Fate/cinderella fantasy (若葉敬具)
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プロローグ

暗い闇の中に、火花が咲いた。

1つ、2つ、3つ。

咲いて、咲いて、咲いて、散った。

 

ガキィン、と音が響く。

2度3度と響く。

それは、鉄と鉄とが打ち合う音よりも厳かに感じられた。

 

空は暗く、どこまでも清澄な空間(ステージ)があった。

ぼんやりと街灯(スポットライト)が照らす。

 

そこに、二人の少女が躍る。

いずれも見目麗しく、ともすれば現実を疑いたくなるほどの容姿である。

 

可憐と表現しても遜色ない少女らは、しかし、人とも思えない剣戟を繰り広げる。

その恰好は、まるで衣装のように華やかだ。

しかし、重苦しい死の匂いがあった。

 

現実にあってはならない、それこそ映画か漫画のような想像(フィクション)の世界でしかお目にかかれない、あまりにも前時代的(じだいさくご)な命のやりとり。

紛れもない現実(リアル)が、そこにはあった。

 

明るい栗色の髪をした、見ている者を幸せにしそうな少女。

何物にも染まらない黒い髪を靡かせる、強い目をした少女。

 

彼女らは、剣を振るう。

 

方や、全てを照らすように眩く輝く聖剣を。

方や、全てを呑むように蒼く輝く宝剣を。

 

剣閃は、ほとんど光だった。

人の目には、追い切れぬ程の速度である。

 

しかし、間違ってもこれはCGを使った映画ではない。

これは、戦争だ。

本物の戦争だ。

 

国と国、ではない。

争うのは、人と人だ。

 

人間だ。

 

しかし、それらが、御伽噺に語られる英雄であるならば。

物語にある怪物を、悪魔を、うち滅ぼすほどの力を持った伝説ならば。

 

それらが争うのであれば、もはやそれは、戦争という言葉で過不足ない。

 

尋常ならざる膂力、空気は焼き切れ、音を置き去りにする。

1合、2合と、打ち合うごとに、強烈な振動を帯びた空気が周囲の物を吹き飛ばした。

 

そこは、嵐の爆心地。

 

力なき者は近寄るなかれ。

踏み込めば、何の意味もなく、骨の一片すら残らず、砕け散る。

 

邪魔は許されない。

否、二人にとって、もはや何物も障害として映らないだろう。

 

それほどに、二人の目には、互いの姿しか見えていなかった。

 

ただ、この相手に勝ちたい。

 

言葉は無用。

むしろ、無粋ですらあった。

 

理由も忘れて、彼女たちは剣を振るう。

 

その結果が、いずれかの「死」であることなど、承知の上で。

勝って、生き残るために。

互いの尊厳を賭け、互いの存在を否定し合う。

 

勝者は一人。

和解はなく、引き分けもない。

だからこそ、これは正しく戦争だ。

 

そして――

 

その二人を、固唾を呑んで見守る少女が一人。

少女は、自身の「剣」の勝利を信じ、ただ祈る。

 

「勝って、セイバー……!!」

 

決着は、まもなくだった。




どうもはじめまして。
若葉敬具と申します。
以前は、某動画サイトにてデレマスの二次創作動画を投稿しておりました。
その為、この作品は、以前投げ出してしまった動画シリーズの加筆・修正版となります。
パイロット版は残っておりますので、ご興味がおありの方は探してみてください。
今度こそ完結まで書ききる所存ですので、お付き合いの程、どうぞよろしくお願い致します。


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1日目 第1話 「ああ、今日も平和だなぁ」

 照明(スポットライト)が一人の少女を照らし出す。

 

 その光景を、私はステージの下から見ている。

 

 舞台の上には、四方のライトに照らされた一人の少女。

 舞台の下には、何万という群衆がひしめき合っていた。

 私もその内の一人だった。

 

 場を支配しているのは、舞台の上の少女だ。

 

 手を振り、声を上げれば、その何万倍もの歓声が上がる。

 マイクを握れば、パフォーマンスをして、音楽が鳴って、ステップを踏む。

 空間が揺れるほどに熱狂した。

 

 その様子に、まるで、いつか見たアイドルのステージを思い出した。

 そして、思い至る。

 

――ああ、これは夢だ。

 

 物心のついた頃から、幾度となく同じ夢を見た。

 それでも、最近はほとんど見なくなったけれど。

 

 栗色の髪をした、素敵な笑顔の少女が、ステージの上で踊り、唄うのだ。

 

 現実に会ったことはないし、見たこともない。

 きっと、私の頭の中にだけ存在するアイドルなのだ。

 

 だけど、いつしか、彼女が私の(もくひょう)になった。

 

 彼女のようになりたいと、分不相応にも、アイドルに憧れた。

 現実を知って、素質もないと思い知って、努力もやめた。

 

 口にするのも恥ずかしくなって、仲の良い友達にだって知られていない。

 そんな、夢と呼ぶのもおこがましい程、脆弱な願望だけど、今でも胸に燻っている。

 

 だから、彼女は私に手を伸ばすのだろう。

 この手を取って、一緒に踊ろう。

 マイクを握って、一緒に唄おう。

 

 もし、この手を取れたなら、夢の中だけでも、私は――

 

  ◆

 

 ジリジリと、けたたましい音を響かせる時計を勢いよくはたきつけた。

 

 すると、当然の道理で、喧しい音は止んだ。

 従って、再び微睡の誘惑へ落ちていくのは必定で、睡眠欲のままに意識を手放そうとするのも仕方のないことだった。

 

 睡眠欲は、人間の3大欲求のひとつと聞く。

 人には、108も欲があるのに、そのうちのトップ3だ。

 つまり、すごいのである。

 

 だから、今日が学校への登校日であったとしても、睡魔には勝てなくて当然なのだ。

 

 しかし、安心しきって布団を被りなおした矢先、ジリジリと再び時計が鳴り出した。

 最近の目覚まし時計は、後ろのスイッチを弄らないときちんと止まらないようになっているらしい。

 朝に弱い自分のため、お小遣いを使って買ってきたものだが、今はあの時の自分を何としても止めておくべきだったと後悔した。

 

 今なら言える。

 とんでもない、これは悪魔の発明だ。

 

 もぞもぞと手を伸ばし、再びボタンを押す。

 今度は、後ろのスイッチも消した。

 

 これで、私の安楽の時間を奪おうと画策する悪魔の手先は滅びた。

 もはや、私の楽園を脅かすものはない。

 

 時代が時代であるなら、この偉業に私自身歓喜の声を上げ、民草は畏敬の念さえ抱いただろう。

 或いは、神話として語られることもあったかもしれない。

 果ては、英雄などと祭り上げられることも吝かではない。

 目を瞑れば、私を讃える情景が浮かぶ。

 

「なーに、やってるのかしらねー」

 

 だばぁ、と楽園を形成する重大な要素がはぎ取られた。

 所詮、目覚まし時計などは、先兵に過ぎなかったことを私は思い知る。

 

――母。

 

 それは、仮令一騎当千の英雄であっても、その尊厳を脅かしうる特異な存在。

 彼の騎士王やローマ皇帝さえも苦しめ、繁栄を終わらせる零落の切欠を生んでいる。

 

 その例に漏れず、私の楽園も、母の手によって遠い彼方へと追いやられた。

 

「早く起きなさい。お父さん、出ちゃうわよ?」

 

 まるで圧政者の如く、母に譲歩の考えは微塵も見えない。

 故に、私に許された反抗は――

 

「うーん、あと5分~」

 

 これぞ、様式美(テンプレ)という、朝のやり取りである。

 

 だいたい我が家の朝はこんな感じだった。

 私のモノローグまで含めて。

 

 違ったのは、あと5分あれば、いや、1分でもあったなら、あの手を取れただろうか、という益体もない後悔があった。

 

  ◆

 

 結局、はぎとられた布団を取り戻すことは叶わなかった。

 

 眠い目をこすりながら、着替えをし、リビングへと降りていく。

 仄かに湯気を漂わせる、古き良き日本の朝食がそこにはあった。

 

「おはようー」

 

 ふわぁ、とあくびをしながら、挨拶をする。

 それに、母は飽きれたような表情を作り、父は笑顔で迎えてくれた。

 

 我が家の朝は、3人揃って食べるのが習慣である。

 うちの両親は、共働きだ。

 だからこそ、こういう一緒に過ごせる時間を重要視していた。

 

「あ、お父さん、お醤油取って」

 

 しょうゆを受け取り、目玉焼きにかける。

 目玉焼きには、しょうゆだと思う。ソースなんて邪道だ。塩コショウ派は許す。

 しばらくは、カチャカチャと箸の音が響いた。

 

 一緒に過ごすからといって、ごはんの最中におしゃべりをするのは違うと思う。

 私は、礼儀(マナー)に厳しく育てられた。

 一言も喋るな、とまでは思わないけど。

 

 ふと、なんとなしに点けていたテレビのニュースに、ごくごく近所の様子が映し出されてた。

 隣町である新都で事件があったようだ。

 

『――に通報があり、救急隊がかけつけたところ、3人の男女が倒れているのを発見。すぐに病院に運ばれましたが、現在も意識不明とのことです。警察が詳しい原因を調査しています。次のニュースです。』

 

「あら、すぐ近所じゃないの。物騒ねぇ」

 

 そういう母だったが、その口調に緊迫感などは感じられない。

 現に今も、ごはんに伸ばす箸は止まっていない。

 のほほんとした表情で食事を続けている。

 

 一方で父は重く受け止めたようだった。

 箸を置いて、真面目な顔で話し出す。

 

「美穂、帰りは早く帰ってきなさい。もしもがあっては大変だ。お父さんもお母さんも、今日は帰りがおそいから、1人で寂しいだろうが……、そうだ、教会に行っているといい。あそこのシスターさんとも仲が良かったろう。久しぶりに遊んでもらうと――」

「もう、おとうさん。私ももう高校生だよ?心配し過ぎ」

 

 私は真面目ぶって話す父が面白くて笑ってしまった。

 

「そ、そうか?だがなぁ……」

「あらあら。ダメよ、あなた。あまり過保護でも、子供に嫌われてしまんだから。それに、美穂だって、彼氏と放課後も遊びたいわよねぇ」

「な!?か、か、か、彼氏がいるのかぁ!?」

「いないよ!いないったら!もう、何言ってるの、おかあさん!」

 

 父は驚きのあまり、声が裏返ってしまっている。

 私だって慌てた。

 そんなそぶりを一度だって見せたことはなかったはずだ。

 

「ええ?だって、昨日も夜遅くまで電話してたじゃないの。だから、朝も寝坊しそうになったんでしょう?」

「電話の相手は、友達だよ!」

 

 ちなみに、女友達である。

 

 悲しいかな、友達やクラスメイトにも最近彼氏持ちが徐々に増えだしたが、私にはいない。影もない。

 彼氏がいなくとも、告白をされたという友達も少なくない。

 しかし、私はその経験もなかった。

 

「なぁんだ。友達か」

 

 ほっとした顔で、父は胸をなでおろしていた。

 

「美穂に彼氏なんて、まだ早い。ただ、あれだ。気になる相手が出来たら教えなさい。父さんが見極めてあげよう」

「やだよ。絶対」

 

 どんな罰ゲームだ。

 

 しかし、取り立てて彼氏が欲しいとは思わないが、何故だろう。

 いないことがコンプレックスにはなり始めている。

 なので、できれば触れないでほしかった。

 

  ◆

 

 

 私の家から学校まではそこそこの距離がある。

 歩くと40分くらいだろうか。歩けない距離ではないけど、毎日歩きたい距離でないのは確かだ。

 

 しかも、ひどい坂のせいで自転車は使えない。

 もしあの坂を一息に上り切れるのなら、帰宅部などではなく、サイクリング部にでも所属するべきだ。

 目指せ、ツール・ド・フランス。

 

「あ、お父さん。ここでおろして」

 

 結果、現役帰宅部の私は、毎朝会社に行く父の車に途中まで乗せて行ってもらうのが日課になっていた。

 車種は、何と言ったっけ?クルーマー?

 個人的には、もっと丸いデザインが好みだ。

 

「まだ学校までは遠いだろう」

「さっき、友達が見えたの。一緒に歩いていくから大丈夫だよ」

「そうか、気を付けて。……男じゃないだろうな」

「もう、違うったら!」

 

 車中でも、何度もいないって言ったのに。

 ちなみに、いないと言うたびに人知れず私の心はダメージを負っていた。

 仮にも、花の女子高生である。青春したい。

 

「気を付けて、いってらっしゃい」

「うん、いってきます!」

 

 挨拶をして、バタム、と扉をしめた。外へと駆け出す。

 私が手を振って、ブロロロ、と車が発進していった。

 

 私は、さっき見つけた、友達の後を追う。

 二人はおしゃべりをしながら歩くから、特に走る必要もなく、容易に追いついた。

 

「かな子ちゃん、里美ちゃん。おはよう!」

 

 三村かな子ちゃんと、榊原里美ちゃん。

 私のクラスメイトで、よく遊ぶ友達だ。

 

 あと、今ここにはいないけど、西園寺琴歌ちゃんとも一緒にいることが多い。

 彼女も確か車で通学してたっけ。お嬢様だから、うちの車とは比べられないけれど。

 

 ちなみに、3人ともすごくかわいい。

 

 三村かな子ちゃんは、女の子らしいふわふわした雰囲気で、お菓子作りがとっても上手。

 本人は体型を気にしているけど、あのやわらかそうな体とお胸は、男の子たちが放っておかないと思う。

 おふざけで何度か抱き着いたこともあるけど、あの体は反則だと思った。

 ぷにぷにで、もちもちで、ふわふわだ。

 

 榊原里美ちゃんは、おっとりしてマイペースな女の子。

 甘いものが大好きで、それ以上にお兄さんが大好きらしい。

 そして、かな子ちゃん以上のお胸の持ち主だ。

 お兄さんとは、最近まで一緒にお風呂に入っていたらしいけど、親御さんはそれを知っているのだろうか。

 

 そして、西園寺琴歌ちゃんはとってもお金持ちのお嬢様。

 それなのに、全然お金持ちなことを自慢しなくて、優しい性格をしている。

 ちょっと世間知らずなところが、クラスでもかわいいと大評判だ。

 あと、奥ゆかしい性格をしているのに、体は全然奥ゆかしくない。

 ばいんばいんである。

 

 そんな彼女たちと私を含む4人で、彼氏いない同盟を結んでこそいるが、しかし、3人は私と違って告白をされたこともある。

 3人とも思い思いの理由で断っていたが、その気になれば、いつでも彼氏が作れる勝ち組だ。

 

 むむむ、その余裕が羨ましい。

 

「「あ、おはよう。美穂ちゃん!」」

 

 こちらを向いた二人が、全くの同時に挨拶をした。

 そんなことがおかしくって、私たちはお腹を抱えて笑いあう。

 

 できることなら、彼氏ができても、大人になっても、ずっと彼女たちとは友達でいたい。

 そんなことを思った。

 これからも、ずっと。

 

  ◆

 

 ホームルーム開始の鐘がなる。

 すると、測ったように、このクラスの担任がにこにことした笑顔を浮かべて教室に入ってきた。

 

 ふむ、どうやら、今日は機嫌がいい日らしい。

 証拠に、

 

「はーい、みなさん。おはようございます!今日も素晴らしい朝ですねぇ!!!」

 

 ひまわりが咲いたような笑顔だった。

 

 千川ちひろ先生。

 すごい美人な先生だが、どういうわけか、ひどく婚期に焦っているという噂である。

 なんでも、彼女の先輩から相当ネガティブな情報を吹き込まれているらしく、20代のうちには結婚しないと行き遅れると頑なに信じ込んでいる。

 

 若いんだから心配しなくても、とは誰が言ったか。

 『先生なんて職業、出会いがないんですよ!』と授業中に叫んだのは記憶に新しい。

 直後、教頭先生が飛び込んできて、生徒の前で叱られていたのは可愛そうだと思った。 

 

 今は、同僚の赤羽根先生を狙っているそうだ。

 

 ちひろ先生は、黙っていれば美人だし、スタイルもいい。

 担任になったばかりの4月の頃には、クラスの男子たちもドギマギしていたのを覚えている。

 かくいう私も、美人な先生だなぁと、密かにああなりたいと憧れたものだった。

 

 もっとも、今ではすっかり慣れたもので、クラスではイロモノの扱いになっているが。

 

「――というわけで、みんな下校時間は守るように!夜は大人の時間だから、子供は早くお家に帰って寝てなさい。なんて……、キャー!夜は大人の時間。そうよね!そうよね!先生のこと誘っちゃおうかしら!私は、先生とホテルでおやすみ、なんて!なんて!キャー!」

「ああ、またはじまったよ……」

 

 ホームルームの時間が終わりに近づくと、突然先生は暴走を始めた。

 こうなると、しばらく元にはもどらない。

 どうも、これも彼女の先輩の影響らしかった。

 

「あの、せんせー。1限目、体育なんで、さっさと着替えたいんスけど、ホームルーム終わりでもいいスかー?」

 

 男子生徒の声に、先生は反応しない。

 教壇の上で、くねくねと自分の世界にトリップ中だ。

 

 その様子に、クラス全体の意思は、統一された。

 

 男子は、着替えを持ってぞろぞろと廊下に出て行く。

 やがて、隣のクラスの女子が入れ替わるようにしてこの教室に入ってきた。

 

 この学校で体育は、2クラス合同で行うのが習わしだ。

 そのため、着替えを男女で分け、それぞれ別の教室を使っている。

 

 なお、本来はこっちの教室を使うのは男子のはずだったが、某担任の奇行の為に、いつからか男女で使用する教室が逆転していた。つまり、担任がクネクネしている姿を横目に、生徒が着替えをするのは習慣のようなものだった。

 

「今日もよかったよ、なんて、キャー!キャー!抱いてー!今すぐ私をぎゅっと抱いてー!」

「ああ、今日も平和だなぁ」

 

 教室中の生徒が、温かい目をしていた。

 絶対に、ああはなりたくない。




このちひろさんは愛せる。


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第2話 「明日いい日になあれ」

 今日の体育、女子はバスケである。

 

 体育館のコートをぐるりと3周走り、準備運動。

 二人組を作っての柔軟などを行った後、7チーム作っての試合形式という流れだった。

 

 体育ということで、試合時間は本来のものより短い5分の設定だが、まだ9月ということもあって、ほんの5分程度動くだけでもひどく疲れるし汗をかく。

 終了のホイッスルと同時にコートの外にでた私は、重力に引かれて床にへたばった。

 

「おつかれぇ~」

 

 声のする方を向くと、里見ちゃんが水を差し出してくれたので、受け取って飲んだ。

 うん。水だ。

 冷たい水が、体中に染みわたっていくのを感じる。

 しあわせー。

 

「ありがとー」

 

 受け取った水をふたを閉めて返した。

 自分だって疲れているだろうに、ニコニコと私の返した水を受け取る。

 

 ……こういう気配りがモテる秘訣なのだろうか。

 それとも、バスケットボール以上に跳ねる、そのお胸に秘密があるのだろうか。

 これが分からない。

 

「……どうかしたぁ?」

「ううん、なんでもない」

 

 とある部位を目で追っていたのがバレたようだ。

 いけないいけない。

 コートへと視線を戻す。

 

 コートの中では、かな子ちゃんが試合に出ていた。

 バスケは数あるスポーツの中でもとりわけスピーディな球技であるが、そのスピードに彼女はついていけていない様子だ。

 パスやドリブルでめまぐるしく動き回るボールの動きにも目が追い付いていない。

 

 おっと、相手選手がドリブルでかな子ちゃんに迫る。

 運悪くというか、かな子ちゃんがたまたまゴールへの道を塞ぐように立っていた。

 期せずしてディフェンスしているような恰好である。

 

 あ、フェイントに体勢を崩されて転んだ。軽く涙目である。

 きっと、私には狙ってもできない。

 

 ……こういう愛らしさがモテる秘訣なのだろうか。

 それとも、転んだ拍子にも激しく揺れる、そのお胸に秘密があるのだろうか。

 これはあざとい。

 

「かな子さーん。がんばってくださいましー」

 

 柔らかな声で応援するのは、琴歌ちゃんだ。

 

 彼女は、口調からも想像がつくだろうが、いいとこのお嬢様である。

 それも、昨夜の残り物といって、お弁当に伊勢海老やら松坂牛やらが入っているくらいのセレブさまである。

 そんな彼女の応援は、応援と呼ぶには、あまりに丁寧過ぎるが、それも彼女の味といえるだろう。

 

 ……この淑やかさがモテる秘訣だろうか。

 それとも、薄い体操服を隆起させ、激しく主張するそのお胸に秘密があるのだろうか。

 これはけしからん。

 

 さて、点数を見ると、これは一方的だった。

 開始3分で、19対4。

 案の定というか、かな子ちゃんのいるチームが負けている。

 

 ただ、これは、かな子ちゃんが足を引っ張っているとかではなく、それ以上に相手チームに上手い人がいるのが大きい。

 あ、またシュートが入った。

 綺麗なレイアップである。

 

 これで、21対4。あと1分程度では、覆りようがない点差である。

 

 シュートを入れた選手がチームメイトとハイタッチをする。

 茶色で、短髪の女子生徒だ。

 すらっとした細身の体格で、なんというかスレンダーだ。

 

 私は、密かにガッツポーズをした。

 

 彼女は確か、隣のクラスの、北川さんと言っただろうか。

 バスケだというのに、メガネをかけたままだが、その働きは群を抜いていた。

 21点のうち、半分以上が彼女によるものだった。

 

 はて、部活動の所属はバスケ部なのだろうか。

 あまり話したことがないので、詳しく知らないが、確か、バスケ部ではなかった気がする。

 

 先生のホイッスルが鳴る。試合終了の合図だ。

 最終的に、点数は27対4。

 MVPは間違いなく彼女だった。

 

  ◆

 

――学校は好きだ。

 

 勉強は難しいし、運動だって得意ではない。

 事実、かな子ちゃんのことを言えないくらい、私だってバスケは散々だった。

 ドリブルをすれば足に当たって蹴っ飛ばすし、シュートしたはずが、ボールがゴールの高さまで届かないこともあった。

 

 だけど、友達がいる。

 

 他愛のないおしゃべりが楽しい。

 たとえ、それが数分後には思い出せなくなるような内容であっても。

 

 ほら、一緒にご飯を食べるというだけで、こんなに楽しい。

 

「わぁ、今日も美味しそうなお弁当ですね!」

 

 琴歌ちゃんが、目を輝かせた様子で私のお弁当を見つめる。

 これを、素で言ってるんだからすごいと思う。

 

「じゃあ、いつもみたいに交換しよっか」

 

 4人で食べて、互いのお弁当の中身を交換し合う。

 ……正直、私の卵焼きと琴歌ちゃんのオムレツでは価値が釣り合わないと思うのだけど、琴歌ちゃんが嬉しそうなので良しとする。

 

 なにこれ、旨っ!

 

  ◆ 

 

 キンコン。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、予鈴とともに、先生がやってくる。

 相変わらず、几帳面で、時間に正確だ。

 教壇に立ち、クラスを見渡して、席に着くよう無言で促してくる。

 

 先生は成人男性にしても大きいと思えるくらい背が高く、体格もがっちりしている。

 そのうえ、目つきが鋭くて、じいっと見つめられるだけで、背筋に嫌な汗をかいてしまうような迫力がある。

 

 わたわたと、弁当を閉まって、机を戻す。

 あまりにいつもの光景過ぎて、誰も興味を向けたりはしない。

 

 このまま、本来なら静かになった教室で、開始のチャイムを待つのだけど――

 ガララ。教室の後ろの扉が開いた。

 

「……多田さん、また、遅刻ですか」

 

 5時限目が始まろうかという時だった。

 不機嫌そうな顔をした生徒が教室に入ってきた。

 

 多田李衣奈。

 

 クラスメイトではあるけれど、ほとんど会話をしたことはない。

 それは、私が彼女と仲が悪いとかではなく、ほとんどクラスにいないため、接点を持てないでいるからだ。

 そして、それは私だけじゃない。

 彼女がこのクラスで誰かと仲好さそうに話をしている姿を見たことがない。

 

 染めたような明るい茶髪に、着崩した制服。

 何もかもがつまらなく映っているような、そんな不機嫌そうな表情を隠しもしない。

 

 一日学校にいることは珍しく、授業だってこんなふうに途中でやってきて、気が付くとフラッといなくなっている。春からずっと、そんな感じだ。

 そのせいか、別に悪さをしているというわけではなかったけれど、クラス内での彼女への評価は「不良」で、有体に言って、「浮いていた」。

 

 これもまた、いつものことだったから、もう先生も多田さんに何かを言うようなこともなく、開始のチャイムと共に授業を始めた。

 先生の教科書を読む低い声で、私は睡魔に誘われる。

 瞼が落ちそうになりながらも、私の視線は窓際の席に向いていた。

 

 多田さんが、頬杖をついて外を眺めている。

 

 多田さんは、学校が好きじゃないのかな……。

 

  ◆

 

 キンコン。

 

 6時限目が終わると、すでに多田さんはいなかった。

 

「あれ、多田さん、帰っちゃったのかな」

「李衣奈ちゃん?李衣奈ちゃんなら鞄を持って出てくのが見えたけど、何か用事でもあったの?」

「う、ううん。そうじゃなくて、ちょっと、気になるなぁって」

 

 別に気になったからといって、どうということもないのだけど。

 

「気になる!?み、美穂さん!まさか、多田様のことが……そんな、イケません!!」

「へ?……ち、ちがうよぉ!!」

 

 最近、琴歌ちゃんはオカシイと思う。

 いけないと言いながら、何故目をらんらんと輝かせているのでせうか。

 ぐいぐいと顔を近づけるのをやめなさい。

 

「多田さん、いつも不機嫌そうだし、学校、楽しくないのかなって。いつも一人でいるし、友達とかいないのかなぁ」

「ふむぅ、そうですねぇ、お友達……。そういえばぁ、以前隣のクラスの神谷さんとお話ししているのを見たことがありますよぉ」

「え、ほんと?」

 

 隣のクラスの神谷さん、というと、神谷奈緒さんのことだろう。

 確か、ふわふわいっぱいの髪が特徴の子だったと思う。

 

 これまでクラスが一緒になったこともないから、話したことはなかったけど、少しツンケンしたイメージがある。

 ちょっと、多田さんに雰囲気は似ているかもしれない。

 

「でも、仲がよさそうには見えなかったですねぇ。話している時間も短かったですし、廊下でしたし」

「友達ってわけじゃないのかな」

 

 知り合い。

 たとえば中学が一緒とか。

 そういえば、出身中学も知らないや。

 

「……そんなに気になるなら、明日声をかけてみようよ」

「ゑ?」

 

 困惑する私を後目に、かな子ちゃんの提案に、二人が賛同の声をあげた。

 

「お昼ご飯に誘うのはどうかな?」

「いいですね、私、多田様の分まで紅茶を持ってきましょうか」

「じゃあ、私はケーキを作ってくるね」

「それじゃあ、私もぉ。とっておきのハチミツを持ってきますねぇ」

 

 やいのやいのと明日の献立(?)が決まっていく。

 正直、あくまで気になっただけで、つまり、好奇心に過ぎなかったのだけど、いまさら積極的に関わる気がないなんて言い出せる状況ではなくなっていた。

 

 まぁ、いいか。なるようになる。

 

 不良と言っても、ケンカに明け暮れるとか、そういうお付き合いがあるとかではないのだし、話してみれば案外シャイなだけかもしれない。

 もし、友達になれるのなら、もっと学校が楽しくなるかもしれないし。

 前向きに考えてみれば、そう悪いことでもない気がしてきた。

 

――ただ、一つ気がかりなのは

 

「ホットケーキとぉ」

「ドーナツもいいよね」

「クッキーなどいかがでしょう」

「なんで全部お菓子なの――!?」

 

 お昼ご飯だってばぁ、という私の叫びは無視されて、大気の彼方へ吸い込まれるように消え去った。

 彼女たちは、いつかの|節制《ダイエット)の日々を既に忘れてしまったのだろうか。

 

  ◆

 

 放課後。

 それぞれ部活に行ったり、勉強のために図書館へ行ったり、雑談に花を咲かせるためにカフェに行ったり、各々過ごし方は様々だ。

 

 しかし、今日は、クラスのみんなも、早々に帰り支度という様子だった。

 なんだかんだ、ちひろ先生もあれで慕われているのである。

 

 そして、もちろん、私も今日はさっさと教室を後にする。

 

 帰り道は、というと、他の3人とは、わたしだけ方向が違うので、途中からは1人になる。

 いつもの分かれ道で手を振り別れた。

 

 このときの別れ方は人それぞれで、琴歌ちゃんなんかは、深々と頭を下げる。

 知り合った最初の頃は、気兼ねしてしまっていたけど、今ではすっかり慣れてしまった。

 

 さて、別れたところで、このあとはどうしようか。

 

 時間は4時半。

 スーパーで買い出しをしてもいいが、タイムセールまでは少し時間がある。

 それより、朝に話題にでた教会に行こうか。

 教会に行くのは、結構久しぶりかもしれない。

 

 私は、慣れた道のりを歩きだした。

 

  ◆

 

 私の両親は共働きで、それは昔からのことだった。

 

 今でこそ一人で家に居たところで寂しかったりはしないが、それが小学生の頃となるとひどく心細く、泣いてしまうこともあった。

 そんな私が、親の帰ってくるまでどこにいたかというと、近所の教会だった。

 

 子供の足でも家から5分という立地は都合がよく、なにより、そこのシスターが子供好きでよく遊んでくれる人だった。

 結局、信仰心とか、そういうのは身につかなかったけれど、聖書の内容とか、そういうのには少しだけ詳しくなったものである。

 

「あら、美穂ちゃん。いらっしゃい」

 

 いつものように中に入ると、やはり修道服に身を包んだシスターがいた。

 穏やかな笑みは、昔とまったく変わらない。

 

「クラリスさん!」

「昔のように、お姉ちゃんでもいいんですよ?」

「もうっ、からかわないで!」

 

 私は、赤くなって言い返した。

 

 確かに、私は小学生の頃、彼女のことを「お姉ちゃん」と呼んでいた。

 休みの日も遊びに行ってはべったりだったので、近所の人にも本当に姉妹のようだと揶揄われたものである。

 まったく見た目は似ていないので、今になっては、おべっかだったのだと思うが。

 

 もっとも、中学生に上がった頃だったか、気恥ずかしくなって呼ばなくなってしまった。

 以来、今に至るまで名前にさんを付けて呼んでいる。

 今更、昔の呼び方に戻すのは難しいだろう。

 

「ふふふ、ごめんなさいね。でも、いいところに来てくれました。ちょっと、お手伝いをお願いしてもいいですか?」

 

 見ると、彼女は何冊か本を持っているようだった。

 

「子供たちにご本を読み聞かせてあげようかと思ったのですが、相手役が欲しかったのです」

「あ、相手役!?」

「掛け合いの多い作品なので、台詞を読むのを手伝ってくださいな」

 

 この教会は、地域に根差しているというか、主にこの人が原因なのだろうが、気軽に子供を預けられる託児所のような存在になっていた。

 

 見れば、彼女を待っている子供たちがいる。

 小学生にあがるか上がらないかくらいの子供から、小学校高学年くらいの子まで、数えると8人もいた。

 

「ええと、あんまりうまく読めませんけど、それでもいいなら」

「ありがとうございます。ささ、みなさんおまちかねのようですよ」

 

 歩き出した彼女の後ろをついていく。

 考えようによっては、彼女たちは、私の後輩のようなものだ。

 ならば、ここは先輩らしく一肌脱ごうではないか。

 

――そう思った矢先である。

 

「どうでもいいけど、早くはじめなさいよね。いつまで待たせんのよ」

 

 うおっ!?

 

 生意気そうな口調で文句を言うのは、小学校高学年くらいの女の子だ。

 しかし、それにしては、服装が派手と言うか、露出が多く、非常にきわどい。

 間違っても、私にはあんな服は着れない。無理だ。恥ずかしくて死ねる。

 

 そんな少女を窘める子もいた。

 

「ダメだよリサちゃん、そんなこと言っちゃ」

 

 こちらはあどけなさの残る少女だ。

 先ほどの子よりも1つか2つほど下だろう。

 

 大人しく待っていようと窘める割に、ちいさな体を左右に揺らし、いかにも待ちきれないという様子である。

 ぴょこんぴょこんと跳ねる二つ結びの髪が愛らしい。

 

 しかし、こう言ってはなんだが、朗読劇とはそこまで楽しみにするものだろうか。それも、小学校低学年ならまだしも。

 はて。いったい、何を読み聞かせるのだろう――。

 

  ◆

 

『ねる…まえ…に…おい…の…り…を……エイメン。』

『…エイメン』

 

 情感たっぷりに読み上げ、静かに、余韻を残しつつ、物語を語り終える。

 子供らを見ると、みな一様に涙を浮かべていた。

 それは、派手な服装の少女も同様だ。

 

「うう……なかなか泣かせるじゃないの。歴史に残る名作だわ……!!」

 

 評価は上々のようだ。

 どうやら、それなりに長いお話らしく、毎回区切りのいいところまで読むようなスタイルを取っているらしい。

 

 予定では、全10回。今回は、その9回目だとか。

 そのためだろう、読み聞かせておきながら、私はいまいち話の内容が掴めていない。

 果たして、ここまで泣くような話だっただろうか。

 

 要するに、正義の味方である神父様が、悪の吸血鬼に力及ばず敗れたって場面なんだよね。

 そんなに愛される人物だったのかな。もしかして主人公?

 

 ともかく、これでお話は終わりというわけではないらしく、続きはまた次回ということになった。

 

「また来てあげるわ!楽しみにしてなさい!」

 

 むしろ、一番楽しみにしてるのはあなたなんじゃないの?という言葉は飲み込んだ。

 

 クラリスさんと一緒になって帰っていく子供たちに手を振る。

 小学生でも、高学年になると恥ずかしいのか、大きな子ほど手を振りかえしてはくれなかった。

 いや、派手な服装の子を窘めていた彼女は、両手を振っていたが。

 ぴょんぴょんと跳ねて、たぶん、誰よりも元気だった。

 

「今日はありがとうございました、美穂ちゃん」

「い、いえいえ!私も楽しかったですし!」

 

 これは本当だ。

 朗読劇なんて初めてだったけれど、意外にやってみると楽しかった。

 登場人物になりきって台詞を言うのは、なかなか癖になりそうである。

 

 しかし、驚いたのは、クラリスさんの演技力だ。

 迫力が私なんかとは段違いだった。これも経験の差だろう。

 

 ところで、仮にも聖職者がこんな話を読んでもいいのだろうか。

 エンターテイメントとしては、面白い作品だが、題材が題材なだけに心配になる。

 教会は抗議とかしなくていいのだろうか。

 

「実話なのでセーフです」

 

 当たり前のように心を読まんで欲しいです。

 って、――え!?

 

「聖職者はみんなこんなことができるの!?」

「いえ、私はできませんよ?」

 

 その言い方だと、まるでできる人がいるみたいに聞こえますが……。

 

「じょ、冗談ですよね?」

「ふふふ」

 

 相変わらず、クラリスさんの表情は読めない。

 そのうえ、自分はポーカーフェイスが上手いと理解している人だった。

 何度も騙されたことがある。

 意外と子供っぽい人なのだ。

 

 だからこそ、子供たちにも好かれるのだろうけど。

 

「いつでも来ていいですからね」

 

 時間が6時にもなろうかという頃、スーパーのタイムセールを思い出した。

 もしかすると、今から向かっては、目当ての商品は手に入らないかもしれないが、そうでなくても晩御飯の買い出しは必要だった。

 

「うん、クラリスさん。また来るね。」

 

 今日は来てよかった。

 久しぶりだったけど、やっぱり教会は落ち着く。

 

 落ち着きすぎた結果が、今の時間なのだけど。

 

 急いでスーパーに向かわないと、ご飯を作り終える前に両親が帰ってきてしまう。

 疲れて帰ってくるのだから、出来れば待たせたりしないで、美味しいご飯を出してあげたいと思う。

 私は、クラリスさんに手を振ると、スーパーに駆け足で向かった。

 

『ええ。きっとすぐに来ることになりますよ』

 

 遠くから、何かが聞えた気がした。

 

  ◆

 

 うちの夜ご飯の当番は曜日によって決まっている。

 月曜日は、毎週私の当番と決まっていた。

 これは、月曜日は父も母も決まって帰りが遅いからだ。

 もし、母が帰ってきてから作ってしまうと食べ始めるのは9時とか10時とかになってしまう。

 そのため、昔から月曜だけは絶対に私が作ることになっていた。

 

 おかげで、今では結構な腕前だと自負している。

 調理実習なんかでは、ちょっとしたヒーローだ。

 みんな口をそろえて、小日向はいい奥さんになる、だなんて誉めそやしてくれる。

 

 はっはっはっ。

 なんでモテないんだ。

 ちくせう。

 

 さて、スーパーで買い出しを終え、家に戻るとすでに7時を回っていた。

 今から作れば、ちょうどいいくらいに帰ってくるかも。

 

 というわけで、料理に取り掛かる。

 今日の献立は、みんな大好きハンバーグ。

 単純にひき肉が安かっただけだけど。

 

 ソースは、折角だしデミグラスソースでも作ろうかな。

 

  ◆

 

 8時半にもなると、二人が帰ってきた。

 

 私は、出来上がった料理をテーブルに運び、二人は荷物を置いて席に着く。

 料理が並びきったところで、3人同時に手を合わせて、

 

「いただきます」

 

 箸がハンバーグに伸びる。

 

「――む、また腕を上げたな」

「えへへ、そうかな」

「あらぁ、ほんと。このソースも、市販のものじゃないわね」

「あ、気づいた?オイスターソースを使って、デミグラスソースを作ってみました!結構、自信作だったりして」

 

 ちなみに、ソースの配分よりも塩加減の方が重要だったりする。

 多すぎてもいけないが、少なくてもいけないのだ。

 

「もう、私よりも料理上手かもしれないわね。夜ご飯、毎日作ってくれてもいいのよ」

「いやいや、まだまだお母さんの域には達してないよー」

 

 お父さんとお母さんに褒められた。とてもうれしい。

 

 しかし、実際、お母さんのごはんはすごく美味しい。

 和洋中、何を作っても美味しく作るのだ。

 まだまだ私では勝てないと思う。

 

 以前にも、その秘訣を聞いたことはあるが、秘密らしい。

 どうも、「知られると私の立場がないでしょ」とかなんとか。

 「嫁に行くときには教えてあげるわよ」とも言われたが、果たしていつになることやら。

 

 ご飯を終え、お風呂も上がって部屋に戻る。

 時間は何時の間にやら11時。そろそろ、寝る時間だ。

 

 私は、とあるお守りを取り出し、眺める。

 これは、祖母からもらった大事な宝物だ。

 袋の中には、歪な形の宝石が入っている。

 

 効力があるのかは分からない。

 そもそも、お守りの袋は、神社で売っていたという「健康長寿」のお守りから中身を抜いたものらしい。

 代わりに、この歪な宝石を入れたらしいが、祖母曰く「幸運のお守り」なのだとか。

 

 この祖母が、風変わりな人だった。

 

 あだ名は「魔女」。

 本人も自称していたらしい。

 

 よくわからないおまじないに詳しかったし、鋭い洞察力で人の悩みをばんばん言い当てるなど、職業は占い師なんじゃないかと思っていたほどだ。

 

 そんな祖母が私は大好きだった。

 

 私が小学生に上がった頃には、既に60歳を超えていたはずだが、年齢など感じさせないほど、活力に溢れた人だった。

 それでいて、どこかミステリアスなのだ。

 魅力的に感じないはずがない。

 

 私はよく祖母の家に遊びに行っては、いろんなお話をせがんだものだ。

 中には、子供の私には難解な教訓話も少なくなかったが、きっとタメになるのだと思って、ふんふんと真面目に聞いていた。

 

 だが、今は、どこにいるのか分からない。

 私に、このお守りをくれた日からしばらくして、ふらっといなくなってしまった。

 

 母に尋ねると、「あの人は、猫みたいな人だから」と悲しそうな顔で答えた。

 以来、連絡は取れず、所在も知れない。

 そんな状況が、既に6年も続いていた。

 まもなく7年になる。

 

 だから、私は毎日、このお守りを眺めては、祖母のことを思い出す。

 私まで忘れてしまったら、二度と会えないような気がするから。

 眺めて、握って、祈る。

 

『神様に祈るなら、願い事は一個に絞った方がいい。神様だって、いろんな人からいっぱい聞いてたら、わかんなくなっちゃうからね』

 

 祖母の言葉だ。

 だから、私は以来、同じことだけを願うようにしていた。

 

「明日いい日になあれ」

 

 世界中のみんなが、きっと同じように思っているはずだから。

 

 




美穂は、82。
何がとは言わないけど。


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閑話 「これはまた、可愛らしいお嬢さんに呼ばれたもんだ」

 私は、家の地下室にいた。

 そこが、私の工房だった。

 

 時間は、既に12時を回っている。

 長針が短針を追い越し、もう少しで1週する頃合だ。

 

「よしっ!」

 

 改心の出来だった。

 これまでに何度も文献を読み直し、白墨を使って練習してきた魔法陣。

 繰り返して繰り返して繰り返して、やっと本を読みながらでなくとも描けるようになった。

 本番たる今日に限っては、これまでで一番の出来だと断言できる。

 

 この日のため、用意した血液をこれでもかと使って、召喚の陣を一気に描き上げた。

 あとは、魔力を込めて、呪文を諳んじるだけ。

 

――聖杯戦争。

 

 それは、万物の願いをかなえるという「聖杯」を奪い合う争い。

 7人の魔術師と、彼らと契約した7騎の英霊が覇権を競い、最後に残った1組が、聖杯を手にし、願いを叶える権利を得るという儀式である。

 

 私にその参加資格たる令呪の兆候が表れたのが2か月前。

 今でははっきりと形を為し、英霊――サーヴァントの召喚を今か今かと待ちかねている。

 この様子からして、儀式が始まるまで猶予がないことは明白だった。

 

 魔術師の家に生まれた者にとって、とりわけ私にとって、この機会を逃す手はない。

 なぜならば、何百年も何千年もの間追い続けてきた魔術師の悲願にすら、彼の杯ならば届きうるのである。

 その可能性が、偉大な先人の記録には載っていた。

 

――北川。

 

 私の家は、所謂魔術師の家系であり、とりわけ名門、名家と呼ばれるほど歴史を重ねた家柄である。

 そのためか、北川の家には、彼の儀式に参加したと言う記録もあったし、彼の儀式についてまとめられた資料までもが残されていた。

 

 そこには、儀式に挑み、儚くも敗れた先人の記録と、子孫に望みを託さんとする執念が刻まれている。

 そして、奇しくも私の代になって、無念を晴らす機会が巡ってきたのだ。

 

 資料によれば、サーヴァントの召喚にさして大がかりな降霊などは必要ないらしい。

 サーヴァントとは、聖杯によって招かれるモノ。

 私のような魔術師、マスターは、彼らを繋ぎ留め、実体化に必要な魔力を提供すれば、召喚は勝手に聖杯がやってくれるそうだ。

 

 問題は、何が召喚されるか、である。

 

 サーヴァントは、その名の通り使い魔であるが、ただの使い魔とは一線を画す存在だ。

 その正体は、歴史にその名を刻んだ、紛れもない英雄達である。

 

 例えば、アーサー王伝説の「アーサー・ペンドラゴン」。

 ケルト神話の「クー・フーリン」。

 ギリシア神話の「ヘラクレス」。

 ギルガメッシュ叙事詩の「ギルガメッシュ」。

 

 伝説に、神話に語られた彼らを召喚し、使役する。

 その奇跡を為すのが、聖杯である。

 

 しかして、彼らを召喚するために必要となるものがある。

 それは、触媒。

 いわば、英雄としてのシンボル、彼らにゆかりの深い何かが必要なのだ。

 

 例えば、それは、「聖剣の鞘」であったり、「世界で最初に脱皮した蛇の抜け殻」であったり、「生前身に着けていたマント」だったりを指す。

 

 仮に、触媒がなくとも召喚することは可能であるが、その場合、何が召喚されるか、召喚されるまで分からない。

 いわば、触媒とは大海における羅針盤だ。

 どれほどの候補から選ばれるのか知れないが、仮にも一族の悲願を託す相棒を、運任せでは選びたくない。

 比較的、召喚者と近しい性質の英霊が呼ばれるらしいが、それで、弱いサーヴァントを引き当ててしまっては目も当てられないのだから。

 

 尤も、私が聖杯を求める理由は、一族の悲願だとか、そんな大層なものではないのだけど。

 それでも、一世一代の大勝負に違いはなく、学生の身ながら満足のいく物を用意したつもりだ。

 それに、今回ばかりは快くではなかったが、父の協力もあった。

 故に、これは最大のチャンスにして、最後のチャンスでもある。

 

 後悔だけはしたくなかった。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 消去の中に退去、退去の陣を四つ刻んで召喚の陣で囲む。

 それを、生贄の血液で描く。

 ウィッチクラフトは、専門外だが、まさか自分の血液を使うわけにもいかなかった。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 私の中で撃鉄が落ちた。

 通常の神経が役目を終えて、魔力を伝える回路へと切り替わる。

 詠唱が一節、一節と進むたび、魔法陣の輝きは加速度的に増していく。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 それはほとんど無意識だった。

 令呪の刻まれた右手を、前方の魔法陣に向けて、伸ばす。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 体中の魔力が凄まじい速度で奪われていく。

 しかし、それは、成功したということで――――

 

 ぎゅ、っと開いた右手を掴まれた。

 

「やあやあ、これはまた、可愛らしいお嬢さんに呼ばれたもんだ!

 

――サーヴァント、アーチャー。聖杯の招きに応じ、参上したよっ!!」

 

 星のように輝く少女が、そこにいた。




呪文の詠唱ってテンションあがりませんか?


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2日目 第3話 「ここにいたら、死ぬ」

 私が、アイドルに憧れたのは、何故なのだろう。

 物心のついた時から、既に私の夢はアイドルだったような気さえする。

 

 かじりつくようにテレビを見て、彼女たちのように歌を歌って、彼女たちのように踊りを真似た。

 幼稚園の頃は、純粋にアイドルになるんだって信じてた。当然のように、なれるものだと思ってた。

 小学生にあがると、どうやったらなれるんだろうって考えた。親に聞いて、先生に聞いて、本を探した。

 

 少しずつ、少しずつ、現実を知ってしまうと、アイドルになるのはすごく大変なんだって分かるようになった。

 漠然と、憧れているだけじゃなれないんだって、気づいてしまったのは、いつのことだっただろうか。

 そして、自分には無理だ、って諦めてしまったのはいつのことだっただろうか。

 

 歌うことを止めた。

 踊ることを止めた。

 

 それから、この夢を繰り返し見るようになった。

 それまで、この夢を見ることは楽しみだったのだけれど、繰り返し、繰り返し、私には届かないのだと思い知らされるようで、いつしか苦痛を感じるようになった。

 

 スポットライトが一人の少女を照らし出す。

 その光景を、私は、舞台の下から眺めている。

 

 舞台の上には、四方のライトに照らされた一人の少女。

 舞台の下には、何万という群衆がひしめき合っていた。

 やはり私は、その群衆の1人だった。

 

 それは、もはや心に焼きついた原風景。

 

 忘れたくても忘れられなくて。

 捨てたくても捨てられなくて。

 憧れだけが、ぐるぐる、ぐるぐると、行き場を失くしてから回る。

 

 いつものように彼女は、手を伸ばして、私を誘う。

 その顔が見えない。見れない。

 

 彼女は笑っているのだろうか。憐れんでいるのだろうか。

 見るのが怖い。

 

 もし、彼女の瞳に、私が映っていなかったらと思うと。

 きっと私は、心の底では諦めたくないのだ。

 

 彼女にも、愛想を尽かされてしまったら。

 

 

 

――寝坊した。

 

  ◆

 

 朝は、いつも以上にバタバタと騒がしかった。

 髪を梳かす時間なんてなかったし、落ち着いてごはんを食べる時間もなかった。 

 

 それでも、いつもより少し遅い時間だが、予鈴には間に合った。

 

――はずだった。

 

 ざわざわと、校門の方が騒がしい。

 どうも、遅刻を回避しようと生徒が焦っている雰囲気とも違う。

 そもそも、この時間に人だかりができているあたりで尋常ではない。

 興奮の度合いは、まるでアイドルの出待ちさながらである。

 

 人だかりの中に、友達の姿を見つけた。

 

「かなちゃん!」

「あ、みほちゃん。おはよう」

「うん、おはよう」

 

 彼女は、今井加奈ちゃん。

 クラスが違うため、一緒に遊ぶことは少なくなったが、中学校からの友人である。

 野次馬気質のある彼女が、騒ぎの近くにいることには、もはや驚きはない。

 

「ねえ、これどうしたの?なんで、みんな校門に集まってるの?」

「ああ、それはね。なんか、すごい人が来てるんだって」

「すごい人?芸能人とか?」

「なのかなぁ?見たことないんだけど。でも、すごい綺麗な人だよ。それこそ、ほんとに。モデルさんくらい!」

 

 かなちゃんは、どうやら興奮している様子だった。

 かなちゃんがこの様子だと、ほんとに綺麗な人がいるようだ。

 もともと、かなちゃんは嘘をつけるような子じゃないけれど、それでも、ここまではしゃぐのは相当だ。

 

 ふむふむ。

 興味を刺激された私も、どれどれどれ、と野次馬気分で人だかりに突撃した。

 

 すると、どえらい美人がそこにいた。

 

 年齢は私と同じくらいだと思う。違っても1つか2つだ。

 だけど、何かが違う。

 何もかもが違う。

 

 それは、完成された美であった。

 

 同じ女性であることが恥ずかしいと思えるほどの暴力的な美。

 嫉妬すらさせないほどの圧倒的な美。

 

 長い睫が風に揺れる。

 ただ、そんなことが息を呑ませるほど美しかった。

 

 傾国の美女という言葉があるが、まさしく彼女ならば、容易に国を傾けるくらいできそうに思える。

 なれば当然、思春期である男子が興奮するのは、もはや仕方のないことであるし、女子でさえも熱の帯びた視線を送るのだから始末が悪かった。

 

 やがて、騒ぎを聞きつけた教師陣がやってきた。

 

「おまえたち、何をやって――」

「あ、ダーリン★」

 

 やってきた教師へ皆の視線が向いた。

 何十と言う視線に貫かれたのは、若い男性教諭。

 ちひろ先生が狙っている、赤羽根先生その人だった。

 

 件の美女は、その教諭に近づくと周りの視線も気にせずに抱きついた。

 

「な、おまえ、なんでここに!?」

「ダーリンに会いに来ちゃった★」

 

 蕩けた飴のような声で甘える美女。

 

 というか、ダーリン?

 

 聞き間違いでなければ、確かにあの美女は、赤羽根先生を指して、ダーリンと呼んだ。

 とんでもない美女とはいえ、年齢は私とそう変わらない。

 たいして、赤羽根先生は若いとはいえ、20代も後半だったと記憶している。

 

 警察を呼ぶべきか迷ってしまうのは、無理からぬことだった。

 

 そして、私と同じような考えに至った人は他にもいたらしく、実際にダッシュで校舎へ向かった生徒が2人ほど見えた。

 公衆電話なら、職員室の前にあったはずである。

 テレフォンカードを貸すのも吝かでない。

 

 さて、10分もすれば、けたたましくサイレンを鳴らしたパトカーがやってくるだろう。

 

 しかし、そんなことは意に介さず、二人は二人だけの世界に浸り始めた。

 

「だって、1人で寂しかったんだもん。……ねえ、怒ってる?」

「怒るもんか。1人にしてごめんな。俺も、寂しかった」

「えへへ」

 

 ますます熱く抱き合う2人。

 いま、彼らの世界に私たちは、路傍の石ころよりも無価値に映っているのだろう。

 それほどに情熱的であったし、盲目的であった。

 

 そして、視界の隅で崩れ落ちるちひろ先生の姿は、見なかったことにしたかった。

 

  ◆

 

 キンコン。

 

 午前の授業が終わって、昼休みの鐘が鳴る。

 

 あのあと、騒ぎは、社会科の武内先生が治めてくれた。

 あの人は、悟りを開いた仏僧か何かなのだろうか。

 男性でありながら、あの美女相手に堂々とした物言いで、見事、家に帰らせたのである。

 しかも、その場で赤羽根先生に説教を始める姿など、株価の上昇は止まらない。

 

 一方、生徒の見ている前で同僚から説教をくらう男性教諭の姿というのは、情けなくて見ていられなかった。

 

――それ以上に見ていられなかったのは、ちひろ先生だったが。

 

 教室に戻れば、目に生気はなく、いっそ泣くことができたらと、思わずにはいられなかった。

 ただ、小さな声で念仏を唱える姿は、無性に私たちの涙を誘った。

 

「ちひろ先生、可哀そうだったね」

 

 かな子ちゃんがたどたどしく聞いてきた。

 それに対して、私は上手く笑うことができない。

 ただ、そうだね、と返すことしかできなかった。

 

「……」

「……」

 

 無言の時間が続く。

 折角楽しいお昼だというのに、お通夜のような空気で終えるのは避けたかった。

 

「は、話は変わるけどさ、多田さん来てないね」

「そういえばいないね。折角、ケーキ持ってきたのに」

 

 ああ。あれ、本気だったんだ。

 

「せっかくだし、あとでデザートにみんなで食べよっか」

「多田さんの分はどうするの?」

「ホールケーキだから、大丈夫だよ?」

「何が!?」

 

 そういって、かな子ちゃんが取り出したのは、お店で売っているようなサイズのホールケーキだった。見た目のクオリティまでお店で売っているものと遜色ない。それ以上にそのサイズ感に目を奪われるのだけど。

 

 そもそもこれ、多田さんの分を入れて、5等分だとしてもデザートに食べるような量じゃない。スポンジはまだいいとして、生地を見事にコーティングしている大量の生クリームが、もはやカロリーの暴力にしか映らない。

 

「ちょ、ちょっと大きくないかな?」

「美味しいから大丈夫だよ」

「何が!?」

 

 堂々と言い切るかな子ちゃんの姿に、私は驚愕を隠せなかった。

 そして、嬉々としてホールケーキを切り分けていく里美ちゃん。

 準備よく取り出したナイフを、十字に差し込んでいく。

 

「って、ちょっと待って!本気で4等分するの!?」

「美味しいから大丈夫ですぅ」

「それ流行ってるの!?」

 

 その後の授業はお腹が苦しくて集中ができなかったことを、ここに記しておく。

 

 

 

――ちなみに、美味しかった。

 

  ◆

 

 放課後、私は弓道場にいた。

 

「きゃー!!お兄様――!!!」

「里美ちゃん、弓道場なんだから、もうちょっと静かにしよう?」

 

 射場で矢をつがえているのは、里美ちゃんのお兄さんだった。

 精練とした弓道着に身を包み、精悍な顔つきをした彼は、なるほど、そこはかとなくイケメンだ。里美ちゃんとの血のつながりを感じさせる。

 

 さて、何故私がこんなところにいるのかというと、まぁ大した理由などなく、里美ちゃんに引っ張られたからに過ぎないのだが。

 興奮した様子の里美ちゃんを見れば、説明の必要もなく、彼女が所謂ブラコンであると分かってもらえると思う。それも、かなり重度な。

 

 実は、彼女がかつて告白を断ったときの理由がこれだった。

 

 つまり、「私には素敵なお兄様がいるので、あなたとは付き合えません」と宣ったのだ。

 そのとき、男子は血の涙を流したという。

 

 そんな悲劇はさておき、意識を現実に引き戻すと、まさにお兄さんが矢じりから手を離したところだった。

 

 放たれた矢は一直線に的へと向かう。

 風邪を切り、まっすぐに飛んでいく。

 それは吸い込まれるように、やがて見事に命中した。

 

 わっ、と歓声が上がる。

 それは、私たちのように、見学に来ていた女子たちの声だ。

 

 つまり、里美ちゃんのお兄さんは、学校の人気者なのだった。

 それもそうだろう。顔が良くて、家柄も良くて、スポーツも万能。そのうえ、学業も優秀で、既に大学も推薦が決まっている。さらに性格も良いのだからたまらない。どこの主人公だ。

 

 強いて欠点をあげるなら、彼も相当なシスコンということくらいだろうか。

 もっとも、彼の妹程ではないので、普通に相手も見つかるだろうけれど。

 

 まったく、神様の不平等を嘆きたくなる。

 どれか一つでいいから、私に才能を分けてほしい。

 

 耳が痛くなるくらいの歓声に辟易しつつ、私は、壁に掛かる時計を見た。

 

――帰りたい。

 

  ◆

 

 結局、終わったのは17時をはるかに過ぎ、長針は短針を追い越している。

 里美ちゃんはと言うと、最後まで見ると言って聞かなかった。

 

 生憎と、野球の中継さえも楽しんで見ることのできない私に、弓道の練習は退屈以外の何物でもなかった。

 弓道部にお兄さん以外の知り合いがいない私に、そこまで見ていく義理もないし、きっと里美ちゃんはお兄さんと一緒に帰るだろう。むしろ、昨日のように私たちと一緒に帰ることのほうが珍しいのだ。

 

 お兄さんがこちらを向いたので、頭を下げる。お兄さんは、にこりと笑って、手を振った。それを合図に、私は弓道場を後にした。

 

 そういえば、かばんを教室に置いたままだったっけ。

 持って来ればよかった。後悔したところで鞄は独りでに来てはくれないのだけど。

 

 魔法でも使えたらなぁ。

 アクシオ、鞄よ来い。なんてね。

 その辺の木の枝でも試しに振ってみようか。

 何かの間違いで、鞄が本当に飛んできてくれたら御の字だ。

 

 当然、この世界に魔法なんて都合のいいものはないわけで、私は鞄を取りに教室へ向かったのだけど、いかんせんタイミングが悪かった。

 

「小日向、ちょうどいいところに来た。すまんが手伝ってくれ」

 

 青木先生がいて、仕事を頼まれてしまった。

 

 青木先生は、体育の先生だ。

 しかし、数字に強いという意外な特技を持っているために、書類仕事を請け負うことが多いらしい。

 今も、たくさんの書類を抱えて階段を上っていた。

 

 断る理由も見つけられず、押しに弱い性格も手伝って、結局こんな時間になってしまう。

 得たものは、お礼といって買ってもらった、お茶の缶の一本だけ。

 

 だからって、秋に差し掛かったこの時期に、18時過ぎまで学校に生徒を残すのはどうかと思う。

 夏場ほど夜は明るくないのだ。

 むしろ、さっさと帰らせるのが先生のあるべき姿ではないでしょうか。

 だってほら、私、女の子ですし。

 

 まぁ、そんなこと、口に出したりはしないのだけれどね。

 青木先生、怖いし。

 

 暗くなり始めている空を見て、今日は教会には行けないな、なんて考えた。

 別に、約束をしていたわけではないけれど。

 

  ◆

 

 さて、夜道を一人で歩くというのは、お化けだとかを別にしても、やはり怖い。

 ほら、不審者とか。特に、最近は物騒らしいし。そういえば、今日の朝もニュースで意識不明なんて言ってったっけ。

 

 それに、こんな時間に帰っているのがバレると怒られるかもしれない。

 さっさと帰るのが吉だ。いろんな意味で。

 

 まぁ、辺りを見渡しても誰もいないみたいだけどね。

 ただ、油断したところでバクっていうのはホラーではお決まりの展開だし、もしかしたらそういうこともあるかもしれない。

 

 内心びくびくしながら、知らず早足で帰路を進む。

 かつかつと、靴音だけが響く。

 

――今更だが、なんだか妙だ。あまりに静かに過ぎる。

 

 確かに、この道は大通りとかではないし、街灯だってまばらだ。

 普段から決して人の通りが多い道ではない。

 

 だけれど、しかし、だからと言って、道を歩く人が影さえないというのはおかしい。

 

 思えば、ただの一度も誰かとすれ違った覚えがない。

 この時間なら、部活終わりの生徒と道を同じくすることだってあるだろう。大通りでないにしろ、ふだんなら会社帰りの人を見かけることは珍しくない。

 

 なのに、今日は人の気配を感じない。

 

 まるで、入ってはいけないところに迷い込んだみたいな、どうしようもなく悪いことをしているような気持ちに襲われる。

 だれか、いないだろうか。

 一人でも見かけることができれば、安心できるのだけど。

 

 そんなとき、遠くで音が聞こえた。

 

 あっちには、たしか、公園があっただろうか。

 音が聞こえるということは、そっちに人がいるということだ。

 どうしてだろう、その音にただ安心していればいいのに、ふらりと、足が動いた。

 

 確認しないではいられなくなったのか、引き寄せられるように、私は公園に向かった。

 距離は、然程ない。

 だから、すぐについた。

 ついて、そこにある光景に目を奪われた。

 

「――――――――え」

 

 二人の少女が、戦っている――!?

 

 方や、槍を持って、方や、銃を握って。

 その動きは、とても人のものとは思えなかった。

 

 槍を持っているのは、小さな少女のように見えた。公園の灯りは頼りなくて、その顔までは詳しく判らない。ただ、服装は、昔の狩猟民族のように布を纏っているだけに見える。

 彼女は、空間をすさまじい速度で走り回っていた。いや、私からすれば飛び回っているようにしか見えなかった。着地したそばから地面は弾け、気づいたら全く違うところに姿が消えている。

 

 しかし、銃を使う方も負けてはいない。

 同様に距離もあるし、灯りが暗いことで顔はよく見えない。服装は、全体的に白いように見えた。まるで、宝塚のようだ。

 彼女は、片手で銃を連射している。

 私にはほとんど追えないほどの槍の少女の動きを、しっかりと把握しているようだった。証拠に、彼女は一度だって、攻撃を許していない。一方的に撃っている。

 

 映画の撮影――なんかではない。

 それは、肌で分かった。

 

 そこに、相手への遠慮など、微塵もない。

 殺し、殺され、他者を廃絶するための全霊。

 命のやりとりで生まれただろう、濃密な死の匂い。

 

 あまりに現実離れした光景に、脳が正常に働いてくれない。

 だけど、これだけはわかる。

 

 

――ここにいたら、死ぬ――

 

 

 それでも、急いで逃げなければならないという心と、焦って逃げ出そうとすれば見つかるという頭が対立を起こして、動きを止めさせた。

 

 ざり。音が鳴った。

 

――あ。

 

 結果、いかにも中途半端に、震えた足が、地面と擦れた。

 

「誰!?」

 

 槍を持った少女が、動きを止めて、振り返る。

 その方向には、私がいる。

 

――見つかった。

 

――目が合った。

 

 逃げろ。

 逃げろ。

 逃げろ。

 逃げろ。

 逃げろ。

 

――逃げなきゃ、殺される。

 

 脳が命じて、体が動くようになるまで、気が遠くなるほどの時間を感じた。

 本当は1秒もなかっただろう。それでも、私には5分にも、10分にも感じられた。

 

 砂埃が舞って、それの数が数えられるくらい時間がゆっくりに感じられた。

 きっと、脳が壊れたのだと思った。

 

 それでも、転ばなかった。

 

 その場を、逃げ出せたことは、運動音痴の私にしては上出来だったと思う。

 走りの|恰好《スタイル)なんて気にしていられなくて、とにかくがむしゃらに走るしかなかった。

 

 だから、遠くに聞こえた声が誰の物かなんてわかるはずはない。

 

「なんで……人避けの結界があるのに――!?」

 

 それは、悲鳴のようだった。

 




ここからが本番です。


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第4話 「あなたは、私が守ります」

「ひぃ、はぁ……、はぁ……」

 

 息が、続かない。

 呼吸をしても、酸素が届かない。

 まるで、陸にあげられた魚のように、息をするたび苦しくなった。

 

 足が重い。

 まるで、見えない手に掴まれているかのように、地面から離れてくれない。

 だから止まりそうになる。

 だけど止まれなかった。

 

 止まれば死ぬ。

 アレに追いつかれれば死ぬ。

 

 もがくように、少しでも離れようと、前へ。前へ。前へ。

 しかし、

 

「みぃつけた☆」

 

 鈴の鳴るような、可愛らしい少女の声が聞こえた。

 しかしそれは、私に絶望を突きつける、悪魔の声と同義だった。

 

 振り向きたくない。

 振り向いて、それがいるのを見てしまえば、もはや幻聴であると逃避することもできなくなってしまう。

 

 しかし、振り向かなければ、私は知らない間に死ぬだろう。

 気づかないうちに殺されるだろう。

 

 振り向いた。振り向けば、声以上に可憐な姿がある。

 ただひとつ、圧倒的なまでに場違いな槍を除けば。

 

 それは、死の塊だった。

 粗末にも見える木の棒に、先端に石を削って尖らせたようなものが付いている。

 うっすらと、赤色が付着しているのが見えた。

 

 それは、間違っても|見せ掛け《レプリカ)などではない。

 命を吸い尽くしてきたという、重さがある。

 

「もぅ、待ってったらぁ☆」

「ま、ったら、みのがして、くれ、るの……?」

「そんなわけないじゃーん☆」

 

 おちゃらけて、空気を変えようとしても無駄だった。

 これは、ギャグとかシリアスとか、そういう段階(ステージ)じゃない。

 今更変わることのない、一本道(バッドエンド)

 

 何処で間違った?

 何を間違った?

 

「恨みはないんだけどぉ、マスターの指示だからぁ☆」

 

――殺される。

 

「い、嫌……」

「ま、あんなとこに来ちゃった自分の運を恨んでよ♪それじゃ、さよーならー」

 

 少女の持つ槍が迫る。

 鈍色の光が迫る。

 

 私では、万に一つもアレは避けられない。

 

 終わる。

 終わってしまう。

 

 アレが当たれば、私は終わる。

 

 あれは、避けられないし、きっと、助からない。

 

 なんで、こんなことになっている。

 

 何が何だかわからない。

 

 こんなところで、何も分からないまま終わるなんて――

 

「それじゃ、ばいばい☆」

 

 

――そんなのは嫌だ……!!

 

 

誰か。

誰か――。

誰か――――。

 

 

――助けて!!

 

 

――はい、まかせてください――

 

 

 それは、突然のことだった。

 

「ゑ――――――?」

 

 気づけば、槍を持った少女が斬られていた。

 ダンっ、と後ろへ飛び退るも、胸の辺りを夥しい血が染め上げている。

 

「――誰だ!!」

 

 少女が叫ぶように声を上げた。その目線、先にいたのは――

 

 

――これまた、可憐な少女だ。

 

 

「サーヴァント、セイバー。聖杯の招きに応じ、参上しました」

 

 セイバーと名乗る少女は、血に塗れた剣を携え、私を守るように槍の少女との間に立った。

 彼女は、まるで剣など似合わない、同じ年くらいの少女に見える。しかし、構える姿は自然で、虚仮脅しで持っているわけではないことを感じさせた。

 赤いマントをたなびかせる。その姿は、まるで御伽噺の勇者のようだ。

 

 それにしても、彼女、どこかで見たような……。

 いや、今は、そんなことよりも――

 

「安心してください、美穂ちゃん。あなたは、私が守ります」

 

 彼女が、振り返って私を見た。

 その表情は、笑顔だ。

 すとん、と何かが落ちた。

 

「――!後ろ!!」

 

 キィンと硬質な音が響いた。

 

「勝手に、お安いメロドラマに浸ってるんじゃないよ☆」

 

 槍を持った少女が、再び迫っていた。

 その槍を、セイバーと名乗った少女が剣で防ぐ。

 ぎちぎちと、静かに駆け引きが始まった。

 

「連れないことを言わず、付き合ってくださいよ。ランサー」

「ムリムリ☆でも、一方的に突いていいなら、――乗ってアゲル☆」

 

 力任せに槍が振るわれる。

 その凄まじいまでの勢いに弾かれ、セイバーと名乗った少女は体勢を崩された。

 そこを、素早く槍を構え直し、無数の突きを繰り出す。

 

 嵐のような連撃――

 それを、弾いて躱す。

 激突する音は、まるでマシンガンのようだ。

 もはや、私の目では追い切れない神速の舞踏会は、にわかに、セイバーと名乗った少女が押されて弾き出た。

 

「アナタ、ほんとにセイバー?不意打ちで決めきれないことと言い、この体たらくといい、らしくない」

 

 槍を構えたまま、目を細めて、機嫌が悪そうに問う。

 それは、相手を責めているような口調だった。

 

「そういう、貴女は紛れもなくランサーですね。獣の如き敏捷性。荒々しくも、たしかな技術に裏打ちされた槍捌き。さぞ、名を馳せた英霊であることでしょう」

「褒めてもなにもでないよ?それとも、なに?敵わないから諦めて、降伏でもしようっての?」

 

 その真意を探ろうと言うのか、ますます表情を険しくする槍遣いの少女。

 あるいは、その表情は落胆の色であるかもしれなかった。

 

「いえ、それを許す貴女ではないでしょう。ただ、私の障害を正しく見定めただけですよ」

「ふーん、敵というなら、情け容赦はなくしたほうがいーよ。最初みたいな中途半端なのはやめて、ちゃんと獲りにこないと」

 

 槍使いの少女は、自らの胸を空いた右手で叩いてみせた。

 既に傷口は閉じている。

 

「……ご忠告ありがとうございます。ですが、私の勝利はあなたに勝つことではないので」

「あっそ☆でも、このままじゃ死ぬけど、いいの?」

 

 話は終わり、そう言わんばかりに攻撃的な笑みを浮かべる。

 

――途端、風を感じた。

 

 威圧感が増す。空気が重くなり、胸が苦しくなった。

 

「――ひっ!?」

 

 それは、きっと殺気だ。

 しかし、剣を握る少女へ向けられたもののはずだった。

 

 その煽りだけで、私の呼吸が止まりそうになる。

 足の震えが止まらない。

 

 イメージしたのは、猛獣。

 

 明確な死を感じた。

 

「――美穂ちゃん」

「え、あ……?」

 

 ほんの一瞬の沈黙ののち、突然、()()()()()()()

 

 彼女は、私の前に立つ。

 幾分か、気が楽になった。

 心臓は相変わらず早鐘のようになっているけれど。

 それでも、不思議と安堵を感じていた。

 

「私は勝ちますよ?」

 

 彼女はふりむかない。

 私の目には、風にたなびく赤色のマントと、彼女の後姿だけが見えている。

 

 きっと、その顔は笑っていたのだろう。

 

「――だから、応援してください。あなたの声があれば戦えます。だから――」

 

 

「――信じて」

 

 

 何が起きているのか、そんなことは分からない。

 目の前で起きているすべてが、私にとって理解の範疇外で、もう混乱なんて通り越して、思考は真っ白に塗り固められている。

 

 それでも、分かることがある。

 

 彼女は、私を守ると宣言した。

 そして、実際に剣を振るって、私をあの少女から守ってくれている。

 

 それを、――どうして信じないなんてことができるだろうか?

 

 彼女の言葉に安心したんだろう?

 彼女がいるから、私はいまここで生きているんだろう?

 私にできることはなんだ?

 しなければいけないことはなんだ?

 彼女に、してあげられることはなんだ?

 

 

――教えてもらっただろう?

 

 

「がん、ばれぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

 それしかできないのなら。

 それしかできなくても。

 それだけを、精一杯。

 

 あらんかぎりの声をあげよう。

 

 

「がんばれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

「――はい。頑張ります!」

 

 

 どうしてか、すこしだけ、懐かしさを抑えるような、そんな声に聞こえた。

 

「――っは、声援一つで何が」

「変わりますよ。だって私は、『()()()()』ですから」

 

 目を離した、わけではない。

 気づけば、彼女は私の眼前から消えて、槍遣いの少女めがけ勢いよく剣を振りぬいていた。

 

 咄嗟に槍を合わせ、防ぐ槍遣い。しかし、剣戟は鳴りやまず、続く。

 

 私に、戦闘は目で追えない。だけど、表情くらいは見て取れる。

 槍遣いの少女の表情、それは間違いなく驚愕を映していた。

 

「(ちょ、急に動きが鋭く――!!)」

 

 一気呵成に攻め込んだ。もはや、槍使いの少女は防戦一方だった。

 

 槍の特徴は、その射程の長さだ。余程、剣などより長く届く。

 代わりに、懐に入り込まれてしまえば、途端その長さは弱点になる。

 至近での取り回しでは、圧倒的に剣が有利だ。

 

 間違いなく、今は彼女が押していた。なのに――

 

――あ、……はぁ、……はぁ

 

 動悸が少し早くなる。何故だろう、この場にいるから――?息を止めるほどに見惚れているから――?

 苦しくなって、胸を押さえて、その場に座り込んだ。

 

「(――!?……あまり、時間はない。これ以上は美穂ちゃんに影響が出る。一気に決め――「舐めるな――!!!」

 

 ガキィン。と、響く音と共に、剣が弾かれ、攻守が再び交代した。

 

「(――しまった!?)」

 

 声はない。

 しかし、失敗をしたのだと悟った。

 

 激しい音。

 ともすれば、先ほどよりも早く聞こえる。

 

 それは、突き出される槍を剣で防ぐ相子の音だ。

 防戦に徹するしかない彼女は、迫る槍を弾きながらも、いくらかの傷を負い始めた。

 

 それは、まさに暴風雨。

 鈍色の光の線が雨のように彼女の体を篠突いた。

 

「(だけど――本命は届かない。確実に、致命の一撃だけ弾かれる。フェイクには一切かからない。まるで、それが分かっているみたいに)」

 

 激しさを増す槍の雨。乱れ飛ぶ血しぶきの中で、しかし、彼女はまだ立っていた。

 一歩も引かず、雨の中を踊りきる。

 

「(だけど――これは避けられないでしょ!!)」

 

 突然に、風が起こった。

 唐突に、足元を刈り取る、一閃。

 

 それは、きっと、彼女の意識のそとにあった攻撃だ。

 タイミングもすべてを外された。

 激しい雨に晒されて、思考の余裕も奪われていた。

 だから、気づけるはずもない攻撃。

 

「(それを――避けるかっ!?)」

 

 なのに、跳んで、避けた。

 足元をすくいあげた槍は、むなしく空を切る。

 

 時が――、

 

「(――でも)」

 

 

――止まったように感じた。

 

 

 何倍にも、時間が引き伸ばされたような、そんな感覚。

 死を感じた、あの瞬間と同じ感覚。

 

 きっと、私の脳は壊れている。

 どこまでも、見えている。

 

「(これが本命のさらに本命)」

 

 笑っている。

 槍遣いの少女が、笑っている――!!

 

 牙が見えた。

 

「空中じゃ、避けられないよねぇ!!」

 

 跳んでいる、

 空中にいる彼女へ、

 彼女の胸へ、

 真っすぐに、

 

 

――必殺の槍が放たれた。

 

 

「――――――――っ!!!!」

 

 ギギィン!

 音が響いた。

 

「は?」

 

 セイバーは、空中に跳んだまま右から剣を振った。

 

 狙いすましたような剣を槍の穂先にぶち当てると、槍の機動がわずかに逸れた。

 そして、そのまま剣を振った勢いのままに、槍を弾いた勢いのままに身体を回転させて、致命の一撃すら躱しきる。

 

 それはきっと、槍の少女にしてみれば、化かされたような光景だ。

 だから、ほんの少しだけ、少女の動きが止まった。

 

 その一瞬の隙を、セイバーと名乗った少女は見逃さなかった。

 着地と同時に、懐へ潜り込む。

 そして、斬った。

 

――はずだった。

 

「え?」

 

 見えたのは、そこまでだ。

 気づけば、セイバーは横に勢いよく吹っ飛ばされ、槍使いの少女は片手に持った槍を左に振り切っていた。

 

 まさか、槍杆で殴り飛ばしたの――!?

 

 でも、

 

「(届いた)」

 

 見れば、ランサーの首元には深い傷が刻まれていた。出血がその深刻さを物語る。

 吹っ飛ばされる寸前に、セイバーの剣は届いていたのだ。

 

「っ、がっ!」

 

 ランサーがその場に、蹲った。

 手を首元に当て、現状を確かめるようにして、やがて、口惜しそうに顔をしかめた。

 

「あっ、ちゃー、こ、れは失敗……☆」

 

 その時は、声を出すのも苦しそうに見えた。 

 そして、そう言ったが早いか、ふらりと立ち上がって、

 

「次は、こうはいかないから☆」

 

 ダンっ、と飛び去って、夜の闇に消えて行った。

 

 ……信じられない。一瞬しか見えなかったが、喉元の傷は既に塞がっていた。

 声も、ほんの一瞬で元の通りだ。

 

 ただ、撤退したのだ。致命傷ではなくとも、深いダメージではあったのだろう。

 ということは、つまり?

 

 私は、助かったのだろうか。

 

「――あ!」

 

 と、安堵共に思い出した。私の、命の恩人を。

 

 とたた、と駆け寄ると、体を打ち付け、痛みに耐える少女の姿があった。

 

「だ、大丈夫……ですか?」

 

 なんと声をかけたものか、幾分迷ったが、やはり心配をしないわけにはいかなかった。

 打ち付けられたであろう箇所を左手で押さえている。

 しかし、

 

「はい、大丈夫です!」

 

 その声は、必要以上に明るかった。

 おそらく、私を心配させないためだろう。

 スクッと立ち上がって、笑みさえ見せた。

 

「美穂ちゃんこそ、無事ですか?」

「は、はい。私は何とも」

 

 ケガひとつなかった。

 あんな意味の分からないモノに追いかけまわされて、私が生きているのは、すべて彼女のおかげだ。

 彼女が体を張って守ってくれたのだ。無事に決まっている。

 

「それは――」

「『よかった』というには、少し早いかもよ?」

 

 声が、空から聞こえた気がした。

 

 よっ、という声と共に、電柱の上から、何かが落ちてくる。

 それは、人の姿を、またも少女の姿をしていた。

 なんとなしに、白いと思った。

 

「サーヴァント、アーチャー」

 

 その言葉に、セイバーと名乗った少女の表情が強張る。

 私をかばうように、前に立って、剣を構えた。

 

 空気が張り詰め、緊張感が包み、あと一瞬で爆発しそうになって――

 

「なーんちゃって♪」

 

 肩すかしを食らわされた。

 謎の少女は、可愛らしくポーズまで決めている。

 頭痛がしそうだった。

 

「あ、もう警戒心は解いていいよ。ここで戦う気は――」

「――やっと、見つけた……!」

 

 アーチャーの言葉を遮ったのは、これまた少女だ。

 

 ぜはぁ、と息を吐く。そのあまりに人間らしい所作に、少しばかり安心感を覚えた。

 そして、その少女に見覚えがあることに気付く。

 

「勝手に走り出すとか、何考えてるの!?そもそも、どっちに行ったかくらい教えてくれても――」

 

 

「――北川さん?」

 

「え?――小日向……さん?なんで……」

 

 

 それは、隣のクラスの北川真尋さん。

 運動神経抜群で、その割に帰宅部で、意外と面倒見がよくて、隠れファンが多いと噂の――。

 

 なお、噂の出どころは、かなちゃんである。

 朝に聞いた。

 

「あれ?もしかして、二人はお知り合い?だったら話は早い!いきなりだけど――

 

 

――あたしたちと、手を組まない?」

 

 

 その申し出に、困惑の表情を浮かべたのは3人。

 私と、セイバーと名乗った彼女と、()()()()

 これぞ名案なんて、自信満々の顔で言い放つ少女は、如何せん空気が読めていなかった。

 

 




戦闘描写はよく分かりません。
とりあえず、自分の体を動かして文章にしてます。


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第5話 「手を組みたいと思います」

「それにしても、知らなかったな。小日向さんが魔術師だったなんて」

 

 あのあと、話をするためにさっきの公園に戻った。よくわからないけど、ここなら人に聞かれる心配もないらしい。そして、徐に口を開いたのは北川さんだった。

 

「――――?」

 

 何を言ってるのか分からなかったけど。

 まじゅつし?ってなんだろう。口にするだけで噛みそうだ。

 

「……ちょっと待って。小日向さん、魔術という言葉に聞き覚えは?」

「げ、ゲームか何かの話かな……?」

 

 ちなみに、ゲームはそれほど詳しくない。ドラクエとか、ファイファンとか。そういう有名所なら、一応知ってるけど。あれは魔法だったっけ?ちょっとだけファンタジー小説を読むことがあるから、イメージならできるけど。

 

「サーヴァント、もしくは聖杯戦争という言葉は?」

「えっと、さっきの、セイバーさん?たちがそう名乗ってたのは聞いてたけど……」

「――――」

 

 絶句。という表現がふさわしいと思えるほどの表情を北川さんは浮かべた。

 どうやら、私の答えは希望通りのものではなかったらしい。

 

「つまり、小日向さんは自分が置かれた状況も、何も理解していないわけか……」

「ご、ごめんなさい」

「あ、いや、小日向さんが悪いわけじゃないよ。ちょっと、予想外だっただけで」

 

 少し、北川さんは考え込むようなしぐさをして、よし、と呟いた。

 

「じゃあ、軽く説明した方がよさそうだし、まず、小日向さんが何に巻き込まれたのか、教えてあげる」

「えと、お願いします」

 

 なんとも優しい人である。

 意外と面倒見がいいという噂は本当のようだ。

 

「それじゃあ、まず、前提として、この世界には『魔術』がある」

「――――?さっきも言ってたけど、ゲームか漫画の話、ではないんだよね?」

「現実の話だよ。といっても、そこまでオカルティックなものじゃない。ちゃんとした理論、理屈があって作用する。科学と一緒。そして、その魔術を使うのが魔術師。正確に言えば少し違うけど、科学者みたいなものと考えて」

「――――」

 

 正直言って、理解の範疇外です。とは、流石に言えなかった。

 と言っても、さっきのトンデモを見ていたせいか、そこまでの不信も抱かなかった。

 この調子なら、宇宙人とかUMAも実在するのかもしれない。

 

「それで、その魔術師の戦いに君は巻き込まれた。それも、当事者(マスター)として、ね」

「ますたぁ?」

「右か、左。どちらかの手の甲、もしくは腕に痕がない?」

 

 見ると、右の手の甲に朱い不思議な模様があった。

 

「それは、令呪。聖杯戦争に参加するマスターの証であり、サーヴァントへの絶対命令権。この辺は、あとで説明したほうがいいかな」

 

 そのあとも、北川さんからの説明が続いた。

 つまり、要約すれば、私は魔術師たちの戦いに巻き込まれたらしい。

 セイバーという武器(サーヴァント)を与えられて。

 

 戦いの名称は、聖杯戦争。この地で開催されるのは5度目なのだそうだ。

 

 7人の魔術師が7騎のサーヴァントを従え、最後の1人になるまで争う。

 その目的が、聖杯であり、万能の願望器。つまり、どんな願いでもかなえられる権利を手に入れること、らしい。

 

「聖杯って、最後の晩餐に使われたっていう?」

 

 確か、キリスト様が弟子達に「私の血である」としてワインを注ぎ、振舞ったっていう杯、だったかな。おぼろげな知識だが、たぶん間違っていないと思う。

 

「へえ、それは知ってるんだ。もしかして小日向さん、お家は敬虔なカトリック?」

「ううん、無宗教だよ。でも、教会にはよく遊びに行ってたから」

 

 小学生の私にとって、聖書は絵本の代わりだった。

 

「ふぅん。ま、おおよそ聖杯の認識はそれで間違いないよ。付け加えるなら、アーサー王伝説とか、そういう物語でも探索された物。手に入れた者のあらゆる願いを叶えるとされている物でもある」

「でも、それはお伽噺か何かでしょう?」

「実際、聖杯らしきものはこれまでも世界各地で発見されている。例えば、ジェノヴァ大聖堂にある緑色の鉢。バレンシア大聖堂にあるメノウでできた杯。メトロポリタン美術館にもあったかな。真贋確かではないけれど、眉唾物であれば、もっとたくさん見つかっているはずさ」

「それで、その聖杯らしきものが、この街にあるってこと?でも、それこそ、眉唾なんじゃ」

「いいや、この街にあるのは本物だよ。だって、――彼女たち(サーヴァント)が召喚されているんだから」

 

 北川さんが指をさす。その先にいるのは、二人のサーヴァント。

 アーチャーと、セイバー。

 彼女たちが、ただの人間でないことは、先ほどの戦闘で痛感した。

 スタントとか、演出とか、そういう作り物でなかったのは、肌で感じて、よく分かっている。

 

「人知を超えたサーヴァントを呼び出し、使役する。その時点で、聖杯の力は疑いようがない。だったら、それは物としての真贋はともかく、本物ってことでいいのさ」

 

 つまり、真偽は置いといて、本物以上の力があるなら、物自体は偽物でも問題ないってことなのかな?

 

「だったら、仮に聖杯があるとして、なんでみんなで分け合うとかできないの?争って、奪い合うなんて、おかしいよ」

「そう言われてもね。聖杯を手にするのはただ一人。それは、私たちが決め手ことじゃなくて、聖杯が決めたことだから。7人の魔術師を選ぶのも、7人の英霊を呼び出すのも、全ては聖杯の意思。聖杯は、自らを持つにふさわしい人間を選び、競わせてただ一人の持ち主を選定する。あなたが巻き込まれたのは、そういう儀式なんだよ」

 

 北川さんは、当たり前のような顔で言った。

 そこまで聞いて、当然の疑問が浮かんだ。

 

「でも、私は魔術師じゃないよ」

 

 私は魔術なんて知らないし、聞いたこともない。

 知らないのだから、魔術師になるなんて無理なことだ。

 

「そこだよ。だから、私は驚いたんだ。本来、マスターとなるには魔術師でないといけない。そうじゃないと契約もできないし、魔力を供給して存在を保つことさえできないんだから」

 

 そこで、北川さんはセイバーと名乗る少女を見た。

 

「それなのに。一見したところ、君たちはきちんと契約を結べているようだし、魔力供給も行われている。だから、これは推測だけど、君の家系、遡ればどこかで魔術師の血が混ざっているんじゃないかな。稀ではあるけど、隔世遺伝によって魔術回路を持って生まれるケースもないではないし。それでも、どうやって召喚できたのか、については謎だけど」

「まぁ、今考えるべきは、どうしてこうなったか、じゃなくて、これからどうするか、でしょ?」

 

 ひとしきり話し終えただろうタイミングでアーチャーさんが口をはさんだ。

 

「先ほどの提案、ですか」

 

 そこで、ようやくセイバーさんが口を開いた。

 その態度は、いかにも疑っていますよ、と隠すつもりない。

 警戒心ばりばりだ。

 

 しかし、そんなことを気にも留めず、アーチャーさんは無駄に高いテンションで言い放った。

 

「イグザクトリィ!君のマスターは素人のようだし、見捨てるのも忍びないからね。半人前な君たちを助けてあげるよ♪」

 

 言い終えると、腰に手を当て、どや顔を披露した。

 まるで、頼りになる先輩であるかのような振る舞いだ。

 頼もしいといえば頼もしいが、どこか、詐欺師の術中にはまっているような感覚を覚える。

 

「……なるほど。美穂ちゃん」

「な、なんですか?」

「断りましょう」

 

 それは、セイバーさんも同じだったらしい。

 

「ちょ、え、待って!」

 

 セイバーさんが断ろうと提案すると、目に見えてアーチャーさんがうろたえた。

 

「こ、断っちゃうの?え、なんで!?」

「信用できません。あなたたちのメリットが曖昧すぎる。そんなもの、罠を疑うのが当然でしょう。ましてや背中を預けて戦うなど、考えられない」

「ちょ、ちょっと、セイバーさん!?」

 

 言わんとすることは分かるが、流石に語気が強すぎる。

 これで相手が機嫌を損ねると、非常にマズイ。

 

 正直、訳が分からない現状で、藁にもすがりたいという気持ちは捨てきれないのだ。万が一にも、彼女たちが本当に助けようとしてくれている可能性があるうちは、是非穏当な対応をお願いしたいところである。

 

 しかし、アーチャーさんは、機嫌を損ねることもなく、むしろ、納得したという表情に変わる。

 ひとしきり頷くと、なにやら覚悟をきめたようだった。

 

「――それも、そうだ」

「!――まさか、アーチャー!!」

 

 アーチャーさんの様子に、北川さんが焦りの声を上げた。

 しかし、アーチャーさんに止まる様子は見られない。

 

「信用できない。もっともだ。いや、すまなかった。こと、契約に関して、嘘やごまかしはご法度だったね。――本当のことを話すと、君たちが半人前なように、ワタシたち、正確にはワタシも半人前なんだ」

「――半人前?」

「そう、なんてったって、ワタシは『宝具』が使えないんだから」

「『宝具』?」

 

 疑問を浮かべると同時に、北川さんが顔を片手で覆ったのを見た。

 声は出していないが、台詞を当てるなら「あっちゃー」というところだろう。

 

「そう、英霊が持つ最強の幻想。いわゆる聖剣とか魔剣の類だね。君のセイバーも、あのランサーだって持っている。だけど、ワタシは――」

「持っていない?」

「訳じゃないけど、使えない。これが使えないってのは、大きなハンデでね。だからって泣き言を言うわけじゃないし、まぁ、そう易々と使うものでもないけど、『使わない』のと『使えない』ってのは大きな違いなんだよね。だから――半人前」

「それって――」

「ほんとは隠すべきなんだろうけどね。でも、聞こえのいい話ではなくなったでしょ?信用してもらうためなら安いもんさ。ほら、半人前と半人前同士。合わせたら、丁度一人前だしね」

 

 この情報がどれだけの価値を持つのか、正確なところ、私には分からない。

 聖杯戦争なんて、いまはじめて聞いた話だし、魔術とか、サーヴァントとか宝具とか言われても、なんのことやらさっぱりだ。

 

 でも、息を呑むセイバーさんを、嘆息する北川さんを見れば、大事な情報だってことだけは分かる。だから――

 

「――セイバーさん、受けましょう」

「美穂ちゃん?」

 

――その覚悟を疑いたくなかった。

 

「アーチャーさん、その提案受けます。きっと、私に戦うなんてできないし、見てるだけかもしれない。力にはなれないと思います。だけど、あなたの言葉に嘘はないし、信頼、してくれているのが分かった。だったら、手を組みたいと思います。それに――北川さんとは、戦いたくないです」

「小日向さん」

「あの、だから、セイバーさん……」

 

 勝手なことをしたという自覚から、声が自然と尻すぼみに小さくなった。

 やがて、セイバーさんは根負けしたというように、ふぅ、と息を吐いた。

 

「美穂ちゃんがそう決めたのなら、反対する理由はありませんね」

 

 仕方ないという表情がありありと見て取れたけど、一応賛成してくれたようだ。

 ……ところで、彼女に悪いと思うあたり、なし崩し的ではあるが、私は彼女を受け入れてしまっているらしかった。

 

「――勘違いしてもらっちゃ困るけど、協力するのは他のサーヴァントを倒すまで。そのあとは敵同士だからね」

 

 言い含めるように、北川さんは宣言する。

 そういうことをわざわざ言葉にしてしまうあたり、彼女も嘘をつけない人なのだろう。

 

「……はい、それでも」

「――それまでは」

 

 

「「よろしく(お願いします)」」

 

 

 私たちは、握手をした。

 こうして、あいまいな納得のまま、同盟関係が結ばれた。

 

  ◆

 

 家に帰ると、電気は点いていなくて、もう両親は寝ているようだった。

 お風呂を沸かして、シャワーを浴びる。

 今日の出来事が思い出された。

 

「はぁ」

 

 昨日のお祈りは、届かなかったみたい。

 

 聖杯戦争。

 まさか、そんなものに巻き込まれるなんて想像もしていなかった。

 

――本音を言えば、戦いたくない。逃げ出したい。

 

 私はそういう人間ではないし、そもそも、誰かを犠牲にしてまで叶えたい願いなんてないのだ。もっと気軽に、例えば、7つの玉を集めたご褒美に何でも願い事がかなうとか、そういうのならばっちこいである。たぶん、それでも何を願っていいのか分からなくなるのだろうけど。

 

「アイドル、とか」

 

 ちゃぽんと、水滴がお風呂に落ちて、波紋を広げた。

 

 口にして、それはありえない。と首を振る。

 絶対にダメだ。

 それは、その願いは、それこそ自分で叶えないといけない願いのはずだ。

 そんなズルは許されない。

 

 そもそもなんで、私が巻き込まれたのか。

 分かる人がいるなら是非教えてほしいし、変わってくれるなら変わってほしい。

 

 でも、

 

「それも無理なんだろうなぁ」

 

 それに、手を組む、なんて言ってしまった。

 それは、覚悟も何もない、ただ流されただけのような気もするけれど、それでも、手を握った感触を覚えている。

 

 紛れもなく、あの時の感情は、自分のものだったはずだ。

 

 約束した以上、逃げ出すことはできない。彼女たちの信頼を、裏切ることはしたくなかった。たとえ、彼女たちの期待に応えることができないのだとしても。

 

 自分の言葉にくらい、責任を持ちたかった。

 

  ◆

 

 お風呂を上がって、部屋に戻る。

 

「あ、おかえりなさい」

 

 普段なら聞こえない、迎えるような声があった。

 

「セイバー、さん」

 

 部屋の中に、世界観の違う服装をした少女が座っていた。

 ぼろぼろだったはずのマントや服は、どういう理屈か綺麗に直っていた。

 

 セイバー。

 私のサーヴァント。

 突然現れて、守ってくれた。

 

 彼女は、私の恩人だ。

 彼女がいなければ、きっと、今日私は死んでいた。

 

 それを認識すると、吐き気のようなものが込み上げるのだけど、どうにか堪えた。

 ここが自分の部屋でよかった。

 浴室だったら、きっと我慢せずに吐き出していたに違いない。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 慌てて駆け寄るセイバーさん。

 堪えたものの、やはり、顔色までは誤魔化せなかったようだ。

 病人を見るみたいに心配している。

 

「あの、落ち着いたら、緊張が噴出して……」

「ムリもありません」

 

 ベッドまで連れて行かれて、横になった。

 部屋に戻ったから、一息ついたから。それもあった。

 

 でも、それ以上に、セイバーさんの顔を見たから。

 非日常を認識したから、思い出してしまったのだ。

 

 年のころは、私とそう変わらない。

 けれど、槍を振るう少女に対し、ためらうことなく剣を振るった彼女。

 現実と思えない戦いを繰り広げた彼女。

 そんな彼女が、私の部屋にいた。

 

「ごめんなさい。」

「どうして、美穂ちゃんが謝るんですか?」

 

 そういえば、どうしてだろう。

 ほとんど無意識に口から出た。

 

「えっと、セイバーさんに守られて、わたし、何もできなくて、それで――」

 

 不甲斐ない、なんて思ってしまったのは、傲慢だろうか。

 

「いいえ、美穂ちゃんは、何もできなかったなんてことはありませんよ。ちゃんと、私の声に応えてくれました。それだけで、すごく、嬉しかったです」

 

 笑った。本当に、宝物みたいに思ってくれている、そんな表情だ。

 

「あの、セイバーさん」

「ふふ、さん付けはなしにしましょう。セイバーと、そう呼んでください。」

「じゃあ、セイバー。……あの、今更、なんだけど」

「はい?」

 

 

「――ありがとう。私を、助けてくれて」

「――はい。どういたしまして」

 

 

 少し、驚いたような表情だったのが、印象的だった。

 

  ◆

 

「セイバーは、サーヴァントなんだよね」

 

 私たちは、小さなテーブルを挟んで、向かい合わせに座っていた。

 

「そうですよ。さきほど、アーチャーのマスターが言っていた通り、私はセイバーのサーヴァントです。」

「セイバーの、サーヴァント。」

 

 つまり、それは、セイバーというのは、本当の名前じゃなくて、役割とか、職業とか、そういうものの名前なんだろうか。

 私の、そんな疑問を見越して、セイバーが答える。

 

「サーヴァントには、7つのクラスがあります。セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、バーサーカー、アサシン。召喚されたサーヴァントは、概ねそのいずれかのクラスを割り当てられます。」

「えっと、それはなんで?」

「これは推測ですが、私たちのような英霊を完全な状態で呼び出すというのは聖杯であっても、相当な負荷なのでしょう。故に、クラスという枠に当てはめることで、必要な情報量を減らしている。そんなところではないでしょうか。例えば、私はセイバーというクラスなので、剣を得意としています。一方で、アーチャーのような飛び道具は持っていませんし、キャスターのように魔術を得意としていません。仮に、私という英雄が、生前そういう技能を有していたとしても、です。」

「なるほど」

 

 それは、分かりやすい説明だ。

 

「なので、クラス名だけでも、ある程度戦い方などは予想できるわけですね。ただ、そうはいっても、そのサーヴァントがセイバーだとして、持っている剣がどんな剣なのか。アーチャーだとして、その武器は弓矢なのか、はたまた投擲武器なのか、あるいは他の射出武器なのか。そんな情報はクラス名だけでは読み取れません。なので、真名を隠し、クラス名で呼び合うのが一般的なのです。」

「真名がわかると、どうなるの?」

「その英雄の逸話が知られます。つまり、どんな武器を使うのか。どんな性格なのか。どんな弱点があるのか。なんて、戦いに必要なものが根こそぎ知られてしまうわけです。そして、正体の手がかりは何も名前に限らない。覚えていますか?アーチャーが使えないといった彼女の弱点を」

 

 覚えている。忘れるはずがない。

 だって、私は彼女の覚悟を聞いて、その手を取ろうと決めたのだから。

 

「宝具、だよね?」

「そうです。その英雄が生前に使用した武具、あるいは逸話が形となったもの。分かりやすく言うなら、そうですね、――必殺技、と呼んでもいいでしょう。それを、アーチャーも言っていましたが、我々は易々とは使えない。それはなぜか」

「有名な武器だと、正体がばれるから?」

「その通りです。一対一の勝負であるなら、宝具は使えば必ず勝てる、そんな切り札にもなりえるでしょう。ただし、聖杯戦争とは、7組による戦い。その一勝のために、他の5組に対策を取られては勝ち目などないのですから」

「そうか。最後まで残らないといけないんだもんね」

 

 戦いの最中に、誰が観戦しているとも限らない。そして、私たちにそれを察知することは難しいのだ。実際、さっきはランサーとの戦いをアーチャーに見られていて、それに気づくこともできなかった。

 

「とは言っても、最後の最後まで使わないで負けてしまっては本末転倒なのですけどね。だからこそ、アーチャーの情報には、驚かされたのですが」

 

 アーチャーは、必殺技とも呼べる宝具を使えない。

 もしかしたら、それは、私が思っていた以上のハンデなのではないだろうか。

 

「ただ、持っていないではなく、使えないと言ったことが気にかかりますが、ハンデを背負ってしまっていることに変わりはないでしょう。それをまさかあの場で話すとは」

「ご、ごめんなさい。私が勝手に手を組むなんて決めたから」

「い、いえ。あれは、間違いではありませんでしたよ。美穂ちゃんの立場からすれば、見方が必要なのは間違いありません。戦力と言う意味で、心許ないのは確かですが、信頼に足る人物だというのは、よく分かりました。なにより、情報を持っているというアドバンテージは大きい。アーチャーのマスターは、いろいろと知っていそうでしたから」

「そうだね」

 

 でも、まさか、北川さんが魔術師だったなんて。

 もしかして、意外と魔術師って、身近にいるのかも。

 他にも学校にいたりして。なんてね。

 

 ……想像するのは止めよう。途端に、学校が恐ろしいところのように思えてしまう。

 

「ふわぁ」

 

 学校(にちじょう)のことを考えたからだろうか。

 あくびが漏れてしまった。

 

「あ、すみません。美穂ちゃんも疲れましたよね。今日はここまでにしましょう。」

「だ、大丈夫だよ。まだ、全然。」

「いえ、きっと、美穂ちゃんは気づいていない以上に疲れているはずなんです。だから、もう寝ましょう。大丈夫です。私がここにいますから、心配しないで休んでください」

 

 その言葉は、確かに私の身を案じるもので、無下にするなんてできなかった。

 

「うん、わかった。おやすみ、セイバー」

「ええ、おやすみなさい。美穂ちゃん」

 

 私はベッドに上る。

 そして、潜り込もうとして、一旦止まった。

 

「そうだ、セイバー。最後に1つだけ」

「なんですか?」

 

「あなたの、本当の名前をおしえて?」

 

「――私は、あまり有名な英霊ではないので、きっと、美穂ちゃんは知らないと思いますけど」

「いいの。私は、あなたのことが知りたいの」

 

 それは、私のわがままだ。

 マスターとして、彼女の力になれない私が、彼女のことを知ったからって、何ができるわけでもない。

 むしろ、私から情報が漏れる危険性が高くなるばかりで、いいことなんて一つもない。

 だけど、セイバーは、

 

「――分かりました。私の、真名は――」

 

 

――それは、とてもいい名前だと思った。

 




これでもかと詰め込んだ説明回。
……設定、間違ってませんよね?


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閑話 「かける言葉を探しておこう」

 真っ暗にした部屋の中で今日のことを振り返る。

 

 始まった聖杯戦争。

 覚悟していたことではあるが、アーチャーの枷は思った以上に重かった。

 

 ランサーとの戦闘。

 あの時点では、まだ互角以上に立ち回れていた。

 しかし、それはランサーが宝具を使わなかったからに他ならない。

 

 素のスペックが、同格である以上、あと1手がなければ、決めきることはできず、そして、その1手は、敵にはあって、こちらにはない。

 つまり、どこかのタイミングであのランサーが宝具を使えば、一瞬であの膠着関係は瓦解しただろうことは想像に難くない。

 

 しかし、自分たちの置かれた状況を再認識できたという点で、今回の戦闘は得る物があったのだと納得のしようもある。

 アーチャーの戦力も把握できた。

 

 さて、それよりも小日向美穂だ。

 

 彼女は、完全なイレギュラーだった。

 魔術師でないマスター。

 だというのに、サーヴァント中最優と称されるセイバーと契約し、あのランサーを退けてみせた。

 

 しかも――

 

――人払いの結界の中に入ってきた。

 

 私が、人払いの魔術を失敗したというわけではない。

 事実、他の人間の侵入はなかったのである。

 つまり、問題なく人払いは発動していたはずだ。

 

 抵抗した?無意識で?

 

 そんなはずない。そも、魔術の素養がない一般人にとって、魔術とは感知することもできない不可避の呪いであるのだ。広域にかける暗示の魔術とはいえ、失敗することなど2流の魔術師でもありえない。

 

 じゃあ――

 

――魔術師でないというのは嘘?

 

 それもない。彼女の魔術回路に魔術の痕跡は一切見られなかった。召喚に際し、偶然開かれたといった様子だ。

考えられるとすれば、セイバーの影響だろうか。

 

――そもそも、マスターになったとして、どうやってセイバーを召喚した?

 

 儀式という形を無視して、詠唱も、魔方陣も、触媒もなしで、どうやって――?

 しかも、サーヴァントに襲われた、そのタイミングで?

 

 果たして、そんな都合のいい偶然があり得るだろうか。

 

 だが、理屈が見つからない。

 分からないのに、結果として召喚できてしまっているのだから、始末が悪い。

 

 小日向美穂――正直、不気味ともいえる存在だった。

 

 しかし、協力関係を結べたのは望外の成果だ。

 アーチャーの言ったハンデ、あれは嘘ではないが、全部が本当でもない。しかし。アーチャーでは、こと聖杯戦争を勝ち抜くのは困難だ。

 

 最期の2人になるまで、それこそが最大の難関だった。

 

 セイバーと、小日向美穂。あれらをうまく使えば、勝ち残ることも不可能ではない。

 早々に弱点をバラしたことは痛かったが、なるほど、悪い判断ではなかった。

 

 さて、問題は彼女らをどう使うか――

 

「あー!!なんで、こんなに頭を使わなくちゃいけないんだ!!!」

 

 らしくないし、向いてない。

 本来、こうやって策謀を巡らすタイプではないのだ。

 

 しかし、似合わなかろうが、向いてなかろうが、自分にできることは全部やるしかない。

 こんなチャンスは二度とない。

 私は魔術師なのだから、聖杯を手に入れるためなら、どこまでも冷徹に、非情であり続けなければ――

 

  ◆

 

「ムリだよ」

 

 ぼつりと、けしてマスターには聞こえないくらいの声量で漏らす。

 ワタシは、霊体化して、部屋の外からマスターの独り言を聞いていた。

 

「マスターは、自分で思っている以上に魔術師に徹しきれない」

 

 今日だって、魔術師としての選択を徹底できていないのだ。

 マスターの中でどう整理がついたか知らないが、少なくとも、今日の成果は偶然の産物。少なくとも、マスターの意思で、選択で、勝ちえたものではない。

 

 今日のあれは、独断にしてもやりすぎたと自覚がある。

 

 だから、責められれば謝ろうとも思っていたし、最悪、今後の行動を縛るような令呪を使われることも覚悟していた。制御のできないサーヴァントなど、魔術師にとって悪夢だろう。

 

 しかし、予想に反して、彼女はアーチャーを許した。

 彼女は、ともすれば、サーヴァントが離反しかねない行動だったと理解しているのだろうか。

 

 きっと、頭では理解しているのだろう。

 しかし、――もっと深いところで、彼女はアーチャーを信用している。

 

 そういう性格なのだ。

 

「マスターは、優しすぎるんだ」

 

 だからきっと、いつかマスターは耐えきれなくなって破裂する。

 手を組んだ相手が信頼に値しない人物であったなら、他者を傷つけてでも目的を達成しようとする魔術師然とした人物であったなら、それならば使い捨てることもできただろうが。しかし、彼女たちでは無理だ。

 

 マスターでは、あの子たちをきっと見捨てていられなくなる。

 そして、こればかりは、自分で気づかないとどうしようもないことだ。

 

「まぁ、単純なマスターのことだし、そのうち無理だって気づくでしょ」

 

 そのときまで、サポートくらいはする。

 彼女の置かれた状況は知っている。

 

 召喚されて、わずか一日であるが、同じ家に居て、一度も彼女と、彼女の両親が会っている姿を見ていない。それは、彼女の両親が出かけているというわけでもないのにも関わらずだ。ワタシは、ほとんどの時間、霊体化して彼女の傍にいる。

 

 つまり、彼女は、見限られているのだ。

 ただ一人の跡継ぎでありながら、既に期待されていない。

 

 北川の家は、彼女――北川真尋を6代目の当主(現在、実務は彼女の父が担っているが)に数える魔術の名門だ。

魔術回路の数は、72という破格の性能を誇り、生まれた頃はさぞ将来に期待されたことだろう。

 

 しかし、彼女に魔術師としての才能は期待されていたほどのモノはなかった。

 

 属性は、地。特性は、強化。

 どういうわけか、北川の家に伝わる魔術系統には相性が頗る悪かったのだ。

 

 結果、齢17にして、既に親から今代は見込みなしとの烙印を押されたのである。

 彼女では、北川の魔術を今以上にはできないだろうと。

 

 しかし、彼らに彼女以外の子はできなかったし、養子を取るという選択も名家というプライド故に踏み切れなかった。結果、彼女は形だけではあるが、北川の当主の座を与えられたし、魔術の鍛練も認められている。

 

 既に、胎盤としての価値しか望まれていないのだとしても。

 

 だから、彼女は聖杯戦争に懸ける。

 自身はまだ、魔術師として、価値があるのだと証明するために。

 

 それでも――、

 そんな状況だとしても、きっと彼女は許さないだろう。

 

 魔術師としての生き方を。

 残酷な選択肢を。

 

 それを他ならぬ彼女自身が否定したとき、かける言葉を探しておこう。

 




北川さんに、遠坂ポジションは荷が重いようです。


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3日目 第6話 「守るって約束しましたから」

 ガキィン、と鉄のぶつかる音がした。

 見やれば、セイバーと何者かが戦っている。

 相手は、誰だろう。見たことがない。

 大きいし、強そうだ。だけど、一見した限り、互角以上に渡り合っている。

 

 相手の振り回す力任せの一撃を、剣で捌いて、受け流す。

 そして、そのまま反撃を繰り出した。

 

 相手は弱くない。

 少なくとも、昨日のランサーより速度は劣るが、その力強さは比べ物にならない。

 

 それでも、セイバーの顔に焦りはない。

 昨日よりもずっと落ち着いて対処しているように見えた。

 

 セイバーって、もしかして、ほんとはもっと強いのかな?

 

――そもそも、これはなんだろう?夢?

 

 どうにも、あの公園のように見えるけど、少し、景観が違うようにも思う。

 なんというか、遠くに見える建物が悉く古い、ような……?

 そして、夢というには、あまりにもリアリティがある。まるで、本当に経験しているようだ。

 

 これは、もしかして、セイバーの記憶?

 

 だとしたら、セイバーは日本出身の英霊?というか、この街の出身?

 でも、こんな近い時代に剣とか、こん棒とかが当たり前に使われているはずがない。

 

――あ、聖杯戦争?

 

 もしかして、セイバーは以前にも聖杯戦争に参加したことがあったのだろうか。

 だったら、どうだ、ということもないけれど。

 

 じゃあ、セイバーは、何を願って参加したのだろう。

 かつてと今。その願いは、果たして同じなのだろうか。

 

 私は、彼女のことを何も知らない。

 知っているのは、名前だけだ。

 

 だけど、この時、彼女の隣にいたはずのマスターは、きっと彼女の願いも知っているはずだ。

 それに、もしかしたら、この時のマスターは、この街でまだ生きているかもしれない。

 公園の様子からして、100年も昔ということはないだろう。

 

 マスターはどこだ?

 

 視界が回る。

 右、左、後ろ。

 どこを向いても、それらしい人影は見つからない。

 

 そして気づいた。

 

 私は、誰の視界からこの景色を見ているのだろう。

 

  ◆

 

 ジリリリ、と相変わらずのけたたましい音に目をさました。

 

 たとえ、昨日がどんなに密度の濃い疲れる一日だったとしても、同じように朝は来る。

 そもそも、今日だって学校なのだ。急いで準備をしないといけない。

 

 その時、違和感に気づく。 

 

 いつもと同じ朝だ。何も変わらない。

 変わらない?

 

 いや、違う。そんなはずない。変わっていなければおかしいのだ。

 セイバーの姿があるはずだ。

 

 むくりと起き上がり、寝起きで働かない頭で、周りをぐるりと見まわした。

 たいして広くもない部屋であるし、そもそも彼女が隠れる必要もない。

 

 果たして、この状況で私を置いて出歩くだろうか。

 

「セイバー?」

 

 呼びかけるが、返事がない。

 霊体化しているというわけでもなさそうだ。

 

 しかし、いないのだから考えても仕方がない。部屋をひっくり返して探しても、きっと見つけることはできないだろう。

 まさか令呪で呼び戻すわけにもいかないし。

 

 右手の甲を見る。

 そこには、赤い令呪がある。

 つまり、昨日の出来事は夢ではない。

 

 夢でなければ、セイバーが傍にいないのは理由があってのことだ。

 私は、彼女の行動を必要以上に縛るつもりはなかった。

 きっとすぐに戻るだろう。

 

 私は考えるのを止めて、パジャマを脱いで、制服に着替えた。

 リビングに降りていく。

 

「食器……っちでい……すか?」

「あら……がとう、……ちゃん」

 

 朝の喧騒、というほどではないが、いつもより賑やかそうな話し声が聞こえた。

 お父さんとお母さん、なにかいいことでもあったのかな。

 でも、なんとなく、聞こえた声はどちらも女性っぽい声だった気がする。

 そんなわけないか。私は、扉を開けて、リビングに入った。

 

「おぁよぉ」

 

 口に手をあて、欠伸を抑えながら挨拶をした。

 これでも挨拶のつもりである。

 

「ん、美穂、おはよう」

「あら、おはよう美穂」

「おはようございます、美穂ちゃん」

「うん、おは―――――」

 

 挨拶を返そうとしたところで、違和感に気づいた。

 聞こえた声の回数を思い出す。

 

 1、2、3回?

 

 あれれ、おかしいな。うちは3人暮らしだから、お父さんとお母さん、私以外には2人しかいないはずなのに。

 

――というか、

 

「セ、セイバー!?」

 

 部屋にいないと思ったら、まさかリビングにいるとは予想外だった。

 しかも、服装は、昨日着ていた異国風の鎧ではなく、普通の洋服だ。

 というか、くまさんとハートがプリントされた、その洋服。途轍もなく見覚えがある。たぶん、私のだ。

 

「それにしても、メールでもなんでも言っておきなさいよね。友達を泊めたいなんて」

「あ、うん。ごめんなさい」

 

 何があったのか知らないが、彼女は普通に受け入れられていた。

 

  ◆

 

 カチャカチャと食器を片づける音が聞こえる。

 慣れた手つきで、セイバーが食器を運んでいた。

 

「あら、いいのよセイバーちゃん」

「いえ、これくらいは手伝わせてください」

「……」

 

 既に朝の風景に溶け込んだセイバーをしり目に、私は、もむもむと、パンを食べている。いきなりのことで驚いたが、お母さんもお父さんも気にしてないようだし、どうやら、自ら挨拶に行ったらしかった。その心意は測りかねるところだけど。

 

 しかし、こうして見ると、普通の洋服を着ていれば、本当に同じ年くらいの女の子にしか見えない。顔も日本人っぽいし、家の中にいても全然違和感がない。

 

『――未明、――数人が倒れているのが発見されました。衰弱しているものの命に別状はないようです。警察は事件の可能性があるとして――』

 

 ニュースが流れる。

 なんとなく目が向いた。

 確か、昨日も一昨日も似たようなニュースをやっていたと思うが、まだ解決していなかったのか。

 

「また、この近くか。美穂、昨日は帰りが遅かったようだが、気をつけなさい」

「え、うん。ごめんなさい」

「友達と遊ぶのは構わないが、なにぶん物騒だろう。きちんと話してくれれば、父さんたちも友達を泊めることをダメと言ったりはしない」

 

 物騒って、私が巻き込まれたのは、それどころじゃないんだけどね。

 

 こんなニュースでさえ、遠い画面の向こうって思っていたのに、まさか、それよりもっと現実離れした出来事に巻き込まれるなんて、昨日まで想像もしていなかったな。

 きっと、こんなこと、お父さん達に話しても信じてもらえないだろう。

 

「ところで、美穂。その手のやつはなんだい?」

「え?」

 

 お父さんが指さしているのは、私の右手の甲だった。

 そこには、令呪がある。

 

「――!お、おとうさん!これはね!?」

 

 慌てて、左手で令呪を隠す。

 

 私の馬鹿!

 何故気づかなかったのか。

 こんなものを付けてたら、そりゃあ、気にされる。

 昨日まではなかったのだ。

 

 でも、本当のことなんてお父さんたちには言えないし、どうしよう。

 私、嘘つくのは苦手なんだけど、だけど、何か言わないと。なんとかして誤魔化さないと!

 

「こ、これはね。いま、学校で流行ってるの」

 

 へにゃっと笑った。

 嘘が下手というにもほどがあった。

 

 何なのか全く答えていないし。そもそも、学校で流行っているからなんなのだ。

 何か、そう、シールとか。そういう言い訳はできなかったものか。

 いや、はがせないからすぐバレると思うけど。

 

「そうか。ふぅん。最近の学生は変わってるなぁ」

 

 と思ったら、意外とすんなり信じてしまった。

 

 あれ?いいの?そんな簡単に信じていいの?娘を信用してくれてるんだろうけど、ちょっと心配だよ?振り込め詐欺とかに引っかからない?大丈夫?

 

「あら、美穂も色気づく年なのねぇ」

 

 キッチンからは、からかうような声が聞こえた。

 いや、色気づくって、タトゥーか何かだと思われてる?違うからね、お母さん。私は、ちゃんと温泉にも入れる綺麗な体だからね?

 

「ふふふ」

 

 そして、我関せずとばかりに、困っている私を眺めては、ほほえましそうに笑っている裏切り者が一名。

 少なくとも、令呪(これ)は、あなたも関係者でしょうが。

 しかし、そんなことを言うわけにもいかず、あはは、と私は曖昧に笑って流すしかなかった。

 

  ◆

 

 今日は、お父さんの送迎を断った。

 理由は、登校の間にセイバーと話したいことがあったから。

 どうやら、セイバーさんは留学生としてうちの学校に通っている設定らしく、怪しまれることもなく、二人で家を出たのだった。

 

 ちなみに、右手は包帯を巻いてきている。

 そのままだと、クラスメイトに何を言われるか分かったものじゃない。

 とりあえず、怪我をしたことにしておけば、触れられることもないだろう。

 

 さて、それよりも今は、

 

「セイバー」

 

 少し、声を抑えて話しかける。

 

 いま、セイバーは霊体化という手法で透明になっている。

 この状態だと、セイバーの姿は誰にも見えず(私にも見えない)、声は私にだけ届けることができるらしい。しかも、限界に必要な魔力も少なくて済むのだとか。

 

 なにそれ、すごい便利。

 

 ただ、この状態だと敵がいても干渉することはできないし、一方でサーヴァントの武器には霊体にも干渉できるものがあるらしく、必ずしも安全というわけではないらしい。

 

 閑話休題。

 

「セイバー。どうして、お母さんたちに会ったの?」

「えっと、ごめんなさい。先に言っておくべきでしたね」

「違うよ、セイバー。私は――」

 

 私は、お母さんたちを巻き込みたくなかった。

 だから、出来る限り普段通りに過ごそうと思っていた。

 心配も何もさせないで、終わったらいつもと変わらない生活ができれば、それでいいと思っていたのに。

 

 でも、それは、

 

「――無理ですよ」

 

 ピシャリと、断言された。

 

「美穂ちゃん。巻き込まないなんて、ムリですよ。聖杯戦争はそんな甘いものじゃありません。美穂ちゃん、あなたの命が懸っているんです。みんな美穂ちゃんの命をねらってきます」

「それは、だけど……」

「サーヴァントとサーヴァントの闘い。それが、聖杯戦争における常道。そう思っていませんか?」

「ち、違うの?」

 

 だって、昨日だってセイバーはランサーと戦っていた。

 アーチャーもだ。

 どうしたって、私が彼女たちと戦えと言われたら、絶対に無理だと断言できる。

 いや、つまり、そういうことなのか?

 

「真名とか、宝具とか、勘違いさせてしまったのならすみません。確かに、聖杯戦争にはそういう側面もあります。だけど、サーヴァントがサーヴァントを倒すことはとてもむずかしい。だったら――」

「マスターを狙った方が手っ取り早いってこと?」

 

 それは勝ちたいのであれば至極当然の方法だ。

 誰も、わざわざ困難な道は選ばない。

 私自身、思ったことだ。

 人間じゃ、サーヴァントには、絶対勝てない。

 

「その通りです。マスターが、その、死んでしまえばサーヴァントも消滅しますから」

「じゃあ、逆にサーヴァントを失ったマスターはどうなるの?お役御免で、聖杯戦争からリタイアとか?」

「いえ、令呪がある限りマスターの権利は残ります。マスターを失ったサーヴァントもすぐに消えるわけではありませんから、そういうはぐれサーヴァントがいれば、再契約も可能です。だからこそ、マスターは狙われるのです。」

 

 下手に生かしておけば、新たな障害になる可能性があるってことか。

 

「もちろん、そんなことを許すつもりはありません。私は、美穂ちゃんを守るって約束しましたから」

「――」

 

 顔が赤くなる。

 セイバーの表情は見えないが、きっと満面の笑顔だったのだろう。

 こういうとき、霊体はズルいと思う。

 

 いや、セイバーの顔を見たら、余計に赤くなると思うけど。

 

「だからこそ、万全と言えずとも、十全の準備くらいはしたいと思っています。そのために、私が動きやすい状況というのは必要でした。」

 

 確かに、私が1人でいるよりもセイバーが一緒にいたほうが、お母さんたちの追及も甘くなるかもしれない。もしかしたら、夜にも外に行かないといけないときがあるかもしれないし。

 

「だけど、最近は物騒だからって、外に行くのを止められるかもよ」

「そのときは、こっそりと抜け出しましょう。えへへ、実は、そういうの得意なんですよ」

 

 きっと、セイバーはいたずらっ子みたいな笑みを浮かべていたことだろう。

 それは、とても魅力的な表情だったと思うが、霊体化のために見ることはできなかったのが悔やまれる。

 

「分かったよ、セイバー。だけど、極力お母さんたちを巻き込まないように配慮してね」

「勿論です。あの人たちも絶対に守ります。約束です」

「大丈夫?約束ばっかり増えていくけど」

「大丈夫です。私、頑張ります」

 

 今度はきっと、両手でガッツポーズでもしているんじゃないかと思う。

 私と同じくらいの年齢の彼女がやるにしては、幾分子供っぽい仕草だと言わざるを得ないだろう。

 似合うけど。

 

  ◆

 

「おはよー」

 

 教室のドアを開け、友人たちに挨拶をする。

 世界は、私の事情なんて知らんぷりして、今日もいつもの日常を始めるのだ。

 

「来ましたね」

 

 教室に入るや否や、いつもの3人に囲まれた。

 

「な、なにかな?」

「実は、今ぁ、どうやったら多田さんと仲良くなれるのか、っていう話をしてたんですけどぉ」

「やっぱり、私たちは李衣菜ちゃんのことをよく知らないと思うの」

「そ、そうだね?」

 

 3人はぐいぐいと迫ってくる。

 圧が強い。圧が。

 

「そこで、いきなり多田様とお話をするのではなく、そのお友達から仲良くなるべきなのではないかと」

 

「「「名付けて、“将を射るなら馬を射よ”大作戦!!!」」」

 

「う、うん、作戦名は置いといて、方法としてはありじゃないかな?」

 

 それと、故事に倣うなら、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、が正しい。

 細かいことだけどね。国語のテストなら、減点は免れない。

 

「だよね!」

「ですよねぇ!」

「美穂ちゃんもそう思いますよね!」

 

 まるで、三段撃ちのような連携である。

 この連携は何なのかな?嫌な予感しかしないんだけど。

 なんだか、この後の展開が予想できるよ?

 

「というわけで、よろしく」

「はい?」

 

 かな子ちゃんに両肩を叩かれた。

 

「私たちは、作戦を考えたから」

「実行部隊は、美穂ちゃんということで」

「ちょ!なんで私が!?」

 

――あはは、こりゃ駄目だ。

 

 こいつら、最初から私を生贄にするつもりだったな?

 昨日のうちに、示し合わせていたに違いない。

 

 しかし、私には最後の手段がある。

 こういう時、絶対の不利を覆す魔法のような一手だ。

 

「せめて、ジャンケンで決めよう!」

 

  ◆

 

「で、何の用?」

 

 ジャンケンでも負けるんだもの。

 相子が2回続いて、最終的には私がグー。他3人はパーを出した。

 

 というわけで、午後の授業が終わると、私は友人たちの後押し、という名の強制を受け、とある教室の前に来ていた。

 ちなみに、直ぐ近くの廊下の影から、3人が私を見ていた。

 思いっきり頭が見えている。

 

 そんなところにいるなら、一緒に来てよ。

 まぁ、じゃんけんにも負けた以上、今更ぐだぐだ言うつもりもないけどさ。

 

 さて、私の目の前にいるモフモフの髪の女子生徒こそ、神谷奈緒さんである。

 私たちの情報網で唯一知っている、多田さんの友人さんだ。たぶん。おそらく。メイビー。

 

 しかし、多田さんほどでないにしても、髪谷さん――おっと、神谷さんもなかなか目つきが悪くて――いや、鋭くて怖い――じゃなくて、迫力がある。なんかピリピリしてるし。

 

 恐い。セイバー、私に勇気を分けて!

 

『はい。美穂ちゃん、がんばってください!』

 

 私の心の声が届いたのか、セイバーからのエールが届いた。

 美少女の応援だ。よし、頑張ろう。

 

「え、えっと。神谷さんって、多田さんのお友達なんですよね?」

「あぁ?李衣奈?それがあんたに何の関係があるんだよ?」

「ひぃ!?」

 

 多田さんの名前を出した途端、神谷さんの声のトーンがさらに下がる。

 恐っ!?なんで怒ってるの?私、何かした!?

 もしかして、神谷さんと多田さんって、仲悪い?

 だとしたら、神谷さんに接触するって、実は失敗だったんじゃ……!?

 

 しかし、それはすぐに杞憂だと思い知る。

 

「まさか――、おまえ、李衣奈を苛めようとかしてるんじゃないだろうな!?」

「――うえ!?」

 

 一歩、二歩と神谷さんが近づいた。

 眉がぎゅっと近づいて、それは、まさしく怒髪冠を衝くといった様子だ。

 

「あ、あたしは!そういうのが一番許せないんだ!確かにあいつは、学校に来ないし、愛想も悪いかもしれないけど!だからって、裏でいやがらせしようとか、そんなのおかしいだろ!」

 

 まさしく、詰め寄るって感じで神谷さんは、私の両肩を掴み揺さぶる。

 

「ち、ちがっ、そ、そそそ、そんななな、か、んがえてないいいい――」

 

 ぐあんぐあんと揺さぶられ、言葉がうまく伝えられない。

 

 このままではまずい。

 苛めっこと勘違いされたまま、神谷さんに嫌われる未来しか見えない。

 なんとか、なんとかしなければ!!

 

「友達!!」

 

 なので、とりあえず、大声を出してみた。

 思っていた以上の声量が出た。

 すると、神谷さんもびっくりしたのか、動きが止まる。

 私もびっくりだ。

 

 しかし、これはチャンスだ。畳み掛けろ。

 

「多田さんの友達になりたいの!力を貸して!」

「は?」

 

 神谷さんは、呆けた声を出して、目を瞬かせた。

 




???「大作戦……」
ごめんよ。君の出番はないんだ。


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第7話 「家に帰るまでが、聖杯戦争です」

「あはははは!なんだよ!李衣奈の友達になりたかったのか!そういうことは早く言えよ!」

 

 誤解が解けると、神谷さんは、めちゃくちゃフレンドリィだった。

 笑顔で背中をバシバシと叩かれる。

 

 痛い。

 

「神谷さんが、聞かなかったんだよ」

「そうだっけ?悪い悪い」

 

 一瞬、何かを思い出すような遠い目をした。

 

「前に、そういうことがあってな。ちょっとピリピリしてたんだ」

「そうなの?」

 

 それは知らなかったな。

 もしかして、多田さんが学校に来なくなったのって……。

 

「ま、そんときは、ふざけんなって怒鳴ってたら、先生が来て解決したんだけど。あいつ、勘違いされやすい性質(たち)だからなぁ。もしかして、今もクラスで浮いてんの?」

「うん、ずっと。」

 

 というか、ほとんどいないです。来てないです。あれで浮かないはずがない。

 もっとも、いじめられているという話も聞かない。あくまで遠巻きにされているだけだ。どう接していいか分からないのである。

 

「あたしもさ、クラスが違ってから話さなくなっちゃったんだけど、ずっと心配してたんだよ。高校に入ってから、なんだかいつもつまんなそうでさ。去年もあたしくらいとしか喋んないし。中学の頃はそんなことなかったんだけどな」

「神谷さん、中学の頃から一緒なの?」

「ああ。その頃は普通に笑うし、結構抜けてて面白いやつだったんだぞ」

 

 神谷さん、ニコニコだ。

 なんだ、全然怖い人じゃないや。

 むしろ、すごい友達思いでいい子だ。

 

「じゃあ、神谷さんも多田さんがどうして学校に来なくなったとか、分からないの?」

「全然わかんない。しばらくちゃんと話してないしな。でも、安心したよ。小日向だっけ?あんたみたいなのがいるんだ。この学校も捨てたもんじゃないな!」

 

 ごめんなさい。話しかけるのもびびってました。ごめんなさい。

 

「あいつも、クールぶってすまして見せてるけど、ほんとは寂しいはずなんだ。よかったらさ、お前から話しかけてやってくれよ。あたしも、あいつに会ったら、きちんと話をしてみるから」

「うん。」

「それじゃ、次の授業、移動教室なんだ。早めに動かないと。悪いな、小日向。今度、李衣奈に会ったら、あんたのことも話しておくよ」

「えと、ありがとうございます?」

「はは、なんだそりゃ。礼を言うのはこっちだよ。友達のはずなのに、目をそらしちまってた。ありがとな」

 

 彼女みたいな友達がいるなら、多田さんも、きっと悪い人じゃない。そう思った。

 

  ◆

 

『いい子でしたね』

「うん、すごくいい子だった。」

 

 結局、放課後になっても多田さんが学校に来ることはなかった。

 仕方がないので、私たちは帰路につく。

 

 1日セイバーが近くにいるものだから、独り言みたいになっていないか心配だったけど、特に友達に何か言われることもなく、無事に学校を終えられた。

 

 中には、私の右手を見て、「小日向、ついにおまえも不治の病に――!!」なんて宣ったクラスメイトもいたが、とりあえず、これは怪我だと笑顔でくぎを刺しておいた。勿論、比喩である。

 

「それにしても、案外平和に一日を終えられそうだね」

『油断してはいけませんよ、美穂ちゃん。魔術師は神秘の秘匿を優先します。なので、学校のような人目の多いところは避けようとするものなのです。むしろ、聖杯戦争の本番はこれからと言っていいでしょう。家に帰るまでが、聖杯戦争です』

「そ、そうなんだ。みんなと帰りをずらして正解だったね」

 

 セイバーの言いようでは、まるで遠足のようだと思った。そもそも、聖杯戦争は家に帰ったからって終わってくれるものではない。

 

 校門の前で、私は一人だった。正確には、セイバーが傍にいるが、いつもと違って、友達はいない。

 

 絶対に、みんなを巻き込みたくはない。

 これは、私の基本方針にして、譲れない一線だ。

 それは、あらかじめセイバーと話し合っていたし、了承も得ている。

 

 なので、心惜しいがみんなとのおしゃべりもほどほどに帰路についていたのだが、そんな私を呼び止める声があった。

 

「ちょっと、小日向さん!」

 

 北川さんである。

 走ってきたのか、若干息が荒かった。

 

「な、なにかな?北川さん」

「私、明日の放課後、しっかりと話しましょうって言ったよね?」

「――あ」

 

 そういえば、昨日別れ際にそんなことを話してたっけ。

 すっかり忘れてた。

 

「はぁ。その顔、忘れてたみたいだね」

「あ、あはは……」

「はぁ。セイバーもそこにいるんでしょう?ついてきて。屋上でもどこでも、人が来なそうなとこで話そうよ」

「あ、ちょっと待って。屋上は今閉鎖中で入れないよ」

 

 確か、先月無断で入った生徒がいて、鍵が取り替えられたはず。そんなことをいつぞやのホームルームでちひろ先生が話していたのを覚えている。もし、勝手に入ったのがバレると、停学もありうる状況だった。

 

「例えば、うちとかどうかな?あ、でもちょっと遠いかも。そうだ、北川さんのお家は?」

「うち?うちは止めておいたほうがいいかな。ちょっとした要塞みたいなもんだし。万が一があると、悪いし」

「え、なにそれ?どゆこと?」

 

 落とし穴とか、地雷とか、そんな感じだろうか。

 要塞と聞くと、戦車とかも出てきそうでちょっと怖い。

 

「まぁ、イメージは間違ってないかな」

 

 間違ってないんだ!?

 

「まぁ、多かれ少なかれ、魔術師の家なんてそんなもんだよ。入ることは許さないけど、もし入ったら、今度は絶対に出ることは許さない。だから、別の場所のほうがいいな」

「んー、じゃあ、教会なんてどうかな。談話室もあるし、シスターさんにお願いしたら、使わせてくれるかも」

 

 そういえば、結局昨日は行かなかったなぁ。

 

「へえ、教会か。もしかして、昨日言ってた、よく行く教会?」

「うん。シスターさんもいい人だから、たぶん大丈夫だよ」

 

 しかし、北川さんの表情はすぐれない。

 うーん、としばらく悩んで、

 

「教会か……。ま、いいかな。じゃあ、そこで話そう」

 

 彼女の中で、何か折り合いがついたらしかった。

 

  ◆

 

 教会に着いて、クラリスさんに談話室を使わせてほしいとお願いすると、快く貸してくれた。

 北川さんは、落ち着きのない様子で、談話室の中をあれこれと見回す。

 

「へえ、教会なんて初めてきたけど、こんな感じなんだ」

「あれ?来たことないの?」

「そりゃあ、魔術師と教会って、普通相容れないものだからね。今だって、世界のどこかでドンパチやってると思うよ?」

 

――もしかして、一昨日聞いた話って、ほんとに実話なのかもしれない。

 

「ってか、それじゃ、ココ来ちゃ駄目だったんじゃ!?」

「別に。こんな片田舎の教会にまで、ドンパチやれる人材がいるわけないじゃない。来たことがないのは、単に興味がないから来なかっただけ。心配することじゃないよ」

「だったら、いいけど」

 

 間違っても、ここで戦うとかやめてほしい。絶対にやめてほしい。

 もし、それでクラリスさんがけがをすることになったら、私は北川さんの味方をできなくなってしまうかもしれない。勿論、そんなことはないと信じているけれど。

 

「それで、話し合うって、何を話しあうの?」

「何って、そりゃあ、今後の話だよ。情報交換ができれば一番だけど、それは無理でしょう?」

 

 返す言葉もございません。

 

 もともと持っている情報量からして違うのだ。すると、情報交換ではなく、一方的に教えてもらうだけになってしまう。それを対等な同盟関係と呼ぶのは、どうにもすわりが悪い。

 

「さて、そうは言っても、何も知らないんじゃ話にならないからね。聖杯戦争について、分からないことがあれば教えるよ。そうだ、例えば、なんでセイバーがセイバーって呼ばれるのか、とか。分かる?」

「それは、セイバーから聞いたよ。えっと、7つのクラスがあるんだよね」

「ふうん。しっかりと話も出来ている、と。善哉善哉。それじゃあ、その辺は省こうか。今回、召喚されているのは、どうやら基本的なラインナップらしいし。」

 

 基本的なラインナップ?

 

「普通じゃないクラスもあるの?」

「1つか2つか、違うクラスが召喚されることもあるらしいよ。ああ、ちなみに、なんで召喚されたクラスが分かるのかっていうと、うちの情報網ね。これでも、うちは結構な名家だから」

 

 そういう割に、北川さんは自慢するような顔をしない。

 寧ろ、自嘲するような渇いた笑みが気になった。

 

「けど、どんなサーヴァントが召喚されたのか、とか。召喚したマスターが誰なのか、とかは全然分かっていない。おそらく、的場の家は参加していると思うけど」

「的場?」

「この街の有力な魔術師の家系だよ。跡継ぎも相当優秀な傑物という話だけど、まだ若いって話だ。もしかしたら、今回はご当主自ら参戦しているかもしれないね」

「それって、確かめられないの?」

「まさか。仮に、的場の当主が直々に参戦していたら、接触するのだって危ない。私なんかじゃ、魔術の腕が違い過ぎるし、飛んで火に入る夏の虫、なんて、笑い話にもなりやしない。ましてや、屋敷で待機しているのだとすれば、防護は万全だろうしね。無策で挑んでいい相手じゃないよ」

 

 北川さんは肩をすくめた。

 どうやら、相当な強敵の様子。

 自信なさげに映る。

 

「でも、サーヴァントなら、1人分かってるよね」

「ランサーか。アーチャーに聞いたけれど、小日向さんたちは、ランサーを撃退したんだよね?」

 

 昨日のことを思い出す。

 果たしてあれを撃退と呼んでいいのか、それは疑問が残るが。撤退させたのは事実である。

 

「一応。けど、アーチャーもランサーと戦っていたよね?」

 

 私が迷い込んだ公園で。

 

「全然本気じゃなかったけどね。宝具も見せなかったし、正体に迫るボロも出さなかったし。そっちはどう?なにか、それらしいヒントは掴めた?」

「えっと、どうかな?セイバー」

 

 セイバーに尋ねると、彼女は実体化する。

 顎に手を当てて、考えるようなポーズをとっている。

 

『特に、思い当たる人物はいませんね。獣の如き敏捷性、荒々しいながらも研ぎ澄まされた槍捌き。相当の使い手でしたが、それだけでは何とも。気になると言えば、あの特徴的な服装くらいなものですか』

 

 私も、ランサーの恰好を思い出そうとする。

 そういえば、野性的な恰好をしていた気がする。

 

「アマゾネス、みたいな?」

「アマゾネス、ねぇ。言われてみれば、そんな恰好だったかな。じゃあ、結局、そっちでも宝具は使おうとしなかったんだ」

『その様子は見せませんでしたね。常時発動型の宝具であれば、その限りではありませんが』

「結局、正体は分からず仕舞いか。マスターも誰なんだか分からないし。ま、仕方ないけどね。切り替えて行こう。んで、これからの話だけど――」

 

「あの、ところで、アーチャーは?さっきから話に参加してこないけど」

 

「ん?ああ、アーチャーなら、この部屋の外を見張らせてるよ。ないとは思うけど、誰かに聞き耳を立てられたら困るでしょ?」

 

 あっけらかんと何でもない風に言う。

 その様子に、少なからず私は驚愕していた。

 

 サーヴァントを止められるのは、サーヴァントだけ。

 同盟関係と言っても、いずれは敵になると強調していた彼女だというのに、アーチャーを傍に置かないなんて、あまりに無防備ではないかと思う。

 

 ただ、その無防備の信頼は、とても心地よかった。

 

  ◆

 

 結局、話し合いはまとまらず、今は他の陣営の動きを待つほかないという結論で一旦保留になった。

 

 情報がない現状では、下手に動けば私たちがマスターだとばれてしまう恐れがある。

 特に、魔術師の名家の跡継ぎである北川さんはともかくとして、一般人である私がマスターだとばれてしまうことは、聖杯戦争においては致命的であった。

 

 マスターは魔術師であるという先入観。それこそが私にとっての最大のアドバンテージであり、生命線だ。サーヴァントが見つからない限り、私が他のマスターから疑われる可能性は、ほとんど皆無だと言える。

 

 というわけで、いつも通りの過ごし方をしたほうがよいということになった。

 

「それじゃあ、セイバー。家に帰る前にスーパーに寄るけど、って、スーパーって分かる?」

『分かりますよ。私たちサーヴァントは、現界するに際して、この時代の情報を聖杯から与えられますから』

 

 それは、便利だ。

 けれど、同時になるほどと思う。

 街を歩いていて、あまりセイバーが物珍しそうにしていないのが気になっていた。

 

 私なんて、京都に旅行に行くだけで、目につくもの全部が珍しくてきょろきょろとしたものだけど。

 

「じゃあ、この街を見て回っても、あんまり楽しいものじゃないね」

『そうでもないですよ。知識として知っていることと、実際に見るのとでは、やはり感動が違います。ここは、別の世界なんだなと実感ができます。それに、――この商店街は別でしょうか。』

 

 そのときのセイバーの声は、ひどく懐かしいものを思い出しているように聞こえた。

 

「セイバー?」

『いえ、なんでもないですよ。さ、スーパーに行きましょう。私、“たいむせーる”というのが気になっているんです。どうも、現代の戦場だとか』

「それは、ちょっと、語弊があるかなぁ」

 

 主婦にとっては、確かに戦場かもしれないけどね。

 というか、結構庶民的だな、聖杯の知識。

 

  ◆

 

『こ、これが、現代の戦場(スーパーマーケット)!!』

 

 スーパーに入ると、時間が時間のため、店内はセール品を求める主婦たちでごった返していた。その様子を見たセイバーは驚きの声を上げる。

 すると、

 

「こ、これが、現代の戦場(スーパーマーケット)!!」

 

 既視感(デジャヴ)かな?

 さきほど聞いたばかりのセリフを、綺麗な女性が、あまりにも真剣な表情で呟いていた。

 これも、察するに、タイムセールへ群がる主婦たちに慄いているのだろう。

 私だって、はじめてその光景を見た時には、自分の目を疑ったものである。

 

 しかし、歴戦の英霊であろうセイバーでさえ、驚くような光景なのか、これは。

 ならば、スーパー初心者の女性がおびえた様子を見せるのも無理はない。

 

 しかし、呆然と立ち尽くしては、戦果など得られない。

 敗残兵として、定価の食材で妥協するのか。

 

 否だ。何としても、我々は、あの戦場を踏破しなければならない。

 

 求めるのは、デンマーク産豚バラ肉1kg548円!!

 

 しかし、少々出遅れた感は否めない。

 既に、タイムセールは始まっており、お肉売り場は騒然としている。

 

 そのためだろう。

 先ほどの女性はすでに弱腰だ。目線があろうことか、お肉売り場から別の場所へと移っている。

 諦観に屈した目をしている。

 

「おねえさん、諦めてはダメです」

 

 私は、強い口調で話しかけた。

 

 必要なのは、何においても戦力。

 この状況では、味方が必要なのだ。

 そのために、この女性はここで逃してはならない。

 

「あなた……」

「協力しましょう。一緒に、あの山を越えましょう」

 

 私が指さす先にあるのは、お肉に群がる主婦たちによってできた人工の山脈。

 あれを1人で突き崩すのは不可能だ。

 協力者(なかま)が要る。

 

「――若いわね。いいわ、そういうの。嫌いじゃない」

 

 にやりと女性が笑う。

 それに、私も不敵な笑みを返して見せた。

 

 このとき、私たちの意思は1つになった。

 もはや、運命共同体と言っても過言ではない。

 そう、戦場に臨む兵士とは、きっとこんな気分だったに違いない。

 

 浮足立つ気持ちを抑え、静かに目的意識を明確化させる。

 

『美穂ちゃん、ノリノリですね』

 

 シャラップ、セイバー。

 

 これは、いわば戦いの前の儀式なのだ。

 弱く、臆病者な自分を忘れさせ、一歩を踏み出す勇気を呼び起こすための。

 

 イメージするのは、常に最強の自分。

 

 さあ、“私”の準備は整った。

 

 パートナーにいま一度視線を送る。

 すると、確かな意思を持って、頷きが1つ返ってきた。

 

 如何に、主婦たちが百戦錬磨の古強者であろうと、バイタリティに溢れた10代の勢いならば、充分に戦える。

 まして、即席とはいえ、味方がいる。

 群れといえど、所詮は個の集まり。

 何を恐れることがあろうか。

 

 交わす言葉は最低限。

 されど、確かな意思を持って、戦場に吶喊する。

 

 さあ、伝説を今起こして見せよう!!

 

 私は、足に力を籠める。

 走り出し、山へと飛び掛かった。

 

 手を伸ばすも、弾かれる。

 そこは、ぎちぎちと詰まった人間の缶詰。

 わずかな隙間さえも見つからない。

 

 ならば、上だ!

 

 味方へ私はアイコンタクトを送る。

 すると、私の魂胆を理解した彼女は、山から一歩だけ離れた場所に腰を沈めた。

 両手を体の前で組んで、まるでバレーのレシーブのような体勢を作る。

 

 私は、振り返って彼女の方へ駆け出した。

 そして、跳ねる。

 

 右足が、彼女の組んだ手の上に乗った。

 

「行くわよ!」

「お願いします!」

 

 ぐぐぐと身体が持ち上がる。

 勢いに身を任せて、私は空中へと飛び上がった。

 

 山の頂が見える。

 あともう少し。

 山の上から、陳列ケースへと手を伸ばす。

 

 届く。

 

 そう思った。

 

 しかし、誰かが叫ぶ声を聞いた。

 

 

「大猪だ――!!」

 

 

 戦場を絶望が支配した。

 

 




人は彼らを《狼》と呼んだ。


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第8話 「女の子と、仲良くなりたいからです」

「助かったわ、ありがとうお嬢ちゃん」

 

 スーパーの入り口の外。

 綺麗なお姉さんに私はお礼を言われていた。

 

 気恥ずかしくなって、ぽりぽりと頬をかく。

 

 

 あのあとの店内はひどい有様だった。

 あの山すらも問答無用に吹き飛ばす災害。

 

――大猪。

 

 あれは、誰か特定の一人を指すのではなく、とある特徴に共通する主婦全員を指す蔑称だ。

 それは、ルール無用であること。

 

 タイムセールという戦場には、あれで一定のルールが存在する。

 その一切を無視して、他者を蹴飛ばし、すべてを強奪しようとするのが大猪だ。

 カートを使った突進など、けが人が出てもおかしくない。

 

 戦場は荒れに荒れた。

 

 後に、セイバーはこう語る。

 

『あれは、時代が違えば一角の人物になったことでしょう。戦場を共にできたならば、千の兵よりも頼りになる味方であったことは間違いありません』

 

 笑えない。

 

 ただ、大猪のおかげで生まれた隙をついて、私と彼女の分のお肉を確保できたのは事実だ。

 我ながら、見事な手際だったと言わざるをえない。

 

「気にしないでください。たまたま、運が良かっただけですから」

 

 そんなわけで、目当ての食材も手に入れたし、ほくほく気分で家に帰れると思ったのだが。

 

「謙遜しないでほしいわ。助かったのは本当よ?是非、お礼をさせてほしいもの。

 

 

――ねぇ、セイバーのマスターさん」

 

 

 彼女の言葉に、背筋が凍った。

 

『美穂ちゃん!』

 

 セイバーが、戦闘態勢で実体化する。

 

「あなたは――」

「包帯を巻いたくらいで、誤魔化せるなんて思わないでほしいわね。それに、魔術の痕跡が垂れ流しよ?少しくらい、気を付けるのがエチケットだと思うのだけど」

 

 心臓が早鐘を打つ。

 彼女が、サーヴァントか、それともマスターかは知れないが、私がセイバーのマスターと知られた以上、聖杯戦争の関係者であることは間違いない。

 まさかとは思うが、こんな商店街の中心で事を起こすつもりだろうか。だとしたら、マズイ。非常にマズイ。どれだけの人が巻き込まれるか、想像もつかない。

 

「安心なさい。ここで暴れるつもりはないから。お礼がしたいと言ったでしょう?だから、そこのセイバーも、剣から手を離しなさい」

 

 しかし、彼女は一向に戦おうとする様子を見せなかった。

 

 ちらりとセイバーを見る。

 一方で、彼女は完全に臨戦態勢だ。

 剣は鞘に収まってこそいるが、柄には手が伸びている。

 

「……セイバー、剣と、鎧を消して」

 

 迷った末、彼女の言葉を信じることにした。

 

 この恰好というだけで、注目を集める。

 幸い、今ならまだ人目もこちらを向いていない。

 目撃者がほんの数人程度なら、何とでも誤魔化せる。

 ここで騒ぎになって、囲まれる方がまずいのだ。

 

 私の意を汲んだのか、セイバーは、一瞬で私の服を着た姿になった。

 それはそれで、誰かに見られていたらと思うと、気が気でないが。

 

「理解してくれて助かるわ。ここじゃ、あなた達も落ち着いて話はできないでしょうし、ついてきなさい」

『待ちなさい。貴女がどこに私たちを連れて行こうとしているのか知りませんが、罠とも知れぬ場所についていくとお思いですか?場所はこちらが指定します。そこまで――』

「黙りなさい、セイバー」

 

 ぴしゃりと言いつける。

 それは決して大声というわけではない。

 しかし、有無を言わさぬ口調だった。

 

「これは譲歩なのよ。ついてきたくないと言うなら結構だけど、その時は、どうなるのか理解していて?」

 

――これが敵。

 

 つまり、彼女はこう言っているのだ。

 

“言うことを聞かなければ、ここの人間を巻き込む”

 

 それは、きっと脅しではない。

 

「セイバー。ここは従おう」

『ですが、美穂ちゃん……』

 

 こちらに選択肢はない。

 不用意に接触してしまった時点で、詰んでいるのだ。

 油断していたと言われれば、返す言葉もない。

 

 ただ、今更になって、ようやく実感した。

 自分が巻き込まれたもの、その重みを。

 

「好きに、私たちを連れて行ってください、お姉さん」

「ふふ、素直な子は好きよ」

 

 私たちは、彼女の歩く後ろを着いていく。

 スーパーの袋の重みが、これは現実だぞと訴えかけてきた。

 

  ◆

 

 彼女に連れられて訪れたのは、すでに使われなくなって久しい廃寺だった。

 

 意外なことに、境内は掃除がされているのか、荒れているという印象はない。

 ただ、建物は築何年か分からないが、今にも崩れそうなほど古かった。

 

『ここが、あなたの陣地ですか?キャスター』

「あら、私が自分のクラスを明かしたかしら」

『ここまでくれば、分からないはずもありません。貴女から漂う、同じサーヴァントとしての気配。そして、この場所に集められた酔いそうなほど濃密なマナ。ならばココは、あなた(キャスター)の工房に相違ありません』

 

――キャスター。つまり、魔術師の英霊。

 

 直接的な戦闘を苦手としている代わりに、搦め手を得意とする厄介なサーヴァント。

 何より、キャスターには、陣地作成というスキルがクラスの特性として与えられており、自分に有利な陣地、工房を作ることができるのだという。

 北川さんには、キャスターと対峙することがあれば、絶対にペースを握られるなと忠告されたが、既に手遅れだった。

 

「ふふ、どうしてそんなに警戒しているのかしら。私は、ただ、あなたのマスターの世話になったものだから、お礼をしたいと言っただけなのだけど」

『それを、信用しろと?この状況で、無茶を言いますね、キャスター。』

「本当に、他意はないのだけど。ちょっと、芝居が効きすぎたわね」

 

 よっと、なんて声を出して、彼女はお寺の縁側に腰掛ける。

 

「安心していいわよ。あなた達に危害を加えるつもりはないし、お礼をしたいというのも本当。ここまで連れてきたのだって、他にお願いしたいことがあったからだし」

 

 幾分、先ほどよりかは雰囲気が和らいだのも確かである。

 しかし、それが油断を誘っている罠かもしれないと思うと、余計に緊張が増した。

 それは、セイバーも同じようである。

 

「頑なね。いいわ、信用されないのは慣れているもの。勝手に話しを進めるから、そこで固まっていなさい。そのほうが好都合だわ」

 

 彼女、キャスターは、縁側に上るとそのまま本堂に向かい、お堂の戸をどんどんと叩いた。

 

「マスター!マスター!出てきなさーい」

 

 

――は?

 

 

 それは、あまりにも予想外の行動であった。

 曲がりなりにも敵である私たちに、無防備にも背中を見せている。

 

 見れば、セイバーも困惑している様子だった。

 工房の中ということもあって、罠を警戒して動けないでいるが、これがアーチャーだったら、すぐにでも飛び道具で攻撃をしているだろう。

 

「マスター!っもう。本当に臆病なんだから。ごめんなさいね。うちのマスター、この中にいつもいるんだけど、出たくないみたい」

 

 おやおや。なんだろう、急にこのキャスター所帯じみてきたぞ。

 引きこもりの息子に世話を焼くお母さんみたいだ。

 

 おや、遠目なので何が書いてあるか分からないが、戸の隙間から紙が渡されたようだ。

 それを取り上げて目を通すと、キャスターはヒステリックな叫びをあげた。

 

「な、に、が、『むーりぃー』よ!!」

 

 吼える姿は、苦労人の貫録を醸していた。

 

  ◆

 

「つまり、あなたにはマスターの友達になってほしいのよ」

 

 セイバーを説得し、話を聞こうと提案した。

 いま、キャスターは縁側に腰掛け、私たちも、階段を挟んだ縁側に腰掛けていた。

 すぐ隣に座ろうという提案は、流石にセイバーに反対された。

 

「えっと、そのマスターさんって、おいくつなんですか?」

「14歳だったかしら。あなたも同じくらいでしょ?」

「いえ、結構違います」

 

 私は、12月の誕生日を迎えれば17歳。実に学年にして3年も違う。中学や高校なら一緒の時期に通うことはない年齢差だ。

 

「それくらい、大人になったら誤差よ、誤差。それともなぁに、年が違うから友達にはなれないなんて言うの?冷たいわねぇ」

「そ、そんなことはないですけど。」

 

 実際、私にはクラリスさんという年の離れた友人もいる。

 ……はて、彼女は何歳なのだろう。初めて会ったときから、ほとんど容姿が変わっていない気もするが。

 

「じゃあ、いいじゃない。ちゃんとお礼もするわよ。今日ここで見逃してもらえる権利とかどう?」

『ふざけてるんですか?』

「ちょ、ちょっとセイバー!?」

 

 薄々気づいてたけど、もしかしてセイバー、余裕ない?

 剣の柄に手をやるのは、心臓に悪いからやめてほしいんだけど。

 

 ちなみに、セイバーの服装は、私の洋服のままだ。鎧とは別に剣だけが実体化している。

 

 そして、キャスターは一向に軽い雰囲気を崩そうとしない。どことなくくつろいでいるように見えた。けたけたと笑う。

 

「やあねぇ。ジョークよ。ジョーク。もし、あなたがマスターの友達になってくれるっていうなら、今日だけじゃなくて、そうねぇ。私以外の最後の1人になるまで戦わないであげる。それならどう?信じられないって言うなら、マスターに令呪を使ってもらうけど」

『――な!?』

「本気ですか?キャスターさん」

「勿論よ。私だって、冗談でこんな提案はしないわ。ああ、それと安心して、仮に断っても今日は絶対に襲わないから。お肉のお礼もあるしね」

 

 そう言って、キャスターはウィンクをした。

 古臭い仕草だけど、妙に様になっている。

 

「セイバー」

 

 セイバーの顔を見ると、悩んでいる様子だった。

 

 無理もない。

 搦め手を得意とするキャスターに聖杯戦争の期間中、襲われないっていう確約がもらえるのだ。そのメリットは計り知れない。しかも令呪まで使うというのであれば、その覚悟も知れるというものである。

 

 問題は、彼女が何を考えているのか全く読めないということだが。

 彼女にとってのメリットが非常に分かりにくい。正直、全くないんじゃないかと思えてくる。それとも、聖杯戦争にさしたる興味がないのだろうか。北川さんの話では、サーヴァントは必ず聖杯に懸ける望みがあって召喚に応じるとのことだったが。

 

『その提案に答える前に、一つだけ聞かせてください。』

「なにかしら?」

 

 セイバーは難しい顔をして、キャスターは笑顔で応える。

 

『あなたのマスターの、名前を教えてください』

「乃々よ。森久保乃々。これで満足かしら?」

 

 そこに、一切の躊躇もなかった。

 

『――――』

 

 セイバーも、まさか即答されるとは思っていなかったのだろう。

 まさに、絶句という表情を浮かべている。

 私だって驚いた。

 

『……魔女め』

 

 セイバーは、苦々しい顔をして吐き捨てた。

 

『美穂ちゃん、この提案、受けるかどうか、あなたに任せます。私では、個人的感情が強すぎる』

 

 人はそれを、丸投げと言う。

 正直、私の手に余ると思うんだけど。でも、まぁ、任されたなら、答えは決まってるか。後で文句を言っても知らないからね。

 

「分かりました。いいですよ、キャスターさん。その提案、受けます。」

「ほんと!?」

「ええ。ただし、私が乃々ちゃんと友達になるのは、我が身かわいさとかじゃありません。この戸の向こうにいる女の子と、仲良くなりたいからです。そこのところ、勘違いしないでください。」

 

 友達になりたいから、友達になる。

 そこに、余計な思惑は邪魔なだけだ。

 私は、ただ、キャスターがそこまで世話を焼く女の子(マスター)に興味があるだけなのだ。

 

「だから、令呪とか要りません。私たちもあなたが危ないサーヴァントでなければ、戦うつもりもありません。お肉のお礼ってことで、今日だけ見逃してくれればそれで構いません。」

 

 私は言ってやった。言い切ってしまった。

 

 それを受けて、キャスターは一瞬ぽかんという表情を浮かべたが、やがておかしくてたまらないという表情に変えた。

 

「あははははは!何よ、それ。全然、提案なんて受けてないじゃない!ねえ、セイバー、いいの?あなたのマスター、あんなことを言ってるけど」

『構いません。私は、美穂ちゃんに判断を預けました。否やはありえません』

 

 それを受けて、ますますおかしいとキャスターは笑った。

 

「変な子ねえ。そういえば、名前を聞いていなかったわ。あなた、名前は?」

「小日向美穂。よく覚えておいてくださいね。あなたのマスターの友達になるんですから」

 

  ◆

 

 結局、そのあとも森久保乃々ちゃんと会うことは叶わなかった。

 

 キャスターから紙とペンを渡されて、「これからよろしく」とか「趣味はなあに?」とか、そんなことを書いて隙間に刺したが、返事が返ってくることはなかった。

 

 キャスターからは、よければ明日も来てほしいとお願いされた。

 

『本当に、明日も行くんですか?』

「セイバーもしつこいね。行くったら行くよ。約束したもん」

 

 先ほどから、セイバーはずっとこの調子である。

 そんなに心配なら、最初から任せなければよかったのだ。

 私だって、セイバーがダメっていうなら、少しは考えたのに。今更になって止めましょうって言われてももう遅いというのだ。

 

「だいたい、セイバーは何がそんなに心配なの?」

『心配というなら、そもそもキャスターの工房に通わなければいけないということ自体が心配です。いわば、魔女の庭ですよ?何が仕掛けてあるか分かったものじゃありません。気づいたときには、もう手遅れということだってありえるんですよ?』

「だから、キャスターさんは、そんな人じゃないって。もしかして、セイバー、キャスターさんと知り合いか何かなの?」

 

 そういえば、個人的感情が云々と言っていた気もするが。

 

『いえ、彼女とは、特に面識はありませんが。ただ、魔術師のサーヴァントというだけで、警戒に値すると思ってですね、私は。その、ええと』

 

 要領を得ないなぁ。

 

「要するに、彼女を疑う明確な理由はないんでしょう?だったら、実際に会って感じた通りでいいんじゃないの?とってもマスター思いで、一生懸命な人だって」

『美穂ちゃん、あなたの他人への捉え方は、美点ではありますが、しかし、重大な欠点でもあります。もう少し、他人を疑うということも覚えないといつか痛い目をみますよ?』

「失敬な。私だって、誰彼かまわず信用してるわけじゃないよ?」

 

 ただ、実際に話すと、みんな信用できる人だったってだけだ。

 

「そんなことより、ほら、そろそろ家に着くよ?実体化して」

 

 気づけば、もう空も暗くなってしまった。

 昨日の今日で怒られてしまうだろうか。

 どうにか、セイバーに連れまわされたとかって言い訳できないかな。

 

『なんだか、悪い顔になってますよ?』

「あ、あはは、気のせい気のせい。さ、扉を開けたら、ただいまだよ?」

『分かってますって』

 

 家には明かりが点いている。

 つまり、既に誰かが帰ってきているということだ。

 私は、怒られることを覚悟しながら、ドアノブをひねる。

 すると、

 

「「おかえりー!!」」

 

 ぱーんとクラッカーが鳴らされた。

 面喰う私とセイバー。

 違和感に気づいて視線を上げると、玄関に「セイバーちゃん歓迎」の垂れ幕が。

 

「えっと、何してるの?」

「何って、セイバーちゃんの歓迎会よ?」

「しばらく泊まるんだろう?だったら、歓迎会しないとって、母さんと話していたんだ」

 

 い、いつの間に――?

 2人とも今日は仕事だったはずだが、飾り付けまで済んでいるあたり、早退でもしてきたのだろうか。

 多少帰りが遅くなったとはいえ、まだ夜の7時半である。

 

「え、えーと。これは、なんでしょう?」

 

 ようやく口を開いたセイバーだが、状況が飲み込めていないらしかった。

 ムリもない。

 これで驚かなければ、むしろお母さんたちは頑張り損である。

 つまり、このリアクションは正解だ。

 

「セイバーの歓迎会をしたいんだってさ」

「私の……?」

「そうだよ。驚いてくれたかな?」

「準備も料理も張り切ったんだから。ほらほら、早くあがって。」

「え、えっと……」

「そうだ、セイバー。一個忘れてるね」

「はい?な、何のことでしょうか」

 

 お母さんもそれに気づいて居住まいを正す。

 お父さんはその横でニコニコとその言葉を待っていた。

 

「扉を開けたら、なんだっけ?」

「――あ」

 

 どうやら、私たちが何を彼女に求めているのか、思い至ったらしかった。

 セイバーは、恥ずかしそうにもじもじとして、やがて、意を決したように口を開いた。

 

 

「――ただいまっ!!」

 

 

 それは、満面の笑みだった。

 

――おかえり、セイバー。

 

  ◆

 

「本当に、いいご両親ですね」

 

 しみじみとセイバーはつぶやいた。

 

 あのあと、リビングに連れられると、リビングまで飾り付けをされていてびっくりしてしまった。

 テーブルの上に並べられた料理も、誕生日やクリスマスみたいに豪華だった。

 お父さんもお母さんも、心の底からセイバーを歓迎しているのだと分かって、私まで嬉しくなる。

 

「うん、本当に。自慢のお父さんとお母さんだよ」

 

 私たちは、料理の片付けも終えて、私の部屋に戻ってきていた。

 ちなみに、今日の戦果は明日以降の食卓に並ぶ予定だ。

 

「――ねぇ、セイバー」

「なんですか、美穂ちゃん」

 

 時間は、まだ10時。

 寝るには少し早い時間だ。

 

 折角だから、何かセイバーとお話をしたいと思った。

 できれば、聖杯戦争なんか関係なく、普通の女の子同士として仲良くなりたかった。彼女のことをもっと知りたいと思った。

 今ならそれが出来ると思った。

 

「セイバーは、何か好きなものってある?」

「好きなもの、ですか?」

「そう。好きな食べ物でもいいし、好きな遊びとか、好きな場所とか」

「そうですねぇ」

 

 セイバーは、うーんうーんと悩みだした。

 おやおやおや?そんなに悩んじゃう?

 

「な、なんでもいいんだよ?ぱっと思いついたもので」

「そうですか?それじゃあ、美穂ちゃんが好きです」

「ふぇ?」

 

 セイバーは、にこにことした顔で言い放った。

 ぼんっと、私の顔は真っ赤に染まる。

 

 あわわわわわ。

 

「え?す、すき?って、私が?え、えと、どうしよう。わ、私も、セイバーのこと……」

 

 セイバーは、私が好きと言った。私のことを愛してるって。

 告白?告白された?はじめてだ。

 うわ、どうしよう。すごく嬉しい。

 

 でも、だけど、私は女の子で、セイバーも女の子で、あわわわわわ。

 とりあえず、お母さんに相談しないと。いや、その前にお父さんに報告?

 

「マスターとしてじゃなく、一人の人間として、とても好ましく思います」

「……え?」

 

 あ、そういうこと?

 Loveじゃなくて、Likeの好き?

 私、独り相撲?

 

「そ、そっかー。うん。私も、セイバーが好きだよ」

 

 顔が熱い。

 羞恥で今にも逃げ出したい気分だ。

 外の風に当たれば、少しはマシになるような気もする。

 

「美穂ちゃんは、何か好きなものはあるんですか?」

「私?そうだなぁ」

 

 好きなもの。

 好きなモノ。

 あげたらきっと、キリがない。

 

 お父さんもお母さんも大好きだし。友達も好き。

 食べ物なら、馬刺しとか、辛子レンコンが好きだし、明太子も好きだ。

 でも、私が一番最初に思いついたのは、全然別のことだった。

 

「アイドル、かな」

「アイ、ドル?」

「いつだったか、セイバーは自分を、アイドルだって言ったよね」

「はい。言いました」

 

 確か、ランサーに襲われた時だったと思う。

 セイバーは、私の声援を受けて、アイドルだから頑張れる、そんなことを言っていた。

 

「セイバーの言うアイドルと、私の言うアイドルはたぶん違うと思う」

 

 私は、ごそごそと棚を漁って、一枚のDVDが入ったパッケージを取り出した。

 

「これは?」

「これがアイドル」

 

 私が取り出したのは、アイドルのライブが収録されたDVD。私のお気に入りだ。

 

 テレビを点けて、プレーヤーを起動する。

 パッケージを開けて、DVDをプレーヤーにセットした。

 

 しばらく待つと、テレビにライブの映像が映し出された。

 セットに照明が当たる。

 ステージの袖から、可愛らしい衣装を着たアイドルが手を振りながら飛び出してくる。

 

 歓声があがった。

 

 セイバーは、食い入るようにテレビを見ている。

 

 ()()()()()()()。 

 

「これが、アイドルなんだよ」

 

 スポットライトに照らされた少女が、ステージの上で歌い、踊る。

 カメラが、彼女たちの表情を映す。

 そして、歌えることが、踊れることが、この場所にいられることが、心の底から嬉しいのだ。楽しいのだと主張する。

 

 憧れた。

 

 私は、彼女たちのようになりたい。

 なりたかった。

 

 本当に楽しんでいるから、きっと彼女たちは何よりも美しくて、輝いているのだ。

 

「美穂ちゃんは、」

 

 セイバーの声がする。

 

「美穂ちゃんは、アイドルになりたいんですね」

「うん」

 

 理由なんて知らない。

 なりたいと思ってしまったのだから、仕方がない。

 

 だけど、なれるはずがない。

 

「私、止めたんだ」

 

 公園で練習をしたこともあったっけ。

 見よう見まねで、必死にダンスの振り付けを覚えようとしたこともあった。

 けれど、全然うまくならなくて、才能がないんだって諦めた。

  

 そうじゃないのに。

 

 諦めてしまった。

 それが、一番、私がアイドルに向いていない理由だ。

 

 好きだって気持ちで、続けることができなかったから。

 

「私が、私なんかが、アイドルになれるはずがない」

「なれますよ。きっと」

 

 私は、セイバーの顔を見た。

 ライブはいつの間にか終わっている。

 セイバーが、私の方を向いていた。

 

「美穂ちゃんは、誰かのために頑張れる人ですから」

「それ、慰めてる?」

 

 セイバーは首を振った。

 

「私が言うんだから、間違いありません」

「それ、何の根拠もないよね」

「ダメですか?」

 

 セイバーが、可愛らしく小首を傾げた。

 

「ううん。ダメじゃない」

 

 怖かった。

 笑われるのが怖かった。

 

 お前なんかがアイドルになれるわけがない。そんな風に、誰かに言われることが怖かった。

 

 だから、誰にも言えなかったんだ。

 

「ありがとう。セイバー」

「どういたしまして」

 

 気づいたら、もう11時だった。

 

――明日いい日になあれ

 

 少なくとも、今日はいい日だった。

 




ガールズラブのタグは、この回のために。


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閑話 「何をしてるのかしら、私」

 彼女に目をつけたのは、本当に偶然だった。

 

 スーパーの主婦たちの空気に圧倒され、呆然としていると、偶然に声をかけられた。

 可愛らしい女の子だ。

 しかし、右手に巻いた包帯と、かすかな魔力の残滓から、彼女がマスターであると気づいた。

 

 最初は、警戒した。

 

 警戒したが、気安い子だったし、こちらには気づいていないようだった。魔力を隠しているとはいえ、彼女のサーヴァントはあまり感知に優れないタイプなのだろう。

 

 さて、少し話してみると、彼女はとても面白い子で、優しい子だった。彼女なら、もしかすると、マスターの友達になってくれるんじゃないかという漠然とした期待感を覚えた。

 

 だから、多少強引だったが、どうにかしてマスターに会わせようと行動した。

 それも、実は考えなしだったのだ。

 

 キャスターも本当は焦っていて、必要以上に強引な方法を取ってしまったに過ぎない。

 結果、警戒させてしまったな、と話しているうちに後悔してしまったし、できもしない約束を口走ってしまった。

 

 そう、令呪を使わせるなど、キャスターにはできない。

 なぜならば、すでにマスターの有する令呪は1画を残すのみなのだから。

 マスターがキャスターに命じたのは、2つ。

 

『ここに入るな』

『ここから(マスター)を連れだすな』

 

 結果、マスターは召喚された時に顔を合わせて以来、マスターの顔を見ていない。

 もはやおぼろげに、可愛らしい少女で、保護欲をそそられる見た目だったことくらいしか覚えていないほどだ。

 きちんと見る前に、お堂の外へ叩きだされてしまった。

 

 それから、話しかけては無視され、必要なときにだけ筆談で指示をされた。

 それも、ごはんが食べたいとか、体を拭きたいとか、指示と言ってもそれくらいで、その実行の条件として、名前を聞いたり、年齢を聞いたりして、ようやく自分のマスターのことを知ったのだ。

 

 結局のところ、彼女はたいしてマスターに思い入れなどない。

 あるはずがない。

 顔も見せない相手に、親身になれるほうがよっぽどおかしい。

 

 では、なぜキャスターは、自身のマスターのために行動するのか。

 それは、半ば意地であった。

 

 かつて、英霊として、魔術師として栄光を極めたその身が、たかが中学生に負けたままではいられないと思ったのだ。

 

 連れ出すな、と命じられた以上、キャスターには如何な方法を使っても、マスターを外に出すことができない。

例えば、魔術で操るとか、そういうこともできない。できるとすれば、お堂を破壊してしまうことだろうが、それで中にいるマスターを巻き込んでしまっては意味がない。

 

 ならば、逆転の発想である。

 マスター自身の意思で、外に出してしまえばいい。

 

 つまり、どうにかして、外への興味を抱かせることに注力することにしたのだ。

 その方法の一つに、友達を作らせることがあった。

 友達に会いたくなれば、自然とお堂を出ざるを得ないのだから。

 

 キャスターは、そのクラスにふさわしく、策謀を張り巡らせることに長けている。しかし、それは彼女の計算のうちに限られ、例えば、焦れば焦るだけ、冷静さは失われる。つまり、逆境に頗る弱かった。

 

 そう、彼女は、混乱していたのである。

 つまるところ、メリットもデメリットも度外視していた理由など、こんなものであった。

 

「何をしてるのかしら、私」

 

 一度冷静になってしまえば、自分が迷走していたことを否応なく自覚してしまう。

 

 かつては、「言葉の魔術師」と恐れられ、その言動で国をも動かしてみせた彼女である。

 セイバーの反応こそ、本来あるべき評価だ。

 

 それが、今はエプロンをして包丁を握っている。

 左手でぺらっと、レシピの書かれた本のページを捲った。

 

 今日のメインは、豚バラ肉だ。

 

――まるで母親になったような気分ね。

 

 彼女は、自分の姿を省みて、落ちぶれたものだと自嘲する。

 しかし、その口元は、確かな笑みの形に緩んでいた。

 

  ◆

 

「ランサー、首尾はどう?」

「完璧だよ、マスター!」

 

 ランサーは己のマスターに対して、嘘偽りなく答えた。

 

 彼女が、マスターから令呪を使ってまで受けた命令は、2つ。

 そのうちの1つは次のような命令であった。

 

『すべてのサーヴァントと戦闘せよ』

 

 現在のところ、アーチャーとセイバー、それとアサシンとは戦っている。アサシンとのあれを、戦闘と呼んでいいかはランサーにとって疑問だが、本気で戦うわけにもいかないし、なあなあで済ませられるのなら、済ませたいと思うランサーだった。つまり、残るは、ライダーとキャスター、そしてバーサーカーである。

 既に半分を達成しているということは、ランサーの基準からして完璧だった。

 

 そもそも、他のサーヴァントの位置は、キャスター以外は判明しているのである。

 その気になれば、明日にでも達成できる命令だった。

 

 さて、ランサーの報告を受けたマスターは、胸をはる。

 それは子供だった。

 ともすれば、小学校に通っているだろう年ごろである。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、胸をはる。

 

「流石は、あたしのサーヴァントね!」

「流石は、私の娘だ」

「流石は、私たちの娘ね」

 

 すると、マスターの両親だろう2人が、ふらりと現れ、子供を抱きしめた。

 彼らの表情は笑顔だ。

 そこには、理想の家族の形があった。

 その様子を、ランサーは眺めている。

 

 ()()()()()()()()()()

 

「ねぇ、ほんとうにこれでいいの?」

「なんで?」

 

 その声は闇から聞こえた。

 

「とっても。とっても幸せそうじゃない」

 

 幼い声だ。子供の声だ。

 ランサーの声よりも、さらに幼い。

 

 それなのに、ランサーはその声が恐ろしかった。

 伝説に語られる英霊、ランサーが、恐ろしいと思っている。

 

「だって、だって、これは――!!」

「どうしたの、ランサー?」

 

 すっと、1人の女が現れる。

 

「お姉ちゃん……」

 

 ランサーは、その女を姉と呼んだ。

 聖杯戦争において、姉妹というほど関係性の近い英霊が、同時に呼ばれることは非常に稀であるはずだった。

 

「あんたは、何も間違ってない。これでいいの。だって、とても幸せそうでしょ?」

 

 姉と呼ばれた女は、言い聞かせるような口調で滔々と話す。

 ランサーの目の前では、幸せな光景が広がっていた。

 才能豊かなマスターがいて、それを愛する家族がいる。

 マスターの指示を受けたサーヴァントがいて、その戦果は芳しいのである。

 

 たとえ、サーヴァントは、その指示に疑問を抱いているのだとしても。

 

「流石は、あたしのサーヴァントね!」

「流石は、私の娘だ」

「流石は、私たちの娘ね」

 

 たとえ、その幸せの形が()()()()()ものだとしても。

 姉が言うのだから、間違いはないと思うことにした。

 

 ああ、――気持ち悪い。

 

 




ごめんなさい。
誰とは言えないけど、ファンの皆さんごめんなさい。


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4日目 第9話 「さあ、やろうか聖杯戦争」

 色の褪せた古い映画を見ている。

 

 そこは戦場だった。

 

 たくさんの人が、様々な武器でもって武装する。

 それは、剣であり、槍であり、斧であり、弓であった。

 

 それは、戦争だった。

 

 ぼろぼろの男が、吠えるようにして眼前の敵に剣を振り下ろす。

 その一振りは、敵の胸を裂き、あまりの激痛にそのまま倒れた。

 男が勝鬨をあげると、すぐに別の男から槍を突き立てられた。

 それは、胸を貫き、男はやがて絶命した。

 槍を突き立てた男は、その槍を回収せんと抜きにかかるも、うまく抜けずに手間取ってしまう。

 その隙に、さらに別の男によって首を刎ねられた。

 

 どこを見渡しても、そんな地獄があたりまえのように繰り広げられていた。右も左も前も後ろも。四方八方、すべてが地獄だ。

 斬っては斬られ、刺しては刺され、刎ねては刎ねられる。

 出来の悪い劇のように、感慨もなく、それらはただ単調に繰り返された。

 

 それを見ている。

 

 それを見ている。

 

 

 私は、少女の視点から、それを見ている。

 

 

  ◆

 

「――は」

 

――ひどい夢を見た。

 

 心臓は痛みを訴えるほどに激しく脈動し、額を拭えば、夏はとうに過ぎたというのに、まるで炎天下で長距離を走ったように汗だくだった。

 

 つまり、目覚めは最悪だった。

 

 セイバーは、まだ寝ている。

 

 私の部屋に布団を敷いて、ベッドのすぐ隣で寝息を立てていた。

 時計を見れば、まだ鳥も歌わぬ午前四時。

 外だって、まだうす暗い。

 

「――」

 

 静かに、息を整える。

 何度か深呼吸を試してみると、やがて動悸は収まった。

 

――まさか、この年になって、悪夢で目を覚ますことがあるとは。

 

 すでに、夢がどんな内容だったのか、ということは思い出せない。思い出せないが、ひどく恐ろしい思いをしたのは覚えている。

 

 だからと言って、寝るのを怖がるほど子供ではないが。

 むしろ、まだ三時間ほど寝ることができるのに、このまま起きてしまうのは、なんとも勿体ない。

 というわけで、布団を被り直し、二度寝を敢行したかったのだが。

 

……。

…………。

………………。

 

――眠れない。

 

 どういうわけか、寝つけなかった。

 

  ◆

 

『本日未明、またも新都で意識不明者が――』

 

――またか。

 

 これで、四日連続。

 毎日のように繰り返されるニュースが朝食のBGMとなりつつあった。

 

 私は、こころなし口数も少なげに、寝ぼけ眼でテレビを眺めつつ、パンをかじる。ごはんばかりでは飽きるという母の主張により、朝食はごはんだったり、パンだったり様々だ。

 

 さて、同じような事件が、解決の兆しも見せずに4日も続けば、流石にただ事でないと、ニュースキャスターの原稿にも重々しいものが感じられるようになった。こればかりは、飽きるとか言ったら不謹慎にも程がある。

 

 この四日間の報道内容をまとめると、犠牲者は分かっているだけで15人。

 いずれも外傷がなく、屋内、公園、路地裏、とかく新都の各所で意識不明の状態で倒れていたのを見つけられた。

 うち、4人はまだ意識が戻っていないのだそうだ。

 そして、意識が戻った11人も、何があったのかは覚えていない。

 共通して、ひどい衰弱が見られた。

 よって、詳しい原因は未だ不明。

 

 テレビの中では、コメンテーターが、妖怪の仕業だとか、古い建物に使われた資材が悪いだとか、暗殺拳の使い手だとか、それぞれの知見で好き勝手に騒いでいる。中には、真面目な顔で宇宙人の侵略だと主張する人までいた。

 

 しかし、それらを笑う気にはなれなかった。

 

 なぜなら、私が考えている可能性もまた、普通の感性からすれば、彼らの与太話と然程変わらないのだから。

 

 そもそも、私の隣で幸せそうな顔でパンに噛り付く少女こそ、言ってしまえばオカルトの塊であるのだから、今更宇宙人がいようと驚くことではない。

 

――というか、セイバーは一切気づいてる様子もないんだよなぁ。

 

 ニュースに一切目を向ける様子もない。

 

 あまりにも符合し過ぎる時期と場所。

 科学の見地から原因が分からないのであれば、それは、科学とは異なる領域に原因があるからではないだろうか。

 

 つまり、聖杯戦争と関係があると考えるのは、至極当然の結論であった。

 

 ただ、自分の相方は頼りにならなそうだから、学校に行ったら、北川さんに聞こう。

 2枚目のパンに手を伸ばす彼女を見て、そう思った。

 

――誰にでも、得手不得手ってあるよね。

 

  ◆

 

 登校すると、校門が騒がしかった。

 なんというか、デジャヴである。

 

『はえー。なんというか、綺麗な人ですねー』

 

 セイバーが、騒ぎの人物を見て感想を漏らした。

 やはりと言うべきか、昨日と同じく、モデルかと思うような美人さんが校門にいる。

 

 私から言わせてもらうなら、セイバーだって、相当な美人さんだ。確かに、あの女性とは美人のベクトルが違うかもしれないけど。

 

 なんというか、セイバーは美人なんだけど、親しみがあるというか、うまく言えないんだけど、柔らかい感じなのだ。

 一方で、騒ぎの中心になっている彼女は、まさに高嶺の花。その美貌は、他人の心をへし折ってしまうような攻撃力がある。その様はまさにカリスマ。平伏したくなるような雰囲気さえあった。

 

――それも、武内先生には効かないようであるが。

 

「だーーーりーーーーーーん!!!」

 

 首根っこを掴まれ、無慈悲にも校外に引きずられていく。

 その様子は、言い訳のしようもないほど、彼女が悪いはずなのだが、その高そうな服を引きずるのは、止めてあげてほしいと切に思った。

 

  ◆

 

 さて、今は3時限目の移動教室に向かう途中。

 本来なら見ないはずのものが見えてしまった。

 

「あの、何してるんですか?」

「んな!?」

 

 それで、隠れているつもりだったのだろうか。

 階段の影から廊下の先をちょこちょこと顔を出して眺めようとしている女性の姿が見つかる。

 朝、武内先生につまみ出されたはずの彼女がいた。

 

「え、あ、ちょっと。あの大きいのは止めて!呼ばないで、お願い!」

 

 両手を合わせて拝み倒される。

 そんなにされても私は神仏の類じゃないんだけどなぁ。

 残念ながら、ご利益等は見込めない。南無三。

 

 とはいえ、恨みがあるわけでもないし、そのつもりもない。

 なんだか、不憫に見えてきた。

 

「いや、そんなにしなくても、別に呼びませんよ」

 

 朝の様子を見て、さらに扱いが酷くなったらと思うと、武内先生を呼びにはいけない。

 今度こそ、服が破けてしまうと思うのだ。

 それはとても勿体ないことである。

 

「ほ、ほんとに……?」

 

 じぃっと、下から覗きこむように見つめてくる。

 うわ、あざといくらいの上目遣い。

 きっと、私が男子だったなら耐えられなかった。

 露出の高い格好のせいで、胸元の谷間がのぞく。なんとも扇情的だった。

 

「ほんとほんと」

「――なんだ、話の分かる奴がいるじゃないの」

 

 私が先生を呼ばないと分かると、けろっと態度を直した。

 

 ……どうしてだろう。

 呼ぶつもりはないけれど、そういう態度を取られると、つい、いたずら心が芽生えてしまうのは。

 

 というわけで、それらしい反応をしてみようと思う。

 

「あ、武内先生」

「――ひぃ!?」

 

 私が指をさすと、彼女は小さな悲鳴をあげて指でさした方へ振り向いた。

 

 前言撤回。

 実は、彼女も親しみやすいかもしれない。

 

「おっと、見間違いでした。」

「脅かすんじゃないわよ!?」

 

 両の肩を掴まれた。

 若干涙目に見えるのは気のせいだろうか。

 

「おーのー、暴力はんたーい」

「あんた、人をおちょくってんの!?」

 

 はてさて、私はこんな意地悪な人間だっただろうか。

 ついつい、弄りたくなってしまう可愛さが彼女にはあるのかもしれない。

 

 まさしく、魔性の女である。

 

「さて、私、移動教室があるので、これで。」

 

 名残惜しいが、今は急がないと次の授業に遅れてしまうのだった。もし遅れてしまうと、自分の席に着くまで、皆の視線を浴びることになってしまう。それは、なかなかの罰ゲームだ。

 だというのに、

 

「ちょっと、待ちなさい。あんた、散々人で遊んでおいて、ただで帰ろうっていうの?」

 

 ただも何も、人聞きの悪いことを言わないでほしかった。

 それに、帰るのではなく、次の教室に向かうだけである。

 

「分かりました。分かりました。それじゃあ、おわびに、あなたの思い人の居場所を教えますから。それで勘弁してください。」

「ふん。最初からそうしていればいいのよ。で、ダーリンはどこ?」

 

 ……。

 

 さて、彼女の態度に思うところがないではないが、さっさと次の教室に行きたいのは事実。というわけで、素直に教えてあげましょうかね。

 

「確か、次は2年C組で授業でしたよ。」

「2年C組ね。待っててね、ダーリン★」

 

 まぁ、呼ぶつもりはないけれど、自分から会いにいくのは彼女の勝手だよね。

 きっと、5分後には、再び校門の外に追い出されることになるのだろう。

 

 私としては、服が破れないかどうかだけが心配だった。

 

『美穂ちゃんって、頭文字がSの人ですか?』

「いや、イニシャルはMだけど」

 

 あっはっは!何を言ってるんだろうね、セイバーは。

 MIHO KOHINATA

 Sの文字なんて、一文字だって入らないのに。

 

  ◆

 

 キンコン。

 

 お昼の鐘が鳴り、いざお昼ご飯という時に、声をかけられた。

 

「ねぇ、ちょっといい」

 

――驚いた。

 

 それは、これまで一度だって会話したことのない相手だった。

 

「多田さん?」

「小日向って、あんただよね。ちょっと付き合ってよ」

 

 青天の霹靂とでも言えばよかったのか。

 気にかけていた相手から、まさか声をかけられるなんて。

 

 なにより、多田さんから誰かに話しかけるなんて、4月から一度も見たことがない光景だ。クラスがざわつくのも無理はない。

 

 おい、そこ。美穂ちゃん、何やったの。とはどういうことだ。

 あと、そこの男子。両手を合わせるな。南無、じゃない。

 さっきも似たようなやりとりはしたけども、仏の意味合いが変わってる。

 

 しかし、もともと仲良くなろうと思っていた相手。

 手間が省けたという思いは否めない。

 

「いいよ。場所は変えた方がいいのかな?」

「こっち」

 

 それだけ言って、多田さんは、教室を出ようとする。

 つまり、付いて来いってことでいいんだよね?

 

 席を立つと、いつもの3人は、ファイト、なんてエールを送ってきた。素晴らしい息の合いようだ。

 つまり、それは、今回は付いてこないっていう意思の表れだよね。みんなして多田さんを怖がりすぎじゃないかな。

 

 あんないい子が友達なんだから、多田さんだってそんな怖い人のはずないのに。

 

  ◆

 

「――」

「――」

 

 向かいあい、互いに無言だ。それはいただけない。

 ただ、そうは言っても、何を話せばいいのかわからない。

 

 というか、結局屋上に入ってしまったせいで、見つかったらどうしようという焦りのほうが緊張に勝ってしまっている。

 停学という文字がちらついた。

 

「ね、ねぇ、多田さん。やっぱり屋上はまずいよ。場所変えない?」

「やだ。」

 

 にべもないとはこのことだ。

 多田さんに譲歩の意思は皆無の様子だった。

 ならば、早く要件を済ませてもらおう。

 早く屋上から出たいのだ。

 

「じゃ、じゃあ、私に話って何かな。」

「話?ふふ、分かってるくせに」

 

 多田さんは、意味ありげに笑った。

 しかし、私には彼女の笑みの理由が分からない。

 はい?話が見えんとです。

 

「アタシのこと、探してたんだって?奈緒に聞いたよ」

 

――ああ、なるほど。そういうことか。

 

 私は、はっとする思いだった。

 つまり、早速神谷さんは、私のことを伝えてくれたんだね。

 やっぱりいい人だ。

 

 問題は、どう伝えのか、というところだけど、もし友達になりたいということまで伝わっているのなら、多田さんから話しかけてくれた時点でOKってことじゃない?

 

「えっと」

 

 なんにせよ、会いに来ている時点で、好意的な伝え方をしてくれたことに間違いないだろう。ほら、多田さんも幾分楽しそうな表情をしているし。

 私は、心の中でガッツポーズをした。

 

「小日向、だっけ。なかなかやるじゃん」

「――ん?」

 

――あれれ、なんだか風向きがおかしいぞ?

 

 嫌な予感に、汗が垂れた。

 

「まさか、――他のマスターに気づかれるなんて思わなかったよ」

「……えっとぉ」

「まぁ、最初の相手としては悪くないかな。さぁ、やろうか、聖杯戦争」

 

 そのとき、多田さんは歯を見せるようにして笑う。

 その様子は、試合に臨むサッカー少年のようであった。

 普段の澄ました彼女とは大違いだ。普段がこれならきっと、すぐにクラスの人気者になれるだろう。

 

 さて、ところで、意外過ぎる単語を聞いた気がするのだが、確認してもよいだろうか。

 

「……多田さん、マスターなの?」

 

「――え?」

「――え?」

 

「……あたしがマスターだから、追ってたんじゃないの?」

「ち、違います。私は、多田さんが、その、いつも一人なのが気になったから、仲良くなろうと思って。ごはん誘おうと思ったんだけど」

「――」

 

 互いに見合い、再び無言になる。

 

 つまり、勘違いだった、ということである。だというのに、結論だけは、的外れかと思いきや正鵠を射ている。

 

 この沈黙は気まずいし、なにより痛ましかった。

 すると、いかにも堪えきれないといった笑い声が聞こえてくる。

 

『あはははははは!!』

 

 楽しげな笑い声と一緒に少女が何もなかった空間に姿を現した。その格好は、ファンタジー小説に出てきそうな魔法剣士然とした衣装だ。

 そんな衣装に身を包んだ長い黒髪の少女が、表情をくずして、目に涙を浮かべてまで大笑いしている。お腹を抱えて、地面に転がりそうな勢いだ。

 

「ら、ライダー……!?」

『ひひひひひ。だ、駄目。面白すぎる。特に、マスターのドヤ顔を思い出すと堪らない……。』

「わ、笑わないでよ、笑うなって、笑うなったらぁ!!」

 

 顔を真っ赤にして、傍らの少女をポコスカ叩きだした。その崩れようはいっそ清々しいほどである。神谷さんの言っていた、抜けていて面白いという評価も納得だ。

 しかし、彼女の叩いている相手は、何もなかった空間から現れた。その現象を、私は知っている。実体化だ。

 

「――サーヴァント?」

『ふは……。それが分かるって、ことは、やっぱりマスターってことで間違いないんだよね』

 

 リィン、と空気が張り詰めるのを感じた。

 

 ジリ……。と無意識で後ずさる。

 

『へぇ、理解(わか)るんだ。お飾りなだけの間に合わせのマスターかと思ったけど、悪くないかな。素質はあるんじゃない?あとは、サーヴァント次第だけど、呼びなよ。そこに存在()るんでしょう?』

「……セイバー」

 

 名前を呼べば、すぐさまセイバー私の目の前に実体化する。

 その背中は、華奢でこそあるが、しかし、私にとって、このうえなく頼れるものだった。

 

 そのセイバーは、すでに臨戦態勢だ。

 つまり、それほどに相手が強いのだと分かる。

 そこに、普段の柔らかい雰囲気はみじんもない。

 

 ここまでピリピリとしたセイバーは初めて見る。きっと、ランサーに襲われたときも、ここまでではなかった。

 

『セイバー……?』

 

 それは戸惑うような声だった。

 

 ダン、と、何かがはじけ飛んだ音が聞こえた。

 それだけだった。

 

 気づけば、セイバーは目前から姿を消し、剣を振るい終えたらしいライダーと呼ばれた少女の姿だけがあった。

 




今さらですが、サーヴァントたちの格好は、グラブルコラボの衣装をイメージしています。


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第10話 「あんたが、セイバー?冗談でしょ」

 その速度は、まさに弾丸のごとし。

 蒼色の光が迫った。

 

 圧倒的な初速。

 反応できたのは、目で追えたからではない。

 例によって例のごとく、たまたまだ。

 

 構えていた、つもりだった。

 それでも、見えなかった。

 

 瞬間、剣と剣がぶつかった。

 ほとんど直感で、置いていただけの剣が直撃を避けさせた。

 咄嗟に、振るわれた剣を受けつつも、しかし、所詮は間に合わせ。受けきることなど不可能だ。

 

 横合いに殴り飛ばされる。

 なんとか踏ん張り、倒れることだけは拒絶した。それでも勢いを殺し切れず、ぎしりと、屋上のフェンスの形を変えてしまったが。

 これがなかったら、果たしてどこまで吹き飛ばされただろうか。

 

 そして、間を置かず、濁流が迫っていた。

 

 わずかに、三合。

 必死に、防ぐだけで精一杯だった。

 ザリザリと、たたらを踏んで、距離を取る。

 

『――はぁ、はぁ』

 

 信じられない。

 たったこれだけのことで息が切れる。

 

 一撃一撃が重く、鋭く、ただ打ち合うだけで体力が削られる。

 つまり、それほどまでに実力差が開いているということだ。

 本来であれば、最初の一撃すらも止められなかった。

 幸運にも、防げたというだけ。それだけだ。

 

 そんな様子の私を見て、ライダーは愕然とした表情を浮かべ、殺気を怒気へと変わらせた。

 

『あんたが、セイバー?冗談でしょ』

 

 そこには、信じられないという絶望と、信じたくないという願望とが入り混じっていた。

 問われたのであれば、それは、答えないといけないだろう。

 

『……挨拶がまだ、でしたね。私は、セイバー。――このたびの聖杯戦争において、セイバーのクラスで現界したサーヴァントです』

 

 浮かぶ感情は、落胆と、憤怒。

 彼女は、笑った。

 

『は、はは、ははははは。どんなものかと、思ったら……』

『……』

『私はさ、これでも結構名の知れた剣士でさ。自分でも自信があったんだよね。なのに、私は現界してみれば、クラスはライダーだった。だったら、セイバーってのは、私よりも強いってことでしょ?私よりも、剣の英霊(セイバー)にふさわしいってことでしょう?』

『……』

 

 それは、慟哭だった。静かな。静かな、慟哭。

 

『正直、震えた。どんな奴なんだろう、って。マスターには悪いけど、私の興味は聖杯なんかよりも、ずっとずっとセイバーにあった。楽しみに、してたんだ。それが、これか。こんな、ものか……。』

『――っ、私は!』

『もういいよ。あんたは消えろ。不愉快だ。あんたと言う存在そのものが、私への侮辱だ。私の人生を、剣を、舐めるな、聖杯!!』

 

 それは、激情。

 

 しかして、その言葉は重く突き刺さった。

 心当たりがある。

 それは、私に罪悪感を覚えさせた。

 

 この人は、強い。

 きっと、わたしよりもずっと強い。

 だから、この人が求めている相手は、私ではない。

 

 だけど、応えなくちゃいけない。

 いま、ここにいるのは、他の誰でもない私なのだから。

 彼女の求めた強敵(セイバー)は、私なのだ。

 

『美穂ちゃん、疲れますけど、いいですか?』

 

 彼女に負担をかけてしまうのは、心苦しい。

 それでも、私にできる精一杯で贖わせてほしい。

 だから、美穂ちゃんの助けが必要だ。

 

「いいよ、信じる。ううん、――信じてる」

 

 一瞬の迷いもなかった。

 

 全く、簡単に言ってくれる。

 だからこそ、その信頼にも応えたい。

 笑みが、ふっと溢れた。

 

零時までの舞踏会(ステージ・オブ・マジック)

 

 本番は、ここからです。

 落胆するのは、まだ早いですよ、ライダー。

 

  ◆

 

零時までの舞踏会(ステージ・オブ・マジック)

 

 セイバーがそれを口にすると、体中を凄まじいまでの倦怠感が襲った。

 つまり、セイバーが宝具を使ったのである。

 

 結局、セイバーがどんな英霊なのか分からない私には、その宝具がどんなものであるのかも分からない。

 ただ、先ほどよりもずっとセイバーは相手と打ち合えるようになっている。

 それは、響く剣戟の音が証明していた。

 

 けして広いとは言えない学校の屋上を縦横無尽に駆け回り、そこかしこから剣をぶつける音を響かせる。

 右と思えば、左。或いは、上。

 一般人でしか私では、半分も彼女たちの動きを追うことができない。

 だから、セイバーが優勢なのか、あるいは劣勢なのか。そんなことさえも私にはわからない。

 ただ、分かっているのは、この状況はいつまでも続けられないということだ。

 

 理由は、単純。

 魔力の消費に私が耐えられない。

 きっと、3分と保たないだろう。

 

 セイバーの宝具がどんなものかは分からない。

 それでも、必殺の状況でないというのに、彼女は宝具を使用した。

 それは、つまり、この相手と戦うにあたって、それが必要だと判断したことに他ならない。

 ならば、私が理由で、宝具が使えなくなった時、セイバーが窮地に陥るのは必至なのである。

 つまり、それまでに、この状況を打開しなければいけない。

 

 セイバーが相手を倒してくれるのなら、それに越したことはないが、サーヴァントがサーヴァントを倒すのはとても難しいと聞いた。

 セイバーを信じていないわけではないが、悠長に構えているだけではいられない。

 私とて、マスターなのだから。

 

「多田さん、彼女を、ライダーを引かせてください」

 

 だから、私にできることをしようと思った。

 私がこれ以上、戦闘においてセイバーを助けることは難しい。

 サーヴァントはサーヴァントにしか倒せない。

 ならば、私が止めるべきは、彼女(マスター)だ。

 

「え?なんで?こんなに面白いのに。止めさせるなんてもったいないよ」

 

 多田さんは、まるで遊びに夢中になっている子供みたいな顔で笑った。

 

「私たちは、聖杯になんて興味ないんです。だから、あなたたちに危害を加えるつもりもないし、邪魔をするつもりもありません。なのに、戦うなんておかしいと思いませんか?」

「別に。だって、これが聖杯戦争なんでしょう?あはは、見てみなよ、小日向。すごいよ。あんなすごいの、ボクシングでだって見られない。最高に刺激的じゃんか!」

 

 駄目だ。多田さんは、完全に興奮していて話にならない。

 時折、「ウッヒョー」という声が漏れることからも、そもそも、これをゲームかショーのようなものだと捉えている節さえある。

 これは、わずか、1分か2分で、説得できるような相手ではない。

 

「それとも、私たちも戦う?マスターらしくさぁ」

 

 ぎり、と歯噛みする。

 

――無理だ。

 

 私に魔術の心得はないし、そもそも喧嘩だってしたことがない。ましてや今、極度の倦怠感で体を動かすことも億劫なほどである。ここで、襲い掛かられることは避けなければいけない。

 

「多田さんは、魔術師だったの?」

「ん?おかしなことを言うね。マスターなんだから、当然でしょう」

 

 その例外が目の前にいるわけだけど。

 私が魔術師でないと知ったら、彼女は驚くだろうか。

 

「ま、あたしも最近知ったんだけどさ。そんなことはどうでもいいや。んで、やるの?やらないの?」

「やらないよ。戦うなんて馬鹿らしいって思ってるもの。それに、これだけ音を響かせていたら、すぐ誰かやってくる。そしたら、どうするつもりなの?まさか――」

 

 目撃者は消す、とか?

 ランサーに狙われた理由を思い出して、背筋が冷える。

 今にも屋上の扉が開けられて、それが友達だったらと思うと、頭の中に浮かんだビジョンに涙が出そうになった。

 だが、

 

「それは心配しなくてもいいよ。だって、――聞こえていないから」

「聞こえていない?」

「ライダーの宝具だって。ここに来た時から使ってるよ。だから、誰も気づかない。」

 

 詳しいことは分からない。だが、多田さんの様子から、それは事実だと思えた。

 そして同時に、援軍の可能性が潰えたことを示している。

 実は、この音を聞いて、北川さんが気づいてくれることを密かに期待していたのだ。明らかに異常な音だから、真っ先に見に来るとふんでいたのだが。

 遅いとすれば、間違って他の生徒や先生が来てしまわないように手を回しているのだと思っていた。

 

 しかし、聞こえていないのだとすれば、そもそも気づく方法がない。

 連絡の手段も持ち合わせてはいないし、まさか、呼びに走ると言うことも許されないだろう。ああ、もし私が本当に魔法使いで、空を飛べたなら、彼女のいる教室に窓から呼びにいくことだってできるのに。

 

――ん?窓から?

 

 そのとき、ひとつの可能性を思いついた。

 それは、馬鹿な考えかもしれない。

 素人の浅知恵で、全くうまくいかないかもしれない。

 

 だけど、たとえ億劫でも、体は動く。

 やってみる価値はある。

 

 私の視線は、フェンスの向こうを向いていた。

 

  ◆

 

 彼女――ライダーは、いら立ちを覚えていた。

 

『やぁ!!』

 

 振るわれた剣を弾く。

 明らかに、最初のやり取りとは別人の動きだった。

 

 剣は重く、そして疾くなった。

 それでも、足りない。

 

 一合、二合と剣を合わせる。

 やがて、軽くであるが、ライダーの剣は、セイバーの身体に届いた。

 ほんの剣先が血に濡れる。

 

 すでに、セイバーの様子は満身創痍。

 多くの切り傷によって、赤い化粧がその顔を汚していた。

 

――こんなのが、セイバーなんて。

 

 ライダーは、武勇に誉ある歴とした英霊であった。

 生前において、その剣は、女だてらに並ぶものなしと称され、とある王国の騎士団をまとめていたほどの傑物である。

 

 誰よりも前線に立ち、幾たびの戦場を超えて不敗。

 ただの一度も敗走はなく、かの王国を守り通した。

 歌うように、踊るように、華麗に戦場を駆ける彼女の姿は、かの王国の名前が人々の記憶から失われてもなお、褪せることなく伝え続けられてきた。

 

 彼女の人生は、剣とともに在り、剣の腕だけで、その身を立たせたことは彼女の誇りだった。

 あったかも分からない王国に、確かにいたとされる女剣士。

 そんな彼女が、聖杯戦争に召喚されて、与えられたクラスがセイバーでなかった時の衝撃を、誰が正しく理解できようか。

 彼女が、未だ見ぬ好敵手に恋焦がれたとして、誰がそれを責められようか。

 それが、理不尽な怒りだと理解してもなお、抑えることのできない激情の源泉だった。

 

――自分より優れた者がいることは構わない。

――ただ、貶められることだけは我慢ならない。

 

 証拠を見せよう。

 このセイバーを剣だけで打ち破って見せよう。

 大した手間もかけず、圧倒して見せよう。

 

 それが、もはや何の意味も持たないと理解して、それでも、――彼女には必要なことだった。

 

 ここまで、すでに打ち合って2分というところか。

 もはや呼吸は覚えた。

 対峙するセイバーは全身傷だらけの有様で、ライダーはまったくの無傷である。

 きっと、かつての仲間の誰よりも劣る程度の腕しか持たないセイバーにしては、よく持ったほうだと思う。勘がいい。

 

 だが、それだけだ。他に見るべきところなどない。

 

――そろそろ終わりにしよう。

 

 にわかに剣を持つ手に力が入った、その時だった。

 

 視界に飛び込む、異物。

 それは、いくつかの硬貨だった。

 しかし、それは彼女たちの遥か頭上を飛び越えてしまう。

 

(あのマスターが投げたものか。魔力も特に感じないし、まさか援護のつもりで当てようとしたわけではないだろう。とすると、注意を逸らさせる意図か。浅慮にも程がある。――舐められたものだ)

 

 戦場で飛び交う矢でさえも、彼女には効果を見せない。

 矢避けの加護。

 その身に飛来する障害のことごとくを打開する。

 

 だから、結果は変わらない。

 動きが微塵も鈍ることはなく、それまでと変わらず、ライダーはセイバーを攻め立てる。

 もはや、セイバーは防戦一方であった。

 剣を攻撃に使うことはできず、専らライダーの剣に合わせることだけ注力していた。

 

――いい加減に、倒れろ!!

 

 ライダーが業を煮やし、気持ち大振りになったそれは、たやすくセイバーを吹き飛ばした。

 きっと、セイバーにその隙を突くことはもはや叶わなかったのである。

 

――しかし、彼女は違った。

 

 剣を振り切った、その直後、ライダーのもとへ飛び込んだ一直線の彗星。

 

『――!?』

 

 完全な不意打ち。

 意識の外からの攻撃であったが、それも防ぐと言うのは、もはや尋常の腕ではない。

 その場から、後退こそさせたものの、ライダーには無傷であった。

 

『うわ、それでも防ぐか。嫌になるね』

 

 その言葉は、セイバーでも、ライダーでも、二人のマスターの誰でもない。

 軽く、おどけるような声があった。

 

 それを見る。

 フェンスの上に、立っている。

 アーチャーだ。

 

『嘘……、なんで――』

 

 援軍。それは、ライダーからすれば予想外の存在である。

 なにせ、その可能性も考慮したからこそ、宝具――ヴェニスの水音を発動させていたのだ。

 はじめから見られていたのでなければ、この事態には気づきようがないはずである。

 

『ま、理由なんてどうでもいいでしょ。問題は、2対1でも続けるか、ってことだけど、どうする?えーと、セイバーさん?』

 

  ◆

 

『私を、セイバーと呼ぶな!』

 

 アーチャーの問いかけに声を荒げるライダー。

 この事情を知らないアーチャーは、その態度に面喰ったようだった。

 

『おおう!?あー、よく分からないけど、ごめん。えっと、みほちー、向こうさん、お名前は?』

「ライダーだって」

『ああそう。それじゃあ、ライダー。続きをするなら、私も混ざるけど、いいかな?』

 

 そういいつつ、ひらひらとその右手の拳銃をちらつかさせる。

 こうしてアーチャーが来たということは、私の賭けは成功したらしかった。

 

 かと言って、気を緩めていい状況ではない。

 見れば、セイバーはすでにボロボロで、戦闘が続行できるかも怪しい様子だ。

 

 それに、呼んでおいて何だが、アーチャーの実力がどの程度なのか分からない。

 戦っているところは見たことがあるが、遠目だったし、そもそもそんなじっくりと観察する余裕はなかったのでよく覚えていない。

 持っているものからして、どうも銃を使うみたいだけど。

 

「はっ!当然、続けるに決まってるじゃん!さぁ、やっちゃえ、ライダー!」

 

 多田さんが、血気盛んに叫んだ。しかし、

 

『……いや、時間切れだよ』

「え?」

 

 だだだ、と階段を駆け上がる音が聞こえる。

 すると、勢いよく扉が開かれた。

 

「小日向さん!無事!?」

 

 快活そうな顔立ちに眼鏡。つまり、北川さんだった。

 

「あ、うん。なんとか」

 

 私の姿を見つけると、いかにも安心したという表情を浮かべる。

 やっぱり、優しい人だなぁと思う。

 

『これ以上は、人が来る。それはダメでしょ』

「え、でも、まだあいつら倒してないよ?」

『……分かってる』

 

 一方で、ライダーは、悔しさに顔を歪めている。

 この展開に納得なんてしている様子ではない。

 それでも、彼女は冷静さを残しているようだった。

 

『絶対に、あんたは私が倒す。――絶対に』

 

 そう言って、ライダーは多田さんを抱えて跳んで行った。

 かすかに、多田さんのかわいらしい悲鳴が聞こえた。

 

『――あぅ』

「セイバー!?」

 

 セイバーが耐えきれないという様子で、その場に座り込んだ。

 

『大丈夫です。ダメージは大きくありません』

「そうは見えないけど」

 

 体中を斬られているし、息があがってしまっている。

 その様子を見ていると、彼女が自分と同い年くらいの女の子だということを思い出してしまう。

 

――守られているだけというのが、ひどく申し訳なくなってくる。

 

「これまた、手ひどくやられたね」

「北川さん」

「でも、間に合ったみたいでよかったよ。さて、お疲れのところ悪いけど、ここを移動しよう。すぐに人がくる。」

 

 私がしたことを思えば、当然だった。

 




ライダーなのに、騎乗型の宝具を持っていません。
ま、いいか。


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第11話 「魔法なんて使っていませんよ」

 とてもではないが、私に、このあとの授業を受けるような余裕はなかった。

 

 宝具の使用を止めたところで、使った魔力がすぐに戻るわけではない。

 本音を言えば、保健室にでも行って休みたいところだが、養護教諭もいるだろうし、まさか養護教諭の前で話をすることはできないということで却下になった。

 

 なら、授業中なら人もいないだろうということで、気は咎めるけれど、無人の弓道場を使わせてもらうことにした。

 

「――なるほど。ライダーか」

 

 今の経緯を北川さんたちに話し終える。

 といっても、話したのはセイバーだけど。

 私には、その余力もない。

 

 一方で、セイバーの傷はもうすっかり治っていた。

 ここまで私を運んだのも、実はセイバーだ。

 ボロボロになるまで戦っていたセイバーにおんぶされるのは、実際、情けなくてちょっと泣きそうだったりする。

 

『正直、あれは相当やばいねー。技量だけなら、ランサーよりも上じゃない?』

『……認めるのは業腹ですが、おそらく私一人ではきつい相手です。……ありがとうございました、アーチャー。』

『うん。ま、いいのいいの。呼んだのは君のマスターだし。むしろ、助けるのが遅くなっちゃったくらいだよ。』

『え、美穂ちゃんが?』

 

 そういえば、セイバーはライダーが妨害してたらしいことは聞いていないのか。

 

「ま、それも運が良かったようなものだけどね」

『それでも、大した機転だよ。あの場でよく思いついたもんだ』

『え?何をやったんですか?』

「そんな、そこまでのことじゃないよ。ただ、お金を投げただけ。それだけだよ」

『?そういえば、途中で投げていましたけど。』

 

 私がやったことと言えば単純だ。

 2人が戦っている最中、お金を投げた。100円とか、500円とか。5つくらい投げたかな。

 勿論、そんなものをライダーにぶつけようとか思っていたわけじゃない。

 

 狙いは、その先、フェンスの向こうだ。

 

 つまり、屋上からお金を投げ捨てたのである。

 そのお金は当然、落下していく。

 すると、下の階の窓に落ちていくのが映るのだ。

 あの方向は、北川さんのいる教室だったはずである。

 

 それは、もしかしたら誰も見ないかもしれない。

 でも、誰か1人でも空から落ちてきた何かを見たら、きっと騒ぐだろう。

 

 5つもお金を投げたのは、少しでも見える確率をあげるため。

 勿論、誰かが見たところでそこまで気にされないこともありえたし、騒ぎを受けて北川さんが動くかも未知数だ。そもそも、教室にいないことだってありえたわけだし。

 

 だから、こんなの運が良かっただけなのだ。

 

 だというのに、セイバーは私を爛々と輝く目で見つめる。

 

『すごいです、美穂ちゃん。ありがとうございます。美穂ちゃんのおかげで助かりましたっ!!』

「そんな、頭をあげてよ、セイバー。むしろ、私こそありがとう。また助けられちゃったね。」

 

 そんなそんなと、互いに頭を下げあう。

 どうにもキリがなさそうだったのを見かねてか、アーチャーに止められた。

 

「……なんだかんだ、いいコンビじゃないの」

 

 そうだろうか。

 何もできない私なんかがマスターで、ほんとにセイバーはいいのだろうか。

 私なんかに召喚されて、セイバーに不満はないのかな。

 

――ぶんぶんと頭を振る。

 

 弱きになっちゃだめだ。

 何にもできない私にできることは、セイバーを信じることだけなんだから。

 それすらもできなくなっちゃったら、私はもう、セイバーのマスターではいられなくなる。

 

「ともかく、これでサーヴァントは4人まで判明したわけだ。」

『あ、いえ、これで5人ですよ。昨日キャスターに接触したので』

「へ?」

 

 北川さんが、目を丸くする。

 

『昨日、教会で分かれたあと、キャスターを見つけたのです。潜伏場所も分かっていますよ』

「な、ななな、なんでそれを早く報告しないの!!」

 

 がしっと肩を掴まれた。前後に体を揺らされる。疲れきった私は、されるがままだ。

 

「放課後の連絡会で言おうかなって」

「朝から学校にいるんだから、そこで言いなさい!というか、家に電話でもかけてくればいいでしょう!?教えてあるんだから」

 

 そういえば、電話番号を昨日の教会で教えてもらっていた。

 なるほど、そう言われると確かにだ。

 まったく頭になかった。

 

「ごめん、次からはそうするね」

「当たり前でしょう。ほう、れん、そう。同盟関係なんだからね」

 

 ビシッ、という効果音をつけたいくらい、見事に指でさされた。

 あまりに見事だったから、人を指さしちゃいけないんだよ、なんて言えなかった。

 

「それで、接触ってことは、話したのよね。正体はわかったの?」

「ううん。でも、マスターは分かったよ。名前は――」

 

  ◆

 

 放課後、私たちは廃寺に来ていた。

 あのあと、昨日の話を北川さんにすると、会いに行こうという話になったのだ。

 ちなみに、私の体調は、1時間ほど横になることで歩ける程度には回復した。

 

「キャスターさーん」

 

 門をくぐり、大きな声でキャスターを呼ぶ。

 北川さんは、ぎょっとした顔で私を見つめた。

 

『はーい。また会えてうれしいわ。お嬢ちゃん。……あら、そちらはお友達かしら?』

 

 警戒心もなさそうな様子で、キャスターが実体化する。

 とたん、北川さんの纏う雰囲気が明らかに変わった。

 その様子に、キャスターまで笑顔でありながら、異様な威圧感を漂わせはじめる。

 

「はじめまして、キャスター。アーチャーのマスターだよ」

『あらら、ご丁寧にどうも。キャスターよ、よろしくねぇ』

 

 おおう。2人とも笑顔だが、警戒している空気が目に見えるようだ。握手もしているが、どうしてか友好的な気配が一切感じられない。

 

『魔術師なんて、こんなものですよ』

 

 セイバーが吐き捨てるような口調で言う。

 セイバー、もしかして魔術師が嫌い?

 そういえば、昨日もキャスターと剣呑な雰囲気だったような気がする。

 

「と、とにかく。乃々ちゃんに会いに来ました」

『ええ、ありがとう。まさか、本当に来てくれるとは思わなかったわ』

 

 キャスターの言葉に、むむ、と反応してしまう。

 

「……心外ですね。ちゃんと約束したじゃないですか」

『そうね。そうだったわ。こっちよ。あなたもどうぞ、アーチャーのマスターさん』

 

 ふたりして、お堂の方へ案内された。

 私は、扉の前にひとりで立った。

 

「えっと、遊びに来たよ。乃々ちゃん」

 

 それに対する返事はない。

 そう思っていたのだが、するすると、お堂の戸の隙間から、紙が差し出された。

 

 取ってもいいのだろうか。

 キャスターの方を振り向く。

 

『どうぞ』

 

 許可も出たので、失礼して――

 

“はじめまして”

 

「お、おお!」

 

 なんだろう、未知の生物とコミュニケーションに成功したような感動がある。

 私は、その紙の裏に、私は小日向美穂です。と書いて、中へ戻す。

 すると、しばらくしてからまた紙がするすると差し出された。

 

“森久保乃々です”

 

 キャスターを見ると、驚いたような顔をしていた。

 

『まさか、本当に……。やっぱり、若いからかしら』

 

 はて、何を言っているのやらだが、とにかく感動している様子だ。

 

「私にも貸してよ。」

 

 さらさらと、紙に北川さんも文字を書き込んでいく。

 そこには、“あなたが街の人間を襲わせているの?”なんて書いてあった。ーーって!?

 

「北川さん!」

 

 やはり、北川さんもあの事件をサーヴァントの仕業と考えているらしかった。

 しかし、だとしても、このタイミングで聞くようなことではない。

 

 非難するような目で北川さんを見つめると、やがて、肩を竦めてその紙をびりびりと破いた。

 

「悪かったよ」

 

 折角、心を開こうとしてくれているのだ。

 ここで、そんなことを聞けば、二度と心を開かなくなってしまうかもしれない。

 それは困る。とても困る。

 

 そもそも、私は彼女との交流を何かに利用しようなんて気持ちはこれっぽっちもないのだから。

 

「これは、そこのサーヴァントに直接聞くことにするよ。小日向さんは、森久保さんだっけ?彼女と文通してて」

 

 文通と言われると、だいぶ趣が違う。

 それはさておき、確認することは確認するんだ。

 

『はぁ。ま、魔術師なんて生き物はそういうものよね。分かっていたことだけど、やっぱりお嬢ちゃんが変わってるだけなのよね』

 

 失敬な。私は、私ほど普通な女の子は知らないですよ。

 

『あはは、あくまで魔術師の常識からしたら、という話ですから』

 

 なるほど、だとすれば、一般人代表の私は安心だね。

 魔術師の普通なんて、私にはどうでもいいことだ。

 

 おっと、乃々ちゃんを放置はいけないな。

 さっきの紙は北川さんが破いてしまったので、ノートのページを千切って、そこに書き込むとしよう。

 

“好きな食べ物はなんですか?ちなみに私は、馬刺しと辛子レンコンが好きです”

 

  ◆

 

 思いのほか、あのあとも筆談は続いた。

 まず分かったことは、彼女には文才があるということだ。

 

 意外や意外、彼女は、いちいち表現が上手いのだ。

 最初の内は、質問をして端的な答えが返ってくると言う繰り返しだったが、徐々に慣れてきたのか、追加で一言が書かれるようになるとそれがまた面白いのである。

 

 また、文字は女の子らしい丸文字で可愛らしかった。

 今度は、是非声も聞いてみたいものである。

 最終目標は、当然直接顔を合わすこと。できれば、一緒に遊びに行けるような仲になりたいものだ。

 2日目で筆談までこぎつけたのである。案外、道のりは遠くないかもしれない。

 

 さて、その間キャスターと北川さんはというと、見えない火花を散らせていたそうだ。

 

 ともかく、結論としてキャスターは白。

 今回の事件に関係はないそうである。

 その報告を聞いてセイバーは信用ならない様子であったが、北川さんは自信をもって断言していた。

 

曰く、「あれは、間違いなく魔女だ。だからこそ、あんな杜撰な方法はとらない。やるなら徹底的に、そして、時がくるまで気づかれるようなヘマはしないよ」とのことだった。

 

 信用しているんだか、していないんだかよく分からないが。

 とにかく、他のサーヴァントの仕業だろうとのことで、今夜から調査をしてみるのだそうだ。

 

 手伝おうかと提案もしたが、足手まといはいらないと断られた。

 なんとか言い返したいところであるが、自覚もあるし、上手い返しが思いつかないので、素直にひくことにする。セイバーからも、今夜はやめようと止められたし。

 

 さて、空を見上げると、まだ日は明るい。

 というのも、結局午後の授業はそのまま体調不良ということで早退したのだ。

 なので、今から家に帰るのも早い気がするのだった。

 

 買い物も昨日済ませているし、何より疲れている現状であの戦場には耐えられる気がしない。

 

 折角だし、教会に寄ろうかな。

 昨日はあまりクラリスさんとお話しできなかったし。

 

  ◆

 

「あれ?」

 

 教会では、クラリスさんが子供たちを集めて本を読み聞かせている。

 そういえば、前回の続きは今日だったっけ?

 それにしては、この前よりも人が少ないように見えた。

 

 1,2……数えると6人しかいない。

 誰がいないのかと思うと、高学年の2人がいないようだった。

 あの、一際元気な子と、服装が派手な子。

 特に目立つ二人だったから覚えていたのだが、どうやら今日はいないらしかった。

 

 やがて、朗読会が終わる。

 その手際を見ていると、前回、私が手伝う必要はなかったんだと再確認できてしまった。

 

「美穂ちゃん、こんにちは」

「こんにちは、クラリスさん」

 

 目敏く私の姿を見つけたらしいクラリスさんに、先に挨拶をされた。

 

「もう少し早く来てくれれば、きちんと続きもお聞かせできたんですけれど」

「いやぁ、ははは」

 

 実は、前回もよく内容がわかっていないのです。とは言えなかった。

 

「それにしても、最近はよく来られますね。」

「あれ、そうですか?」

 

 確かに。昨日も来ているし、頻度が増えたのは間違いない。

 昨日は、話らしい話はできなかったけれど。

 

「なんだか、昔に戻ったみたいで嬉しいですねぇ。」

 

 クラリスさんがしみじみと言う。

 昔というのは、私が小学生だったころだろうか。

 あのころは、ほとんど毎日来ていたから。

 それにしても、言い方がおばあちゃんっぽい。まったく若い見た目に合っていない。

 

「久しぶりにお姉ちゃん、って呼んでみませんか?」

「嫌ですよ。もう、そんな年じゃないんですから」

「あらら、そういえば、もう高校生になったんですよね。……時の流れは早いですねぇ」

 

 だからなんで、そんなおばあちゃんみたいにしみじみと呟けるのだろうか。

 

「その言い方。クラリスさん、何歳ですか……」

「ふふ、秘密ですよぉ」

 

 人差し指をあてて、いたずらっぽく笑う。

 こうやってはぐらかされるのも慣れたものだ。

 

 何せ、小学生に上がった頃からずっとの付き合いである。

 つまり、すでに10年。

 その間、ほとんどクラリスさんの容姿に変化が見られないことを考えると本当に驚異的だ。

 

 果たして、クラリスさんは何歳なんだろう。

 実は、若返りの魔法とか使っていないだろうか。

 

「魔法なんて使っていませんよ?」

 

 いや、だから、なんでモノローグに反応するんですか!?

 

「美穂ちゃんは素直ですからねぇ。考えていることが顔に書いてあるんですよ?」

「え?」

「今だって、『いつもクラリスさんは適当なことばかり言って』と書いてあります。ほら、鏡で見てごらんなさいな」

 

 そう言って、手鏡を渡される。

 絶句した。

 

「――」

 

 本当に書いてある。

 鏡を覗き込むと、そこには、私の顔に『いつもクラリスさんは適当なことばかり言って』という文字が――って、あれ?

 

「って、これ、鏡に書いてあるじゃないですか!!」

 

 鏡に水性ペンで文字が書いてあった。指で擦ると黒いインクが指につく。顔を近づけても遠ざけても文字が大きくならないから変だと思ったのだ。

 

「もうっ、それだけのために、こんなものを用意したんですか!」

「ふふふふふ。びっくりしたでしょう?」

 

 ほんとに変わらないなぁ、この人は。

 見た目もそうだけど、子供っぽい中身も全然変わらない。

 もしかしたら、10年後も20年後も変わらずに、この教会にはそのままのクラリスさんがいるのかもしれない。

 

 流石に、そんなことはありえないと思うけれど、でも、どんな時でも変わらないってことが、こんなにも安心できるのだということを初めて知った。

 

 聖杯戦争という非日常において、ここだけは、この人だけは、私の日常でいてくれる。

 そんな安心感があった。

 

  ◆

 

 遅くならないうちに、クラリスさんにはお暇を告げた。

 

「おーねがいーしーんでれらー」

 

 私たちーー端から見れば私一人だがーーは、夕暮れの中、帰り道を歩く。

 つい歌を口ずさんでしまった。まるで小学生みたいだ。

 

『とっても上手ですね、美穂ちゃん!』

 

 セイバーのえいや。あれ、よいしょだっけ?とにかく、お世辞だと思う。全然音も取れてないし、下手だっていうのは自分でわかる。

 

 好きこそ物の上手なれ、なんて言うが、私には、下手の横好きという言葉の方が似合っている。

 

「私なんて全然だよ。」

 

 カラオケで歌ったときの、あのなんとも言えない感じを思い出す。下手なら下手で笑いようもあるが、そこまで音痴というわけではないので、コメントに困るのだそうだ。

 

 上手くなりたい。切実に。

 

「セイバーは、どうなの。歌とか歌ったりするの?」

『そうですね。この時代の歌は知りませんけど、生前はいろいろと歌ったものですよ。ふふっ、生前なんて、自分で言うのもおかしいですね』

 

ーー笑えない。

 

 そういうブラックジョーク?は、反応に困るから止めてほしい。私のカラオケと一緒だ。

 

「どうしたら、上手くなれるかな?」

『そうですね。楽しんで歌うことが大事なんじゃないでしょうか』

「楽しむ?」

『はい!』

 

 ダメもとで聞いてみたところ、随分と意外な答えが返ってきた。

 もっと技術的なことが知りたかったのだけど。楽しむという答えの真意は、ちょっと気になる。

 

『歌は、それを聞いている人に、歌っている人の感情を届けるんです。だから、寂しいって思って歌うと、聞いている人も寂しい気持ちになりますし、楽しいって思って歌うと、楽しい気持ちになれるんです』

 

 えっへん、という声が聞こえそうなほど、自信に溢れた言葉だった。彼女が実体化していれば、きっとどや顔だっただろう。

 

 でも、そうか。

 分かるかもしれない。

 

『昨日見せてもらったアイドルの方たちも、楽しんで歌っているように見えました。だから、きっと、私は楽しいって感じたんだと思います』

 

 アイドルの中には、決して歌が上手いとは言えないアイドルもいる。だけど、とても魅力的なのだ。

 

 もっともっと聞きたいと、そう思う。つまり、そういうことだ。

 

「そっか。楽しむか」

 

 考えたこともなかったな。

 

『でも、さっきの美穂ちゃん、楽しそうでしたよ?』

「へ?」

『なんだか、子供が歌っているみたいで。つい楽しいから歌ってしまった、みたいな感じでした。だから、私も楽しい気持ちになれました!』

 

 そう言われると、なんで私は歌ってしまったのだろう?

 クラリスさんと会って、お話して、楽しくて、その気持ちが押さえきれなかったのだろうか?

 

「なんでかな?」

『なんででしょう!』

 

 セイバーが元気よく答える。

 いや、答えになっていないけど。

 

「なんだそりゃ」

『なんでしょう!』

 

 ふふっ、と笑いがこぼれた。

 ああ、楽しい。

 

「すきすきすき、あなたがすき。だってうんめいかんじたんだもの」

 

 楽しいって気持ちが歌になる。

 

 私は歩く、帰り道を。歌いながら。

 




美穂の好物は、公式通りです。


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閑話 「私、聖杯が欲しいの」

 彼女――多田李衣奈は興奮していた。

 

 昼間の戦闘。

 結果には満足していないが、しかし、本当の闘争というものを見れたことは彼女にとって、一定以上の価値があった。

 

 何より、あれが彼女らにとっての初戦であった。

 いい加減、退屈にも飽き飽きしていたところで、ようやく彼女のサーヴァントは強いのだと実感できたことも気分を高揚させた一因だろう。

 ともかく、李衣奈は上機嫌だった。

 

 彼女は、マスターであるが、魔術師ではない。

 魔術師の家系であることは確かだが、彼女の祖父の代で遂に魔術回路は枯れ果てた。

 結果、彼女の家には魔術の知識のみが残されている有様だった。

 故に、彼女は、自信が魔術師の生まれであるという一種の選民思想を持ちながらも、けして魔術師にはなりえないという現実に鬱屈した思いを抱えていた。

 

 そして、それが、彼女を他人から遠ざけさせた。

 友人を作れば作る程に、自身がその中に埋没していくような感覚に襲われた。

 自分がたいして特別な人間でないと思い知らされるようであったのだ。

 

 そんな折、彼女は家の書庫で、聖杯戦争の記述を見つけた。

 その参加人数に憧れた。

 それは魔術師たちの戦いで、参加できるのは、聖杯に選ばれた7人だけ。

 そこに、その7人の中に、自分がいたら、それは、まるで「特別」のようではないか。

 

 どれだけいるともしれない魔術師にすらもなれない自分だが、聖杯戦争のマスターになれたなら、それこそ、凡百の魔術師よりもずっと価値があることの証明になるのではないだろうか。

 この惨めさを、払拭することができるのではないか。

 そんな思いがあった。

 

 召喚に際し、魔術回路が必要だということは知っていた。

 魔術回路が枯れ果てた家系だということは知っていた。

 それでも、希望に縋るしかなかったのだ。

 

 吐き気を抑えながらも、鶏をつぶし、慣れない手際で魔法陣を書き上げた。

 当然、ただの高校生に触媒など用意はできないから、そこは運に頼ることに決めた。

 

 考えようによっては、弱いサーヴァントでも構わない。

 弱小のサーヴァントで勝ち上がるというのは、むしろ、マスターの実力を証明する良い手段である。

 

 そも、召喚できた時点で、彼女の望みは一つ叶うのだ。

 運命の日、彼女は魔道書を片手に、召喚の呪文を読み上げた。

 

 期待なんて半分もなかった。

 失敗するだろうと思っていた。

 しかし、聖杯は彼女の声に応えたのだ。

 

 枯れ果てたと思っていた魔術回路が起動する。

 それは、とても魔術師とは呼べないほど、数も、質も、劣悪極まりないものであったが、かすかに息づいていた。

 

 全身を立っていられないほどの倦怠感が襲う。

 召喚されてみれば、そのサーヴァントは、彼女にはあまりにも不釣り合いな英霊であった。

 ともすれば、セイバーであってもおかしくないほど優れた剣の使い手である。

 当人も、ライダーとして現界したことに困惑していたし、同時に、まだ見ぬセイバーに尽きぬ興味を抱いていた。

 だからこそ、今、ライダーが落胆しているのは、彼女にもよく分かっていた。

 

 自分ばかりが浮かれていて、サーヴァントはその不満を隠す余裕もない様子である。

 このテンションで話しかけては、きっとライダーの癪に障るだろうと、ずっと話しかけられないでいるのだ。

 だからといって、このテンションを抑えることも難しかった。

 

 彼女とライダーの仲は、けして悪くない。

 これまでの交流で、互いにどんな人間であるのか知ったし、無愛想な容姿に見えて、実はどちらも子供っぽい性格を残していた。

 

 例えば、クラスがライダーなのだからと、李衣奈が彼女に家のバイクを貸すと、口ではなんだかんだと言いながらも乗ってみれば口元だけはゆるみっぱなしだったり、それにサイドカーを付けて街に繰り出せば、李衣奈は子供のようにはしゃぐ様子を見せた。

 意外と似た者同士なのだ。

 

 今度は、ギターを教える約束もしていた。

 意外と芸達者であるらしく、音楽への理解には自信があるようだった。

 

 しかし、そんな二人も、今は互いにコミュニケーションをうまく取れないでいた。

 李衣奈は、そのテンションをおさえられないし、ライダーも、すぐに気持ちを切り替えられるほど感情の調節がうまいわけではない。こんなところまで二人は似ていた。

 

 だからこそ、なにかきっかけを求めていたのだが。

 

「ライダーみっけ☆」

 

 鈴の音が転がるような、甘い声が聞こえた。

 丁度いいガス抜きになるだろうか。ライダーは思った。

 

『その槍、ランサーだね。あんたには悪いけど、いますごく機嫌が悪いんだ。ちょっと、相手してよ』

「もちろん。こっちもそのつもりで声かけたんだもん」

 

 ランサーが槍を構える。

 ある程度の武芸者ともなれば、構えだけでどれくらいできるか予想がつく。

 ライダーの目に、ランサーは極上の相手に映った。

 

「ライダー。2戦もやって大丈夫なの?」

「当然。そもそも、あんなのを1戦に数える方が馬鹿らしいよ」

 

 ライダーは立つと、一瞬で武装を終えた。

 

「よく見ておきなよ、マスター。これが、本当の聖杯戦争だ」

 

 すでに、ライダーの胸中には、強者と戦えることの喜びが湧きあがっている。

 本来、英霊と覇を競いあうということは、これほど心躍るものであるはずだ。

 

 だからこそ、ライダーはセイバーを認めない。

 

 セイバーとしてでなく、そも英霊としてすら認めない。

 それが何処の、何を為した英霊であるかなど関係なく。

 敵とすら認識しない。

 

 だから、ライダーにとっては、これからの戦闘こそが聖杯戦争の初戦だった。

 

  ◆

 

「いっち、にぃ、さぁん、しぃ、ごぉ、ろく、しちっ!」

 

 少女が、指折り数える。

 その数は、果たして、何を指しているのだろうか。

 ともかく、その跳ねたような声から、きっと楽しいのだろうと従者は思う。

 普段、子供らしくない主だが、このときばかりは、年相応の少女のように思えて、微笑ましくなった。

 

 如何せん、場所に難はあるが。

 そこは、暗い洞窟の奥だった。

 

『マスター。』

 

 少女が、こちらを向く。

 その表情は、笑顔だ。

 ただし、目はどこまでも昏い。

 この世の全てを憎んでいるんじゃないかというくらいに。

 

 従者は、息を呑む。

 

「なぁに?」

『ランサーが、ライダーと戦闘を始めました。』

「ふぅん、そう。」

 

 それは、彼女の指示だった。

 すべてのマスターと、サーヴァントを把握するために。

 ランサーに斥候役を任せたのである。

 

『状況は、――劣勢。技量が違いすぎます。』

 

 それは、ランサーのマスターからの報告だった。

 しかし、どんな結果にも、彼女は一切の興味を示さない。

 まるで、予めその結果を知っていたかのように。

 ただ確認するだけで満足するのだった。

 

「ねえ、アサシン」

 

 少女が、従者に話しかける。

 

『はい。』

「私、聖杯が欲しいの」

 

 それは、まるで、親におもちゃをねだる子供のようだった。

 

『――もちろん。我が身を賭して、あなたに聖杯をもたらしましょう』

 

 ならば、母のように応えよう。姉のように応えよう。

 賢くも、未だ幼い少女に与えよう。

 献身と、愛情を。

 願わくは、その空虚が満たされんことを。

 

 しかし、どうしようもなく、従者は、測りちがえていた。

 

「だから、全部消して。セイバーも、ライダーも、アーチャーも、ランサーも、キャスターも、バーサーカーも――アサシンも」

 

 その洞は、たかが1人の献身で、埋められるようなものではなかった。

 

「いっち、にぃ、さぁん、しぃ、ごぉ、ろく、しちっ!」

 

 再び、少女が、指折り数える。

 その数は、果たして、何を指しているのだろうか。

 1人、楽しげに数えるだけの姿に、少女の従者たる彼女は、どうしようもなく背筋が寒くなった。

 

 

 きっと、その数には、自分が含まれていると気づいたから。

 

 




盛り上がってまいりました。


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5日目 第12話 「美穂ちャん。みんな待ッてるョ」

――少女は、普通の村娘だった。

 

 牧歌的な村に生まれ、父と母に愛され、慎ましいながらも幸せに毎日を過ごしていた。

 そこは、どこにでもあるような平凡な農村だった。

 

 村人の多くは、畑を耕し、収穫した作物で日々を暮らす。

 彼女の家もまた、普通の農家だった。

 

 父は、村でも1、2を争うくらい力が強くて、体の大きい人だった。

 たいして母は、人よりも少し背が低くて、だけど誰よりも心の大きな人だった。

 少女は、そんな2人が大好きだった。

 

 将来は、母のような女になりたかったし、父のような男を愛したかった。

 そして、子を産んで、育てて、命を繋いでいくものだと信じていた。

 その夢を、誇らしげに語る彼女の頭を、両親は愛おしげに撫でた。

 

――暴動が起きた。

 

 それは、国の方針だった。

 あまりにも重い税金が、村の生活を困難にさせた。

 

 戦う術などしらない農民たちは農具を武器にして立ち上がった。

 それは、彼女の村ばかりでなく、国のあちこちで起こったようだった。

 しかし、数だけの彼らなど、訓練をして、正式な武装をしている軍隊に敵うはずなどなく、それは、すぐに鎮圧されるだろうというのが、大勢の見方だった。

 

 予想に反して、暴動は収まるということを知らなかった。

 はじめての暴動が起きてから5年という年月が経ってもなお、至る所で反発が続いた。

 その5年のうちに、彼女の父は死んでしまったし、村も無くなっていた。

 それは、彼女の父こそが、暴動の始まりだったからであり、国は見せしめとして彼の村を焼いた。

 首謀者ということで、父も捕えられ、無残に殺された。

 

 しかし、それは人々を止めるには至らなかった。

 寧ろ、火に油を注ぐ結果となった。

 戦線は拡大し、いつか、村同士で結束するようになっていた。

 

 やがて、人が集まって、それは義勇軍と名前を変えた。

 その旗頭こそが彼女だった。

 

 期せずして、父の跡を継ぐことになった。

 当然、最初から受け入れられたわけではない。

 そもそも、彼女がすすんで立候補したのではなかった。

 

 はじめは、そのときの指導者が、彼女を偶像として利用しようとしたに過ぎなかった。

 お飾りの頭目、しかして、その経歴と出自は、市民の同情を買うのに役立つと考えられた。

 そして、それを、その思惑を知って、彼女は了承した。

 

 

 “父の思いが無駄でなかったと証明できるのであれば”

 

 

 彼女は、普通の村娘であることをやめて、義勇軍の偶像になることを選んだ。

 その後、彼女が加わってからというもの、義勇軍は快進撃を続けることになる。

 

 村を奪われ、父の跡を継いだ悲劇の少女。

 そんなシナリオが、彼らの罪悪感を鈍らせた。

 何より彼女が、ただの神輿であることを嫌い、戦場に足を運び続けたことも、人々に彼女を信頼させたし、彼らに一層の奮起を促していた。

 

 傷ついた人がいれば治療をし、倒れた者がいれば運んでやって、同じ戦場に立って、同じものを見た。

 綺麗なものも、汚いものも、凄惨なものも、全てを共有した。

 いつしか、戦うことまでも共有するようになって、彼女はある日、遂に、その手で人を殺した。

 

 それから、たくさんの人を殺した。

 彼女自身が殺した。その手で殺した。

 彼女の指示が殺した。彼女の指示が、誰かに殺させた。

 いずれにしても、彼女の意思が殺したことに変わりはなく、その両手は、母に顔向けができないほど血にまみれていた。

 

 それでも、始めたものの責務として、何かを為さねば終われない。

 彼女を信じ、彼女に託し、彼女の下に集ったすべてに、意味があったのだと証明しなければならない。

 彼女に与えられたすべてに、彼女が奪ってきたすべてに、意味がなければ報われない。

 

 だから、彼女は、その小さな身に背負うのだ。

 抱えきれないほどの願いを。

 苦痛もすべて、笑顔の裏に仕舞い込んで。

 

 “頑張ります”

 

 もはや、何かを為さねば止まることは許されない。

 その姿は、紛れもなく英雄だった。

 

  ◆

 

 起きてみれば、頬を涙が伝っていた。

 訳もなく悲しいと思った。

 

 これは、きっとセイバーの記録だ。

 その生涯は、果たして幸せだったのだろうか。

 父を亡くし、母と離れ、かつての夢と遠く離れた場所に至って、彼女は何を思っていたのだろうか。

 果たして、あれが自分だったら、耐えられるだろうか。

 自分が、平和な時代に生まれて、彼女を理解できるなんて、口が裂けても言えないけれど、それでも、分かりたいと思った。

 

 そして、変り果てた願いは、それくらいは叶えることができたのだろうか。

 その結末を、私は知らない。

 傍らで眠る彼女に聞けば、全てわかるのだろうけど。

 だけど、どんな結末だったのだとしても、それを他でもない彼女にきくことは憚られた。

 

『ん……どうかしましたか、美穂ちゃん?』

 

 じぃっと見ていたら、セイバーが起きてしまった。

 

「あ、起こしちゃった?」

『いえ、たまたま目が覚めたら、美穂ちゃんがこちらを向いていたので』

「ううん、なんでもないよ。セイバーこそ、何かある?」

 

 我ながら、ざっくりした質問だなぁ。と思う。

 

『そうですね。では、折角の機会なので、ひとつ聞かせてください』

「お、なになに?」

『寝る前に眺めていたペンダント、とても大事にされてますよね』

「うん、そうだね。これは、おばあちゃんからもらった大切な宝物だから。」

 

 おばあちゃんからもらったものというと、他にもたくさんあるけれど、一番大事にしているのはやはりこのペンダントだ。

 いつも持ち歩いてたというのもあって、特に愛着がある。

 

『おばあちゃん、ですか……。――いまも元気ですか?』

「おばあちゃんが?……どうだろ。私は、元気だって信じてるけど」

『どういうことですか?』

 

 セイバーが、眉をひそめた。

 

「ずっと行方不明なんだ。もうすぐ7年。法律的には、えっと、失踪宣告って言うんだったかな。死んだことにできちゃうんだって」

『それは、何のために?』

「財産とか、そういうものの処理のため、かな。あとは、区切りをつけるため、かもね。……お葬式、とか。」

 

 お葬式か。やっぱりやることになるのかな。

 本音を言えば、参加したくないけど、そういうわけにもいかないよね。

 だって、これは、私のわがままだから。

 

「ずっと、待ってるわけにもいかないし。そういう終わり方も必要なんだよ。」

『終わり方、ですか……?』

「諦め方、と言い換えてもいいよ。セイバーには、もしかしたら理解できないかもね」

『そうですね。でも、美穂ちゃんも、元気だって、信じてるって言いましたよね』

「うん。信じてる。いつか、何でもなかったようにふらっとやってきて、大きくなったね、なんて頭を撫でられる日が来るって。」

 

 だけどそれは、きっと叶わない願いなんだろうな、って理解もしている。

 ただ、それを、今は認められないだけだ。

 

『だったら、それを、聖杯に願いたいと思いませんか?』

 

 甘い誘惑だった。

 

「……聖杯に?」

『おばあちゃんに、会いたいって。聖杯に願うなら、それはきっと、容易い願いですよ』

 

 セイバーに言われて、そうか、と思う。

 それは、考えてもみなかったな。

 そうか、聖杯はあらゆる願いを叶える万能の願望器。

 それが、たとえ――

 

「どう、かな……。――うん。それはいいや」

『――――』

 

 セイバーが息を呑んだのが分かった。

 私は見ていないけれど、きっと、セイバーの表情は驚愕のそれだろう。

 

『何故、ですか?』

「だって、もし、おばあちゃんがもう、――どこかで休んでいるなら、それを邪魔するのは悪いじゃない?元気にしているなら、会いに来ないのは理由があるんだろうし、それなら、私のわがままで呼ぶわけにはいかないよ。」

 

 私は、セイバーの方を見て、笑いかけた。

 

『わがまま……』

「むしろ、セイバーはどうなの?聖杯で叶えたい願いとかないの?」

「私は――」

 

 一瞬、考え込んだような間があった。それでも、すぐにセイバーは言葉を作った。

 

「――ありません。強いてあげれば、美穂ちゃんの願いが叶ってほしいって思います。」

「そっか。」

 

 あまりにもセイバーがまっすぐに言うものだから、私は、その視線から逃れるように顔をそむけた。

 それが、セイバーの本心だったら、きっと、その生涯に後悔はなかったのだろうと思う。

 

――それが、本心だったのなら。

 

 彼女の過去を知って、私は迷う。

 もし、私がセイバーだったなら。

 きっと、私は、その過去をやり直したいと願っただろう。

 

 幼い日に抱いた夢を、願いを、どうか――。

 

  ◆

 

 妙に静かだ。

 ここ数日、登校すれば騒がしかったということもあるが、それにしたって静かすぎる。

 

 いつものように学校に登校して、私は言い知れない違和感を覚えた。

 

「――?」

 

 学校の時計を見上げる。校舎にかかる時計を見上げる。

 そこには、短針が8と9の間にあって、長針がまもなく2の位置にさしかかろうというところだった。

 普段であれば、部活の朝練で校庭を走る生徒もいるし、そもそも登校している生徒が私一人しか校門の近くにいないというのがおかしい。

 ちょうど、今くらいの時間であれば、ぞろぞろと登校する生徒がいたっていいのに。少なくとも、いつもならそうだ。

 

 なんとなく薄気味悪い。

 

「セイバー、なにかおかしくない?」

 

 耐えきれなくなって、傍らの見えない彼女に声をかける。

 普段なら、独り言のようで、変に思われるのが嫌で自重するところだけれど、今ばかりはその余裕がなかった。

 

『変、ですね。人の気配はあるんですが、これは――見られている?』

「見られている?」

 

 セイバーの発言が気になって、私は辺りを見回した。

 しかし、怪しい人影などは見つけられない。

 それどころか、校庭には人っ子ひとり見つけられないのだが。

 

『嫌な感じです。美穂ちゃん、気を付けてください』

「そうは言われても……」

 

 セイバーは気をつけろって言うけれど、気を付けたところで、私に何ができるわけでもない。どれだけ警戒したところで、私は素人だ。

 

 ふるふると頭を振った。

 そうして、弱気な思考は追い出す。追い出そうとする。

 それでも、何もできない私でも、心の準備くらいはできる。

 

 心臓は、音が漏れそうなくらいばくばくと鳴っている。痛いくらいだ。

 

 すぅ、と大きく息を吸って、大きく吐いた。深呼吸。気休めだ。

 目を1回閉じて、すぐに開いた。意を決して、私は校舎に向かう。

 震える足を抑え込んで、私は一歩、また一歩と進んでいった。

 

  ◆

 

「おはよゥ、美穂ちャん。」

「うん、おはよう。かな子ちゃん」

 

 教室はいつになく静かだった。

 普段なら、もっとがやがやと会話があるはずだけど、今日は随分と大人しい。

 そして、私の気にしすぎなのかもしれないけれど、かな子ちゃんに扉の近くで待たれていたような気がして、汗が垂れる。

 

「なんか、みんな変じゃない?」

「そゥかな。いつもどォりだョ」

 

 心なしか、かな子ちゃんの表情が固い気がする。

 笑顔が、ぎこちないような……?

 

「ねぇ、かな子ちゃ――」

「ほらァ、ホームルームはじまりますョ」

「え?」

 

 里美ちゃんに肩を叩かれた。

 あれ?と思う。ホームルームにはまだ早い。

 だって、予鈴もまだ鳴っていない。

 壁に掛かる時計を見れば、まだ15分にもなっていない。いつもなら、あと10分は後のことだ。

 

 だというのに、がらがらと、ちひろ先生が戸を開けて入ってきた。

 なんだか仕組まれているような感じがするのは、私が気を張っているせいなのだろうか。

 

「おはョうございます。きょうもいィ朝ですね」

 

 強い違和感のまま、ホームルームが始まる。

 私以外は、みな椅子に座っていると言うのが、ひどく気味が悪かった。

 

「え?――え?」

 

――なに、これ?

 

 これはもはや、違和感では説明がつかない。

 明らかに異常事態である。

 なんで、誰もこの状況をおかしいと思わない――!?

 

 全員の視線が、私に向いた。

 たくさんの目に射すくめられて、私は息が止まりそうになる。

 

「ほら、美穂ちャん。ホームルームをはじめますから、席についてくださィ」

「あ、あの、ちひろ先生?」

 

 体は微動だにしないで、まるでぎぎぎと人形みたいに、ちひろ先生の首が回って私を見る。なのに、体は教壇に立って、前を向いている。体と頭がちぐはぐに動いているみたいだ。

 

「はャく、席につけョ。」

「はャくはャく。」

「美穂ちャん。みんな待ッてるョ」

 

 声がした。

 クラスメイトの声だ。

 男子の声がした。

 女子の声がした。

 

「はャくはャく。「はャくはャく。」

 

 声がした。 

 

「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。」

 

 声がする。

 

 

「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。「はャくはャく。」

 

 

「――――っ」

 

 なんだ、これ?

 

 クラス中の大合唱。

 今更、この教室にすら踏み入るべきでなかったと後悔した。

 

 これは、現実か?

 夢を見ているのではないかと思うほど、信じがたい光景だった。

 

 クラスメイトたちが人形かロボットに見える。

 まるで、それしかプログラミングをされていないかのように、同じ言葉だけを繰り返す。

 それは、どんなに控えめに言っても悪夢だ。

 

 日常の光景が、どうしようもないほどの非日常に浸食される。

 

 吐き気がした。

 

『美穂ちゃん、逃げて!』

 

 セイバーの悲痛な叫びが届く。

 それで、ようやく我に返った。

 

――逃げなきゃ。

 

 私は、急いで扉の方を振り向いた。

 

「その様子。やっぱり、落ちてなかったかぁ。」

「――っ!?」

 

 声は、教壇から。

 そこには、ここ数日学校を騒がせている彼女がいた。

 

「どこから!?」

 

 ついさっきまではいなかったはずだ。

 それとも、私がこの光景に気を取られていたから気づけなかったとでもいうのだろうか。

 そんなはずはない。そこには、ちひろ先生がいた。私は見ている。

 

『違います。この人は――!!』

「ずっといたよ。――霊体でね」

 

――サーヴァント!!

 

 いや、でも、まさか!?

 

「気づかなかったでしょ?」

『そんな、うそ……』

 

 セイバーが、絶句するような声をあげる。

 

『おかしいです。状況からして、彼女がサーヴァントなのは間違いありません。だけど、目の前の彼女から、サーヴァントの気配がしないんです!こんなこと、これまでなかった!』

 

 そうだ。

 セイバーも彼女を何度も近くで接している。

 キャスターの時も、ライダーの時も、セイバーは彼女たちの気配に気づいていた。

 なのに、何故?

 

「不思議そうな顔だね★ま、仕方ないかな。大方、セイバーが混乱してるんでしょ?」

 

 そこまで、気づかれている……!!

 これは、隠しても無駄だ。そう思った。

 

「セイバー!」

 

 手遅れかもしれないけれど、セイバーを実体化させる。

 クラスのみんなに見られたことは、この際おいておくしかない。

 今は、そんなことを言っている場合じゃないのだ。

 むしろ、遅すぎたくらいである。

 

『察するに、アサシンですか』

 

 考えてみれば、当然だ。

 判明していないサーヴァントはバーサーカーとアサシン。

 理知的な会話が成立している以上、あの相手はバーサーカーではありえない。

 彼女が、本当にサーヴァントであれば、の話だが。

 

「ま、流石に分かるか。それじゃ、今の状況も分かるかな?」

『人質ですか?』

「それもある。」

 

 彼女は、教壇の上に座り、長い足を組んだ。

 それは、あまりにも妖艶で、様になっていた。

 まるで、奴隷を従える女王さまのようである。

 

 

――従える?

 

「まさか――っ!?」

 

 思い至ったのは、最悪の想定。

 

「ほんと、勘がいいわねぇ。あんたのマスター★」

 

 アサシンが、こちらを指さす。

 きっと、それが合図だったのだろう。

 

 一斉に、クラスのみんなが立ち上がった。

 

 その瞳に、意思の光は消え失せている。

 

「結構、手間だったのよ?」

 

 つまり、私が彼らを、人形やロボットのようだと称したのは間違いではなかった。

 力なく、緩慢とした動きで彼らは私たちを囲む。

 

 正しく、彼らは、彼女の――アサシンの操り人形だったのだ。

 

『暗示……、いや、魅了の魔術ですか?』

「正解★」

 

 み、魅了!?

 しかし、この様子は、そんな生易しいものじゃない。これはもう、洗脳とか支配とか、そういう類の黒魔術でしょう――!?

 

「これは、ある種の呪いに近いんだけど。私、魅了の魔術だけは抜群に上手いのよね。……魔術師には効かないみたいだけど。――でも、ほら、ここまで陶酔させれば、私に従う兵隊の完成よ!!」

「この為に、学校に足を運んだんですかっ!――まさか、あなたのマスターは!?」

「違うわ。あいつは、街で見つけて利用しただけ。ふふ、簡単に注目を集められたから、幾分楽になったわ。ま、お礼に至上の快楽を与えてあげたんだから、win-winよね★」

 

 アサシンが艶めかしく笑った。

 その、あまりの色香に溺れそうになる。

 つまり、きっと、そういう意味だ。

 

「か、快楽!?」

「あら?もしかして、この手の話題は苦手かしら?セイバーのマスターさん?」

『私のマスターを、からかうのは止めてもらってもいいですか?アサシン』

「こわーい保護者さんが出て来ちゃったわ。ごめんごめん、子供には刺激的すぎたわね★」

 

 おちゃらけた雰囲気だが、油断のできる状況ではない。

 力任せに逃げることはできるかもしれないが、私たちを囲んでいるのは、紛れもなく私のクラスメイトなのだ。間違っても怪我をさせるわけにはいかないし、まさか、剣で斬りつけるなどはもってのほかだ。

 そして、それは、セイバーも察しているらしく、臨戦態勢ではあるが、剣を握ってはいなかった。

 

 というか、40人余りに囲まれて、それを傷つけずに脱出って、ほとんど無理な気がするんだけど。

 

「セイバー、どうにかできる?」

『……斬ってもいいなら』

「絶対にダメ。」

 

 万事休すとは、このことか。

 じりじりとにじり寄ってくるクラスメイト。

 

 マズイ。

 

 何がマズイって、セイバーの我慢が限界でマズイ。

 これ以上近づかれると、セイバーが剣を抜きかねない。

 そうしたら、私には令呪を使って止めるしかできない。

 

「ねぇ、アサシン。……あなたの目的はなんですか?」

「目的?単純よ。あたしのマスター以外を倒す。取り急ぎは、この学校にいる3人ね。すぐ隣の教室と、あとは屋上かしら。ふふ。魔術師と言っても、子供ね。こんな手で手出しができなくなるなんて――」

 

 ふふふと笑う。

 艶やかに、笑う。

 

 アサシンは、勝ち誇って、笑った。

 

 

「――子供で悪かったわね。」

 

 

 がらら、と教室のドアが開かれた。

 




序破急で言えば、破。


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第13話 「好きよ。大好き。私のライダー」

「――セイバー、小日向さんを守りなさい!」

『――!』

 

 閃光、光る。

 凄まじい衝撃と、音の爆弾がすぐ近くで爆発した。

 

 私はといえば、セイバーがかばってくれたおかげで、傷一つない。強いてあげれば、耳がキーンとすることくらいだろうか。

 周りを見れば、私たちを取り囲んでいたクラスメイトが、あまりの衝撃に吹き飛んで倒れていた。

 

「小日向さん、大丈夫!?」

「――北川さん、今のは」

「安心して、スタングレネードみたいなものだよ。生徒に大きな怪我はないはず」

 

 どうやら、それは本当らしい。

 凄まじい衝撃だったが、音と空気の爆発が襲っただけだった。規則的な息遣いが聞こえる。生徒たちは気を失っているだけのようだ。

 

「あらら、非殺傷用の魔術なんて、器用な真似をするのね★」

「甘いって言いたいなら、言えばいい。それで?手出しができないだっけ?」

「――生意気。」

 

 余裕綽々という顔が、苛立ちに歪む。

 

 状況は、北川さんの登場で一変した。

 操り人形たる生徒たちは、北川さんの魔術の前には無力だし、セイバーとアーチャーが揃った今、アサシンは圧倒的に不利な立場にあるはずだった。

 

『どうやら、剣を抜いても問題なさそうですね』

 

 それは、つまり、アサシンを斬るという宣言だ。

 

「ふふ、ふふふふふ。甘い。甘いなぁ。」

 

 しかし、アサシンは、その余裕を崩さない。

 座った教壇から動く様子を微塵も見せずに、ただただ笑っている。

 

「私のために働く兵隊。その役割は確かにある。だけど、それだけじゃないわ。ねぇ、セイバー。あなた、彼らを見て、最初になんと問うたかしら?」

『――人質っ!!』

 

 彼女は、それもある、そう答えていた。

 ギリっと、セイバーは歯噛みした。

 

「結局、この時点であなた達は詰んでいるのよ。人質は、この学校の生徒全部。あたしの合図ひとつで全員死ぬわ★」

「―――!!」

 

 ぞっとした。

 彼女の言葉にではない。

 

 彼女の声に。

 その冷たさに。

 

 きっと、彼女はそれを実行する。

 はったりや、威嚇などではない。

 

 それが、分かった。

 

「あたしだって、そんな後味の悪いことはしたくないわ。」

 

 それは真実だ。

 だが、したくなくてもする。

 それが、必要だと判断すれば。

 その意思が示されていた。

 

「だから、動かないで。おとなしく消えて頂戴。やりかたは、言わなくても分かるわよね」

 

 つまり、令呪を使えと言っているのだ。

 自分のサーヴァントに、自害しろ、と。

 

――できるわけがない。

 

「……アーチャー。あいつを討ちなさい」

 

 声が聞こえた。

 それは、冷徹な、何かを諦める声だ。

 拾うために、何かを捨てることを許容する声だ。

 

 信じたくなかった。

 

「北川さん!」

「小日向さん、あなたの言いたいことは分かる。だけど、私たちが令呪を使ったとして、そのあと、あいつがみんなを解放する確証はないっ」

「だけどっ!」

 

 ここで動けば、間違いなくみんなが死ぬ。

 それは、それだけは確実だ。

 

 私は、それを認めるわけにはいかない。

 

「――ああ、そうだ★だったら、お互いに戦うってのはどう?そうしたら、令呪を使うのは残った方だけでいいじゃない。そうだ。そうしましょう★」

「―――」

 

 どこまでも。どこまでも人の神経を逆撫でする。

 人の心理を、ここまで悪辣に利用する人間がいるのか。

 

「――そう。それもありだね。」

「北川さん!?」

「ここで、共倒れになるくらいなら、どちらか一方でも残った方がマシだよね」

 

 北川さんが、アサシンから視線を外して、私の方へ体を向けた。

 

「恨むなとは言わない。私も、あなたが勝って、それでも犠牲になることを選んだなら、――その時は盛大に恨むから」

「ま、待って――」

 

 本気だ。

 本気で、北川さんは戦おうとしている。

 今にも、アーチャーに指示を繰り出そうとしている。

 

 口が開かれる。言葉が吐き出される。今にも。今すぐにも。

 そうしたらきっと、私はセイバーを止められない。

 

 その時、音楽が響きわたった。

 

 それは、ヴァイオリンのような、弦楽器の音色だ。

 

「――!」

 

 バッと、北川さんはすぐに両手で己の耳を塞いだ。

 それの意味するところは――

 

 バタリ、1人が倒れた。

 ドサリ、2人が倒れた。

 それが、3人、4人と続いた。

 

 次から次に、生徒が倒れていく。

 

『これは――』

『――眠れ。聖母の(かいな)に抱かれて』

『――ライ、だー……?』

 

 開けた教室のドアの向こう。

 そこにいたのはライダーであった。

 

……何故か、眠った多田さんを背負っていたが。

 

『まったく、情けないね。この程度の事態も収拾できないなんて、ほんと、サーヴァント失格だね。』

「―――」

 

 何が何やら分からないが、その態度からして、この状況を作ったのはライダーなのだろう。

 しかし、これは、何をしたのだろう?

 そして、なんで多田さんは、ライダーの背中で涎を垂らして寝ているのか?

 

『ぷくく、なぁにそれ。なんで自分のマスター背負ってんの?』

 

 いかにも耐えられないと言わんばかりに、アーチャーが尋ねた。

 

『――ふん。今の音を聴いてなかったの?それで分からないんなら、あんたもサーヴァントとして落第だよ。』

『お、言ってくれるねぇ。んで、マスター分かる?』

「あなたねぇ……」

 

 わなわなと、怒りを耐えている様子なのが分かった。

 

「少しは言い返しなさい!――詳しい原理は分からない。けど、おそらくは魔術、それに類する物でしょう。効果は、見ての通り、昏睡ね。聴覚を塞げばある程度抵抗できるみたいだけど。」

 

 なるほど、と思う。それで北川さんは咄嗟に耳を塞いだのか。

 

――ああ、つまり、多田さんが眠っているのもそういうことなのか。

 

『なぁんだ。こっちがサーヴァント失格なら、そっちはマスター失格じゃん』

 

 かんらかんらとアーチャーが屈託なく笑う。

 私は、心の中で叫んでいた。

 

(や、やめてぇーーー!!彼女を煽らないで。これ以上場が混沌とするのは耐えられないから!ほら、明らかにライダーが気分を害したって顔したよ!?)

 

「た、助けてくれてありがとう!」

『別に。あんたたちを助けたわけじゃないよ。こっちも、囲まれてうっとおしかったからね。元凶も潰したかったし。んで、そいつが、犯人でいいの?』

『ええ、そうですよ』

『――あんたには聞いてない。』

 

 ひどく剣呑な空気が流れる。

 なんでか分からないけど、一方的にセイバーはライダーに嫌われているらしかった。

 

 それにしてもすごいな。

 今この教室にサーヴァントが4人もいる。

 誰のこともよく知らないけど、全員、歴史に名前を残した英霊なんだよね。

 

――ふとした、気の緩みだった。

 

 影だ。

 気づいた時には、アサシンはあと一歩のところまで、ライダーに迫っていた。

 

『――!』

 

 アサシンの右手が、ライダーの顔に伸びる。

 

 

心裡誤認(ザバーニーヤ)

 

 

 まずい。

 あの右手はマズイ。

 

 アレは、――きっと宝具だ!!

 

 そこは、流石のライダーだった。

 触れるほんの一瞬、彼女は反応し、その手を払おうとした。

 

 だが、鈍い。

 

 理由は単純。

 その背に、マスターがいたから。

 

 

――――――指先が、ライダーに触れた。

 

 

 ライダーが、弾かれるように飛び退る。

 同時に、アサシンも後退した。

 

『あは、ははははは!!触った。触ったぞ!ライダー!!』

 

 アサシンが歓喜の声をあげた。

 

『おまえ、――なにをした!?』

 

 ライダーが吼える。

 その身に、ダメージらしいものは負っていない様子だが、アサシンの右手には、とてつもなく嫌な空気を感じた。アレに触れて、無事だったとは思えない。

 

 直接的な攻撃でなかったとすれば、考えられるのは毒か、呪い。

 

 やがて、ライダーは、両の手で自らの頭を押さえだした。

 

『あ、ああ、あああああ!!?』

 

 その口から漏れ出るのは、悲鳴だった。

 

『やめろ、やめろっ……やめろぉ――っ!!』

 

 遂には、その場にうずくまる。

 その表情は、尋常のものではなかった。

 がちがちがちと歯を鳴らす。

 

『――っ、このぉ!』

 

 セイバーがアサシンに斬りかかる。

 それは、アサシンには届かず、弾かれた。

 

 鉄と鉄が、ぶつかり合う音がした。

 

『――なにをするんですか!――ライダー!!』

 

 セイバーの剣を弾いたのは、アサシンではない。

 ライダーだった。

 

 腰が落ち、まったく普通の様子には見えない。まともに立っていられるかも怪しいような様子だ。

 

『ち、ちがっ!』

『まさか、洗脳!?』

 

 思い至るのは、彼女の言葉。

 

“これは、ある種の呪いに近いんだけど。私、魅了の魔術だけは抜群に上手いのよね。”

 

「呪い……、魅了の魔術!!セイバー、離れて!!」

『あっは★相変わらず、いい勘してるぅ★』

 

 私の声に反応したのか、すぐにセイバーが距離を取る。

 北川さんが、驚きの声をあげた。

 

「まさか、ライダークラスの対魔力を突破したの!?」

 

 アサシンの前に立つライダー。

 しかし、彼女が剣を向けるのは、こちらに対してだ。

 

 だが、その表情は、困惑に支配されていた。

 それは、何故自分が、彼女を守っているのか分からないという表情である。

 

「まさか、意思に反した隷属!?そんなの令呪レベルの強制力じゃない!」

 

 北川さんのそれは、もはや悲鳴に近かった。

 

 しかし、それも当然だ。

 もし、北川さんの予想通りなら、あの右手は、サーヴァントを奪いうる、聖杯戦争において考えうる限り、最低最悪の宝具ということになるのだから。

 

『ははは、流石にそこまでじゃないよ。令呪ほどの強制力なんて、それこそキャスターでも無理でしょ。』

「じゃあ、それは、どう説明してくれるのかしら?」

『ふふふ、秘密。だけど、安心したわぁ。ライダー、あなた、剣に生きたなんて言われてるけど、きちんと女だったのねぇ』

 

 アサシンは、背中からライダーを愛おしげに抱く。

 それを受けて、ライダーの表情は恐怖へと変わっていった。

 呼吸は浅く、しかし震えているようである。

 

『はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、――なんで、なんで、なんで、なんで、なんで?』

 

 困惑の色が強くなる。

 

『ありがとうライダー。助けてくれてありがとう。好きよ。大好き。私のライダー。愛しいライダー。』

『違う!違う違う違う違う違う!!お前じゃない!お前じゃないお前じゃないお前じゃない!!それを言って、ほしいのはっ、お前じゃ、ないのに……っ!!――どうしてっ!!』

 

――絶叫。

 

 ライダーは壊れていた。

 

 自分の感情の一切をコントロールできなくなっている。

 あれでは、いつ爆発するともしれない。

 そうなれば、戦闘は避けられないだろう。

 

 先日は、2対1という状況で、しかも人に見られる可能性があったからこそ、撤退させることができたが、今日に限って、同じ状況は望めない。

 せめて、多田さんが目を覚ましてくれれば、ライダーの異変に気づいて止めてくれるかもしれないのに。

 

『ひっぱたいてでも起こす?』

 

 アーチャーの軽口が頼もしい。 

 

「ライダーに背負われてるから無理だよ」

 

 こうなっては、ライダーが本調子でないことを祈るだけだが。

 それでも強敵には違いない。

 

 アーチャーが、銃を構えた。視線は、ライダーを捉えている。

 そのとき、

 

『ぐ、ぎぃ、――っ!!』

 

 それは、突然。

 ライダーは、窓をたたき割り逃げ出した。

 

「―――」

『―――』

 

 あっけにとられる私たち。

 流石は、最速のサーヴァント。

 誰も止める間もなく、見事な逃走だった。

 

『あー、なるほど。そういうパターンもあるか』

 

 これは予想外だったのか、これまで一度として余裕の態度を崩さなかったアサシンが、遂に困ったような顔を見せる。頬をぽりぽりとかいていた。

 

『さて、その様子では手札が尽きたようですね。』

『えっとぉ、今日はこれくらいにして、続きは、今度にしよっか★』

『それ、通ると思ってるの?』

 

 セイバーとアーチャーがそれぞれ武器を構える。

 

 アサシンは、攻勢に出ている間は一筋縄ではいかない相手だ。

 しかし、一度守勢に回らせてしまえば、これほど脆いサーヴァントはいない。

 そもそも、直接の戦闘には向かないクラスなのである。

 

『あ、あは……――ま、マスター!マスター!』

 

 不利を悟ったアサシンは、助けを叫ぶ。

 しかし、この場に彼女のマスターはいない。そのはずだ。――そのはずだった。

 

『――!?待ちなさい!!』

 

 セイバーが焦るような声をあげる。

 アサシンを見る。教室の黒板が彼女の向こうに見えた。

 

 アサシンの身体が、薄くなっていく!?

 

「空間転移!?」

『そんなバカな……。――そんなの魔法の域だぞ!?』

『―――!!』

 

 セイバーが弾丸のような速度で、飛び出した。そして、アサシンを斬りつける。

 しかし、セイバーの剣がアサシンに届くことはなかった。

 

「逃げられた……?」

『予想外だよ。空間転移なんて、そんなことができる魔術師が現代にいるとは思わなかった』

 

 アーチャーが悔しげに言い放つ。

 空間転移。それは、北川さんも叫んでいたっけ。

 

「北川さん、今の」

「たぶん、令呪を使ったんだと思う。そうじゃなきゃ、空間転移なんて、使えるはずがない。」

 

 吐き捨てるように言う。

 その口調は、劣等感が滲んでいるように聞こえた。

 信じたくないと、そう言っているようだった。

 

「―――」

「―――」

 

 アサシンが去った今、教室には重々しい空気が立ち込めている。

 散々かき回されたあげく、倒すこともできずにまんまと逃げられたのだ。

 

 無理もない。

 私の胸にくすぶるこのもやもやも無関係ではないだろう。

 

「……ごめん。」

「え?」

 

 北川さんの言葉に、私は反応できなかった。

 

「熱くなった。ほんとは、私が冷静にならないといけなかったのに」

 

――ああ、北川さんは、さっきの仲間割れのことを謝っているのだ。

 

「う、うん。大丈夫だよ。何が正解だったかなんて分からないし、北川さんが、間違ってたわけじゃないもの。だから、許すも何もないよ」

「……そう。ごめんね。そう言ってもらえると助かるよ。」

 

 そう言って、くるりと、北川さんは私に対して背を向ける。

 

「でも、覚えておいて、たとえ同じことがあったとしたら、次も私は同じ選択をする。それが、――魔術師だから。」

「―――」

 

 ぱくぱくと、開いては閉じてを繰り返した。何かを言いたくて、でも、何も言葉にできなかった。

 

「ダメだね。少し外を歩いてくる。そうしたら、頭も冷えるでしょう。小日向さんも、面倒事に巻き込まれる前に帰ったほうがいいよ」

「でも、みんなを放ってはおけないよ」

「大丈夫だよ。みんな眠っているだけだし、そのうち起きるわ。……後始末は、監督役に任せなさい。」

 

 北川さんは、一度もこちらを振り向かないで、言葉だけ残して廊下に出ていく。

 去り際、アーチャーが両手を合わせて謝るような仕草をとった。

 教室は、嵐が去ったようだった。

 

  ◆

 

「どうしました?」

「え?」

 

 その声で、我に返る。

 私は、教会に来ていた。

 

 理由は、判然としない。

 どう歩いてきたかも覚えていない。

 きっと、無意識だった。

 

「何やら、思いつめたような顔をしていたので。」

「そう?私、どんな顔してました?」

「そうですねぇ。贔屓の駄菓子屋が、次の日には、クリーニング屋になっていた子供、みたいな顔でしょうか。」

「それ、分かるような分からない表現ですね。」

 

 ふふ、と少しだけ笑った。

 きっと、その子供は困惑するばかりで、そんなに思い悩むことはないと思う。

 

 いや、どうだろう。近くに他の駄菓子屋がなかったら、一大事かもしれない。

 そうすると、これからどうしようって悩むのか。

 うーむ、意外と的を射た表現かもしれない。

 

「私でよかったら、相談にのりますよ?これでもシスターですから」

「それじゃあ、懺悔に付き合ってもらおうかな」

 

 だからって、詳しく話すことはできないんだけどね。

 それでも、聞きたいことが、聞いてみたいことがあった。

 

「ねぇ、クラリスさん。クラリスさんは、何でも願いごとがひとつだけ叶うとしたら、何を願いますか?」

 

 クラリスさんの眉が、少しだけ上がった気がした。

 そして、少しだけ視線を上に向けて、右手の人差し指を口元に持っていく。 

 

「何でも、ですか?そうですねぇ、それじゃあ、願い事を100個叶えてください。って願いますかね。」

「もうっ。そういうことじゃなくて、ええと、そういう願い事はなしで。」

 

 まったく、こういうところは本当に子供っぽい。

 

「ひとつだけですか……。悩みますねぇ。」

 

 クラリスさんは、むむむ、と考え込んでしまった。

 

「クラリスさん、結構願い事がいっぱいあるの?」

「ありますよ。お腹いっぱいお寿司が食べたいとか、お腹いっぱいカレーライスが食べたいとか、お腹いっぱい神戸牛が食べたいとか。」

「食べ物ばっかりじゃないですか」

 

 はて、煩悩にまみれているシスターというのは如何なものだろうか。

 というか、そんな腹ペコキャラでしたっけ、あなた。

 

「あ、麻婆豆腐もいいですねぇ」

「食べ物から離れましょう。なんか、もっとこう、自分じゃ叶えられないような大きい願い事はありませんか?」

「それじゃあ、この前買った宝くじが当たりますように」

「さっきから願い事が俗!」

「でも、前後賞合わせて2億円ですよ。大きくないですか?」

「金額の大小じゃなくて!」

 

 これをいつもの表情で言われるものだから、果たして冗談で言っているのか、それとも本気で言っているかの判別がつかない。

 

「そうは言われてもですねぇ、いきなり大きな望みは思い浮かばないのですよ。ほら、聖職者たるもの、あまり大きな欲は持ってしまうといけないでしょう?」

「欲まみれだったじゃないですか。」

 

 自分で言うのもなんだが、さっきからツッコミが冴えているような気がする。

 

 

「――それに、どんな願いでも、いざ叶ってしまえば、結局、後悔が残ってしまうと思うんです。」

 

「え?」

「果たして、叶った結果に満足ができるでしょうか。結果が、思っていたものと違ったら?その願いを、後悔してしまうでしょう?もう一度、なんて、都合のいいことを望むかもしれません。その人は、きっと、とっても我が儘になってしまいます。それじゃあ、うまくいったら?人の欲に、際限はないと言いますよね。もっといいものを。現状に満足できなくなれば、さらに上を目指す。それこそが、人間の進化、その本質でした。じゃあ、そもそも、現状がその人の手に余るものであれば?誰か、あるいは、何かによって与えられたものであったなら?もう、上なんて目指せませんよね」

 

 そこまで滔滔と語って、一旦止まる。

 ふんわりとほほ笑んだ。

 

「結局、どっちにしたって、満足することはできないようになっているんですよ。」

「―――」

 

 その姿は、まるで本物のシスターみたいだった。

 

「傲慢ですねぇ。後には、我慢の効かない人が出来上がる。だから、もしそんな権利があるのなら、身の丈にあった願いを叶えるといいと思いますよ。出来れば、後悔しても取り戻せるくらいの願いだとベストですね。――と、どうしました?呆けた顔をして。」

「え?あ、――思いのほか真面目な回答が返ってきてびっくりしてました。」

「おやおや、いつの間にか美穂ちゃんの中では、私はいつもふざけているというイメージになっていたみたいですね。」

 

 よよよ、と口で言って、崩れ落ちるポーズをした。あまりにわざとらしくて、嘘だと言うのが誰でも分かる。

 シスター服で床に這っても大丈夫だろうか。汚れないかな、と心配になった。

 

「昔は、頼れるお姉ちゃんだったはずなのですが。」

「大丈夫、今も変わっていないですよ。」

「それじゃあ、是非お姉ちゃんと呼んでください。」

「あ、それは却下で。」

 

 そんなぁー、と完全に崩れ落ちる。

 聖職者以前に、いい大人としてどうかと思う恰好だが、――これがクラリスさんなのだ。

 

 ずっとずっと変わらない。

 私を元気づけてくれるお姉ちゃん。

 

 今日も、クラリスさんのおかげで、ちょっとだけ吹っ切れた。

 聖杯を求めて戦う彼女たちに、少し、後ろめたさを持っていたけれど。

 どうやら願い事を持てないことは、別に悪いことじゃないらしい。

 

 でも、――それじゃあ、私は、なんのために戦うのだろう。

 

 右手を見る。

 握って、開いた。

 

 あの日、私は、自分の意思で、北川さんの手を取った。

 その感触を、私はずっと、覚えている。




まるで本物のシスターみたいだった。


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閑話 「だからって、見捨てるつもりはないけど」

『―――っ、はぁ、はぁ、はぁ。』

 

 アサシンの宝具を受けてすでに6時間。

 未だにライダーの状態は回復していなかった。

 

 否、むしろ悪化している。

 

 ライダーは、自らがうけたものを呪いだと認識していた。

 あの宝具を受けるまで、自身はあのアサシンを敵だと認識していたはずである。

 

 しかし、今はどうだ。

 

 理性では、敵だと理解している。

 サーヴァントである以上、聖杯を求めあう敵同士だ。

 しかし、本能が、その理解を拒んでいた。

 

 はじめて会ったはずの相手である。

 だというのに、――どうしようもなく愛おしい。

 それは、ともすれば、最愛の人と同じくらい。

 

 いや、そもそも最愛の人とは誰だ?

 彼女こそが最愛の人ではないか?

 

 頭を振る。

 

 そんなわけがない。

 あっていいはずがない。

 

 最愛の人は、男だ。

 男でなくてはならない。

 

 あの世界で、私を見出した人。

 最初に、私を認めた人。

 

 私のはじまりは、あの人だったはずなんだ。

 

 宝物のような記憶のはずだった。

 

 決して色あせることのない記憶のはずだった。

 

――それが、溶けていく。

 

――零れていく。

 

――落ちていく。

 

 穴だらけの虫食いだらけになって、思い出せなくなっていく。

 

 がちがちがち。

 それは、恐怖だった。

 

 忘れていくことではない。

 忘れたことさえも、忘れてしまうことが怖かった。

 

 彼女の逸話は、優れた武勇ばかりが伝承され、それがどんな人物だったか、どんな生活を送っていたかという情報が一切残っていなかった。

 だから、彼女が忘れてしまえば、その記録は、永遠に失われる。

 忘れたことも忘れてしまったら、二度と取り戻す機会は得られないだろう。

 

 自分の確固たる自覚が失われていく感覚。

 存在そのものがあやふやになっていく感覚だった。

 

 そして、呪いは今も進行している。

 徐々に、最愛の人の記憶は失われ、それが都合よく置き換わっていく。

 その人は、男だったはずなのに、もしかしたら女だったかもしれないと確信が持てなくなっていた。

 

 いずれ、記憶の中の最愛の人は、あの女――アサシンに置き換わるだろう。

 そのことに、違和感すら覚えることができなくなるのだろう。

 そうなったら、もう終わりだった。

 

 ライダーはきっと、アサシンに剣を向けることができなくなる。

 請われれば、喜んで彼女の側に立つだろう。

 そして、最後は疑問も抱かず自害するのである。

 そんな結末をありありと想像できてしまうことを、自嘲するように嗤った。

 

「ライダー?大丈夫?」

『――うん。大丈夫だよ。』

 

 大丈夫なものか。

 誰も見ていなければ、あまりの恐怖に、きっと叫びだしている。

 

 ある意味で、マスターこそが最後の堰だった。

 彼女が見ているから、正気を保てているのかもしれない。

 或いは、狂ってしまえたほうが楽なのかもしれないが。

 

 マスターに、今の自分の状況は伝えていなかった。

 彼女は、英霊に憧れを抱いていて、自分はその期待に応えたかった。

 だから、弱いところを見せるわけにはいかなかった。

 

『マスターが寝てた間に、戦闘があったんだよ。それで、ちょっとね。』

 

 少しだけ、彼女が心配そうな表情になった。

 

「怪我、したの?」

『まさか。無傷だよ。でも、魔力を消耗したから休んでたんだ。ほら、マスターからの魔力供給だけじゃ少ないでしょ?』

 

 強がりだった。

 実際、マスターからの魔力供給なんて、ほとんどないも同然だ。

 もし、通常通りに魔力を供給させたら、彼女は、1分と持たず気を失うだろう。

 それほど、李衣奈の魔術回路は劣悪を極めていた。

 その生まれを考えれば、あるだけでもマシなのかもしれないが。

 

「ライダーは容赦ないなぁ。でも、よかった。家に戻ってから、ライダー、なんか変だったから」

「――そう。」

 

 彼女は、意外とちゃんと人を見ている。

 そういう変に鋭いところが、かつての仲間を思い出させる。

 

(――何も、そんなところまで似ていなくてもいいのに)

 

 ライダーは、苦笑する。

 似ているのは、名前と、顔ばかりだと思っていた。

 しかし、一緒に過ごしてみると、懐かしさを覚えるくらいよく似ていた。

 

 クールを装いながら、実は子供っぽいところとか。

 曖昧な知識でつい知ったかぶりをするところとか。

 テンションがあがったときの口癖とか。

 

 そういう共通点が、愛おしかった。

 あいつは、楽器の名手だったっけれど。

 

「――ねぇ、マスター。ギターだっけ?教える約束だったよね」

 

 ライダーは、その身に彼女たちの経験を憑依させる。

 その宝具の名は、『蒼ノ楽団(アズール・ムジカ)』。

 生前の彼女の盟友たちが所属した楽団の名前を関した宝具である。

 

 彼女は、その団員たちの技量を自身に憑依させることができた。

 中には、魔術に近い現象を演奏することで引き起こせる者までいる。

 朝方の戦闘で借りたのがそれだ。

 どういうわけか、セイバーのマスターには効かなかったが。

 

 ライダーは、ギターなる楽器の知識を聖杯により与えられている。

 彼女の知識に照らし合わせれば、つまりリュートのようなものだった。

 そこで、彼女はリュートを名手を憑依させる。

 すると、それは彼女のマスターによく似たあいつだった。

 それが、面白くて笑顔になる。

 

『ほら、はやくギターを持ってきなよ』

「うぇ?ちょ、ちょっと待ってて!」

 

 李衣奈が慌てて部屋を出て行った。自分の部屋にギターを取りに行ったのだろう。

 以前に見せてもらったが、買ったばかりの新品という風情だった。

 弾いて見せてと言ったら、顔を赤くして、できないと言ったっけ。

 

――もしかしたら、チューニングからしないといけないな。

 

 ふふ、と笑う。

 これから、彼女に教えることを考えて、その間は、少しだけ悩みを忘れられる気がした。

 

  ◆

 

「――やられてるね」

 

 彼女は、倒れている女性の様子を観察する。

 

――中身が空っぽだ。

 

 魔力、行ってしまえば生命力が抜き取られている。

 幸い、被害に遭って何時間も放置されていたというわけではないようだ。

 このまま放っておけば死に至るだろうが、今ならまだ、治療をすれば助かる。

 

 問題は、こと魔力の流転に関して、彼女は苦手にしていることだった。

 

「ま、だからって、見捨てるつもりはないけど」

 

 倒れた女性の首元に触れる。

 そして、目を閉じて、自身の魔術回路に意識を馳せる。

 それは、あまりにも強引な方法だった。

 

 効率を度外視した頭の悪い方法。

 要は、工夫もなにもなく、ただ、魔力を相手の体に流し込んだのである。

 

 それでも、結果として望んだ効果を発揮したようで、女性の顔色はみるみるうちに回復した。

 こんなやり方、父にはとても見せられないが。

 

 後は、救急車なりを呼べば、立ち去っても問題ないだろう。

 

――これで5人目だった。

 

 あたまに来るほど、痕跡というものを隠そうともしないで魔力を垂れ流して行動している。

 それは、魔術師としてあってはならないことだった。

 

「アーチャー、あなた達って、そういうもの?」

 

 彼女は自分の背後に問いかけた。

 その問いの意味は、つまり、

 

『否定はできないかな。結局のところ、サーヴァントに魂喰いの側面があることは事実だ。だったら、人食いは手っ取り早い手段というのは確かだし、魔力の供給が覚束ないっていうなら、考えられる手段だね。』

「――そう。それ、不愉快だから、二度と言わないで。」

 

 影は肩を竦める。

 

『勿論。仮にも英霊だ。そんな外道な手段を取るつもりはさらさらないさ。だけど、マスター。これだけは覚えておいて。――敵は、そういう形振り構わない相手なんだってことを。』

 

 わざわざ言われるまでもない。

 だからこそ、潰すのだ。

 

「あなたこそ、そういうサーヴァントと戦うんだって、覚悟はできてる?」

『正直、勘弁願いたいかな。これだけ人を襲ってるんだ、魔力の貯蔵は充分だろうしね。でも、マスターは見逃すつもりはないんだよね。』

「当然。魔術師として、こいつらは放置できない。」

 

 彼女のマスターは、一切の迷いを見せなかった。それが、彼女のサーヴァントとして、とても誇らしい。

 

『(それは、方法に憤っているのか、単に、魔術の秘匿がおざなりだから憤っているのか。方法としては、魔術師なら考えられる手段と思うけどね。ほんと、向いてないなぁ。けど、――そこが好きだよ、マスター。)ま、私も気に食わないってのはほんとだし、精々頑張りますかね。』

 

 たらればの話をしてもしょうがないが、もし自分が、今のマスターでなく、もっと魔術師らしいマスターに召喚されていたら、どうなるだろうと想像した。ぶるっと身震いがする。きっと、こんな気分よく付き従うことはできなかっただろう。

 

「相手は、バーサーカーかな。」

『消去法でいけば、そうだろうね。』

 

 セイバーは除外。

 ライダーも性格的にありえない。

 キャスターは、違うことを確認した。

 怪しいのは、アサシンだが、あれほどの技量を持つマスターにわざわざこんなことをする理由はないだろう。除外。

 すると、残るは、未だマスターの知れないランサーとバーサーカーだが、可能性としては、後者が濃厚だと判断していた。

 

 ランサーは、とりわけ魔力消費の少ないサーヴァントだ。魂食いをさせるならまだしも、生命力だけで済ませているあたり、欲しているのは魔力のように思える。

 そうであるなら、特に魔力消費の大きいバーサーカーにこそ疑いが深まる。

 

 バーサーカーは、召喚される英霊の格にもよるが、莫大な魔力消費の所為で並の魔術師ではまともに運用することも困難だと聞く。なら、魔力を集めていることにも一応の納得ができる。方法は決して認められるようなものではないが。

 

『やだやだ。バーサーカーなんて、一番読めない相手だもんなぁ。ね、今日は様子見にして、ほどほどで帰らない?』

「却下。それらしい反応がある。倒せるときに倒しましょう。」

『へいへーい。うちのマスターは好戦的だから困っちゃうなぁ。そんなだから、みほちーと喧嘩することになるんだよ』

 

 何気なく放たれた一言に、一瞬で頭が沸騰した。

 

「――っ、今は関係ないでしょ!」

 

 顔を赤らめ、反論する少女は、しかし、誰よりもその事実を考え込んでいるように見えた。

 

(あれが、魔術師として正しい判断だと分かっている。それなのに、その判断を今になって後悔している。そして、後悔していることを恥じている。全く、めんどくさい精神構造してるよ、うちのマスターは。)

 

 魔術師であろうとしているのに、魔術師になりきれない。

 自覚があるからこそ、自己嫌悪に陥るのだった。

 

 これが、代々続く魔術の名家の当主だと言うのだから、信じられないし、興味深い。

 

『明日にはまた顔を合わせるんだから、それまでには落ち着かせてよ?』

「落ち着いてるよっ!」

 

――どこが。

 

 そう思っていても口には出さない。

 弄ると面白い反応をするので、ついからかってしまうが、いまからのことを考えると、これ以上熱くさせるのは得策ではなかった。

 

 索敵からして、敵までの距離は、数百メートル。

 向かうまでの間に、魔術師の仮面を被りなおしてもらわないと。

 

――全く、世話のかかるマスターだなぁ。

 

 そんなところが好きなのだけど。

 

 知らず、口元はにやついていた。

 




遠坂ポジなんだけど、微妙に頼りない北川さん。


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6日目 第14話 「美穂を守ってくれてありがとう」

『あんたは騙される人になりなさい』

 

 ずっと昔に、おばあちゃんに言われた言葉だった。

 幼いながらにこの人はひどいことを言っていると思った。

 要は、損をしろと言われたのだ。

 負け組になれと言われたのだ。

 

 それに対して、いかにも不満ですという表情で、私は異を唱える。

 すると、彼女は困ったような顔をした。

 

『あらら、美穂には難しかったかな?』

「ちがうよ。わかるもん。」

 

 分かるからこそ、ただ、嫌だっただけだ。

 馬鹿にされたことも、少し不満だった。

 

『いいや、美穂は分かってない。騙される人はとっても優しい人なんだ』

「やさしい?」

『そうさ。そして、人を信じられる人なんだよ。』

 

 彼女は、しわくちゃな手で私の頭を撫でた。

 その感触が、実は少しだけ好きだった。

 

『いいかい。美穂。人は、幸せの箱を持っているんだ。』

「しあわせのはこ?」

 

 はて、自分はそんなものを持っていただろうか。

 もしかしたら、おかあさんが隠しているのかもしれない。

 あとで聞いてみようかな。

 そんなことを言うと、彼女は、さもおかしいように笑った。

 

『違うよ、美穂。幸せの箱は見えないんだ。私たちの中にあるからね』

「なか?」

 

 ぺたぺたと自分の体をさわる。

 なかというからには、お腹だろうか。

 ぽふぽふと押してみるが、はこらしきものは見つからない。

 ぎゅーって押したら、痛くなった。

 

『そして、人は幸せの箱と同じ大きさしか幸せになれないのさ。だって、溢れちゃうからね。』

 

 なるほど、なるほど。つまり、幸せの箱とは、幸せをしまっておくための箱なのか。

 

「それって、どれくらい?」

 

 いっぱいいっぱいしまえる方がいいから、タンスくらい大きいと安心。

 あれ、でも、そんなに大きいとお腹には入らないよ?頭にははてなマークがたくさんだ。

 

『どうかな。何せ、見えないからね。もしかしたら、美穂の箱はもういっぱいになってるかもしれないねぇ。』

「え?や、やだよ!」

 

 幸せは、いっぱいの方が嬉しい。

 そしたら、いっぱい美味しいものが食べられるし!

 

『そうだね。嫌だね。もっと、幸せになりたい?』

「うん。どうすればいいの?」

 

 私は、おばあちゃんに尋ねた。

 おばあちゃんは何でも知ってるんだ。とってもものしりさんだから。

 

『それはね、人と箱を一緒に使うのさ。誰かの箱に美穂の幸せを入れるの。代わりに、美穂の箱にその人の幸せも入れてあげる。』

「でも、入る量はおんなじだよ?」

 

 足し算っていうんだよね。

 学校で教わったよ。

 

 でも、入れる量も足し算したら、また箱はいっぱいになっちゃう。

 

『それじゃあ、美穂は、あたしが幸せだったら嬉しいかい?』

「うれしいよ。」

『そうかい。それじゃあ、あたしの幸せは美穂の幸せだ。――幸せは共有できるんだ。』

「きょうゆう?」

 

 こてんと傾げた。

 

『一緒ってことだよ。そうだ、美穂。テレビを見よう。あたしは自分の部屋で見るから、あんたは自分の家で見なさい。』

「え?」

『嫌かい?それじゃあ、あたしの部屋で一緒に見るかい?アニメがいいかな。何が見たい?』

「えーと、えーと」

『ああ、でもやっぱり、あたしは昼ドラが見たいから、ひとりで見るわ』

「え、え?」

『それとも、昼ドラを一緒に見るかい?』

「えーと、えーと」

 

 アニメは見たいけど、昼ドラは見たくない。だって、怖いんだもん。

 でも、一人で見るのはつまんない。おばあちゃんと見たい。

 

『つまりね、そういうことだよ。美穂。共有ってのはそういうことさ。一緒にみたら、場所は一個で済むだろう?』

「ほんとだ!」

『幸せの箱もおんなじさ。一緒の幸せにしちゃえば、箱の数だけ増えるんだ。だけどね、美穂、分かったろう?共有するってほんとに難しいんだ。特に、幸せを共有するって、テレビを共有するよりもっとずっと難しい。なんたって、誰かに心を許さないといけないからね。』

「うん。」

『それができるのは、優しい人だけなんだ。だからね、――本当に幸せになれるのは、心から誰かを信じられる人だけなんだよ。』

「うん。」

 

『だから、――あんたは騙される人になりなさい。そして、――たくさん幸せになりなさい。』

 

 おばあちゃんの手が、私の頭を撫でた。

 

  ◆

 

 起きてみれば、その記憶こそが、彼女のはじまりだったのだと訳もなく理解した。

 

「―――すぅ、―――すぅ、―――すぅ」

 

 規則正しく繰り返される呼吸音、彼女の主は未だ夢の中だ。

 

――随分と、含蓄のある言葉を吐くようになった。

 

 自然と頬が緩む。

 

 およそ50年。

 時の流れは興味深い。

 

 苛烈でありながら、しかし、どこか達観したところのあるチグハグな女性であった。

 当時は若かったということもあるだろう。

 少なからず迷い、悩み、足らないものを埋めようと足掻いていた。

 あの経験がどれだけ、彼女の人生に影響を及ぼしたのだろうか。

 叶うなら、その隣で見続けたかった。

 

(――まぁ、あの終わりも、納得してのものでしたが。)

 

 2人で決めた選択に、後悔はない。

 あの時は、それこそが正しいと信じ、実際に彼女の予想は的中した。

 だからこそ、今、私はここにいる。

 再び、セイバーのサーヴァントとして、あなたの孫と契約している。

 

「思ったより、似てませんでしたね」

 

 孫なんてそんなものだろうか。

 ベッドで眠る彼女を見て、記憶の中の姿と比較する。

 

――もっと、エキセントリックでしたかね?

 

 はて、性は確か小日向ではなかったはずだから、彼女の子は、美穂の母親のほうだろうか。

 言われてみれば、なるほど面影がある。美穂よりは似ていると思った。

 夢に見るまで、思いつくこともなかったのだと、少し不思議に思う。

 

 かたんかたんと階段を下りる。

 

 リビングからは、かちゃかちゃと食器を並べるような音が聞こえた。

 そろそろ、美穂を起こしにいくのだろう。

 休みの日といえど、惰眠は許さないという方針らしかった。

 

 焼けたトーストの匂いが漂ってくる。

 本来食事の要らないサーヴァントではあるが、味覚は生きているのだ。

 折角の美味しい食事であれば、食べない理由はない。

 特に、ここ数日の、穏やかな食卓は居心地がよかった。

 一家の団欒、それは、とうに失ったものだったから。

 

「おはようございます」

 

 ドアを開けてリビングにはいると、すでに美穂のご両親が揃っていた。

 大抵、この家で起きるのが遅いのは美穂だけだった。

 仕事の日だろうと必ず朝早くに起きて、家族の朝ごはんを用意しているのだから、頭が下がる。

 

「あら、おはよう、セイバーちゃん」

「おはよう、セイバーちゃん」

 

 まじまじと見つめると、やはり彼女の面影があった。

 共に駆けた日々が思い出される。

 あの時は、こんな穏やかな空気に包まれることはなかったけれど。

 もっとずっと慌ただしくて、騒がしかった。

 

「あら、どうしたの?私の顔に何かついてる?」

「あ、いえ。なんでも。」

 

 じろじろと見つめるのは、失礼だったか。

 こういう時に上手く返すことができないのは、自分の欠点だと思う。

 

「はは、母さんが美人で見とれてしまったんだよなぁ!」

「あら!もう、あなたったらぁ!!そんなことを言われても、セイバーちゃんだって、困るわよねぇ」

「え、いやそんなことは。」

 

 美穂の父親は歯の浮くような台詞で褒めちぎるし、母親はそれを受けてくねくねと喜びを顕にする。長く連れ添っているだろうに、本当に仲がいい。

 実に理想的な夫婦――それは、いつか自分の憧れた姿そのものだった。

 

「本当に、仲がいい……」

「当たり前だろう、私たちは家族なんだから」

「そうよ。そして、セイバーちゃんもね」

 

 2人は、穏やかに笑った。

 

「――私も?」

「勿論だ。一緒にご飯を食べているんだ。だったら、もう家族だろう。」

「遠慮なんてすることないんだからね。」

 

 それは、世辞とか社交辞令とか、そういうものとは違くて、温かい気持ちになれる何かだった。

 

 家族。

 家族。

 家族。

 それは、いつかの私が、失ってしまったもの。

 

「ねぇ、セイバーちゃん。ここが、あなたの家でいいんだからね。」

「―――」

 

 それは、まるで、分かっているかのような言葉だった。

 

「君が、君たちが、何をしているのかは分からない。私たちには足を踏み入れることのできない話なのだろう。だけどね、セイバーちゃん。無事に帰ってきてくれ。君を、心配している人もいるんだって、忘れないでくれ。」

 

 目を見開いたのが、自分でもわかった。それくらいに驚いている。

 

「……気づいて――?」

「何の事かしら?」

「何のことかな。」

 

 穏やかな顔で、2人が笑う。

 踏み込んではいけないと、理解しているが故の言葉だった。

 

「言い忘れていたけれど、これだけは言わせておくれ。――美穂を守ってくれてありがとう。これからもよろしく。」

「―――はい。」

 

 これが、親か。

 

 胸に、じんわりとくるものがあった。

 

 2人は、見守ると決めたんだ。

 娘が何かに巻き込まれていると知って、それでも、私に任せてくれたのか。

 

 任せてくれるのか……。

 

「さぁ、ごはんにしよう。折角のトーストが冷めてしまう。」

「美穂を起こしてくるから、二人は先にたべててね。」

 

 強いなぁ。と思った。

 叶わないなぁ。と思った。

 

 この人たちが、私を家族と呼んでくれたことが、誇らしかった。

 

  ◆

 

「――んで、なんでうちに来るの?」

「学校がないんだから仕方ないでしょ。打ち合わせの場所も決めてなかったし。」

 

 朝ごはんを食べ終えると、チャイムが鳴った。

 そのとき、たまたま手が空いていた私が玄関まで行くと、北川さんが立っていたのだった。

 今日は土曜日だ。当然、学校はない。

 

「家の場所、教えてたっけ?」

「家電の番号は聞いてたからね。調べればすぐでしょ。んで、あがってもいい?」

 

 そういいつつ、既に靴を脱ぎ始めているのだから恐れ入る。

 初めから上がる気じゃないか。

 

「あら、美穂。お友達?」

 

 ようやく洗い物を終えたのだろう母が顔を出す。

 エプロンで手を拭いていた。

 

「あ、どうも、お母様。北川真尋と言います。お邪魔します。」

「あらあら、ご丁寧に。美穂の母です。ゆっくりしていってね」

 

 私を置いて受け入れないでほしい。

 これでは、別の場所で話そうと提案することもできない。

 

「――、私の部屋は二階だよ。お母さん、あとでセイバーも呼んで。」

「ええ、分かったわ」

 

 北川さんを案内しようとすると、その表情が気になった。

 目を見開いて、驚いているように見える。

 

 はて、うちは平凡な一軒家なので、驚くようなものはないと思うのだけど。

 疑問に思いつつも、私は階段をあがる。

 

  ◆

 

 その答えは、すぐに知れた。

 

「驚いた。セイバー、普段は実体化させてるんだ。」

 

 言われてみれば当然のことだった。

 本来、サーヴァントは消費を抑える為に霊体化しているのが普通なのだ。

 ただ、家の中では、セイバーが留学生ということで認識されてしまった以上、実体化せざるを得なくなっている。

 セイバーには考えがあったらしいが、今のところ、それらしい恩恵はなかった。

 

「できればアーチャーは、実体化させないでね。あと、あまり大きな声で聖杯戦争のことは話さないこと。お母さんたちに聞かれたくないから」

「あー、心配しなくてもアーチャーは、実体化させないよ。」

「?」

 

 なにやら、鎮痛な表情だ。

 何かあったのだろうか。

 

『お待たせしました。』

 

 お母さんの手伝いを終えたセイバーが部屋に戻ってくる。

 さて、打ち合わせの開始だね。

 

 と、言っても、こっちに進展はないので、報告もなにもないのだけど。

 

「ところが、こっちにはあるんだな。――昨日、バーサーカーと一戦交えた。」

 

 その報告は衝撃だった。

 

『―――!』

 

 セイバーが驚きに目を見開く。

 

 バーサーカー。

 それは、7人目のサーヴァントだ。

 これで、全部のサーヴァントが判明したことになる。

 だが、それにしては、北川さんの表情がすぐれない。

 まさか――

 

「北川さん、――アーチャーはどうしたの?」

「ほんと、惚けた顔して鋭いんだから」

 

 北川さんが、困ったような顔を作った。

 

「――心配しなくても消えちゃいないよ。ただ、結構派手にやられてね。今は回復中。昼を過ぎればなんとか動けるようになると思うけど、まともに戦闘がしたいなら明日以降かな。」

『強かった、ですか?』

「化け物だったね。見た目は小さな女の子なんだけど、とにかく硬かった。アーチャーの攻撃が当たってもびくともしないんだ。一切止まることなく突っ込んできて、そのまま攻撃されてノックアウト。逃げる為に令呪まで使ったよ。」

 

 そう言って、北川さんは左手の甲を見せる。3画のうち、確かにそのうちの1画が、かすれて痣を残すばかりになっていた。

 

「おかげで全く情報はなし。見た目と、頑丈ってことと、武器が大きな鎌ってことくらい。マスターの顔も見てないや。」

 

 軽い口調で言うが、その表情には悔しさが滲んでいる。

 きっと、必死だったのだろう。

 そして、何もできなかった自分が許せないのだ。

 

「あれは、きっと、セイバーがいても無理。私たちだけじゃ、どうあがいても勝てないよ。」

 

 北川さんが、淡々とした口調で、事実を読み上げるように話す。

 

「そんなぁ、それじゃ、どうやって。」

「だから、それを相談しに来たんだ。」

「―――」

 

 そうは言っても、私は魔術も、戦いについても素人だ。

 そんな私が北川さんよりもうまい策を思いつけるとは思えない。

 私たちだけで勝てないんなら、他の人を頼る、とか?

 残念だけど、こんなくらいの考えしかでないのが実情だ。

 

『これは、仮の話ですが、私たちが積極的に戦わないといけない理由はあるのでしょうか。そもそも、私たちは聖杯に興味がありません。そのバーサーカーたちが仕掛けてこない限りは戦闘をする必要性を感じないのですが』

 

 北川さんが、セイバーの言葉に眉を動かした。

 

「――へぇ、そうなんだ。ま、この際、あなたたちが聖杯を欲していないと、そういうのはいいや。仕掛けてきていないのは、たまたまだ。今後も仕掛けてこない保証はない。だったら、それに備えるのは当然だと思うけどね」

『その間に、他の陣営が潰すと言う可能性はないのですか?』

「さて、ね。正直望み薄だと思う。少なくとも、正面切って戦ったら、あのライダーでも危ういだろう。」

「―――」

 

 俄かに信じがたい。

 アーチャーとセイバーの、2対1でも勝てるかどうかというライダーでも、危ういと断ずる。

 それほどの相手だとすれば、確かに、無策ではいられない。

 

「それに、あいつらは放置してはおけない。」

「それは、どうして?」

「――あいつらが、意識不明事件の犯人だからだよ」

「――え?」

 

 なんだって?

 意識不明事件の犯人?

 それは、あの、ニュースでやっていた?

 

 どくん、と心臓が跳ねた。

 

「証拠はあるの?」

「間違いない。昨日調べて、被害者も見つけた。そこに残っていた魔力の痕跡は、間違いなくあいつらのものだった。」

 

 語る北川さんの口調は、いつになく怒気を孕んでいる。

 

 やっぱり、この人はいい人だ。

 彼女は、被害者のために怒っているのだ。

 信じてよかった。そう思った。

 

「北川さん、ごめん。真面目に考えるよ。絶対、どうにかしよう。」

「――ありがとう、小日向さん。」

 

 そこでようやく、北川さんの笑顔を見た。




母親は、少しだけ魔術に理解があります。


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第15話 「図星を指して、何がわるいの?」

「キャスターさーん、キャスターさーん?」

 

 打合せを終えて、私たちは廃寺に来ていた。

 目的は、キャスターに相談するため。

 あと、昨日来れなかったことを謝罪しておくためだ。

 

 結局、いくら考えても仲間を増やす以外の策が思いつかず、居場所の分かる唯一のサーヴァントということで、キャスターに白羽の矢が立った。

 

『はいはーい。待ってたわー。』

 

 相変わらず、警戒した様子もなしに出迎えるキャスターである。

 その信頼が、とても心地いい。

 

「ごめんなさい、昨日は来れなくて」

『なんで謝るのよ、本来、来てくれるだけでありがたいんだから。……それで、なんであなたまで来てるのかしらね、アーチャーのマスター?』

 

 そして、ぎろりと、少し離れたところにいる北川さんをにらんだ。

 相変わらず2人の仲は悪い。

 ちょっとだけ、私の頬がひきつるのを感じる。

 

「来ちゃダメって言われていないからね。それに、小日向さんに何かあったら大変でしょう?」

『―――ギリッ』

 

 あわわわわ。

 なんで挑発するようなことを言うかなぁ!?

 ほら、キャスターが視線だけで人を殺せそうなくらい凄惨な表情をしているよ!?

 

「キャスターさん、ストップ!北川さんも挑発しないで!……もう、そんなんじゃ、話ができないよ。キャスターさん、お堂の方に行っていいかな。乃々ちゃんと話がしたいの。できれば、みんなで」

『――構わないわ。でも、前回のような真似をすれば、分かってるわね?』

 

 言い含めるように、北川さんに強い視線を向ける。

 北川さんは、肩を竦めて答えた。

 

「約束はしない。でも、流れは小日向さんに任せる。余計な口は挟まない」

『なら、いいわ。こっちよ』

 

 きりきりと、胃が痛むのを感じた。

 どうして、もっと仲良くできないのだろうか。この2人は。

 

『……』

 

 私の隣で、ぴりぴりした雰囲気を隠そうとしないセイバーを見る。

 2人ではなかった。3人だった。 

 

  ◆

 

 焦ってもいいことはない。

 いきなり本題を切り出すことはためらわれた。

 

 話の入りとして、昨日来れなかったことを謝りつつ、乃々ちゃんは。何をしていたのか、という話をした。

 すると、漫画の話が出たので、それに触れる。

 やはりというべきか、少女漫画が特にお気に入りのようだ。

 だが、恋愛漫画はそこまでのようで、4コマ漫画などが特に好きらしい。

 少年漫画は読まないのか、と聞くと、激しいバトルは怖くて読めないのだとか。

 

 そんな趣味の話をしつつ、さて、どう切り出したものかと考える。

 ちなみに、数回のやりとりで慣れたのか、私が文字を書くことはなく、戸越しに話しかけるようになっていた。乃々ちゃんは、相変わらず筆談だったけれど。

 

「ここって、電気通ってないよね。テレビとか見れないとつまらなくない?」

 

 ちなみに、うちはリビングにしかテレビがないので、チャンネル争いは公平にジャンケンということになっている。

 何故か、私の勝率は一番悪いのだけれど。

 

 勿論、負けても楽しんで見れるようなバラエティならそのままリビングでテレビを見るが、スポーツ中継とかになると部屋に上がって、友達と電話をするか宿題を終わらせるか、というのが、私の家での過ごし方である。

 そう考えると、結構テレビは娯楽として高い地位にいると思うのだ。

 

 しかし、乃々ちゃんにとってはそうでもないらしい。

 

“もともとテレビは見る方ではないので。どちらかと言うとラジオ派です。今も脇にあります。”

 

「――それじゃあ、ニュースとかも聞いてる?」

 

 期せずして、本題に踏み込んだ。

 

“聞いてますけど”

 

 キャスターを横目に見る。

 その表情は変わらない。

 きっと、私を信用してくれているのだ。

 それが、嬉しいと同時に後ろめたい。

 

一昨日は、その話題を止めさせた私だが、今日はその私こそが、踏み込むのである。

 

 言葉は、慎重に選ばないといけない。

 

「新都の意識不明事件って知ってる?」

 

“知ってますけど”

 

 戻ってきた言葉はそれひとつ。

 キャスターからは何もない。

 私たちが、その犯人として疑っているわけじゃない。そのことは、キャスターは承知の上だが、果たして乃々ちゃんは、私の質問をどう捉えただろう。

 

 サーヴァントの仕業だと知っているのだろうか。

 そもそも、聖杯戦争にどこまでかかわるつもりがあって、どこまで情報があるのか、そんなことも知らないと、今更になって気づいた。

 

 当然だ。

 刺激をしないようにと触れなかったのは私だし、彼女との交流に聖杯戦争を持ち込まないと決めたのも私なのだから。

 

 だから、これは本来ルール違反なのだ。

 一度、そのために、キャスターからの提案を半分断ったこともある。

 だというのに、都合がいいからと、キャスターを頼ろうとしているのだ。

 後ろめたくもなる。

 

 それでも、人の命が係っているのだ。

 北川さんの話では、未だに意識が戻らない人もいて、その人たちは本当に危険な状況なのだそうだ。

 もしかしたら、一生目を覚まさないかもしれないと。

 その被害は、今後も続くかもしれない。

 本当に、死んでしまう人が出るかもしれない。

 それは、止めたかった。

 どうしても止めたかった。

 

 だから、自分で決めただけのルールに縛られて、可能性を捨てることはしちゃいけない。

 たとえ、乃々ちゃんに嫌われることになっても、キャスターの信用を裏切ることになっても、それは、すべて私の我が儘のせいだ。

 受け止める覚悟はないけれど、目をそらすことはしたくなかった。

 

「その犯人が分かったんだ。だから、――力を貸してほしい。」

 

 返事はない。

 紙にペンを走らせる音も聞こえない。

 詰られても仕方がないと思っていた。

 だが、現実は、どこまでも無言だった。

 

『それ、どうやって調べたの?』

 

 口を開いたのは、キャスターだ。

 

「一昨日から、わたしとアーチャーで新都を調べて、昨日見つけた。」

『見つけたなら、あなた達で倒せばいいじゃない。それとも何?逃げられの?それで、探してほしいとか?』

「――逃げたのは、わたしたちよ。勝てなかった。後は、言わなくてもわかるでしょ。場所の方は、どうせ新都だし、行けば追える。」

『ふーん。』

 

 意味ありげな目線で、キャスターは北川さんを見た。

 

「何よ。」

『別にー。ただ、偉そうなことを言っていた割に、逃げ出すのが精いっぱいだったのね、なんて思ってないわよ。』

 

 途端に、北川さんの表情が歪んだ。

 

「喧嘩売ってるなら、買うわ。」

「わーーー!!待った、待った!落ち着いてったら!」

 

 2人の間に入って執成す。

 正直、生きた心地はしない。

 今日に限っては、これまでの関係も清算される可能性があるのだから。

 

『つまり、負けっぱなしじゃ恰好がつかない、ってことよね?それで手を貸せって?』

「……違う。それだけの理由なら、あんたはともかく、小日向さんを巻き込もうなんて思わない。ただ、あいつらは、放置しちゃいけない。こんなニュースになるやつらは、魔術師として、断じて許せない。」

『そう。許せないのは、魔術師として?』

「……当然よ。分からないとは言わせないわ。」

 

『だったら、私には関係ないわ。他を当たって頂戴。』

 

 それは、当然の言葉だった。

 それでも、どこかで愕然とした自分がいるのを否定できない。

 キャスターなら、手を貸してくれるかもしれないとどこかで期待していたのだ。

 この、人情味に溢れた彼女ならば。

 

 だが、状況も、その危険性もすべて理解したうえで、彼女は関係ないと切って捨てた。

 それが、それこそが、彼女の在り方なのだと表明された。

 

「この状況を見逃すというの?」

『忘れたの?わたしは魔女よ。魔術師じゃないわ。ましてや、人でもない。あなた達の価値観が理解できるわけないでしょう?』

「でも、考えても見なさい。やつらは、これからも魔力を集め、万全の状態で聖杯戦争を戦い抜く。それは、あなた達にとっても避けたいことでしょう?3人でかかれば、今の時点でやつを、――バーサーカーを止められるかもしれないのよ!」

 

『――興味がないわ』

 

 取りつく島もない。

 

 ただただ冷静に、拒絶の意思を示し続ける。

 どんな事情があろうと関係ない、その事実だけを突きつける態度は、いっそ頑なだった。

 だからだろう、必要以上に、北川さんが熱くなる。

 わたしは、それを止めるべきだった。

 

「――ギリっ、自信がないんでしょう!?キャスターだから、ここを出るのが怖いんだ!!」

 

 それはもう、交渉ではなかった。

 断罪するように、言葉は苛烈になる。

 それをたしなめる声があった。

 

『それ以上は止めなさい。』

 

 ぞっとした。

 

「図星を指して、何がわるいの?」

『――気分が悪いわ。』

 

 ぞっとした。

 

『魔術師風情が、身の程を知りなさい。私が、私に対する侮辱を許しているのは、美穂ちゃんに配慮してのことなのよ。それを理解していて?アーチャーのマスター。まさか、ココが何処なのか、分からないわけではないでしょう?――これ以上は、あなたを敵とみなすわ』

 

 ぞぞぞ、圧倒的なまでの、魔力の嵐が吹き荒れた。

 足が震える。思い出す。

 

 人情味に溢れる?

 馬鹿なことを。

 

 たったの3日で、何を知ったつもりになっていたのか。

 わたしは、もう、忘れたのか。

 

 はじめて会った日、あの時の彼女を、その言葉を。

 セイバーも、他ならぬ彼女自身も言っていたじゃないか。

 

 彼女は、――魔女だ。

 

『敵がなんであろうと、ここを攻めるなら潰すわ。――魔女の名に懸けて。』

 

 それは、宣告だった。

 覆しようのない決定だった。

 

『そういうわけよ美穂ちゃん。悪いわね、力になれなくて。』

「い、いえ。こちらこそ、すみませんでした。」

『今日のところは、お開きにしましょう。また、懲りずに遊びに来てね』

「――っ、はい。」

 

 これで、話は終わり。

 うまく、話ができたとは思わない。

 そもそも、口をはさむことも、止めることもできなかったのは、私だ。

 任せると、言ってくれたのに、それを果てせなかったのは、私だ。

 

 それでも、きっと、今日の私が、どんな話し方だったとしても、どんな話の流れにしたとしても、彼女が協力してくれることはなかっただろう。

 わたしは、彼女たちを理解できていなかったのだから。

 

 ここに、交渉は決裂した。

 

  ◆

 

『――はぁ……』

 

 ひとり、お堂の前でキャスターはため息をつく。

 

 助ける義理がない。

 言ってしまえばそれまでだが、本音を言えば、助けられるのなら助けてあげたかった。

 

 その心の機微は、およそ魔女としては異端のものである。

 

(――これは、もう性分かしらね。)

 

 彼女は、自分自身の心を観察して、そう結論付ける。

 既に完成しているキャスターが、もう変わることはないのだろう。

 死んでも変わることがなかったのだ。

 きっと、もう変わることはできない。

 

「あら?」

 

 お堂を振り返ると、紙が戸の隙間から差し出されていた。

 拾い上げて読むと、ごめんなさい、と書いてあった。

 キャスターは、苦笑する。

 

「なんで、貴女が謝るのよ。聞いてなかったの?わたしは、わたしの都合で、価値観で断ったの。むしろ、謝るべきは私よ。私の我慢が効かなかったせいで、美穂ちゃんが来なくなるかもしれないわ。」

 

 折角、マスターと友達になってくれるかもしれなかったのに。

 結局のところ、熱くなったのは、北川真尋ばかりではなかったという話である。

 

『それに、あの魔術師の子が言っていたことも事実だもの。工房たるこのお寺を出てしまえば、著しく私は弱体化する。バーサーカーと言っていたかしら?そんなものと外でやりあうのは御免よ。だから、あなたは気にしなくていいの。』

 

“それでも、ごめんなさい”

 

『分からない子ねぇ。』

 

 否、きっと、分かっているのだ。

 

 キャスターが言っていることは事実だ。

 助ける義理はないし、危険を冒したくないというのも本当だ。

 だけど、一番の理由は違くって、それをキャスターが隠そうとしていることも分かっている。

 それが、自分を慮ってのことだと分かっている。

 だからこそ、森久保乃々は謝るのだ。

 

 それを、キャスターも分かっていて、分かっていながら、分からないふりをする。分からないことにする。

これは、どうしようもなく性分だった。

 

『それじゃあ、悪いと思っているなら、今日一日私に付き合いなさい。どうせ外に出ないんだから、ゆっくりお話ししていましょう。』

 

 縁側に腰を下ろす。

 空を見上げれば、太陽がまぶしいほどの快晴だった。

 心の中で、美穂たちの無事を祈る。

 こういう天気のときは、決まって試練が訪れる。

 

 経験則だった。

 

『ねぇ、とりあえず、今日は何が食べたいかしら?』

 

 やがて、紙が滑るように差し出された。

 

“手羽先”

 

『きちんとリクエストが返ってくるなんて、珍しいわね。……槍でも降るのかしら』

 

 これまで、何が好きだとか教えてくれたことはなかったはずである。なので、いつもは適当に総菜を買ってきていたのだが、さて、せっかくマスターが好物を教えてくれたのだ。

 少しでも歩み寄りの姿勢を見せ始めているのは、よい傾向だと思う。

 ならば、なんとしてでも手羽先なる食材をゲットしなければ。

 

――私の試練は、スーパーかしら。

 

 そう思うと、途端に心がくじけそうになった。

 




実は、冷静じゃなかったキャスター。


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