春の闇 (カサブランカ)
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幼少期編
0.1・夜の火が生まれた


 

 

死にたくない、そう思いながら死んだと言えば、まあ何人かの人は察してくれるだろうか。そう、私は死んだ。苦しんで、苦しみ抜いて、そして死んだ。死因は焼死だろう。会社の倉庫を仮眠室に改造した場所で眠っていた私は、明け方近くの逃げる人も少ない中で、当然のように取り残された。周りは火の海、助けもなく、倉庫の中の負債と共に私は焼けて死んだ。そして死ぬまで、気を失うその瞬間まで、あらゆるものを憎悪していた。

 

(死にたくない!こんなところで、死んでたまるか!)

 

男も女もこき使って自分たちはのうのうと定時に家に帰るクソみたいなトップたちも!中間管理職で心身を壊して虚ろな目で仕事をしている上司たちも!同期入社の仲間を裏切るように辞めていったあいつらも!辞める勇気がなくて死んだように毎日毎日泊まり込んで仕事をしているやつらも!何より…そんなやつらに何も言えずクソみたいな生き方しかできていない自分自身が!!!

 

「大、嫌い…だ…っ!」

 

火が回る。皮膚を焦がし、髪を縮れさせる。やがて肺腑が熱気に焼き潰されて、呼吸ができなくなる。息ができず、熱さに身悶えし、火に巻かれて狂うようにして死んだ。

 

死んだ、はずだった。

 

「ーーこら、燈、ダメだろう?その炎をしまいなさい」

 

目の前で困ったように笑う男性が、私に言った。目の前に持ち上げた両腕から、真っ黒な炎が溢れている。

 

「ひっ!」

 

熱い!そう感じて、両腕をがむしゃらに振り乱した。そんな私を見て笑って、男性は私の両腕を掴んだ。

 

「燈、大丈夫。怖くないよ。ほら、息をして。引っ込めーって頑張ってごらん」

 

「あっ…熱い!熱い、嫌、嫌っ!怖い!」

 

死にたくない!死にたくないよ!恐怖で頭の中の何もかもが消え去る。そんな私を嘲笑うように炎は高々と燃えて、それがますます恐怖を煽った。体まで燃えてしまう。息ができなくなる。死にたくない!

 

「大丈夫。大丈夫。よく見てごらん?燈の火に触ってるけど、お父さんは熱くないよ」

 

嘘だ。火を触って熱くないわけなんてない。でもーーあれ?

 

(あ…あれ?嫌な臭いが、しない…)

 

ガソリンの臭いも、皮膚や髪を焼く臭いもしない。なら、これは…何?

 

(黒い色の…これは……何?)

 

恐る恐る動きを止めて、薄目でそっと両腕を見た。黒く光るモヤを纏う、両腕。火が燃えるように揺らめくのに、熱くはなかった。そして私の両腕を掴む男性の表情も、熱さに耐えているようには全く見えない。苦痛も何も滲ませない穏やかな笑顔が私を見ている。

 

「…熱く、ない」

 

「熱くないだろう?さあ、火を引っ込めてごらん」

 

私が自分で火を出しているかのような言い方に引っかかるところはあったが、疑いのないまっすぐな眼差しに気圧されて、小さな子どものように首を振ることでしか自分の心情を伝えることができなかった。

 

「わ、わかんない…知らない」

 

「?いつもみたいにやるだけさ。ほら、引っ込めー、引っ込めー、って」

 

「ひ、引っ込め…?」

 

まるで腕の中に炎をしまい込むような言い方だ。火が人の体から出てきたらもうそれは屍蝋だというのに。

 

(この人、一体何を言っているの。わけわかんない…)

 

けれどいつまでもこんな不可解な気持ちの悪い状態は心底嫌だった。直視なんて到底できないまま、両腕を体から出来るだけ離して、私は馬鹿みたいに繰り返した。

 

「引っ込め…引っ込め…!」

 

「そうそう、いい調子だよ。引っ込めー、引っ込めー」

 

本当なら腕を地面に擦り付けたり水の中に腕を入れたりして、火を消してしまいたい。けれど目の前の男性がどれだけ振り払おうとしても腕を掴んで離さないから、仕方なくだ。

 

「っ、引っ込め……消えろ、消えて…っ!」

 

声に合わせるように揺らめく炎が、じわりと空気に滲んだ。

 

「え…」

 

炎は消えた。跡形もなく、最初からなかったように。まるで、そう、オレンジに染まる夕空に、とろりととろけるように。

 

 

 



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0.2・灯火を胸に抱き

 

 

ちょっとしたことでぼうぼうと火が飛び出る体質だと理解するまで数週間はかかった。納得はまだしてない。全然納得なんてできるわけがない。

 

(火が出る体質って……人体自然発火現象って言うのか。へえ、プラズマ説…えっ、死体がロウソクになる?なにそれ謎すぎるんだけど…でも私生きてるし)

 

パソコンを触りつつ両手両足をぶらつかせた。くしゃみやため息で火を吹き、痒いと体を掻けば火を灯し、同年代らしい子どもたちと喋れば火ダルマ状態。周りもすっかり慣れてオモシロ人間扱いしてきてるってのがまた腹立たしい。

 

「燈ちゃーん、そろそろ幼稚園に行きま…きゃーっ!燈ちゃんパソコンはダメよっ!目が悪くなっちゃうわ!」

 

我が子が小さな手でマウスを操作している姿を見て、ヤベッと思う間も無く母親が放ったのがその一声。

 

(え、驚くところそこ?)

 

新しい親は何かズレてるよなぁ、としみじみと思う。だって父親は火ダルマな娘にやんややんやと声援を送るような人だし。母親は母親で一般常識が吹き飛んだような言動をするし。だがまあ、だからこそこんな体質の娘を受け入れているのだろうが。

 

(下手すりゃ人体実験されてただろうしなぁ…)

 

統治国家な日本じゃ大丈夫だろうが、海外のマニアックな研究者とかから誘拐とかされたらどうしよう。

 

「せっかく視力がいいんだから、こんな小さいうちからパソコンやテレビなんて見ちゃダメよ。どうせ大人になったら嫌ってほど見るかもしれないんだし」

 

(せやな)

 

元ブラック企業社員としても激しく同意である。あ、また発火現象が…!

 

「もー…嫌んなっちゃう」

 

ぞわりと震え上がりそうな体を気力で抑えつつ、心頭滅却を心がけて、引っ込め、消えろ、と胸の内で呟いた。じわじわと空気に溶けるように消えた火にほっと息を吐いた。長い時間火が出続けると、視覚的にイラッとするし、なんだか気疲れするのだ。

 

「でもお母さんもお父さんも燈ちゃんの火は好きよ。触っても熱くないし、面白いし。すごく素敵な個性だと思うわ」

 

「いや、個性ってレベルを超過してると思うんだけど」

 

「燈ちゃんがお母さんのお腹の中にいる時にね、お母さんのお腹から火が出てたの。あれは楽しかったわぁ」

 

「うそだろおい」

 

うそじゃなかった。臨月の腹から黒い火をぼうぼうと燃え上がらせながら、テンションマックスの笑顔でピースサインをしている両親の写真を見て気が抜けた。

 

「おま…おかーさん、頭大丈夫?」

 

「え?今日はどこにもぶつけてないわよ?」

 

違う、そうじゃない。

 

 

 



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0.3・さながら漁火の如く

 

 

 

「まあっ!燈ちゃん、すごいわ!もう逆上がりができるのね!」

 

「え?…あー……たまたま、です」

 

そんな教諭の言葉を聞いてか、自分たちはまだできないからか、いいなあ、すごいなあ、と子どもたちがキラキラした目で見てきた。やべっ、と内心思ったけれど、後の祭り。

 

(しくった……気ぃつけんとあかんのに、またやってもーた…)

 

文字の読み書き、補助輪無しの自転車の走行、衣類の着脱や食事の片付け。できて当然のことをするだけで、周りからは驚きの目で見られてしまう。

 

「あかりちゃん、すごいねぇ!」

 

「さかあがり、どうしてできたの?」

 

この歳で敬語は大目に見てもらえたとして、お箸も使えず、オムツもとれず、親からの分離不安で泣きじゃくり、さらには一人称が未だに自分の名前、なんて幼児の中で。

 

(あかん!悪目立ちしすぎとる!)

 

「おまえ、『ひ』もだせるもんな!」

 

「すげーよな!」

 

化け物扱いされないのは、奇跡に近い。きっと親があんな人たちだから教諭や周りの親たちも『夜野さん家族』には寛容になってて、他所の親が私を寛容な目で見るからその子どもたちも私を仲間はずれにしないのだろう。……たぶん…おそらく……maybe…。

 

「あかりちゃん、さかあがり、おしえて!」

 

「おしえてー!」

 

「ええよ、任しとき。ほんなら、タオル持っといで。それ使てやるやり方教えたるわ」

 

「うん!」

 

ぱたぱたとカバンの所へと走っていく小さな背中に、転ぶなよー、と念を送って見守る。逆上がりの補助道具を片付けた教諭が笑顔で近付いてきた。

 

「燈ちゃん、いつもありがとうね。燈ちゃんがみんなのこと見てくれるから、先生すごく助かるわー」

 

「や、大したことしてへんので。先生もお子さん大きなってきてはるし、無理せんといてくださいね」

 

「まあっ!ありがとう。気をつけるわね」

 

膨らみが目立ち始めたお腹を手のひらで優しく撫でて、幸せそうに笑う姿が微笑ましかった。私は前世では子どもどころか彼氏すらいなかったし。

 

(今世では結婚して子どもも欲しいわぁ)

 

将来有望そうな子がいたら旦那候補としてリストアップしておこうか、と一瞬考えて、やめた。

 

「やーい!ウンコー!ウンコー!」

 

「つなよしのウンコー!」

 

「や、やめてよぉ…!」

 

「「きゃははは!」」

 

(うん、ないな)

 

何人かの男の子たちが、幼児の下着を投げてからかっている。トイレットトレーニングがまだ十分できていないのか、予備の下着を持たされた男の子が標的になっているようだった。周りではタオルを取りに行ったはずの女の子たちも一緒になって笑っている。誰か止めてくれる大人は、と見回したが教諭の姿は見えない。

 

「ひっ…ひっく…っ、かえしてよーっ!」

 

(やべ…。泣きそうやん)

 

ガチ泣きの気配がする。このまま放っておこうか、と見捨てる案が真っ先に脳裏に浮かんだあたり、事なかれ主義な大人の考えだなぁ、と笑えた。このまま手を出さなくても死ぬわけじゃあるまいし、そう思った。でもなんだか……ムカッ腹が立った。

 

(所詮ガキの遊びやし。飽きたら終わりやろし。あのいじめられっ子にもええ教訓になるやろし。………でも)

 

服の裾をギュッと握りしめて、大粒の涙を滴らせて俯く姿に。そんな幼児を心から楽しいと笑う幼児たちに。

 

(ここで見捨てたら、クソどもと一緒や)

 

心底、腹が立った。前世の上司を思い出した。次々と退職していった同僚たちを思い出した。はらわたが煮えたぎるようなあの憎しみを、思い出した。あそこにいるのは、私だ。

 

「っ、あかん!……落ち着け…落ち着け…」

 

いつの間にか身体中から燃え上がっていた黒い炎に気付いて、憎悪に滾った背筋が瞬時に凍りついた。やはり、炎は怖い。前世での死の間際の憎しみを、身の内から溢れ出る炎の恐怖が押さえつけるようだ。

 

(相手は子ども…子ども……怒鳴り散らさんと、興味の矛先を変えたらええ…)

 

大きく深呼吸をして、腹を決める。かすかにちらつく炎をも押しとどめて、子どもたちの輪の中に入った。

 

「ちょーいちょいちょい待ちぃや。あんたらのソレ、めっちゃおもんないで」

 

「えっ?」

 

けらけらと悪意なく嘲笑う声が止まった。面白くない、と言われたことで頭が冷えたのか、楽しげに笑っていた子どもたちの表情が驚きと戸惑いに変わっている。

 

「な、なんだよ、じゃますんなよ!」

 

リーダー格らしき男の子が突っかかってきた。でも子どもに凄まれたところで所詮子ども。全く怖くなんてない。

 

「別に邪魔してへんし。てかそれ返してごめんって言うたら、そんなんよりもーっとおもろい遊び教えちゃるで?ほら、この指とーまれっ!」

 

「えっ?ほんとう!?」

 

「やりたい!やりたいっ!」

 

逆上がりの練習なんて頭からすっかり消え去ったのか、子どもたちが我先にと私の人差し指に群がってきた。何か楽しいことが始まる予感にワクワクしているのか、からかっていた男の子たちもつなよしくんとやらの下着なんて目もくれずにこっちへやってこようとしている。

 

「おい!それはやくつなよしにかえせよ!」

 

「あ、うん。…ほら」

 

リーダー格の子に言われ、男の子が戸惑いの表情を浮かべるつなよしくんとやらに下着を押し付けた。

 

「まだやで。あんたら、ちゃんと『ごめん』て言える子やろ?」

 

「はやくしてよ!」

 

「きゅうけいおわっちゃう!」

 

周りの子どもたちに責められるように言われ、すっかり毒気の抜けた男の子たちが揃ってつなよしくんとやらに向かい合った。

 

「「「……ごめん」」」

 

「う、うん…」

 

たとえ、それが早く遊びたいがゆえの上っ面な言葉だとしても。

 

(…よっしゃ)

 

確かにこの瞬間、私は前世の私を救えたような、そんな気がしたのである。

 

 

 



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0.4・まさに『顔から火が出そう』

 

 

 

「わっ…あっ、あかりちゃん、まって…!」

 

「はいはい、待っといたる。焦らんでええから、ちゃんと靴履きぃ」

 

「うん…っ!」

 

あの一件以降、からかわれていた男の子がべったりとくっついてくるようになった。弱者は強者の影に隠れて平穏な日常を確保するものだ。この図式は実に分かりやすい。

 

(つまり、いじめっ子を追っ払った私とやったら安全っちゅーこっちゃな)

 

分かりやすい。そして、そこそこうっとうしくもある。なんせこの男の子…名前は沢田綱吉というらしいが、登園してから帰るまで、トイレ以外はまるっと一心同体レベルでべったりくっついてくるのだ。

 

「はけたよ!」

 

「はいはい」

 

前世でも今世でも一人っ子だから、小さい子どもがべったりとくっついている状態で行動するというのは慣れないのだ。10月生まれのちょっと小柄な綱吉が、半年近く早い春生まれ&好き嫌いせずしっかり食べて動いて寝る発育良好な私の服の裾を掴んで行動する。まるで姉弟のようだと周囲の大人たちからちらほら聞くようになった。

 

(…ちょーーっとばかし、めんどいけどねぇ)

 

綱吉がべったりだから、勉強ができない。勉強とはもちろん、前世以上の生活を望む上で欠かせない、受験勉強に向けたものだ。義務教育の間は地元でも仕方がないとして、学歴の高い高校、学歴の高い大学に入って卒業し、ホワイト中のホワイトな、超ホワイト案件な会社に入社する…それが目下の目標だ。両親が捨てずに持っていた中学や高校の教科書などを参考に勉強し直しているのだが、これがなかなか楽しいというか、一度習ったはずの勉強なのに忘れていることが多かったと気付かされるというか。

 

(勉強したいわぁ…)

 

前世の自分が聞いたらドン引きするであろう考えだが、この状態では仕方がない。だって幼稚園ですることといえば、折り紙だったり塗り絵だったり、体操なんてのもあるけど。それをハイパーテンションな子どもたちとするのだ。子どもだからかめったに体力は尽きないけれど、正直言って、精神が、死ぬ。やばい。精神年齢の差が私を殺してくる。

 

「あかりちゃん?どうしたの?」

 

「や、別に。あのー、綱吉くん?他の子と遊んだりとか…」

 

「えっ?」

 

「え?」

 

「あかりちゃんとあそびたいのに…」

 

「そっかー!そらしゃーないな!あっはっは!…はは…人気者って辛い…」

 

しょんぼり言われると折れざるを得ない。辛い。仕方がないと気持ちを切り替えて、綱吉に向き合った。

 

「さて。今日は何する?」

 

「えっと……あっ!あかりちゃんの『ひ』がみたい!」

 

「オゥ……オッケー。ちょお待っとってな」

 

火が見たい、とリクエストされることはままある。周りの子どもたちや大人たちに初対面ではほぼ必ず言われる。面白いものを見たい精神だからだろう。だけど、この火は思いもしない時に突発的に出るものだ。なんとか押さえつけようとすることはできるようになってきたが、出すことは今もできない。…いや、気を緩めれば出てくるからある意味出せるようになっているのか。

 

(とりあえずあくびしとこ)

 

「ふぅ……ふわぁあ…」

 

身体中の力を抜くようにして、大きなあくびを1つ出した。途端に、ぼう、と四肢が黒く燃え始める。黒く、と言っても黒煙が立ち昇るようなものではなく、微風にたなびく薄いベールのような黒い炎だ。

 

「わあっ…!」

 

キラキラと目を輝かせて私を見つめる綱吉。その笑顔に曇りはない。だけど、炎を出している私は、冷や汗が未だに止まらない。

 

(怖い…っ)

 

できるだけ両手を伸ばして、炎を顔から遠ざける。息をして、鼻腔や口腔内に炎が吸い込まれて、気道が、肺腑が焼けていく。息ができない。あの恐怖を思い出す。何度火を見ても、その恐怖だけは決して揺るがない。死にたくない、死にたくない、何があっても絶対に死にたくない。

 

「っ…」

 

「あかりちゃん、もういいよ!」

 

「…え?」

 

「もう、やめて!」

 

純粋な笑顔はいつの間にか消えて、私を泣きそうな顔で見つめるばかりだった。もういい、と言われたので、遠慮なく私は炎を引っ込めることにした。

 

(消えろ…消えろ……)

 

じわりと黒い色が薄らいで、空気に溶けてゆく。随分と体に力が入っていたのか、筋肉が痛む気がした。

 

「ごめんね、あかりちゃん…ごめんね」

 

「え…?なんで綱吉くんが謝るん?」

 

「だってあかりちゃん、あんなにくるしそうだったのに、みせてっていったから…」

 

綱吉の言葉に驚いた。彼には私が苦しそうに見えたのだろうか。子どもたちはもちろん、周りの大人たちも、親でさえ、笑顔を浮かべる私の本心など見抜けやしなかったのに。

 

(見破られた…?)

 

まさか、こんな小さな子に見破られるだなんて思いもしなかった。

 

「ごめんね。もうみせてって、いわないよ。ぜったいに」

 

「…ううん。別に、言うてもええよ」

 

「でも…」

 

こんな小さな子が、遠慮しているのか。

 

(優しい子やなぁ)

 

この子は本当に、優しい子だ。善良な小市民という言葉がよく似合う。同情からか、自分自身を見てくれた喜びからか、弱くてちっぽけな綱吉の姿になんとなく庇護欲が湧いてしまった。

 

「もしかしたらこの火ぃとは一生付き合わんとあかんのかもやし。今からちょっとずつ出したりして、慣れてくわ」

 

希望としては、幼稚園卒業くらいで自然消滅してほしいものだけれど。

 

「せやから別に見たいて言うてもええんよ」

 

「でも…」

 

「せっかくやし、私の練習に付き合うたってや。な?」

 

「……うんっ!」

 

ぱっと明るい顔になったのを見て、やっぱり見たかったのか、と笑えた。

 

(せやけど、せめてもうちょい涼しそうな色味やったらよかったのになぁ…)

 

例えばみずみずしい青色とか、水色…はダメだ、ガスの火と同じ色だ。せっかく黒なんて有り得ない火の色なんだから、火らしくなくて、でももっと綺麗な色だったらよかったのに。そんなことを思いつつ、毎日の勉強のスケジュールに火の出し入れ強化も組み込むことを決めた。もっとスムーズにコントロールできるようにならなくては。

 

「あのね、すごくかっこよかった!おでこからぼーって『ひ』がでててね」

 

「デコ…やて…?」

 

四肢だけでなく額からも炎が出ていたという新たな事実に仰け反りつつ、心に誓った。

 

(絶対コントロールしちゃる…!デコから黒い炎とか…そんな厨二は絶対嫌やーっ!)

 

純粋な瞳でかっこいいと連呼されて、今なら恥ずかしさで死にそうだ。

 

 

 



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0.5・残り火


*アニメネタとねつ造込みです




 

 

 

「あら?」

 

「ん?お母さん、何かあったん?」

 

「うーん……燈ちゃんのじゃないわよねぇ?」

 

「え、何が?」

 

「これなんだけど…」

 

首を傾げた母親に、幼稚園のカバンから出したらしい布を見せられた。泥に汚れた戦隊物の柄で、記憶の端に引っかかるものの自分の服ではないことは確かだった。ちなみに私の私物は両親の趣味でリボンとフリルの多い女児服ばかりだ。私の趣味ではないので学生になったらもっとシンプルな服にしたいと訴える予定。閑話休題。

 

「ちゃうちゃう。てかそれ男モンやし」

 

「そうよねぇ…。困ったわぁ」

 

「ちょっと見せて」

 

幼稚園に持っていく私物には名前を書くのが規則だ。タグかどこかに名前が書いてあるはずだ、と服をひっくり返した。すると割と分かりやすい場所に『さわだつなよし』とひらがなで書かれているのを発見した。母よ…なぜこれを見逃すのだ。

 

「………お母さん、ここ、名前あるやん」

 

「あらー!ええっと『さわだ』…まあ!綱吉くんのね!でもどうしようかしら…汚れているし、おうちで洗ってしまってもいいかしら?」

 

「いや、明日そのまま返したら……しくった、週末やん」

 

しかも梅雨の時期だ。早めに返さないと天気のいいうちに洗濯できない。親たちの世間話から察するに、確か綱吉くんのお母さんの奈々さんは天日干し派だったはずだし。

 

「お母さん、まずは電話して」

 

「あっ!そうね、お知らせしなくっちゃ!ええっと、連絡網は…」

 

「はいこれ」

 

「あら、ありがとうー」

 

おっとりした母親に連絡網のプリントと受話器を渡す。過保護と言うなかれ、このまま母親一人に任せると夕飯の時間になる可能性が高いからだ。

 

「だめだわ、お留守なのかしら。綺麗に洗っちゃって、次幼稚園に行く時にお返ししちゃう?」

 

「うーん、でも勝手に洗てまうんもなぁ…柔軟剤とか色々こだわりあるんやったらあれやし…。お母さん、私それ届けてくるわ。家分かるしポストにでも入れとく」

 

「そうねぇ、そうしましょうか。でもお母さんこれから町内会のお仕事だから、夜になっちゃうけど…」

 

「いやいや、私一人で行けるて。もし変態さんに会うたら炎でビビらせて逃げたるわ!」

 

あと本音で言うなら、ちょっとでいいから一人になれる時間が欲しい。幼児だから仕方がないとはいえ、四六時中誰かしら大人といるというのはなかなかストレスだから。

 

「そう?大丈夫?あっ、防犯ブザー持って行ってね。それから催涙スプレーと、目潰しのコショウと…」

 

「いや、あかんて、もう犯罪レベルやて。てかコショウもったいないて。防犯ブザーだけもろてくわ」

 

「そう?本当に大丈夫?あっ、なんならお父さんが帰ってきてから一緒に…」

 

「いや、それもう夜やし。てかお父さん帰る頃にはお母さんも町内会終わっとるやろし」

 

「ハッ…!そういえばそうね…!」

 

天然なだけなんだろうか。それとも私は試されているのだろうか。悶々としながらも園服から私服に着替えて荷物を持った。家の場所は以前母親と一緒に沢田家でお茶をさせてもらったことがあるので分かる。それほど遠くもないし。

 

「確かこの先のおうち………ん?」

 

「わぁぁんっ!こないでぇえっ!!!」

 

「!」

 

(綱吉くんの悲鳴!?)

 

しかも幼稚園でも聞いたことのないような必死さを感じる悲鳴だ。その切羽詰まった感じにたまらず走って近付いた。チャイムを押す手間もかけられず、無断侵入の4文字を頭から振り払って庭へと走った。

 

「綱吉くんだいじょう…変質者っ!?」

 

顔を赤くして涙と鼻水でぐずぐずになった顔の綱吉と、その肩を後ろから支えている老人、側で笑っている男性がいた。一瞬身内かと思ったけれど、綱吉から外国人の祖父がいることは聞いたことがなかったし、父親は遠くにいると言われていた。つまり、この時の私は、『沢田家=母子家庭』の図式が頭の中にあったのだ。

 

「おや?君は…」

 

(誘拐!)

 

綱吉が嫌がっていることと、綱吉の母・奈々の姿がないことからも、最悪の状況だと察した。せっかく持っていた防犯ブザーの存在も忘れ、ありったけの意識でもって全身から炎を噴き出させた。

 

「おっちゃん!その子から手ぇ離しい!」

 

「ーー!?なんと…!」

 

侵入者の存在と炎を目の当たりにしてあっけにとられている間に、猛然と走り寄った。目を丸くする綱吉の手を引いて距離を取り、ふらついて尻餅をついた綱吉を背に隠した。

 

(まずい…一人は老人とはいえ男二人相手とか無理すぎやん!絶対すぐ捕まる!)

 

しかも若い男性の方はなかなかの体格だ。走って逃げ切ることは難しいだろう。

 

「綱吉くん、はよお母さんとこ行き!」

 

「えっ」

 

「はよ行きぃ!お巡りさん呼んでもらい!はよしぃ!」

 

「あ、あかりちゃん、おじいちゃんとおとうさんはわるいひとじゃないよぉ…!」

 

「へ?身内?」

 

「キャンキャンッ」

 

「へ?犬?」

 

「ひっ…!うわぁあんっ!こないでーっ!」

 

私の背中にべったりとくっついて、足元に戯れてくるチワワ相手に悲鳴をあげている。

 

(これ、まさか…)

 

黒い炎越しに見える男性二人が苦笑しているような、幼児二人の言動を楽しんでいるような…。

 

「………アー…………勘違いして申し訳ありませんでした。ビックリしたせいでお怪我とかしてはりませんか?主に心臓とか」

 

びっくりしすぎて心臓発作なんてやめてほしい、と恐る恐る言ったら、耐えきれないとばかりに爆笑された。

 

「ブッ!…くくっ…心臓ときたか…!」

 

「フフ。私たちは大丈夫だよ、signorina。君にも聞きたいことがあるんだけど、まずは…」

 

「ヒッ!?うわっ……綱吉くんも発火体質やったんか」

 

大泣きする綱吉の額から、ぼうぼうと炎が燃え上がっていた。しかも私と違って、モロに炎って感じの橙色。人が燃えている光景に死を彷彿とさせられてゾッとしたけれど、おじいさんの謎のテクニックにより鎮火したので詰めていた息を吐き出すことができた。

 

(あかん…熱くなかったけど、手汗ヤバい。あれ、まんま火ぃやったし…)

 

ああ、本当に怖い。火の色は、本当にシャレにならない怖さだ。喉や口の中を焼かれる熱さと息ができない恐怖を思い出してしまうから。手汗を服で拭って、痛いほど打つ胸の鼓動を鎮めようとした。黒い炎にはだいぶ慣れたのになぁ。

 

「君もそのままだと疲れるだろう?我々は何もしないから、火を消してくれて構わないよ」

 

「あー、ハイ。…消えろ…消えろ…消えろ…」

 

某少年漫画のキャラのように全身から噴き出していた炎を、いつもの呪文で鎮火させた。ああ。やっぱり体の一部だけと違って、範囲が広いと鎮火に時間がかかる。ようやく消えた頃には綱吉は疲れたのかぐっすりと眠っていた。そういや今日は幼稚園でも走り回ってたもんなぁ。

 

「……火を消すのは苦手かい?」

 

驚くほど、それこそネイティブ並みに流暢な日本語で、老人は穏やかに尋ねてきた。その口調と穏やかな表情に、誘拐犯と疑った自分が恥ずかしくなった。

 

「そうですね。あんま頑張らんでもできる分、火ぃ点ける方がなんぼか楽ですわ」

 

「あー、なんだ。君は綱吉の友達かい?」

 

今度は若い男性が。この人が綱吉の父親…めったに家に帰らず、息子から存在を忘れかけられている人か。偏見の目で見てしまうが、笑顔や口調から察するに人柄はよさそうだ。何より、留守にしがちとはいえ奈々がいつも惚気ているぐらいだし。けれど友達なのかと聞かれると、素直に頷くことは難しかった。どうかというと手のかかる弟か息子のような感覚だったし。

 

「トモダチ…ええ、まあ。これ、綱吉くんの服が私の荷物に入っとったんでお届けです。汚れとったんで早めに洗といてください」

 

「ありがとう。それにしても一人で来たのか。綱吉と同い年なのに随分しっかりしてるな」

 

「…あー、はい、まあ。親があんななんで…」

 

親があんな人たちでなくてもしっかりしてましたけど、とは言えない。だって前世の記憶があるなんて、普通じゃありえないんだから。

 

「君はすごい子だね、signorina。それにとても勇気がある。大人から綱吉くんを庇うのは怖かっただろう?」

 

「へ?怖い?」

 

怖い、なんて思っただろうか。いや、そこまで頭が回らなかった気がする。ただただ目の前の誘拐を阻止しなければと思うばかりで。それに、私はもう本当の恐怖を知っていた。炎と、死ぬこと。あれが一番怖い。そんなことより今気になることは。

 

(シニョリーナ…イタリア語?スペイン語…?)

 

老人の言った言語のことだった。ちなみに初対面の人に接する緊張感だとか危機感なんてものはどこかに消えた。

 

「怖い…うーん…まあ、そうですかね?けどおじーさんたちは刃物とか持ってへんかったし、ここ住宅街やし、私と初対面やし。なんとかなるやろて思て」

 

「初対面というと?」

 

「私の火ぃ見て怯むかと思て。……あんま効果なかったけど」

 

「それだけでか?すごい度胸だな。大きくなったらおじさんの会社で働かないか?」

 

「お断りします。綱吉くんからお父さんが帰ってこない、ブラック企業やて聞いてますんで。私、福利厚生のちゃんとしとる、給料良くて有給とれて安全でみんなが笑顔なホワイト会社に勤めるんやて決めてますし」

 

綱吉の話をちょっと盛ったけど、まあだいたいそんな感じって聞いたし。私の今世の目標はホワイト会社で働くことだし。

 

「綱吉から!?ブラック企業!?…ま、まあ……そうなるかな…?ハハ…」

 

否定しないのか。

 

「Signorina、お名前を教えてもらえないかな?」

 

ここで一瞬、人に聞く前に先に名乗れ、と言いかけたけれど、あまりに可愛げがないと思いとどまって先に名乗ることにした。あと相手は年上だし。私、幼女だし。あまりに大人びていて変な目で見られるのは嫌だったので。

 

「夜野燈です」

 

「燈ちゃんか、可愛い名前だね。私はTimoteo。彼は綱吉くんのお父さんだよ」

 

「どうも。息子さんとは幼稚園で仲良ぉさしてもろてます」

 

「燈ちゃん…ああ、君が『あかりちゃん』か!奈々からよく聞いているよ!確かに綱吉のお姉ちゃんみたいなしっかりした子だなあ」

 

「ははは…」

 

(奈々さん何言うてはりますの!?しかも『よく』聞いてる!?)

 

思いもかけない他人からの高評価は、後に我が身を滅ぼす原因になりそうで怖い。ハードルは低くしてから跳びたいタイプだというのに。

 

「ほんなら、家族水入らずやし、お暇さしてもらいます」

 

変なことにならないうちに、あとそろそろ陽が傾いてくるので早めに帰りたい。なるべく自然体を装って帰宅を匂わせたが、老人…ティモッテオに引き止められた。

 

「その前に、ちょっと教えてくれないかな?」

 

「はい?」

 

「その炎はいつから?」

 

「お母さんのお腹の中にいる時からですわ」

 

「…なんと」

 

驚きとともに何やら意味深な目で見つめられて、ちょっと気まずくなった。なんだ?確かに人体発火現象なんて珍しいものだけど、今さっき綱吉も出してたぞ?

 

「君はその炎が何か、知っているのかい?疲れたりは?」

 

「や、知りませんし特に疲れるとかも別に。まあ、クシャミとかでも出るんで気疲れはしますけど」

 

「……なるほど」

 

「9代目…」

 

(えっ、9代目?なにそれ?聞き違い?)

 

何やら不穏としか言いようのない雰囲気になってきた。そんな気がする。たぶん。

 

「ふむ…。燈ちゃん、その炎について知りたくないかい?」

 

「……知りたい言うたら、どうなりますの?」

 

「…私が知っていることを教えてあげようかと思ってね。それに、コントロールの仕方も」

 

コントロールの仕方、というのはたまらなく魅力的だった。けれど、今はなんだか冷静に判断ができない。変に返事を急いでしまうと一生に響きそうな気がする。

 

(…カンやけど、悪い人やなさそうなんやけど、なんとなくカタギとちゃう雰囲気やし。……あくまで、カン、なんやけど…)

 

一度頭を冷やしてじっくり考えてから返事をすべきだと判断した。前世で、就活に焦って、あんなブラック企業に入社してしまったように。判断に焦るとろくなことがない。

 

「……魅力的なお誘いなんですけど、早く帰らんと母が心配しますんで。今日のとこはお暇さしてもらいます」

 

「そうか…。では、知りたいと思ったらここに連絡しておいで。いつでも構わないよ」

 

「ありがとうございます。もしかしたらずーっと先になるかもしれんのですけど」

 

「ああ、構わないよ」

 

(よっしゃ、言質とった!)

 

もらった紙を失くさないようポケットに入れた。帰ったら服を洗濯する前にアルバムにでも挟んで保管しておこう、と決めて。

 

「燈ちゃん。これからも綱吉くんと仲良くしてくれるかな?」

 

「ええですけど、そのうち男の子の友達とかできて離れていくと思いますよ?」

 

もうすぐ卒園して小学校に入るし。だいたい高学年にもなれば男の子同士とかで遊んでるだろうし。けれどティモッテオはそれすら分かっているかのようににっこりと笑って言った。

 

「フフ、そうだね。そうなったとしても、君には彼の良き友人であってもらいたい」

 

「はあ…。まあ、その子がくっついてくる限りは面倒みますわ」

 

「ありがとう、signorina」

 

「あー…そのシニョリーナっての、慣れてへん日本人にはちょっと恥ずかしいです。では、えーと、イタリア語とかでさよならて何て言うんやろ…分からん!ごきげんよう、ティモッテオさん、綱吉くんのお父さん」

 

「フフ。Ci sentiamo、燈ちゃん」

 

「息子をよろしく頼むよ、燈ちゃん」

 

門を出て帰る途中、奈々の声が聞こえた。どうやら料理をしていたらしい。

 

(家族水入らず、かぁ)

 

前世の私が死んだ後、両親はどうしたんだろうか。きっと泣いてくれただろう。悲しんでくれただろう。もしかしたら会社相手に裁判でもしたかもしれない。けれど、その後は?

 

(お父さん…お母さん……)

 

だんだん、両親の声を忘れていってしまっている自分がいる。だんだん、両親の笑った表情が思い出せなくなっている私がいる。

 

「…帰ろう」

 

痛む胸を押さえて、家まで走った。前世の家族のことなんて忘れたフリでもしていないと、今ここから一歩も歩き出せないのだから。

 

 

 



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0.6・静かに燃え広がる疑念

 

 

 

本日、炎のことで新たな発見があった。

 

「きゃあっ!」

 

リビングで勉強(親バレしたので堂々とできるようになった)をしている最中、母親の悲鳴がした。ハッとして振り向くと片付けている最中だったらしい皿が床に向かって落ちていくのが見えた。

 

「あぶなっ…」

 

届くわけもないのに、反射的に手を伸ばしてしまって。その手からとっさに黒い炎が飛び出て、落下中の皿と転びそうな母親をまるごと包み込んで。次の瞬間には、ソファに座る私の隣に、母親と皿がちょんと座っていた。

 

「えっ」

 

「えっ?…あら?燈ちゃん?」

 

「えっ…何が起きたん???」

 

母親と二人して、目を丸くしてお互いの顔を見つめあってしまった。

 

(何があったんや…?)

 

翌日、真剣に折り紙を折るフリをして頭の中で状況を整理してみた。母親が倒れそうになって、皿が落ちそうになっていた。そこへ黒い炎をぶつけてしまった、と思ったら隣に移動していた。状況だけで考えると、ありえないとしか言いようがない。

 

(時間は経ってなかった。テレビのニュースも滞りなく聞こえとったし。つまり、お母さんと皿が瞬間移動したってことやんな)

 

前世はもちろん、生まれ変わってこのかた6年、今まで一度もそんなことは目にしたことがなかった。つまり、生まれ変わった現代日本では人体発火現象という謎現象は起きたとしても、物理の法則は前世の日本となんら変わりないはずだったということだ。

 

(物理とか全然詳しないから知らんけど。でも…あれは瞬間移動としか言いようのないもんやった)

 

頭が痛い。何より、こんなこと誰かに相談したくてもできない。

 

(相談……あっ、ティモッテオさん…)

 

優しく笑う老人の顔を思い出したが、首を振って頭から追い出した。一度会っただけの、しかも年上の外国人に、いきなりそんな相談をするなんてできない。何より、もらった電話番号が海外のものだから高い電話料金が発生する。それはダメだ。頼るのはいざという時だけにしなければ。

 

(くーっ!ラチがあかん!一回再現してみるしかないやろか)

 

そもそもこの黒い炎は自分の体の周りでしか出したことがない。そのまま何かに触ったり触られたりしても燃え移ったことなんてない。母親の胎内にいる時に母親の腹部ごと燃えていた、というのをカウントするかどうかは不明だけど。

 

「炎を、移す…」

 

燃えろ、燃えろ、と炎を移すように折り鶴を燃える両手で包み込んだ。けれどいつまで経っても手の中の折り鶴は消えない。

 

(…なんや。やっぱあれは何かの間違いか…)

 

少し期待していた分、損した気になったというか、不可解な現象の謎が解けずに残ったことが不満というか。ため息を吐いて指で折り鶴をつまみ上げた。

 

「…おっ?なんや燃やすんはできとるやん」

 

やはり今まで意識していなかっただけなのか、折り鶴が黒い炎を上げていた。机の上に置いて手を離してもまだ燃えている。つまり、昨日と同じく体から離れた物に火を移すということ自体は成功したわけだ。

 

(ならなんで瞬間移動せぇへんの?他に何かしら条件でもあるんやろか)

 

「あかりちゃん、つるがおれない…」

 

「ん?ああ、オッケ。見たるわ」

 

「ありがとう!」

 

パッと笑顔になった綱吉の頭を撫でて、見本に自分の折った鶴を見せようかと机に視線を移し……目を疑った。

 

「え…えっ!?鶴消えた!?」

 

「え、つる?う、わっ!?」

 

綱吉から声が上がって、驚いた。綱吉の膝の上に、自分の折り鶴がある。

 

「あかりちゃん、おちてきた」

 

「落ちてって、上から?」

 

「あたまから」

 

なんやて。

 

「…私、机の上に置いといたで?」

 

「でもおちてきたもん」

 

綱吉は疑われたことが心外だとばかりに口を尖らせた。その言葉が正しいなら、つまり、今度は折り鶴が机の上から綱吉の頭の上へと瞬間移動したということになる。

 

「綱吉くん。も一回やってみてええ?」

 

「えー…」

 

「後で折り鶴の折り方、教えちゃるさかい。な?」

 

「…わかった」

 

ご機嫌斜めなのかまだ口が尖っているものの、了承は得たので先程の再現をすることにした。折り鶴に炎を纏わせて机に置き、綱吉の頭を撫でる。

 

(変化なしか)

 

視線の動き、時間、どちらも瞬間移動とは関係なさそうだ。一体先程と何が違うのか。

 

「あかりちゃん」

 

「んー?ちょお待ってや。もうちょいやし」

 

「あかりちゃん、なにしてるの?」

 

「さっきの、もっかいやりたいねん」

 

「さっきの?あかりちゃんのてがもえてたの?」

 

「へ?私の手?」

 

「うん。さっきもえてたよ」

 

なんやて。日常茶飯事すぎて意識から消えていたけれど、そう言われればさっきは折り鶴に火を移すために、両手に炎を纏わせていた。けれど今は消えている。

 

(もしかして、火で2地点を作ったらええんか?)

 

もしそうならば、と手に火を出して、綱吉の頭に火を移すイメージで撫でてみた。やんわりと撫でて離した後、目視できるかできないか程度の薄い陽炎のようなものが一瞬ちらついて、ボッと火が一瞬大きくなったかと思えば、音もなく綱吉の頭の上に折り鶴が出現していた。

 

「…綱吉くん、お手柄やで」

 

「えっ?」

 

「さすがの観察眼や。すごい!パーフェクト!やった!やった!」

 

「え?やったー?」

 

顔中疑問符だらけのまま、それでも自分が褒められていることは嬉しいのか、綱吉が喜んだ。

 

(つまり移動させたいもんと移動させたい場所、その両方に火をつけたらええんやな!)

 

ドキドキした。ワクワクした。こんなことができる自分に興奮した。まさか炎に巻かれて死んだ自分が、炎に喜ぶ日が来るとは、思いもしなかった。

 

(すごい!これ、すごいことやん!やった!他でも試してみて………ん?待てよ?)

 

待て、待て待て、ちょっと冷静になろう。ありえないじゃないか、こんなこと。それにそもそも今まで目をつぶってきたけれど、人体発火現象自体まずありえないものだ。しかも自分の意思で炎を操れること、温度も何もなくて何かに燃え移ることも意思を持ってでないとなかったという事実、そしてこれが自分の幻覚ではなく家族や他人も見えているということ。全てが、おかしい。ありえない。『現実』ではあり得るはずがない。

 

「…この世界、なんなん?」

 

ぞわり、と背中に嫌な汗が滲み出た。そしてその疑問は解決せず、代わりにさらなる謎が目の前に現れることになる。ティモッテオと出会った日から数日後、小さな赤ん坊たちの姿をして。

 

 

 



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0.7・小さな2色の炎

 

 

 

それはある日突然目の前に現れた。

 

「やあ。キミが『第8の属性の炎』の持ち主だろ?」

 

「まだ子どもか。やれやれ、話の通じん子どもは苦手だ。いっそ眠らせて中を見る方が早いか?」

 

フードに隠れつつまっすぐにこちらを見てくる怪しい赤ん坊と、この歳で髪を染めて白衣を着て眼鏡をかけて物騒なことを言う怪しい赤ん坊。どちらも言葉が流暢で、その二足歩行にブレも迷いもない。住宅街に現れた小さな小さな赤ん坊は、その存在も言動も不気味なほどに、あり得ないものそのものだった。だというのに、道すがらこちらをチラ見する通行人たちは誰もかれもがそれを当然のことと認識して、微笑ましいと笑顔で立ち去っていく。

 

(おかしいんは私なん?…いやいや、絶対この子らが変なんやって)

 

「フム…この歳にしては早熟だが、まあ真っ当な反応か」

 

「な、何が?」

 

「人間は理解しがたいものに遭遇すると、目を背け拒絶するか、恐るかだ。お前は後者だな。すんなりと受け入れるなどごく一部の変人か、物知らぬ子どもだけだ」

 

(私が普通の子どもやないて見抜かれた…!何なん?何なんやこの赤ん坊…!)

 

赤ん坊の言う通り、未知の存在に対する警戒心で恐怖すら抱いている。しかし、まさか、とも思った。

 

(もしかして、この子らも私と同じ前世の記憶持ちなんやろか)

 

ありえる。だって私がそうなのだから。たまたま私は3歳を過ぎるまで前世の記憶に目覚めなかっただけで、たまたまこの子達は赤ん坊の頃から前世の記憶があっただけ。第8の炎、というのがあの黒い炎のことであれば、この子達も炎を燃やすことができるのかもしれない。

 

「ねえ、聞いているのかい?」

 

ふわりと浮かんで顔を覗き込んできたフードの赤ん坊に驚いてのけぞった。何で赤ん坊が空を飛ぶんだ!物理の法則が迷子!あっ、瞬間移動させることのできる私もか!

 

「え、あ、聞いとる聞いとる!聞いとるから、危ないから地面に降りぃ!落ちたらあかん!」

 

「落ちるわけないだろ。誰に向かって言ってるのさ」

 

「いや、誰って知らん子やん」

 

「……ともかく。キミが『第8の属性の炎』の子どもだね」

 

話をそらしたな。しかも無言の抵抗なのか浮かんだまま。何なんだろう。新しいタイプのヤカラ?

 

「その『第8の属性の炎』っちゅーんがイミフなんやけど、これのことなん?」

 

まだまだ慣れないコントロールのもと、手のひらに炎を灯して見せれば意味深な目で赤ん坊2人に見つめられてしまった。おおよそ無垢な赤ん坊とは程遠いその目つきに、やはりというか大人の知性を感じてしまう。

 

「黒い炎…当たりだな」

 

緑髪の赤ん坊が何か企むような笑みを浮かべた。反対に、フードの赤ん坊はへの字の口をますます強調していた。

 

「そっちも見せたらどうなん?」

 

「コレで分かるだろ?」

 

当然のことのように言って指差したのは、彼らが胸に下げているカラフルなおしゃぶりだ。同じメーカーのものなのか、色以外の形も大きさも全く同じ。おしゃぶりにしてはちょっと大きい気もするけれど。けれど、それを指さされたところで意味が分からなかった。こちらは炎を見せたというのに、なぜおしゃぶりを同等のもののように見せてくるのか。

 

「いや、分かるわけないやろ。火ぃ出して見せえや」

 

「…おい、バイパー」

 

「……嘘は言ってないようだけど」

 

「だから何がやっての。っちゅーか、あんたら何なん?あんたらも人生やり直しさせられてる人らやろ?」

 

確信を持って尋ねた言葉に、2人は少しの沈黙の後で首肯した。けれどおしゃぶりを見せてきた答えはくれない。私は何か試されているんだろうか。

 

(っちゅーか、人目気になるし)

 

「とりま、ウチ来る?」

 

微妙に食い違う会話とラチがあかないことにモヤモヤしていたのはお互いさまだったらしい。素直に付いてくる赤ん坊2人は微妙な顔をしていた。たぶん私も微妙な顔をしているのだろう。あと、赤ん坊の歩く速度。当然なんだけれど私より遅いので、浮かんでるフードの赤ん坊はともかく、緑髪の赤ん坊との距離が空いてきてしまった。

 

「あのさ、そこの緑髪の人」

 

「何だ」

 

「歩くん遅いから抱き上げさしてもろてええ?」

 

「落とすなよ」

 

「ハイハイ」

 

眠らせて中を見るとか物騒なことを言ってくるくせに抱き上げるのはいいのか。幼稚園児とはいえそれなりに体力も腕力もあるので、緑髪の赤ん坊を抱き上げるのには抵抗がなかった。ちょっと大きな人形と変わらないし。ただ、フードの赤ん坊がもの言いたげに見てくるのがまたなんとも言えない。

 

「なあ。あんたらさぁ、外国の人らやろ?何で私の火のこと知っとるん?」

 

誰かがSNSにでも投稿したのだろうか。幼稚園の規則でもあるし、身バレするような投稿はしないはずだけど。それに、もしそうだとしても彼らがやって来たタイミングが理解できない。こちとら生まれる前から人体発火現象しているのだ。もしお仲間だと分かっていたなら今まで私の前に現れなかったのは彼らが転生した時期が関係ある?それとも…金欠で日本に来られなかったからか?

 

(あかん、考えがごちゃごちゃや)

 

「キミが会ったボンゴレのボスさ。彼が持つ新たな情報を僕が念写した結果、キミにたどり着いただけのことさ」

 

「ネンシャ?」

 

「私は門外顧問の所から盗聴でな。黒い炎に興味があっただけだ」

 

「トウチョウ?」

 

赤ん坊の口から物騒な言葉がポンポン出てくる。シュールだ、赤ん坊の概念がひっくり返りそう。私が腕の中に抱き上げているのは間違いなく赤ん坊のはずなのに、中身が全く違っている。正直に言って気持ち悪い。でもそれはおそらく他人が自分に対して思っているだろう感覚なのだろう。外見に中身が伴っていないのは私も同じなのだから。

 

「ただいまー」

 

「おかえり、燈ちゃん。あら?その子達は?」

 

「アー…友達」

 

赤ん坊2人から胡散臭そうな目で見られた。やめてくれ、そうでもないと私は初対面の赤ん坊を拉致してきた不審者になるんだよ。

 

「まあっ!まあまあっ!そうなのね!あらやだ、お母さんてっきり綱吉くんと遊ぶんだと思ってたわ。ようこそいらっしゃい!お茶がいいかしら?それともジュース?」

 

「「コーヒーで」」

 

「あらあら、すごいわねぇ!」

 

(お母さん…赤ん坊にコーヒーはあかんねんで…?)

 

赤ん坊が流暢に喋る事も、宙に浮かんでいることも、何一つツッコミがないことにムズムズしてしまった。ああ、ツッコミ不在の現状を誰か何とかしてくれないものか。部屋に入ってベッドに緑髪の赤ん坊を下ろすなり、どういうことだ、と尋ねられた。

 

「あれは母親か?生みの親なのか?」

 

「へ?ああ、まあ一応」

 

赤ん坊にコーヒー出そうとするような親ですが。そう茶化すこともできないような、深刻そうな顔でこちらを見てきた。親ぐらい誰にでも存在するだろうに、なぜそんな顔で見てくるのかが理解できない。

 

「…どういうことなんだよ。キミはアルコバレーノに関する者じゃないのかい?」

 

「アルコバレーノ?」

 

いよいよもって謎の言葉が出てきた。しかし切羽詰まったように舌打ちまでされてしまっては何も言えなかった。何も言えなかったけれど、腹は立った。だって相手は赤ん坊。自分より後に転生してきた者なのだから。

 

「キミは、何者だ」

 

「…人に聞く前に自分から言いや。さっきからこっちに質問ばっかしてきといて。自分らのことは名前一つ言われへんのか?ああ!?」

 

出会ったばかりの赤の他人に、舌打ちまでされる謂れはない。ブチ切れ寸前の低い声で睨め付けると、まるで人間の言葉を喋った犬か猫を見るかのような目で見返されてしまった。

 

「な、何や?私、間違うたことは言うてへんで?」

 

「生意気な…」

 

「ああ!?」

 

やっぱり腹立つ。

 

「私はヴェルデ。天才科学者だ」

 

「マッドサイエンティストの間違いだろ」

 

即座に入ったツッコミを聞いて、やはり、と思った。彼らの中身は成人済みの大人だ。間違いない。ただの赤ん坊にこんなツッコミができるはずがない!

 

「で、そっちのフードの人は?」

 

「…バイパー」

 

「私は夜野燈。前世ではブラック企業のOL。今世の目標はホワイト会社に就職すること。ま、よろしゅうに」

 

「「前世だって?」」

 

ハモった。息ぴったりで仲がいいんだろうな、と一瞬微笑ましく思ったけど、お互いにとんでもない目で牽制しあっているのを見て表情を引き締めた。この2人の関係は何なんだ。友達同士じゃないのか。

 

「で、さっき言うとった『アルコバレーノ』っちゅーのは何なん?前世の記憶持ちの人のことなん?あとそのおしゃぶりがその証明とかになるん?」

 

「1つ、先に訂正しておく。我々は転生した者ではない。赤ん坊になったのだ」

 

「いや、一緒ちゃいますの?」

 

「僕たちは死んで生き返ったんじゃないってことさ。ただ『赤ん坊に戻された』。そういう『呪い』を受けたんだ。察するに、キミは一度死んだんだろ?」

 

死んだ。そう改めて言われると、息がつまるような思いになる。熱い炎を思い出す。…今世では熱いものには、風呂で熱めのお湯にすら触れても飲んでもいないというのに。

 

「それに、キミは生まれ直して、成長している。僕たちの呪いは『永遠に赤ん坊のまま』というものだ。僕たちには死の存在すら遠い。分かるかい?根本的にキミとは違うんだよ」

 

吐き捨てるようなその言葉に、どれだけの想いが詰まっているのかすら、私には分からなかった。人生のリセットボタンを押されたような呪い。成長できず、赤ん坊のままの人生。この口調だ、おそらく私の何倍という時間を生きてきたのだろう。

 

(ああ…そら私なんかとおんなじちゃうわ…)

 

想像を絶する、呪い。死を恐れる私とは根本的に、正反対の位置に彼らは存在しているのだと、ようやく理解した。

 

「アルコバレーノの呪いは、私の天才的な頭脳を持ってしても解明できない謎だ。だからこそ、新たな手がかりであったその黒い炎の解析をすべくわざわざ日本くんだりまでやってきたわけだ」

 

「はい?それと火に何の関係が?」

 

「……ハァ」

 

(こいつため息吐きやがった!!!)

 

呪いをかけられた、なんて非科学的なことを100パーセント信じたわけではないが、目の前の彼らがどれだけ切羽詰まった状況でいるのかは理解できた。その上で、その境遇に可哀想だと思ったし、助けになってあげてもいいと思った。だというのに、舌打ちの次はため息?事情を何も知らない一般人相手に何て態度だ。

 

「私は雷、バイパーは霧。それぞれの属性のおしゃぶりを持っている。緑と、藍の炎だ」

 

ため息を吐きつつも説明しようという意思はあるらしい。釈然としないもののヴェルデの言葉に気になる点があった。

 

「…炎?え、なら私の黒い炎が第8の属性っちゅうことは、あんたらの他にあと5種類の属性っちゅうか5色の炎と人がおるわけ?」

 

「やっと理解したか…。やれやれ、これだから凡人と話すのは疲れる」

 

「天才のくせに凡人に分かる筋道立てて話せんのか」

 

「いや、全くだな。失礼した。アルコバレーノ関係者であるという想定であったが故に、頭の出来がこの程度とは思いもせずに話していたようだ」

 

「腹立つなこいつ」

 

そんなんだから呪われたんじゃねーの?とは言わないけど。いや、言ってやりたいけど。しかも見た目は可愛い赤ん坊の姿っていうのがまた腹が立つ。

 

「そこで、だ。その黒い炎をサンプルとして摂取したい」

 

「いくら出す?」

 

半ば反射のように尋ねた私に、ヴェルデは目を丸くして呆気にとられたようだった。そしてふくれっ面だったバイパーがここで初めてニヤリと口の端を上げて笑った。

 

「そうだね、お金の話は大切だ。こいつから搾り取れるだけ搾り取ってやればいい」

 

「あなた方、私より年上やんね?ぜひ搾り取り方をご教示いただきたい」

 

「そのうち2割寄越すなら考えてもいいよ」

 

出会ってようやくバイパーの楽しげな笑みを見ることができた。そしてやっとヴェルデに一泡吹かせてやることができた。年齢も人種も立場も、何もかもが違う彼らと、今ようやく普通に喋れた気がした。

 

「…嫌な子どもだな。ろくな大人にならんぞ」

 

「大丈夫。今度は間違えないから」

 

お互いを理解したが故のブラックジョークに、存外悪い人たちでもないんだな、と根拠もなく思ってしまった。

 

 

 



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0.8・お尻に火がつくまでは

 

 

 

やった、やり遂げた。ニヤリと笑って、私は渾身のガッツポーズをした。ああ、前世では空間認識力が低くなくて地図の読める男みたいな女と上司に嗤われていたけれど、そんでもってそのせいで徹夜で倉庫整理とか事務以外のクソ雑用させられたりしてたけども、持ち前の頭が活かせてよかった!まさに来世に期待ってやつだったらしい。ヒャッフー!

 

「綱吉、おはよう!」

 

「うっわ!!?あああ燈っ!?なんでここに!?いつからいたんだよ!?」

 

「今さっきやけど…てか綱吉、ちょっとは部屋片付けぇや。奈々さん怒るで」

 

「余計なお世話だよ!」

 

顔を真っ赤にして布団に潜り込んだ少年、沢田綱吉はこの数年で背も伸び大きく育った。第三者目線で見る他人の成長過程はなかなか楽しいもので、名前からちゃん付けが消えた時点で反抗期が来たのだとワクワクしたり、チワワにビビりつつも気にしていないフリをしたりと、面白さ満載で密かに楽しませてもらった。

 

「そんなことより燈がなんでここにいるんだよ。ドアの開く音とかしなかったのに」

 

「そらまあ、いつものマジックで人体飛ばしてみたからとしか言われへんけど」

 

「そんなことまでできるようになってたのか…」

 

信じらんねー、と言いたげな目だが、これは尊敬の眼差しではなく、変なものを見る目だ。何年とツレ扱いされてきた私には分かる…分かるぞ!

 

「今んとこ家からここまでが限界やな。昨日は沢田家玄関先までやったけど、ちょっとずつ飛距離伸ばせとるわ」

 

アスファルトに紛れるようにして、地を這うように薄く炎を広げる方法や、その範囲を広げる練習を続けて早数年。練習すればするだけ成果が出るというのはこんなにもモチベーションが上がるのか、と元文系女子としてようやく体育会系のスポ根を理解できたような気分である。

 

(もう黒い火は怖ないし。出し入れもコントロールできるようになったし。時々売って小遣い稼ぎもできとるし)

 

あの出会い以降、年に1、2回程度だがヴェルデから連絡が来る。連絡と言っても炎を入れるケースと小切手がセットで届くだけで、メッセージカードの1枚もないのだけれど。バイパーからは連絡先をもらっただけで音沙汰無し。黒い炎について何か分かった場合と、仕事の依頼の場合は連絡してこいと言われた。ちなみに後者はヴェルデから搾り取った金額を見てから言われたことだ。いつか彼とは貯蓄と今後の人生設計について熱く語りたい。

 

「お前は何目指してんだよ…」

 

「よくぞ聞いてくれました!最終目標は始業数分前に起きても学校に間に合うようにすることや!」

 

「ろくな使い方じゃないし!」

 

着々と綱吉のツッコミスキルがレベルアップしていることにも大満足だ。前世の感覚からして、おしゃべりするならこうでないと落ち着かない。

 

「それよか綱吉、そろそろ学校やで」

 

「えっ!?今何時!?」

 

「8時」

 

嘘である。現在は7:30だ。まあ、今から起きたらちゃんと朝ごはんを食べて学校に向かえるだろう。

 

「なんでもっと早く言わないんだよ!!!」

 

「いや、私は間に合うし」

 

炎でちょいちょいっと飛べばいいのだから。余裕綽々で片手うちわをしてみせると、恨みつらみのこもった涙目で睨まれた。ハイハイ、そんな顔してる暇があるなら着替えなさいね。私がいるというのに着替え始めようとするので、肩をすくめて階下に向かうことにした。別にショタの着替えなんて見たって何とも思わないけれど、中身的&倫理的にアウトな気がする。あと、綱吉にはちょっとは女の子ってものを意識して恥じらいを身につけてもらいたいところだ。

 

「奈々さん、おはようございますー。今日も美人さんですねぇ」

 

「おはよう、燈ちゃん。美人だなんてやだわぁ、照れちゃう!」

 

相変わらず年齢の分からないような可愛いらしさで、奈々は卵焼きをくるくると綺麗に巻きながら器用に照れていた。信じられるか?こんな人が人妻で年頃の子持ちなんだぜ?前世と合算すると私より若い女の子なのに、すごいものだ。でも危機感は皆無らしい。私が挨拶もなく家に上がり込んでも普通に接してくるし。…そのうち変なセールスに引っかかるんじゃなかろうか。

 

「ツナはもう起きてた?」

 

「ええ。もう8時やーて言うたら飛び起きてましたわ。あとそろそろ部屋が散らかってきてますわ」

 

「あの子ったら!私が片付けると怒るのに、いつまで経っても自分でできないんだからーっ!」

 

プリプリと頬を膨らませて怒りつつ、その手の動きは実に滑らかだ。味噌汁を注ぎ、白米をこんもりと盛り付け、焼き魚と味のよく染みていそうな煮物とおひたしの小鉢を置いて、かと思えばお茶を注いでいる。くるくると踊るようなその動きは見ていて飽きない。うちの母親も年々そうなってきているけれど、料理をする母親の姿というのは一種の憧憬でも誘うのだろうか。昔はなんとも思わなかった光景なのに、中身が歳を重ねて涙腺でも緩んできているのか、たまに泣きたくなる。

 

「はい、燈ちゃんもどうぞ」

 

「ああ、おおきに。いただきます」

 

氷の揺れる煎茶がなみなみと揺れるコップが目の前に現れた。いつの間にか沢田家に私専用のコップや食器が用意されていたっていうのも、彼女の人の良さを感じるというか、優しすぎるというか、放っておけない点というか…。たった一度しか会ったことのないあの綱吉の父親も、彼女のそういう所に惚れたのだろう。

 

「燈ちゃん、いつもありがとう。あの子の面倒を見てくれて」

 

「や、別に大したことしてませんし」

 

「ううん、十分大したことよ。あの子が小学校のお受験で落ちちゃった時だってそう。本当は燈ちゃんは受かってたんでしょう?」

 

「あー……や、小学校が私立やとお金かかるんで。もともと中学ぐらいから行こかなって思てたんで」

 

幼稚園で我が子の輝かしい未来についてどの親たちも夢いっぱいになっていたのか、流行病のようにこぞってお受験に沸き立っていた時期があって、うちの両親も流されるように小学校お受験に私を参加させたのだ。

 

(ま、当然合格したけどさ…)

 

しかも主席で。そりゃそうだ、こちとら今から難関大学に受験するための勉強をしているような、社会人経験済みの幼児なんだから。ただし、綱吉が落ちたから私も入学をやめた、というのには語弊がある。本音で言うと、あの小学校に入ると特別勉強しなくてもエスカレーター式で高校まで行くため、大学は狙っているところに行けない可能性が高かったのだ。あと奈々にも言ったように、小学生6年間分のお金が余計にかかるし。それなら、私立の女子中学校である緑中に行く方が合理的だっただけにすぎない。

 

(親にも理詰めで説明したら納得してもらえたし)

 

「あと、小学校ぐらいのびのび生活したいんですわ」

 

「ふふっ、不思議ねぇ。燈ちゃんと話していると、まるで大人の女性と話しているような気持ちになっちゃうわ」

 

やめて。無自覚に核心に触れてくるの、やめて。心臓に悪いから。ニコニコ笑う奈々を前に、どう話題をそらすべきかと視線を漂わせた頃、ようやく準備ができたのか綱吉が部屋から転がるように走り降りてきた。

 

「母さん行ってきます!!!」

 

「ちょい待ち、綱吉」

 

「なんだよ!燈と違ってこっちは走らなきゃいけないんだぞ!?」

 

「はい、時計」

 

「へ?」

 

壁から拝借した時計を見せた。その時の綱吉の顔はもう、見ものだったとしか言いようがない。性格悪くニヤニヤと笑う幼馴染と母親を睨んで半泣きな姿も見られるのは今だけだろう。子どもの成長って早いもんなぁ…。しみじみ。

 

「ほら、奈々さんがごはん用意してくれてんのやし、はよ食べ食べ」

 

「そうよぉ。昨日はせっかく用意したのに残していっちゃうんだもの。お母さん悲しくって…」

 

「分かったよ!食べるよ!いただきます!!!」

 

乱雑に箸を掴んで食べ始めたので、奈々と目配せして笑った。反発しながらも言うことを聞いているあたり、まだまだ素直なお子ちゃまだ。

 

「そういや綱吉、宿題ちゃんと終わらした?漢字の書き取りと算数のドリル」

 

「……あっ!ゲホッゴホッ」

 

今思い出したとばかりに驚いた声を出して、直後にむせた。毎度毎度騒がしいやつだなぁ。あと今日も宿題やってないのか。

 

「で、どっち?」

 

「…算数。なあ、燈…」

 

さっきまでの怒りはどこへやら。上目遣いで様子を伺ってくるというのは一種の合図のようになってしまった。

 

「オッケ、学校で教えちゃる。せやからはよ食べ。けどしっかり噛むんやで」

 

「うんっ!」

 

モリモリと食事を口に入れて、言われた通りよく噛んで食べている。中学に入って綱吉が1人で宿題をできるようになるっていうのが目下の目標なのだが、このペースで大丈夫だろうか。言っている間にもう中学生になるぞ。

 

「中学に入って燈ちゃんがいなくなったら不安だわ…。家庭教師でもお願いしようかしら」

 

「や、やめてよ母さん!別に燈がいなくても………勉強ぐらい、できるし…」

 

(あっ、こりゃ無理だな)

 

綱吉から滲み出る『無理です』オーラが目視できそうだ。

 

(家庭教師ねぇ)

 

沢田家では綱吉の父親(仕事内容は不明だけどブラック企業確定)がしっかり稼いでいるから家庭教師ぐらい大丈夫だろうけど。

 

「…ま、なんとかなるやろ。人間、死なんかったらかすり傷や」

 

「物騒すぎだろ!そのデッドオアアライブな考え方やめろよ」

 

「しゃーないやん。これが私なんやし」

 

ああ、今日も奈々さんの入れてくれた冷たいお茶が美味しい。

 

 

 



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0.9・非日常への誘蛾灯

 

 

 

小学校を卒業して、中学校に入学しました。前々から言っていたように、家から通える女子中学校、緑中だ。綱吉も我が子の輝かしい未来に夢いっぱいな奈々さんに半ば強制されて中学お受験をしたけれど、見事に惨敗したらしい。ドンマイ。けど綱吉には公立の並盛中学でちょうどいいんじゃなかろうか。受験をして入学するような子ばかりの中で綱吉がのびのび成長できるかというと疑問だったし。

 

「ど?最近学校は」

 

「別に…フツーだよ。燈の方はどうなんだよ。友達は?」

 

週末になって帰路の途中にある沢田家を覗くと、綱吉に部屋まで引き入れられた。顔中に不満が散りばめられているってことは、親の期待通りの輝かしい中学生活は過ごせていなさそうだ。

 

「んー…友達?っちゅーかめっちゃおもろい子はおるわ。なんややることすること全般的におもろいねん。そのうち裸踊りでもしそうな感じ」

 

この間なんて兜の被り物して登校してきたし。周りは苦笑するかドン引きしていたけど、私は元気いっぱいな女の子は好きだぞ!もちろんおとなしい女の子も大好きだけどな!幼稚園、小学校と周囲の幼稚な男の子たちを見ていたからか、女子中の子たちはみんなみんな可愛く見える。授業中にウンコとか言わないしスカートめくりとかクソみたいなことをしないし。天使かよ。

 

「え、緑中って女子中じゃなかった?」

 

「だからこそやん。調子乗った男子が裸踊りしたとこで大しておもんないわ。あ、綱吉がやったらウケんのちゃう?知らんけど」

 

適当なことを喋りつつ、数学の宿題を黙々とこなす。使うなと言われている電卓を叩く指は今日もプロのピアニストばりに軽やかだ。なんたって前世から修行してますから。

 

「おまっ…ハァー……昔からホント適当だよな…」

 

「あっ。そんなん言うんやったら勉強見たらんで」

 

「ごめんなさい」

 

謝罪とともにずいっと差し出されるプリントを取り上げて、首をひねった。これのどこが難しいんだ。普通の方程式だぞ。

 

「どこが分からんの?それとも最初から説明した方がええん?」

 

「最初からで」

 

「オッケ。えーとな、このXってのがあるやん?こいつな、ただの記号やねん。別にAでもBでもええねん。けどなんや謎なモンは世界基準でXって決まっとんねん。容疑者Xとか言うやろ?」

 

「うん」

 

「でな、数学っちゅうんは大抵が謎解きゲームやねん。せやなぁ…たとえばこの式、『7=X+3』。7にするためには3と何足したらええんやっちゅーやつや」

 

「え、4だろ?」

 

「当たり。今頭で何したん?」

 

「えっと、7から3引いた」

 

「そうそう、できとるやん。それを紙に書くと、イコールの右っ側の3を、イコールの左っ側に動かすねん。でもって、イコールを乗り越えたら、マイナスがくっつくか、マイナスがが消えんねん」

 

「…なんでだよ?」

 

「知らん。私数学の先生ちゃうし。イコールの反対側っちゅうんはゲームの反転世界みたいなもんなんとちゃう?」

 

「ふぅん」

 

(あかん!もう一次方程式に行っとんのに、マイナスの概念が置き去りになっとる!基礎抑えとかんと躓くん早なるやん…!)

 

徐々に目に見える形になってきた、綱吉の学力への不安。これはいよいよ奈々の言っていた家庭教師を雇う必要が出てきているんじゃなかろうか。ちなみに緑中ではもっと先まで教えられていて、長方形に引かれた2本の線の交わる点がどうこう、という問題が宿題で出ている。今さらこんなレベルで解く手に迷いが生じることなどはないが、綱吉やクラスメイトを見ていると、普通の子はこうなんだな、と改めて関心してしまう。ある意味、そもそもの土台自体が違うことに後ろめたさもある。だからこそこうやって罪悪感を紛らわせるように綱吉に勉強を教えているのかもしれないけれと。

 

「じゃ、後はさっき言うたんを元にしたら全部いけるはずやから」

 

「おー…ありがとう」

 

「いーえ。お礼は出世払いでええで」

 

「はいはい」

 

小学生の頃から毎回毎回言っているからか、割と本気で言っているというのに、だんだん流されるようになってしまった。そろそろネタを変えるか、と思いつつ炎を広げて自室へと飛んだ。

 

(学校までっちゅうんはまだ道的に怪しいんやけど、やっぱ綱吉の部屋と私の部屋は安定やな)

 

学校までの道のりは途中で工事をしているところや人通りが多いところもあって、不用意に炎で飛んでしまうと危険な目に合うからだ。いくら私が地図が読めて空間把握ができると言っても、突然ルートの途中に障害物が現れることは予測できない。それに対して部屋と部屋なら突貫工事をしていることもないし、比較的安全に行き来ができる。…綱吉が部屋をちゃんと片付けていて、足元にゲーム機を放っておくなんてことをしていなければ、だけど。

 

「…はよ大人になりたいわぁ」

 

学生はめんどくさい。憂鬱だ。何が悲しくて箸が転がっても笑う年頃の子どもたちにまみれながら第二の人生を送らねばいけないのか。

 

(あ、あかんあかん!明るい未来のためや!ファイオーッ!)

 

いざとなったらヴェルデからの小切手を換金して…質素に暮らせば死ぬまでいけそうな……いやいや、さすがにそれはやめておこう。最終手段にしよう。入学からわずか2ヶ月、周囲に対する気力疲れを感じつつ勉学に励みつつ時々綱吉の様子を見に行った。過保護というなかれ、単に心配性なだけだ。

 

(あんま面倒ばっか見るんもあかんねんけど、なんやろ、綱吉見とると子離れできない親的な目線になんねんよな。…うわっ、我ながらキショイわぁ)

 

せめて楽しげに学校の話でもするようになったら安心できるんだけど。そんなある日、玄関先でチラシを手に興奮している奈々に会った。とうとう怪しいセールスにひっかかったのか?

 

「奈々さん、こーんにーちはー」

 

「あっ、燈ちゃん!聞いて聞いてっ!ついにうちも家庭教師を雇うことになったのよ!」

 

「へ?家庭教師を?あの綱吉が?マジですのん?」

 

「うふふ、そうなの!格安でね、うちに住み込みで来てくださることになったの!あの子、最近学校もサボって帰ってくるでしょ?もう住み込みの家庭教師しかないなって思ったの!」

 

学校をサボって帰ってきていたとは。どうりで最近学校の話をしても濁すわけだ。格安。住み込み。飛び上がってやる気に満ちる奈々には悪いがそれはアウトだ、怪しさしか感じない。てかチラシのうたい文句も怪しさ満載。なんだ、次世代のニューリーダーって。

 

「………奈々さん、それ、怪し…」

 

「あと3時間ほどで来てくれるんですって!連絡したらすぐ対応してくれるなんて、さすがよね!」

 

(あかん!手遅れやった!)

 

これはもうどうしようもない。というか、家庭教師はともかく、住み込みとかそういうのは先に旦那に相談しなさいよ。浮かれた奈々さんよりあの人の方が判断力ありそうなのに。

 

(しゃーない…そいつが変なんやったら私が追っ払うしかないやん)

 

いつも世話になっている奈々のためだ、どこまでできるか分からないが沢田家のためにも頑張らせてもらおう。

 

「……家庭教師、どんなんか気になるんで、3時間後にまた来てええですか?」

 

「ええ、もちろんよ!お夕飯も食べて帰る?」

 

「や、うちの母親も用意してくれてはるんで。ほんならまた後で」

 

ニコニコと手を振って送り出してもらいながら、頭をフル回転させた。まずいぞ、まずい、まずすぎる。相手が犯罪者とかだったらどうするんだ。沢田家が一家皆殺しとか、そんなのニュースで見たくないぞ。今からなんとかして綱吉の父親に連絡を取れるだろうか。けれどそもそも連絡先など知らない。

 

(くっ……ティモッテオさんに連絡するか…?)

 

悶々と悩みながら家まで歩いていた。その時だ。

 

「ちゃおっス!」

 

「っ!?」

 

突然かけられた声に、しかも気配もなく思いもしないような低い位置からの声に驚いて、言葉も出せずびょんと飛び跳ねてしまった。怖っ!心臓が口から飛び出るかと思った!

 

「お前が沢田綱吉の幼馴染の夜野燈だな。オレは家庭教師のリボーンだ」

 

「か、家庭教師!?」

 

「よろしくな」

 

まるで心を読んだかのような、タイムリーすぎる『家庭教師』を名乗る存在の出現。あまりに良いタイミングすぎる。そして外国人の面影と流暢に日本語を喋ること、スーツを着てブレなく直立する不気味な赤ん坊姿、そのどれもが記憶の一部に引っかかった。決定打は胸元の黄色のおしゃぶりだった。

 

「……黄色いおしゃぶり…ああ、なるほど」

 

謎が解けて、胸に渦巻いた気持ち悪さが信用へと昇華する。なんだ、ヴェルデたちと同じ、呪われて赤ん坊になった人か。世の中には不思議が詰まっている。今回現れた彼は黄色の炎の人なんだろう。おしゃぶりが黄色だし。

 

「はじめまして、夜野燈です」

 

「……お前、黒い炎が出せるんだってな?」

 

目が、怖い。帽子の影から無機質な目に全身をスキャンされているような気持ちになる。やはり、彼も只者ではない。理性的で理知的な成人の雰囲気を感じる。見た目は普通に赤ん坊だけど。

 

「ああ、まあ。っちゅーかヴェルデさんらから聞いてへんの?」

 

「…ヴェルデと、誰だって?」

 

「え、誰ってバイパーさんやけど」

 

「…なるほどな。あいつら隠してやがったのか」

 

「はあ…?」

 

どうやらヴェルデたちから話を聞いていなかったらしい。微かに舌打ちが聞こえた。バイパーといい、赤ん坊の姿だというのに舌打ちできるなんてすごいな。私は前世の記憶を取り戻した時はまだ舌の筋肉が発達していなかったのか言葉が拙くて、体の動きもフニャフニャだったぞ。

 

(ってか呪いかけられた同士、やっぱ顔見知りやねんな)

 

でもって情報共有はしてなさそうだ。個人主義というか、各々の個性が強すぎるというか。せっかく同じ境遇の仲間がいるのなら仲良くすればいいものを。

 

「ま、ええわ。ちゃんとした家庭教師やったらええねん」

 

「ちゃんとした家庭教師な。まあ、オレにかかればどんなダメダメも立派なボスに仕上げてやるぞ」

 

「もう社長決定かい」

 

すごいな。中学の勉強、その先を見越した家庭教師をするということか。ヴェルデやバイパーの例からして、頭の中身は一流なんだろうし、本当に綱吉を社長に仕立ててくれそうだ。

 

「期待しときます。綱吉がホワイト会社設立したらぜひ就職したいんで」

 

真顔で宣言しておいた。綱吉なら我が身を犠牲にしてでも、部下に仕事の押し付けをするようなクソブラック上司にはならないだろう。むしろそんなことをするようなら、幼馴染の特権でその考えを叩きのめせる。社長だけど顔見知りで、給料払ってくださいとか無駄に頭を下げなくてもいい社長。リストラやセクハラ、パワハラに怯えて顔色を伺う必要もなく、こちらの考えを堂々と言える社長。なんて使い勝手のいい社長だろうか。内部事情をろくに知らない大手の会社に就職するよりずっとホワイト会社らしいホワイト会社にしてくれそうだ。

 

「綱吉のことよろしゅう頼んます。普段はあんなやけど優しいええ子やし、持ち味活かした教育をしたってください」

 

「ああ、まかせろ」

 

この時、ニヤリと怪しげに笑う顔をろくに見なかったのは、私の失敗だったとしか言えない。この時の私は奈々のことをどうこう思うことなんてできないくらい、自分たちの輝かしい未来の夢に溺れていたのである。

 

 

 



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