もしも、比企谷八幡に友人がいたら (一日一善)
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1話

初投稿なのでご容赦ください
男オリ主とタグ付けしましたが、基本視点は比企谷です



「なぁ、比企谷。私が授業で出した課題はなんだったかな?」

 

「……はぁ、『高校生活を振り返って』というテーマの作文でしたが」

 

「そうだな。それでなぜ君は犯行声明を書き上げてるんだ?テロリストなのか?それともバカなのか?」

 

平塚先生はため息をつきながらも、こちらを睨みつけてきた。

 

「比企谷。この舐めた作文は何だ?一応言い訳くらいは聞いてやる」

 

「い、いや、俺はちゃんと振り返ってますよ?近頃の高校生はらいたいこんな感じじゃないでしゅか!」

 

噛みまくりだった。あいつのおかげで人と話すのには多少慣れてきたが年上の女性となるとそう簡単にはいかないらしい。

 

「私はな、怒っているわけじゃないんだ」

 

昔なら面倒くせぇパターンだと思うところだが今はそうでもない。

あいつと会って人に優しくされることを覚えてしまったからだろうか

そんなことを思い出し次の言葉を聞く。

 

「君は部活やってなかったよな?」

 

「はい」

 

「……友達とかはいるか?」

 

「いますよ、一人だけですけど」

 

そう言うと平塚先生は驚いた表情を見せた。

 

「君の腐った目を見る限り友達などいないものだと思っていたよ」

 

意外にも、俺の言葉を疑うことなく信じてくれたらしい。

 

「これでも私は教師だ、それくらいわかるさ」

 

少し微笑みながら平塚先生は言った。

 

「……そうっすか」

 

自分を信じてもらえることに柄にもなく少し嬉しく思ってしまった。

 

「で、そいつはどんな奴なんだ?」

 

「別に、普通のやつですよ、強いて言うなら人の感情に割と敏感なくらいですかね」

 

「普通のやつが君の友達になれるとは到底思えないんだがな」

 

「まぁ、いろいろあったんですよ」

 

「そうか、深くは聞かないさ」

 

平塚先生は急に遠慮がちにこちらを見る。

 

「……話を戻すが、彼女とか、いるのか?」

 

話戻ってないですよ、平塚先生。

 

「今は、いないですけど」

 

「そうか…」

 

平塚先生はしばらく思案したのち、こちらを見た。

 

「よし、こうしよう。レポートは書き直せ」

 

「はい」

 

まぁ、そうなるよな。

 

これで終わりだと思っていた

 

が、そうは問屋が卸さなかった

 

「君の話を聞く限り友達もあまりおらず、彼女もいないときた、それは他人との交流が極めて少ないからだろう、なので、君には奉仕活動を命じる。」

 

思わず現実から目を背けて考える、なぜその結論に至ったのかと。

 

「……ちなみに奉仕活動って何すればいいんですか?」

 

「ついてきたまえ」

 

そう言うと間髪を入れず立ち上がる。

 

「おい、早くしろ」

 

惚けていた俺はそそくさと後を追った。

 

 

 

 

平塚先生が向かっているのはどうやら特別棟のようだ。

 

「着いたぞ」

 

俺の道中の抵抗も虚しくどうやら目的地まで来てしまったらしい。

 

その教室は机と椅子が無造作に積み上げられているだけのいたって普通の教室だった。

 

しかし、そこには一人の少女がいた。

 

「平塚先生。入るときにはノックを、とお願いしたはずですが」

 

「ノックしても君は返事をした試しがないじゃないか」

 

「返事をする間もなく、先生が入ってくるんですよ」

 

「それで、そのぬぼーっとした人は?」

 

彼女の瞳が俺を捉える。

 

俺はこの少女を知っている。

 

無論、名前と顔を知っているだけで会話をしたことはない。

 

それに、あの事故の時のことは彼女は知らないのだから。

 

だからこれが、彼女、雪ノ下雪乃との初めての出会いになるのだろう

 

 

 

 

しばらくすると平塚先生はそのままさっさと帰ってしまった。

 

「そんなところで立ってないで座ったら?」

 

「おう」

 

多少の警戒はみられるが雪ノ下はそこまで敵視はしてこなかった。

 

一方的とはいえ知っていたのが功を奏したのか、俺がきょどってしまうことはなかった。

 

正直こんなところで会うことになるとは思わなかった。あいつに自慢したら羨ましがるだろうか。

 

「何か?」

 

「いや、俺は何をしたらいいんだ?」

 

俺がそう言うと、彼女は不機嫌そうに言葉を発した。

 

「……そうね、ではゲームをしましょう」

 

「ゲーム?」

 

「そう。ここが何部か当てるゲーム。さて、ここは何部でしょう?」

 

俺は教室を見渡し、手がかりを探す。

 

「他に部員は?」

 

「いないわ」

 

ここまでで分かっていることはあまりないが、それを元に考えれば自ずと答えがでるはずだ。

 

「文芸部か」

 

「はずれ」

 

結構いい線いったと思ったんだけどな。

 

「それじゃ何部なんだよ?」

 

「では、最大のヒント。私がここでこうしていることが活動内容よ」

その後も色々考えるが

 

「降参だ。さっぱりわからん」

 

すると、不意に雪ノ下が立ち上がる。

 

「持つ者が持たざる者に慈悲の心をもってこれを与える。人はそれをボランティアと呼ぶの。途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、モテない男子には女子との会話を。困っている人には救いの手を差し伸べる。それがこの部の活動よ」

 

「ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ」

 

あまり歓迎はされていないようなことを面と向かって言われて、ちょっと涙目になった。

 

「平塚先生曰く、優れた人間は憐れな者を救う義務がある、のだそうよ。頼まれた以上、責任は果たすわ。あなたの問題を矯正してあげる。感謝なさい」

 

雪ノ下の成績や容姿を考えると強ち大袈裟ではあるまい。

 

だが、俺が憐れむべき対象などではないことを説明してやらねばいけない。

 

「……俺はな、自分で言うのもなんだが、そこそこ優秀なんだぞ?実力テスト文系コース国語学年三位!顔だっていいほうだ!彼女がいないことと友達少ないってことを除けば基本高スペックなんだ!」

 

「……あなた友達いるのね。でも、そんなことを自信満々に言えるなんてある意味すごいわね……。変な人」

 

「うるせ、お前に言われたくねぇよ。変な女」

 

本当に変な女だ。俺が病院で小町に聞いた雪ノ下雪乃という女子のイメージとはかけ離れている。

 

「……もう少し大人しいと思ってたんだけどな」

 

「何か言ったかしら?」

 

「いや、なんでもない」

 

「そう、まずは居た堪れない立場のあなたに居場所を作ってあげましょう。知ってる?居場所があるだけで、星となって燃え尽きるような悲惨な最期を迎えずに済むのよ」

 

「『よだかの星』かよ。マニアックすぎんだろ」

 

ここに来て初めて雪ノ下は驚いて目を見開いた。

 

「……意外ね。宮沢賢治なんて普通以下の男子高校生が読むと思わなかった」

 

その後の言葉のドッチボールの末俺が懇願すると雪ノ下はようやくその舌刀を納める。

 

「さて、これで女子との会話シュミレーションは完璧ね。これで大抵の女の子と会話できるはずよ」

 

「解決法が斜め上過ぎるだろ」

 

そのあとは耳が痛くなるような静けさだけが残った。

 

 

 

 

その静寂を打ち破るように、ドアを開ける無遠慮な音が響いた。

 

「雪ノ下。邪魔するぞ」

 

「……ノックを」

 

「悪い悪い。様子を見に寄ったが、仲が良さそうでなによりだ。比企谷はこの調子で他人との交流を深めていきたまえ。ではな」

 

「ちょっと待ってくださいよ」

 

「どうした比企谷?」

 

「ここ、結局なにするんですか?」

 

「雪ノ下は説明してなかったか。端的に言えば自己変革を促し、悩みを解決することだ。」

 

「あの……別に俺自己変革とか求めてないんですけど」

 

「いや、君に求めているのは変革ではない寧ろ後者の方だ。あんな作文を提出したときはそれも考えたがな。だか、君ははっきりと言っただろう自分には友がいると、あの作文からどれだけ君がひねくれているのかくらいわかる、そんな君が誤魔化さずに言い切った、そんな友達がいるなら大丈夫だ。それに最初に言っただろ交流をしろと、ここで人の悩みを聞いて解決してみるといい、君の成長に繋がるだろう」

 

「……彼に誰かの悩みを解決できるとは到底思えないのですが」

 

雪ノ下が小さくそう言うと平塚先生はにやりと笑った

 

「それではこうしよう。これから君たちの下に悩める子羊を導く。彼らを君たちなりに救ってみたまえ」

 

「嫌です」

 

意外にも、対抗することなくそう言い放った。

 

俺としても同意見だったので頷いておく。

 

「まぁそう言うな、ならば君達にもメリットを用意しよう。より多く依頼者の悩みを解決した方がなんでも命令できる、というのはどうだ」

 

そう聞いた瞬間雪ノ下が後ずさり体を抱えていた。

 

「この男が相手だと何を言われるか分からないのでお断りします」

 

「偏見だ、高二男子が卑猥なことばかり考えてるわけじゃないぞ」

 

世界平和とか、うん、あとは特に考えてないな。

 

「どうした雪ノ下勝つ自信がないのかね?」

 

するど、雪ノ下はムッとした表情になる。

 

「……いいでしょう。受けて立ちます」

 

「決まりだな」

 

「勝負の裁定は私が下す。適切に妥当に頑張りたまえ」

 

そう言うと今度こそ先生は教室を後にした。

 

あれ、俺の意思どこ?

 

 

 

 

残された空間にいる俺たちに会話なんてあるはずもなく、

そのままま下校時間を迎えた。

 

雪ノ下は何も言わず颯爽と帰っていった。

 

あのやろう

 

「……帰るか」

 

俺は一人下駄箱へと向かった。

 

「よう、八幡」

 

そこには聞き慣れた俺の唯一とも言える友がいた。

 

「なんでいんだよ、拓也」

 

「お前が職員室に呼び出されて帰ってこないから待ってたんだよ」

 

まったく律儀な奴だ。

 

「悪かったな、色々あったんだよ」

 

「なんだ、お前にもついに青春がきたのか?」

 

「うっせー、そんなんじゃねーよ」

 

「ま、帰りながらでも聞かせてくれよ」

 

「おう」

 

こうして、友達と帰りたわいもない会話をする。

 

そんな当たり前が俺にとっては青春と呼べる大事な1ページなのかもしれない。

 

そんな柄にもないこと思いながら帰路へとついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2話

ホームルームを終えて教室から出た俺を待ち構えていたのは平塚先生だった。

 

「比企谷。部活の時間だ」

 

やべぇ連れてかれる。

 

「行くぞ」

 

抵抗する間も無く俺の腕が掴まれる。

 

「待ってくださいよ、平塚先生」

 

「君は?」

 

「2年F組、佐藤拓也です。比企谷くんの友達ですよ」

 

「そうか、君が…。悪いが比企谷は借りていくぞ」

 

「奉仕部に行くんですよね」

 

「なんだ、知っていたのか、そうだ、君も友達だと言うならわかるだろう、彼が潔く部室に来ないことくらい」

 

「ええ、もちろん」

 

あれ、なんか馬鹿にされた気分なんだが。

 

「なんで、俺もついていきますよ」

 

おい、なんでそうなる。止めろよ。

 

「そうか、助かる」

 

いや、あんたも納得すんなよ。

 

抵抗する気もなくなった俺は大人しく特別棟へと連行された。

 

 

 

 

特別棟まで来ると平塚先生はようやく解放してくれた。

 

「お前はどうすんだよ、もう帰るのか?」

 

「まさか、ここまでくれば俺も一緒に入るさ。拒否されなければだけどな」

 

そんな会話をしながら部室の扉を開くと、雪ノ下は昨日と寸分違わぬ姿勢で本を読んでいた。

 

「よう」

 

「こんにちは。もう来ないのかと思ったわ」

 

挨拶もそこそこに拓也が声を出す。

 

「邪魔するぞ」

 

「あなたは?」

 

怪訝そうな顔をする雪ノ下。

 

「そこの目が腐った奴の友達の佐藤拓也だ」

 

「……そう、虚言癖ではなかったのね、あなた」

 

お前の中の俺はどんなやつなんだよ。

 

「それで、何の用かしら?」

 

「特に用があるわけでじゃない、こいつの付き添いで来ただけだしな。騒ぐつもりもないからいても構わないか?」

 

「そう、なら構わないわ」

 

「そうか、ありがとな」

 

そう言うと拓也は無造作に積み上げられた椅子の中から椅子を一つ取り出して俺の席の隣に置く。

 

「それにしてもあなた、普通あんな扱いされたら二度と来ないと思うのだけれど……マゾヒスト?」

 

「ちげぇよ……」

 

「じゃあ、ストーカー?」

 

「それも違う。ねぇなんで俺がお前に好意抱いている前提で話が進んでんの?」

 

「違うの?」

 

 

 

 

拓也の存在など気にも止めず二人の会話は続いていく。

 

「そら随分と楽しい学校生活なことで」

 

会話の途中、ため息混じりに漏らした比企谷の呟きに雪ノ下が反応した。

 

 

「お前さ、友達いんの?」

 

八幡がそう言うと、雪ノ下はふいっと視線を逸らした。

 

 

 

「……そうね、まずどこからどこまでが友達なのか定義してもらってもいいかしら」

 

「あ、もういいわ。そのセリフは友達いない奴のセリフだわ」

 

ソースは昔の俺。

まぁ、でも真面目な話、どこからどこまでが友達かなんてわからないよな。知り合いとどう違うのかそろそろ誰かに説明してもらいたい。

特に女子の場合それが顕著に表れている気がする。友達ができた今でも疑問のままだ。

 

「まぁお前に友達いないのはなんとなく想像つくからいいんだけどさ」

 

「いないだなんて言っていないでしょう?もし仮にいないとしてもそれで何か不利益が生じるわけではないわ」

 

「あーうん、そうねーはいはい」

 

何処と無く昔の自分を見ているような気分だ。

そんなことを思いながら雪ノ下の言葉をさらりと受け流す。

 

「っつーか、お前人に好かれるくせに友達いないとかどういうことだよ」

 

「……あなたにはわからないわよ、きっと」

 

心なしか頬を膨らませて、そっぽを向く雪ノ下。

そりゃまあ俺と雪ノ下は全く違う人間だし、彼女が考えていることなんて微塵もわかりはしない。どこまで言っても結局人と人とは理解しあえないのだろう。……アイツは違うかもしれないがな。

 

だが、こと、ぼっちに関しては俺の分野だ。その点に関してはおそらく『ぼっちだった俺』ならば理解できる。

 

「まぁ、お前の言い分はわからなくもないんだ。一人だって楽しい時間は過ごせるし、むしろ一人でいちゃいけないなんて価値観がもう気持ち悪い」

 

「……」

 

雪ノ下は一瞬だけ俺の方を見たが、すぐに顔を正面に戻して目を瞑った。

 

「好きで一人でいるのに勝手に憐れまれるのもイラッとくるもんだよな。わかるわかる」

 

「なぜあなた程度と同類扱いされているのかしら……。非常に腹立たしいのだけれど。でもまあ、好きで一人でいる、という部分には少なからず共感はあるわ、ちょっと癪だけれど」

 

雪ノ下は自嘲気味に微笑んだ。どこか仄暗い、けれども穏やかな笑みだ。

 

「一五年間ぼっちだった俺はぼっちマイスターと言われてもいいくらいだ。お前程度でぼっちを語るとか片腹痛いよ?」

 

「何なのかしら……、この悲壮感漂う頼りがいは……」

 

俺は勝ち誇ったように言う。

 

「人に好かれるくせにぼっちを名乗るとかぼっちの風上にも置けねぇな」

 

「短絡的な発想ね。人に好かれるということがどういうことか理解している?……ああ、そうゆう経験なかったのよね。こちらの配慮が足りなかったわ。ごめんなさい」

 

「配慮するなら最後まで配慮しろよ……てか拓也には好かれてるし」

 

「やめろ八幡、その言い方は聞き手によっては誤解を生むぞ」

 

俺たちの会話を聞いていた拓也が声を出す。

 

「それにしても、お前らの会話面白いな。一方は異性からの悪意に晒し続けられたやつ、もう一方は異性からの好意を晒されてきたやつってところか。どちらも、プラスとマイナスのベクトルの違いこそあれ、むき出しの感情をぶつけられ続けたもの同士だからか?」

 

たしかに、どこか俺と彼女は似ているのかもしれない。柄にもなくそんなことを聞きながら思ってしまった。

 

彼女もそれを聞くと否定する事なく窓の外へと目をやった。多少思い当たる節があったのだろう。

 

「それに……」

 

一区切りを置いて拓也は言葉を続ける。

 

「比企谷はそうだが、雪ノ下、お前も良くも悪くも自己中だろ」

 

「ったりめーだ。自分大好きで何が悪い」

 

「自己中、言いえて妙ね」

 

一人得意げな顔する拓也が雪ノ下に尋ねる。

 

「なぁ、雪ノ下。よかったら八幡と友」

 

「ごめんなさい。それは無理」

 

「えーまだ最後まで言ってねーのに!」

 

俺が言ったわけではないのに間接的に断られた。やられっぱなしは嫌だったので、こちらもやり返す。

 

「雪ノ下、なら拓也と友」

 

「ごめんなさい。それも無理」

 

雪ノ下は断固拒否しやがった。やったぜ。

 



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3話

かなり量が多くなってしまいました。それに伴い誤字脱字が多いです申し訳ないです。


「君はあれか、調理実習にトラウマでもあるのか」

 

昨日サボった調理実習の代わりに課せられた家庭科の補修レポートを提出したら、なぜか呼ばれた職員室。そもそも、同じ班の拓也が休まなければサボらなかったのに。おのれ、謀ったな。

それに加えてものすごい既視感。なぜあなたに説教かまされてるんでしょうかね、平塚先生。

 

「先生って、現国の教師だったんじゃ……」

 

「私は生活指導担当なんだよ。鶴見先生は私に丸投げしてきた」

 

職員室の隅っこのほうを眺めると、件の鶴見先生が観葉植物に水をやっていた。平塚先生はそれをちらっと見てから俺のほうに向き直る。

 

「まずは調理実習をサボった理由を聞こう。簡潔に答えろ。」

 

「や、あれですよ。クラスの連中と調理実習とかちょっと意味わかんなかったんで……」

 

「その回答が私にはもう意味がわからないよ。比企谷」

 

と言っても、本当は友達が休んだから腹いせで書きましたなんて口が裂けても言えねぇ。

 

「おいしいカレーの作り方、ここまではいい。問題はその後だ。1、玉葱を櫛形切りにする。細めにスライスし、下味をつける。薄っぺらい奴ほど人に影響されやすいのと同様、薄く切ったほうが味がよく染みる……。誰が皮肉を混ぜろと言った。牛肉を混ぜろ」

 

「先生、うまい事言ったみたいな顔をするのはやめてください……見てるこっちが恥ずかしいです……」

 

「私だってこんなもの読みたくない。言うまでもなく分かっていると思うが再提出だ」

 

先生は心底呆れ返った様子で口にタバコを運んだ。

 

「君は料理できるのか?」

 

平塚先生が意外そうな表情で尋ねてくる。心外だ。カレーくらい今日日の高校生なら誰でも作れるだろうに。

 

「ええ。将来のことを考えればできて当然です。料理は主夫の必須スキルですからね」

 

俺が答えると平塚先生は大きな瞳を二、三度瞬かせた。

 

「君は専業主夫になりたいのか?」

 

「それも将来の選択肢の一つかなって」

 

「ドロドロと目を腐らせながら夢を語るな。せめてキラキラと輝かせろ。……参考までに君の将来設計はどうなっているんだ?」

 

いや、あんた自分の将来の心配しろよなどとは言えない雰囲気だったので、観念して理路整然と回答することにした。

 

「まぁ、それなりの大学に進学しますよ」

 

頷き、相槌を打つ平塚先生。

 

「ふむ。その後、就職はどうするんだ?」

 

「美人で優秀な女子を見繕って結婚します。最終的には養ってもらう方向で」

 

「就職って言っただろ!職業で答えろ!」

 

「だから、主夫」

 

「それはヒモと言うんだっ!恐ろしいくらいダメな生き方だ。奴らは結婚をちらつかせて気づいたらいつの間にか家に上がり込んできてあまつさえ合鍵まで作ってそのうち自分の荷物を運び込み始め、別れたら私の家具まで持っていくようなとんでもないろくでなしなんだぞっ⁉︎」

 

平塚先生は微に入り細を穿ち懇切丁寧にまくしたてた。あまりに勢い込んで話すもんだから息切れして目には涙が浮かんでいる。

哀れすぎる……。

 

「ヒモ、といえば聞こえは悪いけど専業主婦というのはそんなに悪い選択肢ではないと思うんですよ」

 

「ふん?」

 

「男女共同参画社会とやらのおかげで、既に女性の社会進出は当然のこととされてますよね。その証拠に先生だって教師をやっているわけだし。そうなってくると男性が職にあぶれるのは自明の理というわけですよ」

 

「確かにそういう考えもあるな」

 

「それに、家電類も目覚ましい発達をしたことで誰がやっても一定のクオリティを出せるようになった。男だって家事はこなせます」

 

「要するに!こうやって働かなくて済む社会を必死こいて作り上げたくせに、働けだの働く場所がないだの言ってるのはちゃんちゃらおかしいわけですよ!」

 

完璧な結論である。働いたら負け、働いたら負け。

 

「……はぁ。君のそう言う考えは相変わらずの腐れっぷりだな」

 

先生はひときわ大きなため息をつく。だが、すぐに何事か思いついたのか、にやりと笑った。

 

「女子から手料理の一つでも振る舞われれば君の考えも変わるかもしれんな……」

 

そう言って立ち上がると俺の肩をぐいぐい押して、職員室の外へと連れていく。

 

「奉仕部で勤労の尊さを学んできたまえ」

 

何なんですかと文句の一つも言おうと振り返ると、無情にも扉がぴしゃりと閉じられる。

 

仕方なく俺は最近入部した謎の部活、奉仕部とやらへ顔を出すことにした。部を名乗りながら活動内容がさっぱりわからない。ついでに、部長のキャラはもっとわからない。

あいつ。なんなんだよ。

 

 

 

 

いつものように部室では雪ノ下が本を読んでいた。

それともう一人。

 

「なんでいんだよ拓也」

 

何故か当たり前のように拓也がしれっと座っていた。

 

「帰っても暇だし。それに、お前らといると楽しそうだし」

 

「そうかよ」

 

他にやることねぇのかよ。まぁここにいるってことは雪ノ下も納得してることだろうしいいか。

 

そんなことを思いながら、いつもの位置に座る。

それと同時に弱々しいノックの音が聞こえた。

 

「どうぞ」

 

雪ノ下は扉に声をかけた。

 

「し、失礼しまーす」

 

緊張しているのか、少し上ずった声だった。

彼女は俺と目が合うと、ひっと小さく悲鳴を上げた。

……俺はクリーチャーかよ。

 

「な、なんでヒッキーがここにいんのよ⁉︎」

 

「……いや、俺ここの部員だし」

 

「それにたっくんもいるじゃん‼︎」

 

「おい、そのあだ名はやめろ由比ヶ浜」

 

どうやら拓也と知り合いらしい。こいつ、俺と違って普通に友達多いから不思議ではないが。

 

「まぁ、とにかく座れよ」

 

「あ、ありがと……」

 

彼女は勧められるがままに椅子にちょこんと座る。

 

「由比ヶ浜結衣さん、ね」

 

「あ、私のこと知ってるんだ」

 

「お前よく知ってるなぁ…。全校生徒覚えてんじゃねぇの?」

 

「そんなことないわ。あなたのことなんて知らなかったもの」

 

「そうですか……」

 

「別に落ち込むようなことではないわ。むしろ、これは私のミスだもの。あなたの矮小さに目もくれなかったことが原因だし、何よりあなたの存在から目をそらしたくなってしまった私の心の弱さがわるいのよ」

 

「ねぇ、お前それで慰めてるつもりなの?慰め方が下手すぎるでしょう?最後、俺が悪いみたいな結論になってるからね?」

 

「慰めてなんかいないわ。ただの皮肉よ」

 

「なんか……楽しそうな部活だね」

 

「お前もそう思うか由比ヶ浜」

 

こいつらの頭の中はお花畑なのかな。今の会話でどうしてそうなるんだよ。

 

「うん、なんかすごく自然だなって思った!それにヒッキーもクラスではたっくん以外と喋らないから、ちゃんと他の人とも喋るんだーとか思って」

 

そんなにコミュニケーション能力なさそうに見えますか……。

 

「そういえばそうだったわ。由比ヶ浜さんもF組だったわね」

 

「え、そうなん」

 

「覚えといてやれよ八幡……、で何しに来たんだ由比ヶ浜こんなところに」

 

拓也が尋ねると由比ヶ浜はふぅと短くため息をつく。

 

「……あのさ、平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願いを叶えてくれるんだよね?」

 

「そうなのか?」

 

「少し違うかしら。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。願いが叶うかどうかはあなた次第」

 

「どう違うの?」

 

「要するに奉仕部が解決をするんじゃなくて、依頼者、今回は由比ヶ浜自身が解決する、もしくは納得のいくための手伝いをするってこと。だろ、雪ノ下さん」

 

「……ええ、概ねその通りよ」

 

「なるほど!な、なんかすごいねっ!」

 

「雪ノ下は頭が良いからその説明の仕方になるんだろうが、こいつには届かんぞ。馬鹿だからな」

 

「たっくんひどーい!」

 

「事実だろ。俺は未だにお前がこの高校に入れたのか疑問で仕方がない」

 

「私だってやればできるんですー!」

 

「必ずしもあなたのお願いが叶うわけではないけれど、できる限りの手助けはするわ」

 

その言葉で本題を思い出したのか、由比ヶ浜はあっと声を上げる。

 

「あのあの、あのね、クッキーを……」

 

言いかけて俺の顔をチラッと見る。別に俺はクッキーじゃないぞ。

 

「比企谷くん」

 

「……ちょっと『スポルトップ』買ってくるわ」

 

空気を察してさりげなく行動するとか我ながら優しすぎる。俺が女子なら絶対惚れる。

 

「私は『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』でいいわ」

 

「俺も同じので」

 

ナチュラルに人をパシらせるとかこいつらマジぱないわ。

 

 

 

 

特別棟の三階から一階までの往復で十分かからないくらいだ。ゆっくりだらだら歩いていれば、彼女たちの話も終わるだろう。

 

「なんでついてくんだよ」

 

「いや、普通に出された」

 

「ま、そうだろうな」

 

「それと、お前に伝えとくことも出来たし」

 

「伝えたいこと?なんだよ」

 

「由比ヶ浜のことでな、お前が助けた犬の飼い主が由比ヶ浜ってのは小町ちゃんから聞いてるよな?家まで来たって聞いたし」

 

「……は?」

 

「……ん?」

 

「……俺はそんな話聞いてないぞ」

 

「……まじ?」

 

「まじだ」

 

拓也は心底驚いた表情でこちらを見つめる。一番驚きたいのは俺だっつーの。

 

「そうか……、まぁ知っといて損はないだろ。幸か不幸か図らずしてあの事故の関係者が集まるってのも面白い話だ。加えて雪ノ下と由比ヶ浜の会話を聞くに、関係を知ってるのは今俺たちだけだ」

 

部室での会話を思い出しながら俺も頷く。

 

「……まぁ、でも本当にたまたまだろ。依頼が終わればそれで今度こそ終わりだ」

 

「……俺はそうは思わないけどな」

 

「なんか言ったか?」

 

「なんでもねぇよ、……まぁ、頑張れや八幡」

 

「なんだよ急に」

 

気がつけば自販機に着いていた。俺たちは2本ずつ飲み物を買い今度はたわいない話をしながら部室へと戻った。

 

 

 

 

「遅い」

 

開口一番にそう言い放ち、雪ノ下は俺の手から野菜生活をひったくって、ストローを刺すや飲み始める。

 

「ほれ、由比ヶ浜」

 

「あ、たっくんありがとう!」

 

「おう、気にすんな、あとそのあだ名はやめろ」

 

なんだ、この差は。呆然と立ち尽くす俺を置いて話が進んでいく。

 

「話は終わったのか?」

 

「ええ」

 

「それで、何すんだ?」

 

「家庭科室に行くわ。あなたも暇ならついてきなさい。そこで突っ立てる比企谷くんも一緒にね」

 

「「家庭科室?」」

 

「クッキー……。クッキーを焼くの」

 

話がさっぱり見えないんだが……。

 

「由比ヶ浜さんは手作りクッキーを食べて欲しい人がいるのだそうよ。でも、自信がないから手伝ってほしい、というのが彼女のお願いよ」

 

「なんで俺たちがそんなこと……、それこそ友達に頼めよこいつとか」

 

そう言ってあいつを見る。

 

「そうだな、言ってくれれば、俺も手伝ったぞ」

 

「う……、そ、それはその……、友達とかにはあんまり知られたくないというか……」

 

「まぁ、カレーくらいしか作れねーが手伝うよ」

 

拓也は何やら少し考え込んでる様子だったので俺が言葉を繋ぐ。

 

「別にあなたの料理の腕に期待はしてないわ。味見して感想をくれればいいのよ」

 

そういうことなら俺がどうにかできる部分もあるはずだ。たいていのものならうまいと感じるくらい素直な人間だしな。

……それ役に立つの?

 

 

 

 

結論から言おう。由比ヶ浜には料理のスキルが欠如していた。足りる足りないの問題でははなく、最初から存在していない。

 

「な、なんで?」

 

「理解できないわ……。どうやったらあれだけのミスを重ねることができるのかしら……」

 

由比ヶ浜は物体Xを皿に盛り付ける。

 

「見た目はあれだけど……食べてみないとわからないよね!」

 

「そうね。味見してくれる人もいることだし」

 

「よかったな八幡、女子の手作りクッキーだぞ」

 

「雪ノ下。お前にしては珍しい言い間違えだな。……これは毒見と言うんだ。お前にはクッキーに見えるのかこれが」

 

「どこが毒よっ!……でも確かにクッキーには見えないかなぁ?」

 

「おい、これマジで食うのかよ。木炭みたいになってんぞこれ」

 

「食べられない原材料は使ってないから問題ないわ、たぶん。それに」

 

雪ノ下がそこで言葉を切ってこちらに耳打ちしてくる。

 

「私も食べるから大丈夫よ」

 

「「マジで?お前ひょっとしていい奴なの?それとも俺のことが好きなの」」

 

「……やっぱりあなたたちが全部食べて死になさいよ」

 

「すまん、気が動転しておかしなことを口走りました」

 

「ああ、あれを見て冷静ではいられなかったんだ」

 

「そもそも彼女のお願いを受けたのは私よ?責任くらいとるわ」

 

そう言って雪ノ下は皿を自分の側に引き寄せる。由比ヶ浜の方を見ると、仲間になりたそうな目でこちらを見ていた。……ちょうどいい。こいつも食えばいいんだ。人の痛みを知れ。

 

 

 

 

由比ヶ浜の作ったクッキーはぎりぎり食べることができた。それぞれが割り振られたノルマを達成して、紅茶で口直しをする。ようやくひと心地ついてため息が漏れた。

 

「さて、じゃあどうすればより良くなるか考えましょう」

 

「由比ヶ浜が二度と料理しないこと」

 

「それは最後の解決法だぞ八幡」

 

「それで解決しちゃうんだ⁉︎」

 

由比ヶ浜はがっくりと肩を落として深いため息をつく。

 

「やっぱりあたし料理に向いてないのかな……。才能ってゆーの?そういうのないし」

 

それを聞いて雪ノ下がふうっとため息をついた。

 

「……なるほど。解決方法がわかったわ」

 

「どうすんだ?」

 

尋ねてみると、雪ノ下は平然と答えた。

 

「努力あるのみ」

 

「それ解決方法か?」

 

「努力は立派な解決方法よ。正しいやり方をすればね」

 

「由比ヶ浜さん。あなたさっき才能がないって言ったわね?」

 

「え。あ、うん」

 

「その認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間には才能がある人を羨む資格はないわ。成功できない人間は成功者が積み上げた努力を想像できないから成功しないのよ」

 

雪ノ下の言葉は辛辣だった。そしてどこまでも正しい。由比ヶ浜は直接的に正論をぶつけられた経験なんてないんだろう。その顔には戸惑いと恐怖が浮かんでいる。

それを誤魔化すように由比ヶ浜はへらっと笑顔を作った。

 

「で、でもさ、こういうの最近みんなやんないって言うし。……やっぱこういうの合ってないんだよ、きっと」

 

「おい、由比ヶ浜、そうやって周りに合わせようとするのやめろ。イライラする」

 

珍しいことに拓也がきれていた。追い打ちをかけるように雪ノ下も続く。

 

「癪だけれど、彼の言うとうりね。付け加えて言うなら、自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」

 

「……」

 

由比ヶ浜は気圧されて黙り込む。きっと彼女はコミュニケーション能力が高いのだろう。クラスでも派手なグループに属するほどなのだから単純な容姿の他に協調性も必要とされる。ただ、それは裏を返せば人に迎合することがうまい、つまり、孤独というリスクを背負ってまで自己を貫く勇気に欠けるということでもある。

一方でこいつらはそれこそ我が道を行く人間だ。雪ノ下は言わずもがな、拓也も言うことは誰であろうと言うやつだ。

 

「か……」

 

帰る、とでも言うのだろうか。今にも泣き出しそうなか細い声が漏れた。

 

「かっこいい」

 

「「「は?」」」

 

俺たちの声が重なった。こいつ何言ってんの?思わず三人で顔と見合わせてしまう。

 

「建前とか全然言わないんだ……なんていうか、そういうのかっこいい……」

 

「な、何を言ってるのかしらこの子……。話聞いてた?私たち、これでも結構きついことを言ったつもりだったのだけど」

 

「そ、そうだぞ。俺もお前の嫌いなとこを言ったんだぞ?」

 

「ううん!そんなことない!あ、いや確かに言葉はひどかったし、ぶっちゃけ軽く引いたけど……」

 

正直こいつらがあそこまで言うとは思わなかったわ。だが、由比ヶ浜はただ引いただけではなかったらしい。

 

「でも、本音って感じがするの。ヒッキーと話してる時も、ちゃんと話してる。あたし、人に合わせてばっかだったから、こういうの初めてで……」

 

由比ヶ浜は逃げなかった。

 

「ごめん。次はちゃんとやる」

 

謝ってからまっすぐ雪ノ下と拓也を見つめ返す。予想外の視線に今度は逆に雪ノ下は声を失った。拓也は少し笑っているように見えた。

 

たぶん雪ノ下にとっては初めての体験だったろう。正論をぶつけて、きちんと謝れる人間は案外少ない。大抵は逆ギレするしな。

 

雪ノ下は何か言うべき言葉を探して、けれども見つからないといった風情だ。……こいつ、アドリブ弱ぇーなマジで。一方拓也は雪ノ下とは場数が違うのか言葉を返す。

 

「そうか、今のお前なら好きになれそうだ」

 

「……やり方教えてやれよ。由比ヶ浜もちゃんと言うことを聞け」

 

「一度お手本を見せるから、その通りにやってみて」

 

そう言って立ち上がると雪ノ下は手早く準備を始めた。その手際たるや先ほどの由比ヶ浜とは比べものにならない。焼き上がったクッキーは見た目麗しいものだった。一つ手に取って口に入れると、自然と顔がほころんだ。

 

「うまっ!お前何色パティシエールだよっ⁉︎」

 

「市販のものより断然うまいな」

 

「ほんとおいしい……。雪ノ下さんすごい」

 

「ありがとう」

 

「でもね、レシピに忠実に作っただけなの。だから、由比ヶ浜さんにもきっと同じように作れるわ。むしろできなかったらどうかしてると思うわ」

 

「もうこれ渡しとけばいいんじゃねーの」

 

「それじゃ意味ないでしょう。さ、由比ヶ浜さん。頑張りましょう」

 

「う、うん」

 

 

 

 

料理を作る様子を見ながらふと思ったんだが、こいつはあれだ。教えるのが上手くねぇ。天才ゆえに出来ない奴の気持ちが微塵もわからない。なぜそんなところで躓くのが理解できないのだ。つまり、今回は雪ノ下はよく頑張った。問題はこいつの方だ。

 

「なんでうまくいかないのかなぁ……。言われたとおりにやってるのに」

 

本当に頭のいい奴は人に教えるのが上手いだとか、どんなバカにもわかるように説明するというのが、そんなのは嘘っぱちだ。

なぜなら、残念な奴に何を言っても残念な奴は残念だから理解ができない。何度繰り返してもその溝が埋まることはない。

 

「あのさぁ、さっきから思ってたんだけど、なんでお前らうまいクッキー作ろうとしてんの?」

 

「はぁ?」

 

「お前ビッチのくせに何も分かってないの?バカなの?」

 

「だからビッチ言うなっつーの!」

 

「男心がまるでわかってないのな」

 

「し、仕方ないでしょ!付き合ったことなんてないんだから!そ、っそりゃ友達にはつ、付き合ってる子とか結構いるけど……そ、そういう子たちに合わせてたらこうなってたし……」

 

「別に由比ヶ浜さんの下半身事情はどうでもいいのだけれど、結局比企谷くんは何が言いたいの?」

 

充分にタメを作ってから俺は勝ち誇ったように笑った。

 

「ふぅー、どうやらおたくらは本当の手作りクッキーを食べたことがないと見える。十分後、ここへきてください。俺が“本当”の手作りクッキーってやつを食べさせてやりますよ」

 

「何ですって……。上等じゃない。楽しみにしてるわ」

そう言って廊下へと消えていった。

さて、と。これで勝負は俺のターン。

 

 

 

 

「ねぇ、たっくんは分かる?ヒッキーが言う“本当”のクッキーってやつ」

 

廊下で待っている俺に由比ヶ浜が尋ねる。

 

「まあ、大体はな」

 

「教えてもらえないかしら」

 

自分のクッキーが否定されたのがカチンときているのか、食い気味にくる雪ノ下。

 

「ここはあいつの見せ場だからな、答えはやれんがヒントはやろう。男ってのは残念なくらい単純ってことだよ」

 

 

 

 

しばらくの後、家庭科室は剣呑な雰囲気に包まれていた。

 

「これが『本当の手作りクッキー』なの?」

 

雪ノ下が怪訝な表情でテーブルの上の物体を眺めている。由比ヶ浜はいきなり嘲笑する……てめぇ後で覚えとけよ……。拓也は納得した表情だ。

 

「ま、そう言わずに食べてみてくださいよ」

 

「そこまで言うなら……」

 

「っ!こ、これはっ!」

 

由比ヶ浜の目がくわっと見開かれた。味覚が脳まで到達し、それにふさわしい言葉を探し出そうとする。

 

「はっきり言ってそんなにおいしくない!」

 

「そっか、おいしくないか。……頑張ったんだけどな」

 

「ーーあ……ごめん」

 

「わり、捨てるわ」

 

「ま、待ちなさいよ」

 

「……何だよ?」

 

由比ヶ浜が俺の手を取って止めていた。そのまま不揃いなクッキーをぼりばりと音を立てて噛み砕く。

 

「べ、別に捨てるほどのもんじゃないでしょ。……言うほどまずくないし」

 

「……そっか。満足してもらえるか?」

 

由比ヶ浜は無言で頷いてすぐに横を向いてしまう。夕日が差し込んでその頬は赤く見えた。

 

「まぁ、由比ヶ浜がさっき作ったクッキーなんだけどな」

 

「え?え?」

 

「比企谷君、よくわからないのだけれど。今の茶番に何の意味があったのかしら?」

 

「要はお前らはハードルを上げすぎてんだよ」

 

なんだろう、この優越感。ついつい饒舌になっちまう。

 

「ハードル競技の主目的は飛び越えることじゃない。最速のタイムでゴールすることだ。飛び越えなきゃいけないってルールはない。ハーーー」

 

「言いたいことはわかったからもういいわ」

 

「今までは手段と目的を取り間違えていたということね」

 

……なんか釈然としねぇ。だが、俺の言いたいことはまさしく雪ノ下が今言ったとおりなので、仕方なく頷いて言葉を続けた。

 

「せっかくの手作りクッキーなんだ。店と同じようなもの出されたって嬉しくなんかないんだよ」

 

 

 

 

そこからは由比ヶ浜と八幡の会話が続いる。そんな中雪ノ下が納得いかないような顔をしていた。

 

「ま、納得できないのも無理はない。これは女子には理解しにくいものだろ。ただ今回は俺から見たら贔屓目なしでも八幡の考えが正しいと思うがな」

 

由比ヶ浜と八幡が話している間に雪ノ下にそう話しかける。

 

「私は自分を高められるなら限界まで挑戦すべきだと思うの。それが最終的には由比ヶ浜さんのためになるから」

 

「まぁ、正論だわな。でもな雪ノ下……」

 

「誰も彼もがお前みたいにはいられないんだよ。それはお前が一番よく分かってるんじゃないか?」

 

「……そうね」

 

「俺は嫌いじゃないんだけどな」

 

「そうなの?」

 

驚いたのか少し目を見開きこちらを見る。

 

「あくまでも、俺はな、努力をした人間じゃなきゃそういう考えにはならない。基本的に人間は嫌なことがあれば逃げるんだからな。凄いと思うぜ俺は」

 

「……意外ね、比企谷くんの友達なんて言うからもっとマイナス思考の人だと思っていたわ」

 

「そんなことねぇよ、寧ろ俺はお前側の考え方に近いからな、努力は必ず身を結ぶ、とは言わない。だが、努力もしないで駄々をこねるほど見ていて醜いものはないだろ」

 

「少し見直したわ」

 

そこで見せた雪ノ下の微笑みはやけに俺の記憶に残った気がする。

 

 

 

 

ようやくこの奉仕部とかいう部活の活動内容が分かった。要するに生徒の相談に乗って、その問題を解決する手伝いをする。しかし、由比ヶ浜も正しく認識していないところを考えると、なんらかの伝手が必要になる。それはおそらく平塚先生。

つまりそれがなければここに足を運ぶ人間はいない。

俺も雪ノ下も拓也も沈黙が気にならない性質なので、こうして読書に勤しむ時間はとても静かだ。

それにしても。部員でもないこいつは何故いつもいるのだろうか。

そんなことを考えているとコツコツと戸を叩く音が響く。

 

「やっはろー」

 

頭の悪い挨拶とともに引き戸を引いたのは由比ヶ浜だった。

その姿を見て雪ノ下が盛大なため息をつく。

 

「…何か?」

 

「え、なに。あんまり歓迎されてない?ひょっとして雪ノ下さんってあたしのこと……嫌い?」

 

「別に嫌いじゃないわ。……ちょっと苦手、かしら」

 

「それ女子言葉で嫌いと同義語だからねっ⁉︎」

 

「で、何か用かしら」

 

「や、あたし最近料理にはまってるじゃない?」

 

「初耳よ」

 

「で、この間のお礼ってーの?クッキー作ってきたからどうかなーって」

 

さぁーっと俺たちの血の気が引いた。思い出しただけで喉と心が乾いてくる。

 

「お気持ちだけ頂いておくわ」

 

固辞する雪ノ下を、よそに由比ヶ浜はカバンから包みを取り出す。

それはやはり黒々としていた。

 

「今度はお弁当とか作っちゃおっかなーとか。あ、でさ、ゆきのんお昼一緒に食べようよ」

 

「いえ、私一人で食べるの好きだから。あと、ゆきのんて気持ち悪いからやめて」

 

「うっそ、寂しくない?ゆきのん、どこで食べてるの?」

 

「部室だけど……、ねぇ、私の話、聞いてたかしら?」

 

「あ、それでさ、あたしも放課後とか暇だし、部活手伝うね。いやーもーなに?お礼?これもお礼だから、全然気にしなくていいから」

 

「……話、聞いてる?」

 

雪ノ下が由比ヶ浜からの怒涛の一斉攻撃に戸惑いながらこちらを見る。真面目な話、雪ノ下が由比ヶ浜の悩みに真剣に取り組んだからこそお礼に来ているのだと思う。なら、それは彼女が受け取るべき権利であり、義務だ。邪魔しちゃ悪い。

俺は挨拶を残して部室を出ようとした。

 

「あ、ヒッキー」

 

声を掛けられて振り向くと、顔の前に黒い物体が飛んできた。反射的にそれを掴む。

 

「いちおーお礼の気持ち?ヒッキーも手伝ってくれたし」

 

見れば黒々としたハートの形の何か。そこはかとなく不吉だが、お礼と言うならありがたくもらっておこう。

あとヒッキーって言うな。

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡が部室を出て行ったあと、由比ヶ浜から俺にも黒々した物体が渡された。

 

「たっくんもありがとねー、手伝ってくれて」

 

「いや、今回俺は何にもしてないぞ……、それより渡したい奴に手作りクッキーは渡せたのか?」

 

「うん!」

 

少し照れくさそうに、それでいて元気な返事だった。物体の中身を確認すると、少し歪な形をした丸型の物体だった。

 

それを確認した俺は、絡まれてる雪ノ下を置いて教室を出る。あいつの助けを求める目はしばらく忘れそうにない。

あと、たっくんはやめろ。

 

 

 

 

 



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4話

誤字脱字は申し訳ないです。


チャイムが鳴り四限が終わった。昼休み、二年F組の教室は今日もいつもと変わらない喧噪に包まれていた。

 

「悪い八幡、トイレ行ってくるわ」

 

「おう」

 

拓也は大抵の場合俺と一緒に飯を食う。別のやつと食べる時もわざわざ断りを入れる。本当に律儀なやつだ。

 

少しの間暇になったので、小説なり漫画なりを読んで過ごそうと漁ってみるが、読みさしの本は昨日、部室に置いてきてしまったのを思い出した。十分休みに取りに行けばよかったかもしれない。

今度こそ本当に暇になってしまったので教室を見渡してみる。主だって目立つのは前後の集団だろう。

前方の彼らはPSPを持ち寄ってアドホック狩りをしている。確か小田と田原とかいったか。

 

「ちょおま、ハンマーとか!」

 

「ガンランスでジェノサイド余裕でした^ ^」

 

実に楽しそうである。正直言って交ざりたいくらいだ。

マンガ、アニメ、ゲームは一昔前ならぼっちの独壇場だったのだが最近は一種のコミュニケーションツール化していて、彼らのような人々に交じるのにもコミュ力を要する。

しかし、悲しいことに俺の中途半端な容姿ゆえに彼らに交じると陰では「にわか」「嘘非モテ」とか陰で叩かれる。どうしろってんだよ。

 

だいたい昔から「いーれーてー」の一言が言えない子供だったもんだからクラスのレクリエーションでフットベースをやるとき最後まで残ってたんだぜ?泣けてくるだろ。

おかげで運動自体は苦手でもないのにスポーツが苦手になってしまった。野球とか好きなんだけど小さい頃はひたすら一人野球をしていたこともある。……いつかキャッチボールでも頼んでみるか。

 

一方でそうしたコミュニケーションが実にスマートで得意な人種もこのクラスにいる。教室の後ろにいる連中がそうだ。サッカー部二人とバスケ部の男子二人、女子三名。その華やかな雰囲気から一目で彼らがこのクラスの上位カーストにいることがわかる。ちなみに由比ヶ浜もここに属している。その中でもひときわ眩い輝きを放つ二人。

葉山隼人。

それがあの連中の中心にいる人間の名だ。オサレ系イケメン男子である。なめとんのか。

 

「いやー、今日は無理だわ。部活あるし」

 

「別に一日くらいよくない?今日ね、サーティワンでダブルが安いんだよ。あーしチョコとショコラのダブルが食べたい」

 

「それどっちもチョコじゃん(笑)」

 

「えぇー。全然違うし。っていうか超お腹減ったし」

 

そう声を荒げているのが、葉山の相方・三浦優美子。

三浦の顔立ちは綺麗で整っているのだが、派手な格好と頭の悪そうな言動のせいで俺は好きではない。というか、もう純粋に怖い。

だが、葉山にとっての三浦は恐怖の対象ではないらしい、むしろノリのいい話しが合う相手、という認識のようだ。意外と言えば意外なことに拓也ともわりと話しているところを見る。両方我が強いと思うのだが話は合うのかだろうか。

 

「悪いけど、今日はパスな」

 

仕切り直すように切り出すと、葉山はスマイル全開で声高に言った。

 

「俺ら、今年はマジで国立狙ってっから」

 

「ぶはっ……」

 

思わず笑いがこみ上げてくる。なんかカッコいいこと言っちゃったみたいな雰囲気でてるのがもうね、ほんとダメ。

 

「何一人で笑ってんだよお前……」

 

トイレから帰ってきた拓也に引き気味な顔で声をかけられる。

 

「いや、あいつらの会話がな、別に聞こうとかじゃなくて声が入ってくるんだよ」

 

「あぁ、あいつらの会話か、お前から見たらそうなるわな。俺も自分からはそんな話さねーし」

 

それを聞いてふと疑問に思い聞いてみる。

 

「お前、三浦とか、由比ヶ浜とかとは喋ってるじゃねーか」

 

「あいつらと話すときは基本一対一だしな。あの集団とは話したいなんて微塵も思わん。それに、俺嫌いなんだよ、葉山」

 

そう言う拓也の顔は少し眉を潜めていた。

 

「珍しいな、人の好き嫌いが滅多にないお前が嫌いって言い切るのは」

 

「お前も、あいつの近くにいてみればいつかわかるさ」

 

「別に分かりたくもねーよ」

 

それを聞くと拓也は少し笑いながら俺の隣の席に座った。そんな俺たちをよそに教室の後ろが少し騒がしくなっていた。原因は少し前からはっきりしない態度を取っていた由比ヶ浜に三浦がキレたようだ。

 

「だーからー、ごめんじゃなくて。なんか言いたいことあんでしょ?」

 

イラついた声色で放たれた言葉は由比ヶ浜へと容赦なく向けられていた。

 

あほくさ。せいぜい身内で潰しあえよ。もそもそとパンを咀嚼し、飲み込んだ。だか、何かが、パン以外の何かが喉元にわだかまっていた。

……まあ、なんっつーの?

別に助けてやろうなんて気はないんだけどよ、知ってる女の子が目の前で泣きそうになっていると胃がきゅるきゅるして飯がまずくなるんだよ。それに、そうやって攻撃されるポジションは俺のものであって他の誰かにやすやすと譲ってやるわけにはいかないわけだ。

あー、あとあれだ。

 

……気にいらねぇんだよこの野郎。

俺は机をがたっと鳴らして颯爽と立ち上がった。

 

「おい、その辺でーー」

 

「るっさい」

 

ーーやめとけよ。と言いかけた瞬間、三浦がこちらをにらんだ。

 

すごすごと座りなおす俺の存在を無視して三浦は由比ヶ浜を上から見下ろす。

 

「あんさー、ユイのために言うけどさ、そういうはっきりしない態度って結構イラっとくんだよね」

 

由比ヶ浜のためと言いながらも最後は三浦の感情や利害のためになっていた。しかし、三浦の中では矛盾ではない。彼女はこのグループにおける女王だからだ。

 

「……ごめん」

 

「またそれ?」

 

三浦が呆れてと怒りを混じらせながら鼻で笑った。由比ヶ浜はさらに萎縮してしまう。

 

もうやめろよ、そういうの見てる側も気を使うんだよ。俺はもう一度、なけなしの勇気を振り絞る。どうせこれ以上嫌われようがないんだ。リスクゼロで勝負できるならそう悪い話じゃない。

俺が、立ち上がり二人のもとへ向かおうとすると、肩を拓也に掴まれた。

 

「ったく、そこでまた立ち上がれるお前はやっぱすげぇよ。……けど、バトンタッチだ、俺が丸く収めてくるからよ」

 

あいつが立ち上がって向かうのと同時にドアに見知った影を見た。

 

「謝る相手が違うぞ、由比ヶ浜」

「謝る相手が違うわよ、由比ヶ浜さん」

 

その二つの声は、かたや聞く者の身を竦ませる、けれども極光の如く美しい声。かたや聞く者を諭すように語りかけた。

しかし、視線の方は雪ノ下ばかりに集中していた。その存在に誰もが見惚れていた。完全な無音。それを切り裂いたのは雪ノ下ではなく拓也の方だった。

 

「被んなよお前……」

 

不覚にも吹き出してしまうところだった。この空気の中でそれを雪ノ下に言えるのはお前くらいだろ。由比ヶ浜見てみろよ、さっきのが嘘みたいにアホな表情になっちまってるぞ。雪ノ下にいたってはこめかみ抑えてため息ついちゃってるし。

 

「……あなたには色々と言いたいことはあるのだけれど、その前に、由比ヶ浜さん。あなた自分から誘っておきながら待ち合わせ場所に来ないのは人としてどうなのかと思うのだけれども。遅れるなら連絡の一本くらい入れるのが筋ではないの?」

 

その言葉を聞いて意識をこちらに戻した由比ヶ浜が雪ノ下のもとへと向かう。

 

「……ご、ごめんね。あ、でもあたしゆきのんの携帯知らないし……」

 

「……そう?そうだったかしら。なら、一概にあなたが悪いともいえないわね。今回は不問にするわ」

 

「お前ら結構一緒にいるのに連絡先も知らなかったのかよ……。あ、俺も雪ノ下のは知らねぇから後で教えてくれよ」

 

「なぜ、あなたにも教えないといけないのかしら……」

 

「ええ、いいじゃん、なくて困ることはあっても、あって困ることはないんだし」

 

彼らは周囲の空気などまるで読まずに、自分勝手に話を進める。すがすがしいまでにマイペースである。

 

「ちょ、ちょっと!あーしたちまだ話終わってないんだけどっ!」

 

ようやく硬直から解けた三浦が由比ヶ浜に食ってかかる。

 

「何かしら?あなたと話す時間も惜しいのだけれど。まだ昼食をとってないのよ」

 

「は、はぁ?いきなり出てきて何言ってんの?今、あーしがユイと話してたんだけど」

 

「おいおい、まてよ三浦、さっきのお前のそれは会話じゃなくて一方的に自分の意見を押し付けただけだろ」

 

「なっ⁉︎」

 

「そうね、気がつかなくてごめんなさいね。あなたたちの生態系に詳しくないものだから、ついつい類人猿の威嚇と同じものにカテゴライズしてしまったわ」

 

「〜〜っ」

 

「お前容赦ないな……こぇーよ」

 

「そうかしら?お山の大将気取りで虚勢を張るのは結構だけど、それを外に出すのがどうかと思っただけよ」

 

「……はっ、何言ってんの?意味わかんないし」

 

負け惜しみじみたことを言うと、三浦は倒れこむように椅子に座り、イライラと携帯をいじり始める。

そのすぐ傍で、由比ヶ浜が立ち尽くしていた。何か言いたげにきゆっとスカートの裾を握る拳に力を入れた。由比ヶ浜の意図を察したのか、雪ノ下は先に教室を出ようとする。

 

「先に行くわね」

 

「あ、あたしも……」

 

「……好きにすればいいわ」

 

「うん」

 

さらに由比ヶ浜に小声で拓也が呟いた。

 

「あとは任せて行ってこい」

 

「うん!」

 

気づけば、クラスの大半がそれぞれ理由をつけて教室から出ていた。その波に合わせるようになるべく音を立てないように由比ヶ浜の横を通り過ぎる。そのとき、ぼそっと小さな声が聞こえた。

 

「ありがと、さっき立ち上がってくれて」

 

 

 

 

 

 

「三浦」

 

「……何だし」

 

「ガキかお前は」

 

俺はそう冷たく言い放つ。周りの連中もこのタイミングで火に油を注いだ俺に驚く。

 

「なっ……!あんたねぇ!」

 

次第に三浦の顔が怒気を露わにして俺を睨みつける。

 

「何睨んでんだよ、確かにはっきりしない由比ヶ浜も悪いが、お前のそれはただの仲間意識の強要だ。友達だから、仲間だから、だから何してもいい。雪ノ下の言葉を借りればまさしくお山の大将だな。見てるこっちも気分が悪いんだよ」

 

俺は容赦なく言う。しかしそれは、三浦優美子という人間がこの程度で折れることなどないのを知っている。

 

「っ……、そうね、あーしも悪かったかも」

 

俺は別段なんとも思わんが、これに驚くのは周囲の人間だ、三浦にガツンと言える人がいないのだろう。特に葉山の信じられないものを見たような顔は傑作だったと言っておこう。

 

「ったく、お前の悪い癖だな、友達だというのならもっと周りを見るんだな、お前が思ってるより由比ヶ浜はちゃんとしてるとこもあるんだよ」

 

そんな俺の言葉を見計らったように由比ヶ浜が戻ってきた。こちらに任せておけと言ったにも関わらずだ。

 

「……あの、ごめんね。あたしさ、人に合わせないと不安ってゆーか……つい空気読んじゃうっていうか…、それでイライラさせちゃうこと、あった、かも」

 

「…………」

 

「でも、ヒッキーやゆきのんとかたっくん見てて思ったんだ。周りにだれも誰もいないのに楽しそうで、本音言い合ってお互い合わせてないのに、なんか合ってて……」

 

由比ヶ浜の嗚咽を漏らす声が聞こえたのか、雪ノ下が教室の中の様子を窺おうとするのが見えた。素直じゃない奴だな。

 

「だからね、あたしも無理しないでもっと適当に生きよっかなーとか、……そんな感じ。でも、別に優美子のことが嫌いだってわけじゃないから。だから、これからも仲良く、できる、かな?」

 

「……ふーん。そ。まぁ、いいんじゃない。……あーしも悪かったし」

 

「……ごめん、ありがと」

 

ぱたぱたと由比ヶ浜が上履きを鳴らながら教室を後にした。

 

「な?」

 

「……うっせーし」

 

今回の騒動の元を辿ればはっきりしない由比ヶ浜の言い方だ。こいつは、由比ヶ浜は友達だから、だから言いたいことがあるなら言って欲しかったと思っていたのだろう。それが三浦にとっての友達のあり方なのかもしれない。たしかに、言いたいことを素直に友達に言える関係は素晴らしいものだ。

だが、彼女の周辺の友達は俺にはそんな関係には見えなかった。

 

 

 

 

雪ノ下は俺の方など気にもかけず、さっさと廊下の向こうへと消えていく。おそらく由比ヶ浜との待ち合わせ場所に向かったのだろう。

がらっと教室の戸が開いた。

 

「え?な、なんでヒッキーがここにいんの?」

 

俺はぎこちない動作で右腕をあげ、うす、とごまかす。

 

「聞いてた?」

 

「な、何をでせう……」

 

「聞いてたんだっ!キモい!ストーカー!信じらんない!マジでキモい。や、もうほんとマジキモいから」

 

「少しは遠慮しろよ!」

 

さすがの俺も悲しくなっちまうだろうが。しかも最後真顔で言うんじゃねぇよ。リアルで傷つくだろ。

 

「はっ、今更遠慮するわけないでしょ。誰のせいだと思ってんのよ。ばか」

 

由比ヶ浜はそのまま走り去っていった。廊下走んな廊下。

 

「誰のせいって……。そりゃあいつら、だよな」

 

時計を見れば休み時間もあとわずかになっている。昼休みももう終わりだ。スポルトップでも買って喉と心の渇きを癒そう。

購買へと向かう途中、ふと思い返す。

オタクにはオタクのコミュニティがあり、あいつらはぼっちじゃない。リア充になるには上下関係やパワーバランスに気を使わなくちゃいけないので大変。

そう思うと、何だかんだ俺とあいつの関係は丁度いいものなのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回の材木座はそこまで掘り下げてかけません。ご容赦ください。


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5話

今さらではあるがらこの奉仕部という部活は要するに生徒のお願いを聞きその手助けをする部活である。と、こうして確認しておかないと、この部活がなにをしているのか本当にわからなくなる。

だって、俺も雪ノ下も普段ただ読書してるだけなんだぜ?拓也や由比ヶ浜なんてさっきから携帯いじってるだかけだし。

 

「ん。あー、っつーかお前らなんでいんの?」

 

あまりにも自然にここにいるせいで、当たり前のように対応してしまったが、由比ヶ浜も拓也も別に奉仕部の部員ではない。なんなら俺自身怪しいものだ。

 

「え?あーほら、あたし今日暇じゃん?」

 

「じゃん?とか言われても知らねーよ。広島弁かよ」

 

「はぁ?広島?私千葉生まれなんだけど」

 

実際広島の方言は「〜じゃん?」とつくので、「え、いえ初めて聞きました」みたいな反応をしてしまうことがよくある。男の広島弁は怖いイメージがあるが、女性の本場の広島弁はそれはもう大層可愛らしく、俺の選んだ可愛い方言十傑にランクインするくらいなのだ。

 

「俺はほぼ毎日来てんだから今更だろ。気にすんな。あと俺は広島弁もいいが博多弁の方が好きだな」

 

そういえばこいつほとんど部室にいたわ。俺より部員やってんじゃね?もちろん、博多弁もランクインしているのは言うまでもない。

 

「それに、博多で食ったラーメンも美味かったしなぁ」

 

しみじみと思い出に浸っている拓也をよそに由比ヶ浜は喋り出す。

 

「ラーメンっていえばさー、ゆきのん、なんか松戸あたりにラーメン屋さんがたくさんあるんだって。今度行こーよ」

 

「ラーメン……。あまり食べたことがないからちょっとよくわからないのだけれど」

 

「だいじょぶ!あたしもあんま食べたことないから!」

 

「それのどこが大丈夫なんだよ。由比ヶ浜」

 

「うん。それでさ、松戸のなんだっけな〜。ナントカってとこがおいしいらしくて」

 

「この子、話聞いてるのかしら?」

 

「知らね」

 

ラーメン屋について噛み合わない話をしている三人をよそに、俺は読書へと戻る。四人いるのに独りぼっちって一体どういうことなの……。

けど、まぁこうやって過ごしている時間はなんとなく高校生っぽい気がしなくもない。中学生に比べて活動範囲が広がる高校生はとかくおしゃれだのグルメだのに興味を示すものだ。ラーメン屋の話なんていかにも高校生っぽいじゃないの。

 

「おい、八幡。お前も一緒に行こうぜラーメン屋」

 

声のする方を見ると、さも当然のように俺を誘うあいつがいた。

 

「……そうだな」

 

……予定空けとくか。

 

 

 

 

翌日のことである。拓也と部室へ向かうと雪ノ下と由比ヶ浜が扉の前で立ちつくしていた。何してんのこいつらと思ってみていると、どうやら扉をちょっとだけ開けて中を覗いているらしい。

 

「何してんの?」

 

「ひゃうっ!」

 

可愛らしい悲鳴と同時に、びくびくびくぅっ!と二人の身体が跳ねる。

 

「比企谷くんに、佐藤くん……。び、びっくりした……」

 

「驚いたのは俺たちのほうだよ……」

 

どんなリアクションだよ。夜中まで、リビングで出くわしたときのうちの猫かよ。

 

「いきなり声をかけないでもらえるかしら?」

 

不機嫌そうな表情で睨みつけてくるまでうちの猫にそっくりである。そういえば、うちの猫、家族の中で俺にだけ懐かないんだよね。そこも含めて雪ノ下とうちの猫は超似てる。

 

「悪かったな。で、何してんの?」

 

拓也が改めて尋ねると由比ヶ浜は先ほどと同じく、部屋の扉をわずかばかり開いて中をそうっと覗き込みながら答えた。

 

「部屋に不審人物がいんの」

 

「不審人物はお前らだ」

 

「いいから。そういうのいいから。中に入って様子を見てきてくれるかしら」

 

雪ノ下はむっとした表情で命令を下す。

 

「まあ、待て。ここは一番まともに対応できる俺が行く」

 

拓也が扉を開いた瞬間に、吹き抜ける潮風。この海辺に立つ学校特有の風向きで教室内にプリントを撒き散らす。

 

「クククッ、まさかこんなところで出会うとは驚いたな。ーー待ちわびたぞ。比企谷八幡」

 

「な、なんだとっ⁉︎」

 

「おい、八幡知り合いか。こいつ」

 

拓也の背中に隠れている雪ノ下と一緒に怪訝な顔で俺とあちらさんとを見比べる。その不躾な視線に相手の男は一瞬怯んだが、すぐさま俺に視線を向け、腕を組みなおしてクックックッと低く笑う。

 

「まさかこの相棒の顔を忘れたとはな……見下げ果てたぞ、八幡」

 

「相棒って言ってるけど……」

 

俺の後ろに隠れていた由比ヶ浜が俺を冷ややかな視線で見る。

 

「そうだ相棒。貴様も覚えているだろう、あの地獄のような時間を共に駆け抜けた日々を……」

 

「お前、俺以外に友達いたのか?」

 

「いや、体育でペア組まされただけだぞ……」

 

我慢しきれず言い返すと、相手は苦々しげな表情を浮かべた。

 

「ふん。あのような悪しき風習、地獄以外の何物でもない。好きな奴と組めだと?クックック、我は………」

 

ここまでくればどんなに鈍いやつだって気づくだろう。この男はだいぶアレだ。

 

「……あの身を引き裂かれるような別れなど二度は要らぬ。あれが愛なら、愛など要らぬ!」

 

俗に言う中二病というやつなのだ。

 

「で、何の用だ、材木座」

 

「むっ、我が魂に刻まれし名を口にしたか。いかにも我が剣豪将軍・材木座義輝だ」

 

ばさっとコートを靡かせ、ぽっちゃりとした顔にやたら男前な表情を浮かべてこちらを振り返る材木座。自分の作った剣豪将軍という設定に完全に入り込んでいた。

それを見る三人の視線が痛かった。

 

「ねぇ……、ソレ何なの?」

 

不機嫌、というより不快感を露わにして由比ヶ浜が俺を睨みつける。だからなんで俺を睨むんデスカ。

 

「こいつは材木座義輝。……体育の時間、たまにペア組んでる奴だよ」

 

正直それ以上でもそれ以下でもない。俺と材木座の関係性はただそれだけだ。

俺と材木座は最初の体育の時間、余った者同士で組まされて以来、たまにペアにされる。組めるものなら拓也と組みたいものだが、俺と違ってあいつはいろんな奴と組むため、いつも俺とペアというわけではないのだ。

 

雪ノ下は俺の説明を聞きながら、俺と材木座を見比べる。それから納得したように頷いた。

 

「類は友を呼ぶというやつね」

 

最悪の結論を出された。

 

「ばっかお前いっしょくたにすんな。俺はあんなに痛くない。第一、友じゃねぇっつーの」

 

「ふっ。それにさ同意せざるを得んな。左様、我に友などおらぬ。……マジで一人で、ふひ」

 

材木座が悲しげに自嘲した。おい、素に戻ってんぞ。

 

「なんでもいいんだけど、そのお友達、あなたに用があるんじゃないの?」

 

「ムハハハ、とんと失念しておった。時に八幡よ。奉仕部とはここでいいのか?」

 

何その笑い方。初めて聞いたわ。

 

「ええ、ここが奉仕部よ」

 

俺の代わりに雪ノ下が答えた。一瞬雪ノ下の方を見てからすぐさま俺のほうに視線を戻す。なんでこっち見んだよ。

 

「……そ、そうであったか。平塚教諭に助言頂いたとおりならば八幡、お主は我の願いを叶える義務があるわけだな?幾百の時を超えてなお主従の関係にあるとは……これも八幡大菩薩の導きか」

 

「別に奉仕部はあなたのお願いを叶うるわけではないわ。ただそのお手伝いをするだけよ」

 

そう話す雪ノ下の近くにいた拓也は不気味なくらいに黙っていた。

 

「…………」

 

「……。ふ、ふむ。八幡よ、では我に手を貸せ。ふふふ、思えば我とお主は対等な関係、かつてのように天下を再び握らんとしようではないか」

 

「主従の関係どこいったんだよ。あとなんでこっち見んだっつーの」

 

「我とお主の間でそのような些末なことはどうでもよい。特別に赦す」

 

「うわぁ……」

 

由比ヶ浜がリアルに引いていた。心なしか顔が青ざめているようにも見える。

 

「比企谷くん、ちょっと……」

 

そう言って雪ノ下は俺の袖を引くと耳打ちする。

 

「なんなの?あの剣豪将軍って」

 

「あれは中二病だ。中二病」

 

「ちゅーに病?」

 

きき耳を立てていた由比ヶ浜も話しに加わってきた。

 

「病気なの?」

 

「別にマジで病気なわけじゃない。スラングみたいなもんだと思ってくれりゃいい」

 

「意味わかんない」

 

由比ヶ浜はうえっと嫌な感じに口を開けて呟きを漏らす。まぁ、俺だって今の説明じゃ絶対にわからん。

 

「ふぅん、つまり自分で作った設定に基づいてお芝居をしているようなものね」

 

「そんな感じだ。材木座はいちいち史実の引用がウザいが、あいつの場合はむしろ過去の歴史をベースにしているぶんマシだな。アレよりひどいやつもいる」

 

ソースは俺。八幡なんて名前はわりに珍しい。だから、自分が何か特別な存在なんじゃないかと思ってしまった時期もある。

 

「おい、お前ら、話してるとこ悪いがあいつ俺が相手していいか?」

 

今まで黙っていた拓也が声を上げる。どうやら何か我慢の限界だったらしい。その声には明確な怒気が混ざっていた。

 

「え、ええ」

 

あの雪ノ下ですら一歩引いている。……やりとりのどこかで腹に据えかねたことでもあったのだろうか。

 

「おい、材木座っていたか、あんたの依頼は中二病治すってことでいいんだよなぁ?」

 

「……八幡よ。余は汝との契約の下、朕の願いを叶えんがためこの場に馳せ参じた、それは実に崇高なる気高き欲望にしてただ一つの希望だ」

 

拓也から顔を背けて、材木座が俺を見る、一人称も二人称もぶれぶれだ。どんだけ混乱してんだよ。

 

「話してんのはこっちなんだよ。人が話してる時はその人の方を向いて話せ」

 

冷たい声音でそう言って拓也が材木座の襟首をつかんで無理やり顔を正面に向けさせた。

 

「……。モ、モハ、モハハハハ。これはしたり」

 

「その喋り方もやめろ」

 

「……」

 

拓也に冷たくあしらわれると、材木座は黙って下を向いてしまった。

こいつは何をそこまで怒っているんだろうか。

 

「お前さ、俺がなんでキレてるからわかるか?」

 

「……ふ、ふむ。おそらく我がおもうに……」

 

「まずその喋り方。そもそもお前は依頼しにきたんだろ。なのにあの態度はなんだ?由比ヶ浜でさえもちゃんとできたんだぞ?」

 

確かに一理ある。雪ノ下なんか得意げに頷いている。だが、それだけじゃこいつはキレたりしない。

 

「これはまだ許せた。一番許せないのはよ、八幡に対してだけ、友達でもないのに、願いを叶える義務があるだの、手を貸せだの、何様だお前は。俺は友達がそんな風に言われて黙っていられるほどできてないんだわ」

 

……そういやこいつはこういう奴なんだよな。だから俺も友達だと言えるんだろう。俺のために怒ってくれるこいつを。

そんな拓也を雪ノ下は驚きを、由比ヶ浜は羨望の目を向けていた。

 

「……はい」

 

それきり材木座は黙り込んでしまう。

 

すると、流石に言いすぎたと思ったのか、拓也は先ほどとは打って変わって優しげな表情を浮かべる。

 

「ま、俺も男だからな、そういうのは分からんでもない。別に八幡も本気で嫌がってはないし、ただ使うにしても言葉を選べってこと」

 

そう言って材木座を離すと、足元でかさりと何かが音を立てた。それは部室の中で舞っていた紙吹雪の正体だった。拾い上げると、やたらめったら難しい漢字がびっしりと羅列されていて、その黒さに目を奪われる。

 

「これって……」

 

俺はその紙から目をあげると部屋中を見渡す。一枚一枚拾い上げて通し番号順に並べ替えていく。

 

「ふ、ふむ、言わずとも通じるとはさすがだな」

 

ちらちらと拓也の方を見る。余程さっきの説教が効いたようだ。そんな材木座を無視して由比ヶ浜は俺の手の中にあるものに視線をやる。

 

「それ何?」

 

紙束を渡すと由比ヶ浜はペラペラとめくり中身を改めている。読み進めようとしだが、ため息をつくと俺に戻してきた。

 

「これ何?」

 

「小説の原稿、だと思うけどな」

 

「ご賢察痛み入る。如何にもそれはライトノベルの原稿だ。とある新人賞に応募しようと思っているが、友達がいないので感想が聞けぬ。

読んでくれ」

 

「何か今とても悲しいことをさらりと言われた気がするわ……」

 

「投稿サイトとかがあるからそこに晒せばいいんじゃねぇの」

 

「それは無理だ。彼奴等は容赦がないからな。酷評されたらたぶん死ぬぞ、我」

 

確かにネット越しの相手より、俺たちくらいの距離感の方が厳しい意見は出にくいが……

 

「でもなぁ……」

 

俺はため息交じりに隣を見た。目が合うとあいつらはきょとんとしている。

 

「たぶん、投稿サイトよりこいつらの方が容赦ないよ?」

 

 

 

 

俺と由比ヶ浜、拓也と雪ノ下はそれぞれ原稿を持ち帰り、一晩かけて読むことにした。材木座の書いた小説はジャンルで言うなら、学園異能バトルものだった。これを読み終えたころには空が白んでいた。

 

おかげで今日の授業はほとんど寝て過ごす羽目になってしまった。それでもなんとか六限を過ごす。すでに拓也は部室へとと向ったのか教室にいなかった。それにならうように俺も部室へと向かう。

 

「ちょー!待つ待つっ!」

 

特別棟に入ったあたりで、俺の背中に声がかかった。振り返れば由比ヶ浜が薄っぺらい鞄を引っかげながら追いかけてきた。やけに元気がよく、そのまま俺の隣を歩く。

 

「ヒッキー、元気なくない?どしたー」

 

「いやいやいや、あんなの読んでたらそりゃ元気なくなるだろ……。もうめっちゃ眠いわ。っつーかあれ読んでなんでお前が元気なのか知りたいわ」

 

「え?」

 

由比ヶ浜が目をぱちぱちっと瞬かせた。

 

「……あ。だ、だよねー。や、あたしもマジ眠いから」

 

「お前、絶対読んでないだろ……」

 

 

 

 

俺たちが部室に入ると雪ノ下は珍しくうつらうつらしている中、その側で拓也は本を読んでいた。

 

「よう」

 

「おう、お疲れさん」

 

俺たちの声を聞いても雪ノ下は穏やかや表情のまますうすうと寝息を立てていた。

 

「俺がきた時からその調子だぞ」

 

それを聞いた俺は改めて雪ノ下に目をやる。やっぱり黙ってるとこいつ本当かわいいんだよな。そんなこと思っていると、それと同時に雪ノ下の唇がわずかに動いた。

 

「……驚いた、あなたの顔を見ると一発で目が覚めるのね」

 

うわぁ……、俺も今ので目が覚めたわ。危うく見てくれに騙されて血迷うところだった。もうほんと永眠させてやりたいこの女。

雪ノ下はくあっと子猫のような欠伸をすると、大きく伸びをする。

 

「その様子じゃそっちも相当苦戦したみたいだな」

 

「ええ、徹夜なんて久しぶりにしたわ。私もこの手のもの全然読んだことないし。……あまり好きになれそうにないわ」

 

「まあ、まずお前が読むようなタイプの小説ではないわな」

 

拓也の目の下にも薄っすらとクマが見えた。

 

「あー。あたしも絶対無理」

 

「お前は読んでねーだろ。今から読め今から」

 

苦労してない由比ヶ浜をうらめしげに感じていると、部室の戸が荒々しく叩かれる。

 

「頼もう」

 

材木座が古風な呼ばわりとともに入ってきた」

 

「さて、では感想を聞かせてもらいたい」

 

材木座は椅子にドカッと座り、顔にはどこかしら優越感じみたものがある。自信に溢れた表情だ。

 

対して正面に座る雪ノ下は珍しいことに申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「ごめんなさい。私にこういうのよくわからないのだけど……」

 

そう前置きすると、それを聞いた材木座は鷹揚に応える。

 

「構わぬ。好きに言ってくれたまへ」

 

そう、と短く返事をすると、小さく息を吸って意を決した。

 

「つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ」

 

「げふぅっ!」

 

一刀のもとに切り捨てやがった……。

 

「ふ、ふむ…。さ、参考までにどの辺がつまらなかったのかご教示願えるかな」

 

「まず、文法がめちゃくちゃね。なぜいつも倒置法なの?『てにをは』の使い方知ってる?小学校で習わなかった?」

 

「ぬぅぐ……そ、それは平易な文体でより読者に親しみを……」

 

「そういうことは最低限まともな日本語を書けるようになってから考えることではないの?それと、このルビだけど誤用が多すぎるわ。『能力』に『ちから』なんて読み方はないのだけれど。だいたい、『幻紅刃閃』と書いてなんでブラッディナイトメアスラッシャーになるの?ナイトメアはどこからきたの?」

 

「げふっ!う、うう違うのだっ!最近の異能バトルではルビの振り方に特徴を」

 

「そういうのを自己満足というのよ。あなた以外の誰にも通じないもの。それに、話の先が読めすぎて一向に面白くなる気配がないわね。で、ここでヒロインが服を脱いだのは何故?必然性が皆無で白けるわ」

 

「ひぎぃっ!し、しかしそういう要素がないと売れぬという……展開は、その……」

 

「そして地の文が長いしつこい字が多い読みづらい。というか、完結していない物語を人に読ませないでくれるかしら」

 

「ぴゃあっ!」

 

材木座が四肢を投げ出し悲鳴をあげた。目なんか天井をむいてまんま白目になってるし。そろそろ止めたほうがいいだろう。

 

「その辺でいいんじゃないか。あんまりいっぺんに言ってもあれだし」

 

「まだまだ言い足りないけど……。まぁ、いいわ。じゃあ、次は佐藤くんかしら」

 

「ん、俺か?」

 

材木座はすがるような視線を送る。瞳には涙が滲んでいた。

 

「んー、だいたい言いたいことは雪ノ下が言ったしなぁ」

 

「ひでぶっ!」

 

「強いて言うなら、お前さ、人に読ませる気あんの?自分が考えた文章にもなってないものをただ書きなぐってるだけ。文才以前の問題常識を身につけたほうがいいよ」

 

「ごはぁっ!」

 

まるで鳩尾でも殴られたかのようなリアクションをする。予想はしていたが、それ以上にボコボコにされた材木座は見てらなかった。

 

「こんくらいでいいかな俺は、次は由比ヶ浜な」

 

「あ、あたし⁉︎」

 

材木座を見てどうにか褒める部分を探す由比ヶ浜。

 

「え、えーっと……む、難しい言葉たくさん知ってるね」

 

「ぶはぁっ!」

 

ついに血反吐でも吐くのに至ったのだろうか。材木座は風前の灯だった。

 

「じゃ、じゃあ、ヒッキーどうぞ」

 

「ぐ、ぐぬぅ。は、八幡。お前なら理解出来るよな?我の描いた世界、ライトノベルの地平がお前にならわかるな?愚物どもでは誰一人理解することができぬ深遠なる物語が」

 

ああ、わかってるさ。

答えてやらねば男がすたる。俺は優しく言ってやった。

 

「で、あれって何のパクリ?」

 

「ぶふっ⁉︎ ぶ、ぶひ……ぶひひ」

 

材木座は床をのたうち回り、壁に激突したままピクリとも動かなくなった。

 

「……あなた容赦ないわね」

 

「ああ、俺たちなんかより酷薄だぞそれは」

 

二人ともとどめを刺した俺にすごい勢いで引いていた。

 

「……ちょっと」

 

由比ヶ浜が肘で俺の脇腹をつつく。どうやらフォローをいれてやれってことらしい。少し考えて一番根本的な部分について言い忘れついたことを思い出した。

 

「まあ、大事なのはイラストだから。中身なんてあんまり気にすんなよ」

 

 

 

 

材木座はしばらくラマーズ法を繰り返しながら、手足をプルプル震わせながら立ち上がった。

 

「……また、読んでくれるか」

 

思わず耳を疑った。俺が黙っていると、今度はさっきよりも力強いはっきりとした声で聞いてきた。

 

「また読んでくれるか」

 

熱いまなざしを俺たちに向けてくる。

 

「お前あれだけ言われてまだやんのかよ」

 

そう尋ねる拓也に目をそらすことはなく返す。

 

「無論だ。確かに酷評されはした。もう死んじゃおっかなーどうせ生きててもモテないし友達いないし、とも思った。むしろ、我以外みんな死ねと思った」

 

「そりゃそうだろ。俺だってもし書いた小説があれだけ言われればくるものがある」

 

しかし、材木座はそれでも言うのだ。

 

「だが、それでも嬉しかったのだ。自分が好きで書いたものを誰かに読んでもらえて、感想を言ってもらえるというのはいいものだな。この想いになんと名前を付ければいいのか判然とせぬのだが……。読んでもらえるとやっぱり嬉しいよ」

 

そう言って材木座は笑った。

それは剣豪将軍の笑顔ではなく、材木座義輝の笑顔。

それを見た、拓也のしてやられた顔とあいまってなんともかっこよかった。

ーーああ、そうか。

こいつは中二病ってだけじゃない。もう立派な作家病に罹っているのだ。

書きたいことが、誰かに伝えたいことがあるから書きたい。そして、それで誰かの心を動かせたのならとても嬉しい。だから、何度だって書きたくなる。たとえそれが認められなくても、書き続ける。その状態が作家病というのだろう。

そして、それを察っせない拓也ではない。

 

「そうか、なら読んでやるよ、何回でも」

 

これは材木座がたどり着いた境地だ。たとえ病気扱いされようと、白眼視され、無視され、笑い者にされても、決して曲げることなく、諦めることなく妄想を形にしようと足掻いた証だ。

こいつは、拓也はそんな奴らがどうしようもなく好きなのだ。

 

「また新作が書けたら持ってくる」

 

そう言い残して材木座は俺たちに背中を向けると、堂々と部室を後にした。

歪んでても幼くても間違っていても、それでも貫けるのならきっと正しい。誰かに否定されたくらいで変えてしまい程度なら、そんなものは夢でもなければ自分でもない。だから、材木座はあれでいいのだろう。あの気持ち悪い部分を除けば、だがな。

 

 

 

 

あれから数日たった。

本日最後の授業は体育である。俺と材木座はペアを組んでいる。

そこは別に変わっていない。

「八幡よ。流行の神絵師は誰だろうな」

 

「気が早ぇーよ。賞取ってから考えろよ」

 

「おい、義輝。神絵師なんていわれる人に書いてもらえると思ってんの?」

 

「……ゆくゆくはな。時に拓也よ、……売れたらアニメ化して声優さんと結婚できるかな?」

 

「そういうのはいいから。まずは原稿書け。な?」

 

そんな感じで俺と拓也と材木座は体育中に会話するようになった。変わったのはそれくらい。

話してる内容がおしゃれでもかっこよくもない、拓也もこっちに合わせてくれるからただただ残念な話ばかり。

けど、少なくとも体育の時間を“嫌な時間”とは思わなくなった。

まぁ、それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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6話

妹の小町がジャムを塗りたくったトースト片手に熱心にファッション雑誌を読んでいる。それを横から覗きながら俺は朝のブラックコーヒーを飲んでいた。時刻は七時四十五分。

 

「おい、時間」

 

夢中になって雑誌を読んでいる妹の肩を肘で小突いてやり、そろそろ出かける時間だと教えてやる。小町ははっと時計を確認する。

 

「うっわやばぁ!」

 

そう言うと小町は慌ただしく制服に着替え始める。その横で俺は砂糖と牛乳を引き寄せる。MAXコーヒーで育ったとも言われている生粋の千葉っ子の俺はコーヒーは甘くなければいけないのだ。

 

「人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい……」

 

独り言を呟いた後、甘々としたそいつを飲み干す。うまいな……。

 

「お兄ちゃん!準備できた!」

 

「兄がまだコーヒーを飲んでるでしょうが……」

 

かれこれ数ヶ月前のことになるが、一度このアホな妹を自転車の後ろに乗っけて中学校まで送ってやったことがある。それ以来、なし崩し的に俺が送っていく回数が増えた。

女の涙ほど信用ならないものはない。おかげで俺の中での女性=妹の小町のように男を利用するもの、と刷り込まれている。

 

「俺が女性不信になったらお前のせいだぞ。結婚できなかったら老後とかどうすんだよ」

 

「そのときは小町がどうにかしてあげるよ?」

 

ニッコリと微笑む小町。その表情はどこか大人びていた。

 

「頑張ってお金溜めて介護施設とか入れてあげる」

 

大人びているというか、ただの大人の意見だった。

 

「……やっぱりお前、俺の妹だよなぁ」

 

そうため息をつきながら、玄関を出て自転車にまたがる。間髪入れずに小町が乗り、俺の腰に腕を回す。

 

「レッツゴー!」

 

「お前、感謝とか全然してないだろ」

 

軽快に走り出すと、小町が話しかけてきた。

 

「今度は事故ったりしないでね。今日は小町乗ってるから」

 

「俺が一人のときなら事故ってもいいのかよ……」

 

「お兄ちゃんときどき腐った魚みたいな目して、ぼーっとしてるとこあるから心配なんだよ。これは妹の愛だよ?」

 

俺だって家族に無用の心配をかけるのは本意ではない。

 

「……ああ、気をつけるよ」

 

何はともあれ、安全運転である。

俺は高校入学初日、交通事故に遭っている。高校付近で犬の散歩をしていた女の子の手からリードが離れ、そこへ運悪く金持ちそうなリムジンが来た。気がついたときには全力で走り出していた。

 

「でもさ、早く治って良かったよね」

 

「骨折したわりにはな」

 

「そういえばさ、あの事故の後、あのワンちゃんの飼い主さん。うちにお礼に来たよ」

 

「……らしいな」

 

「あれ?お兄ちゃん寝てたよね?」

 

「拓也から聞いたんだよ」

「あー、確かに拓也さんに写メ送ったなぁー」

 

「なんで被害者の俺があずかり知らぬところで勝手にやりとりやってんだよ……」

 

「でもさ、同じ学校だから会ったんじゃないの?学校でお礼言うって言ってたよ?」

 

「お礼ね……」

 

拓也から聞いた通りなら、女の子というのは由比ヶ浜のことだろう。

あいつの言うお礼というのは俺への同情という意味で話しかけることなのだろうか。そんな考えが頭に日に日にに浮かんできている。

 

「ーーあ、もう学校じゃん。小町、行くね」

 

長い間考え込んでしまっていたようで、気がつくと小町は自転車から飛び降りて、校門めがけて駆け出していく。

 

「行ってくるであります!お兄ちゃん、ありがとー!」

 

そう言って手を振られてしまうと、あんな妹でも可愛げを感じる。そんな小町を見ると悩んでることも小さいことに思えてくる。

また、あいつに世間話ついでに聞いてみるか。

相談できる相手がいるというのは心に余裕ができるもんだな、自然と体が軽くなった気がした。

 

「……あのアホ」

 

意気揚々と自転車をこぎだそうとした俺の目にうつったのは俺のじゃない黒い通学カバンだった。向こうから涙目に走ってくる小町に出鼻をくじかれてしまった。

 

 

 

 

月が変わると、体育の種目も変わる。

今月からはテニスとサッカーだ。今年はテニス希望者が多かったらしく壮絶なじゃんけんの末、俺と拓也はテニス側に生き残り、材木座は敗北の末サッカー側へと振り分けられてしまった。

最初こそは気丈に振る舞っていた材木座だが、最後の方は完全に涙目でこちらを見ていたのが印象深い。

 

「うし、じゃあお前ら打ってみろや。二人一組で端と端に散れ」

 

そう体育教師の厚着が言うと、皆ペアを組んでコートの端と端へと移動する。例にもれず俺たちもペアを組み端へと向かう。あいつはやる気がないのか、あくびをしながら打球を打ち返してくる。互いに打球が正確にとぶせいでまるで作業のような時間が続く。

周囲では派手な打ち合いできゃっきゃっと騒ぐ男子が実に楽しそうにラリー練習をしていた。

うっせーなー死ねよと思いながら見ると、葉山を中心とした四人組カルテットを形成していた。

 

「やっベー葉山くん今の球、マジやべーって。曲がった?曲がったくね?今の」

 

「いや打球が偶然スライスしただけだよ。悪いミスった」

 

その葉山の声を金髪はオーバーリアクションで返す。

 

「マッジかよ!スライスとか『魔球』じゃん。マジぱないわ。葉山くん超ぱないわ」

 

「やっぱそうか!」

 

調子を合わせるようにして楽しげに笑う葉山。よく見ると、葉山自身が積極的に声を出しているんではなく周りの連中がうるさい。特に大臣役を買って出ているあの金髪が。

その金髪の放った打球が俺のいる場所に飛んできた。

 

「あ、ごっめーんマジ勘弁。えっと、えー……ひ? ヒキタニくん?ヒキタニくん、ボールとってくんない?」

 

誰だよヒキタニくん。

訂正する気も起きず、ボールを拾い上げて投げ返してやった。

 

「ありがとねー」

 

葉山が朗らかに笑いながら俺に手を振ってきた。それに会釈を返す。

……なんで俺会釈とかしてるん?我ながら卑屈である。拓也の方を見るとやれやれと言わんばかりに肩をすくめていた。

 

 

 

 

昼休み。

今日は俺の昼食スポットで二人で飯を食う。特別棟の一階。保健室の横、購買の斜め後ろだ。位置でいえばちょうどテニスコートを眺める形になる。

 

「お前よくこんな場所みつけるな」

 

「いいだろここ」

 

臨海部に位置しているこの学校に吹き付ける海の潮風にふかれ、拓也は眠気を誘われているようだ。

 

「あれー?ヒッキーにたっくんじゃん」

 

見ればスカートを押さえた由比ヶ浜が立っていた。

 

「なんでこんなとこいんの?」

 

「たまに来るんだよここ、この時期は潮風が気持ちいいからな」

 

「へー、そうなん」

 

大した興味もなさそうな返事が返ってくる。話題を変えよう。

 

「それよかなんでお前ここいんの?」

 

「じつはね、ゆきのんとゲームでジャン負けしてー、罰ゲームってやつ?」

 

「俺と話すことがですか……」

 

「ち、違う違う!負けた人がジュース買ってくるってだけだよ!」

 

由比ヶ浜は慌てて手を振り否定して、俺の横にちょこんと座る。

 

「ゆきのん、最初は『自分の糧くらい自分で手に入れるわ。そんな行為でささやかな征服欲を満たして何が嬉しいの?』とか言って渋ってたんだけどね」

 

「まぁ、あいつらしいな」

 

「うん、けど『自信ないんだ?』って言ったら乗ってきた」

 

「はは、あいつらしいな」

 

眠たいのか気だるげに始めて拓也が会話には混じる。

 

「でさ、ゆきのん勝った瞬間、無言で小さくガッツポーズしてて……もうなんかすっごい可愛かった……。それになんか、この罰ゲーム初めて楽しいって思った」

 

「前にもやったのか?」

 

俺が問うと、由比ヶ浜はこくっと頷く。

 

「前に、ちょっと、ね」

 

俯く由比ヶ浜に拓也が声をかける。

 

「あいつらの内輪ノリ、何が楽しいのか理解できんしなー」

 

「意外、たっくん、そういうの好きそうなのに」

 

「お前、楽しいとは感じなかったんだろ?当事者がそう感じているんだ。周りから見たらただただ不快なんだよなぁ」

 

「俺も、内輪ノリとか内輪ウケとか嫌いだ。あ、内輪もめは好きだ。なぜなら俺はもめるほど内輪にひとがいないかならなっ!」

 

「ヒッキーの理由悲しい上に性格が下衆だ⁉︎」

 

ほっとけ。

由比ヶ浜は吹き抜ける風に髪を押さえながら笑う。その表情は教室で三浦たちといたときとはまた違っていた。

ああ、そうか。たぶん、だが、メイクが前ほどきつくない。女子の顔をじろじろ眺めることなんてないからわかんねーけど。

けれど、これも彼女が変わったことの証なのだろう。より素顔に近くなった由比ヶ浜は笑うと目が垂れて童顔がさらに幼気なものになる。

 

「でも、ヒッキーだって内輪ノリ多いじゃん。部活で喋ってるときとか、教室でたっくんと話してるときとか楽しそうだし。あたしは入れないなーとか思うときあるし」

 

言いながら膝を抱えこむように顔をうずめ、上目遣いでこちらを見る。

 

「別に遠慮することないだろ。話したいなら話せばいいんだよ。それにこいつ、話しかけてもらえると喜ぶからな」

 

「ふーん、そうなの?ヒッキー」

 

「ばっ!お前、べ、別にそんなこと思ってねーよ!」

 

「わかりやすすぎ、ヒッキー」

 

「由比ヶ浜に言われるようになったらいよいよお前も終わりだ八幡」

 

「それどういう意味⁉︎てか最近あたしのことみんなバカにし過ぎだからっ!あたしだってちゃんと入試受けて総武高に入ったんだからねっ⁉︎」

 

ビシッと由比ヶ浜のチョップがなぜか俺の喉に突き刺さった。理不尽すぎじゃないですかねぇ……。俺が噎せ込んでいると、由比ヶ浜は遠い目をしながら質問してきた。

 

「……ねぇ、入試っていえばさ、入学式のこと覚えてる?」

 

俺の中ではタイムリーな質問で動揺してしまう。拓也も先ほどとは打って変わり、真面目にこちらの話を聞いていた。

 

「……あー。いや、俺当日に交通事故に遭ってるからなー」

 

「事故……」

 

「ああ。入学初日、ワンちゃんが車にはねられそうになってるところに出てって車に轢かれたんだよ」

 

由比ヶ浜はおそらく、俺が知っていることには気づいていないはずだ。だが、それでいい。知ってることを知れば、知らなくていいことも知ることになるかもしれない。なら、わざわざ自分からそんなことを言う必要は

 

 

 

 

「そのワンちゃんの飼い主お前なんだってな、由比ヶ浜」

 

 

 

 

瞬間、時間が止まった。

 

「な、なんで……、たっくんが知ってるの?」

 

「八幡の妹に写メもらった。あと、同じ学校にいること、外見の特徴も聞いたからな、それに俺八幡にも教えたし」

 

「え……」

 

追い討ちのごとく告げられた事実に由比ヶ浜はぼうぜんとしている。強く吹き付けた潮風に意識を戻された俺は拓也を睨む。そんな俺を気にも留めず話を続ける。

 

「……由比ヶ浜、なんでこいつがそれを言わないのかわかるか?」

 

「……わかんない」

 

「同情されたくなかったんだよ、こいつは、お前が話しかけてくることですら同情からだと思ってる節がある」

 

「……本当なの?ヒッキー……」

 

「…………」

 

そうだ。否定できない俺は、ただただ黙るしかない。

 

「……なんでそんな風に思うの?……そんなふうに思ったこと一度もないよ。あたしは、ただ……」

 

小さくささやくような声は震えていた。

 

 

「まてまて、俺の話はまだ終わってないぞ。話は最後まで聞け、そんなんだからバカ扱いされるんだよお前は」

 

 

「なっ!い、今それは関係ないでしょ!」

 

あんなに重たかった空気は何処へやら、先ほどの空気へと逆戻りだ。途端に俺の無意識に込めていた力も抜けていた。

 

「いいか、俺が話したいのは、お前らが今それぞれどう思ってるのかってこと。まず、八幡。お前からだ」

 

「……俺?」

 

「そうだ、お前は本当に由比ヶ浜がただの同情で今もお前に話しかけていると思っているのか?」

 

「…………」

 

俺なりに由比ヶ浜結衣との関係について改めて考えてみる。俺と由比ヶ浜はそこまで長い関係でもない。知っていることなんて高が知れている。寧ろ知らないことがほとんどだろう。

 

……でも、それでも、こいつといるときは、居心地が良かった。一人の女の子として俺に話しかけてくれた。遠慮しないありのままの俺でいられた。

 

……俺も人間強度が下がったのか。一度拓也を信じてからはもう一度誰かを、由比ヶ浜を信じてもいいと思ってしまう。

 

「……最初はな」

 

ビクッと由比ヶ浜の肩が揺れた。

 

「でも、どっかの誰かさんと出会って、もう一度、誰かを信じてみようって思えた、だから俺は、……俺は同情からだなんてもう思ってねぇよ」

 

言い切ってしまった。我ながらなんともくさいセリフだとは思う。

 

「だとさ、次はお前だ、由比ヶ浜」

 

「……うん、そうだね」

 

俺の話を聞いた由比ヶ浜は、躊躇いながらも、それでいてはっきりとした言葉を発した。

 

「……ヒッキーが同情からだとか、気を遣ってるからだとか、思ってたなんて全然知らなかった。そんな難しいことよくわかんないしさ、あたし」

 

「だから、この際はっきり言うね」

 

真っ直ぐとこちらを見つめる。

 

 

 

「あたし、友達になりたかったの。ヒッキーのこと好きだから」

 

 

 

「……え?」

「……お?」

 

由比ヶ浜の爆弾発言に俺たち二人は別の意味でそれぞれ固まる。

 

「……え、あっ、ち、違う違う‼︎友達として、友達としてだから‼︎」

 

首がとれるのではないかと思うくらい頭を横に振る。

 

「お、おう、そうか」

 

面と向かって友達になりたいと言われたことはなにより嬉しかった。人を信じて良かったと、また思わされた。問題はそのあとだ。わかっている、もちろん由比ヶ浜が否定する通り友達としてなのだろう。わかってはいる。それでも、素早く動く俺の心臓はしばらくの間落ち着きを取り戻すことはなかった。

 

「……なんでそこで誤魔化しちゃうかなぁ」

 

今の関係が終わり、新しいく友達になった二人を見つめながら、一人呟く俺の声はあいつらに聞こえることなく潮風に攫われていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書きたいことは頭にあるのに、なかなか文章に起こせない……、改めて物書きをする人の凄さを実感しました。
小説に色が付いてました。ありがとございます。励みになります。


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7話

1万字オーバーです。読みにくくて申し訳ないです。


とても長く感じられた昼休みだったが、時計を見ると、まだ時間が余っている。まだ少しぎこちない俺と由比ヶ浜だったが、拓也が話をつなげてくれるお陰でなんとか場が持っていた。

そんな俺たちの前を自主練を終えたらしい女テニの子が汗をぬぐいながら戻ってくる。

 

「おーい!さいちゃーん!」

 

由比ヶ浜が手を振って声をかける。知り合いがいたようだ。その子は由比ヶ浜に気づくと、とててっとこちらに向かって走り寄ってくる。

 

「ん?戸塚か?」

 

どうやら拓也も知っているようだ。

 

「練習か?」

 

「うん。うちの部、すっごい弱いからお昼も練習しないと……。お昼も使わせてくださいってずっとお願いしてたらやっと最近OKでたんだ。3人はここで何してるの?」

 

「やー、ちょと色々ねー」

 

たははと苦笑いを浮かべながら由比ヶ浜はこちらを見る。正直、気持ちの整理がまだついていない俺に振られても困る。そもそもお前は罰ゲームの途中じゃなかったけ?雪ノ下今頃激おこだよ。

 

そうなんだ、とさいちゃんもとい戸塚さんたら言う女の子はくすくす笑った。

 

「さいちゃん、授業でもテニスやってるのに昼練もしてるんだ。大変だねー」

 

「ううん。好きでやってることだし。あ、そういえば比企谷くん、テニスうまいよね」

 

予想外に俺に振られて当然の如く黙り込んでしまう。何その初耳情報。っていうかお前、誰。なんで名前知ってんの。

聞こうと思ったことは色々あるのだが、それより先に由比ヶ浜がへーっと感心するような吐息を漏らした。

 

「そーなん?」

 

「うん、フォームがとっても綺麗なんだよ」

 

「いやー照れるなーはっはっはっ。……で、誰?」

 

最後の方は小声で、拓也にだけ聞こえるように配慮した。呆れて物も言えないとでも言いたげな表情をされる。そんな顔されたって知らないんだよ、しょうがないじゃないか。

 

「同じクラスの戸塚だよ、いい加減クラスメイトの名前くらいは覚えろ」

 

頭を叩かれゴッと鈍い音が響く。運悪く由比ヶ浜にも聞こえてしまったらしく、隣からいきなり大声が響きわたる。

 

「っはあぁっ⁉︎ 同じクラスじゃん!っていうか、体育一緒でしょ⁉︎なんで名前覚えてないの⁉︎信じらんない!」

 

「ばっかお前、超覚えてるよ!うっかり忘れちゃっただけだよ!っつーか、女子とは体育違うだろ!」

 

こいつ、せっかくの俺の気遣いを無駄にしやがって…。この子の名前知らないのが丸わかりじゃねぇか。

 

「あ、あはは。やっぱりぼくの名前覚えてないよね……。同じクラスの戸塚彩加です」

 

「い、いや悪い。クラス替えからあんま時間たってないから、つい、こうね、ね」

 

「一年の時も同じクラスだよ八幡」

 

「え」

 

「えへへ、ぼく影薄いから……」

 

「そんなことない、知らないのは全面的にこいつが悪いんだ。だからそんなこと言わないで自分に自信を持てよ戸塚」

 

「拓也……」

 

そう言うと拓也は戸塚の頭に手を置く。え?何?こいつらできてんの?あんな笑顔の拓也なんか見たことないよ俺。

 

「いい加減覚えろっ!」

 

一人会話に取り残された俺は、べしっと由比ヶ浜に頭を叩かれる。二度も頭をぶたれた。親父にもぶたれたことないのに。

 

「拓也と仲いいのは一年の時から知ってたけど、由比ヶ浜さんとも仲がいいんだね……」

 

俺たちの様子を見ていた戸塚がぽつりと呟いた。

 

「え、ええっ‼︎……うん、友達だからね‼︎」

 

最初は驚いた由比ヶ浜だったが、ためらいながらもこちらを見て笑う由比ヶ浜は俺が見てきた中で一番なものだった。

 

「お、おう」

 

だから、そう言い淀んでしまう俺は悪くないはずだ。

 

「ほんと仲良いね……」

 

「なにしょげた顔してんだよ戸塚、俺らも友達だろ」

 

「拓也……!ありがとう!」

 

先程の表情が嘘のように花のような笑顔へと変わる。やっぱりできてんじゃないのこいつら。

 

「男同士の友情はそう簡単に終わらねぇよ」

 

「うん!」

 

え。まて、こいつ今なんて言った?男?嘘だー。ご冗談でしょ?

由比ヶ浜に視線で、男なの?嘘でしょ?と問うとうんうんと頷く。

 

「とにかく、だ。悪かったな、やな思いさせて」

 

俺がそう言うと戸塚はこちらに向き直りにっこりと笑う。

 

「ううん、別にいいよ」

 

「それにしても戸塚。よくこいつの名前知ってたな」

 

「え、あ、うん。だって比企谷くん、目立つもん」

 

戸塚の言葉を聞いて由比ヶ浜が俺をじろじろと見る。

 

「ええ〜っ?かなり地味じゃん。よっぽどのことがないと知らないと思うけど」

 

「由比ヶ浜は知らないと思うけど、一年の時、俺とは流暢に話せるくせに、それ以外、特に女子とは全くと言っていいほど会話できなくてな。それがかなり目立ってたんだよ」

 

「あーそれは目立……あ、や、なんかごめん」

 

それきり俺から目を逸らす由比ヶ浜。そういう態度のほうが傷つくんだけど。あと、お前、何ちゃっかり喋ってんの。重々しい雰囲気になりかけたところに戸塚がフォローを入れる。

 

「それよりさ、比企谷くんテニスうまいよね。もしかして経験者?」

 

「いや小学生のころ、マリオテニスやって以来だ。リアルではやったことない」

 

「あ、あれねみんなでやるやつ。あたしもやったことある。ダブルスとか超楽しいよねー」

 

「……俺は一人でしかやったことないけどな」

 

「え?……あー。や、ごめん」

 

「何、お前は友達のふりして俺の心の地雷処理班なの?いちいちトラウマ掘り出すお仕事なの?」

 

「ヒッキーが爆弾抱えすぎなんだよ!」

 

俺と由比ヶ浜のやり取りを戸塚は楽しげに笑ってみている。

すると、ようやく昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。

 

「戻るか」

 

拓也が言って、戸塚と由比ヶ浜も後に続く。

俺はそれを見て少し不思議な気持ちになった。

そうか。教室が同じなんだから一緒に行くのが当然なんだよな。

 

「ヒッキー?なにしてんのー?」

 

振り返った由比ヶ浜が怪訝な顔をしている。戸塚も、拓也も立ち止まってこちらを向いた。

俺も一緒に行っていいのか?そう言おうとしてやめた。

だから、代わりにこう言おう。

 

「お前、ジュースのパシリはいいの」

 

「はぁ?ーーあっ!」

 

廊下で拓也の笑い声が響く。長いようで短かったそんな昼休みはなんとも締まらないまま終わった。

 

 

 

 

 

数日の時を置いて、今再び体育である。

俺と同じく器用貧乏だが、まともにスポーツをやっていた分、それなりに上手い拓也は人望もあいまって先約がいるときがある。そうなると必然的に俺は一人になるのだ。

明日からしばらく試合に入るため、ラリー練習は今日が最後だ。

なので目一杯打ち込んでやろうかと思ったところでちょんちょんと右肩をつつかれた。

誰だよ、背後霊?俺に話しかける奴とか皆無だし怪奇現象か?

と思って振り向くと右ほほにぷすっと指が刺さった。

 

「あはっ、ひっかかった」

 

そう可愛く笑うのは数日前に知った戸塚彩加である。

えー嘘、何この気持ち。すっごい心臓ばくばく言ってる。今になって思えばあいつのあの笑顔もわかる気がする。

 

「どした?」

 

「うん。今日さ、いつもペア組んでる子がお休みなんだ。だから……よかったらぼくと、やらない?」

 

その上目遣いやめろって。超可愛いから。惚れちゃうから。

 

「ああ、いいよ。俺も一人だしな」

 

すまない壁、最後に打ってやれなくて……。

戸塚は安心したように息を吐き、「緊張したー」と小声で呟いた。

そんなん聞いたら俺の方が緊張するわ。マジで可愛いすぎる。

そして、俺と戸塚のラリー練習が始まった。

他の連中が打ちミス受けミスを出す中、俺たちだけが長いこと続けていた。

 

「少し、休憩しよっか」

 

「おう」

 

ラリーが止まったタイミングで休憩することにした俺たちは二人して座る。

 

「あのね、ちょっと比企谷くんに相談があるんだけど……」

 

戸塚が真剣な様子で口を開いた。

 

「相談、ねぇ」

 

「うん。うちのテニス部のことなんだけど、すっごい弱いでしょ?それに人数も少ないんだ。今度の大会で三年生が抜けたら、もっと弱くなると思う。一年生は高校から始めた人が多くてまだ慣れてないし……。それにぼくらが弱いせいでモチベーションがあがらないみたいなんだ。人が少ないと自然とレギュラーだし」

 

「なるほど」

 

もっともな話だ。弱小の部活にはよくありそうなことだと思う。

休もうがサボろうが大会には出られる。それで満足というやつはけっして少なくはないだろう。そんな連中が強くなれるわけもない。そして、強くないところには人は集まらない。そうやって負の循環が続くのだ。

 

「それで……比企谷くんさえよければテニス部に入ってくれないかな?」

 

「……は?」

 

なぜそうなる……。

視線で問うとすがるような目つきでこちらを見る。

 

「比企谷くん、テニス上手だし、もっともっと上手になると思う。それに、みんなの刺激にもなると思うんだ。ぼ、ぼくもテニス、強くなりたい、から」

 

お前は弱くてもいいよ。……俺が守るから。あまりのいじましさに思わずそう口走ってしまうところだった。危うく一も二もなく入部しちゃいそうになっちゃったぜ。

だが、どんなに戸塚が可愛くても聞けない願いと言うのはある。

 

「……悪い。それはちょっと無理だ」

 

俺は自分の性格をよく知ってる。初めてやったバイトすら三日でばっくれたくらいだ。そんな俺がテニス部に入ろうものなら戸塚をがっかりさせてしまうに違いない。

 

「……そっかぁ」

 

戸塚は本当に残念そうな声で言った。俺はかけてやれる言葉を探す。

 

「……拓也はどうなんだ?」

 

俺に話しかけてくるってことは、もうすでに拓也には断られたってことだとわかっていたが、あいにく出てきたのはこの言葉だった。

 

「もちろん聞いたよ。そしたら『俺はテニスに興味がない、だからこそ真面目にテニスに取り組むお前と部活はできないよ。上手い下手とか関係なくな』って言われたんだ。断られたけど、僕のこと考えてくれてたのがすごく伝わったんだ」

 

戸塚は笑いながらそう答えた。なんともらしい答えだと思う。

 

「まぁなんだ。何か方法を考えてみるよ」

 

気休めなのはわかってる。実際俺は何もできやしないのだから。

 

「ありがと。比企谷くんに相談して少し気が楽になったよ」

 

戸塚の気が少しでも休まるなら、俺の言葉も意味はあったのだろう。

 

 

 

 

「無理ね」

 

「いや無理ってお前さー」

 

「無理なものは無理や」

 

事の端緒は俺が戸塚に相談されたことを、さらに雪ノ下に相談したことから始まる。

 

「いや、でもさ、俺を入部させようって言う戸塚の考えも間違っちゃいないとは思うんだよな。要はテニス部の連中を脅かせばいいんだ。一種のカンフル剤として新しい部員が入れば変わるんじゃないか」

 

「確かに間違ってはないが、お前が言うのはお門違いだろ」

 

「そうね、あなたに集団行動ができると思っているの?あなたみたいな生き物、受け入れてもらえるはずがないでしょう?」

 

「うぐっ……」

 

確かに絶対無理だ。辞めちまうのもそうだが、楽しそうに部活やってる奴なんて見たらラケットで殴打してしまうかもしれない。

 

「つくづく集団心理が理解できてない人ね」

 

「お前が言うな」

 

俺の言葉をまったくの無視で雪ノ下は話を続ける。

 

「もっとも、あなたという共通の敵を得て一致団結することはあるかもしれないわね。けれども、それが自身の向上に向けられることはないの。だから、解決にはならないわ。ソースは私」

 

「なるほどな……え、ソース?」

 

「ええ。私、中学のとき海外からこっちへ戻ってきたの。当然転入という形になるのだけど、そのクラスの女子、いえ学校の女子は私を排除しようと躍起になったわ。誰一人として私に負けないように自分を高める努力をした人間はいなかった……あの低脳ども……」

 

そう語る雪ノ下の後背に何か黒い炎めいたものが立ち上がっている。

やっべーなんか地雷踏んだかもしれない。そう思い拓也の方に目をやる。

 

「ま、なんだ。お前みたいな可愛い子が来たらそうなるのはしょうがないんじゃないの」

 

「……っ。え、ええ、まぁそうでしょうね。彼女たちと比較して私の顔立ちはやはらずば抜けていたといっていいし、そこでへりくだって卑屈になるほどこの精神はやわではないから、ある意味当然の帰結といっていいでしょう。とはいえ……」

 

雪ノ下は拓也の言葉に一瞬言葉に詰まったようだが、すぐにいつもの調子でやたらめったら自分を賛辞する美辞麗句を今も並べている。ひょっとしてこれがこいつなりの照れ隠しか?ちょっとは可愛いところもあるもんだな。聞かされている拓也も、どことなくそう理解しているようだった。

長々と喋ったせいか、雪ノ下ははぁはぁと息継ぎをしている。心なしか顔も赤い。

 

「……あまり変なこと言わないでもらえるかしら?」

 

「悪い悪い」

 

大して悪びれる様子もなく拓也は言う。よくもまぁ、あの雪ノ下にそんな態度をとれるものだ。

まぁいい、今はそんなことより戸塚の話だ。

 

「戸塚のためにもなんとかテニス部強くならんもんかね」

 

俺がそう言うと雪ノ下は目を丸くして俺をじっと見つめる。

 

「珍しい……。誰かの心配をするような人だったかしら?」

 

「やーほら。誰かに相談されたなって初めてだったんでついなー」

 

やっぱり頼りにされるとそれなりに嬉しいもんである。知らず知らずのうちに緩んだ俺の口元を見て、雪ノ下は対抗するように言う。

 

「私はよく恋愛相談とかされたけどね」

 

自慢気にそう言ったものの、その表情は次第に暗くなる。

 

「……っといっても、女子の恋愛相談って基本的には牽制のために行われるのよね」

 

「は?とういうこと?」

 

「自分で好きな人を言えば、周囲は気を使うでしょ?聞いた上で手を出せば泥棒猫扱い、なんなら向こうから告白してきても輪から外されるのよ?なんであそこまで言われなきゃいけないのかしら……」

 

女子の恋愛相談とか甘酸っぱいもの期待したのに、苦々しいものしかかんじねぇよ。なんで純真な少年の夢を壊すの?趣味なの?

 

「要するに、何でもかんでも聞いて力を貸すばかりがいいとは限らないということね」

 

「お前ならどうする?」

 

「私?」

 

雪ノ下はそうね、と思案顔になる。

 

「全員死ぬまで走らせてから死ぬまで素振り、死ぬまで練習、かしら」

 

ちょっと微笑み混じりなのがマジで怖いです。

 

「いや、こえーよ」

 

同じことを思ったのか拓也も引き気味につぶやいていた。

 

「やっはろー」

 

この空気とは対照的なお気楽そうな、頭の悪い挨拶が聞こえる。

由比ヶ浜は相変わらずアホっぽい抜けた微笑みを浮かべている。

だが、その背後に、力なく深刻そうな顔をした人がいる。

 

「あ……拓也に比企谷くんっ!」

 

その瞬間ぱぁっと咲くような笑顔を見せる。

 

「戸塚か」

 

とててと拓也の方に歩み寄って、袖口をぎゅっと握る。ずるいなおい

……でも、男なんだよな。

 

「拓也はここで何してるの?」

 

「俺か?……よく考えると俺の立ち位置ってなんだ?」

 

「今日は依頼人を連れてきてあげたのよ、ふふん」

 

自問自答で悩んでいる拓也をよそに由比ヶ浜が無駄に大きい胸を反らせて自慢げに言う。

 

 

「やー、ほらなんてーの?あたしも奉仕部の一員じゃん?だから、ちょっとは働こうと思ってたのよ。そしたらさいちゃんが悩んでる風だったから連れてきたの」

 

「由比ヶ浜さん」

 

「ゆきのん、お礼とかそういうの全然いいから。部員として当たり前のことしただけだから」

 

「由比ヶ浜さん、別にあなたは部員ではないのだけれど……」

 

「違うんだっ⁉︎」

 

てっきりなし崩し的に部員になってるパターンだと思ってた。

 

「ええ。入部届けをもらってないし、顧問の承認もないから部員ではないわね」

 

「……俺も書くかなー」

 

独りごちる拓也と、涙目になりながらルーズリーフに「にゅうぶとどけ」と書き始めた由比ヶ浜をよそに雪ノ下が戸塚に問う。

 

「で、戸塚彩加くん、だったかしら?何かご用かしら?」

 

冷たい視線に射抜かれて、戸塚がぴくっと一瞬体を震わせた。

 

「あ、あの……、テニスを強く、してくれる、んだよ、ね?」

 

最初こそ雪ノ下のほうを見ていたが、語尾に向かうにつれて戸塚の視線は俺たちのほうへと動いていた。

すると、戸塚を思ってから拓也が優しく答えた。

 

「由比ヶ浜がどんな説明をしたかしらねぇけど、俺たちに出来るのは戸塚の手伝いをして自立を促すことだけだ。そこから強くなれるかはお前次第なんだ」

 

「そう、なんだ……」

 

落胆したように、肩を下げる戸塚。その様子を見た拓也は由比ヶ浜のほうを睨む。その視線に気づいて顔を上げた。

 

「へ?何?」

 

「何、じゃねぇよ。お前の無責任な発言のせいで俺の友達が傷ついてんだよ」

 

拓也の容赦ない言葉が由比ヶ浜を襲う。だが、由比ヶ浜は小首を捻る。

 

「ん?んんっ?でもさー、ゆきのんとヒッキー、それにたっくんもいればなんとかできるでしょ?」

 

あっけらかんと。由比ヶ浜はそう言い放った。捉え方によっては「できないの?」と小馬鹿にするようにも聞こえた。

運が悪いことに、そういう風に捉えた奴とそうでない奴がいたのだ、ここには。

 

「そういうことじゃねぇんだよ、お前のそれは詐欺師と同じだ。強くなれると言っておきながら、実際は本人次第。その上、お前自身は言うだけ言って他人任せ。役割分担でもないただの押し付けだ」

 

「いや、あたし、そんなつもりじゃ……」

 

「お前がそのつもりじゃなくても、迷惑かかってんのは周りなんだよ、淡い期待を持たされ打ち砕かれた戸塚、依頼を受けるにしても、俺たち頼り、お前に残るのは依頼人を紹介した事実だけだ。な?都合の悪いことは全部周りにいってんだよ。なにより、俺は友達が傷つけられるのが一番いやなんだよ」

 

「……ごめん」

 

「謝る相手が違うだろ」

 

「さいちゃん、デタラメ言ってごめん。ゆきのんにヒッキーも無責任に押し付けようとしちゃってごめん」

 

由比ヶ浜の表情は先ほどとは打って変わりしゅんとしていた。

 

「ううん。ぼくは大丈夫だよ」

 

「そうね、これを機にあなたはもう少し考えて行動することね」

 

「おう」

 

言うことは言う、最近はよくこいつのその性格を目にしている気がする。こいつは興味がない人間には関心がない。由比ヶ浜を友達だと思っているからこその言葉だろう。

 

「いいか、お前がバカなのは周知の事実だ。でもな、人を傷つける愚か者にはなるなよ」

 

「……うん、って周知の事実なの⁉︎」

 

「今更ね」

 

「そうだな」

 

「あはは……」

 

何だかんだ、穏やかな雰囲気に戻る、俺にはできない芸当だ。

 

「それはそうと、戸塚くん、あなたの依頼受けるわ。あなたのテニスの技術向上を助ければいいのよね?」

 

もう片方、小馬鹿にされたと捉えた雪ノ下は戸塚に改めて問う。

 

「は、はい、そうです。ぼ、ぼくがうまくなれば、みんな一緒に頑張ってくれる、と思う」

 

やる気に満ち溢れた雪ノ下に威圧されたのか、拓也の背中に隠れながら答えた。そこ、変わってくんねーかなー。

 

「まぁ、手伝うのはいいんだけどよ、どうやんだよ?」

 

「さっき言ったじゃない。覚えてないの?記憶力に自信がないならメモを取ることをお勧めするわ」

 

「おい、まさかあれ本気で言ってたのかよ……」

 

「でも、割とそれが一番現実的なんだよなぁ」

 

にこっと微笑む雪ノ下を見て戸塚は白い肌を青白くして小刻みに震えていた。

 

「ぼく、死んじゃうのかな……」

 

「大丈夫。いざとなったら俺が止めてやるから」

 

そう言って頭に手を置く拓也。すると、戸塚は頬を赤らめて熱っぽい視線で見つめる。

 

「拓也……。本気で言ってくれてるの、かな?」

 

「ったりめーだろ」

 

「うん……、ぼく、頑張るよ!」

 

俺はラブコメを見させられているのだろうか。……でも、男なんだよなぁ。

 

「戸塚くんは放課後はテニス部の練習があるのよね?では、昼休みに特訓をしましょう。コートに集合でいいかしら?」

 

雪ノ下は明日からの段取りをてきぱきと決めていく。

 

「由比ヶ浜、ちゃんとお前もちゃんと手伝えよ」

 

「りょーかい!」

 

由比ヶ浜へのアフターケアを先ほどの話題を冗談じみて言う。遺恨を残さないらしい言い回しだ。

 

「それって、……俺も?」

 

「当然。どうせお昼休みに予定なんてないのでしょう?」

 

……おっしゃるとおりです。

 

 

 

 

翌日の昼休みから地獄の特訓は始まる予定だ。

俺の学年のジャージは無駄に蛍光色の淡いブルーで非常に目立つ。その壮絶なまでにダサい色合いのおかげで、生徒には大不評で、体育や部活の時間以外にこれを好んで着る奴はいない。

みんながみんな制服の中、俺だけがやたら目立つジャージ姿だった。

そのせいで、面倒くさい相手に捕まってしまった。

 

「ハーッハッッハッハッ八幡」

 

「高笑いと俺の名前をつなげるな……」

 

こんな気持ち悪い笑い声をあげるのは総武高広といえど、材木座を置いて他にはいない。

 

「こんなところで会うとは奇遇だな。今ちょうど新作のプロットを渡しに行こうと思っていたところだ。さぁ、刮目して見よ!」

 

「あー、いや悪い。ちょっと今忙しいんだ」

 

俺は、差し出された紙束を軽やかにスルーした。だが、その肩を材木座が優しく掴んだ。

 

「……そんな悲しい嘘をつくな。お前に予定などあるわけがないだろう?」

 

「嘘じゃねぇよ。ていうか、お前に言われたくねぇんだよ」

 

なんでみんな同じこと言うんだよ。

 

「ふっ、わかるぞ、八幡。つい見栄を張りたくなってしまって小さな嘘をついてしまったんだよな。そして、その嘘がばれるのを防ぐためにさらなる嘘をつく。あとはひたすらその繰り返し。まだ今なら引き返せるぞ!……何、我もお前には助けられた。今度は我が助ける番だ!」

 

びしっとキメ顔なのが腹が立つ。

 

「だから、本当に予定が……」

 

怒りのあまり、ひくっと自分の顔の筋肉が引きつっているのを如実に感じながら材木座を説き伏せてやろたいとした。そのとき、

 

「おい、八幡」

 

いつもの聞き慣れた声と共に、戸塚が俺の腕に飛びついてくる。

 

「ちょうどいいや、一緒に行こうぜ」

 

「お、おう」

 

戸塚の肩にはラケットケースが、そして、右手はなぜか俺の左手を握っていた。なんでだよ。

 

「は、八眉……。そ、その御仁は……」

 

材木座は驚愕の表情で俺と戸塚を交互に見つめる。

 

「き、貴様っ!裏切っていたのかっ⁉︎」

 

「黙れっ!半端イケメン!失敗美少年!ぼっちだからと憐れんでやっていれば調子に乗りおって……」

 

「……おい、義輝」

 

「た、拓也、じ、冗談だよ、冗談」

 

あの一件以降、拓也には頭が上がらないらしい。

 

「そうか、俺も冗談だよ」

 

そのためこのように掌の上でころがされることもしばしばある。

 

「そんなことより、早く行こうぜお前ら、遅れると雪ノ下キレるぞ」

 

「む、それはいかんな。急ごうではないか。あの御仁、……ほんと怖いからなぁ」

 

言うや、材木座は俺たちの後をついてくる。どうやら材木座が仲間になったらしい。

まるで、桃鉄のキングボンビーって感じだ。道中、戸塚のことで追及を受けながらそう思った。

 

テニスコートにはすでに雪ノ下と由比ヶ浜がいた。

雪ノ下は制服のままで、由比ヶ浜だけジャージに着替えていた。

ここで昼食を取っていたんだろう。手元にあった小さい弁当箱を素早く片付ける。

 

「では、始めましょう」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

雪ノ下に向かって、戸塚が一礼する。

 

「まず、戸塚君に致命的に足りない筋力を上げていきましょう。とりあえず、総合的に鍛えるために腕立て伏せ……とりあえず、死ぬ一歩手前ぐらいまで頑張ってやってみて」

 

「うわぁ、ゆきのん頭良さげ……え、死ぬ一歩手前?」

 

「ええ。筋肉の修復の際に、以前より強く筋肉繊維が結びつく、これを超回復というの。つまり追い込めば追い込むだけパワーアップってわけよ」

 

「んな、サイヤ人じゃねぇんだからよ……」

 

「まぁ、筋肉はすぐにつくわけじゃねえ、だが、基礎代謝を上げるためにもこのトレーニングをしておく意味はある。追加で言うなら、戸塚の出来る範囲でいいからスクワットもやっておけ、太ももの筋肉は大きい分さらに代謝が上がるはずだ」

 

「基礎代謝?」

 

そんなんも知らんのかお前は。拓也もげんなりとしていたが、漫才のようなやり取りをやるよりも、説明したほうが早いと思ったのか手短かに付け足す。

 

「お前にもわかるように言うと、運動に適した身体にしていくってこと。基礎代謝が上がればカロリー消費をしやすくなる。端的に言えばエネルギー変換効率が上がるんだよ」

 

それを聞き、ふんふんと頷く由比ヶ浜。

 

「カロリーを消費しやすく……つまり、痩せる?」

 

「……まぁ、少なくとも太るなんてことにはならん」

 

その言葉に由比ヶ浜は戸塚以上のやる気を漲らせていた。

 

「と、とにかくやってみるね」

 

「あ、あたしも付き合ってあげる!」

 

戸塚と由比ヶ浜は腹ばいになりとゆっくり腕立て伏せを始めた。

 

「んっ……くっ、ふぅ、はぁ」

 

「うぅ、くっ……んあっ、はぁはぁ、んんっ!」

 

戸塚の押し殺した吐息。由比ヶ浜の襟元から見える肌色。先程から俺の心拍数がやたら上がっていっている。

 

「八幡……何故だろうな。我は今、とても穏やかな気分だ……」

 

「奇遇だな。俺も同じ気持ちだ」

 

「……お前らなぁ」

 

ときどきちら見しながらヘラっと笑う俺たちに呆れる拓也。その後ろから冷水を浴びせられたかのような声がした。

 

「……あなたたちも運動してその煩悩を振り払ったら?」

 

振り返ると、雪ノ下が心底蔑んだ瞳で俺を見ていた。

 

「ふ、ふむ。訓練を欠かさぬのは戦士の心得。どおれ、我もやるとするか!」

 

「だ、だな。運動不足は怖いもんな、糖尿とか痛風とか、あーあと肝硬変とかなっ!」

 

俺たちはものすっごい勢いで腕立て伏せを始めた。

 

「……あなたは、いやらしい目を向けないのね」

 

「ん?……ああ、筋トレを推奨したのは俺もだしな、それに、筋トレは鍛える箇所を間違えるとあまり効果がない。由比ヶ浜はともかく、まじめに取り組む戸塚に失礼だろそれは」

 

「……そう、やっぱり、あなたのそういうところ嫌いではないわ」

 

「さいですか」

 

ぐうの音も出ないほどの正論が聞こえてきた。あいつは男の皮を被った聖人かなにかではないかと思えてくる。

 

結局、昼休みまるまる腕立て伏せをさせられることになった。

 

下校中、あいつに今日の事を聞くと、「俺だって男だから、お前の感情も十二分にわかるが、時と場所くらい考えろよ、お前の顔緩み切ってたぞ…」引き気味にそう言われてしまった。

表情筋を鍛えてやろうと思った。しかし、深夜に筋肉痛はそんなことを忘れさせるくらい強烈な痛みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




準ヒロイン戸塚くん登場です。笑
オリ主も、比企谷もヒロインが決まんないんですよねぇ。


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8話

過去一長いです。
第一巻分が終わりです。


そんなこんなで日々が過ぎ、俺たちのテニスは第二フェイズに突入していた。かっこよく言ったが、要するにようやくボールとラケットを使っての練習に入ったのだ。

とはいっても、練習をするのは戸塚だ。戸塚は雪ノ下の指導の下、ひたすら壁打ちをしている。

最初こそ俺たちは各々の好き勝手に時間を過ごしていた。雪ノ下ですら本を読みながらときどき思い出したかのように戸塚の様子を見ては檄を飛ばす程度だった。

しかし、戸塚のそばで真剣にアドバイスを送る拓也、そして、責任が芽生えたのか、こぼれたボールを拾う由比ヶ浜を見ていると、柄にもなくやる気が出てくる。そもそも、戸塚の話を最初にしたのは俺だしな。

 

「?どしたのヒッキー?」

 

立ち上がって近づく俺に疑問を持ったのか、由比ヶ浜がそう言う。

 

「いや、俺も拾うの手伝おうと思ってな」

 

「そっか、じゃあ、ヒッキーは右側お願い」

 

「おう」

 

俺のその姿を見ていたのか、今度は雪ノ下が不意に立ち上がった。

 

「由比ヶ浜さん、ボール持ってきてもらえるかしら」

 

雪ノ下の指示のもと、ボールカゴをえっちらほっちら運んでいる。

そのボールを厳しいコースに投げては戸塚が必死に食らいつく。

 

雪ノ下が放る球を捕らえようと戸塚は走るが、二十球目で、ずさーっと転んでしまう。

 

「うわ、さいちゃんだいじょうぶ⁉︎」

 

雪ノ下の手も止まり、由比ヶ浜がネット際に駆け寄る。

 

「大丈夫だから、続けて」

 

だが、それを聞いた雪ノ下は顔を顰めた。

 

「まだ、やるつもりなの?」

 

「うん……、みんな付き合ってくれるから、もう少し頑張りたい」

 

「……そう。じゃあ、由比ヶ浜さん。後は頼むわね」

 

そう言ったきり、雪ノ下は校舎のほうへと消えていってしまう。不安げな表情で戸塚がぽつりと漏らした。

 

「な、なんか怒らせるようなこと、言っちゃった、かな?」

 

「いや、あいつはあんなもんだ。むしろ、愚かだの言ってないぶん、機嫌がいい可能性すらある」

 

「それ、ヒッキーだけじゃない?」

 

いや、由比ヶ浜お前もなかなかだぞ、気づいてないだけで。

 

「もしかしたら、呆れられちゃったの、かな……。いつまでたってもうまくならないし、腕立て伏せ五回しかできないし……」

 

「いや、それは無い。あいつは頑張ってるお前を見捨てるなんて真似はしないはずだ」

 

「まぁ、そうだよな。由比ヶ浜の料理に付き合うくらいだ。だったら尚更戸塚のことを見捨てたりはしないだろうな」

 

「それどういう意味だっ⁉︎」

 

由比ヶ浜の手の中にあったテニスボールを俺の頭めがけて放り投げた。ぽこーんと間抜けな音を立ててクリーンヒットする。おい、まじかよお前めっちゃコントロールいいな、次のドラフト引っかかっちゃうぞ。

 

「そのうち戻ってくるだろうから、続けようぜ」

 

「……うんっ!」

 

元気よく答えた戸塚は再び練習に戻る。それからは弱音の一つも言わず、泣き言だって口にせず、頑張っていた。

 

「疲れた〜」

 

由比ヶ浜のほうが先に音を上げちゃったよ……。

まぁ、実際最初からよくやったほうだとは思う。雪ノ下がいなくなってからはボールを投げては拾いに行くのをやっていたのだ。その上、拓也までトイレに行ってしまったから尚更きついだろう。

 

「ヒッキー交代してよ」

 

俺も手伝ってはいたが由比ヶ浜ほどではなかった。

 

「わかった。代わる」

 

「やった。あ、これ結構大変だから気をつけてね」

 

俺が由比ヶ浜からボールを受け取ろうとしたとき、それまでにこにこ顔だった由比ヶ浜の表情が曖昧な、どこか暗い色の混ざったものになる。

 

「あ、テニスしてんじゃん、テニス!」

 

きゃぴきゃぴとはしゃぐような声がして、振り返ると葉山と三浦を中心にした一大勢力がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

どうやら向こうも俺たちの存在に気づいたらしい。

 

「あ……。ユイたちだったんだ……」

 

三浦の横にいた女子が小声でそう漏らす。

 

三浦は俺や由比ヶ浜をちらと見たきり、軽く無視して戸塚に話しかけた。どうやら材木座のことは端から見えてないらしい。

なんでこういうときにいないんだよあいつら。

 

「ね、戸塚ー。あーしらもここで遊んでいい?」

 

「三浦さん、ぼくは別に、遊んでるわけじゃ、なくて…練習を…」

 

「え?何?聞こえないんだけど」

 

三浦の言葉で戸塚は押し黙ってしまう。俺だってあんな風に聞き返されたら絶対黙るわ。ほんと怖い。

戸塚はなけなしの勇気を振り絞って再び口を開く。

 

「れ、練習だから……」

 

だが、女王はそれをものともしない。

 

「ふーん、でもさ、部外者混じってんじゃん。ってことは別に男テニだけでコート使ってるわけじゃないんでしょ?」

 

「そ、それは、そう、だけど……」

 

「じゃ、別にあたしら使っても良くない?ねぇ、どうなの?」

 

「……だけど」

 

そこまで言って戸塚が困ったようにこちらを見る。うん、まぁ俺しかいないか。頼りになる二人は今はいないし、由比ヶ浜は気まずそうだし、材木座はどうでもいいし。

 

「あー、悪いんだけど、このコートは戸塚がお願いして使わせてもらってるもんだから、他の人は無理なんだ」

 

「は?だから?あんた部外者なのに使ってんじゃん」

 

「いや、それは俺たちは練習に付き合ってるわけで、業務委託っつーかアウトソーシングなんだよ」

 

「はぁ?何意味のわかんないこと言ってんの?キモいんだけど」

 

 

 

「……優美子、ちょっといいすぎかも」

 

 

 

突然聞こえた声の方に皆眼を向ける。

 

「あ、いや、そんな強く言わなくてもいいかなー、なんて」

 

そこには、あはは、と苦笑いを浮かべる由比ヶ浜がいた。

 

「はぁ?あーしがこいつに何言ってもユイには関係なくない?」

 

「……関係あるよ、……友達だもん」

 

「……ふーん、そ」

 

俺から言わせれば、もう慣れた言葉だ、今更キモいだのなんだの言われようが崩れるメンタルなどしていない。そんな俺でも、いや、そんな俺だからこそ、勇気を振り絞って出した由比ヶ浜の声ははとてもむず痒かった。

 

 

 

 

「おい、どういう状況なのこれ?」

 

 

 

 

トイレから戻ってきた拓也がだだならぬ雰囲気を感じたのか、由比ヶ浜と三浦の間に入る。

 

「拓也!……あのね、実は……」

 

拓也を見た戸塚にも笑顔が戻り、今の状況を説明した。

 

「……まずお前らさ、許可とってんの?」

 

「ちょっと、説明聞いてないわけ?男テニでとってるわけじゃないって戸塚も言ってんじゃん?」

 

「そうだ、戸塚が頑張って借りたんだよ、何度も頼んで最近になってようやく使えるようになったんだよ、強くなりたいからって理由でな。それを遊ばせろだと?いいかげんに

 

「ま、まぁまぁ、あんま喧嘩腰になんなって」

 

嫌な空気を感じたのか、拓也の言葉に被さるように葉山がセリフを挟む。

 

「佐藤の言うこともわかるけどさ、みんなでやったほうが楽しいしさ。そういうことでいいんじゃないの?」

 

「……おまえさ、本気で言ってんのそれ」

 

「もちろん、俺は本気だよ」

 

「ああ、そう。……そういやお前さ、サッカーで国立行くとか言ってたよな、そのために毎日練習頑張ってるんだろ?」

 

「ああ、もちろんだ」

 

「ならよ、そこにお前らの苦労を何にも知らない、ただ遊びでサッカーやりたいからそこどけてくれなんて言う連中が来たら、はいわかりました、なんて言って譲るのか?」

 

「それは……」

 

「なぁ、教えてくれよ葉山、俺が言ったことと今の状況、どこが違うんだ?」

 

葉山は場を荒立てることを好まない。スポーツという共通の話題を出すことで、葉山の反論を完全に封じ込めた。戸塚が練習だと言ったことも決め手になる。それにより、拓也の意見が正しくなる。いけ好かない野郎が論破されるのはなんとも気持ちがいい、そう思う俺の性根はまだ、そこそこ腐ってるようだ。

 

「……いや、違わないな、すまん、邪魔した。行こうみんな」

 

「えー、あーしテニスやりたいんですけど」

 

何?話聞いてたのこのアホ巻き毛。話の流れくらいちゃんと追えよ。

 

「「……」」

 

ほら見ろ、こいつら二人とも固まっちまったじゃねぇか。

 

「……はぁ、ちょっと待ってろ。戸塚、ちょっといいか?」

 

頭をがしがしと掻いてから短いため息をつくと拓也は戸塚になにかをささやく。

 

「……うん、そういうことなら……」

 

どうやら意見はまとまったようだ。

 

「よし、お前ら、俺たちの練習相手になれ」

 

「はぁ?あーしは普通にテニスやりたいんだけど?」

 

「なら、言い方を変える、勝負しよう三浦」

 

「テニス勝負?……なにそれ?」

 

「単純な勝負だよ俺たちとお前らどっちが強いかのな」

 

「へー、超楽しそうじゃん」

 

三浦が獰猛な笑みを浮かべる。

 

「ただし、条件がある。そっちは葉山と三浦で組んでくれ。それと、こっちの組み合わせは自由。それでいいか?」

 

「あーしはそれでいいし」

 

「俺も文句はないよ」

 

余裕な表情を浮かべる三浦と、場がいい方向に向かっている今の状況に安堵する葉山、似たようでどこかずれているようにも思えた。

 

「……いいのか?結局、遊びになっちまうんじゃねーの?」

 

あいつらを中心に取り巻きが騒いでる中、拓也に聞く。

 

「いや、これでいい。八幡も知ってるだろうが、葉山は普通にテニスは上手い。三浦の方も中学の時、県選抜に選ばれてる。要するに、とてもいい練習台になるんだよ。葉山には練習だと念押しで言ったし、三浦の性格上手を抜くなんてのは考えにくい」

 

よくあの一瞬でそこまで考えつくもんだ。素直に感心する。

 

「悪いな、俺の勝手な判断でお前たちまで巻き込んじまってよ。なるべく遺恨を残らないようにしようと思ったらこれ以外思い浮かばんかった」

 

俺たちの方を向きながら申し訳なさそうに言う。

 

「そ、そんなことないよ!拓也が居なかったら僕あのまま押し切られて譲っちゃったと思うし……」

 

「そうだよ!そもそもたっくんが間に合わなかったらもっと大変なことになってたと思うよ!」

 

「うむ、そう悲観することはない、我も共に立ち上がるとしよう」

 

拓也を責める奴はこちらには誰一人いなかった。事実、俺自身こいつの選択よりいい結果を出せるかと聞かれれば、ノーと答えるだろう。

 

「ありがとな、お前ら」

 

照れているのか、顔を少しこちらから逸らすようにして礼を言う。

 

「けどよ、誰が出るんだ?」

 

みんなが思っているだろうことを俺が代弁する。

 

「まず、由比ヶ浜と義輝はどれくらいテニスができるんだ?」

 

「うーん、あたしはテニスあんまやったことないかなー」

 

自信なさそうに由比ヶ浜は言う。

 

「任せておけ。全巻読破したし、ミュージカルまで見に行ったクチだ。庭球には一日の長がある」

 

「なるほど、とりあえず義輝は戦力外な」

 

特に突っ込まれることもなくただただ、無情な宣告をされる材木座。いとあわれなり。

 

「ただ、由比ヶ浜、お前行けるか?」

 

三浦の方と由比ヶ浜の方を交互に見て確認をとる。

 

「……うん。あたしも最後まで頑張りたいから」

 

「……そうか、ならまず………」

 

拓也の話を聞く限り、勝つ気はない。だが、もともとは戸塚の練習が目的と考えれば勝ちにこだわる必要はない。そう考えると今回の案は戸塚にとってかなりプラスになる。

 

「ちょっと、まだー?」

 

どうやら向こうはよほどやる気に満ち溢れているのか、ラケットを確かめるような握りしめる三浦の姿があった。たしかに、手加減をするようには見えない。

 

「悪いな、待たせた」

 

不意に三浦の目は由比ヶ浜に向く。

 

「……ユイー、あんたさぁ、そっち側につくってことはあーしらとやるってことなんだけど、そういうことでいいわけ?」

 

物見高いギャラリーがざわざわと囁きを交わす。こんなの公開処刑と変わらない。それでも由比ヶ浜は前を向く。

 

「……そういうわけ……ってことでもない、けど。でも、あたし、こっちも大事だがら!だから、やるよ」

 

「へー、……そーなん。恥かかないようにね」

 

三浦は素っ気なく答える。だが、その顔には笑みが浮かんでいた。燃え盛る獄炎の笑顔が。

 

「着替え。女テニの借りるから、あんたも来れば?」

 

三浦はコート脇にあるテニス部の部室を顎で指した。たぶん優しさなんだろうが、その仕草だと「部室裏でお前シメっから」にしか見えない。周囲が哀れみの表情で見送る。まぁ、なんだ。ご愁傷様。

 

「あのさ、佐藤」

 

合掌している俺の隣で葉山が拓也に話しかける。

 

「なんだよ?」

 

「俺、テニスのルールよくわかんないんだよね。ダブルスとか余計難しいし。だから、適当でもいいかな?」

 

「……まぁ、俺もルールまできちんとしろとまでは言わない。最低限のことを除けば文句はない。真剣に取り組んでくれるならな」

 

「ああ、それはもちろんだ」

 

葉山は爽やかに笑う。拓也も少し口角が上がっていた。お前嫌ってんじゃないのかよ。

そうしていると二人が戻ってきた。由比ヶ浜はポロシャツみたいなユニフォームにスコートを履いている。

 

「なんか……テニスの格好って恥ずっ……スカート短くない?」

 

「いや、お前普段からそんくらいの短さじゃん」

 

「なっ⁉︎何それ⁉︎い、いつも見てるってこと⁉︎キモいキモい!マジでキモいからっ!」

 

由比ヶ浜がこちらを睨みつけてラケットを振り上げた。

 

「大丈夫!全然見てないよ!眼中にないよ!安心して!ていうか、ったないで!」

 

「むぅっ…なんか、それもムカつくんだけど……」

 

ぶつぶつ言いながらも由比ヶ浜はラケットをゆっくりと下ろす。

 

そのタイミングを見計らって拓也が咳き込む。

 

「お前ら、そのくらいでいいだろ。じゃ、頼むぞ」

 

 

 

 

 

試合は序盤こそ相手のワンサイドゲームが続いていたが次第に戸塚と拓也のペアが押し返す。

作戦といっても戸塚とペアを組む相手を変えていくことで戸塚に臨機応変な対応を身につけさせるといったものだ。序盤でワンサイドゲームだったのは由比ヶ浜が先鋒だったためだ。

そんな中、周りのギャラリーも最初こそ黄色い声援を送っていたが、次第に接戦が続くようになると次第にボールを目で追い、ポイントが決まるとため息をついたり、快哉をあげたりするようになった。まるでテレビでやっているプロの試合のようだ。

その均衡を打ち破ったのは縦ロールが放ったサーブだった。

ヒュパッとラケットが鳴ったと思ったら、コートに弾丸の如くボールが突き刺さり、後方へと飛んでいく。

 

「めっちゃ強いじゃん……」

 

思わず呟きが漏れた。

 

「そりゃあ県選抜だからねー」

 

隣の由比ヶ浜は感心していた。

 

「っつーか、お前さっき全然球触れてなかったよな」

 

「あんまできないって最初に言ったでしょ!」

 

「にしてもだろ」

 

コートの方が少し騒がしくなる。どうやら先ほどのサーブを追いかけて戸塚がバランスを崩してしまったようだ。少し前の怪我も相まってここでリタイアのようだ。

 

「悪い、少し戸塚を見る」

 

そう言って拓也は戸塚に肩を貸しコートを出て行く。戸塚が怪我をしてしまったならここまでだろう。戸塚の練習という意味ではかなり質のいい練習になったと素人目でもわかる。それくらい、とてもいい試合だった。

 

「大丈夫?さいちゃん」

 

戻ってきた戸塚を心配そうに見つめる由比ヶ浜。

 

「うん、そこまで痛みはないから大丈夫だよ……」

 

そうは言うも顔は少し痛みで歪んでいた。

 

「ここで無理するもんじゃねーぞ」

 

「八幡……うん」

 

「幸い出血はしてないが、今日はもうやめた方がいいな」

 

少し険しい表情で拓也が言う。

 

「本来ならここで終わるべきなんだが……」

 

向こうのコートを見るとまだまだやる気十分らしく、体が冷えないように小刻みに動いている。

 

「すまん、三浦を焚きつけすぎたな、形だけでも終わらせないとおそらく終わらない。あいつはこういうのには真剣になんだよほんと」

 

自分への罪悪感と三浦への多少の呆れが混じったよくわからない顔をする。

 

「戸塚が落ち着いたら、どちらかと交代して俺が後衛をやる。少しの間頼めるか?」

 

人一倍責任を感じてるのか、辛い部分は一人で何とかしようとする節がこいつにはある。そんなところは俺とよく似ている。ただ、俺とは決定的に違う。こいつはこうやって周りに頼るのだ。

 

「うん!わかった。任せといて!」

 

由比ヶ浜さんあなたほとんど球触れてませんよね。

 

「おう」

 

必然的に俺の負担になるが、しゃーないダチのためだ。

 

「そうか、助かる」

 

俺たちの答えを聞いて安堵の表情を浮かべる。

 

さて、行きますか。

 

 

 

 

「由比ヶ浜。お前前衛にいろ。基本俺が後ろで捌く」

 

「んっ。お願い」

 

基本方針を確認し、所定の位置に着く。

葉山の早くて重いサーブが飛んできた。それに横っ飛びで必死に食らいつく。限界ギリギリまで伸ばしたラケットがボールに触れると、力任せに振り抜いた。

打球は相手コートに返るが、それを三浦が狙い済ませたように逆サイドへと打ち込んできた。それを見るまでもなく俺は打たれるであろう方向めがけて全力で走った。跳ね上がるボールを捉えるとコートすれすれを狙って力で叩きつけた。

しかし、俺の目論見を見越していたのか、葉山は揺さぶるように俺と由比ヶ浜のちょうど中間にドロップショットを放った。

バランスを崩した俺では到底追いつけない。由比ヶ浜に視線を送ると、落下地点に走り込み打ち返す。だが、当てるのが精一杯で打球は三浦の前に堕ちる。

それをパワーで打ち込まれた。打球は由比ヶ浜の頬をかすめてはるか後方へと消えた。

 

「無事か?」

 

俺はぺたりと座り込んでしまった由比ヶ浜に声をかける。

 

「……超怖かった」

 

ほとんど涙目になっている由比ヶ浜が漏らしたつぶやきを聞きつけて、三浦は一瞬心配そうな表情になる。

 

「優美子、お前マジ性格悪いのな」

 

「な!違うしっ!試合ならこんなの普通だから!あーし、そこまで性格悪くないし!」

 

「ああ、ただどSなだけか」

 

葉山と三浦のじゃれ合いが笑いを呼ぶ。

 

「……ヒッキー、絶対勝とうね」

 

そう言って、由比ヶ浜は立ち上がりラケットを拾う。そのとき、「いったぁっ」と小さな悲鳴を上げた。

 

「おい、だいじょうぶかよ」

 

「ごめ、ちょっと筋やっちゃったかも」

 

照れ笑いを浮かべる由比ヶ浜。その目には少し涙を浮かべていた。

 

「なんかなぁ、みんな頑張ってるから、わたしもって……思ってたんだけどなぁ……」

 

由比ヶ浜は唇を噛んでいた。

何いってんだよ。十分すぎるくらいお前は頑張ってたじゃねぇか。

 

 

 

 

「この馬鹿騒ぎは何?」

 

 

 

 

そんな俺たちの前に現れたのは体操服に着替えて、救急箱を抱えた雪ノ下雪乃だった。

 

「あ、お前、どこ行ってたの?っつーかその格好なに」

 

「さぁ?私にもよくわからないのだけど、佐藤くんがすぐに体操服に着替えてくれとお願いするものだから」

 

雪ノ下がそう言って振り向くと脇から拓也が出てくる。

 

「たまたま、雪ノ下が見えてな、ラリーが始まったくらいからすぐに着替えてもらったんだよ」

 

その後、雪ノ下にも申し訳なさそうに同じ説明をする。

 

「……つまり、ここからはあの二人を負かせばいいのね?」

 

「お前やる気か?」

 

「なに?だから着替えさせたのじゃないのかしら?」

 

「いや、念のためだったんだが……」

 

そう言うと苦笑いを浮かべる拓也。

 

「まぁ、いいわ。その前に、さすがに傷の手当てくらいは自分でできるわよね」

 

急に話を振られた戸塚は不思議そうな顔で受け取った。

 

「え、あ、うん……」

 

「ゆきのん、わざわざそれ取りに……。やっぱ優しいよね」

 

「そうかしら。どこかの男は『氷の女王』だなんて陰で呼んでいるみたいだけど」

 

「な、なぜそれを……。はっ!まさかお前、俺の『絶対許さないリスト』読んだのか」

 

「お前……高校生にもなってそれはねぇだろ」

 

うるせぇ。

 

「そのリスト、あとで提出しなさい。添削してあげるわ」

 

にこっととても素敵な笑顔で微笑まれた。なのに、ちっとも心が温まらないのはなぜなんでしょう。

 

凄く怖いです。目の前に虎がいる気分だった。

で、虎がいるってことは、そうですね。後ろには狼がいるんです。

それか馬。

 

「雪ノ下サン?だっけ?悪いけどあーし、手加減とかできないから。オジョウサマなんでしょ?怪我したくなかったらやめたほうがいいと思うけど?」

 

ーーあ、ばか、三浦。雪ノ下に対して挑発は死亡フラグ……。

 

「私は手加減してあげるから安心してもらっていいわ。その安いプライドを粉々にしてあげる」

 

敵に回すとすげー嫌なやつでが、味方だとえらい心強い。こいつを敵に回した人間は本当に哀れだ。

 

「随分とうちの部員をいたぶってくれたようだけど、覚悟はできているかしら?念のために言っておくけど、私こう見えて結構根に持つタイプよ?」

 

「悪いな、色んな奴に頑張ってもらったんだ、ここで負けるのは俺が嫌だからな。本気でいかせてもらうぞ」

 

それはこいつにも言える。ここまでやって引き下がるやつじゃない。

二人揃うと負けるビジョンが見えない。プリキュアかよ。

 

 

 

 

なんだかんだでテニス対決も、役者が揃って正真正銘の最終フェイズに差し掛かったようだ。

 

「あんさぁ、雪ノ下サンが知ってるかしんないけど、あーし、テニス超得意だから。顔に傷とかできちゃったらごめんね」

 

うわぁ、怖い。予告危険球とか初めて聞いたよ?

そう言う三浦の打球は雪ノ下の左側に高速で突き刺さる。

右利きの雪ノ下にとってリーチの外、左ライン際ぎりぎりにサーブが突っ込んでくる。

 

「……甘い」

 

囁くような声が聞こえたときには、すでに雪ノ下の迎撃態勢は整っている。たっと左足を踏み込ませると、それを軸にまるでワルツでも踊るかのようにして回転した。右手のラケットがバックハンドで打球を捕捉する。

居合抜きのような打球が一閃。

足元で弾けるようにして跳ねた打球に三浦が小さく悲鳴をあげた。目の覚めるような超高速のリターンエース。

 

「あなたが知ってるとは思わないけど、私もテニスが得意なのよ」

 

三浦は怯えと敵意が入り混じった目で雪ノ下を見た。あの女王然とした三浦にこんな表情をさせるとは雪ノ下おそるべし。

 

「…お前、よく今の返せたな」

 

「だって彼女、私に嫌がらせをしてくるときの同級生と同じ顔していたもの。あの手の人間の下衆い考えくらいお見通しよ」

 

「それを得意げに笑うなよな……。ただ、自分の尻は自分で拭く主義でな、お前にばっかいいところやらせるわけにはいかないんだよ」

 

「……そ、ならせいぜい頑張りなさい。私は私で動くから」

 

「それでいい、お前はお前のテニスをしてくれ」

 

後衛では確実にサーブを相手コートに沈める雪ノ下、前衛では戻ってくる球を絶妙な位置に返す拓也。

その美技に周りは酔いしれていた。

俺と由比ヶ浜のときは完全なアウェー状態だったのが、今では五分五分といったところだろ。もともと人望が厚い拓也がコートに戻ったのに加えて、男子から雪ノ下への熱視線が増えたのが理由だろう。

あいつは科が違うから高嶺の花のような存在だからわからんでもないがな。

世の中には知らなくていいこともあるのだよ男子諸君。

 

 

 

 

それからは意外なことにあっさりだった。

実力差は特にあるわけではなかった。高レベルなプレーであることに変わりはないが。

ただ、その中で決め手となったのは連携だった。

無駄な動きをせず、ただひたすら相手が一番嫌だと思う場所にピンポイントでボールをおとすのだ。

普段の生活だと忘れそうになるが、あいつは、拓也は人の感情に関しては雪ノ下の数枚は上だ。

雪ノ下のや三浦のような派手さは無い。いやらしく上手い。

それを葉山と三浦が返せなくなったのだ。

それに加えて雪ノ下の動きを見て、出来る限り正面に近い打球を返せるように位置を調整したのだ。それにより疲労は最小限にとどめる。

そして最後は雪ノ下が初めて見せたジャンプサーブで試合は幕を閉じた。

 

「やられた……すごいな全く球が返せなかったよ」

 

葉山はにこやかな笑顔を向ける。

 

「俺が三浦を焚きつけた結果、周りのやつに迷惑かけたからな、そうやすやすと負けるわけにはいかねーんだよ」

 

「ちょっ、それの言い方、あーしが悪いみたいじゃん!」

 

「実際、なんでもかんでも噛み付く癖は治せよなお前」

 

「うるさいし、あーしの勝手だってーの」

 

「まぁまぁ、優美子ももうちょっと落ち着こうな?」

 

「……隼人がそう言うなら……」

 

そう言うと葉山は三浦の頭を撫でる。すると三浦の顔が赤く染まる。

そのやり取りを見ていた周りは試合の興奮冷めやらぬ中の出来事だったせいか、奇妙な達成感と一種の虚脱感に包まれていた。

そのまま葉山と三浦を取り囲んだオーディエンスは校舎のほうへと消えていった。

あれ?勝ったの俺たちだよね?

 

 

 

 

後に残されたのは俺たちだけだった。

 

「なんとか終わったか……」

 

「そうね」

 

ようやくひと段落ついたためか、安堵する拓也。一方の雪ノ下は、動き足りなかったのか少しつまらなそうな表情を浮かべていた。

 

「お疲れ!二人とも!」

 

「お疲れさん」

 

俺と由比ヶ浜で労いの言葉をかける。

 

「改めて悪かったなみんな、助かった」

 

「もういいっての、結果としては戸塚にとってはプラスになってんだからよ」

 

「そうね、その場にはいなかったから詳しくはよくわからないのだけれど、悪くなかったと思うわ」

 

「それに、元々戸塚の話をしたのは俺だ、責任の話なら、あそこでうまく立ち回れなかった俺にもある」

 

「そうか、そう言われると気持ちが楽になる」

 

「うむ、拓也、八幡もよくやった。さすがは我が相棒達よ。だか、いずれ決着をつけなければならない日が来るやも知れぬな……」

 

急に会話に入り込み、一人遠い目をして語り始める材木座を俺が無視してる間に拓也が戸塚に声を掛けていた

 

「怪我、だいじょうぶか?」

 

「うん…」

 

ふと周りを見渡すと男しかいない。雪ノ下と由比ヶ浜はいつの間にかいなくなっている。

 

「比企谷くんも……あの、ありがとう」

 

そう言い終えた戸塚は照れたように目を逸らしてしまった。正直このまま抱きしめてちゅーしてやろうかと思ったが、でも、こいつ男なんだよなあ……。

ただ、戸塚は礼を言う相手を間違っている。

 

「俺は別になんもしてないよ。礼ならあいつらに……」

 

依頼に責任を持って頑張った由比ヶ浜、練習メニューを考え、中々上達しない中見捨てずに指導を続けた雪ノ下。俺ではなくこいつらにその言葉は相応しい。

と、そいつらの姿を捜して、俺は周囲を見渡す。すると、テニス部の部室の脇でひょこひょこと揺れるツインテールを見つけた。

あんなとこにいたのかよ。

改めて労いの一つでも言っておこうと部室の方へ回り込んだ。

 

「ゆきのし……あっ」

 

思いっきり着替え中だった。

ブラウスの前ははだけ、薄いライムグリーンの下着がちらついている。下は未だスコートのままだが、そのアンバランスさが均衡のとれたほっそりとした身体を引き立てている。

 

「な、なななな」

 

んだよ、人が集中してる時にうるせーな記憶が飛んだらどうすんだよとおもったらなぜか由比ヶ浜もいた。

思いっきり着替え中だった。

 

「もうほんと死ねっ!」

 

ゴッと音を立てて、俺の顔面にラケットがフルスイングされた。

すげーいてぇ、でも、やるじゃん、ラブコメの神様。ぐふっ。

 

 

 

 

 

 

 

青春。

その言葉は人の胸を激しく揺さぶる。

俺の高校生活はお世辞にも美しい心象風景で彩られるようなものではなかった。入学式の日に交通事故に遭うなど始まりは最悪と言ってもいいだろう。それからはおよそ昨今の高校生らしからぬ日々を過ごしていくのだろうと思っていた。

そんな俺にも友達と呼べる奴ができた。

大人数じゃない、たった一人だ。

ただそれだけ、けれど、俺の毎日は変わっていった。

俺は楽しかったのだ。

授業の合間に話す小話、一緒に食べる昼食、寄り道をして帰る下校。

どれを取っても未だに俺が体験したことのなかったものを高校一年という日々で得ることができた。

青春というフィルターを通してみれば世界は変わるからだろうか。

敗北すら素敵な思い出に、いざこざももめ事も悩める青春のひと時と化してみせる、そんな連中には遠く及ばない。

でも、それでも、俺が今いるこの場所は輝いて見える。死んだよ魚のように腐った目でも。そんな何かが俺の中で生まれつつあることを感じる。

結論を言おう。

 

「おーい、八幡、部室行こーぜ」

 

「……おう」

 

呼び出しをくらっていた拓也が戻ってきた。

続きは部室で書くか……。

そう思い平塚先生に課されていた再提出ようの作文を鞄にしまう。

 

 

 

 

俺たちが部屋のドアを開けると、雪ノ下はいつもと同じ場所で、平素と変わらぬ姿勢で本を読んでいた。

戸の軋む音に気づいたのか顔をあげる。

 

「あら、今日はもう来ないと思ったわ」

 

そう言って雪ノ下は文庫本に栞を挟む。最初の頃のガン無視と比べれば格段の進歩である。

 

「いや、俺も休もうかと思ったけどな。こいつに誘われたのと、ちょっとやることもあったからさ」

 

雪ノ下の斜め前、長机の対角の椅子を引いて座る。拓也は俺の隣、その隣が由比ヶ浜、雪ノ下と続く。それが俺たち4人の定位置だ。

俺は鞄から原稿用紙を、拓也はスマホを取り出す。その様子を眺めて雪ノ下は不快げに眉根を寄せる。

 

「……あなたたち、この部活をなんだと思ってるわけ?」

 

「お前も本読んでるだけだろうが」

 

「だよな」

 

そう言うと雪ノ下はばつが悪そうに顔を逸らした。今日も依頼にやってくる人間はいないらしい。静かな部室の中、秒針の音だけがした。思えば、この沈黙も久しぶりだ。いつものやかましい存在がいないからだろう。

 

「そーいや、由比ヶ浜はどうした?」

 

「あいつ、三浦たちと遊びに行くってよ」

 

「へぇ……」

 

意外でもないか、もともと友達なわけだし、それにあのテニス以来、傍目にもわかるように三浦の態度が柔らかくなった気がする。それが本音を言えるようになったことと関係があるのかは知らない。

 

「比企谷くんこそ、相棒は今日は一緒じゃないの?」

 

「何いってんだよ、隣にいるじゃねぇか」

 

「ばか、お前戸塚の方に決まってんだろ。それくらいわかれよな」

 

「そうだな、悪い。戸塚なら部活だよ。特訓のおかげかは知らんけど部活に燃えてる」

 

「…………そうではなくて、もう一人の方よ」

 

「……誰?」

 

「誰って……いるじゃない、ほら。いつもあなたの傍に潜んでいるアレよ」

 

「おい、怖いこと言うなよ……。お前霊感とかあるタイプなの?」

 

「……はぁ、幽霊だなんて馬鹿馬鹿しい。そんなのいないわ」

 

「そうとも限らんぞ、世の中には未だに科学で証明できないことが多々ある。それが幽霊だとしたら夢がある話だと思うけどな」

 

そんな俺たちを「なんならあなたたちを霊にしてあげましょうか?」みたいな目で見る。少し懐かしいやりとりだ。

 

「だから、アレよ。ざ……ざい、財津くん?だったかしら……」

 

「ああ、材木座か。相棒じゃないけどな」

 

一方的だし。

 

「あいつは締め切り云々とか言って帰ったぞ」

 

「口ぶりだけは売れっ子作家なんだよなぁ、あいつ……読んでるこっちの身にもなれっつーんだよ本当」

 

「……よく読めるわね、尊敬に値するわ」

 

俺たちの会話は取り留めもなく続く。以前と違うのはぎこちなさが消えたようにも思える。

 

「邪魔するぞ」

 

突然、がらっと戸が開く。

 

「……はぁ」

 

雪ノ下は諦めがついたのか、額を軽く抑えてため息をついた。なるほどね、こういう静かな空気でいきなり戸を開けられたら口を酸っぱくして言いたくもなるよな。

 

「平塚先生。入るときはノックしてくださいよ」

 

「ん?それは雪ノ下のセリフじゃなかったか?それに佐藤までいるのか」

 

「うっす」

 

そう言うと、手近にあった椅子を引くと座った。

 

「何か、御用ですか?」

 

「あの勝負の中間発表をしてやろうと思ってな」

 

「ああ、あれ……」

 

「本当にそんな勝負みたいなことやってたんっすか」

 

「君も知っていたのか佐藤」

 

「八幡から小耳に挟んだ程度ですが」

 

「そうか、まぁ、そんな大したことではない。肝心の戦績だが、今のところ引き分けとだけ言っておこう」

 

「?相談者は三人しか来てないうえに解決した覚えがないんですが」

 

「私のカウントでは四人いるのだよ。独断と偏見、と言っただろ」

 

「平塚先生。その勝利の基準を教えていただけますか?いまさっきそこのが喚いたように、相談された悩みを解決したことはないはずですけど」

 

「ふむ……」

 

雪ノ下に質問されると平塚先生はしばらく押し黙り、拓也の方を見る。

 

「君はわかるか?佐藤」

 

「……そうですね、俺たちくらいの年齢の悩みとなると、意外と話せないもんです。他人である俺たちなら尚更。それを踏まえると、建前の悩みから芋づる式に本当の悩みの方を解決したって感じじゃないですかねあくまで、個人的意見ですけど」

 

「すごいな君は、心でも読めるんじゃないか?概ね正解だよ」

 

こいつのこういうところは平塚先生よりもよく知っている。今更俺が驚くようなことではなかった。

 

「要するに勝敗は平塚先生次第ってことじゃないですか。それでよく勝負なんて言えますね」

 

「そうです、仮にも現国の教師なんですから勝負と言う言葉の使い方くらいは出来るようになってください」

 

先生は俺と雪ノ下を交互に見てから拗ねたように口を開く。

 

「まったく……君たちは人を攻撃するときは仲が良いな……長年の友人のようだよ」

 

「どこが……。この男と友人になることなんてありえません」

 

そう言って、雪ノ下は肩を竦める。やろう、こっちを向きもしない。

 

「ふーん、じゃあ俺はどうよ、あん時とは多少印象変わったと思うけど」

 

「……そうね」

 

雪ノ下は顎に手をやり考える。おい、何でこいつでは悩むんだよ。

 

「友達……かは分からないけれど、今までの人よりかは悪くないとは思うようになったわ」

 

「そっか、ま、友達になれるように頑張るわ」

 

なんとも優しい雰囲気が漂っている。

 

「比企谷、そう落ち込むな。蓼食う虫も好き好きという言葉もある」

 

俺を見かねたのか、先生が俺を慰める。落ち込んでなんかないんだからねっ……て何だろう、この優しさつらいなぁ。

 

「先生、その言い方だと、俺も物好きになっちゃうんですけど」

 

意外なことに拓也が乗ってきた。よりへこませたのはお前の質問からだからな?

 

「あなた以外にも、比企谷くんを好きになってくれる昆虫が現れるわ」

 

「せめてもっと可愛い動物にしろよ!」

 

「いや、それ俺と虫が同列扱いされてない?ねぇ、雪ノ下さん?」

 

人間にしろよと言わないところ我ながら謙虚だ。一方、雪ノ下はやってやったぜみたいな表情をしていた。久々にいじられる拓也を見れて俺も少し楽しくなる。

 

今、よぎった気持ちを記そうとして俺がシャープペンを握ると、拓也と雪ノ下が両側から覗き込んでくる。

 

「そういえばさっきから何を書いているの?」

 

「教室でも書いてたよなそれ」

 

「うるせ、なんでもねーよ」

 

そして、俺は作文の最後に一文を殴り書きした。

 

ーー俺は案外青春を謳歌しているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長々となってしまい申し訳ないです。
私事ですが、最近Twitterを始めました。あれってどう使うんですかね
未だによくわかりません。
次回少し投稿間隔が空くかもしれません。


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第8.5話

嬉しい感想をいただいたので即興で書き上げました。
完全オリジナルストーリーです。
本編には関係ないので読まなくても結構です。
隙間の時間に書いたのでクオリティはお察しください。


ゴールデンウィーク。

 

日本では四月末から五月始めにかけて連休の多い期間のことを言う。

何とも響きのいい呼び方だと思う。だが、考えてみてほしい、その楽しい休日の裏では馬車馬のように働いている人間が沢山いることを。中でもサービス業なんかは見てられないもんだ。ソースは俺の親父。

やはり、専業主夫こそ正義だな。

 

「おい、何考えてんだよ。目がより腐り始めてるぞ……」

 

「ふっ、なに、専業主夫こそ、やはり俺の目指すべき就職先だと改めて思ったまでよ」

 

「毎回言ってるけど、なんもかっこよくないからな?それ」

 

「うるせぇ」

 

そんな俺たちはゴールデンウィークの初日、だんだんと暖かさが増してきた中、公園でキャッチボールをしていた。

事の顛末を話そう。

それは、ゴールデンウィークの前日のことだった。

 

 

 

 

「八幡、ゴールデンウィーク暇か?」

 

「……俺くらいになると暇とは何かを考える。そうすると必然的に暇というのは無くなってだな」

 

「お、全部空いてんのか、そりゃいいな」

 

もう、こいつ嫌い。

 

「実は今年のゴールデンウィークは特に予定がなくてな、後半の方にはちょくちょくバイトはあるけど」

 

「……それで?俺が暇であることとお前に予定がないことに何の関係があるんだ?」

 

「いやー、そういやお前の家最近行ってねーなと思ってよ。そっちがよければ泊まりにでも行こうかと思い立ったわけよ」

 

「泊まり?」

 

「何不思議そうな顔してんだよ、ダチの家に泊まるくらい普通だろ?」

 

こいつは俺が基本ぼっちなのを分かっていて、俺に普通を説いているのか?それとも気づいてないただの無意識か。

あの顔は前者だな。

 

「冗談はさておき、どうよ?」

 

「……俺の一存じゃ決められねぇよ、それこそ親父や母さんに聞いてみないとな。今まで俺が誰かを泊まらせるなんてなかったからそこら辺もわかんねぇし」

 

「ああ、そこは大丈夫、小町ちゃんに聞いたら大丈夫って言ってたから。ご両親仕事が忙しいらしくてゴールデンウィークの半分は出勤だって言ってたぞ」

 

「何で家の長男である俺すら知り得ない情報を他人のお前が知ってんだよ。怖えーよ、普通に」

 

「まぁ、そこは小町ちゃんだからな」

 

「そうか、小町ならしょうがない、とはならんぞ流石に」

 

「これ言っとけば大丈夫って言われたんだけどなぁ」

 

小町よ、お兄ちゃんを何だと思ってるんだい?

 

「話を戻すが、もう、あとはお前だけなわけ。どうよ?嫌なら全然拒否してもらって構わないぞ、楽しくなきゃ俺も嫌だし」

 

「……そういうことならいいぞ、来いよ家」

 

無意識に顔を背けてしまう。変に顔がにやけてしまうのを押さえられなかったからだろうか。それくらい、テンションが上がってしまったようだ。

 

「うわぁ、お前もうちょい人に見せれる笑顔になれよ、顔はいいのにそういうとこ本当残念だよな」

 

やっぱこいつ嫌い。家の鍵閉めて外に放置してやろうか。

そんなことを思いながらも、俺は久しぶりに休日を待ちどうしいと思った。

 

予定通り来たあいつをキャッチボールに誘った。そして冒頭に戻るわけだ。

 

 

 

 

「にしても、キャッチボールなんてな、野球好きだったのお前?」

 

胸元に丁度いいボールが返ってくる。

 

「ったりまえよ、生粋の千葉県民だからな、地元の球団の試合を見てるとおのずと好きになるんだよ」

 

「そんなもんかねー?」

 

ふっ、そんな事を言ってられるのも今のうちだ、今日はたっぷりと野球の魅力を教えてやろう。キャッチボールしかしないけど。

 

 

 

「あれ?ヒッキーとたっくんじゃん。何やってんのー?」

 

 

 

聞き覚えのある間延びしたアホっぽい声が聞こえた。

 

「ん?由比ヶ浜か?何ってキャッチボールだろ」

 

「へー、ヒッキーもそういうのやるんだ、意外かも」

 

「おい、お前ら話してないでこの犬どうにかしろよ!」

 

呑気に話してる間、俺は一人由比ヶ浜が連れていた犬に押し倒されて舐めまわされていた。何?俺なんかした?

 

「その子ね、ヒッキーが助けてくれたうちの犬だよ!サブレって言うんだ!」

 

「お前、今度はちゃんとリード握っとけよ。今回のだって下手したら死んでたんだし」

 

「……うん、あの事故からもっと早起きして散歩するようにしてる。

ヒッキーが助けてくれなかったら、あたしも元気でいられたかわかんない。サブレは家族の一員だからさ、だからヒッキー、改めてありがとう!」

 

「ワンッ!」

 

由比ヶ浜の言葉に合わせるようにサブレが鳴く。どことなく笑っているようにも見えなくはない。

俺自身の行動で誰かを助けられたなら本望だ。まぁ、お礼が言われたくて助けたわけじゃないが、それでも、こうやって面と向かって言われると嬉しいものだ。入院した甲斐があるってもんよ。

それはわかった。だから、笑ってないで早く助けてくれ。

 

 

 

 

由比ヶ浜と公園で鉢合わせた後、しばらくしてようやく俺はよだれ地獄から解放された。

由比ヶ浜のほうも三浦たちと予定があるらしく帰っていった。嬉々として話すその顔は以前よりも数段楽しそうだった。

 

「いい時間だしどっかで昼飯食っていこうぜ」

 

「……サイゼならいいぞ」

 

「お前、前もサイゼだっただろ。たまには別のとこ行くぞ」

 

「別んとこってどこ行くんだよ。あんま高い店は嫌だぞ俺」

 

「まぁ、任せとけって。ほら早く道具しまって行くぞ」

 

何とも嫌な予感がするが、たまにはいいか。

 

 

 

 

「ほら、着いたぞ。ここだ」

 

着いてみるとそこは今時の若者が立ち寄りそうもない少ししゃれたお店だった。

 

「ここ、基本的には喫茶店なんだけど、昼時になるとランチも出してるんだよ。値段もサイゼよりは多少高いが、味の保証はするぞ」

 

何度か来たことがあるのか、手慣れた手つきでドアを開ける。

 

「いらっしゃいませ」

 

歓迎してくれたのは人の良さそうな初老の男性だった。

 

「こちらの席へどうぞ」

 

店はさほど混んでいないようで、すぐに案内された。店の雰囲気は落ちついていて俺には居心地が良かった。

 

「ご注文が決まりましたらお呼びください」

 

そう言って男性はメニュー表を差し出した。

 

「オススメとかあんの?」

 

「基本的にはどれもいけるが、個人的にはオムライスだな。半熟の卵の上にかかるデミグラスソースが絶品なんだ、それと、喫茶店だから食後に飲むコーヒーもコクがあってうまい」

 

話を聞くだけでもなんとも食欲をそそられるものだ。俺の中ではそのオムライス一択となっていた。

 

「じゃあ、俺はそのオムライスで」

 

「お、そうか、俺も今日はそのつもりだったんだよな」

 

そう言うと拓也は大きな声で先ほどの店員さんを呼ぶ。呼び出しボタンがない店に来たのはいつぶりだろうか。

少しお客さんが増え始めたのか、少し遅れて注文を取りに来た。

 

「あと、食後にコーヒーを2つお願いします」

 

「かしこまりました」

 

そう言って店の奥に下がっていった。

 

「どうだ?悪くないだろ」

 

「まあな、雰囲気は俺好みだ。欲を言えばもう少し客は少ない方がいいが」

 

「安心しろ、この時間だけだ、昼を過ぎれば客も減っていくんだ。喫茶店としてよりもランチの方が知られてるからな」

 

「へー、そうなのか」

 

俺のベストポジションに入れることを検討するとしよう。

 

俺たちが雑談に花を咲かせている間に料理ができたらしく運びこまれる。

 

「お待たせ致しました」

 

俺たちの目の前に注文したオムライスが並べられる。デミグラスソースの香りは芳醇でいつまでも嗅いでいられる気がした。

 

「「いただきます」」

 

スプーンを使って一口目を口に運ぶ。デミグラスと卵とバターライスがマッチして今まで味わったことのない濃厚な味の爆弾が炸裂した。

 

「……うめぇ」

 

「だろ?」

 

無意識に言葉が漏れてしまったらしい。しかし、この美味しさでは仕方ない。本当に美味しいのだ。

そこからは互いに話すこともなく黙々と食べ進んでいった。

気付いた時にはもう互いに食べ終えていた。

 

「すいません、食後のコーヒーをお願いします」

 

「かしこまりました」

 

見渡すと、店内は既に満席だった。

 

「悪くないだろ、たまには」

 

「正直予想よりはるかに良かった」

 

「そうだろ、お前も周りに目を向けてみろよ、普段興味のないもんでもいざやってみるとハマるなんてのはざらにあるんだから」

 

「たしかに、そうかもな……」

 

少し視野を広げてみるか、そう思っていると申し訳なさそうに店員さんが近づいてきた。

 

「申し訳ありません、ただ今店内混雑しておりまして、よろしければ相席でもよろしいですか?」

 

「俺はいいが、大丈夫か?八幡」

 

「ああ、大丈夫だ。俺たちもあとコーヒーだけだしな」

 

「ありがとうございます」

 

そう言って店員が案内する客に見覚えがあった。

 

「相席、ありがどうごさいま……って、貴方達だったのね」

 

「って、雪ノ下じゃねーか」

 

「なんとも奇妙なこともあるもんだな、ま、とりあえず座れよ」

 

四人座りだったので、拓也が俺の隣にきて、対面に雪ノ下が座った。

 

「驚いたわね、貴方達がこんなところに来るなんて」

 

「拓也が誘ってきたんだよ、いいところがあるってな」

 

「そう、わかってるじゃない」

 

まるで自分の事かのように自慢げに言う。別にお前を褒めたわけじゃないからな?

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

「オムライスを1つ」

 

雪ノ下は俺たちと同じオムライスを頼んだ。それと同時に俺たちのコーヒーも出てきた。

 

「お前もよくここに来るのか?」

 

「ええ、たまにだけれど、 あまり人が入らない時間に来てるわ」

 

「?それが何でこの時間に?」

 

「以前来た時に、ここのオムライスが絶品という話を耳に挟んだのよ。まさか、ここまで人気だとは思わなかったのだけれど」

 

「あー、わかる、最初は俺も思った。ギャップがすごいよな、客がいる時といない時で」

 

やはりこの二人は馬が合うのか、料理が届くまでの間、俺を置き去りにして話し続けていた。

 

「っと、話し込んじまったな、雪ノ下の料理もついたことだし、俺たちは先に出るか」

 

「だな」

 

「そう、ではまた部室で会いましょう。楽しかったわ」

 

「おー、またな」

 

「……じゃあな」

 

俺たちは、会計を割り勘で済まし店を出た。

……こいつは気づいてるのだろうか、あの雪ノ下が自然と楽しかったと言ったことに。大した奴だよやっぱり。

俺の感心をよそに、お腹いっぱいになってご機嫌なのか鼻歌を歌いながら歩く姿を見ると、やっぱり過大評価かもしれないと思った。

 

 

 

 

「たでーま」

 

「おかえり!拓也さん!…あ、お兄ちゃんも」

 

家に帰ると小町がお出迎えしてくれた。主に拓也を。あなたのお兄ちゃんは大変傷ついてますよ。小町さん。

 

「小町ちゃん帰ってたんだ」

 

「午前中はまだ、部活がありまして……」

 

「そっか、まだ引退は先だったよなぁ、受験勉強もあると思うけど、頑張れよ。うち意外と偏差値高いからさ」

 

そう笑いながら小町の頭をポンと叩く。

 

「ありがとございます!いやー、本当なんで拓也さんみたいな人がお兄ちゃんと仲良くしてくれるのか本当不思議ですよー」

 

「そうか?寧ろこいつの良さを理解できない周りがよくわからん。そんな奴らに限って噂を鵜呑みにするようなバカな連中なんだろうけどな。俺はこいつの良さは十分わかってるからこそ、友達やってるんだよ小町ちゃん」

 

少しまじめに話したかと思えば、最後は戯けた様子で小町に語りかける。

 

「……よかった」

 

「?小町ちゃん?」

 

「いえいえ!何でもないですよ、それより、今の小町的にポイント高いですよ拓也さん!」

 

「ポイント貯まると俺の妹にでもなるのか?」

 

「残念ながら小町のお兄ちゃんはお兄ちゃんだけでして」

 

「そうか、それは残念」

 

俺にはよくわからないやり取りがあったのか、終始二人は笑ってた。ただ、最後のは八幡的にポイント高いぞ小町。

 

 

 

 

家に帰ってからは、ゲームやテレビを見て時間を過ごしていた。そして、気づけばもう夕食の時間になっていた。

 

「夕食どうするよ」

 

「親父たちは帰ってこないらしいから、外食か、作るか、買ってくるかだな」

 

「せっかくだし作らねぇか?昼外食したしよ」

 

「作るっつったって俺は本格的に料理なんて出来んぞ」

 

「俺に任せろ、泊めてもらうんだし料理くらいは振る舞うさ」

 

「……お前、料理できんの?」

 

「言ってなかったか?割と得意だぞ俺」

 

そう言うとおもむろに立ち上がる。

 

「ちょっと足りない材料買ってくるから、待っとけ」

 

「なら、金持ってけよ」

 

俺が財布から金を取り出そうとするのを拓也は手で静止する。

 

「気にすんなって、大した額じゃねぇし、宿泊料だと思っとけ」

 

そう言うと財布とスマホを持って出かけていった。

 

「あれ?拓也さんどっか行ったの?」

 

玄関の音で気づいたのか小町がひょこっと顔を出す。

 

「喜べ小町、今日の夕飯、拓也が作ってくれるってよ」

 

「ほんと⁉︎やったー!やっぱり、ゴミいちゃんとは大違いだね!」

 

「うるせぇ、俺だって頑張ればお茶漬けくらいなら作れるんだよ」

 

「はぁ、そんなんだからゴミいちゃんなんだよ?」

 

はい、善処します。

 

 

 

 

しばらくして拓也が帰ってきた。

 

「悪い、ちょっと遅くなった」

 

「別にいいけど、何作るんだ?」

 

「カレー作ろうと思ってな、多く作っても保存がきくし、最悪明日の朝にでも食べればいいしな」

 

「なんか手伝うか?」

 

「そうだな、流石に食器や調理器具の場所がわからんから、そこらへんのことを頼む」

 

そう言うと早速調理を始めた。どうやら得意なのは嘘じゃないらしく、手際よく作業を進める。

 

「小町も手伝いますね!」

 

さっきまで勉強していた小町が匂いにつられたのかリビングにやってきた。

 

「じゃあ、小町ちゃんお皿並べてくれる?」

 

「はい!ほらほら、お兄ちゃんも手伝う」

 

「わかってるっつーの」

 

皿を並べ終わった俺たちは料理を拓也に任せてくつろぐことにした。

小町が手伝おうとしたが、休んどけと言われてからは大人しくそれに従っている。

ぼーっとテレビを見ていると、いつのまにか、カレーのいい匂いが家中に広がっていた。

 

「出来たぞ」

 

そう言って机に盛り付けられたカレーが並べられる。

 

「わーっ!すごいいい匂いですね!」

 

「ああ、うまそうだな」

 

「先に食べてくれ、先に少し洗い物するから」

 

お言葉に甘えて、俺たちはそれぞれ席についた。

 

「「いただきます」」

 

一口でいつもと違うカレーだと気づいた。しっかりとした辛さがあるが、インドカレーのようなスパイシーな辛さとは違い、コクの中にジワリと効いている辛さだ。家庭的な野菜たっぷりというよりもどちらかと言うとビーフカレーに近い。店の料理と言われて出されても分からないだろう。それくらい美味しいのだ。

 

「んー!美味しいです!」

 

「……お前、店でもやってけるんじゃね」

 

「お気に召したのなら何よりだ」

 

その後も黙々と食べ続けた俺たちは、結局完食した。

 

 

 

 

「さて、そろそろ寝るか」

 

ご飯を食べ終わってからも、だらだらと過ごしていると時計はもう深夜0時を指していた。

 

「だな」

 

俺たちはそれぞれ寝床についた。

 

「わりと濃い一日だったな」

 

「たしかにな」

 

「たまにはこんな休日もいいもんだろ、家にばっかいないで外に出るのを進めるぞ」

 

「ばか、たまにだからこそいいんだよ、俺は基本室内がいいの」

 

「……たしかに、一理あるか」

 

そんなくだらないやり取りをしているうちにお互い眠っていた。

 

 

 

 

次の日は一日家中で遊んだ。

やけに拓也はうちの猫を構っていた。どうやら犬派ではなく猫派らしい。カマクラもどうやら懐いているようだった。

日が暮れる頃になると拓也が帰り支度を始めた。

 

「じゃあな、楽しかったぞ」

 

「そうか、俺も案外楽しかった」

 

「また遊びに来てくださいね拓也さん!」

 

「おう、またな小町ちゃん、八幡もまた学校でな」

 

小町は拓也が見えなくなるまで、手を振っていた。

 

「何でお前がそんな見送ってんだよ……」

 

「……お兄ちゃん、拓也さんは多分お兄ちゃんの理解者だよ。だから、お兄ちゃんも、大切にね?あんないい人そうそういないよ」

 

そんなの言われるまでもない。もう俺はあいつを信じてるんだから。

 

「ったりまえよ、お兄ちゃんなめんな」

 

「……ふふっ。でも、まだ小町の方がお兄ちゃんのことよく分かってるもんねー!あ、今の小町的にポイント高いかも」

 

「最後ので台無しだよ」

 

こうして、なんとも濃い俺のゴールデンウィークの2日間は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




投稿間隔が空くはずが、感想読んで頑張ろうと思って書きました。
ですが、基本はやっぱり空くと思います。ごめんなさい。


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第9話

少し空きます(2ヶ月)
新しい仕事になれるのに時間がかかりました。
以上言い訳です。
睡眠時間削って速攻で書いたので誤字脱字もそうですが、クオリティも低いです。まだ見ていただける方がいらっしゃったら幸いです。
1万字超えちゃいましたがよろしければどうぞ。


ゴールデンウィークも過ぎて、じわりじわりと暑くなりはじめてくる今日このごろ。

元来、クールでハードボイルドな俺は少しでも涼しさを求め、人のいない場所へと向かった。

屋上へと続く踊り場。

使われない机が乱雑に置かれた、人一人通るのがやっとのような場所である。いつもなら南京錠で固く閉ざされていたはずだ。

どうせどこかのクラスのちゃらちゃらした連中がぎゃーすか騒ぐために屋上に出たんだろう、だが、そのとき、扉の向こうがやけに静かなことに気づいた。

この静けさからするとあの手の連中はこの先にいないようだ。誰もいないとなると、俄然元気になるのがぼっちである。俺は机のバリケードを崩すと扉に手をかける。

扉の先に広がるのは青い空、そして、水平線。

今やこの屋上は俺のプライベート屋上と化していた。

遠く霞み行く空を眺めるのと、将来を見据えるのはどこか似ている。

だから、屋上は手元にある職場見学希望調査票に自身の夢を託すのにふさわしい場所だった。

俺はその紙に志望する職業と見学したい職場、その理由をつらつらと書き連ねる。日頃から将来設計ばっちりな俺の筆に迷いはない。ものの二分もしないうちに書き上げてしまった。

ーーそのとき。

風が吹いた。俺の夢を描いた一枚の紙を未来への紙飛行機のように飛ばしていく。

詩的に表現したが、もちろんさっき俺が書いた紙だ。おいこの風マジふざけんな。

……もういいや。紙もらって書き直そ。

そう肩をすくめて歩き出した時だった。

 

「これ、あんたの?」

 

声がした。そのどこか気だるげな声の主を探して辺りを見渡すが、俺の周りに人はいない。

 

「どこ見てんの?」

 

ハッとバカにした感じで笑う声は、上から聞こえた。上から物を言うとはまさにこのことか。屋上からさらに上へ突き出た部分、梯子を上った先にある給水塔。

その給水塔に寄りかかり、俺を見下していた。

長い背中にまで垂れた青みがかった黒髪。リボンはしておらず開かれた胸元、余った裾の部分が緩く結びこまれたシャツ、長くしなやかな脚。そして、印象的なのがぼんやりと見つめるような覇気のない瞳。泣きぼくろが一層倦怠感を演出していた。

 

「これ、あんたの?」

 

その女子は先ほどと変わらぬ調子で言った。何年生かわからないのでとりあえず無言で頷いておく。いや、ほら先輩だと敬語使わなくちゃいけないけど、違ったら恥ずかしいじゃないっすか。

 

「……ちょっと待ってて」

 

ため息混じりにそう言うと、梯子に手をかけてするすると下りてくる

ーーそのとき。

風が吹いた、夢を託した一枚の布を未来永劫焼き付けるように神風が靡く。

詩的に表現したが、要するにパンツが見えた。おい、でかしたこの風マジよくやった!

梯子の途中から手を離し、すとっと降りた女子は俺に紙を渡す直前にそれを一瞥する。

 

「……バカじゃないの?」

 

そう言って投げつけでもするかのごとく、ぶっきらぼうに俺に手渡し、くるっと踵を返してそのまま校舎の中へと消えていく。返してもらった紙を片手にぽりぽりと頭を掻く。

 

「黒のレース、か……」

 

屋上のスピーカーからは昼休み終了のチャイムが流れていた。

それを合図に、俺も扉へと足を向けた。

 

 

 

 

職員室の一角の応接スペースそこには煙草のフィルターをがじがじと齧り、さも怒りを堪えてますという表情でこちらを睨みつける国語教師の平塚先生がいた。

 

「君たち。私が何を言いたいか、わかるな?」

 

「さ、さぁ……」

 

「まぁ…」.

 

「……はぁ、まあいい。とにかく、二人とも職場見学希望調査票は再提出だ。いいな」

 

そう、この千葉市立総武高校では二年次に「職場見学」なるイベントが存在する。社会に出るということを実感させるゆとり教育的なプログラムだ。

 

「にしても、なんだねこのふざけた回答は」

 

「なんだと言われても……」

 

俺の思いの丈は全てあの紙にぶつけたのでこれ以上の回答はよういしていない。あれを読んでも理解してもらえないとなると、さて、どうしたものか……。

 

「比企谷はともかく、佐藤、君にいたっては無回答じゃないか。必ずしも行きたい場所があるわけではないだろうが、興味あるところくらいあるだろ」

 

「いいですか、平塚先生、どんな企業に行こうと職場見学となるとどこの企業もいいところを見せようとするわけですよ、そこで興味を持ってしまって、いざ就職してみれば全く違ったなんてざらですよ。これは、職場見学に限りませんがね。となると、一つの企業の上っ面なところを見るよりも、なんの偏見もなくフラットな目線で見るほうがいいんですよ。似たようなのは、学校見学なんかもそうですよね、『私たちの学校はこんなにも真面目に勉強してますよ』と見に来た学生にアピールしますけど、実際入ってみるとそこまで勉強に力を入れてなくて後悔したなんて話もよく聞きます。なので行く意味をあまり感じないんですよね、これ。時期も時期ですし」

 

「……まったく、君も君で厄介な考えを持ってるんだな。まぁ、時期については今だからこそなんだよ、佐藤。夏休み明けに、三年次のコース選択があるのは聞いているな?」

 

「はい」

 

あれ、そんなんあったけ。

 

「その関係で、将来への意識を明確に持ってもらうために、中間試験直後に職場見学が設けられているんだ」

 

平塚先生はぷかぁと輪っか状の煙を吐き出した。

 

俺たちの通う総武高校は進学校だ。大半の生徒が大学進学を希望するため、高校入学時から大学進学を念頭に置いている。そのため将来への展望というのは希薄だろう。

 

「それ、あんま有効性ないっすよね」

 

どうやら、こいつも同じようなことを思っていたようだ。

 

「まったく、意外と似たもの同士なのか、君たちは。ところで二人とも、文系、理系、どっちにするんだ?」

 

「そうっすね、俺はーー」

 

「あー!こんなとこにいた!」

 

俺が口を開くと、騒がしい声に邪魔をされる。最近友達になった?由比ヶ浜結衣だ。

 

「おや、由比ヶ浜。悪いがこいつらを借りているぞ」

 

「べ、別にあたしのじゃないです!ぜ、全然いいです!」

 

言葉を返しつつ、由比ヶ浜はぶんぶんと全力で手を振って否定する。そんな全力で拒否されるとちょっと傷つくんだけど……。

 

「全然いいってなんだよ、俺たちが売れ残った不良品みたいじゃねーかよ。泣くぞ」

 

怒ってるようでバッチリ傷ついちゃってんじゃんこいつ。

 

「で、なんか用か?」

 

拓也の問いかけに答えたのは由比ヶ浜ではなく、その後ろからひょいと現れた少女だった。

 

「あなたたちがいつまでたっても部室に来ないから探しに来たのよ、由比ヶ浜さんは」

 

「その倒置法使って自分じゃないことわざわざ強調させなくていいから、わかったから」

 

雪ノ下の言葉を受けて、由比ヶ浜が不満げにむんと仁王立ちになる。

 

「わざわざ聞いて歩いたんだからね。そしたら、みんな『比企谷?誰?』って言うし。超大変だった」

 

「その追加情報いらねぇ……」

 

なんでこいつはピンポイントで俺の心を抉りに来るんだよ。しかも狙ってないとか天才か。

 

「超大変だったんだからね」

 

しかも二回言われた。学校で俺が認知されていない事実を再び突きつけてきやがった。ここまで知られていないとすると案外忍者とか適職かもしれない。

 

「なんだ、その、悪かったな」

 

「俺、認知されてないことに謝るやつ初めて見たわ」

 

俺だってこんな悲しい謝罪は初めてだよ。

 

「別に、い、いいんだけどさ……。そ、その……、だから」

 

由比ヶ浜は指をうにょうにょと動かしながらもじもじとし始めた。

 

「け、携帯教えて?ほ、ほら!わざわざ探して回るのもおかしいし、たっくんと交換してヒッキーとはしないのもなんか変じゃん?だから……さ、」

 

俺を探していた事実が耐え難いほど恥ずかしかったのか、思い出したかのように顔を赤らめる。

 

「まぁそれは別にいいけどよ……」

 

携帯を取り出すと、由比ヶ浜もなやかキラキラデカデカした携帯電話を取り出した。

 

「……何その長距離トラックみてぇな携帯」

 

「え?可愛くない?」

 

 

 

 

どうやら八幡と由比ヶ浜は連絡先を交換することになったらしい、わかりやすい態度だとは思うが、八幡はやはり気づいてはいないようだ。……にしても

 

「そういえば、お前さんはなんでいるだよ」

 

「あなたたちを探しに来たと言ったじゃない」

 

「それはさっき聞いた、聞きたいのは由比ヶ浜と一緒なのが気になったからだよ。普段のお前なら別に俺たちなんか放っておくだろ。それ以外で考えられるのは由比ヶ浜に頼まれたかなんかしたからだろうけど、お前、そんな由比ヶ浜と仲よかったっけ?」

 

「……そうね、あなたの知らないところで少しね」

 

「へー」

 

「……何か言いたいことでもあるのかしら?」

 

「そうだなぁ、……強いて言うならアホだから気をつけろよとかか?」

 

「なかなか確信をつくわねあなた」

 

どうやら思い当たる節はあるらしい。由比ヶ浜はそこがいいところでもあり悪いところでもあるんだよなぁ。

 

 

 

「よし、君たちもういいぞ。行きたまえ」

 

「うす。んじゃ部活行きます」

 

由比ヶ浜と平塚先生の連絡先を手に入れた俺は床に転がしてあった鞄を拾いあげて右肩に引っかける。またいつもと同じように、相談者なんかこない暇な時間を過ごすのだろう。

扉の近くまで行くと、背中に声がかけられた。

 

「ああ、そうだ。比企谷、佐藤。伝え忘れていたが今度の職場見学、三人一組で行くことになる。好きな者たちと組んでもらうからそのつもりでいたまえ」

 

それを聞いて俺はがくりと肩を落としてしまった。

 

「……なんてこった。クラスの奴が俺ん家に来るなんて絶対いやだ……」

 

「学校に自分以外に2人も待機する人が出てきちゃうんすね」

 

「あくまでもそのままいくつもりなのか、君たちは……」

 

「比企谷、君はてっきり『好きな奴と組め』というのを嫌がると思ったのだがな」

 

「はっ、何を馬鹿なことを」

 

俺は渾身の力を込めて平塚先生に言い放った。

 

「孤独の痛みなんて今更なんてことないですよ!慣れてますから!」

 

「かっこ悪……」

 

「ばか、お前、ヒーローはいつだって孤独なんだよ。それでもヒーローかっこいいだろうが。つまり『孤独=かっこいい』なんだよ」

 

「そうね、愛と勇気だけが友達、と言っているヒーローもいるものね」

 

「だろ?っつうかお前よく知ってんな」

 

「ええ、興味深く思っているわ。幼児たちが愛も勇気も友達なんかじゃないと気づくのはいつなのかしら」

 

「なんだその歪んだ興味……」

 

「あのヒーローは愛と勇気が友達にいるっぽいけど、解決法が最終的に殴るから友達になるぶんならお前の方がマシかもな」

 

「やめろよ、新手のクレーマーか?お前は」

 

 

 

 

特別棟の四階、東側に部室はある。そこでは部活動に励む少年少女の声が木霊し、青春のBGMを奏でていた。

そんな中俺は、小町から借りた少女漫画を読み、雪ノ下は文庫本に目を落とし、由比ヶ浜は携帯をポチポチし、拓也はうたた寝していた。

相変わらず0点の青春である。

そんなことを考え、俺は由比ヶ浜の方へ視線を向けた。見れば、由比ヶ浜は携帯片手に曖昧な笑みを浮かべて、深い深いため息をついていた。

 

「どうかしたの?」

 

そう声をかけたのは俺ではなく、雪ノ下だった。視線は文庫本に向けたままだが、由比ヶ浜のおかしな様子に気づいたらしい。さすがはデビルマン、デビルイヤーは地獄耳である。

 

「あ、うん……何でもない、んだけど。ちょっと変なメールが来たから、うわって思っただけ」

 

「比企谷くん、裁判沙汰になりたくなかったら今後そういう卑猥なメール送るのはやめなさい」

 

「俺じゃねぇよ……。証拠どこにあんだよ。証拠出せ証拠」

 

雪ノ下は勝ち誇った顔で言った。

 

「その言葉が証拠といってもいいわね。犯人の台詞なんて決まっているのよ。『証拠はどこにあるんだ』『大した推理だ、君は小説家にでもなったほうがいいんじゃないか』『殺人鬼と同じ部屋になんていられるか』」

 

「……最後のは殺される方の台詞だろ」

 

俺たちの会話で目が覚めたよで拓也も会話に混ざる。

 

拓也に言われてから雪ノ下は「そうだったかしら」と首を傾げてぱらぱらと文庫本をめくる。

 

「いやー。ヒッキーは犯人じゃないと思うよ?」

 

由比ヶ浜が遅まきながらそういうと、文庫本をめくっていた雪ノ下の手がピタリと止まった。目だけで、「証拠は?」と問うている。おい、そんなに俺を犯人扱いしたいのかよ。

 

「んー、なんちゅうかさ、内容がうちのクラスのことなんだよね。だから、ヒッキー無関係っていうか」

 

「俺も同じクラスなんですけど……」

 

「なるほど。では、比企谷くんは犯人じゃないわね」

 

「だな」

 

こんにちは、二年F組比企谷八幡です。

 

「……まぁ、こういうのときどきあるしさ。あんまり気にしないことにする」

 

「そうそう、無視しとけ、俺んとこにもきたけど、見るだけ時間の無駄だぞあんなのは、高校生にもなってガキみたいなことしてんじゃねぇよ本当に」

 

やけに拓也がキレてるっつーことはおそらく愉快なものではないのだろう。

 

ときどきある、と由比ヶ浜は言うが、その手のメールが俺のところに来たことはない。……友達少なくてよかった!

 

いや、しかし真面目な話、友達が多い人間というのは、いつもこの手のどこかドロドロとしたものと向き合わなければならない。実に大変そうである。やはりむやみに友達を作らない俺は正しかったというわけだ。

 

「……暇」

 

暇つぶしアイテムである携帯電話が封じられたことにより、由比ヶ浜はだろーっとだらしなく椅子の背もたれに寄りかかる。そうするとやたら胸が強調されて目のやり場に困るので、目のやり場に困らない雪ノ下の胸元に視線を運ばざるを得ない。

 

「することがないのなら勉強でもしていたら?中間試験まであまり時間もないことだし」

 

そう言う雪ノ下は全く逼迫した様子がない。それもそのはず、こいつはテストすべてで学年首位を取るような女だ。今更中間試験程度で動揺はしないのだろう。

由比ヶ浜もそのことはわかっているのか、少しばかり気まずそうに視線を逸らしてもにょもにょと口の中だけで喋る。

 

「勉強とか、意味なくない?社会に出たら使わないし……」

 

「出た!バカな常套句!」

 

あまりにも、あまりにも予想通りの回答にむしろ逆に驚いて声に出してしまった。おい、マジかよ、今日の高校生でそんなこと言う奴いんのかよ。

バカと言われてムッとしたのか、躍起になって反論してくる。

 

「勉強なんて意味ないってば!高校生活短いし、そういうのにかけてる時間もったいないじゃん!人生一度きりしかないんだよ?」

 

「だから、失敗できないんだけどな」

 

「超マイナス思考だ!」

 

「リスクヘッジと呼べ」

 

「あなたの場合、高校生活全部失敗してるじゃない……」

 

「勉強意味ないとか言うならお前一体何しに入学したんだよ……」

 

「「うっ…」」

 

そうでした。全然ヘッジできてなかった。おいマジかよ。俺の人生詰んでるのか。英語で言えばチェックアウトなのか。ホテルかっつーの。

 

「というか、失敗なんてしてねぇ……。ちょっと人と違うだけだ。個性だ!みんな違ってみんないいんだ!」

 

「そ、そう!個性!勉強が苦手なのも個性‼︎」

 

二人揃って、バカな常套句その二が出てきた瞬間だった。しかし本当に便利な言葉ですねぇ。

 

「お前ら、金子みすゞが聞いたら怒るぞ……」

 

雪ノ下はため息をつきながら額に手を当てる。

 

「由比ヶ浜さん。あなた、勉強に意味がないって言ったけどそんなことはないわ。むしろ、自分で意味を見出すのが勉強というものよ。それこそ人それぞれ勉強する理由は違うでしょうけれど、だからといってそれが勉強すべてを否定することにはならないわ」

 

正論ではある。それも大人の綺麗事といっていい。それ故にその言い分は現在大人になりかけの者には通じない。かっこつけでもなんでもなく、真摯にそう思っているのは雪ノ下くらいだろう。

 

「ゆきのんは頭いいからいいけどさ……。あたし、勉強に向いてないし……周り、誰もやってないし……」

 

その小さな声に雪ノ下の目が急に細くなる。一気に気温が下がったかのような静けさを感じ、由比ヶ浜ははっとなって口を噤む。以前雪の下や拓也に言われたことを思い出したらしい。全力で自分のフォローに入る。

 

「や、ちゃ、ちゃんとやるよ!……そ、そういえば!ヒッキーは勉強してるの⁉︎」

 

おおっ、あいつらに怒られる前に躱した。俺に矛先を向けることで逃げ切ろうという算段らしい。でも残念でした。

 

「俺は勉強してる」

 

「裏切られたっ!ヒッキーはバカ仲間だと思ってたのに!」

 

「失礼な……。俺は国語なら学年三位だぞ……、他の文系教科も別に悪くねぇ」

 

「うっそ……、全然知らなかった……、な、ならたっくんはどうなの⁉︎」

 

藁にもすがる思いなのか、必死の形相で拓也の方を向く。

 

「ん?俺か?全科目十位以内に入るくらいだな」

 

「うぅー。あたしだけバカキャラなんて……」

 

「そんなことないわ、由比ヶ浜さん」

 

冷静な声ながらも雪ノ下の表情には温かみがあり、その瞳にははっきりとした確信の色がある。それを聞き、由比ヶ浜はぱあっと顔を明るくする。

 

「ゆ、ゆきのん!」

 

「あなたはキャラじゃなくて真性のバカよ」

 

「うわーん!」

 

ぽかぽかと雪ノ下の胸元を叩く由比ヶ浜。それを面倒くさそうに受け止めながら雪ノ下は短いため息をついた。

 

「試験の点数や順位程度で人の価値を測るのがバカだと言っているのよ。試験の成績は良くても人間として著しく劣る人間もいるわ」

 

「おい、なんで今俺みたんだよ」

 

「雪ノ下のいいぶんはもっともだが、将来評価されるのは人柄じゃなくて学歴だからな今の世の中は、そういう意味では得する人間もいるのかもしれないがな」

 

「おい、だからなんでこっち見んだよ」

 

二人にまじまじと見つめられてしまった。

 

「一応言っておくが俺は勉強好きでやってるんだからな?」

 

「へぇ……」

 

「ほーん」

 

「勉強くらいしかすることなかったのよね」

 

驚く由比ヶ浜に、興味なさげな拓也、そしていちいち一言多い雪ノ下。

 

「まぁな、お前と一緒でな」

 

「……否定はしないけれど」

 

「そこは否定しようよ!なんだかあたしが悲しくなってきちゃったよ!」

 

「……なんか、たまによくわからんところで合うよなお前ら」

 

感情移入してしまった由比ヶ浜は雪ノ下の心の傷を慮りでもしたのかがばっと抱きついた。「……暑苦しい」と迷惑げな顔をする雪ノ下の言葉を一切聞かず、抱きついている。ちょっと!ぼくもぼくも!ぼくも勉強くらいしかすることないですよ!がばっとひしっとなんで来ないんだよ。や、来られても困るんですけどね。

 

由比ヶ浜は雪ノ下の頭を抱えたまま、その頭を撫でるようにしてふと口を開いた。

 

「でもさぁ、ヒッキーが勉強頑張ってるのってなんか意外だよね」

 

「いや、ほかの連中も進学希望ならこの時期勉強してるんじゃねぇの。夏休み入ったら夏期講習とか行く奴もでてくるだろうし」

意識高い連中ならこのあたりからもう受験のことを考えているはずだ。津田沼の佐ゼミに行こうか西千葉の川合塾現役館に行こうか、それとも稲毛海岸の東新に行こうかと悩み始める頃合いだろう。

 

「それに、あれば。俺は予備校のスカラシップ狙ってるしな」

 

「……すくらっぷ?」

 

「それなら狙わなくても今現在で充分よ。生きる産業廃棄物みたいなものじゃない、あなた」

 

「なんだ、雪ノ下、今日は優しいな。てっきり生きることすら否定されると思ってたぞ」

 

「…それでいいのか八幡よ」

 

雪ノ下はこめかみのあたりを押さえて、苦い表情をする。

 

「ねぇねぇ、すくらっぷって何?」

 

スクラップのほうすら知らないのか、由比ヶ浜は話についてきてなかった。えぇー、マジっすか由比ヶ浜さん。

 

「スカラシップというのは奨学金のことよ」

 

「最近の予備校は成績が良い生徒の学費を免除してるんだよ。つまり、スカラシップ取って、さらに親から予備校の学費を貰えばそれがまるまる俺の金になるわけだ」

 

俺自身明確な目的を持って勉強に励むことができるし、親も投資した額に見合った成果が出ていれば安心する。ついでに俺にはお金が入る。素晴らしい妙案である。

だが、女子二人は揃って微妙な表情をした。

 

「詐欺じゃん……」

 

「詐欺とは言い切れないんだよなぁ、これが。結果的にはどこも損してないんだからな。タチ悪いとは言えるけどな」

 

そうだ、そうだ、誰も傷つかない優しい嘘をついてるだけじゃないかよう。

 

「進路、かぁ……」

 

そう呟いて由比ヶ浜はちらっと俺の方と拓也の方を見た。そして、なお一層強い力で雪ノ下の袖をぎゅっと掴む。その勢いに驚いたのか、雪ノ下が少し心配げに雪ノ下が少し心配げに由比ヶ浜の顔を覗き込んだ。

 

「……何かしら」

 

「あ、ううん、なんでもない、ことはないか……。三人とも頭いいからさ、卒業したら、会うこととかなさそうだな、ってちょっと考えちゃって」

 

言ってから、たははーと誤魔化すように由比ヶ浜は笑う。

 

「そうね……少なくとも比企谷くんなんて絶対にあわないわね」

 

雪ノ下は若干の微笑みを湛えて言ったが、俺は無言で肩をすくめるだけだった。何も言い返さない反応を怪訝に思ったのか、雪ノ下は物を問うような視線を投げかけてくる。なんでもねぇよ。たぶん、お前の言う通りさ、雪ノ下。

世の中にはいるのだ。同じ中学の奴らがいないところに行こうと決めて勉強して県内有数の進学校に合格したやつが。同級生と二度と会わないと決めた奴が。そういう奴がいる以上由比ヶ浜の懸念はまず間違いなく当たるだろう。

人の関係性なんてものは同じ場所、同じカテゴリー、恒常的なコミュニケーションで成り立っている。

だからそれを断ってしまえば人は自ずと一人になる。

それこそ、電話やメールやらでしか繋がらない、あるいは繋がれなくなる、それを人は友情と呼ぶのだろうか。いや、呼ぶのだろう。だからこそ友達の数と電話帳の登録数をイコールで換算する。

 

 

 

「別にそんなことないだろ由比ヶ浜。少なくともここにはお前を嫌ってるやつなんて誰もいないんだからよ、んなこと気にしてねぇで会いたいと思えば連絡でもなんでもすりゃいいんだよ。ひねくれ者のこいつらだけど、それを無下にするような奴らじゃないからな、…多分」

 

 

 

「なんか、最後すごい自信なくない⁉︎」

 

「まぁ、俺はこいつらじゃないからな、そこらへんは本人に聞いてくれ」

 

……こいつといるとたまに自分の考えが矮小に思う時がある。別に自分の考えが間違っているとかそういうことじゃなくて、根本的なことをふと考えさせられるそんな気持ちになるのだ。

 

「……そうね、別にその程度なら構わないけれど、だからといって今みたいに毎日メールをしてくるのはやめてもらいたいわね」

 

「ええっ⁉︎や、やなの……?」

 

「……、ときどき非常にめんどくさいわ」

 

「この正直もの!」

 

……こいつら仲良いな、しかし。いつの間にメールのやり取りする仲になったんだよ。

 

「お前ら毎日メールってそんなやり取りすることあるのか?」

 

「えっと……。『今日シュークリーム食べたよ☆』とか」

 

「『そう』とか」

 

「『ゆきなん、シュークリーム作れる⁉︎今度他のお菓子も食べてみたいんだけど!』とか」

 

「『了解』とか」

 

「雪ノ下、返信雑すぎるだろ……」

 

「それ以外の情報なんて必要ないでしょう」

 

「うん、ああ言ったけど毎日これは面倒くさいわ、すまん由比ヶ浜俺連絡返さないかも」

 

「たっくんまで⁉︎この薄情者!」

 

いや、ほんとさ、ああいう雑談的なものって何話せばいいんだろうな。会話の基本は天気とかいうけど、「晴れですね」「そうですね」で終わっちまうじゃねぇか。

 

「携帯電話ねぇ……。そんな頼りにならんだろ。これもかなり不完全なコミュニケーション手段だと思うけどな」

 

電話が来ても放置とか着拒できるし、メールも返さなきゃそのままだ。

 

「そうね。メールを返すのも電話を取るのも受け手側に一任されるものね」

 

「だからこそ、本来は親しい人間同士が使うものなんだろ。出なくてもきちんと理解できるような関係のやつが使わなきゃただの不仲製造ツールに成り下がるんだし」

 

見た目だけはとても良い雪ノ下のことだ。それこそ、いろんな人間からアドレスやら番号やらを聞かれたことだろう。

 

「それに、本当に嫌なメールは無視してしまうし」

 

雪ノ下がぽつりと付け足したように漏らしたことばに、由比ヶ浜が顎に人差し指を当てて「んんっ?」と小首を傾げる。

 

「じゃあ……、私のメールは嫌じゃないってこと?」

 

「……嫌とは言っていないわ。面倒なだけ」

 

まじまじと顔を覗き込む由比ヶ浜からそっと目を逸らして赤い顔をする雪ノ下。そんな雪ノ下の様子に由比ヶ浜は飛びつく。雪ノ下は由比ヶ浜のなすがままになっていた。おれが無関係なのでちょうどうでもいい。

 

「そっか、でも携帯ってそんな完璧じゃないんだ」

 

「ったりまえよ、人と人とが向き合って会話する時初めてお互いが分かり合えるんだからな」

 

拓也のその言葉に改めてその絆がいかに希薄なものかを痛感したのかきゅっと雪ノ下の身体を掴む。

 

「あたし……、ちゃんと勉強しようかな。……同じ大学行けたら素敵だし」

 

小さな声でそう言って由比ヶ浜は視線を床に落とす。

 

「ゆきのんやたっくんって大学とか決めてるの?」

 

「いえ、まだ具体的には。志望としては国公立理系だけど」

 

「俺も具体的には決まってないが今んとこは国公立文系だな」

 

「頭いい単語出てきた!じゃ、……じゃあヒ、ヒッキーは?つ、ついでに聞くけど」

 

「俺は私立文系だ」

 

「それならあたしでもいけるかも!」

 

由比ヶ浜の顔に笑みが戻る。おい、なんだその反応。

 

「言っておくが、私立文系ってバカってことじゃないぞ。全国の私立文系さんに謝れよ。だいたい俺とお前じゃレベルが違うだろ」

 

「うっ……。だ、だから頑張るんだってば!」

 

由比ヶ浜は雪ノ下から離れるの大声で宣言した。

 

「と、いうわけで。今週から勉強会をやります」

 

「……どういうわけ?」

 

「三日坊主で終わるなよー」

 

「テスト一週間前は部活ないし、午後暇だよね?ああ、今週でも火曜日は市教研で部活ないからそこもいいかも」

 

雪ノ下の疑問は一切無視、拓也の声も聞こえていないのか由比ヶ浜はてきぱきと段取りを始める。

まぁ、由比ヶ浜の算段はわからなくもない。学年一位の雪ノ下、全教科に強い拓也、そして国語学年三位の俺がいればかなり心強いはずだ。それに俺は教えることに関しては自信がある。

ひとつ問題があるとすれば、俺はそれに協力する気がないことだ。

 

「あー……」

 

なんと言って断ろうか。そうおもっているうちにあれよあれよと進んでいく。

 

「じゃあ、プレナのサイゼでいい?」

 

「私は別に構わないけれど……」

 

「あそこ、割と静かだから集中できるしいいかもなー」

 

「由比ヶ浜、その、なんだ」

 

早く言わねば決定事項になってしまう!拓也まで絡んでしまっては逃げようもなくなる、はっきりと断ろう、そう思ったところを遮られた。

 

「ゆきのんと二人でお出かけって初めてだね!」

 

「そうかしら」

 

「頑張ってこいよー」

 

…………………。

 

俺、最初から誘われてなかった。

 

「ヒッキー、なんか言った?」

 

「い、いや……。頑張ってください」

 

一人で勉強したほうが効率いいと思うけどネ!

 

「八幡、お前家でいいよな勉強すんの」

 

「…………おう」

 

やっぱり一人より二人の方がわかりやすくていいよね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少し前の話ですが、人生初めてのコミケに行きました。色々準備をして昼から行ったんですがすごい人でした。
でも何故かまた行きたいと思いました。不思議ですよね。
改めて自分がアニメや漫画、ゲームが好きだと再確認できました。


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第10話

話を区切るため短めです。
誤字脱字の報告をいただきました。わざわざありがとうございます。


中間試験二週間前。善良なる高校生男子たるもの、学校帰りにファミレスによって勉強するものだ。それも友達とな!

 

「何一人でドヤ顔決めてんだよお前」

 

「ばか、お前、今まさに俺は善良な男子高校生が歩む道のりを歩いてんだから邪魔すんじゃねーよ」

 

本来ならば俺の家でやるはずだったが、小町のテストと被ってしまったため追い出される形でファミレスになったのだ。

範囲分の書き取りを終え、互いにドリンクを飲み干してしまったようでじゃんけんに負けた俺がカップを二つ持って立ち上がったときである。

 

「ゆきのん、サイゼじゃなくてごめんね。ミラノ風ドリアはまた今度だね。あ、あとディアボラ風ハンバーグがオススメだったんだけど……」

 

「私は別にどこでも構わないわ。やることは同じだもの。……それにしても、ハンバーグってイタリア料理だったかしら」

 

聞き覚えのある声がした。

 

「あ!」

 

「……あら」

 

「ん?」

 

「げ」

 

四人とも顔を合わせて固まる。なんだ、この四つ巴。

入り口から入ってきたのは制服姿の雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣。残念ながら俺の部活メイトである。ちなみに部活メイトとは文化系部活動の部員たちを指す言葉で、今勢いで初めて使ってみた。

 

「ヒッキーもたっくんも、ここで何してんの?」

 

「何って……なあ」

 

「まぁ、勉強だけど」

 

「おお、奇遇。やー、あたしとゆきのんも勉強をしにちょっとここまで……じゃ、じゃあ、一緒に勉強会、する?」

 

由比ヶ浜は俺たちの顔を見渡していった。

 

「俺は別にいいけど。まぁ、やることは同じだしな」

 

「俺もいいぞ、周りに二人増えたところで変わらんしな」

 

「……そうね。することに変わりはないし」

 

珍しく全員の意見がかぶった。俺たちの言葉に由比ヶ浜は一瞬「ん?」と小首を捻ったが、受け流すことにしたのか「じゃ、決まりー」と俺の座っていたテーブルへと駆け寄った。

 

 

 

「由比ヶ浜は八幡の隣でいいよな?」

 

「え、う、うん!」

 

そういうと追加のドリンクバーを追加して八幡と飲み物を取りに行った。

 

「じゃ、雪ノ下は俺の隣な」

 

「そうね、なぜあなたが仕切るのかわからないけれど、それで構わないわ」

 

「俺がやらないと、誰もやらんだろ、このメンツだと。それにいくら勉強に支障がないとはいえなるべくなら由比ヶ浜を近づけたくないというのが本音だ。あいつと勉強したことはないが、近くにいてもいいことはないだろうしな」

 

「人に言えたことではないのだけれど、……あなた、時々かなり辛辣になるわね」

 

「変に溜め込んでしまうよりは言いたいことは言っちまった方が楽なんだよ、もちろん人は選ぶがな」

 

俺たちは由比ヶ浜たちと入れ替わりで飲み物を取りに行った。すると雪ノ下がしげしげとドリンクバーを眺めている。コップを右手に、左手になぜか小銭を持っていた。

 

「……ねぇ、佐藤くん。お金はどこに入れるのかしら?」

 

「は?」

 

マジですか。雪ノ下さん、事実は小説よりも奇なり。初めてこの言葉を体現する人見ましたよ。いったいどんな超上流階級で育ったんですかね。

 

「いや、お金入らないぞ、一定額払えばここのドリンクは全て飲み放題だからな」

 

「……日本って豊かな国よね」

 

ふっとどこか陰った笑みを浮かべ、よくわからない感想を言いながら雪ノ下は俺に順番を譲った。俺がボタンを押しごーっと音を立ててメロンソーダがコップに満ちる様子をキラキラした目で見ていた。

 

「……やってみろよ、間違ってたら言うから、お前の場合下手に言うよりは自分でやる方がいいだろ」

 

「……そうね」

 

危なっかしい手つきながらも雪ノ下はお目当てのドリンクを手に入れ、四人揃って席に着く。いよいよ勉強会の始まりである。

 

 

 

 

「んじゃ、始めよっか」

 

由比ヶ浜の合図とともに、雪ノ下はヘッドホンを取り出すとすちゃっと装着する。俺と拓也はそれを横目に見ながらイヤホンを嵌めた。

それをみて、由比ヶ浜が驚愕の表情をした。

 

「はぁ⁉︎なんで音楽聴くのよ!」

 

「や、勉強のときは音楽聴くだろ」

 

「ある程度たつと音楽が聞こえなくなって集中していることもわかるしな」

 

「そうね、佐藤くんの言う通りよ、聞こえなくなるとモチベーションも高まるし」

 

「へー、ってそうじゃないよ!勉強会ってこうじゃないよ!」

 

ばんばんとテーブルを叩いて由比ヶ浜は抗議する。すると、雪ノ下は顎に手をやり、考え込む仕草をした。

 

「……じゃあ、どんなのが勉強会なの?」

 

「えっと、出題範囲確認したり、わからないとこ質問したり、……まぁ、休憩も挟んで、あとは相談したり、それから、情報交換したり。たまには……雑談もするかなぁ?」

 

「ただ喋ってるだけじゃねぇか……」

 

勉強会なのに、何一つ勉強してない。むしろ、そんな奴ら邪魔じゃないのか。

 

「まぁ、わかんねぇところを聞くのはいいと思うが、勉強ってのは基本は一人でやるもんだろ」

 

「そうよ、そもそも勉強は一人でやるようにできているのよね」

 

雪ノ下が何か悟ったように言った。

これには俺も同意だ。

つまり、ぼっちになると勉強できるよ!ということである。おい、これ進研ゼミのマンガに書いておけよ。

最初こそ納得のいかない表情を浮かべていた由比ヶ浜だが、俺も拓也も雪ノ下もひたすら無言で勉強していると、諦めたのかため息一つちいて勉強を始めた。

そうこうしているうちに五分経ち、十分経ちと時間は経過していく。

ふと三人の様子を見てみると、由比ヶ浜は小難しい表情のまま、手が止まっていた。一方の拓也は英語を、雪ノ下は数学の問題を解き続けている。あまりの集中力に声をかけることがためらわれたのか、由比ヶ浜は俺に視線を向けた。

 

「あ、あのさ……この問題なんだけど……」

 

俺に聞くのはプライドが許さないのか、えらく恥ずかしそうに由比ヶ浜が聞いてくる。

 

「『ドップラー効果』か……。俺、理系は捨ててるからよくわからん。代わりに『グラップラー刃牙』なら説明できるんだけどそれじゃダメか?」

 

「全然ダメだよ!プラーしか会ってないよ⁉︎」

 

やっぱりだめか。説明にはちょっと自信あったんだが。

由比ヶ浜は諦めたように教科書とノートを閉じると、空になったグラスを手に立ち上がろうとしたとき、あ、と何かに気づいた声を上げた。

釣られて俺もそちらを見ると、そこには野暮ったいセーラー服を着た、めちゃくちゃ可愛い、美少女がいた。

 

「妹だ……」

 

俺の妹の小町が楽しそうに笑いながらレジの前に立っている。横には学ランを着た男子。

 

「悪い、ちょっと」

 

言って俺は席を立つと、すぐさま後を追いかける。だが、店の外へ出たときには二人の姿は見えなかった。

しぶしぶ店内に戻ると、由比ヶ浜が話しかけてくる。

 

「あー、えっと、今の妹さん?」

 

「ああ。何故あいつが男子とファミレスに……」

 

あまりの衝撃にもう勉強どころではない。俺の妹が知らない男とファミレスにいるなどあってはならないことだ。

 

「デート中だったのかもねー」

 

「馬鹿な……、ありえない……」

 

「そっかなー。小町ちゃん可愛いし彼氏いても普通じゃない?」

 

「兄の俺に恋人がいないのに妹に恋人がいてたまるか!兄より優れた妹などいねぇ!」

 

「うるせぇ、シスコン」

 

「頭の悪いことを大声で言わないで。ヘッドホンしてても聞こえたわよ、今」

 

集中していた雪ノ下に睨みつけられる。これ以上騒ぐと殺されそうだった。

 

「いや、違うんだ。俺の妹が今、正体不明の男に……」

 

「小町ちゃんのこと心配なのはわかるけどあんまり詮索すると嫌われるよー。最近、うちのパパとか『彼氏いるのか』とか聞いてきてウザいもん」

 

「はははっ。お前の父親はまだ甘いな!うちなんて彼氏がいないと信じ込んでいるからそんなこと聞きもしないぞ。見てて正直憐れだ。……っつーか、なんでお前俺の妹の名前知ってんの?」

 

「あー、ほら、ヒッキーのお見舞いで家に行った時にね」

 

由比ヶ浜は少し申し訳なさそうにそう言った。俺としては本当にもう気にしてないんだがな。

 

「そういうことか。よかった。妹を愛するあまり無意識のうちに名前を口にしていたシスコン野郎になっちまったのかと思ったぜ……」

 

「いや、その反応は正直、シスコンだと思うけど……」

 

「そうだ、うるせぇ、シスコン」

 

由比ヶ浜が半ば引きながら言う。

 

「馬鹿な!俺は断じてシスコンなどではない。むしろ、妹としてではなく、一人の女性として……ああ、もちろん冗談です、やめろ、武装すんな」

 

雪ノ下が驚愕と恐怖の入り混じった目で俺をみて、手にナイフとフォークを持ったあたりで言葉を止めた。

 

「あなたが言うと冗談に聞こえないから怖いわ。……そんなに気になるなら家で聞いてみればいいじゃない」

 

「そうだ、うるせぇ、シスコン」

 

結論めいたことを言って、雪ノ下と由比ヶ浜は勉強に戻る。

さっきから機械と化していた拓也はこの会話の途中一度もこちらに視線を向けることすらなかった。慣れって怖い。

 

 

 

 




私ごとですが、ヨルシカのアルバムを買いました。基本的にグループや歌手で曲は選ばないんですが、ヨルシカだけは全てアルバムを買ってます。YouTubeにも公式であるので是非聞いたことがない方は聞いてみてください。
ついでに、まだあるかはわかんないですが、俺ガイルのMADで億万笑者というRADの曲で作られたものがすごく良いですので、俺ガイル好きの方は見てみるといいかもです。

最近あとがきが自分語りになってしまってます笑
なので、基本的には無視していただいて構いません笑


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第11話

遅れました。申し訳ないです。


休み時間ほど心休まらない時間もあるまい。

ざわざわと喧噪に満ちた教室。授業から解放されて、友人たちと親しく会話をしながら、放課後の予定や昨日見たテレビ番組の話をしていたりするものだ。

それが今日はまた一段と賑やかな気がした。おそらくは、昨日帰りのHRで担任が言った「職場見学」のグループ分けの件があるからに違いない。グループと見学場所を決めるのは明後日のLHRだというのに、気が早いものだ。

「どこ行く?」という会話はあっても「誰と行く?」という会話にならないあたり、このクラスではほとんどの人間が特定のグループを形成しているということなのだろう。

当然だ。学校という場所は単に学業をするためだけの施設ではない。ここは社会の縮図であり、人類全体を箱庭にしたものだ。だから戦争や紛争と同じようにいじめがあり、格差社会を表したかのようなスクールカーストだってある。もちろん、民主主義もそのままに数の理論が適用する。そうなると当然友達の多いやつが偉いのだ。

クラスメイトの様子を俺は頬杖をついて、半分眠ったような姿勢で眺めていた。

うとうとしかけている俺の視界の前で、ひょいひょいと小さな手が振られる。

んっ、なんだぁと顔を上げると、俺の前の席に戸塚彩加が座っていた。

 

「おはよ」

 

くすっと微笑むようにして、戸塚は目覚ましの挨拶をしてくれる。

 

「……毎朝、俺の味噌汁を作ってくれ」

 

「え……ええっ⁉︎ど、どういう……」

 

「あ、いやなんでもない。寝ぼけてただけだ」

 

あぶね、うっかりプロポーズしちまったよ。くそ、なんでこいつこんな無駄に可愛いんだよ。…………毎朝味噌汁作ってくれねぇかなぁ。

 

「……なんか用?」

 

「特に用はないんだけど……。比企谷くんがいるなぁって思ったから……。ダメ、だったかなぁ?」

 

「いや、そんなことない。むしろ四六時中話しかけてほしいくらい」

 

というか、もうむしろ四六時中好きと言ってほしい。

 

 

 

「おいおい、俺というものがありながら、浮気か?」

 

 

 

 

そう言いながら、大袈裟に両手を上げながら拓也が近づいてくる。毎回のことだが、こいつの表れるタイミングが未だに掴めない。

 

「いや、きめーよ」

 

「つれねぇなぁ」

 

そんな俺たちの会話を戸塚は可笑しそうに笑う。そして、はたと何かに気づいたのか、手を叩いた。

 

「二人とももう職場見学の場所決めたの?」

 

「いや、決めてるっちゃ決めてるが、決めてないっちゃ決めてない」

 

俺がそう言うとうまく意味が伝わらなかったのか戸塚は小首を捻って下から覗き込むようにして俺の顔を見た。

 

「あー、つまりどこでもいいんだ、俺もこいつも。自宅以外誰も等しく無価値だ」

 

「『体験』なんて意味ないんだよなぁ、本当。バイトしろって言われた方がよっぽど有意義なんだよ」

 

「二人とも時々難しいこと言うよね」

 

戸塚はどこか感心したように相槌を打った。やだ、この子何言っても好感度上がるの?やめろよ、俺が変なルート辿っちゃうだろ。

 

「じゃあ……誰と行くかは、もう決めちゃった、かな?」

 

なんだ、その言い方は。『一緒に行きたいんだけど、もう決めちゃってたら、残念だなぁ』みたいな意図を孕んでそうな言葉じゃねぇか。

だが、侮ることなかれ。すでにそのパターンは一度味わっている。訓練された俺は二度同じ手に引っかかったりはしないのだよ。

こういうときは質問に質問で返すのが無難だ。

 

「お前は誰と行くか決めたの?」

 

「ぼ、ぼく?……ぼくは、もう、決めてる、よ、ね?」

 

「ん、おう」

 

急に聞き返して戸惑い出ましたのだろうか、戸塚は頬を赤らめた。と同時に隣にいた拓也が返事を返した。……まぁ、そうだわな。

……俺も誘ってくれよとか思ってないよ?……うん。

 

「よく考えたら、というかよく考えなくても俺って男子の友達、こいつしかいないんだな」

 

「あ、あの……比企谷くん…。ぼく、男の子、だけど……」

 

戸塚が小さな声で何か言ったが可愛くてよく聞き取れなかった。隣の拓也はなぜかニヤニヤしていた。なんだこいつ。

それにしても俺が教室で拓也以外と会話するのは、どうにも奇妙な感覚である。テニスの一件以来、顔を合わせれば雑談めいたことをするようになっていた。こういう関係は友達と呼べるのだろうか。

友達というのは、俺の場合は少し特殊だが、一般的には葉山隼人のグループのようにどうでもいい会話をさも青春しているかのように話し合えるのが友達なのだろう。誰も彼もが気軽にファーストネームを呼び、また葉山も呼び返す。その一幕は誰が見ても「友達」と呼ぶだろう。昔はこれだけで仲良くなれるかと思っていた。

だが、これがなかなか侮れない。たしかに拓也をファーストネームで呼ぶようになってから一段と距離が縮まった気がしないでもない。

しかし、それはある程度既に友達と言えるようになってから呼び始めたからかもしれない。何事も経験だ、試しに戸塚を呼ぶことにしよう。

 

「彩加」

 

「「…………」」

 

俺が名前を呼ぶと戸塚も拓也も固まった。二人して口をぽけっと開けている。やっぱり仲良くなんかなれねぇじゃねえか。まぁ普通いきなり下の名前呼ばれればイラッとするもんな。俺だって、材木座の時は無視したし。とりあえず、戸塚には謝っておくべきだろう。

 

「ああ、悪い、今のは……」

 

「……嬉しい、な。初めて名前で呼んでくれたね」

 

「なん……だと……」

 

戸塚は少しばかり目を潤ませながらにっこり微笑んだ。おいマジかよ、俺のリアルが充実しはじめてるんじゃねぇの。リア充すげぇな。見直しちゃったよ。

それじゃあ、と戸塚が前置きをして、上目づかいで俺を見る。

 

「ぼ、ぼくも……、ヒッキーって呼んでいい?」

 

「それはやだ」

 

なんでそっちなんだよ。俺が断固拒否すると、戸塚は幾分か残念そうな表情を作ってから、んんっと喉の調子を確かめてから再チャレンジした。

 

「じゃあ……、八幡?」

 

……。ズキューン!とかそういう擬音がぴったりだった。

 

「も、もう三回呼んで!」

 

俺の無茶苦茶なリクエストに戸塚は戸惑ったような曖昧な笑みを浮かべる。そんな困った顔も可愛いとかむしろ俺が困る。

「……八幡」こちらの反応を窺うように照れながら、

「八幡?」小首を捻りきょとんとした表情で、

「八幡!聞いてるの⁉︎」頰を膨らませてちょっと拗ねたように。

少し怒ったような様子の戸塚を見てはっと我に返る。いかんいかん、あまりの可愛さにうっかり見惚れていたぜ……。

 

「あ、ああ。悪い。なんの話だったっけ」

 

放心していた俺はそう誤魔化しつつ先ほどの結論を出す。

結論。ファーストネームで呼ばれると戸塚が可愛い。

 

 

 

 

今日も今日とて部活に励む俺たちだったが、相談者は来ることもなく夕日が海に近づいていた。強いて言うなら、材木座が出版社に職場体験に行くと嬉々として自慢しにきたことくらいか。

帰りにラーメンでも食って帰るか……。

とそのときだ。タンタンっと子気味よく扉を叩く音が聞こえた。

 

「こんな時間に……」

 

不機嫌に時計を睨みつける。

 

「どうぞ」

 

「お邪魔します」

 

余裕を感じさせる涼しげな男の声だ。

恨みがましい視線をぶつけると、そこにいたのは実に意外な、本来ここにいてはいけない人間がそこにいた。

 

「こんな時間に悪い。なかなか部活から抜けさせてもらえなくて。試験前だからどうしても今日のうちにメニューをこなしておきたかったぽくて。ごめんな」

 

そう言ってきたのは俺が本能的に負けを認めてしまう程度にイケメン、葉山隼人だった。

 

「能書きはいいわ」

 

心なしか、いつもより若干刺々しい気がする。

 

「何か用があるからここへきたのでしょう?葉山隼人君」

 

冷たさを滲ませた雪ノ下の声にも、葉山隼人は笑顔を崩さない。

 

「ああ、そうだった。奉仕部ってここでいいんだよね?平塚先生に悩み相談ならここって言われたんだけど……ちょっと遅かったか?結衣もみんなも予定とかあったら改めるけど」

 

そう言われて、由比ヶ浜は薄っぺらい笑顔で笑う。どうやらまだ上位カーストの人間と接するときのくせは抜けないらしい。

 

「やー。そんな全然気を使わなくても。隼人くん、サッカー部の次の部長だもんね。しょうがないよ!」

 

だが、そう思ってるのは由比ヶ浜だけだろう。雪ノ下は何やらピリついてるし、拓也もいつにも増して気怠そうだし、材木座はぐぬぬっとした顔で黙り込んでるし。

 

「いやー材木座くんもごめんな」

 

「ぬっ⁉︎ あ、ふ、ふぐっ!あ、いやぼくは別にいいんで、あの、もう帰るし……」

 

が、その雰囲気も葉山に話しかけられるとあっさり解かれてしまった。

 

「は、八幡、拓也も、ではな!」

 

言うが早いか材木座は本当に帰ってしまった。しかし、その顔には微笑みめいたものが浮かんでいた。……材木座、それ痛いほどわかるぜ。

 

何故かはわからないが、俺たちスクールカーストが低い連中は上位カーストに出会うと萎縮しちまうんだよな。それでいて嫉妬や恨みが高まるとかそうもなく、名前なんか覚えてもらっていた日にゃその日が一日ちょっと幸せな気分になったりするのだ。

 

葉山みたいな奴が、俺の名前を、俺を知っている。その事実が尊厳を取り戻させてくれる。

 

「それと、ヒキタニくんも。遅くなっちゃってごめん」

 

「…………いや、別にいいんだけどよ」

 

返せよ、俺の尊厳。

 

「それよか、何か用があんじゃねぇの?」

 

どこか急かすような物言いをする拓也。そういえば、こいつ葉山のこと嫌いだったな。しかし、俺は少なからず葉山の悩みというものに興味がある。スクールカースト最上位に鎮座する人間が悩みなど持つものなのかと純粋に不思議に思う。

 

「ああ。それなんだけどさ」

 

そう言って、葉山はおもむろに携帯電話を取り出す。素早くボタンを操作するとあるメール画面を俺たちに見せる。

それを見ると拓也は露骨に表情を変え、由比ヶ浜は小さく「あ……」と小さく声をあげた。

 

「どうした?」

 

俺が尋ねると由比ヶ浜は自分の携帯を取り出して、俺に見せてくる。

そこにはさっきあったメールと同じ文面があった。

 

「おい、これ……」

 

由比ヶ浜はこくっと無言で頷いた。

 

「昨日、言ったでしょ?うちのクラスで回ってるやつ……」

 

「チェーンメール、ね」

 

それまで黙っていた雪ノ下が口を開く。

そのメールを改めて見ながら、葉山は微苦笑を浮かべた。

 

「これが出回ってから、なんかクラスの雰囲気が悪くてさ。それに友達のこと悪く書かれてれば腹立つし」

 

内容は戸部、大和、大岡の三人への誹謗中傷だ。

顔の見えない悪意ほど恐ろしいものはない。面と向かえばそれこそ殴るなり言い返すなり出来る。だが、向ける相手がいなければ曖昧な感情へと成り下がる。

 

「止めたいんだよね。こういうのってやっぱりあんまり気持ちがいいもんじゃないからさ」

 

そう言ってから葉山は、明るく付け足した。

 

「あ、でも犯人探しがしたいわけじゃないんだ。丸く収まる方法を知りたい。頼めるかな」

 

葉山の言葉の前に、雪ノ下はしばし考えるしぐさをみせてから口を開いた。

 

「つまり、事態の収拾を図ればいいのね?」

 

「うん、まぁそういうことだね」

 

「じゃあ犯人を捜すしかないわね」

 

「うん、よろし、え⁉︎あれ、なんでそうなるの?」

 

前後の流れを完全に無視さるた葉山が一瞬驚いた顔を見せるが、次の瞬間にはいつもの取り繕った笑みで問う。

すると、それに答えたのは沈黙を続けていた拓也だった。

 

「いいか、チェーンメールなんて名前してるが、実態はただ誰かを傷つけるためだけにありもしない誹謗中傷の限りを尽くし、赤の他人にまで悪意をばらまく。そんな、犯罪といっても過言ではない行為だ。そんなものは元から止めさせなきゃ流れ続けるだけだ」

 

再び葉山の顔が崩れる。

 

「まったく、人を貶める内容を撒き散らして何が楽しいのかしら。それで佐川さんや下田さんにメリットがあったとは思わないのだけれど」

 

「実体験ありかよ……」

 

「しかも、犯人特定済みなんだ……」

 

由比ヶ浜も俺も引きつった感じで笑う。これだから高スペックは恐ろしい。

 

「とにかく、私は犯人を捜すわ。一言言うだけでぱったり止むと思う。その後どうするかはあなたの裁量に任せる。それで構わないかしら?」

 

「……ああ、それでいいよ」

 

葉山は観念したように言った。

 

実際俺もこいつらと同じ意見だった。メアドをわざわざ変えるってことは正体がばれたくないから、露見するのを恐れてるからだ。なら、ばれた時点でやめるはずだ。

 

 

 

「まぁ、そうは言ったが、実際は犯人を探さなくても、今の段階ならこの問題はすぐに解決できる」

 

 

 

「ほ、本当か⁉︎佐藤!」

 

拓也の言葉を聞いて途端に葉山が笑顔になる。

 

「……どういうことか説明してもらえるかしら?」

 

出鼻をくじかれたとでも思ったのか、ちょっと怒ってる雪ノ下。

 

「落ちつけ、順を追って説明しよう」

 

そう言うと由比ヶ浜の方を向いた。

 

「由比ヶ浜、このメールはいつから始まった?」

 

「たしか、先週末からだよ。ね、隼人君」

 

由比ヶ浜が答えると、葉山も頷く。

 

「そうだな、それでだ、八幡俺たちのクラスで先週末あったことはなんだ?」

 

「そうだな、昨日はあれだ、職場見学のグループ分けするって話があった」

 

それを聞いて由比ヶ浜ははっと何かに気づいた。

 

「………うわ、それだ。グループ分けのせいだ」

 

「「え?そんなことでか?」」

 

俺と葉山の声が重なる。葉山はにかっと笑って「ハモったな」とか死ぬほどどうでもいいことを言いやがった。

 

「今回のグループ分けは三人だ、そうすると葉山のグループだと一人誰かがあぶれることになる。その一人になりたくないから、誰か他の一人を蹴落としたいんだろうな」

 

「……では、その三人の中に犯人がいるのね?」

 

雪ノ下がそうたずねると、珍しく葉山が声を荒げた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺はあいつらの中に犯人がいるなんて思いたくない。それに、三人を悪く言うメールなんだぜ?あいつらは違うんじゃないのか」

 

「思いたくないのはお前の勝手だが、犯人は間違いなくこの中にいるし、なんなら犯人も分かった」

 

「なっ⁉︎」

 

「が、今はどうでもいい、お前の依頼はこの事態を収めることだろ」

 

「あ、ああ」

 

「話を戻すぞ、問題は、なぜ蹴落としあいが起きるのかだ。葉山、わかるか?」

 

「……わからない、みんないい奴なんだ」

 

葉山は項垂れながら返事をする。

 

「そう、お前はわかってないんだ。お前がいない時の三人をな」

 

「俺がいない時?」

 

「ああ、葉山とあいつらはたしかに友達なんだろう、ただ、それ以外は友達の友達なんだよ」

 

そう言うと由比ヶ浜だけが納得した。

 

「あ、ああ〜、それすごいわかる……。会話回してる中心の人がいなくなると気まずいよね。何話せばいいかわかんなくて携帯いじっちゃうもん……」

 

葉山はただ拓也の言葉を噛み締めるように黙っていた。

 

「そもそも、なんでお前そんなこと分かるんだよ」

 

俺はふと疑問に思ったので聞いてみる。

 

「お前、俺のこと知ってるだろ」

 

そういえばそうだ。

 

「こっからが本題、解決策だ。犯人も特定しなくても、これ以上事が大きくなることもない、…そして、あわよくばあいつらが仲良くなるかもしれない方法だ」

 

「知りたいか?」

 

拓也の問いかけに、哀れな子羊、葉山隼人はこくりと頷いた。

 

 

 

 

 

翌日の教室の黒板には、クラスメイトの名前が羅列されていた。それぞれ三名ずつ一塊になって書かれたそれは職場見学のグループを表している。

俺は誰に声を掛けるでもなく、ぼーっとその様子を見つめていた。

これが俺なりのグループ分け時の対応だ。

すると、俺の肩が優しく揺すられた。

 

「八幡、おはよ」

 

「……天使か?あ、いや戸塚か」

 

ふぅ、びっくりした。てっきり天使ちゃんかと思った。

 

「八幡、おはよ」

 

「……なんだよ気持ち悪いな」

 

ふぅ、びっくりした。危うく殴っちまうところだったぜ。

 

「それで、お前の策ってのはあれか?」

 

「まぁな」

 

俺黒板をさすと、ちょうど今まさに名前を書いているグループがあったのだ。

 

「金髪お調子者の戸部」

 

「鈍重優柔不断の大和」

 

「童貞風見鶏の大岡」

 

新・三匹が斬る!俺のおすすめは「童貞風見鶏の大岡」だ。三人は書き終えると、互いの顔を見つめてちょっと照れくさそうに笑った。そこに葉山隼人の名前はない。

 

「ここ、いい?」

 

いきなり現れた思わぬ来訪者に戸塚は「え、えっと……」と呟いておろおろと俺と拓也を見る。超可愛い。

 

「おかげで丸く収まった。サンキュな」

 

そう朗らかに笑うのは葉山隼人。

 

「別に俺らはなんもしてねぇよ」

 

実際今回俺は本当に何もしてないのだが。

 

「そんなことないって。ああ言ってくれなきゃたぶん今もまだ揉めてただろうし」

 

そもそも今回の揉めた原因は「葉山と一緒にいたいから」というものだ。その原因である葉山隼人を除外すればなにもかも丸く収まるわけだ。

 

「俺、今までみんな仲良くやれればいいって思ってたけどさ、俺のせいでもめることも、あるんだな……」

 

そう呟いた葉山はどこか寂しそうだった。

 

「当たり前だ、そんな綺麗事がいいたいならもっと真摯に現実を受け止めることだな、理想は所詮理想なんだからな」

 

拓也はどこまでも葉山に辛辣なようだ。

 

「そうだな、耳が痛いよ」

 

それでも葉山はめげることはないらしい。正直、ここまでいい奴だとこれはこれで何かの病気だと思う。

 

「ところで、俺、グループ決まってないんだけど、一緒にどう?」

 

「やなこった、俺たちはもう三人で決まってんだよ」

 

「あれ?お前ら決めてるって言ってなかったか?」

 

「ん、ああ、戸塚がな八幡と一緒に行くって最初から決めてたんだよ」

 

「決めてたってそういう意味かよ……」

 

なんという叙述トリック。

 

「そういうわけだ、残念だったな」

 

「そういうことなら仕方ないさ」

 

断られてもこの余裕、やはりカースト上位は伊達じゃないぜ。

徐ろに拓也が席を立って声を出した。

 

「みんな、葉山が一人だからどこかに入れてやってくれ」

 

「ちょっ!」

 

先ほどの余裕が嘘のように慌てふためく葉山。

 

「そうなん?じゃあ、あーしの所くる?」

 

「うそ、葉山くん一人なの?うちのとこおいでよぉ!」

 

「私のとこも空いてるよー」

 

クラスの連中が葉山の周りに集まり、教室のあちらこちらから勧誘の声が聞こえる。葉山は対応に追われているようだ。

 

「さ、名前書きに行こうぜ」

 

「お前、葉山のこと嫌いすぎるだろ……」

 

俺たちはその喧騒に巻き込まれることもなく、それぞれ名前を書く。「佐藤」「戸塚」「比企谷」葉山を巡って書き変えられる中この名前だけはいつまでもそのままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




解決方法は原作と同じです。
自分もこれが最善だと思ったので……
感想やリクエスト待ってます。
意外とモチベーションになるのがわかったので笑


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第12話

中間試験が目前に迫っていた。

例に漏れず俺も勉強をしている。時計を見ると一二時近くを指していた。

 

「……コーヒーでも飲むか」

 

MAXコーヒーのあれこれを考えながらリビングに入ると、妹の小町がソファでぐーすか寝ていた。

……こいつももうすぐ中間試験のはずだが、相変わらず肝の太い妹だった。

マグカップにインスタントコーヒーをぶち込んでから、そこに沸いたお湯を注ぎ込む。そこに牛乳と砂糖をたっぷり加え、ティースプーンで四回ほど回す。すると、俺好みの甘々コーヒーの出来上がりだ。

すると、小町がくんくんと匂いを嗅ぎつけたのか、がばっと跳ね起きた。都合十秒ほど静止した後すうっと大きく息を吸うと、馬鹿でかい叫び声をあげた。

 

「しまったぁ!寝すぎたぁっ!一時間寝るつもりが……、五時間寝てたぁっ!」

 

「あーあるある。って寝すぎだろ。帰ってきて即寝たのかよ」

 

「失礼なっ!ちゃんとシャワー浴びてから寝たよっ!」

 

「やべぇ、なんで今俺怒られたのか全然わかんねぇ」

 

「そんなことよりなんで起こしてくれなかったの⁉︎」

 

小町は何故か俺にぶーぶー文句を垂れる。

 

「どうでもいいけどズボン履け。それと勝手に俺の服着んな」

 

「ん?ああこれ。寝巻きにちょうどいいんだよ。ちょっとワンピースっぽくない?」

 

伸ばすな伸ばすな。ブラが見えてるから。くるっと一回転すんなパンツ見えんだろ。

 

「……まぁもう着てねぇからやるよ」

 

「おお、サンクス。じゃあ小町も何か下着あげるよ」

 

「ああ、そいつはありがとよ」

 

本当にくれたら雑巾にでもしようと思いながら俺はコーヒーを啜る。

小町はキッチンへ向かい牛乳をレンジで温め始めた。

 

「っていうか、お兄ちゃん、こんな時間に何してんの?」

 

「試験勉強だよ。今は休憩に下りてきたんだ」

 

俺が答えると、小町はへぇと驚く。

 

「小町も勉強しようかなぁ……」

 

「そうしろそうしろ。じゃ、俺勉強に戻るわ。お前も頑張れよ」

 

俺はコーヒーを一息に飲み干すと席を立つ。と、その時、ぐいっとTシャツの後ろを引っ張られ、ぐえあとウシガエルろような声を出してしまった。

 

「小町も、って言ったよ?そしたら普通『一緒にやる 』って意味だよ?お兄ちゃん、日本語不自由なの?」

 

「不自由なのはお前だ……」

 

まぁ、一応一段落しているし、アホな妹の勉強を見てやるのもいいだろう。そんなわけで「夜のお勉強」である。

 

 

 

 

部屋から自分の勉強道具一式を持ってきてリビングのテーブルに広げた。間違えたものを問題と答えとかいせつをまるまるノートに写す。それを何度も繰り返す。試験範囲を一周し終えたころ、小町がこちらを見ていることに気づいた。

 

「……なんだよ」

 

「んー?いやー、お兄ちゃん真面目だなーと思って」

 

「どんだけ上から目線だ。喧嘩売ってんのかこのガキ、そのアホ毛引っこ抜くぞ」

 

と、ちょっと凄んでみても小町はむしろ笑う。

 

「そう言ってもお兄ちゃん、小町のこと絶対に叩いたりとかしないよね」

 

「あ?そりゃお前あれだ。お前を叩いたりしたら俺が親父に殴られるからな。それだけだっつーの。勘違いすんな」

 

「んふふー。照れてる照れてる♪」

 

「う…………、うぜぇ…」

 

とりあえずデコピンをしておく。

 

「っつぅ〜!」

 

おでこを抑えながら小町が呻いた。額をさすりながら小町は涙目で俺を睨む。

 

「むー……。真面目だって褒めたのにデコピンされた……」

 

「お前がアホなこと言うからだ。いいから勉強しろ勉強」

 

「そういうところだよ。やー、世の中にはいろんなタイプの兄や姉がいるよねー。小町が行ってる塾の友達はね、お姉さんが不良化したんだって。夜とか全然帰ってこないらしいよ」

 

「ほー」

 

もう小町は勉強をやる気はさらさらないらしい。

 

「でもねでもね、お姉さんは総武高校通ってて超真面目さんだったんだって。何があったんだろうねー」

 

「へー、なんだろうね」

 

小町の言うことは右から左に消えていく。しかし、それにしたって眠い。どれだけカフェインを摂っても眠いという意思には勝てないのかもしれない。

 

「まぁ、その子のお家のことだからなんとも言えないけど。最近仲良くなって相談されたんだけどさー。あ、その子、川崎大志君っていってね、四月から塾に通い始めたんだけど」

 

「小町」

 

俺は机にシャーペンを置いた。眠気は消え去っていた。

 

「その大志クンとやらとはどういう関係だ。仲良しってどういう仲良しだ」

 

「なんか、お兄ちゃん目が怖いんだけど……」

 

ちょっと本気の目になっていたらしい。しかし、家族として心配するのは当然だ。変な男に引っかかったら大変じゃないか。

お兄ちゃん、そういうのは許しませんよ?

 

「まぁあれだ。困ったことになったら言えよ。前に話したろ、奉仕部とかいうわけわからん部活やってるし、人間関係なら拓也にでも頼れば大抵解決するし」

 

俺がそう言うと、小町はぷっと笑った。

 

「お兄ちゃんはほんと真面目だよ」

 

 

 

 

 

 

 

朝である。雀がチュンチュンしていた。いわゆる朝チュンである。

どうやら勉強しながら寝落ちしたらしい。

 

「おい、小町。朝だぞ」

 

と声をかけてから、妹の姿がないことに気づく。次に窓の外に目をやる。太陽が結構な高度にあった。そして、冷や汗をかきながら時計を見る。九時半。

十秒かけて、衝撃の事実とご対面。

 

「超遅刻じゃん……」

 

とりあえず、焦ってもしょうがないので用意された朝食を頂きつつ、学校に向かう準備をする。

皿を流しに置いて、制服に着替えた。戸締りを確認してから家を出る。今日の通学路はえらく静かで落ち着いていた。

 

俺はこそこそとすることもなく、堂々と学校へと入っていった。

校門に入るまでは順調そのもの。問題は教室である。

階段を登り、人気のない廊下を歩き、ついに二階の教室へと来た。

俺は扉の前で深呼吸した。そして、扉に手をかける。緊張の一瞬である。

からりと開いた扉。

そして一斉に視線がこちらに向けられる。そのほとんどが物言わぬ瞳だ。俺は遅刻が嫌なのではない。この雰囲気が嫌なのだ。

例えばこれが葉山ならこうはならないだろう。

だが、俺の場合は誰も何も言わず、どころか一瞬「あの人誰?」みたいな視線を向けられてしまう。半笑いで手を振るあいつを除いて。

 

「比企谷。授業が終わったら私のもとへ来るように」

 

教卓を拳でこつこつ叩きながら、平塚先生はそう言った。

 

「はい……」

 

無情なことにこういう時間は早く過ぎ去るものだ。俺が授業そっちのけで「遅刻の言い訳百選」を考えているうちに、チャイムが鳴り響く。

 

「では、本日はここまで。比企谷はこちらに来たまえ」

 

逃げ出したい気持ちをなんとか押さえつけ、俺は前へと向かった。

 

「さて、一発いく前に一応、私の授業に遅れた理由を聞いてやろう」

 

「いや、違うんですよ。『重役出勤』でて言葉があるじゃ…」

 

俺の言い訳も虚しく、ごっという音とともに俺は崩れ落ちた。せめて最後まで言わせて欲しかった。

 

「まったく……このクラスは問題児が多くてたまらんな」

 

ため息をつきながらそういうものの、その言葉には嫌悪感がなく、むしろ喜んでいるかのように見える。

 

「……そう言っているうちにもう一人」

鞄を抱えた女子生徒が一人、今まさに登校した風で入ってきた。

 

「川崎沙希。君も重役出勤かね?」

 

川崎と呼ばれた女子生徒は一瞬の間を置いて、黙ってぺこりと頭を下げたままだった。俺のそばを通り過ぎ、そのまま自分の席へと向かおうとする。

その少女はどこかで見覚えがあった……というか、同じクラスだから見覚えくらいはあって当たり前か。

と、そのとき、俺の中で何かがひっかかった。

 

「……黒のレース、だと?」

 

ついこの間、俺の網膜に焼き付けられた光景がフラッシュバックした。屋上で見かけ、俺を罵倒した女。

 

「……バカじゃないの?」

 

蹴るでも殴るでもなく、川崎沙希はそういった。羞恥で顔を染めるでもなく、怒りで顔を赤らめるでもなく、まるで興味がないといった風に、ただ、くだらない、と。

 

「川崎、沙希、か……」

 

「比企谷、黒のレースと呟いて、女子生徒の名前を呟くのはやめたまえ」

 

そう言うと平塚先生は俺の肩に手を置く。その手はやけに冷たい。

 

「放課後、職員室まで来たまえ」

 

 

 

 

 

 

小一時間ほど平塚先生のお説教と折檻を受けた後、しきりに今日の俺をいじってくる拓也とマリンピアの書店に寄った。

どうやら今日の俺は奴のツボに入ったらしい。

やれ「相変わらず遅刻した雰囲気が面白い」だの「隙を見せると罵倒されてる」などとほざきやがる。いつか絶対ぶん殴る。

その間俺は棚を眺め、本を一冊購入。千円札が消え失せ、財布の中では小銭がちゃりちゃりしている。

 

その後、ついでに勉強でもしようということになりカフェによった。だが、考えることは同じなのか、学生客で込み合っている。

やっぱり帰ろうかという話になった時だ。

 

「あれ、戸塚じゃね?」

 

拓也が見ている方に視線を向ける。そこにはジャージ姿の戸塚がショートケーキとにらめっこしている。

 

「じゃあ次はゆきのんが問題を出す番ね」

 

と、さらに見知った顔が二つ。

 

由比ヶ浜と雪ノ下はレジの待ち時間も無駄にせずに、試験勉強に励んでいた。

 

「では、国語から出題。次の慣用句の続きを述べよ。『風が吹けば』」

 

「……京葉線が止まる?」

 

訂正。ただの千葉県横断ウルトラクイズだった。しかも間違ってるし。正しくは「最近は止まらずに徐行運転のほうが多い」だ。

 

この間違いにはさすがの雪ノ下も顔を曇らせる。

 

「不正解……。では次の問題。地理より出題。『千葉県の名産を二つ答えよ』」

 

由比ヶ浜は真剣な表情でごくりと息を呑み、

 

「みそぴーと、……ゆでピー?」.

 

「おい、落花生しかねぇのかよ、この県には」

 

「うわぁ!…なんだ、ヒッキーとたっくんじゃん、いきなり変な人に話しかけられたのかと思った…」

 

由比ヶ浜の大袈裟なリアクションで戸塚がこちらに振り向いた。

 

「八幡っ!に拓也も!二人とも勉強会に呼ばれたんだね!」

 

微笑みながら戸塚は俺たちの間に入る。が、俺はもちろんだが、隣の拓也を見るとどこか遠くを見つめていた。ざまぁないぜ!

由比ヶ浜は「やっばー。誘ってない人来ちゃった!」みたいな顔をした。

 

「あなたたちを勉強会に読んだ覚えはないのだけれど、何か用?」

 

「雪ノ下、人を傷つけることだけを目的とした事実確認はやめろ」

 

拓也見てみろよ、「俺も、こっちにきちまったのかな」とか呟いてんじゃん。何?こっちはダークサイドなの?

 

「比企谷くんたちもここに試験勉強をしにきたの?」

 

「ああ、まぁな。お前らもか」

 

「もちろん。もうテスト二週間前切ったしね」

 

そうこうしているうちにレジの順番は巡り、次が俺たちの番だ。すると由比ヶ浜がニヤリと笑う。

 

「ヒッキー、おごってー♪」

 

「ああ、別にいいけどよ……。ガムシロでいいよな?」

 

「あたしはカブトムシかっ!奢りたくないなら素直に言ってよ!」

 

ばれたか。

 

「……みっともないからやめなさい。そういうの、あまり好きではないわ。すぐたかろうとする人は屑ね」

 

珍しいことに俺も雪ノ下と同じ意見だった。

 

「そうだな。俺も嫌いなタイプだ」

 

「ええーっ⁉︎じゃ、じゃあもう言わない!」

 

「いや別に仲良い奴らどうしの冗談ならいいんじゃねぇの。あいつら見てみろよ」

 

そう言って俺は拓也と戸塚の方を指す。

 

「いいぞ、戸塚、なんでも奢ってやるからなぁ」

 

「いいの?あ、あと、拓也も下の名前で呼んでくれると嬉しいな…」

 

「いいぞ、彩加、好きなもん頼めよ」

 

「うん!えへへ……」

 

羨ましいなぁ。

 

「……あれはちょっと違うんじゃないかしら」

 

「うん」

 

「そうかぁ?」

 

幸せそうな戸塚を拝んでいるうちに、レジが俺の番になった。ブレンドコーヒーを注文すると、できる店員さんは素早く作り上げた。

 

「三九〇円になります」

 

俺がポケットに手を入れたときだ。つい先ほどの記憶が脳裏に蘇る。たしか、ちょうど千円持ってて支払って、お釣りが……。

俺は後ろの二人にこっそりと話しかける。

 

「すまん。今日、金持ってなかったわ。悪いけど、おごってくれん?」

 

「……この屑」

 

雪ノ下は間髪容れずに俺を屑認定し、由比ヶ浜は呆れ顔でため息をついた。

 

「はぁ、仕方ないな」

 

ゆ、由比ヶ浜さん!

 

「そのコーヒー、私が注文するから、ヒッキーはガムシロでも飲めば?」

 

……何この悪魔。

 

「いいぞ、八幡、なんでも奢ってやる。……仲間だからなぁ」

 

こいつはいつまで暗黒面に堕ちているのだろうか。

 

結局、そのまま拓也が立て替えてくれた。

四人が商品を受け取っている間に俺はなんとか席を確保した。これくらいはしておくべきだろう。

 

「あ、お兄ちゃんだ」

 

すると、聞き覚えのある声が聞こえた。声のする方を見ると、嬉しそうな笑顔を浮かべ、手を振っている我が妹がいた。

 

「…………お前、ここで何してんの?」

 

「や、大志くんから相談を受けててさ」

 

そう言って小町は向かいの席に振り返る。そこには学ラン姿の中学生男子が座っていた。

そいつは俺にぺこりと一礼する。なぜ、なぜ男子が小町と一緒にいるんだ……。

 

「この人、川崎大志君。昨日話したでしょ?お姉さんが不良化した人」

 

そういえばそんな話をされた気もする。

 

「で、どうしたら元のお姉さんに戻ってくれるか相談されたんだけど。あ、そだ。お兄ちゃんも話聞いたげてよ。困ったことあったら言えって言ってたし」

 

ああ、なんか昨日勢いでそんなことを口走った気がする。妹のためならそれくらいしてやるつもりではあるが、正直妹の友達、ましてや男の子のために何かしてやるつもりはこれっぽっちもないんだが…。

 

「そうか。でもな、まずはご家族でよく話し合ってからでも遅くはないと思うぞ。うんらむしろ早すぎるレベルだな」

 

早く小町から離れて帰ってくれないだろうか。そう思いつつその大志とやらに先輩ぶってみた。

 

「それは、そうなんすけど……、最近ずっと帰りが遅いし、姉ちゃん親の言うこと全然聞かないんすよ。俺が何か言ってもキレるし…」

 

どうやら、彼は彼なりに思いつめているようだった。

 

「……もうお兄さんしか頼れる人がいなくて」

 

「お前にお兄さんと言われる筋合いはねぇ!」

 

「お前はいつから頑固オヤジになったんだよ」

 

後ろからツッコミが帰ってくる。どうやら暗黒面から帰ってきたようだ。拓也を見ると小町は営業スマイルではない、普段の笑顔を向けていた。

 

「お久ぶりです!拓也さん!兄がいつもお世話になってます」

 

「小町ちゃんか、ゴールデンウィーク以来か?」

 

そう言うとわしゃわしゃと軽く小町の頭を撫でる。

おのれ、いくらお前でもそれは大罪だと思え。

そんな俺の想いなどつゆ知らず、小町は今度は営業スマイルで後から来た奴らに自己紹介をする。

 

「八幡の妹さん?初めまして、クラスメイトの戸塚彩加です」

 

「あ、これはご丁寧にどうもー。うはー可愛い人ですねー、ね、お兄ちゃん?」

 

「ん、ああ、男だけどな」

 

「ははー、またまたご冗談を。ははは何言ってんのこの愚兄」.

 

「あ、うん。ぼく、男の子、です……」

 

そう言って恥じらうように頰を染めて顔を背ける。……あれ⁉︎本当に男だったっけ?

 

「で、こっちが由比ヶ浜で、そっちが雪ノ下な」

 

目が合ってしまったのか、由比ヶ浜が、たははと笑って自己紹介する。

 

「お、お久ぶり……になるのかな、ヒッキーのクラスメイトの由比ヶ浜です」

 

「んー?久しぶり?…………あ!クッキーの人!」

 

「あはは……その節はどうも…」

 

そういやぁ、ここは面識があるんだったな。

中途半端にお互い知っているせいか、どこかぎこちないようだ。

 

「……もういいかしら」

 

律儀に待っていたのだろう、そこに雪ノ下の冷静な声が割って入った。

 

「初めまして。雪ノ下雪乃です。比企谷くんの……。比企谷くんの何かしら……クラスメイトではないし、友達でもないし…誠に遺憾ながら、知り合い?」

 

「何その遺憾の意と疑問形……」

 

「いえ、知り合いでいいのかしら。私、比企谷くんのこと名前くらいしか知らないのだけれど。それでも知り合いと呼ぶのかしら」

 

酷い言い草だ。だがまぁ、定義も定かではない呼称を使うのはよろしくないだろう。とりあえず、ここは確定している事実を優先すべきである。

 

「とりあえず、同じ高校の同級生とかでいいんじゃねぇか」

 

「なるほど……。では、訂正するわ。誠に遺憾ながら同じ高校の雪ノ下雪乃です」

 

「遺憾の意はそのままなのかよ!」

 

「でも、ほかに言いようがないもの」

 

「……雪ノ下?……とりあえず今ので兄との関係性はだいたいわかったので大丈夫ですよ」

 

理解の早い妹で助かるが、兄への愛が足りてないぞ。

 

「……あの、俺どうすればいいっすかね?」

 

「ん?あ、ああ…」

 

俺ですら置いてけぼり感満載なのに、知り合いが小町しかいないこの状況で何とか話しかけようとするあたり大志はなかなかコミュ力が高いようだ。

 

「あの、川崎大志っす。姉ちゃんが総武高の二年で……、あ、姉ちゃんの名前、川崎沙希っていうんですけど」

 

ごく最近その名前を聞いた覚えがある。そう、たしか黒のレースの女だ。

 

「ああ、うちのクラスの川崎沙希か」

 

「川崎沙希さん……」

 

雪ノ下は川崎のことをよく知りはしないのか、名前を口にするものの首をひねる。だが、拓也と由比ヶ浜は同じクラスだけあって、知っているようだ。

 

「あー。川崎さんでしょ?ちょっと不良っぽいっていうか少し怖い系っていうか」

 

「お前、友達じゃないの?」

 

「まぁ話したことくらいはあるけど……。友達、ではないかなぁ……。ていうか、女の子にそういうこと聞かないでよ、答えづらいし」

 

由比ヶ浜は微妙に言葉を濁した。この口ぶりではさほど関係は良好ではないようだ。

 

「残念ながら、今回は俺もそこまで力にはなれそうにない。葉山たちのときとは違って、堂々と目立つタイプの問題ではないからな、悪いな」

 

そう言うと大志の頭をわしゃわしゃする。「い、いえとんでもないです!」と大志は嬉しいそうに返事をする。さてはこいつ、年下キラーなのか?大志はやるが小町はやらんぞ。

 

「お姉さんが不良化したのはいつぐらいからかしら?」

 

「え、えっと……姉ちゃん、総武高行くぐらいだから中学のときとかはすげぇ真面目だったんです。それに、わりと優しかったし、よく飯とか作ってくれたんです。変わったのは最近なんすよ」

 

「高二になってからってことか」

 

俺が言うと、大志は「はい」と返事をした。それを受けて雪ノ下は思案を始める。

 

「でもさ、帰りが遅いって言っても何時くらいなん?あたしもわりと遅かったりするし。高校生ならおかしくないんじゃない?」

 

「あ、はい、そうなんすけど」

 

大志くんはしどろろどろになりながら由比ヶ浜から視線をそらす。やけにえっちぃお姉さんに話しかけられて照れているのだ。これが中学生男子的反応。しょうがないね。

 

「でも、五時すぎとかなんすよ」

 

「むしろ朝じゃねぇかそれ……」

 

そりゃ遅刻もするわ。

 

「そ、そんな時間に帰ってきて、ご両親は何も言わないの、かな?」

 

「そっすね。うちは共働きだしら下に弟と妹がいるんであんま姉ちゃんにうるさく言わないんす。それに子供も多いんで結構暮らし的にいっぱいいっぱいなんすよね」

 

大志は困り果てた様子で肩を落とす。

 

「…家庭の事情、ね……。どこの家にもあるものね」

 

そう言った雪ノ下の顔は今までに見たことがないほどに陰鬱なものだった。その顔は悩みを話しにきた大志よりも泣き出しそうだった。

 

「それに、それだけじゃないんす……。なんか、変なところから姉ちゃん宛てに電話かかってきたりするんすよ」

 

大志の言葉に由比ヶ浜が疑問符を浮かべる。

 

「変なところー?」

 

「そっす。エンジェルなんとかっていう、たぶんお店なんですけど……店長って奴から」

 

「それの何が変なの、かな?」

 

戸塚が問うと、大志は机をバンっと叩いた。

 

「だ、だってエンジェルっすよ⁉︎もう絶対ヤバイ店っすよ!」

 

「え、全然そんな感じしないけど……」

 

若干引きながら由比ヶ浜はそう言うが、俺にはとてもよくわかる。なにも俺だけではないだろう、この手の話は男は皆共通認識なのだ。そう思い拓也を見ると、小町と何か喋っていた。……ふ、夜道に気をつけることだな!

 

「まぁ、待て落ち着け大志。俺にはすべてわかっている」

 

大志は理解してもらえて嬉しいのか、熱くなった目頭を拭うと俺に熱い抱擁をしてくる。

 

「お、お兄さんっ!」

 

「ははは、お兄さんって呼ぶな?殺すぞ?」

 

俺たちが確固たる絆を結んでいる間に、冷静な女子たちは今後の方針を決めていた。

 

「とにかく、どこかで働いているならまずはそこの特定が必要ね。朝方まで働いているのはまずいわ。突き止めて早くやめさせないと」

 

「んー、でもやめさせるだけだと、今度は違う店で働き始めるかもよ?」

 

「ハブとマングースですね」

 

「小町ちゃん、イタチごっこな」

 

妹よ、頼むから比企谷家の恥を晒さないでおくれ……。雪ノ下呆れてるじゃん。

 

「つまり、対症療法と根本治療、どちらも並行してやるしかないということね」

 

「おい、ちょっと待て。俺たちが何かするつもりなのか?」

 

「いいじゃない。川崎大志君は本校の生徒、川崎沙希さんの弟なのでしょう。ましてや、相談内容は彼女自身のこと。奉仕部の仕事の範疇だと思うけれど」

 

「いや、でも部活停止期間だし……」

 

「お兄ちゃん」

 

ちょいちょいと背中を突っつかれた。振り返れば小町がにこにこと微笑んでいる。くそ、ほんと可愛くねぇなこいつ……。

 

「わかったよ……」

 

俺が渋々言うと、大志は歓喜の声を上げて高速でお辞儀した。

 

「は、はい!すいません、よろしくお願いします!」

 

こうして、川崎沙希更生プログラムはスタートした。

 

 

 

 




シトナイが10連で当たったので即レベルマスキルマにした勢いで書きました笑
fateなんかもそのうち書いてみたい……
今現在の話ですが、皆さん台風大丈夫ですか?
関東の方は気をつけてください!
地震に台風、千葉県はどんな大罪を犯したんだ……


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第13話

読書の秋ということで、3連休に3話出すつもりが、作者がスポーツの秋に魅力され、遅れました。
今回は長いので、暇なときにお読みいただければ幸いです。



放課後、俺たちが部室に行くと雪ノ下が小難しげな本を手に待っていた。

 

「では、始めましょう」

 

その言葉に俺たちは頷く。そして、何故か戸塚もいた。

 

「戸塚、無理に付き合わなくてもいいんだぞ」

 

「ううん、いいよ。ぼくも話聞いちゃったし。それに、八幡たちがどんなことするのか興味あるし……。お邪魔じゃなかったら、付き合いたい、な」

 

「そ、そうか。じゃあ……、付き合ってくれ」

 

無意識のうちに「付き合ってくれ」の部分だけ男前に言ってしまった。だってさ、ジャージの袖をきゅって掴みながら上目遣いで付き合いたいなんて言うんだぜ?

ここで決めなきゃ男がすたる!……まぁ、戸塚は男の子なわけですが、はぁ。

 

「少し考えたのだけれど、一番いいのは川崎さん自身が自分の問題を解決することだと思うの。誰かが強制的に何かをするより、自分の力で立ち直ったほうがリスクも少ないし、リバウンドもほとんどないわ」

 

「まぁそりゃそうだろうな」

 

俗に言う「あんたごろごろしないで勉強したら?」だ。これを言われると「んだよ、今からやろうと思ったのに!あーもうやる気でねぇわー」となると同じだ。

 

「で、具体的にはどうすんだ?」

 

「そうね……」

 

そこからは色んなことを試した。が、ことごとく失敗した。

アニマルセラピーは川崎が猫アレルギーとのことで中止、拓也の嫌がらせとも取れる葉山による説得、無事撃退され俺も拓也も腹を抱えて笑っていた。それから第三者に頼るという戸塚の意見も平塚先生が撃退されて終わった。

もういいかげんだれか貰ってやれよ、ほんと。

 

 

 

 

 

 

さて、時刻はもうじき午後七時半。

夜の街が活況するにはいい頃合いである。

 

「千葉市内で『エンジェル』という名前のつく飲食店で、かつ朝方まで営業している店は二店舗しかない、らしい」

 

「そのうちの一軒がここ、ということ?」

 

雪ノ下はネオンと電飾がぺかぺかと光、『メイドカフェ・えんじぇるている』と書かれた看板を胡散臭そうに見る。その横には「お帰りにゃさいだワン♪」と獣耳の女の子が手招きをしているイラストが描かれた立て看板まである。

……何これ。おかえりにゃさいだワンってお前犬なの猫なの?

 

「千葉にメイドカフェなんてあるんだ……」

 

「甘いな、由比ヶ浜。千葉にないものなどない。どこかの流行を勘違いして取り入れてしまうのが千葉だ。見ろ、この結構どうしようもない残念な感じ。これが千葉クオリティだ」

 

常に東京の煽りを受けるくせに、変なところで千葉らしさにこだわり、一捻り加えたがるのが千葉なのだ。

 

「ぼく、あんまり詳しくないんだけど……その、メイドカフェってどういうお店なの?」

 

戸塚は看板の文言を何度も読んでいたが理解できなかったようだ。そりゃまぁ『萌え萌えメイドタイムを一緒に過ごしませんか?』とか書かれても意味がさっぱりわからない。

 

「いや、俺も実際行ったことないからよく知らないんだ……。で、まぁそういうのに詳しい奴呼んだ」

 

「うおんむ。呼んだか、八幡」

 

そうして、改札口から現れたのは材木座義輝だった。初夏だというのに、コートを羽織り、ふうふう言いながら汗をかいている。

 

「うわ……」

 

由比ヶ浜がちょっぴり嫌そうな顔をする。だが、それを責めるのは酷ってもんだろう。なぜなら俺の方がもっと嫌そうな顔をしているのだから。

 

「……自分で呼んでおいてなぜそんな顔をするのだ」

 

「そうだぞ、せっかくきてきてくれたんだ、そんな顔してやるな」

 

拓也、お前は自分の眉間を見てから物を言え。シワだらけだぞ。

材木座には既にメールで事の次第を伝えてある。その結果がこの『えんじぇるている』だった。

 

「材木座、本当にこの店なんだろうな」

 

「ああ、間違いない」

 

材木座は自分のスマートフォンを操作し、グーグル先生に教えてもらった情報を表示させた。

 

「この通り、市内にある候補は二つ。そして、川崎沙希なら間違いなく、こちらを選ぶと我のゴーストが囁いている」

 

「どうして、わかるんだ?」

 

材木座のやけに自信満々な答えに俺はごくりと息を飲む。

くっと材木座は喉の奥で笑った。

 

ーー違う、こいつにあるのは自信なんてもんじゃない、確信だ。

 

「まぁ黙って我についてこい……。メイドさんにちやほやしてもらえるぞ」

 

こいつ……。

そこまで言うならついていこうじゃないか。その約束された場所、蜜溢るる黄金の地、神聖モテモテ王国へ!

人類にとっては小さな一歩だが、俺にとっては大きな一歩を踏み出したときだった。

ぐいっとブレザーの裾を引かれた。振り返ると由比ヶ浜がむーっと膨れっ面である。

 

「……」

 

「……なんだよ?」

 

「べっつにー。ヒッキーもそういうお店行くんだなって思って。……なんかヤな感じ」

 

そう言ってぐりぐりと指先でブレザーをこねくり回す。やめろ、毛玉になる。

 

「……いや意味わかんないし。主語述語目的語使って話せっつーの」

 

「てか、これって男の人が行く店じゃないの?あたしたち、どーすればいいの?」

 

「案ずるな女郎」

 

「誰がメロンよ……」

 

いや、メロンであってるぞ。どこがとは言わないけど。

 

「こんなこともあろうかと潜入捜査用にメイド服を持ってきている」

 

そう言って、材木座は背中からクリーニング屋さんのビニールがついた綺麗なものを取り出した。

 

「ボフンボフン。では戸塚氏、参ろうか……」

 

ああ、そっちなんだ。グッジョブ。

 

「え。な、なんでぼく……」

 

じりじりと近寄ってくる材木座。いつもなら戸塚を助けてヒーローになる俺だが、このときばかりは動くことができなかった。

み、見てみたい……。

ついに戸塚が壁際に追い詰めらる。材木座が本当のモンスターに見えた。

 

「さぁ戸塚氏……、さぁ、さぁさぁさぁっ!」

 

目の前の現実を否定しようと戸塚は滴を溜めこんだその大きな瞳をぎゅっと瞑る。

 

「やめとけ」

 

その言葉と同時に材木座に正義の鉄拳が繰り出された。

拓也め、余計なことをしよって。

 

「た、拓也ぁ……!ありがとう!」

 

そう言うと戸塚は勢いよく拓也に抱きついた。

しまった、正しい選択肢を誤ったか。

 

「わざわざ、用意したようだが、どうやら必要ないみたいだぞ」

 

「そうね、ここ、女性も歓迎しているみたいよ」

 

言われて、雪ノ下の指す文字を見ると、確かに書いてあった。

 

『女性も歓迎!メイド体験可能』

 

おいおい、看板に偽りないのな。本当にメイドタイムできちゃうじゃん。

 

 

 

 

 

 

とりあえず、男女六名で『えんじぇるている』に入る。

 

「お帰りなさいませ!ご主人様!お嬢様!」

 

と、おきまりの挨拶を頂き、テーブルに通された。

由比ヶ浜と雪ノ下はメイド体験とやらに向かい、席についているのは残った俺たちだけである。

 

「ご主人様。なんなりとお申し付けください」

 

そう言って猫耳カチューシャを付けた赤フレームメガネのお姉さんがメニューを差し出してくる。メニューにはごちゃごちゃと色々書いてあるが、こういうのは材木座に任せとけばいいだろう。

そう思って横に座る材木座に目を向けるが、身体を縮こまらせて、かなりのハイページで水を飲んでいた。

 

「何、どうしたの」

 

「む……。わ、我はこういうお店自体は好きだが、入ると緊張してしまってな……。メイドさんとうまく話せないのだ」

 

「……あっそ」

 

ぷるぷると震える手でガラスのコップに超振動を与え続ける材木座は無視することにした。

対する向こうは何故か盛り上がっていた。

 

「彩加、何飲む?」

 

「ん?拓也とおんなじのがいいなぁ……」

 

会話だけ聞けば、ただのカップルである。

……返せよ!俺の戸塚ぁ……。

飲み物が決まったのか、拓也はテーブルに置かれた鈴を鳴らす。

 

「お待たせいたしました、ご主人様」

 

「えっと、カプチーノ二つ、お前らは?」

 

「俺も同じので」

 

材木座は固まったまま動かない。何こいつ、凍ってんの?

 

「ご主人様がお望みでしたらカプチーノに猫ちゃんなど描きますが、いかがいたしますか?」

 

「いえ、大丈夫です」

 

オプションを断ったもののメイドさんは嫌な顔一つせず、「かしこまりました。少々お待ちくださいませ♪」と営業スマイルを浮かべてくれる。

さすがはプロである。メイドカフェが人気なのは上っ面ではなく客に対して楽しい時間を楽しんでもらうというサービス精神が溢れているからなのだろう。

と、その中にやけに動きの悪いメイドさんがいる。

……と思ったら由比ヶ浜だった。

 

「お、おまたせしました。……ご、ご主人様」

 

その言葉を言うのはよほど恥ずかしかったのか、真っ赤な顔でカップを置く。着ているのはわりとプレーンな主流のメイド服だ。スカートが短く胸元が強調されているやつだが。

 

「…………」

 

「に、似合うかな?」

 

由比ヶ浜はトレイをテーブルに置き、控えめな速度でその場でくるりと回ってみせた。

 

「あ、ああ。まぁ、な」

 

「そか……よかった……。えへへ、ありがと」

 

正直、驚いた。

相変わらずアホっぽいのだが、しおらしい態度と恥ずかしそうな表情が相まっていつもとは違う印象を受ける。

 

「やー、でもさー、昔の人はこれ着て働いてて大変だったろーねー。これ着て掃除したらメイド服、クイックルワイパーみたいになっちゃいそうだよ」

 

前言撤回。やはり由比ヶ浜は由比ヶ浜である。

 

「お前、喋んなければいいのにな」

 

「なっ⁉︎どういう意味だっ⁉︎」

 

トレイで頭叩かれた。ご主人様に手を上げるとは……。

 

「何を遊んでるいるの……」

 

聞き慣れた冷たい声がして振り返る。そこには大英帝国時代のメイドさんがいた。

 

「うわ、ゆきのん、やばっ!めっちゃ似合ってる。超きれい……」

 

確かに由比ヶ浜の言う通り、本当に似合っている。

 

「それで、雪ノ下、結果は?」

 

「残念ながら、このお店に川崎さんはいないみたいね」

 

「ちゃんと調べていたのか……」

 

「もちろん。そのためにこの服を着ているのよ」

 

雪ノ下はきちんと潜入捜査をやっていた。ちゃんと見習えよ由比ヶ浜さん。

 

「今日は休みとかじゃなくて?」

 

「シフト表に名前がなかったわ。自宅に電話がかかってきていることから考えても、偽名の線もないと思う」

 

「そうなると、俺たちは完全にガセネタに踊らされていたことになるんだが……」

 

横に座る材木座をじろりと睨む。材木座は一人唸り始める。

そこに助け舟を出したのは意外にも拓也だった。

 

「まぁ、しゃーないだろ。結果論だ」

 

残っていたカプチーノを飲み干し席を立つ。

 

「もう夜もだいぶ更けてるし、今回はここで解散としよう」

 

でも、まぁ、由比ヶ浜はメイド服が着られて嬉しいそうだし、いいお店も見つけられたし。とりあえずよしとしとこう。

 

 

 

 

 

 

 

次の日、腕時計の針は午後八時二十分をさしていた。

俺は待ち合わせ場所である海浜幕張駅前の何やら尖ったモニュメント、「通称・変な尖ったやつ」に寄りかかる。

これから向かうのはもう一軒のエンジェル『エンジェル・ラダー天使の階』だ。

俺は着慣れない薄手のジャケットをなじませるように羽織り直す。

黒い立ち襟のカラーシャツにジーンズ、足元はロングノーズの革靴。普段ならまずしない着こなしだ。

待ち合わせ場所に最初に現れたのは、拓也だった。

 

「おう、早ぇな」

 

「いや、今来たところだ」

 

拓也は俺とは違いどこか着慣れた様子だった。ジャケットは黒というよりは紺に近く、下は黒のパンツで、ぱっと見サラリーマンに見えなくもない。が、いつもと違い、髪をきちんとワックスで固めていた。

 

「お前、印象変わりすぎだろ……」

 

「そのセリフは鏡を見てから言うんだな」

 

それとほぼ同時に戸塚がやってくる。

 

「ごめん、待った?」

 

「いや、俺たちも今来たところだ」

 

戸塚はユニセックスな印象を与えるややスポーティな服装だった。ゆったりめなカーゴパンツにややぴったりのTシャツ。ニット帽を浅めにかぶり、首にはヘッドホンが掛けられている。

少し遅れて材木座も現れた。

 

「ふむぅ。待ち合わせ場所はここでいいはずだが……おおっ!八幡ではないか!」

 

小芝居のウザさにイラッときたが、見つかってしまっては仕方ない。

 

「……お前、その格好、何。なんで頭にタオル巻いてんの?ラーメン屋さんなの?」

 

「ふぅ、やれやれ。大人らしい格好といったのは貴様らではないか。故に働く大人のスタイル、作業衣とタオルをチョイスしたのだが……」

 

「……お前の場合、ボケてきたのか、本気で来たのかよくわかんねぇんだよなぁ」

 

全くもってその通り。まぁ、置いていけばいいだけだし別にいいや。

俺がそう結論出すのと由比ヶ浜が歩いてくるのはほぼ同時だった。

由比ヶ浜はきょろきょろと携帯電話を取り出す。こちらに気づいてないようだ。

 

「由比ヶ浜」

 

俺が声をかけると、由比ヶ浜はびくっと反応し、こちらを恐る恐る見る。

 

「ヒ、ヒッキー?あ、ヒッキーだ。一瞬わかんなかった……。そ、その格好……」

 

「んだよ。笑うなよ」

 

「ぜ、全然そんなんじゃないからっ!その、いつもと違い過ぎてびっくりしただけで……」

 

わーとかはーとかへーとか言いながらじろじろ見てくる。

 

「これ、小町ちゃんが選んだでしょ?」

 

「ああ、よくわかったな」

 

「やっぱりね……」

 

何かを納得する由比ヶ浜。……何がわかったんだ。

由比ヶ浜はチューブトップにビニール製のブラストラップを右肩にかけ、左は外してある。上にはデニム生地の裾野短いジャケットを羽織っている。下は黒いチノに金ボタンがあしらわれたホットパンツ、足下はといえば、ややヒールの高いミュールだった。

 

「なんというか、大人っぽくはないな……」

 

「はぁ⁉︎どこが⁉︎」

 

まぁ、スタイル分上乗せで女子大生くらいには見えるか……。

 

これでほぼ揃った。あとはもう一人、

 

「ごめんなさい、遅れたかしら?」

 

暗い夜の中にあるぶん、その白いサマードレスは鮮やかだった。下に履いた黒いレギンスが細い脚をしなやかに見せている。

本当、性格さえまともならなぁ……。そう思わずにはいられない。

 

「時間通りね」

 

そう言うと雪ノ下はさーっと全員の姿を流し見る。

 

「ふむ……」

 

そして、材木座から順に指をさす。

 

「不合格」

 

「ぬぅ?」

 

「不合格」

 

「……え?」

 

「不合格」

 

「へ?」

 

「合格」

 

「ん」

 

「不適格」

 

「おい……」

 

何故か合否判定がされていた。しかも俺だけなんか違うだが……。

 

「あなたたち、ちゃんと大人しめな格好でって言ったでしょう」

 

「大人っぽい、じゃなくて?」

 

「これから行くところを考えてみろ、ある程度の値段がするレストランやホテルなんかはドレスコードがあるのが常識だ」

 

「お前、そんなんよく知ってるな」

 

「来る前にググったからな」

 

流石はグーグル大先生である。

とりあえずこの中でジャケットを着ているのは俺と拓也だけだ。戸塚は結構ラフな格好だし、材木座はラーメン屋な格好だし。

 

「あ、あたしもダメ?」

 

由比ヶ浜が確認すると、雪ノ下は少し困ったような顔になる。

 

「女性の場合、そこまでうるさくはないけど……。でも、エスコートするのが比企谷くんだとすると、ちょっと厳しいかもね」

 

「いやいや、ジャケットジャケット」

 

「服装は誤魔化せても目の腐り具合が危ういわ」

 

…………そんなに?

 

「入店を断られて二度手間やななるのも嫌だし、由比ヶ浜さんはうちで着替えたほうがいいかもね」

 

「え、ゆきのん家、行けるの⁉︎行く行く!……あ、でもこんな時間に迷惑じゃない?」

 

「気にしなくてもいいわ。私、一人暮らしだから」

 

「この子、できる子だっ⁉︎」

 

由比ヶ浜が大げさに驚く。何、その基準。

 

「じゃあ行きましょうか。すぐそこだから」

 

そう言って雪ノ下が見つめる先にあったのはこの一帯でも特にお高いことで知られるマンション、しかもオレンジの光を放つ摩天楼のだいぶ上。おおう、こいつひょっとしてブルジョアジーか……。

 

「戸塚君、せっかくきてもらって申し訳ないけれど……」

 

「ううん、全然いいよ。みんなの私服見られて少し楽しかったし」

 

「じゃあ、由比ヶ浜が着替えてる間、俺ら飯食ってるからさ。終わったら適当に連絡くれ」

 

「うん、そうする!」

 

残された男たちは自分の腹の減り具合を確認するように黙った。

 

「して、何を食す?」

 

材木座が腹を撫で繰り回しながら、聞いてきた。

俺たちは顔を見合わせる。

 

「ラーメンだよね」

「ラーメンだろ」

「ラーメンだよな」

 

 

 

 

 

 

改札前で戸塚と材木座と別れる。美味しいラーメンを食えて二人には満足してもらえたようだ。

 

「さて、行くか」

 

「おう」

 

駅から離れるとホテル・ロイヤルオークラへと向かう。二人とは今度はそこで待ち合わせだ。

改めてホテルの前に立ってみると、その大きさに少したじろぐ。明らかに高校生が入ってい建物ではない。

それでも、内心ドキドキで建物に入る。由比ヶ浜からのメールにあった待ち合わせ場所はエレベーターホール前だ。

 

『今着いたけど、もういるー⁇』

 

由比ヶ浜からメールが来る。

着いたって言っても……と、周囲を見渡してみる。

なんだかいい匂いのする美人のお姉さんに話しかけられた。

 

「な、なんか、ピアノの発表会みたいになってるんだけど……」

 

「ああ、由比ヶ浜か。誰かと思った」

 

「お前本当、発言は残念だよな」

 

持ち前のアホっぽさでなんとか由比ヶ浜と気づいたが、これで取り澄ましていたらたぶんわかんなかった。

 

「せめて結婚式くらいのことは言えないの?さすがにこのレベルの服をピアノの発表会と言われると少し複雑なのだけれど……」

 

そう言って今度は漆黒のドレスを纏った美女が現れる。

誰か、などと間違いようなどない、雪ノ下雪乃だ。

 

「だ、だってこんな服着たの初めてだもん。ていうか、マジでゆきのん何者⁉︎」

 

「大袈裟ね。たまに機会があるから持っているだけよ」

 

「普通はその機会自体ないんだけどな。こんなのどこで売ってんだよ?レまむら?」

 

「レまむら?初めて聴くブランドね……」

 

素で返された。こいつレまむら知らないとかウニクロも知らんないんと違うか。

 

「おい、そろそろ行くぞ」

 

拓也がエレベーターのボタンを押す。

エレベータの中はガラス張りで、幕張の夜景を彩っていた。

最上階に着くと、再び扉が開く。

 

「おい……、おい、マジか。これ……」

 

そこには明らかに俺が踏み入れてはいけない空気が流れていた。

……やっぱ帰んない?と俺がアイコンタクトを送ると、由比ヶ浜がぶんぶんぶんと凄い勢いで頷いている。

 

「きょろきょろするなよ八幡」

 

慌てふためく俺をよそに拓也は何故か余裕のある顔をしている。

 

「……なんでお前そんな冷静なんだよ」

 

「郷に入れば郷に従え、だ自分を役者だとでも思えばいい、背筋を伸ばして胸を張って顎を引け」

 

小さな声でアドバイスを送ってくれた。そう、俺は俳優、そう思えば堂々とできてるような気がした。

 

「……あなた、そういう心得でもあるのかしら?」

 

「大体ググれば出てくる」

 

「……呆れた」

 

そう言うと雪ノ下は拓也の右肘をそっと掴んでいた。

 

「……すまん、これは知らん」

 

「あなたは大人しくしていればいいわ。由比ヶ浜さん、同じようにして」

 

「う、うえ?」

 

わけがわからないよ……と言った表情ながらも由比ヶ浜は大人しく雪ノ下の指示に従った。要するに俺の右肘に手を添えた。

 

「では行きましょう」

 

言われるがまま、俺は由比ヶ浜と歩調を合わせてゆっくりと歩き始めた。開け放たれた重そうな木製のドアをくくるとすぐさまギャルソンの男性が傍にやってきて、すっと頭を下げた。そのまま男性は一歩半先行し、バーカウンターへと俺たちを導く。

そこにはきゅっきゅっとグラスを磨く、女性のバーテンダーさんがいた。憂いを秘めた表情と泣きぼくろがとても良く似合っていた。

……ついうか、川崎じゃん。

学校で受ける印象とは違い、気だるげな感じはしない。

 

「川崎」

 

俺が小声で話しかけると、川崎はちょっと困ったような顔をする。

 

「申し訳ございません。どちら様でしたでしょうか?」

 

「同じクラスなのに顔も覚えられてないとはさすが比企谷くんね」

 

感心したように雪ノ下が言いながら、スツールに腰かける。

 

「同じクラスが三人いて気づかれないのは、俺からしても割とショックなんだが」

 

多少緊張がとれたのか、いつもの態度に戻る拓也は、雪ノ下の隣に座った。

 

「や、ほら。今日は服装も違うし、しょうがないんじゃないの」

 

そうフォローを入れながら一つ椅子を開けて由比ヶ浜も座る。

空いてるのは拓也の隣だ。オセロなら俺たちの負けだったな。

 

「捜したわ。川崎沙希さん」

 

雪ノ下が話を切り出すと、川崎の顔色が変わる。

 

「雪ノ下……」

 

その表情はまるで親の仇でもみるようなもので、はっきりとした敵意が見て取れた。

 

「こんばんは」

 

そんなことは知ったこっちゃないと言わんばかりに、雪ノ下は涼しい顔で夜の挨拶をする。二人の視線が交錯する。怖い。

同じ学校の人間である雪ノ下がいるということは、こいつもそうなのかと言わんばかりに川崎の目が今度は由比ヶ浜の方に向く。

 

「ど、どもー……」

 

その迫力に負けたのか、由比ヶ浜は日和った挨拶をした。

 

「由比ヶ浜か……、一瞬わからなかったよ。じゃあ、彼らも総武高の人?」

 

「あ、うん。同じクラスのヒッキーとたっくん。比企谷八幡と佐藤拓也」

 

軽く会釈すると、川崎はどこか諦めたように笑う。

 

「そっか、ばれちゃったか」

 

別段、隠し立てするでもなく、川崎は肩を竦めてみせた。ことの終焉を悟り、全てがどうでもよくなってしまったのかもしれない。

学校で見せるのと同じ、かったるい空気を醸し出して、ふっと浅いため息をついてから、俺たちに一瞥をくれてやる。

 

「……何か飲む?」

 

「私はペリエを」

 

それに答えて雪ノ下が何か言った。な、何?ペリー?

 

「あ、あたしも同じのをっ⁉︎」

 

「あ……」

 

俺も言おうと思ったのに。

 

「俺はジンジャエールで」

 

くそ、その手があったか、ファンタとかダメかな?

 

「比企谷だっけ?君は?」

 

待てよ、ペリーさんが飲み物だよな……。別にハリーとか言わなくていいよな、それにジンジャエールが行けるってことは飲み物の名前出せば……。

 

「俺はMAXコー」

 

「彼には辛口のジンジャエールを」

 

言いかけた途中で雪ノ下に思いっきり遮られた。

川崎は苦笑い交じりで「かしこまりました」というと慣れた手つきで注ぎ、コースターの上に置いた。

お互い、なんとなく無言でグラスを合わせると口をつける。すると思い出したかのように雪ノ下が言った。

 

「……MAXコーヒーがあるわけないじゃない」

 

「マジで⁉︎千葉県なのに?」

 

MAXコーヒーのない千葉県なんて千葉県じゃないだろ。

 

「……まぁ、あるんだけどね」

 

ぼそっと川崎が呟きを漏らすと、雪ノ下がちろっと川崎の顔を見る。ねぇ、何?お前らなんでちょっと仲悪そうなの?

 

「それで、何しに来たのさ?まさかそんなのとデートってわけじゃないんでしょ?」

 

「まさかね。横のコレを見ていっているなら、冗談にしたって趣味が悪いわ」

 

「あれぇ、おかしいなぁ、この流れで何で俺に被弾がくる」

 

「ふっ、諦めろ、お前はこっちに堕ちたんだよ」

 

こいつが完全にこっちに来るのも時間の問題のようだ。このまま二人だけで話をさせていると俺たちが死にそうだ。そこで俺から口火を切る。

 

「お前、最近家帰んの遅いんだってな。このバイトのせいだよな?弟、心配してたぞ」

 

俺がそう言うと川崎は例の、ハッと人を小馬鹿にした癪に障る笑い方で笑った。

 

「そんなこと言いにわざわざ来たの?ごくろー様。あのさ、見ず知らずのあんたにそんなこと言われたくらいでやめると思ってんの?」

 

「クラスメイトに見ず知らず扱いされるヒッキーすごいなぁ……」

 

妙なところで由比ヶ浜に感心されてしまった。だが、俺も川崎のことを知らなかったのでイーブンだろう。

 

「ーーああ、最近やけに周りが小うるさいと思ったらあんたたちのせいか。大志が何か言ってきた?どういう繋がりか知らないけどあたしから大志に言っとくからきにしないでいいよ。……だから、もう大志と関わんないでね」

 

川崎は俺を睨みつけてきた。

関係ないやつはすっこんでろ、という意思表示だろう。

 

「止める理由ならあるわ」

 

しかし、雪ノ下はここで引き下がるような人間ではない。

 

「十時四十分……。あなたの魔法はここで解けたみたいね」

 

「魔法が解けたなら、あとはハッピーエンドが待ってるだけなんじゃないの?」

 

「それはどうかしら、人魚姫さん。あなたに待ち構えているのはバットエンドだと思うけれど」

 

二人の掛け合いは余人の介入を許さない。皮肉とあてこすりを繰り返す。だからさ、なんで仲悪いの?初めて話すんじゃないの?怖い。

 

「……ねぇ、ヒッキー。あの二人何言ってんの?」

 

ああ、由比ヶ浜。お前みたいな庶民がいるとほんと落ち着くなぁ…。

十八歳未満が夜十時以降に働くのは労働基準法で禁止されている。この時間まで働いているということは川崎は年齢詐称という魔法を用いてるわけだ。そしてそれは雪ノ下によって解かれてしまった。

 

「やめる気はないの?」

 

「ん?ないよ。…まぁ、ここはやめるにしてもまたほかのところで働けばいいし」

 

その態度に少しイラついたのか、雪ノ下はペリーを軽く煽る。

 

「あ、あのさ……川崎さん、なんでここでバイトしてんの?あ、やー、あたしもほら、お金ないときバイトするけど、年誤魔化してまで夜働かないし……」

 

恐る恐る由比ヶ浜がそう口を開いた。

 

「別に……お金が必要なだけだけど」

 

まぁ、そりゃそうだろ。働く理由なんてお金のためってのがほとんどのはずだ。やりがいや生きがいとかについては俺はわからん。

 

「あー、や、それはわかるんだけどよ」

 

俺が何気なくそう言うと、川崎の表情が変わる。

 

「わかるはずないじゃん……あんなふざけた進路書くような奴にはわからないよ」

 

覚えていたのか。

 

「別にふざけてねぇよ……」

 

「そ、ふざけてないならガキってことでしょ。人生なめすぎ」

 

そう言うと川崎は壁にもたれかかる。

 

「あんたも、……いや、あんただけじゃないか、雪ノ下も由比ヶ浜も佐藤にもわからないよ。別に遊ぶ金欲しさに働いているわけじゃない。そこらのバカと一緒にしないで」

 

俺を睨みつける川崎の目には力があった。邪魔をするなと、そう力強く吠える瞳。しかし、俺には理解されないことへの嘆きと諦め、そして理解してもらいたいという願いがあるように思えてならない。

そう、俺がここまで理解できるのだ、こいつが黙って終わるはずがない。

 

 

 

 

「よし、今日は帰るぞ」

 

 

 

 

と、思ったんだけど。あれぇ?

 

「……はぁ?」

 

毒気を抜かれたのか、川崎の声がやけに間抜けに聞こえる。

まぁ、俺としてもいくつかわかったことはある。あとは俺たちでなんとかすればいい。

 

「だな、もう帰ろうぜ。正直眠い」

 

「あなたたちね……」

 

「ま、まぁまぁ。ゆきのん、今日はもう帰ろ?」

 

雪ノ下は呆れたようにため息をつくと、何かを言おうとするが、由比ヶ浜がそれを押し留めた。由比ヶ浜なりに、察するものがあったのだろう。

 

「……そうね、今日は帰るわ」

 

伝票も確認せずにそっと数枚の紙幣をカウンターに置くと立ち上がった。由比ヶ浜も雪ノ下に続いて椅子から立つ。

その背中に声をかける。

 

「由比ヶ浜、後でメールする」

 

「……へ?え、え。あ、うん。わかった。……待ってる、ね」

 

間接照明のせいか由比ヶ浜の顔はやけに赤く見えた。

二人を見送ってから、俺たちはグラスを傾けて川崎に向き直る。

 

「川崎。明日の朝時間くれ。五時半に通り沿いのマック。いいか?」

 

「はぁ?なんで?」

 

川崎は再び冷たい態度をとる。けれど、その次の言葉で態度を変えさせる自身が俺にはあった。

 

「少し、大志のことで話しておきたいことがある」

 

「……何?」

 

怪訝な、というよりはむしろ、敵視するような目で俺を見る川崎。

 

「ま、それは明日来ればわかるさ」

 

そう言って拓也が残りのジンジャエールを飲み干したのと同時に俺たちは立ち上がった。

 

「川崎、お前にぴったりな言葉を教えてやろう。『Life becomes harder for us when we live for others, but it also becomes richer and happier.』俺は頑張ってる人が大好きなんだよ」

 

「ちょっと!」

 

そう呼びかける声を無視して俺たちはかっこよく、この場を去ろうとした。

 

「ちょっと!お金、足りてないんだけど!

 

……おい、雪ノ下。俺たちの分は払ってないのかよ。

キザなセリフを吐いた拓也は俺に五百円を渡し、「……あとでメールするわ」と言い残し先に帰った。

ちなみにジンジャエールは一杯940円だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、といっても俺は寝ておらず、朝五時過ぎのマックで二杯目のコーヒーを啜っていた。

あれからホテル・ロイヤルオークラを後にした俺たちはそれぞれ家に帰った。帰宅してから小町にいくつかお願いし、ここで時間を潰していた。

 

「来たか……」

 

そこには気だるげに靴を引きずって川崎沙希が現れた。

 

「話って何?」

 

疲れているからか、いつもより一層不機嫌そうな川崎が問う。

 

「まぁ、おちちゅけ。……まぁ、落ち着け」

 

……いや、ビビってるとかじゃないから。本当だから。

 

「みんなもうじき集まる。もう少し待ってくれ」

 

「みんな?」

 

川崎が怪訝そうな顔をしていると、再び自動ドアが開くと、雪ノ下と由比ヶ浜がやってきた。

二人と別れた後、俺は由比ヶ浜にメールを送った。

雪ノ下の家に泊まることと、その旨を両親に連絡を入れておくこと、翌朝五時に雪ノ下と通り沿いのマックに来ること。以上の簡単な業務連絡だ。

 

「またあんたたち?」

 

うんざりとした表情で川崎はため息をつく。しかし、もう一人不機嫌な奴がいる。由比ヶ浜はふてくされたようにしてこっちを見もしない。

 

「何、あいつ寝不足?」

 

俺は雪ノ下に問うてみるが、雪ノ下も首をひねる。

 

「さぁ?……そういえば、あなたからメールが来てから露骨に不機嫌になった気がするわ。何か卑猥なことでも書いたの?」

 

「勝手に犯罪者扱いするのやめてくんない?っつーかただの業務連絡なんだから不機嫌になりようがねぇだろ」

 

そんな俺たちの間に割って入ってくる影が二つ。

 

「やー、さすが私のお兄ちゃんだなー。肝心なところで気が利かない」

 

「そうか?今回は由比ヶ浜がお花畑すぎなだけな気がするけどな」

 

「おー。小町、今回は拓也の方が正しいぞ、俺はただ業務連絡しただけなんだからな」

 

「妹さんも呼んでいたの?」

 

雪ノ下が少しばかり意外そうな表情で聞いてくる。

 

「ああ、頼みたいことがあったんでな、小町、連れてきてくれるか?」

 

「うん」

 

そう言って小町が指した方向には川崎大志。

 

「大志……、あんたこんな時間に何してんの」

 

川崎が驚きとも怒りともつかない顔で大志を睨んだ。だが、大志も譲らない。

 

「こんな時間ってそれはこっちのセリフだよ、姉ちゃん。こんな時間まで何やってたんだよ」

 

「あんたには関係ないでしょ……」

 

会話を切ろうとする川崎。だが、その論法は俺たちには通じても家族には通じない。今までは一方的な会話を切ったり、その場から去ったりと、いくらでも川崎に逃げ道はあった。だが、今はそれができない。周りの俺たちが逃がさないし、何より朝、外にいるその現場を押さえられてしまっている。

 

「関係なくねぇよ、家族じゃん」

 

「……あんたは知らなくていいって言ってんの」

 

大志が食い下がってくると、川崎の声は弱々しいものになっていた。

 

「川崎、なんでお前が働いてたか、金が必要だったか当ててやろう」

 

俺が言うと、川崎は俺を睨みつける。雪ノ下と由比ヶ浜は俺に興味津々の眼差しを向けた。

これはそこまで難しいことではない、考えてみればヒントはある。

川崎が不良化したのは高校二年になってから、と川崎大志は言った。たしかに、川崎大志の視点からはそうだろう。だが、川崎沙希の視点から言えばそうではない。

 

「大志、お前が中三になってから何か変わったことは?」

 

「え、えっと……。塾に通い始めたことくらいっすかね?」

 

川崎は俺が言おうとしたことを察したのか、悔しそうに唇を噛んでいる。

 

「なるほど、弟さんの学費のために……」

 

由比ヶ浜が納得したように口にしたが、俺はそれを遮る。

 

「違うな。大志が4月から通えてる時点で入学費も教材費も払い終えてる。もともとその出費は織り込み済みなんだろう。逆に言えば、大志の学費だけが解決している状態なんだよ」

 

「そういうことね。確かに、学費が必要なのは弟さんだけではないもの」

 

雪ノ下はすべて理解したのか、ほんのわずか、川崎に同情めいた視線を向けた。

そう、総武高は進学校だ。高校二年のこの時期から受験を意識する者も少なくない。大学に行くまでも、お金はかかるのだ。

 

「大志が言ってたろ。姉ちゃんは昔から真面目で優しかったって。つまりそういうことなんだよ」

 

俺がそう結論を言うと、川崎は力なく肩を落とした。

 

「姉ちゃん……。お、俺が塾行ってるから……」

 

「……だから、あんたは知らなくていいって言ったじゃん」

 

川崎は慰めるように、大志の頭をぽんと叩いた。

どうやらいい感じにおさまりがついたようだな。めでたしめでたし。

そう思ったのだが、川崎はきゅっと唇を噛みしめる。

 

「けど、やっぱりバイトはやめられない。あたし、大学行くつもりだし。そのことで親にも大志にも迷惑かけたくないから」

 

川崎の声は鋭かった。その固い意志に大志は再び黙り込む。

 

「あのー、ちょっといいですかねー?」

 

その沈黙を破ったのは小町の呑気な声だった。

 

「何?」

 

「やー。うちも昔から両親共働きなんですねー、それで小さいころの小町、家帰ると誰もいないんですよ。ただいまーって言っても誰も答えてくれないんです」

 

俺も口を噤み、小町の話に耳を傾ける。

 

「それで、そんな家に帰るのが嫌になっちゃって小町五日間ほど家出をしたんですよ。そしたら両親じゃなくてお兄ちゃんが迎えに来て。で、それ以来兄は小町よりも早く帰るようになったんですよー。それで兄には感謝してるんですねー」

 

川崎はどこか俺に親近感にも似た眼差しを向け、由比ヶ浜の瞳は少しうるっとしている。いや、ただテレ東六時台のアニメ見たかったから早く帰ってただけなんだが。

 

「で、結局何がいいたいわけ?」

 

「まぁ、つまりですね、沙希さんが家族に迷惑かけたくないと思うのと同じくらい、大志君だって沙希さんに迷惑かけたくないんですよ?その辺をわかってもらえると下の子的に嬉しいかなーって」

 

「…………」

 

その沈黙は川崎のものだった。と、同時に俺の沈黙でもあった。

 

「……まぁ、俺もそんな感じ」

 

大志がぽそっと付け足すように言った。川崎は立ち上がるとそっと大志の頭を撫でる。いつもよりほんの僅か柔らかい笑顔だった。

それでもまだ問題は解決していない。金銭の問題は高校生にとってかなりシビアだ。ここでぽーんと百万だの二百万だな渡せればかっこいのだが、そんな金は持っていないし、何より奉仕部の理念に反する。

ならばここはひとつ、俺の錬金術の一端を授けてやろう。

 

「川崎。お前さ、スカラシップって知ってる?」

 

 

 

 

 

 

朝方五時半の空気はまだ肌寒い。欠伸交じりに俺は遠ざかる二つの影を見送っていた。二人は時折笑い声がさざめくように肩を揺らしていた。

 

「きょうだいってああいうものなのかしらね……」

 

朝靄の中で、雪ノ下はぽつりと漏らした。

 

「どうだろうな。結構人によりけりじゃねぇの。一番近い他人って言いかたもできるしな」

 

実際、よくわからん距離感にいるのが兄弟だと思う。一番近いのに他人で、他人だけど一番近い。

 

「一番近い、他人……。そうね。それはとてもよくわかるわ」

 

雪ノ下は頷き、そしてそのまま顔を上げない。

 

「ゆきのん?」

 

その様子を怪訝に思ったのか由比ヶ浜がそっと雪ノ下の顔を覗き込んだ。雪ノ下はすぐに顔を上げ、由比ヶ浜に微笑みかける。

 

「さ、私たちも一度帰りましょうか」

 

「う、うん……」

 

雪ノ下の態度にどこか釈然としない由比ヶ浜だったが、頷いて肩にかけたバッグを背負い直した。俺も自転車の鍵を外す。

小町の方を向くと、拓也に背負われて幸せそうな寝顔を晒していた。

 

「俺も一緒に送ってやるから寝かしといてやれ、いつもならまだ寝てる時間だろうしな」

 

「そうか、頼むわ。じゃあ、お疲れ」

 

「うん、また明日、じゃないか、また学校で」

 

由比ヶ浜が小さく手を振ってくる。雪ノ下はぼーっと俺たちを見つめていた。

 

「普通逆じゃないかしら……。気をつけてね」

 

「ああ、じゃあな」

 

そう返すと同時に手でチャリを引く。

 

「で、なんでお前さっきの会話に入ってこなかったんだよ」

 

この男、メールで送るだけ送って、あとは何もしなかったのだ。

 

「んー、俺はあのバーで川崎に言ったことが全てだったからな、それに、お前がいるから心配してなかったし」

 

つくづく変な奴だと思う。俺に信頼を寄せるなんてお前くらいだよ、本当。

 

「そういやぁ、あれどういう意味だよ」

 

「『人のために生きる時、人生はより困難になる。しかし、より豊かで幸せにもなれる。』とある哲学者の言葉だよ」

 

なんだよ、初めからわかってんなら言えよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

試験期間一週間の全日程を終了し、休みが明けての月曜日。今日は試験結果がすべて返される日だ。

一つの教科が終わるたびに、由比ヶ浜がわざわざ報告しにくる。

点数が上がったらしく、テンションが高い。

俺の方はというと相変わらず、国語は学年三位を死守していた。数学は九点。おい、漸化式ってなんだよ。

そして、今日は職場見学の日でもあった。

俺たちが向かうのは海浜幕張駅。俺は戸塚と拓也の三人グループ、のはずだった。どうやら運悪く、五つくらいの班と被ったらしく、戸塚の周りには女子が数名まとわりついていた。その中には葉山のグループもあったようで、何故か別グループのはずのいつもの男子三人組と三浦たち、由比ヶ浜の姿もあった。なので、結局、俺と拓也で回ることになった。

俺たちが選んだのはとこだか名前を聞いたことがある電子機器メーカーだった。こういうメカ系は見ているだけでも楽しいぶん、退屈はしなかった。

 

「あれだな、死ぬまでにはガンダムか人工生命体とか見たいよな」

 

突然こいつは何を言いだすんだ?だが、わからなくもない。そんな夢を見れるくらい数十年の技術の進歩は素晴らしいのだから。

 

「人工生命体ならペッパー君で十分だろ」

 

実際、それくらいが丁度いい按配だと俺は思う。

 

「夢がねぇなぁ、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

拓也と入れ違うかたちでかつかつと硬質なヒールの音が聞こえてくる。

 

「おや、比企谷、ここへ来ていたのか」

 

平塚先生は珍しく白衣を脱いでいた。

 

「先生は見回りですか」

 

「まぁそんなところだ」

 

そう答える先生だが、目線は生徒ではなく、メカメカしい機械へと注がれていた。

 

「ふぅ……日本の技術力は凄いな。……私が生きているうちにガンダム作られるかなぁ」

 

今は巷ではガンダムが流行っているのだろうか。

俺たちが歩き始めると、その足音に気づいたのか、平塚先生も同じ歩調で横に並ぶ。

 

「ああ、そうだ比企谷。例の勝負のことなんだがな……」

 

そう話を切り出したものの、どこか言い澱む。

 

「……不確定要素の介入が大きすぎてな、今の枠組みの中では対処しきれない。そこで、一部仕様を変更しようと思う」

 

「俺は別にいいっすけど……」

 

どの道、この勝負のルールブックは平塚先生なんだし、抵抗するだけ無駄というやつだ。

 

「具体的には決まってるんですか?」

 

「いや……、少し扱いに困る子がいてな」

 

そう言って平塚先生は頭をかく。思うに拓也や由比ヶ浜がそうなんだろう。特に拓也だ。あいつの観察眼というか、人と対峙した時に負けるビジョンが見えない。拓也に勝てるやつなどいるのだろうか。いるとしても、それこそ魔王みたいな人物に違いない。

 

「ふむ、メカメカロードはここで終わりのようだな」

 

メカメカロードってなんだよ。

 

「新たな仕様が決まったら、また改めて連絡する。何、悪いようにはせんさ」

 

俺はそれを見送ってから出口へと向かう。平塚先生と喋りすぎたようだ。誰もいないエントランスの周囲を見回してみた。

そこで、見覚えのあるお団子を見つけた。

緑石に座り込み、膝を抱えて携帯をいじってる女の子。

 

「あ、ヒッキー、やっときた。もうみんな行っちゃったよ?」

 

「あ、ああ。悪い、俺の中のロボット魂が騒いでだな……。いや、そう言えばまだ拓也が残ってるはずなんだが」

 

「たっくんならさいちゃんとサイゼ行ったよ?」

 

おのれ、何度裏切れば気がすむんだ!そろそろ俺の堪忍袋も限界だ。逆襲の八幡を震えて待っていろ。

 

「……お前は行かねぇの?」

 

「ん?あたしはほら、ヒッキーを待ってたっていうかなんというか……」

 

胸の前で人差し指どうしを突き合わせて、顔を真っ赤にしていた。

 

 

 

 

「……俺さ、優しい女の子って嫌いなんだ」

 

 

 

 

「え?」

 

突然の俺の告白に大きな目を見開く由比ヶ浜。

 

「優しい女の子って誰にだって優しいだろ?そんな優しさは俺みたいなやつを勘違いさせて、いつだって期待さしちまうんだ。ほんの一言の挨拶でその気になるし、電話なんてかかった日には着信履歴を見て頬が緩んじまう」

 

こんな独白をするつもりなど、微塵もなかった。が、考えがまとまらず、頭で思ったことが次々と口から出ていく。

 

「そうやって期待して、勘違いして、俺は…」

 

続く言葉は由比ヶ浜に遮られ出てこなかった。

 

「……バカだなぁ、ヒッキー。あたしは、ヒッキーだったからあのとき、友達になりたいって思ったんだよ?」

 

誰の友にもなろうとする人間は、誰の友人でもない。あいつと会ったときに言われた言葉を思い出した。

 

「捻くれ者のくせに、人一倍優しい。私はそんなヒッキーが大好きなんだもん」

 

心の何処かで俺はやはり希望を捨てられなかったのだろう。知らない間に距離が縮まっていくなかで、このなんとも言えない関係を言葉で肯定してほしかったのかもしれない。

 

「まぁ、その、なんだ……ありがとな由比ヶ浜」

 

「よろしい!……じゃあ、行こ?ヒッキー」

 

そう言って由比ヶ浜は俺の手を取る。

百戦錬磨の強者。負けることに関して最強だった俺は今日、人生二度目の勝ちを味わった。

 

 

 




よくよく思い返せば、一期は割とギャグ要素が強かったので、シリアスの壊しようがなかったですね。
感想等お待ちしています。


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第14話

最近Twitterで始めてできたフォロワーを見てみたら出会い系の勧誘でした。


一週間のうちで最強の曜日は土曜日だ。休日でありながら次の日も休みだなんて、棚からぼた餅どころか棚からショートケーキだ。

起き抜けの頭でぼーっと朝刊を流し読む。新聞を読んだらいつものチラシチェックである。安いものを見つけたら、赤丸をつけて小町に渡す。買いに行くのは小町か母親だ。

そして、そのチラシにひときわ輝くフォントを見出した。

 

「こ、小町!これ見ろこれ!東京わんにゃんショーが今年もやってくるぞ!」

 

思わず、高々と掲げてしまった。どっかのライオンのミュージカルみたいだ。

 

「うっそ!ほんとにっ!やったぁ!お兄ちゃんよくぞ見つけ出した!」

 

「はははっ!もっと褒め称えろ!」

 

「きゃーステキー!お兄ちゃんステキー!」

 

「……うるさい、バカ兄妹。くたばれ」

 

母親が泥人形テイストで寝室から這い出てきて呪いをぶちまけた。

 

「す、すいません……」

 

俺が謝ると、母親はうむと小さく頷いて、寝室へと戻っていく。また長き眠りにつくつもりらしい。

寝室の扉に手をかけたところで母親がくるりと振り返った。

 

「あんた。出かけんのはいいけど、車に気をつけんのよ。蒸し暑くて車のほうも苛立ってるから事故起きやすいんだから。小町と自転車の二人乗りなんてすんじゃないよ」

 

「わかってるよ。小町を危ない目に遭わせんなっつーんだろ」

 

両親の小町への愛情はとても深い。小町は二人にとって宝物のような存在だ。それに引き替え長男のほうはといえば、そうでもないらしい。今だって母親は俺の顔を見て深いため息を吐いている。

 

「はぁ……バカだね、あんたの心配してんの」

 

「……えっ」

 

不覚にもうるっと来た。朝起こしてもらえないし、弁当代は500円しかくれないし、変なセンスのシャツ買ってくるし。

しかし、……親子っていいものだなぁ。

 

「か、母ちゃん……」

 

「本当、心配だわ。小町に怪我させたら、あんた、お父さんに殺されるよ」

 

「お、おやじ……」

 

不覚にもいらっと来た。

その親父といえば、今なお惰眠を貪り、夢の世界にいるはずだ。

余談だが、この親父、拓也と初めてあったとき、小町が引っ付いてるのを見てから敵視するようになった。俺への敵視がまんま向いたのでありがたいのだが、同時にこれが俺の親だと思うと恥ずかしくもあった。

それ以来、俺は親父との会話が増えたのだが、いつもの余計なことばかりではく、小町を取り返すにはどうしたらいいかを俺に相談し始めた。その時は流石にどうかと思った。

 

「バスで行くからそんな心配いらないよー。あ、だからバス代ちょうだい!」

 

「はいはい、往復でいくらだっけ?」

 

「えっと……」

 

小町が指で数えはじめる。おい、片道150円で往復300円だぞ。どこに指使う要素あるんだよ。

 

「300円だよ」

 

結局、小町よりも早く俺が答えてしまう。

 

「じゃあ、はい。300円」

 

「ありがとー!」

 

「あ、あの、お母さん。ぼくも、行きたいんですけど……」

 

「あら、あんたの分もいるの?」

 

今気づいた、みたいな反応をしながら母親が財布を再び取り出す。

 

「あ、お昼外で食べるからお昼代もちょーだい!」

 

「ええ?しょうがないねぇ……」

 

便乗した小町のお願いに流される形で母親は札を二枚ほど取り出して小町に渡す。

おお、小町すげぇな。でも、俺の時の昼代は何故500円なのですか、お母さん。

 

「ありがと!んじゃ、行こ。お兄ちゃん」

 

「おお」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

気だるそうに俺たちを送り出すと、母親はまた寝室へと消える。おやすみ、母さん。また会う日まで。

 

 

 

 

 

 

家から「東京わんにゃんショー」の会場である幕張メッセまではバスで15分ほどだ。会場にはそこそこの数の人が入っていた。なかにはペットを連れてきている人もいる。

さて、この東京わんにゃんショーだが、要するに、犬や猫といったペットの展示即売会だ。その一方でちょっと珍しい動物の展示もあったりしてなかなか楽しい。

 

「わー、お兄ちゃん!ペンギン!ペンギンがたくさん歩いてるよ!可愛い!」

 

「ああ、そういやペンギンの語源ってラテン語で肥満って意味らしいぞ。そう考えるとあれだな、メタボサラリーマンが営業で外回りしてるみたいだよな」

 

「わ、わー。急に可愛く思えなくなってきた……」

 

恨みがましい視線で俺を見てくる。

 

「お兄ちゃんの無駄知識のおかげでこれからペンギン見るたびに肥満の二文字が頭に浮かぶようになったよ……」

 

小町はぶつくさ文句を言うが、それは最初にペンギンと名付けたやつに言ってもらいたい。

 

「まぁ、いいや、気を取り直して早く見て回ろうよ」

 

そう言って小町は俺の手を引っ張って駆け出す。

 

「ちょお前、急に走んな、転ぶから」

 

どうやらこのあたりは鳥ゾーンらしく、インコだなオウムだのといった派手派手しい極彩色の世界が広がっていた。

その中に、見覚えのある艶やかな光を放つ黒髪を見つけた。

パンフレットを片手にキョロキョロするたび、二つに分けて結わえた髪が揺れている。

 

「あれって……雪乃さん?」

 

小町も気付いたらしい。というか、あれだけ目立つ奴もそうそういないので、結構な注目を集めていた。

だが、本人は周りの視線などまるで気にしていないようで、部室にいるときと同じ、冷めた表情のまま何かを探している。

しきりに表示番号を確認しては辺りを見渡し、再びパンフレットに目をやる。

なんだ、あいつ。迷子か。

雪ノ下は何がを決心したようにぱたっとパンフレットを閉じると颯爽と歩き始めた、壁に向かって。

 

「おい、そっち壁しかねぇぞ」

 

見かねてつい声をかけてしまう。

 

「……あら、珍しい動物がいるのね」

 

「出会い頭にホモ・サピエンス呼ばわりすんのやめてくんない?俺の人間性が否定されちゃってるだろ」

 

「間違ってはいないでしょう?」

 

「正しいにもほどがあんだろ……」

 

第一声から霊長類ヒト科扱いである。

 

「なんでお前壁に向かって歩いてんの?」

 

「…………迷ったのよ」

 

雪ノ下は今にも切腹しそうなくらい苦々しげに話す。

 

「いや、迷うほど広くないんだけど、ここ……」

 

方向オンチさんなのかな?

 

「雪乃さん、こんにちは!」

 

「あら、小町さんも一緒なのね。こんにちは」

 

「にしても、意外なところにいるな。何か見にきたのか?」

 

「……ええ、まぁ、そのいろいろと」

 

猫だろうな……。猫コーナにでっかく赤丸ついてるし。

 

「比企谷くんはどうしてここへ?」

 

「俺は妹と毎年来てるんだよ」

 

「うちの猫と会ったのもここなんですよ!」

 

小町が言うようにうちの猫、カマクラとはここで出会ったのが最初だ。生意気にも奴は血統書がついているのだ。

 

「……相変わらず仲がいいのね」

 

「別に、年中行事みたいなもんだよ」

 

「そう。……じゃあ」

 

「おう、じゃあな」

 

お互い、深入りを避けるようにして別れの言葉を口にした。

 

「ちょい待ち、ちょい待ちですよ。雪乃さん。せっかく会ったんですし、小町と一緒に回りましょうよ!」

 

去りかけた雪ノ下の裾を小町がくいくい引く。

 

「兄と回ってもテンション下がること言ってくるだけですし。雪乃さんと一緒のほうが小町楽しそうですし」

 

「そ、そう?」

 

小町はぶんぶん首を振って答えた。

 

「そいですそうです!ぜひぜひ!」

 

「邪魔じゃないかしら?……比企谷くんが」

 

当たり前のように俺が外されていた。

 

「は?何言っちゃってんの?俺、集団行動だと黙ってるから全然邪魔にならないんだけど」

 

「違う意味で場に溶け込めるのね……」

 

雪ノ下は呆れた顔をする。

 

「……わかったわ、一緒に回りましょう。何が見たいものはある?と、特にないなら……」

 

「そうですねー……せっかくですし、普段見れないものにしましょう!」

 

「……お前は空気を読んでんのか読んでないのか全然わかんないな」

 

「え?何が?」

 

「……それでいいわ。はぁ……」

 

雪ノ下が諦めたようにため息をついた。俺の妹がごめんなさい。

 

 

 

 

 

鳥ゾーンを抜けて、小動物ゾーンに入る。

ハムスターだなうさぎだのフェレットだのといったペットを集めたゾーンだ。集められ『ふれあいコーナー』に、またしても見知った顔を見つけた。といってもなんとも間抜けな表情をした拓也だが。

何こいつ?表情筋が機能しなくなったの?

 

「…………あれ、佐藤君よね?」

 

「…多分な」

 

俺と雪ノ下はなんとも言えなかった。

が、小町は気にしないらしい。颯爽と拓也のもとに向かう。

 

「拓也さーん!」

 

「おお、小町ちゃんも来てたのか、ほら、触ってごらん」

 

そう言うと小町に抱えていたウサギを渡す。小町のおかげか多少顔は引き締まっていた。と同時にこちらにも気づいたようだ。

 

「なんだ?お前らも来てたのか?」

 

どうやら本格的に直す気はないらしい、男のデレデレ顔を見たって何に感じないのだが。

 

「……以外ね、あなた、動物とか興味ないと思ってたわ」

 

「バカ言え、こう見えて犬に猫、ハムスターにウサギまで飼ったことあるんだぞ」

 

そういや、うちに来たとき、カマクラをひたすら撫でてたな。

「それで?お前らもここにいるってことはなんか見にきたんだろ?」

 

おい、さっきのデレ顔はどうした、人間に変わった瞬間元に戻るなよ怖えぇよ。いや、別にデレ顔も見たくはないけども。

 

「俺は別に、毎年きてるからな」

 

「私は……そうね、色々よ」

 

変に意地を張る雪ノ下。素直に言えばいいものを。

 

「なら丁度いいや、俺も目的があったわけじゃないし、一緒にどうだ?」

 

「あ、いいですね!人数が多い方が楽しいですし!」

 

小町がウサギをもふり終わり話に入ってくる。

まぁ、別に俺としても断る理由がないわけで、

 

「いいんじゃね」

 

「二人がいいというならいいんじゃないかしら」

 

もともと俺たちについてくるかたちの雪ノ下は俺たちの決定にしたがうらしい。

 

「よーし、じゃあ行こうぜ、俺まだ猫見てないし」

 

「そうね、行きましょう」

 

お前、どんだけ猫見たいんだよ。雪ノ下はそう言いながら颯爽と進んでいく。が、犬ゾーンの文字を見た瞬間、ぴくっと反応した。

 

「どうした?」

 

「いえ……」

 

雪ノ下は波長を緩めるとゆっくりと拓也の背後に回り込んだ。

あぶない!背後を取られてるぞ!

 

「なんだ?別にここ大型犬はいないぞ」

 

「子犬のほうがちょっと…。い、一応言っておくけれど、別に犬が苦手なわけではないのよ?その、……あまり、得意ではない、というか」

 

「そうか、一回苦手ってググッてみろ」

 

こいつグーグル大好きかよ。

 

「あなたたちは…犬派なのかしら?」

 

「小町はもちろん猫派ですよ!」

 

「あいにく俺は派閥なんてバカらしい考え方を持っていなくてな。可愛いもんは可愛いんだよ」

 

「俺も無派閥だな。そういうのは入らないって決めてるんだよ」

 

「入れてもらえない、の間違いではなくて?」

 

「もうそれでいいから行こうぜ」

 

進んでいくと「わんわんゾーン」と書かれたチープなゲートを潜り抜けた。やはり犬は人気なようで、多くのお客さんがいた。

入ってからというもの雪ノ下は口を開こうとしない、周りが盛況なだけに余計気になる。あの写真ばしばし撮ってる人あの女の人なんかは特にそうだ。

ていうか、あれ平塚先生だな。見なかったことにしよう。

……おい、やめろ!拓也!行くんじゃねぇ!

雪ノ下の方を見ると、トリーミングコーナーと書かれた一角がある。

 

「え、なに?写真の加工やってんの?」

 

「違うわよ。犬の毛並みを整えたり毛艶出したりして手入れすることよ。広くはグルーミングとも言うわ」

 

グルーミング……UPじゃじゃ馬かな?

 

「要するに犬の美容室よ」

 

「え、そんなのあんの。贅沢だな、五代将軍でもいんのかよ」

 

「かもな、行ってこいよ八幡、憐れみがもらえるかもしれんぞ」

 

どうでもいいことを話してるうちにちょうど一頭手入れが終わったらしい。ミニチュアダックスが欠伸混じりに歩いてくる。

 

「ちょ、ちょっとサブレ!って、首輪ダメになってるし!」

 

ミニチュアダックスは飼い主の制止を軽やかに無視した。そして出口のほうへ、つまり俺たちのほうへ駆け出した。

 

「可愛いなぁ」

 

「えー、かまくらも負けてませんよー」

 

「な、何呑気なこと言ってるの、い、犬が……」

 

拓也は再び顔を緩ませて犬を見つめ、小町はどうでもいい張り合いをする。一方の雪ノ下はどうしたらいいのかわからずおろおろしていた。

……こいつのこういう反応は珍しいな。あのアホどもは平常運転だが。

 

「ほれ」

 

がっ、と犬の首根っこを抑える。この手の動物を捕まえるのは得意なのだ。犬は悲しげな瞳をしていたが、俺を見上げるとくんかくんか俺の匂いを嗅いでから、怒涛の勢いで指をぺろぺろしだす。

 

「うおお、ぬるっとしたぁ…」

 

「あ、バカ。手を離したら……」

 

雪ノ下が焦ったように言う。が、犬は逃げ出すこともなく、俺の足元にじゃれついてからおもむろにごろーんと転がった。腹を見せてはっはっはっと舌を出している。

なんだ、この犬……、懐きすぎじゃねぇか?

 

「サ、サブレ!ごめんなさい!サブレがご迷惑を」

 

駆けつけた飼い主が犬を抱き上げ、すごい勢いで頭を下げる。

 

「おう、由比ヶ浜じゃん」

 

拓也が声をかけると飼い主は、ほへ?と不思議そうな表情で顔を上げる。その顔は間違いなく由比ヶ浜結衣だ。

 

「へ?た、たっくん?」

 

そして機械的に辺りを見渡す。

 

「え。え。あれ?ヒッキー?と、ゆきのんに小町ちゃん?」

 

「……おう」

 

「ええ」

 

「どうもー」

 

「えー!みんな集まってどうしたの⁉︎」

 

「俺たちは毎年来てる」

 

「たまたま会ったわ」

 

「右に同じ」

 

それを聞いて由比ヶ浜は安堵する。

 

「よ、よかったぁ……あたしだけ誘われてないかと思ったじゃん」

 

どうやら仲間はずれにされたと思ったらしい。

 

「なんなら、由比ヶ浜もいっしょに回るか?」

 

「もちろんもちろん!あ、じゃあ荷物とってくるから待ってて!」

 

そう言い残すと、先ほどのコーナーへと戻っていった。

 

「あ、悪い勝手に誘ったわ」

 

「いいんじゃね?」

 

「私も構わないわ」

 

「いいじゃないですか!人数は多い方がいいですから!」

 

小町よパーティーは人数が多ければいいというわけではないぞ。

 

「ところで……」

 

由比ヶ浜を待っている間、雪ノ下が口を開いた。

 

「6月18日、なんの日か知ってる?」

 

雪ノ下は試すように、俺たちを下から覗き込む。

 

「……まぁ、祝日じゃないのは確かだな」

 

俺が分からないと見えると、少し自慢げな顔をする。

 

「由比ヶ浜の誕生日じゃなかったか?」

 

「……そう、やっぱり」

 

拓也が答えると再びしゅんとした雪ノ下だったが、次の瞬間には再び自慢げな顔に戻っていた。今日のこいつは本当にコロコロ表情が変わるな。

 

「だから、日頃の感謝を込めて誕生日のお祝いをしてあげたいの」

 

「いいんじゃない?」

 

「そうか……」

 

「友達に祝ってもらえると嬉しいですしね!」

 

実際、友達に祝われると嬉しいものだ。ソースは俺。こんなポジティブなことのソースが俺になるとは、人生わからないもんだ。

 

「その、だから…つ、付き合ってくれないかしら?」

 

「「「?」」」

 

話の流れを理解できなかった俺たちは悪くないと思う。

 

 

 

 

 

 

 



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第15話

翌日、梅雨の晴れ間とも呼ぶべき晴天だった。時刻は10時ちょうどになろうかというところだ。少し早く来すぎただろうか。

 

「おいっす」

 

気だるそうな声とともに前から手を振って最初に拓也がやってくる。

 

「おう」

 

「早いな」

 

「いや、俺も今来たところだ」

 

すると今度は後ろから声をかけられた。

 

「お待たせ」

 

涼やかな一陣の風を引き連れて、雪ノ下がゆっくりと歩いてくる。

休日のスタイルなのかいつもより高い位置で括ったツインテールが風をはらんでふわりと踊っていた。

 

「来たか」

 

「ええ、では、行きましょうか」

 

雪ノ下は籐編みのバッグを持ち直しながら誰かを探すようにきょろきょろと周囲を窺った。

 

「小町なら今、コンビニ行ってるからちょっと待ってくれ」

 

「そう。……けれど、休日に付き合わせてしまってなんだか申し訳ないわね……」

 

「仕方ないだろ、俺たちとお前で由比ヶ浜の誕生日プレゼント買いに行ってもろくなもん買わないし。それに小町は喜んでたからいいんじゃねぇの」

 

「だと、いいのだけれど……」

 

と、ここでネタバラシ。

付き合ってくれというのは、単に由比ヶ浜の誕生日プレゼントを買いに行きのに付き合ってほしいと言われただけ。それも俺たちじゃなくて小町に付き合って欲しいんだと。俺たちはそのついでというわけだ。

二分ほど待っていると、手にペットボトルのお茶を握った小町が戻ってきた。

 

「およ、雪乃さんに、拓也さん!こんにちは」

 

「おいっす」

 

「ごめんなさいね。休日に付き合わせてしまって」

 

「いえいえ。小町も結衣さんの誕生日プレゼント買いたいですし、雪乃さんとお出かけたのしみですし」

 

雪ノ下に謝られて、小町はにっこり微笑む。それにしても雪ノ下はちょっとアホっぽい子に好かれるよな。拓也はちびっこに好かれるし、俺?俺はほら、あれだから。

 

「そろそろ電車来るし、行こうぜ」

 

三人を促して、俺たちは改札口へ向かう。

今日の目的地は千葉の高校生がデートスポットによく使うと噂の、みんな大好き東京BAYららぽーとである。

 

「雪乃さんはもう何買うか決めたんですか?」

 

「……いえ、いろいろ見ていたのだけれど私にはちょっとよくわからなくて」

 

雪ノ下と由比ヶ浜、センス合わなそうだなぁ……。

 

「それに私、友人から誕生日プレゼントもらったことないから……」

 

それを聞いた小町は物憂げな顔をして黙ってしまう。

 

「……ふぅ、お前はほんとあれだな。俺はちゃんともらったことあるぜ」

 

「え?嘘でしょ?」

 

「まぁ、俺があげたんだけどな」

 

「……ああ、あなたが」

 

一度は驚く雪ノ下だったが、相手を聞くと落ち着きを取り戻す。

 

「それで、何をあげたの?参考までに聞かせてくれるかしら」

 

「確か……なんだっけ?」

 

「キットカットだよ……」

 

「え?」

 

「ああそうだ、お前が誕生日って言うから家にあったお菓子あげたんだったっけか」

 

「はい?」

 

「だから、お菓子のチョコのキットカットだよ」

 

「……そんなものを?」

 

「ああ、直前まで肩たたき券か迷ったがな」

 

俺は田舎のばぁちゃんか。小遣いはやらんぞ。

 

「何を勘違いしてるかは知らないが、基本的に誕生日なんてそんなもんだろ」

 

そういう経験がない雪ノ下は興味津々に拓也の話を聞く。

 

「ありきたりだが、思いがこもってれば物なんてなんでもいいんだよ。なんなら「おめでとう」の一言でいい」

 

「そういうものなの?」

 

「いいんだよ、だちなんだから」

 

「…………」

 

それを聞くと雪ノ下は考え込むように黙ってしまった。

まぁ、実際その通りなのだ。特に俺みたいなぼっちだった人間から言わせれば、その一言は本当に嬉しいのだ。

 

「だから、物で悩むよりは、由比ヶ浜にどんな感謝を伝えるかのほうに時間をかけて悩むべきだろうさ」

 

「……そうね、そうすることにするわ」

 

雪ノ下の表情はどこか清々しさを感じた。

窓の外を眺めると、青空はどこまでも澄み渡り、夏の始まりを予感させていた。今日は暑くなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

南船橋駅から少し歩いて歩道橋を渡り終えると、そこからショッピングモールの入り口に繋がっている。

 

「驚いた……かなり広いのね」

 

「はい、なんかですね、いくつにもゾーンが分かれてるんで目的を絞ったほうがいいですよ」

 

詳しい大きさまではわからないが、近隣でも最大級のショッピングモールだけにぶらぶらしているとそれだけで一日が終わってしまう。

 

「と、なると効率重視で回るべきだな。じゃあ、俺はこっち回るから」

 

俺は案内板の右側を指さす。すると、雪ノ下が左側を指した。

 

「ええ、では私が反対側を受け持つわ」

 

よし、これで手間は半分だ。あとは小町と拓也の配置を決めてさらに効率を求めれば完璧だ。

 

「じゃあ、俺はこの奥を……って馬鹿野郎」

 

案内板を指した俺の人差し指をはたき倒す。

 

「なんだよ……っていうか指痛ぇ……」

 

ぶつくさ文句たれる俺を見て、拓也は大きなため息を吐いて、小町と一緒にアメリカ人がするような肩を竦めるリアクションをした。おい、二人してやめろ、結構ムカつくぞ。

 

「何か問題でもあるのかしら?」

 

「お前ら本当にナチュラルに単独行動とるのやめろよ……。そもそも一人だとダメだから集まったのにまた一人になってどうする」

 

「けれど、それだと回りきれないんじゃないかしら……」

 

「そもそも、回りに来たんじゃないの、誕生日プレゼント、それも由比ヶ浜の趣味を考えれば自ずと向かう場所は絞られるだろ」

 

そう言って拓也は案内板の下にあるパンフレットを取り出し開いた。

 

「小町ちゃん、どこらへんがいい思う?」

 

「んー、そうですねー、おそらくこの辺りじゃないでしょうか」

 

そう言って小町が指した場所は一階奥の「ジャッシーン」だの「リサリサ」だのといった、波紋を教えてくれそうな名前が並んでいる。

 

「じゃあ、そこ行くか」

 

俺がそう言うと、雪ノ下も別に異存はないのかこくっと頷いた。

行きがかり上、俺が先頭を進んでいるが、普段こうした場所に来ないためどうにも道に自信がない。

それは雪ノ下も同様なのか物珍しそうに右を見たり、左を見たりと忙しなく首を動かしていた。ただその顔を見る限り退屈してはいないようだ。

一方、隣の拓也は呑気に欠伸をかましていた。場慣れしている雰囲気もありどこか頼り甲斐がありそうだった。

そうこうしているうちに、右のブロックへと進める分岐点に来た。

俺はさっきの案内板を思い出しつつ、右を指しながら小町へ振り返る。

 

「小町、こっちこのまままっすぐでいいんだよな?」

 

と振り返ってみると、小町がいない。

 

「あ、あれ?」

 

代わりに見えたのは、雪ノ下が真剣な表情で凶悪な目と研ぎ澄まされた爪、そしてぎらりと光る牙を持った変なパンダのぬいぐるみをぐにぐにしている姿だけだ。

あれは東京ディスティニーランドの人気キャラクター、パンダのパンさんだ。

 

「雪ノ下」

 

声をかけるとついさっきまでぐにっていたそいつをすっと棚に戻して、雪ノ下はクールに髪を払った。これは突っ込まない方がいい気がする。

 

「小町見なかったか?どっか行っちゃったみたいなんだけど」

 

「そういえば見かけてないわね……」

 

「電話してみたらどうだ?」

 

「そうだな」

 

さっそく小町に電話をかけてみる。電話はちゃんとかかるものの、小町が出る気配はない。俺は諦めて電話を切った。

 

「出ねぇな……」

 

俺が電話している間に雪ノ下の荷物が増えていた。それ買ったんですか……。

 

「小町さん、何か気になるものでも見つけたのかしら……。さすがにこれだけの品があるとついつい見入ってしまうものも、あるわよね」

 

「ああ、お前みたいにな」

 

拓也がバッグに視線をやると、雪ノ下は唐突に咳払いをした。

 

「っとにかく。小町さんも最終目的地はわかっているわけだし、そこで落ち合えばいいでしょう。ここでうだうだしていても仕方ないわ」

 

「まぁ、それもそうか……」

 

俺は小町に「電話しろバカ。先行く」とメールを送って先へ進むことにした。

 

「……で、これ右まっすぐでいいんだよな?」

 

確認の意味を込めて聞くと、雪ノ下がきょとんとした顔になる。

 

「左ではないの?」

 

正解は右です。

 

 

 

 

 

 

周囲の雰囲気が明らかに変わった。

パステルとビビッドが入り混じった色彩の空間にはフローラルやシャボンの香りが漂い、いかにも女の子な場所に来ていた。

 

「どうやらこの辺みたいね」

 

「で、何買うんだ?」

 

「……そうね、普段から使えてかつ長期間の使用に耐える耐久性を持ったもの、かしら」

 

「あれ、電車で俺の話聞いてた?」

 

拓也の発言云々より、そもそも若い女の子に向けてのプレゼントを選ぶ基準じゃないと思うんですけど。

 

「ええ。それでも、由比ヶ浜さんには喜んでもらいたいし……」

 

雪ノ下は穏やかな微笑みを浮かべている。たぶんその表情で大喜びだと思うけどな。

 

「じゃ、さっそく選ぶか」

 

「ちょっと待って。小町さんは?」

 

ああ、そういえば連絡ねぇな。雪ノ下がああ言っている手前、小町のアドバイスは重要だろう。そう思い携帯を見るが、小町からの連絡は入っていなかった。もう一度連絡してみるか。

 

『はいはーい』

 

「あ、お前今どこにいんだよ。もう着いたぞ。待ってるから早く来いよ」

 

『え?……あー。小町買いたいものいろいろあるからすっかり忘れてたよ』

 

「妹の頭がここまで残念になっていたとは……。お兄ちゃん、ちょっとショックだよ」

 

まさか、ここまで、記憶力が悪かったなんて。どうりで暗記科目がぼろぼろなはずだよ。

 

『……ふっ、お兄ちゃんにわかれっていうほうが無理か。まぁ、いいや。ちょっと拓也さんに代わって』

 

「はぁ?なんで」

 

『いいから!』

 

小町がそう言うので渋々拓也に携帯を渡す。

 

「もしもし、…………うん、……わかった。気をつけてね」

 

短い会話を交わした後、携帯を切って俺に返す。

 

「なんだって?」

 

「どうやら、買いたいものがあるらしいってさ」

 

それくらいならわざわざ代わらなくてもよくない?小町さんや。

 

「そう……。まぁ、わざわざ休日に付き合ってもらっていたわけだし、文句を言える義理ではないわね」

 

雪ノ下は少し残念そうに言ってから、気合いを入れ直すように言葉を継ぐ。

 

「由比ヶ浜さんの好みそうなジャンルはわかったのだし、あとは私たちでなんとかしましょう」

 

わー、すごい不安だなー。

俺の心配をよそに雪ノ下はまず手近にあった服屋へと向かった。続いて拓也も雪ノ下と真剣に検分している。

俺もこいつらに倣い、お店に入ることにした。

したのだが、これはとてもじゃないが耐えられそうにない。

まず、女性客の視線が痛い。さらに俺の動きを警戒するように店員さんが移動を始める。比企谷シフトの完成だ。

な、なぜだ……。店内には俺以外にも男がいるのに!店員さん!そこの男も危険ですって!

 

「あの、お客様……。何かお探しですか?」

 

営業スマイルの下に警戒心をのぞかせた店員さんに話しかけられた。

 

「あ、いや、その……す、すいません」

 

思わず誤ってしまった。その謝罪が誤解を招いたのか、女性店員が一人増える。まずい、仲間を呼ばれた!

すぐに逃げ出さねばと思ったらところで救いの手が差し伸べられた。

 

「比企谷くん、あなた、何をしたの?試着?そういうのは家でやってくれるかしら?」

 

「いいか、雪ノ下。こうゆう場所だから出来ることもあるんだぜ」

 

「家でもここでもやらねぇよ!てか何もしてないし……」

 

拓也と雪ノ下がやってくると店員の警戒心が薄れた。

 

「あ、お連れ様がいらっしゃったんですね。ごゆっくりどうぞ」

 

店員さんは何か一人で納得したように言い残して立ち去ろうとする。

連れがいれば納得するの?連れがいなけりゃ外に出れないの俺。

 

「はぁ……。行きましょう」

 

騒がしくなったのを嫌ったのか、めぼしいものがなかったのかはわからないが、雪ノ下はそう言うと店を後にする。俺たちもそれに続く。

 

「……俺、そんな不審かな」

 

どんよりした顔の目つきは普段の俺の百倍くらい目が腐っていたと思う。さすがの雪ノ下も俺に同情したのか、俺を責めるような真似はしなかった。

 

「しゃーない、切り替えていけ」

 

「どうやら、男性客一人というのが警戒されるようね。見た限りでは皆、カップルだったようだし」

 

なるほどな。そうなると俺がここにいてもできることは何もない。それに。もう一度果敢にチャレンジする勇気もない。

 

「……じゃあ、俺あっちほうにいるから」

 

言いながらちょっと離れたベンチを指した。さすがにベンチにいれば通報されたりはしないだろう。怪しい真似さえしなければ大丈夫だ。大丈夫だよね?ね?

 

「まぁ、待て八幡」

 

「あん?」

 

拓也に肩を掴まれ振り返る。

 

「離脱はなしだ、人数が少ないと、一人一人の意見が重要になる」

 

「そうよ、私のセンスに任せるつもり?自慢ではないけれど、私の価値基準はそんじょそこらの女子高生とは違うのよ?」

 

「自覚あったんだな……。つっても、店の中、入れないしな……」

 

そう答えると、拓也の口角が上がる。

 

「逆に考えるんだ。入らなくてもいいさと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キッチン雑貨にはフライパンや鍋といった基本的な調理器具の他、鍋つかみとかマトリョーシカを模した食器セットのようなファンシー系アイテムが取り揃えられている。

 

「なるほど、たしかにここなら追い出されないな」

 

「それに、雪ノ下の条件にも当てはまる」

 

確かに、調理器具なら耐久性もあり、長く使えるだろう。あのダークマターに耐えられるのであればの話だがな。

 

「確かに、ここなら良さそうね」

 

キッチン雑貨だというのにこれがなかなか楽しい空間だった。なんだよこの鍋の蓋。ツマミの部分が開いて調味料入れらんじゃん。超魅了されるんですけど。

ホームセンターとか100円ショップもそうだけど、こういったガジェットツールは見ているだけでもテンションが上がる。

こら!拓也くん!中華鍋を振り回すのはやめなさい!

 

「比企谷くん、佐藤くん、こっち」

 

呼ばれて、行ってみるとそこにいたのはエプロン姿の雪ノ下雪乃だった。

黒い生地で胸元に小さくあしらわれた猫の足跡。腰紐がリボン状に結ばれ、それが雪ノ下の引き締まったくびれを強調していた。

 

「どうかしら?」

 

「どうって言われてもなぁ?」

 

「ああ、すげぇよく似合ってるとしか言えないんだが」

 

他に言いようがない。俺たちは素直に褒めたのだが、雪ノ下はこちらを見ずに、姿見のほうを向いて肩口や紐、裾を気にしていた。

 

「……そう、ありがとう。けれど、私のことではなくて。由比ヶ浜さんにどうかしら、という意味よ」

 

「だとしたら似合わないだろ」

 

「あいつの場合はもっとふわふわぽわぽわした頭悪そうなもののほうが喜ぶんじゃないの」

 

「ひどい言い草だけれど、的確だから反応に困るわね……」

 

雪ノ下はそう言いながら、今しがた着ていたエプロンを脱いで丁寧に畳始めた。

 

「となると、だいたいこの辺りかしら」

 

畳んだエプロンを抱えたまま、次の獲物に目をつける。今度はポケットの数だの素材だのを確認する。なるべく石綿とか燃えないやつがいいと思うぞ。

 

最終的に雪ノ下が選んだのは薄いピンクを基調とした装飾の少なめなエプロンだった。

 

「これにするわ」

 

「ああ、いいんじゃないの」

 

両脇に小さなポケットが一つずつあり、お菓子とか入れ放題っぽくて由比ヶ浜には似合いそうだ。

 

雪ノ下はピンクのエプロンを畳み、レジへと向かう。手にあるのはピンクのエプロンと、黒のエプロン。

 

「お前、さっきのぬいぐるみといい、自分の買い物もちゃっかりしてんのな」

 

「……エプロンは買う予定になかったのだけれどね」

 

「衝動買いか。まぁ、買い物にはよくあることだな」

 

「ああ、だけど、何でもかんでも買うもんじゃないぞ」

 

全くその通りでだ。帰ってからなんで買ったんだろうなんてよくあることだ。それはそうと、手に持っている袋の中の中華鍋は衝動買いじゃないよね?

 

「…………」

 

雪ノ下は何か言いたげに口を開くが、言いかけてやめる。俺たちのほうをちらっと見てからふいっと視線を外すと、そのままレジへ行ってしまった。

 

 

 

 

 

俺はペットショップでグッズを買い、会計を済ませる。横に雪ノ下と拓也の姿はない。別に俺を置いて帰ってしまったわけではない。俺の買い物先がペットショップと知るやいなや別行動を許可されただけである。なんとも現金なやつらだ。

連絡を入れようか迷ったが、こういう場所であいつらが行くところなど限られている。俺はペットグッズコーナーを抜けて、ケージのほうへ向かう。

すると、当然のようにそこにいた。お互いそう遠くない位置にいる。雪ノ下は口元に柔らかい笑みを湛えて、膝を抱えるように座り、子猫を撫でたりもふったりしている。一方の拓也は忙しなく動き回り、動物を満遍なく愛でていた。動物を見ると顔がゆるゆるになるのはどうやらデフォルトのようだ。

なんとも幸せそうなこいつらを見ていると声をかけづらい。

どうしたものか、と思っていると、雪ノ下の撫でていた猫が耳だけ俺の方向に向ける。その動きにつられて雪ノ下も振り返った。

 

「あら、早かったのね」

 

「悪い」

 

果たしてそれは「待たせて悪い」なのか「早く来て悪い」なのかは俺にも判然としないが、とりあえず謝った。

 

「終わったか」

 

俺たちのやり取りで気づいたらしく、顔の緩みを直し、そう言いながら拓也はこっちにやってくる。

 

「で、何を買ったの?だいたい想像はつくけれど」

 

「まぁ、お前が思ってるもんだよ」

 

「そう」

 

淡白に答えたが、雪ノ下の顔は若干満足げだった。

 

「けれど、意外だったわ。あなたが由比ヶ浜さんへのプレゼントを買うなんて」

 

言われて俺は少し答えに詰まる。

 

「……別に。友達だからな」

 

「……何かいいことでもあったのか?八幡」

 

俺にだけ聞こえるようにそう言うこいつの顔はなんとも優しい表情だったが、俺としてはどこか見透かされているような気がして少し恥ずかしかった。

 

「なんでもねーよ。用事も済んだし、帰ろうぜ」

 

時間はだいたい二時といったところだ。意外と長い間過ごしてしまった。出口に向かう道すがら、家族やカップル向けのゲームコーナーがあった。俺には無縁なものだと思い、さっさと通り過ぎようとしたとき、雪ノ下が足を止めた。

 

「どした?ゲームでもしたいのか?

 

「ゲームに興味はないわ」

 

そう答えるものの、雪ノ下の視線はクレーンゲームに釘付けになっている。……いや、よく見ると違う。どいやら一台のクレーンゲームにのみ向けられている。

その台には見覚えのあるあのぬいぐるみが入っている。

 

「……やってみるか?」

 

「結構よ。別にゲームがしたいわけではないもの」

 

「やってみろよ、多分お前には無理だぞ」

 

「あら、なかなか言うじゃない。私を見くびっているのかしら?」

 

拓也の物言いにかちーんときたのか、いつもの冷気が漏れ出す。

 

「いや、こういうのは慣れないと取れないんだよ」

 

こいつの言う通りで、このタイプのクレーンゲームは初めてやって取れるものではない。小町がひたすら小銭を入れ続ける姿はなんとも憐れだった。

しかし、はいそうですかと引き下がる雪ノ下ではない。

 

「なら、慣れればいいでしょう」

 

そう言ってコイン投入口の横に百円玉を積んだ。

雪ノ下はゲームをスタートし、なかなかの位置にクレーンを持ってきた。そして、クレーンはぬいぐるみを掴み上げようとした。

 

「……もらった」

 

小さく声が聞こえた。見ると拳を握って、うしっと僅かに動かしている。

だが、クレーンはぬいぐるみを落とすと、そのままもとの位置に戻っていった。

 

「な?」

 

拓也の声など聞こえはしないのか、雪ノ下は思いっきりクレーンを睨みつけていた。

 

「……ちょっと、完全に掴んでいたでしょう?どうしたらあそこで外れるのかしら?」

 

そう言うと雪ノ下は罪のないクレーンちゃんに詰め寄る。怖いです。

諦めがつかないのか、ムキになっているのかはわからないが、雪ノ下は手元のコインを迅速に投入していく。おいおい、まだやんのかよ……。

 

「……お前、へったくそだな」

 

「なっ……。そこまで言うなら、あなたは相当うまいのでしょうね?」

 

「ま、お前よりはな。ちょっとどいてみ」

 

拓也がそう言うと、雪ノ下は疑り深い目ながらも渋々場所を空ける。

 

「お前は馬鹿正直に取りすぎなんだよ」

 

その言葉とともに拓也の手が動かされる。先程から雪ノ下が描いていた軌道から大きくそれ、独自のルートを開拓していく。

雪ノ下が使うことがなかった第3のボタン回転を使い、ぬいぐるみの頭部にクレーンを持っていく。そのまま振り下ろされた鉄の腕はぬいぐるみを確実に捉え、穴へと落下させた。

長々と語ったが、要はアームで押して取ったのだ。

 

「ほら、やるよ」

 

取り出し口から取り出されたパンさんを雪ノ下へと渡す。

 

「……これを手に入れたのはあなたよ、それはあなたが貰うべきだわ」

 

こんな些細なことでも雪ノ下は筋を通そうとする。なんとも真面目というか、頑固と言うか、いや、この場合は偏屈か。

 

「いや、俺、これいらないし。そもそも対価を払ったのはお前だ。それでも受け取らないなら置いていくしかないな」

 

「……その言い方はずるいんじゃないかしら」

 

「素直に受け取らないお前が悪いっての」

 

今度こそ拓也からぬいぐるみを受け取ると、再び拓也をちらっと見た。

 

「……。返さないわよ」

 

「いや、いらんって」

 

そんな凶悪なぬいぐるみ誰が欲しがるっつーんだよ。

それに、そんな大事そうに抱きかかえられちまったら返せなんてこいつも言えないだろうよ。

俺が微笑み混じりで見ていたのに気づいたんだろう。顔を背ける雪ノ下の顔はわずかに朱に染まっている。

 

「……似合わないかしら。こういうのは由比ヶ浜さんや戸塚くんのほうがイメージに合うものね」

 

「前者はともかく後者は同意だ」

 

戸塚にぬいぐるみなんて、あんぱんと牛乳ぐらいのベストマッチじゃねぇか。

 

「別に、似合わないとかねぇだろ、趣味なんて人それぞれだ」

 

……やっぱいいもんだよ、どんな話題を振ろうが否定から入んないこいつといるのは。

 

「八幡の女装趣味だって、立派なもんだろ、普通、店内で堂々と出来るもんじゃない」

 

前言撤回だ、どうやってぶち殺してやろうかこいつ。

 

「誰が女装趣味だ。取り消せよ、今の言葉!」

 

「断じて取り消すつもりはない」

 

今回は敗北者ムーブをしてしまった俺の負けだろう。このままいけば胸を穿たれて精神的に死んでしまう。

 

「……ふふ」

 

俺たちの会話を聞いていた雪ノ下が小さく笑った。

 

「……やっぱり、変わってるわ、あなたたち」

 

続けて囁くように呟いた。

 

「……昔、誕生日プレゼントで貰ったのよ。パンさん。そのせいで一層愛着があるのかもしれないわ……だ、だから、その」

 

突然の雪ノ下の独白に困惑する俺だったが、その気持ちはわかる。最近どっかの誰かさんもしたらしいしな。

そのどっかの誰かさんのように何かさっきの会話にきっかけがあったのだろうさ。

 

「その……取ってもらえて、」

 

眼差しを拓也へと向けた雪ノ下が何かを言おうとした直後だった。

 

 

 

「あれー?雪乃ちゃん? あ、やっぱり雪乃ちゃんだ!」

 

 

 

無遠慮な声が雪ノ下の言葉を遮った。

なんだか聞き覚えのあるような、誰かによく似た声の主を見つけ出して俺は絶句した。目の前にいるのはとんでもない美人だった。その美人は友達と遊びに来ていたのだろうか、後ろにわらわらといた男女数名に「ごめん、先行って」と拝んで謝るような仕草を送る。

 

「姉さん……」

 

さっきまでの無防備な表情とは打って変わって慄然とした様子の雪ノ下の声に振り向くと、雪ノ下はぬいぐるみをぎゅっと強く抱きしめ、肩を強ばらせていた。

 

「は? 姉さん? は?」

 

俺は目の前の女性と雪ノ下を見比べる。

確かに雪ノ下と似ている。雪ノ下がソリッドな美しさだとすれば、目の前の女性はリキッドな魅力に溢れていた。

 

「こんなところでどうしたの?ーー二人も男の子連れちゃって!このこのっ!」

 

「………」

 

雪ノ下姉はうりうり〜と雪ノ下を肘でつついて、からかい始めた。が、雪ノ下は冷めきった表情で鬱陶しそうにしているだけだ、

どうやら似ているのは見た目だけで、性格はだいぶ違うらしい。

 

「ねぇねぇ、どっちが雪乃ちゃんの彼氏?彼氏?」

 

「……違うわ、二人とも同級生よ」

 

「まったまたぁ!別に照れなくてもいいのにっ!」

 

「………」

 

雪ノ下が姉を超睨みつける、にもかかわらず姉のほうはニヤニヤ笑って受け流しているし。

 

「雪乃ちゃんの姉、陽乃です。雪乃ちゃんと仲良くしてあげてね」

 

「はぁ。比企谷です」

 

名乗られたので名乗り返す。どうやら姉の名は雪ノ下陽乃という名前らしい。ちぃ覚えた。

 

「比企谷……。へぇ……」

 

陽乃さんは一瞬考えるような間を取り、俺の爪先からてっぺんまでざっと流し見た。その刹那ぞっとするほどの寒気が襲ってくる。

 

「比企谷くんね。うん、よろしくね♪」

 

が、にっこりと微笑むとそれも解ける。なんだ、……今の。

 

「君は?」

 

「どうも、佐藤と言います」

 

そう自己紹介するが、そこにいたのは俺の知る佐藤拓也ではなかった。拓也を知る俺だからこそわかる、外面を完璧にした気持ちの悪い笑顔だった。

 

「………へぇ、君、面白いね」

 

陽乃さんは俺と話した時と雰囲気ががらりとかわる。何?いきなり戦争でも起きるの?

 

「うん、佐藤くんね、よろしくね♪」

 

先に切ったのは陽乃さんの方だった。同時に重たい空気がなくなる。

俺たちは訝しげな視線を陽乃さんに向けていると、陽乃さんはその視線を雪ノ下へと戻した。

 

「あ、それ。パンダのパンさんじゃない?」

 

弾んだ声と一緒に、陽乃さんの手がぬいぐるみへと伸びた。

 

「わたし、これ好きなんだよねー!いいなーふわっふわだなぁ雪乃ちゃん羨まし」

 

「触らないで」

 

ぴりっと耳の奥が痺れるような強い声だった。その声からは込められた拒絶の意思がありありと伝わった。

 

「……。わ、わぁびっくりした。ご、ごめんね雪乃ちゃん、そ、そっか彼氏さんからのプレゼントだったのかな、お姉ちゃんちょっと無神経だった」

 

「いや、俺たちただの同級生なんですけど」

 

「お、ムキになっちゃってぇ。雪乃ちゃん泣かせたらお姉ちゃん許さないぞっ」

 

陽乃さんは俺をたしなめるように人差し指を立てると、それを俺の頰に押し付ける。ちょっ、痛ぇっつーの、近い、近い近い!

 

「姉さん。もういいかしら。特に用がないなら私たちはもう行くけれど」

 

そう雪ノ下が言っても陽乃さんは聞く耳持たず、俺にうりうりし続ける。

 

「ほれほれ言っちゃえよー!どっちが付き合ってるんですかー?」

 

「ちょ、マジやめて

 

「いやー、申し訳ないんですけど、そいつ離してもらってもいいですか?どうにも嫌がってるみたいなので」

 

相変わらず気持ちの悪い笑顔でそう問いかける。瞬間、陽乃さんの表情が崩れる。その時、どこか違和感を覚えた。

 

「そうよ、姉さん、いい加減にしてちょうだい」

 

続けて雪ノ下も苛立ちを隠そうともせず、すっと髪を搔き上げると、陽乃さんに侮蔑の視線を突き立てた。

 

「あ……ごめんね、ちょっと調子に乗りすぎた、かも」

 

申し訳なさそうに、力なく笑う。そして、陽乃さんはこそっと俺に耳打ちをする。だから、近いって。

 

「ごめんね? 雪乃ちゃん、繊細な性格の子だから。……だから、比企谷くん、ちゃんと気をつけてあげてね」

 

このとき、決定的な違和感に襲われた。俺は思わず、その場で仰け反ってしまう。すると、陽乃さんにはそれが意外な行動だったのか、上半身ごと右に傾け、目を瞑ってうーん?と考える。

 

「わたし、今嫌がらるようなことしちゃったかな?だったら、ごめんね」

 

ちろっと舌を出して陽乃さんが謝る。その庇護欲をそそる姿に急速に罪悪感が襲ってくる。何か、何かいい訳を!

 

「あ、いや別にそんなんじゃ、ほら、その、俺耳弱いんで」

 

「比企谷くん、初対面の女性に性癖を晒すのはやめなさい、訴えられても文句言えないわよ」

 

雪ノ下は頭痛でもするのか、そっと額を抑えている。

 

「あは♪ 比企谷くんもおもしろーい!」

 

何がツボにはまったのか知らないが、陽乃さんは爆笑して俺の背中を叩いてくる。だから近いって。

 

「あ、そうだ、二人とも良かったらお茶しない?お姉ちゃんとしては雪乃ちゃんの彼氏にふさわしいのがどっちか、よく知っておかないといけないのです」

 

そうは言うが、向いている目線は俺ではなく拓也だった。

 

「お気持ちは嬉しいですけど、今回は遠慮させていただきます」

 

笑顔を崩すことなくそう切り返す。

 

「……ふぅん、そっかそっか」

 

まただ、ほんの一瞬だが、表情が崩れた。

 

「……しつこい。同級生だと言っているでしょう」

 

そこに再び放たれる雪ノ下の絶対の拒絶。だが、今度のそれはにやっと笑って跳ね除けてみせた。

 

「だって、雪乃ちゃんが誰かとお出かけするのなんて初めて見たんだもん。そしたら彼氏だって思うじゃない?それが嬉しくて」

 

くすくす、と陽乃さんはおかしそうに笑った。

 

「せっかくの青春、楽しまなきゃね!あ、でもハメ外しちゃだめだぞ?」

 

陽乃さんは冗談めかすように、右手の人差し指を立てて注意した。そのまま雪ノ下の耳元に顔を近づけると、小さく囁く。

 

「一人暮らしのことだって、お母さんまだ怒ってるんだから」

 

その「お母さん」という単語が出た瞬間、雪ノ下の身体が強張った。

一瞬の間を置き、雪ノ下は確かめるようにぬいぐるみを抱く。

 

「……別に、姉さんには関係のないことよ」

 

正面を向けず、地面に向かって話すように雪ノ下はしゃべる。いつだって真っ向から立ち向かってきた雪ノ下雪乃が。誰にも屈せず下を向いたことなどない雪ノ下雪乃が。

ふっと、口元だけで陽乃さんが笑う。

 

「そっか、そうだね。お姉ちゃんには関係ないね」

 

そう言うと、陽乃さんはその場を飛び退くようにして離れた。

 

「雪乃ちゃんがちゃんと考えてるならそれでいいんだ。余計なお世話だったかな。ごめんごめん」

 

へへっと誤魔化すような笑みを浮かべてから陽乃さんは俺たちに向き直る。

 

「比企谷くん、佐藤くん。どっちかが雪乃ちゃんの彼氏になったら改めてお茶、行こうね。じゃ、またね!」

 

最後にぱあっと華やぐような笑顔を浮かべて、てとてとと去っていった。彼女の輝きは本物なのか、目を逸らすことができず、結局俺は陽乃さんが完全に見えなくなるまで見送ってしまった。

そして、俺たちもそれに合わせて歩き始めた。

 

「お前の姉ちゃん、すげぇな……」

 

思わずそう漏らすと、雪ノ下が頷く。

 

「姉に会った人は皆そう言うわね」

 

「だろうな、わかるわ」

 

拓也の表情はいつのまにか戻っていた。

 

「ええ。容姿端麗、成績最高、文武両道、多芸多才、そのうえ温厚篤実……およそ人間としてあれほど完璧な存在もいないでしょう。誰もがあの人を褒めそやす……」

 

「はぁ?そんなのお前も大して変わらんだろ。遠回しな自慢か」

 

俺がそう言うと、雪ノ下はぽかんとした顔で俺をふり仰ぐ。

 

「そうだな、そうじゃなくて、あの外装だよ。ガンダムで言えばモビルアーマーとでも言っておこうか」

 

お前本当ガンダム好きな。

 

「お前の姉ちゃんの行動、モテない男子の理想みたいな女だよな。気軽に話ができて、人当たりよくて、だからこそどこか嘘くさい」

 

「……あなたたちの言う通り、あれは姉の外面よ。私の家のこと、知ってるでしょ?仕事柄、長女である姉は挨拶回りやパーティーにつれ回されていたのよ。その結果できたのがあの仮面……。よくわかったわね」

 

「ああ、親父に教えられてるんだ。初対面の相手に対してやけに距離が近い相手には警戒しろってな。それに、お前のあの気持ち悪い笑顔も割と決定的だった」

 

「…………ま、気をつけろって警告だよ」

 

そうは言うが、どこか言葉に詰まった様子だった。

 

「はぁ……。佐藤くんはまだしも、姉もまさかあなたに気づかれたなんて思ってもいないでしょうね」

 

馬鹿とはなんだ馬鹿とは立派な先人の知恵と言ってもらいたい。

 

「……帰りましょうか」

 

雪ノ下が小さな声で言い、俺たちは頷く。

それから俺たちは、一言も交わさずに家路へ着いた。

降りる駅に着き、改札を抜けた先で、雪ノ下が一瞬立ち止まった。

 

「私、こっちだから」

 

そう言って南口を指さす。

 

「俺もだ」

 

「そうか。じゃあ」

 

そう答えて俺も北口へ向かおうとした。その背中に小さく声をかけられる。

 

「今日は楽しかったわ。それじゃ」

 

思わず自分の耳を疑ってしまった。急いで振り返ると、雪ノ下はもう歩き出していた。こちらを振り返る素振りも見せなかった。

……あ、小町。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡と改札で別れ、俺は雪ノ下と帰路に着いた。

 

「なんだよ、楽しかったのか?」

 

「……ええ、そうね、こういうのは初めてだったから」

 

これは恐らく紛れも無い本心だろう。ここで虚偽を言う雪ノ下雪乃ではない。

 

「ところで、あなた、あの笑顔はなんだったの?」

 

「あん?……ほら、八幡への注意としてだな」

 

「その割にはやけに姉さんの方ばかり見ていたような気がしていたのだけれど」

 

ジト目で雪ノ下に睨まれる。ちくしょう、バレてらぁ。

 

「……まあ、なんだ、ちょっとした嫌がらせだよ」

 

「嫌がらせ?」

 

そんな回答が返ってくるとは思ってなかったのか、心底不思議そうな顔をする。

 

「ああ、お前が嫌そうにしてたから、意趣返しとしてお前の姉ちゃんとおんなじ外面で接してみたんだよ」

 

「……そんな理由で姉さんを挑発した人は初めてよ」

 

「大丈夫だろ、どうせもう会わないだろうしな」

 

あんな人とぽんぽんあってたらこっちがもたねぇわ。あんだけ挑発しちゃったし。会わないよね?

 

「……でも」

 

そう言うと雪ノ下は足を止めてこちらを見据える。その姿は沈みゆく太陽と相まって、見事な絵になっていた。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

……別にお礼を言われたいから挑発したわけではない。なんならあの外装を壊してみたいという好奇心も多少あった。それでも、笑顔の雪ノ下を見ると、この笑顔を見るために動いたのではないかと錯覚してしまう。

 

「別に、普通だろ、友達だしな」

 

「……友達なのかしら?」

 

そこは肯定してくれないのね。

なんとも締まらないが、俺たちらしくていいんじゃないだろうか。

……あ、小町ちゃん。

 

 

 

 

 

 



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第16話

林間学校編は予約投稿で今日中に一気に出します
誤字脱字報告ありがとうございました。


朝から蝉の声がうるさい。

つけっぱなしのテレビからは夏一番の猛暑だとか。お前ら毎日それ言ってねぇか。

夏休みが始まって二週間足らず。昼まで寝て、「ペット百科」観て「夏休みこどもアニメフェスタ」を観て、思い出したかのように書店に出かけて、午後は読書か勉強、後はあいつと遊ぶか。

例年と比べてここ2年は新しい工程が増えたが、それを含めこの暮らしぶりを結構気に入っている。

こうも一日中ぐーたらしていると、俺は結構な時間を奉仕部に奪われていたのだと痛感する。だが、夏休みまでは手が出せなかったようだな。フゥーッハハハハハッ!

と、ソファに沈み込み、携帯ゲーム機で遊びながら高笑いしていると携帯が鳴った。アマゾンか、あいつからかと1人で二分の一の賭けをしながら机の上の携帯を取った。

画面を見ればメールが一通。

差出人は平塚先生。

メール画面を閉じた。

ふぅ、これでよし……。一仕事終えた爽快な気分で俺はまたソファへ戻る。スリープ状態にしてあった携帯ゲーム機を再び手にした。最近のゲーム機はわからん機能がやたらめったらついてきて困る。企業の皆様にはシンプルイズベストの言葉を送りたい。

また携帯が鳴った。

なんだよ、携帯を取りに行くと今度はやたら長くなっている。電話のようだ。

さっき来たメールの時間差からして平塚先生だろう。一度無視した手前、ここで出ると責められる可能性があるので再び放置することを選択。そのうち諦めたのか、俺の携帯電話はぱたりと止まった。

と、安心したのも束の間、今度はすっごい短時間に集中してメールが来る。なにこれ怖い。この人彼氏とかにもこうだったんじゃなかろうか。おそるおそる最新のメールを開く。

 

差出人:平塚静

題名「平塚静です。メール確認したられ んらくをください」

本文「比企谷くん、夏休み中の奉仕部の活動について至急連絡をとりたいです。折り返し連絡をくださ い。もしかしてまだ寝ていますか(笑) 先程から何度かメールや電話をしています。本当は見ているんじゃないですか。

ねぇ、見てるんでしょ?

でんわ でろ」

 

怖い!怖いよ!

平塚先生が結婚できない理由の一端を垣間見た気がした。

俺はさっさと携帯の電源を切ってしまい、人心地ついく。すると、ちょうど小町が二階から降りてきた。

 

「休憩か?」

 

「うん、感想文と自由研究以外は大体終わった〜」

 

「おつかれ。なんか飲むか?コーヒーか麦茶かMAXコーヒーか…」

 

「コーヒーとMAXコーヒーは別物なんだ……。じゃあ麦茶で」

 

MAXコーヒーはコーヒーに入らない。常識だ。俺はキッチンへ行き、冷蔵庫からよく冷えた麦茶のボトルを取り出し注いでやった。

 

「ほい」

 

「ほいさ」

 

小町は両手で受け取ると、勢いよく飲み干し、コップを置いた。

 

「さて、お兄ちゃん」

 

小町が急に真面目な顔になった。

 

「小町はすごく頑張って勉強しました」

 

「まぁ、そうだな。まだ全部終わってないけど」

 

それでも、この数日で宿題のほとんどを終わらせたのは頑張ったといっていいだろう。

 

「頑張った小町には、自分へのご褒美があっていいと思うのです」

 

「お前は丸の内OLか」

 

それにしても、「自分へのご褒美」という言葉から滲み出る、独身女性臭はいったいなんなんのだろう。

 

「とにかくご褒美が必要です。だからお兄ちゃんは小町と一緒に千葉へ行かないといけないのです」

 

「お前の理論すげぇな。鳥人間コンテスト優勝できるレベルで飛躍したぞ」

 

言うと小町はむーっと膨れた。どうやらここで俺にノーの選択肢はないらしい。

 

「まぁ話はわかったよ。なんか欲しいものでもあんのか?あんま高いもんは無理だぞ、財布に400円しかない」

 

「安いのも無理じゃん……。別に物が欲しいんじゃないよ。お兄ちゃんと出かけられればそれで充分だもん。あ、今の結構小町的にポイント高い!」

 

「うぜぇ……」

 

どうやら、別に物をねだられているわけではないらしい。ようはぱっと気晴らしに遊びに行きたいのだろう。

 

「千葉で何するかしらんが、一緒に行くくらいなら別にいいぞ」

 

「おお、ありがと。んじゃ、小町準備してくるから。お兄ちゃんも動きやすい格好に着替えてね」

 

動きやすい格好。はて、ボウリングでもすんのかね。俺はTシャツにジーパン、上に羽織るシャツを適当に見繕う。靴下を履いていると小町がパタパタと家中をひっかき回していた。

 

「んしょっと」

 

小町はキャスケットをぐいと被ると俺に振り返る。

 

「よし、レッツゴー」

 

そう宣言すると小町は両手に荷物を抱える。バッグが二つ。中身もきっちり詰まっているようでそこそこの重さがありそうだ。出かける前に戸締りをしっかり確認して駅に向かう。

 

「っつーかさ、この荷物、なに。俺なに運ばされてんのこれ。ヤク?みつる?」

 

俺は歩きながら手に持ったバッグを指さして小町に尋ねた。

 

「ヒ・ミ・ツ♪」

 

ついでにウィンクが飛んできた。

 

「うっぜぇー」

 

携帯を弄りながら歩く小町を歩道側に寄せつつ、小町と同じ速度で駅まで歩いた。

駅について、改札に向かおうとすると小町にくいくいと裾を引かれた。

 

「おにいちゃん、こっちこっち」

 

「あ?千葉行くなら電車に……」

 

と言いかけて、振り返る。小町はそんな俺をぐいぐいと引っ張っていく。バスロータリーまで連れられると、目の前に謎のワンボックスカーが止まっている。

運転席のドアの前には、黒い影。

ーー嫌な予感しかしない。

 

「さて……、電話に出なかったいいわけを聞こうか。比企谷八幡」

 

わぁ、怒ってらっしゃる……。

 

「いや……、うち電波が不安定なんですよ。たぶんあの社長の髪の毛の量とアンテナの量に何か関連性があると思うんですけど。ほんともう会社の名前からして軟弱だと思ってたんですよ、なにがソフトなんだよ!」

 

「お兄ちゃん、消されるよ……。正義の名のもとに制裁されちゃうよ……」

 

小町が俺の身を案じて止めにかかる。大丈夫だ。あれでなかなかいい奴だから。

 

「ふぅ、もういい。最初からまともな言い訳など期待してないからな……」

 

じゃあ最初から聞かないでくださいよ…。

 

「なに、事件や事故に巻き込まれていないならそれで結構。以前のこともあるから、少し心配していたのだよ」

 

「……先生」

 

おそらく俺が交通事故にあった一件のことだろう。なんというか……真面目でいい人なんだよな。

 

「いろいろと手を回して君の妹に連絡がとれて私も一安心だ」

 

「……怖い」

 

やり方がストーカーとほぼ同じじゃねぇか!怖い、怖いよ、俺はあんたが怖いよ先生。

 

「っつーか、なんか用っすか。俺、これから妹と千葉行くんすけど」

 

そう言うと平塚先生は意外そうにぱちぱちと瞬きをした。

 

「なんだ、まだメールを読んでいなかったのか。我々も千葉に行くんだよ、奉仕部の活動としてな」

 

「はぁ?」

 

そんな内容のメールが来てたのか。最初に開いたのがヤンデレめいたメールだったせいで怖くて電源切っちゃってたからな。一応見ておこうと思い携帯を取り出すと、背後から声をかけられた。

 

「ヒッキー。遅いし」

 

振り返ると、由比ヶ浜がいた。やたらピンク色なサンバイザーに裾の短いTシャツにホットパンツと夏のために生きているような格好だ。

その由比ヶ浜に隠れるようにして雪ノ下が立っている。

立ち襟のシャツに、雪ノ下にしては珍しいジーンズ姿。肌の露出は少ないが、その表情からは清涼感が出ていた。

遅れるようにして、その後ろからパンパンに膨れ上がったコンビニ袋を手に拓也がやってきた。

 

「え、なんでお前らいんの?」

 

「なんでって、部活じゃん。小町ちゃんに聞いたからここ来たんじゃないの?」

 

けろりとした顔で由比ヶ浜が言う。……ははぁ、なんとなく話が見えてきたぞ。平塚先生は俺を部活に誘い出そうとしたが、無視しまくったから由比ヶ浜に連絡して、さらに小町に連絡したという流れだな。

くそっ!卑怯だぞ!妹への愛情を利用するだなんて!

だが、この場合一番卑怯なのは俺に真実を告げずに連れ出した小町なんじゃないだろうか。

当の小町はといえば、三人の姿を見つけて元気溌剌に挨拶する。

 

「結衣さんっ! やっはろー!」

 

「小町ちゃん、やっはろー!」

 

その挨拶流行ってんのか。バカっぽいからやめろ。

 

「雪乃さんもっ! やっはろー!」

 

「やっ…………こんにちは、小町さん」

 

雪ノ下もつられていいかけたようだが、ぎりぎりで我に返ったらしい。

 

「拓也さんっ!……大丈夫ですか?」

 

「ああ、小町ちゃん、大丈夫だよ」

 

パンパンのコンビニ袋を地面に置いて、少し息を荒げている。状況から察するに荷物持ちをしているのだろう。させられたのか、やっているのかはわからないが。

 

「……覚えていろよ、雪ノ下」

 

誰にも聞こえないよう呟いたであろう言葉を聞いた俺は、前者だと悟ると同時に、同情を覚える。荷物持ちご苦労。

 

「暑いですし、ちゃっちゃと終わらせません?」

 

これ以上崩れ落ちた友人を見ていられなかった俺は平塚先生に声をかけた。

 

「そう急くな。今最後の一人が来る」

 

そして、駅の階段から下りて、こちらに向かってくる人影。きょろきょろと周りを見渡すその姿を見て、一瞬で誰か悟る。

 

「八幡っ!」

 

息せき切らせながらも、戸塚がにこにことした朗らかな笑顔を向けてくる。真夏の太陽よりも眩しい。戸塚可愛い。略してとつかわいい。

俺の横にいた小町がぴょいと歩み出して、戸塚に挨拶する。

 

「戸塚さん、やっはろー!」

 

「うん。やっはろー」

 

なにそれ可愛い。もっと流行らせようぜ。

 

「戸塚も呼ばれてたのか」

 

「うん、人手が足りないからって。でも……ぼく、行っていいのかな?」

 

「いいに決まってるだろ!」

 

断言した。

しかし、戸塚を呼ぶとか平塚先生もなかなかわかってるじゃないか。グッジョブ。これで全員揃ったわけだ。……全員。

俺はきょろきょろと周りを見渡す。

 

「材木座は?」

 

「……誰?」

 

雪ノ下がきょとんとする。すると、平塚先生がふむと思い出したように説明する。

 

「彼にも声はかけたが、激闘がどうのコミケがどうの締め切りがどうのと断られた」

 

おお、材木座まじか。断るなんて選択肢があるだけ羨ましい。

 

「さて、では行くか」

 

平塚先生に言われ、俺たちはワンボックスカーへと乗り込もうとする。ドアを開けてみると、ワンボックスカーは七人乗りだった。

運転席、助手席。最後部に三席、間に二席。

 

「ゆきのん、おかし食べよおかし」

 

「それは向こうへ着いてから食べるものではなかったの?」

 

由比ヶ浜と雪ノ下はもう一緒に座る気でいるらしい。

ということは……。

ほう。つまり、戸塚と小町のサンドイッチで約束された勝利の剣ですね。

意気揚々と乗り込む俺の襟が掴まれる。

 

「比企谷は助手席だ」

 

「え、ちょ、なんで⁉︎」

 

「悪いな八幡、ここは三人用なんだ」

 

おいこら、そのスネ夫顔やめろ。

 

「か、勘違いするなよ⁉︎ べ、別に君と並んで座りたいわけじゃないぞ⁉︎」

 

おお、こっちはこっちでツンデレがいる。年齢さえ無視できれば可愛い。

 

「助手席が死亡率が高いってだけなんだから!」

 

「あんた最低だ!」

 

全員車に乗り込んだのを確認し、先生と俺がシートベルトを締める。そして、平塚先生はイグニッションを回し、アクセルを踏んだ。

見慣れた地元の駅を離れ、ワンボックスカーは進み始める。千葉へ行くなら、ここから国道14号の方へ出るのが早いだろう。

が、平塚先生の運転する車はなぜかインターチェンジに向かっていた。

 

「あの、千葉に行くんじゃ……」

 

俺が問うと、平塚先生はニッと笑った。

 

「逆に聞こう。いったいいつから千葉駅に向かうと錯覚していた?」

 

「いや、錯覚もなにも千葉行くって言ったら普通は千葉駅のほうを……」

 

「千葉駅かと思った? 残念! 千葉村でした!」

 

「なんですかそのアレなテンション……」

 

久しぶりに人と接したとき、なずか無闇にテンションが上がってしまうことがある。時間の隔たりがそうさせるのだろうが、翌日振り返って自己嫌悪に陥るアレだ。平塚先生が明日落ち込んでないといいけど。

それにしても千葉村ねぇ……聞き覚えがあるな……。なんだったか。

 

 

 

 

 

 

 

視界に山の稜線が飛び込んできた。

 

「おお、すげぇ。山だ」

 

「ほんと。山ね」

 

「ふむ。山だな」

 

「ああ、山だとも」

 

俺がこぼしたつぶやきに、順に雪ノ下、平塚先生、拓也がおうむ返しに頷いた。……最後なんかちょっと違くない?

日々、広大な関東平野に抱かれて暮らす千葉人にとって山は珍しいものだ。あの無感動そうな雪ノ下ですら、感嘆のため息を漏らすほどだ。それきり車内は静かになる。

由比ヶ浜は雪ノ下の肩に頭を乗せてくぅくぅと寝息を立てている。首をさらに巡れば最後列の小町と戸塚は拓也の両肩に頭を乗せて眠っていた。出発した最初のほうはトランプやウノやらで騒いでいたが、飽きたらしい。俺なんてその間、平塚先生の相手をさせられていたんだぞ……。

けど、こういう光景はなんだか懐かしいな。

窓の外を流れる景色を見ていて、強烈な既視感に襲われる。

……思い出した。

 

「そうか……。千葉村って中学のとき、自然教室で行ったところだ……」

 

「確か、群馬県にある千葉市の保護施設、だったわね」

 

雪ノ下が補足するように言った。

 

「ああ、お前も千葉村行ったの?」

 

「私は三年のときにこちらへ戻ってきたから、自然教室には参加していないの。卒業アルバムのおかげで行事の存在は知っているけれどね」

 

「戻ってきた?どっか行ってたのか?お前」

 

眠そうな顔をしながら拓也が問う。

 

「留学していたのよ。前に言わなかったかしら。記憶容量がフロッピーディスク並なのね」

 

「まぁな。磁石とか向けんなよ、忘れちゃうからな」

 

「君たちの年齢でフロッピーディスクは普通知らないだろ……」

 

平塚先生が呆れたように言った。が、ちょっと前の型のPCならぎりぎりFDドライブついてたりすんだよな。

 

「いや、たぶん生まれた前後くらいはまだあったと思いますよ」

 

「よく覚えているな。MO並みの記憶力だ」

 

話に乗っかり、うまいことを言ったように平塚先生はむふっと楽しげに笑った。が、大容量の代名詞にMOを出す時点で年齢がやばい。

 

「いや、MOとか普通知らないですよ……」

 

「MDなら知っているけれど……」

 

二人も困惑した声を出す。

 

「くっ! MOを知らないとは……。これが若さか……」

 

少し可哀想になってしまったのでフォローをすることにした。優しいな、俺。

 

「まぁまぁ。MOはどっちかっつーと企業とかで使われてたから一般家庭にはあんま普及してないんですよ。別に先生がすげぇ年老いているってわけじゃないです」

 

「ひ、比企谷!」

 

平塚先生の腕が俺を抱きしめようと伸びてくる。

 

「ちょっ!ハンドルハンドル」

 

「はは、降りたら覚えておくといい」

 

何この先生、可愛い。

他愛ない雑談をしている間に、高速を降りて、下道からさらに山間の道へと入っといく。

細くくねるような山道をワンボックスカーはすいすいと駆け上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 



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第17話

車を降りると、濃密な草の匂いがした。

やや開けた場所にはバスが数台止まっている。千葉村の駐車場だ。平塚先生はそこに車を止めた。

 

「んーっ! きっもちいいーっ!」

 

由比ヶ浜は車から降りると思いっきり伸びをする。

 

「……人の肩を枕にしてあれだけ寝ていればそれは気持ちいいでしょうね」

 

「う……ご、ごめんってば!」

 

雪ノ下にちくりと言われて、由比ヶ浜が両手を合わせて謝っていた。

 

「うむ、空気がおいしいな」

 

そう言って平塚先生は煙草を吸い始める。それで空気の味わかるのかしら……。

 

「ここからは歩いて移動する。荷物を下ろしたまえ」

 

すぱーっと実にうまそうに息を吐いて、平塚先生が言った。

指示の通り、車から荷物を降ろしていると、もう一台、ワンボックスカーがやって来た。はぁ、なんかキャンプ場とかもあるし、意外に一般のお客さんも来るんかね。

車から下りてきたその一団の一人が俺に向かって軽く手を挙げた。

 

「や、ヒキタニくん」

 

「……葉山か?」

 

意外なことにその集団の一人は葉山だった。いや、葉山だけではない。よくよく見れば葉山グループが揃ってきている。……あれ?童貞風見鶏の大岡は?

 

「ふむ。全員揃ったようだな」

 

全員、ということは葉山たちも最初からメンバーに入れられていたということだろうか。

 

「さて、今回君たちを呼んだ理由はわかっているな?」

 

問われて俺たちは互いに顔を合わせる。

 

「泊りがけのボランティア活動だと伺っていますが」

 

「ああ、その手伝い、だよな」

 

雪ノ下の言葉に拓也がうなずいた。その横で由比ヶ浜がきょとんとした顔になる。

 

「え?合宿じゃないの?」

 

「小町、キャンプするって聞いてますよー?」

 

「そもそもなんも聞かされてねぇんだけど……」

 

おい、どれが正解だ。お前ら伝言ゲーム下手すぎるだろ。

 

「奉仕活動で内申点加点してもらえるって俺は聞いてたんだけどな……」

 

葉山は苦笑混じりの笑顔で言った、

 

「え、なんかただでキャンプできるっつーから来たんですけど?」

 

「だべ?いやーただとかやばいっしょー」

 

三浦がくるくる髪をみょんみょん引っぱり、戸部が長い襟足を搔き上げる。

 

「わたしは葉山くんと戸部くんがキャンプすると聞いてhshs」

 

海老名さんだけ理由がおかしい。最後なんて言っんだよ。

 

「ふむ。まぁ、おおむね合っているしよかろう。君たちにはしばらくボランティア活動をしてもらう」

 

「あの、その活動内容は……」

 

「なぜか私が校長から地域の奉仕活動の監督を申し付けられてな……。そこで君たちを連れてきたわけだ。君たちには小学生のサポートスタッフとして働いてもらう。簡単に言うと雑用ということだな」

 

帰りてぇ……。ブラック企業だって最初はもうちょっとオブラートに包んでるもんだぜ。

 

「奉仕部の合宿も兼ねているし、働き如何では内申点に加点することもやぶさかではない。自由時間は遊んでもらって結構」

 

ははぁ、なるほど。みんなそれなりには理解しているのね。

 

「では、さっそく行こうか。本館に荷物を置き次第仕事だ」

 

 

 

 

 

 

本館に荷物置くと、今度は「集いの広場」たらいうところへ行かされた。そこで待っていたのは100人近い小学生の群れだった。

思いも思いのカラフルな服装も相まってかなり混沌としていた。

何より、ほぼ全員が同時に喋っているからやかましいことこの上ない。

隣を見れば由比ヶ浜はどん引きしていて、雪ノ下はちょっと顔が青ざめていた。拓也は我関せずとどこか上の空だ。

生徒たちの真ん中に教師が突っ立ってるのに、何も始まる気配がない。ただ腕時計をじっと見つめていた。

数分が経過する頃には生徒たちもその異変に気付いたのか、静まり始める。

 

「はい、みんなが静かになるまでに3分かかりました」

 

で、で、で、でたー‼︎全校集会や学級会などでお説教の前ふりに使われるあの伝説の台詞である。まさかこの年でまた聞くことができるとは……。

俺の予想通り、その教師はまずお説教から入った。その後は、これからの予定が発表される。

みんな「林間学校のしおり」を開いてその説明を聞いている。

 

「では最後に、みなさんのお手伝いをしてくれる、お兄さんお姉さんを紹介します。まずは挨拶をしましょう。よろしくお願いします」

 

「よろしくおねがいします」

 

小学生特有の間延びした挨拶の多重演奏。卒業式の呼びかけみたいだ。あれってなんであんな言葉の間伸ばすんだろうな。

 

「これから三日間、みんなのお手伝いをします。何かあったらいつでもぼくたちに言ってください。よろしくお願いします」

 

拍手が巻き起こった。女の子なんてきゃーきゃー言ってる。流石葉山略してさすはやだ。

 

「では、オリエンテーリング。スタート!」

 

教師の呼びかけで、生徒たちが5、6人のグループになる。事前に決めてあったのだろう、スムーズに班分けがされていた。

その間、俺たちは平塚先生から今回の仕事内容が説明される。

 

「このオリエンテーションでの仕事だが、君たちにお願いするのはゴール地点での昼食の準備だ。生徒たちの弁当と飲み物の配膳を頼む。

私は車で先に運んでおくから」

 

「俺らも車に乗っていけばいいんですか?」

 

「そんなスペースはないよ。きりきり歩け。ああ、小学生たちより早く到着したまえ」

 

たしかに、昼食の準備ということなら子供たちより先についていないとまずい。生徒たちは既にかなりの数出発してしまっている。急いだ方がよさそうだ。

 

 

 

 

 

オリエンテーリングは、フィールド上に設置されたポイントを指定された順序で通過し、ゴールまでの所要時間を競うスポーツ。そう、スポーツなのだそうだ。

が、今回はレクリエーションとしてのオリエンテーリングだ。数人で山の中を歩いて回り、チェックポイントのクイズに答え、その正解数とタイムを競う。

俺たちは別に参加しているわけではないので、ひたすらゴール地点を目指す。頑張ってなぞなぞを解いている小学生の姿は見ていていいものだ。いや、別にロリコンとかじゃないから。

 

葉山たちが小学生を見るたびに声をかけている姿を見て、戸部や海老名さん、戸塚、由比ヶ浜もそれとなく小学生に話しかけるようになっていた。拓也に至っては、別に話しかけているわけではないのに生徒にすでに慕われていた。そういうフェロモンとかでてんの?

 

横に折れていく道で、女子5人組の小学生グループに出くわした。これまたとりわけ元気よく、活発そうな連中だ。言わばリア充の卵といった感じだ。

そういう子供たちにとって高校生、特に葉山や三浦といった派手派手しい連中は憧れの対象であるらしい。

積極的に話しかけていた。話を聞いていると、挨拶に始まり、ファッションの話やスポーツの話やら中学の話やら……。

一緒に歩いているうちに話の流れで一緒にここらのチェックポイントを探すことになってしまった。

 

「じゃあ、ここのだけ手伝うよ。でも、他のみんなには内緒な?」

 

葉山が言うと、小学生たちは元気よく返事をする。秘密の共有。これも人とうまくやるためのテクニックの一つなんだろうなぁと妙に感心してしまった。

そんな明朗快活な小学生たちだったが、一つだけ気になったことがある。五人班で、一人の女子だけが二歩ほど遅れて歩いている。

すらりと健康的に伸びた手足、紫がかったストレートの黒髪、他の子たちに比べて幾分大人びた印象を受ける子だ。有り体に言って、十二分に可愛いと呼べる。わりと目立つ子だ。

なのに、誰もその一人が遅れていることなど気にかけていなかった。

ーーいや、気づいてはいるのだ。他の四人は時折振り返ってクスクスとお互いだけに伝わるような噛み殺した笑みを見せる。

その女子はデジカメを首から提げ、ときおり手持ち無沙汰にそれを触る。が、別に撮影はしない。

集団の一番後ろで、一番端っこで。その少女は他人と違うところに視線を向けている。

 

「…………」

 

雪ノ下が小さなため息をついた。

どうやらこいつもその異質さに気づいたようだ。

まぁ、別に悪いことじゃない。友達がいて学べることがあるなら、友達がいないことで学べることだってある。

……ただ、友達がいた方が俺はたくさんのことを学んだ気はする。知らんぷりを決め込もうとする俺と、気にかけている俺がいた。

そんな俺の小さな葛藤を無視して、その女の子に声をかける奴がいた。

 

「チェックポイント、見つかった?」

 

葉山だった。

 

「……いいえ」

 

困ったように笑って返事をすると、葉山はにこりと微笑み返す。

 

「そっか、じゃあみんなで探そう。名前は?」

 

「鶴見、留美」

 

「俺は葉山隼人、よろしくね。あっちのほうとか隠れてそうじゃない?」

 

言いながら葉山は留美の背中を押して誘導しようとする。

と、その時、別の班の生徒を連れた拓也と合流した。葉山を見つけるとすぐに葉山を指差して生徒たちに何か呟いた。

すると拓也にまとわりついていた生徒が一斉に葉山の方に駆け寄る。

何言ったんだよ……。

こちらに気づいたらしく、俺たちの方に近づいてくる。

 

「……なめてた、夏の小学生強すぎ」

 

冗談ではないらしく、汗が滴り落ち、息も上がっていた。

 

「そもそも、なんであんなに生徒に群がられてたんだよ」

 

「知らね、人柄じゃない?」

 

ナチュラルにディスってんのか?あ?

 

「人柄かどうかは知らないけれど、生徒たちに何を言ったのかしら?」

 

ほら、雪ノ下さんもちょっと怒ってるよ。やっちまえ雪ノ下。

 

「別に大したことは言ってない、あいつに突っ込めば答え教えてくれるらしいって言っただけだ。最近の小学生はすぐに答えを求めたがる。いい加減人生の答えがないことに気づくべきだ」

 

こいつには小学生が学者か何かに見えているのだろうか、おそらく熱中症だろう、かわいそうに。

 

「まぁ、あとは悪意なき悪意を潰してやったのさ」

 

「……どこで気づいたんだ?」

 

「お前らと違って、一通りの生徒を見たからな。なんとなくだけど特徴のある子は目をつけてたってわけ」

 

そのセリフだけだとロリコンみたいだな。

 

「そうね、あのやり方だとまた弾かれて終わり。酷いと悪化するわ」

 

「小学生でもああいうの、あるもんだな」

 

俺が言うと、雪ノ下がちろりと視線を向ける。

 

「小学生も高校生も変わらないわよ。等しく同じ人間なのだから」

 

拓也が引き連れた連中も合流したことで、かなりの大人数になったこともあり程なくして、薄汚れた看板を見つけた。あとはそこに記されているクイズを小学生たちか解けばいいだけだ。

 

「ありがとうございます!」

 

元気のよいお礼をいただいて彼女らと別れる。

あの様子を見るに、葉山が留美に声をかけたことなど、頭の片隅にも残ってないのだろう。

また、集団と少し離れた位置にいる留美を尻目に俺たちは一足先にゴール地点へと向かう。

 

 

 

 

 

 

木立の間を抜けていくと、開けた場所に出た。山の中腹に位置するその地点がゴールであるらしい。

 

「おお、遅かったな。さっそくだが、これを下ろして配膳の準備を頼めるか」

 

平塚先生がワンボックスカーから降りてくる。後ろのトランクを開けると、弁当とドリンク類が折り込みコンテナに入って山と積まれている。漏れ出る車内の冷気が心地よい。

男手でコンテナを運び出す。

 

「それと、デザートに梨が冷やしてある」

 

そう言って平塚先生が後方をくいと親指で指し示した。

ちょろちょろと小川のせせらぎが聞こえてくる。どうやら流水に浸かっているらしい。

 

「包丁類もあるから、皮むきとカット、よろしくな」

 

ぽんとカゴを叩く平塚先生。しかし、一学年分の梨を剥くとなると結構な労働量だ。加えて弁当類の配膳の準備もある。

 

「手分けしたほうがよさそうだな」

 

積まれた仕事の山を見て葉山が言うと、三浦が自分のネイルをしげしげと見つめながら口を開いた。

 

「あーし、料理パス」

 

「俺も料理は無理だわー」

 

「わたしはどっちでもいいかなー」

 

戸部、海老名さんと続き、葉山はしばし考える。

 

「んー、どうするかな。配膳はそこまで人いらないだろうし……。じゃあ、俺たち四人で配膳やるか」

 

「んじゃ、あたしたちで梨やるよ」

 

由比ヶ浜が答え、二手に分かれる。梨を運び、包丁類を準備するとさっそく取りかかる。皮むきは雪ノ下と拓也に任せ、俺たちは皿に並べてつまようじを刺していくことにした。

手際よく雪ノ下が梨をむいていく。が、それ以上の手際と正確さで拓也が梨を剥く。

途切れることなく一枚の皮になった梨の皮を見て戸塚がきらきらした瞳を覗かせた。

 

「拓也凄い。上手なんだね」

 

「ほんとだ!たっくん上手…料理とか得意なの?」

 

「まぁな」

 

こいつの腕を舐めちゃいけない。そこら辺の店の料理より断然うまい。

あ、今のうまいは料理の上手いと味の美味いをかけた。我ながらうまくいったと思う。なんつって。

 

「驚いたわ、自分で言うのもあれだけど、自信あったのよ?」

 

「もっと自信持つべきところあるだろ……」

 

喋りながらもその素早い手つきのおかげで、作業はさくさく終わる。見れば小学生たちがぞくぞく到着していた。

そこから俺たちは飢えた小学生たちに弁当と梨を配布するだけの存在となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャンプといえばカレーだ。

ルーを入れたらなんでもカレーになるあたり、全ての料理はカレーの材料と言っても過言ではない。

千葉のカレーといえばシタールが名店なわけだが、個人的なことを言うとあいつのカレーが一番美味い。ドーピングでもしているんじゃないだろうか。

そんなわけで今晩の夕食はキャンプの定番、カレーだ。

 

「まずは最初に私が手本を見せよう」

 

デモンストレーションとして平塚先生が教師たち用の火をつけることになっているらしく手際よく作業をする。途中までは。

 

「ざっとこんなところだな」

 

「なんでサラダ油ぶっかけてるんですかねぇ」

 

「ふ、大学時代私が火をつけている間、カップルがいちゃこらいちゃこらとしているのをなるべく短縮させようとしてな。……ちっ」

 

嫌なことでも思い出したのか、平塚先生は火から離れる。

 

「男子は火の準備、女子は食材を取りに来たまえ」

 

言いながら女子たちを引き連れて行ってしまった。ここで引き離すのはなんか過去の恨みが入ってませんか、大丈夫ですか。

そして残された男子5人。

 

「じゃ、準備するか」

 

葉山と戸部は炭を積み、戸塚と拓也が着火剤と新聞紙を準備する。準備はさくさき進み、あと残された過程は延々団扇で扇ぎ続けるという単純労働だけだ。

戸塚が見ている手前、俺は仕方なく軍手をはめて団扇をとると、鰻の蒲焼でよくやっているようにパタパタと風を送りこむ。

 

「暑そうだね」

 

戸塚が俺を気遣うように声をかけてくれた。

 

「まぁな……」

 

いかに高原といえど、真夏。火のそばにいれば汗は自然と流れでてくる。

 

「何か飲み物取ってくるよ。みんなの分も」

 

そう言って戸塚がその場を離れると、「みんなの分なら俺も手伝うわー」と戸部が付いていく。存外いい奴なのかよしれない。

あとには俺と拓也と葉山が残される。

 

「…………」

 

「…………」

 

俺は心のスイッチを切って、ひたすら無心で扇ぎ続ける。隣では目の死んだ友人が機械的な動きを繰り返していた。

暑さと熱さで流れる汗を拭おうと顔を上げると、拓也と葉山の目が合っていた。海老名さん!早く!

 

「………なんだ?」

 

「いや、なんでもないよ」

 

拓也が聞くと葉山ははぐらかすように言う。

 

「いいから、言え」

 

今度は言葉を少し強めて拓也が言う。なんとなく苛つくのもわかる。「あのさぁ、……やっぱなんでもないわ」と言われているのと同じだ。本当になんでもないなら話しかけないんだよなぁ。

観念するように葉山は肩をすくめて口を開いた。

 

「いや、なんで俺のこと嫌いなのかなって思ってさ。俺、なんか佐藤にしたのかなって」

 

そういえば、こいつ葉山のこと嫌いなんだっけか。

そう問われた拓也は意外にも驚いた表情をしていた。

 

「……それを分かった上で聞いているのか、本当に疑問に思って聞いているのかは知らんが」

 

何やら意味深な前置きをした上で答える。

 

「俺がお前を嫌いな理由は」

 

「おまたせ、拓也、八幡」

 

拓也の言葉を遮って、戸塚が俺たちに冷たい紙コップを当てる。

見上げると、いたずらに成功したのを喜んでいるような純真無垢な戸塚の笑顔。急いで戻ってきたのか戸塚の息も少し上がっている。

 

「おお、サェンキュゥ」

 

「ありがとな、彩加」

 

動揺したせいでちょっと声が裏返り発音がよくなってしまった。数本のペットボトルを抱えて遅れてきた戸部がそれを聞いて微妙な顔をする。

 

「……代わるよ」

 

ふっと笑みを漏らした葉山が交代を申し出てくれたので、俺たちはお言葉に甘える。

 

「んじゃ、あとは頼むわ。……さっきの続き、知りたいか?」

 

「そのうちでいいさ」

 

気分を害した様子もなく、葉山は爽やかに笑うと炭火に向き直った。

俺たちは陽のあたるベンチに腰をかけて戸塚からもらった冷えた麦茶を飲む。側から見ると老人ホームの縁側だ。

そこへ女子たちが戻ってきた。

すっかり準備の整った炭火を見て三浦が感動の雄叫びを上げる。

 

「隼人すごーい♪」

 

「あ、ほんとだ。隼人くんアウトドア似合うねー」

 

海老名さんも揃って大絶賛。

 

「ヒキタニくんと佐藤がだいたいやってくれたからな」

 

おお、さりげないフォロー。葉山はやっぱいい奴だって。

 

「そうだぞ、三浦、所詮葉山はいいとこどりしただけだしな」

 

「はぁ?見ればわかんじゃん。頑張ってるの隼人じゃん」

 

「おいおい、一から十まで見ていないのにそれはないだろ、そもそも俺たちがだいたいやったって葉山が証言してるじゃねぇか。あと、じゃんじゃん語尾につけるなよ、バカっぽいぞ」

 

「なっ!…あんた言わせておけばねぇ」

 

側から見れば喧嘩しているように見えるが、日頃の拓也、怖い三浦を知っている俺からすれば、ただのじゃれあいにしか見えない。これが彼らの距離感なのだろう。……にしても、三浦と仲良いのね。

 

 

 

 

 



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第18話

なんとなくの分担ではあったが、カレーの下ごしらえも米研ぎも終えた。これで俺たちの分はきちんと準備が整った。

飯盒をセットし、鍋のほうでは肉と野菜を炒める。あとはじっくりことこと煮込むだけ。

周囲を見渡せば、炊ぎの煙があたりに散見できる。

小学生たちにとっては初めての野外炊飯だ。苦戦しているグループも結構あるように見受けられる。

 

「暇なら見回って手伝いでもするかね?」

 

「まぁ小学生と話す機会なんてそうそうないしな」

 

葉山は結構乗り気なようで、そんなことを言う。

 

「いや、鍋、火にかけてるし」

 

「そうだな。だから、近いところを一か所くらいって感じだな」

 

そういう意味で言ったんじゃねぇよ……。なぜか俺が賛成前提で意見出したことになっていた。普通に考えれば鍋を火にかけてるから行けないよね?ね?って意味だろうが。

 

「俺、鍋みてるわ……」

 

宣言し、早々に離脱、Uターンを決めたのもつかの間。

 

「気にするな比企谷。私が見ててやろう」

 

俺の前に立ちふさがったのはニヤニヤと笑う平塚先生だった。ちくせう。

小学生たちは高校生の登場でえらい騒ぎである。さすがはリア充と賞賛したいところだが、実際は違う。

小学生というのが一番大人を舐めているのだ。

お金の価値も、勉強の意義も、愛の意味も知らない。与えられるのが当然だと思っていて、世の中の上澄みを啜ってわかった気になっている年代だ。

中学、高校へと進むうちに挫折や後悔や絶望を知り、世界が生きにくいものだとわかるようになってくる。

あるいは、聡い子であればすでにそのことを知っているのかもしれない。

例えば、そこで一人だけ弾かれている、ぽつんと、一人きりで存在を薄くしているあの少女とか。

 

「カレー、好き?」

 

葉山が留美に声をかけていた。

それを見て、両隣からため息と舌打ちが聞こえる。

同感。

悪手、である。

ぼっちに声をかけるときは密やかにおこなうべきだ。周りが騒いでおり、多少の距離があるとより好ましい。

葉山が動けば葉山の周りも動く。話題の中心が動けば、小学生たちもそれに付き従う。

これだけで留美は一躍中心人物だ。

高校生からは好奇の目に晒され、同級生からは「なんであいつが?」という嫉妬や憎悪を向けられる。

こうなってしまえば葉山の質問にどう答えようが確実に悪感情が発生する。

 

「……別に。カレーに興味ないし」

 

となるとこの場は戦略的撤退しか手がない。最初から他に切れるカードなどないのだ。

留美はなるべく人の目を集めないような場所へと動いた。すなわち、俺のいるところである。ちなみに雪ノ下も拓也もこちら側にいる。

葉山は少し困ったような寂しげな笑顔を浮かべて留美を見ていたが、すぐに他の小学生たちの相手に戻る。

 

「じゃあ、せっかくだし隠し味入れるか、隠し味!何が入れたいものある人ー?」

 

聞いたものを引きつける明るい声だ。おかげで留美に張り付いていた嫌な視線がぱたりと途絶える。

小学生たちは、コーヒーだの唐辛子だのと次から次へとアイデアを出し合う。

 

「はいっ!あたし、フルーツがいいと思う!桃とか!」

 

ああ、ちなみに今のは由比ヶ浜だ。あいつなに参加してんだよ…。

葉山が何事か言うと、由比ヶ浜は肩を落としてこちらに向かってとぼとぼ歩いてきた。どうやらやんわりと邪魔者扱いされたらしい。

 

「……アホか」

 

「まったくだ」

 

思わず零れ出た俺たちの言葉に、そっと囁くような言葉が続いた。

 

「ほんと、バカばっか……」

 

鶴見留美は冷たく響く声で言う。これからあだ名はルミルミで決まりだな。ナデシコかよ。

 

「まぁ、世の中大概はそうだ。早めに気づいてよかったな」

 

俺が言うと、留美は不思議そうな顔でこちらを見る。値踏みでもするかのような視線はいささか居心地が悪い。

その視線に二人が割り込んでくる。

 

「あなたもその、大概でしょう」

 

「ああ、悪いな八幡、バカは二人もいらないんだよ」

 

「あまりなめるなよお前ら。俺はその大概のなかですら一人になれるような逸材だぞ?」

 

「そんなことを誇らしげに言えるのはあなたくらいでしょうね……。呆れるのを通り越して軽蔑するわ」

 

「かっこいいこと言ったかもしれねぇけど結局それだとバカの中の逸材だぞお前」

 

……たしかに。まぁ、男なんてみんなバカな生き物だから大差ないだろ。それと、雪ノ下さん普通越したら尊敬が来ると思うんですけど。

 

「名前」

 

「あ?名前がなんだよ」

 

俺たちのやりとりを聞いていた留美が声をかけてきた。

 

「名前聞いてんの。普通さっきので伝わるでしょ」

 

「……人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るものよ」

 

「……そうだな、悪いが世の中は君を中心に回っているわけではないからね」

 

雪ノ下の視線が危険なほど鋭い。拓也の方は言い方は悪いが、どこか躾をしているような感じだ。

ただ、どちらも射殺すような瞳を向けている。

メデューサに睨またらこんな感じなのだろうか。

留美は二人の瞳に恐怖を覚えたのか、気まずげに視線を逸らした。

 

「……鶴見留美」

 

ぼそぼそと口の中で呟くような声だったが聞き取れないほどでもない。二人も同じようで名前を聞いてから頷いた。

 

「私は雪ノ下雪乃。そこの二人は、……さ、砂糖?くんと、ヒキ、ヒキガ、……ヒキガエルくん、だったかしら」

 

「おい、留学生、イントネーションを忘れたのか?」

 

「おい、なんで俺の小四の頃のあだ名知ってんだよ」

 

懐かしいな、両生類扱いされて言葉って生き物だって思えたもんだ。

 

「比企谷八幡」

 

「佐藤拓也」

 

ここはちゃんと名乗っておくべきだろう。

 

「で、これが由比ヶ浜結衣な」

 

「なに?どったの?」

 

近くでまだしょぼくれていた由比ヶ浜を指す。由比ヶ浜は俺たちの様子を見て、なんとなく察したらしい。

 

「あ、そうそう。あたし由比ヶ浜結衣ね。鶴見、留美ちゃん、だよね?よろしくね」

 

だが留美は由比ヶ浜の声に対しては、頷くだけにとどめる。

足元あたりを見ながら途切れ途切れに口を開く。

 

「なんか、そっちの三人は違う感じがする。あのへんの人たちと」

 

まぁ、確かに違うわな。あのへんの連中を見ると、楽しそうにスペシャルカレー作りに挑戦しているようだ。

 

「私も違うの。あのへんと」

 

留美はその言葉を噛みしめるように言った。由比ヶ浜の顔つきが真剣なものになる。

 

「違うって、何が?」

 

「周りはみんなガキなんだもん。まぁ、私、その中で結構うまく立ち回ってたと思うんだけど。なんかそういうのくだらないからやめた。一人でも別にいっかなって」

 

「で、でも。小学校のときの友達とか思い出って結構大事だと思うなぁ」

 

「別に思い出とかいらない……。中学入れば、余所から来た人と友達になればいいし」

 

すっと顔を上げる。ようやく日が落ちてきて、薄墨を流しかけたような藍色。点々と星が瞬き始めていた。

留美の目はもの悲しかったが、同時に綺麗な希望が宿ってもいた。

鶴見留美はまだ信じている、期待している。新しい環境になれば楽しくやれると希望を持っているのだ。

そんな希望はないのに。

 

「残念だけど、そうはならないわ」

 

あまりにもはっきりと断言したのは雪ノ下雪乃だった。

 

「あなたの通っている小学校の生徒も、同じ中学へ進学するのでしょう?なら、同じことが起きるだけよ。今度はその『余所から来た人』とやらも一緒になって」

 

地元の公立小学校から公立中学校に上がる場合、それまでの人間関係も継続する形になる。新しい友達ができそうになっても、過去の負債が必ずどこかから入り込む。

 

「………」

 

どこからも反論はなかった。俺に異議があるはずもなく、拓也は静かに頷き、由比ヶ浜は居心地悪そうに黙っている。

 

「それくらい、あなたはわかっているのではなくて?」

 

追い討ちをかけるように、雪ノ下は言った。もしかしたら、雪ノ下は過去の自分の面影をそこに見出しているのかもしれない。

 

「やっぱり、そうなんだ……」

 

諦めたような声が小さく漏れた。

 

「ほんとバカみたいなことしてた」

 

「何が、あったの?」

 

自嘲気味に呟いた留美に、由比ヶ浜は穏やかに尋ねた。

 

「誰かがハブられるのは何回かあって……。けど、そのうち終わるし、そしたらまた話したりする、マイブームみたいなもんだったの。いつも誰かが言い出して、なんとなくみんなそういう雰囲気になんの」

 

留美は淡々と話すが、内容を聞くだけで鳥肌ものだ。超こえぇ。

 

「それで、仲よくて結構話しする子がハブにされてね、私もちょっと距離置いたけど……。けど、いつの間にか今度は私がそうなってた。別に、何かしたわけじゃないのに」

 

理由なんてなんだってよかったのだろう。いや、やっている側だって明確な理由があるわけじゃない。ただ、そうしなければならないという妙な義務感がそこにあるだけ。

 

「私、その子と結構いろんなこと喋っちゃったからさ」

 

昨日まで友人だったはずの人間が、次の日には自分の秘密をネタにし、誰かの笑いをとっている。信頼して秘密を相談したはずが、それが今度は自分を攻撃する要素になる。

作り付けの悪人などいない。誰もがそう信じている、自分を含めて。自分が善良だと信じて疑わない。

 

だが、自分の利益が犯されそうなとき、人はたやすく牙を剥く。

昨日までは「クール」だとほめそやしていたのを「お高くとまっている」と解釈し、「頭がよくて聡明」だと尊敬していたのを「勉強が不得意な人間を見下している」と蔑視し、「なんでもわかってくれる」と頼りにしていたのを「なんでも見すかす嫌味な奴」と除け者にし、「元気で活発」なことを「うるさい調子乗ってる」と言い換える。

 

自分だけでは自分を肯定できない彼らは、徒党を組む。そしてらいかに悪辣で罪深いかを語り、小さな、本当に小さな不満の種を大きく育てる。

その閉じきってしまった世界の中で、次は自分の順番かもしれないと不安に震える。だから、そうなる前に次の生贄を探すのだ。

そして、連鎖する。終わりがない。

誰かの尊厳を犠牲にして、築き上げた仲良しこよしになんの意味がある。

 

「中学校でも、……こういうふうになっちゃうのかな」

 

嗚咽の入り混じった震える声音。

それを掻き消すように、向こう側から歓声が響く。たかが10メートルも離れていないのに、遥か異郷の出来事のように、俺には見えた。

 

 

 

 

 

 

 

笛付きケトルがカタカタ言いだし、さほど大きいともいえないサイズながらけたたましい警笛を鳴らす。

小町がすっと立つと、ティーバッグで紅茶を淹れ始めた。

もうじき、小学生たちは就寝時間のはずだ。それでも、友人たちと過ごす夜をおとなしく眠るわけもない。枕を投げ、布団の上でお菓子に手を伸ばし、夜通し語り合いのだろう。

 

「今頃、修学旅行の夜っぽい会話、してるのかなぁ」

 

ひと昔を思い出すような、そんな声音を葉山は出す。

高校生になってから、俺たちはまだ修学旅行へは行っていない。修学旅行は二年生の二学期に予定されている。

 

「大丈夫、かな……」

 

由比ヶ浜が少し心配そうな声で俺に聞いてきた。何が、と問うまでもない。鶴見留美のことだろう。彼女が孤立していることをは皆気づいている。あんなものは見た人なら誰でもわかる。

 

「ふむ。何か心配事かね?」

 

平塚先生に問われ葉山が答えた。

 

「まあ、ちょっと孤立しちゃってる生徒がいたので……」

 

「ねー、可哀想だよねー」

 

三浦は相槌のつもりなのか、当然のごとくその言葉を口にした。それが俺には引っかかる。

 

「……違うぞ、葉山。お前は問題の本質を理解していない。一人でいるだけなら別にいいんだ。問題なのは、悪意によって孤立させられていることだ」

 

「はぁ?なんか違うわけ?」

 

葉山に言ったつもりだったが、三浦に聞き返されてしまった。

 

「好きで一人でいる人間と、そうじゃない人間がいる。そういうことかな?」

 

「ああ、だいたいそんなところだ」

 

だから、解決すべきは彼女の孤立ではなく、それを強いる環境の改善であるはずだ。

 

「それで、君たちはどうしたい?」

 

「それは……」

 

平塚先生に問われ、皆が一様に黙る。

どうしたい?別にどうもしたくはない。要するに、テレビで戦争や紛争のドキュメンタリーを見て、可哀想だね大変だね私たちにできることをしようねなどと言いながら、心地よい部屋で美味しいご飯を食べているのと変わらない。

じゃあ、そのうち何かするのかというとそうでもない。やっても10円100円の募金くらいだ。

もちろん、問題意識をもって本気で取り組む人間はいる。それは素晴らしいことだし、尊敬も称賛もする。

でも、俺たちは違う。俺も、葉山も、三浦も、本気で何かするわけでも何かできるわけてもない。

自分には関係のないことだが、それでも見てしまった以上、知らなかったとは言えない。でも、どうにもすることができない。だからせめて憐れませてほしい、そういうことだ。

 

「俺は……」

 

重々しく閉ざされていた口を開いたのは葉山だった。

 

「できれば、可能な範囲でなんとかしてあげたいと思います」

 

葉山らしい言い回しだ。誰も傷つかない、優しい嘘だった。希望だけはちらつかせて、けれども迂遠な言い方で絶望も内包させる。できない可能性も暗に匂わせ、全員に釈明の余地を与えている。

 

 

「あなたでは無理よ。そうだったでしょう?」

 

 

模糊とした心地よい言葉を切り裂いたのは雪ノ下の声だった。彼女は髪を払うと、葉山に冷たい視線を突き立てる。

理由の説明を求めようもないほどに、確定した事実であるかのように断言した。

葉山は臓腑を焼かれたように苦しげな顔を一瞬のぞかせる。

 

「そう、だったかもな。……でも、今は違う」

 

「どうかしらね」

 

葉山の答えに、肩をすくめるような仕草をして、雪ノ下は冷たくあしらった。予想していなかった二人のやりとりを目にして、それきり座には思い沈黙が垂れ込める。

葉山が奉仕部の部室に来たときにも感じたが、雪ノ下が葉山に対してとる硬化した態度は普段のそれと違う。

彼と彼女の間に、俺の知らない何かがあるのは明白だ。まぁ、だからなんだっつー話なんだけど。

 

「やれやれ……」

 

平塚先生は間を持たせるように、タバコに火をつけた。ゆっくり五分かけて吸い尽くし、灰皿にもみ消すと、今度は雪ノ下に水を向ける。

 

「雪ノ下、君は?」

 

問われると、雪ノ下は顎に手をやる。

 

「……一つ確認します」

 

「何かね」

 

「これは奉仕部の合宿も兼ねていると平塚先生はおっしゃいましたが、彼女の案件についても活動内容に含まれますか?」

 

平塚先生はしばし考えてから、静かに首肯する。

 

「…………ふむ。そうだな。林間学校のサポートをボランティア活動と位置づけたうえで、それを部活動の一環としたわけだ。原理原則から言えば、その範疇に入れてもよかろう」

 

「そうですか……」

 

誰も声を上げず、ただ待った。

 

「私は……、彼女が助けを求めるなら、あらゆる手段を持って解決に努めます」

 

決然と、雪ノ下は確かに宣言した。凛とした、決して揺らぐことのない意思を言葉に宿らせて。

その答えは平塚先生にとっても満足いくものだったらしく、うむと大きく頷いた。

 

「で、助けは求められてるのかね?」

 

「……それは、わかりません」

 

たしかに、俺たちは彼女になにかをお願いされたわけではない。

由比ヶ浜がくいくいっと雪ノ下の服を引っ張った。

 

「ゆきのん。あの子さ、言いたくても言えないんじゃないかな」

 

「誰も信じられない、とかか?」

 

俺が聞くと、由比ヶ浜は答えるのを少し躊躇った。

 

「うん、それもあるんだろうけど……。留美ちゃん、言ってたじゃん。ハブるの、結構あったって。自分もそのとき距離置いたって。だから、自分だけ誰かに助けてもらうのは許せないんじゃないかな。みんな、たぶんそう……。話しかけたくても仲良くしたくても、そうできない環境ってあるんだよ。仕方ないって心のどこかで思っても罪悪感は残るから……」

 

そこで由比ヶ浜が言葉を切る。すると今度は誤魔化すように笑った。

 

「やー、ちょっとね……、凄い恥ずかしい話なんだけどさ。やっぱ周りの人が誰も話しかけないのに話かけるのってかなり勇気いるんだよね」

 

その笑顔を雪ノ下は眩しそうに見つめる。

 

「でもさ、それって留美ちゃんのクラスだと、空気読まない行動なわけじゃん?話しかけたらあたしまでハブられちゃうのかなーとか考えると、とりあえず距離置くおいうか、準備期間が欲しいというかって感じで結局そのままにしちゃうかも……。って、わぁーーー!なんかあたし今すっごい性格悪いこと言ってない⁉︎大丈夫かな⁉︎」

 

あわあわと焦りながら周囲のリアクションを窺う由比ヶ浜。だが、誰一人として悪感情を見せる者はいない。

 

「大丈夫よ。とてもあなたらしいと思うわ……」

 

雪ノ下そっと囁くように答える。

言われて恥ずかしかったのか、顔を赤くしてむぐと黙り込む。

平塚先生はそんな雪ノ下と由比ヶ浜に微笑みを向けていた。

 

「雪ノ下の結論に反対の者はいるかね?」

 

平塚先生は各人の反応を窺う。誰からも否やの声は出なかった。

 

「よろしい。では、どうしたらいいか、君たちで考えてみたまえ。私は寝る」

 

「あ、平塚先生ちょっと……」

 

席を立った平塚先生を追いかける形で拓也がその場を後にした。

その後も話し合いを重ねた俺たちだったが、結局そんな雰囲気ではなくなり、翌日に持ち越すことだけ決定した。

しかし、高校生の俺たちが仲良くできないのに、小学生たちにみんな仲良くなんて無理に決まってるよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうしたのかね?佐藤」

 

珍しく佐藤に声をかけられる。そういえば、二人だけで話すのは初めてではないかな?

 

「ちょっと聞きたいことというか、お願いというか」

 

「ふむ?」

 

曖昧な感じの彼は珍しいんじゃないか?……いや、この場合珍しいのではなく、私自身彼について知らないことの方が多いからそう思うのだろう。

 

「スケジュールのここ、開けれますか?」

 

わざわざ持ってきたしおりを私に差し出す。

 

「……まぁ、多少の時間なら大丈夫だと思うが」

 

丁度指さされていたのは肝試しの前だった。

 

「そんなにお時間は取らせません、15分程度でいいので、小学校の教師の方にもそのようにお願いして頂いてもいいですか?」

 

「それは構わないが、……何をする気だ?」

 

この子は本当に読めない、雪ノ下のような真っ当さを持ちつつも比企谷のような卑屈さも持ち合わせている。しかし、二人とはまた違う感性を自分なりに持っている。

 

「……そうですね、ここは雪ノ下をたてて、俺の出来る最善を尽くしてやろうかなと思いましてね」

 

「……そうか、まぁ、深くは聞かないさ、そこなら最悪私もいるからな。ただ、それはそれとしても、彼らと解決策を見つけるのは怠るなよ」

 

「ええ、まともな案が出れば、取ってもらった時間は適当に怖い話で時間を繋ぎますんで」

 

そこらへんも考えての発言というのは好感が持てる。教師から言わせれば時間通りに進むことが割と大事なんだ。

 

「話は以上かね?」

 

「はい、ありがとうございます、それと、この件は誰にも口外しないでいただけるとありがたいです」

 

そう言うと彼は去っていく。

 

「……まったく、厄介な子が多いものだ」

 

一人虚空に向かって呟き、タバコを吸う。

やめるつもりもないが、当分はやめられそうにないな。

 

 

 

 

 



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第19話

ここで、原作とのセリフ被りが多すぎるとのことでしたので、思い切って今回は視点を変えています。
それに伴い、ちょっとしたアンケートにご協力いただければ幸いです
参考程度ですが、傾向を知りたいので…。


バンガローには既に葉山と戸部がいる。

足元にはトランプが転がっているが、まさか俺と一緒にやるわけではあるまい。

現に両者とも携帯を弄っている。今のご時世、携帯電話ひとつあれば大体のことができる。

 

「ふぅ……、お風呂上がったよ」

 

戻ってきた戸塚がドアを閉めた。湯上りで上気した肌と、湿った髪のコントラストが妙に扇情的である。

 

「ぼく、もう大丈夫だけど……」

 

「じゃそろそろ寝るか」

 

戸塚に葉山が答える。戸部も戸塚もそれぞれ寝支度を始めた。既に俺は準備万全なためすることがない。ちなみに、拓也はふらりと出て行ってから戻ってきていない。何やってんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バンガローを離れ、乱立する木々の隙間から見える月明かりに照らされ、俺は一人解決策を考えている。

一人で物思いにふけるのもいささか久しぶりに感じる。

なんだかんだ平塚先生に頼んだはいいが、大まかな流れだけで具体案は決まっていない。

 

「どうしたものか」

 

俺の呟いた言葉は森に吹く風によってかき消されていく。

気を引き締めるために新鮮な空気を肺に入れ、今の状況を整理する。

 

クラスの状況、主犯格への対処。難しそうに見えて解決すべきはこの二つだ。不幸中の幸いなことに今回の件では、教師がかかわっていない。となるとより悪化はしないため楽だ。いじめの予防まではいい、だが、いじめが起こってしまえば教師というのは悪化させるだけの邪魔者でしかない、たとえそこに善意しかないとしてもだ。

そして、ネックになるのが彼女らの年齢だ。由比ヶ浜が言っていたように、雰囲気というものを幼いながらに感じているのだろう。つまり、それを変えてやればいい。それが簡単にできるのも小学生だからこそだ。中学、高校といくにつれてそう簡単にいかなくなる。厄介なことに自立ということを覚えるからだ。

まぁ、自立してなおいじめなんてやるのはどうかと思うが。

最後に、抑えるべき主犯格の奴らだ。まあ、あの女の子集団がそうなのだろうが。そこを直してやれば自ずとクラスの雰囲気はがらりと変わる。要するにちょっとしたカースト制度を平等にできれば俺たちの勝ちというわけだ。

 

「いけるか?」

 

「何がいけるのかしら?」

 

「うぉぉっ⁉︎」

 

突然凛とした声が入り込んでくる。何?殺し屋?

 

「びっくりした……」

 

「驚いたのはこちらなのだけれど、夜中に大声を出すのはやめてちょうだい」

 

だったら普通に声をかけてくれませんかね。

 

「で?こんなところまでどうした?星でも見にきたのか?」

 

いいよな自然。こうして月明かりに照らされると自分が社会の歯車なんかじゃなくひとりの人間という生き物だと再認識できる。

 

「ちょっと三浦さんが突っかかってきてね」

 

「うわ、絶対お前泣かしただろ」

 

「……よくわかったわね、大人げなかったことをしてしまったわ」

 

まぁ、あいつにはいい薬になっただろうさ。とは言え、泣かせたことを気にしているのか、若干の反省の色が見える。

 

「それで、あなたは何をしてたのかしら?」

 

「俺はまぁ、一人、解決策を模索してたんだよ」

 

するとなぜか不思議そうな顔をされる。

 

「あなた、そんなに積極的だったかしら?」

 

ああ、そういうこと。

 

「最初はそうでもなかったけどな、鶴見のあの話を聞いてからだな」

 

「……何がトリガーだったの?」

 

探るように、どこか期待を持っているようなそんな声だった。

 

「由比ヶ浜は言えなくても言えないと言ったが、そうじゃない、あの子のあの顔は紛れもなく誰かに助けを求めていた」

 

これは鶴見だけに限らない。何か問題を抱えている人間は必ず"誰か”の助けを心のどこかで待っている。それも、人を拒絶する人だったり、気丈に振る舞う人だったりと、特徴のある人間ほど余計にだ。

 

「何も言葉だけが全てじゃない。相手の表情、目つき、口角。顔だけでもこれだけの判断材料がある。俺はそん時から俺個人として解決を図りたいと思った」

 

だからこそ俺は一人で時間をとった。周りが頼りになるならないじゃなく、俺があの子の誰かになってやりたいと思ったからだ。

 

「……そう、あなたなりに考えているのね」

 

「まぁ、周りが周りってのもある」

 

絶対ロクな結果になりそうにないだろ八幡とか、八幡とか、あと、……八幡とか?

そこから雪ノ下の返しはなかったが、その表情には僅かな笑みがあった。俺の答えは悪くなかったようだ。

 

「そういや、事故のこといつ話すんだ?」

 

ちょうどいい機会だったので聞いてみる。なんだかんだ、当事者が色々知らないのは違うだろうし。

 

「……え?」

 

大げさではなく、過去一驚いた顔をする雪ノ下。……そういや、俺当事者でもなんでもないわ。ごめん、雪ノ下。

 

「八幡はお前が乗ってたこととか、助けたのが由比ヶ浜の犬だとか、色々知ってるぞ。由比ヶ浜も微妙だけど、何となく勘付いてそうではある」

 

「……そもそも、なぜその話をあなたが詳しく知っているの?」

 

「八幡から聞いたりしてな」

 

あと、情報提供者(小町ちゃん)のおかげですけど。

八幡の名前を出したことで多少信頼を得たらしく、雪ノ下の驚きも少なくなる。

 

「……別に話さなかったわけではないわ、話すタイミングがなかっただけよ」

 

「ふーん、ま、どっちにしろ一回話しておけよ、なんの偶然かは知らないが、全員揃って同じ部活なんだしな」

 

こういうのも毛色は違うがいじめの発生と似ている。黙っていたことが交友関係を深めるほど話づらくなっていき、中途半端に爆発すると友好関係を壊してしまう。友達ですらなければ、事務的な会話で済む、仲良くなって仕舞えば笑い話で済む。何事も中途半端は危険だ。

 

「さて、俺はもう戻るけど、お前は?」

 

考えも大方まとまったので忘れないように早く書き写したい。

 

「私はもう少しここにいるわ」

 

「そうか、風邪引くなよ、じゃあな」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

帰り際、目つきの悪い友人とすれ違った気がするが、それはきっと“木のせい”だろう。……なんつって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、さっさと断片的に流れを書き込んだので、寝坊をすることもなくビジターハウスの食堂へと向かった。

何事もなく全員でしっかりと朝食を食べ、昨日の話や予定やらの話をしていると平塚先生が読んでいた新聞を折りたたんだ。

 

「さて、朝食も終わったようだし、今日の予定について話しておこう」

 

そう切り出すと、小学生の予定、それに沿うように俺たちに準備などを頼みたいと言う。誰にも言わないと言う約束はどうやら守ってくれたようだ。

 

「お化け役だってよ、お前、現地のお化けと間違えられるなよ?」

 

「いや、なんだよ現地のお化けって……。他所のお化けもいんのかよ」

 

あとは、俺が変に勘付かれないように会話を続けていけばいい。こいつらの前で考え事などすればすぐにバレるからな。まぁ、肝試し直前は消えるから流石にバレるだろうが。

準備の説明をするとこのとで、俺たちは立ち上がった平塚先生に続いた。

男子はキャンプファイヤーの薪の組み立て、女子はキャンプファイヤーでフォークダンスをやるときのライン引きだ。

豆知識だが、キャンプファイヤーの儀式的な意味では「親睦の火」という意味合いもあるらしい。なんとも皮肉めいたものだ。

炎天下の中、俺は一人薪を割る。時折、彩加と戸部が薪を運びに出し、それを八幡と葉山で組み立てる。一見、俺が一番重労働に見えるが、周りの木々が影になっているから、そこまで太陽の暑さを感じない。なんなら、陽の照っているなか、ひたすら作業するあの二人の方が辛いだろう。そんなことを考えてる間に最後の薪に斧を下ろす。

 

「彩加、これで最後だ」

 

「うん、わかった。お疲れ様」

 

「お前もな」

 

俺は彩加を労い作業を終える。戸部?知らんな。順次解散とのことだったので、あたりを見渡すと、みな作業を終えていた。

元々の人数も少ないため、そうそう鉢合わせもないだろうとお思い、俺は今日の策をまとめられる場所を歩かながら探すことにした。

すると、小川のせせらぎがちょろちょろと聞こえてくる。

日陰とはいえ、汗はかいたよなあ。ここら辺は上流で川の水も綺麗だろうし、ちょうどいいんじゃないだろうか。

道なりに進むと、ひらけた場所に出た。思った通り人影もなく、透き通った水が勢いよく流れている。が、勢いよすぎだ。足を入れようものならもげるのではなかろうか。仕方がなく、水流に沿って下っていくと、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 

角度のある傾斜の上から見おろすと、ちょうど八幡が水着の平塚先生に一発貰っていた。何がどうしてそうなったんだよ。

その辺りを見回すと、他の女性陣も全員見受けられた。遠くからではあるが、こちらにむかってくる葉山、戸部、彩加も見える。

どうやら散々青春を敵視していた友人は、なんとも羨ましい青春を謳歌しているようにしか見えない。それでもあいつは否定するだろうが、だが実際は謳歌している。みんながみんな同じ青春の形をしているわけではない。例え彼にとって歪であろうと、彼が頑なに認めようとしなくても、今の彼は青春の最中にいるのだ。

皆一様に浮かべている表情は笑顔だ。それを見ているだけで、自然と俺の口角が上がるのを感じる。案外この合宿も悪いことばかりではないらしい。

 

そんなみんなの様子を木に寄りかかり見ていたところ、脇の小道から足音が聞こえる。野生動物かと警戒しながら見ると、そこにいたのは鶴見留美だった。

 

「おう、どうした」

 

俺が声をかけると、鶴見は近づいて俺の隣に腰かけた。

 

「何してんだ?こんなとこで」

 

「……今日自由行動なんだって。朝ごはん終わって部屋に戻ったら誰もいなかった」

 

最近の小学生怖すぎ。もしかして、サイレントかくれんぼとかやってるんじゃない?

 

「ねぇ、あんたはなんで一人なの」

 

「あん?そんなもん一人でいたいから一人なんだよ」

 

流石に依頼主の前で対策を考えていたとは言いづらい。

 

「ほら、向こう見てみろ、あいつら下にいるから暇ならあっちに行ってこいよ」

 

「……いい」

 

「さいですか」

 

暗に向こうに行ってろと促すが、どうやら俺の側から離れるつもりはないらしく、腰を上げるそぶりも見せない。だが、ちょうどいい機会でもあった。

 

「率直に聞くけど、今の現状をお前自身はどうおもってるんだ?」

 

まどろっこしい言い回しはせず、鶴見に問いただす。

 

「……どうなんだろ、辛いし、嫌だけど、一番は惨めっぽいって思うかな」

 

いじめられっこに現状を聞くとは、我ながらなかなかひどい質問を投げかけたもんだ。しかし、もう一問、鶴見には付き合ってもらう。

 

「お前は、今の惨めな自分を変えるのと、これから先、惨めな思いをしないようにするのと、どっちがいい?」

 

「……私は」

 

この返答次第で今日、俺のやるべきことは決まる。

 

 

 

 

「どっちも」

 

 

 

 

「は?」

 

「……だから、今の自分の状況も変えたいし、これから先も惨めになりたくない」

 

「……そうか」

 

意外なことに鶴見はわがままだったらしい。なんとも欲張りな返答だったが、下流で遊ぶ彼らを見て多少は思うところがあったのだろう。だが、俺としては120点をやりたい。小学生がわがまま言わなくてどうするってんだよ。

 

「惨めなのは嫌か」

 

「うん」

 

「この先、中学、高校と惨めな思いはしたくないか」

 

「……うん」

 

ぐっと嗚咽を堪えるように留美は頷く。今にもその目からは涙が零れ落ちそうだ。

 

「わかった」

 

留美の頭に手を乗せ、俺は立ち上がる。

既に腹は決まった。

自分が変わっても、その世界は変わらない。

ただ、その世界を変えてしまえば、その限りではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうするの?」

 

そう雪ノ下が口火を切る。この場合のどうするは只今絶賛準備中の肝試しのことではない。

結局集団での明確な答えを出せずにここまできた。

そんな中、葉山は変わらず、みんなで話し合いをすればと食い下がる。こいつは本当に個を見ない。

 

「おい、八幡。お前、なんか思いついてんだろ」

 

「あ?…まぁな」

 

こういう八方塞がりの時に案を出すのは大抵こいつだ。が、ほとんどハッピーエンドにはならない。というわけで、俺がもし失敗した時にのみ作戦を伝えて決行してほしい旨を伝える。

 

「お前、いつのまに色々考えたんだよ……」

 

「お前が、川で青春を謳歌してる間だよ」

 

「いや、あれは別に……。つか、お前いたのかよ」

 

「ああ、楽しそうでなによりだ。俺はこれから席を外すから、あとはよろしくな」

 

「ちょっ、おい」

 

制止するあいつをよそに俺は歩みを進める。それと同時に、外せない人員を一人連れて行くために頼みにきた。

 

「三浦」

 

「なんだし?」

 

一人でいるタイミングを見計らって声をかける。

 

「頼みがある」

 

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、肝試しの前に、高校生のお兄さんとお姉さんから、お話があります」

 

小学校の教師から生徒たちへ説明される。肝試しの前とあって、生徒たちはがやがやと騒がしかった。

変に緊張されるよりよっぽどいい。上げて落とす方が記憶には残りやすいんだからな。

 

「ごめんねー、みんな。楽しみにしていた肝試しの前に」

 

出来るだけにこやかに、優しい高校生を演じる。

 

「本当は、みんなあの葉山お兄さんが良かったとか思ってるでしょ」

 

小学生からはどっと笑いが起こる。この場の誰一人として、真面目な話が行われるなど想像していない。

 

「話を聞くだけじゃつまんないと思ったんで、代表で何人か前に出てきて一緒に話を進めたんだ。できれば、仲のいいグループがいいな」

 

「ハイ!私たちやりまーす」

 

そう名乗り出たのは、例のグループだった。最悪葉山を出しに使おうと思っていたから好都合だ。それに、……いいね、いい感じに舐めきってくれている。

元気よくクラスのみんなの前に4人は現れる。

 

「ありがとう、じゃあまず話をしよう。ちょっとした怖い話だよ」

 

さぁ、本番はここから。

 

「みんな、いじめって知ってるかな」

 

俺がそう言うと、露骨に空気が変わる特に前の4人。おおかた、留美がちくったんじゃないかと疑っているのだろう。

 

「実はお兄さんが小学校の時にね、クラス内でいじめがあったんだ。ちょうどこのくらいの年で同じくらいの人数だったよ」

 

共感させることで、生徒の関心を攫う。効果はてきめんだった。先ほどの喧騒は嘘のように静まり返り、みなこちらの話を真剣に聞く。

 

「お兄さんはね、いじめる側でも、いじめられる側でもなかったんだよ。ずっとそれを見ている人間だった。明日は自分かもしれない、そう思うと、いじめを止める勇気もなかった」

 

俺の話を聞くと何人か下を向く。見て見ぬ振りをしたことに罪悪感を覚えた生徒がいることの表れだ。その他のおおよその生徒も顔の表情は暗い。前にいる4人を除けば。

つまり、意思のあるいじめの発端はこいつらだけなわけだ。

 

「でも、そんなある日、ふといじめがなくなったんだよ。なんでだと思う?」

 

そう4人に俺は問いかける。

 

「し、知らない」

 

「き、きっとだめなことだって気づいたんだよ」

 

そんな言葉を連ねるが、その様子は先ほどとは違い、焦りが見えた。

まさか話を振られるとは思ってもなかったのだろう。

 

「正解はね、死んだんだよ。いじめられた子がね」

 

生徒はみんな固まる、さあ、もうひと押し。

 

「その子は別に俺と仲が良かったわけじゃないんだ、でも、今でも夢に出てくる。そのときに言われるんだ。『なんで無視したの』って。正直、一番言われたくない言葉なんだよ。なんでかわかるか?」

 

今度は生徒側にだんだんと厳しい口調で尋ねる。返事など帰ってくるわけもなく、そのまま話を続ける。

 

「『そんなに沢山の助けられる手があるくせに、なんで誰一人正しい行いができないの?』俺にはこういう風に思えるからなんだ」

 

まさに今の現状をより深刻にした形で、不安や恐怖を煽る。

 

「その後は、いじめもなく、楽しい学校生活を送ったよ。一人の尊い犠牲の元でだけどね」

 

さて、そろそろ締めて次にいくとしよう。

 

「と言う本当にあったお兄さんの怖い話でした。みんなの幸せも、もしかしたら誰かの不幸の上で成り立っているのかもね?」

 

生徒側には最後に念を押しておく。

さて、では最後に小さなその世界を壊してやろう。

 

「三浦」

 

「ん」

 

今度は待たせていた三浦を呼ぶ。憧れの女子高校生が現れたことで、4人が少し活気を取り戻す。

 

「じゃあ、最後にいじめっこの体験をしてもらいたいんだ」

 

「え?」

 

4人のうちの誰かから驚きの声が上がる。そりゃそうだ、あんな話をした後なんだからな。

 

「このお姉さんと俺をいじめられっ子だと思って、いろんな酷い言葉を言って欲しいんだ。みんなも知りたいだろ?いじめっ子がどんなな感じかを。大丈夫、君たちから何言われようとなんともないから」

 

彼女らが主犯であると、こちらが気づいていないと思わせるように。そして、最後に少し挑発を入れ、相手をその気にさせる。

そこからは、小学生にしては頑張った。くらいの可愛い罵倒が飛んでくる。……おい、待て、三浦、切れるな!

 

「終わり?」

 

「……はぁ、はぁ、……はい」

 

散々言いたい放題言ったせいで息も荒い。まぁ、こちらはなんともないが。

 

「そう、じゃあ、今度はこっちの番だね」

 

「……え?」

 

「え?じゃないよ、まさか、言われっぱなしだと思ったの?世の中そんな甘くないから」

 

そこからは、手筈通り俺と三浦での反撃だ。心が折れる手前まであっという間に4人を追いつめる。憧れの三浦からの言葉だ。おそらくかなりのダメージを受けただろう。

4人は恐ろしくなったのか、教師の方を見るが、教師の方はボランティアで来てくれたことと、これがデモンストレーションだと分かっているためどうしたらいいか迷っている。

 

「うざいわ、お前ら、もう学校くんなよ」

 

「………………」

 

最後に全員の心をへし折りとどめを刺す。

これで彼女らはより上位のいじめの怖さを知った。自分の力では太刀打ちできないことを知った。これで、いじめが自分に帰ってくるかもしれない恐怖を知った。

 

「と、ここまでかな、ごめんねー無理させて」

 

そう言って彼女らの頭を撫でると、泣き崩れてしまった。

これで彼女たちの弱さをクラスメイトが知った。そうなると、たとえ、この後もいじめが続いたとしても無抵抗とはならない。この出来事が後に武器となり、同時に希望にもなる。

泣かせてしまった彼女らには申し訳ないが、それは自業自得だ。

 

「じゃ、肝試し楽しんでね」

 

最後の最後まで、クラスの雰囲気は沈んだままだった。これから肝試しという雰囲気ではないが、そこは教師の腕の見せ所だろう。

……嘘です、ごめんなさい、あとで土下座でもなんでもするんでご勘弁を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんた、一人で考えたの?あれ」

 

肝試しの準備に戻る途中、三浦が話を切り出す。

 

「ああ、部外者でかなりの無茶ができるひとじゃないと、そうそう変えられないと思って。例えばの話、今の話が道徳の授業だとしたら申し訳ないが何も響かないだろうさ」

 

「ふーん、にしてもあんたらしくないんじゃない? あーしが言うのも変だけど、ただキレただけじゃん」

 

ああ、お前自覚あんのね。あそこでキレたら全部台無しだったからな?

 

「これで終わりなわけないだろ。肝試しが終わったらもう一仕事あんだよ」

 

ここまでは、クラス全体へ警鐘、4人組の地位陥落、当初の目標自体はクリア済みだ。ここで終わればただ、不安を煽っただけ。

こっからはあのわがまま娘のお願い事を叶える番だ。

 

「あーしも手伝おうか?」

 

「おう、頼む」

 

「任せろし」

 

「頼りにしてんぜ」

 

手助けを申し出た三浦は気分を良くしたのか、その足取りはどこか軽そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事、作戦が成功した旨をみんなに伝えた時は、大変だった。

最後の最後まで揉めたらしく、結局八幡が案を出してしまったらしく、そのために動き回っていたのと、俺が勝手に解決させたことで、ダブルで混乱が生じたのだ。

しかし、なんとか肝試しを終え、先に俺と三浦でキャンプファイヤーが行われている場所まで向かう。

フォークダンスをしている彼ら彼女らの顔には本来あるはずの笑顔はなりを潜めていた。

 

「……ねぇ、本当にこれで惨めじゃなくなるの?」

 

声をする方に向くと、肝試しの帰りだった留美がいた。周りに人がいないのを見るにあの4人組は先に向かったようだ。

 

「たしかに、あいつら、何も言わなくなったし、グループの話も減ったけど、それだけで本当に私は惨めじゃなくなるの?」

 

噛みしめるようにして、同じ質問をぶつけてくる。

 

「ああ、もうお前が泣かずに済むようにしてやる」

 

そう言って俺たちは留美と一緒にキャンプファイヤーの元に向かう。

案の定、生徒たちの顔は険しい。そうでなくては困る。このためにわざわざあんなキャラを演じたんだ。

彼らからはいじめという一種の共同体を壊した。だから、それに変わる新たな共同体を形成させる。

 

「みんな、フォークダンス中にごめんね、みんなにちょっといいたいことがあってね」

 

いいたいことと聞いて、生徒達はよりいっそうこわばる。

 

「ごめんなさい」

 

「……え」

 

生徒たちの表情は一変して困惑へと変わる。

 

「実は、あの後、この鶴見留美ちゃんに言われたんだ。『言い過ぎじゃないですか?』って」

 

生徒はみな留美の方を向く。しかし、以前のものとは違い、その目には賞賛のような、尊敬のような眼差しだった。あの4人組さえもだ。それだけ、あの状況のあとに俺たちに注意をするという行為には勇気がいるわけだ。

 

「で、お兄さんもこっちのお姉さんも、留美ちゃんの言う通りだと思ってね、みんなの楽しみにしてた時間に暗い話をしてしまったことを謝ろうって思ったんだ。だからごめんなさい」

 

俺と三浦は生徒たちに頭を下げる。

これで、留美は、4人組が罵詈雑言を浴びせても手も足も出なかった高校生を真っ向からの言葉で屈服させたわけだ。

これで彼らの中での言葉の価値が正しい方が強いと認識される。

そして、そうした言葉が目立つようになって生まれてくる共同体が、団結であったり、仲間だったりするのだ。

それに伴い、その先駆者となった鶴見留美の立場は揺るがないものとなる。ちょっとしたカーストの逆転だ。

現に、かなりの人数が留美に声をかけようとしているのが生徒たちの目を見ればわかる。

もう、俺たちは用無しだろう。

 

「じゃあね、みんな、本当ごめんね!」

 

最後は陽気に締めることで、留美の会話へと繋がりやすいように配慮する。

俺たちが去った後、留美は笑顔の生徒たちに囲まれていた。遠巻きにだが、4人組が留美に向けているのは嫉妬や憎悪ではなく、どこか後悔の混じったものに見える。これから彼女は上手くやっていくだろう。

去り際に聞こえた彼女の「ありがとう」はしばらくは忘れられないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、あーし頭下げただけじゃない?」

 

肝試しの片付けをするみんなの元に向かう途中、三浦が不満げに声をかけてくる。

 

「いや、手伝ってくれるって申し出たのお前からじゃん…」

 

「そーだけど、なんか割に合わなくない?」

 

「……しゃーない、サーティーワンで手を打とう」

 

「うし!もちろんダブルだから」

 

 

なんともよく深いやつだ。だが、こいつのおかげなのは事実だ。アイスくらいでいいなら奢ってやるさ。

みんな忘れがちだが、これが本来の三浦優美子だ。友達には面倒見が良く、姉御肌。きつい言動ながらも、案外子どもには優しい。自己中に見られることも多いが、実際は誰よりも周りをきちんと見ている。

今回もそんな三浦だから協力を頼んだ。

こうして三浦優美子を知れば知るほど、こいつの良さを俺は感じている。

そして、それと同時に、

 

葉山隼人がより嫌いになっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りの車内は静かものだった。

後部座席は俺以外全滅。出発から30分もたたないうちに全員寝落ちという、次第に陥っていた。

助手席は俺ではなく、拓也が指名された。話を聞く限り、なかなか際どいことをしでかしたようだ。

 

「まったく、君はこちらに迷惑はかけないと踏んでいたんだがね」

 

「いやぁ、すいません」

 

おそらく、平塚先生が、向こうの教師たちに平謝りしていたことだろう。最初みたときは驚いたもんだ。

 

「別に責めてはいない。むしろ、あちらの方からクラスの雰囲気は良くなったと聞いた」

 

「なかなか、トラウマになりそうなことやりましたけどね」

 

「そう言いながら、何度も予防線を張っていたじゃないか」

 

「その中でリアリティを出すのに苦労したんですよ?本当」

 

当事者同士にしかわからない会話内容だったため、俺も次第にうつらうつらしてくる。

 

「それにしても、今回のポイントはどうしたものか」

 

「雪ノ下が依頼を受けなければ、動かなかっただろうし、由比ヶ浜の説得がなければ動く理由を見つけられなかった。そして、解決策を出した俺と八幡。全員にポイントでいいんじゃないですか?」

 

「なんとも欲がないのだな、君は。解決したのは君だろう」

 

「いや、そもそもポイントとかいらないですし、俺一人じゃ無理だったのは事実ですから」

 

「……そうか、なら、今回は君を立てることにしよう。ともあれ、ご苦労だったな」

 

俺の意識が落ちる寸前、そんな感じの会話を聞こえた。……いつのまにあいつらにもポイントが入るようになったのだろうか。そんな疑問を持ちながら俺は眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

「一つ聞きたいのだが、あの話は本当に作り話だったのかね」

 

「……というと?」

 

「いや、何、やけにリアルだと思ってね」

 

 

 

 

 

 

 

「……作り話ですよ、俺のトラウマを弄ったもんですけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

がたがたと荒っぽく体を揺すられた。

 

「おい、着いたぞ、起きろ八幡宮」

 

「……俺は全国に44000社もいねぇよ」

 

かなりぐっすり寝ていたようだ。時刻はおおよそ昼過ぎくらいか。改めて辺りを見渡すと、見慣れたいつもの高校がある。

外に出ると真夏の外気が肌にまとわりついてきた。二、三日しかたっていないのに無性に懐かしい。

ワンボックスカーから荷物を下ろし、とろとろと帰る準備をする。全員が忘れ物がないかチェックし、なんとなく整列をする。

 

「みんな、ご苦労だったな。家に帰るまでが合宿だ。帰りも気をつけるように。では解散」

 

平塚先生は満足げにそういった。あの顔はこれで締めようときめてたんだろうな。

 

「お兄ちゃん。どうやって帰ろっか?」

 

「京葉線でバスがいいかな。帰りに買い物して帰ろうぜ」

 

「あいあいさー」

 

元気のいい返事だこと。

 

「京葉線ですし、お二人も一緒に帰りませんか?」

 

「ん、いいよ」

 

「そうね。……途中まで」

 

拓也も雪ノ下が頷くと、由比ヶ浜と戸塚が互いに顔を合わせる。

 

「んじゃ、あたしはとさいちゃんはバスかな」

 

「うん、そうだね。じゃあ……」

 

それぞれが帰路に就こうと別れの挨拶をしようとしたときだった。

すーっと、低く静かな駆動音でゆっくりと潜行するように、黒塗りのハイヤーが俺たちの目の前に横付けされた。

 

「金持ってそうなハイヤーだな……」

 

ああ、こいつは知らないんだっけ。これ、雪ノ下のとこの車だ。

思った通り、中からでてきたのは、真夏を感じさせず、どこか涼しささえ感じる女性だった。

 

「はーい、雪乃ちゃん」

 

雪ノ下陽乃は真っ白なサマードレスに身を包み、優雅に車から降りる。

 

「姉さん……」

 

「………げぇ」

 

「え、ゆきのんの、……お、お姉さん?」

 

由比ヶ浜はさかんに目を瞬かせて雪ノ下と陽乃さんを見比べる。一方の拓也は……どうしたお前?

 

「ほぁー、似てる……」

 

小町が呟くと戸塚もうんうんと頷いた。

 

「雪乃ちゃんてば夏休みはおうちに戻ってくるようにって言われてたのに全然帰ってこないんだもん。お姉ちゃん、心配で迎えに来ちゃった!」

 

「なんで居場所わかったんだよ……。やってることがさらっと怖ぇよ……」

 

「たぶん携帯電話のGPSを追尾したんでしょうね。まったくろくなことをしないわ」

 

「なに、お前の家、刑務所なの?実は仮釈放中とかなの?」

 

俺たちの会話に陽乃さんが割って入ってくる。

 

「あ、比企谷くんと、佐藤くんだー。なんだー、また三人一緒に遊んでたのか。んー?いい加減どっちが付き合ってるのか教えてよー。ほらほらー」

 

「またそのパターンかよ……。違うっつってんじゃないですか」

 

うりうりーっと肘で俺を突いてきて邪魔くさいことこの上ない。そもそもなんで俺ばっかなんだよ。

俺の願いが通じたのか、標的が拓也にチェンジする。

 

「それにしても、佐藤くん。君、前と随分違うね」

 

「……まぁ」

 

そりゃそうだ、あん時は俺に気づかせるための行動なんだし。……にしてもなんか焦ってないか?

 

「ほらほらー、前に会ったときみたいな、いい笑顔、お姉さんみたいなー」

 

「……いやぁ、あはは」

 

拓也にあからさまに勢いがない。それに、どことなく、陽乃さんからは怒気のようなものを感じる。……もしかしたら、俺の気づかないところで攻防戦があったのかもしれない。

 

「ヒ、ヒッキー大丈夫?」

 

陽乃さんに突っつかれたのを心配しに由比ヶ浜が近寄る。

その声を聞きてけたのか、再び、こちらを向く。

 

「えーっと、新キャラだねー。あなたは……、比企谷くんの彼女かな?」

 

「ち、違います! ヒッキーとはその、友達です」

 

由比ヶ浜は否定しながらこちらをちらちら見る。その顔は真夏の太陽のせいか、赤く染まっている。

その様子をまじまじと見ると、勝手に一人納得したのか大きくうんうんと頷き、拓也の方に向き直る。忙しい人だ。

 

「そっかそっか、雪乃ちゃんの彼氏は君の方だったんだね、佐藤くん」

 

「違うわ」

 

「違いますけど」

 

二人はほとんど同時に声が出た。

 

「ほら!息ぴったり!」

 

俺たちをからかって遊んでいるのか、これさえも演技なのか、俺には分からなかった。

 

「陽乃、その辺にしておけ」

 

声をかけられて陽乃さんは笑いをぴたりと止める。

 

「久しぶり、静ちゃん」

 

「その呼び方やめろ」

 

恥ずかしさからか、平塚先生はそっぽを向く。俺は二人が顔見知りなのに驚き、平塚先生に問う。

 

「先生、知り合いなんですか?」

 

「昔の教え子だ」

 

「それって」

 

どこか要領を得ない答えの真意を聞こうと俺が口を開くと、それを陽乃さんが遮る。

 

「まぁ積もる話はまた改めて、ね、静ちゃん。じゃあ、雪乃ちゃん。そろそろ行こっか」

 

言っても雪ノ下は動く気配がない。隣ではその様子を拓也が静かに見つめている。

 

「ほら、お母さん、待ってるよ」

 

それまで不遜な態度を崩さなかった雪ノ下がぴくっと反応する。諦めたように短い溜息を吐くと俺たちの方に向き直る。

 

「小町さん。せっかく誘ってもらったのにごめんなさい。あなたたちと一緒に行くことはできないわ」

 

「え。は、はい……それはまぁ、おうちのことなら……」

 

どこかよそよそしさを感じさせる雪ノ下の言葉に小町は戸惑ったように答える。

雪ノ下は透明な微笑を浮かべると、小さく消え入りそうな声で別れを告げた。

 

「……さようなら」

 

陽乃さんに背中を押されるようにして今まさに、雪ノ下は車内に消えるところだった。その時、

 

「雪ノ下、また、な」

 

拓也がそう雪ノ下に別れの挨拶をする。その顔はいつもと変わらないあいつの笑顔だった。

 

「うん、またね、ゆきのん!」

 

「はい!また、会いましょう、雪乃さん!」

 

「またね、雪ノ下さん」

 

拓也に続くように由比ヶ浜、小町、戸塚と笑顔で別れの挨拶をする。

……俺に笑顔は似合わねぇよ。

 

「……またな、雪ノ下」

 

そんな挨拶が帰ってくるとは思っていなかったのか、雪ノ下だけじゃなく、陽乃さんまで驚いた表情をしている。

 

「……ええ、また」

 

そう言うと今度は雪ノ下自ら車に乗り込んだ。

 

「姉さん、早く入ったらどうかしら?」

 

「え、あ、うん」

 

今度は雪ノ下が陽乃さんを急かす形になった。運転手がドアを閉め、運転席へと向かう。

黒いスモーク越しでは中の様子は窺い知れない。

けれど、きっと雪ノ下はいつものようにぴっと背筋の伸びた姿勢で視線を外に向けているのだろうと思った。少しの笑顔と共に。

ハイヤーは静かなエンジン音とともに進みだし、曲がり角で消えた。

 

「ねぇ……、あの車、さ……」

 

「お前も聞いたのか?雪ノ下本人から」

 

「……うん」

 

俺は、合宿の夜、たまたま森の中で会った雪ノ下に、事故のことを本人から聞いた。由比ヶ浜も同じく合宿中に雪ノ下本人からその話をされたようだ。

 

「なにしけた顔してんだよ、夏休みはこれからだぜ」

 

拓也はそう言うと、俺と由比ヶ浜にだけ聞こえるような小声で語りかける。

 

「気になることがあるなら、また、聞けばいい、会いたければ会えばいい。友達なんだから。雪ノ下だって言っただろ、『また』ってよ」

 

「……うん、たっくんの言う通りだ。私たち友達だもん」

 

「……俺、違う気がするんですけど」

 

「小さいことは気にするな」

 

違うことは否定してくれないのね。八幡悲しいよ。

再び明るい雰囲気に戻った俺たちは再びそれぞれ帰路に着く。

夏休みもまだ、一週間以上は残っている。

まだまだ、俺の夏休みは終わりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第19.5話

アンケートありがとうございます。
結果としては比企谷とオリ主の半々+場面によって原作のキャラ視点
が一番多いようでしたので、読んでも読まなくても本編には関係ない話で試し書きをしてみました。
恐らくこんな感じになると思います。

そんな前置きをしておきながら案外重要な回かもしれません。


雪ノ下を見送った俺たちは改めてそれぞれ我が家に向かった。

雪ノ下は一人行ってしまったが、予定通り俺と小町と拓也で帰り道を歩く。

 

「あ、そうだ、今日お前の家泊まっててもいいか?」

 

突然拓也がそんなことを言いだす。

 

「なんだよ、いきなり」

 

「いや、普通に課題を終わらせたいから」

 

「一人でやれよ一人で」

 

テスト勉強ならともかく、課題なんてただ答え写すのがほとんどだろ。

 

「いいじゃん、ちょうどいいし、小町ちゃんの方も見るからさ」

 

「本当ですか!そういうことなら是非いらしてください!」

 

小町を味方につけるのはやめい。それに小町よ、お前、残りの課題めんどくさいのばかりだったけど、まさか押し付けようとしてるんじゃあるまいな。

 

「じゃ、荷物取りに一旦帰るわ」

 

「あ、おい」

 

俺の制止も虚しく、拓也は真夏のアスファルトを駆け抜けていった。

 

「……小町よ」

 

「何?お兄ちゃん」

 

「今日はうちの両親いるぞ」

 

「………てへ☆」

 

強く生きろよ拓也。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー!」

 

「たでーま」

 

外泊で家を空けるなんてここ最近なかったせいか、数日開けただけなのにやけに久しぶりな感じだ。

 

「おかえりなさい」

 

「おかえり」

 

リビングに向かうと親父と母ちゃんがいた。いつもはどんな時間帯であっても休みの日は必ず寝ているはずなのに、なぜか今日に限って起きていた。

 

「どうだったの?合宿ってやつは」

 

「うん、楽しかったよー!小学生の子も可愛くってさー」

 

小町は早速、合宿の感想を母ちゃんに話していた。

かく言う俺も、親父に引きずられるようにしてソファーに座らされる。

 

「八幡、小町に変な虫はつかなかっただろうな?」

 

「いや、相手は小学生だぞ親父」

 

「バカ言え、小学生だろうが、小町の可愛さに引っかかるやつはいるんだよ。あの純粋無垢な笑顔を見せられて落ちない奴はいない」

 

小町は天使なのか?親父。いや、天使か。

 

 

 

 

「あ、それでさー、お母さん、今日拓也さんが泊まりに来るんだけど大丈夫?」

 

 

 

 

びきっ。

小町がそう言うと同時に俺の隣で変な音がする。

恐る恐る見てみると、そこにいたのは般若のような顔をした親父だった。

 

「あら、そう。いいんじゃない?あの子いい子だし」

 

「やったー!お母さん大好き」

 

和やかな雰囲気を前に、とんでもない怒気を横にした俺は動けずにいた。

 

「なぁ、八幡、小町のあの喜びよう。なんかおかしいよなぁ」

 

「ハイソウデスネ」

 

「今日、来るんだってな、拓也くんは」

 

「ハイソウデス」

 

「ちょっと、俺たちと話し合いが必要だよなぁ、八幡」

 

「オッシャルトオリデス」

 

「お前は、こっちの味方だよな」

 

「ハイ、モチロンデス」

 

ごめんな、拓也。親父には勝てなかったよぉ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おじゃましまーす」

 

そう時間もたたないうちに呼び鈴の音とともに大きな声が聞こえる。

 

「いらっしゃい、拓也くん」

 

そう言っていの一番に拓也を出迎えたのは親父だった。

 

「さ、あがっていきたまえ」

 

その言動はいつも親父らしくない、余裕が見えた。

 

「およ、拓也さん、いらっしゃいです!さぁさぁ、上がってってください」

 

「お、小町ちゃん、さっきぶり、お父さんもお邪魔しますね」

 

そういうと、慣れた様子で俺の部屋まで荷物を持っていった。

 

「なぁ、八幡、あいつ今、お義父さんと言ったか?」

 

はい、お父さんと言いました。

 

「しかも、邪魔をするって言わなかったか」

 

はい、お邪魔しますと礼儀正しく言って行きました。

 

「間違いない、あいつ!俺の小町をとうとう奪いにきやがった!」

 

おい、さっきの余裕はどうした。

 

「このままじゃ、小町が危ない!そうなる前に俺が」

 

「いい加減にしろ」

 

「ごはっ!」

 

今まさに俺の部屋に向かおうとした親父を母ちゃんの鉄拳が襲う。

 

「ほら、あんたも突っ立ってないで、部屋に行ってきな。大事な友達でしょ」

 

俺は床に倒れこむ親父を尻目に部屋に向かった。

悪いな親父、俺は強い奴の味方なんだ。弱い親父なんていらない!

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず、お前の家は面白いよな」

 

俺が部屋に入るなり、開口一番にそう言う。

拓也が相変わらずと言うように、実はこのやり取りは一度や二度ではない。こいつがうちに来るときに親がいると毎回こうなのだ。

 

「そうでもないぞ、こんなんになるものお前が来るときくらいだ」

 

母ちゃんは言わずもがなだが、案外親父も親父でこいつのことを気に入ってるんじゃないだろうか。

 

「そうか、じゃ、また夕飯でも作ろうかね」

 

「本当ですか!拓也さん!」

 

拓也としては冗談まじりのつもりだったのだろうが、運悪く小町に聞こえてしまった。

 

「じゃあ、おかあさんにもそう言っときますね!」

 

「あ、いや、小町ちゃん待っ」

 

拓也の声も虚しく空へと消えていく。

 

「ま、頑張れよ」

 

「……せめて、お前は自分の父ちゃんを押さえとけよ」

 

任せろ、今の親父など恐るるに足らん。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼過ぎから夕方ごろまで俺たちはそれぞれ課題をを終わらせていた。

部屋には一度小町が今晩の夕食について聞きにきただけで、何だかんだ親父は来なかった。

……にしても本気で作らせる気なのね。我が家族ながら恐ろしい。

 

「……よし、じゃあ作ってくるわ」

 

それを平然と受け入れているこいつもなかなかだな。

 

「早くねぇか?」

 

「料理に一番時間がかかるのは下ごしらえなんだよ」

 

家でなにを作る気なんですかね。……まさか、小町の胃袋を掴む気か?親父に要相談だな。

 

「時間かかるし、早いけど風呂でも入ってこいよ」

 

「おう」

 

確かに多少のベタ付きを感じる。リビングに向かう拓也とは逆に俺は風呂場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がリビングへと向かうと、ソファーに座る八幡の親父とキッチンで忙しなく動いている小町ちゃんとお母さんの姿があった。

 

「あ、拓也さん。具材置いときましたよ!」

 

こちらに気づいた小町ちゃんが俺の前に具材を用意してくれる。

 

「ありがとね、佐藤くん。本当助かるわ」

 

「いえいえ、好きでやってますから。小町ちゃんもありがと」

 

八幡曰く、ご両親とも多忙だそうな。たまの休みくらいゆっくりしてもらいたいものだ。そう思い俺はせっせと下ごしらえをすすめる。

 

「にしても、あの子にこんないい友達ができるなんてね〜」

 

ふと、お母さんの方がそう呟く。

 

「本当にねー、小町なんか最初は金づるにされてるんじゃないかと思ったよ」

 

最初に金づるとは、あいつの人生もなかなかなもんだな。

 

「なんで、うちの子とそんなに仲良くなったの?」

 

「あ、小町も気になります!」

 

「…………」

 

興味、期待、疑問。三者三様の視線が俺に集まる。ああだこうだ言いながらも比企谷八幡という男は家族に愛されているのだろう。

 

「そんなたいそうな事じゃないですよ」

 

下ごしらえの手を止めることなく、俺はあいつと出会った時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

高校一年の春。色々あった俺だったが、なんとか周りの友達にも慣れてそこそこ順調な生活を送っていた。

その数ヶ月後、奴はやってきた。

通学中に犬を助けて入院していると、このクラスになったときに担任から聞かされた。

俺はそんな奴に少なからず淡い憧れを持っていた。よく言うだろ、もし俺がそこにいたら、もし俺がこいつだったら、とか。

そんなものは所詮妄想であり、実際にその場面に居たとしても、そんなことをぬかすやつほど一番動けない。

だからこそ、咄嗟に動ける奴がいることに、そんなヒーローみたいなやつが来ることに、憧れと、ほんの少しの期待があった。

 

「……ひ、比企谷、八幡です……よろしく」

 

今だから言えるが、俺は一人失望したんだろう。俺が思い描いたヒーローのような正義感、滲み出るような爽快感はそこになく、あったのは少し濁った目だけだった。

 

「……よろしく」

 

「……おう」

 

思えば酷い事したもんだ。隣の席になった高校1年の途中の時期に入ってくるやつにしていい対応じゃなかった。

悪いのは勝手に「比企谷八幡」というヒーローに勝手に憧れて、勝手に失望した俺だってのに。

 

「……なぁ、よかったら」

 

「わりぃ、友達待たせてるんだ」

 

それから俺は多少あいつと距離を置いた。一度は憧れた人だったからか、なんとなく普通に接することがいやだった。くだらない意地だ。やっぱり、世の中にヒーローなんて都合のいいものは存在しないと、そう思い始めた時だった。

 

「おい、誰だよ〜、こいつの携帯壊したの」

 

昼休み、クラスの中心にいた奴がそう声をあげた。

 

「まぢ最悪なんですけど〜、落とした奴弁償してよね〜」

 

どうやら同じグループのやつの携帯が壊れていたらしい。

 

「絶対教室にいる奴だろ、早く名乗り出ろよ」

 

男の方がそう言うが、クラスの他の奴らはこいつが携帯を落として割ったの知っていた。だが、やはり怖いのか俺含め誰一人名乗り出るものはいなかった。

 

「おい、さっきから黙ってるし、お前だろ」

 

「……え、わ、私知らないよ」

 

目をつけられたのはおとなしそうな女の子だった。

割ったのはお前だろ、人になすりつけるな。

 

「いいから、弁償してよ、弁償」

 

「ほ、本当に何にも知らないから」

 

その子の目は周りに助けを求めていた。

いい加減にしろよ。嫌がってるだろ。

 

出かかった誰かを救える言葉は、いつも喉元で消え失せた。

何故助けないと周りを嫌悪する。でも、それ以上に動けない自分に憎悪していた。

 

「……はぁ、だっせ」

 

声のする方に振り返ると、そこにいたのはあいつだった。

 

「……あ?」

 

「違うって言ってんじゃん、お前、言葉わかんねぇの」

 

「……んだと?」

 

「それに、そこのお前も、なんでこいつが言ってることが正しいって言えるんだよ」

 

「そ、それは」

 

「そもそも、そんなところに置きっぱなしにしてるのもどうなんだよ。そんなとこ置いてんなら壊されたって文句ねぇだろ」

 

「で、でも」

 

「でもじゃないだろ、だいたい」

 

「も、もういいから!」

 

止めたのは先程追い詰められていた女の子だった。

見ると、あいつに言いくるめられていた女の子の方は泣き崩れていた。

クラスの奴らも先ほどの流れも忘れ、泣いている女の子に同情を向ける。

 

「悪い、割ったの俺なんだ、適当な所で笑い話にしようって思って」

 

元々中心人物なだけあって、男のその声でクラスの同情は完全に傾いた。

結果的に事態を解決させた、比企谷八幡の行為を讃える人間はいなくなった。

寧ろ、果敢に悪に立ち向かった男に向けられたのは辛辣なものだった。

ひそひそと声が聞こえる。「ノリもわからないのか」「ああいうのまじで冷めるわ」「説教とかしちゃって、何様だよ」そんな本人に聞こえるような声が教室中にこだまする。そう言っているのは全て俺と同じ傍観者達だった。

だが、聞こえているはずの比企谷はいつもと同じだった。さもそれが当たり前かのように。

 

 

俺はこのとき、こいつから勇気を貰った。一声出すだけで、たしかに人が助けられることを知った。

そしてなにより、「ヒーロー」が傷ついていることを知った。

 

「……よ、八幡。かっこいいじゃん」

 

「あ?……お、おう。つかなんでいきなり下の名前なの?」

 

「細かいことは気にするな。あ、今日放課後とか空いてる?実はいいゲーセンがあってな」

 

だから、俺はその日、そんな傷だらけの「ヒーロー」が幸せを掴めるように、いつか救われますようにとそんな思いを密かに抱き、友達になった。

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、要するにあいつは俺にとってはヒーローであり、支えが必要な大馬鹿者で、何より大事な友達なんです」

 

長々と話していたつもりだったが、時計を見ると、10分も経っていなかった。

 

「それに、あいつ意外と家族思いなんですよ、小町ちゃんは言わずもがな、親父さんの方はいらない知識を教えてくれるんだってちょっと嬉しそうに話しますし、お母さんの方もいつもなんだかんだいって気にかけてくれてるって。かわいいのがあいつ、家族旅行に連れてって貰えないのを拗ねてるんですよ」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

もしかしたら、触れない方がいい話しだったのかもしれない。なにやら神妙な面持ちで家族全員黙ってしまった。

 

「あー、ちょっと仕上げに必要なもんが足りないんでコンビニ行ってきますね」

 

梅肉ネギソースに欠かせない梅が足りないのだ。

なんか居づらいのもあるけど。そんな思いも持ちながら俺はそそくさと玄関を出た。

 

 

 

 

 

 

 

「……本当、いい子と出会ったのね」

 

「……うん」

 

「……今度、家族旅行行くか」

 

ちなみに彼らのあずかり知らぬところで評価爆上げである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にしても何だよあのチキンソテー美味すぎだろ」

 

「だろ?あの梅肉ソースが夏バテ予防になって食欲も刺激するんだよ」

 

あの後、風呂から出た俺がリビングに向かうと、何故か生暖かい視線を家族から感じた。もしかしたら社会の窓でも空いてたのかもしれない。

ちょうど拓也も仕上げにはいったようで、そのまま飯を食って今に至る。

 

「じゃ、そろそろ寝るか」

 

「おう」

 

「明日も、勉強したら遊ぼうぜ」

 

「ああ」

 

しかし、こんな充実した夏休みを過ごすなんて誰が思っただろうか。林間学校ではクラスの奴らと川で遊んで、帰ってからは家に友達が泊まりに来る。どれもこれも俺が嫌っていた青春の一幕だ。

そんな今があるのもこいつのおかげなんだろう。あの日、あの声の中、俺に声をかけることがどれほど勇気のいる行為だったのか俺には計り知れない。

あれがなければ、俺はもっと腐れきった人間になっていったと思う。

だから、面と向かっては言えないが、いつか、あのとき、お前は俺にとって「ヒーロー」だったとそう言ってやりたい。

 

 

 

 

 




なんか、たまに300人とか見てる時間帯があって驚いてるんですけどあれなんですかね?
見られる時間帯とかがあるんでしょうか。
今回は完全に独自設定です。
賛否いろいろあると思いますが、暖かい感想をお待ちしております。
元々前回の千葉村辺りから頭に描いていたのでここからは本当に原作の流れの中にありつつも違う展開になると思います。おそらく。多分。


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第20話

誤字脱字報告ありがとうございました。


あいつが泊まりにきてからしばらくたった。夏休みも中盤から終盤に差し掛かるところだろうか、俺は小町の自由研究の手伝いに追われながらもなんとか終わらせようとしていた。珍しいこともあるもんで、小町は俺に丸投げするのではなく基本的に自分の力で終わらせようとしていた。あいつの飯を食ってからやけにやる気に満ちている気がする。

そんな中、時計はじきに11時を刺そうとしている。

午後からの夏期講習に向かうべく、準備をしなければならない。こういうのって行くまでがだるいんだよな。

俺にも作用しろよ、やる気スイッチ。

そんなことを適当に思いながら着替えていると、インターホンが鳴った。

再配達を頼んでおいたアマゾンだと思い、玄関口で印鑑を握り締めて扉を開けてみると、そこには意外な人物がいた。

 

「や、やっはろー」

 

茶色のお団子髪、夏らしい服に身を包み、キャリーバッグを両手で支える由比ヶ浜結衣が立っていた。

 

「……今日はお前かよ」

 

「?」

 

休みに立て続けにこうも俺ん家に人が来るなんて初めてだが、連続で来られると案外疲れるんだな。その点リア充はこんなの日常茶飯事だろ?あいつらのスタミナは無尽蔵なんだろうか。

 

「なんか用か?」

 

由比ヶ浜は家に来るのは2度目のはずだ。1度目は会ってないから知らんけど。

 

「あ、あの……、小町ちゃん、いる?」

 

おそらく、小町となんぞ約束でもしていたのだろう。

 

「小町ー、お友達が来たわよー」

 

母親さながらに小町を呼ぶと、いつのまにかバッチリ着替えた小町が下りてくる。お前、さっきまでTシャツ一枚だったじゃねぇかよ。

 

「結衣さん、いらっしゃーい。ささ、上がってください」

 

「うん、ありがとー。じゃ、じゃあ。お邪魔します……」

 

そう言うものの、由比ヶ浜は一呼吸おいて上がった。

まぁ、わからなくもない。他人の家というのは普通は落ち着かないもんだ。……いや、我が物顔で上がっていくやつもいるから違うのか?

 

「ま、座れよ」

 

「あ、ありがと」

 

椅子を引いて由比ヶ浜に勧めるとしずしずと由比ヶ浜は席に着く。少し遅れてキッチンに飲み物を取りに行った小町が戻ってきてカップを置く。

 

「で、お前、何しに来たの?」

 

由比ヶ浜が俺んちにくる理由がてんで分からないので尋ねると、彼女は大事そうにかかえたキャリーバッグを指す。

 

「あの、小町ちゃんにお願いしてたサブレのことなんだけど……」

 

由比ヶ浜は膝に置いたキャリーバッグを開ける。

中から現れた毛むくじゃらの生き物は俺めがけてまっしぐらに突っ込んでくる。やめろ、そんなに舐め、ちょ、舐めるな!……もしかして俺は甘いのか?

 

「で、このワンちゃんなんで連れてきたんだ?」

 

顔から引き剥がしたサブレは今度は永遠と俺の足元をぐるぐる回って離れていくそぶりを見せない。

 

「うち、これから家族旅行行くんだ」

 

家族旅行ねぇ……。そういや、親父が今朝夏休み中に旅行するから予定空けとけとか言ってたっけか。母ちゃんもやけに乗り気だし、宝くじでも当たったのか?

 

「結衣さんもですか!実は我が家も行くんですよ」

 

ご覧の通り小町までしっかり乗り気である。……旅行先で毒殺とかされないよね?死ぬ時くらいはいい所で死なせてやるとかそんなんじゃないよね?名探偵来ないよね?

 

「で、その旅行がどうしたって?」

 

「あ、うん、旅行行ってる間、ちょっとサブレを預かってほしいなーって」

 

由比ヶ浜に上目遣いで「ダメ?」と聞かれてしまった。

可愛い。

しかし、それで屈しないのがこの俺である。二つ返事で了承するわけにはいかない。

 

「……わざわざうちに預けなくてもいいだろ」

 

こいつなら仲良い奴なんてほかにもいるだろうし、最近じゃペットホテルなんて言う手もある。

 

「優実子も姫菜とペット飼ったことなくってさ。最初、ゆきのんに頼んでみたんだけど、今、実家にいて駄目だって……」

 

由比ヶ浜は一瞬、気遣わしげな表情を見せて口ごもる。そのことに気づいた小町が続きを促した。

 

「雪乃さん、どうかしたんですか?」

 

由比ヶ浜は少し言い淀んだあと、俺に視線を向けた。

 

「う、うん……。ヒッキー、ゆきのんと連絡取ったりしてる?」

 

「いや、俺連絡先知らないから」

 

小町にも視線で問うが、首を横に振った。

 

「あたし、結構メールとか電話とかしてるんだけどさ」

 

「どうかしたのか?」

 

「電話しても留守電だったりして、あとでメール来たり。内容はいつも通りなんだけど、遊びに誘っても予定詰まってたり……」

 

「ははぁ……」

 

そりゃ避けられてるんだ。って言ってやりたいところだが現状ではそうとは限らない。ここはもう一人に聞いてみるとしよう。

 

「ちょっと待ってろ」

 

「?」

 

数少ない俺のアドレス帳から奴の番号を見つけるのにそう時間はかからない。

 

「もしもし」

 

「『……はい、こちら119番。火事ですか、救急ですか』」

 

「おう、火事だ、今すぐお前の頭を鎮火しろ」

 

夏は人をおかしくするって言うし、しょうがないさ。

 

「お前、夏休み中に雪ノ下と会った、もしくは連絡とったか?俺の家に泊まりに来た後だ」

 

「『お前ん家泊まった後か?会ってるぞ、割と頻繁に』」

 

会ってんのかよ。

 

「で、どんな感じだった?」

 

「『会ったって言っても夏期講習でなんだけどな、なんかやけに疲れてたな。俺を見つけては「母さんも姉さんもいい加減に……」とか「どうやったら時間が取れるのかあなたも考えてちょうだい」とかそんな愚痴を永遠と休み時間に聞かされるんだけど。あと少しで理性が飛びそうなんだけど。そろそろやばいんだけど。……ねぇ、八幡、助けt』」

 

最後の方は良く聞き取れなかったが、どうやら雪ノ下は純粋に忙しいだけのようだ。あいつのあの様子からしてそれは間違いない。

 

「よかったな、由比ヶ浜、普通に忙しいだけみたいだぞ」

 

「ほ、本当⁉︎」

 

「ああ、確かな情報だ。安心しろ」

 

かわいそうに、次に見るとき、彼は俺の知る彼ではないのだろう。

 

「そっか、そっか。……えへへ、良かった」

 

先ほどと打って変わって嬉しそうな顔を見せる。

周囲に敏感なだけに、あの車を見て以降、雪ノ下が自分を遠ざけてるのではないかと葛藤していたのだろう。まぁ、杞憂に終わってようだが。

 

「あ、それで、ペットホテルも考えたんだけど、この時期はみんな考えることは同じみたいで予約とかとれなくてね」

 

「そこで小町の出番なわけだよ、お兄ちゃん」

 

意気揚々と踏ん反り返る小町。

まぁ、由比ヶ浜とメールしてるみたいだし、話の流れで申し出たんだろうな。

 

「こういう機会は多いに越したことはないからね」

 

そう小声でつぶやく小町。犬を押し付けられるのが多いに越したことはないってどうゆうことですか。将来はペットショップ店員をやれということでしょうか。

 

「まぁ、あんま期待はすんなよ。俺は面倒を見るよりも見られるほうが得意なタイプだからな」

 

もうかれこれ17年も養われてるんだからベテランといっても過言ではないだろう。

俺のすぐ横に腹を出して寝転んでいるサブレをわしわししながら答えると、そのサブレを小町に奪われる。

 

「サブレちゃんのことは小町に任せてくださいっ!すぐに小町なしではいられない身体にしてあげますよっ!」

 

サブレを寝とる気満々の小町である。

 

「それはちょっと困るけど……。たっくんもおんなじこと言ってきたんだよねー」

 

あいつの場合、本当に帰って来なさそうで怖い。

 

「でも、うん、じゃあよろしくお願いします」

 

まだどこか不安げな顔をしていたが、由比ヶ浜はぺこりと頭を下げた。そして、手首の内側に目をやり、腕時計を確認する。

 

「あ、そろそろ行かないと。ママたち待たせているから」

 

「ではでは、お見送りしますよ」

 

二人が階段を降りていくのを横目に見ていたが、由比ヶ浜の顔から迷いが消えていた。サブレのこともそうだが、雪ノ下のことも同じくらい気がかりだったのだろう。

それが解決したんだ、心から旅行を楽しめるだろう。

我が家に解き放たれたサブレは部屋の中を徘徊している。猫がいるからその匂いに反応してるのかね。

そのかまくらといえば、正面からサブレを見据えている。どうやらサブレに興味津々のようだ。恐る恐るちょっかいを出すかまくらを無下にすることもなく、うれしそうにはしゃぐサブレ。

その光景はどこか見覚えがあった。

夏休みにもなって思い浮かべる程度にはもしかしたら俺はあの空間を居心地よく思っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから時間は過ぎて、由比ヶ浜が家に犬を預けてから2日がたった。

そんな中俺は夏期講習で川崎と会ったり、戸塚と映画を見に行ったり、平塚先生に会ったりと割と濃い数日を過ごしていた。

そして今日、由比ヶ浜が引き取りに来る日である。

そろそろ夕飯の準備を終えようかという時間に、インターホンが鳴らされた。おそらく由比ヶ浜だろうと思い、扉をあけて確認すると案の定由比ヶ浜がいた。

 

「あ、やっはろー」

 

「おう」

 

「はい、これお土産」

 

がさっと紙袋を渡された。

 

「地域限定なんだよ!」

 

「へぇ……」

 

紙袋の中をちらっと見てみると由比ヶ浜の言うようにご当地お菓子だった。小分け包装なので学校や職場でも分けやすい。なんとも由比ヶ浜らしいと言ったらあれだが、空気の読んだお土産だ。

 

「それで、サブレは?」

 

「ああ、元気だよ。小町」

 

俺が家の中に呼びかけると、サブレを抱きかかえた小町が玄関までやってくる。

 

「小町ちゃん、ありがとー!」

 

「いえいえ」

 

小町が抱えるサブレを撫でつつ話をつづける。

 

「迷惑かけなかった?」

 

「そんなそんな。一緒に遊んで楽しかったですよ」

 

その答えに気を良くしたのかサブレにも話しかける。

 

「ほらほら、サブレー。お姉ちゃんですよー」

 

当のサブレは「わふ?」と首を傾げたまま動かない。

 

「サブレぇ⁉︎」

 

忘れられたことがあまりにショックだったのか大きな声を出す由比ヶ浜。それに驚いたサブレは小町の腕から離れ俺の足の周りをうろうろしている。俺はそれを捕まえてキャリーバッグにそっと入れ、ファスナーを閉じて由比ヶ浜に渡す。

 

「ほれ。2日もすりゃお前のことも思い出すだろ」

 

「うぅ……、忘れないでほしかった……」

 

サブレは隙間からこちらを覗きくーんと鳴いた。

 

「……じゃ、またな」

 

たいして可愛がってもなかったが、いざ別れとなると込み上げてくるものがある。それもそんな顔されたら尚更だ。

 

「結衣さん、またサブレ連れて遊びに来てくださいね」

 

「行く行く!絶対行くよ〜」

 

「ええ、ぜひ。両親のいるときに、菓子折りを持って挨拶がてら」

 

「そうだね、ご両親に御挨え、ええ⁉︎い、いやそれはまだ早いというかもうちょっと先と言うか」

 

そのセリフを聞くと小町の瞳が怪しく光り、ムフフと一人で笑っている。そこまでしてサブレが欲しいのか。

 

「とにかく、また遊びに来てくださいね。小町、待ってますから」

 

「うん、ありがとね」

 

由比ヶ浜はサブレと荷物を持って玄関を出ようとする。と、そこで昨日会った平塚先生に言われたことを思い出した。

 

「そういや、平塚先生から聞いたんだけど、花火大会に雪ノ下がもしかしたらいるかもしれないぞ。あのイベント自体が自治体主催らしいからお偉いさんが家族で来たりするんだと。どうしても自分の目で確かめたいなら行ってみたらどうだ」

 

「そうなんだ……。わかった。行ってみーー」

 

由比ヶ浜は何か思いついたのか一呼吸置いた。小さく深呼吸すると、視線を俺に向ける。

 

「そ、その……、花火大会、一緒に行かない?サブレの面倒をみてくれたお礼ってことで。なんか奢るし」

 

「だってよ、そういうことなら小町も行こうぜ」

 

二人っきりでいく、という選択肢も片隅に浮かんだが、お礼ってことなら小町も行くべきだろう。

小町の方を見るとやれやれと小さくため息をついていた。そういう気遣いを他の人に向けられないからごみいちゃんなんだよとか呟いてたが、聞き流した。

 

「あー、誘っていただいて申し訳ないんですけど、小町、これでも受験生でして……。お礼ってことでもどこか遊びに行くのは無理かもです……」

 

「そっか……。そうだよね」

 

「すいません。で・も・っ!でもですね。小町、買ってきて欲しいものはあるんです。あー、でも小町にはその時間がない!困ったなー。結構量があるから結衣さん一人だと大変だなー」

 

わざとらしい棒読みのあと、ちらっとこっち見たぞこいつ……。

 

「はぁ、……由比ヶ浜」

 

「?」

 

「行くか、二人で」

 

「う、うん! じゃあまた後で連絡するね!」

 

そう言って由比ヶ浜は元気よく我が家を飛び出して行った。これでよろしいでしょうか小町さんや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助けてく……。切りやがったなあいつ」

 

いきなり電話してきて切るとはなんとも自分勝手な奴だ。休憩時間だから良かったものの、やっぱり携帯は切った方がいいな。

 

「誰が愚痴ばかりですって?」

 

突然後ろから冷たい声が聞こえる。嘘だろ、さっきまでいなかったじゃねぇか。ヤードラット星人と仲良くなったのか?

 

「お前だよ、お前。ノイローゼになるわ」

 

別に隠すことではないので正面から言ってやる。多少なら聞きに徹してやろうと思ったが、あいつにも言った通りいい加減限界である。

 

「だいたい、ぐちぐちとお前らしくないんじゃないの?お前のお姉さんだろうが母親だろうが自分を貫くのがお前だと思ってるだかな」

 

「……無理よ、昔から姉さんには何を言っても敵わないし、お母さんの言うことは絶対なのよ」

 

雪ノ下は家族の話を持ちだすと途端に顔に暗い影を落とした。

 

「そりゃあそうだ」

 

「え?」

 

どうやらこいつは何やら思い違いをしているらしい。

 

「お前のお姉さんだろ、そりゃあ大学生と高校生っていう差に加えて、向こうは沢山の対人経験まで持ち合わせてるんだ。それに母親だってそうだ。そのお前の姉さんよりももっと人生経験が豊富にあって、もっと対人経験もあるような人なんだろ?そりゃまだ高校2年のお前がいくら頑張ろうと無理に決まってるだろ」

 

「そうよね……」

 

俺の言葉を聞いてしゅんとする雪ノ下。

 

「けどよ、それはお前一人の場合だろ?」

 

「?」

 

今度は心底不思議そうな顔をする。

 

「お前のお姉さんに勝てない?じゃあ、俺を頼れ、比企谷を頼れ、由比ヶ浜を頼れ、彩加を頼れ、義輝を頼れ、三浦を頼れ、川崎を頼れ、なんなら最悪葉山にだって頼ったらいい。お前には周りにこんだけ頼っていい奴がいるんだ。一人で勝てないなら周りに頼って勝てばいい。誰かに力を借りれるってのも立派なお前の力なんだから」

 

「…………」

 

雪ノ下は黙って俺の次の言葉を待っている。

 

「お前の母親に勝てないなら、他の家族を頼ればいい。お前の父親に頼ってもいい、もちろんお姉さんに頼ったっていい。その上で、たくさん迷惑をかけてやればいい。それが家族だろ。俺はお前の母親に会ったことはないが、子どもを愛していない親はいないと思うぞ」

 

「…………」

 

俺の話を聞いてもなお、雪ノ下は沈黙を貫いている。

結構強気に言ったが、思っていることは伝えたつもりだ。

雪ノ下のように、自分を貫くのはとても大切なことだ。今のご時世、自分に自信が持てない由比ヶ浜のような人間の方が多いくらいだし。

だが、一人だけでは必ず人生のどこかで躓く時がある。自分一人ではどうしようもない時がくるのだ。上から目線で申し訳ないがな。

おそらく、雪ノ下にとってその壁が今来ているのだろう。

 

「……思ってもいないことだったわ」

 

「そりゃ、そうだろ。今の今まで友達いなかったんだろお前?」

 

わからないこともない。実際、小学校、中学高は友達がいなくても自分の力でなんとかなるとイキってしまう時期も確かにある。しかしそれは社会を舐めている子供特有の現象だと俺は思う。何かしらの理由をつけて今の自分を正当化させたいのだろう。

しかし大抵の人間は大人になった途端に周りの人間のありがたさを知っていく。

まぁ、何が言いたいかと言えば、俺から見たらどこか子どもっぽいのだ。最近の雪ノ下雪乃は。

 

「そうね」

 

しかし、その笑みに俺は彼女の成長を感じた気がした。

 

「私も、頼ってみようと思うわ、周りを」

 

「おう、いいんじゃねぇの。最初から頼るもいいし、お前なりにやった上で駄目なら周りに頼るのもいいんだからな」

 

「だ、だから、その……」

 

「なんだ?」

 

「……また、話聞いてもらってもいいかしら?」

 

「……ま、ほどほどにな」

 

どこか大人になったように感じる彼女を見ると、いつもよりも数段、魅力的に見えた。

雪ノ下雪乃は馬鹿じゃない。自分の意見しか受け付けない愚か者でもない。むしろ、人よりたくさんのことを吸収できる容量のいい人間なんだろう。ただ、周りの誰もが彼女にそれを教えなかった。ひたすら嫉妬や憎悪という悪意だけを向けられた彼女は自分自身しか頼れるものがなかっただけなんだろう。

本当に他人を信じることができた時、彼女の周りには自ずと人が集まるのだろうと思う。

 

無論、その後の授業が俺の頭に入ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




14巻出ますね。
楽しみなような残念なような不思議な気持ちです。


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第21話

誤字脱字報告ありがとうございます。
また、新しいアンケートを設けました。参考にさせていただきたいので、ご回答いただけるとありがたいです。


地域のつながりがなくなったとか、ご近所関係が希薄になったとか、そんな言説がちょいちょい飛び交う。

そりゃそうだ。町内会長だ市長さんだと言われても顔が思いつくやつなんて若者にはほとんどいないだろう。最近は地域密着なんて掲げてるところもあるらしいが、成果は芳しくないのがほとんどだ。

けれど、俺たちが地域という存在をようやく感じ取れるときがある。

それが今日みたいな日だ。

家を出て、駅までの道のりを歩いていると、俺と同じ方向へと進む人が多い。中でも女性の浴衣姿がよく目立った。

電車の中では仲睦まじい男女や家族連れの波に呑まれてしまい、隅へ隅へと追い込まれていく。

密やかに呼吸を続けること数分。ようやく目的の駅だ。

開いたドアから降りて、人の流れに逆走するように待ち合わせ場所に向かった。

柱に寄りかかっていると、校内で見覚えのある連中が何人か通りかかった。もしかしたら知り合いの一人や二人いるかもしれない。そんなことを考えていると、下駄を鳴らして歩いてくる女の子を見つけた。

下駄を履き慣れていないのか、その足取りは危なっかしいく、思わずこちらから2、3歩駆け寄ってしまった。

 

「あ、ヒッキー。ちょっと、ばたばたしちゃって……、遅れちゃった……」

 

申し訳なさそうにしながらも、満面の笑みを浮かべる。

 

「いや、それは別にいいんだけどさ」

 

お互い向かい合ったものの、なんとなく沈黙してしまう。

 

「まぁ、その……その浴衣いいな」

 

なんで浴衣褒めてんだ俺は。中身のほうを褒めないとダメだろ。ただ、向こうはどうやら察してはくれたようだ。

 

「あ、あああありがと」

 

そしてまた沈黙、どうすんだよこれ。

固まってしまった空気をなんとかしようと口を開いた。

 

「……とりあえず、行くか」

 

「……うん」

 

歩き出す俺の後ろ下駄特有のかぽかぽという音を立てて追いかけてくる。

そして、俺が改札に入ろうとした時だった。

 

「あ、あのさ、一駅くらいだから歩いていかない?」

 

時計を見るとまだ、時刻は4時前を指していた。

 

「いいけど、何だよ急に」

 

時間的には全然余裕があるし、俺のなけなしのお金を使わなくて済むのはありがたいが、由比ヶ浜の意図が見えなかった。

由比ヶ浜は一呼吸置いて言葉を紡ぐ。

 

「……ほら、こんな機会めったにないじゃん?だから、もうちょっとヒッキーと一緒に……、その、楽しみたいって言うか……」

 

由比ヶ浜の言葉はどこか要領を得ない内容だった。

俺みたいなやつといて何が楽しいのか理解できないが、本人が楽しいって言ってるんならそれでいいのだろう。

 

「そうか、じゃ、行くか」

 

「うん!」

 

そこから再び歩みを進めようとしたとき、不意に由比ヶ浜がバランスを崩した。

 

「ひゃっ」

 

短い悲鳴とともに由比ヶ浜がこちらに倒れこんできた。そして俺は自然とそれを受け止める。

 

「………」

 

「………」

 

目と鼻の先にお互いの顔がある。由比ヶ浜は急激に頬の色を赤く染めていく。

 

「ご、ごめん……」

 

「ん、大丈夫か」

 

なんとか平静を装ってはいるが、俺の心臓の鼓動は自然と早まっていく。……何故だか、今年の夏はやけに暑く感じる。地球温暖化が進行しているからだろう。

 

「ほら」

 

「え?」

 

「……だから、手。……また転んだら危ないだろ」

 

「……えへへ、ありがとう。ヒッキー」

 

……だから、少しばかり大胆になってしまうのは仕方ないのだ。

日本の夏。遺伝子レベルで刻まれているのか、いやがおうにもワクワクしてくる。

しかし、今の俺には何故だかそれだけには思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は千葉市民花火大会当日。

小町ちゃん情報によると八幡と由比ヶ浜が一緒に行くらしい。友達がリア充に近づいていくことに喜びを感じつつも、どこか置いていかれたような少しの寂しさを家で一人噛み締めているところに携帯が鳴った。が、しかし、画面に映ったのは見慣れない電話番号だった。

 

「もしもし?」

 

間違い電話の可能性を考え、普通に電話をとる。いつもはボケればツッコミが返ってくる奴らばかりと連絡してるせいか、真面目に返すのは久々な感じがした。

 

「『佐藤くんかしら?』」

 

電話の主は雪ノ下雪乃だった。連絡先を教えたものの、電話でのやり取りはしたことがなかったため、俺の知らない電話番号だったのも当然だ。

 

「雪ノ下?なんか用か」

 

こいつから電話してくるくらいだ、もしかしたら厄介なことになっているかもしれない。

かなり警戒しながら雪ノ下の言葉を待つ。

 

「『実は、その……』」

 

どうやらかなり言い淀んでいる様子だ。声色から緊張しているのがこちらまで伝わってくる。

 

 

 

 

 

「『花火大会に一緒に行って欲しいのだけれど』」

 

 

 

 

 

一体何を言うん……だ……??

 

 

 

 

「……え?」

 

「『……だから、千葉市民花火大会に一緒に行って欲しいのよ』」

 

「……理由は?」

 

まだ、まだ驚くような時間じゃない。理由次第では一緒に行くことがなんら不思議なことにはならない。

 

「『頼ってくれって言ったのはあなたよ。自分の言ったことくらい、責任とってくれるわよね?』」

 

ちょっと待て、文面も酷いが、答えになってないぞ。それに頼りたいってことはあいつらにも声をかけている可能性もあるのか。それは非常にまずい。

 

「他の奴にも電話したのか?」

 

「『いいえ。あなたが初めてよ。駄目なようなら由比ヶ浜さんや、仕方なく比企谷くんにもかけるつもりよ。それでもダメなら最悪自分でなんとかするわ』」

 

どうやら最悪の事態は免れたようだ。……にしても、やっぱこの面子は友達だと思ってるのかね。

俺からしてみれば、大した関係もなかったが、義輝や川崎でも友達だと思っている。

しかし、彼女や八幡の場合はそもそも友達というものへの見方が違うんだと思う。

これは俺の憶測に過ぎないが、彼らの中では友達=親友という図式が成り立っているのではないかと思う。だから、彼らは無闇矢鱈に友達という言葉を使いたがらないのではないだろうか。

同時にそれは、彼らにとって友達というのが重い言葉とも取れる。

 

「わかった。今日は暇だったし。他にも誰かくるのか?」

 

「『……いいえ。あなただけよ』」

 

「了解、時間決まったらまた連絡してくれ」

 

「『ええ、また』」

 

短いやり取りを終えた俺は携帯を切った。

次に連絡が行くのがあの二人なら俺に受ける以外の選択肢はない。雪ノ下からのお願いなんてあいつらが断われるわけがないからな。我ながら友達思いのいいやつである。これを機にいい加減少しくらいの距離は縮めて欲しいものだ。

対照的にこっちは同じシチュエーションながらそんな甘い考えは出来ない。数日前にどうにもならなかったら頼れと言ったばかりで今日の電話である。これが意味するのは雪ノ下だけでは解決出来ない、もしくは雪ノ下姉が絡んでいるの二択だろう。

前者ならばどうにかなりそうな感じはする。雪ノ下は解決できないような無理難題はふっかけてこないからな。

だが、後者、てめぇは駄目だ。なんであの人とこんな短いスパンで会わなきゃならんのだ。

頼むからそれだけはやめてくれ。

心の底からそう願いながら、俺は雪ノ下からの連絡を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪ノ下からメールで届いた待ち合わせ場所に向かう。

俺の周りにも同じように浴衣姿の男女や家族連れが花火大会へと足を運んでいる。夏において花火大会というのは老若男女問わず盛り上がるイベントなんだろう。

雪ノ下からの呼び出しがなければ俺もひっそりとその一員になれたんだがな。

決まったことに文句を垂れても仕方がないので、気を紛らわすためにイヤホンを付けて歩き出す。

最寄駅から乗り継いで行き、目的地である改札口にたどり着いた。

どうやら雪ノ下はまだ到着していないらしく、俺は流れ行く人混みの中、一人立ち止まっていた。

 

遠目からだが、浴衣姿の女の子が転びそうなのが見えた。しかし、近くにいた彼氏らしき人物に支えられたことでことなきを得ていた。

男の方から手を差し出し、女の子がその手を掴む姿はなんともロマンチックな雰囲気を周りに撒き散らしていた。

何やら見覚えのあるようなシルエットだったが、人違いだろう。あいつがあんな大胆な事をするとは考えられないしな。

 

それから10分ほどたっただろうか。未だに雪ノ下は待ち合わせ場所には現れなかった。

待ち合わせ場所を間違えたのではないかと思い、携帯の画面を覗いた時だった。

 

「ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」

 

いつもの冷たさは鳴りを潜めていたが、こんな透き通った声を聞き間違うはずがない。

 

「おう、10分以上待っ…た……わ」

 

振り向いてみるとそこには浴衣姿の雪ノ下が佇んでいた。基本的には何を着ても似合うと思っていたが、浴衣は俺が見た雪ノ下の中で一番だった。

まさに現代の雪女という言葉が似合うだろう。俺一人、時代に取り残された感覚を覚えた。言うまでもないが、もちろん褒め言葉である。

 

「……そこは、嘘でも誤魔化すものよ」

 

だからと言って言葉まで雪女になることはないと思う。

 

「…その、ど、どうかしら。あまりこういった衣装は着ないのだけれど」

 

そう言って雪ノ下はその場でくるっと回って見せた。

 

「どうって、すげー似合ってるし、綺麗だと思うけど」

 

寧ろそれ以外なんと言えばいいのか俺には思いつかない。残念ながら俺はツンデレでも捻デレでもないので、もっと気の利いた褒め言葉なんてのは期待されても困る。

 

「そ、そう。……あ、ありがとう」

 

自分から聞いといて何を照れてるんだと思うが、表情から察するに、意外と褒められることに慣れていないのかもしれない。

にしても、少し変な感じだ。

まぁ、今は余計な詮索は必要ない。

 

「それで?俺、未だに呼び出された理由聞いてないんだけど」

 

本題はこれだ。一体何が待ち構えているのやら。

 

「言ってなかったかしら?」

 

おう、こちとら微塵も聞かされてないぞ。

 

 

 

「……別に、大した理由ではないのよ。ただ、……その、一緒に花火大会に行かないかしらと思って」

 

 

 

「……本当に?」

 

 

嬉しさや驚きよりもまず出てきたのは心配だった。心の中ではまだ誰かに頼ることにためらいがあるのではないか。悟られないように俺を誘うことで誤魔化しているのではないかと。

 

「ええ、だめ……だったかしら?」

 

が、どうやら考えすぎだった。その表情からそういった感情は読み取れない。

それと同時に違和感の正体に気づいた。

今日の雪ノ下はやけに素直なのだ。

 

「いや、別にだめじゃないけどさ、そういうことなら普通に誘えばいいんじゃねぇの?」

 

何故ああも面倒くさい誘い方をしたのか。それにあの誘い方だったら別に俺じゃなくてもいい気がするんだが。

 

「ちょっと試したのよ。由比ヶ浜さんから、比企谷くんと花火大会に行くと聞いていたからそれを利用させてもらったわ」

 

「……要するに、本当に頼った時に助けてくれるかどうか試したわけね」

 

「ええ、まぁ、そうなるわね」

 

あ、危ねぇー、俺が友達思いじゃなきゃホラ吹き野郎になるところだったぜ。ま、実際に試されたのはその部分だがら問題ないわけだが。

 

「そういうこと。で、本当に行くの?このまま」

 

「あら、まさか私一人置いて帰るつもりかしら?」

 

どうやら、このお嬢様はエスコートを必要としてるらしい。そんな大役を任されては放棄するわけにもいくまい。

 

「じゃ、行くか。……ん」

 

そう言って俺はお嬢様に手を差し出す。

 

「?」

 

当の彼女はその意味がわかっていないらしい。

 

「ほら、転んだら危ないだろ」

 

「……いえ、下駄の時の歩き方くらいわかっているから必要ないわ」

 

雪ノ下はそのまま一人で美しい歩き姿のまま進んでいく。

何がお嬢様だ、俺。

やっぱり何だかんだ、雪ノ下は雪ノ下のままだった。

その後ろ姿に目を奪われながらも、雪ノ下の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我ながら、やっていることがらしくないと気付いているわ。

電話で人を試すなんて。

……でもしょうがないじゃない。やり方がわからないのだもの。

 

「頼ればいい」

 

彼からしたらなんでもない、当たり前の感覚で言った言葉なのでしょうね。

でも、私にはその選択肢が輝いて見えた。

私は勝手に自分でどうにかしなければならないと思っていた。

昔から誰も頼れないならずっとこのまま、自分でどうにかするしかないんだって。

その考えは変わってないし、変えるつもりもない。

だってそれが私、雪ノ下雪乃だもの。

けれど、彼の言うように一人ではどうしようもなかった、母さんも、姉さんも。

だから、その選択肢は私に可能性を感じさせてくれた。姉さんも彼らと一緒なら、母さんも、父さんや姉さんが一緒ならって。

今思えばおかしな話ね。彼と出会ってまだ、数ヶ月しかたってないのになぜか不思議と信用できると思うなんて。

……少し、羨ましいわ、彼と一年いた比企谷くんが。

無い物ねだりをするのは好きじゃないけれど、どうしても思ってしまうわ。もし、彼ともっと早く出会っていたらってね。

 

「何を考えているのかしら。私は」

 

そんな呟きを残して、クローゼットから浴衣を取り出す。

 

「……たまには、素直になってみようかしら」

 

彼なららしくないって思うかもしれないわね。はたまた気づかないのかしら。

そんなことを考えながら着付けをする。

その時だけは、いつもは付き合いで着るこの浴衣もどこか可愛らしく見えた気がした。

 

 

 

 

 



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第22話

真面目な(恋愛)回です。


歩みを進めるとともにあたりは次第に暗闇が満ちていく。

次第に辺りも騒がしくなり、花火大会の会場に近づくにつれ人の数も自ずと増えていく。

だがしかし、俺の一歩先を行く彼女が霞むことはなかった。

それどころか、街灯に照らされた彼女はその存在をより明確にさせている。

 

「一つ、言い忘れていたわ」

 

突然足を止めて雪ノ下はこちらを向く。

 

「なんだよ」

 

今更冗談だったとかはやめろよ。

 

「実は、この花火大会、姉さんも来ているのよ」

 

「そうか、帰るわ。楽しんでこいよ」

 

間髪入れることもなく、俺は持ってきたハンドバッグを肩にかけ直し、踵を返す。

 

「待ちなさい」

 

「ぐぇっ」

 

が、そうはいかないらしい。後ろから服の襟をがっしりと掴まれる。そのおかげか歩幅も揃ったので、今度は隣同士で歩き始めながら会話を続ける。

 

「会うとは一言も言っていないのだけれど」

 

「じゃあなんでわざわざそれを俺に伝えたんだよ」

 

会わないのなら俺にわざわざ伝える意図がよめない。

 

「この花火大会、自治体主催だから、姉さんも出席しているのよ。もしかしたら意図せずに出会ってしまうかもしれないでしょ?だから一応、念のためにと思ったのよ」

 

なるほど、言い換えれば出会ったとしても自己責任ってことね。

まぁ、そういうお偉いさんは特等席みたいなのがあるだろうから、会う可能性なんてほとんどないだろうし、本当に念のためって感じか。

 

「そういうこと、焦って損した」

 

「あなたの場合、自業自得じゃない」

 

「ま、それもそうか」

 

だからといって、高校生相手に会って即やり返すのはいかがなものかと思う。仮にも大学生でしょ、あの人。

そういうのを見ると改めて姉妹なんだなとは思うが。

気づけば辺りには屋台があちらこちらに見え始めた。それに合わせるかのように周りの喧騒も大きくなっていく。

 

「そういや、来たのはいいけど、何すんだよ。屋台回るのか、花火見るのかとかないと思うけど」

 

雪ノ下は考えるようなそぶりを見せ、しばらくしてから口を開いた。

 

「……そうね、花火は見るのは確実として、その前に屋台も回っておきたいわね」

 

考えた割にはほぼ俺の意見の復唱だった。まぁ、本当にそれしかないのだからしょうがない。

しかし、その様子から本当に花火大会を素直に楽しもうとしているのがわかる。

その姿はどこにでもいる女子高生となんら変わらない。

 

「じゃ、早速回ろうぜ、早めに席取りとかしときたいからさ」

 

「ええ、そうね」

 

自然と声のトーンがいつもより数段高い。こういうときの雪ノ下は機嫌がいい証拠だ。短い付き合いだが、だんだんと癖がわかってきた。

さて、どこから見て回ろうか、そう思いあたりを見渡すと、ピンク色の髪の毛の女の子と目つきの悪い男の子、それに加えて、何やら見覚えのあるクラスメイトがいた。

だが、何やらあまりいい雰囲気ではなさそうだ。

……まったく、手が焼ける友人達である。

 

「……雪ノ下、手分けして買ってこようぜ、時間効率もいいし、色んなもん買えていいだろ?」

 

「……それもそうね」

 

「じゃあ、十分後にまたここで」

 

「ええ」

 

少し寂しそうな顔をのぞかせたか雪ノ下だったが、すぐに元の表情に戻る。申し訳ないことをしている自覚はあるが、俺は自分だけのうのうと楽しめるような人間じゃない。

さてと、間に合うか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋台がある辺りまで進んだ俺は、由比ヶ浜と一緒に小町のお買い物リストなる謎のメモを見ながら屋台を回っている。

それにしても小町よ、花火を見た思い出ってなんだよ、お兄ちゃん恥ずかしいよ……。

だが、それでもそれが小町なりに気を使っていることがわかるし、こんだけお膳立てされて何もわからないほど鈍感じゃない。

だからこそ、余計に過剰に反応してしまう。

揺れているのだ、自分の中の冷静で冷徹な自分を信じるか、由比ヶ浜を信じるのかで。

 

「ね、ね、何から食べる?りんご飴?りんご飴かな?」

 

そんな俺の気など知りもしない由比ヶ浜は俺の袖を引っ張っている。

 

「それ、リストにないだろ…」

 

由比ヶ浜はむーっと名残惜しそうにりんご飴を見つめていたが、改めてリストを見つめ直す。

 

「じゃあ、どれからにする?」

 

「常温でも大丈夫なものからって考えるとわた……」

 

「やばい!ヒッキーこれPS4当たるよ!」

 

俺の話を遮った由比ヶ浜は宝釣に釘付けになっている。

 

「いや、当たんねぇから……。っつか人の話は聞けよ」

 

「え?でも、紐繋がってるじゃん」

 

「ああ、だが、見えるものが全てとは限らないけどな」

 

全く良くできたシステムだと思う。祭りのような特殊な環境下だと、いつもなら出来る冷静な判断が出来なくなる。一回500円という法外な値段にもかかわらず、人々が目を向けるのは当たるかもしれないという可能性。いうなれば、誰でも出来るギャンブルだ。

だがしかし、ギャンブルと異なり当たりはまず出ないとみてもいい。それでも人々は嬉々としてお金を払う。実際は当たればよし、程度にしか思っていない。それ以上に祭りでやったことに意味を見出しているのだと俺は思う。

だからといって俺はやらないがな。

屋台のおっちゃんに睨まれた俺たちは、こっそりと逃げ出すようにわたあめの屋台へと移った。

 

「わぁ、なんかこういうの懐かしいかも!ね、どれにする?」

 

懐かしいというのは、アニメのキャラや戦隊ヒーローがプリントされた袋のことだろう。

たしかに、俺が子供の時もこんな感じだった気がする。今でも子ども受けはいいのか、周りの子どもたちもちらほら持ち歩いているのが見えた。

 

「中身はおんなじだからどれでもいいだろ。これお願いします」

 

俺は手前にあったピンクの袋を指して、500円払う。

わたあめに続けて、ラムネ、たこ焼きと買っていく。

 

「次は、焼きそばかな?」

 

「そうだな。さっきあっちにあったような気が……」

 

くるりと向こうを見たとき、こちらを見ている人に気がついた。すると、その人はこちらに小さく手を振って近づいてくる。

 

「あ、ゆいちゃんだー」

 

「お、さがみーん」

 

由比ヶ浜もそれに応じて、小さく手を振って歩み寄る。

で、……誰?

こういうときは存在感を薄めて背景に徹する、もしくは他のことをして、忙しい風を装うに限る。あくまでこちらから干渉するのは悪手なのだ。

で、とりあえずこいつ誰。

そう思ったのは向こうも同じなのか、由比ヶ浜に目線で説明を求める。

 

「あ、うん。そうそう同じクラスの比企谷くん。こちら、同じクラスの相模南ちゃん」

 

同じクラスだったのね。相模さんとやらに軽く会釈をする。

そのとき、目があった。

その目は久しく見ていなかった嘲笑の眼差しだった。

 

「あ、そうなんだー!一緒に来てるんだねー。あたしなんて女だらけの花火大会だよー。いいなー、青春したいなー」

 

「……。あはは!何その水泳大会みたいな言い方!」

 

由比ヶ浜はちょっと言葉に詰まったようだったが、調子を合わせるようにして笑う。

だが、俺は微塵も笑う気にはならなかった。

てっきり俺に向けられたとばかり思っていたあの目は、俺だけではなく、由比ヶ浜結衣が連れている男、を通して、由比ヶ浜にも向けられたものでもあったのだ。

 

「えー、いいじゃんいいじゃん。やっぱ夏だしそういうのいいよねー」

 

心が冷めれば、頭が冷める。

相模の視線を受けた俺はさっきまでの温かさが嘘のように冷え切っていくのがわかった。

ああ、また心得違いをするところだった。

初対面の俺と相模南は当然お互いのことなど知らない。

だが、彼女にはクラス内でのカーストという情報だけはある。

忘れがちだが、由比ヶ浜はクラス内でも最上位に位置している。その相手がカースト最下位の俺。

だとすれば、その目は必然だったのだろう。

こればっかりは俺の配慮が足りなかった。確かに最初は気づいてたはずなのに、いつのまにか消えていた俺の落ち度だ。

これが俺ではなく、同じくカースト最上位の葉山だったり、カーストもクソもない拓也ならこうはならなかったんだろうか。

住む世界が違えばまだよかった。同じ世界にいるだけ、なまじ面倒くさいのだ。

どっちにしろ、これ以上、一緒にいる由比ヶ浜が笑われるのは見ていられない。笑われるのは俺だけで十分だ。

そう思い、由比ヶ浜の元を離れようとした時だった。

 

 

 

 

「いいでしょ!さがみんも、いい人見つかるといいね」

 

 

 

 

「……え?」

 

相模の嘲笑の眼差しが止まり驚愕に変わった。

 

「じゃ、あたしたち、用があるから。……いこ、ヒッキー」

 

「ちょ、おい……」

 

固まったままの相模を置き去りに由比ヶ浜は俺の手を取り素早くその場を離れる。

それからしばらく歩き、肉眼では相模が見えなくなったあたりで由比ヶ浜は止まった。

 

「……お前」

 

「なんかさ、さっきのは嫌だったから」

 

由比ヶ浜はその手をまだ離してはくれない。

 

「いや、あそこは俺が離れればそれで」

 

「違う、……違うよ、ヒッキー」

 

何も違わないだろ。あのまま離れていれば万事解決。

俺さえあの場にいなければ全て丸く収まったのに。

これでは、由比ヶ浜の今後の相模との関係にも影響する筈だ。そのリスクを犯してまでする行動では

 

 

 

 

「私が、ヒッキーのことが大好きだから」

 

 

 

 

俺の時間が止まった。周りの喧騒も耳に届かず、由比ヶ浜以外の人が視界から消えていく。

 

「自分の好きな人が、よく知りもしないのに、あんな風に見られるのは嫌だったから」

 

その目は真剣そのもの。いつもの誤魔化すような、優柔不断な由比ヶ浜結衣はいなかった。

その姿を見ていると、冷めきった筈の心の中の温かさが再び灯り始めるのを感じる。

 

「……そうか、……なんだ、その、あ、ありがとな」

 

「うん!」

 

思考停止により、ろくな答えも返してやれなかったが、由比ヶ浜はそれだけで満足だったらしい。

 

「さあ!気を取り直して焼きそば買いに行こ!」

 

「……りんご飴」

 

「へ?」

 

「買うんだろ?」

 

「う、うん!買う買う!ヒッキーにもちゃんと半分あげるから!」

 

「いや、いらんわ」

 

いつにも増して身体が熱い。いつものようなくだらない論理が頭に出てこない。

理由は自分が一番わかっている。

けれど、今だけは、今だけは言葉にしたくなかった。

俺のチープな言葉で表したくなかった。

今この瞬間を目に、脳裏に焼き付けたかった。

結局一度も離れることのなかった繋がれた手を見ながら心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さがみんもいい人見つかるといいね」

 

その声を聞いて、足が止まる。

入れ違うように、見覚えのあるピンクの髪の女の子が目つきの悪い男の子の手を掴み、クラスメイトを置いて、人混みの中に消えていった。

……ああ、そうか、そうだよな。人間ってのは成長するんだ。

心のどこかでお節介を焼かなきゃ立ち止まっているばかりだと思ってたんだろうな俺は。

だが、おそらく、由比ヶ浜は自力で見つけたのだろう。周りに塗られてばかりだった自分のキャンバスの中に彼女自身の色を。

自分だけの芯を、大切なものが何かを、彼女は知ったのだろう。

遠巻きながらそう察することができた。

それによりこれから失うものも増えるだろう、女子の事情は詳しくは知らないが、陰口も増えるかもしれない。

しかし、それは、人生を豊かにするための肥料となる。

大げさな表現ではない。譲れないことが出来るだけで人はどこまでも強くなれるのだから。

一つ、憂いがなくなった俺は軽い足取りで屋台を周り、雪ノ下の待つ場所へと戻る。

 

 

 

 

「……遅い」

 

「いや、申し訳ない」

 

自分の中ではそう長く立ち止まった感覚はなかったが、時計を見れば予定時間より10分オーバーしていた。

雪ノ下は屋台で買ったであろうかき氷を片手に木に寄り添っている。

 

「まぁいいわ。それより、花火を見る場所がもうないようだけれど」

 

日は完全に沈み、辺りはすでに花火を見るために準備を進める人がほとんどだ。

 

「安心しろ、花火大会なんだからビニールシートくらいは持ってきてるからな」

 

俺はハンドバッグから4人家族が全員で座れるほどの大きさのビニールシートを空いたスペースに広げる。

 

「……少し、大きすぎないかしら?」

 

「しょうがないだろ、家にこれしかないんだから」

 

仮に小さいやつをもって言ったとしても文句言うだろお前。

内心そう毒づきながら、俺は買ってきたものを並べる。焼きそばから始まり、フランクフルトやフライドポテトとジャンクフードのオンパレードだ。

 

「……よく食べるのね」

 

「まぁな、祭りってのもあるけど」

 

祭りの屋台は良くできている。祭り特有の高揚感から不思議と多少値段が高かろうと迷わずに買ってしまう。

だが、それを含めて祭りと呼ぶのだと思う。

一方の雪ノ下の方はカキ氷以外にはラムネを握っているだけだった。

時間的にも晩飯どきだ。腹は減らないんだろうか。

 

「……食うか?」

 

手元にあるフライドポテトを差し出す。

 

「いいの?」

 

「ああ、ちょっと買いすぎたのもあるし」

 

テンションに合わせて買い物はするべきじゃないな。

由比ヶ浜に後で請求してやろうか。

 

「そう、じゃあ、いただくわ」

 

雪ノ下は恐る恐る手に取り口にする。その様子からこういうのは慣れていないのだろう。ドリンクバーの一件があるので、案外すんなりと受け入れられた。

 

「……おいしい。けれど塩っ気が強すぎないかしら?」

 

「ごもっともだが、たまに食べるもんだから大丈夫なんだよ」

 

ほかのものにも興味が湧いたのか、物色するように眺めている。

 

「……別に食べたきゃ食べていいからな?」

 

「……本当?」

 

普段なら「……いくらかしら」とか言ってくると思うんだけどなぁ。

八幡がよく言う黙ってれば可愛いどころじゃない。

素直な雪ノ下はその数段上だ。

俺の中ではもはや別人説まで出てきている。

本当に理由はなんだ?表情からは読み取れんが、俺の知らないここ数日でかなり余裕が出来たのだけは様子からわかる。

……聞いてみるか?

 

「……なぁ、雪」

 

 

「あっ!! ゆきのん!!」

 

 

突如として現れた声に俺の声は掻き消された。……このアホっぽい声、はぁ。

 

「ゆ、由比ヶ浜さん?」

 

「ヒッキー!本当にゆきのんいたよ!あ、たっくんもいる!」

 

おい八幡、飼い犬が逃げ出してるぞ。

ちゃんと面倒みなさいって小町ちゃんに言われてるでしょ。

それに本当にいたってなんだよ。雪ノ下はいつから空想上の生き物になったの?

 

「お前、…はぁ、急に、…はぁ、走るなよ」

 

息も絶え絶えで遅れて八幡がやってくる。

由比ヶ浜の足元をよく見ると下駄だった。

お前それで走んなよ。どっかのカップルはこけてたぞ。

 

「何してんだよ、お前らこんなとこに二人で」

 

由比ヶ浜に質問責めに会うと面倒なため、こちらから先に仕掛ける。

俺も雪ノ下もほとんど知ってるけどね。

 

「え、えっとねー、な、なんて言うんだろヒッキー!」

 

「……普通に花火大会に来たでいいだろ」

 

おお、照れてる照れてる。

あの後は知らないが、上手くいったのはわかった。

小町ちゃんの名前を出さなかったのは素直に成長だと思うぞ八幡。

それと、由比ヶ浜よ、お前、雪ノ下に花火大会八幡と行くって伝えたんじゃなかったっけ?

 

「……それより、なんでお前らもいんだよ」

 

まぁ、こう切り返されるわな。

 

「とりあえず、こっち来て座れよ」

 

余裕があったビニールシートに招き入れると満員となった。

左から俺、雪ノ下、由比ヶ浜、八幡の順になって座る。

 

「まぁ、言ってしまえば、雪ノ下からの依頼だな」

 

「依頼?」

 

八幡は雪ノ下の方を見る。つられて由比ヶ浜も体ごと向けている。

 

「ええ、とても個人的なものよ、友人としてね。頼みごと、と言った方が適切かしら」

 

その受け答えに二人とも驚いている。特に由比ヶ浜はそれが顕著に見えた。

 

「ゆ、ゆきのん、あ、あたしも友達だよね⁉︎」

 

なるほど、自分が相談されていないことに不安を覚えたのだろう。

 

「もちろんよ。ただ、今回きっかけを作ってくれたのは佐藤くんだったから真っ先にお願いしたのよ」

 

「そっかぁ、よかったぁ」

 

ほっと一息つく由比ヶ浜の隣では怪訝そうな八幡。

 

「(誰?この雪ノ下に似た人)」

 

「(驚くなよ?なんと妹さんだ)」

 

「(嘘だろ⁉︎)」

 

和気藹々と騒いでいる両隣で密かに視線でやり取りをかわす。

側から見れば、仲睦まじい女の子同士と、それを挟んで視線を交わす男同士というなんともカオスな状況だ。

すると不意に「ドン」と音がする。どうやら花火が打ち上がり始めたようだ。

 

「わー、綺麗」

 

「そうね」

 

「ああ」

 

「……普通じゃね」

 

「……ヒッキーの馬鹿」

 

「所詮、国語三位ね」

 

「待て、雪ノ下。それだとそれ以下の俺も入る」

 

「……そもそも国語三位関係なくね?」

 

暗闇の中、四人揃って交わされた会話はいつもと変わらなかった。

おまけに、雪ノ下の毒舌までも復活である。

そんないつも通りの雪ノ下に俺は謎の安心を覚える。

あの時の素直な雪ノ下が素だったのかはわからない。けれど、俺が知る雪ノ下雪乃は今の姿だ。

初めてみる生き物を親と見るやつと似たようなもので、人の最初の印象はそう簡単に変えられない。

でも、それでも、あの雪ノ下をまた見たいと思うのはなぜだろうか。

花火はラストを飾るようにどでかい花火が次々と打ち上がる。

消えゆく花火を見るたびにその想いが強くなるのを感じた。

四人で並んでみる花火大会は、俺にとってこの夏の忘れられない思い出となった。

 

 

 

 

 

 




アンケートのご回答ありがとうございます。
前回よりもたくさんの意見をいただけて嬉しいです。
半数の方が、一人で十分とのことで、私と同じ意見でした。
最初から見ていただいた方は何となく察していると思いますが笑
自分はハーレムがあんまり好きじゃないので笑
ちなみに、ここが分岐になります。
最初の話が派生すれば、姉ルートが出来上がりです。
なので一応、アンケートを設けました。
アンケートで書いた4人の候補のうちの一人が雪ノ下陽乃でした。
次回からそのまま文化祭編です。



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第23話

誤字脱字報告ありがとうございました。


俺にとっての長い長い夏休みが終わった。

林間学校やら花火大会やらあったものの、特に俺の日常が変わることはない。

新学期が始まってからも、いつも通り登校して、いつも通り席に着く。その繰り返しは変わらない。

しかし、俺の世界には新しい彩りが増えていた。

 

「ねー、聞いてる?ヒッキー」

 

「……悪ぃ、寝てた」

 

「ひどい!だから、文化祭の出し物だってば。姫菜のが駄目ってわけじゃないけどさぁ、もっとこうなんて言うか……」

 

いつもみたいに周りを気にして小声で話す由比ヶ浜の姿はなく、俺の隣に座り堂々と話をする。

 

「あ、そうそう!次の時間、文化祭の役割決めだけど、ヒッキーもう決めたの?」

 

それと同時に明るかった性格がより前面に押し出された感じも見受けられた。そのおかげで、いつものおどおどした由比ヶ浜はいなくなり、俺の目にはより魅力的に映る。

 

「いんや、でも別になんでもいいだろ」

 

そんなことを考えながらも由比ヶ浜の話はきちんと頭には入っている。でも俺には大して関係ない。準備が始まったところでカカシみたいに突っ立ってるのが関の山だし。

 

「なら、一緒の係やろうよ!」

 

「……ま、空いてればな」

 

「約束だからね!」

 

そう言って今度は、三浦達の方へと向かっていった。

……文化祭ねぇ。

今年くらいは真面目にやろうか、柄にもなくそんなことを思う。

……俺はこんな簡単に人に左右されてたっけか?

俺の中で変わりつつある何かを抱えながら、残り僅かな休憩時間を机に突っ伏して過ごした。

 

 

 

 

放課後の教室は騒がしさを残していた。

というのも、前回の授業で決まるはずだったが、男子の実行委員と女子の実行委員が決まらず放課後までもつれたのだ。

 

「じゃあ、さっさと決めるぞ」

 

教卓に立つ拓也がそう言うと教室が静まり返る。

このクラスは三浦と葉山で有名だ。しかし、クラスの決め事となるとこの二人は適さない。葉山の場合は意見をなんでも採用してしまい、妥協点が見つからない。三浦の場合はその逆で独裁で決めるためみんなの意見が通らない。

それは周りも察しているのか、この二人にも容赦ないうえに、基本的に意見が通しやすい拓也がこういう場面は任されことが多い。

 

「まず、男子の実行委員は最悪なければ俺がやるから心配すんな」

 

その言葉で男子からは歓声が上がる。

決まらなかったことから分かるように誰もやりたがらないのがこの実行委員だ。何より面倒なのがクラスよりも文化祭実行委員に優先して顔を出さないといけない、それに尽きる。

 

「最悪だからな、やりたい奴がいれば手上げろ」

 

もちろんここで手が上がるはずもない。

 

「ったく、……男どもはあとで俺にジュースでも奢れよー」

 

今度は笑いが巻き起こる。

これも任される要因かもしれない。こういう面倒くさいものはさっさと決めてしまいたいのはみんな同じだ。けれど、俺は、私はやりたくない、そう思う。ゆえに、率先して立候補してくれる拓也のような存在はありがたいのだ。

それに加えて、押し付けた罪悪感を感じさせない距離感がわかっている。

今のなんかがまさにそうだ。あのまま決まるだけだと葉山あたりは多少の罪悪感くらいは思えるかもしれない。しかし、さも気にせずに軽く流す様子な上に、手を挙げなかった男子に軽くではあるが対価をもとめることでそれを和らげる。

まぁ、あいつは実際気にしてないだろうがな。

 

「で、問題は女子の方な。立候補とかいないの?」

 

そう尋ねるが帰ってくる答えはなかった。

 

「決まんないなら、じゃんけんに……」

 

「はぁ?」

 

「あ?」

 

拓也が言いかけた言葉を三浦が遮り、それをさらに返す拓也。

もう俺は突っ込まんぞ。

 

「文句あんなら、お前がやれ」

 

「あーしは結衣と一緒に客呼び込む係だから無理っしょ」

 

堂々たる態度で三浦優美子は言いきってみせた。

 

「バカ言え、男子の実行委員以外何にもまだ決まっとらんわ」

 

が、ど正論で返される。

 

「って、あたしが呼び込みやるの、いつの間にか決まってたんだ⁉︎」

 

急に話の矛先を向けられた由比ヶ浜は遅れて反応する。

三浦は三浦で態度が一転して、由比ヶ浜の反応に少し狼狽していた。

 

「え……。い、一緒にやんないの?な、なんか違った?あーしの早とちり系……?」

 

「うーん、一緒にやるのは全然いいんだけどさ、あたし、ヒッキーとも一緒にやるって約束したから、それでもいい?」

 

「ヒキオ?」

 

やめて!いきなりその目で見つめないで!

 

「ふーん、結衣がそう言うならあーしはいいけど」

 

「ありがと!優美子」

 

いきなり名前を出すのはやめてくれ。心臓がきゅってなっちゃうから。八幡心臓発作起こしちゃうから。

 

「はい、で、誰がやんの」

 

今のやり取りをあっさりと流して拓也は元の議題へと戻す。

 

「ねぇ、たっくん。実行委員って面倒なの?」

 

「普通にやればそうでもないぞ、多少なら俺も手伝ってやれるし」

 

この由比ヶ浜との会話を聞いた女子たちも次第に顔から難色が消えていくのが見える。

葉山の影に隠れがちだが、こいつもその性格ゆえにクラスの内外問わず意外と人望があるのだ。

 

「うち、やってもいいよ」

 

突然上がる声にみんなの視線が集まる。その声の主は相模だった。

 

「本当か?」

 

「…まぁ他にもやる人がいないならしょうがないっていうかぁ」

 

大方、三浦や由比ヶ浜がやらない中、自分がやることで、僅かながらでも優位な立ち位置にいようとでも思ったのかもしれない。俺の知ったことではないが。

 

「みんな反対意見はないな?」

 

そうは言いながらも、何故か拓也の視線は葉山に向いていた。

 

「ああ、いいんじゃないかな。相模さん、ちゃんとやってくれそうだし」

 

「たしかにむしろ適任じゃね?」

 

葉山につられるように戸部も賛同する。

 

「ほ、本当?」

 

あの葉山に推薦された、となれば悪い気は起こらない。が、それと同時に引き返すことも困難になる。だからこそ、拓也は葉山を見たのだろう。せっかくの立候補を逃さないようにと。飴と鞭を同時に与えるとは器用なやつだ。

しかし当の本人は飴の部分が大きいらしく、先程から嬉しそうな表情で頰を染めている。

 

「じゃあ、うちやるよ!」

 

「わかった、じゃあ今日はこれで解散な」

 

拓也がそう言うと、皆それぞれ立ち上がり教室を後にした。

実行委員は早くも今日から始まるらしい。

是非とも頑張ってもらいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は午後3時45分。

俺は委員会のミーティングが行われる会議室へと移動を開始する。

文化祭実行委員に割り当てられた部屋は会議室だった。普段は職員会議なんかにも使われるらしく、なかなか立派な机や椅子が用意されていた。

会議室に入ると集まっていたのは半分ほど。

見渡す限りでは俺の知り合いの姿は見受けられない。

先に相模も来ていたが、友達と思しき人物と三人で固まっている。

相模一人でも話しかけたかと言われれば微妙なとこだが、話す相手がいないというのは手持ち無沙汰なのだ。

時間が過ぎるにつれ、一人、また一人と人が増えていく。

そしてここに来て初めてまともに会話できるやつが入ってきた。

その少女、雪ノ下雪乃が入ると同時に静まり返る。

空気まで凍らせなくても大丈夫だっつーの。

 

「よ、お前も実行委員か?」

 

「……ええ。あなたも?」

 

一瞬声の出所がわからなかったのか、辺りを見渡してからようやく俺の存在に気づく。

 

「誰もやりたがらないからな」

 

「……どこのクラスもそういうものなのかしらね」

 

そりゃそうだ。年に一度の文化祭、みなそれぞれのクラスが一番だろう。

雪ノ下は俺の近くの空いた椅子に座る。

俺たちが会話したのをきっかけに所々で話し声が戻ってきた。

 

「……らしくないかしら?」

 

か細い声でそう尋ねてくる雪ノ下。

いきなりの質問で俺も困惑するが、その不安そうな顔を見ると訳ありだと思い真面目に考えてみることにする。

……そもそも、らしさとはなんだろうか。周りから見た自分が自分らしさなのだろうか。他人からの意見が自分らしさなんだろうか。

例えそうならば、自分らしさという言葉は生まれない。

らしさを決めるのは自分なのだ。

人は無責任に言葉を浴びせる。

勇気を出して変わっても、変化したことを咎める。その逆も然り、変わらなければ単調だと非難する。

それじゃあいつか、人は壊れてしまう。

周りの思う自分と、なりたい自分との間に挟まれて。

だから、雪ノ下にはこの言葉を送ろう。

 

「いいんじゃないの。お前が変わろうが、らしくなかろうが、お前のやることなすことは全部、お前らしいんだからな」

 

人は程度によるが、必ず承認欲求を持っている。

日本人ってのは特にそれが激しいと思う。

身近なことで思い出してもらいたい、海外で活躍するスポーツ選手、日本のアニメを見た海外の人の反応、国際大会での日本人選手の活躍、テレビ番組で特集された海外の反応、どれを取っても自分の事ではないのに嬉しくなったりするだろ?

けれどそのくせ、日本人同士だとマイナスな意見ばかり飛び交う。そこばかりは昔から俺の中でも不思議で仕方がない。

話が逸れたが、要するに人格ってのは否定するんじゃなく、承認してもらえるのが一番嬉しいんだ。どんな人間でも、本当の自分というものを認められて嬉しくないものはいない。

それに、雪ノ下雪乃という人間はどこで何をしようが、この世に一人しかいないのだから。

 

「あ、ありがとう」

 

ここでまともな意見が出るとは思わなかったのか、慌てながらも、感謝の言葉を述べる。

心配されたくないなら、俺の前くらいでは隠すことをオススメする。

まぁ、隠すってことは見つけて欲しいの裏返しだと俺は思ってるから容赦なく見つけてやるけどな。

その場の空気に似合わない真面目な事を思っていると、慌ただしく会議室のドアが再び開かれる。

現れたのはプリントを抱えた幾らかの生徒と、体育教師の厚木と平塚先生。

その数人の生徒は会議室の前方に集まると、ほんわか系の女子生徒の方を見る。

その生徒が頷いたのを合図に書類を各人に配布し始めた。

 

「それでは、文化祭実行委員会を始めまーす」

 

その雰囲気に違わず、ほんわかした号令をかけた。

 

「えっと、生徒会長の城廻めぐりです。皆さんのご協力のおかげで今年もつつがなく文化祭が開催できるのが嬉しいです。……え、えっとあとは……、み、みんなで頑張ろう!おー!」

 

簡単すぎる挨拶を終えると、生徒会のメンバーがすかさず拍手を送る。それにつられて会議室中から拍手が起こる。

 

「ありがとうございます〜。それじゃあさっそく実行委員長の選出に移りましょう」

 

するとあたりがざわつく。

わからなくもない。俺もてっきり生徒会長がやるもんだと思ってたし。

 

「知ってる人も多いと思うけど、例年、文化祭実行委員長は二年生がやることになってるんだ。私はほら、もう三年生だから」

 

そう言われれば納得はいく。ちゃんとした進学校だし、受験を控えた生徒がほとんどなんだろうし。

 

「それじゃあ誰か立候補いますか?」

 

とはいうものの、手が上がることはない。

聞き方が悪い、とも思うが、根本的な部分は生徒のやる気だろう。文化祭で盛り上がらないなんていうひねくれ者はそうそういない。けど普通は、仲の良いやつや、気になる子と一緒に楽しみたいだろ。

この場にその条件が整っているかと言われればそうではない。やりたくない奴がほとんどの寄せ集めなのだから。

 

「誰かいませんかー?」

 

めぐり先輩の困ったような声がしても、会議室内は変わらず静けさを保っている。

申し訳ないが、俺だって普通の一生徒なのだ。普通にクラスのやつと楽しみたいし、縛られたくないというのが本音だ。

 

「なんじゃい、お前らもっとやる気出せ。覇気が足らん覇気が。いいか、文化祭はお前たち自身のイベントだぞ」

 

体育教師の厚木が声を上げる。横で腕を組んで瞑目している平塚先生とともに、顧問的な立ち位置なんだろう。

見聞色もどきなら使えるんですけど、ダメでしょうか。

厚木はそのまま会議室を見渡し、その無遠慮な視線で生徒一人一人を見る。その視線が雪ノ下で止まる。

 

「……お。お前、雪ノ下の妹か!あのときみたいな文化祭を期待しとるけぇの」

 

……ああ、なるほど、そういうこと。

厚木のその言葉で先ほどの雪ノ下の態度にもなんとなく察しがついた。

俺の憶測に過ぎないが、彼女の前には雪ノ下陽乃がいるのだろう。結果が良かろうが、悪かろうが比べらるのが常に姉なのだろう。

それ故に、他人である俺に無意識に意見を求めたのかもしれない。

 

「実行委員として善処します」

 

そう言ってみせる雪ノ下だったが、言葉からは冷たい拒絶を感じた。

こればっかりは仕方ないだろ。おそらく昔から比べられたであろう雪ノ下がそう簡単に割り切れるわけがない。

 

「うーん……、えっとそうだ。委員長になると結構お得だよ?ほら、内申とか。指定校推薦狙ってる人は有利だったりするかもよ」

 

この生徒会長はあまり表に立って指揮をとるタイプに見えない。

どちらかと言えば、優秀な周りが支えるタイプだ。

その証拠として、この発言があげられる。これじゃあ、今から手を挙げるやつは内心目的で立候補するやつという空気が出てしまう。それを生徒会長自ら宣言するのはいかがなものだろうか。

 

「えーっと……どう?」

 

そう尋ねながらも、目線は雪ノ下の方に向いている。

席が近い俺にも城廻先輩の無垢なる笑顔が見える。なんとか無反応を貫いている雪ノ下だが、折れるのも時間の問題だろう。

幼気な視線ほど性質の悪いものはない。

隣で深々としたため息が聞こえた時だった。

 

「あの……」

 

緊迫した空気を破いたのはどこか自信なさげな声。

 

「みんなやりたがらないなら、うち、やってもいいですけど」

 

声の出所は相模南からだった。

 

「本当?嬉しいな!じゃあ、自己紹介してもらえる?」

 

促されて、相模は呼吸を整える。

 

「二年F組の……」

 

自己紹介が行われる。が、正直周りからしたらどうでもいいことだろう。そんなことよりも、実行委員長が決まったという事実の方が彼らの中では重要なのだ。

立候補が決まったことが嬉しいのは城廻先輩も同じらしく、【実行委員長:相撲】と板書する。

是非とも横綱になってもらいたい。

 

「さ、じゃあ、あとは各役割を決めます。配布した紙に簡単にまとめてあるからよく読んでください」

 

言われたとおり、配布された紙に目を通すと、宣伝広報、有志統制、物品管理、保健衛生、会計監査、記録雑務……、こんなめんどくさそうな役職名をつけるのは何故だろう。

もっと簡単な方がより気軽に選べる気もするのだが。

監査とかなんだよ、前半だけとってお会計とかでよくね?

別になんでもいいため、ざっと流し読みする程度で目線をあげる。

周りのやつもそんな感じで、携帯をいじったり、雑談に花を咲かせたりしていた。

 

「そろそろいいかなー?」

 

城廻先輩の聞き取りやすい声が聞こえる。どこか無視できないような声色というのだろうか。時折見せる可愛らしい仕草もあいまって、話を聞かないという思いにならない。こういう人間性があるから、生徒会長をやれているのもあるのだろう。

 

「それじゃあ、相模さん。ここからよろしくね」

 

「え、うちですか?」

 

「うん、ここからはもう委員長さんの仕事だから」

 

「はい……」

 

城廻先輩に手招きされて、生徒会に紛れる形で、相模がその中央に座った。

 

「そ、それじゃあ、決めていきます……」

 

いつもの様子とはかけ離れた弱々しい声が静かな会議室にこだまする。

 

「…ま、まずは……」

 

そこからは、城廻先輩のサポートを受けながらだが、なんとかその場をさばいていく。生徒会長を務めているだけあって、踏んだ場数が違うのか城廻先輩は順当に取り回していた。

俺が思っているよりもずっと出来る人なのかもしれない。

ちなみに俺は「記録雑務」におさまった。

そして何故か雪ノ下もここに入っていた。

積極性にかけるやつが多かったので苦労したが、簡単な自己紹介を終えて、担当部の部長を決める。

そこは普通にじゃんけんで負けた三年生がやることとなった。

 

「お疲れ様でした」

 

その挨拶の後、ばらばらと解散していく。

先に帰る雪ノ下の後を追って会議室を出ようとしたとき、隅っこでしょげている相模に加えて最初の方につるんでた二人と、平塚先生と城廻先輩までいた。大方、うまく回せなかったことを反省しているのだろう。平塚先生の意味ありげな目線が送られてきたが、、嫌な予感がしたので気にしないことにした。

 

「そういや、部活はどうするんだ?」

 

雪ノ下に追いついた俺は、部活について気になっていたので聞いてみる。

 

「……そうね、文化祭が終わるまでは中止にしようかしら」

 

「わかった、あの二人には俺から言っとくから」

 

「ええ、わかったわ」

 

この期間はだいたいどの部活も部停だろうし、ちょうどいいだろ。

あとは、最後に言おうと思っていたことを告げる。

 

「……お前が何を抱えてんのかは知らんけど、抱え込むのはほどほどにしとけよ」

 

「…………」

 

家族絡みの話題はそうそう他人が入る余地はない。そこを解決するのはどう足掻いたって本人だけしかできないからだ。

俺が思っているよりも、この姉妹の確執はあるように見える。さっきの様子からすると、雪ノ下雪乃の一方通行の気もしなくもないが。

 

「じゃあ、またn……ぐぇ」

 

かっこよく去ろうとしたところで、一瞬で喉がつまり呼吸ができなくなる。こいつ襟を掴むの好きなの?それとも俺を殺そうとしたの?

 

「待ちなさい」

 

「言葉と行動の順序が逆じゃないですかね」

 

まずは行動してみようというその行いは評価しますけど。

 

「……ちょっと付き合ってちょうだい」

 

「……はい?」

 

物を頼む時に言葉足らずになるのはどうにかならないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実行委員が終わり、その帰り道、俺と雪ノ下は喫茶店へと足を運んでいた。いつぞや鉢合わせたあの喫茶店だ。

俺たちは互いにコーヒーを頼む。

時間帯のせいもあり、あまり混んでいないのですぐにコーヒーは運ばれてくる。

お互いに一口飲み、一息をついたところで、俺から切り出す。

 

「……で、何用ですか」

 

とか言いつつ、自分の最後言葉がトリガーになった自覚はある。

 

「……あなたは、私の姉さんをどう思うかしら?」

 

やはりその話題だった。夏休みあたりからやたら意識しているのは嫌と言うほど聞かされたからわかっていたが、実家に戻って改めて色々と思うところがあったのだろう。

 

「性格以外お前にそっくりな人」

 

「そうよ、姉は性格もいいし、私より出来ることも多いわ」

 

俺はお前の方が性格いいって意味なんだけどな。

あの人のどこが性格いいんだよ。俺からしたら怖すぎるくらいだ。それとも、家族にだけしかわからないものもあるのだろうか。

 

「それに、そっくりなのは私の方なのよ」

 

……確かに、それもそうか、あの姉を見て育ったのが雪ノ下ならば、模範された側になるのは姉の方か。

 

「……私は姉さんの下位互換とでも言うのかしらね」

 

自虐気味に笑う雪ノ下。先ほどの会議の話題に出たせいか、溜まったものが爆発したのかは俺にはわからない。

だが、

 

「……そんなくだらないことを言う為に呼んだのか?」

 

どうやら、俺の伝えたかったことは伝わらなかったようだ。

いや、そもそも、前提として間違っていた。

 

「……え?」

 

驚いた表情のまま固まってしまいう雪ノ下。

俺は確かに、何をしようがお前らしいとは言った。

けれど、今の雪ノ下の言葉は成長ではなく退化を選んだものの言葉だ。

そんなものを肯定するために、俺はあの言葉を使ったんじゃない。

 

「お前が、姉を真似することが悪いことなのか?身近にいたなんでも出来る人間になろうと思うことは悪いことなのか?」

 

「それは……」

 

子供なんてみんなそうだ。誰しもが一度はテレビの中のヒーローに憧れる。

それが雪ノ下の場合、一番身近な姉だった。

でもいつか、夢が覚める時がくる。

ヒーローにはなれないと子供たちは現実を見る時がくる。

けれど、それが現実にいる人間なだけに、自分もなまじ出来るだけに、雪ノ下は未だにその夢から覚めることができていないのかもしれない。

 

「憧れるのも、追いかけて真似るのも、いいことだと思う。だが、お前は、その過程で得たもので自分自身の道を進んでいない、自身の糧となるものをほったらかしにしたまま、未だに後ろ姿を追い続けている。そうじゃなきゃ、下位互換なんて考え方は生まれない。問題はそこなんだよ雪ノ下」

 

「…………」

 

いくら憧れても、いくら近づいても、決して、その人にはなれない。

 

「……なぁ、雪ノ下、お前は姉が辿ったレールの上を歩く人生で満足なのか?」

 

「……っ!」

 

その言葉にハッとする雪ノ下。

自分の見据える先に、誰かがいる人生は窮屈だろ。

 

「もう、お前にお手本は必要ないんじゃないか?」

 

「……」

 

黙ったままではあるが、その顔からは憑き物が取れたようなすっきりとした顔が見える。

彼女自身の中で区切りをつける事が出来たのではないだろうか。

今の彼女なら俺の言葉の意味もちゃんと届くだろう。

 

「お前らしくあれよ、雪ノ下」

 

「……ええ、言われるまでもないわ」

 

威勢を取り戻した雪ノ下を見ると、こちらとしても嬉しいかぎりだ。

 

「……ねぇ、あなたは何故そんなに強いの?」

 

次に放たれた言葉は到底彼女の、雪ノ下雪乃のものとは思えないものだった。

けれど、その言葉は純粋な疑問なのだろう。

 

「強い人間なんていねぇよ、いるのは強くあろうとする人間だけだ」

 

そもそも人間自体、欠陥だらけの生き物なのだ。

一人じゃ生きていけないくせに、必要な他人を傷付けたりするような愚かな生き物なのだ。

そんな愚か者だからこそ、俺はその中でだけでも強くありたいだけなんだ。

 

「にしても、俺にばっか頼りすぎじゃねぇか?お前」

 

あまり真面目な話はしたくないので、雪ノ下の反応も見ずに、俺から話を切り替える。

最近はこんな短期間で何度もそう頼られると他のやつとの関係は大丈夫なのかとか、いらぬ心配だろうが頭によぎるのだ。

 

「……さぁ?何故かしらね」

 

誤魔化すように笑う雪ノ下。

その笑みの意味が俺には分からなかった。

残りのコーヒーを飲みながら俺たちはくだらない雑談に花を咲かせていた。

 

 

 

 

 

 




私生活が今の時期から2月ごろまで忙しくなるため、投稿間隔が空いてしまいそうです。
なるべく、今のうちに溜めておいて、最低でも一月に一回くらいはなんとか更新していこうとは思ってます。
それ以降はおそらく大丈夫だと思います。


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第24話

最後に、色々書いてます。


文化祭まで一月を切った校舎の中は慌ただしい。

本日から文化祭準備のための教室残留が解禁された。

実行委員が決まった翌日、俺と由比ヶ浜は奉仕部が部停になることを拓也から聞かされた。

俺としても妥当な判断だと思い納得した。由比ヶ浜も同じようで、部停には賛成していた。

そのおかげもあり、我々二Fの文化祭に向けての準備も着実に進められていた。

 

「ねぇ、ヒッキー、これどうすんの?」

 

「ああ、そこはここにこうしてこうするんだよ」

 

「ヒッキー、説明下手…」

 

俺たちの出し物は結局、海老名さんのドキッ男だらけの『星の王子さま』に決まった。

それに伴いキャストを決めることになったのだが、キャストを決めるあの時間はまさに地獄だった。

人道的な配慮から一度は挙手制になったものの、当然手を挙げるものなどいない。

その結果、海老名さんの独断と偏見によりキャストが決まっていった。その時の男子の阿鼻叫喚は忘れられない。

そして、その途中にでかでかと書かれる

ぼく:比企谷

の文字。

由比ヶ浜の一声がなければあのまま俺は王子さま役の葉山を消さなければならないところだった。

結局、なんとか俺の意見を通し、ぼく役は戸塚に変わった。すまん戸塚。

でも案外似合ってると思うぜ。

そして今俺は海老名さんの

「原作厨舐めてんの⁉︎ネット上で叩かれたいの⁉︎」

との熱いお言葉を受けて、本来は借り衣装で行こうとした所を、手作りで作ることになったので、そこに由比ヶ浜と配属されている。

それとなんだっけ、川越か。たぶん。川島も由比ヶ浜に推薦される形で同じく衣装作りに参加している。

他にも数人の女子がいる、実はしっかり三浦も入ってたりする。

男は俺一人だが、専業主夫を目指す俺にとって裁縫は必須科目なのでそこは問題ない。

 

「……はぁ、ちょっと貸して、由比ヶ浜」

 

「川崎さん?」

 

由比ヶ浜の状態を見ていられなかったのか、川崎が由比ヶ浜が作業していた布を取る。

この様子からわかるように、由比ヶ浜自体はそこまで、裁縫は上手い方ではない。しかし、純粋に人手が足りないので、貴重な戦力なのだ。そうなると当然、まともに出来る俺は主戦力になるわけで、

 

「ねぇ、比企谷、由比ヶ浜の代わりにここやってくれない?」

 

「……あいよ」

 

このように、やることがたくさんなのだ。

それと、川崎、教えられなかったからって俺に押し付けるのはやめてくれ。

……けど、まぁ、こう頼られるのも案外悪くない。

 

「じゃあ、俺と相模は文実の方に行くから」

 

後ろの方で拓也がクラス委員に言っているのが聞こえた。

……そういえば、少し前からあの二人が一緒に行動しているのをよく見る気がする。

何かあったのだろうか。

最近は俺も忙しく、あいつとなかなか話す機会がない。

むしろ、クラスのやつと話している時の方が多い。

改めてその事実に驚きながらも、俺は手を休めることなく作業を続ける。

文化祭というフィルターを通してなのはわかっている。

けれど、こんな日常を過ごしていることに俺は心のどこかで喜びを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪ノ下と話した翌日、俺はやることがあると言う雪ノ下の代わりに、平塚先生に部停の旨を伝えるために放課後、職員室を訪れていた。

 

「平塚先生」

 

「ん?ああ、君か」

 

何か悩みでもあるのか、先生らしくない曖昧な返事だった。

 

「雪ノ下とも話し合って文化祭までは部活は中止にしようと思っているんですけど。もちろん、八幡と由比ヶ浜も了承済みです」

 

「……ふむ、そのことで少々問題があってな」

 

……何故か昨日のあの視線が思い出される。

 

「あの、平塚先生、用事ってなんですか?」

 

急に後ろから声が聞こえた。振り返るとそこにいたのは、昨日、実行委員長になったばかりの相模だった。

……嫌な予感がする。

 

「来たか、とりあえず、こちらに来たまえ」

 

相模を見て一言そう言うと、俺も何故か待合室の方に連れて行かれる。

……やっぱり嫌な予感が

 

「単刀直入に言おう、君に彼女の補佐をしてもらいたい」

 

……はぁ。やっぱり。

 

「本来ならば、奉仕部の方で解決を図ってもらおうと考えていたのだがな。部停となるとそうもいかないだろ?部停理由も妥当な分、私としても活動しろとは言えないからな」

 

「え?…え?」

 

相模自身も、そのことを始めて聞かされたのか狼狽えている。

 

「……なんで俺なんっすか?」

 

「特に理由はないさ、来たのがたまたま君だったからな、雪ノ下が来れば彼女に頼んでいたよ」

 

ガバガバだな、おい。

 

「……具体的な内容は?」

 

補佐と言われても良くわからん。

 

「それは直接本人から聞くのがいいだろう。なぁ、相模」

 

「え?あ、はい…。その、一人じゃ不安だから手伝ってほしいっていうか」

 

未だに明確に状況を理解してはいないだろうが、なんとか平塚先生の振りには答えている。

 

「……たしか、自分自身の成長のため、だっけ?」

 

ほとんど聞いていなかったが、そんなことを言っていた気がした。

 

「うん、そうだけど。良く覚えてるね」

 

すまん、たまたまだ。

 

「ふむ、少し複雑になったな、一度まとめるとしよう」

 

そう言うと平塚先生は姿勢を少し正した。

 

「本来は今日にでも相模に奉仕部の紹介をしようと思ったが、奉仕部で部停を申し出た」

 

はい。

 

「そこでたまたま君が来たわけだ」

 

はい。

 

「だから君に依頼することにした」

 

はい?

 

「……先生そういうところっすよ結婚できn」

 

「ゴッ」と鈍い音が響いた。

 

「何か言ったかね?」

 

痛てぇ、最近の女性たちの間では言葉より先に行動に移すのが流行ってるのかよ。

これじゃあ些細な抵抗すらできないではないか。

男女平等をきちんと掲げていきましょうよ、先生。

 

「だが、君でよかったと私は思ってるのだよ」

 

今度は正した姿勢を崩し足を組んでいる。

 

「相模を本当の意味で成長させることが出来るのはおそらく奉仕部のメンツの中だと君だけだと思うからね」

 

「うちを?」

 

会話に置いていかれていた相模がこちらをみる。

ここでようやくあの視線の意味を察した。

 

「……まぁ、言われたからにはやりますよ」

 

相模の本心はともかく、最初の会議の様子だけでもいつかこいつに助けが必要のは目に見えている。

 

「そうか、助か」

 

「当然、先生もつくんですよね?」

 

平塚先生の言葉を遮る形で食い気味に食らいつく。

大体、根本的に俺一人に頼むってのはちゃんちゃら可笑しい話なんだよ。外部からも人が来るんだぞ、うちの文化祭は。

それこそ、学校の評価にすら直結するのだ。

大前提として、それを一生徒に頼るだけでどうにかなると思わないでいただきたい。

 

「……基本的には君たちだけで頼むよ」

 

そう言い残して、平塚先生は戻っていった。

 

「……善処します」

 

誰にも聞こえないように、一人そう呟く。

そして残される俺と相模。

沈黙に耐えかねたのか、相模の方から話しかけてきた。

 

「じゃあ、よろしくね」

 

先生がいなくなったので、口調が戻り、いつものように軽くなる。

……さて、何から始めようか。

この様子を見ると、平塚先生の言うように、こういった奴の相手は俺が一番適任というのは間違いなさそうだ。

望み通り、人として成長してもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

文化祭まで一月を切った。

クラスの方も忙しなく動いている。

 

「じゃあ、俺と相模は文実の方に行くから」

 

クラス委員にそう伝えて、相模と教室を出た。

 

「全体の進捗状況はどうだ?」

 

「だ、大体大丈夫だと思うけど……」

 

「……本当に?お前はその言葉に責任が持てるか?」

 

「それは……」

 

「じゃあ、もう一度考え直した方がいいな」

 

「うぅ……じゃあ、スケジュールを見直して……」

 

あの日以降、俺はひたすら相模に対して、このようにして責任を問い続けている。

相模南にもっとも欠落しているのがこれだったからだ。

一度、補佐としての役職を作る案が出されたが、そんなものは必要ないし、寧ろ悪影響だ。

そんな逃げ道は成長に繋がらない。

その甲斐あってか、彼女なりに必要なことはメモを取ったり、積極的に生徒会に頼ったりしている様子が見えた。

俺自身、三年生にとって最後の文化祭やら、学校外に段取りが伝わらなければお前にも責任があるとか、割と言い過ぎた気もしなくもないが、これくらいが彼女には丁度良かったのかもしれない。

そして、これ以上口を出さないのが俺なりのやり方だ。

これからたくさん悩み抜くのは彼女の仕事だ。

その結果、彼女自身で文化祭を成功させたことは間違いなく彼女の成長に繋がることとなる。

責任という簡単には得難い重圧を糧に出来るのだ。

 

「定例ミーティングといっても、もう一月切ってるからな」

 

「今頭ん中で整理してるから話しかけないで」

 

……さいですか。

こんだけ彼女も悩み、考えているのだ、その手足である俺たちも遅れることなく作業を進めてやるのが筋ってもんだ。

そう思い、俺は会議室のドアを開けた。

 

 

 

 

「定例ミーティングを始めます」

 

みんなが集まったのを合図に相模が号令をかける。

 

「では、宣伝広報からお願いします」

 

その言葉に担当部長が起立する。

 

「掲示予定の七割を消化して、ポスター制作についても、だいたい半分終わってます」

 

「そうですか、……七割だとまだ遅いし、ホームページも」

 

ブツブツと相模の独り言が聞こえてくる。

 

「少し、ペースを上げてください。もう1ヶ月を切っているので、外部の方へのスケジュール調整を考慮に入れると完成しているのが好ましいです」

 

「は、はい」

 

張りのある声を出す相模に少したじろいだ様子の宣伝担当はそこの場に座った。

 

「では、次に有志統制、お願いします」

 

そんなことを気にすることもなく相模は次へと議題を移す。

 

「……はい。有志参加団体は現在10団体です」

 

「その中に、地域の方々は含まれていますか?例年我々は地域との繋がりを大事にしています。そうなると参加団体の減少はなるべく避けたいです。それに加えてスタッフの内訳や、タイムテーブル一覧の提出をお願いします」

 

これもきびきびと課題を挙げて対処していく。

 

「……ねぇ」

 

隣に座っている雪ノ下が俺に声をかける。

いつのまにかそこが定位置になったらしい。

 

「彼女、いつのまにあんな回せるようになったのかしら」

 

初日との変わり様に驚いているのか、多少、目を見開きながら相模を見つめている。

 

「……ちょっとした荒治療でな」

 

黙っておく、という選択肢もあったが、後々変に勘違いされても困るので、素直に雪ノ下にそう告げる。

 

「あなたが?」

 

「平塚先生に頼まれてだけどな」

 

「……そう」

 

雪ノ下が深くは聞いてこなかったのはありがたかった。

実際、俺の方法はそう褒められたもんじゃない自覚はある。

必要以上のプレッシャーと、最悪のもしもを想定させることで、そうはなりたくないと思わせる。そうなると自然と先の先まで対策を立てるようになる。失敗を恐れる彼女の性格なら尚更だ。

その上で人に任せるという逃げ道も消したのだ。

文字通りの荒治療である。

 

「では、本日の定例ミーティングを終わります。大変だとは思いますが、みなさんよろしくお願いします」

 

予定の時間よりも多少早く終わる。

みな教室に戻る中、残って作業していたのは相模だった。

正直、ここまでやる気を見せるのが俺には理解できないのが本音だ。

内心のためにやるようなやつには見えないし、いくら俺が追い込んだと言ってもそれだけでそうそう変わるとは思えない。

 

「なぁ、相模」

 

「何?今忙しいんだけど」

 

声をかけてる俺に目もくれず、作業に没頭している。

 

「お前、なんでそんなにやる気なんだよ」

 

ここで初めて作業の手が止まった。

 

「…………」

 

黙ったまま相模は動かない。

 

「……笑わない?」

 

重々しく開かれた口から出たのは俺の予想に反したものだった。

 

「なんで頑張ってる奴を笑うんだよ」

 

俺は人の努力を笑う人間にはなりたくないぞ。

 

「まあ、あんたならいっか」

 

椅子に体重をかけラフな姿勢になる。

気づけば周りに残っている人間はいなかった。

 

「あたしさ、性格悪いでしょ」

 

始まったのは相模の一人語りだった。

そうは言うが、一緒のクラスになって半年のクラスメイトの性格など、俺には良くわからなかった。注意深く見ていないので尚更だ。

 

「それで、ちょっとは変えようって思ってさ。そう思ったのも最近だけど」

相模の目には少しの後悔の色が見える。

 

「……由比ヶ浜さん、いるじゃん?うちのクラスの」

 

「ああ」

 

「夏休みにさ、色々あって、あたし酷いことしちゃったんだよね」

 

……思い当たる節がある。

あの夏祭りの光景が脳裏に浮かぶ。

 

「あたし、一年の時も同じクラスでさ、そこそこ目立つグループだったの」

 

それは初耳だ。

うちのクラスでは目立つグループなんていったら葉山のグループくらいしかいない。

きっと、そのせいで霞んでいるのだろう。

 

「でも、二年になってからは、由比ヶ浜さんは三浦さんのグループに入って、私は違う。どこか、嫉妬でもしてたのかもしれない」

 

普通は同じクラスの人と上がれば仲は良いままだろう。

けれど、高校は小中とは違って毎年クラスが変わる。

そうなれば、自分よりカーストの上の人間も現れるわけで、由比ヶ浜は気に入れられて、相模はそうではなかったのだろう。

 

「それで、夏休みに酷いことしたんだけど、そこに私の知ってる由比ヶ浜さんはいなかったの」

 

俺よりも由比ヶ浜を見ている相模だからこそ、感じるなにかが大きかったのだろう。

 

「元々、この役職だって軽い気持ちで始めた。けど、あの由比ヶ浜さんを思い出すたびに、だんだんそんな自分が惨めに見えてさ」

 

基本的に、他人と自分を比べるなんてのはナンセンスだ。

けれど、例外はどの場合にでも存在しうる。

 

「あんたにも責任ってのを見せつけられてさ、これを乗り越えれば、私も、何か変われるかもしれないって、そう思い始めてきたの」

 

どうやら、相模南は人を落として自分を上げる人間ではなく、自分を上げることの出来る人間のようだ。

 

「だから、柄にもないのはわかってるけど、頑張ってるのよ」

 

そう言うと再び、机に向き合い、作業を再開した。

根も葉もない噂、いわれのない悪口、そんな人間の悪意が伝染していく様はたくさん見てきた。

でも、こんな伝染を見たのは初めてだった。

悪口や噂のようなパンデミックを起こしはしないし、なんならこういう変化は広がる前に消されるのがおちだ。

けれど、由比ヶ浜結衣が見せたものは相模南に伝染した。

ならば、それを知った佐藤拓也はどうする。

黙って見過ごすか?くだらない理由と一蹴するか?

そんなのは、決まっているだろ。

 

「そっか、頑張ろうな、実行委員長」

 

頑張る人間の力になる。

たとえ過程がどうだろうと関係ない。

立ち向かう人間に寄り添うのが俺だ。

 

「……頼むわよ、補佐さん」

 

二人だけの会議室で俺はもう一度気合いを入れ直した。

 

 

 

 

 

 

 

 




昨日あんな後書きを残しましたが、14巻発売を自分なりに勝手に記念して無性に投稿したくなりました。
急いでいたので、誤字脱字や矛盾点が多いかもしれません。


感想の方でも、色々なルートが見たいとの声をいただいたので、新しいアンケートを設けたいと思います。
雪ノ下以外の個人ルートです。
もし、複数人がいい方は感想の方に、人物名なんかを書いていただけるとありがたいです。
それに伴い、アイディアの方も感想で募ろうかなと思っています。
要望やシチュエーション、何でも書いていただいて構いません。それを話に反映させていただこうかなと思ってます。
もし書かれなくても、自分なりの物語を書くので話が投稿されないという心配はなさらなくても大丈夫です。
番外編という形にするので、みなさんの意見を募るのもありかなと思い、こういう形をとりました。
前回のアンケートも沢山の回答ありがとうございました。

最後にもう一度、ここから投稿ペースが数ヶ月の間ガクッと落ちてしまうのでご理解いただきたいです。




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あざとい後輩 前

短編として1話で終わらせるつもりが無理でした。
前後半に分かれます。
本編のIFだと思って見ていただけるとありがたいです。
沢山のアンケートの回答ありがとうございました。
第2回もする予定なのでそのときはまたお願いします。



とある日の休み時間、俺は突然声をかけられた。

 

「悪い佐藤、ちょっといいか?」

 

声の主は最近やたらと聞くことの多い葉山だった。

そんな葉山にしては珍しく、周りに人は連れていない。

 

「なんだよ」

 

そんな葉山に多少の胡散臭さを感じつつも、無視をする理由も思いつかないため渋々話に耳を貸す。

 

「実はちょっと男手が足りなくてさ、よかったら手伝ってくれないかなと思ってさ」

 

男手ねぇ。

それよりも、雪ノ下といい、葉山といい、頭のいい奴ってのはなんでこうも肝心な部分が抜けてるのだろうか。

いつ、どこで、誰とを伝えましょうって小さい時に教わるでしょ。

お母さんはそんな悪い子に育てた覚えはありません。

育てた覚えもないけど。

 

「なんで俺なんだよ。他にもいるだろ、あの3人組とか」

 

そう思ったからといって、一から聞いていくのも面倒なので、一番気になったところだけを聞く。

こいつが内輪で解決しないのは珍しいからな。

 

「それが、あいつらに断られてさ、それに、こうやって気軽に頼れるのって佐藤くらいしか思いつかなくて」

 

やーい、断られてやんの。

というか、俺は別にお前に頼られる覚えはないんだけど。

どういう思考の末にそうなったのか400字以内で教えてほしい。

……いや、やっぱ面倒だから10文字でいいや。

あいも変わらず能天気な理想論者らしい考えだと思うが、だからといってそれは俺がこの頼みを断る理由にはならない。

俺を頼って助けを求めてきたのなら誰であろうと正面から付き合うのが俺のスタンスだ。そこに俺の好き嫌いは関係ない。

となれば自ずと答えは出るわけで、

 

「わかったよ、手伝ってやる」

 

「そうか!助かる」

 

俺が答えると葉山は嬉しそうにそう言って去っていった。

だから、いつ、どこで、誰とか答えていけって。

そんな俺の思いも虚しく、すでに葉山の姿は見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、どういうこと?」

 

「いやー、佐藤が来てくれて助かったよ」

 

葉山の頼みからちょうど1週間、こうして俺は何故か葉山と二人、ミスドへと訪れている。

先程から葉山に今の状況の説明を求めるが、はぐらかしてばかりで怪しさ満点である。

このまま、二人で過ごすのが目的なのか、とか、怪しい仕事でも強要されるのか、とか、悪寒がするような良からぬ想像で頭の中が膨らみ始めてきたときだった

 

「遅れてごめんなさーい」

 

ふと聞こえてきた声のする方を見ると、同じ総武高の制服に身を包んだ女子生徒たちだった。

しかし、見たところ見知らぬ生徒なのを見て、こちらには関係ないと高を括っていたところで、隣から声が上がった。

 

「大丈夫だよ、こっちこっち」

 

隣の男の言葉を聞いたとき、ますます理解が追いつかなくなった。

ただ唯一分かるのは俺は葉山隼人に言葉巧みに出し抜かれたことだ。

しかし、この役割を男手と言った葉山はなかなかの言葉選びのセンスがあると思う。

この言葉を聞けば誰だって力仕事を思い浮かべる。

だが、恐らく今の状況も立派な男の労力であることに変わりはない。

さすが秀才なだけある。

そんな場違いな感想を抱いているうちに、女子生徒たちの方も俺と葉山に対面する形で座る。

いや、本当に誰だよ。

 

「わざわざ、時間割いてもらってありがとうございます!」

 

座ったと思ったらいきなり女子生徒の片割れの黒髪の子が葉山に感謝を伝える。

この距離感的におそらく葉山とこの二人は知り合いなのだろう。

 

「いいよ、気にしないで」

 

それを葉山は慣れた様子でいなしている。

俺は気にしかしてないんだけど。

いい加減、本気で説明が欲しいので葉山への視線を強めていく。

 

「こっちの彼は俺の友達でさ、同じクラスの佐藤って言うんだ、俺一人だけってのも味気ないだろ?」

 

いや、別に紹介しろって意味じゃねぇよ。

だが、この言葉でようやく自分なりに悟った。

こいつは恐らく俺を逃げ道として使うつもりなんだろう。

この様子からして二人とも多分葉山に対して大なり小なり好意を抱いているのだ。

となると、「今」を壊したくない葉山は都合のいいデコイが欲しかったに違いない。

これで、あの去り際の喜びようにも納得はいくが、そもそもこういう話を受けなければ済むと思うのだが。この頼みを受けるのも込みで「今」を壊したくないのかもしれない。

こう思うと案外傲慢なやつな気もしなくもない。

それと同時に、こういうのが好きそうなあの3人組が断る理由も理解できた。

いくら女の子と会えるシチュエーションだとしても、比較対象が常に葉山な上に、知り合い同士となれば役得どころかいいとこ邪魔者扱いだろう。常に葉山といる彼らなら余計にそう思うのだろうしな。

にしても誰だよ、こいつら。

そんな俺の心の声が伝わったのか、もう一方の栗色とも茶色とも取れるような髪色をした少女が自己紹介を始めた。

 

「初めまして、一色いろはって言いまーす!よろしくお願いしますね、佐藤先輩」

 

可愛らしいその挨拶からは、見た目通りというか、なんというか、女子高生のテンプレみたいな子というイメージを受ける。

俺の周りにはいないタイプ。よく言えば普通、悪く言えば平凡な感じだ。

ただ、同時に少し既視感を覚えるのはなぜだろうか。

 

「葉山先輩、何か取りに行きましょうよ!」

 

俺のことなど眼中にもないらしい隣の子はろくに俺に目を合わせることもなく、強引に葉山を連れて席を立ってしまった。

葉山相手にその強引さにはある種の敬意を抱くが、今だけはやめて欲しかった。

残された初対面の後輩女子とどうしろと言うのだ。

 

「……お前は取りに行かねぇの?」

 

元々知らされていたならまだ話の引き出しを用意出来たのだが、現状、俺が尋ねられる質問はこれくらいしか思いつかない。

 

「ああ、大丈夫ですよ」

 

帰ってきたのは先ほどの元気など嘘のようなトーンの低い答えだった。おまけに視線すら合わせようとしない。

わからなくもない。向こうからしても誰だよこいつ状態だろうし、肝心の葉山も相方の方にとられてしまってるんだからな。

にしても、それにしてもだ

 

「……ヘッタクソだなぁ」

 

心の底から思ったからだろうか、意図せずして口から漏れてしまった。

 

「……何が下手くそなんですか?」

 

どうやら難聴系主人公のように聞き流してはくれないらしい。

あいつらって「え?なんだって?」しか言わねぇよな。

さっさと耳鼻科行けよ。

 

「お前のその切り替えだよ」

 

それはそれと、聞かれたのならしょうがない。

少し怯えているような様子だが、それでも答えてあげるのがラブリーチャーミーな敵役というやつよ。

 

「はぁ」

 

だがしかし、どうやら向こうは要領を得ないらしい。

 

「露骨すぎなんだよ、興味の無くし方が」

 

この言葉でこちらの伝えたいことの意味が理解できたのか、明確に答えを返してくる。

 

「えー、でも先輩は初対面ですよね?」

 

今度はこちらに興味を示したらしく、こちらを向く。

全くもってその通り、その通りだが、今の状況を考えろ。

 

「たしかにそうだ、だがな、俺は葉山の友達としてここにいるんだぞ?それを考えて行動するのがいいんじゃねぇのってこと」

 

葉山はこの場にはいない、けれど友人として紹介された俺にいい顔しておけば、その後葉山にそれが伝わる可能性もあるのだ。

それをこいつはみすみす逃した。

故に下手くそと言葉が漏れた。

 

「……たしかに、そういうアプローチも……」

 

俺の言葉を聞いた一色は驚いたようにそう呟いた。

少し驚いたその顔を見ると同時に熱の入った俺の頭も冷めていくのを感じる。

そもそも、彼女は普通の女子高生なのだ。

普通はそこまで深く考えて人と接したりはしない。そう思うと俺や八幡の人への接し方の異常性を改めて感じる。

ここはためになるアドバイスを送るに留めるくらいがいいだろう。

 

「ま、初対面だろうが、適度な距離を保っとけば失敗はしないって先輩からのアドバイスだ」

 

柄にもなく先輩面になってしまったが、割といいことは言ったつもりだ。

 

「何ですか?口説いてるんですかごめんなさい狙いすぎだし気持ち悪くて無理です」

 

………。

 

「……」

 

時間にしては僅か数秒くらいだろう、俺は黙り込んでしまった。

なにせ、割とまともなことは言ったつもりでこんな返しをされたのは人生において初めてだったのだからしょうがない。

別に言い返せなかったとかじゃないから。

しかし、向こうもとっさに出た言葉だったらしく、多少バツの悪そうな顔をしている。

その程度の良心は兼ね備えているようで一安心である。

ただし、前言撤回だ。この子は俺の知る普通ではないらしい。

 

「いや、狙ってねぇよ」

 

だが、そうなると俺としてはいくらか気は楽になる。癖のある奴の相手に慣れてるからだろうか。

それに、先輩たる者、後輩の言葉くらい目をつむるもんだ。

初めて会ったけどな。

 

「……えー、本当ですかぁ?」

 

すると今度はいきなり何故か馴れ馴れしくなった。

距離を縮めてきたと言った方が適切かもしれない。

それに合わせるようにコロコロと表情も変えていく。

その様子を見てると今度は別の既視感に襲われる。

 

「誰が初対面の人に罵倒するようなやつを狙わにゃいかんのだ」

 

「えー、だって、私可愛いじゃないですか」

 

「そうだな、で?そこは今論点じゃないだろ」

 

「……むー」

 

俺がそう言うと一色は可愛らしく唸って固まってしまう。

なんだこいつ、中途半端だな。可愛いけども。

……中途半端、中途半端、か。

ここに来てようやく既視感の正体がわかった。

似ているんだ。

最初の取ってつけたようなあの挨拶で感じたものは陽乃さんのもの、そして先ほどのじゃれ付きは小町ちゃんのものに。

けれど、完成度で言えば彼女達よりも数段落ちる。

だから微妙な既視感だけを感じたのだろう。

一人勝手にスッキリしていると、今度は一色の方から話を振られる。

 

「そういえば佐藤先輩って葉山先輩と仲良いんですか?」

 

今度は一気に話題を変えてくる。

そういえば、もともと葉山がメインだったな。

 

「ああ、すこぶるいいぞ、具体的に言えば頭どついても笑って済ませてくれるくらいにはな」

 

ここだけの話、本当にやっても笑ってた時は怖かったとだけ言っとく。

 

「……それ仲良いって言うんですか?」

 

「ほら、それはあれだよ、あれ」

 

「仲悪いんですね」

 

まったく、君のような勘のいいガキは嫌いだよ。

 

「そもそも、俺は今日何するかも聞かされてないからな」

 

そういう意味では案外仲は良いのかもしれない。

ほら、よくある友情漫画の俺はお前のことは言わなくても分かるぜみたいな感じで。

……やっぱ気色悪いから仲悪くていいや。

ただ、勘違いしてほしくないのは、俺は単純にあの性格が嫌いなだけで、葉山隼人と言う人間自体に嫌悪感を抱いているわけじゃない。

動けるくせに動かないのが気にくわないのだ。

昔の自分を重ねているからかもしれない、そんな私情も混ざっていたりする。

 

「じゃあなんできてくれたんですか……」

 

至極当然の答え。知恵袋ならベストアンサーに選んでるところだった。

俺は未だにこの謎の集まりの全貌は分かっていない。先ほどの考えも所詮俺の推測に過ぎないしな。

ここは改めて一色に聞いてみるのがいいかもしれない。

 

「もともと、なんの集まりなんだよこれ」

 

「しょうがないですね〜」

 

俺が初めて下手に出たせいか、やけに態度が大きくなる。

意外とわかりやすいのかもしれない。

 

「いいですか、この集まりは元々私たちサッカー部のマネージャーが長い時間をかけて葉山先輩と約束を取り付けた大事なものなんです!」

 

ああ、なるほど。

すごいすごい。

じゃあ帰っていい?

 

「そうか、じゃあ、俺は帰る。ま、頑張れよ後輩」

 

いや、本当になんでそんな微塵も俺が関係のない集まりに参加せにゃならんのだ。

それに、俺の助けが必要なところも見当たらない。

一色の話が本当ならこの先も助けがいるとは到底思えない。

となると、今回ばかりは葉山の意図が本当に読めなかった。

いつもの葉山なら最低限の説明くらいはする筈だ。

そこだけは腑に落ちないが、それは後々葉山に聞けばいいと思い立ち上がった時だった、

 

「……待ってください、先に帰るんですか?」

 

何故か一色に呼び止められる。

 

「なんだよ、大事な集まりを邪魔しないようにという俺の気遣いを無駄にするんじゃあない」

 

せっかく取り付けた約束なんだ、邪魔するのは野暮ってもんだ。

別に早く帰りたいとかそんなじゃないから。

本当に、違うよ?

 

「でもそれって、葉山先輩にも伝えるべきなんじゃないですかぁ?」

 

煽るというよりはどこか焚きつけるような言葉をかけられる。

……確かに。

黙って帰るのも違うか。

そもそも帰ってきてから文句を言えばいいではないか。

後輩二人の前だから遠慮しようかと思ったが、もとはと言えば何も言わなかった葉山が悪いのだ。

少しくらいカッコ悪い姿を見せても文句を言われる筋合いはないはずだ。

 

「……それもそうか」

 

そう思い直し俺は再び椅子に座りなおす。

しかし、その肝心の葉山はなかなか帰ってこない。

どんだけ選ぶのに時間かかってんだよ。

ポンデリングの厳選でもしてんのか?

そんな中俺は、待ち時間の間に葉山に奢ってもらったコーヒーのせいかだんだんと迫り来る尿意を感じていた。

 

「わりぃ、ちょっとトイレ」

 

一応、一色に断りをいれトイレへと向かう。

 

「先輩、少しくらい隠してくださいよ」

 

「はいはい、お花摘んでくるわ」

 

「それはそれでキモいんでやめてください」

 

「ぶっとばすぞお前」

 

ちゃちゃを入れてくる一色の相手をしつつも、俺はトイレへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スッキリした俺に待っていたのは予想も出来ない現実だった。

 

「おい、一色」

 

「はい」

 

「あいつら、どこ行った?」

 

「?帰りましたけど?」

 

そう言って一色はこてんと首を傾げてみせた。

え、何その当たり前ですよね?みたいな顔。俺がおかしいの?

ていうか、誘っておいて帰るって新手のサイコパスかよ。

だが、ついていけてないのは本当に俺だけらしく、一色は今の状況にになんの疑問も抱いていないように見える。

パラレルワールドにでも迷い込んだのだろうか。

 

「お前、それでいいのかよ。せっかく取り付けた約束だろ」

 

この際俺のことは百歩譲ってどうでもいい。

それより、先ほどの一色の話が事実ならば本当の被害者なのはこの場に残された一色である。

 

「まぁ、はい。予定通りっていうかぁ…」

 

返ってくる言葉は歯切れが悪い。

何が予定通りだ。

 

「……待ってろ、葉山呼び出すから」

 

久々に頭にきた。いくらなんでも度が過ぎている。

あくまでも頭は冷静に、けれど葉山への明確な怒りを宿しながら携帯を取り出したとき、俺の手に重ねる形で一色に電話を止められる。

 

「……いいんです。ありがとうございます、先輩」

 

何がいいのか俺にはさっぱり理解できなかった。

だが、そう言われてしまえば、こちらとしても引き下がるしかない。やり場のない怒りのぶつけどころに困りながら一色の顔色を見ると、何故か彼女の顔からは悲壮感は感じられなかった。

それどころか嬉しそうにも見える。

 

「……お前、なんでそんな嬉しそうなんだよ」

 

イラついていたせいか、少し言葉に棘が出てしまった。

 

「そ、そんなわけないじゃないですか!悲しいですー!」

 

しかし、一色はその棘に気づいていないらしく、慌てた様子で必死に不幸な様子を演じている。

その言葉を聞くと自然と入っていた肩の力も抜けていく。

よくわからん奴だ。

 

「ところで、先輩、わたしは今とても悲しいです」

 

「おう」

 

今度は唐突に一色が語り出した。

せめてもう少し悲しそうな顔をして欲しいものだ。

そのせいで、本気でへこんでいるのかはっきりしないので俺としてもあまり強い言葉を使いづらい。

 

「なので、代わりに先輩が慰めてください」

 

「おう」

 

「……うぇ!い、いいんですかぁ⁉︎」

 

そりゃあ、このままはいさよならというわけにはいかない。

これでもこの場にいた者としての責任は感じている。まさか慰めろといわれるとは思わなかったが。

そもそもなんでお前がそんな驚いてんだよ。提案者だろ。

 

「じ、じゃあ、心の傷は癒えにくいので長期を希望します!」

 

「じゃあってなんだよ、じゃあって」

 

長期とかお前は派遣アルバイトか。

 

「…だめ、ですか?」

 

あ、あざとい……。

俺を待ち構えていたのは絶妙な上目遣いに加え、保護欲を掻き立てられるような声、縮こまるような仕草だった。

こんなものを見せられて堕ちない男はそうそういないだろう。

 

「……まぁ、いいけど」

 

だが、俺は違う。

そう言ってやりたいが、残念ながら俺も男なのを忘れないでもらいたい。

時には理性より本能が勝つときだってあるのだ。

それに、長期と言うが、長くても数日で終わるものだろう。

この様子からすればすんなり今日で吹っ切れるかもしれない。

 

「早速行きましょ、先輩♪」

 

そう言ってノリノリで俺の前を先行する後輩。

ご機嫌なようでなによりだが、俺は結局、最初から最後まで一連の流れを理解できないまま店を出ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、私、一色いろはには好きな人がいます。

彼に会ったのはサッカー部のマネージャーになってしばらくたった頃でした。

その頃、周りの子はみんな葉山先輩目当ての子ばかりでした。

かく言う私も、その一人、正しくは葉山先輩に恋している自分に恋していたんだと今になって思います。

ちょうどそんな時でした、彼が私の前に現れたのは。

 

「おい、葉山」

 

聞きなれない声が聞こえてきました。

どうやら声を掛けた当の葉山先輩は話に夢中で気付いていないようでした。

大抵の人は急用でもない限り、気を使ってその場を去っていくんですけど、彼は違いました。

 

「話を聞けっ!」

 

そう言うと、あろうかとか葉山先輩の頭をど突いたのです。

その光景は今でも鮮明に思い出せます。

あの葉山先輩がど突かれたからというのもあるんですけど、その後、彼と話している時の葉山先輩は活き活きしていたって言うか、なんというか素を出してる感じがしたからというのがあるからかもしれません。

あんな葉山先輩の顔はしばらくマネージャーをしている私も始めて見ましたから。

そして何より、周りの人達が誰一人として彼を疎ましく思う様子がなかったのです。

女子があんなことをすればただじゃすみません。よくて仲間はずれ、下手をすればイジメにつながりますからねー。

最初は男子特有のノリで少し羨ましいくらいに思ってました。

けど、彼の気配りと言うか、巧みな話術で誰一人話の輪から外れることなく終始楽しそうでした。

その日から、私の頭の片隅に彼が浮かぶようになりました。

といってももちろん最初は純粋な興味でした。

どうすればあんな風になれるんだろうって。

一度湧いた興味というのはなかなかおさまってはくれません。

その次の日の練習終わり、私は早速、意を決して葉山先輩に聞いてみました。

 

「葉山先輩」

 

「ん?どうした?」

 

いつもなら輝いて見える葉山先輩の顔も、この時ばかりは私の中の興味が勝ちました。

 

「あの、昨日葉山先輩をど突いてた人って何者なんですか?」

 

「ああ、彼かい?」

 

彼の話になった途端、葉山先輩はなぜか嬉しそうな顔をしたように見えた気がしました。

 

「同じクラスの佐藤拓也って言うんだ。彼とはそうだな、少なくとも俺は友達だと思ってるよ」

 

「少なくともってことはその佐藤先輩は葉山先輩のことを友達とは思ってないんですか?」

 

一方通行の関係だというのは、あの様子を見た私からすれば意外だった。

 

「はは、痛いところをつくな、彼には嫌いだと面と向かって言われたよ」

 

そう言うと葉山先輩は居心地悪そうに頭をかいた。

 

「少し前、彼に尋ねたんだ、俺のどこが嫌いなのかってね」

 

すると今度はどこか遠くを見つめて語り出しました。

 

「そしたら一言、お前が欲しいのは共感なのか?って言われたんだ」

 

「……どういう意味なんですか?」

 

それだけでは何が伝えたいのかよくわからない。

それくらいは私にも分かった。

 

「俺も、最初は理解できなくてね。柄にもなくしつこく聞いたよ」

 

次は自虐気味に葉山先輩は笑った。

 

「彼曰く『お前のその正しさをいくら口にしようとお前以外の人間はそんなことわかりきってるんだよ、故に周りから得られるものはただの共感だけ。強いてそれ以外を言うならお前の中に芽生える自己満足くらいだ』らしい」

 

正直な話、聞いてもよくわかりませんでした。

なんとなくはわかるんですけどね。

 

「分かりづらいかな?この話を例えるならSNSでいくらいいことを言おうが、得られるのはいいねって言う共感と、それと同時に得られた数字に満足する自分って感じ、俺はそう捉えたよ」

 

頭をひねる私に葉山先輩はわかりやすく説明してくれた。

たしかに、それならわかりやすいかもです。

でも、

 

「それがなんで嫌いな理由に繋がるんですか?」

 

寧ろ凄いことだと思うんですけど。

正しいことを言えない人なんて私の周りにも腐るほどいるのに。

 

「…………」

 

微妙な表情で葉山先輩は固まってしまいます。

 

「……一色、君から見た俺はどう映る?」

 

かと思ったらいきなり話の飛んだ質問をされました。

 

「えーっと、かっこよくて、文武両道で人望も厚い頼りになる先輩?」

 

思いつく限りの印象を伝えました。

 

「そうか、ありがとう。でも、それこそが、彼が俺を嫌う理由らしくてね」

 

「……嫉妬、ですか?」

 

どこにでもいるんですよねー。何でもかんでも嫉妬する人って。

 

「いや、そうじゃないよ」

 

その先輩もそうなのかと落胆しかけた私の考えを葉山先輩は否定する。

 

「さっき上げてもらった特徴なら彼にも当てはまることの方が多いからね」

 

「……じゃあ、一体なんなんですか?」

 

先程から難しい話が多くて、私の頭はパンク寸前だった。

 

「実を言うと、俺も結局わからないんだ。……ちょうどいい機会だし、彼に直接聞いてみるのがいいかもな」

 

「え?」

 

「一色、奉仕部って知ってるか?」

 

「奉仕部?」

 

こうして私は急遽、彼に会いに行くことになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンコン、奉仕部での活動も終わり、片付けをするために残った俺以外の三人が教室を後にしたその数分後にドアをノックする音が聞こえた。

 

「……どうぞ」

 

なんとも遅い時間にやってくる迷惑な依頼人だと思うが、せっかくなのだから話くらいは聞くべきだと思い入室を促す。

 

「悪いな、遅い時間に」

 

そう言ってドアを開けたのは葉山隼人ともう一人、既に辺りが暗く、太陽が雲に隠れてしまい顔がよく見えないが、体格から女子生徒だと分かった。

 

「……佐藤だけか?」

 

「ああ、他の三人は先に帰ったぞ。で、依頼人は後ろのその子か?」

 

葉山の後ろに隠れるようにして立っている女子生徒の顔を見ようと目を細めると葉山が立ち塞がる。

 

「いや、彼女は依頼人じゃない、俺の付き添いみたいなもんだ」

 

「ってことはまたお前からの依頼か?」

 

厄介ごとしか持ち込まない葉山に確認をとりつつ、意識を後ろの子から葉山にチェンジする。

 

「悪いが、俺は部長じゃないんでね、明日出直してきてくれ」

 

部活に寄せられた依頼は個人で解決するもんじゃないし、そもそも一部員の俺にそんな決定権はない。

 

「いや、依頼じゃないよ、君に用があるんだ、佐藤」

 

「もうすぐ完全下校だぞ、明日じゃ駄目なのか?」

 

俺個人に対してなら尚更別に今じゃなくてもいいだろうと思うが、葉山は帰るそぶりを見せない。

 

「すぐ終わる、……頼むよ」

 

やはり立ち尽くしたまま動かない。

 

「……手短にな」

 

このままでは埒があかないと思い、俺は再び椅子を引っ張り出して坐り直す。

 

「すまない、と言っても一つ質問をしにきただけなんだ」

 

そうはいうもののその顔は質問をしにきた奴の顔ではない。

 

「俺のどこが嫌いなんだ?」

 

ああ、なんだその話か。

 

「……前にも一度言ったが、たしかに言葉足らずだったかもな」

 

「ああ、俺なりに考えたけど、結局わからなかった」

 

葉山の顔が悔しそうな表情に変わる。

彼なりに悩み抜いてはきたのだろう。

けれど、それは無駄な努力と言わざるをえない。いくら頭で考えようが俺の意見と葉山の意見が一致することなどないだろうからな。

しかし、こうして訪ねてきたことは俺としては予想外だった。

なにせあの葉山隼人が自分から行動を起こしたのだ。

しかも他ならぬ自分のためにだ。

それだけでも、答えを返す意味がある。

 

「前にも言ったが、お前の語る言葉はほとんど全て理想論だ。それで得られるのは共感だけ、これは覚えているな?」

 

「ああ」

 

「そこから俺が言いたいのは、お前が見ているのは人であって個人じゃないってことだ。そう思ってなきゃそんな理想論はまず出てこない。お前が思っているよりも人間はそう単純じゃないし、一人一人が意思を持ち自分の人生を歩んでいるんだ。けれど、人として学んだ大切なことってのは共通だ」

 

一度区切りを入れ、葉山に目線を合わせる。

 

「お前は、その誰も否定できない人としての正しさを、さも自分の意見のように語っているだけだ」

 

「……それの何が悪いんだい?」

 

俺だってそれだけなら嫌いにならないさ。

 

「それなら何も問題ないさ、みんな幸せ、とまではいかないだろうが、それなりにいい感じにはなるだろうし、進んで俺がお前を嫌いだなんて言わないさ」

 

そう、それだけならな。

 

「だけど、お前、"わかってる"だろ」

 

俺の思った通りなら、この言い方は葉山に突き刺さるはずだ。

 

「……」

 

そして案の定、葉山は俯いたまま何も語らない。

 

「そんな正しさを振りまくだけ振りまいて、お前自身は何もしない。誰かが、困っていれば手は貸すだろう、頼りにされれば答えるだろう、けど、お前は必ずそれ以上は動かない」

 

そう、こいつは人との距離感を、線引きの仕方を"分かっている"のだ。

自分の失敗が映らないギリギリを。

あれほどまでの理想を自分で語っておきながら、自分は安全なところから無難なことしか言わない。

向き合うために必要なものは俺以上に持っているくせに。

 

「俺はそんな一人の人間とまともに向き合えないお前のその姿勢が大嫌いなんだよ」

 

葉山はうつむいて動かない。

 

「……それでも、俺は」

 

「別にそれが悪いなんて俺は一言も言ってない」

 

葉山の言葉に被せるように先に否定する。

 

「この考えだってお前が歩んだ人生で学んだものだ。そんなかけがえのないものを持つことは素晴らしいことだと俺は思っている」

 

さて、時間もないことだし、こんな説教じみたこの会話もさっさと終わらせるとしよう。

 

「ま、簡単に言うとだな、俺はお前のその深く立ち入らないくせにどうにかしようとする態度が気に入らないってことだ。

ただの理想を語るバカなら笑って付き合ってやれた、真剣に相手を思いやるやつなら一緒に最後まで悩んでやれた。

けど、お前はどちらでもない、ただの計算高い道化師なんだよ」

 

俺ははなっから葉山のことを否定する気は全くないし、改善しろなんて言うつもりもない。

そんなのに構うくらいなら俺は、捻くれても人一倍優しい奴や、心優しいバカなやつ、どこまでも自分を貫くやつ、そんな奴らにとことん付き添ってやりたいのだ。

 

「……はは、きついな」

 

流石の葉山もここまで言われたことはなかったのか、力なく笑っている。

 

「でも、佐藤、ありがとな」

 

「……は?」

 

え?もしかしてこいつMかよ。

 

「俺にこうやって面と向かってそう言ってくるやつっていないからさ」

 

ああ、そういう意味ね。

……いや、でもありかとうはおかしいだろ。

 

「……俺も変わらないとな」

 

葉山は独り言のようにそう呟いた。

 

「そんな必要はないだろ」

 

「え?」

 

まさか聞かれたとは思っていなかったのか葉山は驚いた顔をする。

 

「さっきも言ったがな、お前のその考えってのはお前が培って得たものだろ、変えるくらいなら俺の意見を取り入れて成長した方がよっぽどお前のためになるだろ」

 

俺の意見が正しいみたいな言い回しになってしまったが、他人から言われた意見なんてものは聞き流すくらいが丁度いいのだ。それをいちいち真に受けていたらキリがないし、心がもたない。

根底にあるのは常に自分の考え、まずはそれを忘れてはいけない。

 

「……俺は俺ってことか」

 

「変に変わるんじゃねぇぞ、お前を嫌いになれなくなる」

 

あれこれ変わっていく葉山隼人なんて見たら、俺は興味すら湧かなくなるだろう。

 

「はは、それは嫌だな」

 

今度の笑いにはいつもの爽やかさが戻っていた。

その時、同時に完全下校を知らせるチャイムが鳴った。

 

「ほら、帰った帰った」

 

俺はまだ鍵を閉めてその鍵を職員室に返しに行かなければならないため、立ったままの二人に帰るよう促す。

そして、鍵を閉めようと席を立つと同時に雲の切れ間から再び太陽が顔を出し辺りを明るく照らす。

 

「ああ、また明日」

 

そう言って葉山と付き添いの子は出て行った。

最後にこちらに向けた笑顔は太陽に当り、葉山の顔が照らされ、眩しく映る。

お前はひまわりか。

同じく、本当にただの付き添いに来たらしい子の顔も見えないままだった。

そういえば、結局、彼女は何をしに来たのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……すごいだろ、彼」

 

部屋を出てしばらく無言が続いたあと、葉山先輩にそう声をかけられた。

 

「はい」

 

この時既に、彼に惹かれていたんだと思います。

どこか軽く生きてきた私にとって佐藤先輩の言葉は深くささりました。

我ながらチョロいとも思いますが、あんな真剣な表情を見せられてしまっては誰だって魅入ってしまいます。

それに、そんな私の思いに追い打ちをかけたのは葉山先輩の言葉でした。

 

「彼は人によって態度を変えたりはしない、年上だろうが何だろうが、言葉遣いに差はあれど、あのあり方だけは貫き通すんだ。そして、その言葉で、俺みたいに救われたやつは沢山いる」

 

「……葉山先輩は救われたんですか?」

 

「側から見たら、そうは見えないだろうね。けど、俺は確かに救われたんだ」

 

私からすれば、ただ嫌いな理由を語っただけに見えたあのやりとりも、葉山先輩にしかわからないなにかがあったのかもしれません。

じゃなきゃ、こんな清々しい顔はしないでしょうし。

 

「ああ見えて、彼は結構ノリもいいからな、意外とお前と合うかもしれないな」

 

「な、なんですかいきなり!」

 

突然そんなことを言われてしまえば余計に考えてしまうじゃないですか。

 

「ん?いや、一色とは馬が合うかもなって思ってさ」

 

「……そういうことですか」

 

こちらの早とちりでしたが、同時に自分がここまで意識していることに驚きました。

 

「なんだ、彼のことが気になったのか?」

 

「い、いや別にそんなんじゃないですよ〜」

 

口ではそう言いましたが、一度意識すると頭の中からはなかなか消えてはくれません。

 

「……本当に?」

 

「……少しは」

 

あのやり取りを見せられた後では、変に誤魔化すなんてことは私には出来ませんでした。

ずるいです。

 

「そうか、なら改めて場を設けるのもいいかもな」

 

少し意地悪な顔をして葉山先輩はそんな提案をしてくる。

 

「……葉山先輩、なんか楽しんでません?」

 

「彼も言っただろ、俺は道化師なんだ」

 

そう言うと意味ありげな笑みを浮かべる。

 

「……前の葉山先輩の方がいいです」

 

「はは、安心していいよ、今のはほんの冗談だからさ」

 

すると今度はいつもの爽やかな笑顔に戻る。

 

「でも、なるべく早い方がいいよ、彼の周りには魅力的な子が多いからね」

 

「そういうことなら、早めにお願いします」

 

「お、おう、そうか」

 

私は待つだけの女じゃありませんから。

せっかく本気で好きになれそうな人を見つけたんです。

誰かに取られる前に私にメロメロにさせてみせましょう!

 

「ほら、早速作戦会議ですよ、葉山先輩!」

 

「……やっぱり、君には敵わないな」

 

「何か言いました?」

 

細々と呟かれた言葉を私は聞き取ることができません出した。

 

「いや、なんでもないさ。それより、彼に興味を持って欲しいなら一癖ある方がいいかもな」

 

「例えばどんな感じですか?」

 

「そうだな……」

 

その帰り、私はみっちり葉山先輩と計画を練った。

 

そして、それから数週間経って、葉山先輩から誘うことができたと連絡をもらった。

先輩にバレないように自然な形で二人きりになるために同じサッカー部のマネージャーの子を葉山先輩に誘ってもらって、準備完了だ。

待ち合わせのミスドについて、何も知らないで一緒に来たマネージャーの子が

 

「遅れてごめんなさーい」

 

と声を上げる。

遠目から見た先輩は訝しげな表情でこちらを見ていた。

対面する形で座っても、表情は変わることはなく、葉山先輩を見るその目はどんどん強くなっている。

幸か不幸か、向こうはこちらの顔を覚えていないっぽい。

だったら、ここは思い切って元気よく挨拶しよう。

 

「初めまして、一色いろはって言いまーす!よろしくお願いしますね、佐藤先輩」

 

これが、ちゃんとした私と先輩の出会いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうしたら接点のない二人を繋げられるか考えた結果、葉山を使うことにしました。
納得のいかない部分もあるとは思いますが、初対面から押し切るのが自分の中では最適解でした。
一度見ていただいた後に、もう一度途中まで読み返していただくと、色々意味がわかったりします。
一回こういう文を作ってみたかったんです笑
かなり日を跨いで書いたので、読んでいてよくわからない部分もあると思いますので、その部分は感想の方で指摘していただければお答えさせていただこうかなと思ってます。
遅れて申し訳ないです。


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あざとい後輩 後

まずは遅れて申し訳ないです。
その間も感想、誤字脱字報告ありがとうございました。
期間が空いてしまい、前回の内容も流し読み程度でしか見ていないので、食い違いがあるかもしれませんのでご了承下さい。



あれから数週間が経った。

が、依然として俺は一色に振り回される日々を送っている。

と言っても無理難題を押しつけられるわけでもなく、パシリにされるようなこともない、こう言ってはなんだが、めんどくさいことを覚悟した俺としては些か拍子抜けな日々だ。

と、同時に、最近薄々感づいてはいたが、一色の狙いはどうやら葉山ではなさそうだ。

 

最初こそ、俺の言葉通り、俺を使って葉山と繋がろうとしていたのかと思ったがそんなことはなかった。

というのも、この奇妙な関係が始まってから、俺といるときの一色は葉山の話を殆ど出さなかった。

次点で奉仕部に何かしらの用があるのかとも思ったが、あいつらに聞いても一色なる人物は知らないとのこと。

用があるなら俺以外にも接触しているはずだ。

罰ゲーム的なノリだとしても、一年との接点は全くといっていい程ないし、二年でもそんな馬鹿は俺の周りにいない。

そうなると本格的に俺に用があると見て間違いない、と思いたいが、俺自身に身に覚えが一切ない。

 

……ま、自分で答えを出せない問いかけほど意味のないものはないし、ここはいい加減、本人に聞いてみるのが一番だろう。

そう思い、いつもと違い、待つのではなく、俺は一色のいる教室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

遠目から見たクラスの中での一色はいつもとは違っていた。

 

「……なんか、大人しくないか?」

 

俺といる時の一色はうざいくらいにあざとくて、可愛さを前面にアピールしてくるのだが、どうやらクラスでは違うらしい。

見た感じ、雪ノ下と由比ヶ浜を足して2で割ったあとに、さらにちょっと由比ヶ浜を抜いたくらいだ。

…まぁ、要するに見た感じ普通の女の子だ。

クラスの男子に愛想でも振りまいていると思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 

「……わかんねぇなぁ」

 

クラスで孤立しているわけでもないとなると、俺に固執する理由がいよいよ本当に尽きてきた。

そう考え込んでいると、一色と目が合った。

向こうは俺がいるとは思っていなかったからか、大層驚いているようだ。

しかし、すぐに対抗するようにあざとくウインクをかましてくる。

が、辺りにクラスメイトが来てしまいそちらに意識を向けていった。

その様子は変わらず、至って普通といった感じだ。

あのあざとさは俺だけにしか見せないとでも言うのだろうか。俺目線ではそう思ってしまう。

悔しいが、そうだったら嬉しいと思う自分がいる。

……男ってのは本当に馬鹿で単純だな。

廊下で一人、恥ずかしさに苛まれた俺は、結局いつもの場所で待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もー、先輩来るなら来るって言ってくださいよー!」

 

そして、あの後合流した俺は一色に怒られている。

 

「悪かったな、気の迷いだ、気にすんな」

 

「私が気にするんですー!」

 

「何をそんな怒ってんだよ」

 

理由を話せ、理由を。

 

「色々あるんですー!」

 

理由になってないぞ、それ。

 

「悪かったって、今日は奢ってやるからそれで勘弁してくれ」

 

考えるに、理由は知らんが、一色にとっては、クラスでの姿を見られたくはなかったんだろう。

そうなると、待てと言われて待てなかった俺に非がある。

俺はハチ公以下なのかもしれない。

 

「言いましたね!やったー!」

 

返せよ、俺の自虐。

こいつ、だんだん遠慮忘れてきてるんだけど、そのうち弱み握られて警察に突き出されそうなんだが。

 

「で、今日で最後だろ、どこ行くんだよ」

 

そう、長々と続いた謎の関係も実は今日で終わりだ。

結局、俺は一色の目的も、俺を連れ回した理由も何一つ分かっていない。なんなら、逆に俺の中では煮え切らないなにかが生まれたくらいだ。

 

「……そうですねー、じゃあ、歩きましょう!」

 

「……は?、それでいいのか?」

 

奢ると宣言した手前、気を使ったのかと思ったが、そんな奴ではないのは短くはあったがこの期間で知っている。

こんな感じで、一色といる時は不意に裏を突かれるような感覚になる。

なんなら少し、見透かされているのではないかと思う時すらある。

だが、悪い気はしない。

何故だろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奢るといった手前、何もしないのは嫌だったので、適当に自販機でジュースを買う。

 

「ほらよ」

 

当たり障りのないように水を買って渡す。

 

「……先輩、女の子に渡すのが水ってどうなんですかぁ」

 

何故か、一色に引かれている。

 

「いいだろ、水、安いし量多いし」

 

そう言って俺は当然の如くマッカンを選ぶ。

 

「げ、先輩それ飲むんですか」

 

最初はそう思うんだよ、俺もそうだった。

あいつに促されて飲んでいくうちに抜け出せなくなったんだよ。

へへ、キマるぜ。

 

「なんなら交換するか?」

 

「いいです、私から水を取らないでください」

 

そこまでか、まぁ、そこまでだな。

 

「で、歩くっていったってどこ行くんだよ」

 

気を取り直して、一色と二人、見知った道を歩き出す。 

 

「ヒミツですよ、ヒ・ミ・ツ!」

 

あいも変わらず甘ったるいほどあざといが、それも慣れてきた。

甘ったるいものを食べすぎると胃もたれするとは言うが、一色に関してはそうでもないらしい。

俺がおかしいのだろうか。

 

「ま、任せるわ」

 

反応が薄いことに隣でぶーぶー文句を垂れているが、お構いなしにスルーする。

だか、その実、内心はそうでもなかったりする。

いくら言動には慣れても心まではそうはいかないらしい。

人体の不思議というやつだ。

……そういうことにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……着きましたよ」

 

だらだらと喋りながら、電車まで使ってたどり着いた場所は美浜大橋だった。

 

「……誰か他に人が来るのか?」

 

空いたスペースに立ち止まる一色に尋ねる。

 

「いえ、誰も来ませんよ」

 

そう言って一色は橋に寄りかかる。

 

「じゃあ、何しにここに?」

 

一緒に死にましょうとか言われたらどうしようと思いながら、言葉を待つ。

 

「……話があるんです、先輩に」

 

……少しよそよそしい態度、落ち着かない様子、そして声色。

 

ああ

そりゃ、俺が辿り着けないわけだ。

何故ならそれは、俺が一番最初に捨てた理由なのだから。

 

「……なんだ?」

 

まだ、そうだと決まったわけではないが、どちらにしろ真面目な話に違いはない。

ここはどんと構えて

 

 

 

 

 

 

「先輩、好きです、付き合ってください」

 

 

 

 

 

 

……予想通り、一色の話は俺への告白だった。

だったが、覚悟をしていても、俺の鼓動は大きく鳴り響いている。

 

「……ちなみに、いつからか聞いていいか?」

 

これは純粋な疑問だ。

俺が一番にこの線を消した理由でもある。

俺と一色の接点はあの場で出会ったのが最初のはずだ。

 

「先輩、葉山先輩を呼びに来た時ありましたよね、あれが最初です」

 

「そうか、そういやお前、マネージャーだったな」

 

だか、余計に俺を好きになる理由がわからなくなった。

 

「それがきっかけですねー、先輩は気付いてるから分かんないですけど、その時の葉山先輩、とっても楽しそうにしてたんですよ、マネージャーしてる私が見たこともないくらい」

 

手がかりが少ない俺は頷き、一色に次の言葉を促す。

 

「その時の私は、私で、周りに合わせたり、流されたりしてたんで、なんか、その様子を見た時、いいなって思ったんです」

 

吹っ切れたのか、次第に一色の言葉が流暢になってくる。

 

「結局、葉山先輩が本当に楽しそうだったのは先輩といるときだけでした。なので、そのことを葉山先輩に聞いたら、先輩のところに連れて行ってくれました。本格的に意識したのはこの辺りですねー」

 

連れて行った?

……まさか

 

「あん時、葉山と一緒にいたのは……」

 

「はい、私です」

 

あの話、聞かれたのか。

 

「それで、葉山先輩にセッティングして貰ったってわけです」

 

なるほど、葉山にしては不可解だと思ったが、そういうことか。

 

「じゃあ、俺はお前らの手の上で踊ってたのか」

 

「まぁ、そうなりますねー」

 

まさか、葉山に出し抜かれる日がくるとはな、あいつが他人のために自分の評価を下げてまで俺を騙したことへの違和感が半端ない。

 

「なるほどな、経緯はわかった、じゃあ、もう一つ、どこが好きなんだ?」

 

自分で聞いてて恥ずかしいが、聞いた限り、俺を好きになる要素はない。葉山との話を聞いた辺りらしいが、俺はただ、言いたいことを言って説教じみたことをしただけ。

なんなら人によっては不快なものだ。

 

「……さっきも言いましたけど、私、人に合わせたり、流されたりしてたんですよ、だからなんて言うか、あの時の先輩たちのやりとりを見てて、本気でぶつかってるのが素敵に見えたんです」

 

裏表のないやりとり、図らずしもそれは、俺が大切にしているものでもあった。

 

「先輩は男子ですから、わかんないと思うんですけど、女子はなかなかそううまくいかないんですよ」

 

悪いな、一色、そういうやつを知ってるから多少はわかるんだよ、女子の人間関係の大変さってのは。

だからこそ、お前の言わんとすることも分かる。

 

「で、実際に喋ってみたのが最後の一押しでした。先輩からしたら初対面の私にも取り繕わずに喋ってくれました。その時、あ、やっぱり私この人のこと好きなんだなーって」

 

一色の話を聞きながら、その時のことを思い出す。俺の鼓動は未だに収まらない。

 

「私のあの理不尽な頼みも引き受けてくれて、嬉しかったんですよ」

 

あのやたらと高かったテンションはそれか。

 

「……なるほどな、まさか自分の預かり知らぬところで好意を持たれるなんて夢にも思わなかったぞ」

 

パズルのように所々不可解だった場所が埋まった。

ただ、一色には申し訳ないが、正直、そんな理由で?ってのが本音だ。どっかの馬鹿みたいに身を挺して何かを守ったわけでもないし、爽やかイケメン野郎ほどカッコよくもないし、優しくもない。

それでも、そんな俺の思いに反して、俺の中身を好きになってくれたってのが堪らなく嬉しいのはなんでだろうな。

 

「……先輩は、先輩はどうなんですか?私のこと」

 

弱々しい声で一色に問われる。

 

 

 

さて、俺は、佐藤拓也は一色いろはのことをどう思っているのだろうか。

曖昧な答えではなく、今この場ではっきりと伝えるのが一色に対する敬意であり、男ってもんだろう。

 

あのあざとい仕草が嫌いだっただろうか。

否、未だに心臓に悪い。

 

くだらないやりとりは嫌だっただか。

否、いつの間にか、俺の日常の当たり前に変わっていた。

 

俺にとってこの数週間は苦痛だっただろうか。

否、これから先、忘れられない青春だろうさ。

 

では最後に、堪らなく嬉しかったのは何故だろうか。

……ああ、なんだ、わかってんじゃねーか。

 

「…その前に一色、俺も言っておきたいことがある」

 

「な、なんですか?」

 

けじめって訳じゃないが、これだけは言わなきゃだめだ。

 

 

 

「俺は、一色、お前のことが好きだ」

 

 

 

「……え?」

 

気づかないふりなんてらしくない真似だったな、俺は何処かで一色に惹かれていることに気づいていたんだ。

それでも、その感情を見て見ぬ振りをして、一色といることに正当な理由を見つけようとしていた。

一色の行動の理由も目的も、最後の最後まで聞かなかったのはそういうことだ。

 

「何度でも言ってやるよ、俺は一色いろはが大好きだ」

 

でも、今は違う。

後出しでみっともねえが、一色の告白で先に進めた。

 

「……ずるいです、先輩は」

 

「……悪いな、みっともない先ぱ」

 

 

「もっと好きになっちゃうじゃないですか」

 

 

俺の言葉を遮って、こちらに笑顔を向ける。

……あれ、こいつ、こんな可愛かったっけ。

 

「じゃあ、晴れて両思いですね!先輩!」

 

「………ああ」

 

沈みゆく夕日も相まって、俺は一色に見惚れてしまった。

きちんと向き合った瞬間これか、…我ながら、単純で馬鹿だと思う。

今まで見てきた一色の笑顔が偽物とは言わない、けれど、感情に鋭い俺だからこそ、この笑顔こそが、心からのものだとわかる。

最高の化粧は笑顔というが、間違いではないのかもしれない。

今の一色は、今まで見たどんな女の子より可愛く見える。

 

「ほら、行きますよ!せんぱい!」

 

「行くってどこに?」

 

出来ることなら早く家に帰って落ち着きたい所だが、そうはいかないらしい。

 

「えー、忘れたんですかぁ、今日は先輩の奢り、ですよね?」

 

おい、まさか

 

「さぁ!記念すべき初デートですよ、せーんぱい!」

 

そう言って笑顔のまま歩き出す一色。

全く、よくもまあ恥ずかしげもなく堂々とそんなことを言えるもんだ。

だが、主導権を渡してやるつもりは微塵もない。

一色に追いつき、一言

 

「ったく、今日だけだぞ、いろは」

 

「……やっぱりずるいです」

 

「俺を出し抜こうなんて1年はえーよ」

 

そんなことを言いつつも、内心はとんでもなく騒がしかったりする。

それもしょうがねぇだろ、他人に鋭くても、自分に対しては人並みなんだから。

 

後ろの夕焼けは俺たちを見届けたかのように、完全に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

翌日

 

 

「よう、葉山」

 

珍しく一人でいる葉山に声をかける。

 

「珍しいね、佐藤から声をかけるなんて」

 

こっちの苦労も知らずにいる涼しそうな顔が今日はいつになく腹が立つ。

 

「なに、よくもやってくれたと思ってな」

 

「……そうか、一色から聞いたのか」

 

事の顛末を葉山にはまだ報告しないよう、いろはには頼んでいる。

 

「それで、どうだったかな?」

 

「……お前の思惑通りだよ、悔しいがな」

 

「…そうか」

 

そう言うとやけに嬉しそうな顔をする。

 

「何笑ってんだよ」

 

「いや、ただ、俺もまだまだ捨てたもんじゃないだろ?」

 

……こいつ、言うようになったな。

 

「まぁな、今日は素直に礼を言いに来ただけだ、……ありがとな」

 

「じゃあ、これであの時の事はおあいこって事でいいかな?」

 

こいつ、本当に葉山か?

 

「なんか、変わったな」

 

「まだ、君の前でだけだけどね、それに、…君のおかげだ」

 

「気持ち悪いこといってんじゃねーよ」

 

俺の前だけとかおぞましいことを言うなよ。

けど、

 

「今のお前、俺は嫌いじゃないけどな」

 

「……君の口からその言葉を聞けただけで今は十分さ」

 

……いよいよ本当に葉山を嫌いになれないかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、八幡よ」

 

「んだよ」

 

「最近奉仕部に依頼来てないよな」

 

「まぁな」

 

昼休み、俺は八幡と飯を喰らいながら話をしている。

 

「そういや、結局最近休んでお前何してたんだよ」

 

「色々とな」

 

「理由になってねーよ、それ」

 

……デジャブか?

 

「おかげさまで雪ノ下から集中砲火がえげつないんだよ、何あいつ、人を罵倒してないと死ぬのか?」

 

「平和で結構」

 

「おい、知ってるか、的は2つある方が被害少ないんだぜ」

 

八幡らしい心配の仕方である。

要約すると、心配だから顔出せってことだろう。

珍しいことに、目は本気で訴えているように見えるが気のせいだ。

 

「まぁ、とりあえず、彼女が出来たわ」

 

「……は?」

 

「一年生の」

 

「……は?」

 

こいつ、壊れやがったな。

 

「……マジで?」

 

「まじで」

 

意外と治りが早かった。

 

「……おめでとさん」

 

「ありがとな」

 

素直に祝福されると嬉しいもんだな。

八幡は腐っても根がいいからこういう時に人を不快にさせない。

流石だせ、親友。

タイミングよく、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 

「余計なお世話かもしれんが、何も言わずに後悔するよりは、言って後悔した方が断然マシってことだ」

 

「……なんだよ、急に」

 

俺は立ち上がって一つ助言を入れる。

 

「体験して思ったことだよ、どれだけ頭で考えようが、そんなもん、その場の言葉一つで崩れ落ちる」

 

「……」

 

思い当たる節があるのか八幡は黙ったままだった。

 

「後悔はするなよ」

 

「……ああ」

 

八幡自身、気付いているかは微妙だが、そう遠くない未来、俺と同じような目に合う時が来る。

その時は是非、俺に祝福させてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いですよー、先輩!」

 

「いや、お前が早すぎんだよ」

 

あんな盛大な告白をしあったにも関わらず、俺たちは翌日には平常運転に戻っていた。

と、言うより、お互いに平常運転が一番いいという結論が出た。

変わったことと言えば、お互いに名前で呼ぶようになったくらいか。

いろはは二人の時にしか呼んでくれないが、それがまたいい。

 

「さて、先輩、今日はどこに連れて行ってくれるんですか?」

 

そう言って前屈みになってこちらを見つめる。

 

「……そうだな、望む場所ならどこにでも連れて行ってやるよ」

 

もう一つ、変わったことはあざとい後輩からなんとも可愛い彼女になったことだ。

 

……こんな青春もありかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実質葉山ルートみたいになってますね笑
けど、一色を絡めるとなるとそこと関連付けるしかなかったもので…
ちなみにですが、この世界戦では雪ノ下からオリ主への好意はないです。あくまで友達ですね。
ここからはまた本編のほうに戻りますが、別の小説の方も書こうと思っているので、また遅れるかもしれません。申し訳ないです。
実は、アニメ開始までの繋ぎとしてこれを書いていたのですが、上手くいかずにここまで長引いてます笑
アニメの方もコロナで延期になってしまいましたし……
読んでいただいている皆様の多少の暇つぶしになるよう自粛期間は出来る限りで頑張りたいと思います。



以下、私情ですので興味ある方はどうぞ。
一応、投稿が遅れた理由は書いてあります。



私ごとですが、実はこの間、大学受験に挑戦してまして、センター利用で無事合格いたしました。
コロナで大変ですが、春から大学生になりました。
実質一浪です笑
高校卒業後は派遣をしてまして、その間も少しずつ勉強してなんとかって感じです。
センターが終わるということで、半分本気、半分記念受験だったのですが、思いの外出来がよく、国語に至っては、勉強していない現代以降の文章で100点中92点とかなり高い点を取れたのぱちょっとした自慢です笑
最後に、コロナにはお気をつけてください。


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第25話

お久しぶりです。
割と久しぶりなので、矛盾してる部分や、支離滅裂な箇所があるかもしれませんが、そこは温かい目で見ていただけると幸いです。


定例ミーティングから一夜明けての放課後、教室の方では、海老名さんが大暴れしていた。

 

「なぁ、こんな感じだったか?俺たちのクラス」

 

「…化けの皮ってのは案外簡単に剥がれるんじゃねぇの」

 

なんだか久々に感じる親友に尋ねると、答えになっていない答えが返ってくる。

 

「そっちはどうなんだよ」

 

「それなりには順調だな、出来た補佐がいるからな」

 

「自画自賛かよ」

 

失礼な、仕事は真面目にこなしているのだから正当な評価と言っていただきたい。

時間を確認し、俺は文実へと向かう。

去り際に見た親友の顔はいつにも増して、どこか優しげに見えた。

 

 

 

 

 

 

教室を出て俺は会議室へと向かう。

定例ミーティングはないが、八幡にも述べたように出来た補佐であるため基本は会議室にいるのだ。決して自画自賛ではない、客観的事実でする。……多分。

その会議室の前ではいつもはない人混みができていた。

あまり面倒ごとに首を突っ込みたくはないが、会議室内に用がある俺は無視もできない。

だが、中を覗き込んで俺は後悔した。

 

「……げぇ」

 

思わず車に潰される直前のカエルのような声が出たが幸いにも向こうには気付かれていないようだ。

にしてもなんでいるんですか、雪ノ下さん。

 

「姉さん、何をしに来たの?」

 

俺の気持ちを代弁するかのように雪ノ下が問う。

 

「やだなー、わたし有志団体募集ほお知らせ受けたからきたんだって。管弦楽部OGとしてね」

 

……あの人管弦楽部だったのか。

勝手なイメージだけど、いろんな部活に顔出して助っ人として無双してそうなイメージだったから意外だ。

……いや、どんなイメージだよ。

 

「そう、もうしばらくしたら別の人が来ると思うから待っていればいいわ」

 

そう言って大した興味もなさそうに自分の作業に戻ろうとする雪ノ下。

 

「……ふーん」

 

対して少々不服そうな雪ノ下さん。

残念ながら今回のちょっかいは雪ノ下には効かなかったらしい。

そして戻ろうとする雪ノ下と目が合ってしまう。

 

「噂をすれば、彼に頼むといいわ、姉さん」

 

そう言い残すと今度こそ雪ノ下は自分の作業に戻ってしまう。

おいおい、あいつ薄っすら笑ってやがったぞ。

 

「ああ!佐藤くんじゃん!」

 

まるで水を得た魚のように絡んでくる雪ノ下さん。

いや、この場合は餌を見つけた捕食者の方が正しいのかもしれない。

 

「話はそれなりに聞いてました、有志自体は多いことに越したことはないので委員長も許可すると思います」

 

なるべくこの人とは佐藤拓也としてではなく、委員会の人間として話したいのだが、

 

「そっかそっか、それはそれとして、君、雪乃ちゃんに何かした?」

 

そう簡単には逃げられないらしい、恨むぞ雪ノ下。

 

「……なんでそう思うんです?」

 

「だって雪乃ちゃんがあそこで私に突っ込んでこないのが不思議だし、君は雪乃ちゃんの彼氏だしね!」

 

おふざけ半分、そして半分本音だろう。それより、それを俺に聞くってことは本当に雪ノ下の奴友達いないんだな。

 

「……それを見てどう思いましたか?」

 

この回答は陽乃さんの本心を知るいい機会だろう。

俺は未だにこの人を掴めていない、人としても、姉としても。

 

「そうだなー」

 

そうして一つタメを作って

 

 

「変わったなって感じたかな」

 

 

 

そのときの雪ノ下さんの表情は紛れもなく姉としてのものだろう。

あんな優しい表情は初めてみた。

 

だが、俺の胸中はとても複雑だった。

もし、本当に俺のおかげで雪ノ下雪乃が「変わった」と思っているのならこれほど悲しい事はない。

なぜなら俺が雪ノ下にかけた言葉はそれこそ、他愛のない友達との相談の中で生まれたものなのだ。

それで変わる、いや、「変われる」妹の雪ノ下と、それだけで「変わった」と喜ぶ姉の雪ノ下さん。

俺はこの時、初めてこの姉妹の歪さを見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「教師の方々との確認で遅れました、ごめんなさい」

 

既に殆ど散開していた人混みを少しかきわけ、我らが委員長が現れた。

 

「噂をすれば、彼女が委員長ですよ、雪ノ下さん」

 

マトリョーシカのようなやりとりをさせてしまい、雪ノ下さんには少し申し訳ない気持ちになる。

 

「は、初めまして、相模南です」

 

急な事で事態を飲み込めていない相模はそれでも彼女なりに対応している。

 

「ふぅん……」

 

雪ノ下さんは相模をまるで値踏みでもするかのように冷たい目をする。

 

「な、何か?」

 

その眼光に圧倒されたのか、声は萎んでいく。

俺としても、まさかいきなりこんな態度をとるとは思わなかった。

何が雪ノ下さんの琴線に触れたのか知らないが、このままでいるくらいなら俺がいじられている方がマシだと思い口を開く。

 

「とりあえず、書類は渡しておくので、また後日という形で」

 

「それを決めるのは委員長の仕事だよね?」

 

そう言ったこちらを少し一瞥すると、すぐに相模の方に向き直る。

ここまで相模に拘る明確な理由はわからないが、強いてあげるなら上に立つものとしての何かを見ているのかもしれない。

もしくは、形式上妹の上司である相模が気になるとか、……ないか。……ないよな?

どちらにしろ、俺に入る隙はないらしい。

 

「さっき雪乃ちゃんたちにも聞いたけど、有志団体として出たいんだけど、どうかな?」

 

「それは構いませんが…」

 

「確認とかしなくて大丈夫なの?」

 

「一応、大体のスケジュールは頭に入っているので」

 

「へぇ……」

 

……本当にコロコロと表情が変わる人だ。

出来る人間だと分かったのか、途端に目つきが変わった。

 

「そっか、そっか、今年はいい文化祭になりそうだね」

 

そう言い残して、城廻先輩の方に向かって行った。

遠目から見るに、どうやら二人は知り合いらしい、意外な交友関係と言えるだろう。

 

「…ねぇ、あの人誰?」

 

どこか不満げな表情で相模に問い詰められる。

 

「雪ノ下陽乃さん、雪ノ下のお姉さんだよ」

 

俺がそう言い終わると、相模は目で雪ノ下を確認する。

当の本人は気にもせず作業を続けているが。

 

「……そう」

 

相模も少し目線を雪ノ下の方に向けたが、大した興味もないのか、すぐに自分の作業に移っていった。

それを機に、集まっていた人間も完全にいなくなり、それぞれ作業に戻っていく。

ものの数分の出来事だったが、緊張したせいか喉が渇いていた俺は、飲み物を買いにその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ飲む人、本当にいるんだね」

 

マッカンを取り口から取り出して聞こえてきた声は、しばらく声を聞きたくない人のものだった。

 

「……まぁ、物好きってやつですよ。それで、まだ何か?」

 

「えー、冷たいなぁ、お姉さんと話すのは嫌なのかな?」

 

「どちらかと言えば」

 

「ひどい!けど、素直な子は嫌いじゃないぞ」

 

「はぁ、それで結局何の用で?」

 

雪ノ下さんは会議室の時と比べ、かなりフランクにみえる。

 

「君の口からまだ聞いてないからね」

 

「何を?」

 

「雪乃ちゃんに何をしたかだよ」

 

まただ、また優しい顔を覗かせた。

何故こうも雪ノ下の話になると姉としての顔を見せるのだろうか。

俺に兄弟はいないが、やけに仲のいい兄妹を近くでみてきたからか、些細な表情の違いは何となくわかる。

ただ、会議室での態度や、普段の様子を知っているのでこの表情を見せることが腑に落ちない部分もある。

 

「そういうのって普通、本人に聞くもんじゃないんですか?」

 

いい加減喉が渇いた俺は手に持っているマッカンの蓋を開ける。

 

「そうしたいけど、私は雪乃ちゃんに嫌われてるしさー」

 

そう語るものの、悲壮感は感じられない。

 

「大したことは言ってないですよ、ただ、もっとお前らしくていいんじゃないか、本当にそれだけですよ」

 

「……そっか、そっか」

 

確認するかのように、そして何かを噛み締めるように雪ノ下さんは呟いた。

 

「これで満足です?」

 

というよりこれ以上は本当に何もないから満足してもらわなければこちらとしても困るのだが。

 

「うん、その件は満足かな」

 

……その一件しか心当たりはないんですけど。

 

「それともう一つ、これは私が気になってることなんだけどさ、君は雪乃ちゃんのこと本当のところはどう思ってるのかな?」

 

「……本当、というと?」

 

「そのままの意味、今の佐藤くん自身が雪乃ちゃんをどう思っているかだよ」

 

……この質問の明確な意図はわからないが、少なくとも、雪ノ下さんが「ただの友達です」なんていう安易な答えを望んでいないのはわかる。

 

「少なくとも俺は、友達でいたいとは思ってますよ」

 

俺自身は紛れもなく本心からそう思っている。けれど、相手の価値観や考え方次第でそんな些細な願いが叶わないこともある。

 

「ただ、雪ノ下のことを考えるなら、俺は知り合いくらいが丁度いいと思いますね」

 

「へぇー、深入りはしないってこと?」

 

「まさか、そんなこと気にしてたらあいつの親友なんかやってませんよ」

 

「あいつ?」

 

「……目が死んでるやつです」

 

「ああ〜!あの面白い彼ね」

 

それで通じるのは良いのか悪いのかわからんな。ただ、通じるだけ八幡からしたら良いことと言えるかもしれない。

 

「ともかく、そんな理由じゃないですよ」

 

「じゃあ、何でかな?」

 

何をそこまで期待しているのかは分からないが、ここまで来て今更引くわけにもいかないので、正直に思っていることを吐き出す。

 

「雪ノ下さんも知ってるかもしれませんが、雪ノ下には友達がいません」

 

「これまた、はっきり言うね」

 

そう言いながら否定しないあたり、雪ノ下さんの目から見てもやはりそう見えるのだろう。

 

「あ、わかりづらいから私は下の名前でいいよ」

 

「そうですね、この場では陽乃さんと呼ばせていただきます」

 

「え〜、別にずっとそのままでもいいのに〜」

 

面倒臭いことになりそうなので嫌です。あと、肘で突っつくのやめてください。

 

「話を戻しますが、世の大抵の人は友達や、仲の良い人っていうのを少なくとも幼少期に一度は持つものです」

 

陽乃さんも静かに肯定する。

 

「そこから、年を重ねていく毎に友人となる条件の取捨選択を繰り返して、自分の中で明確にこいつは友達だと言える基準のようなものができると思うんですよ」

 

「でも、その基準を雪乃ちゃんは持ち合わせてないってことかな?」

 

「はい、所詮憶測に過ぎませんが」

 

だから分からない、人との距離感が、その距離の詰め方が。

 

「そこを踏まえて、俺が一番恐れているのは友人と恋人を勘違いすることですね」

 

「ほうほう、だから君は知り合いでいいってこと?」

 

「ええ、別に俺が恋人になるなんて微塵も思っちゃいないですけど、人との距離の取り方が曖昧な雪ノ下にはそんな勘違いが起こる可能性も捨て切れないんですよ」

 

普通の学生でも、友達から恋人になんて話はよくある。が、雪ノ下に対してのそれは雛の擦り込みに近い。異性と仲のいいこと今の関係を恋人と言われても、そんなわけないと一蹴しきれないのが今の雪ノ下だ。自分を曲げないからこそ、嘘がつけないからこそ、自身が経験したことのない状況では手も足も出ない。

そして、友人関係においてこれ以上に面倒臭いことはない。

 

「……へー、佐藤くんも律儀だね〜」

 

色々と俺の考えていることを察したのか、陽乃さんは感慨深そうに関心している。

 

「どちらにしろ、そんな歪な関係は長続きしないですよ、それに男女の友情なんて付き合って別れて初めて成立するものだと思ってますし」

 

「中々深いこと言うね、そういう経験があるのかな?」

 

やけにグイグイくるな、こんなに質問する人だっただろうか。

 

「残念ながら、けれど、あながち間違いではないと思ってますよ」

 

異性の友人、そこに完全に好意がなく、友情だけを感じるかと聞かれて、イエスと答えられる人がどれだけいるだろう。男としての目線から言わせてもらうとそんなことは不可能だ。もちろん友情が大半占めているのは確かだ、しかし、その友人の女の子らしさや、女性らしさを見て何も思わないほど達観した存在になったつもりはない。近くに来た時のなんとも言えない特有の甘い香り、髪を耳にかけるような些細な仕草でも、興奮を覚えてしまうのが男子高校生、否、男としてどうしようもない部分であるからだ。そんな状態で仲もいいときた、全く好意を抱くなというほうが無理な話というものだろう。

 

 

 

「その考えでいくと、佐藤くんは雪乃ちゃんと付き合うのかな?」

 

 

 

一瞬息が詰まる。あぁ、とんでもない墓穴を掘ったものだ。まさしく絵に描いたような自爆と言えよう。これくらい見逃して欲しいものだが、この人の前ではそうはいかない。

 

「……そうですね、雪ノ下がきちんと自分を理解しているのなら、告白の一つでもするかもしれないですね」

 

「ふーん、否定しないんだ」

 

こちらのことを弄ぶように挑発してくる陽乃さん。

 

 

 

「雪ノ下に振られるならそれはそれで感慨深いですしね」

 

 

 

俺がそう言うとポカーンとした表情をした後、大声で笑い出した。

 

「どこに笑いどころあるんですか……」

 

突拍子のない笑いに困惑する俺を他所に、陽乃さんは笑い続ける。そうやって一頻り笑ったあと、ようやく陽乃さんは喋り出した。

 

「……あ〜、久々にお腹抱えて笑ったよ」

 

まだ笑い足りないのか、時たまピクピクと動いている。何がツボに入ったのかさっぱりだが、こちらとしても特に不快でもないので、ただただ奇妙に思えて仕方がない。

 

「いやー、やっぱり、佐藤くんは面白いね」

 

「別にわざと道化を演じてるつもりじゃないんですけど」

 

ここで初めて思い出したかのように俺はマッカンに口をつける。相変わらず甘ったるい味が口一杯に広がる。

 

「雪乃ちゃんに振られて感慨深いなんて言うのは君くらいだよ」

 

そこがツボですか、長年雪ノ下を見ている身内だからこそわかるものなのかもしれない。そこばかりは俺の知りようのない話だ。

そして、残りのマッカンを飲み干そうとした直後だった。

 

 

「どう?雪乃ちゃんに振られたら私と付き合うっていうのは」

 

 

 

この時、俺は初めてこの先もこの人を理解できないかもしれないと感じた。

否、この人の場合は寧ろ理解しない方が正しいのかもしれない。

思考も、動作も止めた俺に構うことなく陽乃さんは話を続ける。

 

「自覚はないかもしれないけど、君みたいな子は中々いないからさ、それに私としても佐藤くんには興味あるしね!」

 

俺が欲しいのはその可愛らしいウインクではなく、そこに至るまでの経緯なんですけど。

 

「どうかな?」

 

だがしかし、そこを話す気はないらしい。それにしても、この場で聞くというのは実にいやらしい。ここで答えるにしろ、後に答えるにしろ、陽乃さんと何かしらの繋がりができてしまう。今までは友人の姉で済んでいたが、これからは陽乃さん個人に関わりを持つことになるわけだ。まさに今の俺は目の前の餌に釣り糸があるとわかっているのに喰いつかないといけない魚と同じだろう。

 

「それ、本気で言ってます?」

 

下らない冗談という可能性にかけ、肩を竦め、少し戯けた様子で確認してみる。

 

「本気だよ」

 

帰ってきたのは真剣なものだった。俺が望む回答の中で最も難しいものといってもいい。当然嘘と言う可能性も捨て切れないが、この質問の答えが真面目なのは何となく伝わる。それを裏付けるのはこちらをまっすぐ見据える目だ。目は口ほどに物を言うとはまさにこのことだろう。

今の俺を側からみれば、年上の抜群の美貌を持つお姉さんに冗談抜きで告白されているのだ。こんなに羨ましいことはそうそうないだろう。普段の俺であれば即決したかもしれない。

 

 

しかし、真偽がどうあれ本気とわかった今、俺はどうやって断るかを考えなければならないのだ。

 

 

「今回はお断りさせていただきます」

 

その理由は単純、ことの発端を思い出せばすぐにわかる、元の話題は雪ノ下に何をしたかだ。これを順を追って確認しよう。これは恐らく、雪ノ下が変わった理由を俺に絞ったからこんな質問をしたのだろう。これは雪ノ下の拙い交友関係を見ればすぐにわかるし、何度か会っているから尚更だ。

その上で、陽乃さんが俺個人に接触を図ったのは友人ではなく、男女の関係があるのかを確認したかったのではないかと推測する。それこそ、恋人のような。まぁ、そこを否定するためにああいう話をしたのだが。

 

「今回はってことはまだ脈アリだったりするのかな?」

 

考えも纏まらないうちに陽乃さんは畳み掛けてくる。

本当にいやらしい人だ。まるでこちらの考えを知った上で一歩先を行くようなそんな錯覚を覚える。

 

そして肝心の告白紛いの行為に至った訳は雪ノ下に振られる云々の話をしたあたりにあるだろう。あそこで笑った理由、それが恐らくトリガーなのはわかる、わかるのだが、残念ながらこれ以上の情報を俺は持ち合わせてない。正直言ってお手上げだ。

だからこそ、本気と言った理由がわからない。

しかし、この告白を受けることが悪い方に行くのは容易に想像できる。前述通り、この話題の発端は雪ノ下についてであり、陽乃さんについてではない。よって、原則としてこの話題で尊重されるべきは雪ノ下なのだ。その雪ノ下を差し置いて陽乃さんの告白を受けるのは目に見えた地雷を踏み抜くのと同じだ。

しかしまぁ、こう考えると、八幡の小町ちゃんに対する愛憎孕んだ愛情と似たようなものを感じる。俺の周りの兄妹、姉妹は何故こうも複雑なのだろうか。

 

「そうっすね、可能性を自ら断つのは好きじゃないので」

 

長々と考えてみたが、結局俺がやることは一つ、陽乃さんを立てて断ることだろう。本気の真偽も理由も不明のままだが、この場合はこうすることで理由の内容など関係なく、相手を納得させられる。

要するに問題の先延ばしだ。

これでこちらから関係を作ることも、本気の真意を理解する必要もなくなるわけだ。

 

 

 

「そっかそっか、じゃあまた今度二人で会おっか」

 

 

 

…………参りました。

そこから連絡先を聞かれ、俺の考えが全て玉砕したあたりから、会議室に戻る間のことはあまりよく覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって、雪乃ちゃん」

 

茫然自失となった彼を見送った後、一緒に来ていた雪乃ちゃんに声を掛けてる。

 

「…………」

 

「あんまり遅いようだと、本当に私が貰っちゃうかもね」

 

「…………」

 

足音が聞こえる、雪乃ちゃんが戻っていったのかな。

憎まれ役も大変だなぁ。でもこれも雪乃ちゃんのためだから頑張らないとね。

それにしても

 

「佐藤くんか……」

 

今度会うときが楽しみだなぁ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ」

 

「……なんだ」

 

まるで最初から掌の上で遊ばれたかのような敗北感を味わい、会議室で打ちひしがれている俺に声をかけてきたのは雪ノ下だった。

 

「こ、今度どこかにいかないかしら?」

 

唐突だな。

 

「別にいいけど、なんかあるのか?」

 

「え、ええ」

 

なんか変だな。

 

「それって俺じゃなきゃダメなのか?」

 

「別にそういうわけではないのだけれど……」

 

それでも俺を誘ったのか、真面目にお前の友人関係が心配だぞ。

 

「じゃあ、奉仕部で行けばいいんじゃないか、あいつらも誘えばなんだかんだついてくるだろうし」

 

「……それもそうね」

 

何やら腑に落ちない様子だが、納得はしたらしい。

時たま「まずは由比ヶ浜さんからかしら」みたいな独り言が聞こえるが、暗殺でも始めるのだろうか。

さて、面倒くさい事が増えたが、最優先は文化祭の成功だ、そう気合いを入れ直し、俺は書類を片付け始めた。

 

 

 

 

 

 

 




とりあえず、コロナで色々大変だったと察していただけるとありがたいです。
それと、この話が一応分岐点になります。
もし陽乃さんルートを書くことになれば、ここからになります。
そのため、少しややこしいです。申し訳ない。
他のキャラも似たような話をどこかで挟むつもりです。
本編と絡めた場合のいろはすの話も需要があればやります。


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