それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、 (AyA Tono N.C.)
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#01 紗幕の夢のなかで

 

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(-1)

 

 そして次に、平坦な体をした少女は、きっと自分の血縁であろうと確信したその存在の、水色のコートを纏ったブロンドの女学者の背中を、追う。

なにかの間違いがあって、振り向いてくれないかと祈りながら。

 

 けれどその女性は随伴する2人と馬鹿げた会話に興じながら、決して振り返ったりなどせず、そのまま少女の視界からは遠ざかるばかりで。

彼女は確信する。

これが、「帯を見るってことの延長にあるんだとしたら」、彼女はひとりごちる。「きっとあの子もこれと同じ夢を見るにいたるんだろうな」。

そう、答えを導き出して。

 

 そして、次に確信したのは、このいかれた八百長の出来レースに、勝者などいないのだと。そういうこと。

その確信はすぐに少女の精神を少し蝕み、彼女は身体のなかの全てを嘔吐したくなり、涙ぐんで。

その世界は非現実で、空虚で、夢にもどる。

美有(みゆ)は、この2年数ヶ月の記憶を掘り起こし、なんと無為に騙された期間の長すぎたことか、と嘆く。けれど。

 

「わたしは、人類の代表者になることをあきらめてはいない」

と。そして彼女は歌う。

 

 

 

 

 

(0)

 

 1997年の3月11日、その日は随分と晴れやかな日で、今日は暖かいですね、薄いコートを着てきました、背中に汗がにじんでしまいますね、といった歓談前の挨拶が交わされていて、事実その葬儀場のだだっ広い待合ホールは暑かった。

先ほどひとつの棺が炉に入れられたばかりで、1時間ないし1時間半の待機を促された遺骸の関係者たちはそこにある死について現実感がなく、あるいは興味薄く、この日の気温や世間話に花を咲かせていて、死者を悼むような言葉は口から出てこない。

 

 少し前に葬儀が済まされた奄美雄策(あまみ ゆうさく)という初老の男は世捨て人であった。

世界を飛び回り、自己の知見を脳内の果ての果てまで埋め尽くそうとし、知識を何よりも愛し、下らぬと唾棄される雑学をとことん突き詰め、知の魔人となりつつも決して家族や友人を顧みなかった男。

59歳にて脳梗塞でこの世を発った男。それでも彼の親族は情念強く、葬儀に人を集めるだけの人望があった。だから、50人という人数が集まりならも、死を悲しむ者がほぼいない、という不自然な光景が広がるのだ。

 遺産もなく、人の感情を大きく揺さぶったこともなく、思うがままに生きて死んだ男の火葬は速やかに終わり、遺骸は骸骨になって晒される。

 

-死んだらみんな骸骨だ-

 

と、生前彼はよく口癖のように言っていた。今やその通りで、彼はその言葉を先祖の恩師の著作から自分の言葉として抜き取っていた。

 

 

照前清人(てるまえ きよひと)という男が焼けた頭蓋をまじまじと見つめ、瞳に涙をためて、こぼし、遺族のひとりに慰められる。

そこでやっと遺族の別のひとりがもらい泣きをはじめた。先生を悲しませるなんて、叔父は罪作りですよ、と。

ひとりの世捨て人には親友がおり、そしてその場には相応しくない悲痛な思いがそこにある。が、それはここではだいぶ浮いている。

 

「裕策、今までありがとう。ぼくらの悲願は、あと3年で叶う―」

 

照前はそう呟いて、数人がそれを聞いていたが、意味をとれず、さして興味ももたれず、骨壺に遺骸のおおよそがたたみこまれると、また参加者たちは和やかな場に還る。

 

 

(1-1)

 

 わたしの名前は、そのときは柴崎悠利(しばさき ゆり)。今は、名字が違う。

 

わたしはそのとき15歳で、翌日から明開晴訓高校の1年生…という、それは新設の高等学校で、距離、学力レベルの適切さ、制服のバリエーション、雰囲気の好みとかが全部当時のわたしに合致して…

ああ、そうなのだ。わたしはそんなつまらない理由で進学先を選んでしまったんだっけ。

 

1997年、もうだいぶ昔の話になってしまうけれど、あえて思い返して綴ろうと思う。この、綴る行為は意外と誰かしらにとっては迷惑で、思い返したくない(良い意味でも悪い意味でも)

思い出を喚起させてしまうものなのだが。

けれどあの鮮烈な記憶が徐々に色あせていくことはわたしにとっては耐えられないことだし、大切な人たちに聞いてもらうことも決して悪いことではないと思ったのだ。

 

ただ、これを誰かに聞いてもらうと、きっとその誰かはわたしの話を一種の創作、ポエムと勘違いしてしまうことで着地してしまうのは明らかだろう。

 

 わたしの経験はかけがえのないものでありながら、不思議で、二度と体験できなくて、オカルトで、ファンタジックで、それでいて少女趣味だ。

―そう、これを聞かされる人は、迷惑なのだ。

思えば、わたしは最後まで彼女には迷惑をかけっぱなしだったのだ。

この思い出話を、わたしの最高の友人に捧ぐ。

 

 

 わたしのその頃の趣味は星占いのハシゴだった。どういう行為か?というと、簡単に言うと、こうだ。

まず、そういった星占いコーナーがコラムにある時事情報誌、女性誌、TV情報誌などを集める。

そしておうし座のA型、その日、その週の占いをまとめあげる。ひとつでは駄目なのだ。信憑性がない。最低でも4つはなければ行動理念に結びつかないと、そういう難しい言葉では考えていなかっただろうけれど行動理念と原則を決めることができた。

 

”新たな挑戦が道を切り開き、憂鬱になることもありながら、好きな人と距離をおきつつ、思いがけぬ出会いがあり、慣れない環境で具合が悪くなることもありながら、運命を変えるできごとがあり、新しいあだ名がつけられ、ラッキーカラーは青で、白いワンピースを着る”

 

と、よいのだ。わかるだろうか。

 

そしてこの、期待とびびりで少し寝不足だった入学式の前日の晩の占い集約の昇華は、今でも思い出すがばっちりだったと思っている。

そう、外していなかったのだ。ため息が出るほどに、この占いの昇華は完璧だったのだ。

 




6/1、オープニング追記。


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#02 柴崎悠利(1)

 初登校日は入学式の日で、その日は4月7日だった。入学試験が行われたのは別の高校で、わたしはその驚くほどに輝いて見えた校舎の敷地に入り何度も唸った。美しい、こんなところで3年も過ごすことができるのかと。通うのかと。

 

 この学校において初代の生徒となるという事実も、記念的で記録的なものであって、また縁起かつぎの一種ではあったが感動を誘うものであった。風景や絵画を見てもあまり感動を覚えないわたしではあったが、ふと自らがその当事者でありパーツの一部であるという自覚をすれば、それはなんだか誇らしく感じられたのだ。

 途中で、そばを歩いていた母はわたしが向かうのとは別の入り口を見つけると、じゃあね、とこともなげに別れて行った。きっとわたしが上の空だったことはばれていたし、きょろきょろと至る箇所へ視線を向ける田舎者のような娘を面倒くさがったのか。

 

 周囲を見れば男女の群れがあちらこちらに。軒並み同じ方向へ歩を進めており、彼らはわたしの仲間である。何人と親しくなれるだろうか。心からの友人はいてくれるだろうか。わたしと同じ中学校からここへ進学したのはもう一人しかおらず、かつあとで述べるがあまり距離を縮められないことがわかっていたものだから、特に下地がないところから交流を広げていかざるを得なかったし、わたしのこの鈍くさい性格が嫌われてしまいやしないか、と不安は尽きなかった。

 それは自意識過剰な杞憂だったのだが―

 

 わたしは、期待と不安で他のことが考えられなかったと記憶している。あとで聞けば、親切に教室までの誘導をしてくれた先生やら保護者やらはいたらしいのだが、はっきり言って受付のような場所さえ気づけずに自分はどこに行けばよいのだろうと困惑していた自分は視野が狭いし馬鹿なのだと思う。

 

 クラスは1年A組だった。このあたりの記憶はあまりない。ただ、何か掲示板か配布物を見て自分がそこの所属であることをすんなり受け入れ、靴を履き替えたら少し歩いて一番近い教室であったというあたりの記憶はある。教壇から机、椅子などの並びは中学校とあまり変わらなかったただすでに教室にいた他の生徒たちがだいたい自分以上に大人に見えた。絶対に同じか近似しているだけなのに。

 

 勇気を出して足を踏み入れると、緑色のネクタイをした痩せた男の子が、無言でわたしに紙を渡した。わたしは「おはようございます」と言ったが彼は特に何も返さなかった。男子の制服のネクタイの色は数種類あって、女子はブレザーのリボンとさらにスカートの色にバリエーションがある。わたしはともに紺色を選んだ。あまり派手な色は好みではない。

教室内はそれなりに静かで、わずかな人数がすでに自己紹介を兼ねた会話をはじめていて、わたしに対しやってくる視線は少なくなく、はっきり言って委縮した。

 渡されたプリントには出席番号に対応した名前が羅列してあって、同時に机の上にはしっかりと楷書で書かれた各人の名前があって、その横には町の文房具店ではお目にかかれないような箱入りの高級そうなボールペンが添えられていた。わたしは柴崎悠利という名前を探し、4列目3番目の机にそれを見つける。

椅子を引いて着席し、そのとき右隣に座っていた男子と目が合ったので、ちゃんと会釈をした。「どうも」と。今思うと、これは挨拶ではない。

すると彼も「どうも」と呼応し、少し肩が震えていたわたしに話しかけてきた。

 

「どこの中学校?」、「西二中です」。「おれは藤陽です」。「頭いいんだね」、「そうでもないよ」、「このボールペン…」、「もらっていいみたいだよ」、「そうなんだ」。

 

 わたしは上の空で、自己紹介もしていない。

これでは礼儀知らずでフランクすぎる。落ち着け、とわたしは自分に言い聞かせ、「柴崎です」とやっと名乗る。彼は、「笹尾、おれ」と返す。

彼はそんなわたしに苛立つこともなくて、ごくごく自然だったけど、彼は首を傾げ、「最初に話すんの、女だと思わなかった」とわたしを見る。

え、と周りを見ると教室の空席は全然なくなっていて、わたしが足を踏み入れたときの静けさも今やそうではない。

みんなが興味を持った相手と話しはじめるのは自然だが、男子は男子、女子は女子と会話している。それは縦向きだ。横向きは、彼とわたしだけで。

 

あ。わたしはずれている。わたしはずれているぞ。とわたしの無駄な自意識過剰さがわさわさと沸いてきて、わたしは彼に「ごめんなさい」と必要もなく謝って、少しでもずれた自分を修正するために後ろを振り向いた。

 

 さて、わたしは自意識過剰なモードへの切り替えが行われるともうなにをしでかすかわからない。

初日からいきなり隣の男子に話しかけて、気を持っているとか勘違いされたらどうしよう。女友達ができない性格に問題がある奴だと思われたらどうしよう、見境のない男好きだと思われたらどうしよう、などと被害妄想ばかりが頭を侵略して、足りない頭で考えた最善策は「後ろの席の女子を会話に入れてしまおう、カモフラージュ」などという魂胆だった。おかしいだろう。言っておくが、わたしは頭がよくない。

 

「あなたはどこの中学校?」とわたしは後ろに聞く。唐突に。わたしの後の席についていた女子は、顔を上げて、怪訝そうにわたしを見た。

 

「…っと、あたし?」

彼女は不意をつかれた。右隣の彼もそこを向いて。

そして、失礼だがわたしは驚く。わたしの自意識過剰モード短絡行動に巻き込まれた彼女の顔を見て。

化粧が、しっかりしている。いや、濃い。少なくとも、15歳のする化粧ではない。

わたしの友達らと比較しても、母のそれと比べても、それは異常であると思う。むしろ、メイクなどしたこともないような体育会系の知り合いばかりなので。

隣の彼、笹尾くんも彼女の顔の仕上がりを見て、一時硬直する。

 

 わたしは意味もなく笑い、話題を後ろに振ったことをわずかに後悔する。不意打ちで話題をいきなり振って、その相手をじろじろ見ているのだ。礼儀知らずでフランクで済む問題か。

「いや、鈴が原だけど。でもね」、彼女は怪訝そうに頬杖をついてわたしに、「まず名前をね、と思わない」。

明らかに不機嫌になった。「そっちから話しかけてきたんだから」。彼女は、のちのち語ることとなるが、わりと攻撃的だった、彼女は赤いスカートを着用して、リボンはきらめくようにオレンジ色だ。派手好きなのかと思った。

さあ、泥沼だ。わたしの被害妄想はスピード感を増して。

 

「ごめんなさい柴崎です」

「あたしは新堂(しんどう)緋十美(ひとみ)

「おれは笹尾大輔ね」

「ああ、うん」

はっきり言って、わたしは脂汗をかいている。なんでこうなってしまったのだろうか?自分のせいである。

「柴崎さん、下の名前」

「ゆり、です」

「ゆりさん、あたしの化粧見ておかしいって思ってるでしょ」

「えっ、そ、そんなことないです」

「そうなんだ」

「わ、わたし、化粧しないから、かっこいいなって」

「ほんとぉ?」

「ほんとほんと、です」

「しないの?」

「わかんなくって、そんなに塗ったりとか、わからないから」

「そんなに?」

「あ、ほら、芸能人みたく」

「芸能人ってだれのこと?」

彼女は眉根を寄せている。

「女の化粧に興味ないけど、教えてもらったら?」と、笹尾くんは彼女―新堂さん、に切り返す。

「…いやね、いま、そういう話になってるんじゃなくってね」

と、彼女は、白けた。「なに、助けてもらってんだか」と、礼儀知らずで空気の読めないわたしに不満を漏らして。

新堂さんはよそ見をした。話しかけてこないでと、そういうことなのだろう。

 

 そう、これがわたしなのだ。こうやって、自分の馬鹿な発言や暴走を後悔し、他のことを考えられなくなるいつものわたしなのだ。

 

 わたしが彼女に目を向けられなくなると、隣の彼もわたしに何か言うのをやめて、前を向いてしまう。

つかみは、最悪であると思った。

いたたまれなくなったわたしは首を目立たないように左右に振って、うつむいて、黙る。こんなことなら、振り返ったりするんじゃなかった、である。わたしはずれている。

 

 




1、2話を読了してくれた人に「これは異能力バトル学園小説です」といきなり小出し説明をするからよくないと思うの(なのでここで追記する)


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#03 柴崎悠利(2)

 やがて一目見て教師側とわかる大人の男性がやってきた。

歳は30代半ばくらい。筋肉質で、白い歯で、こちらを見てにっこりと笑う。かなり大きな身体をしている。何かスポーツをしていたのだろう。ラグビーのような。

人柄は優しそうで、親しみやすく、けれど怒らせたら怖いのではないか、とわたしは何となく判断した。

彼が来ると教室のみんなは行儀よく前を向き、おしゃべりをやめ、自然と静かになると、わたし達の人それぞれの緊張をほぐすように話しはじめた。

 

「みなさんの担任になります大曾根です。みなさん、入学おめでとう」。周囲はお辞儀を返す。「入学式までもう1時間くらいあるので、みんなで自己紹介をしよう、な。僕は大曾根俊之です。36歳。独身!趣味は~…野球観戦!草野球も好き。あと、家に帰ったら晩酌するやつ。あ、僕は体育教師だからね。それ言い忘れてた。前いた学校ではね、みんな僕のことそねさんそねさんって呼んでたんだけど、その学校の校長先生から怒られててね、『生徒には先生と呼ばせなさい』って。でもね、先生って別に偉くないからね。たぶんこの学校の校長先生とか他の先生は気にしなそうな感じだからね、僕がなんか怒られるまではそねさんでいいからね」と、すらすらと、途中の息継ぎも気づかれず、とてもわかりやすい自己紹介をした。

嫌味を感じさせない、慣れたしゃべり方だった。人をリラックスさせるのが得意なのかな、とわたしは思う。

 

「教室のこっち側、僕から見て左のほう。みなさんから右側の彼から、簡単に自己紹介してください。ね?名前と、出身校と、あと中学で取り組んでたこと、教えてください。そっちの、男子。その次はね、隣の女子ね。男女交互にお願い」

彼はまたにこやかに笑う。

 

 自己紹介というのはわたしは得意ではない。あまり、趣味や特技がないからだ。かといって星占いのハシゴしてます、とはっきり言うのはどうも賭けのような気がした。

自己紹介をしなければならない、それはいい。けれど、誰も興味をもってくれないようなシンプルで簡単なもので終わらせてしまうというのも、わたしは少し自己顕示欲があり、もったいないと思った。中学のときはへたくそだったけれどバドミントンをやっていたので、そこを言ってみようかな。など、自分の番が回ってくるまでそれなりの時間はあったので、思案した。まあ、ここで考えをめぐらせても、きっとうまくいかないのだろうけども、と自制しながら。

 

 あ行の男子、あ行の女子、か行の男子…、交互に簡素な自己紹介をして、徐々にわたしの番に近づいてゆく。意外と、みんな平凡に言うのだな、と思った。ならば、自分は少しひねったことを言ってみて…。

 

 ん、と私は違和感をおぼえる。なにか、身体のどこかが一瞬抜き取られたような感覚だった。

その感覚が、なにかおかしくて、わたしは胸に手を当てる。

身体のどこかにマッチで火を付けられたような感覚だとも思った。一瞬だが、なにか得体のしれないものに身体の内部をのぞかれた、とも言えたかもしれない。

あまりに緊張しているのか、あるいは先ほどの暴走が恥ずかしすぎて、頭がどうにかしてしまったのか。

痛みとかはなく、ただ一瞬だけ、今まで受けたことのない感覚であって。

 

「加納…」

わたしの二つ前の席の女子が、立ち上がった。

加納(かのう)真砂可(まさか)です」

後姿しか見えなかったのだが、彼女はずいぶんと長身だった。そして、髪は長くて、ぼさぼさで。ちゃんとケアすればもっときれいだと思うのに、とわたしは。

「えと。あの、出身校、わかんないんですよ、あたし。先生」

「お?」先生は目を丸くした。

「小学校のぉ、高学年から…こないだまで。東南アジアいたんで。そこの学校の名前、あったのかなかったのか知らなくって」

「ほぁーそうなんだ」

「取り組んでたことってのも…なんだろな。子供の世話したり…で、あ、でも、サッカーっぽいことしてました。こう、蹴ったりして」

「東南アジア。面白いな。どこの国なの?」

「えっ。知らないっす」

教室が少しどよめいた。

「自分のいたとこ、わかんないのか?」

「ええと、そっか。うーんと、あの、東南アジアの、右下のほう」

「右下?」

先生が噴き出した。「地理を上下左右で言うものではない」と笑いながら。

先生は黒い手帳を開いて、彼女のそばに行き、ページをめくったところにあった付録図式の地図を見せた。

「パプアニューギニアか。右下、南東ね」

先生が国名をいうと教室はざわついた。えーーーっ、と。

「うんと、そこじゃないっす。もうちょい、このへん」

「このへん?」

「思い出した。スラウェシ島、っす」

「じゃあ?ここ?ええと?インドネシア?」

教室はざわついている。

「あー、そこっす。たぶん」

先生は教壇に戻り、「加納、面白そうだな」と何か満足した顔をして。髪がぼさぼさの女子は「そうでも…」と座った。

 

 彼女の近くが、絵の具で言うと薄いレモン色に、ぼんやりと光った。

わたしの寝不足のせいだろうか、目がかすむほど疲れている。

 

自己紹介は、異質な彼女の次からはありきたりなものになった。なかなか、あれを越える自己紹介は現れないだろう。逆に、このあと何を言っても彼女より目立つことは無理そうなので、わたしは平凡に淡々に終わらせよう、と少し安堵した。

 

「笹尾大輔です。藤陽専科中学からきました。空手部でした」

「このクラス、スポーツマンが多いね。いいね。大いに結構」

「し、柴崎悠利です。琴河西第二中学校、です。でした。中学時代はバドミントンをやっていました」

「うん。ありがとう」

「はじめまして。篠田良樹です。琴河中央第一中学からきました。演劇部所属で、高校でもやろうと思ってます」

「すばらしい。ぜひ。なんかやっと文化部が現れたね」

 

「あたしは、新堂緋十美です。鈴が原中学出身。やってたことは、特にないです」

と、わたしの後の彼女が言う。

「化粧が濃いな」

先生はすぐに言った。わたしは、右隣の笹尾くんと顔を見合わせた。

「ええ…?」

彼女は不快そうな様相を、隠さない。顔を見なくとも、さっきの記憶で、雰囲気は伝わる。

「僕は生徒指導もやるので、ちょっと気になって」

「…」

「そんなに厚塗りしなくても、整った顔だと思うけどなー」

彼女はどっかりと音を立てて座る。わたしはびくりとした。

 

 わたしが少し怖がっているうちに自己紹介の順番は進んでいき、列が教室の左側に移っていく。

もうひとり、異彩を放つ、今度は男子がいた。

 

先生は立った彼を見て「かっこいいなお前」と口にしたが、本心で褒めた台詞でないと思う。

穂村景虎(ほむら かげとら)です…。琴河中央第三中学、応援団!よろしくお願いします」

彼は腰を90度に曲げてお辞儀、その存在感は、凄まじい。同じ歳には、見えなかった。なるほど、応援団なのか。見た目は…背こそ決して高くなく、中肉中背だけれど、がっちりと整髪料を使って固めているのか、横髪を後ろになでつけ、前髪は膨らんで立っている。近くの誰かが、「リーゼント初めて見た」とぼそり呟いた。

 

 あれ、一歩間違うと怖いじゃん。ヤンキーじゃん。とわたしは感じた。眉も、だいぶ細い。ネクタイの色は白。シャツと同色で、確かその色のチョイスをした男子は他にいなかった。

90年代も終わりなのに、いまだに男子たちのなかでは「だれそれが番長で」「あの人らが番格グループで」などと話に登ることは、あった。1997年なのに。

これが都内の中央部になればそんな言葉は絶滅しているのだろうけれど。…とにかく、この付近、力が頂点であるという考え方は、そのころはまだあった。

わたしが生まれたばかりの時代なら、わかるのだが。

 そしてやはりわたしの目は疲れている。彼もまた、薄いレモン色にきらめいて、見える。

 

 先生は生徒指導なのだから、彼を警戒対象に入れたのだろうか。表情が硬くなった。

が、彼は制服を着崩したり、変形制服を着たりしているわけでもなければ、髪型も決まりすぎてはいても校則違反の染髪にはあたらない。眉を整えたところでそれがどうした。

 その後に特になにも言うわけでもなく、不躾な態度でもなかったから、先生は何か言いたげだったがそれまでだった。余程、化粧が濃い方が言い易かったようだ。

 

 全員の自己紹介が終わると、そろそろみんな行こうか、と先生が廊下に列を作るように促し、席を立ち始めるのだが、わたしの真後ろの厚化粧の彼女はぶすっとした面持ちで、そして黄色く輝いている。本当に、病院に行った方がいいかもしれないとわたしは思う。視界の一部がどうかしている。

 二つ前に立つ、髪がぼさぼさの女子は身長がやはり高く、横の男子よりも肩の位置が上だった(あとで聞いたら、167cmだという)。後ろの彼女は手鏡を出して自身の顔を見ている。もう少し後ろに首を傾けると、あの応援団の彼は鋭い目つきで正面を見据えており、目が合った。この3人がきらめいて、見える。視界のどこかしらが黄色くなってしまうのではなく、輝きが個人に由来している。

 

 なぜだろう。わたしは目をこすってみるがあまり変わらない。そして、今気づいたが、わたしの手首から先も、ほんのりとレモン色の粒子に、包まれている。

 

 




この小説は異能力バトル学園小説です(2度目)


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#04 柴崎悠利(3)

「明開晴訓高校」

 

新設の高等学校。わたしは、こういった「新たに学校ができる」という理屈はよくわからない。

目的が何かあってできたのだろうが、それを追求するつもりもない。わたし達は、ただそこがどういう学校になるのか?どういう制服なのか?

どういう校風なのか?きびしくないのか?ゆるいのか?頭がいいのか?悪いのか?そういうところばかり気になって、背後にある理念とかを追求しない。

今年度の入学者数は243人だそうだ。

クラスはAからHまでで8つ。

校舎は、どうも東棟(A組~D組)と西棟(E組~H組)に分かれている…。東棟から西棟に行くのは、少々面倒だった。最短距離のDのクラスからEまで行くのに「少々面倒」だったと思う。

S字のクランクのような廊下を、トイレを通り抜けて、右に大きく迂回して、やっと西棟に。お昼休みならいいが、通常の時間割どうしの間の休み時間にわたしが西棟の友達に(いたとして)会ってくるとしたら、少し会話をしただけで休み時間をなくしてしまいそうだった、と思う。校舎の形が、上から見るとこれまたS字なのだ。

 

 この土地は、学校のある街のいわゆる名家、すなわちお金持ち、黄瀬(おうせ)天里(あめさと)という2家から土地を寄贈されたのだという。

そして、このお金持ちの子息はふたりともに女子で、15歳で、わたしと同じくここに通っている。黄瀬家の長女はD組、天里家の長女はC組の生徒だった。

入学式のなかで、来賓として黄瀬の筆頭者が祝辞をよこしたとき、自分の娘も含め、皆さまが楽しい高校生活を送れますように、と言った。

 

 時間はわずかにさかのぼる。廊下に列をつくり、体育館に進行していったとき。わたしはA組よりも前に誘導されていた東棟のいずれかのクラスの集団の背を見て、

やはり視力の問題ではないのではないか、と思い始める。

視界の一部だけが、例えば左側が黄色くなる、とかならわたしはまだわかるのだ。

だけれど、黄色い光が特定の誰かだけから発せられているように見えるのだから、これはわたしの目の異常は、ずいぶん非科学的な異常にとらえられる。

別のクラスの列をまじまじと見る。そして、男子ふたりが、やはりきらめいている。片方は列では頭一つ飛び抜けた長身で、もうひとりは頭を剃っていた。

 

「これは」、わたしは頭がぐるんぐるんになりながら足りない頭で推理をする。「存在感―?」。仮説だった。わたしは今、人の存在感の強さというものを感じ取っているのでは、と。

雰囲気だけでなく、遠目でも感じるような?

同じクラスの3人の自己紹介あるいはその前段階での(ひとりについては、私の暴走なんだけど!)一挙一動を見て、特に目立った3人がそう見えるのならば。

これは確かにそうではないか。では、わたしは何かの拍子で頭がおかしくなってしまい、存在感というものを観測できるように―「違う」。

では、わたし自身がぼんやりとその色がついている理由に、ならない。

わたしの存在感などきっと常人と同じかそれ以下だ。人よりずれていてたまに暴走して近くに迷惑をかけるとははあっても…。

「ずれている?」わたしはまた思う。閃いている。こういうことで頭を使っているならば、入学式に集中すべきものなのに。

 

「ずれている、指標―?人より」

 

 「新入生入場とかやんないからさ。椅子に座ったまんまで、いいよ」体育館で右端に陣取り並ぶと、先生は整列されていた椅子に着席を促し、なにか最前列の生徒と無駄話をはじめて。

わたしは、真左を見る。他のクラスの生徒たちが、よく見える。まだ入学式がはじまらないうちに、他のクラスの様子を。

となりのクラスは、男子2名だけがレモン色に光って見える。先ほど見た、2人だ。列の先頭から2番目の髪を剃った、スキンヘッドの男子。横顔はとても賢そうだった。

そして私の軸よりも後ろに下がると、もうひとりの男子。彼は両目をつむって腕組みをしている。

これがB組。では、そのとなりは?

 

 C組に目をこらす。

距離が遠くなり、人の壁でしっかりと見えはしないが、4人ほどがきらめいているとは感じた。

 

 そのさらに次の列。

D組ともなると、もうわからない。いや、光って見える生徒はいて。けれど、性別も顔ももうわからない。

 

 ここでわたしの無駄な行動力が歩き出す。わたしは立ち上がり、隣の笹尾くんに「おちつかないね」と言われ「何度もごめんなさい」と返し、

クラスの先頭まで行き先生に「トイレ行っても?」と。彼は「あと15分ないから、急いでね」。

 

 わたしは体育館全体を眺めようとした。すべての列に回り込んで、観察するのはただのおかしい子なのでちゃんとトイレには行くが。

わたし達の後ろには保護者もいたし、そうは目立ったことはできないとは考えて。

 

 体育館前の廊下にトイレがあって、わたしはそこに入ると手を洗うだけで、戻る。トイレに行ったという事実は残す。

そして、手洗い場で、別の生徒と鉢合わせる。女子だ。

彼女はわたしを一瞥。そしてすぐに目を落とす。

わたしは、彼女を見て、薄い身体だな、と思う。

痩せていて貧相だとかそういう悪いことは浮かばなかったが、他の女子からはうらやましがられるような痩身だと思った。

ショートヘアで、もうひとつ、おや、と思ったのは、瞳が青い。顔立ちは少し日本人離れしていたから、ハーフなのだろうか、と思う。そして彼女は美しくて、

 

 鮮烈に、あたたかく、強く、ピンク色に、輝いて見える。

 

 そしてわたしは体育館に戻ると、目立たないよう意識しながら、一番左の列、H組までを背伸びして、観察をする。

やはり、わたしの推理は間違っていないのかもしれない。各クラスの2名ないし4、5人はレモン色、もっと濃い黄色に光っているから、わたしはそれを「ずれている尺度」とみた。それが、なぜかわたしは見えてしまうのだと。今日だけかもしれない。完全な勘違いかもしれなくて。

 

「もう、戻った方がいい」

横から声がした。

「あ!、ご、ごめんなさい」

それはついさっきトイレで出会った、青い目の女子。

彼女は足早に、一番左へ、正面へ駆けていく。つまりクラスはGかH。

あれ。なぜ彼女は、黄色系統でなかったのだろう。

 

 起立して、君が代を歌って、着席する。

校長先生が祝辞を読み上げる。校長先生の名前は、照前清人。

来賓、黄瀬家の祝辞。市議会のなんとかとかいう人のちょっと長い挨拶。教育委員会の人の言葉(これは、保護者向けすぎて、特にかったるかった)。

祝電の読み上げ。徐々に、わたしたちは退屈していく。ことさら、わたしにとっては自分の目の方が気がかりだったのだから。

新入生代表の挨拶。新入生代表は、黄瀬家の長女。

校歌斉唱。これが一番、だれた。歌える人などほとんどおらず。

 はやく終わって欲しいな、とわたしが思うと、なぜか、「では、最後に、照前校長先生からもうひとことだけお願いします」と2度目の言葉があるのだという。

少しだけ、わたし達がざわついた。みんな、きっと同じ気持ちで飽きていたのだと思う。

 

「すみません。大切なことだったので、ひとつだけ。でも、最初の祝辞のときにいう事はできませんでした」

 

「はっ?」、わたしは息をのむ。

「光ってるよ」。わたしの口をつく。

 

 その校長先生は薄明りにともしたろうそくのように暗い中に黄色く光って、保護者も来賓もいるのに、わたしたちに向けてオカルトでファンタジックな台詞を

実に流暢に、スムーズに、吐いた。

 

「ひょっとしたら皆さんの中には、黄色い粒子が見える方がいらっしゃるかもしれませんし」、嘘でしょう?わたしの心臓が高鳴る。

「もう、自分の身体で変わったことが起こってしまったことが実感できている方もいるでしょう」

ざわつく。

 

「黄色い粒子は『帯』と言って―」

帯?

 

「かつて、約250年前、著名な学者、メルヴィル・ロザ・レ・ミラー博士という女性がいずこかで研究をし、理論を持ち出したものでありますが」

だれ?

 

「個々人の脳に由来する、一種の、超能力を発揮するためのリソースであります」

は?

 

「彼女はこれを『御名術(みなじゅつ)』という言葉で定義づけ、また自身もそれを行使していたといいます。ただ、本来の彼女の『帯』はピンク色だったそうですが。というか、彼女の著作でそれについて記したものは、すべて『帯』はピンクから赤の粒子だと書いていたため、人種的な差異はあるのかもしれません。いいですか。私は、ある目的に基づいて、場を設けました。帯を活性化するような。私の友人も協力してくれました。私の動機はとても大切なことですけれど、今日説明するには長すぎるので、後日改めて説明会を行いたいと思います。ともあれ、ミラー博士は著書のなかで、帯をコントロールできる者がそれを自覚する形で発生するのは10年に一度、ひとりくらい、と述べておりましたが、そんなことがないことは今私の目の前で立証されました」

 

 言葉が脳裏に刻み付けられる。一字一句、忘れさせないようにと、外的な力がはたらくように、私のなかへと。興味をそらせない。

なぜ。

 

「新入生の皆様のなか、20人前後の方が帯を行使できるように私には確認できます。そして、これは制約があり、皆様がこの学校の生徒である間だけ。この学校の生徒である限り、その方々は御名術を使用できるのです。卒業式までは。そして―」

 

校長先生は熱っぽく語る。そして、教師陣も、来賓も、何も言わない。顔色一つ変えない。なぜ。

 

「その皆様のなかでもひとりだけ、3年後の卒業式のあとも、その御名術を社会に持ち出せるよう、そう設計しました。

この中で御名術をもった皆様のなかで最も優れたひとりだけですが。こんなもの必要ない、という方はあとで校長室にいらしてください。そういう方の意見は尊重します。平穏無事な高校生活の邪魔になるかもしれないですからね。私は、皆様の大切な高校生活を保障するものであります」

 

 閉式。

わたしは思う。いみじくも新設の学校の校長がこんな、気がふれたかとさえ思わせる文言をはきだすのか。

どうして、これに異を唱えたり、発言の不適切さに紛糾したり、問題視する保護者がいなかったのだ。

なにか深刻な統制とさえいうものが、心理のなかで行われた気さえする。だってそうだろう。校長先生のいう事を少しでも信じるならば、わたしの目の限り校長先生も超能力者なのだから。

 

 

【視点を変える】

 

 

 まったく、なんという、これは、下品なんだろうか。

 

 明らかに視界に入るものがおかしくなったと思えば、どうやらそれはわたしの目の不具合なんかではなくて、クラスの見も知らぬ誰かしらが、いきなり蛍光ペンで塗りつぶされたように黄色く光り出してしまって。

 

 「帯」というものは赤か、ピンク色でなければいけないのだ。

あれは、体外に浮遊していたとしても、血液のような組織の延長にある。

なのに無作為に、基準に満たない量のそれを、強引に(どうやってかわからないが)しかるべき量の帯に水増ししてしまうから、こう、わけのわからないことになる。

 

 校長の言うとおり、先ほどトイレに行って後ろから全体を見渡したとき、確かにそれくらいの人数が黄色い帯を脳からひり出すに至っている。

トイレですれ違った女の子もそうだ。

 

 これは、抗議の必要がある。ただちに。これは、わたしのようなそれなりに選ばれた人間への当て馬に使うかのようにどこからか適当な人間を騙してかき集めているようにしか、感じない。

人工のダイヤモンドはいずれ数十年後には天然のものと区別がつかなくなるという。そうなってしまったとき、帯が見える者の数は限られているのだから、わたしの正当なピンク色であるか、汚らしい黄色であるかはどうでもよくなる。見えないのだから。

 

 ほんの15年しか生きていないが、今までで最悪の事態だ。

わたしはまず、これの趣旨と動機を確かめないとならない。

 




この小説は異能力バトル学園小説です(しつこい)


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#05 加納真砂可と穂村景虎(1)

(1-2)

 

教室にもどり、明日からの学校生活の説明を、大曾根先生がゆっくりと説明する。

時間割の説明は、中学よりも複雑で長いのだな、という印象を受け。

 教科書等はどうやらこれからどんどん増えていく、と。なお、教室に置きっぱなしは禁止。これは早くも先のことを予期し、少しうんざりした。

 

 けれど、困ったことはすぐに先生に相談をしてくれれば必ず納得のいくまで説明し、解決に至らせると約束をしてくれたし、友人どうしの協調は大事にしていきたいし、トラブルが発生したらクラス全体でそれをなくしていこう、と先生は丁寧に語る。

 

 もちろんその前提としては校則は守ってほしいし、子供ではない、一個の高校生という大人としての自覚をもって歩んでほしい、そう言われた。

わたし達は、緊張から解かれる。(まだわからないが)かなり当たりの担任をひいたのでは、というよろしくない気持ちも、あった。

 

「そんなところかな。なんか質問あったら、ある人」

先生は挙手を促す。

 

「スンマセン」。あ、彼は。

「君は、穂村だな。一発で覚えた」。先生は、あの、きらめいて見える(わたしは)、応援団だった彼が手を挙げるのを見て、すぐに指した。

 

そして、彼はわたし達があえて避けていた話題に。触れる。

 

「御名術。御名術、でしたっけ。それ…」、彼は真っすぐを見ている。はっきりと人の目を見て、ものを言う。それが、わたしが彼に思った補足的な印象だ。

「校長せんせ、言ったじゃないっすか。俺らのなかで優れたひとりだけが、卒業したら、超能力持ち出せるって?」

先生はにこやかな顔をやめ、「ああ、そうだ」と。

 

「優れたひとりって、どうやって決めるんすか?俺は、こういうの優れてる、そうじゃない、を決めるっつうと、競争したり勝負したりしなきゃなんねえって考えてるんですけど?でもそれって、御名術を持ったやつら同士は、学校で競い合っていいってことですか?」

 

 彼は、鋭い視線のまま、言った。そしてこういう発言をするということは、教室の大体は察しがよく、すぐに気づく。残りも、もう10分以内に、気づく。すなわち。

 

「そういう者同士の競争や勝負は、認めている。学校は」

先生はすぐに返答した。

「じゃあ、学校でケンカになってもいいってことっすか?」

彼は、だいぶ頭が切れるのでは。そう思った。見た目で判断してはならない。そして、このやりとりにて、教室の空気は停止したかのようだった。

 

「御名術を所持しない生徒を巻き込むことは、極力しないでほしい。そして、教師を巻き込むのもNGだ。だが、必ず競争は発生すると、思う。それを禁止はできない。優れた1名を決めるという事はそういう事だ」

「なるほど。じゃあ学校での、そういう連中どうしのケンカを認めていると」

 

 彼は、鋭い視線のまま、つづけて言った。そしてこういう発言をするということは、彼は―。

教室の誰もが気づく。わたしは、先だって、彼が選ばれた1/10であることを、知っている。

彼は、薄いレモン色に、きらめいている。

 

「わかった、先生。まだ聞きたいことはあんすけどね。まずこれでいいっす」

びくり。先生の全身が、一瞬けいれんを起こして。

目の焦点が明らかに泳いで、そのまま教壇に突っ伏した。

教室はどよめいた。数人が、先生のもとへ。

 

 彼―、穂村君は、立ち上がる。そして、教室をぐるりと見回し、口の端をすこし釣って笑った。

両手を広げて。

「俺は校長の言ってたこと、ワケがわからなかった。黙ってろ、早く式、終われ。みんなもそうじゃない?でもな、少し自分の身体のなんかにおかしなことがあると、答え合わせができたようにさ…なんか、わかんだよ」

彼の視線は鋭い。なにもないところは見ない。絶対にここで教室の全員の目をしっかり見る、そうとでも言いたげな鋭さと強さだった。

 

「ちょっと君、待ってくれよ」。そう言って、彼に視線が釘付けだったわたしの後ろで立ち上がったのは、その時点で、一番言葉を交わした、笹尾君だ。

「あんた、超能力もってる人?」、穂村君は彼に。

「ちょっと!ちょっと。俺の質問に答えてくれ。穂村君っつったっけ?今、先生になにをしたんだ!?」

 

 彼の正義感というか、使命感をわたしは。「(かっこいいし、勇敢だけれど、)それは、いけない」。思わずふと言ってしまうほどに、危険性を感じた。

 そしてわたしが振り向いてすぐに。笹尾君は、先生と同じように、びくっと身体をよじらせて、白目をむいて、だんと机に身体を落とす。額を打って。

教室に悲鳴があがる。

 

「うるせえなあ。ン。これくらい見りゃ、十分なのか。なんか個人差ありそうだなあ」

穂村君は教室の後ろに顔を向ける。そして、目が合った女子生徒が、同じように、倒れる。ひときわ大きな悲鳴をあげた彼女を、黙らせたのだ。

そして彼は口元に指を持って行き、しーっと教室を静まらせようとし、そしてそれはうまくいかないと理解したのち、声を張り上げた。

 

「この教室で!超能力もってるやつ、立て!何人いる!?関係ない奴は静かにしてろ!」

 

 それほどの大きな声ならば、隣のB組に聞こえるのではないかと異変に困惑した数人は思った。

廊下をふと歩いていた誰かに聞こえるのではと。この、異常事態を誰かが止めに入るのではないかと。

が、それは最後まで、なかった(これの理由はのちほど語る)。

彼は、わたしたちを恫喝している。教室を不自然な現象で脅かし、威圧している。彼の特異な見た目も、それに一役買った。少なくとも、人を怖がらせることに一日の長がある、そうわたしは感じた。

 

 頭を打って机に倒れた笹尾君を気にかけ、流血などはないか確認をした。身体を揺すったりと。クラスで初めて会話をした男子だ、放って置けない。何が起きたのかわからないけれど、意識がなくなっているとしたら、まずい。保健室の場所は知らないけれど、それかそういう場所があるならばすぐに連れていくべきでは?

 

「ちょ、おい!俺は超能力ってるやつ立てって言ってんだぜ!びびってんじゃねえ!なあ、そこの女さあ、何やってんだ!?」

わたしを指さす。こういうときにすぐに捕まる。どうしてこう、わたしの一挙一動は目立つのか。

「だ、だって頭打ったんだもの、いま。頭だよ、なんかあったらどうすんの」

 

 わたしはどもりながら彼に答える。そして目が合う。怖い。彼は怖い。すぐに目をそらす。そして、この動作は功を奏していた。

彼は視線をすぐにそらしたわたしに不満気だったのか。それとも…いや。そうではない。誤解を、された。

「どうして俺の目を見るのをやめた?おまえ、『わかってる』な!?」

「い、い、意味わかんない」

「俺の視線がやべえってこと、そんなすぐわかるわけねえよなあ!おまえ、超能力もってんだろ!」

「ち、ちがうよお!」

教室のわたしと彼以外の誰もが、声も出せないような異常事態。目の前で行われている恐喝を囲んでみている野次馬のようだった。自分はかかわりたくないと。私は助けてもらえない。すなわち。

 

「俺はな、嘘つく奴でぇっ嫌ぇなんだよ、ああ!」

「だ、だからだから勘違いだって…わたしは、超能力とか、もってない、ほんと」

「俺を騙してねえだろうな!」

「騙してないよ…」。わたしは泣きそうになりながら、言葉を、返す。「黄色く光ってる人、ほかにもいるじゃん…」。

 

 彼は大きな目を見開いた。

え。と、教室の数か所から声が上がる。静まっていた教室は、また少し前のように、ざわめきが起こる。

わたしは、その反応をみて、それでもすぐには気づけず、次の彼のわたしへの質問の途中で、ようやくわたし自身の暴走を、理解した。

 

「おまえ、校長が言ってた、黄色いやつ、見えんの?俺には見えねえのに」

 

あ。

 

わたしはここで、気づく。超能力者≠黄色い粒子が見える。

 

 すぐ近くにいる、厚化粧の生徒が、びくりとした。それは、穂村君には見とがめられなくて。

 

「わかった。じゃあ、お前は超能力者でなくっていい。おまえ、超能力者を指させ。黄色いやつを」

ウッソでしょ。

 

「…俺はバカだし運動音痴だからな。わかってんだよ。勉強で目立つこともスポーツで目立つこともできねえって。で、あれか。腕っぷしがいくら強くってもよ。そこでぶっ倒れてる先生みてえな、いかちい奴にゃかなわねえ。ぶん殴られて負けて、最悪停学だぁ。でも、それ以外で目立つ方法が、なんかあればって…。親にも心配されてっけどさあ。なにもねえからさ」

 

 まだ顔も名前も一致しない、これから友達になるひとを、売れと。おかしい。できない。

 

「だが超能力があれば目立つ。俺の何かに、方向っつーもんが決まる。でも、ほっときゃ卒業したら、これ、終わりなんだろ?嫌だろ、3年しか目立てねえって…」。

彼は。一種の決意表明のように、言葉足らずだが語る。一語一句、説得力をこめて。「俺は、これを持ち出すって決めた。だから全員に勝つ。叩きのめしてでも。まず、A組からよ。さ、指さしてくれよ。俺の味方しろよ、悪くねえよな?」

 

 コンプレックスを感じた。きっと、これをそれなりの人数の前で語るには、恥を捨て勇気をもっていなければならないとも思う。

だが、暴力的だ。すでに3人が倒れてしまっている。これは脅しである。そして、黄色く光る、あとふたりを差し出さないといけない?

いくらわたしでも。ずれていても、それは受け入れられない。

 

「指させって言ってんだ早く指させーーーーー!!!」

怒号。この声は穂村君の声ではない。全員が教壇を向いた。

その、先ほど倒れた彼は白目をむいたまま起き上がり、尋常ならざるゆがんだ表情と、ぐるりぐるりと回る眼、そして口から泡を吹きながら、という異常性をもってわたしのほうへやってきた。

暴力とともに。

 

先生は教壇を横に転がし倒し、すぐにわたしのほうまで到達し、リボンをつかんだ。

そして、強い平手を打とうと、右腕を振りかぶる。わたしは悲鳴をあげる。

 

 凝視を通じて人間の意識を失わせる。そして、ひとりだけ、好きなように動かす。あやつる。

そんな御名術だった。彼、穂村景虎という超能力者のそれは。

 

 なんていうことだ!入学初日なのに。星占いをハシゴしたのに!期待で胸がいっぱいなのに!どうして、わたしはこんな目に遭ってしまうの?

 

「…」

わたしは目をつむって、いずれ来る暴力におびえながら。

 

「…」

暴力は、こない。

 

 低い、落ち着いた声がした。「お前、最悪だな。先生を巻き込むのはNGだって、自分で聞いてたじゃないか」。それは、女子の声で。

「なんだ、おめえ」

「超能力者だ。バカタレが」

わたしは恐る恐る目を開く。振り上げられた腕は、ひとりの女子が関節を逆方向に回すように、押さえつけている。わたしに届かないように。

白目をむいた先生は、不可動方向にまわされた腕の激痛に苦しんでいるのか。わたしという対象物を、見失った。

 

 彼女は髪がぼさぼさで、背が高くて、肌が焼けていて。その顔は、とても男性的な雰囲気をもっている。男のような顔、ということではない。

格好良さ。それはたおやかさと弱々しさを省いた女性性で、そして、険しくもやさしい貌。薄く、黄色く、輝いている。

彼女は前後不覚な先生を横倒しにし、そして手を少しだけ放し、おびえるわたしの左手をぎゅっと握って、すぐに暴れようとする先生の腕を抑えにもどる。

 

「おまえ、インドネシアの」、穂村君は彼女を名前で呼ばなかった。おそらく忘れたので。

「悪いか、リーゼント」、彼女も穂村君を名前で呼ばなかった。おそらく覚えてないから。

 

「リーゼント。あんたさ、その超能力、持ち出して将来何に使うのか教えてよ。悪いことにしか使わないように見えるんだけど、あたしは。それが、将来自分以外の誰かのためになるってんならさ、あたしにその、どうすんのか。どうやってやんのか、教えてよ」

彼女は子供に言い聞かせるように、言った。パニックになっていたわたしだが、おお、とその彼女の言葉に心を動かされ、共感したいと、そう思えた。

 

「これから考えることもあんだろうが!」

彼はまごつき、そう叫んだ。そして、彼女をその大きな目で凝視した。

「おっと!あんたの目、見ちゃいけないんだよね。ねえ、そうだよね?」

彼女はわたしに尋ね、わたしははいと言う。

 

 先生はじたばた、うめいている。そして怒りを表層に噴出させた穂村君は、わたしと彼女のほうへやってくる。それはまずいのでは。彼女は両腕を、先生を抑えつけることに使っている。

彼女は身体が大きく先生の腕をねじりふせる程の力はあるようだけど、二人がかりとなってしまってはまずいのではと。片方を、わたしがどうにかするのは困難だろう。まわりを期待するのもだめだ。ついていけていないか、怯え切っている。

「ど、どうしよう!」、私は彼女に叫ぶ。

「うん、大丈夫だよ」

 

穂村君の顔先に"(うろ)"とでもいうべき黒い楕円、20cmほどの、が顕れ、そこからローファーとハイソックスを履いた女の脛から先が飛び出て、彼の顎を、すこん、と蹴りぬく。

 

 



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#06 加納真砂可と穂村景虎(2)

 彼女は完全に、相手の出足をくじいた。

わたしには具体的に何が起きたのかわからないけれど。

だけれど、確実なことは、その"(うろ)"から顕れて穂村君を蹴った足は、彼女の右足であった。それは。

 

「うわあああ!!離せ!きさま、穂村の言うことを聞けーー!!」

正気を失った先生の腕をねじり上げつつも、彼女は5メートル程度先のあやつり主に攻撃を加えた。これが、穂村君に放った攻撃というものが、投擲物だったなら話は簡単だし、納得がいく。けれどこれは投擲でもなんでもなく、彼女の足が物理法則を無視してそのまま届いてしまったのだから、驚くしかないのだ。

 

「先生、すいません。こんなことしたくないんすよ。だからさ、目を覚ましてくれません?」

彼女は確かに女性にしては大柄だが、それでもより大きな体の先生を拘束することが難儀になってきたようで。声はまだ落ち着いているが、表情は渋くなってきている。

どうにか、せめて何か手伝わなくては。私は足りない頭を振り絞り、「な、な、なんかで、縛ろうか?ひもとか、テープとか!」。提案する。

「どうにかするのが先生だけならそれでいいんだけどね」

顎を抑えつつ、うよろめいた態勢を立て直そうとする穂村君の次の行動に悩んでいるのか、彼女は。

 

「てめ…」

超能力者は憤っている。ありえない場所と距離から蹴りを受けたのだ。動揺もまじえつつ、激昂している。

かっと眼を大きく開く。そして、その凝視に誘われるように、先生がその焦点の目的地に入る。

先生は追加の凝視という超能力を浴び、そして馬鹿力で腕を振り回す。関節を逆方向にひねられているのに、力づくで、激痛をものともせず、彼女の身体ごと振り払った。

片方の腕がわたしの背中に衝突し、わたしはなぎ倒されて。

「くっそ、ダメだこりゃ。本当に申し訳ないけどさ、先生からやんないと」

わたしは床に転がされた。けれど、いい。興奮してしまったからか、そこまで痛くない。だから、次の彼女のいう事を、遂行することができた。

「痛いよね!ごめんね!でもどうか、10秒だけ、先生の足をそこにとどめて!」

 

 わかった。

 

 わたしは自分の身体に無茶をさせ、床に這いつくばったまま、先生の両足首に、しがみつく。

先生は大声をあげる。まったく、どうして隣のクラスの誰かは来てくれないのか。おかしいだろう。そして、正気でない先生がわたしの頭に大きな手のひらで爪を立てる前に。

 

 彼女は、駆けた。後方へと。教室の後ろへと。瞬間、逃げるのかとも思った。けれど。

 

 教室の後ろの空間に、大きな"洞"が顕れる。彼女はそこに飛び込むから、掲示板のある壁にぶつかることはなく。

彼女は全身をその"洞"に飛び込ませ、その次の瞬間には、へばりついたわたしを引きはがそうとする先生の左側面に、"洞"が生まれ、まずひざが見え、彼女の半身が飛び出たときには、先生の顔面に彼女の膝蹴りが突き刺さっていた。

 

 わたしの左隣の男子3人には悪いことをしたが、わたしが足を押さえたため先生が倒れた角度はその3人を巻き添えにするように。

そして、彼女はそのまま勢いにまかせ先生の顔面をつかみ、押し倒す。床に後頭部を叩き付ける。

動きを、止めることができた。さすがにそれで生じるだろう怪我の心配はすべきなのだろうが。

 

「ま、まさか…!」

ふと見た穂村君は、唇を震わせて。

「ま・さ・か?」。この場の誰よりも体格が大きいとおぼしき先生を、2撃で鎮圧した彼女は、息を切らせながら、穂村君を指さした。「あたしの名前を呼んだぃ?」

そうだ。彼女の名前は、加納真砂可(マサカ)、だった。

「てめ…く、クソ。ワープ?できやがんのか!?」

そうか、そういう事か。わたしはようやく理解した。

「Ya!」

彼女は白い歯を見せて、笑う。や、と聞こえたが、否定の意味ではなく、インドネシア語で「はい」だと、このあと聞いた。

 

 そして彼女は畳みかける。目の前に今度は小さな"洞"を生み、そこに振りかぶった右腕を差し込み。

それと同時に穂村君の目の前に開いた穴から彼女の右腕が顕れる。彼は、拳を顔面に受ける。

そして今度は左腕。その拳は、彼の左のこめかみを穿つ。正面で向き合っているのに、()()()、5メートル前後先の()()()()()()()()()()のである。彼と彼女の距離は縮まらない。

予測できないスピードと、すべてが不意打ちとなる角度から彼女の拳が飛んでくる。穂村君は、それをとらえられない。

 わたしは昂る。先生の動きを止めてからは彼女の独壇場だった。御名術。すなわち超能力。なんともわかりやすい超能力だった。

穂村君の御名術はその結果こそ驚くべきことだが、工程は派手さのない催眠術のように感じる。反して、彼女の御名術は、目に見えて超常現象だった。オカルトで、ファンタジックだ。

 

 そして、混乱ぎみに次の彼女の攻撃を阻止しようと彼はもがくように大きく身じろぎをした。

彼女は、また歯を出して笑い、次の瞬間、穂村君の目の前に"洞"が出現する。…が?彼女の手や足が、出ない?

 

「あっ!?」、わたしは叫ぶ。穂村君はその"洞"に逆に自らの左拳を思い切り差し入れ、遅れてできた彼女の目の前の"洞"から素早い拳がやってきた。反撃に利用された!?「あぶなァーーーーーい!!!」

 

が、それは案だった。彼女の。わたしが叫び終わると、彼女はその距離を無視して飛び出してきた穂村君の左腕を両腕でキャッチし、少し前の先生のように、ねじり上げ始めた。

 

「リーゼント。あんた、見た目のわりに頭いいから、逆にこういうのに引っかかるんじゃないかって、あたしは思ったよ」

「うぬ、おおおおお!!」彼が痛みに叫ぶ。意趣返しを狙って、彼女の"洞"を利用しようと瞬時に考えたのだろう。けれど、それは彼女の掌の上で。

ああ!だから、"洞"は彼のほうから先に生み出されたのだ!

 

「わーーー!!すごいすごい!!」

わたしは、馬鹿みたいに歓喜してしまう。他の生徒たちのように、唖然としても良かった。だが、わたしには彼女が格好良すぎて、称賛をせざるを得なかった。

目の前に大好きな芸能人が現れ握手とサインをもらえたとしても、わたしはきっと、ここまで馬鹿みたいに騒ぎはしないだろう。感動をしている。いままでにない。

 

歯を食いしばりながら。彼はこちらを睨む。けれどもう工程はわかっている。わたしは目を合わせない。彼女も、腕に集中し挑発を重ねていても、彼の凝視からは完全に顔を背けている。

「はぁ、はぁ。こっち来んなよお。来たらな、折ってやるからな」

彼女は息を切らせている。"洞"を生み出すことにそれなりの身体負荷があるのか。当然か。とはいえ、すでにケンカのアドバンテージはとっている。

 

けれど。

違ったのだ。これは、わたしたちの意識を失わせようとするための凝視では、なかった。そう、彼は見た目に反して、ずっと賢い考え方をしていた。

 

 彼女は、穂村君の腕を離してしまう。呼吸が絞り出される喉の奥からの嫌な声がする。

わたしは、先ほど倒れ伏した隣の席の笹尾君が起き上がり、彼女の首を絞めはじめていることに、うるさいほどの悲鳴をあげる。

 

 



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#07 加納真砂可と穂村景虎(3)

 考えが足りなかった。

彼女が先生をやっつけたところで、お互いに、最も危険な彼の武器を取り除いた、と錯誤した。

 

 けれど違うのだ。彼の武器はあやつった誰かではなく、その視線が及ぼす影響であって、そしてそれがどうして1度で終わりだと楽観視してしまったのか。

彼が凝視で意識を失わせた3人は、二次的には彼の意のままに動くものになってしまう。

凝視を重ねると瞬間的だが本来以上の潜在的な力を出させるという事もなんとなくわかる。

それはさっきの先生であって、今彼女の首を絞める笹尾君であって、最後に倒れ込んだ女生徒であって。 

女生徒は非力そうに見えるので、穂村君自身が有効に利用するとは思えない。これも希望的観測なのだが。

 

 近隣の中学校で空手部があるのは彼の出身中学校の藤陽専科中学校だけである、わたしの知る限りは。

かつ、「藤陽の空手部」といえば結構なネームバリューで、何かの大会等で賞をとる選手を輩出していると記憶しているし、

そういうのが好きな男子たちの、漫画的な強さの象徴のように扱われてもいた。

だから、笹尾君は少なくとも一般的な男子生徒よりも、強い。

 

 彼女は必死の形相で手をはがそうとする。わたしは、情けないことにパニックになって笹尾君をどうこうしようとも思いつかない。

先ほどまで見ていたが、確かに彼女は間違いなく、女子としてはケンカが非常に強い。躊躇がない。

後日彼女が語る表現で述べるならば、護身術とか武術ではなく、「向こうの島で悪いやつをとっちめるための、純然とした暴力」である。

だからといって、1対1で相対したとき、鍛えている男の腕力にかなうことはできない。筋肉も骨格も男子の方が頑丈だ。

 

 彼女は笹尾君の手に爪を立て、それでも緩まないと判断し、自分の後頭部すぐに"(うろ)"をつくりだした。

彼女は頭をできる限り前に倒し、勢いをつけた後ろ頭を、振る。それは数十cmの距離を短縮して。笹尾君の顔面に、ワープしてきた彼女の後頭部を打ち付ける。

彼女は御名術を使用すれば、すべての動作を不意打ちにできる、そう思った。

その衝撃。さすがに、手が緩んだのか。

そして、彼女の機転はやまない。今度は、彼女は自分の顔の下半分に小さな"洞"をつくり、彼女の鼻から下を飛び込ませ、締め上げる手まで転移させ、笹尾君の指2本ほどを思い切り、噛んだ。

硬い骨付きの肉料理を噛みちぎるように。その光景は必死の行動とはいえあまりにおぞましく、非現実的で、わたしは内臓から下腹部までに悪寒と戦慄を感じる。

 

「アー、アー、ア、アアアアア!」

笹尾君は声を上げ、激痛をこらえられず、片方の手を、放す。血液がしたたり落ちる。

彼女はすぐに体勢をぐるんと横に回転させ、もう片方の手を振り払う。そして、咳込んで、かすれた声で「ごめん!!」と叫んだのち、"洞"を作り出し、そこに打ち上げるような拳を差し込むと、

…言いづらいことだが、彼女の加速した右腕は、その振り上げよりも下がった位置に転移。笹尾君の股間に、クラッシュする。

わたしには3つ下の弟がいる。自分では知らないにせよ、その痛みがどういうものかは、見ている。

笹尾君は声なくうずくまり、彼女はまた激しく咳込み、落ち着かないうちに、うずくまった彼の背中にひじ打ちを。転倒するように、落とす。

そして、2人目のあやつり人形は、ダウンする。

 

「鳥肌が立つようなことしてんじゃねえよ、女がよ」

穂村君が、近づく。わたしは、目に見えて、彼が冷汗をかいていることに気付く。当然と言えば当然か。

彼女は、御名術を披露していなかったにしても、だいぶ強い。そして、今の笹尾君を止める術を見て、その行動に一切の遠慮がない。それを教室の誰もが思い知った。

おそらくわたしは強姦されそうになったり殺されそうになったり(決してそんな事態に出くわしたくないものだが)、そういう時でもなければ、あれくらいのことはできない、と感じた。

 

「お、おまえ、さあ。女が、男とケンカするって、大変なんだぞ…。もうちょっと、手心を加えろよ。な、なんなんだよ」

まずい。

彼女は、困憊している。首を絞められたことが、相当な毀傷として蓄積している。

「いいや、俺はおまえを女じゃなく、恐ろしい超能力者として見てる」

彼は、こともあろうに、机を両腕でひとつ高く持ち上げて、彼女に投げた。彼女は、右手付近に大きな"洞"をつくった。逃れるための。

けれど。

「俺だって、女にこういうことしたかねえや」

彼女は、先ほどまでの素早さを失っている。投げられた机は、彼女に覆いかぶさって。

わたしは、悲鳴を上げる。

 

 御名術と、ケンカスキル(わたしの造語)。

皮肉にもこれを見せ付けられたことが、かえって穂村君の恐怖心や警戒心、容赦なさを磨き昂らせた。

彼女は絞り出すような苦痛のうめき声をあげる。「さ、最悪だ。こうやってさ、理不尽にキレた男にさ、女は暴力で言うこと聞かされたり、殺されたりすんだ。だいたいそうだ」

「殺すとか考えてねえよ!」

彼は近づき、ひっくりかえった机ごしに。彼女を、踏みつける。

 

 わたしは、泣く。けれど、それに意味はなくて。

次に、なぜ、みんなは見ているだけなのかと。誰か勇気を出して外に助けを求めてくれと、切望する。

そして、なぜどいつも傍観してるだけなのかと。怒りを覚える。

けれど。

傍観しているだけで、彼女に何もしてあげていないのは、わたしも同じことだったから。

 

 わたしは、彼女がしたように、立ち上がり、駆けて、彼女がつくった穴の中へ。飛び込む。

 

 彼女は、だいぶ驚いたような顔で目を見開いて。

穂村君は驚愕の短い声をあげて。

 

 わたしの身体は、"洞"に横に落ち込んでまばたきをする間もなく、机を踏みつける彼の左半身に瞬間移動し、肩口から衝突をはたす。

 

「こ、この」、彼はわたしの下敷きになって。「なにしてくれんだあ!!」。できたことは彼を転倒させたことだけだけれど、十分。わたしは、こそこそと、這って逃げる。これ以上の勇気は出そうにない。

 

「…よっこいしょ」

がたん。ひっくり返った机をどかして。

Terima kasih(ありがとう)。キミには、このあとあたしの思いのたけ、お礼をするよ」

彼女は、すっくと立ちあがる。少しふらついて。やさしい笑顔をわたしに、

 

「いままで。屋台でケツ触ってくるおっさんをあしらうようなノリでやってたのがあたしの間違いだった」。そして、ひどくきつい貌を彼に。「刃物持ったひったくりをぶちのめすような覚悟でやんなきゃいけなかったんだな」。

 

 彼は、きっと「舐めんな」とでも言いたかったのだろう。けれど、ふっと彼女は"洞"を目の前につくり、そこにゆっくりと手を入れ。

それは殴打ではない。穂村君の視界を覆うように、彼女の手のひらが飛び出た。

穂村君はびくりとし、その目隠しを警戒し、両腕を顔面を守るように覆うと。

 

 そのために、彼は彼女の突拍子もない行動を、視認することに完璧に後れをとる。

 

 スライディング。机や椅子という障害物がない、女子の身体ひとつが通れるような教室の床の細道を、彼女の身体がすべる。机がひとつ定位置から転がされたので、そのルートはできていた。

床を滑り、衣をこする音がした。

彼女は、紺色のスカートをひるがえして、タイツが破れるとか、下着が見えるとか、そういうことを何も躊躇しない。

 

 彼女の身体は、穂村君が大股に開いた左足と右足の間をくぐりぬけて。迅い。

"洞"を使うことなく(疲労でもう、無理だったのかもしれない)、彼の背後に回り込んだ。すぐさま彼女は彼の背後で立ち上がり、「は!?」と彼が上半身を回したときにはもう遅い。

彼女は、背後から穂村君の股間を蹴り上げている。

 

 わたしは顔を覆う。彼は、大きな目をさらに見開いて、顔をゆがませ、呼吸音をもらした。

まだ。彼女は容赦ない。それで終わりでない。彼女は右こぶしを振り向きかけの穂村君の顔面に打ち付ける。そしてさらに、殴った後に、こぶしを時計回りに180度、ねじった。

わたしはそれを、眺めながら、そのこぶしの回転の意義を探ろうと、自分の頬にぴしゃとパンチし、ねじった。

なるほど。これは、痛みを増すやつか。

「てめぇーーーーー…」

彼女は容赦ない。そして、消え入りそうな声を出した彼に、またこぶしを。今度は、のどに右ストレート一閃。もちろん、ねじる。

 

 そして、やっと、騒ぎを起こした彼は、変な声をあげて、床に顔面から倒れ込んだ。

 

 彼女は我慢をやめてうずくまって、「バカタレが」と悪態をつき、荒い呼吸をする。

わたしはまだ泣いているので、近寄って、彼女に何か感謝の言葉をかけることもできなかったから、手を握ることだけをした。

 

 ようやく教室の時間が動き出したように周りがわたしたちを囲み、心配の声をくれ。先生が起き上がり、男子の誰かが事情を説明していて。

 

 

「あたしね、マサカって言うんだけど、キミは?」

「ゆりです」

「ゆりちゃん?なんでこんな可愛いのに、あんなに勇気あるの?」

「可愛くないよ」

「可愛いよ」

「可愛くない」

「そうかなあ」

「すごい、引き締まった腕。そりゃ、強いわけだよね」

「ゴリラだよ、ゴリラ」

「そんなことないよ!」

「島の子供、みんなあたしのことゴリラって言うよ」

「ちょ…、ひどいねえ!」

「そう?おいしいよ」

「おいしい?本当?」

「フフ」

 

 

 先生の顔の痛みはほとんど彼女がやったことではあったけれど、状況説明をした男子は彼女…マサカちゃんをかばうような発言を要所要所に入れてくれたので、まったく咎められず(仮に、これが彼女への叱咤に変わるなら、わたしが反論した)、

先生はぐったりした穂村君が目を覚ますのを確認すると、「ルール違反もルール違反だなあ、お前」と襟首をつかみあげた。

 

 穂村君は敗けを認めたのだろうが、寄り添うわたしたちを見て、こう。

「ちくしょう…また、こんなかよ…なんでこう、俺は目立てねえんだ」

「目立ったよ、バカタレ。はやくどっか連れてかれろ」

「なんで俺は才能も何もねえんだ、ゴミみてえだ、悲しくなるよ、ちくしょう」

「じゅうぶん才能あるわバカ。あたしがこんなボロボロなんのはじめてだわ」

 

 彼の目は充血して、泣き腫らしているように見える。顔面を殴られ続けたからだけではない。そして、女にケンカで負かされたことについて、というだけでもないと思った。

きっと、何らかの今までの劣等感の蓄積のようなものがあって。

 

そして、それを何となく理解したのはわたしだけではなく。

先生は彼に、もう十分か、と尋ね、はい、と言われると、彼を強く捕まえたまま。全員には、生徒指導室に行くから、みんなはもう今日は帰ること。明日も遅刻しないように、と言った。

そして、穂村君とともに教室を出ていく。どういう処分が下されるのか。こういうのは停学だろうか。いや?そうだろうか。何しろ、この学校、関係ない者を巻き込まないようにという前提警告はあれ、体裁のいいように超能力者同士の校内でのケンカを認めている―。

 

「なんか、あいつ、きっと本当は悪いやつじゃあないかもなって、思うんだけどね」

 

 彼についてマサカちゃんは、女に机を投げるなんてマジでありえない、とか、女を力で負かそうとするやつはクズだ、とか、ああいうやつが性犯罪を起こすんだ、とか、DV夫予備軍だ、とかボロボロに言った後にフォローするような言葉を急に言うものだから、わたしはぽかんとして、「そうかもねえ」と同意し、彼女がまだ痛むという箇所を、さする。

 

 




書き上げた後、知人に見せると「マサカの戦い方がゲスすぎる」という予想済みの評価が返ってきた。
私はそうは思わない。女が体格や力で勝る男に必死で戦って勝つためには当然の戦略だ。
格闘マンガのような、女の攻撃一撃で男が沈み倒れるなどリアリティもクソもない。格闘ゲームではないからスピードだけではどうにならない。だから、不意打ちと急所攻撃は、この作品からは省けない。


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#08 Senang bertemu dengan Anda (1)

(1-3)

 

ここで、深刻な統制問題をひとつリマインドしておく。

 

 わたしは、家に帰ったのち、お母さんに校長先生の2度目の「異端な話」についてもちかけようとした。どう思っているのか、と。

しかし、それができなかった。口から出てこないのだ。

 もう少し高校生活の時を経ていくと、御名術という概念の持ち出し、について自分なりにまとまっていったのだが、

このときのわたしにはわからなかった。これは大問題なのでは、と思った。精神を操作されているのではと。

 

 家族はみな、初日はどうだったのか、雰囲気は?実感は?とかいろいろ聞いてくる。しかし、入学式の場にいたお母さんが、校長先生の話など聞いてもいないかのように

「きれいな学校だった」「ゆりは、ド緊張していた」「教師陣しか校歌が歌えなかったのはよくないよねえ」などとどうでもよいことしか口を出さないというのが理解できない。

そして、お母さんと二人きりになったとき、お互いに何か重要なことを言わなければ、と視線が交錯した。なのに、お互いに、言いたいことが言えない。

 

 これは、統制はわたしだけではない。お母さんにも働いている。そう確信した。<そして、後日それが事実であるとはっきりした―>

 

 ただ、わたしはこれを何度でも思うのだが。

超能力というものがある。それはいい。それをわたしたちの1/10が身につけた。まだそれはいい。

 

「それが、人を傷つけたり、迷惑を被らせたりする可能性を秘めるなら、そんなものの押し付けは、とんでもなく邪魔っ気だよね」

 

 わたしは自分のベッドに横向きに寝ながら、悪態をついた。誰にも聞こえないならば、声に出せるようだ。

なにしろ、入学式のすぐあとのホームルームで、あんなことがあったのだから。それは、自分に付着した状況に悪態もつきたくなる。

わたしは打ち身を隠している。ふと意識すると、痛みがある。何度床に転げたか、今日は。

 

 素敵な出会いがあったことはあった。

騒動を巻き起こした彼には思うところがある。怪我をした人は大丈夫だったか。わたしは―眠る。

 

 

 

 4月8日。

きのうはなんとなく冷たいなと感じたクラスの雰囲気も、今日はなにかやさしいと感じた。ちゃんと寝れた?怪我なかった?あたたかい心配をもらい、少し照れて、わたしは。

 

 マサカちゃんは机に座ったまま、4人の女子に囲まれて、何かしゃべっている。何かマサカちゃんが言うと、周りは大きく笑顔で笑う。

あまり聞こえないがインドネシアでの生活はどうだったか、のようなことを話していると思う。

 

「あ、ゆりちゃん、おはよ」

彼女は手を振る。

「マサカちゃん、身体は?病院行った?」

「行ってないよ。ゴリラは打たれ強い」

また、周りが笑う。彼女は精悍に、白い歯を見せてにこやかに。

「スカート、青いのにしたんだね」

「Ya。昨日ので破れちゃったから」

 

 かばんを下ろしてゆっくり腰かけると、ちょうど教室に入ってきた笹尾君を見つけ、ああ、と思う。指に包帯を巻いている。

彼はわたしの隣まできて、おはようと言うと、「なんともねえんだ?」とわたしに聞く。

わたしは、「わ、わたしは、だいじょう、ぶ、うん。笹尾君、それ…ごめん」、どもる。

「なんで柴崎さんが謝んの」

「ええと、そうだけど、だって―」

 

 ぐいという擬音を感じるほど、マサカちゃんは力強く現れ、わたしと彼の真ん中に立ち、深々と頭を下げる。

「すいませんマジですいません。キミの指噛んで、キンタマぶん殴ったのあたしなんすよ。どうか許してください」

「マ、マ、マサカちゃん!!ダメだよーーー!?女の子がどストレートに朝っぱらから言ったら!そんな放送禁止ワード!」

彼は困惑し、「お、おう」と少し引きつって。

さすがだ。言葉にさえ躊躇しない。けれど、これはわたしが矯正してあげたほうがよさそうだ。

 

「…るっ、さいな…静かにしてよ」

そして、わたしの後ろで机に突っ伏していた化粧の濃い彼女は、にらみつけるような人相でわたしたちを。

「きのう、ちゃんと寝てないんだから」

わたしたちが少し言葉を失うと、マサカちゃんは首を掻いて、鋭く言った。

「寝不足なのはそっちの都合だろ。きのうはいろいろやっちゃったんだから、謝るくらいさせてよ」

けれど、新堂さんも言い返すタイプで。

「その、わちゃわちゃやってんの、もう少し静かにできないかって。しゃべんなって言ってんじゃ、ない」

「だからあんたが寝不足なのいま知ったんだからしょうがないだろ」

「そんなら、もうあたしに話かけないで。小さい声でやるかどっか行ってやって」

「なにぃ?」、憤る。

折り合いがつかない、と思った。お互いに気が強そうだが、タイプが違う。笹尾君は気を利かせ、「廊下行く?」と言うが、マサカちゃんの望みはそうではない。

 

 昨日のことも思い返してみるが、どうも新堂さんは、跳ね除ける雰囲気、がある。

ホームルームの騒動が終わったあとも、彼女は教室の後ろにひとりでぽつんとしゃがんでいて、誰の会話にも加わろうとしなかった。そう、そしてかばんを肩に下げていた。

彼女は、先生が穂村君といなくなると真っ先に教室から消えた。なにもかもを避けるように。

 

「あんた、御名術もってるらしいな」

「―は?」

 

あ。向きをそちらに、向けるのか。

 

「ゆりちゃんから聞いてんだよ、御名術もってるやつの黄色い光、あんたも出してんだろ。なんであんとき助けようともしなかった。あたしがボコされてるの、どうでもよかったんだ。いや、どうでもよかったとしても、別にいい。それはいいよ。きっとあんたそういうやつなんだから。でも今思うとさ、あんた、あたしとリーゼントのダブルKOとか期待してなかったか?なんか、そういうことわざあったよね、日本に」

「なに。ワケわかんないこと言わないで」

新堂さんはキッと目を剥く。その視線は鋭敏だった。昨日の穂村君と比肩するほど、目力が強くて。

呂布海苔(りょふのり)?ってんだっけ」

わたしは、「違うよ」。

笹尾君が「漁夫の利」。

「関係ないでしょーーーーーっ!?あたしに話しかけてこないで!そういう話も一切したくない!あたしは関係ない、超能力なんて持ってない!勘違いしないで、決めつけないで!」

彼女は立ち上がって、叫ぶ。マサカちゃんは…その勢いに、彼女でも、押され、ぴくりと身体を反応させる。何を言われても動じないと思っていたが、そうでもない。というか、新堂さんの一声が、強すぎる。

「…」

教室は昨日のように静まって、少しすると戻って、そして、彼女は座る。

「そうなの、ゆりちゃん?」

 

「う、うーん…」、わたしは小声で、(わたしには黄色く見えるから、そんなことはないと思うけど…でも、黄色く光ってるだけならね、わたしも一緒でしょ?わたしは見えるだけで、

超能力は使えない、し…)

 

(そいつも、そうだってこと?見えるだけで、超能力者じゃない?)

 

(校長先生の言い方と、いろいろつじつまが合わないようなところ、あって、うーん…それか、わたしも、このあと超能力が使えるようになるのかな?)

 

(ううん。あたしは、なんか、直感で、自分がこういうことできるようになったよ、って電話が来たような感覚受けたもん。きっと、『すぐ』のことなんだと思う。

でないと、いきなりリーゼントが先生をぶっ倒せるわけないでしょ。練習もなしに。虫の知らせみたいにさ、来るよ。いきなり頭の中に)

 

 その通りならば、わたしも新堂さんも、見えるだけ、か?そういう仮定。

そしてわたしたちは、彼女に不用意に話しかけるのはもうよそう、と。かかわらないように、と決めたが、すぐにマサカちゃんは、「あんた、化粧もう少し薄くした方いいよ」と。

ああもう、とわたしはため息。新堂さんは、眼がぴくぴくとふるえている。

 

 

 

 4月9日。

 

 学校が終わり、一度家に帰ったあと、私服に着替え、学校の正門近くでマサカちゃんと待ち合わせ。

彼女のファッションを上から言うと、黒い野球帽をかぶり、派手な色のTシャツの上に本革が合皮かわからないけどジャケットを羽織り、時代遅れのケミカルウォッシュのジーンズ。白いスニーカー。

背が高いのでだいぶカッコいい。そう褒めようとしたが、彼女は星占いのハシゴで集約されたラッキーアイテムのひとつ、わたしお気に入りの白のワンピース…を見て、それはじろじろ見て、「カッワイッ。マジで、カッワイッ」と連呼した。照れるとわたしは暴走してしまうから、ほどほどにしてほしい。背中に汗をかきまくって透けてしまう。「カッワイッ」。

「あのね、見た目に自信ないから、その、スタイルも…精一杯のおしゃれはさあ」、わたしは着ている人間ではなく服がよいのだと遠回しに言おうとして。「カッワイッ」。まったく聞いていない。

 

 わたしたちは、主にマサカちゃんの提案を中心に、昨日学校に来なかった、彼を待つ。今日は、昼から学校に、直接生徒指導室に出向しろと言われたらしい。

 

「ゆりちゃん、あだ名とかあった?」

「わたし?中学のときは、みんなに、ゆっり、って言われてた」

「ゆっり。ゆっり?ゆっり…言いづらいな」

「そう、何か言いづらいよね。マサカちゃんはあだ名あった?」

「え。ゴリラ」

「ええとね、他にはさあ?」

「いや、ないよ」

「うそ、名前でも呼ばれてなかったの?」

「ゴリラ、人間の名前、もってない」

わたしは吹き出す。「だからさあ」。

 

 そして、彼がやってくる。

彼はかなり驚いた様子で。「よ」と手を振った彼女を、わたしを、とても遠慮していて。

その大きな目は伏し目がちで力がなく、顔は怪我を処置したあとがある。

「なんなんだよ、おめえら。何で私服なんだよ」。穂村君がとても、とてもばつの悪そうに、虚勢が見えてしまうほどの、しぶい声を発する。

「あんたがどういう処分になんのか、あたしたちにどうすればって聞いてこられたから。特に停学とか可哀想なんでしてやんないでくださいって言ったよ」

「そ、そうかよ。は。あんまりよ、くだらねえ情をかけてんじゃ、ねえぞ」

「なんかあんた、気の毒。殴られたでしょ、おとといそんなひどくなかった。さっき殴られてきた感じがある。それってひどくない。先生?うちの?あたし、抗議しようか?」

 

 彼は何も言わずむずむずと身体を動かし、「何の用なんだよ」と、わたしの方に聞く。

「うぇ、ええと」

「ちょっと会話が足りないなって思ってさ。あっこ行こうよ、交差点のとこにあるマック。あたしね、『きんぴらライスバーガー』大好きなんだ」

「マサカちゃん、それはマクドナルドにはないよ」

「エエーーーーッ」

「…」

「金持ってる?おごってよ。おごってくれたら一昨日のことはチャラにしたげるよ。今おごってくれないなら、しょうがないから、たてかえとくよ」

 

 彼女は、もう一昨日の恨みなどはないように感じて。わたしは、そのさっぱりすぎる性格をうらやましく思う。わたしなら、きっと裏でいつまでもねちねちと…。

「…わかった。今、持ってねえ。金。けどな、あとで絶対に返す」

「硬派~~~~~!!」、その褒め言葉で、ようやく穂村君は笑ってくれて。「照れてんじゃねーよ、タコ!」とマサカちゃんが男子のように小馬鹿にして指摘すると、彼は一瞬苛立った顔をして、息を吐く。

「あっ、一昨日いろいろしちゃったけど、正当防衛だから。でもさ、キンタマ蹴ったのだけはごめんな」

「マサカちゃん!ダメだよーーーー!?女の子だからね!?」

彼は、笹尾君のように、顔をすこしひきつらせて。

 

 わたしたちは学校に背を向ける。

彼はまだ警戒してか何かを話しかけはしてくれないが、たまにこちらを、見る。

マサカちゃんは急に話をだいぶ戻し、「ねえ、ゆっりってあたし、すごく言いづらいんだ。ユッピ、ってのは、どう?」

「え!かわいい!そんなの言われたことないよ」。「いい?」、「うん、うん。すごくいい、嬉しい」、「ユッピ、ね、今から」。「ありがと!」、「あたしはゴリラでいいよ、うほうほ」、「だからさあ」。

どこかの食品会社のキャラクターのようなあだ名だと思った。アニメーションで、CMで駆け回っていそうな。それをつけられ、わたしは小学生のようにはしゃぎ、マサカちゃんはケラケラ笑って、穂村君は横で笑いをこらえている。

 

 



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#09 Senang bertemu dengan Anda (2)

3階建てのマクドナルドで、何らかのセットが一式置かれたトレイを持った中年の女性が、2Fフロアへの最後の段を踏み外し。

その女性は、つまずいて膝を打ってしまう。痛い!と声が出て。その結果、トレイの上の、どんなに運がよくとも、飲み物だけは階段に倒れてこぼれてしまう、とわたしは思った。

 

 が、マサカちゃんが、手元に"(うろ)"を作り出したので。

マサカちゃんの手首から先はここからは消えていて、階段のところで両手が無事にトレイをつかんでいる。被害ゼロ。

 

 彼女はそれを自分の手元に引っ張ってきて、"洞"は消し、ささっと転んだ女性のところまで、運んでいた。

「大丈夫っすか」、と。その女性は、タイミングよく階段に向かおうとした女子高生がキャッチしてくれたのだと思ったのだろう。

ひざをさすりながら、「ご、ごめんね~…ありがと、いい子ね、あなた。よくひっくり返さなかったわね~」と、眉をハの字にして。

 

 いえいえ、とマサカちゃんは戻る。わたしたちのところへ。

彼女はそれについて胸を張ったり、あるいはわたしたちに何か反応を求めるでもなく、そのままポテトをつまみだした。

 

「そう、それだよな。俺のやつに足んねえのはよ」

「なんだ。足りない?あんたもLサイズにすればよかったじゃないか」

「マサカちゃん、穂村君はポテトの話をしてるんじゃないと思うの」

もぐもぐと。

 

「あのなあ。加納。俺はさ、おめえに言われて答えらんなかったんだよ。御名術をよ、卒業したあと持ち出せてよ、それが他人の何かの役に立つのかってよ」

「…んん。言った気がする」

「俺は、この眼(の御名術)をよ、持ち出せたっておめえが満足するような使い方を他人にできんのかわからねえよ。でも、絶対におめえのみたいに人の役に立つやり方を

思いついてやっからよ、それで、いつか、こうやって役に立つからなって説明するから。そんで、おめえがそれでいいって思ったら、また勝負しろ」

「まあいいけどさ」、マサカちゃんはもぐもぐと。「偉そうなこと言ったけどさ、あたしだってこれさ、持ち出せて人の役に立てるかなんて考えらんないんだけど」。

そうだろうか。わたしはオーバーに首をかしげる。

 

「あたしはさ、こういうのはさ、学校で一番、人と社会の役に立つ御名術を持ってるやつ、そいつが持ち出すべきだと思うよ。それは、あたしじゃないと思うんだ」

「おめえは、今転んだおばさんの役に立たなかったのかよ」

そうだよね。

「あれが、階段のあたりで走り回ってるがガキんちょだったとして、つまづいて階段を転がり落ちそうになったとき、おめえは助けられるだろうが、そうだよな?」

「転がり落ちはじめちゃったら、こっからあそこの踊り場までは届かないかもしれないな。8メートルくらい先までしか穴を作れないから」

「そういうことを言ってんじゃねえよ」

「わたしはねえ、マサカちゃんの御名術はいろんな人の役に立つと思うんだ。穂村君の言ってる通りだよ。わたしは、持ち出せても意味がないから。見るだけだからね。

日本に御名術をもって暮らしてる人が何人いるかとか、そういう事を知っても意味がないよ」

「絶対、あたしよりいいやついるって」

 

 マサカちゃんは、彼女の御名術を持ち出したくて仕方がない、とは考えていない様子で。

 

 そして少し切り替える。

「でも、もし新堂があたしのよりましな御名術を持ってたとしても、あいつみたいな性格悪いやつには持ち出させたく、ないな」

「う~ん…」、それについては、わたしは、即答をすると結構問題があるのでは、と思ったので、イエスもノーも言わない。

 

「新堂?あいつも、なのか?あの、柴崎のうしろのすんげえ化粧したやつだよな?」

「ああ。なんかあいつも黄色く光ってるんだって」

「あそこの女子の列、3人も御名術持ってるやつがいるんだな」

「わたしはちょっと違うんだけど」

「ユッピの目は正しいって信じてるよ。あいつ、黄色く光ってるくせに、自分はちがうって言い張ってるんだ」

「そりゃあ、もし…そうならよ。俺とおめえのスキ見つけて、足元掬おうって秘密にしてんじゃねえのか?」

「そうだよな!?そう思うよな!?あんたいいよ。いいよトラ影。頭やっぱ切れんじゃん!」

「俺は景虎だ!!わかっててわざと間違えてんのか、間違えたまんま覚えてんのかどっちだ!」

 

 ふたりは一昨日の苛烈な勝負のことなど忘れ、わたしには意気投合したように見える。そして、そのあと少し、新堂さんについての仮説や対策が、ふたりの間を舞った。

次に争い事が起こるとしたら、相手は新堂さん?わたしは、そうは思わない。彼女は、むしろ、最後まで戦いとか競争を、避け続けるように、思う。

 

「景虎さぁ、凶悪犯が銀行強盗して人質とって立てこもってるときにさ、食事届けろよ。そんでさ、ガン見してさ、ぶっ倒せば。あんた、ヒーローだよ」

 

 もぐもぐ。マサカちゃんは、最後に、穂村君の御名術が人の役に立つ機会、を思いついて半笑いで提案する。痛々しい痕のある表情が、柔和に笑う。ふたりの話を聞いていて、わたしは、とっても面白い、と感じて。

さっきのおばさんはわたしたちより早く、おじぎをして、去る。わたしたちは3人で、それを返す。

 

 

 4月10日。

 

 早めに登校して職員室へと。

わたしとマサカちゃんは大曾根先生の席へと向かう。途中でどこですかと知らない先生に聞いて。

場は、ピリピリしている。職員室特有の近寄りがたい空気感と、厳しい雰囲気があって、入ってすでに居心地が悪い。できたばかりの高校なのに、職員室内部、各先生たちの机(デスクというべき?)はすでに乱雑なそれだった。わたしたち主演に対する、楽屋裏の面だと感じた。ネガティヴな。

 

 おはようございます、とようやく馴染みがある先生のもとへ行くと、先生は湿布を貼った顔で、「おはよう、どうした」、と言った。

 

 マサカちゃんが、「穂村のことなんですけどー」と、趣旨を前置きひとつせずに訊く。

「加納と柴崎の望むような措置に、したが?」

「ええと。それは、いいんです。ありがとうございます」、彼女は険しい顔を作って。「昨日、なんで穂村が殴られてんのか知りたいんですよね。必要ありました?」。

先生は言葉に詰まったような顔をして、一息置いて、「人のせいにするつもりはないけど、あれは、おれじゃあない。殴るつもりなんてまったくなかった」。そして言いづらそうに、「一度、おれはトイレに行ったんだ。戻ってきたら、生徒指導室にいたの、おれともう二人いたんだけどな。片方が手をあげてな。そいつ、若いから…」、すぐに、先生は、言葉を止めた。

その特徴を漏らすと誰かが、いずれ特定されてしまうからだろう。

 

 そして、

「教師側の責任だから。おれは、殴ってしまった先生にはきつく、だめだと注意したから。ああ。わかった。すまん。穂村にはまた、しっかり謝っておく」

しっかりした、大人の返答だとわたしは思う。マサカちゃんをそれで、納得させた。

「殴った先生は誰か聞きたいとこっすけど、先生が困りそうだからなー。わかりました」

「そういう話か?来たのは」

「あの、あいつね、昨日しゃべったんですけど。親が異常に厳しくて、頑張ってんのに勉強も部活も。認めてもらえないみたいなんすよ。意味もなく理想が高いみたいで。あいつも、ああいう田舎のヤンキーみたいなカッコしてるけど、それって親に対するアレで。あいつも、あれが間違ってんのはわかってるんですよ」

「ああ」、先生も、それを察しているのか。うんうんと、聞いている。真剣に。

 

「あの、あいつがやっちゃったから、他のみんな、びびっちゃってるんです。あたしたちはもう気にしてないけど。でも、あいつは居心地最悪だろうから、あいつが悪いんですけど、なじめるようにしてあげてほしいっす。それは、先生の力で―」

「わかった。約束する」

 

 彼女は、わたしには、とても恰好良すぎる、先生へのお願いをした。これほど、一つ一つの言葉に強い感受性をもって語れるならばどんなに素敵だろうと。

自分を暴力でねじ伏せようとした相手、なのに。

わたしは、つい彼女を見つめてしまう。

 

「ユッピ?」

「あ?あ、ああ?」

不意に呼ばれる。

「聞いてた?」

「ご、ごめん。穂村くんの話、だよね?」

「ちがう。それもう終わってる。校長先生の」

「えっ?」

 

 彼女は、うわー、という顔をして、わたしが聞いていなかった次の質問を、また言うね、と先生に繰り返す。わたしは初耳で。

 

「校長先生に、御名術の細かいところをいろいろ、聞きたいっす」

「柴崎のためにもう一回言うけど、説明会がゴールデンウイーク前に行われるから、それまで待ってくれ」

「それじゃあ待てない!」、マサカちゃんはすぱっと強く。「うちのクラスだけじゃなくって、他のクラスでもまた事件が起こるんすよ!だいたい、説明不足なんだもん!急に超能力とかさ、今度起きるのがよそのクラスで、明日で、けが人続出、とかなったらどうすんですか!?」

「初日に教師陣でも大問題になったから、それを次はさせないように先生たちががんばるんだ」

Tidak(ちがうもん)、それあたしの求めてる答えじゃない」、彼女はかっと興奮して、両腕を大きく上下させ、納得できないとジェスチャーする。

「マサカちゃん!」

「ねえユッピ、校長室行こ!こういうまだるっこしいの、あたしは嫌だ!」

「えっ、えっ、えーーー…」

他の先生たちの目がわかる程に集まり、そして「今日は校長先生は外出中で、いない」と先生は止める。その、わたしにさえひどく悠長に思えた返事に、マサカちゃんはとても嫌そうな顔をする。

 

 そして、わたしが、聞く。

「あのう。この、わたしたちの帯を活性化させて、御名術を使えるようにさせたのもまた、校長先生の御名術なのでしょうか?」

先生はぎょっとした顔をする。

彼だけでない。それを耳にした、他の先生も、顔をあげて。

禁句、なのだと思った。先生は口をぱくぱくさせる。これは、あの、「統制」か。わたしたちが、御名術について外部に発せないようにする裏で働く力。先生は、誰も、答えようとしてもできないようだ。

それの答えを得ることは不可能だと思い、わたしたちは、そこを離れようとする。まもなくショートホームルームがはじまるので。

 

「柴崎」

「はい?」

先生が具合の悪そうな顔で、わたしたちに。「この高校を造ったのは校長先生と、お亡くなりになった校長先生のご友人と、黄瀬(おうせ)家と天里(あめさと)家だからな」と。

ヒントのようなものを、くれる。わたしたちは耳からこぼさない。

それはきっとこの環境下における先生の最大限の、わたしの質問に対する誠意ある返事で。

そして他の、グレーのスーツで神経質そうな顎の細い男の先生が―あとで知ると、C組の担任。―「天里は、今日は体調が悪くて休みです。大曾根先生」と、追加した。

彼らもまた、この「統制」にはいろいろと被っているものが、あるのだろう。

 

 



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#10 お嬢様と執事長

 D組、別の教室というのも入りづらい雰囲気がそのときはあった。まだ学校が始まって4日目だし、わたしもマサカちゃんも知り合いはいない。

なお、あまり会いたくないわたしの知り合いは西棟のF組にいるようで。まあ、そうは会わないだろう。会ったところできっとわたしは避けるし、彼も視線をよこすだけだろう。

トイレに向かう廊下に近接しているから必ず通ってきてはいるが、教室の中となると話は別だ。しかも、向こうもわたしたちとは初対面であるから、そうやすやすと呼んだところで来てくれるだろうか、という懸念は、ある。

 

「先生のあれ、やばいよね。景虎のことはちゃんと、親身になって聞いてくれてたのさ。校長のこと聞き出したらあんなに歯切れ悪くなるんだよ。おかしいよ」

 

 マサカちゃんも、「統制」の行使力に苛立っている。帯、およびに御名術という概念を黙秘事項にさせるという力があって、もうひとつ。

よそのクラスの御名術をもった人がいたとして、御名術の内容を他言できない。それがよくわからない、不明な能力であっても、「こんな感じで」とか言うことも許されない。

 

 わたしと、マサカちゃんと、穂村君がA組の御名術もちだというのは、初日の騒動のせいで結構早く広まっている、という。

ただ、まだ救いなのは、先に言ったとおり。御名術の内容は、伝わらない。

おかしな話である。本当におかしいと思う、わたしは。この「統制」、誰かが「そうした方が面白い」とか考えていて設定していそうだ、と思った。校長先生をはじめとする…の、ような。

大変気持ちが悪い。だとするならば。

 

 1時限目は終わり、休み時間。さっきまではマサカちゃんの行動力任せだったので、今度はわたしが。

ちらりとD組の教室に一歩踏み込んで、誰だこいつみたいな視線をいなし、教室うしろ、荷物置き場にいた男子をつかまえる。

「すみません。A組の者なんですけど、黄瀬詩津華(おうせ しづか)さん、呼んでいただけませんか?」

「…はい」

その男子は、素直に直接呼んでくれるかと思いきや。

教室の左前にいた、別の男子に声をかける。あれ?

 

「なんだあいつ。女の名前言ったよね?それとも、同じ苗字、男にもいんのかな?」

「あまり多くない苗字だと思うよ」

 

そして、第一D組生徒に声をかけられた男子がわたしたちの下にやってきて。

 

「黄瀬さんに要件って?」

「あ、えーと」

「なんで本人が来ないんだよ…」、マサカちゃんがぼやく。

「いないんですか?」

「いや、いますけど」

「はー?」

「要件次第では、取りつげないので」

「はー。なんでキミがそれを判断すんだろ」

「そう、頼まれてるので」

「は」

 

 わたしたちは顔を見合わせる。本人でなく、頼まれたという男子が来た。

取り巻きか?使いっ走り?お嬢様だから?やや、不可解だ。

 

「御名術のことでお話したいですと、わたしが伝えたならば、どうですか」

彼は目をぱちくりとさせ。

少しの思案ののち、「それなら、たぶんよいと思いますよ」。

彼は、特に目立った特徴のない男子だとわたしは思った。指がすらっと長くてきれいだ、と感じたくらいか。そして、黄色い光は見えない。帯は、ない。

「昼休みにグラウンドのほうで昼飯食べることになってますから、来てください」

 

 話が早い、と。わたしは思う。そしてマサカちゃんが、「そんな手っ取り早いなんて。お嬢様って御名術もってる人?」。

「違います」

「そうなんだ?」

マサカちゃんはわたしとアイコンタクトをとる。

わたしはD組の教室の隅から隅までを見渡してみて。

いま、教室内に黄色く光っているのは、男子ふたりである、とわかる。嘘はついていないのか、あるいはそのお嬢様は今ここにいない。

わたしたちは、特徴のない彼に頭を下げて、3時間弱を待つこととする。

「最後に、キミの名前聞いていい?」、マサカちゃんが、そう。

花形(はながた)

よどみなく、彼は答える。

 

 13時10分くらい、今は。下駄箱の列を抜け外に、そしてしなびた大きな木が生えているところをぐるっと左へ。

女子が固まってバドミントンをしている脇を抜ける。中学時代みたいにまたやりたいな、あとで誰か誘おう。次に、グラウンド側から現れた野球部のかたまり。うち3人が同じクラスだったので、手を振ったり顎をあげたりして。

それも通り越してグラウンドに向かうと、そこには真っ白いベンチがあって、1人の身ぎれいな女の子が座っている。

そばに、もう二人、男子がいる。

マサカちゃんは顔をしかめる。あまりその、取り巻き?という風体が理解できないようで。いや、取り巻きかどうかはきっと質疑応答しないとわからないけれど。

彼女はピンクのリボンと赤いラインのスカート、という可愛らしい組み合わせで、こちらに気付くと髪をすいた。しとやかムーブ(わたしの造語)、だと思う。

 

「はじめまして。A組の柴谷です」、「加納です」。

 

「黄瀬詩津華と申します」。高い声だった。「すみません。わたくし、まだお昼を食べていなくて」。

「ああ、そんなら食べてきてから、それか、食べたいもん、あたしらが買ってくるけど?」

「あ、いいえ。頼んで、あるんです。ちょっと遅れてるのか」。

彼女は小柄で、カールしたセミロング髪型がかわいらしい。お嬢様という人種をあまり見たことがないが、こういうものなのだろう。きれいなおでこを出していて、雅やかさを感じた。

ずいぶん足が小さいな、とも思う。あちらこちら。わたしはどこを見ているのか?

 

「遅いんですけど?」、彼女は子供っぽく感じられる口調でわたしたちがやってきた方向を向いて。

すると、さっき取り次いでくれた、花形君が走ってくる。何か両手に持って。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい。沸いたお湯が足りなくって」

「言い訳は結構!」

彼女は釣り目と高い声のせいか、見た目よりもきつい言い方だとわたしは感じる。

何を持ってきて、何を受け取ったのか?その、なんだろう?鉢のような…。

 

『マルちゃん黒い豚カレーうどん 東洋水産』

 

「…」

「…」

認識。マサカちゃんは目を丸くして、口をだらしなく開けてしまっている。そして、わたしもきっと同じだ。

 

そして彼女は花形君に、ぴらりとはがした上ふたを渡して。「執事長、割りばし割って」と子供のように言う。

「しっ、シツジチョーー??」

マサカちゃんが遠慮せずに叫ぶ。

花形君は何も言わずに割りばしを、下手な割れ方をしないように気を付けて、ぱきりと。彼女に両手で渡す。

 

 しとやかな、雅やかなお嬢様がカップ麺を食べだす。猫舌の気配はない。ずるずるずる。もぐもぐ。ごくん。くい。ごくん。ずるずるずる。食べっぷりもよくて。

ちまちま食べる女の子とは正反対だ。

「キミ、なんなの?執事長ってなんでそういうキャラをもらってんの?お賃金出るの?」

マサカちゃんは不可思議なものを取り扱うように、好奇心と疑問を埋めようと彼に訊く。

「なんでこの子のラーメン買ってきたの?カレーうどん美味いよね。あたしもあれ好き。なんで当たり前のように割りばし割ってあげるの?」

「だってそういう風に頼まれたんだからやるしかないじゃないですか」

「だから、なんで?頼まれたらなんでもやるの?奴隷契約なの?言いなり彼氏なの?そこのふたりとは格とか位は一緒なの?」、マサカちゃんマサカちゃん。

「ええとですね」

「彼は執事長であってそれ以上でもそれ以下でもありません。わたくしの奴隷でも彼氏でもありませんから。ちょっとした腐れ縁というものです。中学ではずっと同じクラスでした」

ずるずるずる。ごくん。くい。ごくん。もぐもぐ。

 

 正直なところ、わたしもすでに質問攻めにしたいところなのだが、マサカちゃんが止まらないので。というか、わたしたちは御名術のことを聞きに来たのであって、

黄瀬さんと花形君の関係性の不明瞭さを追求しに来たのではない。

 

 5分以内に。早い。なんだこのスピードは。完食。彼女はカップ麺をスープまで、飲み切る。ごみは花形君が受け取って、まとめる。制服に飛沫が飛び散って、いない。

鼻の頭の汗を少しぬぐって、ふーー、と息をつき。

彼女は、ぎらりとわたしたちを見る。

 

「お話をいたしましょう」

そして、花形君はいいようだが、他の取り巻き?の男子ふたりを、そこで帰した。マサカちゃんはベンチの隣に腰かけ、

「お嬢様はラーメン好きなの?」

「はい。家だと食べさせてもらえないので、お昼くらいは、ですね」

「わたし、そういうの食べないと思っていました…学食でもなさそうだし、購買でパンとも思わなかったし、教室で豪華なお弁当かなって」

「お弁当でもいいのですが、食べきれない量を作られますので。母でも、お手伝いさんでも」、お手伝いさん、というところで、一般家庭ではないとわたしは確信。「わたくし、お金を無駄にするのが大嫌いなんです。お昼ご飯は自分で好きなものを買って食べたいと、言いましたら。わたしの母、2000円くれたんですよ!2000円!何を食べると思ったんでしょう!」

「それが事実ならイカれてんなー。さすがお金持ち。あたしん家で2000円もらったら10日分かもしれないぞ」

「そうですよね?わたくし、だからこのお金は『こんなに必要ありません!』と母に返すのです。1000円は返します。残りのお金は貯金箱に入れます」

「やべえ、この子絶対面白えわ。おつり返さないあたりは庶民と変わらねー」

マサカちゃんの興味を、いたくひいた。このお嬢様は。要するにきっと、お金持ちの令嬢としても、少しずれているのだと思う。

「『吝嗇(りんしょく)の証明 』!わたくしのモットーです」

「どういう意味?」

「自分が、ケチであることを隠さず明らかにするのです」

「キミんとこの家訓?」

「いいえ、わたくしだけの大切な言葉です」

「あたしさあ、東南アジア住んでたんだけどさあ、知り合いの農園のおじさんがキミの言うような、すっごいケチだったの」

「まあ、東南アジア!」

早くも彼女らは意気投合しようとしている。さすがのスピードだ。見習いたい接続能力である。

「さとうきびの収穫手伝ってさあ、一日。日本円だと60円くらいもらうのね。結構少ないんだけどさ、おじさんがさ、あれとあれ食って来いってさ。そんでね、屋台行って晩めし食うのね、お金ぴったりでお腹いっぱいになんの、コーヒーつきで!」

「まあっ!まあっ!素敵!そういう暮らし、憧れます!」

 

 そうやすやすとやめてくれそうにないので、わたしは花形君に「本題に移りたいんですけど」と言う。

「はい。黄瀬さん、御名術の話をしましょう。5限まであと10分すこし―」

「つまらないですね!わたくし、このかたともっとお話したいのに!」

「あ、そうか。御名術の話だったんだね」、マサカちゃんがわたしに。本当に忘れていたのだろう。

 

 黄瀬さんは髪をうしろでまとめあげるような仕草をして。

「まず、わたしは御名術をもってはいません」

「はい。それは、わかります。わたし、帯が見えるので」

「…」

黄瀬さんはマサカちゃんに、「加納さん、彼女の、こういうことは、言わせない方がいいと思うんです。校長先生は、さも御名術もちイコール帯が見えるというような言い方をしていましたけども、実際はそんなことはないんですから。自分で自分の御名術を誰かに言うときは、『口止めの御名術』は効力を発揮しません。あなた。あなたのためにも、それは言わないほうがいいと思います。誰かに利用されてしまったり、貶められたりするかも」

「口止めの御名術…」

それが、「統制」の正体。黄瀬さんは、怖いことを言う。多少の自覚は、あった。けれど、声に出されて少しわたしは震えた。

 

「いろいろ聞きたいことが山ほどあってね。まず、校長の目的はなんなんだろ」

「まったくわかりません。生徒で遊んでいるのではないかとさえ、わたくしは感じました。父と、直接お会いしたことがあって。そして、入学式の前に、御名術という力について説明を受けました。説明を受けただけ、でした」

「A組で初日になにが起きたか、知ってる?」

「当然です」

「まずいと思うよね?」

「はい」

「キミのお父さんは、それに物申したりしないの?」

「今日、父が校長先生を呼び出して抗議すると言っていました」

「だから、今日は校長がいないのか…」

「申し訳ないですが、わたくしは御名術をもちません。詳しいことは説明できないのです。けれど、このまま学校側を好きにさせていたらまずいとは思っています。だから、父に起きたことをいろいろ伝えて、動いてもらおうと思います。伝えられることには制限がかかっていますけど…できるだけ。御名術もちの方々がいさかいを起こすのは勝手にしてください、と思いますが、わたしたちまで巻き込まれてはたまったものではありませんから」

「そうだよなあ」

「校長は御名術もちなの?」

「きっと」

「口止めの御名術?」

「わかりません」

「この環境を作ったのは、キミのお父さんもかんでんじゃないの?」

「わたくしが小さいころ、土地を寄贈しました。素敵な新しい学校を造ってくれると喜んでいましたし、そこにわたくしも通わせたい、って。けど、こんなことが一緒についてくるなんて、思っていないはずです。父は、困惑しています」

「そうか」

「そうです」

「キミはきっと、これ以上のことは知らないんだよね。もうひとりのお嬢様。天里ってのに聞いたら、ちがうこと教えてくれるかな」

それについてだけ、黄瀬さんは即答せず。花形君を少し見たのち、「天里さんはきっと、ちゃんと回答しないと思います。かなりの人見知りで、わたくしと同じようにしたら、怖がって逃げてしまいます」。

そのように。花形君は、何度か頷いている。

「ありがとう」

お昼休みも終わってしまう。マサカちゃんは聞きたいことは、聞いた。わからないことはそう簡単には減らないけれど。

 

 そして。

黄瀬さんの食後、立って黙っていた花形君が、「待って」とわたしたちを引き留める。

「執事長、これ以上はよくないですよ。授業は始まってしまいます」

「いや、黄瀬さん。ほんの少しでいい」、彼はわたしたちの前をふさぐ。「多分、この人たちは、今よりは少しましな感じにしてくれそうに見える」、と言う。

御名術をもっていない9割が、安心して学校生活を送れるように、と。それが、彼の言う、ましな感じ。なのだ。

超能力者の隣の席の生徒がいつ暴れ出すかわからない。安全装置のはずれた手榴弾を持っているようなものだ。

 

 黄瀬さんはそれを許し、花形君は、わたしたちを驚かせる話題をあげて。

「A組の騒動があったとき、ほとんど同じ時間にB組でも御名術もちどうしの勝負があったのを、B組のやつらは全然他にもらさない」

「何ですって!」

黄瀬さんは、より、高い声を上げる。

「おい待ってくれ。なんだぃそれ?B組でも、あたしたちみたいなことがあったって?」

「B組に友達がいる。昨日、その友達からこまかく聞き出したんだ」

 

 

 ―B組の自己紹介の機会、出席番号2番の男子、Aとする、が、自分は御名術をもっている。そして、自分は持ち出したいと思っている。そう、自分から宣言した。

もしも他にいるなら、自分の自己紹介のときに申告してくれと。

 

 それに対し、自己紹介の順番を待たず、Bという男子が「自分もそうだ」と手を挙げた。

自己紹介はそこで、まったく停止してしまう。再開したのは、翌日のショートホームルームなのだと。

 

 AとBの間で、なん言かが交されると、ふたりは、こともあろうに、すぐにBの提案で「決闘をしよう」と意見を一致させたのであると。

さらに(これは本当におかしい、特に頭が)と思うのだが、B組の担任は、30代はじめの女性なのだが、ノッてしまい、その場所を用意する、と奔走した。

 

 B組の生徒は担任が手配した第2体育館に移動し、その場で一部始終を見届けた。

決闘は、勝負がつかなかった。この内容は、女性の担任が他言無用、と全員への決め事としたのであると。「口止めの御名術」は動作していない。していたら、花形君の耳には入らない、と。

すなわち。B組の担任は、御名術もちどうしの勝負について、かなり積極的であるということ。

 

 

「バカじゃないの、本当にバカじゃないの」

わたしは頭を抱える。本当に頭が痛い。何考えてんの。マサカちゃんはまったくのしかめっ面を。

「なんか、あんなに騒いだのに他のとこから誰も来ないからおかしいと思ったんだ!なに、先生込みで移動とか!本当バカじゃないの!」

 

 黄瀬さんはそんなわたしを見て、まず花形君の左腕と自らの腕をからませ、空いている手のほうで彼の胸板をどん!と強く叩いた。

「もっと早く言いなさいッ!」

「す、すみません」

そのやりとりにどきりとする。かなりべったりとくっついて、注意したと見えた。これでそういう関係でない男女であるなら、だいぶおかしい。

妙な関係性の二人をおいて、ひとしきりうんざりした気分になったわたしたちは、急いで教室へ走る。

教師陣が一枚岩でない。信頼をこれからおけるものなのだろうか。少なくとも、わたしたちの担任は、まだ言葉を選ぶだけ、ましなのかもしれない…。

 

「わたし、この学校入ったの間違いだったかなって思い始めてきちゃったかも」

「不健康だよ。あたしたちで、少しましにしよう」 

5限の授業は体育で、みんながもう移動しきっていて、そしてわたしたちは号令に間に合わない。ああ。

 

 




現実には存在しないことはわかってしまったけれど、ラーメン牛丼うめえですわ系のお嬢様は私の心をつかんで離さない。


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#11 竹内従士郎と伊崎風雅(1)

(1-4)

 

「黄瀬と花形、どう思った?」

「あれで、つきあってないとか、嘘だよね、でも」

「そうだよね。でもさ、できてるのを隠してる感じじゃないと思わない」

「うん。なんか普通と比べておかしい」

わたしたちは下世話な話に入る。なお、お互いの恋愛遍歴は聞かない。相手のことを空気で察するが、自慢できるような話ができない模様。ともに。

「あいつの、下手下手って感じの扱い方が、ヘンなんだよなー。ギリギリ敬語とタメ語を使い分けて様子を見てるような感じが…もしかしたら、本当にお嬢様とその使用人…?のわりには、距離が近すぎるような気が…」

 

 わたしは閃く。「きっとね!お互いに好きなんだよ!でも昔から知ってるからそういう感情を出すのが恥ずかしくて!でね、黄瀬さんの家族もね、きっとふたりに『大人になったら結婚するんでしょう?』とか昔っから言ってるんだよ!で、お父さんあたりにね、『黄瀬家にふさわしい紳士になりなさい』みたいなこと言われててね!で、子供の時はいいけど、いい感じの歳になってきたら意識しちゃうじゃん!それで、ふたりともそんな感じじゃないんですけど、つーん、みたいなさ!だから花形君は敬語なんだよ!一種の主従関係なんだって周りに思わせるために執事長って言われてるんだよ!でもお互い信頼を寄せあっててさ!親がどうこう言わなきゃ普通につきあってるのにさ!周りがそういう感じにしちゃうから!でもふとそういう意識が切れるとね!あの時みたいに、腕を組んでぎゅってしたくなるんだと思う!そうだと思わない!」

 

 はい。わたしは瞬時に気持ちの悪いくらいの妄想暴走モードに突入して、一気にまくしたてる。その瞬間はとても楽しいのだが、家に帰って寝るころに、あんなこと言わなきゃよかった、と自分を殺したくなるやつである。

 

「ユッピ、少女漫画大好きでしょ」

「はい」

「ちょっとこの話は」、マサカちゃんがあきれた様子で。おいといて、と両手を左から右へ。わたしの設定は右によけられた。

 

 そしてそのあとに話し合われたのは、今日は黄瀬さんという味方、おそらく、をつけることができたし、花形君から重要な秘め事を手に入れることができたと。

D組に行ったのは正解だった。学校側の異常なルールに翻弄され、怪我をし、怒りが湧いていたわたしたちにとってちゃんとした目的が、まず最初にできたように感じる。

 

 つまり、まずはせめて御名術をもたない90%の生徒を巻き込まないよう、学校側をどうにかすること。

 

 D組としては、黄瀬さんが働きかけを行ってくれるはず。担任にも強く相談する、という。そして、彼女のお父さんが校長先生を諫めることができたなら、そこでそれは完了。

はぐらかされたりするようなことになれば(だが、彼女の思案においては、そうなってしまうことが濃厚だと…)、別の方法で、他の生徒たちの身の安全が守られないことをわたしたちが抗議すべきだと思う。

 

 自分のところの先生はまだいい。「口止めの御名術」には抗えないにしても、初日の当事被害者なので、わたしたちの話を聞いてくれる。

問題は、生徒同士を自分の興味本位や楽しみのために、勝負を煽ったB組の担任だ。

そういうのがいる限り、教師側で信条が割れてしまうというなら、何も、一歩も進まない。A組とD組でトラブルがおきなくとも、B組でトラブルが続くなら、いずれわたしたちは巻き込まれる。当然、わたしたち以外のA組の生徒も。

 

 

 と、わたしはマサカちゃんと穂村君に、考えをまとめて言う。時刻は16時48分。

じゃあどうすんだ、と穂村君は、聞く。お金がない下校時は、わたしが遠回りすれば10数分程度、3人で返りながら会議することができるので。毎回毎回マクドナルドでサミットを開いているような財布の中身の潤沢さは、わたしたちにはないのだ。なにかそろそろアルバイトをした方がいいかもしれない。

多種多様な人の相手するのは得意ではないけれど、中学時代に使っていたファミレスを選択肢に入れている。

 

「まずな。あたしの考えだけど。間違ってたら言ってほしい」、静かに彼女は考えを語る。「このさい、B組の御名術もち二人は、早めにやっつける」。

「え…」、わたしはため息をもらす。

「なんでだ」

「まず、最初に自分は御名術もちだ、と申告したやつ、Aな。こいつのバカ度は星いっこくらいなんだ。ただ正直なだけだからさ。他のやつも正直に言ってくれ、と聞いたとこは百歩譲ってまあそういう言い方もするのかな、とは思う」

「…」

「次。B。こいつはやばい、かなりやばい。バカ度は星よっつね。Aに言われて、自分の自己紹介の番を待たないで、正直にハーイって言ってる。隠しときゃいいのに。挙げ句の果てにAに決闘しようって提案したんだろ。バカすぎだろ。

自己紹介、次にするやつのこと何にも考えてない。それ以前に、なに決闘って。バッカじゃねえの。1対1で正々堂々、はじめの声で戦うってか。剣道の試合か。アホすぎる。考えただけで頭悪くなりそう」

マサカちゃんはBを思い切りけなす。人間と扱わないような言い方と目だ。非常に口が悪い彼女ではあるが、説得力はある。その所感は確かにその通りで。そう言われるとわたしでさえ、Bが問題だったのではないかと思う。その場など見てもいないのに。

 

 穂村君は指摘する。「男ってタイマンが好きなんだよ」。マサカちゃんはそれに、「おめえバカ、自分に当てはめてもの言ってんのか」。ハッとした穂村君が、うろたえる。

咳ばらいをし、穂村君はいう事を止める。なにしろ意識のない二人を味方につけた側なので。

 

「さて。最後にB組の担任。これ。これだ。これがバカ度が限界突破してて、A4のプリント用紙だったら欄つきぬけてズドーンって言って枠外まで星が飛び抜けてるレベル。真剣に頭おかしい。

御名術もちどうしの決闘は最初のホームルームより大事なのか。どういう学習教材なんだよ。そんで楽しんで見てたんだろ。害悪すぎる。そういうのが担任やってると、B組のマトモなやつらもだんだんおかしくなってちゃうんだよ。みかん箱の下のほうのカビたやつだよ。もうそいつらもカビちゃったから、やっちまわないと。絶対あたしらと話あわないよ。ユッピ、B組の担任ってまだあたしたち、授業受けてないよね?」

「う、うん。情報処理の先生だったから、まだ会ってないね」

「明日の3限だったよな。授業終わってからなんか言いに行くか?」

 

 その穂村君の提案はストレートだった。恐らく彼も思うところがあり、マサカちゃんそしてわたしと目的を同じくしてくれるのではないかと思った。最初に巻き込んだ側の責任か贖いのようなものとして。

 

「いや、なんかそれ、時間の無駄のような気がする。ユッピはどう思う?」

わたしは思っていたことを提案する。できるだけ全員のトラブルが少なく、均等化される方法で。 

「わ、わたしは、無理してやっつけなくていいと思う。むしろ、そのB組の御名術もちのふたりを説得して納得してもらって、わたしたちと同じ考えに共感してもらえばいいって、思う。そうなったら結果として、B組の先生が何を言っても、生徒側は自分で考えてちゃんとやると、思う」

「甘い」、穂村君は言う。「話だけで納得させんのは一番難しいと思うぜ。俺は加納にボロクソに負かされて、お前らが俺と話したいって言ったからいまこうやってんだ。つまり、やっぱやっちまったほうが、いい…」

「いいね、景虎。どうする。B組のやつら、ふたりでやりにいく?」

「俺はいいぜ」

「ま、ま、ま、待ってほしい!ねえ。危ないよ!」

「正々堂々やろうとか言ってる平和なアホを瞬殺しようよ。景虎は片方ガン見してすぐ倒しなよ。あたし、いきなり消えて後ろにワープしてもう片方の…」

「ふたりとも、待って!」、わたしは盛り上がっている間に入って、「わたしたち、初日のせいで御名術もちだって結構バレてるっていうよ!きっとB組のふたりも知ってる!でも、わたしたちそのふたりのこと、知らないじゃん!

決闘して勝負がつかなかったからって、そのふたりはB組でうだうだ、次の決闘はいつにしよう、とか、やってるかな!?」、だめだ、言いたいことが素直に口から出てこない。わたしはふたりのように頭が回らない。

「なに。あたしたちがこういう話してる間に、そいつら、先回りしてあたしたちを襲いにくるって?A組の御名術もちが、名前もうバレてるから?」

「B組の先生が、そういうふうに、煽ってたりするようなことを、してたら!」

 

 ぶわり、と。なにか、強い風が吹いたような音がして、

塵が目に入って、こする。遅れて風が吹き付ける。わたしは、スカートの前をおさえて。

 

「景虎?」

 

 穂村君が、姿を消す。

わたしたちは顔を見合わせて。

ぐるりと顔を1周させて。この道は、老朽化した看板が突き出ていて横の建物の多くはシャッターがおりている。昔は商店街がにぎやかだったのだろうと思う道で、細道でもあり、車は滅多に通らない。その車線の向こう、制限速度30kmの標識の下で、穂村君が、横向きに寝っ転がって、いる。

わたしは息をのんで。

 

「なんで、あいつ、あそこにいる?」、マサカちゃんが冷たく、ゆっくりと、口に出す。それは、わたしに宛てた言葉ではなくて。

 

 倒れた彼の身体は、通りすがる人たちの衆目を集めるが、見た目のせいか心配されない。避けられてしまう。

数秒の観察の限り、横たわって、身もだえをしていない。死んだとかそういう物騒な状態ではないにせよ、気絶している可能性はある。

 

「いま、あいつは、どうやって、あそこまで飛んだ?あたしだって、あの距離はむりだぞ」

マサカちゃんの視線の先。額をこすりながら、事態が飲み込めないわたしは、震えて、それでも、うちの高校の制服を着たふたりの男子の姿を、視野にとらえる。そして、ふたりの「帯」にピントを合わせて。

私は声が出せない。けれど、ふたりを指さして、マサカちゃんはそれを察する。

 

「バカ度1と4が一緒につるんでんじゃねえよ、だな」、そして下唇を噛み、「なにこれ。あたしひとりで二人相手にしろって?」、マサカちゃんは、隠しきれず、焦る。「正々堂々やろうよ…」。

 

 彼女は先ほどと逆のことを、言う。




ノリが昔のヤンキー漫画みたくなってきた。好き。


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#12 竹内従士郎と伊崎風雅(2)

 入学式の日、わたしはいきなり帯が見えるようになって、そのときはそれがなんなのかわからなくて、わざとトイレに行ってまで、ひとクラスの2~4、5?人くらいが黄色く光っているのを確認した。

覚えている。B組の片方の男子は不鮮明だけれど、もう片方の男子は髪の毛をまったく剃り落としていたから、印象強かった。

 

 彼はガードレールに腰かけている。端正な顔立ちで、見事なスキンヘッドで、利発そうなスクエアの眼鏡をかけて。

興味津々と言った感じで、こちらに視線をよこしている。

もう片方の男子はその前方に立ち、ずいぶんと真っすぐに立つのだな、とわたしは緊張しながら思った。

そして、その顔はわたしたちが車線を渡ってくるのを、待っている。そう感じる。その表情は、何かあればいますぐ臨戦態勢をとれる、わたしたちは彼にとって敵である。そういった、敵を拒まない、真剣さを感じる。

 

 まずいのではないかと、わたしは思うし、マサカちゃんもきっと状況解決の難解さに困っているのだと、思う。

御名術もちどうしの勝負、戦い、というものはしっかりと見た。すさまじいのだ。あのときは10分以内に決着したと記憶しているが、かなりの負担を身体に強い、マサカちゃんと穂村君、いずれかがあの時以上の大怪我をして悲惨に終わる結末でもおかしくはなかった。

そして状況は初日よりもひどく。それは見てわかる、わたしは。相手はふたりである。片方は観察、片方は準備万端といったところか?

わたしは、なにか助けてあげることはできないだろうか?そしてわたしは歯をぐっとかみしめて、

「ユッピはあたしのうしろ」

「あ」

感づかれる。何もしなくていい、と言われたようなもので。

わたしたちは、車道をゆっくりと、渡る。

 

「…っと。ダメだねえ、あたしは。ちゃんとユッピの言うことを聞いてれば、もっともっと注意を払えたってえのに」

「そ、そんなこと、ない。わたしは小心者だから、悪い方にものごとを、考えちゃって…」

マサカちゃんは歩いて行き、真っすぐと立つ、幼い顔立ちと身長の高さがややアンバランスな男子と、距離を縮めていく。8メートル以内には、間違いなく入り。そして近づきすぎない、マサカちゃんの御名術のための距離。

彼はグレーのネクタイを片手でなおし、そして、右手は猫の手のように、左手は腰につけ、なにか、拳法のような構えを、とった。いや?それを、崩した。そして一礼をした。柔道の試合直前のように。

 

「なに、おまえ」

「1年B組、僕は竹内従士郎(たけうちじゅうしろう)。A組の御名術もちの女子とみて、決闘を申し込む者である」

童顔の男子は、わたしの第一印象は、武士みたい、だった。その名前の音の感じもそうだが、立ち振る舞いは、きっと厳しい礼儀にもとづくルールと試合があるスポーツ?格闘技?に由来していると思った。なお、わたしはまったくその手の話題には明るくない。

「…」

「いかがでしょうか!」

「やだ」

すっと、マサカちゃんが"(うろ)"を左手付近に作り出し、真下に振り下ろす。それは、彼の額へと、直撃落下するげんこつである。

彼は当然、回避できない。そんなところから拳は発生しないものであるから。

そして、短い苦悶の声をあげて、彼は前かがみになって。

マサカちゃんは容赦ない。右手側に生み出した大きな"洞"に身体を入れ、まばたきの間もなくワープして、彼の左わき腹に蹴りがねじこまれる。

 

「ぐ、うぐ、おおおおおおお!」

 

 童顔の男子。名前は竹内君。頭が状況把握に追い付いていないのか、周囲四方に目をやり、マサカちゃんの足が現れた位置に、ぶわっと張り手を放って。空を切るが、なににも当たらない。

そしてわたしには次の攻撃がもう見える。彼の足と足の間に"洞"ができてるのだから、それは股間への蹴り上げで…。顔を覆う準備をする。大事なところを、激痛ひとつで動きを一瞬で止める箇所を真っ先に狙う、ある種の拷問。

 

 ばしん、と。その局部への攻撃は(いろいろな表現をして申し訳ない。わたしはマサカちゃんと違うのでキンタマとか言えないのだ。あ、言っちゃった)。

彼が、内股になって膝を閉じたことで防がれた。

 

「ああクソ、勘のいいやつだな」。マサカちゃんは片方をすぐに片付けて次を相手するつもりだったのだろうが、そう簡単なものではなかった。「なんかやってやがんな」。それは、彼が武道に身をひたしている、ということ。

 

 ガードレールから身を乗り出して、スキンヘッドの彼の方が、かなりハイになって、驚嘆の声をあげている。

「おおっ!おおっ!おおお~…!?凄いな!そんなことができるのか!」、彼はまるでご機嫌な態度で。「竹内君!大丈夫かぁ?なんか彼女ぉ、ことのほか君は相性が悪そうだぞぉ~…!?

もう2発も重いのもらっちゃってるじゃないかぁ!竹内君~、こりゃあ、おれが代わってあげたほうがいいんじゃないかなぁ?」

 

「少し黙っていてくれないか!割り込んできたならただじゃおかないぞ!」

「おれがやったほうが確実そうに見えるけどなぁ~…?」

「いいんだ!僕が最初にやると決めた!君!僕は決闘を申し込んでるんだ!なのに名乗りもせず、不意打ちだなんて!恥ずかしいと思わないのか!」

 

「思わねえよバーカ!!決闘に乗ってやるなんて一言も言ってない!不意打ち先にかましてきてんなそっちだろー!?景虎になにしやがった!」

マサカちゃんが、キレる。当然の理屈だ。この感じ、今マサカちゃんと対峙しているほうが、Bすなわち決闘を提案したほうだろう。

かなりくそ真面目な性格が見て取れる。こういうとき、手段を択ばないマサカちゃんとは相容れないような性格だ。

そしてその後ろは、髪はないけれど、結構かっこいい顔立ちをしていて、けれどなにか雰囲気はふにゃふにゃしている。心を許せないような感覚は受けるのだけれど。

 

「竹内君、少しなあ。説明不足なんだよ、いろいろとね。もう少し彼女がさ、決闘してやってもいいと思わせるような説明がさ。必要なんだよ」

「…そういうのは、僕は得意でない!伊崎(いざき)君がすべきだというなら、代わりにやってほしい!」

くそ真面目な少年は言葉を操るのがうまくないようで。そして、おしゃべりそうな彼が、もっとおしゃべりをしだす。

 

「説明不足なんだよ。君たち、そこの可愛めのおふたりさん。おれたちはね、B組だよ」

「わかってるわそんなことバカタレ」

「ウッソぉー!わかってる?なんで?おれら、そんな顔割れてんの?」

「B組で初日に決闘やったアホどもってお前らのことだろー!?おまえらみたいなやつらのせいで御名術もってない周りのみんなが苦しむんだ!マジで許せない。

だいたいなんなんだよヘラヘラしやがって、このイケメンハゲメガネ!」

マサカちゃんはリズミカルに彼を煽る。なお、彼女にとってイケメンは全然褒め言葉ではないらしい。

「イケメンハゲメガネ…褒め言葉、蔑称、代名詞だな。どう評価したもんかねぇ?」

彼は頭を撫でて、眉をひそめて。…説得の余地がある。わたしはそう思い、話を聞くため、「あ、あのう。イケメンだけ、聞いていただければいいんです。すみません。その、B組のあなたたちはどうしてわたしたちを?」

「イケメンだけでいい?じゃあ、いいや。おれは伊崎風雅(ふうが)。出席番号2番。関係ないね?この頭は気にしないでくれ。家が寺でね。将刻寺、知ってる?曹洞宗だけど」

わたしは首を横に振る。

「穂村君をいつの間に、どうやってあんなところに!」、倒れている彼をわたしは指さして。

「おれの御名術だねぇ。ちょっとね、A組のひとたちのことはやばいって知ってるからさ。そして、御名術の内容はわからないけど『男のやつのせいで先生含め怪我人が…』って聞いたならば。

ヤンキーっぽいやつが、かなりやばいらしい、そう聞いてたからねぇ。でね、そこの彼女に竹内君は決闘を申し込んでみるとか言うもんだから、邪魔されたらかなわんから、おれが真っ先に奇襲しちゃった。アッハッハ!」

「てめーかよ!!このガキぶちのめしたら次にぶちのめしてやってやっからな!その頭にマジックで髪型書いてやるからな!油性だ、油性!」

「いやいや。おれは、今日は何もしない。だって、そこのヤンキーを片づけたから、おれは今日は満足したから、仮に竹内君が負けても君とはやらないよ。野性的なお・嬢・さん!」

「んがあーーーーーーー!!!」

マサカちゃんが動物のように吠えて。

彼は陽気のままで。口先で、マサカちゃんの怒りを再点火する。そうして、冷静な判断を鈍らせるつもりだろうか。それとも、戦略もなにもなく、ただこういう挑発的なしゃべり方の人なのだろうか。わたしは、「しゃべらなければかっこいいのに」という慣用表現の意味を理解する。ここまでおしゃべりで自信家だと、そしてきっと頭もいいのだろう。鼻につく。

「伊崎君、そろそろ静かにしてくれないか!」

「はいはいぃ~」

 そして彼らは、あそこで、と。特に奥まったシャッター街の、行き止まりのような場所を指定し、わたしたちを誘導して。

 わたしはその前に穂村君のそばに走り、容体をみる。気を失っている人を見慣れているわけではないけど、眼を閉じて、ちゃんと呼吸していると思う。

さすがに人目につかないところでやろう、と。彼らは。その一帯は夕方前なのに、暗い。

わたしは穂村君を引きずらなければならなかった。彼は、まだ起きない。

 

「さあ、決闘を受けてくれ。僕は自分の御名術を持ち出すため、誰が相手でも負けない、そのために正々堂々ひとりひとりを、下す!」

「熱血過ぎる。気持ち悪い。で?あんたの御名術はさ、持ち出したらどうなんの。あんたの御名術は、他人や社会の役に立つの?自分のためのものなの?」

彼は少しだけ止まり、「自分のためだ」。と、真っすぐに言う。その真っすぐさが、わたしにも暑苦しい。けれど、気高くて、強いのだなと思う。

「じゃあだめだ。自分のためのやつに、持ち出させたり、しない」

マサカちゃんは"洞"を自分の目の前に。竹内君は、再度、両手を前と腰に、構える。

 

 わたしはそして、スキンヘッドの彼の方に、言う。「本当に、あなたは戦わないんですか?」

彼は頭を撫でて答える。「竹内君は怖いんだよぉ。とってもまじめだからね。どんなことがあれ、おれが介入したら、許してもらえないさ」

「どうして、わたしたちを狙ったんですか?」

「近いから」、彼の言い方が癪に障る。

「あなたと彼は、決闘して、決着がつかなかったんですよね。それは―」

わたしは苛立ちとともに疑問をぶつけたが、彼は表情を崩さず、丁寧に返事をする。

「おれたちは決着がつかなかったからね?で、稲木せんせが…あ、稲木はうちの担任ね。知ってる?今日ここでふたりの勝敗がつかなくてもいい、卒業式までにつければいいんだって。

卒業式の日までに雌雄を決めるためには、他のクラスの御名術もちの生徒がおれらの邪魔をしないように、今は協力すべきじゃないかって、言うのよ」

「バッカじゃないですか?先生がどんなおかしなこと言ってるかわからないんですか?その結果、いろんな無関係の生徒が迷惑になるのを無視して?」

「うちの先生はねぇ~…そういったものも、残念だけど発生してしまうものなのって、言うからねえ~」

「先生が言えば何でも正しいんですか!そんなのおかしいよ」

 

 わたしが興奮していると、真横で、その場でわたしだけが見える黄色い粒子が、まばゆいばかりに一瞬大きくきらめいて。

その瞬間だけ、22時の暗闇が白色電球で急に照らされ、例えば蝙蝠が逃げるように。わたしはたじろぐ。

 

横に目をやると、マサカちゃんは上半身を"洞"に飛び込ませて。その場には、下半身だけがある。

上半身は、彼女の2メートルほどうしろに浮いていて。

その荒い呼吸は、まるで間一髪で危機から免れたかのよう。

スキンヘッドの、伊崎君はいささか真剣な顔になって。

 

「竹内君?もしかして、彼女、きみのハイキックをよけたのかい?冗談だろ?」

「い、伊崎君!静かにしていてくれないか!」

その光は一瞬で。彼の帯は、はじめて見たときほどに、収束していて。あんな光量であったはずが、ない。

「いまの、ハイキックだと…ふざけんなよ」、マサカちゃんは上半身を、あるべき位置に、もどす。「脚が速すぎて消えたぞ」。彼女は、どきどきと。焦慮している。

 

 




イケメンハゲメガネが友人間で随分パワーワード化してしまったが、「帯をギュッとね!」の杉清修とかまさにそれじゃねえの?


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#13 竹内従士郎と伊崎風雅(3)

 横で、伊崎君に詰め寄っていた、わたしは。そのシーンを見ていない。

さっき、わたしの真横でマサカちゃんと対峙する竹内君の「帯」がぎん、と輝き、わたしは目がくらむ。他の3人はその様子はない。帯が見える、わたしだけがそのまぶしさに目をつぶった。

マカサちゃんは、呼吸が荒い。打撃を受けたようには見えない。

よほど、すでに竹内君のほうが腹部をおさえたり、鼻血が垂れたりしている。ダメージは向こうのほうが大きそうなのだが。

 

「おいおいおいおい。竹内君のハイキックがかわされるとなると、これはおれにとっても大問題だぞ…。おれは、あのハイキックが見えずに喰らってしまったから、完全な優勢から逆転をされちまったって、いうのになぁ~」

伊崎君の声が怖くなる。ドスを利かせた、という表現が正しいだろうか。彼のつかみどころがないような表情も、ぴしりと固まったと、思う。

 

「お前、最悪だな。女にハイキック繰り出すか?ふつう?どういう神経してんだ?なんで手加減しないんだ?気が狂ってるとしか思えない」

竹内君は、そんなマサカちゃんの非難には耳を傾けない。彼女の言い分はもっともだとわたしも思うが、それは女の考え方で、奇襲と不意打ちでおおよそが構成されているケンカの方法論の人間の勝手な言い分で。

彼のような、正々堂々を好みそうな武道家には、たまらないだろう。自分はどんな手段も厭わず使うがあくまで女なので、あなたは手加減してください、というのは。

説得力が皆無である。

2歩、踏み込まれる。高速のスキップのような歩幅で。そして、下段につま先が、円弧を描く。

マサカちゃんはそのスピードに対応しきれず。右足首を、刈られる。そしてバランスを崩して。「痛ッたいッ!!」、「マサカちゃん!!」

尻もちをついて、それに追い打ちをかけるように、竹内君は地に手をつき、身体を回転させて1周、また、つま先で同じように軌跡を残す。今度は、逆の足首をかするようにヒットする。

 

「調子のんな」、マサカちゃんは痛みで顔をひきつらせ、後転し距離を離し、起き上がろうとする。ソックスに、血がにじんで。それでも立ち上がる。

だが、その少しでも離した距離は瞬時に詰められてしまう。

は、と接近に気づく彼女は、連続的な彼の攻撃に身体が追い付かない。そして、腹部に、竹内君の打撃を、受ける。正拳ではなく掌底ではあったが、女ひとりが余裕で吹き飛ぶ威力だった。

がしゃん、と降りたシャッターにマサカちゃんは背中から叩き付けられ、呻る。優しさなのか、そういう流儀なのか、竹内君は追撃をやめた。

「あーーーーーーー!!マサカちゃん!!」

こちらに足を向け、ずるりと倒れ伏した。

 

 痛々しい。わたしは歯噛みする。引き受けられるものなら痛みを半分でも引き受けてあげたい。近くの伊崎君に目を剥き、無視されるが、彼もまた、ものものしい様子で竹内君の連続攻撃を見ていた。

ほんのわずか、少し経って、マサカちゃんは起き上がり、辛そうに顔をしかめて。涙も出ている。まだ、立つ気力はあるようだけれど。

「お、おまえ、女のハラ殴るのは、ルール違反だろが…おまえらとは、ち、違うんだぞ」、そして、そこまでは本音でふりしぼった声で。

ここからは、彼女の、やけに大きくて芝居がかった声。「子供産めなくなったら責任とれんのか!!」

竹内君はそこで、血の気が引いたような様相をみせて。

両手を、おろした。

 

「竹内君!おい!構えを解くな!」

 

 伊崎君は戦略の一環に、すぐに気づく。"洞"はもうできている。マサカちゃんは車道へ駆け、ガードレールを踏み台にして、飛び上がる。

彼女の着地点には、それがあって。

車道に一切の身体の部分をつけることもなく、姿を消し、全員がその姿を見失うと、マサカちゃんは竹内君の頭上から、落ちて来た。

「あ゙っ!!」

振ってきたその身体は竹内君ともつれて倒れ込み。すかさずマサカちゃんは、馬乗りになって、両膝を使って彼の両腕を地面に固定。胸部に腰をおろし、まず右こぶしで、竹内君の顔面をしたたか強く殴打した。

苦悶の声を、あげさせる。ひどく暴力的だ。けれど、わたしは目をそらさず。「やったーー!!マサカちゃん!やっちまえーー!!」、いかめしい顔をしたままの伊崎君にあてつけるように、応援をする。

左こぶしが、ごん、と落ちる。頬骨に直撃する。

「あたしの」、殴る。「泣き顔と」、殴る。「パンツを見たやつは」、殴る。「それ相応の倍返しを」、殴る。「受けるべし」。

彼女は容赦しない。殴られた頭部が、石畳にぶつかる音もする。それに交じって、伊崎君の、こいつはまずいな、と言う小さな声を聴く。

「やれ!やれ!KO!KOー!」

そんなうるさいわたしの大声が気付けになったか。最初に不意打ちを受けてしまった穂村君が、うう、と身体をよじらせた。

「あっ!穂村君!」

伊崎くんが、ゆっくりと後退をした。それに気づいて。

 

 また、激しい発光があり、わたしは眼がくらむ。「帯」が急激に膨れ上がったようだった。竹内君の身体を覆う黄色い粒子が。そして。

脱出などできそうもないのに、竹内君は発光と同時に、強引に、それは強引に、全身の力でマサカちゃんを跳ね上げて、地を這ってそこから逃げる。

おかしい。両腕を固定されていて、顔面を殴られながら、そんな状態で身長167cm、筋肉量的に体重そこそこの人間を、跳ね飛ばす、なんて?

彼は立ち上がり、腫れあがりはじめた顔面ながら、激痛を感じないかのように、また真っすぐに立ち、構えた。

 

「これだから君ってやつは恐ろしい…だけど」、伊崎君が硬化した貌と声で、そう言う。「竹内君。ここは、今日はおひらきにするか、一気に決めてしまうか選ぶべきだ。この次に反撃を許したなら、君は負けるぞ」。

「伊崎君…僕をなめないでいただきたい。前者は、なしだ」。そして、マサカちゃんは"洞"へ入って距離をとる。シャッターのひとつまで後ずさり、目をこする。

また、「帯」が。

「マサカちゃん!!また光ったァーーー!!」

「光った…そうなんだ」

派手に、きらめく。

 

 マサカちゃんは、べたりと伏せる。竹内君はマサカちゃんとの距離を、"洞"を使った瞬間移動のような速度で一気につめ、身体を半回転させた。

その結果にわたしは、唖然とするしかない。

彼の右足が一瞬見えなくなって、降りた金属のシャッターを、40cmは裂いた。

わたしは、鳥肌が立つのを感じる。

 

 竹内君はけれど、それを空振ってしまったから、マサカちゃんに無防備な右半身をさらした。

もしも。彼が、「帯」を膨張させたときに超人的な力を発揮することができる御名術をもっていたとしても。

その体勢から、マサカちゃんを攻撃することは、できない。

 

 マサカちゃんは伏せから一気に、獲物に襲い掛かる野生動物のように爪を立て、顔をつかみ、体重をかけて大地に叩き伏せる。

追撃はしない。むしろ、バックステップしてまた距離をとった。

「ぐ…」

竹内君は無視できないダメージが蓄積している。すぐに、起き上がれなくなった。

 

「退こう、竹内君!まじで負けるぞ!」

「ま、ま、まだまだ!できる…!」

 

 マサカちゃんはそして、あのときのように。

加速をつけたスライディングを。いや?地を、こすらない?足から、低空に飛び込んだ?

竹内君は察して足を閉じる。だが。その足の前には、既に"洞"があって。

その身体は一度消え、宙を舞う。瞬間移動を経由し、竹内君の左背部を狙うドロップキックに変化した。

負けず劣らず。竹内君は肘を後ろに振って。それは、運が良くてマサカちゃんへのカウンター、悪くてガード。を、目的としたものであっただろうけれど。

そこにまた、"洞"ができて、彼女の身体はまた消えてしまう。そして。

 

 最終的に、"洞"をふたつ経由して、その両足は、竹内君の顔面へとクラッシュした。

無防備な状態を刺しぬく、それは。そこに、もう声もあがらなくて。

 

「ああ、くそっ!!」

伊崎君は無念の声を吐き出し。

その瞬間。わたしのごく近くから、奇声が発せられて。

「きえええええええ!!!」

それは、いきなりわたしのもとから起き上がって大股で踏み出し、伊崎君の左足を、踏んだ。

 

「死んどけ」

「いかん」

 

 穂村君が、伊崎君の鼻っ面を、狙う。

伊崎君は、とっさに眼鏡をはずした。そして、パンチが到達する。スピードも、パワーも十全に乗って、いる。

 

 B組のふたりが、同時に地を舐める。

 

 穂村君は、このときを待っていたか。きっと、もっと早く起き上がれたのかもしれない。けれど、舌打ちをして。

「ああ!てめえ、クソ!眼鏡ごといっちまうつもりだったのによ!」

「うぐぐ。いかん、いかん!興ざめだ」

「こいつ、眼鏡外してわざと受けやがった!」

その言葉はすぐには意味がわからなかった。後で聞くに、眼鏡を守るほうを優先し、かわせるかどうかわからないものを顔で受けることにしたのだ、と。

 

 そして。いつの間にか。そこにB組の生徒は、いない。

けれど車道をはさんで向こうに、すでにふたりは離脱している。最初、わたしたちがいたほうの歩道に。

これは、まだ片鱗と証跡をみせない、伊崎君の御名術なのか。

 

「逃げんじゃねえカス!ぶち殺すぞ!」

「うがぁあああああーー!!」

「ま、まって!今日はもうやめよう!マサカちゃん、死んじゃうよお!」

わたしは彼女にしがみついて止めて。これ以上の怪我はさせられない。

「俺はまだいける、追っかけてあのハゲをたたむ!」

「やめて!やめて!こっちが追ったら、また不意打ちを受けちゃうよ!」、わたしは彼の制服の裾もつかんで。

 

 その日の戦いは、終わる。

 

 マサカちゃんは地面にへたりこむ。大きな"洞"を絶え間なく作ったのが、相当こたえたという。腹部へのダメージも。効いている。足も痛い。立ちたくないと。

穂村君は少し頭が痛むという。正体不明の不意打ちを受けたとき、頭を打って気絶したのか。彼は消化不良で、激昂している。

わたしはふたりには言わないが、あのまま勝負を続けていなくてよかったと思う。

マサカちゃんは竹内君に勝てたかもしれない。が、そのあとはきっとほとんど戦闘不能で。

いまだに御名術の概要がわからないまま伊崎君はほぼノーダメージでいた。穂村君の凝視がうまく決まるという確証ももてなかった。

少なくとも、ここで終わるのが、これ以上の負傷を防ぐ唯一の方法だったんじゃないか。

 

 こうして、はじめてのクラス対抗戦は勝ちにも負けにもならない誰も満足いかない終わり方をして、マサカちゃんは穂村君に説明もなく、「景虎。おまえ、明日の3限休め」と言う。

 

 




賛否両論なんかどうだっていいけどこういう口先を使ったマサカの戦い方はこの作品の一種のテーマだな。


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#14 竹内従士郎と伊崎風雅(4)

4月11日。

 

 わたしの中学校には、片田舎の割にはだいぶ無理してお金を使ったなあ、と中学生でもわかる規模と設備のコンピュータ教室があった。

パソコン、という言葉はその頃はそこまでメジャーでなかったと思う。みんなコンピューターコンピューターと言っていた。

文章を打ち込んだり絵を描いたりすることが多くて、なにか打ち込んで動作をさせるようなのは意味が解らなかったし、学校で一番得意そうな先生も中学生にはまともにそのあたり、教えようとしていなかったと思う。

 

 という思い出話を聞きながら、授業はまだはじまらないが、こういう機器に触れたことのないマサカちゃんは興味津々でべたべたとカバーのかかったキーボードに触る。ピアノのように。

なんでこれあいうえお順じゃないの?最悪ABC並びでもよかった。などと、そういう疑問をとなりのわたしに投げかけてくるので、答えられない。席は2人で1台である。

「ここの右側の方って電卓になってんの?」

「えっ、わ、わかんない」

考えたこともなかったが、そういう機能もあるのかもしれない。

「将来的に電話かけれそうだよね」

そうかなあ。

 

「ねえねえ、穂村知らない?」

「ん?帰らせた」

「ええーっ!?」

それは、穂村君の後ろの席の男子、八井田君。身長は低めで、目が細くて。騒動のあと、避けられがちだった穂村君にわたしたち以外で最初に仲良くしようとしてくれている、いいやつだ。

どうも、軽音部をつくりたいらしく、東棟で自作の手書きチラシまで作って勧誘をはじめている。そして、「見た目がいい」と穂村君にアプローチをしているようで。

実際の彼の反応は、困り気味、のようだけれど。

「なんでー。なんでマサカさんが帰らせちゃうん」

「だってあいつ頭悪いんだもん。Tidak(うんにゃ)、頭痛いんだもん。早退した方がいいよって言った」

「そ、そうなの?」

彼はすごすごと去る。マサカちゃんは何も言わず、何かを自分に言い聞かせているよう。

 

 後方から、先生が。女性の。その室内へ入ってくる。おはようございます、はじめまして、などと言いながら。のんきそうな顔だと思う、わたしは。

ちょうどその3限の授業がはじまる時間で、少し静かになったらすぐにその先生は、無駄な会話の声などが残った状態で授業をはじめますと言った。

休み時間と授業の境界がないような感じだ。他の先生はぴたりと静かになってから、いろいろはじめる。この学校は、いや高校というのはそういうものだと思っていた。

彼女は適当な自己紹介をして、わたしたちの反応などまったく気にせず、出席をとりはじめた。メリハリが、ない。この人は。

横でマサカちゃんがタイミングをくじかれたような、露骨に何かが引っかかっているような顔をして。

しかたなく点呼の最中に、マサカちゃんは手を挙げた。本当は、先生がとるであろう、授業とかの質問を聞き取るタイミング、あるいは誰も口を開かなくなったタイミングを狙っていたのに。

この先生はだらだらと行動、発言が連続的である。タイミングがはかれない。

 

「はい、どうしたのかしら、そちら~」

やわらかい口調だ。先に、この先生について、B組の情報を得られていなかったら、とても優しいやりやすい(=今後授業を受けやすい)先生だ、と思っただろう。

他の生徒も、思うだろう。思っているのだと、感じる。B組の担任の、稲木先生。

「ちょっと出席中にすいませんが」

「あ、立たなくていいよ~、そのままで」

だがマサカちゃんは起立して、それは周りの注目を得やすいように。

「出席、こういう言い方あれですけど、ひとり以外全員来てるので。それに質問があって」

「ええ?どうしたのかなあ。あなたのお名前は?」

「加納です」

「ああ!加納さん、あなたが加納さんね!」

名が通っている。それは当然だろう。と同時に、わたしは、先生たちは御名術もちの生徒20人程度を全員認知しているのかな、とも思う。

「男の、穂村景虎が、いないんですよ。他の子達は全員います。で、それについて質問っす」

マサカちゃんは、つくった冷静な態度を。

先生は、うんうん、と。なにか手元の表に書きながら。和やかさは変わらなくて。

「穂村が休んでる理由は、きのう頭怪我してて、それの具合がよくないからさっき早退したんすけどね。その原因、B組の伊崎とケンカなったからなんですけどね」

「あれっ!まあ、そうなんだ!?うちの伊崎君と?」

 

「これは御名術をもってるふたりがケンカなったからそういう感じなったワケですけど。この場合、あいつの欠席は免除してくれないもんすかね?」

その教室内は音が響く。ざわついて、開始前のようにもどる。

「あら、あら、あら」

マサカちゃんはその無感動な驚嘆を受けて、包帯を巻いたため膨らんだソックスを、脚を上げて前に見せる。

「ついでにあたしのコレ!ちょっとごめんなさい、両足首だから、片方で長い時間立ってらんなくって。これは、やっぱB組の竹内にやられたんですが」

「まあー、そうなの。あら、困ったな。そうか、それで欠席かあ。うーん。そうね、竹内君、すごいガーゼとかいろいろ顔に貼ってたものね」

マサカちゃんは、眉が思い切り、動く。当然だ。

あまりにも、他人事すぎる。わたしは、それは止められているが、横から補足して文句を言いたいところだ。

なぜ、隣のクラス同士でケンカが起こって(しかも、吹っ掛けてきたのは向こうだし!いや、こっちも吹っ掛けようとしてたけど)それを問題視しないのか。

御名術もちどうしだからなのか。

いや、そうも思わない、わたしは。この人は、そうでなかったとしても無関心なんじゃないか。

「わかった。確かに考慮すべきかも。校長先生に相談してみます。今日は○にしておきましょう。でも、あんまり何回もそれで欠席は、だめだよ」

「…」

マサカちゃんは、求めていた返答が少しも手に入らず、苛立ち、座る。

このあとの、彼女の1本指キーボード打ちは、まったく身が入らない。

 

 昼休みはグラウンドに行って、情報収集と共有を。それは少し予定より遅い時間になって。

白いべンチのところまで…。取り巻きが、いない?わたしたちは、執事長が、お嬢様にケーキをあーんさせて食べさせているシーンをみごとに目撃する。

「おまえらやっぱつきあってんだろーーーーー!!」

「なんですのッ!いきなり大きな声上げて!」

花形君が、ちがうちがう、と手首を振る。ちがわないと思う。

「ああ、もう!B組の担任の授業、受けて来た!能天気すぎ!こっちの話聞いてない!ムカつく!気分悪い!」

マサカちゃんは黄瀬さんのとなりの花形君をはさむように座り、そして口を大きく開ける。花形君は、食べさせてくれない。

なおわたしは「口もとのクリーム、どうやってとるのかな?わくわく」と妄想している。はい。すみません。

 

「さっきの体育で、あなたたちの大曾根先生が男女混合でドッジボールやるかとか言い出すからこういうことになるんですよ!わたくしはさっさと痛くなさそうなのにぶつかって外野に行こうと思ってたのに!男の人の投げたの、偶然キャッチできたら手が痛くなっちゃって!だから仕方なくお箸を使うラーメンやどんぶりはあきらめましたの!」

いや、そうなんだろうけど。

「購買でパン買えば箸持つより痛くないぞ」

「それよりどうやって学校抜けだしてショートケーキ買ってきたんだろう…」

ごみを片づけながら、花形君は「抗議できなかったんですか」と聞く。黄瀬さんは自分でハンカチを取り出して口を拭いて。わたしはつまらない。

「そんな次元になんなかった。あの女が、クソガキの顔の怪我であたしに注意のひとつもよこせば話は違ったのにさ!」

「昨日、荒事になったっていうこと?その怪我も?」

「うん。両足首解放骨折と腸捻転と子宮破裂だかんね」

「まあっ!本当ですの!?よく通学できましたわね!」

「盛りすぎだよ、マサカちゃん」

4人で言葉を交わして。

わたしたちは収穫はなかったけれど、「D組は、ええと、わたくしは御名術もちが誰なのかわかりませんが、全員の了解をもらいました。もしあなたが御名術を持っていても、関係のない人を巻き込まないようにと。そして、別のクラスからの被害にあったら先生にすぐ助けを求めるようにと。

かんたんですけどサインも全員もらいましたよ。これで、こちらは平和なクラスとなると思います」

「さすがだな」

「A組だって、同じことはできるんじゃありませんの?」

「できる…と思うけど…ひとり変なのが、なあ…」

マサカちゃんとわたしは顔を見合わせ。

わたしは、あまり席替えを早々にしたいとか言わないタイプだと思っているのだが…後ろの席の、圧が…。

彼女のせいで、休み時間誰かとおしゃべりをするとき、わたしは自分の席をうつらなくてはならないから…。

「柴崎さん、お願いなんですけど、来週のいつでもいいので、D組に来ていただけません?誰が御名術もちなのか、早々に知りたいので」

「あ、はい。わかりました」

「できれば、来週中にはD組と、あ、そうでした。C組の御名術もちも特定できた方がいいと思うのです」

「あ、そっか。C組もそうだよね」

「完全に頭になかったわ」

「C組もね」

 

 

 

 【ここで視点は変わる。】

 

 その日の6限目が終わると、特に追加授業のない日であって、B組の教室から人が出ていき、そして担任の稲木もいなくなって、身体の痛みに耐えながら席を立ちあがったのは竹内従士郎。

伊崎風雅はそれをゆっくり待っていて。彼はずっとダメージが少なかったので。

二人は一応、警戒をしていた。昨日のA組の生徒との初顔合わせを見るに、ふたりとも、復讐をしにくる性格ではないかと、風雅は言う。

そうかもしれない、危険だと従士郎も納得する。今度は向こうから不意打ちを受けて、真っ先にダウンするのは従士郎だ、それは本人も悔しいが理解している。

 

 とりあえず、自分の武術で、ワープする長身の女に有効打を与えられる対策を練らないとどうしようもない。彼は思う。

「今日は早々にバスに乗って家に帰るべきだ」、風雅はコメントする。

 

「伊崎君は歩いて帰るのかい?」

「ま、そうだね。バスに乗ると逆に歩く距離が長くなっちゃうからねぇ。7月には16になるから、おれ。さっさとバイクの免許とりたいんだけど」

「寺の僧侶ってバイク好きだよね」

「わかる?なんかね」

 

 風雅は標的を定めていない。

マサカが相手になっても穂村が相手になってもいいと思っている。ただ、ヤンキーのほうは御名術がまだよくわからないから、警戒度は同等なのだと、考えている。

そして。

又聞きを繰り返して、繰り返して、本来の言葉は原型をとどめていないだろうけれど、「校長に対して、御名術を放棄します、と言えば」。

言った者は、その場で持ち出し希望辞退、ということとなり、御名術がなくなるのだと。そういうことを耳にした。

ただ、本心から言わないと意味がない、脅して言わせるのもだめそうだ、なのだと。

 

 つまり、一度勝負して勝つ程度では足りないのだ…。負けた相手が、もう嫌だ、と思い、その言葉を嘘偽りなく心から言わせないといけないのだ…。

 

「竹内君。A組の教室の前を通らないほうがいいぞぉ。傷がよくなるまで。中庭を通って西棟側から帰るとか、工夫しないとね。ま、そこまで見破られて裏をかかれていたら怖いけどね!」

「…伊崎君。君の言うことはもっともだけど、きっと、どっちから学校を出たって危険はおんなじくらいだと思うよ」

「ハッハッハッ、気分の問題だよ」

 

 二人はD組を左に曲がり、トイレのある廊下を通り過ぎ。

西棟への連絡通路、ここの非常扉を外の方に、左へ出れば、上履きのままだが下駄箱に周りこめて―。

 

 ひとり、太った男が、廊下の前をふさぐ。

彼の右手ののびるほうを出れば、外だが。従士郎が、すみません、そこを通ってもいいですか、と聞く前に。

 

 こもった声で。「び、び、B組、の、伊崎君と竹内君ですか」。太った男は猫背で、頼りなさそうな表情をして、そう聞く。

「ああ。そうですよ。どうして」

「ぼ。ぼ、ぼ、ぼく、C組の、と、富島(とみしま)です」

「うん?」

風雅が、後ろを振り返る。まさか、関係ない生徒を時間稼ぎに使っていないかと。A組の、自分たちの敵が。

「何か用ですか?」

太った男が、ぼそぼそと何かを言って。聞き取れない。風雅は、警戒する。怪しいと。違うクラスの、知らない生徒に名前を呼び止められるというのが、やや引っかかる。

これは、と風雅は思う。もしも、このあと間髪入れず、A組のどちらかがそこの右から曲がってきたと、したら?

「竹内君、ちょっと話を聞いてていいけれど、外から、いや前から誰かが向かってこないか見ててくれないかい?」

従士郎も、その意味に気付く。不意打ちに適応できなくては。今の自分には、まずそれが足りない。

 

 けれど。その読みははずれで。

 

「ぼ、ぼくもみ、み、御名術もってるので、勝負し、してください」

 

「な!?」

 

「たけ…」

 

 ずしりと。

何か弾力のある塊が、風雅の背中にのしかかって。

重い。振り返っても、なにもないが。とにかく重い。なにか、透明なものが、風雅を背中から押しつぶして。

「うおおおおおおおお!?」

風雅は、床にはりつけられる。顔の下半分から、太ももまで。そこに、なにか透明な、とてつもなく重いものがのしかかっていて、身体を起こせない。

弾力があるだけ、まし。しかし、瓦礫の下で救助を待つ、建物の倒壊被害者のように彼は胸を圧迫され、呼吸も苦しく、そして焦燥する。

「た…竹内君。す、すまない。おれがやらかした…」

「伊崎君!!」

「ま、まじですまない。おれは、両腕が自由じゃないと、御名術を行使できないんだ…」

隠し事を、言って。うめく。

「き、君!」

従士郎は太った男に向き直る。両手を前に構えて。

「こんなことをしなくても!僕は君がそう言ってくれるなら正々堂々と相手をするぞ!わかった、勝負を受けよう!」

そういう受け答えしか、できない。彼は。太った男―富島は、呼吸をもらしながら笑い、首を何度か下げる。

C組だと。

従士郎は頭を殴られて目が覚めるような思いを受けた。まったく、ノーマークだった。A組の3人にだけ意識をとどめ、他のクラスのことなど何も考えていなかった。

従士郎と風雅が初日に決闘をしたことは、A組の生徒の知るところであったのに。

 

「せやぁ!!」

従士郎は気合いの声をあげる。相手は風雅へのなにかを緩めようとしない。会話無用。すぐに打破する。

瞬時に踏み込み、太った男の胸部、腹部に4度の打撃を、打つ。

相手は身を動かすこともしない。

 

 従士郎は、驚く。4度だ。4度打ったのに。

なにか、反撥力のようなものが働いて、その身には、響かない。

すぐに足を刈る。けれど。

足を包む、何かに当たった。富島のバランスは、崩れない。

「へ、へへっ。へへへへ。い、痛くないよ」

「な―」

そして自らの連続打撃のルーチンを少しこわし、顔面へ掌打をまっすぐに打つが。

その衝撃が、透明なクッションを震わせることしかできないから、富島はその場でのけぞることも、なかった。

 

「な!なにやってんだ!先生呼ぶぞ!」

そう叫んだのは、富島の背後にいたどこかのクラスの名も知らない男子で。

彼が踵を返そうとしたとき、側面から「見えない大きなもの」がぶち当たって。壁に、打ち付けられた。

がぁん、と。

 

「い、言いに、行くなよ」

「きさま…」

従士郎は憤る。その生徒は壁からずるりと落ちて。

頭と肩に圧力を感じる。なにが、乗っかってくる。おしつぶそうと。

ゆりがそこいれば、彼が強く発光するのはわかるだろう。従士郎は御名術を使って、自分の肉体能力を数秒だけ思い切りひきあげて。

透明の重いものを、前蹴りでたたき上げた。

 

 弾力があって、透明で、100kg以上あってもおかしくないものを蹴った、と彼は感じた。

やっと、富島はよろめいて一歩退く。

無関係な生徒を攻撃するなど許せないと、従士郎はそして、闘志をわかせる。

 

 




従士郎のようなきれいな武術はこの作品ではすごく浮く。


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#15 竹内従士郎と伊崎風雅(5)

 身体能力をひきあげる。

 

 これは、連続して行うことはほとんどできない。どんなに体調が良くても、闘争心が燃え上がっていても、2分に一度だけ。

昨日、従士郎はマサカと戦い、御名術を3度も使わされ、そしてそれでも優勢に立つことはできなくて、風雅により水入りとされた。

 

 入学式の日はまだもっとましだった。風雅の御名術を4度断ち割って、最高のハイキックを1撃、当てることはできた。そして、御名術行使の作用で身体が言うことを聞かなくなり、相手とともにダウン。その後、両者ボロボロで、まともな継戦は不可能。泥仕合になったから、担任のやめがかかったのだ。

つまり、彼は短時間に5回しか、御名術を使えない。

 

 ここは例えば武道場である。彼は4度勝利すれば参加者全員のなかから優勝を勝ち取れる。ひとりにつき、1度、1撃で、御名術を行使して勝ったならば、表彰台に自然な状態で立つことができる。

自分の相手がとてつもなく強大で、経験豊富だったとしても、自分の拳や蹴りが見えなければ…。

 

 と。彼は思う。それは、まったく正々堂々としていない。超能力を使って武道の頂点にたって、それで周りから一時的な賞賛を得られたとして。

そんなものに満足するとしたら、とてもおめでたい話だ、と。自分の力だが、自分の力ではない。

 

 けれど。そのハイキックを、自分の参考にすることは、できる。

あのハイキックに自身の通常の身体能力で近づけることができたならば、それは正々堂々とした方法論ではないか。

最高の鑑を持ち出したい。ドーピングした自分の最高の一打を模範として、自身をそれに近づけたい。練磨して。それに接近したものを得て、4度勝てたなら、正々堂々としているだろう?

だから、自分はこの御名術を持ち出したい―3年間だけでは、嫌だ。

 

 そう。彼の考え方は、なにかずれている。

 

 

 そして彼は、もう御名術を、4度使ってしまった。

 

 

 目前に、ぼんやりとした存在感の太った男が、薄気味悪く笑っていて。

透明な。弾力有る、大質量のものから身を守るために。それを透過して富島に攻撃を加えようとして。もう、4度使ってしまった。

次に使用したなら、自分が倒れるということを、従士郎は知っている。

通う道場でも彼はだいぶ実力のある、上から数えた方が早いような存在であるし、そう負ける気もしない。

だが、自分を超人たらしめる御名術を得たのに、この数日ですでに3人に圧倒されている、彼は。

 

 1打、2打、打つ。効かない。むしろ鼻で笑われている。

すぐに透明なものが襲ってきて、胴体ごと薙ぎ払われそうになるから、床を蹴り跳ね上がって身を回転させ、大質量の打撃を、いなす。

直撃しては、壁にはりつけにされるだけであるから。

 

 そして従士郎の怒りはやまない。

富島は、この戦いに近づく者、悲鳴を上げた者を、自身の御名術によるなにかで、はじいている。片手間に。

伏していたりうずくまっている。もう、5人目になって、それは。

 

 左足のばねをきかせ、空を駆け、突きさすような前蹴りで、富島の首元を狙う。

首には刺さらない。クッションが働いていて。

けれど、首への圧迫が少しかかったようで、太った男はようやくダメージを受けたような顔をする。苦悶一歩前、か。

 

 そこか、と従士郎は身をよじり、また左足を軸に、反時計回りに回転し、長い右足のかかとをまた首元に差し込んだ。

彼の円弧の動きは無駄がなく、迅く、そして鋭い。

富島は、ようやくそこで倒れた。「うううぅ!!」と声を上げて。

やっと有効打を与えられたと。透明なクッションごしに、強い衝撃を与えられた。このように攻めれば、ヘマをしなければ、勝てる。

 

 従士郎は、しかし、倒れた相手を攻撃できなくて。

追撃を考えない彼は、なにかに、ばちんと全身をはじかれた。宙を縦に1回転し、そして腹から床に倒れる。その衝撃は、放射状に全身を広がる。

今のはまずかった。少ししたら猛烈な痛みが襲って来るに違いにない。

ああ。もしかして今の回し蹴りの瞬間に御名術を使っていれば、相打ちにすることはできたかもしれない―。

 

「へへっ、へ、ふへへへへへへっ」

 

 嫌な気分にさせる笑い声がこだまして、そして彼は。負けを認めるが。

何者かが、従士郎の肩と、背中に手を置いた。そして、よく聞こえないが女の声を聴いて。

やめてくれ。立ち入らないでくれ。君も巻き添えをくってしまう。

そう、彼は。

 

 思うけれど。

「お前、最悪だな、デブ。どうやって関係ないやつを守ろうかとか、頭悩ませてんのにこれだよ。お前みたいなやつがいるからユッピや黄瀬が困るんだ」

低い、低い、それは声で、汚物に向かって吐き捨てるような、刃物のような声で。

「なぁ、なぁにぃ…!」

 

「どうせお前みたいなやつ、小中でマイルドにいじめられてきて、親しくない奴との会話を放棄して、臭いとか暑苦しいとか言われっぱなしで生きて来た感じだろ?

でなきゃこんな調子こかない。無差別に男も女もぶっ倒したりしない。これ、今までのうっぷん晴らしにしか見えないもん、あたし。これで自分を少しでも磨こうとしてんなら、あたしにはもっとかっこよく見えるはずだから。見た目とか抜きにして。

でも違うんだよな。特に努力とかしてこなくて、ある日とんでもない力手に入ったからゆがんだ脳みそのまんま使ってる典型だよな。お前みたいなやつをカスって言うんだよ」

 

 その女生徒は、ずけずけと富島を否定する。過剰ともとれる否定で、それは。

太った男は、暗い目をして、ぶるぶるとその言葉に震える。

 

「き、君は」

「竹内、ちょっと休んでろよ」、マサカが、富島を指さす。「あたしがやるわ」。

 

 太った男は激昂した奇声をあげて、マサカにわめきちらした。それが、選手交代許可のサインと彼女は判断して。

 

「よくわかんないけどどうやって相手すればいいの」

「ま、待ってくれ!あいつは、僕の相手だ!」

「るっせーな。すっこんでろ。どうやればいい」

 

 マサカは、"洞"を作り出し、両手をその中に入れて。

躊躇なく、目突きと引っかきで、富島の顔を、攻撃する。

そこには、透明なクッションがあって。届かない。が、その目突きはダメージにならなくとも、富島を少しおびえさせた。

両者の間に大きな"洞"ができて。

マサカは当然それに飛び込む。瞬間移動の先は、怯んだ富島の背後だった。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

マサカは後頭部と背中にひじ打ちと蹴りを繰り出すが、そこで彼女はダメージが通らないのに気付く。

「なんだこれ。デブだから脂肪でガードしてんのかなと思ったけど違うのか」、マサカは、そして手のひらで富島の目を覆う。太った男は、声を出してうろたえるが。「なんか、全身にプチプチがまきついてる感じだな」。

では、と。マサカは、彼の背後で右足を大きく上げ、真下に落とす。富島のつま先を、容赦なく踏みつけた。

「んぎゃあああ!!ふあああああああ!!」

従士郎は驚く。富島が、叫んだ。自分ではそんなことはできなかったから。何度も顔面と胴体に有効打を与えたというのに?

「あ、なんかわかってきたぞ」

マサカは白い歯を見せて笑い、そしてあらぬ方向から発生させた両手で富島の左手をつかみ、不可動方向へと、その指数本を捻じ曲げる。裂こうとする。

そして、先ほど以上に、その男は激痛に絶叫した。

 

「竹内、こいつ末端にぶよぶよしたのがないぞ。試してみた?」

マサカはそこで、潮時だとばかりに"洞"をつくり、富島の背後から脱出し、従士郎のそばに帰る。ほどなくして、透明な何かが左側の非常扉にびたぁん、と激突し、戸口が音を立ててきしみ、ガラスにひびが入った。

「ま、まさか」、従士郎は、まだ自分がマサカに助けられていることに納得がいかない様子で。

「マサカ?あたしの名前を呼んだぃ?」

「ち、ちがう。そうじゃない。どうして僕につく?」

「あんたを助けてんじゃなくって、この周りで倒れてる可哀想な子たちを助けたいだけなんだけど、あたし」

「…」

「まあ、待てよ。あんたの気持ちとかすげえどうでもよくってさ。いいから教えてよ。竹内、さっきこいつぶっ倒したよね?そのときどうやったの」

従士郎は、すぐに、「透明な、何かが彼を守るように。とても、でかい。僕は、それごと喉を狙った…」。

「参考になんない。もうちょっと視野を広げなよ。で、その透明ななんかはさ、いくつあるの?ひとつじゃないよね?いっこはハゲを抑えつけてるもんな」

は、と。従士郎は虚を突かれたような顔をして。

 

 個数?

 

「たぶん、ふたつだな。みっつだったら、もっとぶつけてくるはずだもんな。片方は、あいつの身体にまきついてるもんな、きっと」

マサカは、だん、だん、と床を踏み鳴らして。昨日の足首の傷があるので、ぎこちないが。

そしてまた、彼女は富島を指さして。従士郎に伝えながら、共通の敵を、脅す。

「竹内。あたしが東南アジア住んでるとき、やばい犯罪者が街のクラブに現れてさ。またこいつ、強盗だったけど、顔殴ったり腹殴ったりしなかったんだよ。

あ、別にあたしは被害受けたりやっつけたりしてないよ。どっかで警官に撃たれたから。こいつさあ、指折ったり爪剥いだり、そういう手口でね。

その方が、戦意を失ったり、心を折ったりすんのが速いんだって。あたしのパパが言ってた。からだの末端はねえ。怖いんだよ。がらあきならな」

 太った男が青ざめた、と感じてすぐに、マサカは"洞"を作り出して。

彼女の足首から下は距離を無視し、またも、体重をかけて、彼の足を踏んだ。

富島は前かがみにうずくまる。獣のように叫んで。その勢いならば、足の指を折っていてもおかしくはないので。そしてもう、彼の余裕はない。

 

 そこに次の来訪者が。

「どこ、マサカちゃ、わぁーーーーーーー!!なにこれ!?」

ゆりが、かしましく現れる。その廊下に。

「あ、ユッピ。ちょっと今、竹内がさ…」

ゆりは富島と、風雅を指さして。「何この帯!?」、彼女は、透明なものを、見えている。

「どうしたの?ユッピ?なに?帯?どういうこと?」

「そ、その男子の身体と、伊崎君のところに、黄色く光ったおっきい手がある!」

富島、そして従士郎がそれを聞き、顔を上げて反応する。驚嘆して。

 

「なになに詳しく?ユッピ、ユッピ、ユッピッピ~。カワイイユッピ~もう一回教えて~」、マサカは鼻歌交じりで。ゆりの肩を抱く。彼女は、嬉しいけれど遠慮します、のようなジェスチャーをとり。

「き、黄色く光ったでっかい手が見えるの、右手の方が、伊崎君をおさえつけてて、左手かな?そっちのほうが、身体全体にあって…」

「ほうほうほう。で?それはさ、あのデブの身体をガードしてんだよね?きっと。で、アレのさ、腕とか足首より下ってさ、無防備なんじゃない?」

「う、うん。そう」

「手はふたつだね?」

「ふたつ、うん」

「あーららーららー~」、マサカは残酷に、笑う。

富島は震え、狼狽する。透明であることが、彼の武器の完全な長所で持ち味であった、のに。形状まで、理解されて。

「おいハゲ」

返事はない。気を失っているか。

「カラースプレーないかなあ、学校のどっかにさ…」

 

 マサカはもう、太った男を歯牙にもかけていなくて。従士郎に、提案する。ひそひそと。

「あんたがやんなよ。あたし、あのデブのでっかい左手を引きつけてあげるからさ」

従士郎は返事をどう返していいのかわからなくて。昨日とは打って変わってフレンドリーなその態度を、理解できない。

 

「そんでユッピさ。そこのトイレから、掃除用具持ってきてくれない?」

「な、なんで?」

「尾崎豊やるの」

「は?」

「あたしのママが尾崎大好きだから」

「い、意味わかんない」

「モップとか使って、そのへんの窓ガラス割ろうよ。きっと楽しいよ」

「マサカちゃん!?ちょっと、わたし本当にわかんない、なんで!?」

「こういう、関係ない生徒を巻き込んでも平気な御名術もちのカスを好き勝手させたらどうなるか、学校にわからせてやろうよ。だからどさくさに紛れて尾崎豊やるの」

「今は夜の校舎じゃないよお!!」

 

 ゆりは諫めるが。彼女は止まらなくて。瞬時に富島の左側にワープして、壁に寄りかかって、指招きをする。

そして従士郎は、「彼の身体から手が離れたというなら、僕に教えてください」、と、ゆりに頼みごとを。

彼女ははいと言う。

 

 

※最終セクションの(6)に続く




最近の若い子に尾崎とか言っても通じないんだよね。


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#16 プロフィール マサカ(1/10)

名前:加納真砂可 かのうまさか Masaka Kanou

 

 

性別:女

 

 

年齢:15歳(作中1年生現在)

 

 

生年月日:1981年12月21日

 

 

身長:167cm(作中1年生現在)

 

 

体重:5Xkg(身長と筋肉量的には60kgに達してそうだがそれは強く否定する)

 

 

血液型:B

 

略歴:父の仕事の都合により10歳から4、5年の間インドネシアのスラウェシ島で過ごす。その環境で彼女が身につけたものは、自分の身を自分自身で守るための行動力と反射神経、身体能力であり、大切な人を守るための正義感、へこたれない精神であり、悪意ある者を怯ませる弁舌の達者さだった。

 

 

性格:悪態や罵倒の語彙が豊富で、きわめて口が悪い。第一印象こそ近寄りがたい雰囲気と男性的な怖いオーラを感じさせるが、親密になるとその思いやりと包容力で人を惹きつけて離さないことに気付かされる。基本的に肉体面・精神面での男女格差というものを強く理解している。悪意のある人間に対しては、容赦なく攻撃も反撃も行う。

 

 

学力:下の中。全然知識がないのに日本史を専攻してしまったので日々苦しんでいる。

日本語とインドネシア語のバイリンガルであるがまったく学校では価値がない。

感受性が強いので現代文一般は得意な模様。

 

 

趣味:屋台をまわること、音楽を聴くこと(ドクター・マンボズ・コンボ)

 

 

御名術:"洞"を生成し、それを経由点とした瞬間移動、部位/全体ワープ

 

 

帯の視聴覚:不可

 

 

 

 

 

 

(以下、文字稼ぎのため読む必要なし)

 

まれにこのようなプロフィールを合間合間にはさみます。

筆者のための備忘録のようなものです。

 

筆者はキャパが狭いので一度に複数のコンテンツを消化することができません。

小説書いてればソシャゲやる時間なくていいわ、と考えていましたが一番大事なRPGツクールでのゲーム制作を小説に圧迫されるという本末転倒な事態に発展しました。小説内容のある程度の消化が行われれば今のような速いペースで投稿することもないのですが。逆に言うと他のことやってると全然小説など書けなくなります。

 

今後の執筆計画としましては

 

Ⅲ竹内従士郎と伊崎風雅(1~6)終了

 

→サイドストーリー

 

→Ⅳ????(1~2)

 

→サイドストーリー

 

→Ⅴ????(1~8)

 

→Ⅵ????(1~3)

 

→Ⅷ????(1~5)

 

ここまでを1年生までのできごと、という事にして(というか2年目以降の話をあまり考えていません)執筆を進めるものであります。「強大そうでかなわなそうな何かに全力で抵抗する」1年生期のテーマに沿って進行いたします。

 

 

 



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#17 竹内従士郎と伊崎風雅(6)

 彼女の足や腕はすい、と空を薙ぎ、富島の身体の末端を削るように攻撃をするので。

太った男はくもった目をにじませ、その幾重もの激痛に何とか耐えながら、自分の左後方で遊泳をするかのような女を、御名術の巨大な手で叩き付けようとしたり、

あるいはつかんで握りつぶそうとする。が、それはあくまでその手が本来透明だから、できることであって。

マサカは富島に一撃加えては、近くにあるガラスをがしゃん、と叩き割り、楽しそうにする。

 

 帯の見えるゆりが、「上行ったー!」「手を開いた!」「伏せてー!」と案内をするから、捕捉できない。

かと言って少し離れているゆりを黙らせようとしても、彼女は従士郎より少し後ろにいる。御名術の左手を向こうに送ろうものなら、自身の身体の緩衝材となるそれを遠隔に送ることになるから、その隙にマサカか従士郎に無防備となった身体を攻撃され、たちまちノックアウトされてしまう。

 

 御名術の左手を思いっきり開いて上からばたん!と手のひらを叩き付けたなら、従士郎とゆりを2人まとめて行動不能にさせることができるかもしれないが、マサカはどうにもならない。

意外と富島は計算ができなくて、うなり声ともつかない呼吸音を上げて、ラッキーでマサカを捕えること、そのあと捕まえたまま盾にする、くらいしか方法がないと考えている。

 

 実際のところ、彼は強大な御名術の力を持っているのだから、もう風雅から御名術の右手を離してもいいのに、彼は気絶しているのだから、と従士郎は思う。

あるいは大事をとっているのか。痛みでパニックになって考えられないのか、など。

 

「ホイ!」

マサカの足だけがいきなり現れて、富島のくるぶしをえぐるように蹴ると。「あああ、あああああ!!!」、彼は絶叫する。もう耐えられない、か。

「…竹内君。あの彼、おっきい左手を自分のそばから離さないです。あのまま、マサカちゃんがやっつけちゃうかも」

ゆりが申し訳なさそうに、従士郎に言う。それに返事をしようとすると、

「あ!マサカちゃん!足を守りに入ったよ!そのぶん、胸から上のガードがなくなったけど」

ゆりは、巨大な左手が下方へいったのを見逃さない。

「ありがとユッピ。愛してる」

彼女はそれを聞いてすぐに"(うろ)"に両手を飛び込ませ、そのまま無防備だという、富島の顔面を両手でしたたか殴る。何度も。

そして、うずくまって、倒れて。

 

 マサカは口元に小さな"洞"を作ったらすぐに顔を接近させ、そのまま唇だけが4m先のゆりの頬に届いてキスをした。ちゅっと。

「ああ!もう!ダメだって!!」

ゆりは腕も顔もぶんぶんと振って、壁に寄りかかったマサカがケラケラと笑う。

「インドネシアってイスラム教でしょうっ!ダメなんだよそういうのっ!なんでわたしが注意するの!」

「あたし無宗教だから。フフ」

マサカは非常扉のひびの入ったガラスを割って。

 

 従士郎は困惑した様子を見せて、そして、友達とじゃれながら、無傷で、ストレス解消とばかりにガラスを割りながら、余裕で富島の相手をするマサカをじっと見て。

これは、勝てない、と実感した。乾いた笑いさえ出てくる。

 

 いや、これは御名術の特性で負けているんじゃない。

戦い方の柔軟性について、自分には決定的に落ち度があるのだと。

 

 そう結論付け、彼はあきらめたような顔をして、「ありがとう加納さん」、と苦笑いをし、「自分だけではどうにもならなかった、あなたのおかげです」と。深く礼をした。

マサカはさっと、階段付近の出窓のガラスをかかとで蹴って割ると。

つくりだした大きな"洞"の中に入り、ずいと従士郎の傍に、瞬間移動した。

 

「御名術をもってない子たちに、こういう風に迷惑をかけないようにしようって、約束するか」、彼女は機械のように訊く。

「僕はそのつもりで最初から、最小限を守っているつもりだった」。従士郎が、真摯に答える。

「なんだ、そうなのか」

 

 が、そのやりとりは完全な、油断だった。

ゆりが、「危なぁーーーーーい!!両手が!!」、叫ぶ。

ばちん、と。

御名術の両手が、合掌するようにふたりを挟み。骨がきしむほどの力が、従士郎とマサカに加わる。

「ぅ ぐっ!!」

「ウアッ!!!」

富島は、ようやくここで、風雅から手を離すことをして、この機を待っていたかのように。

「ふ、ふふふへ、ま、まいったか。ぼ、ぼ、僕の、力は凄いんだぞ」

マサカは、しまった、と思う。詰めが甘かったか。

「きゃあああああーーーー!!マサカちゃん!!」

ゆりは大声を上げると同時に、強い光を浴びせられ、目がくらむ。くらむのは彼女だけで。

 

 御名術の両手の合掌がひらいて行く。従士郎が、御名術を行使したから。

彼の身体は大の字になって、その両腕が横にまっすぐに力強く伸び、巨大な両手をこじあけてゆくように、まばゆい中、ゆりは見えている。「すごい…」。

 

 ふっと。従士郎はその力を出し切った後意識を失い、前のめりに倒れる。

マサカはその瞬間を逃さないと。すぐそばに"洞"をつくって。

飛びこもうとするのだけど、猛烈な力で身体を挟まれたマサカは足がよろめき、"洞"にたどり着けず、転倒する。

 

 ゆりは顔を覆う。しまった、今日のあたしは油断しすぎだ、とマサカは思い、富島は逆転勝利を確信した。

そしてまた二人は挟まれこまれようとして、ゆりは再度、悲鳴を上げる。

 

 けれど、そうはならずに、その御名術の巨大な両手は動きを止めた。

背後から、ゆっくりと、ホラー映画の殺人鬼のようにのそっと現れた穂村が、富島を殴りつけたので。

がん。

「うわぁぁぁあぁ、あぁ、あぁあ!!」

「るせぇんだよ、てめえ。おい、俺のツラぁよく見ろ」

穂村は殴りつけた後に富島の髪を右手でつかみ、リーゼントが太った男の額にぶつかる程に自らの顔に引き寄せ、凄みを利かせて数秒の凝視を。

 

 そこでゆりの視界から、黄色く光る手というものは、消失する。術者が意識を失ってしまったから。

 

「ああ…穂村君…な、なんであっちから回り込んできたの?」

ゆりは、西棟の方向を指さして。

「3分くらい前にはおめえらの後ろにいたよ」、穂村は鼻をこすり、「こいつが逃げねえように外出て回り込んで、後ろで待ち伏せしようとしたんだよ。そしたら、驚くことに加納がやられたからよ」。

 

 その、穂村の当然な説明に、マサカがかっとなってまくしたてる。

「うっせーよバカ!おいしいとこ持ってくんじゃねえバカ!リーゼントバカ!死ねバカ!」

「おっ、おめえ!ふざけんじゃねえぞ!俺が今出てこなかったらやられてたかもしれねえのに、少しぁありがとうの精神ってのは、なあ!」

「あーはいはい!Terima kasih(あんがとよ)!謝りゃいいんだろ!ア!?クッソ、あーあ!気に入らね!お前、つまんねえよ!マジでつまんねえよ!なめやがって!」

 

 彼女は苛立ち、逆ギレし、言いがかりだけをその場に吐いて。自分がヘマをしたことと、助けられたことが、相当恥ずかしかったのか。

 

「柴崎ぃーーー!こいつ何とかしてくれ!絶対に俺はこんな言われる筋合いはねえ!」

「マサカちゃん!そんなのいけないんだからね!助てもらったんじゃん!わたしも怒っちゃうよー!女の子が汚い言葉並べちゃダメ!」

「うぇぇぇぇぇぇ~んユッピが怒る~…!ごめんなさいごめんなさい」

 

 そのやかましいA組のやりとりで、意識が途切れていた従士郎はぼんやり目をあけて、彼女らとは、争うよりもっと素敵なことができそうだ、と。それはポジティヴに、思う。

 

 

「はい、いきなり現れたC組のデブ君。いいですか。これからあなたにお説教をするんですよ、あたしは」

「うっ、ううう、うぇえ」

富島は恐怖におびえる。

「まず、御名術を手に入れました。でっかい手を手に入れました。それは、いいでしょう。そういう学校なんだから」

汚い言葉を使うなとゆりに諫められたマサカはわりと丁寧な言葉遣いで、ガラスがまるきりなくなった窓のへりに腰かけ、右足は"洞"のなかに消えている。

だがどうしても高圧的で、あげく横に倒れた富島の頭に右足(の、すねから下)をかけて踏みつけている。

 

 言葉遣いだけ丁寧でもしかたないんだけどな、とゆりはぶつくさ言い、穂村はしかめっ面でそれを聞いている。

「ですが、関係ない生徒を5人も、御名術をもってない生徒を5人も、うるさいからって吹っ飛ばした、それはやりすぎです。これが例えば、キミに嫌な思いをさせた中学時代の同級生とか、そういう連中に仕返しをする、ということでしたらそこには大義名分があるのでわからんでもないのです」

「あいつ、仕返しとかを推奨してんぞ」、穂村がちくりと呟く。ゆりが、「やっぱずれてんだよねー」、とむくれる。

 

「いいですか?学校というのは仲間をつくるところであって、敵をつくって探してボコるところではないのですよ。そりゃ、あれだけとんでもない超能力手に入ったら試したくなるのもわかりますけどね」

それを、従士郎も、すこし笑って見ている。彼女をはっきりと見て。

 

「まずキミは自分を磨くことをしましょう。いいですね。ちょっとダイエットするもよし、なんか部活に入って汗を流すもよし。けど、その御名術で人を傷つけるのは最後の手段にしてほしいし、御名術をもっていない生徒を絶対に巻き込まないと、あたしに約束をしてください。それをしてくれたら、許してあげます。あとついでに、割れたガラスは、あたしたちがドンパチやったせいで不可抗力で割れたことに、してね」

「うっ、うううっ、ああ」

その声のトーンは、富島がその言葉に納得し約束したものだ、とゆりも穂村も従士郎も思い。

 

「ハッキリ返事しろコラァーーー!!」、痺れをきらせたマサカが右足を振って、蹴り飛ばす。

「ぶげぇっ!」

「あたしはYa(ハイ)Tidak(イイエ)をちゃんと言わない奴が嫌いなんだ!!」、いきなり、キレる。

それを止めるべくゆりが大声と同時に飛び出して、穂村は頭を掻いてつきあってられんとそれに背を向ける。

 

 穂村は、ふと気づくと、廊下のすみで何かを拾い、それを丁寧にたたんで、ゴミを払い、少し前に目を覚ました風雅に、すっと差し出して。

「おめえ、眼鏡、踏まれちまうぜ」

風雅は立ち上がれないが、爽やかに小さく笑い、

「おお、すまない。君は、いいやつだな。面目ない」

その返事に対し彼は何か思うところがあったか、穂村は風雅を一瞥し、ひとりで学校を後にする。

「景虎ぁー!お前、あたしがガラス割ってたの言うなよ!?」

「言わねえよ!」

 

 

 

 この翌日、B組の担任の稲木は何か厳重注意を受けたのか、ホームルームに姿を見せず、情報の授業はすべて「PCを使用した自習」となり、同日夕方には、各教室内掲示板に大きなフォントで「御名術を所持する生徒は、そうでない生徒に対しての暴力および迷惑行為、校内設備の破壊行為を、それが事故や不可抗力であっても決して行わないこと。発覚した場合は、処分する」と書かれたものが貼り出された。

 

 

 

 マサカを止めたゆりは、「最後にわたしもせっかくだし1枚くらい割ってみたいな…」と、彼女の性格とは真逆のことを考え、少し暴走へのモードチェンジをし、「えいっ」とほうきの柄を使って壁際の小窓を、ぱりんと破る。

 

 それは、騒ぎにようやく気付き2階への階段から降りて来た教師の一人にしっかりと見られ、彼女はぞくりと身の毛がよだち。

のちのち厄介ごとになってしまうのではあるが、それは、まあ、どうでもいい別のお話で、彼女が思い返したくない思い出の一つ。




マサカの口が悪すぎる問題についてだがあまりにひどすぎるので生理でもともとイライラしていたということにする。
ただこういう口が悪くて男に突っかかっていく女はクラスにひとりはいた。それを否定してはならない。


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#18 私の写真を撮って(1)

(1-5)

 

 5月11日。

 

 その日は日曜日で、ゴールデンウィークが終わり、明日には全生徒の実力テストが行われる。

では、仲の良いふたりはいずれかの自宅で勉強会でもしているのか、というと、そうでもない。

 

 そこは、湿った風の吹く、肌寒さを感じる静かな静かな墓所で。

密集した墓石のなかで傘をさしているのは、4人。うちひとりは傘を持ってもらっており、それとは相合傘で。

 霧雨のような穏やかな雨が降る、少し光のさす、午前9時半。

 

「私の父は、事業で成功して、いわゆる遊び人で、ヤクザのような人達ともかかわりがあって」

 

 ひとり、物憂げな顔をした少女が、そこで口を開く。

彼女はG組の生徒で、小学校の時に、詩津華の友達だったという。中学校ではあまり話す機会がなくなってしまいずっと挨拶だけの関係になってしまったけれど、高校は同じ場所を選び、ふと会ってお互いの身の回りのことを話し合う関係になったそうで。

彼女の名前は、相馬鈴奈(そうま りんな)

 その真向かいに、マサカとゆりがビニール傘をさして、聞いている。

少し左側に、傘を持つ花形と、その傘の中に詩津華がちょこんと立っている。合流したときに、マサカは鈴奈にあのふたりの関係はどうなってるか知っているか、と遠慮せず聞いたがあの男子は初対面なのでわかりません、と言われた。

 

「でも、ため込んでいたお金は結構あったんです。お父さんは3年前に死んでしまったけど、それからすぐに、私とお母さんが生活に困らないような程度の額を遺産分配してもらえたから」

 

 ゆりは、サスペンスドラマのような話だ、と不謹慎ながらわくわくして聞いている。そういう世界に近い場所に生きていない。

その話を切るように詩津華がくしゃみをして、肌を震わせる。

そこまでは別に気にすることではなかったのだが、花形が「黄瀬さん、大丈夫?」と聞き、詩津華が「昨日も寒くって、風邪ひく前ぶれかも」と答えると、花形が、当たり前のように腰を下げ、頭を持っていって彼女の額にぴたりと「熱はないね」、合わせるものだから、何とも言えない空気に、なる。

マサカはそれを埴輪のような顔で眺め、ゆりはいつ間違いが起こってキスするのかな?とつぶさに観察する。

 

 鈴奈は少し絶句したのち、再び。「その遺産も、ほとんど私の母の前の配偶者の家族に分け与えられてしまったそうではあるけど、うん、この話はいいです。わたしたちは、困ってないですから」。

そして唇を噛んで、「お父さんはきっと2番目の奥さんである、私のお母さんのことをあまり好きじゃなかったんだと思います」。

 

「毎日毎日、お酒を飲んで、泥酔して帰ってきて、お母さんとケンカしてて。本当に、ださかったんです。本当に、気持ち悪かったんです。お母さんを罵倒するときに、いっつも」

彼女は少し涙を流して、

「『俺にはお前なんかよりもずっと愛してる女がいるんだ』って。私は何度も聞いて来たから。その次の日の朝に、どんな高価なお菓子をもらっても、欲しかったおもちゃをもらっても、そのときに私に耳障りのいい言葉をくれたって、そんなものは、わたしはいらなくて、ただお母さんと仲良くしてさえくれればよかったのに、そんなことなかったから、私は、本当に気持ち悪くて」

 

「きっと、『3番目の』女の人がいて、お父さんはその人のことばっかり考えてて、お母さんをないがしろにしていたから。だから、きっと―」

「再婚じゃなくって、まじもんの浮気か」、マサカはそれをオブラートに包もうともせず、言う。「つらいな」。

 

 彼女らは、その、鈴奈の父親の墓の前に立って。

 

「今年になって、兄が、―えっと、さっき言った、最初の奥さんの、子供です。わたしとは、腹違い?というやつで、歳は30くらいで」

 

 遺産の分配率におかしい点を感じ、ふと会った時に、鈴奈に対しきつく言ったのだという。

遺言状通りになっていないからな。2000千万ぐらいがどっかに消えたんだ。今、俺は全力でそれを調べているんだ。あの親父め、死んだ後に波紋を残すな。お前、心当たりはあるか、お前の母さんにも聞け。

いいえ、私はわからない。暮らしは普通。言う通りの額が私のお母さんに渡ってたら、もっと裕福な暮らしをしてる。

彼女の兄は、それにとても、疑り深いまなざしを向けて。

もしも、お前の母さんがおまえまで騙してその金を隠してたら、俺は許さないし、必ず取り返すからな、と。

 

 それは彼女にとってはひどい濡れ衣で、彼女の母もそれを聞き、疲れ果てたように、少しの期間で老け込んで、病気がちに、なった。

ゆりは、最後まで聞くと、とてもではないけどそこに救いの無さを感じる。むしろ環境、身の上話に最初、胸を躍らせていたことを恥じた。

 

 そして、鈴奈は言う。

「いいですか。わたしはお父さんのお葬式の間はほとんど上の空だったからその場を見てないんですけど、お世話になっていた方から、こう言われたんです」

 

『納骨するときに、親戚の誰それが、一緒に青い封筒を入れたのを見た』

 

「なに?」

「封筒!?」

 

 すぐに花形がものごとの焦点を訊く。「その封筒の中に、2000万円ぶんの何か?よくわからないけど、有価証券とか小切手とかが入ってたってこと?」

それに鈴奈は、「いや、きっとそんな直接的じゃないと思うし、そういうことをする意味がわからないですから、きっと遺産の一部を隠した、とかじゃないと思います」、きちんと否定した。

 

 詩津華が、小さな声で。「わたしたちは、お墓参りに来た高校生とその付き添いです。静かになさってくださる。ここで目立って誰かに見られたり聞かれたりしたら、この子とお母様が困ってしまうんですよ」。

全員が口をつむいで。

「その封筒には、きっと」、そして詩津華はまた、口元に指を持って行き、もう少し静かにと。「写真が入っていました。参列者の中に、わたくしの母と親しい、大きい会社の取締役がいましてね」

 

そして、

 

「その方はこの子のお父様と亡くなる直前まで親しくしておられて。ええ。わたくしはちゃんと聞き出しました。確かです。『俺が死んだら、骨と一緒に、最愛の女の写真を入れてもらう』のだと」

 

 空気が張り詰めて。

 

「それが、今日、加納さんに来ていただいた理由です」

「あたしに?この墓の中に腕突っ込んで?遺骨と一緒に入ってる写真とれって?」

「はい。公式にお墓を開いて遺骨を取り出そうとするのは目立ちすぎますから。絶対に、この子のお兄様の耳にも入りますのでね」

マサカは心底嫌そうな顔をして、ゆりと顔を見合わせて。

 

 けれど、すぐに観念したかのように。

「キミ。すごい聞いてほしくなさそうなことを聞くけど、その写真があったとして、どうするの?あたしはバカだからわかんないよ。よくわかんないけど。きっとさ。その消えた2000万は、その写真の女のとこにいったんだって、そうみんな考えたんでしょ。で、それで、キミはどうするの?写真の女を探したいの?2000万はこの女が持ってる!って兄貴に言いたいの?」

「そ、そうじゃないんです。私、お金はいいんです。ただ、兄が私のお母さんを疑っているのが、本当迷惑なのは、そうですけど…嫌がらせもありますし…はい。でも、そうなんですよね。私、期待してるんです。それがわかれば、兄の目がそっちに向かって、私達から目がそれるかもって…」

「ごめん、ちょっとねえ…」、マサカはまだ、それだけでは足りない様子で。「それは、ホントにキミの解決に、なんの?」

そして鈴奈は。「お金の行き先を調べたいわけでもなくって、兄をどうにかしたいわけでもなくって」。本心を、言う。彼女の。

 

「ただ、お父さんを誘惑して、お母さんにつらい思いをさせた、その女の顔を…知りたい、んです…」

 

「そうか」

マサカはそれを聞くと、すぐに手先に"(うろ)"を作り出して。

「マ、マサカちゃん。一応手袋をした方がいいと思うよ」

ゆりの指摘をわかっていたかのように、詩津華が腕までのゴム手袋を、差し出す。

「キミの行く先にはなんか復讐があるよ、きっと。そこだけが気に入らないけどな」

 

 日本のお墓の構造ってどうなってんの?とマサカが皆に聞く。詩津華が言うには、だいぶ古いお墓のようなので、骨壺をそのまま収納しているのではなく、墓石の一部をずらして開き、そこに遺骨を放り込みそのまま土にかえしている、と。

「よく知ってるね」

「いえ、B組のお寺の息子さんから聞きました」

「ああ、ハゲね」

 

 マサカは手を"洞"に入れて。決して、気持ちのいいものではない。むしろ、決して見たくない。その"洞"の先は決してのぞき込まず、彼女は右手でかき混ぜる。そこを。

数分の捜索ののち、彼女は腕をとめ、引っ張り出した、それを。

 

 封筒は決して原型をとどめていなかったし、青色だともわからない。あまりにも時間が経ちすぎている。

汚れて湿った封筒は自重で破れ、マサカが中身をそっと引き出すけれど。

その中身も、経年劣化で、とても把握できるものではない。退色が過ぎる。

誰かの姿を映した写真なのかどうかさえも、定かでは、なくて。

 

 鈴奈はさめざめと泣いて、霧雨に身を濡らし、けれどその写真を両手で持って、投げ捨てようともしない。

 

「黄瀬、確かいたよね、D組にさ、写真の御名術使い。こういうの、もとに戻せるんじゃない?話、できない?」

「彼は、とっても」、詩津華が口をゆがめて。「気難しいよ」、花形があとに続く。



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#19 私の写真を撮って(2)





 5月13日。

 

4月中に詩津華の斡旋のもと、ゆりの視認によって確認できた、東棟の御名術もちの生徒は以下のとおり。

 

 A組、マサカ、穂村、ゆり(帯が見えるだけ)、新堂は?

 

 B組 従士郎、風雅。

 

 C組 先月従士郎を攻撃し返り討ちに逢った富島大地(とみしまだいち)、詳細不明の女子・初芝芽維(はつしばめい)

 

 D組 詳細不明、(ゆりの価値観で)ちょっとかっこいい男子・浦済慶輔(うらずみけいすけ)。そして、もう一人の男子が、「写真の御名術」使い、折笠順也(おりかさじゅんや)、である。

 

 西棟もできれば視認しに動きに行きたいところだが、接点がないため行動が不自然になってしまう。

この1か月で「東」と「西」で多くの生徒が「こっち側にはこういう顔したやつがいる、名前まではわからないけど」程度には認識している。

体育や美術等課外授業は隣同士のクラス一緒に行うこともあるし、東棟の合同実習なども行われた。

部活動を行っていない彼女らにとって、西棟の生徒と親しい関係となるのは難しかった。

 

 では何かやればいいのではないか、と言う話になるのだが、御名術もち、という点でいい顔をされなかった、と従士郎は言う。

柔道か空手をやってみたかったが、御名術もち同士の争い事が起きる可能性があるならば、合宿や他校との試合を組む際に直前のいざこざが発生するのでは、そういう意見を受けたと。

要するに、僕たちは御名術とかとは関係ないからお引き取り下さい、というわけだ。

 

「そう。だからねぇ~おれもさ。テニス部入りたかったんだけどねえ~」

「その頭でテニスって冗談かよ。試合の妨害になりますので頭光らせないで下さいって審判に言われるんじゃないのか」

「やかましいわ。じゃあおたくはどうなの?なんか部活やりたいとかないの?」

「だってあたしヨットやりたいけど、ないんだもん」

「作ればいいだろう。2、3人は集まるだろうさ。ヨットは誰が用意して、どこで練習するのかは知れんけど」

 

 B組の教室でマサカと風雅がそう、どうでもいい話をしている。

詩津華まちである。写真の御名術使い、折笠は授業が終わればすぐに学校を出てしまい、いずこかに消えてしまうと。

事情を説明して引き留めるのは花形の役割だが、そのあとの依頼は御名術もちでなければニュアンスが伝わらない、という。

「『あなたのその力を見込んでお願いがあるのです』って言う時、それを頼む人が相手の持つ特性について無知か知識人かで相手の反応は異なるでしょう?」と詩津華は言う。

わからんでもないけど、と言う反応があって。

 

「こいつは何で暗いの?」、マサカは従士郎を指して聞く。「先週までバカみたいに元気だったくせにさ」。

従士郎は深刻な考え事をしているかのように映り、風雅の言うところでは、昨日の実力テストが本当にダメだったのだ、と。

マサカも、ぴたりと止まる。

「あまり悪いと補習が待ってるって言うからねぇ~」

ゆりも捕捉する。「成績よくなるまで、全部の曜日に7時間目ができちゃうんだよ」。そしてマサカは虚ろによそ見をして。彼女も、暗くなる。

「オイオイオイオイ。この二人、だめか」

「まいったな。勉強会とか、しなくちゃだめ?」

「ユッピ、ユッピはあたしのこと、最後まで好きだよね?」

「うん、好きだけどそれとテストの結果の成績は別の問題だと思うの」

「おれは手伝えないぞ。バイクの免許を取りたいんだ」

「まあ、待ってくれ。まだそこまで悪いと決まったわけじゃ―」

 

 教室の後ろから詩津華がやって来て。

「あれ。これは?4人とも、来てくださるんですか?」

マサカは少し考え、「いや、そんなことはないよ。こいつらは関係ない」。テストのことは頭から抜いて。マサカとゆりはD組へと、向かう。

 

 

 その男は決して清潔な風体ではなく、若さのわりに自分の理念に凝り固まった顔をしていて、独特の体臭があって、うわぁ、とA組のふたりは思う。

事情は花形がおおむね説明済みのようだが、その男は決してそれに興味を持っているとは思い難く、詩津華は、どういうアプローチで攻めますか、そういう表情のサインをとる。

その折笠という男子は髪が脂ぎっていて、薄いひげを処理もせず、眼鏡に指紋がつきっぱなしである。制服も、なんだかよれよれしていて。

「何ですか、あんたたち。俺、そういうのできないくらい忙しいって言ってるじゃないですか」

「まあ、折笠さん。大変迷惑に考えてらっしゃるのはわかります。でも、どうか私たちを助けていただきたいんです」

「俺は、これから夜になるまでに大三蔵橋の河川敷に写真撮りに行きたくて。テスト終わってやっと自由ができたんだから、そんな、あんたたちのせいで夕方の写真撮れなくなったらどうすんですか」

そして、詩津華を止めて、マサカは実に、単刀直入に、聞く。

 

「写真ならなんでもありの御名術って、有名だよ、あんた。口止めの御名術も意味がないくらい、東棟で有名になってる、あんた」

「だから何ですか。俺はこの御名術を使って3年間は最高の写真を撮り続けたいだけだ。あんたらと競うなんて考えてない。あんまり関わんないでください?」

マサカはほう、と鼻で笑う。ゆりが、その男の、右の瞳から発生する「帯」を視認して。

「あんた、持ち出しできなくていいんだ。すげえ写真オタクなんでしょ。3年だけでいいんだ?」

「俺はもともと自分の写真には自信がある。御名術でいい写真が取れるのは確かだけど、3年もありゃもっと実力が上がってる自信も」

「なんだ、従士郎と同じタイプか」

「御名術を使えるうちに、いろんなあらゆるコンテストで賞をとって、賞金をためて、140万する最高画質の一眼レフを買うんだ。それさえあれば御名術で撮った写真に完成度が追い付くからね」

「…あ、金で解決する問題なんだ。まあ、『写ルンです』よりはな、そうだよな」

彼はじりじりと教室から出ていく体勢となり、マサカはそれを警戒する。

 

「だから俺は、今すぐ河川敷に行って写真を撮らなくちゃいけないんだ!」

「待てッ!あたしの話を聞け!」

 

 全員をすり抜けて折笠は逃げ出すが、マサカはすでに移動しており彼の退路を拒む。

心底嫌そうな顔をするが、どうもその女から逃れられそうにない。

折笠は深い、わざとらしいため息をつき、どうしたらいいんですか、とあきらめて聞く。

 

「この、もう何が映ってるかわかんない写真を、もとに戻せるか?あたしは、あんたがそういうのができるって聞いたから、割と必死で来てるんだ。いいかい。ちょっと1人の女の子の今後の人生にかかわる問題でね。それを助けられるかどうかは、140万より重いかもしんないよ?」

マサカが、クリアフィルムに入れた写真を見せる。おととい、墓場から引っ張り上げたものだ。

 

 折笠はそれを手に取って、じっと見て、「時間があればできるかもしれないけど。きっと…あんたなら、知ってるでしょ。御名術は、回数制限があるって」。

ゆりは小さく驚く。詩津華も、花形も。そうなの?と。

マサカは知っている。

「そうだね、あたしは穴のでかさによるけど1日20回はやりすぎ。従士郎は5回。景虎は4回だったな」

「…もういいよ。今日の撮影はあきらめた」、折笠は再び教室へ戻って。

「俺の御名術は適当なら、1日に何回でもできるよ。でもさあ。真剣に写真撮ったら、1日1回が限度なんすよ」

そこに、大きなシャッター音が、鳴り響く。皆がびくりとして。

ゆりは、彼の右目がフラッシュをたいたように、けれど黄色く、瞬時発光するのを、見る。

 

 その目はシャッターであって、同時に、折笠の手に、すっと、写真が現れた。

被写体は、彼以外の4人であって。そして、平面的でないと、見た者は感じる。撮影した2次元の空間ではなく、そこに3次元的な要素の雰囲気があって。

そして、躍動感があって、写真に撮られた自分がすぐに動き出しそう、とさえゆりは感じた。

色合いとか明るさとかちゃんと撮れたかとか、目が光ってしまっていないか、とかそういう低次元なことではなく、視覚以外にグッとくる感覚、というものを刻み付けられ、

4人はその自分たちの写真をまじまじと観る。自分の目で、切り取られたフレームの中で、現実の自分たちそのものを別視点から観ているのだ。

 

 気づいた詩津華が指摘し、3人も驚く。

空間のすべてにおいて、ピントが合っている。

背景で一番遠い黒板に書かれた小さな文字も、カーテンの皺も、完璧に、見える。鮮明に、過ぎる。もう少しあとの時代ならば、超高画質高解像度、というべきで。

 

「これは、すげえな…あんた、偉そうにするだけあるわ」、マサカのまなざしが変わる。

「それ、かなり本気でやったやつ。で?その真っ黒い写真見れるようにするんでしょ?したいんでしょ、あんたら。うん。俺、たぶん、その写真元通りに撮りなおすこと、できますよ。でも。わかるでしょ。規模と、回数制限なんすよ。その写真、きっとなんか写ってたんでしょ。なんか映ってたってんなら、そういう事実があるから俺は撮りなおせますよ。でも、きっとそれを元通りにしたら、俺、きっと1週間?いや、1か月くらいかもな。御名術使えなくなっちゃいますよ。だからやりたくないんすよ。6月には、もう応募したいコンテストがあるってのにさあ」

彼は苦々しい貌で、それを言って。

 

「マサカちゃ…」

「いや、ユッピ。待って。こいつの言いたいこと、すげえわかるんだ。なるほどな。1日1回、マジで御名術使えば、そんなすげえ写真が撮れると。で、あたしらが持ってきたあれを元に戻すには、御名術のパワーをむちゃくちゃ使って、しばらく使えなくなりそう?そうだね。それってあんたにいい事なにもないよね」

マサカは、ひとりのアーティストを尊敬するような、そして遠慮するような態度にならざるを得なくて。技術者と言うものの価値、そして近寄りがたさを、感じる。

 

「では、相馬さんの気持ちはどうなるんですのッ!」

「黄瀬。違う。今わかった。もしさ、あたしが知らない奴にいきなり出合い頭に『困ってるんで、今すぐあなたの御名術でぼくをワープさして大阪に連れてってください』とか言われたら、さ?…たぶん、あたしたち、彼に、そういうことを頼んでるんだよね」

 

 マサカの「移動範囲」は8メートルであって。それを無理に引き延ばすことは、決して無理ではないが、極力やりたくない。身体全身を入れるための"(うろ)"をよりもっと広げよう、と思えば、決して無理ではないが、極力やりたくない、自分の身体のために。そういう理屈だ。

 

 詩津華は、交渉事についてはあきらめないと思っていた彼女がそう言うから、困惑して、では相馬の気持ちは、今被っている迷惑は、など続けて口にするが、マサカは御名術を持っているからこそ、それ以上の無理強いをできない。これは、御名術のある/ないにおける、両者の理解のニュアンスの違いである。皮肉にも、先に詩津華が皆に言ったような。

 

 けれど折笠はそして憮然とする態度をするでもなく、切り出した。「でも、俺も困ってる事があるから、それを解決してもらえんなら、協力しますけど?」

「えっ!?」

ゆりは驚いて。

冷静に、花形が訊く。「折笠君。それは、どういう?折笠君の悩みを解決すれば、こっちの写真を復元してくれるの?」。「うん」。

 

「先週、いや5日前、だな。隣の駅の夜のオフィス街の写真撮りに行ってさ。俺は、ビルを背景に疲れたサラリーマンとかOLが終電近くの時間に帰っていく、そんなコンセプトの写真を撮りにいったんだけど」

折笠は、かばんの内側から、そっと白い封書のような包みを取り出して。

 

「先に説明しますね。俺の御名術で撮られた被写体にはさ、絶対にさっきのでっかいシャッター音が聞こえちゃうんだよ。どんなに遠くで撮ってもさ。逆に、映ってなきゃ聞こえないのにね」

彼は額をぬぐって、そのまま眼鏡のレンズを指で拭く。

「次にさ、俺が撮った写真ってね、保存する以外に方法がないわけ。火をつけても燃えないし、絶対に破れないし。どっかに捨ててもいつの間にか俺のかばんの中に戻ってくるしさ」

そういう超自然の特性をもった、副産物。

「でさ、こうするとすぐわかるんだけどね」、折笠はその中身をあけ―それはビル群と人の写真であって。そして、彼は、その写真を、再度「目」で撮影する。そのシャッター音は、誰にも聞こえない。

 

 写真は、白いビルと黒いビルのコントラストの隙間の部分へと、御名術の干渉によりズームインをして。フレーム内でその一部が拡大される。

 

 その被写体はこちらを向いて。ビルの隙間で、中年の男二人が、片方は角材のようなものを、もう片方は銃器のようなものを持っていて、二人の足もとに、血しぶきと、別の人間の、寝ころんだ下半身が、見える。それはなんとなく、人間としては、部位が足りないようにも見えて。

 

「この写真、どうにかして俺の手元から消し去りたい。それが無理なら、きっとこの写真に写ったおっさんたちに、俺、いつか見つかってやばいことになりそうだから、その人たちをどうにか、してほしいんだよね…」

彼は、てかった顔の、汗をぬぐう。

「汗ふきたいのはこっちだバカタレ」

写真はリアリティと立体感がありすぎて、5日前の過去なのだろうがそれの映すものはその時点のその場所そのもので、その殺人現場とおぼしき1枚はとても鮮明で、マサカは思う。聞かなきゃよかったと。ゆりは涙目で戦慄し、詩津華は恐怖して花形に抱きついている。

 

 

 

 

 

 




ちなみに筆者の高校時代は写ルンです全盛期である。


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#20 私の写真を撮って(3)

 そこには短気な男と、無気力で気だるそうな男がいて、ガラステーブルを挟んで革張りのソファーに腰かけている。

部屋の入口のほうに別の男が二人立っているが、何も口出しすることは許されておらず、ただ黙って聞いているのみ。

 

 短気な男は30代のはじめくらいか。かん、かん、かん、と爪でテーブルを叩いて、出された湯呑みの茶をすぐに飲まず。猫舌なのかもしれない。ワインのように、風味を嗅いでからじわじわとすすって、口のなかで転がした。

彼が茶に口をつけたのを確認してから、対面する無気力そうな男が、やはり茶に口をつけた。彼はひとまわり上の年齢で、こけた頬にふくむ。

 

 短気な男が、無気力そうな男に早口で何か言い、相手は首を振って。

その素早い否定のサインに腹を立てて、さらに早口な疑念と叱咤をぶつける。だが年上の方の男は謝りもせず、ただ自分の見解だけを淡々と言う。

だから短気な男は、また腹を立てて。

テーブルに拳をだんと打ち付けて、焦燥している。年上のほうの男は一応、この場では部下にあたり、短気な男が雇い主では、ある。

 

「マサオキ、てめえー!俺がビビりすぎってどういうこったあオラー!」

「いや…事実そうです、わ。言った通り」、無気力そうな男は湯呑みをまた、持って。「あの野郎、戸籍、ないんですわ。足のつきようが、なくって、ハイ」。茶を味わって。「殺られたのが誰なのか、誰にも調べらんなくて、その動機も、存在しねえわけでしてね。何をそんなびびっちまってることがあんのかなって」。

「何度でも言うぞ!じゃあ、俺とてめえが聞いたあのぉカメラの音、どうなんだよ!?あんな音…覚えてるよな!?ものすげえ近くで撮られたんだぜ!絶対に図られたタイミングじゃあねえのか!?オイ!」

「本当にカメラで撮られたんですかね」

「じゃあ、あのシャッター音はどう理解すりゃいいんだあ!!」

「まあ、イケさん。考えても見てください、な。あの後、下廻りの連中遣わしてすぐに調べたんですわ。あいつら意外と素早くてね。私服(警官)のフリまでできる奴まで動かして。

ほんでね、駅まで、調べさせれたんです、わ。ほんなら、カメラなんてね、持ってるやつはね、いなかったんですわ」

「いいや!おめえの駒は信用できねえ!見逃しが絶対に、絶対にあるはずなんだ!」

「イケさん。じゃあ、どうすりゃあ納得してもらえんすかね?まさか撮られたっていう写真のネガでも持ってこいってんなら、相当金の無駄ですわ。あるかどうかもわからねえ」

「俺があるって言ったならぁ、あるんだ!俺の勘を、甘く見んじゃねえや、絶対に将来俺の足を引っ張るネタになんだぁ!わかってんのかマサオキぃ!」

根拠の薄そうな直球を受けると、そして男は気だるそうに、煙草をつけて。

 

「まあいいですわ。イケさん。俺っちも気になってねえわけじゃあねえですからね。調べろってんなら調べますわ。ええ」。そして、煙を顔の周りに巻き付けるように吐き出して、「ですが、そこで起こってた事実が、イケさんの気に入らねえもんだったとしてもね、俺に文句は言わんでくださいよ」。

「何ぃ!?どういう意味だ、そりゃあ!?」

短気な男は怒号を上げすぎて疲れたのか、踏ん反りかえってソファーに身を預ける。入口の男たちはびりびりとした空気に冷汗を流して。

けれど、気だるげな男はゆっくりと煙草をふかして、雇い主をなだめるでも、機嫌をとることもしない。

再び茶に口をつけ、くい、と。大目にふくむ。

雇い主は、まだそれでも、熱くて次の一口を飲もうとすることはできなくて。

 

「いやね。俺っちは、あのシャッター音はね、多分イケさんが考えてるような悪い事には、なりやしませんわ。って思ってましてね。きっとね。偶然なんですよ。ほんでね」、そして彼もソファーに身体を沈めて。「カメラで撮られたってとこは否定しますけどね、なんかしら、記録をされたっていう点は納得してるんですわ」。

「ああ!?意味がわかねえんっ、だよ!!」

「ええ。俺っちは、ちゃんとやりますよ」

そして、気だるそうな男は、お茶、おかわりもらえる、と、入口のほうに、頼む。

「てめえら!茶がなくなったのにも気づかねえのか!」、雇い主は、舌打ちをして、「マサオキにもう1杯出してやれ!一番いいやつにしろよ!」と。

 

「イケさん、たぶんね。俺の勘のほうがね、鋭いですわ」

グレーのスーツを着た男の名はマサオキ。彼は、豪胆で、胡乱で、勘がよい。

 

 

 

 5月15日。

 

 昨今のビジネスシーンのパーティーに出て、どんなものか今後の勉強をしたいのです。

 

 と父に頼み込むと、詩津華の父は二つ返事で喜び、会社間の親睦会、それも役員のみが集うような、そんな立食の食事会へと娘を連れてゆくことにし、母はすぐに薄い黒のドレスを準備した。

これではピアノの発表会の小学生です、と詩津華はそのチョイスを子供っぽいと嫌がったが、彼女の体形で着れて、高校生でもおかしくないようなカクテルドレスはそう簡単には出てこず、仕方なくそれを着た。

車で20分ほどで会場となるホテルへと到着し、立ち振る舞いは、とか話かけられたら、等の注意喚起を受け、そこでやっと、「おまえのような歳の子供はいないと思うよ」と言われるが。

そして詩津華は、「洋光クリアランスなんとかっていう会社の社長さん、わたくしの友達のお兄様なのです。どなたか教えていただけませんか」、そう父に頼む。

 

 父の仕事となんらかの接点があるような見知らぬ者ばかりで、自分にとっては祖父以上の年齢の男たちもおり、物珍しげな顔で挨拶をされ、それだけで彼女はもう疲れてしまう。

20回ほど、「黄瀬伸治の娘の詩津華でございます。本日は社会勉強をしに参りました」と自己紹介をし、やっと腹の膨れるものを皿に用意できるタイミングになった。

彼女はサラダとローストビーフを食べるのだが、それでも昨日の昼、マサカが食べていた「カップヌードル チリトマトヌードル 日清」というのが気になって仕方がない。そういうものを、花形に買ってきてもらったことはなかったため。

「なに、食べたことないの。人生損してるよ」とまで言われては、明日はあれを食べるしかない。あのベンチでカップ麺をすするのを真似だしたのは彼女だが、いつも詩津華にとって見たこともないような種類を持ってくるので。

通学路にさぞバラエティ豊かなスーパーなりコンビニエンスストアがあるのだろう。ああ、なんとうらやましい。もぐもぐ。

 

 そしてその男は、腹に少し入れてから話に行こうと考えていた詩津華のもとに、不意に向こうから現れて。

「小倉建次郎です。洋行C.Mの。はじめまして、黄瀬さんのきれいなお嬢様」

もぐもぐ。

「鈴奈のお友達なんですよね。義兄です」

その、32歳の若社長は恰幅がよく、存在感のある巨体だった。男は詩津華の身体を上から下まで見て。彼女は、いやらしい視線、と思う。

「お会いできて光栄ですわ。すみません、小倉様。急にこういうことを申し上げますのは失礼なのはわかっているのですけど」、詩津華は目を合わせずに、「遺残相続の不明金への憤りを、相馬さんに目がけるのはお控えいただけないものでしょうか」。

小倉は、少し少し動揺したような振る舞いをして、そしてまた詩津華の身体を、見る。身長差のせいで、着衣の隙間を見下ろしてのぞかれていると、感じる。こんな小さい女のこと、じろじろと見ないでいただきたい、詩津華は胸元を隠し嫌悪感をしめす。

 

 そして、何か、義妹にひどいことをした覚えはありません、そのような相談を受けているのでしたら、解決してあげたいので詳細を教えてください、のようなことを、言われる。

「兄妹ではありますが、一緒に住んでいるわけではないですので、お互いに誤解が生じてしまっているのでしょう」と。

しらじらしいと感じ、詩津華はマサカのように男に負けない態度はどうすれば、と思い返し、引き下がらないことを意識して。

「もしも、2000万円がいずこかに消えたというなら、それはきっと貴方のお父様が、相馬さんのお母様の次に関係を持っていた女性だと思っておりますので」

「そっちの、女ですか?ええとね、お嬢さん。そっちは、誤解のないように言っておきましょう。あんなのはですね、ただのクラブのホステスですよ。しかも、日々稼いでいるだろうけど、すべて水商売の男に貢いでいるような。私どもは、そんなものはちゃんと調べているのです。

当時大金を受けとった人間だったら、あんなね、人生を捨てたような暮らしはしていないものですよ」

 

…3人目の女へ、金が渡っていない?

詩津華は想定外の返答を受け、混乱する。それでは、高校生同士の無い知恵をふりしぼった結論が、全部思い違いということになる。

これからの動き方も、別で動いているマサカたちも。

いや。それでも、墓から出てきた写真は、存在したのだ。あれを、復元できれば問題が氷解するかもしれなくて―。

 

「もしも鈴奈が嫌な思いをしているというなら、教えてください。私の方でできる限り解決を試みます」

そう、若社長は言う。詩津華ははいと言うが。

「義妹のことは私はとても大事にしています」、その言葉は、本能的に、確実に嘘だと、彼女はわかる。この男のいう事は事実はあるが、端々が嘘にまみれている、そういう気配がした。

「まあしかし、黄瀬さんの娘さんがこんなにかわいらしいとは驚きました。気が向きましたら、ぜひお食事でも誘いしてもよろしいですか、もちろんお酒はなしですよ」、詩津華はまた嫌悪感を抱き、もうこの人と話したくない、と感じ、愛想笑いを返す。

 

 

 5月16日。

 

 D組の教室前の廊下で。

「32歳の別にかっこよくもない男の人が!高校生を食事に誘うなんて!つまみ食いしたいですって言ってるようなものじゃあありませんかッ!」

「うーん気持ち悪いなあ。そんでなに。黄瀬の足とかおっぱいとか舐めるように見てきたんだろ」

「ええッ!あんな気持ち悪い視線受けること、そうないですよッ!その場、結構スタイルのいい女性とかちょっといたのに、相手にもしないで…あの人、きっと変態なんですッ!」

「花形ー。黄瀬がアメフト部みたいなきもいおっさんに、おっぱいのぞかれたって」

彼はすぐに教室から出てくる。

「やめてくださいッ!思い出しちゃいますから!」

「でも歳の差はどうなの?あたしは32と15は意外とまだそう犯罪でもないかなって思うけど。だって、島ではさあ、結構すげえ離れたカップル見たことあってさ…」

「嫌ですッ!歳が倍とか考えたくもありません!、ちょ、なに触ってるんですか!」

「でも黄瀬ってちっちゃいのにおっぱいでかいよね。いいもん食ってるからかな」、つんつんと。マサカは遠慮しない。そうだね、とゆりも。(彼女はさわりたいがさわらない)。

そして花形が、ちょっと。手を触れるのはおやめくださいと間に入り。「ア?女同士だよ?なんだ?お前のおっぱいか?お前のだからか?」、「マサカちゃんマサカちゃん」、なぜかそして、詩津華の奪い合いに、なる。大岡裁きである。

 

 ほどなくして左手から穂村が駆け足でやってきて、マサカを呼び止めて。「オイ加納。おめえさ、15時20分に先生とこ行けって言われてなかったのか」。

「あ!やば、忘れてた!ご、ごめん。ユッピ、ちょっと行ってくるね、黄瀬もまたあとで」

「いや、もう来なくていいって。ただ伝言頼まれてよ」

走り出そうとするマサカを捕まえて、穂村は彼女に、死刑宣告を。「おめえ、テスト悪すぎだから、補習対象な」。

「ああああああああああああああああああ!!!!」

マサカはしなだれて崩れ落ちる。

もっとも、それを理解している節もあるにはあって。それでも言われてしまうと悲しいもので。

 

「このあともうすぐ7時間目参加しろってよ。病院とか、家族の予定とか以外は、絶対にこいと」、そして追い打ちで、「A組はおめえだけだから、先生ちょっとキレてるぜ」。

「なんでだよぉ!なんでお前そのリーゼントでお前は違うんだよぉ!おかしいだろ!」

そして聞いてもいないのに、ゆりは順位を並べだして。「わたしより穂村君のほうが成績いいからびっくりした。見かけで判断しちゃダメ。50なん位、だよね」。

「56位だ」、彼は見た目や口調以外は、基本的には真面目である。

「伊崎君、学年3位なんでしょ!20位まで貼り出してあったよね!」

「おう、なんかな。あいつ、やっぱただもんじゃねえわ」

 

「A組で、ただひとり…あたしは…ああ…アウェーすぎる…なに、知らない奴に囲まれて、あたしA組のバカでーすってさみしく勉強しなきゃいけないんでしょ。あああ~~~~何であたし日本史とっちゃったんだろ、全然わかんないのに」

「まあ、ひとりでもねえよ。B組の竹内もそうらしいから、机並べて仲良くがんばれよ」

「何が悲しくて!あんな拳法バカの隣で補習受けなきゃなんねーんだ!」

 

 廊下に座り込んで、マサカは少しだけ泣いて、憐れんだゆりはどこかで時間をつぶして帰宅を待ってあげることを選択するけれど。

ゆりは思う。この写真の案件は、停滞してしまうのではないかと。真偽はどうあれ2000万円の行き先が不明になって、写真復元の条件は、もう立ち入らないほうがいい次元にさしかかっていて。

あの殺人事件のようなワンショットを解決しなければいけないのは警察であって、自分たちではない。

日曜日に墓地で悲嘆にくれた彼女を助けることは、もうできないのかもしれないと、ゆりは思う。それは、面識のなかったつい知り合ったばかりの同級生だけれど、彼女にとってわりと無念なことで。

 

 だがしかし、それは悪い意味での杞憂で。

ゆりの今週の占いのハシゴの結果は、「運勢は5段階で最悪の1、待ち人来たりて、よくないことに巻き込まれ、用がなければすぐに帰宅すべきで、年上の人を敬うべきで、ラッキーナンバーは1で、黄色いものを洋服のアクセントに」だったので。

 

 




詩津華>マサカ>ゆり>ヒトミ>4話の女(胸の話)


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#21 私の写真を撮って(4)

「もうね、7限目とかね、あたしさ、勉強苦手なんだからさ、これ以上嫌いにさせないでほしいんだよね」

「2週間だけ頑張ろうよ。ってことは、あと13日で終わりじゃん!」

「13日で終わりだけどその後、土曜使わされてまでまたテストやんなきゃいけないんだよ!」

「土曜なくなるの、痛いねえ」

「マジ痛い。しかもそれもダメだったらまた延々と続くんでしょ」

「そうならないためにもね!みんなの力借りて、テスト対策しよう!前と同じ答案じゃないだろうけど、竹内君のために伊崎君が協力するっぽいから、それに便乗させてもらってね」

「ハゲに頭下げる他ねーなー」

「お寺で勉強会とかさせてもらえるのかな?静かそうだし」

「間違うと肩ばちこーんって叩かれるの?」

「テレビじゃないんだから」

「あのさ、でもね、従士郎はやばいよ。あいつ、きっとあたしよりバカ」

「比べるものじゃあないよ!」

 

 マサカはよどんだ目つきで、いかにうんざりしたか、とくとくと。

彼女の経歴上、朝から日が落ちるまで勉強、というのは例がなかったことだから、疲労感もやはりこれまでになかったもので。

そして、実力テストで成績が悪くとも、野球部は免除されるらしい、のような話になると、マサカはいまからすぐにマネージャーになれないものかと頭を抱える。「きっとマネージャーは免除されない」、ゆりは夢を壊す。

相対的に全部の教科の点数を上げるのか、得意な現代文とそこそこできる科学に集中させて、日本史を捨てるのか、などいろいろ方策はあるがなによりまず平均点に近づけなければどうせ今後も同じことの繰り返しだろう。

 

 もう17時で、曇った空はもう日が落ちていて、今日は鋭気を養う(ふたりはそういう慣用表現を使える程賢くないので、意味合い上そのようなこと)目的にて、ゆりの好きなファミレスに行ってちゃんとごはんを食べよう、ということになった。

お互いに親が放任気味なので、このあたりは融通がきくし自由だ。門限が厳しい他の生徒とは違う。一応、21時までには帰る、と。

だから彼女らは電車に乗って、学校の一駅となりで降車し、だべりながら進む。駅を出て4分。やや歩く。

「イタリアンハンバーグにしよっかな、でもペスカトーレかな、それともね…」

「あたしはほうれん草ソテーふたつ頼むからね、あと海老と…」

 

 そしてマサカは、ふと右を向いて。

行きかう車は多く、道路の向こう側をちゃんと見るには、彼女たちふたりとも、足を止めなくてはならなくて。

靴の販売店ビルを背にし、マサカはそこを見て絶句する。

その目線の少し先には、あの、問題の写真の風景としてフレームに格納された、とても細いビルとビルの隙間の空間で。

その隙間には、きっと、誰もいない。何もない。なのだが、マサカは少し身震いして、ゆりに「行こう!」と促されて、そこへの注視を、やめる。

そこはただの空間であって、殺人事件の延長線のなにかがあってはならないもの。

ゆりは、「見なくていいんだよ」、そうつぶやく。彼女は、気づきはしたが、決してその方向へピントを合わせはしなかった。

あれは、関係のない女子高生が深入りしてはいけないものなのだ、と。見るに値しない。見る時間が長ければ長いほど、関係性が発生してしまう。そうとでも言いたいかのように。

 

 件の折笠の写真だが、マサカが持っている。

折笠に墓場からの写真を復元してもらうことはあきらめていない。

ひとまず折笠は(当然ながら)その写真を自分の手から放したくて仕方がなかった。

警察に届ければいいのでは、そういう当たり前の意見も出たが、この御名術で撮られた写真はズームインしなければ、殺人事件の部分など見えはしない。

ズームインして届けたならば、なぜこんな写真を撮ってしまったのか、どこで、どのように、どうして、なぜ。「偶然写った」などと通すことは、きっとできない。

「じゃあ、わかった。それさ、嫌だけどな。本当に嫌だけどな。あたしがさ、持ってるよ。捨てようとしなきゃ、あんたんとこに戻ったりしないでしょ。でも、今はそれ以上のことはできるかわかんない」

折笠はそれで納得した。

「俺が持ってさえいなきゃ、大丈夫。もしも俺がこのおっさんに捕まっちまっても、家探しされても絶対にネガはないからさ。現物さえ手元になきゃいいんだ。しらばっくれてみせるよ」

その言葉は少し覚悟を決めているようでもあり、しかし何となく希望的観測というか自分の身の安全について甘く考えすぎではないか、と誰もが思ったけれど。

結局のところ、困っているのはお互い様。

そして、マサカにその写真を預け、1,2か月何もなければ、それで折笠は納得するのではないか…。それは、詩津華の意見だった。

その間は、わたくしがお兄様に働きかけてみて、相馬さんへの悪質な行為や疑いの声をおさえられるよう努力します、と。

 

「下手すると、卒業式終わるまでこの写真、持ってないといけないかもな」、マサカはため息をついて。

「きっとそんなにかからないよ」。ゆりは、元気づける。

そこまで財布にゆとりがない女子高生にとってはちょっと贅沢な食事が終わって、ドリンクバーで最後の1杯をふたりで取りに行き、19時半になったのを確認するとふたりは会計を済ませ、

そのファミリーレストランの階段を下りて。

ああ、おなかいっぱいになっちゃったね、と。あたりはもう暗い。金曜日の夜で、背広姿の大人が道には増えてきて。

ふたりは来た道を駅へと戻る。

ゆりは、横断歩道を渡ろう、とマサカに言う。そのまま進むと、あのビル同士の隙間をさっきよりも間近で見ることになってしまうから。

 

 けれどマサカはそこに近づくと立ち止まってしまう。「この暗さでさ、もうね、隙間なんか見えないじゃん。フラッシュたいて一瞬見えるくらいかな?そんでユッピ。あいつの『帯』って、フラッシュなんだよね?つまり、それって普通のやつは感じないよね?」

「うん。竹内君みたいなね。折笠君が写真撮ったとき、まぶしいって思ったのはわたしだけだったから。でも、マサカちゃん…」

「写真に写ってたおっさんがこっちを向いてたのは、偶然かもしれないな。フラッシュは『帯』が見えないと感じない。シャッター音は写真を撮った瞬間か、ちょっと後に鳴る…つまり、撮られたと思って、こっちを向いてるんじゃ、ない…」

「マサカちゃん、もう行こうよ!」

ゆりはマサカを引っ張る。「立ち止まらないほうがいいって!」

 

 そう。立ち止まらないほうが、いい。決して、2度も、そこで立ち止まるべきではなかった。

 

「お嬢ちゃんたちさ」、ぼそりと、力のない声が耳を通り抜けて。「あのビルとビルの間、何を興味を引くもんがあるんだい」。

ぞくり、と。ふたりに悪寒が走る。

「芸能人でもいたのかい。いいえ、そんなことはない、ね。あっこはね、ちょっと暗くなっちゃえば何も見えなくなっちゃうしね」

振り向いたところの石畳の段差に、グレーのスーツをまとった中年の男が腰かけている。そばに、缶コーヒーが2つあって、それは横に倒れているので空き缶で。片方は灰皿の代わりにされている。

男は、3本目に口をつけている。

「…」

「…なぁんでもないっすよぉ~~おじさん。さっきまでいたファミレスにさ、あれ?あたし、家の鍵忘れなかったっけ?って思っちゃってぇ~でも、よく考えたらいつもと逆のポケットに入ってたっし!キャハ!戻んなくてせいかーい、なんて。なに、どしたんすか?お仕事終わり?おじさんもあそこのファミレス行けば。おいしかったよ?ご飯食べた?」

マサカがとぼけて。

「俺、ファミレスとか行かないんだわ。あんまり、食った気にならなくってね」

「えー!そんなことないよ!丼とかお膳とかいっぱいメニューあるよ!ごはん大盛りにすりゃいいじゃん!」

「でもね、お嬢ちゃん。それだとね、ファミレスに向かってるときに、じっと見なきゃいけない理由になんねえん、だわ」

その指摘は、ふたりの呼吸を止める。

そして。

ゆりは、肩を震わせる。その、中年男の顔を見て。その成り行きに絶句する。写真の、片方だ。なにか適切な理由を考えてあげなくてはならないのに。

3本目の、缶コーヒー…、マサカは唇を噛んで。(このおっさん。待っていやがった)。

男はすっくと立ちあがった。マサオキは。表情一つ変えず、女子高生の様子を、伺う。

そしてマサカは、すぐにその場から逃げることを、選ぶ。マサカは考える。男の後ろには雑居ビルがあって、確か1Fはゲームセンターで。

"洞"をつくってふたりで壁を抜けて、2Fか3Fに上がり、追いかけて来たところで、また"洞"を経由して1Fまで降りる。そして、御名術を使い続ければまくことはできないか。

マサカはゆりの手を握って。 

 

 まずは、一発くらわしてから、あのおっさんの後ろのビルに!

 

 マサカは"洞"をつくる。右手はその中に入り、即座に中年男の鳩尾に突き刺さる。

それでは足りなかった。あまり、驚かない。軽くうずくまるだけで。

では、もう一度だけ。マサカの左腕がそこから消え、男の左顎をとらえた。激突音がして、マサカはそれで十分だと思い、ゆりの手を引いて、雑居ビルの壁へと。

だけどゆりは悲鳴をあげた。2撃食らった中年男は、それでも女子高生の姿をはなさず、ゆりのブレザーをつかんだ。

「ユッピ!!脱いで!!」

それはすぐに追いつかれてしまい、マサカは次の攻撃を。後頭部に、ひじ打ちを!

空振る。

マサオキは、しゃがんで。

ようやく、ゆりがブレザーを脱いだ。

「なんだ?」、マサオキは、表情を変えず、いぶかる。「なんだ、それ?」、彼は立ち上がる。

そしてマサカは追撃する。股間に蹴りを、と。するとマサオキは、それを待っていたかのように、両腕を地面のほうへと下ろして。

まだ、出口の"洞"が発生する前に、そこに両手を準備して。

蹴り上げを、止めた。

 

「なんだ…このおっさん…」、マサカの右足が、がちりと捉まえられる。「なんでわかった」。

そしてマサオキはさも当然のように返事を。「だって、右足でカチ上げるような体の動きをしてたじゃないか」。

偶然だ。まぐれだ。そんなものは信じられない。マサカは言葉を飲み込んで。

「俺っちは、勘がいいからね」

捉まえられてしまっては、"洞"を消しようがない。そこに足が残っている。

超能力と対峙しているというのに、この中年男はそれを不思議がらない。いや、しているのかもしれないが。マサカが、そういうことをできるということに、「そういう女子高生なのか」と言わんばかりに、順応しすぎている。

 

マサカは気を張って、"洞"を目の前につくって。

「しゃあ!」

彼女のチョップはマサオキの後頭部を狙うのだけど。

マサオキは。右手をマサカの足から離し、背後に持って行くと、ばしん、とマサカの手首を受け止めた。マサカは血の気が引く。すぐに、キャッチされている足への力が半分に減ったことを認識すると、強引に足を引っ張る。

脚は抜けた。しかし、今度は右腕だ。しかも、かなわない腕力で締め上げられている。

「く…く…」

「お嬢ちゃん。俺っちなんかとケンカできて何になるの。そんなに慣れてちゃあ、いけません。もっとその努力を勉強に回しなさい、勉強に」

気だるげに彼は口にして。

「ユッピ!!なに!?このおっさん!?予知の御名術でも持ってない!?」

ゆりはマサカを置いて逃げられない。少し離れたのが精一杯の自己防衛だ。

「ぜ、絶対、ない!そのおじさんに、帯なんてない!」

「嘘っしょ!?後頭部狙ったんだぞ後頭部!!」

穂村も、従士郎も、適応はできなかったのだ。

「お嬢ちゃん。今の腕はね、振り下ろすしかできない身体の動きだよ。で、どこを狙うかっていうと、肩や足なんかじゃないよ、ねえ。頭だよ。今のは。それも、受け止められそうにない場所に狙うに決まってるでしょ。それくらいはわかるよ」

適応は、できなかったのだ。こんな短期間に、"洞"を出す位置を予測するなどという事は誰も。

 

 マサカは腕をつかまれたまま。マサオキは、彼女を背後にあった雑居ビルの壁がへこんだところ、おそらく非常口だと思われる場所まで引きずった。ゲームセンターからのBGMと電子音が聞こえてくる。そして、質問を投げる。

「うっ、うっ、ううううう~…」

「数日前、あっこのビルの隙間の写真を、撮ったのかい?」

「ち、ち、」、マサカが手首の痛みをこらえて。代わりにゆりが叫ぶ。「違います!わたしたち、撮ってません!そんなことは!」。

「それはね、その言い方はね。お嬢ちゃんたちふたりじゃなくって、別の誰かが撮ったって言ってるようなもんなんだ」。ゆりは息を吸い込み、口をふさぐ。「今のはね、『そんなの知りません』とかね。『意味が解りません』とかね。そう言ってくれたら俺っちだって勘違いかなって思ったさ」。

マサカは思う。まずいと。手首をつかまれていることではない。目の前のしみったれた中年男が。洞察力が凄まじいから。

「なんでその、誰かは撮ったの?」

「ぐ、偶然です!」

「うん。そうなんだろうけどね。でも、そうなってしまった原因と理由が、俺っちには必要なんだ」

「ユッピぃ!いいから逃げな!」

「マ、マサカちゃん!誤解を、解いた方が!?」

「いや、大丈夫、ここでこいつ、ぶちのめして警察に突きだしゃ、全部うまくいくかも…折笠のとこも、相馬のことも…」

それは彼女の強がりだった。彼女は久しぶりに恐怖している。スリやひったくりを捕まえたときも、そういうことはなかったのに。

「あのね。領分っていうものがあるんだよ。女子高生が警察や探偵の真似をしちゃあ、いけないんだ。俺らみたいな悪い連中と決して関わらずに、金を持ってる男をつかまえて幸せに暮らしなさい。そのためには勉強をしなさいって言ってるん、です」

マサオキはひょうひょうと説く。

「人殺しが、あたしに説教かましてんじゃねえよ…」

「戸籍のないやつを殺しても人殺しにはならないよ」、マサオキは冷静に、ゆっくりと。

「アアッ!?」

ゆりは、うち震えて。マサカも気を張って声を上げたはいいが心が折れそうだ。この相手は、世界観が違いすぎる。言っていることの意味は理屈としてさっぱりわからない。だが、明らかに埒外なのだ。それはわかる。

接しては、ならないのだ。自分たちのような者は。

 

「あいつはアラム・ファラドっていうクウェートの人間でね。まあ組織のプロパーなんだけどね。二重委託を破ってね。ああ、もう。わかるわけねえよな」、マサオキは、女子高生にわからせるためには、とマサカの手首への力を緩めずに、考える。

そして、「すごく簡単に言うと、ルールを破って会社の金を盗んだ裏切者で、悪い奴なんだよ」

雑居ビルの真横。誰か。誰か助けに来てくれないか。非常口の近くにこのビルの中の誰かでも近づかないか。でも叫んだら手首を折られるかもしれない。マサカは頭を回転させて。

「写真を撮ったなら。それを撮ったお嬢ちゃんたちの知り合いを呼んできて、現像した写真と、そのネガを俺っちに渡させなさい、な。そしたら、通りすがりの高校生が偶然撮っちまいましたって親分に言ってね、おさめてあげるよ」

そしてマサオキは、「高校生じゃあねえ。さすがにどうにもできないよ。俺らは」と一部彼女らを安心させるようなことを言う。

しかしだ。この要求は、この男のところへ折笠を呼ばないといけないという事と…「ネガがないってったらどうする」、マサカが苦しそうな呼吸で訊く。「なんでないの」。

「ないったらないんだよ!」

「それじゃあ、親分が納得してくんないんだよ」

 

 マサカは、折笠を売れない。

彼女は右手の痛みを我慢しながら、まだ現存する"洞"のなかに左手を突っ込んだ。もうやるしかない。だから。

マサカは叫ぶ。左手は自身の右手の裾をかすりながら、すぐにマサオキの眼前に到達する。

目つぶし。絶対に、遠慮なく。どちらかの眼球を、刺し貫く。彼女は、そう考えて。

けれど、マサオキは。左手をすぐにポケットに差し込んだ。そして何かつかんでもどす。

その一連の動作はマサカが目つぶしをすると決めたときにすでに開始されていて。

"洞"のなかで、マサカの左手が、なにか棒状のものとぶつかる。とても硬いものと。

「痛ッたい!!」

"洞"は逆利用されて。

マサカのすぐ目前から、サイレンサーが装着された銃身が現れた。

 

 

「ぎゃああああああああああああーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 

 そして顔に向けられた銃身は、気が変わったかのように上を向いて。マサオキは天高く向けて、銃を撃った。サイレンサーが装着された銃声はその1/3程度がカットされ、クラッカーのような音がはじけ、けれど、通行者の走行音と、ゲームセンターの電子音にまぎれて、誰も気に留めなかった。

 

 マサカは。ひざから崩れ落ちる。

そしてマサオキは彼女の顔をのぞきこんで、抗う意思を完全になくしたのを確認して、手首から手を離した。

 

「お嬢ちゃん。写真、持ってる?」

彼はふたりに目をやって。

マサカが、少し離れた場所に落ちた自分のかばんを震えながら指さした。「あけて、うち、ポッケの、なか」。

その通りの場所を、探り出され。取り出された写真をマサオキはじっと見る。「こりゃあやられたもんですわ」。写真は、ズームインされたままで。

「ネガは?」

「…」

マサオキは銃を持ったままで。その左手に死の恐怖を感じ、マサカは何も言えない。ネガなどない、とは。

ゆりが歯をガチガチと鳴らしながら、けれど怯えた体を強いて、中年男へと駆け寄って。

彼女は頭と手を地につけ、懇願する。

「お願いです!もう許してください!彼女を助けて下さい!写真は差し上げます!でも、ネガがないんです、その写真は超能力を使って撮られたものだから!ポラロイドと同じなんです!ですので!どうか、どうか、お願いですから―」

彼女はそう、すらすら言えたわけではない。言葉を詰まらせながら、

「そうかい」

マサオキは泣き叫ぶゆりを一瞥したら、困った口調をとって。

「それに納得してくれるかどうかは俺っちにはわかんないなあ。あと、撮った子、連れておいでね」、マサオキは銃をしまいこんで。

そして彼は数歩歩き、さきほどゆりが脱ぎ捨てたブレザーを地面からつかんで。

彼女に返すのだが、そのときに胸ポケットをさぐって。

「また会ってくれるかな」、と。ゆりは、顔をあげて、絶望する。男は、自分の学生証を盗って、写真と一緒に懐にしまった。

 

 マサオキは、そして、去る。

 

 

 21時までには絶対に帰るとお互い親に約束したというのに、彼女らはもうその時間までに家に着ける自信はなくて、タクシー代なども持っておらず、ただ、寄り添って。

「ユッピ、まだ震えてるからあたしの手、握って」

「うん」

「あんなまじもんに勝てるわけないじゃんねえ。ねえ」

「うん」

「…」

「マサカちゃん、立てる?」

「まだむり」

「うん」

「でもね」

「うん?」

「ユッピ、おしっこもれそう」

「だ、ダメだよ!ちょ、ちょっと、頑張って立ってみようか?ゲーセンのなか、あるよね?」

「たぶんね」

明日、まず誰に相談しようとか、今日はどうやって親に言い訳をしようかとか、彼女らの思うことはそういうことではなく、

どういうタイミングをとって相手の胸で思いっきり泣くか、と。つまり、そういうこと。




いくら超能力者でも15の少女はマジのヤクザには勝てません。そういう、少年漫画へのアンチテーゼ。


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#22 プロフィール ゆり(2/10) 

名前:柴崎悠利 しばさきゆり Yuri Shibasaki

 

 

性別:女

 

 

年齢:15歳(作中1年生現在)

 

 

生年月日:1981年9月6日

 

 

身長:158cm(作中1年生現在)

 

 

体重:5Xkg

 

 

血液型:O

 

 

略歴:幼い時から、ふと時間があれば物思いにふけり、絶対的なヒーローや王子様のような存在に憧憬をもって育った少女。

中学生時代に好意を持った男に告白をしたが、応諾も拒否もなく返事を1年以上放置される、という恋心と尊厳を踏みにじられた経験をもち、自身がそのとき本来すべきであった強い女性像というものを追い求めている。

 

 

性格:基本的には泣き虫でびびり。少女趣味な妄想癖をもった乙女な性格。自己評価としては引っ込み思案で消極的な性格だと思い込んでいるが実際はそんなことはなく、「誰かがやらねば」という場面において真っ先に踏み出そうとする無意識の勇気がある。マサカや男連中の汚い言葉遣いや下ネタをすぐ諫める耳年増。かなりのむっつり。

 

 

学力:中の中。マサカにわかりやすく勉強を教えることがギリギリできない程度の学力。頭の中でストーリーを描ける社会史全般、古典、例文のある英語などを得意とする。逆に理数系はてんで苦手。

 

 

趣味:情報誌、婦人誌、少女漫画等の占いトピックスを集約させ、同一時期の運勢を自分の納得のいくものへ昇華させるという遊びを好む。

 

 

御名術:なし。

 

 

帯の視聴覚:可。御名術もち特有の黄色いオーラを視認でき、かつそれが強まるタイミングと帯の発生場所が理解できる。この結果、どのような御名術なのか推理し看破することも可能である。

 

 

 

 

 

 

(以下、文字稼ぎのため読む必要なし)

 

まれにこのようなプロフィールを合間合間にはさみます。

筆者のための備忘録のようなものです。

 

3編くらいで終わらせようとして書き始めたサイドストーリーがだいぶ長くなりそうです。早くゆり視点の物語に戻したいのではありますが。

ただ、やっぱ思ったのは、自分って暴力団員書いてる時がいちばん気分がイキイキしてんなぁ~…ということです。15年前からこの癖は変わらないな。そもそも高校生が主人公の物語になんでヤクザ出すの。おかしいだろ。

 

 

今後の執筆計画としましては

 

→私の写真を撮って(1~7?)

 

→Ⅳ????(1~2)

 

→サイドストーリー

 

→Ⅴ????(1~7)※ホラーになる可能性がある

 

→Ⅵ????(1~3)

 

→Ⅷ????(1~5)※性描写が強くなる可能性がある

 

→タイトルを変更するか別小説として立ち上げ2年生編に突入

 

という予定です。

 

 

 



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#23 私の写真を撮って(5)

 5月19日。

 

 これは見る人が見れば奇妙に思うし詮索したくなるものであるが、長廊下…これは通称で、体育館に向かう広くて長いやや下り坂への廊下を、教師生徒問わずそう言う。

そこで片側の壁に寄りかかって会話をしているのは、片側は詩津華と花形で、もう片方は、剃った頭を撫でながら話を聞いていた。風雅である。

「…いかがですか伊崎さん」

「あぁいいでしょう。おれも少し調べられそうなことがある」

そして風雅はニヤニヤと笑いながら。

「で。あなたがた。たぶん別軸で加納にも似たようなことを頼んでると思うんですけどぉ~…」

詩津華ははっとして、「やはりおわかりでしょうね。まあ、気づいて当然ですか」。

「あいつをおれがお借りしたらおかしいですか」

「はい?」

「あいつにも、あなたたちはおれとは別のことを頼んでるんでしょうけど、ひとまずおれが受けたほうをクリアにするから、あいつに頼んだ方はちょっと待ってもらってもいいですかって、ことですよ」

「…」

「ここからはおれの推理です。間違ってたら指摘してほしい」、風雅は人差し指をあげて。「あいつ、きっと何か失敗したんですよ。顔色とか様子がおかしい。一緒にいる柴崎が。でもきっとそれを誰にも言えない状態なんですよ、あいつらは。黄瀬さん、別にそんなこと聞いてないでしょ?それか、聞けない雰囲気なのか。だからおれに依頼が入ったのかなって思ってます」

詩津華は舌を巻いた。頭が切れる。その観察眼もすごい。同時に、これは彼に頼んでみて正解だったとも。その結果、謝礼を出すことになるのだけれど。

 

 風雅は余裕綽々と、眼鏡をなおしたり、頭を撫でたりと落ち着かない。行動はそうだが、思考はきわめて冷静だ。

「でもねえ、黄瀬さんがおれにお願いしてることって、調査と潜入なんすよ。それって加納の御名術なんです。おれのはね、保管と証拠隠滅だからねぇ~…ふたり合わさりゃ、完璧ですからねえ~」

「あなたの御名術のことはわかりません。ですけども、加納さんが必要だっていうなら、彼女に直接話をしてみてください」

「はいはいぃ~」

確かに、先週の金曜以降、鈴奈の案件についての動きについて聞かない。月曜になれば1時間目の休み時間に来ると思っていた。むしろ、D組を避けられているような気がする。詩津華は思った。なにかあったか、よくないことが…余計なことを、知りすぎてしまってはいないか。立ち入りすぎてはしまってはいないか。

「竹内君は言えば来てくれるから…キーは加納だな。穂村もついて来たら、なおいい。逆に、柴崎はいらん。邪魔になりそうだ」

「ちょっと待ってください。御名術もち総動員ですの?」

「なに言ってんですかぁ~。黄瀬さんね、おれに、そんぐらい無茶なことを頼んでるんですよ?謝礼、よろしく。教習所行けても、バイク買う金がないからねぇ~」

 

 

 おもむろにマサカは誰も親しい知り合い、友人のいないC組にずかずかと入り込んで。

教室の一部分でひとりで漫画を読んでいる男の後姿を見つけ。男は、背後につかれても気づかない。教室が少し静かになり、そこに注目が集まる。

「ヤングジャンプ?それ。まーたコソコソエロそうな漫画読んでんのか?お前?ア?」

「うっ…」、太った男がようやく気付く。「ひっ!か、加納、さん!」

「富島、お前もうちょっと休み時間誰かとおしゃべりするとかしろよ、自分磨きしてんだろ?ちゃんと毎日風呂入ってるか?あっ、この子かわいいねえ!でも目がでかすぎだな。漫画だからなあ」

怯える富島が逃げないように、マサカの両腕は肩から失われていて、空からその巨体を囲むように腕だけが浮遊しており、週刊漫画をぺらぺらめくる。

「なっ、なんの、よ、用ですか」

「お前、マサカちゃんのファンだよな?ちょっとあたしの悩み事を、聞いて受けろ。いいか」

「な、な、なんでしょう」

「お前の御名術でぶちのめしてほしい奴がいるんだよぉー。な。いいだろ?もしかしてな、断りゃしないだろうな?ん?」

「む、む、む、無理です!そんな、ぼく、無理です!もうするなって言ったの、か、加納さんじゃ、ないですか。自分で、やってください」

マサカはむっとして、そして小声を。「…じゃあお前じゃなくていいわ。このクラス、初芝って女が御名術もちだったな?そいつの御名術はなに?」

「わ、わからないですよお。だって、初芝さんなんて、しゃべったこともないし」

「なーんでお前は1か月も経って!自分のクラスなのにしゃべってないやつがいるんだああ!!」

そこから少し離れた席の、赤いリボンでベリーショートの髪の女子が、席を立ってどことも知れぬ教室の外に行った。それが彼女である。一切かかわる気がないので、休み時間が終わるまで、避ける。

ゆりはそれを外から見守り、これはダメだ、と顔を曇らせる。

 

 きっとあのグレーのスーツの中年は、事実、言った通り、高校生には手が出しづらいのだろう。確かに、暴力団のいざこざ巻き添えで死んだ高校生とかの話は聞かないし(いるのかもしれないがきっと学校に通っていない)、

例えば借金のかたに漁船に乗せられたり、AVに出させられたり、管理売春に組み込まれたりと。そこにはそういう境遇にさせられるだけの原因がある。

今回のことはどうだ。

殺人事件の現場の写真を知り合いが撮ってしまったことがばれた、と。実は自分たちには落ち度はない。向こうの要求は写真そのもの(これは奪われた)、ネガ(ない)、撮影者である。

恐らく、すべてそろえてしまえば、自分の学生証は返してもらえるのではないか。自分が考えているよりは無事に。それ以上の、例えば金を強請られるようなことは、ないのではないか。自分は。

けれどそのためには折笠を差し出す必要があって、彼はどうなってしまうかわからない。先に考えた通りになる可能性は高い。

それは偶然なのだけれど。そう。偶然が膨張して大騒ぎになった。こんなものは予見できない。

ゆりは考えれば考えるほどに具合が悪くなり、ふとしゃがみこむと、マサカが傍に立っていて、心配そうな顔を見せられる。C組は没交渉だ。

「マサカちゃん、わたし、今日早退する。やっぱ具合だめで」

「そう。大丈夫。家までついてくよ」

「ちゃんと補習を受けて!」

「…ひとりで帰んないほうがいい」

「すぐバスに乗るから」

彼女はそれを止められない。

 

 

 5月20日。

 

 ゆりが登校してこないので、その日はマサカの不安が募る。彼女ではなく、自身の。

あまり隠し事などをしない性格だ。情報は放出するほうが性分にあっている。

―この際、折笠と黄瀬に白状してしまうか。すると、どうなる。

折笠は観念して自分の責任だと言うかもしれない。

ひょっとしたら黄瀬は自分の家庭環境の力を発揮するかもしれない。示談をもちかけるような。

 

 が、それは自身の価値観に穴をあけることで、越境に程が過ぎる。

シンプルに、ぶちのめして、お縄にして、取り返せれば、いいのだ。そのためには計画と協力者が必要なのであって。

 

「暗い顔してんねえおたく。そんなに柴崎がいないとだめか」

「ああん!?」

マサカを苛立たせる声がする。

「7限終わるまで待ってるわ。頼みがある」

「てめー何だ?何の用だ?呼んでないぞ。勝手にA組入ってくんな」

「じゃあB組入ってくるとき誰かに許可もらって来てんのかい」

彼の背丈はマサカより少し高い程度で、普通にしていれば敵意のないさまを感じられる。

マサカが視線を斜め後ろにそらすと、そこには穂村の視線があって。

彼は4月の終わりごろ、マサカに言った。「竹内はもうA組にもよその組にもケンカ吹っ掛けたりとか絶対にしねえと思うけどな。あいつは間違いなく考え方はこっちについた。卒業式前に相手してやんにゃあってのは、あるけどよ。ああもう、なんで俺たちは入学してすぐ卒業式のことを考えなきゃいけねえんだ。絶対おかしいぜ」、そして、「でも伊崎は目を離すな。あいつは御名術の正体を見せようともしねえし、穏便に仲良くやろうってしてんのが、もう、ずる賢い人間のやつだ。

できればいざってときは俺が見破ってやりてえけどよ。あいつの狙いは俺よりおめえだぜ。あいつは、竹内とC組のあいつを圧倒したおめえと勝負したくてしょうがねえのさ」。

その言葉だけで、マサカの用心を固めるのは十分であって。

「お前があたしに頼みとか、ろくなことなさそうなんだけど」

「じゃあこう言ったらどうだぁ?黄瀬のお嬢様にものを頼まれた。おたくの力が必要だ。その代わりにだなぁ、おれを手伝ってくれたら、おたくの困りごとに協力し返してあげるさ」

マサカは血相を変えて。

「お前、何知ってる?ユッピからなんか聞いたか?」

「なんも知らんさぁ~。でもおたくらなんか、だいぶ困ってそうだからなあ~」

マサカは、そして、呑むしかない。藁にもすがりたいとは、今のような心の在りようを言うのだ。

 

 補習は合同教室であって、B組の生徒はA組に移動して基礎復習の授業を受ける。英語は教科書とは全く別教材を使って行われるので、余計な単語を覚えさせられてストレスがかかる。

担当する、英語講師の補佐のような男が言うには「教科書とは違うけど、この用例を覚えとけば役に立つから、いいんだよ」と。

マサカも従士郎も、求めているのは「テストの例題に出るのと似たような文章」であって、応用と見知らぬ英単語が並ぶ初対面の例文ではない。

<以下の5つの例文より、誤った用法を含む文章に○をつけましょう。複数に○をしても可>

「だからさあ!だったら間違ってるのが5ぶんのいくつなのか教えてくんないといけなくない!?」

「同感だね。本当に、この問題文は正々堂々としていない。文章を読むに値しない」

「いいから黙って今さっき教えたことを思い出しなさい!」

補習が終わるまであと10分くらいで。教室の外では風雅が待っており。

「あいつらは問題にケチつける前に静かに授業を受けるとかそういう小学生の基礎はできんのか」

「…」

隣には、それに油断しない穂村がいる。

チャイムを聞いて、教室の人の出入りが始まると、そして、4人が鉢合わせする。マサカは少し驚いて。穂村が風雅とともにいることを。どうやって連れて来たのか?

「場所を変えよう。化学実験室のそばの階段下とかいいねぇ」

「景虎はなんで」

「ちょっとな…」

風雅は行先を指さす。けれど親しい従士郎も彼のしめす内容は理解が足りないようで。「伊崎君。いったいどうして?なぜ、御名術もちだけを集めたんだ?」。それとは別に、「柴崎さん休み?」とマサカに訊く。

 

「まあ端的に言おう。これは加納と柴崎が引き受けてるね、黄瀬のお嬢様の友達の家庭のトラブルがもとになっててね。お嬢様はとにかく早く解決したいらしい。だから、加納だけじゃなくっておれにもそういう話が来たんだよね」

「黄瀬が?なんで?あたしたちだけじゃ物足りないからって?」

「いんや。おたくらとは別のことを頼みたいからってさ」

「写真のことは関係ないの?」

「写真?写真ってなに?」

うん、と彼女は言葉に詰まり、誰かの詮索を避けるように目を伏せた。マサカの普段見る姿としてはかなり珍しい素振りだ。

「ま。竹内君と穂村君は知らないだろうから簡単に言うとね、お嬢様のお友達、これをSさんとするね?Sさんはその兄貴から家族の金の問題で嫌がらせを受けてるんだけどねえ。それを解決するために、まず加納と柴崎は兄貴の嫌がらせを止めるために、なんかSさんの正当性を主張するための証明を探そうとしてるわけ。うまくいってないみたいだけどな」

「うるせえんだよ」

穂村は憤るマサカを止めて。「落ち着け。続けろ」。

「黄瀬のお嬢様も加納がわは決定打に欠けるからって、少し乱暴な手段に訴えようってことになっちゃったワケよ」

「乱暴な手段だって?」

「そうだね。さて少し竹内君が嫌いそうな話をするよ。これで竹内君がその気になってくれたら、おれは嬉しい。まだ証拠を確保できてないけど―」、風雅は徐々に表情を硬くさせていって。

「Sさんの兄貴は、たぶん前科もちだな。子供にいたずらしちゃったタイプのねえ。でも捕まってないし、小さい会社の社長やってるから、まあうまくもみ消したんじゃないの」。

「何だって!もみ消した!?罪も償わないで?今も?」

案の定、と風雅は少し笑う。そういう理不尽な話に従士郎は強く反応する、それを知っているから。

「続けろ」、穂村はまだ無感情で。

マサカはその初めて耳にする情報を、耳からこぼれないよう静かに聞いて。

「つまりねぇ。兄貴がSさんに、あるべき金が足りないって言ってるのはね?父親が自分のために。もみ消してもらうためにかなりの金を使ってくれたことを知らないんじゃないかって思うわけよ」

マサカは、あっと声をあげる。それは、消えた2000万円の行き先であって。

「ん?伊崎君?すまない、今のはどういう意味?あるべき?」

「…説明が不足してる。加納はわかってるみたいだが」

「アッハッハ!ごめん、ごめん!ちょっとな、おれの推理が入っちゃってる上に、加納をびっくりさせようとして言ったからねぇ~!」

風雅が、高く笑う。

「ハゲ、お前」

「証拠物品が足りなくてなぁ~。そういうの、忍び込んで手に入れるの、高校生じゃ限界があるだろ?ああ。竹内君。これは犯罪をしようとしてるわけじゃないよ。正義のために、誰からの目からも遠ざけられてしまった証拠品を世に出そうと!目論んでるわけだよ」

 

 そして、従士郎は「役に立てるかわからないけど、伊崎君の言うとおりのことが起こって罪に問われていないなら、僕はそういうのは許せないから」。

そういう、頼りになるがあまり周囲には理解されがたい過剰な正義感を放った。目が燃えているとも、見える。

マサカはいろいろな不満はあるが、今はわずかでも状況改善の手段がほしいもので。自分の御名術は不法侵入や窃盗のためのものではないのだけれど。嫌々ながら頷いた。

「おたくはどうだね。穂村君」

彼はそしてずっと無表情のままで。

「…加納が俺を必要ってんなら、やるが」

「お?おたくらそういう関係だったっけ?」

「違えよ。おめえが俺を必要そうにしてんのかよくわからねえからだよ」

マサカは後ろの穂村へと向きなおり、「ちょ、景虎は―」、黄瀬に頼まれてないんだから全然関係ないだろ、と言おうとして。

小さな声を聴く。「知らねえ女のトラブルなんか知ったこっちゃねえけど、こいつの御名術を見るチャンスだ」、と。

頭がごちゃごちゃになってきて、何もかもから逃げ出したい気分のマサカは、けれどゆりの顔を思い出し、どうにかしてあげないと、と奮起しなおして、ふと見るとまたニヤニヤしだした風雅に、吐き捨てるように返答をする。「こいつも行く」と。

 

 




クラスに1人は、避けられがちなオタにも優しく分け隔てなく接してくれて、それでいて彼がクラスの中心からはずれていることについて理解がついていかない聖母のような人がいるんだよ。


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#24 私の写真を撮って(6)

 5月22日。

 

 その夜は少し霧雨の降る肌寒い日で、小汚いナイトクラブの奥の奥の一室で、急な呼び出しがあったときに備え軽く適度に、酔わないように、という名目にて3人の男たちがそこで暇をもてあましている。話を聞かれたくないからホステスはつけない。

若い二人はウイスキーをちびちびとやりながら、兄貴分の中年の男の機嫌を取っている。取られている男はこともなげに、安い焼酎を清涼飲料水のようにハイペースで飲んでいるが、酔わない。彼は味がぎりぎりわかる程度まで薄くしているから。

そして部下にとって、聞きなれない電子音がそこに鳴り響いて。

しょぼくれたおっさん、と自らを称する男が、懐から携帯電話を引っ張り出した。彼は煙草を灰皿に押し付けて消し、その着信の相手をする。

「マサオキさん、携帯電話ですか」

「君らも早く持った方がいいよ」、マサオキはそう言うと、電話を受けた(※1997年の携帯電話人口普及率は、3割強とされている)。「ハイ、マサオキです。ああ。どう」。

 

 彼の耳に届く言葉は。

「マサオキさん。言われた通りに調べたまま、少しお話をしてもよろしいですか?」

彼は応答を返す。

「いいよ」

「マサオキさんの仰った通りなんですが―」

「うん」

「あれを、写真、と言うのは無理があります」

「ああ、やっぱそうなんだ」

「なぜかと言いますと―」

「紙じゃないからでしょ」

「…」

「俺っちは専門的なことを知らないけどね。あれは一般的な写真の紙に転写した写真じゃあ、ないよね。なんなのかよくわからないものに、普通の写真よりも細けえ画質で瞬間映像が閉じ込められてるやつだよね。それは、写真とは言わないよね。そうだろ」

「…は、はい。そうです」

「というかね、きっと俺がきみに渡した写真はさあ、カメラで撮ったかどうかもわからないってことだよね」

「え?そ、それは、ですね?」

「まさかとは思うけど、この話誰にもしてないよね。まあ正直さあ、イケさんに知られると困るんだわ」

「も、もちろんです!あくまで私個人で、内密に調べてます!」

 

「わかった。じゃあ、あとで聞きに行く。うん。じゃあね」

部下の片方が、その電話を終えたマサオキの方へ首を突き出して。

「なに」

「マ、マサオキさん。や、やっぱあの時に、写真撮られてたんですね?」

切羽詰まったような声だった。それを聞いて、もう片方も身を乗り出して、問いかけた。

「一体、どいつが写真を撮ったんですか?」

「いや、写真は撮られてねえんだわ」

「え…」

「だけどさ。あん時の現場を別の手段で一枚の写真用紙みてえなもんに記録されたのは、間違いねえのさ」

部下は、意味をとれない。だから、また同じような質問をする。

「写真用紙みてえなのに残されたら、写真撮られたってことじゃあないすか!」

「それは、お、俺も写っちまってるんですか?」

 

 そしてマサオキはロンググラスにミネラルウォーターを入れて。部下の片方、吉田のほうがマサオキの好みの濃度に、焼酎を入れる。「それでいい」。

折笠の写真―被写体は、クウェート人の死体と、マサオキと、彼らの雇い主の池ノ上である。これに、吉田は、映らなかった。シャッター音は聞こえなかった。暗闇と物陰という条件下で、その場にいた彼は偶然にも映らなかった。

彼は、その結果シャッター音を聞けなかったことについて池ノ上にかなり罵倒されていた。耳腐ってんのか、どうせ女のことでも考えてたんだろう、あんなでけえ音さえ聞き逃すなんて頭のネジが外れてやがる、など。

「よっちゃんはねえ、映ってないよ。でね。イケさんはああ言うけどねえ。我慢してよ。よっちゃんはねえ、シャッター音はね、聞こえてなくって、いいんだわ。きっと」

吉田は、まったく理解のいかない表情をして。

もう片方の道蔦が訊く。彼は、金を横領した外国人の案件には触れていないが、マサオキらがシャッター音を聞いてから、すぐに命を受け、リーダーとなって周辺から駅までの聞き込みや荷物調査を行っていた。

「わかんねえんです。写真が残ってたら、それはカメラを持ってたやつがいたはずで―でも、そんなのは、誰も…使い捨てだっていなかったってのに」

彼は、見落としが発覚したら、かなり痛い目に遭ってしまうという恐怖がある。

「いやね。道蔦くんはね。ちゃんとやってんだ、わ」、マサオキは手をぶらぶらと振って。彼の表情は動かない。ただ、部下は、怒鳴られたりするような機嫌ではない、そういうことは理解して、少し胸をなでおろした。

 

「いいかい。カメラじゃねえものを使って写真によく似たもんが撮影されたとしてもね、それは写真じゃねえしカメラなんかねえんだわ。ここではな」

「こ、ここでは?いったい、どういうことなんですか?ビデオカメラとかそういう事を言ってるんですか?」

「じゃあ、ちょっとすげえ事言っちゃっていいかなあ」、マサオキは説明に面倒くさがり、そこでやっと例の単語を使用して。「超能力を使って瞬間映像を記録されたら、それは写真とは言わないよね」。と。

 

 それは当然か、吉田はますます理解を失って、とても間の抜けた顔で、絶句した。

彼よりもマサオキとつきあいの長い道蔦は。「なぜ、この人は冗談一つ交えない顔で、そんなことを言うんだろう」と唾を飲み込んだ。

部下ふたりはマサオキに質問を続けられない。

「俺っちはねえ。最初にイケさんに、カメラで撮られたんじゃあねえってさ、言ったんだわ。それは煙に巻くためじゃあ、なくってね」

 

 そしてまた電話が鳴って。

「はい。マサオキですけど。…は?なんで?それ、必要?洋行C.Mの社長の家?…だから、なんで?」

電話が終わるまでに、彼の顔はだいぶ渋くなって、そして部下二人がわかる不機嫌さで。

「マ、マサオキさん。どうされましたか?池ノ上さんですか?」

「イケさんじゃないよ。畔原がねえ。今すぐ、洋行C.Mの小倉の家に行けってさ。なんか揉めてるみたいだ」

「そんな。こんな時間ですよ。マサオキさん。もう飲んじまってますけど、俺が行きますよ。ふざけてます」

「いやいや、行く必要さえねえよ。マサオキさん。お電話お借りしてもいいですか。畔原の奴に、俺が文句言ってやりますよ、てめえんとこの兵隊でも行かせろって」

吉田も道蔦も、機嫌を害したマサオキをなだめるように、声を荒げて、急な出向指令をよこした者への怒りをわざとらしいくらい現す。

 

「いいや、俺っちは勘がよくってな。俺が行っとかねえとおちおち面倒なことになるってのが、なんかわかんだよ」

そして彼はその場を立つ。戻るのが遅かったら適当な時間に君たちは帰っていいと、残して。

 

 

 

 マサカはそこに、かなり大きい"洞"を作って。それはだいぶ疲労を誘う。

出口も生み出した。そこを通り抜ければ、壁の先の部屋の中へと瞬間移動できる。

マサカは飛び込む前に"洞"を見ても、その転送先の風景を"洞"から見ることはできない。ただ、そこには黒と群青色に薄く輝いた無の孔が見えるだけだ。

けれど、目的地の視界は無理にせよ、接続した"洞"から音は漏れ出してくる。少しそれを聞いて、理解できると、マサカは背後の風雅にしかめた顔で振り向いて。

「ねえ~…こ、ここの部屋、だよね?なんかさあ、女の人の喘ぎ声っぽいの聞こえるんだけど…」

「ああ。聞こえるね」

ふたりは、侵入を果たそうとしている。その邸宅は洋行C.Mの若き社長、相馬鈴奈の兄、小倉健太郎のものであり、見張りとして従士郎と穂村を上手く使い、壁を何度か通過することによってその部屋の裏手の付近までたどり着いた。

今のところ、家人に見つかってはいない。掃除婦のような中年女に出くわしはしたが、声を上げられる前に穂村が凝視した。

できれば従士郎が力を振るわないまま終わらせたいところであるが、時間の問題だろう。早々に目的を果たす必要がある。

 

「これさ、部屋入ったらやっちゃってる最中です、とかだったら、あたしたちどうすんの」

「そういうときは仕方ないだろうさぁ。大人はきっとそういうこともあるんじゃないの?いいから入れよ」

「声がやむまでさあ、終わるまで待つっていうのは?」

「だめだろ。時間がかかればかかる程、竹内君と穂村の負担が増すだろ。いいから飛び込めよ」

「お前らはさっ!いいよなあ!どうせAVもエロ本も楽しんで見てるだろうから興味津々なんだろ!あたしは別にそういうの見たくないんだよ!お前らと違って毎日のおかず探してるようなさ、男じゃないんだぞ!」

「世のすべての男がそういう感じって言う考えは改めた方がいいぞ」

「うう~…」

「加納が思ってるほど変態の総人口ってもんはそんなに多くないぞ」

「ああもう、わかったよ!」

そしてマサカは飛び込む。薄目のままで。

ばっと身を翻すと、移動先は照明が全部ついたままでとても明るいのは解った。

そして聞こえていた、女のあえぎ声と言うものも大きく聞こえて。

けれど。

その大音量の女の艶っぽい声をバックに、男の「うわあああああああ!!!」という絶叫がマサカの耳に届く。

すんませんすんませんしょうがなくやってるんです、お楽しみを邪魔するつもりは―と。

マサカが目をやっと開くと。

安楽椅子に全裸でもたれて開脚し、得体のしれない器具等をむき出しの身体の数か所につけ、自慰行為を中断させた男の姿を真正面より、視認する。

 

「fvipauhklnl;ophsAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHHH―――――――――――!!!!」

 

マサカが絶叫する。そして、残念ながらその猥雑の限りを尽くしたワンショットは完璧に彼女の網膜に焼き付いて、両手で顔を覆って床に転がる。

 

「な!?何だぁ!?何だお前は!?わああああああああああ!!??」

そして風雅がそれに続いて"洞"から現れ。

「ウッワ。うわ、うわ、うっわ。これ、やべえなこれ。これは濃度の濃い変態じゃないか…」

風雅は眉間にしわを寄せ、その部屋をぐるり見渡す。四方に貼られたポスターは国内のみならず白人のヌード。しかも明らかに歳幼い。

マサカも、その部屋の主、小倉も声にならない声で叫んでいるが、喘ぎ声を放つビデオモニターは停止しない。

床や棚、本棚をみれば用途は全く分からないが恐らくきわめて性的で特殊な小道具や、少女のマネキンのようなオブジェも。

風雅はあまりの自分の性癖との乖離に、興奮などもできずただ神妙な顔で周囲を観察するばかり。

「うっわ。うっわ。おい加納、見てみろよ。このビデオ、モザイクないぞ。…というか、日本でこんな中学生以下の子のエロビデオとか、流通しちゃいけないと思うんだが…」

「止めろーーー!!止めろよ!!見たくない!!あたしそんなの絶対見ない!!」

「な、なんなんだお前ら!?どうやって入ったんだ!?警察呼ばれたいか!!」

「小倉健太郎さんですね。ちょっと急にこういう侵入方法ですみません」、そして少女の拍動する声が耳障りで、「ちょっとまず、落ち着いて。このビデオ止めません?あとさ、社長さん、服着た方がいいんじゃないですかね…」。

その社長はパニックになりつつも、得体のしれない侵入者(女のほう)をようやく意識し、リモコンをたどたどしく操作しビデオテープの再生を止め、装用器具をはずし、床に放り投げたボトムズを下着なしのまま履いて。

「お前らっ!不法住居侵入罪だっ!プライバシーのひどい侵害もだっ!!私が誰だかわかっているのか!」

「まあまあ。そう怒らないで冷静に聞いてくださいな」、風雅は気を落ち着けようと自身の頭を撫でて。「加納、証拠品お前が持ってんだからいつまでもそうやってないでくれる」。

「お、おまえ…おまえなあ~…」

マサカは涙ぐんで。変態の総人口は多いじゃないか、と言わんばかりに。

「チンポからケツの穴まで真正面で見たのがそんなショックだったのか」

「だからあたし女だっつってんだろーーーーーーが!!」

「だってインドネシアで子供の世話でおむつ替えとか風呂入れたりとかとかしてたんじゃないの~?」

「歳ィーーーーーーーーー!!」

風雅はけたたましいマサカに近づき、彼女が抱えていた大きな茶封筒を奪い取って。

 

 そして小倉は一部着衣をして落ち着きを取り戻したか。動揺を隠して、尊大に聞こえるように、言う。

「いいか、お前ら。なんなんだ…?写真週刊誌の記者とかじゃあないようだが、その歳では…だが!絶対に警察に突き出してやる!私の部屋に無断で入ったからには!絶対に警察に突き出す、お前達の親にも容赦なく言う、学生だというなら学校にもだ、お前達はそれだけのことをしたんだ、いいな!」

「いいですかね、小倉社長。おれたちはあなたの妹さんのことについてご相談があって参りましてねぇ~」

「妹?妹だと?お前、鈴奈の知り合いか?だから何だというんだ、妹の友達だろうと私は許さないからな」

そして風雅は封筒より、ホッチキスで止めた新聞の切り抜きや何か硬質の紙に書かれた書面などを取り出して。

「1991年の9月に小学校に通う8歳の女の子が自宅に帰ってこず、翌々日の未明に自宅より2km離れた公園付近で、近隣マンションの住人に保護されるというという事件がありましたが―」

「なあっ!!」

「ああ、わかりやすい人だな。社長さんなんだからもうちょっと知らぬ存ぜぬでいってくださいよ。この女の子はそののち入院してますね。で、行方不明になった日に、知人と思われる青年に連れられ車に乗り込んだ、という目撃証言があると。ただこの事件、警察が1週間で捜査をやめてるんですよね。早すぎでしょ。なんでだろ。誘拐未遂じゃないのかね」

そして小倉はぶるぶると震えあがり、口をだらしなく開閉させて。

「で、なんでこんなやばそうな事件をね、当時の新聞のちっちゃいところでしか報道しないのかって、おれは不審に思ったわけです」

「だ、誰か!誰か来てくれー!不審者だ、不審者が!」

けれど風雅は意に介さず。小倉は、その部屋を逃げ出そうとする。けれど。

「え…?」

 

 彼のよく知る場所に、出入り口となる、ドアがない。

ドアノブが、ない。壁面を触っても、何もなくて。いや。自分の部屋の構造が、なにか変容しているかのようで。

小倉は振り向き返し、部屋に3箇所、あるはずの窓が、なくなっていることに、すぐに気づく。

そして小倉は意味をなさない声を張り上げた。「へぇっ!!??」

マサカは一手遅いが、その異変に気付く。彼女は思う。

どうして、この部屋は密室なんだ。この部屋は完璧に同じ色の壁と天井に囲まれている。そしていかがわしいポスターとに。どこにも出入り口がない。

この部屋は、あたしの御名術なしに、どうやって出入りするんだ?

「加納、気にするな。おれの御名術だよ」

「…」

理屈が合わないんだが、とマサカは。

従士郎とふたりで待ち伏せしていた時、穂村を対向車線の歩道まで引き上げた。次は、場を出走するときに気づかぬ間に10メートルは後ろにいつの間にか逃げていた。

つまり、自分の瞬間移動と似たようなそれだと、彼女は思っていたのに。

「だから、そこのやつと一緒に、図書館の奥に入り込んだりさ、警察の倉庫に入り込んだりさ。週刊誌の編集部に忍び込んだりさ。おれらもすごい大変だったんだ」。風雅は小倉を冷たく見下ろして。「そんでこういう趣味と変態性癖のまんまじゃさあ、また被害者が出ちゃうんじゃないかっておれなんかは勘ぐるよね」。冷酷に、吐き捨てる。

小倉は呼吸を情けなく漏らしている。そして。

「加納。なにしてる。さっさと撮れ。この部屋だけで十分だ」

風雅は。小倉の近くに置かれたリモコンを奪い、そしてモニターに向け再生ボタンを押す。

言われるがまま、マサカはまたも、心底嫌そうな顔でポケットに手を入れ、使い捨てカメラを取り出した。新品の、写ルンですを2個。

「24枚がふたつ、全部使い切れよ」

「やっ、やめてくれーーー!!」

また、喘ぎ声がはじまって。

「地域密着型のマンション管理を主とした清掃サービスと保守点検、設備クリアランス業務。だかなんだか知らんけど。こういうクソみたいな過去が発覚したら、客は喜んであんたの会社に清掃を頼むかな!ま、自分の薄汚い過去をここまで消せるんだからなかなかの清掃徹底力だって皮肉をいうやつはいるかもしれんけどね!」

マサカはシャッターを切る。小倉と部屋のポスター、いかがわしい道具一式、児童ポルノの画面などをひたすらに。そこにシャッター音が続けざまに、やまない。

そして思う。風雅にはできるだけカメラを向けずに。彼もそれをわかってか部屋の隅に移動して。小倉はわめき散らして部屋を駆けずり回るが、マサカと風雅を止めることはできない。

容赦ないやつだ、とマサカは思う。幼女暴行の疑惑を(そのきっかけさえどこから調べ上げたのか?)皮切りに、一切の妥協なく機密書類の眠る場所を追求し、なんの後ろめたさもなくこのためだけに拝借する。返す気もないのだろうか。それともこれから元通りに戻しに行かされるのか。犯罪をしているのは、むしろこっちだ。

 

 こいつは、景虎とも、従士郎とも、全然別の方向性で、恐ろしい。

 

 それがマサカのこの瞬間の思いで。

48回のシャッターを切ったあと、風雅は終わりかと聞き、マサカはそうだと答えて。

モニターのなか、白い肌の幼い少女に精液がまきちらされるのを見て、彼女は吐き気を覚える。

風雅がすぐに、ビデオをまた停止した。

「こんな物量の証拠を抱えときながら全部きれいにもみ消すのに2000万かからないなんて、どうしてそんな楽観的に思ったんですかね」

小倉は、は、と息をのんで。

「あんたはもう少しお父様に感謝をしたほうがいいねぇ。ひょっとしたら2000万で済んでないかもしれないのに、たっぷり遺産もらってんだからさぁ」

若い社長は情けなく、両こぶしと顔を床に突っ伏して、嗚咽する。

「相馬鈴奈とその母親に以後迷惑がかかったら、この証拠品はすぐにばらまかれるぞ。ついでに黄瀬家とのつながりも地に落ちるな」。風雅は、先日、従士郎がマサカに倒されたときに一瞬した鬼のような形相で、激しく言う。「わかったなっ!!」。

 

 

 従士郎と穂村は2F吹き抜け前の廊下、社長の部屋の前で家人あるいは使用人の排除を執り行っていた。

"洞"がそこにあき、4人が合流する。マサカの足元に、倒れた男の背中が見えて。

すぐに、従士郎が「急いでここを出た方がいいぞ。1階に人が集まり出してきた」。

「警察かい」

そして、風雅は従士郎の顔を、殴られた痕、と見逃さない。

「いや、違う。警察は来てないし」、彼はマサカの足元を指さして。「家の使用人にしては、人相とかガラが悪すぎるし、暴力的すぎると思った」。

穂村は補足する。

「俺にはチンピラにしか見えなかったぜ、こいつとかな。それと、その前に階段の先っちょを上ってきたおっさんを睨んでやった」

「そっち系の人たちとつながりありそうだったからねえ~、調べてみると」

マサカにかなりの疲労を強いることとなるが、ここからの転移は、ベランダのある部屋付近の壁→ベランダ→非常階段→少し降りたのち、庭のすみに→邸宅の壁を抜ける、そういう手筈で行われることとなった。4人が通り抜けることができて、8メートルの最大移動範囲と、残る御名術使用のゆとりの限界、を取った逃走経路だ。

「おたくはそれで身体、もつの?」

「無茶だけどやんないといけないだろ。急いで行くぞ」

確かに1階が騒々しくなってきたのを確認し、4人は計画、計算通りに"洞"の点在を駆けてゆく。

そして、風雅が訊く。

「不測の事態が生じて、竹内君が言うような荒っぽい強そうなやつが行先に立ちふさがったら、どう対処するね?おたくら、あと御名術何回使えんの?おれはたぶん6回だ、加納は言わなくていい」

「5回、まだいける」、従士郎が答える。

「2回」、穂村も答えて。

4人は2分間で庭の暗がりまで駆け、館の明かりもだいぶ遠くなって、もう月光くらいしか足元を照らしてくれない。

距離感を間違わずに、壁を"洞"で抜けた先にこの邸宅内の異常に気付いた何者かが待ち伏せているようなことさえなければ、そのまま全員で走って逃げるだけ。

おそらく飼い犬、2匹くらいの鳴き声が4人のまわりに響き、マサカはこれが最後だと大きな"洞"を作り出し、全員でそれに飛び込む。

そして、抜けた先には無人の乗用車が停まっているだけで、人はそこには誰も、いない。

 

 小倉の邸宅をもう300メートルは離れ、バス停留所のある十字路の手前で一安心したか、まず最初に風雅が息を切らせて足をとめる。

その少し前に穂村、もう少し先、もう十字路を通り抜けている従士郎とマサカ。従士郎が顔を横に向けると自動車販売店があって、歩道に一番近い車のフロントが彼らの姿を映している。彼女は、不服そうな顔をして、「ハゲさあ、あんた一番頑張ってるあたしより息切れ、もう、ってどういうことなの」。

「はあっ、はあっ、あ、あのねぇ。おれは都会っ子でな、君らみたいな野生児とは、違うんだよ…」

「伊崎君、僕も一応都会の子なんだけどね」

そして穂村が数歩戻り、風雅の手を引く。「おい、早く来い。タクシーか電車に乗るまで安心できねえ」。

風雅は交通標識に捕まって身体を持ち上げ、すまん、すまんと穂村に笑った顔を見せると。

 

「穂村君、ちょっとね、そっちにいるスーツのおっさんを、睨んでくれないか」

 

風雅は右後ろを指さして。

そして、穂村は一瞬、それへの理解が遅れた。

 

 穂村の視線などは追い付かない。いや、追いついたとしても、街灯の明かりしか役に立たないそこで、グレーのスーツを身にまとった男の目を正確に凝視するのは、難しかった。

瞬足とそれは、表現できて。

身体全身ごと、左拳を突き出して追突するその強打は、穂村の顔面に突き刺さる。

風雅は、それに驚く時間さえ与えられず。

身を守る猶予なく、首を掴まれ、そして持ち上げられて。後頭部から、アスファルトへと叩き付けられる。

その暗闇の中で。

 

その中年男は乱れたスーツを気にかけ、

「お嬢ちゃん、領分っていうものがあるんだ」

「ウッソだろ」

「俺っちはね、あなたのお友達でもね、男には手加減できないんだ」

「い、伊崎君!!穂村君!!」

「黙れ!!従士郎!!」、マサカはそこで叫んで。

「学生の本分は勉強だよ。俺はね、きみらにちゃんと勉強をしててほしいんだ。それは、こういう夜遊びじゃないよ」

マサカは冷や汗を指で拭って、だが何故か、彼女の胸に闘志が湧いてきて。いや、これは、やってやるんだ。そう思って。脈打つ鼓動を邪魔臭く思いながら、けれど笑う。

「従士郎。お前がいれば勝てる。お前が御名術を使えば。でも、あのおっさん、左側のどっかに拳銃持ってるからな。それだけ、まず何とかしようよ」

「は…なに!?」

「いいから、何とかするから。やべえヤーさんだけど、御名術をもってるぶんあたしらの方が、有利だから。ふたりなら、やれる」

「か、加納さん!?何で知って…!?君はいったい、何をやらかしてるんだ!?何に関わってるんだ!?」

「うるさいな…」

彼女はにじむような汗を背中に感じて。

 

 Tシャツと腹部あたりの肌との間。そしてデニムの左ポケットのなかに、小さな"洞"をひそやかに、生み出す。

 

 

※最終セクションの(7)に続く




気の強い女の子が不意打ちできったねえおっさんの裸見て叫ぶってコメディにもラブコメにもサスペンスにもエロにも使えるから便利だよな。俺はそう思うよ。


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#25 私の写真を撮って(7)

 【ここで視点は変わる】

 

 

 

 あたしがなんとなく寒いと感じたのは恐れなどではなく、音もなく降る霧雨のせい。

 

 きっと、何か理由を言ったとしても聞き入れてくれないのだろう。それ以前に理由をまとまった言葉で説明できるような頭の状態でも、ない。

こんな場所で出くわすなんて思わなかった。瞬く間に同級生、しかも決して脆弱ではない―2人が、たちまち敗けてしまうことも想定外。

けどこれだけは信じてほしい。あたしは景虎もハゲも、盾に使おうなんて決して思わなかった。そんなことを想う暇もなくって。

 

 でもひとりでまた、相手をしなくちゃいけないんじゃなくってよかったと思う。あたしは。

横には従士郎がいて。

こいつは、御名術さえタイミングよく使ったなら、たぶん銃弾さえも視てよけてくれるんじゃないかと思うから。

今さっき、あのおっさんは拳銃を持ってるって言って、こいつは目に見えて困惑している。

言わなきゃよかったのかもしれないし、数分後には言っといてよかった、と思えるかもしれない。

 

「従士郎、ユッピの学生証をね、あのおっさんに奪われたんだ」

「なんだって」

「だからいま、あたしはどうしてもそれを取り返してやりたいんだよ」

「…」

 

 従士郎はあたしの好む返事を返してくれなかったけど。

ただ、こいつは、両腕を前に、構えて。

もう5月も半ばに近づくのに、4月の終わりにはもう暖かくなってきたなって思ったけれど、この日はとっても肌寒くって。

あたしは右手をおなかにつけている。服の中に穴を作って隠してあるから。

あたしは左手をポケットに入れている。ポッケの中に穴を作って隠している。

 

 そしてあたしは8メートルより決して離れることなく、あのおっさんとつかず離れずの距離をとって、左手が銃に手をかけるのを、最後まで妨害してやるんだぞ、と。

「加納さん、もちろん、見てるだけじゃないんだよね」

「あたりまえだろ」

従士郎は身体だけでなく、頭も、臨戦態勢に切り替えたと、今の言葉でわかった。こいつはシンプルだ。とてもシンプルだ。

 

「僕の名は竹内従士郎」、あたしは頭を抱えたくなる。なんで名乗るんだ。ちがうだろ。「友人の学生証を取り返したく、勝負を所望する。よろしいか」。

そしておっさんは表情のパーツを全然変えずに、むしろアホかこのガキは、みたいな顔をして、けど、適当に名乗った。

「マサオキです。苗字は言いたくない」

名乗んのかよ。

 

 従士郎はじりじりと近づいて。間合いを詰めている。

「きみはそのお嬢ちゃんたちのお友達のようだけど、どうして俺っちと勝負したいのかな」

「あなたが、僕の友人の学生証を―」

「違うくって、そうじゃない。きみらはね、小倉の家でなんかやっちゃって逃げてんだろう。計画的かもしんないけど。なんかね、俺っちをぶちのめさないとその件でやばいことになるから返り討ちにしてやる、ってのはわかんだわ。なんで、名乗りを上げてタイマンで勝負をしたいのか、これがよくわからない」

そしてあたしは言う。「そいつ正々堂々とした形式じゃないと動いてくんないんだもん」

「正々堂々?違うでしょう。だってお嬢ちゃんも俺っちの足元を掬おうって要所要所で超能力を使うんでしょう?それって全然正々堂々じゃないよね」

そう、それを見破られていないわけが、ない。

「あんたは素手じゃないからさ」

「なるほど?」

首を傾げられて。ああ。決して納得していないし、きっとこないだみたいな、あたしの御名術主体のモーションはおそらくだけど通用しない。この見た目貧相なおっさんは、でも、おっそろしく強いことをあたしは知ってるから。

だから、従士郎のサポートをしよう。地味、でもいい。でも決してあいつを邪魔しないように。

 

「高校生をねじ伏せるのは好きじゃないけどね。未来ある若者はね、気が引けるよ。まあ、どっちみちきみたちはとっ捕まえないといけないけどね」

「今の言葉、了解と受け取った。参ります」

そして従士郎は音を立てた素早いすり足で、そいつとの距離をすぐに縮めた。

相手は驚いた様子。武道家と戦ったことがないのかもしれない。世の中の何パーセントかの、それはマイノリティだけど。

従士郎の左正拳。スウェーでいなされる。続けざまに右足払い。おっさんは左足をすぐにあげて、後ろに倒れ込むような勢いで2歩バック。当たらない。

けれど足払いの回転運動は従士郎の全身をしならせ、背を向ける形となった従士郎のその体制は、おとりであって。

おっさんの振り下ろすハンマーパンチは、従士郎が左ひじで受け止める。

そして。

従士郎はもう半回転身体をゆらし、右手の掌底を、おっさんのみぞおちに叩き込んだ。

「せやぁ!!」

「…!」

しかし、困ったことに、従士郎が追撃をしない。

「ばっ!バカ!!終わるな、そのおっさんは…!」

みぞおちにもらったばかりなのに、勢いの着いた従士郎の顔面に右フックをぶちかます。バカ野郎。そんな、やわじゃないんだ。

まずいか。さっきのを見るに、おっさんのパンチは景虎を一発でのすくらいの威力―。

 

 そして、逆に追撃をされた。いわゆるそれは、前に突き出すヤクザキックというやつで。従士郎の身体が、吹っ飛ぶ。

「従士郎バカ!!そのおっさんを普通のやつだとか思うな!お前の道場で一番強いやつだと思ってやれよ!お前の師範とおんなじなんだよ!」

あたしは適当に言う。従士郎の通っているそういう道場のこととか、知らない。

「…」

「…」

「加納さん。少し黙っていてくれないか。僕は手を抜いてるつもりなんてまったくないぞ」、従士郎がすぐに立つ。

「こりゃあたまげたもんですわ」

おっさんは何に驚いているのだろう。従士郎の体さばきか。それとも一撃もらったのを些細なこととばかり起き上がったタフネスにか。

これはいい。もしも接近戦でいい勝負をしてるなら、あたしの手癖ひとつでどうにかなりそうだから。

 

「あっ!」

おっさんがジャケットを脱いで、従士郎の方へ投げて。あたしは声を上げる。ほんの少しだけ視界を遮られた従士郎の体制のバランスが、崩れる。いけない。

あたしが、穴に突っ込んだままのどっちかの手を、その飛ぶスーツを横から捕まえて、あいつの視界を確保してやんなくちゃいけなかったのに。

 

 おっさんの指は人差し指と中指を突き出していて、そしてジャケットが従士郎にかぶさるのと同時に踏み込んで、目つぶしを果たそうとして。

そこであたしはようやく御名術の行使に頭が間に合う。あたしの左手首だけが、その素早い目つぶしを掴もうとし、勢いに負けてしまったけど、そらした。

その指は少し上にいき、従士郎の広いおでこに当たって。

そして、あたしは帯を見れないけど、きっと従士郎はそこで御名術を使った。

 

 シルエットだけが明確なその世界で、従士郎の白い私服の色が渦のように反時計回りに光る。

暗闇を切り裂くような白い細い線であって。従士郎の体勢はまるで空中遊泳をするように。

ぼぐり、と音がする。

従士郎の身体がまるで10秒ほど、空中に逆さ向きで停滞するようにさえあたしは錯覚した。それはとても美しい渦で。

だけど従士郎はその美しさを壊してしまうように、「ばかな!!」とやかましく叫ぶ。

おっさんが、今度は吹っ飛ぶ。地に伏し横に2、3度と回転をして、シャツには泥がついて。

「や、やったか!すげえぞ従士郎!」

「いや、だめだ!!鎖骨は折ったと思うけど僕はそんなのは狙いじゃない!!脳天に浴びせ蹴りを、そう思ったのに!」

 

 その従士郎の必殺の一撃がなかったかのように、おっさんは膝をついて立ち上がり、左肩を押さえ。

「いや、左手を使えなくしたらもうこっちの…」

あたしの声は、そこでこないだ同じように聞いた銃弾のぱん、という音を聞いて。

従士郎は、身をこわばらせる。

あたしは、こともあろうにびびってしゃがみこんでしまって。

 

 その従士郎の隙を完全に狙われたから、防御が遅れてしまい。

あたしは、なんて役に立たないんだろう。折角、小さな穴を準備して、このおっさんが銃を撃つのだけは止めないといけなかったのに!

おっさんは、銃を右手に持っていた。そして、グリップを持ったままの手で、従士郎の顔面にストレート一閃。鼻血が飛び散り、従士郎の両足は地面を離れる。

そして、だからあたしはそんなリアクションを取ってる暇はないって言うのに。

つい、声を上げることにすべてを費やしてしまったから、従士郎の顔面が踏みつけられることを、いささかも止められなかった。

 

「大したお点前です…」

起きてくれ。たのむ。まだ、4回も御名術を使う余裕はあるんだろう?顔を踏まれてようが、平気だろう?あたしの馬乗りを跳ね飛ばしたんだ、から…。

「雨で左足が少し滑らなかったら頭に行ってたから、俺っちの方が気絶してたよ」

 

 ああ、考えたくない。考えたくないぞ。従士郎は、ぴくりとも動かない。

 

 ああ、またあたしだけになっちゃった、その絶望はヤケクソに変わって。

 

 あたしは。

穴を経由してあいつの拳銃の筒をつかむ。熱い。そして、肩が抜けてもいいから、全力で引っこ抜こうとして。

それだけはかなった。

おっさんは拳銃が引っ張られることに少し驚いた様子を見せて。

その拳銃が長いことが、あたしには運がよかった(サイレンサーが装着されていたから。マサカはその用途などを理解できていないが)。

その拳銃は落ちて、車道の方へ滑っていって。暗闇のほうへまぎれて、あたしには消えたように見える。

 

 だからおっさんはやっと表情を崩して従士郎から離れたから。

あたしは目の前に開けた下向きの穴へと、全身で飛び込む。

 

 そう、もうこうなったら死ぬ気でやってやる。どんなに見苦しくったって。

あたしはおっさんの上半身へワープして。そして、組み伏せようと。

相手は尻もちをつく。その少しでも勢いのついたあたしの身体を支えられなかったから。

本来は、膝を使って両腕をロックしてぶん殴り続けるのが、よかったんだ。2年前、ひったくりにしがみついて止めたとき、あのときは御名術なんか使えなかったけど、

女のガキだと油断したそいつはあたしの噛みつきとか頭突きとかを想定してなかったから、簡単に両腕を膝で固めて馬乗りにできたから。

 

 今回はだめだ。あたしがひざで抑えているのはもう役に立ってないだろう左腕のほうだったから。痛みを与えるくらいしかできない、きっと。

あたしはおっさんの顔面を殴りつけるけれど、右腕が自由だからすぐにあたしの利き手は掴まれてしまい。

おっさんの右腕とあたしの右腕が邪魔をして、あたしの左のパンチは全然当たらないか、当たってもまったく軽い。

むしろ、その握力のせいで、あたしの手首が、また逆側に折られてしまいそうになって。

 

 ああ、勝てないんだな、いちいちあたしのやる事は詰めが甘いんだな、きっとユッピの学生証も取り返せないんだなと思うと、すぐに涙がこぼれてきて。

そうじゃない。本当はね、あたしはこんな、悔しくて泣くような女じゃないんだよ。

 

そして。

「お嬢ちゃん。もうやめなさい」

「…」

「こんぐらいの歳の子に、泣かれながら殴られるってのもなかなかこたえるもんなんだよ」

「…」

「どうせ、うちの親分は超能力っていったって絶対信じないし言うだけ無駄。俺っちが怒られて終わるんだからさ。写真は返してあげれないけど、学生証は返してあげるよ。それで手打ちにしないかい」

あたしは慣用句でもなんでもなく涙をのんで。

「写真はね、俺が出てこないように預かるけどね。お嬢ちゃんとお友達にはもう迷惑しないからさ。もうやめなさい」

Tidak(ちがうもん)。だってそんなの、信じらんないんだもん」

やっと、おっさんが悲しそうな顔をしているのを、今気づいた。そういう顔は、憐憫とか、慈しみとか、そういうシチュエーションのときの顔なんだよ。

「どうせあれさ。あたしが信じてどいたら、きっとあたしばーんって撃たれるんだ。人を信じるって事はそういうことだから。女とか弱い子供はそうやって悪い奴に殺されるんだもん」

「お嬢ちゃんみたいな若い子が、そういう外国人みたいなやさぐれた考え方は、やめなさい。こっちが悲しくなるよ」

Tidak(やだ)

「面倒な子だね、きみは」

おっさんが手に力を入れたのか、あたしの手首が一点刺すように痛んで。身体が硬直したあたしは、背中がエビぞって。

すぐに、馬乗りだったのを転がされてしまうから。

目がぼやけていると目の前に何か、定期券と同じようなサイズのものが降ってきて、目をこすってそれを見ると、そこには柴崎悠利って書いてあって。

だからあたしは、それを両手にとる。

 

「さよならお嬢ちゃん。次は決して俺っちは優しくないよ」

 

霧雨はあたしの身体を濡らして、ひゅうひゅうと風が吹き始め、全身に汗をかいたあたしの身体は冷え始める。たぶんあたしは、ほどなくして風邪をひいてしまう。

 

 

 

【視点をもどす】

 

 

 

 5月25日。

 

 折笠はもうその写真を両手にはさんで、もう40分以上は経ってしまったか。

決して清潔とは言えない彼の顔はじっとりと汗がにじんで、神妙とかそういう言葉であらわすにはやや見苦しい。

相馬鈴奈は少し離れてそれを見ていて、彼女の顔は少し気が晴れていた。きっと、何かの肩の荷が下りたのだろう。

せかしたいところだが、微熱があるマサカは特に何も言わずじっと我慢している。たまに、鈴奈に詩津華が優しい声をかけて。

それからもう15分くらいして、折笠は手のひらから写真をはいで、復元された写真を、見る。「できました」と。そして、少し明るい面持ちで、写真と鈴奈とに交互に視線を。

マサカとゆりがそれを後ろからそのぞき込む。

「あっ!?」

マサカが驚嘆の声をあげて。

けれどゆりは、「ああ…やっぱ、そうだったんだ」と。

「エ。ユッピ。どうして?どうしてそういう感じなの?びっくりしなかった?なんで?」

「ううん。いや、わたしは最初っから、そういうことじゃないかって思ってて…」

詩津華が「まさか」と言うと。「あたしの名前を呼んだぃ?」、「ちがいます」。

彼女は折笠のほうへ、そして写真を大切そうに受け取ると。

「相馬さん」

向き直って。

「はい…?」

「写真をお返しします。これはあなたが大事にとっておくか、またお墓に戻してあげるといいでしょう」

賞状を渡すようにゆっくりと鈴奈に近づいて、両手ごと差し出して。

被写体はひとりだけで、それは10歳足らずの少女のバストアップを映していて、見覚えのあるその少女の顔をみて鈴奈はたちまち泣きそうな声を漏らす。

「面影はまんまですね。これはきっと数年前のあなたの写真ですから、あなたのお父様の最愛の女性というのは、あなたのことだったのです」

それをすぐに胸に引き寄せ抱き、顔をくしゃくしゃにして、彼女は椅子に小さくうずくまる。

「お父さん」

 

「こんなんもらい泣きしちゃうじゃん」

「しちゃうねー」

マサカとゆりはそこを離れて。詩津華もぐすぐすとはじまってしまったので、少し部外者は離れていましょう、と折笠を手招きする。

「ちょっとお前、記念撮影しようよ。あと3人連れてくるから。今回の功労者集めてな。記念撮影しようよ」

「いいですよ!俺がみなさんに最高の写真撮ってあげますから!」

そして放課後すぎて30分、D組の教室の黒板を背に。詩津華、鈴奈を真ん中にして、左サイドにマサカ、ゆり、花形がついて。

右サイドには怪我の跡が残る従士郎と風雅と穂村。

「ちょっと、男性陣と女性陣もう少しバランスよく混じりませんか!左側、みなさんから見て右側がすんごく重いんですよ!」、折笠が8人を前にして指でフレームをつくる。

 

 そして席替えが行われて、こんな顔で写してほしくない、とか、前に行ってしゃがめ、とか、ポーズ決めていい?とか。そういう無駄話が行われ、折笠は右目に、そこで帯を練ると。

「おい、何やってんだ折笠。お前もこい」

「はっ!?」

「はっじゃねーよ。今回の決め手の功労賞はお前だろうが。はやく黄瀬のとなりに来い」

「いやいや、何言ってんですか。俺、カメラマンなんですよ。」

「カメラマンは写真に写ったらいけないのか。アホくさ。カメラマンてそんな偉いのか。たまには写る側の気持ちを考えろ」

「じゃあ、誰が撮るんですか!俺の御名術で撮るんですよ。三脚は今持ってないし、そもそもカメラもないし、セルフタイマーなんて」

マサカが両腕を"洞"のなかに入れて。折笠の顔の脇から、「写ルンです」を持ったマサカの両腕が出現する。そしてレンズを向けて。

「まあっ!すごい、そういう写真の撮り方があるなんて!折笠さん、はやくわたくしのこっち側に来てください」

「え、ええ…!?い、いや、そんなのダメすよ!使い捨てカメラなんて、いい写真撮れないし、手ぶれもあるし、それじゃファインダーのぞいてないし!」

「お前、かなりつまんねえやつだな。いいか。みんなで撮る写真ってのはな、人数の多さと、見切れがないことと、誰かが目をつぶってないかだけ心配してりゃいいんだよ」

ゆりが、うんうんと頷いて。

 

 彼を説得するにはだいぶ時間がかかってしまったけれど、全員に押されるとようやく折笠は詩津華のとなりにしゃがむ。

「いいか、satu dua tiga(いっちにーぃさーん)で撮るからな」

「いいから普通にハイチーズでやれ!」、待たされすぎた穂村が、怒る。

 

 そして恐らく折笠は自然な笑顔というものをだいぶ苦手にしていて、女の誰かが「もう1枚!」とリクエストをし、他にも何度か失敗をして、残りフィルムを半分まで使って、きっと満足いくのが撮れた、と彼女らははしゃぐ。

男たちは、もっとも温厚な花形でさえ不機嫌さを抑えきれず、「長い!」「早く帰らせろ」「絶対2枚目のでよかった」といちいち悪態をついて。

その写真は御名術で撮られたものではないから、どんなに技術がなくとも、ずっと保管できて、思い出に残るから、そこに価値がある。




複数人の写真撮影に技術なんかいらねえんだよ。みんなで写ったってことが大事なんだ。


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#26 人形谷美有(1)

(1-6)

 

 風邪と怪我のせいで、マサカと従士郎の追試は2日のびて、その48時間、勉強時間にすると13時間が結構な要であって。

望まない授業時間変更、延長はそして速やかに幕を閉じた。そもそも、追試の結果で引っかかる生徒はいなかったという事だから、

ひょっとしたら彼女らの成績は教諭たちの満足のゆく水準に達していないかもしれないし、形式上、追試というシステムを採用し一種の見世物、見せしめにしたのかもしれない、とゆりは思う。

 

 ゴールデンウィーク前に行われると言っていた御名術もちの生徒のための説明会というのは順延が続き、ようやく行われるのは今日。

 

 5月27日。

これは教師の誰だったかがぼそりと生徒の何人かの前で漏らした言葉らしい。

御名術とは、という説明会について早急にちゃんとした会合を行いたかったのに、東棟の4クラスは5人が連合を組んで仲良くなってしまったから、(それはうわべだけかもしれないが)校長以下一部の教師が困惑したためだと。

だから彼らは訝るし憤る。だからなんだよ、知らねえよ、と。

あんだけガラス割ってやったのにまだわかんねえのか。次はじゃあ学校のなに壊したらいいんだよ。と、公にはできない乱暴な声も上がる。

 

 説明会というものは全校集会の一部でたったの5分だけを用いて行われた。

要するにこの校舎自体が人間の「帯」というものを活性化する機構であって、その結果1/10に御名術が身について、

しかし実社会においてはそんなにたくさんおられても困るから、持ち出せるのは3年後にひとりだけというルールで、学校の目的は偉人の排出である、と。だからなんだよ、知らねえよ。

 

 A組、B組の、この2か月で幅を利かせるにいたった5人は集会中に質問タイムや個別面談を要求したが、教師陣は聞こえないようなふりをして逃げた。

こういった、大人として不適切な態度をとるから、反抗がおきるのは自明の理だ!、そう。従士郎がぴしゃりと叫んで、閉式した。

マサカと穂村、従士郎はまったく納得しない。その形だけの説明会というものに意味はない。

生徒をまったく納得させない。そういう態度をとるなら、学校の思惑なんてものに真正面から抵抗してやるからな。

それが、彼女らの決定。

 

 

 

 5月28日。

 

 ゆりが校門を通り抜けると、教師2人がふらふらとあたりを闊歩していて。

ああ、これはいわゆる持ち物点検か、と、特に後ろめたいもののない彼女は一歩止まってすぐに歩み出す。

他の生徒は教師のどちらかに、がばりとバッグの中身をほんの数秒見せたらすぐに解放される。そろそろ、素行の悪い人が現れだしているのかな、と彼女は考え、ゆっくりとバッグのジップをひらく。

 

 背の高いジャージのほうの、顔しか知らない教師が1人の女子を荷物チェックのみならず捕まえて、彼女の髪を指さした。

どうして、とゆりは思うが、ああ、これは。と理解する。

その日差しの下で、その女生徒の髪色が、まるで鮮やかな金髪に見えて。

きっとそれは日差しの下でなければそんな風にカラフルに見えることはないのだろう。きっと、せいぜい茶色に少しアクセントカラーを入れているような。

けどそれは校則違反で染髪に変わりはない。

他にも、ゆりはおかしいな、と思う。金髪とかそういう問題じゃなく、服装がピンク色に染まっているじゃないか。え?ピンク色?

 

「違う。違うんです。ふむ。これ、地毛なんですよ。白浜先生にも久世先生にも町村先生にも言ってあるし。黒いんですよ、わたしの髪は本当は。でも、こういう晴れた日は金髪に見えちゃうんですよ」

彼女はずいぶんと強気に、それはないだろう、という理屈を説明している。物おじせず。その言葉を言いなれているのかも、しれない。

だから彼女を捕まえた教師はその自信まんまんさに面くらい、もう片方の教師をちょっとよろしいですか、と呼び、仲間を付けようとするが。

 

「岡島先生、彼女がH組の、あの、例の…」

「えっ」

 

そしてゆりはやっと思い出す。その金髪に見える女子は、入学式が始まる前にトイレで出くわした、ピンク色の帯をもった、身体が薄い少女。

そう、ついぞ忘れていたし、身の回りの、東棟で黄色い帯をもったみんなと過ごしているから、そういう子がいたということを、彼女は勝手に忘れていた。

 

「校長先生、言ってたじゃないですか。御名術博士。メルヴィル・ロザ・レ・ミラー。あれ、わたしのご先祖様だっていうんですよ。わたし、顔がそっくりだって昔から言われてて。

その人は金髪だったらしいからね、きっと遺伝が強いんじゃないかなあ」

 

そう。彼女は青い目をしていて。その髪は照りつける太陽光線を跳ね返すように光り輝いて、全身を守り包むように、ピンク色の粒子をまとっている。彼女は。

 

 

 

 その日も全体観としては目立ったトラブルなく授業の工程はどのクラスもつつがなく終わり、いつものように、当然のようにマサカはゆりと下駄箱まで歩いている。

少し後に同じクラスの女生徒が帰途に就こうとしている。彼女、ヒトミは化粧が強い覇気のある顔立ちで。

 

 すると彼女は、横から現れた同じくらいの身長の女子を見て、身体をびくりと反応させる。

そして、目をそらした後、もう一度、その相手に視線をやる。

それをされた相手はなんとなくわかっている。

 

 その挙動は、自分が見たくないものが現れたときに拒否反応で目をそらし、だけどその在り方に理解が追い付かない時にまたみてしまうものだと。

 

ヒトミは立ち止まった。そう、させられた。

そしてそのリアクションをとられた相手は、「ちょっと待って。あなた、わたしの帯が見えてるでしょう」。それは、好奇心を包有した声。

「え…」

「両方できる人が、わたし以外にもいたなんてね」

ヒトミは、だっと駆けて。マサカとゆりも追い越して。制服が凪いでこすれる。下駄箱に走り込み、乱雑に駆けて、屋外へと消えてゆく。

 

「え、新堂さんだ。今の、ひどくない?」

「なぁーんなんだよあいつはあっ!!急いでんならそんぐらい言えやぁ!!」

二人はろくに会話もしないクラスメイトのために不快になり、明日は文句をこういう風に言おう、多少は傷つく程度のこと言った方がいい、など荒々しい言葉を吐いて。

「ねえA組の人ですよね。今の子、御名術もってる子、まだいたんですか?」

そしてマサカは振り向く。その、初めて目にする薄い身体の女子を、見て。「だれあんた」。

ゆりは続いて、つい失礼とは思うが指さしてしまう。あっ、と。

「帯がピンク色の子!?」

「ん?」

「あ、あなた、見えるんだ」

「なに、ピンク色って?どういうこと?エロそうってこと?」

すると彼女は。彼女の身体はひどくやせているとかそういう不健康な体形ではない。ただ単に、全身そのものが薄いのだ、と気づかされる。足も細く、首も細く、胸から腹部、臀部にかけてまでのラインがきわめて薄い。

言い方を悪くすれば、ぺたんこな身体。顔立ちは大人びているが、中学生と言っても疑いを懸けられるような見た目かもしれない、とマサカは思う。

 

「マサカちゃん、わたしね、朝言ったよね、ピンク色の帯をした子がいるの忘れてたって!」

「え、なに?それって昨日の夢の話じゃなかったの?」

「何聞いてるんだよぉ!夢の話なんてしてないよ!」

「あ、現実、なの…?」

 

 それを聞いて薄い身体の女は髪束を少しつまんでくるくるいじって。

「わたしはH組の、人形谷美有(ひとかたに みゆ)。人形の谷でひとかたに。西棟が落ち着いたから、東の方に遊びに来たんです」

そしてマサカは興味なさげに。「ふーん。そうなんだ。面白い事あった?」

「東棟の方が、御名術もちの生徒たちがハイレベルで超びっくりした」

それでも、マサカは興味なさそうにしていて。反して、ゆりは彼女に食いついた。

「あ、お、お話してもいいですか?マサカちゃん、いいよね?ごめんね」

「いいけど、どうしたの?」

ふたりは下駄箱前で立ち止まって。

「わたしは柴崎です。こっちの子は加納さん。ええと、その…人形谷さん、でよろしいんですよね?」

「ハイ」

「わたしは帯が見えるんですけど。どうしてあなたはピンク色の帯なんでしょうか?」

ゆりはそのまま、色という区別されたしるしを聞く。

「それはですけど、だいたい帯が黄色って言うのが、あの校長の説明不足で」、彼女はあきれたような顔をして。「帯は本当はピンク色なんです。天然の帯はピンク色です。この学校のせいで無理やり引き出された帯は、黄色です。先天的か後天的かの差です」。

校長に不満を持っている、彼女も。それを理解するがまずは驚くのが先。

「ええっ!?」

「…なに。詳しいんだ。ということはあれか?あんたは生まれつきに御名術持ってる人なんだ」

「あーそうです」

「あたしたちは養殖マグロでキミは本マグロって感じ?」

「わたしたちマグロじゃないです」

「わかってよ」

「…」

「いけすか海かの違いだな」

「…」

ふたりは。マサカと美有は少しだけ、お互いのリズムの合わなさ、を何となく感じる。

だから美有は、すぐにマサカと過密な会話をすることを、あきらめたのか。

ゆりに説明をする。

「帯っていうのは、女性に起こりやすい、健康に害のない脳障害のせいで発生する、からだをまわるように発生する細胞より小さい組織の一部で」

「のっ、のうしょうがい!?」

「家にある資料全部読んでるので。わたしのご先祖さまに、メルヴィル・ロザ・レ・ミラーって人、いるんですよ」

ゆりはだいぶ驚く。無理もない。超能力、なら聞こえはいいが。脳障害、では眉をひそめるのも当然だ。

「女性に、起こりやすい?」

「キミの言ってる事、鵜呑みにすんのはなんか不安だけど。だってそしたら、あいつら女っぽい脳って事に、なんない?」

マサカは舌を出してわざとらしく嫌がる。リーゼントと熱血とハゲは女みたいな脳なのか、と。彼女はやっかんでいる。半信半疑で。

「血液は赤いでしょ。内臓もきっと赤っぽいでしょ。だから身体の一部である帯が赤系統の色なのは当然ですよ」

その言い方は、まるで子供を強引に納得させようとするような、歩み寄りのないそれだった。そんなの世界の常識だ、知らないのか、くらい。

 

 美有は脚を広く開いて、下駄箱の上に左手をかけた。

そして彼女は腰に片手をつき、斜め下を向いて。その持ちうる気配というものは、男性のような。少し厚かましさを感じる様子をわざとらしく表現して虚勢を張っているかのようにゆりは感じる。

電車内で意味もなく大股に開いて座っている男性の、周囲をわざと気にしないようなたたずまい、というのが例えるならば近いなと。

「こっちに遊びに来た、というのは?」

「B組に、中学で1年だけ一緒だった子がいたからたまに話しに行こうかなって。あと、御名術を持ってる人がどんな感じか確認しにきたから」

そしてマサカはその少女の、そこにいる正体不明な定義を気にかけず端において、

「んなことしてる、暇だねー…」

「A組ってずるいですよね。校門抜けて1分で教室だもの。西棟でH組て最悪ですよ。校門抜けてから西側の下駄箱行って、そこからいちばん奥のH組まで小走りでも5分かかるもの。あれのせいで遅刻しちゃうやつだっているのに」

「んなこと言ったって、キミはもうA組にはなれないよね。学年あがるまでは」

「そうだけど、いや、別にそれが許せないとかじゃなくてさ。ああ、んー。東棟の御名術もちの人たちはどんななのか、確認しにきたんです!」

「はぁ」

マサカは身長差で美有を見下している。どうも、なにか、この相手と噛み合わない。共感できることを言ってこないからなのか。

「きのうの集会で、東のひとたち、御名術もちどうし、仲良くていいなって思ったし」

「なに?仲良くないの?そっちは?ムカつく校長を敵にして一致団結しようよ。かなり楽しいよ」

「西棟の御名術もちは全員やっつけたからそういうのはもうできない」

彼女は言う。ゆりは頭の上に疑問符を浮かべる。どういう意味だろう。その発言の真意が取れなくて、あるいは何かのメタファーのようなものと勘違いして。

「アアッ?」

マサカが眉をゆがめる。

「だァーから」、美有は急に態度を急変させるように、きつい声を出して。「西棟の御名術もちは全員やっつけたって言ってんの」。




心と胸が酷薄な少女あらわる(2年半ぶり3作品目)。超能力イコール脳障害の一種としている点が、私のあらゆる創作物が嫌われる要因の25%くらい。


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#27 人形谷美有(2)

 急に顔と声が豹変した少女は、それが「よくない仕草」であることをすぐに自覚したか、はっと覚めたような顔をして押し黙った。

思いのほか短気なのかもしれない、とA組のふたりは思う。それに驚くまでもなく、正体現したか、と。

驚くべきことは彼女の態度でなく、その言葉であって「西棟の御名術もちは全員やっつけた」という発言で。

そしてそれを疑おうとはしなかった、マサカも、ゆりでさえも。

御名術の力や規模、行使範囲は当人の見た目などには全く関係がない。

つまり、そういうことを言うからには、そうなのだろう。

 

 マサカは手で、ゆりに後ろに下がるように指示をした。

そして、「タイミング見て、あいつら呼んできて」と。ゆりは大きく頷く。

しかしすぐに相手するぞモードになったマサカに反し、美有はやってしまった、とばかりに狼狽して、声を漏らす。

「ちょ、ちょっと待って。わたし、今日そういうつもりで来てない」

「ア?じゃあなんで西棟ナンバーワン宣言してきやがった?キミの言い方はね、その延長上にね、相手がいなくなったから東にきましてんって言ってるような…」

「ちっ、ちがう!」

「だいたいなんかおかしいと思ったんだ。ユッピ、ひとりでいいから連れてきて!第一希望は従士郎がいいな」

「わかった…!」

「やめて!ま、やめてください!」、美有は取り乱す。「勝負なんてしに来たんじゃないから!あなたたち、ずるい!呼べば仲間が来るなんて!」、そして明確に焦る。

逆に、その弱気さが不自然だとも彼女らは不思議に思う。

「わかんないやつだなー。だったら最初っから、東棟なんか来なきゃいい」

「わ、わかった。すぐ、ここから出ていくから。冗談じゃないよ。東のハイレベルな人たちと多対一なんて」

 

 ゆりは、マサカの様子を伺いまず立ち止まる。

そして美有は下駄箱の列から離れ、徐々に距離をとって。

慎重だな、とマサカは思う。学校で唯一かと思われる天然の御名術もち、という前提で、なおかつ西棟の御名術もちを全員下しているというのが本当ならそれなりに強力そうに思えるが。

それともホラを吹いてるのか。…そういう雰囲気も感じない。雰囲気を一変させるような態度ののち、過ちのように後悔しているから。

その体格は自分よりもずっと小さく、決して直接的な格闘ができそうな様子でもなく。相当御名術が太刀打ちしづらいものでもなければ…?「従士郎に一撃でやられそうだ」と思う。

あるいは、西棟の負けた御名術もちの生徒たちが、だいぶ行使力が弱かったか。

 

「まあいいや。待ってあげてユッピ。じゃあさ。キミに何個か質問をするよ。それに答えてよ」

「質問って、なに」

「まずだね。東と西でだいぶ御名術もちの強さが違うみたいに言うけど、そんなのありえる?」

「だから、さっきまで東棟の人たちを観察してたんだってば。わたしは、御名術は持ってるけど同時に帯も見えるから、それを見に来たんだし」

ゆりが驚く。自分は"目"にしかならないのに、この少女は御名術も共存させられている。

「あたしたちの方がすごいんだ?」

「テストの点数で言うなら、西棟が5教科240点だとしたら東棟のみなさんは400点くらいなんだけど、帯を見る限り」

「キミは単独で何点なんだよ」

「…」

「いや、それはいい。質問を変えるよ」

極めて答えさせづらい質問を捕球させる。威圧的に。

「帯が見えれば御名術の強さがわかるの?B組のハゲはどんな感じだった?」

「別に、個々人をちゃんと見たわけじゃないし。そんなの覚えてない。でも、総合的にはC組が一番やばいとは思ったけど」

「なに?C組?」

ゆりはマサカの顔を見上げて。予想外の返答だった。

「C組の3人とも、やばいでしょ。あなただって」、ゆりを見て。「そう感じなかった?」。

「3人、ではないです。C組の御名術もちは2人じゃないんですか?」

「いやいや。3人でしょ?髪の短い子と、太っちょの男子と、暗そうな子でしょ」

「暗そうな子?」

該当者がわからない。ゆりは、富島と初芝以外の御名術もちを、確認していない。帯が見えたのは2人だけである。

「あれ、きっと学校をつくったお金持ちの片方の娘さんでしょ?たしか、天里凛々守(あめさと りりす)

「…あめさと?」

また、マサカとゆりは顔を見合わせる。「黄瀬からそんな話聞いた?」、「な、ない。絶対ない」。

3人を、他の生徒たちがすり抜けて行く。バイバイ、など声をかけられることもあるが、うわの空でしっかりと返せない。

 

 ゆりは帯が見えても、それがどこから流出してどこに蓄積するのかくらいしかわからず、誰それの御名術が強い、などという認知ができるようなものではない。

それがわかっていないため、それが彼女にとって当然である美有も反応に困ってしまっている。

「…ユッピ、ちゃんと覚えておいて」

「うん」

「次の質問。キミは西棟の御名術もちの連中をやっつけた。まあいいよ。でさ。なんで西棟はキミを中心に一致団結できないとかいうの。校長ムカつかないの?キミ、友達作るの下手なの?」

「マサカちゃんマサカちゃん」

もうちょっと言葉を柔らかくね、とゆりが諫める。

「別に。友達少ないわけじゃないし。え、だって、負かしちゃったら、御名術なくなるんだから団結しようがないって言うか」

「は?」

「え?」

また噛み合わない。

「自慢嫌いだから言いたくないけど、あたし3人ぶっ飛ばしてるけど、誰も御名術なくなってないぞ」

「え。だって。どういうこと?それってちゃんと負かしてないよね」

「何なんだよ、ちゃんと負かすっていうのはさ。半殺しにするの?まさかぶっ殺してんの?ウッソだろ」

「どうしてそんな怖い事言うのかなあ。校長に、『御名術を放棄します』って言えばなくなるでしょ。それが負かすってことでしょ」

それを聞いて理解するまで数秒、マサカは右手真横に"洞"をつくりだした。その直前に、美有は帯の流れを感じたのか。びくりと身体を動かし一歩退く。

「…あたしたち、そんな決まり知らないんだけどな」

マサカが、冷たく熱情をおさえて小さくつぶやいて。

ゆりは唇を噛んで、「つまり、あなたはそういう風に、勝ったら負けた人に言わせてきたってことですよね」。穏便な彼女でも、それを知ると平静ではいられない。むしろ、少しの嫌悪感を示した。

「ユッピ。やっぱり誰か呼んできて。今すぐに」

「うん!」

すぐに。

ゆりは美有の手元になんらかの黒い"枠線"が描画されるのを、見る。その一様はピンク色の粒子に覆われている。踵を返したゆりの目の前、天井から蛍光灯が落ちてきて、そのまま床にぶつかり破片が飛散する。

「ひ…」

「お前!」

マサカは"洞"に右手を入れ、美有の頬を平手で張ろうとして。けれど、それが届かない。

計算上、ビンタが直撃するはずだった顔の位置が少しずれていて、その手は美有の顔をかすめもせず、ただ風圧だけがあり、美有は目をつぶる。

ゆりは、その破片のせいで歩みをためらって。

「ああ、もう。ごめんなさい。本当に許してください。そんなつもりないんです」、彼女は頭を深く下げて。「知らないなんてことがわからなくって。お願いです、興味本位だけで来たんです。勝負したいなんて思ってません」

手を、宙に薙ぐ。なぜ、今のあたしの右手はスカしたんだろう。距離感は完璧だったのに。マサカが美有を睨む。

「今、蛍光灯落としたのお前か」

「…違います」

「ユッピ。今、こいつの帯はどうだった?なんかわかった?」

「…あれだけじゃわかんない。その人の手元に枠線が現れた、と思う」

ゆりは破片をどうしようか、たじろぐ。偶然で落ちてきたなら、彼女に落ち度はなくて。同時に、教室へ駆けていきづらくなって。

なにか、強引に破片を飛び越えて行ったら、また何かが降ってくるような妄想が働いて、彼女の心にブレーキをかけた。

 

「あたしたち多分全員知らないけど?校長にそういう風に言えば御名術なくなるってこと。なんであんたは知ってんの」

「…それは、最初にやっつけた子を連れて、校長室に行ったから…そんで、『勝ったつもりですがどうすれば勝敗が決まりますか』って聞いたら、校長が、『負けてしまった君は、もう諦めますか?でしたら、残念ですが『御名術を放棄します』と私に言ってください。諦めるのが嫌なら、言わなくていいです」って…」

「ほう。ほうほう。なるほどね…つまり、あたしらの手順は正しくないって事か…持ち出しを諦めるって言わせなきゃダメか…」

「マサカちゃん、おかしいよ。穂村君も竹内君も、負けただけで諦めないと思う。よっぽど追い詰めないとそんなこと言うかなあ?」

「ごめんユッピ。この話は保留。なんかね、東と西で、環境が違いすぎるみたいだからたぶん今突っ込むのそこじゃない」

「そうかな?」

「うん。少し我慢してね」

3、とマサカは指を上げて。「みっつめ、最後に、キミは御名術を社会に持ち出してどうするの?誰かのためになるから持ち出したいの?それとも自分のために持ち出したいの?」。

それに対しては、美有は言葉を選ぶようなそぶりを見せず、すぐさま、自分に正直に、「両方。わたしは、御名術を持ち出して、他の誰かよりも一歩先にいった人間として生きていきたい。わたしがそうすることで、わたしの後を歩く人が幸福になれるかもしれない」。そして、それは実に真摯に、「わたしは人類の代表者として生きたい」。

A組のふたりは絶句する。その宣言は、今まで出会った御名術もちの実直な持ち出し希望動機の何よりも大口で、夢物語で、選民的。

 

 

 ・持ち出したい理由だと?だからこないだ言ったじゃねえかよ。俺は目立ちてえんだよ。役立つ方法は、まだ考え中だ!

 ・ああ。それかい。前に言ったのと同じだよ。自分の拳法の練磨のためだよ。

 ・うん?知りたいぃ~?じゃあ教えてやってもいい。大切なものを、残すためだ。おれはね、世のため人のためを考えてるんだぜぇ~?

 ・別に持ち出せなくてもいいよ。あたしがこれを持ち出しても、何も世の中に変わったことは起こらないよ。

 

 

 マサカは、もう大概だ、と不快そうな顔をして、もう聞きたいこともないと。そこで美有の評価というものを定める。こいつ、無理だ。と。

噛み合わないギアを強引にはめる必要は、彼女らのような若い世代が生きる世界にはないものだ。きっと些細な会話のひとつもすれ違うだろう。

ここまで、わかりあえないと思ったのは久しぶりだ。彼女は思う。島で出会った悪者に属する連中のように接近したくないものであって、対極の異文化の住人だ、と。

 

「あの、わたしからも質問をしてもいいですか」

ゆりが不意に訊く。美有は、彼女もまたうんざりした顔で、

「ハイ…」

「どうして、あなたが後天的な御名術もちの生徒を倒す必要があるんですか。天然の御名術もちなんだから、黙ってればいいじゃないですか。あなたは何もしなくても、御名術をもったまま卒業できるじゃないですか」

「あっ」

「あっ」

 

 そして彼女は。「そう言えばそうですね。いやだ。なんでわたし、そういう事に気づかなかったんだろ」。本気で、困惑する。「ね、ねえ。このあと時間あります?一緒に、校長のところ行って問い詰めませんか?わたし、校長に、最も優れた御名術もちを目指してくださいって前に…」。

「いいや。ダメだわ。やっぱりね、キミは今、あたしがやってやる」

すぐに。

マサカは自身の左側に飛び込んで。

即座に美有の背後にワープして、左腕をつかみあげる。

「わああああああ!!」

だが、そして彼女にとって、とても面白くないことが、起こる。

つかんだはずの腕がすっぽ抜けている。そして、背後をとられたはずの美有は、ある男子生徒の陰にすでに退避していて。

「大丈夫だったかなぁ~カワイイお嬢さん。危ないよ!この女は瞬間移動できるゴリラなんだ、8メートル以内に近寄っちゃいけない!」

「ハゲェーーーーーーー!!」

マサカが叫ぶ。

「待ってください!待って、伊崎君!その子御名術もちなんです!きっと味方じゃないから!そういうの、やめて!」

「二人がかりで可愛い子に嫉妬していじめる、おれは女のそういうところが、許せない!」

いつも以上に芝居がかった、勘違いかっこつけ極まれりな(ゆり評)態度をして風雅が現れ、美有を背に隠し、いつも以上に気持ち悪さ満載の自分だけいかしてると思ってるつもりか大きな勘違い野郎的な(マサカ評)ウインクを決めて、彼は美有を逃がす。

薄い身体は素早く駆けて行って、そして角を一度曲がってもう現れない。

 

「お前らあんな美人と知り合いならなんで早くおれにぃーぶごはっ!」

さっきの当たらなかったビンタを3倍にして、風雅にぶち当てるマサカ。かなり、頭に来ている。

「なにすんだこの雌ゴリラァー!」

「おいちょっとハゲ。そういやお前とやったことなかったよな。やろーぜ。そのハゲ削り取ってもう一段階深いハゲにしてやんよ」

「やれるもんならやってみろ!返り討ちにしてサファリパークに帰してやる!」

「やってみろやコラァー!あたしが勝ったら頭に『大往生』って書いてやる!」

「そんならおれが勝ったら首から『私はゴリラです』って札下げて登校させてやる!」

「ア?そんなんあたしにダメージねえぞ?お前には『僕は花札の月の擬人化です』って首から下げてやる!」

「わかりづらいわ!意味わかんねえこと考えてんじゃねえ!」

「るせー!バーカバーカハーゲハーゲ」

 

「あーもう小学生」、ゆりは頭を押さえ、得られた余りの情報量に頭がパンクしそうで。

いろいろと整理したいことは多数あるが、ひとつだけ聞き損じた質問、「あの化粧の濃い、うちのクラスの女子の御名術について心当たりは?」を次は聞ける機会が訪れるだろうか、と考える。

 

 

「あぁいのな、か、ぇ~…そのあーいのなぁ、かぁへ~…」

彼女は歌う。

「とぉ、ても~…し・ず・みたいのぉ~…だ、から」

横にいる、同クラスの男子がそれを上機嫌で聞いている。人が行き交う通学路であるが、彼はなにも咎めない。

この二人は、人の視線というものを意識的に排除しているのか。

「きい、っとぉ~…すぅぐぅそばだからぁ~…き・み・の」

美有の、ストレス解消法のひとつだった。カラオケルームでは、だめだ。反響してしまうから。生の声を空に投げる。

決して上手な歌ではないし、白い目で振り返る社会人や、指さして笑う子供もいる。

彼女は気にしない。

「こどぉを~…よりちかくにかぁ~んじるぅ…た、め、に…Ah------u…う、ぅ」

彼女は満足する。プロモーションビデオで体を揺らして謡う歌手が、腕を下ろして声を止めるように。

隣の男子がぱちぱち、と手を打って。

さっきまで激しかった美有の鼓動が落ち着いていく。

 

 御名術もちの生徒と戦うのはいい。別に。どうせ勝てるが、それは前提として1対1であること。

全員が単独で、ひとりずつひとりずつ相手をすればよかった西棟の生徒たちとは、根本的にちがう。

何しろ彼女らは、勝ったら/負けたらどうすればいいのか、という事をそもそも知らなかった。だから、御名術もちが負けたまま、御名術をもちっぱなしなのだ…。

だから、団結してしまう。

 

 美有が言う通り、東棟と西棟では、これは完全に偶然だったが、御名術の規模と強さ、自在性という点で個々人の能力が東棟側が圧倒的に上回っている。

それでもあくまでひとりずつなら勝てるが。二人以上になってしまっては、肉薄どころか敗ける可能性がある。

しかもつい気が逸り苛立ちをあらわにしてしまった結果、明らかに目をつけられた。悪い方へと。

これは彼女にとって随分とストレスだった。確かにいずれは戦わなくてはならないが、今そういうことをするつもりはない。だいたい、この2か月はテスト直前の日さえ勝負となってしまったりして、結構つらかったのだから。

身の回りの厄介ごとを全部片づけたんだから、そろそろ普通の高校1年生を、やりたい。

 

 悩みはさらに。C組の、あのコアな3人を、どうする。A組、B組の5人は仲が良いようだと聞いているが、あれがさらにC組の誰かしらと手を組まれたら大変まずい。

自分の御名術は天然のものだが、もしも負けを認めさせられたとき、校長によってそれが剥奪されるとしたら、どうするのだ。天然だから、多分できないから安心。だとはと信じがたい。

 

 そして美有は期待薄げに思う。

自分のこの横を歩いている男子は、よくちょっかいを出してきて自分のことが好きなようだけど、まあ、それに悪い気はしないけれど、せめて御名術もちとまではいかなくても帯が見えてくれたらどんなに助かる事か、と。

きっとあのでかい女のそばにいた地味めな女は、帯が見えるから観察できて、争いになったときに第3の目として役に立つのだ。

自分だけでは見られない範囲を見てくれて、一緒に判断と考察をしてくれる誰かがいるだけで相当違うというのに。

 

 やがて彼女はひとつの結論へと到達する。

「あの化粧の濃い女の子、どうにかしたら味方になってくんないかなあ」、と。




美有のモデルがJKだとして、なんかJ-POP歌ってる姿を想像したら浜崎あゆみの曲だと思ったからそうしたかったが、彼女の歌手活動期間は1998年からだったので断念した。時代考証への敗北。


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#28 恋が育まれますように(1)

(1-7)

 

6月24日。

 

 軽音楽部設立に成功したA組の八井田真治君。

A組~H組まで渡り歩く地道な勧誘活動の甲斐あり、その部員を12人まで確保することを成功裏におさめた。

おそらく10月の文化祭までになにか楽曲を発表、演奏できるようにする、とは言っていたが、まあオリジナル楽曲は無理だろうね、と笑っていた。

それでもすごいと思う。そのうち経験者は6人と言っているが、それでも流行りの曲のコピーくらいはちゃんと披露するよ、と。

 

 わたしがまず聞いたのは、穂村君はなにをやるの?ということで。

八井田君は丁寧に説明してくれる。

「景虎ね。俺は最初何やりたいかって聞いたんだけどさー。あいつ、なんにもわかんねえって言うから、俺の好きなイギリスのバンドのプロモ見せてさ、そしたらあいつ、ドラマーのとき一番興奮しててさ。おお、おお、って。

でも結局あいつヴォーカルが一番いいよ。あいつ、俺の予想以上に歌上手いんだよ」

「アァッハハハハハハ!あのリーゼントでヴォーカルやんだ!インパクトは完璧だな!出オチになんなきゃいいな!」

マサカちゃんが笑う。なるほど?歌は上手いのか。見た目によらない。低い声でニヒルにしゃべったり、なキャラって印象なので、歌が上手い、のか…そうか。

けど、きっとあの髪型のまま歌うのはそれはもう、マサカちゃんの言う通り確かなインパクトを持っているから、まわりのメンバーも同じくらい奇抜な髪型や格好をしてないとアンバランスなんじゃないかな?

とわたしは思う。それはTVで見るような、化粧をして、カラフルな髪をおっ立てて…と想像するとニヤニヤしてしまう。

「オッ、景虎ぁー」

マサカちゃんが、噂をすれば、と教室に入ってきた穂村君を呼び付ける。「おまえヴォーカルやるらしいな」。

「…シンジ、黙ってろって言っただろ」

「あーんごめんごめん。なかなか隠し通せなかったよー」

穂村君はぶつぶつ言っている。きっと、わたしたちには内緒で通そうとしていたのかもしれない。

「しょうがねえじゃねえか。俺は楽器なんかできねえんだから」

「でも上手いんだろ。今度カラオケ行こうよ。黄瀬が行ったことないからって一回やってみたいんだって」

「…金があるときだな」

彼も、そういうのはまんざらでもなさそうで。きっと好きなのだろう。

そして他愛もない話をだらだらして、ホームルームが始まる数分前に、彼は思い出したかのようにマサカちゃんとわたしに、情報をくれる。

 

「軽音部にH組の松枝ってのがいんだけどよ」

「ん?」

「あれよ…あれ。H組の、人形谷って女の、彼氏もどき」

「アアッ?」

マサカちゃんが引きつった顔をして。

「昨日、集まってたら、そいつの付き添いでやってきたよ。すぐ帰ってったけどな、ちょっとガンつけられた」

「ガンつけっていうか。彼女は穂村君の帯を見たんじゃないかな」

「…まあ、どうでもいいけどよ」

しかしマサカちゃんはそのことではなく、別のことを気にして。「なに、彼氏もどきって。どっちなの」。

「詳しくは知らねえよ。ま、松永の方が一方的につきまとってる感じもあれば、女のほうもまんざらじゃねえ感じはしたが」

「友達以上恋人未満ってやつだね!!!」、ああ、わたしの身体にスイッチが入る。声が裏返ってしまうぞ。

けれどマサカちゃんは露骨に嫌そうな顔をして、ほぼすべて受け入れられないという彼女を悪く言う。

「わっからん…なんであんなペラッペラの貧相な身体のキューピーちゃんがいいのか…小学生じゃん」

「俺のタイプじゃあねえけど、あれは世の男は美人って言うんだよ。ハーフっぽいし。シンジも認めてる。軽音部の他の連中も言ってる。伊崎も竹内も。俺の身の回りであれをいい女って思ってねえのは花形くらいだ」

「花形君は黄瀬さん一筋だもんね!!!」

「ユッピ、声がすごくでかい」

「それが世の評価だろ」

「わっかんねぇー。お前ら結局顔なんだ。内面は見ないんだ。…なんだよそれ。つまんねえやろーどもだよ、まったく」

彼女はぼやく。決して自分の見た目が嫌いではないだろうけれど、わたしと同じように、きっと男性から、ちやほやもてはやされて育ったようではなさそうなので。

わたしからすればだいぶ魅力的ではあるが、この性差というものは常にわたしたちの味方を、しない。

 

 そして八井田君がまとめるように、「男だから見た目から入っちゃうのはしょうがないじゃん。でもさ、女もさ、ブサイクには目もくれないよね」と。

これについては、即答で否定できないものだから、むずむずする。

とはいえ、わたしはそこまででも、ない。伊崎君はかっこいいが、スキンヘッドを抜きにしてもあの雰囲気とつきあいたいとは思わない。もう多少ばかりしまっていたほうが、いい。

 

「ゆりさんはどういうのが好きなの?軽音部にいる男でよかったら紹介できるかもよ」

「…ちょっとチャラいのが好き」

八井田君は、驚く。意外。そこまでチャラいのはいない、割とみんな真面目だと。

これはすでにマサカちゃんには言っていて、同じような反応を取られたもので。

そして普段は彼女の言葉遣いを注意するわたしが、逆になって、それはよくない、考えを改めよう。ユッピはまじめなんだからだまされちゃう、など。

本来はこれに加えて「見た目はともかく、ぐいぐい来られて好意をつぶやかれるとすぐコロッといく」というのが正直な自己分析であるが、きっとこれは口に出すと広がるうえ、マサカちゃんがもっと怒る。流されちゃダメ!と。

「マサカさんはどういうの好きなの?」

「ウソつかないのが最低条件。身体鍛えててさ。あたしのガタイをお姫様だっこできてさ、一本筋が通ってるやつ」

彼女ははっきりと、理想を語る。それは、そういないわけではない?というか。

「加納、知ってるか。隣の組に竹内っていういい男がいるぞ」

ほくそ笑む穂村君の鋭い指摘に、マサカちゃんは表情を凍らせて、首を横に9度振って、あれはやだ、と死んだ目で言う。

 

 そういう、すぐに繰り返されてしまうような恋の話。

おそらく来月になって夏休みに入って、それが明けた頃には誰それと誰それがつきあいはじめた、とかつきあってたのに別れた、とか、下世話な話、やった、とかそういう話が増えていくのだろう。

そしてわたしは思い出す。ああ。わたしは、

いまだに去年の告白の答えをもらってないぞ。と。

いい加減にしてくれないか、F組の矢敷君。わたしはね、こういうのを根に持つ、じゃないけど覚えてるんだよ。

 

 

 

 穂村の下校時間はおよそ40分。

学校から駅前徒歩で10分。電車に乗って、どんなに待とうとも20分。下車して自宅まで自転車で10分、である。

原付か、それも悪くねえな。

と彼は思う。それは、風雅の言ったことを思い出して。

「近くにさぁ~、バイクに興味あるやついなくてさぁ。穂村君、おたくはどうなの?乗りたそうだけどぉ?ちがう?少し家遠いんだろ、例えばさ、原付とってみたいとか思わない?」

それに対し、よく返し方がわからないから彼は「寺の住職ってバイク好きだよな」と言った。

中学生のころと違って周囲にいろいろなタイプの知り合いができたのはいいことだった。

声が大きいのに自信はあったが、まさかバンドとはね、と。彼は今の環境を好ましく思っている。

家に帰って親の顔を見れば、注がれるのは自分の息子は真面目に学校生活を送っているのか、成績は中途半端だ、髪型はいい加減どうにかならないのか、等の彼にとって意味も価値もない軽い疑念の交錯。

が、以前と違うのは、親に対する反抗のために学校を休んだりしないという事。

 

 あんな面白えやつらがいっぱいいんのに、学校休んだりするかよ。しねえよ。

彼は今現在の環境を愛している。

 

 特に誰にも相談していないし言うつもりもないが、彼は一昨日父親を殴り倒した。

酔っ払って家に帰ってきた父親が、あまりに侮辱的なことを言ってきたので。お前はずっとそうやって中途半端な人生を送っていくんだと、そういう決めつけと、ほんのわずか、仲の良い友人を、知りもしないのにろくな友達じゃない、と言われたため。

(これは先月、深夜まで外出し顔面に怪我をして帰ったことによるものが大きい)

そして穂村は肉親とて容赦なく凝視し、動きを止め、何度か殴りつけた。

彼の父親は柔道の有段者で、以前ならば手も足も出ない相手で、それを彼もよくわかっていたので、御名術に頼ってそうした。

今まで親子間に定型的なルールがあった家庭に、大きく衝撃を与えた。

実の息子およびにその友人を見下した発言をまたしたなら、何度でも倍にして返してやる。

 

 とはいえ父親に暴力をもって盾突くということは穂村自身にもだいぶ信条にダメージを与える結果となり、少し情緒不安定な彼は、すぐに家に帰りたくて。

そしてまだ言っていない。おやじ、一昨日は悪かったな。でも、俺だって友達けなされたらキレちまうよ。もう俺の友達を悪く言わないでくれよ、と食卓で言えばその家庭のトラブルは収束するのだ。

 

 それが終わっていないから、イライラするのだ。

そして彼は、駅前の屋内駐輪場で、近隣の高校生男子6人、制服は複数、のまとまりが自分の駐輪している自転車付近でたむろし、そしてひとりが彼の自転車のサドルに腰かけるのを見て、ぴくりと眉を動かす。

その手前には赤い自転車が停められていて、それを取り囲むように座ってげらげらと談笑している。

場内の係員を呼んで注意してもらうのがこういった場合の適切な処置だというのはわかっているが、彼は苛立っており、なんのためらいもなく「どいてくれ。俺んだ」とそれをかき分ける。

普通の高校生、というにはその集団は見た目、明らかに不良よりであって。彼の自転車に腰かけていた眉の細い男は言われた通りどいたが、すぐに穂村に足をかける。

穂村はつまづき少し体勢を崩すと、そのうちの二人くらいが鼻で笑ったのを聞き、「なにこいつの髪型」、そしてすぐに振り向いてそのうちの坊主頭の自分よりも体格のいい男を凝視する。

彼はそこで崩れ落ちる。そして、もうひとり、緑色系統の制服を着た髪を立てた男も凝視し、同じように地に伏す。

驚きの声が上がって、穂村はそこに座り込んでいた青いシャツを着た男―彼は、それをリーダー格とすぐに判断。

それに対し、かかとで顔面を蹴りぬく。

「ウアッ!!」

「…」

すぐに、他の3人が彼を威嚇するが、彼はそこで自身の御名術を残り1回まで使い切る。

はじめの凝視2回、そして次に、坊主頭の男に再度の凝視を浴びせ、あやつる。

坊主頭の男はその場の誰よりも体が大きく、両腕を乱雑に振り回すだけで先ほどまでの仲間2人をすぐに殴りちらした。

さらに一人、彼の髪型を指摘した小柄な男はすぐに穂村の次のターゲットにされ、襟首をつかまれ、頭突きとひじ打ちだけでダウンし戦意をなくす。

そして蹴り倒された青いシャツの男がわめきちらして穂村につかみかかり、彼はその腕力を感じて「御名術は必要なし」と頭の中で計算し、ふと前かがみに体勢をかがめ、そのまま膝蹴りで青いシャツの男の股間を蹴り上げた。

すぐに苦しみの声があがり、ゆがんだ顔面に拳を打ち込んで、後頭部を掴んで地面に叩き付けた。

あやつった坊主頭の男への術の行使を切り、そこに6人全員がダウン。

彼は財布から自転車の鍵を取り出し、すぐに施錠を解いて外へと押してゆく。

 

 ケンカを買う、売る、いずれにせよ相手を視認、いわゆるガンつけはこういう手合いにおいては必須であり、そこに彼の付け入るスキは非常に大きい。

そして6人では勝てないが2人ならば勝てる。そういう計算である。彼の。

 

 スロープを登ってゆき、明日もここに停めなきゃいけねえのかなあ、等の考えは浮かぶにせよ、彼はできるだけすぐ家に帰りたかった。

けれど、彼は思いがけぬ甲高い声を聞いて、後ろを振り向く。

そこには、赤い自転車を押して登る、見知らぬ制服を着た女がいて。そばかすの目立つ女で、自分の高校では考えられないくらい茶色い髪で、アクセサリーの多い女。スカートも短い。

「ねェーねェー、すっごいねえ!お兄ちゃん!さっきのヤンキー、何がどうなったの!?」

耳に残る声。戸惑う穂村のことなど気にせず、彼女は、「アタシも自転車とれなくってマジで困ってたんだぁ!」。なれなれしく、穂村の背中をたたく。

何だこの女、と彼は顔をしかめたが、それでもそばかすの女は遠慮しない。「最近できた、せいかいなんだか高校の人でしょー!?あっ、じゃあ1年生なんだ!すごーい、年上に見えるゥー」。

見た目の印象もしかり、穂村は彼女の身にしみた煙草臭さを感じる。なんだよこの女、と眉を顰め、ひとまず、「俺がやったの誰かにチクんないでくれよ」と口止めを頼む。

「イヒヒ。当たり前でしょ。ねェねェ、ちょっと髪触ってみてもいい?アタシ、リーゼントとか見たことなくって!セット崩さないようにするから、触らせてよォー」

「ちょ、ちょっ!やめてくれ!触っていいなんて言ってねえ!」

あつかましい。その態度は、マサカよりも図々しいと穂村は感じる。こういうのは苦手だ。女にからまれるのは、慣れていない。

「ねェねェこのへん住んでるの?でもお兄ちゃんみたいなの見たことないんだけどなァ。あたし、ずっとこのあたり住んでるのに?」

そして穂村は邪険にするのも苦手で、「いや、俺も昔からこの辺だけどよ」。

「まーじで?そうなんだ、じゃあでもまた会うかもねェ。ねェねェお兄ちゃん、名前おしえてよ」

「は?」

しかし彼は邪険にできず。見ず知らずの女に名前を教える、ということにも違和感を覚えたが、聞かれたのに名前も教えられないのか、とも感じ、かつ偽名を言うのも気が引けたので、「苗字か?名前か?」と、少し妙な返答をした。

「じゃあ名前がいいなァ」

「…景虎だ」

「エッ!すんごいカッコいい!役者さんみたい!すごいねェ。景虎くんだねえ、トラちゃんだねえ。アタシは、(レン)

「…いや、そういうのやめてくれるか」

「そしたらさァ、今日はアタシ、もう行くけど困ってたからお礼したいんだよねェ」、そして彼女はおもむろに革財布を自転車のかごにぐしゃぐしゃにはまったバッグから取り出し、開いた。

その中身をつい見てしまうが、その札入れ部分にはおよそ20枚以上の薄い束があって、そのような額を財布に入れたことのない穂村は、愕く。

そしてそばかすの女は千円札を1枚だけ取ろうとして、「あ、2枚になっちゃった、まァいっか」と、2千円ぶんを、穂村の前に突き出して。

「オイ。どういう意味だ、これ?」

「お礼だものォ。お礼。あのヤンキーたちのせいでアタシ帰れなかったんだものォ。煙草とか買えばいいじゃんねェ」

「吸ってねえよ!いや、そういうの、違うだろ。全然だめだ、それは。俺はそんなお礼なんて要らねえ。そんなつもりでやったんじゃねえ」

「エーーッ!お姉さんのお礼受け取れないのォ!?すっごーい、景虎くん、硬派~!」

「硬派、じゃねえだろ、金を俺に渡すってのは、おかしいだろ」

穂村は困り果てる。対応方法がわからない。このような女子ははじめてだ。類をみない。

けれど、その顔の一挙一動、彼女はいろいろな表情をする女で、喜怒哀楽のあらゆるパーツを短時間に見せつけられて、穂村は逃げの一手として、「わかった、でも金はいらねえから、なんかおごってくれジュースとかでいい。それでいいよな?」。

「ワオ!ジュースでいいんだ!カワイイ!じゃあ次会った時、お返しするからねェ。約束ね。バイト行かないといけないから、またね。イヒヒヒ」

彼女は自転車に乗って、「そしたらねェ、景虎くん。アタシ、蓮ね。蓮ちゃん。柳峰大付属高校の2年だから、忘れないでねェ」、そしてこぎだして、いつまでも前を見ない。こちらに手を振っている。

 

 彼女が見えなくなって、穂村はため息をついて、「加納より疲れたかもしれねえ」、言葉を吐き捨てるが、別にもう会いたくないわけでは、ない。




15~16のころの恋は失敗に終わるとは言わんが「ポリシーを壊してしまうほどに、やばいものにはまってしまう」と思う。そしてほどなくして後悔する。


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#29 恋が育まれますように(2)

 6月26日。

 

 その日のホームルームで、アンケートが配布され、10分程度で深く考えずに書いて集めさせて、と大曾根先生が言う。

2週間後の期末試験についての学習状況のアンケート、かつ5月に行われた実力テストの問題要綱は教科書や授業内容にちゃんと即したものであったか、というような内容。

また、まもなく入学して3か月となるが困ったことはあるか、学校生活は楽しいか。

そのような内容だったのでわたしは適当に答えを書いて、現在の環境に不満はありませんか?という最後の欄には「特にありませんが、先生たちがもっと説明責任をはたしてくれれば不満一つなく毎日に楽しくやっていけます」、そう皮肉を書いた。

大曾根先生がそれを書くわたしをのぞきこんで、はっとしたわたしは用紙を手を伏せて隠してしまうが。

「柴崎、それを集めてるのは教師側じゃなくって、生徒会だから書いてもしょうがないかも」

と、苦笑いをして教えてくれた。

 

ん?

 

「生徒会」

「この学校、生徒会ってあんの」

「投票とかしてないよ」

「だれが会長なの」

 

 全員がざわついて、知らない。

この学校、生徒会なんていつできたんだろう?というかその概念があったのか。

 

「八井田が軽音部作ったように、生徒会をつくりたいって言う生徒、主に西棟の生徒が集って5月にはもう形はあったんだけど、今回のアンケートを最初にして、ちゃんと活動するという事だ」

要するに、拠点が西棟側なのでこちら側はほとんど認知できていないし、ちゃんと活動していなかったから先生たちも特に何も言わなかった、ということ。

そして、生徒会長は2学期になってから、活動報告がしっかりとしているのを認めてからという前提のもと、発表する。1学期が終わったなら、その候補者の成績や素行もわかりやすいから教師陣も困らない、そう説明がきた。

「でも僕からしたら、こことB組の『5人』が生徒会みたいなもんだけどな」

と、評価しているのかどうかわからない声を、くれる。

まあそうですね、学校側にうるさく言えるという点ではですね、とわたしはまあ、それだけ思う。

B組のふたりは確かに生徒会役員といっても不自然さは性格的にないが、わたしは目立つのが好きではないからせいぜい書記しかできないし、マサカちゃんと穂村君を生徒会役員ですといってもほかも本人も全く納得しないのではないか。

特に穂村君は入学式後の騒動で某先生に殴られているから、教師陣に対する不信感というのがいまだ強い。両方の緩衝役にはなれないのである。

 

「御名術をもってるやつは生徒会長にさせないほうがいいっす」

 

マサカちゃんが、急に言う。大曾根先生を呼び止めて。

「その心は?」

「へんな考え方してるやつが生徒の代表になったら、あたしたちが生きづらくなるから」

「243人の代表が、特定の生徒を不自由させるようなことはしないだろ」

「だっておかしな考え方してるやついるんだもん。やっぱさあ、校長先生に近いやつ、しかも御名術使いっていうのは除外してほしいかな」

「加納は誰のことを言ってるの?」

だが、その言葉は少しとぼけていて。今の指摘、先生はピンと来ている。マサカちゃんがそういうことを言う対象はひとりしかしないから。

「人形谷はぁ、あれ、なんだかんだ言って校長と持ちつ持たれつやってるから」

「いや、そんなことはない。人形谷は確かによく職員室に来るけど、おまえ以上の反対派だと思う、校長先生に」

「エ。そうなんだ」

「先月なんか2日にいっぺんは抗議しにきてるぞ」

「エー」

 

そして先生はその話題をやめたいようで、「人形谷はこないだ体育の授業で痛い痛いってバレーボールから逃げ回って…」、話を切り替える。

「だっさ。アハハ。やっぱ小学生じゃん」

そこで急に穂村君が、言う。

「先生。加納が聞いてんのは、っすね。H組の人形谷が生徒会にいるかどうかってことなんっすよ」

それは鋭い、深奥を穿ったひとこと。

先生はそれに少し驚いた風で、口をつぐんで、少し待ってから「生徒会のメンバーは西棟の関係ない男中心の集まりだぞ」。

「そうっすか。オイ、加納、もうそれでいいよな」

「…あー」

 

 確かな洞察力だと、わたしは思う。マサカちゃんはああいった、話をそらされることに結構弱い、というかすぐに思っていることを上書きされてしまい、帰るころになって「聞き忘れたことがあった!!」とよく騒ぐのだ。

「あの、みんなに言っておくけど、最近そういう話が多いけど、用もないのに西棟の特定の生徒を見に行くの、やめること。されてるほうは迷惑だから」

「いやでもさ、知っといた方があたしたちの巻き添えになったりしなくて―」

「4月に加納と柴崎を好奇心と野次馬心で見に来ようとする別のクラスの生徒をこっちはこっちで頑張ってせき止めてたんだから、今度はこっちの番!」

「うー」

ああ、そうだったのか。わたしは裏事情を聞いて少し恥ずかしい。確かにあの頃は視線が多かったけれど、なんとなくすぐにおさまっていくのを感じていた。

ただ、御名術もちだとばれることは、競争に参加したくない人たちにとっては確かに迷惑なのだろうとは思う。

C組の富島君はもともと性格的に孤立しがちではあったけれど、廊下での戦い以降はマサカちゃんと竹内君がフォローを入れないとさらにまずかったらしい。

いわゆるいじめ行為は、平均値と異なる方向に向いて目立ってしまったり、狭い世界での常識を飛び出している者にふりかかってしまうものであるから、逸脱の度合いが大きい御名術もちの1/10というのは住み心地が悪いものであるはずなのだ。

 

 そして先生は、「一回、生徒会のメンバーと会って話してきたらどうだ。できたばかりだから、思うところは今のうちに言っておけばいいと思うぞ」、と。「柴崎も連れて行って」。

最後の発言はつまり、御名術もちの生徒がいるかどうかも自分たちで確認をしろよ、ということで。

 

 

「景虎、行く?」

「ちょっと今日は抜けれねえ用がある」

「あ、そう。じゃあ、あたしとユッピだけで行こ」

「わりいな」

「でも10分くらいで済ますよ。一応来たら?」

「…できれば、早く行きてえから」

「なに、女?」

そう、マサカちゃんは冗談めかして聞いたのだが。

彼は固まってしまい、視線があらぬ方向へと飛んで行ってしまって。

「エ?ま、まじ?」

「…」

「まじまじ。ねえ、どこのクラスの子?」

「…いや。悪い。やめろ」

マサカちゃんの顔が悪ーく、ほころんでいく。久しぶりにいい遊び道具を見つけたぞ、そう言わんばかりに。

「ちょ、あたしらに相談しろよ!どこ行くの!ねえ、教えろよ!かわいい?どこで知り合ったの?」

いつものクールっぷりはどこへやら。彼はたじろいでいる。ということは、本当に、特定の女性と会い、それなりに重要なのだろうと、わたしさえ思う。

「…柳峰大付属高校って、どこだ」

「鈴が原市の左のほうだっけ?」

わたしは、「そう。バスケと女子テニスがすごい強いところ」。知っていることを言う。「でもヤンキー多いんだよね」。

「いいじゃんっ!そうか、そういうとこならお前のリーゼントももてんのか!なるほどねえ!どうやって知り合ったの!」

穂村君は横を向き、こめかみをさわる。「いや、そんなんじゃねえ。ちょっと成り行きで、そういうつもりはなかったんだ、ただ、向こうは俺に礼をしたいって言ってて」。

「なに?礼って。景虎なにしたの?でもその子あんたにお礼したいんだよね?なにしてくれんの?ちゅーしてもらえたりすんの?」

「こっ…」

顔が、こわばっている。彼は。平常心のままでいようと、必死だ。

これは本気なのか、とわたしは思う。彼、少し顔が紅潮していないか。一番、わたしを妄想させないと感じていた彼が!

「ほほほほほほ、穂村君教えて!!きっと素敵だと思うの!!!」

「ユッピ、ちょっとおとなしく」

「いや、ちげえんだ。待て、そういう事じゃねえ。俺は、そうだ。ジュースおごってもらうだけだ。それだけだ。そう約束したんだ」

「ジュースだけですむわけねえだろお前ー!何だ?襲われてんの助けてやったのか?そしたらお前、こないだはありがとう本当に嬉しかったんです、わたしとおつきあいしてくださいだろコラァーーーー!!」

「きゃーーーーーーーーーーーー!!!」

思い切り黄色いふたりの声が、そしてあがって。

「やめろっつってんだろがそういうんじゃねえ!!」

「いやまじ。景虎、冷静に考えろ。ものすごいこと言っちゃうけど、あたしはさ、おまえとハゲだったら、お前が先に童貞切ってくれた方が、うれしい」

「ママママママサカちゃーーーーん!!それは声が大きいよ!?何言ってんの!?どーてーだなんて!!」

「ユッピもたいがいでけえわ!」 

 

 わたしたちふたりは興奮して、わいわいと内容も細かく知らないのにああしろこうしろと彼に言って。

彼は、説明もうまくせず「違うってんだろ!!」の一点張り。

「いいから言えよ!かわいいのか!」

「いや、そんな、かわいいとは、思わねえ…」

「失礼なやつだなあ!ん?どういう系?清楚?活発?イケイケ?」

「…あれは元ヤンだと思う、姉御キャラみてえな…」

「元ヤン!いいじゃないか、お前にぴったりだよ」

「え。穂村君。姉御キャラってなに、タメ?」

「…2年らしい」

「2ねん~~~~!!??お前!!おま、おま、お姉さまじゃねーか!!やったじゃん、お姉ちゃんって呼んでいいよ~、かよ!!

「これねえ!これねえ!わたし思ったの、たぶん前に年上の男のひとであんまりいい思い出なくてね、その先輩はね!自分からぐいぐい引っ張っていきたいんだと思う!!でも穂村君は甘えてるだけじゃダメなの、だってその人が欲しいのは癒しと包容力だから!かわいがってあげたいと、たくさんかまってほしいのせめぎ合いだからね!!!そういう少女漫画こないだ読んだもん、間違いない!!!」

「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

大騒ぎ、である。なお、まだ1時間目の休み時間である。このようなパワーを無碍にこんな朝っぱらから消耗してはいけないのだが。

穂村君は、ではどうしてそうなったか、そしてどうしてお礼を受ける流れになったのか全く言ってくれないので、逆に妄想がはかどるじゃあないか。

 

 なお、これまたわたしは大きい声で言えないが、どうも東棟の親しい男子4人で、マサカちゃん言うところの童貞サミットがどこぞのファミレスで行われ、あれこれわたしたち女子が腹を立てるような話題をつらつらと交わしていたようである。

伊崎君だけがどうも候補というかそういうピックアップができており何かよからぬことを考えているようであった。これについてはマサカちゃんが「現場を見つけたらぶっつぶす」と言っている。

そのときは竹内君と同じく、穂村君も「あてがない」という感じだったそうなのだが。

なお花形君は「あ、俺もちょっと見込めないす」と言い、まったく説得力がないと全員にしばかれていたという。

まったく、そういう話は、どうにかして誰も聞いてないときにしてほしいものだ。わたしは思う。そういうののターゲットにされるのも気持ち悪いだろうけど、そういうのを何も言われないというのも決していい気分ではないのだぞ、と。

 

 

 6限目が終わって、わたしたちは教えられた通りに西棟、E組へと向かう。廊下をかくん、かくんと曲がって、普段は立ち入らないそちら側へと。

特に伝えたいことは多くない。「御名術もちの生徒とそうでない生徒が差別されないようにしてくれ、校長の言いなりになってこちら側に不利益なことにならないようにしてくれ」、そういう内容。

 

「なーんか人形谷と出くわしそうだなー」

「意識しすぎても疲れちゃうよ。べつに、こっち側に潜入したからってケンカふっかけてくるようなことはないと思う」

 

 印象としては、東棟の廊下を通るときよりも、全体感として騒がしい、と思った。

個々人が大きな声を出しているというより、所属する全員が一言二言多くしゃべっているのではないか、という予想。その理由は知らない。地域格差、というやつか。地域?

 

 ただ確実に言えることは、こちら側、西棟は、もう御名術もちがひとりしかいないということ。わたしたちにとっては考えられないような環境である。

入学式前に一方ともう一方に振り分けられ、接点が少なくなるような環境ですでに3か月弱過ごした。学力格差もさしてないはず。

そして廊下等の掲示物などは整然と並んでいて、決して御名術もちどうしで争いがあってガラスが割れた、とか壁になにかがぶつかった、とかそういうのはないのだ。きっと。

 

 そしてD組から一番近いE組、それでも見知らぬ世界。そこに入り込んでわたしたちは、生徒会やってる人だれですか、と聞く。

すぐに教室の窓際を指さされ、近づく前に。

「ゆり」

男子がわたしの名前を呼んで。

男子4人が同時に振りむく。

わたしはバッグを落として。窓からの逆光が、わたしの視界を奪う。

「ひさしぶり。どうした?」

「あっ…せっ…せ、せいと…かい…」

 

 彼とは同じ中学で。わたしはいまだに1年以上前の告白の返事をもらっていない。矢敷貴臣、その彼に。

一緒に振り向いた彼とは別のひとりに黄色い粒子の存在を感じたが、わたしはそれをマサカちゃんに伝えることさえ、できない。




高校生男子の「誰が最初に童貞捨てるかコンペティション」ってノーマークなやつが一抜けするよね。


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#30 プロフィール 穂村(3/10) 

名前:穂村景虎 ほむらかげとら Kagetora Homura

 

 

 

性別:男

 

 

 

年齢:15歳(作中1年生現在)

 

 

 

生年月日:1981年7月31日

 

 

身長:165cm(作中1年生現在)

 

 

体重:60kg

 

 

血液型:A

 

 

略歴:幼少より厳格な家庭で育つ。得意分野への突出した才能には欠けており、勉学やスポーツ等において理想が高すぎた両親に評価をされず多感な時期を過ごす。一昔前の不良、と認識される象徴的なリーゼントの髪型は、そういう環境への記号的反抗心の表れである。彼の才能は「どのような分野でも平均水準をキープできる」という、逆にそうなることの方が困難なものであるのに。

 

 

性格:基本的には冷静沈着で何事にも動じないが、女性相手にテンションが上がったりパニックに陥ると途端に思考能力が低下してしまうきらいがある。入学式後のマサカとのケンカの敗因は、マサカが女だったため判断力を失ったことによるところが大きい。情に厚く、友人を大切にする。不良に見えるだけの、真面目なやつ。

 

 

学力:中。ほとんどの教科について平均的な理解度と得点力があり、苦手な教科、というものがない。ただし、かなり静かな環境でないと頭に入ってこないようだ(「いつものメンバー」と勉強会は不可能)。

 

 

趣味:明確な趣味はないが、カラオケが好き。不良・暴走族漫画、学園ドラマの視聴なども好む。

 

 

御名術:他人の瞳を凝視することにより意識を失わせる。意識を失わせた対象を再び凝視すると、それを操ることができる。

 

 

帯の視聴覚:不可

 

 

 

 

 

 

 

(以下、文字稼ぎのため読む必要なし)

 

 

 

まれにこのようなプロフィールを合間合間にはさみます。

 

筆者のための備忘録のようなものです。

 

RPGツクール側でキャラクターのイラスト・グラフィックを描いて下さっている方に、マサカとゆりのツーショット作成をお願いしました。大変きれいな絵を描く方なのでこのような下品な小説に当て込んで迷惑にならないか心配です。7~8月前後に挿絵として発表する予定です。 

 

 

 

 

今後の執筆計画としましては

 

 

 

 

→恋が育まれますように(3)~(6)か(7)

 

 

 

→三日月の黒い夢(1)~(8)

 

 

 

→セックス・オブ・イット(1)~(6)か(7)

 

 

(1年生期終了、2年生期へ。思いついたら1年生期のサイドストーリーを追加してゆく)

 

の予定です。出足がハイペースだったから、そろそろのんびり目に書いていきたい。

 

昔から私の文章を読みなれている私の友人でもないのに、このような小説をお気に入りにしてくれる方々に心から感謝を。

 

 

 

 



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#31 恋が育まれますように(3)

 光から半身を背け、わたしはたたずんで彼を見たまま動けなくなってしまう。

同じ学校に通っていて、わたしは東棟で彼が西棟だということは知っていたが、そのうち出会う、ということを考えていなかったのは、心の片隅に置いたままだったから。

きっと新しくできた友達とのやりとりが面白すぎて、楽しくて、今の自分の心の最大面積を占めるものになってしまい、極端な話、わたしは自分の恋などどうでもいいものだと決めつけてしまっていた。

こうして出会うまでは。

どうしてこう近くにいられると、胸がいっぱいになってしまうのかわからない。昔からそうなのだ。だからわたしは言葉を詰まらせてしまい、久しぶりだねも何も言うことができない。

いつか出会ったら「そろそろ1年前の返事を聞かせて!」と強気で詰め寄るくらいのことをしてやろうと思っていたのに。そしてどんな答えが返ってこようと願い下げだと。2度と会話したくない、と。

わたしはそういうところが全て口だけで、あーとかうーも出てこないから、結局は彼に会話の主導権をとられる。実に情けない。

 

「今A組にいるんだっけ。何も変わってなさそうだけど元気してんの」

「…うん、元気」

「生徒会に用でもあったのか」

「そう。生徒会に聞きたいことがあって」

「ああ、そうなんだ。そしたらなんでも聞いてな。まだ形ちゃんとできてないけど、要望はできるだけ通しまっせ」

「…」

そして彼以外、もう3人の男子もこちらの様子をきょろきょろ伺い、物珍しげに、なぜかわたしを見て。なぜか?そうじゃないだろう。理由はきっと明白で。

 

わたしの顔が、だいぶ赤くなっている可能性が強い。

 

「生徒会長になるやつはだれ」、マサカちゃんが、いつもよりも冷たい感じの声で、聞く。わたしははっと自分を取り戻して。

いや、冷たいのでは、ない。何か、怒っている。ような。その理由は。

「一応、自分です。矢敷です。よろしくおねがいします。えーと」

「あたしは加納真砂可。多分名前知ってるでしょ。生徒会に頼みたいのは、あたしらのような御名術もちの生徒が他の子達と差別されたりするような学校にならないよう、お願いしにきた」。そして、いつもよりもずっと早口で、威圧的に淡々と。「あとこの学校の校長は考え方がおかしいと思ってるから、キミらが校長の奴隷みたくなるようなら早いとこやめさせたい。そこんとこどうなの」。

「ああ、A組の御名術使い…なんですか」、彼は驚き、そして少し考えて、「俺たちは校長の奴隷なんかじゃないですよ。むしろ対等に話をしていきたいと思ってる、ですから、悪いことにはならないです。あと彼」

矢敷君は、ひとりの男子を紹介した。その彼は。そう、まだわたしはマサカちゃんに言えていない。彼には帯があって。見たことがある。D組の…。

「どうも、浦済慶輔です」

「彼は、御名術もちだそうです。彼がこの会にいる限り、御名術もちの生徒が不当に扱われることも、特別に扱われることもないように意識してます。ですから、そういうことはちゃんと最初から考えています」

そう。D組のかなりの美男子、浦済君、である。

彼は右手をそっと前に出して。

見た目は竹内君をしゅっとさせた感じだが、まあ、それは美形で。TVから出てきたような一般人離れしたオーラがある。わたしの知る限りのジャニーズのメンバーの誰かにも勝るような第一印象だ。

ピリピリしているマサカちゃんさえ、目を丸くして、そこに差し出された手について、ついつい友好的に握手を、してしまっている。

 

「ゆり、彼かっこいいよね」

矢敷君がそう笑って。わたしは否定できない。事実だし、そう問うたのが彼本人の言葉だったから。

そして自制をするかのようにマサカちゃんはばっと手を離す。

「生徒会に御名術もちを入れるってのはいいかもな」

彼女はそう言って。

「そうですよね。そういう枠は必要かなって思って。ま、もともと俺と彼で生徒会作ろうって意気投合したんですよね」

「キミは西棟の人だよね。ちょっと質問がある。H組の人形谷。あれのせいで巻き込まれて嫌な思いしたような子は、いないの?」

その質問に、男子全員が顔を見合わせて。

そして後ろにいたひとりが、「同じクラスだけど。別にないすよ。たぶん」。

「本当?あたしたちはね、今までずっと関係ない子を巻き込まないよう巻き込まないようってかなり気を配ってやってきたつもりだから。でもあいつ、この短い時間で西の御名術使い全員に勝ってるんでしょ。そこにはきっと不測の争いとかが生じてるはずだよね」

「でも、いつのまにかそうなってたって感じだから、そうなってたってのは人形谷がどうやら西棟の御名術もちで最強だってことですよ。最強だって証明されたっていう噂が流れただけであって、実際俺たち、H組にいても、そういうシーン一回も見たことないもの」

「うーん。そうか」

 

 そして東棟の事情を知る、D組の浦済君が説明をするように。

「東棟の御名術もちどうしの勝負って、今のところほとんどが大騒ぎになるような戦いばっかしてるんだよな。こっち、西側とは差はでかいよ。だからこういう意見が出てくるのは当然だし、無視しちゃいけないんだよ、矢敷?わかるか」

「はぁ。そりゃ、無視しちゃいけないでしょうよ。なに急に?」

矢敷君と、浦済君が相対して言葉を交わし始める。そしてわたしは、なぜか、それに見とれてしまい、このあとの記憶が少し、ない。

 

 

【ここで視点は変わる】

 

 そして東棟の事情を知る、D組の浦済が説明をはじめる。そこに、なにか正義感というか使命感のような―マサカには、自然とそう見えた―主張が生じて。

「東棟の御名術もちどうしの勝負って、今のところほとんどが大騒ぎになるような戦いばっかしてるんだよな。こっち、西側とは差はでかいよ。だからこういう意見が出てくるのは当然だし、無視しちゃいけないんだよ、矢敷?わかるか」

「はぁ。そりゃ、無視しちゃいけないでしょうよ。なに急に?」

「わかれよ?こういう事をわざわざ言いに来てる時点でさ。困ってんだよ。彼女たちは今の現状に。だから、俺らはいまできるだけすぐに、そういうことは生徒会としてさせませんって答えなきゃダメってこと」

「いやうん、わかるけども。ん?なんか慶輔がそう…熱くなるの?」

 

 マサカは思う。ほう、と少し感心して。

率先して生徒会やり出そうとするあたり、目立ちたがり屋かしゃしゃりのどっちかだと思っていたけど、少なくともこっちの、嫌味なほどかっこいい方は東の人間だから、あたしたちのことを多少なりともわかっていて、あたしたちが何を求めてるのかすぐわかってくれたのだろうか、と。

ただしその、生徒会長候補に熱く説く姿は、少しばかり芝居じみた誇張性があるとも彼女は感じた。だからその相手が困惑気味なのだ。

そしてそれは、自分に対する一定の怖さというものを抱いていて、ここで要件を呑むことが要するに将来的な自分の身の安全を保障するために役立つ、とかそういうことを考えた打算的な発言ではないかともマサカは思う。

が、それでもいい。同調者がいるのはかまわない。裏で何を考えているのかはかまわない。こちらを騙そうとしている感じではないとわかるので。

彼女にとって、そういう会話がなされることよりも、最終的に生徒側が校長側よりも自由に動く力があればそれでよいのだと、思っている。

 

 そして早いうちに話はまとまり、生徒会の4人はマサカの要望を、早期実現には至らないかもしれないけど、必ずそのようにできるよう約束する、そう扱う。

彼女らにとってそれは交渉成立であり商談がまとまったことになるわけで、そこにもう無為に居残る必要は、なかった。

けれど、ゆりが何か、矢敷という男をぼーっと眺めていることにマサカは苛立って、強めに手を引いて、そこから離した。

彼女らはE組より出ていく。見送られて。

 

 

「慶輔はああいうのもいけるんだ」

「全然いけるでしょ。だって矢敷が一歩逃げちゃってるのが意味わかんないもん」

「いや、俺にはわかんないわ」

「そう?」

「わかんない」

「あの、おとなしそうな子はなんなの?」

「あああいつ?中学が同じなの」

「それだけじゃないよね」

「あれは、俺のことが好きだったの」

「だった。今は?」

「知らねえ」

「あれは、たぶん矢敷のことが好きだよ、きっと今も」

「そうなんだろうね」

「相手してあげないの?」

「なんかあいつ、地味だったんだもん。ぱっとしないっていうか。こっちが好きになってやれるかどうかは別問題でしょ」

「嫌な男だね~…こいつ、やばいよね」

「まあでも昔より雰囲気良くなったと思う。垢ぬけたってぇか。ほんのちょっといい女になってきた」

「すげえ上から目線」

「でもあれよりいい女いっぱいいるからね」

「ひっでぇ」

「ああいうのはさ、適度な距離でおいとくと、いつか役に立ったりするんだよ?」

「ハハハ最悪ー」

 

 

 壁に耳あり障子に目ありということわざの文字通り、E組の教室内、彼らが陣取っていた箇所の壁の下付近に"洞"を経由したマサカの左耳があって。

彼女はそれを歯ぎしりをしながら聞いている。かなり、頭に来ている。

 

 マサカはA組の教室に戻って誰か話を聞いてくれそうなものを探すが、いない。ではすぐ次にと隣のB組に入り込んで、こいつだ、と一人を選び、荷物を整理している最中の彼のもとへ。

「お前このあと時間ある」

「お。どうして?」

従士郎が顔を上げて。

「真面目な話したいから。ハゲいないな。もう帰ったのか」

「呼べば来るよ」

従士郎がポケベルを取り出して。

「東口のモスバーガーいこ。でも、話は聞いてほしいけどおごったりはできない」

「柴崎さんはいないの?」

「あの子の話だから、あのね」

「…ああ、いいけど」 

 

 彼女は大好物のきんぴらライスバーガーを大口でかぶりつくが。味が違う。美味くないと。

けどそれは食材には特に問題があるわけではない。おおむね、自分の精神状態が原因だという事を、彼女は馬鹿ではないから理解できている。

従士郎はコーラをストローで吸いながら、話の概要を聞いたが自分一人で返答するには経験不足であるしかなり言葉を選ばなくてはならない、と感じ、風雅を待っている。「少し考えてから答えてもいいかな」、と。

先ほどマサカが盗み聞きした会話は、従士郎の性格としては「まったく女のひとをバカにしたひどい言い草だ」とは思うのだが、そんなものは男だけの環境になれば耳にしないわけではないから。

そして風雅が派手な柄のシャツを着てやって来て、「おや、柴崎がいない」と目をぱちくりさせる。

 

「なに、こういう事を言いたいの。柴崎はそいつに1年前告ったけどずっと放置されてて?今日久しぶりに会ったらそれでもまだ好きみたいで?で、おたくは盗聴した感じ、そいつはクソ野郎だって?そう言いたいわけ?」

「伊崎君、加納さんはこの件について、今すぐにやめさせたいんだって。柴崎さんには明日にでも忘れてほしい、と」

「んなこと言ったってしょうがないだろう~…おれが同じ立場だったとしても、例えばよそのクラスにおれがずっと好きだった女がいたとしてもよ?その子がウラでおれの事ボロクソに言ってたとするよ?竹内君に、『伊崎君、あの女子はやめた方がいいよ』って言われたとするよな?やめるかよ。やめねえよ。だっておれはそんなの聞こえないもん。竹内君。君は違うのかい」

「…ちがわ、ない」

「そうだろ?しかも柴崎だろ?あいつ、むちゃくちゃ妄想するんだぜぇ?少なくとも1年間以上好きなんだから、あいつの中では勝手にストーリーが進んでて、脳内では幸せな家庭もって子供3人と幸せに暮らしてるよ。どうしろっちゅうのよ」

風雅は頭を撫でて笑う。その指摘を聞いて従士郎もつい笑う。マサカにとっては深刻だとはわかってはいるのだが、つい。

「いいかね加納。少し自由にやらせてあげればいいんじゃないの。それで少しはあいつは傷つくかもしれんけど、これはおたくの恋愛じゃないじゃん。軌道修正を、するなよ。おたくがそうやってるとねえ。柴崎によくないじゃん。なに、おたくは柴崎の今後の彼氏さえも自分が完璧に気に入る男じゃなきゃ、嫌なんだ?なんでそんな権利があんの?」

「てめーふざけんなよ。ユッピは永遠のあたしの彼女だぞ」

「いや、おたくがそう思ってんなら勝手に思ってろ、なんだけど。なんか過保護で気持ち悪いなあって」

ずけずけと、風雅は言う。友情関係は一方の独占に依るものではない、彼はそう言いたい。

従士郎は、「まあまあ、伊崎君。ただ、柴崎さんには、裏でこんなこと言われてるよくらいは教えてあげたほうがいいと思う。これでまたずっと、彼女がろくに返事もされないであしらわれるというのはさすがに問題だと思わないかい。それは女性をバカにしすぎだよ」。

「あ、誤解のないように言っておく。おれも、そいつはゴミ野郎だと思う。好きですって言われてまともに返事もしないっていうのは、クズ。でも、残念ながらそんなことされてる柴崎の目がハートになってんだから、止めらんない。でも、おたくの盗聴した内容は、言ってあげれば。ひょっとしたら考え改めるかもしれないよ」

 

 マサカは食べかけを半分置いて。自分のことではないが、あまりに苦しい。

あんなものが、ゆりの気を引いて離してないというのが、本当に気に入らない。

 

「どうかな、伊崎君。柴崎さんを傷つけないように、こういう男だよというのを丁寧に優しく伝える方法で考えてみて…」

「わからんなあ。柴崎は、そういう男だっていうのを割と知ってて好きなんだと思うよ」

「…そうかもしれない」

「おれが引っかかるのはね、その男のことじゃなくって、柴崎の好きなようにやらせないで、自分の思い通りの男じゃないからヤダって言ってる加納の方なんだが?お見合いすすめてくる親戚のババアみたい。よく知らんけど」 

「わかってんだよ!そんなことは!ただ!なんか気に入らないんだよ!」

そして彼女はいつもより高いトーンで語る。

 

「ユッピが好きな男追っかけてんのはいいよ!でもさ、あいつ、ダメなんだよ!初めて見たときからなんかおかしいって感じたんだ!あいつ、見た目だけはいいけど、全然いい男じゃないんだ!ほんっとーに、嫌なんだ!」

彼女は一口だけライスバーガーをかじる。そして、投げるように置いて。もう食べられない。

彼女は憤って。徹頭徹尾、あれを好きでいる限り幸せになれないのが見えている。それを指摘しないとゆりが不幸になる。が、彼女の恋を壊すのもそれはしたくないのだと。

魅力が、見えてこない。すでにだいぶ親密な仲なのでマサカはおおむね聞いている。矢敷という男については。が。

あんな素朴で無邪気な彼女がはまるほどの。そして、何がいいのか、どこが好きなのかゆりに聞いても、決定打となりうる要素、自分が納得のいく「だから好き」の理由が、恐ろしいことにゆりは「ルックスと雰囲気」以外に、ないのだ。

それが本当に、だめだ。

 

それを聞き流して風雅が、マサカの側のトレイを指さして。「ねえおたく、そのきんぴらバーガーもう食わないの?食わないならおれにちょうだい」。

「ハゲかよてめえー!あたしのDNA採取して何するつもりだタコ!」

「女のくせして逆に気持ち悪いこと言ってんじゃねえ!」

つかえた喉のものを流し込むべくアイスティー飲もうとするが、マサカの右手からグラスが滑る。「あっ」、そういう声の前に、従士郎がすぐにキャッチし、倒れるのを防いだ。

「加納さん、興奮しすぎだから少し落ち着こうか」

「…ああ」

「でも、第一印象がおかしいって言うのは、加納さんは言い過ぎだよね。探せば魅力は誰にでもあるもんで。柴崎さんが、加納さんの見えてないそこを見て、彼を好きって言ってるなら、どうしようもないよね」

 

 右手が少ししびれている。学校を出るあたりから。マサカは手を回したりわきわき動かして、繰り返しているとその痺れは収まった。

何か、歯医者の治療から帰ってきて、感覚が鈍い唇の動きがもとに戻っていくようなときのことを、彼女は思い出した。




異性品定めトークは女より男のほうがエグい。自分が何点くらいかとか全く意識せず見下し評価する。ちなみに「あたしのDNA」のくだりは現実にそう言った女を知っているのでなんて言語センスだと感心した。


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#32 恋が育まれますように(4)

「イヒヒヒヒ。どう、景虎くん。お姉さんいいお店知ってるでしょ」。蓮は、ついた座席の向こう側奥、カウンター席付近に設置された年代物のコーヒーサイフォンを指さしたり、外国の洋館で吊り下げられているようなイメージを思わせる照明機器を指さしたり。

一番年長のベストを着た従業員は、それこそまるで、爵位をもった近代の有力者のようにひげをたくわえ、むすっとした面持ちで食器やコーヒーカップを磨こうとしている。

「アタシ、なかなかここには相当仲良くないと連れてこないんだよ。ネ。いいでしょォー」。

そして景虎は素っ頓狂とも思える返答で、「TVの世界だ」、と自分でもよくわからない評定を言った。

 

 彼はこういった、コーヒー1杯が700円より高くなる店など立ち寄った経験はなかったし、その雰囲気も歩み慣れている雑なファーストフードなどとは何もかもが違う。

「でも、いい店だと思うぜ」

そうして、言いなおすようにそこを褒めて言った。

「でっしょォー」

相手は、身体全体で笑う。

その仕草を見て、穂村はそして表情は一切変えないものの、なにか心の中で、どき、と高鳴るから。

おかしい。別に、かわいくもないのに。と彼は自分を理不尽に思う。

 

 彼が格好つけて頼んだ、詳しくもないダッチコーヒー(値段は真ん中へんを選んだ)が届き、年上の女はエスプレッソを目の前に置かれるとはしゃいだ。

その味が美味いのか不味いのかはよくわからない。以前間違えて買ってしまった缶コーヒーよりは美味いかもしれないとは、思う。さらに、彼女が注文したコーヒーカップの小ささの意味がわからない。

そしてカウンターに立っていた老人は近寄ってきて、「蓮、ケーキは食わないのか」と訊く。

名前が通っているのか、こんな女子高生に、と穂村は驚き、「エエー食べたいけどさァ」。「フルーツタルト。金持ってないのか?一口くらいならただでやってもいいぞ」。「エッ、ううん、カネは持ってんの。ただねェー。この子にがっついてるとこ見られたくないんだよォー」。

そして当然の行動のように、その老人に、蓮は財布を開いて見せる。

また、だ。穂村からも見える。今日も札束が―千円札多めの3万円くらいであるが、15歳の少年には札束である。老人は顔をしかめて。

「またガキのくせにそんな大金持ち歩きやがって。じじいはお前のその金の出所が心配だよ」

「違うものォー。これはね、ちゃんと自分で稼いだカネェー。昔みたいなことしてないってェ。まじめに稼いだあたしのカネなんだからァ」

そして彼女は体全体で騒ぐ。

なにか、穂村は老人に「スンマセン」と無駄に謝った。その行動に必要性はなくて。

老人は言った。「お前のツレにしてはなかなかいい顔した坊やだな」。

「アッ!マスターやっぱわかるよねェ!1年生なんだよ1年生!でもすんごいパリっとしてると思わない。一昨日、あたしのヒーローになったんだものォ」

穂村は複雑な顔でその言葉に驚き、老人に頭を下げ、「穂村です」と挨拶をした。

「いいよ、君。若いのに目がいい、その髪型もじじいには最高だ。昔を思い出す」

と、険しい貌で彼はほくそ笑む。

 

 こうやって、年長の従業員と会話になることも彼にとってははじめての経験で。その、決して居心地は悪くないけれど緊張感があって、なにか自分を認めてくれる場所。そこに彼は、心の安息のようなものを、得る。そして、体面する女がいて。

「マスター雇ってあげたらァ。スカウトするのォ。このお店たまにバイトの子欲しいときあるって言ってたじゃんねェ」

蓮はデミタスカップを空にする。強いコーヒーの香りが最後に漂って。

「ん」

「ねェトラちゃん、どう。バイトしてないんでしょォ。たぶんその髪型じゃパチ屋かガソリンスタンドしか無理じゃん。でも15じゃあ取ってくんないよねェ」

そうして勝手に蓮は話を進める。ついさっき、少し金を稼ぎたく悩んでいる、のような話題になったばかりだった。

老人はやはり険しい貌をして顎に手を持って行き、少し考えて「若すぎんな。もうちょっと18くらいに見えるようになったらいいかもなあ」。そう診断する。

「エーッ!アタシより年上に見えるじゃんよォ!」

「お前は俺にゃあ13,4にしか見えないよ。それにしてもいい目だなあ」

 

 蓮がそれに文句を言って、そして彼はここで、自分の姿に怪訝な表情を見せる一般的な周囲とは一線を画した、ある種の、口幅ったいが、それはきっと自分のための場所であって。

「フルーツタルト食うよな?」

「ウン。やっぱ食う」

そして彼は心を開いたか、年上の女に、「なんであんたはそんな金をいっぱい持ってんだ?」、訊く。あまり答えを聞きたいわけではないが。

「だって急に必要になることもあるじゃんねェ。女なんだから」

それは彼の聞いた質問に適していない。

「違う、いや。その金はちゃんと…」、と、穂村は口をつぐむ。

「アーッ!景虎くん、アタシがこの金カツアゲとか援交とかして稼いだと思ってんでしょォー!ちがうちがう、アタシを信じて。バイトの給料入ったら全部おろしちゃうんだもん、アタシ。前に弟にさァ、クズなんだけどね、勝手に銀行のカード持ち出されたときあってさァ。暗証番号とこに誕生日打たれたら、おろされちゃうじゃんねェ。ひどいよねェ。だから自分のカネは自分で守んないとねェ」

「…」

「ウン、まあ、昔はネ。そういうことして稼いでた時期もあったけどねェ。今は違うんだよ。信じてねェ」

そして穂村はその表情の微妙な動きを感じ、そして包み隠さず言う言葉の真意をつかんで、むろんショックも受けるが、そこに、彼女の人格をみる。

 

 なんでだ。俺は、この女のことが好きかもしれない。

 

 彼と、蓮の接点は最初から起算し、いまだ30分足らずであって。

そんなのおかしいぜ、彼はそれを勘違いだと自分に言い聞かせる。

 

 やがて時間が過ぎていくと、蓮は思い出したかのようにもうおしまいだと、今日のところの別れを切り出し、レジで2467円を支払う。結局、当初の穂村のジュースだけなどという子供の約束はいい意味で無視されて。

しかしもうそれを咎めようとか指摘しなければなどという考えは、彼には、ない。消えた。

「本当に、お前は歳のくせに金の重みが軽い、よな。蓮」、老人は嘆くのに飽きたような顔をして。「君、君からもこいつに、金使いを改めるように言いなさい」。穂村にそう言う。

 

 

 6月30日。

 

マサカが単独でD組に来るというのが彼女にとってはだいぶ珍しい事で。

廊下で待っている風でもなかったので、詩津華はさっそく「柴崎さんと何かあったんですの。口げんか?」。

 

「違うよ。たまにはそういう日もあるの。いつも一緒とかバカップルじゃないからさ」

マサカは無意識のうちにそういう言い回しを吐いた。それもまた、詩津華は珍しいな、と思う。色恋に関わる単語を自ら言うタイプではないと知っているから。

「天里さんのことですか」

そして本題を指摘される前に。

「そうだよ」

「すみません。まだお話に至ってないんです」

「どうしてだよ。もう1か月したよ?隣のクラスだよね」

「病欠しがちなんです、彼女。昔からそうなんです。わたくしも毎日C組をのぞきに行けているわけではないのは謝りますけど」

 

 ふたつ隣の教室なのだが、美有が話題をあげてからもう1か月も経ってしまうというのに、マサカは未だ天里凛々守という女の姿を見ていない。

ゆりは、後頭部だけを見た、という。しかし、まったく帯を感じなかった。やっぱり御名術もちではないのではないか、という疑念も沸いた。

けれど、それでは美有が嘘を言ったことになって、その行為にメリットがない。

これが例えば、美有と天里につながりができていて、東棟になにか影響というか行動を起こすがため目論んでいるとしたならば、美有はあそこで「C組の御名術もちは3人」などと、言うか?

隠していればいいのだ。

ゆりの意見として「帯の弱い強いがわかる人形谷さんの見間違えってのは、ないと思う。どっちかっていうと見間違えてるのはわたしかもしれないよ。わたしの身の回りの人達も、校長先生も、人形谷さんもだけど、帯が体中を包んでいるんだけど、いざ御名術を使うってなったときにね、それが1か所に集中するように見えることがあるんだよね。C組の富島君は帯が大きい手になるからね。だから、近くで、全身を観ないといけないかもしれない」と。

彼女はまだ臆病ながら、仲間たちの「眼」である自覚とその責任感が身についている。

 

「わかった。もしつかまえられたら、教えてよ」

「当然です。わたくしも彼女には。『御名術が身についてしまったならどうしてわたくしに相談しないんですか…』くらいは、言いたいのです。彼女の性格なら、持て余してよくないことになります」

詩津華はそう言うが。彼女と花形は中学時代より知っているはずだが、「どういう女なの?」という質問を、答えづらそうにぼんやりと曖昧に返答する。そして、そんなの誰にでもあるじゃん、と言われるまでがいつものワンセット。

そこに花形が立ち入って。

「おはようっす」

「あら。おは…」

「アッ。お前の事、ずっと誰かに似てるって思ってたんだ。そうだ、昨日TV見ててわかった。ミスチルのギターだ」

「だからさ。マサカさんいつも脈絡ないよね。そしてあんまり嬉しくない」

「ギタリスト!あなたギタリストだったんですのッ!詳しく聞かせなさい!」

地味な男はよそ見して、ゆるいパーマのかかった頭を掻いて。「あーもうこれ長引きそうだな」。 

 

 そして誰それが芸能人で言うと誰に似てて、などと軽い話が続いて、花形は待ちきれないように話を切り替えた。

「マサカさん、ちょっと大事な話あるんで、いいすか」

「ア?」

詩津華が珍しがって。彼から詩津華以外の誰かにそういう形で話し出すのは、以前もあったように、彼しか知らない極秘情報が語られるときであって。彼は事情通である、と周りは評価する。だいたいそれは詩津華も初耳の情報となってしまい、いつも彼女に怒られて、いる。

「どうしたんですか?またわたくしに何も言わないで大事なこと!」

「ホントだよ。そんで、どうしたの」

「んー。ちょっと、その、内容が内容なだけに。あっちの方で、サシで話してもいいですか」

「…は?」

マサカは意表をつかれて。

「待ちなさい。それをわたくしに聞かせないというのはいったいどういうことなんですの」

「内々におさめたいと思ってるから」

「わかりませんッ!」

マサカは困惑しつつも詩津華をなだめ、「…じゃあ、ごめんな。黄瀬のギター、借りるね。大丈夫、別にとったりしないから」。

「執事長、覚えておきなさい。わたくしにあなたが隠し事をするなんてどうしたものか。もちろんあとで教えてくれるんですよね?」

「いいえ。だいぶナイーヴな話なんで、言いません」

「何ですってッ!」

そこに可愛らしい怒りが生じるが、マサカはその空気感を読み、花形に従われ廊下まで行き。そして、そこではまだ騒がしすぎると、窓がきれいにはりなおされたトイレ前廊下まで、出る。

 

「なんかお前とふたりでしゃべるの珍しいね。なに、お前もマサカちゃんファンクラブに入りたいの?」

「それ、よく言いますけど本当にあるんですか。どういう活動内容でどういう会報が配られてるんですか」

そして花形はてきぱきと言う。スポークスマンのように。

 

「昨日の昼すぎに、穂村君がちょっと悪そうな女の子とふたりで歩いてたんだけど」

「おお~っ!!そう!そうなんだよ!あいつ、なんか年上の女つかまえたらしくてね!デートしたはずなの!あ、木曜だけじゃなくて昨日も会ってたんだぁ!?」

さすが、情報通、とマサカは花形の背中を叩いて。そしてそこまでは、からかうでかいネタができた、と喜び。

「その女の子、あ、先輩なんだ。その人ね、穂村君とわかれた後、方向同じだったんだけど」

「エ?お前、いつもそうやって尾行して情報集めてんの?恐ろしいやつだな」

「いやちょっと。マサカさん。こっからマジで。俺、心配してるんですけど」

「ア?」

「その先輩のとこに、それとは別の髪の長い女のひとがやってきてね」

「んん」

「で、穂村君とデート?してたその人、その髪の長い女のひとをいきなりビンタして、で…その、ビンタされたほう、財布からお金を差し出して。で、ぐわって、奪い取って…」、すっとマサカの顔が、静かになって。「俺は確実に見ましたけど。穂村君はそういうこと知ってるんだろうか」。

そしてマサカは少し待って。

「確かか」

「はい」

「そうかよ…」

「もちろん、穂村君はそういうのに直接は関わってない、関わるわけないってわかってるけどね」、彼は頭を掻く。言葉を選びながら。

「うん」

マサカは頷いた後、「あいつ、きっと舐められてんだよな」と断定的な評価をして、「どうしてあたしの好きなやつらってこう、人を観る目がないのかなあ。だめなのかな。わからんもんかな」。

花形はそれに、「それは、わからない」と。

 

 その会話はそこで冷ややかに終了し、マサカはどう伝えたらいいのか、いや、というかどうやめさせるべきか。考えて。こっちの件は、ゆりのほうよりはずっと言い易そうだと思い。

お互いの教室に戻るため踵を返して右手へ曲がろうとすると、マサカは思いがけぬ美男子に出くわす。

「オウッス、花形君」

「よぉ、浦済君」

現れた浦済はD組同士、少し花形と言葉を交わして、そしてマサカに目を向ける。

「花形君、話し終わるの待ってたんだけど、加納さんお借りしても大丈夫?」

「うん。俺はもういいよ」

彼だけが先に行く。

そしてマサカは、嫌味ったらしいほどかっこいい奴だなあ、と感じ、徐々に表情を緩和させてゆき、「なに」と訊く。

身長差がほとんどなく、視線が水平に一致する。

「先週言ってくれた、生徒会への要望、御名術もちの生徒と他、うんぬんの話、校長先生と生徒指導の先生たちに言ってほとんど了解とってきたよ」

「お。ホントか」

「矢敷がノッてこないから、俺がさっさと片づけて来たんだよ」

「仕事のできるやつだなあ。キミが生徒会長やったらいいんじゃないの」

「俺はそっちは苦手なんだよー」

と、浦済は手のひらでマサカの二の腕に触れて。それは特に他意のないコミュニケーションのひとつなのだと感じるが、気になったマサカはすぐに払う。

「ごめ、ちょっと触っちゃうクセがついてて」、彼は自制したように苦笑いをする。

「まあいいけどさ、それ、セクハラって言いだす女、結構いるからな。気をつけたほうがいい。中小企業のハゲ部長とおんなじだぞ」

「しないしない。ちゃんと人は選んでやるから。でもかわいい子には、いつの間にかやっちゃうなあ」

マサカは顔をしかめ、そう最近はかわいいなどとは言われた覚えがないので、「ナンパ野郎」と強がって、感情を隠す。

 ほどなくして片腕にぴり、という浅薄な刺激を感じたが、すぐに彼女は忘れた。

 




ブラックか微糖のコーヒーを平然と飲んでる女子高生はカッコイイか大人っぽい。これが男子高校生だと奇抜な背伸びしたがり野郎。甘々にしたコーヒー飲む女子高生は可愛い。男だとお子ちゃま。なぜなのか。


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#33 恋が育まれますように(5)

 7月1日。

 

 穂村が登校するとすぐに、男の誰かしらに捕まる前に、マサカは神妙そうな顔を作って彼を廊下に呼び出す。昨日花形にされたように。

気にして様子をうかがおうとするゆりを、待っていて、と押しとどめて。

 

 神妙そうな顔を作って、というのは彼女お得意の芝居がかった批評、文句の準備のためではない。

そういうものを自分に課さなければ、ただ単に少し反論を受けただけで怒り狂う可能性があると彼女は自分の事を、こと「怒り」という点においてはよく知っている。

それでは説得力がない。

「日曜にお前が女と遊んでるのを見たって知り合いがいるんだけどさ」

それを聞いてすぐに、一度は知らぬ存ぜぬを決め込む態度を見せたが、相手をごまかすことの方が難しそうで彼はすぐに肯定した。

「…それでどうした」

「どうしたもこうしたもあるかいタコ!ホントお前ってやつは」、マサカは言葉を止める。

「ああ、日曜に会ったよ。信じらんねえ、見られたことよりおめえに言うやつがいるって事の方が信じらんねえ…」

「悪い事言わない、やめとけ」

彼女は呆れるほどにストレートで。搦め手だとかオブラートとかそういう気づかいは、しないし、遠回りに、意味がない。穂村はそんな彼女の態度にすぐに苛立ち、強く言葉を返した

「やめるだの何だの、そういう話になってねえ。なんでおめえにそんな事言われなきゃなんねえんだ」

「また会うのかよ」

「…それがどうした。期末試験のあいだは会わねえよ」

「あー。そうなんだ?試験終わったらガンガン会うんだ?夏休み入ったら毎日会うんだ?いっちゃいちゃしてべったべったに過ごしてやりまくって、夏休み明けに従士郎とハゲに偉そうにするんだ?お前みたいなのをクソバカって言うんだよ」

その文句はからかいでもおふざけでもなくて、ただ彼女の得意とする、相手をこき下ろすための罵詈雑言だ。すなわち、敵意がある。

「…ぶっとばすぞ、てめぇー」

そしてそれにカウンターを放つように。

「そのあとすぐ、お前と遊んでた女が別の女にカツアゲしてんの目撃情報が入ってんだけど、お前はどう思うの」

「なに!?」

そして彼女は残酷に、「やめとけ、じゃないやもう。やめろ。お前がダメになる。なあ、お前は見た目がアホなだけだから許されてんだぜ。中身までアホになったらどうすんだよ。そんなあたし縁切るわ、そういう価値観持ってるやつと仲良くしたくない」、ばさりと。

穂村は絶句して。

 

 そこには、まだ彼は年上の女のことを完璧に知り得ていない、という負い目があって、彼女がそういう嫌疑をかけられたときに清廉潔白である、と言ってやれる自信が、彼には不足している。

そうかもしれない。心当たりがないわけではない。それを認識すると嵌るパーツがある。

「オッ、青ざめたな。すぐに逆ギレしてこないだけ、ちったあピンときてるふしがあるように見える」

マサカのそれは評議の開始であって、要は、それを聞いてショックを受けたならすっぱりやめるか、(そんな器量があるとは思っていないが)2度とさせないように女の方と穂村がきっちり話し合うか、最悪絶交してしまうけど、それを容認して女の側につくか。

選べと。そういう意味で。

こういうことを言うのも、相当体力がいるものなのだな、とマサカは疲れて思う。どうでもいい相手、価値判断の基準から遠く離れた相手ならば未来のことなど考えずに罵倒するだけなので心は疲弊しない。

けれど。

「いいや。俺はあいつを信じるぜ。あいつはそんなことしねえ。それは何かの見間違えか事情がある」

「なんだと」

彼女にとって一番嫌な返答がやってきて。

 

「自分で見もしねえことを、大事件みてえに騒ぎ立てて、もしそうじゃなかったらとか思わねえのか。程度が知れるぜ。だからおめえはダメなんだよ、まず人としてよ」

「嘘言えよ、バカ野郎。なんか心当たりあんだろ?でなきゃあの間はなんだっつーの。オイ。なに。お前、そういうカス女でいいんだ」

「あいつをカスって言うな。取り消さなくてもいいが、もうしゃべんな」

「待てよ。ふざけんじゃねえぞ。人様の金は自分のもんですって言う女が、いいんだ。お前、そんなクソ野郎だったんだ。それとも、これからやめさせる自信でもあんのかよ。今すぐ答えろ。今すぐできるって言ってみろ」

「答えるもクソもねえ、あいつはそういう事は、しねえ!やめさせるも何も、あいつは何もしてねえ!あいつの金はあいつが必死で稼いだ金だ、他人のもんじゃねえ!」

「なんだと景虎ァ!お前ふざけんなよ!頭腐ってんのか?ア?事情もクソもあるかよ!何、恋は盲目か。お前、好きな女が悪いことしてるのも止めらんないのか。いい加減にしろよ!そんなん男じゃねえ!」

「おめえはあいつの顔を見たこともねえくせに、決めつけんじゃねえよ。問題なのはお前の頭のほうだ」

「お前とは」、マサカはそして、穂村につかみかかる。「絶交する前にブチのめしてやる!!」、哀れみも含めて。

 

 腕力は彼の方が勝るが、体型がほとんど変わらない二人、そう簡単にふりはらえるものではない。

廊下がばたん、ばたんと音がすればすぐに教室の皆が集まりだして、しかしこの2人のことを物理的に止められる者がいないことは誰もが知っていて。それは空手部の笹尾でも中に入りたくない案件。

そういうときにA組でなんとかできるというのも彼女しかいないのだが、さすがに二人とも興奮状態では怯む。

ゆりは意味もない大声をあげて間に入ろうとするが、マサカと穂村の取っ組み合いを止めることはできない。そこに御名術は行使されなくも、すぐにマサカの拳が穂村の顔に当たる。

「ああもう!誰かB組から竹内君を呼んできて!」

そして3発目のマサカのパンチが当たった頃、同時に穂村が凝視を行い、つい引っかかったマサカは体がぐらりと揺れて片膝をつく。

穂村は思わぬ痛みのため片目を閉じてしまっていたので、意識を失わせるには不十分。マサカは一瞬ブラックアウトし、だがすぐに覚醒し、また穂村を殴る。腹部。

騒ぎは収まらない。平均的な従士郎あるいは風雅の登校時間にはあと10~15分程度が必要だ。

 

 穂村はそして、力任せにマサカを投げ倒す。壁面にマサカの頭ががん、と当たり、ようやく彼女は動きを鈍らせて。

それを、まずい、と穂村が思った矢先、マサカは仰向けのまま右足を浮かせて床に振り下ろすと、穂村の後頭部に"洞"を経由したマサカの足首が飛んできた。

彼も、うずくまる。

 

 そしてふたりは、もうやめなければと物事の整理がまったくついていない状態で諦観に近い顔をする。

話し合ってももう絶対に無駄だという事を、彼女らは互いの性格をよく見知っている。

 

 

 

「おかしいね」、ゆりが言う。「うん、あいつ、だいぶおかしいんだよ。頭やられてる。年上のヤンキー女に浮かされて…」、「そうじゃない」。

マサカは急に厳しい声を放つゆりに驚いて。そして、少し涙ぐむ。

「あたし、ユッピにまで否定されちゃったらどうしたら…」

「マサカちゃん、聞いて。わたしはわからない。誰の言ってることが正しいのかとか。でも、花形君から聞いたことをまるまる信じたら穂村君とケンカになったのは、どう考えても速すぎだよね。違う?」

ゆりは正確な指摘を、して。

「そのワンシーン、花形君しか見てないんだよね。マサカちゃん見てないよね。穂村君も見てないよ。じゃあ、穂村君はそのこと知らないでしょ。なのに、急にそんなこと言われて決めつけられたらさ…穂村君がその先輩のこと好きになってるなら、普通は否定するよね」

「だって、あいつだってわかんないじゃん」

「そう、つまり、マサカちゃんもわからない」

 

 今日の大事のあと、A組はずっと張り詰めた空気で。それは、入学式のときよりも声一つ出せない雰囲気で。

放課後の今、やっとゆりはマサカに訊くことができる。中立的な立場をとって、どちらかにも寄らない立場で(マサカと一緒に帰っているので、片方に寄っては、いる)意見を言った。

彼女にとって穂村と蓮の関係性と、蓮の悪行の真偽はどうでもよく、今はとにかく仲裁をしたい。そもそもこの話は、花形に詳細をもっと聞き出すものではないのか?

マサカは叱られた子供のようにぶすっとして、口数少なくとぼとぼ歩く。

そしてマサカに優しく降りかかるゆりのお説教を切り開いて、悲しげな顔で言う。

「ユッピ、あたし、変な恋して視野がせまくなってるやつの気持ちが本当にわからない」

「マサカちゃん。それ、わたしに言ってる?」

否定しなくて。

「…」

「理屈じゃないんだよ、わたしは、穂村君の気持ちわかるなあ。きっとマサカちゃんは矢敷君のことが嫌いだから」

それは見透かされたように。

 

 それから数分して、男の歩幅で大きな足音を感じ、振り向くと小走りで駆けて来た、当の矢敷が現れた。

ゆりはびくりとして。

「ああ、やっと追いついた。このあと暇?生徒会で決まったことあったから、ふたりにちゃんと説明したくって。浦済がさ、なんか張り切っちゃってさ…物事がすいすい行くもんだから、忙しくて」

「こ、このあとは…なにも、ないよ?」

「ゆり、門限なかったっけ」

「もう、厳しくないよっ」

その質問に、ゆりはだいぶ喜んで。マサカには何が嬉しいのか不明だ。気を遣われたのがよかったのか。あるいは門限があることを覚えていたからか。

マサカはそして、弱くため息をついて。「ふたりでやって。あたしは、さっさと帰りたい」、

「え」

「口挟まないから。あとでどういう話だったかは聞くけど、ふたりで楽しく話してればいいと思う」

「…」

「ごめん、ユッピ。ちょっと、疲れちゃって…」

「待って、先に、ううんと…穂村君のピッチの番号知ってる?」

「…うん」

「それだけほしい。大丈夫、ちゃんと明日には仲直りできるようにがんばるから」

「あ、うん。わかった」

そしてマサカは手帳を出して、ページを1枚破る。

「お、慶輔!」

そのとき、3人とは別の方角より浦済が現れ、微笑む。

矢敷は大げさに手を挙げて、「慶輔が走り回ってくれたおかげで教諭陣といい交渉ができたって、そういう話をしようとしてたんだ」

「それなら、昨日もう加納さんには言ってある」

「は?はえーな」

「ねー」、浦済はマサカの肩に手をおいて。「きやすく」、マサカが顔をしかめるが、今日は振り払わない。

そこに。ゆりは、そこに起こる現象の意味をつかみかねて。ただ、愕く。

ふっと、マサカの目の焦点が、ずれる。なにか、重要な位相のひとつが散ってしまったように。

4人の方向は二手に分かれ、ゆりの顔をみたマサカは思い出したかのように電話番号の羅列のうちひとつを破いたページに転記し、ゆりに渡した。

 

「あっちは、ふたりにしてあげて…で?浦済はなに?あたしになんかおごってくれんの?」

「うん?ああ。いいよ」

「なかなか気前のいいやつだな。高得点をつけてあげる」

マサカはゆりに手を振って、そして浦済とともに、そこをあとにする。

ゆりの目がだいぶ長い間こちらを伺っているけれど、マサカは気にしない。

 

 

 どこか行きたいところのリクエストはあるの、という浦済の質問にはマサカは「まかせる。期待してるから」と好意的に答える。

そしてマサカは、いつの間にこうなってしまったのか?と少しだけ疑問視し、けれどすぐに取るに足らないことだ、と気に留めない。浦済に手を握られていることは。

おかしいな。彼女は少し考える。

電車で3つ先の駅まで移動し、さして詳しくもない駅名の場所で降りて、誘導されるままに彼女は浦済についてゆく。日はだいぶ落ちて行き、夕焼けというべき明るすぎる18時を迎え、名前も聞いたこともないマイナーなファーストフード店で軽く食事をし、滞在時間30分程度。

おかしいな?何がおかしいんだっけ?

マサカは浦済の質問に答える。それは普段の会話で発生するような、中学時代の話だったり、家族構成とか、インドネシアでの生活の話、高校にあがってからの最近の話、あるいはTV番組で何が好きか、好みのタイプの芸能人は、など。

そういう話をやり過ごして、浦済はマサカに訊く。「どういうタイプの男が好み?」、マサカはすぐに。「お前みたいなのは、なかなかありだよ」。

 

 おかしいな。

 

 そして二人は手をつないだまま店を出て、彼女は少し、ゆりの別れ際の顔を、思い出す。

あの、表情はどうしてするものだったか…。

ゆりの驚いた表情として、あれは、想像には適していないと思う。自分が、浦済のような男にからみ、気を遣って矢敷とゆりをふたりきりにさせたということとは。その驚きでは、ない。

その驚きだったならば、ゆりはもっと喜びというか、ニヤついた、というかそういうものが混ざった顔をするのではないか、と。

そして隣の男はいつの間にか、いや。自分が近づいて行ったからか。肩を抱き寄せていて。随分と近い距離になってしまったからそれに怪訝そうな視線や好奇を向ける通行人らとすれ違って。

「お前、すごくいいよな…」

マサカはぼそりと、ぼんやりと、言う。

 

 だが。

違和感は、最初からあった。これは自分の性格とだいぶ異なるのだと。行動も、言葉も、意識も、何かがかけ離れている。自分のと。

そしてマサカはついにその結論、違和感の理由を理解し、それを文章化すると。

 

 自分は、1年以上かからないと、男を男として好きになれないはずなのだ、と。こんな早いはずが、ない。

 

 それに気づくと、マサカは本能的に、自分の右頬を、思い切り平手で打った。ぱあん!と。

 

 

 そして彼女はピンク色のシーツに横たわり、シャツを脱いで上半身のほとんどを露出させ、身動きを取ることが、できない。そこで目を覚ましたならば。

「ねえ、なにか飲む?」、と浦済は添え付けの冷蔵庫を探り、ちらちらとマサカに振り向く。

彼女はその状況を徐々に把握し、そして"洞"を作り出すのだが、できた孔は手首が入るくらいにしか大きくできず、揚げ句の果てには手首から先を満足に動かすことも、できない。

 

(ま…麻酔…!)

 

 そして彼女は理解する。D組の折笠君じゃない、かっこいい方の男子は御名術もちだよ、と。ゆりは、以前言っていたはずなのに。

麻酔の御名術。思考及び、肉体。それも、媚薬のような性質をもった。

 

「ジャワティー置いておくね、ハハ。インドネシアっぽいからいいよね、そうでしょ?」

浦済は当然のように制服のスカートの金具をはずし、ファスナーをおろし、そのまま引っ張って下げる。

いますぐこの顎を蹴り上げなくては、とマサカの必死の願いは身体をごくわずか、足を浮かせるだけにとどまって、彼女はそのまま、下着だけにされる。

 

「こいつはまずいな」

「ああ、大丈夫大丈夫。はじめてだよね。さっき言ってたし。でも全然痛くならないから。こういう細かいところまで、俺の御名術はね、配慮ができてるんだよ?」

叫ぼうとして、けれど呼吸音が漏れ出るだけになって。それ以前に、こういったラブホテルで叫ぼうが、そう助けは来ない。

 

マサカは最優先事項として、この部屋の構造把握と、この状態でできる最大限のサイズの"洞"をどこにつくるのかと、全裸にされた後どれほど時間の猶予をくれる男なのかと、そういう事を必死で考え、麻酔が切れるよう思い切り唇を、血がにじむほどに噛んだ。

おそらく少し前に唇は奪われたような記憶があるので、そのことだけは、もう諦める。




表現的にはR-15だけどメンタル的にはR-17.9くらいだろうかな。


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#34 恋が育まれますように(6)

 どうもこの麻酔に追加投与という要素はないようだ。身体は徐々に、ほんのわずかずつ、動きを取り戻せていく自覚はある。

しかし、きっとこの必死さは決して即時回復をもたらすものではなく、かなりの疲労を生じさせながらきっと1時間以上は費やさないと元通りの身軽さは期待できそうにない。

それでは時間が足りない。浦済はもう自らの着衣をすべて脱ぎ捨てようとしている。

 

 ゆりの言い方を真似るならば。

この男に御名術で誘惑された、それはいい。麻酔と媚薬のような行使能力があり、唇を奪われた。悔しいがそれはいい。

だが、このシチュエーションだけは、ダメだ。相手は、自分を前後不覚の状態に陥れ、身体を好きなようにされるというのは。そしてきっとこれの被害者は自分だけではない。手口が慣れすぎている。

 

 このような男は明日にでもA組・B組連合でぎったんぎったんにして、社会的にも殺してやるべきだ。それは非常に簡単だ。

だが、それはあくまで明日の話であって、今この場でこんな男にはじめてを奪われる、というのはかなり嫌だ。なんとかしなければ。なんとか。

そしてマサカは聞く。表皮から内臓までの感覚が鈍磨している。脈が異質で、気持ちが悪い。長い質問の文章を言い切るだけで、かなりの疲労が起こる。

 

「お前、その御名術を持ち出すつもりか…信じらんない。最悪だ。女をレイプすることだけに特化してる。ずっとこんなことやってきたのか…」

そして浦済はそれに臆することもなく、歯を見せた笑顔で。

「持ち出せなくてないよ。学年で一番の御名術使いになろうとなんか全然思わないさ。でもね」、その言葉に嘘は連結していなくて。「せっかくこういうことができるようになったんだから、3年しか楽しめない高校生活なんだから、1000人切りくらいやってみたいからさ」。

きわめて能天気で、物欲的で低知能。マサカは愕然とする。こんなものに、誘惑されたのか。自分のことを思い切りぶん殴ってやりたい。

こんなものを、下衆な性格を、普段は自分に観察眼があると自覚して、周囲の人の見る目の無さを指摘しているというのに、これを見抜けなかった自分が本当に腹立たしい。

「でも、これが、何人目かは、女の子に失礼だから言わないようにしているよ」

「…じゅうぶんに失礼だ、この野郎…」

マサカは深呼吸をして。そして胸に浦済の手が近づくと、時間稼ぎにまた興味もない質問をかける。

「まさか…生徒会の活動は、これが目的なのか」

「とんでもない!これはれっきとした、俺の趣味であって、これを誰か他の男に展開したりしない。女の子に失礼だし、俺の御名術は俺だけのものだから、矢敷とかにおこぼれをあげるつもりもないなあ」

それは時間稼ぎにはならなかった。浦済はマサカの形相に恐れを抱くこともない。ただ当然のように乳房を揉む。

「グッ」

気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。

「ほら、そんな嫌そうな顔しないの。歯医者とおんなじだよ。力は抜いていた方がいい。加納さん。マサカさん。マインドのほうを自力で解いたのは君がはじめてだよ。でもそのせいで、快感はもう約束してあげられそうにない。それは我慢してちょうだい」

マサカの身体が嫌悪感のみで寒気だつ。

 

 さて、と浦済は覆いかぶさる準備をし。やはり変わらぬふざけた笑顔で、マサカの身体に影をつくる。

マサカは、そして虚空を見つめて目をゆっくりと閉じてゆき。

「ああ、もう心の準備できた?そうだと助かるんだよね、身体の大きな女は硬直してると扱いがすげえ難しくなるから」

浦済は小指をマサカのブラにかけ、弄ぶ。

「大事な質問だ浦済。…上と下どっちがいい」

「ハハ。今が上だけど。それとも変わる?俺はどっちでもうまくできるよ」

「いや。今決めた。やっぱ上にする。下とかむりだわ、冷静に考えたら」

すぐに。

浦済の視野の外で、マサカの右手首の半分が"洞"のなかへと消え、浦済の目の前に指が到達し、そのまま左目をえぐるように、眼窩に突き刺さる。

「うがああああぁ!!!」

彼は海老ぞって、後ろに倒れ込む。浦済の身体はマサカの肢体からたちまち離れ。

マサカは"洞"を消し、血のついた指をシーツで拭う。

「気っ持ち悪ぃ感触…でも、ケツの穴ほじくるよりは100倍ましだったな…だから上にするって言ったんだ」

ベッドから転げ落ちた浦済は片目を抑えてもだえている。が。それをしたからマサカが逃げられる、ということはない。これもまたただの時間稼ぎにすぎない。せめて起き上がる程度まで身体の麻酔が消えなければ、解決にならない。

こういうことを繰り返して、身を守りつつ麻酔が解けるのを待つ。そういう、悠長なことが続けられたらどんなに楽なことか。自分の身体に興味をなくしてくれたなら、なおよい。

マサカは両手首から先だけで身体を引きずって、身体の角度を90度ずらした。そのベッドの上にいるまま。

 

 しかし浦済はあきらめない。彼女の身体を。

片目には激痛が走っていると思しいのだが、すぐに彼は血液のにじむ目の苦痛をものともせず、またマサカを抑え込んだ。そしてバッグから粘着テープを取り出し、手を開けないようぐるぐる巻きにする。ゆっくりと。

マサカは思う。今の目つぶしからすぐに立ち直るなんて。そうか。こいつは、自分にも麻酔を使ったんだ、と。

粘着テープの用途はまだまだ続く。彼女の両手首は頭の上でしばりあげられ、手のひらが開かないように固定される。下半身はぴくりとも動かない。

 

「そろそろ抵抗してもしょうがないってことをわかってくれたかな」

眼から血液がぽたりと落ちて。浦済はマサカのショーツに手をかける。

「なあ、本当にわからない。そこまでしてあたしとやりたい?目ん玉そんなんされて、お前明日の自分のこと考えてみないの?」

「もう、ここまでくると意地だよね。俺は物事を途中で投げたりしないんだ」

「クッソくだらねえ。征服かよ。猿と変わらない」

「猿でいいんだよ、猿で!男ってなそんなもんー」

 

 だん!と。

そのとき。

この部屋のドアを叩く音が聞こえて。

 

「なん…?」

「ああ、来てくれた。本当やばかった。来てくれた…」

ドアを激しく立て続けに叩く音がして。

「誰だ!?」

「お前、あたしの友達のことちゃんとわかってないだろ。ただ、これはユッピだな。従士郎だったらとっくに扉をぶち破ってる」

「…」

「ユッピはあたしのファンクラブの1号だからさ。どうにかしてあたしの居場所を突き止めるくらい、できると思うよ。最近ニュースで流行りの言葉を使うなら、ストーカー。そんくらいあの子は凄い。あの子はね、あたしが書いた電話番号のメモを受け取ったんだ。これの意味がわかるか?お前に肩を触られて、マトモに字も書けなくってミミズがのたくったような電話番号のメモを、見てるわけだ。そして、お前の全身の帯がどんなふうになってるか、どんな風にあたしの身体に麻酔をかけたか、そんなこともあの子は見えてわかるわけだ。それの意味がわかるか?」

「…くだらない、だからどうした?この部屋は鍵がかかってる、ドアを叩かれ続けているくらいで中断できるというなら…」

「そうだね。アホな猿はドアを叩いたって勃起したまんまだよね。で、もしもあの子があきらめて、外に出て警察を呼ぶとかする方法にいっちゃったら、その間にあたしはやられちゃうよね」

「ハハ。わかってる。わかってるじゃないか。誰が来ようと、無駄なんだよ」

「お前、なんであたしが目つぶししたあと、身体の向きをこっちに変えたかわかってないのか?」、マサカのテープで固定された左腕は、そのドアの方向へとのばされていて。「お前があたしの左手をこっちに固定した時点でさ、入口においてある機械とあたしの左手の距離は8mを切ったんだぞ」。

は、と彼は理解できず。

浦済は知識がない。A組の生徒ならほぼ全員知っている。B組であっても一部には伝わっている。マサカの"洞"が届く距離は、8mあれば十分。まん丸にされた片手はすでに、ロック解除のための支払い入金機に、密やかに彼の財布から抜き取った一万円札を挿入している。

 

 かちっ。

「なあっ!?」

間の抜けた男の悲鳴があがって。

 

 そして蹴破るように扉は振動して内側に開き、ゆりが現れた。

どうやってここを探り当てたのか?それは、探偵のような聞き込みと、帯の残滓の追跡と、女子高校生的本能である。

どこから調達したのか。その手に木製バットを持って。

眼輪筋、咬筋、頬骨筋、側頭筋を痙攣させ、仁王の形相で、半裸のマサカとそのように脱がした男を、凝望する。

「コッワ」

マサカが正直に彼女を見て声に出す。こんな顔できる子だっけ、とばかりに。

その歩みは数歩で、ゆりはベッドに到達し、浦済の顔面へとスイングをする。バッティングセンターで耳にするような綺麗な音は聞こえない。ただ肉がつぶれる音がするだけ。

男の絶叫が上がった。それでもゆりは怒りに任せて殴打するのみ。2打。

「死ね!!死ね!!死ね!!」

3打、4打、5打。そこでゆりはバットを手から落とした。手汗で滑ったのだ。

しかし武器を拾おうとせず、そのままゆりは全身を突っ込ませて、ふらつく浦済に体当たりをし、振るうことも不慣れな拳で6打目。

マサカは気づく。「だめ!そいつを素手で触っちゃだめ!!」.

「うっく…」

そのマサカの忠告は遅い。体表の黄色い帯にそのまま麻酔効果があるとは、ゆりには看破できなかった。彼女は違和感としびれを受け、四肢のはたらきが鈍磨する。

ゆりの素早い動きは封じられる。それでも殴打のダメージが手痛く残る浦済はもう、マサカの身体はあきらめたか。しかし、ゆりの身動きをなくし、逃げおおせようとはしている。

 

 しかしマサカの身体は少しずつ自由を取り戻している。次につくる"洞"は大きくできそうだ。

この浦済の御名術には、前述のとおり追加投与はない。同一の生物に再度麻酔をかけるには、最初の麻酔効果がゼロになってからまた触れる必要がある。すなわち、マサカの身体に触れたとしても、また完全に停止させることは、現状彼は、できない。そこが弱点。

「ユッピ!こいつぶち殺そう!」

「わかった!!」

ゆりはそして、千鳥足のようなステップで前のめりに倒れ込むように浦済へと激突。それらの身体は左右に大きくぶれ、そしてその挙動の結果、ふたりは埋め込み型の窓のそばに達して。

マサカは、やっと上半身を起こした。それで距離感は掴める。視野が広がったならば。

そして"洞"は浦済の背中あたりに1m程度の大きめの孔として発生し、それは窓の外に接続している。

「うっ、うわっ、あああああああ!!??」

そしてうろたえる彼を尻目に、「ねえユッピ、ここって何階だった?」、「2階だよ」。「なんだそうなんだ。意外と大したことないな、じゃあ死なないか」。

もう一度ゆりはその身を立ち上がらせ、ふらつくのをそのまま利用し、ばたん!と浦済にぶち当てる。それは頭突きになって。

「ユッピ!そいつと一緒に落ちないでね!」

「あ!大丈夫!いま!」、ゆりはマサカのほうを向いて。「落とした」。

"洞"は消え、その部屋から浦済の身体の一部も見えなくなり、少し待ってからなにか墜落音がして、するとふたりの身体の自由が、もどる。ゆりは叫ぶ、あいつの帯がわたしたちの身体から消えたと。

 

 ふたりは浦済を落下させたところへ行き、窓の下をのぞき込む。

全裸の男は、驚くべきことにまだ動いている。マサカは、その麻酔の強力さに呻る。「そりゃああたしが身動き取れなくなるわけだ」と。

「あのバカ。マッパでどこに逃げる気だ、職務質問されんのはあいつなのに」

「あ、そのあたりは大丈夫だよマサカちゃん。もうひとり呼んであるの」

 

 

 痛みを消して息を切らし、そのホテルの敷地から逃げようと画策する浦済の行く手をふさぐように、瞳の大きな、リーゼントの男が現れた。

浦済は見覚えのあるその男が何者なのか理解すると、そしてまた間抜けな声をあげ、「うああっ!?」、前髪をつかみあげられ、その男の凝視を見るに、至る。

彼の頭をつかんだ穂村の手はしびれ感覚がなくなるが、それは一瞬であって、全裸の男は昏倒し倒れた。

それで、この馬鹿げた男の立ち回りは全てが終わった。

 

 穂村はゴミを見るような目で彼の裸身を一瞥し、そして足音を聞いて振り向くと、ふたりのクラスメイトが降りてきていて、片方は下着姿。

「マ、マサカちゃーーーーん!!せめてタオルを巻いて!!」

駆け足のマサカをゆりが追ってくる。

「お、おめえ、服着てから来やがれ!」

普段は一般的な女扱いをしていないが、下着姿で近くに立たれては穂村も大きく狼狽せざるを得ない。

マサカが谷間を寄せて。「いやいや景虎、お前ってさすがだよな。さすがだわ。だいたいお前が決め手になってるから。ほれ、そんなお前にサービスだ。今夜使ってもいいぞ」。

「マサカちゃーーーん!!ダメ!女の子がそんな軽々しくおかずを提供しちゃだめ!!」

「女の子がおかずとか言うんじゃない」

「見たかねえっ!見たかねえぞ!柴崎!こいつに服を着せろ!」

ゆりはマサカにバスタオルを巻き付け、ようやく穂村は目のやり場を取り戻した。

 

 ゆりが腕時計に目をやればもう20時。近隣とはいうにはやや離れた場所の高校生3名がラブホテルの敷地内で雑談。さぞ、明日以降は学校に悪い噂が流れることだろう。だが仕方ない。不可抗力であって、こちらはきっぱりと被害者だ。

「さてと、このクソ野郎どうしてくれようか」

「校長先生につきだして、御名術を放棄させよう!」

「でもこいつ意外とタフだったんだよね。放棄するなんて言うかなあ。あんまもう見たくないんだけど、こないだみたく脅迫できるような写真でも撮って…」

「なに言ってやがる。俺がまた睨めば、こいつが校長に自発的に言うようにするなんて簡単なこったぜ」

「そっか!穂村君は応用の使い方があるからね!」

そう。穂村の2度目の凝視は人間をあやつれる。それは味方でいる限りは完璧な決着手段だ。

美有から正しい「勝ち」の方法が聞けたのはよかった。こういった、危険人物は早々に排除しなければ、以後の大きなノイズに様変わりするのは火を見るより明らかで。

 

 マサカはため息をついて、「あーあ、ホントアホだね、こいつは。この力で医者を目指すとか言ったら、あたしはきっと…ダメだね。男は、性欲に勝てない?そういうもんなの?」、支離滅裂な質問を穂村に投げかける。

「まあ、あながち間違っちゃいねえけどよ。ヤリチンの気持ちは俺にはわからねえけどな」

「顔のいいやつってやばいんだな。あたしは今回本当に痛感したわ」

ゆりが何度も頷いて。マサカは彼女に、矢敷はどうしたのかと聞いたが彼女は答えない。

マサカは最後に、自分を助けに来てくれたふたりの手を両手にぎゅっと握って、「い、痛い…」、「痛ってえよ!さっさと離せ!」。いずれもが痛がるまで彼女は離さなかった。

 

 

※最終セクションの(7)に続く




女子高校生的本能を活用すれば友人が捕まっているいかがわしい場所を突き止めるなどきわめて容易なことです。それはもう確実に。よろしいですね。


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#35 恋が育まれますように(7)

 7月3日。

 

 その日の朝にマサカ、ゆり、穂村の3人は浦済をふん縛って校長室に引きずっていった。目の治療ほか全身打撲の安定のために1日も待ってやったのだ。松葉杖ついてででも来いと。

このD組の男はそれでもかなり根性のある男で、最後まで御名術を放棄させることについては抵抗したが、最初からそれは想定内で穂村の凝視の御名術で自我を失わせたままに連れてきている。

今までレイプした女の声を集めるぞ、という脅しも全く効かなかった。彼の御名術の影響下で「被害」に遭った女性という者は、このあとになっても現れなかった。

言ってしまえばそれは彼女らにとってかなり優良なワンナイトであって、いい男と気持ちのいいセックスができたのだから悪い思い出ではない、のであった。

あの媚薬麻酔の効能は、徹頭徹尾、後腐れがなかった。彼は本当に1000人切りをするつもりだったのである。

その結末にはこの3人はかなり不満である。御名術を失わせ、浦済は長期停学にはなったが。

これ以上の処分要求を言い出すのは、いささか不利さを感じた。加害者1名が重傷で被害者1名が無傷である。あの男はそういうところまで配慮ができていた。

新聞や写真週刊誌に名出しで載ってくれるくらいでないと怒りが収まらない、とはマサカの弁。

 

校長は飄々として。

「東棟の生徒にも、明確な優劣のつけ方が伝播したようで少し感慨があります」

「のんきなこと言ってる場合っすか。こんなんあなたの生徒同士の大事件ですよ」

「もちろん、未来の社会のために向けられるべき御名術の在り方が身内の傷つけあいになってしまったことは心が痛みます」

その言葉は、彼女らが思ったよりはずっと感情があった。

この校長は、かなり頭がいっているが、自分の学校の生徒は大切らしい。

そんな悲しそうな顔ができるなら、もうちょっと御名術説明会を最後までやりきれ、と思う。この校長はだいぶずれている。

 

 そんな、レモン色の帯に包まれた校長をはっきり見て、ゆりが訊く。別側面からの要求とばかりに。

「口止めの御名術をゆるくしてもらうことはできませんか?今回の事、警察に駆け込んで御名術の説明ができていたらもっと早く解決できたのですが…」

「入学式初日以降は、徐々に緩和しているつもりであります。御名術と帯の概念以外ならば、外に出ても超能力という言葉は使えるのではないですか。要は、それを皆さんの身の回りが信じるかどうかの問題です」

「む…」

「けれど、東棟の皆さんの御名術は派手すぎるようですので、それを言い出すことは損になると思います」

マサカは聞いていていらつく。しかしそれはその通りに聞こえる。学校内のことだけで十分大変なのに、これが明るみになると学校外が騒々しくなるだろう。

「それは、そう、かもしれませんが…」

「心配しなくとも、命にかかわる一大事のときは口止めの御名術は抑制を行いませんので、助けを存分に求めて然るべきです。口止めの御名術は、皆さんの学生生活を守るためにあるのです。基本的には。軽々しく口に出せてしまっては、皆さんの青春が台無しになってしまいますよ」

「ですから、それを説明会の時にちゃんと言えばよかったでしょうが」

「次回からはその言葉を重く受け止めてそうします」

穂村と校長の問答を聞いて、「あーもうムカつくな。次からちゃんとやればいいんでしょってことか」、マサカが。

「私の不徳の致すところです」

「どういう意味?」

「すみませんってことだよ!」。ゆりが補足する。

 

 そこで背後にドアノブをまわす音がして、振り返ったそこには美有がいる。日々の彼女の習慣のひとつであるか、校長に不満を言いに来るのは。

「おはようございます」

「なっ、人形谷?」

「人形谷さん、まだA組の方々とのお話が終わっておりません。少し待ってくださいね。割り込みはマナーに反しますよ」

「いいえ、いいえ。どうしても聞き過ごせない点がありました」、美有は端正な表情に鋭い怒りを携えて。それを見て校長は顎髭を手甲でこする。「次回からはちゃんとやる?それ、わたしたちのためじゃないですよね。もう説明会はしないって言ったから。つまり、次の学年のためにっていう事ですよね」。

そして校長が少し瞳を大きく開く。

「わたしたちの次の学年でもこんなことやるつもりですか!」

「人形谷さんにはかないませんね…」

 

「ウッソだろ」

「俺らだけじゃなくて、俺らが2年になったら次の1年もか!?」

「信じられない。偉人の排出は多くてもしょうがないとか言ってましたよね」

「まだこんなこと続けるつもりなのか。絶対にこの学校なんかやばいことになるわ」

「矛盾してます、ぜんぶ矛盾してるんです!おかしいもの、校長先生はわたしたちのこと大切にしてるのはわかるけど、でもその一方で御名術もち同士で戦うことは喜んで傍観してるんだもの!そんなのちゃんとした大人じゃあ、ないっ!」

「なにがしたいのかわかりません」

「ねぇ、今すぐ中退して大検とったほうが将来のためになるんじゃない?」

「やめてください、本当にやめてください!こんなこと、わたしたちの代で終わりにして下さい!」

喧騒となる。そして校長は「それも検討します」ときっぱりと言い、教諭を3名呼びつけ、生徒4人をそこから追い出した。

 

 

「もうちょっとでかい事件起こさなきゃ、あのイカレ校長の考えを止められなさそうだな」

マサカが怒り過ぎ去り逆に冷静に言う。

「でかい事件って何のことだ」

「そりゃもう人が死ぬくらいのことよ」

「無茶だよう」

それから数歩離れたところで低徊する美有、彼女は考え事をしているように見える。それにマサカが声をかける。

「絶対おかしいよね。1年生の1学期で、次の世代の後輩の事気にしなきゃいけないなんて高校生、わたしたち以外にどこにいるの」

「まったくだな…」

至極まっとうな理由で、ゆりが嘆く。

「おい人形谷」

「なに」

「キミのことはそこまで好きじゃないけどさ、ちょっと協力しないかい。責任を全部学校側がしょわなきゃいけないくらいの大事件が起こって、あたしたちの後輩に御名術どうこうができなくなるくらいになればそれでいいのかな?」

「それを起こしちゃえ、って考えてるの?なにをやろうとしてるの」

「あたしは思うけどな。校長のクビが飛べばいいんじゃないのか?こうさ、バシャバシャカメラで撮られててさ、記者会見でさ、校長ふくむ3人くらいがまとめて頭下げるような風景、テレビで見るじゃん」

「困るな。わたしをそこに入れないでほしい。わたしは普通の高校生活を送りたいだけ。そんなことあったら、注目の的になる学校の高校生になっちゃう」

「ワケわかんねえ。人類の代表者になりたいくせに、普通の高校生活を期待してるんだ。注目されたくないんだ。わかってなくない?自分が目指しているものを」

「だァーから、悪いふうに注目を浴びたいんじゃないっ!」

「へんなやつ。上に立つ人って絶対リスクしょってんのに。天然の御名術もちのお嬢ちゃんはさぞあたしたちには想像もつかない楽なプランがあるんでしょうなあ」

「あなたの考えてることは無関係の生徒も痛い目に遭う。それじゃ校長と変わらない!」

「あんだと?対極にいるつもりだけどな」

 

 キッと目を剥いた美有の視線の先に、マサカではなく穂村が立ち入った。

ある程度の情報は知っている。彼の目を見据えてはいけない。

美有はそれ以上を言わず、そのまま自分の教室へと去る。マサカはその後ろ姿にふざけた顔芸を繰り返し、振り向くのを期待してやっかんでいる。

「ねえ、穂村く…」

「あの女」

これからどうしよう、いろいろと、と問いかけるつもりのゆりを遮って、穂村は閃きを口にする。

「ア?」

「あの女、校長をぶっ倒そうとか考えてねえか」

「えっ!?」

そして少しの沈黙があって、3人の視線はあちらこちらに行って。

 

「いや、いいじゃん。それはあいつにやらせようよ」

 

 

 

「浦済がゆりの友達にとんでもないことをしてしまって、本当にすまなかった!この通り」

そこは体育館裏で、ゆりと矢敷のふたりきりというわけにはいかない。ふたりきりは避けさせた。定位置の白いベンチでマサカと詩津華が腰かけて。そのやりとりを眺めている。ひそひそ話をしながら。

矢敷はわざとらしいくらい頭を下げて、ゆりの反応を伺う。呼び出してきたのはそのためか?いや、違う。それならばふたりきりにする必要はなくて。

 

彼にとって生徒会設立の主軸の重きを占める浦済が、御名術もちサイドにちょっかいを出し敵視を遥かに通り超えた対象になってしまったことは大ダメージであった。

馬鹿すぎる。どうしてこんなに早く手を出そうとしてしまったのか。

しかし親しい友人とて放課後の趣味を制限することはできなかったし、そこまで悪質な女遊びに興じているとは想像だにしなかった。

完璧に生徒会が生徒会でありうる説得力を喪ってしまった。そこで彼はどうするか。

学校内でのパワーバランスを確保するため、シンプルに御名術もちの一大勢力を引き入れる。計画の一途は、このように。

「今日呼び出したのは、それとは別にどうしても言いたいことがあって」

「うん」

「1年前はいろいろ身の回りが忙しくって、あのことを返事できなかったのは本当に申し訳なく思っている」

「うん」

「久しぶりにゆりに会って、すごくかわいくなったし大人っぽくなったってマジで思ったんだよ」

「うん」

「返事が遅くなってすまない。本当にごめん。気に入らないことがあったら全部なおすから、俺とつきあわない?」

「は?やだよ」

「…あれっ」

 

離れた所で女が吹き出す。

 

気に入らない事なんてないよ!返事が遅くなったのもしょうがないよ!ううん!わたし気にしてないから!ありがとう!うれしい!わたしからも、これからよろしくお願いします!

と言うとでも思ったか。

残念ながら、3か月でゆりの性格がわりと変容したことを、しばらく見ていなかった矢敷は、わからない。

 

「アッハッハッハッハ!聞いたか黄瀬!見たかあのツラ!鳩がショットガンで打たれたような顔なったぞ!」

「それよりも柴崎さんのタイミングですよタイミング!わたくし、笑っちゃいました!1秒も与えないなんて!それは、まあ、素敵!」

 

「う、え、ちょ、ちょっと…あ、ゆり?」

「友達にひどいことしたやつの相棒のくせに、きやすく呼ばないでほしいんだよね」

「はぃ?」

「悪いけどもう話しかけてこないでほしい。こんなの噂になったら困っちゃうよ」

この3か月でゆりは残酷さをおぼえた。冷酷で、それは身を守るための断固とした冷酷な態度で。

矢敷は、そしてすぐに激昂した。「おい!ゆり!ふざけんなよ!」、計画を狂わされて。そこですぐに怒ってしまったのが、彼の運のつきだ。

マサカがぱん、ぱん。と手を叩く。用心棒のおふたり、お願いします、というサインだ。

矢敷の乱暴な手はゆっくり歩きだしたゆりをかすりもしない。黒子のように隠れていた男たちが瞬時に現れる。右には長身、筋肉質の男。左にはスキンヘッドの男。

「お客様、踊り子さんに触れるのはNGとなっておりま~す」

「残念ながら君は、彼女の目にはかなわなかったようだ。潔くあきらめ、自分を磨きなおしてくるべきだ」

両腕を締め上げられて。矢敷は事態を飲み込み、自分のおかれた危険性を把握して。「う、うわあああ!許して下さぁーーーーーい!!」

「許す?君、僕は何も咎めたりしてないじゃないか。いきなりそんなことを言いだすなんて、さぞ自分の行動に後ろめたいことがあるみたいだな。生徒会役員。少し生徒会の活動内容について聞かせてもらおうか。君のような卑怯そうな男がつくった要綱というものに僕はとても興味がある」

「あーはじまった。これは怖い。竹内君は理詰めに入り出すと怖いぞ」

 

 そしてゆりは矢敷とマサカとの中間地点に立ったころ、冷たく振り向いて、

「そういうこと、1年前に言ってくれたらオッケーしたかもしれないのに…」

そのように。

ベンチの女ふたりが下品なくらいげらげらと大笑いする。

ゆりが到達すると、「オッ、泣かなくなったね」。

「泣くところがないよ」

マサカが立ち上がって、ゆりをそっと抱きしめる。

詩津華がそれを何かうらやんだか。「いいですねえ、女同士の友情」。目を細めて見上げる。

「うらやましいか黄瀬。どうしてもって言うならキミにも貸してあげるよ」

「まあ、それはうらやましいのですけど、加納さんの見てないところでしますわ、するなら。その時は事前にお願いします」

「いや別に気にしなくていいよ。ユッピは黄瀬のおっぱいぎゅーってしたいんだから。そうだよね?」

「うっ、うん。したい」

「なんでそういう話になるんですのッ!」

楽しいことになっている女3人は、大変なことになっている男3人をおいて、その昼休みを終える。そのゆりに一切の後悔はない。

「ところで、穂村さんが執事長に御用だと言っておられましたけど、なにかあれは悪さしましたか?」

詩津華が今朝から気になっていた疑問をマサカにかえす。使用人の問題である、彼女の。

「えっ?ん?おかしいな?花形がっていう話はしてないけどな…」

「放課後に穂村さんのおうちのある駅に行くと言ってました。またわたくしに隠し事かもしれませんので、どういうことか穂村さんから聞いておいてほしいんです。今日は習い事があって、わたくし」

「よろしくないな」

「えっ?」

「花形に逆ギレするような頭の悪い奴じゃないと思うけど…情報元があいつだってばれたら、あいつはよくは思わないよね」

「マサカちゃん、行ってみる?」

「ああ、行こうか」

 

 

 

 知らぬ駅前のロータリー、電話ボックスの左端の街灯の下。

すでにそこには4人いた。花形が指定されたという時間ぴったりに、彼を追いかけるように向かったマサカとゆりは、そこに見知った友人と知らない女2人を、見る。

花形は青い顔をして振り向いて、マサカと目が合い、伏せる。

「随分早いな?ん?こいつらは…」

「いや。マサカさん。まじすいません」

「ア?」

「俺の情報違いでした。あの、その、俺が見たやつ、あの人のカツアゲじゃありません」

「は?」

穂村が、少し動揺している。このふたりの襲来は予期していない。

「何だおめえら。何で来てんだよ」

「ざけんな、お前が花形をどうこうしようってから―」

穂村のとなりに茶髪の女がいて、その隣に長い黒髪の少女がいる。そしてゆりは思う。女ふたりが、似ているなと。

太陽を怖がる蝙蝠のように陰鬱とした表情で、花形は申し訳なさそうに説明をしだす。穂村は何も言わない。彼に、全部説明させるつもりなので。

「ええっと、あの、真ん中の先輩が、最近穂村君と知り合った人です。蓮さんです」

「ああ」

マサカはそれを見て、その下品な風体を見て察する。いや、だからアレがカツアゲして景虎たぶらかしてんだろ?と小声で。

「蓮ちゃんでェーす」

そして手を振られる。愛嬌があって、嫌いなタイプではない。

「そのとなりの中学生の子は、その方の妹さんだそうでして」

「アアッ!?」

「以前、蓮さんの弟さんが、この人はさらに一個下なんですけど、蓮さんの口座から勝手に金を引き出したと。そんでですね…明らか、足りなかったらしいんですね。で…」

「ちょっとォー、君、本題に入るのがおっそいよォ!」、そして暗く語る花形を押しのけて、蓮が直接前に出て、マサカにはっきりと説明をはじめる。「あたしの超バカな弟がさァ、カネ全部いつまでたっても返さないから、毎日ボコボコにしてたんだけどさァ。先週やっとゲロしやがって!妹のこいつにも2万渡したんだって!信じらんないよねェ、おかしいよねェ、うちの家族。だからすぐ返さないとひどい目に遭わせるぞって、言うじゃんねェ。ま、返ってきたけど?それをこの子に見られて誤解されてんだもん。やっぱ家の中で受けとりゃよかったァ。お姉ちゃんがっかりだよォー」

「…」

「…」

「…」

黒髪の少女は泣きべそをかいた顔で。

その内容に嘘はない。マサカたちが初対面の女ふたりは学生証を見せ、PHSの登録内容などまで見せてきて、すべて疑いを晴らせるようなことを、すべてやろうとした。

「でも疑われるのはしょうがないっかァー。あたしのこの見た目だもんねェ。ヤンキーに見えるよねェ。元、なんだけどさァ。これで大丈夫そ?トラちゃん」

「トラちゃん」

「トラちゃん」

「…ちょっと、やめてくれるかその呼び方」

マサカとゆりは呆然として。

「ホレ、あんたもう行っていいよ。塾の時間じゃんねェ」

蓮は妹をその場から帰す。花形はずっと無言である。

 

 情報屋という者は整合性を合わせるための裏付けと事実が必要である。彼が今回したことは責任感のないスクープ記者である。訴えられる可能性は覚悟していなければ。

「でもこんなことで心配に思ってくれる友達がいるってのはいいなァ。あたしにはいないしなァ。そういう友達がいっぱいいるって事はトラちゃんはいい男なんだねェ」

立ち尽くすクラスメイトを「じゃあな」と通り過ぎ、穂村と蓮は駅前のロータリーを回り込んで行き、いずこかへ向かう。そうはいかがわしいところではないだろう。

「今日はトラちゃんがおごってくれるってっからねェー。お姉さん期待しちゃうよォー」

「今日こそは絶対に、な。あんたに財布は出させねえからなあ」

「イヒヒヒヒ。お金持ってないくせに。でもアタシはマックのコーヒーだけでも嬉しいよォー」

そうして消えていくふたりの距離は、彼女らの基準で、それなりに近かった。

 

 その場から抜き足差し足で逃げ出そうとする花形は襟首を、つかまれる。マサカから逃げ出せてもマサカの手首からは逃げ出せない。

彼は呼吸を漏らして。

「お、黄瀬さんにはこのことは言わないでください…」

ふたりは聞き入れない。

「あんだよあいつはぁ!一人だけ幸せそうにしやがって!浮かれてんじゃねーぞっ!」

「はぁ、いいなあ…年上かぁ…運いいなあ…」

「オイ、花形。お前いくら持ってんの」

「も、持ってません」

「ジャンプしろ」

「そ、そんな昭和の不良じゃないんですから」

「やかまし。ジャンプしろ」

「花形君、わたしたちお金が欲しいんじゃないの。でもね、間違った情報でマサカちゃんを混乱させたんだから誠意を見せた方がいいと思うの。具体的にはごはん代とゲーセン代とカラオケ代。ね?」

「勘弁してくださいよお!俺だって黄瀬さんのお昼ご飯買ってあげてて金欠なんですからぁ!」

「ジャンプしろ」

「え、ええ…あれ、お金もらってなかったんだ…」

「お願いですから!黄瀬さんにはこのこと言わないでください!」

「ジャンプしろ!」

 

 

 

※最終セクション終了。 わたしの超能力はエクセル(1)に続く




Q.「誠意を見せろ」 A.「金を出せというんですか」


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#36 わたしの超能力はエクセル(1)

(1-8)

 

 松枝諒太(まつえだりょうた)は軽音楽部に所属する1年H組の男子生徒である。

学力、運動神経、交友関係、教師受けなどは際立って特殊なところもなく、特にそつなく平凡で、H組男子で身長順に並べば真ん中らへんで、御名術はもっておらず、美男子かというとそうでもない。

軽音楽部においてはベーシストで、けれどもともと何か音楽活動に触れていたわけではないので初心者である。

穂村が会話できる西棟の生徒の少ない一人である。そしてその会話内容もごく普通。特殊な点は、ない。

けれどただ一つ、彼をこの学年唯一の(現在は1年生しかいないので、学校唯一の、と言ってよい)特殊性をもった生徒たらしめる要素があるとすれば、それは「人形谷美有と最も親しい男子」ということである。

 

 美有の西棟での評価といえば、1学期が終わるまでに西棟の御名術もちの生徒を全員打破し、降伏させ御名術を放棄させた恐ろしいけれど身体が小さく薄っぺらい美女であって。

頻繁に教員室に出向いて、校長をはじめとする誰かしらに日々抗議しており、また、

 

よくどこかを怪我している。

 

 御名術もちの生徒が彼女以外西棟にいなくなってからは、怪我の頻度は減ったようだが決してゼロではない。

そして、たまに学校以外で見たとしたら、往来でアカペラで歌っている、変な女の子、である。

よく話す相手、トイレに一緒に行く相手はおり、催しがあったときに自然にまとまる女子グループのひとつには確かに属してはいるのだが。

こういった特異性の塊である美有はそういう意味では密接に親しい女友達というものは決してできず、広く浅くの交友関係を築いていた。

彼女は仕方ないとも思う。いわゆる親友とかソウルメイトとかそういった表現をもった関係者をつくることは、きっとできない。

本質的に自分は天然の御名術を持っているせいで他人とは違う存在であるし、人生の目的として人類の代表者になろうとしている、そんな価値観をもっている。将来の夢を聞かれた時に「大会社の社長!」とその実務と責任もわからないまま能天気に宣言する男子とも、これは違う事。

 

 美有の先祖は明確な超能力者であった。

その、250年前に西欧にてその筋では高名な女学者としてその名をとどろかせていたひとりの博士は、呪いの力を行使してこの世の一切を操作する御名術をもっていて、人を生き返らせることと時間をあやつること以外のことは大体全部できたという。

そんな全知全能の力をもっていた彼女は、けれどその御名術の特性として「身体のどこかが地(足場)についていなければならない」というただひとつの欠点があり、88歳のときにメルヴィル・ロザ・レ・ミラーという老婆は客船から落下して死亡した。

美有は知っている。弱点や欠点のない御名術は存在しないのだと。

だから多対一でなければ必ず勝つことができる。自分の御名術を行使してこの学校の1年生の頂点に立とうとして。

 

 けれど。

そう、5月の終わりごろに指摘されたのだ。A組の女子のひとりに。

学年でただひとりの、御名術を持ち出す生徒となるべく、他の御名術もちの生徒すべてnに打ち勝とう、という行動理念がそもそもの過ちである。

なぜなら美有は他の、強引に引き出された黄色い帯の生徒とは本質的に在り方が異なり、学校に入学する前からピンク色の帯をもって御名術を行使してきたのであるから、放っておいても御名術は失われずそのまま高校生活を終わらせることができる。持ち出す、とかそういう低次元な動詞に適していない。

そもそもずっと「ある」ものである。これから先も。だからそもそも、他の養殖の御名術もちの生徒と戦う必要さえなかった。

 

 美有はひたすらに、校長の言葉に騙されてきたと自覚する。

ひとり倒せば、校長室に連れていき、御名術を放棄させ、校長はそして美有に耳障りのよい言葉をかけてきた。

すばらしい御名術です。あなたこそその力を持ち出すにふさわしい生徒。さすがミラー博士の血縁。はるかな高みに登ってください。そうすればあなたはきっと人類の代表者になれるでしょう。

その言葉の群にもはや何の価値もない。

戦う必要がなかった。本来友達になれたかもしれない生徒と、微妙な空気感の関係になってしまっただけだ。きっと憎む者もいるだろう。

これはすべて、この学校と校長に責がある。だが、校長は御名術を消す力があるようなので大っぴらに今すぐ打倒することはできない。

自分の天然の御名術を奪われたらどうするのだ。もう、自分はただの人類のひとりに落ち込んでしまう。

彼女にとって御名術は体の一部である。たかが、通う学校の校長に、例えば自分の四肢のどれかが奪われて使い物にならなくなってしまったら?そんな、馬鹿なことがあるか?この御名術は四肢よりも重要かもしれないのに、自分にとって。

 

 

 そういったドス黒い感情のために憂鬱になり、やさぐれた美有を多少でも支えてくれていると彼女が想う対象が、諒太である。

彼の身の程知らずの一目ぼれは当初迷惑であったが、受け答えをすると気が安らぐことが多かったので、下校時は一緒にいるようになった。

まだ、これは、横にいると、自分にとって、まし。

恋愛対象にできるかというと結構感情的にはきびしいな、とは思う。キス以上は気持ちが悪くてできる気がしない。まあたまには手をつないでやってもいいだろう。

帰り道で歌い出しても引かない、という貴重な友人である。

 

7月8日。

 

1学期の終業式が終わり、美有は右に諒太をおいて帰途を歩む。

しばらくは校長に抗議しにいくこともないだろう。あれは、必要なことだが怒ることについてもパワーが必要なもので、あんまりいつも怒ってるとすぐ老けてババアになるよと母親に言われてはさすがに戸惑う。

夏休み中はどうしようか。隣にいるこれと連絡を取り合ったりしなければいけないものだろうか。どうでもいい。アルバイトなどはした方がいいのだろうか。

いろいろと考えはやまない。実際、彼女は考え事というものが好きではなくて、むしろぼーーーーっとしているのが性に合う。何も考えず家にいつのまにか着いてればいいなとも思う。

考え事はストレスだからだ。

「どぉれぇだぁけ~きーみぃをみつめたならぁ~~~~~~ひとみのま~おくに~ひそむぅ~おもーいを~…さがし…だせて…」

そして彼女は歌いだす。

「あいぃを~きずきあげるーことができる~…だろうぅぉか~~~~…ふぃぃいいい~るぅ~~~そーおないす、ふぃぃいいいいいいる、ぶれすとぅ、へぇぇぇぇぶん~りぃぃぃぃぃぃぃ…」

 

 

 終わったが。

拍手が、来ない。なぜ。

美有は少し怒り、「ねえ!聞いてた!?」、諒太の側を向く。

 

「聞いてっけどさあ」

右側には誰もおらず。そしてその少し後ろに、マサカとゆりがいて。

「…」

A組のふたりは絶句している。おかしい。クラスメイトの男子が、最端のA組の生徒にすり替わった。

「な…な…」

美有はいつ、現れたのかわからない。

「いやなんか、すげえな。マジで。やべえな。キミ。帰り道で西棟イチの有名人がよくでかい声で歌いながら帰ってるっていうウワサは聞いてたけど、そりゃ盛りすぎだろって、そんなやついねえよって。あたしだってチャリンコこいでるとき、つい鼻歌歌っちゃうことあるけどそんなでかい声で歌うとかありえないじゃん、とか思ってたけど、マジで路上で熱唱するんだね。いや、すげえわ。さすが人類の代表者様。あんまり一緒には帰りたくないタイプだな。いや、絶対帰りたくないかな一緒には」

マサカは非常に正直に感想を言う。

美有の顔が紅潮しだして。この歌は、こいつらに聞かせるために歌ったのではない。

不特定多数の前で歌うことは平気だが。特に親しくない程度の仲の人間に聞かれ、揚げ句指摘、評価されてはたまったものではない。

美有の顔が真っ赤になる。なんで、あいつじゃなくってこいつらになってんの。

「人形谷さん、あの、歌うのはいいんですけど、そう、わたしたちに聞かれたからって顔を真っ赤にされたら、こっちまで恥ずかしくなっちゃうっていうか…そんな恥ずかしいなら、逆にどうして歌うのかなって」

ゆりが丁寧に言葉を選ぶ。それが、ますます美有の羞恥を増幅させる。

「なっ!なっ!なっ!なに!!なんなの!!意味わかんないんだけど!加納!?いつから聞いてたの!諒太はどこにいんの!!」

「キミの彼氏もどきなら、忘れ物したから戻るみたいなこと言って学校にかえってったけど、その瞬間キミが歌いだしたもんだから。気づいてなかったの」

「そっ!そんなのわたし聞いてない!なにあいつ!バカじゃないの!あいつがいないんだったら歌ってない!!」

美有は混乱する。マサカとゆりは、だいぶ、どう接していいかわからない。ずれすぎて転回して月の裏側のように見えなくて、触れられない。

「顔赤すぎだろ。お前はタコさんウインナーか」

「うるさいんだよっ!!」

 

 美有は数歩退いてマサカから距離を離す。動揺させて戦いを挑んでくる気なのか。ついに向こうから来たか、と。

周囲は雑居ビルとコンビエンスストア。戦うならば、高低差があるところが好ましい。彼女は。

とはいえそれは杞憂で。そもそもA組のふたりに美有を倒すという目標は、ないのである。

「違う。聞いてくれ、人形谷。キミに意見を聞きに来たんだけど」

「な、なに。なんのこと」

「終業式で、次の学期から来るって言う先生3人があいさつしただろ」

「あ?、し、知らない。ちゃんと、話とか聞いてない」

「キミはいったいあのクッソ長い終業式の間なに考えてたの」

「…別の事考えてたと思う。なんなの」

ゆりが、ごめんね、とマサカと美有の間に入って。

「人形谷さん、記憶にないんだったらちょっと説明しますから、時間いいですか?」

「は、はい、柴崎さんがそう言うなら、聞きます」

「なんだお前、ユッピのいう事は聞くんだな」

 

 そしてゆりは、美有に訊く。

次の学期から新しい3人の先生がやってきます。3人とも壇上で挨拶をしました。どうして2学期の始業式からじゃないかは、補講期間から教え始めるからだそうです。

わたしには。その3人とも、黄色い帯が見えましたけど、人形谷さんはどう思いましたか。

かいつまんで、彼女のいう事はそういう内容だと、美有は理解する。

美有は、そんなもの見てもいない。ゆりはそのままの事実を言っている。美有は、こういった全校集会というものを、はなから全く聞いていない。体育館に集まって、終わるまで物思いにふけっているかぼーーーっとしているだけ。

壇上など見もしない。薄目で寝ているにも等しい。視界の隅っこでなにか黄色く光っているものが見えていたとしても、どうせ校長のだろう、と思っていた。

美有はだから、そんなことを指摘されて動揺する。

教師の、御名術もちだと?

3人も。

 

 マサカが言う。「だから、校長側のやつが3人も増えたけど、これからどうなると思う?って聞いてんだよ。先生に手出しすんの校則で禁止なんだぞ、御名術もちは。こんなこと校則にしてんのうちらだけだろうけど」

「…ちょっと待って。そんなに頭良くないんだから。どういうことが起きるって思うの」

「いやだからさ、あたしらはいっつも、校長に寄り添ってる連中が調子こいたり、関係ない子たちが迷惑に思うのが嫌なわけ」

「それは、先生側に御名術もちを入れることで、東棟でいちいち大騒ぎになってるのを予防するとかじゃないの?まだそっち、御名術もち10人くらいいるんじゃなくって?」

「自分は関係ないみたいに言うなよ」

「だって、こっちはもう終わってるんだもん。けが人続出とか、先生に手を出したとか、ガラスを割りまくったとかは、そっちで起こってる事じゃない」

美有の紅潮がさめてゆく。マサカは、その言葉に反論できない。

ゆりが補足する。「わたしもですけど、マサカちゃんは補講受けないといけないから、その先生たちには警戒しないといけないって思ってるんです。人形谷さんは、補講は?」

「ありますけど、少しは」

「じゃあ…」

「いや、ユッピ、いい。たぶんこいつには相談するだけ無駄だし、なんかあっても自力でなんとかできるよ。こういうのはさ、まず最初に直で先生に聞きに行こう。なんで来たんですかって。目的を聞こう。そんで、あたしたちに不利なことを言いだしたりしたら、そっからみんなで考えてさ…」

別れの言葉も述べず、マサカは美有をすり抜ける。ゆりが、「お気をつけて」と言う。美有は少し険しい顔のままで、動けない。

「エーーーーッ!なにこの居酒屋の看板!『国産のドクロ煮つけ』だって!?ユッピ、見て!国産って日本人ってことだよね?頭から煮てんのかな!?こっ、怖ぇーーーー!!」

「のどくろって魚だよ!」

A組のふたりはいつも通りのテンションで去ってゆく。それは美有にとって毒にも薬にもならない情報で、むしろ自分で見つけて、そして考えて解決したかった。東棟の生徒はいちいち発言や見通しが喧嘩っぱやい。

ああいった不安要素を集約したような意見を聞いては、こちらの行動までおかしくなってしまう。

御名術もちの教師が3人増えたからどうだというのだ。それは自分にとって害になるとは思わない。むしろトラブル続きの東棟のための措置だ、きっと。

校長は卒業時に御名術持ち出しの可否が決まると言った。教師は卒業に関わらない。持ち出すとかそういう事ではない。おそらく、その3人は「生徒指導・御名術版」なのだ。

自分は戦いを終わらせているし、後ろめたいことは何もない。いずれ東棟の生徒と勝負するようなことになったら、適切なルールで、やる。教師の横槍も校長の思惑も要らない。

美有は校長をよく思うことはないが、規範のなかで、やる。それは彼女の定義。

 

 

 下駄箱を通らず靴を抱えて校門から中庭へのショートカットを果たし、諒太はH組の教室に戻り、紙袋で隠し持ってこられた4冊の漫画を机の奥から抜き取る。

友人に貸し出したもので、エロティックな描写が多いので、通学途中に勝った週刊雑誌とは違い、その表紙を見られるとすぐに没収する可能性があった。

またそれを美有に見られても「…そんな漫画読んでんの?」と冷たい視線を受けることは間違いない。忘れ物、と彼が表現したのは嘘だ。帰ろうとすると美有が来たので、紙袋をしまいこむのを見られると詮索されるのは間違いなかったし、彼女に内緒は通用しない。

バッグの奥底に入念にしまい、教室を出る。

同じルートを使い、一番早い方法で美有のもとへ戻ろうとした。

しかし、往復のために中庭方向へと近寄るや否や、見咎められる。知らぬ教師に見つけられ。「君、ちゃんと向こうから出てください。その出入りを許すと、学校に簡単に泥棒が入れてしまいますよ!」、30代も半ばくらいの、青いスーツを来た教師だった。

「す、すみません。忘れ物をして、急いで戻らないといけませんでした。もう、やりません」

「はい。じゃあ、ちゃんとあっちから出て行ってくださいね」

頭を下げ、急いで正しい出入り口に向かう。なんだあいつは、今日来たばっかの教師のくせに、偉そうにしやがって。そう思いながら。

 

「倉嶋先生、ああ、やっと追いつきましたよ」

は、と諒太は振り返る。校長の声が、そこにしたので。

照前校長は外履きを小脇に抱えた素足の生徒を見て、特に表情を変えず、同じことを注意する。「あ…」、「中庭からの出入りや下校は、禁止です。以後、やめてくださいね」。「す、すいません!」。

「校長先生、彼にはわたしが今注意をしました」

「あ。そうですか。では、さようなら」

「は、はい、すいません。さようなら」

諒太は軽い拘束から逃れ。

校長と、新任の教師は彼のことなどもう歯牙にもかけず、そのまま話はじめる。

 

 

「その、例の、人形谷美有という生徒がいるというのは、あそこのH組なんですね?」

「ええ。天然の御名術もちで、先に伝えたように、かのメルヴィル・ロザ・レ・ミラーの血を引いています。5月終わりまでに西棟の御名術をもっていた生徒9人を打倒しています」

「超エリートじゃあないですか」

「はい。しかしながら、大変反抗的で、少々手を焼いているのは事実です」

「…校長先生は、どうされたいのですか?」

「いいえ。ぜひ、この学校で最初に御名術をもって外に出る生徒としては第1号にしたく思ってますよ。彼女にはその資格がある。けれど、あの方の子孫にしては、気高さと尊さが足りていないのです。おそらく東棟の生徒と接して、学校の意思を曲解してしまい、雑念がとても入ってしまっています。きっと、私に相対しようと考えるでしょう。その部分だけ、倉嶋先生に記憶を調整してもらいたいのです」

「記憶を改竄して、よいということですね?」

倉嶋は、ろくろを回すような手つきで両手を顔の前に持ってきた。

彼の帯は、今この場では校長しか見えないけれど、右手の中指と左手の薬指に集中している。

「はい。自分がミラー博士の正当な血縁者であり、彼女と等しい存在にならねばと、そういう自覚を刷り込んでいただきたい。そして、私に対しての無意味な反抗をやめさせ、1学年の御名術もちの頂点に立つようにと、初心に戻していただきたいのです」

「その結果、少し失われてしまう記憶もわずかながら生じますよ。それはご理解ください」

「彼女は若い。また新しく楽しい記憶を詰め込むチャンスは無限にあります」

 

 

 盗み聞きは、もう限界だった。それは精神的な理由で。

諒太は、常に美有の不満や文句を聞いている。校長がいかほどまずい存在であるのか、など。

彼に御名術はない。帯を観ることもできない。

だが、一度美有に恋してしまった限り、今の会話を聞き、強く思う。そんなことは許さない、と。

ようやく美有が、自分をそこそこ大切な存在と、位置づけてくれたのだ。

記憶の調整、だと。そんなことができるのか。いや、できる。この学校には、御名術もちという超能力者が蔓延している。

その結果、彼女との関係が振り出しに戻ってしまったならば?

ようやく、向こうから、一緒に帰ろうと、言ってくれるようになったというのに?

 

 諒太は物音を立てないように、けれど急ぎ足で美有のもとへと向かう。

校長らから離れて、ようやく彼は走り出した。急いで伝えなければと。

だが、その後ろ姿は見られている。

どうしてあの生徒は急に走り出したのかという事と、もう一つは、その打ち合わせが終わるまでに、もう廊下からいなくなって然るべき距離なのではないか、という事。

 

 校長と倉嶋は、鈍くはなかった。

校長は懐中時計を懐から取り出して、それをぱかっと開く。

それは、かつて死去した奄美雄策の遺品であり。

そして諒太は全速力で校門へ向かうが、到達できない。下駄箱まで確かに教室から2分かかる。だが、そんな距離でない。

廊下が伸長してはいないか、諒太はなにか理解の外にある概念を思った。けれどそんな寝ぼけた想像は、事実で。

彼は、下駄箱まで、到着できない。

「もうすぐ蛭間先生が来ます」、倉嶋は、言った。

こつこつと、倉嶋は走りつづける諒太を徒歩で追う。「君、廊下を走ってはいけません!」、そう叱咤しながら。

「み、美有ーーーーーーーっ!!!」

彼はだいぶ離れている筈の彼女の名前を、呼ぶ。

そこで。

終業式中、3番目に挨拶をした、ワンレングスの女教師が教科書のたばを持って、諒太の目前に現れた。

彼女は驚いた様子を見せ、こちらに走っているが近づいてこない男子生徒を不思議に見たのち、倉嶋の指示を、受ける。

「蛭間さん!その生徒を逃がさないで!」

「わかりました」、倉嶋より少し年上の女教師はその荷物を廊下にゆっくり下ろし、しゃがんだまま諒太に対峙する。そしてそのまま床に左手をつくと。

その数秒後、諒太は廊下に顔面を強く打ち付けてしまう。転んだ。その顔面に走った痛みは冷たい床板の硬さではなく、なぜかウレタンに倒れ込んだ時のような、衝撃を吸収されたような感触であった。

彼は。

身体を起こそうとするが、起き上がれない。両足と、両膝と、顔が。上半身も。バッグも、外履きも、粘着質のなにかのせいで、床から離れない。そう、それが足に張り付いたから、転んでしまったのだ。

顔を動かすと、髪の毛が抜ける痛みが起きる。

両手も妙な感触で包まれている。

彼は気づく。御名術をもっていない彼でも、それの行使内容はあまりにわかりやすく、自分がどのように扱われてしまったのか、よく理解できた。彼

 

「オ、オレは、台所の…ゴキブリ?」

 

「校長先生、倉嶋先生、それ以上進まないでくださる?そこから先は、べったべたになります」

「あ、こんなに広く。危ない危ない。助かりました」

女教師、蛭間の手からおよそ8畳ほどの範囲が、粘着剤をしきつめた床に変容している。

諒太は身体を難儀しながら持ち上げるのだが、粘着物質は身体から離れない。ただ単に、彼は害虫扱いされ、倉嶋が近寄るまでに逃げ出すことは、できない。

「蛭間さん、僕の側だけ、ベタベタを消すことはできませんか?」

「倉嶋先生、ごめんなさい。そんな細かいことは私、できないんですの」

「しかたないな。じゃあ何か、敷くものを持ってきてください。上に乗って安全に歩けるものを。この生徒、大事な話を盗み聞きしていたんです。内容の記憶だけさっさと消して帰さないと」

「じゃあ、大きめの厚紙を探してきますね」

蛭間は教科書を床に置いたまま、踵を返して左の階段を登った。

「君、名前は言わなくていいです。でも、これが人形谷さんの耳に入ったなら、幾分面倒になってしまうので、そこの記憶だけは、消させてもらいますよ」

校長は懐中時計を閉じて胸元へしまい、遠巻きに諒太を眺めている。その視線は、残念ながら、生徒へのやさしさと厳しさが、同居している。

「美有ーーーーーーーーー!!助けてくれ!!」

「なんだ、やはり彼女の友達ですね」

「例の生徒がそのへんにいると?」、倉嶋はきょろきょろと見やる。

諒太はそれを心の中で否定する。呼んだって、来るわけがない。自分だけ戻ってきたのだから。美有の性格的に、そうしてしまえば、機嫌を害して先に行ってしまう。待ちなどしない。

だから、その叫びで何かが起こるわけはなかった。何とかして盗み聞きした内容を美有に伝えなくては。だが、それはきっとできなくて。

理解が追い付かないがただわかることは、御名術のゴキブリホイホイに捕まって、記憶を御名術で消されるかも知れない、そういう最低限の恐怖だけは、あった。

「倉嶋先生~、足場、持ってきましたよ」

女教師は陽気に戻ってきた。美術で使用するスケッチブック。それを、ぽいと投げて受け取らせる。倉嶋は、それを1枚、2枚とやぶり、粘着質の床部分に4歩ぶんの足場をつくる。3枚、4枚。

倉嶋は諒太の後ろについた。そして、中腰で両手をおろし、右手中指と左手薬指だけを立てて、諒太のこめかみに、当てた。

彼の指先は、電極である。

 

「諒太」

 

けれど。美有は、学校へ戻っていた。諒太と一緒に帰ると決めたから。今日は、ひとりで帰りたくなかったから。

誰もが下駄箱の方向を振り向くと、そこに、美有がいて。

彼女は、その状況をつぶさに観察する。帯がどこに現れているのか。誰から現れているのか。状況把握まで、5秒。

「人形谷さん!?」、校長が驚いて。

 

「調整!」

倉嶋は、スイッチとなる単語を口にする。

「美有!!記憶!!」

諒太は、最後に絶叫した。倉嶋の指の間に挟まれた諒太の頭が、黄色く光る。

 

 美有は把握する。彼は、頭をどうにかされた、と。

「記憶…」

そして倉嶋が諒太を放して。

「蛭間さん、こっちの足場を元に戻してください」

「ええ、ハイ」

「校長先生、この女子が人形谷美有ですか?」

「まったくもって、その通りです」

「校長先生、お願いです。坂田先生を呼んでいただけませんか?」

「わかりました」

各人の発言が交錯する中、美有は、まず一番近い女教師と目が合った。

そして蛭間はすぐに美有のほうを向いて、しゃがんで左手を床につけた。

美有は解る。その左手に帯が集中しており、その帯は床に膜を張るように、広がってゆく。

この女は、自分を捕獲しようとしているのだ、と美有は理解する。

 

 そしてその場で、美有の手元から腕部、肩甲骨、背骨、頸椎、脳の部位、の順番にピンク色の帯が操舵されるのを、照前校長は見た。

すぐに、美有の手元には、空間に浮かぶ、表計算ソフトの画面のような枠線と文字列が顕れて、美有は床よりもそれに目を向ける。それは、Microsoft Excelの画面によく似た構成と配置をしている。

  

 

 

 

   ◇優先目的        ◇状況改善効果  ◇危険度

1 ここから逃げる      ★★      18% 

2 諒太を助ける       ★★      55% 

3 校長をどうにかする    ★★★     87% 非推奨

4 校長でない男をどうにかする★★★★    67% 

5 女をどうにかする     ★★★★★   39% おすすめ!

6 助けを求める       ★       23% 

 

 

 

 美有はそして。怒気を込めて、叫んで選ぶ。「5番!!」。

 

   左手の壁を蹴って女に飛びかかる工程が必要です。

 

   ◇マニュアル◇ ◇ オート ◇

 

 彼女の目前には選択肢が顕れる。そして。

「…オート!!」

彼女は瞬時に考える。自分の身体能力で、壁を蹴ってその反動でそこにいる女に飛びかかるなど、できるわけがないと。

彼女がオートと言ったから。美有はそこで意識を失い、彼女の脳は、彼女の意思などおかまいなしに、身体を動かす。

まるで魂の抜けた美有は、すぐさま壁に向き、利き足の右を壁に踏み込んで、身体を上昇させた。右足の靴がずれて脱げようとする。左足がその後、壁と垂直に強い蹴りを放ち、美有の身体を水平に、蛭間のもとへと勢いをつけて飛びかからせる形を、つくった。

「はっ!?」

蛭間は声を上げる。そのときすでに、美有の身体があった場所の床は、粘着質に変容しきったというのに。

美有の身体は蛭間にぶつかり、覆いかぶさる。粘着部分を飛び越えて。

もみあったふたりは倒れ、美有はそのときに右足を粘着部分につけてしまったのだが、すぐに靴が脱げて、美有は捕えられなかった。そのときに美有はしたたか右ひじを床に打ち、唇を切った。

「うっ、ううっ!!」

もだえる蛭間の声を聴いて、少しすると美有はそして意識を取り戻した。いつの間にか、彼女の知らぬ間に、知らぬ女は自分の身体の下敷きになっている。

何が起こったのかわからないが、右ひじがとても痛い。そして、口の中に血の味がする。いや、すぐに唇の痛みと同時に地が滴った。

「…ああもうっ、本当にオートは嫌」

美有は粘着質になった床の黄色い部分に触れぬように上体を起こし、右ひじをかばいながら蛭間の左腕をつかんだ。帯が集中している箇所は、そこしかない。そのまま持ち上げ、床に手の甲をばん!と打ち付ける。

「いっつう!!」

けれどそこまでが限界だった。彼女の力は弱く、その左手をへし折るなどそんなことはできはしない。ただ、左手を少し痛めつけただけに、それはすぎない。

その瞬間、美有はその左手を両手でねじり上げ、知らぬ男の教師と校長の方向へと粘着物質が広がるよう、その女の左手をべたりと床につけ、御名術を行使させた。蛭間はパニックになり、帯の集中を消していない。

「諒太!早く、起きて!」

そして倉嶋と校長の目前に、蛭間の御名術が展開した。校長はまだしも、倉嶋に帯を観ることはできなかった。進むことができない、と。

「校長先生、どうか、私どもでどうにかしますので、坂田先生を呼んできてください!」

「わかりました。倉嶋先生、蛭間先生、お願いしますよ」

初老の小走りはそこまで早くはなかった。女教師のパニックも、想定よりも長かった。

 

 美有は諒太の身体を揺さぶって、そこで「美有!」と呼ばれないことを訝しみ、訊く。「あなた、わたしの名前を言ってみて」。

「…」

「…!」

美有はぼんやりした眼差しの諒太を見て、まさか、と思う。

「な、なにがあったんだ、美有。唇、どうしたんだ?」

「…ああ、よかった」

彼女は安堵する。

「なにがどうしたんだよ」

「知らない。教えて。なんでわたしに、助けてって言った?」

「え?…だから、オレが知りたいよ」

「わかったよ、じゃああれは、だれ?」

美有は倉嶋を指さして。

「…あ、あれは、来学期から新しく来た、先生の一人で」

「なにをされたの!」

「い、いやだから、わかんねえって。その女の先生も、そうだったけど?…そ、そうだ!オ、オレ、美有に伝えなくちゃいけない…こと…が?え?あれ?なん、だっけ?」

「…」

記憶。

記憶か。

美有は諒太が叫んだ単語の事を思い出す。そして、そこまで頭の回転の悪くないこの男が、ここまで前後不覚というのは考えられない。

そしてすぐに、今にも起き上がりそうな女教師より身を離し、美有は諒太を促してそこから去ろうとする。

けれど。

 

 

    ◇優先目的        ◇状況改善効果 ◇危険度

1 今すぐ逃げる        ★      8%  おすすめ!

2 教師を今日倒す       ★★★★★  47% 超重要

3 教師を明日以降倒す     ★★     71%

4 教師たちとの和睦をめざす  ★      78% 非推奨

 

 

「47か」

「え?」

「ごめんね、諒太、もう少しわたしを手伝って。なんでも言うこと聞いてあげるから」

「まっ、まっ、まっ、まじで!?手伝う!絶対手伝う!」

「あっ、違う!なんでもなんて言ってない!なんでもするってわけじゃない!エロいのはやだ!ね!」

気分を高潮させた彼の手をぎゅっと握って、喜ばせてやり、彼女は意を決して新任の教師たちを今すぐ倒すことを選択する。

こればかりは、2番を選ばなければならない。彼女の脳内の、未来予知演算装置がそれを推奨している。

彼女は校門へとは向かわない。

むしろ、階段を上がり、いまだ殆ど使用されていない2年・3年生用の教室群の方へ、足先を向ける。




ん?今なんでもするって言ったよね? 小説でエクセルを表現するのは困難なのでそういうもんだと想像して読んでくださいな。


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#37 わたしの超能力はエクセル(2)

 あまり長い時間を考え事に充てることはできないけれど、この件に関しては「何かの勘違い」とか「相互の誤解」で片づけられるものとは到底、美有は思っていない。

 

 諒太は、本来自分に、絶対に伝えなくてはならない何かがあったのだけれど、それをなぜか、忘れている。

さらに、女の教師は即座の判断にて、こちらに向かって御名術を行使した。広範囲の床をゴキブリホイホイに変えたのだ。つまり、こちらを、動けなくしようとした。

男の教師は両手の指を諒太の頭に当て、何か御名術を行使した。あれは、諒太の頭に何か悪い影響を与えている。諒太が「記憶」という単語を叫んだのはしっかり聞いている。つまり単純に、シンプルに考えれば記憶を消されたのだと思う。

校長はもう一人の知らない教師を呼んでくれと、それに頼まれた。

あそこにいた3人は、東棟の御名術もちと同等程度の帯が"練られて"いる。かなり扱いなれているのだ。

 

 きっと、あの教師陣の目的は、御名術もちの複数人で自分を抑えつけて、記憶を消すことなのだ、と考えれば心当たりはあるし、納得がいく。

要は先手を打たれたのだ。

わたしは、つい数日前、そう思い始めたのだから。校長を、御名術をもって圧倒し、自身の御名術を自分の言葉で放棄させられることができたなら。

きっと、入学式の日に御名術もちの生徒が増えた理由は校長にある。

 

 過剰に水増しされた自分に近しい超能力者などいなければいい。自分だけでいい。

「持ち出す」だの「失う」だのそういう概念さえ、意義を喪えばいい。

この学校を、ただの学校にする。

東棟のあいつらは、御名術もちの生徒が争うことで関係ない生徒たちに迷惑がかかるようなことをゼロにしよう、と奔走しているけれど。

わたしは、それよりは少し先の次元で何もかもを解決して見せるよ、と。

 

 美有は右肘をそっとさすりながら、階層は3階へと向かっていく。まだ、その用途のない空の教室はA組やB組などの表札が添え付けられてもおらず。

まず最初にのぞいたA組は、まるで物置にされていた。段ボールや積み上げられた椅子は、何かに使えそうな気はしたが、いかんせん余計な障害物を縫って歩かなくてはならないそこは、きっと最初の戦いには向いていない。

きっと、A組の加納ならばここで戦うのだろう、と彼女は思う。

(部位ワープができるあの女なら、こういう遮蔽物がたくさんある場所で地の利を得、柴崎さんが床を見さえしていれば、下半身を他の場所に移しながら、あの女教師は完封できるだろう)

そこが、自分にはできない戦い方である。

相手の御名術の特性は解った。が、行使速度がかなり早い。床に左手をついて5秒もせずに、教室の1/4程度の面積が粘着物質で覆われることとなる。

 

 そして美有は、いずれ3年D組になるであろう教室を選び、黒板を背にし大股に足を開いた。「真ん中があいている」と感じたから。

諒太はその左手側で美有の指示を受けながら、誰かが廊下を歩いてこないか見張っている。

彼は、美有から質問をされた。彼はそして、囮でもいいと言った。

その教室は前の出入り口が、積み上げられた机とひとつあたり4段は重ねられた椅子により遮蔽されバリケードのようになっていて、それがいいと美有は思った。窓際にはそれとは別の、同じくらいの数量の机と椅子が重ねられている。保護ビニールも剥いでいない。

 

相手が出てくる方向を一か所に限定し、1段高い教壇の個所に立って待ち受ける。

「諒太、ちょっと窓の方の机をね、後ろの戸を開けたら、邪魔になるように積んでみたいんだ」

「これを?いくつ?」

「5つくらい」

言われたとおりに諒太はそれを運び。

ルートを、狭める。

後ろ戸から侵入する者の足取りを数歩までコントロールする。そのきっと数秒の時間稼ぎこそが、肝要なのだ。

最後にぴしゃりと戸を閉める。

そして準備が整うと彼女らは敵の襲来を待つが。簡易障害物をかなりてきぱきと急いで仕上げたのに、誰の足音も来ない。

「美有、こ、来ないんじゃないのか?ここで待ってることの方が無駄で、戻ろうとしたとこを待ち伏せされてんじゃないのか?」

「そうかもね」

「んな、日が暮れちまうよ!いつになったら帰れるんだよ!」

「帰るよ、わたしは。今日中に、わたしの敵を倒してから帰るんだ」

すう、と美有は深呼吸をする。

「オ、オレは待ってても来なそうに思うけどな…」

「だァーから、待ってって言ってるじゃん。静かにして、それと。足音を聞いてほしいの。女はヒールだったし男も、校長も革靴だった。足音がしないことはないの。この静かさなら、やってくるタイミングは音でわかる。運動靴に履き替えたとしても、近づいたら少しは音がするはずだから。そのタイミングを、気長に待つの」

「あ、ああ…」

ふたりは耳をすまして。

到来するピンチのタイミングに合わせて御名術を発現させなくては。

来たるべき危機に合わせなかった場合、空のエクセルマットだけが表示されて使い物にならない。この未来予知は、そう万能なものではないのだ。

 

 そして張り詰めた空気のなか、もう10分も経った頃、美有はしびれを切らせる。まだ来ないのかと。

校長が呼びに行った3人目の教師の御名術は、見なくてはわからない。それも、警戒する。

「美有、オレ、外にいって様子を見てこようか?」

諒太が訊く。

美有は少し悩み、「わかった。でも、誰かの姿が見えたらそっこー戻ってきてほしい」。哨戒を頼む。

そういう、彼の勇気についてはかなり評価はしている。蛮勇。その、危険を顧みない行動力こそ、自分には必要なのかもしれないと。

けれど彼の、ぐるり回ってくる、には何の釣果もなかった。戻ってきて早々に。「ダメだ、階段の下までのぞいたけどあっちもこっちも誰もいなかった」。

 

 おかしい。

 

 目算を誤ったか、と美有は思う。上階に登るという判断はおかしかったのか。

では、下駄箱の先の廊下でふたり同時に相手をするというのが適切だったとでもいうのか。

おかし―

 

 チャイムが、鳴り響く。その教室に、校内に。

「え?」

そのタイミングは?昼休みが終わるチャイムよりも、鳴るにはいささか早すぎはしないか。

その音色は教室にやかましく鳴り響いた。その音は、廊下にやってくる足音を、消すかのように。

「諒太!今何時!」

「…12時35分ちょっと前、あ?あれ!?」

視線を下に落とし、教室の床を見やるに、左手側の、前出入り戸の床の隙間から黄色い帯が染み込んでくるのを、美有は見る。

その黄色は、薄く薄くにじんで広がってゆき、バリケードの机の足をすり抜けて、教壇へと差し迫って美有は飛びのいた。

「なっ!!」

しまった、チャイムを鳴らす時間を、変えたのか―!

足音を消すために!

「諒太!そこに立たないで!!」

その言葉は、やや遅く、諒太の右足をとらえて今なお教室の前面を侵食してゆく。

「うわあああ!?ま、また!?」

靴を脱ぐだけでは、それは脱出できない。粘着物質が飛散し、くるぶしとスラックスについてねばついた。それでは、着衣を脱ごうとするだけでも粘着する範囲が広がってしまう。

 

 蛭間はしゃがんだままがらりと前の戸を開けたが、積み上げられた机を見て驚き、左手を床から離さずに事態に迷っている。

彼女の判断は間違いであった。黒板側から声がしたと思ったので、彼女はそちら側から御名術を行使したのだ。

けれど捕えられたのはどうでもいい男の方であり、ターゲットにはまた、届いていない。

「本当に、ずいぶん勘のいい子なのね」、蛭間は舌打ちをする。「けど関係ないわね。やっぱり、あっちから御名術を使いましょう」。

蛭間はバリケードをどうにもできず、そこを立ち上がって引き戸を閉じる。

 

 美有はべたついた右足をどうにかしようとしている諒太に近づけず、けれど観察をしている。

左手を離したからと言って、すぐに床の粘着物質が消えるわけでは、ない。帯が残留している。

次に、あの女は教室の後ろの方からやって来て、今度は教室の床すべてを粘着物質に変容させ、自分の足を捕まえるつもりなのだ、と。

美有は思い立ち、黒板の左端に身体を寄せ、窓際から椅子をふたつ持ってきてそのうちの片方の上に、立った。もうひとつは自分の立った椅子と、教壇の間に配置する。

これで、得意ではないけれど、飛び跳ねるための足場をみっつつくることができた。

それだけ動ければ十分。あとはエクセルの指示に身を任せれば、危険度が70を越していない限りは、最初の事態は解決させられる。

 

 右肘が、まだ痛みを訴えている。

「オート」の弊害である。脳から来た指示に従うとき、おりてきた、これをせよという工程に対し、容易にできるものなら「マニュアル」で指示通りに身体を動かせばいい。

だが、「そんなこと、自分にできるわけがない」と思ってしまったら「オート」にせざるを得ない。意識を失ってしまうが、脳が勝手に身体を動かしてくれる。だけど、意識を取り戻したとき自分に

何が起こったのかわからない上、いつの間にか身体のどこかがその無意識の活動に耐え切れず怪我をしている。脆弱な身体である自分にとって大問題だ。

学力テストの前日にF組の御名術もちと戦った時、「オート」で勝利を収めたが、右手の小指が骨折していた。筆記用具を持つのにも難儀だった。

できる限り「マニュアル」でどうにかしたい。怪我をしたとしてもそれに対して、なぜ怪我になったら自覚があるかないかでは、その後の恐怖に大差が生じると彼女は思う。

今日の怪我はこの右肘だけでおさめたい。打撲だけ。どうか、安全な指示がおりてきますように、と。

 

 

 

   ◇優先目的          ◇状況改善効果  ◇危険度

1 女が入ってくるのを待つ   ★       55% 非推奨

2 すぐに女に攻撃を加える   ★★★     69% 

3 すぐに諒太を助ける     ★       65%

4 諒太に攻撃を加える     ★★★★    78% 

5 ひとりで逃げる       ★★      45% 非推奨 

 

 

 

「うっ、うっうっ…ひ…ひどい…どれ選べってーのぉ…」

美有はエクセルを確認すると、顔をゆがめて。

「ああもう!わかったよ!やればいいんでしょ…」

椅子のひとつが宙を舞い、教壇付近に落下する。

「ひ…」

美有がそれに恐怖し、登っていた椅子から飛び降り、黒板に背中を預けた。

けれど。

彼女は、妙な感触を背中と、後ろ髪に覚えた。

「あああーーーーーー!!美有!!」

諒太は、叫ぶ。

左に目をやると。少し開いた戸の隙間から這い出る蛭間の左手は、教室の最前面の壁面についている。

 

 しまった。床だけじゃない。壁にもできるんだ。

 どうして。この女、教室の後ろの方からやってくると思ったのに。なんでまだ前の方にいるの。騙された。

 

 美有のワイシャツと髪の毛の一部が、粘着物質に汚染された黒板にひっついた。

「や…やば…」

「美有ーー!!」

そして諒太はやっと床の粘着効果より解放され、美有を助けに向かうのだが、その状況は美有のワイシャツを破って、髪の毛を切らないと脱出させられそうにはない。

諒太はそれは躊躇する。狼狽して。

 

 

 

   ◇優先目的          ◇状況改善効果  ◇危険度

1 女が入ってくるのを待つ   ★       55% 非推奨

2 すぐに女に攻撃を加える   ★★★     69% 

3 すぐに諒太を助ける     ★       65%

4 諒太に攻撃を加える     ★★★★    78% 

5 ひとりで逃げる       ★★      45% 非推奨 

 

 

「う…ど、どうしよ」

「美有!オレになんか言ってくれ、あの女先公オレがどうにかすっからさあ!」

「ば、ばか。むり…」

 

 

   ◇優先目的          ◇状況改善効果  ◇危険度

1 女が入ってくるのを待つ   ★       55% 非推奨

2 すぐに女に攻撃を加える   ★★★     69% 

3 すぐに諒太を助ける     ★       65%

4 諒太に攻撃を加える     ★★★★    78% 

5 ひとりで逃げる       ★★      45% 非推奨 

 

「…」

 

 美有はそして。

自らの完璧な御名術を信用して。

「4番」

自ら、最もまずい数値を選択肢をチョイスする。

 

 

 

   目の前の諒太を力の限り突き飛ばして!

 

   ◇マニュアル◇ ◇ オート ◇

 

 

 これで離れて行ってしまうようなら、その程度の関係だったんでしょう。

 

「マニュアル」

美有は後身を煩わしく思いつつ、どうにかして自分を助けようとする諒太を両手でどん、と力いっぱい押して、彼の身体は教壇に激突し激しく転倒する。その衝撃は、彼女が思う以上に大きかった。

自分でもかなりの馬鹿力を出してしまったのか。そうとさえ思えた。後頭部に複数の連続した痛みが走る。髪の毛が数十本抜けただろう。

何しろ、その衝撃で教壇が滑り、「こちら」と「あちら」を分ける遮蔽物の重なりへと、教壇がスライドしてぶつかりに行ったのだから。

がぁん、と衝突音がする。

「きゃあああ!!」

悲鳴が上がり、バリケードの机は揺れ、その一部が廊下側へと崩れ落ちる。その重さは閉じた出入り口戸を倒す程で、その引き戸ははずれて蛭間に、崩落した。

「ンンンーーーーーーッ!!」

女教師は落石事故のような重圧にさらされ、その悲鳴は声にならない。

廊下から、もだえ苦しむ女の悲鳴が聞こえるが、美有と諒太は顔を見合わせ、うなずき、ほっと胸をなでおろす。左手はもう、壁面につけるどころではない。

 

 

「ま、まずひとりやったな!さっすが、さすが美有!やっぱり美有は、すげえなあ!」

「ちょっと、のんきしてないでくれる」

美有は冷たい声を上げて。

目が、据わっている。それは諒太から見てもひどく冷淡で、無感情で、机、椅子、引き戸の下敷きになった蛭間の傍へ行って。

その左手が彼女を押しつぶすものからはみ出て伸ばそうとしていたから、美有は冷酷に容赦なく、その手首を踏み、砕いた。

「ぎゃああああああああ!!」

女のとも男のともつかないようなひときわ大きな悲鳴が上がって。

それだけでは収まらない。美有は、蛭間を下敷きにする、その戸に、登った。だん、だん、だん、とそれを踏み鳴らして。

その一撃ごとに、獣のような悲鳴が上がる。

諒太は、けれどそれを止めない。止められない。「美有…」、ただ、弱い声を上げるだけで、それを止めようとすることさえ、憚る。

 

「諒太、わたし、うしろハゲてない?触っていいから」

「え、ええと…ううんと?」

彼女は諒太に後頭部を許す。撫でまわしてもいいと。

「こいつみたいな小汚い下品な御名術もちのせいで、大事な後頭部のヘアアレンジがめちゃくちゃになったよ…ねえあんたどうしてくれんの」

「美有、だ…いじょうぶ、だと思うけど、そんな、ハゲてなんて、ないよ」

「そう、ならいいけどね。78だったから流血覚悟だったけど、髪の毛だけで済んだなら、まあ、強運」

美有は、そしてその顔は、彼女の特徴だが、人間性を失ったと同時に、蒼白となる。そういう、体質。

「諒太、この戸、どかしてよ」

「え?」

「どかしてよっ!!」

彼女は、疾呼する。それは諒太の身体をびくりとさせて。

彼は言われるがままに、その重い引き戸をずらし、蛭間の鼻っ柱を砕かれた顔をあらわにして。

 

 そして美有は蛭間の首元までずらされた戸のへりに強く足をかけ、蛭間の首に食い込むよう、ねじ込むように体重をのせた。

「クワァアアーーー…!!」

そして鳥類のような耳をつんざく悲鳴を聞き流し、彼女は。「今すぐ御名術を放棄すると言え。言わなければこのまま首を折って殺す」。

それはまるで自分が足をかけている人間が、自分よりも遥かに劣った存在であるかのように、一切の手加減なく、罪悪感もない。美有はつまり、「わたしはお前とは違う生物なんだぞ」と。

言葉にすれば、そういう事。

諒太は、けれど止めない。これは彼にとっても初めて目にする光景のひとつでは、ないので。

 

「早く言え」

「コ…」

「早く言え!」

「か…か…」

「言わないのかお前みたいな紛い物の御名術もちがーーーー!!この黄色い帯をもう見たくないと言ってるんだ!!気持ち悪い!ゲロ吐きそう!こんな力をもったお前に生きてる価値はない!今すぐ死ぬか御名術を放棄するか選べ!わたしにこの、汚らしい黄色い帯を見せるな!!」

美有は吐き捨てる。この瞬間ばかりは、彼女は、自分よりも低質な存在についての生死の意義などに、何の興味ももたずに。

 

 そして。

「ほ…ほうき…します…」

 

 その言葉はきっと、呪いのようなものを解除するかのような言霊のひとつで、その言葉は校長に聞こえてはいないけれど、ぼろぼろの蛭間の身体より、その黄色い帯は瞬時に、砂塵のように吹き飛んで、消えた。

美有はそして。

終わったら、思い切り歌おうと、決める。終わったのが、夕方だったとしても、夜だったとしても。

このストレスを振り払い、また元通りの自分になるために、大きな声で歌おうと、心から思い、そして足をどかしてやる以外の情けも行動も蛭間に対しとってやることもなく、ただその場に放置して、次の御名術もちの教師を倒しに行こうと意識を切り替え諒太を引っ張った。




エクセルとゴキブリホイホイとの異能力バトルして殺すとか殺さないとかいう話になるってなんなのよって自分で書いていて思う。


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#38 わたしの超能力はエクセル(3)

 美有が蛭間を打破し御名術を放棄させてから、まだ5分しか経っていない。

けれど。

 

 歯噛みする、彼女は。どうしてこうなってしまったことについて、まったく自分は気づきもしなかったのかと。

自分の右か左に常にいて、何かあったら必ず守るよと陽気に、頼りになる男アピールを繰り返していた男は、彼女がそれを見失ってほんの十数秒で、2階へと降りる階段の踊り場に倒れ伏し、身を痙攣させている。

階段から転落させられたのか。

 

 美有たちは西棟を下りて、職員室の方向へとあえて回り込んで次の教師を相手どろうとしていた。無関係の教師がそこらに点在するような場所ならば、御名術の行使もやりづらくなるだろうという見込みだった。

しかし、肝心の職員室に到達するまでの間に攻撃をされてしまっては、揚げ句随伴者を攻撃されたのでは、今ここから動くことはとてもできそうにない。

そもそも、いつ、何の気配も見せずに、物音も立てずに諒太が階段から突き落とされているのか。そんな音は、しなかった。

 

 彼が落とされた位置がもう数メートル先であったなら、彼の身体は吹き抜けの階下に滑落していたかもしれない。

前には3階における東棟と西棟を接続する連絡通路がある。そこの宙に浮かぶ通路の手すりは鉄製で美有の腹部まで。つまり、それだけの高さでしかない。

少しでも体勢を崩したり、よじ登るようなことをすれば2階層下に落下させることさえできそうな場所だ。

美有は思う。女教師のやられっぷりを見て、次の相手は相当に手加減をしてくれそうにないだろう、と。

 

 足音も、呼吸音も、何も感じられない。帯までも。

御名術を行使しか瞬間にしか帯の強い発光がないという特性の敵だったならば(これは従士郎がそうである)、かなり厄介だ。その帯の視認が遅れれば遅れるほど、自分の身への危険度は増すし、エクセルを出すタイミングが図れない。

きっと2人目の教師はごく近くのどこかに隠れており、自分の死角から攻撃をし、力づくで取り押さえようとするだろう。力では絶対に、誰にもかなわないのだから、それだけは避けなくてはならない。

 

 帯を感じ取れない。視認できていない。

 

 では、「匂い」と「音」ではどうか?

 

 ここから先は、恐らく美有にしか―天然の御名術もちにしか―わからない領域だ。

帯は「身体器官」である。体外に粒子として浮遊しているという特殊性こそあれど、その性質や肉体における位置づけは「血液」に近しい。

肉体に体臭があるように、帯にも匂いというものがある。身体器官であるから。美有は解剖などはした経験はないが、多分人間の肉体で無臭という箇所はないように思える。

また、帯が体外を対流しているのであれば、その対流音というものは聞こえるのではないか。

血管のなかを血液が流れているときも、音が全くしないということは、ないだろう。血管の中の音だから聞こえないというだけであって。

 

 これらの分析に加え、美有はゆりのそれよりも少し優れた帯の感知能力がある。

だから彼女の綿密で静かな集中の結果、そこに彼女がすぐに看破できたものがあったとしても、それは当然のこと、であった。

そう、それは少しすえたようなごく一瞬の匂いであって。

こぉぉぉぉぉぉぉ、という、新幹線の車内で感じるとても静かな走行音の断片。

 

 が、帯の波形を一瞬感じたとき、彼女は感づく。

「わたし」と「敵」の距離が、あまりに近すぎやしないか?と。

 

「ぬぐっっ!!」

途端。

美有の口元に何か湿らせた布のようなものが当てられ、彼女の嗅覚は油性マジックのような刺激臭を感じる。

 

 まずい、これは…眠らせるやつ!

 

美有は焦燥し、口元と掴まれた左肩をぶんと回し、意識せぬ間に背後についていた次の敵へと抵抗をする。

「あ、あれ?」

男の声がする。

少し間の抜けた、それは男の声で、彼はきっと薬品を嗅がせすぐに美有が前後不覚な状態になるのを期待していた。

「ぐっ…ううっ!!」

美有が口元からそれを離すにはだいぶ無我夢中で暴れまわる必要があった。それほど、彼女の膂力は乏しい。

クロロホルムをわざわざ理科実験室から用意してきた男の体格は痩身で、力は決して強い方ではないが、もしも薬品などに頼らず美有に気付かれる前に両手で抑え込んだならば、美有はどうにもできなかっただろう。

彼は、余計な閃きを行動に移すべきではなかった。

知覚されづらくなる、という御名術を持っているその教師の名は、坂田。

世界史と地理に明るいその男は、美有も同じだが、クロロホルムを嗅がせればすぐに人間が昏倒する、という漫画やドラマの表現に欺かれていすぎた。

 

 だから美有はその身から男の身体がすぐに離れたら、右足を後方へ向けて関節の可動域ぎりぎりまで振り上げ、後ろ蹴りでさらに坂田との距離をはなす。

美有は敵に向き直り深呼吸、しかしその場に敵が見えない。距離が離れたせいで匂いも音も感じない。

 

 これは、よくない。

美有は思う。

相手の姿が知覚できない。帯をわずかに感じ取れたとしたら、それはもう50cmも離れていない距離。

相手がどこにいるかわからない。相手が何をしてくるかわからない。

対象物が見えないのに、エクセルが指示をくれるだろうか?カラッポのマットが出て来たなら、それはもうおしまいだ。

そした彼女は身体に帯を循環させる。

 

   ◇優先目的       ◇状況改善効果  ◇危険度

1 後方へ退避する    ★★      44% 

2 真正面を突っ切る   ★★      35% 

3 右手へ迂回する    ★★★     52%

4 左足元に何かを投げる ★       20% 

5 背後の窓を破って脱出 ★★★★    89% 非推奨 

6 声を上げて諒太を起こす★★      41% 

7 天井に何かを投げる  ★★★     63%

8 最も近い教室に逃げ込む★★★     55% 

9 動かない       ★★★     76% 非推奨

 

 

 

「お…多い…!」

 

 行項目が、9つ。これは彼女の今までの御名術行使でも最大の多岐の選択肢で。

ただ選択肢が多いことが問題なのではない。

状況改善効果がほとんど、均一すぎる。危険度たるや、ある程度の怪我はほぼ免れられない。

美有は瞬時の判断に悩む。

5番ならば教師の位置を見抜き撃破できそうではある。しかし、89%というのがまずい。明日からの夏休みを療養で過ごす覚悟が要る。そんな悲劇的な未来は受け入れられない。除外。

4番はまったく事態の解決が見込めない。除外。

9番も危険度が高すぎる。除外。

7番は何を投げるという?投げられるものなど、靴しかない。それによって今解決に至ったとしても、まだ敵はいる。そのときに素早く走れという指示が来たら?除外。

1、2、6は状況改善効果が低い。除外。

3か8。3か8。3か8。8か3。8か3。危険度は3のほうが少し低くて…。

 

「8番!!」

 

美有はそして。

自分の好きな数字の方を、選んだ。

 

   この選択肢はオートを推奨します。

 

   この選択肢はオートを推奨します。

 

   窓から飛び降りるときは、必ず頭から降りてください。

 

   ◇マニュアル◇ ◇ オート ◇

 

   この選択肢はオートを推奨します。

 

 

「ちょっ…」

彼女が総毛立つ。

「なにそれ!!5番もなんか窓から飛び降りるやつだったじゃん!指示がぜんぶおんなじだし!!」

美有はその後の未来への具体性を見出せなくて。

だが彼女は8番を選んだからには、もっとも近い教室、3年E組になる予定の教室へ駆けこむしか、ない。

そして彼女は思う。例えば、飲料のようなものがあればそれを口にし、吹きかけて見えない敵の居場所を推理できるのではないかと。床が濡れれば足跡も見つけられるかも―。

だが、それを今からやろというのは愚策である。

彼女のエクセルに現れた選択肢にないものは、状況改善効果はゼロということだ。危険度は推しはかれないということだ。エクセルに従わないのは自殺行為なのだ。

 

 それでも「窓から飛び降りるときは、―」のくだりは、美有を恐怖させる。それ即ち、窓から飛び降りる、頭から、というのは真面な感受性ならばとうてい容認できない。

むしろ、なぜそれだけのことを求めているのに危険度が55%で済んでいるのかが不思議だ。

美有は後ろの引き戸を力いっぱい閉じた。騒音がそこに響く。

彼女がその教室の窓際に進んだなら、その引き戸はまた横にスライドし、それをした人間の姿はやはり、見えない。

 

 坂田は―足音ひとつ聞こえさせずに、窓際に立つ美有の左手側にゆっくりと回り込む。

それでも彼は、いまだに美有に近づき関節をねじりあげれば泣きわめいて無抵抗になるような女生徒、と軽視している。

姿を現さない、衣擦れの音さえ感知させない。吐息の口臭どころか温度さえも感知させないという、まるで透明人間になる御名術を身につけているだけに彼は当然たるべし自意識過剰さが、あった。

 

 それ即ち。最善の未来を自らの選択でつかみ取る御名術とはなんなのか。それを、まったく理解できて、いない。

 

「オート」

 

 坂田は左側面から美有の左手首をつかみあげ、斜めのほうへと関節を逆に極める。そして空いた手の方で美有の首に、手をかけた。

「子供が、大人をなめるなよ。もう逃がさねえぞ。おとなしくしないと」

 

 

「おとなしくしないと…」

 

 

「おっ、おとっ、うっ?うっ?え…?」

 

 後ろ手に極めた左腕が、細腕の少女の力としては異常なまでに。それを、元の位置に戻そうという逆の力でもって、坂田の力に比肩する力がそこに生まれて。

美有の痛覚は遮断されている。それはつまり、マニュアルでは出てこない、脳がリミッターをはずした力。

首にかけた手は簡単にひきはがされて。

そしてすぐに、関節を逆に歪曲させられているのは、坂田に入れ替わった。

「うわあああああああああああ!!イッ!!痛ぇ!!」

美有の目に感情はなくて。

しかし美有はその力で坂田をねじふせるのではなく。窓を背にしたまま、その自分よりも一回り以上大きな体躯を引っ張り、ぐいと窓際に引き込んだ。

 

 その窓ガラスを割ったのは、美有の後頭部と、坂田の顔面であった。

ふたりの身体が窓枠から半分以上はみでたところで、無意識の美有は手を離し、両手が自由になった坂田はもがき、がむしゃらに窓枠をつかむ。

残留したガラスの破片は彼の両手に深く刺さり、回転したその身体は遠心力により3階の窓の外に打ち付けられた。

そして、坂田は絶叫する。両手に力をこめればこめるほど、鋭く熱い痛みが邪魔をし、よじ登るのは極めて難儀だった。それだけならば彼にはまだ救いがあった。

すぐに坂田の足首に体重がかかり、彼を落下させようとばかりに美有がそこにぶらさがっている。

「あ。あ。ああああああ!!た、助けてくれーーーー!!」

そこで、美有は意識を取り戻す。

「…」

 

   オートモードでは交渉ができないため、解除します。  

   両腕の力を弱めないでください。   

   手を離した後は、壁を蹴ってください。   

 

「…なんなの、いったい。うう…なんなんだろ…頭と腕が痛いよぉ…で、わたし、なんでこんなことになってんだろ」

自分は何か、知らない男の足にしがみついており、その帯の波形はさっきまで消失していた教師のものと同じ。

美有はそして、真下を見れない。見たならば、きっと吸い込まれるように、落ちる。

 

 

   ◇優先目的        ◇状況改善効果  ◇危険度

1 手を離してから交渉する ★★★★★   27%おすすめ! 

2 交渉してから手を離す  ★★★★★   60% 

 

 

 

「なんなの」

彼女はエクセルの指示を鬱陶しがって。けれど、従わなければいけないから。「1番」。

 

 ぱっと、彼女は恐怖に目をつぶる。きっと、普通の脳から指示がこない人間だったなら、彼女が。坂田の足にしがみついたまま、誰かの助けを待つのだろう。

しかし彼女はもう据わっていてしまって、そして27%という数値に信用を抱き、数秒の無重力を味わったあと、ふと思い出して壁面を足で蹴った。

それによって落下軌道が変わり、すぐさま、両手両足を支えようとする何かに身体は到達し、四肢をあずけた。

美有が目を開けると、痛みなどほとんどなく、ただ硬くまた柔らかいものに、自分はしがみついている。校庭に間隔をもって植えられたケヤキの木の1本に、美有の身体は落下した。

ちょうど、彼女の四肢を支えるように、扇状の枝が広がっている。

少しの切り傷と、擦り傷。そして、スカートの破れ。ワイシャツの汚れ。その落下は、彼女が逃れられない最小限の痛みだけを与えて、美有の身体を守った。

 

「…」、美有は深呼吸を再びし、「3階から落ちてこれしか怪我がないんだから、わたしはこれは、人間じゃないよ。最高だ、わたしのエクセル。わたしは、誰よりも上にゆく」。

そして木登りの姿勢のまま、上方に向けて。「御名術を放棄すると言え。言えば、助けてやる」。

坂田の両手からの血が、窓枠から壁面を濡らす。

やがてすぐに、わめいていた男は大声で、「放棄する!!だから助けてくれーーーーー!!」

そう、叫ぶのだけれど。

 

 美有はゆっくりと、慎重に慎重に、その樹を降りる。

少女のころも木登りなどという行為はしたことがなかったので、恐る恐る次の足場を求めながら、そのひときわ樹高のある樹をそっとおりてゆく。

自分の命を救ってくれた樹なので、そっとありがとうと撫でながら。

最後の枝からだいぶ近くなった地へと飛び降り、彼女は決意をもって「あとひとり。校長含めたらふたり」と校舎に振り返った。

 

 ふと思い出して美有は少し首を上げ、ガラスの割れた窓枠を見やるが、そこには特に誰もしがみついたりはしていなかった。樹を降りているときに何か大きな音が聞こえた覚えがあるので、きっと落ちたのだろう。

 

 

 

 

 




クロロホルムで昏睡させて云々を初めて物語表現としてやった戦犯はどこのどいつなんだろう。それに引き換え「おまたせ!アイスティーしかなかったんだけどいいかな?」は事実誤認がなくて説得力がある。


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#39 わたしの超能力はエクセル(4)

 蛭間と坂田の現在の惨状を目の辺りにし、本日校長により終業式にて紹介された3名の教師のうちの最後のひとり、倉嶋は絶句し唾を飲み込む。

表むきの職務としては副担任。けれど彼らの本質は、体制に対し反抗的な御名術もちの生徒…つまり、東棟の5人と美有を抑え込む、そういう役割をもって、来た。

 

 職務に従事していれば、卒業という概念がない彼らにとっては永続的に与えられた御名術を活用できる。だから彼らはそれを与えられてから、しっかりと修練を積み、いざ御名術もちの生徒と衝突したときに優位性をもって監督、悪く言うとねじふせることができる、

 

 はずだった。なのに、これはどうか。

 

 死んだりはしていないものの、先行して美有を強襲した2名はすでに立ち上がることも困難なほどにぼろぼろに打ち負かされ、おそらく御名術も放棄させられたに違いない。

倉嶋ほか2名は校長からの簡単な指示に従い、教職をしつつ特定の生徒をマークしときには「生徒指導」を好きなように実施し、給与面もそのあたり、校長からの特別な手当ても用意される予定。

 

 なのに、これはどうか。

 

 そして、額に脂汗のにじむ倉嶋の前に、美有は、そして現れて。

その貌は完全に据わってしまって、残忍性を加えた蒼白な表情で、最後のひとりとなる倉嶋を、ゴミを見るかのような表情で、睨む。

その表情に愛想も寛容さも慈悲も、なにもない。ただ、彼女は面倒くさそうに口を開いて。

 

「いま、どういう気分だ」

その声質には性差も感じられず、それ以上に不敵で淡々と。年長者への気づかいや敬語など組み込まない。彼女は。

「なんてことをしているのか、わかっているのか」、倉嶋は自ら強いて声を荒げた。「生徒がいみじくも私たちのような教師に手を挙げ、揚げ句あそこまで叩きのめすなど、これを外部に知られたらどうなる、わかっているのか!君自身も、君の家族も社会的な責任は免れないぞ!退学どころで済むものか!君は、犯罪者だ!」

「関係ない、馬鹿が」

倉嶋は、その言葉にぞくりと震えたつ。

「う…な…」

「先にわたしの友達に手を出したのはお前たちだ。校長の小間使いのくせに、なんてことをしているのかわかっているのかだって?お前はわかっているのか?お前がこれからどうなるか?そんなみすぼらしい薄汚い黄色い帯でなにができるというんだよ?下衆め。わたしはな、お前たちとは違う生き物なんだぞ?」

美有はまるで、なにか別の人間が。例えば彼女の先祖の有名な何某かがまるで乗り移ったかのように、熾烈な吹雪のような言葉をしっかりと滾々と語る。

(けれど彼女の先祖とて、ここまで苛虐な言葉を扱うことは、なかったのだが―)

 

「きょ、教師を、なめるなよ…」

「そしてお前。外部に知られたら、とか言ったな。知られないよ。わたしの御名術は、わたしを完璧に守るために存在する。もしも、わたしがここでお前を殺してしまっても、わたしの御名術はそれを隠蔽するための方法を絶対に導き出すよ。わたしはそして大手を振っていつも通り夏休みを楽しんで、夏休みが明けたら軽い足取りで通学するよ。先にお前たちの敗因を言うとすれば、それはわたしに対しての調査が決定的に不足しているよ。前提として、お前の御名術はなくなる」

 

 そして数秒、お互いの輪郭にちりちりとした違和感が顕れた頃、そのとき倉嶋と美有の間の間隔は6メートルあったのだけれど、それはたちまち1メートル半という距離に縮まった。前触れもなく。

 

「なにっ?」

美有は驚く。

「調整ー!」

倉嶋は、知っている。

 

 この場よりだいぶ離れた場所にいる照前校長は、右手首に懐中時計をかけて。

そこに彼の所持する御名術の一部が行使されて。それは、学校内における、距離と空間の小規模の操作だった。

倉嶋の右手の中指と左手の薬指に帯が一極集中し、美有のこめかみに触れ、発光する。

だが美有は、事前にエクセルを見ていた。その場で、わざと、ずでんと転んだ。後方へと。

 

 こめかみに当てられていた両手の通電は1秒にも満たず、けれど美有は何かしら、頭に違和感をおぼえる。

きっと、ほんのわずか、記憶が操作されたかもしれない。

美有は両足をぐんと伸ばして倉嶋の脛を蹴り、そして怯んだ折に飛びずさるように逃げ、自身のエクセルを表示させた。

 

「だいたい、わかっているんだ!!」

倉嶋は大声をあげた。

そして。

内ポケットにつめていた、石灰の粉をつかみ、美有の上半身へと投げた。

「!?」

ぶわあ、と白い粉塵が目前に広がり、視界を奪われた美有は、そこにエクセルを観ることができない。

「しまっ―」

選択肢を選べない。

だん、だん、と踏み込む音が聞こえて。

そして彼女の視界、ほんの少し漏れ出す黄色い光を見えるや、彼女はエクセルの指示とは無関係にその場にわざと転んだ。

 

 

「はあ、はあはあ…うん」

と。頷きながらそのA4用紙の束に目を通している、従士郎。

そこは1階の補助教室という異名を付けられた、通常の教室よりも一回り小さな、明確な用途が定められていない一室で。

従士郎と、そこに臨むのは生徒会役員、と自称する3人。1人は矢敷、生徒会長候補。そして、G組の山屋朗と、E組の里江雄一郎。

東棟ではその存在を知られず、西棟でも影響力が低減しすぎた仮生徒会組織である。有名になりすぎたのは副生徒会長候補の浦済が暴行未遂し停学となったことと、矢敷が空気も読まずゆりに告白して刹那、断られたという汚点。

ここまで、正常な高校生として噂話の種にしかならない頓痴気な略歴を携えた連中が、生徒会の名の下に生徒の代表者を気取るなどなんの冗談だ、そういった空気感がすでに流布している。

成立以前にすでに舐められている生徒会組織。

なにより、活動要綱が納得のいくものでないと生徒会を名乗るのもおこがましいとその佇まいに意義を唱えた男は、B組では大変熱血漢で間違ったことを許さない、遊び心のない男であった。

 

 要するに、従士郎がOKと言わないと、生徒会の活動要綱は決定できない。

 

 別の棟、階では美有が派手な立ち回りを演じている最中であったが運よくあるいは悪く、その物音や騒ぎは最後まで彼らの耳には入らなかった。

そして従士郎は。「まだ自分本位な印象を受けるね。自己犠牲の精神とは言わないが、自分たちが美味しい思いをしようという考え方を一回ゼロにしてくれないかい。こんなものは言い出した者勝ちみたいなところはあるからね」。

矢敷は顔をゆがめて、けれど反論できない。

続けて従士郎は、「さらに言うと、君達もこの学校、一部の教師と校長先生の思惑、考え方に問題がある事は早く自覚すべきだと思う。せめてね。そういう人達に媚びを売って安定した学校生活を送ろうとする考え方も、今ここでは間違っているよ」、ずばずばと自分の意見を言って。マサカにそのようにしろと言われているから。「もう一度最初からやり直してください。出来あがったら僕の家に電話よこしてください。時間にゆとりがあったら場を設けましょう」。

そう、冷たく却下を言い渡し、去った。

 

「ちっくしょー!何なんだよあいつはぁ!なにが東棟の選出顧問だ!調子こいてんじゃあねーぞっ!」

山屋が、教室の壁を殴る。一度だけでなく、もう一打、もう一打と。

「オイ、やめろ、誰かに見られたらますます立場が悪くなんだろ。我慢しろ。あいつさえ納得させりゃ生徒会が立ちゆくようになるかもしれないんだからな、コレがちょっと甘かったのは俺らも自覚してんだろ」

なだめるのは矢敷。御名術もちという点を省いても、東棟の一味に強く出られない心象の彼は頭を強く掻いてため息をつく。

けれど相手はいきり立ったままで。

「ふざけんな、活動内容にOK出ても、見張り役みたいな感じで誰か東棟のやつがついてくんだろ。貴臣、おめえじゃん、言ったの!生徒会誰より早く作れば教師も甘くなるし進学とか都合よくなるし女にももてるって言ったのおめえだろ!なのになんだ、生徒会がスタートする前に鳥かごの中じゃねえか、しかも俺らの一人はバカやって停学中と来たもんだ!どうやって生徒会が簡単に立ちゆくのか、言ってみろよ!」

今度は山屋は机を拳で叩いて。

 

「なぁこないだしゃべった話あんだろうがよ。こうなったらこっちに強引にでも御名術もってるやつつけて、あいつらの好きなようにさせねえようにしようぜ!」

「だから、それって誰な―」

「陸上部、C組の初芝って女、あれ御名術もちなんだろ。でなあ、優美から聞いたんだ俺。あいつ、中学同じだったからな!あの初芝って女、どうやら、金で動く!」

矢敷の言葉を言いきらせずに、昂った山屋が自分の持つ情報を出す。

「俺に任せろよ!俺は、お前が思い描いたような生徒会じゃなきゃ、嫌なんだよ!」

すなわち、彼らが美味い汁を吸える場所。

矢敷はそして、軽く頷いて、「やってみてもいいけど、細かく教えてくれ。やばいことになったら、話にならない…」

山屋は。「俺に任せろよ!」、オーバーリアクションで胸を叩いて、その意識を見せた。

 

「な、ちょっといいかあ?朗と貴臣。朗がそういう話にもってくんだったら、俺もちょっと似たような話の小ネタ、持ってるんだよね…」

彼は、里江は眼鏡をはずして。彼の癖で、それは、言葉少ない彼が長話をするときのサインのようなものだった。

「言ってみろよ!」、「なんだよ」。

「朗がさ、その陸上部をこっちの味方につけたところで、A組とB組の連合って5人もいるんだよ。しかも、黄瀬のお嬢様もついてんだろ。ええと、前置きはいいか。俺も、意見は朗と同じ。

御名術をもってるやつが、生徒会にできれば、3人はいればいいな、それは俺の計算で、それが都合よくなるんじゃないかって考えた」

それに屋敷は、「そうなればいいけど、なるほど、それはいいかもしれないけど、東棟の5人って超攻撃的っていう話だろ?ブラジル代表かってえの。あとは、無害な御名術のやつら…こいつら生徒会に入れたって、あの連中と張り合えはしねえだろ。

『5人』にやられてるか、写真撮ったりして自由なんだから…それと、西棟の御名術もちは人形谷しかもういないし…、きっとあの女は生徒会になんか興味さえないだろうし…簡単に言うけどな、3人も確保できないだろ…」、悲観的に言う。

だが。

「いや、実は少なくとも、どこにも属してない御名術もちが、陸上部のそいつの他に、あと最低2人いるんだ」

「え!?」

「あ!?なんだって!?」

 

 しんと静まり返ったのち、里江は彼の秘密を打ち明けて。

「御名術もちのやつらは、校長が言った通り『帯』っていうオーラってえかガソリンがある…黄色く光る、っていうな。で、俺の知り合いに『レイジ』って男がいんのさ。そいつ、なんか知らねえけど『帯』を隠すことができるんだってよ。それがレイジの御名術なのか、それとは別に特技なのか、俺にはわからん。けど、入学式の時、校長の話を聞いた後、どうやらレイジは知り合いの御名術もちのやつを、隠した。自分のもかな。

噂では…西棟に、人形谷に狙われるのが嫌で、御名術を隠してもらって、まだ持ちながら、安全に授業受けてるやつも、いるかもって」

そして山屋の吃音のような声があがり、少しして止んだのち、矢敷は彼のほうに身を乗り出して「本当だな」と確認をする。「本当だ」。

「だから、今から生徒会に3人御名術もちを加えることは、全然無理じゃない。レイジと俺はそこまで仲が良かったわけじゃないけど、相談に乗ってくれそうな性格だとは、思う。まず、聞き出そうと思うんだ。

3人いるのは確実だから、それとは他にいないか、とかな…」

「雄一郎!」

山屋は感極まって、後ろから里江を羽交い絞めにする。「や、やめ!」。

矢敷はけれど冷静に。そして、まとめる。

「つまり、こうか?朗のコネで、陸上部をこっちに引き入れる。金が必要…?そして、雄一郎は、その、『レイジ』ってやつに交渉を、してくれるんだよな?」

「ああ、する」

「東棟の5人…ゆりのやつさえ見ることができないように、帯を隠してるんだよな?」

「そうだと思う。気づいてもいなかったからね」

「ん?」

「あちらこちらケンカ吹っ掛ける人形谷でさえ気づいてないから、レイジの帯の隠蔽能力は、完璧だ」

そして屋敷と山屋が彼の言葉を中途半端にしか把握しきれずにいたところ、里江は眼鏡を再びかけて。

 

「実は、帯を隠してもらったやつのうちの一人が、俺だ」

そこに、妙な時間のチャイムが鳴り響く。

 

 

 

 エクセルが、見えない―!

 

 美有はふと、自分の御名術の決定的な瑕疵を自覚する。それに従えさえすれば、完璧であるのに。その前段階。

次にすべき行動を目で読み取ることができなければ、有効な選択肢の指定も、状況改善効果も、危険度も見ることはできない!

彼女の未来予知演算装置に、読み上げ機能はついていない。

たったそれだけの、くだらない弱点。

 

 だから美有は逆にその粉塵をさらに広げ、蹴って、巻き上げて自分の場所を隠す目くらましにするほか、なかった。

倉嶋は美有に近づくが、彼からも不鮮明な目前の奥から、不意に美有の左足の靴が飛んできた。

それは運よく首に当たり、少しのたじろぎを誘う。美有は来た方向へと駆けだした。

高低差がある場所の戦いは、彼女が得意とするところ。エクセルの指示は「下に向かって何かを落とす」、「登って身を隠す」など、敵を妨害しやすい指示がおりてくる。平地ではそうはいかない。

自分は上段。敵は下段。それをキープすることが彼女の得意な戦闘方法だ。

 

 きっと、あのポケットの中にはまだ石灰の粉末が塊で投げられる程度には残っているだろう。

目つぶしは、まずい。さっきから、美有は片目を閉じている。目に入った粉塵がうまく涙で流れない。

 

 

   ◇優先目的       ◇状況改善効果  ◇危険度

1 階   ざと  外   ★ ★    7 % 

   に         ★★      51%

  大 で助け   る  ★ ★      2%

4 ひ     を く    ★       %

5    りと階段を             %

 

 

「あ…ああっ!もうっ!!」

彼女は選べない。視点にピントがあわず、文字がかすれて見えない。

 

 そして、彼女はそのどの選択肢も選ぶことなく、再び階段を駆け上がり、また3階へと戻ってしまう。

ようやく、目の前がまともになったけれど。

 

 彼女には皮肉なもので、もしも彼女が3番を選んでいたら、少しの打ち身をしただけで、少し離れた場所にいた従士郎に声が届き、事態への助けとなったものを。

3 大声で助けを求める  ★★★★★   42%おすすめ!

 

 

(最終セクションの(5)に続く)




生徒会という組織に属する人種の観念がさっぱりわからない。ヤンキーはわかるんだが。よくわからん組織はモブにした方が無難ではあるのだが、「なんかリア充くせえ連中が狭い部屋でコソコソやってんなー」くらいの印象はあるので、ひとまず中ボス以下の悪役にすることとした。


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#40 わたしの超能力はエクセル(5)

 山屋は方針の輪郭でもできたならばそれはすぐに、彼はせっかちで突っ走りやすい性格だったので…、里江へとすぐに、電話をつないでみてくれと言った。

矢敷はまだ交渉の言葉もちゃんと出来上がってはいないが、熱っぽくなった山屋を止めようとはせず、ただそれを静観する。今の自分の頭の周り具合では、冷静で計算された指針を語る自信はない。

 

 そしてその、自宅にかけた電話は相手の祖母を経由して、「レイジ!お友達から電話!」、おそらく終業式から帰ってすぐのその男につながった。

 

「雄一郎君。どうしたの」

「レイジ君、実は、結構重要な…お願いが、あるんだ、相談に乗って欲しいんだけど…」

里江も素早くて、それは。

期待をもって聞いている山屋とたまに目を合わせつつ、里江はその男に生徒会の要求…御名術もちとして生徒会に参画してほしい、そのような話題を。語って。

 

 そしてやがて、里江の輝いていた表情が徐々に、不思議そうな表情…相手の反応が、良くも悪くもない、なんなのかわからない状態になったことに気付いたから。

里江は受話器を手でふさいで。そして山屋と矢敷に首を上げる。

「オイ、雄一郎?どうした?まさか、そいつ、嫌だって?」

「何て言ってるんだ?」

「変なこと言ってるなら、俺が変わってなんか言ってやるよ!なあ、何て言われたんだ?まだつながってんだよな?」

そして里江はにじんだ額の汗をぬぐって。

「いや、あの…」、スムースに、仲間の質問に返答ができない。「あのさ」。

 

 その数秒前に、縋られた男―レイジは、里江にこう言って返した。

「それ、話し合うの2学期始まってからでもいいですか?」

 

と。

「なんだそいつ!?っ、ざけんなよ!」

「朗…少し、落ち着いて。さすがに聞こえるから」

里江は困惑を隠せない。自分たちの大事、ただちに行動したい話を、面倒だからあとで、と言われた。

 

 

「レ、レイジ君。僕たちね、かなり本気でこのプロジェクトやろうとしててね。下手したら明日にでもみんなで集まって打ち合わせしたいくらいなんだけど…」

その申し出に、電話の相手は。

「なんで夏休み入ったのに学校行かなきゃいけないんですか。俺、別に補講とかないですよ。夏休みはいろいろ予定あって、スケジュール考えてて。親と旅行行くのもあれば、

中学の友達と集まるのもあれば。そのほかもろもろ。いろいろしたいこと、やんなきゃいけないこといっぱいあって…」

それは年頃の高校生男子としては至極当然すぎる欲求と、理由で。

確かにそうなのだが、この交渉と行動は一刻を争うと考える生徒会メンバーにとって、それは想定を大きく下回って無気力で困る物言いであった。

逆に言うと、そこで相手を顧みられないから、この生徒会メンバーには思想的問題があるのだが…。

 

「争いごとに巻き込まれたくないから御名術を隠したいってお願いしたとき、すぐしてくれたじゃないか、どうか、また助けてほしいんだよ!」

「だって、生徒会役員のメンバー調整って、別に命の危険とか、怪我の心配とかと違うじゃないですか。なんで2学期になってからだといけないのか、そこがよくわからなくって」

 

 時折、通訳あるいは合いの手のように里江は受話器をふさいで矢敷と山屋に、レイジの発言を伝える。

ならばこう言え、あるいはこう言ってみろ、など指図が飛び交い、だがけれど電話相手はまだのらりくらりと相談ごとをかわして。

 

 そして、生徒会のプライドを刺激する一言を的確に放つ。

「あまりこういう言い方良くないですけど、今の生徒会メンバーなんて正直、女子の賛同得られないんだから、一新した方が、君たちの言うような、御名術もち入れるよりよくなりますよ」と。

そして里江は絶句する。

彼は続けて。「噂のヤリチンの事件のせいで、女子から相当白い目で見られてんだから。今、全校生徒が納得する生徒会長誰にするって言われたら、一番声が集まるのって、黄瀬詩津華さんじゃあないですか?きっと、ぜんぶうまくいきますよ。俺はそう思います。理由は、学校を立てた人たちの代表生徒ってことで。天里凛々守さんは、学校に来てないですから除外しますけど」。里江は、ぼーっと聞いている。

もう、内容を伝えることもしない。まともな反論が出てこないのだ。「黄瀬詩津華さんなら、先生たちにもそれなりに意見を通せると思いますし、あの人を嫌いなやつって聞いたことないし、君たちの望み通り、東棟の御名術もちのやつらと強いつながり、あるじゃないですか。声かけるなら、俺じゃなくてそちらですよね」。

そして申し訳程度に。

「そして、君たちはそれをサポートしていって、汚名返上すればいいんじゃないですかね」

今の生徒会メンバーにとっては非常に不愉快な回答を与えた。

 

 

 美有が2階、普段殆どの生徒が使わないT字路の廊下を駆けていくと、またふと、距離感がおかしくなった間隔に襲われる。

今度はなにかと自分の距離が短縮されたような印象は、受けなかった。

ただ確実に問題だと思ったのは、自分の立っている場所が、閉め切られて何らかの話し合いの場が持たれている小会議室のような教室に近づかされているような…自らの意思になにか不純物が混ざったせいで、

そこに無意識に歩みを進めてしまったような。そんな感覚だった。

 

 彼女はまず、校長の御名術を看破したいと思った。学校内の距離感を狂わせる?では、帯を活性化させる力はなぜ付随するのか?

その2つは同一人物の御名術の内容としてはだいぶ内容が違いすぎていると思う。

すると、今回現れた3人の他にも協力者はいるのか?

次に。恐らく記憶に何らかの影響を与えるであろうあの教師をこれから倒すこととなるだろうが、それで終わりか?

校長と戦う必要が出てくるのか?いや、この環境を打破するためには倒さなくてはならないのだが、それは今すべきなのか?

これは御名術の保持などとは毛色が違う問題。校長を倒したならば、ある一定のダメージを年長者に与え、それが学校側に広まるわけだが、もしも「暴力行為」としてここを都合いい形で退学にされてしまった場合、次にちゃんと通える高校は用意されるものなのか?

 

 彼女はそう、自分の知識の外にある問題(とかく、これくらいの年齢は「高校は卒業しなくてもよい」…大検も受けられるし、社会で職に就ける…などという知識に、乏しく、正常な形で在学し卒業すること以外は恐ろしいまでの異端、と感じている)という邪念に少しめまいをおぼえた。

少し腰を据えて考えなくてはならない悩みであるが、同時に今から行われる争いと向き合う精神状態の基盤としては、かなり無駄である、とも彼女は気づいている。

自分は今は多角的な考え事をやめ、ただひとつ、自分の御名術の視認に影響を与えてきそうな教師をどうするか、と必死で考える。

要は、タイミングよく選択肢がでそうなタイミングですぐに自分のエクセルをひらいて、すぐ選択肢を選んで。

 

 その作業さえ終われば、目つぶしを受けてももう問題とはならない。

しかし問題がひとつ、生じた。先ほど一瞬頭を触られ帯を流されたようだ。それが、問題だった。最悪なことだ。

その一瞬のために、あの、記憶を消す御名術をもった教師の顔を、忘れた。

この会議場に奴が紛れ込んでいたら、誰かわからない。この学校の教師の顔をすべて認知してはいないのだ、彼女は。

 

 美有もこれには恐ろしさを感じざるを得なかった。

先祖の著書にはこうある。御名術を評価するには、まず行使力、そして自在性、精緻さ、副作用。これに加え「捕捉人数」とやらもあるそうだが、それは重要視されていないようだ。

まさかここに「速度」という新たな項目を加えざるを得ないとは。

奴は、かなり自分に恐怖をしているようだが、その御名術はだいぶ、慣れている。どういった訓練をしてきたのか。非人道的な実験練習でも繰り返したのか。

あの男がもしもわたしに対して恐れを抱いていなかったとしたら、わたしの記憶の大切なところはもうだいぶ消されているに違いない。

そう、彼女は思う。お互いがお互いに恐怖しているこの一進一退の境遇であるからこそ、まだ拮抗しているのではないかと。

 

 美有はすぐ目の前の会議場を少し見やるに、机や椅子がガタガタと鳴りだす。複数人がそこから立ち上がる音が聞こえる。何か、行われていた会合がちょうど終わったのだろう。

がだん、ずぅ、そういう音を聞いて、そこから美有のクラスの担任が出てきて、彼女と視線があう。担任の白浜だった、「人形谷?なんで?なんでお前まだ帰ってない?」、そして美有の怪我を察し、すぐに血相を変えて。

「すぐに学校から帰れ」

「え、いや。そんな状況じゃないもん」

と、その彼女の声を聴いて、彼は1学期の美有の動向をよく知っており、かつ心配していたものであるから、恐らく今まさに他の御名術もちの生徒と決闘中なのだ、と「一部誤認」をした。

「いーーから帰れって言ってるんだ、お前ー!学期末までバチバチしてんの、やめろー!」

「わ、わかったよぉ、帰る、すぐもう帰るから!でも先生、お願いだからわたしの質問に答えて!」

その小さな混乱は注目を浴び、会合を終えた他の教師たちはH組のやりとりを一瞥し、そこから離れて行って。

「なんだよ、質問ってなんだよ」

「この教室の中に、つぎから、新しく来た先生3人の誰かって、いた?」

「いな―」

 

 答えを聞き終わる前に。

たった一人、立ち去ろうとする教師たちにまぎれて、逆方向からゆっくりと向かってきた倉嶋が、「調整」、後ろから美有の頭に触れた。

 

「ぎっ…」

美有のこめかみに激痛が走った。身体はぐらついて、肉体の反射さえもが、鈍る。

彼女は膝をついて。

 

「あなたは!?」

美有の異変を見て、直ぐに前に出ようとした白浜の追求を止めるように、スーツを白い粉塵まみれにした倉嶋が現れ、美有の動きを一時停めると、今度は白浜のこめかみに指をあてた。

そこに強い抵抗が生まれ、倉嶋は振り払われ壁へとぶつかるが。

やはり彼にとってはそれだけで十分であって、同じように激痛を送り込まれた白浜が、身を震わせてよじらせる。

他の教師たちは振り返らない。

 

これは、何だ―!

 

 美有の頭に染み込んだ痛みはたちまち消えてゆく。記憶を失わせるというよりは、余計なノイズを送り込まれ、その衝撃が痛みに転じた、という解釈が正しい。

 

「すみません、挨拶もちゃんとできていないのに。でもこれ、緊急事態なんです」

倉嶋は非人間的な言葉をかけて、うずくまって顔を上げた美有へと。

そしてまた奇妙な感覚をその場の全員が受け、3者の身体はなんの歩も進めることなく接近してしまう。また、校長が何かをしたのであろう。

倉嶋はその、自らによりかかろうとする白浜の身体を引っ張って、美有の側面へと押し込んだ。

「んぐっ!!」

床が振動する。白浜の身体は美有の下半身を下敷きにし、その額が床にこすれる。

美有の力ではそれをただちにどかすことは、できなくて。

「さすがにこんな石灰まみれの身体で他の先生と会議なんかできないだろう?君は、私の顔を忘れたことを気にしすぎて、逆の方に注意力が向かったんだよ」

そして倉嶋は動けない美有に近づいて。その両手を突き出す。

彼の両腕を美有は抑えようとするが、腕力の点において、やはりどうしようもない。今まで、まったく身体を鍛えるようなことをしてこなかった彼女であるから、すぐにその両腕は、中指と薬指は、こめかみについてしまう。

 

 そして美有は。「この、距離をどうにかする御名術、校長の?それとも―」

倉嶋はそれに返答をする気がない。それは時間稼ぎであると把握したので。美有の御名術の使用方法と、反抗心を消し去るため、40cmほどまで顔を接近させた。美有の手元はエクセルを発現させていない。何も、問題はない。

 

「いや…違う。きっとこれは、『校舎のもっている御名術』。校長は、それを利用しているだけ…」

 

 倉嶋はその無益な洞察力に、ほんの1秒だけ表情を固まらせてしまい。

こめかみに指をつけた瞬間、美有の不意打ちを許す。

再度言うならば、美有と倉嶋の頭の感覚はそのとき30cm以内であって。下半身に重しを乗せられた美有はその頭を思い切り前方向に向かってぶんと振り。

 

 こめかみに当たる指のごく弱い拘束をすり抜けて、その頭は倉嶋の顔面に頭突きとしてしたたか重く、突き刺さった。

美有はうんざりする。ああ、数える間もなくわたしはこいつの鼻血を浴びてしまうぞと。

そして、頭頂部から額にかけて彼女に痛みが広がってゆくと、相手はのけぞって、ふらついて後ろに倒れ込もうとする。

 

 ああ、もうこれエクセルいらないわ。

 

 彼女は。ワイシャツの前を力づくで左右にむしるよう引っ張って、その行為で胸元のボタンは2つはじけて、薄い胸と下着をあらわにした、自ら。

すう、と息を吸い込んで、極めてわざとらしい悲鳴を上げた。その階層のできるだけ広い個所に、聞こえるように。

 

「なっ」

頭突きを喰らい、倒れた男は息を漏らし、その美有の行動をすぐに理解できない。

けれど。

白浜はぱちりと目を開け、未だ痛みがにじんでいる中、自分の生徒の姿を見て、混乱する。

「に、に、に!?人形谷…!?」

美有はすでに、目元をばちりと叩いている。演技力には涙が必要だ。

そして泣きわめくように。

「あの人が、白浜先生を後ろから殴って、わたしを裸にしようとしました!!」

と。

彼女には演技力などなくて、嘘泣きさえ今までの人生でしたことはなかったから、それは冷静な視点で見れば「なにか違和感があるぞ」と気づけそうなものであったけれど。

幸いなるかな、そこを客観的に見やることのできる教師はいなくて、今説明をするならば、この白浜という教師は数学教師であり、同時に熱血漢であり、体育教師たちとも親交が深い、思考の向きが浅薄な直情に寄っている者であった。余程、A組の担任の大曾根の方が沈着冷静だ。

つまり、これは言ったもの勝ちなのだ。

「はあ…これでほとんど勝った」

美有は安堵した。

「どういうことか、説明をしてもらいましょうか?」と、白浜が問答をはかる前に、彼は頭痛を振り払って、倉嶋にすでに詰め寄って襟首をつかんでいた。

そして、やかましい叫びやら、怒号やらが飛び交い、もはや会話ではなくなる。

言葉と言葉の隙間で、美有が「誤解を解いてほしければお前は御名術を放棄しろ」とつぶやいて、倉嶋が「ふざけるな!罠だ!」と返したときには白浜は彼の頬を思い切り張っていた。もうしばらく、美有の危険は生じないだろう。

 

 そして。

 

   ◇優先目的       ◇状況改善効果  ◇危険度

1 今すぐ職員室に駆け込む★★★     13% 

2 学校の外に飛び出す  ★★★★★   31%おすすめ!

3 110番をする    ★★★     20%

4 成り行きを見守る   ★★       3%

 

やがて他の教師たちも戻ってきて、その光景に絶句したり、追求の叫びが上がったりする中、美有の知らない女教師がはだけた胸に服をかけて、けれど美有は悩んだのちに選択肢を決めた。

 

「2番」

「誤解なんです!彼女と話をさせてください!」

「まだそんなことを言っているのか!」

「校長先生を呼びましょう!」

「きさま、いい加減にしろ!」

 

 美有は少し諦めて。

「まったく冗談じゃないよ。この貧相な身体で外に出ろってか」

 

   この着衣で外に出るのが恥ずかしければ、オートを推奨しますけど?

 

   ◇マニュアル◇ ◇ オート ◇

 

「なんだその口の利き方。うるさい。結局見られるんだからマニュアルでいい」

やけに砕けた脳内から指示に悪態をついた。事態が上向きになったから、演算装置がハイになっているのかもしれない。

 

 

受け取った、肌を隠すための上着を投げ捨て、パニックになった現場から密かに走り出して、1階に降り、靴も履き替えずに下駄箱を通り抜け、誰にも止められることなく校門より外に出た。

最初に出くわしたのは、騒ぎを大きくしてくれそうな、中年の女3人組であって、すぐに美有のことを気にかけてくれた。

「助けてください、先生に襲われたんです!」と美有はまた、わざとらしく泣きわめいて。

「何ですって!?あ、あなた!いけないわ、松田さん、おまわりさん呼ばなくちゃ!」

「わかったわ、ええと、ここは、明開晴訓高校…!」

その女たちはだいぶ親身で、次に男の通行人がやってくるまでに、新しく肌を隠すための上着を借りることができたし、注目を浴びないよう適宜、「見るな!」と声を荒げてくれた。

 

 中年女のひとりはそれは事態を曲解し騒ぎ立ててくれて、すぐにパトカーどころか救急車、消防車までがやってきて、どんどん野次馬が増えて行って。

囲いをかきわけて美有の正面に入ってきた諒太は、「あけてください!俺の彼女なんです!」と叫び、美有にとってそれが最大の羞恥となった。

「ハァ…だァーから、なに勘違いしてんの。あんたなんか彼氏じゃない」

「そんなこと言わないでくれよぉ~…」

「頭大丈夫?」

「ぜんぜん平気だぜ!」

「あっそう。わかったわかった。絶対にわたしの肌、見るなよ」

美有は主に警察を相手とする事情聴収のシミュレーションを頭の中で構築しはじめる。諒太や、通報してくれた中年女たちの気づかいの言葉は横に聞き流して、うわの空(また、この態度が、襲われて呆然自失となった少女を演出できてよかった)。

 

「はぁ。身体、鍛えよっかなあ…」

今後の仮想敵のことを思うと、短期決戦でカタがつかない場合、持続力で負ける可能性が高い。彼女はそう感じる。そして、身体ってどうやって鍛えるんだろう…と、エクセルを開くがあまりに選択肢が地味で地道だったので択ばず消した。

 

 

 この戦いは2度の保護者説明会が必要となる程度のニュースとして広がり、初回の後1名の教師がすぐに免職に追い込まれたが、一部の御名術もちの生徒はうすうす気づいて語らない。限りなく事故に近い、冤罪であると。

 

 

 

※最終セクション終了。 三日月の黒い夢(1)に続く

 




世にあまねく女性の関わる暴行冤罪の一部はこのように超能力者どうしの争いの結果の末に生まれたものなのかもしれませんね(しらじらしい目)。


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#41 プロフィール 従士郎(4/10) 

名前:竹内従士郎 たけうちじゅうしろう Jushirou Takeuchi

 

 

 

性別:男

 

 

 

年齢:15歳(作中1年生現在)

 

 

 

生年月日:1981年12月6日

 

 

 

身長:173cm(作中1年生現在)

 

 

 

体重:75kg

 

 

 

血液型:AB

 

 

 

略歴:親戚に武道を副業とする叔父がおり、幼い時からその道場に通い格闘技の経験と心構えを積み上げてきた純朴な少年。叔父も父親もそれを良しとしたが、彼らの本質はそこそこ軽薄で大らか、いい加減であって、「こんな融通のきかない真っすぐすぎる性格に醸造した覚えはない」と戸惑っているのは皮肉なこととしか言えない。昭和のステレオタイプの武術家である。

 

 

 

性格:略歴通り。とにかくクソ真面目で正々堂々と人と向き合うことを旨とし、礼節を重んじている。卑怯な真似や理不尽な行動理念を許さない。風雅と出会ってからは、じわじわと「臨機応変な性格にならなければいけないかも」と自覚し始めている。

 

 

 

学力:下。勉強に対する理解度こそそこまでひどくはないにせよ、例題の文章や解法の導き方などに少しでも正当性を感じない場合、そこで頭が停止してしまう。ひっかけ問題などについても、それを意識すると苛立ちを覚えてしまう非常に融通の利かない頭である。小論文など文章作成などはできる模様。

 

 

 

趣味:スポーツ全般、パズルゲーム。趣味というより習慣だが自己鍛錬。

 

 

 

御名術:帯を全身に循環させ、超自然の身体強化を瞬間的に行える。

人間では不可能なスピードの行使、視力増強、バランス感覚の強化、身体硬化、怪力の発揮などを実現させる。マサカに「気合で水の上を歩けるのではないか」とそそのかされ、2歩だけできて川に沈んだ。

 

 

 

帯の視聴覚:不可。自分の御名術行使の瞬間のみ、わずかに自分の帯が見えるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(以下、文字稼ぎのため読む必要なし)

 

 

 

 

 

 

 

まれにこのようなプロフィールを合間合間にはさみます。

 

 

 

筆者のための備忘録のようなものです。

現在はRPGツクールに集中しており進行は遅めです。

なんか最近ジーヴス読んだら自分のまだるっこしい書き方が翻訳小説みたいな毛色を持っていることに気付き少し驚いた。

 

 

 

 

<今後の執筆計画> 

 

三日月の黒い夢(1)~(8)?

 

→セックス・オブ・イット(1)~(6)か(7)

 

(1年生期終了、2年生期へ。思いついたら1年生期のサイドストーリーを追加してゆく)

 

 

昔から私の文章を読みなれている私の友人でもないのに、このような小説をお気に入りにしてくれる方々に心から感謝を。

イラストレーション担当のトウチカ様、いつもありがとうございます。

 



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#42 天里凛々守 三日月の黒い夢(1)

 インドネシアはむっちゃくちゃいっぱいの宗教が入り乱れてしまっていて、ユッピが考えてるような、イスラム教徒ばっかりの国ではないという事はキミらはちゃんと覚えておいてほしい。

 

 土着の神様みたいな考え方がとても多くて、神話とかそっちのファンタジックな話になると、だいたい女神さまとか竜みたいなのが出てくることが多い。わりとクラスで流行ってるRPGのゲームしてる、と思うのである(という勝手な先入観で話を進めるが、あたしはRPGのゲームなんてわからない。最近でいうとエアリスって言う子が死ぬことぐらいしか知らない)。まあインドネシアは国旗にガルーダ描いてるようなとこだしな。

もちろんこってこての宗教施設はいっぱいあるし、ボロブドゥールに行った時のガキのあたしはそのスケールに「すっげー!」としか言わなかった。このあたりのスケールがざっくばらんなところ、あたしは好き。

 

 あたしが住んでいた島ではなくて、だいぶ西のほうのでっかい島の伝承で、森の中を迷わせてしまうおばけ(SOMANGOT)がいる、ってえのがあった。

死んだ人の霊が森の中を歩いてる人をいたずらで迷わせる。籐かごをまっぷたつにして、その間をくぐると退治できるそうだ。

どうも雑魚いと思うが、幽霊ひとつのせいで籐かごをだめにしなくてはいけないという点では嫌がらせ強度は結構高いんじゃないかとあたしは思う。

 

 さてそんな、他愛もないおとぎ話に紛れてこの話をしたいのだけど、あたしの住んでいた家の斜め左のほうに、スダムじっちゃんという偏屈で赤茶色の顔したなかばアル中の年寄りの家があった。

あたしのパパはこのじっちゃんのことが大嫌いで、学校が終わったあとに奥さんにそこの家に誘われてごはんをご馳走してもらったりして、家に帰ると物凄い勢いで怒鳴られた。あんなじじいの家に立ち入るなと。あたしが半泣きになったくらいでママが仲裁に入ってあたしは自分の部屋に追いやられ、30分くらいすると静かになる。

という経験は少なくとも10回以上ある。懲りなかったのか、学習しなかったのか、反抗期なのか、とか指摘されてもしかたないんだけど、ちょっと抗えなかった欲求ってえもんがあったからだ。

 

 このスダムじっちゃんという人、今はもう70すぎたと思うけど、もンのすごく話が面白かったのである。

この話はあたしが今言ったばかりの、伝承、寓話、おとぎ話の類で。

このじっちゃんは前置きとして、「こいつぁ俺の作り話なんだけどな」、絶対にそう言ってから話をしだした。それはつまり、インドネシアの伝承とかよその国の物語とか、そういう機軸を全部外したうえで「これは俺の考えたフィクションだからおとなしく聞いてろ、途中で立ったら殴るぞ」と言ったのである。

 

 なるほど、今まとめてみるとそんな年寄りに大事な娘を近づけたくなかったんだろうな、という親の気持ちはわかるし正しかったと思う。

「これはこの国がオランダのもんだったころの話だ」、とか「これはこの国にはじめて電気が通った頃の話で」とか時代背景をかなり詳細に伝え置いたうえで、ワクワクするような若い男の子の冒険活劇を語ったり、お姫様の身分違いのラブロマンスとか…混血の航海士の半生とか―そういう話を。

 

 きっとあれは、スダムじっちゃんが昔聞いた話、それも各国の小説やお芝居を下地にして、「インドネシアに実在した人間の、本当にあった話」として語るという点において。あの年寄りは天才であった、アンドそれがあたしの琴線に触れまくった、というのが、今客観的にみての所感。

同じ話はたまに2度聞かされることもあったけれどそれらはいつも新鮮で、あたしだけじゃなくて他の子たちにも興奮と感動を与えていた。

あの年寄りは確かに、まずい類の大人ではあったけれど、子供の心を揺さぶる力だけは真実で。

あたしが14になる手前くらいでうちの家族は少し離れた場所に引っ越してしまったから、そこでスダムじっちゃんとの接点はおしまい。話は聞けなくなったが、あたしはあまり寂しくなかった。

 

 ここで、あたしがスダムじっちゃんから聞いた、忘れられない物語を説明しよう。

下地はおそらく、ヨーロッパらへんに黒いマリア様の像がちょこちょこあるのが、それ。

ざっくりとあらすじを説明すると。

 

 200年前の漁村に、ありふれた結婚をした夫婦がいた。最初の頃はみんながうらやむくらい仲が良かったその夫婦は次第に関係がきしんでいき…理由は、漁師のだんなの方が、弱い人に暴力を振るうタイプだという、本性が、じわじわと表に出て行って。

飼っている大事な牛を意味もなく殺してしまったり、騒がしい子供を叩いて家に近づけさせなかったり、とか。まあ、なんとなくどこの世界でも聞く話か?

そんなだんなに嫌気がさした気弱なお嫁さんは思い切って厳しい言葉でいさめたけれど、逆ギレされて頭から顔に大きな火傷を負わされ、あげく子供が産めない身体にされてしまった。

その漁村から少し離れたとこに、当時には珍しいカトリックの教会があって、失意のお嫁さんはそこにあった聖母像にお祈りをささげた。お嫁さんはイスラム教徒だったけど、アッラーにお祈りを捧げても何もしてくれなかったから、とかそういう理由だったはず。このあたり、曖昧。

 

 ある日。

「貴女は夫をどうしたいのですか?乱暴な性格を治してあげたいのですか?それともいなくなってほしいのですか?」と、夢枕に立ったのはそのマリア様であって。

お嫁さんは即答ができなくて、そのうち目が覚めてしまい、夢から覚めて火傷を負った自分の顔を鏡に映した。

だんなに対する愛とか情とかそういう描写は覚えていない。ただあたしの印象に強く残っていたのは、鏡を見た後のお嫁さんは「いなくなってほしい」と絞り出すように声を出し、すぐにそれはかなった。

その日のうちに暴力夫は漁船から投げ出され溺れ死に、死体の一部も回収できないくらいに魚に食われて海の底に沈んだのだと。

 

 お嫁さんはだんなが死んだあとはすぐにもっと素敵な男の目に留まって再婚し、再びあの教会に足を運ぶと、御祈りをささげた聖母像の顔は、純白だったはずなのに、真っ黒に染まってしまっていた。

お嫁さんはキリスト教に改宗し、生涯そのマリア様を磨き続け、おばあちゃんになったことにやっとその顔を純白に戻すことができたんだって。めでたしめでたし。

 

 この話の教訓は要するに、あたしが考えるに、「DV夫は早いうちにどうにかしろ」「人の罪は神が背負う」「改宗してもいい」、要するにそういう事じゃないかと思う。

きっとスダムじっちゃんに今会いに行って、まだ健康でいたなら、覚えていたならこの話の真意はなんですか?と聞きたいところではあるのだが。まあ難しいだろうな。

それが、あたしの頭の中に刻み付けられた、一番印象深い話。

 

 

(1-8)

 

9月1日。

 

「ねえ従士郎、お願いがあんだけどー」

あたしは少し思いつめた感情をしてると思うが、これはお芝居ではない。今朝から、少し友達との距離感を間違えてるせいで話しかけ方をどうも意識してしまう。

 

 もともとついてないと思ったのは、今日いきなり電車が遅延してしまい、大慌てで遅刻寸前で教室に駆け込んだこと。

新学期の始業式が終わったあと、そのときのあたしはとにかく早く「誰かに話しかけて夏休みにあったことを伝えたい系女子」だったわけだ。

ユッピとは夏休み中も結構な頻度で会っていたけど、それでも昨日一昨日の話をしたいわけで、始業式が終わってすぐにユッピに勢いよく話しかけたが。

「…ごめん、マサカちゃん。ちょっと控えめにして。具合が…悪くって」

と。重い瞼のようす、三白眼みたいになったユッピはかなりの可能性で生理痛がひどいと見え、あたしはそこで勢いをなくした。少なくとも、超高速で「このあと手打ち練屋ってラーメン屋行こうよ!ふたつとなりの駅で、昨日テレビでやってたんだよ!」なんて誘うのははばかり。そう。あたしはそのラーメン屋に行きたくてしかたがないのだ。

「う、うーん。じゃあ、よしとく。ごめんね」

「まって、マサカちゃん。わたしに何か言いに来たでしょ。途中でやめるのは、やめて。らしくない」

彼女は遠慮しがちなあたしを許してくれない。

「そっ、そのぅ…昨日深夜番組で見た、ラーメン屋さん行きたいなって…」

「ちょっと今日は無理かな。別の日に誘ってほしい」

重い声。このあたり他のクラスの多数に、ユッピは単なるおとなしいいい子だと誤解されがちではある。でも機嫌の悪い時のユッピはかなり怖いという事を知っている子はそう少なくもない。普段の小動物みたいなかわいらしいアレを想像してはいけない。

この状態のときにデリカシーなく男やらがバカみたいにでけえ声でユッピに話かけて、静かに冷たく「ねえ、もうちょっと静かにしてもらえないの?」と凍り付く視線を浴びせられるのをあたしは何度か見た。

彼女の性格のうち一部をあたしが醸造してしまった自覚はあるけれど、あれはな、かなり怖いぞ。騒々しくする人間を自分と同列の人間として見てない残酷な視線だ。いつもとのギャップがあるせいで、その一言だけで教室の半分が静まるなんて現象はそうはお目にかかれないぞ。

そして体の具合がよくなってくると、「マサカちゃ~ん…ごめんね~…わたし、具合悪くて相手してあげられなくって~」とかむっちゃくちゃ愛らしい声で言うのだ。カワイイ。

「でもさ、ラーメン屋さんだけじゃないよね?なに?」、見抜かれる。

「いっ、いやっ。それ以外は、特にないんだけど…」

「うそでしょう。早く、言って!」

そしてあたしは、この話を使ってバカみたいに盛り上がりたかったのに。

「え。えーと。あのさ、ユッピ、あたし、タトゥー入れたい」

「は?」

やばいぞ。まったく笑ってくれない。

「い、いやさ、ハートとね、なんかこう、可愛い悪魔みたいなの…」

「なんで」

「…あ、たしの好きな黒人のヴォーカルが…」

「どこに」

「…こ、ここ。内腿にワンポイントで入れた…」

「誰に見せるの」

「…」

あたしは、盛り上がる話題を完全にだめな方向性で消耗してしまい。まるで嘘をついた小学生みたいだ。二の句をつげない。何を言っても怒られる。

そしてユッピはため息をついて。「先々々週は、スーパーモデルになりたい。先週は、アルビノになりたい。で。今日は?タトゥーを入れたいと。ふとももに。ねえ、マサカちゃん。まずね、手が届きそうなこと思い付きでしたって、それって今後のマサカちゃんの一生にかかわってね…」。

「ハイ」

ほれ見たことか。もう教室の右側3割が凍り付いているぞ。誰か。誰か助けてくれ。須藤でも、れいかでも、まさるでも、笹尾でもいい。近いやつ、誰か。

「まずそういう話は、お母さんに相談してからにしよっか?」

「や、あの、ね。ママに言ったら、呆れられて…ゆりちゃんに相談して返事もらいなさいって…」

「却下」

そして、誰も助けてくれない。

「ユ…」

「却下!」

彼女はうつむいて。あたしは何だか涙ぐんでいる。依存度が高いというのも、考え物である。

 

 ずーんと落ち込んだあたしはけれど挫けない。八井田と、ケイスケとの話を終わらせて帰宅に向かおうとする景虎を、あたしの目はロックオンした。

「オッ、景虎ぁー」、いつも通りのノリと、少しの上ずった声はあいつの意識をすぐにとらえ、「どうした」という返事を誘導する。

「きのうトゥナイト2見てたんだけどさ、山本カントクがさあ」

「…なんでおめえは女のくせにあれを見てるんだ」

「るっさいな、別にいいじゃん。でね。カントク出てきたからエロいとこ行くのかなって思うじゃん。でもね、確かに一緒についてったグラドルはもう、これもんで、おっぱいでかかったんだけど、何と晴北駅近くのラーメン屋だったわけ!すっごくない!?あたし、昨日の夜から行きたくてしょうがなかったんだけど、ねえ、どう!」

「へえ」

景虎は、そっけないが明らかに興味のある顔をした。無駄に激しいリアクションが功を奏して。だから畳みかける、あたしは。

「ね!ね!行きたいじゃん!むちゃくちゃ美味しいんだって!なんだったら、あたしがおごってあげてもいい!ね!」

「…おう、いいぜ」

Senang(やったぜ)!」

あたしはガッツポーズを全身で表明して。そして景虎はかなり気が乗ってくれたのか、他の男にも声をかけて結果4人でそこに行くことになった。当然、景虎が女におごらせるわけがないことはわかっている。

 

 だがここで思い返してほしい。あたしは言った。友達との距離感を間違えていると。

少し日が傾いたころ、あたしを中心に男3人が取り囲んで、校門を抜けていく。さっきのユッピで受けたショックもそこそこ快復。

「ねぇ結局夏休み中に行けなかったじゃん、黄瀬の別荘行ってバカンスするってさぁー。10人くらい集まる予定だったのにさ、意外とみんな忙しかったっしょ。冬休みに絶対行こうよ!もう今のうちに予定たてとこ!」

「確かにそうだな。俺も興味あったんだけどよお、悪いな、俺もちょっと忙しくってな」

「へぇーそうなんだ。ま、しょうがないよね。彼女いるもんね。強制はできないよね」

「…」

景虎は頭を掻いて。

ここまではよかった。ここまではよかったんだが。なぜ、あたしは、自分の性格がとてつもなくアクが強くて、考えたことをすぐに声に出してしまうのか、そろそろ治した方がいいんじゃないのか、と後悔してやまない。

 

「蓮姉ぇとヤった?」

 

 景虎の顔は一呼吸の合間も見せず、思い切り引きつり、如来様が仁王像になっちゃいました、くらいの勢いで豹変した。あ、と思ってももう遅い。あたしは、何かドラマで見るような、両手で口を慌てて抑えるようなバカげた仕草をしてしまう。

この男とその年上の彼女は、双方の見た目に反して、結構プラトニックな恋愛をしている最中だというのに。

一緒にやってきた八井田と吹田は景虎から即座に身を離す。バカ、あたしをフォローしろと思うけれど、そんな優しい話はその場ではなくって。

深い呼吸音が聞こえる。景虎の。これは、怒りを必死で抑えてるやつ。

「ご!ごめん!言い方が悪かった!」

「…解散だ」

「あたしが悪かったの!ね!ごめんごめん!景虎と蓮姉ぇがそんなんじゃないの、わかってる!悪い冗談こいた、ごめん!」

「おめえ、帰れよ」

「かげ―」

()ェーーーれよ!!」

あたしの身体はとてもじゃないけど、男3人について行けない。景虎は、「悪ぃ、すまねえ。行こうぜ」、そう、八井田と吹田の肩を押して、怒りのベクトルはあたし以外にはまったく向けていなかったから。

どうして世の中の政治家が失言というもので要職を奪われるかその瞬間よーく味わって体験することができたのである。つらい。

 

 

「ねえ従士郎、お願いがあんだけどー」

 

 

「はぁ。それで、マサカさんが僕を呼び出したのは、ここのラーメン屋に来たかっただけ、だからなんだね」

「そうなんだよ」

真っ赤な電飾看板が目を引く狭い場所で、そこは。あたしは山本カントクが座ったと記憶してる場所をおさえ、隣に従士郎を座らせる。15時なので、結構すいていた。

多少だが、あたしは目をこすって腫れてしまっていると思う。ちょっぴり涙声で電話を受けた従士郎にはさぞ迷惑だったろう。というか、こいつはきっとあたしがもっととんでもないことになってしまったから、と勘違いしてきてくれた感じである。息を切らせて来て、「なんだ、想像してたより無事そうじゃないか」と。

今はこいつは呆れている。

でも、一緒にラーメン屋に向かってついてきてくれたこいつは、きっといいやつ。

「僕はさ、大事件というかね…そうだな、伊崎君か、人形谷さんとやりあってる最中なのか!?って勘ぐってね。それが…」

「あんなやつらどうでもいい」、そしてあたしはただ単に今の即物的な欲求とさっき生まれたA組内生徒での悩みごと、そして食欲を遠慮なく従士郎に言って。「なに、あいつらとあたしが戦っててピンチになったら、従士郎が助けてくれんのかい?」。

「まあ、頼まれれば助けるかもしれないね」

「なんだその言い方、ばっきゃろう、素直にあたしを助けるって言え!」

あたしは顔をほころばせて隣のやつのほっぺにグーパンを軽くかました。後ほど語るが、ここら付近のあたしの好意、仕草、客観的に見たら随分と「甘えている」と感じられるかもしれない。他人には。そういう気持ちは、べつになかったんだが…。

従士郎を呼びだして1時間後、あたしはやっとTVで見たのと同じものにありつけた。テンションは上がるしニヤニヤが止まらない。匂いもあたし好み。

1時間前は、もしかしたら景虎含む3人が食べていたかもしれない。あのまま行っていたなら。

そのラーメン屋の、30はいかないくらいのベリーショートのお姉さんがエプロンをして活気よく応対してくれて、その姿にあたしは感動してしまう。ああ、このお姉さんはラーメン屋やるために生まれてきたような人だぞ、短い茶髪で細身で声が大きくて笑顔がカワイイ。完璧だ。

そして期待通り、ラーメンは徹底的にあたし好みであって、具材から分量まで非の打ちどころがない構成だった。

「美味いねー!!」、「これすっごいねー!!」、「マジおいしいねー!!」、とあたしはでかい声で従士郎に連呼している。きっと、ずっとニッコニコで笑っていた。

 

 ここで、従士郎が普段のあたしの在り方としては異常である、ということを理解してくれていたらのちのち面倒なことにならなくて済んだのだが。

「チャーハンにこんなでっかいザーサイが入ってるんだね…僕は、これはとても気に入ったかもしれない」

「一口ちょうだいよ!!」

そのれんげを奪う。あたしは、今年で一番テンションが高かった。このとき。

「ねぇ夏休み行けなかったじゃん、黄瀬の別荘行くって話流れちゃったじゃん、冬休みこそ、絶対行こうよ、今から予定あけてさあ」

「ああ、うん。僕は結構期待してたんだけど…なんでなくなっちゃったんだろうね?」

「だってみんな何だかんだ忙しかったみたいでさー」

「僕は結構暇してたけど?」

「だろぉ?」

「夏休み、なんか変わったことした?」

Tidak(うんにゃ)、全然普通。ユッピと遊んでただけ。おまえは?」

「道場かよって筋トレして…おじいちゃんの家に帰って…うん。なにも変わったことはしてないね」

「面白いことしようよ…遊べんの今のうちだけかもしんないんだぞ?」

「うん。ごもっとも」、従士郎はゆっくりと頷く。

「てかね、あたしね、リスペクトしてる黒人のヴォーカリストみたくさ、タトゥー入れてみたいんだよね…それくらい遊びたいじゃん」

こいつは少し驚いた様子で。「え。タトゥー入れたいんだ。どこに?」、あたしを顔を見合わせる。

あたしは制服のスカートをぱぁんと。股間を叩いて。太ももを指ししめすつもりだった。

勢いが強かったから指が引っかかったのと、お店のエアコンの送風が偶然こちらに向いたタイミングだったか。あたしのスカートはめくれあがり、もろ、パンツが見える。

「あッ!ちょ、ごめん!汚いもん見しちゃった」

すぐさまあたしは元に戻すのだけど、そこにバカ笑いでも生じるのかと思ったけれど。右に座った男はすぐに顔をよそに向けて、一言も発さない。そう。こんな些細なことで、まったく気にしないあたしとは正反対に。従士郎は、過敏に反応して唇を噛んでいる。

いかん。こいつ、こんなシャイだったか?あたしは思い返す。

そして、あたしの分析が終わらないうちに。

「すみませーん、お冷、入れましょうか?」、さっきのお姉さんがそれはにこやかに、左後ろからあたしに。「あ、ハイ。お願いします」、とお行儀よく返事するあたしの耳に入ったのは、

「彼氏さんのもお入れしましょうかー」

と。

従士郎がびくりと半身を揺さぶる。

あたしは絶句する。「は?」、距離感。

 

 

 

(視点を変える)

 

 9月3日。

 

 涼しいというには少しぬるい感じの空気が漂っていて、翌月には衣替えをしなければならないというのには、わたしは少し反抗的である。暑いのが本当に苦手だから。

今年の8月はわたしは涼しかったと思うのだが、マサカちゃんは徹頭徹尾、黄瀬さんのおうちの所持するリゾートで涼みたかったとみえる。未だにぼやいているから。

ただ、高校生活初めての夏休みでみんなどう過ごしていいか戸惑っていたし、バイトをしたり家族の用事が重なった子もいるので、それはまあ冬休みでいいのかな―とわたしはそういう話が出るたびに言っている。

 

 いや、天気の話はどうでもよくて。わたしは今日、マサカちゃんに会ったら聞き出さなければいけないことがあるのだ。

どうもおととい、わたしが断ってしまったからか件のラーメン屋さんには竹内君と行ったらしいのだけれど。

それの目撃証言がショッキングすぎる。なんでも行きの時からマサカちゃんは竹内君に頻繁にボディタッチをし、名前を何度も呼び、それは学校ではとても目にできない、というか極めて珍しい…一方的に好きみたいな感じで甘えまくっていちゃいちゃしていたという。

チャーハンをあーんさせてもらっていたというし、こともあろうにいきなりスカートの前をめくりあげておもむろに竹内君に下着を見せたのだという。お店の中で。なんだそれ。確かにいやらしいことをずばずば言うタイプだけど、自分の肌を集団監視のなか直接的にさらすなんて聞いたことがないぞ。

 

 彼女が何を考えていようと、わたしの意見としては、まあいつの間に?全然わからなかった。二人とも背が高いからお似合いかもね。と感じるが。

2点気になる事としては、まず人に見られていてこんなすぐにわたしの耳に入る程に恥ずかしい行動をしない方がいい、という事と、あとは彼氏が欲しくなって消去法で選びはしなかったかと心配なのである。

夏休み明けに誰それと誰それがつきあった、という話題は耳に入ってくるが同時にすぐに別れたという同量の話題数も入手するもの。

あんまし入れ込んで、それでいてすぐにケンカ別れでもしてしまおうものなら、あの二人の知名度的に東棟の人間関係がぎくしゃくするんじゃないかとわたしは少々心配だ。むしろ、この話を聞いたとき、いつもの妄想モードにギアチェンジできなくて、そっちの心配モードになってしまった。

 

 などと考え込んでいると、学校への1本道にたたずむ痩せた街路樹の陰から、スレンダーすぎる身体にピンク色の粒子を帯びた女子が現れ、目が合う。

相手は少し逡巡して、「あ、おはようございます、柴崎さん」と。わたしは、「人形谷さん、おはようございます」。

彼女はわずかに警戒の様子を見せたが、「一緒に行きましょう」と声がハモった。彼女は、東棟の御名術もちをだいぶ気にしているが、わたしには多少心を開いてくれているみたいで。

話が合うのかわからなかったが、当たり障りのない、御名術という言葉も帯という言葉も使わない、浅い会話をした。夏休みと同時に、帯をもった3人の教師を全員やっつけて追放したという話は聞いている。本人からではないけれど。

わたしは平和主義者だったので触れたくないと思ったし、もしも彼女が人間よりひとつ上の存在となることを掲げて生きていたとしても、わたしより細いこの女の子が争いごとに明け暮れているというのは、やはり今日はわたしは心配モードだから、気にかけてあげたくなるもので。

 

「人形谷が、終業式で出て来た御名術もちの先公3人ともぶちのめしたらしいなぁ~…どう思うね。おれは、早めにケリつけておかないといけないと思うんだがねえ~」

夏休みのはじめ、4人で集まったときにもっとも攻撃的な意見を伊崎君が出した。とにかくそれは強くて速くて。マサカちゃんはそれに不快感を示して何も言わなかった。わたしは急にそんなことを言いだされておろおろして、竹内君が何やかや言ってその話をやめさせた。

だからわたしは思う。彼女は、かなり苦しい学校生活を送る運命にあるのだと。

 

「お、あれは」

会話が途切れたあと、人形谷さんが目の前のほうへ。

小柄な女の子だった。その後ろ姿は見覚えがある。

天里凛々守(あめさとりりす)!」

C組の女子の名前を、彼女は言った。「なんでだろう。柴崎さん、わかりますか?あの子、絶対に御名術もちなのに。帯が見えてこないんですよ。見えますか?」と。

私は驚く。

「ちょっと待ってください。あのひとがとんでもない御名術もちだって言ったのは人形谷さんですよね?人形谷さん、帯、見えてないんですか?」

「ハイ。見えてません」

「え?じゃあ、御名術もちだってどうして決めつ…」、わたしは言いなおして。「どうしてわかるんですか?」。

彼女はその後ろ姿を目を細めて観察し始める。

「帯は体の外にあるだけで、その人の内臓と同じですよ。温度も匂いもするからです。それも、かなり強い帯の」

「…」

 

 わたしには全然わからない段階の説明で。

急に。右手側からバカ騒ぎをして駆けてきた3人の男子が蛇行してわたしたちの前方に走り込んで来て。危険を察知したわたしたちは足を止める。

そして、そのうちの一人、パーマをかけた男子が大きく左側にふくらんで、天里さんという小さな子に身体をかすらせ、謝りもせずに前へと前へとその姿を小さくしてゆく。小さな子は、その衝撃でアスファルトに伏す。ばたりと。かばんがひっくり返る。

「あっ!?」

「…」

わたしたちは倒れた女子のほうへ急いで。身体を抱き起し、人形谷さんは衝撃でかばんからはみ出た教科書を拾い上げて。

「ちょっと、なに!あの人たち、最低!」、わたしがそう言っても彼らは止まらないが。

「ねえ、だいじょ…」、人形谷さんが優しい声を、止めて。

そして私は声を聴く、彼女の。同時に、何かわたしが触れている身体の部位。わたしの腕は不思議とぼんやりとした感覚を受けた。

「うう…こわい…こわいよぉ…男のひとこわいよぉ…」

その、真っ白い不健康そうな彼女の顔を、はじめて見る。濡らした瞳は隈だらけで、唇はカサカサ。過去に切ったのか、上唇のラインは少し欠けてくっついていた。そして、何か精神的な病気なのか、左側頭部の前髪から頭頂部少し前までの、指3本分くらいの面積は、髪の毛がまるまるなかった。

「こわい…こわい…」

そこに転がったものをわたしはどきりとして、見やる。それは握りこぶしくらいのサイズの、人間の頭蓋骨のおもちゃ、それが転がっていて、私は拾ってあげるのに躊躇した。

この子、どういう素性の子?とわたしはだいぶ失礼な懸念をするが、大事なのは彼女が怪我をしていないかということで。

けれど気を配る言葉をかけても、天里さんはこわい、としか返してくれなかったので埒が明かない。まず動転しているかもしれないので保健室に連れて行って…。「柴崎さん」。

「え?」

人形谷さんは、胸に手を当てて、唾をのみこむ音が聞こえた。

そこに。

「ひっ!?」

 

"彫像のような存在"が立っていた。それは私たちより少し背の高い。胸が膨らんでいるので女性像。真っ白いヴェールと古代ギリシャ風のワンピース…外套。それを纏った彫像の肌は漆黒で、袖からのぞく手首から先はやはり真っ黒で、その顔も。

漆黒で塗りつぶされた顔。表情はとてもわからない。恐ろしくて観察ができない。ともかく、純白の着衣の、真っ黒い人型の存在がそこに、あった。

わたしは、理解ができなくて、声が出せない。

「こわい…男のひとこわい…」

明らかに勇気を出して踏み込んで、人形谷さんはその彫像の顔を覗き込む。

彫像の真っ黒い顔は斜め右を向いて、「!!」、人形谷さんは、すぐに退く。逆に顔を覗き込まれたから。

その超自然の漆黒の存在は人形谷さんの視認に対してあまり何も思うことがなかったのか、すぐに視線をずらしてその場に身を丸める天里さんを見下ろしていた。

表情は動かない。

 

「すごいびっくりした…」、そう、人形谷さんはやっと声を振り絞って。「この彫刻が、帯です。この子の。黄色い帯の塊が真っ黒く塗りつぶされてて、帯として見えない」。

「えっ…」

天里さんの手が伸びて、転げた青白い頭蓋骨を真っ先にかばんにしまった。

 




歳をとってからでさえ、ふと油断した状態で異性と遊んでいると誰かしらに見つかって後々面倒な説明をしなくてはならないというのに、いわんや高校生の時節をや。ダメージの規模は若い時の方が多かろう。


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#43 天里凛々守 三日月の黒い夢(2)

 日付は動かずそのまま昼休みの体育館裏。 体育館裏にはたまに一人二人が通りすぎたり、野球部が群れて横断したりするけども白いベンチ付近は「御名術もち生徒のなわばり」という暗黙の了解でもあるのか。誰も近づこうとしない。

逆に言うと、遠巻きにわたしたちの誰それが集まって何分くらい会議していた、など観察されることは、あるのかもしれない。きっとそれが見られる窓付近があるはずなのだ。

 

 集まろうと提案したのはわたし。この話を当事者以外、他の誰よりも早く興味をしめし、収集したB組の2人。D組からは黄瀬さん。彼女は珍しく、誰も傍に置いていない。偶然今日はひとりになりました、とは彼女の弁で。

で、その天里さんというのはどういう性質の生徒なのか?という質問が伊崎君からあがって、この学校でその質問に対しすぐに返答ができるのはわたしの交友層の限りは、中学が同じだったという黄瀬さんと花形君以外にはいない。

そして黄瀬さんは「変わった子なんです」と真っ先に念押しし、「身心がそんなに強くない子なんです」と言い、その次に言おうとした言葉を彼女は飲み込んでしまった。

なにか、その女生徒を評価する言葉というか形容詞を表現することに対して、黄瀬さんはとても前向きではないと感じざるを得ない。

そこまで歯切れの悪い黄瀬さんを見るのもとても珍しい、というか。

 

「男性恐怖症なんですか?」、とわたしは訊く。黄瀬さんは。「そういうわけではないと思うのですが、そうなのだと思います」、そう。

そのつもりはないのかもしれないが、ふざけているか、明言を拒んでいるような返答にしか思えなかった。わたしがそう感じたのだから、伊崎君が作り笑いに固定したまま突っ込むのも無理はなくて。

「黄瀬さん、さっきからさぁ~、その女の深いとこの情報をおれらにまったくよこさないよね。なにか都合が悪いこととでもあんのかい」

彼はない髪をかき上げる仕草をし、眼鏡を両手で治すと、側面からにじり寄って黄瀬さんに近づいた。花形君がいたならすぐさま間に入って止めに入るような圧力で。

そして。「その態度はねえ。天里っていう女をかばわなきゃいけない理由があるのか、それとも表むきに、そいつと黄瀬さんが仲が良くないか疎遠だってのを隠そうとしてんのかなぁって、おれなんかは思うよね」、かなり核心にせまろうとする言葉が入った。

 

 彼が超頭脳派という事はもう東棟では周知のことだから、隠し通せないと黄瀬さんはふんだか、ため息をついて。

「黄瀬家と天里家の親交はとても深いです。が、わたくしと天里さんは大した関係はなくって。むしろ、薄いです。そうですね…これは自己弁護じゃあありませんよ。天里さんは、わたくしには興味を持ってくれていません」

その場を少し驚かせる発言だったとわたしは思う。この学校の設立にかかわった2大お金持ちの娘どうし、かつ同級生、でかかわりが薄いなんて、意外であるし誰がそう思うだろうか。

わたしの感覚だと、庶民でも家族がふたつ集まってなんかしてて、その子供たちが同じ学校で同級生で同性ならちょっとくらいなんかありそうなもんだけれど。

 

 と、わたしはごく普通の感覚でそのとき考えたが、この集まりが終わったあと、気づいたのだ。

黄瀬さんは華やかで人気者で、あとそうだな、ちっちゃくてかわいいし、胸が大きい。ゴルフやってたり乗馬やってたり。少し、同級生でも憧れの的では、ある。傍に大体いられる花形君が男であるのに多少うらやましい。

対して天里さんは、朝のことを思い返すならば。身長は同じくらいにしても、その雰囲気は雰囲気、陰と陽みたいなもんで、少し近寄りがたい暗い子であるし、だいぶ影があると感じたのだ。

ひっくり返ったかばんの中から人間の頭蓋骨のアクセサリーが転がってくるのだ。まともな感覚なら、びびる。もしマサカちゃんがわたしとかをびっくりさせようと、かばんに手を入れて頭蓋骨を取り出したら、まったく笑えないというかわたしは少し怒って注意する…。

「エエーッ!なにこれ!見てユッピ!あ、あたしのかばんにこんな素朴な頭蓋骨が!あんただれ?いつ死んだの?肋骨はどこにあんの!?」

…いや。それはそれで面白かった。今のは訂正しよう。

 

そして竹内君が訊く。

「僕らが聞きたいのは、その天里さんっていう子の気質の問題です。御名術を持ち出したいって考えている子なのか。それに障害があったとき、どういうことをしてしまう可能性があるのか、僕たちに敵対してしまうのか?そもそも、僕たちのことをどう思っているのか?それが一番わかりそうなのは、黄瀬さんなんです」

呼応するように、「何しろ、人形谷がものすごく警戒している対象らしいしなぁ~…」、伊崎君は。「おれはね、誰が一番やばいかっていうと、穂村なんだよ。あいつは一撃必殺すぎる。なのに、人形谷は眼中になし…それ、どうなんだい、柴崎?」。

わたしは答える。「わたしだって決して人形谷さんと親しいわけじゃないけど、あの子はきっと、みんなのことを怖がってはいない。でも、人形谷さんが天里さんの帯を見たとき、『ますます怖くなった』なんて、あれはきっと本心で言ったんだと思うな」

「その、彫刻の形をした帯を見てか…」

「そう。あれは、教会にあるようなマリア様の像。でも、肌は真っ黒」

黄瀬さんは何も言わず、指を頬に這わせている。何かしゃべらなくては、という気負いを感じてしまう、わたしは。

「要するにその彫刻が天里凛々守のスタンドみたいな帯なんだなぁ」

伊崎君がそう言う。スタンドってなに?

「スタンド知らない?ジョジョ読んでない?わかんない?わかるだろ、竹内君?」、「伊崎君、僕も4部の初めまでしかわからないんだけど」、「そこまで読んでたら説明できるだろぉ?」、B組の二人はわいわいと話し出す。少年漫画の話のみたいだけど…。

「まあ簡単に言うと守護霊みたいな超能力ってことよ。俺たちはそれが帯状だっていうことだけだろぉ~?」

すぐに、そう言って彼は簡潔にまとめた。なるほど、守護霊。例でいうなら、C組の富島君は帯が巨大な手の形をしている。天里さんの帯の形がマリア様の形をしているのも、そういうものなのかもしれない―が、肌が黒いのはよくわからない。

 

 意を決したかのように、黄瀬さんは少し高いトーンで急に声を出して。

「天里さんはみなさんのような、御名術ダービーに参加するような性格ではありません。彼女は、世の中のほとんどのことに興味がありません。揉め事にもならないでしょう。でも、決して彼女を傷つけるようなことをして欲しくないのです」

何か、それに気づいたのはわたしだけではない。竹内君もだ。その声明に何かしらの悲壮感めいたものを感じたのは。どうして?

 

「でも、人形谷が警戒してんだから、あの女が勝手に何かやりだしたら止める義理はないでしょうが」

「伊崎さん、そう思うなら、わたくしは人形谷美有さんと話し合いを持ちます。どうか争うとかしないで欲しいって」

「でも、天里凛々守が自分の御名術を持ち出したいと考えているとしたら?」

「っ…く」

「おれは別にどれでもいいんだがね。だがなぁ、平和的解決ですべてをおさめたいって考えてるなら、まず人形谷の闘争心をどうにかしないとならんし、今まで聞いてた感じ黄瀬さんがあまりに情報をくれないもんだから。非難はしてませんや。でも、なんでそんなにあなたは親しくもない昔のクラスメイトのことに対して言葉を選びすぎてんの?」

 

 黄瀬さんの顔色は決して良くない。恐らく彼女は何か言えないことがあるのだが、それを別の側面というか方法で言葉にせず伝えられないものかと模索しているかのようにわたしには思った。

それについて、どうしてだろう?と疑問に思っているのは事実なんだけれど、同時に、これほどまでに何かを隠さないといけないなら、これ以上詮索するのは逆効果ではないかと。「伊崎君、ストップ。きっと、今答えてもらうには段階が足りないんじゃないかな」、わたしは。

「段階?段階ってなんだ?」

「深い事情」

彼はそして、わたしでも気に障るような、呆れた外国人のようなオーバーリアクションをとって黄瀬さんから離れる。

わたしは少しほっとした。あまりにも、その光景は黄瀬さんを攻めすぎているように見えていたから。

 

「黄瀬、ユッピ、そこにいるー?」、ふらっとマサカちゃんが現れた。「ユッピがお嬢様その2と遭遇したって聞いて…オイ」。

こちらへ到達する前に彼女は足をとめた。視線の先は竹内君。あっ。

「あっ」

「…」

「ユッピ、こいつらいるなんて聞いてな…い」

そのマサカちゃんの表情はわたしには読み取れなかった。いや、そんなことはない。読み取れた。これは。

「マサカさん」、竹内君が。あっ。「おとといの君が変なことするから!ちょ、僕の、まず、話を…話を!!」。

"洞"を経由して竹内君の顎にマサカちゃんの拳が距離を無視してヒット。のけぞらせた。

「近寄ってくんな、バーカ!!」

「待ってくれ!!もとはと言えば君だぞ!なんかべたべたしてくるなと思ったら、君がいきなりスカートをまくり上げるから!」

「なァァァァァァァーーーーーーーー!!口きくな!ぶっ殺すぞ!!」

横で伊崎君はしゃがみこんで笑いをこらえだす。このやりとり。

「いいか、僕をからかうなら身内のなかだけで好きにすればいいのに、あんな他の人が見てるところで、何が楽しかったんだ!!」

「じゃかぁしいや!今すぐ口閉じろ!その話をこれ以上したら今ここでお前を葬る!」

 これは、悪いが、ものすごく見ものである。こんなにうろたえて顔を真っ赤にするマサカちゃんはそうは見れない。仮に偶然や誤解が相次いでこのような事態に発展したとしても(とは言ってもそれはマサカちゃんの証言だけだからわたしは全体感を支持したい。今思った。このふたりは、できていたほうが面白い)。

伊崎君が地に身体を預け笑い転げている。このあたり、彼とわたしは一致だ。

「ふざけないでくれ!自分のしたことに責任ももたないで、うわさが広がったら自分の身だけは守るって言うのか!」

「…るっさいっ!!あたしだって、あたしだって!」

「からかうならサシでいるときだけにしてほしい!本当に迷惑だ!」

ふたりの熱烈な言い争いに差し込み入るように、黄瀬さんが「へぇー。サシだったら何をしてもよかったんですか」。今までの抑制から解き放たれたように。

ぼっと。強火が点火されたようにマサカちゃんがさらに上気する。竹内君もまた、赤くなり始めて。いかん。面白い。

「加納さん。誤解なら誤解だって冷静に答えればすぐに収まったかもしれないのに、どうしてそこでいきり立つんですか。竹内さんも静かにしていればいいじゃないですか。なのにふたりで騒ぎ立てるからうわさが鎮火しないんですよ。わたくしには、お互いに意識しあっているようにしか見えませんもの」

まったくだ。

「…別にわたくしは構いませんことですよ。おふたりが交際していたって」、伊崎君の追求を逃れた黄瀬さんはそしてわたしのイメージするお茶会の最中のような優雅さでずばりと言う。

「ぎぁーーー!!でならぃーーーーー!!ぎぃらぉーーー!!バーーーカ!!」

そしてマサカちゃんは日本語を喪う。

「お、黄瀬、さん。す、少し、黙って。え。あの、この話、D組にも飛んで、ますか?」

「なんですの、そんな、どもったりして。わたくしは執事長からその日の晩には聞いて」

伊崎君は転げまわっている。漫画表現のようだ。かくいうわたしも口に手をやってまじまじと眺めている。

「駅を降りたら腕ぐみして、加納さんは竹内さんのほっぺつんつんとかして、ラーメン屋のなかではお互いに食べさせ合って揚げ句の果てに竹内さんに言われるがままにスカートをまくりあげたそうですね」

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

空間を切り裂くかのように嬌声と悲鳴が混じった彼女の声が響き渡る。へー。そうなんだ。

「黄瀬さん!!違います!その言い方だと僕がやらせたみたいじゃないですか!違うんです!その子が勝手にぜんぶ!」

「何が違うんですか」

「盛られすぎ、盛られすぎなんです!僕は被害者で!」

「加納さんがあなたのいう事をすべて聞くというなら、全部辻褄が合うのです」

「合いません!そんなの合いません、全然!」

 

 背後に気配を感じると思ったらそれは伊崎君で。いつ起き上がったのか。

笑いをこらえたまま、わたしに「    」と言え、と命令をだす。え?ちょっと待って。それは言えないよ。こんな空気だよ。いやしかし。言ったらどうなるだろう。きっと面白いか。面白いな。わたしが言うの?いや。わたしが言うから面白いのか。マサカちゃんには悪いけど。

 

 そしてわたしは。「ふっ、ふたりともいっそつきあっちゃえよ」と。言う。ちゃんと言えました。いかがですか。

 

 どうするのかと思えば、マサカちゃんは竹内君の顔にストレートパンチ。そして悲鳴をあげて逃げてゆく。なんていうことだ。どうして、こんなことになってしまったのだろうか?

倒れようとする竹内君の巨体は伊崎君が受けとめて、黄瀬さんが、「そんなんじゃ全校にうわさが広がりますよ!」と追い打ちをかける。

 この会議はマサカちゃんに最初から最後まで聞いてほしかったのだけど。これは機を改めてふたりを遠ざけてやる必要があるとわたしは感じた。きっと、話にならない。

 

 夜あたりに電話して謝らなきゃいけなくなった。ノリに流されすぎたというのは反省点である。環境のせいでわたしの性格が悪乗りするタイプにずれだした自覚は少しあるので、今回でこのようなのは終わりにしよう。

そういう楽しい高校生活1年生、である。

 

 

 

「はじめまして。レイジです」

彼は里江、山屋、矢敷の順に挨拶をしお辞儀をした。

屋敷は彼に握手を試みたが、右手がまったく出てこないのですぐにやめ、下ろした。

「終業式のときの話ですけど、みなさんに協力しようかと思ったんですが、機会を改めた方がいいかもしれません」

「なぁんでだよ!」、ずっと焦らされていた山屋が声を荒げて。それを里江が抑えた。

彼はだいぶ無表情だった。顔の筋肉に動きがない。感情の起伏もなさそうに見えて、かつ機械的な受け答えだったというのが生徒会チームの印象で。

 

「だめな理由を言いますと、C組の天里凛々守さんの御名術が周期に入ってしまったため。今、何もしないほうがいいです。下手すると、死にます」

 

 無論、そんな言葉だけでは生徒会の3人は疑問を投げかけるしか、ない。たまに罵倒のような言葉も混じって止められたりするが、彼、レイジは機械のように返事をした。

とにかく、今は何もすべきではないと。ではその周期というのは何なのか?どういうことなのか?という質問には答えず、けれど「周期は10月中旬に終わると思います」、彼はそれを知っている。

 

「じゃ、10月後半までまだ待ってくれっていうことか。折角、夏休み中に初芝芽維と交渉ができたって言うのに…」、矢敷は肩を落とす。腑に落ちていないのだが、彼は今の唯一の頼りである。邪険にはできなかった。

「そうです。周期中は、彼女に接近する男は極めて危険と言わざるを得ません。女でも、彼女を傷つけてしまうようなら、あやしい。今は待機してください。終わったなら俺から言いに来ます」

決して彼は3人を納得させきれたわけではないけれど。それでもまだ、こいつの言う事は聞いてやろう、と思わせる説得力はあった。その説得力は、彼の機械のような感情が後ろ盾になっている。

そして。

 

 

「あと、今日の朝、天里凛々守さんにぶつかったE組の男子、生徒会と親しい人ですよね?パーマかけてるちょっと遊んでそうなやつ。連絡つけれるなら、したほうがいいですよ。できるだけ早く、詫びを入れさせた方がいいんじゃないかと思いますがね。恐らく、乱暴した自覚もないと思いますけど、自覚とか言ってる場合じゃ、ないと思うんで」




AとBがふつうの友達同士なのにある日「あいつらつきあってる」という噂が流れたとき、AB両名の関係にダメージがない解決策って沈黙しかないの?


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#44 天里凛々守 三日月の黒い夢(3)

その男子生徒は田島裕典という、E組在籍の御名術をもたない普通の生徒だった。

特に女性を軽率に扱うとか乱暴な性格であるとかそういう要素もなかった。むしろ、男女問わず交友関係は広く、対人にかかわる礼儀とか正しいマナーとかそういうものは持ち合わせている男子生徒。

 

 だけど、今朝どうしてその小さな女子生徒―凛々守の近くに荒々しく走りこんで、かすった勢いでその華奢すぎる女子を転ばせてしまったかというと、ほんのはずみに過ぎない。友人たちとふざけあって小学生のように往来を走り回るというのはその日の彼にとっては非常に珍しい偶然で。

さらに言うなら、自分がかすめてしまった女生徒がそののち転んでしまったことも、気づいていない。さらに、もしも彼がそれに気付いていたならば、必ず凛々守には謝罪をしただろう。田島という男子生徒はそういうごく当然のことができる、普通の性格である。

 

 後方を顧みなかったことだけが、今回の彼の不運を決めつけてしまうもの。

 

「ですから―。あなたとぶつかってしまって…。て、手首をひねってしまったんです」

 

 その日の6限目が終わって少しして、田島裕典は天里凛々守と向かい合っていた。校門を出たすぐの場所で、彼女は待っていたようだ。

彼からすると、確かに今朝そういうことがあって、見てはいないものの心当たりがあることだけれど。だから彼は、「あっ…そうなの、そんなの気づかなかった。だとしたら、ごめんね」、そういう返事はしたけれど。

凛々守はうつむいて、とても小さな声でそれだけを言うと、口をつぐんでぴたりとも動こうとしない、いや、小刻みに足が震えている、ような。

 田島は煩わしさを感じた。そんなこと、あったかもしれないけど事実かどうかちゃんとわからない。次に、この小さな女、それだけを言って終わってしまい、何を次にしてほしいのかわからない。何を言いたいのかわからない。もっと謝ればいいのか?保健室に連れて行けばいいのか?自分が?どうして?むしろ、その手首を見るに処置はされているように思う。

 

 これが例えば、他の生徒ないしは教師が自分のもとにやってきて叱責をしにきた、というなら話は簡単だ―。すみませんでした、その子に謝りに行きます、でよい。

 さらに、その女生徒は雰囲気が異様で、その少女の周囲が暗く感じるくらい、雰囲気がなぜか重い。あまり長時間一緒にいたいとは思えない。

唇が欠けていたり、左のこめかみ付近の髪の毛がなかったり…そのような指摘できかねる見た目の箇所があって、そのやりとりを見ている彼のクラスメイト、友人は彼を傍目で見るが近寄ろうとしない。なんか、裕典のやつが変な女につかまってるぞと。その注視のせいで気分が悪くなる。早くどうにかしたい。なんでこんなやつが、俺のとこに来たのか?と。

彼は訝り、そして、

謝罪の念というものを、終わらせる。

 

「ねえ、俺がぶつかったなら悪かったけど、どうしたらいいの?もっと謝れとか、治療費払えとか、そういうことになってくるとすぐ返事できねえんすけど!だって、俺自覚ないし、あんたは何を目的に俺んとこに来たのかわからないし―」

「…も、目的なんて、ないです。でも、今日の朝、あなた、は、わたしとぶつかってしまったんです」

「だから!」

ここで。凛々守の言葉には虚偽がある。

彼女に目的があるとすれば。そして、田島がこれから許されるためには。彼女に、心から罪悪感をもった謝罪をしなくてはならなかった。

だから彼女の帯は励起する。

凛々守はしゃがみこんで。

「ああ…ううっ…こわい…こわいよ…男の人こわいよぉ…」

泣き出すその姿を見て、もう相手にしていられないと不快感をあらわにした田島は、「うぜえ、知らねえ!」とその場から踵を返す。

わけのわからない気持ちの悪い女につかまった。相手できない。まさか、明日も来たりしないよな?

彼はそこで、ほんのわずかの罪悪感、ひょっとしたら自分のせいで怪我をさせてしまったかも―という、思いを。

 

 そのマリア像は不意に田島の背後に現れ。右手で田島の頭をがしと掴んで、その爪が神の生え際に食い込む。

「痛ッ…!?」

誰だ、田島はその手を振り払おうと体をよじるのだが。

ざん、という音がして、すぐに彼の四肢の皮膚は水分を失い、乾燥し、干からびてゆき…。

 

「こわい…こわい…」

 

 苦悶の声も上げられなくなった田島はゆっくりと校門の壁面に体を擦り付け、路地に沈んでゆく。

マリア像はそれをし終わると、しゃがみこむ凛々守のまわりをきょろきょろと無表情で確認し、倒れこんだ田島の姿を他の生徒に確認されるとすぐに、その黒い手で凛々守の手首をつかみ、走り去るべき方向を指さした。

「…」

凛々守は手を引かれるがまま立ち上がり、彫刻がその手を引っ張って、走らせる。

その彫刻は―御名術もち、あるいは、帯が見える者にしか、視認できない。

つまり、その異常性に気づいた平常の生徒は、いない。校門の壁で横たわった男子生徒に気を取られ、小柄な女子については走る後ろ姿を見たくらいか?

 

 平常の生徒でない、そちら側の生徒については…

「どっ、どっ、どっ!どうしよ竹内君!い、今の見た!?あ、あ、あ、あ、あれって!!」

「…!?」

従士郎は久しぶりに、身震いをするまでの恐怖というものを感じ、その御名術の要諦を見極めようと、気を強く持つことさえも、正常な彼の意識は拒んだ。

校庭のケヤキの一本の側面に脚立を立てかけ、枝葉の陰に隠れて彼女の帰宅方向を見極めようとしたかっただけだった。その時点では。

ゆりと従士郎が、凛々守の下校時から尾行できるぎりぎりまでついて行ってみよう、と無鉄砲に計画し開始から5分とたっていない。二人とも、詩津華の説明ではまったく人格が見極められず、せめて性格のうわべだけでもわかれば…その程度の目的であったというのに。

「どうしよう!どうしよう!ねえ!!竹内君!?」

「とっ、とりあえず、あの男子を助けるのが先だ!」

 

 田島は皮膚がボロボロで、脱水症状となっていた。

呼吸は弱々しくしてはいるが、いつ止まるかわからない。真面な意識は見込めない。

その御名術行使がもう2度、3度と行われたのならば、確実にミイラのような死体ができあがるのではないか、という彼女らの見込みはあながち間違ってはいない。

少なくとも凛々守の御名術行使は、彼の全身の水分の2割は奪った。

学校前に救急車が駆けつける騒ぎとなって。

従士郎は、ゆりに震えた声で訊く。「あの、美術館にあるような像が、天里凛々守さんの帯の塊で、あると…!?」。

「うっ。うん」、ゆりは顔が蒼白で。「人形谷さんに説明されて、あれが、帯だってことが、わかった…」。

「人を殺す御名術だよ。あれは」

「そ、そんな…」

「僕も人のことは言えないけれど…どんな御名術でも、使いようによっては人を傷つけることは可能だ。でも」、従士郎は袖で汗をぬぐいながら。残暑ともいえない涼しい曇りの日、二人は冷や汗まみれで。脈が強く拍動している。

「黄瀬さんに、伝えなきゃ」

「それがいい。僕は、天里凛々守さんを追う勇気が、出ない」

 

 

 

 レイジが向き直って言う。「見ましたか。あれが天里凛々守さんの御名術ですよ。干からびるんです。君たちにはマリア像は見えなかったと思いますけど。どうして、彼を下校までにあの子に謝らせに行かなかったんですか。一歩間違ってたら死ぬんですよ、あれ」。

矢敷と山屋はそんな非難さえ耳に入らない恐慌状態で、生徒会に与えられた狭い一室の窓辺で騒ぎ立てている。お互いに、女一人にぶつかった程度で何を、そのくらいにしか思っておらず、レイジの助言、指示をやんわり無視した。今は互いにどっちが言わなかったからだ、とか罪の擦り付け合いをしている。彼らは、言おうと思えばすぐに田島に言いに行って嫌々でも謝罪をさせることができた関係性があった。

 

 そして里江がようやく口を開いて。

「あ…あの女子に、乱暴に触れちゃいけないってのは、ああいうことだったのかい!?」

「そうだね。この周期の間、少しでも彼女が嫌悪した男は…女は、どうなのかな?カラカラにされてあんなひどい目に遭ってしまう…だから真っ先に俺は言ったのに。今、御名術もちの連中を巻き込んで騒ぎを起こしたら、彼女はその環境に嫌悪感を抱いて…里江君。君もあのマリア像が見えたでしょ?あれは、ほとんど天里凛々守さんを保護する防衛システムになってるんだよ。騒ぎは起こしちゃいけない…あれの周期が終わるまで」

「周期が終わると、どうなる…?」

「あのマリア像が現れなくなるだけ。そして…現れなくなった期間も、まあ…半年くらいかな?その間に彼女は嫌悪感を抱いた相手のことをちゃんと覚えているから…半年後にまたマリア像が現れるようになって…その連中はミイラにされてだ…それの繰り返しさ」

「そ…そんな!いつか、死人が出るぞ!?レイジ君!」

「ひょっとしたらもう出てるんじゃないですかね」

里江は硬直した。レイジは、やはり機械的に事実と知識だけを語っている。

「周期がはじまる前までに、彼女を傷つけた男がいないわけがないですから。E組の彼だけで済んでるはずがないっていうか…ねえ」

そして左に座っている女のほうへと。彼女は、この場がはじめてで、居心地悪さと遠目から見たマリア像とその被害の凄惨さのために口をずっと開かずにいたが。

「あの子のことを冷たくしていなくって、本当によかったと感じてる」

彼女は、C組の初芝芽維。即ち、凛々守と同じクラス。陸上部、御名術もち。

「そうなんですか?」

「暗い子でよくわっかんないから、親しくはしてないけど、うちのクラスの他の女みたいに露骨に無視はしてないつもりだから…」

「ああ、無視してる子たちいるんですね。早めに優しく接するように提案したほうが」

「うん。そうする」

そしてレイジは少しだけ感情豊かに…声を高く、微笑んで。彼には珍しい仕草だった。

「初芝さん、君のことだけは俺はあんまり詳しくなかったんですけど、君が天里凛々守さんに普通に接してくれる子のようでよかったです」

「なに?レイジさん、天里さんと知り合いなの?」

「少しだけね」

「そうなの…」

はっとした里江は眼鏡を直してから。「こ、今回の集まりは、こちら側の御名術もち3人が集合できたってことで、本当にいい機会ができました!」、おさまらないパニックをよそに無理やりやろうとするような態度だ。

レイジは。「初芝さんのこと、人形谷美有さんも評価してるんですよ。C組の御名術もちはみんなすごいって」。

「うちね、あんまりそっちは嬉しくないの。よくわかんないし。足が速いって言ってくれたほうがずっとわかりやすい」

「そんなもんですか?」

「比較の対象がさ、富島とあの天里さんでしょ…ふたりともクラスじゃ浮いてっから」

「やっぱそうなんですか。やはり、御名術は隠していたほうが幸せになれますよね。俺のしてたことが正しかったんだって、わかりますから」

里江は同調して、「そうだね!やはり隠していてもらってよかった!」。

 

「この3人で、東棟の例の5人をどうにかしようって考えてるんでしょう?」

「そういう話だそうです」

「5人っていうか、4人だぁね。一人は加納真砂可の金魚の糞だから」

「それでも、使いこなしてるあの連中に対抗できるかどうかは、いまだこっちが不利…」

「ケンカしなきゃいけないんでしょうか」

「そういうことになる可能性もあるってこと」

「加納真砂可、穂村景虎、竹内従士郎、伊崎風雅。全員バケモノらしい」

「うちね」、里江とレイジの会話に割り込む形で、芽維は顔を突き出した。「不意打ちすりゃあね、全員に勝てるよ。絶対に。5秒間触れればね、どんな奴だってうちの前じゃ無力なんだから。御名術使えなくさせられるんだよ」、自信満々に言った。

レイジは少しの間だけ考え込んで。

「それって本当だったら凄いことだと思うんですけど」

「本当だよぉ?ただね。きっと、連続でやり続けたらばれるから、生徒会の君たちの協力が必要ってことだよ?」

「どんな御名術なんですか?」

「言えないよ。秘密にしてた方がいいってのは、レイジさんだよ、言ったのは」

「…」

そして芽維は、左手親指と人差し指で円をつくった。マネー。そう、それ。彼女の求めるもの。

「お金?お金が必要なんですか?」

レイジは機械的にだが、きょとんとした顔を演出したように周囲には見える。

「生徒会のお支払い…前金。10、まんえん」

「はぁ…」

「レイジさんも請求したらいいのに」

それを聞いて、里江は慌ててレイジを取り繕おうとする。「いえ、俺は金で動きたいわけじゃないですから。これは、興味ですから」。胸をなでおろす。

 

 大声で、矢敷と山屋は「警察を呼ぼう!」と何を意気投合したか、叫んだ。その対象は凛々守の行いに対してのもの。

それに、

「警察って、警察になにを伝えて…なにができるってんですか」

「証拠不十分…高校1年生女子が、どーやって違うクラスの男子をミイラにしたって?」

レイジと芽維は、これまた彼らも意気投合して同時に、「御名術ってそういうもの!」と騒がしい二人へと言い捨てた。

 

 

 9月4日。

 

「加納さんに黙っていることはもうできないと思って。わたくし、隠していたことをお伝えしに来ました。もちろん、天里さんのことです」

それは2限が終わってすぐの休み時間、A組教室前の廊下で。

その申し出について、マサカはとても明瞭で慥かな視線をもって、詩津華の瞳の奥を見つめた。

そして詩津華は思う。嘘は全くつけないと。この視線はそれは強靭で、真摯で遊びがない。

だから彼女はそれに負けぬよう、目を背けずに彼女の瞳を見返しながら。

「中学校に上がる前でした。わたくしと天里さんはそのころは、どちらかの邸宅でふたりで遊びまわるくらいの関係ではあったんです」

「ああ」

「ある日、わたくしの父と、取引先の会社のひとたちが集まってリビングで非公式の会議をしていました。非公式だったから、とても乱暴な言葉づかいで。内容は…その…半ば、地上げのようなものでした。汚らしい金の話であるとか、反対していた人たちの人権や尊厳とかを無視した物言いで。わたくしたちはそれに聞き耳を立てていたのです。その場には天里家の誰かもいたはず。私はショックを受けました。けど、天里さんはきっと私以上にショックを受けたと思います。その後、会話もしなくて、食事もとらなくて…」

マサカは。

15度程度。首を右に傾けた。詩津華の目を見つめたままで。

「はあ」、そう呼吸と同時の相槌を打った。

「思えば、あれが彼女の男性恐怖症の一端の原因なのかもしれません。彼女はその時から、目に光というものをなくしていったんだと思います。何か、すべてのものを遠ざけて興味をもってくれないような態度とか。あの陰のある性格は、それが原因かもしれません」

「はあ」

「聞き耳を立ててみようとか言いだしたのは、わたくしなんです。わたくしがあんなことを提案しなかったら、ああはならなかったかもしれない。彼女の性格や本質について、どうしてもわたくしが言いづらくなってしまうのは、この、わたくしのせいなんです…」

「嘘だ」

マサカは刃物のような、冷酷で鋭利な言葉をすぐに詩津華に刺した。

「え…」

詩津華は。思いがけず、そこで目をそらしてしまい。

 

 

 

「黄瀬。キミは自分の身を守るための嘘をついている」

そして詩津華は、嘘なんてついていません、と言う事ができない。




気の弱い子にとっては、一切の悪意がなくともたとえば近くで大きな声を出しているだけでかなりの恐怖。ここが、若いリア充が理解できない割と重要な箇所。


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#45 天里凛々守 三日月の黒い夢(4)

「人形谷さん、呼んでる人がいるよ…」

と、クラスの女生徒が授業が終了して背伸びをしている彼女に声をかける。美有は頭に疑問符が浮かんで。

諒太が一緒に帰りたいとやってくるならばそのような手口は使ってこず、かつ他の誰かの呼び出しなど西棟の全体感から少し距離を置いている彼女にしてはだいぶ珍しいことだった。

特に部活もやっていないし委員に与してもしない。誰だ、とクラスメイトが指さした先にいる存在を見て、彼女は顔をしかめる。

かわして帰ることはできなそうだし、走って逃げても追いつかれるだろう。

そこにマサカがいる。腕組みをして美有の様子を伺っている。

ついに来たか、と美有は深呼吸をする。

横にゆりはいない。これは話し合いは無理で、止めてくれる誰かも期待できない。

 

 彼女は御名術のエクセルをひらいて。

あの女を避けるためには?

 

   ◇優先目的       ◇状況改善効果  ◇危険度

1 誰かを盾にして向かう  ★★      35% 

2 教室から出ない     ★★      21%

3 窓から飛び降りる     ★★★★    48%おすすめ!

4 駆け抜ける!      ★★      80%非推奨  

 

「林さん、ごめんなさい。今すぐ行くから少しだけ待ってってあの人に伝えてもらえますか?」

「あ、うん。でも、あの子って、東棟の例のあのひと、だよね…」

相手の言葉を聞き終わる前に、美有は何も言わず左手の指で3をつくった。

 

 

   窓の外へは左足で着地してください。

 

   ◇マニュアル◇ ◇ オート ◇

 

 クラスメイトが美有から離れて、マサカの前を遮ったときに。「マニュアル」

美有は教室の奥へかばんを持ったまま小走りで駆け、男子生徒をどかして自ら一番後方面の窓をあける。

1年生でいる今だからこそ躊躇なくできる選択肢だ。これがもし、自分が2年生であったなら教室が2階になってしまうからこうはならない。

 彼女はばっと窓枠に全身を通し、そこから脱出をする。けれど。

マサカがそんな悠長なスピードを許すことはなかった。美有が振り向いた場所に、そこは教室のど真ん中、巨大な"洞"がそこにあって、瞬時にマサカの全身がそこから現れた。

F組の教室が大きくざわめく。美有はまた顔をしかめ、着地と同時に駆けだそうとするが。

 

 

   今のは右足です!今のは右足です!

 

 

「しまっ…!?」

指示通りの着地を、誤ってしまう。彼女は、まず右足から着地した。

 

 マサカは。教室のど真ん中に移動したのち、すぐに同サイズの"洞"を作り出しまたも飛び込んだ。速さ。

そして2度目の移動により、飛び込んだマサカは地面すれすれに現れ、その右手は駆けだそうとした美有の右足首をつかんだ。

「いだぁ!!」

「クッソ!」

両者がそこで転ぶ。美有はオートを選ぶべきであった。少しでも冷静さを喪っていたのだから。

「なんのつもりだよ!バカ女!」

「お前がいきなり逃げるからだろーが!!」

地に倒れた二人は悪態をつきあって、美有は観念して身体を払いながら立ち上がる。臨戦態勢だ。彼女は手元にエクセルマットをつくりだして。

「なんだ、お前、それ?そのパソコンがお前の御名術か?」、マサカは眉根を寄せた。「強さがぜんっぜんわからん」。彼女の感想。

「要件はなに?」

マサカも立ち上がって。「C組の天里について質問しに来たのに、なんでお前はあたしとやるつもりなんだ」。

「わかるもんか。あんたの乱暴さは知ってるんだから…なに?天里?」

「きのう、天里が御名術を使ったとこをお前とユッピは見てるよな?」

「そりゃ、見たけど」

「お前の精確な意見を聞きに来たんだよ。可能性はふたつあって、一つ目はお前がユッピに嘘をついてる場合。もう一つは、お前が間違っている場合。それを確認しにきたんだ」

美有はポーカーフェイスが苦手で、そのまましかめた顔をマサカに返す。「人を嘘つき呼ばわりして、何なの!わたしが柴崎さんにウソついてなんになるっての!」、この言葉どおり、事実、美有は嘘をあまりつかない。御名術の指示で嘘をつくことはあるかもしれないが、基本的には性格は明瞭だ。彼女の御名術の性質がそれを補強している。嘘をつく行動が無駄だからだ。

「じゃあお前が間違ってるんだな。天里凛々守のマリア様は、肌が真っ黒なんだよな?そうだろ?その真っ黒い肌の下は黄色い帯でできてるって言うんだろ?」

「間違ってなんか、いない!帯が見えないあんたに何がわかるってえの!」

「ホントか?」、マサカは射貫くような視線で。「本当に黄色なのか。その女の帯は。ピンク色じゃ、ないのか?」。

「なん―」

美有はマサカから視線をそらした。

彼女は。黒い肌の下に、近くできる帯の性質を感じた。

色は―わからなかった。だが。それは、つまり。

 

「もう一度、天里のマリア様を見てくれよ。これがな、あたしの仮定ですっごく重要なとこなんだよね…」

そしてマサカはやっと厳しい顔をやめ、横を向いた。

「まさか」

「まさか?あたしの名前を呼び捨てすんなよ」

「違う、そんなこと言ってない」

学校に与えられた帯は黄色系統、天然の帯は赤色系統…。

「ユッピにはそのマリア様の肌の奥まで見れないからな。お前に頼むしかないから、なのに、逃げやがって。本当に人類の代表目指してんのか。人類の哲学ってのは逃げてればいいのか?」

「だァーから…、ちっ、仮に、天里凛々守の帯がピンクだったとして、それにあんたに何の関係があんの?」

「時系列が、噛み合うな」

「…?」

マサカの発言は言葉足らずで。けれど真剣で。美有は理解できないし、また、同時に天然の御名術もちが自分以外にもう一人いるかもしれない、という仮説については決して容認したいものではない。

彼女の先祖の学術書においても、御名術が使える程度の帯をもった人間は(250年ほど前の脆弱なネットワーク下という前提で)30年にひとり現れる程度の割合であるというから。

そして美有は少し考えて、ようやくそこで寝そべっていた自分のかばんを拾い、数歩マサカから遠ざかって。じわじわと学校の外へと、出て行こうとしている。

マサカはそれを見咎めず、距離は決して遠ざけず。

「…お前、この話はな、お前が天里を倒さないといけないとか思うのとは、別の問題だぞ。あたしの仮定が当たってたらな。その子は倒しちゃいけないんだ。救ってあげないといけないんだ」

「はあ?」

その言葉は、いよいよ自分は天里凛々守を次に御名術を放棄させないといけないのだろうかと考えた美有の感情に割って入って。

 

 

「いいか?物語はカンゼンチョーアクってやつだから、人は死んでもいいんだ。物語のなかだからな。でもな、物語でなくて現実世界の場合な、悪い奴を殺しても殺人犯か殺人鬼にしかならないんだよ」

 

 

「…」

「いいか。絶対にまた見てもらうぞ。何だったら力づくでもだ」

美有はエクセルを開き、そして「2番」とつぶやき、マサカを後にして再度の退避をはかる。同時に、彼女はかばんを、

斜め上前方に向かって、ぶんと投げた。その行動はマサカの理解の外にある。

"洞"をマサカはつくりだす。そして、3度目の飛び込み、美有との距離を短縮させ、次は肩を掴もうとして。

だが、追跡する彼女にとって不可解な出来事が起こる。

 マサカの手はまず先に"洞"から出てきて、確実に美有の肩に届いて、ブレザーごと握りしめるはずだった。なのに。

美有の身体は、急にブレーキがかかったように急停止し、右手前方に向かってばたりと倒れ込んだ。

わざと、転倒した。その結果、マサカは空ぶって。

同時に、ワープを果たした彼女の腕から先が"洞"から現れたとき、上方へと投げていた美有のかばんはマサカの脳天に、「んぎゃん!!」、見事に直撃した。

痛みで瞬間的な状況把握が遅れたマサカは、なぜか脚立がかかっている校庭のケヤキに登る美有の姿を見る。その細い身体は、マサカに視線を向けているがマサカを見ていない。何か、別のものを見ている。

今の一瞬で、あっという間に木に登った?そんな鍛えた身体だったか、あれは?マサカは訝る。自分の身体能力でも、その速さは考えづらい。むしろ、F組の教室から逃げ出した美有は、もっと足が遅かった。

 

 美有は目をぱちくりとさせ、ようやく彼女のマサカに向いていた視線はマサカに焦点を合わせた。

「ねえ、わたしが人に命令されるの、すんごく嫌な性格だって事、教えてあげようか?あんたさ、この木の下敷きになってみたい?」、美有が挑発的に。

そして、手元にエクセルを出現させて。「柴崎さんがどうしてもって頼みに来るんなら聞いてあげてるかもしれない。でも、あんたの言う通りになんか、ならない!」

美有が脚立を蹴った。それはマサカのほうへと傾いて行くが、ちょうど目前にできた"洞"がそれを吸い込むようにマサカの盾となって、その出口は美有の背後。

だが、そこでその脚立の吸い込まれた一部分が美有の後頭部に当たるというならば、彼女はエクセルの選択肢を誤っている。

美有はそれに狙われる前に、飛び降りて足元の太い枝の一本に両手でぶら下がった。

そのやせた木は大きくきしみ、揺れる。

部位ワープした脚立の一部は、少し前までに美有の身体があった場所から生じるが、幹以外の誰も傷つけない。

ふたりともは互いを見据え、相手が次に何をしてくるか警戒をしている。マサカは美有の言葉を疑わない。この木はいきなり自分のほうへ本当に倒れてくるのではないかと。

美有は。この木を倒す事が出来たとしても、脚立のようにかわされてしまうのではないかと―。

 

 美有が視線を上にやると、そこにエクセルが現れた。選択肢は5つで、そのうち一番状況改善効果がまともなやつ、そして危険度が60%以下のもの…。

だが。

その視認は妨害された。

「はあっ!?」

「へっへっへー」

美有のエクセルの大部分が、そこに現れた直径40cmの"洞"によって画面に墨を塗られたかのようにまったく文字や記号を読み取れなく、なった。

「や、やめろ!」

「お前、これ何選ぶつもりなんだよ?5つあるぞ。あたしのおすすめはなあ、4番だ!」、エクセルの消えた箇所は、マサカが目の前に見ている。

美有は腕が疲れ始めて。ぶら下がるのは先刻のエクセルの指示。だが、次にどうすべきか、見えない。今出ているエクセルは恐らく、枝にぶら下がるのをやめたなら美有の位置条件が変化するため有効性を亡くす。

先月、石灰で視界を奪われた時もそうであって。このエクセルが自分の目で見えなくなったなら、彼女は、あてずっぽで選択肢を選ぶほかなくなるのである。

「1番!かな!?オート!」

まったく自信はなくて。

美有は枝に力を込めて身体を引き戻そうとすると、彼女のぶら下がっていた枝から、それ自身が折れる音がして。「うわっ!」美有は落下する。

落下先に、マサカはすでに"洞"を経由してワープを果たそうとして。

けれどもその選択肢はあながち間違ってはいなかった。そのとき強い風が吹いて、美有の体重がかかった方向へとさらに木を揺らし、何本かの枝葉が出現先のマサカへとぶち当たったから。

「グッ!」

そして落下した美有はすぐに体勢を整え、自身がつかんでいた太い枝を横凪ぎに振ってマサカを打ちすえた。

ばちんと。

肉体面では美有よりよほど強いマサカにとっても、無視できない痛みだった。

そして、小学生と変わらないと普段彼女が悪口を言っている美有の身体は鋭いタックルを繰り出し、打撃を見舞い、マサカの足は地を離れる。

美有の目はマサカに向いている。先ほど同じ。相手を見ていない。マサカは驚愕を隠せない。相手は男でもないのにあたしが吹きとばされるなんて?

「やる、こいつ。自分をパソコンの奴隷にしてやがんだな」

その評価と分析ははそこそこ的を射ている。マサカは本能的な理解度で美有の御名術を看破した。

やがて、二輪通学をしている生徒の乗る走行音がふたりの耳に入ってきた。

 

 ケヤキの木がみし、みしと震えている。マサカは飛び上がって目を剥く。本当に、最初からこの木の下敷きにするつもりだったのかと。

美有とマサカは一直線上に立っている。そしてこの木が倒れてきて、彼女の考え、恐らく美有はなぜか下敷きにならない。自分は"洞"をうまく使わないと下敷きになる。

それほどの行使力と自在性がある御名術なのだ、という事も本能的にわかる。

結局はシンプルに、目つぶしでどうにかできる御名術のようだ、という結論も出てはいる。しかし、今この場でまもなく木が横倒しになるという結果は変えられなそうな気もしている。

それをかわしたら、脱出先で何が起こって何に対応しなくてはいけないのか、と頭をフル回転しなくてはならないという点、当初「強さがわからない」という評価だった認識は「強さがピンとこないけど相手しづらい」と彼女の中で変化した。

みしみし。ぐらぐら。その痩せたケヤキは傾き始める。

 そして。

「わかった。その御名術、お前の位置もかなり重要なんだ、きっと」

マサカの身体は、美有のすぐそばにワープした。

安全な場所はどこか?それは、美有と同じ位置!

そして、一回り大きな身体でもって、美有の身体の身動きを止めるように。

乱暴に抱きしめられる形となった美有はたじろぐが、冷静さは欠かさない。「加納、それは間違いだよ。だって、あんたの方が背が高いんだからさ」。

ケヤキはマサカと美有のもとへ倒れて。そしてマサカは頭を下にひっこめた美有を見て気づく。「あ、そうか…これ、あたしの頭だけに当たるのか…」。そして"洞"の生成は間に合わない。

 

 その瞬間、バイクの走行音は彼女らに近づいて、ケヤキの倒れる音さえ遮るように彼女らには感じられた。

輝くように青い250ccのバイク。校則違反。それに乗った男が、マサカの襟首を後ろからつかみ、勢いよく引っ張った。

それは徐行運転に近かったとはいえ少女らにとってはかなり強引であって。

窓から飛び出したのを引き留めた行為よりも、枝で殴打する行為よりもよほど危険で、マサカと美有は地をこすり互いに複数個所に擦り傷を受けたが、それでも倒木の下敷きになった場合よりもダメージはましであることに違いはない。

校庭が小さく揺れたかのように。

運転手はヘルメットをはずし、エンジンをふかしたまま地を這いずるマサカに。「加納!なにやってる!?戦うのか!?それともどうなんだ!?」、スキンヘッドを彼は撫でた。

「…」

マサカは。風雅に目をやり、そして美有を一瞥した。本来、ここで戦おうなどという目的ではなかったのに、エスカレートしてしまって。

美有は。新手がマサカの仲間であるから、狼狽する。

「…ここを出る。交渉決裂した」

「おたくが交渉下手なんだろ!?後ろに乗れ!」

全身を痛めながら、ふらふらと彼女は風雅のバイクの後ろに不慣れな恰好で乗って。そして彼女へのヘルメットはない。校則と法律違反。

 

「いいホンダだな。高かったろ」※

「適当に言うな!おれの大切なバリオスだ!カワサキだ!黄瀬さんの援助なしじゃ買えなかったぜぇ!」

(※インドネシアは流通しているバイクはホンダ製が多数で、年配者などはバイクそのもののことをホンダと一括して呼ぶことがあるため、これはマサカのボケではない)

 

「くっそ!覚えてろ!」

美有は歯噛みして、痛みですぐに立ち上がれない。

「もうお前なんかに頼まねーよ!バーカバーカ!」

 

 

 

 二つめの信号待ちの間に、風雅はマサカに。「いい加減警察に見つかるかもな、おたくのノーヘル。そろそろどっかで止めないと!」

「だったら西口公園がいい!こっから近いし!」

大声を交わし合う風雅とマサカ。

風を切り髪がなびく心地はマサカには新鮮でかなり楽しいものであったが、運転手に対しあまり心を許していないため100%は楽しめていない。

二人乗りは5分くらいで終息、風雅は言われたままの公園の入り口の街路灯の近くに停車し、マサカを下ろしてエンジンを切った。

そこで少しだけ静かな雨が降ってきて。

「なんで人形谷とおたくがいちいち律儀にタイマンしなきゃならんのだ。交渉したきゃ柴崎を使えばいいだろうが」

風雅はヘルメットを抱えながら、呆れた様子で聞き始めた。

「ユッピは、従士郎と一緒に天里の家を調べに行くって…」

「だから、それに一緒について行くか、3人で人形谷に交渉しに行こうとか言えばよかったろう」

「だって…従士郎といると、お前らが…からかうんだもん…」

「おたくがからかわれるようなことを竹内君にするからだろぉ~?」

「違ェーーーーんだよ!!」

風雅はため息をついて。埒が明かないので話を単刀直入に変えた。「5月のあのときみたいに、おれとおたくで調査を進めるか?」、眼鏡をなおし、表情は硬く。

「ああ。それがきっと一番いい」、「最後にヤクザが出てこなきゃ、いいけどねぇ」、「…そうならなきゃ、いいね」。

 

「花形からなんか情報はもらえなかったのか」

「あいつは、しょせん黄瀬のワンちゃんだからさ。言い方悪いけど。まともな情報なんてくれないよ。黄瀬はあたしにウソついてるけど、それを守ろうとするからさ」

「なるほど?」

「あと、こういうのは花形は向いてない。あいつのセンスは学校内のゴシップとかフォーカスにばっか才能を費やしてて、実はこういうとき役に立たないんだ」

「そうかもねぇ?」

少し間があって。

「どうして、黄瀬さんはおたくに嘘をついているって思うんだ?それが許せないのか?」

「ハゲ。ちょっとお前は。ユッピもだけど、勘違いしてる」、マサカは自分に言い聞かせるかのように一度頷いて。「あたしはね、嘘はついてもいいと思ってる。その嘘をつくことに意義があるなら、わかってあげたいと思う。どうせ、あたしはそれを見抜くことができるから。島でずっと悪い奴とか見て来たからね。わかるんだ。けど、黄瀬が嘘をついていることの問題はね。あの嘘は…天里って女が何かやばいことをしていて、それを隠そうとか、かばおうとかしてる嘘じゃあ、ないんだよ。どっちかっていうと、嘘をついていないと自分の身に問題が出てくるからついてる嘘なんだ。きっとそれは、天里のためにならないんだ。悪くしちゃうんだ」

「加納の言いたいことを俺の見かたを入れて要約していいか?」

「どうぞ」

「天里凛々守は御名術を使ってE組の男を干からびさせた。そしてそれは初めてではない。むしろ前にも同じことがあって被害者がいて、黄瀬さんはそれを隠さないといけない理由がある」

「そう。まさにそれだ。お前やっぱ頭いいな」

「けど、それとおたくが人形谷のところに交渉しに行くことと何の関係があるんだ?つながってるか?」

「お前にゃわかんない話なんだけどな。超マイナーな、どこが出どころかわかんない物語のことだからな」

風雅は首を傾げた。物語と聞いて。「どういう意味だぁ?」

「だから、わかんないさ。きっとあたししかわからないもの。でもね。マリア様が、黒いならさ。今回のことは、2回目以上、なんだよ。でなきゃ、顔が黒いはずがないからね」

「…」

「けど、うちの学校で入学式から今まで、干からびさせられてどうなった、とかそういうやつはいなかったでしょ?絶対に。そんなのあったらとっくにあたしら知ってるもん。するとね、天里の御名術はさ、入学式より前に身についていないと、つじつまが合わないんだよ。入学式以前に被害者がいるから、マリア様の顔は黒いんだよ。天然の御名術だったら、全部のつじつまが合うんだよ。でもユッピじゃわからないから人形谷に聞くしかないじゃん」

「加納、順序立てて説明してくれ。人並みの理解力はある自覚はあるつもりだ。おたくの言ってる事が全然組みあがらないんだ」

 

 彼女の説明は1時間では済まず。風雅がすべてを理解するまでは。そして風雅が手を打って理解を完璧に示したとき。

「あたしは常に、男にひどい目にあわされた女の子の味方だよ。救ってあげないといけないじゃん」

弱い雨が徐々に勢いを増してゆき、マサカが雨宿りできる場所を意識し始めると。

どこからか、ベージュのシートのようなものが現れて。風雅はそれを持って自分のバイクにかぶせた。撥水加工のようでそれは雨をはじき、青いバイクが濡れるのを防いで。

雨音は強まるが、マサカは自分の制服がぬれるのを感じない。

風雅は街路灯に手を這わせていて。

不思議に思って上空を見上げると、バイクにかかったシートと同じようなベージュの布状のものが、街路灯の上方にまきついて長方形上に展開し、風雅とマサカを入れた簡易的な設営テントのように雨をはじいていた。

「そろそろおれも御名術の種明かししてもいいかなぁ~」

風雅が頭を撫でて。

「カーテンか」、マサカは今日だけで二人の御名術を看破する。

 




未来のヴィジョンを観る能力は、そのヴィジョンの視聴装置が精神の中なのか、肉体的視覚器官なのか。それにより弱点が明確に定義される。


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