迷子のプレアデス (皇帝ペンギン)
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Prologue

祝! 亡国の吸血姫!!




「はぁ……」

 

 プレアデス副リーダー、ユリ・アルファは本日何度目かの溜め息を吐いた。ひとつ吐く度に「あー、ユリ姉。幸せが逃げるっすよ」と次女であるルプスレギナの軽口が聞こえてきそうだ。いっそのこと本当に聞こえたらどんなにいいか。熱狂的な声援はうるさいくらいに響いているが彼女の声はない。

 

「本当に……どうしてこんなことに」

 

 もうひとつ溜め息。うなり声を上げ突っ込んでくる相手に対しガントレットを起動し、拳を固める。ガツンと胸の前で両の拳を打ち付けた。とりあえず、殴ってから考えよう。

 

「ユリ姉……頑張れー」

 

 また別な妹の抑揚のない声が聞こえた。

 

「決まったぁああああ! ここに新たな女王の誕生だぁあああ!!」

 

 割れんばかりの大歓声が巻き起こる。ユリ・アルファは声援にぎこちない笑みで応えた。バハルス帝国、闘技場は新たなチャンピオン誕生に沸きに沸いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「やあ、おめでとう! まさかあの武王に勝ってしまうなんてね」

「ありがとうございます」

 

 闘技場での劇的な勝利の後、ユリ・アルファは帝城に招かれていた。帝国の支配者――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。彼は優しげな好青年の顔でもってユリ・アルファと妹のシズ・デルタを快く迎える。そこに鮮血帝と揶揄される苛烈さは微塵も見当たらない。

 

「がっはっはっ! どんな厳つい野郎かと思いきや、こんなべっぴんさんとはな! なあ、ニンブル?」

「御前だぞ、バジウッド。それに彼女にも失礼だ」

 

 ジルクニフを取り巻く帝国四騎士が一人、〝雷光〟バジウッド・ぺシュメルの発言を同じく四騎士の一人〝激風〟ニンブル・アーク・デイル・アノックが諌める。〝不動〟ナザミ・エネックは沈黙を守り、〝重爆〟レイナース・ロックブルズは何が気に食わないのか、斜に構えて舌打ちした。

 それはレイナースのみならず、給仕のメイドたちも皆似たような反応を示していることからも窺える。ユリとシズは共に絶世の美というものを備えていた。かの黄金の姫に勝るとも劣らない美しさだ。レイナースやメイドたちとてかなりのものだが、同性の嫉妬とはかくも恐ろしいものなのか。ジルクニフは内心の腹立たしい思いを表情に出さぬよう苦労した。

 

(馬鹿め……気持ちはわからぬでもないが今だけはよせ)

 

 帝国四騎士が全員掛かりでも勝てない武王。彼に単独で勝てた、しかもとびっきりの美女ときたものだ。その計り知れぬ価値はフールーダ・パラダインに次ぐと言っても過言ではない。逃す手はなかった。

 

「アルファ殿、少しよろしいだろうか」

「何でしょう、皇帝陛下」

 

 ジルクニフは物腰柔らかな好青年の顔を浮かべる。幾人もの異性を虜にしてきた笑顔のはずだが、この女性の前にははたしてどれほどの効果があるか。

 

「見たところ君たちはこの国の人間ではないようだ」

「それは……」

 

 言い淀むユリの表情がわずかに曇るのをジルクニフは見逃さない。

 

「これほどの美しさだ、ひと目見たなら決して忘れることはないだろう。無論、デルタ殿も」

「お戯れを」

「…………」

 

 ユリは世辞を軽く受け流しシズは我関せずの態度を貫く。というか妹の方は先ほどからひたすら果実水を飲み続けている。そんなに気に入ったのだろうか。グラスにストローを刺しチューチュー啜っている。眉間に寄った皺が若干気になるが彼女の癖なのだろう。ユリはそんな妹から目を逸らしつつコホンとひとつ咳払いし、

 

「お察しの通り、私たちは帝国の人間ではありません。この国には情報を求めてやって参りました」

「ふむ、してその情報とは?」

 

 ジルクニフの食指が動く。これだ、ここで彼女たちの望む情報を与え恩を着せるのだ。その上で仕える気はないかそれとなく交渉に持っていく。

 

「はい、私たちは――」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「はあ? 今何と」

「聞こえなかったっすよ? ほら、もっと大きな声で」

「……も、申し訳ない。どうやらこのエ・ランテルには君たちの求める情報はないようだ」

 

 王国城塞都市エ・ランテル、冒険者組合長のプルトン・アインザックと魔術師組合長のテオ・ラケシルは目の前のメイド姿の二人に深々と頭を下げた。

 

「チッ……何の役にも立ちませんね。この下等生物どもは」

「まぁまぁ、そこまで言っちゃ可哀想っすよ」

 

 ナーベラル・ガンマが悪態をつき、ルプスレギナ・ベータがそれを諌める。よくよく観察すると諌める振りをしているだけだ。あまりにもあんまりな物言いにもアインザックたちは反論することはない。いや、できない。彼女たちは英雄なのだから。

 突如として外周墓地より大量発生したアンデッド。圧倒的物量の前には外壁を隔てる門など何の役にも立たない。無数のアンデッドは亡者の渦と化し瞬く間に居住区へと押し寄せた。中には骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の姿もあったという。それも複数体。ミスリル級までの冒険者しかいないエ・ランテルでは対処の仕様がなかった。次々に襲われ動死体(ゾンビ)と化す市民たち。動死体(ゾンビ)がまた新たな犠牲者を生み、また繰り返す。被害は雪だるま式に増えていく。対して一人、また一人と倒れ臥す冒険者や憲兵たち。このままなすすべもなく蹂躙されるしかないのか。

 

 その瞬間、

 

「〈雷撃(ライトニング)〉」

「〈大治癒(ヒール)〉」

 

 颯爽と現れた二人の美女。彼女らは強力な魔法を繰り瞬く間にアンデッドを殲滅。黒焦げになった首謀者と思しき男を憲兵たちへと突き出した。

 ナーベラル・ガンマとルプスレギナ・ベータ。エ・ランテル始まって以来最悪の厄災となりかけたアンデッド騒動を二人は電光石火の早業で解決する。おかげで人的被害は最小限に止まった。まるまると肥えた都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアが礼を述べようとして、

 

「ぷひー。いやあ、きみたちのおかげでたすかっ――」

「アインズ・ウール・ゴウンについて教えなさい! さあ早く!!」

「ナザリック地下大墳墓はどこっすか!!」

「ぷひーー!?」

 

 二人はものすごい剣幕で詰め寄った。パナソレイは豚のような悲鳴を上げてひっくり返る。アインズ・ウール・ゴウンにナザリック地下大墳墓。まるで聞いたことのない人物、または組織、あるいは地名、場所。それから一週間、冒険者組合、魔術師組合の組合員たちが総出でエ・ランテルの蔵書を当たった。されどめぼしい情報は何一つ見つからずじまいに終わる。不眠不休で検索作業にあたり眼の下にクマを作るアインザックたちに、しかし美女二人は労うどころか蔑みの言葉を浴びせた。

 

「で? 情報も碌に提供できない哀れなアンタらは私たちに何を提供できるんすか?」

 

 軽い口調とは真逆なルプスレギナの刺すような眼光。アインザックとラケシルは思わず身震いしてしまう。この対応を違えてはマズイと本能が訴えかけてきた。

 

「ま、待て待て待て! ちょっと待ってください!」

「お、お主たちが欲してる情報は王都にならばあるかもしれんぞ!」

 

 アインザックは地図を広げるとエ・ランテル、王都リ・エスティーゼ間の経路を指し示した。

 

「へぇ、王都か……ナーちゃんはどう思うっす?」

「いいんじゃないかしら? こんな下等で下賎な輩の相手をしているよりは幾分マシだわ」

 

「…………」

 

 アインザックもラケシルもこめかみをひくつかせ、喉元まで出かけた反論を何とか抑え込む。彼女たちは英雄、英雄、英雄……神への祈りのようにブツブツと自己暗示をかけひたすらに耐えた。

 

「王立図書館を余所者が訪ねても門前払いされるのがオチだろう。我々が紹介状を書こうではないか」

「えー、アンタらみたいなショボくれたおっさんの紹介状なんて役に立つんすかぁ?」

「甚だ疑問ですね」

「う……ぐぐ……!」

 

 淀みない流れで罵倒される。おそらく普段から罵倒し慣れているのであろう。そこに疑いの余地はなかった。だが挫けない。性格はさておき、彼女たちの力は本物だ。王国に取られる前に是非ともコネクションを築いておきたい。そのためには、

 

「ナーベラル嬢、ルプスレギナ嬢。お二人に折り入って話がある。君たちにとっても悪い話ではないはずだ」

「……どうだろう? 冒険者になってみないかい」

「冒険者?」

 

 この後、当然のように最高位を要求する二人にアインザックたちは散々泣かされることとなる。最終的には特例として試験免除でのミスリル級の資格。さらに街を救った報酬として多額の金貨を支払うことで何とか勘弁してもらった。

 

 ここに未来のトラブルメーカー、ミスリル級冒険者チーム『美姫』が爆誕した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「ぽりぽりぽり……はぁ、やっぱり人間の男って最高ぉ」

「そう? 私は女の方が好みだけど」

 

 楽しげに談笑しながら街道を歩く二つの影。エントマ・ヴァシリッサ・ゼータとソリュシャン・イプシロン。十人とすれ違えば十人とも振り返る美貌を誇る二人は談義に花を咲かせていた。

 

「うぷぷぅ、ソリュシャンの食べ方ならお肉の柔らかさなんて関係ないじゃないぃ」

「あら、結構違うのよ? 女の良さがわからないなんて貴方もまだまだね」

「確かに女も脂がのってて美味しいけどぉ」

 

 内容さえ聞かなければ微笑ましいことこの上ない。好きな食べ物の話。最中、エントマは恍惚の表情を浮かべ()()()を貪り食う。()()()()()()()()()()()()()()()()()。他の姉妹はさして欲しがらなかったため、エントマとソリュシャンで山分けしたのだ。彼女が齧ってるのはその残り。血の滴る成人男性の上腕を肩口からポリポリと齧る。綺麗に食べ終えたエントマが、顎の辺りを拭いながら問いかけた。

 

「ねぇ、ソリュシャン。本当にこの道であってるぅ?」

「ええ、問題ないはずだわ。ちゃんと道案内に沿ってるし。ねえ?」

 

 妹の言葉にソリュシャンは大きく胸元をはだける。露わになった豊満な双丘からヌルリと何かが浮かび上がってきた。はたして、それは人間の頭部だった。皮膚が溶け、焼けただれた様は男か女か判別不可能。辛うじて声から男と判断できる程度だった。不定形の粘体(ショゴス)であるソリュシャンが文字通り丸呑みしたものだ。こんな状態になってもまだ男は生きていた。生かさず殺さず。彼の生命力が特別高いわけではない。できるだけ長く、男の悲鳴と苦痛を愉しみたいという思惑からである。

 

「はははぃいい!! ぞうでじゅうぅうう!! ご、ごぢらがほうごぐにつながるみぢでしゅぅううう!! ひぎぃいいい! た、たしゅけ――」

「ほらね?」

 

 良い感じな消化具合にソリュシャンは大層気を良くする。元どおりに収納し、それから自身の手に輝くクリスタルに視線を落とした。魔封じの水晶――今現在消化中の男が所持していたものだ。ソリュシャンの口角が耳元まで大きく吊り上がる。端整な顔立ちが醜く歪んだ。

 

「うふふ、楽しみだわ」

「お肉ぅぅ! 食べ放題ぃぃ!」

 

 二人は足取りも軽くスレイン法国へと向かった。




投稿ミスったので再投稿です。ご迷惑をおかけしました。


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第一話

 朝の光が帝城を照らす頃、長い回廊を行く一人の女がいた。黒檀のような髪を夜会巻きに束ねる彼女の名はユリ・アルファ。足取りひとつとってもどこか優雅さを感じさせる。

 

「おはようございます、アルファ様」

「おはようございます」

 

 ユリは柔らかく微笑み、メイドたちと丁寧に挨拶を交わす。仕草ひとつとっても同性ですら見惚れてしまう程だ。凛とした佇まいはそのメイド服が伊達ではないことを窺わせた。歩く姿は百合の花とはよく言ったものだ。当初は〝黄金の姫〟に比肩する容姿故、メイドたちに疎まれていたものだが。数日と経たずしてその評価は一変する。

 ユリとシズには賓客としてそれぞれに部屋が用意されていた。ベッドメイクに立ち入ったメイド曰く、二人が使用した部屋はむしろ以前よりも輝いて見えたという。塵ひとつ、埃ひとつない床。曇りない窓はまるで鏡のよう。ベッドカバーやシーツなどはまるで下ろしたてのように皺ひとつ存在しない。ユリたちが垣間見せた桁外れのメイド力にメイドたちの嫉妬は憧れへと昇華していた。二人には自覚などないが、今では軽くアイドル扱いである。

 すれ違う寸前、廊下の端に寄り会釈するメイドの胸元でユリの視線が止まる。

 

「あら、貴方。リボンが曲がっていますよ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ユリはメイドのリボンを手慣れた手つきで整える。年若いメイドの顔は真っ赤に染まっていた。

 

「気をつけなさい。メイドの立ち振る舞いひとつで主人の品格が見定められることもあるのですから」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 軽く会釈しメイドたちとの会話を切り上げるユリ。背後から聞こえる黄色い歓声が彼女にナザリックでの記憶を思い起こした。妹たち以外の一般メイドも、皆ユリのことをお姉さまと呼び慕ってくれていた。ちょうどあの子たちのように。

 早くナザリックへと帰還しなくては。思いを一層強めたユリの足は帝城を後に歴史研究所に向いていた。省庁ではなく、研究所止まりなのは魔法省などと比べて国としての優先順位が低いためだろうか。

 ジルクニフの許可は既に得ている。すっかり顔馴染みとなった受付職員と挨拶を交わすと、ユリはいつもの棚へと赴いた。見上げるほど大きな棚には分厚い本や巻物がびっしりと敷き詰められている。ユリはその中からアインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓の手がかりになりそうなものを吟味する。六大神、または四大神。八欲王に十三英雄。十冊ほどを選び出し机に積み上げた。

 この世界はナザリック地下大墳墓があった世界ではないかもしれない――長い議論の末に出したプレアデスの総意だった。言葉こそ通じれどナザリックと全く違う言語。見たことのない通貨に聞き覚えのない国家群。文化、風習。そしてアインズ・ウール・ゴウンという存在を誰一人知らぬという事実。あの名が轟いていないというのはあまりにも奇妙な話である。

 まだナザリックが至高の御方たちで賑わっていた頃、彼らの会話の中にときおり“りある”やムスペルヘイム、アースガルズと言った異世界の話があった。ここは数ある世界のうち、未だ至高の御方の威光の届かぬ辺境の地なのではないか。仮説を裏付ける何かが欲しい。ユリは過去にその情報を求めた。

 

「手がかりになるものがあると良いのだけれど」

 

 幸いなことに、ユリの眼鏡は他言語を自動で翻訳する機能を有していた。創造主たるやまいこに感謝しつつ、ユリは選んだ一冊「六大神がもたらした奇跡」という銘の本を紐解いた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「……え」

 

 思わず漏れた吐息は誰のもの? 妹たちか、それとも自身のものか。ユリは困惑した面持ちで傅いた体勢を解く。先刻までプレアデス(自分たち)はナザリック地下大墳墓、第十階層の玉座の間に控えていた。段上にいたアルベドも傍らのセバスも、玉座に座す至高の御方の姿も見当たらない。どこにも。

 視界に広がるのは鬱蒼と生い茂る木々や草花。一瞬、ナザリック第六階層かと思ったが、木漏れ日から見え隠れする青空と光とがそれを否定する。第六階層は星天の夜空だったはず。そもそも香る草木の匂いも違うし、第六階層守護者(アウラ)が操る魔獣たちの気配もない。

 少なくともナザリック地表の神殿部からは遠く離れているだろう。記憶が確かならば、ナザリックは何人をも寄せ付けぬ毒の沼地に存在したはずだ。目の前に広がる光景とは似ても似つかない。

 

 真っ先に思い当たる可能性は侵入者の仕業。魔法詠唱者(マジック・キャスター)が自分たちをナザリック外へと強制転移させたのでは? 至高の存在は言うに及ばず、守護者統括たるアルベド、プレアデスリーダーのセバスは共に百レベルの絶対的強者。高レベル故、彼らを強制転移させることはできなかったのであろう。

 そこまで思考し、全員の顔色が変わる。血の気の引く思いだった。プレアデスの存在意義、至高の御身を守る盾として死ぬことができないではないか。急ぎナザリックに帰還しなくては。そう結論付けた時、ルプスレギナがくんくんと鼻を鳴らす。人狼(ワーウルフ)の彼女はいち早く異変を察知した。

 

「ユリ姉、何か焦げ臭いっす! 血の臭いも! 向こうの方からっす!」

「あれは……魔法?」

 

 木々の向こう、ルプスレギナが促す方向からいくつも黒煙が立ち昇っている。さらにナーベラルが魔法陣の輝きに気づいた。続いて轟く爆音。

 

「行ってみましょう!」

 

 可能性は低いが至高の存在や仲間たちがいるかもしれない。戦闘メイド(プレアデス)は誰ともなく駆け出した。

 

 

「なっ、何者だ貴様ら! どこから現れた!?」

「――――!」

 

 そこには凄惨な光景が広がっていた。元は小さな集落だったのだろう。徹底的に破壊し尽くされ、燃やされた家屋。そこかしこに転がる村人や戦士風の死体。目の前には数十人の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。怒声を上げる金髪の男を除き、皆一様に奇怪なフードで顔を覆っている。さらにその魔法詠唱者(マジック・キャスター)が召喚したと思しき無数の天使。天使たちが持つ光の剣が四方から黒髪の男を貫いていた。金属鎧を纏った屈強な体躯から鮮血が噴出し、黒髪の男は前のめりに崩れ落ちる。その瞳からは既に光が失われ、何も映してはいなかった。

 

「村人の生き残りか? ……まあ、良い。運がなかったな、女!!」

 

 金髪の男が吼える。部下の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がすぐさま天使へと命令を下す。一体の天使が勢いよくプレアデスへと躍り掛かった。

 

「…………」

 

 瞬間、ユリの剛拳が唸る。天使の懐へと踏み込み強烈な一撃を叩き込んだ。思い切り吹き飛ぶ天使は、他の個体を巻き込み消滅。光の粒子が舞い散った。

 

「なっ、馬鹿な……!?」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちにどよめきが広がる。

 

「みんな、戦闘用意!」

「はいっす!」

「はい!」

「了解」

「はぁい」

 

 ユリの瞳が義憤で燃え上がる。黒髪の男の背後、死した村人の中に少女がいた。少女はより幼い少女を庇うように抱きしめ、背中から斬られる形で絶命していた。妹もろともに斬り伏せられたのだろう。同じ妹を持つ姉として、思うところがあったのだ。戦闘メイド(プレアデス)はその本領を発揮した。

 

 

 

「……ユリ姉、こんなことして何の意味があるんすか?」

「ほら、無駄口叩かない。口よりも手を動かして」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちを始末した後、ユリたっての願いでプレアデスは穴を掘り、死者を弔っていく。村人やおそらく村人を守るために散っていった戦士たちを埋葬した。ルプスレギナとナーベラルは渋々、ソリュシャンとエントマは食事後なので上機嫌に。シズは無表情で淡々と。簡易であるが村人には石を、戦士たちにはその剣をもって墓標とした。それからユリは散っていったものたちへ黙祷を捧げる。

 

「きっと……やまいこ様ならこうすると思うわ」

 

 ユリの言葉は何よりも説得力があった。なるほど、あの慈悲深き御方ならば下等生物(にんげん)にも慈悲を与えるのだろう。妹たちも人間のためというよりは至高の存在へと敬意を払いそれに倣った。

 その後()()()を尋問した結果、そう遠くない位置に大都市エ・ランテルがあり、そこからほぼ同じ距離に三つの大国があると判明した。一刻も早くナザリックに帰還する――そのためにプレアデス六人を二人ペア三チームへと分け、効率的に探索することにした。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「ふう……これもダメね」

 

 ユリは溜息混じりに本を閉じた。アンデッド故疲労はないが、その表情にはどこか落胆の色があった。

 

「六大神のひとり――スルシャーナ」

 

 唯一ユリの興味を惹いたのは最も古きに人類を救ったとされる六人の神。そのうちの死の神、名はスルシャーナ。彼は異形種でありながら、人類を救い今日のスレイン法国の基礎を築いたという。ユリの白磁のような指が無意識のうちに挿絵に描かれた髑髏の相貌をなぞっていた。

 

「……モモンガ様」

 

 脳裏に浮かぶのは至高の存在。その中でも最も慈悲深い君。最後まで自分たちを見捨てずに側にいてくださった御方。口伝するうちに伝承が歪み、()の御名がねじ曲げられた、という説はどうだろうか。我ながら暴論だとユリは自嘲気味に笑う。会いたい気持ちは募るばかりだ。

 

「法国のことはあの子たちに任せましょう」

 

 妹たちの顔を連想した時、遠くから鳴り響く神殿の鐘楼の音。気がつくともう陽が傾き、夜の帳が下りかけていた。

 

「いけない、そろそろシズと合流する時間ね」

 

 シズには今日は中央市場の方を担当してもらっていた。帝城で合流し、本日の情報の擦り合わせをしなければ。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「よろしいかしら?」

「はい? ええと、貴方は確か四騎士の……」

 

 帝城に戻ったユリに意外な人物が話しかけてくる。ジルクニフの護衛の一人。帝国四騎士の紅一点、レイナース・ロックブルズだ。

 

「ロックブルズ様?」

「覚えていてくれたのね、嬉しいわ」

 

 笑顔を浮かべるレイナースだが少しも友好的な雰囲気はない。むしろピリピリとした敵愾心があった。

 

「貴方、腕に覚えがあるのでしょう? 少し付き合ってくださいな」

「ええ、喜んで」

 

 普段のユリであればこのような見えすいた挑発になど乗らないだろう。しかし今日はモヤモヤとした気持ちを抱えてしまい、思い切り身体を動かしたい気分なのだ。二人は中庭へと移動した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「どう思う? じい」

 

 帝城政務室。帝国の支配者、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは窓辺にもたれかかり、その視線を中庭へと一身に注いでいた。

 

「何のことですかな、皇帝陛下?」

 

 長く蓄えたあご髭を撫で上げながら、じいと呼ばれた帝国最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダ・パラダインは宣う。

 

「決まっているだろ? アインズ・ウール・ゴウンについてだ」

 

 中庭では二人の美女が激しい模擬戦を繰り広げている。“重爆”の名を冠すレイナースの槍をユリは完璧に見切っていた。初見にも関わらず、一合たりとて掠りもしない。

 

「ふむ……もしもアインズ・ウール・ゴウンなる組織が実在するとしたら、帝国にとって潜在的な脅威となりえるでしょうな」

 

 ジルクニフが頷く。自分と全くの同意見だ。はるか南の砂漠にあるという天空城並みに眉唾ものであるが。しかし現に彼女たちはここにいる。考えたくはないが、帝国最強の四騎士や武王を超える力を持つ存在を、単なるメイドに据え置く。そんな規格外な組織が存在するとしたら? いっそのこと、全てが(ブラフ)であればどんなにいいか。あくまでもユリ・アルファが最高戦力で、そんな彼女にメイドの格好をさせる倒錯者が支配者の組織。それはそれで問題がありそうだ。ともかく、最悪の想定に備えておく必要があるだろう。

 

「……何とか彼女を取り込めないだろうか」

 

 それとなく探りを入れてみたが、ユリの忠誠心は非常に高い。組織を鞍替えさせるのは難しいだろう。妹の方は無表情で反応に乏しい。どうしたものか。ジルクニフは腹部を手で抑えた。何だか胃がキリキリと痛むように感じた。

 

 

「降参です。流石ですわね」

「いえ、非常に実りあるものでした。ロックブルズ様」

 

 何度槍を穿っても掠りもしない。息を切らしたレイナースが槍を収め、降参とばかりに両手を挙げた。

 

「レイナースと呼んで下さいな」

「では私のこともユリとお呼び下さいませ。レイナース様」

 

 拳を合わせることでお互いの実力を認め合ったのだろう。二人が握手を交わす。美しい光景だ。バハルス帝国とアインズ・ウール・ゴウンもそのような関係になれると良いのだが。

 

 

 




次回はシズ編です!


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第二話

「…………」

 

 シズ・デルタ。正式名称CZ2128(シーゼットニイチニハチ)・Δ。ユリと別れた彼女は中央市場を訪れていた。露店に雑多に並べられたマジックアイテムをじーっと眺める。中に入れた食材の傷みを防ぐ冷蔵庫。冷めた料理を温める電子レンジ。魔法の効果が切れるまで音楽を繰り返し流す音楽プレーヤー。何となく、博士のラボにある様々な機器と似ているとシズは思った。一通り回ってみたが、この場にアインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓に関連するアイテムは無さそうだ。

 

 シズが場所を移動しようと踵を返しかけた時、

 

「きゃっ」

 

 トンッと軽い衝撃。何かがぶつかってきた。視線の先には尻もちをつく小さな女の子。長い金髪にヘアバンド、切り揃えられた前髪から覗く碧眼を白黒させている。幼いながらに整った容姿は、将来さぞ異性を惹きつけることだろう。その子によく似た子がもう一人、すぐ後ろから息を切らせて駆けてくる。

 

「ご、ごめんなさい! だいじょうぶですか?」

「…………平気。貴方こそ、大丈夫?」

 

 シズは手を差し出し、女の子を助け起こした。

 

「もぅ、クーデリカ! 走っちゃダメだってお姉さまにいつも言われてるでしょ?」

「ごめんなさーい」

「…………そんなに急いでどこに行く?」

 

 シズの疑問に少女たちは笑顔で口を揃えた。

 

「私たちはねー、ねこを見に行くんだー」

「行くんだー」

「…………ねこ?」

 

 聞き慣れない単語にシズは反射的にデータベースを照合する。該当データは一件のみ。至高の御方であるやまいこと餡ころもっちもちの会話ログに「ねこってかわいいよねー」という発言が残っていた。

 

「…………ねことは、何?」

「お姉ちゃんねこ知らないのー?」

「知らないのー?」

「…………お姉ちゃん」

 

 無表情ゆえ分かり辛いが、シズは感動を覚えていた。長女ユリ、次女ルプスレギナ、三女ナーベラル、そして四女ソリュシャン。ここまでは良い。問題は五女、六女が決まっていないことだ。シズは自分こそが姉でエントマが妹と主張し、エントマはその逆を声高に主張した。両者の主張は平行線を辿り、未だ決着はついていない。

 そんな中、二人の女の子が自分のことを「お姉ちゃん」と呼ぶのだ。シズならざるとも、気を良くするのは当然のことである。

 

「…………私も行く」

「お姉ちゃんもねこさん見に行きたいの?」

「行きたいの?」

 

 一見無表情、しかし見るものが見ればドヤ顔とわかる顔でシズが頷いた。ねこ──至高の御方々の会話に出てきた存在だ。何かしらナザリック発見の手がかりになるかもしれない。

 

「…………私のことはシズお姉ちゃんと呼んで」

「わかった、シズお姉ちゃん!」

「シズお姉ちゃん、行こー!」

 

 差し出されたちいさな手を握る。右手にウレイリカ。左手にクーデリカ。二人の小さな妹たちを引き連れ、シズは中央市場を後にした。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「あ、あの! 待って下さい!」

「ん?」

「……何でしょう?」

 

 王都リ・エスティーゼを目指すため、馬車に乗り込もうとした“美姫”ルプスレギナとナーベラルは見ず知らずの青年たちに引き止められる。彼らは“漆黒の剣”という銀級冒険者チームを名乗った。

 

「僕たち、あなた方に一言お礼が言いたくて!」

「はい、おかげで助かりました!」

「命の恩人なのである」

 

 チームリーダー、戦士ペテル・モークが頭を下げ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)ニニャと森司祭(ドルイド)のダイン・ウッドワンダーがそれに続く。あの日、アンデッドが大挙してエ・ランテルに押し寄せた時。倒しても倒しても湧いてくるアンデッドの猛攻に“漆黒の剣”がついに力尽きようとした瞬間、雷光が轟き全てを薙ぎ払い、回復魔法が不浄を浄化した。まるで舞うように市街を飛び交う二人のメイド。美姫の活躍はエ・ランテル中の冒険者の語り草だった。

 

「おお、神よ! せっかく出会ったのにお互いを深く知る前にお別れだなんて! なんてひどい仕打ちだろうか」

 

 “漆黒の剣”随一のナンパ野郎野伏(レンジャー)のルクルット・ボルブがオーバーリアクションでナーベラルたちの前に出る。さりげなくナーベラルの手を握り触り触り。反射的に殴り殺そうとするナーベラルをルプスレギナが諌める。ここで騒ぎを起こしては不味いと判断したか、それともただ単に面白がっているだけか。ナーベラルは虫けらを見る目でルクルットの手を払い、それを見たルプスレギナはケラケラと笑った。

 

「まぁまぁ、これが今生の別れって訳じゃないんっすから」

「そうですよ。お互い冒険者同士、また会える日が来ますよ」

 

 ルプスレギナの言葉にニニャが同意する。長い冒険者稼業、他の都市への遠征や拠点(ホーム)を移すことなどままあるものだ。再会の機会などいくらでもある。ルクルットがパアッと顔を輝かせた。

 

「では再会した暁には是非とも俺らとお食事を!」

「それはいい考えだ!」

「お断──」

「構わないっすよ」

 

 間髪入れず拒絶しようとしたナーベラルの言葉をルプスレギナがまたもや遮った。姉の暴挙に妹は非難混じりの声を上げる。

 

「ちょっと、ルプー」

「いいじゃないっすか。面白そうだし」

「うっひょおおい!! やったぜえ!!」

 

 高級宿屋「“黄金の輝き亭”の最高級ディナーを予約しますよ」と息巻くルクルットにパーティメンバーが「それじゃあ、しばらく節約しなくちゃな」と笑い合う。本当に仲の良いパーティだ。少し思うところがあったルプスレギナは何とか己の悪癖を抑え、妹の後に馬車へと乗り込んだ。二頭立ての帆馬車でこの街で入手出来るものでは最高級の逸品。アインザックたちがサービスで用意してくれた。つまりはこれからもご贔屓にという暗黙の了解が含まれているのだが……二人に伝わったかどうか甚だ疑問である。

 

「それじゃあ、()()()()()! 出してくれて構わないっすよ 」

「ひっ……は、はい!」

 

 フードを被った御者が手綱を引く。顔は窺えないが声から女性と判断できた。その響きに若干の怯えの色があることに漆黒の剣は最後まで気づかない。

 

「さよ〜なら〜!」

「また会いましょうね!」

「是非またエ・ランテルに遊びに来て下さいね〜!」

「ナーベラルちゃ〜ん、ルプスレギナちゃ〜ん! 俺らのこと忘れないでくれよ〜!」

 

 漆黒の剣に見送られ、馬車はエ・ランテルを後にした。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 二人の乗った馬車が街道を行く。エ・ランテルが見えなくなった頃、ルプスレギナが深く溜め息を吐いた。

 

「はぁ、失敗した。あいつらの半分くらいゾンビになったタイミングで乱入すればよかったっす。きっとすげー笑えたのになー」

 

 先程から手をハンカチで拭っていたナーベラルが同意する。

 

「いっそのこと、住民全てがアンデッド化するまで待つべきだったのよ。特にあの鬱陶しい下等生物」

「あぁ、それも良いっすねえ! いやぁ、きっと面白いリアクション見せてくれたに違いないっす」

 

「…………」

 

 クーちゃん──クレマンティーヌは聞こえくる地獄のような話題に戦々恐々した。内容の悪辣さからではない。あの程度の嗜虐心ならば、クレマンティーヌとて持ち合わせている。矛先が自分に向きませんように……ひとえにそれだけだ。彼女は心から神に祈った。尤も、今までのゴミのような人生で救いの手が差し伸べられたことなど一度もないが。クソッタレと内心毒づく。気づけば右手が無意識に腹を撫でていた。()()傷跡ひとつない柔らかな肌。しかし生温かい血や臓物の感触がまだそこにある気がした。

 

 

「あれれ〜、どうしたのクーちゃん? 汗びっしょりっすよぉ?」

「ひっ……!?」

 

 瞬間、頬をヌルッと生温かい感触が走る。クレマンティーヌの血の気が引いた。車内にいたはずのルプスレギナがいつの間にかクレマンティーヌの背後に回り、彼女の頬を舐めたのだ。手綱を引く手が滑る。けれども馬車を引くのはナーベラルが〈動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)〉で召喚した石像馬たちだ。言うなれば御者のクレマンティーヌはただの飾り、座っているだけである。馬車自体は一切スリップすることなくそのままの進路を維持した。

 

「あははは! クーちゃん面白! いやあ、仲間に引き入れて正解っす!」

「は、ははは……」

 

 クレマンティーヌは精一杯の愛想笑いを浮かべた。目尻には涙が滲んでいる。どうして自分がこんな目に。己が身の不幸を呪う。クレマンティーヌ──元漆黒聖典第九席次、ズーラーノーンの高弟の一人。神人の三人さえ除けば、英雄の領域に足を踏み入れた彼女に勝てるものなどそうはいない。漆黒聖典メンバーとかち合ったとしても、見事逃げ果せる自負がある。その筈だった。

 スレイン法国を逃亡した。行き掛けの駄賃にと巫女姫の持つ“叡者の額冠”を奪って。エ・ランテルまで国外逃亡を図り、ズーラーノーン高弟カジット・デイル・バダンテールに協力を申し出た。その見返りとして骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を借り受けさらに彼方に逃亡する。完璧な作戦だった筈だ。

 

 全てが狂ったのは、そう……このメイド服の悪魔に出会ったせい。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「なっ──」

 

 闇夜を切り裂く眩いばかりの閃光。轟く雷鳴。クレマンティーヌは咄嗟に骨の背から飛び退いた。瞬間、断末魔の叫びが響き渡る。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が灰燼と化した。 灰の雨が降り注ぐ中、クレマンティーヌの前に二人の女が降り立つ。おそらくは両者ともに魔法詠唱者(マジック・キャスター)。装備や雰囲気から察するに一人は魔力系、もう一人は信仰系だろうか。何故メイド服なのか意味不明であるが。

 

「いきなり何してくれちゃうのかなー? せっかくの足が台無しになったじゃないの」

 

 クレマンティーヌは平静を装い、スティレットを引き抜く。余裕綽々といった表情は(ブラフ)。内心、高速で思考を回していた。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)自体はさほど強いモンスターではない。ミスリル級冒険者チームであれば問題なく倒せるだろう。だが眼前の二人はどう見ても魔法詠唱者(マジック・キャスター)。魔法に対し絶対的耐性を持つ骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を、しかも一撃で倒すだなんて。王国戦士長ガゼフ・ストロノーフやアダマンタイト級冒険者チーム“青の薔薇”のガガーランでも不可能だろう。クレマンティーヌに警戒心を抱かせるには充分だった。

 

「チッ、面倒な」

「おお、人間にしてはやるっすねー」

 

 女たちからはそれぞれ余裕が見て取れる。気に食わない。リ・エスティーゼ王国で警戒しなければならない人物たちの情報を想起するが、女たちはいずれにも該当しない。ならば話は簡単だ。どんな切り札を隠し持っていようが切られる前にやればいい。被っていた猫を脱ぎ去りサディスティックな本性を現わす。クレマンティーヌは口元を不気味なほどに釣り上げた。

 

「はっ、どうやったかしらねぇが所詮魔法詠唱者(マジック・キャスター)! スッといってドスッと──」

「〈雷撃(ライトニング)〉」

「はっ、その程度でこのクレマンティーヌ様が倒せ──ぎゃっ!?」

 

 吐き捨てるような口上が途中で遮られる。〈雷撃(ライトニング)〉を避けたと思った瞬間、地から空へと落ちる龍雷。雷龍の顎がクレマンティーヌを噛み砕く。ジュッと肉の焦げる不快な臭い。それが自身を焼く臭いと気づいた時にはもう遅い。クレマンティーヌの視界が暗転した。

 

「ん……?」

 

 次に目を覚ました時、映ったのは薄暗い石造りの天井。流れる水音と立ち込める鼻が曲がりそうな臭い。エ・ランテル地下下水道のどこかに違いなかった。手足は鎖のようなもので堅く拘束され、ほとんど動かせない。眼前にはあの女たちがいた。

 

「てめえら、クソが! 解け、解きやがれ!!」

 

 無茶苦茶に悪態をつくクレマンティーヌだが、女たちはまったく意に返さない。

 

「あの下等生物共……本当に使えませんね。調べるのに一週間もかかるなんて」

「まぁ、いいじゃないっすか。丁度良い暇つぶしも手に入ったことだし……ねぇ?」

「な、何を……がぁああああ!?」

 

 まるで虫ケラでも見るような見下す視線。刹那、腹に走る熱い感覚と生温い感触。クレマンティーヌが所有していたスティレットが、彼女の腹を貫いていた。鮮血が溢れる。女の内、下手人である帽子を被った方がケラケラと笑った。

 

「おお、生きが良いっす! 大丈夫っすよ、壊れてもちゃあんと治してあげるっすからー!」

「てめえ……ふざけ……ぎゃああああぁああああ!?」

 

 また腹が抉られる。暇つぶしと称し、女はクレマンティーヌに様々な拷問を施した。それは過去に拷問を受けた経験のあるクレマンティーヌをして、かつて受けた仕打ちは児戯にも等しいと断じれる程に悍ましいものだった。女の言葉に嘘はなかった。帽子の女は信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)として非常に優秀だったのだ。嬲っては治し、嬲っては治し、嬲っては治し。度重なる残虐な行為も女が満足する頃にはその痕跡すら残らない。クレマンティーヌの精神が折れるのにそう時間はかからなかった。完全に心をへし折られた彼女は平伏し、女たちの玩具(どれい)となった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ガクンと馬車が大きく揺れる。思考の海に沈んでいたクレマンティーヌの意識が急浮上する。視線を上げると馬の嘶きの向こう、巨木が倒れ行く手を塞いでいた。

 

「あちゃー……ねぇ、どうす──しますー?」

 

 クレマンティーヌはご主人様たちへ判断を仰ぐ。既に太陽が沈んで久しい。漆黒の森を街道を外れ行くのは〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉やそれに類する特殊技術を持たぬ人間では不可能に近い。迂回するにも分岐路はかなり前に過ぎ去ってしまった。ここから引き返すにしても相当な時間が掛かってしまう。

 

(ハァ……一層このままエ・ランテルまで引き返さねぇかなあ。そうすりゃあさっきの冒険者共を囮にさっさと逃げ)

 

「……ん?」

 

 クレマンティーヌが叶わぬ願いに思いをはせた時、下卑た笑い声が薄暗い森から響く。それから多数の人影と足音。

 

「ゲッヘッヘ」

「久しぶりに楽しめそうだな!」

「おい、俺が先だ」

「抜け駆けするんじゃねえ!」

 

 野盗や盗賊、それとも傭兵崩れだろうか。十人は優に超える男たちが左右から馬車を取り囲んだ。脅しているつもりなのだろう。各々武器の切っ先をこちらに向けている。

 

「はあ……面倒ね。下等生物、下等生物同士貴方が何とかなさい」

「後はよろしくっすー。適当にやっちゃってー」

 

 ナーベラルと気づかぬ間に車内へ戻っていたルプスレギナは気のない返事だ。全てクレマンティーヌに任せるらしい。散々周囲を振り回してきた自覚はあるが、周りもこんな気持ちだったのだろうか。釈然としない感情を抱きつつ、クレマンティーヌは御者台から飛び降りた。

 

「おお、御者も女か。なかなか可愛いじゃねえか」

「…………」

 

 男の一人が欲望に目をギラつかせ、クレマンティーヌへと手を伸ばし、

 

「ああぁああ!! 目が!? お、俺の目がぁあああ!?」

 

 その眼が串刺された。心地良い悲鳴に笑みを浮かべるクレマンティーヌ。そのままスティレットを奥まで突き立て、柄を捻った。鈍い水音。クレマンティーヌは崩れ落ちる男を満足げに見送ると、空に鮮血の弧を描いた。払いきれぬ赤が細い刀身を伝い滴り落ちる。

 

「ひ、ひぃいい!?」

「てめえ、何しやがる!」

「一、二、三……うぷぷぷ、たったそれだけの人数で私が満足できると思ってるのー? まあ、いいやー。みーんなまとめて可愛がってあげるよー」

 

 言うや否や勢い良くローブを脱ぎ捨てた。革鎧(レザーアーマー)から伸びるすらりとした肢体が露になる。もともとは冒険者を屠った証である狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)鱗鎧(スケイルアーマー)の如く飾っていた。しかし今はひとつとして残っていない。ルプスレギナが「これ丁度いいっすね!」とプレートの全てを拷問に使ったからだ。クレマンティーヌは今までの鬱憤を晴らすかのように嬉々として自ら野盗たちへ身を躍らせた。




オムニバスにつきサブタイトル変更。


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第三話

 地獄。そう形容する他ない光景が広がっていた。

 

「あはははははは!! たっのしいぃいい! もう最っ高ー!!」

 

 恍惚の女が踊る。クレマンティーヌは返り血を浴びながら狂ったように嗤う。眼、こめかみ、脳天、頸静脈、心の臓、各種主要臓器。的確に急所を射抜き野盗たちの命を散らす。

 

「ひ、ひぃいいいい!?」

「こいつ、ヤバ……ぐげっ」

「助け──」

 

 一人、また一人と唯の肉片と化す。眼が抉れ舌が引き抜かれ指が飛ぶ。阿鼻叫喚。男たちは散り散りに逃げ出そうとするがその背が容赦なく穿たれる。ある者にはモーニングスターが後頭部に命中、頭蓋が陥没した。周囲に脳漿をぶち撒ける。瞬く間に野党の数は減り、遂には最後の一人となる。最後尾にいた男は千切れかけた片腕を庇いながら必死の形相で逃げた。

 

「んん〜、ダメだよぉ? もっと私を楽しませなきゃ──!!」

「クーちゃんステイ!」

 

 ビクンと身を竦める。クレマンティーヌは投擲の構えのまま固まった。文字通り骨の髄まで恐怖で縛られているのだ。ルプスレギナの言葉一つでどんな命令でも従わざるを得ない呪い(ギアス)。盛大に狙いの逸れたスティレットは勢い良く木の幹に突き刺さる。男は暗がりに消えていった。

 

「あ〜あ、逃げられちゃった。どうして止めた……んですか?」

 

 ノリノリのところを止められたクレマンティーヌは憮然とした表情で抗議の意を示した。外したスティレットを回収する。

 

「これで終わりじゃあつまんないっす! あの大世帯、きっとどこかにあいつらの巣があるに違いないっすよ」

「下等生物の考えそうなことね。私たちに弓を引いた罪、死を持って贖ってもらいましょう」

 

 二人は点々と続く血の跡を眺める。プレアデスに喧嘩を売ること。それ即ちナザリックに──至高の御方々への無礼に繋がるのだ。相手が取るに足らない雑魚とはいえ、このままで終われる筈がない。

 

「〈飛行(フライ)〉」

 

 ナーベラルが上空へと飛翔する。それを見届けるとルプスレギナはクンクンと鼻を鳴らした。万一にも獲物を逃さぬように血の匂いを辿る。

 

「それじゃあクーちゃん! 行くっすよー」

「はーいご主人様」

 

 かつて疾風走破の二つ名で呼ばれたクレマンティーヌをはるかに上回る速度でルプスレギナが駆け出した。クレマンティーヌも後に続く。

 

「あーあ、ご愁傷さま。あのまま私に殺されてれば良かったのにねー」

 

 クレマンティーヌは性格破綻者であるが感情がないわけではない。滅多にしないも今回ばかりは敵対者への同情を禁じ得なかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 バハルス帝国西部、帝都アーウィンタール。中央市場から離れたあまり人が寄り付かない裏通りの一角。白、黒、三毛、サバシロ、茶トラ。シズと少女たちはもふもふした生き物に囲まれていた。

 

 

「…………ふわふわ。もふもふ」

「ねこさん可愛いよね」

「ねー」

 

 シズは猫をぎゅっと抱きしめる。なるほど、至高の御方の話題に上るのも頷ける。ねことは非常によいものだ。しかし理解したのは猫が可愛いという事実だけ。この場に至高の存在の手がかりはない様子だ。本来ならばすぐにでも別な手がかりを求めてこの場を離れるべきだろう。だがシズを抗えがたい衝動が襲う。もっともふもふしていたい。〈人間種魅了(チャーム・パーソン)〉、いや〈全種族魅了(チャーム・スピーシーズ)〉でも唱えているのだろうか。

 

 シズはどこからともなく1円シールを取り出すとそっと猫へと近づけた。

 

「…………む」

 

 途端、今の今まで大人しかった猫が暴れ出す。するりとシズの腕を逃れると少し離れたところで毛を逆立てた。どうやら威嚇しているようだ。

 

「…………どうして逃げる?」

 

 シズは若干むっとした顔になる。どうして嫌がるのか理解できない。

 

「シズお姉ちゃんダメだよぉ、ねこさんは毛が汚れるとすっごく怒るんだよ」

「この間もお水の入ったお皿をひっくり返して大変だったんだから!」

「「ねー」」

 

 クーデリカ、ウレイリカが声を揃えて教えてくれる。なるほど、確かに髪の毛に変なものがつくと嫌なものだ。シズは自分の髪に変なもの──例えば生肉などが──べっとりつく光景を想像した。

 

「…………うん、すっごく嫌」

 

 表情にこそ出ないがシズとて感情はある。シズに近しいものが見ればわずかに寄った眉根に気づいたことだろう。

 

「シズお姉ちゃん、ねこさんに一緒にご飯あげようよ!」

「あげよー!」

 

 双子は小さな袋を掲げた。中には肉や野菜の切れ端が入っていた。使用人に頼んで用意してもらったとのこと。つまりはこの双子は貴族の子なのだろうか。シズは二人に倣い手のひらにそれを載せる。途端、猫たちがにゃーにゃー我先にと集まった。よほどお腹を空かせていたのだろう、ものすごい勢いで食べ始めた。

 

「…………ん」

 

 シズは空いた手にも野菜片を乗せ、先ほど逃げてしまった猫へと向ける。警戒していた猫が恐る恐る近づき鼻先を鳴らす。ゆっくりとシズの手のひらから餌を食べ始めた。

 

「…………おお」

 

 シズの瞳の輝きが増す。食べ終えた猫がぴょんとシズの肩に飛び乗った。そのままシズに身を寄せ頬擦り。ぺろぺろと彼女の頬を舐めた。

 

「……くすぐったい」

「あー、シズお姉ちゃんいいなあ!」

「いいなあ」

 

シズが柔らかく目を細める。双子たちが羨ましそうに歓声を上げた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 ブレイン・アングラウスという男がいた。青みがかったボサボサの髪、冷ややかな口元には伸ばしっぱなしの無精髭。対して茶の眼光は鋭く、細身ながら鍛え抜かれた体躯はたゆまぬ努力の結晶だ。農夫の生まれながら剣の才は天稟といっていいほど。それまで才能だけでやってきた彼の鼻を叩き折ったのは現王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。御前試合決勝戦にて彼に負け、人生初の敗北を味わった。以来、ガゼフを越えるため、血の滲むような修行に明け暮れる。結果以前の自分はもちろん、ガゼフをも超えたと自負している。そんな彼が望むのはガゼフとの再戦。かつての敗北を勝利で塗り替えること。それから最強の称号。そのためには己をより高めるため、対人戦が必要不可欠だった。それが彼が此処にいる理由だ。

 

 傭兵団『死を撒く剣団』。根城とする洞窟内は慌ただしかった。男たちは行ったり来たりと忙しなく動き回る。武器を手に「侵入者だ!?」「何人だ!」と怒号が飛び交っていた。これには理由があった。狩りに行った一団の一人が半死半生の体で帰ってきたのだ。発狂したように怯える男が言うには化け物がやってくると。ついに討伐隊でも編成されたのか? それにしては様子がおかしい。とにかく、急ぎ入り口の防備を固めようとして、

 

「〈魔法二重効果範囲拡大化(ツインワイデンマジック)雷撃(ライトニング)〉」

 

 入り口から轟く轟音、それと光。遅れて衝撃が洞窟を揺らした。立ち込める土煙の向こう、待ち構えるブレインに近づいてくる三つの影。いずれも女のものだ。王国アダマンタイト級冒険者チーム蒼の薔薇かと思ったが、どうやら違うようだ。

 

「よう、ご機嫌じゃないか」

「まぁね。久しぶりに殺れまくって最高の気分だよ! 雑魚ばっかで歯ごたえはないのがちょっち残念だけどねー」

 

 先頭にいた軽装の女が軽口で答える。戦士一人に魔法詠唱者(マジック・キャスター)が二人。バランスの取れたパーティだ。この少数であの大人数をやったということは、彼女たちはアダマンタイト級に匹敵する実力者。ブレインの口元が吊り上がる。久しぶりに手応えのある相手かもしれない。

 

「それは悪かった。俺が楽しませてやるよ」

「えー、アンタが? 一人で? ふぅん」

 

 女が値踏みするようにブレインを一瞥し、

 

「じゃあやってみな──よっ」

 

 刹那、女の足元が爆ぜた。前傾姿勢のまま信じられない速度で刺突剣が穿たれる。甲高い金属音が響いた。

 

「ッ──」

「ッ──」

 

 男は高速で穿たれた刺突剣を咄嗟に抜刀した刃で凌いだ。それだけで充分だった。瞬間、互いの力量を把握した。女が大きく跳びのき距離を取る。

 

「マジかよ……」

 

 男は思った。この女は強い。自分はおろか、もしかしたらガゼフ・ストロノーフをも上回るかもしれない。

 

「──へえ」

 

 女は思った。本気の一撃ではないがアレを受け止めるなんて。表の人間にしては相当やる。瞬時に思考を巡らせる。風貌、推定年齢、使う獲物。風花が集めた情報に一人、該当しそうな人物がいた。

 

「ブレインだ。ブレイン・アングラウス」

「やっぱり。知ってるよー、アンタのこと。有名人じゃん」

 

 名乗りをあげるブレインに女は大きな口元を歪める。

 

「それは光栄だな。で、お前は?」

 

 ブレインは女に全く心当たりがなかった。これだけ強ければ噂くらい聞いてもいいはずだ。他国のアダマンタイト級冒険者だろうか。

 

「ん? 私? 私はクレマンティーヌ。今はご主人様たちの奴隷やってまーす」

「どうもー、ご主人様その一のルプスレギナっす〜!」

「私は違うわよ? そんな下等生物の主人になった覚えないもの」

 

 よくわからないパーティだ。メイド服の女が主人とは。何かしらの倒錯的趣味か。クレマンティーヌとやらは剣奴なのだろうか。まあ、良いだろう。戦う上で何も問題はない。たとえ農夫でも王でも一切関係ないのだ。強い方が勝つ。ただそれだけだ。

 

「いいねいいねー、アンタなら少しは楽しめそう」

「ほざけ──!」

 

 逆に試金石にしてやると息巻き、ブレインは刀を上段に振り上げた。彼女に勝てたなら、その時はきっとガゼフ・ストロノーフを超えたと確信できる。対するクレマンティーヌは腰をひくく落とし、得意の前傾姿勢で突貫。人類屈指の二人がぶつかり合った。

 

「……もうやってもいいかしら?」

「えー、もう少しいいじゃないっすか。潰しあえ〜」

 

 痺れを切らしそうなナーベラルにルプスレギナが腹を抱えて笑った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 その頃、スレイン法国では由々しき事態が起きていた。連続行方不明事件。後に上層部はそう名付けた。主に赤児や幼児、それから働き盛りの男や若い女。時には老若男女問わず。ある日何の脈絡もなく忽然と姿を消したのだ。国民全てを戸籍登録している法国だからこそいち早く察知することができた。

 不可思議なことにその事件にはある奇妙な法則があった。それが多いのか少ないのか議論の余地があるが、行方不明者は一つの村や都市で数人単位。さらに一度被害に見舞われた地域で二度目は確認されていない。そして、被害はエ・ランテル近郊の村から始まり、徐々に神都に近づいているのだ。

 法国最奥、限られたものしか入れぬ一室にて最高幹部らは頭を悩ませていた。

 

「……やはり、()の者たちの所業なのだろうか」

「まだそうと決まった訳ではないだろ?」

「しかし発生時期が陽光聖典失踪とほぼ同時期ではないか」

 

 最高神官長の言葉に六人の神官長が各々の意見で答える。同調する者、反論する者、答えあぐねる者。議論は紛糾しまた長引くだろうことは誰の目にも明らかだった。

 

「二百年振りの来訪者は……人類に敵対する者ということか」

「いや、事情を知らぬその者が義憤によりニグンたちと敵対しても不思議ではあるまい」

 

 腐敗した王国を弱体化させるための王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ暗殺計画。彼を誘い出すために犠牲になった辺境の村々、王国の民。人類を守る──大事の前の小事と切り捨てる覚悟が法国にあった。だが偶然その現場に彼の者が遭遇したとしたら? 陽光聖典の所業は明確な〝悪〟として映るに違いない。だとしたら不幸な事故だ。誤解さえ解けたなら、和解の余地は十二分にある。

 

「その場合、人類(我々)の味方になっていただける可能性も充分考えられるが……」

「ではあの行方不明事件は何だ? 全くの無関係と言うのか? あれはただの偶然で、たまたま人を攫う何者かがこの地に近づいていると!」

「落ち着くのだ。どちらにせよ、未だ推測の域を出ぬ」

「巫女姫による監視は?」

「ダメだ、対象であるニグンが既に滅ぼされたようだ。何も見えぬ」

「手がかりは彼の者がおそらくは女性で、メイド服のようなものを身に纏っているというだけか……」

 

神々の残した秘宝にも似たようなアイテムがある。例えそれが本当にメイド服だとしても何も不思議はないだろう。

 

「漆黒聖典を呼び戻すか?」

「いや、彼らは今重要任務の最中だ」

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)か……彼の者達の降臨と何か関係あるやもしれぬな」

「全く……頭痛の種が尽きぬものよ」

「とにかく、何らかの手を打つ必要があるな」

 

漆黒聖典の一人、〝占星千里〟による破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)復活の予言。ガゼフ・ストロノーフの暗殺成功と引き換えに失った陽光聖典。その陽光聖典を滅ぼしたであろう彼の者。法国に近づく謎の存在。一体、人類は幾度試練を乗り越えなければならないのか。彼の者が人類の味方であってほしいと、願わずにはいられなかった。

 

 



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第四話

「ハァ……ハァ」

 

 息はとうに上がっていた。致命傷こそ避けているものの、無数の刺し傷が至るところに刻まれていた。血濡れのブレイン・アングラウスはそれでも闘志を燃やす。相対するクレマンティーヌはまだまだ余裕がある。彼女は未だ無傷だった。涼しげな顔でブレインを嘲笑う。

 

「結構頑張るじゃないのさー。私相手にここまでやれるなんてねー」

 

 ふざけた口調だがクレマンティーヌなりの賛辞だ。裏を知らぬ表の人間がここまでやれるとは正直思ってもみなかった。ルプスレギナやナーベラル、神人といった例外中の例外を除き、クレマンティーヌと対峙し五体満足のままでいられるのは奇跡に等しい。

 

 ブレインは苦々しげに呻く。〈能力向上〉〈領域〉〈流水加速〉といった武技の数々。天稟と言っていい剣技の才と生まれついての異能(タレント)、そして血の滲むような努力。全てを総動員してなお、クレマンティーヌを捉えきれない。彼女はブレインの一歩も二歩も先を行っているのだ。ブレインにも誇りがある。モンスター相手ならば格上とも幾度となく戦ってきた。相手が格上ならそれ相応のやり方がある。

 

「はっ、俺の首はまだついてるぞ? 案外アンタも大したことないんだな」

「んだとコラ……?」

 

 見え透いた安い挑発。だが強さに絶対的な自信を持っているクレマンティーヌには効果てきめんだった。遠目にも額に浮かぶ青筋が見える。

 

「じゃあ、そろそろ終わりにしよっか? 私もう飽きちゃった」

 

 クレマンティーヌの雰囲気が一変する。本気でブレインを仕留めにくるようだ。地面に手をつき、超々前傾姿勢でブレインを睨みつける。

 

「ふう……」

 

 対するブレインは静かに呼吸を整えた。刀を鞘にしまい居合の構えを取る。これは賭けだ。わずかな気の乱れも許されない。〈領域〉で感覚を最大限に研ぎ澄ませ、雑念を削ぎ落とす。全てはこの一振りのために。

 

「逝っちまいなぁあああ──!!」

 

 〈能力向上〉〈能力超向上〉──クレマンティーヌの脚の筋肉が倍くらい膨れ上がったような錯覚。次の瞬間、女が矢のように放たれた。足首、大腿、体幹、腕、指先と滑らかな力の伝達。その全てがスティレットの切っ先に集中し、クレマンティーヌは流星と化した。刹那、ブレインとの距離がゼロになる。

 

 秘剣──〈虎落笛〉

 

 〈領域〉をクレマンティーヌが侵した。瞬きすら許さぬ世界の狭間で。何千、何万と振るい〈瞬閃〉を昇華させた姿、〈神閃〉が放たれる。限界ぎりぎり、クレマンティーヌが決して躱せぬ間合い。放たれた一振りは正確に女の頸部を狙う。この瞬間のためにブレインは〈神閃〉を温存し、今までじっと耐えてきたのだ。

 

「ッ──!? 〈超回避〉〈不落要塞〉〈流水加速〉」

 

(野郎……今まで本気じゃなかっ──!!)

 

 咄嗟に武技を使う。疾い。予想を遥かに上回る剣速。クレマンティーヌは首が吹っ飛ぶ己の姿を幻視した。

 

 不協和音が轟く。

 

 雌雄が決した。

 

 

「…………俺の、負けか」

 

 ブレインの眼前に女の姿があった。クレマンティーヌはブレインを押し倒し、馬乗りの形になっていた。あの一瞬、肺の中の空気が全てなくなったのだろう。空気を求め必死に喘いでいる。女の額から珠のような汗が伝った。ブレインは鋭い痛みに顔を歪ませる。視線の先、右肩にスティレットが深々と穿たれていた。鮮血が地面を濡らす。

 

「チッ……クソが」

 

 勝者であるはずのクレマンティーヌから余裕の色が消えていた。首に押し当てた指の隙間から赤黒い血が見え隠れする。ブレインの〈神閃〉はクレマンティーヌに届いていた。あと数センチ。否、ほんの数ミリ内側を抉っていれば頸動脈を斬り裂けたはずだった。格下と侮った存在にそこまで追い詰められた事実。クレマンティーヌは忌々しげにブレインを見下ろしていた。ブレインは諦念に瞼を閉じた。全てを出し切ってなお負けたのだ。ならば仕方がない。道半ばであるが自由に生きた結果だ。もう悔いは何ひとつ……いや、あった。たったひとつだけ。

 

「ああ……ガゼフに勝ちたかったなあ」

 

 今際の際、最後に洩れたのは未練がましい言葉。その言葉にクレマンティーヌは意味深な反応をみせた。

 

「ガゼフ・ストロノーフ? はっ、何も知らないんだねー……行方不明だよ、そいつ」

「……は?」

 

 死を覚悟したはずのブレインは、我知らず間の抜けた声を上げた。

 

「どういう──ぐあっ」

 

 身を起こそうとした彼の左肩に激痛が走る。新たなスティレットが杭のように穿たれた。さらに左右の腕が踏みつけられ制圧されてしまう。クレマンティーヌがサディスティックな笑みを浮かべた。

 

「ちょっとちょっとぉ、自分の立場わかってるー? アンタに他人(ひと)のこと気にしてる余裕なんてないはずだけど?」

「ガゼフは! あいつが行方不明ってどういうことだ!」

 

 痛みも、相手が生殺与奪権を握っている事実すら忘れてブレインは食ってかかる。

 

「知るかよ、王都で小耳に挟んだだけ」

 

 そんなブレインにクレマンティーヌは呆れたように吐き捨てた。半分真実で半分嘘だ。大方の見当はつく。周辺国家最強と謳われたガゼフ・ストロノーフほどの人物が行方不明。十中八九法国絡みだろう。陽光か漆黒かの色の違いはあろうが。

 

「そんな……ガゼフが……あいつが」

 

 ブレインの知るガゼフ・ストロノーフは質実剛健を絵に描いたような人物だ。王への忠誠心も厚く、何より職務を途中で放棄するような男ではないと、剣を交えたブレインが一番よく知っていた。彼の身に何かあったに違いない。死にかけていたブレインの目に活力が宿る。生への執着が頭をもたげた。

 

「頼む……俺を王都に行かせてくれ。この目で確かめたい──があっ」

「はああ? 何虫のいいこと言ってんの? てめえはここで死ぬんだよ!」

 

 トドメを刺そうと、クレマンティーヌは更なるスティレットを取り出した。男の胸の中心に突き立てようとして、

 

(…………待てよ? こいつも奴隷に堕とせば……)

 

 寸止めした。素晴らしい考えが天啓の如く閃いたのだ。

 

「いいよー、私からご主人様に話を通してあげるねー」

「──痛っ!」

 

 百八十度ころっと態度を変え、スティレットを引き抜いていく。すこぶる機嫌が良い。はっきり言って不気味だった。

 

 

「愚図で鈍間で脆弱。やはり下等生物ね」

 

 カツカツとヒールを鳴らし、女が一人、ブレインが守っていたはずの洞窟奥からやってくる。

 

「なっ──」

 

 ブレインは絶句した。如何にクレマンティーヌ一人に集中してたとはいえ〈領域〉を発動していたのだ。たとえ小石が落ちようと、透明化しようと範囲内であれば気づかないはずがない。驚いたことにもう一人の女も姿を消していた。

 

「あれー? ナーベラル様、ルプスレギナ様はどうしたんですー?」

「……メインディッシュを味わっているわ。全く、あの娘の悪食にも困ったものね」

「……メイン……ディッシュ? ぐえっ」

 

 首根っこを掴まれたブレインがクレマンティーヌに乱暴に引きずられる。強制的にナーベラルの前へ放り出された。

 

「ナーベラル様〜、この男が奴隷になりたいってー」

「はあ? 何を言っ──ぐっ」

 

 口を開こうとしたブレインは髪を掴まれ、無理矢理地に頭を押し付けられる。土下座の形となった。

 

「いいから黙って私の言う通りにしな? それともここで死ぬか?」

「…………!」

 

 クレマンティーヌのあまりの剣幕に気圧される。ブレインは訳がわからなかった。この女の矜持のなさはどうだ。ブレイン以上の強者にもかかわらず、ひたすら弱者のように振舞っている。ナーベラルは傅く下等生物(にんげん)たちを値踏みするかのように見つめる。一部の例外を除き、ナザリックに属するものにはナザリック外の存在は全て等しく無価値という共通認識がある。だが分を弁え恭順するものには多少の慈悲をかけることもある。

 

「ふん、下等生物なりに程度は弁えているようね。でも役に立つのかしら?」

「それはもう! 私ほどじゃないけど結構強いと思いますよー。殺すより絶対役に立ちますって」

「貴方より弱い? 存在価値ないじゃないの」

「あははー、ナーベラル様キッツいなあ〜」

 

「……とりあえず保留ね。ルプーと合流してから考えましょう」

 

 ナーベラルは踵を返し洞穴奥へと進んでいく。愛想笑いのクレマンティーヌはその背を追いかけながらブレインを振り返る。

 

「ああ、そうそう。言い忘れてた。ご主人様は二人とも私よりずぅっと強いから。そこのとこよろしくー」

「馬鹿……な」

 

 驚愕に顔を歪ませる。ブレインは今度こそ言葉を失った。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 極悪非道という言葉は『死を撒く剣団』のためにあった。戦時は傭兵、平時は野盗。王都近郊を行き来する馬車を襲い、盗み、殺し、犯した。犠牲となった商人、涙を飲んだ貴族やその娘は数知れず。奪われるよりは奪う方に回った方がいい。身勝手な考えの元、好き勝手に生きてきた男たちに今、巡りくる因果の報いの時がきた。

 

 

「ええー、もう足腰立たないんっすかあ? 大の男が情けないっすねえ」

 

 洞窟奥、広間。普段は食事を取るための開けた場所に、立っているのはルプスレギナだけだった。彼女を中心に放射状に血と肉とが散乱していた。呻き声がそこかしこから聞こえる。ぎりぎり生き残るように調整したのだから当然だ。最初の一回目こそきっちり殺していたが、〈死者復活(レイズデッド)〉をかけたら半数ほどが灰と化してしまった。遊べる玩具が減ってしまったルプスレギナは大層悲しんだ。学習した彼女は壊した玩具を治しながら大事に遊ぶことにした。ルプスレギナは満面の笑みを浮かべると、巨大な聖印を象った杖をバトンのようにくるくる回し、地に突き立てた。

 

「はーい、じゃあお代わりいっきまーす! 〈全体上位治癒(オール・グレーター・ヒール)〉」

「やめてくれ──」

「もう嫌だ……」

 

 嗚咽を洩らし懇願する男たちを知らんぷり、慈悲深くも無償で完全回復してあげる。散らばった肉片が消失し、男たちの肉体が元に戻る。これでもう五度目だ。

 

「さあルプスレギナ選手、次はどうするっす? そうですね、じゃあ人間スイカ割りで! はいどーん!」

 

 言うが否やルプスレギナは聖杖をフルスイング。一番近くにいた男の頭が石榴のように叩き割られる。飛び散る脳漿を浴び隣にいた男が情けない悲鳴を上げて崩れ落ちた。

 

「あははははは!! ぐちゅっ! だってうけるー!」

 

 この遊びをお気に召したルプスレギナは続けざまに男たちを殴打。鮮血が飛び散った。逃げ惑うものもいればもう動く気力もないものもいた。初めこそ果敢に挑みかかった男たちだが、ボウガンの矢の雨を浴びせても、剣で斬りつけても、槍で突いても。如何なる手段を用いても女のメイド装束に傷一つつけることができず、やがて皆心が折られていった。爆笑しながら杖を振り続けるルプスレギナは、やがて物憂げに溜め息を吐いた。顔だけ見ればまさしく深遠の令嬢。その実深淵の魔性。

 

「うーん、やっぱりクーちゃんほどの逸材はいないか」

 

 他者を残虐に甚振れるものほど、得てして痛みに弱いものだ。ここの男たちは全然遊び甲斐がない。虐殺と治癒をもう一巡し、やがて飽きがきた。重点的に男たちの足を折ると仕上げとばかりに指を鳴らした。

 

 火柱が上がる。広間が一瞬で燃え上がった。炎に煽られる男たちが必至に逃げようと這いずり回る。足を折られているため満足に動けず、あっという間に火に包まれた。

 

「こんがりウェルダ〜ン! 上手に焼けたっす!」

 

 断末魔の心地良い悲鳴を愉しんでいると、肉の焦げる匂いとは別な独特な匂いが鼻孔をくすぐった。ルプスレギナが邪悪に嗤う。

 

「ああ、デザートまで用意してあるなんて! 至れり尽くせりっすね、ゴチっす!」

 

 ルプスレギナはアリの巣のように入り組んだ袋小路を迷いなく進む。その内の一室、粗末な木の扉に手をかけた。そこは男達が拐った戦利品を楽しむための部屋だった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 空がオレンジ色に染まる頃。案内された双子お気に入りの小さな広場で。シズを真ん中に三人、噴水の縁に腰掛けていた。鷲馬(ヒポグリフ)を象った像に流れる水の音。遠くで教会の鐘楼が鳴り響いた。もうすぐ陽が暮れる。双子はシズからもらったジュースを嬉しそうに啜っていた。ちなみにウレイリカはチョコ味、クーデリカはいちご味がお気に入りらしい。少女たちのヘアバンドに1円シールが自己主張していた。当初は髪かおでこに貼ってあげようとしたシズだが、今日の経験を思い出し学習した結果である。沈みゆく陽を眺めながらシズはゆっくりと問いかける。

 

「…………そろそろ帰らなくていいの?」

 

 幼い双子の姉妹はシズの手をぎゅっと握った。離そうとしない。焦らせず、じっと待っているとやがてどちらからともなく理由を語り出した。

 

「……帰りたくないの」

「…………どうして?」

「今日はお姉さまが帰って来ない日だから」

 

 たどたどしく話す二人の言葉を要約すると。少し前から優しかった両親が変わってしまったらしい。些細なことですぐ怒るようになり、使用人に怒鳴り散らすことが多くなったという。そのせいで家の雰囲気はすっかり暗くなってしまった。日に日に減っていく使用人の数に、増えていく豪華な調度品の数々。家を頻繁に出入りするようになった怪しい男。その頃から姉は仕事で家を空けることが多くなった。たまに帰って来ても両親と口論ばかり。姉も両親も大好きな双子は、家族が言い争っている姿など見たくない。

 

 語る内に悲しくなってきたのか、少女たちが泣きそうになる。こんな時どうすればいいかシズにはわからない。困り果てたシズの耳に声が届く。

 

「ウレイ〜! クーデ〜! どこー!」

 

 遠くから双子を呼ぶ声。少女たちは飛び上がると一目散に駆け出した。シズの視線が追う先。双子によく似た、少女たちを十歳は成長させたような容姿の少女が息を切らせて走り寄る。広げる両手に双子が勢い良く飛び込んだ。

 

「お姉さま! おかえりなさい!」

「おかえりなさい! お仕事はもういいの?」

「ただいま。思ったより早く済んだから……じゃなくて、二人とも? もうお家に帰る時間でしょ」

 

 姉に抱きしめられながら妹たちがはにかむ。

 

「えへへ、ごめんなさい」

「ごめんなさーい」

「……ごめんね、寂しい思いをさせて」

 

 本当は彼女にもわかっていた。二人が悪いわけではないと。本当に悪いのはもう貴族でもないのに散財し続ける父。それを咎めない母、そして無力な自分だ。予想に反し、妹たちは明るく笑った。

 

「ううん、大丈夫だよ!」

「今日はね、シズお姉ちゃんが一緒に遊んでくれたんだよ!」

「遊んでくれたんだよ!」

「シズお姉ちゃん?」

「…………そう、シズお姉ちゃんが遊んであげたの」

 

 空気を読み黙っていたシズが姉妹たちに近づき、えへんとない胸を張る。少女たちの姉は居住まいを正し、シズにペコリと頭を下げた。

 

「妹たちと遊んでくれて感謝する。私はアルシェ。アルシェ・イーブ・リイル・フルト」

「シズ・デルタ。シズでいい」

「では私のこともアルシェで」

 

 沈黙が降りる。

 

「…………」

「…………」

 

 自己紹介の後、二人は無言でしばし見つめ合う。どちらともなく握手を交わす。

 

「貴方とは気が合いそう」

「…………奇遇。私もそう思った」

「うふふ、お姉さまとシズお姉ちゃんお話の仕方いっしょ〜」

「いっしょ〜」

 

 双子が笑い、釣られてアルシェも笑う。シズの顔にも微笑みが浮かんでいた。

 

「シズお姉ちゃん今日はありがと〜!」

「また絶対一緒に遊んでね〜!」

「では、また」

 

 いつまでもこちらに手を振り去っていく三つの影を見つめながらシズは思う。アルシェの格好、そして背負う大きな杖。おそらく彼女は冒険者なのだろう。双子から得た情報を総合するとアルシェの家は……いや、やめておこう。そこから先は彼女たちの問題だ。そう結論付けるとシズは帝城へと歩き出す。心なしかその足取りは普段より少しだけ速かった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「…………ただいま」

「おかえりなさい、シズ」

 

 帝城に帰還し、ユリの部屋を訪れる。シズは窓辺に立つユリに近づくとそっと腰に手を回した。その胸に顔を埋める。

 

「どうしたの?」

「…………何となく」

「ふふ、今日は甘えん坊さんね」

 

 滅多に甘えてこない妹に嬉しくなった長女はそっと妹の髪を撫で挙げた。しばらく後、すっかりいつもの調子に戻ったシズはユリと今日得た情報を交わす。中央市場、北市場共に目立った発見はなかったし、それは市街地も同じだった。膨大な書物を紐解くユリもまた、目新しい情報はない。となると妹たちに期待するしかない。

 

 

「そろそろ始めようかしら。シズ、お願いね」

「…………了解」

 

 〈伝言(メッセージ)〉を起動、遠方の姉妹たちに連絡を取る。プレアデス定例報告会。毎日、朝晩と連絡を取り合い情報交換を行うのがプレアデスの日課だった。こんな時、末妹のオーレオール・オメガがいてくれたらなとユリは思う。彼女がいれば指揮官の特殊技術で全員で一斉に〈伝言(メッセージ)〉でやり取り出来るだろうに。無い物ねだりしても仕方がない。

 今朝の報告ではルプスレギナ、ナーベラル組はエ・ランテルを出立し王都リ・エスティーゼへ。ソリュシャン・エントマ組はそろそろ法国首都に潜入するとのこと。皆上手くやっていればいいが。人様に迷惑をかけていないか長女としては気が気でない。

 

「…………こちらシズ。聞こえる?」

『あー、シズちゃんちーす! 元気っすかー?』

 

 まずは帝国組のルプスレギナ。馬の駆ける蹄と車輪の音。馬車内と容易に推測できた。

 

「いつもと同じ。そちらはどう?」

『絶好調っすよー! 今ねー、クーちゃんに次いでブーちゃんっていう玩具が──』

「ルプーの様子は……聞くまでもなさそうね」

「…………うん、とても元気」

 

 シズは耳を押さえて少しうるさそうにする。ユリにも〈伝言(メッセージ)〉が届く。ナーベラルからだ。

 

『こんばんは、ユリ姉さま。お元気そうで何よりです』

「ええ、貴女もね、ナーベラル」

『はい。つい先刻も下等で下賎な野盗どもの住処を壊滅させたところです』

「そう、よくやったわね」

 

 ナザリックの人間嫌いにおいて、ナーベラルは突出している。いくら言っても下等生物呼ばわりは直らなかった。今回のケースは珍しく文脈が正しいのでユリは手放しで妹を褒めた。

 

『ところでユリ姉さま、ソリュシャンとエントマにはもう連絡を?』

「いいえ、これからよ。どうかしたの?」

『ああ、そうそう! クーちゃんが気になること言うから教えてあげようとしたんっすよ。でもソーちゃんにもエンちゃんにも繋がらないっす!』

「…………そうなの?」

 

 ソリュシャンは巻物(スクロール)を騙すことで、エントマは呪札でそれぞれ〈伝言(メッセージ)〉を使用可能だ。片方が手を離せない時はもう一方と連絡を取る。それが常だった。両者ともに連絡を取れないというのは奇妙な話だ。シズはルプスレギナとの〈伝言(メッセージ)〉を終了すると、エントマに〈伝言(メッセージ)〉を送る。姉たちの言う通り、反応がない。ソリュシャンに試しても同じだった。

 

「潜入捜査でもしているのかもしれないわ。少し様子を見ましょう」

「…………うん」

 

 結局、深夜まで待っても〈伝言(メッセージ)〉は返ってこなかった。シズは窓辺から空を仰ぐ。いつのまにか立ち込めた暗雲から水滴が零れ落ちた。一滴、二滴……やがてそれは無数の雨粒となり帝国全土のみならず、周辺国家中に降り注いだ。



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第五話

 戦闘メイド(プレアデス)が一人、ソリュシャン・イプシロンにとってこの世界は──ナザリックに帰還できないことにさえ目を瞑れば──楽園だった。道すがら目についた美味しそうな人間をつまみ食い、妹であるエントマ・ヴァシリッサ・ゼータと仲良く分け合う。まるで食べ放題のビュッフェのよう。発覚する頃には次の都市へ移動済みだし、元より塵一つとして証拠は残らない。暗殺者の特殊技術を駆使すれば検問などフリーパスと同義。笑えるくらいあっさりとソリュシャンは法都へと入国を果たした。人目を避けるように路地裏へ潜る。

 

「もういいわよ」

「ぷはぁ、苦しかったぁ」

 

 虚空へ語りかけるソリュシャンの豊満な双丘が揺れる。水面から飛び出るようにエントマが顔を出した。大の男十人は収納出来るのだ、体内の酸の強度を調整すればエントマ一人運ぶくらい容易だった。エントマは濡れた体をプルプル振り粘液を落とす。それから可愛らしくエプロンドレスの裾をポンポン払う。準備完了だ。

 

「みんなぁ、頑張ってねぇ。それぇぇ」

 

 カサカサ。カサカサ。

 

 エントマの割烹着を思わせる裾から多数の眷属たちが飛び出してくる。長い触角を持ち黒光りする小さな蟲。街にたくさんいても違和感のない、恐怖公の眷属と同種だ。空を舞い、地を這い、家屋に侵入し、果ては下水路にまで潜る。後は待っているだけ。果報は寝て待てと至高の御方も仰っていた。

 

「じゃあエントマ、何かあったら〈伝言(メッセージ)〉で」

「了解ぃ」

 

 都市のマッピングはエントマに任せ、ソリュシャンは堂々と表通りを歩く。黄金の姫に伍する相貌に女性らしい見事なスタイルは見るもの全てを魅了した。すれ違う者が老若男女問わず思わず振り返ってしまう。情報収集の際、この美貌が非常に大きな武器となる。旅の者を装い、笑顔で現地人に話しかける。少し胸の谷間を見せるだけで男たちはぺらぺらと聞いていないことまで喋ってくれた。笑顔で手を振り情報提供者たちと別れると、ソリュシャンは顎に手をやり思案する。

 

(なるほど……)

 

 法都には主要施設がいくつか存在する。まずは六色を戴く六大神殿。司法、立法、行政の三機関。魔法の開発を担う魔法研究館。そして軍事機関。他にも小さな子を集めて教育を施す教育機関、商業施設など。加えて数百万人もの人口を有する法都は相応に広大な領地を誇る。一つ一つ調べていては流石に骨が折れるというもの。まずは主要施設に狙いを定めるべきだ。人伝てに六大神殿の場所を訪ね歩く。

 

 六つの神殿の内、ソリュシャンは迷わず闇の神殿を選んだ。積み重なった歴史を感じさせる重厚な扉を開け放つ。途端、視界に飛び込む死の支配者の像。反射的に畏敬の念を覚え跪きかけるが、

 

「モモンガ様! ……いいえ、違うわ」

 

 ソリュシャンは冷静に分析する。姉が得た情報に六大神唯一の異形種、スルシャーナという存在がいた。おそらくは彼を象ったものだろう。人類至上主義という愚かなスローガンを掲げる国の明らかな矛盾点。二律背反もいいところだ。スルシャーナ像の前で神父らしき男が説法を説き、少なくない数の信者たちが祈りを捧げている。

 ソリュシャンは周囲に不審がられない程度に神殿内を歩き回る。見上げるほどに巨大な偶像にステンドグラス、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉が輝く燭台。教壇と長椅子。別段、変わったところはない。ソリュシャンは軽く落胆を覚えた。

 

(当てが外れたかしら。次は……あら?)

 

 エントマからの〈伝言(メッセージ)〉。声を出さずに受け取る。何かあったのだろうか。

 

『やっほぉ、今どこぉ?』

 

(六大神殿の一つ、闇の神殿よ)

 

『おおおぉ!』

 

 声に出さず返答すると、〈伝言(メッセージ)〉の向こうでエントマが気色ばむ。

 

『あのねぇ、みんなが集めた情報によるとぉ……この都市にはぁ、大きな地下下水道があるみたいぃ』

 

(それがどうしたの?)

 

『鈍いなぁソリュシャ〜ン。ちょうど闇の神殿(そこ)の下水路がねぇぇ、他の神殿よりも入り組んでるみたいなのぅ』

 

(……へえ)

 

 もたらされた情報にソリュシャンの動きがピタリと止まる。人口に比して生活のための下水道は整備されて然るべきだ。だが六つの同規模の神殿。その一ヶ所だけに過分な下水路が通っているのは奇妙な話である。

 

『後ねぇ、建物自体、みんなが侵入出来そうな通気口が少ないのぅ』

 

 周辺国家最古の建造物の一つ。他の神殿よりも余分に多い地下水路、対して厳重に塞がれている通気口。その意味するところは、

 

(うふふ、楽しみ)

 

 ソリュシャンはエントマに合流ポイントを伝えると、闇の神殿を後にする。人間に擬態可能なソリュシャンはともかく、エントマが動くには日の下は目立ち過ぎる。夜を待って闇に紛れる算段である。それまで疑惑を確証に変えるのだ。

 

 

 

 太陽が完全に死に絶えた世界。紺碧の空に輝く満天の星々。それはまるで宝石箱をひっくり返したかのよう。ソリュシャンは合流地点の建物屋上に飛び乗った。予定通り、そこにはエントマがいた。待つのに飽きたのだろう、手足を投げ出しゴロゴロ床を転がっている。ソリュシャンに気づいたエントマが気怠げに上体を起こした。

 

「あー、ソリュシャン。お疲れ様ぁ。どうだったぁ?」

「ふふ、貴方の眷属はいい働きをしたわ」

 

 ソリュシャンは自慢の金髪を優雅にかきあげる。二人の予想通り、闇の神殿には隠し通路が存在していた。さらには対侵入者用の物理的、魔法的トラップが至る所に張り巡らされていたのだ。ソリュシャンは疑惑を確証に変えるため、闇の神殿を除く五大神殿や他主要な行政機関も偵察した。いくつかの施設には罠が張り巡らされていたが、闇の神殿に仕掛けられたものに比べるとそのランクは数段落ちる。(ブラフ)や偽装工作の可能性もあるが、まずここに違いないと二人は確信していた。

 何故ならエントマが送り込んだ無数の眷属たちの内、闇の神殿地下水路に潜り込んだ蟲たちが、誰一匹として帰って来ないのだ。そこだ。その場にこそ法国が秘したい“何か”があるのだ。それがアインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓に繋がるものならば最高なのだが。

 

「行くわよ」

「はーいぃ」

 

 ソリュシャンが大きく口を開ける。その美貌が醜く歪みエントマを丸呑みにした。音もなく跳躍する。

 

(……ここね)

 

 エントマの眷属たちが発見した水路の入り口は鉄格子で封鎖されていた。されど不定形の粘体(ショゴス)のソリュシャンにかかればたわいもない。瞬く間に半円の石造りの水路に侵入した。エントマを吐き出し二人で薄暗い水路の奥へ。道中、第四、第五位階魔法による魔法的な、たとえば〈魔力探知〉〈熱探知〉な罠。〈偽りの情報(フェイクカバー)〉〈探知対策(カウンター・ディテクト)〉による隠し扉隠蔽、警報の役割を果たす偽の扉などが至る所に仕掛けられていた。だがソリュシャン、エントマの両名は優秀過ぎるほどに優秀過ぎた。索敵や罠解除、蟲による罠破壊など違いの長所を活かし難なく進んでいく。ほとんど何の障害なく法国最奥へと辿り着く。否、辿り着いてしまった。深淵に至る。

 

(うふふ、一体何を隠してるのかしら?)

(お腹すいたなぁ)

 

 ソリュシャンらに落ち度はない。彼女たちの不幸は最初に接触したのが陽光聖典──この世界における人類の精鋭部隊ということだ。()()()()が人類の最高峰と誤解してしまった。歴史にifはなけれども、もしもあの時接触したのが漆黒聖典ならば。ここまで油断も慢心もなかった筈だ。驕り高ぶっていた二人が深淵を覗く。二人は気づかない。深淵を覗く時、深淵もまた此方を覗いていることを。

 

 

 

 迷宮の如く入り組んだ水路はやがて地下通路へと繋がっていた。その最奥、突き当たりからかちゃかちゃと何かを弄る音。また一匹、エントマの眷属が屠られる。その音を出す相手に踏み付けられたようだ。

 

「今日はやけに虫が多いなー」

 

 年若い女がいた。少女と言っても差し支えない年齢だ。闇のような漆黒と、光のような白銀。対なる色合いの髪と(オッドアイ)を持つ不思議な少女。彼女の視線はずっと手元の木組みに注がれていた。けれど一切の隙がない。背後に回ろうとする虫たちは全て戦鎌(ウォーサイズ)の柄で払われ、また踏み潰された。

 

(ッ──)

 

 全身に怖気が走る。少女から感じる圧力は、まるで──ナザリック地下大墳墓、階層守護者たちに近いものがあった。そう、まるで第一から第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールンのような。あれは、強い。ソリュシャンは戦士ではないがその強さを肌で感じた。不定形の肉体が身震いを覚える。身振り手振りでエントマに撤退を伝える。エントマも首肯した。

 

「ねえ、そこの人たちー。貴方たちもそう思うでしょ?」

「ッ──」

 

 バレた。気配遮断を看破する特殊技術持ちか。ソリュシャンの左腕がどろりと溶ける。すぐさま〈転移(テレポーテーション)〉の巻物(スクロール)を取り出そうとして、

 

「おっと」

「くっ──」

「ソリュシャン!」

 

 エントマが悲鳴を上げる。不定形の腕が石床に落ちた。ソリュシャンの濁った瞳が驚愕に染まる。反応すら出来なかった。一瞬で間合いを詰められ、斬り落とされたのだ。痛みこそないが相手の疾さはソリュシャン、エントマのそれをはるかに凌駕していた。女は身の丈を優に超える戦鎌(ウォーサイズ)を軽々背負う。

 

「わーお、美人さんじゃん。こんな場所に何の用?」

「ええ、少し道に迷ってしまって」

 

 ジリジリと後退するソリュシャンに何が面白いのか女は狂ったように嗤う。

 

「くすくす、いつからこの国は聖域を余所者に見せるくらいオープンになったのかな? 普通なら絶対見つかりっこない場所なんだけど」

 

 逃げられない。逃げられない。逃げられない。背を見せた瞬間待つのは死だ。ソリュシャンは軽い気持ちでこの場に訪れたことを心の底から後悔した。

 

「ソリュシャンから離れろぉおおお!!」

「エントマ! 来ては駄目! 逃げ──」

 

 絶対絶命の姉を妹が庇う。符を撒きながらエントマが特攻をかけた。女が面倒そうに視線を送る。

 

「──あ」

「んー?」

 

 一閃。白刃が翻る。

 

「あれ? 私、の……あ、し……?」

 

 刹那、エントマは泣き別れた自身の半身を見た。緑色が鮮血のごとく噴き出す。胴の中ほどから真っ二つ。零れ落ちる臓物が周囲を汚した。

 

「エントマぁ!!」

「ああ゛アああァアアア゛ア゛……!!?」

 

 エントマの擬態が解ける。仮面状の蟲や口唇蟲が剥がれ落ちた。女郎蜘蛛を想起させる真の姿が苦悶に歪む。蜘蛛の脚が痙攣した。

 

「蟲の魔神? 十三英雄が屠ったって聞いたけど」

 

 女はエントマにまだ息があることを確認すると口元を吊り上げた。あの一撃を受けてまだ生きているとは。自分や第一席次以外では相手にならないだろう。漆黒聖典隊長(かれ)がここにいなくて良かった。あの獲物たちを一人で思う存分楽しめるのだから。女は──漆黒聖典番外席次“絶死絶命”は血濡れの笑みを浮かべた。

 

「何だ今のおぞましい声は!?」

「こ、これは……これは!」

「異形種……魔神!」

「な、何故こんなところに!?」

 

 女が守る後方の扉が開かれる。エントマのおぞましい声は室内にまで響いたようだ。騒ぎを聞きつけた老人たちが飛び出して来た。

 

「ちょっと、まだ出てこない方がいいよ?」

 

 女は既に勝ちを確信していた。余裕綽々にソリュシャンから視線を外し老人たちを振り返る。

 

 今だ。この瞬間しかない。

 

 ソリュシャンは勢い良く胸元をはだけた。メイド服から豊かな乳房が零れ落ちる。凶悪なまでの質量が外気に晒されぷるるんと揺れた。

 

「なっ──」

「そ、それは!?」

 

 老人たちが二重の意味で言葉を失う。突如として奇行に走る女の胸から六大神の至宝──魔封じの水晶が零れ落ちたのだ。それは、その輝きは。忘れもしない。陽光聖典隊長ニグンに預けていた神の遺物。あのような稀少アイテムが二つと存在するだろうか。否、ありえない。つまるところ彼女達は、

 

 瞬間、眩いばかりの閃光が全てを包み込む。

 

 皆、息を呑んだ。厳かに、それでいて悠然と。神聖なる空気を纏て光り輝く翼の集合体が姿を現した。その輝きの凄まじさは薄暗い通路が瞬間的に朝になったと錯覚する程だった。

 

 黄金の笏丈を持つ腕以外、頭も足もない異形。威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が女の前に立ち塞がった。その威光に絶死絶命が最高の笑みをみせ、反して老人たち──神官長を始めとする法国最高指導者たちは恐れ慄いた。六大神が遺したもうた遺産、魔神すら滅ぼした最高位天使が自分たちに牙を剥くのだ。悪夢としか言いようがない光景だった。

 

「──なさい」

 

 ソリュシャンの言葉に呼応し、主天使(ドミニオン)の笏が砕け散る。欠片が天使の周囲を旋回し、光が収束した。大技が来る。絶死絶命が先んじて戦鎌(ウォーサイズ)を振るおうとして、

 

「止せ! 止すのだ!」

「最高位天使に敵うわけがない!」

「お主だけでも早く逃げるのだ!」

「左様、お主さえ無事であれば」

 

「……そんな悠長なこと言ってる場合?」

 

 制止し、逃走を促す()()の老人たちを女はなんとも言えぬ表情で振り返る。

 

 第七位階魔法──〈善なる極撃(ホーリースマイト)

 

 人の身では決して到達できぬ奇跡の御業が光の柱となりて降り注いだ。

 

 

 

 

 

 



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第六話

 リ・エスティーゼ王国やバハルス帝国など周辺国家の四大神信仰と違い、スレイン法国は六大神を信仰している。唯一名の残る闇神、スルシャーナを祀る神殿は今宵も静寂に包まれていた。特別な祭事の日を除き、夜半に神殿を訪れるものなどいない。もしいたとしても精々が浮浪者か野良犬くらいだろう。そんな静けさが。今までも、そしてこれからも変わらぬだろうと思われていた愛すべき静寂が突如として破られた。

 

 光が溢れる。比喩ではない。神殿前の石畳から蒼白の閃光が漏れ出る。隙間を縫うように溢れる光は瞬く間に広がり、やがて限界に達した。

 

 白き柱が煌々と立ち昇る。遅れて轟く爆音が地響きとなり周囲を揺らした。神殿前の広場が蜘蛛の巣状に陥没し大穴がぽっかりと口を開く。まるで爆撃でも受けたかのような騒ぎに次々に近隣の建物の明かりが灯る。立ち込める硝煙の向こう、大穴から少女が飛び出した。凶悪な笑顔を振りまく少女は白銀と黒を靡かせ、あろうことか神殿外壁を垂直に駆け抜ける。あっという間に鐘楼の先、十字架の先端に降り立った。ふわりと、重力を全く感じさせない足取りで。猫の額ほどもない足場に。女は目を細め空を仰ぐ。彼女の卓越した動体視力は暗雲立ち込める空に異物を捉えていた。

 

 巨大な蟲。蜂のような外見の腹の膨らんだ蟲が不快な羽音を響かせながら飛翔している。都外へと逃走を図っているようだ。

 

「あはははは! 待ってよう! もっと遊ぼうよぉおお!!」

 

 少女は戦鎌(ウォーサイズ)を振り抜く。超遠距離から放たれた一撃は飛ぶ斬撃と化し一直線に飛来する。武技〈空斬〉。絶死絶命が放つ一撃は他の戦士などとは一線を画す。比類なき威力を誇る斬撃は風切り音を上げ獲物に喰らい付いた。

 

 巨大な蟲が両断される。緑の体液を撒き散らし四散した。

 

「んー?」

 

 その手応えに少女は違和感を覚える。おかしい。てっきりあの蟲が女たちを運んでいるのかと思ったが中身がない。空っぽだ。とするとあのあからさまな蟲は囮か。

 

「やるじゃない」

 

 ぺろりと舌舐めずり。虫の残骸が市街地へ落下する。おそらく下は大変な騒ぎになっているだろう。知ったことではないが。後は適当に軍部が引き継ぐだろう。

 

「お」

 

 ぽつりと毛先に水滴が当たる。雨をこの身に感じるなんていつ以来だろうか。探索系の特殊技術を持たぬ身ではこれ以上の追跡は不可能だ。占星千里でもいれば話は違ったかもしれないが。元より六大神の遺産を護るという使命のため自分はこの場を離れることはできない。それこそ竜王(ドラゴン・ロード)が攻めてくるなどの非常事態でもない限り。

 

「……うふふ」

 

 目を瞑り、両手に天の恵みをうける番外席次は女の捨て台詞を反芻する。自然と口元が緩んだ。

 

『──覚えてなさい!』

 

 そうだ、あの女は最後に確かにそう言った。力量差を理解してなお絶望もせず。むしろ対抗策が、あるいは対抗できる誰かを知ってるかのように。その意味するところを想像するだけで頬が火照り下腹部が疼く。最高位天使はとんだ期待はずれだった。まだあの侵入者たちの方が強かったかもしれない。

 

「また会おうね、美人さん」

 

 女は上気する頬に手を添え恋する乙女のような笑みを浮かべた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

(失敗した失敗した失敗した……この私が)

 

 ソリュシャンは恥辱に塗れながら汚水の中を泳ぎ続ける。下水路を抜ければやがて川へ至り都外へと逃げおおせるだろう。本来逃走用にエントマが召喚した蟲は無事役割を果たしたようだ。追っ手の気配はない。

 

(エントマ、大丈夫?)

(うぅ……あの女……殺す……絶対殺すぅうう)

 

 体内のエントマに問いかける。陽光聖典から奪取した治癒系の巻物(スクロール)でエントマの傷は塞がった。しかし植えつけられた屈辱はそう簡単に払拭できるものではない。ナザリック地下大墳墓の戦闘メイド(プレアデス)が人間如きに負けて無様に敗走など。あるまじき失態だ。ナザリック帰還の際には死罪は免れぬだろう。その前に汚名を雪がなければならない。

 どれほどの時間が経っただろうか。いくつかの鉄格子を越え下水が真水に合流する。降りしきる雨にかさ増しされた水量が生み出す激流は生身の人間であれば即座に命を落とすことだろう。水面にわずかに顔を出し辺りを伺う。あの忌まわしき都市から大分離れたようだ。少し冷静になったソリュシャンは今さらながらに〈伝言(メッセージ)〉に気づく。脳裏をうるさいくらいに鳴り響いていた。定時連絡をすっかり失念していた。それどころではなかったため仕方がないが。長女に叱責されるだろうと予想しながら〈伝言(メッセージ)〉を受け取った。姉妹とこれからについて話さなければならない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国、王都。窓を叩く礫は止むどころかむしろ益々勢いを増していた。大小十二の塔を持つロ・レンテ城内、現国王の住まうヴァレンシア宮殿は天候と同じくらい重苦しい雰囲気に包まれていた。

 

「おお……ガゼフ……すまぬ、すまぬ」

「父上……」

「お父様のせいではありませんわ」

 

 国王ランポッサ三世はうわ言のように繰り返す。左右から第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフや黄金の姫と称される第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフらが慰めの言葉をかけるが聞こえていない様子だ。王の眼前には棺に収められた男の遺体。顔は白い布で覆われているが、胴や四肢の損傷の激しさが激戦を何よりも雄弁に物語っていた。

 王国領エ・ランテル周辺を帝国兵が荒らし回っているという情報があった。事態を重く見たランポッサは勅命を下す。王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは数十人の部下と共にこれを鎮圧に向かった。その後、彼は部下共々行方不明となった。数週間後、ガゼフは変わり果てた姿で無言の帰還を果たした。発見した兵士によれば焼かれ滅びた開拓村に部下たちと共に葬られていたらしい。

 

「あの時、秘宝を貸し与えていればこんなことには……」

 

 絶望のあまり両手で顔を覆う。悔やんでも悔やみきれない。王国に伝わる四つの秘宝。活力の小手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)守護の鎧(ガーディアン)、そして剃刀の刃(レイザーエッジ)。賊の討伐に当たり、王はガゼフに全ての至宝を預けるつもりだった。しかし貴族派閥から横やりが入り、何一つガゼフに持たせることが出来なかった。それがこの結末だ。遺体は損傷激しく、また時間も経ちすぎていたため、王国アダマンタイト級冒険者チーム"蒼の薔薇"チームリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラをしても蘇生させることは叶わなかった。蘇生不可能と知った際の国王の醜態は目に余るものがあった。周辺国家最強と謳われたガゼフ・ストロノーフの死。その損失は計り知れない。王派閥の力は一気に低迷し、逆に貴族派閥は力を増していくだろう。王国がこれから混迷を極めることは誰の目にも明らかだった。嗚咽を洩らす王に忠臣はもう応える術を持たない。雨はまだ止みそうにもない。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「無事か?」

「ああ……あの子が庇ってくれたからな」

「しかし……これは」

 

 神官長たちは通路に転がる威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を見やる。全ての翼を断ち切られ、胴に風穴を開けられた無残な姿を晒していた。やがて光の粒子となり消えていく。

 

「魔神をも滅ぼしたとされる最高位天使がこうも容易く……」

「あの子の力は我々の想像以上なのかもしれぬ」

「わずかにしか見えなんだがあの女たちはやはり……」

 

 魔神か、それとも神の降臨か。神官長たちは瓦礫で完全に塞がれた通路に視線を向ける。此度の揺り戻しは最悪の結果に終わったかもしれない。しかし悪いことばかりではない。神人たる彼女の力が証明されたのもまた事実。もし再び()のものたちと相見えてもきっと退けてくれることだろう。だが彼女一人に全ての命運を預けて良いはずがない。もう一人の神人、第一席次率いる英雄級で構成された漆黒聖典、大魔術による大天使召喚、六大神の遺産の数々。どれも法国の誇る強大な戦力だがまだ足りない。切り札が必要だ。この袋小路に陥ってしまった人類の現状を打破できるような最強の手札が。

 

 苦悩する神官長の一人、レイモン・ザーグ・ローランサンに〈伝言(メッセージ)〉が届く。漆黒聖典第七席次、"占星千里"からだ。レイモンは土の神官長であると同時に漆黒聖典のまとめ役でもある。彼の耳に届くのは待ち望んだ吉報だった。

 

「おお! それは真か!」

「何事だ、レイモンよ」

「待て、待つのだ。もう一度言ってくれぬか? この歳になると耳が遠くていかん」

 

 気色ばむレイモンに他の神官長が問いただす。レイモンはそんな同胞たちを制し、必死に耳を傾けた。

 

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の支配に成功しました』

 

 それは、スレイン法国が待ち望んだ最強の手札を手にした瞬間だった。




第一部完!

次回は王国か、それともあの国か。


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第七話

「ぷはぁ! ……ったく、あの禿げとんだ期待ハズレっすよ!」

「下等生物に期待したのが間違いね」

「今度会ったら残りの毛ぜんぶ毟りとってやるっす! お姉さん葡萄酒おかわりー!」

「はーい、ただいまー!」

 

 王都リ・エスティーゼ。エ・ランテル最高級宿屋「黄金の輝き亭」と同等、もしくはそれ以上の超高級宿。宿泊施設に併設されている酒場に一際騒がしい円卓があった。冒険者チーム“美姫”のルプスレギナ・ベータとナーベラル・ガンマである。エ・ランテルで入手した紹介状を携え王立図書館へ行ってみたはいいものの、待っていたのは失望だった。手当たり次第蔵書をあたったが、アインズ・ウール・ゴウンのアの字も見つかりはしない。そもそも二人には王国語が読めない。逐一翻訳させるのも煩わしいと、クレマンティーヌと玩具二号ことブレイン・アングラウスに残りの検索作業を押し付け、こうして英気を養っている最中だった。

 

「うー、不味い! もう一杯っす!」

「……その辺にしておいたら?」

「大丈夫っす! 〈毒治癒(キュアポイズン)〉かけてるからー」

 

 ナーベラルの前にはミルク多めのアイスマキャティア。対してルプスレギナはもう何杯目かもわからない木杯を卓に叩きつける。ルプスレギナを創造した至高の御方、獣王メコン川曰くこれが正しい作法なのだそうだ。

 

「お、おい……あれって」

「美姫のルプスレギナとナーベラル……」

「……なんと美しい」

 

 周囲の卓から思わず溜め息が漏れる。“赤の美姫”ルプスレギナは健康的な褐色の肌に太陽のような笑顔が眩しい。ころころ変わる表情もどれも魅力的だ。対する“黒の美姫”ナーベラルは南方の血が入っているのだろうか、彫刻のような美しい容貌にどことなくエキゾチックな雰囲気が漂っていた。ツンと澄ました態度もまたたまらない。その黄金の姫と何ら遜色ない容姿に留まらず、二人は今やいろんな意味で注目の的だった。

 

 王都デビューは鮮烈だった。なにしろ多数の行商人や貴族たちを襲った「死を撒く剣団」殲滅を提げての王都入りなのだから。さらに剣団に囚われていた娘たちの救出。余談ではあるが、救出された娘たちは皆口が利けなくなっていた。よほど怖い目にあったのだろうというのは治療にあたった信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の談だ。他にもビョルケンヘイム領伯爵家次期当主の護衛で遭遇したギガントバジリスクの討伐。美姫が屠ったゴブリン、オークは数知れず。未確認だが、エ・ランテルのアンデッド騒動を解決したのも彼女たちらしい。破竹の勢いで上がった冒険者ランクは今やオリハルコン級。次期アダマンタイト級筆頭候補と噂されている。

 

「唯一の収穫はほら、あれっすよ。一夜で国を滅ぼしたっていう吸血鬼!」

「……完全にあの方ね」

 

 姉妹は揃って同一人物を連想していた。何となく気に食わない、など至極些細な理由で一国を滅ぼすなんて彼女ならありえそうだ。容易に想像できる。吸血鬼の逸話や近年の目撃情報を募るのがナザリック帰還への一番の近道かもしれない。

 

「やめておけ」

 

 そんな彼女たちに水を差す一言が降りかかる。隣の卓からだ。やる気満々で行動の指針が出来かけたところに冷や水を浴びせられた形になる。

 

「は?」

 

 もしここにクレマンティーヌやブレインがいれば一目散に逃げ出したことだろう。ルプスレギナとナーベラル、この二人を怒らせることが何を意味するか。心なしか部屋の温度が下がった気がする。

 

「おいおい、よせよイビルアイ」

 

 仲間と思しき巨躯が仮面をつけた魔法詠唱者(マジック・キャスター)を諭す。一見男か女か判別し辛い筋骨隆々な戦士風の人物。声からしておそらく女だろう。戦士は仲間の無礼を咎めるが、イビルアイと呼ばれた魔法詠唱者(マジック・キャスター)はそれを無視。ルプスレギナたちの卓につかつか歩み寄る。

 

「そんな伝説上の存在、探してどうなる?」

「何故見ず知らずの貴方にそんなことを言われなければならないの?」

「喧嘩売ってる? 売ってるっす? 言い値で買うっすよ」

「はっ、相手を見てものを言うんだな」

 

 見えない火花がバチバチと散る。一触即発の空気が漂う中、破ったのは新たな来訪者だった。金色の短髪にシャツの下には鎖服(チェインシャツ)、腰にはロングソードを提げていた。

 

「ガガーラン様──さん、イビルアイ様」

「よう童貞! 良いところに来たな!」

 

 ガガーランは破顔して来訪者を迎え入れる。童貞と呼ばれたクライムは渋面しかけた表情を何とか押しとどめる。だがその瞬間の変化は劇的だった。

 

「ど、どど童貞!? ぷぷっ!」

「……くす」

 

 ルプスレギナはクライムを指差し大爆笑。ナーベラルは顔を逸らし憐憫の表情を浮かべた。場の空気が一気に弛緩する。見ず知らずの、しかも美人に童貞バレしてしまった。クライムは羞恥に顔を真っ赤に染める。

 

「何だい、俺に抱かれる気にでもなったのか?」

「ち、違います。私はアインドラ様からの伝言をお伝えに──」

「ラキュースから? それは」

「へい少年!」

 

 帽子に覗く赤い三つ編みがふわりと翻る。ルプスレギナは無理矢理会話に割り込んだ。

 

「その歳で童貞なんて可哀想っす! 何ならお姉さんが相手してあげるっすよ? アッチの方なら任せてほしいっす!」

「なっ──!?」

 

 また空気が一変した。今度は別な意味で。ルプスレギナが親指と人差し指で輪を作っているのがまた場の混乱を招く。周囲で動向を窺っていた冒険者たちが思わず卓から立ち上がる。ただでさえクライムは黄金の姫の寵愛を一身に受けているのだ。さらに蒼の薔薇とも親しく、ガガーランからは繰り返しベッドに誘われる始末。加えて赤の美姫、ルプスレギナのこの爆弾発言だ。憎しみだけで人が殺せるならば、クライムは既に死んでるだろう。

 ここは王国随一の超高級宿泊施設。利用している冒険者は最低でもミスリル級以上。自分の技量を上回る冒険者たちの憎しみを込めた殺気を受け、クライムは身震いした。ガガーランが豪快に笑いながらクライムに肩を回す。彼女の分厚い胸板と丸太のように太い腕と比べると、鍛えているはずのクライムがまるで華奢にみえた。

 

「がはははは! べっぴんさんよう、そいつは勘弁してくれや。こいつの童貞は俺が予約済みだぜ?」

「違います! 私はこの身の全てをラナー様に捧げて──何を言わせるんですか!?」

「あはは! 童貞くん面白!」

 

 鉄心石腸。クライムは両者からの誘いを鋼の精神力できっぱりと断る。ガガーランは本気かもしれないが、目の前の赤毛の女性はこちらをからかっただけなのだと悟る。何かが通じ合ったのだろう。ルプスレギナとガガーランは固い握手を交わす。

 

「蒼の薔薇のガガーランだ、よろしくな。こっちは連れのイビルアイ」

「おい、私はこんな奴らとよろしくする気なんか」

「ルプスレギナっす。ルプーって呼んでいいっすよ。この子は妹のナーベラル。ナーちゃんって呼ぶと喜ぶっす」

「ルプー……貴方」

 

 ナーベラルが姉の勝手な発言に顔を顰める。イビルアイは仮面で隠れているがおそらくナーベラルと同じ表情をしているのだろう。

 

「それで、リーダーはなんだって?」

「は、はい。すぐに動くことになりそうだ、詳細はまた戻ってから伝える。ただ、戦闘準備を整えておいてほしい、とのことです」

「あいよ」

 

 ガガーランが丸テーブルに金貨を数枚置く。心付け(チップ)という文化は王国にはないし、酒代にしては高すぎる。この場を騒がせた迷惑料なのかもしれない。

 

「忙しなくてわりぃが俺らはこれで。またなルプー、とナーちゃん……だっけか? 今度一緒に呑もうぜ、今日の埋め合わせするからよ」

「……誰が下等生物如きと──もがっ」

「はいっす、その時は負けないっすよ」

「ふん。いいか、お前ら? 吸血鬼を捜そうなんて馬鹿な真似はするんじゃないぞ?」

 

 最後にクライムがぺこりとお辞儀して三人は酒場を後にする。開いた扉から入れ替わりに二人の男女が顔を出した。ローブを羽織る金髪の女と青髪の男。五人は、正確にはクライムを除いた四者は互いに視線を交錯させる。

 

「おっ」

「む」

「おんや〜?」

「…………」

 

 けれども言葉を交わすことなくすれ違う。男女は中へ、蒼の薔薇とクライムは外へと。

 

「ただいまご主人さまー」

「ったく、人使い荒いんだよ……いえ、何でもないです」

 

 扉がゆっくりと閉ざされる。蒼の薔薇は宿屋を後にした。

 

 

 

 

「……なるほどねえ、いきなりオリハルコン級はどうかと思ったが中々どうして」

 

 王都を歩くガガーランは最後にすれ違った男女を振り返る。彼らはルプスレギナたちの卓に座った。冒険者組合の情報によると“美姫”のメンバーは四人。十中八九あの二人も美姫だろう。美姫の男というのは違和感があるが、もしかしたら新規加入メンバーなのかもしれない。

 戦士のガガーランは魔法詠唱者(マジック・キャスター)の強さに疎い。だが戦士の強さは肌で感じ取れる。あの身のこなし、立ち振る舞い。あの二人は、少なくとも自分と互角に渡り合えるだろう。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。実際のところはやってみないとわからないが。

 

「イビルアイ、ルプーたちはどうだ?」

「……ん? ああ」

 

 ガガーランは先程から黙りこくっているイビルアイに問いかける。魔法詠唱者(マジック・キャスター)のことは同じ魔法詠唱者(マジック・キャスター)に聞くのが一番だ。神人がどうのとブツブツ呟いていた彼女は仲間を見上げる。

 

「……あれは強い、特に黒髪の方。もしかしたら私と同格かもしれん」

「マジかよ……!」

 

 ガガーランが驚きに目を見開き、クライムが息を呑む。アダマンタイト級冒険者チーム、蒼の薔薇。中でもイビルアイは最強を誇る。そのイビルアイをして同格と言わしめるとは。しかもあの若さで、だ。とてもじゃないが信じられない。あれ程の強者を目にするのは十三英雄以来だ。否が応でも魔神との戦いを思い出してしまう。

 最初は弱かったが最後には誰よりも強くなったリーダーたる人間の少年。旋風の斧を振るいし風巨人(エアジャイアント)の戦士長、四の魔剣を操る暗黒騎士、祖たる特徴を持ったエルフ王家のもの、いけ好かない死者使いのばばあ。十三よりも多い懐かしい顔が脳裏に浮かんでは消えていく。

 

「案外誰かの子孫かもしれないな……」

 

 過ぎ去さりし日々に思いを馳せ、郷愁の念にかられたイビルアイは仮面越しに思わず微笑みを浮かべた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

「──そう、わかったわ。エントマにもよろしくね」

 

 ユリ・アルファは〈伝言(メッセージ)〉を終了する。

 

「…………ユリ姉、どうだった?」

「ええ、二人とも元気そうよ」

 

 ユリの言葉にシズ・デルタはホッと胸を撫で下ろす。連絡がつかない夜は心配のあまり眠れなかった。ソリュシャンとエントマはスレイン法国を脱出した後、紆余曲折を経て現在は丘陵地帯にいるらしい。道中、鬱蒼と生い茂る森林に差し掛かったが、そこは森妖精(エルフ)と人間が激しい抗争を繰り広げる戦場だった。どこにあの規格外な強者のような存在がいるかわからない。情報が不足している。そのため、森に潜伏するのは諦め、丘陵地帯(ここ)まで逃避。丘陵は非常に肥沃な土地で豚や馬、山羊など食糧に事欠かないらしい。しばらく拠点にするとのこと。

 

「全く……心配かけて」

 

 ユリは眼鏡を上げ直す。連絡が入ったときこそお説教の嵐だったが、一番妹たちの身を案じていたのもまた彼女だろう。ユリは思う。今回の件はソリュシャンたちにも多少の落ち度があると。ユリとシズは帝城の賓客として、ルプスレギナとナーベラルは冒険者として。情報を得るため多かれ少なかれ人間社会に溶け込もうと努力していた。

 ソリュシャン、エントマの落ち度は最初から人間を食糧とみなし、ほとんど交流を持とうとしなかったこと。成果を急いてパンドラの箱を開けてしまった。おかげでスレイン法国にはもう近づけない。有益な情報があったかもしれないのに、調査の機会は潰えてしまった。こんこんとお説教をしたから事の重大さがわかってもらえたと信じたい。他の姉妹たちにも注意を促し、ユリ自身も居住まいを正した。同じ轍は踏むまい。これからはより慎重に事を運ばなくては。戦闘メイド(プレアデス)の長女として、ユリに重い責任がのしかかる。そんなユリの心境を知ってか知らずかシズが無表情ながらぽつりと呟く。

 

「…………無事で良かった」

「ええ、そうね。不幸中の幸いだわ。これに懲りたらあの子たちも──」

 

 ユリは足音から、シズも熱探知により人の気配を察知した。姉妹は向かい来る人物に会釈する。帝国主席宮廷魔術師、〝三重魔法詠唱者(トライアッド)〟のフールーダ・パラダインだ。

 

「ごきげんよう、パラダイン様」

「…………ごきげんよう」

「うむ、ごきげんよう。アルファ殿、デルタ殿」

 

 フールーダは豊かに蓄えた顎鬚を撫で上げ、姉妹とすれ違う。ユリ・アルファは帝国四騎士や武王を超える強者である。だが、フールーダの興味の対象足り得ない。彼の目的は魔法の深淵を覗くこと。それ以上でも以下でもない。修行僧(モンク)のユリには興味が湧かないのだ。一瞥し、視線を逸らす。

 ユリは少しずつ遠ざかる老体に不自然にならないように話題を取り繕う。

 

「シズ、貴方は今日も街を回るの?」

「…………うん、アルシェが案内してくれる。ウレイリカとクーデリカも一緒」

「そう、それは楽しそうね」

「待たれよ」

 

 突然背後から降りかかる声。何かしら不信感を抱かせてしまったか。一瞬身構える二人。フールーダが凄まじい形相でシズの両肩を掴んだ。まるで変質者が息遣い荒く、いたいけな少女に迫っているようだ。というよりそうとしか見えない。事案発生である。ユリが思わず拳を固め、女教師譲りの怒りの鉄拳を見舞おうとして、

 

「アルシェとは、もしやアルシェ・イーブ・リイル・フルトのことか?」

「──え?」

「…………そう、だよ?」

 

目を白黒させながら答えるシズにフールーダの顔が驚愕に彩られる。

 

「おお……おお」

 

 本来なら交錯するはずもない点と点が線で繋がっていく。かつて逃した大きな鳥が、何処かへ飛んでいってしまったはずの優秀な弟子(アルシェ)が見つかった。

 



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第八話

 アルシェ・イーブ・リイル・フルトはズキズキと痛む頬に気づかない振りをしながら妹たちの手を引く。

 

『この馬鹿娘が! 誰がここまで育ててきたと思ってる!?』

『もう受けた恩は充分に返した。これ以上は貴方たちが返済すべき』

『この──!』

 

 鮮血帝ジルクニフによって貴族位を剥奪されたフルト家。アルシェは没落しかけた家を援助するために、夢の全てを諦め帝国魔法学院を中退。請負人(ワーカー)となった。冒険者の道を選ばなかったのはワーカーの方がより稼ぎが良いという至極単純な理由。少しでも支えになれたなら、その一心だった。ワーカーチーム「フォーサイト」に潜り込めたのは幸運としか言いようがない。チームリーダーヘッケラン・ターマイト、野伏(レンジャー)イミーナ、信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のロバーデイク・ゴルドロン。皆ワーカーとは思えないほど気の良い人たちだ。当時十代前半だったアルシェに分け隔てなく接してくれ、報酬はいつも等分。それどころかチーム最年少のアルシェをまるで妹のように可愛がってくれる。兄弟が妹しかいないアルシェにとって新鮮な感覚だった。

 散財せず慎ましやかに生活すれば充分に暮らしていける。そのはずだった。だのに、

 

(もう貴族ではないと言うのに……!)

 

 高級住宅街に住み続け、散財をやめない父。止めようとしない事なかれ主義の母。毎日のように増える豪奢な、不要な調度品。使用人の給料さえ滞る始末。あまつさえタチの悪いところから借金まで。もう面倒見切れない。ほとほと愛想が尽きた。

 今朝も言い争った。もう家に金を入れないと宣言した途端、怒号と共に浴びせられる罵声。逆切れした父が手を上げた。ワーカーとして二年以上修羅場を潜ったアルシェには、正直身体の痛みよりも心の痛みの方が堪えた。あんなのが親とは情けなくて泣けてくる。

 

「お姉さま、どうしたの?」

「どこか痛いのー?」

「ううん、何でもないよ」

 

 優しい子たちだ。アルシェは視線を上げ、込み上げてくるものを無理矢理抑えつける。両手に感じる妹たちの温もり。何としてもこれだけは守らなくては。そろそろ待ち合わせ場所だ。今朝はゴタゴタして少し遅れてしまった。待ち合わせ場所に差し掛かると小さな人影が見えた。

 

「シズお姉ちゃん、こんにちはー!」

「こんにちはー!」

「シズ、待たせてごめ──」

 

 アルシェは言葉をなくす。噴水の前には心なしかムスッとした顔のシズ。その隣にいる人物は。白髪に腰まで届く白い髭、白いローブに白い杖。白い眉の下の眼光は鋭く、ジッとアルシェを見つめていた。アルシェとその老人は奇しくも同じ生まれながらの異能(タレント)を持つ。名付けるならばそう、看破の魔眼。互いの眼が相手の魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての力量を正確に認識する。

 

「ふむ、研鑽は怠っておらぬようだな」

「貴方は、貴方様は──」

 

 顎髭を撫で上げ唸る老人にアルシェは驚愕に打ち震える。

 

「久しいな、アルシェ・イーブ・リイル・フルトよ」

「パラダイン様!?」

 

 帝国最強、最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、「三重魔法詠唱者(トライアッド)」のフールーダ・パラダインだった。何故フールーダがシズと一緒にいるのか? 混乱するアルシェを余所にウレイリカとクーデリカの二人は興奮した面持ちでフールーダへ駆け寄る。そしてその長い髭をわさわさ触る。

 

「わー、すごいお髭ー!!」

「すっごーい!」

「…………そう、このすごいお髭。無理矢理付いてきた。アルシェに会いたいって」

「……私に?」

「うむ、アルシェよ。我が元弟子よ。昔のよしみだ、少し話さぬか?」

 

 妹たちにされるがままのフールーダの提案。アルシェに拒否権なんてなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼ、ロ・レンテ城。王国を治めるヴァイセルフ王家の住まうヴァレンシア宮殿の一室で、黄金の姫ラナーは顎に手をやり云々唸っていた。傍目には可愛らしく映るだろうが、その実思考を高速で回転させているのだ。円卓には蒼の薔薇が麻薬「ライラの粉末」を栽培していた村を焼いた際に入手した羊皮紙。余人には意味不明な換字式暗号は既にラナーによって解かれていた。その暗号には王都内、七つの場所が記されており、ラナーはそれらを八本指の麻薬部門以外の六つの拠点だと睨んだ。一枚岩ではないと踏んでいたが、平気で仲間を売る組織のようだ。

 

「うーん」

 

 八本指は貴族社会にも鼻薬を嗅がせていた。一度に検挙しなければまた地下深く潜られてしまい、犯罪の証拠は消されてしまうだろう。そのためには一斉に叩く必要がある。だが絶対的に手が足りない。蒼の薔薇に兄ザナックとレエブン候に協力を取り付けたとて心許ない。王国暗部、「八本指」は「六腕」という実力派集団を有する。一人ひとりがアダマンタイト級冒険者に匹敵するらしい。レエブン候の私兵、さらに彼の子飼いの元オリハルコン級冒険者が使い物になると仮定し、戦力として換算して。それでもまだ不足していた。

 

「せめて戦士長様が健在でしたら……」

 

 思わず口をつく言葉に目の前の人物が顔を曇らせる。ラナーはハッとして頭を下げた。

 

「ごめんなさい、ラキュース。貴女を責めているわけではないの」

「ええ、わかっているわ。それでも、自分の無力さを痛感するわね」

 

 蒼の薔薇リーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは無意識に自身の頬を撫でる。彼女は王国唯一の蘇生魔法の使い手だ。国王ランポッサ三世の命により遺体で戻った王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの蘇生を試みた。しかしこれに失敗。激昂し、錯乱した王が手当たり次第に投げたものがラキュースを傷つけた。もう傷跡こそ残っていないが、ティア、ティナ忍者姉妹をはじめ蒼の薔薇構成員は皆憤りを隠せない。ラナーがその話題に触れた瞬間、ラキュースの背後に控える彼女たちからトゲのある雰囲気を感じる。

 

「改めて謝罪させて。お父様も時が経てばもう少し冷静になれると思うの」

「いいのよ、気にしてないわ」

 

 再度自身の力不足を嘆くラキュースに「そうとも限らないぞ?」とイビルアイ。曰く、死者には蘇生の拒否権が存在するらしい。生命力も、代価の黄金も充分であると考えられるガゼフ・ストロノーフの蘇生失敗。それは本人の意志によるものが大きいと。あくまでも可能性の一つだと締めるイビルアイにクライムは複雑な表情を浮かべた。クライムから見て、ガゼフの王への忠誠心は非常に厚く、また王の覚えも良かった。クライムは自分の目指すところとしていたほどだ。そのガゼフが蘇生を拒否するだなんて考え難い。自分ならば絶対に蘇生してほしい。ずっとラナーの側にお仕えするために。

 

「戦士としての矜持ってやつかあ? ま、わからねえでもないが」

「もういない人のことを話しても仕方がない。これからどうするか考えるべき」

 

 ガガーランが腕を組んで唸り、ティアが仕切り直す。仲間たちの言葉にラキュースが大きく頷いた。

 

「私たちが分散して同時に叩くのはどう?」

「それでも二ヶ所足りないな。六腕が二人以上一ヶ所にいれば最悪だ」

 

 ティナの案をイビルアイが否定する。やはりどう見ても人手が足りない。

 

「叔父様たちに助力を仰ぐのはどうかしら?」

「ダメよ、ラキュース。貴女の家に迷惑がかかってしまうわ」

 

 アズス率いる朱の雫。蒼の薔薇と並び、アダマンタイト級と謳われる冒険者チームである。ラキュースが出奔し、冒険者となったのも彼女の叔父、アズスに語り聞かされた冒険譚に憧れたからだ。今の蒼の薔薇があるのも、ある意味アズスのおかげかもしれない。彼らは現在、都市国家連合との国境沿いに依頼で赴いていた。助力を求めるのは難しい。いや、たとえ王都にいたとしても無理があるだろう。

 今回、ラナーは八本指を追い詰めるため、ラキュースに直接依頼している。冒険者組合を通さない依頼というのは明確な規律違反だ。一応、依頼料を取らず友人の頼みごとという体裁を保っているが、それでも限りなく黒に近いグレーだろう。こんな危ない橋を渡る割に、メリットなぞ皆無。王都で協力してくれる冒険者チームがいるとは到底思えなかった。

 ラナーが頬に手を当て溜め息を吐く。そんな姿すら美しいとクライムは思った。

 

「どこかに腕が立って、組合とも後腐れがない冒険者はいないものかしら」

「おいおい、そんな都合の良い奴いる訳──」

 

 天啓の如き閃き。ガガーランとイビルアイは顔を見合わせる。組合で彼女たちの噂を聞いた際、エ・ランテルの冒険者組合が泣きを見たと苦言を呈していた。

 

「へっ、思ったより早い再会になりそうだな」

「……はあ」

 

 したり顔のガガーランにイビルアイは仮面の下でしかめっ面を浮かべるが、やがて意を決する。

 

「おい、小娘。戦力なら心配するな、私たちに当てがある。お前はお前の為すべきことをしろ。行くぞ、ガガーラン」

「あいよ」

「私も行く。噂が真実か気になる」

 

 壁にもたれかかっていた双子のうち、青がトレードマークな方が名乗り出る。

 

「この変態め、どうせ奴らに変なことを吹き込むつもりだろう」

 

 イビルアイは仮面越しでもわかるほど嫌そうな声を上げた。赤い方も身を乗り出す。

 

「私も」

「……念のために言っておくがクライムよりずっと年上だったぞ? しかも無精髭」

「前言撤回、パス」

「こいつら……」

 

 仲間たちの性癖に頭を抱える。童貞喰い(ガガーラン)レズ(ティア)ショタコン(ティナ)。まともなのは自分とラキュースだけではないか。自分がしっかりしなくては、と奮起しイビルアイはラナーの部屋を後にする。ガガーラン、ティアが後に続いた。仲間たちの痴態に呆れ顔の厨二(ラキュース)を余所にラナーはクライムへと指示を出す。

 

「ではクライム、レエブン侯を呼んで来て下さい。まだ王都内にいらっしゃるはずですので」

「侯を……ですか?」

 

 クライムはもちろん、ラキュース、ティナもラナーの真意が掴めなかった。王、貴族両派閥を飛び回り、蝙蝠と揶揄される存在を何故呼ぼうというのか。まるで理解出来なかった。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 アベリオン丘陵。スレイン法国とローブル聖王国の間に広がる丘陵地帯には、優に二十を超える亜人種が存在し、日夜覇権を巡り争っていた。オーガやゴブリンなど共存する種族もいれば一方的に他方を奴隷に堕とす種族もいた。たとえ同じ種族とて違う部族ならば殺し合う理由には充分だった。全種族、全部族合わせれば十万を遥かに越す亜人たち。そんな彼らの内、十指に入る強者は「十傑」と呼ばれ、同部族にすら恐れ敬われていた。彼らを頂点に危うい均衡の上に成り立っていた丘陵のパワーバランスが、突如として崩れ去る。

 

 

「クソ……クソクソ! クソが! この俺が、女なぞに!」

 

 十傑の一人にして〝魔爪〟の名を継ぐ獣身四足獣(ゾーオスティア)、ヴィジャー・ラージャンダラーは恥辱に塗れていた。周囲には既に事切れた〝獣帝〟〝灰王〟〝螺旋槍〟が無残に転がっている。何れも十傑。比類なき力を持つ強者、のはずだった。

 

「うふふふ」

 

 金髪縦ロールのメイドは恍惚の表情を浮かべてヴィジャーの黒豹のような頭を踏みつける。まるで今までの鬱憤を晴らすかのように。彼女の名はソリュシャン・イプシロン。本来ソリュシャンは非常に有能である。レベル差さえ加味しなければ、守護者たちと比しても何ら遜色ない。そんなソリュシャンがスレイン法国で受けた屈辱は如何ほどだろうか。自分の身どころか危うく妹も犠牲になるところだったのだ。もう同じ轍は踏むまい。

 

 ソリュシャンはエントマと共に、この一週間ばかりを丘陵地帯の諜報活動に費やした。豚鬼(オーク)を締め上げ、馬人(ホールナー)を拷問し、山羊人(バフォルク)の自尊心を踏みにじった。結果、丘陵に君臨する十の亜人が判明。彼らの種族、性格、武器、特殊技術、魔法、武技など可能な限りの情報を収集した。結論から言えば、法国の女に相当するような強者はおらず、またプレアデスを脅かしうる切り札も存在しなかった。ならば後は話が早い。

 近頃、種族や部族を問わず無差別に亜人を狙う謎の存在がいると、十傑が一堂に会す会合が開かれる運びとなった。二人はその場を強襲した。

 

「ッ──」

 

 音もなく、真後ろからエントマへ槍を穿つのは〝黒鋼〟ムゥアー・プラクシャー。オリハルコン級ですら苦戦する身体能力を誇る獣身四足獣(ゾーオスティア)には珍しく、闇に紛れて戦う野伏(レンジャー)である。しかしエントマは振り返りもせずに手を伸ばし槍を受け止める。不快な金属音が鳴り響いた。

 

「よっとぉ」

 

エントマは無造作に穂先を掴み思い切り振りかぶる。振り子のように吹き飛ぶムゥアーが大地に強かに叩きつけられた。

 

「ぐぬっ……!?」

「美味しそうなぁ〜、獣肉ぅ」

 

 顎から涎を垂らすエントマが本来の口を開く。異形の顎がムゥアーを噛み砕こうとして、

 

「お待ち下され!」

 

 半人半獣(オルトロウス)のヘクトワイゼス・ア・ラーガラーが声を張り上げる。騎士槍を捨て獣の下半身を屈ませた。そればかりか人の上半身は額を地に擦り付け、両の手のひらは空へ向けていた。滅多に見せぬ半人半獣(オルトロウス)服従のポーズである。

 

「ヘクトワイゼス、貴様! 血迷ったか!?」

 

 ヴィジャーが怒号を上げる。怒りのあまり獣身四足獣(ゾーオスティア)において未熟者とされる獣の唸り声まで漏れてしまった。

 

「魔爪殿、黒鋼殿……お許し下され! 御二方の命には代えられません」

 

 半人半獣(オルトロウス)は種族全体として獣身四足獣(ゾーオスティア)へ恭順していた。それだけでなくヘクトワイゼスは先代〝魔爪〟──ヴィジャーの父、ヴァージュ・サンディックナラに命を助けられたことがある。恩人の息子をみすみす喪う真似はしたくなかった。

 

「ふうん……賢いわね、貴方。他の方々はどうするのかしら?」

 

 ソリュシャンは値踏みするように生き残りの十傑を見渡す。

 

「儂もじゃ。儂も主らに服従するぞ」

 

 魔現人(マーギロウス)の老婆、〝氷炎雷〟ナスレネ・ベルト・キュールが跪くと、

 

「俺も」

「私もだ」

 

 山羊人(バフォルク)の亜人王、〝豪王〟バザー、石喰い猿(ストーンイーター)〝白老〟ハリシャ・アンカーラが各々武装解除し追従する。

 

「止むを得ん……か」

 

 ついには渇きの三叉槍(トライデン・オブ・デハイドレーション)を地に突き立て〝七色鱗〟、蛇王(ナーガラージャ)ロケシュまでもが頭を垂れた。ソリュシャンは気を良くし、獣身四足獣(ゾーオスティア)の戦士たちを解放する。生き残った十傑、七人がソリュシャン、エントマの前に傅いた。

 

「うふ、いいでしょう。貴方たちの服従を受け入れます」

「服従ぅ〜」

 

 ソリュシャンは美貌を歪ませ醜悪な笑みを浮かべた。ここにソリュシャン、エントマを頂点にした十万を超える亜人連合軍が誕生した。



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第九話

 カッツェ平野。一年中霧に覆われた呪われし大地。晴れるのは年に数日、ある時期のみ。無尽蔵に湧くアンデッドの討伐は将来この地を領土にせんとするバハルス帝国の国家事業であった。アルシェ・イーブ・リイル・フルト属するフォーサイトもまた、よく資金稼ぎにカッツェ平野に赴いていた。しかしこの日はいつもと様子が違っていた。

 

 

「ハァアアア!!」

 

 ヘッケラン・ターマイトが双剣を左右からバツの字に振るう。武技〈双剣斬撃〉を受けた骸骨(スケルトン)が二、三体まとめて薙ぎ払われた。如何に〈斬撃耐性〉や〈刺突耐性〉を備えたアンデッドとはいえ、低位であれば斬撃でも倒せる。それでも後方にいた一体は耐え抜いたようだ。崩れた体勢を立て直そうと仲間の骸を足蹴にしている。迫り来る刃にヘッケランは信頼する仲間の名を叫んだ。

 

「イミーナ!」

「わかってる!」

 

 応えたのは半森妖精(ハーフエルフ)のイミーナだ。引き絞った弓から放たれるのは二本の特徴的な鏃の矢。アンデッド特攻の殴打武器。それらは弧を描き綺麗にヘッケランを避け、スケルトンへと突き刺さる。瞬間、偽りの生命が終わりを告げた。物言わぬ白骨と化し周囲に散乱した。

 

「これは、何とも……切りがないですね!」

 

 全身鎧(フル・プレート)に身を包みサーコートを翻す神官、ロバーデイク・ゴルトロンが特殊技術を発動する。アンデッド退散により周囲のアンデッドが消滅していくが焼け石に水だ。空いた穴を塞ぐように新たな骸骨が躍り出る。

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉!」

 

 アルシェが杖を振り上げ火球を放つ。最前線のアンデッドが燃え落ちるが、こちらもすぐに塞がれてしまう。アルシェはジリジリと後退し、ロバーデイクと背中合わせになった。

 

「……この量は異常」

「ですね……」

「ったく、人気者は辛いぜ」

 

 後衛の不安を吹き飛ばすようにヘッケランが明るく笑う。しかし額から滴る汗とぎこちない口元からは彼の隠せない疲労が垣間見えた。無理もない、もう幾度となく武技を繰り出しているのだから。今日のカッツェ平野は明らかに異様な空気を纏っていた。アンデッドの種類こそ変わらぬが、その数が桁違いなのだ。昼間にも関わらず、まるで新月の夜のように。夥しい数のアンデッドに気づき、パーティメンバーに撤退を指示した時にはもう遅い。減らない敵、対して次々と削られていく魔力、精神力、治癒薬と言ったリソース。今のところ四人が互いを互いに庇い合い、何とか回していたがそれもいつ限界を迎えるか知れない。

 

「ははっ、こいつは……今度こそヤバいかもな」

「馬鹿言ってんじゃないわよ!」

 

 思わず弱音を吐くヘッケランにイミーナが檄を飛ばす。

 

「無駄口叩く暇あるなら一体でも多く倒しなさい! 最悪、アルシェだけでも絶対無事に帰すんだから!」

「そんな……!」

 

 仲間の悲痛な覚悟にアルシェは絶句する。アルシェは今回のことは自分に責があると考えていた。シズ・デルタ仲介の元、恩師フールーダと再会を果たしたアルシェは彼に近況を報告せざるを得なかった。話を聞いたフールーダは「お主さえよければ戻って来ぬか? 相応のポストを用意する」と提案してくれた。一晩悩んだアルシェは妹たちのことを鑑み、これを承諾。帝国魔法省への切符を入手した。

 翌日、フォーサイトの仲間たちに恐る恐る告白した。親の借金のこと。そのために魔法学院を辞めざるをえなかったこと。いい加減愛想が尽きて親と決別したこと。フールーダの誘いを受けたこと。そして、フォーサイトを抜けるつもりだということ。妹たちを養うためには今までのような危険は犯せない。

 

「……勝手なことばかり言ってすまない」

 

 そう俯くアルシェを仲間たちは明るく受け入れてくれた。

 

「良かったじゃない!」

「大出世だな、おめでとう」

「おめでとうございます。しかし、お父上には神の愛をお教えする必要がありそうですね」

 

 皆自分のことのように喜んでくれ、またアルシェの親には怒りを示していた。アルシェの晴れの舞台だ、せっかくなら最後にドンと稼がせて見送ってやろう。パーティメンバーの見解が見事に一致した。この辺りが彼らが普通のワーカーとは違う所以であろう。そこで、フォーサイト四人での最後の狩場にカッツェ平野を選択した。実入りが良い割には危険が少ない。そのはずだったのだが、甘かった。ワーカーとはいつ如何なる時も死の危険と隣合わせなのだと改めて思い知らされた。四方を死の群れに囲まれながらアルシェは震えた声で懺悔する。その目元には光るものが込み上げていた。

 

「ごめんなさい……私の、せいで」

「何言ってるのよ? らしくないじゃない!」

「……え?」

 

 いつの間にか側に寄り添うイミーナがアルシェの細い肩を抱きウインクする。

 

「そうです、我々はアルシェさんが抜ける前に一稼ぎさせていただこうと思っただけです」

「ロバーの言う通り、だっ!」

 

 ロバーデイクがアンデッド退散を、ヘッケランが武技を発動。またいくつかの骸骨が薙ぎ払われた。ヘッケランが背後のアルシェを振り返る。

 

「胸を張れよ、妹さんたちを迎えに行くんだろ?」

「……うん!」

 

 アルシェが顔を上げる。その瞳はまるで〈獅子の如き心(ライオンズ・ハート)〉を受けた後のように輝いていた。自分は良い仲間を、そして良い兄姉を持った。もう迷いはない。絶対に皆と共に生きて帰る。

 

「なっ──」

 

 そんなアルシェの決意を嘲笑うかのように悍ましい絶叫が轟く。運命というものがあるのなら、それは残酷だった。人骨の集合体が周囲のアンデッドを押し退け顔を出す。それは竜の形をしていた。それは魔法詠唱者(マジック・キャスター)にとって最悪だった。

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)!?」

「チッ、不味いな……」

 

 魔法に対して完全耐性を有する最強のアンデッド。ミスリル級冒険者チームに相当するフォーサイトならば決して勝てない相手ではない。しかしそれはあくまでも万全の状態であれば、の話である。既に満身創痍、さらにはアンデッドの大群。その上、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)まで現れては為す術がない。全滅は必至かと思われた。

 

「逃げ切るのは無理、か」

 

 小さく呟くヘッケランは腹を括った。

 

「アルシェ、悪いがイミーナも連れて逃げてくれ! コイツ見た目通り細いから何とか行けるだろ?」

「……え」

「はあ? 何言ってるのよアンタ!?」

 

 アルシェならば〈飛行(フライ)〉で空中から逃走できる。そこにイミーナも連れて行ってくれと頼んでいるのだ。人一人くらいならば何とか運べるだろう。

 

「ここは俺とロバーで時間を稼ぐからさ」

「……そうですね、全滅よりは幾分マシでしょう」

 

 片手で謝罪のポーズを取るヘッケランにロバーデイクが頷いて返す。アルシェは逡巡したがやがて観念したように〈飛行(フライ)〉を唱えた。下唇を噛み、涙を必死に堪えていた。

 

「ねえ、何で……嫌よ! 私も一緒に──」

「頼む、惚れた女一人くらい守らせてくれ」

「ッ──」

 

 その言葉にイミーナは何も言えなくなった。抵抗をやめたイミーナはアルシェに軽く持ち上げられる。二人がふわりと宙に浮いた。霧の向こうへと消えていく。

 

「さてと……悪いな、ロバー」

「いえ、良いのですよ。待つ人がいる少女と未来ある女性を同時に救えるのですから」

 

 遠ざかる少女たちを満足げに見送ると、男たちは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の前に立ちはだかった。空で無防備なアルシェたちから注意を逸らさなければならない。ヘッケランは刃を逆手に構える。ロバーデイクもメイスを握り締めた。

 

「地獄まで付き合ってもらうぜ?」

「ふふ、違いますよ。我々は神の元へ召されるのですから」

 

 ヘッケランが最後の力を振り絞る。〈限界突破〉〈痛覚鈍化〉〈肉体向上〉──ブチブチと身体中から何かが千切れる音がした。悲鳴を上げる肉体を叱咤する。ここでやらねば男が廃る。ロバーデイクから〈下級筋力増大(レッサー・ストレングス)〉〈下級俊敏力増大(レッサー・デクスタリティ)〉が飛んでくる。ありがたい。

 

「行くぞ──」

 

 決死の覚悟を抱くヘッケランが武技を発動し、難業に挑もうとして、

 

「何……!?」

 

 ヘッケランは見た。霧の向こうから触手のようなものが何本も躍り出るのを。鞭のようにしなる()()()あっという間に骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を絡め取ると霧の向こうへ引きずり込んでしまった。断末魔が響く。異変はそれだけに止まらなかった。何処からともなく無数のトレントが湧いて出て、アンデッドを襲い始めたのだ。骨に蔦や蔓が巻きつき締め上げている。

 

「しめた! 〈剛腕剛撃破〉〈双剣斬撃〉!」

 

 これを好機とみたヘッケランは自身の背後に双剣を振るう。合点がいったロバーデイクも最後のアンデッド退散を使い道を切り開く。

 

「走れ! 走れ走れ走れ!」

「うぉおおおおおお」

 

 左右でトレントと激しく攻防を繰り広げるアンデッドを他所に二人は全力疾走。霧の境界線を駆け抜けた。息も絶え絶えだが何とか窮地を脱したのだ。ヘッケラン、ロバーデイクは共に大の字に地面に倒れ込んだ。もう一歩も歩けない。息を切らしたヘッケランは何気なく霧の平野を振り返る。我が目を疑った。

 

「なんだよ……あれ」

 

 大樹、としか表現出来ない。霧の向こうに聳え立つそれは笑ってしまうくらい大きかった。ヘッケランの知るどの城や協会の尖塔よりも巨大だった。

 

「お、おい! ロバー! あれ見ろよ!?」

「ハァ、ハァ……え? 何ですって」

 

 死にそうなロバーデイクを無理矢理起こし、ヘッケランは興奮した面持ちで空を指す。ロバーデイクは首を傾げた。

 

「何も……変わったところはなさそうですが……?」

「は? よく見ろよあんな馬鹿でかいも、の──」

 

 ヘッケランの視線の先には何もなかった。強いて言えば霧が何処までも平野に立ち込めているだけだった。

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

「そうか、実験は成功したか。うむ、うむ……」

 

 闇の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンは占星千里からの〈伝言〉に顔を綻ばせる。卓につく他の神官長たちはその報せに各々の論を説く。

 

「これでようやくあの裏切り者めを!」

「彼の方の恨みを晴らせよう」

「あの子にも恨みを晴らす機会を与えようぞ」

「おお、おお……でなければあまりにも不憫というもの」

 

 熱を帯びてきた議論に誰かの手が打ち鳴らされる。静寂が戻ったことを確認すると、皆を代表して最高神官長が立ち上がる。

 

「では、破滅の竜王を尖兵にエルフの国に鉄槌を下す。賛成のものは御起立くだされ」

 

 一斉に椅子が引かれる。満場一致だった。それほどまでにスレイン法国のエルフ王国への恨みは深い。十三人の最高指導者たちは六大神の像に祈りを捧げる。

 

「神よ──我らに勝利を」

「勝利を」

 

時は来た。裁きの日は近い。

 

 

 



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第十話

 王都リ・エスティーゼの最高級酒場。エ・ランテルにおける「黄金の輝き亭」に匹敵、あるいはそれ以上の格式を持つこの酒場にはVIP御用達の個室が完備されていた。永続光(コンティニュアル・ライト)が灯る部屋には絵画を初め豪華な調度品の数々。ゆったりとしたソファーに大きな大理石のテーブル。ワインセラーや冷蔵庫といった帝国製のマジックアイテムの小型サイズが完備されており、いつでも冷えた飲み物が飲める。さらには防音はもちろんのこと、これまたマジックアイテムで室内は一定の温度が保たれている。さらには備え付けの特殊な魔法のベルを鳴らすと、離れた場所にいるウェイターに伝わる仕組みだ。有事の際を除き完全にノータッチ。プライバシーも守られているため、貴族や一部の冒険者などの隠れ家的な役割を果たす。この場所は酒場と言うよりはむしろサロンと言った方が正しいのかもしれない。

 卓を囲むのは七人の男女。此方オリハルコン級冒険者チーム〝美姫〟リーダー、ルプスレギナ・ベータ。ナーベラル・ガンマ、クレアという偽名を名乗るクレマンティーヌ、そしてブレイン・アングラウス。彼方アダマンタイト級冒険者チーム〝蒼の薔薇〟戦士ガガーラン、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイ、忍者姉妹の片割れ、ティア。念には念を入れ、イビルアイがローブの下でアイテムを発動、周囲の音が遠ざかりさらに防音が強化された。

 ガガーランたち蒼の薔薇の誘いを受けた美姫は快く承諾、この部屋へ通された。乾杯からしばらく和やかな雰囲気が流れるが、イビルアイが本題に入ると場の空気が一変した。カラン、と誰かのグラスの氷が鳴った。

 

「話にならないっす」

「お引き取りを」

 

 ソファーに踏ん反り返るルプスレギナが興味なさげに杯をあおり、ナーベラルがぴしゃりと言い放つ。取りつく島もない。大方の予想通り、美姫との交渉は難航していた。ルプスレギナにとって王国の危機なぞ心底どうでも良い。むしろ滅んだ方が面白いとすら思っていた。ナーベラルにとっても同じだ。下等生物たる人間が栄えようが滅びようが構わない。好きの反対は無関心とはよく言ったものである。困り果てたガガーランがクレマンティーヌ、ブレインに言葉を投げかける。

 

「なあ、アンタらも何とか言ってくれよ」

「……そもそもさぁ、それって組合には内緒なんでしょ? 報酬はちゃんと出るんでしょうね?」

 

 蒼の薔薇からガゼフの事実を告げられ、放心状態のブレインを無視してクレマンティーヌが指摘する。

 

「一応、王女さんが自費で報酬を用意すると聞いてるぜ」

「はっ、リスクに見合うだけの対価をあのお姫さまが用意できますー?」

「ぐっ……そりゃあ、な」

 

 痛いところを突かれた。ガガーランが困り顔になる。第三王女のラナーの王位継承の優先順位は低い。スペアのスペアと揶揄されるほどだ。そんなラナーの後ろ盾になろうという貴族は現れず、口止め料を含めた正当な報酬を払えるとは到底思えなかった。ガガーランがイビルアイにコソコソと耳打ちする。

 

「おい、イビルアイ。お前自信満々だったじゃねえかよ? なんか無理っぽいぜ」

「…………」

「普通はそう、逆の立場ならば私だって断る」

「おめえはどっちの味方だよ!?」

 

 物言わず思案中のイビルアイに代わり、ティアが口を開く。その瞳の奥にはハートマークが浮かんでいた。

 

「別に。私は鬼ボスの言葉に従うだけ。にしても……本当信じられない。まさか王女様並みだとは思わなかった、眼福」

「何しに来たんだよ本当に」

 

 頭を抱えてしまうガガーラン。今まで沈黙を保ってきたイビルアイは嘆息し、背に腹はかえられないと呟いた。鬼札を切る。

 

「貴様らが知りたがってた〝国堕とし〟──〝亡国の吸血鬼〟の情報。それが対価だと言ったら?」

「ッ──」

 

 反応は劇的だった。ピクンと、ルプスレギナの帽子の下の耳が動き、ナーベラルが一瞬目を見開く。両者はすぐさま値踏みするようにその目を細めた。

 

「貴方がその吸血鬼について知っている……と?」

「ああ、私以上に詳しいものはこの世にいないだろうな」

「…………」

「その情報が虚偽でない保証は?」

 

 美姫の追及にイビルアイは肩をすくめる。

 

「こればかりは私を信用してもらうしかないな。だが依頼達成の暁には私の知る全てを話そう。なんなら誓約書を記してもいい」

 

 姉妹は無言で顔を見合わせた。もたらされた情報の真偽を測りかねているのだろう。ナーベラルが揺さぶりをかける。

 

「その吸血鬼の名は?」

「教えられない」

「チッ……では性別は? これくらいならば良いでしょう」

「……女だった、とだけ言っておく」

 

 外見的特徴が彼女に一致する。ルプスレギナが続く。

 

「シャル──彼女の目の色は何色っすか?」

 

 瞬間、イビルアイの仮面越しに憎悪が漏れ出る。ルプスレギナとナーベラルは顔色一つ変えないが、クレマンティーヌとブレインはその殺気に気圧された。瞬時に臨戦態勢をとる。切ろうとした鯉口はプレアデスに制される。思わず身を乗り出そうとしたガガーラン、ティアもまたイビルアイに止められた。

 

「落ち着け、今のは私が悪い。奴の目は……真紅。そうだ、まるで血のような穢らわしい……」

 

 語るイビルアイは表情こそ仮面で隠されているが、何処か哀愁が漂っていた。

 

「じゃあ髪色は──」

「服装は──」

「おっと、これより先は成功報酬とさせてもらおうか」

 

 続けざまに問いただそうとする美姫を押し留めるイビルアイ。やはり彼女だ、と二人は確信した。ルプスレギナとナーベラルは脳裏に一人の少女の姿を思い浮かべる。今にも間違った廓言葉が聞こえてきそうだった。

 

「おっけー、おっけー! 交渉成立っす」

「えぇ!?」

 

 百八十度態度が変わる。ニンマリと良い笑顔なルプスレギナにクレマンティーヌが思わず声を上げた。

 

「おお、助かるぜ!」

「こう言っては何だが、良いのか?」

「正直、断られて当然な内容」

「いいえ、その情報の価値を鑑みれば充分過ぎるくらいです」

 

 あっさり手のひらを返す美姫にむしろ蒼の薔薇側が困惑する。今までの苦労は何だったのか。それほど彼女たちにとって国堕としが重要なのだろう。

 

「っし、んじゃあ前祝いと行こうぜ! 景気付けにジャンジャン飲んでくれよ!」

「おお、いいっすねえ! 負けないっすよぉ!」

 

 ガガーランとルプスレギナが杯を打ちつけ合う。その光景をぼんやりと眺めながらイビルアイは首を捻る。初対面のはずだ。絶対に。二百五十余年前の記憶を思い起こそうとするが全く思い当たらなかった。そもそも長い時を生き過ぎた。忘れたことも数知れず。もしかしたら彼女たちが一方的に此方を知っているだけかもしれないし、本当にかつての知り合いなのかもしれない。

 

「ところで、その六腕……とかいうのは強いんっすか?」

「ああ、全員がアダマンタイト級という話だ」

「貴女たちとどちらが強いのかしら?」

「やってみねえとわからねえが……フルメンバーなら俺らに分があるだろうな」

 

 新たなボトルに手をかけながらガガーランが推測する。蒼の薔薇フルメンバーと六腕全員。戦況を左右する要素は力量差だけではない。その日の体調を初め、魔力残量、武具の消耗具合、所有するマジックアイテムなどそれらは多岐にわたる。一般人や銅級冒険者相手ならいざ知らず、六腕ほど実力が拮抗する相手ならば何が起こるかわからない。ゆえに美姫に助力を要請しているのだから。それでもガガーランが自分たちが勝つと豪語するのは理由がある。〈死者復活(レイズデッド)〉すら使いこなすラキュース、そして蒼の薔薇最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイの存在だ。どんなに戦況が悪くても五分以上に持ち込めるだろう。その答えにナーベラルは横髪を掻き揚げ涼しげだった。

 

「ふうん、その程度なら楽勝ね」

「ははっ、言ってくれるじゃねえか。頼もしいねえ」

「油断は禁物。六腕はアンデッドすら有すると聞く」

「ん?」

「組織の長、〝闘鬼〟ゼロをはじめ〝踊る三日月刀(シミター)〟エドストレーム、〝空間斬〟ペシュリアン──」

「何ですって?」

 

 アンデッド? 空間斬? 捨て置けない単語が立て続けに語られる。そして決定的な瞬間が訪れる。

 

「──マルムヴィスト、そして〝不死王〟デイバーノック」

「不死……王!?」

 

 ルプスレギナとナーベラルが思わず立ち上がりテーブルを叩いた。勢いが良すぎたため杯やボトルがいくつか倒れテーブルを濡らす。零れ落ちる滴は血のように点々と絨毯を染め上げる。それすら気づかず二人は只々その美貌を驚愕に凍らせていた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「お願いします! アルファさん! どうかもう一度! もう一度だけでも出場を!」

「はあ、貴方も大概執念深い方ですね」

 

 目の前で土下座せん勢いで頭を下げる闘技場興行主(プロモーター)、オスクにユリ・アルファは思わず溜め息を吐いた。確かに彼には恩があるが、正直勘弁してほしい。前回の参戦で充分その元は取ったはずである。

 バハルス帝国を初めて訪れた際、何のコネクションも持たない姉妹はまずは国の権力者、貴族階級以上との繋がりを持とうと試みた。聞き込み調査によると帝国は数年前の大改革以降、鮮血帝ジルクニフによる専制君主制らしい。ならば彼の目に留まる必要がある。

 

「…………私に良い考えがある」

 

 自信満々のシズ・デルタが提案したのは闘技場への参加だ。聞くところによるとジルクニフは有能な人材ならば、貴族平民問わず取り立てるらしい。帝国最高権力者ならばアインズ・ウール・ゴウン、あるいはナザリック地下大墳墓に関する情報を持っているに違いない。ジルクニフの興味を惹くため、闘技場に飛び入り参加を決意した。その仲介を務めてくれたのがオスクだ。当初は発案者のシズが参加する気満々だったのだが、

 

「お嬢さん武器は何を……え? 飛び道具? それはいけない」

 

 まさかのNG。急遽ユリが代役で出場する羽目になってしまった。そこからが凄かった。飛び入り参加にも関わらず並み居る強豪を次々撃破。ユリの魅力は何も強さだけではない。黄金の姫に匹敵する麗しい美貌、そこからは想像もつかぬ拳一つで闘う潔い戦闘スタイル。これで人気がでないはずがない。観客に大いに受け、ユリは一躍脚光を浴び、スター選手にのし上がった。あまりの強さに生半可な剣闘士では相手にならず、ついには闘技場最強、武王ゴ・ギンとの対戦カードが組まれてしまう。結果はユリの勝利。今でもその試合は伝説の一戦として帝国民の語り草になっている。

 当初の目的を果たしたユリたちだが、オスクが金の卵をみすみす逃すはずがない。彼女が帝城の賓客扱いになっていると聞き、連日のように勧誘にやってきた。市街地の探索はシズに任せ、ユリがあえて行動範囲を城周辺に留めていたのはオスクの勧誘を躱すためでもあったのだ。だが何日経っても諦める気がなく、ラブコールは止む気配がない。いい加減、城の方々にも迷惑がかかるとユリは自らオスクの邸宅を訪問。話をつけに来たのだが。ティーカップから立ち昇っていた湯気がなくなってしばらく経つというのに、オスクに未だ諦める様子は皆無だった。

 

「選手が欲しいというのなら、後ろの()ではいけないのですか?」

「ッ──」

 

 オスクの背後に控えるラビットマンがビクッと身を震わせた。メイド装束に身を包んでいるが彼はれっきとした男。その正体は〝首狩り兎〟という二つ名を持つ一流の戦士兼暗殺者。ユリとしては階層守護者に似たような少年がいるので女装には特に疑問を抱かなかったが、首狩り兎からすればたまったものではない。初めて女装を見破られた上、「超級にやばい」と評する女に認識されてしまった。

 

(マーレ様……それにアーちゃん、今頃どうしているのでしょう)

 

 第六階層を元気に駆け回る闇妖精(ダークエルフ)の少女、そんな姉を半泣きで追いかける少年の姿が目に浮かぶようだ。ユリは我知らず微笑みを浮かべた。

 

(ひいぃ、見られてる! めちゃくちゃ見られてるよぉ!)

 

 そうとは知らない首狩り兎は自分に狙いを定められたと勘違いしてしまう。あまりの恐怖に全身が粟立った。一瞬良い考えだと思ったオスクだが、来期の契約を打ち切られてはたまらない。慌てて助け船を出す。

 

「あー、彼はそう、私の用心棒なのだよ。だから」

「そうです、あいにくとご主人様の側を離れる訳にはいかないんです」

「なるほど、ではその言葉をそっくりそのままお返ししましょう」

 

 ユリはソファーから立ち上がり、身を包むメイド装束を誇示するように胸を張る。神へ祈りを捧げるように左胸に手を当てた。

 

「この身の全ては──血の一滴から髪の毛一本に至るまで至高の御方々のためにあるのです」

 

 ユリの言葉一つ一つは力強い響きに満ちていた。そこには余人が入り込む隙など一切なかった。

 

「私は一刻も早くナザリックへと帰還しなければなりません。ですからこれ以上の闘技場への参加は不可能です、どうかご理解下さい」

「あ……う、む」

 

 何も言えないオスクを前にユリは応接室の扉に手を掛ける。

 

「では、これにて失礼します」

 

 ユリはゆっくりと扉を閉じた。その姿を黙したまま見送る。完全に見えなくなったことを確認すると首狩り兎は思い切り、息を吐いた。

 

「はあああ、怖かった……ねえ、もう諦めたら?」

「いや! 私は諦めん! 諦めんぞぉおお!」

 

 腹の贅肉を揺らしながらオスクは絶叫した。

 

「フンッ! ハァッ!!」

 

 回廊を歩くユリに威勢の良い声が届く。精巧な彫刻が施された白亜の柱とアーチが交差する向こう、中庭では一人のウォートロールがひたすら棍棒を振るっていた。帝国内にウォートロールなぞ一人しかいない。彼の名はゴ・ギン。帝国最強の武王──いや、先代武王だ。ゴ・ギンは脇目も振らず只々一心不乱に棒切れを振るう。綺麗に手入れされた芝生が棍棒の軌跡に合わせ土色に変化している。さぞや長時間鍛練に励んだのだろう。その真剣な眼差しが見据える先に誰がいるかなんて想像に難くない。

 

(邪魔をしては悪いですね)

 

 ユリは踵を返そうとするがその前にゴ・ギンが好敵手の存在に気づいた。

 

「おお、ユリ・アルファ殿!」

「申し訳ありません、お邪魔してしまいましたか」

「いや、構わない」

 

 ゴ・ギンは巨体を揺らしながらユリへと歩み寄る。その全身はびっしょりと汗に濡れていた。

 

「精が出ますね」

「ああ、目標は遠いからな」

「そのようなことは──」

「いや、貴方との力量差は闘った俺が一番よく理解している」

「…………」

 

 下手な嘘や謙遜は彼への侮辱だ。ユリは口を噤んだ。しばしの静寂が訪れる。先に沈黙を破ったのはゴ・ギンだった。

 

「……また俺と闘ってくれるか?」

「そうしたいのは山々ですが私には」

「わかっている」

 

 既にオスクからある程度ユリの事情を聞き及んでいるのだろう。ゴ・ギンは大きく頷いてみせた。

 

「貴方には何か為すべきことがあるのだろ? その後でいい」

「ッ──」

 

 目的を達成した後。これ即ちナザリック地下大墳墓に帰還した後であれば。至高の存在に許しをいただけるのなら何も問題はない。ユリは不敵な笑みを浮かべた。元来考えるよりも先に体が動くタイプだ。ゴ・ギンの愚直ながらも目標に向かい邁進する姿には好感を覚えており、彼との再戦それ自体は吝かではなかった。

 

「ええ、ではその暁には必ず」

「ふ、ふふ、その時が楽しみだ」

 

 どちらともなく互いに拳を突き出し合う。大人と子供以上の差もある二つの拳がカツンと軽く打ち合った。それきり言葉を交わすことなく。徐々に遠ざかる好敵手の背を見送ることなく、ゴ・ギンは再び棍棒を構えると黙々と鍛練に励んだ。

 

 

「もうこんな時間……早く帰らないと」

 

 オスクの熱弁は予想以上にユリを引き止めていたらしい。訪問の際には大分高い位置にあった太陽は見る影もなく、夜の闇には宝石箱をひっくり返したような星々が煌めいていた。ナザリック第六階層とは似て非なる満天。あまりの美しさに一瞬目を奪われてしまう。そんなユリに届いた〈伝言(メッセージ)〉。

 

「あら、シズ。丁度良いわ、今連絡しようと思って──え? 」

『────』

「……何ですって?」

 

 ユリの美貌が歪む。その表情は怒りで彩られていた。妹からの〈伝言(メッセージ)〉を切る。次の瞬間、ユリの姿が掻き消えた。音だけが響く。常人離れした脚力で石畳を蹴るとユリは瞬く間に赤い瓦屋根に到達。そのまま市街の屋根を飛び石に帝都の夜を駆け抜けた。

 

 



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第十一話

「これからどうするかなぁ」

 

 ワーカーチーム〝フォーサイト〟拠点、酒場兼宿屋「歌う林檎亭」前でヘッケランはぼんやりと考える。目の前には抱擁を交わし、別れを惜しむイミーナとアルシェの姿。まるで実の姉妹の別れのような美しい光景だが、ヘッケランには複雑な思いが去来していた。第三位階魔法を使いこなす魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アルシェ・イーブ・リイル・フルトの脱退。彼女はその稀有な魔法の才のみならず、魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の力量を看破する生まれつきの異能(タレント)を有していた。今まで何度助けられたことか。そんな替えの利かない人材が脱退するのだ。メンバーの入れ替わり自体はさほど珍しくないが、これでフォーサイト解散は確定だろう。今後の身の振り方を考えなければならない。

 

「おや、お一人で決めて宜しいのですか?」

「ッ! ロバー、勘弁してくれよ」

 

 隣のロバーデイクが少しからかうような笑みを浮かべる。ヘッケランはもうその話はいいだろと頬を羞恥に染めた。

 命を賭して死地から逃してくれたヘッケランとロバーデイク。おそらく生存は絶望的だろう。二人の死を悼み、拠点である歌う林檎亭で項垂れていたイミーナとアルシェはひょっこり顔を出す二人を歓喜でもって迎えた。彼女たちの喜びは如何程だったか。あの状況で四人全員が五体満足に無事なんて奇跡としか言いようがない。

 イミーナは泣きながらヘッケランに抱き着き熱いベーゼを交わし、それを見て真っ赤に染まるアルシェの視線を「アルシェさんの前で……」とロバーデイクが覆い隠した。

 それから全員の無事を祝い、またアルシェの今後の飛躍を願って送別会が催された。話を聞いた馴染みの主人が気前良くヘッケラン好物の豚肉のシチューや上等な葡萄酒を振舞ってくれた。普段は水のロバーデイクも今夜くらいはと酒を仰ぐ。そして当然のごとく戻すのをアルシェが慌てて背中をさすり、二人のうわばみは大笑い。宴は大いに盛り上がり、夜遅くまで続いた。

 楽しい時はあっという間に過ぎてしまうもの。宴もたけなわ、もうアルシェが帰路に就かなければならない刻限だ。明日朝一で妹たちを連れて帝国魔法省へと引越しするらしい。名残惜しいがいつまでも引き止めてはいられない。別れの時が来た。

 

「いい? 何かあったらすぐに私たちに言うのよ? 絶対に駆けつけるから!」

「……うん、ありがとう。イミーナ、ヘッケラン、ロバーデイク。私、皆と出逢えて……フォーサイトで本当に良かった」

 

 アルシェが皆を振り返る。フォーサイト結成当初は人形のようだった無表情が今では花の咲くような笑顔だった。先日アルシェが出会ったシズなる少女は幸運の女神様なのかもしれない。

 

「おう、頑張れよ。なあに、お前なら上手くやれるさ」

「アルシェさんに神の加護がありますように」

「落ち着いたらまた連絡してね」

「……うん、絶対する」

 

 ヘッケランが激励し、ロバーデイクが神に祈りを捧げた。イミーナが手を振る。三人は徐々に小さくなるアルシェの背中を見えなくなるまで見送った。

 

 

 

 

「……?」

 

 自分の家に帰ってきたアルシェは何となく違和感を覚えた。館の灯りが全て消えている。夜中とはいえ、使用人の部屋の一つくらい灯っていても良いものを。まあいい、そんな日もあるのだろう。杖の先に小さな〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉を灯し、アルシェは大階段を音を立てないよう慎重に上る。自分の部屋へ入ろうとして、妹たちの部屋の扉が半開きなのに気がついた。

 閉めるついでに可愛い寝顔でも拝ませてもらおうか。室内の妹たちを起こさぬよう、ゆっくりと扉を開ける。

 

「──え?」

 

 アルシェは思わず間の抜けた声を上げた。空っぽの部屋には誰もいない。ウレイリカも、クーデリカも。開け放たれた窓から吹き荒ぶ風が、ただただカーテンを揺らすだけだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 エイヴァーシャー大森林の最奥、三日月湖の近くに森妖精(エルフ)の国がある。大樹をくり抜いて作られた王城は、周囲を高い城壁が囲っている。最頂部に設けられた謁見の間にて、玉座に座す男は気怠げに頬杖をついていた。長く尖った耳に金色の長髪。典型的な森妖精(エルフ)の容姿には、左右で色の異なる輝きの瞳があった。それこそ王族の証、オッドアイ。二百年以上前、十三英雄の一人として数々の冒険譚で名を馳せた彼は生ける伝説と言っても過言ではない。まさしく英雄の中の英雄だ。しかしそれも今は昔の話。二百年の歳月は若き森妖精(エルフ)の英雄を、好色な俗物に変貌せしめた。

 

「……はあ」

 

 もうこの国は駄目だな。奮闘する部下たち──ほぼ全て彼の子息である──その一切合切を切り捨て、森妖精(エルフ)の王は独り言ちる。そこに情はない。彼にとっての興味は強いかどうか、ただそれだけだ。その観点から見れば有に千を超す彼の娘たちは、はっきり言って全員不適格だった。父王たる自分の半分の力も持たないゴミ屑ども。潜在能力を解放させてやろうとせっかく前線に送り出しても死体となるか、敵の捕虜になるか。全く失望させてくれる。森妖精(エルフ)王は苛立たしげに肘掛けを指で叩く。カツカツと神経質な音が響いた。

 

「忌々しきはあの国よ。スレイン法国の屑どもめが」

 

 妊婦ごと子を攫うとは畜生にも劣る所業。吐き気を催す邪悪である。あの女を失ったのは痛かった。子の強さは親の強さに依存する。十三英雄の一人である自分ほどではないが、あの女の強さは文句なしだった。きっと優秀な母体となり、多数の子を作れたはずだ。もう二百年以上前の悲劇に思いを馳せ、森妖精(エルフ)王は悔しさに歯噛みする。あの女は人間だ、もうとっくに死んでいるだろう。

 

「……待てよ」

 

 ハッとする。自分の血を引いているのだ、子の方はまだ生きているかもしれない。もしその子が娘ならば、さぞかし優秀な母体となるだろう。あの女のように。森妖精(エルフ)王は素晴らしいアイデアだと自画自賛し、口元を邪悪に吊り上げる。そうと決まれば話が早い。自らが打って出て、子を取り戻そうか。いや、まずは敵を捕虜とし尋問、我が子の性別を問うのが先か。

 

「ご、ご報告……申し上げ……ます!」

「何事だ、騒々しい」

 

 思考の海から強制的に引き戻される。血相を変えて王前に飛び込んでくる兵に王は不快げに眉根を上げた。息も絶え絶え、全身血濡れのこの兵は斥候として放ったものの一人だった。されど王が労いの言葉をかけることはない。この国では王は絶対だ。断りなく王に話しかけるなど死罪は免れない。

 

「樹が、樹が……おごぉっ!!」

「ッ──」

 

 突然、その兵が内側から膨れ上がる。目や鼻、口、耳などあらゆる穴から触手が伸び、破裂した。飛び散る血肉の中、宿木が次なる宿主を求めて血の海を泳いでいた。

 

「ひ、ひぃいいい!?」

 

 周囲の近衛兵が情けない悲鳴を上げ、尻餅をつく。無様を晒す部下を尻目に王が指を鳴らす。火柱が上がり宿木が燃え上がった。

 

「フン、この程度にすら手こずるか。愚図共め」

 

 瞬間、王宮が揺れる。建国以来、この地に地震などただの一度も起きた試しはない。ズシン、ズシンと地響きは鳴り止まず、むしろ次第に大きくなっていく。まるで巨人が集団で進軍しているかのように。

 

「何だ、これは! 何が起こっている!」

 

 部下たちは恐れ慄くばかりで動けないでいた。王は舌打ちすると、役立たずの近衛たちを突き飛ばす。音の発生源を探しバルコニーへと身を躍り出し、

 

「あれは──!?」

 

 我が目を疑った。エイヴァーシャー大森林に存在する無数の樹木、そのいずれをも軽々超える巨木が三日月湖方面に聳え立っていた。天まで届くかのような大樹から伸びる六本の枝。その一本一本が他の木々の幹を超えるほどの太さ。それが獲物を求め触手の如く蠢いていた。その異様な光景に王が渇いた声を絞り出す。

 

「ザイトル……クワエ」

 

 かつて十三英雄が封じた〝歪んだトレント〟とも〝世界を滅ぼしうる魔樹〟とも言われた存在。リーダーから聞いたことがある。あまりにも強大故、彼らをして倒しきることは叶わず。封ずるのが精一杯だった。まだ妖精(エルフ)王が十三英雄に合流する前の話だ。

 

(眉唾だったが……まさか実在するとは)

 

 だがあの魔樹は遠く離れた北東の地、アゼルリシア山脈の麓に広がるトブの大森林に封印されていたはずだ。しかも今朝までは何の兆候もなかった。あれだけの巨体だ、見逃すなんてまずありえない。たとえエイヴァーシャー大森林の端から端まで離れていたとしても、絶対に気づく。よしんば封印が解けたと仮定し、あの化け物を支配して。はるばるこの地までけしかけたとでもいうのか。馬鹿馬鹿しい。荒唐無稽だ。そんなこと、十三英雄と謳われた自分や他のメンバーでも不可能だ。万一可能だとすれば、それは六大神や八欲王くらいか。そこまで思考を巡らせ、ある可能性に思い当たる。王は奥歯が噛み砕けるほどに歯を食いしばった。

 

「人間風情が……やってくれたな!」

 

 スレイン法国に六大神の遺産が眠っているという噂を。あれは真実だったのだ。森妖精(エルフ)の王は忌々しげに魔樹を睨みつけ、欄干を壊れるほどに握り締めた。

 

 

 

 

 

 〈転移門〉が開かれる。本来ならば人間には不可能な領域に位置する高位階魔法。その奇跡は五人の巫女姫が多重に織り成す魔法陣により発動された。開かれし門はまるで光さえも飲み込む底なしの穴を彷彿とさせた。召喚されしは破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)。同時に漆黒聖典が闇より姿を現した。全隊員が一堂に会するのは異例なことだ。どこか遊び心に富んだ全身鎧(フル・プレート)、巨大な聖剣、聖槍、両手盾、浮かぶ球体など。いずれ劣らぬ六大神の遺産を身に纏っていた。〈転移門〉から出現したのは彼らだけではない。多数の護衛に守られたカイレ、それから火と闇の神官長。まさに圧巻の光景だった。火滅聖典は皆固唾を飲んだ。

 

 三日月湖湖畔に構えた前線基地に、スレイン法国最大の戦力が集結した。エルフの王国相手には過剰戦力も甚だしい。互角に戦えるのはアーグランド評議国、つまりは竜王(ドラゴン・ロード)くらいだろうか。此度の作戦における最高責任者、土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンは皆の前に一歩出る。

 

「漆黒聖典、ならびに火滅聖典よ! 諸君らに命ず! 薄汚い森妖精(エルフ)共を一匹残らず殲滅せよ!」

 

 レイモンが命を下す。言うが否や跳躍、部隊から一条の光が飛び出した。閃光と見紛うそれは一直線にエルフの城へと駆け抜ける。光輪さすバイザー付きの額当て、背に翼のあしらわれた胸当て(チェスト・プレート)、光り輝く籠手(ガントレット)、未知の鉱石で出来た鉄靴(サバドン)、あらゆるものを斬り裂く戦鎌(ウォーサイズ)。六大神の装備を全身に纏ったその姿はまるで天使のようであった。漆黒聖典番外席次、絶死絶命はその目と髪色と同色の一対の翼をはためかせ飛翔する。漆黒と白銀の残光が尾を引いた。

 漆黒聖典隊長がレイモンを一瞥する。絶死絶命の事情を把握する数少ないもの同士、無言で頷き合う。隊長は一礼すると彼女の後を追った。番外席次に及ばぬまでも、彼とてまた神人。他を圧倒する力を持つ。一瞬で木々を飛び交い、消えていく。第一席次を見送った火の神官長は傍らの同胞に疑問を投げ掛ける。

 

「レイモン、良いのですか? 我々の最高戦力をあのように」

「良いのだ。あの子にも機会を作ってやらねば、な」

 

 土の神官長は森妖精(エルフ)王の居城を睨む。燃え滾る瞳は狂気と憤怒に染め上がっていた。

 

「復讐の機会を」

 

 それを皮切りに、漆黒聖典全員が各々得物を構える。あるものは隊長たちに倣い突貫、またあるものは詠唱を開始し、あるいはカイレの盾となった。ゲリラ戦の得意な火滅聖典は手筈通り王城を囲むように散開。漆黒聖典が討ちもらしたゴミを排除する手筈となっている。

 

「それにな、最高戦力ならば他にもあるだろ?」

「ああ、違いない」

 

 二人は魔樹を見上げる。カッツェ平野での実験は成功した。魔樹は完全にカイレの支配下にある。今も魔樹は次々と配下のトレントを生み出し、または敵兵を苗床とするための種子を散布していた。

 

「行くのだ、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)よ。人類の敵を殲滅せよ!」

 

 老婆の嗄れ声が響く。魔樹の目に相当する二つの樹洞が怪しい光を放った。実験後はトブの大森林で待機していたのだ。あらかじめ腹は膨れている。それにこのエイヴァーシャー大森林であれば食料に困らない。残弾は気にしなくていい。口に相当するであろう先の二つよりも巨大な洞が極限まで窄められ、射出。放たれたそれはまさに破城鎚。風切り音を上げ、一直線に飛来した。着弾。大気が鳴動する。土煙が舞い上がり堅牢な城壁が瓦解した。遅れて余波が振動となり此方まで伝わってくる。

 

 それが開戦の狼煙となった。

 




ヒロインアンケートとろうとしたら枠が5つしかない悲しみよ。


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第十二話

 闇夜を月明かりが照らす。そのか細い光だけを頼りに、アルシェは街中を当てもなく走り回っていた。目からはとめどなく涙が溢れ、喉はとうの昔に枯れ果てた。それでもひたすら妹たちの名を叫ぶ。

 

 結論から言うと、妹たちは売られた。わずかばかりの金貨と引き換えに。他の誰でもない、実の父親にだ。

 どれだけ捜しても妹たちの姿はない。半狂乱のアルシェはリビングで灯りも灯さずに呑んだくれている父を見つけた。父は聞いてもいないのに自ら暴露した。曰く「お前のせいだ」と。唯一の稼ぎ手であるアルシェを失えばこの家は立ち行かなくなる。その焦燥が父を凶行に走らせた。没落したとはいえ、年端もいかぬ貴族の娘たち。使い道はいくらでもある。

 アルシェは生まれて初めて本気で父を殴り飛ばし、間を取りなそうとする母の頬を叩いた。父の凶行を止めなかった母も同罪だ。口元の血を拭う父だったものが勘当を叫んでいたが今更どうでもいい。

 アルシェは実家だった屋敷を飛び出した。もう二度とここには戻らないだろう。

 

 アルシェの窮地にフォーサイトが立ち上がらないはずがない。三人共協力してくれた。今頃市街を駆けずり回っていることだろう。また、ヘッケランはワーカー独自のネットワークで、〝グリンガム〟など他のワーカーチームにも協力を仰いでくれた。だが、一向に見つかる気配はない。悪戯に時が過ぎていき、焦りばかりが募る。朝を待って改めて捜すべきだという意見もあったが、それでは遅すぎる。今夜を逃しては、もう二度と妹たちに会えない予感がした。

 

「クーデ、ウレイ! お願い、返事を──あっ」

 

 石畳に足を取られる。アルシェは前のめりにつんのめった。したたかに顔を打ち付ける。転んだ拍子にポーチの中身が散らばってしまった。泣きっ面に蜂とはまさに今の状況を言うのだろう。

 

「う……ううっ……」

 

涙でぼやけた視界。アルシェの手に硬いものが当たる。ヘアバンドだ。転んだ拍子に外れてしまったのだろう。緩慢な動作でそれを拾い上げようとして、貼られている1円シールに気づく。アルシェは思い出す。袋小路のような運命を彷徨っていた自分を救い出してくれた少女を。祈るように〈伝言(メッセージ)〉を発動した。

 

『…………どうしたの、アルシェ。こんな時間に』

 

 繋がった。アルシェは恥も外聞もなく叫んだ。

 

「お願い! 妹たちを助けて!」

『…………落ち着いて。何があった?』

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 〝深淵なる躯〟という組織がある。アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)からなる集団で、彼はそこに属しているナイトリッチだ。内陣七人、外陣四十八人の計五十五名からなる集団は、その名簿を刻んだ〝グラニエッゾ碑文〟ですら強大な魔力を持つ。特に内陣の七人は、人の区分で言えば難度百五十相当の実力者だ。

 

 組織には大きく分けて二つの派閥がある。ひとつは生者の中にも積極的に介入し、勢力を伸ばすもの。もうひとつは世界の闇に紛れ、人知れずひっそりと活動するもの。アンデッドは生者の敵だ。後者の方が多いのは言うまでもない。例に漏れず、彼もまた後者の生き方をしていた。しかしそれも過去の話。深淵なる躯に属する前より数百年、属してよりまた二百余年。彼は独自の研究活動に限界を感じていた。彼もまた内陣の七人に数えられる一人、第七位階にまで到達している。だが彼はバネジエリ・アンシャスやグラズン・ロッカーと言った特異な肉体や稀有な才能を持つナイトリッチとは違う。彼らと同じ方法で深淵に至れるとは限らない。また彼らも自身の研究成果をそう簡単には開示しないだろう。そもそもコネクションも持ち合わせていない。

 

 行き詰まっていた彼は、あるナイトリッチの存在を思い出す。昔、わずかばかりに交流を持ったその男は、前者の生き方を貫いていた。見果てぬ大望を内に秘め、二百年ほど前に辺境の地へ消えていった。今、あの男はどうしているのだろうか。もしも野望が花開き、独自に深淵に至っていたとしたら。これ以上、無為な年月を過ごすのはもうやめだ。彼は男を頼り、大陸西端へ向かう。全ては深淵へ至るために。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「ちっ」

 

 クレマンティーヌは横合いから仲間のはずのブレイン・アングラウスを蹴り飛ばす。思いきり吹っ飛ぶブレイン。数瞬前まで彼のいた空間を三日月刀(シミター)が切り裂いた。あのまま棒立ちならば間違いなく致命傷を負っていただろう。クレマンティーヌはブレインを救ったのだ。

 

「いい加減にしろよてめえ! 死にてえのか!?」

 

 クレマンティーヌが怒声を浴びせる。立ち上がろうともせず、ブレインはどこか上の空だった。自分と対峙した時の覇気が全く感じられない。ブレインの胡乱な瞳はクレマンティーヌを見てすらいなかった。

 

「ああ、それもいいかもな」

「この──!」

 

「あはは、なんだいその様は」

 

 仲間割れとも言える愚行を犯す二人を〝踊る三日月刀(シミター)〟エドストレームが嘲笑う。

 

「ふっ、これがあのブレイン・アングラウスとはな。ガゼフ・ストロノーフと互角に渡り合ったのは過去の話か」

「いや、今や俺たちの方がずっと上なのかもしれない」

 

 〝千殺〟マルムヴィストが軽口を叩き、〝幻魔〟サキュロントが驕り高ぶった。いずれも劣らぬ六腕。アダマンタイト級に比する存在たち。八本指のアジトを潰す。ラナー王女極秘の依頼で〝蒼の薔薇〟と〝美姫〟は七つの拠点にそれぞれ人員を振り分けた。そんな中、クレマンティーヌとブレインは大外れを引いてしまう。

 

「……ガゼフ……ストロ……ノーフ」

 

 ブレインがその名に反応を示す。ガゼフ・ストロノーフに勝つ。それだけを目標に日々厳しい鍛錬に励んだ。研鑽を積んだ。それは最早生きる意味と言い換えても良い。その目標が、消えた。いきなり取り上げられた。自分は今までなんのために? 空虚感に苛まれた。もう全てがどうでもいい。これまでの自分の人生は、無意味だった。そんな諦念がブレインを覆っていた。

 クレマンティーヌはそんなブレインの事情などお構いなしに彼の横っ面を思いきり殴り飛ばす。大の男が再び吹き飛んだ。それからブレインの襟首を乱暴に掴む。額には青筋が浮かんでいた。

 

「ふざけんなよ? てめえは私が助けたんだ。その命は私のもんだ。勝手に死ぬんじゃねえよ! 死ぬなら私の役に立ってから死にな!」

「ッ──」

 

 腫れた頬に鼻血を垂らすブレインは改めて眼前の女を見据える。目の覚める思いだった。ガゼフという存在の欠けた穴に、クレマンティーヌという女が圧倒的な存在感でもってハマる。止まった時が動き出す。歯車が勢いよく回り出した。

 

「隙だらけだぜ! 〈多重残像(マルチプルビジョン)〉」

 

 サキュロントの姿が分裂する。幻術師(イリュージョニスト)軽戦士(フェンサー)を修めたサキュロントの幻術魔法だ。五人のサキュロントが一斉にクレマンティーヌに襲い掛かる。血飛沫が舞った。

 

「がっ……!」

 

六腕が目を剥く。果たして、絶叫を上げたのはサキュロントだった。逆袈裟懸けに切り裂かれたサキュロントは仰向けに崩れ落ちた。クレマンティーヌの前には抜刀したブレイン。新たな生き甲斐を得たその瞳は力強く輝いていた。刀身を振るい、血を払う。

 

 

「……ありがとよクレマンティーヌ、目が覚めた思いだ」

「はっ、遅せえんだよ馬鹿野郎が」

 

 クレマンティーヌがスティレットを逆手に構える。ブレインは大きく深呼吸し、刀を正中に構えた。脅威を感じたエドストレームは全ての三日月刀を先行させる。マルムヴィストが吠えた。

 

「この死に損ないが!」

「さて、俺のサビ落としに付き合ってもらおうか」

「ほざけ!」

「くふ、どっちにしようかなぁ」

 

 四者四様にぶつかり合う。ブレイン・アングラウスという男の第二の人生が、今ここから始まる。 

 

 

聖印を象った杖が勢いよく振り下ろされる。皮膚も肉もない頭蓋が陥没した。〝六腕〟の一人、〝不死王〟デイバーノックは自分の身に何が起きたか最後まで理解できぬまま消滅した。

 

「馬鹿、な──」

 

 六腕において最強を誇る〝闘鬼〟ゼロは戦慄した。デイバーノックは六腕においてゼロに次ぐ実力を持っていたのだ。それが、いとも容易く。あんな雑に殴られただけで消滅するなんて信じられない。しかも相手はその外見からはどう見ても戦士やモンクではない。あろうことかメイド装束だった。

 

「何者だ……!」

「あーあ、期待した私が馬鹿だったっす」

 

 絞り出すようなゼロの声に、しかし女は気に留めた様子すらない。後頭部を掻き、自嘲気味に嗤っている。

 あの御方がこんな矮小な組織に所属する訳はない。万一、偽装工作か何かで所属したとて、あの御方ならばもっと相応しい偽名をつけるはず。ひとしきり笑った後、女は思いきり嘆息し、俯いた。次の瞬間、女の雰囲気が一変する。

 

「不死王とは唯一無二、あの御方こそを指す名です。低級アンデッドが名乗るだなんておこがましいにも程がある」

 

 妖艶な瞳に浮かぶは魔性の微笑み。ルプスレギナ・ベータがその本性を現した。

 

「死を以って償いなさい」

「う、うぉおおおお」

 

 得体の知れない恐怖が全身を貫く。出し惜しみしている場合ではない。修行僧(モンク)、シャーマニック・アデプト等持てる全ての特殊技術を使う。全身の刺青が光る。ゼロは大きく腰を落とし拳を固めた。全ての特殊技術を乗せたこの拳はたとえアダマンタイト級冒険者や王国最強、ガゼフ・ストロノーフであろうが一撃で屠れる自負がある。それでも眼前の女は余裕の笑みを崩さない。必ず後悔させてやる──息巻き、女へ向かって正拳突きを繰り出した。ゼロの全身全霊を込めた一撃を、しかしルプスレギナはヒョイと軽くいなす。

 

「なっ……」

 

辛うじて制御していた剛拳が空を切る。ゼロは平衡感覚を失い前のめる。刹那、ルプスレギナはゼロの耳元で甘く囁いた。

 

「さようなら」

 

 すれ違い様、ルプスレギナの聖杖が無防備な後頭部に振り下ろされた。小気味良い音を響かせ柘榴が割れる。赤い果汁が飛び散った。

 

 

 

 

 

 ルプスレギナが担当した場所とはまた違う拠点。ここでも一つの決着がついていた。

 

「これが空間斬? はっ、身の程を知りなさい」

 

 ナーベラル・ガンマは地に倒れ臥す全身鎧(フル・プレート)に侮蔑の表情を送る。〝空間斬〟ペシュリアンが動くことはもう二度とないだろう。ペシュリアンの放つ空間斬──その正体は斬糸剣とも言うべき極細の鋼鉄鞭。ただのトリックと看破したナーベラルは〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で背後をとり、〈雷撃(ライトニング)〉を詠唱した。それで終わりだ。焼け焦げた全身鎧(フル・プレート)から人の灼ける独特の異臭が立ち昇る。

 

「では私は他の拠点へ向かいます」

「あ、ああ」

 

 それきり一瞥もせず、ナーベラルは再び〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を唱える。長い黒髪を翻し、あっという間に彼方へと転移した。残されたレエブン侯子飼いの元オリハルコン級冒険者、盗賊ロックマイアーはしばらく呆然と佇む。

 

「あれがオリハルコン級? 俺と同じ? ははっ、信じらんねえ」

 

 既に引退した身といえ、全盛期の自分との格の違いにロックマイアーは笑うことしか出来なかった。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 この地を訪れた彼は驚愕した。人間が大量に繁殖していたからだ。彼の古巣や、大陸中央六ヶ国ではよくて奴隷、大抵は単なる家畜、食糧である最弱種。これが他種族に対抗し、国家を形成するに至るとは。この目で見てもまだ信じられなかった。他種族に勝る何かをこの地の人間は手にしているのだろうか。非常に興味深い。研究対象に打ってつけだ。男の情報は未だ思うように集まらない。何にせよ、まずは拠点が必要だ。

 

 

 

 年に一度、ある時期を除き霧に覆われた呪われし地、カッツェ平野。素晴らしい。身を隠すには最適だ。しかも無数に湧いて出るアンデッド、黙っていても補給される人間の死体。ここに拠点を作ろう。

 

 

 

 ありえない、ありえない。最悪だ。何なのだあの化け物は。せっかく増やした配下が根こそぎやられてしまった。音に聞く八欲王の再来か。あの巨大なトレントは人間に支配されているのか。とにかく、もうこの拠点は破棄するしかない。研究成果を持って何処か別な場所へ。トレントが向かう方向とは逆へ。

 

 

 

 言うなれば、彼がここに居合わせたのは全くの偶然だった。謎の魔樹の襲撃にあい、拠点と部下を失った彼はカッツェ平野を離れざるをえなかった。土地勘のない彼がたどり着いたのは帝都アーウィンタール。彼は仮宿を求めて墓地へと向かった。

 

 月明かりこそないものの永続光(コンティニュアル・ライト)がぼんやりと辺りを照らす。等間隔に敷かれた墓標と切り揃えられた草木。おそらく定期的に整備されているのだろう。存外悪くない。訪れた彼の最初の感想はそれだった。拠点とするほどではないが、数日ばかりの仮宿には充分だ。

 

「……む」

 

 視線を霊廟に移した際、彼は違和感を覚えた。古びた霊廟より多数の生者の反応。少し離れた木の陰にはいくつかの馬車が停まっている。生者は陽の光を好むもの。跳梁跋扈するアンデッドの世界に何故これだけの生者がいるのか? 好奇心をそそられた彼は箱の中身を覗き込んだ。見張りらしき人間たちを〈不可視化〉で躱すと霊廟地下へと進んでいく。

 

 

 

 石段をしばらく下りた先、重い石の扉の向こうには薄暗い地下室が広がっていた。燭台の火が妖しく揺らめく。種族特性により〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉を備えた彼は見てしまった。それは不可思議な光景だった。髑髏の仮面以外、一糸纏わぬ人間たちが激しくまぐわっている。他種族の美醜はよくわからない。推測するに戦士の肉付きとは程遠く肥え太った、または年老いた個体だろう。何らかの魔法陣や祭壇もあった。悪魔召喚を試みる一団だろうか。

 

 

「我らが神よ、今宵も贄を捧げます!」

 

 子供一人ほどの幅と重さの皮袋が二つ、祭壇に載せられる。仮面の男女六人が祭壇を囲んだ。その手には各々光るものが握り締められていた。殺せ、殺せ。捧げよ、神に捧げよ。狂気は伝播し、新たな狂気を生む。割れんばかりの大歓声は彼らから理性を失わせた。皮袋に何が入っているかは理解している。これまでも数え切れない贄を捧げてきたのだ。狂気の笑みを浮かべる老人はナイフを思いきり振りかぶる。

 

「神よ! 我が忠義をお受け取りください!」

 

 哀れな獲物目掛け思いきり振り下ろそうとして、

 

「がっ」

「ぎゃっ」

 

 衝撃が走る。金属音が響き、ナイフが床を転がった。男女は手首を抑え激痛に顔を顰める。見れば全てのナイフの刃が根元から折れていた。

 

「な、何事だ!」

 

 悲鳴と怒号が飛び交う中、二人の少女が祭壇に躍り出た。

 

「…………間に合った」

「クーデリカ! ウレイリカ!」

 

 銃を携えたシズ・デルタと杖を構えたアルシェ・イーブ・リイル・フルトだ。思わぬ来訪者に狂信者たちは驚きを隠せなかった。幾重にも見張りや監視をつけ、尾行には細心の注意を払っていたはずなのに。

 

「馬鹿な、何故この場所が……!」

「見張りは何をしていたのだ!」

 

 神官が驚愕した表情で固まる。会合の取りまとめ役、ウィンブルグ公爵は怒声を上げた。アルシェは鬼の形相で公爵を睨みつける。

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉!」

「ひ、ひぃい!?」

 

 魔法の矢が放たれる。祭壇前の狂信者たちを蹴散らした。元より戦う力を持たない貴族だ。自分より弱いものにしか強く出れない。悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 

「…………うわぁ」

 

 部屋の惨状にシズの無表情が珍しく歪む。醜い老体の醜態をもろにみてしまった。だが今は気にしている場合ではない。シズは腰のホルダーからコンバットナイフを引き抜くと細心の注意を払い皮袋を裂いていく。アルシェが絶叫する。中身は最愛の妹たちであった。着の身着のまま攫われた二人はお気に入りのヘアバンドをしたままだ。そこに燦然と輝く1円シール。シズとアルシェは〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉の巻物(スクロール)でここまでたどり着いたのだった。

 

「ああ、クーデリカ! ウレイリカ!」

 

 もう二度と会えないかもしれない。待ちわびた妹たちとの再会に、しかしアルシェの顔色が変わる。クーデリカ、ウレイリカ共に生気がない。まるで精巧な蝋人形のようである。唇は蒼白く、呼吸は胸に耳を当てなければ聞こえないほどだ。それは今にも止まってしまいそうなくらいか細かった。

 

「そん、な……」

「……大丈夫。まだ、助かる」

 

 アルシェの涙の跡にまた新たな雫が溢れ落ちる。そんな友の肩にシズは優しく手を置いた。儀式の道具だったのか、鎌や剣を手に何人かが少女たちを包囲しようとにじり寄る。シズは狂信者たちの足下へ発砲する。銃弾が正確に石床を撃ち抜いた。

 

「ひっ……!」

「…………次は当てる」

 

 これ以上近くなという警告だ。威嚇射撃で腰を抜かす狂信者を後目に二人は妹たちを抱きかかえる。その場を後にしようとして、

 

 

「…………何かいる」

 

 シズはあらぬ方向へと発砲した。何もない空間に放たれた弾丸は透明な障壁に阻まれるように地に落ちる。

 

「誤解してもらいたくないのだが──」

 

 闇より死が顕現した。漆黒のローブから覗くは異形。半身は骸骨、もう半分は動死体(ゾンビ)。わずかに残る皮膚が貼り付く骸の手には錫杖。落ち窪んだ眼窩に残る眼球がこちらを見下ろしている。

 

「私はこの儀式とは無関係だ」

 

 悍ましい声が地下室に響いた。

 

 



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第十三話

 霊廟地下、薄暗い玄室に燭台の灯が揺らめく。シズ・デルタは幽鬼の如く映し出されたナイトリッチを見上げる。巧妙に〈不可視化(インヴィジビリティ)〉で隠蔽されていた。おそらく油断した隙を窺っていたのだろう。無関係なんてとんでもない。この組織を指揮し、夜な夜な儀式を行わせていたのだ。推測するに負のエネルギーを集め、己の力を高めるために。

 

「……無関係? どう見ても黒幕」

「くく……違いない」

 

 わずかに残る皮が口角を吊り上げる。狙いが看破されて開き直ったのだろうか。

 

 

「あ、ああ……邪神様」

「邪神様だ」

「邪神様! 邪神様!」

 

 狂信者たちが色めき立つ。闇より顕現せしその姿はまさに邪神。彼らの信仰する神そのもの。自分たちの信仰は確かに神に届いたのだ。割れんばかりの大歓声が巻き起こる。

 

「あ……あ、あ」

 

 生まれつきの異能(タレント)によりアルシェは見てしまった。目の前のアンデッドの魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての力量を。その爆発的なまでの力の奔流は、彼女の師にして帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)──フールーダ・パラダインをも凌ぐ。すなわち、前人未踏の第七位階到達者。勝てる訳がない。いや、そもそも勝とうと思う方がおこがましい。逃げの一手しかない。だが逃げるにしても最低限度の実力が必要だ。アルシェは後悔に曇った表情で友を見る。これまでの道中、卓越した身のこなしからシズが只者ではないと理解している。そんな彼女でもあの化け物相手では分が悪いだろう。いくら妹たちのためといえ、友を死地に巻き込んでしまった。

 

「シズ……私のお願い聞いてくれる?」

「……何?」

 

 アルシェは覚悟を決めた。責任をとらねばなるまい。カッツェ平野を抜けるため、ヘッケランたちがしてくれたように。

 

「私が何とか時間を稼ぐから、二人を連れてここから──」

「……断る」

 

 シズは全てを聴き終わらない内にばっさり切り捨てる。それも当然か。自分の命が懸かっているのだ。子供とはいえ人間二人を担いで逃げるより、一人で逃走した方が助かる公算ははるかに大きい。振り返るシズの横顔はいつもの無表情。しかしその言葉は予想だにしないものだった。

 

「妹にはお姉ちゃんが必要不可欠。貴方こそ二人を連れて逃げて。私は大丈夫」

「で、でも……!」

「……私は強い。貴方が思っているよりも。それに」

 

 シズは目を瞑る。瞼の裏には姉妹たちの笑顔がいくつも浮かんでは消えていく。

 

「……私にも頼りになる姉がいる」

「え?」

 

 アルシェにはシズの真意が掴めなかった。彼女にも姉妹がいると聞いたことがあるが、何故今このタイミングでその話題を振るのか。

 

 

「不老不死?」

「はい、敬虔な私に是非」

「いや、儂にこそ!」

「私が先よ!」

 

 果てない儀式の末降臨せし邪神。神を前にした人間の行動など決まっている。我先にと迫る人間たちは異口同音に欲望を口にする。鬼気迫る形相は生への飽くなき渇望を感じさせた。人間とはかくも強欲なものなのか。人の生態をまた一歩知れたと彼は呆れるよりむしろ感心した。この辺りに弱者が強者へと喰らい付ける所以があるのかもしれない。

 

「よろしい」

「おお、我が神よ! 感謝致します!」

 

 彼は手近な人間に手を翳す。その姿はさながら親鳥が雛に餌を与えるようであった。熱狂の坩堝が加速していく。中年の男は片膝をつき、神の洗礼を今や遅しと待ち受ける。しかし彼らは失念していた。目の前の存在はアンデッド、生きとし生けるもの全ての敵だということを。

 

「〈脱水(デハイドレーション)〉」

「ひっ……!」

 

 ボコボコと水音が奏でられる。でっぷりとした男が一瞬で枯れ木と化した。信者たちの帯びた熱が急速に引いていく。

 

「な、何を!?」

「邪神様!?」

 

 足元に魔法陣が浮かび上がる。ナイトリッチは左右の骨と動死体(ゾンビ)の腕を大きく掲げた。

 

「〈魔法広域化(ワイデンマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

 

 薄暗き地下室が一瞬、白日のもとに晒される。無数の火球が放たれた。阿鼻叫喚の地獄と化す。

 

「走って!」

「〈飛行(フライ)〉!」

 

 同時にシズの得物の銃口が火を噴いた。アルシェは謝罪を叫びながら唯一の出口目指して飛翔する。シズの弾丸はアルシェたちを狙う火球と撃ち合い相殺した。焼け焦げ、逃げ惑う人間たちの絶叫が木霊する。

 

「邪神よ! 何故なのですか!? これほどまでに尽くしてきた我々を、何故──!!」

「ああ、ちょうど部下が欲しくてね。それに」

 

 顔の半分、髑髏の相貌がカタカタと歯を打ち鳴らす。それは愉悦に歪んでいた。

 

「不老不死──それが君たちの望みなのだろ? 〈低位アンデッド創造〉」

「い、嫌だ!」

「助け──」

 

 死した狂信者たちが汚泥のような闇に塗れる。再び立ち上がった彼らはもはや人ではなかった。その瞳からは生気が失われていた。アンデッドとして蘇った彼らはまだ息のある同胞たちに襲い掛かる。まるで生あるものを妬むかのように。

 

 左右から襲い掛かるアンデッドをシズはナイフで一閃。バランスを崩した隙に顎から脳天を撃ち抜くヘッドショット。プレアデス内で比較すればレベルも低く、お世辞にも近接戦闘が得意でないとはいえ、この程度の相手に遅れをとるシズではない。ナイフを振るい、血を払う。

 

「……酷いことをする」

「酷い? 心外な、彼らの願いを叶えてやったまでのこと」

 

 むしろ感謝してほしいとナイトリッチは嗤う。人が蟻を踏み潰してもさして罪悪感が湧かぬように、彼もまた人に対して研究対象以上の感情は持ち合わせていない。どうせ黒幕と勘違いされているのだ。ならばいっそこの状況を少しでも楽しむべきであろう。彼は邪神という望まれた役を演じてみせる。

 

「……貴方の目的は何?」

「知れたこと。深淵へ至る、ただそれだけだ」

「この儀式がそうなの?」

「さてな。〈恐慌(スケアー)〉」

 

 シズは自動人形(オートマトン)の種族特性により相手の魔法を無効化する。返す銃口が鉛の弾を撃ち出した。またもや不可視の障壁に弾かれる。

 

「飛び道具完全無効……? 何かしらのマジックアイテム?」

「無駄と知れ。〈魔法上昇(オーバーマジック)雷撃(ライトニング)〉」

 

 杖の先端から強化された雷光が牙を剥く。シズは雷撃を躱そうとして、アンデッドの貼り付いた皮膚がくつくつと笑っていることに気づく。

 

(……何故笑う? まさか)

 

 ハッとして振り返る。唯一の出口を塞ぐように立つ小さな影。背の低いミイラのような男がいた。痩せすぎなくらい痩せている体は腰布以外何も身につけていない。男は小さな体に不釣り合いな長い腕を伸ばしアルシェたちを足止めしている。雷撃はたたらを踏む無防備な背に向けられていた。シズは咄嗟にその身を射線上へ躍らせる。

 

「…………うぐっ」

 

 全身をビリビリと衝撃が走る。高性能の装備ゆえ、ダメージは軽微だがシズは転移して以来初めて痛みというものを味わった。アルシェが悲鳴を上げる。

 

「シズっ!」

「何者か知らないが、この場を知られたからには逃す訳にはいかない」

 

 両の眼球のない眼窩がアルシェを捉える。歯が全て抜け落ちた口がもごもごと聞き取り辛い音を出した。アルシェは知る由もないが、彼こそは秘密結社ズーラーノーン十二高弟の一人。神官風の男がこの教団の管理者的立場ならば、この男はその監視者だ。帝国貴族の弱みを握り、弱体化を図る。それは同時にズーラーノーンの強化にも繋がる。そのはずだったのだが突如として現れた謎のアンデッドに教団が乗っ取られてしまう。このまま逃げ帰ったのでは無能の烙印を押されてしまい、どんな目に遭わされるか。まずは確実に目撃者を消す。前門のアンデッド、後門のミイラ男。各々の思惑が交錯し、シズとアルシェは図らずも挟み撃ちにされてしまった。アルシェが歯噛みする。妹たちにはもう一刻の猶予も残されていないと言うのに。

 

「そこをどいて! 〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

「無駄……」

 

 足下まである腕が伸びた。触手の如きそれは魔法の矢をはたき落とし、アルシェの両肩を鷲掴む。勢いそのままに壁に叩きつけた。昏睡状態のウレイリカ、クーデリカが地に転がる。

 

「……きゃっ」

「〈魔法二重化(ツインマジック)氷葬騎士槍(フリーズランス)〉」

 

 その様をナイトリッチが嘲笑いながら詠唱する。巨大な氷柱が放たれた。今度の狙いは床に転がる幼い姉妹だ。

 

「……舐めないで」

 

 シズは弾丸の雨を降らせ氷柱の一本を破壊する。しかしもう一方を仕損じた。頭上を飛び越す氷柱に背面撃ちで追撃。残りの弾丸を全て撃ち尽くす。辛くも二本目の破壊に成功した。ほっとひと息つく間も無く、硝煙を穿つ新たな氷の穂先。

 

「……無詠唱化」

「正解だ」

 

 ナイトリッチの欺瞞作戦にまんまとハマってしまった。無詠唱可能にも関わらず先はあえて詠唱してみせたのだ。次弾装填(リロード)が間に合わない。シズは跳躍し、姉妹に覆い被さった。

 

「……うぐっ」

「ほう」

 

 シズの小さな背に氷の騎士槍(ランス)が突き刺さる。赤い液体が滲み出た。力量(レベル)が拮抗した相手との戦闘は一瞬の油断が命取りだ。ましてや守るべきものを抱えたシズは圧倒的に不利。相手にとってこれほど楽な戦闘はあるまい。弱い生き餌を狙うだけで敵が勝手に血塗れになってくれるのだから。アルシェは瞳に大粒の涙を浮かべ懇願する。

 

「もうやめて! お願いシズ、戦って! 私たちはいいから! ──かはっ」

「黙れ……」

 

ミイラの腕がアルシェの首を絞め上げる。男の見立てでは女とアンデッドの力は拮抗していた。侵入者同士が潰しあってくれるこの状況、邪魔立てする理由などない。今のところアンデッド側に此方を攻める意思は感じられない。ならば自分の任務を果たすだけだ。人質は生かしておくに越したことはない。殺してしまわぬよう細心の注意を払い首を締める。

 

 

 

「……アルシェを離して」

 

 シズが照準をミイラ男へ定めようとするが、

 

「余所見をしない方が良いと思うのだが?」

「ッ……! フルバースト」

 

 〈火球(ファイヤーボール)〉、〈雷撃(ライトニング)〉、〈氷騎士槍(フリーズランス)〉、〈困惑(コンフュージョン)〉、〈(ポイズン)〉、〈傷開き(オープン・ウーンズ)〉、〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉。色取り取りの魔法の光が煌めく。その悉くが無詠唱化されていた。シズの魔銃に甲高い金属音が収束する。全弾一斉射撃。爆発と炸裂とが耳を劈くノイズを生み出した。硝煙が立ち込める。

 

「…………っく」

「ふむ、精神系は効果なしと」

 

 大部分を薙ぎ払うも〈雷撃(ライトニング)〉や〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉など、相殺仕切れない魔法がシズを襲う。二人を守るには身を盾にするしかない。シズが傷だらけになるのは時間の問題だった。体中、至る所から鮮血が滴り落ちる。

 

「なかなかにして愉しめたぞ」

 

 今なお嵐の如く吹き荒れる魔法の数々。耐え続ける少女に彼は素直に賛辞を送る。彼の知る限り、人間でここまでの強者はついぞ記憶になかった。先の爆裂には肝を冷やしたものだ。おそらくあれが彼女の切り札だろう。人質がいなければどちらに転ぶかわからなかった。将来的に脅威となりえる存在は排除する必要がある。彼は腐った人差し指を差し向けた。

 

「褒美をくれてやる──〈獄炎(ヘルフレイム)〉」

 

 吹けば消えるような小さな火が瞬いた。赤黒い火はシズへと灯ると一瞬で燃え広がる。紅蓮の炎が哀れな少女を包み込んだ。

 

「シ……ズ!」

 

 首が締まる苦しみに耐えながらアルシェは必至で手を伸ばす。届かない。無力だった。目鼻から液体が止めどなく溢れた。自分がシズを頼ったから彼女は死んだのだ。彼女を殺したのは自分だ。自責の念が、後悔が波のように押し寄せた。

 

『お前の所為だ!』

 

 父だったものの言葉が脳裏を反芻する。何度も何度も。その通りだ。友を、妹を、そして自分自身の命すら喪う。何故自分如きが何かを変えられると本気で信じていたのだろう。世界はこんなにも残酷で、自分はこんなにも無力なのに。

 

「……後はお前だけだ」

「うう……」

 

 ミイラ男の口角が吊り上がる。死神の手が徐々に首に食い込み、アルシェの目から光が失われていく。ウレイリカ、クーデリカ。二人を庇うように散ったシズ。少女の頬を涙が伝った。

 

「ごめ……んね」

「フハハハハ……ごあっ!?」

 

 アルシェの細い首が手折られる刹那、その力が唐突に弱まった。

 

 

 

「……む」

 

 黒炎を眺め無い耳を澄ませていた彼は違和感を覚える。どれだけ待っても一向に断末魔が聞こえてこないのだ。そろそろ骨すら消し炭になる頃だと思うのだが。

 

 その時、地下室中に響くような轟音が響いた。例えるなら鉄の塊で果実を殴りつけたような異音。

 

 彼はそちらを振り返る。

 

 女がいた。今まで甚振っていた少女とは違う女だ。傷だらけの少女は女の腕の中。彼女の仲間だろうか。彼は入り口を守っていたはずの男に視線を向ける。仰向けに倒れ、完全に昏倒していた。成り行き上、対処を後回しにして生かしておいたが存外使えない男だ。

 

 

 シズは姉の腕に抱かれながら顔を上げる。ユリが優しく微笑んだ。

 

「ユリ……姉さま」

「もう大丈夫、安心して。あの子たちも無事よ」

「……そう」

 

 少女たちはすうすう規則正しい寝息を立てていた。どうやらユリが介抱してくれたらしい。その頬は朱を帯びている。ユリの手のひらが淡く輝きシズを包む。気功でシズのダメージを回復しているのだ。

 

「ゲホッ、ゲホッ……貴方……は」

「私はユリ・アルファ。貴方がアルシェ様ですね、シズから伺っております。よく頑張られました」

 

 ユリは微笑んでアルシェにも手を翳す。アルシェの痛みが和らいでいく。気を張っていたアルシェの瞳から涙が零れ落ちる。その輝きの持つ意味は先ほどまでとはまるで違っていた。

 

「あ……」

「後はお任せくださいませ」

 

 ユリは手持ちの治癒薬を渡すとシズをアルシェに託す。次の瞬間、顔を上げるユリの表情が一変する。優しい姉は鳴りを潜め、屈強な戦士が顔を覗かせた。

 

「……この気配は」

 

 彼は骨の顎を撫で上げる。女からは生気を感じず、呼吸をしている様子もない。そしてアンデッド反応を感知。同族か。いい加減、甚振るのも飽きたところだ。何も成果がないのなら、そろそろここを離れる頃合いか。

 

「同胞のよしみだ。見逃して──」

 

 荒々しい風切り音。

 

 何が起きたかよくわからなかった。思考が混迷を極める。強かに背を打ち付けたと思った瞬間、全身に浴びせられる殴打ダメージ。未だ嘗て味わったことのない痛みが全身を貫いた。

 

(何だ? 何が起こって……)

 

 一つしかない眼球が上下左右に忙しなく動く。高速で動く影を捉えきれない。プチュっと何かが潰れる不協和音。眼球が潰されたようだ。得心がいく。魔法などによる不可視の攻撃かと思ったが違う。

 

 殴られている。ただそれだけだった。

 

「ハァアアア!!」

 

 ユリ・アルファは怒りに打ち震える。気持ちを乗せた拳をひたすらにナイトリッチに叩き込んだ。詠唱する暇なんて与えやしない。

 〈伝言(メッセージ)〉を頼りにここまで来たユリは胸が張り裂けんばかりだった。地に伏せる少女たち、庇うように血塗れの妹。首を締め上げられる少女。その痛ましい光景に全てを理解した。眼前のアンデッドは卑劣にも人質を取り、抵抗できないシズやアルシェを甚振ったのだ。許せない。許せるはずがない。ユリは義憤に熱く身を焦がした。

 

「調子に、乗るな──」

「ふん!」

 

 右手に火球、左手に氷騎士槍。アンデッドは同時に魔法を行使した。ユリは避けるまでもないと両の手甲を力任せに振り下ろす。騎士槍がまるで薄氷のように砕け散り、火球が消し飛んだ。

 

「馬鹿、な──ぐおっ」

 

 絶句するアンデッドの頭蓋が揺れる。伽藍の脳が激しく揺さぶられた。

 

 左のジャブ、ジャブジャブ。怯んだ隙に渾身の右ストレート。左フック、アッパー。

 

「せい、ふっ、はっ!」

 

 壁に打ち付け釘付けにする。ユリはファイティングポーズを保ったまま上体を振り子のように激しく揺らす。左右からリズミカルに振るわれる鉄拳はさながら暴風雨のようだった。シズを助け起こしながらアルシェは驚嘆の音を上げた。目の前の理不尽が爽快に殴り飛ばされている。

 

「すごい……!」

「……だから言った。頼りになる姉がいると」

 

 シズは姉の大活躍に自慢げに胸を張った。

 

 

 

 

 なすがまま、されるがままに打ちのめされる彼は自問自答を繰り返す。何故こんなことになったのだろうか。一張羅の黒衣はボロ切れに変貌し、各種魔法の効果がある腕輪や杖なども破壊されてしまった。

 

 今日は厄日だ。数ヶ月掛かりで作った拠点は謎のトレントに破壊し尽くされた。仮宿を求めて訪れた霊廟では謎の儀式で邪神扱いされる始末。そんな人間たちの願いを叶え、向かってくる輩を迎撃して遊んでいただけなのに。生命の危機に晒されるなどまるで割に合わないではないか。

 

「〈転──〉」

 

 もう付き合っていられるか。彼はこの場を離脱しようとして、

 

「……何?」

 

 魔法が発動しない。〈転移(テレポーテーション)〉、〈転移(テレポーテーション)〉、〈次元移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉……何度試しても同じだった。

 

 

「……理由が知りたい?」

 

 シズが魔銃を放つ。弾丸はアンデッドを逸れ、後方の壁を経て跳ね返る。複雑な軌道を描き彼の背に命中した。ぱすっという気の抜けたような音、かつ女の拳の痛みで認識すらしていなかった。仮に気づいたとしても大したダメージはないのだ、無視していただろう。それが仇となった。

 

「これは……」

「……貴方程度の強さで完全耐性は無理がある。となるとその障壁は特殊技術か装備、あるいはマジックアイテムの効果」

 

 天井、床、対面の壁。ユリの猛攻を援護するように無数の跳弾が跳ね回る。着弾。着弾。着弾。

 

「……もしも装備ならユリ姉が破壊済み。特殊技術なら回数制限や発動条件があるはず」

 

 シズの特殊技術で強化された魔弾は彼の魔法を強制キャンセルする。ユリとの完璧なコンビネーションは彼に逃走する暇を与えない。魔法を封じられ、弱点である殴打ダメージが蓄積していく。彼の片腕は千切れ膝から下は消し飛び、満身創痍の状態だった。ユリは深々と腰を落とし、右腕を引き半身になる。勝負を決めるつもりだ。

 

「…………さよなら」

 

 親指を撃鉄に、人差し指を銃口に。シズは右手を銃に見立てると銃口(人差し指)をナイトリッチへと向けた。逃れられない死の足音に彼は初めて恐怖を覚えた。

 

「待っ──」

「〈破砕衝撃(インパクト・ブロー)〉!」

 

「…………バァン」

 

 鉄拳制裁。ユリの剛拳が彼の頭蓋を叩き割った。

 

 好奇心は猫をも殺す。深淵なる棺、内なる七人にして第七位階到達者。このまま成長を遂げればいずれは第九位階すら夢ではなかったかもしれない。前途有望なアンデッド、ナイトリッチの彼は深淵に至ることも、旧友に会うことすら最早叶わない。プレアデスに手を出したのが運の尽きだ。互いにとって不幸な遭遇戦により彼はこの世から消滅した。

 

 

 

 

 

「ユリ様、ご無事ですの!」

「レイナース様、来てくださったのですね」

 

 ユリたちが霊廟を出るとそこには四騎士の一人、レイナース・ロックブルズを始めとした皇帝ジルクニフの配下たちがいた。墓地を取り囲む形に展開している。空には皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)も控えていた。鷲馬(ヒポグリフ)が勇ましい雄叫びを上げ旋回している。ユリは霊廟潜入前にレイナースに一報を入れていたのだ。四騎士や皇帝直属部隊まで寄越してくれるとは、ジルクニフの度量の大きさが窺える。昏倒するミイラ風の男、地下室の隠し部屋で防御魔法を唱え震えていた神官風の男など、邪神教団の指導者的立場であろうものが連行されていく。

 

 

「アルシェ!」

「怪我はないか?」

「ご無事ですか!」

「みんな……」

 

 ヘッケランたちフォーサイトがアルシェに駆け寄る。夜通し街中駆けずり回った彼らは皆酷い有様だった。それぞれ抱き合い、感涙に咽び再会の喜びを分かち合った。その後ろで微笑ましそうに佇む姉妹。アルシェは改めてシズたちに頭を下げた。

 

 

「助けてくれてありがとう」

「…………ん」

 

 親指を立て短く返すシズに感極まったアルシェが思わず抱きつく。ユリは頬に手を添え、妹とその友達を心から祝福した。

 

「…………あ」

 

 ふと眩しさを覚える。見上げた空には朝焼けが輝いていた。橙色の陽光が墓地を照らし出す。少女たちの長い長い夜が終わった。

 

 

 遺留品などから邪神教団との関係が明るみになったウィンブルグ公爵家はジルクニフの怒りを買い、即刻取り潰しとなった。関係していたと思しき貴族たちも次々と処罰されていく。

余談であるが、首謀者と思しき二名は翌日には獄中から姿を消していた。脱獄の痕跡はなく、厳重な監視網をどうやって搔い潜ったのか。帝国最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダですら皆目見当もつかなかった。真相は闇の中へ。

 

 

 

 

 

 

「…………ここは」

 

 彼は見知らぬ場所で目を覚ます。睡眠不要なアンデッドである彼の意識は発生以来、一度も途切れたことがない。こんなことは初めてだ。直近の記憶が欠落している。何とか思い出そうと頭を抱える彼は眼前に立つ影を認めた。

 

「……久しいな、友よ」

「お前は──」

 

 



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第十四話

「急げ、グズグズするな!」

「は、はい……」

 

 王は部下たちを叱咤する。国全体を揺るがす断続的な地響きがもう間も無く城壁が崩れ去ると教えてくれた。急がなければならない。森妖精(エルフ)王国未曾有の危機に王はすぐさま立ち上がった。

 

「早くしろ、全て運び出せ!」

 

 王の姿は最前線にあるか、否。では玉座の前にて全軍の指揮を? それも違う。あろうことか、王は部下たちに全てを丸投げに宝物庫を訪れていた。宝物庫に輝くは建国以来二百余年間に及ぶ彼のコレクションの数々。金貨の山々には宝剣、王冠、王笏、宝石、装飾品、武具、マジックアイテムなどが乱雑に敷かれていた。

 

「収められているもの全てが貴様らより価値あるものと知れ!」

 

 各人に〈小型空間(ポケットスペース)〉を唱えさせ希少なアイテムから優先的に運ばせる。もう治癒の小瓶一つ分の隙間すらない無限の背負い袋を見やり、王は苛立ちを露わにする。このマジックアイテムがもっとあれば楽に移動できるものを。森妖精(エルフ)王ですらリーダーから譲り受けたもの一つしか所持していない。それこそいくつあっても足りない状況だというのに。王は神経質そうに親指を噛みながらこれからを思案する。そもそも強い兵さえいればこんなことにはならなかった。自分の種は問題ない、悪いのは森妖精の女共だ。今必要なのは強い母体。そう、法国のあの女のように。

 

「……待てよ」

 

 妙案が浮かぶ。異種間による交配などどうだろうか。例えば近親種の闇妖精。昔はトブの大森林に闇妖精の王国があったはずだが、ザイトルクワエのせいで移住を余儀なくされたはず。今は一体何処にいるのか。皆目見当もつかない。王は苛立たしげに歯噛みする。またザイトルクワエか。愚かな人間共め。太古の厄災を持ち出すとはなんと邪悪な存在よ。

 

 

 ドサリと何かが落ちる音に思考が妨げられる。扉付近からだ。振り返ると全身鎧(フル・プレート)に身を包んだ侵入者がいた。白と黒の翼をはためかすその姿は天使を彷彿とさせる。足元には息絶えた兵士が転がっていた。バイザー越しの視線からは一切の感情は読めない。

 

「殺せ!」

 

 聖域を侵した侵入者に裁きを。部下たちに詠唱させる。この場にいる女たちは選りすぐりの第三、四位階の使い手だ。相手がどれほどの手練れであろうが波状攻撃に曝されてはひとたまりもあるまい。

 

「ッ──」

 

 森妖精王の予想は、しかし簡単に裏切られる。

 

 女が戦鎌を横薙ぎに振るう。ただそれだけだった。だのに風車の如く回る鎌は赤い果実を収穫していく。瞬く間に森妖精らの命を刈り取った。

 宝物殿に首を失った身体がいくつも沈む。深紅の液体が黄金の山を流れた。気がつくと両の足で立っているのは王と侵入者だけとなる。運び手兼貴重な母体を失ってしまった。王は苛立たしげに侵入者を罵る。

 

「痴れ者が! この私を誰と思っての狼藉か!」

「……」

 

 バイザーに隠れたその表情は窺えない。数十の森妖精を一度に屠ったのになんの感傷も抱いていない様子だ。無言で鎌を振るい血を払っている。

 

「愚か者めが、死を以って償え! 〈炎翼(フレイムウイング)〉」

 

 不死鳥の如き炎が舞い上がる。自慢の第六位階魔法だ。炎の翼が対象者を骨の髄まで焼き尽くし灰燼と化す、そのはずだった。紅蓮の向こうに涼しげに佇む影。傷一つ、焦げ一つない胸装甲(チェスト・プレート)が見えた。果たして、侵入者は無傷だった。

 

「バカな、そんなはずは!」

 

 魔法の矢。雷撃。衝撃波。どの魔法も敵を足止めするのは叶わなかった。ゆっくりと、ただ悠然と歩み寄る。女の戦鎌の穂先が地面すれすれを撫でる。全身を怖気が走った。

 

 

「〈損傷移行(トランスロケーション・ダメージ)〉!」

 

 腐っても十三英雄の一人だ、本能的に魔法を発動させる。凄まじい衝撃が王を襲った。あまりの威力に黄金の山に叩きつけられる。魔力もごっそり持っていかれた。危なかった。あの一撃には如何程の威力があったのだろうか。王の背筋を冷たいものが流れた。

 

「ま、待て! わかった、話し合おう! 金か、金が欲しいのか!?」

 

 王は左手に金貨を鷲掴むと女に向かって差し出す。次の瞬間、王の左手が肘の辺りから切断された。鮮血が噴き出す。

 

「おおおおおおおお! 痛い痛い、痛いぃいいいい!?」

 

 王は半狂乱で絶叫する。誰かに痛みを与えるのは大得意だが、自分が痛みを与えられるなどついぞ記憶にない。金貨の山に尻餅をつく王は後退りながら必死で命乞いをする。

 

「何だ、何が望みだ! 言ってみろ! 何でも望むものをやろうでは──ぎゃあああああ」

 

 一閃。命乞いに伸ばした右手の指が三本飛ぶ。泣き叫ぶ王は半狂乱になりながら目の前の侵入者を凝視する。小柄な、人であれば成人前であろうか。重厚な鎧に身を包んでいるが細く柔らかそうな手足は女性であることを示していた。以前にもこのような出来事があったような。強烈な既視感を覚える。

 

 

「お前……もしかして    か?」

「ッ──」

 

 女の鉄仮面にヒビが入る。明らかな動揺が見て取れた。

 

「生きていた……いや」

 

 記憶にある外見や匂いが僅かに異なる。それにあの女は人間だ。生きているはずがない。二百年前の断片的な記憶が思い起こされる。臨月の大きな腹をした女を拐われた苦い記憶。自分とあの女の強さを継ぐ子。目の前の人物にあの女の面影が重なる。

 

 

「まさか、まさか──」

 

 王の冴え渡る頭脳はある答えを導き出した。

 

「お前は、あの時の子か?」

 

 辿り着いた答えに女が身を震わせた気がした。無理もない。敬愛すべき父を父と知らずに狼藉を働いたのだから。だが寛大な父王は全てを許そうではないか。

 

「おお、おお! よくぞ、よくぞ生きていた! お前と私の血が合わさればきっと無敵の軍団が作れるぞ!」

 

 痛みも忘れ王は女へ歩み寄る。父と娘の感動の再会だ。二百年前に法国に奪われた希望が戻って来てくれた。失った兵たちなど物の数ではない。自分とこの娘さえいれば。自分の子らで結成された軍団が世界征服する様を夢想し、王は夢と希望に胸と股間を膨らませた。自分の置かれている立場も忘れ、女に欲望のこもった手を伸ばす。

 

「あぁああああああ!?」

 

 瞬間、無言の一閃が森妖精王の夢と欲望が積もった一物を斬り飛ばした。局部から噴水のように鮮血が噴き出す。痛みのあまり黄金の絨毯の上を転げ回る王を女が冷ややかに見下ろした。

 

 そして一言。たった一言だけ娘から父へと言の葉が紡がれた。万感の思いが篭ったそれは、簡素にして明快だった。

 

「死ね」

 

 右手を斬りとばす。

 

「死ね」

 

 逃走出来ないように両足を奪う。

 

「ぐひ、ひひひ……!」

 

 手足を落とされ達磨と化した男はもう悲鳴をあげなかった。代わりに気持ち悪い醜悪な笑みを浮かべていた。口端から泡を吹いている。これ以上聞きたくない。同じ空間にいるだけで不快だ。

 

「お前は必ず私を──」

 

 もう我慢の限界だった。女は戦鎌を思い切り振り下ろす。

 

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 

 詠唱を封じるために口を斬り裂いた。顎を踏みつけ破壊した。耳を削ぎ落とした。ねっとりとした視線が気持ち悪いから視界を潰そう。不快なオッドアイを両眼とも潰した。顔が気持ち悪いから念入りに耕した。二度と起き上がらないように胴も念入りに壊しておく必要がある。心の臓を抉り出そう。これ以上息が出来ないように喉を潰そう。肺を穴だらけにしよう。何も食べられないように腹も耕そうか。腸を引っ張り出す。

 

 それから絶死絶命は既に絶命している死体目掛け戦鎌を振り下ろす。何度も何度も。執拗に攻める彼女の目は血走り、狂気に塗れていた。

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 気がつけば息を切らすほどに熱中していたようだ。バイザーを外す。見れば人型の赤黒い何かが挽肉よりも酷い状態になっていた。周囲に肉片が散乱している。

 

「は、ははは……」

 

 女は戦鎌を黄金の山に突き立て空を仰ぐ。白と黒のオッドアイからとめどなく涙が溢れた。

 

 

 思い出されるは耳に残る母の言葉。

 

『お前さえいなければ……』

 

 怨嗟の声が子守唄だった。物心ついた時、既にそれは始まっていた。実の母から毎日のように振るわれる暴力、呪いの言葉は少女の精神を大きく歪ませた。少女はそれでも母が大好きだった。いつかは微笑んでくれる、優しい言葉を投げ掛けてくれる。そんな日を夢見て日々の厳しい訓練に耐えた。

 

『お母……さん?』

 

 そんな日が訪れることはなかった。母は首を吊った。壁一面に書き殴られた血文字の遺書にはありとあらゆる恨み辛みが綴られていた。当時の神官長たちは残された少女に英才教育を施した。森妖精の王を殺せ、森妖精を皆殺しにしろ。母に報いるために。母の死を無駄にしないために。

 狂っているのは少女か、それとも彼女を取り巻く世界だろうか? 幼い少女の真っ白な心は漆黒に塗りつぶされた。

 

 

「あは、あはは。アハハハハははははハハはハハははは!!」

 

 両手を大きく掲げ、あの日の少女は高笑う。遂げた、ついに成し遂げたのだ。復讐するは我にあり。絶死絶命は黄金と屍の頂きに一人立つ。絶対的強者たる少女は、しかし不思議と母を求めて泣く幼子にもよく似ていた。

 

 

 

「……もう、良いのですか?」

 

 狂ったように笑い転げる女に静かにかかる声。漆黒聖典隊長が扉の前に佇んでいた。番外席次のお目付け役かつ復讐の見届け人だ。

 

「うん、もういいの」

 

 満足した、本懐を遂げたと女が目元を拭いながら青年を振り返る。呼吸が止まる。我が目を疑った。

 

「どうかしましたか?」

 

 そこには森妖精の王がいた。漆黒聖典隊長の装備を身に纏っている。容姿も、声も、匂いも。その全てが不快なあの男そのものだった。平静さが一瞬で失われる。憎しみが全身を支配した。

 

「──え?」

 

 次の瞬間、青年の脇腹を戦鎌が薙ぎ払った。鮮血が舞う。

 

 

 

 

 

 王城から飛び出す一つの影。隊長から〈伝言(メッセージ)〉があるまでは立ち入らぬよう厳命された漆黒聖典員たちは思わず身構える。一触即発な空気の中、白と黒の翼を持つ天使がふわりと舞い降りる。皆、安堵の息を吐いた。

 

「なんだ、貴方でしたか」

「隊長はどうした?」

 

 第ニ席次〝時間乱流〟と第十席次〝人間最強〟が警戒を解く。途端、第七席次〝占星千里〟が悲鳴を上げた。恐るべきヴィジョンを見てしまったのだ。

 

「待って、彼女に近づかないで! 二人共逃げ──」

「え?」

「は?」

 

 死神の鎌が弧を描く。血の噴水が立て続けに湧き上がる。二人は自分の身に何が起きたのか理解できぬまま絶命した。

 

「なっ──」

「バカな!?」

「血迷ったか!?」

 

 隊員たちの混乱する傍らで番外の姿が搔き消える。今度は第九席次が背後から縦に両断された。反応する間もない。皆に動揺が広がる。

 スレイン法国暗部、六色聖典。黒を戴く漆黒聖典は英雄級で構成されており、その身に六大神の遺産を纏う。故に彼らは六色聖典中最強を誇り、他の追随を許さない。とりわけ、神人と呼ばれる第一席次、漆黒聖典隊長と〝絶死絶命〟番外席次は別格だった。この二人は他の聖典員全員を敵に回したとて勝利を収めるだろう。そのうちの一人が、支配されたのか魅了を受けたのか定かではないが敵に回った。最強の矛が牙を剥く。悪夢のような光景だった。

 

「すぐにレイモン様に連絡を……!」

 

 叫ぶ第五席次、〝一人師団〟クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが召喚したギガントバジリスクを盾にする。ほんの一時でも時を稼ぐために。

 

「逃げろ!」

 

 皆散り散りに森へと消えていく。番外席次は小首を傾げた。

 

「まだ生きてる。なんでなんでなんで? 殺したのに殺したのに殺したのに殺したのに殺したのに……」

 

 絶死絶命は逃走する怨敵へ一瞬で距離を詰め刃を振るう。崩れ落ちた王を足蹴にしながら狂気の目を向ける。何人いようと構うものか。あの男は一匹足りとも逃がさない。

 

 森妖精王が今際の際に放ったのは言葉だけではなかった。それは生れながらの異能(タレント)か、あるいはマジックアイテムか。ともすれば世界級(ワールド)アイテムの類だったのかもしれない。森妖精王本人ですら正しく認識していなかったその効果は全種族魅了(チャーム・オールスピーシーズ)完全幻術(パーフェクトイリュージョン)に近い。今の彼女には目に移るものならば人、亜人、異形種問わず全てが森妖精王と認識する祝福(呪い)が掛かっていた。おそらくは森妖精王が彼女を自分の虜にしようと目論んだ結果だろう。彼女の心理的外傷と相俟ってその効果は絶大だった。少女は無差別殺戮人形と成り果てた。

 

 

 聖なる大剣を振るう森妖精王を殺した。セーラー服なる装備で女装する森妖精王も殺した。漆黒聖典も火滅聖典も森妖精も関係ない。目に映る全ての森妖精王を屠っていく。彼女の凶行は止まるところを知らず、ついには三日月湖にまで到達する。湖畔には破滅の竜王を操るため傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)に身を包んだ老婆カイレ、作戦指揮官レイモン・ザーグ・ローランサンら法国の重鎮たちもいた。

 

「どうした、何があった?」

 

 返り血に塗れ異様な形相の番外席次に神官長であると同時に元漆黒聖典でもあるレイモンはただならぬ気配を感じた。誰一人として作戦本部にまで緊急事態を伝えることが叶わなかったのは彼らの不幸だった。

 

「セドラン、カイレ様を守れ!」

「はっ」

「カイレ様、お逃げくださいませ! 早く!」

「う、うむ……!」

 

 国の至宝を纏うカイレだけでも〈転移〉で逃がそうとしたが遅きに失す。第八席次〝巨盾万壁〟セドランが巨大な盾を構えるが絶死絶命の前には薄氷も同然だった。(セドラン)諸共にカイレの首が落ちる。

 

「うるさいなぁ……本当に耳障りな声」

 

 周りの森妖精王たちがピーチクパーチクと騒がしい。今殺すから待っていろ。絶死絶命は周囲の森妖精王を一掃しようと得物を真横に構え、

 

「ッ──」

 

 ただならぬ気配を感知。獣じみた動きで後方へ飛び退いた。刹那、暗雲を貫く一振りの剣が遥か上空より飛来した。爆音が轟く。圧倒的な破壊力は周囲の木々を薙ぎ倒し湖面が大きく波打った。

 

 絶死絶命は殺意に満ちた形相で空を睨む。

 

「…………」

 

 漆黒の闇に白銀が舞い降りる。背後に浮かぶは無数の剣、槍、斧。所々に竜の意匠が施された全身鎧(フル・プレート)はただ無言で絶死絶命を見つめていた。

 

 



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第十五話

 白銀の全身鎧(フルプレート)が右腕を大きく振るう。呼応するかのように頭上に浮かべた剣が勢い良く射出された。絶死絶命は木々を盾に鋼の雨を避ける。駆け抜ける側から背後の地面が爆発した。枝葉や木片が舞い散る。もうもうと立ち昇る土煙の中、女はお返しとばかりに戦鎌(ウォーサイス)を最上段から振るう。武技〈空斬〉──三日月の斬撃が勢いよく土煙を突き抜けた。

 迫り来る斬撃に全身鎧が掌を向ける。六本の剣が格子状に並び盾となった。炸裂音とともに相殺、眼下には既に女の姿はなく。

 

「──死ね」

 

 瞬時に全身鎧(フルプレート)の背後に回った番外が大きく戦鎌を振りかぶる。全身鎧(フルプレート)は視認もせずに身を翻し抜刀、白刃が煌めき戦鎌と鍔迫り合った。空中で何合も斬り結ぶ。

 

「こいつ……何で!」

 

 番外席次はがむしゃらに鎌を振るう。上段、袈裟懸け、中段、切り上げ、斬りおろし、真横、下段。どの角度から斬り込んでも切り返される。今まで全ての敵は一太刀で斬り伏せてきた。こんな手合いは初めてだった。

 

「っく……!」

 

(この力……リーダーにも匹敵しうる。やはり法国は)

 

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、ツアインドルクス=ヴァイシオンは全身鎧を遠隔操作しながら怒りを抑えきれないでいた。

 

 スレイン法国が極秘に特殊部隊を組織していたことは知っていた。秘密裏に監視し続けていたところ、彼らはあろう事か魔樹ザイトルクワエの封印を解いてしまった。あれはリーダーを始めとした十三英雄たちが死力を尽くして封印したものなのに。それだけでも度し難いのに彼らは何らかの方法で魔樹を操ると森妖精(エルフ)の国にけしかけた。彼我の戦力差は明らかであり、森妖精の国はもうまもなく滅亡するだろう。

 

 滅ぼした後は? 過剰戦力の行き着く先は? 決まっている。スレイン法国と目と鼻の先にある亜人国家、アーグランド評議国。人類至上主義を謳うスレイン法国にとって不倶戴天の敵だ。必ずや攻め入ることだろう。そしてこの少女の恐るべき強さは異常だ。〝ぷれいやー〟を彷彿とさせる。対竜王(ドラゴンロード)戦を見据えた切り札なのだろう。裏でこんな化け物を用意していた法国にふつふつと怒りが沸く。

 

「お前たちは我々を裏切っていたのか! これは重大な盟約違反だ!」

「はあ? 知るかよ!」

 

 糾弾するツアーに番外は苛立たしげに刃で応える。両者会話は全く噛み合わず、主張は平行線を辿った。打ち鳴らされる金属音だけがやけに大きく響いた。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 リ・エスティーゼ王国。大通りに面する高級宿泊施設のラウンジに二人の美女の姿があった。帽子を被る赤い三つ編みは〝赤の美姫〟ルプスレギナ・ベータ。彼女は注文したカフェに手も付けず、ソファーにダラリともたれ掛かり天を仰いでいた。対面に座る黒髪ポニーテールは〝黒の美姫〟ナーベラル・ガンマ。こちらも放心状態でボーッとしていた。ミルク多めのカフェ・シェケラートの氷がカランと鳴る。ルプスレギナがボソッと呟いた。

 

「なーにが『お前たちの探している吸血鬼はここにいる』っすか」

「思い出しても腸が煮えくりかえるわね」

 

 六腕を撃破し、八本指の何人かを捕縛。これ以上ないほどの成果を上げた美姫への報酬は約束通り確かに支払われた。支払われたのだが……

 

『私だ。私が……お前たちの探している吸血鬼だ』

『は?』

 

 イビルアイが仮面を取り、素顔を晒しただけだった。どうやら彼女が件の吸血鬼で、国一つを滅ぼしたらしい。何やら贖罪の言葉や本当の目的など呟いていたがどうでもいい。〝亡国の吸血鬼〟はシャルティア・ブラッドフォールンではなかった。骨折り損も甚だしい。燃え尽きた二人は日がな一日ラウンジでぼんやり過ごしていた。依頼など面倒な雑務は全て奴隷1号2号に任せてある。

 

「あー、つまんないっす。世界でも滅びないっすかねー」

「そうね」

 

 まだ全てを調べ尽くしたわけではないが、アインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓の情報は思うように集まらない。万一、億が一だがこの世界に一切の痕跡がないのなら。そんな世界に存在価値はない。滅んでしまえ。募る憤りは発散の場を求めていた。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 永遠に続くかと思われた攻防はやがて終わりを迎える。均衡が崩れ出す。勝敗を分けた要因は大きく分けて三つ。

 

 まずは経験。番外席次にとって強者との実戦はこれが初と言っていい。

 

 斬っても突いても相手にそれ以上の力で切り返される。こんな状況でなければさぞや楽しめたことだろうが、今の番外にはそんな余裕はない。彼女からすれば眼前にいるのはやたらとしぶとい森妖精の王。早く殺す。殺さなければ。焦燥だけが募り余分な体力を消費してしまう。

 対するツアーは白金の名を冠する真なる竜王であり、〝白銀〟と謳われた英雄でもある。八欲王然り、他の竜王然り、十三英雄のリーダー然り。強者と拳を交えた経験も数えきれないほどだ。実力が拮抗した相手にこそ経験がものをいう。

 

「いい加減に、落ちろっ!」

 

 焦れた番外が距離を詰めようと強引に突貫。浮遊剣が縦横無尽に番外を射抜く。黒の翼、左肩、右大腿。次々に穿たれていく。全身を真紅に染め上げながらも女は止まらない。全身鎧の懐深くへと飛び込んだ。

 

 ()った、そう確信した。口元が自然と吊り上がる。絶死絶命の全身全霊をかけた一撃が、白銀の左肩口から右肘にかけてを斬り裂いた。右腕が落ちる。

 

「何……!?」

 

 勝利の笑みが消え失せる。肉を切る感触も骨を断つ感触も伝わってこない。その違和感を証明するように、斬り裂いた胸装甲の隙間には虚空が広がっていた。

 

「空っ……ぽ? がはっ」

 

 斬り落とした右腕が番外の腹に突き刺さる。あまりの衝撃に肺の中の空気が消え失せた。意思を持つかのように動く右腕が浮遊する剣の一振りを掴み一閃。女の腹を真横に斬り裂いた。そのまま剣の柄を鈍器のように頭上へと振り下ろす。鈍い衝撃音と共に女は地へと落とされた。木々をなぎ倒し落下。地面に大穴が開き土煙が舞い上がった。

 

 二つ目の要因は体力。生身の番外に対してツアーの全身鎧は伽藍堂。魔力が続く限り無尽蔵のスタミナがあるのと同義。対する番外は常に全力だ。極限まで神経を研ぎ澄ませている。さもなければとうに斬り伏せられているだろう。時間経過につれ徐々に圧されはじめる。額には珠のような汗が浮かんでいた。

 

「うっ……ぐ……く」

 

 地に落とされた番外が身を起こそうとするがツアーがこの機を逃すはずがない。先んじて左腕を振るう。風切り音が唸り番外を放射状に取り囲む。剣の檻が完成した。いくつかは手首や膝裏など甲冑の繋ぎ目を貫通していた。

 

「があああ!?」

「……悪いが容赦しない。君は危険過ぎる」

 

 ツアーは遠隔操作で右腕を回収すると両手を眼下の女へと翳した。掌に白き光が灯る。

 

「ッ──!?」

 

(なんだこの光は? 私はこんなの知らない。知らない。こんな、魔法──)

 

『始原の魔法には気をつけろ』

 

 女の脳裏に神官長たちの言葉が過ぎる。始原の魔法──八欲王が世界を歪める以前より存在する真なる竜王のみが使うことを許されし秘術。

 

「あの男は……私が殺したはず……でも……まだ……いる? ううっ」

 

 殺したはずの森妖精の王が何故始原の魔法を使うのか。明らかな矛盾にズキリと頭が痛む。

 

「たくさん……たくさん……殺した」

 

 拍動性の頭痛は止むことはなく、むしろどんどん強まり女を蝕む。大剣や斧、レイピアやセーラー服。いろんな装備の森妖精の王を殺した。

 

 あの骸たちの顔は、本当に森妖精王だったろうか? 

 

「あ、ああ……私は、私は一体……誰と」

 

「哀れな……」

 

 頭を抱え唸る少女にツアーは同情の念を禁じ得ない。おそらくあの少女は法国にいいように利用されているのだろう。だが彼女の存在は許されない。今以上の難敵に成長されてからでは遅い。ここで脅威を完全に排除する。

 

「もう、眠れ……」

 

 極光の煌めきが収束する。ツアーが鋼に閉じ込めた籠の鳥へ向け、その白き光を手向けようとして、

 

「なっ──」

 

 ズンとツアーの後頭部をみすぼらしい槍が突き穿つ。穂先が面貌のスリットを貫通した。ツアーは驚愕に目を剥く。

 

 勝敗を分けた最大の要因。

 

「やらせる……ものか」

 

 それは仲間の存在。槍は長い黒髪の少年が投擲したものだった。漆黒聖典隊長は半死半生の体で湖畔に辿り着いた。青年の仮面は既に剥がれ落ち、年相応の幼い顔つきは苦痛に歪んでいる。押さえた腹からは赤黒い液体が滴り落ちていた。

 

「くっ……」

 

 偶然か、それとも狙ったのだろうか。兜の内側に記した印が破壊された。ツアーの遠隔操作が解ける。術者を失った始原の魔法はコントロールを失いその場で臨界を迎えた。

 

「いけない──」

 

 少年は少女の名を叫びながら手を伸ばす。刹那、超爆発と熱波がエイヴァーシャー大森林の空を駆け巡った。無数の葉が暴風に煽られ、熱波に晒され灰燼と化す。規格外の熱量はまるで朝焼けが到来したかのよう。見るもの全ての視界を純白に染め上げた。

 

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

「全軍進撃! 目標、スレイン法国!」

「進撃ぃ〜」

 

 アベリオン丘陵を十万の軍が進行する。先陣を切るのはソリュシャン・イプシロン。そして妹のエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。各々十傑にして四足獣人(ゾーオスティア)の〝魔爪〟ヴィジャー・ラージャンダラーと〝黒鋼〟ムゥアー・プラクシャーの背に跨っている。後ろを行くのは蛇王(ナーガラージャ)〝七色鱗〟のロケシュを始めとした十傑の五人。それから種族や部族ごとに纏まった亜人たちが続く。闇小人(ダークドワーフ)の工匠を脅し、全ての武器庫を開かせた。可能な限りの亜人を彼らの武具で武装させた。

 不満も異論も唱える者はもうこの世にいない。そも十傑が大人しく服従しているのだ。彼らより弱い亜人たちが逆らえる道理はなかった。

 

 ソリュシャンの目的は至ってシンプルだ。十万の亜人軍を法国へ侵攻させる。ただそれだけだ。いくら頭数を揃えても所詮烏合の衆、あの女には敵わない。しかしそれでいい。数は力──至高の御方の一人、ぷにっと萌えの金言を思い出す。あの女は何かを守るように神殿最奥に控えていた。ナザリックに例えるならば階層守護者のような立ち位置と推測出来る。謂わば法国の切り札なのだろう。ならばそう易々と自分の持ち場を離れるとは思えない。その証拠にあの時、女はやろうと思えばソリュシャンたちを追えたにも関わらず深追いしてこなかった。

 以上の自論を踏まえてソリュシャンは戦略を立てた。道中、目につく適当な村や小都市を襲う。その地で大袈裟なほどに暴虐の限りを尽くす。それからあえて数人ほど生かして情報を拡散させる。後は法都を目指し進軍するだけでいい。いずれ軍が出てくるだろうがそれも計画通りだ。スレイン法国はエイヴァーシャー大森林においても戦線を展開している。いくら愚かな人間といえ、戦線を二つに拡げる愚行は犯さないはずだ。万一全軍がこちらに差し向けられても構わない。強靭な肉体、鋭い爪や牙、魔的な種族特性。人では持ちえない強力な能力を有する亜人種が遅れをとるはずがない。いずれ軍では手に負えなくなるだろう。その時法国はどう出るか。

 あの女を誘き寄せられるならば上々だ。十万を超える亜人をぶつけ戦場に釘付けにしてやればいい。その隙にあの扉の先を暴くのだ。出てこないならそれもまた良い。あの女が穴熊を決め込んでいる間に法都を蹂躙し尽くしてやるだけだ。いずれにせよ、あの女の澄まし顔を崩せるならば何だっていい。与えられた屈辱は一日たりとも忘れていない。ソリュシャンは手足を捥いだあの女を体内で溶かす様を思い浮かべる。

 

「ッ!? この光は──」

 

 恍惚の表情が驚愕に染まる。南の空に突然太陽が出現した。そう形容する他ない暴力的なまでの白が闇夜を照らし出す。エイヴァーシャー大森林の方角だ。遅れて轟く爆音、そして発狂したかのように吹き荒れる暴風。

 

「ソリュシャン!」

「ええ、わかっているわ! 第十位階……いえ、それ以上かしら」

 

 エントマの声にソリュシャンは思考を巡らす。プレアデスはおろか、百レベルの守護者たちですら未到達の領域、超位魔法。その輝きと思しき光。求めていたアインズ・ウール・ゴウンへの手掛かりになるやもしれない。すぐに斥候を放つべきだろう。ソリュシャンが亜人に命令を下そうと口を開きかけ、

 

「な、なんだこれは!?」

 

 誰かが絶叫する。大地が揺れた。立っていられないくらいの地響きはアベリオン丘陵を引き裂いた。浮き足立つ亜人軍は信じられないものを目撃する。無数の蔓や蔦、枝葉や根が大地を突き破り出現したのだ。一本一本が大樹の幹ほどのあるそれは、亜人たちを次々に絡め取っていく。

 

「た、助け──」

「うぁあああああ!?」

 

 絡め取られたものたちは繭のように包まれ地に引きずり込まれていく。あっという間に見えなくなった。

 

「何なのこれぇ〜」

「トレント? たかが植物系モンスター如きが!」

 

 計画修正を余儀なくされ、毒づくソリュシャンは今度こそ言葉を失った。天を突こうかという大樹が地中より姿を現したのだ。大樹の二つの巨大な虚が妖しく輝く。ソリュシャンらを認識した大樹は、丘陵地帯に響くような雄叫びを上げた。

 

 

 

 

 

リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国。人間国家三大国が非常事態宣言を発令したのと、ユリ、シズ組とルプスレギナ、ナーベラル組に〈伝言〉が届いたのはほぼ同時だった。

 



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第十六話

 王国領城塞都市エ・ランテル。人間国家三大国の国境線が交わるこの都市を異様な緊張感が支配していた。三重の城壁の最外周には王国駐屯軍のみならず帝国軍、法国軍の姿もあった。一触触発の空気の中、兵士たちの視線は最内周、行政区画へと注がれていた。

 都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアの邸宅の一室、会議室を重苦しい沈黙が覆っていた。今日ばかりはパナソレイも居住まいを正している。〈伝言(メッセージ)〉を信用し過ぎるのは愚か者のすることだ。ガデンバーグの悲劇を教訓に情報には確固たる裏付けが必要だ。

 

(とはいえ、ここまでするものだろうか? それほどの事態と言うことか)

 

 卓につく顔触れにパナソレイはその場から逃げ出したい衝動に駆られてしまう。

 

 リ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。エリアス・ブラント・デイル・レエブンをはじめとした六大貴族。

 バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。最強にして最高の魔法詠唱者(マジックキャスター)フールーダ・パラダイン。帝国四騎士。

 スレイン法国最高神官長と大元帥。そして各国のアダマンタイト級冒険者。王国からは蒼の薔薇、朱の雫。帝国からは銀糸鳥、漣八連。法国はアダマンタイト級こそ保持しておらぬも、第四位階の治癒系魔法詠唱者(マジックキャスター)が揃っていた。錚々たる面子だ。だが本来、この場に真っ先にいるべき人物がいない。ジルクニフは不敵な笑みを浮かべる。

 

「おや、ストロノーフ殿は不在なのか。このような時にこそ、彼の御仁の力が必要になると思うのだが」

 

 帝国皇帝の牽制に王国勢は過剰とも言える反応を示した。

 

「このような時だからこそ、だ。戦士長殿は病床に伏せる父についている」

「彼奴などいなくても我々だけで充分!」

「その通り!」

「はは、豪気なものだ。是非ともあやかりたいものだな」

 

 皮肉げに口角を上げるジルクニフの瞳がスッと細まる。やはりガゼフ・ストロノーフが死亡したという情報は真実のようだ。王子や貴族たちの様子から、蘇生すら失敗したとみえる。周辺国家最強のガゼフ・ストロノーフの死。国力低下は免れまい。士気の減退を恐れ箝口令を敷いているのだろう。

 

「その辺りにしていただこう」

 

 法国最高神官長がゆっくりと口を開く。その目は落ち窪み、疲労の色が濃くみえる。何があったのか、側からみても憔悴しきった様子だった。

 

「今は国家間で争っている場合ではない。世界滅亡の危機なのだから」

「ならばお聞かせ願おうか? あれがなんなのかを」

「……あれは……あれは『世界を滅ぼしうる存在』だ」

 

 最高神官長は静かに事の顛末を語った。

 

 

 

「馬鹿な、ありえん!」

 

 バルブロが憤りを顕に机を叩く。各国要人が集まる場にて極めて無礼な態度だ。しかしその場の誰もが同じ思いを抱いていた。頭痛を覚えたジルクニフがこめかみを押さえた。

 

「……そのような話を信じろと言うのか? ははっ、悪い冗談だ」

「難度にして約二百五十……」

 

 アダマンタイト級冒険者たちの間にも動揺が広がる。アベリオン丘陵地帯が一夜にして森と化した。荒唐無稽な話だが事実だ。森を構成するトレントや絞め殺す蔓(ギャロップ・アイビー)、イビルツリーなどが無数に増殖し、王国や法国国境沿いにまで勢力を拡大しつつあった。今なお侵攻が続いており、隣接する王国、法国の村々がいくつも樹海に飲み込まれてしまった。犠牲者、行方不明者は数知れず、被害の全貌すら明らかになっていない。

 事態を重くみた各国は休戦協定を結ぶ。人類の危機に同族同士で争っている場合ではない。各国は軍を展開し、樹海の侵攻を水際で防いでいる状態だった。王国筆頭貴族、レエブン侯が法国に向き直る。

 

「つまり神官長、貴方はあれが森妖精王国の仕業だと言うのですね?」

「いかにも」

 

 スレイン法国と森妖精王国が長年戦争状態だったのは周知の事実だ。王国は近年、ラナー王女の働きにより奴隷制が廃止されたが帝国は未だ奴隷制が残っており法国から森妖精の奴隷を購入している。

 今回、法国は総力を結集し森妖精を後一歩のところまで追い詰めた。後がなくなった森妖精王が姦計を巡らせ、エイヴァーシャー大森林に封ぜられていた古の厄災を解き放ったという。法国は甚大な被害を被り、枷が外れた魔樹はその猛威を振るった。

 

「そういえばババアから聞いたことがあるな」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)、イビルアイが口を開く。小声ゆえ、蒼の薔薇にしか聞こえていない。イビルアイがババアと呼ぶ人物は一人しかいない。

 

「かつてリーダーたちと魔樹をどこかの森に封印したらしい。確か名はザイトロ、ザイトリ……」

「ザイトルクワエだよ、インベルンの嬢ちゃん」

「げぇっ、ババア!?」

「リグリット様!?」

 

 蒼の薔薇が驚きの声を上げる。リグリット・ベルスー・カウラウ。十三英雄の一人である死霊使い。生ける伝説の突然の訪問に場が騒然とした。自身に匹敵するであろう魔法詠唱者(マジックキャスター)の登場にフールーダが興味深げに片眉を上げる。リグリットは法国最高神官長に歩み寄った。

 

「のう、法国の。これから何人も死地へ赴かせようと言うのだ。そろそろ腹を割って語るべきではないかの?」

「な、何を言っておる」

 

 シラを切り通そうとする神官長にリグリットは深く溜息を吐いた。

 

「わしらがザイトルクワエを封じたのはトブの大森林のはずだが?」

「ッ──」

 

 二の句を継げずにいる神官長をリグリットが豪快に笑い飛ばす。

 

「カカカ、我が友からの伝言じゃ。『自分たちの不始末は自分たちでつけよ』とな」

「それはどういうことだ!」

「この騒動は貴国が原因なのか?」

 

 法国への非難で会議は紛糾した。バルブロが神官長を口汚く罵っている姿を尻目に、リグリットは蒼の薔薇に目配せで合図を送る。自然と廊下へと連れ出した。ラキュースはホッとひと息つくと笑顔を浮かべる。

 

「お久しぶりです、リグリット様」

「うむ、お主らも元気そうで何よりじゃ」

「チッ、くたばってなかったか──あいた!?」

 

 憎まれ口を叩くイビルアイにリグリットの拳骨が飛ぶ。イビルアイにこんな態度が取れるのは彼女だけだ。未曾有の危機に気を張り詰めさせていた蒼の薔薇の面々は思わず顔を綻ばせる。その様子に老婆は自分の判断は間違ってなかったと満足げに頷いた。

 

「さて、本題に入るとしようかの。お主たちにしか頼めんのじゃ。安心せい、わしも手伝うでな」

 

 リグリットは懐に忍ばせていたアイテムを取り出してみせる。皆の瞳が驚愕に染まる。そこには水晶の輝きがあった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「っくしゅん!」

「おや、ナーちゃん。風邪っすか?」

 

 可愛らしくくしゃみをする妹をルプスレギナが茶化す。ナーベラルはハンカチで口元を覆いながら即座に否定した。

 

「まさか。耐性は万全のはずよ? ありえないわ」

「ということは誰かが噂しているに違いないっす! いやあ、我が妹ながら罪作りっすね」

 

 美姫の四人は城塞都市エ・ランテルを訪れていた。以前はたくさんの人々が行き交い、活気に溢れていた通りには人影すらなく。露天が消え失せた閑散とした広場に響くのは鉄靴の金属音だけだ。王国を含めた三ヶ国が非常事態宣言を発令したのだ。当然といえば当然かもしれない。ルプスレギナたちは何も人類存亡をかけた一大決戦に馳せ参じた訳ではない。彼女たちは、正確にはプレアデスの二人はこの都市に用事があったのだ。

 

「あぁああああ!?」

 

 大通りを歩く一行に背後から絶叫が降りかかる。振り返った先には四人の冒険者。どこかで見た顔だ。ナーベラルは既に名を忘れていた──正確には覚えてすらいない──がルプスレギナには覚えがあった。漆黒の剣。以前この街で多少の縁を結んだ冒険者チームである。声の主はそのうちの一人、ルクルット・ボルブだった。両手で頭を抱え戦慄いている。

 

「ル、ルプスレギナちゃん!? その男は……まさか!?」

「そうっす。ナーちゃんのコレっすよ」

「ルプー!」

 

 小指を立て悪ノリするルプスレギナにナーベラルが声を荒げた。本気で怒っているようだ。ブレインは呆れたように息を吐いた。

 

「勘弁してくれ。俺も命が惜しい」

「それはどういう意味かしら?」

 

 冷たい視線を浴びせるナーベラルにブレインは降参とばかりに両手を挙げる。

 

「ブレインって……まさか、あのブレイン・アングラウスですか!」

「知っているの?」

 

 漆黒の剣リーダー、ペテル・モークが歓喜の声を上げた。ニニャが小首を傾げる。

 

「ああ、そうだが……」

「やはり! 御前試合での一戦はお見事でした!」

「おお、それなら知っているのである。戦士長殿との伝説の一戦であるな」

 

 ペテルにダインが同調する。その頃、たまたま王都に赴いていたペテルが御前試合を観戦したのだ。後に王国戦士長となるガゼフ・ストロノーフと互角に戦った男、ブレイン・アングラウス。戦士の間ではちょっとした有名人である。

 

「そいつはどうも」

 

 盛り上がる漆黒の剣にブレインは苦笑するしかなかった。昔の自分であれば誇らしげに胸を張っただろうが、現在の自分はパーティメンバー中最弱と自覚している。上には上がいると嫌という程思い知らされた。とてもじゃないが自分程度の強さを誇る気にはなれない。歯切れの悪いブレインに気を悪くさせたと勘違いしたペテルは話題を逸らした。

 

「皆さんは組合に召集されたのですか?」

「違うっすよ」

「いいえ」

 

 即座に否定する二人に漆黒の剣が曖昧な表情を浮かべた。王都のみならず、帝国、法国の冒険者チームが多数エ・ランテル入りしている。オリハルコン級の美姫がそこに加われば戦力は盤石だと思ったのだが。こればかりは仕方がない。冒険者にとって何よりも大切なのは生きて帰ること、即ち冒険しないことなのだから。リーダーとして仲間全ての命を預かるペテルにはその気持ちが痛いほどよくわかった。

 エ・ランテルに迫り来る樹海の噂は冒険者の間で持ちきりだった。けれどもミスリル級に満たない冒険者チームは此度の潜入作戦において力不足だ。銀級の漆黒の剣は城壁の防衛任務を任されていた。

 

「急ぎの用がないのでしたら是非とも俺たちとお食事を!」

「いい加減にしないかルクルット。私たちには任務があるだろ?」

「いいじゃんか、どうせ見張りだろ? 以前の礼もしたいし」

「おおっと、デートの誘いっすか? どうしようかなー」

 

 ルプスレギナは漆黒の剣へ、正確にはその背後へと流し目を送る。釣られて振り返る漆黒の剣は言葉を失った。そこには絶世の美が二輪、優雅に咲き誇っているではないか。漆黒の髪を夜会巻きに束ねた女性と、腰までありそうな桃色の長髪に首巻を靡かせる少女。何故かメイド服を身に纏う二人はそれぞれが美姫と称されるルプスレギナとナーベラルに勝るとも劣らない魅力を醸し出していた。人間にはニコリともしないナーベラルがぱあっと顔を輝かせる。

 

「ユリ姉様、シズ!」

「ちわーっす!」

「ルプス、ナーベラル。二人とも元気そうね」

「…………久しぶり」

 

 四人が親しげに言葉を交わす。その光景はまさしく美の饗宴。ルクルットはこの場に居合わせたことを神に感謝し感涙に咽び泣いた。鼻息荒く問いかける。

 

「ルル、ルプスレギナちゃん! この方々は!?」

「んー? 私たちの姉のユリ姉、それから妹のシズちゃん! ちなみにユリ姉怒るとマジヤバっすから気をつけ──げふっ」

 

 くの字に曲がるルプスレギナ。ユリの鉄拳が炸裂した。クレマンティーヌとブレインは戦慄した。あのルプスレギナを一撃で。姉妹というだけあってこの女もかなりの手練れらしい。ユリは何事もなかったかのように優雅に会釈した。

 

「皆さま方、いつも妹たちがお世話になっております」

「違いますユリ姉様。迷惑を被っているのは我々の方です」

「…………」

 

 約二名、喉元まで出かかった抗議の声を何とか飲み込んだ。

 

「ああ、今日はなんて良い日なんだ! お姉様方も是非とも我々とお食事を!」

「お誘いいただきありがとうございます。ですが私たちには為すべきことがありますので」

「為すべきこと……ですか?」

「…………そう、迷子捜し。手のかかる妹を持つとお姉ちゃんは苦労する」

 

 帝国でお姉ちゃん属性を強めたシズは完全にエントマを妹認定していた。

 

「そいつは大変だ」

「私たちも手伝いますよ!」

「人手は多い方がいいのである」

「どの辺りで逸れました?」

 

 漆黒の剣が口々に協力を申し出る。目の前の少女の妹ということは大分幼い子だ。おそらくエ・ランテルで逸れたのだろう。早く保護してあげなくては。

 

「お気持ち大変嬉しく思います。ですが──」

 

 ユリは彼らの善良さを好ましく思った。だからこそきっぱりと断っておく必要がある。

 

「いくら探しても妹たちはこの都市にはいません」

「え?」

「二人は樹海にいます」

 

漆黒の剣は言葉を失う。直前までの騒がしさが嘘のように静まり返った。

 

「〈物体発見(ロケートオブジェクト)〉でも結果は同じね」

「……了解。目標までの最短ルートを検索する」

 

しかし彼女たちの目に絶望の色は一切なく、まるでピクニックに行くかのような気楽さすら感じさせた。

 

「ま、まさかあそこに向かうおつもりですか!」

「考え直してください、自殺行為だ!」

「お気遣い痛み入ります。ですがお構いなく」

 

ユリが深々とお辞儀し、激しく狼狽する青年たちに別れを告げた。

 

「ああ、そうそう」

 

 当然のように後に続こうとするブレイン、うんざりした顔のクレマンティーヌをルプスレギナが振り返る。

 

「クーちゃん、ブーちゃんはここまでっす」

「は?」

「え?」

「その辺のカフェで優雅にお茶でも飲んでればいいっすよ」

 

 困惑。相手の意図が掴めない。いきなり何を言い出すのか。言葉足らずなルプスレギナをナーベラルが補足する。

 

「察しなさいな。足手まといなのよ」

「なっ──」

 

 絶句するブレインを置いて四姉妹は正門へ向け歩き出す。

 

(っし、絶好のチャンス到来!!)

 

 またとない逃走の機会だ。喜びを隠しきれないクレマンティーヌは憮然とした様子のブレインに気づく。

 

「あれぇ、嬉しくないの?」

「……俺はまだあいつらに借りを返してないからな」

 

 ブレインは彼女たちの後を追う。呆れたように吐き捨てるクレマンティーヌは彼らとは逆方向へと歩き出す。

 

「……ああ、もう!」

 

 数歩進んだところで苛立たしげに頭を掻くと遠ざかる青髪に向かって怒声を上げた。

 

「待ちな、お前の命は私のもんだ!」

 

 クレマンティーヌは踵を返し駆け出した。残された漆黒の剣は唖然と彼女たちを見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「オラァッ」

 

 ガガーランの気合を込めた一撃が炸裂する。行く手を阻むトレントを粉砕した。空いた隙間を塞ぐように新たなトレントが枝葉を伸ばす。その先端には絞め殺す蔓が触手のように身をくねらせていた。

 

「うへぇ、ぬるぬる系は苦手なんだよ!」

「交代」

 

 ガガーランの両肩を飛び石に忍者姉妹が軽やかに躍り出る。

 

「爆炎陣」

「爆炎陣」

 

 ティア、ティナはそれぞれ鏡面のような動きで印を結び発動。前方を塞ぐトレント、絞め殺す蔦を燃やし尽くした。

 

浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)

「〈水晶騎士(クリスタルランス)〉」

 

 ラキュース、イビルアイが剣、水晶の槍をそれぞれ飛ばし後続を穿つ。

 

「アズス叔父様、今です!」

「感謝するぞラキュース」

 

 蒼の薔薇が作った道を朱の雫、錦糸鳥、漣八連が続く。次は朱の雫が道を切り開く番だ。アダマンタイト級冒険者チームは隊列を組み、互いに互いを庇い合いながら樹海を進んでいく。少しでもリソースの消耗を控えているのだろう。彼らが切り拓いた道を進むのは帝国四騎士の四人だ。後続にオリハルコン級、ミスリル級、治癒系魔法詠唱者などが続く。他の一般兵士達は樹海がこれ以上広がらないようにと円周上に部隊を展開していた。フールーダと彼の高弟、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)は先行して空から威力偵察。

 

 作戦目標はひとつ。ザイトルクワエの殲滅、あるいは封印。

 

 観念して重い口を開いた最高神官長曰く、森妖精王国との戦争において魔樹を投入した法国は終始優勢だった。だのに法国戦力はほぼ壊滅。帰還したのはたったの二名。その生存者すら共に重傷を負い、一人は意識不明の重体らしい。

 魔樹を操った特別なマジックアイテムは樹海の海に沈んでおり、回収不可能。よしんば回収出来たとしても担い手は既に失われている。九百万を超える法国の民において適合者はたった一人しかいなかった。今から王国、帝国から適合者を探す暇もないし、ザイトルクワエの支配は実質不可能だろう。交戦経験のあるリグリットは顔を顰めた。

 

「……今思えばわしらが戦ったのはあの魔樹のごく一部だったんじゃろうて」

 

 二百歳を優に超える老体とは思えぬ俊敏な動きをみせるリグリットにイビルアイが並走する。

 

「私たち総がかりでも無理か?」

「……正直言って厳しいじゃろうな。かつての仲間たちがいれば話は別だが」

 

 リーダー、魔法剣士、大神官、風巨人(エア・ジャイアント)の戦士長、山小人(ドワーフ)の魔法工、四つの魔剣を使いこなす暗黒騎士、聖魔術師。リグリットは十三英雄と謳われたかつての仲間たちに思いを馳せる。あれからもう二百年以上の時が流れているのだ。その大半はもう墓の下だろう。リーダーのように若くして死亡し、蘇生を拒絶したものもいる。

 

「後は……世界の揺り返しにでも期待するとしようかの」

「世界の揺り返し? 何だ、ついに呆けたのかババ──痛っ」

 

 イビルアイの脳天に拳骨が落ちる。仮面越しだがおそらく涙目だろう。

 

「舐めんじゃないよ泣き虫。冒険者こそ引退したがわしは生涯現役だよ」

 

「リグリット様、あれを!」

 

 ラキュースが声を張り上げる。見上げた視界の先、天まで届きそうな巨大樹が不気味に聳え立っていた。

 

「いよいよだ、みんな! 気を抜くんじゃないよ!」

「はっ」

「了解」

「おうよ!」

 

 一行は各々の得物を構えて死地へと赴いた。

 



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第十七話

原作14巻が出ると聞いて!


 もう何体のトレントを屠っただろうか。数えるのも馬鹿らしい。樹海の波をただひたすらに掻き分けた一行に無傷な者など誰一人としてない。ボロボロの鎧兜に刃こぼれした剣槍、無数の擦り傷切り傷、中には流血したままの者もいる。それでも彼らは歩みを止めない。自分たちの行動如何によって人類の、ひいては世界の命運が決まるのだから。用意した治癒薬(ポーション)や数々のマジックアイテムが心許なくなり、魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちの魔力が尽きかけた頃、彼らはついに辿り着いた。辿り着いてしまった。息も絶え絶えな冒険者たちは皆我が目を疑った。

 

 その場だけが枯れ果てたような開けた空間。真っ先に目を引くのはその中心に聳える巨大な魔樹。まるで巨岩や城砦のような幹には三つの虚がぽっかり口を開き、強烈な存在感を放っていた。アダマンタイト級冒険者たちは戦慄を覚える。数々の修羅場を潜ってきたはずの彼らだが過去最強の難敵と比しても、目の前の魔樹の試金石にすらならない。

 

「あれが……ザイトルクワエ」

「デカすぎるだろ、おい」

「ババア、本当にあれを封印したのか?」

「……言ったであろう? ワシらが戦ったのはあれのごく一部。しかしまさか、これほどまでとは……」

 

 交戦経験のあるリグリットすら思わず唸り天を仰いでしまう。見上げるほどに大きな幹は虚空はおろか、暗雲すら貫きその全貌は窺えない。大樹から伸びる六つの枝葉はそれぞれが丸太のような太さであり、その至るところに果実のようなものがなっていた。

 

「何だあれは……果実?」

「いや、違う」

「あれは──!?」

 

 無数に実るそれは決して果実などではなかった。いち早く正体に気付いた銀糸鳥のシカケニン職を修めるケイラ・ノ・セーデシューンや忍者のティア、ティナが思わず顔を顰めた。卵円形の半透明の膜内には人や亜人の区別なく、樹海に沈んだあらゆる生命が内包されていた。

 

「喰らっている……のか……」

 

 樹海に飲み込まれた数え切れないほどの集落、村々、小都市。その全ての生命を喰らいこの樹海は肥大しているのだろう。ここで食い止めなければいずれはエ・ランテルはおろか王国、帝国、法国。ひいては大陸全土を飲み込むだろう。仲間たちの萎縮を感じ取ったリグリットが鞘から剣を引き抜き、高らかに掲げた。勇ましく口火を切る。

 

「ふっ、何を怖気付くか一騎当千の強者たちよ。お主たちはこの時を待ち望んでいたのではなかったのか? 十三英雄の一人として断言しよう、お主らは強い」

 

 リグリットの演説が気分を昂揚させる。自然と皆の胸が熱くなった。取り分け感銘を受けたのはラキュースだ。彼女は〝朱の雫〟の由来となった朱い全身鎧(フルプレート)を纏う叔父、アズスに視線を送る。幼き頃、彼の冒険譚の数々に憧れた。貴族として生まれた少女は憧れに身を焦がし、家を飛び出し剣を取る。そして冒険者となった。冒険者となったのは何のためか? 自身に問い掛けるまでもない。

 

「敵は我ら十三英雄と因縁浅からぬ魔樹、ザイトルクワエ! 相手にとって不足ないじゃろうて。行くぞ英雄たちよ! 奴に目に物を見せてやれ! 歴史にその名を刻むのだ!」

「うおぉおおおおお!」

 

 先陣を切るリグリットに冒険者たちが続く。魔樹に動きはない。それどころか知性すら感じられず、不気味に沈黙を保ったままだ。千載一遇の好機。このまま一気に畳みかける。

 

「なっ──」

「ぐっ……!」

 

 刹那、空気が震えた。思わず耳を覆いたくなる不協和音の発生源は眼前の魔樹。人であれば口に相当する一際大きな虚が歪んでいた。呼応するかのように根元の大地が大きく盛り上がる。

 

「危ない!」

 

 誰かが叫んだと同時に破裂する大地。土砂を撒き散らし無数に飛びかう灰色の槍、鞭。いや、それは矢の如く鋭利な根や枝先だった。地に潜んでいたモンスターたちが姿を現す。四つの長い枝に太い楕円形の灰色の胴。一見トレントの亜種だが断じて違う。頭頂部には目も鼻もなく、禍々しい人の口に類似したものだけが存在していた。殿を務める冒険者が悲鳴を上げる。背後からも多数出現し、完全に囲まれてしまった。

 

「な、何よこのモンスターは」

「こんなの……見たことないわ」

 

 そのモンスターの名はザイクロトルからの怪物。とある神話体系におけるザイクロトルの死の植物(ザイトルクワエ)を崇める異形。植物に似て非なる怪物たちは、ケラケラとけたたましく嗤う。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 上空から魔樹に近づき威力偵察を行なっていたフールーダ一行は、奇怪なものに気づく。天を穿とうとする巨大な魔樹の頂にありえないものをみた。植物であれば()()があるのも至極当然だ。問題は、それが規格外の大きさであるということ。そしてこの魔樹がそれをつける意味。

 

「師よ、あれは……あれは何なのですか!?」

「む……」

 

 高弟の一人が思わず絶叫を上げる。ほとんど悲鳴に近いその声は恐怖に塗れていた。そこかしこからガチガチと歯の根が合わない音が聞こえてくる。魔法の武具で武装する帝国騎士や高弟にも恐怖が伝播しているようだ。激しく狼狽する高弟たちと嘶き怯えを露わにする鷲鳥(グリフォン)皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)は騎獣の制御に苦心している様子だった。フールーダとて同じ気持ちだ。一見、落ち着き払っているように見えるがその頬には冷や汗が流れていた。

 

「いかんな……一刻も早く伝えねば」

 

 もしも自身の考えが正しいならば、樹海あれ自体が罠のようなもの。全てが()()のためにあったのだ。このままでは突入部隊の全滅もありえる。急ぎリグリットやジルクニフと連絡を取らなければ。

 

「ひぃぃい!?」

「な、何だこれ──」

 

 弟子たちに命を下そうとしたその時、無数の蔓が魔樹から伸びる。四方八方から伸びるそれは触手のように蠢き、鷲鳥(グリフォン)や高弟を絡め取った。

 

「〈魔法範囲広域化(ワイデンマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

 

 フールーダが杖を振り上げる。火球が蔓をまとめて焼き払うが、新たな蔓が矢のように迫った。

 

「此奴──」

 

 フールーダは再び杖を振るった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 アダマンタイト級冒険者。すべての冒険者の憧れにして最終到達点。英雄と称される者たち。そんな人類の希望が、今まさに潰えようとしていた。

 

「ぐあ……!?」

「ぎゃっ」

 

 漣八連のメンバーがまた一人沈む。カバーに入ろうとした銀糸鳥のファン・ロングーが大地から伸びる根に大腿を穿たれた。鮮血が飛び散る。帝国アダマンタイト級の彼らだが人類の切り札としてのアダマンタイトではない。個々の技量は蒼の薔薇や朱の雫に劣る。

 

「〈不落要塞〉──ぐぬっ」

「ナザミ!」

 

 両手の盾をどっしりと構え〝不動〟ナザミ・エミックが仲間たちを守る。しかしその一撃は盾を易々と砕き、帝国最硬の守備を誇る彼を一撃で昏倒させた。

 

「喰らいやがれ!」

「せやっ」

「ハァッ」

 

 バジウッド、ニンブルが剣を振るい、レイナースが槍を穿つ。武技を重ね掛けた〝雷光〟〝激風〟〝重爆〟の名に恥じぬ同時攻撃に、しかし怪物たちはびくともしない。その外皮すら傷つけることが叶わなかった。

 

「くっ……なんて硬さだ」

「……逃げてもよろしいですわよね?」

「がはは、好きにしろよ。ここから一人で逃げ切れるもんならな」

「…………」

 

 小さく嘆息し、レイナースは槍を構える。この戦いに参加すれば法国の優秀な治癒系魔法詠唱者(マジック・キャスター)に診てもらえるという甘言に釣られた自分が愚かだった。

 

 

「うおりゃぁあああああ!!」

 

 ガガーランの刺突戦鎚(ウォーピック)が唸る。武技、超弩級攻撃。複数の武技を組み合わせたガガーランの切り札だ。怪物の胴目掛け十二連撃、その全撃を叩き込んだ。しかし手応えがほとんどない。ガガーランは息を整えながら後方へ飛び退いた。イビルアイと背中合わせになる。

 

「こいつら……強え!」

「今までのトレントの比じゃないな。単独で相手にするな、連携して戦え!」

 

 その灰の異形は一体一体がアダマンタイト級に匹敵した。単独で相手に出来るのはイビルアイくらいだ。しかしイビルアイには重要な役割がある。ここで彼女の余力を割くわけにはいかない。

 

「へ、へへっ」

 

 その時、一人の男が脱兎の如く駆け出した。隊列が崩れるのも構わず、仲間すら置き去りに。

 

「お、おいイグヴァルジ!? 何処へ行く!」

「う、うるせえ! これ以上付き合っていられるかよ!」

 

 ミスリル級冒険者チームクラルグラ。チームリーダーのイグヴァルジは背にかかる言葉に怒声で返した。彼は元々打算を持ってこの作戦に参加したのだ。おこぼれに与るために。アダマンタイト級がこれほどいるなら絶対安全だと睨んで。目の眩むような大金と試験免除による無条件オリハルコン級昇格。話が美味すぎると訝しむ仲間たちを半ば強引に説き伏せた張本人は目を血張らせて走り抜ける。トレントの森が見えた。単独で帰還できるか定かでないが、あの灰色の化け物共の相手をするよりずっとマシなはずだ。

 

「俺だけでも絶対に生き残っ──」

 

 それが最後の言葉となった。怪物たちが生贄を逃すはずがない。地中から巨大な顎が口を開き、イグヴァルジを飲み込んだ。噛みちぎられた手足が地に落ちる。イグヴァルジが抜け、崩れた陣形に怪物たちが雪崩れ込んだ。クラルグラのメンバーは悲鳴を上げ逃げ惑った。一人、また一人と物言わぬ尸と化し、被害は治癒系魔法詠唱者(マジック・キャスター)にも及んだ。このままでは戦線が崩壊するのも時間の問題だろう。イビルアイは腹を括る。

 

「もう待てん、私が行くしかない! 〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉」

「いかん、嬢ちゃん! 戻ってこい!」

 

 水晶の騎士槍を弾幕に〈飛行(フライ)〉で大きく跳躍。怪物たちの鞭や槍のような枝葉の嵐を潜り抜け、イビルアイはザイトルクワエを射程距離に捉えた。

 

「喰ら──」

 

 リグリットに託された魔封じの水晶を大きく振りかぶり、ザイトルクワエへ放とうとして、

 

「ッ!?」

 

 〈水晶障壁(クリスタル・ウォール)〉は間に合わなかった。灰色の鞭がイビルアイの顔面を強打した。勢い良く地に叩きつけられ、土煙が巻き上がる。イビルアイの行く手を阻んだのは新手の異形。他の個体よりも一際大きいそれがザイトルクワエを守るように聳え立つ。

 

「イビルアイ!?」

「ちくしょう、どきやがれ!」

 

 蒼の薔薇が援護に向かおうとするが、灰の樹々に妨害されてしまう。イビルアイが完全に孤立してしまった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 シズの銃口が火を吹く。無数に成る果実のうち、二つの蔓を正確に撃ち抜いた。自由落下する果実をナーベラル、ルプスレギナがそれぞれ受け止める。ゆっくりと地面に横たえた。

 

「迎えに来たわよ」

「大丈夫っすか?」

「……ふぅ、助かったわ」

「うぅ、べとべとぉ」

 

 ユリが皮を剥ぎ取ると、中から粘液に塗れた全裸の美女が出てきた。もう一つの果実からは溶解した割烹着を纏う少女。プレアデスが一人、ソリュシャン・イプシロンとエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。ある一定以上の強者は高い生命力を持つ。いかなザイトルクワエとはいえ、彼女たちを溶かしきることは困難だったようだ。

 

「では早々に離脱しましょうか。もうここに用はないわ」

「そっすね」

「待って」

 

 ソリュシャンは〈転移(テレポーテーション)〉を唱えようとする姉妹を制す。粘液に塗れた金色を掻き上げた。その表情は怒りに彩られている。

 

「このまま舐められっぱなしだなんて許せないわ」

「私もぉ、ソリュシャンに賛成ぃ」

 

 ナザリック地下大墳墓の戦闘メイドプレアデスの一人として。至高なる存在に生み出された者として。顔に泥を塗られたままでは終われない。ソリュシャンの視線の先には枝葉に無数になる果実に向けられていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「う……あ」

 

 気がつくと視界には空が広がっていた。闇夜に立ち込める暗雲を割れた仮面から覗く真紅の瞳がぼんやりと見つめる。イビルアイは目眩を覚えて額を押さえた。金髪の間から紅が滴り落ちる。

 

(はは……まるであの日のようだな)

 

 イビルアイは自嘲気味に呟く。ずっと続くと思っていた幸せが壊れたあの日。突如として崩壊した国に変わり果てた父母、仲良しの侍女、城の皆。ただ一人取り残された無力な少女。もう二百年以上前の話だ。亡国に立ち尽くす少女に手を差し伸べてくれるヒーローなんて現れなかった。少女は強くなるしかなかった。一人で生きていくために。

 

 やがてキーノはイビルアイと呼ばれるようになる。その強さを買われ、十三英雄と共に旅をした。その後二百年ほど独りきり。数年前、リグリットに半ば強制的に蒼の薔薇に加入させられた。当初こそ足手まといと組むなんて御免だ、と斜に構えていたが、仲間たちと触れ合い苦楽を共にすることで彼女自身変わっていった。いつしか仲間たちは自分にとって掛け替えのない存在となる。なくした自分の居場所を見つけた気がした。

 

「イビルアイ!」

「しっかりして!」

 

「そう叫ばずとも聞こえているさ……」

 

 仲間たちが自分を呼ぶ声が遠くに聞こえる。寝ている場合ではない。イビルアイは傷ついた身体を庇いながら立ち上がる。この大型の灰の異形の難度はおそらく百八十以上。自分よりも強い。だがそれがどうした。

 

「私は、負けるわけにはいかないんだ!」

 

 イビルアイが咆哮を上げ魔法陣を展開する。特大の水晶の騎士槍を行手を阻むデカブツへと放とうとして、

 

「〈連鎖する龍雷(チェインドラゴンライトニング)〉」

「〈炎柱(フレイムピラー)〉」

 

 駆ける雷。立ち昇る火柱。炎雷がイビルアイの頭上すれすれを通過した。眼前の異形を貫き、燃やし尽くす。火達磨となり断末魔を上げる怪物を尻目にイビルアイは空を見上げた。夜空に佇む二つの影。メイド服という場違いな出で立ちにも拘らず、揺れるホワイトブリムや裾のレースが不思議と映えている。

 

「お、お前たちは!?」

 

 漆黒のポニーテールに涼しげな眼差し。赤い三つ編みに猫のような金の瞳。美姫ナーベラルとルプスレギナ。二人はアダマンタイト級すら苦戦するモンスターを一撃で倒したのだ。先の共同戦線で彼女たちの力はよく知っていたつもりが、まさかこれほどとは。

 

「ッチ……外したわ」

「中々愉快なことになってるっすねえ」

 

 炎雷が躍る。瞬く間に周囲の異形が薙ぎ倒されていく。蒼の薔薇が地上から喜びの声を上げた。願ってもない援軍の登場を歓喜でもって迎える。

 

「ありがとう! 助かったわ」

「来てくれると思ったぜ!」

「感謝感激」

「お礼は私が身体で払う」

 

「フン、別に貴方たちを助けた訳じゃないわ」

「ナーちゃんツンデレー、痛っ」

 

 姉妹に制裁を加えたナーベラルは仏頂面のまま雷撃を放つ。あれほど苦戦を強いられてきた灰の怪物たちがやすやすと絶命する。

 

「貴方たち二人がいてくれたら心強いわ」

「二人? いつ私たちが二人と言いましたか」

「え?」

 

 会話を遮るような轟音が後方より轟いた。

 

 

「〈破砕衝撃(インパクト・ブロー)〉」

 

 灰の怪物の胴が深々と陥没した。メキメキと音を立てて巨木が落ちる。切り株の向こうに拳を突き出すユリの姿があった。

 

「皆さん、御無事で何よりです」

「ユリ様!?」

「何でこんなところに!?」

 

 絶体絶命の危機に瀕していた帝国四騎士は呆けた顔でユリを眺めた。ユリはナザミに気功を施すと四騎士の側に立つ。

 

「微力ながら加勢します」

「感謝します、ユリ様」

「ありがてえ、アルファ殿がいりゃあ百人力よ!」

「ふふ、ありがとうございます。ですが私だけではございませんよ」

「え?」

 

 ユリが視線を上げると、魔樹ザイトルクワエの巨大な枝を飛び交う二つの影が見えた。

 

「……百……百五十」

「二百ぅ、二百五十ぅう」

 

 銃弾が踊り、呪符が舞う。シズとエントマは競うように果実を落としていく。地に落ちた果実の内、半数は手遅れだったがもう半数にはまだ息があった。ソリュシャンが虚空に向けて叫ぶ。

 

「ルプー、お願い!」

「はいはーい、〈全体上位治癒(オール・グレーター・ヒール)〉」

 

 転移してきたルプスレギナが聖杖を振るう。青白い光が淡く周囲を包み込んだ。

 

「さあ、何を呆けているの。立ちなさい!」

「そ、ソリュシャン様?」

「俺は……一体」

「ここは……」

 

 ソリュシャンがアイアンブーツのヒールを打ち鳴らす。亜人たちがびくりと身を震わせた。慌てて跪き、恭順の姿勢をとる。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 無数の足音が、勇ましい雄叫びが大地を震わせる。冒険者たちは思わずその方向を凝視し、そして我が目を疑った。

 

「蹂躙なさい! 私たちが味わった屈辱を何倍にもして返すのよ!」

「オォオオオオオオオ!!」

 

 一体何処から現れたのだろうか。灰色の森を数千を超す亜人が埋め尽くす。爪を、牙を、棍棒を、剣を、魔法を。憎い怨敵へと振るう。

 

 ラキュースの向かいよりバトルアックスを振りかぶる獣身四足獣(ゾーオスティア)が迫り来る。ラキュースは暗黒剣キリネイラムを正中へ構えると瞼を閉じた。次の瞬間、閉じた瞳を見開き精神力を一気に解き放つ。

 

暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ぉお!!」

「〈剛爪〉!」

 

 ラキュースの暗黒エネルギーの一撃はヴィジャーの背後の怪物を、またヴィジャーの武技はラキュースの背後の怪物を強打した。

 

「俺の知る聖剣使いとは違うが……やるな、人間」

「貴方もね」

 

 交差する刹那、不敵に笑い合う。人と亜人。種族こそ違えど強者同士分かり合った。

 

 

「おお……おお……これは」

 

 リグリットの双眸が見開かれる。図らずも叶った人と亜人との共闘。それは遠い昔、リーダーと呼ばれた人物がなした光景を彷彿とさせた。

 

 数の暴力によりザイクロトルからの怪物の動きが封じられる。そこをプレアデスやイビルアイが止めを刺す。少しずつ怪物の数を減らしていった。ザイトルクワエを守る盾が少しずつ剥ぎ取られていく。この期に及んでザイトルクワエは配下を呼び出す以外、何もしてこない。イビルアイは好き勝手に飛び回りやりたい放題している美姫に向かって声を張り上げた。

 

「待ってくれ二人とも! 私には切り札があるんだ! あのザイトルクワエを倒すための切り札が……!」

「切り札? そんなものがあるのならさっさと使いなさい」

 

「わ、分かっている!」

 

 イビルアイは今度こそ魔封じの水晶をザイトルクワエ目掛けて投擲した。

 

「これはソーちゃんの分、これはエンちゃんの分っす!」

 

 ナーベラルが雷撃を、ルプスレギナが火柱の追い討ちをかける。封じ込められし第九位階魔法、〈朱の新星(ヴァーミリオンノヴァ)〉が解放された。

 

「アァアアアアァアアアアア」

 

 圧倒的な破壊力はプレアデスの援護射撃の相乗効果でもってザイトルクワエを焼き尽くす。樹海の中心に聳える魔樹が激しく燃え上がった。ザイトルクワエの炎上する様はまるで夜空という黒い羊皮紙を赤いインクで二分したかのような激しさだった。

 

「勝った……の?」

「やった……やったぞ! 俺たちやったんだ」

「うぉおおおおおお!!」

 

 人間たちが勝鬨の声を上げる。死者、負傷者は決して少なくない。それでもプレアデスや亜人たちの参戦により犠牲は想定よりもはるかに少なかった。それにこちらには死者蘇生可能なラキュースがいる。遺体の損傷度によるが何人かは蘇生出来るに違いない。作戦は概ね成功したと判断して良いだろう。

 

 

 

「……終わったわね」

 

 瞬く火の粉を眺めながらユリがぽつりと呟いた。ナーベラルはずっと抱いていた疑問をソリュシャンへと投げかける。

 

「あの程度の相手に後れを取るなんてらしくないわね」

「あら、言ってくれるじゃない。貴方達だって八十レベル相手に勝ち目なんてあるのかしら」

 

 ソリュシャンの言葉にルプスレギナが腹を抱えて笑う。

 

「あのデカブツが八十レベル? あはは、ソーちゃんウケるっす」

「……あの巨大なトレントは精々六十レベル。そもそも二人が苦戦するなんておかしい」

「そんなはずないわぁ」

 

 追従するシズの指摘にエントマが首を横に振る。ユリが顎に手をやり小首を傾げた。

 

「……おかしいわね」

 

 姉妹で顔を見合わせる。認識に齟齬があるようだ。考えてみれば奇妙な話である。()()()()()()()()程度なら、五十七レベルのソリュシャンと五十一レベルのエントマの二人がかりで十分に対処できるというもの。勝てないにしても逃げ果せることくらい出来るはずだ。

 

 重大な何かを見落としている。一同に一抹の不安が過った。その予感を裏付けるかのように上空より一つの影が降り立った。元は白であったろう魔法のローブは所々穿たれ、赤黒く変色していた。見る影もないそのボロを纏うのはフールーダ・パラダイン。威力偵察を行っていたはずの彼の周りには高弟や皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の姿が一切なかった。冒険者たちの脳裏を全滅の二文字が過ぎる。

 

「フールーダ様!?」

「そのお姿は一体……」

 

 たまらず飛び出した帝国四騎士のバジウッドやニンブルがおぼつかない足取りのフールーダに肩を貸す。息も絶え絶えなフールーダはやっとの思いで口を開いた。

 

「ここを退避せよ……今すぐにじゃ」

 

 満身創痍の肉体とは裏腹にフールーダの声には鬼気迫るものがあった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 それは六百年ほど前に八欲王と呼ばれし者たちにより召喚された。

 

 

 それはトブの大森林にて長きに亘り眠りについていた。

 

 

 それは人間たちにより微睡から目覚めさせられた。

 

 

 それはエイヴァーシャー大森林で信じ難い痛みに襲われた。

 

 

 それは痛みに抗うための力を求めた。

 

 

 それの名はザイトルクワエ。ザイクロトルからの怪物が恐れ崇める死の植物。妖蟲シャッガイすらザイトルクワエの前には星すら捨てて逃走す。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 火の勢いが徐々に弱まっていく。焼け焦げそのほとんどが炭と化した樹皮がボロボロと剥がれ落ちる。

 

「なっ──」

「これは……!?」

 

 皆息を呑んだ。樹皮の下に蕾が芽吹いていた。一つ二つではない。夥しい数の蕾が巨大な幹の至るところに見え隠れしていた。

 

「左様……我々は抜け殻と戦っていたのだ」

 

 今までザイトルクワエだと思っていたのはただの抜け殻。本体はあの蕾だと騎士たちに支えられながらフールーダは語る。

 

「おそらくは……この樹海全てがあの蕾を育てるためにあったのだ」

 

 フールーダがザイトルクワエの頭頂部を睨みつける。つられて見上げる冒険者たちの視線が一際巨大な蕾の存在を認めた。何故今まで気がつかなかったのだろうか。血色の蕾ははち切れんばかりに膨れ上がり、心臓の鼓動の如く脈打っていた。

 

 

ザイトルクワエが花開く。

 

 呆れるほどに巨大なトレントの下半身に人や森精霊(ドライアド)を彷彿とさせる上半身。腕には左右三本ずつの巨大な触手。後頭部には鮮血色のカサブランカにもよく似た大輪を咲かせていた。全身に咲き誇る無数の花弁が文字通り口を開く。比喩ではない。全ての雌しべが歯を剥き出しにダラダラと涎を垂らしている。髪に相当する数えきれない触手の先端もまた獰猛な牙を鳴らし嗤っていた。

 

「いあいあいあいあいあいあいあいあいあいあ」

 

 新たなるザイトルクワエが産声を上げた。ザイトルクワエを中心に、無数の触手が放射状に放たれる。瞬間、大地が爆ぜた。人、亜人のみならず、ザイクロトルからの怪物すら巻き添えに塵芥の如くなぎ払う。周囲一帯を蹂躙した。

 

 

 

 

 



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第十八話

 その日、アベリオン丘陵が揺れた。大山鳴動す。立っていられないほどの揺れはまるでこの世の終わりを暗示するかのようであった。樹海の中心より咲き誇る異形の花。新生ザイトルクワエはまるで大きく()()をするかの如く全身の触手を振るう。ただそれだけだった。ザイトルクワエを中心に蜘蛛の巣状に地盤が沈下する。一本一本が大樹のような触手や根が嵐の如く吹き荒れた。大地は波打ち莫大な破壊力を秘めた衝撃波は数多の土塊を生み出した。土砂降りの雨が鋭利な鏃となって降り注ぐ。

 

「ユリ姉様、シズ!」

「ソーちゃん、エンちゃん!?」

 

 〈飛行(フライ)〉で咄嗟に宙に飛び出たナーベラル、ルプスレギナが各々姉妹へと手を伸ばす。突然のことに思考が追いつかない。無情にも伸ばした手は届かなかった。ユリが、ソリュシャンが、エントマがシズが土砂の向こうに消えていく。巻き上がる土煙が全てを覆い隠した。

 慌てて〈伝言(メッセージ)〉を送るが起動しない。ザイトルクワエが一種の通信妨害(ジャミング)を起こしているのかもしれないが、理屈などどうでも良かった。

 

「よくも──〈魔法最強化(マキシマイズマジック)──〉」

 

 ナーベラルの美貌が怒りに歪む。ありったけの能力上昇(バフ)をのせて全力の第八位階の雷撃を放った。青白い閃光がザイトルクワエを直撃した。並のモンスターであれば肉片すら残さず灰塵と化す一撃。されどザイトルクワエは健在だった。相性、レベル差、魔法耐性。考えられる要素は数あれど、この場で一番レベルの高いナーベラル最強の魔法でほぼ無傷。それは絶望と同義だった。

 

 

「ちっ……冗談じゃないわ」

 

 迫り来る新たな触手に舌打ちするナーベラルが〈次元跳躍(ディメンジョナル・ムーブ)〉を唱える。姉妹を回収し、早急にこの場を離脱してしまうおう。業腹だが致し方ない。一瞬で視界が切り替わり、はるか直上へと転移──するはずだった。ナーベラルの姿は変わらずそこにある。切り替わらない景色にナーベラルは狼狽した。

 

(転移出来ない! 〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉……!?)

 

 パァンと乾いた音が響く。ホワイトブリムを赤く染め、ナーベラルが力なく落下した。

 

「ナーちゃん!? この、クソやろうが!」

 

 ルプスレギナの金の双眸が見開かれる。怒り任せに火柱を放つ。されど今のザイトルクワエにとっては線香火花も同然。全く効果がなかった。返す触手がルプスレギナを薙ぎ払う。

 

「ぎゃっ──」

 

 血反吐を吐くルプスレギナが大きく弾き飛ばされる。トレントの死骸に強かに叩きつけられた。血の味が口内に広がる。追撃の触手が眼前に迫った。

 

「ッ──」

 

 ダメージが深すぎて立てない。躱せない。狼の形態をとる暇もない。

 

(こりゃあ、年貢の納め時ってやつかな)

 

 迫り来る風切音にルプスレギナが諦念からか不敵な笑みを浮かべた。

 

「〈能力向上〉〈能力超向上〉〈流水加速〉!」

 

 金髪が翻る。風と化したクレマンティーヌが寸でのところでルプスレギナの窮地を救う。そのままルプスレギナの襟首を掴みながら疾駆する。駆け抜け様に背後の大地が炸裂していった。一瞬でも速度を緩めれば即死だ。クレマンティーヌの額に珠のような汗が滲んでいた。

 

「おや〜、クーちゃんじゃないっすか」

「…………」

 

 必死の形相のクレマンティーヌは答えない。答える余裕がない。

 

「何してるっす? 千載一遇のチャンスじゃないすか」

 

 割れた頭から流れる血潮が思考を奪っているのだろう。ルプスレギナはぼんやりと見当違いなことを尋ねた。今までクレマンティーヌはルプスレギナによって激しく拷問され、こき使われてきた。散々辛酸も舐めたはず。いつか殺してやると陰ながら呟いていたのも知っている。

 

「ああ、そうだよ! 殺したいに決まってんだろ!」

 

 ならば何故だろう。不可解な行動だ。理解出来ない。人間とはなんて愚かな生き物だろうか。

 

「……アンタ達には借りがあるからね。私自身の手で殺さないと気がすまねえんだよ!」

「きひひ、それなら理解るっす」

 

 寝ぼけ眼のルプスレギナが覚醒する。

 

「そうっす、私のことよりナーちゃんが──」

「あん? そっちはあの野郎が何とかすんだろ」

 

 気を抜けば落ちそうになる意識を振り絞り、ルプスレギナが目を凝らす。昏倒したナーベラルを守るように青髪の剣士が立ちはだかっていた。

 

「ッ──」

 

 ブレイン・アングラウスは瞳を閉じ神経を研ぎ澄ます。不思議な気分だった。目の前にいる魔樹はあのナーベラルやルプスレギナすら歯牙にもかけない正真正銘の化け物。自分なぞあの触手の一本で撫でられただけで簡単に死ぬだろう。だのに今の自分には焦燥も悲壮もない。あるのはただ一つ、覚悟のみ。ブレインは居合の構えをとり、〈領域〉を展開する。雄叫びと共に鯉口を切った。

 

「──あああああ!」

 

(ストロノーフ! 借りるぞ、お前の技!)

 

「四光連斬!」

 

 〈領域〉と〈四光連斬〉を組み合わせた全く新しい武技。名前はまだない。極限まで研ぎ澄まされた一振りが生み出すは四つの斬撃。制振の利かない四の斬撃を〈領域〉にて無理やり従わせる。狙うはただ一点。四つの弧は触手の打点を正確に捉えた。

 

 鋭い風切音がブレインの左右を薙ぐ。ブレインと背後のナーベラルが伏す地を除き、周囲の地面が抉れていく。

 触手を斬ることは出来なくともその軌道を変えるくらいは出来る。奇跡の代償としてブレインの得物が中程から折れた。かなりの業物だったがブレインの技と触手のぶつかり合いには耐えきれなかったようだ。ブレインは折れた刀身に一瞬だけ寂しそうな視線を送るとナーベラルを抱き抱えて走り出す。腕の中でナーベラルが力なく抵抗した。

 

「下等生物如きが……私に触れるなんて……」

「ふっ、それくらい元気がありゃあ大丈夫だな」

 

 ブレインはクレマンティーヌの方を一瞥すると一目散に駆け出した。正直、この樹海を逃げ切れるとは思わない。それでも。仲間を守るためにブレインは走り続ける。誰かのために振るう剣がこんなにも清々しいとは思わなかった。たとえ一秒後に死んでも悔いはない。ブレインは本気でそう思った。

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 迫り来る暴虐の嵐。

 

 妹たちと合流する暇はない。最善策は自身のダメージを最小に抑えること。頭ではわかっている。だのに彼女は真逆の行動をとっていた。考えるよりもなお早く身体が勝手に動く。それこそは彼女が創造主たるやまいこより与えられた感情だった。

 

 

 

「大丈夫……ですか?」

「ユリ……様」

 

 レイナース・ロックブルズはあまりの光景に息を呑む。まだ自分が生きていることが信じられなかった。暴虐の嵐を隔てる細い体があった。美しい夜会巻きは解かれ、黒檀のような黒髪が風に舞っている。メイド服はそこかしこが破れ、彼女の血で鮮血に染まっていた。それでもユリは手甲を交差し、勇ましくも仁王立っている。他者を守るために。

 

 レイナースは顔を隠すのも忘れユリへと駆け寄る。黄色い膿んだ半面が露わになった。

 

「ユリ様、ユリ様! ああ、なんてこと」

 

「よかった……」

 

 レイナースが手を伸ばしかけた瞬間、鋭い一閃がユリの首を刎ねた。ユリの首が微笑みを称えたまま転がり落ちる。

 

「あ、ああ……あぁあああああ」

 

 恩人のあまりの末路にレイナースは力なく膝から崩れ落ちた。

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

「〈転移(テレポーテーション)〉……これもだめね」

 

 収納していたいくつもの巻物(スクロール)を試し、ソリュシャンは深く嘆息した。自分と同様に埃まみれ、傷だらけの亜人たちを振り返る。

 

「貴方たちはもういいわ。好きになさい」

「ソリュシャン様」

「それは一体……」

 

 ソリュシャンは亜人たちを切り捨てる。この場において最早彼らには何の価値もない。囮にすらならない。本能がうるさいくらいに警鐘を鳴らし続けている。逃げろ、逃げろ、逃げろ。

 

「……フン」

 

 笑ってしまう。何処に逃げろというのか。逃走経路は既に断たれた。転移も阻害されている。〈飛行(フライ)〉の使える姉妹の所在は知れず。

 

『また逃げるの? いいよー、逃げれば?』

 

 あの白黒女の見下した顔が目に浮かぶ。嘲笑う声が今にも聞こえてきそうだ。ソリュシャンは奥歯が砕けるほどに噛み締めた。

 姉妹を巻き込んだ責任を取らなければなるまい。相手は自分よりも遥かに格上。しかし二度目の敗走は誇りが許さない。それは創造主たるヘロヘロの顔に泥を塗る行為だ。

 

「行くわよ、エントマ」

「うん」

 

 エントマとて自負がある。ソリュシャンと全く同じ気持ちだった。エントマの割烹着の下が歪に膨らみ、蜘蛛の脚が次々に飛び出す。女郎蜘蛛を彷彿とさせる真の姿となったエントマにソリュシャンが飛び乗った。さあ跳び立とうとした時、亜人の何人かが声を上げる。獣身四足獣(ゾーオスティア)半人半獣(オルトロウス)蛇王(ナーガラージャ)など十戒と呼ばれし者たちだった。

 

 ヴィジャーがバトルアックスを背負う。

 

「……俺も戦うぞ。このままおめおめと逃げ帰っては“魔爪”の名折れよ」

「お供します」

 

「……勝手になさい」

 

 エントマ、亜人たちがそれぞれ異なる触手を駆け登る。文字通り虫けら扱いなのだろう、魔樹は奇声を発しながら時折り無造作に触手を振るうだけだった。狙いも何もない大振り。躱すのは容易い。細い触手──と言っても大樹ほどはある──から太い触手、腕、肩とエントマが駆け登る。敵の首筋まで登り詰めた。エントマの八つの目が蠢く。口から暗雲を吐き出した。蠅吐き。能力低下(デバフ)の効果を持つエントマ最大の奥の手。さらにソリュシャンは巻物にナイフを突き立てる。巻物を騙し本来暗殺者には使用不能な魔法を行使した。

 

「〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉〈魔法の矢(マジックアロー)〉〈電撃球(エレクトロ・スフィア)〉〈氷球(アイスボール)〉」

 

「武技〈魔爪〉!」

渇きの三叉槍(トライデント・オブ・デハイドレーション)よ、その力を示せ!」

「ええい、こうなればヤケじゃ! 喰らうがよい」

「はぁあああ」

「せいやっ」

「でぇええいっ」

 

 亜人たちも己が切り札を惜しみなく投入した。一子相伝の武技。魔法の武器。炎、雷、氷の騎士槍。特殊技術。種族特性。持てる全てをザイトルクワエへと出し尽くした。ダメ押しとばかりにソリュシャンが全身を粘液に変える。〈刺々侵毒(スパイン・ヴェノム)〉、体内で合成した特殊な溶解液だ。人ならば一瞬で溶解し骨まで残さないだろう。ザイトルクワエが白煙に包まれた。

 

「やったか!」

「ふっ、いくら此奴でもこれだけの猛攻の前には一溜りも……」

 

 亜人たちの顔が凍り付く。煙の向こう、はたしてザイトルクワエの顔面には傷ひとつついていなかった。

 

 無傷。

 

 純然たるレベル差が全てを無にきした。彼らが戦うにはあまりにも巨大過ぎた。

 

 

「いあいあいあいあいあいあいあいあ」

 

 ザイトルクワエは人間に似て非なる口を窄める。光が収束していく。甲高い不協和音が耳を劈いた。ソリュシャンは嫌な予感を覚えて絶叫を上げる。

 

「ここから離れなさい、早く!」

「ソリュシャン!?」

 

 ソリュシャンは咄嗟に両腕を粘体へと戻すと大きく跳躍。思い切り踏み締められたエントマは体勢を崩し、その場にへたり込んだ。ソリュシャンは腕を鞭のように伸ばすと周囲の亜人たちを薙ぎ払う。反動で亜人たちが宙へと放り出された。

 

「な、何するのぅ──」

 

 抗議の声を上げんとするエントマの顔が驚愕に染まる。ザイトルクワエから一条の光が放射された。赤い熱線はエントマの側を通過。直鎖状に大地を穿った。逃げ惑う亜人ひしめく地上が地獄の業火に包まれた。熱波がこちらまで伝わってくる。

 

「ソリュシャン!?」

 

 エントマが発狂する。ソリュシャンの腰から下だけが残されていた。やがて下半身は泥溜まりに変貌する。身体の水分の大半を持っていかれたソリュシャンは人型を保つ力すら残されていなかった。エントマが慌てて駆け寄り泥溜まりに覆いかぶさる。人が蟻を踏み潰すように、ザイトルクワエが触手をエントマへと振るった。

 

 炸裂音が響く。エントマを狙う触手が空中で軌道が逸れた。

 

 

「……やらせない」

 

 透明化で付近に潜んでいたのだろう。シズの銃口が火を吹いた。

 

「エントマ、ソリュシャンを連れて逃げて」

 

 次弾を装填しながら振り返りもせずにシズが告げる。シズのレベルは四十六。プレアデス中一番低い。しかしイコール最弱というわけではない。プレアデスはそれぞれ種族も職業もバラバラで異なる役割を持つ。シズは狙撃手であり後方支援、中、遠距離を担う。この場における役割が陽動だとシズは理解していた。

 

 シズは閃光弾を放つ。眩い閃光が迸り敵の視力を奪う。その隙にマフラーに触れる。シズのマフラーは不可視化に加え、短時間であれば不可知化も可能にした。一撃離脱。シズの姿が瞬時に消え失せる。

 

 ダメージは皆無に等しい。だがザイトルクワエを苛立たせるには十分だったようだ。顔の周りを小蝿が彷徨いている感覚に近いだろうか。触手がシズのいた場所を薙ぐが、シズは既に違う枝へと移動していた。魔銃を抱きしめながら大樹のような触手を駆け登る。

 

 ザイトルクワエの巨顔が耳まで裂ける笑みを見せた。

 

「ッ──」

 

 シズの小さな体に強い衝撃が走る。横殴りに吹っ飛ばされたシズはボールのように弾み、幹や枝に全身を打ち付けた。至高の存在より賜った鎧のおかげで何とか致命傷だけは間逃れた。シズは傷ついた体を起こしながら思考を回転させる。首筋のマフラーを確認した。まだ不可知化の効果は続いているはずなのに。シズはすぐさまその場を離脱する。

 

(……当てずっぽう?)

 

 不運なだけかと思ったが先刻とは打って変わり触手の動きは的確にシズを狙っていた。ある可能性に気づく。

 

「……欺瞞」

 

 ザイトルクワエは先の一撃はあえて外していたとしたら? シズの姿を見失った振りをしていた。まんまと敵の罠に嵌ってしまった。逃げるシズの右足を触手が絡めとる。そのまま力任せに宙に振り上げられた。左右から他の触手がシズを拘束する。上空に磔刑にされた。

 

「シズぅうう!」

「逃げ……て。来ては……ダメ……」

 

 エントマの追い縋る声にシズが苦しげな息を洩らす。自分以外の姉妹は全て一点ものだ。代えがきかない。対して自分には他のシズたちがいる。

 

(……私が壊れても代わりがいる)

 

 メキメキと関節が嫌な音を立てて軋む。シズのエメラルドグリーンの瞳が苦痛に歪む。

 

 

「…………博士…………モモン……ガさ……ま」

 

 自身の創物主たるガーネット。至高の支配者たるモモンガ。シズの消えゆく意識が最期に思い浮かべたのは研究室で優しげな笑みを浮かべる博士。そして玉座に坐す御方の姿だった。

 

「あ──」

 

 ゴキンと決定的な音が響く。シズの四肢があらぬ方向へと曲げられた。無理やりに引き千切られようとして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──〈魔法最強三重化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティスラッシュ)〉」

 

 

 

 

 はるか上空より飛来せし不可視の刃。三重の刃はシズを拘束していた触手を空間ごと斬り裂いた。

 

「え?」

「あ……あ、あ」

「嘘……」

 

 プレアデスは皆声にならなかった。

 

 具現化した死。死の神。それ以外どう表現出来ようか。金で縁取られた豪奢な黒衣。その下には肉も皮もない白亜の肋骨。伽藍堂の腹には真紅の宝玉が輝いている。傍らに浮かぶは黄金の笏丈。それぞれ色の違う宝玉を咥える七つの蛇が絡み合う。その腕はシズをシッカリと抱き抱えている。髑髏の相貌にともる灯が力強く燃え上がった。

 

 ここに死の支配者(オーバーロード)が降臨した。

 

 

 




次回、最終回です。


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最終話

 常闇と冷気が支配する世界、ヘルヘイム。その最果てに深い霧に覆われたグレンデラ沼地がある。二足歩行する蛙顔の亜人、ツヴェークを代表とする凶悪なモンスター跋扈するこの地も既に役目を終えていた。モンスターたちは皆動きを止め、棒立ち状態だ。闇夜を照らす大輪の花が咲き誇ってはまた散っていく。

 

「…………」

 

 その光景を眺めながら鈴木悟は寂寥感に苛まれていた。打ち上げられた花火はその全てが彼が用意したものだ。この日のために。仲間と共に見上げようとして。だが来てくれた三人の姿はここにはない。ヘロヘロも含めて皆ログアウトしてしまった。我知らずスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを握る手に力が篭る。

 

「過去の栄光……か」

 

 そんな悟の脳裏に玉座の間にて傅くNPCたちが思い起こされた。主人なき墳墓の墓守たち。このまま自分まで消えては彼らがあまりにも哀れだ。

 

「……戻るか」

 

 一人きりで最後の時を過ごすより幾分マシだろう。悟は急ぎナザリックへ帰還しようとコンソールパネルを開く。

 

「あ……」

 

 呟く悟の手が止まる。コンソールに表示された無機質な数字が今まさにゼロに切り替わろうとしていた。

 

(何とも締まらない最期だな)

 

 これ以上の操作を諦め、悟は目を閉じる。一際大きい花火が眩く煌めいた。

 

「ッ──」

 

 光。暗転。

 

 瞼に焼きつくような光が収束する。明日も四時起きかと嘆息しながら目を開く。

 

「ん? あれ?」

 

 悟は困惑を隠せない。そこは自室などではなかった。姿はモモンガのまま、虚空を漂っている。視界には宵闇が広がり、暗雲と立ち込める分厚い雲が星々の光を遮っていた。サーバーダウンが延長になったのだろうか。いや、そんなことよりも。

 

「ここは……どこだ?」

 

 自分が先刻までいた場所ではない。眼下の沼地や島は消え失せ、鬱蒼と生い茂る樹海がどこまでも広がっていた。ユグドラシルに九つある世界の何処かに強制転移したのか。だがこのような樹海は記憶にない。慌てて〈伝言(メッセージ)〉を試すがGMコールも通じない。

 

 

「あれは……!」

 

 途方に暮れかけた悟は視界の端に光を捉える。遅れて響く轟音と立ち上る白煙。映し出されたのは聳え立つ巨大なモンスターのシルエット。大規模イベント用のレイドボスだ。誰かが戦っているのだろう。

 

「これは……もしかして!」

 

 悟は〈飛行(フライ)〉でモンスターのいる方角を目指す。破顔一笑、気色満面。悟はある確信を抱いた。

 

「やるじゃないかGM!!」

 

 これは間違いなくユグドラシルⅡだ。ユグドラシル終了と共にサプライズでIIに移行したのだろう。信じて良かった。給料の大半と夏のボーナス全てを注ぎ込んだ甲斐があったというもの。今までの苦労が報われた思いである。コンソールが表示できない、GMコールが通じないなどの初期バグやら何やらも全て許せてしまう。世界の終わりからこの世の春だ。

 

 

「まずはヘロヘロさんに連絡を取らなくちゃ! それからギルドの皆さんにもメール送って──」

 

 鈴木悟はこれからに思いを馳せる。またあの輝かしくも懐かしいアインズ・ウール・ゴウンの日々が紡がれるのだ。カタカタと喜びに顎を鳴らしながら超越者は空を駆ける。動くアバターの外見や風が運ぶ草木の匂いもまた、アップデートによるものだと誤認したまま。

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 これは夢だ。否、機械人形が夢なんて見るはずがない。ならばシステムエラーか。大方メモリーのバグか何かで過去データを参照し、自分に都合の良い光景を投影しているのだろう。

 

 シズは期待を押し殺そうとする。

 

「あー、横入りすみません。皆さんのお邪魔するつもりはこれっぽっちもなかったのですが……」

「…………」

 

 シズは驚きに目を見開いた。喋った。幻じゃない。

 

「えっと、大丈夫ですか? よろしければこれをどうぞ」

 

 モモンガから差し出されたのは赤い液体の入った小瓶。治癒の水薬(ポーション)だ。なんと恐れ多く、そしてお優しいことか。これは断じて幻影などではない。本物の御方だ。シズは折れた手足も厭わず御方の胸──正確には胸骨──へと顔を埋めた。ひんやりと冷たく堅い感触。だが不思議と心地良かった。冷却装置ラジエーターの故障か、シズの頬を透明な液体が伝う。

 

「モモンガ様……」

「ええ!? あの、ちょっと……」

 

(この子泣いて……いや、待てよ。今俺のことをモモンガって)

 

 何が何だかわからないモモンガは激しく狼狽る。何故こんなことになったのだろうか。

 

 ユグドラシルⅡオープニングセレモニーの植物系レイドボスを発見。既に交戦中だったプレイヤーたちの様子を遠隔視(リモート・ビューイング)でこっそりと窺った。しかしボスのレベルは九十。対して彼らのレベルは一番高いプレイヤーでも七十にも満たない。どう見ても適正レベルを逸脱した相手だ。運営の嫌らしさが垣間見える。パワードスーツや神器級(ゴッズ)アイテムなどがあればまだやりようはある。しかし彼らはおそらく皆、昨日今日ユグドラシルを始めた初心者プレイヤーなのだろう。そんな強力なアイテムを持ち合わせている様子もない。防戦一方のまま戦局は傾き続け、ついには一人のプレイヤーが落ちそうになってしまう。

 

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前──ですよね、たっちさん」

 

 白銀の聖騎士に背中を押された気がした。躊躇いは一瞬。鈴木悟は、モモンガは見ず知らずのプレイヤーを助けるために飛び出した。あの日、たっち・みーが自分を助けてくれたように。勢い余って少女が腕の中にすっぽりと収まってしまった時はどうしようかと思ったが。

 

(この子……何処かで見たような)

 

 記憶の糸を手繰り寄せるモモンガの脳裏に玉座の間にて傅くメイドたちが過った。戦闘メイド(プレアデス)。この少女はまさにそのうちの一人。名までは思い出せぬが確かガーネットが創造したNPCだ。何故拠点NPCがこんなところに。しかも自らの意思があるかのように動いているのか。これも仕様変更の一環なのだろうか。それともギルメンの誰かがここに? 尽きぬ疑問符がモモンガの頭の容量を埋め尽くそうとして、

 

 

「モ゛モ゛ン゛ガさま゛ぁあああああ!!」

「ほわぁ!?」

 

 ホラー映画さながら、女郎蜘蛛と粘体の塊が飛びかかってくる。それは混迷をきわめるモモンガの平静さを失わせるには充分だった。

 

「た、〈時間停止(タイム・ストップ)〉!」

 

 思わず詠唱してしまう。時計の針が凍りつく。世界が停止した。それでもプレアデスの勢いは止まらない。他ならぬギルメンたちの手により時間対策は万全なのだから。自らの首を小脇に抱えて爆走するデュラハンにどくどく流血するまんまるタマゴのドッペル・ゲンガー、めちゃくちゃ顔を舐めてくる赤毛の狼。モモンガは勢いそのままに押し倒されそうになる。姿勢制御の常時発動型特殊技術(パッシブスキル)で辛くも持ち堪えた。

 

 

「モモンガ様、モモンガ様……!」

「うわぁああああん」

「くぅーん」

「やっと、やっとお会い出来ました……」

 

 思いが決壊する。押し殺していた感情が爆発した。六姉妹が揃っていたとはいえ、不安だったのだ。自分たちは見捨てられたのだろうか。不要と判断され、捨てられたのかもしれない、と。喜憂だった。御方が御自ら迎えに来て下さった。迷子のプレアデスはやっと己が居場所を見つけた。

 

 

「…………」

 

 精神が鎮静化したモモンガは改めて彼女たちを観察する。自分に縋り付くその姿は泣いている子どもにしか見えなかった。悟の脳裏に、幼き頃に死別した母の記憶が去来した。遠出した折り、幼い自分が迷子になってしまった時。母と再会した安堵に涙したではないか。彼女たちはあの日の自分によく似ていた。

 

「ええっと……」

 

 精神が鎮静化したモモンガは出来るだけ優しく、小さな子どもに諭すように語りかける。やり場に困っていた骨の両手をぎこちなく少女たちに乗せた。

 

 

「その……とりあえず、落ち着いてくれませんか。話を聞かせてください」

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 体勢を崩したブレインとクレマンティーヌは前のめりにつんのめる。寸でのところで何とか踏み止まった。抱いた重さが突如として消え失せたのだ。一体何が起こったというのか。

 

「もう大丈夫です」

 

 背に降りかかる声。重症を負っていたはずの二人が側に立っていた。メイド服すら元通りに全快している。いや、そんなことは些末なことだ。ブレインは思わず怒声を上げた。

 

「大丈夫って何がだよ! 早く逃げないと死じまうぞ!?」

「だから大丈夫っすよ」

「あのお方が来てくださいましたから」

 

 ルプスレギナ、ナーベラル両名はまるで恋する乙女のような熱い視線を空へと送っていた。釣られて見上げるブレインらの顔が驚愕に染まる。

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいた。黒衣を翻すその者は単身、あの化け物に対峙している。まさかたった一人であれに挑もうというのか。勇気と無謀を履き違えている。

 

「馬鹿な! 自殺行為だ」

 

 声を張り上げるブレインは途端、えもしれぬ安堵感に包まれた。分厚い壁や、城壁の中にいるような気がする。ザイトルクワエの存在感が希薄になったとさえ錯覚した。あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の背を仰ぎ見ているだけで。

 

 

 瞬間、空に巨大な立体魔法陣が展開した。

 

「なっ──」

 

 魔法は門外漢の二人だがあれが規格外というのは肌で感じ取れた。特に元漆黒聖典第九席次の肩書きを持つクレマンティーヌの驚きは一入だった。全身に悪寒が走る。

 

(何よあれ……第七? 第八? 違う、もっと上)

 

 同聖典に属していた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の第三、四、十一席次を遥かに上回る。

 

「まさか……第十位階」

 

 クレマンティーヌは息を呑む。自身の言のありえなさに乾いた笑みが浮かんだ。存在すると言われているが誰も目にしたことがない伝説の位階。呟いたクレマンティーヌにルプスレギナが吹き出した。

 

「ぷっ、違うっすよ」

「だ、だよねー。そんなわけ──」

「モモンガ様のお力は既に位階など超越なさっているわ」

「ッ!?」

 

 続くナーベラルの言葉にクレマンティーヌが絶句した。

 

 

「おおお、おおおおお!! あれはぁあああ!!!?」

「フールーダ様!?」

 

 瀕死の重傷を負っているはずのフールーダ・パラダインが絶叫する。興奮するフールーダに肩を貸すバジウッドとニンブルが目を白黒させた。微笑むユリは泣き止まぬレイナースをあやしながら空を仰ぐ。

 

「ご覧下さい。あれこそが我らが創物主、至高なる御方のお力」

 

 

 人獣四足獣(ゾーオスティア)に横座るソリュシャン、エントマもまた空を見上げた。

 

 

「守護者の方々も及ばぬ位階を超越せし神の御技」

「超位魔法ぉ!」

 

「…………綺麗」

 

 シズの翡翠の瞳が蒼白の光を映し出した。

 

 

 

 

 

(よし、ここは一つ良いところ見せるか。となると……やっぱりあれだよな)

 

 悟が選んだのは自身が修得する七百を超える魔法の中でも一際ド派手なもの。魔法と言ってもその特性上、むしろ特殊技術(スキル)に近い。本当は〈浮遊大機雷(ドリフターズ・マスターマイン)〉からの〈隕石落下(メテオフォール)〉で苦しみますツリーのコンボも考えたが、時期外れな上にウケなかった際の虚しさを鑑みて没とした。モモンガは取り出しかけた嫉妬マスクをそっとインベントリの奥へと仕舞い込む。

 

 

「いあいあいあいあいあいあ」

 

 脅威を感じ取ったザイトルクワエがモモンガに無数の触手を穿つ。破城槌の雨が降り注ぐ。予め唱えていた〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)〉により殴打ダメージを無効化した。モモンガは虚空から取り出した砂時計の感触を確かめるように軽く握る。超位魔法を即時発動可能にできる課金アイテムだ。すぐにでも握りつぶしてもいいが、

 

 

「フレンドリーファイアが解禁されているとは……思い切った仕様変更だな」

 

 眼下に視線を送る。モモンガの命により、プレアデスが亜人たちの避難誘導をしている姿が目に入った。一体何人集っているのやら。彼らが効果範囲外へと後退する時間稼ぎには丁度良いだろう。新規プレイヤー大量参入はゲーム全体の盛り上がりに繋がるため、一プレイヤーとして非常に喜ばしい。ただ、そこはあの運営の所業。オープニングステージでいきなり高レベルレイドなんて初見殺しにも程がある。ペロロンチーノの罵り声が聞こえてきそうだ。古参プレイヤーとして手を貸すべきだろう。

 

 

「にしても……よくできてるなあ」

 

 表情豊かにぬるぬる動くアバターにプレイヤーと見紛う超高度なAIを備えたNPC。最新のDMMORPGすら遥かにしのぐ出来栄えだ。異世界転移という設定も一見ありきたりだが王道ともとれる。舞台を九つの世界外へ自然な流れで移行でき、古参プレイヤーに未知をもたらすと共に新規プレイヤーが参加しやすい土台を築いていた。後は旧世界へのアクセスやコンソールパネル、GMコールなどのバグが改善されるのを待つばかり。それらも何は時が解決してくれるだろう。モモンガは瞳を輝かせる。

 

 

「ふふふ……この世界を見て回るのが楽しみだ」

 

「いあいあいあいあいあいあ」

 

 忘れ去られしザイトルクワエが口を窄めて存在を誇示する。甲高い音と光が収束していく。その段になりやっとモモンガがそちらに視線を向けた。

 

「お、抵抗する気か? だが──」

 

『モモンガ様、避難誘導完了しました』

『こちらも』

『オッケーっす!』

『完了ですわ』

『完了ですぅ』

『……避難誘導完了』

 

 プレアデスからの〈伝言(メッセージ)〉が次々に届く。

 

 

「もう遅い」

 

 モモンガはザイトルクワエに見せつけるように砂時計を握り潰した。硝子が粉々に砕け散る。

 

 

「〈失墜する天空(フォールンダウン)〉」

 

 天空が堕つる。暗雲に大孔が穿たれた。太陽そのものと見紛う光球が膨大な質量でもってザイトルクワエを押し潰す。天に届かんとす巨躯が丸ごと呑みこまれ、白い光が世界を塗り潰した。

 

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 冒険者たちは我が目を疑った。先刻まで一か八かの特攻をかけようとするラキュースをガガーランが羽交い締め、蒼の薔薇総出で押し留めていた。周辺国家で唯一蘇生魔法の使える彼女の存在は稀有だ。他のアダマンタイト級全員と比しても天秤は傾くまい。それでも聞かない彼女に痺れを切らした朱の雫のアズスが力ずくで姪を避難させようと手を伸ばして、

 

「ッ──」

 

 圧倒的な光に中断させられた。

 

 イビルアイと互いに殿を譲らず額をぶつけ合っていたリグリットは驚愕に空を仰ぐ。冒険者たちを止めたのは圧倒的な質量を持つ蒼白の光球。閃光と爆炎の向こう、天地を隔てるザイトルクワエの巨躯があたかたもなく消え失せていた。後に残るのは抉れ、灼熱を纏う大地。

 

 そして、

 

「…………」

 

 空より地上を見下ろすアンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)。吹き飛んだ暗雲の隙間から朝焼けが立ち昇る。邪悪なオーラを纏うアンデッドに後光が差す。その姿はむしろ神々しささえ感じさせた。

 

 

 

「一体……何が起こったの?」

「信じられねえ……」

「……樹海が……消えていく」

 

 周囲の樹海が急速に枯れ果てていく。トレントや邪悪なる蔓(イビルツリー)などその全てが根でザイトルクワエと繋がっていた。言うなれば巨大な一個の生命である。核となる存在が消滅したのだから自明の理。ユグドラシル風に言うのであれば、ボスを倒したから無限湧き(POP)する雑魚モンスターも消滅したのだ。ただ、その事情を知らぬものにはどう映るだろうか。

 

 

「モモンガ様の勝利よ!」

「わーい、モモンガ様ぁ」

「……さすがモモンガ様」

 

「「………………」」

 

 プレアデスが無邪気に歓声を上げる中、人や亜人たちは茫然自失としていた。この目で見てもまだ信じられなかった。自分たちが死力を尽くしてもなお勝てなかった難敵、ザイトルクワエ。あの十三英雄すら力及ばず、封印するのがやっとだった世界を滅ぼしうる存在。それが、たったの一撃で滅ぼされた。ならばあの存在は。あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は。

 

 六大神。

 

 八欲王。

 

 善悪問わず世界にその名と爪痕を刻み込んだ者たち。彼らと同等の存在に他ならない。

 

 それ即ち、

 

「世界の……揺り返し」

 

 (プレイヤー)の降臨。

 

 リグリットはやっとの思いで言の葉を絞り出した。

 

 

 

「…………チッ」

 

 訪れた静寂にプレアデスが痺れを切らす。亜人共は御方の御力の素晴らしさのあまりに感動に打ち震えているのだろうが、これ以上の静寂は失礼にあたる。亜人を支配するソリュシャンが苛立たしげにアイアンブーツを打ち鳴らした。エントマも追随する。

 

「何を呆けているの! モモンガ様の勝利を讃えなさい!」

「きしゃぁー」

 

「も、モモンガ様! モモンガ様!」

 

 一人の亜人が声を震わせる。二人、三人と声を合わせ、やがては万を超える亜人たちが神の名を讃えた。

 

 

「モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様!!」

「万歳! 万歳!」

「モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様!!」

「万歳、万歳、万歳!!」

 

 声を揃えて喝采する。喉が張り裂けんばかりに叫び、手を千切れそうになるくらい打ち鳴らした。万雷の喝采は大気を震わせ地平線の彼方まで轟いた。

 

 

「……なんだか照れくさいな」

 

 モモンガは気恥ずかしそうに頬を掻く。亜人種ばかりとはいえ、ここまで喜ばれるとは思わなかった。だが応えぬ訳にもいくまい。モモンガはギルドの証をそろそろと、されど誇らしげに掲げる。七色の宝玉とそれを咥える黄金の蛇らが朝焼けを映しキラキラと輝いた。

 

「うぉおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 世界にモモンガという名の伝説が、その最初の一ページが刻まれた瞬間だった。

 

 

 

 



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