清霜の戦艦代理日記 (すたりむ)
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一:戦艦代理(前)

 だいぶ前に書いた作品なので、一部設定がいまの艦これの設定と合ってない可能性があります(例:烈風の名前が変わってる、等)。
 一応気をつけて改稿したつもりですが、へんなところがあったらご容赦ください。


「就職が決まりましたー!」

 サイズの合っていない制服の袖を振り上げて、巻雲が言った。

「おー、やるぅー」

「えへへー、そーでしょー」

「そのナリで試験合格とはなぁ。よく小学生と間違えられなかったなぁ?」

「ちょっと秋雲! その言い方はさすがに失礼なんですよぉ!」

「あっはは。でも心配してたんだぜ実際。けっこう苦戦してたからなぁ」

「そうそう。巻雲さんは素直ですからね。騙されてうっかり噂のブラック鎮守府に就職決めちゃったりしないか不安だったんですよ?」

「あう~っ。夕雲ねえさんまでひどいですぅ~!」

 わいわいと賑わう。

「で、これで今期の夕雲型は全員決まったのかね?」

「あはは、それが実は……」

 長波の言葉に、夕雲が苦笑して指さす。

「……あ」

 部屋の隅で。

 ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、と暗い雰囲気の中、静かに正座する二人の女の子。

「すいませんすいませんすいませんすいません、夕雲型なのに就職失敗してすいません」

「…………ぎぶみーじょぶ」

「しまった……あいつらがいた」

 清霜と早霜。ふたりの内定もらい損ねを見て、長波は頭を抱えた。

 

 

「結局、不景気が悪いのよ。不景気が」

 明太子パスタをもぐもぐほおばりながら、清霜が言った。

「深海棲艦が現れて、艦娘システムができて、最初はみんなてんでばらばらに使ってたのが自衛隊がみんな召し抱えるようになってさ? そんで今度はケンポーキュージョーがーとかって言って民間委託だの民営化だのって話になって、民営鎮守府が雨後のたけのこみたいにぽこぽこできてさ。一時期ブームになったと思ったら今度は過剰競争でばたばた倒産し始めたのが今! 冬の時代って奴よね」

「…………」

 早霜はぼーっとした目で清霜の話を聞いているんだかいないんだか、パスタを巻き付けたフォークをじーっと見つめて、

「……かわいい。ふふふ」

「聞いてんの早霜!? ねえ!」

「聞いてるわ。世の中が世知辛いという話……」

 ぱくり、と口の中にパスタを放り込んで、早霜が言った。

「艦娘システム……数多の人生を狂わせた罪な子ね……」

「べつにシステムのせいじゃないっしょ」

「そうね。すべての罪は道具ではなく、使う人間にある……ふふ、ふふふ……」

「その含み笑い、たぶん無意識なんだと思うけど、前から言ってるように不気味だからやめたほうがいいわよ」

 パスタと格闘しながら清霜が言う。

 そして、ため息。

「実際、いくら不景気ったってこいつがあれば、職には困らないって話だったのになぁ」

 椅子の横に置いてある、小さな鉄の塊を見やる。

 艦娘システム、12.7センチ連装砲。ただし今は陸上の非戦闘領域なので、簡易版だ。

 これの出自には諸説ある。

 亡霊のように現れた深海棲艦に対抗するために、恐山のイタコが持つ降霊技術をスウェーデン人が発展させて作ったシステムだというのが、最もメジャーな説。

 なぜスウェーデン人かというと、ヴァルキリーという北欧神話の伝承があって、それを取り入れてカスタマイズした、ということのようだ。

 ヴァルキリー。

 死んだ戦士の魂を集めて最終戦争に駆り立てる神の眷属。その性別は女であると伝えられる。

 つまるところ艦娘とは、過去の戦争で船と共にあった戦士たちの霊を呼び出し、一隻の船と同等の戦力を成して戦う、西洋イタコみたいな何か……である。

 だから艦娘には女しかなれない。イタコだってヴァルキリーだって基本、女なのだから当然だ。

 霊感が高いひとにはこの戦士たちの霊、ちょっとだけ見えるらしい。その姿はかわいいらしく、「妖精さん」という名前で親しまれている。

 さておき。

 清霜ははぁ、とため息をついた。

「最終試験の結果は悪くないのになー。なんでどこも雇ってくれないんだか」

「……清霜は、例の奴を引っ込めればすぐ受かると思う」

「戦艦? ダメダメ。そんな自分を偽って就職したっていいことには絶対ならないって!」

「なんで戦艦にそこまでこだわるのか、よくわからないわ」

「だって戦艦かっこいいじゃん!」

 目をキラキラさせて力説する清霜。

「昔パパと一緒に見たんだよ、武蔵さん! すっごいかっこよかったんだー!」

「その話は何度も聞いた……」

 早霜はパスタをぱくつきながら、こくん、と首をかしげた。

「でもその武蔵さん、引退したんでしょ?」

「いまのひとは違うひとだね」

「戦艦だとやっぱり大変だったのかしら」

「だと思うよー。そういう話はよく聞くから」

 もぐもぐしながら清霜。

 艦娘システムは降霊術の一種であるが、その使用者は資格試験を通った女の子……多くは十代の、子供である。

 イタコの修行を長年しました! というわけにも行かないので、霊的負担は大きい。その代償は、様々なところにのしかかってくる。

 たとえば、名前。

 清霜というこの名前は、当然ながら本名ではない。第二次世界大戦で戦った駆逐艦の名前である。

 なのだが、降霊の負担を軽減するため、艦娘に登録された場合には一時的に戸籍すら書き換えられることになっている。だからいまの清霜は、戸籍上も呼び名もすべて清霜である。

 駆逐艦の場合、数が多いために複数の人間が同じ名前になることも少なくないが、戦艦の場合はそもそも適合者がレアなため、滅多なことでは被らない。

 それが問題なのである。

「武蔵の継承者が現れたからすっぱりやめるー、ってわけにも行かなかったらしくってさ。それでも、所属鎮守府がかなり理解あったおかげで、なんとかやめられたみたいだけど」

「引退を周囲から慰留され続けて嫌になって自殺した戦艦もいたみたいね」

「らしいねー。ひどい話だよ」

「……そんな風に苦しい戦艦の立場に、なんでなりたいのか、って話だったのだけれど」

「え? なにそれわたしに言ってるの?」

「他に誰が……ああ、あなたにもやっと見えるようになったのね……ふふふ」

「妖精さんの話?

 ……じゃなくて! だからさ、就職前から引退のこと考えててもしょうがないじゃんって話よ」

「まあ、そうと言えばそうだけれども」

「わたしが戦艦だったら簡単に就職決まると思うし」

「まあ、それもそうだけれども」

「だからいいんだよ戦艦! あー早く戦艦になれないかなー」

「……その話を人事課の面接係にしてしまうあたりが問題だってことには、気づいてないのね」

 早霜のため息交じりの言葉を、清霜は聞いていなかった。

 

 

「特技は砲雷撃戦とありますが?」

「はい、砲雷撃戦です!」

「砲撃戦と雷撃戦のどちらが得意ですか?」

「もちろん砲撃戦です!」

「砲撃戦……なぜです?」

「かっこいいからです!」

「そ、そうですか……いえ、その、当社の役に立つ技能としては――」

「戦艦の華は砲戦ですよ! やっぱり! わたし、戦艦になりたいんです!」

「あなた駆逐艦ですよね?」

「はい。それがなにか?」

「……いえ。わかりました。では次にあなたが当社に働くことで当社になんのメリットがあるとお考えですか?」

「戦艦になるつもりです!」

「…………」

「戦艦は使えますよね?」

「まあ……そうですね」

「それがメリットです!」

「でもあなた駆逐艦ですよね?」

「駆逐艦ですけど?」

「…………」

「…………」

 

 

「はぁー。今日もダメだったかあ」

 清霜は自室のベッドに寝そべりながら、インターネットでニュースをチェックする。

 目当てはもちろん、戦艦のニュースだ。

「うわ、山城さん、ドック入りかあ。そうとう激戦だったんだろーなー」

 画面には、巨大な艤装を背負って、どこか憮然とした顔をした女性の写真。

 あまり満ち足りているようには見えない写真だが、清霜フィルターの前にはそんなものは関係ない。

「くぅー、やっぱかっこいいなー。わたしもこうなりたーい!」

 じたばたしてると、ぴろりん、とメールの音。

「ん? ……早霜からだ。珍しいなあ」

 普段はほとんど電話で済ます相手に首をかしげながらメールを開き、

「……あー」

 就職決まりました、の文字を見て、苦笑する。

(だよねえ。わたしだってそうする)

 とりあえず、おめでとうメールを打って、一息。

 思ったより失望していない自分を確認しながら、

「今期の夕雲型……わたしが最後になっちゃったなあ」

 それでも、ぽつりと漏らす。

 残った公募はあと一社だけ。

(とにかく、気合い入れていかないと!)

 改めて、誓う清霜であった。

 

 

「戦艦? 駆逐艦が? はっ、なーに言ってんの」

「……でも……」

「無理無理無理。前例ないし。だいたい戦艦なんて運用できる資材あるかっての。なんのために駆逐艦の公募かけてると思ってるの?」

「……けど……!」

「ダメダメダメ。あのさあ、立場くらいわきまえてよね。ここ選考の場なのよ。あんたがするべきことはなに? 戦艦になりたい? なにもわかってない! ここは私達に対して、どれだけ自分が役に立つかをアピールする場所でしょ?」

「でも、戦艦は役に……」

「それは私達が判断するの!」

「…………」

「まったく最近の若いのはなんにも考えてないんだから。私の若い頃って言ったらね、そりゃあもう……」

 

 

「…………はーあ」

 小一時間お説教されたあげくに不合格を言い渡された後、清霜は公園のベンチでひとり黄昏れていた。

 さすがに精神に来る。

(まあ、今日の鎮守府は行かなくて良かった気もするけど)

 しかし、結局戦艦云々についてはどこの企業も評価してくれなかった。

(いいアイデアだと思うんだけどなあ、駆逐艦の戦艦化)

 なにもでたらめに、戦艦になれればいいと思いますなんて言ってるわけじゃないのだ。

 そこんところを頑張って説明しようとするのだが、たいていその前に相手が打ち切ってしまうのである。

「はあ……」

「なにしょぼくれてるのよ、この馬鹿」

「うぇ!?」

 いきなり声をかけられて焦る。

 顔を上げると、そこには果たして。

「ったく、どこ行ったのかと思ったわよ。……ほら、コーラ」

「霞ちゃん……?」

 変わらない、仏頂面の親友の姿があった。

「その様子じゃダメだったみたいね。……最後だっけ?」

「うん……」

 取りつくろう理由もなく、素直に清霜はうなずいた。

 霞ははあ、とため息をついて、

「まあ、仕方ないでしょ。自分の器量が足りなかったのよ」

「そうだね……」

「だからしょぼくれんなっての。公募がなくなってもまだチャンスがなくなったわけじゃないし、最悪来年って手もあるでしょ」

「うん……」

 清霜は少しだけ笑った。

「あいかわらず優しいね、霞ちゃんは。わざわざ見にきてくれたんだ」

「ばっ、ち、違うわよっ。私はただ大淀さんに頼まれた仕事の途中でっ……」

 言葉が終わる前に清霜は霞を抱きしめた。

「えへへ。霞ちゃんだいすきー」

「……ったくもう。これだからこの子は」

 仕方ないわね、と言いつつ、霞の表情は柔らかい。

 ずっとこの二人はこうなのだった。

「いい? 自分が全力を尽くしたかどうかが重要なのよ。わかってるでしょ?」

「うん……」

「自分を曲げないと就職できないって事前に言われて、あんた自分のポリシー曲げた?」

「ううん」

「だったらそれがあんたの全力なのよ。そこでへこむんじゃないの。胸張って次を考えなさい」

「うん」

「……ねえ、聞いてる? 人の話」

「聞いてるよー。霞ちゃんだいすきー」

「ちょ、なんでそういう話になるのよ!?」

 わたわたする霞をよそに、清霜はひとつ大きく背伸び。

「よーしやる気でてきたわ! ぜったい戦艦になってやるんだから!」

「はあ……まあ、焚きつけておいてあれだけど」

「?」

「どうしてそこまで戦艦にこだわるの?」

「え、だって強いでしょ」

「まあ強いわね」

「艦娘の割合って戦艦は極端に少ないけれど、駆逐艦を戦艦にできたらその問題は解消すると思うのよね」

「まあ、できればそうね」

「そこで手始めに清霜戦艦化計画! プラモも出るよ!」

「プラモも?」

「プラモもよ!」

 どっぱーん! と波が岩にたたきつけられる画像を背景に……みたいな勢いで言う清霜。

 霞は肩をすくめて、

「で、実現性は?」

「か、改装設計図があれば……」

「あれ聖遺物とか仏舎利とかそのクラスのアーティファクトでしょ? 半端性能のポケット戦艦とかになるくらいだったら大抵の鎮守府は使い控えると思うけど」

「で、でも!」

「ついでに言うと何枚かも重要よね。海外だと、ドイツのビスマルクが最近大化けしたって噂があるけど、改装設計図二枚必要だってのであんまり評判はよくないって話よ」

「ううう……」

「確かに改装設計図で艦種が変わったという話はあるけど……普通に考えて、三枚コースじゃないの? DDからCL、CLからCA、CAからBBって考えたら」

「ですよねー……」

 しょんぼりする清霜。

 霞は、はあ、とため息をついて、

「……まあ、それでも、可能性がないわけじゃないかもしれないわね」

「そ、そうよね!」

「問題はその可能性を認めてくれる鎮守府を見つけることなんだけど」

「あう……」

 手厳しいところはきっちり手厳しい。それが霞なのだった。

 実際、清霜の未来はそんなに明るくない。

 艦娘として登録されている以上、基礎訓練や補給は死活問題である。どこにも雇われてないとなると、そのつてを探すところから始めなければならない。

 それが嫌なら、就職浪人をあきらめて、つてでもなんでも使ってとにかくどこかに就職するしかないのだが……

「ほら、これ」

 と、そこで霞が、一枚の手紙を差し出した。

「なにこれ?」

「私の……というわけでもないんだけど。足柄さんから、知り合いの鎮守府への紹介状。

 ラストワンチャンス。気合い入れて行きなさい」

「……!」

 清霜は目をまんまるにした。

「言っておくけど、これで確定でどうにかなるなんて思わないでよね。私はチャンスを用意しただけ。それをモノにするかどうかはあんたの器量次第――」

「霞ちゃん愛してるー!」

「ちょ、こら、人の話を聞けー!」



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一:戦艦代理(後)

 そういうわけで、面接当日である。

「うー……緊張するわね」

 控え室の長いすで、清霜はひとり武者震いしていた。

 泣いても笑ってもこれが今期のラストチャンス。これ以外のつては思いつかない。

「がんばらないと……がんばらないと……」

「どもー。お待たせしました」

「うひゃっ!?」

 いきなり真正面から声をかけられてへんな声が出た。

 相手――いつの間にか立っていたそのひとは、にっこり笑った。

「清霜さんですよね? どうぞ」

「は、はい……」

 ――あれ。

 清霜は、そこで気づいた。

「あの……あなた、艦娘……ですよね?」

「あ、わかります? 青葉です。よろしくー」

 青葉……ということは、重巡洋艦である。

「なんで重巡の方が、面接の呼び出し嬢なんてやってるんです?」

「うちの鎮守府、人手ほとんどないんで。しょうがないんですよー」

「…………。

 いや。でも、せめて駆逐艦にやらせれば」

「清霜ちゃんが入ってくれたら任せられるんですけどねー」

「…………」

 というか、もうちゃん付けである。距離が超近い。

「ま、ともかくどうぞどうぞ。中に」

「あ、はい。では……」

 言われるままに部屋に入る。

 そこに、その人物がいた。

「やあやあよく来たね。まあかけたまえよ」

「ってぎゃーーーーーーー!?」

 清霜は絶叫した。

 せざるを得ない。

 なにしろ相手、なぜか意味もなくホッケーマスクをかぶってるのだ。

「な、なに!? コスプレ!? 趣味!? 変態!?」

「あっはっは。素敵に失礼だな君は」

 まったく気にしてなさそうにホッケーマスク男は言った。

「ああ、自己紹介が遅れたが、私がこの鎮守府の司令官だ。遠慮なくジェイソン提督と呼ぶといい」

「そのまんまな名前!」

「すみませんねーホント。うちの司令官、頭がちょっとこう、こうで」

 青葉が苦笑しつつフォロー(?)を入れる。

「まあまあ、とりあえず席につきたまえよ。リラックスして話そうじゃないか」

「は、はあ……」

「まず最初の質問だけど、きのこの山とたけのこの里のどっちが好き?」

「明らかにオールオアナッシングの質問やめてください!」

 面接で宗教戦争はごめんである。

「あはは、ジョークジョーク。大丈夫大丈夫」

「心臓に悪いジョークはやめてください……」

「んで本題だけど。目玉焼きにかける調味料は――」

「いいかげんにしなさい」

「あいてっ」

 ぴこりっ、と、青葉がぴこぴこハンマーでジェイソン提督を叩いた。

「仕方ない。じゃあ自己PRから始めてもらおうか」

「あ、はい」

 気を取り直して。

「駆逐艦、清霜です! 浦賀生まれです!

 将来は戦艦になりたいです! 以上!」

「……なかなか豪快な自己PRだ」

 さすがのジェイソン提督も、ワンテンポ反応が遅れた。

 そして、こくん、と首をかしげる。

「戦艦……戦艦か」

「?」

「なんで戦艦なの? 空母じゃダメなの?」

 ジェイソン提督はそう言った。

 清霜は、

(あれ、無理って言われなかった……?)

 と、なんだか若干戸惑いながらも、

「それはですね……かっこいいからです! 戦艦のほうが!」

「頭にきました」

「え、えええ!? すいません!」

「と、僕の知り合いの加賀が言いそうだねえ」

「…………」

 口まねだったんかい。と、清霜はすこしがっくりした。

「そ、それと……」

「?」

「戦艦の方が、装甲が厚いです。これは大きいですよ!」

「装甲が厚い?」

「はい、そうです!」

「火力のほうは魅力じゃないと?」

「そ、それもかっこいいですけど、でもどんな攻撃も受け止めるってほうがすごいじゃないですかっ」

「清霜ちゃん、プロレスとか好き?」

「あ、汗臭いのは、ちょっと……」

「あらそう」

 ちょっと残念そうに、ジェイソン提督。

(実は好きだったのかな、プロレス……)

 もうちょっと愛想よく答えるべきだったかなと思いつつも、

「いえ。艦娘っていちばんの特徴、沈まないことじゃないですか」

「……ん?」

「いや。ですから。

 なんか調べたんですけど、中破ストッパーとか言われる現象があって、注意深く運用していれば艦娘はほぼ沈まないって。だから……」

 途中で、相手の様子がおかしい気がして、清霜は言葉を切る。

 ……不自然な沈黙が降りた。

(わたし、なんか悪いこと言ったっけ?)

「……だから?」

「だ、だから、現行の軍用艦艇の代わりに艦娘がもっぱら運用される最大の理由は、沈まないことだって……その、えと」

「授業で習ったのかい?」

「いえ。自分で調べて、考えた結果です」

 清霜は素直に言った。

 人的被害をほぼ、ゼロにできること。

 これこそが実は、艦娘システムの最大の特徴なのである。

 深海棲艦の身体が小さくて攻撃を当てにくいことを考慮に入れたとしても。それでもやっぱり、軍事用の艦艇を使って戦った方が、艦娘よりずっと強い。

 現代的な兵器は武器を撃つためのコストが非常に高いというのがよく取りざたされるが、最近ではその対策に、コストを抑えた対深海棲艦用通常兵器も実用化されつつある。

 それでも――深海棲艦への第一の対策は依然として、艦娘なのだ。

 それはなぜか。

 清霜の出した結論は、『とにかく沈まないこと』だったのである――

「それで、えっと、あの」

「……待遇なんだがね」

「はい?」

「これでどうかね?」

 すっ、と、ジェイソン提督は一枚の紙を差し出してきた。

 清霜はそれを見て、

「え、なにこれ、ちょ……」

「不満かね」

「いえ。でもちょっと初任給にしては高めというか……」

「よし、ではこうしよう」

 ジェイソン提督は紙をひっこめ、ペンでなにかを書き加えたあと、改めて差し出してきた。

「これでどうだい」

「……え、え?」

 契約書のほとんどのところは変わっていないのだが。

 ひとつだけ。

 駆逐艦という艦種が書いてあったところに二重線が引かれ、代わりに「戦艦代理」と書いてあった。

「そのうち戦艦になるつもりなんだろう?

 まあ、うちでなれるという保証はできないがね。だがそのつもりなら――その日までは、代理だ。戦艦代理としての雇用とする」

「…………」

「返事は?」

 ジェイソン提督の言葉に、清霜は

「はいっ」

 と、笑顔で答えた。

 

 

「あれ、よかったんですかね?」

「なにがだね、青葉くん」

「いえ。清霜ちゃんの扱いですけど」

「なにか不満かね? 私からすれば破格だったよ。あとで足柄にカツでもおごってやらんといかんな」

 ジェイソン提督は上機嫌でそう言った。

「……まあ、うちのいまの状況じゃあ、雇用しないって方向はなかったと思うんですけど。

 でも戦艦代理なんて。監査法人あたりから変な難癖つけられませんかね?」

「給与的には普通の駆逐艦を大幅に超える待遇を与えてるんだ。裁判で負けることはないよ。

 それに、清霜ちゃんはああ見えて存外、頭が回るじゃないか」

「それ、司令官の持論と一致したからですよね?」

「まあな」

 ジェイソン提督はうなずいた。

「――私が普段から周りに言っていることを、まさか相手から言われるとはな。さすがに予想外だったよ」

「艦娘は沈まない……でも、それは理想的運用の元で、ですよね?」

「ああ、そうだ」

「そして、司令官の持ってきた『あのシステム』は、それを壊しかねないものですよね?」

「『使い捨て35.6cm連装砲』」

「は?」

「『使い捨て35.6cm連装砲』だ。いま名前を決めた」

「……戦艦っぽさを出すためにですよね?」

「いいネーミングだろう?」

「ノーコメントで。……というか、どっちにしても危険にさらすことは変わりないですよね?」

「まあ、な」

「だったら――」

「だからダメコンを併用すればいい」

「…………。

 まあ、それならそれでいいですけど」

 青葉は口を閉ざす。

 ジェイソン提督は笑った。

「大丈夫だよ、青葉くん。私を信じろ。

 誰も不幸にならないさ。私も、君も、――清霜ちゃんも。みんな、幸せになることができるはずだ」



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二:離島にて(前)

「山だ! 海だ! 無人島だー!」

「いや、無人島じゃないですけどね」

 はしゃぐ清霜に青葉が突っ込みを入れた。

「すごいよ離島よ海よ山よ司令官の部屋よ! わあすごい景色がきれいー!」

「まあ、確かに風光明媚ですよねえこの島。青葉的には都会のほうが好きですけど」

「でもなんで司令官の部屋にバーカウンターがあるの?」

「景色を見ながら飲みたいって勝手に作っちゃったんですよ。困ったひとですよね」

「ていうか……あれ、なに?」

 さすがに汗を流して問う清霜。

「あー……あれはですね……」

「では私が代わりにお答えしよう!」

「わあ!? 机の下からいきなり!?」

「司令官、いるんなら隠れてないで出てきてくださいよ!」

 青葉の抗議を完璧に無視して、ホッケーマスクの司令官は笑った。

「はっはっは。清霜くん、君が気になっているのはこの壁掛けアンティークだね?」

「あ、はい。そうですけど……」

「だが鎮守府ではよくあることだよ。写真とかでも見たことあるんじゃないかね? 軍刀などをデスクの後ろに飾ってあるところを」

「いえ。軍刀ならあんまり驚かないんですけど、でもあれ、チェーンソーですよね?」

「いかにも」

「なんでそんなものを?」

「私の名前がなんだったか忘れたかね?」

「…………」

 忘れるもなにも、そのホッケーマスクを見れば、誰だって嫌でも思い出すでしょうに。

 そう思った清霜だったが、問うたのは別のことだった。

「じゃあ、その下にある、なんか微妙に安っぽい刀はなんです?」

「はっはっは。素敵に失礼だな君は」

 ジェイソン提督は笑って、それから声を落とした。

「これはね……私が昔、面倒を見ていた艦娘の、形見なんだ」

「えっ……」

「彼女は勇敢な艦娘でね……いつも最前線に自分を出せと言っていた。その彼女の愛刀だったんだよ、あれは」

「そ、そうなんですか」

「だがそんな彼女も、私に『自分だと思ってこの刀を取っておいてくれ』と言い残して……」

「そんな……じゃあ」

 言葉に詰まった清霜に、ジェイソン提督は沈痛な表情(?)で首を振って、

「ああ。寿退社してな」

「そっち!?」

「いや。未練なんてこれっぽっちもないよ。実はこっそり狙っていたなんて事実もなければあの巨乳ゲットした旦那爆発しろとも思ってない。この刀はちょっとした思い出の品というだけだ」

「予想以上にダメな話だった!」

「そういうわけでこの妖刀ふふ怖セイバーは私の宝物だ。決していたずら感覚で表で振り回したりしないように」

「子供じゃないんだからそんなことしませんって!」

「いやあ……それがな。いるんだよ、刀大好きな困った奴がうちに。勝手に使うなと毎回言ってるというのになあ」

 ジェイソン提督ははあ、とため息。

「刀大好きって……艦娘が?」

「うむ。それは自分でありますな!」

「うわあびっくりした!」

 窓の外にいきなりにょっきり生えた相手に清霜は叫んだ。

 相手ははっはっはと笑いながらびしっ! と旧陸軍式の敬礼をした。

「揚陸艦、あきつ丸であります。新任艦娘でありますな。名前は?」

「あ、はい! 清霜です! よろしく!」

 びしっ! と旧海軍式の敬礼で返す清霜。

 あきつ丸……珍しい艦である。

 旧陸軍所持の艦艇で、艦娘として存在が認知されているもの自体、ほとんどない。その上、戦闘能力が高いわけでもない特殊艦である。

 艦娘は普通、専門施設で一ヶ月くらいかけて艤装との適性審査をするのだが、たいていの場合は複数の艦の艤装との間によい適性が出てくる。特に艦の型が同じ艤装には良適性が複数出ることがとても多い。

 そして、その複数ある適性艦の中から自分の艦を選ぶのだが……上記特殊艦はそんなに強いわけでもないので、たいていそこで選ばれずに終わる。

 だからあきつ丸という艦娘は、存在自体が稀少なのだ。

「この子が隙あらばこの刀を振り回すんだよ。やめてって言ってるのに」

「なにを言うであります。提督殿が自分の愛刀である山姥切国広を没収されなければそのような乱行に出ることもありますまいに」

「あれ艤装じゃなくてただの刀じゃん! 深海棲艦じゃなくて人しか切れないよ!?」

「失敬でありますな! 写しとはいえ元は山姥を切った刀、我が真剣必殺の一撃ならば妖怪変化やKBCの百匹や二百匹はものともしないのであります!」

「君が切るべきは深海棲艦だろ!」

「似たようなモノであります!」

「あ、清霜ちゃん。もうこの場はいいのでいったん自室に帰っていいよー」

 やんややんやとやり始めたジェイソン提督とあきつ丸を無視して、青葉が言った。

「え、あの、そう言われても……」

「ん、なんです? なにかまだご用でも?」

「いや、あの……」

 清霜は言いにくそうに、

「まだ自分の部屋がどこなのか、聞いてないんだけど……」

「……そうだった。私としたことが、うかつですねぇ」

「ではこの漣にお任せをば!」

「うわあまたいきなり!」

 にゅっと窓の下から生えてきた女の子に悲鳴を上げる清霜。

 漣と名乗ったその子はぴょこん、とお辞儀をして、

「後輩キタコレ! 綾波型駆逐艦の漣でっすしくよろしくよろ!」

「あ、どうも! 戦艦代理の清霜です!」

「戦艦代理! クール! 超クール!」

 おおはしゃぎする漣。

「じゃ、じゃあ漣ちゃん、自室に案内して、あと鎮守府の案内をお願いできるかな?」

「かしこまっ!」

 ばきゅーん、と謎ポーズを決めて、漣。

 とりあえず、わかったことがある。清霜は天井を見上げて、

「わたし以上にテンション高いひと多いなー、ここ……」

 

 

「というわけで、あそこにいるのが食堂のおばさんです」

「誰が食堂のおばさんよ!」

 漣の言葉に即座に怒声が返ってきた。

「そんなこと言っても、使えるかもしれないって無駄に艦載機飛ばそうとして貴重なボーキサイトをぶっ飛ばした罰は消えませんよー。食堂のおばさん」

「あーあー聞こえないわね! あと重要なのはおばさんじゃなくてお姉さんってこと!」

「そんなこと言ってもティーンズにとって20代の女なんてみんなおばさんですよ」

「アンタだって数年後は同じ立場でしょうが! あ、私は空母の葛城ね。よろしく!」

 やんややんやと漣とやり合いつつ挨拶する葛城。器用である。

「どうも、戦艦代理の清霜ですけど……え、空母なのに、艦載機飛ばせないの?」

「いきなり核心えぐってくるわね! そーよどうせ機銃しか撃てないわよ!」

「あ、すいません。悪口のつもりじゃなくって……え、でもどんな事情で?」

「わかってたらここで皿洗いなんてしてないわよう……」

 しょんぼりうなだれる葛城。

 難儀である。

「まあ、給糧艦がいるわけでもない当鎮守府では彼女が食の生命線なんで。決して逆らってはいけませんにょ、ご飯抜かれますから」

「そう言う割には漣、あなたさっきからかなりびしばし暴言吐いてるわよね……?」

「あ、では次の施設いきましょー! キタコレ!」

「こら逃げるなー!」

「あわわ、置いてかないでー!」

 

 

「ていうわけで、ここが訓練場でーす!」

「漣ちゃん、速いよ……」

 ぜーはーしながら清霜。

「あー、港の施設があるんだね……で、的もある、と」

「そのとーり!」

「でもあの的、まだ船の形保ってるけど、いいの?」

「老朽化したからって譲り受けた漁船だからね。ただ実弾撃つとたぶん一発で沈むんで、訓練用に換装してやること。

 あと、自動発射装置付きの訓練砲門がついてるから、回避行動訓練もできるよ」

「ふうん……」

 清霜は興味深そうにそちらを見ていたが、

「で、あそこにいる子は誰?」

「……え?」

 言われて漣が見ると。

 そこにはひとりの少女が、静かに漁船のほうを見据えていた。

「あー、いま言った訓練だね。自動発射による回避行動」

「へえ……」

 清霜が返事すると共に、漁船から小さな水の筋が走った。

「っ!」

 少女が動く。

 右へ、左へ。相手の魚雷を回避し、続いて撃ち始める機銃をかいくぐって、静かに漁船に距離を詰めていく。

 そして漁船にたどり着いて手をついたら、今度は同じように回避行動を取りながら距離を離していく。

 円を描くような、というか。

(わあ……まるで踊ってるみたい……!)

 すごくきれいな動きで、同時にまったく無駄がなかった。

 訓練学校時代、知り合った駆逐艦たちの中でも、誰も――成績優秀な吹雪や、天才肌の島風も含め、誰もあんな動きをしてたのを見たことがない。

 やがて時間切れなのか、漁船側の火砲が途絶える。

 ふう、と少女は吐息。

「やれやれ、ね……」

「すごぉぉぉい!」

「ぐはっ!?」

 清霜の突撃を受け、少女はずべちゃーん、と海面に突っ込んだ。

「ってああああ! すいませんすいません大丈夫!?」

「大丈夫なわけあるかこのボンクラ!」

「わああごめんごめん!」

 即座に立ち上がった少女に小突かれて謝る清霜。

 ふん、と少女は鼻息荒く清霜を見下ろして、

「……なによ。あんた新人?」

「ども! 戦艦代理の清霜ですっ!」

「戦艦代理? なにそれ。馬鹿みたい」

「うわあ初めて突っ込まれたあ感激!」

「感激!?」

 さすがに少女は面食らったようだった。

 清霜はそんなのおかまいなしとばかりに、

「でもすごいよホント! あんなきれいな回避行動してるの初めて見た!」

「そりゃあんたが落ちこぼれだからよ」

「落ちこぼれじゃないし! 戦艦代理だし!」

「関係ないじゃない! ……つーか、どっからこれ拾ってきたのよあの馬鹿司令官。わざわざ馬鹿を拾ってくるとか馬鹿にも程があるっていうか馬鹿じゃないの?」

「すごい馬鹿連呼!」

「いや、清霜ちゃんは成績的には普通だよー?」

 陸からそう言ったのは、漣である。

「それにまあ、別に嘘言ってるわけでもないっしょ? いまの回避行動、確かにウマーだったわよ。訓練上がりじゃまずお目にかかれないくらい」

「アンタにそれ言われると、嫌みにしか聞こえないんだけど」

「それを言っちゃあおしまいよお」

 けらけら笑う漣。憮然とする少女。

 清霜はこくん、と首をかしげて、

「でこの子なに? 駆逐艦?」

「満潮よっ!」

「うわー朝潮型だわたし朝潮型大好き!」

「ああそう。わたしは大っ嫌いよ!」

「気が合うね!」

「どこが!? こ、こら、くっつくなー!」

「おー、満潮ちゃんとさっそく仲良くなるなんてすごいなー。清霜ちゃんやるわねー」

「棒読みしてんじゃないわよこの腹黒駆逐艦!」



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二:離島にて(後)

「はー……さて、荷ほどきしないとなー」

 さんざん満潮とはしゃぎ合った(in清霜view)あと、清霜は自室に案内されてきていた。

 本土から送った段ボールはすごいことになっている。

 一日二日程度でどうにかなる量じゃないので、ゆっくりやってくのはいいとして。

「まあ、人間関係的には割とうまくいきそうかな。悪いひとはいなさそうだし」

 ちらりと、机の上の写真を見る。

 最初にほどいた荷の中に入っていたそれは、夕雲型のみんなと撮った写真だ。

(朝霜あたりはどうしてるのかな……)

 ささっと地方に就職を決めてささっと引っ越してしまった盟友を思い出して、考える。

 早霜ともあれから連絡は取ってない。

 メールでも打とうかな……と考えていると、

「……青葉、見ちゃいました」

「わああああ!?」

 いきなり耳元でつぶやかれて飛び上がる。

「ああああ青葉さん!? なんでここに?」

「いやあ、扉が開けっ放しだったもので。……それが今期の夕雲型のみなさんですか?」

「あ、うん。そうだよ。中央にいるのが夕雲姉さん」

「へえ……思ったより大人びてますねえ。最近の若い子は、ってやつでしょうか」

 しげしげと見る青葉。

 ……ちなみに。

 駆逐艦と違って、軽巡や重巡、戦艦などは、艤装との適合訓練に遙かに長い期間を費やす。

 だから総じて、駆逐艦よりもそれらの艦種の方が、着任時の年齢は上なのである。

 もちろん、この法則は着任時限定であって、ベテランの年齢はいろいろなのだが。

(まあ、だいたい小さい船のほうが引退も早めらしいから、その意味でも駆逐艦のほうが若いんだけど)

 すでに大人の女性と呼べる年齢だと思われる青葉をチラ見しながら、清霜は思う。

「ああ、それと清霜ちゃん。司令官から命令です」

「え? な、なにかな」

「30分後に支度して訓練場へ。

 実力をみんなに見てもらうんだそうです」

 

 

「じゃあまず回避行動からねー」

「は、はい」

 緊張した面持ちで、清霜はうなずいた。

(うわあ、みんな見てる)

 司令官だけじゃない。青葉も、あきつ丸も、漣も、葛城も、満潮も来ている。

 青葉はにっこにっこしながらカメラを構え、あきつ丸は泰然と腕を組み、漣は謎のポーズを取り、葛城は普通に興味深そうに、そして満潮はふてくされたように、こっちを見ている。

 ちなみに当然ながら、司令官の表情はマスクにさえぎられて見えない。

 ……地味に不気味である。

(っと、集中、集中!)

「よっと……」

 艦娘が水上をスキーみたいに走るのは有名だが、これは慣れないとけっこうたいへんなのだ。

 足の動きだけでなく、艤装の動きを連動させないとなかなか前に進んでくれない。

 その訓練をクリアすればとりあえず前後には運動できるのだが、今度は方向転換というさらに強大な敵が待ち構えている。

 特に、左右の切り返しがとても難しい。この点ではスキーというより、スケートに近いかもしれない。

 そこで清霜が……というより、艦娘が一般に使うのが、伊勢日向メソッドと呼ばれる回避法だ。

 つまり、取り舵(左)と面舵(右)、どっちか片方しか使わないという方法である。

(基本はこれで。慣れたら満潮ちゃんみたいな華麗なステップが刻めるのかもしれないけど……実力見せろって言われて挑戦する内容じゃないし!)

「清霜ちゃん、もう始まってるよ!」

「わわっ!」

 漣の指摘した通り、魚雷の航跡があるのを見てあわてて走り出す。

 とにかく、タイミングを見て面舵、面舵、面舵!

 ひたすらこれ。臨機応変なんて夢のまた夢。まずはうまくなくてもよけなきゃ始まらない!

「よっ! とおっ! たああっ!」

「おー。訓練校上がりにしてはなかなか」

「ふん……」

 しばらくして、無事漁船に手をついて戻ってきた清霜は、港を見てふんぞり返った。

「どーんなもんです!」

「うん、見事見事」

 ぱちぱちぱち、と拍手が降ってきて、清霜は照れくさそうに笑った。

「そんじゃまあ、次は砲撃訓練、行こうか?」

「え、いいんですか?」

「いいっていいって。訓練弾への換装はもうしてるんだろう? 遠隔操作で的出すから、狙ってやってくれよ」

「はい! じゃあ行きます!」

 ういーん、と音がして、漁船の船体にいくつもの的が出てくる。

「狙え!」

「了解!」

「てー!」

「てー!」

 ばすん、と清霜の撃った弾は、的のひとつを惜しい感じでかすめて――

 ばごん、と音がして、漁船の船体上部をぶっ飛ばした。

「はい?」

 …………

 ………………

 ……………………

 沈黙。

「いやあ……アレだね。漁船を改造して、なんとか的になるかと思っていたが……」

 司令官が言った。

「案外モロかったなぁ……訓練弾でここまで壊れるとは」

「いやいやいやいやいやおかしいでしょ!?」

 清霜は叫んだ。

「ていうか、え、いまのわたしの撃ったの、ホントに訓練弾ですか!?」

「弾薬庫担当の葛城くん、どうだい?」

「間違えるわけないでしょ。そんなの。

 ていうか、艦娘の実弾が当たったらあんな漁船、マジで木っ端みじんになってるわよ」

「というわけで間違いないらしい」

「いや。でも」

 清霜は言った。

「だったら、いままでの訓練でなんであの漁船は無事……」

「あっははははははは」

 司令官は笑って、

「さ、実力は見たから帰ろうかみんな」

「待って! ちょっと待った! 質問に答えて!」

 清霜は食い下がった。

「ねえ! なんであの漁船、無事だったの!?」

「清霜くん……」

「撃てなかったからよ」

 答えたのは、満潮だった。

「撃てない……?」

 予想外の答えに沈黙する、清霜。

「そうよ。ここにいる連中みんな。わたしも、漣も、青葉も、あきつ丸も、葛城も――誰ひとり、砲を撃てないのよ。それが原因」

「え、そんな……なんで?」

「理由なんて人それぞれでしょ」

「でも……満潮ちゃん、あんな操船うまいのに。なんで?」

「っ。なんでもいいでしょ!」

「よくないよ! 納得できない!」

「ああそう。じゃあやってやるわよ!」

 言うなり、満潮は海面に降りた。

「ほら、どいたどいた!」

「わ、わわっ……」

 滑るように、凄まじい勢いで満潮は漁船に向かい、

「ちょ、ま、待った満潮くん! 早まるな――」

「発射!」

 次の瞬間、漁船は跡形もなく爆発四散した。

「うあああああああああっ!」

 司令官が号泣。

「漁船が……乏しい資材の中をやりくりして必死で譲ってもらった、大切な訓練施設がああああああっ」

「……そういやあの子、訓練弾に換装してませんでしたねー」

 漣があきれたように言った。

 清霜ももちろんそれは気になったが、それより。

「ちょっと、満潮ちゃん、大丈夫!?」

 ふらりと海上でうずくまる彼女に、慌てて寄っていく。

「ねえ! 満潮ちゃん、大丈夫!?」

「う……」

「う?」

「うげええええええええ……」

「吐いたー!?」

 

 

 これが。

 清霜が鎮守府に着任して、最初の日に起きた大騒動であった。





おまけ:ジェイソン鎮守府、所属艦の装備

清霜
1)12.7cm連装高角砲(後期型)
2)93式水中聴音機

青葉
1)増設バルジ(中型艦)
2)増設バルジ(中型艦)
3)増設バルジ(中型艦)
4)零式水上偵察機


1)新型高温高圧缶
2)新型高温高圧缶
3)ドラム缶(輸送用)

あきつ丸
1)烈風改
2)烈風
3)カ号観測機

満潮
1)12.7cm連装砲
2)61cm四連装(酸素)魚雷
3)93式水中聴音機

葛城
1)25mm三連装機銃集中配備
2)毘式40mm連装機銃
3)21号対空電探改
4)なし


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三:その理由(前)

「……納得いかない」

 むくり、と清霜は身を起こした。

 時刻はもう夜中である。とりあえずあのあと解散して部屋に戻り、ご飯を食べて寝たものの、不信感はぬぐえない。

 なんで、みんな砲が撃てないのか?

 いやまあ、空母である葛城が砲が撃てないのはいいとして。(艦載機も飛ばせないらしいが、まあその謎はいったん置いとく)

「他のみんなは、どうして……?」

 今日見た人間をリストアップする。

 青葉、あきつ丸、漣、満潮。

 四人が四人とも、砲撃ができるはずの艦である――できないというのは、なんなんだろう?

「直接聞くしかないかな……」

 よっ、と身を起こす。

 もう寝ている可能性もあるが、こういうのは早いほうがいいだろう。

 

 

 というわけで、満潮の部屋までやってきた清霜なのだが。

「満潮ちゃん……起きてる?」

 と、小さく声をかけても、返事は返らず。

 余談だが、この鎮守府、ものすごく敷地が広い上に、建物もえらくでかい。

 100人くらいで共同で生活しようとしてもできるレベルなんじゃなかろうか。いや、お手伝いさんとかは普通に雇っているみたいなので、艦娘以外の人間も住んでいるのだが、それでも無駄に部屋は余っている。

 なので、多少大きな声を出しても満潮以外を起こしてしまう可能性は少ない。……のだが、肝心の満潮が寝てたら起こしてしまうので、小声。

 部屋に明かりはついているのだが寝落ちの可能性もあるし……と清霜が思っていると、

「……青葉、見ちゃいましたがるるるきしゃー」

「ひぎゃっ……むぐう!?」

 悲鳴を上げかけた清霜の口がふさがれる。

「はいはい夜中の悲鳴は迷惑なんで止めておきましょうね。どうしたんですか、清霜ちゃん?」

「あ、青葉さん! びっくりしたあ!」

 ていうか、なぜこのひとはホラー調で出てくるのか。あと、なぜメモを常に片手に持っているのか。

 いろいろ聞きたい疑問はあったが、とりあえず清霜は飲み込むことにした。

「えっと……満潮ちゃんに会いに来たんだけど」

「んー、あの子が電気消さないで寝落ちってのはあまり考えにくいので、いないかもしれないですねえ」

「あ、そうなんだ」

「ところで清霜ちゃんは満潮ちゃんになんのご用です?」

「いや、昼間のことを聞きにきたんですけど……

 そう、というか青葉さんはなんで砲撃てないの?」

「おおう、いきなり核心ですねえ」

 笑いながら、青葉は廊下の奥を指さし、

「とりあえず、食堂行きましょうか?」

 と言った。

 

 

「……で、なんで私が夜食を作らされてるの?」

「いいじゃないですかー。どうせ起きてたんだから」

 ぶつくさ言いながらフライパンを華麗に操作する葛城に、手を振る青葉。

 なんだか悪いなあ、と思いつつも清霜は本題を忘れない。

「それで、どうなんです。青葉さん。なんでみんな砲撃できないんですか?」

「んー、そうですねぇ。なにから話したものか……

 とりあえず、青葉の話からにしましょうか」

 青葉は言って、こほん、とひとつ咳。

「ときに清霜ちゃん、あなた艤装の適性試験何個通りました?」

「ええと、みっつ。全部駆逐艦で、巻雲と朝霜は今年もういるからってことで清霜に」

 すらすら答える。

 艤装の適性試験は艦娘にとって最も重要なファクターである。清霜のみっつというのは悪くないスコアだが、めちゃくちゃいいわけでもない。

 適性の高い子になると10くらいでてきて、その中に軽巡が混じっていたりする。もちろん、艦種は重いほど重要なので、その子は軽巡を選ぶのが普通だ。

「そうですか……私は――」

 青葉はそこでいったん言葉を切り、

「ゼロ、だったんです」

 と言った。

「ゼロ……?」

 清霜は固まる。

 そんなはずがないのだ。

 艦娘の専門教育を受けるためには、まず一次審査として、なにかの適性があるかどうかという審査を受ける。

 そこでまったく音沙汰がなかった場合、たとえ他にどんな能力があったとしても、まず学校に入ることができない。

 だとすれば――

「あ、いえいえ。一次審査は通りましたよ?」

 苦笑して、青葉。

「ただねえ、適性がある艦が特殊でして。

 天城だったんですけど」

「え……空母の?」

「あ、いえ。そっちじゃなくて。

 古い、計画だけあった戦艦の天城ですね」

 聞いたことはあった。

 条約の影響で戦艦として建造できなくなり、空母への転換が企画されるも、関東大震災で大破して中止した艦。

「でもそれ、艦娘にできるの?

 艦と共に戦った戦士の魂を呼べないなら、艦娘システムは起動できないはずじゃあ……」

「できなくはなかったんですけどね。やっぱ出力がろくになくて。

 このままじゃ出力不足で港から遠く離れるのすら危なっかしいっていうんで、仕方なくあてがわれたのが、本来なら適性はないけど、ぎりぎり動かせる、青葉だったんです」

「他の適性は?」

「なしですね。

 駆逐艦のひとにはわかりにくいと思うんですけど、重い艦に適性がある艦娘って、たいていそれ以外の適性ほぼゼロですよ」

「そ、そうなんだ」

「ふだんの私の一人称が『青葉』なのも、そうしないと適性不足でいつ動かせなくなるかわからなかったからだったりするんですよ?」

「ええと……その、聞いていいかどうかわからないんだけど」

「どうぞ」

「なんで、そこまでして艦娘してるの?」

 聞いた。

「適性なしでやっていくにはいろいろ厳しいし、危ない仕事だし、あんまりいいことないんじゃあ……」

「あはは、そうですね。でも」

 青葉は言った。

「本来、青葉は艦娘になりたかったわけじゃなくて、ジャーナリストになりたかったんですよ」

「ジャーナリストに?」

「はい。

 それで、艦娘の取材とかってかなり難しいし、前線となればさらに難しいじゃないですか。自分も艦娘ならその条件をクリアできるんで、それで」

「なるほど……」

 清霜はうなずいたが、

「でも、それで雇われた島に砲撃できる艦娘がひとりもいないんじゃ、なかなかまずいんじゃないの?」

「清霜ちゃんに期待してますよー」

「……しょうがないなあ」

 苦笑する。

「で、他のひとたちの話は?」

「それなんですけどねー、やっぱ青葉から話すのはやめにしときます」

 青葉は言った。

「青葉の話を聞いてわかったと思いますけど、事情ってみんなけっこうややっこしいんで。勝手にぺらぺら話されたくないってひとも多いでしょうから」

「意外と理性的なのねー。ほれ、ポテトとソーセージおまたせ」

 ごとっと皿が置かれた。

「うわーすごいよ葛城さんありがとう! ……カロリー気になるけど」

「作ったんだからちゃんと食べなさいよ?」

「あ、それじゃあ葛城さんはなんで艦載機飛ばせないの?」

「……またえぐるように攻めてくるわね、この新入り」

「いいじゃないですかー。教えちゃえば」

「ま、私は隠すこと、特にないからね」

 葛城は言って、ため息をついた。

「簡単に言えば、訓練不足。これに尽きるわ」

「え……でも学校の訓練は?」

 成績が悪いと艦娘学校は普通に退学になるし、その率は普通の学校よりはるかに高い。

 と思ったのだが。

「それが詐欺に遭ってね。正規の学校と同じ教育を受けられます! っていう」

「…………」

「どん引きしないでよ! 私だってなんかおかしいなーって思ってたけど、お、親がどうしてもって言って!」

「で……どうなったんですか?」

「艤装適性試験がいつまで経っても行われないからって、業を煮やして試験会場の艤装置き場に忍び込んだのよ」

「普通に超違法行為!」

「しょうがないでしょ! その頃は学生証見せればどうにかなると思ってたのよ!」

「で、で、どうなったの?」

「捕まりかけたところで偶然手に取った葛城の艤装がぴっかー、って光って」

「奇跡過ぎる!」

 訓練受けてないでそんなことが起きるのは、万に一つの可能性以下じゃなかろうか。

「それでまあ、私をきっかけに詐欺連中はみんな逮捕されたんだけど、私の処遇にものすごくみんな困ったらしくて。とりあえず才能あるなら艦娘にしようってことでこう、なったんだけど……」

「訓練してませんもんねー……」

「い、いまも必死でやってはいるのよ! 機銃くらいなら動かせるようになったし!」

 むきになって言う葛城。

「まあそんなわけで食堂のおばさんの話はこの辺でいいとして」

「おばさん言うな! ていうか青葉のほうが年上だし!」

「残りはどうします? もう夜遅いし、これ食べたら寝た方がいいじゃないかと思いますけど」

「ううん! わたし、寝たらたぶん聞くの忘れちゃうから!」

「あ、そですか」

「というわけで、いまから満潮ちゃん探しに行ってくる!」

「あ、ちょっ……」

 青葉がなにか言う暇もなく。

 清霜はばびゅーんと風のようにいなくなった。

「やれやれ。若い子はエネルギッシュですねえ」

 苦笑しながら、青葉はソーセージをぱくり、と一口。

「で、このカロリーを青葉ひとりに消費しろと言うのですか。夜に」

「食い残しは死あるのみよ」

「うううううー……せめてもう一本食べていって欲しかったですよ、清霜ちゃん……」

 明日からの減量を思って泣きながら青葉は言った。

 

 

 そして出て行った清霜はというと。

「わっ!」

「おお、驚いたであります」

 あきつ丸と出くわしていた。

「あきつ丸さん、満潮ちゃん知らない? あとなんで砲撃てないの?」

「ふたつもいっぺんに質問されると自分は処理できないであります」

「じゃあなんで砲撃てないの?」

「……そっちを残すでありますかー」

 苦笑ぎみに、あきつ丸。

「まあ、べつに話してもいいでありますが。あんまりおもしろくないでありますよ?」

「わくわく。わくわく!」

「やりづらいでありますなー……」

 言って、おほん、とあきつ丸はひとつ咳。

「本当にたいした内容じゃなくて……天性の、無才能なのであります」

「っていうと?」

「なぜか砲撃した弾が横の同僚に直撃したりするであります」

「…………」

 斜め上の話だった。

「自分、愛宕と名取の適性もあったでありますが……この状況で通常の水上艦艇やったら、いつ人を殺すかわからなかったでありますよ。だからあきつ丸に」

「うん……なるほど。そりゃそうだね……」

 あきつ丸なら、砲を撃てなくても制空とかでかろうじて活躍のめどはある。

「じゃあ、あきつ丸さんは砲撃ができないんじゃなくて、砲撃が下手なだけなんだね」

「まあ、とは言っても数年やってないでありますからなー。カ号と烈風以外が使える気がしないであります」

「なるほど……で、満潮ちゃんどこにいるか知らない?」

「例の訓練施設跡で黄昏れてるでありますよ」

「わかった! ありがとー!」

 言って去ろうとする清霜だが。

「そうそう。これは忠告であります」

「?」

「他の艦はともかく……漣殿が砲を撃てない理由は、聞かないほうがいいでありますよ。清霜殿」



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三:その理由(後)

 まあそんなことがあって海岸である。

「……なによ。笑いに来たの?」

「え?」

 うずくまったままの満潮の言葉に清霜は戸惑った。

「そんな……いきなり振られても、持ちネタなんて戦艦音頭の熱唱くらいしか……」

「笑いを取れなんて誰も言ってないわよ!」

「なんか似てるらしいんだよね。わたしの歌い方」

「誰によ」

「さあ」

「意思疎通する気を見せろッッ!」

「夜中に大声出したら迷惑だよ、満潮ちゃん」

「どうでもいいところで正論をッ……」

 なおも言いかけた満潮のとなりに清霜は腰掛けた。

「星がきれいだねー」

「…………。

 いいわよ。言いなさいよ。なにが聞きたいの?」

「なんでゲロ吐いてるの?」

「いま吐いてないわよ! つーか容赦ないなその聞き方!」

「いやあ、だってあんなの初めて見たわよ」

 清霜はぽりぽり頬をかきながら、

「青葉さんみたいに艤装適性不足で撃てないっていうんならわかるんだけど、そういうわけでもなさそうだったし。

 それに満潮ちゃん、操船すごいうまいじゃない。だから能力不足が原因でもなさそうだし」

「…………。

 青葉からは聞いたのね」

「満潮ちゃん探してたら、いろんなひとに会ってさ。

 みんなそれなりの理由があるんだってのはわかったんだけど、満潮ちゃんはどれとも違いそうだなって」

「まあ、そうでしょうね……」

「?」

「清霜。あんた、艤装適性っていくつ出た?」

「んと、みっつ。巻雲と朝霜と、清霜」

 さっき青葉に言ったのと同じ答えを返す。

「満潮ちゃんは?」

「…………」

 満潮はしばらく、答えなかったが。

「……全部」

「え?」

「だから全部よ。駆逐艦全部」

「え、ええええええ!?」

 そんな適性は聞いたことがない。

「全部って、ホントに全部? 島風とか雪風とかも含めて?」

「しつこいわね。松型とかも含めて全部適性あったのよ。ただわたしは、()()()()()

 満潮は言った。

「適性がありすぎた。そのせいで、艤装のそのすべてに、逆流化が発生してた」

「あ……」

 逆流化。

 まれに起こる現象だということは、清霜も知っている。『頭の中でなにかが……』という感じで、元の艦の記憶みたいなものが、艤装から本体に流れ込んでくるのである。

「適性が強すぎたのよ。……最初、教官の勧めに従って取ったのは雪風だった。艤装を手に取った瞬間、ものすごい量の記憶がフラッシュバックしてきて――起きたときは病院のベッドの上で、三日が経過していたわ」

「うわ……」

「だからわたしには選択権がなかった。……いちばん『適性がない』駆逐艦が満潮だったから、わたしは満潮になった。こいつだったら、艤装をつけていてもなんとかなる」

 満潮は言って、自虐的に笑った。

「それでも、比較問題でしかないわ。艤装つけてるとね、頭の中がぐっちゃぐちゃになるの。かつて満潮に乗っていて沈んだ兵士達の……過去の記憶なんかが頭の中にあふれ出してきて、気が狂いそうになる」

「そんな……」

「回避行動程度ならそれでも取れるけど、砲を撃つってなるとね。一気にひどい症状になって、ほぼ間違いなく吐くわ」

「それがあのときのあの症状の正体かあ……うーん」

「? なによ。なんか言いたいことでもあるの?」

「いや。さっき青葉さんにも言ったんだけど。

 艦娘やめないでいるのはなんで?」

「……クソッタレな質問ね」

「答えたくないなら答えないでいいけど」

「別にどうってことないわよ。やめさせてもらえないだけ」

 答えに、清霜は首をかしげた。

「駆逐艦なら普通、引退に制限なんてつかないんじゃあ……?」

「そりゃ普通の駆逐艦ならね。でもわたしは普通じゃない」

「…………」

「レアケースだから研究させてくれっつって、周りはその一点張りよ。出撃しなくていいから、研究室の中で暮らしてデータ取らせてくれるだけでいいって」

「そんな……それじゃ、実験動物じゃない」

「そうよ。モルモット扱い。奨学金と違約金を盾にわたしは引退への道を封じ込められた」

 ぎりっ、と、満潮は奥歯をかみしめた。

「だけど冗談じゃあない。わたしが艦娘になったのは、戦うためよ。研究者のオモチャになるためじゃない。

 だからここにいるの。ここは――落ちこぼればっかの鎮守府で、司令官は仮面つけた変態で、どーしよーもないところだけど――ここだけが、わたしを艦娘として扱ってくれるから」

「満潮ちゃんだいすきー」

「ちょ、なんでくっついてくるの!?」

 有無を言わさず清霜は満潮に抱きついた。

「かっこいいなあ満潮ちゃん。ロックだよお」

「……ったく、しょうもないわね。

 ていうか、あんた! ただひとりうちの鎮守府でまともな戦力なんだからね! 戦艦代理とか言ってへらへらしてないで仕事しなさいよ!」

「うん! 戦艦並みの活躍期待してて!」

 目をキラキラさせて、清霜は言った。

「で、これで満足したでしょ。わたしはもうちょっと夜風に当たっていくから、さっさと帰りなさい」

「夜更かしは美容に悪いらしいよ?」

「どの口が言うかな……ていうか、まだなにかあるの?」

「満潮ちゃんの情報は聞いたけど……」

 清霜は思い返す。

 青葉、葛城、あきつ丸、満潮がなんで砲撃できないのかは、わかった。

 だが、まだひとりだけ、聞いてない艦娘がいる。

 のだが……

「さっきあきつ丸さんに、漣ちゃんだけにはこういうの、聞かない方がいいって言われたんだけど。なんでだろ?」

「……ははあ、そういうこと」

 満潮は皮肉げに唇をつり上げた。

「なに? なにか知ってる?」

「まあ断片的だけどね」

「ええと……差し支えない範囲でいいから、教えてもらえる?」

「いいわよ。

 っつっても、わたしも正確に知ってるわけじゃないわ。知ってることとしてはまず、あいつはかなりわたしたちより年上」

「そうなの?」

「外見でものを見ない方がいいわよ。たぶん、わたしたちより青葉のほうが年が近いわね。

 それとふたつめ。あいつ、もうケッコンしてる」

「うそお!?」

 さすがに驚く。

 ケッコン――結婚ではない。血魂。

 ケッコンシステムというのは、艤装とより強く結ばれ、それによってすさまじい力をたたき出すことができる、近年の新武装だ。

(なのになんか、妙にケッコンって言葉がアレなのよね)

 そもそも、システムの取り付け方法が、指輪をつけて書類にサインするというのが根本的になにかおかしい気がする。

 まあ、呪術的な意味があるシステムなんだろうけど。それにしてもこう、どこか、覚悟のいるアレである。

 あと、ものすごい鍛錬を積まないとそもそもシステムを発動すらできない。だからもし漣がケッコンしているとすれば、それは清霜や満潮では比較にならないほどの練達者でなければならない。

「みっつめ。そのケッコンをしてもらったのは、この鎮守府ではない」

「え……そんなことあるの?」

 普通、ケッコンまでした艦は貴重である(というか、練度の高い艦とケッコンシステム、両方がものすごく貴重)ため、たいていの鎮守府は手放さないはずなのだが……

「理由はわからないわ。ただ、そもそもこの鎮守府に彼女が来たのはわたしより後。だからケッコン指輪してるけど、ここでもらったんじゃないはずよ」

「な……なるほど……」

「そしてよっつめ。彼女が砲を撃てない理由は、ごく単純」

 満潮は言った。

「裁判所命令よ」

「……え?」

 清霜は言葉を失う。

 聞いたことはあった。

 艦娘の兵器としての最後の安全弁。裁判所は必要があれば、艦娘に対して攻撃兵装の使用を禁止することができる。

 禁止は艤装単位で呪術的に行われるため、いったん禁止手続きが取られるとその艦娘は、武器を調達しようがどうしようが、ぜったいに攻撃ができなくなる。

 概念自体は知っていたのだが。

「なんで?」

「きなくさいでしょ? なにかやらかしたことは確かよね――」

 満潮はそこまで言って、にやりとほほえんだ。

「いいこと思いついた」

「え、なに?」

「この漣の不可解な状況の理由、司令官は当然知ってるはずよね。だから」

 満潮は笑って、言った。

「司令官の部屋、あさってみればなにかでてくるんじゃない?」

 

 

「で、忍び込んだあげくがこれと」

「すいませんすいません!」

「……ふん」

 司令官の執務室にて。

 部屋中に散らかった書類を見て、ジェイソン提督はため息をついた。

 どーせ後で片付ければいいでしょ、という意見の満潮が片っ端から戸棚やらなにやらをひっくり返した結果がこれである。

「あ、後で片付けますから……」

「悪いがそれはできないんだよ、清霜くん。この中にもいちおう、君たちが見るべきではない資料とかがあるからね。片付けはひとりでやらざるをえない」

「へえ? やっぱあるんだ、隠し事とか」

「当たり前だろう、満潮くん。秘密を保守できなければ、どこの企業体だってやっていけるもんじゃない」

「具体的にどんな?」

「人事考課の資料とかな」

「…………」

 満潮は黙った。

「で……漣くんが裁判所から命令を受けた理由を知りたいって?」

「そーよ。司令官なら知ってるんでしょ?」

「まあ知ってるねえ」

「とっとと吐きなさい」

「ゲロを?」

「情報をよッ!」

 真っ赤になって叫ぶ満潮。……昼間のことは、昼間なりにやっぱりトラウマになってるようだ。

「まったくしょうがないねえ。本来なら当人から聞くべきなんだけど……ほら、この新聞だ」

 言って、ジェイソン提督は新聞を満潮たちに渡した。

「これ……どこかの鎮守府の……殺人事件?」

「提督――あるいは司令とか司令官とか、まあそれは鎮守府のオーナーの通称なわけだがね。そこで一年ちょっと前に、こういう事件が起きた」

 書いてあったのは、とある鎮守府の提督が、誰かに刺殺されたという話だった。

「えっと、これって……」

「この司令官の下にいたのが漣くんだ」

 言われて、清霜の頭の中を不吉な考えがよぎる。

 それって……!

「ん、ひょっとして君、漣くんがこの犯人だとか考えてたりする?」

「え、違うんですか?」

「あはは、違う違う。もしそれだったら、裁判所は武器使用禁止命令なんて回りくどいことはしない。普通に殺人罪で逮捕されてるよ」

「そ、そうですよね……」

 少しだけ、ほっとする。

「でもだったら、どうして……」

「いやあ、それが言いにくいんだけどね。……仇討ち、って奴なのさ」

 ジェイソン提督は言った。

「この殺人事件の捜査を独力でやろうとしてね――そして、やりすぎた。それが、漣くんが裁判所から命令を受けた理由だ」

「そうだったんですか……」

 清霜は言った。

 満潮は、憮然とした表情で、

「……あいつが、仇討ちなんてやるタマかしら?」

「そりゃ満潮くん、偏見ってもんだよ。

 普段の漣くんからは想像できないかもしれないけどね、ケッコンしてた相手が殺されたんだぜ?」

「その言い方はまた独特に誤解を招く……でもまあ、そうね。疑ったのは悪かったわ。謝る」

「僕に謝られてもねえ」

「……わかったわよ。今後はあいつにもうちょっと気を遣って接する。それでいいんでしょ?」

「そうしてくれるとありがたいよ」

 そうして、司令官は他言無用をふたりに申し渡し、もう寝なさいと言って帰した。

「ふう……さて、と」

 すっかりふたりともいなくなってから、ため息。

「マジでこの量ひとりで片付けるのはしんどいんだがなあ。

 なあ君、手伝ってもらえんかね?」

「いいんですか?」

「まあ別にいいだろう。隠しておかないと困るものは鍵かけてあるし」

「まあそのくらいの鍵ピックするのは簡単なんですがね」

「やめて。マジやめて。僕の秘蔵のピンナップを見られたらしばらく立ち直れない」

「盗撮シチュが好きなのはいいですけど実行しないでくださいね?」

「うああああああマジで見てやがったこいつううううううう!?」

 ジェイソン提督が絶叫する。

 話し相手――漣は、ふうとためいきをついて窓から執務室にイン。

「にしても、ひっどいごまかし方しましたねえ。仇討ちとかマジでキャラじゃねえし」

「まああのへんが落としどころだろう。君の本当の話をするのは、あのふたりにはちょいとヘビーすぎる」

「ですかねえ。まあ、口裏合わせくらいは別にいいですけど」

 ぶつくさ言いながら書類整理を手伝う漣。

 ジェイソン提督は軽く肩をすくめて、

「ただでさえ、()()()()()の話は部外秘なんだ。それに関わってる時点で漣くん、君はちょっと特別すぎる」

 と言った。

 漣は、はあ、とため息。

「そんなに特別ですかねえ。データ上はガンガンありそうな感じでしたけど」

「まあ、実際のところ去年から激減しているよ。艦娘の死亡率は。

 ――でないとおかしいんだ。注意深く運用すれば絶対に死なない、それが艦娘の兵器としての最大のメリットだ。である以上――ミス以外の面で死者が出ていれば、それは故意としか考えられない」

 ジェイソン提督はそう告げた。

 捨て艦戦法。

 雇ったばかりの新人艦娘を使って、死んでもかまわんといった形で使い捨てにする――

 艦娘の死亡補償金の大部分が政府からの援助で出る制度を、故意に悪用した運用法である。

「だからまあ、君の告発は衝撃的だったし、有効だったと思うよ?

 あれ以来死亡艦娘の多い鎮守府には強制査察とか入るようになったし、ひどい場合には法的な処置が入れられる方向で調整が続いている。無茶な出撃命令を出した鎮守府を殺人罪で挙げることも検討されているそうだ」

「そうですね……」

「ま、告発された当人が、その日のうちに自殺するとまでは、誰も想像できなかったが。

 おかげで君も当局ににらまれて、えらく苦労してしまったね。まったく、あいつも困った奴だよ、本当に」

 ジェイソン提督はそう言って、ふう、と長いため息をついた。

「……ご主人様」

「ん?」

「漣は、人を殺しました」

「それは違う。君が殺したんじゃないだろう」

「法律的にはそうです。でも心情は、そう言ってくれません」

 漣は、無表情に言う。

「それでも――次におなじことがあったら、おなじことをします。

 あのときだって――曙ちゃんを目の前で沈めるくらいならって、わたしができることをした。それだけです。それだけ……なんです」

 ぽろりと。

 漣の目からこぼれたなにかを、ジェイソン提督は見ないことにした。

「だから……」

「ま、だからこそだな」

「?」

「なに。上の外道が許せない君のことだ。

 僕が道を外れそうになったら、止めてくれる。そうだろ?」

 ジェイソン提督の言葉を、漣はきょとんとした顔で聞いていたが。

 やがてゆっくり、笑みを作った。

「はい! そのときは漣、全力で後ろからご主人様を刺しますから!」

「そこはもうちょっと穏便に止めてくれよ!?」



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四:深海棲艦(前)

(曙……曙や……聞こえますか……)

「う……うう……ん?」

 曙は目を開けた。

 目の前にはきらめくような星々が見える。

「え……ここ……どこ?」

(曙……曙! あなたの力が必要なのです……お願いです……力を……!)

「え、ええと、わかったわよ。どうすればいいの?」

(では。まずはこれから言うわたしの言葉に、「はい」か「イエス」でお答えください)

「ちょっ……!?」

(そして我が世界に来たりて、なんかもー日々のイベントにちょっとしたスパイスのノリで繰り返される世界の危機に立ち向かったり、どー見ても刀や大砲にしか見えないブツを箒と言い張ったり、文学者の名前を叫びながら光線を放ったりしておもしろ愉快な毎日を過ごすのです。むにゃむにゃ)

「こら待てぇーーーーーーーー!」

(問答無用ですわうふふ。さあ我が世界に……!?)

「危ない、曙!」

「朧!?」

 どんっ、と突き飛ばされる。

 朧は静かに目の前の謎存在を見つめ、

「見ての通りよ! 曙を誘拐なんてさせやしない!」

(あら困りましたねぇ。まあべつにあなたでもいいんですが)

「そう……ならこれでお別れね。曙」

「ちょ……ちょっと待ってよ朧! あなたどうして……」

「さようなら曙。あたしの艤装のカニに、ちゃんと餌あげといてね……」

「朧ぉーーーーー!?」

 

 

「っていう夢見たんだけど、どう思う?」

「どう……と言われてもなあ……」

 曙の言葉に、時津風は困ったように苦笑した。

 食事処「鳳翔」。ここは世にも珍しい、艦娘による艦娘のための料理店である。

 朧は曙の言葉に小首をかしげて、

「しかし妙な夢だね。細部がえらく具体的というか」

「そうよね。なによ文学者の名前の光線って。わたしをなんだと思ってるのかしら」

「だよね……あたしもイブセマスジーはさすがに出せない」

「…………。ちょっと待った。なんでその名前にしたの?」

「それはカニだけが知ってる秘密の名前……ふふふ」

「やめなさいよ不気味だから!」

 ぎゃいのぎゃいの、とやっていると。

「……前よりずいぶん元気になったわね、曙さん」

「あら早霜。今日はもう店に出てるわけ? 大変ね、そっちも」

「ええ。……わたしは夜勤のほうが好みなのだけれども」

 早霜はそう言って、ことんと注文のアジフライを曙の前のテーブルに置く。

「珍しいわよね、こういう場所に配属されるのって。妖精見えるんだっけ?」

「そう。だから雇われたの」

 早霜は答える。

 この食事処はたしかに珍しい店だが、本業ではない。本業はこの店の隣にあるビルにある、艦娘艤装研究所だ。

 ここでは、艦娘の特性、特に「妖精さん」と呼ばれる英霊の魂とコンタクトを取れる者が雇われており、日々、艦娘システムの改良のための研究に勤しんでいる。

 そして種類の異なる妖精さんをいろいろ見るために艦娘用に開放しているのが、この出先施設である食事処、なのだが。

「……まあ、正確に言えば、就活に大失敗しかけてダメ元で前のバイト先にかけあったら、なんとか雇ってもらえたというところなのだけれど」

「あんたバイトだったの!?」

「正式な雇用はほんの二日前」

「まさかの後輩!?」

 曙がショックを受けて立ち上がった。

「か、貫禄からてっきり年上かと……ていうかここ、夜は酒も出してたわよね!?」

「ええ。まあ、見よう見まねでカクテルとか作ったら、なぜか好評で」

「思いっきり未成年よね……法律どうなってるの?」

「その辺は艦娘だから曖昧なんじゃないのかしら」

 早霜はそっけなく言う。

「ねえねえ! そんなことよりさーはやはや。あんた妖精さん見えるだけじゃなくて、霊感とかすげー強いんでしょ?」

「ええ。そうね……いまもいろいろ見えるわ。ふふふ……」

 早霜は時津風の言葉に答えながら、謎めいた含み笑い(本人無自覚)をした。

「じゃあ占いとかもできるの!?」

「占い? ……ええ、なんとかできるわね」

「ええー? 占い?なんかうさんくさいわね……」

 曙が疑わしげに言うが、早霜は胸を張って、

「大丈夫よ。占いと言っても、なんかそのへんにただよっている残虐時空皇帝デメトトキン二世の影からちょっと未来を聞くだけだから」

「すごいやっつけな名前に聞こえるんだけど!?」

「ちなみに当人は皇帝を自称してるけど、実際は兄のデメトトカンに帝位を奪われて暗殺されそうになって対抗して自分の存在を宇宙レベルで希釈した結果、元に戻れなくなって宇宙全体に漂っているらしいわ」

「あー、まあ、うん。その設定はどうでもいいんだけど、占い自体には興味があるな。あたしの未来とかわかるの?」

 朧の言葉に早霜はしばし黙考し、

「次のセッションは安泰……ただPLのプラーナ残量に留意、だそうよ」

「なるほど……わかった」

「ちょっと!? なんかよくわからない専門用語がいっぱい出てきたんだけどどういう意味!?」

「わからないならわからなくていいのよ……ふふふ」

「そうそう。ふふふ」

「あんたらムカつく!」

 曙はぎしゃーと叫んで、

「じゃ、じゃあわたしは!? わたしの未来は!?」

「それも大丈夫。潮ちゃんともうまくやっていけるし、提督との仲も急接近するでしょう……」

「なんであのクソ提督とわたしが急接近しなきゃいけないのよ!?」

「おー、曙ちゃんやるぅー」

「ひゅーひゅー」

「拍手すんな!」

 ぱちぱちと手をたたく時津風と朧にかみつく曙。

「じゃあこいつはどうなのよ! 時津風の未来は!?」

「時津風さんは……たくさんの女の子に囲まれてモテモテの未来が待ち受けてるわ」

「えーマジー? 人気者は困るなーあはははは」

「そして……」

「そして?」

「王国に依頼されて塔を建造し、オヤカタの称号を得て伝説になるわ」

「なにその超展開!?」

「あはははは。いいじゃない時津風オヤカタ。語呂もいいし」

「嫌だよどう見てもお相撲さんじゃん!」

 本気でいやがる時津風をここぞとばかりにいじる曙。

 その光景を見ていた朧だったが、ふと、

「……早霜? どうかした?」

「いえ……」

 あいまいに答える、早霜。

 おぼろげに見えた未来を反芻して、

(清霜が深海棲艦の群れに囲まれるというのが見えたけど……大丈夫なのかしら、あの子)

 と、心の中だけでつぶやいた。

 

 

 そんな話が行われている頃。

「満潮ちゃん、意外とインドア派?」

「はあっ、はあっ……い、インドアとか……関係ないでしょ……この山は」

 清霜と満潮は、山の中にいた。

「ったく、なんで艦娘が山登りさせられてるのよ! おかげで普段使ってない筋肉を無理矢理使わされて、明日は筋肉痛確定じゃない!」

「でも筋肉はまんべんなく育てないと。艦娘なんていつ裸になるかわからないんだし」

「なんでわたしたちが露出狂みたいになってんのよ!?」

「長門さんはいつも割れた腹筋誇示してるし、わたしもいつか見せないとダメかなって」

「そこはなんか別の艦参考にしなさいよ!」

「でもいまの武蔵さんも基本サラシだけだよ?」

「大和! 大和でいいから!」

「あのひとおっぱい徹甲弾で水増ししてるから隠してるだけでしょ?」

「隠してるほうが普通なのよ! ていうかそんな情報初めて聞いたわ!」

 叫んだ満潮は、その場で仰向けにぶっ倒れた。

「あーもう歩けない! なによこの山! 離島の分際で生意気なのよ!」

「離島ってわりと山持ってるとこ多いんじゃないの?」

「そういう突っ込みはいいから水!」

「はーい」

 清霜が渡した水筒から、満潮は水をごっきゅごっきゅと飲む。

「ぶはーっ! ああー、やってらんねーわよもう」

「しょうがないじゃん。昨日の罰則って言われちゃったんだし」

 清霜は言った。

 執務室を漁った罰と言われては、満潮もさすがに反論しづらい。いけないことなのは確かなのだし。

「でもこんな山奥になにがあるっていうのよ。わたし一年以上いるけど、なにも聞いてないのよ?」

「なんか湖があるって言ってたよね」

「いつになったら到着できるのかしら……ていうか、いま地図の上でどこなの?」

「まっすぐ道なりだからこの道のどこかじゃない? ほら」

「うー、ゴールが見えないのがいらつくわね……」

 満潮は憮然とつぶやいた。

「ともかく歩こうよ。歩かないと終わらないよ?」

「わかったわよ。ったく」

 言って満潮が立ち上がった、そのとき。

 がさがさがさ! と音がして、周囲の森から道にそれが現れた。

 イノシシ。

 めちゃくちゃでかいそいつは、こちらをじろりとにらみつけた。

「ひ――」

「逃げるよ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 ふたりは、一目散に逃げ出した。

「ていうかなによあれ! こんな離島にあんな化け物みたいな野生生物がいるなんて聞いてないんだけど!」

「リュックに艤装ちゃんと入れて持ってけって言われたのはこのためかー。いざとなったら撃てってことよねたぶん」

「あんたあんな重いの持って山登ってたの!?」

「え、満潮ちゃん艤装持ってきてないの?」

「どういう体力してんのよこいつ!」

 ぎゃいのぎゃいの言いながら走りまくって、しばし。

「ぜえ、ぜえっ……タンマ。清霜、タンマ……」

「ん……もう大丈夫かな。追ってこなかったみたいだし」

「も、もう、ダメ……もう走れない……」

「大丈夫だよ満潮ちゃん。なんかもう湖、見えてるから」

 清霜はのんびり言って、そちらを見た。

 つられて満潮も顔をそちらに向けると。

「うわ、きれい……」

「だねー。水すごい透き通ってる」

 こんなところにこんなきれいな湖があるなんて、誰も思わないだろう。

 うちの鎮守府がなければ観光地になってたんじゃないかこの離島……と、満潮が考えていると。

「よし、泳ごう!」

「ええ!?」

 ばっさばっさといきなり服を脱ぎ始める清霜に、うろたえる満潮。

「ちょ、あんたなにやってんの!?」

「さっき言ったじゃんいつか脱ぐときに備えないとって! 今でしょ!」

「馬鹿最低でもパンツ残しときなさいっ……!?」

 言い終わる前に満潮にばしゃーんと水がぶっかけられた。

「…………」

「へっへー。どうだっ」

「やったなあっ……」

 わなわなわなと震えた満潮は。

 服も脱がずにいきなり湖に飛び込んで、清霜に水をかけ始めた。

「ちょ、脱がないと後ひどいんじゃ……わぷぷっ!?」

「うるさい覚悟しろこのちんちくりんがーっ!」

「え、ええーい、負けないぞっ!」

 かくして。

 湖は壮絶な修羅場と化した。



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四:深海棲艦(後)

「やー、楽しんだ楽しんだ! まんぞく♪」

「……楽しんだじゃないわよ馬鹿ぁ……この服どうすんのよ、っくしょんっ」

「だから脱いでから入ればよかったのに」

「うるさいとにかくあんたが悪い!」

「ええー……」

 でもめっちゃ楽しそうだったじゃん満潮ちゃん、と清霜は反論しようとしたが、

「……まあいいや。ぜったいやぶ蛇になるから黙っとこ」

「聞こえてるわよ」

「とにかく木陰でパンツ換えてくるー。ちょっと待って」

「え。まさか着替え持ってきてたの……!?」

「湖って最初から聞いてたもん。全裸にならないなら換えのパンツくらい持ってこないとさー」

「ムカつく! 換えのパンツ濡らして後悔させてやる!」

「ちょ、それはダメだって!」

 じたばた暴れていると。

 ざばん、と音がした。

「ざば?」

 見ると、そこに黒光りする、人間大よりちょっとだけ大きい謎生物がいた。

 カタログで見たことはある。

 深海棲艦。駆逐イ級。

 ――人類の、天敵。

「ちょ、なんで深海棲艦がここに――!?」

「満潮ちゃん下がって!」

「馬鹿、あんたもいま艤装装備してないでしょうが!」

「早く逃げてよ! でないと共倒れになるってば!」

「だったらあんたが逃げなさいよ! 艤装あればとりあえず生きてけるでしょ!」

「戦艦が守るべきものを捨てて逃げるわけには行かないのよ!」

「っ、このわからずや!」

「わからずやはどっちさ!」

「ええいこうなりゃ力ずくで――」

『あのう』

「なに!?」

『取り込み中のところ申し訳ないのでござるが……とりあえず、争いはよくないでござるよ。ここは冷静に』

「いま忙しいんで後でね!」「いま忙しいから引っ込んでなさい!」

『……いや、その』

 申し訳なさそうに言う深海棲艦に、はたと動きを止めるふたり。

 しばし、沈黙が落ち、

「「ししし深海棲艦がしゃべってるうーーーーーーーーーーー!?」」

『あ、やっと突っ込みが入ったでござるな』

 その深海棲艦は、のほほんとした声でそう言った。

 

 

『あらためて自己紹介をば。我が分類は深海棲艦、駆逐イ級後期型。通称いっちゃんでござる』

「ども、戦艦代理の清霜ですっ」

「……駆逐艦の満潮よ」

 とりあえず清霜が着替えた上で。

 ふたつの種族は、それぞれ自己紹介を済ませていた。

「にしても驚いたよ。深海棲艦ってしゃべれるんだね」

『上位個体はだいたいしゃべれるでござるが、駆逐艦だと珍しいかもしれないでござるなー』

 いっちゃんはそう言った。

 満潮はそんないっちゃんを胡乱げにながめ、

「で、なんで深海棲艦がこんな山奥の湖にいるのよ。普通あれって海に湧くもんでしょ」

『でござるな。それがしも、故郷は海でござる』

「じゃあ、誰かがここに運んできたわけ? それとも自分で移動?」

『後者でござるよ。あのホッケーマスクなるかぶり物をした提督殿につれてこられたでござる』

「司令官が……?」

「ていうか、淡水で大丈夫なの? あと深海棲艦ってエラ呼吸だと思ってた」

『そこは肺呼吸でござるよ。クジラと同じ分類でござるな』

「へええ……」

 素直に感心する清霜。

「にしても、深海棲艦と話し合えるなんて新鮮だなー。だったら話し合いで戦いを終わらせられそうなものだけど」

『それがうまくいけばいいんでござるがな……』

「無理なの?」

『無理というか……実際のところ、深海棲艦の種族的な特徴で、絶望的になってるでごわす』

「え、どゆこと?」

『深海棲艦というのは、実のところ、人間の持つ「自我」というものが希薄なのでござるよ』

 いっちゃんは言った。

「自我がないって……馬鹿ってこと?」

『まあ知能の問題もあるでござるが、おそらくはそれ以前の問題で。種族単位で自我を共有することが前提になってるというのが正確でござろうか』

「ごめん。なに言ってるかよくわかんない」

『平たく言えば、まわりに流されやすいのでござるよ』

「あー、そゆこと」

 なんとなくわかった気になった清霜だった。

 一方で満潮はより深く考え込んで、

「……なんとなくわかるわ。艦隊単位で自我を共有してるのね?」

『そうでござるな』

「だからあんたみたいに艦隊からはぐれると個体の自我に目覚めるけど、艦隊に入っちゃうとそういうのは消えちゃうってこと?」

『飲み込みが早くて助かるでござるよ』

「……で、その艦隊の自我はまたでっかい個体の自我と通じてたりするの?」

『ものわかりがよいでござるな。その通りでござる』

「ええっと、できればわかりやすい解説が欲しいんですけど。満潮ちゃん」

「マンガとかであるでしょ。モンスターは本当は平和的な種族なんだけど、魔王がいると操られて凶暴になるとかそういうの」

「ああー! なんか見たことある!」

 満潮の言葉に納得する清霜。

『まあ、実際には魔王がいるかどうかは判然としないでござるが、おおむねそんなところでござるな。ここは隔離されてるし人間しかまわりにいないので、結果人間に近い自我になっているのが、いまのそれがしでござる』

「なるほど……でも、だったら孤島より、もっとでっかい陸地のほうがいいんじゃ……?」

『最初は研究所に鹵獲されていたのでござるがなー。研究所の人間とは水が合わなかったので、提督殿にお願いしてもうちょっとのびのびできる場所に移してもらったでござるよ』

「ていうか、それができちゃうあの司令官は何者なのよ……!」

『人間の組織の仕組みはそれがしにはわからんでござる』

 満潮の言葉に答えるいっちゃん。

『が、まあ、大物なのでござろうな。雰囲気から想像がつくでござる』

「そうそう! 戦艦の重要性もよくわかってくれたし!」

「大物がそれってかなり末期よね」

 満潮は頭を抱えかけたが。

「ところで、深海棲艦」

『いっちゃんでござる』

「名前はどうでもいいわよ。あのさ、あんた、人間に近いメンタル持ってるって言ったわよね」

『そうでござるな。ここは人間ばかりでござるから』

「……で。あんた自身の性別はなんなの? オス?」

 ――いっちゃんは沈黙した。

「早く答えなさい」

『さ、さあて。深海棲艦に性別の概念はないでござるからなあ』

「目を合わせてしゃべりなさい。ていうか、生物としての性じゃなくて、自我が持ってる性を聞いてるのよ」

『た、大差ないでござろう。それがしには人類の分類なんてどうでもいいことでござる』

「? 満潮ちゃん、なんの話してるの?」

「いや。さっきこいつ清霜の裸見てたじゃない。だからそれを見てどう思ったかを聞こうと思って」

「ああー。言われてみれば」

 ぱんつ一丁だった。

「……で。どうなの?」

『くどいでござる。人間の裸体を見て感情などなにも湧かないでござるよ』

「そう。ならよかったわ。

 ――こういうところで覗きヤローに遭うこともあるのよ。清霜、あんたも次から気をつけなさい」

「むー。気にしすぎだと思うけどなー」

 だいたい自分の体型はまだ未熟すぎてあんまり男にはうれしくないんじゃ、と清霜はのんきに考えたのだが。

 満潮は自分の濡れた制服をちょいとつまんで、

「……ちらっ」

『へそちら! たまらないでござるっ!』

「…………」

『はっ……』

「…………」

『…………』

「…………」

 いっちゃんは目をそらした。

「やっぱりデバガメ野郎かおまえーっ!」

『いいい、痛い! ちょっとやめて艦娘さんのぱんちは普通に痛いでござる!』

「まあまあ満潮ちゃん。そもそもここはいっちゃんのすみかでわたしたちがお邪魔したんだから、そんな怒ったら悪いよ」

『天使! 天使がここにいるでござる! いっちゃん一生ついていくでござるよ!』

「甘っちょろいわね清霜。そんなことしてるとそのうち図に乗ってカメラで盗撮とか始めるわよ、このたぐいは」

『あははは。やだなーさすがにそんなこと考えてるはすが――おっと』

 ばしゃん、といっちゃんが手に隠し持っていたカメラが湖に落ちた。

「…………」

『…………』

「……いまのは?」

『青葉さんからの差し入れ、耐水機能付きデジタルカメラでござる』

「……清霜」

「うん。ちょっといま連装砲取ってくる」

『うわあああああん許してでござるよーーーーーーーーーーー!?』

 

 

『そうそう。これはついでの忠告でござるが』

「?」

 帰り際。

 いっちゃんは若干真剣な声で、そう言った。

『もし深海棲艦の艦隊と戦うことになった場合、旗艦を狙うといいでござるよ』

「ん、まあ頭をつぶすってセオリーみたいな気がするけど……なにかあるの?」

『いやまあ、先ほどの自我に関係した話なのでござるが』

 いっちゃんは言った。

『要するに、艦隊の自我はほとんどの場合、旗艦が握ってるでござる。

 その旗艦が撃破されると、自我がばらばらに各個体に割り振られる――撤退してふたたび時間をかけて編成し直せば正常に戻るでござるが、それまでは混乱して、まともな戦力にならないでござる。ぜひ試してみるとよいでござる』

「なるほどねー。ありがといっちゃん」

『また泳ぎに来て欲しいでござるよ』

「今度は水着着てくるよ?」

『十分でござる! 男の本懐でござるよ!』

「思ったよりがっついてる!」

「誰よこいつにこんな自我を与えたのは……」

『おおむね提督殿と青葉殿でござるよ』

「予想通りすぎるわ!」

 

 

 そんなわけで、帰還。

 道中また熊に遭ったりして、満潮はびしょ濡れの上にへとへとで、帰ったら入渠の勢いで自室に引きこもった。

 清霜もさすがに疲れていたが、司令官への報告を済まさないわけにもいかない。

「……そうか。またずいぶん濃いめに育ったなあ、彼も」

「司令官は、会いに行かないの?」

「一週間に一度は会いに行くけど、私は男だからねえ。そこまでおもしろおかしい反応は返してくれないよ」

「あはは……」

 清霜は苦笑した。

「でも司令官、なんでいっちゃんにわたしたちを会わせたの?」

「ま、敵を知っておいて欲しかったからだな。

 君はこの鎮守府で唯一、深海棲艦に攻撃できる戦力だ。だから、相手のことをより深く知っておくべきだと思った。そういうことさ」

「でも、かえってやりにくくなっちゃったよ。

 モンスターだったら倒せるけれど、話ができる可能性があるってなると……」

「それでも。事実を知らないで戦うよりは、ずっといい」

「……そうだね」

「それに、まあ。希望でもある」

「?」

 首をかしげる清霜に、ジェイソン提督は笑顔(withホッケーマスク)を向けた。

「いまは無理かもしれない。でも、深海棲艦と意思疎通できる可能性はある。

 だとすれば――いつかこの戦いも、終わるかもしれないだろ?」

 その言葉に、しばらくぽかんとしていた清霜だったが。

 やがて、満面の笑みをうかべてうなずいた。

「うん、そだね!」



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五:護衛任務(前)

「任務……?」

「うん、そうだよ」

 清霜の言葉に、ジェイソン提督はうなずいた。

 執務室である。いまはこの鎮守府にいる艦娘――青葉、葛城、あきつ丸、漣、満潮、そして清霜の全員が集められている。

「でも……うちの鎮守府、わたししか砲を撃てないよ?」

「まあそうだねえ」

「できるのかな?」

「まあ護衛任務だからね。うまく行けば敵に会わないかもしれないし」

「そんなもんなのかなあ」

 清霜が首をひねっていると、

「そんなもんのわけないでしょ!」

 と、満潮がかみついた。

「なに考えてるのよ馬鹿司令官! たしかに戦闘任務じゃないから敵に会わないかもしれないけど、会うかもしれないんじゃない!」

「そりゃまあ、だからこそ護衛依頼が来てるんだからねえ」

「それによりによってまだ実戦経験もないし訓練も浅い新人の清霜を当てるとか、馬鹿じゃないの!? ていうか馬鹿じゃないの!?」

「そうだねえ」

 ジェイソン提督はのほほんとつぶやき、

「まあ虎の子の訓練用施設であったあの漁船を誰かさんが爆発四散させたりしなければ、こんなタイミングで緊急の資金繰りをしなくてもよかったんだけどねえ」

「…………」

 満潮は沈黙した。

 代わりに尋ねたのは、あきつ丸である。

「しかし実際のところ、どうするでありますか?

 駆逐艦クラスの敵がはぐれて出てきた程度であればなんとかなるでありましょうが……軽巡でも出てきた日には、我々ではどうにもならないでありますよ?」

「まあ、清霜ちゃんの練度もまだ不足してるしねえ。

 そうなるとなんとかする方法を考えなければならないわけだが」

「あれ、使うんですか?」

 と、そこで漣が口を開いた。

「使わざるを得ないだろうねえ」

「でも、かなり危険ですよ?」

「だから虎の子のダメコンを併用するしかないだろうねえ」

「それは……けど、帳尻取れるんですか、ご主人様?」

 漣は言った。

「ダメコン――力尽きて沈みそうになった艦娘の機能を強制的に回復する装置は、たしかにこの鎮守府にひとつありますけど。でもたしかあれ、政府からの補助金収入を含めたこの鎮守府の年次収入と、二ケタ以上違うレベルのお金がかかる代物だったはずですよね?」

「ま、そりゃそうなのだがね」

 ジェイソン提督は答える。

「しかしダメコンは換金できない。まあ、元々アレの所有権は曖昧なんだがな……漣くんがここに来たときに、たまたま持っていたものだし。そこんとこでやぶ蛇をつつきたくはないし、それに、ダメコンをはじめとした艦娘の装備を売却するには政府の超めんどくさい手続きが必要でね。

 たとえ使用を前提にしても、いま必要なのは金銭、というわけさ」

「……まあ、使わない可能性もありますから、いいとは思いますけどね」

 漣は不承不承、といった感じで言った。

「ねえ……さっきからなんの話してるの?」

「わたしが知るわけないでしょうが」

 清霜と満潮がひそひそ話をしていると、こほん、とジェイソン提督が咳払いをした。

「清霜くん」

「はい?」

「本来ならもっと後になって紹介するつもりだったが、この際仕方がない。実戦に向かう君には、我が鎮守府の誇る秘密兵器を搭載してもらうことになる」

「秘密兵器……?」

「そうだ」

「それって、砲なの?」

 清霜は言った。

 最も新入りである彼女に搭載する秘密兵器――となれば、彼女にしかできないこと、つまりは砲撃用兵器であるに違いないと思ったのだ。

 だがジェイソン提督は首を振った。

「近いが、違う。これは砲撃を強化するためのシステムだ」

「強化……?」

「そして我々はそれを、『使い捨て35.6cm連装砲システム』と呼んでいる」

「使い捨て……35.6cm連装砲?」

「そうだ」

 ジェイソン提督は自信満々に言った。

 35.6cm……というのは、砲の口径だ。

 といっても、もちろん実際の砲の口径ではない。戦艦の砲なんてガンダムよりでっかいクラスのもあるレベルなわけで、そんな馬鹿でかいものは、いくら艦娘でも持ち歩けない。

 あくまで『実艦が装備していた同じくらいの口径の砲の威力を再現する』システムである。

 駆逐艦はだいたい、12.7cm連装砲という砲を使うことになっている。そこからすれば35.6cmというのは破格な大きさで、戦艦以外はまともに動かせない。

 つまり、使い捨てとはいえ、戦艦の砲だ。

 清霜は、ごくり、とつばを飲み込み、提督を見た。

 提督は自信満々にうなずく。

 清霜が口を開く。

「もうちょっとでっかい口径がいいなあ……」

「41cm! いやー私言い間違えちゃったなー! 使い捨て41cm連装砲です!」

「わーい41cmだーすごーい!」

 きゃっきゃ喜ぶ清霜を見て、満潮は頭を抱えた。

「マジでこいつの砲にわたしたちの運命を預けていいのかしら……」

 

 

「いやー、快適快適! すっごいいい天気だねー!」

 船の上で。

 清霜はにっこにこでそう言った。

 すると船の下の海面から、

「……快適はいいけど、ちゃんと戦う準備はしときなさいよ。こちとら、攻撃手段持ってないんだからね」

「もっちろん! 戦艦並みの活躍しちゃうよー!」

 ぐっ! と清霜が親指を立てると、満潮ははぁとため息をついた。

 ちなみに。

 なぜ清霜が船の上にいるかというと、どの方角から深海棲艦が来てもただちに対処できるようにするためである。

 残りの五名はそれぞれ別の方角に分かれて周囲の海を哨戒中だ。

「でも最近の漁船ってすごいんだねー。艦娘の電探並みじゃない? この魚群探知機とか」

 清霜が言うと、この船の船長が答えた。

「おうよ。でも深海棲艦の連中にある程度近づかれるともう致命傷だからな。うっかり大型魚と見間違えてズドンってのは避けたいのよ」

「それで護衛ってわけだね」

「国が設定した安全圏なら深海棲艦なんて出てこねえんだがな。そこにばっか漁船が集中するせいで、漁獲規制が入っちまってるんだよ。だからまあ、大物狙うなら艦娘雇って境界域ってわけさ」

 船長は言った。

 そう、この大型漁船団の護衛が今回の清霜たちの任務である。

 艦娘システムや各国の軍事兵器のおかげで、人類は制海権を失ったという状況からはほど遠い。「安全圏」と名前がついている場所を通る航路であれば、常に監視の目が行き届いており、深海棲艦に襲われる確率は極めて少ない。

 安全圏から多少離れた「境界域」は、そこまで安全ではない。はぐれた深海棲艦がうろうろしていることもしばしばだ。そして、はぐれ深海棲艦は――駆逐イ級が一匹であっても、漁船なんて一撃で沈めてしまうほどの火力持ちなのである。

 そこからさらに離れてしまうと、「危険領域」――艦娘と深海棲艦のガチバトルの場になる。

 危険領域は人類が安全に通れない海の総称だ。もちろん、すべてが一緒の危険度というわけでもない。日本近海だと小笠原諸島にある「沖ノ島海戦領域」などは激戦区だが、台湾方面の「バシー領域」はそこまでではない。

 もちろん、そんな名前がついて分類できている領域だけではない。それどころか、海のかなりの部分は危険すぎて、艦娘ですら簡単には出て行けないのである――だから、人類は深海棲艦がどこで、どうやって誕生しているのかすら、未だに理解できていないのだ。

「にしても、艦娘さんってなぁ、ずっと海にいるかと思ってたんだけどよ。船にも乗るんだな」

「そりゃいちおう人間だからね。

 もっとも、艦娘システムは海辺に近いほどパワーが出るし、海まで行かないと船と戦えるレベルの能力は出せないかな」

「そっか。そういうもんなんだな」

「それに、海で動いてると、艤装が燃料を消費しちゃうんだ。この燃料ってのは基本的には、専門の施設で補給しないと回復できない」

 まあ、とはいえ、戦闘行動でも取らなければ燃料の消費なんて微々たるものではあるのだが。

「最前線で戦ってるチームだと、母船に乗っけてもらって海域までついてから展開することが多いみたいだね」

「ほー、そうかー。いろいろ工夫してるんだな」

「そりゃ命かかってるもん。頭は使うよ」

 清霜は答えながら、ちらりと艤装を見た。

 艦娘の艤装に付けられるアタッチメントの数と種類は、その艦娘の練度と艦種によって変化する。いわゆる「装備スロット」と呼ばれるものだ。

 清霜の場合、成績こそそこそこだったものの、実戦経験がない。だから装備スロットの数はふたつ。

 そのうちひとつには、「応急修理要員」が入っている。これは「ダメコン」とジェイソン提督が呼んでいた、ものすごい貴重装備だ。

 そしてもうひとつ。

 いつもの高角砲ではない、艦娘にとってごくごく標準的な12.7cm連装砲である。

 この装備自体には新味はない。問題は、スロットのほうに仕掛けられたある追加兵装にあった。

 清霜は、そのときの説明を思い返す。

 

 

「いいかね清霜くん。艦娘というのは、100%の力を発揮することは、誰にもできないんだ」

 ジェイソン提督は言った。

「100%の力?」

「つまるところ、艦と英霊の力を全部ってことだね」

「そうなの?」

「研究者曰く、10%も無理だそうだ。現状の艦娘の使えている力はその程度らしい」

「10%……」

 清霜の言葉にジェイソン提督はうなずいた。

「で、ところで残りの90%以上の力だが、これは使うことができないだけで、艤装にこもっている。

 その力は、艦娘が死ぬようなダメージを受けたときにだけ発揮され、ダメージを中破レベル程度まで抑える効果を持っている。――君も聞いたことがあるだろう? それが「中破ストッパー」だ」

「あ……! 聞いたことある!」

 中破ストッパー。

 艦娘の艤装には「小破」「中破」「大破」というダメージを測定するシステムがあるが、明らかに大破以上のダメージを受けただろうと思われるときでも、艦娘が中破でとどまる場合がある。

 その「中破ストッパー」と呼ばれる現象の仕組みが、これだった。

「さらに中破ストッパーが発動した後に攻撃を受けても、やはり大破でとどまってくれる。これは経験則ながらいまのところ確定で、同一戦場で戦う限りにおいて、大破していない艦娘が攻撃を集中的に受けても死んだ例はひとつもない。これが、君が面接で言った話だ」

「なるほど……」

「ま、もちろん、その後さらに無理して連戦したりすれば、命の保証はないわけだが」

 そこまで言って、ジェイソン提督は咳払いをした。

「で、ここからが本題。この使い捨て35.6cm……」

「41cm」

「ごほん。使い捨て41cm連装砲システムなのだがね。これは、その艦娘が使えない余剰エネルギーを引き出して、砲威力を劇的に高めるシステムなのだ」

「おおー! だから戦艦級の砲撃が!」

「そう。まあ、ノーリスクではないのだがね」

「というと?」

「先ほど説明した通りだよ。

 艦娘の潜在力というのは、艦娘自身の生命維持に使われている能力だ。ということは、それを使ってしまうと……」

「つまり……中破ストッパーが効かなくなる?」

「どころか、中破で大破と同じ状況になる。

 同一戦闘内であればそこで死ぬことはないだろうが、連戦すれば死んでしまう可能性が出てくる」

「…………」

「それに加えて「使い捨て」という言葉の通り、このシステムを使った場合、艤装アタッチメントは損壊して使い物にならなくなる。

 つまり、連装砲が壊れるっていうことだ」

「ええと、連装砲は二機積めるから、最大二発ってことですか?」

「まあ二発撃つ試験は一度もやってないんだけどね。

 だがおすすめはしないよ。計算上は、無傷から一発轟沈する危険性が出てくる」

 ジェイソン提督はそう言って、はあ、とため息をついた。

「君が面接で言ったことは、私の持論でもあるんだよ。清霜くん。

 深海棲艦と対抗する兵器として、艦娘が最も優れているのは、死なないからだ。中破ストッパーを中心とした強い守護の力によって、艦娘は、運用を間違えない限り絶対に死なない。

 だけどこの使い捨て35.6cm連装砲は――」

「41cm」

「……41cm連装砲は、その原則を破壊してしまう。

 いいかい清霜くん。僕たちは鎮守府を名乗っていて、要するに今風に言えばPMC、民間軍事会社と呼ばれるくくりになっている。だけど僕は……兵士である君たちには、誰ひとりとして、死んでもらいたくない」

「――はい」

「よろしい。

 とりあえず、そういうわけで君には今回、このシステムと同時にダメコンを積んでもらう」

「ダメコン……?」

「先ほど漣くんが言っただろう? 艦娘が死にそうになった際に、艤装の力を強制回復させて持ち直す装備だ」

「それはまあ、存在は知ってるけど……」

「今回一番危険なのは君だ。だから、君には可能な限りの命の保険をかける。

 だがわかっていると思うが、いちばんいいのは清霜くん、ダメコンを使わないことだ。可能な限り安全を確保して事に当たる――できるね?」

 提督の言葉に、清霜はうなずいて笑った。

「もちろん! 清霜に任せて!」

 

 

「とはいうものの、やっぱり気をつけたほうがいいよ。清霜ちゃん」

「わあ!?」

 にゅっと下から顔を出した漣にのけぞる清霜。

「えっへへー。びっくりしたのね?」

「びっくりした……な、なに、漣ちゃん?」

「いやいや。さっきからぶつくさ独り言でその装備のことを言ってたから、念のために忠告をってね」

「え、なにかあるの? この41cm連装砲システムだよね?」

「じゃなくてダメコンのほうなんだけど」

「え、ダメコン?」

 そっちが話題になるとは思ってなかったので、驚く。

「ダメコンになにかあるの?」

「いやね、これは漣自身の体験でもあるんだけどね……たとえ死なないとはいっても、ダメコンが使われるってことは死にかけるってことだからね? 臨死体験キタコレって感じ」

「あ、あー。うん、それはそうなのかもしれないけど」

「けっこう多いよ? ダメコン使用がトラウマになって、それ以降戦えなくなる艦娘って」

「そ、そんなに?」

「まー体験してみるとわかるけど、しないことをお勧めするかなー。やっぱ、艦娘やるにしても、笑って退役まで無事過ごしたいっしょ?」

 漣はそれだけ言って、ひょいっ、と船から海に飛び込んだ。

「んじゃ休憩時間終わりっ。青葉さんと交代してくるねー」

「行ってらっしゃい……」

 清霜は手を振った。

 いま索敵中の艦娘は5人だが、東西南北4人に分けてひとりだけ休憩、というのをローテーション組んでやっている。

 さっき近くにいた満潮も、いまいた漣も、そういう休みのタイミングにここに戻ってきているのだ。

 清霜としても、いまいち一人だけ船の上から動かないのは居心地が悪いのだが、切り札なんだからしっかり休んでおけと言われてしまっては反論もできない。

(あー、でも退屈だなあ)

 ――ふと。

 なんとなく手持ち無沙汰だった清霜は、艤装にある羅針盤システムをチェックしてみた。

 羅針盤、といっても、当然その名前の指すものはただの羅針盤ではない。

 艦娘の羅針盤システムというのは、呪術的な簡易占いシステムみたいなものである。回転させて指し示された方向に不吉な気配がある、というような感じで使う。

 確実性が高いわけではないので、特に近場の索敵には目視や電探、偵察機を使うほうが好まれているが――それでも、艦娘には欠かせない、大切な道具だ。

 特に使っていない場合は普通、羅針盤の針は北を向いているのだが……いまは、明らかに変な方角を指している。

 つまり。

「これ……」

 即座に清霜は通信機を手に取り、

「全員警戒! 羅針盤に注目! たぶん潜水艦いるよ!」

 言葉と共に、船から飛び降りた。

 ざばしゃ、と危うく転びそうになって踏みとどまる。

(う、うわ、これ危なっ)

 さっき漣がこともなげにやっていたのでついやっちゃったが、この高さから水面に飛び降りるのは実はかなりの上級技だ。

 改めて、練度の違いを痛感するなあ……と清霜が思っていると。

「潜水艦ですって!?」

 満潮がハイスピードで近づいてきた。

「うん、間違いない! 目視でこれだけ警戒して見つからないのに羅針盤が反応してるもん!」

「……っ、そうね」

 潜水艦は、通常の索敵では非常に見つけにくい。だからこういうことも起こる。羅針盤が重宝される所以である。

『こちらあきつ丸。潜水艦出現ポイントを特定したであります。座標送るので各自、羅針盤システムにより位置確認を』

「行こう、満潮ちゃん!」

「ええ、行くわよ!」

 ふたりは、声を掛け合いながら走り出した。



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五:護衛任務(後)

 ……が、結果としては遅かった。

「まあ潜水艦ならカ号でなんとかなるでありますからな。どうにかやったであります」

 胸を張って言うあきつ丸。

 少し離れたところに、攻撃を受けて仰向けに浮かんだ深海棲艦(潜水艦)の死体が浮かんでいる。

「もう一隻いたけど逃げちゃったみたいね……ま、いいでしょ。ちゃんと仕事は果たしたってことで」

「ううー、そうだけど、なんか不完全燃焼感が……」

 満潮の言葉に、清霜は不満げに言う。

 せっかくの初陣なのに、駆けつけたら敵が倒れてましたというのは、ちょっと、なんだかなあって感じである。

「いいじゃないの。楽できたんならそれに越したことないでしょ」

「そうは言うけどさ、楽だからこそ経験を積むいいチャンスだったんじゃないかなって思うんだよ?」

「はいはい、みなさん気を抜いてはいけませんよー。まだ深海棲艦がこれだけとは限らないんですから――」

 青葉の言葉は、途中で打ち切られた。

 全員の羅針盤が一様に回転し、ある方角をぴたりと指し示して、止まる。

 ここまではっきりした反応がある以上、敵は先ほどのようなものではあり得ない。

 おそらくは、もっと大型の――

「! 青葉殿、索敵!」

「もうやってます……これは、やっばいですね」

 青葉は歯がみして言った。

「なに、なにが来るの?」

 葛城の言葉に青葉は深刻な顔で、

「偵察機からの報告ですが……敵深海棲艦は、三体です」

「三体? 思ったより少ないわね」

「少ないだけならいいんですけどね……ほら」

 青葉は言って、艤装のリンク機能を使って偵察機情報を全員に共有。

「……げ」

 駆逐ハ級。これはいい。

 重巡リ級。少し手強いが、まあ想定の範囲内だ。

 残り一体。それらの深海棲艦とは明らかに一線を画するシルエット。

 人間形の肢体に、巨大な帽子のようなものが乗った形。

 ――空母、ヲ級。

「いきなり強敵出現だね……」

「どうする? 清霜」

「聞くまでもないでしょ」

 清霜はぐるんぐるん腕を振って、ぱちんと手をたたいた。

「総員戦闘準備! 事前の打ち合わせ通りにしっかりね!」

「「「「「おー!」」」」」

 清霜の言葉に、全員の声が唱和した。

 このタイミングではもう、敵の艦影はおぼろげながら見えてきている。即座に全員が戦闘挙動に入ろうとするが、

「う、うわ!?」

 それより早く、空母ヲ級が艦載機を繰り出してきた。

 砲撃戦の距離になる前の先制攻撃は空母の特権である。清霜は思わず身構えたが、

「甘いであります!」

「ふん、見なさい!」

 あきつ丸と葛城が迎撃。烈風と機銃掃射で、相手空母は艦載機をあらかた打ち落とされた。

「目標敵空母! 総員単縦陣にて第四戦速、反航戦開始!」

「ほいさっさ! いっくよー!」

 漣がさっそく前に出る。

 敵重巡の攻撃が漣に降りかかるが、漣は圧倒的に鮮やかな機動で回避。

 見とれかけていた清霜だったが、そこに敵駆逐艦が砲撃。

「わあ!」

「はいはい。よそ見してるとあぶないですよ?」

「青葉さん!」

 ささっと清霜をかばった青葉は、にっこりほほえんだ。

 さすがは重巡。ほとんどダメージになってない。

「よっし! じゃあ行くよ! 使い捨て41cm連装……」

「否、ちょっと待ったであります!」

「あきつ丸さん!?」

 あきつ丸は、第四戦速(第五が最大だ)と言ったのを無視したかのようなおそろしい速度で、空母ヲ級をかばいに向かっていた敵重巡に近接し、

「真剣必殺であります!」

 と叫んで、刀をぶちかました。

 ひぎゃあー、と重巡が叫んで、煙を吹き始める。小破状態だ。

 こうなるとかばわれる可能性は激減する。傷ついた状態の深海棲艦は、自己保身を優先する傾向があるのだ。

「いまよ、清霜!」

「わかってる!」

 満潮の言葉に、清霜はうなずいて、

「……いっっっけえええええええ!」

 轟音一閃。

 清霜の12.7cm連装砲から放たれた弾丸は、空母ヲ級を一撃で撃砕した。

 

 

 ――それで、戦闘は終わりだった。

 敵に近づいた際に、魚雷を撃たれたりなども若干あったが、満潮と漣が華麗なステップで回避。逆に清霜が放った魚雷が敵の駆逐艦に突き刺さって沈めたりした。

 もうちょっと粘れば重巡も倒せただろうが、反航戦――すれちがいざまの撃ち合いではこれが限界である。反転追撃する手もあったが、いっちゃんの言うとおり、相手は旗艦を落とされてから明らかに戦意を失っており、そこまでする必要はないだろうということで、戦闘終了。

「しかし……壊れちゃったなあ、連装砲」

「最初からそういう話だったでしょ?」

「ううー、まあそうだけど、なんか落ち着かないというか……」

 満潮の言葉に、憮然と応える清霜。

 初陣で空母撃破といえば大金星なのだが、衰えた艤装の力も気になる。

「まあ、とにかく仕事は果たせたってことさね。

 いくら境界域ったって、これ以上の敵がうようよいるなんてことはないでしょ。胸張って帰って、ご主人様にうんと褒めてもらいましょ」

 漣が笑って言った。

 清霜も笑って、

「うん、それじゃあ……」

 答えようとしたときに、びーっと通信機が鳴った。

「な、なに!?」

「漁船のほうからの信号みたいね。……なんなんだろう?」

 葛城が首をかしげた。

「とにかく出たらわかるんじゃないかしら」

「う、うん。じゃあ……」

 言われるままに、清霜は通信ボタンを押す。

『おお、どうなった? 嬢ちゃん』

「こっちの勝利です。深海棲艦は撤退していきました」

『そりゃあよかった。だが実を言うと、こっちで困った事態が起こってな』

「え、なんです? まさかそちらにも深海棲艦が――」

『いやそういうわけじゃないんだよ。ただ、うちの無線のほうに通信が入っててな』

「通信?」

『救難信号だ。SOSという奴だな』

「発信主は?」

『それがよくわからんのよ。だから通信機で聞きにきたんだが』

 清霜達は顔を見合わせた。

「……とりあえず、いったん船に戻る?」

「あ、じゃあ青葉とあきつ丸さんが警戒に残りますんで、残りの方々で行ってきてくださいね」

「あ、はい」

 そのふたりは艦載機を使える立場なので、たしかに警戒役には適任なのである。

 そういうわけで、残った4名は漁船に戻ることになった。

 

 

 そして、結論から言うと。

「……これ、艦娘だ」

 救難を求めているのは、艦娘だった。

 おそらくはどこかの大きな鎮守府所属の、傷ついて取り残された艦娘。

 船は持っているようで、そこから信号を発しているのだが。

「通常の通信機による通信は無理……てことは」

「近くに深海棲艦がいるわね」

 強大な深海棲艦の群れがいる場合、通信用機器が機能しなくなる場合があるのだ。

 艦娘の使用する通信機は市販の携帯電話などと違って特別製なのだが、それでも深海棲艦がいると、遠方との通信は難しくなる。

「とにかく助けにいくしかないわね。どのメンバーで行く?」

「んー、青葉さんはいて欲しいかなあ。

 後は……こっちに戦えるひとがいないとまずいから、あきつ丸さんは残ってもらうとして……」

「待った待った。なに言ってるの」

 と言ったのは、漣である。

「なにが?」

「なにがじゃないって。いまのうちらの戦力じゃ、助けられる状況じゃないっしょ。それこそミイラ取りがミイラ、メイド取りがメイドって状況よ」

「……メイド取りってなに?」

「うん。漣も言っててよくわかんなかった。忘れて」

「…………」

 なら言わなきゃいいのに。

 こほん、とひとつ咳払いして、漣は続けた。

「ていうか、ご主人様の言葉にあったっしょ。無理せず、可能な限り安全に仕事を全うしろって。それを忘れて突っ走ってもらっちゃ困るのさね」

「見捨てろって言うの!?」

 満潮が激高したが、漣は冷静だった。

「違うって。自分の身を守れって言ってるの」

「同じ事じゃない! なによ、艦娘なのに、まだ戦える状態であきらめてしっぽ巻いて逃げるって言うわけ!?」

「そもそもこっちの仕事は漁船の安全確保でしょ。お門違いよ」

「冗談じゃないわよ! だったらあんたひとりでここで待ってなさいよ! 残りみんなでなんとかしてくるから!」

「そうはいかないわね」

「なにが!?」

「いちおうこれでも艦娘歴は先任だからね。止めさせてもらうわよ。無茶は容認できない」

「っ、このわからずや!」

「わからずやでけっこう。とにかく、この救難信号には答えない。それが決定よ」

「このっ……」

「あー、あのさあ」

 と、そこで葛城が口を開いた。

「なに!?」

「ほい。なにか?」

「いや。清霜ちゃんが困ってるからさ。ちょっと助け船出そうと思って」

「……あ、うん。どうも、気を遣わせてすいません……」

 ふたりの口げんかですっかり萎縮していた清霜が頭を下げる。

「で? あんたはどっちの味方なのよ葛城。返答次第じゃ――」

「いえ。葛城さんも漣より後任なんで、どっちにしろ影響はないんですけど――」

「いや。それがおかしいと思ったのよね」

「はい?」

 こくん、と首をかしげる漣。

「なにが? 特に問題ないと思うけど。うちの鎮守府の規則にもあるでしょ、意見が対立した場合は艦娘歴の長い者の意見優先って――」

「そりゃ同格で意見が対立した場合の話」

 葛城は言った。

「実際には、清霜ちゃんがわたしたちの旗艦でしょ?」

「…………」

 漣が沈黙する。

「元は、唯一砲戦できる艦だからってことで旗艦になっただけなわけだけど。それでも提督が決めた立派な旗艦。いくら新入りと言っても、いまは上官なわけよ。

 だったら、清霜ちゃんが判断することなんじゃないの? これって」

「わたしが……?」

「そ。あんたが決めなさい。

 危ないのはわかってると思う。その上で、この場をどうするか。決めるのは清霜、あんたよ」

 葛城の言葉に、清霜は考え込む。

「……わたしたちの目的は、漁船団の安全確保。命令がないのに、それを無視して危険なことに首を突っ込むのは、たしかに問題かもしれない」

「…………」

 ぎりっ、と唇をかみしめる満潮を、清霜は見ながら。

 くるり、と船長の方に首を向けて、

「というわけで、船長のほうから依頼してもらえないかな?」

「……ん? どういうことだ?」

「だからさ」

 清霜は言った。

「命令無視なら問題だけど、現場責任者からの依頼だったらわたしたちが動く理由になるかなって」

「…………」

 沈黙が、しばし落ち。

「……やってくれるか。

 頼むよ嬢ちゃん。できれば、俺たちだって救難信号を見捨てたくなんか、ない」

「うん、清霜に任せといて!」

 清霜は、満面の笑みでうなずいた。

 

 

 このやりとりを聞いていた葛城と満潮は、両方とも満足した顔をしていた。

 だから、誰も気づいていなかった。漣がひとりだけ、外に出ていたことに。

「おやまあ。どうやら口げんかに負けたようですね」

 ……訂正。ひとりいた。

 待ち伏せしていたかのように海の上にいた青葉に、漣は肩をすくめて、

「青葉さん、口げんかはないっしょ。これでもこっちは真剣だったんだから」

「まあそうでしょうね。悪役お疲れ様です」

「その言い方はなんか、見透かされたみたいでやだなぁ……」

 漣は苦笑した。

「ま、ともかく動く方向は決まったんでしょう? だったら」

「そーね。こっちも、できる限りの準備をしとかないと」

 漣は言って、それから少しだけ、陰った表情で船の方を見た。

「けど、やっぱり心配だな……

 清霜ちゃん。あなたの選んだ道は――たぶん、思ってるよりずっと、険しいんだよ?」




おまけ:今回の戦いでモチーフとしたのは、アルペジオイベの頃限定の、潜水艦が出没していた1-4です。


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六:沈メ沈メ(前)

「結局、全員で来ちゃったね……あはは」

「クライアントの判断だもの。べつにいいでしょ」

 苦笑して言う清霜に、満潮は平然と言った。

 義侠心を発揮した船長が「こっちはいいから人命救助を優先してくれ」と言い出したので、全員総出で来ることになったのだが。

「でもなんか変な場所だよね。えーっと、沖ノ島沖だっけ?」

「うん。そういう名前」

 清霜の言葉に、漣が答えた。

 救援に行く場所である。当然ながら立派な危険領域――深海棲艦と艦娘の、主戦場のひとつだ。

 とはいえ。

「政府の、定期哨戒対象海域だよね。そんなに危険かな?」

「普通ならだいたい掃討されてるけどねー」

 そういう場所は、所々にある。

 主に、そこに深海棲艦を定着されると、安全な航路まで脅かされかねないところとかが指定され、大きな鎮守府の艦娘が定期的に哨戒して、敵を掃討する。

 ということは。

「いま救難信号出してる相手、哨戒中になにかあった大きな鎮守府の艦隊かなあ?」

「だったら勘弁して欲しいわね……」

 満潮が言ったので、清霜は首をかしげた。

「なんで?」

「いや。だって大きな鎮守府でしょ? あんたが大好きな戦艦を含む艦隊の可能性高いじゃない。それが救難信号出すレベルだと、わたしたちじゃどうにもならないわよ」

「あー……まあ、それはそうかもね」

 言いながら清霜は、手の中の連装砲を見た。

 12.7cm連装砲。ただし、これはさっきまで持ってたものではない。

 さきほど使った「使い捨て41cm連装砲システム」のせいで、清霜の砲は壊れてしまった。だからいま持っているのは、葛城が持っていた予備だ。

 本来空母が使える装備ではないそれを、空いているスペースがあるからという理由で無理矢理持ってきてもらったのだが。

「とりあえずあと何発撃てるか、ちょっとわからないからなぁ」

「二発撃てるかどうかの試験すらやってないですからねえ。最大でも満潮ちゃんの連装砲もらって三発、このへんが限界ですよね」

「それでなんとかなる戦力だったらいいんだけど……ね」

「前提として、なんともならない戦力だってわかったら、こちらは撤退しますよ。すでに通信で大規模支援を要請してます。我々のすべきことは、最低限それらが来るまで時間稼ぎをすることだと思ってください」

 青葉の言葉に、清霜がうなずいた直後。

「羅針盤に異常! 敵襲来であります!」

「!」

「青葉、偵察機出します! 各艦戦闘準備!」

「「「「了解!」」」」

 あきつ丸の言葉に反応して、全員が動き出す。

「……っ、敵情報リンクします!」

「潜水艦なし、反航戦! 各艦は単縦陣で……」

「待って。これ……雷巡チ級の、flagshipが、それも二隻!?」

 漣が言う。

 深海棲艦の中には、級の平均と比べて飛び抜けた力を持った個体がよく生まれる。それらはeliteと呼ばれ、さらに上のものはflagshipという呼ばれ方をする。

「まずいの?」

「雷撃に持ち込まれたらひどいことになるよ! なんとかして無力化しないと!」

 珍しく慌てた漣の言葉。

 雷撃――魚雷の撃ち合いは、戦闘が長引くと深海棲艦が積極的に行ってくる。いまは反航戦、つまり彼我がすれ違いながら戦う状態なので、さっさとすれ違って逃げてしまえばいいのだが、それでも一発くらいは覚悟しなければならない。

「右側がちょっと傷ついているでありますな……あとは、やはり傷ついた軽巡flagshipでありますか。こちらは中破状態でありますな」

 あきつ丸が言う。

 中破状態になると、艦娘も深海棲艦も、行動がかなり制限される。

 具体的に言うと、魚雷の制御がままならなくなるのだ。普通の状態だと発射も無理。

 つまり。

「なんとかして二隻の雷巡flagshipの片方だけでも速やかに中破させないと、やばい……!?」

 清霜の言葉に、全員が顔を見合わせた。

 そんなことを言ったって……という感じである。

 現状、まともに攻撃手段を持っているのが、清霜だけなのだ。

 二隻同時に相手は、無理。射程が短い駆逐艦だと、雷撃を浴びるまでに二回以上砲撃するのも難しい。

 しかも、これは明らかに前哨戦である――まだこちらは、救難信号を出している艦隊と通信できる位置にすら、近づけていないのだ。

 使い捨て砲の使用は、無理。

「攻撃一回くらい食らっても大丈夫、だったりは?」

「雷巡チ級flagshipの雷撃は、駆逐艦どころか重巡クラスでも一発大破の危険性が少なくないよ」

「……っ。じゃあ……」

 清霜は考える。

 考えて考えて考えて。

「漣ちゃんさ」

「ほいさ。なに?」

 返した漣に、清霜は尋ねた。

「たしか裁判所命令で、攻撃艤装は使えないんだよね?」

「うん。そうだよ?」

「素手でぶん殴ったらダメージ与えられないかな?」

「…………」

 漣が笑顔のまま硬直する。

 

 

 策は決まった。

 

 

「ここまで野蛮な作戦、戦歴長い漣でも初めてだっつーの!」

 ぶつくさ言いながらも、漣は先陣を切って突っ込んでいく。

 ただでさえ快速の駆逐艦の、それもケッコン艦のスピードだ。あっという間に近接して、

「うりゃあああ!」

(深海棲艦と艦娘の戦いは物理というより呪術的なもの。攻撃威力だけでなく、攻撃したという「意味」のほうが重要になることもあるのであります)

 先ほどのアイデアを聞いたあきつ丸が、言った言葉だ。

 元は、いっちゃんが満潮に殴られて痛がっていたのを思い出しての提案だったのだが。

(したがって、非常に固い深海棲艦に対しても、自分のような揚陸艦の砲撃が一定のダメージを与える場合があるのであります。この理論からすれば、素手でもおそらくは……)

 駆け抜け、相手に雷撃準備をさせる間もなく、ぶん殴って離脱する。

 すぐあとに続いたのは青葉である。

「青葉、こういうの実は嫌いじゃないです!」

 言いながらやはり近づく。軽巡や雷巡の砲撃をものともせずに近接し、

「えいやっ」

 と言ってぱんち。敵雷巡の装甲が爆音を上げ、思わず後ずさった。

「一隻目中破! 残るは一隻よ!」

「よし、では自分の出番で……」

「わたしが先手よッ!」

「あ、ちょっ……!」

 満潮が飛び出し、無傷の敵雷巡に向けて

「ウザいのよッ!」

 罵倒しながら、回し蹴りをたたき込む。

 けっこうな爆発が起き、雷巡がたたらを踏む。

 そこに、

「順序はちょっと違いましたが……真剣必殺ー! であります!」

 あきつ丸の刀がたたき込まれる。

 相手にかなりの傷がつく。最低でも小破状態。

 お膳立ては整った。

「いまよ、清霜! やっちゃいなさい!」

「うん、任せて!」

 清霜は言って砲を構え、

「てー!」

 

 

 というわけで、戦闘は終わった。

「まさかあの状態から、砲を外すとは……」

「えへへー……ごめんなさい」

「ごめんなさいじゃないわよこの馬鹿……」

 満潮がげんなりして言った。

 それでも、なんとか戦闘海域から離脱はできたのだが……

「ま、いいじゃないの。雷撃受けたのが戦力外の私だったのは、幸運だったって言っていいでしょ」

 中破しながらも、葛城は明るく言った。

 満潮はなおも言おうとしたが、しかし言葉を止めた。

「……まあ、しょうがないわよね。初陣なんだし」

「えへへー……練度不足でごめんなさい」

「次は頼むわよ。特に使い捨て砲を外したらシャレにならないんだから」

「はーい」

 と、そこで清霜の通信機が鳴った。

 とりあえず、スピーカーをオンにして、通話スイッチを押す。

「はい?」

『えっと……あの、そちらはどの艦隊ですか……?』

 言葉に、清霜たちは顔を見合わせる。

「近場で漁船護衛してたグループなんだけど。……救難信号出してるのは、そっち?」

『あ、はい。そうです! わたしは軽巡の名取です』

 うれしそうな声。

 と、満潮が割り込んだ。

「まずそっちの構成と被害状況をお願い」

『えっと……構成は妙高、名取、磯波、敷波、初春、舞風です。磯波ちゃんの傷が一番ひどくて、いま母船に乗せて休ませてるんですけど……』

「他は?」

『妙高さんは大破、敷波ちゃんは中破、初春さん大破、舞風ちゃん中破です。あの、わたしはいちおう小破止まりなんですけど……』

「あたりの深海棲艦は?」

『羅針盤ぐるぐるなんです……』

 つまり、囲まれてるということだ。

『いままでの経験則なら、指揮取ってる親玉さえつぶせば突破できるはずなんですけど……』

「そちらに他の救援の見込みは?」

『あったらここまで困ってないです……これが初めて通じた通信ですし』

「突破の見込みは? そちらの母船に艦娘以外いないなら、投棄できると思うけど」

 満潮は言う。

 あり得ない話ではない。艦娘は船とリンクしているので、自動的に船舶の操縦免許を与えられる。だから母船を持っている鎮守府でも操縦は艦娘がやっている場合が少なくない。

 乗組員がいないなら、捨てて逃げちゃえばいい――そう、満潮は言っているのだ。

『たしかに、投棄は可能です。操縦士はわたしですし』

「なら……」

『ただ、磯波ちゃんの傷の状態が本当に無理で……動ける艦娘だけだったら抜けられるんですけど、母船込みで抜けるとなると、たぶん、無理です』

「……そう。残念ね」

 満潮はうなった。

 と、漣が横から

「あ、もしもし。こっちに敵艦隊のわかる限りの状況って送れる?」

『リンクですね。では転送しますから……この距離だと2、3分ですね。待っててください』

 名取は言った。

「うっし。じゃあ敵艦隊の情報がわかり次第、旗艦にカチコミしてぶっ倒してハッピーエンドってわけなのね」

「待って漣ちゃん。空の色、なんかおかしくない?」

「え?」

 確かに。

 それまで日がさんさんと照っていた海の上が、どんどん暗くなっていく。

「夜戦結界……やばい! 奇襲されてる!?」

 満潮が叫んだ。

 夜戦結界――その言葉には、清霜も覚えがあった。

 深海棲艦の本気形態。呪術的な威力を増す夜のフィールドを一時的に用意し、彼我の攻撃能力を大幅上昇させる。

 やっかいなのは、能力だけでなく痛覚なども大幅増幅させてしまうことで、中破程度なら通常では撃てないはずの魚雷が撃てるなどのメリットがある一方で、大破まで追い詰められていると、痛みでたいていの場合動けなくなってしまう。

「青葉、索敵!」

「もう目視できる距離です! あそこ!」

 青葉が慌てて言った、そのとき。

 いきなり相手から、砲撃の洗礼があった。

「う……わあああっ!」

 遠かったので当たらなかったが、近くの水面に激突した相手砲撃は、その威力と爆風で近くの艦娘を揺るがす。

 至近弾。

 と呼ばれる現象だ。これは元々、太平洋戦争の頃にもあった用語で、直撃しなくても至近距離に着弾した砲弾は、それだけで艦にダメージを与えてくるのである。

 小さい船ならば、それだけで沈んでしまうこともあり得るほどの。

「くそ、なによあいつら――」

「あの青い重巡なに!? 図鑑でも見たことないよ!?」

「え――」

 清霜の言葉に、満潮が振り向く。

 青白い、炎のようなオーラをまとった重巡が、そこにいた。

 艦娘としての直感が告げる。あれは、やばい。

 あんなものに攻撃されたら、どんな船だって――

「……やるしかないか」

 清霜が横でつぶやいたのに、満潮は気がついた。

「ちょっと待ってよ。使い捨て砲は切り札で――」

「いま切らなきゃどこで切るってのよ!」

 清霜は叫び、砲を水平に構え、

「戦艦の砲撃を、食らえっ!」

 放った。



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六:沈メ沈メ(後)

「なんとか敵旗艦の座標はリンクできたでありますなー」

「ここから遠くもないわね。これなら、なんとか名取ちゃんたちが襲われる前に間に合えるかも」

 話しているあきつ丸と葛城。

「……マジでこれで行く気なの? あんたたち」

「行かないとダメでしょ」

 げんなりした満潮に、清霜が言った。

 その手には、満潮が持っていた12.7cm連装砲がある。

 さっき使い捨て砲を使ってしまったので、あともう撃てるのはこの一本だけ。それがなくなったらもう、あとは、魚雷しか攻撃手段がなくなる。

「要は一撃で黙らせればいいんだって。だいじょうぶだいじょうぶ」

「漣! あんたもなんか言ってやんなさいよ!」

「いや。漣は最初からこの作戦反対派なんで。ていうかいまさらなに言ってるのかねワトソンくん」

「ホームズ気取りか! じゃなくて、なんなのよあれ! あんな青い深海棲艦なんて聞いてないわよ!?」

「漣だって噂くらいしか知らないよ。危険領域の奥でときどき出る個体だって言うけど。上の暫定呼称は改flagship……だったかな?」

「そんなのがなんでこんなところに!?」

「そりゃわかんないけどさー。十分に訓練されて母船も連れてきてる艦隊がぼろっぼろにやられてるんだから、なんかイレギュラーがあったって普通思うっしょ?」

「……それがあの青い重巡?」

「使い捨て砲を使った判断は、漣は支持したいかな。

 あいつ旗艦みたいだったし。あれがいきなり沈んだことで、残りの艦からの追撃も防げた。それに、あいつら同航戦――こちらに併走しながらの攻撃を仕掛けようとしてた。先手取らないと逃げも打てずに、下手したらこっちまで二次遭難状態だったんじゃない?」

「…………」

 満潮は黙り込んだ。

 漣もそれ以上特に言わず、妙な沈黙があたりに広がる。

 なんとなく、それを見ていた清霜だが。

(……あれ?)

 ふと、妙な変化に気がついた。

「? どうしたんです、清霜ちゃん?」

「あ、青葉さん……いえ。特には」

「そうですか? ならいいんですけど……

 気をつけてくださいね? 使い捨て砲、なにしろ二回撃つテストなんてしてないんですから。これから三回目も撃つとなればさらに危険です」

「だねえ。最後の切り札だもん。気をつけないと」

 清霜は言って、気持ちを切り替える。

 だから、彼女は気づかなかった。

 いま、一瞬だけ、――自分が誰であるかわからなくなったという、その理由に。

 

 

「敵艦隊見ゆ! 情報通りです!」

「名取さんの言った通りだね……」

 青葉からの報告に、ごくりとみんなが息をのむ。

 名取たちが遭遇したという、敵主力艦隊の構成は次の通り。

 旗艦を戦艦タ級flagshipとして、以下が戦艦ル級flagship、戦艦ル級elite、重巡リ級flagship、駆逐ニ級elite×2。

 このうち、名取たちとの交戦によって、戦艦ル級flagshipと二隻の駆逐ニ級eliteは中破。無傷で残っているのは、戦艦タ級flagshipと、戦艦ル級eliteと、重巡リ級flagshipの三隻。

(いやいやいや多いって!)

 思うが、しかしここで引いては作戦行動の意味がない。

「確認――基本作戦は単純よ」

 満潮が言った。

「清霜が使い捨て砲を撃つ間合いに入るまで、とにかく全員で清霜を守り通す。かつ、可能なら相手を攻撃して、小破状態まで持って行く。

 ――小破した深海棲艦は自己防衛モードに入って、旗艦をかばわなくなる。我々の場合、ル級を小破させるのは少々難しいだろうから、最初に狙うのは――重巡リ級よ」

 全員がその言葉にうなずく。

「よし、総員第五戦速! 単縦陣にて突撃する!」

「よーっし。じゃあ青葉がまず先陣を切っちゃいますよっと!」

 言って青葉は全力で加速。

 こちらに気づいた敵の攻撃が集中するが、

「なんのためにバルジこんだけ装備してるか……思い知らせてあげますっ!」

 叫んで、青葉は意にも介さず突貫。

「すごい! 戦艦の攻撃を――」

「うりゃああああ!」

 叫ぶ青葉に、次の瞬間、ル級eliteからの砲撃が直撃。

 だが、

「小破小破! まだいけますよって!」

 叫んだ青葉の飛び膝蹴りが、重巡リ級のアゴを強打。

 たたらを踏んだところに、

「えい」

 がぎょっ! と、さらに漣の頭突きが連打した。

 ――青葉の突進に重なるようにして、敵の誰にも気づかれないように接近した漣の、不意の一撃である。敵重巡はたまらず後退、小破。

「目標達成! 残る艦は目標艦変更!」

「行くであります! うおおおおおおお!」

 叫んであきつ丸は突進。

 だが、敵旗艦の砲撃がそのあきつ丸に炸裂。

「うぎゃー! やられたー!」

「……まじめにやりなさいよ!」

 大破したあきつ丸に毒舌を吐きながら、満潮は出ようとする――が、即座に反転。敵重巡と清霜の間に立ちふさがった。

 爆音。

「満潮ちゃん!?」

「……っ、大丈夫。中破よ!」

 叫んだ満潮に答えるように、清霜は前に出る。

 射程内に捉えた。もう逃がさない。

「……っ、てえっ!」

 瞬間。

 

 

 清霜は、おかしな感覚を覚えた。

(え?)

 自分が誰だかわからない、という、妙な感覚。

 否。喪失感……というべきか。

 背負っている艤装が、とたんになにか重いもののような気がしてくる。

 時間がスローになる錯覚。

 そして。

 ぽん、と軽い音を立てて、使い捨て――ではない、普通の砲弾が発射される。

 敵旗艦に命中。

 だが、当然ながら、駆逐艦の普通の砲の火力では、戦艦にまともな傷など与えられない。

 そして、次の瞬間。

 あたりが真っ白になった。

 

 

(あ、沈んだ)

 清霜は、なんとなく茫洋と理解した。

 誰にやられたのかは覚えていないが、たぶん弾丸が直撃したのだろう。

 併せて、いままでの現象も理解する。

 わかっていてしかるべきだった。

 使い捨て砲は、艦娘システムの、普通では使い切れないエネルギーを消費して発射する。

 ということは、普通では使えないほどに、消耗するのだ――エネルギー切れである。

 たぶんさっきの場合、単純に清霜と、駆逐艦「清霜」の間をつなぐリンクが、エネルギー切れで弱くなっていたのだろう。

 そしてその状態では、使い捨て砲なんて撃てるはずもない。

 沈んでいく。

 深海の底の底まで。

 そこは。

 

 冗談じゃない、地獄の釜の底だった。

 

(ひ――ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?)

 体感する。

 体感する。

 体感する。

 駆逐艦「清霜」と、――それ以外。とにかく、あの戦争で起こった「死」という「死」を、そのまま体感する。

 清霜は悟った。

 戦場には、満足のいく死などというものは、なにひとつないのだということを。

 最も幸せな死は、いきなり頭を砕かれての瞬殺だった。瞬時になにも感じなくなり、瞬時になにも考えられなくなり、――故に、死よりもつらい地獄を、見なくて済む。

 見る。内臓が飛び出て、泣きながら腹にかき集めようとする兵士の姿を。

 見る。手足をもがれ、脱出することもできずに倒れたまま、爆発して沈没していく船に取り残された兵士の姿を。

 見る。船を失って海に投げ出され、そのまま敵の機銃で皆殺しにされる兵士達の姿を。

 見る。沈みそうになった船体に必死に捕まって、やっときた救援が目の前で爆弾にやられて沈んでしまい、そのままなすすべなく自分も沈んだ兵士達の姿を。

 それらが――どうしようもない、圧倒的な実感を伴って、やってくる。

 清霜は理解した。

 死ぬというのは、そういうことなのだと。

 死ぬというのは、あらゆるものを剥奪されるということなのだと。

 希望を剥奪され、五体を剥奪され、自由を剥奪され、意識を剥奪されて――そしてそれで、終わりだ。

 それが「死」だと、清霜は理解した。

 理解した。

 理解――

 

 

「……も! 清霜! しっかりしなさいよ!」

 声に、うっすらと目を開ける。

 目の前に、半泣きになっている満潮がいた。

「満潮ちゃん……?」

「…………」

 言葉もなく、満潮は清霜を抱きしめた。

 その身体が震えている。

(あ、そうか。ダメコン)

 自分が、ダメコンに命を救われたことを、清霜は理解した。

 でも、だったらどうして、満潮はこんなに顔面蒼白で、震えているのだろうか?

「満潮ちゃん……」

「……なによ」

「ひょっとして……わたしを、あの「死」の体験から、守ってくれたの?」

 途中から、急に楽になったような感じがあったのである。

「……わたしには「清霜」の適性もあるもの。艤装と触れあえば、フィードバックを分け合うことくらい、できるわ」

「でも、それじゃあ満潮ちゃんもあの光景を……」

「どうって事ないわよ。あんなの砲撃つたびに見慣れて……うっぷ」

 言葉の途中で、満潮は口を押さえてうずくまった。

 清霜は海面にへたり込んだ状態で、なんとか上を見上げて、

「青葉さん、いまどういう状況?」

「反航戦でしたからね。突き抜けて相手の反対側、って感じです」

 青葉が答えた。

 その艤装は煙を噴いている。小破状態だ。

 他にあきつ丸が大破、満潮は中破。葛城は元から中破しており、漣だけが無傷という状況だ。

「敵は?」

「まだそのへんにいますよ。……襲いかかられたからでしょうね。夜戦結界張ってます」

「そっか……」

「ちょ、ちょっと待って」

 満潮が慌てた。」

「清霜。あんたまさか、追撃するつもり?」

「……ダメコンのおかげで、中破状態まで回復してる。ぎりぎりだけど、夜戦でもう一発撃つことはできる」

「さっきダメだったじゃない! もう使い捨て砲は打ち止めよ!」

「そうでもないのよ、満潮ちゃん」

 清霜は言った。

「ダメコンは、艦娘の艤装のパワーを回復させる装置。そして使い捨て砲は、その艦娘のパワーを使って力を発揮する装置なのよ。

 だから――ダメコンが回復させてくれた、いまだけなら。いまだけなら、もう一回だけ、使い捨て砲が撃てる」

「でも!」

「わかるんだ」

「え?」

「わたしの身体と艤装の結びつき――わたしを『清霜』にしているものが、どんどん弱くなっていくのが。

 たぶんいまは一時的な回復で、これを逃したら、もう撃てなくなると思う。だから」

「だったら、あんたの安全はどうなるのよ!」

 満潮は叫んだ。

「わかってるんでしょう!? たしかにあと一回は使い捨て砲を撃てるかもしれないけど、いまのあんたの状態だとたぶんストッパーが効いてない! 下手に相手の攻撃食らったら、それで終わりなのよ!? 今度はダメコンもないの! あんた死んじゃうのよ! それがわかってんの!?」

 身を裂くような叫び。

 さっきまで見ていた「死」――それが待っていると。

 地獄を共有した清霜には、その気持ちは、よくわかる。

 だから清霜は、うなずいた。

「わかっているよ……死ぬのは、とても怖い」

「なら!」

「でもわたしは「死ぬかもしれない」けど、わたしがなにもしなかったら、確実に誰かが死ぬんだ」

 清霜の言葉に、満潮は絶句した。

「見て、よくわかったよ。戦死なんて、栄誉でもなんでもない。あんなのはただの地獄の底だ。

 だから……それがいちばん少なくなるのが、いちばんの正解だよ。満潮ちゃん」

「馬鹿じゃないの!? あんた馬鹿じゃないの!? なんで、なんでそんな、自分の命と、他人の命を、秤にかけて……っ」

「だってさ」

 清霜は笑った。

「わたしは戦艦代理で――戦艦は、みんなを助けるヒーローなんだ」

「……馬鹿じゃないの」

「かもね」

 清霜は立ち上がった。

 満潮は、ふるふると力なく、首を左右に振っている。

(手伝っては……くれないか。そもそも、あの幻覚を見ちゃった以上、いまの彼女の精神状態はボロボロ。戦闘させるのは酷よね)

 清霜はそう判断した。

 ……実はそれは自分も同じなのだが、その自身の異常性には気づくことなく。

 そして彼女は、他のみんなに目を向けた。

「呆れた……鉄壁の精神ね」

「戦艦だもん。鉄壁だよ」

 漣はその言葉に、ただ苦笑してうなずいた。

「青葉はホントは反対なんですけどねえ……でも、放っておいたら清霜ちゃん、ひとりで突撃する気でしょ?」

「へへへ」

 青葉と清霜は、ふたり目を合わせて笑い合った。

「ふむ。自分もしょせん大破の身ではありますが――弾よけくらいには、なる覚悟でありますよ?」

「あはは、頼りにしてます」

 おじぎした清霜に、あきつ丸は不敵に笑った。

「ていうか、マジで置物なんだけど私も行った方がいいの?」

「いてくれれば、心強いです」

「……ふ、そう言われちゃ、引けないわね」

 葛城は笑って、ぐっと親指を立てた。

 清霜は言った。

「行こう、みんな――決着を、つけるんだ!」

 

 

 そして。満潮はひとり、取り残される。

「……馬鹿じゃないの」

 ぽつん、と、一言。

 空には雲がかかり、雨の様相を呈してきていた。




 敵構成を見るとわかる方もいると思いますが、この戦場は旧2-5上ルートです。
 名取たちのチームは水上反撃任務の構成ですね。


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七:戦艦の心(前)

「夜戦に突入開始!」

「敵、こちらに回頭中! 来るよ!」

 作戦は――ここに来て、もう、ほとんどなにもなかった。

 とにかく清霜が撃つ。他は守る。これしかない!

「ほいさっさ、いくよー!」

 だから、このタイミングで漣が無傷だったのは、僥倖としか言いようがない。

 回頭して狙いを定めようとする深海棲艦の間を、ジグザグに、ものすごい複雑な航跡をたどって駆け抜け、相手を惑わせる。

「夜戦も青葉におまかせっ!」

 そのあとを青葉が突っ切り、突っ切りざまにラリアットの要領で駆逐艦にぶちかまし。

 排水量の違いが効いたのだろう。駆逐艦は一撃で爆発四散した。

「まず一匹!」

「威勢がいいでありますなー……自分も、大破してなければ参加したいのでありますが……おわっと!」

 敵重巡からの射撃があきつ丸にぶつかるが、大破状態での艦娘の無限の耐久力によって、無傷。

「ほら、ぼーっとしてないであきつ丸も目立つ目立つ!」

「いや葛城殿、そうは言うでありますがな……これマジで激痛でありますよ。夜戦の大破状態ってこんなに厳しいんでありますなー」

「ああもうしょうがないわね! ほら、こっちよこっち! かかってこい深海棲艦!」

 葛城は挑発するが、焦りが隠しきれない。

 理由は、未だ小破すらしていない、戦艦ル級eliteの存在だ。

 敵の重巡以下や、旗艦でない戦艦ル級flagshipは小破~中破しているのだが、その一隻だけが無傷で残っているのである。

 あれに旗艦をかばわれたら、すべてが台無しになってしまう。だからそうならないためには、なんとかあれを小破させて、沈黙させる必要があるのだが。

「清霜ちゃん、どう? 撃てない?」

「ま、まだ……この距離じゃ、確実に当てる自信が……!」

 清霜は申し訳なさそうに言った。

 このために、本来は攻撃要員である漣は攻撃よりも攪乱に専念せざるを得ず、結果として戦艦ル級eliteは残ったまま。

 かといって、

「わ、ちょ、やめ、あー!」

「あ、青葉がやられた」

「みたいでありますな」

 もうひとりの攻撃要員は、flagshipの方のル級に捕まり、あえなく大破。

 清霜の頬を、汗が伝う。

「もうやっちゃうしかないかな……?」

「焦っちゃダメだって! もうちょっとだけ我慢を――うわ!?」

 漣が、本来の攻撃対象である戦艦タ級flagshipに捕まった。

 狙うべき旗艦だと言っても、もちろん無力な補給艦というわけではない。というか、戦艦だ。

 侮れる相手どころか、最も警戒しなければいけない敵ですらある。攻撃を受けた漣は吹っ飛ばされ、数十メートルも飛ばされて海面にたたきつけられた。

「漣ちゃんっ!?」

「……大丈夫! セーフ、セーフだから!」

 叫んでいる漣だが、明らかに中破以上の打撃を受けている。

(やれる距離までは、来たけど……!)

 清霜はちらりと、無傷に近い戦艦ル級eliteの方を見る。

 あちらが旗艦をかばったら、それで終わりだ。

 だけどもう、攻撃のアテはない。それどころか、使い捨て砲を使っている清霜はいま、いつ殺されてもおかしくない状況なのだ。

 どうする。

 どうする……!?

 考えていた清霜は、反応が遅れた。

(あ……っ)

 気がつけば。

 その戦艦ル級eliteの砲塔が、こちらを向いている。

 やばい、とどっと汗が、清霜の身体から吹き上がる。

 回避行動は――できるような余裕がない!

「うわ、待って……!」

 ぐおぅ、という、吠え声のような音。

 深海棲艦の咆哮と共に発せられたその弾丸に、清霜は目をつむり、

「だからだらしないっつってんのよ!」

 ――という一言と共に、その砲弾が途中で誰かの身体に当たり、爆発四散した。

「…………え?」

 清霜は目を疑った。

 決してこの場にいないはずの彼女が、そこにいた。

 ……目を回して大破状態になった漣を盾代わりに構えながらという、アレな姿ではあったが。

「満潮ちゃん……なんで……?」

「馬鹿じゃないの? なんで勝手に置いてこうとしてんのよ。わたしのいない間に艦隊全滅とか、ホント冗談じゃないからやめてよね」

 うん、このしゃべりは間違いなく満潮だ。

 思った清霜だが、疑問は残る。

「だって、あんなボロボロになるようなフィードバックを見て……なんでまだ戦えるの?」

「勝手にわたしをあんたの下に置くな!」

「!」

「おんなじものを見たあんたが戦ってるってのに、わたしがしっぽ巻いて逃げ出すわけがないでしょうが! あんな「死」なんて見慣れてるっつってんのよ馬鹿! この馬鹿!」

「満潮ちゃん……」

 満潮はギラギラした目で敵戦艦を見やり、漣をポイ捨てすると、

「……酸素魚雷、発射用意!」

「そんな、満潮ちゃん!」

 清霜は、満潮に叫んだ。

「無理しないでよ! わたしが、わたしがなんとかするから!」

 すると満潮は、――意外なことに。

 怒鳴りつけるわけでもなく、いらだつわけでもなく。

 ただ――ほほえんだのだ。

「勘違いしないでよ。わたしがいくら慣れてるからって、逆流化はつらいし、「死」の幻影は怖いし、本当はこんなことやってないで逃げちゃいたいわよ」

 言って、膝をかがめる。

「だけど――そんなもの、しょせん大昔に死んだ連中の話じゃない!」

 叫んで、満潮は飛び出した。

 ロケットスタート。普段の彼女の、優雅な動きからは想像もできないほど荒々しく、一気に距離を詰める。

「どっちが嫌かなんてわかりきってるじゃない! わたしは! 現実の! いま! 生きてる大切な友達を! 自分の怠慢で死なせるなんて、絶対に、嫌だッ!」

 戦艦ル級が何度も砲撃をするが、満潮の動きが速すぎるせいで、当たらない。

 満潮はその戦艦をあざ笑って、

「馬鹿ね――この先にあるのは、地獄よッッ!」

 魚雷を、――相手にたたき込む!

 大爆発が生じた。

 間違いなく、大破――戦艦ル級eliteは、この時点で、攻撃手段を完全に封じられた。

「いまよ、清霜!」

「わかってる! 行くよっ……!」

 清霜は砲を構えて、

 

 その瞬間。

 あってはならないことが起こった。

 

 爆音。

 戦艦ル級のもうひとりの片割れが、サンドバッグ状態で叩いていた青葉を突如として振り捨て、こちらに攻撃してきたのだ。

 清霜は爆発に、吹っ飛ばされ――

「せ、せん、かんが――」

 そうになった身体を、ぎりぎりのところで、立て直し、

「至近弾ごときで、沈むかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 叫びながら、撃った。

 大爆発が、起こった。

 戦艦タ級、flagship。現行の知られている深海棲艦の中でも、決して侮れない難敵と言われるその船は。

 使い捨て砲の一撃を、真正面から受け、

 ゆっくりと、倒れ――

 なかった。

「……やばい!」

 中破状態でなお残る敵旗艦に、思わず満潮は声を上げる。

 相手は怒りに燃える目で、清霜のほうをにらみつけ、ゆっくりと砲を持ち上げ――

「大丈夫だよ、満潮ちゃん」

 次の瞬間。

 同時に放っていた清霜の酸素魚雷が敵旗艦に突き刺さり、相手は今度こそ爆散した。

「わたしの兵器は、砲だけじゃないんだから」

 

 

 この瞬間、全員が勝利を確信していた。

 だから、誰も気づかなかった。

 敵の中で唯一マークを外されていた駆逐ニ級の沈んでないほうが、ゆっくりと清霜に照準を定めて――

 そして次の瞬間、謎の爆発によって、誰にも気づかれることなく沈んでいたことに。

 

 

「はー、まったく新人はこれだから世話が焼ける……やれやれでち」

「? でっち、なにをぶつぶつ言ってるのって。あとなんでジョジョ立ちしてるのって」

「でっちって呼ぶなでち。ていうかジョジョとかどこで覚えたんでちか」

「はっちゃんが読んでたって」

「あいつあんな文学少女風吹かせといて読んでるのマンガなんでちか!?」

 驚愕の事実。

「それにー、今回はみんなよくやったって。最後のフォローはともかく、みんながいなければあの敵はさすがにどうにもならなかったとろーちゃんは思うって」

「……まあ、ガッツは認めないでもないでち」

「じゃあ上がって、みんなで打ち上げに間宮さん行こうって!」

「あ、馬鹿やめろでち! ゴーヤたち潜水艦が鎮守府のメンバーなのは秘密だし、いまさら上がって名乗り上げとか格好悪いにも程があるでち!」

「えー」

「えーじゃないでち!」

「そんなこと言ってでっち、実際は自分のおごりにさせられそうなのが嫌なだけなんじゃないのって」

「おまえ泣かすでち!」



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七:戦艦の心(後)

 ところで。

 作戦が全部終わったあと、艦娘達がどうやって帰るのかというと、これはもう羅針盤に従って安全に帰れるのが確定している。

 羅針盤システムは深海棲艦の位置をかなり確実に探知するので、戦いを避けようと思った場合、艦娘側はほぼ確実に実行できるのである。

 まあ、実際にはみんなボロボロだったし、雨まで降ってきたので、名取たちのところの母船に合流させてもらって、いったん彼女たちの鎮守府に寄ることにしたのだが。

 大きくダメージを負った艦娘が第一にすることと言えば――そう、風呂である。

「いやー、働いたあとのお風呂は最高よねー」

 湯船に肩まで浸かって言う清霜に、身体を洗っていた満潮はジト目を向けた。

「……あんたマジどういう精神してんのよ。船で帰るときも含めて、ずっとケロッとしてたわよね」

「満潮ちゃんはずっとゲロっとしてたよね」

「そこで無駄に韻踏まなくていいわよ! ていうか今回はそんな吐いてない!」

「……あれで?」

「だ、ダメコンの反動に、攻撃までしたんだから、あのくらいは軽いうちでしょ!」

 わたわた言う満潮。

「ていうか、だからダメコンのアレよアレ。あんたも見たのになんかえらくわたしと反応違うじゃない。どういう精神してんの?」

「いやあ。だってわたしまで吐いたら満潮ちゃんのアイデンティティ奪っちゃいそうでなんか悪くて」

「あんたいい加減そのゲロ属性押しやめないとマジで泣かすわよ!?」

 ぎゃいのぎゃいの、と言う満潮をよそに、清霜はざぱーと風呂から上がって、満潮の後ろに椅子を置いて座った。

「えへへー。お背中洗いまーす」

「な、なによ。気持ち悪いわね急に」

「だって満潮ちゃんは、「大切な友達」だからねー」

「なにそれ!? 意味わかんない!」

「だって満潮ちゃんが言ったんじゃなかったっけ? 大昔の人間が死んだことより、「大切な友達」が死ぬののほうがずっと嫌だー、って」

「言ってない言ってない言ってない言ってない!」

「そんなこと言っても清霜ぶれいんにはあの超かっこいい啖呵は永遠に記載されてるよ?」

「デリートしてやるっ!」

「わ、ちょっと、石けんある場所で暴れたら危ないっ――!?」

 どがっしゃーん、とふたりが転んだところで。

「あおばっ、あおばっ、見ちゃいましたーっと……」

「おおー、富士山でありますなー。ここの浴場はなかなかに……」

「他の鎮守府だと覗かれる心配しなくていいのは気楽だわー。あの提督なんか怪しいし……」

 がらがらがら、と、扉を開けて三人ほどの乱入者が現れ。

「……おや?」

「……ふむ?」

「……ええ?」

 裸の満潮が清霜を押し倒している謎光景を見て、全員が固まった。

「あ、いや、これは、その……」

「いたた、腰打った……」

 次の瞬間。

「青葉! 見ちゃいましたあああああ! か、カメラカメラ!」

「これはお邪魔でありましたなー。退散であります」

「あ、あんたたちその若さでそこまで進んでるとかなにやってんのよ!?」

「誤解じゃーーーーーー! き、清霜、あんたフォローしなさい!」

「え? あれ、そういえばなんで満潮ちゃんわたしを押し倒してるの?」

「そっちも清霜ぶれいんに記載しときなさいよ!」

 

 

 そんな感じで愉快騒動が起こっている間。

「まさかこんなところでまた縁ができるとはねえ。漣」

「ですねー。お久しぶりです、陸奥提督」

 名取たちの所属する鎮守府の提督……その初老の女性は、そう呼ばれてほほえんだ。

「その名前で私を呼ぶ者は、もうほとんどいなくなってしまったわ」

「まあ、いまの艦娘の陸奥さんとはなにも関係ありませんからね……ここでは、本名のほうで?」

「自分から名乗るには気恥ずかしいもの。艦娘システムの最初の被験者なんて、言いふらすことでもないし」

 かつて、彼女は恐山のイタコの一人だった。

 適任と言うことで、地元と縁のある名前の艦娘を選び、試してみたのだが……あまりうまくはいかず、戦果を大きく挙げるということもなく、引退することになった。

 そのときは知られていなかったが、艦娘は基本的に若いほうが適性が高いので、彼女の年齢が問題だったのだろう。

「若いのの命を張らせるのは、私としても、気が進まないのだけれどねえ」

「適切に処置すれば、艦娘はまず死にませんよ」

「それでも、今回みたいなこともあるわ」

「…………」

 陸奥提督は、ふう、とため息をついた。

「包囲されて逃げられない状況で、大破防御状態が切れるまで撃たれ続ければ艦娘でも死ぬ。べつに捨て艦だけじゃないわ。滅多にないとはいえ、危険な状況はないわけじゃない」

「今回は、判断が甘かったんじゃないですか?」

「否定はできないわね。……母船をかばおうとして必要以上にがんばった結果、磯波が肉体にまで浸食するダメージを受けてしまった。最初から船を見捨てる判断をしていれば逃げられたはずよ。これは今後、指導事項にする必要があるわね」

「……そうですね」

「それより問題なのが、あなたのところの判断よ。

 正直、さっき帰ってきた子達から聞き取りをして、ぎょっとしたわよ。最後の戦いであの清霜ちゃんという子には、普通に死ぬ危険性があったわ。どうして止めなかったの?」

 陸奥提督に言われ、漣は考えた。

 形式上は、上官である清霜の判断に従った。でもそれは、漣のメンタリティからすれば、どうでもいいことだった。

 本気で相手を止めたいのなら、上官だろうと容赦しない。それは、彼女がかつて実行したことであり、いまも変わらぬ決意だ。

 だから。

「たぶん……夢に、魅せられたんでしょう」

「夢?」

「全員生還の夢です」

「…………」

「あの状況で漣が清霜ちゃんを止めたら、確実にそちらの艦娘が死んでいた――清霜ちゃんが説明した通りです。誰も死なない可能性があるのは、今回の方向だけだった」

「清霜ちゃんが死んで、彼女たちも助けられない。その可能性は?」

「ええ。だから合理的と言う気はないです。

 しょせん、どの可能性もギャンブルでした。だから漣は、いちばんいい結果があるものにbetした。……そういうことです」

 その結果、最悪の可能性だってあり得た。

 だけど、最良の可能性もあった。

 だからそれに賭けた。――愚かだったかもしれない。だけど結果として、最良の可能性が実現した。

 今回は。

「今回と同じことを続けたら、たぶん数回であの子は死ぬわ」

「その辺は今後の運用次第ですねー」

「……やはり思うに、あの総力砲システムは危険すぎないかしら。

 今回もうちの艦娘達には箝口令を敷いておいたけど、明るみに出た場合、あなたが告発した「捨て艦」に使われる危険性があるのよ?」

 陸奥提督は言った。

 漣はそれにうなずいたが、

「まあ、大丈夫ですよ」

「根拠は?」

「あの特許うちのご主人様が持ってますから。切れるまでは他は使えません」

「…………」

「そして、切れるまでの間に、法整備を進めればいいんです。捨て艦戦法を禁止する方向で。

 それまでには漣も、被選挙権もらえる年齢になってますしね?」

「なるほど。そこまで考えているのね」

「だから、いまのところ危険なのは清霜ちゃんだけですよ。

 そして、……まあ、今後は、無茶は避けさせます。まずは練度を上げて、ああいう邪道に頼らなくても、そこそこ活躍できるようにしないと」

「ダメコンも使ってしまったものね」

「あはは……頭が痛いです」

 漣は頭を掻いた。

 陸奥提督はふう、とため息をついて、

「あなたも詰めが甘いわねえ」

「……? はて、なにかありました?」

「いえ。さっきから、助けてもらったお礼っていうことでお風呂はあなたたちの艦隊に先に使ってもらって、その間に妙高たちから事情聴取をしていたのだけれど」

「はあ。それは知ってますけど」

「漁船からの依頼で人命救助に当たることになったという話だったわよね?」

「そうですね」

「そのときに、オプショナル契約は結んだかしら? 人命救助に成功したらいくら、という」

「…………」

 漣は沈黙した。

「清霜ちゃん……経験が少ないから、彼女がリーダーを張っているならほぼ間違いないと思ったのよ。契約はしてないでしょう?」

「……はい」

「つまり、今回あなたたちはこれだけ危険かつ損害の多い戦いをしながら、漁船護衛の報酬しか得られないということになるのだけれど」

「ああああああああああああ」

 漣は頭を抱えた。

 陸奥提督は、くすっとほほえんで、

「――まあ、仕方ないので、艤装の修理代はこちらが肩代わりするわ。

 それと総力砲で失った連装砲も補填しておく。こちらの財務状況は悪くないからね。あのジェイソン気取りの甲斐性なしじゃ、今後困るでしょうから」

「すいません……お願いします」

「それでも、ダメコンを失った以上、そちらには痛手でしょうけどね。

 まあ、精進なさい?」

「はい……」

 結局このひとには頭が上がらないなあ、と、漣は頬をかいた。

「……ところで、さっきから浴場のほうであなたの仲間達が大騒ぎしてるけれど、なにかあったのかしらね?」

「あ、そうですね。……まあおおかた、満潮ちゃんがなにかやらかしたのではないかと」

「止めてきなさい。騒がれると困るわ」

「いえ、でもちょっと漣には荷が重いというか……」

「いいから」

「…………。

 すいません、行きます」

「よろしい」

 陸奥提督はそう言って、ほほえんだ。

(ホント、かなわないなあ)

 おまえも報告を優先なんてしてないで風呂に入れ――そう、目で語る陸奥提督を見て。

 漣は本当に珍しく――作り物ではない、笑みを浮かべた。

 

 

「あああ青葉のカメラがー! 耐水性能に優れて艦娘の隠し撮りに最適なマイカメラがひどいことに!」

「自業自得よこの馬鹿青葉! ていうかあのスケベ深海棲艦にカメラ渡したのもあんただったわよね!?」

「あ、葛城さんそっちのボディソープ切れてるよ。こっち使いなよ」

「さんきゅー清霜。頼りになるわね」

「ていうか清霜あんたなに他人事の顔してんのよ!」

「ほほー、もう他人じゃないというわけでありますか。ふむ」

「やっぱあんたら全員泣かす!」

「……いやー。でもやっぱこれを漣に止めろっていうのは、無茶振りじゃねーのっていう……」

 

 

 とまあ、これが。

 清霜が戦艦代理として活躍をして解決をした――最初の、戦いだった。




おまけ:ジェイソン鎮守府、各艦娘のプロフィール


1)清霜
年齢:13
練度:6
戦艦指数:86%(自称)
戦歴:新任駆逐艦としてジェイソン鎮守府に着任。まだ着任から一ヶ月未満。
ポジション:みんなの妹、兼、メイン火力


2)満潮
年齢:14
練度:86
艤装適合度指数:1450(通常は100程度)
戦歴:貴重サンプルとして研究所送りにされそうになっていたところをジェイソン提督に拾われ着任。鎮守府で一年ほど過ごす。
ポジション:反骨精神の塊にして熱血系ゲロイン。無茶するのはやめろとかときどき言うけどたぶん彼女が一番無茶。


3)漣
年齢:19
練度:138
運:49
戦歴:違う鎮守府で歴戦の駆逐艦として武勲を挙げるも、捨て艦戦法について告発したことをきっかけに提督を失い各所に睨まれ、裁判所に攻撃艤装の使用を禁止されて職を失ったところを旧知のジェイソン提督に拾われる。いまの鎮守府歴は半年ほど。
ポジション:ご意見番、兼、参謀。頼れるみんなのサポーター。


4)あきつ丸
年齢:18
練度:41
集めた刀剣:31本
戦歴:ごくまっとうに揚陸艦としてのキャリアを積むも砲戦適性のなさであまり活躍できず、転々としたあげくにジェイソン提督に拾われる。鎮守府歴は満潮と同じ。
ポジション:烈風剣であります! 近接戦特化。色物。


5)青葉
年齢:23
練度:67
艤装適合度指数:39
戦歴:本来の法律的には艦娘と言えるぎりぎりの下限より下。そのため最初からジェイソン提督が後ろ盾になってくれないと艦娘にすらなれなかった。ジェイソン提督が鎮守府を作る以前からの助手で、事実上の初期艦。
ポジション:秘書官、兼、頼れるメイン盾。政治担当でもある。


6)葛城
年齢:21
練度:13
料理の腕:三つ星
戦歴:艦娘学校詐欺に騙されていたが、奇跡的なほどの艤装適性を発揮して訓練なしで葛城の艤装を動かしたため、いろいろあってジェイソン提督の政治的手腕で艦娘として認められいまに至る。鎮守府歴は満潮と同じ。
ポジション:一歩引いた立場ながら影の努力人。当人は気づいていないがジェイソン鎮守府の間宮でもある。


7)伊58
年齢:17
練度:83
オリョクル経験:プライスレス
戦歴:わりと珍しい潜水艦艦娘だったが、すっかり酷使されて疲れ果てていたところをジェイソン提督に拾われる。前の職場よりはずっと楽な環境になったが、トラウマのために未だに働きたくない病を発症することが。
ポジション:ひみつ隊員一号。みんなのサポーター。


8)呂500
年齢:15
練度:71
でっち好感度:100
戦歴:珍しいドイツ人の潜水艦艦娘だったが、研究所の不手際で艤装が破損して危うく職を失いそうになったところをジェイソン提督の口利きで助けられ、そのまま鎮守府へ。
ポジション:ひみつ隊員二号。でっちの付き人。



(明日、外伝を投稿してこの話を閉じます)


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番外:優しい雨

「…………」

 今朝の天気予報の通りの曇り空。

 いまにも雨が降りそうなそれを、暁は、公園のベンチに座りながら、ぼんやりと眺めていた。

(もう。……最悪だわ)

 ぽつん、と雨が顔に当たる。

 きっかけはささいなことだった。

 いつものこと、と言ってもいい。

 相手からすれば、ささいなからかいだったってことは、わかってる。

 わかってるつもりだ。

 だけど、暁には許せなかった。

 気がつけば、雨の勢いはだいぶ強くなってきている。

 このままだと風邪ひくかな、と他人ごとみたいに考えたとき、上から影が差した。

「そこにいると濡れるよ?」

「……べつに、濡れてもいいもん」

「風邪ひいちゃうよ」

「ひいてもいいもん」

「よくないよ。ほら、立って」

 言って、そのひとは――暁に向けて差しかけていた傘をいったん肩で固定して、暁の腕を引っ張り上げた。

「ダメだよ。親御さんが心配するよ、こんなことしてたら」

「……心配なんて、してるに決まってるじゃない」

 暁は言った。

「だってわたしは、艦娘なんだから」

 言うと、相手は首をかしげた。

「艦娘?」

「そうよ」

 艦娘。

 近年現れた深海棲艦に対抗すべく作られた、人類の切り札。

 なんでもイタコがどうとかヴァルキリーがなんだとか、小難しい理屈があるらしかったが、暁はよく知らない。

 わかっているのは、暁自身がその、当の艦娘であるということ。

 そして……

「驚いた……」

 と、そのひとは言った。

 珍しいリアクションだったので、暁は首をかしげた。

「驚いた? なにが?」

「いや。……いくらここが横須賀だと言っても、そう簡単に会えるものじゃないでしょ。艦娘は」

「どうせ、こんなちびっこが艦娘なんて、とか思ったんじゃないの?」

 いじけた声で暁は言ったが、

「まさか。そんなわけがないじゃないか」

 即座に、そのひとは否定した。

「なんで?」

「だって、艦娘ってことは、最低でも中学二年か三年生なんじゃないの?」

「…………」

 その通り。

 艦娘になるための訓練は艦種ごとに違うが、最低限度である駆逐艦でも、予備訓練を二年、正式訓練を一年は積まないといけない。

 そして正式訓練を受けられる場所である艦娘学校は法令上中学扱いなので、小学校を卒業しないと入学できない。だから、艦娘と言える最低限度は、学年で言うなら、中学二年生だ。

 暁は正式に艦娘になってほぼ一年になる。つまり、もうそろそろ中学三年生なのだ。

 ……たとえ、三年生どころか、中学生にすら見られたことがないほど外見が幼くても。

「なんで信じるの?」

「え?」

「わたしが艦娘だって。一度も信じてもらえたこと、ないのに」

 言うと、そのひとは照れくさそうに笑って、

「ああ、そっか。嘘かもしれなかったんだ」

「…………」

 その発想はなかった、とばかりに言い切ったそのひとに、暁は絶句した。

 いまどき、いるんだ。こんな素直なひと。

「そ、それにしても、艦娘の年齢制限なんてよく知ってるわね。その手のマニアのひとなのかしら?」

 とりあえず話題を変えようとそう言った暁だったが、返ってきた答えは意外なもの。

「いや。僕も艦娘だからね」

 きょとん、と暁は相手を見返した。

 そのひとは。

 よくよく見れば、とても端正な顔をしていた――思わず見とれてしまうくらい、りりしい顔。

 背も暁よりは高い。全体的に雰囲気が落ち着いていて、大人の雰囲気を感じさせる。ぴんと背筋が立っていて、ストレートに長いきれいな黒髪で、ボーイッシュな私服がとても様になって――

 いやいやいや、本題はそこじゃなくて。

「艦娘?」

「うん」

「え、でも、男のひと……」

「あはは。……やっぱ、そう見えちゃうんだ」

 彼は――じゃない、彼女は、苦笑した。

「スカート履いてるときはそれでも、めったに誤解されないんだけどね。やっぱり私服もパンツ系はやめたほうがいいのかな?」

「あ、い、いや。それはそれで似合ってると思う、わ……」

 声が消え入ってしまう。

 あまりに予想外すぎて、目を白黒させている暁に、彼――じゃなかった、彼女はにっこり笑いかけ、

「とりあえず、場所を移動しない?

 いい店を知ってるんだ。案内するよ」

 と、言った。

 

 

「まずは自己紹介をしようか。僕は駆逐艦の時雨。よろしくね」

「暁よ」

 お互いに自分の名を明かす。

 この名前は、本名である。というか、本名になる。

 艦娘学校で艤装適性から艦が選ばれた時点で、戸籍上まで含めて名前が変えられてしまうのだ。それは、退役するまで変わらない。

 またこれもイタコだの呪術適応だのというよくわからない解説を聞いた覚えがあるのだが、暁はよく覚えていない。べつにどうでもいいと思っている。

 自分の艦の名前が気に入らないわけでもないのだし。

「よく来た。ゆっくりして行くといいわ」

 ことん、と水が置かれる。

 食事処「鳳翔」という店のその名前に似合わず、メニューには喫茶店的なお菓子や飲み物がけっこうあった。

「どういう店なのかしら、ここ」

「艦娘の研究所がやってる店らしいよ。

 普通のひとも来るけど、基本は艦娘が使うし艦娘が運営するんだって」

「へえ……ってことは、いまのウェイトレスさんも艦娘なの?」

 暁が言うと、ウェイトレス自身が答えた。

「いえ。まだ艦娘学校にも上がってないわ。いちおう適性試験は受けたので、なる艦は決まってるけれど」

「そうなんだー。どの艦?」

「早霜……」

「そっか、決まったんだね。おめでとう」

 時雨が言った。

「で、いつものでいいから」

「わかった。……ごゆっくり」

 彼女は小さく言って、頭を下げて奥に引っ込んでいった。

「ほかにこういうところってあるの?」

「ちょっと遠くには、間宮って店があるね。そっちは昼間限定で、大人の艦娘にもお酒は出さないみたいだよ」

 暁の言葉に、時雨が答える。

 外の通りは、相変わらずの雨。

 屋内にいると、雨音がやけにやさしく聞こえる。

「……あの、さ」

「なに?」

「なにも聞かないの?」

 暁が言うと、時雨は笑った。

「言いたいことがあれば言うといい。言いたくないなら、僕は、聞かない」

「…………」

 しばらく、沈黙が落ちた。

 だけど、黙ってるのもなにか、気まずくて。

「……今日は、お花見に行くはずだったの」

「ああ、もうそんな時期だよね」

「昨日までは天気予報、晴れだったのに」

「春の天気は気分屋だからね」

「……わたしのせいだって言われたの」

 こくん、と時雨が首をかしげた。

「なんで?」

「雨女だからって。この前もそうだったって」

「そうなんだ」

「……それで頭にきて。飛び出してきちゃった」

 暁は言った。

 時雨は困ったような顔で、笑みを浮かべている。

 いらいらした暁は、

「わかってるわよっ。子供っぽいってことは。でも……!」

「ああ、いや、違うんだ。ちょっと、リアクションに困って」

「リアクションってなによ?」

「いや。僕も『雨』だからね」

「あ……」

 言われてみれば。

 時『雨』は、にっこりと笑った。

「とすれば、僕が君に声をかけたのは、そういうことだったのかな?」

「…………」

 暁はぶすっとした顔で、相手をにらみつけた。

 そんな言い方は、卑怯じゃないか。

 そんな言い方されたら、雨女じゃないって言い張ることもできない。

「まあ、気持ちはわかるよ」

 そんな暁の心を知ってか知らずか。

 時雨は、そんなことを言った。

「なにが?」

「いや。僕も、よく『男の子みたい』ってからかわれるからね。そう言われるのは、実を言うとあんまり、好きじゃない」

「…………」

 思いっきり言ってしまった暁としては、返す言葉がない。

「嫌だから髪、伸ばしたんだけどなあ。それでもなんか、男の子に見えちゃうみたいなんだ」

「……ごめんなさい」

「いいんだよ。知らないひとから言われるのは、しょうがない」

 時雨はそう言って、笑った。

「だけど本当に頭にくるときってのもたまにはあって――それは要するに、親しい友達に言われたときだ」

「…………」

「心当たりはない?」

「……ある、かな」

 たしかに。

 暁だって、今回、からかった人間がそこらへんの誰かだったら、ここまで怒らなかった気がする。

 相手が響だったから――唯一無二の親友に言われたから、激怒したのだ。

「たぶんね、相手に対する期待があるんだよ」

「期待?」

「僕らは艦娘だから、親元からは離されちゃうけどさ。……反抗期ってのがあるとしたら、そういう感じなんじゃないかなって」

「…………」

「要は、親しいから問題なんだ。親しいから、自分の気持ちはわかってもらえると、無条件に思い込んでしまう。だから嫌なことを言われたとき、わかってもらえなかったとき、すれ違ったとき――裏切られたって思って、抑えが利かなくなって、爆発しちゃうんだ」

「……わかる」

「どんなに親しくたって、結局、最終的には他人なのにね。――そういう覚悟が、足りないんだろうね。僕たちには」

「……甘え、なのかなあ」

「かもしれないね」

 言った時雨と暁の前に、ことん、と白玉あんみつが置かれる。

「そしてこれは甘い……ふふ、ふふふ」

「……前々から思ってたけど、君はそのへんな笑い自重したほうがいいよ。けっこう怖い」

「あらそう。……では、ごゆっくり」

 早霜はそう言って、また奥に引っ込んでいった。

「あの子、妖精さん見えるんだって」

「へええ……言われてみれば、そういう雰囲気あるわね」

「まあ、それだけ才能があるから、あの年でここで働かせてもらえてるんだけどね」

「……そういえば、まだぎりぎり小学生のはずよね、さっきの話だと」

「艦娘関係の労働ってあいまいだよねえ。法律どうなってるのかな」

 時雨はそう言って、白玉あんみつをぱくり。

 暁はそれより、相手の外見が自分よりずっと大人びていることのほうが気になったのだが、それは言わないことにしておく。

「でもこれからがたいへんだよ。艤装適性が出て、名前もらったってことは、これから親元を離れることになる。

 精神的にも訓練的にも、こっから先がきついところだよ」

「……まあ、そうね」

 暁はうなずいた。

 自分だって、最初のうちはけっこうきつかった。

 艦娘は人であり、兵器である。つまり、半分だけ、人をあきらめなければならない。

 退役するまでの間、暁は『暁』になる。それまでの姓名を捨て、家族を捨て、特III型駆逐艦、一番艦『暁』の化身として、戦うことを余儀なくされる。

 ……まあ、「余儀なくされる」と言っても、雇用契約にない戦いはしなくていいのだけれど。

 憲法関係で揉めて、それまで自衛隊所属だった艦娘の扱いが民営化してからは、そのへんはかなりゆるくなった。

 それでも。やはり自身が「兵器」であるというのは、心の負担である。たいていの艦娘は、長い間それに耐えることはできないので、十年もしないうちに、退役して普通の暮らしに戻る。

 もちろん、それより前、学校でつぶれてしまって、どうにもならなくて就役すらできない艦娘も多い。

 いくら政府からの手厚い援助があるからといって、艦娘というのはやっぱり、ハードな仕事なのだ。

「でもまあ、慣れるでしょ。わたしだってまだ一年だけど、もうずいぶん慣れたし」

 暁が言うと、時雨はため息をついた。

「どちらかというと、僕が問題かな……」

「?」

「まだ、慣れてないんだ」

「そうなの?」

 意外だった。

 この、ゆったりとした大人の雰囲気の時雨が、そんなところでつまづいているというのは、ちょっと信じられない。

 だが時雨はゆっくりと首を横に振った。

「負い目があるんだよ……少し、ね」

「負い目?」

「そう。

 ――君は、艤装を手なずけるのにどれくらいかかった?」

「三ヶ月くらいかしらね。最初のうちは、まともに水面にも立てなかったわ」

「そっか……」

「時雨は?」

「一ヶ月だった」

「すごいじゃないの! 才能あるってことよ、それ」

 暁は言った。

 艤装適性が計られて、艦が割り振られて、それからの訓練は……その艦になりきる、というのが主眼となる。

 つまり、暁が駆逐艦『暁』となるための訓練。

 暁は、自分はだいたい平均値だと思っていた。同期だと、不知火がものすごく苦戦していたのを覚えている。半年くらいかかってようやくノルマを達成した頃には、辛かったせいだろう。性格まで少々きつめな感じに変わってしまった。

 時雨の一ヶ月というのは、破格とまではいかないが、平均よりずっと早い。

 だが、時雨は笑って、

「ずるしたからね。しょうがないよ」

「……? ずる?」

「最初の数日は、調子がよかった。でもあるとき急に、逆流が起こったんだ」

 時雨の言葉に、暁ははっとした。

 艤装適性が高すぎる人間にときどき起こること――艦と、その乗員の記憶が、自分の記憶にフィードバックされる現象。

「それで、どうしたの?」

「艤装に触ることが、できなくなった。

 あれはたぶん、スリガオ海峡の戦いじゃないかな。ひどい光景だった……戦艦も随伴艦も、まるで射的の的みたいにバラバラにされて、粉々になった乗員と一緒に海に沈んでいった」

「……それは、トラウマになるわね」

 聞いただけで、暁は白玉を探る手を止めてしまった。

 だが、時雨は、ふう、とため息をついて、

「違うんだ。人が死ぬ光景は、べつにトラウマにはならなかった」

「え、そうなの?」

「まあ、死んだって言っても昔のひとだからね。映画を見てる気分っていうのかな……それ自体は、僕は、まあ、気分悪くはなったけど、耐えられた。

 ――耐えられなかったのはその後だ。旗艦の山城が爆発して見えなくなった後のことだよ」

「…………?」

「駆逐艦『時雨』はね」

 時雨は言った。

「スリガオ海峡の戦いで、唯一、生き残ったんだ――それも、武勲を挙げたとか、そういう状況じゃない。単に、無力な駆逐艦が、最後尾にたまたまいて、比較的早く反転できたから生き残った。

 要は、味方を見捨てて逃げたのさ」

「違うわよ!」

 暁は思わず、即座に叫んでしまっていた。

「そんな状況で逃げるのを見捨てるなんて言わないでしょ! ちゃんと戦って、勝ち目がなくなるまで戦って、それから反転したなら、それは見捨てたなんて言わない!」

「……たぶん、それは正論なんだろうね」

「だったら!」

「でも正論じゃダメなんだよ。……僕は、ダメになった。自分に、駆逐艦『時雨』に、自信が持てなくなった。それは理屈じゃない。感性の問題だ」

 ぐっ、と、暁は沈黙した。

 時雨だって、理性ではわかっているのだろう。

 でも、感性が理性を否定したとき――人間は、なにもできないのだ。

「……それで。どうなったの?」

「訓練にも参加せずに引きこもってた僕のところに、ある日、同期の子がやってきたんだ」

「誰?」

「満潮」

 暁はその艦を知っている。

 ……とは言うものの、スリガオ海峡の戦いは『暁』が沈んだだいぶ後の海戦なので、艦としての記憶は持っていない。知識として、満潮という駆逐艦が、スリガオの戦いで沈んだことを知っているだけだ。

 だが、時雨にとってどういう相手だったかは、想像できる。

「……で、どうなったの?」

「ごめんなさいって言ったよ」

「相手は?」

「ぐーでぶん殴ってきた」

「……過激ね」

「あれは痛かったな」

 時雨は懐かしそうに言った。

「『あんたの勝手な思い込みで過去の『時雨』を侮辱してんじゃないわよ馬鹿!』って。あはは、すごい怖かった」

「なんていうか……すごい喝ね」

 暁の言った、ごく普通の正論とは違う。感性に対してべつの感性をぶつける、荒療治だ。

「それでさんざん説教した後で、『あんたの艤装ちょっと貸しなさい』って言われて」

「どうなったの?」

「翌日には返ってきたよ。満潮いわく、『説得しといたから、もう逆流は起きない』って」

「せ……説得?」

「うん」

「そんなことできるの?」

「ちょっとした天才だったからねえ、満潮は」

 時雨は言った。

「だから僕は、それ以来あの光景には悩まされなくなった。……現金なものでね。あの光景を二度と見ないって思ったら、それで気が楽になってね。過去は過去、いまはいまだと割り切れるようになった。あとはあっという間に訓練が終わったかな」

「そうなんだ……」

「……でも僕はそれで、べつの負い目を背負っちゃった」

 時雨は言って、最後の白玉をすくい取って口に運んだ。

「つまり、僕が艤装を手なずけられたのは、手伝ってもらったからなんだ。そしてその効果がいつまで続くかにも自信がない。また、あの逆流化が発生したら――」

 ため息をついて、

「僕は、今度こそ、耐えられないかもしれない。それが怖くて――怖くて、いまでも怖くて、逃げ出したくなる」

 暁はあんみつについていたフルーツを口に放り込みながら、

(さて……どうしたものかしらね)

 べつに相手が、暁に意見を求めているとか、救いを求めているとかではないというのは、なんとなくわかる。

 要は、愚痴だ。自分に自信が持てないっていう、ごくありきたりな、普通の愚痴。

 そうだねたいへんだね、で済ませてもよかったのだが――不思議といまの暁は、そういう気にはなれなかった。

 正論を封じ込められて、多少しゃくに障った、というのも、まあ、ないわけではない。

 だから。

「いいじゃない。逃げちゃえば」

 と。

 正論を放り捨てて、暴論を吐いた。

「え?」

 時雨が目を白黒させる。

「あのね」

 暁は言った。

「艦娘ってなんだと思う?」

「なんだって、それは、過去の戦争で沈んだ英霊の力を使って戦う、深海棲艦に対抗するための兵器で――」

「違うわよ」

「…………」

「艦娘ってのは、レディなのよ」

 と、暁は言った。

「レディ……?」

「一人前の女性ってことよ」

「いや。意味はわかるけど」

「艦娘が、怪獣と戦う正義の味方だったら、逃げるわけにはいかないかもしれないけど。

 実際には違うでしょう? わたしもあなたも、将来の進路をいろいろ悩んで、いいと思った道を選んで艦娘になった。

 だからこそ、お給料もらって働くわけじゃない」

 正義の味方ならただ働きでも働くし、逃げることは許されないかもしれない。

 でも艦娘は、そういうのではないのだ。

「だから、無理だったら逃げちゃえばいいのよ。それだってひとつの選択でしょう?」

「……でも、それをしたら、残りのひとたちが困る。

 助けられたひとたちが死んでしまうかもしれない。それどころか同僚を危険にさらしてしまうかもしれない。そうなったら――」

「あはは、ないない」

 ごくごく気楽に。

 暁は、時雨の言葉を否定した。

「その状況じゃ絶対逃げないわよ、あなた」

「なにを根拠に――」

「だって、逃げたのが嫌だったんでしょう?」

 あっさり言った暁の言葉に、時雨はきょとん、とした。

「ひとりだけ逃げた、ってその言葉が正当かどうかはともかくとして。

 そういうのが嫌だったんでしょう? 恥だと思ったんでしょう? 二度とひとりで逃げたくないと思ったんでしょう?

 だったら――『時雨』がどうかなんて、関係ない。いまのあなたは逃げない。逆流が起ころうと、なにが起ころうと、自分が戦うことで誰かを救える状況では、あなたはぜったい逃げないわ」

 断言する。

 そのくらい、見ていればわかる。

 この時雨という少年のような少女は、そういう子なのだと。

「逆に言うと、あなたが逃げようって発想が出るときは、逃げてもかまわないときだけ。

 だから逃げてもいいんじゃないの?」

「…………」

 時雨は、しばし沈黙してから、

「そう……なのかな」

 と、自信なさげにつぶやいた。

 ……よしっ。

 年こそこちらより高いとはいえ、女子的にはこちらが手慣れていると見た。

 ここは、すこしレディの先達として、ちゃんと指導してあげないといけないだろう。

 暁はそう考え、

「じゃ、ちょっとおまじないをかけてあげるわ」

「おまじない?」

 暁は椅子を立ち上がって時雨の隣に座り直し、

「はい、目をつぶって」

「……ええ?」

「ほら。いいから」

 ずい、と顔を近づけた暁に、時雨は気圧されてか、目をつぶる。

 …………

「あの……なにやって」

「まだ目を開けちゃだめよ?」

「……はい」

 しばし、そうした後。

「よし、できたっ」

「……?」

 不思議そうに目を開けた、時雨は。

「あ……」

 自分の髪が、三つ編みにされているのを発見した。

「男の子に間違われたくないって言ったでしょ? 髪を伸ばすのは正解だけど、足りてないのよ。ちゃんと女の子っぽい髪型しないと」

「えと……その、でもこれ、似合ってるかな……」

「もちろんよ。レディを信じなさい」

「…………」

 時雨は困ったような顔で笑った。

「雨。やまないね」

「あー。そうね」

 雨音はさっきと変わらず。

 どこか優しげなその音は、まわりの雑音を遮断して、かえっていつもより静かに思える。

「そっか……」

「うん?」

「雨女だって話、あったじゃない」

「……まあ、あったわね」

「君はいやがるかもしれないけれど――」

 時雨はそう言って、

「優しい君が降らせた雨だから、こんなに優しい雨なのかもしれない。……だとすれば僕は、この雨、好きだな」

「…………」

 暁の顔が赤くなった。

「もう……そういうことをさらっと言うから、男の子みたいとか言われるのよ?」

「三つ編みがあれば大丈夫だよ」

 時雨はそう言って笑い、

「送っていくよ。傘、ないでしょ?」

 と言った。

 

 

「へえ、ここが君の所属する鎮守府か」

 帰る頃には、雨はだいぶおとなしくなっていた。

 ちなみに鎮守府というのは――なんのことはない。政府から艦娘を任されている企業の俗称である。組織の長は提督と呼ばれたり司令官と呼ばれたりしているが、要は、いわゆるPMCの一種だ。

 横須賀にはこの鎮守府、とても多い。だから時雨も、違う鎮守府の所属なのだろう。

「じゃあ、また会う日まで、かな」

「そうね。また、会いましょう?」

 言って暁は、握手のつもりで手を差し出した。

 が、時雨はナチュラルにうやうやしくその手を取ると、手の甲に軽くキス。

(~~~~!?)

「さようなら、雨に愛されたお姫様――また今度、お会いしましょう」

 ささやくように言って、背を向けて去って行った。

 それを呆然と見送った暁は、

(だから、そういうことをナチュラルにやるから、男の子って思われるんだってば……というか)

 なんというか――おとぎばなしの、王子様みたいだった。

 

 

 翌日。

「というわけで、すっごくかっこいいひとだったのよ! レディの扱い方をきちんと心得てるとああなるのね」

 暁はおおはしゃぎで言った。

 響は、そんな彼女をじろりと一瞥し、

「……できれば、当の君もレディらしく、後先考えて行動して欲しいね。心配したんだから」

「わたしは大人のレディだから大丈夫よ」

「やれやれ……」

 響はそれ以上コメントしなかった。

 暁はあいかわらずにっこにこで上機嫌だったが。

(でもそういえば、年齢くらい聞いておくべきだったかなあ……何歳くらいなんだろ?)

 印象的には、16とか17とか。

 そんな大人の女性の手助けができたんだから、暁だって誇らしいというものである。

 と、そこで司令官が、執務室に入ってきた。

「……そろっているか」

「第六駆逐隊二名、そろっております」

 響がてきぱきと答える。

 ちなみに、いつも一緒にいる雷と電は、最近は長期遠征中だ。

 すこし寂しくはあるわね、と暁が思っていると。

「もう新人を雇う季節だからな。我が鎮守府にも一名やってくるので、諸君らに指導を願いたい」

「へえ、それはまた」

「もちろんよ! 一人前のレディに仕上げてあげるわ」

「よろしい。では――入りたまえ」

 司令官の言葉に従って、扉が開き。

「……へ?」

 暁は固まった。

 きれいな黒髪のロングヘアーを三つ編みにした、どことなくボーイッシュな雰囲気のあるその艦娘は。

 暁の方をちらっと見ると、ぱちりとウィンクをした。

「というわけで、新任艦娘の時雨くんだ。よろしく」

 次の瞬間。

「こ、後輩~~~~~~~~!?」

 暁の絶叫が、鎮守府を揺るがした。




 簡単にあとがきを書いておきます。

 まず、この作品をいつ作ったのかわからなくて、タイムスタンプを調べたところ、どうも2015年らしいことがわかりました。
 だいぶ昔ですね。艦これだと、まだ基地航空隊がなかった時代です。
 ちょうど書き終えた頃に、ニコニコ動画で、「レイニー・レイディ」(https://www.nicovideo.jp/watch/sm23834206)という作品を視聴して、感銘を受けて「番外:優しい雨」を作った記憶があります。なんか動画の投稿日と一年ほどずれてますね。となると、日刊ぼからんの一周年動画とかで聞いたんでしょうかね、僕は。
 ちなみに縁があってコミケになにか出展しろと言われて、この「優しい雨」だけ製本して持ち込みましたが、一冊も売れませんでした。友達に一部だけ押しつけたので、いまこれの製本バージョンはこの世に一冊だけ……いや、もしかすると友達、もう捨ててるかもしれませんが。

 作品としてのチャレンジは、「艦これのシステムになるべく忠実に」「艦これ抜きでもそれなりに楽しめる作品に」を両立させようとがんばった記憶があります。
 結果としてかなり独自色が強い作品になりましたが、これは続編……? の、「空母探偵龍驤ちゃんと七人の駆逐艦たち」でさらにひどいことになります。

 というわけで、この作品はこれで畳みます。
 ありがとうございました。


(この作品は『空母探偵龍驤ちゃんと七人の駆逐艦たち』という姉妹作を持っています。
 まだ話のストックは貯まっていませんが、こちらも可能な限り早く投稿して行きますので、そのときはよろしくお願いします)


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