ファーストキスの味はレモン、と人はよく言う。
けど自分の場合はジャムの甘く蕩けた果実の味だった。
それはきっと彼女がよくロシアンティーを飲むからだろう。
「ちゅ……ん……」
本日の味はストロベリー。
時間を忘れて、いつまでも味わっていたくなる甘い味。
「んむ……はぁ……」
柔らかな唇を離すと、彼女……
「……」
こちらをジッと見つめる熱い視線を感じる。その視線の意味をたずねたい気持ちをグッと抑え込む。
一応、いま俺は『仮眠している』ことになっているのだから。
「……ん」
しばらくすると、響はまた唇を重ねてきた。
執務室の机に腰かけて眠っている(フリをしている)俺の唇に、また柔らかく甘いものが広がっていく。
「はむ……んぅ……ちゅっ、ちゅう……」
口づけを通して感じる響の熱い息づかいと体温。
情熱的な口づけに加えて、少女特有の芳醇な香りが、朦朧としている意識をさらに夢見心地へ導いていく。
提督として、こんなことしていいわけがないのに。止めて注意しなくてはいけないのに……もっと欲しいと思ってしまう。
「ちゅっ……んぅ……ぷはっ……はぁ、司令、官……んぅ……じゅっ……んちゅ……んぅ……」
重なった唇の隙間から響のなやましい囁きが漏れる。
「ん、じゅっ、ちゅっ……はむっ、あむっ……んぅ……」
口づけは一層激しく、ついばむようなものに変わっていく。
いつからだろう。
響がこんな真似をするようになったのは。
いつからだろう。
このいっときを心の底で待ち望み始めるようになったのは。
◆
暁型駆逐艦2番艦、響はひと言でいえばミステリアスな艦娘だ。
彼女がこの鎮守府に着任してからずいぶんと長い付き合いになるが、いまだにどこかつかみ所がない。
あまり感情を表に出さないためでもあるが、それに加えてどこか触れがたい現実離れした美貌が一層その印象を強めているのかもしれない。
氷の結晶のように青みががかった銀髪やミルクのように生白い肌は、まるで雪の妖精と見紛うほどに幻想的な美しさで、それこそ目を離している間に雪のように溶けて消えてしまいそうな儚さがある。
別に不仲というわけではない。上官と部下としての関係として見れば良好と言えるし、響も秘書艦としてよく務めを果たし、俺を支えてくれている。
それは
どんなときも響は任務に忠実で、そこに決して私情を挟んだりはしなかった。
だからこそ、わからない。
そんな響が、なぜあんな真似をするのか。
「司令官! 遠征成功したわよ! ふふん、一人前のレディはどんな任務も華麗にこなせるんだから!」
「何言ってるのよ
「ちょっと~雷~! 黙っててって言ったじゃな~い!」
「はわわっ! 喧嘩はいけないのです~!」
第六駆逐隊の仲良し姉妹は遠征から帰ってくるなり毎度のように微笑ましい姉妹喧嘩を始めるが……
「はい司令官、今回の遠征で手に入れた資源のリストだよ。確認お願い」
その中でも響ひとりだけは相変わらずクールだった。
寝込みを狙ってキスをしてくる少女と同一人物とは思えないほどに。
「何かな司令官? 響の顔に何かついている?」
「あ、いや何でも」
ひょっとしたら自分は都合のいい夢を繰り返し見ていただけではないのか。そう疑うほどに目の前の響はあまりにも平常心すぎる。
キスのときに垣間見せる妖艶的な素振りなど微塵もない。
冷静に考えれば、こんな幼い少女があんな真似をするとは思えない。後ろでギャーギャー騒いでいる姉妹と比べて落ち着きがあるとはいえ、響だって幼い駆逐艦なのだから。
……それでも、つい視線が彼女の唇に向かう。
その幼い唇に妙な色っぽさを感じてしまう。あってはならない感情だ。だが目を離せない。
本当に夢だったのだろうか。やはり自分はあの唇と……
「……クス」
「っ!?」
ふと、唇が笑みの形を作る。幼さとは程遠い、娼婦のような笑み。
「……皆、報告は済んだから間宮さんのところに行ってゆっくり休もう」
響がそう言うと喧嘩していた三人はすぐさま「間宮さん!」と目を輝かせる。
「それじゃ司令官、失礼するよ」
挨拶を済ませると四人は間宮さんの甘味を求めて退出していく。
……見間違いだったのだろうか。
きっと、そうだ。ただでさえ滅多に笑顔を見せない響があんな笑い方をするなど……
「っ!?」
扉を閉める一瞬、響はこちらを振り向いた。
それはいままで見たこともない、魔性的な流し目だった。
◆
その晩、響は枕を持って俺の寝床へやってきた。
「怖い夢を見て眠れないんだ。暁たちに言うのは恥ずかしいから、司令官と一緒に寝てもいいかい?」
昼間のことが頭をよぎり一瞬躊躇したものの、そう言われては断れない。
夢見が悪く不安になっている少女と同衾することは別に不謹慎ではないと自分に言い聞かせて、響と同じ布団で眠る。
だが妙に落ち着かず寝つけなかった。それでも熟睡しているフリをした。
時刻が丑三つ時になろうかとした頃……響はむくりと起き上がった。そして……
「ん……」
キスをしてきた。
やはり夢ではなかった。
響はいつものように……いや、いつも以上に情熱的に唇を貪ってきた。
なぜ響はこんなことを?
よもやまさか、あの響が自分に、そういう感情を……
「……ねえ、司令官?」
ふと唇を離すと、響はぼそりと語りかけてきた。
「……起きてるんでしょ?」
「……っ!?」
「ひどい人だ。ここまでしているのに、まだ気づいてくれないのかい?」
理性を蕩かすような声色で響は耳元に囁いてくる。
返事をしてはならない。
返事をしたら自分は引き返せないところへ行ってしまう。そんな気がした。
「ふーん。あくまで寝たフリをするの? なら……」
挑発するように指先でこちらの唇をなぞると……響はまた唇を重ねてきた。
だが今までとは異なる口づけだった。
「っ!?」
響は舌を挿し込んできた。
「んぅ……じゅる、ちゅぱ、チュうぅ……しれい、かぁん……じゅっ、じゅるぅぅ……」
幼い少女がするものとは思えないほど激しいキスだった。
口腔だけでなく頭の中も快楽の色で染め上げてしまうような、すべてを奪い尽くすような、激しいはげしい……
いったいどれほどの時間が経ったのか。
呼吸すら忘れ、窒息してしまうのではないかと思うほどに濃厚なキスからようやく解放される。
「ぱぁっ! ……はぁ、はぁ、はぁ……」
酸素を求めて息づく響。それすらもどこか妖艶だ。
「……司令官」
意識が朦朧とする中、響はまた耳元に唇を寄せて囁いた。
「
◆
「司令官、今日の演習の予定表作っておいたよ」
あれから響は相変わらず秘書艦として立派に仕事をこなしている。
俺も提督としての役目を全うしている。
どこから見ても上官と部下の関係そのものだ。
だが……
「ねえ司令官」
報告を終えると――響はあの夜と同じ声色で熱い眼差しを向けてくる。
「今夜も、司令官の部屋に行っていい?」
囁くように言うと響は俺の左手の薬指に人差し指を重ねて、ゆっくりと撫でる。
響の唇に視線が行く。
艶やかな笑みを浮かべる、その唇に。
今日はどんなジャムの味がするだろう。
自然とそんなことを考える自分がいた。
彼女の申し出に、俺はただ無言で頷いた。
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