或いは、あなたが共にあれば (ぱぱパパイヤー)
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第一話 目覚め-出逢い

ブラボ今更ハマった。

オリ狩人さんは倫理マシマシ常人精神からスタート。最初は啓蒙0なので…。


――ああ、酷い悪夢を見た。

 

 男は目を覚まし、診察台から身を起こした。

 悪夢の内容は断片的で、何処までが実際にあったことなのか、分からない。夥しい血痕は確かにそこに存在したのだが、しかし車いすの老人も、血だまりから現れた獣の焼死体も、そこには存在しなかった。

 

 視界に入るのは、夢と同じ暗く静かな病室だ。……ここは一体何処だろうか? 男は、この病室を知らない。辺りを見渡すが、暗がりの中ではぼんやりとした輪郭しか捉えることが出来ない。鼻腔にはエタノールと――血の臭いが入り込んでくる。

 

 血――そういえば、輸血はどうなったのだろう。そうだ自分は……「青ざめた血」を求めて、ヤーナムへと……?

 それ以上は、頭の中に靄がかかったように思い出せない。腕を持ち上げて確認すると、包帯が巻かれている。どうやら、目的である輸血は成されたようだ。

 

 己の中で確かな記憶はそれだけだったものだから、ほっとした。今やこの頼りない包帯だけが、男の唯一の縁らしかった。目覚めてから暫く、この場所、ここに居る理由、自分は誰なのか……じっと考え込んでみたが――男は、自分がここに至るまで、どんな人生を歩んできたのか。その何もかもが、思い出せなくなっているのだった。

 

 他に何か手がかり、もしくは人は居ないかと、診察室を離れ、灯りのない院内を歩いていく。何処か遠くの方から、野犬の鳴き声がしている。

 見える範囲を歩き回ったが、他に特筆すべきことは無く、男に輸血をした老人も、その他の人間も見られなかった。

 

 兎角、外に出ようと探索する内、出口と思しき方から水音のようなものが聞こるのを、耳が捉えた。ようなもの、というのも、何かを食いちぎるような音や、荒々しい呼吸音がそれに伴っており、単純な水の奏でる音とは思えなかったからだ。

 一抹の不安を覚え、忍び足で近づいていく。想像通り、廊下の終わりには玄関扉があり、その手前の小部屋には――灯りのない闇に溶け込むような、不気味な獣が這いつくばっていた。

 

 こんなにも大きな狼は寡聞にして知らないが、人間ほどの大きさの狼、というのが一番近い表現だろう。

 先ほどから聞こえる水音は――その獣が、人間を食らう音のようだった。

 

 そっと身を潜めてやり過ごそうとするが、獣は敏感に反応し、男を鋭く睨んだ。理性を感じさせぬ蕩けた瞳孔が男を見つめ、たちまちの内に肉薄した巨躯が、鋭い爪が振り翳された。

 

 咄嗟のことに、男はどうすることも出来ず、その攻撃を食らってしまう。体躯に合った膂力で振るわれた爪が自身の腹を容易く裂いていった。必死で身をよじり二度目の爪を避けたが、痛みと失血でそれは幼子のように緩慢な動作だった。

 

 既に致命傷を負っていることはなんとなく理解できたが、ただ漫然と死を待つことも出来ず、男は力を振り絞り、弱弱しくも牽制のつもりで拳を振るう。しかし、獣は抵抗など意にも介さず、再度その爪を男へと突き立てた。

 

 痛みを感じる。体から、血が失われる。力が抜ける。ああ、血が……! 血を……! このままでは、失ってしまう……意志が……。

 

 視界が狭まり、体温が、音が、全てが消えていく。男は死を自覚し、抗えぬ永遠の眠りに、静かに目を閉じた。

 

 

 

――月光の香りを嗅ぎながら、男は身を起こす。

 

 自身が死んだという記憶を持ったまま、男はここに立っていた。まさか、あれも輸血の後の、出来の悪い悪夢だったのだろうか。男の意識はまだ続いていた。

 

 ここは死後の世界だろうか。神の裁きもまだ受けぬ身だが、眼前には花が咲き誇る美しい墓地が広がっている。緩やかな丘の上には屋敷があり、その階段の下には突拍子もなく人形がうち捨てられていた。

 

「……フン、フフン……」

 

 一通り体を動かし、傷がないことを確認していると、耳に微かに触れるように、小さく鼻歌が聞こえることに気づいた。甘く優しい歌声だった。ここに誰かが居るのだ。

 

 澄んだ少女の声に惹かれ、不気味な祭壇が並ぶ敷石の道を上っていく。自分はどうなったのだろうか。この声の主は、本当に人間だろうか。幾つかの不安を抱きながらも、記憶のない真っ白な男は、歌に惹かれるように声の主へと近づいていく。はたして、男の直観的な妄想とは違い、そこにはきちんとした人間が居た。

 

 それも――息を呑むほどに美しい、少女が居た。

 

 少女の、レンゲの蜂蜜のような色の長い髪は、たっぷりとした光沢を持ち、彼女の横顔に美しくかかっている。白いフリルが施されたドレスを身に纏い、青いリボンでその髪を留めていた。その少女は小さな花のような儚さで、今にも空に溶けてしまいそうな、不思議な空気を纏っていた。

 

 少女の見事な意匠の服飾は、彼女が上流階級の存在であることを示している。男はそれに目を止め、声をかけることを躊躇う自分を自覚した。……どうやら男の生まれは、高貴な身分ではないらしい。

 

 とはいえ、男には記憶がない。何も分からないのだ。やがて男は、異様な現状に心が急かされ、少女へと話しかけた。

 

「……フン、フンフン……」

 

 だが――鼻歌は止まず、少女の目は男を捉えない。どこか違和感を覚え、男はおずおずと、手を彼女の目の前に翳してみたが、彼女は変わらず、空に昇る月を一心に眺めており……男の声も姿も、彼女には届いていないようだ。これでは、話など出来はしない。

 

 人の気配に高揚していた男は肩を落とし、その場を離れ墓地を散策する。屋敷の玄関を目指す階段を上っていると、その途中で不気味な小人が身を乗り出し、男へと、武骨な斧と銃を与えてくれた。彼らは悪夢で、男の体に集った小人と同じものに見える……。ここはやはり、夢の中の世界のようだった。

 

 階段の最上階、屋敷の扉は、しかし固く閉ざされていた。男は手がかりを求め、階段沿いに墓石を見て回り、その内の一つに、不気味な小人――使者が集まっている場所で足を止める。それに気づいたか、悪夢の使者たちが何かを促すように呻いた。男は応えるように、その墓石に手を触れる。

 

 そして――内臓が浮くような奇妙な感覚と共に、男は再び、夢から目覚めたのだった。

 

 

 

 斧と銃を手に、男は診療所にて立ち上がる。先ほどと異なるのは、獣を殺すための凶器がこの手に握られている点。そして、この先に何が居るのかを、既に知っている点だ。

 

 再び進むと、あの死の経験が夢幻ではない証拠に、記憶の通りの道が続く。そして、同じく大きな獣も。男は仕掛け武器を構え、大きく振り下ろす。先ほど獣の爪が男に食い込んだように、男の斧は、獣の臓腑を切り裂いた。返す刃で切り上げると、跳ね飛んだ獣臭い血が降り注ぐ。その暖かい血液と共に、男の体に力が――血の遺志が、満ちていく。

 

 一度は自らを容易く殺した怪物の返り血を浴びる感覚に、男は酔いしれる。斧からピタピタと滴り落ちる血の音に興奮し、男は今宵、初めて狩りの快感を知った。

 

 

◆◆◆

 

 

 見知らぬ街ヤーナムを徘徊し、男は獣を狩り殺していった。正気を保った人間は殆どおらず、何処もかしこも獣だらけだ。

 

 男は何かに突き動かされるように、何処かに籠るでもなく、自ら危険な街中を進んでいく。街を闊歩する人型を保った獣たちは、それを邪魔するように、強烈な殺意の元、男に襲い掛かってきた。

 

 だが、彼らは正常な意識を失っても尚、男と同じように、火を持ち、獣を狩ろうとしているように見えた。人の残滓が見える者を殺すことに、男は多少の後味の悪さを覚えざるを得なかった。

 

 男が彼らを殺し尽くし、まともに会話の出来た異邦人ギルバードに聞いた大橋へと向かうと、甲高い悲鳴のような鳴き声が聞こえた。それは目覚めてすぐ、ギルバードの家の近くでも聞こえた、怪物の咆哮だった。

 

 橋の中腹に来た辺りで、遠くでドォン、とレンガの砕ける音がした。遅れて、目の前に全長五mほどの恐ろしき怪物が、どすりと降り立つ。怪物の物悲しい咆哮が、男に威圧を叩きつけた。

 

 しかして、咆哮のせいだろうか。その悍ましき威容を目にした男の身に――ふらりとした“眩暈”が、襲い掛かった。はて、威圧に怯んでしまったのだろうか……。吐き気を催すような、得も言われぬ眩暈をなんとかやり過ごすと、どうしてだろう――男は何に教えられるでもなく、一つ新たな知見を得ていた。

 

 この獣こそは、聖職者の成れの果てだ、と。

 まるで大橋を渡る者を赦さない、とばかりに立ち塞がる獣にも、しかし男は躊躇いなどない。殺すことへも死ぬことへも、彼は一切恐怖を感じていなかった。

 

――男は、かつて敬虔な信徒であっただろう獣も、例外なく狩った。

 

 はあ、はあ、と乱れた息が整うのを待つ。それが終わって、辺りがしんとして初めて、男は構えを解いた。

 

 狩りを終えると、脳の奥に、じわりと染み入るような”光“が満ちるのを感じた。視界が広くなったような不思議な心地は、先ほどの眩暈をより強くしたような、尋常ならざる感覚だった。首を振って振り払おうとすると、それは馴染んで消えていく。ただ、気のせいか、目の前が少し見やすくなったような、視界が広がったような……。

 

 倒れ伏した獣の骸は灰となり、跡には夢の気配を纏った幻想のランタンが現れる。使者に促され、再び男がそれに触れると、彼は灯火から、夢へと戻っていった。

 

 

 

 死んだあの時と同じ、白い花の咲く墓地で目覚め――そこへうち捨てられていたはずの人形が立ち上がり、男へ狩人様、とはっきりと呼びかけるのを見た。

 

 一瞬武器を構えたが、彼女に敵意がないことを悟り、体から力を抜く。心当たりは、あった。あの”不思議な感覚“だ。恐らく、変わったのは人形ではない。変わったのは、男自身――男の思考、物の見え方。

 

 ここには、元から人形が在った。今もここには人形が在る。何も変わらない。男には、捨てられていた人形が動いているように見える。それだけだ。

 

 未だ、夢の世界には、鼻歌が響いているようだった。人形が動いたのだから、もしかすると、と思い立ち、少女に近づき、もう一度話しかける。

 

 少女の青い瞳は――男を遂に見つめた。

 

 男を見る少女の目は、青く、深く、美しかった。瞳の奥に、星のような輝きが見え、それは宇宙のようだった。男は、吸い込まれるようにその”瞳“の煌めきに見入った。自分の胸の拍動が、やけに大きく聞こえてならなかった。

 

「貴公は、狩人だろうか? ああ……よく、分からない。……見えないし、聞こえない……。貴公を、感じられない」

 

 男は困惑し、何度か言葉を重ねたが、少女は応えない。言葉が届いていない。その上、こちらを見つめてはいるものの、男の姿が鮮明に見えている訳ではないらしい。……だが、落胆することはない。男の姿は、彼女の目に映った。同じように、いずれ声も聞こえるようになるだろう。

 

 獣を狩るのだ。獣を殺し、あの“不可思議な頭蓋への感覚”を得られれば、きっと彼女に近づくことが出来るに違いない。獣を殺し続ければ、いずれはこの甘く涼しい声と話すことも出来るはずだ。

 

 なんにせよ、少女と話すことは現段階では不可能なようだ。名残惜しくも見切りをつけ、閉ざされていた扉の開いた屋敷へと次の興味を移す。武器の整備の道具や情報など、何か使えるものがないかと踏み込んだ。

 

 中には、車椅子に座った老人が居た。彼はゲールマンと名乗り、男を見つめ、しゃがれた声で話した。彼が男へ与えたのは、助言だった。獣を狩れ――それこそが、男の目的に通じる唯一の道である、と。

 

 何人もの狩人を見てきたという助言者へと、男は少女について問うた。彼ならば、あの少女と言葉を交わしたこともあるかもしれない。しかし、ゲールマンは目を細める。

 

「……それは、私には見えない者でね。ここを訪れた狩人は、ある時期を境にみな、口々にその少女について語った。曰く、酷く美しく、甘い声をしているのだと……」

 

 ゲールマンは小さく頭を振った。

 

「私にはやはり、見えないな。そこには、花があるだけのように見える。……ただ。獣を狩れば狩るほど、その少女と、意志の疎通が出来るようになる、とか……」

 

 なれば、やはりやるべきことは変わらないだろう、とゲールマンは締めくくる。男は漠然とした理不尽に思うところもあったが、何もかもを失った自身の、唯一覚えている「青ざめた血」という目的、そして――あの、美しい瞳の少女のため、獣を狩ることを決意した。

 




<●>7
聖ケモ邂逅+1
聖ケモ撃破+3
少女の目を見る+3


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第二話 智慧-確信

 大橋が使えないのなら、下水道を使うしかないのだ、という提言に従い、男はそちらの道を選んだ。

 医療教会ならば、「青ざめた血」について知っている可能性が高く、また順当に考えて、この排他的な者ばかり住む住居区域では、大した情報は得られないだろう。男は、この薄暗い街の最奥へと進まねばならない。

 

 その障害となる者は、獣は、取り除かねば。例え、目の前で獣に変貌したばかりの人間であっても。

 

――男は、かつては娘を持つ一人の父親だった獣を殺し、斧の血を振り払った。

 

 獣が崩れ落ちる。すると、あの、脳に知恵の水が湧き出る奇妙な感覚が溢れる。まるで何事もなかったかのように灰となり消えた獣の下に、小さなランタンが見える。それに触れ、男は少女の逢瀬に期待しながら夢へと潜った。

 

 

 

 男は人形と話し、男の殺した獣たちの血の、その遺志を力へと変える。人形は口ぶりからして、随分と夢に長く滞在しているらしい。ならば、と男が少女について尋ねると、ゲールマンとは異なり、目を伏せて滔々と語り始めた。

 

「あの方は、この狩人の夢に囚われているのです。千々に分けられ、飲み込まれ、食らわれて……。狩人様、あなたならば、或いは……どうか、あの方をお救い下さい」

 

 人形が憂いを帯びた目を向けた先で、少女は変わらず、月を眺めて歌っていた。彼女は、”食らわれた“のだと人形は言う。それが何を意味するのか、完全な理解は及ばずとも、物言いからして、彼女の本意ではないことは明らかだった。まず間違いなく良い意味ではあるまい。

 

 男は華奢な少女を無性に憐れみながら、彼女の前へと歩を進める。すると彼女は――男の足音が聞こえたかのように、振り返った。

 

「貴公、やはり狩人か……。少し、貴公の音が聞こえるようになったぞ。血潮を吐き出す心臓の音、流れる血の内の、遺志の声……」

 

 少女は煌めく青い瞳を伏せ、リボンに絡んだ花飾りを指で弄っていた。

 

「今夜も獣が騒がしい。多くの狩人が、血を浴び、血に酔って、青ざめた血から遠ざかる。やがては、夢を見る資格さえ失い……私を置いて、私を忘れて、目覚めていく」

 

 悲し気なその声は、男に深い同情を思い起こさせた。なんと可哀相な乙女なのだろうか。濡れた瞳に涙を浮かべただろう過去が、その声からは滲んでいた。

 

――自分ならば、彼女を見捨てたりしない。

 

 彼女の言う「青ざめた血」とは、男の望む物であり、過去の自身との唯一の縁でもある。これら先、決して手放すことはないアイデンティティであるからして、自分だけは間違いなく、少女を悲しませるようなことにはならないだろう。

 

 少女は男の声のする方を暫時眺めていたが、やがて諦めたように視線を逸らしてしまう。焦点の合わない様子から、まだ男のことが良く見えていないようだった。

 

 であれば、するべきことは、やはり変わらない。男は再び武器を取り、獣狩りの夜へと戻った。

 

 少女と、そして自身のために。

 

 

 

 オドン教会の噎せ返る香の臭いから逃れるように、街を徘徊し続ける。そうする内に見つけた旧市街への入口は、張り紙で拒絶を示されていた。男は気にも留めずその道に足を進めた。

 

 何故なら、今のところ開かれている道は、ここにしかない。もう一つの扉は、狩人の長が獣狩りを終わらせるまで、開かないものらしかった。遠目に見えた民家は無力な住宅街の証だ。男が偽証によって開くことは、許されざるべきことだろう。他方、獣を殺すことには、罪悪など感じる必要はない。何故なら奴らは、害悪な食人の病持ちなのだから。

 

 扉を押し開いて行くと、煙に紛れるようにして、末期の獣病の患者たちが、男へ飢えて襲い掛かる。それらを殺す内――壮年の狩人の声が、時計塔から降り注ぐ。

 

 彼は、男へと引き返すよう告げた。言葉から伺える獣への憐憫の情は、男にとって非常に不快なものであり、二度に渡る警告を聞こえぬものとして振舞った。獣を狩り尽くさねば、夜は明けぬ。そして、男の過去も「青ざめた血」と共に永遠に失われてしまうだろう。

 

 前触れなく、ガトリングの弾が雨のように降り注ぐ。狩人は、宣言通りに男を攻撃し始めたようだった。その弾丸の幾つかを交わし切れず足を負傷したのが災いし、男はぐっと身を固めることしか出来なくなり、止まった体に集中砲火を浴びて、無数の穴を空けられた。

 

 男は、自分がこの夜で何度目かの死を迎えるのを悟った。死の間際、見知らぬ狩人は男へと――まだ、夢を見るのだろう? と嘲るように諭した。彼自身は、もう夢を見ないということだろう。つまりは、彼女を見捨てた狩人の一人。彼女を忘れた狩人の一人である……。

 

 目を覚まし、一度夢に戻ると、人形と少女が変わりなく存在していた。屋敷の中のゲールマンは、旧市街を目指すべく言い残し、何処ぞへと消えてしまっていたが……。細やかな風が吹く花畑では、現実の血生臭い生き地獄が際立って想起される。

 

 あの少女は変わらず月を眺め続ており、男が近づこうが、何処かずれた視線が彷徨うのみである。少女の美しい瞳をじっと見つめていると、顔もまだ見ぬ狩人への強い怒りが沸き起こるのを感じた。

 

 ああ、やはり自分だけは、自分くらいは、決して見捨てまいでいよう。この憐れな少女が、自分に救えるというのならば、何としてでも、救ってみせよう。

 

 獣を狩ることに、何を憚ることがあろうか。元よりありもしなかった罪悪感が、寧ろ積極的殺意に傾くのを感じる。ああ、問題はないだろうとも。助言者ゲールマンの言葉によれば、男の目的――青ざめた血さえも、狩りのその先にあるのだから。

 

 男の目的は、あの壮年の狩人の目的とは相克するというだけだ。彼にもしも、悲壮な決意があろうが、それは男が獣を殺さない理由にはなりはしない。

 

 

 

 獣を殺しながら旧市街を進んだ先。いざ時計塔の梯子を前にして、男は立ち止まった。ガトリング銃を使うあの狩人は、敵意ある狩人ではあるが――そして、注意を無視した男に非があることは自覚している――人間である。ガスコイン神父のように、人から獣へと変貌した訳でもない。男は逡巡した。

 

――ここで、彼を殺す必要はあるのだろうか?

 

 ここを通り過ぎ、奥へ向かえば良いのだ。ここへ来るまでも、ガトリングの弾を男は避けた。旧市街には、細々とした建物や遮蔽物が多い。この先へ進むのも、同じ要領で構わないだろう。わざわざ利もなく人間と殺し合う必要はない。男は静かに時計塔を通り過ぎ、旧市街の奥へと進んだ。

 

 少し前に、下水までの道で出会った烏羽の狩人は、もはや人はみな獣だと言ったが――自身は獣などではなく、血に酔うつもりもないのだから、論理的に行動出来る『人間』だ。

 

 あの壮年の狩人に、幾ばくかの怒りはあれど、敢えて労力を注ぎ、殺したいなどとは思わない。それは理性ある人間ならば当たり前のことで、これこそが血に酔っていない証左であるに違いない。

 

 建物の陰となり、西日が遮られた旧市街の奥には、より一層、獰猛な羅患者たちがたむろしていた。獣は赤々と光る瞳で男を睨み、知性の名残もなく、形振り構わず襲い掛かって来る。彼ら彼女らは、以前は確かに人間だったはずの生き物だった。

 

 だが今となっては、すっかり害獣と化してしまっている。彼らは既に人としての自我を忘れ、街中で死体を生産した後だ。つまるところ、殺人鬼だ――獣にそのような概念はなく、ただ血を求めているだけなのだろうが。

 

――そんな獣を守るために人間を殺すことを選んだ狩人と、その盟友が正しいはずがないのだ。

 

 男は自身が善いことをしているような、いっそ安らかな気持ちで一匹一匹丁寧に獣を終わらせて、街を死の静寂で満たしていった。もう、あの狩人の視界からは外れたのだろうか。銃弾は飛んでこなかった。

 

 旧市街の深奥。獣を焼く炎の照らす教会を見上げ、男は、自身の内から信仰心が沸き上がらないことを少し残念に思った。どうやら、記憶を失う前の男は、哀れなこの街に、十字を切る慈悲すら持たなかったらしい。

 だが、その冷血こそが、この街では賢明なのだろう。何故なら、他ならぬ聖職者こそが、もっとも恐ろしい獣になるのだから。

 

 信仰無き身が教会に踏み入る。背から剥がれた皮を布のように纏っている獣を目にした時、男の頭には揺らぐような感覚があった。脳が震える”あの感触“がする。不快感に堪らず震える手が、思わず武器を取り落とし、男はハッとした。しかし遅い。

 

――血に渇いた獣の腕が、振り上げられる。

 

 獣の背から捲れ上がった皮が、ペトリと頬を掠める。毒の臭いが男を包み、痛みが全身を貫いた。呻き、崩れ折れ、男はまた死の先の悪夢へと落ちていく。

 

 

 

 夢で目を覚ますと、人形は男を迎えて一礼し、彼を労わった。男は一度嘆息した後、青い瞳の少女の元へ向かうことにした。”あの感覚“があったのだから、男の存在を更に認識出来るようになったかもしれない。

 

 男が話しかけると、少女は振り返る。流麗な眉を少し寄せ、彼女は残念そうに応えた。

 

「貴公よ、私に話しかけている……のだろうか。ごめんなさい、やはり、まだ聞こえない……」

 

 期待を裏切られたからか、男は少しがっかりした。男の落胆を見て取り、人形は支えるように言葉を添える。

 

「あの方はとても……希薄になってしまわれているのです。狩人様が、あの方と真にまみえるには、まだ足りないものが多くあります……」

 

 男は首を捻る。”あの感覚“が必要なのは確かだろうが、それだけではないということだろうか。

 

 しばらく思考を巡らせるが、何も思い当たらない。知恵が足りない、知啓が……。そういえば、と街で一部の死体が懐に持っていた奇妙な頭蓋を思い出す。あれには、人の智慧が秘められているのだという。これさえあれば、考えも啓けるのだろうか。

 

 男は頭蓋を砕き、その内を覗き込んだ。すると、男の脳裏に“何か”が輝き閃いた。頭蓋を割るという、目覚めたばかりでは思いつきもしなかった発想が出たことも、或いはこれまでの”あの感覚“――これは啓蒙なのだと、今の智慧で理解した――を重ねたおかげだろうか。

 

 男は少女へ向き直る。彼女はやはり、眉根を寄せた。

 

「ン……。貴公、獣から遠ざかったようだ。それは血の酔いから醒めるに良い薬になる。……だが、私が貴公を感じるには、狩人を……いや、なんでもない。貴公は狩人で、普通の人間なのだから」

 

 物憂げなため息と共に、彼女は月に向き直る。それ以上は何も教える気はなさそうだ。

 

 今度は男が顔を顰める番だ。少女と話をしたい。人形は、男になら彼女を救えると言った。だが、狩人たる男に出来ることは、獣を狩り殺すことのみだ。そんな粗暴な男に、彼女を救うことが出来るというのならば、それは獣狩りと深く繋がっているはず。それでは、その手段とは、一体何だろうか……。少女曰く他の狩人では出来ない何か――普通の人間が眉を顰めるような、何か……。

 

 聖職者の獣、ガスコイン神父。その共通点は、医療教会の関係者であり、獣と化しており――。

 

 不意に、奥まった墓で出会った、処刑隊アルフレートの言葉が蘇る。医療教会が下賜するという血の救い。

 

 医療教会の血の施し。血の加護。それが意味するところは、狩人がみな、恩恵に預かる輸血のことである。

 

 男はこの手で、確かに殺した。かつて人であった獣たちを。狩人であった獣たちを。もしかすると、単なる輸血ではなく、特別な血を宿した者だけが……という可能性もあるが――男は目の前が開けたような心地で、自身が何をすべきかを理解したのだった。

 

 狩人を、殺せばいいのだ。

 

 今この時でさえ、理性的である男だったが、狩人を殺す理由が出来てしまったからには、その行動が血に酔った狩人と似通うのも仕方あるまい。

 男にとって、少女と話すこと――そして、その延長線上にある、少女の救済の方が、敵意ある狩人などよりも重要だったのだ。

 




<●>15
ガスコイン神父と接敵+1
神父獣化+1
神父撃破+2
血に渇いた獣と接敵+1
狂人の智慧+3


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第三話 殺意-自覚

エブたんが子供をたくさん産むのは 特別な赤子を求めに来るだろう上位者に コンタクトをとりたいからなのだろうか…?


 男は時計塔の梯子に手をかけた。かし、かし、と軋む棒を踏み上り、その先に立つ狩人を見る。その狩人の目は理性的で、瞳孔はしっかりと瞳と分離していた。彼は紛うことなき人間だ。そして、正しく輸血を受けた狩人だ。

 

 男は躊躇いもなく、斧を振るった。

 

――死体を漁り、男は火薬庫の狩人証を拾い上げる。

 

 水盆の使者が、狩人に資格を見出す証だ。彼は、証を得るほどの狩人だったということだろう。

 

 夥しい血痕の残る地を踏みしめ、時計塔から街を見下ろすと、なるほど旧市街がよく見えた。男は自分が殺した獣たちの骸を眺め、その中に、動くものを見つけた。

 

 ガトリング銃の狩人――狩人証には、デュラと彫られていた――デュラの同士だろう。無論、彼もまた、狩人である。男は次の獲物を見つけ、目を細める。

 しかし、人の血も獣と変わらず暖かいものだな――男はふとそう思い、小さく笑った。

 

 

 

 

 男は逸る胸を抑え、夢へと戻る。確かな変化の予感に口元が笑むのを抑えられなかった。鼻歌を辿るように少女へと話しかけると、目論見通り、彼女は弾かれたように顔を上げたのだった。

 

「ああ、貴公の声が聞こえる……! 姿は、まだはっきりとはしないが……まさかこんなにも早く、言葉が意味を成すほどに、私を取り戻したのか……」

 

 少しだけ触れさせてくれ、と少女は告げた。彼女の青い瞳を縁取る、けぶるような金色の睫毛に見惚れていた男は、その言葉の意味を理解しないまま、無意識に頷いていた。なんせ今、彼女の目はしっかりと、男の姿を捉え――あまつさえ、男は彼女と話しているのだ! その事実に、男はすっかり惚けてしまっていた。

 

 少女は清楚にレースの手袋を外す。遠慮がちに伸ばした手は、ひたりと男の頬へと触れた。男は一瞬強張った体を緩め、それを受け入れる。

 

 それは、柔らかな手だった。滑らかで、白く、きめの細かい皮膚だった。顔の形を確かめるためだろうか、少女の手が、なぞるように、慰めるように男の頬を撫でる。

 

 その瞳が、男の内心を見透かそうとするかのように、男のそれと視線を絡めている。

 それに気づいた時だった――前触れもなく、暴力的なまでの熱情が燃え上がったのは。自分でも、おかしいと感じるほどの欲望だった。

 

 男はその一時、目の前の少女の全身を、血に汚れたこの手で触れ回り、その身を手酷く犯してやりたいという衝動に駆られていた。異常な事態に、混乱と欲望がせめぎ合う。しかし、彼女の子供を慈しむような、優しい青い瞳を見ればそのようなことはとてもできない。男は苦心しながらも、劣情をぐっと押し止めた。

 

「フフ……かねて血を恐れよ、だったか。貴公よ、どうかそのまま、血に溺れることなく、私のことを忘れずにいてくれ……」

 

 男はくらりとその微笑みに心を揺さぶられながら、手袋を外した。せめて、その指先くらいには触れたいという下心があったのだ。自身の頬に触れる少女の手を、一回りも二回りも大きな手で覆った。小さな手は男の手の中にすっぽりと納まり、男は堪らない気持ちになる。

 

 手を重ねたまま、こくりと強く頷き、名残惜しいながらもその手を握り、両手で恭しく掴む。男は膝を曲げ傅くと、貴族がするように、その小さな手に口づけを落とした。

 

 少女にはそちらの方が馴染みがあるだろう、と考えたのだ。予想通り、少女は嬉しそうに何度も頷いた。

 

「フフ、フフフッ! こんな扱いを受けたのは久しぶりだ。ああ、懐かしい……。貴公は、良い狩人で、良い人間なのだな」

 

 少女は自身の花飾りを外し、男の手へ握らせた。

 

「貴公の役に立つだろう。どんな風に扱おうと構わない。私からの、親愛の証だ」

 

 男は喜悦の念を堪え、青い花飾りを大切に仕舞う。決して失くさぬよう、壊さぬよう、胸の内ポケットへと。

 

 今回の逢瀬では、これまでにないほど、彼女と交流することが出来た。男はじんと痺れるような喜びを噛み締めた。あの奇妙な欲情も、花飾りを与えられた信頼を守るためならば、幾らでも耐えられると感じるほどだった。

 

 しかし、先ほどの彼女の手の動きは、男の輪郭を確かめるためのそれだった。未だ視野は鮮明とは言い難いのだろう。実に悲しいことであったが、問題はない。何故なら、殺せばいいだけなのだから。大量の狩人を。

 

 この夢の外には、無数の獣が徘徊しており、言うまでもなく危険だ。それでも男は、「青ざめた血」を求め、狩りを全うしなければならない。男の目的は、最初からずっと変わらない。あの診療所の、ちっぽけな紙切れに書かれたもの、それだけを求めている。

 

 あのメモの通りに狩りを全うするというのなら、狩りの対象が獣だけとも限らないが、まず間違いなく獣の殺戮は必須であろう。これを邪魔する者は、排除しなければならない。男自身のために。

 

 そして、男の邪魔をする障害物は――狩人たちは、奇遇にも、この少女への救済の一つのファクターであるのだという。

 

 即ち、ある一部の狩人は、男の目的を阻むだけでなく、生きているだけで少女の救済をも邪魔立てする、二重に不快な存在なのだ――その考えに至ったところで、男の中に生まれたのは激烈な殺意だった。それは黒く、重く、苦しく、迸った。憎悪にも似たその感情は、異常な鮮明さで男の腹を埋め尽くす。まるでこれまでも抱えてきたかのように、酷く馴染んでいた。

 

 デュラとその友を、男が大した葛藤もなく殺して見せた以上、その殺意は内に秘めた感情で収まる話ではなく、実際に人間を殺めるには十分なほどの、静かな思考にまで昇華されうる。そのような自身の激情を受け入れて、男は漸く、ここに来て自覚した。

 

 自身がこの美しき少女へと、強烈で熱狂的な――恋を、していることを。

 

 

◆◆◆

 

 

 自身の隙を見せず、相手の隙を突けば獣を殺すことなど容易い。男は血に渇いた獣を殺し、その捲れ上がった皮膚の裏に啓蒙を得た。啓蒙が高まるにつれ、男の思考が研ぎ澄まされ、啓かれていくのを感じていた。

 

 進むべき路が、朧気ながらも見え始めていた。その先にある目標のため、自分がどう行動すべきか、何を切り捨てるべきか、男は冷徹に取捨選択をする必要がある。そこに、つまらない倫理や罪悪感などが介入する余地はなかった。

 

 かといって、それらの感情を完全に忘れる訳にはいかない。そういったものに溺れる他者の行動を推測することが必要な時もある。人を先導するためには、人を人足らしめる理性や、矜持をくすぐる必要がある。正義感と熱狂、その末の快感は、どれも人間を動かすための動機に成り得る。故に、このような夜でさえ、無差別に狩人を狩れば、男はいずれ、誰ぞに討たれてしまうだろう。軽率な行いは控えるべきである。

 

――狩人は男以外にも居り、そして、夢は男だけのものではないのだから。

 

 あの少女は、きっと他の狩人の夢にもいる。人形と、おそらくゲールマンと同じく、狩人の夢の付属品なのだろう。どんな時間にも墓地の上に月が輝くように、彼らは常に夢に在る。

 

 あの少女を助けるべく行動するのが、己だけだとは、男には到底思えない。あのように蠱惑的で、美しく、抗いがたい魅力を持つ少女なのだ。あの唇で笑みを作り、あの甘い声で自分と話す。男は自身の名を忘れていたが、覚えていれば、きっと名を呼んでもらうことだって……。誰もが焦がれ、惹かれるに決まっていた。男は臍を噛み、まだ見ぬ無数の狩人共への嫉妬を覚える。

 

――幸いにも、彼女はまだ救われていない。

 

 まだ、誰も囚われの彼女を手にしていない。これまでも何人もの狩人が諦め、失敗しているということだ。それだけの理由が何かあるはずだ。「青ざめた月」然り、まずは、情報を集めるべきだろう。

 そうして智慧を集め、狩人を殺し尽くした先。

 

 男は、彼女を救う最初の男となるのだ。

 

 

 

 

 男が狩長の証を掲げると、門の鍵は内から開かれる。彼はすっかり倫理に背くことへの罪悪を捨て、偽証を選んだのだった。

 

 門からは大聖堂と繋がる広場が見えた。アルフレートから聞いた話が正しければ、ここからビルゲンワースとの間に横たわる禁域の森への道も、開かれたことになる。

 

 大聖堂へ向かい、二人の門番を殺す。大きな門の前で、男は降ってわいた忌避感に眉を寄せた。ここには……あまり、居たくない。男は信仰心がないだけではなく、どうやら教会の厳かな雰囲気に、嫌悪を覚えるようだった。

 

 向き直るのも嫌なステンドグラスが、夕日の明かりを取り込んで、色を変えている。男はギリギリと歯を噛み締めた。

 神、神か……。生まれいずる命、あまねく全てを愛するのだろう? ならば何故――男は愛されなかった。

 

 ぎり、と歯を噛み締め、教会から顔を背ける。旧市街の教会のように、炎と獣の臭いに包まれ、血しぶきにでも塗れれば、まだ見られたものを。虫唾が走る。男は教会からつま先を動かし、教会に沿うように伸びた二股の道の内、左方へと向けた。

 

 聖職者は元よりおぞましく、そして彼らこそが最も恐ろしい獣となる。このように嫌悪に振り回され、必要以上に攻撃的になるのは、隙を見せることに繋がる。冷徹でいるには、男はあまりに愚者だった。愚かな感情や獣欲を押さえつける理性を得て、克服するためには、さらなる啓蒙を得ねばならない。

 

 男は斧を構えなおし、暗い林を進んで行く。夜はまだ長い。焦ることはないのだ。

 

 狩人の敵と言っても差し支えないような、獣と成り果てた狩人たちを、手始めに殺しておけばいい。伴って、男の啓蒙も高まるだろう。

 




<●>17
血に渇いた獣撃破+2


・青い花飾り
狩人の夢に住む少女の髪飾り。人を惹きつける少女は、これまで幾人もの狩人に欲されてきた。
あなたの欲望に任せぬ振る舞いこそが、少女の親愛を勝ち取ったのだ。

使用により希少な雫の血晶石となり、工房道具があれば、あらゆる武器を強化できる。


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第四話 祈り-瞳

評価ありがとうございます!


――ヘムウィックの墓地の老婆たちは、一見するとただの人間のように見えた。

 

 だが、そのような安直な考えは間違いなのだと、すぐに分かった。彼女たちが尊重されるべき人間などでは、決してありえないことも。

 

 村のあちこちに吊るされた死体は、すっかり乾燥しており、新鮮な血を垂らすものはない。彼女たちがいつ獣に堕ちたのかは分からないが、この夜が始まる前より、非人道的行為を働いていたことは明らかだった。

 

 男が死体から得た狩人道具の内、骨髄の灰はここを産地としており、血の性質を高める効果があるという。奇妙な特質の灰は、何に端して生まれたのだろう。その特性は、医療教会とはまた違うベクトルを持つ目標のための研究に思えた。

 

 壮大な橋が、半ばで崩れ落ちている。遠くに反対の橋の欠片が、辛うじて見えていた。

 

――もしかすると、この橋の向こうに、血質を高める作用を求めるような、何者かが居たのかもしれない。

 

 辻を通り過ぎ、男は廃れた館へと足を踏み入れた。

 荒れた洋館内部には、木箱が転がり、据えた臭いが何処からとなく漂っていた。軋んだ床材を踏みしめ、館の中核を担う部屋へと侵入する。人に生理的な嫌悪を与える不気味な部屋であった。

 

 ぬるり、と黒い影のような神秘が立ち上がる。男のすぐ傍で、老婆の笑い声が響いていた。

 

 ヘムウィックの魔女は姿を消すようだ。垣間見えた瞬間の、人の目玉を幾つも取り込んだ人外染みたその姿に、男はある種の真理を見る。

 

 啓蒙を得、ぐらん、と世界が揺れた。”瞳“――その輝きにこそ、神秘の鍵があるのだと、脳裏で囁きが聞こえる。

 この魔女の手によって生み出される神秘は、しかし子供じみたものだった。あれではまるで飯事だ。男は知っている。もっと圧倒的な、吸い込まれるような、脳が震えあがるような――そんな神秘が、あることを。

 

 男は少女の、宇宙のような色合いの瞳を思い出していた。かつてあれほどまでに美しいものを見たことはなかった。人間如き矮小な身では抗えない、渦巻くような……狂気にも似た……。そんな存在――あれこそが神秘。あの濃度の神秘が、この世には他にある。その考えが、確信的に男の脳を貫いていた。

 

 本体は所詮、矮小な老婆だ。首を落とすため斧を振り下ろし、男は火炎瓶を痛みに呻く躯に放った。死んだ魔女が灰になるのを眺め、警戒を解かずにいると、男はすっかり慣れた感覚を得る。

 

 この老婆は、間違えていた。それが男に明確に理解出来た。これは、男の”求める“ものとは違うのだ、と直観的に感じる。

 

 老婆が間違えていたというのなら、これ以上の成果はここにはないだろう。期待せず、男は奥の小部屋へ進んだ。

 部屋の中央には、椅子に縛られ、痛めつけられた狩人の死体があった。ミイラ化していない、まだ新しいものだ。男は死体が持っている狩人の道具を剥ぎ取り、手にした。きっと男の役に立つだろう。

 

――できればこの手で殺したかったが……。問題はなかろう。

 

 この狩人を殺したのが、あの魔女であれば、遺志はおそらく、この男から老婆へと宿っただろう。

 できればこの狩人が、少女を救う何かしらの一因を持つ狩人であれば良いのだが。

 

 

 

 男が夢に戻ると、花に満ちた世界は変わらぬ姿で以て、男を迎えた。微かな鼻歌が墓地を賑やかせる。近づいた男が声をかけると、少女は微笑み、ふわりと髪を靡かせながら、振り返った。

 

「フフフ……よくぞ帰ったな。ああ、貴公の顔が、よく見える。貴公は随分と、優秀な狩人なのだな。遺志を宿し、血に飲まれず……しかし、獣からも遠ざかる。フフッ……」

 

 男は、少女に猛烈に惹かれる自分を抑え込み、ゆっくりと傅いた。そして、散策する内に考えた、名を呼ばれる至福について想像する。

 

 この小さな唇に自分の名を呼んでもらえれば、どんなに心地よいだろうか。この夜において、温かな血を浴びる以上の悦びが得られるに違いない。記憶のない男は、自分には訪れ得ぬ未来に焦がれながら、ならばせめて、と彼女の名を聞いた。

 

「私の名か? 私の名は、マールム。貴公以外には、誰も呼ばぬ名となる。……もはやこの名は、カインハーストに連なることさえ叶わないのだから」

 

 少女は――マールムは憂鬱そうに、自身の体を見つめる。

 

「血族は何より、流るる血こそを重んじる。だが、私のそれは、とうに枯れ果ててしまったよ。……それに、他の狩人に聞いたのだ。カインハーストは、それ自体が既に……滅んでしまったのだろう?」

 

 男が肯定すると、マールムは小さく吐息を落とし、辛そうに呟いた。

 

「女王アンナリーゼ……どのような目に遭ったのだろう。せめて、死を知れぬ彼女が、小さな肉片となっていないことを、祈ろう……」

 

 

◆◆◆

 

 

 男はいよいよ、大聖堂の扉へと手をかける。変わらぬ忌々しさがこみ上げるが、啓蒙を得た影響か、なんとか苦い嫌悪を抑制することが出来た。

 

 大きな門を押し開ける。静謐な聖堂は、オドン教会とは違い獣避けの香が炊かれていない。聖体の祀られる上層にも、煙のようなものは見られず、血の臭いもない。ここではまだ、誰も死んでいないようだ。

 

 最奥の壁に建てられた祭壇と、そこへ向かって祈る女性が見えた。男が足音を殺し、武器を構え近づくと――彼女は丁度、獣性に呑まれる時を迎えているようだった。

 

 大切そうに抱えたペンダントは、彼女が人であった時の名残だろうか。男は改めて、獣が人間と同じ文脈に在ることを実感した。ぶわり、と邪魔なものを押し飛ばすようなプレッシャーが、頭にかかる。そうして啓けた啓蒙により、思考が冴える感覚と共に、男は新たな知見を得た。

 

 人の内には、元より獣がいるのだ、と。

 

――聖職者の獣を、男は再び狩り殺す。断末魔の叫びと共に、獣は灰となり、その場には血痕だけが残った。

 しかし……聖職者こそが最も恐ろしい獣と変貌してしまうとは、救い難い話だ。人という生き物はみな獣を宿しており、その中でも聖職者は、それを神への信仰によって強く自制し、留めることが出来るのだろう。

 その自制の力が大きければ大きいほど、拮抗する獣性も高まり、やがて獣と成り果てた時にこそ、その者の信仰への敬虔さが現れる。即ち、獣性への嫌悪こそが重度の獣化を引き起こすということだ。

 

 啓蒙により思考が閃き、視野が照らされていく感覚が、まだ残滓として脳に残っていた。これは深く心地良い感覚である。そしてその度に、聖職者でもない男の獣性は、表へ出なくなってゆく。これは一体、どういう訳だろう?

 

 理性が強くなったのだとすれば、男は聖職者以上の力で、獣性を抑え込んでいるということだろうか? いや……男にそのような理性はない。男は今、月を眺める少女、マールムだけを我慢している。それだけだ。それ以外の全てを、思うままに行っていた。

 

 考えられる可能性として……或いは、獣性自体が失われている、だとか。しかし、それはありえないことだ。何故なら、人は元より獣なのである。その獣性が失われている、ということは……。

 

 それはつまり――人間から離れているということだ。人間でも、獣でもない何かに、近づいていることになる……。

 

 これ以上は、今の男では理解出来ない。一度思考を断ち、獣が握りしめていたペンダントを拾い上げた。

 それをポケットへと滑り込ませ、祀られた頭蓋へと気を惹かれ手を伸ばす。

 

 奇妙なことに、獣の頭蓋に残る持ち主の記憶が、男を過去の時間へ導いた。

 

――かねて、血を恐れよ。

 

 男は口内で呟き、体中に浴びた血を嗅いだ。心地良くはある。確かな快楽と、喜びがそこにはあるのだ。敵の臓腑を握り潰し、引きずりだした際の、あの痛みに痙攣する生き物の体は、とても暖かく愉快だ。

 

 だが、それよりももっと、男を惹きつけるものがある。

 男は恍惚として未来に思いを馳せ、少女の救済へと一歩近づいたことに悦んだ。

 

 血の記憶が教えてくれる。あの獣――教区長エミーリアは、この血の医療に呑まれた街の聖職者である。それも高位の。きっと、多くの輸血を受けただろう。

 

――もっと、もっとだ。彼女の微笑みを、彼女の関心を、彼女からの寵愛を!

 

 あの少女の、白く滑らかな皮膚に唇を落とす権利が欲しい。歩かないからこそ柔らかい足の裏を労わり、小さな体を抱き上げ、彼女の命に従い、何処へでも連れて行きたいのだ。

 

 朝が来るまでに成し遂げなければならない。彼女と出会えるのは、夢の中だけだ。夢は、夜にしか見られない。

 気が急いては事を仕損じる。分かってはいるのだが、一刻も早く、彼女を手に入れたい。彼女の心を、体を、全てを自分だけのものに。他の誰にも渡したくなかった。

 

 彼女の寵愛は――彼女の“瞳”は、男にだけ与えられるべきものなのだ!

 




<●>24
魔女と接敵+1
魔女を撃破+2
エミたんと接敵+1
エミたんを撃破+3


幼年期の終わりオマージュ説スッキです。
人類はゆっくり進化して上位者になろうとしているから、進化前の旧人類ヤーナムの女王の血は、上位者エブたんの血で進化しようとしている医療教会の血の救済を汚すし侵すのか。

上位者の子供を産めることと、上位者になることとは全く違うことだし、苗床ヒューマンが上位者に肩を並べる みたいな感じなんだろうか。


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第五話 月-狂気

月知らぬ仔、マールムは大体14、5歳くらいの体です。


 エミーリアの遺した血痕を踏みにじり、男は悦に浸る。月光を曲げたステンドグラスの光が胸糞悪かったが、この場所は入り口が一つしかなく、隙が無い。その気の緩みが、男の本性を神の前に曝け出させた。

 

 本心では急ぎ夢へと戻りたいところだったが、大聖堂を出てすぐの場所、あれほど暴れていた大男たちが、まるで何かを悼むように項垂れていることに気づき、男は足の向きを変えた。何が理由のものかは分からなかったが、街に他の変化があってもおかしくないと考えたのだ。

 

 この辺りは既に一度踏破した場所ではあるが、もう一度、隅々まで見て回ることにした。夜も更け、視野も不明瞭である。月光が気まぐれな雲に遮られると、辺りは闇夜に包まれる。男は松明を手に、再び散策を始めた。

 

 大きな道を避け、迂遠なルートで街を回り、広場にまで至る。ここまでの道中もそうであったように、そこには大男たちが座り込んでいた。彼らは聖堂街の道の殆どを塞ぐように立っていたが、夜にはその役目を果たせないらしかった。大男らが祈るよう座り込むこの広場には、多くの墓――そして、彼らに殺されたと思しき、市民の死体――があった。

 

 墓地街であるヘムウィックではなく……この広場や、オドンの地下墓然り、丁重に葬られる人間とは、いったいどんな者たちだったのだろう。

 

 医療の発展は犠牲失くしてありえない。だが、医療教会に非道な目に遭わされたと実際に語る被害者を、この街の誰も聞いたことがない。……それこそが答えだろうか。被験者と、その秘密を暴こうとする者たち全ての口を封じるとなれば、その数は膨大だ。わざわざ、弔って等いられぬ程に多いに決まっていた。順当に考えれば、整然と見事な墓石を用意され、ここで安らかに眠るのは、権力者たちになるのだろう。

 

 男は次に、つま先を住宅街へ向けた。あちらは、聖堂街とは言いつつも、ヤーナム市街よりも下層にある。下水の臭いやスモッグが酷く、あまり長期に滞在したい場ではなかった。

 

――そのはずだったというのに。場にそぐわぬ甘い匂いが、ふわりと男の鼻腔をくすぐった。

 

 男は自身の脳が震えるのを感じ、歯を食いしばって眩暈を耐える。何だ、この匂いは。好奇心からか、匂いに寄せられてか、彼はふらふらと奥まった家屋へと近づく。

 

「あら、あなた、おかしな香り……」

 

 女の声が、聞こえる。それは蠱惑的な声で、姿も見えぬというのに、男を手招く娼婦の様子が脳裏に浮かんだ。

 

――同じ、だった。その香りは、マールムのものと、とてもよく似ていたのだ。

 

 マールムを思い起こさせる甘い匂いに、男は内ポケットの花飾りを確かめるように握りしめた。安全な場所を求める彼女に、気が付けば男は、オドン教会の名を挙げていた。

 

 

 

 男は速足で、もう一度大広場へと戻った。歩幅は広く、彼が平静でないことが誰の目にも見て取れただろう。その足は、大男の横を通り抜け、ビルゲンワースを守るという、合言葉の門番の元へ。

 

――あの娼婦の女性への己の行いが、燻り続けていた。

 

 彼は、心中でいつまでも引っかかる後ろめたさを感じていた。マールムとは何の関係もないはずだが、その感情はマールムに対する背信の罪悪感――いや、少女へ不義理を働いたような錯覚による、自身への不快感に近いか……。

 

 天に浮かぶ神秘の月に焦がれる身の上でありながら、地に咲く月下美人にそれを重ねるなど、不作法、無粋の極みである。あまりに、愚かな所業であった。

 

 自己嫌悪を催しながら階段を下りていくと、そこには数時間前にも会ったアルフレートが、変わらぬ様子で立っていた。彼は殉教したという師の話をし、穢れた血への隠しきれぬ殺意を滲ませていた。

 

 穢れた血……カインハーストの血統は、かつて少女マールムが連なったという一族だ。そのルーツはビルゲンワースにあるのだと彼が言う。男が学び舎へと行く理由が、また一つ増えた。

 元より、血の医療の原点だというビルゲンワースへは強い興味があったのだ。かの神秘の学舎であれば、「青ざめた血」のことも何か知ることが出来るだろう、と。

 

 男は頭蓋より盗み聞いた合言葉を告げると、崩れた塔へ足を踏み入れた。

 事切れた番人の守る関所は、すっかり苔に侵食されており、足を滑らせぬよう男は慎重に下った。ただでさえ、獣の血に塗れた体なのだ。全身が濡れそぼっていて、じっとりと鉄の異臭が纏わりついていた。しかし、アルフレートも男も、それが変だとは思わないのだった。

 

 螺旋階段を下り切ると、昏い森の切れ目から見える輝かしい月が、男を照らす。見惚れて立ち止まり、それを眺めた。

 

――嗚呼、美しい。

 

 あれは、決して手に届くことのない、人の身には遠すぎる女神だ。男は、森の中に見えた灯火を前にして、二の足を踏んだ。彼は今、自分が夢に戻るべきかどうかを、躊躇していたのだ。

 

――かねて、血を恐れよ。

 頭蓋の記憶だけでなく、マールムも一度、男に告げた言葉だった。

 男にとって血とは、そう中毒性の高いものではない。だが、中毒性、依存性という一点のみで言うのならば、男にとっての「恐れるべき血」とは、少女のことなのかもしれなかった。

 男は、自身が過剰に、盲目に、マールムへと傾倒していることに、自覚的だった。

 

――聖堂街にて再会した際の、烏羽の狩人アイリーンによる忠言が、男の中で刹那に蘇った。

 聖堂街で出会った烏そのもののような彼女は、狩人を何人も手にかけたような不吉な口ぶりだった。男はそれを聞き、たちまちの内に嫉妬と焦りの念に駆られたのだ。

 男はすぐに尋ねた。夢の中で、少女と出会ったことはあるか、と。

 

「ああ、もちろん会ったことはあるさ。話したことも、柄にもなく、物を贈り合ったこともね。……なんだい、何か意外なことでも、あったってのかい」

 

 彼女はす、と顔を逸らし、ペストマスクのような烏を、男から背けた。

 

「……一部の狩人の間では、有名さ。あたしも、昔先生に教えてもらったもんだ。恐らくは、あの子を解放するのは、”あたしたち“の誰かになるってね……」

 

 ――そんなことはありえない! 何故なら、彼女を救うのは、他ならぬ自分なのだから!

 

 男は自身が殺気立ったことを自覚すらしていなかった。それほどに、爆発的な怒りだった。だが、その殺意に、アイリーンは刃物を構えることも、睨み返すこともなかった。彼女は呆れたように首を振るだけだった。

 

「あの子に関わる――特に男は、いつもそうなる。何故だろうね……。なんにせよ、安心するといいさ。あたしは……もう、あの子とは会えないのさ。もうずっと長いこと、夢を見ちゃあいない」

 

 心配の芽が断たれたと分かると、途端に憎悪が引いていくのを感じる。いからせた肩を下ろし、体から力を抜くと、ほんの僅か前の自身の情動に、男は我がことながら目を見開き、驚いた。

 そうした動作からか、男が落ち着いたのを見て取り、アイリーンは変わらぬ平坦な声で続けた

 

「気持ちは分かるさね……だが、あんたも気を付けることさ。あの子を救おうとするあまり、血に溺れればお終いだ……あたしのように、夢に戻ることも出来なくなる」

 

 彼女はその烏のマスクを男に向け、男の持つ斧から滴る獣血を認め、数秒の沈黙を保った。

 

「あんたが獣を狩るのは構わないさ。狂った狩人を殺すのも、ね……。ただ、それが何の為かは考えな。よそ者の上、初めての獣狩りの夜がこんなだ。おかしくなるのを咎めはしないがね……」

 

 男は雨の下を外套も無しに歩いた時のように、ぐっしょりと全身が血に濡れていた。彼はそれを気にも留めていなかったが、確かにこれは、当たり前のことではなかった。尋常な者であれば、嫌悪すべきことだ。最初は男もそうだったはずだ。……だというのに、男は、いつから気にならなくなったのだろう。

 

「もしもそれが、あの子の為なら……あんたはあの子に狂わされちまっているのさ。何人も同じようなのを見てきたあたしからの、忠告さね。……ああはならない方が良い。奴ら、男の風上にも置けやしない。年端も行かない娘に魅了されて、みっともなく女狂いになって……。血に溺れて、無様に死ぬんだからね……」

 

 アイリーンの声色には、明らかな侮蔑が混ざっていた。

 確かに、マールムは少女だ。男は彼女に焦がれ、惹かれていたが、彼女は豊満な肉体など持たぬ、若木のような少女であった。それに欲情する男は、稚児愛を拗らせていると侮辱されようと、反論の余地などない程に、彼女は幼い。

 

 それでも、あの言い知れぬ色香を知る身としては、狂う者が居るというのも、あり得る話だった。自分は、燃えるような劣情を催した時、なんとか思い止まることが出来たが、止まらなかった者も、居たに違いない。

 その後、彼女に狂い、狩人を殺して回ったか。彼女を求め、自害を繰り返したか。どうなったのかは想像に過ぎないが、無残な破滅をした狩人が、多く居たのだろう。

 

 だが、男には、自分はそのような他の狩人とは違うという自負があった。彼がマールムに惹かれたのは、彼女が何かをしたからでも、彼女が美しいからでもない。その点で、男は全く、他の狩人とは一線を画しているのである。この恋は、これ以上ない程に純真なものなのだ。

 

――何故なら自分は、彼女の瞳にこそ、恋をしたのだから。

 

 彼女がどんなに醜くとも、どんなに悍ましくとも。

 手足が幾つあろうが、体が触手で埋め尽くされていようと、瞳が何対もあったとしても――いや、それは寧ろ素晴らしいことだ。男は悦びさえ覚えるだろう。

 

 どんな彼女であろうと、男は必ず、その瞳に恋をするのだから。

 男が断固とした口調で――自分にはそのような破滅はありえない、と言い切ると、アイリーンはそれを信じたか、信じなかったのか、言葉少なに、狂おうが越えてはならない一線は守ることだ、と述べた。

 

 男は憮然とした。何を言うのだ。まるで、人が狂った狩人であるかのよう。彼は、彼女の異常な香りに呑まれ、狂気的に抱き犯すこともしないし、血に酔うことも、獣性に病むこともない。

 だから男は、ただ――正気のまま、普通の人間がそうなるように、恋に堕ちただけである。

 

 今、目の前の強者に対して、相手はどんな武器か、隙を突けば勝てるか、今の自分では勝てないだろうか……と、相手を殺すことばかり考えているのも、恋した可愛い娘のため。単純な好意の発露に過ぎなかった。

――語弊のある表現かもしれないが、もしも男が聖歌隊の者に同じ熱量の恋をしてさえいれば、この夜彼は、メンシス学派を根絶やしにするための殺戮を、同じように行っていただろう。

 

 男は正気である。これは彼も重々自覚しているところであり、その一方で、人を殺すことも血に塗れることも、尋常ならざる行いであることは分かっていた。だが、そうした倫理に悖る行動をする以上、男は発狂こそしていないが、まともではない。だが、それも仕方がないことなのだ……。

 男の脳裏には、マールムの瞳が浮かんでいた。

 

 こちらを見つめる彼女のあの瞳。海よりも深い、深い、とても深い青をしている。藍にも見え、まさしく宇宙の写し絵である。

 

 真に、美しい。

 

――それだけだ。だが、それと「青ざめた血」しか持たない男には、それだけで十分だった。

 

 この恋がこれ以上、時と共に強まることを恐れ、男に夢へ戻ることを躊躇わせるに、十分過ぎるほどの美しさだったのだ。

 




<●>24

ウィレーム先生は、動物の自然な進化方法の延長で上位者になりたいので、「血をもって人を失う」のはご免なんですかね。

上位者の血を入れたら、上位者モドキ(しかも上位者ではない)であって人類じゃないし、人類として次のステージに行きたいのかも…。
アウストラロピテクスに現代人の血を入れても意味ない的な…。


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第六話 穢れた血-蜜

評価ありがとうございます!!


 男は木々に隠れるように襲い掛かってきた獣を切り捨て、森の奥、荒廃した村を遠目に見る。

 

 ここにはかつて人が住んでいたようだ。そして、獣化した人間が徘徊する以上、当たり前だが、この獣の数だけ住民が居たということになる。

 そこら中に落ちているまだ新しい狩人の遺骸から察するに、ビルゲンワースが閉じた後も、ここを訪れる人間が一定数存在したのだろう。合言葉は秘匿されていたが、何か大きなグループなどで共有されていたのかもしれない。

 

 ビルゲンワースは医療教会の前身でもあった。あるいは、何処ぞの一派が、古巣に残る何かを手に入れるために、侵入することもあったのだろう。

 

 鬱蒼とした森を抜け、今にも消えそうな獣道を頼りに民家の並ぶ間を進む内、明かりの灯る家があった。この荒廃した村で、未だ獣ではなく生きている人間が居ることに驚き、男は、アリアンナ以来の誰何をしたのだった。

 

 窓の陰から伺えるシルエットは、如何にも腰の悪そうな老人であったが、その声は中年の男性のものであった。男は訝しんだが、僅かに開いた窓から、ぽとりと渡された石を受け取る際、覗いたその手が人ではないように見え、その家屋からそっと離れた。内部に居るのは、人ではなく、獣の一種であるかもしれなかった。毛の生えた節足の生き物のような……奇妙な手だった。

 

 男は受け取った石を矯めつ眇めつした後、上着のポケットへと放り入れ、家の裏手へ慎重に回り、獣道を追った。

 

 自然と出来たであろう洞窟へ入り、刺激臭を放つ毒沼を抜ける。随分と長い梯子を発見し、地上に出ると、全身に月光を浴びながら、いつしか馴染んでいたヤーナムの空気を吸った。

 

――男は、ヨセフカの診療所の入り口へと戻ってきていた。

 ヤーナム市街へ続く扉を開けておき、男は梯子を振り返る。目指す先はビルゲンワースであったが、来た時のものとは別にもう一脚、何処かへと繋がる梯子が伸びている。視線で辿っていくと、家屋の屋根へと繋っており、診療所の上階への経路が見えた。

 

 男は診療所の女医、ヨセフカとは、一度も顔を合わせたことがない。悪夢のようなあの輸血が真実であれば、記憶を失う前にも、だ。

 

 扉越しに出会った女医が初め男へと、狩人かどうかと素性を尋ねた以上、彼女は診察室に居ると推測出来る人物――男に、心当たりがなかったということになる。異邦人かつ、施術を受けたばかりの人間だ。輸血自体は車椅子の男にされたが、このように特徴的な患者が入院していたのなら、忘れることはまずない。

 

 はてさて……自身の求める「青ざめた血」について、男に施術した老人は知っていた。ヨセフカは、あの老人を知っているだろうか?

 男は梯子を上り、屋根を伝い、診療所への扉を開く。内部から風が勢いよく噴き出したという錯覚があり――脳裏を揺さぶる、神秘特有の感覚がやって来た――その後に、自身に啓蒙が与えられたことに、瞠目する。

 男は今、なんらかの特別な神秘の中に居るということだった。

 

 たたらを踏み、辺りを見渡す男の鼻に、何処かで嗅いだ甘い匂いが漂ってくる――。

 

「……あら、月の香り……」

 

――蠱惑的な、女の声。男は己の愚行、その象徴たるアリアンナを彷彿とさせる女に、ぐっと歯を食いしばり、武器を構えた。

 

 男にとって都合の良いことに、この女は狩人だ。それだけではない。男が用のあった、ここの主たるヨセフカとは異なる声をしており……男へ殺意を向ける、『まともではない』狩人だ。

 自身の罪を雪ぐ時が来た。彼女らのような”まがい物“に、男は惹かれない。もっと素晴らしく、美しいものに心を捧げたのだ。それをここで、証明して見せるのだ。

 

 甘い匂いに抗いながら、男は女狩人へと斧を振り被る。

 数度切り結ぶと、彼女は奇妙な神秘を用いた。男は咄嗟にそれを避けることに成功したが、動揺は避けられない。好機と肉薄した女へと、しかし彼は惨いほどの嫌悪感に、痛みなど慮外にして左腕を差し出した。女の仕込み杖が、しなって腕に刺さる。

 ごつりと骨に止められ、それに沿いずりずりと皮と筋肉を剥いでいった仕込み杖を、反対の手で棘も気にせず掴み止め、硬直した女の整った頭蓋へと、水銀弾を打ち込んだ。

 

 輸血液を肩口に刺し、ぺちゃりと削げ残った筋肉を、自分で引きちぎる。再生が始まると、武器の血しぶきを払い、男は院内の散策を始めた。

 診療所を一通り回っていくと、見たことのない類の獣……いや、何らかの生物が居た。それは頭が大きく肥大しており、青く柔らかそうな体をしている。子供のような大きさの生物だ。

 

 診察台に横たわり死んでいる者も在る。これは何らかの実験で生み出されたもののようだった。

 

――男が初めてヨセフカと話した際の、あの言葉が正しければ、ここにはまだ患者が居たはずなのだ。状況を見るに……貴重な輸血液を見返りもなく男へ与え、患者を守ると言い切った人道的な女医は、残念ながら、その身命も患者をも守れなかったらしい。

 

 しかし……ここには患者も本物の女医の姿も、それらの遺体も存在しない。獣と化した死体もなく、青い子供のような怪物だけがここに居る。

 

 順当に考えならば、人が獣へと変ずるように、女医たちも青い怪物に成り果てたというのが自然だろう。獣の病とは、ヤーナムの風土病なのだと聞いていたが。これは全く別の変化に思えた。この土地で起こった変化である以上、血に纏わる理由だろうが……。

 

 血というと、この女狩人も独特な血液を体に宿していた。男は、匂い立つ甘い血を滴らせる死体を見下ろす。この女の匂いは、とてもマールムに似ていた。アリアンナと同じく、男を誘惑する血の香りだった。

 

 明らかに、一般の人間とは異なる血の持ち主だったが――そして血こそが人を形作る以上、この女は常人ではない――しかし、何にせよ、これは狩人である。

 男はマールムの姿を脳裏に描き、彼女の喜ぶさまを想像した。すると、あれほど忠告を受けたというのに、男の心はたちまち、狂気に陥ったかのように、少女へと強く惹かれ出すのだ。たった数時間前の、夢への忌避感など、思い出すのが難しいほどだった。

 

――いや、常人らしく踏みとどまる必要など、最早ない。

 

 男は踏みとどまらないことを、”正しい“判断だと感じ始めていた。

 蓄えた啓蒙が、輪郭が捉えづらいながらも、確かな真実を示唆し始めていた。男の目指す目標である「青ざめた血」、そして――男がそれを手に入れた”その先“に向かう道程において、彼女に溺れるのは間違っていないと、直観が囁いていた。

 

 ただし、この恋への傾倒が ”正しい“からといって、目的を放り捨て、全身全霊での献身をしてはならない、とも。

 

 男は彼女を救いたい。彼女を自分のものにしたい。だが歯痒いことに、それに自身の全てを賭してはいけないらしかった。

 それでは、本末転倒だと、智慧がさざめく。目的の明確な形も分からないというのに。

 

 だが、目指すべきものだけは、はっきりと分かっている。何度も自分に言い聞かせてきた。例え記憶を失えども、「青ざめた血」という目的だけは忘却せず、違えることもなかった。

 

 この空っぽの脳にこびりついた記憶の残滓が、或いは、無意識の習性が、神秘の残り香を犬のように貪欲に嗅ぎ取ってきた。その記憶の訴えに従うことが、真っ当であることに違いないだろう。

 

 だから、男は、彼女のためだけに、心身を捧げてはならない。

 智慧が警告するように、頭がぞわぞわと揺れていた。

 

――しかし、そのような自制には、何の意味もなかった。

 

 恋とは斯様に罪深く、人の理性を乗っ取るものだったのか。「青ざめた血」を探求することに全てを注ぎ、人という人、獣という獣を狩り殺すはずだったであろう男が、こんなにも一人の少女のことに、頭を占められてしまっているのだから。

 

 診療所のテーブルの上に乗った、男宛のカインハーストの招待状。男はいよいよ、最後の自制心を捨て去り、少女のために、夜の工程を変更する。

 

 ビルゲンワースではなく、カインハーストへと。智慧ではなく、恋を選んだ。

 足早に診療所の灯火へと歩き出したところで、男は自身が斬り殺した青い怪物の下に、何かを発見し立ち止まる。死体を蹴り転がし、あお向けにすると、そこにはあの女医の寄越した精製された輸血液があった。

 男はそれを手に取り、外套の内へしまう。この青い怪物の元は、ヨセフカだったのだろうか?

 

――優秀な医療者こそが血の医療に深く関わる。男はほくそ笑み、思わぬところで狩人の血の遺志を得られたことに、気を良くした。

 きっとマールムは、花の咲くような笑みを男へ向けてくれるだろう。

 

 

◆◆◆

 

 

 男は夢に降り立つ。不変の景色の中、常ならざることとして、甘い花の香りが、墓の前にまで漂ってきていた。

 

 男が変化に心躍らせ、墓の並ぶ階段を上って行くと、少女は屋敷の裏口近くの墓の辺りに、いつも通りに座っていた。変わらずマールムはそこに在ったが、変化は彼女の周囲に表れていた。

 マールムの座る墓の付近には、青いレンゲのような花が咲いていた。ゲールマンが言った、少女ではなく、花が見えるだけだ――というのはこの花だろうか? 彼女の花飾りと同じ花のようだ。

 

「貴公、戻ってきてくれたのか! フフッ、さあ見てくれ……貴公のおかげでこんなに血が還ってきた! 力が戻ったからだろう、記憶のままの形を作れるようになった……今の私を見て、きっと誰もが血族だと気付けるだろう!」

 

 少女が男に見えるよう、両手を無防備に差し出す。彼女の陶器染みた白い肌は、ほのかに血の通った色になっていた。いかにも人らしい。その手は未だ白魚のようではあるが、まだ白人の範疇に収まるほどに、人間になっていた。

 

 男は少々の落胆のようなものを覚えたが、少女がいたく嬉しそうに笑うので、それもすぐに消えた。彼女はレンゲに似た花を指で突くと、頬をバラ色に染めて笑った。

 

「フフ、貴公にとって強い、甘い香りがするだろうか? ……しかし、ここは貴公の夢の中、私も貴公の夢の私。これも、私が思い描く過去の体、偽の香り……故に、貴公のため、血の施しとやらをすることも出来ないが……。……そうだ!」

 

 少女は徐に、ぶちぶちと、咲いていた青い花を摘み始める。くたりと垂れた花に手を翳すと、彼女の手には、人形が血の遺志を男の力に変ずる際に生じるものと同じ、靄のような光が現れる。次に、マールムが手に持った花へと口づけをすると、青い花弁はみるみる内に、レンゲに相応しい赤紫へと変わっていく。

 

 少女はそれを、男へ渡した。赤紫になったレンゲには、滴り落ちんばかりの蜜が光っていた。

 

「血の施しの代わりだ。貴公の助けになると良いが……フフ、きっと……これは貴公にとって、血のように甘く、蕩けるように心地よいだろう」

 




<●>25
診療所上階へ行く+1

・レンゲの蜜
夢の中の少女マールムの「花の蜜」
甘く神秘に満ちた蜜は、啓蒙を得ることに加え、一度使用すると、次に夢に戻るまでの間、スタミナの最大量を上昇させる。

狩人を殺める度に花畑は広がっていく。
少女は蜜を啜り、血を取り戻し、更には力を得る。花の蜜は彼女のお裾分けだ。


や やったー 明日から休みだ……実家カエレル…………
もうすぐで書きたいシーンが書けるし…そこまでは頑張りたい…


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第七話 レンゲ-血族

まだ啓蒙低いから ちょっと愚かなんだ…そしてそれこそが人らしい


 今にも雫が落ちそうなほどの蜜を、レンゲの花弁が重そうに支えている。マールムの厚意をありがたく思いながら、男が素直に花を口に含むと、少女はにっこりと笑い、まだ咲いている青い花を愉快そうに、嬲るように弄んだ。

 

 男の口内に蜜の甘さが広がっていく。花特有の香りと、それから――何かの遺志の残り香。

 ふわりと、まるで邪魔なものがなくなったかのように、頭が軽くなる。智慧が男の目を、正しい像を映すように作り変えた。

 

 男は今更ながら、目の前の少女、マールムが、信じがたいほどの濃度の神秘を纏っていることを知ったのだった。

 

 このように濃厚な神秘を目にしたことはなかった。ヘムウィックの魔女や、ヨセフカの診療所に居た女狩人の技など、児戯に等しく思えるほどに、強い力だ。男は”神秘のその先“の可能性を、男の悲願こそを、今正に目にしていた。

 

 ”これ“こそが、男が求めるもの。男が、少女に愚盲に惹かれながらも、それが”正しい“と断じられる理由なのだ。少女の存在そのものが――男の目的の”その先“なのだ!

 

 降って湧いた悲願の手掛かりに、男は自身の衝動を抑えられない。無我夢中で手を伸ばし、少女が口を付ける前、飲み干す前の、完全なる神秘の塊であろう、青い花を摘み――

 

「ああっ、駄目!」

 

 少女はすぐさま声をあげ、男は反射的に停止する。彼女の声の、その悲壮さが、ぎりぎりで男の行動を止めた。

 

「これら全てが、私の一部、私そのもの! 貴公、聞いたことは無いのか? 『花はみな女神が姿を変えたもの。決して、誰も摘んではならない』のだと。……どうか、お願いだ。貴公だけは、私をこれ以上、奪ってくれるな……」

 

 少女は弱々しく男の腕へしがみ付いた。振り払うことは容易かった。少女は小さな乙女であり、男の夢に寄生し、男の集める狩人の特異な遺志を啜り、ようやく存在を取り戻す。そんなか弱い生き物だった。

 

 ここで男が彼女に斧を振り下ろそうと、マールムは決して夢から消えられない。解放されない。縛られたままだ。彼女がこれまで何度も凌辱されながらも、逃げられなかったように。

 

 マールムの青い瞳から、ぽとんと大きな雫が落ちる。男はそれを見、硬直した腕を、ゆっくりと少女から引き抜き、立ち上がる。少女はびくびくと、怯えたように男を見上げていた。

 

 男の中で葛藤が起こる。この花から神秘を得たいという強い思いがあったが――ああ、だけど! 少女は、泣いていた。悲し気な顔は涙に塗れ、男の胸をひっきりなしに波立たせた。男は、我知らず花へ伸びる手をぐっと握り、よろめくように一歩退いた。

 

 少女の瞳が悲しみに歪むのは、見たくなかった。青い瞳は男をじっと見つめており、男の神秘への欲求を恋情の炎がジリジリと焼き尽くし灰にし始める。そうすると段々と男にも(恋をした状態での)平静が戻ってきて、彼女の愛らしい頬に幾筋も涙が通っていること、痛々しく握られた小さな手が震えていることにも目が留まった。

 

 男は深く呼吸をしながら、繰り返し唱えた。「青ざめた血」を求めよ。「青ざめた血」を求めよ……。それこそが、男の求めるものだと。

 

 この神秘は強大だが、それに目を眩ませてどうするというのだ? 男は「青ざめた血」の、”その先“を求めてきたのだ。これは違う。これは、別のものだ。これは、「青ざめた血」ではなく、それと同じ機能を持つわけでもない。これは、マールムのもの。マールムの一部、そのものだった。

 

 気が幾らか鎮まった男は、外套の内へ手を入れる。マールムはそれを青ざめながら見上げ、後ろ手にきゅっと土を握りしめる。やがて、男が――懐から出した何かの封筒を認めると、そっと体から力を抜いた。男が花に手を伸ばすのを諦めたことを、悟ったらしい。

 

「……ああ、よかった……。ありがとう、やはり貴公は、良い人間で、良い狩人だ……」

 

 男は傅き、首を垂れて謝罪する。彼女はおずおずと、男の頬に手を添えた。彼女の柔い手は、初めて触れた時よりも暖かかった。シルクのような心地の指は、男の頬を数度撫でると、戻っていく。

 

 男はその感触を享受すると、少女に自身に宛てられたと思しき招待状を差し出す。彼女は目を見開き、パッと明るい笑顔を浮かべた。

 

「これは、カインハーストの招待状! 貴公もまた血族だったのか! そうか、そうか……! ならば、さあ、向かうと良い。そこには不死の女王アンナリーゼが、雪降る城にて貴公を待っているだろう」

 

 少女は白いドレスから覗く足をばたつかせ、少しはしゃいだように言った。

 

「貴公も血族であるのなら、頼む。もしも彼女が窮地に陥っているのなら、助けて差し上げてくれ。フフッ、きっと女王も貴公を気に入るさ。貴公は、とても……良い狩人なのだから」

 

 

◆◆◆

 

 

 ヘムウィックの辻にて、石碑の前に立つ。何処からか蹄が地を踏む音がして、男は目を凝らした。霧の向こう側、立派な体躯の黒い馬が馬車を引いてくる。ひとりでに開いた扉へ男が乗り込むと、馬車は走り出した。

 どれほど揺られたことだろうか。馬車の中にまでひんやりと冷えた空気が入り込む。ヤーナムよりも数度低い気温のようだった。

 

 止まった馬車から降りると、荘厳な古城が、雪に閉ざされた門の向こうに見えた。振り返れば、橋は崩れ落ちている。自分はどうやって、ここへ訪れたというのだろう? 馬車引く馬はとうに息絶え、古い骸がそこへ転がっているだけだった。

 

 正門を開け放ち、古い時代の残り香に圧倒される。ここには未だ息づく何かがあった。ここには、殊更に旧い神秘が宿っている。……そしてそれは、男の求めるものではないようだ。それでも神秘は神秘である。人に触れ得ぬ領域に、男の脳裏には幾度目かの知恵が閃き、彼は啓蒙を受けた。

 地に落ちた血を舐める男たちを殺し、まるで手招くように開いた入り口をくぐった。

 

 城内は薄暗く、怨嗟の呻きとすすり泣きが響いていた。彫像や雪に紛れて斃れている死体は、処刑隊の恰好をしているものと、カインハーストの騎士のものとが入り混じっており、過去の凄惨な乱戦を伺わせた。

 

 嘆きを叫ぶ女を切り殺し、値千金の古書が並ぶ書庫を眺める。かつての栄華を盗み見ながら……男は糸に引かれるように、前触れもなく、あらぬ方向へ眼球を動かした。言葉では言い表せぬ何かが、男の気を引いたのだ。男はそれに逆らわず、部屋の隅に追いやられた木の箱を開けた。

 箱の中には――これは、家系図だろうか――名簿が収められていた。血族に連なる者の名が記されているようだ。男は思うところがあり、そのページを捲ってマールムの名を探した。

 

 幾人もの名が連なる名簿は分厚く、男はやっとのことで、女王たるアンナリーゼの名を見つけた。マールムの口ぶりからして、この女性の存命の頃に、彼女が居るはずだった。しかし、最新のページに――最も年若く、今は十代と思われる血族の名がある辺りだ――マールムの名は無い。男はどんどんとページを遡るが、これではおかしい。とっくに男の手は、数十年ほど前のところまで戻っている。

 

 最後まで見たが、マールムの名は無い。それらしいと思えたのは、二十年以上前に生まれた不可解な誰かの名である。断言できないのも仕方ない。その名は、名簿の中で唯一黒塗りにされていたのだ。

 

――血族は何より、流るる血こそを重んじる……だが、私のそれは、枯れ果ててしまった。

 

 マールムの名は、血族名簿から消されていた。

 思いめぐらすと確かに、夢の中では、今でこそ彼女は、カインハーストらしい甘く芳醇な血が巡っているが、始めはそうではなかった。それこそ、人形のような無生物じみた姿で、存在自体が希薄だった。指先から解けて消えても、男は何ら驚かなかっただろうほどに。

 

 だが彼女とて、初めから夢の住民であったはずがない。少女には、人として生きた痕跡があった。彼女は血族に連なる貴族だったのだろう。そして、何らかの理由でカインハーストの血を……如何様な手段を以てしてか、その一滴に至るまでの全てを奪われ、一族から血族ではない者と見做された。そういうことになる。

 

 男は黒塗りの名の上に並ぶ、両親の部分を指でなぞる。これがマールムを示すものならば、母の名は……セクンドゥス。父の名は、マニュス――? 男は首を捻り、名簿を遡る。彼女の祖母は、ウェネーヌム。祖父は……同じく、マニュスとある。

 

 男は自身の内から、失われた知識が浮上する感覚があった。自分はこの言葉を知っていた。「青ざめた血」と関連する言葉であったはずで、だからこそ、触れた今はっきりと思い出せた。

 マニュスは、ラテン語で「偉大な」を意味する言葉だ。

 

 男は名簿を閉じ、武器を持ち直す。これ以上思考しても、得られるものはなさそうだ。男は女王へ謁見するため、道なき道を進み、屋根を飛び越え城の中核を目指した。中央にある小さな尖塔へ当たりをつけ、男はガーゴイルのような、痩せ細った獣を殺しながら進む。

 




<●>29
花の蜜+2
カインハースト到着+2

プレイヤーがしそうな行動と、それに伴う「男」の思考を書くのが本当に難しい。

おにいちゃん教えて……。プレイヤー、なんでアンナリーゼ様殺してまうん? プレイヤー、なんで出来そうな行動をとりあえずしてしまうん?


コマンド的に「花を摘む」を選ぶと、啓蒙が3増えてマールムが痛みにすすり泣きます。
話しかけると「どうか、もうしないで欲しい……貴公も、私から奪うのか……?」

夢の中でマールムを殺すと、次に夢に戻ると元に戻っており、話しかけると、
「ヒッ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 痛いの、寒いの、冷たいの……! ああ、ああ、もう嫌だ! どうか、もうやめてくれ!」
もう一度話しかけると、
「嫌っ! もう嫌、助けて! 赤い月、赤い月は何処へ行ったんだ? 私はどうして、こんなにも月から遠い!?」


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第八話 血の赤子-欲望

感想と評価ありがとう……まだ読んでる人居たんか(驚愕)とうれしくなって書いちゃった……。

でもごめんな!! 啓蒙ネタとか誤字脱字とかは月曜日になるんだ。今日も作者は用事があるんだ……気長に待ってくれた優しい貴公よ、よければ日曜の暇つぶしにでも利用してくれ……。

特別な赤子こそが上位者を呼ぶのだ……。(インタビューより)


 聖者の死体が起き上がる。

 

 男は斧を構え、王を冠する巨体を見上げた。超常的な力で怪物は空へ浮かぶ。男の脳が揺れる。古き神秘の匂いがする。

 亡霊を散らし、ローゲリウスを討つと、男は冠を被り、神秘の幻の裏へと進んだ。

 

 血の女王へ謁見し、血族へなることを受け入れる。男は、彼女へと尋ねるべきことがあった。

 男がマールムについて言及すると、アンナリーゼはわずかに身を乗り出した。囚われ続ける身の上で、突如男が現れた時でさえ動じなかった女王が、明らかに動揺を表している。

 

 「夢の中の少女、マールム。……本当に、おまえだというのか」

 

 男は、血族名簿の不可解な黒塗りと、彼女の親類についてを訪ねた。マニュスは「青ざめた血」に関する言葉である。男は神秘をどん欲に感じ取り、自身の唯一の目的への手がかりへ浮足立っていた。

 女王は表面上は平静を取り戻したように見える。彼女は、重い唇を開いた。

 

 「……マニュスというのは、我らの悲願を叶える存在だ。マニュス、偉大なる者……その赤子を抱くことこそが、我が悲願だ。マールムの祖母は、それを叶えた存在」

 

 男は愕然と目を見開く。「偉大なる者」という言葉に、心を揺さぶられる。赤子……そうだ、赤子にも、何か、心当たりが……。

 頭の隅に何か靄のかかった記憶が掠める。だが、思い出せない。ただ、自分の目的に指先が触れた感覚がした。

 

 「マールムの祖母は……ウェネーヌムは、特別だった。ウェネーヌムがまだ母の胎に在った頃、母体は故あって毒に殺められたが、彼女は誕生した。ウェネーヌムは、特異な性質として、毒に耐性を持ち、その代償か、いつまでもその精神は幼く……彼女は、特別な赤子として育てられた」

 

 アンナリーゼは静かな声で、「そして、無残に死んだ」と告げる。

 

 「その時に何が起こったのかは、分からない。赤い月が登った日の夜、彼女は金切り声を上げ、獣のように暴れ、自害した。その場には、我らが悲願……血の赤子だけが、残されていたのだ。訳が分からずとも、悍ましき誕生であっても、それは悲願。我らの存在意義にも等しい一族の到達地点……。その赤子もまた、大切に育てられた」

 

 蝋燭の明かりが、沈黙に満ちた部屋を揺らす。

 男は期待に高鳴る胸を抑え、焦燥にも似た動悸に急かされながら、記憶を必死に探っていく。

 

 「手足の数も瞳の数も、人とは異なる赤子であったが、赤子は人のように月に焦がれた。あるいはそれは、寂寥の表れだったのだろうか……。血の赤子は、その父と同じように、カインハーストの血族からまた一人、花嫁を見出した。それは私の母だった」

 

 アンナリーゼは気丈にも、超然とした姿勢を崩さなかった。王族たる気風を保ちながら、続ける。

 

 「ウェネーヌムのような死を、女王が迎えることは、秘匿されるべきだった。母は名をセクンドゥスと変え、ある赤い月の日に、二人目の血の赤子を生んだ。その子は、一人目とは違い、人間の形をしていた。それは如何にも、普通の赤子だったのだ」

 

 それが、マールムなのだろう。彼女は――人ではない。人と、人でないものとの、混血児だったのだ。

 男は得心がいった。あの神秘の力とはアンバランスなほど、彼女は人間に近かった。悲しみ、怯え、喜び、何より、男へと親愛を示す。それは如何にも、人間らしいじゃあないか。

 だが、忘れてはならない。彼女はそれでも、人ではない。

 

 男は可憐な少女の、異様に男を惹きつける性質を思う。彼女は普通の人間などではなかった。限りなく人に近い“何か”だ。だからこそ獣は――人間は、崇高ながらも、地に近い月へと群がり、汚し、子を成そうとする。

 自らが“何か”の伴侶に選ばれることを、無意識に熱望して。

 

 「マールムと名付けられたその娘は、普通の人間のように育った。父の存在も知らず、人として生きたが……どうしてか、月に焦がれる性質を持っていた。月は、人さえ求める美しき物……それは不可解なことではなかっただろうに、ある日母は自害したよ。『この子は必ず、普通の子として育てるように』と言い残して……。あれも、赤い月の日だった。マールムの父は、いつの間にかこの地から姿を消していた」

 

 男は、マールムの名が血族名簿から消えていたことについて聞く。アンナリーゼは医療教会の名を挙げた。

 

 「教会の狩人は数度に分けて、ここへ訪れた。最初の襲撃で、マールムは攫われ、聞くところによれば、血をすべて失ったと。詳細は分からない。すぐに一族は滅び、私はここへ囚われた」

 

 医療教会といえば、怪しげな男を思い出す。あの男に渡された扁桃石を、男は外套越しに触れた。大聖堂の右方、隠された古教会……襲撃は十年以上前の話だ。あるいは、そこなら何かを掴めるかもしれない。

 

 「貴公も既に、教会の仇と成り果てた身。血の穢れを集める内に、いずれは分かることもあるだろう」

 

 最後に、アンナリーゼは男へと伝言を託した。

 

 「マールム、おまえは確かに我が一族、カインハーストの血族であると、伝えたまえ。……貴公、また戻りたまえよ。カインハーストの名誉のあらんことを」

 

 

 

 

 夢に戻ると、あの甘い声が聞こえる。マールムの鼻歌が、どこか長閑な時間を夢に感じさせる。

 男は目を閉じて聞き入りながら、自身の激情を抑えることに苦労する。興奮に溶ける脳が、自分の目的に近づいていることの悦びに、沸騰していく。赤子、特別な赤子、血、「青ざめた血」。

 「青ざめた血」が近づいている。男の求めるもの。同じく不治の病を患い、死に物狂いで情報を探しただろうギルバートでさえ、聞いたことのない単語。男の目的は初めからそれだ。病に蝕まれた身でありながらも尚、ヤーナムにて、男は治療ではなく「青ざめた血」を求めていた。

 

 それだけではない。男はこれまで、漠然とマールムに魅了され、恋に溺れていた。彼女を幸福にしたいと考え、彼女を満たしてやりたいと行動していた。

 だが、彼女の存在が人よりも偉大な“何か”近しいものであると聞いてしまってから、身が昂ることを抑えられない。ああ、そうだ。彼女を孕ませ、そして男は――彼女の伴侶となる! それはなんと甘美な未来だろうか!

 

 恍惚とする男へ、人形は感情に疎い様子で声をかけた。

 

 「あの方に、お会いにならないのですか?」

 

 男はそれに頷きかけ、人形のガラス玉の視線に貫かれ、ほんの僅かだけ我に返った。

 ――例え、他の狩人の誰も出来なかった赤子を孕ませたとして、どうなるというのだ?

 

 マールムは夢に囚われている。他の狩人の夢にも彼女は存在する。そして、狩人を狩らねば彼女は決して解放されない。それでは駄目だ。彼女は、男だけのものであるべきだ。そうであって欲しい。そうしたいという強い欲望がある。

 

 ――そもそも、男は矮小な人間であり、彼女は人に近しいと言えど、種族が違うようなもの。子は望めないのかもしれなかった。男が彼女を自分の伴侶とするには、彼女に、男と同じように熱情を抱かせねばならない。

 

 なればこそ、男はやはり、彼女を救う初めての男となる必要があった。彼女を独り占めにして、彼女を自分のものにする。そのためには、自身の欲望を抑えねばならない。

 男は自身の獣性を抑えるため、智慧を蓄える。欲に任せて愚かな獣に堕ちては、マールムを手に入れられない。

 男は啓蒙を得、そしてふと――順序が逆だと気づく。

 

 マールムの伴侶となって、偉大な“何か”へ近づくのではなく。

 偉大な“何か”になり、マールムを自分のものとする。

 

 男の内の欲望が、理性によって抑えられる。男は愚昧なこれまでの狩人と違い、彼女を虐げるつもりはなかったが、それでも、彼女が人間に親愛を示すことは奇跡に近いことだと理解している。いつか男を厭う時も来るのかもしれない。実際、男には常に獣欲がちらついているのだから。

 

 だが、万一彼女からの拒絶があろうと、偉大な“何か”になれば、マールムを手に入れることは容易だろう。完膚なきまでに、感情などという曖昧な要素よりも、圧倒的に少女を縛れる。彼女は、月に焦がれるのだから。

 

 男も同じだ。男はマールムという月に惹かれている。もしも男が“何か”になれば、マールムも男へしなだれかかり、恋の吐息を吐くだろう。

 その妄想は、男の目的とは相克しない。目的に沿った“正しい”結末でありながら、男を酷く満たされた気持ちにする。

 

 男は花飾りの入ったポケットを撫でると、恋に溺れた盲人の顔で、少女とのいつかの未来を思い、そっと微笑んだ。




<●>38
アンナリーゼに謁見+2
ローゲリに遭遇+1
ローゲリを倒す+3
狂人の知恵+3

ローゲリさんトゥメル人ぽいし、聖杯の現代版の再演なんでしょうかね。子を孕んだヤーナムを捕えたように、いずれそうなるアンナリーゼ様も捕まえる…。

顔が上位者の生殖器説のお話見て思ったんですが もしそうならぼくたちは 月の魔物とセ…(手記はここで途切れている)


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第九話 抱擁-愛の告白

感想とかお気に入り登録とかすごく嬉しかったよ…ありがとうな…。なるべく更新がんばるぞい。

レンゲソウの逸話と、花に化けていたニンフ。ニンフはギリシャ語では花嫁…。というドンピシャのモチーフだったのじゃ…。


 階段を上ると、マールムの鼻歌は止み、彼女は傅いた男へと笑いかける。

 

 「ああ、貴公か……よく戻った。疲れた顔をしているぞ。さあ、甘い蜜を舐めると良い。貴公を癒してくれるだろう」

 

 彼女は青い花を摘み、口づける。赤紫に変化した花はすっかりレンゲにしか見えない。咲いている間は、まるで生きた人の目玉のような生気を感じるというのに。

 男はありがたくそれを受け取り、女王の伝言を伝える。マールムはいたく喜び、如何にも柔らかそうな足の裏を、トンと地に付けた。

 どうやら足が不自由なのか、自身の体重を支えられないとばかり、少女は倒れこむように、傅く男を抱えこんだ。

 

 「ああ! ありがとう! ありがとう、本当に……。私は、一族の一員なのだな……確かに、女王はそう言ったのだな……」

 

 彼女がしばらく、感極まったように呟いているのを聞きながら、男は莫大な熱量の感情に呑まれていた。

 か細く、小さな体。男は、少女に触れられている驚愕に目を見開き、恍惚と目を細め、自身が抱擁をされているという事実を、遅れて受け止める。肉は柔らかく、甘い香りがする。瑞々しい肌の腕が頬を掠め、彼女の手は男の項へと回っていた。

 言葉の一つ、指先一つ、口づけ一つ。たったのそれだけで、狩人たちの遺志を喰らっていた少女の優しい腕に、男は心底興奮していた。

 

 「これまでにない、安堵と歓喜だ。こんな安らぎは、生まれてから初めてかもしれない……。私は孤独で、一人で、誰とも交われない。そんな私を、女王は血族なのだと、そう言ってくれたのか……」

 

 スン、スン、と鼻を鳴らす音がする。男はすぐさま我に返り、少女にハンカチーフを差し出すと、狩人の遺志の花畑の中心へと、彼女をエスコートして座らせてやる。

 

 「貴公、私は嬉しいのだ。本当に、本当に嬉しい。……なればこそ、後ろめたい。我が身は、もはや人ではない。血族の証たる穢れた血、真っ赤な血は、現実には、私の中には一滴も残っていないのだ」

 

 マールムはぎゅっとハンカチーフを握っている。彼女は項垂れて、か細い声で尋ねた。

 

 「……貴公は、私に優しい。なぜだ? 私が出来ることは、ほとんど残っていない。人でもなく、瞳を持つには身に余る肉塊だ。果ては亡骸までも嬲られ、ここに在るのはほんの残滓にすぎないというのに」

 

 男は間髪入れず応えた。

 

 ――それは私が、あなたに恋をしたからだ。

 

 「……恋? 私にか?」

 

 マールムは視線をうろつかせた後、自身の体を見下ろす。ありありと浮かんだ困惑は、幼い体を自覚している様子だった。

 

 「力を失った、今の私を見て……「青ざめた血」を求める貴公が、恋を?」

 

 ――あなたの瞳は、とても美しい。

 

 男が手を伸ばすと、マールムはびくりと身を強張らせたが、男が彼女の手を恭しく掴むことを拒みはしなかった。口づけの許可を求めると、マールムはおずおずと手を差し出しさえするので、男は自身への信頼に喜んだ。

 男は手のひらに懇願の口づけをし、手の甲へと敬愛のキスを落とした。

 

 ――私は愚かな人間です。あなたは人には過ぎた妖精だと分かっているのに、それでも求めてしまう。

 

 「その言葉は嬉しいが、少し……恥ずかしいぞ。……だが、例え話には適している。そう、おとぎ話のニュンフェは、人を惑わす悪しき妖精だ。貴公が目指す高みに比べ、あまりにも矮小だとは思わないか」

 

 ――いいえ。私はあなたが欲しい。あなたを愛する許可をください。そしてどうか、私だけのものに……。

 

 男は更に、自身がすべての狩人を殺し、マールムを救うことを彼女に誓った。マールムからは拒絶の意志はなく、ただ困惑と、少しの……後ろめたさが浮かんでいた。

 

 「貴公は、私を……愛してくれるのか? ……いや。だが、現の私を見れば、それもきっと失せる。「青ざめた血」を求める内、いずれ見えることもあるだろう。その時、考えを改めると良い」

 

 マールムは愁いを帯びた瞳で、男を見下ろした。

 男は歯噛みし、彼女の考えをなんとしても覆したくなる。必ず男の愛を認めさせてみせることを決心し、彼は身を翻す。

 彼女に好かれたい。彼女に愛されたいと気が逸る。だが、今はどう思われようと構わない。人間が月に焦がれるように、彼女が男に焦がれる日を思えば、全ては些事であるのだから。

 

 

 

 

 男は聖堂教会へと戻り、大聖堂の右方の道を進む。満月が夜を照らしているからか、光のない街灯に、さしたる問題はなかった。

 

 階段を下る途中、人の息遣いの気配を察知し、男は斧を握りなおす。下の広場に、狩人が二名居る。

 男はにんまりと瞳を歪め、悦に浸った。彼の頭には血液の暖かさよりもまず、マールムの顔が浮かんでいるのだった。

 

 男が死体から工房道具を拝借し、血しぶきを浴びながら広間を横切り進むと、長身の男(?)が立っていることに気が付く。男は息をひそめ、袋を持つその男へと忍び寄る。様子を窺うに、どうやら袋の中には人が入っているようだ。生きてはいまいだろうが。

 

 男が斧を構え切りかかると、人とも思えぬ膂力で以て、人さらいは攻撃をしてくる。何度切ってもしぶとく動く様は、とても常人とは思えなかった。

 男は先へ進み、いよいよ扁桃石の男の話した隠された古教会へとやってきた。重い扉を開くと、そこは静謐としており、血しぶきの一つもありはしなかった。

 

 男は異様な雰囲気を感じ取り、ゆっくりと歩き出す。ここには何か尋常ではない気配があった。だが……男にはまだ、それを認識することが出来ないようだ。

 

 男が唯一の扉に近づき、手を伸ばしたその時。

 

 ――アメンドーズ、アメンドーズ……。

 

 誰もいなかったはずの空間に、知らぬ男の声が聞こえる。ああ、だが、それよりも、どうなっているのだ!? これは一体、体が浮いて――何かに締め付けられて、そして、まるで、夢に還る時のような――!

 

 そして男は刹那、確かに見た。偉大なる“何か”――人間とは別格の、“上位者”の存在を。

 




<●>40
教室棟へgo+2

追加でもっかいブラボやってたんですけど、幼少期エンドの時暗転と共に羊水のコポコポ…って音がするという発見。ウ、ウマレマシタヨー!元気な×××の子です!!

獣狩りの夜っていうのはどういう基準で起こるイベントなのだろうか…罹患者が多い週の夜とか? それとも月に一回とか決まっているのか、医療教会からの号令があるとか?
やつら夕方でも動いてたぞ…普通に日中動けるのヤバヤバじゃないか? あんなに多くはなくとも、どうやってヤーナム民は生活してたんだよ…。


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第十話 上位者-狩人狩り

一週目にして二週目レベルに市民を放置する男。

ここでいうのもなんだけど、短編の方加筆しました…日曜日で余暇が有り余ってて、なおかつこの文を読んでる方、よかったら読み直してみてね…。
あの、評価ね、嬉しい…。感想もね、すごいありがとう…(小並感)


 視界の端に青い光が弾けるのが分かった。はっとして周囲を見渡すと、まったく見覚えのない空間へ立ち尽くしている。

 探索をするに、ここはかのビルゲンワースのようだった。教室には変わり果てた学徒が居り、唯一話せる男曰く、ここは神秘なのだと。

 

 ――記憶を失った男の、人格の輪郭が、ようやく定まったような気がする。

 あの、大いなる存在。人智の及ばぬ領域にある、決して触れえぬ神秘の世界。物理法則も、エネルギーも、思考も、感情さえもが塵ほどにも敵わぬ上位の階層。

 男の中の目標への指針が、“上位者”に動く。男はきっと、あれに関係するものを求めて、ここへ来たのだ。

 

 その点において、ここは神秘に溢れ、男の記憶を微かに刺激する。

 男が開いた大きな扉の先は、先も見えぬ漆黒の回廊と、その先の悪夢へと通じていた。

 

 ――数えられぬほどの墓が並ぶ世界の空は奇妙に明るく、現れる獣はどうにもおかしな姿をしている。銀獣からは確かに神秘を感じる。だというのに、その身は明らかな獣だ。人であった名残か、墓を眺めている姿も如何にも“(人間)”らしい。

 

 男が道なりに進んでいくと、遠くから狩人が走ってくるのが見える。迎え撃ち、斧を振りかざすと同時、男の背を鞭が強く打った。

 肺から空気が抜け、男の動きが止まる。激痛と衝撃によって生まれた空隙で、正面の男の斧が、男の腹へと滑らされた。バチバチ、という電撃音が聞こえると同時、男の肉は焼ききれ――そして、夢に還ることを悟る。

 倒れ伏した男が、屈辱に目を向けると、雷を武器に纏わせた狩人は、優雅に一礼をしてみせた。ああ、まるで人間らしい。絶望の悪夢の中、獣であることを拒絶する姿は、滑稽でありながら、高潔な意志を感じ取れる。

 

 このような悪夢で、それがなんの意味を持つというのか。男は微かな苛立ちを覚える。

 人は皆獣欲を宿し、本質的には、欲を貪ることしか考えていない。上位を垣間見た今となっては、記憶を失いながらも抱いていた、人間に対する忌避感じみた無関心が、よりはっきりと男の中で沸き上がっていた。

 

 ここでの目覚めで、何人もの人間を見た。家の内に籠もる人間が居た。家族を案ずる人間が。恐怖におびえる人間が。人助けを求める人間が居た。

 男は決して、それらを積極的に殺そうとは思わなかった。最初のうちは、子供には僅かばかりの憐憫が湧いたような気もする。だが、既に心は元の形を取り戻したのだ。

 

 ――死ね。

 

 まして、この狩人はもはや手遅れなのだから。ここは現世ではなく、空の向こうには楼閣が浮かび、下には船のマストが揺れている。ちぐはぐな悪夢の中で、人の真似事をするなど、無意味極まりない。

 

 人血を払い、数え切れぬほどの墓の隙間を縫い、進む。やがて、きらりと光る硬貨に男は目を留めた。既に死した狩人の骸だ。これを置いて死んだのか。死んだ後に、誰かが置いたのか。どちらにせよ、意図があるはずだ。

 

 男がそれに近づき、骸を覗き込んだ。しばらくはそれに意識を奪われていたが、己の背後に近づく、不可思議なリズムの足音に、気づくと同時――崖から落下する。

 突き落とされた体に毒液が跳ね、顔に飛ぶ。振り返り、見上げた先の、あの後ろ姿は……蜘蛛のように見えた。しかし、崖の上から「神秘が見える」と告げる男の声は、教室棟の声と同じである。人ではなかったということだろうか。

 ……なんにせよ、この崖は、とても登れそうには見えない。男は後方への未練を捨て、毒沼を見据えた。斧を構え、毒沼の怪物を交わして行く。

 

 やがて辿り着いた先には、立派な塔が見えた。乱立する柱のある広場で、男は辺りを見渡す。しかし探索に時間はかからなかった。

 ああ、寝床に踏み入られ激怒する――偉大なるアメンドーズの声が聞こえるじゃないか。

 

 男は自身の数十倍の体躯を見上げ、ぐっと息を呑む。これは上位者だ。男を超常の力で連れ去り、悪夢へと放り込むことの出来る異次元の生き物だ。

 胸に仕舞った青の花飾りに触れ、男は斧を手に持つ。男は、彼ら上位者に傅くために、ヤーナムへ来たのではない。もしそうであったのなら、男はマールムに恋情など抱きようがなかっただろう。あの青い瞳に畏怖を覚え、心身を捧げるしもべへと生まれ変わったはずだ。

 

 だが違う。男は分不相応にも、彼女に恋をした。遥か高みの存在へと、自身の汚れた手を伸ばし、あまつさえ、上位者と人間の違いを理解しながら、それでも自分の番に選んだ。

 

 だからこそ、男は、これ(上位者)に成るのだ。マールムが焦がれる――月、そのものへと。

 

 

 

 

 どっと疲れが体へと襲い来る。男は、血の遺志を力へと変換し、屋敷へと踏み入った。すっかり馴れた武器の手入れをこなし、マールムの鼻歌を聞く。目を閉じて、声を聴いていると、その歌が何か、意味のある言葉に聞こえる瞬間があることに気が付いた。

 

 ……月、青ざめた血、救う、出来損ない、私を……。

 聞き取れるのはそれだけだ。男の耳に聞こえる言語は、そもそも既存のどれでもなく、単語の意味が不思議と理解できる瞬間があるというだけで、助動詞や助詞などの関連には気づけない。

 ただ、ずっと聞こえていなかった言語が、彼女の口から紡がれていることが分かったというだけだ。あるいは、カレル文字の元となった音こそが、これなのかもしれない。

 

 男は自身の装備を確認した後、すぐさま目覚めの石へと手を翳した。マールムにこうして近づけたのは、悪夢の狩人を狩った報酬だろうか、それとも啓蒙が高まった結果だろうか。

 どちらにせよ、殺せばいい。人間の力であっても、血の遺志を取り込めば上位者へ敵うことが分かった今、男は血を必要としていた。

 

 血の遺志を得る度に沸き上がる獣性も――男の場合それはたいていマールムへの欲望へと発露したが――啓かれた啓蒙が、獣性たる感情的欲求を遠ざけ、理性の範疇に収まる程度に小さくする。

 

 結局、人が獣でないのは自制心や信仰の賜物などではなく、智慧持つゆえのことなのだ。自制心では、獣を抑えられない。聖職者たちは、だからこそ獣となるのだ。

 

 

 

 

 男は聖堂街で目覚め、そっと立ち上がる。あれほど避けたアリアンナにも、もはや何も感じるところはない。女王アンナリーゼ、そして他ならぬマールムの血を知った今となっては、この匂いは男を惑わすことはなかった。

 

 男はそこから梯子を降り、アイリーンに近寄るなと忠告された、オドンの広場へと向かう。血の遺志こそが強さだ。アイリーンはもはや夢を見ないが、それでもかつては夢を見た。人形にも出会ったはずだった。

 彼女は、強い。疑いようもないほどに。そして、彼女が警告した狂った古狩人……ヘンリックも、そうだろう。

 

 しかし今や、男は上位者を狩った。血の遺志を取り込んだ。あの狩人達のどちらも、一騎打ちでは厳しいだろうが――彼女らが傷つけあったその果て、その瞬間ならば、あるいは。

 男は屋根の上からじっと戦いを観察する。どうも相性が悪いのか、肉薄するヘンリックに対し、アイリーンは上手く距離を取れないようだ。動きから察するに、彼女の武器は、勢いと、流れるような移動にこそ威力の秘訣があるのだろう。

 男は毒メスをヘンリックへと放り投げた。それに気を取られたヘンリックの胸に、アイリーンが二振りの刃で傷を与えて退く。

 男はそれに呼応するように、落下の勢いを乗せてヘンリックの背を斬り落とした。

 

 アイリーンは暫時、肩を揺らして息を整えていたが、やがて口を開いた。

 

 「はあ……はあ……。あんた、余計な助太刀だったね……。でもまあ、感謝する、よ――!?」

 

 男は彼女の腹を横なぎに斬り裂く。アイリーンはハッとして、はみ出そうな腹を抑えながら、男から遠ざかり、獣狩りの短銃を構えた。

 

 「ハ! なんだ、あんたもとっくにイカれちまったのかい! 正気を失った狩人は、獣と同じさ。あんたの夢も、もうすっかりと消えちまったようだね!」

 

 ――余計なお世話だな。俺の夢はまだ生きているとも。俺にとって、狩りに格別な愉悦はないが、彼女には狩人の骸が必要なだけだ。

 

 「馬鹿な。狩りに呑まれず、自分だけの意志で人を殺した……だって? あんた、言っている意味が分かってるのかい。快楽も、喜びもなく、ただ目的のために人を殺す……その意味が」

 

 男は無言で散弾銃を放つことを答えとした。血質に関わらず広い範囲に弾をばらまくこの銃は、高貴な生まれでない男に酷く相性がよかった。

 

 男は身を低くし、銃撃に呻くアイリーンへとすぐさま張り付く。彼女の戦い方は先ほど目に焼き付けた。今を逃せば、彼女を殺すことは困難になる。なんとしても、ここで殺しておきたかった。逸る気を抑えながら、男は幾度も斧を振るうが、負傷しているはずのアイリーンは紙一重でそれを避け、時にはトリッキーな動きで男を翻弄する。

 しかし、やがて好機は訪れた。男は彼女に、これまでにないほどに肉薄する。アイリーンはステップを踏んで移動したばかりで、姿勢を崩しており、まだ足に力を入れ直せない。男は好機を逃すまいと、斧を大きく振り上げた。

 

 ――男の目の前を、突然アイリーンのつま先が過ぎる。一瞬の混乱の後に、状況を理解した。アイリーンは、自身の体で隠していた背後の墓石に手を突き、足を跳ね上げると、クルリと一回転をして墓の向こう側に着地したのだ。その際、彼女は男の肘をトンと蹴った。

 男の刃の軌道は反れ、だが勢いを殺すことも出来ず、墓石へと斬撃は吸い込まれる。アイリーンはその隙を逃さず、男へ背を向けて、ヤーナム市街の方へと、走り抜けた。

 

 「次会うときまで、決して己の業を忘れるな、偽りの狩人狩りめ! 尊厳を持たないあんたに、本当の狩りをあたしが教えてやろう。その身を以て思い知るがいいさ……!」

 

 男がアイリーンを追いかけ、角を曲がった頃には、彼女の背などとうに見失っていた。どこにも見えない痕跡に、それでも男は散策を繰り返したが、どれだけ探しても、あの烏羽は見つけることが出来なかった。

 男は立ち止まり、死肉を喰らう烏を斬り裂く。ただ、烏の断末魔が響き、その血に塗れた羽を落とすのみである。

 

 ――次は、回復した彼女との一騎打ちとなるだろう。

 男はチッと舌を打ち、自身の負傷を癒すため、夢の世界へと帰る。まあいい、今回は諦めよう。

 

 次は、ビルゲンワースだ。教室棟のあの神秘といい、ビルゲンワースに何かが眠っているのに間違いはない。なあに、夜はまだ長い。獣はまだ闊歩し、狩人は山のように死んでいる。彼らの数が減ってから、生き残った者たちから、ゆっくりとその遺志を奪えば良いのだ……。

 




<●>49
教室棟到達+2
悪夢の辺境到達+1
アメン遭遇+3
アメン撃破+3

ローランの落とし子は、上位者の落胤なのに獣の病に汚染されているし、恐らくそれを冒涜と表現している…ぽい…? つまり上位者も獣の病に罹患する、かつ、そんな試みは現代人の脳みそをアウストラロピテクスにするレベルの冒涜…みたいな?

上位者に作用する獣の病ってなんなんだよ…。ローランの時代にはまだゴース健在のはずでしょ…。呪いのせいじゃないのかよ…。


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第十一話 獣-秘匿

彼らは男を悪魔と蔑んだが、自らを無欲なる聖職者と名乗った。

男は悲惨な幼少期くんです。あと三話以内で終わる予定…。


 ビルゲンワースへの道は、獣道によく似ていた。獣が徘徊しているのだから、実際にそう呼んでも差し支えもないだろうが、かつて人が通っていたとは思えぬ荒廃具合に、男は難儀した。

 犬が四匹ほど、檻から逃れて駆けてくる。それを往なし、斬り捨て、男は深奥を目指して進む。途中、切れ味の悪くなった斧が気になり、彼は血を振り払った。

 

 ――その、隙ともいえぬ僅かな時間。

 男はドンッと衝撃を受けたかと思うと、地から浮き、壁に叩きつけられていた。

 一体何が起こったというのか? 痛みすら遅れてやってくる。男は立ち上がろうとしたが、全身がズキズキと痛み始め、彼の動きは妙な緩慢さを抱いた。無防備なその一瞬を、何者かが再度襲う。

 

 声もなく呻きながら血を吐く。肉の潰れるぐちゃりという不気味な音が体内から響いた。不随意に痙攣する腕を地に押し当て、うつ伏せにされた視界をなんとか上へ向けると、そこにはあの――人さらいの、大男が立っていた。

 視界が霞む。長身の怪物が男へと歩み寄る。男は死を確信し、遠ざかる意識を追うことを止め、やがて気を失った。

 

 

 

 

 何か饐えた臭いがする。男はたちまちの内に意識を覚醒し、立ち上がり、武器を構える。ここは夢の中ではない。花の香りも、彼女の歌も聞こえない。

 そこは何処かの檻のようだった。あちこちから血の臭いがしており、あの大男が袋に詰めた人間をここに集めてきていたのだろうことが予想出来た。

 

 奇妙なことに、檻の扉は男が内側から押すとすんなりと空いた。周囲を油断なく見つめ、警戒しながら探索を始める。儀式とやらに言及するメモや、地下ですすり泣く女が居た。そして、人さらいたちも。

 

 男は、獣よりも尚厄介な人さらい等と戦う気はなかった。あまつさえ複数人とは。幸い彼らは身長が高く、天井を潜るのに時間を要した。それを利用して男は人さらいを撒き、どん欲に空気の流れを読み、外へと向かう。ここに居ると胸騒ぎがする。

 神秘的な儀式の片鱗を感じるが、男はそれに触れても不思議と高揚しない。求めるものとは異なる神秘のようだった。どこかから聞こえる歌声は、嘆くように、恨むように、何かを訴えかけてくる。何処ででも、常に同じ大きさの歌が響き続けており、率直に言って不気味である。

 

 何か大きな生き物が通ったかのように崩れていた穴を通り、男はようやく月を見上げられた。高く聳え立つ壁の向こうにある塔は、大聖堂だろう。ではこの扉の先は、位置的に旧市街となる。

 男は扉に近づこうとするが、すぐに、この殺風景な広場に、大きな獣が伏せていることに気づく。生きているのか、そうでないのかは定かでない。骨に黒い毛が残った白骨の獣は、月を避けるようにうつ伏せている。

 

 その指先が、ピクリと動くのを、男は確かに見た。

 すぐさま飛び退いた場所で、黒い毛の獣は咆哮した。頭を揺さぶる大きな声に、男はハッとする。かの獣はただの獣ではないのだと、すぐに彼の智慧が気づかせた。神秘が渦巻く気配がしたかと思えば、黒獣は雷を身に纏い、それに身を傷つけられることもなく、男へと爪を振るった。

 

 雷の摩擦がバチバチと音を奏でる。男は自身の肉を焼きかねないそれに肝を冷やしながら、雷の神秘を纏う獣を切り刻む。その頭蓋を大きく砕くと、男はそこへ罅を広げるように手を突っ込み、中にあった硬い骨や、腐った臓物を引き抜いた。

 

 獣が倒れると、そこは一気に静寂に包まれた。男は旧市街への扉を開くと、ふと一度だけ振り返った。

 

 ――今、一瞬……大聖堂の壁に、何か大きな生き物の腕が見えたような……?

 

 

 

 

 再び禁域の森へと繰り出し、男は人さらいを殺し、先へ向かう。

 大砲やトラップ、油の川を見るに、ここは何か外敵に晒されていたようだ。男は嘆息し、一度マスクを外して肩の力を抜く。村の辺りを抜けると、塔が見えてきたのだが、ここから進行方向を見ると、この先はまた森だ。

 鬱蒼と茂る森から、怪物の咆哮のような甲高い声が聞こえ、男はうんざりする。何キロメートルも歩くのは苦ではないが、夢は夜に見るもの。男の夢は、朝になれば消えてしまう淡いものであり、このようなことに時間を浪費するのは、本意ではなかった。

 今夜ですべてを終わらせねばならないのだ。今夜、今夜だけが……。満月、そして、儀式の行われる今夜だけが……。

 

 微かに記憶が脳を掠めた。目的は何も変わらないが、男の焦りが少し強くなった。そう、今夜でなければならなかった。

 男は塔を少しずつ降りていく。途中の階層で、人を喰らう怪しげな人間を見つけ、男は思わず声をかけた。

 

 ――貴公、獣ではないのか。

 

 「……狩人かい? へえ、俺が? 獣? ハハッ、冗談が上手いな、あんた。俺が獣に見えるのかい」

 

 男は無言を保った。この男は人間のように見える。だが、猛烈な獣の臭いが、彼から漂ってくるのだ。

 

 ――人はみな、獣だ。だが、貴公からは特に強い臭いがする。

 

 「なんだ、あんた……よく分かっているじゃあないか。そう、人は皆、獣なんだよ。あんたも、俺も。何も違わない。皆、獣なんだよ……」

 

 みすぼらしい男が血に塗れた手を伸ばすのに、男は抵抗しなかった。握手を求めているとも思えなかったが、彼は銃を腰に掛け、素手を差し出した。おかしな気持ちだった。この男はなんだ? という好奇心と――(少なくとも現状は)獣性の薄い、しかし明らかな獣に対し、男はこれまでの人間のように嫌悪を抱かなかったのだ。

 

 身を窶した男は、狩人の手に丸薬を乗せた。お近づきの印にあげるよ、医療教会のお墨付きだぜ、と皮肉気に笑いながら、彼はやけに嬉しそうに、狩人を見た。

 

 「あんたは血まみれだ! あんたも獣を殺した! だが……あんたは自分が獣だってことを否定しない。俺のことも……獣を、人を殺したってことも。ああ、なんでだろう、いい気分だよ。さっき、たらふく食ったからかなあ?」

 

 男は機嫌良さげに言うと、死体に手を伸ばし、再び血肉を喰らい始めた。

 

 「なんだよ、人の食事を見て何か楽しいのかい。今夜は特に酷いんだ、俺だってこうして、死なないように気を付けないといけない。一人はなにかと足りないからね……」

 

 狩人が見つめる先には、身を窶した男の無防備な背があった。敵意も殺意もない。この男は、自分を襲わないだろう。

 狩人が天を見上げると、月が少しだけ傾いている。ああ、深夜だ。朝日がゆっくりと近づいてきているのだ。男は貰った丸薬を外套に仕舞うと、礼を言い塔を下り始めた。

 

 階下に人影を捉え、男は立ち止まる。灯りと斧を持った人影があったが、壁をじっと見つめているだけである。敵意はなく、男はその人影を無視して進んだが、人とは異なる臭気……毒の臭いに、目を細めた。

 

 その先々では、毒を持った蛇や、それに寄生された人間が多く現れた。森全体にアメンドーズに似た像が多くあり、これはヤーナム中にあるのだと男は悟る。聖堂教会はアメンドーズを認知しており、また、それは上位者を求める彼らの意向に沿っていたのだろう。

 アメンドーズは空間を跨ぐ力がある。悪夢の中に寝床を作り、現世から人間を移動させる力がある。聖堂教会はその像を、ヤーナム中、封鎖された禁域の森にさえ造り上げ――

 

 ――しかし、ビルゲンワースにそれは当てはまらないようだった。

 

 黒い三人の人影を殺し、男はついにビルゲンワースへと踏み入った。水盆の使者たちの像、何かの上位者をかたどったのであろう像はあったが、ここにはアメンドーズの像はない。知識の探究者、最初の墓荒らしたるビルゲンワースの祖たちは、聖堂教会派が離反する程度には、異なる思想を持っていたようだ。

 かつて“血”にまみえたビルゲンワースは進化の可能性を垣間見たという。だが、それらを使用した儀式などを、彼らはすべて蜘蛛に託し秘匿した。

 

 ヤハグルで見つけた手記を思い出し、男は熟考する。――狂人ども、奴らの儀式が月を呼び、そしてそれは隠されている。秘匿を破るしかない。

 蜘蛛は儀式と月を隠している。それは尋常のものではなく……おそらくは、旧市街で発見した手記にもあった、「赤い月」のことだろう。

 

 男は視界の端に本棚を見つけ、ラウンジのソファーから立ち上がり、そちらへ向かう。顔の殆どを覆い隠し、神秘を使い襲い掛かってきた女狩人の血痕を通り過ぎて。

 男は知識を求めて本棚に近づく。そこに挟まったメモには、「赤い月が近づくとき、人の境は曖昧となり偉大なる上位者が現れる。そして我ら赤子を抱かん」と書かれており、旧市街の異様な数の獣たちにも通じるところがあった。人と獣の境界が揺らぐのだ。偉大なる上位者、圧倒的智慧を持つ者を前にして、両者は大差ない存在となる。

 

 ヤハグルで見た走り書きのメモを思い出し、男はゆっくりと思考を巡らせる。確か、「悪夢の儀式は、赤子と共にある。赤子を探せ。あの泣き声をとめてくれ」だったか。

 赤子を抱くということは、このメモを書いた人間は悪夢の儀式とやらを行おうとしているメンシス学派の者なのだろう。

 

 男は「青ざめた血」――上位者に関するものを求めてここへやって来た。赤い月が近づかねば、上位者が現れないというのなら、それを遮る者を排除するべきである。つまり、蜘蛛を見つけ、秘密を暴くのだ。

 

 ――女狩人の居た付近には、「あらゆる儀式を蜘蛛が隠す。露わにする事なかれ。啓蒙的真実は、誰に理解される必要もないものだ」という手記があった。男はそれを鼻で笑い、月見台への扉を開いた。

 

 獣の分際で何を取り繕おうというのだ。あの女狩人は神秘を用いたが、あれは自身の内から出したものではない。応えられた様子はないが、上位者への呼びかけ、精霊の使用による、紛れもない神秘だ。彼女も智慧を欲し、啓蒙を高めた。そうでありながら、何をいまさら。

 

 男はここに来て気づいた。男が嫌悪するのはただの獣ではなく、獣性の最たる例である欲を否定しながら、尚も手放さぬ人間だったのだと。

 聖職者など、その最たる例である。男は怒りと嫌悪が湧くのを感じる。

 

 欲も獣性もないと口にしながら、奴らは平然と悪徳を成すのだから。




<●>55
ヤハグル行き+1
黒獣遭遇+1
黒獣撃破+3
影撃破+2

墓荒らしてヤーナムのミイラ取り出して血を採取、からの体内からメルゴー(ヤーナムの石)を取り出して、それに惹かれて上位者≒赤い月は来た…という流れなのだろうか。
その際、ヤーナムの穢れた血を利用していた研究者たちが、獣性が他より高まっていたため獣化、しかも上位者≒赤い月がメルゴーを求めてやってくるの大惨事コンボ。
→封じる方法を探すうちに漁村へ、ロマに瞳を宿させ赤い月を封じる? とか…?
ここら辺の時系列は本当によく分からん…。

人と獣の境云々は英語バージョンブラボの字幕から
「When the red moon hangs low, the line between man and beast is blurred.」


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第十二話 蜘蛛-赤い月

感想ありがとうございます!
エンディングまで巻いて行きます! とにかく終わらせて、完結したらまた読みやすく加筆したりする…。


 美しい月が、眼前に広がっている。湖が一望出来る月見台には、安楽椅子に揺れる老人が一人と、満月以外には何もなかった。

 何処よりも神秘に近いビルゲンワースでありながら、男は不安にとらわれる。ここは、ヤーナム中のどこからも感じた神秘の臭いが感じられない。変態した生物を殺し切ると、ここはたちまち、最も神秘の薄いエリアとなってしまった。

 

 男はそれまで、気にも留めていなかった老人へ近づき、蜘蛛は何処かと尋ねる。彼は喃語のようなものを呟きながら、月を示した。男は頭が啓かれる感覚を味わったと同時、この老人こそが、学長ウィレームであることを識る。

 彼は呆けた老人のようにも見えたが、男はその頭に異様なものが存在することに気づく。触手のような円筒状のものは彼の頭から生えており、彼が人ならざる者に足を踏み入れていることが察せられた。だが、これまでの学徒たちのように完全な変態をしているのではなく――。

 彼は人の肉体を持ったまま、上位者へ成ろうとしていた。

 

 ――その言葉を、聞き取れないこの身が憎らしい。あなたの見つめる次元は、どんな世界をしているのですか。

 

 彼の試みが、彼の思うままに成功したのかは分からない。思考だけは恐らく彼方へとたどり着いたのだろうが、それを口に出来ぬのであれば、外野からは何も悟れない。ただ――彼は獣ではなく、そして人でもない今、上位者、もしくはそれに限りなく近い存在であるのは間違いなかった。

 

 男は彼に敬意を表し一礼すると、老人の示した月へと歩み寄る。月見台の下には、水に覆い隠されたその先の揺らめきが、現世からも見えていた。神秘の気配は何かに遮断されたのか、こうして目の当たりにしながらも、男には未だ感じ取れなかった。

 

 トンッ、と床を蹴る。男は微塵の恐れも感じることなく、先達の指し示す道へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 足の裏に空間を感じる。四方八方、いや、全方位が白く、まるで霧で出来た世界のようだ。大きな――大きく歪な蜘蛛と、男だけが、ここでしっかりとした輪郭を持っている。

 視界から、聴覚から、触覚から――五感全てが、震える。あまりに高位の神秘に、男は一時、呼吸を止めた。

 

 男はこの空間に既視感を覚えた。これは、男が失った記憶を求めて思索に耽る際の、探せど掴めぬ脳内の様子に非常に似ている。まるで、求めるものなど初めから存在しなかったかのように靄に覆われ、何もかもが元の形を失い、どれだけ手を伸ばそうと、何にも触れられない……。

 これこそが、この蜘蛛の世界なのだろうか?

 男が近づけど、蜘蛛は身じろぎさえしない。いっそ無垢と言って差し支えないほどに、蜘蛛は男に敵意を抱かない。男が来る前からも、来てからも、ずっとこうしていたのだろうか。閉じ込められたとも考えることも、感じることもなく。なんの思考もせずに。

 

 男は――分不相応にも――この上位者に対しての憐憫を覚えた。男の目的には、この蜘蛛の排除が必要だった。オドンの地下墓の、「見えぬ我らの主」とやらさえも、この蜘蛛は封じている。おそらくは上位者さえも、この白痴が、水に封じられたこの湖で、ずっとずっと隠してきたのだ。誰かがこうして、蜘蛛と一緒に閉じ込めたのだ。

 ――この生き物は、まるで使われるために存在しているようだった。それこそ虫けらのように、都合よく、意志など存在しないかのように。

 

 男は狂おしいほどの懐古と、震えるほどの激情に取りつかれる。白痴の蜘蛛に己を重ねた愚かな人間は、溢れんばかりの哀れみで、殺意なき刃を振りかざした。

 

 

 

 蜘蛛の柔らかな腹へ、斧を大きく差し込み、そのまま男は斧を引きずるように側面を走る。血が傷跡から噴出し、肉が裂けて内側が覗き込めるようになる。

 それが決め手となったのか、さんざんに身を斬りつけられた蜘蛛はついに倒れ、灰となって消えていった。

 

 上位者の血の遺志が男へ宿る。脳が成長したかのような、眩暈に似た揺れが起こる。男の手には、眷属の証たる死血があった。人ならざる血、これこそが、かの蜘蛛が上位者の身であったことを示していた。

 

 男が辺りを見渡し、何らかの変化を探すと、それはすぐに見つかった。湖面に立つ古風なドレスの女性。腹が血に塗れ、どこか遠くを――いや、彼女は、月を見ている。真っ赤な、月を。

 いつの間にか、何もなかったはずのこの湖に、赤い月が浮かんでいる。それだけではない、無音の空間に、赤子の鳴き声が響き始める。甲高い泣き声は、誰かを呼んでいるかのように騒がしく、ガンガンと男の頭を痛めた。

 声が聞こえる。泣き声が。何かを呼んでいる――ああ、それに応えるように――真っ赤な、赤い、赤い月が、降りて、く、る……。

 

 

 

 

 男が次に意識を取り戻した時、そこはアメンドーズに初めてまみえた古教会の中だった。あの時には見えなかった上位者が、今ははっきりと男の目に映っている。

 

 ――儀式の秘匿は破れた。

 固く閉じられていた扉が開いている。アメンドーズが番人のように手を伸ばすが、男はそれを走り抜け、遠くから見える赤い世界に自ら駆けよっていく。赤い、赤い光が見える。

 ――ああ、これが……これこそが……。

 男の瞳に、赤く光る月、そして――青ざめた空が、映り込んだ。

 

 鐘の音が反響する。空からは祝福の赤い月光が降り注ぎ、男の進む先々には、アメンドーズたちが何体も、何体も、何体も現れた!

 ここが地上だということが信じられない。こんなにも神秘に――上位者に近い場所があるなんて、男は想像だにしなかった。いや、或いは、かつてはそう推測したのだろうか? 記憶を失う前の男は、そのためにここへやってきたのだろうから。

 壁に人が同化し、人と人が組み合わさった怪物が闊歩する。赤い月は、人と獣の境だけでなく、人とそうでないものの境――人の輪郭それ自体すらも曖昧にするのかもしれない。彼らの輪郭が、最も曖昧になった“瞬間”に、他のものと溶け合い、“その瞬間”が終わった途端にそのまま固定化されてしまったのだろう。

 “その瞬間”、即ち、メンシスの悪夢の儀式の行われた時より、この隠し街には、蜘蛛の隠していた赤い月が呼び出されているのだろう。

 

 探索を行う内、男は聖堂街の上層の鍵を見つける。ゲールマンが言っていた、上層の鍵だ。そして、マールムの縁の深い聖堂教会の最奥である。鍵を仕舞いこみ、男は現実での少女との出会いを思い、高揚する。

 

 男は大通りを進み、人々が何かを敬うように死んでいる扉へ触れる。この先に、男の求めた上位者が……青ざめた空の現れた今、男の唯一持ち得た目的が――!

 赤い月が、地に降りる。男は鐘の音に呼ばれるそれに、違和感を覚えた。何故、鐘の音が必要なのだ。それがなければ降りられないとでも? 男の中の不安を表すように、月を黒い靄が覆う。赤いまがい物の宇宙のようなものが現れると、そこから腐臭を放つ液体が落ちてくる……。

 

 ――これは、違う。

 違う、違う、違う! こんなものが上位者だと!? 混血児であるマールムの方が、よっぽど神秘的だ!! 何より美しい!

 男は出来損ないの上位者を前に、人体を継ぎはぎで固めただけの、知能もない怪物に怒り狂った。鐘の音が響く。何度も、何重にも。

 

 汚らしい双生児を殺め、男は血を払った。悍ましい再誕者、何人もの死体が再度、一つになって生まれ直した怪物。強い腐臭と不快感に吐き気を催し、男は猛烈な不安に襲われた。

 

 ――自身の求めるものは、上位者とは、こんなものだったのだろうか……?

 求めるものが、無価値であるかもしれないなど、考えもしなかったのだ。男は先へ進むのが少し怖くなる。赤い月はあんなにも美しくここを照らしているというのに、どうして、あんな悍ましいものが……。

 

 男は胸に去来する虚無感と不安に耐えられず、使者たちの侍る灯火に手を伸ばす。男の知る、最も美しい上位者の落胤――マールム、愛しい少女に会うために。

 

 

◆◆◆

 

 

 男が近づくと、マールムはすぐに異変に気付いたようだった。

 

 「一体、どうしたのだ。そんな不安そうな顔をして……。私にはもはや何も出来ないというのに、貴公はいつも、私に献身の欲を興させるな……」

 

 マールムは男の頬を包み込み、優しく撫でた。

 神秘の香りを漂わせる青い花畑は、不思議な生気が人間の目玉とまつ毛を彷彿とさせる。それに囲まれた少女は、相変わらず美しく、神秘的で、そして人間を気圧させる存在感を持っていた。

 

 「少しは落ち着いただろうか。私は、地上でのことは、何も分からないが……大丈夫。貴公ならば、きっと、上手くやれる。きっと、きっと……」

 

 少女は天に上る月を眺め、あやす様に呟く。男は以前のように、頬に添えられた手を、自身の手で捉え、そして恭しく口づける。

 

 ――酷く恐ろしいものを見てしまった。あなたのような者ばかりであれば良いのに、悍ましい腐臭の上位者を……。

 

 「……フフ、私も腐肉と大して変わらないさ。それに、美しき上位者なら、星の娘が居るだろう。僅かでも貴公の心に恐怖の染みが残るのなら、聖堂街の上層に行くと良い」

 

 マールムは目を細めて、男の触れる手をじっと見つめた。

 

 「貴公が恋をするには、私は醜すぎるよ」




<●>65
ウィレームと会話+2
ロマと戦闘+2
ロマ撃破+2
再誕者戦闘+1
再誕者撃破+3

へその緒も生きている紐も寄生虫説が一番好みでしっくりくる。苗床カレルが寄生虫の攻撃を変える=寄生虫は体を改造するってやつ。
星の娘の血(の中の寄生虫)は宇宙的存在に体を変態させて、へその緒は人間とのハーフの赤子が落とすから人間を緩やかに上位者に改造する…って説。
あと獣血の主はムカデだし…。


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第十三話 酩酊-念願

お待たせしました! 感想、高評価ありがとうございます! 誤字脱字修正適応しました!! 推敲してくださるとか神かな?? 汚い誤字をお見せしてしまいすみません…。
なんかすごい読んで下さってる方が増えてた! 嬉しかったです!


 オドン教会から上り、男は小さな塔を見上げる。塔の下は空洞で、どうやら何かの建造物があった名残があった。直観的に興味を引かれ、男は崩れた足場を伝い降りていく。この先に何かがあるような気がした。

 最下層へ近づくと、一つ立派な扉があることに気が付く。常人がたどり着くには厳しい立地ではあるが、ここに用のある人間も居たのだろう。男は扉を押し開き――そこで夢の香りの幻覚を嗅いだ。

 

 ――花が、咲いている?

 一瞬、マールムの鼻歌さえもが聞こえた気がしたが、男が我に返ると、そこには手入れもなく荒れた庭があるだけだった。だが、屋敷といい、人形といい、ここは夢の空間によく似ている。

 いや、ここを元に夢が作られたのか……。だとすれば、ここは最初の夢の狩人が使っていた工房なのだろう。

 

 祭壇の上の散乱した書類を漁っていると、不意に慣れない感触の物に触れる。書類のほかに妙なものが混じっている。手に取ってみると、瞳が複数付いた紐――のような物体だ。目が合う訳もなく、動くこともない。しかしなぜだろう――異様に惹かれるものがあった。

 男はそれを懐に仕舞うと、来た道を戻る。

 

 扉の前の足場から次へ飛び降り、やがて足がレンガの地を踏む。

 眠るように座っていた獣が、音に反応したように立ち上がる。この牛のような獣は、これまで見たどの獣よりも、最も獣性が強いように感じた。

 門番のような獣の背には、また扉があり、男は獣の死骸を跨ぎ、その先へと進んだ。

 

 耳障りな笑い声の聞こえる家屋と、何やら民族的な服装を身に着けた獣を数体殺すと、やがて見覚えのある地形に出る。どうやらオドン教会から大聖堂への道へ戻ってきたようだ。

 徒労を覚えたような気もするが、収穫はあった。男の直観、もしくは失った記憶が囁いた。

 ――この瞳の紐こそが、男には必要だと。

 

 

 

 

 聖堂街の上層へ上っていく。赤い月の上る空へ、男は一歩近づいた。

 男の出た小さな塔からは、塔を挟んで、その先へ中央の建物まで続く道が伸びている。小さな上位者の幼体があちこちに居り、それらが一心に、すべて同じ方向を見ていることに気づき、男の背に悪寒が走る。この幼体を見ていると、どうしてか怖気が走る。耳鳴りのような、甲高い音が聞こえる気がした。

 教会の使いが点々と徘徊していたが、中央塔の中に入ると、不気味な脳吸いと、青い目の獣ばかりである。転がる死体はみな聖歌隊の服を着ており、この獣たちの元は彼らだったのかもしれない。赤い月が現れるまでは。

 

 二階へ上り、全ての生物を殺し終えると、倒れた一体の脳吸いのポケットから、孤児院の鍵が覗いている。予想はしていたが、これもやはり人間だったのだと確信すると、血という物の、その進化の可能性を改めて思い知らされる。

 孤児院の扉を開くと、オドン教会の真上から見えていた、中央へ伸びる回廊に進める。こちらへ走ってきた青い怪物――曰く、星界からの使者というらしい――を、狭い空間でなんとか殺すと、開けた空間に出る。

 

 重そうな花弁を抱え、項垂れる花たちが月光から顔を逸らしている。花畑を囲う回廊に男は立っているようで、吹き曝しの空間を、男はアメンドーズなどが顔を出さないかと微かな懸念を思いながら、中央へと進んでいく。

 

 ――突如、燐光が現れたかと思うと、そこに星界の使者たちが現れる。空に――宙に近い空間だからだろうか。一斉に現れた使者たちの数は、これまでにないほどだった。

 何度切っても蘇る者のうち、やけに頑丈な個体が居る。濁った色の血を浴びながら斬り続けると、その個体は大きな体躯となって、手足を振り回し始めた。怯まず斬り続けると、頭から光る触手のようなものを伸ばし、彼方への呼びかけを使い始める。

 

 巨体であるが故に、腕は男の頭部より上にあり、しかし懐に入り込んで攻撃すれば、上を見上げることは難しい。足元を何度も斬るよりも、その腹や脳を斬り裂ければどんなに痛快だろう。アメンドーズ然り、真上から攻撃を降らせてくる相手とは、あまり戦いたいとは思えない……。

 最後の一閃と同時に、上位者の莫大な血の遺志が身に宿るのを感じた。取り巻きの使者が重力に潰されるように死んだのを確認し、男は散策を始める。

 

 男が始め立っていた回廊の反対側には、鍵のかかった扉があり、それ以外は何も見つからなかった。男は自分の立つ場所が、あの不気味な幼体の見つめる場所である以上、あれに縁の深い何かがあるはずだと確信しているが、それが見つからない。扉に合う鍵は、今は持っていない。出直すしかないのだろうか?

 

 男はふと、この花畑は、およそエミーリアの居た中央部に近いことを思い出す。そう、ちょうど、このガラス窓一枚を隔てたその先くらいに――。

 

 ガシャン、と華奢な音を立ててガラスが割れる。男は窓枠を乗り越え、幼体を殺し、ストンと降り立つ。下にはやはり、ローレンスの頭蓋のある祭壇が見え、先へ進むと、そこにはエレベーターがあった。

 スイッチを踏み下降すると、また幼体が居る。彼らはやはり同じ方向を一心不乱に見つめており――まるでそれは、月を見上げるあの少女のように――何かに焦がれているようだった。

 男は骸となった幼体の死体を蹴り転がし、その視線の先を追う。

 

 ――そこには、月光を浴びる星の娘が立っていた。

 白くやわらかな光が、彼女の肢体を照らす。か弱そうな羽が揺れており、その後ろ姿は、水に満ちた地面と相まって、厳かにすら思えた。恍惚として男は見惚れる。どうしてだろうか、足元がふらつく――気分が高揚し、彼女の魅力が、何度も何度も男の感じた好意を上塗りしていく。

 酩酊したように、男は白くつるりとした肌に手を伸ばす。その手袋に包まれた手が、一瞬触れた途端に、エーブリエタースは振り返った。

 

 深緑の瞳が男を見つめる。白い筒状の突起が無数に生えた顔に、しなやかな触手のような腕が数本。その体には人の要素などただの一つも無く、再誕者のようなまがい物とは全く異なる“上位者”らしい姿をしていた。

 更に、その瞳は濡れたように光っており、それは男のような矮小な人間風情でも分かるほどに――。

 

 ――美しい。

 

 ビュン、と飛んできたエーブリエタースの腕の薙ぎ払いを避け、男は素早く斧を取り出す。こちらに交戦の意志はなかったが、彼女はそうでないらしい。先ほどまでの、酔ったように魅了されていた頭はたちまち冷却されていき、男は雷ヤスリを斧へと滑らせた。

 

 ――ああ、ありがとう。美しき娘よ。私は貴公のお陰で、躊躇いを捨てられたよ。

 

 腐臭に満ち、他者に操られる身の上など、獣とどう違うというのだ。そんな醜い存在が、自身の目的だったのか? そして、そんな存在が――美しいマールムの番いになれるのかと不安になったことが、情けなかった。

 

 雷を纏った殴打に、エーブリエタースが悲鳴を上げる。キィイイインという耳鳴りが聞こえ、男は智慧ゆえにそれが歌声だと理解できた。

 痛みに喘ぐ彼女は、幾度も彼方へと呼びかけ、そしてそれに、誰も応えなかった。

 

 ――美しい歌声だった。もう少し、聞いていられれば……などと欲するのは、未だ人間の証か。

 

 男がエーブリエタースの祈っていた祭壇へ近づくと、そこには白痴の蜘蛛にも似た上位者の死骸があった。触れると強い神秘を感じる。今は必要のないものだが、いずれ使うこともあるかもしれない。

 祭壇には鍵が置いてあった。黒い鍵にはレンゲソウの彫刻が施されており、花畑の回廊の扉を開く鍵のようだった。

 

 男は自分の胸に期待が吹き込まれるのを感じる。この鍵を差した先には、もしや――。

 がちゃり、と錠を解くと、男は扉を押す。狭い階段があり、蝋燭が壁にかけられている。そう長い時間を必要とせず、男は開けた空間に出たことを感じる。

 その部屋は、一寸先も見えないほどの暗闇に包まれていたが、天井が崩れて月光が差し込んでいる部分がある。瓦礫が無造作に転がっており、故意的なものというよりも、盗人が入り込んだ後のように思えた。

 

 その証拠のように、暗闇の中には無数の新鮮な死体が転がっている。服装を見るに、ヤハグルの黒衣の人さらいたちが多いようだが、幾名か聖歌隊の者も居た。

 月光の差し込む場所には大きなレンゲソウのオブジェがあり、茎の根元の方から、掘られた床の溝に沿って――濁った灰色の血が流れている。どこへ落ちているのか追ってみると、それは壁際の床下へと滴り、パイプと伝って下層へと届けられているようだった。

 

 近づけば、その異様が露わになる。石で出来た花には血の跡がこびりついており、白骨化さえした死体たちが、まるで養分のように倒れていた。その仲間入りをしないよう、警戒をしながら梯子を上り、花の上に立つと、鎖が数本花弁から伸びて、何かを拘束していることが見て取れた。

 男が中央へ近づくと、その正体はすぐに分かった。

 

 そこへ居たのは、現世のマールムだった。

 




<●>75
捨て工房到達+2
使者撃破+2
えぶたそに謁見+3
えぶたそ撃破+3

捨て工房の下の街の、謎の文様の腰巻の獣なんなの?

正直エブたそは戦うまで美人って気づけなかったかもしれない。最初はウオッ!?となるんだけど、戦闘中清楚に口元抑えたり、痛みに悶えたり、彼方に呼びかけったりする動作が美しい。
そこから食べられた時とか、不意に瞳が意外と綺麗なことにドキンッってなって、気が付いたら…恋しちゃう…。


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第十四話 口づけ-愛

エリア名【新月の褥】

感想・評価ありがとうございます! ラストスパートかけるで!!


 月光が差している。少女を――いや、美しい女性(・・)を照らしている。しかし、何も降りてくる兆しはない。そこかしこに、物悲しくナメクジが這っており、女性も沈黙し、眠っているように見えた。

 男はわなわなと震える足で、一歩一歩を踏みしめた。長くうねるような、夢よりもずっと長い、だが同じ蜂蜜色の髪。白く長い手足に、起伏のついた肢体。年齢としては、家系図と同じく、二十代といったところだろうか。妙齢の若く美しい女性が、そこで眠っている。

 

 ――ああ、なんということだ……。

 

 マールムだ。これは、マールムの本当の姿だ。男は恍惚として、警戒も忘れ、彼女を繋ぐ鎖を断ち切る。こんなに窮屈で可哀相だ。あんなに月に焦がれているのに、今夜ああして破られるまでは、新月の部屋に閉じ込められていたのだろう。なんと憐れな……。

 血まみれのオブジェの花弁の隙間から死体の顔が覗く。根の部分に引っかかっている幾人もの狩人は、凄惨な死に顔で空を眺めている。

 

 男は膝を付き、マールムにそっと手を伸ばした。夢の中でのように、静かに、優しく、怯えさせないように。男は彼女の瞳が見たかった。あの美しい青色の瞳さえあれば、男はなんだって出来た。それを手に入れるためならば、何をしたって構わないとすら思える。

 美しいあの瞳を、現実で見たかった。男と、もう一度目を合わせて欲しかった。本当の姿で。本当の体で。

 

 マールムのまつ毛が、震える。気が付けば、男の、彼女に触れようとしていた手は止まり、固唾を呑んで彼女の顔を食い入るように見ていた。

 瞼がふわりと持ち上がり、青い目が隙間から覗く。

 

 彼女は確かに、男を見つめた。

 

 男は何にも代えがたい感動を噛み締め、踊りだしそうなくらいの喜びを耐え、彼女に微笑みかけた。マールムはそれに微笑み返し、しなやかな腕を男へと伸ばす。いつものように頬を包まれるのかと、男は幸福な予感に身を任せた。横たわる彼女のために身を屈めると、マールムは嬉しそうに目を細め――男の項に手を宛てた。

 蛇のように伸びた腕は、男の背と項に添えられ、彼女はゆっくりと顔を持ち上げていく。段々と彼女との距離が失われていく。青い瞳が、甘やかな声を吐く唇が近づいてくる。思わず引いた身は存外強い力に押しとどめられ、男はわずかな身じろぎしか出来ない。

 

 やがてマールムの唇が――狩人の遺志を喰す口が、男へ柔らかく触れた。

 

 頭が真っ白になった男の耳に、くすくす、と笑い声が聞こえる。とん、と悪戯っぽく叩かれたのは口元を覆うマスクで、彼女との口づけはそれに阻まれていた。だというのに、男のわずかに覗く目元は明らかに紅潮していたのだ。

 

 彼女の体から、力が抜けるのを感じる。男が慌てて支えるも、彼女が目を閉じる。彼女が息を止める。マールムはそれきり何も話さず、動くこともなく――男が我に返ると、彼が抱き支えていた女性は、いつの間にか、腐敗した死体になっていた。

 

 彼女からずっと流れていた濁った色の血液は止まっており、まるで今初めて死んだかのように、その古い死体はそこに在った。男は死体をそっと地に下ろし、それからマスクを外し、彼女の頬に手を添え――その瞼に口づけた。

 

 ――寝込みを襲うほど、落ちぶれたつもりはないとも。だからこそ、口づけはまた……次の機会に。

 

 キスを逃した男は、そう言い訳を呟いたが、意中の相手の瞳に口づけた彼の耳は、言い逃れのしようもなく、真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 

 火照った顔を持て余しながら、男は降りてきた階段以外にも、大きな扉があることに気が付き、そちらへ進む。ランタンが等間隔に置かれた廊下の先は、大聖堂へと続いているようだった。ぐっと上部の持ち手を押すと、床のプレートが一枚はがれ、梯子を上がることが出来た。

 

 ――不意に、誰かの含み笑いが聞こえた。

 

 男は咄嗟に頭を下げ、頭上を通る刃を目で確認するよりも早く、勢いよくその場を飛びのいた。

 

 「狩人は皆、狩りに酔う……あんたも、何も変わりゃあしない……」

 

 風切り音と共に、ナイフが飛んでくる。男はそれを避け、暗がりの中の、敵の正体を確かめた。聞いたことのある声だ。

 

 「あまねく狩人に死を……悪夢の終わりを……それが、あたしの仕事さね……」

 

 ――烏羽の狩人、アイリーンだ。

 彼女は以前の激高を感じさせない静けさで、男へと刃を翳した。どこか酒に酔ったような、何かに呑まれたような口調で――ああ、なるほど……。

 

 ――どうやら、あんたの方がおかしくなってしまったらしい。……最も、今していることは、正しいだろうが……果たして、あんたの尊厳とやらはどうなったんだ。

 

 「狩人め、狩人め……。狩りに酔い、人を殺めるお前たちに、死を……!」

 

 対峙し、時折飛び掛かり牽制し、銃で隙を狙う。互いがそうする内、アイリーンは血を吐くように叫び、男へと斬りかかった。捨て身の攻撃に、男は痛みに息を呑みながら、なんとか浅く済ませる。

 

 「あんたの血を! 狩人の血を! あんたの死を! 狩人の死を! そうして悪夢を終わらせるのさ!」

 

 ――悪夢が恐ろしいのなら、自分のものにしてしまえば良いだろう。彼女の住まう世界すら、悪夢なのだから。

 

 輸血液を太ももに強く刺すと、男は斧を両手に持ち替え、勢いよく振り回す。アイリーンはそれに足元を掬われ倒れこむ。素早く片手に銃を持ち、男は、立ち上がった彼女の振りかざしていた刃を撃ったが――彼女は反対の手に握ったナイフで、すかさず男の目を潰そうとした。

 

 「グッ! 狩人に死を……! お前たち狩人など、誰一人として残さない! 特にあんたはね……!」

 

 アイリーンは武器を変形させると、勘の鈍い者でも気づけるほどの眼光で、マスクの下から男を睨みつけた。

 

「あの子を救うのは、あたしたち狩人じゃない……別の誰かさ……!」

 

 ――それもまた、一つの道かもしれない。だが……。

 

 男は至極冷静に、刃を振りぬき体勢を崩した彼女の腹を撃ち抜いた。前のめりになっていた体に、正反対の衝撃を食らって踏ん張ったアイリーンは、一瞬の静止を迎える。

 男は一息に距離を詰めると、彼女の暖かな腸に手を差し入れ――中の臓器を鷲掴み、勢いよく引き抜いた。

 

 ――あんたの遺志も貰っていく。次は、そうだな……狩人とは別に、あまねく“別の誰か”とやらを、殺して回ることにしよう。

 

 「……怪物め……! ああ……お前たち……お前たち狩人に死を!」

 

 男は残心の構えのまま、細い息を吐く。どうにか殺せたようだ。以前の男では、とてもではないが、勝てなかっただろうが……。

 ぐっと手を握ると、調子が良いと感じる。自分の中に、莫大な血の遺志があるのが分かる。恐らくは、現世のマールムが喰らってきた遺志を、あの口づけで男に託したのだろう。

 

 辺りを見渡しても、もう近くには誰も居ない。男は体から力を抜き、考え始める。

 アイリーンはこの夜出会った中で、最も意識のはっきりした人間だった。精神力の強さが、言葉の芯から伝わってくる良い狩人だった。そんな彼女でさえ、赤い月の影響か、はたまた、それによって知己を失ったせいか……すっかり狩りに酔ってしまった様子だった。

 想像以上に赤い月の影響は大きいようだ。男はふと、処刑隊のアルフレートのことを思い浮かべた。いつか殺さねばならぬと思っていたが、彼の振る舞いはまぎれもない強者のものだった。だが、そんな彼も、正気を失っていたならば、或いは……。

 

 ――アルフレートと最後に出会った場所に向かうと、彼は未だそこに居た。少し様子を窺ってみるが、彼の腕前と、果たさなければならない使命を前にしての、微塵も揺らがぬ精神力は侮って良いものではない。決定打が欲しかった。

 まずは彼から、使命を奪わねばならない。

 

 男は気が進まないながらも、マールムに不義理を内心詫びながら、カインハーストへの招待状を彼に渡す。彼は喜び、男に感謝を述べた。

 

 「あなたに会えてよかった、さようならです。あなたに、血の加護がありますように」

 

 男は彼を見送った後、オドン教会へ向かう。赤い月が人間にどのような効果を齎すのかを見ておきたかったのだ。

 教会の中は変わらず、獣避けの香の臭いが充満している。赤い布を被った男に声をかけると、彼は変わらず理性的に、男を歓迎した。一方で、娼婦アリアンナは……。

 

 穏やかな声だったはずだが、それも思い出せぬほどに苦痛の悲鳴を吐いている。どうやら体調が悪いらしいが、獣や発狂に通じるような、本質的に様子のおかしいところはなかった。道中の家では、もはや気の触れた人間や、獣となった者ばかりだったというのに。

 男はオドン教会の特異な点を胸に留め、それだけ確認すると、使者たちの灯りに手を翳した。

 

 

◆◆◆

 

 

 ――おかしい、歌が聞こえない。男はすぐさま、現世で自分がした行為を思い出し、後ろめたさを覚えながら、それでもマールムに速足で近づいた。

 彼女が俯いているのを見て、男は傅いてその顔を覗き込んだ。しかし彼女は、怒っている訳ではなく、悲しんでいる訳でも、怯えている様子もなかった。

 ただ、困惑しているようだった。混乱と言っても良かった。

 

 「貴公、あの成り損ないを見たのだろう? なぜ、私の下に平然と傅く。美しき星の娘とも、出会ったはずだ……。おかしい、変だ……貴公は本当に、こんな出来損ないを……」

 

 マールムは視線をさ迷わせると、ぎゅっと膝の上で手を握った。

 男は、自身が先刻その手に触れられた感触と、その後に起こったことを意識してしまい、努めて彼女の瞳だけをじっと見つめていたが、次は、自分がその薄い瞼に口づけたことを思い出し、結局、マールムと同じく視線を泳がせた。

 

 「だけど、ああ……愛してくれるのか、こんな私を……。ならば、私も愛そう、貴公を……優しいあなたを……」

 

 マールムは男の両手を、一回りは小さな手で包むと、優しく持ち上げる。男は抵抗もせず、彼女の導くままに動いた。

 少女は男の手袋の指先にキスを一つ落とすと、蕩かすような笑みを男へ向けた。

 

 「貴公は良い狩人だ。この手で「青ざめた血」を掴めるよう……いや、貴公の望む「青ざめた血」、その先こそが手に入るよう、私は祈ろう。大切なあなたの、望む未来が叶うように……」

 




<●>78
遺志の口移し+3


オーストリアの劇詩人フランツ・グリルパルツァー(1791-1872)の作品「接吻」
キスの場所の意味etc…はこれ由来らしいのでヴィクトリア朝のブラボでもいける…はず…。

みなさんプ●メアは見ましたか?見てない人は見た方がいいです。かっこよすぎて興奮で脳みそ溶けました。かっこいいの暴力ですよあれは。


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第十五話 悪夢-へその緒

感想・評価ありがとうございます!!投稿してすぐ感想もらえるの…嬉しいやん…。

(殺すのは確定だけど)相互理解はしたい


 再誕者の広場の奥の建物に、頭部を檻に閉じ込めたメンシス学派の死体が座っている。その内の一人に触れ、男は目を閉じた。彼らは悪夢の儀式を行ったのだ。なれば、次に向かう先は決まっていた。

 男が次に瞼を開いた時、そこは――ビルゲンワースの教室棟だった。

 

 かつての学び舎がメンシス学派の脳裏に焼き付いていたからか、それとも、ビルゲンワース自体が既に神秘に近く、悪夢の苗床に適していたからか。埃が溜まっている様子もない、明かりが灯る建物内を男は散策する。

 以前出会った蜘蛛男と出会ったことで、ここが悪夢の辺境への入り口と地続きになっていることを知る。そういえば、あの天上には何かの楼閣があった。あれがメンシスの生んだ悪夢だったのだろうか。

 

 靄のようなものが漏れる扉を押し開き、男は悪夢を渡る。

 今や朝日が近かった。男はようやく少女を手に入れたが、それも朝が来れば泡沫と消える。決して逃してはならない。朝が来る前に、男はすべてを手に入れるのだ。

 

 

 

 

 岩肌と人骨で出来た世界を進むと、楼閣が見えてくる。中には蜘蛛や、目玉に足を生やした蜘蛛の擬きが多く、蜘蛛男と同じ種の神秘であることを察する。ここがメンシスの悪夢で間違いないだろう。徘徊する蜘蛛を殺し、橋を渡ろうとする……。

 

 霧の立ち込めるその場所に、狩人が立っている。

 男は小さく微笑み、血まみれの斧を構えなおす。狩人は侵入者を防ごうというのか、剣を構えていた。血を被ったままに、まるで平常のように笑いかける男にも怯むことなく。

 

 ――貴公は勤勉だ。おかげで探す手間が省けるよ……。

 

 聖歌隊の服を着た間者は、素早い手数で善戦したが、あえなくその人生を終えた。

 橋を渡り終えて建物の中に入ると、子供ほどの身長の銅像のようなものが徘徊している。数体殺してみるが、反撃をして来ない者すらいる。

 ただ、最初から攻撃的な者も混ざっていたため、これまで通り皆殺しにすることとする。そこら中に、まだ新しい死体が転がっているため、彼らが狩人の遺志を持っている可能性もあった。

 

 悪夢の中は広く、悪夢の辺境よりもずっと死体が多い。今夜だけでこのように大量の狩人が死んだとは考えにくい。何せ今夜は、男が他者を殺めても誰も気づかないほどに、人など残っていなかったのだから。

 ヤーナムの要である聖堂教会も、大聖堂も、男は通過したが、やはりそう多くの人間は居なかった。全て、獣か、人外だった。

 

 恐らく、儀式自体は以前より行われていたのだろう。再誕者や、徘徊する人間の集合体の獣は、材料として多くの人間を要求しただろうし、この空間は、今夜以前にもあったのだ。だが――今夜初めて、成就した。再誕者を産み落とした赤い月は、男が白痴の蜘蛛を殺した今夜、初めて上ったのだから。

 

 この空間の核となっているのは何だろう? 男は人形を切り捨て、何処からか響く男の声を聞いていた。

 声は甲高く、だが理性的だ。彼は悦に浸ったように叫んだり、呻いているが、狩人と悪夢の本質を良く捉え、男を嘲る智慧がある。

 

 この声の主こそが、男の触れたミイラその人なのだろう。しかしいくら智慧ある人間とは言え、彼一人や、メンシス学派数十名の力で、こんな大きな夢を生むことも、維持することも出来まい。彼らの儀式には、赤い月が必要だとの記述もあった。

 

 「働きアリのようによく動く……敏いのか、それとも愚かな恋故か……。ハハハッ、少女は月を呼べないが、親を呼ぶことは出来るからね……」

 

 ――知る必要のないことだ。敬虔な信徒として認めるのは吝かではないが、貴公は探究者足りえない。

 

 彼は心底上位者を信仰している。ロマへ与えられた奇跡を知ったからか、同じく瞳を求め、それほどの神秘を与える上位者――ゴースを信じている。

 彼の信仰は、崇高とも言える願望の成就にのみ向いており、男はその点では、彼のことを、世に蔓延る聖職者とは異なる、真の禁欲的聖職者と認めてもよかった。

 

 しかし、それでは駄目なのだ。彼も所詮は、ビルゲンワースと――ウィレームと袂を分かった身の上ということなのだろう。

 それは、堕落した進化だ。あるべき進化とは、既に緩やかに起こっているもので、人類のずっと先の未来の姿へと変態することこそが、本当の進化なのだ。

 

 上位者に瞳を与えられ、その上位者の眷属となるのでは、ただその上位者に取り込まれ、眷属になっただけだ。それでは人間である必要すらない。犬に与えても、きっと同じようになる。それほどに、瞳は強力なのだ。彼が欲する気持ちも、分からなくはないが……。

 

 ――己の力で、人として、人の限界を超える。上位者の力で瞳を授かった者が成るのではなく、我々の全てがいずれ歩む道、それこそを求めるべきなのだ。これより先、愚かな獣が現れぬよう、先駆者として……智慧の、その末を示すべきだ。……なぜ、分からない?

 

 返り血に塗れながら、男が真摯に訴えると、ミコラーシュは少しの沈黙の末、男へと応えた。

 

 「人が上位者になる……面白いけれど、そんな遥か彼方の時を、とても待っては居られない。私はただ、ひたすらに、偉大なる高みを見たいのだ……ヒヒッ、祈りは必ず通じるとも。ゴース、あるいはゴスムよ……! そう、私には、確信がある……! ロマの声にゴースは応えた……。だが、きみは? きみは……アハハハッ、なんの根拠もなく、その説を信じている! そうだろう?」

 

 男が頷くと、ミコラーシュは気狂いを見る目で男を見た。ああ……なんともどかしいのだろう。誰も彼も、溢れんばかりの智慧さえあれば理解できるというのに、啓蒙的真実はあまりに衝撃的、かつ、智慧足りぬ者の思考の遥か高みを行く。無理に理解を促せば、彼は発狂してしまうだろう。

 

 男は相互理解を諦め、虫の息にまで追い込んでいたミコラーシュの首を断ち切った。

 

 

◆◆◆

 

 

 ミコラーシュを殺しても夢はまだ生きている。恐らく、空間として成立した以上、夢の主を殺したとしても悪夢は消えはしないだろうが、夢が“息絶えた”かどうか、男には察知できる自信があった。男は今、夢に生かされた狩人なのだから、自身の一部と同じ種類のものを、理解できないはずがない。

 

 元より悪夢の主は上位者だろうと推測出来ていた。一度体勢を立て直すため、男は自身の夢へ戻る。

 マールムの歌声に誘われるように近づくと、狩人を多く殺したためか、彼女の背が伸びていることに男は気づく。髪も長く、まるで――現実での彼女のように。

 

 「貴公、戻ってきてくれたのか……。少し、夢見心地だったが、どうやら本当のことだったようだな」

 

 はにかんだ彼女の手に口づけると、マールムは微笑んだが、すぐに物憂げな表情になってしまう。何か不安なことがあるのかと問うと、彼女は曖昧に頷いた。

 

 「夜を追いかけ、朝に急かされる貴公に頼み事をするのは、申し訳ないのだが……何か、胸騒ぎがする。女王に危険が迫っているような……。すまない、どうか様子を見てきてはくれないだろうか?」

 

 男は頷き、自身に機が巡ってきたことを知った。

 

 

 

 

 カインハーストの城の最奥、隠された玉座に、惨劇はあった。

 アルフレートが哄笑し、男に背を向けている。自身のすり潰した肉片を見て、彼は歓喜に浸っているようだった。彼は一心に、彼の師の名誉を願っていたのだから、その使命を果たした今、彼の頭には悦びしかあるまい。

 

 男は当然の足取りで彼に近づくと、アルフレートの横へ並ぶよりも、後ろで立ち止まる。不審に思った彼が振り返るより早く――彼の背の皮膚を突き破り、柔い臓腑を掴み、引き抜いた。

 

 「ああ……なぜ……。……どうか、どうか……師の祀りを、宜しく、お願いします……」

 

 アルフレートの亡骸を跨ぎ、男は早々にアンナリーゼの元へ向かう。彼女が不死とは聞いていたが、やはり悪いことをした。男は暖かい肉片を掴むと、オドン教会へと向かう。あそこの上層の神殿なら、あるいは時さえも巻き戻すことが出来るだろう。

 

 

 

 

 オドン教会へ戻ると、アリアンナの姿が消えている。そして、神秘の残り香が、地下の方へと伸びていた。以前まで、彼女に神秘など感じていなかったが、これは一体……。

 梯子を下りると、腐った水の臭いが充満している。アリアンナは――いや、アリアンナたちは、そこに居た。

 

 彼女は項垂れ、その足元には、上位者の幼体が居る。小さなそれは母を見つめているのだと、男はようやく理解できた。塔の赤子は、エーブリエタースを見つめていたのだ。上位者を呼べぬ見捨てられた上位者、そして、母にも見捨てられた子。

 

 いたく傷ついた様子で、アリアンナはショックに疲弊している。気の毒なことだ、と男は感じる。上位者の子を産みながら、自身は人間である。そのことがどれほど苦しいことか。

 そして、この子供も哀れである。マールムほどではないにせよ、子供は人でも上位者でもない。どちらにも属せぬ孤独を解するかは分からないが、このように弱ければ、そう長くは生きられまい。

 

 男は慈悲を持って刃を振りかざす。すると、絶命した赤子の体内から、でろりと紐のようなものが現れたのを、男は認めた。

 拾い上げると、体液に塗れ分かりにくいが、これはあの捨てられた工房で見つけた瞳の紐だ。男は「三本の三本目」というメモの言葉が、天啓的に降るのを感じた。

 

 人間のへその緒は、静脈が一本と動脈が二本で出来ている。

 三本だ。三本、必要なのだ。

 

 男は紐を――へその緒を仕舞い、上層へ向かう。

 女王を蘇らせた後は、悪夢を隅々まで探そう。ああ、赤子を探さねば。赤子の持つ、へその緒が必要だ。

 




<●>89
悪夢到達+3
蜘蛛男に遭遇+2
ミコミコと戦闘+2
ミコミコを撃破+2
アリアンナの赤子と遭遇+2

上位者になるための材料(?)
・上位者。上位者狩り
・ローレンスたちの月の魔物。「青ざめた血」
・3本の3本目

上位者を倒して得る血の遺志は、ただの数字じゃない意味があるのかもしれない。
ルドウイークは上位者ぐらい狩ったことあるだろうし、へその緒さえあれば、「わが師」が「青ざめた血」のポジションになって上位者になれたかも…?


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第十六話 夜明けの兆し-婚約

へいお待ち!!!!! 新鮮なラブコメでございやす!!!!
感想評価色々ありがとうございます! そして待たせてごめんな……。人間関係爆弾破裂しちゃったんだ……大惨事よ(白目)


 女王を祭壇に捧げ、時を巻き戻す。おそらくは彼女の身は修復されただろう。数十年の孤独を耐えた彼女のことだ、身が細切れにされた程度のことなど、気に病むまい。

 

 再びメンシスの悪夢へと戻り、より赤子の泣き声の聞こえる方へと歩みを進める。途中、ビルゲンワースの門前で出会ったヤーナムの影との遭遇があったことから、彼らの求める“何か”――ビルゲンワースの湖に封じられていたものが、ここにもあるのかもしてない。

 

 赤子の声を辿るように、建物を外回りに少しずつ上っていく。高楼の頂上が近づいてきたところで、女性の泣き声が聞こえてくる。赤子の声を辿る道に、立っているようだ。

 ゆっくりと近づいて見ると、それは、白痴のロマの湖で出会った――湖に封じられていた女性だった。純白のウェディングドレスは腹部を真っ赤に染められ、婚姻の指輪を嵌めた手は枷で封じられている。

 話しかけても応えることはない。あるいは、言語が異なるのかもしれない。ただ、赤子の声は彼女の見つめる方向からしており、また、腹部の切開跡を見るに、彼女が母で間違いないのだろう。

 

 男は高貴な女性へと礼儀として一礼をし、高楼の頂上を目指した。

 

 

 

 

 メンシス学派の亡骸が座っている。そういえば、生きて人の形を保っていたメンシス学派は二人ほどだけだった。亡骸がある以上、この夢でも死ぬはずだが、ここでミイラとなった学徒は夢でも再度何らかの儀式を行ったのだろうか。

 

 高楼からは大きな満月がやけに近く見えた。上位者のいる空間特有の緊張のようなものを感じる。特に警戒するべきこととして、赤子の泣き声が酷く大きい。特別な赤子は上位者を招く。空の乳母車へ触れようと手を伸ばすと――空から、鳥が降ってくる。

 

 顔のない上位者は翼で赤子を隠すと、ぼろきれのような外套を揺らしながら、男を睨みつけたようだった。

 多腕の刃が振るわれる。きらきらと光る宝飾品が揺れる度、強すぎる月光が反射して男の気を散らした。

 どこからかオルゴールの音色が響く。記憶を失い、人間への嫌悪すらも忘れ、全てが手探りだったころ、少女から預かったオルゴールと同じメロディーだ。赤子を思うが故の音色だというのだろうか?

 

 赤子の世話をしていた以上、乳母というべきだろうか――黒衣の乳母を殺すと、暫くして赤子の笑い声が聞こえ、そして止んだ。手にはいつの間にか三本目のへその緒が握られており、黒い羽が空から降る中で、男は静かにこの夢が死んだことを確信した。

 

 

 

 

 夢へ戻ると、世界は一変していた。男はここが戦うべき場になったことを感じ、人形へ声をかける。この世界に自我を持つものは、男と人形、マールム……そして、ゲールマンしか居ない。

 

 「……ゲールマン様が、大樹の下でお待ちです。いってらっしゃい、狩人様。あなたの目覚めが、有意なものでありますように」

 

 ゲールマンが敵意を向けるとすれば、それは男だろう。夢の住人同士で傷つける必要などありはしない。より大きな管理者、創造主といっても過言ではない――上位者の生みだした悪夢の、選ばれた住民なのだから、まだ見ぬ未知の上位者が良しとするまで、ここからはどうせ逃れられないのだ。

 そう思いつつも、男はわずかな不安を覚え、マールムの元へ向かう。だが、そこには枯れた花畑だけが残されている。驚愕と共に辺りを見渡すと、大樹への道の半ばで座り込んでいる少女が居た。

 

 「ん……ああ、大丈夫だ。疲れてしまっただけ……。貴公のおかげで、ずいぶん元に戻れたが……」

 

 マールムの濁した口調に、男は殺し損ねた狩人が居たのかと懸念し、目覚めの墓へ向かおうとするが、彼女はくいと袖を掴み、それを引き留めた。

 

 「これまで何人も、夢を見た狩人が居た。その内、夢を見なくなった者は、何もみなが獣になった訳ではないということだ……。この夢での正しい死を迎え、朝に目覚めれば、全てが悪夢となる。悪夢は、ただの一夜の長い夢となり、狩人は夢から解放される。それこそが……望みだという者も居た」

 

 マールムは視線を落すと、か細い声で告げた。

 

 「もしも、貴公が夢から目覚めることを望むのなら……もう二度と会うことも出来なくなるだろう……。だからせめて、結末だけでも、見届けさせて欲しいんだ……」

 

 ――見くびってもらっては困るな。

 

 男は少女をかき抱いた。初めは、童女に近かった少女が、今や妙齢の女性だ。縛り付けられたように動かなかった若木のような足も、完全にとは言わないでも、自由になっている。そして、彼女を現世の体を生から開放した今、後は遺志を――彼女の血を輸血された狩人を殺すだけだ。

 逃さないようにと強く抱きしめながら、顔を見てはとても言えない言葉を囁いた。

 

 ――あなたのことを本当に愛している。全てに絶望し、高みを選んだ私が、それでも捨てきれない恋だ。笑ってくれても構わないが、どんな結果になろうと……必ず、あなただけは、もう誰にも傷つけさせない。

 

 ひぐ、と喉の引きつる音がして、男がゆっくりと体を離すと、マールムは青い瞳から透明の雫を落している。とめどなく何度も流れるそれを彼女が手で拭うのをやめさせ、男はその瞳にキスをした。

 

 ――俺は、あなたを解放する初めての男となる。だから、その後は……他の誰のものでもない、俺だけのものになって欲しい。

 

 男は羞恥に頭が焼けそうになりながら、真剣にそう言った。もうすぐ、朝が来る。男の夢が終わり、全てを手に入れるか、失うかの岐路に立っているのを感じていた。

 拒絶されてしまったらどうしようか、と萎びる心を奮い立たせた言葉は、嘘の一つも無い男の欲望だった。唯一残った男の獣欲だった。

 マールムは――彼女は、零れ落ちそうなほど、目を見開いて、それから、言葉も出ないのか、何度も頷いて、男を抱きしめた。

 

 「ああっ……ああ、勿論だ。喜んで……! 私を、あなたの花嫁にしてくれ……」

 

 この時の興奮と、安堵と、幸福とを、なんと言い表せばいいのだろうか。男が幸せなのは間違いない――意中の少女が頬を染め、自身の腕の中で幸福そうな笑みを浮かべていることの奇跡に、心が浮つく。

 腕の中に少女の矮躯が収まり、男を見上げてクスクスと笑っている。嬉しそうに、恥ずかしそうに、その手が男のマスクを降ろすと、彼女はそっと瞼を降ろした。

 男も同じく目を伏せ、唇を合わせた。柔らかな感触と、花の蜜の甘い香り、自身の抱えた少女の重みが、堪らなく幸せだった。

 

 どれほどそうしていただろうか、名残惜しくもキスを終えると、男はそこらへ投げ捨ててしまっていた斧を拾い上げる。マールムは危なっかしく立ち上がると、木に体を預け、男と共に大樹へと向かおうとした。

 

 ――近くまで、俺が運ぼう。

 

 横抱きにして抱えると、マールムも首に手をまわして、負担を軽くしてくれた。大樹の見える柵の辺りで少女を下ろし、男は中庭の扉を潜る。

 マールムは男の背をじっと見つめ、祈るように手を組んだ。

 

 「どうかあなたの、望む未来が叶うように……」

 

 マールムの言葉には、何処か寂しげな――自分の居ない未来すら、男が望むならそうなりますように、といったような響きが感じられた。

 あれほど恥を耐え忍び、愛と欲望を囁いたというのに、未だに彼女は男の愛を見誤っているらしい。男は素直に憤慨し、次は、自身の恥を完全に捨てて、歯が浮く演劇のようなセリフさえをも吐く覚悟を決めた。

 




<●>95
乳母と戦闘+3
乳母撃破+3

ヤハグルで流れてる音楽を和訳した動画がございまして…彼女を湖から開放しろ的歌詞もあるらしく、やはりヤーナムのミイラとメルゴーは一緒に閉じ込められてたんじゃないかと…。ロマさん仕事が多くないか?


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第十七話 助言者-幼年期の始まり

待たせたな!!!! へい!! 締めのかんぴょう巻きでさァ!!
あとは、後書きで読者のみなさんへの感謝とか、完走の感想とか、伏線? 裏設定的なのを書くだけなので今話でストーリーは完結です。長年のご愛顧ありがとうございました!!


 墓場の夥しく並ぶ裏庭で、男は最後の決意をし、懐から例のへその緒を取り出す。突然液状になったり、肉体が腐り始めることも考慮して、マールムの前では使用できなかったが……。これまで、幾人もの狩人を葬れるほどの実力者――最初の狩人ゲールマンに、最善を尽くしたかった。

 

 月の照らす白い花を踏みしめ、男はグッとへその緒を握りこむ。すると、ぼんやりとした青い光が消え、赤黒い血のようなものが飛び散ったかと思うと、生きた蛇のように、するりと男の手の中に潜りこんだ。

 薄皮一枚の皮膚も、筋肉も、骨も、まるで存在しないかのように、へその緒は男の体内へと溶け込んだ。腕を辿っても、変色などしていない。へその緒は男の一部となった。

 

 ――男は、自分が資格を得たことを悟る。自分は、人間にできる全てを成した。

 軽快に回る柔らかな脳が、知るはずのない智慧を男に知らせる。後一つでいい。男に、必要な最後のピースは――「青ざめた血」だ、と。

 

 確かめるように斧を握るが、特に奇妙な身体的変化はない。思考はかつてないほどに冴え渡っているが、未だ上位者だとは言えまい。

 だが、これで勝ち目も見えただろうか。上位者の悪夢の剪定者に選ばれた人間にも、手が届くほどにまで。どうも、らしくもなく弱気になってしまう。夢の終わりを与える相手に負ければ、男は恐らく、その瞬間に夜明けに目覚めてしまう。

 

 臓腑を裂かれ、腸を零し、目を潰され、人の血と油に塗れた斧を取り落とす。そんなことは、今晩だけで何度もしてきた。しかし、これが正真正銘の最後となる。一度きりの、本当の死合いだ。

男が介錯を拒絶すると、ゲールマンは静かに立ち上がり、鎌を変形させる。

 

 「そういう者を始末するのも、助言者の役目というものだ。……ゲールマンの狩りを知るがいい」

 

 ――その全てを私の糧とさせてもらおう……。さあ、貴公も疲れた頃合いだろう……ゆっくりと眠り、夜明けの夢でも見るが良いさ。

 

 これまでの幾人もの狩人の血の遺志を蓄えた老人に、男は武骨な斧を構え、己の生涯をかけた目的のため、全てを賭して斬りかかった。

 

 老人は右足を失っていたが、機敏にステップを駆使し、男を攻める。しかし――彼の狩人は、走れない。ゲールマンの義足は粗末なもので、足首から先を丁寧に作られていないため、踏ん張ることが出来ない。足の指がないものだから、彼はバランスよく地を踏みしめられず、恐らくは直線的に駆けられないのだ。

 

 つま先で捉えた土を勢いよく後ろへ蹴り、その反動で踵を浮かせる。それから、腕を地に突き、なんとか前転の要領で、全身で低い位置を取りながら距離を取る。冷たい土と、むせかえるような花の香りが妙に場違いであり、後頭部が地に着き一瞬天を見上げた刹那、丁度ゲールマンの鎌が真上を通り、ひゅんと風切り音が聞こえた。

 負傷している手首に輸血液を刺しながら、改めて飛び退くと、ゲールマンが鎌を二度、三度と振るって追撃してくる。ぷらぷらと揺れる手が千切れやしないかと、少し懸念しながら、男は慎重に銃を撃った。

 

 月の光を浴びてから、彼の様子が一変した。何かから力を受け取ったかのように、痛みに怯むこともなくなり、明らかにその膂力も上がっている。一撃一撃が致命的だ。今の彼ならば骨さえものともせず、首を落すことも出来るだろう。

 一度、なんとか臓腑に触れることは出来たが、それでも彼は立ち上がった。疲弊していることは感じるが、信じられないタフネスだった。

 

 もはや水銀弾が尽きかけている。だが、補充できるほどの血液は男には残っていない。これ以上は失血死のリスクがある。輸血液も、残り二つ。

 一か八かと、大きく振りかぶったゲールマンへと自ら肉薄し、一度切りつける。彼はやはり怯まず、振り切った鎌を手前に引き、男の首を斬り落とそうとした――その肩に、最後の弾丸を打ち込んだ。

 関節の方向とは反対の衝撃に、ゲールマンの腕は痙攣しながら止まった。男はそれを好機とみて、ゲールマンの腹に再び腕を突きこんだ。うめき声と共に彼は倒れこみ、小さな声で、彼は何事かを呟いた。

 

 「……すべて、長い夜の夢だったよ……」

 

 倒れ伏したゲールマンを見下ろし、男は大きく息を吐く。貧血の体に輸血液を打ち込み、その充足感に、ようやく戦いが終わったことを実感した。

 

 そして――背後に何かの気配を感じて、振り返る。

 

 赤い――赤い月が、降りてくる。

 赤い月を背に……上位者が――いや、あれは……! あれこそが……!

 

 男は我知らず、足を踏み出す。覚束ない足取りで、真っ白になった頭のままに、体に残った記憶が腕を伸ばさせる。

 月の魔物、「青ざめた血」。男がここへ来た理由。今の男が唯一持つ記憶の縁。男に必要な、最後のピース。

 

 男の求めに応えるように、月の魔物は両手を広げ、男を抱える。その巨躯に抱えられながらも、男の心には困惑はあれど、恐怖も敵意もなかった。ただ、成すがままにそれを受け入れ――しかし、体の内の何かが、月の魔物を拒絶する。

 

 月の魔物は退き、男を窺うように佇んだ。男は、魔物の想定していた存在ではなくなっていた、ということだろう。では、何だ? 何になったというのだ?

 

 ――俺は既に、上位者に足を踏み入れているのか……?

 

 月の魔物は咆哮し、男へ腕を振りかぶる。咄嗟に避けながら、弾の切れた銃を腰に差し、変形前の斧を持ち、片手を空けた。

 習性に近く、男は月の魔物を殺す算段を考え始める。だが、良いのか? 果たして本当に? なぜなら男は、この存在以外に、何も覚えていないのだ。これを求め、死地と知りながらヤーナムに来た。微かに残る朧げな記憶も、人間の高みを目指していると――そのために、「青ざめた血」が必要だと、確かに囁いているというのに……。

 

 そもそも、殺し切れるかも分からない。輸血パックは最後の一つだ。水銀弾ももうない。こんなコンディションで敵う相手とも思えない。しかし……。

 

 ――自分には記憶以外にもう一つ、上位者を目指す理由があった。

 ちらりと目を遣っても、遠すぎて表情までは覗えない。それでも、マールムがその手を組み、男の“望みが叶うこと”を祈っている。介錯を受けるも、上位者となることを諦めることも、はたまた、上位者に成り本懐を遂げることも。

 

 彼女のために、ゲールマンから得た血の遺志を――これまで彼の殺めた狩人の意志を――彼女の神秘の混じった遺志を、返してやらねばならない。月の魔物は、男を殺す気だ。そうでなくとも、死んでも構わないと思っている。

 男が死ねば、遺志はどうなる? この魔物が喰らえば、これまでと同じではないか。この魔物はずっと夢を知覚していたはずだ。それでもマールムに、その身に宿す狩人達の遺志を渡さなかった。

 

 ――どうやら……彼女のためには、お前は邪魔な存在のようだな。

 

 男はマスクの裏で乾いた唇を舐め、圧倒的な窮地に立ちながらも斧を構える。月の魔物は腕を振り乱し、敵対を続けるようだった。男は避け、交わし、攻撃と撤退を繰り返した。

 

 月の魔物が、不意に止まる。魔物が後退するのを追っていたため、男はそれの停止に伴い、少し近すぎる距離に立ってしまった。肝がひやりと冷たくなり、男はすぐさま下がろうとする。

 しかし――それよりも早く、顔と思しき面のような部分がこちらをこれまでにないほど、しっかりと捉え……咆哮が響く。質量を持った音だ。

 それを聞いた途端、衝撃と共に、男の体から何かが抜けていく。分からない。わからない。血か? 遺志か? 体温か? わからない! 体から力が抜け、今夜何度も経験した死が、加速度的に近づくのを感じる。意識が点滅しだし、目の前が真っ暗に狭まっていく。貧血に近く、ああ……苦しい、苦しい、苦しい!!

 

 ――血だ!! 血が無ければ死んでしまう!!

 

 男は生存本能のままに、一切の防御を捨て、斧で斬りかかった。月の魔物を斬ると鮮やかな赤い血が出る。温かくて心地良い。ああ、血を浴びねば、もっと、もっと血を……さもなくば、死んでしまう!

 

 狂ったように斬りつける内、段々と意識が明瞭になっていく。男が正気に戻った時には遅く、月の魔物の腕に、男は勢いよく吹き飛ばされた。

 立ち上がり、すぐさま輸血パックを刺す。これで最後だ。そして……あちらも、随分と消耗している。

 

 自身の体に付着した夥しい量の返り血からして、自分はよほど狂気的に攻撃したのだろう。男は迫ってきた魔物の攻撃を避け、先ほどの咆哮を警戒する。あれほどに死を間近に感じながら、意識を保てたことはなかった。強烈な死の気配に男は我を失ってしまった。

 血を浴びて回復出来たから良いものの、次にあの薙ぎ払いを受けては、輸血も出来ず時を待たずに死ぬだろう。男は距離を詰め、隙を与えぬよう必死で張り付いたが、触手による思わぬ方向からの攻撃に、体勢を崩す。

 

 月の魔物はそこから退き――あの咆哮を放つ。

 

 男は躊躇わなかった。呼吸も荒く、意識も朦朧としながら、斬りかかった。何度も、何度も、何度も。血を、血を、血を!! もっと血をよこせ。もっと、もっとだ!!

 

 返り血によって体が十分に動くよう回復すると、攻撃を交わすため勢いよく飛び退く。月の魔物が腕を振るったが、男は再び近づき、その頭蓋と思しき部分を割ろうと、斧を突き立てた。

 空いた方の手で釘を打つように、勢いよく刃の側面を殴り、深く切り込ませると、月の魔物が怯んだように止まる。男はもう、この瞬間を逃せば次はなかった。

 

 咆哮の名残か、眼窩の奥に微かな赤い光が見える。男は深く腕を差し入れ、吹き出す血を浴びながら内部を弄り、太い血管を鷲掴んで引きちぎった。

 腕を振りぬくと、月の魔物は痛みと反動で首を反らす。そしてゆっくりと仰向きに倒れ伏すと、低い唸り声を挙げながら――やがて、灰となって消えた。

 

 

 

 

 「ああ、お寒いでしょう」

 

 光沢のある身をよじった幼子を、人形は優しい手つきで抱き上げる。彼女は振り返り、金糸のような髪を持つ女性に問いかけた。

 

 「どうか……狩人様を抱いていただけは、しませんか?」

 

 「……彼は、私如きまがい物が触れて、不快にはならないだろうか?」

 

 「いいえ、いいえ。狩人様は、あなた様を愛しています。……被造物は、造物主を愛します。ですが、人は、同じ人を愛します。きっと神も、同じ神を愛するのです。だから、狩人様もあなた様を愛しています」

 

 人形と同じくらいの背丈の女性は、恐る恐ると人形に歩いて近づくと、壊れ物に触るように、男に触れる。

 

 「あなたは、まだ私を愛してくれているのか? 私を……あなたの、花嫁にしてくれるのだろうか……?」

 

 青い瞳を細めると、女性は腕に男を抱える。男は暴れることもなく、鳴き声のようなものを発した。到底人には理解できぬ、上位者の音で。

 だが、それで彼女には――マールムには、十分だった。今や、現世と同じ姿を取り戻したマールムは、地に着かんほどに伸びた美しい金の髪と、起伏を持った肢体を以て、花嫁に相応しい年ごろの女性へと成長している。

 それでも、どうあがいても人の体だ。彼女の上位者としての血は薄く、マールムはそれを懸念していたが、男の言葉を聞き、綻ぶように笑った。

 

 「ああ、そう言ってくれるか……そうか、そうか……。少し、恥ずかしいけれど、だからこそ私には分かりやすい。どんなに信じ難い奇跡も、なんとか信じられそうだ……」

 

 男が威嚇するような音を発すると、マールムは小さく噴き出した。誤魔化す様に男へ頬ずりしながら、瞼を閉じ、万感の思いを込めて囁いた。

 

 「愛してくれて、私を自由にしてくれて、ありがとう。私も……あなたを、心から愛しているよ、私の素敵な旦那さま」

 

 頬に触れる男の体がびくりと強張る。照れているのか、驚いているのか。その両方か。マールムは自分が幸福に蕩けた笑みを浮かべていることが分かったが、それを抑えられそうもなかった。

 小さな神秘を使い、地に小さなレンゲ畑を作ると、そこから摘んだ花を男の顔に雨のように降らせ、そうして自分の顔を男から隠した。

 

 「ふふ、恥ずかしいからダメ、だ。……しかし、あなたは私の旦那さまであって、赤子ではないけれど……夢が叶ったみたいだ。いつか我が子をこうして抱ける日を、私はずっとずっと待っていよう。あなたが大きく育つまで……」

 

 レンゲ塗れになった男の顔を見て、マールムは無邪気に笑うと、一本の花を退け、男の口にキスを落とす。なんとか花を退かそうと四苦八苦していた男は、ぴたりと止まり、マールムはその隙に再び大量の花をまた降らせた。

 やっきになって暴れる男の背を撫でた後、マールムはぎゅっと男を抱きしめ、人形の先導に付いて、屋敷の中へと歩みを進める。

 子守唄を歌うように、愛を囁きながら。




<●>99
ゲールマン戦闘+1
ゲールマン撃破+3
へその緒×3で+9
月の魔物遭遇+5
月の魔物撃破+5

幼年期の始まりEnd


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後書き

 完結!!!!! お疲れ様でした!!!!!!!

 色々リアルの方でも忙しかったり飲みニケーション馬鹿みたいに付き合わされたりで頭おかしくなるかと思いましたが! 無事! 完結!!
 ここまで来れたのも読者の方のお陰です! 本当にありがとうございました!
 更新する度に誰かしらが感想を送ってくださって、励みになりました。特に、面白かったところとか好みのところを書いて下さった方、更新の度に感想を送ってくれた方……読んでくれてるんだコレを……という実感が湧いてモチベーション爆上がりしました。ありがとうございます!

 今気づいたんですけど評価10めっちゃ入ってて戦慄しました。感動で咽び泣いた……ありがとう…そしてありがとう……。

 裏設定というほどではありませんが、今回の作品でのオリキャラ、オリ主の過去含む人物設定などを書いていきます。


▼狩人の男

年齢ː壮年、およそ二十代後半。

身長ː185㎝

体重ː76㎏

 

過去ː悲惨な幼少期。

 男の生まれた町で、男の身体的特徴は悪魔の象徴とされていた。町に派遣されていた聖職者は布施目当てに、男を悪魔だと取り上げ、悪魔故に当然だと、男は誰もの奴隷のように使われた。田舎町だったことも災いし聖職者の行いは誰にも裁かれることなく、男が十二で街から逃げ出すまでそれは続いた。

 

ストーリーː男はマールムに出会うまで、上位者に至るという目標だけが全ての欲求だった。

 上記の過去から、「悪意や欲望を理由で取り繕う者」が特に嫌いであり、人間全般があまり好ましくない。啓蒙が高まるにつれ、智慧によって自分の内面を分析する思考が研ぎ澄まされ、身体的特徴、微細な反射的行動、無意識の癖などから、朧げな記憶から過去の自身の望みを抽出することに成功した。以降、上位者となるため行動を始める。

 感情や一時の思いで理性を手放すことなど、知性ある者ならばありえない。智慧は先を見通させ、冷徹に損失を理解し、強靭な理性を育む。それでも男は恋を捨てられなかった。青い瞳があまりに美しかったが故に。

 行動を律することが出来ぬほどその愛欲は強く、夜明けのタイムリミットまでに、男は不要な寄り道を幾度もし、狩人という狩人を見事殺し尽くした。

 

備考ː特に作者のプレイヤーキャラではない。身長は人形より低いしマールムより低い。トゥメル人の末裔より高いとかある訳ないよなぁ?

 アルティメットヤベエ一目惚れに陥った。もはや呪いといっても過言ではない。マールムのためなら自分の生涯全てを賭けた願いを脇におけるし、命の危険も冒せる。マールムの死体が明らかに数十名の狩人を殺していても平気で鎖を解く。狩人を殺す度に“何故か”増える青くて生気に満ちたレンゲの花から、明らかに何度も狩人の魂やら遺志やらを喰らってるやばいお口が近づいてきてもときめくだけ。

 抱いていた死体がどろどろの腐乱死体になってもキスできる。

 

 

▼月知らぬ仔、マールム

(初期)

年齢ː若年、およそ十代前半。

身長ː150㎝

体重ː43㎏

(後期)

年齢ː若年、およそ二十代前半。

身長ː192㎝

体重ː70㎏

 

過去ː生まれるべきではなかった。

 関係性としてはアンナリーゼとは種違いの姉妹となる。薄い神秘と出来損ないの瞳では、赤い月で渡ることは出来ない。彼女は上位者としてあまりに未熟であり、そして血族として優秀だった。襲撃により攫われた彼女は、その血と生まれに目を付けられ解剖されたが、切り刻まれようとすり潰されようと焼かれようと、必ず復活した。繰り返される傷に、さしもの血族(特に、混血であり純血ではない)の体も限界を迎え、やがて流れる血は濁った神秘を纏い始めた。彼女の血族の血は全て失われたのだ。上位者の瀕死の肉体を喜び、教会は彼女の血を希釈し、輸血液に使用した。

 地獄そのものの状況で、彼女は救いを求めた。上位者や神秘について、まるで知れずに育てられたが、出来損ないでも気づくことがあったのだろうか。彼女は月を求めたのだ。悪夢の上位者とは、いわば感応する精神であり、故に呼ぶ者の声に応えることも多い。月の魔物は、それに応え彼女の意識を夢に住まわせた。彼女の肉体は上位者の本質である精神を失ったが、自身の奪われた神秘を取り返すため、死ぬこともせず現世で動き続けた。しかし、夢に(赤い月に)干渉できないマールムの肉体がそうして神秘を蓄えたが故に、他の狩人はどんなに同族を殺そうと、マールムを解放するには至れなくなってしまった。

 

ストーリーː狩人が、血の遺志、というよりはそこに混じったマールムの神秘、瞳を蓄えて夢のマールムに共有する度、彼女の希薄な存在は取り戻される。デフォルトではマールムの五感など存在しないに等しい。全ての力を失ったどころか、ただの人にも劣る霞のような存在である。血筋故に、また脆弱ながらも高位の存在であるが故に、人を扇情する性質がある。

 男には血族であったころのような懐かしい対応、アンナリーゼとの橋渡しになってくれたことに感謝していた。恋を告げられ、最初は自身の腐乱した本体を見れば幻滅するはずだと男を慮って断るが、それにも動じない男に、心を動かされた。

 

備考ːマールムの意味は「悪」でも「リンゴ」でも良いと思っていた。アンナリーゼ様と大体同じ顔。アンナリーゼ様の素顔麗しすぎるんじゃ…。

 マールムの初期スタイルには普通誰も恋しない。男は上位者としての瞳に惚れ込んだと自己分析しているが普通にロリコ……いやマールムだから恋をしたんだけれども。彼女ならなんでもいい。大人であろうが死体であろうが。マールムという分野に関しての許容範囲が広すぎる。

 見目は美しいため、成長したマールムに純粋な恋をする者もいたが、彼女は腐乱した現世の自分が本体であると自認しているため、柔らかな拒絶を返すことしか出来ず、やがて血や狩りに酔い始めた相手が焦れて欲に溺れてしまう。幼い姿時は普通に話していた相手が、勝手に仮の見てくれに惚れて、実際に自分を見れば100%幻滅する癖に、一時の欲に駆られて襲い掛かってくる絶望感よ……。しかも弱いので抵抗できない。流石に可哀相。

 男が選択ミス(花を摘む、マールムを攻撃する、手を出す)をしていたら現世でのマールムは上位者姿でバトルスタートしていた。

 

 

▼小ネタ

レンゲソウの逸話ːギリシャ神話にて、姉妹が花を摘む際、何気なく摘んだ花が、嫌な男から逃げて花に化けていたニンフだった。花を摘んだ姉妹の姉は、自身が花になってしまう。姉の少女は「もう花は摘まないで。花はみんな女神が姿を変えたものだから」と言い残す。ニンフはギリシャ語では「花嫁」を意味する。

 

ゲームプレイヤー感ː最初の診療所で殺された時のことを未だ覚えていますか? この小説を書いている内、プレイヤー目線の気持ちを男も感じているように描写したところがいくつかあって、その内の一つが第一話の、斧を貰って最初の獣を殺すシーンなんですよね…。

 初め二撃で殺された自分が、慣れないステップや、斧を駆使して勝った時の「こうやればいいのか」っていう、勝ち…狩りの喜びを味わうところです。

 

思い出したら随時足していきます。

 

 




ここどうなってんの?? 系の質問受け付けてます。
誤字脱字もまた今度ね……。矛盾とかもあったら言っておいてくれたらその内直します。どんどん指摘してね……。

7/26 四話まで推敲済


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ifルート 遺志を継ぐ者

推敲するのしんどい…しんどくない?
婚姻指輪ネタ入れようと思って書いたらただのラブコメになった。これラブコメです。


 男が立ち上がると、少女はそれをじっと見ていたが、やがて俯きがちに呟いた。

 

 「あなたは、どんな夢を見る? そのへその緒は……あなたの望みを、そのままに叶えるとは限らない。後戻りが出来ないことだけは、覚えていてくれ。そう、どんな結末に至ろうと……」

 

 男の脳裏に、ふっと再誕者の姿が過ぎる。あれは、断じて人の至る先の姿などではない。醜く下等な……それでも上位者だ。

 へその緒が繋ぐ先はどこだろうか。自分は一体何になるのだろうか? 男はわずかな恐怖を覚え、逡巡の後、マールムの男を慮る目に促されるように、へその緒を使うことを止めた。

 

 

 

 

 男は満身創痍で、骸となったゲールマンの傍らに立つ。何とか、打ち勝つことが出来た。輸血パックは一つ残らず使い切り、水銀弾も手元にはない。ボトボトと、体中ら滴り落ちる血液の音がやけに大きく、段々と鼓動が弱まっているような気さえした。

 

 男は瀕死の重傷故か、野生動物のように敏感に、自身の背後に降り立つ何かの気配を感じ取る。痛みを堪え、緩慢な動きで振り返りながら、斧を手に構えた。しかし、そこに居たのは――。

 

 これだ。これこそが、男の欲したもの。男の生涯追い求めた命題への方程式。

 

 重い腕を持ち上げると、月の魔物は――青ざめた血は、応えるように手を伸ばす。切れた額から垂れる血が目に入り、はっきりとした輪郭が見えない。月の魔物は、そんな男にも鮮明に見えるほど近づいきた。

 腹に押し当てられた顔は面のような形をしていて、髪のような触手が男を捉えるように包み込む。抱擁の上に、外部を遮断する触手によって、男は外界から遮断されていく。まるで、蛹になるみたいに。

 小さく切り取られたような景色の向こう側、最後に見えたマールムは、どうしてか泣いているように見えた。

 

 

 

 

 人形は車椅子を押し、男を屋敷の内部へと運び込む。男は決して夢を離れない。特に、獣狩りの夜は、じっとマールムの傍に居ることに決めていた。

 男は今や片足を失い、まともな戦闘は出来はしない。だが、少女に魅了された不埒者を殺し、その遺志を全て夢の肥しにしてやれる程度の力は、残っていた。……戦う力があったところで、なんだというのだろう。この体では、歩けないマールムを抱いて移動させてやることも出来ない。

 

 暖炉の前の安楽椅子で、マールムは座っている。男はゲールマンから血の遺志を得たが、それを月の魔物に――いや、それだけではない。血肉と化した遺志、男の力、全てを、月の魔物は奪ってしまった。そのためか、少女は完全な姿を取り戻すことなく、華奢な足は歩くのが難しいままだ。

 

 「お帰りなさい。……あまり、無理はしないでくれ。今は平気だろうが、数年、数十年と年月を経れば、あのゲールマンのように、夢に居ることも難しくなる」

 

 ――そうはいかない。俺はお前の夫なのだから、愚か者を須らく肉塊にして、すり潰す正当な権利がある。

 

 男が憤然やる方ないといった様子で鼻を鳴らすと、マールムはくすくすと笑い、壁に手を着けて立ち上がる。ふらふらと危なっかしいながらも歩くと、すとんと男の膝に乗る。

 

 「本来の私では、こうはいかなかっただろうな。ふふふ……」

 

 背を男の胸に預け、少女は手慰みに髪を弄る。男が少女の腹に手をまわし、滑り落ちるのを防いでやると、マールムは後頭部を男の肩口に乗せた。甘い匂いのする蜂蜜のような色の髪がすぐ近くで揺れた。

 

 「あなたは今、何を望んでいる? 獣狩りの夜、新たな狩人を助言者として導き……そうしてどうするつもりだ?」

 

 ――見込みのある人間が来ると良い。俺は実に誠実に新人を指導し、そして……青ざめた血を殺し、それを浴びろと。それこそが狩りの成就だと、助言するさ。

 

 「……驚いた。あなたは強いな。いや、そうか……そうだな。……初めから、そうだった。あなたは良い人間で、そして、良い……実に良い、狩人だったな」

 

 マールムが沈黙し、そっと手を男の手に重ねた。薄い胎にはまだ何も宿っていない。それが、自分が上位者となれず、月の魔物の駒に堕ちたせいかと思うと、男は異常に歯がゆくなる。

 

 恐らく、男は現在、分類としては上位者に当てはまるだろう。この身は月の魔物の眷属であると思われる。

 月の魔物に包み込まれ、男は意識を失った。五感は全て闇に溶け、だが、最後に確かに聞いたのだ。懐かしく、酷く安心する――母の胎内で聞いた羊水の音を。

 

 男は夢の住人として生まれ変わった。今やマールムや人形と同じ、もっと正確に言えば、ゲールマンと同じ存在へと。男は月の魔物に魅入られてしまったのだ。ずっと前から、男はマールムに魅入っているというのに。

 

 男にとって口惜しいことは他にもいくつかあったが、最も悔しいのは、マールムを解放してやれなかったことだった。

 男は確かに約束したというのに、それを果たすことが出来なかった。あれほど成就まで迫っておきながら、男の力が及ばなかったせいで、少女はここに囚われたまま。傍に男が居る内は構わないが、ゲールマンのように老いては、いずれ狩人に負け、殺されてしまうだろう。男は最早人ではないから、力や神秘を蓄えれば老いを遠ざけることは出来るだろうが……。

 男がいつか消えた夢で、初めて会った頃よりも遥かに成長し、現世の姿に近づいた少女に、不埒な虫が集ることを想像するだけで腸が煮えくり返るほどだった。

 

 ――これは自分のものだ。自分の番いだ。自分だけの少女だ。

 

 男は力を欲した。聖杯を介し、夢と夢の狭間、上位者の憩った場所――神秘の名残へと、何度も渡った。かつてのヤーナム、地下の神殿、墓場、星の娘の故郷、そして、女王の間が封じられた遺跡へと。

 その内、一つ得たものがあった。人体の破片や、生きた人血などの儀式の道具等ではなく……婚姻指輪だ。それも、上位者が特別な意味を込めた。

 

 今も胸元にしまってあるそれを、男が渡す資格はあるのだろうか。自分は約束を果たせなかった。それでも――どうしてか、弱い男のプロポーズに、少女が喜ぶ顔が浮かぶのだ。確かに彼女は自分を愛していると、男は信じていた。

 

 彼女との蜜月も、無粋な狩人がやってくれば終わりだ。それまでに……日没が始まるまでに、これを渡さなければ……。

 男の体温が急上昇していく。今しかない。今を逃せば次はずっと先だ。今日までどれだけ指輪を温めてきた? 手に入れてから現世ではもう三週間近く経っている。なんせ、今日は獣狩りの夜……つまり、満月の日なのだから! 当然ながら、前回の満月から、一月が過ぎている……。

 

 一か月近くも怖気図いていた事実に、男は全くの無力感を覚えた。自分はなんと無力なのだ……ここまで自身の臆病さを侮蔑したのは、幼少期以来だった。

 男はぐっと息を呑むと、出来るだけ何も考えないようにして、勢いよく指輪を握った。それからそっと……静かな動作で、マールムを抱え、自身の方へ体を向けさせた。

 

 「……? どうした」

 

 マールムはなぜか強張った顔で、男を見つめる。男はその数倍はかちこちに固まった状態で、無言でマールムの手を掴み、広げさせた。言葉が何も思いつかなかった。

 

 男はそっとリングを掴み、少女の手に置く。不思議そうな顔をした少女を前にして、一度目を閉じると、覚悟を決める。

 

 ――改めて、約束してくれ。どうか、俺の花嫁になる、と。この指輪を以て、その誓いとしよう。

 

 「……ああ、ああ! なんてことだ……! ごめんなさい、受け取れない。それを受け取る資格は、私には……」

 

 少女は途端に顔を歪めて、指輪を大切そうに持ち、男へ返した。男はそれを半ば呆然としながら受け取り、顔を覆ってわっと泣き始めたマールムに、慌ててハンカチーフを差し出す。

 

 「ごめんなさい……。だけど、私は……私は許されるべきではない……。嘘を吐いたんだ。あなたの望みを歪めてしまった! あなたはこんなにも強かったのに、私の弱さでこうなってしまった……!」

 

 ――泣かないでくれ。どうして俺に謝る。どうして受け取れないと泣く。俺は……喜んでくれるものかと……。

 

 言葉にするだけで心に甚大な傷を負いながらも、尻すぼみに呟くとマールムは首を振った。

 

 「嬉しかった。とても、嬉しくて、幸せだった……! 今日までの日、ずっと黙って過ごしてきたけれど、何でもないそんな日々でさえ、幸せだった。愛おしかった……」

 

 マールムは泣きじゃくりながら、男に謝った。ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も言った。

 

 「あなたが何になりたいのか、本当は分かっていた。へその緒がどんな結果を齎すのか、知っていた。だけど、嘘を吐いた。どうなるか分からない、などと……。私が……私が嫌だったからだ。私が愚かだったから……」

 

 男は手を浮かせ、迷いながら少女の背を撫でた。彼女はより一層泣きながら、男の背に手を回した。

 

 「……あなたと、一緒に居たかった! 上位者に至れば、あなたはもう何処にでも行ける。私を置いていける。私よりも優れた花嫁を選べる。私は……。私は寂しくて、私は弱かった。あなたが何処にも行かないように、嘘を吐いた。ずっと、傍に居たかったから……」

 

 ごめんなさい、と少女はか細く呟いた。それきり何も言わず、時折喉に引っかかるような声をあげて泣きながら、男の背に回した手に、力を込めた。もしも男が少女を引き離そうとしても、それを拒絶できるように。

 男は少女の背を何度も撫でて宥めながら、顔を向き合わせると、少女の涙を拭い、キスを数度落とした。マールムは目を閉じてそれに応え、男の頬に手を添えた。

 

 ――俺は確かに上位者へ至ることを望んでいたが、それと同じぐらいに、お前を自分のものにしたいと考えていた。

 

 「それは、本当……か?」

 

 ――事実だ。一夜の間ほとんどずっとお前のことを考えていた。俺は……何度も言ったが、お前を愛している。そして、お前の嘘が赦されざる罪だと言うなら……俺も、お前に嘘を吐いた。

 

 男は自身の不手際を思い出し、一度視線を下に落とした。

 

 ――俺はお前を、解放できなかった。月の魔物が誰かに狩られるまで、お前はずっとここに縛られる。俺がどれほど力を蓄えようと、もう、あれに手を出すことは出来なくなってしまった……。

 

 男は――ここで一つ嘘を吐いた。

 マールムは嘘に気づいた様子はない。彼女は大きく首を振ると、未だ目に涙を貯めながらも、男を擁護した。

 

 「それは嘘ではない! 私のせいだ。あなたはきっと強かった。私が嘘を吐かなければ、それは本当になっていた。私は……囚われていても良いから、あなたのことが欲しかった。……それだけだ。私の愚かさに、あなたを巻き込んだのだ」

 

 マールムが再び涙を零すのを慰めながら、男は優しく嘯いた。慈悲と憐みを込めた声で、少女に偽りない愛の言葉を。

 

 ――いいや、俺たちはお相子だろう? 俺はお前の罪を愛ゆえに赦せる。お前はどうだ?

 

 「そんな……! もちろん赦すに決まっている! 私は、あなたの罪を赦せる。私の罪さえ赦されるというなら、そのような小さな罪科が赦せないはずがない」

 

 男は満足げに頷くと、再び指輪を手に取る。マールムはおずおずと手を出すと、男はその手をいつものよう、優しく掴んだ。

 

 ――さあ、受け取ってくれ。どうか、俺の花嫁になると……そう誓ってくれ。

 

 その薬指に指輪を嵌める。少女はそれを拒まず、緊張したように、空いた手をぎゅっと握りしめてそれを見ていた。

 

 「私は、あなたの花嫁になると誓う。あなたが、それを赦してくれるのなら……」

 

 雪が溶けたように、少女はふわりと微笑んだ。暫く指輪を眺めたあと、マールムは男の手に指を絡めた。

 

 「……キスを、しても……構わないか?」

 

 少し不安そうに尋ねるものだから、男は万感の思いを込めて少女を強く抱きしめながら口づけた。彼女が男を疑いようもなく愛していることを、男は改めて理解した。無論、一点の曇りもなく、男も少女を愛していた。

 

 だから、男も嘘を吐いた。彼女が男を離したくなかったように、男も少女を離したくなかった。

 この一月の間、男が婚姻指輪を渡せなかった理由がある。マールムが自身の罪を懺悔するまでは、男はマールムに選択肢を与えるつもりだったのだ。

 

 指輪を受け取って男の花嫁となるか――指輪を受け取らず、男の手により夢から目覚めるか……。

 

 男は今やゲールマンと同じ能力を持っている。彼は助言者でありながら、死神でもある。男は、その気になればマールムを現実で目覚めさせることも出来るのだ。……それだけではない。恐らくマールムは、“不純物”が抜かれたのだから、純正の上位者として、現世に戻ることも出来るだろう。

 男は彼女を解放する方法を知っていた。だけど、言わなかった。

 彼もまた、少女を愛していたから。ずっと、彼女の傍に居たかったから。

 

 嘘を吐いたのは少女も同じだ。少女の罪を男が赦すのだから、どうして男の罪が赦されないことがあろうか?

 何よりマールムは、指輪を受け入れた。男の愛を受け入れたのだ。男のことを、いじらしい嘘まで吐くほど愛しているのだ。

 

 男は少女を抱きしめ、顔を首元に埋め、見えないよう口が裂けそうなほどに笑った。自分たちは愛し合っている。互いを偽り、その罪を愛で赦せるほどに。

 この少女は男のものだ。男の花嫁だ。男の妻だ。誰にも手を出させはしない。

 

 今夜また、魔物の孕んだ夢の中に、新たな狩人が現れる。獣狩りの夜だ。赤い月はあれから解き放たれたまま。赤子は男が殺したが、その程度で収まるはずがない。この街は、赤子の赤子、ずっと先の赤子まで、呪われているのだから。

 

 ――やあ、君が新しい狩人か。ようこそ、狩人の夢に。私はただの助言者だ。分からないことは、何でも聞いて構わない。こちらは、私の妻だ。

 

 マールムが立ち上がり、淑女らしく一礼すると、新たな狩人は困惑した様子で、両者を見つめた。輸血を終え、夢に選ばれた以上……彼にも一切の記憶がないのだろう。

 

 ――君も今夜から狩人となる。今は何も分からないだろうが、難しく考えることはない。簡単なことだ。

 

 男はマスクに隠れた裏側で、助言者らしく、にっこりと笑みを浮かべた。

 

 ――夜明けを望むならば、君はただ、「青ざめた血」を求めれば良い。

 




遺志を継ぐ者END

評価とかお気に入り登録ありがとナス!!


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ifルート ヤーナムの夜明け-上

お久しぶりです!


 マールムが手招いた。男は当然にそれに従い、彼女の傍へと跪く。

 

「貴公、随分と走り回っているな。長い夜を目いっぱい使って、そこまでして……何を望む?」

 

 ――無論、あなたの解放を。

 答えに対し、彼女は目を細めた。疑っているのだろうか。無理もない、男は彼女のレンゲに神秘を見出し、それに魅了されてしまった。花を千切った際の少女の悲鳴が、まだ鼓膜に張り付いている。男の愚行は、決して許されるべきではない。

 

「貴公の愛は本物……かもしれない。エーブリエタースとの邂逅にさえ、貴公は揺れなかった。……ああ、不思議なものだ。人だったものが、ゆっくりと外れていくのを見るのは、妙な気分だ」

 

 マールムは愁いにも似た視線で男をなぞると、労わるように頬を撫でた。その時の彼女の、複雑な表情が、何故か鮮明に脳裏に残っていた。

 

 

***

 

 

 乳母を倒し夢に戻ると、辺りは一変していた。強い緊張感を抱きつつ、人形に話を聞けば、ゲールマンが男を待っている、と。

 

 はたしてマールムは無事だろうか、階段を上り確認すると、彼女はそこに座っていた。美しい花々は、炎に巻かれることもなく咲き誇っていた。全ての狩人を殺したつもりであったが、マールムは未だ幼い姿のままである。男がそれを尋ねると、彼女は頷いた。

 

「少し、足りないものがある。貴公、どうだろう、私の願いを聞いてくれるか?」

 

 男が是と答えると、彼女は水盆を指さした。

 

「そこの水盆の使者たちから、貴公の智慧と引き換えに得られるものがある。血の固まり、凝った岩。それを貰うことは出来るか?」

 

 男はもちろんと、それを差し出した。受け取った血の岩を、彼女はガリ、とかみ砕き、飲み込んだ。花畑から光が失われてゆき、そこにはやがて枯れた花が残る。

 

「ありがとう。……さあ、ゲールマンが待っている。貴公の選択を、私にも見せてくれ。貴公の思うまま、誰に憚ることもない答えこそが、最も正しい選択だ」

 

 少女は立ち上がり、男に手を伸ばした。

 

「ところで……その。足が、あまり動かないんだ。エスコートを頼んでも、良いだろうか」

 

 頬を赤らめた少女の願いを、男が拒むはずがなかった。

 庭を降りると、大樹が遠くへ見えた。少女はそこで手を組み、祈るような動作をした。彼女は小さく呟いた。

 

「どうかあなたが、あるべき未来を選べるように……」

 

 

 

 ゲールマンが男を労わる。彼の言葉を受けていると、一夜の出来事が走馬灯のように過ぎっていった。

 

「君は死に、そして夢を忘れ、朝に目覚める。……解放されるのだ。この忌々しい、狩人の悪夢から……」

 

 ゲールマンが告げる。朝が来るのだと。男の全てを失った頭のどこかから、朝日が浮かぶ。眩い光の中で、男が誰かに愛された記憶、慈しまれた記憶……人と、そして人との関係が、悪くないと思えた瞬間。そんな、男の人生でも少ない美しい記憶が、今になってどうしてか思い出された。

 

 気が付けば、男は頷いていた。ゲールマンは鎌を手に取る。男は座り、それを待っている。

 心中は穏やかな希望と、尋常ならざる焦りが同時にあった。今を逃せば終わりだというのに、どうしてこんなことをしているのか。そう責める自分が居るのは確かだが、一方で、微かな美しい記憶に溺れ、有象無象の人間と共に生きていたという願いへの、前向きな欲が抑えられなかった。

 

「……さらばだ、優秀な狩人。血を恐れたまえよ」

 

 男の首に、何かが触れる感覚があった。その次の瞬間には、首が空を舞っていることを自覚した。

 刹那の最後。祈っていたマールムが、男の選択を見つめて、涙を零しながらも微笑んでいたのが見えた――そんな気がした。

 

 

◆◆◆

 

 

 騒がしい人ごみに紛れ、男は舗装された道を進む。目指すヤーナムという都市へは、山を一つと、谷を一つ越える必要がある。この先、とある貴族がヤーナムへ向かうとのことで、使用人の馬車を捕まえて、乗せてもらうつもりだった。

 

 チップを渡すと、使用人たちは男を馬車へ乗せてくれた。他にも、顔色が悪い……いかにも病人らしい人間が数名居たが、断られる者も多かった。その判別は、黒装束の奇妙な壮年の男がしている。水を良く弾きそうな上等なコートだが、それとは不釣り合いな大きな口径の水銀銃が腰に下がっていた。獣でも仕留めるつもりだろうか。あれでは、人間など吹き飛んでしまう。

 

 男を含んだ馬車の一行は想定通りの道程で、無事に山を越えることが出来た。馬車が途中の村で休憩を取り、一夜をそこで過ごす。

 男が宿屋で眠っていると、遠くの方から湿った海の音のようなものが絶えず聞こえる、薄暗い夢を見た。悪夢に跳ね起き、外を出歩くと、美しい星空が見える。ロンドンとは違い、良い空気を感じた。とても綺麗に思えたが、どうしてだろう。あれよりも美しいものを自分は知っている、と陳腐に感じてしまった。

 

「お前は、何故再びヤーナムへ向かう」

 

 谷を迂回する途中、あの黒装束の人間が、男へと話しかけてきた。彼は護衛兼道案内の役割をしていたようだが、昨日の夜から男を気にかけているようだった。だが、男は自分がヤーナムに一度行き、そしてイギリスに戻った人間だと言うことは、彼に話した記憶はなかった。

 

 ――……分からない。俺の病は、もう治った。だが、何かに呼ばれている気がする。

 返答に対し、案内人の男は睨みつけるようにこちらを一瞥すると、厳しい口調で忠告した。

 

「お前はヤーナムに行くべきではない。お前は谷を過ぎたころから体が軽くなるのを感じ、蠢く虫の歓びか、或いはナメクジ共の声を聞くことになる。そして、逆らいがたい魅力に惹かれ……次に、一度でも血を受け入れれば、お終いだ」

 

 男は最早その言葉を聞いていなかった。いや、聞いてはいたが、返答の余裕がなかった。囁き声のような水音が、脳を這い回るように響いていた。ぴちゃり、ぐちゃり。ぬとぬとと、耳の奥、体の最も深いところで、何かが瞬いているのを感じた。

 

「……。……狂人は夢から離れられない、か。古狩人共のように、悪夢を追うなよ。夜に戻るにせよ、せいぜい、狩人として街に貢献してくれると良いのだがな」

 

 男は瞬く脳の感触に、息を乱し、胸元を抑えながら笑った。

 ――狩人、と聞くと、不思議と殺したくなる。どうしてだろう。……貴公に、分かるかね?

 

「分からんな、狂人め。街から出られたのなら、戻るべきではなかったのだ。……フン、囚われの身からすると、忌々しいものだな……」

 

 案内人はそういうと、提げていた瓶から酒を飲んだ。今日まで何も感じていなかったそれの中身が、腐ったような血の臭いがする酒だと、どうしてか今は嗅ぎ取ることができた。

 ガタン、と岩に車輪が跳ね上がる。窓の外を見ていた使用人の子供が叫んだ。

 

「見て! 街が見えてきたよ!」

 

 

 

 街の入り口で降ろされると、案内人は貴族に呼ばれて去っていった。男は彼のもの言いたげな視線にも、我関せずと先に歩き出す。治療の間の記憶は一切なかったが、男は街のことを知り尽くしているかのように、道を歩くことが出来た。

 

 宿を取り、男は街の散策に乗り出した。ここにはあれがある。ここにはあれがあった……。些か、記憶と異なり壊れたものなどもあったが、凡そは正しかった。オドン教会という場所は特に顕著で、大量の甘く苦い煙の敷き詰められていたはずのそこには、壺の一つもありはしなかった。

 

 ひそひそとよそ者への噂話を囁かれる中、聖堂街を歩く。下層の住民街は広く開かれているが、上層には大聖堂内部からしか行けないらしい。男がそれを知れた理由というのも、言葉に出来ない強い欲求に駆られ、聖堂に走り込んでしまったからだ。男はまるで、目の前に蜜を垂らされた熊のように、一心不乱に上層へ行きたいと考えていた。その上に、何か自分にとって、途方もない良いものがあると直観が告げていた。

 

 コツコツと壁を指で叩きながら、男は曖昧模糊とした記憶を辿る。どこか、他のルートはないか。これほどまでに必死で思考を巡らせたのは、幼少期に故郷から逃げ出した頃以来だろう……。

 

『オドン教会を上りたまえ』

 

 不意に誰かの声が、記憶から浮かび上がった。それに従い、オドン教会へと戻ると、記憶とは違い、不自然に調度品で隠された扉があることに気づける。あの向こうには確か、上層へ行くためのエレベータがあったはずだ!

 

 そこへ手を伸ばした男の肩を、誰かが叩く。咄嗟に振り返り、腰に手を伸ばした。そこには護身用の銃が忍ばせてあったが、知らぬ相手はそれを見越したように男の腕を押さえつけた。

 

「物騒な奴だ。今は昼間だぞ、そんなにビビるなよ……ヒッヒッヒッ」

 

 ――お前は狩人か? 俺のことを知っているのか。

 

「アンタのことを知ってる狩人なんていねえよ! あの夜みぃんな、アンタに殺されちまった! 全く、ヒッヒッヒ、最悪の夜だったもんなあ、エエ?」

 

 ――なら、お前は何だ?

 

「ヒッヒ……ま、詳しいことは俺ん家で話そうぜ。ここはちいっと、医療教会の奴らの目が痛ぇ。アンタ、さっきから睨まれてるぜ」

 

 知らぬ男は、北欧系の顔立ちだった。恐らく美丈夫と言って差し支えない顔の持ち主であるが、顏中や腕に包帯を巻いている。

 男にとってまったく覚えのない出で立ちだったが、どことなく嫌な感じがした。厭世的な笑みは人を小馬鹿にしているようであったし、訳知り顔なくせに、男を助けるという意思が、その表情からは一切読み取れなかった。

 

 見知らぬ男に連れられ、聖堂街の下層へと降りていく。下水の臭いが薄く伸びて漂っており、快い空間とは言えなかった。ただ、どの家も鉄柵で囲われており、何か硬質で排他的な雰囲気を漂わせていた。住民の貧困とは不釣り合いな、がっしりとした造りだ。男の塒は、そういった暗い下層でも、奥まった一角にあった。

 

「アンタ、また戻ってきたんだなあ。本当に狂ってる、狂ってるよ、アンタもアイツらも……ヒッヒッヒ」

 

 ――話したいことがあるだろう。手短に済ませろ。

 

「ああ……。街から出て、最悪の気分だったろう? 血の中の虫がしんと鎮まっちまって、体が冷たくなるんだ……熱に浮かされて蕩けた頭が、戻っちまって……苦しくてたまんねえ……」

 

 不気味な男は過去を思い出したかのように、頭を掻きむしり、呻きだす。

 

「ああ、ああ、ちくしょう……こんな街、最初から来るべきじゃなかったんだ。ううう……アンタなら分かるだろう? もう、離れられねえんだ。獣みてぇに、蕩けて暴れるのが、心底気持ち良いんだ。なんにも考えねえ、全て失うんだ……あああ……」

 

 ――いいや、俺には分からない。虫のざわめきよりも、瞬く脳の瞳を感じる。これは、この街の外でも、ずっと俺と共にある……。

 今も、脳の奥で閃くような感覚が続いていた。これはヤーナムからイギリスに戻ってからも、時折、何かしら『奇妙』な場所に近寄ると起こる現象で、目が冴えるような、視界が啓けるような感覚に似ていた。男のいうものとは違うが、心地は良い。自分が何か素晴らしいものに、一歩近づけたという快感があった。

 

「なんだ、アンタは、気色の悪いナメクジの方か……。ヒッヒッヒ……じゃあ、ほら……。あああ……アンタに、俺の虫が見えるかい……虫が、虫が俺の体の中に居るんだよ……」

 

 男はいよいよ狂人じみた様相で、部屋の隅へと蹲り、頭を抱え込んでしまった。

 ――話はそれで終わりか。

 

「いいや……。アンタ、上層を目指すんだろう。だけど、今のアンタじゃ無理だ。……だから、これをやろうと思ってさ……。ヒッヒッヒ……。もう、遺志も夢も、アンタには繋がってない……それでも行くなら、こいつを飲むと良いさ……」

 

 男は懐から、ガラス瓶に入った輸血液を差し出した。それを受け取るや否や、「飲めよ」と言い募ってくる。ガラスに映る自分の姿は健康体だった。この街に訪れるために、かつて己は全てを捨てて、尋常ならざる手法で、無理やり体を動かしたと、過去の知人から聞いた。そして、男は帰ってきた、と。ヤーナムでの出来事の一切を忘れた状態で。

 

 自分が手にするものを飲んだ結果として、過去の自分がそこまでして臨んだという、健康な体を壊す価値はあるのだろうか。自問し、悩んでいると、視界の端に、何か青い花弁が散るのが見えた。咄嗟に追うと、それは床をすり抜けて消える。……どうやら、幻覚だったようだ。

 それを見たすぐ後、脳の揺れるような奇妙な感覚がして、その感覚は不思議と男に『飲むべきだ』という確信を抱かせた。

 

 ――……会わなければ。会って、謝らなければ。

 輸血液を割り、中身を経口摂取する様子を、不気味な男はニタニタと眺めていた。甘く、濃く、人を狂わせる味がした。彼はこれに狂ったのだろう。

 

「美味かったか? そうかそうか……ヒッヒッヒ……。獣の血は美味いよなあ……ヒッヒッヒッヒ。……また必要になったら、分けてやっても良いぜ。アンタになら、良い……」

 

 不気味な男はそういうと、意味ありげに腕の包帯を巻きなおした。

 

 ――いや、もうここに来ることは無い。

 男はオドン教会へと向かい、今度こそ怪しい男の住処を去っていった。

 

「そうかい。ヒッヒッヒ……連盟の長、ヴァルトール……良かったなあ、同士よ。ヤァ、よくも、虫に食われつくす前に、死ねたもんだ……ヒッヒッヒッヒ……」

 

 最後に家主が何事か呟く声が聞こえ、振り返った男は、それを見た。扉が閉まりきるまでのわずかな隙間、そこから見える家主の男の眼球が、どろりと溶けた獣の瞳であったことを。




<●>21
血の岩購入-60
下等(まっとう)な生活数年-10
ヤーナム&上位者から大きく離れた-10
上位者の先触れの目撃+2

夜明けルート、どうあがいてもえっちな展開を入れざるを得ないシナリオ構成になってしまい、これハーメルンで別枠で投稿するの…? これのためだけに…??? なんとかエロ削れない…?????
と頑張っていたのですが無理でした。どうしてもエロ入れたい…やっぱ人間って獣だからさ…妊娠までさせてフロム二次やん…。

ところで私事なのですが春コミインテ受かってたのです(延期決定したけど…)。諸々(エロとかインテとか)詳しくは活動報告で!


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ifルート ヤーナムの夜明け-下

すいこうはあとでするね…


 オドン教会へ再び戻ると、教会の入り口の花壇に、青い花弁の花が咲いていることに気づいた。先刻訪れた際にはこんなものは無かった気がする。どうやら花が摘まれたのか花弁が教会の内部へと道しるべのように伸びている。

 

 扉への道に伸びているため、男は花弁を追うように進んでいった。扉を隠す様に置かれていた像を退け、押し広げると、あの夜の記憶と同じように、昇降機があった。

 上階へたどり着くと、数名の奇妙な服装の人間が門番のように立っている。目玉のようなペンダントを首にかけた年若い少年少女だ。さっと柱の裏に隠れ、どのように彼らを出し抜こうかと考えていると、彼らは柱の向こうが見えているかのように、男の居る方を見つめ始めた。観念して身を表しても、腰に下げた銃で攻撃されることは無かった。ただ、彼らは扉の前から退き、その手を奥へ示した。

 

 オドン教会の天辺は青空に近かった。高所の空気は、途中経由した田舎の村ほどではないが、澄んでいた。あやふやに残る記憶ではあちらこちらに落ちていた瓦礫、倒れた柱なども撤去されており、道順はハッキリとは分からない。しかし、手探りででも歩き始める。そうする内、男の視界の端にひらりと青い花弁が散るのが見えた。花弁が落ちている。男はそれを辿って、どこかへと導かれて行った。夜に見れば、さぞ不気味だろう彫像が無数にあったが、日の光の下では教会に飾られているような、祈りの像に見えなくもなかった。

 

 花弁を追って橋を渡る途中、やはり奇妙な帽子、仮面を被った、年若い人間とすれ違った。あのペンダントをしており、男を見るなり道を譲り、手を指し示す。その少年が示したのは、花弁の連なる先の建物だった。

 

 スカイバルコニーには、太陽光を疎むように首を垂らす花が咲いている。確認してみたが、落ちている花弁とは異なる種類のようだった。男が花畑を踏まぬよう、迂回し回廊を行くと、クスクスという少女の笑い声が耳を掠めた。花畑に、誰かが居る。濃い影になって顔や色はよく分からないが、長髪の少女が花を踏みしめて歩いているのが見えた。童女のように笑い、至極楽しそうに花を踏み荒らして、彼女は男の目指す扉の向こうへと、ゴーストのようにすり抜けていった。

 

 扉に手をかける直前、記憶の片隅に、星明りに照らされる怪物の骸が蘇った。その骸の前の祭壇に手を伸ばしている。そして、記憶と共に、感情が去来する。綺麗だ。なんて美しいのだろう……信じられないことに、過去の男はその怪物を美しいと感じ、酔いしれていた。数度首を振り、額を抑える。記憶を振り払うように扉を押すと、それはガチャリと音を立てて開いた。青い花弁が、階段を下っている。

 

 階段を降り切ると、そこは陽光に照らされた広間があった。中央のレンゲの像の前、先ほどの幻影の少女が居る。男が声をかけようと一歩を踏み出すと、少女は振り返り、手に持ったレンゲを差し出す。

 

 ――これは……。きみは一体……。

 

 どうすべきか理解できず立ち尽くしていると、受け取った花から、蜜が滴り落ち男の手を汚した。少女は男の手に指で触れ、その蜜を掬い取り、自身の口に含んで見せる。飲めと言われていると感じた。素直に従い、甘い蜜を飲み込む。深く、頭が揺さぶられたような感覚。男は不意に思い出した。この感覚は、脳の瞳が増えている証左なのだと。

 ――瞬き、次に目を開いた途端、目の前の少女は消えていた。そして、その代わりのように、目の前には小山のような怪物が立っていた。

 

 水銀のような体が、四足の何かを形作っている。体からは絶えず、ドロリとした緑がかった粘性のあるヘドロのようなものが流れている。地に突き立てられた手は人のように五指があった。そして、何より、その目。

 顔には無数の毛糸のような触手が生えていたが、その隙間から覗く大きな目玉。青く、美しく、星が、宙がそこにはあった。深い青が近づいてくる。その異質な存在の顔が、男のすぐ目の前まで来ていた。見惚れた瞳が近づいたことで、男は一層の恍惚に陥った。ここで死んでも構わないと思った。彼女――自然と、怪物だとは思わなくなっていた――の触手が少し浮き、牙の生えた口元が露わになる。男など丸呑みできそうなそれが、吐息すら感じる距離にあった。

 

 死の恐怖を感じ全身が震えたが、目を閉じることさえ出来なかった。この美しい者の瞳を見ずに、自身の瞼の裏を見て死ぬことを惜しんだからだ。彼女の口が男に触れる。ぐぱりと口を開き、男に噛みつき、首が千切り食われる――想像した苦痛に反し、彼女の口は、男の口に触れただけで、離れていった。

 

 冷や汗がだらだらと、思い出したかのように噴出した。そんな体の反応に反し、男の手は離れた彼女を追い縋っていた。切ないほどの愛おしさが男の中にはあった。そして彼女も男の手に応えるように、身を起こし、両手を男の方へと伸ばした。

 彼女の両手は、男を包み込みように添えられ、そして男を――。

 ぐちゃ。

 

 

 

 目を覚ましたら、そこはどこかの裏路地だった。辺りに人は居らず、座り込んでいた男は立ち上がるが、酷い眩暈に襲われ、壁に身を預けた。世界が歪むような、明滅を繰り返しているような感覚。世界の解像度が上がったり下がったりしているような感覚だった。

 

 ある瞬間では、地面に青い花弁が散らされているが、ある瞬間では、そんなものは存在しない。同じように、壁には、不気味な六本腕の怪物が張り付いており、悍ましく黒い影のような怪物が、居るように見えた。ただ、それも一瞬でかき消える。

 何枚ものフィルターを重ねたり、剥がしたりしているような不快な感覚だった。吐き気すら湧いてきて、それを誤魔化そうと歩き出す。自分はいったいどうなったのだ? 先ほどのことは夢だったのだろうか? それとも、今が夢?

 

 表の明るい路地に出ると、そこはヤーナムの入り口だった。馬車の乗り場であり、人の行き来が多い。往来では馬が貴人を乗せた車を引いている。人ごみの中で、男に特段に反応する者はいなかった。地面にはこれまでとは比較にならない量の花弁が散っていたが、通行人は誰一人気づく様子もなく踏み荒らしていた。頭痛をこらえながらそれを辿っていく内、段々と、ハッキリと物の見える時間の方が縮んでいく。元の、怪物など見えない視界の時間が引き延ばされていく。

 

 どうしようもない喪失感を覚えたが、青い花弁だけは常に見えるようになってきているようだった。やがて男は、寂れた馬小屋へと到着した。木で出来た扉を押し開くと、花弁は藁の山の方へと向かいそこで途切れている。そこへ近づくと、藁の中から飛び出した何者かが、男へと勢いよく抱き着いてきた。それは小柄な少女だった。想像だにしなかった勢いだったので、倒れないよう踏ん張り、すぐさま引きはがそうとしたが、意外なほどの力の強さで、それは叶わなかった。それどころか、彼女はより強く男にしがみ付いた。落ち着いて見てみると、彼女は服を着ていなかった。

 

 思わず叫ぼうとすると、年不相応な力の強さで、腕を引かれ倒れそうになったところで、口を押さえつけられながら、藁の中に押し込まれた。彼女は男の上に寝そべるように同じように隠れた。暫くして誰かの声がした。どうやら人が入ってきたようだった。抗えないほどの怪力に押さえつけられ黙っていると、人は去って行ってしまったようだった。行幸ともいえよう。およそ十代前半の、全裸の少女と物陰に隠れている壮年の男など、自分であれば、警邏を呼びに行くところだ。

 男が目で、離す様に訴えると、彼女は今気づいたかのように、男の口から手を離した。

 

 ――何を考えている? きみはここで何を。俺を離してくれ。

 

 少女は一切答えなかった。じっと目を見られている。そこで気づいたが、その青い宙のような目は、キラキラと星に輝いており、先ほどの彼女と同一のものに見えた。吸い込まれるようにその瞳に魅入っていると、彼女は男の口を解放したのはそのためだったと言いたげに、何の予兆もなくその小さな口を触れ合わせた。男の脳裏に過ぎったのは、先ほどの死の記憶だった。そして、こんな年端も行かぬ少女には不釣り合いなほどの、官能の予感がむくりと自身の中で沸き起こるのを感じた。

 

 

――――

ここは全年齢に不適切なので飛ばします。

 

内容としては、粘膜からと、噛みつかれての卵とか、虫の感染的なサムシングと、色々あって啓蒙とか高まりました。

――――

 

 

 跳ね起きて、男はハッとして辺りを見渡した。そこは、馬車の中だった。行きと同じような質素な馬車の中で、ブランケットを被って眠っている。持っていた荷物は全て纏められて、隣に置いてあった。同乗者は居ないようだった。御者が、男の顔を覚えていたようで、話を振ってくる。

 

「もう帰るのかい。用は済んだのかな。あの街からは、あまり良い噂は聞かないし、その判断は賢明だろう。もう行くべきじゃないと思うね」

 

 男が行先を問うと、彼はイギリス、ロンドンへ向かっていると答えた。男の仮家もそこにある。不思議と、数年間感じていた惹き付けられるような感覚が失われていた。代わりのように満足感がある。首に触れると、小さな歯型の傷が残っている。一瞬世界がぶれたかと思うと、男の隣に、レンゲの花が咲いているように見えた。

 




エロの辺りについては前話後書きにある通り、活動報告とかで言ってます!!

三ルート全部制覇!!!! やった!!!! お疲れさまでした!!!
gg!!! 対ありです!!!!


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番外:第十七話のその後の話

青天の霹靂さん、見てらっしゃいますかね……?死ぬほどお待たせしましたがリクエスト履行しました!!!!!!
「第十七話 助言者-幼年期の始まりのアフターエンド、エロ無しのエッチな小説」です!


 暖炉の火が室内の影を大きく伸ばす。男は微睡むマールムの影を踏みながら、彼女の背をじっと眺めていた。

 

「ふふ……そんなに見つめて、何かおかしなところでも? この子も、気になっているようだ……」

 

 振り返ったマールムは伸ばした手で男の手を握り、ゆっくりと腹に導いた。温かな肌を挟んで、臓器に命の眠る胎だ。そこには確かに、動く生き物の気配があった。

 男はその手を持ち上げ、マールムの頬を指で撫でる。柔い肉を辿り、頤を擽る。首筋を数度撫でると、彼女はくすくすと笑った。

 

 子を持った彼女は幸せそうで、男はその笑みを見る度、自身の不安定な体が蕩けるような心地になるのだ。ぐちゃり、と湿った音が響き、実際に四肢の輪郭が一部不定形になってしまったが、男は気にもせず、そのままマールムの背を覆いかぶさるように抱きしめた。

 

――可愛いお前、可愛い子。もう一人作ったならば、お前は嬉しいか?

 

「嬉しいとも! ああ……今だって、夢のようなんだ。私がずっと望んでいた夢が……紛いものの私が、本当に子を孕めるなんて……」

 

 そうっと腹を撫でると、マールムはうっとりと男に背を預けた。彼女の体も心も、今やこの月の魔物の抜け殻の世界に十全に存在する。

 彼女の上位者としての姿を、男は夜伽の際に目にしたが、あのように美しい体が現世では人型で腐り落ちていたのだ。年頃の娘にとって、腐った体と分かたれていたかつては、酷い屈辱だっただろう。彼女の苦しみは察するに余りある。

 

 その彼女を解放した上、こうして彼女に幸せを与えられていることが、男にとっての何よりの幸福だった。

 

「嬉しいよ、ありがとう、愛しいあなた……。だけど、できればもっと長く孕んでいたい。重たいこの子が腹に在ることが、どんなに私にとって幸いなことか……」

 

 上位者に未熟という概念はない。男然り、アリアンナの子然り、一夜で良い。ただの一夜で、この子は産まれる。マールムが孕んでから数日が過ぎていたのだが、彼女は大切そうに腹を抱えていた。

 それが彼女にとっての幸福ならば、無論男に反対の意志などあろうはずもない。人間の頃の残滓か、男の中の一部が嫉妬で狂いそうになっている気もしたが、理性と智慧で押し込んだ。

 

――そうか。では……次の満月が終わった頃なら、どうだ。その時にその子の顔を見せてくれ。

 

 月が満ち始め、それに伴い現世の境界が揺らぐ予兆を感じる。次の赤い月が何処に降りるかは分からないが、そこにはやはり、特別な赤子が居るのだろう。

 

「……? 満月の日では、ならないのか。確かに私は、この子を抱えていたいのだけれど……同じくらいに、もう一人、あなたの子も欲しい」

 

 マールムはそう言うと、甘えるように男の胸に頬を擦り寄せた。男は堪らず頤を持ちあげ、唇を合わせる。触れるだけの口づけを繰り返し、やがて男が柔く彼女の唇を食むと、マールムもゆるりと小さく口を開き応えた。

 

「ん……あなた、ぁ、ふ……」

 

 舌を触れ合わせ、異なる体温を擦り合わせる。真珠のように白い歯をなぞり、花の蜜のように甘い口内を舐めまわす。甘い声が吐息と共に漏れ聞こえては、男は悦びに目を細め、遂には彼女を強く抱き寄せた。なんと愛おしいのだろう。彼女は最早疑いようもなく、男のものなのだ!

 

 男が彼女を解放した。

 男は彼女の寵愛を受けるに値する存在になった。

 男は彼女の望みを叶えた。

 

 人間の頃の男がそう望んだように、マールムは男を愛し、自ら男のものとなった。愛するマールムに愛される喜びは、男にとって何にも代えられぬ幸福。彼女の心も、体すらも、全てが男のもの。そして男の心も、体も、全てがマールムのものだ。

 

 唇を離せば、マールムはぽうっとして男を見上げた。男は、母体に釣られたように活発に蠢く腹の子を撫でて宥めると、愛おしい少女に笑いかける。

 

――満月の夜は、獣狩りがやってくるだろう。彼らで遊び、殺し、血を浴びて……昂った俺を、受け入れてくれ。

 

 小さく頷いたマールムが微笑む。青い瞳が弧を描き、浮かべられた美しい笑み。男の愛したその顔は幾度でも彼の心を潤す。

 

「ああ、分かったよ――愛しい私の、旦那様」




書いてる途中で、マールムが嫁に行くことに謎の寂しさと「娘はやらん!」感、男が嫁をもらうことに対する感慨深さが同時に襲ってきてちょっと情緒が混乱しました。

二人揃って人外って何だか初めての境地です


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ifルート ヤーナムの夜明け 中抜け部分

補足というか、全年齢ギリギリのとこまで切り抜いて載せておきます!
ちょっと文面弄ってエロ無しの部分だけで一部シーンが伝わるように変えました(それでもちょっとわかりにくいけど…)(やっぱブラボは妊娠ネタ重要だから…)


 少女は一切答えなかった。じっと目を見られている。そこで気づいたが、その青い宙のような目は、キラキラと星に輝いており、先ほどの彼女と同一のものに見えた。

 吸い込まれるようにその瞳に魅入っていると、彼女は男の口を解放したのはそのためだったと言いたげに、何の予兆もなくその小さな口を触れ合わせた。その時男の脳裏に過ぎったのは、先ほどの死の記憶だった。そして、こんな年端も行かぬ少女には不釣り合いなほどの、官能の予感がむくりと自身の中で沸き起こるのを感じた。

 

――ここから追加分――

 

 少女は合わせた唇から舌を男に触れ合わせる。男はまず驚いた。重なった彼女の舌は菓子のように甘く、ふわりと花の香りがしたのだ。思わず確認しようとして、そろりとその舌に応えるように擦り寄せてしまう。

 甘い唾液が小さな舌で口内に塗り広げられ、その噎せ返る蜜の味に男は狼狽した。先ほどから妙なことばかりだ。この少女は自分の見ている幻なのだろうか?

 

 咄嗟に押し退けようとしたが、彼女は全く動かない。軽い体にそぐわない力で抑え込まれ、男は口端から零れるほどの蜜に溺れることしかできなかった。

 やがて唇が離れ、男は肩で息をしながら、反射でごくりと少女の甘い蜜を飲んだ。蜂蜜のようなそれのせいで、随分と呼吸が苦しかった。しかし、息を整えようとしたところ、その間もなく男は声をあげることとなる。

 

 ――……何を、しようとして……。

 

 少女は黙って、生白い尻を男に押し付けながら、男の下腹部へと移動し、膝頭に腰を落ち着けた。徐に、少女は男のボトムスに手をかけ、それを下ろそうとする。

 

 男は兆し始めていたそれを暴かれぬよう、慌てて身を起こし布地を掴んだが、やはり少女の力が異様に強い。仕方なく、少女の艶めかしいむき出しの肩に手をかける。体自体は軽いのだ、男が押せば恐らく――。

 

 少女はむっと口を引き結ぶと、男を睨んだ。その途端、男に乗る少女の重みが倍増する。それだけではない。今、確かに、少女の姿が妙齢の女性に見えた……。

 

 ――っ、いッ……!

 

 ぼきり、と音がした。男は痛みにはっと我に返った。膝の上に乗っているのは、相変わらず小さな体躯であり、美しい女性など影も形もない。少女の肩に触れていた手が、男よりも一回りは小さい少女の手に鷲掴まれ、意に反してぎちぎちと押し戻された。

 

 ずきずきと右手の指から痛みを感じる。歪に曲がったその骨が折れていることが見て取れた。少女が握った際、折れてしまったのだろう。痛みが脊髄にじんじんと走っている。……夢や幻ではない。この少女は、本当に人ではない何かなのだ……。

 

 心にジワジワとした恐怖が染み出し、男の体を緊張で硬直させる。少女は男の手を未だ離さず、じっとそれを見ているようだった。

 

「……■■?」

 

 少女はとても声には聞こえないような、吐息にも似た音で何かを呟いたようだった。ややもあって、ぎゅっと捕まれた手が少女の口元に近づいてく。まさか人を食う類の生き物なのかと、男がどっと冷や汗をかくのを他所に、少女は男の曲がった指を労わるようにぺろぺろと舐め始めた。動物が毛づくろいをするような動作だったが――不思議と痛みが遠くなった気がした。

 

 少女はおしゃぶりにそうするように男の指を咥え舐めながら、空いた手で男のボトムスを今度こそ下ろした。男も、次に折られる骨は首やもしれぬと思えば、最早抵抗することはできなかった。

 

 

――――

全年齢じゃないので飛びます

――――

 

 

 煽情的な光景に見入っていると、少女がほうと吐息を漏らし、男の首に擦り寄せていた顔を上げた。

 

「――どうか貴公の、あるべき未来を。私に見せてくれ……」

 

 澄んだ少女の声が、囁いた。

 男の呼吸は知らず止まっていた。どうしてか、今にも叫びそうなほど、胸を掻き毟りたくなるほどに、懐かしく愛おしい声だった。

 

 少女の瞳が、男を見る。その視線が重なった途端、男の脳がぐにゃりと輪郭を失ったように溶ける感触が襲った。

 どろどろに溶けて、何もかもが消えていく。花の香も、少女の姿も、甘い匂いも。何も、かもが――。

 

 

 

 不意に、ちくりとした痛みで意識が僅かに浮上する。

 微睡みに身を浸したままの男にとって、痛みだけが知覚出来る全てだった。首筋に痛みを感じる。

 

 やがて、その痛みに何かが触れる。湿った柔らかくて、生ぬるいもの……舌だ。何者かの舌が、男の傷口を舐めていた。

 男の意識は夢に侵されており、起き上がることはできない。睡魔にかき回される頭の中では、様々な場面転換が起こっている。ロンドンの街並み、知らぬはずの街ヤーナムの夜、身の丈より大きな獣……言葉にできぬ程、悍ましい怪物たち。

 

 獣が傷を舐めるような、舌の触れる燻る痛みの中に、えもいわれぬ違和感が襲う。傷口から、血液が逆流しているような気持ちが悪い感覚……。それに伴ってか、男の夢はチャンネルを変えたかのように、ある場面で固定された。

 

 水銀のような体の、四足の生き物。緑がかった粘液を纏い、青い瞳を無数の触手の間から覗かせる――“彼女”の姿。

 

 痛みは違和感と共に続いていたが、彼女の姿を見ていればそれも和らいだ。陶酔しながら、男は痛みに耐えた。何かが、傷口から体内に入る感覚がある。何かは分からない。その異物感を堪えている内、口内、片手の指先、それから首筋、性器の辺りに異様な感覚を覚える。熱を持ったような、代謝が良くなったような。体内で何かが起こっているような……。

 

 ――あの少女に、触れた部分だ。

 

 思えば「子が欲しい」と肯定した少女の、本当に欲していたものは、男の精液だったのだろうか……。性交は、粘膜接触だ。男がかつて患い、ヤーナムでしか治らぬと告げられた獣のような身体的特徴が現れる病も、それで感染する。

 

 少女は、一体“何”だった? 少女にとっての『子』とは、果たして、その言葉通りのものだったのだろうか……。怖気の走るような考えが、夢現の意識で野放図に広がっていく。

 

 夢の中の彼女の、水銀のような色をした足がゆっくりと曲げられ、御簾のように垂れる大量の触手の生えた顔が近づく。そして彼女の口は開かれた。それは、男を食らうためではなかった。

 

「私を選ばなかったあなた――今宵私を孕んだあなた。どうか私を……そのまま、連れて行ってくれ」

 

 その声は、あの少女と全く同じものだった。

 

 

 

 跳ね起きて、男はハッとして辺りを見渡した。そこは、馬車の中だった。

 




伝わり…ましたかね…。マールムの(上位者の)寄生虫を体内に移したので男といつでも一部が一緒みたいな…。
(この作品では苗床のカレルより、獣化も上位者の眷属化も、対象の寄生虫を取り込んだことによるもの説が採用されています)

マールム(もとのすがた)のビジュアルは聖者の獣と大体同じくらいのサイズの、大きい銀色のヌメル〇ンみたいな感じです。
顔の部分にうどんみたいに触手がだらーんっていっぱい生えてます。


イベント振替日とサークルの席、どちらも通知来ました!11/1に会えたらお会いしましょ~!
活動報告に詳細あげておきます!余ったら通販しますけど10冊しか持ってかないので流石に多分残らない…とオモ…(残らないよな?不安なんだが)


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