奏でるは剣聖の調べ (SKYbeen )
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序章








 

 

 

 

 

 死とは元来、生と鏡合わせの概念である。

 

 生があるからこそ死があり、死があるからこそ生がある。生きとし生けるものは、見えざる枷に縛られ、生というものを全うするのだと。

 

 だがこの葦名の地において、それは通じぬ。

 

 "竜胤"──御子に流れる不死の血。分け与えた者を人ならざる存在へと変え、あるべき理をかき消す禁忌。条理をねじ曲げる不条理、この現し世においてあってはならない力。誰も彼もが欲し、澱んだ怨嗟を蔓延らせた。そしてその果てに、この葦名は終わりを迎えるのだ。

 

 

 つまらん。

 

 生とは限られた時間の中にこそ輝くのだと、なぜ分からぬ? 

 

 

 病に蝕まれ、黄泉の河岸がすぐそこにあった。そうしてこの身は朽ち果てるのだと。それが定めであると、信じて疑わなかった。

 しかし、その道理は通らなかった。黒の不死斬り、黄泉より人を帰す開門の剣。死者から生者へとんぼ返りした己は、今や風前の灯火たる葦名を救わねばならぬ。それが我が孫、葦名弦一郎の遺志だ。

 

 確かに葦名を生かすには、己の剣が必要だろう。しかし、今となっては無駄なあがきに過ぎない。もう何もかもが遅すぎるのだ。

 

 

 この葦名の夜は、明けぬ。

 

 ならば、せめて。

 

 眼前に立つ、名もなき狼との死合を。

 血湧き肉躍る、剣と剣の軌跡を。

 

 もはや生に未練はない。

 ただ一つ、この男と戦えればそれで良い。

 

 

 

「───参れ、隻狼!」

 

 

 

 月が見下ろすススキの平野。猛りの雄叫びと共に、剣聖は迫る。黄泉帰りを経たことで、全盛期の肉体を得た。振るう剣の鋭さも、速さも、何もかもが神域のそれと言える。

 

 それでもなお、狼は食い下がる。

 

 表情一つ変えず、粛々と剣を弾き、的確に一太刀を入れる。剣聖と謳われた剣でさえ、斬れぬ。たったそれだけの事実が、この身体をうち震わせる。

 

 

「血が、たぎって来たわ! 行くぞ! 隻狼ぉっ!!」

 

 

 如何な猛者でさえ、この剣で斬り伏せてきた。葦名という国を、民草を守る為。いや⋯⋯それは最早建前かも知れぬ。それ程までに、剣に飢えていた。かつて修羅を斬ったように、己もまた修羅なのだ。どこまでいっても断ち切れぬ、剣への渇望に。

 

 そしてその狂おしい程純粋な願いこそ、葦名一心たる所以なのだ。

 

 剣を振るう。

 弾かれる。

 

 槍を突く。

 見切られる。

 

 雷光を薙ぐ。

 返される。

 

 怒涛の如く押し寄せる連撃はしかし、事も無げに防がれる。

 

 

 そうだ。これこそが。

 

 

 ───これこそが、儂の求めていたものよ───!! 

 

 

 天を裂く嘶き。剣の咆哮。火花散る戦場には、ただ一人の剣聖がいた。

 

 

 

 

 永久とも感じる数分、だとしても時は絶えず流れ行く。如何に両者が強者とて、決着は必ず訪れる。

 巴の雷、異端の力を剣に宿し振るう。それを狼は空にて受け止め、返した。

 防ぐ一心。しかし元より超常の雷、十全に防ぎ切ることは敵わず、僅かに隙が生まれる。そしてそれを見逃す程、狼は甘くはなかった。

 

 走る刃。はらわたを裂かれ、夥しい血が飛び散る。狼の剣は、確かに剣聖に届いたのだ。

 力なく地に伏す一心。内に燻る微かな残り火を燃え盛らせ、黄泉へと帰る意思を確と踏み留める。

 

 

「やれい!」

 

 

 そして、潔く座した。不死を断つ刀、その介錯に身を委ねる為に。

 僅かばかりの躊躇い。狼とて、思うものもあるのだろう。だが、不死の連鎖は断ち切らねばならぬ。狼は、背に差す不死斬りを抜き放ち───力強く振り下ろした。

 

 鮮血が舞い、平野を紅く染め上げる。不思議と痛みはなかった。そこにあるのは天を仰ぎたくなる程の清々しさ。死力を尽くしてぶつかり、その末に敗北した。後悔など、いったい何処にあるというのか。

 

 

「見事じゃ⋯⋯隻⋯狼⋯⋯⋯」

 

 

 黄泉へと帰る魂。薄れゆく意識の中、一心は耳にした。狼の小さな、しかし誉れのある確かな声を。

 

 

「────さらば」

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄泉帰りは、その者の全盛の形を取る。

 

 即ち、死闘を重ね、貪欲に強さを求め、あらゆる技を飲み込もうとした一心だ。

 

 一心は最期まで死闘を求め、それは叶った。

 

 

 死闘の日々を重ね、強きを追い求め、ただひたすらに斬った男───葦名一心。

 

 

 

 剣に生き、剣に死ぬその姿は、まさしく剣聖であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、終わる筈の魂は、黄泉へは至らず。

 

 世界へと汲み上げられ、剣聖は『座』と至る。

 

 その技が、その剣が、必要なのだと。

 

 

 

 葦名一心の戦は、まだ終わらぬ。

 

 

 待ち受ける英霊達よ、刮目して見るがいい。

 

 

 頂きへと至った、剣聖の技を。

 

 

 

 

 







隻狼クリアからの衝動で書いたもの。プロローグなので短めです。できる限り続けていきたい。


しかし一心様といいゲール爺といい、フロムのジジイ達は死ぬほど強くなきゃいけない決まりでもあるんですかね⋯⋯。


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「⋯⋯む⋯⋯?」

 

 

 

 心地よい風が肌を撫でる。鳥のさえずりが深緑の森に木霊し、響き渡る。そうして葦名一心は、薄ぼんやりとしながらも目を開いた。

 見渡す限りの木々。枝の隙間より差し込む陽の光が照らし、穏やかな空間を作り上げていた。

 

 ここは葦名の地であろうか。いや、違う。自分は死んだのだ。殺せぬものを殺す不死斬りは確実な死をもたらす。潔く敗北し、その介錯に身を委ねた自分が生きている道理はない。

 

 

「⋯⋯まこと、奇怪よのぉ」

 

 

 何より頭の中に流れる記憶そのものが、それを決定づけていた。

 聖杯。座。そしてサーヴァント。どれもこれもが覚えのない知識ばかり。訳の分からぬ理を詰め込まれては、さしもの一心とて解するには時間が掛かった。

 一つ理解出来るのは、自分が再び生を得たということ。それも黒の不死斬りによる黄泉帰りではなく、まるきり別の方法で。

 

 誰が、何の目的でここへ呼んだのか⋯⋯そんなことはどうでも良い。元より望みは果たした。死せるが本望、今更現世に呼び出される云われは何処にもない。

 だがこうして現界している以上、何かしらの役目を与えられている筈。覚えたての知識の中には、通常のサーヴァントは依代たる主の元に召喚されるとあるが⋯⋯しかし、周囲にそのような者も、気配もない。

 

 つまりは"はぐれ者"だ。まぁ、それならばそれで良い。一人である方が気ままに動けるというもの。呼ばれた理由はさておき、今は情報が必要だ。

 

 ひとまず、一心は下山を決めた。山を下れば人も居よう。何故ならここは下総国、徳川の治める日の本なのだから。

 

 

「寛永十六年、か」

 

 

 国盗りより二十余年、斜陽にあった葦名の国。竜胤を手中に収めたとて、滅びゆく運命は変わらなかったであろう。今居る時代は、その滅びの先にある未来。もしあの時狼を下していたのなら、葦名は生き長らえていたのだろうか。

 

 有りもしない答えだが、たられば話も悪くはない。微かに笑みを浮かべつつ、一心は山を下り始める。

 

 与えられた知識によれば、寛永十六年は島原の乱が起きた翌年。戦国の乱世は終わり、泰平の世を迎えている。ならば、人の営みも栄えていよう。

 思えば国盗りより幾年の間、葦名の国も平穏な時があった。少なくとも、自身が病に冒され抑止の力を失うまでは。そういった点で言えば、やはり黄泉帰りは必要だったのだろう。弦一郎の企てが全て間違いであったとは捨て切れない。

 

 

「⋯⋯」

 

 

 サーヴァントとして召喚された英霊は全盛の姿でもって顕現する。黄泉帰りを果たした時と同様、一心はその剣が極地に至った時の状態で降り立った。なるほど、それは得心がいく。

 

 故に──この黒の不死斬りもまた、己が宝具なのだ。

 

 不死斬り。葦名に災厄を呼び込んだ不死の魔力、それを断ち切る筈の刀は、何の因果か不死を得ようとする者の手に渡った。そして再び、我が手中に収められている。これは全く、なんという皮肉か。

 しかし、不死斬りは尋常ならざる存在を殺す。此度の戦で大いに役立つだろう。こうして我が手にある以上、使わない手はない。

 

 尤も、何をすべきかが明白でない以上、おいそれとは振れぬ代物でもある。ひたすらに斬ればよいのか、はたまた別の事柄か。

 

 戦の匂いはせず。なれど、不穏を感じる。強者にのみ察知できる微かな気配。今すぐにでも何かが起こる、そんな張り詰めた空気。

 

 そして、その時は程なくして訪れる。

 

 

「夜⋯⋯」

 

 

 空を、闇が覆った。

 

 息を呑む程の快晴だった。しかし彩やかな蒼を蝕むように闇が押し寄せ、瞬く間に暗黒へと変える。朧気に輝く月は、今や妖しい赤光を放ち佇んでいた。

 何より身に感じる気配。背筋を走る妖気は、人ならざる者を呼び寄せた何よりの証左であった。

 

 

「ほお、現れよったか」

 

 

 一心の周囲に現れる化生。人の倍はあろう巨躯を持ち、みすぼらしい鎧を着込んでいる。それは、生ける者ではなかった。鎧の隙間より見える骨、さしずめ餓者髑髏とでも言ったところか。闇より這い出る化生共は見る間にその数を増し、一心を取り囲む。

 骸の武者、あるいは狂った獣。多様な闇の下僕はじりじりと詰め寄り、哀れな人間の魂を喰らおうと牙を剥く。しかし、その獲物たる人間は、微塵も恐怖など抱いてはいなかった。

 

 

「化生は化生らしく、闇に潜んでおればよいものを」

 

 

 気だるそうにため息を吐く一心。その様子は酷く、それは酷くつまらなそうであった。葦名一心程の剣の担い手が、たかだか妖に沸き立つ筈もない。

 

 一体の化生が大きな刀を振り下ろす。並の人間であれば死を免れぬ一撃。生半には防げぬ剣はしかし、一心に届くことはなかった。

 妖の視界が半分に割れる。何が起きたのか、認知すら敵わぬ一閃。音の壁を容易く超えた剣は、一瞬のうちに面を叩き斬った。

 直後、襲い来る化生の群れ。片手間で滅した同胞など目もくれず、一心に向け飛びかかる。魑魅魍魎の妖はそれぞれが常ならざる力を持つ怨霊。怖気付けば人は死ぬ、ひと度喰らえばたちまち取り殺されてしまうだろう。

 

 尤も、それは力なき者にのみ当てはまる事象。剣聖と謳われた葦名一心に、そのような事は有り得ない。

 

 一心はただ刀を振るう。無駄な思考を削ぎ落とし、一振りに魂を乗せる。一挙が神速を誇るその剣が、数十の化生如きに手間取ることはない。ほんの数秒にも満たなぬ僅かな瞬間に、一心は全ての化生を斬り伏せた。

 

 

「ふん、なんと他愛のない奴らじゃ」

 

 

 塵芥と化した妖に目もくれず、一心は刀を収める。ひとまず目に付く人外は全て片付けた筈だが、相も変わらず不穏な気配は漂ったまま。どころか先程よりも強く、濃くなっていく。これは、斬り伏せた化生などとは比べ物にならない妖気だ。

 明らかな格の違い──間違いなく、己と同様の存在がいる。黄泉より現れた亡霊達が。

 

 

(くくく⋯⋯存外に、意味はあったのやも知れぬな)

 

 

 自然と、一心の足は気配のする方角へと進んでいた。どれ程の強者がいるのか、楽しみで仕方がない。流る血潮は熱くなり、鼓動は歓喜に早鐘を打つ。やはり自分は、どこまで行っても剣に生きる者なのだと、改めて自覚する。

 

 

 

 だが、一人の剣士である前に、葦名一心は国を治める主であった。民草を守り、葦名の国を築き上げたのは、間違いなく彼の人望とその精神があったからこそ。強さを求めると共に、守るべきものがあるからこそ一心は剣を振るうのだ。

 

 

 故に、許せぬ。

 

 この、眼前に広がる惨状は。

 

 

「⋯⋯なんと、惨たらしいことよ⋯⋯」

 

 

 気配を追い、辿り着いた場所。小さくはあったが、そこには集落があった。家屋、畑、何気ない日常その全てが、真紅に染まっている。流れるのは血河、夥しい屍から滴る血が地面を濡らし、真っ赤な泉を作り出している。

 なんという無情、無慈悲、無念。これ程の惨劇、戦国の只中にもあろうものか。戦場の武士が散るのではなく、犠牲になったのは何の罪もない民草だ。

 

 男衆、女子供、力なき老人。その全てが無惨に殺戮され、肉塊となり転がっている。五体満足に残っている亡骸など一分足りとも見当たらず、尽くが目を覆いたくなるような有様だ。

 中には自らの子であろう、小さな赤子を抱き事切れている母親らしき姿もあった。らしき、というのは⋯⋯あまりに異様な死に方ゆえ、このような表現しか出来ないのだ。その死体は黒く焼け焦げ炭化しており、まるで落雷にでもあったかのよう。如何な手段を用いたとて、このような殺しが只の人に出来る訳もない。

 

 つまり、この惨劇を生み出したのは⋯⋯。

 

 

 一心が解を得る、その時であった。

 

 

「───これはまた、異な方がいたものですね」

 

 

 凛とした声色。透き通るようなその声からは想像すら出来ぬ途方もない殺意。どこまでもどす黒い死の気配は、一切の慈悲なき一撃でもって迫る。

 雷鳴───それ即ち雷の矢。大気を裂き、光が如き速度を持って飛来する。なるほど、人を炭人形と化したのはこれであったか、と一心は納得する。そして背後より来る雷を受け止め──返した。

 

 それは、古より葦名に伝わる秘伝の技。雷は、神業無くば弾き返せぬ。即ち、地に足つけぬ雷返しなり。

 

 

「!」

 

 

 返される、などと思いもしなかったのか、矢を穿った影は驚愕に目を見開く。だが、対処出来ぬことはない。冷静を欠くことなく、即座にその場を脱する。

 炸裂する雷。一帯を焦土と化す破壊力は、人体などひとたまりもない。痛みすら感じる間もなく死せるであろう。

 

 

「里ごと塵と化すつもりで放ったのですが⋯⋯存外、ただのはぐれではなさそうですね」

 

「あははは! こりゃ荷が重いかも知れへんねぇ。手ぇ貸したろか? ライダーはん」

 

 

 ひどく無邪気な、しかし狂気を孕んだ少女の声。先の女も大したものであったが、妖気に関してはこちらの方が上回る。

 一心が見据える先、暗闇より出ずる二つの影。姿形は異なれど、纏う気配は人ならざる者。此度呼ばれた己と同じ、英霊として生を得た者達だ。

 

 一つは滑らかな黒髪が目に付く女将。見目麗しい、見惚れる程の美しさ。その完成された佇まいは、彼女が優れた武芸者である事実を裏付けている。

 対して笑う少女の姿。幼子の額に生えるは一対の角。驚くことに彼女は鬼であった。酒を片手に笑い転げるその姿、一心の知る鬼とは程遠いが、内に潜む狂気は凄まじいものがある。

 

 そして何より漂う死の香り。生々しく、脳天を貫くような血臭が二者からは漂っている。まるで、数多の血肉を貪ったような。

 

 

「これはお主らの仕業、ということか」

 

「ええ。それが我らの役目。生者を一切鏖殺する、英霊剣豪の宿業⋯⋯」

 

「何?」

 

 

 ずるり。またずるり。闇より這い出るは黒い陰。禍々しき妖気を纏い、四の修羅が現れる。

 

 奇妙な出で立ちの、術士めいた男。

 幼子にしか見えぬ、しかし鋭い殺気が滲み出る少女。

 星のような銀の髪が美しい、炎のような紅い瞳を持つ女。

 黒頭巾を羽織る男の腰には一本の刀。生半可な覚悟を斬り捨てるが如き剣気は、一心とて驚嘆を覚える程であった。

 

 先の二騎は彼らの元へ集い、並び立つ。

 

 この六騎こそ、屍山築きし鬼。黄泉より現れし悪鬼羅刹の英霊剣豪である。

 

 

「カカカッ! 悪逆非道の賊共も、ここまで集えば圧巻よのう!」

 

 

 だが、葦名一心は露ほども恐れない。どころか、さも愉快とばかりに笑うのだ。召喚されたるは一切鏖殺の悪鬼達。それらを前にしてなお、はぐれ者は笑っている。

 その在り方は本来あるべきものとは真逆。非道に堕ちし英霊は一人一人が一騎当千の力を持つ。六騎が揃ってしまえば決して殺せぬ、そう断言出来る程に。待ち受けるは死だというのに、一心には恐怖というものが欠片足りとも遍在しなかった。それがどうしようもなく、黒頭巾の興味を引いた。

 

 

「ほう、我らを賊と言うか」

 

「賊じゃろうて。ただ殺し、奪う。その姿のなんと醜悪なことか。お主らなど、血に酔った(けだもの)よ」

 

「⋯⋯我らを前にしてその豪胆、余程の自信があると見える。だが、忘れてはいまいな」

 

 

 空気が軋む。音なき音が奏でる旋律は、想像を絶する恐怖に満ち溢れていた。人どころか、生半な英霊ですら恐れ慄くであろう。六騎の放つ黒き意思というのは、途方もなく悪を極めていた。

 

 それぞれが己の得物を携える。同時に膨れ上がる尋常ならざる殺意。それだけで大地はたわみ、木々はざわめく。夜の闇が一層深まり、紅い月は一際輝きを増していく。お膳立ては済んだとばかりに、辺りは巨大な妖気で満たされた。

 

 

「宿業負いし悪鬼だとして、我らにも矜恃というものがある。それを踏みにじる行いが、如何に愚かなのかを教えてやろう」

 

 

 黒頭巾の男が刀を抜く。見事な業物、それ以外に特筆すべき点はないが、故に実直。剣術に際しては、此度召喚された英霊剣豪の中でも右に出る者はいない。対峙したとして、瞬きのうちに斬り捨てられるであろう。

 そして英霊剣豪は現時点で六騎(・・・・・・)。例え一人を切り抜けたとして、矢継ぎ早に死が降り掛かる。奇跡でも起きぬ限り、一心に勝ち目などなかった。

 

 だが、悪鬼達は知る由もない。

 

 葦名一心が何故剣聖足り得たのかを(・・・・・・・・・・・)

 

 

「───ほざけ、下郎」

 

 

 瞬間、剣が空を裂いた。鋭い、などと一言で片付けるには余りに強大な、抗うことの出来ぬ一振り。黒頭巾の男が気付く頃には、その霊体は一刃に伏されていたのだ。

 しかし、傷など何処にも見当たらない。当然だ、一心は刀など抜いてはいない。純粋に剣気を放ったのみ。単純明快、何のからくりもない、ただの脅しだ。

 それでもなお、刻まれるのは強烈な死への心象。単なる気迫のみで英霊が怖気付くなどと、有り得て良いのか? 

 

 

「儂は、ただ斬り続けてきた」

 

 

 ゆらりと、一心は歩む。静かに、音もなく。

 

 

「猛き武士もおれば、下賎な賊の類もおる。じゃがそ奴らは皆、百折不撓の信念を持ち戦っておった。その記憶の残滓は、今も儂の中に生きておる」

 

 

 抜き放たれるは黒の不死斬り。

 殺せぬものを殺す、不死断ちの刀。

 

 

「お主らはどうじゃ。殺す為だけに殺す⋯⋯幾千の屍を積んでなお、凶刃を振るい続けるのじゃろう。ならば、止めねばならぬ」

 

 

 研ぎ澄まされる剣の心。

 民に仇なす鬼を討たんと、その刃は頂きへ登る。

 

 

「お主らを──斬るぞ」

 

 

 剣聖の一閃が、闇に煌めいた。

 

 

 

 

 

 






ぶつ切りのようになって申し訳ない限り。本格的な戦闘は次回になります。

感想を頂いた中でもチラホラ散見されるんですが、この人多分ランサーでも行けるんじゃないですかね⋯⋯。アーチャーは銃ブッパしてるだけだからキツいだろうけど。連射出来んのは意味不明だけどな!

なおクラスは言うまでもなくセイバーです。


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『竜閃』───それ即ち竜の息吹なり。

 

 地を割り穿つ嵐の刃。質量を持たぬ真空はたちどころに肉を裂き骨を斬る。鋼すらも両断する一閃を受け止めようとし───寸前、黒頭巾は即座にそこを脱した。

 直後、地鳴りのような轟音が遅れて木霊する。剣の軌跡が残した痕、さながら竜が大地を喰らったが如く。深々と抉られた地面はその威力を物語っていた。もしあのまま防御を選んでいたのなら、塵となり消し飛んでいたであろう。

 

 何より、あれに魔力を毛程も感じない。通常のサーヴァントのように宝具や魔術を行使するのではなく、ただ純粋な技量のみで刃を飛ばしている。途方もない修練を積まねば、あんな芸当は不可能だ。

 

 

「善い判断じゃ。今ので死する方が楽であったやも知れぬがな」

 

「たかだか刃を放つ如きで大層な自信だな。その驕り、致命の隙と知れ」

 

「む?」

 

 

 膨れ上がる妖気。足元へ赤黒の血煙が収束し、やがて一つの大蛇となった。一心へ喰らいついた大蛇の口内、呪詛で満たされた空間は獲物を融解する。相手を拘束しゆっくりとなぶり殺しにしていくとは、何とも趣味の悪いやり方だ。

 何かしらの策を講じねば死ぬ。だが、呪いに関する知識はない。仮にあったとしても、これ程の呪詛を突破するには至難を極める。

 それでも一心が動じることはない。相当な術に違いないが、これは形あるものだ。ならば、斬れるではないか。

 

 閃く剣。音を置き去りにした神速の刃は幾重にも刻まれ、一瞬で大蛇をこま切れにしていく。形を保てなくなった大蛇はやがて霧散し、魔力の残滓となり消えていった。

 

 

「実に見事。ならば、これはどうです?」

 

 

 機を逃さんとばかりに射るは女将の雷。紫電纏いし六の矢が一心へ迫る。ほぼ同時に放たれた雷の全ては返せぬ。ここは弾くのが解であろう。六の矢を一間に弾くなど、一心にとっては容易い。その上、何の狂いもない正確な矢はかえって斬りやすくもある。何処を狙っているのか、殺気が明確であるからだ。

 一度鞘に納め、放つ。それは一振りなれど、一つにあらず。居合は葦名流のお家芸とも言える技だが、いちどに無数の斬撃を刻めるのは一心のみ。

 

 分かたれた紫電はあらぬ方向へ飛び、一帯を焼き焦がす。瞬時に炭化する電撃は天晴。が、当たらねば豪華な花火に過ぎない。今更雷程度で、葦名一心の命には届かない。

 

 

「⋯⋯よもやあれまで防ぐとは。数も力も、先より上の筈なのですが」

 

「そりゃあ、あないな花火で仕留められるわけないやないの。役立たずは下がっといた方がええんちゃう?」

 

「なんじゃ、仲間割れか? 」

 

「あら、仲間なんて嫌やわぁ。この牛女なんて、見てるだけで虫唾が走るゆうのに」

 

 

 この上ない侮蔑を同胞に向けるとは、堕ちた身とて浅からぬ因縁からは逃れられぬようだ。生前からか、はたまた現界してからか。いずれにせよ仲違いしているのなら、それは突くべき隙だ。が、彼らは人並外れた英霊の集い。生半には攻められぬ。現に、鬼の少女からはとめどない魔力が迸っていた。

 

 

「まぁ⋯⋯うちらどこもかしこも狂てしもてるからね。同類ってことは否定せんよ?」

 

 

 ぽたり。盃より零れ落ちる一滴の水。地面に染み込んだと思えば、途端に押し寄せるは鉄砲水。森を呑み込み喰らう、万物を溶かし尽くす魔酒である。

 蔓延する酒気は生命という生命を酔わせ、蕩けさせる。鬼は皆すべからく酒を愛飲するというが、よもやそのものを宝具と化すとは思うまい。一心とて面食らったが、しかしにやりとしたり顔。一度触れれば骨まで溶かす魔酒ではあるが、それはそれ。何よりこれは、酒なのだ。

 

 

「───かぁぁっ!!」

 

 

 吹き抜ける疾風。横なぎに払われた竜閃が、今にも呑み込もうとする波飛沫を弾き飛ばす。霧と化した酒が大気へ消え、代わりに立ち込めるのは芳醇な酒の匂い。鬼ですら酔いしれる強烈な酒気は、一心にとってはむしろ褒美。芳しい酒の匂いが、ますます一心の口元を緩ませる。

 

 

「たまらぬ香りで誘うものよ! お主、中々の逸品を持っておるな!」

 

「あら、分かるん? とっときの酒なんやけど⋯⋯あんたとは旨い酒が呑めそうやねぇ」

 

「全くじゃ。お主が悪鬼でなければ、語らいながら盃を交わしたいものよのう」

 

 

 敵と敵。そんな事実は分かり切っている。だが、不思議と一心は小さな鬼を嫌いにはなれなかった。無論、彼女は世に仇なす英霊剣豪の一柱。斬らねばならぬ敵だ。敵なのだが⋯⋯。

 もし、彼女がまともであるならば。一心にとっては数少ない、酒を呑み談笑に花を咲かす相手になっていたことだろう。それが、何よりも口惜しい。

 

 だからこそ、剣気は未だに保たれたまま。いつ如何なる一瞬でさえ剣を抜けるように。ここは戦場、余裕は見せても隙を見せてはならぬ。僅かばかりの隙を晒せば待つのは死、常に気を鋭く研ぎ澄ますが故に、どれだけ苛烈な攻撃にも耐えられるのだ。そう、眼前に迫る、燃え盛る炎へと。

 異常なまでに温度だ。ちりちりと肌を灼く紅蓮の火は勢いを増し、焼け野原の夢幻地獄へと変えていく。

 

 この炎を、よく知っている。

 

 これは、怨嗟の炎だ。

 

 

「ぬぅ⋯⋯!」

 

 

 まとわりつく憎悪の火。一体どれ程の恨みが積もればこの炎を生み出せるのか、想像すらおぞましい。かつて斬った怨嗟の根源、それに匹敵する憎しみが途方もない熱を持ち襲いかかる。

 後退、それはせぬ。恐ろしいまでの炎、一心とて怯む威力だが下がれば突け入れられる。向こうの連携は皆無にしても各々が強大な英霊、下手な策は死を招く。ならばここは、攻めるのみ。

 

 切っ先を地面へ突き刺し、力を込める。迫るは怨嗟の炎、全てを跡形もなく燃やし尽くす極大の火。魔の術を持たぬ一心が防ぐ通りはない。しかし防げぬのなら、喰らうまで。

 

 

「はあぁ⋯⋯ふんっ!!」

 

「!」

 

 

 全力で振り上げた剣が放つは、炎。地面を走る炎はやがて刃を形取り、怨嗟の火を喰らっていく。まるで餌とばかりに呑み込み巨大となる刃は炎の主へ迫り、回避を余儀なくされた。

 全速の離脱。数瞬遅れ、炎刃が激突する。炸裂する灼熱の奔流、それはひたすらの破壊であった。たちまち炎は燃え盛り、更なる紅蓮に染め上げる。闇夜を煌々と照らす火は、かつて日の本を包んだ戦火そのもの。

 

 怨嗟を覆う、修羅の火だ。

 

 

「私の炎を喰らうなど⋯⋯何者なのですか」

 

 

 炎を放った主は怪訝に眉を潜めた。ただならぬ剣気を持つ、はぐれのサーヴァント。相対したその瞬間から、一心が尋常の存在でないことは理解していた。六騎の悪鬼達を前に堂々たる不敵の面構え、それに違わぬ剣の技。挙句の果てに炎すら操るなど、かような英霊は聞いたことすらない。得物、出で立ちから察するに日本の英霊ではあるのだろうが、正体はまるで分からずじまいだ。

 

 その疑問は彼女だけではない。皆が皆、並々ならぬ警戒を抱いていた。そんな彼らをよそに、確と一心は言い放つ。

 

 

「儂はただの、人斬りよ」

 

 

 人斬り。一心はそう名乗った。葦名の国を築き、国盗りすら為した男が、己を人斬りなどと。

 いや、自分は人斬りなのだ。どこまで行っても断ち切れぬ剣への渇望、抜け出すことなど敵わない泥沼のような情念。内に燻り続ける残酷な願いが人斬りでなくてなんなのだ。綺麗事をほざこうと、数多の兵を斬り伏せてきた。それら全てを糧とする為に。故に自分もまた、修羅となんら変わらぬ。修羅であるからこそ、斬らねばならぬ敵がいる。

 

 

「さて、死出の用意は済んだか? ⋯⋯そろそろ仕舞いとするぞ」

 

 

 一気に高まる剣気。極められた居合は、気付かぬ間に切り刻む。狙いを定め、一歩を踏み出さんとする一心。しかし、途端に動きが止まった。

 

 

「⋯⋯ぐ、お」

 

 

 一心の足元、妖しげに明滅する五芒星あり。血のように真紅に染まる魔法陣は、たちどころに一心の自由を奪う。身体どころか指一本すら動く気配はない。これは一体、どうしたことだ。

 

 

「貴様こそ、侮り過ぎたな」

 

 

 身体を縛られ動けぬ一心。彼の背後より聴こえた言葉を言い終わる頃には、肉体を一太刀の下に叩き斬られていた。舞う血飛沫は地面を染め上げ、夥しい血液がとめどなく流れ落ちていく。

 神速の剣。剣の頂きに登った者のみが放てる人外の技。そこへ辿り着くのは何も一心だけではない。確かにこの男は、至高天へと登り詰めている。

 

 セイバー・エンピレオ。

 

 彼もまた、剣を極めし者の一人。僅かな一瞬でも、斬り捨てる。神速の技は、あらゆる命の一切を両断する魔剣であった。

 

 

「黄泉へ渡るのはそちらだったな。だが六騎相手にここまで渡り合うとは、見事であったぞ」

 

「⋯⋯」

 

「言葉も出ぬか。それも然り、我が剣は霊核を斬り⋯⋯む?」

 

 

 勝ち誇り、獰猛な笑みを張り付ける。愉悦に歪む顔はしかし、徐々に困惑へと変わっていった。

 我が切っ先は確実に霊核を斬り捨てた。疑いようのない事実は、刀を振るう本人が理解している。自分程の剣鬼が、仕損じることなど有り得ぬのだ。

 

 だというのに⋯⋯何故、倒れない? 

 

 

「流石、と言ったところかのう。伊達に剣豪を名乗っておらぬわ」

 

 

 致命の一撃を受けた。この場にいる誰もが葦名一心の死を確信していた。だが、生きている。確と大地を踏み締め、確固たる姿にて顕現している。

 何故、深傷を負った一心が消滅しないのか。その理由は実に、実に単純であった。

 

 深く裂かれた胴の傷が、何事も無かったかのように塞がっていた。

 

 

「⋯⋯何故、生きている」

 

「死ねぬのよ。ただ斬られた如きではな」

 

 

 黒の不死斬り、銘は開門。黄泉より死人を帰したる呪われた妖刀。竜胤の血を依代に、死者を全盛の姿でもって甦らせる。そうして現世に降り立つ者は、その身を不死とするのだ。

 英霊として現界した葦名一心。全盛の姿とは、戦国の只中国盗りを為した一心ではなく、不死斬りにより復活した瞬間のもの。隻腕の狼と死闘を繰り広げたあの時こそ、真に力を振るった文字通りの全盛だ。

 

 故に、死なぬ。あらゆる死が、黄泉へと渡る魂が、肉体に押し留められる。生命を斬り裂く魔剣であろうと、煉獄の焔であろうと、生という枷からは逃れられぬのだ。

 

 

「もう充分か? ⋯⋯往くぞ」

 

 

 身じろぎ一つ不可能な術、抜け出すのは如何なる手段を用いようと困難である。優れた術士、あるいは純粋なる圧倒的力量。いずれかを持ち得る者のみが破壊可能の呪縛。一心が当てはまるのは言うまでもなく、後者であった。

 少しずつ、微かにだが取り戻しつつある身体。生じた異変を察知し、出を潰さんとエンピレオは刀を抜く。

 

 一閃。隼でさえ斬り落とす剣はしかし、一心へ届くことはなかった。その一太刀が触れる頃には、既に呪術による拘束から解き放たれていたのだ。此度現界した一心のクラスはセイバー。元より対魔力に優れてはいるが、こと一心に関しては頭一つ抜けている。身体を縛る程度の術など童子の悪戯に過ぎぬ程に。

 ほんの僅かだとしても動きさえすればこちらのもの。自由の身となった瞬間に迫る剣を弾き、返す。

 

 

「我が初太刀を弾くとは⋯⋯。貴様の剣、ただ殺すにはあまりに惜しい」

 

「カカッ、身に余る光栄じゃ。じゃが⋯⋯口を開く余裕があるのか? 既に、お主を斬っておるぞ」

 

「ふ、世迷言を───!?」

 

 

 瞬間、仰々しく噴き上がる血潮。ばっくりと斬り裂かれた傷からは夥しい鮮血が流れ落ち、堪らずエンピレオは膝を着く。刀を支えにせねば立てぬ程、深い傷が半身に刻まれていた。

 有り得ぬ。奴が選択したのは防御。己の剣を弾いたのは驚嘆に値するが、間違いなく自身の身を守る為に剣を構えたのだ。だというのに何故、この身体は斬られている? まさかあの一瞬だけで、攻防を全く同時に行ったとでもいうのか。

 

 人の域を超えている、そんな次元の話ではない。至高天の技量を持つ自分でさえ見切れぬ所作、未だかつて相見えたことのない力は、我が剣を優に上回っている。そのたった一つの事実がどれ程の動揺を生んだか。

 

 だが、悪鬼羅刹の宿業背負いしこの身は尋常の術では殺せぬ。奴が不死ならば、こちらもまた死なずの身体。肉を断ち、骨を砕き、心の臓を貫こうとも瞬時に癒え死ぬことはない。塵一つ残らず消滅せぬ限り、その命に際限はないのだから。

 

 そうだ。どれだけ斬られようとも死なぬのだ。

 

 ならば、この傷が塞がらぬのは、どう説明する? 

 

 

「馬⋯⋯鹿な⋯⋯! 傷が癒えぬ⋯⋯ッ!?」

 

「やはり、か。お主らもまともには死なぬようじゃのう」

 

「貴様⋯⋯一体何をした!?」

 

「なに。死なぬ者を殺す、それが儂の剣ゆえな。不死であろうとも過たず断ち斬るのよ」

 

 

 一心が携える刀。黒い靄が滲み出る妖しげな刃にはただならぬ力が内包されている。その特異性は数多ある妖刀の中でも突出した代物と言えるだろう。不死斬りの名の通り、一心の刀は不死の生物を殺す。ただ殺すだけでは死なぬ生命、即ち世界の理を歪める存在の尽くを黄泉へと送り帰す力だ。

 不死斬りに斬られた者は如何様な手段を用いようと癒えぬ傷を負う。霊核へ届かなかったのが幸いであるが、一歩違えば確実に断ち斬られていた。

 

 

「儂は⋯⋯怒っておる」

 

 

 静かに語る一心。一つ、また一つ言葉がこぼれる度、英霊達は感じ取っていた。肌で、本能で、その霊基で。並々ならぬ怒りが、一心より沸き立ち始めていることを。

 

 

「武の心得がある兵ならいざ知らず、何の力もない弱者達をお主らは殺す。慈悲の声に耳も貸さず、己が愉悦の為だけに⋯⋯。許せる訳が、なかろう」

 

 

 無論、多少武に覚えがある者とて敵いはしないだろう。たかが武術が強いだけの人間など、彼らからすれば有象無象の雑兵にしか過ぎない。猪突猛進に刀を振り回す兵も、恐怖に怯え死に震える民草も、皆等しく刀の錆びとする。

 

 兵をたった一太刀の下斬る。或いは炎で焼く。雷で消し飛ばす。酒に溺れ溶ける。大蛇に呑まれ喰われる。

 いいだろう。武士とは死せるが本望、命を賭し戦の果てに散るのなら何の悔いはない。例えそれが、人外れた化生だとしても。

 

 だがそれが、民草なれば? 

 

 血の匂いが立ち込める戦場とは打って変わり、彼らが送るのは平穏な日常。他愛のない、それ故に大切な日々。戦火とは程遠い場所こそが、帰るべき故郷なのだ。

 しかし昨日と変わらぬ筈の明日が、突如として地獄へと様変わりする。物言わぬ肉塊となる父親、泣き叫ぶ我が子を抱き、許しを乞う母親。それら全てを引き裂き、血肉を貪る。悪鬼共は、それこそが与えられし天命であると信じて疑わない。

 

 

 巫山戯るな。

 

 何が宿業か。何が英霊か。

 

 人の道を外れ、外道へと堕ちたる者共。何処まで行っても拭い切れぬ悪を、一心は許しはしない。

 

 

「───かような真似が許されると思うてかぁっっ!!!」

 

 

 吼える一心の、烈火の如き憤怒。怒りに呼応し、森を包んでいた業火が意思を持つかのように燃え上がる。

 かつては国の主として兵を率い、民草を守護した。時には酒を振る舞い、分け隔てなく日々を共にした。何にも変え難い家臣と、自らを慕い集ってくれる民。葦名という国は彼らがいたからこそあったのだ。

 民なくして国はない。彼らの所業は、国そのものを死へ追いやる非道。無辜の人々を殺し続け死を重ねるなど、断じてあってはならぬ。

 

 故に、斬る。

 

 それが、我が定めなれば。

 

 

「逃がしはせぬぞ⋯⋯お主らを斬り捨てるまではなぁっ!」

 

 

 黒の不死斬りが渦を巻く。漆黒の炎、あるいは軌跡。不死斬りに秘められたる力が雄叫びを上げ、世に解き放たれんとしていた。人に仇なし、世に背く悪を消し去る決死の一振りは滾る憤怒を乗せ───振り下ろされる直前、一心はピタリと動きを止めた。

 

 術、ではない。他の英霊剣豪が阻んだ訳でも無い。妖しげな気配、膨れ上がるそれを奥より感知した故。

 

 

「───いやはや。稀代の英霊達もかくやの立ち回り、全くもって見事なものです。塵芥のはぐれが多い中、貴方はどうやら当たりのようだ。ですが⋯⋯そこまでにして頂きましょう」

 

 

 なんと癪に障る声色か。黒い靄から現れたのは、奇異な出で立ちの男。相対した際に見た術士だ。底意地の悪い笑みを張り付け、さも愉快とばかりに一心を見やる。品定めするかのような目付き、一心が最も嫌悪する下衆の眼だ。それに、この男は何かがおかしい。

 云わば先天的な、悪。類を見ない程の外道、悪鬼羅刹の名に相応しい悪意に満ちた存在。同時に、彼らを狂わせたのもこの男の所業なのだと。誉れ高き英雄の魂、それを地の獄へと引きずり込むなど並みの術では到底敵うまい。

 

 

「そやつらを狂わせたのはお主じゃったか」

 

「狂わせた、と? フフ⋯⋯ハハハハハァ!! これはおかしなことを仰る! 彼らはなるべくしてなった者、私はただきっかけを与えただけに過ぎません故」

 

「抜かしよるわ、舌先三寸の道化師が」

 

「然り! 我が忌み名"キャスター・リンボ"、欺き惑わし陥れる道化師にございますればァ」

 

 

 リンボと名乗る男はこれでもかと大仰に頭を垂れた。相も変わらず外道の面を刻み付け、人を逆撫でするかのような声色でのたまう。

 今この場で斬り捨てるのは容易い。だが、一心は斬らない。このキャスター・リンボ、純粋な強さはどの英霊剣豪よりも劣り、なれど悪辣さは誰よりも上回っている。先の五芒星から察するに操る術は厄介極まりなく、無策で挑むのは自殺行為に等しい。故に、機を伺うのも戦いの定石だ。

 

 だがそれは相手も同じ。一切鏖殺の業を背負いし英霊といえど、殺し続けるだけが脳ではない。召喚された英霊なれば、主の元へ帰還するのは当然の帰結と言えるだろう。

 

 

「我ら同じ死なずの身、なれどそれを殺す力を貴方は持っている。加えて六騎に一歩も引かぬ実力、これは些か分が悪い。今宵はこれにて閉幕と致しましょう」

 

 

 言い切ると同時に、突如として暗い霧が周囲に立ち込める。一寸先さえ見えぬ闇、姿形を覆い隠す幻惑の術は一心すら欺くもの。英霊剣豪の放つ鋭い殺気が朧となり、やがて感じ取れなくなり始めた時。幽かに届いたその声が、一心を驚愕させた。

 

 

「ではまた次の機会に───葦名一心(・・・・)殿」

 

 

 それを最後に消え失せる六騎の鬼。霧が晴れた頃には夜は明け、太陽の見下ろす昼間へと戻っていた。燃え広がっていた火の山もいつの間にやら鎮火している。息が詰まりそうな妖気も霧散し、さえずる小鳥が平穏を奏でていた。その光景はまさに泰平の世に相応しいもの。戦いの爪痕は残れど、化生の類が現れる気配はない。

 

 

「あやつ⋯⋯何故儂の名を」

 

 

 にも関わらず、一心の面持ちは曇っている。仕留めきれなかった、それもあるだろう。だが何より気掛かりなのは、あの術士が己の名を知っていたことだ。

 国の主であったとはいえ、葦名は北の小さな領地。如何に一心が強大とて国力そのものは脆弱極まりない。故に、葦名は滅びを迎えたのだ。喰われ埋もれた小国など後世にまでは残るまい。ちっぽけな国の領主など、どうして歴史に残ろうものか。

 

 

(まぁ、良い)

 

 

 疑問は胸中に秘め、ひとまず剣を収める一心。人里目指し、その歩みを進める。

 逃がしはしたが、深手は与えた。例え傷を癒す術があったとて、死なずを殺す手段がこちらにはある。ならば、相応の抑止にはなるであろう。

 

 次に相見えた時、それこそが彼らの最期。一刃に伏す決意を改めて固め、一心は去った。

 

 

 火花散る剣豪達の死合舞台。

 此度制したのは一心であったが、果たして───? 

 

 

 




遅くなり大変申し訳ない。修羅一心様に勝てんのです。なんで炎出せるんですかね⋯⋯(怖気)

さて、英霊剣豪の所業にブチ切れの一心様でした。正直何の罪もない人々が殺されてるってなると真っ先にキレそうなのが一心様だと思うのです。人望も厚かったみたいですし、こういうのを最も嫌いそうだと自分は思ってます。


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遅くなってしまい申し訳ないです。
反省の意味も込めて尻子玉抜かれてきますね⋯⋯(危)

あとサブタイトルは簡潔なものにしました。
まぁ今までも単純極まりなかったですが⋯⋯。


 

 

 

 

 

 疼く。

 

 死なずの身体に刻まれた、この深傷が。

 どうしようもなく熱く鳴動し、苛烈な痛みが駆け巡る。

 

 嗚呼、一体いつぶりであろうか。

 

 剣の道を歩み、至高天へと至るまで、何人も己を斬ることなど敵わなかった。立ちはだかる剣客を尽く斬り、あまねく全てを自らの業として喰らった。そうして培われた剣は、いつしか神の如き速さを持ったのだ。

 

 一切両断の元、宿業背負いし悪へと堕ちし剣。更なる高みへ昇華し、何者であろうと斬り伏せる。そう、全てはあの女を斬る為に。だからこそ、この身を悪鬼としてまで登り詰めたのだ。

 

 仕えるべき主も、守るべき国も、何もかもが些末事に過ぎない。我が剣を二度も防ぎ切ったあの女を是が非でも斬らねばならないのだと。それに比べれば、あらゆる事象のなんとちっぽけなことか。

 

 そう、思っていた。

 

 あの男に───葦名一心に出逢うまでは。

 

 

 至高天⋯⋯それこそが剣の最たるものであると自負していた。決して揺るがぬ信念、矜恃、自信。剣において己の右に出る者などあろうものか。そう心から信じていたのだ。

 

 その全てが粉々に打ち砕かれた時、いったいどれ程の屈辱を覚えたか。積み上げてきた技、それを容易く上回る剣。そんなものが存在していて良いのか? 己以外で有り得て良いのか? 

 

 ───否! 

 

 しからば葦名一心の剣、認めよう。我が剣を超えしものと。

 そして、認めぬ。我が剣を越えようなどと。

 

 相反する渦巻いた感情が、度し難い程に燃ゆる復讐の火が、彼方へ秘匿されし霊核を駆動させる。熱く、熱く、狂おしいまでに。絶対の復讐は、宿せし宿業を確たるものとして手負いの霊体へと刻み付けるのだ。

 

 

 強く、ならねば。

 もっと速く。もっと高く。

 

 至高天など、奴の前には児戯。

 頂きを昇り、天を超え、剣に至る。ならばこそ、我が剣をより研ぎ澄ますのだ。

 

 英霊剣豪としての命、何より為さねばなるまい。

 だが今は、今だけは。何としても超えねばならぬのだ。

 

 葦名一心という、天に聳える壁を───! 

 

 

 一切両断が我が宿業ならば、それを為す。

 

 葦名一心を斬る───それこそが、この身背負いし宿業だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実に哀れなものだな。剣に囚われし魂、というのは」

 

 

 妖しい闇が立ち込める、名もなき社。そこに集うは泰平の世を地獄へ変える六の英霊剣豪。中心にある座敷を囲うように、それぞれが軒を連ねている。

 そして、その中心に座す人物こそが、この悪鬼達の長。徳川の世を憎むが故に、彼は明けぬ夜を創り上げた。人を、血を、魂を。英霊を意のままに操り、贄を捧げるのだ。人を超え、鬼と化した剣豪達を。

 

 セイバー・エンピレオは、そんな彼らでさえ殺せぬ大剣豪。認知した頃には既に斬られている剣速にて、如何様な強者をも斬ってきた。その身に傷などなく、寄らば一刃のもと斬り伏せられる。至高天へ昇りし剣術は、まさに剣聖とさえ言えるだろう。

 だが、違った。至高天などと、単なる驕りでしかなかった。それは、死なぬ霊体に刻まれた刀傷が何よりの証左。エンピレオの剣を超える男が、確かに存在していたのだ。

 

 その男こそが、葦名一心。

 不死をも殺す刀を持つ、隻眼の剣客だ。

 

 

「しかし、葦名一心とは何者なのでござるか? あれ程の力があるというのに、かような名は聞いたことがありませぬ」

 

 

 片目を隠した、幼子にも見えるくノ一が疑問を呈した。それは、他の者たちが抱いていたものでもある。

 葦名一心。日本の歴史を遡ってもその名はない。戦国の時代、葦名という地は存在していたが、やはり葦名一心などという人物は見当たらなかった。影も形も、史実には記されていない。

 だからこそ、謎めいている。エンピレオでさえ太刀打ち出来ぬ剣の腕を持つのなら、歴史に名を刻むのが道理というもの。ならば何故、誰も彼もが知らぬのか。

 

 彼女の問いに対する応えは、主より語られる。

 

 

「葦名一心。たった一代で国盗りを為した大剣豪。そのあまりの実力故に、内府は奴が床に伏せるまで一切の手出しが出来なかったという」

 

 

 もとより葦名の国は北の小さな領地。如何に精鋭が揃っていたとはいえ、兵力はそれ程大きくはない。それでもなお、葦名一心は国を盗った。余りある剣を振るい、敵将を討ち取ったのだ。

 無論、失ったものは数え切れぬ。兵は死に、国は戦火に包まれた。それは紛うことなき事実ではあるが、葦名の国は確かに息を吹き返したのだ。

 

 だが戦国の歴史を辿れば、葦名が生き残るのはもはや不可能だった。如何に一心が強大であろうと、所詮は北の小国。国としての力が、葦名には欠けている。故に、内府は一心が病に蝕まれ衰えた隙を突いた。瞬く間に瓦解した葦名は呆気なく滅びたのだ。

 だがそれは、裏を返せばそれ程一心が巨大な存在だったということ。実際、此度召喚された一心の実力は突出している。刃を交えたその時から、彼の異常なまでの強さを誰もが感じ取っていた。

 

 

「此度召喚された葦名一心は生半に殺せぬ、という。お前達のように不死の肉体を持つが故、な」

 

「しかし、奴は我らを殺せる術がある。それが⋯⋯」

 

「そうだ。不死斬りだ」

 

 

 不死斬りの名を耳にした時、僅かだが彼らの身体に力が入る。忍びにしろ術士にしろ、この場にいる誰もがその異常性を認めているが故に。不死の者を殺すというのは、理に反する存在を問答無用で消し去ること。つまり、自分達のような者たちを。

 扱う者が凡百であるならば、如何様にもできるだろう。だが百戦錬磨の大剣豪となれば、そうはいかぬ。決して侮ってはならぬ相手だと、否が応にも知ったのだ。

 

 

「あれ程の剣、そして不死をも殺す力は驚愕に値する。あの男(・・・)ならば何か知っているのかもしれぬが⋯⋯」

 

「しかし、彼はどうにも信用がなりませぬ。何か(はかりごと)があるのでは⋯⋯そう邪推出来る程に」

 

「おや、それは同じ道を歩む者だから、ですか?」

 

「⋯⋯信ずるに値しない。ただ、それだけにござる」

 

 

 どこか引っ掛かるような、形容し難いもどかしさを抱いたまま彼女は消えた。次なる任を、忍びとしての役割を果たす。忠を誓った主の為に。

 

 ───ならば、彼は誰に忠を尽くすのだろう? 

 

 だが、そんなことはどうでも良い。忠誠を誓おうが、はたまた反逆を企てようが、さしたる問題ではない。利用する価値があるのなら、存分に使わせてもらおう。もとよりあの男に葦名一心程の力はない。始末しようと思えば、何時でも出来るのだから。

 

 

「奴は放っておけ。あのような者など気に止める必要すらない。今はただ、この徳川の世を紅蓮に染め上げるのだ。無辜の血を。罪なき魂を。ならばこそ、厭離穢土の礎となろう」

 

 

 どこまでも黒く染められた、暗黒の意思。純粋なまでの悪意は泰平の世を穢し、無常の地獄を創り出す。数多の英霊を繰り、その悲願の為に人間を貪る様は、まさに悪魔そのものと言えるだろう。

 

 

「さぁ、夜の帳を降ろせ。最後の一騎⋯⋯迎え入れようではないか」

 

 

 そうして訪れる、夜の闇。

 今宵、血の宴が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 土気城、城下町にて。

 

 太陽見下ろす昼時。穏やかな風が吹く通りは人々の活気に満ちていた。泰平の世に相応しい、日々の営みがそこにはある。かつて栄えた葦名のように、彼らもまた額に汗かき働いているのだ。

 ゆっくりと時間が流れる中、とある茶屋に一心は居た。長椅子に腰掛け、ぐいと盃をあおる。喉元を通る透き通った味、香りが鼻を突き抜け、五臓六腑に染み渡っていく。下総国に召喚されて以来、初めての酒であった。

 

 

「⋯⋯ぷはぁっ! やはりこれじゃあ!」

 

 

 血で血を洗う死闘は一旦忘れ、今はただただ酒を呑む。茶屋に酒とはいささかおかしな話であるが、あるのなら頂かない訳にはいかぬだろう。もとより一心はどんな酒も愛する酒豪、酒があると聞いて黙る方が有り得ないのだ。

 生憎と酒の肴はないが、茶屋と来れば団子が付き物。甘いたれがたっぷりのみたらし団子を頬張り、たまらず一心も笑みがこぼれる。甘味は大して好みではないが、存外悪くないものだ。

 

 

(しかし⋯⋯)

 

 

 盃に口を付けながら、一心は辺りを見回していた。人の往来が絶えぬ光景はいつ見ても心地よい。道往く民は楽しげに笑い、やんややんやと騒ぎ立てる。

 問題はその中身だ。耳に入る会話は、やれ六騎の鬼が現れただの、昼日中だというのに途端に夜になっただの、不穏なものばかり。そこらには鬼達のビラがこれでもかと貼られ、皆がこぞって騒ぎ出す。英霊剣豪は人に仇なす悪鬼であるが、よもやこうも民衆に知れ渡っているとは。

 

 だが、腑に落ちない。どうにも彼らは危機感が薄く、単なる噂話としか捉えていないように見えた。暴虐の限りを尽くす彼らの恐ろしさが、こうも民に伝播していないのは逆に不自然。何かしらの、認知出来ぬ力が働いているのか⋯⋯。想像の域を出ないにしても、有り得ぬ話ではない。

 

 

「おんやぁ、ここいらじゃあ見ねぇ顔だなぁ。あんた、もしかして流れもんかい?」

 

 

 そうして思案している中、一心に声を掛ける者が一人。ちらりと目をやると、何とも胡散臭そうな男がそこに立っていた。その後ろには見上げる程の巨体を持つ大男がおり、大量の荷を背負っている。怪しげな雰囲気であるが、悪しき気色は感じない。まさしく賊の出で立ちであるものの、悪い連中ではないのだろう。しかし、流れ者とは言い得て妙と言える。

 

 

「随分な言い草じゃのう。が、的を得ている! お主、名をなんという」

 

「おっとこいつぁ失敬。あっしは穴山、しがない行商でさぁ。んでこのでっかいのが」

 

「おら、小太郎って言うんだ。よろしくなぁお侍さん」

 

 

 穴山と名乗る彼はへらりと笑う。後ろにいる小太郎もまた、まん丸とした朗らかな笑みを浮かべた。

 

 

「それにしても旦那、いったい何の用でこの国に? 今ここいらは危ねぇ連中が暴れ回ってるって話だ」

 

「危ない連中、とな?」

 

「へぇ。今じゃどこかしこでも知れ渡ってる噂です。なんでも百鬼夜行を引き連れた六人の悪鬼とか」

 

 

 六人の悪鬼──紛うことなき英霊剣豪共のことだ。あれ程の大立ち回り、そこらの民が知っているのは当然だが、やはり真の脅威は理解していない。皆ただの噂としか捉えていないのは危険だろう。

 だが、例え彼らに恐れをなし身を潜めたとしても、それは全くの無意味。力なき民に出来ることなど、無きに等しい。多くの人々が手に掛けられる前に、彼らを葬らねば。

 

 

「まぁそんな噂が流れちまってるもんだから、あっしらも大繁盛! 刀も槍も防具も飛ぶように売れて、いやぁ英霊剣豪さまさまでさぁ!」

 

 

 胸中で決意を固める一心をよそに、穴山はやたらと上機嫌な様子である。なんでも武具の類が売れに売れているらしいが、よくもまぁそこまで売り捌くものだ。商魂たくましい、とはまさに彼のような男を指すのだろう。

 

 

「そいつは良かったのう。じゃがお主ら、あまり出歩かん方が身のためじゃぞ」

 

「へへっ! 心配なら無用ですよ旦那。あっしにゃ心強い相棒がいやすから。なぁ小太郎!」

 

「ああ。穴山さんはおらが守る!」

 

 

 えっへんと誇らしげに小太郎は胸を張る。確かにこれ程の巨体、加えて山盛りになっている荷を軽々と運ぶ膂力があればそれなりに戦えはするだろう。実際、あの妖共や英霊剣豪と出くわしてしまえば逃げるより他ないのだが。

 

 

「そうだ旦那! ここで出会ったのも何かの縁、せっかくなんで何か買っていきやせんか? 武器や鎧はもちろん、うんまい酒もありやすぜ!」

 

「ほお、酒とな」

 

「おっと! 食いついてきやしたね。こいつがまた良い代物で⋯⋯んお?」

 

 

 素っ頓狂な声を上げながら、穴山は手を止めた。それは、彼だけではない。町の人々は皆動きを止め、空を見上げていた。

 

 突然、闇が満ちていく。真昼の空が紅く染まり、妖しげに輝く月が民衆を見下ろしていた。そして肌身に感じる妖気と重くへばりついたような殺気。

 噂をすれば、とはこのことだろう。幸い場所はそう遠くはない。今度こそ、終止符を打つのだ。残った酒を一気に流し込み、一心は立ち上がる。

 

 

「だ、旦那?」

 

「お主らはどこかに身を潜めておれ。この夜が明けるまではな」

 

「へ、へぇ⋯⋯。けど旦那はどこへ?」

 

 

 この異常な夜を皆畏れる中、一心が動じることはない。どころか、獰猛な笑みを刻む。

 酒は好きだ。三度の飯よりも酒を呑む方が余程幸福だ。だが不死の身より沸き上がる熱き火は⋯⋯この世の何よりも勝る、歓喜だ。

 

 常在戦場。この魂は、剣に魅入られし時より戦場にある。磨き、研ぎ澄まし、鍛え上げてきた剣を振るう瞬間こそが、葦名一心としての意義だ。

 

 不安げに見据える穴山を背に、一心は確と応える。

 

 

「なに───鬼退治よ」

 

 

 

 








問.なんで一心様は本来修羅じゃないのに炎を出せるのか?

答.これは様々な考察があると思いますが、個人的に気になったのが仏師の左腕です。「切ってくださった」とあるように、当時修羅に堕ちかけていた仏師の腕は一心により切り落とされています。そして一心は仏師の背負っていた業(怨嗟)の一部を引き継いだ(というより無理矢理背負った?)

これにより一心は全盛の、つまり国盗り時代には使えなかった怨嗟の炎の一端を扱うことが可能になったのではないか、と個人的に解釈しています。事実、仏師が怨嗟の鬼となるのは一心が死んだ後。つまり一心の背負っていた怨嗟は拠り所を失い、本来の拠り所であった仏師の元へ戻り、結果として仏師は怨嗟の鬼となってしまったのでは、と。

これなら修羅ルートの狼が炎を帯びるようになったのも何となく納得が行きます。つまり仏師→修羅一心→狼というように、怨嗟の拠り所となる人物を殺めるとその者が次の怨嗟を宿すことになる。よって狼は怨嗟の炎(修羅の炎)を宿ったのだと思います。

ですが当然、ガチ考察勢ではないトーシロの解釈なので穴だらけもいいところです(左腕落とした時点で仏師生きとるやんけとか)
まぁ、その、何が言いたいのかっていうとですね⋯⋯一心様スゲーってことです(思考停止)


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「おおおおおっっ!!」

 

「⋯⋯」

 

 

 紅の夜に木霊する、剣と槍の煌めき。火花散る死闘は見る者全てを滾らせる程、灼熱を帯びていた。

 疾風が如き槍が迫る。それも一つや二つではない。無数の突きが心臓を抉らんと闇を駆け抜けていた。生半な技量では捌けぬ技はしかし、いとも容易く封じられる。その突き全てを弾き、エンピレオは距離を取った。

 

 

「どうした。先程から芸のない。それとも我が槍術の前に手も足も出ないか?」

 

「⋯⋯」

 

 

 彼に対峙するは身の丈程もある十文字槍を構える一人の僧。不敵な笑みを浮かべ、まさしく槍のように鋭い闘気を漲らせる。

 名を宝蔵院胤舜。『その槍神仏に達す』とまで謳われた、無双の槍術の担い手である。

 純粋な技量のみで言えば、彼はどの英霊剣豪をも上回る。熟達した槍の技、磨き抜かれた戦いの作法。どれをとっても一流のそれだ。およそ人の達しうる限界、まさに無双の技を持っている。

 

 

「来ないのならば、こちらから行くぞっ!」

 

 

 疾い。いや、疾すぎる。脳が物事を考える前に、エンピレオは防御の体勢に移っていた。

 その突き、まさに神速。如何なる技をも捌く筈が、鋭い槍の切っ先は僅かながらに肩を掠める。これ程の槍術、もはや知覚する以前の問題だ。生じる殺気を読み剣を構えねば、いつしかこの心臓に達するであろう。

 

 だが、恐れはない。

 

 神の槍すら容易く超える剣を、この身体は知っている。あらゆる意味で、真に恐怖を覚えたのはただ一つ。如何に無双を謳おうともあの剣に⋯⋯あの男に勝る技など存在しない。

 

 故に───

 

 

「足りぬ」

 

「ッ!」

 

 

 突如肥大する殺気に、胤舜は一瞬息を呑んだ。

 

 この槍を向ける相手が人外のものとは理解している。サーヴァントといえ、あの男が纏う妖気は異常だ。いや、奴に限らず、この場にいる全ての者が常軌を逸している。四騎の英霊剣豪を相手取るなど、無双の槍術を持ってしても無理難題だろう。

 

 だからこそ、死力を尽くして戦うのだ。せめて、出逢って間もない彼女たちを護る為に。ならばこそ、全力で命を燃やそう。

 その不滅の覚悟を持ってすら、相対する剣鬼には空恐ろしいものを感じた。凄まじいまでの殺気、今までは本気ではなかったということか。

 

 

「足りぬ⋯⋯だと? 俺では役不足ということか」

 

「然り」

 

 

 短いその言葉を皮切りにエンピレオは迫る。間合いを一気に詰め、勢いそのままに斬り下ろした。尋常ではない速度に反応が遅れる胤舜だが、持ち前の技量でそれを補いはじき返す。あと一瞬出遅れでもすれば、今頃この身体は断ち斬られていたであろう。それ程までの、剣。速度も鋭さも、これまでとは段違いだ。

 

 

「言うだけのことはある⋯⋯だが!」

 

「⋯⋯ほう」

 

 

 それでもなお攻めの姿勢は崩さない。携える槍をより研ぎ澄まし、胤舜は神速の突きを放つ。向こうが本気を出すというのなら、こちらもそうするまで。限界を超え、更なる武の境地へと。

 どれもが必殺の力を孕むその槍を、しかしエンピレオは平然と防ぐ。はじき、避け、時には剣を振るう。それに応えるかのように胤舜の槍はより速度を増していく。もはや目に捉えられぬ程の剣戟が、今この瞬間繰り広げられていた。

 

 

(一騎だけでも討ち取らねば⋯⋯!)

 

 

 しかし拮抗しているように見えて、その実胤舜は窮地に陥っていた。無論、この剣鬼に劣っているということはない。問題は今置かれている状況だ。迫る鬼は、何も一人ではないのだから。例え一人討ち果たしたとして、背後の暗闇には三人もの英霊剣豪が居る。今は何故か不気味な程に静観しているが⋯⋯一瞬足りとも気は抜けない。

 故に、死ぬ訳にはいかぬ。ここで死ねば逃げた彼女達を追い、始末するだろう。それでは食い止めた意味がない。

 

 命を賭して、敵を討ち果たす。それこそが与えられた天命。無双の槍を持って、悪しき鬼共を穿つのだ。

 

 ならばこそ、ここで決める───! 

 

 

「朧裏月⋯⋯いざ参る!!」

 

 

 決死の覚悟を決め、胤舜は構えた。それは武を求め続けた胤舜が辿り着いた、文字通り無双の術。幻影のように浮かび上がる十一の形はやがて胤舜本人へ収束し、圧倒的なまでの"技"が完成された。

 

『朧裏月十一式』

 

 それこそが、宝蔵院胤舜を体現する究極の宝具。あらゆる技を凌駕し、如何なる太刀筋すらも凌ぎ切るまさに初見殺しの術。

 大気が震える程の技を持ってして、胤舜は一気に踏み出した。

 

 

「⋯⋯!」

 

 

 音の壁など容易く超えた渾身の突きを、しかしエンピレオは一切の防御すらなく⋯⋯その身に全て受けた。一撃が必殺の威力を秘める十一の槍を、まるで木偶のように。肉は裂け、心臓は貫かれ、鮮血を迸らせながら吹き飛んでいく。

 

 

「なんだ⋯⋯?」

 

 

 背後の木に激突し、力なく地に伏したエンピレオ。誰が見ても息絶えている、そう断言して相違ない。事実、胤舜も確かな手応えを感じていた。宝具を直に受けたのだ、生きているのがおかしな話。間違いなく、槍は霊核を打ち砕いている。

 

 だというのに何故、消滅しない? 

 

 

「⋯⋯見事。実に、見事なり」

 

「ッ!? 馬鹿な⋯⋯!!」

 

 

 意図せずして後ずさりしたことに、胤舜は気付かなかった。ゆらりと幽鬼のように起き上がるエンピレオを目の当たりにして、本能的に恐怖を抱いたのだ。

 有り得ぬ。この槍は確と霊核を砕いたはず。仮にそうでなくとも持ちえる技を全て叩き込んだのだ。人智を超えた魔物とて、無事で済むわけがない。

 

 

「無双を謳うだけのことはある。先の槍、全てを受け切るのは至難であろう。だが⋯⋯悲しいかな」

 

 

 静かな、それでいて色濃い殺意を捉えた胤舜は、寸分の狂いもなく槍を構えた。いつ、如何なる技が来ようとも防ぎ切る。今の自分にはその自信があった。

 

 身体に走る、鋭い激痛を感じるまでは。

 

 

「貴様は、真の無双を知らぬ」

 

 

 まるで、見えなかった。

 

 気付いた時には、時すでに遅し。胤舜の胴には、深い刀傷が刻まれていた。いったいどの瞬間に斬られたのか、知覚すら敵わない。存在そのものが消失した、そう形容してなお余りある剣。

 膝を着き、溢れ出る血を見て理解した。この男は、全く底など見せてはいなかったのだと。自分を値踏みし、力を計り⋯⋯本気を出すに値しないと判断した。それはまさしく、決して覆らない差があることの証明に他ならない。

 

 完敗だ。そして、敗北した者に残されている道はただ一つ。鬼よりもたらされる確実な死が、眼前に迫っていた。

 自身が斬り捨てた相手に向き直り、エンピレオはゆっくりと歩み寄る。血の滴る刃を構え、潔くとどめを刺そうと⋯⋯。

 

 

「おおっと! そこまでにして頂きますよ、エンピレオ」

 

 

 そうして刀が振り下ろされる寸前、いやに耳障りな声が耳に届いた。見ると、闇より現れる妖しげな男。他の英霊剣豪とは違う、異様な空気をまとう男───キャスター・リンボは胤舜の元へ近付いていく。

 

 

「ンン〜⋯⋯素晴らしい大立ち回りでしたねぇ、宝蔵院胤舜殿。ですが、これ以上勝手をされては困るのですよ」

 

「貴様は⋯⋯貴様達は⋯⋯一体⋯⋯!?」

 

「それは既に知っているはず。何故ならアナタもまた、英霊剣豪の一人なのですから」

 

 

 リンボが言い終わると同時に、胤舜の足元には紅い五芒星が輝いていた。一度囚われたが最後、肉体の自由は奪われ一切の抵抗は敵わない。ただでさえ深傷を負った胤舜に、この状況を打開することは不可能であった。

 

 

「さぁ、このリンボがつくり変えて差し上げましょう⋯⋯」

 

 

 亡霊のようなリンボの手が、ゆっくりと胤舜の胸へと向かう。何をしでかすつもりなのか定かではないが⋯⋯もう、今の自分にはどうすることも出来ない。卑しく笑う悪鬼の魔手を振り払うことさえ敵わぬ。

 

 

(⋯⋯ここまでか⋯⋯)

 

 

 脳裏を過ぎる、この地で出逢った友と呼べる人間。彼女らは無事に逃げおおせただろうか。せめてもの、無事であればそれで良い。

 自身が守った者達を案じる胤舜に、リンボの魔手が触れようとした、その時であった。

 

 

「───寄ってたかってとは、どこまでも卑劣な連中よな」

 

 

 瞬間、空を走る剣。両者を分かつように飛来する刃は音もなく迫り、寸でのところでリンボは離脱する。

 直後に真空の刃が炸裂する。それは射線上の物体の尽くを斬り裂き、道を拓く程であった。こんな馬鹿げた真似が可能な者は、一人しかいない。

 

 暗い闇を斬り裂くような剣気を携え、葦名一心はその姿を露わにした。

 

 

「貴様⋯⋯」

 

「また逢うたのう、英霊剣豪どもよ」

 

 

 悠然と歩を刻む一心を前にして、英霊剣豪は身構えた。刹那の時ですら気を弛めることなど出来はしない。不死斬りの前では死なずの身体など無意味なのだから。

 人すら射殺す鬼の殺気だが、まるで一心は介さない。どころかそれすら斬り裂く剣気を揺らめかせ、刃のような眼光を放つのだ。

 やがて一心は胤舜の前に立つ。英霊剣豪のような、禍々しい妖気はない。研ぎ澄まされた、気高い剣気を彼から感じ取れる。

 

 

「成程、お主はまとも(・・・)と見える」

 

「何者⋯⋯だ⋯⋯?」

 

「なぁに、ただの爺よ」

 

 

 今にも飛びそうな意識をつなぎ止め、眼前に立つ一心を見上げる。今の胤舜にとって、葦名一心の存在は大きかった。サーヴァントとして、何より武を歩む者として、一心の纏う気というものは明らかに英霊剣豪とは異なる。それは一目見た瞬間からはっきりと感じ取れた。

 それはいわば、『武』そのもの。自身と似通い、それでいて天地の差がある。無双の名を冠するこの槍ですら、一心を超えることは敵わぬだろう。それ程までの、強者の気色。その身より溢れ出る剣気が何よりの証明だ。

 

 

「お主は下がっておれ。彼奴らは儂が斬るでな」

 

「⋯⋯無理、だ。奴らは不死の身、拙僧の槍ですら⋯⋯」

 

「知っておる。じゃが、儂は斬れる(・・・)のよ」

 

 

 一心が見せた剣を見て、胤舜はえも言えぬ何かを感じた。その剣はあまりに異様だ。どす黒い波動を纏い、見るもおぞましい妖気を携えている。およそ一心には似つかわしくない得物だが⋯⋯あれが不死を殺す手段だと言うのか。

 

 

「悠長に話している暇があるとはな」

 

 

 その瞬間、剣鬼が迫る。胤舜と相対した時とは比較にならない速さだ。本気も本気、是が非でも斬らんとする気迫。全開の剣が空を裂くが、しかしそれが届くことはなかった。ぎしりと、一心が構えた不死斬りがエンピレオの刃とせめぎ合う。

 容赦のない一閃だ。依然とは全く違う、一欠片の驕りもない剣。不死斬りの傷が癒えたのかは知らぬが、これならば興が乗るというもの。獰猛な笑みを刻み、剣を握る手にもより力が込もる。

 

 

「カカッ! 良い剣じゃ」

 

「ほざけ」

 

 

 それ以降、両者が語らうことはなかった。言葉など不要、ぶつかり合う剣があればそれで良い。一心が刃を飛ばすなら、剣鬼は神速の居合を放つ。そしてその尽くをいなし、返す。互いに一歩も引かぬ、文字通りの真剣勝負だ。

 例え悪逆を尽くした鬼だとしても、エンピレオに見上げる程の技があるのは事実。彼らの死合を目前にし、いつしか胤舜は魅入っていた。傷のことなど意に介さず、美しい剣戟に。武を志す者として、魅入らずにはいられなかったのだ。

 

 

(だが⋯⋯これでは⋯⋯!)

 

 

 だとしても、劣勢であることに変わりはなかった。如何に一騎当千の武を誇ったとて、枷があれば十全たる力は発揮できない。傷付き動けぬ胤舜を庇いながらでは、さしもの一心とて攻め入るのは至難の業だ。相手は剣聖に勝るとも劣らぬ至高天、一手仕損じれば刃が届く。不死たる一心が死ぬことはないが、しかし胤舜はどうだ。ただの一太刀さえ致命のものとなるだろう。

 甲高い剣の嘶きが響き渡り、熾烈を極める死合がひと度止まった。鍔迫り合いのまま、二人の剣客は鷹すら射殺す眼光にて睨み付ける。

 

 

「足手まといがいては貴様も形無しだな」

 

「抜かしよる。枷にもならぬわ」

 

「フン⋯⋯学ばぬ男よ」

 

「何?」

 

 

 一心に驕りなどはない。邪魔な思考は剣先を鈍らせ、斬れるものも斬れぬ。だからこそ、貪欲なまでに戦いへ身を投じた。迷いを捨て、驕りではなく誇りを抱く。自らの剣を信じ、魂を宿して敵を斬る。数え切れぬ程の戦場こそが剣聖たる所以なのだ。たかが手負いの英霊一人抱えたとてどうということはない。

 しかし、途方もない剣だとして、敵はそんじょそこいらの雑兵ではない。悪に染まり、血に飢えた鬼そのもの。通じぬ道理もあれば斬れぬ道理もまた然り、一辺倒の猛攻だけでは仕留めることは出来ぬだろう。無双の剣を誇る一心ですら、必ずしも斬れる訳ではないのだ。

 

 

「───そうれ、そこですよ」

 

 

 現れたる紅の五芒星はまたもや一心の身体を縛る。一度ならず二度までも、抜け出すのは何とも容易い。だが、だとしても動きは止まる。刹那の隙、もがけぬ空白。それが何を意味するか、解せぬ程一心は愚かではなかった。

 目にも止まらぬ、とはまさにこのことを指すのだろう。至高天の一閃は、過たず一心の右腕を断ち斬る。あまりに鋭い切り口故か、腕が分かたれてより数秒遅れ血が吹き出る程であった。

 

 

「ぬう⋯⋯やりよる」

 

「御仁ッ!」

 

 

 腕を失ったのは瑣末事。死合の中、得物を持たぬことが何より問題だ。不死斬り自体はそう遠くに離れ落ちてはいないが、みすみす取りに行くなど自殺行為。それを許す程、腑抜けた連中ではない。それにただの一歩でも離れれば真っ先に胤舜を狙うだろう。元よりこの場を離れることなど出来ぬのだ。

 剣聖に訪れる、絶対的な危機。さしもの一心とて、剣を持たぬとなれば力など発揮出来ようものか。同格の敵を前にしては尚のこと、果たしてどこまで立ち回れるのか。

 

 

「畏れたるはあの刀⋯⋯それを持たぬ貴方にいったい何が出来ましょう」

 

「あんたとは気ィ合う思たんやけど⋯⋯堪忍え」

 

 

 がら空きとなる一心へ降り掛かるは漆黒の意思。一切鏖殺、遍く全てを殺す技が飛来する。女将は紫電を、鬼は魔爪を。二つに一つなどという甘えを殺し、死を齎す様はまさに必殺。防ぐも避けるも出来ぬ一心目掛け、血濡れの殺意は迫る。

 如何に不死の身とはいえ、斬れぬ訳ではない。その身は人と何ら変わらず、刃を突き立てれば容易く貫かれる。鬼の如き技を受けたならどうなるか、想像に難くはない。

 

 無論、がらんどうに受けるつもりは毛程もない。例え剣がなくとも一心にはまだ"武器"がある。今こそ、それを使う瞬間だろう。

 

 

 

 

 ───なれども、この地に落ちたる剣は、何も一つではない。

 

 ───二天一流、零を求めるその意志は、剣聖のそれに呼応する。

 

 

 

「やあああっ!!」

 

 

 駆け抜けるは刀。

 迸るは魂。

 全霊の一振は悪鬼の技とぶつかり合い、そして弾き飛ばした。

 

 

「流石の一振⋯⋯ってところかしら。鈍じゃこうはいかないわね」

 

 

 現れたのは、女侍。凛とした剣気を纏い、それでいて熱い血潮を走らせる。

 

 宮本武蔵───江戸に名を馳せた大剣豪。二刀の技を操り、後々にまで語られるほどの英雄。史実と仔細こそ異なれど、その強さは紛うことなき本物であった。

 弾かれ、後退する二人の鬼。同様に武蔵も退き、胤舜を護るかのように剣を構え立つ。

 

 

「無事⋯⋯ではないみたいだけど、何とか間に合ったみたいね」

 

「武蔵殿⋯⋯!? 何故ここに!」

 

「ごめんなさい。でもあなた一人置いてく程、聞き分け良い訳じゃないので⋯⋯!」

 

「だ、だが⋯⋯立香達は⋯⋯!?」

 

「心配ご無用。彼女達なら大丈夫よ」

 

 

 逃がした筈の武蔵が現れ、大きく困惑する胤舜。奴ら相手では敵わぬと悟り、自らが囮となったというのに舞い戻っては意味がない。しかし、今の彼女は何かが違う。纏う気迫もそうだが、何よりその右手に持つ刀。異様な雰囲気を放つその刀身は、まるで一心の持つ不死斬りのよう。先の一撃をいなしたことといい、あれも死なずを殺す一振だというのか。

 

 その刀への関心は胤舜のみならず、一心でさえ抱くもの。見事な業物だが、それ以上に並々ならぬ魂が込められた一振だ。打った匠は余程の腕の持ち主なのだろう。

 だが最も一心が引き寄せられたのは武蔵の剣だ。実に鋭く、迷いのない一閃。女の身でありながら、自身に勝るとも劣らぬものと言えるかも知れぬ。それ程までの⋯⋯あの隻腕の狼にも似た可能性を本能で感じ取ったのだ。斬られた腕など気にも留めず、一心は彼女の隣に並び立つ。

 

 

「中々良い太刀筋じゃ! 武蔵、と言うたのう。良くぞ参った」

 

「貴方こそ。どこの御仁かは知らないけど、胤舜殿を守ってくれたのは貴方で⋯⋯って、その腕!」

 

「これしきのこと、取るに足らぬわ。それよりそこの坊主を頼むぞ」

 

「た、頼むって⋯⋯もしかして一人で相手取るつもり!?」

 

「然りよ」

 

 

 悪鬼羅刹の英霊剣豪をたった一人で相手取るなど、どれ程の手練であっても不可能だ。一度刃を交えたからこそ分かる、彼らの力量が尋常ならざるものと。馳せ参じたのも半ば賭けでしかなく、よもや勝てるなどとは思わないのが武蔵の本音であった。胤舜が生きているのなら良し。どうにか隙を作り、逃げおおせることが出来れば⋯⋯。都合が良いと言われればそれまでだが、だとしても胤舜を見殺しにするなど出来る筈もなかったのだ。

 故に一心が居たのは予想外であり、僥倖でもあった。どのような英霊かはさておき、奴らとは異なるのは一目瞭然。自分が参上するまで胤舜を守り通したのであれば、その力は英霊剣豪に迫るものがあると見ていい。事実、一心より溢れる剣気はこれまで見てきたどの剣客よりも凄まじいものだ。

 

 しかし、それも五体満足であればの話。片腕と刀を失い、抗う術を失くしたとあれば太刀打ちなど敵うまい。胤舜でも勝てなかった相手を、ましてや無手でなどと。

 

 

「斬る、だと? 腕も、得物も失った貴様など赤子と同義。そこの女が現れたのは意外だが⋯⋯かえって手間が省けたというものだ」

 

 

 是非もない。エンピレオの言葉は至極当然だ。これ程の敵を前に無手などと、例え武蔵の加勢があったとてまともに戦える訳もない。それに胤舜を庇いながらでは、どう足掻いても及ばぬ壁がある。

 嫌でもそれを理解しているからこそ、武蔵の顔は晴れなかった。先の戦いよりも上物を手にしているとして、あの悪鬼羅刹共に太刀打ち出来るのか。ただでさえ差が如実であるが故に、この戦況を覆すのは並大抵ではない。駆けつけたはいいものの、死ぬ率の方が遥かに高いだろう。

 

 そんな彼女を尻目に笑う一心。にやりと口角を上げるその顔には一欠片の焦燥もなく、並々ならぬ自信に満ち溢れている。まるで己の勝利を信じて疑わぬような、そんな面持ちだ。

 

 どういうことだ。エンピレオを含め、この場に居る全員が疑問を浮かべた。どう見ても勝機は薄く、勝てる見込みなど介在しない。片や剣と腕を失い、片や先に敗走した女侍。そこに加えて深手を負った坊主となれば、誰も彼もが死を免れぬと考える。だというのに、何故あの男は変わらず獰猛な笑みを刻むのだ?

 

 

「とんだ思い違いをしておるようじゃのう、お主」

 

「⋯⋯何?」

 

「いつ、得物がないなどと?」

 

 

 そう言い切った瞬間、地鳴りが起きる。地面は揺れ、大地に亀裂が走る。その根源たるは、一心。踏み付けた脚により抉れたその地面から、一心は何かを掴み取り出した。

 

 ───それは、かつて国盗り戦にて討ち果たした敵将の槍。離れた間合いより敵を穿ち貫く十文字なり。

 

 剣がなくとも、槍がある。槍がなくとも、拳がある。あらゆる流派を呑み込み昇華させ、己が技として肉体に刻む。それこそが葦名流の真髄なのだ。

 

 およそ片手では振るえぬそれを軽々と持ち上げ、一心は吼えた。

 

 

「さあ───血が滾ってきたわ!」

 

 

 

 

 








遅くなって大変申し訳ない限りです⋯⋯。何とか頑張って更新速度を上げていきたい(決意)

さてようやく武蔵登場ですが、なんか無理矢理出した感が否めません。次回で活躍させていきたいところ。



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