歓声のやまぬ暗がりの大きな部屋。
観客のサイリウムとステージに伸びるライトだけがこの小さな世界を照らしだし、そのステージに立つのは一人の少女。
先程までは数人のバンドとして、様々なグループが演奏をし観客を湧かせていた。
しかし今立っている少女は一人。
MCもなければバックバンドもいないたった独り。
まるでこの世界にはこの少女しかいないのでは、そんな感覚すら覚える。
ステージの少女が息を吸う音をマイクが拾い、小さなライブハウスが静寂に包まれる。
その瞬間だった。
息を吐き出す音が、スピーカーを通して全体へと響く。
観客が流れる少女の歌声に圧巻される。
会場の誰もがその声に魅了され、誰もが賞賛を示していた。
けれど俺には、
───孤独な少女の悲痛な叫びにしか聞こえなかった。
少女の出番が終えた頃には観客達も退出しており、残るはスタッフと俺だけだった。
「キミ、ここはもう閉まるから出てくれるかな?」
「あ、はい。すみません」
スタッフの仕事の邪魔になるつもりもないし、ここに残る理由もない。言われた通りに出口へと向かう。
このまま進めば一般出口へと繋がっているが、心にへばりつくこの不思議な感覚が出口とは違う方向へと足を動かす。
テレパシーというか本能というか、理由はわからないがそこに行かなければならない、そんな感覚に突き動かされる。
気づけばそこは関係者専用の入口の前だった。あたりはしんとしていて人の気配も感じられない。何よりどうしてここに来たのか自分でもわかってない。
さてどうしたものかと悩んでいるとすぐ側のドアが開いた。マズいと思い、逃げようとするとそこには怪訝な表情の少女が。
「あなたどこかのバンドの人?」
「いや、道に迷ってここに来ただけなんだけど」
「そう。出口ならこっちよ」
促されるまま少女と共に会場を後にする。
ある程度歩いていると少女から「そう言えば」と質問される。
「あなた会場の観客としていたなら私の出番は見てくれていたのかしら?」
「ああもちろん」
「それなら私の歌声はどうだったか、感想を聞いてもいいかしら?」
少女は真っ直ぐにこちらを見つめ、僕の答えを待つ。
綺麗に整った顔立ちに、俺との身長差から来る自然な上目遣い。黄金のように眩しい瞳は、先程のライブの影響からだろうか、僅かに潤んでおり美しい姿に思わず見蕩れてしまう。
「どうかしたのかしら」
少女の声で我に返る。
気づいたら少女から睨まれていた。それはそうだ、誰でもいきなり見つめられればそう思うだろう。
「あーごめんごめん。ライブの感想だっけ?」
「ええ、あなたにはどんな風に感じか聞かせてちょうだい」
「それは感じたままに伝えればいいってことかな?」
「それで構わないわ」
「了解。それじゃあまずは……」
つい数分前、俺が感じたことを思い出す。
歌声、息遣い、視線、観客へのサービス。
思い当たる節を整理し、言葉に変換した上で少女へ返答する。
「歌声に関しては特に言うことはないかな。あまりにも凄くて言葉が出なかったくらいだし。そもそも歌だけに集中してて、観客も圧巻されてたし、他のバンドみたいなサービスがなくても今のままで充分活躍出来ると思う」
「それはありがとう。だけど私は褒めてもらうためにこうしてあなたに聞いてるわけではないの。なにか改善すべきところがあるならそこを教えて欲しいわ」
少女は真剣な眼差しを崩さずに、ただ自分の技術向上の為に弱点を克服しようとしている。
並大抵の人間にはそう簡単に出来ることじゃない。
「なら俺が気になったポイントがあるんだけど」
「ええ」
「──君はどうして、そんなに遠くを見つめているんだ? 俺には、孤高の歌姫が独りの苦しさを嘆いてるように感じてしまった」
「……!」
少女なら受けとめるものだと思っていたが言ってから気づく、これは踏み込んではいけないことなのだと。
鋭い目つきはさらに鋭利な物に変わり、俺を今にでも刺し殺すのではないかと思う程になっていた。
「そんなこと言われるのは初めてだったわ。でも私はひとりで歌ってきた。だから孤独なのは当たり前だと思うけれど」
「たしかにそうとも言える。でも俺から見た君の姿は何かを探すように、暗闇の中でもがいてるように聞こえたんだ。それは上手い下手の話じゃなくて……」
段々と自分の語気が強くなっていく。
更には自分の言葉が分からなくなり、息が切れると同時に冷静さを取り戻す。
ハッとして顔を上げれば少女は微笑んでこちらを見ていた。
「あなた、変わってるわ。こんな必死に話す人はあなたが初めてよ。いい意見をありがとう」
「え? 俺、普通に勢いのままに君に言っていた気がするんだけど」
「そうね。でも話を聞こうとしたのは私なのだから。それに、真剣に話す相手にこちらが水を差すなんて出来ないわ」
では先程までの目つきはなんだったのか。
思い切って聞いてみるしかない。
「それじゃ、さっきのあの目はどんな意味が? 正直目付きだけで命がなくなると思ったくらいだったからさ」
「あ、あれはあなたがいきなり失礼なことを言ったから、もしかして揶揄いか何かかと思ってつい……」
真っ赤になって否定する少女を見てどこか安心する。
「けど、そうね。確かに他人にあまり触れられたくない部分でもあるわ。けどあなたの姿を見て少し気持ちに余裕をもてたと言ったところかしら」
そういうと少女はくるりと振り向き、長い髪を靡かせ歩き始める。俺もそれについて行く。なんか緊張がとけた気がしてどっと疲れが押し寄せてくる。
「それじゃ私はこの辺で。今日は来てくれてありがとう」
うちからそうも離れてない分かれ道で少女はお礼を述べてくる。
「俺こそいいステージを見させてもらったよ。これからも見に行くかな」
「そうね、今の私からどう変わっていくのかあなたに見てもらわないと行けなくなったのだからそうしてちょうだい」
面と面向かってそんなこと言われるとなんかむず痒い感覚だ。とはいえ二度とくるなと言われなくて心底安心している。
「必ず行くさ。それじゃ」
俺も別れの挨拶を交わす。
自宅の方へ歩き始めると後ろから「そういえば」と言い始めた少女。
「私、あなたの名前を聞いてなかったわ。私は湊友希那。あなたは?」
なんと少女自ら名乗ってきた。いきなりの事で驚きを隠せないが名乗られた以上名乗るのが筋だろう。
俺も彼女に覚えてもらいたいと心のどこかで思っているのかもしれない。
「俺は秋山奏汰。よろしく」
「奏汰ね、よろしく。私は友希那でいいわ」
お互い名前を確認し、やることを終えた友希那は再び帰路につこうとしていた。
俺もそうしようと思っていたが、気づいたら口は動いていて。
「友希那! あの、連絡先交換してもらってもいいかな? ライブの日時とか聞きたいしさ……」
出会って間もない相手に連絡先交換を迫ってしまった。しかも理由はあまりにも弱く、勢いよく放った言葉も最後の方は小さくなっていた。
流石に馴れ馴れしいかと思い、断られると思っていた。だが友希那は驚きはしていたものの、すぐにスマホを取り出し画面を俺に向けてきた。
「これで登録できるかしら?」
「あっ……ちょっと待って」
慌てながらスマホを取り出し、友希那の連絡先を登録する。
家族とクラス以外で初めての女子との連絡先交換があまりにも新鮮で、つい笑みがこぼれそうになる。
「できた。ありがとう」
「それじゃ、私はいくわ。また今度」
「うん、また今度」
友希那はこちらを一瞥し、帰路へとつく。
俺もここにいる理由はなくなり、家へと向かう。その足取りは普段より少し早く、浮かれてるんだと分かったのは家の手前でつまづいて転びかけた時だった。
日課を済ませ、放置していたスマホを開く。
連絡先をタップし、新しく追加された相手を選ぶ。
「湊友希那か」
なんてメッセージを送ったらいいのか、そもそも送ってもいいのか分からないが挨拶は大事だと自分に言い聞かせ、簡単にメッセージを送る。
『改めてよろしく。次のライブ楽しみにしてる』
送信を押し、画面を閉じるとそのままベッドへと倒れ込む。
孤高の歌姫とまさかお近づきになれるなんて昨日までの俺に言っても信じてもらえないだろう。
なんせ俺自身がまだ信じられていないから。
「まさかあの姫様とこんなことになるとは……人生何あるか分からないなぁ、うおっ!?」
独り言を呟いているとスマホに一件のメッセージ。俺に送ってくる相手は一人しかない。ロックを解除して通知を確認する。
こんなにワクワクしながらアプリを起動するのは何時ぶりだろうか。
『こちらこそよろしく。最高の音楽を届けるわ』
友希那からの返信を確認してようやくこれが夢でないことを自覚した。息を吐けば安心と同時に眠気に襲われる。これだけいろんなことがあれば眠くなるのも仕方がない。
今日あったことを振り返ってるうちに俺は夢の中へと落ちていった。
これが俺と孤高の歌姫、湊友希那との出会いの始まりだった。
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2話
──孤高の歌姫と出会って数日。
あの日以降特に連絡を取り合うわけでもなく、いつもと変わらない日々が過ぎていた。
もともとあの場にいたのは偶然で、彼女と話したのも奇跡のようなもので、これが俺の日常なのだ。だけど心では彼女の何かでありたいと思うもので、気づけば連絡先を開いてしまう。
だからといって何か送るわけでもなく、そっとスマホの画面を閉じてしまう。
布団から飛び出しリビングへと降りるが人の気配がない。テーブルの上には書置きが残っており、父さんの汚い字で俺に向けてのメッセージが残されていた。
『これから一週間出張で家を空けるから、自分で家事をしてくれ。食費と雑費はまとめて封筒に入れておくからそこからつかってくれ。足りなかったら追加で送るから、その時に連絡くれ』
書置きの下の茶封筒を確認する。諭吉が三枚、高校生が一週間で使い切れる額ではないだろう。とはいえ買い足さなくてはいけないものもある。手持ちが多いに越したことはない。
母さんが亡くなってから男手一人で俺を育ててくれた。俺が身の回りのことをできるようになったころには出張に行くことが増え、家でゆっくり過ごしていることが滅多にないのが父さんだ。息子としてはいつ倒れるか心配になる。
諭吉を財布に入れていると、さらに一枚メモ紙が落ちてきた。
二つ折りの紙を開く。
『女の子を連れ込んでもいいが、後始末と使用後のk……』
最後まで読まずに粉々に破り捨て、ゴミ箱へと放り込む。
前言撤回、やっぱ父さんを心配する必要はなさそうだ。
平日のうちに家の消耗品がいくつかそこを突いていたため、重たい足を動かして家を出る。スマホのメモに買うものを書き込み、全部をまとめて買うことができる大きなショッピングモールへ。
やはり休日なだけあって私服の学生や家族連れが多く、ぼっちの俺は浮いてるんじゃないかと思うくらい周りに人が多い。照りつける太陽も相まって不愉快さを感じる。
必要なもの以外に特に興味があるわけではないのでひとまず買い物を済ませることにした。
「洗剤、食材、電池に……」
食品フロアでスマホのメモを確認する。見落としは無く、会計を済ませるためにレジへと向かう。
買ったものを袋へ詰めながら時計の針を確認すると、ちょうど長針と短針が一つに交わっており、周りの人々も昼食のために移動していた。
俺も空腹ではあるが、家族連れの中に混ざって食事をする気にはならない。
踵を返して出口へ向かおうとすると、視界の端に銀の髪が揺れた。
自然と鼓動が早まる。
見たことあるその姿に、今すぐ声をかけたいと思った。
だが、彼女の隣にはもう一人別の少女がいるのが見える。二人の様子はまさに親友と呼べるもので。俺がその光景を汚してはいけないものに感じてしまう。
彼女達の視界に入らぬようにそっと人混みに紛れる。だが次の瞬間、足元の何かに躓き、勢いのままに手をつく。近くの人々は驚愕し、それは視界から消していた彼女達にも伝わる。
なんでもないですと返し立ち上がると、小さな声で名前を呼ばれる。
「奏汰?」
呼ばれた方へと向き直すと、そこには長い銀の髪の少女。そしてその隣には茶髪の派手な少女。
「やぁ友希那、奇遇だね」
何事もなかったかのように澄ました顔で彼女の名前を呼ぶ。すると友希那の隣の少女が、驚いた顔で尋ねてきた。
「キミ、友希那と知り合い?」
「まぁ一応」
「リサには紹介してなかったわね。彼は奏汰、私の……友人、でいいのかしら?」
本人もよくわかっていない様子だ。確かに言われてみれば俺達の関係は上手く言葉で言い表せない。
「なぜに疑問形……秋山奏汰です。友希那とはまだ数日程度の付き合いですが」
とりあえず挨拶から済ませることにした。終えると茶髪の少女も自己紹介をしてくれた。
「アタシは今井リサ。友希那とは幼馴染なんだ。リサって呼んでね☆」
見た目に寄らず、礼儀正しくとても親しみやすく感じる。さぞ友達も多いのだろう。
そんな少女は自己紹介を終えると、俺と友希那を交互に見始める。そして、口元に手を置きニヤニヤし始める。
「ところで二人はどうやって出会ったわけ? アタシは友希那からボーイフレンドが出来たなんて聞いてないんだけどなー?」
わざと声を大きくしながら友希那をチラリと見るリサ。友希那は顔を真っ赤に染めながら必死の抵抗を始める。
「リサ! 彼とは別にそんな……」
「そんなー? なにー? アタシわかんないなー」
リサに弄られるも、上手く反撃出来ずに口をわなわなさせている友希那。そんな二人の様子に自然と笑みがこぼれる。
「だから、その……奏汰も何か言ってちょうだい」
「え? そうだな……」
世間では俺達のことを友人と言うだろう。しかし俺も友希那もそんな感じには思えていない。となれば俺達の関係はなんと言えばいいのか。
俺たちは頭を抱えてしまう。
「なんで二人して悩んでるの……普通に友達じゃダメなの?」
リサは揶揄うのをやめ、呆れ始めていた。確かに友達として付き合っていけるなら俺としては嬉しいけど。
「友希那がいいって言ってくれるなら、友達になってくれると嬉しいかな」
「私は別に構わないわ。それじゃ友達として、改めてよろしく奏汰」
「よろしく友希那」
こうして俺たちは改めて友人となったのだ。リサは自分のことのように嬉しそうにしている。
「うんうん、それがいいよ! ところでアタシとは?」
「え?」
まさかそう言われるとは思わなくて、つい言葉に詰まる。
すると笑顔から一転、リサは俺を睨みつけてくる。
「ふーん、アタシとは友達になってくれないんだ……へー」
「いや、別にそんなわけじゃないんだけど……」
「けど?」
ぐっと近づかれてつい怖気づいてしまう。
距離を詰められているからかいい匂いが鼻腔を刺激してくる。このままでは身が持たない、俺の本能がそう告げている。
「ほら、初対面だから馴れ馴れしいかなって思ってさ。リサがいいなら友達になってくれると嬉しいかな……」
「そっか、それなら仕方ないね。アタシは大歓迎だよ! よろしくね!」
咄嗟に思いついた言葉で弁明してみる。
すると理解してくれたリサはすぐに俺から離れ、友希那の隣に戻る。
先程まで鳴り続けていた心臓を落ち着かせるために深呼吸しよう。スーハー……空気うまいな。
そんなことをしていると、リサが「あれ?」と声を上げる。
「友希那そんなに怒ってどうしたの?」
リサの言葉を聞き、視線を上げ友希那を見る。一瞬目が合うと、キッと睨まれ目をそらされる。何か気に障ることをしてしまっただろうか。
俺たちの様子を見たリサは、思い出したように俺に再び話しかけてくる。口角が上がったのは気の所為だろうか。
「そうだ、連絡先交換しようよ!」
そう言い画面を押し付けてくるリサ。これは俺に拒否権がないと言いたいのか。
仕方なくスマホを取り出し、アプリを起動する。
「ちょっと待って。……これでよし」
リサの連絡先を登録し、スマホを閉じる。
二人に挨拶をして帰ろうと思って声をかけようとすると、一瞬友希那と目が合った。しかし再び目を逸らされる。
「あれー? 友希那、そんな怒ってどうしたのー?」
リサはそんな友希那を見ては彼女に近寄り頬をつつく。友希那は鬱陶しそうな顔をしている。
「もしかしてーヤキモチ焼いてるの?」
「なっ! 私は別に……」
「別にー? どうしたのー?」
リサに追及され、真っ赤になる友希那。
うん、これは誰が見ても可愛い。一人平和な光景を眺めていると、満足したリサがこちらを一瞥し友希那のもとを離れこちらに近寄ってくる。
「ねーねー、奏汰はもうお昼食べたの?」
質問しながらグイッと近づいてくるリサ。ちょっとこの子初対面の男子相手に無防備すぎません? いくら親友の知り合いとはいえ、俺も一応男子高校生なんですが。
「いや、まだだけど」
「ほんと? それならこれから一緒にランチいこうよ!」
燥ぐリサだが、目の前でそんなに喜ばれてしまうと目のやり場がですね……。
「俺は構わないけど」
とりあえず質問の返事をし、視界で揺れる双丘から目を離すため、友希那のほうを見る。
あ、小さ……あれ? なんか目が怖いんですけど。友希那さーん、どうしてそんな怖い目してるのー。
「変態……」
小さく罵倒されてしまった。
「よしそれじゃみんなでいこっか! アタシおススメのお店あるんだ!」
そういって俺から離れ、再び友希那の隣に戻るリサ。二度も美少女に接近されては俺の心も体も持たない。イヤほんとマジで。
そんなわけで友希那とリサの二人とランチに行くことになったが、友希那のご機嫌をどう取るべきか。俺はそんなことを考えながら、二人の後をついていくことにした。
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3話
結局機嫌をどうとろうかと考えていたら一日が終わっていた。途中の記憶があまりないのはそれが原因だろう。
何回かリサに聞かれたりもした気がするが内容を思い出せない。
「うぁぁぁ……」
家に着くなりソファーに身を投げては歳に合わない声を出す。これが父さんの気持ちなのだろうか。
くだらないことを考えているとポケットの中のスマホに着信が。画面には『今井リサ』の名前が映る。特に話すこともないがとりあえず出ることに。
「もしもし」
『もしもし奏汰? 今日はありがと☆友希那の友達なんて最近聞いていなかったからついはしゃいじゃったよー』
「こちらこそ今日は充実した時間になったよ。ちょっと疲れたけど」
『ちょっとちょっとどういう意味? そりゃ確かにアタシが連れまわしたけどさー』
率直な気持ちを伝えてみたが、度が過ぎたろうか。
とはいえ嘘を言うのは気が引ける。思ったことを口にした方がいいだろう。
『でも友希那に彼氏かぁ、幼馴染として嬉しい反面ちょっと寂しさもあるな~』
「俺は彼氏じゃないし、友希那と会って間もないんだ。誤解しないで欲しい」
『お似合いだと思うけどね? それに友希那をあそこまで感情を引き出せるの君くらいしかみたことないんだけどな』
「今回がたまたまなだけだよ。それに……」
言葉に詰まる。
『それに?』
「……いや、なんでもない」
『ふーん。あ、そうだ! 友希那が明日ライブやるんだって』
「そうか、場所は聞いてる?」
そういうとピコッと音が鳴りチャット欄に地図のリンクが貼られる。ちらっと見た感じこの前とは違う場所だ。
『そんなわけだから時間があるなら行ってあげて。きっと友希那も喜ぶから』
「お客さんとしてしっかり見届けるよ。リサは行かないの?」
俺がそういうと一瞬空気が重たくなる。リサは小さく『あはは~』というと、少し暗めの声で答える。
『アタシはほら、そういう柄じゃないからさ……まあほらせっかくなんだし行ってね! それじゃ!』
普段通りになったと思ったら即行で通話を切ってきた。全くリサのペースについていけないが、一つわかったことはリサ自身友希那と過去に何かあったということ。でなければライブがあるのを知ってるにもライブを避けるようなことはしないはずだ。まして仲の良い幼馴染であるはずなのに。それなのにあの答え方をするのであれば、音楽性の違いで分かれたとか喧嘩したとか。
しかしどれもあくまで推測にしか過ぎない。とにかく明日はライブに行き、また友希那に感想を伝えることにしたほうが良さそうだ。
予鈴と共に教室を出る。時間に余裕はあるものの初めて行く場所の為、念には念を入れよというやつだ。昨日送られてきた地図を見ながら普段は使わない道を歩く。誰もいない道は都会にしては珍しく静かで、聞こえるのは川のせせらぎ。その音に耳を澄ませていると目印の公園に着いた。ここまで来ればライブハウスまであと少しのため、公園のベンチで少し休むことにする。
「ふぅ……」
大きな溜息がこぼれる。それと同時にリサと友希那に連れられた時の疲れがまだ残っているからか、それとも差している日が暖かいからか、少々眠気が出てくる。今ならすぐにでも夢の中に落ちれるだろう。
ウトウトしていると「にゃー」と鳴き声が聞こえた。振り向くと一匹の子猫がちょこんと座っている。もしやと思ってちょっとズレればピョンっと駆け寄り、俺の座っていた場所にお座りをした。猫は人を警戒する生き物って聞いたことがあるが、こいつは警戒どころか人馴れしているように見える。
「お前は一人か」
「みぃ」
子猫は小さく返事をした。もしかして言葉が通じてるとか。
しばらく見つめあっていると、子猫はゆっくり立ち上がりこちらに近寄ってくる。何をするかと見守っていると膝の上で丸まったのだ。
「俺の膝は寝床じゃないんだが」
「ふみゃっ」
そんなこと知らんと言わんばかりの声を上げ、丸まったと思ったらスヤスヤと眠り始めた。
……なんなんだコイツは。どかそうにもスース―と寝息まで立てている。寝かしてやりたい気もするがこれからライブにいかなくてはならない。たとえ動物の出入りができてもあの爆音では流石に逃げてしまうに違いない。野生のコイツが逃げ出したら観客やスタッフ、それに友希那にだって迷惑がかかる。それだけは絶対にしていけない。眠っているところ申し訳ないが、ここは逃がす他ない。
俺は膝にいる子猫を抱き上げると元居たところへ降ろしてやる。途中で不機嫌そうな声を上げるが、すぐに自分の状況がわかったらしい。頭のいいやつで助かる。
「悪いがお前とかここでお別れだ。ちゃんと家に帰るんだぞ」
「にゃー」
そう言い聞かせて公園を去る。振り返ればついてくるかもしれない、そう思い路地に出ると同時に全力で駆ける。途中で聞こえた小さな鳴き声が耳に残った。
元々近いこともあり、時間に余裕をもってハウスに着く。チケットは既に販売しており受付で会計を済ませ中に入る。開演まで15分、しかも友希那の出番は後半。彼女の出番までは他のバンドの特徴でも探ってみようか。
ハウスの最後列に陣取りながら待っていると始めの組が出てくる。MCではすごく焦ったり演奏でのミスもあったがみんな楽しそうで、聞いてるこちらもそんなことは気にしないくらいに見入ることが出来た。
しかしそれはここだけのようで、次の3ピースではMCからも演奏からも堅さが目立ち、真剣さだけが会場に響く。友希那もこういったバンドでは活動できないのだろうか。そこから何組かの演奏が終わり、最後から2番目というタイミングで友希那の出番が来た。
「やっぱり湊友希那は雰囲気が違うな」
「結構可愛いしソロ活動してるなら誘えるかな?」
「でもあの人、プロレベルじゃないと組まないとか」
「あーだからソロなのか」
やはり名が知られているのか彼女の登場と共にあちらこちらで話声が聞こえてくる。だがそれもすぐに止む。
彼女がすぅっと息を吸い込み、声を上げると同時に誰もが彼女に釘付けになっていた。それは俺も同じで、気づいたらその歌声に意識を持ってかれていた。普段ネットやテレビで見る歌手とは違う、年齢相応でありながらその息遣いからはまた別のものを感じる。うまく言葉に表せないのがもどかしいくらいに、彼女の歌は心まで染み渡ってくる。
だが、それでも。
友希那の歌には、どこか寂寥感が感じた。
観客は皆、その力強い歌声に魅了されている。だからか誰も不思議に思わないのだろう。その力強さの中に隠れている彼女の『声』に。
「友希那……君は……」
彼女の声が聞こえている間、俺の頭の中からはその『声』が消えることなくループしていた。
観客も演者も出ていく中、入口の外で友希那の帰りを待つ。別に約束をしたわけでもないが、一人で帰るよりはと思ったし、何よりも彼女のことを知りたい、そう思ったからだ。
さて、友希那はどのくらいで出てくるだろうかとスマホを取り出そうとすると「みぃー」と聞き覚えのある鳴き声が。ハウスの側にある小さな木陰に、さっきまで一緒だった公園の猫が座っていた。
俺を見つけるとそそくさとこちらに寄っては足元でウロウロし始める。
「お前まさかここで待ってたのか? しかも俺のことを待ってたなんて」
そう言いながら逃げられる覚悟で手を伸ばすが、子猫は逃げることなく黙って俺に抱っこされる。なんでまたこんなに懐いているのか。
落ち着いたのか欠伸をしてすぐに寝始めた。気持ちよさそうなのはいいが、友希那にこれを見られたらどう思われるか、それが心配ではある。
「友希那に見られないうちにコイツをどうにかしなきゃな」
「私がどうかしたかしら?」
独り言に返事を返され、慌てて振り返るとそこには友希那が立っていた。噂をしたらなんたらとはまさにこのこと。
子猫は俺の反応にびくりとしてジャンプして降りたが、俺が平静さを取り戻すとすぐに足元に戻ってきた。
「いや、別になんでもないさ。ただ友希那がいつ来るかなーって思ってただけ」
「そう。それでその子は?」
友希那は俺の足元に視線を移す。その瞳はいつもよりキラキラしていて、俺なんて視界にいないようにすら感じる。
「公園にいた猫なんだ。野生のはずなんだけど、何故か着いてきたんだ」
「そうなの。珍しいこともあるのね」
そういった友希那はこちらに近寄り、俺には一切目を向けず子猫に手を伸ばす。
見知らぬ人に近づかれたからなのか、子猫は俺の後ろにスッと隠れる。というか俺も初めて会ったばかりなのにどうしてなのか。
逃げられた友希那は涼しい顔のままではあるが、少し悲しそうな目をしていた。悩みはしたが、俺は子猫を抱きかかえると、そっと友希那のほうへ近づく。俺の腕の中では暴れもしないし、友希那と会話をしているのを見ているからか、敵視している様子もない。それを見た友希那は再び猫に近づき触れ始める。
「ほんと、貴方に懐いてるのね」
「自分でも驚くくらいだよ」
猫を撫でる友希那は心底嬉しそうで、口元が緩んでいるからか「孤高の歌姫」と呼ばれているのが嘘のように感じられる。
「そういえば猫好きなんだね」
「猫は好きよ。昔飼ってたから」
「そうなんだ」
コイツも撫でられるのが気持ちいいのかゴロゴロ喉を鳴らしている。
「そろそろ帰してやるか」
「この子、貴方にべったりだけど飼わないの?」
目の前の友希那が急に顔を上げるものだから、視界に映る彼女の姿に胸が高鳴る。ライブ終わりだからか僅かに頬が紅く、瞳も唇も潤んでいる。上目遣いも相まった姿から目が離せなかった。
「……どうかしたかしら?」
「あー、ごめんごめん。そうだな……」
声をかけられてようやく我に返った。慌てて答えたもんだから友希那はこちらを怪しんだ目で見るが、今は気にしてはいけない。そんなことより今は腕の中のコイツについてだ。如何せんペットを飼ったことがないものだから何とも言えない。
「飼えないこともないけど、世話の仕方とか分からないからな。コイツを野生のまま逃がすのがいい気はするな」
「そう」
友希那は一言いうと、ちらりと子猫を見るや顔を伏せる。そんなに悲しい事だっただろうか、そう思って腕の中の猫の顔を見ると、捨てないでと言わんばかりに目に涙を溜めてこちらを見つめてくる。どうしてコイツは人の心が読めるんだ。
どうしたものかと悩んでいると、顔を伏せていた友希那が一つ意見を提示してきた。
「飼い方がわかれば、その子を飼うってこといいのかしら?」
「まあそうだな」
「それなら……」
恥ずかしそうに頬を染めながらも、彼女は勇気を振り絞って俺に訴える。
「それなら、私がその子の飼い方を教えるから。だからその子を飼ってもらえないかしら?」
思いがけない一言だった。
「え、あ、うん。それなら飼ってもいいかな?」
「そう。なら決まりね」
心底安心したようで、友希那は胸をなで下ろした。
俺はというと返事こそしたが頭の整理が追いついていない。反射的に答えてしまったのだ、なんて情けない。だがそんなことよりだ。
友希那が飼い方を教えてくれる? つまり友希那が遊びにくる? なんでもない俺の家に?
フリーズしている中、腕で未だにくつろいでいる子猫だけが呑気にしていた。
ライブの感想を言うだけだったはずなのに、どうしてこうなった……?
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