前略、月が綺麗ですね (海のあざらし)
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前略、月が綺麗ですね
風見 幽香は大妖怪である。
「寝起きドッキリ・爆音クラッカー!」
「けけけ、家の前に落とし穴を掘ってやったよん」
「ねぇねぇ。……えいっ」
但し、被虐体質だ。
*
今日も散々な1日だ。紅茶を片手に、風見 幽香はそっと溜息を吐く。
立てば膝かっくん、座れば椅子が引かれ転倒、歩く姿を盗撮される。何故だ、私が何をしたっていうんだ。強いて言うなら何もしていないが、残念なことに彼女の動静に関係なく災難は降り注ぐ。
いつからだろう、幽香は皆から弄られる存在へと変貌していた。昔は小さな極悪たる大妖怪として、幻想郷はおろか外の世界にまで名を轟かせていた押しも押されぬ怪物だったのに、はて運命は何処で分岐したのか。
昔は荒れていた、とか今は丸くなった、とかは無い。少なくとも幽香は無いと考えている。今も昔も、彼女は彼女であり続けた。ではこの扱いの差は、一体何処から来ているのだろう。
考えても分からないことだ。また溜息を吐き、紅茶を1口。慮るような仄かな甘みが、幽香の心労を軽くしてくれる。彼女が心から信じられるものと言えば、最早紅茶と花しか残っていないのではないか。
[ゆうか、またためいき]
「んー?……ごめんなさい、してたかしら」
[じかくがないのが、いちばんだめだよ]
全くだ。習慣となってしまったら、いよいよ陰気が増してしまう。あぁ、嫌だ嫌だ。息を吸い溜息を……おっと、危ない所だった。ぎりぎりで踏みとどまって、幽香は部屋に飾ってある一輪のクチナシと会話をする。
花と喋るだなんて、傍から見れば気を病んでいるのかと思われても仕方ないだろう。だけど、幽香は生まれ持った力で花の考えを理解し、また意思疎通を図ることができる。気味が悪いと言われたことは両手の指では到底数え切れないし、その度に傷ついたけど、花達は彼女を癒してくれた。だから彼女も、自分の力に誇りを持つ。
「ねぇ、私って舐められてるのかな」
[またいじわるされたの?]
「うん。今日は八雲に氷の妖精、それと新聞記者」
[すこしくらい、はんげきしたっていいとおもう]
花の言う通りだ。やられっぱなしでいる道理などなく、嫌なら言葉なり態度なりで示してやれば良い。風見 幽香にはそうするだけのポテンシャルがある。
[でも、ゆうかはあんまりすきじゃないよね]
「まぁ、ね」
幽香は、誰かと争うのが苦手だ。できないからではなく、やりたくない。力比べをすれば加減しても相手が大怪我をしかねないし、口喧嘩になれば言われるばかりで心が擦り減る。
「喧嘩するよりは、貴方達とお喋りしている方が好きだわ」
つまるところ、彼女はある意味究極的に争いというものに不向きなのである。大妖怪としてはありえない程に優しく、さらに取っ付きやすい人柄もとい妖怪柄が災いして、知り合った人妖は皆彼女にちょっかいをかけるようになってしまう。
幽香とて無対策でいたわけではない。怖い感じを出そうと思い、とある筋から入手した真っ黒な眼鏡をかけていたこともある。寧ろ悪目立ちして絡まれる頻度が上昇すると分かってからは、あの眼鏡は引き出しの奥で眠っている。
「あーあ。私からも仕掛けてみたいわ」
それは幽香にとって、ほんの冗談のつもりだった。八雲 紫に射命丸 文、その他諸々も強い妖怪だ。下手なことをして機嫌を損ねたら、報復に来るかも知れない。幽香自身はそれを凌ぎ切る自信もあるけれど、花達はどうなるのか。彼らを巻き込まない撃退など、逆立ちしたってできやしない。
故に幽香は我慢する。自分が多少落ち込むだけで大切な友人を守れるのであれば、どうして厭うはずがあろうか。花達と共に慎ましく生きて行ければ、それは彼女にとって本望だった。
[それ、いいんじゃないかな?]
「……えっ?」
Fate quicken.
*
「チルノちゃーん、また明日ねー!」
「おー!」
人間ならざる者共も、時に群れ時に遊ぶ。彼女達はその代表格みたいなもので、今日も夜が更けるまで遊び呆けていた。
「すっかり暗くなっちゃった」
月明かりに薄ぼんやりと照らされながら、友達と遊んだ記憶をなぞる。今日も楽しかった。夜雀を凍らせた時は相方に雷を落とされたけど、それもチルノという妖精の中では愛すべき記憶として残る。
妖精であるが故に、詳細はどんどん脳から剥離していく。もう既に、遊び始めたくらいの記憶はあやふやだ。けれどそれを悲しいこととは思わない。無くなっても無くなっても、楽しさは後からどんどん充填されていくのだから。
「おん?」
鼻歌を歌いながら、夜闇を陽気に飛んでいく。眼下に見知った妖怪の姿を見つけたので、降りて声をかける。いつもは家でゆっくりしているはずなのに、珍しいなとふと思う。
「幽香、こんな時間に何してるの?」
だが、反応がない。二度三度呼びかけても、彼女はチルノに背を向けて佇むばかり。無視されているのだと思い、少々むっとしながら肩をべしっと叩く。
「ねぇ、聞いて──」
振り返った顔は、顔でなかった。
より正確には目も鼻も口も無い、所謂のっぺらぼうであった。真っ白な平面がチルノの方を向き、如何なる感情も感じさせずただじっと立つ。
「ぎゃーーーーっ!?」
こんなものに出会ったら、誰だって尻尾をまいて逃げ出す。尻尾の無い種族であれば、踵を返して走り去る。チルノは後者であった。きっと1日の楽しさや喜びも吹き飛ぶような恐怖を味わったことだろう。今夜は震えて眠れ。
「あらあら」
お手製の原寸大風見 幽香擬きは、中々出来が良かったらしい。ハンドメイド作品の予想以上の効果に、幽香はご満悦だ。前に人形遣いから半ば強引に教え込まれた人形作成の技術だったが、全く技というものは何処で活きるか分からないものである。
[いたずらなら、おこられない]
「そうね」
程度にだけ気をつければ、やり返すには完璧な手段ではないか。相手を怪我させずに、驚かせたり怖がらせたりして溜飲を下げるのは、何だか何処ぞの付喪神みたいでもある。そういえばあの唐傘お化けにもこの前尻餅をつかされたし、いずれ報復するリストに入れておくべきだろう。これで彼女の絶許メンバーは、30人を数えることとなった。
[つぎは、きょうかいのけんじゃ]
「うん」
数いる不埒者の中でも、奴は特にたちが悪い。いつか積年の恨みを晴らし、泣かせてやろうと思うことはや数年。これまでの紫からの逃走は、全て失敗に終わっている。軽い悪戯の効能が実証された今、相手にして不足のない妖怪と言える。何を想像したのか、幽香の口角がくにゃっと吊り上がり。
「うん?」
あれっ。いきなりそんな、幻想郷最終決戦をするおつもりかこのクチナシ。
*
「それで幽香、『きゃっ』って!あのフラワーマスターがよ、ほんとにもうっ!」
「あー……名前と現実のギャップが激しいわねぇ」
「愛される大妖怪。酷く不可思議で、それでいて面白いわ」
満天の星空の下で、優雅に夜のお茶会を楽しむ女が3人。大陸の道士に近い服装で身を包む金髪の少女、薄い青色の髪をしたナイトキャップの幼娘、左右で色の異なる奇抜な服を着こなす銀髪の女。誰もが凡百とは比較にならない圧倒的な美貌を誇り、単体でも人間の男の視線を残らず釘付けにしてしまえるだろう。
そんな3人が1つのテーブルに集まって仲良く語り合っているのを、奇跡と呼ばずして何と言えば良いのか。議題に目を瞑りさえすれば、そこは間違いなく現し世の楽園であった。
さて、可憐にして玲瓏たる少女達は、一体何を話しているのか。
全く、可愛過ぎて精神衛生上よろしくない。いつか個人的にお仕置きをしてやらないと、奇しくも全員の根底にあるどす黒い欲塗れの義務感は一致していた。
「ねね、今度はもう少し踏み入ってみない?」
「踏み入るって、具体的にはどうするのよ」
「そうねぇ……お着替えを覗いたりとかっ!」
きゃー、と黄色い悲鳴をあげた紫だったが、ここで意外な常識を発揮する者が。教養高き夜の王に意外、だなんて言うのは不遜だろうが、普段の行いを見るにそう言わざるを得ないのだ。
「いや八雲、それは流石に不味いんじゃない?本気で怒られそうなんだけど」
「そのスリルこそ楽しむべきじゃないかしら」
「命を賭す価値ってあるのかなぁ」
レミリア・スカーレットは
「面白そうね。乗ったわ、決行は明日かしら」
「いえ、計画を練る時間が必要よ。一先ず明後日の予定でいておきませんこと?」
「成程、その通りね」
しかも薬師まで紫へ同調する。駄目だこいつら、長生きし過ぎて脳味噌が腐り落ちてる。呆れ顔だが、レミリアも機会が来れば基本的に躊躇わずちょっかいをかけていくのであまり変わらない。まだ幾許かの良識を残してはいるので、大人組よりはましではあるけれど。
「次はまだお着替えだけど、我々USPはゆくゆくはお風呂にまで進出したいと考えているわ」
「勝手に変態集団の頭数に加えないでよ」
「三人寄れば文殊の知恵。増して我々の知恵を結集すれば、この超絶高難易度ミッションも決して不可能ではないでしょう」
「話を聞いてくださる?」
賢い奴程、ぶれた時の振れ幅が大きい。自分達に置き換えればすぐにでも分かるはずだ、着替えも風呂も断じてプライベートなものであると。人の欲せざるところ人に為すことなかれ、大陸の偉い人間がかつてそう言ったとか言ってないとか。今日この場においては至上の名言だ、コウシとやらには是非冥府から蘇ってこのいかれた天才達に教えを説いてやってほしい。
やれやれと首を振りながら紅茶に口をつける。ふと、座っている席の周りが暗いような気がした。夜なのだから明かりが無くて当たり前なのだが、それを考慮してもやや光量が足りていないように感じられる。
いや、暗いというか重い。重力が10倍になったみたいに、頭から足まで全身が重苦しい。
「裸の付き合い!幽香の身長に似合わない大きな双丘、いかでか拝まんやっ!!」
「うふふ。エクステンドの波動を感じるわ」
「ご生憎様、伴侶でもない輩に見せる程私の体は安くないの」
「まぁまぁ、そう言わずにちょっとだけ」
……骨の折れる乾いた音と肉のひしゃげる水気ある音、それらを紫が同時に捉えたのは、レミリアが蝙蝠と化して館内に避難してから僅かに3秒後のことであった。そも何故彼女は
ではその危険とは、具体的にどのようなものか。恐ろしい顔をした巨大な化け物、血に濡れた鈍器を持つ大男、個々人それぞれが多様なイメージを描き出すはずだ。だが、そのいずれも突如現れた特級の危険生物に掠りさえしていない。
「こんばんは。月が綺麗ですね」
幽香は、笑っていた。にこりと上品に、高貴なる悍ましさと美麗なる惨憺さを纏って。手に抱えた白い花が、心做しか居心地悪そうに見える。仕方の無いことだ、ここに比べれば地獄の釜も仙女の踊る桃源郷に等しいのだから。
隣で永琳が死んでいる。おかしいな、蓬莱人は不死の存在だったはず。だが、頭から紅い液体を零して髪を霊夢カラーに染めていく彼女は、黙して起き上がる気配を見せない。鬼すら凌ぐ拳は、彼女を不死の定めから解き放ったと言うのか。単純な腕力で運命を捻じ曲げるとは、レミリアの立つ瀬がないじゃあないか。そういえばいないが、何処行った。
「あ、愛の告白かしら。やだうれしいなーうふふ」
「こんなに月が綺麗だから」
「それはレミリアの台詞じゃないかなーって思うんだけど」
拳を振りかぶり、妖力を右の腕に凝縮していく。目の前でみるみる青くなっていく整った顔に、決して赦されないギルティを叩きつけんがために。
「三千世界を吹き飛びなさい」
──千年昔、不死の煙は富士の高嶺から月へと届いた。そして今宵、不死は走馬灯にて月を浮かべ境界は遥か上空へと吹っ飛んでいった。
*
「ふぅ。危ないところだった」
独りごちて、冷や汗を拭う。べしゃり、と何か人間くらいのサイズの肉塊が地面に落ちたかのような音が聞こえたのは、多分気の所為なんだろう。テラスで極限まで高まっていた化け物じみた妖気も、幻覚だと思いたい。
「おはようお姉様、何してるの?」
「おはよう。命の危機を脱してきたわ」
「巫女?」
「違う」
夜も深まり、レミリアの妹が起床の時間を迎えた。冷や汗だらだらの姉を見て、面白いことでもしていたのかと話をせがむ。しかし残念なことに、当のレミリア本人は今全くもって楽しさとかいう感情とは無縁である。
霊夢じゃあないとすれば、あとの候補は正直五十歩百歩である。並べられたどんぐり達の中で、まだ背丈のある奴と言えば。妹君はうむむと悩む。
「巫女じゃないなら、ぱっちゃん?」
「そりゃ昨日だ。今宵は花妖怪よ」
「骨が折れますわね」
「あの場にいたら折れてたわ」
寧ろ無事な骨なんてあったんだろうか。いや、骨よりまずは臓器系の心配が先だ。そう考えると、五体満足でこうして妹と話せていることが素晴らしい幸運のように思えてきた。安堵からか、一息吐く。忘れていた眠気が、ふんわりとレミリアを包み込む。
「ふあぁ……そろそろ寝ようかしら」
「出たわね反吸血鬼的行動」
「面白い奴らは昼間に動き回ってるからねぇ。おやすみ、夢が楽しくなるように祈っといてちょうだいな」
「そうだね。今回の夢は、長くなりそうだし」
ま、悪魔にでも頼んどいてあげる。ひらひらと手を振る妹が、どうして哀れみの目を向けてくるのかレミリアには分からなかった。まるで明日には精肉店に並ぶ豚を見るかのような目で、じっと見られるのは中々堪えるからやめてほしい。
しゅっ、と左を向いた。そちらには壁があるのみだが、虫でも見えたのだろうか。暫く沈黙した後に、彼女は体をぐらりと傾けた。そしてそのまま、受け身も取らずに倒れ伏した。
「見事なお手前でしたわ、幽香」
「ありがとう」
首がほぼ180°回ってしまった姉を見下ろしながら、妹は優雅に一礼。滅多に見られない白目を剥いたレミリアは余程物珍しいのか、頬をつついたり頭を叩いたりして遊んでいる。これはこれで血も凍る恐怖の光景だが、咎め役は用意されていない。
「これで完璧ね。海へ帰りましょう」
[ゆうか、あそこははなばたけ]
「そう。昼も夜も私を癒してくれる、花の海へ」
……本当はもっと軽い悪戯に留めるつもりだったけど、それを知る者は誰もいない。
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