賢者の孫と事務次官の息子 (酒井悠人)
しおりを挟む
カートの父が格闘技を始めたそうです
「カート! カートは居るか!?」
アールスハイド王国のとある貴族の邸宅にて。
邸宅の主である男、ラッセル=フォン=リッツバーグが声を荒げていた。
「何でしょうか父上」
その声に応えたのは、その息子であるカート=フォン=リッツバーグだった。
「何でしょうかではないわ! 私は今日呼び出しを受けた。理由はわかるな?」
それを聞いてカートは舌打ちした。
カートの通っている高等魔法学院では、権力を振りかざし、他の魔法使いを害することは法律で禁止されており、破った者は厳罰に処されることになるのだが、カートは権力を笠に着た問題行動を起こし、父であるラッセルの耳にも入ることになったのだ。
「貴様何を考えている! 三大高等学院において身分を持ち出す事は厳禁である事は分かっているだろう!」
「お言葉ですが父上、それはその法がおかしいのです! 我々は選ばれた民です! 平民などと同列に扱われる事の方がおかしいのです!」
「カート……お前は……お前は何を言っているのだ……?」
ラッセルは、我が息子をまるで別の生物でも見るような目で見た。息子が何を言っているのか理解出来ない。こんな異常な事を言う息子では無かった筈だ。
しかし興奮したカートは止まらない。
「私は選ばれた人間です! 特別な人間なのです! なのに皆が俺を虚仮にし逆らう! そんな事が許されていい筈がない!」
「カート…………」
ラッセルは確信した。我が息子が狂ったと。そうしてる間もブツブツと独り言を喋っている。
「そうだあいつだ、あいつが出てきてからおかしくなった、女も思い通りにならないし、それに殿下も、殿下もあいつの味方をするならいっそ……」
「カートォォッッ!!!」
バキッ! グシャアッ! ゴン!
ラッセルが渾身の力を籠めてカートを殴った。
文官であり、殴り慣れていないはずの彼の拳は、まるでプロの格闘家のような鋭さと重さでカートの顔に叩き込まれた。
カートの顔から明らかに人体が発してはいけない音が鳴り、カートは受け身を取る事すら出来ず、半回転して頭の方から地面に倒れ込み、硬い床に頭部を打ち付けて意識を失ったのだった。
「その発言を看過する事は出来ん! お前への処分を検討する! 誰か! カートを部屋に連れていけ! 暫く部屋に閉じ込めておけ!」
父のそんな声も、気絶したカートには全く聞こえていない。
ラッセルとカートのやり取りを見ていた使用人は、カートを気持ち悪そうに見つめていたが、ラッセルに殴られた時はその拳の威力に戦慄し、警備の人間に運ばれるカートに哀れみの目を向けながら、こっそり医者の手配をするのだった。
ラッセルは殴っても全然腫れていない頑丈な手を握りながら呟いた。
「カート……お前は……どうしたんだ……?」
その翌日、リッツバーグ邸にある人物が訪れていた。
「これはシュトローム先生、お久しぶりでございます」
「ええ、お久し振りです。ここに来るのはカート君が学院の試験を受けて以来ですね」
彼の名はオリバー=シュトローム。
カートが通っていた中等学院の魔法教師であり、高等魔法学院を受験するカートに請われ、試験まで家庭教師をしていた。
両目を眼帯で覆っているが、眼帯で覆われていない部分は鼻筋がスッと通り、細面の顔は相当な美形の青年であると想像させる容貌をしていた。
「それで……シュトローム先生が何故こちらに?」
「いえ、カート君が自宅謹慎になったと人伝に聞いたものですから。元教師としては気になりましてね」
「そうでしたか……カート様は一体どうされたのか……私共も困惑しているのです」
「彼は私の事を教師として慕ってくれていました。私なら彼から話をしてもらえるのではないかと思ったのですが……」
「そうですか……今旦那様は御不在ですが奥様はいらっしゃいます。御伺いを立てて来ますので少々お待ちください」
「分かりました」
そう言って門番は邸宅に走って行き、しばらくすると、門番は年配の婦人を伴って戻ってきた。
「ああ、シュトローム先生! よくお越し下さいました!」
「お久し振りですリッツバーグ夫人。カート君の様子はいかがですか?」
そう言うと、カートの母であるリッツバーグ夫人は泣き崩れた。
「もう……もう私には何が何だか分かりません! あれほど忠誠を誓っていた王家の方にまであんな事を言うなんて……」
そこから先は言葉にならない。そんなリッツバーグ夫人にオリバーは話し掛けた。
「そうですか……それは一体どうした事か、一度話を聞いてみる必要があるようですね」
「先生……ですがカートは夫に殴られて気絶してから、まだ目を覚ましていません」
「えっ? あっ、そうですか。では、後日またお越ししますね」
そしてオリバーはリッツバーグ邸を後にした。
前世の記憶が覚醒する条件:死の淵から帰還すること
目次 感想へのリンク しおりを挟む