嫉妬深い彼女 (不思議ちゃん)
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1話

少しずつヤンデレ作品が増えてるのをみて嬉しいなぁと思います
二次創作だとバンドリが多いイメージです


「今日は勉強だけのはずじゃ?」

 

 夏休みの宿題を進めていたため、テーブルの上には教科書やノートが広がっており。

 先ほどまで休憩していたのか氷だけが残ったコップとお菓子のゴミが端の方に置かれていた。

 

 部屋には二人の男女がおり、かたや十人に三、四人はカッコいいかな? と言われるような男の子が。

 こなた、男女問わず十人に聞けば十人がカッコいいと答えるような女の子が。

 

「我慢、できなくなっちゃった」

 

 そしていま現在。女の子が男の子をベッドに押し倒し、逃げられないよう腹部──よりも少し下に跨り、男の子の手をベッドへ縫い付けるよう押さえつけていた。

 

「でも先輩。昨日、それに一昨日だってそう言って途中から──んむっ」

 

 真っ直ぐな目で見つめられている男の子は恥ずかしがることもなく。

 途中で止まってしまった勉強を再開させるべく口を開いたが、言葉半ばにしてキスにより無理やり口を塞がれる。

 

「君と私は恋人同士なのに、まだ先輩だなんて呼ぶんだね」

「先輩も僕のことを名前じゃなく君って呼ぶじゃないですか」

 

 思わぬ返しに女の子は一瞬だけきょとんと目を見開いた後。言われたことを理解した女の子は花が咲いたような笑みを浮かべる。

 

「あはっ。君はとても嬉しいことを言ってくれるね。──でも、まだ恥ずかしいからこれで我慢して欲しい」

 

 そう言って再び唇を重ねる女の子。

 大人しくそれを受け入れている男の子は、名前呼びよりもキスのが恥ずかしいんじゃ……? などと考えつつ。

 

 今現在恋人となっている女の子──桜内《さくらうち》葵《あおい》と、このような関係になった経緯を思い返していた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 夏休みに入った初日。

 八月にも入っていないというのに地面が熱せられ、陽炎が揺らめいて見える。

 まだ家を出て十分も経っていないが身体中から汗が吹き出し始め、今すぐにでも冷房が効いた部屋へと引き返したい気持ちであった。

 

 だがそれは叶わず、これからアルバイトが待っているのである。

 それを認識した途端に足が重くなる。

 ……働く場所が涼しい店内であることが唯一の救いか。

 

 その労働の前にいつも三十分ほどゲームセンターに寄っているのだが、今更ながら今日に限っては寄らなくても良かったかなと思ったのは目的地に着いてからであった。

 そんな考えも店内に入って冷たい空気を全身で感じれば吹き飛んでいたのだが。

 

 初心者というか、普段馴染みのない人からしたら居心地が悪いように感じるらしいゲーセンは僕だって最初はそうだった。

 それでもめげずに通っていれば、気付いた時には馴染んでいた……ような気がする。

 

 ゲームの腕前は可もなく不可もなくといった感じではあるが、何回も来ているうちに多少言葉を交わす程度の知人ができていた。

 今日は来ていないようなので、一人でも長く楽しめるゲームを数回だけやって終わりにしよう。

 

 慣れ親しんだ場所なので案内板なんかを見ることなく、クレーンゲームのコーナーを抜けようと一歩踏み出した足にどこからか転がってきた百円玉がコツンとぶつかった。



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2話

 それを拾って周りを見回せば、帽子を目深に被った人がこちらに手を伸ばしかけたまま固まっている。

 

「どうぞ」

「……あ、はい。ありがとうございます」

 

 渡すものも渡したし、軽く頭を下げて通り過ぎようとしたのだが手を掴まれ、再び足が止まる。

 

「あの……?」

「君、木下(きのした)高校の生徒だよね? 私が今日ここに来ているの、誰にも話さないで貰ってもいいかな?」

「はあ……別にいいですけど」

 

 初めはこの人何言っているんだろうと思ったりもしたが、顔が見えた時に理解した。頭がおかしい人だと思っていたのは同じ高校に通う桜内葵先輩だ。

 先輩は校内外を問わず、女の子たちから大人気でファンクラブもあるらしい。

 

 運動が得意で、よく助っ人なんかもしているらしく、それで広く知れ渡っているとか。

 勉強も不得意ではないらしく、トップではないが上位に入っているとか。

 聞いてもいないのに話してくる友人のお陰で情報だけならある。

 

 そんな先輩が一生徒である僕のことを知っているのは、少し前にちょっとした接点があったからだろう。

 

「ありがとう。お礼に何か取ってあげよう」

「いえ、特にいらないので」

「それじゃ僕の気が済まないんだ」

 

 ……それってお礼じゃないような気がするんだけど。

 このまま互いに譲らないのは逆に面倒なのでこちらが早くに折れるしかないか。

 

「なら、さっきまで先輩がやっていたやつで」

「えっ?」

「えっ?」

「い、いや、何でもないよ」

 

 明らかに動揺しているようだが、僕にとって何も心当たりがない。

 案内……といってもすぐ近くの台までついて行って景品が何か確認すれば、白くて丸いアザラシのぬいぐるみが。

 

「こ、これはそろそろ誕生日が近い友達のためであって、たまたまなんだ」

 

 聞いてもいないのに先輩の口から言い訳が止まらない。

 今更、僕相手に言い訳などしても意味がないというのに。

 先ほどまであったカッコいい雰囲気とのギャップに思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「ど、どうして笑うんだい?」

「いえ、可愛いなと思いまして」

「…………本当、嬉しいことを言ってくれるね。そんなことを言ってくれるのは君だけだよ」

 

 思わず口に出てしまったが、先輩は驚いた後に笑みを浮かべてありがとうと述べた。

 その笑みは学校で見かけていた時よりも可愛らしいように見える。

 

「それじゃあ、気を取り直して始めようか」

 

 そう口にして台に向き合った先輩だが、二回三回と失敗していく。

 一度も上手く捉えられないまま五回目の失敗を見て、気づかれないようにそっと息を吐く。

 

「変わってください」

 

 今度は百円でなく、五百円を入れようとしていたので退いてもらい、財布から百円だけだして導入する。

 

「あはは……実はこう言ったゲームは苦手なんだ。今まで断ってきたんだけど、そろそろ限界だから練習しようかなと」

 

 苦手ってレベルじゃないような気がするも、それは口にしないでおく。

 ゲーセンに行かないって話も友達が話していた情報の一つとしてあるが、本当はこうして隠れて通っていたりする。

 言い訳を口にしながらもしっかりとアームに掴まれた景品が気になるらしく、ずっと目で追っていた。

 

「わっ、すごい!」

 

 無事取れた景品を取り出せば、手を叩きながら褒めてくれる。知り合いのほとんどが一、二回で取れるような人たちだから少し新鮮な感じである。

 

「これ、あげます」

「受け取れないよ。もともと私が君に上げるつもりだったんだから」

「僕の家にたくさんあるので大丈夫です。先輩は可愛いもの好きですよね? なら素直に受け取ってください」

「わ、私は別に可愛いもの好きって訳でも……」

「どうしてそんなに隠したがっているのか分からないですけど、前も言ったように可愛いものが好きでもいいと思いますよ。勝手につけられたイメージを壊さないようにって疲れませんか?」

 

 半ば強引にぬいぐるみを押し付け、返品は受け付けないと手を後ろへと回す。

 

「バイトまでの時間つぶしに付き合ってくれたお礼です。僕はこれで失礼しますね。……クレーンゲームは上手い人に聞きながらやった方がいいと思いますよ。あとは動画見たりとか」

 

 時計を見ればいい時間なので先輩に言いたいことだけ一方的に伝え、その場を後にする。

 店を出る前に一度だけ振り返り見れば、破顔しながらぬいぐるみを抱きしめる姿が見えた。



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3話

カッコいい女の子の口調難しい


 また茹だるような暑さの中を歩き、向かったバイト先はゲーセンと同じように冷房が効いていた。

 こちらはゲーセンと違ってガンガンに冷やされているわけではない。落ち着けば動いても汗をかかない程度に設定されている。

 

 そんな中で常連さんと話をしたり、一見さんにゆっくりして貰ったりと忙しくなることもなくバイトを終えた。

 

 翌日もバイトがあったが、午前から一日入れていたためゲーセンに立ち寄る時間はなかった。

 

 土日と過ぎ、本来なら学校へ行くのだが、夏休みのためゴロゴロとできる。

 バイトはいつも月曜日には入れないため、今日は一日暇なのであるが……この暑い中、冷房の効いた部屋を出てゲーセンに向かうのも億劫なため、やる気は出ないが午前中は少しでも宿題を進めておくことにした。

 

 勉強はできるわけではないが、できないわけでもない。成績も調子がいい時は上の下ぐらいには入れる。

 時折教科書を開いたり、集中が切れてスマホを弄ったりしながらも全体の一割……の半分は進んだのではないだろうか。

 これをあと二十回繰り返せば終わる計算だ。

 

 親は普通に仕事のため、作り置きしてくれたお昼を食べた後はペンを持つことなんてなく、ゲームのコントローラーを握りっぱなしで過ごした。

 

 

 

 そして夜。

 親は帰ってきて風呂に入り、ご飯を食べて少しゆっくりした後。十一時前には布団に入って眠りについている。

 疲れて起きていられない、というわけではなく。余程のことなどがない限りは毎日規則正しい生活をしていた。

 それを僕にまで押し付けてこないのはとても嬉しい。

 

 でないと、ちょっとした趣味である深夜散歩ができないから。

 この趣味も高校生になってから認められたんだけど。

 だいたい一時間くらい、ふらっと出て帰ってくるだけ。持ち物はスマホにイヤホン、二百円しか入っていない小銭入れ。後は家の鍵ぐらいか。

 

 いつもは次の日に学校が休みの金曜か土曜にやっているが、夏休みなのでそんなこと考えなくても良い。

 

 熱帯夜であるが念のために薄手のものを羽織り、靴を履いて外へ出れば。それほど遠くないどこかで蝉が鳴いている声が聞こえてきた。

 その声を聞いて蒸し暑さが少し増した気がしながらも家の鍵を閉めてイヤホンを耳に挿し、何の気なしに歩き始める。

 

 普段見慣れて何も抱かないような景色も夜に出歩いてみれば胸の内に様々な感情が湧いて出る。

 それは夜を出歩くといったいけないことをしている背徳感であったり、物語の世界に入ったような特別感、興奮。そして街灯や月明かりの届かない闇への本能的な恐怖。

 それらが新鮮な感覚を僕へと与えてくれる。

 

 僕は自分自身を平凡だと思っているけど、こうして夜を出歩くたびに本当は少しだけ違うのかもしれないと考え。

 そんな自分に酔っている。

 

 一般的なイメージの厨二病を発症したことはないけれど、これも一種の厨二病と言えるかもしれない。

 

 強い光に意識が向いてそちらをみれば、いつのまにか少し広い道路に出ていたようだった。

 歩く時は考え事をしているか、何も考えずに歩き。周りの景色を意識してみることはない。

 雰囲気を感じて散歩しているだけのため、夜の景色も見慣れたらもう終わってしまう。

 だからよくこうして光が強い通りへと出ることがある。

 

 スマホで時間を確認すれば三十分を軽く過ぎていたので、今日はこの辺りにして家へと帰ろう。

 その前に夜とはいえ夏のため、コンビニでスポーツドリンクを買っていく。

 脱水とか何かあれば夜の散歩が出来なくなるかもしれないため、こういったことには気を使わないといけない。

 

「あれ?」

 

 コンビニを出たところで声が聞こえ、そちらを見れば先輩がそこにいた。

 格好と首に巻いたタオル、少し乱れた呼吸から走っていたのだろう。……ただ、先輩の家はこの近くではなかったような気がするが。

 

「こんばんわ、先輩。ランニングですか?」

「こんばんわ。その通りランニングだけど……格好を見ればすぐ分かっちゃうよね」

 

 自身の格好を見下ろし、えへへと笑う姿も自然体で格好良く、男として負けたような気さえする。

 

「私は見ての通りランニングだけど、君は?」

「僕は……散歩、ですかね?」

「ふふっ。どうして疑問形なんだい」

「どうしてですかね。……先輩の家ってこの辺りじゃないですよね? わざわざこんなところまで?」

 

 この時間で車もほとんど通ってないし、大丈夫だろうとパーキンブロックへと腰掛けると、先輩も同じようにすぐ隣にあったやつへ腰を下ろす。

 

「確かに少し離れたところだけど、少しだからね。いい距離を走れるルートを見つけたんだ」

「そうだとしても、女の子が夜に一人ってのはどうかと思いますけど」

 

 買った飲み物を一口飲み、乾いた喉を潤わせていたら隣の反応がないことに気づいた。

 顔を向ければ嬉しそうな、恥ずかしそうな表情を浮かべながらこちらを見ていた先輩と目が合う。

 いや、顔が赤いし目も僕を見ているようで見ていない気がする。

 飲み物も持っていないようだし……。

 

「……先輩、軽く脱水になってます? よかったらこれどうぞ」

 

 もしかしたらこのコンビニで買う予定だったのかもしれないが、僕と会ってそれがずれている。

 前にも似た状況があって口つけた飲み物を渡した時、先輩は気にしないと言っていたから大丈夫だろう。

 

 お礼を言って受け取った先輩は前と同じように気にした様子はなく、口を付けて半分ほどまで飲んでいく。

 

「これ、一口しか飲んでいなかったよね。新しいの買ってくるから待っていて」

「半分あれば気にしないので大丈夫ですよ」

「なら今度、何かお礼をしないとね」

 

 気にしなくてもいいんだけど、言っても聞かないのは分かってるので頷いておく。

 

「それじゃ先輩。いきますよ」

「どこにだい?」

「夜道に一人は危ないじゃないですか。送っていきます」

「……ふふっ」

 

 立ち上がった僕を見上げていた先輩は少しの間をあけて笑みをこぼす。

 そして座っていた部分を叩きながら立ち上がり、飲み物を差し出し。

 

「それじゃ、しっかり守ってね。──私の王子様」



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4話

 守ってと言われても、ファンタジーな世界じゃないので獣なんかに襲われることもなく。かといって殺人鬼なんかとも出会ったりはしない。

 至って普通に送り届け、家に帰る頃には一時を過ぎていた。

 

 いつもと多少違ったが、たまにはそういったイレギュラーも面白いと思う。

 ただ、最近は先輩とのエンカウント率が少し高いような気がする。

 決められた範囲内である学校ならまだわかるのだが、こんな夜遅くとか普通はあり得ないだろう。合わせていたとしか考えられないけど……まさかね。

 眠気と疲労で思考が鈍っているんだ。

 

 いつも以上に歩き、いつもより遅い時間。

 疲れて脳が睡眠を欲している。

 今夜はよく眠れそうだ。

 

 

 

 アラームで目が覚め、まだ重たい頭を起こす。

 スマホで時間を確認すれば九時半を表していた。

 夜遅く出歩いてもあまり昼まで寝ないようにしている。昼を食べたら夕方まで寝ていることが多いけれど、それはそれ。

 

 カーテンを開けて陽の光を浴び、明るい景色の街を見れば。

 昨日の夜出歩いたのは夢だったのではと思う。

 けれど夢ではなく、きちんとした現実だと昨日買ったペットボトルが証明してくれる。

 そして横には先輩からもらった紙が。

 

 送って行った別れ際、この紙を貰ったのだ。

 書いてあるのは来週の月曜日にお礼をするから、家に来て欲しいとのこと。

 口頭でも伝えられていたが、僕が忘れないようにとメモして渡してくれた。ご丁寧に住所と地図まで書いてある。

 メールでいいと思ったが、互いに連絡先を知らないし、あの時も交換することはなかった。

 ……果たして、僕と先輩はどういった関係なのだろうか。

 

 火曜日は午後だけ。水曜日から日曜日は一日中。で、月曜日は休みのシフト。

 前日くらいでも言えばシフトの変更も可能なとてもいいバイト先だ。

 喫茶店のマスターにその娘さん、僕ともう一人のバイト仲間の四人しか働いていないが、それでも充分回せている。

 なんならマスターと誰か一人いれば充分事足りるのだ。

 

 ……そう考えると普通におかしいなぁと思いながら朝食を食べ終え、後はお気に入りの曲を流しながら昼まで宿題を進める。

 

 少しでもいいから毎日やらないと人って忘れていく。少し……いや、かなり面倒だけれどやらないといけない。

 …………そのうちどこかでまとめて終わらせて、後は遊び呆けるのがいつもの事だけどね。

 

 

 

 それから一週間が過ぎて約束の日なわけだが。

 二日に一回は先輩と会っている気がする。

 バイト帰りに、バイト行く前に。なんならバイト先にまでやってきた。

 買い物だったり、ランニング、たまたま入ったらと言っていたけれど……とてつもない偶然だ。

 

 それで今、手土産を持って先輩の家に着いたわけなんだけれども。

 この間送り届けた時にも思ったが、とても立派な家だ。こういうのは豪邸って言うんだったか。

 いくら招待されているとしても小市民である僕は少し尻込みしてしまう。

 

 ……このままここにいる方が警察を呼ばれかねないよなぁ。

 

『はい。どちら様でしょうか』

 

 意を決して……と言うほど大したことでもないが、呼び鈴を鳴らすと少しの間をあけて知らない女性の声が聞こえてくる。

 そのことに内心少しビビりつつも口を開く。

 

「今日先輩に……あー、葵さんに呼びだ……招待された? 神宮桜っていいます」

『……お話は伺っております。少々お待ちください』

 

 少し待つと鍵の開く音が聞こえ、そこからメイドが出てきた。

 

「お待たせいたしました。どうぞお上りください。葵様は部屋でお待ちです」

「は、はあ……」

 

 理解の範疇を超えていたので、考えるのをやめた。

 言われるがままに靴を脱いでスリッパを履き、二階にあるという先輩の部屋へと向かう。

 

「よく来てくれたね!」

「あ、これ手土産です」

「むっ。これから私がお礼をすると言うのにこれは少し困るな」

「こうしてお邪魔してるので、それでチャラです」

「そういうものかな?」

「そういうもんです」

 

 納得してくれてないだろうけれど、取り敢えずは受け取ってくれたので良しとしよう。

 促されるまま入った先輩の部屋はとても可愛らしかった。

 パステルカラーで統一され、ベッドや勉強机などにヌイグルミが置かれている。普通の部屋では見ないドアがあるけれど、その向こうにはさらに沢山のヌイグルミがあることだろう。

 

 僕の部屋の倍くらい広い部屋だからテーブルとイスがあってもおかしくない感じだが、可愛らしいクッションにテーブル。

 かといって物がなくて寂しいとは感じない。

 

「そんなところに立ってないで座ってて。飲み物を持ってくるから」

「あ、はい」

 

 部屋から先輩が出て行ってしまったわけだが。

 初めてお邪魔した家で好きなところに座っていてくれと言われても……。

 クッションもどっち座ったらいいのか分からないし、取り敢えずそれをどかしてフカフカのカーペットに腰を下ろす。

 

 部屋を見回されるのは嫌だろうけど、つい気になってしまう。

 本棚にある少女漫画とか、部屋にあるヌイグルミ。飾られている小物に色。

 どれもまだ──隠しているのだろうか。

 

「あはは。知られていても少し気恥ずかしいね」

 

 一通り見回したところで、ティーセットをお洒落なトレイに載せて運ぶ先輩が戻ってきた。

 そのままテーブルまで運び、慣れた手つきでいい香りのする紅茶を注いでくれる。

 

「いただきます」

 

 カップを傾け、一口。

 葉が違うことがとてもよく分かる。

 高くて美味しいものは確かに美味しいが、小市民の口は手頃な値段のものがしっくりくる。

 

 ……いまだに何故、先輩の家に招待されたのか分からない。

 接点はそこそこあるにはあるが、よくて知り合い程度の関係だ。

 お礼とはいえ男を部屋に上げるだろうか。

 

「それで、先輩──」

「──君には」

 

 先輩に勧められるがまま、二杯、三杯といただくが……間が持たないので何か話を振ろうとしたところ、それを遮るかのように先輩が口を開く。

 

「彼女とか、いたりするのかい?」

「いえ、いないですけど……」

「そっか。それはとても良かった」

「良かった……ですか」

 

 普段とは違い要領の得ない会話に首をかしげる。

 僕に彼女がいなくて先輩が良いことなんて……自惚れでなければ僕のことを好いてくれていることになるのだが。

 

 先輩の部屋に入った時、冷房が程よくて涼しいと感じていたのに今はなんだか暑く感じる。

 運動をしているわけでもないのに、身体の内側からふつふつと何かが沸き起こってくるような。

 

「ねえ、神宮くん」

 

 珍しく名前を呼ばれ、そちらを見れば。

 先輩がすぐそこまで近づいていた。

 

「私ね、君のことが好きなんだ。君の言葉に救われて、君を見ているだけでドキドキする。君の行う動作の一つ一つに目を奪われる。会えない時は胸に穴が空いたかのような寂しさを感じるし、他の女性と話しているのを見るだけで嫉妬するほどに」

 

 話しながら近づいてくる先輩から何か普段と違うものを感じ、それから逃れようと後ずさりをするが距離が変わることはない。

 

 最初に座った位置が悪く。背中にベッドの淵が当たり、これ以上下がれない状況に陥った。

 先輩はそんな事を気にすることなく近寄ってきて僕の上に跨り、肩に手を乗せる。

 

「私は君のことが好き。だから私と付き合って欲しいの」



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5話

 付き合って欲しい。

 真っ直ぐな目で見られながらそう言われて少し混乱している僕をよそに、先輩は瞳を閉じ、顔を寄せてキスをしてきた。

 

 触れるだけですぐに離れたかと思えば、今度は先ほどよりも長い時間のキスを。

 三度(みたび)キスをされたかと思えば味わうかのように口を動かし、僕の上唇や下唇を挟んだりしている。

 

「んっ、……んぅ」

 

 普通ならば急にこんな事をされれば逃れるのだろうけれど、僕は嫌いな相手でなければ別にいいといった考えだ。

 

 抵抗らしい抵抗は驚いて反射的に体が動いた時だけで、後は受け入れてされるがままになっている。

 

 そんな事よりも、先輩にキスをされて先ほどよりも身体が熱い気がする。

 下半身についているものなんてとっくにお見せできない状態へとなっているし、服越しとはいえ触れているのだから先輩もそれに気づいているはず。

 

 たぶん、何か混ぜ込まれていたのだろう。

 鈍った頭ではそこまでしか考える事ができない。

 ただでさえ無いと言える倫理観がさらに無くなっている。

 

 今すぐにでも先輩へ欲求を無責任に吐き出したい。

 告白をされ、更にはここまでされているのだから僕を好いてくれているのは分かる。

 だからきっと、先輩は拒まずに受け入れてくれるだろう。

 

 僕はこの欲求に抗う事をやめた。

 

 

 

 

 

 なんて僕が主体のような考えが最後だった気がするけれど。

 実際には先輩にされるがままとなっていた。

 

 未だ少しだけ思考が鈍っているが、どちらかといえば疲労の方が濃い。

 行為が終わった後に少しの間眠っていたようで、窓の外では陽が傾いていた。

 

 今の僕は全裸でベッドに横たわっている。隣に眠る先輩も当然のように全裸だ。

 着ていた服はカーペットの上に散らばっている。

 

 裸でベッドにいるという、いけないことを侵している気分に体の内側をくすぐられているような感覚だ。

 衛生面的にどうなのだろうと思うところはあるが、寝る前には色々な体液が大変なことになっているため今更だろうか。

 意識すれば部屋の中も淫靡な匂いに満ちている。

 

 このまま目を閉じればすぐに眠ることが出来るだろうが、そうしてしまえば家に帰るのが遅くなってしまう。

 

「…………んっ」

 

 僕が上体を起こした時の動きで先輩も起きたようで、寝ぼけ眼を擦っている。

 そんな先輩の無防備な姿を見て少し体が熱を持った気がした。

 これはまだ薬が残っているせいなのか、はたまた僕自身の欲望なのか。

 

「先輩。僕はそろそろ帰りますね」

「え? 泊まっていけばいいのに」

「男女ってのは一先ず置いて、着替えとか色々と準備がないので」

「君に合う服なら下着まで用意してあるし、生活用品も予備があるからそれを使えばいい」

 

 この様子だと何を言っても無意味だろう。

 半ば押し切られる形で僕はこのまま先輩の家に泊まることとなった。

 

 取り敢えず親には友達の家に行くと伝えてあるし、このまま泊まることになったとだけ連絡を入れておく。

 服も貸してくれると付け加えて。

 

 明日の午後からあるバイトには一度家に帰ってからでも間に合うだろうし、バイト着も予備が店に置いてあるから最悪ここから直接向かえばいい。

 着て来た服も洗って乾燥までかけてくれるのだとか。

 

「このままだと風邪引いちゃいますし、先にシャワー浴びます?」

「私は後で平気だから先に浴びるといいよ。部屋を出て左の突き当たりを右だ」

 

 僕としてはどちらでもよかったので、お言葉に甘える事にした。

 ……のはいいんだけれど、汚れた体で服を着るのはちょっと。

 

 人様の家だけれど、パンツと薄手のシャツを羽織るだけの格好で移動するのを許して欲しい。

 洗うと分かっていてもなんとなく嫌だった。

 

 

 

「…………はぁ」

 

 丁寧に体を洗ってから湯に浸かれば、気が完全に緩んで口から息が漏れでてくる。

 多分大丈夫だろうけれど、念のためにもう一度体を洗おう。

 自身では匂いに気付かないってのは人間不便なものだ。

 

 時間が経ち、湯につかった事で頭がクリアになった気がする。

 一人になり落ち着いたところで色々と考えることがでてきた。

 

 今回はお礼という事で呼ばれたはずだが、気付けば先輩から告白されてそのまま行為に至った。

 でも、僕はまだ先輩からの告白に返事を返してないわけで。

 

 僕と先輩は今、付き合っているという事なのだろうか?



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6話

 まあ、ここでいくら考えていてものぼせるだけで答えなんて出るはずもないし、直接聞いた方が早い。

 それ以前に先輩は僕の返事待ちでいるのか。

 

 うーん。

 先輩のことは嫌いでないけれど、付き合いたいほど好きかと言われたらそうでもない。

 ……深く考えるのは面倒だし、その場のノリと勢いでいいかな。

 

 湯から上がり、もう一度体を洗っている間には頭の片隅に残る程度の問題となっていた。

 

 風呂場のドアを開ければ脱衣所にバスタオルと綺麗に畳まれた着替えが置かれている。

 入る前には無かったものだからいつのまにか誰かが持って来たのだろう。

 

 そういえばお邪魔した時にメイドさんが一人いたけれど、他には誰もいないのだろうか。

 先輩が一人っ子なのは友達からの情報で知っている。

 両親もいて親子仲も良いみたいな話を聞いていた気がするんだが。

 

 あまり家庭の事情には踏み入らない方がいいか。

 

 仮に重かったとしても知ったところで先輩に対する見方が変わるわけではない。

 ないけれども、変なところで無意識にでも反応するのが面倒だし、なんなら今すでに考えてる時点で面倒だ。

 

「…………ふぅ」

 

 変に偏りそうな思考になってきたので息を一つ吐いて切り替える。

 体を綺麗にして着替えたはいいが、僕はまた先輩の部屋に戻れば良いのだろうか?

 

 ずっとここにいるわけにもいかないし、ほんの少し前に通った道だ。

 先輩の部屋くらいまでなら戻れる。

 

「神宮様。こちらへご案内いたします」

 

 ドアノブに手をかけて開けようとしたところで急に声をかけられ、驚きから体がビクッとしてしまう。

 

 声のした方を見ればメイドさんがおり、僕に背を向けて歩いて行ってしまう。

 案内すると言っていたのは聞こえていたから、言われた通りに後をついていく。

 

 豪邸といっても家の中だ。

 数分もかからず着いた場所はダイニングだった。

 移動している時にリビングらしき部屋も見えたから、ここは完全に食事をするためだけの部屋なのだろう。

 

「こちらでしばしお待ちください」

 

 引かれたイスに座ったのはいいけれど、手持ち無沙汰になってしまった。

 飲み物は用意してくれている。が、メイドさんは何か話すわけでもなく黙ったまま立っている。

 

 荷物はスマホを含めて先輩の部屋に置いたままだし、何もすることがない。

 何も考えないでボーッと過ごすのは好きだ。

 でも僕の後ろに立つメイドさんから変なプレッシャーを感じているような気がする。

 

 僕は達人とかではないから気のせいかもしれないけれど、なんとなく。

 

「…………ぁ」

「待たせてごめん。ご飯にしようか」

 

 何を話すか決めていないが、取り敢えず声をかけてみようとした時。

 まだ濡れた髪をタオルで拭きながら先輩がやってきた。

 

 変な雰囲気を感じ取ったのか僕を見てくるけれど、何にもないと答えておく。

 事実、何かあったわけでは無いのだから。

 

「葵様。髪は乾かしてからいらしてください」

「細かいことはいいじゃないか。気にし過ぎるとシワが増えるぞ」

「そうさせないでください」

「そんな事よりもご飯にしよう。今すぐにでも食べたい」

 

 メイドさんはため息を一つだけこぼし、おそらくキッチンの方へと向かっていった。

 それを見届けた先輩はにっと笑みを浮かべて対面ではなく僕の隣へと腰掛け、イスを動かして身を寄せてくる。

 

 時間をおいて少し落ち着いてきたのだが、先輩は風呂上がり。

 そばに、というより引っ付いている状態のため、熱が僕へと移ってくる。

 

「今更ですけど、僕はどこで寝れば?」

「私と一緒のベッドだけど?」

「あ、了解です」

 

 なんとなく思ったことを聞いてみたら、さも当たり前だといった返しで思わず話しを打ち切ってしまった。

 

 しかも同じ部屋でなく同じベッドとは。

 本当に今夜は眠れるのだろうか。



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7話

 食事を済ませた後、すぐ部屋に行くのかと思えばリビングだと思われる広い部屋でお茶を飲みながらオセロをしていた。

 

 会話は当たり障りのない、明日には忘れているような内容で、互いに勝ったり負けたりを繰り返している。

 

「…………先輩」

「ん? なんだい?」

 

 後一個置けば終わる盤面。

 僕の番で勝ちが決まっている。

 コマを置き、ひっくり返しながら先輩のことを呼ぶ。

 

 既に勝負が決まっているからか、先輩はカップに残っていたものを飲み干してメイドさんにおかわりをもらっていた。

 

「僕たちって、付き合ってるんですかね?」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 先輩からの返しがないため、僕も自然と口を閉じてしまう。

 今更ながら考えればだいぶ地雷を踏み抜いたような気がする。

 

 ずっと変わらず笑みを浮かべているが、先ほどまでよりも質が違うような気がした。

 人の心なんて読めないから、気のせいかもしれないけれど、外れてないように思える。

 

 取り敢えずオセロのコマを四つ残して片付けていく。

 いつでも始められる状態になってようやく先輩が口を開いた。

 

「そうだったね。私から告白して、やることもやったわけだが……君からの返事を聞いていなかった」

「本来なら雰囲気的に付き合ってるんでしょうけど、一応聞いておこうと思って」

「ふむ、そうだね。…………それじゃ、こうしないか?」

 

 そう言って先輩はオセロを指差す。

 

「次の勝負で勝った方が負けた方に何でも命令できる権利を持つ賭けをしよう。私が勝ったら付き合ってもらうと言うつもりだ」

「先輩がそれでいいのなら」

 

 おそらくこれで最後の対局になるだろうし、いい時間だ。

 僕もメイドさんからお茶のおかわりをもらいつつ、後手を選んだ先輩をちらりと見る。

 

 オセロは後手が有利となっている。

 先ほどまでしていた対局も後手になった方が勝っているし、先輩はこれを見越して賭けを持ち出したのだろう。

 もし先手後手が逆だったのなら、話で一局繋げてから賭けの話を持ち出したはずだ。

 

「それじゃ」

 

 最初はどこを打っても変わらないので悩むことなく黒を置き、一つひっくり返す。

 

 

 

 

 

 倍ほどの時間がかかり、ようやく賭けオセロの決着がついた。

 僕としては勝敗に興味はなかったため、深くは考えないでやっていたのだが先輩はそうでないらしく。

 中盤以降は随分と長く考え込んでいた。

 

 そこまでして付き合いたいのならわざわざこんな事をしなければ良いのに。

 

「黒三十二の白三十ニ。……これは引き分けですね」

「…………君、さっきまでの対局で手を抜いていたかな?」

「手を抜いているといいますか、気楽にやっていたといいますか。僕、アーケードよりもコンシューマーやボードゲームの方が得意なんですよ。後は知り合いにとても強い人がいるからですかね?」

 

 得意といってもプロには勝てない。

 今でこそ知り合いの強い人に三割くらいで勝てるようになったけど、初心者の頃から手加減なしでボコボコにされてきた。

 そのころより多少なりとも強くなっているとは思う。

 

「引き分けですけど、どうしますか?」

 

 少し顔をうつむかせた先輩が何を考えてるのか分からないけれど、このまま終わるとは思えない。

 

 少し間があるだろうと思い、コマを片付けていく。

 今日はこれで終わりだろうし、全てしまっても良いだろう。

 

「互いに権利を持つというのはどうだろうか?」

 

 最後の一つをしまい終えたところで先輩が顔を上げ、口を開く。

 自分で言うのもなんだが、そこまでして僕と付き合いたい魅力というものがあるのだろうか。

 

「いいですよ」

「なら、先ほども言ったように私と付き合ってくれないか?」

「僕、恋人だからって優先したりしませんし、面倒だったら誘いとかも断りますけど、それでも構わないのなら」

「構わない。私は死ぬまで君に尽くすと決めている」

 

 キザなセリフも先輩が言うと違和感がない。

 真っ直ぐに僕を見てそう口にした後、立ち上がってこちらまでやってきたかと思えばキスをしてきた。

 

「今はその気がなくても、時間をかけて私のことしか考えられないくらい夢中にしてあげるさ」

 

 愛おしそうに僕の頬を撫でた後、もう一度キスをしてギュッと抱きしめてくる。

 それはまるで私のものだと子供のように主張しているようであった。



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8話

「おはようございます」

「おはよう、桜くん」

 

 翌朝、僕は先輩の家から直接バイトへと向かった。

 一度家に帰るのが面倒になったし、先輩の家で昼食までいただいてゆっくりと向かっても十分間に合うと分かったからだ。

 

 マスターに挨拶して自身のロッカーから予備を引っ張り出して着替え、店内に戻ってくれば。

 

「やっ」

「いらっしゃい」

 

 もう一人のバイト仲間が客として丁度入ってきたところであった。

 残念ながら他にもお客さんがいるためフランクに接することはできず、あくまで一人の客としてカウンター席へと案内する。

 

「あれ? シャンプー変えた?」

 

 おやつには少し早い時間。

 バイト仲間である彼女──天堂(てんどう)瀬奈(せな)は飲み物とケーキを頼んだ後にそのような事を口にした。

 

「泊まって、そのまま来たから」

 

 これくらいの会話であればマスターも注意することはない。

 むしろ常連客であったならフランクな接客を許されているし、会話も長々とする事を許されている。

 さっきも別にしっかりしなくて良かったのだが、僕個人としてある程度のルールを設けてやっているのだ。

 

 気が緩んで初めて来たお客さんにも軽いノリで接客してしまいそうになるからであり、そこまで大層な理由ではないのだが。

 

「桜、もう新しい彼女出来たんだ?」

「うん。昨日告白されて」

 

 別に隠すような事でもないため、素直に頷き。

 長いことやっているため慣れた手つきで瀬奈が頼んだものを準備し、そっと差し出す。

 

「また、私みたいな事を繰り返すんだ?」

 

 その時、ポツリと呟いた瀬奈の問いかけに、僕はなんと返したらいいか分からず。

 ただ、曖昧な笑みを浮かべるだけであった。

 

 瀬奈とは少し前まで付き合っていて、夏休みに入る前に別れたばかりである。

 特に何かしたわけではないが、何もしていないからこそ別れ話を切り出されたのだろう。

 

 告白をされ、何もしなくていい、夢中にさせてあげるとも言われたが。

 まあ、そこそこ持った付き合いだったと思う。

 

 気が向いて何度かはデートみたいな事もしたし、ヤることもやっていた。

 けれど僕が瀬奈に特別な感情を抱くことはなく、それを彼女も察したのだろう。

 

 元より男子の間でよく話に上がるほどの美少女である瀬奈が、どうして僕なんかに興味を持ったのか謎であるが。

 

「それで、誰と付き合ってるの? 同じクラスの子?」

「葵先輩」

「え、マジ?」

「ほんとだよ」

「ふーん……」

 

 自分から聞いておいて、瀬奈は興味がなくなったかのようにケーキを食べ始める。

 その後は僕でなくマスターとずっと話していた。

 

「桜くん、桜くん」

 

 やることも終え客も来ないため。

 ボーッとしていると常連客のおっちゃんに手招きをされながら呼ばれたため、そちらに向かえば。

 何やら含みのある笑みを浮かべながら背中を叩かれた。

 

「女の子を取っ替え引っ替えだなんてやるじゃないか」

「別にそういったつもりは無いんですけど……」

「結果、そうなってたらそういうもんよ」

 

 相席するように勧められ、マスターを見ればオッケーと許可が出たので腰掛ける。

 

「瀬奈ちゃん、ああいった態度だけどまだ桜くんに未練あるんだよ」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ。桜くんから言ってくれるのを待ってたんだって」

 

 チラリと瀬奈を見てみるが、とてもそんな風には思えない。

 そんな僕の考えに気付いたのか、おっちゃんは大きなため息をつく。

 

「桜くんは変に達観しているというか、物事の捉え方がちょっと独特だからねぇ。……ま、後ろから刺されないように気をつけるんだよ」

「そういうのって創作の出来事ですから」

 

 話のきりがいいところでお客さんが入ってきたため、接客をするため立ち上がれば。

 おっちゃんは何も言わず、楽しそうに笑いながら僕に向けて手を振っていた。

 

 なんだか本当にありそうな気がしないでもないが、話した感じ瀬奈は僕とキッパリ終わっているだろうからやっぱり気のせいだろう。




他の小説の息抜きにまたゆっくり更新できればと


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9話

 今日はやらないつもりであったが、おっちゃんの話が引っかかって変な気分であるため。

 夜の散歩に出かけてスッキリさせることにした。

 

「…………」

 

 いつもと変わらない夜の散歩であったはずだが。

 家を出てしばらくし、誰かに後を付けられているような感覚に陥る。

 

 実は異世界勇者の末裔でした、とか。

 異能力に目覚めました、とか。

 そんなのは創作のものでしかなく、僕は至って平凡な人である。

 

 十回に二回ぐらいは当たったりするが、それは学校での話であり、こんな街中では気のせいでしかない。

 引っかかりをスッキリさせるために散歩を始めたというのに、この散歩のせいで余計にモヤが大きくなってしまった。

 

 こういった日は何回かあるため、少しの苛立ちを抱えながら散歩からコンビニへと目的を切り替える。

 これ以上は意味がなく、寝て一度リセットした方がいい。

 

 だけどこういった時に限ってコンビニは近くになく、知っている場所まで少し歩かねばならなかった。

 その間も視線はずっとつきまとい、振り返っても街灯に照らされた夜道が続くだけ。

 

 怖いもの見たさではないが、角を曲がって待ち構えていたら誰かしら出てくるのだろうか。

 なんて事を考えつつ、現状何も仕掛けてこないのならば下手に刺激しない方がいいかと考え。

 

「……ふふっ」

 

 いつのまにか僕の後をつけている人がいる前提で考えていたことに気付き、思わず笑ってしまう。

 

 ストーカー被害ってのは実際にあるのだろうが、自身が当事者になるだなんて殆ど無いし、そこまで僕に関心を持つ人なんていない。

 

 やっぱり全部はおっちゃんのせいじゃないかとボヤきつつ、ようやく着いたコンビニへと入っていき。

 いつもとは変えて炭酸のジュースを手に取る。

 

 支払いを終えてパーキンブロックへと腰掛け、一発目の炭酸が勢いよく抜けていく音に心地よさみたいなものを感じながら一口。

 

 開封したてで強い刺激を感じながらボーッとしていれば、誰かに持っていたジュースを奪われた。

 

「…………先輩、夜道に一人は危ないですよ」

「それは君だって同じだろう? 夜道に男も女も関係ないさ」

 

 そこにはいつぞや会った時と同じ格好の先輩が居り、僕の買った炭酸を美味しそうに飲んでいる。

 ちょっとした意趣のつもりで漏らした言葉に真っ当な返しをされた僕は口を閉じ、改めて僕の炭酸を飲んでいる先輩に目を向ける。

 

 この間とは違うコンビニだというのに、こうまでして遭遇するだろうか。

 だとしたらずっと後をつけてきたのは先輩?

 

「そんなわけないか」

「ん? どうかしたかい?」

「いえ、何でもないです」

 

 アホらしい考えに苦笑いを浮かべる。

 確かに先輩は僕に告白してきた変人という扱いに位置しているが、そこまでするほど僕に興味があるわけでもあるまい。

 

 立ち上がり、一口しか飲んでいないのに半分は無くなっているジュースを先輩の手から取り返して一気に飲み干し。

 ゴミを捨て、何かを待っている様子の先輩に声をかける。

 

「それじゃ、送りますよ」

「ああ、よろしく頼むよ」




赤バーになってて、日間ランキングも50位代にあって驚き桃の木山椒の木

みなさん、作者に何をさせたいんですか……???


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10話

 隣を歩く先輩をチラリと見て。

 もしかしたら僕に会うためだけに毎夜、コンビニからコンビニへとランニングをしているのではと少し考えてしまい、面白くて笑みが溢れてしまう。

 

「何かおかしな事でもあったかい?」

「ちょっと、思い出し笑いを」

「なるほど。私もたまにあるよ」

 

 恋人になったからといって僕は接し方を変えるつもりはない。

 けれど向こうもそうとは限らず、その変化を僕も嫌じゃなければ受け入れる。

 つまり何かといえば、僕は今、先輩と手を繋いで歩いているという事だ。

 

 たまに力を込めたりして感触を楽しんでいる先輩の横顔は夜という雰囲気でまた一段とカッコよく、それを知っているのは僕だけなのかと思うと優越感を抱く。

 

「そういえばなんだけど」

「ん?」

 

 先輩の家までもう少し、といったところで先輩が足を止めたため。

 手を繋いでいる僕も必然的に止めざるを得ない。

 

「君はプールとか好きかい?」

「どちらかといえば行きたくないくらいには嫌いですね。海も」

 

 どうしたのかと思えば、たぶんデートの誘いだろう。

 残念ながらプールや海は行く気にはならない。

 海水浴じゃなく、雰囲気を楽しむだけならば海も悪くはないと思っている。

 

「そっか。……なら映画はどうだろうか?」

「んー……いいですよ」

 

 今の気分なら、行ってもいいと思える。

 今日の散歩は止めておけば良かったと思っていたが、先輩のおかげでなんだかんだいい気分転換にはなった気がするから。

 

 当日になって行くのが面倒になったりするが、前から約束していればさすがにドタキャンはしない。

 嫌になって断ったりすることもあったりするけど、そんなのは稀である。

 

「なら、来週の月曜日で大丈夫だろうか」

「良いですよ」

「チケットは取ってあるから、当日は駅待ち合わせで」

「分かりました」

 

 先程よりも上機嫌となった先輩を家まで届け、自分も家へと足を向けたわけだが。

 

「…………」

 

 また、どこからか視線を感じた気がした。

 けれど振り返り見ても夜道が続くだけであり、人影は見当たらない。

 

 先輩といた時は気にならなかったから、やっぱりこれは気のせいであり、話を聞いて変に意識をしているからだろう。

 明日、おっちゃんが店に来たら文句を言ってやると決めた。

 

 だがそう思ったはいいものの、普段なら大して気にしないはずのことを今回はなぜこんなにも意識しているのだろうか。

 

 結局、帰るまでずっと視線を感じ。

 家に入る前にも視線を感じた方をジッと見てみたが、何かがいるわけでも無かった。



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11話

 バイトやゲーム、宿題を進めていれば一週間などあっという間に過ぎ去って行く。

 それらが無くても一日中ゴロゴロしてようが過ぎ去って行くのだろう。

 兎にも角にも約束の日になったわけだが、やっぱりというか、家を出るのが億劫になっていた。

 

 朝からセミは元気に泣いており、気温もそこそこ高い。

 天気予報では一日晴れで、熱中症や脱水に気をつけてと言っているし、家に引きこもっているのが一番なのではないだろうか。

 

 でもこうなるのは自分がよく分かっていた事だし、行ったら行ったで何だかんだ楽しむのだからと重たい腰を上げ、出かける準備を進めて行く。

 

 それなりの服に着替え、財布に定期、スマホ、家の鍵、後は日傘とそれらが入るカバン。

 あ、ハンカチとティッシュ。

 チケットは先輩が買ってあるって言ってたし、昼を僕が出せばいいか。

 

 財布の中に十分お金が入っているのを確認し、家を出る。

 

「…………」

 

 すぐに出迎えてくれた夏の蒸し暑さに引き返したくなるが、グッとこらえて日傘を差し、炎天下の中を歩いて行く。

 すでに八月へ入っているというのに最近の日本の気候はおかしくなっているから、まだまだ九月にかけて暑くなっていくのだろう。

 

 日傘を差して歩いていると、周りから目を向けられることが多い。

 現に今もすれ違う人から見られている。

 差しているのが男だというだけでなぜこうも不思議に思われるのか、逆に不思議だ。

 

 雨が降れば皆、傘を差すように。

 陽が降っているから傘を差しているだけ。

 

 最近は陽の下を歩くだけで火傷をするぐらいなのに、普通に歩いている方がおかしいと思う。

 日本はもう少し柔軟な対応を受け入れるべきなのではと常々思っているが、それが出来ないからこそ今があるのだろう。

 

 最寄りから電車に乗って十数分。

 約束の三十分前には着いたわけだが、相手はもっと早くから来ていたらしい。

 

 女の子たちから声をかけられ、困った顔をしながら対応している先輩の元へ向かって歩いていけば、僕に気付いたらしく。

 

 先輩に声をかけていた女の子たちも邪魔をするなと僕を睨みつけてくる。

 

「お待たせ、先輩」

「私が早く着いただけだから気にしなくていいよ。君たちもごめんね。彼が来たからもう行くよ」

「一時間も遅刻するような人なんて置いて、私たちと遊びましょうよ!」

 

 一時間…………?

 いや、僕は約束の時間を間違えることなんてほぼ無いし、今日だってきちんと着いているはずだ。

 どういう事かと先輩を見れば、困ったような笑みを浮かべ。

 

「楽しみにしすぎて早く来ちゃった」

「なるほど?」

 

 よく分からないが、まあそういう事なのだろう。

 女の子たちの相手をする義理は僕に無いので、先輩の手を取って目的の場所へ向かうことにした。

 

 背後から何やら口うるさく文句やシャッター音が聞こえてきたが、これ以上関わる時間が無駄であるし、日陰にいたとはいえ暑い中外で待っていた先輩を涼ませる方が優先である。

 

 映画館は駅近くにある大きなショッピングセンターの中にあり、まだ映画が始まるまで時間もある。

 なので同じくショッピングセンターの中にあるカフェでゆっくり落ち着くことに。

 

「すまないね。私が早く来たばっかりに」

「別にいいですよ」

 

 ただ普通に生きているだけなのに知らない人が絡んでくるだなんてよく見かける。

 いや、よくは見かけないか。

 どちらにせよ今回、たまたま絡まれたのが先輩と僕だっただけで、気にしなければ済むことだ。

 

「それに楽しみで早く来る、なんて可愛らしい先輩が見れたわけですし」

「そ、そうかな……?」

 

 照れているのか顔を赤くし、髪の毛を弄る先輩の格好はお世辞にも可愛いとは言えず、カッコいい寄りなのだが。

 僕が言ったのは表面的なことでなく、先輩もそれが分かっているから尚更嬉しいのだろう。

 

 これまで先輩はそのカッコいい見た目から言動全てがそれに引っ張られて見られ。

 本当は可愛いもの好きであるのにそれを隠し、皆の期待に応える生き方をしていた。

 

 だから唯一、それを知る僕には素で接することができるのか。

 

「今の照れてる先輩、可愛いですよ」

「へぅっ……」

 

 学校で見るよりも肩の力が抜けて表情が柔らかく、本当の魅力みたいなものが出ている気がする。

 あくまで僕の主観でしかないが。

 

 さらに顔が赤くなった先輩は気を紛らわすためか、頼んだアイスコーヒーを一気に全部飲み干すのであった。




日間ランキングの4位にあって、お気に入りも倍以上になってビビってます
このまま作者の性癖全開でやっていきますので、よろしくお願いします


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12話

「僕、日本の実写映画ってそんなに好きじゃないんですけど、今回のは良かったですね」

「そうか。楽しんでもらえてよかった」

 

 最後、膵臓の病気ではなく殺人犯に刺されるのも個人的には好きだ。

 中には納得しない人もいるだろうが、あり得ない話ではないし、キチンと前半部分に伏線があった。

 

 僕的には最後、交通事故で死んでいてもいい映画だったと口にしていただろう。

 その方がより現実味があるし。

 これはあくまで創作の話だから、そこまでリアリティーを求めなくてもいいのか。

 

「先輩、お昼食べた後はどうします?」

「そうだね。今は特に欲しいものも無いし、このまま解散でもいいんだが」

「なら僕、マンガ買いたいので本屋行きますね」

「あ、ああ」

 

 なんとなく、先輩は他に行きたいところがあるのではと思った。

 僕はあまり人の機微に聡いわけではないが、これだけ態度に出ていれば十回に五回ぐらいは分かる。

 

 遠慮せず行きたいところ言ってください、と先輩に伝え。

 

「僕も面倒だったら遠慮なく断るんで」

 

 と続ければ、先輩も言うだけならタダだしなと吹っ切れたようで。

 

「君の家に、行ってみたい」

「まあ、それくらいなら」

 

 どこに行くのかと少し身構えていたが、僕の家ぐらいなら。

 遊びも最初から僕の家ならば、外に出る労力が無くて楽なのに。

 

「それじゃ、マンガ買ったら僕の家に行きますか」

「やっぱり、私が出すぞ?」

「映画の分を受け取るなら考えます」

 

 食休みも終え、レシートを持って立ち上がろうとすれば先輩が待ったをかける。

 けれども先輩が食べた分は映画の金額まで届いていないため、総合的に見れば僕の方が少ないのだ。

 

「別に僕としてはプライドなんてないので先輩に全部出して貰っても構わないんですが、そういった関係って恋人って言えるんですかね?」

 

 男が奢るのは当然。

 割り勘が当たり前。

 お金持っている方が出せばいい。

 

 世の中、いろんな考えがあるけれども。

 

「気持ちが通じていれば、どうあろうと恋人だろう?」

「僕、別に先輩に恋愛感情を抱いているわけじゃないですけど」

 

 結局、僕としてはデートに来たというより、ただ遊びに出かけただけという印象が強い。

 先ほど口にしたように、僕に対したプライドなんてないので奢られても構わないのだが、一応は賭けオセロの願いとして付き合っているのだ。

 

 ならばそれらしい行動は最低限してみようと思っている。

 面倒になったらやらないけど。

 

「今はまだそうかもしれないが、そのうち私がいなければ寂しいと思うようになるさ」

 

 よく分からないけれど、今回はおとなしく引き下がるようで。

 会計を済ませ、本屋へと移動を始める。

 

「……なんか、見られてないですか?」

「素敵なカップルだと羨ましいのだろう」

「そんな感じじゃないような気もしますけど」

 

 そう口にしても先輩は気に止めることなく、カップルだと思われて嬉しいのか繋いでいる手に力を込める。

 

 僕は何か違和感ある気がしていた。

 スマホと僕を見比べ、一人じゃない人はツレとコソコソ話をしているのだ。

 

 けれど少し考え、心当たりは特にないため。

 無駄な時間を使ったと気にしない事にした。

 

「先輩ってマンガとか読むんですか?」

 

 家に行った時は本棚はあっても参考書や教科書しかなかった気がする。

 

「私だってマンガぐらい読むさ。専用の部屋があるから、今度来た時に見せてあげよう」

「それはちょっと、楽しみです」

 

 親が本を読む人なので僕の家にも専用の部屋があり、その一角をマンガ置き場にさせてもらっている。

 どのようなマンガを読んでいるのか気になり、少しだけ先輩に興味が湧いた。

 

 

 

 目当てのマンガを買い、帰りも注目を集めている事に少しだけ引っかかりを覚えながら先輩を連れて家に帰った時。

 

 登録している人も少なく、ほとんど動かない吹き出しアイコンのSNSに通知が届いた。

 珍しいなと思いつつ開いてみれば瀬奈からであり。

 

『あんた、ネットで話題になってるけど何やらかしたわけ?』

 

 ただ簡潔に、そう書かれていた。




何を誤字ったかなと思えばオセロの数を間違えてた
報告ありがとうございます

朝見たらお気に入り千件超えてました
ありがとうございます


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13話

「どうかしたのかい?」

「んー、少しね」

 

 僕のちょっとした変化に気付いたのか、先輩が少し心配そうに声をかけてくるが。

 どういったことなのか自分も把握できていないため、曖昧な返事をして流し、情報を集めるためパソコンを立ち上げる。

 

「ちょっと先輩放っておくんで、好きにしててください」

「私に手伝えることがあれば言ってくれ」

「今のところは特に……あ」

 

 スマホで青色アイコンのSNSをひらき、トレンドや話題になったやつを眺めるようとして作った垢を選ぶ。

 

 万を超える回数共有された呟きがあり、そこに貼られている写真は僕と先輩の後ろ姿であった。

 

「先輩、知り合いから連絡とかきてないですか?」

「うん? 普段から連絡来ることはあまりないが……たくさんきているな」

「それじゃ、そこから色々情報集めといてください。僕と先輩の写真が出回ってるぽいので」

「ああ、分かった」

 

 スマホでひらいていたものをパソコンに切り替え、空いたスマホでとある人にメールを送っておく。

 

 パソコンに向き直り、取り敢えずこの呟きをスクショし、アカウントへ飛んで見ればそこそこ有名なのか。

 フォロー三桁に対してフォロワーが五桁に近い。

 

 最近の呟きを遡ってみれば、先に声をかけた女の子を横から取られただの、罵倒を浴びせられただの、ありもしないことが延々と書かれており。

 それらも万を超える回数共有されていた。

 

 残さずスクショ取って保存し、さらに引用された呟きからいいなと思ったものをスクショしていく。

 写真を保存して新たに呟いているのも見つけ、いい事書いてあったら保存。

 

「なんだか君、楽しそうに見えるけど」

「楽しい、と言えば楽しいですね。いいお小遣い稼ぎなので」

「……お小遣い稼ぎ? よく分からないが、ある程度情報を集めたけれど、どうする?」

「んー、もうちょい待っててください。いいの見つかったんで」

 

 同じ高校の人だろう。

 捨て垢を作ることなく本垢で僕の通っている学校をバラしている。

 

 そこそこ話題になっているから有名になれると思ったのか、誰だか知らないけど僕のことが嫌いなのか。

 理由は分からないが、検索かければ他にも何人か引っかかったので漏れなくスクショして保存。

 

 あ、マスターに連絡しておかないと。

 

「すみません、ちょっと電話します」

 

 先輩に声をかけ、マスターに電話をかける。

 たまたま客の対応をしていなかったのか、三コールもないうちに出てくれた。

 

『はい、もしもし』

「あ、桜です。マスター、いま時間大丈夫ですか?」

『桜くん? 大丈夫だけれど、どうかしたのかい?』

「面倒ごとに巻き込まれまして、今月と……念を入れて来月も、バイトを休ませてもらいたくて」

『それは構わないけれど、何か手を貸すことはあるかい?』

「いえ、まだ特には。もしかしたら面倒なのが来るかもしれませんが、僕のことは知らないふりして貰えれば。あと、何か被害出たら連絡ください」

『前と同じ感じだね。今度会った時、話してくれるのを楽しみに待っているよ』

 

 似たような事が前にもあり、簡単な説明ですぐに理解をしてくれてとても助かる。

 それから二、三言葉を交わして電話を切り、次の人へ電話をかけようとして先輩を放ったらかしにしているのを思い出した。

 

「じゃ、先輩。今起こってることの擦り合わせしましょう」




オセロの数、東大王に引っ張られていたことに気付きました
この騒動はアッサリ解決に見えて、そこそこ引っ張って行く予定(できたら)

桜くんのフルネーム、出てないような気もしたので
以下、現在登場しているメインキャラ名になります
神宮(じんぐう)桜(さくら)
桜内(さくらうち)葵(あおい)
天堂(てんどう)瀬奈(せな)


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14話

 まずは先輩の周りがどのように伝えているのかを聞いていこうかなと。

 僕の集めた情報が絶対に正しいとは言えないけど、受け手によってどんどん曲がっていく事実に比べればまだ正確性はあるだろう。

 

 いや、正確性も何も、先輩だって当事者なのだからネットに出回っているものがデマだと分かっているか。

 

 なら先輩に何かしてもらう必要はあまりなかったかな。

 今起こっていることの説明だけで事足りたわけだ。

 一応、トークの内容を見せてもらうことにしよう。

 

「んー……?」

「何か変だったかい?」

「いえ、結構あっさり先輩の言うことに納得していて凄いなと」

 

 初めは皆、ネットの情報を鵜呑みにしてあんな男と別れるよう先輩に伝えているが。

 あの時の状況を説明し、キチンと付き合っていると先輩が返せば手のひらクルックルで大人しくなっている。

 

 あまりというか、全然先輩の交友関係なんて知らないが、ある意味宗教のような感じになっているのではと思ってしまう。

 

 教祖(先輩)の言うことは絶対である、みたいな。

 先輩のファンクラブがあるって話を聞いた気がするから、あながち間違いでもない気がする。

 

「特に何もないので今起こっている事の説明していこうと思ってますけど、どの程度把握しています?」

「私がナンパしてきた男に──つまりは君だが、ほいほいついて行った事。君が女の子に罵詈雑言を浴びせた事。あの時に撮られただろう写真が出回っている、ぐらいか?」

「大体そんな認識で間違いないです。いま言った情報がネットで拡散されてまして、ちょっと面倒な事になってます」

 

 時間はかかるだろうけど、このままじゃバイト先や家まで特定されるだろう。

 先輩はまだ大丈夫だろうが、僕は少なくとも夏休みの間は引きこもり生活をしなければ。

 

「なら、君の家がデート場所だね」

 

 一人でのんびり出来ると思っていたのだが、先輩は通い詰める気満々に見える。

 まあ、僕が外に出るわけじゃないから楽でいいし、一人になりたいときは連絡入れれば済む事かと。

 

「先輩に害はないと思いますけど、一応気をつけておいてください」

「私のことを心配してくれるのかい?」

「そりゃ、一応は恋人なので」

 

 一応とかつけないでくれ、と拗ねたように言う先輩だが、それでも心配している言葉をかけられて嬉しいのか、口元が緩んでいる。

 

「今日は帰ることにするよ。来たい日の前日までには連絡入れるから、良いか悪いかだけ返してくれ」

「分かりました」

 

 玄関まで先輩を見送りにいけば別れ際にキスをされ、今日はスるつもりで家に行きたいと言ったことを伝えられた。

 だからどうしたと思ったが、口に出してなくても表情に出ていたのか、先輩は苦笑いを浮かる。

 

「次に来たときは覚悟しておいてくれ」

 

 そう言って先輩は帰っていったが、どうしたかったのだろうか。

 乙女心は複雑以前の問題な気もするが、考えるだけ無駄だろう。

 

 家の鍵を閉め、先ほど撮っていったスクショを三枚ずつ印刷していく。

 一つは提出用、二つは予備。

 前回似たような時は二つあれば足りたが、予備はあって困ることないだろう。

 

 スマホを見ればメールを送った相手から着信が来ていたので折り返し電話をかけながら、今度はパソコンのメールにスクショしたものを添付して送りつける。

 

 一週間ぐらいで片がついてくれれば良いなと思いながら、電話の相手といくら絞れるか話し合うのであった。



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15話

 あの後、電話相手に言われて呟きのURLを保存したり、web魚拓を取ったり。

 他にも今できる細々したことを終え、これで大丈夫だろうとなった後は久しぶりという事もあり、少しの間雑談なんかをしていた。

 

 やっぱり一週間で終わるのなんて夢の話で、まあ一ヶ月はかかると見ておいた方が良さそうだと伝えられ、後は任せておけと頼もしい言葉とともに電話は終わった。

 

 大事なものを一つにまとめておき、キッチンへと向かう。

 今日は親の帰りが遅いため、自分の分だけ簡単に作って食べ、片付けをしていく。

 

 夜の散歩、今日ならまだ大丈夫かな……。

 

 昼間と違って顔がバレにくいだろうし、行けそうな気もするけれど……わざわざ面倒ごとを増やさなくても良いか。

 

 散歩は諦め、たまに見ると面白いバラエティー番組を流しながら、スマホでネット小説を読んでいく。

 

 

 

 どうやらいつの間にか、そのままソファーでグッスリ眠っていたようで。

 朝の支度をしている母親の物音で目が覚めた。

 

 テレビは朝のニュースが流れており、今日もまた暑い一日になるでしょうと名前を知らない女性アナウンサーが口にしている。

 

 母親か、父親か、帰ってきた時にかけてくれたであろう毛布を畳んでいると僕が起きたことに気付いたらしく。

 

「寝るならちゃんとベッドで寝なさい」

「ん」

 

 まず最初におはようの挨拶ではなく、お小言をいただいた。

 そのあとでおはようと交わし、僕は顔を洗い、数日ぶりに母親と朝食を一緒にとる。

 

「いま、札束でビンタされてる」

「そうなの。今度は何買って貰おうかしら」

 

 雑な説明だが、母親はそれでなんとなく理解してくれる。

 何かする事はあるか、なんて聞いてくる事はない。

 手助けなりが必要ならば僕から言うのを分かっているため、それが無いなら大丈夫だろうという認識でいるためだ。

 

 前回の時は長年使っていた冷蔵庫と洗濯機を買い換えたんだったか。

 今度はどうしようかと母親は楽しそうにあれこれ考えていたが、そういえばと口にして僕の気を引く。

 

「今日、誕生日よね。おめでとう」

「んー? ああ、そうだね。ありがとう」

 

 言われてからそういえばそうだったと思い出す。

 年に一回だし、普段から意識するようなものでもない。

 一人暮らしを始めたら気づいた頃には誕生日過ぎていたとか有り得そうだ。

 

「帰り早いし、どこか食べいく?」

「今はタイミングが悪いかな」

「そう。何か食べたいのは?」

「ケーキあればいいよ」

「分かった」

 

 母親はもう家を出る時間のため、後片付けは僕がやっておくと伝えて見送る。

 まだ少し硬くなっている身体をほぐすように一度伸びをし、食器を洗い洗濯物を干して簡単に家の中を掃除していく。

 

 今週中に夏休みの課題を終えれば残りはゆっくりできると自分を奮い立たせ、午前の大きく余った時間を課題に当てる。

 

 途中、集中が切れてスマホでゲームしたりもあったが、そこそこいいペースで進んでいるからこのままいけば二日で足りるだろう。

 

 いい時間だしキリもいいので、ここらへんでやめて昼食にしようと階段を降りていけば、家の中にインターホンの音が響き渡る。

 

 もう特定して誰かいたずらに来たのかと確認すれば、そこには瀬奈が映っていた。

 はて、何しに来たのだろうか。

 

 ここで一人考えていても意味がないため、玄関の鍵を開けて瀬奈を家の中へ迎え入れる。

 

「どうかした?」

「ちょっとね。……お昼はもう食べた?」

「いや、まだだけど」

「なら良かった」

 

 それだけ言うと手洗いをした瀬奈はキッチンに立ち、何かを作り始める。

 持っていた荷物から食材を出していき、更には冷蔵庫を開けて追加でキッチンに並べていく。

 

 その様子は冷蔵庫の中に何があるのか把握しているようであった。

 持ってきた材料もこれから作る料理の足りない食材であるように見えるが……まあいいか。

 

 わざわざ昼飯を作るためだけに来たってことは無いだろうけど、作ってくれるのなら楽しみに待っていようとテレビをつけ、スマホを弄りながら待つのであった。




訴え方や必要なものですが、そこまで詳しく調べてないので参考にしないようお願いします
あくまで創作として流してください
気になった部分は言っていただければ直したりします


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16話

「お待たせ」

 

 あれから三十分ほどが経ち、テーブルの上にはドミグラスソースのかかったオムライスにコンソメスープが並んでいた。

 

 途中、お腹が空き過ぎたのでお湯を注いで三分のものでも作ろうかと思ったり。

 もとよりお昼はそのつもりであったのだが、流石に作ってくれたものに対して文句は口にしない。

 

「いただきます」

「うん、召し上がれ」

 

 卵は柔らかくフワフワに仕上がっており、ドミグラスソースも市販のものに手を加えて味を整えているのでとても美味しい。

 

 バイト先のメニューの一つであるため、僕も作れるのだが。

 自分で作るよりも誰かに作ってもらう方が美味しく感じるのは、奉仕してもらっている優越感からくるものなのだろうか。

 

 互いに会話も特にないので、付けっ放しのテレビを見ながら食べ勧めていたのだが。

 ふと、瀬奈がジッと僕を見ていることに気がついた。

 

「美味しいよ。ありがとう」

 

 そういえば感謝の言葉を口にしていなかったなと。

 今更ながら伝えれば瀬奈は嬉しそうに笑みを浮かべ、そして続きの言葉を待っているようであった。

 

 これ以上、何を言葉にして伝えればよいのか心当たりはなく。

 再びテレビへと目を向ける。

 

「分かったわよ、私の負けよ」

「…………何が?」

 

 大きなため息が聞こえた後、そのような事を口にする瀬奈だが、僕には一体なんのことだかさっぱりである。

 

「別にとぼけなくてもいいって。私もまさかあそこまでするとは思っていなかったし」

 

 瀬奈は一体何を言っているのだろうか。

 彼女の中で何かが自己完結しており、それが僕には分からないため話が噛み合わない。

 

「本当はさ、告白されるの待ってたのに。桜の誕生日になってもしてこないし、先輩と付き合ってるって嘘までついて。挙げ句の果てにはこんな写真まで出回って」

 

 そう言って僕に見せてきたスマホの画面には盗撮された僕と先輩の後ろ姿が映っていた。

 

「桜は自分からじゃなくて女の子から告白させたいタイプなんだね」

「まあ、自分からすることは無いけども」

「だからさ、また私と付き合ってよ。……いや、違うか。私の目論見が外れたんだから、あの別れ話が無かったことになるだけか」

 

 何やら話が変な方に進んでいっている気がするが、改めて伝えておかなければ。

 

「僕、いま先輩と付き合ってるから」

「だからそんな嘘はもういいって。私と付き合ったままなのに、桜が他の彼女を作るはずないじゃん」

「あの時、瀬奈から別れ話切り出して関係は終わったはずでしょ?」

「何を言ってるの? それは無かったことになったじゃん」

 

 瀬奈の言っていることは滅茶苦茶であるのに、まるでそれが当たり前だといった様子で口にするため。

 少しだけ僕がおかしいのではと思い始める。

 

「いや、それは瀬奈が勝手に言っているだけだよね?」

「なに? そんなに葵先輩のことが好きなわけ?」

「別に恋愛感情はないけども」

「ならいいじゃん」

「それは瀬奈に対しても変わらないし」

「──は?」

 

 瀬奈が皿にスプーンを叩きつけたため、ガシャンと大きな音が部屋の中に響き渡る。

 人の家の食器なのだから、乱暴に扱わないで欲しいのだが……。

 

 そんな心配をする僕を他所に、瀬奈の顔からは表情が抜け落ち、なんの感情も読み取れない瞳で真っ直ぐに僕を見てくる。

 元より人が何を抱いているのかなんて分からないのだし、そういった意味では変わっていないのか……?

 

「桜」

「ん?」

 

 何も話さないため、まだ半分ほど残っているオムライスとスープを温かいうちに食べきってしまおうとした時。

 名前を呼ばれたので取り敢えずオムライスを一口食べてから瀬奈に顔を向ける。

 

 話が長くなるのなら食べ終えてからにして欲しいなと思いつつ、聞くだけなら食べながらでも出来るかと、二口目を運ぶ。

 

「桜、私に微塵も興味ない?」

「クラスメイトよりはあるよ」

「葵先輩とは」

「どっこいどっこい」

「そっか」

 

 また黙り込んでしまったので、テレビへと目を向ける。

 最後の言葉は何か納得したような感じがしたけども、気のせいじゃないといいな。

 

 もしまた面倒になるのなら、瀬奈との付き合いを少し考えなくちゃ。




真綿で首を締めていくのが大好きです(書けるとは言ってない


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17話

 あれから瀬奈が家に来ることはなかった代わりに、先輩はほぼ毎日のようにやってきた。

 きちんと前日までには連絡がきているため、僕が許可を出しているからなのだけども。

 

 宿題を手伝ってくれる予定のはずがそうでなかったりと色々あったが、途中から鬱陶しくなり。

 それが伝わったのか週二、三にまで頻度が減ったし、キチンと宿題も見てもらったので予定していたよりも早く終わった。

 

 夏休み最後の一週は自分の時間でのんびりしたかったから来ないよう伝え、連絡も気が向いた時にだけ返していたため。

 恋人であるよりも頻繁に連絡を寄越す友人みたいな感じである。

 

「……はぁ」

 

 そんな今では暦も九月に入ったというのに外へ出れば夏のような暑さが出迎えてくれる。

 冷房が効いているとはいえ全生徒が集まった講堂は息苦しさを感じ、思わず息が漏れてしまう。

 

 校長とはいえ知らないおっさんの話を好き好んで聞く人など少数であり、自身も話を聞き流しては夏休みにあったことを思い返したり、ネット騒ぎで手に入ったお金で何を買おうか考えてはなんとか気を紛らわしているが。

 おそらくはネットの件について知っているだろう人が、チラチラとこちらを見てくるため地味に神経を削られる。

 

 あれは一先ずの落ち着きにはなったものの、今回の原因である人がそれなりに有名であったらしく、一部のファンが面倒なことになるかもしれないと伝えられた。

 札束が歩いてくるようなものだが、面倒であることには変わりないので来ないなら来ないで構わない。

 面倒にあった額が貰えない場合もあるため、むしろ来ないでほしいまである。

 

 今後、どうしようかなと大雑把に考えを巡らせていれば、何一つ心に響かない話が終わったようで教室へと移動を始めており。

 ダラダラと歩いていくクラスメイトの後をついていこうとすれば何故だか僕だけ先生に呼ばれ、そのまま校長室へと連れていかれた。

 

 

 

「何故呼ばれたのか、分かるかい?」

「いえ、さっぱり」

 

 こうなるのが面倒だから僕は大人しい学園生活を送っているため、何故と聞かれても答えられるわけがない。

 校長に学年主任、生活指導に担任の先生も集まっており、なんだかピリついた雰囲気となっている。

 

「本当に何もないかい?」

「あの、早く帰りたいんで。用件だけ話して下さい」

「お前、教師に楯突いてカッコいいとか思ってないか?」

「なんで呼ばれたんですか。僕」

 

 何故、生活指導は体育会系の人がやるイメージが強いのだろうか。なんてどうでもいいことを思いつつ。

 今も僕に無視されてキレ、殴ってきそうなのを学年主任と担任が止めている。

 

 確かに言われた通り、カッコいいと思わなくもないが、どちらかといえば面倒だから早く終わらせてほしい思いの方が強い。

 

「こういった面倒が嫌なので大人しく学園生活を送ってきたつもりですけど」

「ほ、ほらっ、夏休みの間に何かなかったかい?」

「…………ああ、ネットの件ですか?」

 

 本当に分からないのが伝わったのか、担任の先生が話を進めるため助言をしてくれる。

 夏休みに起こった大きな出来事といえばそれくらいしかないが、果たして何の関係があるのだろうか。

 

「そう。その件で三年生が二人ほど停学処分になってね。片方はスポーツ推薦、もう片方も某大学の推薦があったんだが……」

「今回の件で無くなったんだよ! お前のせいでな!」

「それ、僕に何か関係あります?」

 

 それとこれと、何かしらの関わりはあるのかもしれないが、僕は何故呼ばれたのだろう。

 

「……自分が何をしたのか分かっているのか? お前のせいで二人の未来を潰したんだぞ!」

「せ、先生。一度落ち着いて……」

「今回の騒動で訴えられた中にその二人がいたらしくてね」

「ああ、成る程。理解しました」

 

 なんだ。僕、全然関係ないじゃん。

 

「ただの自業自得ってことですね」

「どういう事かな?」

「停学になった二人を僕は知らないですけど、ネットの騒ぎに便乗して二人が法を犯しただけの話ですよ」

 

 名簿と何をやったかのリストを貰っているので二人の名前を聞き、探してみれば。

 

「二人とも、僕のプライバシーをネットに晒したっぽいですね」

 

 その後にも色々とありもしない事を書き込んでるっぽいけど。

 

「そうか。……今日はもう帰りなさい」

 

 僕としてはもう来たくはないのだが。

 そもそも呼んだのはそっちなのにと思わなくもないが、余計なことを口にしてこれ以上長引かせるのも嫌なので大人しくこの場を後にする。

 

 教室へ戻ればそこには誰もおらず、自身の机の上にプリントが数枚置かれていた。

 それらをカバンにしまい、昇降口で靴に履き替え。

 帰ったらゲームでもしようと考えながら歩いていると、校門の付近にまだ生徒がたむろっているのが見える。

 

 こんなところで何をしてるんだかと思いながらも避けて帰ろうとしたのだが。

 

「神宮桜さん、ですよね?」

「いえ、違います」

 

 人垣が割れ、中心にいたであろう見知らぬ女の子が声をかけてきたので反射的に否定してしまった。




教師とかは今後出ない予定
一言だけど三人目のヒロイン出たので「四角関係」追加で


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18話

 校長室での桜の立ち会いに担任の先生もいるため。

 代理の先生が連絡事項などを伝え、解散となった教室にて天堂瀬奈はクラスメイトと雑談をしながら桜を待っていた。

 

「失礼。神宮桜君はいるだろうか」

 

 そこへ桜内葵が現れ、呼びかけながら教室の中を見回し。

 

「…………」

「…………」

 

 その視線は瀬奈に向けられたところで止まる。

 

 色んな意味で有名な桜はこの二人に関する人間関係も学校中に知れ渡っており。

 空気が悪くなったのを生徒たちは敏感に察していたが教室を後にすることはなく、どのような会話が行われるのか聞き耳を立てていた。

 

 先ほどまで瀬奈と話をしていた子もスッと離れていき、自身の荷物を片付けるフリをしている。

 

「少し、話がしたいんだがいいかな?」

「奇遇ですね。私もそう思っていたところです」

「場所を変えようか」

 

 騒ぎを察してから、隣のクラスだけでなく他の学年まで廊下に集まり始め。

 ため息をついた葵は場所を移すため教室を出ていき、その後を瀬奈も荷物を持って追いかけていく。

 

「まさか盗み聞きをする人なんて──いないよね?」

 

 まさにしようとしていた事を葵に釘刺され、生徒たちはそっと目を逸らす。

 

 二人の姿が見えなくなり、残された生徒たちはぼちぼち動き始め。

 十分もしないうちに教室は空となっていた。

 

 

 

 

 

 空き教室へと移動した葵と瀬奈であったが、互いに向かい合ったままどちらも口を開くことはなく。

 相手の頭の先から爪先までをじっと眺め、観察していた。

 

 しかし、いつまでもこのままというわけにといかないため。

 

「それで話したいことってなんですか。私、桜と一緒に帰りたいんですけど」

「彼女である私が彼と一緒に帰るから大丈夫だよ。元カノの君は大人しく一人で帰るといい」

 

 早く話すよう口を開いた瀬奈だが、葵の返す言葉を聞いて拳を握る。

 けれど感情任せにそれを振るうことはなく、深呼吸を一つして心を落ち着かせ。

 

「桜の誕生日も祝っていない人に彼女ヅラされても」

 

 先ほどまで自身が優位だと思っていた葵を固まらせる一言を放つ。

 

「その様子じゃ先輩、桜から誕生日も教えてもらえていないんですね」

「……誕生日を祝わなくても大丈夫なほど、私と彼は深く交わっているからな」

「桜は自分から求めないけれど、一度始めたらこっちの体が持たないですもんね」

 

 なんとか言い返そうとする葵だが、恋人で行う大半の事は瀬奈も済ませており。

 今の手札では敵わないため口を閉ざすが。

 

「確かに、彼との思い出は君のほうが多いようだが、今の恋人は私だ。ゆっくりと時間をかけて君との思い出を上書きしていくことにするよ」

 

 ただ一つ、葵は瀬奈との違いを見つけ、余裕を取り戻す。

 

「あ、そのことなんですけど、先輩、桜と別れてもらっていいですか?」

「何を言っている? 別れるわけがないだろう」

「別れるというより、付き合っているのをなかったことにしてもらう感じですかね。私と別れたことになってるんですけど、それ桜の勘違いで。私と桜は今も恋仲なので」

「彼はそのようなことを一言も口にしていないし、君に意識が向いている様子もなかったが」

 

 このまま話していても相手が引かないことは理解しているため、桜から詳しい話を聞かなければと互いに思い始めたとき。

 

「……ん?」

 

 校門のあたりに人だかりができているのを葵は見つけ、目を凝らしてみれば。

 見覚えのある車に桜が乗り込んでいくのが見え。

 

 そしてその車は何事もなく発進し、どこかへと向かって行ってしまった。




本当はもう少し早く書き終えて載せる予定でしたがご覧の有り様です
夜にまた活動報告でもグダグダ挨拶を書きますが、皆さん良いお年を!


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19話

あけましておめでとうございます。


 結局、抵抗する方が余計に時間を使うし無駄に疲れるかなと思い、知らない人の車に乗ってしまったわけだが。

 これからかかる時間が分からないわけだし無視して帰った方が早かったかなと少し後悔。

 でもまた後日来られる可能性もあるわけで、面倒事はやっぱり早めに無くすべきか。

 

 なんてことを考えていれば、車が向かった先は僕がバイトをしているところとはまた別の、オシャレな喫茶店であった。

 いや、これは喫茶店じゃなくてカフェって言うのか?

 

 店に入ってから席に案内されている間も店内を見回したが、二つの違いが分からないため。

 スマホを使って調べてみれば、アルコールを出せるか出せないかの違いであるらしい。

 店の装飾なんて何ら関係のないものであった。

 

 カフェが出せる方で喫茶店が出せない方。

 うーん、少し気になっただけだから明日には忘れていそうな情報だな。

 

「あの……?」

「ああ、すみません。僕はカフェオレで」

 

 気付けば店員さんが注文を取りにきており、彼女はすでに頼んだようで僕待ちだったようだ。

 

「それで、僕を知ってるみたいだけど」

「あ、すみません。私、三椏(みつまた)玲香(れいか)といいます。桜内葵の従姉妹です」

「そうなんだ」

「はい」

 

 店員に注文をし、少しでも早く終わらせるよう話を促せば、自己紹介をして終わりであった。

 分かったのは彼女の名前と、僕のことを知っていた理由を推測できるぐらいだ。

 

 先輩から話を聞いて僕のことを知ったのだとして、何の用だろうか。

 それをさっさと話してほしいのだが、彼女は安っぽい笑みを浮かべてジッと僕のことを観察している。

 

 話そうとする気を感じないのでスマホを弄っていれば、飲み物だけなのでそれほど時間を置かずに頼んだものが運ばれてきた。

 

 切った春巻きみたいな置物に伝票を刺して去っていく店員を横目にカフェオレを一口飲み、外へと視線を移す。

 

 元気に鳴く蝉の声が耳に届き、涼しい店内であるのに外の暑さを思い出して少しだけ怠さを感じる。

 

 たとえ彼女の話が終わらなかったとしても、これ全部飲み終えたらさっさと帰ろう。

 そういえばお昼もまだだったな。

 ここで食べていっても構わないのだけれど、話が面倒だった場合すぐに立ち去れない。

 

 やっぱり今日は帰るべきだったと、ものすごく後悔し。

 思わずため息をつく。

 

「……あの」

「ん?」

「初対面でその態度は失礼じゃないですか?」

「……話があるからと言うから付き合う義理もないのに来た僕に対して、話もせず人のことジッと観察していた君は失礼じゃないとでも?」

 

 まだ半分以上残っているものを一気飲みは少しもったいない気がしたけども、これ以上ここにいる方が無意味だろう。

 思っていたよりも美味しかったので今度一人で来よう。

 

「それじゃ僕、帰るから」

「え、はい」

 

 伝票を手にレジへと向かっていく。

 彼女の分も払うのはこんな無駄な事に付き合った自分に対する勉強代だ。

 

 レシートとお釣りを受け取り、店から出ようとしたところで呼び止められたような気がしたが、僕の意識は外の暑さへと向いていたため気付くことはなかった。




今更ですが1話と2話を修正していたりします。
展開的におかしなとこだったり、主人公の話し方を今のに寄せたりとしましたが、本編に大きな影響はないので読み返さなくても特に問題はないです。

年明けからだいぶ間のあいた更新ですが、今年もこんな感じなのでよろしくお願いします。


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20話

 夏休み明けの登校日が金曜日であったため、またすぐに土日と休みである。

 なので僕は今日、お気に入りの小説を持って昨日のカフェへと来ていた。

 

 何か面倒なのに絡まれた覚えがあるけども、今日は一人だからゆっくりと出来るはずだ。

 先輩からあった誘いのメールは用事があると断ったし。

 

 絡まれたおかげで知った経緯はあるけども、面倒ごとは早く忘れるに限るのだが、世の中そう上手くいかないこともある。

 

「昨日ぶりですね、神宮さん」

「あの、席変えてもらうことって出来ますか?」

 

 日の当たらない席、冷房の効いた涼しい店内、美味しいカフェオレ。

 それらを堪能しつつ読書をしていたのだが。

 昨日の子が店に来て僕を見つけるなり、許可もなく対面へと座ってきた。

 

 名前は忘れたけれど、なんとなく顔に見覚えがある。

 席替えは叶わなかったため、今日も食事は諦めて帰るかと小説を仕舞う。

 

「あの」

「いいよ。僕、もう帰るから」

「ま、待ってください!」

 

 大きな声が響き、店内にいた他の客からの注目を集める。

 店員がやってきてお静かにと注意を受け、謝っているのを傍目にカフェオレを啜り、彼女が落ち着くのを待つ。

 

「手短に済ませてね」

「…………」

 

 別に僕が悪いわけでもないのに、何か言いたげな顔をして見てくる。

 結局、何か言ってくるわけでもなく水を飲んで一息ついた後。

 彼女は僕に向けて頭を下げる。

 

「昨日はすみませんでした。私の態度にも非がありました」

 

 言外にお前もあったぞと言ってきたわけだが、そんなことは……うん、少しはあるかも。

 

 でも別に僕は謝罪を求めていたわけでは無い。

 昨日のことについての謝罪が今回の目的ではないだろうし、謝るぐらいだったら用事をさっさと済ませて欲しい。

 

「昨日のことはもういいよ。用件は別にあるんでしょ?」

 

 思えば昨日、彼女がここに連れてきたから僕が知ったわけで。

 もしかしたら彼女の行きつけの店である可能性もあるわけだ。

 

 つまり、今回諦めたとしてもここに来るたび高確率で彼女と会うかもしれないわけで。

 

「すみません。ハヤシオムライス一つ」

 

 なら済ませておきたいことは早めに済ませておこうってことで、昼食を頼むことに。

 また何か言いたげな顔をして僕のことを見てくるが、ため息をつくだけであった。

 

「用件の前に1つ、お聞きしてもいいですか?」

「いいよ」

「……昨日、私の分も払っていただいた理由をお聞きしても?」

 

 いいか悪いか聞かれたからいいと答えたのに、その返事にどこか不満がある様子に見える。

 けどそのことに対して文句を言っても意味がないと分かっているようで、一呼吸置いて気持ちの整理を付けてから口を開いた。

 

 何を思って聞いてきたのかその意図について少し考えるが、すぐに意味のない事だとやめる。

 彼女の中で僕に対するイメージがどうなろうが知ったこっちゃないのだ。

 

 本当か分からないが先輩の従姉妹であるらしいので、このまま付き合っていたら今後も会う可能性があるけれども。

 その時はその時である。

 

「み、みつ…………君に奢ったわけじゃないよ。無駄なことに時間を割いた自分に対する勉強代」

 

 話半分だったというより、興味ない人の名前を覚えられないため。

 頭二文字しか出てこず、諦めた。

 三文字だから後一文字のはずなんだけどな……。

 

「お待たせいたしました。ハヤシオムライスになります」

「ありがとうございます」

 

 タイミングがいいのか悪いのか、頼んでいた料理が届き、美味しそうな良い香りが漂う。

 だがこれは香りがなくとも見ただけで美味しいとわかる逸品だ。僕には分かる。

 

 スプーンを手に取り、まずは一口。

 

「あ、美味しい」

 

 思わず口に出してしまい少し恥ずかしい。

 誰も気にしてないよなと顔を上げたところで対面に座る女性が目に映り。

 ああ、そう言えば三浦さんだったか、居たんだよなと思い出す。




今更ですけど、タイトル気に入ってなくて変えたいなとずっと思ってます

補足というかオマケなんですけど
19話で玲香の分も払わない、呼び止められたのに気付いて反応する
どちらか片方でもやれば、このちょっと先の展開で主人公は死にます


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21話

「それで、本来の用は?」

「あ、ええ、そうですね……」

 

 黙ったままなので促したはいいが、口をもごもごとさせるだけで話そうとしない。

 まだ料理も残っているのでこれ以上促すことはせず、美味しいハヤシオムライスを食べ進めていく。

 

 マスターのはマスターでまた違った味わいがあるけども、これはこれで僕の好みである。

 早食いは健康によろしくないけれど、気がつけば皿の中は空になっていた。

 

 カップの中も飲み干してしまったので店員さんを呼び、飲み物のお代わりとデザートを注文する。

 

「あの……」

 

 デザートを楽しみにしつつボーッとしていたらようやく話すことが纏まったのか、少し遠慮がちに声をかけてくる。

 

「本来は葵姉様との関係についてお聞きしたかったのですが……それよりも今は私個人としてあなたに興味があります」

「そう」

「もし、お時間があるのでしたら私と一緒に遊んでいただけませんか?」

「や、めんど…………ん? うーん……?」

 

 反射的に断ろうとしたが、何となく思考に待ったがかかった。

 

 この場でどちらがいいか考えるだけ無駄なため、今の気分的に普段なら断るところなのだが。

 明確な何かがあるわけではなく、第六感的なものだが行った方がいいと言っているような……。

 

 いや……これは単純にしばらくの間、遊びに行けてないからフラつきたいだけか。

 

「うん。遊び行こうか」

 

 昨日ほど面倒な相手とも今は感じないし、嫌になったら別れればいいだけだ。

 

「僕、神宮桜。高二」

「改めて私、鈴仙女学院一年、三椏玲香です。よろしくお願いします、神宮先輩」

 

 自己紹介をしてから思ったが、そういえば彼女は僕のことを調べて知っているんだった。

 けれど何を思ってなのかは分からないが、彼女も自己紹介をしてくれたため。

 もう一度名前を聞けたのは良かった。

 

「どこ遊び行きたい?」

 

 遊び行く前の腹ごしらえと、彼女もサンドイッチを頼み、食べ進める中。

 何をするのか決めていなかったので声をかける。

 

「あ、そうですね……映画などはどうでしょう?」

「僕はどこでも」

 

 どこでもと言いつつ、初対面の二人が行こうと思うところなんて限られている。

 そんな中でも映画が一番無難なところだろう。

 

 観ている間は互いに話さないし、終わった後は映画の話をすればいい。

 ……そもそも、なぜ初対面なのに遊びに行こうといった話になったんだったか。

 

 

 

 互いに食事を終えたあと、食休を兼ねながら何の映画を見るか決め。

 現在、大きなショッピングセンターへと来ていた。

 というか、前に先輩と映画を見た時にも来た場所だ。

 

 見るのは今、世間で話題になっているアニメ映画である。

 気になっていたけど観にこれていなかったので、ちょうど良かった。

 

 そういえば、映画のチケットを買った時やカフェの支払い時に、自分の分を払ったら三椏は少し驚いた表情をしていたが。

 その理由に心当たりはないし、少しだけ考えて見たがサッパリ分からない。

 

 けどそんな考えは映画が始まれば頭の片隅に追いやられ、終わる頃にはそのような事を考えていた事すら忘れていた。




最後、別に伏線とか深い意味は無いです
後々に説明がある…はずです


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22話

 映画を見終えた後、同じ建物内にあるファミレスに向かい。

 デザートとドリンクバーを頼み、三椏と先ほどの映画について語り合う。

 

 話が合うか少し心配であったが、僕と同じくアニメやマンガが好きなようで。

 話し足りないと思いつつキリのいいところでやめて外へ出てみれば、空がオレンジ色へと変わっていた。

 

 自分でも珍しいと思えるくらい久しぶりに楽しんでいたようで、充実した日を過ごした気分である。

 

 三椏に抱いていた面倒なイメージはだいぶ薄れ、今はそこそこの位置づけだ。

 可も不可もないが、共通の趣味があるため会えば話す程度だろう。

 そもそも学校が違うから今後接点があるかと聞かれれば首を傾げるしかないのだが。

 

「三椏、最寄りは?」

 

 まだ日も出ているがいい時間であるため、可能なとこまで一緒に居てさよならすればいいと思っていたが。

 今日はこのまま先輩の家に向かうらしいので途中まで送って行く事にした。

 

 話す内容は先ほどまで語っていた映画のことであったり、好きなアニメやマンガについて。

 安易に人の懐を探るほど面倒な事をする気はないし、趣味以外の三椏に興味が無いとも言える。

 

 

 

 もうすぐ別れ道というところで、対面からやってくる人にふと意識が向いた。

 

 帽子を目深にかぶっているため分かりにくいが、背格好から女性だと思われる。

 外を出歩いてもおかしくは無い程度のラフな格好であるが、黒一色。

 

 別にそれだけであるのなら一瞬、気にする程度のことなのだが。

 誰かを待つように立っていたその人は僕が見たことに気が付いて、動き始めたような気がしたのだ。

 

 ただの自意識過剰なのかもしれないが、その人の視線が進む先ではなく、僕へ向いているような気がする。

 目元が隠れているので勘違いかもしれないが。

 

 ある程度距離が縮まり、その人がポケットに手を突っ込んだところでずっと見ていた自分に気がつき、三椏へと目を向ければ。

 

「…………ぃ」

 

 何か聞こえてきたのとほぼ同時に三椏が驚いた顔をして硬直したため。

 その視線を辿れば、先ほどまで見ていた人が手に折りたたみ式のナイフを持ち、僕目掛けて刺そうとしていたのが目に映る。

 

「お前のせいで私の人生滅茶苦茶だっ!」

 

 ナイフを叩き落とそうと思った時にはもう懐まで近づかれており、すぐにぶつかった衝撃と腹部に何か異物が入ってくる不快感が襲ってきた。

 

 少しして一歩、二歩と僕から離れていく姿が見え、ぶつかってきた時に取れた帽子によって素顔が露わになり、女性だと分かったのだが。

 

「…………誰?」

 

 見覚えがあるような気もするけれど、分からない。

 そんな事より彼女の手にはナイフが無く、僕の腹に深く刺さったままであるため。

 痛みよりも熱さを感じ、むせるような咳をすれば口の中に血が広がる。

 

 服に血が滲んでいくのを見て、徐々に身体が刺された事を認識し始めたのか痛みが襲ってきた。

 

「……ははっ」

 

 通り魔とかに刺されたらどうなるのだろう、とか。

 車に跳ねられたらどうなるのだろう、とか。

 他にも色々と考えてきたことはあったが、想像は所詮、想像でしか無い。

 

 今、感じているこの痛みは実際に体験しなければ伝わらないものだ。

 もしかしたら死ぬかもしれないという考えが頭をよぎるが、それはそれで面白そうだと、口から血を吐き出しながら思う。

 

「ねえ……名前、教えてよ」

 

 僕を刺した彼女への興味が湧き、激しい痛みに顔が歪んでいるのを理解しながらも一歩、距離を詰める。

 

「…………ひっ」

 

 だがお化けを見たような顔をして離れようとするのでその前に手首を掴み、逃げられないようにして更に半歩詰める。

 

「怖がらないで。僕は君に興味があるんだ。……ああ、ほら、ナイフを返すよ」

 

 身体に物が刺さった時は抜かない方がいいと聞くが、刃物の場合はどうなのだろう。

 抜いた後に血を止めるほどの筋力が無いためこのまま垂れ流しになるけども……まあいいか。

 

 彼女の掴んでいる方の手を上向きにし、腹から抜き取ったナイフを握らせる。

 ナイフについている血が地面へと落ち、創作でよくみる血痕が出来上がるのを目にし、改めて非日常を今体験しているんだと嬉しい気持ちが込み上げてきた。

 

 僕が今、彼女への興味が尽きないのはある種、尊敬の念を抱いているからでもある。

 

 世の中の事柄を『出来る』か『出来ない』で区分した時、大抵の事は『出来る』と僕は思っている。

 だけどそれを『やる』か『やらない』かで区分した時、『出来る』ことの大半は『やらない』に入ってしまう。

 

 今回のナイフを人に突き刺す事なんて誰でも出来る事なのだ。

 でも、誰もやらない。

 

 小さい頃から漠然と理解している事であるし、成長するに従って得る論理巻のようなものがそうさせないのだと思っている。

 

 僕もいきなり見知らぬ人へ殴り掛かったらどうなるのだろう、車道へ、線路へ人を突き落としたら、なんて想像をする。

 けど、やらない。

 

 何故ならそういうものだから。

 

 まるでゲームのシステムに縛られているような感覚だが、稀にこうしてシステムの呪縛を破るかのように法を犯す人がいるのだ。

 

 だから僕は、彼女に興味がある。

 

「僕が君に何をしたのか分からないけれど、本気で殺す気があるのなら刃渡りの短いこれよりもまだ包丁の方がいいよ。……これしかなかったのなら何度か突き刺すか、刃を横にして肋骨の間を狙えば、ほら。心臓だよ」

 

 別にこのまま殺されてもいいかなと思い。

 このまま刺せば心臓を一突きできる位置へとナイフを持つ手を誘導させる。

 

「あ、頭おかしいんじゃないの……っ!」

「人を殺そうとしてる君に言われたくないなぁ」

 

 彼女は手の力を緩め、ナイフを落としてしまった。

 先程まであったやる気が今は見えず、怯えた表情をしている。

 

 おもむろに僕は伸ばした手を彼女の顔の輪郭に沿うように当て、親指の腹で頬を撫でれば。

 吐き出した時に着いた血が乾き切っておらず、彼女の顔に線を引く。

 

「うん、いいね」

 

 そう口にした瞬間、足の力がスッと抜けて地面に倒れ込み、僕の意識は途切れた。




本編で書きたかった場面の一つ
書きたい事全部書いた


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