悠久の旅路の果てに (ぴんころ)
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第一話

たまには純愛描きたいんじゃー


 久永久遠という人物は、何をどう取り繕っても普通の人間としか言いようがなかった。

 その人生は平々凡々と言わざるを得ないものだったし、なんなら今彼が巻き込まれている異世界渡航にだって、彼は一般人として巻き込まれるだけで、生徒会長をはじめとした中心人物とは違い、ただその恩恵を享受するだけ。

 

 きっと、どこにでもいるありふれた人(モブキャラ)でしかなかった。

 

 そんな彼に一つ。たった一つだけ人とは違うところを挙げるとするのなら。

 それは彼が幼い頃から見ていた一つの夢。世刻望を始めとした永遠神剣の担い手たちが見るような、前世の夢なんてものではない。ただ、幼い頃の自分が、見たことのない少女と共に遊んでいる姿。

 けれどそんな夢が何かに役に立つなんてことはあるはずもなく、飢餓感のような、満たされない感覚を抱えながらも一端のモブキャラとして、物部学園二年生、神剣使いのうちの二人である世刻望、および永峰希美と同じクラスという、ありふれたどこにでもいる生徒の一人として過ごしていた。

 

 それは、今日も同じこと。

 

 学園祭の準備をしている最中、当時放課後だった物部学園に準備のために残っていた生徒たちは、突如襲ってきたミニオンと呼ばれる生命体に襲われたが、当時ミニオンたちと同じ、けれどミニオンたちよりも強い永遠神剣を持っていたクラスメイトや生徒会長たちの力によって学園ごと異世界に逃げ出すという荒技によって今ここにいる。

 その最中、「元いた世界の座標を割り出す」ことを目的として訪れた『魔法の世界』と呼ばれる世界にたどり着いた物部学園一行は、その世界に攻め込んできた、この世界を本拠地とする旅団。それと敵対している「光をもたらすもの」という、これまでの旅路にも、そもそも旅路の始まりにすら関わっている集団との戦いの時に、一般人は民衆の避難の手伝いをしていた。

 

 久遠もまた、同様に。

 

 そしてその戦いから数日が経って、今日にでも元の世界の座標が出そうな時のことだった。

 

 

「あれ? 戦いは終わったんじゃ……」

 

 

 その日、久遠は座標を出すという、この世界の中心点、彼らが元々いた世界、その座標を割り出すための機構である支えの塔から放たれたとても巨大な弾丸……彼の乏しい知識で言うのであれば、魔法の弾丸とでも言うべき代物を目撃していた。それが跳ね返ってくる様も。

 あれ、さすがにこれはまずいのではないか。そう思う。破壊力とか、防げるのかどうかとか。彼は戦えない以上はそんなことは全くもってわからない。

 ただわかるのは、あれがなんだかやばそうだと言う感覚的な代物。それすらも、平和ボケした日本人の一人である久遠の感でしかない以上、大した意味もなさない。が、今回に関してはその感がぴったりと正解に当てはまっていた。

 

 

「まっず……!」

 

 

 逃げようとする。逃げる場所なんて彼にもわからない。けれどあの塔から離れれば離れただけ届く衝撃は小さなものになるのではないかと考えたところで。

 

 

「ーーーん!」

 

 

 何か、声が届いたような気がした。

 どこから届いたものなのか、それが本当にこの耳に届いたのか。その事実はわからない。

 けれど、彼が足を止めたのはきっと。その声が、昔から見ている夢に出てきている声にそっくりだったから。

 他のどんな声だろうと無視して逃げ出すことができただろうに、その声だけはたとえ幻聴だったとしても無視することはできなかった。

 

 

「なっ……」

 

 

 視線を、その声が聞こえてきたと思わしき魔力砲撃の方向に向けると、何者かがその攻撃を受け止めている。

 決して人間では受け止めきれないと思われるものを受け止めている何者かが確かにそこには存在する。

 それに怯えるように、けれど同時にそこに向かわなければと思うように。二つの感情が重なって足を動かすことができていない。

 

 

「え……あ……えっ?」

 

 

 それが消え失せる頃、受け止めていた何者かも同時に落ちていく。

 その地点は幸いといってもいいのか、それとも不幸と言うべきか。彼がいる場所からそう離れていない。さすがに受け止めたら、落ちてくる高さと、見える範囲でのその生物の大きさからして久遠が地面のシミになるだけだろうからどうしようもないが、回収という意味では一番優れた場所にいるのは間違いなく久遠だった。

 

 ドゴン!

 激しい音がした。何者かが墜落した音。本当に無事なのか、そのことは気になるものの、神剣使いとやらが異常なレベルの耐久力を持っていることは久遠だって知っている。だから無事なのだろうと勝手に判断して。だからこそ、問題となるのはそれが敵なのか、それとも味方なのか。たったそれだけのこと。あれは、その存在の命を狙うために放たれたわけではないだろうが、落ちた何者かからすれば殺されかけたのだからそんなことは知ったことではない。

 怖い、という感情がないわけではない。死にたくない、という生への執着も人並みにはある。

 けれど、それらを通り越して、あの場所に行かないといけない。あの声の持ち主を知らないといけないという脅迫じみた心に体が突き動かされていた。

 

 

「…………え?」

 

 

 たどり着いた地点。そこで目を回しながら気絶している少女。

 目を奪うほどに美麗な、長い蒼穹(そら)色の髪。その御髪から目を離せないのは美しさからではなく、どうしようもないほどに既視感に苛まれてしまうから。

 

 幼さに彩られながらも───いいや、だからこその妖精。その、世に二つとない容貌は、どうしようもなく久遠の心をかき乱す。

 

 

「なんだよ、これ……」

 

 

 頭が、痛い。

 思い出せ。思い出すな。思い出すことは世界から許されない(知ったことか、そんなこと)

 記憶から消えてしまったその愛に、かつての過去を想起させるその髪の色。

 そんな過去は存在しない。

 

 けれど───。

 

 

『ありがとう、くーちゃん。あたし、くーちゃんのこと、だーいすき! おおきくなったらくーちゃんと結婚する!!』

 

 

 そんな、存在しない(忘れられた)過去のことを、幻視した。

 

 

「……って、何考えてんだ俺。今、そんなことを考えてる場合じゃないだろ」

 

 

 そこで頭を一度横に振って、その少女のことを抱える。

 自分は過去、この少女と出会ったことはない。それだけが事実だ。

 おんぶは、少女が最初から気絶しているので落としかねないし、だからと言って俵のように担ぐのは女の子相手にはどうかと思う。結果として取れる手段が、久遠に思いつく限りではお姫様抱っこだけ。

 見られることが決まっている以上は、どうあがいてもからかわれる。最悪、幼女誘拐犯と言われる可能性だってある。あるが───

 

 

「この状況で放置は流石にできないよなぁ……」

 

 

 よっこいせ、と少女を抱き上げる。運動部でもない久遠は、流石に幼いとはいえ小学生程度の見た目ではあるこの少女を抱き上げるのは少々の苦労をした。

 とりあえず、途中で神剣使いが誰か来たらそこで少女を渡そうと決めて、久遠はこの異世界旅行の際の拠点。物部学園をその背に乗せたものベーという巨大なクジラのいる場所にまで歩き始めるのだった。

 

 

* * *

 

 

「久永くん、何を考えてるの!!」

 

 

 久永久遠がその少女を連れ帰ったところ、まず最初に受けたのはお説教だった。

 内容としてはなんてことはない。神剣使い(危険物)に近寄ったことについて。だが、久遠が思っていたよりも、怒られる内容としては少なかった。

 久遠は、生徒会長であり、また神剣使いでもある斑鳩沙月にお説教を受けながらも、その少女を非戦闘員が多くいる場所(ものベー)に連れてきたことについてのお説教を受けないことについては逆に驚いていた。

 

 

「いい? 相手は神剣使いなのよ。普通の神剣使いからすればただの雑魚でしかない”ミニオン”だって、最初に学校が襲われた時に見たように、金属をバッサリと切れるの。それよりも強い私たちですら防げないような代物、それを防いだ相手に接触するなんて、死にたいって言われても仕方ないことよ!」

 

「はい、すみません……」

 

 

 そうしてお説教を受けていて。

 気絶している以上はいつかは目覚めるもの。その目覚めの時がやってきたという、クラスメイトである森信助からの報告によって、お説教は終結した。

 

 

「えっと、あたし、ユーフォリアって言います。この子はゆーくん」

 

 

 保健室。眠りから目覚めた少女の元へと向かうと、そんな自己紹介を受ける。

 記憶喪失。保険医の代わりをしているヤツィータにそう告げられたことにわずかに落胆の感情が久遠の胸の内に湧き出るが、それも一瞬。誰かに気がつかれることはなかった。

 

 

(ユーフォリア、ね)

 

 

 もしかしたらこの既視感の正体を知っているのではないかと思ったが、彼女の言葉を信じるのであれば、記憶喪失らしいのでそれについては期待できないのだろう。

 心の中で唱えたその名前。既視感に執着しているという現実に、久遠は気がついていなかった。



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第二話

 蒼穹の夢を見る。

 それは幼き日の記憶。

 彼の既視感の源泉となる、一つのありえない過去であった。

 

 

『あたし、ゆーふぉりあ。あなたのなまえは?』

 

 

 その言葉を初めて聞いたのは、本当に幼い頃。三歳か、そこらのこと。

 

 

『くおんっていうの? ならくーちゃんだね!』

 

 

 少女は親とはぐれ、その先で少年と出会った。

 幼い二人。少女は少年と遊び、親が探しに来てくれるのを待つために少年の家に一時的に身を寄せる。

 いずれ迎えに来る日まで。いつまでも、いつまでも。

 

 

『あたし、おおきくなったらくーちゃんとけっこんする!』

 

 

 その最中に、少女が言葉にした一言。それは童子の口約束で───

 

 

* * *

 

 

 悠久のユーフォリア。

 そう名乗った少女が、記憶喪失であることは一日も待たずに学園中に知れ渡ることになった。

 そして、それと同時に少女の礼儀正しさ、可愛さ。そういった、彼女を構成する諸々の要素によって受け入れられることになるまでにそう時間はかからなかったことは、久遠のクラスメイトで写真部に所属している生徒、阿川美里によって開催された『妹にしたいランキング』という謎のランキングで登場数日でぶっちぎりの一位を取ったことからもわかりやすい。

 そんな謎のランキングについて物申したい気持ちは久遠にはあったのだが、それが開催されるよりも先にユーフォリアの存在によって久遠の周囲に変化が起きたために、未だにそれは不可能なままだった。

 

 

「なあ、ユーフォリア」

 

「はい、どうかしたんですかおにーちゃん?」

 

 

 それとあたしのことはユーフィーって呼んでください。そう言ってぷーっと頬を膨らませているユーフォリアを相手に、多少辟易とした表情で、食事をしながら告げる久遠。用事があるとやってきたユーフォリアだが、その用事をなかなか告げず、にこにこと笑いながら一緒に朝食をとっているので、久遠の方から話をすることにしたのだ。

 目覚めてからこのかた、ユーフォリアは初対面のはずの久遠のことを最初からずっとおにーちゃんと呼んでいた。他の面々に対しては名前呼びしかしないのに。そのことについてだった。

 

 

「起こしに来てくれるのは嬉しいんだけどさ。もう少し起こし方っていうものを考えてくれないかな?」

 

「ほえ?」

 

 

 きょとんと首をかしげるユーフォリア。その可愛らしさには一切のあざとさを感じ取れず、ユーフォリアが「妹にしたい」と言われている理由を久遠は理解する。

 けれど、その呼び方。おにーちゃんという呼び方は久遠にしかしないために、妹にしたい面々からすれば様々な形で嫉妬を露わにされている事実が確かにあって、そのせいで最近の久遠はクラスメイトたちに馴染めていない。

 なんでお前だけユーフォリアちゃんにおにーちゃんと呼ばれているんだ、ということだった。

 

 実際、先ほど久遠が口にした、ユーフォリアが起こしに来るということも、他のクラスにはないらしく、ユーフォリアが久遠を起こしに来たおこぼれでクラスメイトたちもユーフォリアに起こされて幸せになっている、という程度にしか、久遠以外に対しての恩恵はない。

 久遠だけが、ユーフォリアに特別扱いされているのだ。

 

 

「いや、お前が俺だけを起こしに来るせいで、他の連中から睨まれてるんだけど……」

 

「あう……」

 

 

 ユーフォリアの頭についた翼を模した飾りがしゅんと垂れる。

 時折動くその飾りが一体なんなのか。それについては久遠は知らないが、彼女のころころと変わる表情に連動しているので、理解の外にあるものなのだろうと勝手に納得していた。

 

 

「おいおい、久永。何ユーフォリアちゃんを悲しませてんだぁ?」

 

 

 会話をしていたら、気がつけば周囲には人が集まっていた。屈強な人も、中にはいる。それらすべてが、ユーフォリアに特別扱いされていることが気にくわない連中だった。

 自称「ユーフォリアちゃんを守り隊」なのだが、結局のところはユーフォリアのことが大好きなロリコン集団でしかないと久遠は認識していた。

 実際、そんな奴にユーフォリアちゃんは任せておけねえなぁ、なんて言っていた彼らだが、引き離そうと理解したユーフォリアがムッとした表情で前に出るとうっと言いながら後ろに下がる。

 

 

「なんですか、あたしのおにーちゃんに何か文句でもあるんですか」

 

「い、いやそういうわけじゃ……」

 

 

 グイグイと迫るユーフォリア。顔の近さに多少赤くなっているその頬を見て、こいつはロリコンなのかと戦慄する久遠。襟元についている校章、そこにはおまけに学年もわかるようになっている。見れば三年。つまりは久遠の先輩である。いくらユーフォリアの容姿が整っているとしても、そこまで顔を赤くするのはロリコンの証拠。悟った瞬間に少し引いた。

 

 

「落ち着け、ユーフォリア」

 

 

 とは言っても、このままグイグイとユーフォリアに何か言わせたら、明日以降、ユーフォリアがいない間に何をされるのかわかったものではない。こいつらは要するに、ユーフォリアに構われている自分に対しての文句を言いたいだけなのだ、と久遠は理解している。

 ユーフォリアがかばうようなことをすれば、これ以降何をするのかわかったものではない。もう遅いかもしれないが、一応は止めておく。

 

 

「つーん」

 

「おい、ユーフォリア……?」

 

 

 なのだが、ユーフォリアはなぜか久遠の言葉に返事をしない。どころか、つーんなどと口にして聞こえてませんと言わんばかりの姿。

 この数日、ユーフォリアが懐いてばかりの姿しか見ていなかったために、そして今もユーフォリアは久遠のために怒っていたために、その姿を見て驚愕したのは久遠も、そして「ユーフォリアを守り隊」の面々も同じ。

 けれど、その理由について予想がついたのが久遠の方が先だというのはやはり、共に過ごした時間の違いということだろうか。ため息をつきながらもおそらくは正解だと思われる言葉を放つ。

 

 

「ユーフィー」

 

「! えへへ、なんですかー?」

 

 

 ぴょーんと、名前を呼ばれるとすぐに飛んできたユーフォリアにバフッと勢いよく抱きつかれる。ぴょこぴょこと羽飾りを動かして、まるで忠犬か何かにしか見えないユーフォリア。その笑顔はまるで向日葵のように輝いていて、さすがにユーフォリアちゃんを守り隊の連中もこの笑顔を崩すつもりにはなれなかったらしい。気がつけば消えていた。

 えへーえへへーと笑って腰回りに抱きついているユーフォリア。さっきまで何を話していたのかすら忘れてしまったらしい。哀れ、ユーフォリアちゃんを守り隊はその存在をそこまで大きなものとは見られていなかった。

 とはいえ、これで「落ち着け」というのも……より正確には「あいつらには突っかかるな」というのもその当人がいなくなっているせいで特に意味がない。

 

 

「なんで俺がおにーちゃんなんだ?」

 

 

 きっと、誰もが気になっていること。数日間あったのにも関わらず、なぜか誰も聞こうとは思わなかった……というよりは誰か一人が「おにーちゃん」であるなら、きっと自分も呼んでもらえると思って誰一人としてそこに言及しなかったその事実に、ついに呼ばれている当人が触れた。

 

 

「ふえっ? だっておにーちゃんはおにーちゃんですし」

 

「いや、別に血が繋がってるわけでもなんでもないだろ……?」

 

「でも、おにーちゃんがそばにいると安心するんです。だからおにーちゃんはあたしのおにーちゃんです」

 

 

 理論だった言葉ではない。安心、という言葉の意味はわからない。安心できる理由なんて、この数日間で見つかるような───いいや、初日からおにーちゃん呼ばわりだったためにこの数日で久遠に対して知ったことすら、意味がない。

 

 

「おにーちゃんを最初に見たときから、おにーちゃんが優しい人だって心がわかりました」

 

 

 もしかしたら、どこかで出会ったことがあったかもしれませんね、と笑って頬を擦り付けるユーフォリア。

 既視感に苛まれる久遠としても、もしかしたらという思いがないわけではなかったが、本当に出会ったのかもしれないという思いが、そのタイミングでユーフォリアの言葉によって明確な形を持って膨れ上がる。

 

 

「少なくとも、俺の記憶にはお前に出会った記憶はないよ」

 

「そうなんですか……」

 

 

 しゅんとするユーフォリアの羽。それを見て、さすがにこんな特徴的な相手に出会っていたら忘れることなんてないだろう、と膨らんだ疑念が縮んでいく。

 だが、だからこそ、どうしてここまで既視感が強いのかわからない。

 ユーフォリアと共にいれば、その疑念も解除されるのだろうか。そのことを望んでいるのかすらわからないまま、久遠は抱きついているユーフォリアのちょうどいいところにある頭を撫でる。

 

 

「ふにゃあ……」

 

「そういえば、ユーフィーは何か用事があるんじゃなかったか?」

 

「あっ、はい。そうでした!」

 

 

 そこで告げた言葉に思い出したと言わんばかりのユーフォリア。そういうところが子供っぽいな、と思わないわけではなかったが、ユーフォリアの可愛らしさがはっきりと示されていることには変わりないし、これ以上話を長引かせるのもどうかと思っていた。

 久遠たちは今回、調理班でも後片付け班でもないので、他の人に任せることになる。その人たちの時間を縛り付けるわけには行かない。

 

 

「今日、デートしてください!」



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第三話

 デート、とユーフォリアは言葉にしたが、要するにその内容はただの買い物だった。

 これまでの仲間には彼女程度の年頃の相手が存在しない。最低でも高校生程度の見た目の少女。だからこそ、ユーフォリアのサイズに合う服というものが物部学園にはなく、その気になれば他の友人たちから服を借りることができた学園の生徒や神剣使いに比べて、買わないといけない日用品というのは多かった。

 その荷物持ちを称して、けれど男女二人で出かけることには変わりないのでデートという言葉をユーフォリアは使用していた、ということだった。

 

 やってきたのは「魔法の世界」のデパート。

 行き過ぎた科学は魔法と見分けがつかないということを称して「魔法の世界」と呼び名を与えられたこの世界。当然、そこにある品物は久遠たちがもともといた世界に比べて、比較することすらおこがましいほどの技術力によって製作されている。

 よって、なぜか久遠たちにとっての元の世界。ユーフォリアが一度も行ったことのないはずの世界なのだが、なぜかそこと同じ程度の技術力を基本としているユーフォリアは、大層悩んでいた。

 

 

「えへへー」

 

「どうした」

 

 

 不気味だぞ、とは口にしない。悩んでいるせいで一つ目の日用品、コップについては久遠がこっちの方がらしいだろ、と口にして、青色と桃色で悩んでいた中から青色を勝手にとって購入した。その後からこんな風に幸せな表情をして、手をつないでいる。

 ぴこぴこと揺れる羽飾りは幸せそうに。表情からも幸せです、とはっきりと見て取れる。なぜか指を絡めてきたユーフォリアに、逆らうのも面倒なのかされるがままになっている。

 

 

「おにーちゃん、次は服を見に行きましょう!」

 

「はいはい」

 

 

 ふわり、と物部学園の制服、その短いスカートをたなびかせて、少女はつないでいた手を離して走り出す。

 物部学園の制服というわかりやすい指標はあるとはいえ、ユーフォリア自身の背丈が小さいせいで、人混みに紛れてしまったら見失いそうだ。

 

 少し離れたところでこちらを振り向いて笑顔で手を振るユーフォリア。久遠のことを待っているのかその場から動く気配は見えない。

 わざわざ待つ必要はないだろうに。そう思って苦笑して、けれど彼女は久遠がたどり着かないとそこから動くつもりはないんだろうな、と思って少し小走りになった。

 

 

* * *

 

 

 女の買い物は長い。そんな言葉を久遠は聞いたことはある。けれど本当の意味で知っていたとは言い難い。なぜなら、彼にとって女と呼べるような相手はそうおらず、彼の人生で関わったことがあるのは母親と、かつての少女(既視感の原因)だけ。そして後者に関してはそもそも実在したのかすら謎。

 よって、女性と一緒の買い物、それも男女のお出かけと聞いて皆が想像するようなものを実行したのは初めてだった。

 そしてその結果───

 

 

「あー」

 

 

 そんな間抜けな、気の抜けた声を漏らす程度には、精神的に疲弊していた。ユーフォリアの頼みを聞いてやってきたことを後悔する程度には。

 女の買い物は長い。昔から戦々恐々と伝えられ続けるその言葉には、男には理解できないほどの情念を一つ一つの小物に対してまで向けている女に対する畏れを込めた言葉なのだと、ここで初めて久遠は理解した。

 

 

「ねぇねぇ、おにーちゃん。こっちとこっち、どっちの方がいいと思いますか?」

 

「……両方買えばいいんじゃないかな」

 

 

 それだけのお金はもらっている。しかも、ただ施されるのではなく、彼女が覚えていないことではあるが俺たちが元の世界に戻るためにどうしても必要となる、元の世界の座標を算出する、しかもこの世界の中心でもある支えの塔を守ったことに対する正当なお給金なのだ。彼女が好きなように使えばいいだろう。

 

 

「むー。それじゃ意味ないじゃないですか。おにーちゃんはどっちがいいのか聞いてるんです。そんなてきとーじゃ困ります」

 

「いや、なんでだよ…………なら左で」

 

 

 文句を言っても聞きそうにない。グイグイっと両の手に持ったそれぞれの帽子を押し付けてくる。麦わら帽子とベレー帽。どちらであっても素材(少女)最高級(妖精のような容貌)な以上は似合わないわけがないのだが。

 帽子一つ取っても色々な種類がある。結局、最終的に買ったのは数種類程度。ただ、そこに至るまでに数時間程度かかったことで、ようやく女性の買い物は長いと理解したのだった。

 

 

「なら、こっちとこっちだったらどうですか?」

 

 

 ───まだ終わってはいないのだが。

 

 

* * *

 

 

「に、してもたくさん買ったな」

 

「えへ」

 

 

 誤魔化すような笑い。

 ユーフォリアにもたくさん買った自覚はあったらしい。

 買ったものはひとまとめにして久遠が右手で持っているのだが、左手ははユーフォリアが両手で抱えるようにしているので、結局両手は埋まってしまっている。

 純粋にすぎるスキンシップ過多。他の連中に見られたらおしまいだな、とわかりやすく目印をしている(制服を着ている)久遠は思う。

 服装が二人揃って制服のままなのは、今いる場所がザルツヴァイだから。

 学生証を携帯しているか、あるいは制服姿であるか。

 どちらかであればわずかではあるがサービスを受けられる。

 それだけの価値が、支えの塔の防衛という事実にはあったのだ。

 

 

「ま、いいけど。……それよりも、どっか他に見て回りたいところはないか?」

 

 

 歩く二人は仲睦まじく。時間を確認すれば今はまだお昼時。

 ユーフォリアが朝に宣言したデート、という言葉の割にはやっていることは物足りないが、買い物を終えたのですでに予定は終了した。

 なのだが、久遠には今変えればきっとまだユーフォリアのことを妹にしたい連中の目が怖いので、もう少し時間を置いてから帰りたい。

 そういう理由で、久遠はそんな言葉を口にしていた。

 

 

「連れていってくれるんですか?」

 

 

 とは言っても、ユーフォリアはそんな裏の意味までは汲み取れない。

 ただ純粋に、デートだーと喜んでいる。久遠の腕を握る力が多少強くなり、表情はより楽しそうなものに。

 えへーと言いながら、グイグイと引っ張り始める。

 

 

「まあ、先に昼食をとってからな」

 

「はーい」

 

 

 そんな言葉を口にして、二人は雑踏の中に消えて行った。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

「それで」

 

 

 どうしてこうなってるんだ?

 言葉にならないまま、視線はユーフォリアに向いている。

 久遠の姿があるのは、ユーフォリアに割り当てられた部屋。ここに彼はユーフォリアの手で連れ込まれた。

 連れ込んだのがヤツィータ、あるいはクリスト族であったなら、久遠も男の子ということで何かを期待したかもしれないが、さすがにユーフォリアという見た目も精神年齢も相応であるただの少女が相手ではそういった感情も湧いてこない。

 

 

「おにーちゃんは今日からあたしと一緒です!」

 

「……いや、なんでさ」

 

 

 今日購入した部屋着にする服。それを着たユーフォリアのあまりにも唐突な発言に、思わず突っ込む。

 年齢に見合った……すなわちは貧相な胸を張って堂々と語るユーフォリアはやってやったと言わんばかりの表情で。

 多少現実逃避したい気分の久遠はひらりと舞った、今日買ったワンピースの裾。それを見てやっぱり似合ってるなーなんてことを思う。

 

 

「えっとですね。さっきサレスさんから言われたんですけど、おにーちゃんを起こしに行くことになってから、おにーちゃんのクラスメイトの人たちが起きるの遅くなったらしいんです。そのことについて苦情が来ていたらしくて、なんでかおにーちゃんを隔離することになったんですよ」

 

「…………ああ、なるほど」

 

 

 理由を理解した。

 ユーフォリア(妹にしたいと思える人物)に起こしてもらえるという状況なんてそう体験できるようなものではない。だから、久遠のクラスメイトはユーフォリアが起こしにくるまで眠っているか、眠ったふりをしている。

 本来なら起床時間が遅くなったという程度の苦情なのだろうが、そこに宿っているのは「お前らだけ起こしてもらえるのはずるい」というものなのだろう、とあたりはつく。

 元々は、ユーフォリアに起こしに回って欲しい、というようなものだったのではないだろうか。

 

 

「それで、理由はわからないんですけど、それならおにーちゃんだけ別にすればいいってことになって、そのままあたしのところにおにーちゃんがくることになったんです」

 

「……ユーフォリアが起こしに来なければいいんじゃないか」

 

「えー」

 

 

 ぽすんと抱きついて来たユーフォリア。その表情には不満の色。そんなに起こしに来たい理由がわからない。

 その髪から漂う青空の匂いが鼻腔をくすぐり、少女の蒼穹の髪色と合わさって、空の下にいるような気にすらなる。柔らかい肢体と子供特有の高い体温。抱き枕には快適な気もするが、それについては今はいい。

 

 

「なら、早く起きて全員を起こしに行くのは?」

 

「……迷惑にならないか不安ですもん」

 

 

 本心から不安なのだとわかる表情。腹芸ができないであろうユーフォリアなので、これは本心からの言葉なのだろう。

 ……そんな表情をさせたいわけではなかったので、侘びの代わりにぽんぽんと頭を撫でる。

 その気配を察したのか、自分が撫でられて気持ちのいい、相手が撫でやすい位置にまで頭を移動させるのは、やはり撫でられ慣れているからだろうか。

 

 

「お前が起こしに行って怒るやつなんていないだろうよ」

 

「本当ですか……?」

 

 

 おにーちゃんも、と聞き返してくるのには曖昧に返して、後日全員を起こしに行ってみることを提案。

 今から戻ろうにも、きっとそれは許してもらえないのだろうと理解して、仕方がないのでそのまま眠りにつく。

 

 

 ───後日。

 

 

 朝、ユーフォリアが起こしに行こうとしたのはいいのだが、朝早くという条件が重なったためか途中で寝落ちするという事態が発生し、その企画は倒れたのだった。



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第四話

「おにーちゃん、おはようございます!」

 

 

 朝、目を覚ますとひょっこりと布団の中からユーフォリアが顔を出す。

 えへーと笑っている彼女は、今日に至ってはその笑顔も普段の数割り増しで輝いている。

 昨日、明日は早く起きないとダメですよーなんて言っていた通り、普段よりも一時間程度は早い。

 少女はすでに寝間着から普段の部屋着に変えている。全身からワクワクしている気配、楽しみですという気配を隠せていないし、隠すつもりもないだろう。

 

 

「おはよう、ユーフィー……」

 

 

 今日も元気だなと呟くと、はいっ! と大きな声で返事を返される。

 まあ、それも当然なのかもしれない。彼も、今日という日をクラスメイト含めたいろんな面々から嫉妬と憎しみの視線で見られていなければ、きっと楽しみにしていただろうから。

 

 なぜなら───

 

 

「だって、今日は学園祭なんですから!!」

 

 

 異世界に飛ばされることになった日。

 あの日は、”学園祭の準備に人が集まっていた”のだ。

 そして、ようやく気を抜くことができるタイミングがやって来た。それは、学生たちに心の余裕が取り戻されたということであり、同時に神剣使いに対しての気遣いに対しても心を配る余裕ができた、ということでもある。

 それによって『本来ならもうやっていたはずの学園祭をやろう』と誰かが言い出したことが始まり。

 今日は、本来ならいたはずの人物が欠けていたりするが、その代わりと言ってはなんだが異世界人も結構な人数いる。

 

 そんな、普通なら決してできるはずのない学園祭の開始だった。

 

 

* * *

 

 

 あたしのところにも来てくださいねーと走り去って行ったユーフォリア。

 それを見送った後に、周囲から向けられたのは嫉妬の視線。

 基本行動がユーフォリアと一緒になったこと、以前久遠に突っかかった連中に対してユーフォリアが不満ですと言わんばかりにぐいぐいと文句を言っていたことで、基本的にはユーフォリアに嫌われないようにと不満があっても口にはしないようになっていた。

 そのストッパー(ユーフォリア)がいなくなったことで、ついに嫉妬の視線が解禁された。

 けれど実害はないのは、やはりユーフォリアがやってくることを信じているから、だろうか。

 

 

「ユーフィーのせいで睨まれてるけど、ユーフィーのおかげで睨まれる程度で済んでいる。……これがマッチポンプってやつか」

 

 

 本人にはそこまで考えが及んでいるわけではないだろうが。

 まあ、ここでユーフォリアとの間柄が悪くなるのはイコールでユーフォリアに懐かれている彼に実害が出始めることに繋がる、そんな可能性が残っている以上悪くするつもりは彼にはない。

 そうでなくても、見た目の年齢は置いておくとしても、あんなに可愛い女の子に懐かれているというのは久遠にとっても悪い気がするようなものではない。

 理由がわからないのは不気味であるが、その辺りについては今調べる必要はない。いずれ時間ができた時、いずれ彼女の記憶が戻った時にはわかるだろうし、懐かれている……つまりは悪い感情を抱かれていないのであれば、その理由も決して悪いものではないのだろう。そう、思っている。

 

 

「……そういや、あの子が何をするのかは聞いてないな」

 

 

 教えてもらえなかった、とも言う。

 当日のお楽しみですと言われたので、そこまで興味もなかったことも合わさってそれ以上尋ねることをしなかったのだ。

 幸いにも場所については知っているので、どの教室で何をやっているのかがパンフレットに書かれている以上はその気になれば一発でわかる。わかるのだが───

 

 

「……少しぐらいは驚いてやるか」

 

 

 そのパンフレットを開くのは、彼女のところに行った後。そう決めて、パンフレットを開くことなく片付ける。

 彼女が働くという時間帯は午前中だけ。午後からは一緒に動ける……というかおそらくは動くのだろうし、他のところを見て回るのはそれからでもいいだろう。

 そう結論づけて、ユーフォリアが働いているという教室に向けて歩き始める。

 

 

* * *

 

 

「おかえりなさいませ、ごしゅじんさまー」

 

 

 たどり着いた時、学園祭が始まってからまだ數十分程度だというのに、大層並んでいた。それも男子ばかり。

 久遠が並ぶと前に並んでいた男子たちが一斉にぐるりと久遠の方を見たのは、彼の心臓に悪かったが、それも今となってはどういう意味での視線だったのかよくわかる。

 あれは、お前は普段からユーフォリア(メイドさん)を独占しているだろうが、という嫉妬の視線。

 

 ……そう、メイド。

 この教室の分類は喫茶店。その名称は”悠久”。詳しいことは知らないが、ユーフォリアがかつて言っていた、彼女が契約している永遠神剣の銘が『悠久』であることから、最初からユーフォリアをメインに据えるつもりだったか。あるいはユーフォリアが手伝うと言ったからこの名前になったのか。

 メイド喫茶として生まれたこの店は、男子にとっての憩いの場となっているようだ。

 

 

「あ、おにーちゃん!」

 

「……いや、俺に構ってないで仕事しろよ」

 

「おにーちゃんはお客さんだから問題ないですよ?」

 

 

 ぽすんと抱きついて来たユーフォリア。彼女もメイド喫茶にふさわしく、ワンピース部分が赤色のエプロンドレスに、頭の上にはホワイトプリム。要するにメイドさんの姿をしていた。

 そんな彼女の発言を聞いて、やはり兄とその他の違いは大きいのか! と叫んで崩れ落ちる男子生徒たちに対して、店員たちがゴミを見るような視線を向けている。

 その中にはユーフォリア以外の神剣使い……一番最初に飛ばされた世界である、俺たちが「剣の世界」と呼ぶ世界で合流した、生徒会長である斑鳩先輩が所属する『旅団』の人間の一人、タリアの姿もあるし、その横で呆れたような表情をしているのはこの「魔法の世界」の大統領であるナーヤ・トトカ・ナナフィ。

 

 

「それにしても、なんでメイド喫茶なんだ……?」

 

 

 そんな疑問を漏らした時だった。

 

 

「それはじゃな」

 

「ナーヤさん」

 

 

 気がつけば真横にまでナーヤがやって来ていた。どうやら事情を知っているらしい。

 

 

「本来は制服の上にエプロンで、と言う話だったのだが、一部の学生達の強い要望で、このようなメイド服で接客する形式になったのじゃ。“究極の癒し”を追求しておるというその学生達によれば、メイドの自己犠牲的献身的な姿勢こそが、現代における安息の絶対的な実在であるらしく……と何とも熱く語られて、その後紆余曲折あって、こうして喫茶店『悠久』が誕生した、と言うことじゃ」

 

「……その制服はどうしたんですか?」

 

 

 そんなもの、この物部学園にはなかったでしょう? と言う疑問が湧いてくる。

 だがその疑問は、それはですねと抱きついているユーフォリアからの言葉がかけられたことで氷解した。

 

 

「企画に賛同してくれた生徒さんが居まして、その人が一人で全部用意してくれたんですよー。とってもやさしい人なんですね、きっと」

 

「いや、多分その人はやらしい人じゃないか……?」

 

 

 人間、欲望のためであればなんでもできると言うことか。少々驚愕と畏敬の念が瞳に表れていたのか、ユーフォリアはきょとんとしている。

 

 

「……ここに来ている時点であんたもやらしい人の仲間入りよ。自分だけ違う、って顔してるんじゃないわよ」

 

 

 まったく、こう言うのだって知ってたら、手伝いになんて来なかったわよ。そんな人の良さが滲み出ることを言っているタリアさん。

 別にユーフォリア以外の途中参加の神剣使いとはそこまで親しいわけではないが、それでも「ユーフォリアと仲のいい生徒」と言う形で存在だけは認識されている。なので久遠は名前は知られていないが、他の有象無象とは違う立ち位置にいた。

 

 

「いや、俺はユーフィーから来てくれって言われてたから来ただけだし……」

 

「えへー。……どうですか、似合ってますか?」

 

「うん、可愛い可愛い」

 

 

 褒めると、笑顔が光り輝いた。

 あとで一緒に回りましょうね、絶対ですよ。そう言ってユーフォリアは仕事に戻ったが、それによって周囲から向けられる嫉妬と憎悪の視線はより強くなった。

 

 これは人の多いところを歩いていた方がいいかな。

 そうでないと殺されそうだと、久遠はメイド喫茶”悠久”にて簡単な間食を食べてからまた別のところを回り始めるのだった。



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第五話

「おにーちゃん、待たせちゃってごめんなさい……」

 

 

 パンフレットを確認して学園内部を回っていれば、別れてからそう遠くない時間帯にユーフォリアと合流することができた。

 それでも申し訳なさそうな表情をしているのは、彼女の終了時間からしたら時間がかかっているからだろうか。

 

 

「別に問題ないだろ」

 

「でも……」

 

 

 ユーフォリアはそれでも自分が悪いと譲ろうとしない。

 ユーフォリアの仕事終了時間を聞いていない、終わった後の待ち合わせ場所を決めていない、そんな状態では待ち合わせも何もあったものではないし、それを聞かなかったという点では久遠も同罪ではあるのだが、根が良い子なユーフォリアからすれば、そこは自分が悪いということになるらしい。

 譲らないユーフォリアにため息をつきそうになるが、そんなことをすれば余計に話がこじれそう。そう思って、言葉を選ぶ。

 

 

「ユーフィーに終わる時間を尋ねなかったのは俺も同じなんだし、お前だけが悪いわけじゃない。……こういう時は全部”おにーちゃん”のせいにしとけ」

 

「あうあうあうあうあう……」

 

 

 頭を多少乱雑に撫でていると、やめてくださーいとユーフォリアが怒ってくる。が、それで多少は調子を戻したらしい。

 ぷりぷりと怒るユーフォリアに苦笑しながら手を差し出すと、ころっと機嫌を直して以前と同じように右腕に抱きついてくる。ふにゃあ、と声を漏らしながらも頬を擦り付けてくる様はまるで猫のようで、微笑ましいものを見る目になってしまう。

 

 

「で、どこに行きたい?」

 

「えっとえと……それなら、ここで!」

 

 

 パンフレットを開いて尋ねると、彼女が指差したのは天文部の出し物。

 簡単なプラネタリウムをしているらしい。郷愁の念に囚われそうではあるが、ユーフォリア()がそれを望むのであれば兄としては叶えてやらないとダメだろう。

 

 

「でも、なんでプラネタリウムなんだ?」

 

「だって、デートっぽくないですか?」

 

「デートっぽいことがしたいのか……」

 

「はい!」

 

 

 そんな簡潔な言葉。これがユーフォリア(年下)ではなくて、同級生だったりしたらドキドキしたりしたのだろうが、こんな幼女相手では特にそんなことはない。

 なので、彼女の思い描いているであろう、”定番のデート”に当てはまりそうな代物をパンフレットの中から選ぶ。

 クラスごとにやっているテナントもあれば、部活ごとに何かやっているテナントもある。

 運動部は全員集まっての体力測定。一位になれば何かしらの特典がつくらしいのだが、それについてはあとで確認にでも行くとしよう。

 

 

* * *

 

 

「おにーちゃん。大丈夫ですか……?」

 

 

 天文部のプラネタリウムは、学園が異世界に飛ばされる前の時点でかなりできていたのか、思っていたよりも本格的だった。それが、見に来ていた生徒たちに故郷を思い出させて、涙を誘ってしまった。その中にはもちろん俺も含まれていて。それが、ユーフォリアが心配そうな瞳でこちらを見上げる理由だった。

 

 

「ああ、うん大丈夫大丈夫。それで、次にどこに行くんだっけ?」

 

「えっと、ですね。……次はお化け屋敷に行こうかなって」

 

「お化け屋敷ね、了解」

 

 

 お化け屋敷は、運動場のそれとは真逆の理由で作られた代物。

 運動場が運動部の有志によって作られた体力測定の場であるのなら、お化け屋敷は人数、あるいは時間が足りないせいで元々……この旅が始まる前にやる予定だったものができなくなった文化系の部活が集まって作ったものだ。

 例えば、人数が足りない上に、新しく仕込むには下地が存在しない人物ばかりなので元々の予定であった『ロミオとジュリエット』をできなくなった演劇部とか。

 そうやって、本来一つの出し物に対して使われる人数の約二倍ほどの人数、しかも小道具などのエキスパートまでいる上に、お化け(役者)として他人を驚かせることにも特化した人物もいる。さらには文芸部などがお化け屋敷のシナリオを作ったことで、かなり完成度が高くなっていた。

 

 

「ふにゅうっ!? お、おにーちゃぁん……」

 

 

 それこそ、いろんな相手に斬った張ったを繰り返して来たであろうユーフォリアも怯えるレベルで。

 元々、恋人っぽいこと(デート)を目的としていたことを考えれば『きゃー怖い』みたいなことを夢見ていたのだろうが、それは彼女が思っていた以上の形で達成されている。

 ビクッと怯えてこちらの腕に抱きついて、涙目でこちらを上目遣いで見つめるユーフォリアの姿は、ろりこんではない俺もドキッとしてしまいそうになるほどに愛らしい。

 

 

「ほら、大丈夫だから……」

 

「ほんとですか?」

 

「本当本当」

 

 

 ユーフォリアを慰めながら進んだので多少時間はかかったが二人でお化け屋敷を終えて、未だに怯えている彼女のことを落ち着かせながら、次はどこに行く、と尋ねる。

 ユーフォリアの状態的に一旦休んだほうがいいかとも思うが、彼女がまだ回りたいのであればそこは任せるべきであろう。俺は来年も学園祭はあるが、ユーフォリアに関してはあるかどうかわからないのだ。

 だから、彼女のやりたいことを第一にするべきだ、という思いがある。

 

 

「だったら、運動場に行きましょう!」

 

 

 

 

 

「ぶーっ」

 

 

 運動場。ユーフォリアのやりたいことというのは運動部有志による出し物。

 体力測定に関しては神剣使い……戦うために鍛え上げて来た面々の名前が上位に燦然と輝いていたが、今の目的はもう一つの出し物。

 

 学生プロレス。

 

 常に殺しあう、本当の意味での戦闘を行う神剣使い。その彼ら彼女らからすれば競技としての、殺さないための戦いが珍しいのか、その会場には神剣使いの姿もあった。

 タリアと同時期に仲間になった男性、ソルラスカ。そしてその次にたどり着いた世界、『精霊の世界』と呼ぶ世界で仲間になったルプトナ。

 その二人が、特別マッチの相手として存在していた。

 ホワイトボードには、彼らとのアームレスリングで勝利した場合の報酬。『俺達に勝ったら貰えるぜ! 生徒会長の膝枕券!!』やら『+カティマ』やら『+ナーヤ』やら『+永峰』やら。

 それらに惹かれてアームレスリング対決に参戦したせいで、ユーフォリアが頬を膨らませてぶーたれているのだった。

 

 

「おにーちゃんなんか嫌いです」

 

「いや、だから悪かったって……」

 

「それぐらいのことなら、あたしが後でしてあげます!」

 

 

 さすがにユーフォリアと一緒に回っている最中に他の女性に気を取られているのは悪かったと思う。

 それはそれとしてユーフォリアからの膝枕に関しては、別にそこまで欲しくはないが。

 とはいえ、他の生徒たちからすればそれはとても羨ましい物。よって、ぶわっと吹き上がる殺意の視線。

 ふん、とそっぽを向いて歩いて行くユーフォリアについていき、どうにかして機嫌を直してもらわないといけないなと頭をフル回転させる。

 

 結果、思いついたのはよくあること。

 

 

「あとで一つ、なんでもいうこと聞いてやるから……」

 

「本当ですか!?」

 

 

 ただ、それに対する食らいつきはよくあるパターンよりもよかった。

 何をして欲しいんだ、と尋ねるとえっとと悩むユーフォリア。なんでもいうことを聞いてもらえるということに対する食らいつきはよかったけれど、実際にやってほしいことは思いついてはいないようだ。

 けれど悩むこと十分程度。どうやら思いついたようで、同時に少しだけ冷静になったのか、恐る恐るといった雰囲気で。

 

 

「えっと、それなら……」

 

 

 そう言って、彼女が口にしたお願いというのは、思ってもみなかったことで。

 そんなことでいいのか、と聞き返してしまうようなものだった。

 

 

* * *

 

 

 学園祭は一日だけ。そして一日は二十四時間。

 どれだけ恋しかろうとその時間には終わりがやってくるし、すでに俺たちの異世界学園祭は終わりの時間を迎えていた。

 そのことを示すように校庭ではキャンプファイアーが行われているし、その周りでは生徒や神剣使いが入り混じって今日という日の思い出話に花が咲いている。

 俺も、少し離れたところでユーフォリアと一緒にその光景を眺めている。あぐらをかいた俺の膝の上にユーフォリアがちょこんと座り、頭を擦り付けてきていた。

 

 

「それで、満足したか?」

 

「えへー」

 

 

 ご満悦、と言ったその表情を見れば聞くまでもないことなのだが、一応は尋ねる。

 彼女からのお願いは、今日一日全力で甘やかしてほしいというもの。ゆえにこそ、今もこうして彼女を膝に乗せて好きなようにさせているし、永峰のライブの最中も彼女の要求に応えて手を握っていたり、周囲からロリコンに見られたり。いろいろなことがあった。

 

 

「明後日には新しい世界に到着するんだっけ?」

 

「はい、そうらしいですね」

 

 

 そんな中、真面目な話に立ち返る。

 この学園祭は、次の世界に向かう最中に行われたもの。

 支えの塔が修復されるまでの間に、隣のクラスの暁を連れ戻すことを目標として次の世界に進むことになったために行われた、”本来なら旅路を終わらせても問題ない状況”であったのにも関わらず、一人の我儘でさらなる旅路を続けることになったことで、その当人が抱いたであろう罪悪感を、祭りの雰囲気で忘れさせてしまおうというもの。

 たどり着いてしまっては、きっとこんなに心休まる時間は得られない。そう思って、ユーフォリアのお腹に回した腕に、より力を込めるのだった。



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第六話

 蒼穹の夢を見る。

 それは幼き日の記憶。

 彼の既視感の源泉となる、一つのあり得ない(消去された)過去であった。

 

 

『ほえ? これ、くれるの? ありがとう、くーちゃん!』

 

 

 あの時、彼女に渡したのは一体何だっただろうか。

 目が覚めれば覚えていない、思い出すことを許されない過去を前に、そんなことを思う。

 

 そう、過去。

 

 今はなぜか、この夢を過去と断じることができてしまっている。

 

 

『でも、あたしおかえしになにあげればいいかな?』

 

 

 何と返したのだろうか。わからない。自分が何を言ったのか、思い出すことができない。

 でも、多分。何もいらないみたいなことを言ったんじゃないだろうか。当時の俺からすればきっと、彼女の笑顔以上に価値のあるものはなかっただろうし。

 

 

『だめだよー。パパは、もらうだけじゃだめだっていってたもん!』

 

 

 だからね、と蒼穹の少女(ユーフォリア)は語る。

 その鈴の音のような声が耳朶を震わせている姿を見て、あれは麻薬だと、直感的に理解する。

 あの少女こそが俺にとっての運命の女。己の身を破滅へと導く蒼穹の少女(ファム・ファタール)

 

 

『だからね、あたしはぜんぶをあげる!』

 

 

 その言葉に頷いてはいけない(うん、わかったよ)

 頷いてしまえば、俺は永劫に呪われる(それなら、ぼくもゆーちゃんにぜんぶあげる)

 

 

* * *

 

 

「あ、おにーちゃん。起きましたか?」

 

「ユーフィー……?」

 

 

 どうした、と聞く必要はない。後頭部に触れる柔らかさ、上から彼女がこちらの顔を覗き見ている状況を鑑みれば、膝枕をされているのは明白。

 さらさらと柔らかい手に髪を梳かれているが、その手も、そして後頭部から伝わる太ももの感触も、どちらもわずかに湿り、そして普段よりも体温が高いようで。

 

 

「お風呂、入ってきたのか?」

 

「はい。それで、帰ってきたらおにーちゃんが寝てたので……」

 

 

 膝枕をしていた、と。

 

 新しい世界……『未来の世界』と俺たちが呼ぶ世界は、その名前の通りもともといた地球が発展したかのような世界だった。それは、街中の建物という点も含めて。

 だが、だからこそ。マナを使用しての建造物なども多かったとはいえ、オイルの匂いや汚れた空気もまた、地球とは比べ物にならないほどに発展していて、染み付いた匂いを取るためにか、かなりの時間を風呂に入っていたらしい。

 

 

「……ちゃんと髪、乾かしてこいよ」

 

「えへへ……」

 

 

 はにかむユーフォリア。彼女の髪からは未だに水滴がぽつぽつと。それが、しっかりと髪を乾かしていないことを示している。

 ため息をつく。なんとなく、彼女が求めていることを理解した。どこにあったかなと視線を彷徨わせれば、すぐに目的のものは見つかった。

 体を起こす。あっ、と少し寂しそうな声を出したユーフォリアに、そういえば学園祭の時に膝枕するって言ってたのは果たされたな、なんて考えて、目的のもの……ドライヤーを手に取りに行く。

 

 

「ほら、そこ座れ」

 

「はーい」

 

 

 なんだか慣れたなぁと少々自分に呆れる。ユーフォリアが己の膝の上に座って体を預けていることにも慣れてしまった。そんな彼女の過剰すぎるスキンシップに対して何も思わなくなっている時点で、なかなかにほだされているような気がする。

 彼女の髪にドライヤーからの温風を吹き付けていると、キラリと視界の端に何かが光って見えた。

 

 

「おもちゃの、指輪……?」

 

 

 そうだ。よく見ればおもちゃの指輪だ。

 年季が入ってボロボロだが、それでも大事にされてきたのだろうとは思える程度には品質が保たれている。

 ふにゃあ、と気持ち良さそうな声を上げていたユーフォリアもどうやら俺のつぶやきが聞こえたようで、その視線を自らの左手薬指に嵌められている指輪に向けた。

 

 

「これ、ですか? この指輪はですねー」

 

 

 少しだけ、過去に想いを馳せるようにしてユーフォリアが今までに見たことのない表情に。彼女を膝の上に乗せている関係ではっきりとその姿を捉えられたわけではないが、わずかに見えた横顔にどきっとした。

 その憂い顔は、これまでに見た見た目相応の少女然とした姿かははるかにかけ離れていたために。

 

 

「あたしの宝物です」

 

「へえ……」

 

 

 曰く、これは大事な人からもらったものらしい。

 その人がどれだけ大事な人なのか、というのは彼女の語り口からして、予想はつく。

 小さい頃にもらったそれ、くれたのはきっと好きな人だったのだろうな、と思える程度には。

 

 

「ん、終わったぞ」

 

「えへへ……ありがとうございます」

 

 

 髪を乾かし終えて、彼女がその頭をいつものように擦り付けてくる。

 それにしても、と思う。少女はこんなに無防備に他者に甘えている姿を見たら、彼女の好きな人とやらは大層怒るのではないかと疑問が湧いた。

 俺にも彼女にもそんな気持ちは一切ないが、それは俺たちだからこそわかるもの。彼女の好きな相手はおもちゃとはいえ、わざわざ”左手の薬指にぴったりの大きさ”の指輪を渡しているのだから、つまりそういうことだろうし。

 

 

「ほら、そろそろ寝るぞ」

 

「はーい」

 

 

 けれどそのことは口にしない。どうやら、この状況を俺も気に入っているらしい。

 俺が布団に入ると、もぞもぞとユーフォリアも同じ布団に入ってくる。俺の上に乗っかった彼女は、ひょこっと布団から顔を出して、至近距離でにぱーっと笑う。

 そんな彼女のことを湯たんぽがわりに抱きしめて、俺も微睡みに身を委ねるのだった。

 

 

* * *

 

 

「ごほっ、ごほっ……!」

 

 

 翌日になると、おにーちゃんが咳き込んでいた。どうやら風邪を引いたらしい。

 そのことを伝えると、すぐに沙月さんたちが対策を取ってくれたけれど、どの異世界でもらった、どんな病気なのか。そのことが全くわからないために、これ以上広がらないようにすることしかできない、と言われた。

 なので、今の目的地にまでたどり着くまでの間、あたしが部屋に隔離されたおにーちゃんの面倒を見ることになったのだが、何をしてあげればいいのかわからない。

 保健室は、他にも人が来るせいで、その人たちに風邪をうつすわけにはいかないからと使えないのだ。

 

 

「ゆー、ふぃー……」

 

「おにーちゃん!」

 

 

 名前を呼ばれた。急いで向かう。神剣の力を引き出しておけば、風邪に関してはそこまで気にしなくていいために、あたしたちだけがおにーちゃんのことを診ていられる。

 幸い、といっていいんだろうか。あたしは青と白の属性持ちだから、青属性の神剣魔法で氷を生み出すことだってできる。今、おにーちゃんが使っている氷嚢だってそうやって生み出したものだ。

 体温を下げるために使用しているにも関わらず、握ったおにーちゃんの手はとても熱い。あたしが握ったことがわかったのか、その手には力が込められる。

 

 

「とうさん……かあさん……」

 

「……」

 

 

 今この場にはいない、おにーちゃんの両親のことが呼ばれた。そちらに関してはどうしようもない。

 あたしは、おにーちゃんと呼んでいるけれど、それでもずっとそばにいた家族ではない。

 だから、それが少し───

 

 

「さび、しい……」

 

 

 ──寂しいのだ、と。

 

 気持ちは同じ。

 どうしようもなく 本当の家族には会えない事実があって悲しいおにーちゃんと、本当の家族にはなれない寂しさがあるあたし。

 おにーちゃんは、人間なのだ。本当に、ただの。

 神剣を持って戦うことができる人物でもなければ、これまでに戦場に立ったことのある人物でもない。

 そんな彼が、こんなことにいきなり巻き込まれて何も思わないはずがない。

 年齢とか、いろんなことが重なって隠すことには成功していたのだろうけれど、それでも思うことはあったのだろうだ。

 もしかしたら本人すら気がついていなかったかもしれないけれど、あたしのことを受け入れてくれたのもそういうことかもしれない。

 ちょっと嬉しいのは、両親よりも先にあたしの名前を呼んでくれたこと。そんな場合ではないのに、嬉しくて頬が緩んでしまう。

 

 

「大丈夫ですよ……」

 

 

 だから、あたしも、おにーちゃんの手を強く、その存在を刻み付けるように握る。

 

 

「おにーちゃんのお父さんもお母さんもいませんけど、(あたし)はそばにいますから」




ユーフォリアちゃん、年上の妹として貫禄を見せる


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第七話

「完全復活!」

 

 

 わー、と言いながらパチパチとユーフォリアが手を叩いてくれる。

 その顔は本当に復活を喜んでくれていて、見ているこちらも嬉しくなってしまうほど。

 思わず撫でると、笑顔になるのでついついさらに撫でてしまう。

 

 

「えへー。もっとお願いします」

 

「はいはい」

 

 

 もっともっととどんどんせがまれるので、撫で方も過激になっていき、最終的に彼女のことを抱きしめて撫でているあたりでようやく正気に戻った。

 

 

「あ……」

 

 

 か細いが、はっきりと聞こえる残念そうな声。少し罪悪感に苛まれないといえば嘘にはなるが、さすがにここで時間を使いすぎるわけにはいかない。

 他の人たちにも復活したことを伝えなければならないからだ。

 

 

「あとで時間の許す限り撫でてやるから、な?」

 

「えへへ……はいっ!」

 

 

 そんな会話を交わしてから、食堂の方に向かう。

 その最中、ふと思う。そういえば、と。本当に唐突にすぎる疑問。

 この旅路が終わった後、ユーフォリアはどうするのか、と。そんな疑問。

 次の世界が暁がいる世界らしいので、イコールで世刻たちの旅路の最後……つまりは久遠もそこで元の世界に戻るという事実と繋がれている。

 そこから『魔法の世界』に戻って支えの塔に相対座標を出してもらって、と色々とあるらしいのだが、それでも明確に旅と呼べるのはこれが最後。

 ならば、そのあとのことはどうなるのか。ユーフォリアは、記憶を失ってものベーに同行しているのだから。

 

 

「ユーフィーは、どうするんだ?」

 

「ほえ?」

 

 

 だから、尋ねてみることにした。

 彼女は何も考えていなかったのか、あるいは何を言っているのか理解できなかったのか。きょとんとしている。

 

 

「いや、だから。この旅は次の世界で暁を連れ戻したらそれで終わりだろ? そのあとユーフィーはどうするのか決まってるのか?」

 

「あう……決まってないです」

 

 

 しょんぼりと肩を落とすユーフォリアに、あまりにも予想通りすぎて少し笑ってしまう。

 けれど、それなら好都合、と思ってしまうのは悪いことなのだろうか。

 

 

「なら、ユーフィーの記憶が戻るまでの間、うちに来ないか?」

 

 

 きっと、両親もこんなに可愛い娘ができるとなったら喜んでくれるだろう。

 久遠としても、ユーフォリアと一緒に居られる時間が長くなれば嬉しい。

 だからだろうか。今目の前でパチクリと大きな目で瞬きしているユーフォリアの返事に対して、わずかな怯えと期待が入り混じっているのは。

 

 

「えっと……お願いします」

 

「おう、任された」

 

 

 ぺこりと下げられた頭。その姿にホッとしたが、さすがに兄としての矜持がある。そこはしっかりと隠して、ユーフォリアの頭を撫でる。

 サラサラとした髪質。何度撫でても飽きは来ない。ふわりと漂うフローラルな匂い。同じシャンプーを使っているはずなのに、男子と女子では結果がはるかに違うなと疑問が出てきながらも、それを味わえるだけ味わい尽くす。

 

 

「それじゃ行くか」

 

「はいっ!」

 

 

 皆に対して心配をかけたことを謝罪して、その後には最近幾ら何でも勉強から離れすぎているのではないかと不安がっている椿早苗先生を安心させるために勉強会が行われることになっている。

 それに、俺も参加するのだ。幸いなことに先生は『現代国語』の先生である。当初から異世界人との間の意思疎通のために言語を教えてきた実績は伊達ではない。そうでなければ、先輩と同じ旅団の人間(ソルラスカ)はともかくとして、ルプトナは学園祭の時に文字を書くなんて不可能だっただろうし。

 

 

「あたしも、日本語は喋れるけど漢字? とかはまだ書けないので楽しみです!」

 

「そっか……」

 

 

 ユーフォリアが来るということで、様々な人間がユーフォリアと一緒に勉強したい! と叫んで、当初の想定よりも多くの人間が参加することが決まったのだ。

 さすがに教師の前で変質者なことをする連中がいないとは思うが、もしもの時のために俺も参加する。一応、こいつの兄貴分なので。

 

 

「ま、頑張れ。わからんところあったら俺も教えてやるから」

 

「はい! お願いしますね、おにーちゃん」

 

 

* * *

 

 

 勉強会自体はそこまで大きな事件が起こることなく終わった。

 せいぜいがいつものようにユーフォリアが膝上に座ってきたので一部暴徒(ロリコン)が暴走した程度だ。

 そんなこんなで肉体的には少し疲れた程度で済んだのだが、ユーフォリアはどうやら頭を使ったことで今までにない形での疲労を得たらしく、終わると同時に机に突っ伏す形で眠ってしまった。

 

 

「まったく……悩みなんて何もなさそうな顔してんなこいつは……」

 

 

 ふにふにと柔らかい頬をつついてみる。

 柔らかくて、もちもちとした弾力があって、押し込んだ指を押し返してくる。

 ふにゅう、と声を漏らしながらユーフォリアが顔を動かす。

 むずむずとするのか、顔をわずかにしかめるという、なかなかに見ない表情を広げて───

 

 

「あむっ!」

 

「え、ちょっ……!」

 

 

 つついていた指を食われた。

 彼女の口に含まれたのは第一関節のあたりまで。

 はむはむと唇を動かしているので、なんとも言えないくすぐったさが体に走る。

 

 

「ユーフォリアちゃん、かわいー!」

 

「久永ぁ……!」

 

 

 誰か、と助けを求めて周囲を見渡すと、微笑ましいものを見るような女子と、久遠に対しての殺意を漲らせる男子しかいない。

 助けを求められそうな相手が誰もいないという現実に彼はショックを受けて、どうするべきかと悩み始めるが、くすぐったさが先行して考えがまとまらない。

 

 

「ほにーちゃぁん……」

 

 

 寝言でも久遠の名前を呼ぶあたり、どれだけ懐いているのかよくわかるというもの。

 久遠本人もその愛らしさに頬を緩めて、同時にこの状況をどうにかすることを諦めてユーフォリアの好きにさせる。

 

 そんなこんなでちゅうちゅう吸われていると、生暖かい何かがちろりと指に触れた。

 

 

「っ!?」

 

 

 ぴちゃ、くちゅ。

 

 粘り気のある悩ましい音が響いている。

 それが舌であることに気がついた時には、丁寧に指の腹、指の先、爪と舐め進めていて、ちゅぽんという音とともに指が解放された。

 周囲に視線を向けてみると、はわわと顔を赤くしている女性陣、そしてユーフィーの微妙に色気のあるこの行動に前かがみになっている男性陣(ロリコン)。まったく役にたたねぇと切り捨てて、この状況をどうするべきかと思考する。

 柔らかい唇から離れた指は、もちろんのこと唾液にまみれていて、てらてらと照明の光を反射して淫靡に輝いている。

 妖艶にすぎるユーフォリアのやらかしに、誰かがゴクリと息を飲んだ。

 

 

「ふにゅう……」

 

「お、起きた……?」

 

 

 誰かが呟く。

 ユーフォリアが体を起こし、眠たげな目をこすりながらその瞳に久遠のことを映している。

 先ほどまでの所業をユーフォリア以外の誰もが覚えているからこそ、彼女が何をしでかすのかと恐れている。

 

 

「おにーちゃぁん……」

 

 

 ごろごろと猫のように、久遠のことを呼びながら頭を擦り付けている。

 寝ぼけていようといまいとやることは大して変わっていない。さすがに寝ぼけて指を食うのは今回が初めてだったが、それ以外ではいつものユーフォリアのまま。

 ホッとため息をつく。

 

 少ししてからユーフォリアの目ははっきりと覚めたが、何があったのかについては誰も語らなかった。

 

 

* * *

 

 

「ふにゃあ……」

 

 

 おにーちゃんの胸板に頬を擦り付ける。あったかい。なんだかぽかぽかして眠くなる。

 勉強会の後に寝ちゃったせいで、今日は眠くはないのだが、この調子だとすぐに眠れそうだ。

 普段は、おにーちゃんよりも先に寝てしまうので、おにーちゃんの寝顔を見るのは朝、起こす直前だけなのだが、今日は珍しくおにーちゃんが寝るところに立ち会えた。

 

 

「…………」

 

 

 頭がちゃんと働いていないからなのだろうか。

 どうにも、おにーちゃんの唇に目が引き寄せられる。

 

 

「誰もいない、よね……?」

 

 

 わかりきったことを呟く。

 おにーちゃんも眠っている。

 今からすることを咎める相手は誰もいない。ゆーくんも、やるならやっちゃえって言ってくれてるし。

 ふらふらと、虫が灯に吸い寄せられるように、あたしもその一点を目指していく。

 頭の中のどこかが、そんなことをしちゃダメだ、なんてことを言っているような気もするが、今は気にしないでもいい。

 パパだって言っていた。やって後悔する方が、やらずに後悔するよりもいいって。……パパって誰だっけ?

 うん、まあ今はそれはいい。それよりも───

 

 

 ぼうっとしながら、その一点に狙いを定めて…………。




「旅が終わったら〜〜」

死亡フラグ構築! 死亡フラグ構築!

最年少(最年長)

それはそれとして指チュパってエロいですよね。今回は短かったですけど


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第八話

この作品で、これほどまでに永遠神剣シリーズっぽいことをするのはこれが最後です


「おにーちゃん、おにーちゃん」

 

 

 ユーフォリアに名前を呼ばれる。

 今日一日ずっと展開されている、いつもよりも甘えるような声に少々の疑問を抱くが、それでも名前を呼ばれたことには変わりなく。

 そちらを振り向くとえへーという声にも、普段よりも嬉しさを宿しているように思えた。

 今朝は起きた時、唇周りになんだかベタつく感覚はあったのだが、それからだろうか。ユーフォリアが甘えてくるようになったのは。

 

 

「どうした、ユーフィー?」

 

「えっとですねー」

 

 

 歯を磨いてください、と。ニコニコ顔で言ってくる。

 それぐらいは自分でもできるだろう、と流石にそこまではやって上げる気にはならないので断ったのだが、断ったら断ったでしょんぼりとされるのは卑怯な気がする。

 

 

「そ、そうですよね……」

 

 

 しょんぼりと落ち込んだユーフォリアの姿に、周囲からは無言の圧力。

 悲しませてやがるな、と言う視線の男子たちに、おにーちゃんでしょと言う視線の女子たち。

 そのどちらもが、最終的には『ユーフォリアの願いを叶えろ』と言う一点に収束しているために、ため息をつく。

 

 

「わかったわかった」

 

「ほえ……?」

 

「それぐらいでいいなら、いくらでもしてやるから……」

 

 

 そう言葉にすると、ユーフォリアはわーいと喜び始める。

 ただし、それはここですることではない。

 ユーフォリアを見てほんわかしている学園の生徒たちには悪いが、部屋に戻ってからするとしよう。

 

 

* * *

 

 

「それじゃあ、お願いしますね!」

 

「はいはい」

 

 

 そう言って、ユーフォリアは、んあーと口を開ける。

 久遠の手には歯ブラシ。ユーフォリアからの頼みを聞いたことにより渡された、彼女の愛用の品。

 以前一緒に買いに行った、彼女のお気に入りの一品だった。

 それを、精一杯開かれた、ちっちゃな口の中に入れていく。

 小さな口の中からは白い歯と舌が覗き、それが以前に吸われたことを思い出させてゴクリと息を飲む。

 そのことは隠して、ゆっくりと奥の上の方の歯に毛先を当て、そっと前後に動かす。

 

 

「……ん、ぁう、う、……っは、……」

 

 

 ユーフォリアの悩ましい声が響く。

 くすぐったいだけなのかもしれないが、そんな声を出されるとこちらは変な気分になってしまうのでやめてほしい。

 自分でやるのと人にしてもらうのでは違うと聞いたことはあるが、それも本当だったということなのだろう。

 

 

「う、ひぅっ、あぅ、……ぁえ、っ、……っふ、」

 

「……」

 

「ぇうっ、ぁ、えぁ、……ひっ、ぅ、……」

 

 

 色っぽい、と感じてしまうのは自分が煩悩に溢れているから。そうでもなければ、こんなに幼い女の子に対してそんなことを思うはずがない。思っていいはずがない。

 無心になれ。彼女が自分に対してそれを任せたのは信頼しているからで、それを裏切っていいはずがない。

 そう言い聞かせることでどうにか理性を過剰労働させる。

 歯ブラシを走らせる。小刻みに、丁寧に。しゃこしゃこ、規則的な小さい音が断続的に鼓膜を揺らしている。

いつの間にか半開きになった目はとろんとしていて、いつもの天真爛漫な様相は形を潜めていた。目元には涙、上気した頬に浮かぶ玉のような汗。謎の緊張感で、俺の額にも同じように汗が滲んでいる。

 

 

「ひ、ぁ……っうぅ、んくっ、……ぇう、あぇ、……っ、ひ、……っく、うぅーっ」

 

 

 普段、口の中を他人に弄られる機会なんて皆無に等しい。恋人同士の深いキスならば、相手に口内を委ねることもあるけれど、今の俺たちはそういった関係ではない。それなのに俺は一方的に彼女の口内を暴き、嬲っている。

 

 

「ぁ、くひぃ…っ、ひ、ぇあ、っ!ぅ、〜〜っ」

 

「……っは、……!」

 

 

 ユーフォリアがびくんと体を跳ねさせたところで終了させる。それ以上は何か、まずい気がする。

 ゆっくりと歯ブラシを引き抜く。ユーフォリアは口を閉じることができないのか、惚けた顔でぽーっと天井を眺めていた。だらん、と力なく投げ出された手足が、完全に俺に預けられた彼女の体が、彼女の身を襲った快感がいかに強いものだったのかをこれ以上なく明瞭に示している。

 

 

「ほら、ユーフィー。最後はちゃんと自分でな」

 

「ふにゃぁ……は〜い」

 

 

 ぼうっとしながらも、俺の言葉に返事だけは確と返し、コップに入れた水を持って洗面台の方に向かう。

 結局、彼女がこんなことをしてきた理由はわからない。予想はできても、実際のところはわからないままだ。

 旅の終わりに、謎な思い出が一つ増えた。その程度にでも認識しておけばいいのだろう。

 明日は、ついに暁を連れ戻すための最後の世界だ。これが、本当に最後の旅。これ以降は本当にただ帰るだけなのだから。

 

 

* * *

 

 

 沈黙が重たい。

 ここにいる誰もが、たった一つのことが原因で意気消沈している。

 その中でも特に悲痛な表情を浮かべているのは、生徒会長である斑鳩沙月と、そして悠久のユーフォリア。

 

 

「落ち込んでいても仕方あるまい。次にどうするのか、それを決めなければならない」

 

「サレス!」

 

 

 そんな中、言葉を発したのはこの集団のリーダー、サレス=クウォークス。旅団のリーダーでもあり、今一番怪しさが爆発している人物でもある。

 その理由はたった一つ。今回の意気消沈の原因を作り出した人物と旧知の人物らしき言動があったために。

 そして、個人の感情を慮らぬ言動に、もう一人意気消沈していた世刻望の怒りが爆発する。

 

 一般生徒(久永久遠)が攫われた。

 

 言葉にすればたったそれだけ。そこに、永峰希美(神剣使い)も攫われたという事実も重なるが、『一般生徒を守る』と誓っていた斑鳩沙月、そして彼にとても懐いていた悠久のユーフォリアからすればその事実は受け入れがたいこと。

 

 

「……聞かせてちょうだい、サレス。あの二人は何者?」

 

 

 攫ったのは二人の神剣使い。世刻望の持つ破壊神ジルオルの力、『浄戒』を恐れて攫っていったことは彼らの言葉から十二分に理解していたが、攫っていった彼らが何者なのか、そのことについては知らない。

 

 

「あの二人は、理想幹神と呼ばれる存在だ」

 

 

 その正体を告げたのは、新しく仲間になった暁絶。

 曰く、三人いた管理神のうちの二人。その最後の一人こそがここにいるサレスであり、彼はすでにあの二人とは袂を別っているという。

 

 

「本当ですか? もしも嘘だったりしたら……」

 

 

 ユーフォリアの目が据わっている。ブンブンと己の永遠神剣である「悠久」を振るい始めている。

 それだけの怒りなのだと理解して、サレスは冷や汗を隠しながらも頷く。

 今現在、サレスから得た座標でものベーは出立している。

 よって、サレスが嘘をついている、あるいは非協力的……つまりは敵側であればその時点で決してたどり着くことはできないのだが、ものべーが動いている時点でその座標には確かに何かが存在しているということ。

 ユーフォリアは、もしもの場合、彼が袂を別ったというのが嘘であり、敵である可能性も理解していて、その上でその時は殺すという絶殺の宣言をなしていた。

 

 

「それで、どうするかということだが……」

 

 

 このまま話を続けていると何もなくとも殺されそうだと思ったサレスは、未来についての話に移る。

 これまでの話は過去のもの。ここに至るまでの内容でしかなく、今必要なのは攫われた二人を助けるために何をするべきか。

 

 

「まず、大前提として。理想幹には”ログ領域”と呼ばれる場所がある」

 

「ログ領域……?」

 

 

 サレスの言葉に誰かがポツリと呟く。が、それは誰もが思っていること。いきなりの謎の用語の登場に、全員が首をひねる。

 

 

「”ログ領域”とは、その名の通り、時間樹において起こったあらゆる事象の“ログ”が記録されている領域だ。本来ログ領域は、時間樹内のどこにでもあって、どこにも無いもの。すなわち、位相のずれた空間にあるのだが、理想幹の中枢であればそこに直接乗り込むことができる。……つまり、私たちのこれまでの戦いは全てログに載っているということだ。これまでの全てが対策を取られていると考えたほうがいい」

 

「そんなの関係あんのかよ?」

 

「あるに決まってるでしょ、馬鹿ソル」

 

「ああ、その通りだ。あの二人が攫われたのも、”理想幹神では敵わない相手”を封じ込めるためだろうからな」

 

「関係ないですよ」

 

 

 どういう状況かを説明する言葉が、ユーフォリアの冷たすぎる一言で切って捨てられる。

 しんと静まる生徒会室。据わった目をしたユーフォリアは、本気の殺意を漲らせて、理想幹神を倒すための力を練っている。普段であれば感知できるであろうに、一切のマナを感じさせないその姿にこそ、恐れを抱いてしまう。

 

 

「おにーちゃんたちを人質にする暇も与えなかったらいいだけの話です」

 

「それは……いや、それもそうか。望は『浄戒』を使えば希美……『相克』に殺害されるが、ユーフォリアに関しては奴らは何もできない。それどころか、ユーフォリアに本気を出させないという一点を遵守するには、何があろうと彼を守らなければならない。……そういう意味では、問題ないかもしれないな」

 

 

 会話は終わり、あとはたどり着くのを待つだけに。




怒ったユーフォリア

一周目、難易度ノーマルのくせして一人だけレベルキャップが解放されているどころか上限までたどり着いている状態。要するにこの時期なら皆まだレベル20とかそのあたりのくせして一人だけレベル99。ついでにスーパーハードでないと手に入れられない技も全て開放済み。設定的にいうなら、思い切りがよくなった上にエターナルとしての全力を一時的に開放状態。とある章を過ぎると悠久のユーフォリアにユニットは戻る。敵はホッとする。


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第九話

まさかの勝負全カット。この作品はほのぼのします


「ここって……」

 

 

 目を覚ますと、普段とは違う……おそらくは保健室と思われる教室で目を覚ました。

 体を起こそうとするも、右腕は一切動かない。見てみれば、ユーフォリアが眠っている。

 ただ、腕を動かそうとしたのを理解したのか、ユーフォリアがむずむずと動き始めている。

 

 

「おにーちゃん……?」

 

「うん、おはよ」

 

 

 最後まで言葉は言わせてもらえなかった。おはよう、というたった一言。それを口にするよりも早く、ユーフォリアがほとんど頭突きのような形で抱きついてきたせいで、ゴフッと空気が抜けた。

 けれどそれすらもユーフォリアは気がついていない。文句を言おうと思って彼女の方を見れば、抱きついて顔をお腹のあたりに埋めながら、わずかに体が震えている。だから、何かいう気が失せた。

 

 

「ユーフィーは甘えん坊だなぁ……」

 

 

 よかった、と呟く少女の頭を撫でる。

 彼女は一体何に対してホッとしているのかわからない。

 だから、何があったのかと尋ねる。覚えていないんですか、と涙目のままこちらを見上げてきょとんとした顔をしているユーフォリアの顔を見れば、確実に何かあったのはわかるのだが……。

 

 

「えっとですね。おにーちゃんは攫われたんです」

 

 

* * *

 

 

 久永久遠は攫われたのだと、そう語ったユーフォリアは、その攫われるに至った経緯。ここに戻るまでの全てを語ってくれた。

 まず、暁を連れ戻しに向かった世界。そこで暁を回収したのはいいのだが、そこで暁を助けるために世刻が使用した『浄戒』なる力。それに対するカウンター兵器だったらしい永峰が覚醒して、その状態の永峰を世刻のことを恐れている奴らが攫っていった、らしい。

 そして同時、目の前のユーフォリア。それも恐ろしかったらしく、仲がいい人物を攫って盾にしてしまえばユーフォリアを抑えられるだろう。そう判断したらしいその相手は久遠のことも攫ったらしく、その状態から救出されたが眠ったままだったのでユーフォリアがずっとそばにいた、ということを聞いた。

 

 そしてその結果。

 

 

「もうおにーちゃんから離れません!」

 

 

 ユーフォリアがむん、と手を握りそう宣言する。

 彼のそばから離れなければ、誰かに攫われたりすることはないだろう、という考え。

 それはいいし、彼も命の危険が減るだろうから特に嫌がることではないのだが、一つだけ文句があるとするのなら───

 

 

「……トイレまでついてこないでもらえるか?」

 

「やーでーすー!」

 

 

 引き離そうとしても離れず、トイレにまでついてこようとする。

 一人にすれば攫われる可能性がある。それが原因だとはわかっているがさすがにプライバシーという言葉を守ってほしいという思いは久遠にだって存在する。

 なのでどうにか引き離そうとしているのだが、頑固なユーフォリアは絶対に離れようとしないのだ。

 

 

「何やってるんだ……確か、久永だったか……?」

 

「あ、暁! ちょうどいいタイミングだ……!」

 

 

 そこにちょうど現れた暁絶。騒いでいた場所が廊下なので、人が現れることは何もおかしなことではないのだが、それが暁絶(神剣使い)だったことは幸いとしか言いようがない。

 連れションしようぜ! そう語ると微妙な表情になったが、その後のユーフォリアに対しての「ほら、暁がいるから!」という叫びとユーフォリアの不満そうな表情でなんとなく察したようだ。

 

 

「仕方ない。うちの最強戦力様が動けなくなると困るからな。連れションに付き合ってやろう」

 

「助かる……!」

 

 

 ほら、ユーフィー。その言葉に不満そうながらもがっしりと抱き締めていた腕を解いて、ユーフォリアは久遠のことを自由にする。

 二人してトイレに入ると、そこまで仲が良いわけではないので会話が発生しない。

 なんとなく沈黙が気まずいな、と思わないわけではなかったが、話の内容なんて特別ない……そう思ったところで一つだけあることに気がついた。

 

 

「そういや、俺の救出ってどうやって行われたんだ……?」

 

「なんだいきなり」

 

「いや、俺が攫われたっていうのは聞いたけど、どんな風に助けられたのかは知らないなと思って」

 

「……結構簡単な話だぞ? お前が人質にされている時に、サレスがお前のことを全力で殺そうとしただけだ」

 

「…………は?」

 

「『ユーフォリア(あのガキ)に本気を出させないためにはお前を死なせてはならない』という前提があったからな。お前を攫った奴らは全力でお前のことを守らないといけなかったんだ」

 

「……ああ、なるほど」

 

 

 なんとなく、久遠にも何があったのか理解できてきた。

 いかにも間抜けな話だが、俺のことを攫った相手が本気を出しても敵わないらしいユーフォリアの対抗策。それが俺という人質だったらしいが、そのためには神剣使い同士の戦いに俺を巻き込んではいけない、俺が死なないように全力で守らないといけない状態だったために自分たちの守りがおろそかになったのだろう。結果、俺のことを助けられる程度には相手に損害を与えたのだ、と。

 

 

「……間抜けだな」

 

「予測することが得意な連中だったからな。予測の外にあるユーフォリア相手にはどうしようもなかったんだろ」

 

 

 そんなユーフォリアも、けれど久遠には特にそんなすごさが見て取れない。神剣使いとしての彼女を知ることができないという事実に多少の寂しさを感じながらも、久遠はそれを顔には出さずに連れションを終えてユーフォリアの待っている廊下に出る。

 出たのと同時にユーフォリアが久遠のことを認識してぴょんと飛びついてくる。暁からすれば、仲間になったタイミングで久遠が攫われていたので、ユーフォリアのそんな姿を見るのは初めてだったので少しばかり目を丸くしながらも、気配を殺してその場を去っていた。

 

 

「はいはい、よしよし」

 

「ふにゅっ!?」

 

 

 普段のように撫でると、わずかにびくんと震える。

 その理由に一瞬思い至らず。けれど次の瞬間には久遠にも理由はわかった。

 

 

「ああ、悪い。冷たかったか……?」

 

「問題ないですよ」

 

 

 手を離そうとすれば、ユーフォリアがその手を取って自分の頬に擦り付ける。

 その掌はハンカチで拭いたとはいえ、手を洗った直後なだけあって未だひんやりとしている。

 本当に体温に関しては気にしていなさそうで、むしろ触っていられるのが嬉しいと言わんばかりの姿。

 

 

「おにーちゃんがここにいるっていうのがわかるから、問題ないです」

 

 

 少し、その言葉にどきりとした。

 今までと何も変わらないはずの言葉。今までと何も変わらないはずのユーフォリアの姿。

 なのに、どこかこれまでよりも綺麗に感じて言葉を発することができない。

 

 ちゅっ、と響いた音。

 

 その音の正体がリップ音だと気がついたのはわずかに遅れてのこと。

 ユーフォリアの唇が、手の甲に吸い付いていた、ということに気がついた直後のことだった。

 

 

「ユ、ユーフィー!? 何して……!?」

 

 

 手の甲を見てあれーと首をかしげるユーフォリアに動揺を隠しきれずに尋ねる。

 あれーと言いたいのは自分の方だと言いたくなる程度には動揺していた。

 

 

「おにーちゃんがあたしのものだって証です!」

 

 

 おにーちゃんのことは渡しません! と堂々と宣言するユーフォリア。

 先ほどまで抱いていたユーフォリアの女性らしさを一気に打ち消す子供っぽさにホッとした。

 おそらくはキスマークでもつけようとしたのだろうが、つけ方を知らなかった結果、と言ったところだろうか。

 

 

「ユーフィーは可愛いなぁ……」

 

「あ、えへへ……」

 

 

 さすがにそれ以上何かをさせるわけにもいかず、いつものように撫でるのだった。



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第十話

「ここ、おにーちゃんの世界に似てるんですか?」

 

「おう、本当にそっくりだ」

 

 

 多少の違いはあれど、大体は同じ。

 俺たち二人は、そんな地球そっくりな世界にやってきていた。

 あまりにもそっくりすぎるためにつけられた便宜上の呼称は『写しの世界』というもの。

 通貨なども、おそらくは同じだろう。無銭飲食などになったりしたらたまったものではないので試すつもりにはならないが。

 そんな中を、ユーフォリアと二人で手をつないで歩く。

 髪の色とか、目の色とか。色々と違いがありすぎるせいで兄妹っぽくはないのだが、周囲からは特に何か言われることもなく、それどころかユーフォリアの満面の笑みに微笑ましいものを見るような目で見られている。

 

 

「どうかしたんですか、おにーちゃん?」

 

「いや……今日はどうするかね、と思っただけだよ」

 

 

 探し人が見つかる気配もなく、そもそも神剣使いだった場合は俺には一切感じ取る力はないのだ。

 なので、結局見て回るときに怪しそう(神剣の気配がある)と感じる、なんて基準は使えず、結果としてただ面白そうな場所、見た目に怪しそうな場所をチェックするしかできそうにない。

 世刻が夢でナルカナなる女性に会いに来いと言われたらしいのだが、逆に言えばそれ以外には何も手がかりが存在しないのだ。

 その状況ではナルカナとやらを探すしかないわけだが、そもナルカナとやらがどんな容姿なのかを知らない、そもそも人間であるかどうかすら知らない以上は、俺たちには探すことなど不可能と言っても過言ではない。

 俺も、ユーフォリアのおまけとして話を聞いただけなので、特に役立つとは考えられていないようだが、それでも聞いてしまった以上は自分だけ遊ぶのはちょっと、という気持ちもある。

 

 

「とりあえず、いろんなところを見て回りましょう! もしかしたら何かあるかもしれないですし!」

 

 

 ニコニコと、俺の手を強く握りしめて引っ張り出すユーフォリア。

 苦笑しながらもそれに付き添おうとしたところで、別のところから声が響いた。

 

 

「その必要はありませんよ」

 

「え……?」

 

 

 反応したのはユーフォリア。だけどそれは見知らぬ相手に対する警戒ではなく、どこか呆然としているような様子で、これまでよりも動揺しているような気配すら感じる。

 

 

「初めまして、久永久遠さん。それと、久しぶりですねユーフィー」

 

「えっと、あなたはユーフィーの知り合い、なんですか……?」

 

 

 それは、たおやかな女性だった。

 こくりと頷いたことで風にさらりと揺れる栗色の毛。整った顔立ちは二人に向けられているようで、俺ではなく隣のユーフォリアにのみ向けられていた。

 どうして俺の名前を知っているのか。そのことを問わねばならない状況でもあるはずなのに、それよりも先に”記憶喪失になる前のユーフォリア”を知っていることに対する動揺が出てきた。

 

 

「ええ。私は彼女の両親と知り合いですので」

 

 

 写真もありますよ、と言われてしまえば納得するしかない。それを見せようとしている、見せることができることそのものが、彼女がユーフォリアの知り合いだという証拠になる。

 ユーフォリアが記憶を取り戻してくれればそれが一番手っ取り早かったのだが、そうではない形ではあっても彼女のことはどうにかなりそうなのだから、それは祝福するべき事柄だろう。

 これでお別れだと思えば寂しくは感じるが、それでも彼女が両親と再会できる、記憶を取り戻すことを目的として、この旅に同行させた経緯を考えれば、ここでお別れにならない方がおかしい。

 

 

「えっと……」

 

 

 そういえば、まだ名前を聞いていない。そのことに気がついて、なんと呼べばいいのか一瞬悩んだ。

 そのことに気がついたのか、その女性は倉橋時深という名前を名乗ったので、倉橋さんと呼ぶことにした。

 

 

「倉橋さん。それじゃユーフィーのこと……」

 

「いえ、そういう話にはなりませんよ?」

 

「……はい?」

 

「ユーフィーがこの世界にやってきたことにはちゃんと理由がありますから。ですので、その目的を果たすためにも、そちらにいてもらった方がいいのです」

 

 

 それって。話の流れを理解できていなかったユーフォリアが、倉橋さんのその言葉でようやく今の話の流れを理解したらしい。つまり、ここでお別れになりそうだったということを。

 

 

「あたし、おにーちゃんから離れるつもりはないですよ?」

 

 

 ぎゅうっと抱きついてきての一言。

 その言葉は、明確な別れに対するカウントダウンが見えてきたことも相まって、わずかに切羽詰まった様子を見せている。

 

 

「ですが、いずれ別れは来ます。私たちはエターナルなのですから」

 

「……エターナル?」

 

 

 新しい単語。それを理解できるほどの知識はないが、それでもこの状態で使われる言葉にいい気はしない。

 そして、ユーフォリアもそれであるという。

 どことなく、不穏な気配を感じた。

 

 

「ええ。……まあ、長命種のようなものと思ってください。詳しい説明は後でしますので」

 

「長命種……」

 

 

 倉橋さんも、もしかしたらこんなに可憐な見た目をしているのに八十歳を超えていたりするのだろうか。……いや、ないな。そんなに歳いってるとは思えない。だって、どう考えてもこれは八十歳近い落ち着き方には見えない。普通なら知り合いの娘さんが記憶喪失になっているのだから慌てるはずなのに、冷静なままでいるという時点で、その驚きを隠しているのだろう。となると今の落ち着き具合も本性ではない。多分、もっと若々しいはずだ。

 

 

「で、でも! おにーちゃんが死ぬまで一緒にいることはできるはずです!」

 

「それをしたところで、私たちはこの世界に存在しなかったことになる以上、あなたがそばにいたことで”誰かに常に世話をしてもらっていた”という事実は残ったままになり、他の誰かと一緒だったことになるかもしれませんよ?」

 

「……いなかったことになる?」

 

 

 呆然と呟いたのは、その言葉の意味が理解できないから。

 けれどユーフォリアも倉橋さんもその呟きを意に介さない。

 二人してヒートアップし始めているせいで、俺のことを放置しだした。いや、別にそれは大して重要なことではないのだが。

 正直、何が何だか今もまだわかっていない。でも、いなかったことになるというのは気にかかる。

 

 

「それって、どういう……?」

 

「……ええ、そうですね。あなたも当事者ですし、知っておいた方がいいでしょう」

 

 

 エターナル。

 それは第三位以上の上位永遠神剣に認められ者達の総称。生命体としての寿命が無くなり、殺されない限り死ぬことは無い。

 一度世界から出てしまうと、その世界で接してきた人々の記憶から消えてしまう。

 そんな存在。そして、ユーフォリアは永遠神剣第三位「悠久」の契約者。つまりはエターナル。

 

 

「そんな……」

 

 

 呟いたのはどちらが先か。

 けれどどちらもその言葉に思考は停止して、お互いに対してどう接すればいいのかがわからない。

 彼女の目的が何かを知らないままではあるが、それが終わってしまえば最後、俺たちは永遠のお別れだ。たとえもう一度出会うことがあったとしても、それは今こうして関係を紡いだ俺たちではなく、ユーフォリアのことを知らない俺と、俺のことを知っているユーフォリアの出会いでしかない。

 ならば、どうするのが最善なのだろうか。後腐れのないように関係を終わらせてしまうべきか。それとも、このまま最後の瞬間まで全てを見ないふりにしてしまうべきか。

 答えなんて、わからない。

 

 気がつけば、倉橋さんはすでにいなくなっていた。

 どれくらい考えていたのかはわからないが、普通に日中だったのに、すでに夕日が出てきているので結構な時間を考え事に使っていたのだろう。

 

 

「ユ……」

 

 

 声をかけようとしてためらった。どうするのが正解なのか。その答えがわからないために。

 それでも彼女には十分だったらしい。こちらを向いて、少し寂しげな笑顔を浮かべて手を差し出してくる。

 

 

「……帰りましょう?」

 

「……そうだな」

 

 

 握った手は、これまでよりも深く、強く、複雑に。

 決して離さないと言わんばかりの気持ちがより強く現れていた。



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