本物の道化になったようだと少女は苦笑した。

 彼は救えない。少女に、彼は救えないのだ。名を持たぬ少女が、名を忘れた少年を救うことなど、そんな高慢なことなどできはしないのだ。

 繰り返す。時は繰り返す。役者を変え、舞台を整え、再び精霊たちが織り成す悲劇の幕は上がる。

 

 

『――――さてさて。訪れたるは復讐の舞台。はたまた悲劇の舞台』

 

「――――――!!」

 

『ならば、幕を開けよう。涙の止まらぬ悲劇の幕を。笑いの止まらぬ喜劇の幕を。さぁさぁ、あなたは何を願いになられますかな――――――母上』

 

 

()が吹き荒ぶ。姿を隠した少女をさらけ出し、己を産んだ神様と同じ貌(・・・)を明かす。

 舞台に上がれと言うように。おまえの願いはなんだと、道化師は問いかけた。

 

 叶えるべき願いは、叶った。だから、それ以上を望む権利などない。

 

 

「本当に――――――」

 

 

 だけど、問いかけた。白の少女は、友の隣で笑う女王だった人(・・・・)を見つめ、そうして問いかけた。

 少女の願いは叶えられた。少年は理想の世界を創り上げた。なのに――――――悲劇は、繰返す。

 

 

 

 

 

「本当に、これでよかったの――――――士道」

 

 

 

 

 

 

 

 






『それでは皆々様――――――美しい悲劇の繰り返しをご覧あれ』


「これは私たち〈ラタトスク〉の仕事よ。中途半端に関わらないで!」

「私は絶対に死ねない。一つでも命を奪ったら、あなたはもう、後戻りできなくなる」

「その程度の〝死〟が――――――あの子の前に立つな」

「私は弱いし根暗だし何の才能もないけど、それは何もしないことの言い訳にならない。――――――誰かなら、そう言った気がする」

「精霊の運命は、私が変える」


「悲しい人。私を抱ける人だったら、こんなに苦しまなくて済んだのに」

「おまえの知ってる五河士道は、もう死んだ」



「おいでなさい――――――〈刻々帝(ザアアアアアフキエエエエエル)〉!!」






十年後くらいに公開。嘘です、何も考えてません。9割パロで予告の中で使われる台詞一つか二つです。予告がそもそも苦手なので遊びでしかやりませーん。

と、言うわけでいかがでしたでしょうか。士道IF、バッドエンド。やりたい放題、暴れ放題。でも救いのなさは一番です。
エレンこんな扱いしていいのかと考えましたけど、原作だと士道の胸ぶっ刺してから首チョンパしてますし意趣返しだからいいな!って遠慮なくやりました。それ以外にも本家を思わせる台詞や再現がチラホラ。実はリビルド本編の台詞も繰り返した時間の後に使ってたりするんだぜぇと。
一応、狂三IFと士道IFそれぞれで能力の完成は実のところ本編と似た領域なんですよね。狂三は白の少女の想定した狂三ですし、士道もさり気なく想定された精霊の霊力を封印しています。だけど、二人ともハッピーにはならない。そりゃそうだ、ってのは本編が語ってくれていることでしょう。

それでは、時間軸が巻き戻り、初期地点に戻されたキャラの立ち位置を一応ご紹介。

『士道』
狂三の死の未来を完全に否定し、歩みの全てさえ否定した。信念を失った士道は、士道ではない精霊〈ナイトメア〉として霊力……つまりは五河士織の精霊封印を待つことに。
ちなみに所有天使は世界リセットに霊力を消費、そしてリセット自体の影響で〈刻々帝〉のみ。霊力封印能力の安否は確かめようがなく、本人も確かめる気がないため不明。
狂三の死が完全にトラウマと化してるため、明確な目的がなければ狂三に近づこうとしない。あったとしてもはぐらかす。というより、あの死があるから士道が共にいることが間違いだったと約束まで否定してしまった。彼の幸せがあるかは……紡いだ絆っていうのは、世界が変わろうとそう簡単に消えるものじゃない、とだけ。

『白の少女』
消えて蘇ったら希望を託した少年が絶望して、なのに根本の目的は果たされて困っている子。何か世界の歪みから封印されていた神様の我が子も嬉々として現れてさあどうしましょう、という状態。とりあえず、放っておけないので士道に付き添いルート。あと念願の『我が魔王』解禁です。女王までは当然の如く呼ばせようと思っていましたが、『我が』に関しては完全に狙っていたので1回くらいは記念品。
ある意味で〈アンノウン〉ルートです。ファンの方がいらっしゃるのならおめでとうございます。まあくっつかないですけどね、絶対。このお祝い皮肉すぎる。
絶望して己を慰めるために少女を抱けるのなら、差し出された身体を使えるのなら、彼はあんなに苦しまないとわかっているからこの子も辛い。

最後の問いかけは、少女の本当の心そのもの。皆様は、どう感じましたでしょうか?

『崇宮澪』
周回休憩中。再び暗躍しながら機を待つことに。でも、見覚えのある選択をしてしまった士道にどこか悲しそう。

『五河士織』
マジカル士織ちゃん!……じゃなく、えげつない善性の塊としてこれから精霊を攻略していく子。根っこの部分は同じだが、曰く『俺はあそこまで人間できてなかった気がするけどな』。曰く『士道やシンと似ても似つかないのに何か似てる気がしますよねぇ』。らしい。
ここで微妙に出番が巡ってくると置いておいたため本編だと出番増やさなかった子。あんまり煮詰めてないけど士道の存在で苦悩だったりがあるでしょうね。ちなみに前の世界の影響なのか狂三との距離がめちゃくちゃ近いという裏設定。

『時崎狂三』
一般人? 恐らくはことある事に精霊事件に関わる運命にある子。運命は繰り返されるのか、それとも……?
精霊じゃない彼女の容姿はアンコール10巻のカラー絵『こんなの美少女じゃないわ!ハイパーウルトラパーフェクト美少女くるみん完全体よ!』をイメージしてもらえれば。ちなみに名前は今脳死で考えました。ごめんなさいつなこ神。

狂三セコムが暗躍したり士道が代役したりと色々とあるのでしょうが、士道がリフレインの狂三のように動くなら折紙編の終わりからなのかな?とか頭の中では描いています。ぶっちゃけ綺麗にバッドエンドしたつもりなので結末は考えてませんけどね。いや私が書くとハッピーエンドに行き着くと思いますし……。複線や回収してないものは残してますけれど。前回の【四の弾】と【六の弾】どうなったの?とか誰か気がついてくれただろうか。
さてさて誰も根本的には救われていないからこそ、バッドエンドは輝くというもの。

そして、本来の形でハッピーエンドがあるからこそ輝くというものです。さあ、残すところ後一話となりました。書きたいように書こうと思っていますので、本編後の時系列にどうぞご安心、そしてご期待下さい。ここまで見てくださった皆様へ、最後くらいはこうして己の自信を主張していきます。あやっぱり不安ですはい。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。それでは、最後になりますが、次回をお楽しみに!!


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五河・狂三フューチャー
『そして、時は未来へと』


この話を以て、狂三リビルドという作品に完結マークを記させていただきます。ここまでご愛読していただいた方々へ、感謝申し上げます。


さあ――――――私たちの最後のデートを始めましょう。






 夢を見た。

 

「…………」

 

 起きがけ、無言で己の中の霊力を確かめる。異常らしい異常はない。全くの健康体。

世界を創り変えた(・・・・・・・・)あの日から変わらぬ、彼女との繋がり。

 そう思えば、久方ぶりの夢だな、と。いいや、単なる夢の話ではなく、現実感(・・・)を伴うものではあり、それを久方ぶりと呼ぶことで正しい意味になるか。

 そんな夢を――――酷くリアリティのある情報を受け止めたのは、あの戦争(デート)以来だったかもしれない。

 深くは覚えていない。なのにただ一つのことは覚えている。

 

 ――――――きっと、大切なものを失った記録だと、士道は気がついた。だから、

 

 

「……会いたいな」

 

 

 狂三の顔が見たい。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 夢を見てしまった。

 

「はぁ……」

 

 この世の終わりのようなため息を吐くものだと、我ながら気が落ちる。理由は明白。ここ最近――世界改変後から――は見ることも少なくなっていた夢見。が、何故か今日は視えてしまった。

 しかもご丁寧に未来視ではなく過去視であり、更には狂三の知らない過去。頭痛すら感じられる中身だった……と、深く覚えてはいないのに感じられた。

 彼と世界を変え、執念の復讐鬼の声は消えた。だが、もしかすれば、或いは――――――それ(・・)を選んでしまった『時崎狂三』はいたのだろうか。

 そうであるならば、

 

 

「……会いたい、ですわね」

 

 

 士道の顔が見たい。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あれ……?」

 

 音を鳴らして数秒後、士道はおかしいなと首を捻る。と言っても、別に士道から何か音を発したわけではない。士道が指をかけたチャイム、つまりは部屋の主に来訪を知らせる呼び鈴からだ。

 はて、と首を逆側にもう一捻りしてからチャイムを鳴らす。……反応はなく、三度目は止めておこうと士道は手を下げた。主に遠慮をした、というわけではなく、二度鳴らして反応がないのであればいないのだろう、と当たりを付けたのだ。

 士道が訪れた場所は、家の真隣の精霊マンション。その305号室。部屋の主は、言うまでもなく士道が愛しの時崎狂三様である。

 あの戦いのあと、色々なことがあった。世界を創り変えた、とは言ってもそれより先の日常を生み出していくのは皆それぞれだ。

 問題は主に未零、令音、狂三であったが、狂三は『わざわざ〈ラタトスク〉へ面倒事を要求するつもりはありませんわ。将来義妹様がストレスで酒浸りは嫌ですもの』とのことで、幾つかの拠点は残したまま狂三の住居は精霊マンションへあっさりと決まった。士道が安堵したのは言うまでもなかったし、琴里はその納得の理由であるはずなのに、心底納得いかなそうに渋面を作っていたことは比較的記憶に新しい。

 

「すれ違ったかな」

 

 いつものモーニングルーティンを最速で終わらせ、そこそこの急ぎ足で向かってきたつもりだったのだが、この時間に狂三が部屋にいないのは予想外だった。

 あごに手を当て、狂三の行き先を考える。余程突拍子がないことを思い浮かべなければ、彼女の行動は基本的に士道が知るところにある。知らないということは、これは突拍子のないことに含まれるかもしれない。それは、今朝から彼女の部屋を訪れた士道の行動そのものを指すかもしれないが。

 とはいえ居場所を知るだけなら簡単だ、と士道はポケットからスマートフォンを取り出す。色々と〈ラタトスク〉に勝手な機能を付け加えられた本機であるが、本来の使用用途も当然ながら搭載されている。これで狂三へ連絡を取れば一撃万事解決、だが――――――

 

「……やめとくか」

 

 軽く息を吐いて、スマートフォンをポケットへ戻す。

 何となくだが、そんな気分だ。会いたい気持ちは強いが、同時に探すのなら自分の手で……複雑だが、そういう気分なのから仕方がない。

 

「よし」

 

 ふん、と謎の気合いを入れ、来た道を戻ろうと士道はエレベーターへ身体を向け、そのエレベーターの扉が開かれたのを見て眉をひそめた。

 

「ん?」

 

 もしかして、狂三が帰ってきたのだろうか。そう一瞬思ったが、遠目に飛び込んだ薄紫の靡きを見て考えを改める。

 士道は、というより士道でなくても誰なのかすぐにわかった。

 

「あー!」

 

 職業柄と関係があるのか、非常に整った姿勢と歩幅を維持してこちらへ振り向いた彼女は、士道を見つけるなりパァっと目を輝かせその美声を存分に響かせた。

 今朝から元気だなぁ、なんてほのぼのと考えながら手を挙げて挨拶をすると、彼女は猛ダッシュを決め込み――――――

 

「だ・あ・りーん!!」

 

「おま……っ!?」

 

 飛び込んできた。文字通り、正面からの跳躍。舞台(ステージ)の下からジャンプ台でも駆使したのか、と思える見事な正面跳躍。本職の技術が天性と努力の物であるため忘れがちだが、彼女も精霊として純粋に優れた身体能力を保有しているのだ。

 そのまま押し潰される――――――のは、当然として避ける。身体に気合いと力を込め、正面から飛び込んでくる彼女の身体を抱き留める。足に適度な力を入れ、衝撃を逃がすようにぐるりと回りながら彼女の身体をキープ。ついでに彼女の足側に手を入れ、彼女が返すように士道の首元に手を回せば……見事、アイドルダイレクトキャッチの完成。

 観客がいるのなら褒めてほしいと士道は深く息を吐く。まあ、いたとしたら彼女のファンだろうし、発狂で済めばいいだろうけれど。

 

「きゃー! さすがだーりん、素敵ですぅ!!」

 

「せめて断ってからやってくれよ――――――美九」

 

 そう。士道が呼んだ名に満面の笑みで対応する彼女こそ、今をときめくスーパーアイドル誘宵美九その人だ。

 比較的スキンシップには寛容――というと驕りのように感じられると思うが、私物がいつの間にか消失しているよりは本当にマシな――士道だが、さしもの寛容さもこればかりは苦言を呈しておこうと声を発する。

 

「怪我したらどうするんだ」

 

「だーりんなら大丈夫ですよぉ」

 

「何が!?」

 

 これは士道なら受け止められるの意訳なのか、それとも怪我をしたら付きっきりで士道が見てくれるの意訳なのか、これまたさしもの士道といえど難問だった。

 実際問題、治せる治せないの話ではなく美九が痛みを感じることを士道は忌諱するため、少しは真面目に受け取ってほしいものだ。……まあ、それはそれとして美九を受け止められないのか? と言われたらムッとなって出来ると言ってしまいそうな男心は正直だったが。

 と、様々な思いが去来した美九の襲来だったが、彼女もまたアイドルとしての自覚とプロ意識を持つ少女。それはそれとして、と士道の手の中で反省気味な顔色を見せる。

 

「えへへ……こんな時間からだーりんに会えると思わなくて、ちょっと気分が盛り上がっちゃいましたー。ごめんなさいですー」

 

「わかってるならいいんだけど……これがちょっと、か?」

 

「ちょっとですよぉ。かなりとも言いますけどー」

 

 茶目っ気混じりに二転三転な姿もまた可愛い、と認める他ないのが美九の困ったところ。これがステージでは歌姫と呼ばれる圧倒的な存在感を発揮するのだから、人の二面性は案外矛盾しないものである。

 それと、

 

「美九」

 

「はい?」

 

「……離してくれないか?」

 

「ええー、もうちょっとだーりんを堪能させてくださーい」

 

 どうして士道が抱き上げているのに提案せねばならないのだろうか。下ろそうとしても凄い力で抵抗されているのだが、もしかしなくても士道は不要だったのではないかと思った。

 そうして、良い笑顔の美九を抱き抱えること数分。ようやく満足した美九と向かい合ったのはそれからだった。

 

「甘やかしすぎなのか……?」

 

「だーりん?」

 

「や、なんでもない」

 

 もしかして、未零の断らなさが移ってしまったのだろうか、と案外困り顔をせずにいた数分前の自分を思い返し冷や汗を流す。特別とかではなく、彼女相手なら問題はないと判断している辺り、自覚症状が薄くなっている。由々しき事態かもしれない。

 とはいうものの、美九はいざという時は士道以上の経験からお姉さんとして振る舞える。それを思えば、たまの(・・・)甘やかしくらいは問題なかったなと開き直ることにした。一応、精霊のコンディションという〈ラタトスク〉的な大義名分も守っているし、なんて取ってつけた理由でうんうんと自分を納得させながら、士道は美九へ改めて問いを発した。

 

「そういえば、美九は何か用事があるんじゃないのか?」

 

 精霊マンションに精霊がいること自体は不思議ではない。読んで字のごとく、精霊のためのマンションなのだから。

 しかし、折紙のようにご両親と。二亜のように元々マンション済み。未零と令音のように自宅持ち、当然ながら元々から職業と学業を両立させていた美九は市内に個人宅を所有している。外泊用に美九の部屋は確保してあるが、昨夜にそういった話は聞いていない。つまり、彼女が何かしらの用事を有してここにやってきたことは明白だった。

 士道へ「あ、そうでしたー」と言いながらぽんと手を合わせた美九が、当初の目的を思い出してか言葉を返す。

 

「実は狂三さんに頼みたいことがあったんですけどぉ……もしかして、留守にしてますぅ?」

 

「ああ。多分ちょうどな」

 

「あらー……」

 

 少々困った、又は残念だ、という表情でしょんぼりとした美九へ、士道は両手を組んで会話を続けた。

 

「その用事、狂三じゃないと駄目なのか?」

 

「いえー。七罪さんでも十香さんでも耶倶矢さんでも未零さんでも七罪さんでも、皆さんならどなたでもウェルカムですー!!」

 

「やっぱりな……。あと七罪は分身できないぞ」

 

 だとは思ったが、狂三でなくても構わない用事だった。言い方からハグ大会でもするんじゃないだろうな、と士道は苦笑を零す。

 そもそも、狂三限定の用事があれば美九はきっちりスケジュールを抑えるはず。狂三と入れ違ったということは、士道と同じく何かしらの思い付きでの行動だろうと予想して、見事的中したわけだ。

 さて、そうであるなら誰かしらが捕まるかになるが……ふむ、と士道は前に息を挟み声を発する。

 

「まあ、この時間だから誰かしらはいると思うけど……そうだな。本当に誰でもいいなら、俺が手伝っても――――――」

 

「やったー!! だーりんならそう言ってくれると思ってましたー!!」

 

「…………」

 

 安請け合いでやぶ蛇だったか、と士道は自分の軽率な提案に若干の後悔を滲ませる。

 ぴょんぴょんと跳ねる美九とその身体のとある部分が目に毒だったりしながら、まあ美九の頼みだしいいかと自身の髪をかいて思い直し――――――十数分後、絶望するほどの後悔を覚えるのは、未来の士道だったりした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「いらっしゃらない?」

 

「うん。いないよー」

 

 はてさて、少し困ったことになったと狂三は頬に手を当てた。

 訪れた狂三を出迎えたのは琴里で、その琴里がテーブルの上にノートや教材を広げながら狂三へ言葉を返す。

 

「朝、いつも通り家事洗濯をパパーッとやってから出ていっちゃったよ。でも、今日はいつもより急いでた気がするなー」

 

「…………」

 

 なるほど。予想時間がズレた原因はそれか、と言葉少なく納得する。確かに、普段慣れたルーティンワークを異なる心境、或いはモチベーションで行えば違いは大きく出るかもしれない。

 しかし、それにしてもそこまでの予測のズレはありえない。身振り手振りで大きく手を広げて説明してくれた白リボンの琴里が、不思議そうに首を傾げて言葉を続ける。

 

「狂三、隣同士でよくすれ違えたねー」

 

「……まあ、器用なことは認めますけれど」

 

 狂三はエレベーターを使用してこちらへ来たとなれば、士道は恐らく階段を使用して狂三の部屋へ向かったはずだ。余程タイミングの良いニアミスをしたのか、こういう場合はバットタイミングと言うべきなのか。

 ちなみに、士道が狂三を探していることは前提としてある。理由はなく、経験と予感だが。そもそも、趣味欄に家事と書いてしまいそうな彼が忙しなく出ていく理由など……自惚れと自慢が入るが、それこそ狂三への優先度だと思っている。

 とにかく、妙に器用なことをしてしまった手前、二度目がないとは言いきれない。ここで待たせてもらおうかと考えながら、狂三は言えた口ではないにしろ朝から忙しなく準備を進める琴里へ再度声をかけた。

 

「しかし、琴里さんは今朝から精が出ますわねぇ」

 

 見たところ、広げているのは教材の類。学生の本分は勉強というけれど、それでも休みの朝から勉学に励むとは正しく勤勉。狂三は素直に拍手を送ろうと思う。そんな狂三の尊敬の念が伝わったかは、琴里が頬をふくらませているところを見るに、全く伝わっていなさそうではあるけれど。

 

「むー、当たり前でしょー。もうすぐ受験本番だし、予習は必要だもん。狂三じゃないんだから」

 

「いえ、わたくしも高校受験の折には至極真面目に勉学へ打ち込みましたわよ?」

 

 なんだその『時崎さんは勉強とかしなくても大丈夫そうだよねー。頭がいいって羨ましいなー』みたいな女子のノリは。狂三とて懐かしき高校受験は普通に受け、合格した時には友人と勇み喜んだものだ。……まあ付け加えるのなら、その女子校を卒業前に精霊化によって行方不明となり、現代で改めて高校を卒業しようというのだから、因果の巡りとはわからないものである。

 なんとも言えずに否定した狂三に「冗談だよー」と笑う琴里だが、白リボンでそう言われるとあまり冗談には聞こえずになんとも言えない表情は残される。とりあえず、狂三とて勉学は多少上とはいえ普通の人間なのだから人外扱いはやめてほしい。模試全国一位の折紙の方が余程に狂っていると息を吐く。

 

「ですが、〈ラタトスク〉の権力に胡座をかかないのは皆さん良い傾向ですわね」

 

「うん。クラスは一緒にしてもらう予定だけどね」

 

「うふふ、悪いことを考えますわねぇ」

 

 純新無垢な笑みではあるが、言っていることは凄まじい権力の権化だと狂三は唇に笑みを描き肩を竦める。

 来禅自体の入試倍率を考えれば、あまり低いとは言えはしないハードルではあるが、狂三も特別心配はしていない。今の中学組は総合して地頭がいい子しかおらず、先の言及の通り〈ラタトスク〉のフォローもある。万が一の場合にも失敗の二文字は存在しなかった。

 もっとも、十香や耶倶矢と夕弦のように全く期間らしい期間を置かずに編入するというわけではなく、短いながらも中学を経由した彼女たちだからこそ真っ向から受験に挑むのだ。例外の琴里とてこうして油断なく真っ当に勉強をしているのだから、狂三が何か不安に思ったところで取り越し苦労に終わるだけというもの。

 

「だから、みんな揃って合格できるように勉強会するんだよー」

 

「みんな……ああ、なるほど」

 

 だからわざわざリビングのテーブルで支度をしていたのか、と合点がいく。それに、段々と大きくなっている複数の足音に狂三の耳が立っている。

 程なくして、リビングの扉が開くと、出会った頃からの成長を感じられる三人が姿を見せた。

 

「おはようなのじゃ。……むん、狂三ではないか」

 

「あ、おはようございます、狂三さん、琴里さん」

 

「……お、おはよう」

 

 狂三がいることには大して疑問はなく、遠慮なしに――一名は若干の低血圧を感じさせる気性の削がれ方をしているが――挨拶をしてくれる。

 琴里と狂三も特別なことはなく、普通の喜びを密かに感じながら朝の挨拶を返した。

 

「おー、みんなおはよー!!」

 

「おはようございます、四糸乃さん、七罪さん、六喰さん」

 

『よしのんもいるよぉん』

 

「ふふっ、わかっていますわ、よしのんさん」

 

 相変わらず元気のいい『よしのん』の鼻をチョンと指で突く。擽ったそうに身を捩ったよしのんに加え、四糸乃、七罪、六喰の精霊の現中学生組が続々と姿を見せる。

 そこで、中学生組と括りを付けたからこその違和感を覚え、狂三は疑問の声を発した。

 

「あら、あら。真那さんは欠席ですのね」

 

『『今日は外せない先約がありやがるので、真那抜きでお願いします』、だってさー』

 

「花音さんと紀子さんも、今日は予定が合わなかったので……」

 

 そういう経緯で、精霊のみの勉強会となったわけだと四糸乃とよしのんの説明に理由を知り狂三も首を縦に振る。しかし、

 

「ですが、四糸乃さんのご友人方はともかく、真那さんに交友関係と呼べるほど深いお相手がいるとは……わたくし、今日一番の驚きですわ」

 

「いやいるでしょ。狂三のそれは何目線よ」

 

 何目線かと問われれば、ちょっとした宿敵にまともな生活感があったのか目線だろう。呆れを感じさせる七罪の視線に、狂三は経験に基づく真っ当な意見を述べてみせる。

 

「そう仰られましても、『わたくし』を刺し、切り捨て、薙ぎ倒すことばかりだった真那さんですもの。至極当然の疑問ですわ」

 

「それは狂三、うぬのせいではないか?」

 

「そうとも言えますわね」

 

 言えますわね、というより、十割狂三が悪いのだけれど。平然と返しながら、まあ、と頬に手を当て前置きをしながら強いていえばと狂三は続ける。

 

「真那さんも借金のようなものがあったと耳に挟みましたので、それも含めて仕方がないと思っていますわ」

 

「自分が殺されることを仕方がない扱いできるの、狂三くらいでしょ……」

 

「以前に似たようなことを言いましたでしょう。わたくし、それだけのことをしてきましたのよ。真那さんがわたくしに遺恨があるのは当然であり、許していただこうなどとは思いませんわ」

 

 死して償おうとか、この場にいる資格がないとか、そういうことは思っていない。思ってはいないが、事実は事実として覚えておかねばならないのだ。狂三はDEMの魔術師(ウィザード)であった真那に殺されて然るべきことをしていたのだ、と。

 とはいえ、真那は純然たる正義感で『狂三』切っていたわけだが、それが借金返済の糧になっていたのは今となっては複雑な心境にならざるを得ない。もっとも、分身を殺して特別賞与を受け取ることができていたのかは、『この世界』になった今となっては真相など誰にもわからない。精々と、会いたくもない元凶殿が知っているかもしれない程度であろう。

 

「――――――まあ、『わたくし』で振り回してしまった真那さんにも、そういった友人が出来たことは喜ばしいですわ」

 

「うーん。それは私たちじゃなくて真那に伝えた方がいいと思うけどなー」

 

「勘弁してくださいまし、ですわね」

 

 それを元凶の狂三に祝われては、皮肉しかなく台無しだろう。そう冗談めかし肩を竦めて、今朝からすべきではなかったブラックな話を早めに打ち切った。

 

「さて、皆様が勉学に励むというのであれば、わたくしはお暇をさせていただきますわ」

 

 あまり長々と話をしていては本命に入ることもできず、そしてやるべきこともない狂三がいては集中が削がれるというもの。

 ここは士道の部屋で待っているのもいいかもしれない。そう思い、いつもの礼を取ろうとした狂三――――――

 

「あの……狂三さんに、お願いがあるんです」

 

「あら、あら」

 

 少しばかり既視感を覚える四糸乃の声が、それを止めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「は……っ」

 

 踊る。手足、及び身体を動かしリズムに合った動作をする。基本的にはこのような意味に当てはまるものだ。

 なぜこんなことを、と自分でも思う。だが、改めて確認したかった。どうしてかと言えば、士道が踊っているからだ(・・・・・・・・・・・)

 否、正確性という意味でこの表現は欠けが生じる。もっと正確に、現実を受け入れありのままの表現をするのであれば、

 

「はい、そこでターンですー! きゃー、とっても素敵ですぅ。絵になりますねー――――――士織さーん(・・・・・)!!」

 

「う・れ・し・く・な・い!!」

 

 悲しいかな、しっかりとリズムらしいリズムを取りながらの返答は、レッスン指導のようにノリノリの美九にはあまり通用しなかったようだ。

 そう。今の士道は士道ではない。何故か用意されていたフリフリのドレスを着せられ、あまつさえ士道自身が修得した技術と美九の技術を合わせ着飾った士道は、見事に『五河士織』へと変身してしまったのだ!

 どうしてそうなったのか。それは、あまり安易に物事を引き受けるな、という反面教師にしてほしい。いや、今の士道を見る人は美九しかいないので反面教師にできる人物はおらず、いてほしいとも思わなかったのだけれど。

 

 

「――――――で、どうしてまた急に人のダンスが見てみたい……なんて思ったんだ?」

 

 一通り通し終え、煌びやかな衣装のまま――脱ぎたいのは山々なのだが、それはそれで問題がある上に下手に扱って万が一破くわけにもいない――ルームの端に座り、隣で熱心に動画見返す――消して欲しいがこれも美九が激しく拒絶したため――美九へ士道は声をかけた。

 

「んー、案外自分で見てるだけじゃわからないこともあるかなー、って思ったんですぅ。だから、他の人に私のダンスを踊ってみてほしかったんですよー」

 

 天下御免のアイドルとはいえ、かなりの努力家である美九らしい理由ではあった。そう、筋は通っており、理屈もわからなくはないのだが――――――

 

「ちなみに、本音は?」

 

向こう(・・・)へ行く前に、皆さんの姿をじっくり収めておこうと……はっ」

 

「やっぱりなぁ!!」

 

 建前が早ければ自白も早かった。そもそもとして、その理由であれば霊力封印の影響があるとはいえダンスはズブの素人である士道に頼むより、美九の関係者に頼んでしまえばいい案件だ。

 つまり士道は美九の野望第一犠牲者でしかなかったのだと両手で顔を覆い、己の恥においおいと涙を流す。こんな茶番をしていてもズレないウィッグの優秀さに、嬉しさと悲しさに本当の涙を流しそうになったのは内緒だ。

 見事目論見を当てられた美九は、ぶーっと大きく頬を膨らませ、不満を感じさせながら顔の良さそのままに士道へ押しつけにきた。

 

「ぶー、だーりんは意地悪ですぅ」

 

「いや、誘導尋問ですらなかっただろ……」

 

 流れで質問してみたらあっさり自白した。少なくとも、士道と同じくらいに嘘偽りの駆け引きに向いた子ではない。そんな苦労をまた(・・)美九に感じてほしくない士道としては、喜ぶべきところなのだろうけれど。

 そして、士道はふっと表情を変え、言葉に含まれていた一つの未来(・・)を拾い上げた。

 

「……行くんだな」

 

「――――――はい」

 

 真っ直ぐ、迷いは見られない。多分、彼女の中で悩みに折り合いをつけて、その答えを出したのだろう。

向こう(・・・)。何を隠そう、彼女は日本のトップアイドル誘宵美九――――――そんな彼女の才能に海外から声がかかることは、決してありえないことではなかった。

 そっか、と笑顔を浮かべた士道に、美九は少し困ったように笑う。

 

「結構、悩んじゃいましたけどね。だーりんは『美九のしたいようにしたらいい』って全肯定してくれますし……」

 

「そりゃあ、美九の人生だからな。それが悪いものじゃないなら、美九が決めた方がいいだろ?」

 

 無論、それが悪い誘いなら士道なりに言葉を尽くし、力を尽くす。だが、美九の声に海外から一目惚れならぬ一耳惚れをした、という話は士道からすればとても嬉しいものだった。

 天性の才と並々ならぬ努力。それを一度理不尽に潰されてしまい、ようやく再起することができた美九。平坦とはいかなかったからこそ、士道は美九の活躍の場が広がることを本当に喜ばしく思う。美九のマネージャーの昴が是非、と彼女を説得する気持ちはよくわかっているつもりだ。

 けれど、士道は美九の意志を尊重し、可能な限り応援してやりたいと思っている。相反する思いではあるが、どちらも大切だと士道なりに考えている。だからこそ、というべきか……美九が活躍の幅を広げる選択肢を選んだことは、正直な話意外だったと士道は続ける。

 

「けど、ちょっと意外だな。美九のことだから『だーりんや皆さんと一緒に過ごす時間が減っちゃうじゃないですかー!』……みたいなことを言うかと思ったけど」

 

「あ、それは最初に言いましたぁ」

 

「…………」

 

 珍しい美九に感心した気持ちが萎んだ気がした。当の本人は「きゃはっ☆」と可愛らしいウィンクで反省した様子はなかったが。

 まあ、とにかく……そんな美九の気持ちに、一体どういった変化があったのだろう。乾いた喉を飲み物で今一度潤して、士道はゆっくりと言葉を続ける。

 

「じゃあ、美九はどうして行こうと思ったんだ……?」

 

「んー……色々と悩んだのは本当ですよ? けど――――――だーりんに難しい顔させちゃったなぁ、って」

 

「――――――」

 

 目を丸くして、ぷっと息を吐いた。まったく、これだから隠し事が下手だと言われるんだなと長い髪をかきあげる。

 

「……バレてたか」

 

「えへへ、だーりんのことですから。でも、全然重荷なんかじゃないですよ? それだけ期待して、見守って貰えるって嬉しいことですから」

 

「そうか……なら、いいんだ」

 

 言葉と共に安堵を覚える。士道の中には複雑な思いがある。美九と同じ、離れることへの寂しさ。美九への強い期待。美九自身、海外から話がきた時は喜ばしいことだと思う気持ちもあったはずだ――――――士道が、それを止める重荷(・・)にはなりたくない。

 どちらにしろ、美九の未来は美九が決めるもの。故に、士道は美九の望むようにしてほしい。美九がいてくれることは嬉しい。けれど、彼女のアイドルとしての飛翔を望む心――――――美九の望む道を選ばせてやりたい。それが五河士道の本心だった。

 美九があまりに悩むようなら、士道も強く自分の意見を述べてみるつもりであったのだが、美九には顔色からお見通しだったようで苦笑してしまった。

 誘宵美九が心から、自身の本心からそれを選ぶというのなら、全力で送り出すことが士道の取るべき道だろう。

 

「あとは……次が一番の理由ですねー」

 

「次?」

 

「はいー。さっきも言ったように、悩みました。悩みましたけど、きっと行くことを選んじゃうんだろうなぁ……って思った私がいたんです」

 

「それは――――――」

 

 美九の中にはあったのか。その迷いと悩みを上回るほど、転身を選ぶだけの理由が。

 果たして、どのような答えが返ってくるのだろう。仄かな期待は士道のもの。返された答えは――――――

 

 

「だって――――――世界を変える人たちの中で輝くには、世界の歌姫くらいにはならないといけないかなって」

 

 

 士道と狂三が成し遂げたことが、そのままお返しされているようだった。

 未来は、誰にもわからない。士道たちが創り上げたものは、己の理想(エゴ)を叶えるための過去。故に、未来は彼女たちの手にある。

 美九は選んだ。士道たちが創り上げた世界で、けれど、未来が確約されていない世界で。その選択は、必ずしもあっているとはいえない。未来とはそういうものだ。

 

 だが、それは士道たちの選択も同じだった。

 

「……ん」

 

 そうだったな、と士道は己の顔から僅かに残っていた不安が掻き消えたことを自覚した。

 大切な人の転機を見守り、送り出す。それは美九の――――――士道たちを送り出してくれた精霊たち全員が、既に経験していたことだったのだ。

 ならば、これから先に彼女たちが選ぶ転機を士道が送り出すことは、士道に課せられた必然なのかもしれない。

 

「なれるよ、美九なら。みんなが憧れる、最高のアイドルにな」

 

「ふふっ、だーりんに言われると自信になりますねー。それに――――――世界一つに比べたら、日本とアメリカの距離なんてあってないようなものですからー」

 

「……はは、違いない。もし何かあったら、俺と狂三で迎えに行くよ。そう長くは待たせない――――――呼ばれた時には、美九の前にいてやるからさ」

 

 言葉の通り、一瞬で。士織の顔に似合わない不敵な微笑みは、それはそれで美九には届くことだろう。

 応えるように、ニッと鮮やかに彩られた唇で笑みを作り出し、美九は短くも決意のこもった声音を――――――天下無双のアイドルを演じた。

 

 

「じゃあ、世界で一番安心できますね。――――――行ってきます」

 

「ああ、待ってるよ」

 

 

 旅立ちへ、士道がかけるべき言葉を。

 

 ――――――時は、未来へと進む。人は、未来へと進む。

 士道と狂三が創り上げたこの世界の中で、皆は――――――士道は、どんな未来を選ぶことになるのだろうか。

 

 

 

 

 

「――――――それじゃあ、次はいつものだーりんの姿で踊ってくださいー」

 

「結局どっちもやるのかよ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ねーねー、狂三の中学時代ってどんな感じだったのー?」

 

「……四糸乃さん、その文脈からは――――――」

 

 無視。赤髪のツインテールがぴょぴょこと視界の端で揺れているが、今の狂三の目は節穴なので見えはしない。

 

「むん。むくも気になるのじゃ。答えよ、狂三」

 

「……ええ、ええ。素晴らしいですわ四糸乃さん。七罪さん、そちらは――――――」

 

 無視。ふわふわとした金色の絹糸が視界の中で揺れている気がするが、またまた狂三の目は節穴になっているので見えていない。

 

『狂三ー』

 

 たとえ、これ見よがしにツインテールと三つ編みが人の手で泳いでいても、狂三には何も見えていないのだ。いないったらいない。案外単純な人間の脳というのは、思い込みで大概のことは解決してしまえるはずだった。

 

「ご、ごめんなさい狂三さん……」

 

「……反応してあげないと、ずっとこうだと思うけど。いや、わかっててそうしてるのは理解してるけど……」

 

 と、暗示を掛けはしたものの、悪いことはしていないのに謝る四糸乃と、改めて現実を知らしめてくれる七罪の指摘に、狂三はようやく現実を受け止める。深いため息を吐いて、雰囲気作りの伊達メガネを外してテーブルの上へ置く。

 

「……なんですの、藪から棒に」

 

 今、狂三は『これからのために勉強を見て、教えてほしい』という向上心溢れる四糸乃からの頼みのため、テーブルの上に教材を広げ纏まって勉強会の教師役を担当していたはずなのだが。

 少なくとも、現状から狂三の過去に突っ込まれる謂れはない。半目で主張する狂三に、琴里と六喰が面白がるように笑顔で受け答える。

 

「えー、藪から棒っていうのは唐突なことだけど、中学生の私たちが中学生の頃の狂三を知りたくなるのは不自然じゃないよねー?」

 

「妹御の言う通りなのじゃ。教師として是非に教えよ」

 

 無駄に回る舌を存分に発揮し、屁理屈をこねる義妹様は誰の影響を受けたのか。六喰に関してもここまで傍若無人ではないはずなのだが、本当に誰の影響を受けてしまったのか。

 というより、興味本位程度で狂三の中学時代に行き着くかとも思ったが……よくよく考えてみれば、先ほど琴里を相手に口を滑らせた記憶が蘇り、目元に指を当てる。いやはや、口は災いの元という格言を自身への戒めにする日が来ようとは。

 

「……まあ、正直私も気になるかも」

 

「わ、私も……です」

 

「お二人まで……」

 

 おずおずと手を挙げた二人に、狂三は味方の損失を悟って息を吐く。勉強派だった二人にまでペンを置かれては、さしもの狂三とて手の打ちようはない。

 色々と考えを巡らせはしたものの――――――そこまで隠すほどのものはないか、と額に手を当てながら声を発する。

 

「……仕方ありませんわね。少し休憩にいたしましょう」

 

『はーい!!』

 

 中学組は元気が良いことだ。良いことであるはずなのに、嬉々として耳を立てる四人と一パペットに狂三は仕方なしと椅子に背を預ける。

 ――――――思い返せば、確かに狂三の中学時代は一度足りとも言及した覚えがなかった。精霊化は高校。つまり、それ以前のことを話す必要がなかったともいえる。しかし、隠していたつもりがないのもまた事実だった。何故かといえば、狂三が隠す素振りを見せていたならまずその事情を汲み取るなり、しっかりと距離を測ることができる友人しか周りにいないからだ。

 要約。一纏めにしてしまうと、

 

「わたくしの中学時代と申しましても、大して語って差し上げるようなものは思い浮かびませんわねぇ……」

 

 二亜風に言えば、ぶっちゃけた話大して盛る話題にならないということになる。

 困ってあごに手を当て記憶を掘り起こす狂三に、琴里がここぞとばかりに囃し立ててくる。

 

「えー。狂三なんだし大冒険のお話とかないのー?」

 

「わたくしを何だと思っていらっしゃいまして? これでも精霊になるまでは健全な学生でしたのよ?」

 

「狂三ならば大それたことをしていそうなものではあるのじゃが……」

 

 あまりの期待値に頬をひくつかせてしまう。

 単なる人に武勇伝の塊みたいなものを期待されも困ってしまう。そういういったものは精霊・時崎狂三の領分なのだ。……こちらはこちらで、褒められた経歴ではないのが困りものだったが。

 そもそも、封印前はあれだけ狂三を他の精霊たちと同じように扱ったくせに、いざ人間の狂三のハードルを上げるとはどういうことなのか。まあ、知らない話に目を輝かせる気持ちはわからなくもないが……普通時代の狂三としては、期待に添えるかどうかで悩ましくなる。

 結局、見栄を張ることは避けて無難な切り口で狂三は思考をまとめ、唇を開いた。

 

「過度でなく、誇張なく仰るなら……普通(・・)、でしたわね。少なくとも、あの頃の『わたくし』は」

 

 そう。中学時代、今の琴里たちと同じ時期の狂三は、誇張と卑下、そのどちらを優先せずとも〝普通〟。時崎狂三の過去は、紛うことなき〝普通〟の二文字が並ぶ人生だった。

 しかし、その〝普通〟は恵まれていないという意味ではなく、むしろその真逆だったのだと今なら本当の意味で理解できると狂三は語りを続ける。

 

「それは大切な〝普通〟でしたわ。きっと、当然と享受していたもの。……比べることは失礼に値することですが――――――」

 

「……精霊になった中では恵まれた〝普通〟だった、でしょ?」

 

「そういうことになりますわね」

 

 精霊化した少女たちは、小さくない問題を抱えた者たちだった。狂三、琴里のように普通の日常を送れていた精霊たちは指を一、二本折れば数えられてしまうほどに。

 が、今さらそんな過去を気にする精霊はいない。というより、気にするなら面白おかしく狂三の中学時代の話を聞こうとは思わないだろう。続きが気になるから進めてほしい、という七罪の視線を肩を竦めて受け入れた狂三は声音を変えず続けた。

 

「そうした〝普通〟の中の中学時代ですわ。幾らか誇る賞などはあったかもしれませんけれど……今にして思えば、子煩悩な両親のおかげですわね」

 

「良い御両所様なのじゃな」

 

「ええ。とても」

 

 狂三が〝普通〟であれたのは誰のおかげか。当たり前だが、平和を享受する普通の学生だった狂三は両親の愛を一身に受けて育てられた。

 

「不自由、不満……そういうものを感じずに生きていたあの頃の『わたくし』は――――――ふふっ、紗和さんにはよくからかわれていましたわ」

 

「……? 狂三さんが、ですか?」

 

 少し不思議そうな四糸乃からは、隠しきれない〝意外〟の二文字が少女の小顔から感じられ、狂三はプッと吹き出すように声を発した。

 

「ええ、ええ。わたくしが(・・・・・)、ですわ」

 

「むん……むくたちはその『紗和』なる者を知らぬからの。どこか意外に感じているのかもしれぬな」

 

 恐らく、今ある狂三のイメージが強すぎるから、なのだろう。幾らか演じた部分があるとはいえ、今の狂三は間違いなく精霊化の経験から培われた人格。

 目を丸くする者が大半の中、過去の『狂三』をおおよそ当てて見せた琴里だけは過去を語る狂三を楽しげに見ている。察しているなら語らせるな、とも思うが開いてしまった唇は案外止まることをしらないようだ。

 

「今のわたくしとあの頃の『わたくし』は場数が違いますもの。まあ、それを足したところで……案外、わたくしは紗和さんに叶わないのかもしれませんけれど」

 

 懐かしき友人。命を賭して取り戻さねばならないと誓った人。

 けれど、ただの友人ならそこまで出来ていたのだろうか。人という生き物は、想像以上に冷徹な生き物だ。どこかで無理だ、仕方がないと言っていたかもしれない。

 ああ、ああ。だけど狂三はここにいる。諦めることを知らず、彼に出会い、友に出会った狂三が遥か未来の今にいる。それは、きっと。

 

 

「大人しそうでいて、その実芯が強く、一つを決めたらとても強情で……高校生だというのに、随分と落ち着いた方でしたわ。――――――本当に、あの頃の『わたくし』とは大違いに」

 

 

 紗和という少女は、狂三が命を賭すに値すると知っていたからだ。

 美化されているとは思わない。狂三は自らの記憶を呼び起こす術を持つ。故に、山打紗和という人物は狂三の言葉通りに考えてもらって差し支えないはずだ。

 懐かしむように目を細める。今は元気にしている。幸せになっていると思う。それは、彼女を生き返らせた狂三の勝手な願望かもしれないけれど――――――と、感慨に耽ける狂三が琴里たちに目を向けると、皆が温かな視線をこちらに返していることに気がつく。

 

「……なんですの?」

 

 狂三の山打紗和像に、何かおかしなことがあったのだろうか。そう考えた狂三が訝しげに問いかけると、四人は一度顔を見合わせて先の狂三のように笑みを吹き出した。

 

「いやー……」

 

「だって……」

 

「のう……」

 

「――――――狂三さんが教えてくれた紗和さんが、狂三さんにそっくりだったから……」

 

 今度は、狂三が目を丸くする番だった。

 

「――――――わたくしが」

 

 そう、見えているのかと。目を瞬かせ、自身の声音が心情のまま動揺を孕んでいることに驚きを隠せず――――――しかし、狂三の唇は微笑みを形作った。

 

 

「ならば、感謝しなければなりませんわね。今のわたくしが在るのは、両親や紗和さん――――――そして、皆様がいるからこそですもの」

 

 

 だからあの頃の『狂三』がいて、今の『狂三』に繋がっている。

 過去があるから、今がある。今に繋がるから、未来になる。

 ――――――久しぶりに、良い懐かしさに浸ることが出来たと、狂三は気分よく語りを締めくくる。

 

「ま、わたくしのことはその程度ですわ」

 

「なるほどなー……んん?」

 

「……今の話、体良く中学時代から話題を逸らされてない?」

 

「感の良い中学生は苦手ですわ」

 

 ちっ、と内心で舌打ちを鳴らす。良い話だったなーで学生の本分に励めばいいものを、四人とも(空気を読んでくれる四糸乃はともかく)体躯に見合わぬ思慮深さを培ってくれたものだ。

 さて、どう誤魔化そうか。そう思案を始めたところで、琴里が何かを思いついたのか唇に手を当て声を発する。

 

「でも、狂三の趣味はそのままなら――――――町内の猫を片っ端から手懐けてたりしてねー」

 

 ギグッ。

 

「あ、何かわかる。『きひひひ! この街のめぼしいボスは全てわたくしの軍門に降りましたわ』、とか言ってそうじゃない?」

 

 ギグッギグッ。

 

「ここに地上の楽園・猫の安息地・時崎王国(トキサキングダム)を建国……まさかのぅ」

 

 ギグッギグッギグッ。

 

「み、皆さん……」

 

『あー……その辺にしといた方がいいと思うけどなー』

 

 唯一狂三の変質に勘づいた四糸乃とよしのんが警告をするが、もう遅い。教鞭用の伊達メガネを装着し、影から引っ張り出した伸縮式の指示棒をベチン、とテーブルに突きつける。

 

「さあ、続きと参りましょう。その妄想の類を忘れさせて差し上げるくらいに、わたくしが受験対策を教えて差し上げますわ」

 

「え、もしかして今の全部図星だったんじゃ――――――」

 

「黙らっしゃいですわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

『きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』

 

 

 

 ……まあ、なんだ。

 

 こんな風に、日常で恥ずかしげもなく戯れられるくらいには――――――時崎狂三という少女は、今に溶け込めているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あれ?」

 

 部屋の扉を開いて、思わぬ先客に士道は意外な声音をあげた。背にかかるくらい長い髪に、人目を引く長身の男性。

 

「神無月さん?」

 

「おや、士道くんじゃありませんか」

 

 返された言葉には親しみがあり、士道とは他人ではない親しい関係性。それでいて友人か、と問われると少し違う気がする。頼れる大人……と呼ぶには、普段の素行で些かはばかられる。

 そんな一言では表せない長身の男性は、〈ラタトスク〉実戦部隊の副司令である神無月恭平。加えて〈フラクシナス〉艦長、琴里の補佐を担当する副艦長だった。

 

「どうしたんですか、こんなところで」

 

「ははは、おかしなことをお聞きになりますね。クルーが艦の休憩スペースを活用するのは当然のことでしょう」

 

「あ……それもそうですね」

 

 言われてみれば、本当にその通りだ。寝ぼけていたと頭の後ろをかきながら恥ずかしさを誤魔化す。

 たった今士道が訪れた場所は空中艦〈フラクシナス〉の休憩スペースだ。休憩と言っても、そこまで規模の大きい場所ではなく、長椅子が数個と無料の自販機が置かれた簡素な空間。

 もちろん、一度大改修を受けた〈フラクシナス〉内にはあらゆる設備、施設が揃っている。精霊の長期滞在を考慮に入れ、それに相応しいものを取り揃えているのだ。その中で、この休憩スペースはかなり小さく簡素なものだといえるのだが、まさに多様性というものだろう。世の中には、広さばかりではなく矮小ともいえる空間で物事を考える時間がほしい人間もいる。たまの士道もその一人と言えた。

 しかし、ここに神無月がいるのは少し意外だった。まあ、彼は司令の側近として色々な意味で傍に控えているイメージが強いせいもあり、当人もそれを誇りとしている。神無月も士道のちょっとした驚きがわかったのだろうか、肩の力を抜いた顔で声を発する。

 

「一年前に比べ、現場単位での仕事は減っていますからね。やるべき仕事はまだまだ積まれていますが、こうして目に見えた余裕は増えたということですね」

 

「なるほど……本当に、その節はお世話になりました」

 

 改めて頭を下げるが、これは神無月だけにというものでもない。士道が世話になったのは〈ラタトスク〉、そしてこの〈フラクシナス〉の船員たちだ。

 士道が精霊とのデートを行うとき、〈ラタトスク〉は常に全力でサポートを――恐ろしい選択肢を選んだり全力で悪ふざけをするときは置いておいて――してくれた。その作業量は顕現装置(リアライザ)の力を用いても尋常ではなく、デートの成功には欠かせないものとなった。

 その礼、改めてしておくべきだと思っていた。受け取る側の神無月は、誇るべきことを知りながら同時に大人の姿勢を見せる。

 

「いえ。要である士道くんの行動があればこそです。ですが、労わってもらえること自体は悪いものではありませんね」

 

「あはは、琴里には敵いませんけどね」

 

 そこは我らの司令官というべきもの。彼らが心から琴里を敬愛する姿は、士道から見ても誇らしい。そんな彼らを労ることにおいて、琴里に勝る者はいないだろう。

 そんなふうなさり気ない琴里自慢をそこそこに、今度は神無月が当然の疑問を口にする。

 

「それで、士道くんは何か〈フラクシナス〉にご用ですか?」

 

「あー……狂三を探しに来たんですけど……」

 

 だろうとは思ったが、いなかった。なので、ちょっとした考え事がてらに休憩スペースへと立ち寄ったところ、神無月とばったりという流れだったのだ。

 言葉の端に若干の煮え切らなさを見せた士道に神無月はふむ、と考えるように士道の顔色を観察すると、至極真面目な顔で声を発した。

 

「もしや……狂三嬢に着せたいコスプレで悩んでいらっしゃるのでは――――――」

 

「いや違いますけど」

 

 突然何を言い出すのかこの変態は。先の感謝を神無月の分だけ返して欲しくなる。

 侮蔑と冷淡を込めて返したはずなのだが、神無月はとんでもない一大事だと言わんばかりの大仰さで言葉を返してくる。

 

「なんと!? (ハニー)に着てほしいものを頼まないとは、それでも士道くんは男ですか!!」

 

「神無月さんこそ変態ですか」

 

「おや、それでは頼んだことはないと?」

 

「…………………………いや」

 

 あったなぁ、って。それも、神無月のことを言えないノリで。二亜に乗せられたともいうけれど。ちなみに〈贋造魔女(ハニエル)〉使用に関しては未遂ということになっている、士道の中では。

 嘘を吐いて誤魔化すべきだったのだが、咄嗟に己の所業を思い浮かべて後の祭り。スーッと目を逸らした士道に、神無月が笑い声をあげた。

 

「ははは、士道くんも男ですねぇ」

 

「男じゃなかったらここにいませんよ。大体、こういう下世話を大人がすることですか」

 

 まったく、と誤魔化すように無料自販機から適当な飲み物を手に取る。……ブラックコーヒーは、士道には苦すぎた。色々な意味で器量の狭さを感じ、思わず顔を顰める。

 男でなければここにはいない。それはそうだ。大人がすることか――――――こうした話術はデートに比べて成長しないなと感じる。

 

「士道くんもまだまだ若いですねぇ」

 

「……もう高校も卒業ですし、そうも言ってられませんけどね」

 

 下世話な話題をいなす、又はいっそ乗ることなどが大人に繋がるかはともかくだが。表面上の二亜を見ていたりすると、時たま懐疑的になってもいた。

 だからこそ――――――そうなったとき、そうなるために士道は何を考えるべきなのだろうか。

 

「――――――そんなことはありませんよ。もう(・・)ではなく、まだ(・・)、です」

 

「え……」

 

 そして、意外な言葉を返してきた神無月に目を丸くした。

 

「若人は迷うことなく進むことが大切、というのは士道くんには釈迦に説法というものでしょう。かくいう私も、若い頃は大きな挑戦をしたものです」

 

「……それ、琴里を探すためだったり?」

 

「ええ。よくお分かりで」

 

「…………」

 

 わからない方がおかしいと思うが。

 

「そんな私は、誰かに説くことができると自信を持てるわけではありません。ですが、そうして力に驕ることなく真摯に悩むこと……私は好ましく思いますよ」

 

「神無月さん……」

 

「先は長い。大きなことを成し遂げたからこそ、未来に迷うことは間違いではありません。私はそう考えています。――――――無論、私もまだまだ若いつもりですが」

 

 そう締めくくった神無月は、いつも見るふざけた態度が鳴りを潜めた独り立ちした大人の姿、のように思えた。

 ――――――二亜もそうだが、自分の周りはこういう人がいるから助けられているな、と士道は笑みを作って神無月の善意に応えた。

 

「神無月さん、ありがとうございます。……まだ色々、考えてみます」

 

「ええ、それがいい。私たちも楽しみにしていますよ」

 

 五河士道が進む、その先の道。

 漠然とした未来。潰える未来を閉ざし、先のある未来が存在する世界を創り出した士道。その中で、各々の道を進む精霊たち――――――その中で、士道が具体的(・・・)な将来に、何を望むのか。

 以前の士道には、ある意味でゴールがあった。狂三の手を取り、取らせるというゴールだ。だけど、それはゴールでありながらゴールの先(・・・・・)がないわけではなかった。

 時は未来へと進み続ける。人を置き去りにして、未来へと進み続けるものなのだ。さて、その未来に士道がまず望むものと言えば――――――

 

「神無月さん、ついでに一つ聞いてもいいですか?」

 

「どうぞ」

 

「――――――結婚って、どんなものです?」

 

 士道の問いに、神無月は面白そうに顔を綻ばせながら答えた。

 

「おや、哲学的ですねぇ。しかし――――――時間を股に掛ける大恋愛をした君たちを相手に、私がその答えを出すことは、あまりに恐れ多いと言わせていただきましょう」

 

「えぇ……なんですか、それ」

 

 苦笑した士道に、神無月は言葉通り曖昧な顔で笑う。答えをはぐらかされた、というよりは、神無月としても答えようがないのかもしれない。

 結婚。ロマンのない話をすれば、メリットやデメリットが混じり合う行為。しかし、いざ直面したときにかける言葉といえば、この一つしか有り得まい。

 

 

「ああ、そうだ――――――婚約おめでとうございます、神無月さん。お幸せに」

 

「ありがとうございます、士道くん。いやはや、君に祝福されると、本当にご利益を感じてしまいますね」

 

 

 その行為はきっと、とても素敵なことだと思うから。

 

「……ちなみに、プロポーズの言葉は?」

 

「毎朝私を踏んでください。女子高生コスで」

 

「わかりました。絶対に参考にはしません」

 

 幸せにはなってほしいが、絶対的な反面教師でもあると思った士道だった。よくそのプロポーズが通ったと疑問を覚え――――――件の大人なのに中学生に見える教師(・・・・・・・・・・・・・・)のことだ。多分、いや間違いなくプロポーズ自体に感激してスルーしたのだろう。

 なんともまあ、素晴らしく愉快な話だと士道がため息を吐くと同時、休憩スペースの扉が開いた。

 

「あれ……」

 

 これまた珍しいと士道と神無月が目を向ける。すると、開いた扉の先には見慣れた女性が立っていた。その人も、こちらを見て僅かに眉根をぴくりと上げる。

 僅かに、という表現の乏しさ。隈に彩られながらも、この一年で薄化粧のように主張が浅くなった人目を引く顔。乱雑ながら、彼女の妹と対になるように片方へ纏められた髪。

 珍しい。双方が抱いた感情はそれぞれ正しいものではあるが、彼女に向けるものの方がそれは強く思えた。

 

「これは村雨解析官。今から休憩ですか?」

 

「……ああ。ちょうどね」

 

 眠たげな双眸に確かな色を灯し、〈ラタトスク〉解析官、村雨令音は神無月の談笑に軽く応え、続いて士道へと視線を向けた。

 

「……士道はどうしたんだい? 君が狂三と一緒でないのは珍しいね」

 

「その狂三を探してる途中なんです」

 

「……ほう」

 

 応えた令音は一瞬思案し、けれど深くは問うことなく一言を告げる。

 

「……頑張りたまえ」

 

「はい、頑張ります」

 

 短くも、士道のしたいことを瞬時に悟るところは相変わらずさすがと言うべきか。

 狂三を探すだけなら簡単だ。令音と〈フラクシナス〉。いいや、クルーの誰でも士道が手を貸してほしいと言えば見つけ出せる。しかし、それを言うならもっと簡単な方法がいくらでもある――――――だから、士道の我が儘を柔らかい笑みで送り出してくれる令音の言葉は、短いながらも気遣いが感じられるのだ。

 

「それじゃあ、俺は行きます。話、付き合ってくれてありがとうございました、神無月さん」

 

「はい。お礼は卒業において不要となる司令の制服を秘密裏に譲っていただければ――――――」

 

「琴里に連絡しておきますね」

 

「ああ、さすがは司令の兄君、無慈悲っ!!」

 

 やっぱりいつもと変わらない神無月と令音に軽く別れを言い、部屋を出ようとした士道、

 

「士道」

 

「……!!」

 

 その背に、耳に、その声音が届き震えた。

 

 

「頑張ってね――――――長く離れた分、会えたときの嬉しさは一入だよ」

 

 

 声は、澪の音色は取り戻された彼女の無邪気さに満ちていて――――――一家言持ちの彼女へ、士道はしっかりと笑みを返したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 地上を離れ、大空へ。大空を自由に翔ける翼の中へ。

 

 そんな人類最先端の地で、焼き芋をしている二人は、いっそ罰当たりなのではないかと思うのだけれど。

 

「……………………何を、していらっしゃいますの?」

 

 辛うじて、問いかけは空気を震わせながら真剣な顔で焼き芋の焼き加減を眺める二人へ届いたと見える。そのうちの一人、特徴的な口調を持った中学生ほどの少女がはっ、と小馬鹿にしたような笑いで声を返した。

 

「知りやがらないんですか、焼き芋。意外と学がありやがらないと見えますね」

 

「……いえ、知ってはいますけれど」

 

 皮肉の一つを飛ばす前に、眼窩の光景に脱力をした狂三は悪くない。絶対に悪くなかった。

 広く、そしてリアルに描かれた風景は少々季節を戻した秋色模様。顕現装置(リアライザ)をこの世で一番無駄に使っているとしか思えない中、我が物顔で焼き芋に興じる少女はもう一人。そちらは、狂三に対して特急に口の悪い少女、崇宮真那とは違い、狂三がよく知る親しい少女だった。

 

「……ん、狂三じゃあないですか」

 

「『狂三じゃあないですか』……ではありませんわ。何をしていらっしゃいますの、未零」

 

 話の間に、ホイルに包まれた芋を未知の体験だと棒で突く無邪気な未零の姿が見え、さしもの狂三さえ片手で頭を抱え一度天を仰がざるを得ない。

 ああ、外の寒景色に似合わぬ秋の紅葉、その美しさは大したものではあるのだけれど。

 

「何をって……芋を焼いているのですが」

 

「では一つずつ説明してくださいまし。どうして芋が現れましたの」

 

 いくらなんでも芋が無から生えてくることはあるまい。ついでに言えば、わざわざ芋を買って手間をかけて焼き芋にする趣味があるとも思っていない。〈刻聖帝(ザフキエル)〉であれば二人の突拍子のない行動の道中を予測できるかもしれないが、いくらなんでもそれは〈刻聖帝(ザフキエル)〉の機嫌と大事なものが損なわれる気がした。

 訝しげな狂三にも、未零は相変わらずマイペースな顔で簡素な事情を深く分解しながら言葉にし始めた。

 

「……えっと、まず真那が人助けをして芋を大量に貰ったので」

 

「真那さんはいつの時代からやってきましたの」

 

「三十と一年くらい前からでやがりますかね」

 

 冗談とは冗句を交えるからこそ成立するのであり、本当のことを真顔を答えられては成立しないのだが。

 額に汗を滲ませる狂三に構わず、未零がそのまま言葉を次ぐ。

 

「……じゃあ焼き芋でもしますか、ってことになって」

 

「そこはおかしいですわよね?」

 

「……で、どうせなら雰囲気もほしいとマリアに頼みました。ここなら人目も気にしなくていいですから」

 

 狂三の追求を無視で躱すとは、未零も随分と偉くなったものだ。……いや、従者時代もこんなものだった気がすると思い直したが、それは横に置くことにし、狂三は挙げられた名前に眉根を上げた。

 

「よくマリアさんが許可を出しましたわね」

 

「意外とあっさり使用許可がおりやがりましたよ。ま、焼き芋を分けることが条件でしたが」

 

「はぁ……」

 

 職権乱用と見るべきか、それとも艦そのものであるマリアがルールだと考えるべきか。どちらにせよ、二亜以外には寛容なマリアらしい緩さだと狂三は息を吐く。

 何はともあれ、混乱の事情はわかった。ならばもう一つ、狂三は未零の友として問わねばならないことがある。

 

「ところで、あなた方はいつの間に仲睦まじくなりましたの?」

 

 すると、二人はキョトンとした顔を作りお互いの顔を見合わせてから、改めて狂三の問いに答えたのだ。

 

「いつ、と言いやがりましても……」

 

「……流れでそうなったというか」

 

『ねー?』

 

 ねーじゃない。ねーじゃないが。

 いつぞや刃を向け合ったあの殺意はどこへやら。まさか真那の交友が未零だとは思いもよらず、狂三はなんとも言い難い顔になる。狂三としては未零がそうして社交的になってくれたこと自体は、とても嬉しいことではあるのだけれど。

 とはいえ、未零はそもそもとして澪に近しい存在。その澪は元を辿ると真那と家族のような関係だった。なら不思議はない。真那の割り切りの良い性格と、今の未零ならばありえない話ではなかった。

 狂三としたことが、唐突な状況と意外な関係に脳の機能がバグを排出してしまったようだ。コホンと体制を整えた咳払い見せ、狂三は声を発する。

 

「まあいいですわ。ところで、こちらに士道さんがお見えになられませんでしたかしら?」

 

「兄様ならさっきまでこっちにいましたが……」

 

「……狂三と同じ流れでほとんど同じことを聞いて、さっき〈フラクシナス〉から降りていきましたよ」

 

「まあ、まあ」

 

 今日はそういう日なのか、それともお互いに狙っているのか。綺麗に入れ違ったことに狂三は口元に手のひらを当てて目を丸くする。それと、やっぱり自分の感性は間違っていないことも確認した。

 

「お、そろそろ食べ頃でいやがりますね」

 

「……良い匂いですね。あとで皆さんにもお裾分けしましょうか」

 

 そうこうしている間に、どうやら焼き芋が出来よく仕上がったようだ。二人揃って興味津々にホイルを開いて食べ頃の焼き芋に目を輝かせている。

 

「はぁ……」

 

 なんとも気が抜ける平和的な光景だ。それが狂三と士道の望んだものなのだから、狂三の気が抜けるのは正解ではあるのだけれど。

 まあ、二人の仲が良くなっているというのなら構わない。真那の交友を狂三が気にするのもおかしな話ではあるし、入れ違った士道を追いかけるとしようと踵を返して――――――

 

「はい」

 

「……はい?」

 

 先回りした真那に、焼き芋を差し出された。

 ここで一つ、思考停止した狂三が当然だと主張しており、不思議そうに小首を傾げた真那がおかしいとも主張をしておく。

 

「何おかしな顔してやがるんですか。天下の〈ナイトメア〉が随分と平和ボケしやがったみたいですね」

 

「久方ぶりに聞きましたわね、その名前は」

 

「……本当に丸くなりやがりましたね」

 

 そうは言うが、特別、狂三は変わったつもりなどない。今の場合、本当に〈ナイトメア〉と呼ばれることに懐かしさを感じたに過ぎず――――――真那の変化に、少々驚きを隠せないというだけの話だった。

 以前までの真那であれば、狂三をもう少し邪険にしていたはずであり、狂三も相応に憎まれ口で対応していた。丸くなった、優しくなった(・・・・・・)の言葉をそっくりそのままお返ししてやろうと思えるくらいには。

 

「どういう風の吹き回しですの?」

 

「どうもこうも……未零が言った通り、お裾分けですが」

 

「……別に、無理はせずともいいですわ」

 

 吐息を零し、真那の差し出しをやんわりと押し返す。

 狂三は『この世界』の創造主に等しい。けれどそれは人の、士道に近しい人たちの関係性という運命まで縛ったつもりはない。だから、真那が狂三を気に食わないというのなら受けて立つ用意はあった……のだが。

 

「うわ、殊勝な〈ナイトメア〉とか気味が悪い光景ですね」

 

「喧嘩を売っていまして?」

 

 ちなみに、士道ほど優しくはない狂三は売られた喧嘩は買う主義だ。

 

「……今のは真那なりの『いつも通りの狂三でいい』というものですよ」

 

「未零さん、誤訳は止めてくれねーですか」

 

「……的確にしたつもりなのですが」

 

 気の抜けた翻訳が挟まったりはしたものの、要は真那としては気の抜けて殊勝になったという狂三よりは、いつもの皮肉交じりの狂三を所望しているようだ。

 真那としても慣れないことをしている自覚はあるのだろう。あー、と後頭部をむず痒そうにかいてから、それでも真那らしく真っ直ぐに言葉を放った。

 

 

「ま、私とあなたがそういう関係じゃねーのは当然というか、お互いに願い下げでいやがりますが――――――たまには同じものを食べる。っていう程度ならいいんじゃねーですか、時崎狂三?」

 

 

 殺し殺されではなく、けれども友人というわけでもなく、その程度なら歩み寄れるだろう。

 目をぱちくりとさせた狂三に、ニッと口元で大きく笑みを作った真那。

 今までのことを水に流すのではなく、持ち込みながら割り切る。なんともサッパリとして思い切りがよく、気のいいことか。

 

「あら、あら……」

 

 けれど、懐かしさを感じた。終ぞ手にすることはできなかった、時崎狂三にはできないものがそこにはあった。

 真那のそういう在り方が、真っ直ぐで心を貫く生き様が――――――かつて憧れたものに似ていて、眩しい。

 これは、何を言葉すればよいのか……時崎狂三(・・・・)らしく、ニィっと瞳を笑みの形にして応えた。

 

「相変わらず、真那さんは単純で幸せそうですわねぇ」

 

「喧嘩なら積極的に買っていーですが!?」

 

「……今のは狂三なりの『そういう真那さんが嫌いではありませんわ』、ですね」

 

 さすがは元従者の完璧な翻訳にフッと微笑みを零し――――――地団駄を踏む真那から、優雅に焼き芋を奪い取った。

 

 肝心の味のほどは、

 

 

「――――――甘い、ですこと」

 

 

その甘さが今の狂三には程よく――――――心地よいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「そろそろ帰ってみるか」

 

 というか、初めからそうしろという話ではあるのだが。

 人気のない裏路地で独り言ちる士道のそれは、何度も言うが人気のない路地裏に寂しく消えていった。

 カッコつけて狂三を探すといい〈フラクシナス〉から降りたものの、根本的に可能性が高いのは実は士道の家だったりする。だったりするというより、誰でも思いつくような当たり前の話なのだが――――――士道なりに、理由がないわけではなかった。

 しかし、そろそろその理由以上に狂三に会いたいという欲求の方が勝り始めている。戯れはここまでにして、本気で探しに行くかと路地裏から出た士道……だったのだが、とある二人を見かけ一度足を止める。

 長い夜闇色と金色の髪が仲良く揺れ、その主が歩いているのが見えたからだ。わざわざ方向転換の必要はない。なぜなら、彼女たちの向かう方向は今まさに士道が目指す場所と一致していたからだ。故に、止めた足を再び同じ方向へ動かしながら士道は二人に声をかけた。

 

「おーい。十香、万由里ー!」

 

 何も隠すことはない。その二人とは、ここ最近では特に珍しくもなくなったペア、十香と万由里だったのだ。

 少し遠目から声をかけたのだが、当然二人であれば士道の存在には容易く気がついた――――――

 

『……!!』

 

 のだが、勢いよく振り向いて、後ろ手に何かを隠したのは凄く気になってしまうなぁ、なんて思うのだ。

 

「シ、シドーではないか! うむ、良い天気だな!」

 

「あ、うん、唐突だな。天気は確かにいいけど……ところで二人とも、今何か隠して――――――」

 

「ないわ。私たちは、何も隠していない」

 

 素早い万由里のフォローが入るが、彼女もまた後ろ手に何かを隠し通そうとしているのは火を見るより明らか。しかし、良い意味で素直な十香はともかく、(過大の解釈をすれば)琴里の血筋を引く万由里は士道にとって難敵だ。

 ならば、と士道は目を煌めかせる。

 

「あ!」

 

「むっ!?」

 

 明後日の方向を指差した士道に十香が釣られて顔を上げる。と、同時に地面を蹴り十香の背後へと素早く回り込み、彼女の手荷物を覗き見る。

 

「させない」

 

「くっ、やるな万由里……」

 

 が、素早い足捌きで割って入った万由里に阻止されてしまった。今の士道の速度についてこられるとは……などと若干中学生男子のように楽しくなっていると、士道に騙されたことに気がついた十香がプクーっと頬を膨らませた。

 

「何もないではないか、ずるいぞシドー!」

 

「はは、悪い悪い。もうしないよ」

 

 ……十香なら二度目も通じそうだとか思いはしたのだが、それは士道に向けられた信頼があるからなので、これ以上遊んでしまうのは心が痛いとひとまず笑って誤魔化す。

 さて、と改めて二人と向き合いながら思案する。果たして、わざわざ士道に隠したいものとは何なのか。

 

「それで……二人はこれから帰りか?」

 

「う、うむ。だがシドーは駄目だぞ!」

 

「そう。まだ帰ってこないで」

 

「……俺、一応家主のポジションだよな?」

 

 両親不在が多いためそうなっているだけなのだが。あまりの全力拒否に苦笑しながら頬をかくと、足りない言葉を慌てて十香が付け足した。

 

「そういう意味ではないのだが……万由里の言う通り、とにかく今は駄目なのだ!」

 

「そうかー、俺だけ仲間外れなのかー」

 

「む、むむむむむ……」

 

「士道」

 

 ある程度は察しているのだが、とても可愛らしい十香の反応に意地悪をしてしまって万由里から半目を向けられてしまった。ちょっとわざとらしすぎたか、と士道への気遣いと目的で頭を抱えたいが物理的には抱えられない十香へ声を返す。

 

「冗談だよ十香。そういう意味じゃないってのはわかってるからさ」

 

「な……むぅ、今日のシドーは少し意地悪なのだ」

 

「ごめんな。お詫びに、今日は十香のリクエストしたものを作るよ」

 

 今から夕飯用に買い出しをするのも悪くない。ちょうど回れ右をすれば商店街に良いお店が――――――その思考と十香が顔色を変えたことで、何となく事情は知れた。一瞬『本当か!?』と歓喜の声を上げたかったであろう十香が、大地震のように表情が揺れに揺れたのだ。

 そこまで士道の料理を気に入ってくれているのはありがたいのだが、今回ばかりはそれが裏目になり少々機嫌の取り方を間違えてしまったらしい。もしこれがデートで琴里が見ていたら呆れたため息が鼓膜を震わせていることだろう。その代わり、ということなのか万由里が今度はジト目で士道を射抜いた。

 

「しーどーうー」

 

「いや悪い。今のは本当に偶然なんだよ……」

 

 さっきまでの悪いやごめんと違い、やってしまったという気持ちが底から湧いてきて、万由里に手を合わせて謝罪をして冷や汗をかきながら「あー」とわざとらしく声を発した。

 

「けど、今日だとちょっと仕込みに時間がかかるからなぁ。明日にしようかなー」

 

「……!! そ、そうか。うむ、嬉しいぞシドー!」

 

 嬉しいぞには幾らか意味が含まれているんだろうなぁ、と十香の表情から予想しながら、お互いにこれ以上のボロを出す前に士道から切り出すことにした。

 

「じゃあ、俺は外で待ってるよ」

 

「すまぬシドー……だが夕餉までは駄目だからな!」

 

「わかってる。楽しみにしてるよ」

 

「うむ。楽しみにしておくがよい!」

 

 隠す気があるのやらないのやら。まあ、心から行事を楽しむ十香を見れて士道も幸せな気分になれる。特に今日は、そういう日だと感じる。

 

「……あとで迎えを行かせるから」

 

「了解」

 

 最後に万由里からの耳打ちをしっかりと受け取り、士道は二人に手を振って一度別れた……別れる時も、器用に物を隠す二人は些かシュールだったが。

 

「……んー、二亜か?」

 

 二人が見えなくなったのち、士道はあごに手を当て主犯を思い浮かべた。

 多分だが、こういう盤面では大概の発端はかのプロ漫画家だ。商店街で何かを買い溜めたとなれば、士道でなくとも何かを察してしまうというもの。そこで精霊たちが何をするかと考えてみれば、それが士道に隠したいことと更に思考を詰めていけば……さして難しい案件ではない。

 今回は少々と趣向を変え、士道に対してはサプライズということらしい。本来なら連絡なりで時間を稼ぐ予定だったのだろうが、運悪く十香と万由里に士道が鉢合わせてしまったといったところか。

 それはそれとして、と士道は白い息を吐いて予想結果に呆れを見せる。

 

「クリスマスに新年もあったのに、多すぎるだろ……」

 

 事ある毎にこうなのだから、二亜には困ったものだと笑みがこぼれる――――――けれど、悪くないと皆が考えているから、自然と集まることが多いのだろう。

 まあ、今回は素直に乗せられるとして、一応締切に関しては言及しておこうと士道は適当な方向へ足を向けた。一応、と考えている時点で効果は甲斐がないものだろうけれど。

 はてさて、どこで時間を潰すとしようか。とりあえず、多めの夕飯を予想して小腹を満たすことからか。しばらくの穏やかを想像しながら、宛もなく自由に見慣れた商店街を散策――――――

 

「…………………………はぁ?」

 

 しようとした。そう、しようとした(・・・・・・)のだ。つまりは、できなかった。そこにいるはずのない人間を、士道は見つけてしまったから。正確には、真っ直ぐに士道へと歩みを進める男を視界に収めてしまったから。

 くすんだアッシュブロンド。整えられたスーツはとてもではないが庶民的な商店街には似合わない。その切れ目を隠し通せたとしても、その存在感は誰がどう見ても一般人のそれではない。

 端的に言いうと――――――

 

 

「なんでおまえがここにいる――――――アイザック」

 

「おや、君の創った世界(・・・・・・・)の陽の下で、ウォーキングをする権利が私にはないと言うのかね――――――シドウ」

 

 

 二度と会うことはなかったはずの理解者が、今目の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「くるみんあぶなーい!」

 

 リビングの扉を開けた途端、何か微妙にわざとらしい警告が狂三の耳に飛び込んでくる。

 同時、小さな球体状の物体が狂三目掛けて飛んできていた――――――それをとりあえず受け止めて、とりあえず投げ返した。

 

「あたぁ!?」

 

「直撃。見事なコースです」

 

「ロボット並のノーモーションで投げ返した……」

 

 二亜の額に直撃し、仰け反った彼女と投げ返した狂三を見て八舞姉妹がパチパチパチと拍手を送ってくる。何をしているのやらと息を吐き、今朝に比べて随分と散らかったリビングへと足を踏み入れた。

 

「申し訳ありませんわ。わたくし、不審物は投げ返すか蹴り飛ばすかの人生でしたものですから」

 

「暗殺者もビックリのデンジャラス人生してるね……」

 

「お褒めの言葉として受け取っておきますわ」

 

 言葉をも送球の如く投げ返し、狂三は二亜の額に当たったのちコロコロと転がっていった球体を拾い上げた。よくよく見れば、それはクリスマスの時期に使った飾り付け……要するに使い回しだった。

 というより、いつの間にかリビング全体に飾り付けられた装飾の大半が使い回しだった。

 

「エコですわねぇ……」

 

「やー、あんまり新しいの頼むのも申し訳ないからねぇ」

 

「パーティーを控える、という考えはありませんの」

 

「ないね」

 

 キリッとした顔で返されたところで、狂三は呆れを返す他ないし八舞姉妹も同じようなものだった。そもそも、と狂三はため息を吐いてから言葉を返した。

 

「何を遊んでいらっしゃいましたの……」

 

「いや、飾り付けてたら楽しくなっちゃって、投げ合ったら楽しいかなって……あはは」

 

 発案者と思われる人がそれで遊んでいたら世話ないなと一つ呆れが増えてしまった。

 

「ていうかー、双子ちゃんが相手で人数不利なんだからせめてくるみんは味方になってよー」

 

「あら、あら……では」

 

 トントンと体勢を整え、あちこちに落ちた飾り付けを手に取って、狂三は二亜へと問いかけた。

 

「二亜さんは敵ですの。それとも、敵ですの?」

 

「敵以外の選択肢がない!! つかこれあたしが言っていいの!?」

 

 次いで「あと少年の成長フラグ取られた気がするんだけど!」とよくわからないことを叫ぶ二亜を置いておき、狂三は飾り付けを適当なツリーへ付けながら――とうに過ぎたクリスマスツリーまで使い回すのはどうかと思う――半目で声を発した。

 

「それよりも、遊んでいないで飾り付けをしてくださいまし。どうせ二亜さんの提案なのでしょう?」

 

「狂三の言う通りではないか二亜」

 

「同調。狂三の言う通りです二亜」

 

「双子ちゃんはノリノリで遊んでたよねぇ!? 少年の成長フラグも何か取られた気がするし立案者が一番不幸だぁ!!」

 

 シレッと罪を擦り付ける八舞姉妹と涙を流す二亜。大変に愉快で狂三としても見ていて――――――楽しい。

 

「……ふふっ」

 

 そうか。楽しいのか。楽しいと、素直に思えるようになっているのか。

 普通の日常が。こういう意味のない大騒ぎが。以前までならば、素直に受け取ることができなかったものが……少しづつだが、狂三は皆と未来へ進むことができている。

 

「ふむ。何かあったのか狂三よ」

 

「いえ……何もないから、笑ってしまったのですわ」

 

「面妖。何かを企んでいそうで恐ろしいです」

 

「あら、あら。それは困りましたわね。今すぐ闇鍋パーティーに予定を変更してもよろしいのですけれど」

 

「やめんか! ぜ、前世の記憶が……」

 

 少なくとも前世で闇鍋をする記憶はろくでもないので捨ておくべきだと思うのだが。まさか新年もそこそこに闇鍋をするような狂三たちがいるわけもなく、謎の寒気に見舞われた耶倶矢を後目に狂三は辺りを見渡す。

 どうやら飾り付け組は二亜、八舞姉妹だけでなく今朝方に狂三と共にいた四糸乃、七罪、六喰も含まれているようだ。もしかしたら、このために集まったというのもあったのかもしれない。

 とすると、狂三が飾り付けを手伝うのは少々と無駄がある。次に目を向けたのはキッチンだ。そこには調理の準備をする折紙ともう一人の人影があった。手伝うならそちら……と思った狂三と、そのもう一人に疑問を抱く狂三がいたのだ。

 

「――――――わかったわ。ええ、対応はそれでお願い」

 

「……?」

 

 赤髪の少女がスマートフォンを耳に当て、真剣な顔で何かを話している。そう、黒リボン(・・・・)で五河琴里が誰かを通話を繋げている、というのが話のキモだ。

 程なくして通話を切る琴里の姿が目に映ったが、気になった狂三はキッチンへと足を踏み入れ琴里と折紙へ声をかけた。

 

「琴里さん、折紙さん。ただいま戻りましたわ」

 

「ん、おかえり」

 

「……あー。狂三おかえりー」

 

 折紙は簡素に、だが柔らかい表情で。しかし、琴里はわざわざ白のリボンに付け替えてから狂三を迎え入れた。その差異に狂三は訝しげな顔を作る。

 基本的、琴里のマインドセットには相応の意味がある。白のリボンは日常。黒のリボンは非日常。大まかに分けてこの二つであり、非日常とは意味を紐解けば精霊関係(・・・・)が大半だろう。

 

「琴里さん、今――――」

 

「あー! そろそろおにーちゃん呼びに行かなくちゃ! 狂三、出戻りで悪いけど行ってきてくれない?」

 

 お願い、と手を合わせる琴里に、狂三は益々訝しげな表情を歪める。

 

「……わかりましたわ」

 

 しかし、頼まれたとなれば引き受けなければむしろ狂三が不自然だ。何せ、今朝から士道を探していたのは当の狂三なのだから。そちらの目的が果たせるのであれば、この頼みを受け入れることは自然。

 

「戻ったら、先の話を聞かせてくださいまし」

 

「えー、なんのことー?」

 

「あら、あら……」

 

 精霊の精神安定を謳う割に、隠し事を貫くとは良い根性をしている。まあ、琴里が明かさないというのであれば、狂三は忘れてやることにしよう。ため息一つで背を向けて、狂三は士道を迎えに再び外へと向かう。

 

 ――――――次こそは士道に会えそうだ。仄かに笑顔を浮かべた狂三からは、琴里の隠し事など頭の隅に追いやられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……連絡の内容は?」

 

「やっぱりわかっちゃうかー」

 

「狂三に士道を迎えに行かせるには早すぎる」

 

 キッチンから狂三がいなくなってすぐ、目線を鋭くした折紙が琴里へ問いかけてくる。その様にさすが元AST隊員と称賛を覚えながら、素早くマインドセットを施し返答をする。

 

「少し前から〈ラタトスク〉が調べていたことがあったんだけど、今まさにその進展があったのよ」

 

「調べ物……今の〈ラタトスク〉が自ら調べなければならないこととは何?」

 暗に『この世界』で、という意味合いの問いかけだ。

 わざわざ、このご都合主義なまでに物事が解決された世界で、狂三に隠すだけの調べ物。それは、

 

「どっちかといえば()なんだけど、実は――――――」

 

 折紙の顔色を変えさせ、大きく目を丸くさせるだけの内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ふむ、美味い」

 

 上流階級の人間が下々の民が口にするものを手に取り、感銘を受けるのは物語によくある話だが、まさか自分がそれを見る側になるとは思いもよらなかったと士道は吐息を零しながら声を発した。

 

「そりゃよかったな。……普段食ってるものが違いすぎて合わないと思ってた」

 

 言って、士道自らも手にしたハンバーガー……メジャーなファストフード店から購入した食にかぶりつく。口に広がるジャンキーな味は、大雑把ながらやはり王道だ。

 これが士道の隣を歩く男に――――――超上流階級のアイザック・ウェストコットの口に合うとは、到底思えなかった。だが、わざわざファストフードを指定したのはアイザックであり、当の本人も士道の言葉を相変わらず冷たい笑みを浮かべて返してくる。

 

「そういうわけでもないさ。君とて、高級な一品より好ましく思える品があるだろう。私にとって、それはこの味ということだ」

 

「……ま、わからなくもないな」

 

 士道が思い浮かべるものとアイザックが思い浮かべるものは違うが、言いたいことはわかる。士道とて高級な料理に理解は示すが、たとえば精霊たちが真心を込めて作り上げた料理の輝きはそれに負けないと思っている。

 少なくとも士道は、一人で行う高級な食事より皆と行う庶民的な食事の方が好きなのだ。士道のそれがアイザックにとってはこのジャンクフードなのだろう。

 

「このような安上がりなものでも、この国のものはとても優れている。自国では自由に味わえない分、こうしてたまには食べたくなってしまうものだ」

 

「隣の家の芝生は青いとはよく言ったもんだ。そもそも、そんな理由であんたのお忍びに俺を巻き込むな」

 

「不服かね?」

 

「不服以外があるなら教えてほしいがね。誰かに付き添わせろってんだ」

 

 落ち着いて飯も食えやしない、とハンバーガーを食い切って愚痴を零す。

 

「はは、部下を連れ歩くわけにもいないだろう?」

 

「ああ……あんた、タダでさえ目立つからな」

 

 食べ歩きながら感じる居心地の悪さなど、まさに〝目立つ〟の一言で解決する。商店街で顔の知れている士道はともかく、大企業の長が庶民の拠り所に姿を表すなど知る人が知れば卒倒ものだろう。おかげさまで一ヶ所に留まることもできないときたものだ。

 いや、そもそも流されて根本的なことを聞いていなかった。

 

「てか、そのあんたの部下の人は?」

 

「ふむ。協力してくれた者が足を止めてくれているだろうが、時間の問題だろう」

 

「…………」

 

 その足止めを任せた部下、脅して協力させたんじゃないだろうな。というかそうとしか思えないと、士道は深々とその人たちの代わりにため息を吐いた。

 

「あんたの下に付く人には同情するよ……」

 

「む……上司としては優秀に振る舞っているつもりなのだが」

 

「なお悪いだろ」

 

 優秀と呼ばれる上司が日本に来て唐突に抜け出したとか、誰かの首が落ちるだけで済めばいいというもの。ほとほと、このアイザック・ウェストコットという男は考え方が常人からズレていると言わざるを得ない。

 素っ頓狂な返しを真顔でするものだから、この男も見ないうちに少し変わったかと士道は評価を改めてしまいそうだった。それはそうと、士道なりに聞くべきことは聞いておかねばと声を発する。

 

「で、あんたはその短い休憩時間でジャンクフード食いに来ただけなのか?」

 

 放っておいて何をされるかわからない相手ということもあり、こうして士道はこの宿敵と歩き食いに興じている。正直な話、さっさと解放してほしいのが本音で、今すぐアイザックの部下が迎えに来てくれるのが一番だと言えた。

 そんな士道の本音は、この男に筒抜けなのだろう。人をおちょくる楽しげな笑みでアイザックは言葉を返す。

 

「いや? 興味本位で、君に聞きたいことがあったのだよ。会うことがなければ、それはそれで私と君の運命だとも考えていたがね」

 

「そうかい。俺は今自分の運命を呪ってるよ」

 

 どうせろくなものじゃない。その確信がありながら、聞かねばならないというのが困りものなのだが。

 つっけんどんな士道の態度を気にも止めず、さも気まぐれ、本当に興味本位のような顔でアイザックは続けた。

 

「何――――――どうして君たちは、私を生かしたのかと思ってね」

 

「………………はぁ?」

 

 たっぷりと時間を使い、士道は呆れた息を吐く。今さら、それを当の士道に聞きに来るのかと。

 

「言っとくが、俺は『この世界』にあんたの不満を受け入れるつもりはないぞ」

 

「そんなつもりはないさ。私は敗者だ。敗者は勝者に従うものだ。この問い次第で今の私が行動を変えることはありえない。――――――だからこそ、私を『この世界』に残した君たちの行動がなかなかに不可解に思えてしまってね」

 

 言いながら、アイザックは髪をかきあげ――自己の存在を確かめるように――鋭さを残した瞳を士道へと向けた。

 

「エレンやエリオットは理解できようものだが……私を残すメリットは、まるでないだろうに。むしろ、私など存在ごと時間の中に葬り去る方が楽だったのではないかね?」

 

「そうだな。そっちの方が簡単だったし、世界も綺麗になったかもしれない。けどな――――――」

 

 そこは、士道も否定はしない。アイザックという男がもたらした影響は、正直なところ美しいとは言えない。世界など知ったことではない士道たちにとってもそうなのだから、この男の悪行というものは底が知れなかった。

 だからこそ不可解。だからこそ解せない。人の思考を理解する異常者だからこそ、あまりに不合理な士道の行動をアイザック自らが問いかけてくる。

 

 そして、そのくだらない質問の答えなど、士道は一つしか持ち合わせていない。

 

 

「俺はあんたの理解者かもしれないが――――――あんたと同類(・・)にはなりたくないのさ、アイザック」

 

 

 不敵に微笑み、士道としての答えを返した。

 

「……なるほど。君らしい傲慢な答えだ、シドウ」

 

「はっ。世界を創り変えた人間が最もらしいことを吐く方が、俺は傲慢だと思うぜ」

 

 今さら正しい倫理観を議論するつもりなどない。士道とアイザックはこれ以上ないほどに異常者だ。

 己の快楽のために世界を変えようとした男と、愛のために世界を創り変えた男。等しく傲慢で、等しく異常者だ。だが、そんな異常者にも引くべき一線というものは存在している。士道とアイザックが違う部分は、それだけの話だ。

 吐き捨てるように自論を繰り出した士道に、フッと唇を歪めたアイザックは肩を竦め返した。

 

「だが、理解したよ。君たちがこの甘い世界に私を残した理由が」

 

「不服か?」

 

「不服だとも。が、同時に納得もしよう。そして、私は敗北を認めている。――――――次は共に来てはくれないと、言われてしまったからね」

 

「は?」

 

 何のことだ――――――と士道が問おうとした瞬間、二人の前に車が急停車した。見るからに高級車。誰を迎えに来たかは、言うまでもないことだった。

 

「おや、時間か」

 

「らしいな。食うもん食って満足したなら、さっさと仕事に戻ってくれ」

 

 しっしと邪険にすれば、その反応がアイザックの周りでは相当珍しいからなのか、くつくつと楽しげに笑いながら男は車へと向かう。

 

「ああ、そういえば一つ。君にあることをお教えしよう」

 

「あ……?」

 

「――――――――」

 

「……!!」

 

 目を見開き、思わずアイザックを止めて幾つかの言葉を交わす。そして、その情報を士道へと導いた(・・・)アイザックに怪訝な顔を向ける。

 

「あんた、なんでわざわざ……」

 

「ふむ。私が握り潰したところで結果は変わるまい。強いていえば、私が見たかったものを見せてくれた礼だ。しかし、そうなると――――――」

 

 アイザックにしては珍しく、少し考えるように目を伏せる。そう、それは確かに――――――アイザック・ウェストコットという男が、人らしい俗世な考えを取り戻したように見えたのだ。

 

 

「こちらの方が正しいな。私は君の喜ぶ顔ではなく――――――彼女(・・)が喜ぶ顔が見たいのだよ」

 

 

 一瞬、何のことか士道には理解し難い発言だった。

 

『――――――次は共に来てはくれないと、言われてしまったからね』

 

「あ……!!」

 

 つまりは、そういうこと。繋がりに士道が顔を上げたときには、アイザックは悠々と車に乗り込み、窓から士道へ別れの言葉を告げようとしていた。

 

「では、また会おう(・・・・・)。彼女に、よろしく伝えておいてくれたまえ」

 

「ま、てめ……っ!」

 

 言うだけ言って、小憎たらしい笑みを残して、アイザックを乗せた車は走り出す。その背に向かって、

 

 

「誰が伝えるか! 二度と未零に(・・・)会いに行くんじゃねぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 人の縁とはコントロールできないもの。こうした悪縁も――――――案外、切れないものであるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「たく……っ」

 

 最後の最後で愉快ではないものを落としていったアイザックに巨大なため息を吐いて、苛立ちにガリガリと髪をかく。本当にろくでもなく性格が悪い。

 

「はぁ……ああ、くそ」

 

 あの憎たらしい顔だけを頭から追い出そうと首を振り、士道は舗装された道に靴底を押し続けた。

 顔だけなのは余計すぎる時間だったからだが……決して、無駄な時間ではなかった(・・・・・・・・・・・)からだ。

 

「…………」

 

 ――――――会って、話がしたい。それだけを思って、士道は迷いなく歩を進め始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 狂三は幸せだ。今の幸せは、想像することなどできなかったほどに輝いて見える。だから、

 

 

「この夢は――――――いつ、覚めてしまうのでしょう」

 

 

 時折、怖くなってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 いつか、覚める夢なのではないか。

 

 

「――――――――」

 

 

 今歩く現実は、夢ではないと言えるのか。自らが見た幻想は、果たして現実ではないと言えるのか。

 今この瞬間、幸せな夢は消えて、士道を知らない彼女がいる世界に変わってしまうのではないのかと。

 

 

 

 

 

 未来へと時が進むのは、己が望むだけの光景でしかないのではないか。

 

 

「――――――――」

 

 

 狂三が世界を映す左眼から色が消え、彼のいない世界になってしまうのではないか。

 

 

 

『――――――――』

 

 

 だから怖かった。会えたとき、向き合えたとき、いつ覚めるともわからぬ夢が消えてしまうのではないかと。

 お互いの手に掴んだものは、儚い夢幻ではないのかと。

 

 

 それでも、だからこそ――――――会いたいと思った。

 

「士道さん」

「狂三」

 

 だって、ああ、ああ。そんな一秒前の想いを吹き飛ばすほど、あなた(きみ)の姿は色鮮やかで。

 

 

「俺たちのデートを――――――」

 

 

 差し出された手は、とても温かくて。

 

 

「――――――始めましょう」

 

 

 返された微笑みは、とても温かくて。

 

 

 会えてしまえば――――――くだらない悩みだったと、二人で笑いあっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ふぅん……奇妙な体験があったものですわね」

 

「他人事みたいに言うなよな……」

 

 揃って歩くことが自然になった狂三と、そんな気の抜けた会話を広げた。内容は、今日見た夢の話だ。

 お互いに視てしまったものを教えあってみたものの、本人と会ってしまえばこうも現実感がなくなってしまうのだから不思議な気分だ。

 

「ですが……予知夢の類ならまだしも、既に過ぎ去った過去の分岐点を視せられたところで、わたくしたちには他人事のようなものですわ。本当にその選択をした結果、夢の出来事になるとも限りませんもの」

 

「それもそうだけどな」

 

 それで不安になって会いたくなったのはお互い様だろうに、という言葉は苦笑と共に噤んだ。士道はこのお嬢様がどのような反論をしてくるか、不機嫌になるかは弁えているつもりだ。士道の手を握り、上機嫌に歩を進める可愛らしい狂三の機嫌を損なうのは、士道としても大部分の喪失なのだ。

 

「あったかもしれない、というものを考えるのは嫌いではありませんけれど……今は、その先(・・・)を考えることが好きになってしまいましたわ」

 

「たとえば?」

 

「ふふっ、当ててみてくださいまし」

 

 くすくすと揶揄うように笑い、唇に指を当てて先を促す狂三。その先、未来の話、将来の話。色々とあるものだろうが、士道が今日浮かべたものといえば――――――

 

「…………結婚、とか」

 

「……!!」

 

 若干の恥ずかしさに目線を逸らす士道にわざわざくるりと回り込み、実に乙女な反応を狂三が示した。

 

「まあ、まあまあまあまあまあ!」

 

「狂三、回数がバグってるぞ」

 

「二回繰り返しただけではありませんの!」

 

 明らかにそれ以上を繰り返していたのだが、今の狂三は正論では止まらないだろうと思えるくらいに目が輝いている。可愛いが、とても眩しいと士道は怯みながら声を発する。

 

「合ってたか?」

 

「間違いではありませんわ。これからの期待の中に含まれていましたもの」

 

「欲張りだなぁ……」

 

「誰かさんに似て、ですわ。わたくし、我慢という言葉を忘れてしまいましたもの」

 

 ギュッと士道の手を握る狂三からの期待は相当なもので、これは本格的に誰かに相談しないとなぁと士道に曖昧な笑みを浮かべさせた。

 

「ああ、ああ。嬉しいですわ、嬉しいですわ。こんなに嬉しいことはそうありませんわ」

 

「おいおい、まだ本番じゃないからな? それに――――――俺の予告より嬉しいことがあるかもしれないぜ」

 

「あら、あら。あなた様からの贈り物より嬉しいものなど、そうそうあるとは考えられませんけれど……」

 

「さて――――――」

 

 ニヤリと笑い、向き合った狂三のその先へ目を向ける。これでも、狂三に近しいくらいには目が良くなったつもりだ。

 だから、

 

 

「案外、幸せってのは近くに来るもの(・・・・)だぜ、狂三」

 

 

 その幸せは、もう祝福されている。

 

 

「――――――狂三さん(・・・・)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先日、我が社……というより、私個人にとあるコンタクトがあったのだよ」

 

「あんた個人に? 一体どうやって……」

 

「驚きだろう。彼女(・・)はその身一つで私にたどり着いて見せた。人の執念とはこれほどまで……と思わされたものだ」

 

「あんたが言うか。それで、その人はあんたに何を要求したんだ?」

 

「何、大したことではなかったさ。彼女は単刀直入に言ってのけたよ――――――時崎狂三を知るとある組織(・・・・・)にコンタクトを取って欲しい、とね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――そして、彼女はたどり着いてみせた。見事なものですね。その一途さは二亜に見習ってほしいものです」

 

「……ある意味、あの男を拒絶しない未零のお人好しな性格が功を奏したと言えるかな」

 

「……姉さん、全く嬉しくなさそうにしないでくださいよ」

 

「で、その人の狙いはなんでやがりますか。時崎狂三への復讐ですか?」

 

「冗句にしてはなかなかグレーなラインですよ、真那。誰かにそういうものを埋め込まれたならいざ知らず……それがあったにせよ、終わったことです」

 

 まあ、こういうときに未零から言うべきことなどたったの一つ。いつものように、たったそれだけだ。

 

 

「全てはあなたのために、我が女王。そして――――――よかったね、狂三」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ――――――」

 

 いる。そこにいる。狂三を呼んでいる。

 目が映らなくてもわかる。涙で滲んでいようともわかる。狂三ならわかる。時崎狂三は、彼女の存在を誰よりも追い求めた。

 だが、どうすればいい。どう応えればいい。ああ、ああ。全身が震える。鼓動が早鳴り、振り向こうとする身体が言うことを効かない。どうすればいいのだろう。

 

「狂三」

 

 呼べばいい。そうして、呼び合えばいい。かつて、今もそうであるように。

 名と名を呼び合うこと。大事な、大切なこと。

 

「欲張りになったんだろ。――――――俺のこと、ちゃんと紹介してくれよな」

 

 微笑む愛おしい彼と一緒に、学んだことなのだから。

 微笑みを返し、振り向いた。幾重の時間を積み重ねた〝結果〟が広がっていた。

 

 焦がれてやまない過去があった。取り戻しても、彼女と交わすものなどないと思っていた。けれど、約束してしまったから。そうして、愛する人と創り上げた世界は――――――

 

 

 

「――――――紗和さん!!」

 

 

 

 我が儘な優しさに満ち溢れた、祝福の続く未来だ。

 







匂わせ合体章タイトルから『フューチャー』まで解禁しついに結婚ネタかと思わせてラストこれが私の全力不意打ちストレート。いやね、バレット劇場版であそこまで描かれたら私が書けるもの書くしかないかなって……。

さあそんなわけでこの後書きも最後となりました。本当に最後か、と聞かれると(完結マークを付けるための)最後という意味ですが。またこのリビルドでしか書けないものを思いついたらシレッと投げに来るかもしれません。本編の続きかもしれないし、IFの続きかもしれない。まだ見ぬ未来にご期待下さいませ。

あと残したものはなんだろうなー、って考えながら作った今話。やれるだけ再現ネタを入れまくりました。アンコールの小ネタ全部わかる人いるんですかね……。あと真那くん、それ日本では『同じ釜の飯を食う』っていうのよ。
というか再会した瞬間の士道と狂三、ちょっと正気に返って私が恥ずかしくなったわ。いくらなんでもゲロ甘すぎる。ここまできたら皆さんの脳内に互いに向かって歩く二人が想像できたはず。本当に、長かったねぇ君ら。

次リビルドで思いついた短編以外書くことがあるなら凜祢ユートピアか劇場版バレットネタでしょうかねぇ。前者は細部詰める気になったらですが、後者は単純に短いかつ白の女王との因縁がメインだから書きやすそう。いやバレット本編って『狂三』の物語の側面が強いので、こっちだと士道を絡ませられないし無双狂三だと台無しだしって感じなので。まあやるかどうかはわかりません。未零じゃないですが、終わった話ってあとで組み込みやすいよね(
まあこの辺より次回作は優先されるはずです。次はコンパクトに収まる士道と狂三の物語を書くんだ……ふふ。クソ甘いボーイ・ミーツ・ガールをお届けして差し上げましょう、多分ね!!

さあ、戦争(デート)は幕を閉じ、デートは祝福の先へ。狂三リビルドという物語はこれにて完結となります。二回目ですけど最後の最後だし投げ忘れの評価とかあればめちゃくちゃ受け取るのでめちゃくちゃ待ってます!完結記念一回もらってるのに完結マーク記念とか意味不明ですけど!何だかんだ三ヶ月使ってるので許してください!

またいつかの明日に再びお会いしましょう。次回作か、はたまた狂三リビルドかは私にもわかりかねますが。その時はまたこいつ狂三書いてるなって読んでやってくださいませ。

それでは、士道と狂三の物語をご愛読いただき、改めて、本当にありがとうございました!!またね!!


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蓮ディストピア
『無価値と無為の少女たち』


お久しぶりです。投稿二周年記念に一発書いてみました。続くかは未定だし触りだけですが、どうぞ。

時系列は折紙デビル〜二亜クリエイションの間を想定しております。

それでは、皆々様――――――語られることのなかった戦争(デート)を始めましょう。





「はは、あはははははははははっ――――あはははははははははははははっ!!」

 

 嗤う。少女が嗤う。道化の少女。解けた(・・・)少女が高らかに嗤う。

 

「はぁ、可笑しい。自分が目覚めるなんて、おかしくて可笑しくてたまらない。本当に、世界というのは儘ならないものだ――――ふむ?」

 

 そうして、混沌螺旋の世界で少女が首を傾げた。覆われた瞳で、囚われた腕で、果たして何が見えたのか。

 

「おや、おや。これは意外や意外。予想だにしない客人だ。なるほど――――『始める』には、十分だ」

 

 身を縛るものは多々あれど、少女の心に曇りはない。

 身を焦がす憎悪は、されど、その存在を知れたのならば価値あるものに値する。

 

「ならば幕を開けよう。涙の止まらぬ悲劇の幕を。笑いの止まらぬ喜劇の幕を――――さてさて、これよりご覧いただきますは、絶世可憐なる少女たちの狂宴」

 

 舞台の道化は語りかけ、暗き底より現れし物語の一幕へと誘う。

 

「願いは常に美しけれど、その思いが如何な結果に結びつくのかは誰にも知れません。希望溢るる少女たちの行く手に広がるは、楽土かはたまた地の獄か」

 

 ならば始めよう。語られることのなかった道化と道化の物語を。

 

「お相手仕りますは、わたくし、蓮。どうか皆々様に、享楽と喜悦のひとときがありますよう――――――」

 

 希望と絶望。望まれなかった者たちの表と裏と――――母と娘の戦争を、始めようではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 瞼を開いて、目と目が合う。紅色の瞳が煌々と輝き、黄金色の瞳がカチカチと時を鳴らす。

 

「おはようございます、士道さん」

 

 唇が触れ合うのでないかという距離に、少女はいた。美しすぎる、神に愛された極上の美貌。白磁の肌に差し込む朱色。

 

「……おはよう、狂三」

 

 吐息と吐息が触れ合う。そして、士道は。

 

「ふっ!」

 

 ゴロゴロとベッドを転がって、壁に頭を全力でぶつけた。

 ガンッ! と結構な音がして、元々から目覚めていた目がこれ以上なく開かれる。率直に言えば、痛い。

 

「あら、あら。奇っ怪な行動をなさるものですわね」

「起きた瞬間、超絶美少女が半ゼロ距離にいてみろ。まず夢を疑うだろ」

「現実は?」

「美少女はいた。俺の家に」

 

 ……今朝から、随分と頭の悪いことを言ってのける自分自身に驚きと呆れが隠し切れないというところだった。

 ムクリと起き上がり、腫れた頭を擦りながら立ち上がった少女の姿を眼窩に収める。

 時崎狂三。士道の運命、というと少し格好をつけすぎかもしれないけれど、それくらいに大切で、複雑で、大好きな少女にして精霊(・・)

 

「まあ、まあ。士道さんは起きがけでも変わりありませんのね」

 

 士道の大仰な物言いにくすくすと笑いを零し、釣られて士道もクスッと笑みを浮かべる。

 そうして、はたと疑問符を追加した。

 

「ところで、今日は朝からどうしたんだ?」

 

 一応、端的に言えば好き合っている(・・・・・・・)関係ではある二人だが、寝所を共にする関係には至れていない。互いを好きでいながら、ある種殺し殺され(・・・・・)という関係でもある故に、だ。

 

「ええ。たまには趣向を変え、朝から仕掛けるも一興と思いましたの。残念ながら、士道さんはあまり驚いてはくださらなかったようですけれど」

「これで驚いてないって判断がおかしくないか? いや、驚きすぎて逆に冷静になってるのかもしれないけど」

 

 肩を竦めて残念がった様子の狂三に、手を振りながら言葉を返す。

 愛する美少女が寝起きドッキリ。健全な……というには身を置く境遇がバイオレンスデートな士道だが、一般的な高校生と考えれば眉唾物のシチュエーションと言えるだろう。

 

「まあ、士道さんには正攻法が効果的、という検証結果を得られただけで良しとしますわ。それでは、わたくしはこれで失礼いたします」

「ん、なんだ。もう行っちまうのか」

「ええ。本日は予定が混み合っていまして。ですから――――会えない分、士道さんのお顔を拝見しておきたかった……という理由で、士道さんは心躍らせてくださいますかしら?」

 

 ――――指を一つ薄紅の唇に当て、恥ずかしげに微笑む愛しい少女の姿。

 士道だけに見せて、士道だけに伝える愛情の証。同じように赤面を、さりとて受け答えの不敵な笑みを士道は返した。

 

「ああ、めちゃくちゃドキッとしたよ。同じようにやり返せないのが、少し残念なくらいさ」

「ふふっ。士道さんであれば、わたくしは一向に構いませんのに。――――ですけど、今日のところは、士道さんのお心を揺らすことができたと満足を得ることにいたしますわ」

 

 それでは、また――――と、狂三がスカートを摘み上げ、足を引いて礼を取る。その瞬間、少女の足元に〝影〟の領域が侵食し、淑女の姿勢を取る狂三を呑み込み、姿を消した。

 静寂。初めからこの部屋には、士道一人しかいなかった。そう錯覚させる平穏と静寂が訪れる。

 だが、網膜を焼き尽くすような美しい貌。仄かに鼻腔をくすぐる狂三の残り香。何よりこの心臓の高鳴りが、時崎狂三がそこにいたことを証明してくれていた。

 息を吸って、吐いて、一言。

 

「――――デレさせられるかと思った!!」

 

 我ながら、酷く情けない一言が飛び出したものだと思った。

 動揺をしなかったのは、本当に驚きが勝りすぎていたから。本気の理由であり、狂三の前だからこそ耐えねばならなかったのだ。おかげで、振り戻しによって心臓爆裂な心音が胸を叩いている。

 

「はぁー……マジでびっくりした」

 

 ぼふっと布団の上に背を置いて、嵐のように過ぎ去った狂三を想う。デレさせた方が勝ち(・・・・・・・・・)の勝負。互いに想い合う関係で、一瞬の攻防がこうして綱渡りなのだと実感する。朝の襲撃では逆に反応が薄いと、勘違いさせることができたのは幸いだ。同じことを繰り返されては、今度こそ心臓が破裂しかねない。

 頭の裏に両手を乗せてベッドの上で身動ぎをする――――と、士道の鼓膜を妙な音が叩いた。

 

「ん?」

 

 音源の枕元へ顔を向けると、そこには見慣れない『筺』があった。

 

「……なんだこれ? 狂三の忘れ物、って感じじゃないよな」

 

 蛇の模様に、手のひらに乗せられるサイズの小さな筺。一瞬、狂三の忘れ物かとも考えたが、こういったデザインは彼女の趣味ではない。プレゼントでも同様、口では猟奇的な物言いで脅かしにかかる狂三だが、その実可愛いものを好むということは(いつの間にか)周知の事実となっていた。

 

「蛇の模様ねぇ……みんなでこういう趣味なのは、耶倶矢か? ああいや、耶倶矢の場合は筺そのものに興味を示しそうだな……」

 

 耶倶矢の場合は蛇の模様がどうとかより、『何か封印されてそうなデザインでいい』みたいな反応をする自称覇王様が目に浮かび、想像でプッと吹き出してしまった。

 とにかく、眺めていても埒が明かないわけだが、宛先があるわけでもない。

 

「とりあえず、みんなに聞いてみるか。――――今日は、あいつ(・・・)のところに誰かいるかもしれないな」

 

 休日一日目ということもある。朝早いとはいえ、あの少女の病室(・・)に見舞いへ行っていてもおかしくはない。

 善は急げ。急がば回れ。どちらでも構わない士道は、今朝の高鳴りから一転して緩やかな朝の準備を行うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――それで、『わたくし』は何をしていらっしゃいますの?」

「大胆なことをしでかした弊害で、時間差で倒れてしまいましたわ。ただ今介抱の途中ですわ」

「ちょっとあざとすぎませんこと?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 コンコン、と病室の扉をノックする。すると、とある女性の声が返ってきた。

 

『……どうぞ』

「あれ?」

 

 聞き慣れた女性の声に士道は首を傾げる。正確には、女性の声がしたこと自体にではない。彼女が病室にいることは不思議ではないからだ。

 故に、基本的には返ってくる件の少女の声――と言っても印象は聞いたそばからなくなってしまう不思議な声質――が聞こえないことに、士道は嫌な予感を覚えながら扉を開けた。

 

「……やあ、シン」

「おはようございます、令音さん」

 

 眠たげな双眸に、眠たげな声。そして隈深い目。いつ倒れてもおかしくなさそうであり、彼女こそが病人なのではないかと勘違いしてしまいそうな女性が士道を出迎えた。

 村雨令音がいつもそうなのだと知っている士道は、大して驚きもせずに挨拶を返し――――もぬけの殻(・・・・・)になった病室のベッドを見て、頬をひくつかせた。

 

「令音さん、もしかしてですけど……」

「……ああ。察しがいいね」

 

 察しも何も、遭遇率はそれなり。加えて、起伏を多く行わない令音の表情筋が絶妙に変化しているとなれば、士道でなくとも理由は知れるというものだ。

 

「これ、何回目の脱走でしたっけ?」

「……万由里の一件から、数えるべきかな?」

 

 ――――精霊〈アンノウン〉。白の少女が病室からまた(・・)脱走したということくらいは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「や、やっと見つけたぞ……っ!」

 

 脱走から一時間後。市内を駆けずり回って、汗を流し息を絶え絶えにしながら、士道はとある喫茶店で少女の姿を見つけた。

 

「……あれ、五河士道じゃないですか。どうしたんです、そんなに慌てて」

 

 キョトンとした顔――――と言っても、少女の顔は白い外装で隠れているため、伺い知れるのはさも〝不思議です〟と言わんばかりに斜めになった少女の仕草のみ。

 これからいよいよ肌寒い時期になるというのに、お洒落な喫茶店のテラス席で過ごしていた少女……に向かって士道は額に怒りを浮かべて声を発した。

 

「だ・れ・の・せ・い・だっ!!」

「私でしょうね。はい、お詫びのジュースです。歩き回って疲れたでしょう」

「え……お、おう」

 

 サラッと押し付けられたオレンジジュース。喉がカラカラになっていたのは事実なので、流れでストローに口をつけてしまう。

 

「これで、私と関節キスですね」

「っ、ごほっ!」

「……冗談ですよ。私のはこちらです」

「おま……え、なぁ!」

 

 気管に入って噎せた士道に、少女が揶揄うようにカップ(角砂糖が溶け切らずに見え隠れしている)の飲み物を見せびらかす。

 

「ふふ。顔もわからない私に遊ばれる程度じゃ、我が女王と戦えませんよ」

「う……わ、わかってるっての」

「……ま、あの子はあの子で、似たようなものですけれど。どうぞ、座ってくれて構いませんよ」

 

 何事かを小声で呟いた少女が、向かいの席を促す。先の飲み物といい、士道が来るを前提とした振る舞いにため息を吐きながらも、大人しく促されるまま座る。

 

「で……何してんだよ、こんなところで」

「何って……甘い物が食べたくなったんですよ。はい、あーん」

「いや、あーんって――――んぐっ!?」

 

 差し出されたパンケーキの切れ端を口元に押し込まれ、無理やり咀嚼させられる。何故だろう。美九センサー曰く危ないレベルの美少女(・・・・・・・・・・)がこの精霊であるはずなのだが、甘いシチュエーションに比べてそれっぽい雰囲気はまるで感じられなかった。ちなみに、パンケーキは馬鹿みたいに甘かった。

 

「ん……く。お、おまえさ、自分がどういう状態なのか理解してるよな?」

「してますよ。安心してください」

「できないからこうして探しに来たんだろうが……」

 

 病室に隔離されていることから、当然少女の肉体は普通の状態ではない。初期の危険からは脱したものの、未だ絶対安静なのだ。

 が、少女は恐らく(・・・)何食わぬ顔でパンケーキを切り分け、その見えない口に頬張って飲み込んで声を返した。

 

「律儀ですねぇ。心配してもらわなくても、時間が経てば帰りますよ。いつまでも解析官と二人切りは、ただ気まずいというだけですから」

「はぁ……そういう感じはしないけどなぁ」

 

 士道の知る限りで、世話を焼く令音と焼かれる白の少女に違和感らしい違和感はない。気まずい、というのは士道の目に見える範囲にはない。

 少女としても、その言い訳が適していないと思ったのか、言葉を改めた言い訳を並べた。

 

「じゃあ、病院食の味が薄い」

「病人に出すものだからな!? ていうか、甘い物食べたいなら令音さんか琴里に相談すればいいだろ」

「私、食に興味があるわけではないので。あなたが苦労しないよう、わかりやすい喫茶店を選んでるだけですから」

「……もう、俺にはおまえがわからんよ」

 

 脱走の行き場がいつも喫茶店に偏っていた理由はそれか、と脱走の癖に奇妙なところで士道に気を遣う少女に呆れた吐息を吐き出す。

 結局、この少女が何を求めているのかわからなかった。わかることと言えば、食に興味がないからといって、好みがないわけではない、ということか。

 角砂糖をぶち込んだ飲み物に甘ったるいパンケーキ。どことなく令音を思わせる辺り、気まずいなど嘘としか思えない。

 

「たくっ、理由がないなら、それ食ったら帰るぞ。病人が何してんだか……」

「他ならないあなたの頼みとあらば、仕方ありませんね」

「…………」

 

 本当に、掴みどころがない――――ただ一点、士道と少女を結ぶ『時崎狂三』の共通点を除いては、だが。

 外装という仮面を被る道化師の真意。それはいつでも時崎狂三のためにある。その果てにあるもの。そのために少女自身すら厭わぬ意味――――未だ士道は、少女の仮面の全てを見抜くことは叶っていなかった。

 と、案外と一口が小さい少女の飲食を腕を組んで眺めようとして、ポケットの中にある〝モノ〟の感触にあ、と目を口を開いて取り出した。

 

「そうだ、〈アンノウン〉。これに見覚えないか?」

「はい? なんです――――――」

 

 ――――空気が変わった。

 少女を纏う空気は異質だ。いるようで、いない。少女の白い外装はあらゆる違和感を遮断、或いは存在すら見えなくさせる。

 だが、それが揺らぐ。以前のように、少女の負った深い傷の影響か――――この『筺』が、それほどのものなのかと士道は息を呑んだ。

 

「……それを、どこで」

「気づいたら枕元に置いてあったんだ。狂三が直前で来てたんけど、明らかに狂三の趣味とは違うだろ?」

「……あの子が? 狂三は気がつかなかったんですか?」

「あ……言われて見れば、そうだな……」

 

 これだけ目立つ外観なのだ。気がついてもよかったはずだが、狂三からは何も言及がなかった。自他共に目の良さを認める狂三が、この筺に気がつかなかったことは言われてみれば違和感がある。

 偶然か、それとも本当に狂三が――――差し出した筺を、白の少女が手に取る。

 

「あ」

「……拝借します。開いても構いませんか?」

「ん、いいけど……」

「……失礼」

 

 士道のものではないし、勝手に開くのもどうかと思っていたのだが、少女のただならない雰囲気に押されて首肯する。まあ、それで持ち主がわかるのなら行幸かもしれない。

 少女が筺に手をかけ、開く――――瞬間。

 

「……っ!?」

 

違和感(・・・)。得も言えぬ、言葉にできない何かが士道の背筋をぞくりと貫く。

 同時に、その筺の中身が()であることに気づき、目を丸くした。

 

「空、か……?」

「…………」

 

 空の筺。意味深に置かれていた割には、拍子抜けだった。誰かのイタズラにしては意味がなく、士道が忘れているだけで買っていたとでもいうのだろうか。

 

「……申し訳ないですが、私には心当たりがありませんね」

「え……あ、ああ。わからないなら、いいんだ」

 

 と、少女が吐息を零して筺を閉じ、返してきた。意味深な態度を取っていた少女は、身に纏う雰囲気を違和感でありながら違和感のない、つまりは天使の権能を纏うものに戻す。

 

「……『私』が気がつかない? それに狂三の願いは回収して……ううん、まだ決めるには……私の天使が弱まっているときに――――――」

「……?」

 

 少女が何かを呟いている。が、士道にはそれがどんな意味でどんな言葉なのか認識できない(・・・・・・)

 

「なあ、〈アンノウン〉――――――あ」

 

 やはり何か知っているのかもしれない。筺をポケットにしまい込み、改めて問いかけてみようとしたところで、遠目からフラフラとした足取り(・・・・・・・・・・)でこちらへ向かってくる、私服に着替えたある女性の姿が士道の目に映った。

 

「あー……〈アンノウン〉? あのさ……そのー……」

「……? どうかしましたか? 何もないなら、私はこのまま二件目に――――――」

「……いや、君の二件目は病室だ(・・・)

「げ……ひゃあっ!?」

 

 ……すごく可愛らしい悲鳴が聞こえて、少女の小柄な身体が浮き上がった。

 一体、どれだけ競歩でやって来たのだろう。少女どころか少し目を離した士道すら見逃す速度で、少女を抱える女性――――村雨令音がそこにいた。

 

「……帰るよ。なに、そんなに甘い物が食べたいのなら、私が作ろう。プロ並みとはいかないが、文句はあるかい?」

「く、プロより上手いくせによく言う……は、離してくださいっ! 自分で歩きます! あなた、また出し抜かれたからって八つ当たりしてるんじゃ――――――」

 

 珍しい光景に士道は目を丸くする。少女を脇に抱え、有無を言わさず持ち帰ろうとする令音と、そんな令音に口では抵抗しているものの、いつものすばしっこい動きは見られない。

 理知的な令音にしては親しみあるやり取り。そして相変わらず令音に対しては強く出ない白の少女。

 

「……母娘? いや、のんびり目の姉にお転婆な妹……?」

 

 どちらも合っていそうなような、間違っていそうなような。……何を考えているのか、自分でも混乱する士道だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――さてさて、夢か現か幻か。訪れたるは己と引き換えに全てが叶う、自由な世界。さぁさぁ、叶えたい願いを持った本日のお客様は――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 ――――久しぶりに自らの意志で選んだ睡眠は、快眠とは言い難いものだった。

 

「…………」

「――――お目覚めになられましたかな? 本日のお客様――――〈アンノウン〉様、とお呼びしても?」

 

 実像がない。足場がない。あるのは、己と目の前の少女の肉体のみ。

 滅紫の髪を靡かせ、両目を包帯で覆い隠した道化のような姿をした少女。

 全てが外装に包まれ、両目どころか顔を合わせることを拒む少女。

 演じる者は同じなれど、その様はまるで違う少女たちが対面した。

 

「……お好きなように。つかぬ事をお伺いしますが、あなたは?」

 

 あくまで初対面(・・・)として、少女は問いかける。滅紫の髪を揺らした少女は、姿見そのものに大仰に――――少女以上に〝道化〟を演じて、答えた。

 

「おっと、これは失礼。自分としたことが、礼を欠いてしまいました。――――自分は、この虚ろな世界の住人にして夢の請負人。希望の導き手にして哀れな道化。名を『蓮』と申します。どうぞ、お見知りおきを」

「……ふぅん。それで? その道化師様が、私のような余り物の精霊(・・・・・・)に如何な用です?」

「――――これはこれはご謙遜を」

 

その言葉にだけは(・・・・・・・・)、蓮の僅かな吐息(感情)が混じっているように思え、少女は外装の下でぴくりと眉根を揺らした。

 だが、一瞬の後にそれは消失した。大仰なる道化師が、その目的を口にしたからである。

 

「自分の用件はただ一つ。――――あなた様の願いを叶えることにございます」

「願い、ですか」

「ええ、ええ! 理想の世界! 全てを欲しいがままにできる富と名声! 全てはあなた様の願い通りに! どのような願いであろうと――――この蓮が三つ(・・)、叶えて差し上げましょう」

 

 あまりに荒唐無稽。胡散臭いという言葉を表現しろ、と問いを出されれば蓮と名乗る少女の態度は満点の解答として用意できることだろう。

 

「なるほど――――では、明日一日、五河士道と時崎狂三が憂い、使命、そういうものとは無縁の立場(・・・・・)で、デートをさせてあげることはできますか?」

「――――――はい?」

 

 蓮が、少女の願いに首を傾げた。

 

「できませんか?」

「……いえ、いえ。そのようなことはございません。どのような願いも皆平等。自分が叶えてしんぜましょう」

「そうですか。では、二人のデートを整えてあげてください。ああ、中身はあの二人に任せて結構です。必要なことは二人の立場――――狂三の譲れない願いを、ほんの一時だけ休ませてあげてください」

 

 ――――これが、狂三の信念を侮辱する行為だということはわかっている。

 それでも、少女は願った。単に、少女が欲しいものなどない(・・・・・・・・・・・・)、というのもあるのだけれど。

 

「あなた様の願い、承りました。己ではなく、他者のために迷うことなく願いを届けるそのお優しい心。この蓮、感服いたしました!」

「……見え透いたお世辞は結構です。――――この結果如何で、私の本当の願い(・・・・・・・)を聞いていただくことになるだけですから」

「――――――! なるほど、なるほど……それでは、その期待に応えてみせねばなりますまい。では、自分はこれにて。またの機会に――――あなた様の本当の願い(・・・・・)を叶えるそのときに、お会い致しましょう」

 

 ――――少女の気配が、遠ざかっていく。

 

「……さてさて、私が引き受けられたことが幸運だったのか。それとも、『私』が狙いであったのか。……鬼が出るか――――(へび)が出るか」

 

 狂三が今探し回って(・・・・・)いるものの正体。これが繰り返されたものなのか(・・・・・・・・・・・)どうか、今の少女では知ることは叶わない。

 三十年前の因縁。無価値な精霊の前に現れた、価値がありながら求められることのなかった精霊(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「……『私』が撒いた種を、あの子たちに背負わせるわけにはいかないよね。本当に、どうなることやら。ねぇ、愛しい愛しい――――我が(憎悪)よ」

 

 価値のない精霊と、価値を押し付けられた精霊――――原初の母に求められなかった者たちの開口は、静かにその『筺』を開いていた。

 

 

 






蓮と未零が絶妙に要素被ってるのはマジの偶然なんです。意図してないんですすいませんゆるして。ちなみに劇場版とゲームのマリアを除くあの三人ヒロインの中で一番好きなのは蓮です。……私の好みがモロバレだぁ。

さてさて皆々様、お久しぶりです。そうでない方もいらっしゃるでしょうけれど、二周年に帰って来ました。くるみんに夢を見て士道くんを書き続ける男、いかです。
先ず久しぶりなので書き方とか、キャラに違和感があれば申し訳ないです。如何せんこの時系列ってどういう感じだっけな、というのがありまして……まあ士道くんと狂三はいつも通りでしたが。お互いに甘々ですねぇ。
けど、書いていてこういうシチュというか駆け引きは本編でももっと入れるべきだったかなーと反省しました。まあ書けるようになったのリビルド書き終わってからだとも言いますが。

なぜ蓮なのかと言えば、ネタが新婚プレイ編か蓮かで迷ったからです。純粋に未零を入れてあることをしたくなったので蓮を入れました。まあそこまで辿り着くのにどれだけかかるかわかりませんけれどね!!
未零は懐かしさを感じさせる時期ですが、ああ変わらんなぁこの子ってのを感じ取っていただければ。皆様の目には全て明らかになっている今、施しの精霊が蓮に何を思い、そして士道と狂三に何を与えようと言うのか……プロローグのみですが、お届けいたしました。

さて、ここからは近状報告です。次に書くやつ決めてたのに思いつきで始めた作品に時間費やして進んでません。はは、こやつめ。
実はその作品も同じデアラではあるのですが……その……かなり人を選ぶと思われますので、気になった方でもお気をつけを。一応同一人物が書いてます、はい。

この続きになりますが、私にもわかりません。そのもう一つの作品はモチベのせいで基本的に毎日更新を続けている(支離滅裂な発言)ので、こちらは数ヶ月後とか平気で有り得ます。あまり期待せずお待ちください。

それでは、望まれた物がないと思い込む少女と、必要のない物を押し付けられて生まれた少女。似て非なるものたちと、ヒーローとヒロインが織り成す物語。再びこの言葉を使わせていただきましょう。次回をお楽しみに!


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狂三リビルド・プリクエル
『三月三日』


お久しぶりです。思いつきなので開いた人は期待しないで読んでください。今度は単話の完結です。






 

「はぁ……」

 

 ふと、扉の横壁に寄りかかる男の一人がため息をつく。実に退屈、面白みがないと言いたげな顔をしている。無論、彼自身に面白みがあるとは言えないのだが、彼に与えられた役目は彼が面白みのある人間であることを必要としない。

 

「おい、何気ぃ抜いてんじゃねぇぞ」

「すみません先輩……けど、こんな僻地の警備なんてやることないっすよ。おかしなものばっか作ってる場所なんですし……」

 

 扉の左側に位置した生真面目な隊員の注意にも、彼は容易に口を滑らせて気だるげな面持ちのままだ――――どこで誰が、何を聞いているとも知らずに。

 

「ボヤくな。それが俺たちの仕事だ」

「けど、奥で得体の知れない物を作ってるって噂も――――――」

『あら、あら。その噂、実に興味をそそられますわ。わたくしもお聞かせ願って、よろしくて?』

 

 そのどこの誰ともしれない声は、どこからともなく響き渡る。甘く甘く、けれど苦く苦く。人を溶かす魔性の声調。

 

「な……ぐぉ」

「へ、おげ!?」

 

 直後、白い手(・・・)が彼らの頭と口を、首と目を覆い尽くす。少女のような華奢な指、天使の如く白き腕。二人の意識を失わせるまで一秒と三秒。まあ、片方は抵抗した方ではないだろうか――――扉が開き、壁に背を持たれた男たちを出迎えとした少女が姿を現した。

 

 それは夢魔。それは悪魔。それは死神でありそれは天使である。

 鮮血と深淵を塗る美麗で恐ろしいドレス。不揃いであることが美しい野干玉の髪。神に愛されたとしか言えない面の造形。小さな鼻梁と真紅の右眼、この世の理から外れし黄金の左眼。

 その美しさは佳絶。その姿は凄艶。美しいという言葉は、正しく彼女のためにある。彼女は美しい――――――視る者全ての時が止まるように。

 

「きひ、きひひ、ひひっ、きひひひひひひひひひひひひひひひひひひッ!!」

 

 狂気と鮮烈。超然とした嗤い。その双眸が歪む微笑み。

 それは精霊。最悪の名で知られる精霊。その名を――――――

 

「話す前に気絶させたら聞けないんじゃないですか――――狂三」

 

 時崎狂三。時の支配から逃れることを代償に、誰より時に縛られることを選択させられた狂三が、語りかけてきた少女に対し、首を背に向け視線と声で応じた。

 

「構いませんわ。別に、このお喋りな口から語ってもらう必要はありませんもの。まあ、拷問という手も、それなりに(・・・・・)わたくしの好みではありますけれど」

「気まぐれな女王様ですこと……」

 

 ため息混じりに言葉を返す()の少女。純白、あるいは色がないからこそ白と表現する他ない。全身を白い外装で覆った一人の少女が、狂三に伴われるように姿を見せる。

 

「あなたこそ。わたくしの予定が終わるまで姿を見せないというのに、どういった気まぐれかしら」

「まあ、たまには身体を動かさないと鈍ってしまいますから。それに、人の目も親切な我が女王が消してくれますし」

「あなた、案外容赦がありませんわね」

「問答無用で相手の首を捻る怖い女王様ほどじゃありませんよ」

 

 コツ、コツ。彼らが警備をしていた扉を超え、それなりに広い空間へと二人は姿を見せる。白と黒。美貌をこれ以上なく明かした精霊と、美貌をこれでもかとひた隠す精霊。

 対照的な二人が言葉を交わし、静まり返ったことで酷く冷やかな軍事基地にその姿を顕とした。

 

「さて、さて。件の精霊様はこんな僻地にいらっしゃるのでしょうか」

「甚だ疑問、という声色ですね」

「ええ、ええ。一向に事を話さない誰かさんと、なかなかに陰険な組織のおかげで無駄足を踏まされているこの現状。わたくし、無意味な時間の浪費は嫌いですわ」

「急がば回れってことわざもありますし、前者はそういうことにしておきませんか?」

 

 暗に後者は無駄足だと従者に認められた狂三が、その麗しい眉根を僅かに顰めて内心でため息を吐く。

 これでも、ここ数年の無駄足から無駄の多い時間の使い方、収集に狂三も辟易している。だが、それが辟易で済んでいる理由も彼女に理由を語らない秘密主義の従者様であるのだから、心のため息の一つは狂三自身が見逃して良いものだろう。

 コツリと狂三のブーツが音を立て、広い部屋に反響する。目的のものは奥にある。鬼が出るか蛇が出るか。

 

 それより先に、耳障りでけたたましい警報音がこの基地の中で鳴り響くか、だ。

 

「……あら? 『わたくし』の誰かがしくじりましたかしら」

「そうですね……強いて言えば、そこに転がっている三秒耐えた男の方を昏倒させた狂三でしょうか?」

「ふむ。では、この警報は誤作動ということですわね」

「我が女王、案外茶目っ気ありますよね」

 

 仮に分身なら折檻物だろうに、と肩を竦める白の少女の困った視線に素知らぬ顔で白を切る狂三。ちなみに重箱の隅をつつくような話にはなるが、今彼女たちが聞いている警報が誤作動でないことは、二人の眼前に仰々しく並び立ったモノ(・・)によって証明が為される。

 

「ご来客ですよ、我が女王」

「はぁ……仕方ありませんわね。わたくしも鈍った身体を動かすといたしましょう」

 

 黒の少女の両手に細緻な装飾が為された歩兵銃が。

 白の少女の片手に鞘に収められた一本の刀が。

 それぞれ握った武器の種類さえ対照的。ガシャン、ガシャンと金切り声を上げて着地をしていく者たちを武具を手にした二人が睥睨した。

 

「……ていうか、なんですかアレ。魔術師(ウィザード)です?」

「あれが人に見えますかしら」

「見えないから博識な我が女王に聞いているんじゃないですか」

 

 少なくとも、フルフェイスに一つ目で脚の関節を逆向きにして立つ者たちが何十体、何百体と並んでいる光景を前に『あれは人間です』と主張する気は白の少女もサラサラないようだ。

 

「まったく……」

 

 ふぅ、と吐息を吐いた狂三が片手の長銃を掲げた。ただし、それは目の前の機械人形に向けてではなく、自分が昏倒させ、優秀にも異常を基地に知らしめた優秀な魔術師(ウィザード)に向かってだ。

 躊躇いなく引き金は引かれ、影を塗り固めた黒の弾丸が気を失った男の頭を撃ち抜いた。が、身体をビクリと仰け反らせただけで彼に外傷はなく、むしろ変化は狂三の方にあった。

 

「――――DD-006〈バンダースナッチβ〉。CR-ユニットと顕現装置(リアライザ)を無人で起動させる人形兵器……の、プロトタイプということらしいですわ」

「……よく人の記憶を読み取って平気でいられますね」

 

 つらつらと何の不自由もなく機械人形、彼女の口から〈バンダースナッチ〉と語られたモノを見遣りながら、狂三に呆れた視線を送る白の少女。

 それは彼女の所業に呆れているのではなく、人の記憶を読み取り受け入れながら、何ら不自由なく過ごせる彼女の許容量――――天使〈刻々帝(ザフキエル)〉をこの世で誰より使いこなす狂三への賞賛であった。だからこそ、狂三も唇を歪めて超然とした微笑みを少女に返せるのだ。

 

「この程度、相手の記憶だと理解していれば客観視は造作もないことですわ。わたくし自身を挟んでいない以上、読み取れる記憶もたかがしれていますし……それにあなた、わたくしが人の記憶を覗き見て涙を流すような愛らしい乙女に見えまして?」

「いやいや、いつかそういうこともあるかもしれないですよ。人の記憶を見て思わず感情的になる、とか」

「ありえませんわね。そのような『わたくし』を見たのなら、わたくしは『わたくし』に殺意を芽生えさせますわ」

 

 対象の記憶を撃った者に伝える【一〇の弾(ユッド)】。狂三は血も涙もない最悪の精霊であり、他者の記憶を読み取ったところで何の感慨もない。少なくとも今は(・・)そう感じているし、情報収集以外に使うこともない。

 

「さあ、さあ。DEMご自慢の人形兵でございます。余興の開幕には良い人数ですわ」

 

 トン、トン、トン。芝居がかった口調と踊るようなステップで狂三が死地へと脚を踏み込む――――否。

 

「――――せいぜい狂って踊りなさいな、人形さん」

 

 彼女にとってそれは、真なる意味で座興であり余興でしかない。

 夢魔が飛ぶ。彼らの頭部と狂三の逆巻いた髪が頭上と地上で平行し、潰れる(・・・)

 

「きひっ、きひひひ、きひひひひひひっ!!」

 

 銃弾、銃弾、銃弾。踊り狂う夢魔が降らす雨の銃弾は人形に降り注ぎ、その乱れを知らぬ無機質な隊列に風穴を空ける。そうして開け放たれた足場を女王は凱旋をするように踏みしめ、再び銃口を人形へと向けて放つ。

 弾痕が真新しい装備に刻まれ、古びたガラクタに成り下がる。彼は抵抗ができない。いいや、抵抗をしようと女王に躍りかかろうとした途端――――識別できない色の刃に斬り裂かれている。

 

「……歯ごたえがありませんこと」

「まあ、プロトタイプってそういうものじゃないですか? これで世に出せると番号を振っているのは、些か見聞が足らないとは思いますけど」

 

 胴体を貫いた刀を引き抜き、そのまま振り返り一閃。数秒遅れで〈バンダースナッチ〉が魔力光を放つも、照準地点に着弾をした頃にはその頭部が少女の脚に潰され、足場の代わりにされている。

 狂三はもはや人形に興味を失い、ただその場で銃の引き金を引く。少女が縦横無尽に戦場を駆け回る中、座する女王はくるりくるりと舞い踊るように影の銃弾を撃ち続けた。

 

「こんなものを何千と用意する前に、事前の技術を見直した方が良いと思いますけれど」

「うーん、失われた技術っていうのはその原因となった人が戻らなきゃどうしようもないですし――――優秀な魔術師(ウィザード)の脳を解析でもできれば、もう少し出来のいい人形が量産できるかもしれませんね」

「素面でそう仰っているのなら、あなたの性根も大概ですわ」

 

 もっとも、それを確かめる術を狂三は持ち合わせていない。少女の表情を垣間見たことは、少女と行動を共にした狂三をして一度足りともないのだから。

 

「――――はっ」

 

 何の感傷だ、それは。狂三には不要なものだろう。少女と狂三の関係はこの死出の旅に連れ添う、ただそれだけのものだ。それ以外に何がいる。何も必要とはしていない。それが白と黒、相容れない色の関係性なのだ――――ああ、そんな感傷に気を取られたのが運の尽きだ。

 

「狂三!!」

「ッ!?」

 

 ――――何かが衝突する。

 それは予測ではなく直感だ。くだらない感傷に耽り、戦場で慢心をするという行為から運に突き放された狂三が、それを経験という感覚で補ったが故にある事象の結論。

 

「――――ア゛ァァァッ!!」

 

 声が遅れて鼓膜を震わせた。衝撃が狂三の左腕を駆け抜け、強烈な痺れが狂三の表情を歪ませる。

 強固な掌と銃身が音を鳴らし、硬い地面を砕く――――右腕に来る衝撃を、色のない刀が弾き返す。

 

「助かりましたわ」

「いえ、遅れました。申し訳ありません」

 

 油断をして回避ではなく防ぐ、という手段を選んだのは狂三の責任であるというのに律儀な謝罪をする少女にフッと笑いながら、謎の生物(・・)から距離を離す。

 

「ゥ……ギ、ァ……」

「…………」

 

 〝それ〟は人でありながら異形であった。地に爪を突き立てた人の腕と脚。顔の形がわからぬほどに見覚えのある光を纏った怪物。

 ああ、嗚呼。かつての無知な狂三であれば、彼の怪物をこう呼んだのだろう――――精霊、と。

 

「……狂三」

「思い出したくもない憎たらしい顔を浮かべてしまいましたわ。わたくしとしたことが、らしくもないことを」

 

 思い出したくもない。けれど、決しては忘れてはならないこの世で狂三が最も嫌悪し、殺意を抱くその顔を。

 ――――その時、少女の雰囲気が僅かに変化したのだが、幸か不幸か怪物に視線を向けていた狂三がそれに気づくことはなく、少女も悟られるような変化を表に残したりはしない。

 

「……そうですか。ところで、アレの動きが鈍いようですが」

「打ち合いに【二の弾(ベート)】を仕込んでおきました。ええ、ええ。わたくし、二度同じミスはいたしませんもの」

「さっきのこと、めちゃくちゃ根に持ってるじゃないですか。というか手癖が悪すぎますよ」

「あなたの蹴り癖ほどではありませんわ」

 

 これほど『どっちもどっち』という言葉が似合うこともそうないだろう。地面を砕く怪物を前にして、平気な顔で――と言っても一人は顔が見えないのだが――会話をする少女たち。

 

「……っ」

 

 けれど、ほんの僅かな指の震えが銃の装飾から音という形で白の少女の鼓膜を震わせた。

 怪物を前に怯えている、のではない。それほど可愛らしい少女であるなら白の少女も少しは苦労をせずに済んでいる。ならばそれは――――――

 

「変わりましょうか?」

 

 それでも、変わります、ではなく変わりましょうかと問いかけたのは少女が時崎狂三という女を一番知っているからだった。

 

「……わかっていて聞くだなんて、意地悪な従者様ですこと」

「動きを合わせます。残りの人形は片付けておきますから……まあ、増援と合わせて一分もあれば片がつくかと」

 

 時間の浪費は嫌いだと言ったが、冗談を抜きにするほど余裕を無くせとも言っていない。が、狂三は己の頬を伝う汗で応える余裕がないことを自身で悟った。

 ――――くるりと銃が回転し、手に収まる。汗を振り払い、眼中の生物に意識を叩き込む。なるほど、アレほど狂三が相手をするに相応しい物は他にないかもしれない。

 

「では――――十秒で」

「ご武運を、我が女王」

 

 怪物が現れてから十数秒。音を置き去りにして、姿が消える。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】」

 

 狂三が己に弾を打ち込む一秒の間に、獣は彼女に牙を剥く。暗い光を纏う腕、華奢な肉から信じられないほどの剛腕を発揮するそれを、狂三は一秒が遠く思える刹那の時間で飛び立ち避けた。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【一の弾(アレフ)】。狂三が所有する十二の弾丸で時間の加速(・・)を司る力。

 

「アァァァ――――ッ!」

 

 だが、神速の領域に達した狂三に怪物は追い縋る。地を砕く音と声を置き去りにして、壁を破砕しながら(・・・・)狂三へと腕を振るった。狂三が軽やかな動きで足場にした壁に、次の瞬間怪物の腕がめり込み、壁を走る狂三に壁を抉りながら追い縋る――――これが一秒にも満たない時間で行われたのだ。

 

(力だけならわたくしより上、ですわね)

 

 よくよく見れば、哀れにも巻き込まれた人形兵が粉々に砕かれている。膂力だけならば、狂三が正面から受けて立てる理由は見当たらなかった。

 もっとも、狂三と少女は力で競うタイプの精霊ではない。それでも、精霊を上回るほどの膂力は圧倒的という他ないだろう。加えて、天使の力で加速した狂三を捕捉して尚且つ追いつくだけの速力。一撃目が完全な不意打ちとなった理由は、十中八九この異常な力と速度だ。

 一体、どういったやり方でこのようなものを作っていたのか。どういう目的があったのか。大体は見通せる。恐らく、主犯(・・)を除いた既存の精霊の中でこの怪物に関して二番目に(・・・・)詳しい狂三は、事のあらましがその瞳に映っている。

 

「――――本当に、追っていた甲斐があったというものですわ」

 

これ(・・)は狂三が撃ち抜くものだ。撃ち抜かればならないものだ。その先にある者たちを、そのあらゆる事象の全てを――――〝なかったこと〟にするためにも。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――――」

 

 勝負は指で数えられるだけの時間で決まる。ああ、確かにその力は驚異的だろうとも。ただ狂三の中にある感傷を除けば、それは驚異的というだけで済まされるものだ。

 驚異的などという言葉で済まされるのなら、あくまでその程度。本物の精霊というものは、そんな驚異的という言葉を歯牙にもかけない怪物。

 

【――――――――――――】

 

 それこそ、怪物(せいれい)の前にひれ伏した炎を纏う異形のように。燼の如き腕を狂三に向かって伸ばしていた、彼女(・・)のように

 

「ああ、ああ。今日は本当に、本当に――――――嫌なことばかり、思い出す」

 

 狂三が壁を蹴る、重力に引かれて落ちる。怪物が壁を踏み抜く。落ちる狂三に神速の腕を振り抜く。

 狂三が息を吐く。銃口が光を纏う異形の頭部を捉えた。引き金を引く。けれど、その刹那の先で腕は狂三を砕く。そこに異形の意思は必要としない。狂三が引き金を引き、弾丸を放つことと同じ。自然と落ち行く力に意思を介入させる必要はない。重力に引かれて落ちる腕は、たとえ異形が殺されようと目の前のものを砕くだろう。

 

 

「【七の弾(ザイン)】」

 

 

 本当に、その腕が動けるのなら。その重力を感じられるのなら、そうなっていたかもしれない。

 時が止まる。異形が纏う不可思議な光、狂三の霊装が発するものと同じ光が、重力と力で加速した小さな身体が。

 女王が回る。くるりと回り、トン、と地面を飛んだ。その手に――――かつての彼女にはなかった、色のない刀を手にして。

 

「――――――――」

 

 振り抜いた。ものの数秒、周囲には狂三の吐息だけが響いた。果たしてそれは謝罪であったのか、別れであったのか。誰に聞き取れるものでもなかった。

 

「――――――――――――――ァ」

 

 鮮血が舞った。そこにはもう狂三はいない。動き出した時間の中で、あの勢いが嘘のように異形は地に堕ちる。

 たったそれだけ。時間にして、十秒。それが狂三たちの前に現れ、暴れ、死滅した時間。時の概念を歪める少女の前に、散った者が立っていられた時間であった。

 

「…………慣れませんわね、どうにも」

「慣れてもらったら私がいる意味がないでしょう」

 

 と、刀を振るった狂三に対して〈バンダースナッチ〉を脚で貫く(・・)白の少女が言葉を向ける。あの一瞬、刹那の時間で狂三に刀を投げ渡したのは少女だ。

 

「……慣れないでくださいね、我が女王。あなたにそれは、あまり似合わない」

「……そうかも、しれませんわね」

 

 鮮血を生み出してなお、色を持たないその刀を狂三は少女に投げ返す。人を斬る感触というものには慣れていない。なのに、手には妙に馴染んでくれる。まるで狂三のために造られたものか――――狂三がこうした獲物を持つ未来があったとでも言っているかのようだ。

 力と速度と、耐久度。精霊のなり損ない(・・・・・)は狂三たちのように特殊な能力は持ち得ていなかった。が、一度手にした力を何らかの方法で底上げし、精霊に等しい身体能力を得るに至った――――その何らかの方法が何かというのは、この施設がデウス・エクス・マキナ・インダストリー社所有のものであることから、想像に固くない。

 故に一撃で絶命をさせるため、あえて弾丸ではなく斬撃を選んだ。相手が単純に人であるならばどちらであろうと変わりはないが、人でないのなら一撃の重さで絶命は早く済む(・・・・)

 

「……ァ」

「っ!」

 

 ――――そう考えていた。だから、急所ごと身体を斬り裂かれて生きていられるなど、どういう実験を繰り返していたのだろう。

 狂三は考えたくもなかった。振り返り、翻る鮮血のドレスよりも鮮明な血を流した異形の怪物を――――少女を視た。

 

「イ、タ……イタ……タスケ、クル……シ……」

「――――っ、あ」

 

 苦しい。苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい――――どうして、殺すの?

 それは世界のためだと思っていた(・・・・・)。それは友のためだと思っていた(・・・・・)。それは家族のためだと思っていた(・・・・・)

 それが皆の、己の幸福に繋がると。それが時崎狂三という少女の存在意義だと――――ああ、それはなんて愚かな思考の停止だったのだろう。

 そうして殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して、殺した。殺し回った。今、痛みに呻いて狂三に手を伸ばす少女のように。人だった者たちを殺して回ったのだ――――そうして、幸福に繋がると信じていた友を、狂三は。

 

「……狂三」

「っ……」

 

 ハッと狂三が視線をあげると、その視線を遮るように色のない刃が存在していた。いつの間にか、白の少女が人形を駆逐して狂三の前に立っていた。それだけの時間立ち竦んでいたというのに、異形の少女は狂三に手を伸ばすことしかできなかった――――もう、長くはない。先の一撃が致命傷だった。それで死ぬことが叶わなかったのは、最後まで運命というものが異形と化した少女を見放したのだろう。何の罪もない、少女を。

 

「……あとは私が。あなたは探し()を――――」

「いいえ。それは『わたくし』で十分ですわ」

 

 ――――巫山戯るな。

 

 トン、トン、トン。無慈悲に、優雅などなく。歩む死神は手を伸ばす異形の前に立って、己の誇りであり罪であり最も忌むべき古式の銃を彼女に向けた。あの日のように、けれどあの日とは違う感情を以て。何の罪もない少女に時崎狂三は銃口を向けた。

 

「……………………」

「イタ、イノ……クルシイ、ノ――――コロ、シテ、クダ、サイ」

 

 異形を見下ろす異形の双眸に、かつての憧れも夢もない。夢見心地で、幼稚で甘かった時崎狂三はもういないのだ。今はただ、己の罪と彼の神を撃ち取るため、修羅となった者でしかない。

 ――――それでも、少女はその手を取った。罪の証を手に取った。

 

「ァァ……」

「大丈夫。もう、痛くありませんわ。もう、痛いことは何もありませんわ。ですから、どうか――――――」

 

 だから、どうか。

 

「――――ありが、とう」

 

 眠りの中では、優しい夢を。

 

 いつか、誰かに言われた救いの言霊を以て。時崎狂三はその手で引き金を引く。幾年振りの感触は――――――

 

「慣れては、くれないのでしょうね」

 

 いつまでもいつまでも、時崎狂三を苛むもの。

 

「――――ああ」

 

 白の少女はそれを見ていた。誰よりも慈悲深く、誰よりも優しい少女が引き金を引く瞬間を。

 罪がないというのなら、狂三にだって罪はない。彼女はいつだって逃げ出していいのに、それをしない。悲劇の連鎖を〝なかったこと〟にするために、悲劇の連鎖を断ち切るために、自らが悲劇を生み出す存在となることを選んだ少女。それは人殺しではないと言いたい。けれど、言ってしまったら、人ではないと認めてしまったら、精霊である狂三はどうだというのだ。彼女は人を殺した――――その結果をなかったことにしようと、決して消えることのない罪をまた一つ(・・・・)背負ったのだ。

 狂三の選ぶ道は険しい。彼女の生き方は修羅そのものだ。それでも少女は立ち上がった。彼女の罪でない亡骸を手にして、時崎狂三は立ち上がる――――その生き様が修羅であろうと、その心はかつてと変わらない。

 

「征きましょう」

 

 それは美しいものだ。狂三が、狂三の姿が、狂三の魂が。時崎狂三という存在そのものが、美しい。

 その双眸は異形である。その双眸に映るは憎悪である。身を焦がし、心の炉に憤怒を焼べる者である。

 きっと狂三は許さない。己を、彼女を、自分を(・・・)。白の下に隠されたその貌を。それでも――――――ああ、それでも。

 

 

「はい。全ては――――我が女王のために」

 

 

 この狂おしい感情があるのなら、その結末を選ぼうと惜しくはないと名も無き少女は思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「――――確かに、当たりではあったのでしょうね(・・・・・・・・・)

 

 そう言って狂三が片手で放ったのは、研究区画に落ちていた人間(・・・・・・・)。たった今、その片手の銃で記憶を読み取った研究員だった。

 狂三と白の少女の前には椅子がある。それは座ると言うより座らせるためのもの。拘束するためのもの。あまりに厳重なそれは、組織にとって最も重要なサンプルを繋ぎ止めていたものなのだろう。

 

「入れ違いですか?」

「ええ。ほんの数ヶ月前に。もちろん、この中の誰も先など知らないのでしょう。使い捨てられるほどの人材、羨ましいものですわねぇ」

 

 貴重な実験体に繋がる証拠を残しておく必要はない。ここは既に使い捨ての施設。あの少女のような被検体がいつ暴走してもいいように厳重に隔離された場所。あのような玩具(にんぎょう)を量産実験し、危険な被検体を弄ぶにはうってつけというわけだ。

 見事に一杯食わされた狂三は、はぁと息を吐いて言葉を続けた。

 

「まあ、第二の精霊(・・・・・)さんが未だ彼らの手元にあることがわかったというだけ、良しとするとしますわ」

「ポジティブですね」

「そうしなければやっていられませんわ」

 

 狂三の霊力は目的のために使用を避けなければならない。膨大な分身の情報収集にも限界はある。その上、探し求める精霊――――狂三以上に知識という点で優れた第二の精霊を探し当てたとしても、狂三の目的が達せられるわけではないのだ。

 砂漠で一粒の雫を見つけ出すより難解。無駄であろうと積極思考にならなればやっていられない、と狂三が髪をかき上げ大きなため息を吐く。ここまで目に見えた焦りを狂三が見せるのは久しいことだった。

 

「では、我が女王」

 

 そんな時崎狂三に、従者はニコリと笑いかけた。声で笑みを表現する芸達者な少女に狂三は訝しげな視線を向ける。

 

「なんですの?」

「私が知っている、あなたが求める膨大な霊力の当てをお話します。行きましょうか――――()が待つ、天宮市へ」

「………………は?」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ほう……〈ナイトメア〉が」

 

 興味深い。くすんだ髪が揺れ、暗く淀んだ目が僅かに興味を惹かれて刃物の如く煌めいた。刃物であるならば、まだ生易しいと言える者であるかもしれないけれど。

 

「はい。現場は焼き払われ、試作品と件の被検体を消失。申し訳ありません」

「ああ、その程度は構わない。あの被検体も力こそ精霊に比肩したが、制御ができないのであれば全く意味がない。必要なデータも得られた。都合よく後始末を買ってくれた〈ナイトメア〉には感謝をしなければならないな」

「アイク」

 

 年若い少女が男を諌めるように名を呼ぶ。曲がりなりにもDEM社の上に立つ者が、精霊に感謝などと言いたげだ。椅子に背を預けた男は肩を竦め、言葉を返す。

 

「冗談だ。そんなに睨まないでくれたまえ――――それより、この写真は実に興味深いな」

 

 失った資材(・・)には欠片も興味を示さない男が、現像された写真を手にして唇に笑みを作る。それは奇跡的にデータを送信した〈バンダースナッチ〉が送り出した――――何かが映っている(・・・・・・・・)映像だ。

 

「解析はしたのだろう?」

「はい。ですがそこに()がいるのかまでは……」

「認識の阻害が、消失か。どちらにせよ興味を惹かれる。〈ナイトメア〉がこのような存在と行動を共にしているとわかっただけで、あの施設も浮かばれるというものだろう」

 

 何度殺しても現れる精霊〈ナイトメア〉。彼女と行動を共にしていると思われる正体不明(アンノウン)な存在。

 心が踊るとはこのことを言うのだろうか。彼は、アイザック・レイ・ペラム・ウェストコットは嗤う。その意味を彼が知るのはもう少し後の話となるが――――その願いを口にしたのは、全てが始まるより、少し前のこと。

 

 

「――――是非、会ってみたいものだ。正体不明の精霊というものにね」

 

 

 

 

 

 

 

「――――と、言うことで。彼が精霊の霊力を封印できて……って、我が女王、ちゃんと聞いてます?」

「聞いてますわ……あなた、わたくしと行動を共にしながら、よくもそんな貴重な情報を数年も……」

 

 件の実験場から立ち去った狂三と少女。結局、あと後得られた情報は、被検体の出処が実験場の奥深くということのみ。その場所は見て気持ちいいものではなく、恐らく狂三を狙ったのも霊結晶(セフィラ)に反応してのことだと白の少女が語った。自身から抜き取られた霊結晶を求め、狂三を探知して()から飛び出したのが事の真相――――それを理解した直後、実験場を火の海にして中の人間たちを適当な場所に放り投げて彼女たちは立ち去った。

 そうして少女と仮拠点に戻った狂三は、素っ頓狂な声を返してしまった事の詳細を聞き、今度はげんなりとした珍しい顔を見せていた。せっかく道を切り開くことができるというのに、悲願を達する術を見つけたというのに、それを隠していた性悪な従者に言葉を失ってしまったのだ。

 

「悪いとは思っていますけど、私だって考え無しじゃないですよ。私も彼女(・・)を見るまで、時期に確信が持てなかったものですから」

「つまり、予感はあったと」

「もー、女王様は揚げ足取りが得意なんですから……時間を無駄にするのは、お嫌いなんでしょう?」

 

 ――――霊結晶の濾過装置。それがあの精霊もどき(・・・・・)の正体だ。

 犠牲にした少女の始末は彼女自身、それかかつての狂三のような精霊の資質を持つ少女を誑かして行わせる。しかし、そんな濾過装置がDEMの手に一体でも渡っていたという事実――――ほんの僅かな見逃しと焦りは、その感情を己のもののように理解ができる白の少女に時期を悟らせるには、十分すぎるものだった。

 確かに狂三にとっては、あの少女を解放すること以外は徒労に終わった旅路だったのかもしれない。だが、白の少女にとっては朗報を伝えることができる価値ある旅路だった。もっとも、その伝えられた本人は不満げな表情を顕にしていたのだけれど。

 しかし少女の返しに眉根を顰めていた狂三も、段々と事実を噛み締めるように、感情を昂らせた貌で声を発した。

 

「まったく苛立たしく、忌々しいですが、許しますわ。ええ、ええ。時間の無駄遣いをせずに済みますもの。さあ――――――」

 

 狂三は思案した。さて、どうしよう。どうしてやろう。どう味わおう。けれど、初めに思ったことは彼の命を摘み取るやり方ではなかった。

 

 

 

 

 

「――――琴里! ご飯の前に菓子を食べるなってあれほど――――」

「わー、おにーちゃん怪獣が怒ったー!」

「誰が怪獣か! あーくそ、逃げられた。ちゃんと飯も食うんだぞ!」

 

 それは、まだ己が何者であるか、どんな運命を背負っているのかを知らない少年の一幕。先に待つ激動の前に記憶の片隅にしまわれ消えた日常の時間。

 

『――――先日、――――社が所有する――――が、爆破テロを――――』

「……ん?」

 

 ふと途切れ途切れに鼓膜を震わせたのは、妹が熱心に見ていたテレビのニュース。その内容は、どこかの会社が爆破テロに見舞われたという物騒なものだった。

 

「空間震も最近は増えてるってのに、とんでもないことする奴らもいるんだな……」

 

 少年にとっては遠く離れた出来事。自分が関わるなど到底想像もしていない。

 

 ああ、だからなのだろう。彼の口から零れた言の葉は無意識なもの。数分あれば、発した彼自身が忘れてしまうような思考から偶然零れ落ちたものなのだ。それは彼女と変わらない。本当に偶然、思い浮かべたことを口にしてしまっただけだ。

 

 

「――――さあ、どのようなお方なのかしら」

「――――一体、どんな奴なんだろうな……」

 

 

 己の宿命を知る少女と、己の宿命を知らぬ少年。

 

 時は三月三日。物語を始めるには遠く、けれど語り切るには短い時間。先にある長い物語の前にあり、刹那と消える物語。

 

 それは――――終わりでも始まりでもない物語(リビルド・プリクエル)。宿命を背負いながら、未だ運命を知らぬ少年と少女が重ねた時間の名であった。

 







元々くるみんとアンノウンの冒険記みたいなのやりてーなーと連載当初から思ってたんですよ。二人が無双してずどーんぶしゃーんみたいなやつ。まあ誰需要だよHAHAHAと頭の妄想だけで終わってたんですけど。

それが二日ほど前にふと全てが舞い降りて出来上がったのが本作。マジでボス枠からオチまで全て浮かんだ。なんだったら最後の二人のシーンが作りたかったのが9割。いいよね、オタクが好きそうな交差の会話……そんなオタク私くらいかもしれないですが。
如何せん戦闘書いたのも久しくて、あんまり盛ったりはできなかったなぁと……ていうかボス枠強くしすぎると本編の説得力が削れるのが難しいの!この前日譚に矛盾があっても許して許して。

そんなこんなでそれぞれの前日譚、いかがでしたでしょう。狂三とアンノウンが士道くんなしだと互いに一方通行なのが自分でよくわかりました。というかこうして趣味だけの書いたの久しぶりというか……あ、最近は有償依頼やったりファンボ開いたりしてます。まあ健全じゃないですが、デアラなら健全な依頼もお引き受けできるのでよろしければ覗いて………………とは言いづらい代物しか書いてねぇ!
それではまたいつの日か。ここまで読んで下さった方にちょっとしたオマケ品を添えておきます。まあこれ書いたの1年前だけどな!!!!!!続きが出来たら奇跡だよ!!!!!!



◆◆◆◆◆◆◆◆

 ――――――息を呑んだ。
 そうしなければ吐き出してしまいそうだった。
 そうしなければ逃げ出してしまいそうだった。
 それは、あまりに現実から離れた悪夢のような光景だった。
 赤い。赤い、赤い、赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤い――――――真紅。
 塀と地面にぶち撒けられた血。およそ人の流す量ではない血が撒き散らされて、視覚が認識したそれに遅れ異様な臭気が鼻腔を蹂躙する。
 今すぐにここを離れたかった。助けを呼びたかった。単なる一人の高校生。ようやく中学の衣服を脱ぐことが叶った士道には荷が勝ちすぎている。

 ああ、だけど。けれど、それでも。逃げられなかった。どこにも行けはしなかった。異質な光景。常識外の視界。非常識の恐怖。その全てを捩じ伏せ、その全てを喰らい尽くすもの。それがそこにあった。

 それは、少女だった。

 鮮血の中心に少女が一人、そこにいた。


「ぁ――――――」


 歎声が零れた。否、音になったかさえも怪しい吐息は、誰に届くこともなく消える。
 少女が座り込んでいた。息絶えたように。息絶えようとするかのように。血を鮮やかに、鮮血のように彩られた紅色。絡み合う黒色。目の錯覚、なのだろうか。それは、この世のものでない輝きを以て目の前に、士道の目を引く美しさがあった。
 しかし、それがこの世のものでないのなら。それを身に纏い、あまつさえ霞ませる彼女自身は一体何なのだろう。女神か、その女神さえ嫉妬させてしまう神の御使いであろうか。
 左右非対称に括られ、靱やかに下がる射干玉の髪。紅色の右目と、金色(・・)の左目。その双眸が、非常識さえ士道の視界を縛ることを望ませない。

 全てだ。目を、思考を、心を。士道の全てを一瞬にして奪い去った。
 それは、あまりに。
 それは、どこまでも。
 それは、妖しいくらいに。

殺人的なまでに(・・・・・・・)美しい(・・・)


「――――誰、だ……」


 それを問い掛けと呼ぶことを、冒涜と言う。
 そう感じてしまう。そう思ってしまう。断罪を待つ咎人のように、士道は時を進めた。
 少女が、ゆっくりと視線を上げてくる。


「……わたくし、は」


 蠱惑の如き声音が、世界を震わせた。
 しかし。


「――――ただの、人殺しですわ」


 凄惨に、少女は微笑んだ。


「――――――っ」


 時を刻み。運命を撃つ。

 二人の時間が交わり――――――違え、定められた物語は、始まった。





to be continued――――『狂三ロスト』


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リビルド・アンコール
『狂三ラブ・スリープ』


本当は短編集として出そうと思ったけどそこそこくらいのものになったので気まぐれな短編として投稿します。毒にも薬にもならないくるみんが士道くんのこと好き好き大好き愛してるぅー!ってお話です。いやマジでそれだけなので期待し過ぎないでね。昨日思いついて今日偶然書き上げたんで。
それでも良い方は本編ではあまり無かった全編ギャグ調のリビルドをお楽しみください。







 

◆時子さんの添い寝マジック

 

 

「はぁ。とどのつまり」

「くるみんったら渋い言葉使うね」

 

 黙らっしゃい、と言わんとする気持ちを抑えて狂三はソファーの眼下に正座する二亜と折紙を見下ろした。二亜は言わずもがな足が痺れて辛そう――なのと背後でマリアが足を突いているのが原因――だが、折紙は『私は何も悪いことはしていない』と素知らぬ顔で語って全くへこたれた様子がない。本当に正座という苦行に慣れているとしか思えない姿に、狂三は再びはぁと溜息を吐いてから言葉を続けた。

 

「狂三、溜息を吐くと幸せが逃げる。息を殺すことが大切」

「もう言葉の隙間を補足していただけると嬉しいのですけれど」

 

 と思ったのだが、今度は折紙が余計な口を挟んで来たことでそちらの言葉を返さざるを得なくなった。この方、わたくしなら足りない言葉を何でも補完すると思っていませんこと? と疑問に思いながら今度こそ言葉を続ける。

 

「えー、こほん。被告人、本条二亜、鳶一折紙。あなた方には五河家安眠保護条約に違反し、被害者の下着を盗んだ挙句に強引な同衾を敢行した疑いがかかっています。五河妹裁判長の判決に従ってくださいましー」

「くるみん、既に面倒くさくなってきてない?」

「被告、本条二亜、死刑。鳶一折紙、被害者と三日の接触禁止令」

「絶対面倒くさくなったよね!? つかあたしだけ重くない!? 裁判長妹ちゃんじゃなくてくるみんじゃんそれ!」

「裁判長、三日は不当。あまりに惨たらしい、死刑以上の刑期に異議を申し立てます」

「もう何でもいいですわ」

 

 アホらしいと匙を投げるように両手を軽く上げ、一々ノリがいい二亜と無駄にノリがいい折紙にジトっと視線を向けた。

 

「まったく。するならするで抜け目なく行ってくださいまし。面倒になった琴里さんが面倒事を投げるのはいつもわたくしなのですから」

「三回目は想像以上の対策がされていた。次は確実に仕留める」

 

 暗殺者でもあるまいに、と思ったが獲物を狩り取る目付きが本気であることから、この方ならやりますわね〜と狂三は投げやりな感想を抱いた。

 

「そーそー、次は怪盗ミッドナイトカイト勢揃いでやったるわん!」

「知らない。そのような怪盗団に所属した覚えはない」

「えぇ!? もう認めようぜーオリリン。少年やれーちゃんに内緒で怪盗に変身するとか、ちょっと女主人公っぽいと思わない?」

「………………」

 

 ありだな、みたいな目をしているのは冗談でも止めて欲しいものだが、と狂三は二度三度では飽きたらない溜息を吐いた。

 ――――まあ別に、なんてことはない日常の一幕だった。

 士道の寝床に精霊の誰かが潜り込むなど日常茶飯事だし、そのため狂三と二人きりの際は彼を精霊マンションの自室に呼ぶ必要があって――――閑話休題。とにかく、寝床に入って起床の挨拶までぎっしり予定(・・)が詰まった夜から朝にかけての時間がある、ということだ。

 襲撃の種類は二つ。貞操観念が危険で危ないという意味での過激と、物理的な攻撃が危険で危ないという意味での過激。どちらにせよ、デンジャラスな人生を送っていますわねぇと他人事のような同情を抱いた。

 ともあれ、やりすぎた場合には注意をしなければならない。どちらかならともかく、どちらもを取るのは些か強欲的だ、とは妹様からのお達しだった。どちらも許さないという段階でない辺りは琴里の苦労が偲ばれる。なお、被害者の苦労はプライスレス。

 

「ま、少しは自重してくださると喜ばしいですわ。そもそも、わざわざ寝床に入らなくとも士道さんに頼めば接触の三つや四つ……」

「わかってない! わかってないなぁくるみん!」

「な、なんですの」

 

 唐突に叫び上げた二亜に思わずビクッと肩が弾んでしまう。ちなみに、立ち上がろうとした二亜はマリアの介入(悪戯)で足が動かず、半ばゾンビ映画で地べたに這いずるモブゾンビのような挙動をしている。

 

「少年の温もりは確かにそれで得られるかもしれない。けど、少年で暖まったお布団の温もり、柔らかさ、匂い……それは長年使われた少年の部屋の布団にしか存在しないのだ!」

「……いえ。洗ったり替えたりしていればそこまでは……」

「そんなもので少年の愛が消えるものかぁ!!」

 

 二亜の口から叫ばれる愛ほど安っぽいものはないのではなかろうか。それと折紙は残像が残るほど首を縦に振ってまで同意をしなくてもいいのだが、と思わざるを得ない。

 しかし、使われたベッドでしか得られない味わい、と言うと実に変態的で語弊が生じるものだが、言わんとしていることが理解できない狂三ではない。

 

「ほらほらぁ、くるみんも興味出てきたっしょ? いっちょやってみようぜぇ。一度やると癖になるよぉ……?」

「違法薬物のような誘い文句はやめてくださいまし」

「あいてっ」

 

 持ち合わせていた本で二亜の頭を軽く叩いた。大層な力説をしてはいるが二亜のことだ、理由の半分以上が冗談と悪ふざけで構成されているに違いない。もっとも、横で高速縦首振りを敢行している折紙は理由の十割が士道で構成されているに違いないが。

 

 それはそれとして、狂三の興味が二亜の言う魅力に惹かれることはない。冗談めかした手法で相手を拐かす夢魔からはもうとっくに卒業をしているのだから。

 

 

 夜も夜。深夜という時間帯に、少年の安らかな寝息だけが響いている。今宵の襲撃は羽を休め、彼も心行くまで安眠を貪ることができるであろう。

 ――――夜闇に蠢く深淵の()から少女が姿を現すことがなければ。

 

「きっひひ……さあさ、士道さん。あなた様の快眠、いただきに参りましたわ」

 

 夢魔は笑い、悪夢を届けに微笑む――――もっとも、彼女の笑みに応える人間は非常に安らかな寝息を立て続けている。

 

『何をしていらっしゃいますのかしら?』

『まあ、興味がないとドヤ顔でモノローグをした手前、引くに引けずで格好を付けた、というところでしょう』

「く……」

 

 しかも影の中から分身の煩わしい声が聞こえ、今ばかりは足で蹴りつけるわけにもいかず歯を噛んで静かに影を閉じた。

 夜遅くに殿方の部屋へ音を立てずに侵入する。普通ならば難しいところを、未だ精霊の力を自在に行使できる狂三であれば容易くクリアできた。そうまでして侵入した理由はもちろんのこと――――――

 

「……べ、別に士道さんのベッドで同衾に興味があったわけではありませんわ。ただあまりにも二亜さんと折紙さんが力説をするものですから、一瞬だけ確かめてみようと……ま、まあ? わたくしの一声で『ん、いいぜ』とか仰りそうな困った士道さんですけれど」

 

 小声で言い訳を重ねて虚しくありませんの? という声が影の中から聞こえてきた気がした。補足をするならば、仮に士道へ同衾を提案したらニュアンスが『え、いいの?』くらいに変わりそうなものである。

 兎にも角にも狂三は単に、断じて、絶対に二亜や折紙の言葉に唆されて添い寝をするわけではない。一瞬だけ、言葉の真偽を確かめるために部屋を訪れたに過ぎないのだ。

 

「さて……そう言えば、士道さんのお部屋はあまり訪れたことがありませんでしたわね」

 

 意外なことに、という注釈を付けることにはなるが、狂三が士道の部屋を訪れた回数は総合で多いとは言えない。妹の琴里や不法侵入の折紙は置いておくとしても、気持ちが通じあった者同士にしては珍しいくらいの数かもしれない。

 二人きりになるなら狂三の部屋を使うかデートに行けばいい。それ以外なら、皆と共有するリビングがある。ある意味、この部屋は特別な時にしか二人きりにならないのだな、と狂三は思い返した。件のデート中はお互いに意識をしすぎて危険な場所だった、というのもあるのだろうけれど。

 そう思い返せば本当に数えられる。たとえば七罪の一件、折紙の一件、クリスマスは口を噤むにしても、あとは令音、澪との一件で――――――

 

「…………こほん。さ、目的を果たしてしまいましょう」

 

 あの時は、さしもの狂三といえどゆっくりと感傷に耽って味わう余裕はなかった。他意はなく、息を整えるために咳払いをして足音を立てずに士道のベッドへと迫り、静かに布団を捲った。

 中は特に驚くほどのものでもない。士道のパジャマは見慣れているし、かくいう狂三もラフな寝巻き姿だ。これは迅速に部屋に戻り証拠を残さないためのものであり、決して他意はない。

 しかし――――ふわりと香る士道の匂いに鼻腔がくすぐられ、狂三は得も言えぬ感情に襲われた。

 

「いや、折紙さんでもあるまいし、ですわ」

 

 それを一瞬で振り払う。そもそも士道の匂いなど嗅ぎなれているし――――いやそれこそ折紙さんのようですわ、と言葉にならない言い訳を払うように首を振り、狂三は士道のベッドに身体を忍ばせた。

 形としては添い寝になるが、元々の距離が近いためピッタリと密着をするような形になっている。必然と見上げるように士道の寝顔が目に映り、狂三はくすりと微笑を零した。

 

「うふふ、いつ見ても可愛らしい寝顔ですこと」

 

 首元を指でくすぐってやれば、まるで猫のように小さく喉を鳴らす。一体どんな夢を見ているのか、と想像すれば途切れ途切れの寝言を口にする。

 

「…………あぁ」

 

 ――――幸せだ。時崎狂三は今、幸福の絶頂にある。そんな感嘆が零れてしまうほどに。

 愛しい人と時間を共有する。罪人には過ぎたる幸福を、罪人との道を選んだ彼が与えてくれた。二人で掴み取った物の重みが自然と声になって溢れ出す。

 士道の姿が。士道の匂いが。士道という存在そのものが愛おしくて狂おしくて堪らない。彼の胸板に顔を押し付ければ、図らずも恍惚とした表情になり、人には見せられない頬の紅潮と緩みが生じる。

 

「まあ……気持ちが、わからなくも……ありません、わ……」

 

 二亜の戯言が意外なことに的を射るものだったと感じる心地よさ。この同衾は士道に包まれ、無駄がない。確かにこれは狂三の部屋に士道を招くだけでは得られない温もりだ。

 瞼が落ちそうになる微睡みの中、狂三は辿々しい同意を口ずさむ。このままだと本当に眠ってしまいそうになるが、寒空からベッドに放り込まれるような仕打ちを受けたわけではない。まだベッドから離れることはできる。この温もりを覚えて帰れば、明日の機嫌はさぞ良いものになるだろうと狂三はベッドから身体を引っ張りだそうとして――――――

 

「んっ」

「…………へ?」

 

 できなかった。具体的には、寝巻きがはだけかけた腰周りにするりと入り込んだ士道の手が、グッと妙に強く込められた力で固く捕らえて離さない。

 

「し、士道さん? 起きて……いらっしゃいますの?」

 

 返事はない。寝顔は変わらず寝息も穏やか。しかし、狂三を抱き寄せる手は明らかに就寝中の人間が出していい力ではない。というか、精霊の力を使っていませんこと!? と狂三が焦り顔になるほど強い。

 このまま抱き寄せられて添い寝する、というのは一時的な多幸感に包まれるだろう。が、起床時に間違いなく大惨事だ。大惨事の被害を被るのが狂三であることに間違いはない。

 対策は二つに一つ。上手く寝惚けた士道の拘束を抜け出すか、士道を起こして口裏を合わせてもらうか、だ。というか初めから後者にすればよかったのだ。狂三が口先で士道に負けるはずがない。主題を隠して言い訳を正当化し、手玉に取るなどお手の物。よし、今すぐそうしましょうと狂三は士道の耳元に唇を近づけていき。

 

「……狂三」

「っ!?」

 

 鼓膜を震わせてゾクリと背筋を通り抜ける蠱惑的な声色。

 

「すき、だ」

「〜〜〜〜〜〜!!?」

 

 そのような声で紡がれる好意の発露に狂三の脳髄は打ち震え、瞼の奥が明滅を繰り返してスパークしている。

 

「すき、すき……くるみ、すき……」

「ま……そんなっ……こども、みたい、に……」

「すき、すき、すき……だいすき…………くるみ……すき……」

「っ、あぁ……も、う……っ。何なん、ですのぉ……わ、わたくしだってぇ……」

 

 視界がぐるぐるぐるぐる回りに回る。普段は聞けない気の抜けるような声色。けれど愛おしさを詰め込んだ優しい声音。

 あの日、初めて受け取った〝好き〟が頭の中で何度も繰り返される。あの日から一日だって忘れたのことのない大切な告白。士道が好きと口にして愛してると謳う度に、狂三の頭に再生される機能が付け加えられたのかもしれない。

 落ち着け。この程度で動揺してどうする。時崎狂三は精霊だ。十二の弾丸を自在に操り悪夢(ナイトメア)の称号を冠するに至った者だ。この程度の責め苦で根を上げるはずがない。

 

 まあ、誤算があったと言えば。

 

「……あいしてる」

「きゅう」

 

 これは責め苦などではなく幸福の絶頂であるわけで。狂三は精霊である以前に士道へ『好き好き大好き愛してる』の好感度が振り切れた女でもあるわけで。

 今生で成し遂げたことのないキャパシティオーバーによって、狂三の意識は闇の底へと誘われたのだった。

 

 

 事の顛末を告げるというのなら、まあこれほど簡単なことはあるまい。

 不覚なことに『好き好き大好き愛してる』攻撃で途切れた意識は、二亜の「少年に寝起きドッキリ仕掛けようぜー!」という昨日の今日で飽きもしない、というか聞こえてくる叫び声はドッキリとは言わない声を後になって知ることになった。加えて士道も狂三を抱きしめ、安心しきったように眠っていたため、現れた二亜が毛布を思いっきり引き剥がしてもなお全く起きる気配がなかった。

 

「おっきろー! しょうねーん! 愛しの二亜ちゃんとオリリンとれーちゃんが起こしに――――」

「ふぁぁ…………あ」

「添い寝上手の時崎さん!?」

 

 そこから先はもう言うに及ばず、だ。二亜からは笑顔で捲し立てられ、折紙からは恨みと嫉みと次は負けないという闘争心が篭った視線を向けられ、挙句寝惚けた士道の手から逃れられず時崎狂三ともあろう女が着崩れた寝巻き姿で言い訳を重ねる羽目になった。

 

「いいのですの? これは偶然ですわ。偶然わたくしは士道さんのお布団の中へ入り、偶然にもこの手に囚われてしまった憐れな女精霊なのですわ。断じて、決して、士道さんに寝言という名の愛を囁かれて気を失ってしまったわけではありません。ええ、ええ。そのような姿をこのわたくし時崎狂三こと〈ナイトメア〉が晒すはずありませんわ」

「少年好き好き大好き時子さんなら晒しそうだよね」

「それはもういいですわ!!」

 

 ちなみにだが、何故か付き添って(大方二亜の仕事を手伝った帰りだろう。何故に朝帰りから言うに及ばず)いた未零にさり気なく助けを求めてみた。彼女は友人であり優秀な従者様。いつだって狂三を助けてくれるに違いないのだ。少女の手を借りればあっという間に危機を脱することができる!

 

「……別に私は構いませんけど、今ここで纏めてイベントを消化するのと、逃げ出して言いふらされて被害が十倍ほどに膨れ上がること。どちらが我が女王のためになるかと言われると……」

 

 主人の行く末を良いものへと導く聡明な従者であったため、見事頓挫したことをここに記しておくとしよう。

 

「くるみ……す――――――」

「い・わ・せ・ま・せ・ん・わーッ!!」

 

 以後、士道の知らない狂三の弱点に士道の寝言が追加されたとかされていないとか――――――真相は悪夢を捨てた少女の幸福の中にのみ、存在している。

 






お互いへの特効キャラなので立場が逆転するともちろん同じなんですが、士道くんがくるみんの布団に潜り込むのは流石にヤバいよね。許可取ってやろうね!ちょろみんなので余裕で許可取れると思うけど。

こういう短編でいいなら割とネタがないわけじゃないのでたまーーーーーーに書こうかなぁとか思ってます。Twitterで質問箱あるのでこういうの見たい、こういうのどうか的なものがあればリビルド・アンコールとして出せます。多分1割未満の確率で。本編中でも本編前でも内容次第で。


未零ブイアール/アナザーにあった精霊VR格ゲーのリビルド版。シリアスだったりギャグだったり、本編で終ぞ実現しなかった未零VS狂三を異色のタッグバトルでお送りしたりとか。

狂三ブルーキャット/五河家に現れた青がかった毛並みの正体不明な猫を狂三が存分に愛でるお話。一体猫の正体は何者なんだー(棒)

七罪アナザーダイアリー/狂三BADENDのその後を描いたお話。高校生になった七罪と、消えた罪と消せない記憶に苛まれる狂三。そして狂三の日記に綴られたものとは……。

狂三ロスト/前回のちょっとした続きくらいなら……。


頭の中にパッと出てきたのはこんな感じかなぁ、って。最近一周まわってデアラはノーマルの方が書けるような気がしてきた。気がするだけかもしれないので更新の時期は未定。まあ完結作品だし忘れられた頃に顔を出したりするんじゃないかな、タブンネ。


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『七罪アナザーダイアリー』

アンコール第二弾、兼リハビリ。アンケートで勝ち抜いたから書いたけど何か考えてたのと違うな!?という感じになった。
アナザーの名の通り『狂三イマジナリー』の続編になります。語られるはずのなかった後語り。七罪の目から見つめる時崎狂三という存在。お楽しみいただければ幸いです。






 

「なんでこうなったなんでこうなったなんでこうなったなんでこうなったなんでこうなったなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」

「いきなり呪詛を吐くのは止めてくれる!?」

 

 同級生、五河琴里の鋭いツッコミにも負けじと七罪は体育座りで頭を垂れる。若干おかしい表現な気もするが、ド陰キャな私には相応しいわね……と彼女は考えたりなどしていた。

 もっとも、彼女を囲む友人はそう思っておらず、大半は誇らしげな笑顔で七罪を迎え入れたのだけれど。

 

「元気出してください、七罪さん……私たちも、お手伝いしますから……」

「むん。微力ながら、じゃがな」

「やっぱり私の目に狂いはなかったわ! さすがは七罪さん!」

「四糸乃、六喰……諸悪の根源」

「えっ!?」

「まあ根本を掘り返すとそうなっちゃいますよねー」

 

 氷芽川四糸乃、星宮六喰、綾小路花音(諸悪の根源)、小槻紀子。高校(・・)へ進学した七罪の中学から付き合いのある友人(・・)たちである。

 ――――そう、友人なのだ。七罪に、友人。世界で一番合わない響きではあったが、疑う人間が七罪本人しかいないという欠点を除けば友人たちなのである。

 そんな友人の一人、同じ制服を着ながら見受けられる特徴は比べ物にならない『あー自分の可愛さを理解してるわー』的な少女……と七罪が好き勝手に感じる黒と白のリボンで赤髪を可愛らしいツインテールで括った琴里が、ポンと肩に手を置いた。

 

「まあ頑張りなさい――――就任おめでとう、七罪生徒会長」

「い、い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 怨嗟の声は恨むわ世界。悲鳴の答えは死ぬぞ私。

 鏡野七罪――――都立来禅高校、生徒会長就任事件の始まりであった。

 

「……いい加減、元気出したら?」

「むり」

「重症じゃのう」

 

 ――――と言っても、事件は即座に犯人究明解決が成されたのだけれど。

 そもそも就任の時点で事件は終わり。七罪が生徒会長になるきっかけを作った綾小路花音(諸悪の根源)は、あまり責めすぎると泣き出してしまうので追求は避けたい――七罪もそこまで恨みがあるわけではないし、友達だし――ので、話としては七罪の心境を除いて完全解決だった。何の面白味もありはしない事件だ。

 その七罪の心境ではあるが、玄関を越えて校門前に差し掛かってもなお足取りはフラフラと頼りなく、陰鬱な双眸は半ば白目を剥いている。我がことながら器用な女だな、と言わざるを得ない。多少は認めざるを得ないことではある。器用でなければ生徒会長に落選(・・)しようと画策して当選(・・)してしまうなどできようもないのだから。

 

「もう、それでも私が認めた七罪さんですの?」

「誰のせいだと思ってんじゃごらぁぁぁぁぁぁぁ――――あ、あぁもう泣かないでよ! なんで普段は偉そうなのにそんな情緒不安定なわけ!?」

「三歩歩けば忘れますが、三歩歩くまでは忘れない。前世はもっぱら」

「それはこの前似たようなの聞いた! はぁぁぁぁぁ……こうなったら、投票紙を全部書き換えて……」

「いや、もう遅いでしょ」

 

 仮に直前に実行したところで時間が足りない。まさか、紙に書かれた文字を一瞬にして書き換える(望みの物に変質させる)摩訶不思議な力を七罪が持っているわけでもないのだから。

 結局のところ、七罪は肩を落として諦める他ないのだ。生徒会長、実に気が重いと言わざるを得ない。

 

「ふむん。七罪はむくたちと一緒に生徒会に従事をしたくはない、と?」

「え……そ、そうなの? やっぱり私、七罪さんのお友だちじゃ……」

「……うぐっ。いや、これも物の弾みというか……み、みんなと一緒なのは、嬉しいっていうか……」

 

 決まってしまったことを覆す気はない。結果論ではあるが、皆と一緒というのは悪い気がしない。いやむしろ皆が生徒会役員に立候補してくれなければ七罪は見知らぬ場所で見知らぬ人間と、また視線に悩まされ保護者曰く『考えすぎ』な思考の沼に嵌るところだった。たとえば今のように、だ。

 

「あの、せっかくですから……七罪さんの会長就任をお祝いしませんか?」

「うぇ!?」

 

 と、そこで全宇宙超女神(スーパーゴッデス)の四糸乃が思わぬ提案をしたことで七罪は素っ頓狂な声を上げた。無論、七罪ごときを祝ってくれるその優しさに感涙をしてしまったのは間違いない。やはり四糸乃は女神。結婚したい。

 

「あ、いいわねそれ。みんなでパーッとやっちゃいましょ。場所は」

「ふふふ、ここはもちろんこの綾小路花音にお任せを――――――」

「七罪の家でいいんじゃない?」

『ウ゛ェ!?』

「綺麗に声が揃いましたね」

 

 とても綺麗とは言えない声を揃えたところで何になるのか。というか、七罪はともかく花音は見た目が良いのだから合わさせてしまって申し訳ない、もう少し慎ましい声を……などと考えている間にトントンと話は進む。下校も大通りに出た辺りになったところで、ふと琴里が声を発した。

 

「あ……提案しておいてなんだけど、七罪の家にお邪魔しても大丈夫?」

「え゛」

 

 それは暗に『おまえの家とか上がりたくねーからぁ!』と言っているのかと考えた七罪だが、四糸乃が続けた言葉で合点がいった。

 

「そういえば……七罪さんのお家にお邪魔したこと、なかったです」

「あれ……そう、だっけ? …………そ、そうだったかも」

 

 言われてみれば、というのと七罪が家に友だちを呼ぶ、などという超絶ド陽キャなイベントを自主的に解禁などしているはずもなかった、という話にもなってはくるだろう。

 

「ふむん。御両親にも了承は必要じゃな」

「あ、今は従姉妹の家に預かってもらってるから……その人に聞けば、いいと……思う」

 

 ――――言葉を濁した理由は幾つかある。

 先ず以て、友人とはいえいきなり七罪の暗い過去を説明などできるはずがない。特に実の親に殺されかかったなど、なかなかにショッキングな話だ。

 第二にその保護者(・・・)の問題。七罪があまり自分の家柄、家系を語らなかった理由の半分以上は彼女にあった。

 眉根を寄せた七罪に六喰たちが小首を傾げる。何かあるのか、と問われてまた言葉を濁せば嫌な思いをさせてしまう。七罪は両親の件で聞くべきではなかった、と困った思いはさせたくない――――だから言わなかった。どっちつかずな選択をしていたのだろう。

 

 ここからどう言葉を繋ぐべきか。そう七罪が思案していると、道路側からクラクションが鳴った。

 

「ん……は?」

 

 見てみれば、歩道間際に停めた黒い小型車がそれを鳴らしたことがわかるが、七罪からすればそれが問題中の問題であった。

 

 何せそれは――――件の保護者が駆る愛車であったのだから。

 

 

 

「いや何してんのあんた!?」

 

 開幕の一声。七罪を乗せた小型車(曰くディテールが可愛らしくてお気に入り。七罪的には何故かバギーを乗り回す方が容易に想像できた)が走り出した際に我慢をできず、荒らげた一声はそれはそれは大きなものであった。

 

「あら、あら。母親が子の送り迎えをすることは不思議ではありませんわ。可愛いですわ七罪さん。生徒会長就任おめでとう、ですわ」

「あんたいつもは母親とか名乗らないでしょ! ていうか高校生にもなって送り迎えってあんたじゃあるまいし! そもそもなんでしってんだクソが!」

「いえ、わたくしも高校生で送り迎えを受けた覚えはありませんわ。それと、乙女であれば言葉にも気を遣うべきですわね。せめて〝くそったれ〟など如何です?」

「じゃあなんで迎えに来たのよ! 嫌がらせか! ていうかクソより悪化してるわよくそったれ!!」

 

 まあもっとも、運転席の女は涼しげな顔から細緻な黄金が垣間見える横目で七罪を見つつ、見事に流してからかって見せたのだが。

 まるで不良娘とその母親のようなコントをしたところで――――――

 

「ああ、ちなみに会長就任に関しましては単純な想像ですわ。夜な夜な裏目に出そうな工作を試みる、健気で愛らしい七罪さんを見守っていたわたくしですし、就任決定は嬉しいお話でしてよ?」

「でしてよ? じゃない! わかってたんなら言いなさいよぉぉぉぉぉ!! 私の平々凡々高校生活を返せぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 言ったところで聞く耳持たないではありませんの、という最もな意見は聞き流し、七罪は荒らげた息を整えてシートに己のくせっ毛を押し付け、言葉を返した。

 

「で? なんで珍しく車で迎えなんか寄越したのよ」

 

 友人たちとの話が若干答えづらい流れに行きつつあったのと、どの道狂三へ話を通しておかなければならない案件だったため、渡りに船だと飛び込んだ形だった。

 

「偶然、ですわ。この子を駆り出す用事が少々とありましたの。その帰りにご友人と仲睦まじくお話をする七罪さんを見かけた、というだけの話ですわ」

「ふーん……狂三にしては当たり障りのない理由ね」

「普段わたくしがどう見られているか、よく理解ができるお返事ですこと」

 

 狂三にしては本当に安直な理由だ、と腕を組みながら半眼を作る。七罪が狂三をどう見ているかなど、それこそ普段の行いを鑑みれば自己分析など容易いだろうに。

 嘘はつかないが本当のことも語らない。神出鬼没年齢不詳――――〝あの日〟に見た時崎狂三が夢幻だったのではないのかと思えるほど、時崎狂三は『時崎狂三』らしい立ち振る舞いをしている。

 目を見張るほど美しい面。淑女の二文字を体現するような艶やかな仕草は――――いつも、喪服のような黒いドレスを纏っていようと、さして違和感を持てないほどに可憐だった。

 七罪には狂三の考えていること全てがわかるわけではない。他の人間よりは理解しているつもりだが、結局のところはつもり(・・・)でしかないのだ。

 狂三がどんな思いで七罪を引き取ったのか。どんな絶望を〝あの日〟に抱えたのか――――その重苦しい黒の衣装は、誰を想っているのか。それとも、己を戒めるものなのか。

 

「……ん、まあ。ありがと、迎えに来てくれて。ちょっと聞きたいこともあったし……」

 

 素直じゃないとわかってはいるが、感謝を滑り込ませて七罪は言葉を返した。考えたとしても出ない答えを首を振って払って本題に入る。

 

「あら、なんですの? 新作のゲームをご所望? ああ、ああ。ですが課金は家賃まで、ですわ」

「親戚のおばあちゃんの甘やかしか! ……き、聞きたいことっていうのは……い、家に呼びたい子たちがいて――――その時、会って欲しいの。私の友だち、に」

 

 高校生にもなって言う頼み事かとも思ったが、これでも勇気を出した方なのだ。答えが気になり、緊張で正面を向いた顔を戻すと――――――

 

「――――――――」

 

それ(・・)を形容することは、七罪の語彙では難しい。

 嫌悪とは言いきれない。憎悪とも言いきれない。深い後悔の念、とも言いきれない。けれど少女は、己への(・・・)感情をその双眸に、異形の隻眼に込めていた。

 まるで、自分がこの場に、この世界にいることを許せない。優しいが故に苛まれる罰の形――――七罪が言葉にしたことを後悔してしまうほど、狂三の表情は痛ましいものだった。

 けれど、それは本当に一瞬のこと。七罪でなければ見逃してしまう負の感情の具象化だった。狂三はフッと唇を歪めると、優しげな声色を発した。

 

「お好きに、なされば良いですわ。あそこはあなたの家なのですから」

「……何それ。やめてよ……あんたの家でしょ」

 

 私たちの家、と言いきれない歯痒さに七罪は顔を顰めた。

 七罪と狂三は家族だ。そう、七罪は思っている。だけど、七罪は鏡野(・・)だ。時崎ではなく鏡野。あんな親でも愛して欲しかった鏡野七罪(・・・・)なのだ。

 

「ですが会えるかどうかはお約束しかねますわ。数日、こちらを空ける予定が入っていますので」

「ん……」

 

 どうしても会ってほしい。そう言えないのは七罪の弱さか。あるいは時崎狂三の怯え(・・)を見抜いてしまったからか。

 狂三は七罪の友人たちを見た、と言っていた。だから四糸乃たちの顔を知っている。いつもはそつなく事をこなす狂三がああいう顔をするということは。

 

「………………」

 

 ――――中途半端に察してしまう自分が無性に嫌になって、七罪は口を開くことを止めた。

 これが七罪と狂三の距離。埋まらないボーダーライン。あの日から一年が経つ――――あの日からきっと、時崎狂三の時間は止まっている。

 

 

 七罪の就任お祝いは恙無く開催された。まあ、なんで祝われる方がそんなに緊張してるのよ、という至極真っ当な琴里のツッコミは置いておくとして、家に招くという第一のミッションはクリアされた。

 

「さて、と……」

 

 七罪の私室へ先に行ってくれ――もちろん前日の時点で片付け済み――と四糸乃たちに伝え、場所も軽く案内をした。無駄に広い屋敷だが、迷うことはないようにしている。七罪は諸々の準備……やはりこれも祝われる側がするのはおかしくはないかの? と六喰からツッコミが入ったが性分だ、仕方がない。

 とにかく、準備が必要な七罪は最初にすることがあった。家主、時崎狂三を呼びに行くことである。家にいる時に狂三が選ぶ場所は大概書斎だ。逆に寝室はほとんど手付かずの状態だった。

 

「……入るわよ」

 

 そんな不衛生な生活、と七罪が言ったところでブーメランが返ってくるだけな狂三の私室兼書斎にノックをして入る。いつものように遠慮をしないのは。

 

「まあ……いるわけない、か」

 

 家主が不在であることを知っているから、だ。

 恐らく先日言っていた〝予定〟を噛み合わせ、上手く留守を決め込んだのだろう。愛用の靴も見当たらなかったし、音を立てないで居なくなるのは狂三のお家芸だ。

 しかし、およそ二十畳ほどの書斎に敷き詰められた本、本、本――――この山を崩さずに出入りをできるのは神出鬼没がなせる技なのか。東側の窓まで聳えた本の山のせいで、昼間でもわざわざ電灯を点けなければいけないくらいだ。

 

「こんな場所でよく生活できるわね……」

 

 七罪さん、人のことを言えまして? と幻聴が聞こえてくるようで耳が痛い。単に独り言を呟いただけなのに、言撃はしっかりと七罪にヒットしダメージを与えた。何せ狂三の遊びではなさそうなものと、七罪の自堕落な遊び場では比べるのも烏滸がましい。

 

「……何調べて、何しようとしてるんだかね」

 

 それさえ知らない、と七罪は堆く本や書類が積まれた部屋の道を縫って狂三が使う机と椅子に辿り着く。

 よくここで前傾になり、何かの数式をしたためていたり、下手をすれば食事すら忘れることも珍しくはない。

 ――――一体何を調べているのだろうか。そう眉根を顰めた七罪は、机の端にあるものを見つけて手に取った。

 一冊の厚すぎず薄すぎない手軽なノート。狂三が家の中で楽しげに書き記しているところをよく見かけていたため、七罪はそれが何なのかを知っていた。

 

「これ……狂三の日記帳、よね?」

 

 時崎狂三の手記。彼女の手で書き連ねられた日記(・・)だ。当然この中には、狂三が記した文字の数々が浮かんでいるに違いない。

 日記自体は珍しいことではない。七罪も同じようなことをしている。が、時崎狂三の(・・・・・)と名前が付くだけでこうも興味が唆られるのは、何ら不思議なことはあるまい。

 

「…………ま、まあ。ちょっと見るくらいなら」

 

 沈黙は若干の葛藤。その後は好奇心が勝った楽しげな声色。好奇心は猫をも殺すと言うが、慎重な七罪をして狂三の日記帳という悪魔的魅力に敵わず、あー手が勝手にー目が勝手にーと中身を覗いてしまった――――――

 

「って私の観察日記と料理本かぁい!!」

 

 両手を上げて日記を投げる仕草をして叫びをあげる。実際に人の日記帳を投げたりはしないし、ちゃぶ台を返すのもアンティークな机を傷つけるわけにはいかない。あと単純に持ち上がる気がしなかった。

 思わず七罪が叫びをあげた日記帳の中身は、日々成長したり謎の行動(この前の落選運動とか)を取る七罪を面白おかしく書き記し、なぜか無駄に凝られた親子丼のレシピとかが乗っていたりと、狂三の情報は一つもなかった――――そう。一つも、ない。

 

「…………一つもない、か」

 

 この書斎にも。私室にも。それどころか屋敷全体を見渡しても。時崎狂三の存在を表すものはほとんどない。

 

『――――あそこはあなたの家なのですから』

 

 まるで、ここに自分の居場所がないとでも言うかのように。いつでもいなくなる準備はできていると心に決めたような、そんな居心地が悪くなる私物の無さに七罪はギュッと日記帳を握りしめた。

 

「……はぁ。みんなのところ、帰ろ」

 

 そもそもあの狂三が自分の見られたくない物を軽率に置いておくはずがなかった。またしてもからかわれたと分かり、七罪は思案を切り捨て虚脱感を覚えて日記帳を元の場所に戻す。

 

「ん……このページ、わざわざ破られてる?」

 

 その時、七罪は不自然な一ページを見つけて思わず日記帳を手で取り直した。置いた時に乱れた隙間から、なぜか根元部分から切り取られた頁が見えた。

 別にそれが異様に不自然というわけではない。狂三とて書き損じることはあるだろう。けれど消すのではなく、わざわざ破り捨てた(・・・・・)という点が気にかかった。しかも見るに一ページ、二ページの話ではない。

 頁を開くと、やはりビリビリの根元が破り捨てられたことを証明している。だからといって、その中身がわかる術はないのだが――――

 

「……わひゃあ!?」

 

 ――――瞬間、七罪が何となしに触れた手が頁を光り輝かせた。

 悲鳴をあげて咄嗟に日記を手放すと、本はパラパラと捲れて再び『なかったこと』になった頁を開く。

 

「……え、え? えぇ!?」

 

 そして、再生(・・)した。そこになかったことが嘘であったかのように。あるいは無いものを作り出した(・・・・・・・・・・)かのように。

 

「いや、マジシャンかって……うんまあ、あんな銃を変な影から取り出せる女だし、できるか、うん」

 

 なかったはずの頁が再生し、一度は驚いた七罪だったが狂三のイレギュラーを見ているためそういう仕掛けなのだ、と自分に言い聞かせる。まさか七罪が行ったわけではない(・・・・・・・・・・・・)と考え、軽く半笑いになりながら落とした日記帳を手に取った。

 

『〇月××日。

僅かだが霊脈の活性現象を探知。この世から精霊術式が喪われた今、霊脈を活用できる組織は限られる。アスガルド・エレクトロニクス。精霊〈ナイトメア〉』

 

「……精、霊」

 

 だが、七罪の表情は目に飛び込んできた硬い文字によって凍りついた。

 霊脈。聞いたことがない。アスガルド・エレクトロニクス。琴里の両親が所属している会社の名前。精霊〈ナイトメア〉。精霊――――頭が痛い。痛む頭が指示を出し、手は頁を捲る。

 

『〇月×日。

霊脈の活性化は人為的ではなく自然的な現象であることが判明した。世界に満ちるマナと精霊術式による肉体の構築、それによって高次元な存在として創り出される魔導生命体・精霊。だが仮に、その精霊が産み落とした存在がいたとしたならば。たとえば精霊〈ナイトメア〉。たとえば彼女、たとえば――――無駄な仮定を記してしまった。調査を続ける』

 

「……」

 

 頁を捲る。

 

『〇〇月××日。

できない。するわけにはいかない。なかったことにしたことを、もう一度『なかったこと』にはできない。後悔はない。侮辱をするな。何のためにここにいる。その可能性に懸けたとして、再構築は不可能に等しい。形を失った精霊はマナになって世界へ還る。だが『なかったこと』になっている。産まれが存在しないのであれば、マナは還る以前に使用されていない。あの子は、彼は――――この世界にはいない』

 

 段々と文字が崩れてきている。客観的に書き記していた筆者の感情が溢れ返るように、仮面が剥がれ落ちるように、文字そのものと言葉が崩れ落ちていく。

 

『・四月三日。

また春がやってきた――――――これで最後。二度と可能性を見つけ出してはならない。なかったことを『なかったこと』にしてはいけない。

精霊術式は? 対象の具現化に必要な設計図は? もう一度、過ちを繰り返すのか? あの子の霊結晶は活動を停止している。彼の構成物質は元よりこの世界に存在していない。崇宮■■は彼ではない。ならば始原の精霊を、始原の精霊にでもなるつもりなのか? 忘れろ――――忘れろ、忘れろ、忘れろ、忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ』

 

 呪詛を吐く。その言葉をどこかで耳にした。けれどこれは七罪のように生易しいものじゃない。書き記したものが、その者へと言い聞かせる呪いだ。何度も何度も何度も何度も、言い聞かせて言い聞かせて言い聞かせて、それでやっと忘れることができるはずだと。

 

『いやだ』

 

 けれど、ああ、けれども。そのたった一言で、忘却の棄却は成された。

 

『忘れられない。忘れられませんわ。忘れさせてなど、くれないお方でしたの。復讐は、怒りは、消えていくのに。あなたの顔が忘れられません。あなたの声が忘れられません。いつまでも、どこまでも。

 

――――愛しています、誰よりも

 

――――お慕いしています、時の果てまで

 

何があっても、あなたの言葉に報いるために。そのために、それだけは、いけないことなのに。けれど、どうして、なぜ、わたくしに、何を、違う、これは、過去を変えない、でも、だけど、どうやって、あの方を、わたくしは』

 

 文字の崩れが酷くなって、紙が水の粒で滲んでいる。要領を得ない言葉の羅列が筆者の感情を表していた。その涙は果たして筆者のものか、それとも言いようのない感情に苛まれる七罪のものか。

 

『ころした。わたくしが、ころした。過去を、未来を、皆様の想いを、あの子を犠牲にしてまで。全てを元に戻すために。なかったことにするために。あの方を、■■さんを。ころして。うばって。それでも――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』

 

 一体、その文字を列挙するのにどれだけの感情と時間と涙を伴ったのだろう。

 

 

 

『あいたい』

 

 

 

 その後の言葉は、読むことが叶わない。形にしようとして、ゆっくりと頁の下に引かれた筆記の痕跡。一本の線に描いて、彼女の手記は終わりを告げていた。

 

「……ねぇ。誰なのよ、あんた(・・・)

 

 ポツリと呟いた言葉は手記の主ではなく、その想いの先にいる、否、その想いの先にいた(・・)はずの者へと向けられていた。

あの日(・・・)、時崎狂三は死ななかった。死なずに済んだ、それだけだ――――人が進むべき刻という絶対不変の摂理の中で、狂三の時間は止まったままだ。

 全てを投げ打って逢いたい人がいる。その想いを押し殺して成し遂げた何かがある。その果てに、狂三の時は止まってしまった。錆び付いた歯車が動かなくなって、鎖で絡め取られた狂三(しょうじょ)が悲鳴をあげている。それでも動かない。彼女は想いを侮辱できない。後悔だけはしない。救われることもない。

 

「あんただって、あいつのこと好きなんでしょ。なら、泣かせないでよ、こんなこと書かせないでよ、あいつの笑顔を取り戻してよ。あんな悲しい顔、させないでさぁ――――どうしてもっと、我が儘になんなかったのよ」

 

 なぜなら、狂三の愛した■■はこの世界のどこにもいないから。

 

「馬鹿――――士道の、馬鹿」

 

 

 

 

 なればそれは、少女が望んだ奇跡の一欠片。

 

 

 

 

 この後語りで言葉にするべきものは多くはないのだ。

 世界は救われた。あの時間は終わりを告げた。春は幾度となく訪れる。平和になった世界で、少年のいない世界で、少女が心を閉ざし笑顔を忘れた世界で。

 

『――――――――ク■■、ァ■ァ』

 

 その()は銃を取り、剣を握った。

 

 なればこそ幕は上がる。ならばこそ悲劇が終わった世界に役者を揃え、新たな物語を始める。それが喜劇か、あるいは新たな悲劇になるのか。確かなことは、後語りでは語り尽くせないものになるのだろう。

 

 天女が告げる。天使と悪魔が、全知が、慈悲の凍土が、鍵が、千変、神風、歌、刀――――時を止めた女王に叫ぶ。

 

【――――――――――――】

 

 嘶くように空が唄い、弾けるように海が啼き、震えるように大地が吼えて――――――白の願いは、今一度。

 

 

 世界にその意志があるのなら、彼女もまた告げるだろう。あなたの望む、私が望む。

 

 

 さあ――――私たちの戦争(デート)を始めましょう、と。

 

 

 

 







いやこの後何も考えてないです。本当なら七罪の部屋が狂三の手で『七罪さん生徒会長就任おめでとうございます♡』みたいな垂れ幕とかパーティーの飾りがされてて、四糸乃たちが良い保護者さんですね、って言ってなっつんがキレる場面があったんですけど流石にいれられんかった。狂三も日記で語り尽くしてえ、何させよう……って感じだったので。
いやまあ一応続きの構想全くない感じじゃないけど、多分形にしないだろうなぁ……一応書ける状態にはしとくか!ってわけです。ちなみに唯一抜けてる未那に関しても設定はあります。出せるかは不明。

アンコールはネタがあれば、書いたお話に反応があればって感じで気まぐれなのです。そんなわけで次があればお会いしましょう。


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『■■リ■■ド』

女王へと捧げる願いは悲劇か、それとも。





 

 悲劇が終わり、幕を下ろす。その元で、悲劇の終焉に、残された役者はどこへ行くのか。

 舞台を降りたのなら人となる。皆、そうして生きている。けれど舞台でしか生きられない役者は、その演じた己が全てだった者は。

 演じる必要のない人として、少女としての存在を否定された者が行き着く先は哀れな骸。生ける屍でしかない――――――生きて欲しいという願い(呪い)の果てに、狂わずにはいられるのか。

 

「忘れない。忘れられない。忘れられませんわ。ああ、ああ。なんて、狂おしく、愛おしい人なのでしょう」

 

 人は愛と呼ぶ。愛は与えるもの。だから、与えられた少女は返したかった。故に返すことができなかった少女の愛は、舞台の幕が下りたとて終わりを迎えずにいる。

 それを生き地獄と言うのなら、そうなのだろう。だが彼女は選んだ。選んでしまった。全ては、欲しいと感じたから。ただ一人、あの時、あの瞬間から、惹かれてしまった愛という感情に殉じたがために『時崎狂三』という刻の歯車を軋ませた。

軋んだ歯車(錆び付いた心)は戻らない、戻せない。『時崎狂三』という存在が意味を無くした今となっては、いつ壊れるとも知らぬそれが鈍い音を立てて動いている。纏いし黒衣が揺蕩う中で、彼方へと花束を捧げる。

 

「なんて、未練」

 

 人はそれも愛と呼ぶのだろうか――――――詩人になった気分だ。それも出来の悪い、見るに堪えないモノしか書けぬ詩人に。

 狂三は彼方へ落ち行く花を眺めた。ただ眺めた。意味のない行為だと知りつつ、ここに来たこと、いることがそもそもの無意味なのだと唇を歪めた。その笑みすら出来の悪さを自覚せざるを得ない。いつから自分の笑みは、人に見せるに値しないモノだったのだろう。

 捧げる心の行き場を失った。笑みを向ける相手はどこにもいない。それでも愛していると言って、捧げるべき相手を無くして終わりも始まりも迎えられなかった恋慕。

 この場から落ちれば良いのだろうか。花束が見えなくなるほど遠い崖先へ、深淵へと落ちればあるいは心が満たされるのか。

 

「マナに還る……いえ、それ以前にこの程度の高さでは死ぬに死ねませんわね」

 

 あるいは従者が抱き上げるか、それとも。考えまで未練がましく、そして嫌になるほど現実的な思考に狂三は苦笑した。

 精霊。隣合う世界から現れる超次元生命体。世界を蝕む災厄。崇宮澪が生み出した願いを叶える子供たち。時崎狂三とは、そんな生みの親に反旗を返した者。今この世界において、それら全ては意味がない。精霊という言葉すら、このような意味で使われることは二度とない。あってはならない。

 ならば何故、狂三は精霊を生み出す霊脈の地を訪れたというのか。

 

「……感傷に浸りたいわけでは、ないのですけれど」

 

 これも言い訳かと、狂三の笑みはいよいよ苦々しい深みを生んだ。

 数ヶ月前から断続的に起こっている霊脈の活性化現象。その活性化が人為的ではなく自然現象と判別できる以上、狂三の出る幕ではない。むしろ、唯一現存する精霊として霊脈に近づくことは危険ですらあった。

 だから、何かが起きるかもしれないと思った。深い思案があったからそうしたのではなく、無意識のうちに考えに至った。ある意味では後付けの理由だ。

 誰の知識にもない。遠い未来、また新たな天才が生まれ落ちるかもしれない。過去が摘み取られた世界で、この霊脈を扱える者は狂三以外にない。その狂三でさえ、術式なしでは純粋な霊力としてしか有効に活用できない。

 時を司る精霊なれば充分。しかし、狂三にその気がなければ意味のない仮定だ。彼女の中から喪われた六番目の弾丸も、裡に秘められた十二番目の弾丸も、忌むべきそれらを扱うことを考えない。考えたくもない。吐き気がする。怨嗟を呪詛のように吐き出す。もう一度、悲劇を繰返すだけの弾丸を――――――あの人と一目でも会うことの叶う撃鉄を。

 

「――――」

 

 だから、考えたくもないというのに。愛は未練がましく少女を取り繕う。愛に報いるための綺麗事を。愛のために打ち砕かんとする。

 その矛盾の果てに狂三はただ一つの答えを紡いだ。それこそ、少女の成果であり罪であり悲しみであり怒りであり、後悔のない選択なのだ。

 全てを諦めることなどできず。けれど友と殺めた命に殉じて神に反逆した精霊の終わりも始まりもない選択。悲劇の終わりに、錆び付いた歯車は緩慢に動く。

 

 ――――なればそれは、少女が望んだ奇跡の一欠片。

 

「は――――?」

 

 鼓動に、狂三は吐息を零した。驚愕でも戦慄でもなく、狂三は唖然と立ち尽くした。

 他者には超然とした『時崎狂三』を見せていた。何も知らぬ者たちには形だけの少女の顔を。

 そのどれでもない表情を浮かべた狂三の思考は動き出していた。錆び付いた歯車が、最期を刻む時を奏でるために。

 常人なら熟考の末に導き出す解を狂三は瞬時に、幾つも吐き出した。けれどその全てが、同じだけの結末へと至った。

 

 刹那の思考。その間に鼓動は、ドクンドクンと二度と地を揺らした。三度目で――――――光を放ち、生まれた。

 

 

 

 

 鏡野七罪は特別、何かが変わったわけではない。相変わらず嫌になるくらい後ろ向きな思考は消えないし、生徒会長に任命されて憂鬱だし、狂三の抱えているものを一欠片すら理解しかねる愚鈍な頭脳を抱え込んでいる。

 

「士道……」

 

 けれどその名は、馴染み深い。ともすれば、狂三と同じくらい知っている(・・・・・)。頭に朧気ながら浮かぶ情景に()はいる、という程度には理解が及んだ。

 だからそれを思い出したところで、鏡野七罪は変わらないのだろう。人の人格は生まれ持つものだけでなく、環境によって形成されるとは誰の言葉だったか。七罪のネガティブ思考は十中八九生まれ持ってのものだろうが、それ以外に持ち得たものは人との繋がりによって芽生えた――――――あるいは、失われぬよう大切に育ててくれたのが。

 

「こら、生徒会長」

「いっ」

 

 額に僅かな痛みが走り、七罪は表を上げることになった。目を合わせるなんて、相手に不快感を催させる所業ができるものかと伸ばしていた髪は、野暮ったいの一言と共に切り捨てられたため、光景は程よくしっかりと目に映る。とはいえ、そうでなかろうと想像した通りの光景が教室に広がっていたのだが。

 

「私の授業をボイコットしようっていうなら、生徒会長といえども私を倒してからでねーと困りますよ」

「あ、はい。すみません、真那先生(・・・・)

 

 あと私如きが授業の時間を妨げて本当に申し訳ありません。陰キャは陰キャでも悪目立ちせず、無の境地で極力存在しない者として生きていく七罪の主義主張に反することをしてしまった、死にたい。

 などと考える七罪を尻目に真那は満足気に頷いて授業を再開した。この奇妙な言葉遣いの先生は、もう結構な年月をこの来禅高校専任の教師として務めているそうだ。それにしてはかなり若く、言ってしまえば二十代にも満たないんじゃないかと思ってしまうくらい若々しく凛々しい先生なのだが、同性だろうが妙齢の女性の年齢に触れるのはタブーであるため真実を知る人間はほとんどいない。そんな崇宮真那の兄が知っているくらいなもの――――――

 

「崇宮、」

 

 それも、その名も知っている気がする。士道に比べれば薄っすらとだが。

 どうにも少し前から、この思い出してしまいそう(・・・・・)な感覚に振り回されている。闇に生きる陰キャとして、厨二病紛いの感覚に振り回されて二度目の注意を受けて注目を浴びて迷惑になるのは御免だと七罪は顔を真っ直ぐに向けた。

 

 向けようとして、空に亀裂が走ったのを見開いた視界の端に収めた。

 

「え?」

 

 それは『傷』に似ていた。穴から罅が割れていく。まるで弾丸を撃ち込まれたかのように空いた穴から『傷』が口を開く。

 

「七罪さん、どうかしま」

 

 逃げろ、と立ち上がって発しようとした七罪の鼓膜が聞き取れたのは、誰かの声。けれどそこまでだった。

 傷口を開いた穴が弾けた。空が弾けて、衝撃波がグラウンドの土を流砂の如く巻き上げた。

 七罪の身体は軽々と吹き飛んだ。それで良かったと感じたのは、軋むような音を立てた身体で立ち上がろうとしてからだった。

 

「か、ふ……う、ぇ……!?」

 

 骨までは逝っていないだろうが、壁に激しく打ち付けた背中が痛い。それを振り切ったのは、粉々に砕け散った窓ガラスの残骸だ。もし吹き飛ばされるのが遅れていれば、細かな破片が身体の隅々に突き刺さっていたかもしれない。

 ゾッと背筋が凍った直後、七罪はハッと周囲を見渡した。

 

「み、みんな、大丈夫!?」

「……っ、はい。皆さん、は……」

「へ、平気よ」

「むん。これが、平気と言えるのかどうかは……わからぬがの」

 

 一先ずは友人たちの安否が確認できて七罪の口からは安堵の息が零れる。四糸乃、琴里、六喰。それ以外にも、友人たちが助け合って起き上がる姿に無事を確信した。

 同時に、あの亀裂がもし学校の真下だったのならと恐ろしさに身を竦ませる。爆心地になったグラウンドは、もはや原型がないかもしれない。七罪は、四糸乃たちが自身を呼び止める言葉にも気付かず歩き出していた。ガラス片を靴で踏む音さえ耳に入っていなかったかもしれない。

 脳の許容量を超えた現象は、無意識のうちに確かめるという行動だけを七罪に求めた。

 

「…………………………え?」

 

 そうして少女は『影』を見た。言葉を失った七罪に、その『影』は手を掲げた。

 否、あくまでも七罪の目がそれを手だと思い込んだに過ぎないのだろう。黒い靄がかかった状態でも、よくよく見れば掲げられたモノの鋭さが分かる――――――あれは()だ。そして七罪は剣の威力を知っている(・・・・・)

 

「伏せて!!」

 

 絶叫を発した直後、影が剣を振り下ろした。

 極光を彷彿とさせる光が刃の形を描き、教室を斬り裂いたのは瞬きの時。少なくとも七罪には、斬撃が飛ぶ瞬間と、教室を真っ二つに割ろうかという着弾の刹那しか視認できなかった。

 

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「っ……先生!!」

「こっちでやがります! 怪我をしている子は私が、他の子は地下シェルターへ、急いで!」

 

 真那が怒声で指示を出す。驚いて固まった子を刺激し、これが現実だと知らしめるには良い声量だ。さすがは見た目に反して体育会系の先生だと、こんな状況でなければ手放しで褒めたであろう。

 地下シェルターにさえいけばとりあえずの無事は保証される。空間震にすら耐えられるよう設計されたもので――――――

 

「……空間、震」

 

 待て、と七罪の思考が制止を呼びかけた。その事実を反芻すると、全身から嫌な汗が吹き出した。悪寒とも呼ぶべきものだ。

 いつからこの国は、空間震と呼ばれる現象に対策を講じていた。だってそれは三十年前にあったことだ。〝なかったこと〟にされた事象だ。

 そんな〝存在しないもの〟の対策が何故この世界に存在している。いいや、そもそもとして、来禅に地下シェルターは、以前から存在していたか――――――?

 

『僅かだが霊脈の活性現象を探知。この世から精霊術式が喪われた今、霊脈を活用できる組織は限られる。アスガルド・エレクトロニクス。精霊〈ナイトメア〉――――――』

 

 ある記述が頭を過ぎった。果たしてこの世界は、神は、どれほどの改竄を許したのか、許さなかったのか――――――――

 

「七罪さん、急いで……!」

「っ、あ。四糸乃……」

 

 生憎と、狂三のように思考停止の最中であっても手足を動かす術も、士道のようにがむしゃに動く術も持たない七罪は、四糸乃に手を引かれることで答えが出せない疑問を手放すことができた。

 そうだ。ここにいても答えが出るはずがない。まずは避難が最優先。心優しい四糸乃が、七罪を置いて避難できるわけがない。いつになく強く引かれる手に――――ぞわりと悪寒が駆け抜けて、少女の手は四糸乃を押し出していた。

 瞬間、七罪と四糸乃の隙間を縫うように斬撃が抜けた。今度は床にハッキリと亀裂が走る。

 

「きゃあっ」

「ふぎゃっ」

 

 四糸乃は琴里たちに受け止められたのが視界の端に見えたが、七罪は無様な悲鳴を上げて廊下に転がる。自分のことはこの際、というか常日頃から置いておく癖がついている。

 四糸乃が無事だと分かった瞬間、七罪の身体は機敏に働いてくれた。地下シェルターへと向かう生徒、危険を承知で先導する先生たちとは真逆へと走り出す。

 

「七罪さん、待ってください!」

「どこへ向かう気じゃ、シェルターは」

「みんなはシェルターへ! 私は――――狙われてる!」

 

 そう叫んだ途端、三度目の斬撃が七罪と四糸乃たちとを分けた。下の階までくっきりと見えるような斬撃痕が眼下に現れ、七罪はみっともなく悲鳴を上げて走り出した。

 まるで今まで訓練か実践(・・)があったように迅速な避難を行う学徒たちのおかげで、校内はあっという間に無人のスペースが出来上がっていた。七罪は一心不乱に駆け抜ける。その背後を、巨大な斬撃が駆け抜ける。

 

「あ、あんなのに、恨みを買った記憶はないってのに……っ!!」

 

 だが予想通りというべきか、斬撃は一寸の狂いもなく七罪へと向かってくる。もちろん理由は叫びが表しているように皆目見当もつかない。七罪の知らない七罪が何か恨みでも買ったのかと行き場のない怒りが滲む。

 斬撃は目視をした頃にはこちらへと届くほど早い。だから走り続けなければならない。普段の運動不足が祟って、肺が痛みを訴え始める。それが脳から溢れた恐怖によって押さえつけられる。

 斬撃痕を見るまでもなく理解した。知っていた。その感覚に従って七罪は叫んだ。知っていたから警告を発することができたのだ。あれは絶対的な暴力だ。意識を持たずして振るっていいものではない。王の意志があればこそ鏖殺の刃たり得るもの。かの名は――――――

 

「〈鏖殺公(サンダルフォン)〉……!」

 

 また、感覚だ。一体今日は何度知っていた(・・・・・)と思わなければならないのか。

 もつれる足を叱責し、みっともなく吐き出される涎を拭い、とにかく逃げ回る。校舎が崩れては元も子もないと、斬撃が放たれる周期を見極めて計算しながら極力倒壊の危険がない位置に滑り込む。

 

「こういうのは、狂三とか、頭がいいやつの、領分でしょうがっ」

 

 だから、七罪が難を逃れているのは計算できるだけの規則性が存在しているからだ。

 アレに意志はない。技量が未熟とか、一流だとか、そういう話であれば七罪の身体はとっくに両断され、見るも無惨なボロ雑巾と化しているだろう。そうなっていないのはあの影に意識が無く、ただ無気力に、当たり前のように刃を振り下ろしているから――――――あるいはあの影の裡に意志はあるのか。

 分からない。何も分からない。だが知っている。催す吐き気が走り回ったせいか、感覚に振り回されたからかも分からなくなる頃、不意に斬撃の規則性が途切れたことに気づいて七罪は足を止めた。

 

「止まっ、……た……?」

 

 息をするのも苦しいし、心臓が破裂しそうだし、一体何十分走り回っていたのかも分からない。そんな疲労困憊の七罪以上に軋みを上げる校舎に戦々恐々しながら、教室に入って窓の外を覗き込む。

 

 影はいない。『穴』だけが浮かんでいた。亀裂を開く銃痕ではなく、さながら『扉』のような孔が虚空に浮かぶ。

 どうしてそれを単なる穴と思わず『扉』だと認識したのか。当然、七罪の中に芽生えたモノが知っていたからだ。

 

「あ」

 

 振り返った先に『扉』は開いていた。七罪を幽世へと誘う刺突は、校舎の一角をその余波だけで圧殺した。

 

 

 

 

 

 

「……く、ぁ…………」

 

 喉の奥から鼻にかけて、鉄の味で満たされている。

 覚えているのは、倒れた机へと飛びかかるように動いた光景だ。その間から、今に至るまでの記憶がないのは幸運と言うべきだろう。

 のたうち回りたい痛みが全身を襲っているのに、指一本とて動かすのが億劫なほど血が流れている。けれど五体満足。教室が吹き飛ぶほどの刺突を受けて、たかが机の縦で風穴が開かなかったのが不思議だった。

 咄嗟の判断が功を奏したのか、それとも刺突が届く前に吹いた暴風が正しく神風(・・)であったのか。

 

「――――――ァァ、ァ、■ァ」

「……っ」

 

 だが、神風に救われた命は風前の灯だ。原型を留めていない教室から一息に跳躍した影が、獣の唸り声にも似た言葉を吐いて、七罪を屠る影を広げた。

 死への恐怖を本能が訴える。しかし、先ほどまではそれで動けただろうが、今は無理だ。腕の一本や二本は千切れていないとおかしいというほど全身が痛い。七罪はアニメの主人公じゃない。この痛みの中、奇跡を起こせるほどタフな心身は持ち合わせていないのだ。

 もちろん特別な力で傷を塞いで、強い自分に変身する、なんてこともできない。意識が遠退く。槍のように長い影が振り下ろされる――――――自らの死を恐れるより、死を()に振るわせたくないという忌諱の感情が去来したのは、どうしてなのか。知っているのに理解ができない感情の発露と共に、意識は闇へと落ちる。

 

 

「させるわけ、ねーでしょうが!!」

「っ!!?」

 

 瞬間、七罪の身体は浮き上がった。また神風が吹いたというわけではない。明確な意志で七罪を抱き上げた身体が浮いたのは、その直後。

 

「が、は……」

「……ぐっ!」

 

 喀血して、本気で死に体だと七罪は自覚する。それでも七罪の身体を保護した者は決して手放すことなく、風に吹かれた紙のように飛んだ異常な状況から受け身を取る。

 薄れ行く意識の中でも、それが可能な人間を七罪はそう多く知らない。友人たちでは無理だ。ならば。

 

「ま、な……なんっ、で……っ」

 

 崇宮真那が、七罪の九死に一生を生み出した。生徒をシェルターへ送り届けたその身一つで影の前に躍り出て、命懸けで七罪を庇った。ただの教師に、命を張って怪物から生徒を守る義務があるわけがないのに。

 

「生徒を守るのに、理由なんかいりやがりますか! あとなんか放っておけなかったんでやがりますよ!!」

 

 服が汚れるからやめた方がいいとか、冗談を発する余裕もないが、それでも感慨だけは忘れずに覚えた。

 彼女は間違いなく()の妹だ。この考え無しな癖に、人のためなら身体を張って走り出す。取り逃しなど絶対に許さないと声高に叫ぶ青二才のような心は、間違いなく――――――

 

「七罪さん!」

「七罪!」

「ぁ……め……!」

 

 駄目だ。そう言いたい唇が、血に塗れて動かない。友人たちの声が聞こえる。真那の肩口越しに見える影の蠢動――――――〈絶滅天使(メタトロン)〉。あれの光は人を容易く消し飛ばす。鏖殺と同じく、人は人の形を無くして肉片と骨片へと変わり果てるだろう。

 繰返される。悲劇がまた。そうして世界は巻き戻る。

 

 

 

 

 極光は到達まで到達まで満たない――――――――けれど、極光を遮る漆黒の軌跡は七罪の目に煌めきを残した。

 

「――――――――ぁ」

 

 それは、時間が止まったようだった。少女(せいれい)は降り立った。

 射干玉の髪は均等に結ばれたまま、罪の象徴たる黒衣のドレスと共に虚しいまでに靡く。

 されど美しかった。その後ろ姿だけで、たとえ鮮血が澱みの色に染まったとしても、彼女はこの世界の誰よりも優雅で、破滅的で、快楽的で、刹那的で――――――世界を壊す美しさを持つ。

 

「おいでなさい――――――」

 

 呼び出された。呼ばれてしまった。ならば女帝は名に従い現れるだろう。女王たる少女の手に、あってはならない刻を握らせるのだろう。

 悪夢のような執念で、弾丸の如く進み続けた。そして少女のように恋をして――――――向けるべき愛を見失った悲劇の少女に、また罪を重ねさせるのだろう。

 安堵と悲しみは、またも矛盾となって七罪を襲った。痛い。全身の痛みよりも、彼女がその手に奇跡を取ったことが痛い。されど少女の手から虚しさは失われた。よって奇跡は成った。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 悲劇の終わりを迎えた世界の先に『時崎狂三』は舞い戻った。

世界()が願う。(■■)は啼く。女王の時間は再び廻り――――――結末までも、繰返す。

 

 

 



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