M.A.R.C.I.E (エーブリス)
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「M」


代償。
心の(精神の)目に、色覚異常が起こる。


ここに来て、これまでの血が滲むどころか血液が体内でなく体外を流れる程の努力が裏目に出てきた。ひとたび街に出ると、その全て…食べ物、洗濯物、その他日用品やその街並みそのもの…果ては人々の全てが無価値に思えてしまうのだ。

 

全てが「無駄」で溢れてる。

彼女以外、あいつ以外、ほとんどが価値のある存在に見えなくなっていく。

 

 

というよりもこんな街、最早ドブだ。

いっそのこと下水道が溢れて皆溺れ死んでしまえばここもスッキリするのに…と、一時の気の迷いだがそう思ってしまった。

 

この、狂気的な思考の何が悲しいか…自覚していることだ。

もしも無自覚ならば俺は普通でいられた…けど、狂気をしっかり認識してしまってはそうも行かない。

 

 

もし、彼女が俺の狂気を知って…もし、俺の元から離れでもしたら…。

 

 

 

 

「よう、マーシレス…元気か?」

 

「ああ、うん…元気だよ」

 

 

知り合いだったか、突然話しかけてきた男へ適当な返事を返したまま歩き去っていく。

 

 

…そんでもって、俺はその「どうでもいい奴等」の目線が怖い。

奴等がどんな目で俺を…俺達を睨むのか。それを想像しながら生活する理不尽が受け入れられない。

 

何かのギャグだ、興味ないと評しながらその実それの興味を気にする…。

 

 

だからこそ、俺達を侮蔑だか侮辱だかの目で見る奴等を一層殺したくなる。

 

 

 

 

―――――そう言う妄想だ。

実際は誰も俺を「一人」として見てない、俺がそうであるように…ま、さっきのは別として。

 

最早こんな場所に居ていられない、さっさと帰ろう。

…後に、頼まれた買い物を思い出すのはその途中の話。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえり、マーシィ。

卵は?」

 

「なかった、鶏が全員疫病にやられたとさ」

 

嘘だ…しかし後から事実にもなる。

というのも、実際に疫病で鶏が全滅してたのだ…行きつけの卵売りが。

 

 

しかしそれはどうでもいい。

今はこの、自宅にいるハズなのに感じるアウェー感が腹立つ。

 

頼まれたおつかいを忘れた罪悪感とか、そんな幼稚園児じみた理由じゃない。

繰り返す中で見た、彼女の苦痛や苦悶…結局、戦時中の記憶なのだ。

 

 

 

「…そう。

後、あなた宛に手紙が届いていたわ。―――これ」

 

「ありがとう…」

 

彼女から封筒を受け取り、手に持ったまま窓の外を眺めた。

街が見える…あの「ドブ」と一瞬だけ評した、あの街が。

 

今思えばドブで正解だったかも…実際、人の放つ気配というのが悪臭の様にも思えてしまうのだ。

 

 

「ねえ、マーシィ?」

 

「ん?」

 

彼女に呼ばれて、一度振り返った。

 

「これ…どう?

街の装飾店で買ったのだけれど」

 

 

少し照れ気味で話す彼女の手には、白と黒のハンカチがあった。

ピンっと広がったそれが持つ柄は…大きな白の中に浮かぶ黒。

 

黒が白の上で左右対称の幾何学模様を作っている。

…こういうの、なんて言うんだったっけか。

 

 

「自分で買ったの?」

 

「そう…でも、いいのを選べたのか自身がなくって…」

 

「ああ…」

 

もう一度、ハンカチの柄を見つめた。

周りのソレは該当する形を持たないのだが、たった一つ、中心にある柄。

 

まるで綺麗な蝶々だ、孤独だがそれだからこそ美しい。

 

 

「ああ、いい柄だな…」

 

「よかった…」

 

 

 

今の心境が穏やかであれば、彼女の微笑みに喜ぶことが出来たのだろうか?

もし、廻る時に埋もれた夥しい数の亡骸さえなければ…。

 

しかしその上で成り立つ(俺の中での)彼女の価値…いや、存在は大きい。

そして、ソレを奪わんとするモノも、とてつもなく大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――やはりだ、運命という死神は俺を生きたまま地獄に送る気らしい。

 

 



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「A」




























…どうして?


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    握った手を開くと、細かな灰が空へ舞い上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塵芥の蛇が行く末をじっと見つめ続けるが、とは言え周囲は灰の丘…いつしか黄昏の空の向こうへ、他の灰と混ざってしまった。

 

少し足を運ぶと突然ちゃぷっ…と、液体の溜まりに足を踏み入れた。

 

 

それは紺色の、酷く濁った液体。

かなり広いな…歪んでいるが一応長方形の形をしている。縦が4m、横が5m程だな…。

 

ともかくこんな場所を渡る気はない。

水たまりを避けるように回り道をすることにした。

 

 

 

 

 

――――何かに、足首を掴まれた。

何に?………色白の、細くて大きな手だ。

 

腕の生える先を見ると、気食の悪い白面が浮かんでいた。

 

知っている、深淵の説教者だ。

コイツは皆食欲に我を忘れて生者を見るや否や襲いかかるような奴等だと思ったが…この個体はそうでもないようだ。

 

 

しかし先程から、俺の脚を掴む以外に口をモゴモゴと動かすくらいしかしていない。

コイツは何を訴えている…?何を伝えたい…?

 

 

 

 

気味が悪かった…強引にその手を振り払い、だが再び掴もうとしたソレの手首を思いっ切り踏み潰した。

 

ゴグシャッ…と、骨と肉とが同時に潰れる音と共に、白面の腕は濁った沼へと帰っていった。

 

 

攻撃すれば奴等は食欲を思い出す…面倒になる前に、その場からさっさと立ち去ってしまおう。何よりこの沼の臭いは酷い、鼻が捻じ曲がって軟骨がへし折れそうだ。

 

だから、比較的速足で歩き去った。

 

 

 

 

ただ、何かすぐ後ろで這い上がる音がする。

きっと白面の虫だ、奴等の食餌に付き合わされるのは御免だ…。

 

そう思いながらも振り返ってしまった。

何があるのか知りもせずに…。

 

もし振り返って無ければ俺は足を止めなかった、足を止めなければ俺はそのまま何も知らなかった。

 

 

知らなくてよかった、見なくてよかった。

 

 

 

 

…虫じゃなくって、ずぶ濡れの“彼女”が居るなんて。

 

喉が詰まる。

そして彼女は、右腕を上げた…それは手首から先が、グチャグチャになってポッキリ折れている。

 

嘘だ、と…何度も呟いた。

先程の白面の虫が彼女?悪い談だ、まだ[イカの宇宙人が侵略してきて人々を発狂させた]なんてジョークの方が真実味がある。

 

 

腕の次に顔を上げ、バンダナと髪に隠れた眼が露わになる。

…それは憎しみと恨みに満ちきった眼だった。

 

その眼に射貫かれて、心臓が止まりそうになった。

 

 

すぐ近くで、ボトッ…何かが落ちた。

恐る恐る振り向くと、それは――――腐った、左腕?

 

肝が冷えて、咄嗟に左手を握ろうとするが感覚がない。

―――――気が付けば、顎が震えて歯と歯がぶつかり、ガチガチと音を立てていた。

 

 

そうだ、落ちたのは俺の左腕だ。

しかも義手じゃない…生々しい、というか生の腕だ。

 

それが沼の水によるものか、グチャグチャに腐っていく。

 

 

痛い、左腕が痛みだしてきた。

 

 

 

足音がひた、ひた…と。

彼女が不気味な程おぼつかない足取りでこちらに迫る。

 

逃げるため、後ずさろうとしたが…不意に、世界がずり落ちた。

いやちがう。俺が落ちたんだ…背中から。

 

 

灰の丘に背中を打ち付けても痛くはなかったが、今度は両足から痛みが湧き出てきた。

すぐに事態を把握できた、両足も腐って取れたんだ。

残ったのは右手だけ、ソレを使って地を這いずって彼女から逃げる。

 

…少しづつ、地を掴む右手が痛くなった。

 

 

依然、俺の目は彼女を見つめ続けたままだ。

暗殺者としての殺気じゃない、まるで怨霊のような殺気を放ちゾンビの様な足取りで来る彼女をずっと見ている。

 

恐怖で眼が釘付けなのだ。

それゆえか、腕の疲労すら忘れて何処までも這いずった。

 

 

 

 

…しかし、突如として落ちた左腕が動きだした。

俺と同じ様に地を這い始めたそれは、いきなりこちらに飛び掛かった。

 

一体どんな力を働かせたのか分からなかった。

あまりにも一瞬で…。

 

 

飛び掛かった左腕は俺の顔を握り潰せるほど強い力で掴んだ。

顎の骨が軋み、肉も千切れてきている。

 

逃走を一度止め、その左腕を振り払おうとするが、俺の右手は左腕の力に全く歯が立たず何もできていない。

 

 

そしてゆっくりと、左腕が人差し指と中指を立てる。

一件ピースサインの様に見えるが、よく見れば掌と手の甲が裏返っていた。

 

その2本の指先はそれぞれ、俺の目を指している。

「指す」が「刺す」に変わるのなど、時間の問題だ。

 

―――その先に突然、彼女が現れた。

変わらずに、俺を怨嗟の目で睨みつけている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  左腕の指が、眼球を潰した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 

酷い悪夢だ、ロッキングチェアごとひっくり返ってしまった。

寝ぼけが覚めたのを確認して、立ち上がろうとするが左腕と両足に力が入らない。

 

…まさかと思い、右手で左腕を探るが感覚が無かった。

ヒヤリとした心のまま両足を探っても同じだ。

 

 

 

―――一気に恐怖が湧き出てきた、アレは悪夢などではなく現実だったのか…!

逃げようにも、あまりに怖くて逃げだせなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、徐々に記憶が戻っていく。

―――ああ、そう言えば義手義足を外したままだったな。

 

寝ぼけは覚めてなかったようだ。

 

 

「マーシィ、大丈夫…!?」

 

「んぁ…ベルカ…」

 

やはり、ってか当たり前だけど、身体ごとロッキングチェアがひっくり返れば大きな音が出る。

 

ソレに驚いた様子で、ベルカが部屋に駆け込んできた。

 

 

 

   幸いなのか、亡霊の目はしてなかったし身体も生気に満ちている。

 

 

 

 

「いやぁ…少し寝ぼけてさ……ハハハ」

 

取り敢えず笑顔で答えると、彼女は安心してホッと息をついた。

 

 

「よかった…。

立てる?」

 

「寝る前に義手義足を外してたみたいだ…手伝って」

 

「分かった…。

何処に置いた?」

 

「うー…あ、ベッドの上だ」

 

 

彼女が俺の義手義足を持って来た。

それを接続部に繋げて、ようやく左腕両足にも力が入るようになった。

 

差し伸べられた手を使ってどうにか立ち上がり、衣服に付いた埃を払う。

 

 

「ありがとう」

 

「ええ…

もう、夕飯出来たわ」

 

「そか…」

 

 

 

…なあ?

お前は、ずっと…このままなんだよ、な…?

 

 

 

 

 

 

 



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「R」


決して、灰ならざる者。
それが名前。


 

 

今日、熊の死体を見つけた。

赤い斑点だらけの体に、顔は左右対称に裂けていた。

 

何かを怖れ、絶望した顔だ。

 

 

 

 

戦争以来、人と魔獣との格差は劇的に縮まりつつあった…獣は脅威ではなくなってしまうのだ。

 

近頃はこの中世ファンタジーの世界も鉛玉と硝煙に侵されている。国軍、盗賊等見境なく…例えるなら首輪の無い暴れん坊だ、今じゃコイツが一番の「獣」だろう。

 

 

既に、いつでもジャイアントキリングが成立しうる世界となってしまった。

例え剣聖でも、パラディンでも、時代の流れが分からぬ者はきっとこの熊と同じ運命をたどる事になるだろう…。

 

時代は変わりつつあるんだ。

 

 

 

「…変わらんな」

 

貧民街の治安は、戦争が終わって尚悪い。

相変わらず、と殺場ばりの喧騒でいっぱいいっぱいだ。

 

…嘗て、この街の片隅で一つの約束が生まれた。

男女の約束だ。その約束が為、男は目がくらみ女は変わった。

 

 

 

―――世界は狭い。

 

あるロシア系ユダヤ人の兄弟はそう言ったが、本当にそうだ。

 

けれどたった一つじゃない、個人がそれぞれの世界を持っている。

少なくとも俺は、自分含めてたった3人だけの世界に生きているつもりだ。

 

 

この世界に、外界からの干渉は決して許されない。

それは絶対に妥協しない、例え世界が壊れても…。

 

 

 

 

―――とはいえ、世間一般的にまず思い浮かぶ概念での世界は、既に不純物なのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようニーチャン、夜道を一人で歩けるのかい?ヒャハハ…!」

 

「歩けなきゃダメだよなぁ。

なんせこの国はずっと夜なんだぜ?」「だはは!ちげぇねえや!」

 

…最早この街とは切っても切り離せない存在、チンピラだ。

うち一人がアサルトライフルを担いでいる…熊を狩ったのはコイツ等だったか。

 

後、何故か頭がちょんまげなのだが、気にすることじゃないだろう…多分。

確か、白夜でもちょんまげは見かけなかったハズなんだが…。

 

 

 

「…」

 

「おい、シカトかよ?ええ!?」

 

先頭の男に胸倉を掴まれた。

もうこれで正当防衛は成り立つな…元々、そんな事気にするつもりもなかったのだが。

 

 

―――鳩尾に一撃、ボディーブローを叩き込んだ。

前かがみになった男の、ちょんまげ頭へ追撃として肘を叩き落とし、〆に自己流のボディスラムで背骨を粉微塵にしてやった。

 

それで即死した男の脚を掴んで、今度は嘗ての愛剣のように振り回した。

 

 

 

ぼきり、ぐちゃり、…肉と骨と臓物と脳味噌とが激しくぶつかり合い、辺り一面を綺麗に彩っていく。

 

クソが死に絶えるいい音だ、気分がいい。

 

 

「貴様らのッ…!せいでッ…!俺とッ…!あいつと、あいつはッ…!

何度もッ…!何度もッ…!何度もッッッ…ッ!!」

 

まだ、まだ足りない。

コイツ等のような存在は5593298578269243762337334455737回の繰り返しのうち、923885783273866回ベルカを…45827323209回スミカを殺した。

 

罰せられるべきだ、魂までも。

 

 

 

―――少し感情的になったが、気が付けば全て終わっていた。

 

 

 

「ひ、ひぃ…ひひ、ひぇ…やめ、やめて…」

 

訂正、あと一人残っていた。

義手を付け替え、ソレで男の右手の小指を掴む。

 

この義手なんだが、個人的に『ミンチグローブ』と呼んでいる。

 

 

「な、なんだよぉ…よせってぇ…」

 

「一つ、俺に手を出すな」

 

―――義手のモーターを起動し、手のひらに仕込まれた無数の刃をフル回転させた。

 

無論、小指は「ミンチ」と化す。

 

 

「ぎぃぃいアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 

「―――二つ、俺達に手を出すな」

 

今度は薬指をミンチにした。

 

 

「ァアアアアアアアアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!!!!」

 

 

 

「―――――三つ、死ね」

 

今度を首を掴み、喉元からゆっくりとミンチにした。

最後は(声帯を潰したので当たり前だが)声すら出さず、やがて首が転げ落ちて死んだ。

 

 

 

…幸い、服は汚れていない。

不思議なもんだな。

 

しかし当然血だらけの義手は仕舞い、生活用のモノを取り付けた。

 

 

 

この先は…日本で言う歌舞伎町のような場所だ。

とにかくそういう店が多い。

 

ここの何処でも、何処を見渡しても露出の多い売女どもが客引きをしてる。

俺にもそう言った類いの奴等がすり寄ってきたが、相手をせず歩き去るだけだ。俺はもう、あいつ以外の女体になど触る気すらない。

 

きっとこの中に、俺の後ろ姿へ中指を立てる者もいるだろう。

 

 

 

 

やがて下品な街を抜けて、森に入って少々歩けば俺達の家だ。

…そしてこれを前にして、あの男が目を覚ます。

 

 

 

 

 

  ――――ドアを開けると、外とは正反対の温かい空気があった。

 

 

彼女が俺を迎え、笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

男の名はマーシレス。

名前ばかりの、弱々しくてメソメソ泣くだけの軟弱野郎だ。

これが男か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が名は「lAW ShaRK」、見張りであり断罪者。

 

 



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「 」

「核(CORE)」から抜け落ちたソレは「領域(ZONE)」。



 

 

 

 [薬品投与シーケンスを開始]

 

マッドサイエンスのテンプレのような単語を発音する電子音声が聞こえた。

ロボアームに取り付けられた注射針が俺の首筋に近付く。

 

 

「…フゥゥゥ」

 

コレ、昔ながらの雇われ仕事なんだがな。

…なんでこんな事をするか?金…いや、憂さ晴らしか。

 

 

しかしまあ金が欲しいのも一応事実だ…家の金を賭博で潰したくない。

 

とは言ってもだな、24件…出禁にされた賭博場の数だ。

殺されかけたのもあったしその時は暴れ回ってもよかったが皆(家族)に迷惑かける訳にもいかない、稼いだ分と「二度と近づかない」という誓約を結んで毎度毎度事なきを得ていた。

 

別に金欠でもなし、金に執着はない。

あんなもん、いくら積み上げようが無駄だ…必要分とその5割増しほどあればいい。

 

 

「…あー、やだやだ」

 

賭博をやった理由?憂さ晴らしだよ、タダの。

出禁になった理由?強化人間パワー全開にしたからさ、負けたくはないんでな。

 

 

 

「ッ…」

 

ぱちっ…という音をたてて、注射針が俺の皮膚を貫いた。

そこはかとなくだが、確かに液体が体内に流れてゆくのを感じる。

 

 

――――結局ただそれだけ、だった。

当たり前だ、ただ“制御用ナノマシン”を身体に入れただけだからな。何を制御するのか全くもって分からんのだが。

依頼主を信用するのならば、の話ではあるが。

 

 

 

『ご苦労様…とは言っても、仕事はこれからなんだけれどね』

 

今の、イラつく声と口調をした男が今回の依頼主…雇用主?だ。

安定の財団(アイザック)なんだがな。

 

「思いのほか早く終わったな」

 

『まあ、ね。

やりたい事は前にやったし…そのせいで今は出来る事が少ないんだ』

 

 

前…ああそうだ、大戦のどさくさに紛れてアップデートしたんだってな。俺の身体を。

随分と神経質な身体だ…おまけに左腕,両足が出来ていない未完成品という追い打ちまでかけてきやがってる。

 

「今は?

また今度何かやるの?」

 

身体の事思い出して腹が立ったので、あからさまに訝しそうな顔を作って、財団の言葉を聞き返した。

―――しかし俺の顔、奴は認識しているのか?

 

『…さあ?

君次第、と言っておくよ』

 

「あっそ…」

 

相変わらず、人を苛立たせる。

コイツという人間は――――――おっと。曰く、人間だったのは昔だったな。

 

ふと「顔を見せない奴を信用できない」なんて言葉を呟きそうになったが、思い返してみれば自分も人の事を言えない過去がある。

 

 

 

何はともあれ仕事をしたい、態々ハローワークの感覚でこんな変態外道の巣窟へ足を踏み入れたのだから…ちゃんと憂さ晴らしになればいい。

 

持ちこんだ荷物を手に取って、手術台から立ち上がった時の事だった。

 

 

『あ、そうだ。

というか君…殺せるのかい?』

 

財団に問われた。

 

 

“殺せるのか?”

そう問われてしまうのも分かる…奴等は―――俺の憶測ではあるが―――あの時俺を監視していた、というより現在進行形でもある程度している。

 

人の些細な感情を解するような奴等とは思ってない…が、(おそらく体内の随所の機器か、血液中のナノマシンによって)精神状態の分析という形で此方の心境を悟っている……のだろう。

あまり論理的な事は言えてないが、大体合っている気がする。

 

 

 

 

 

それはそうと、結果だ。

人を殺せるかって――――――そりゃ。

 

「…問題ない」

 

勘違いされては困る、有象無象の他人が殺せない?

冗談言っちゃいけない…今も昔もそこはドライで居られてる。

(昔…とは言うが大体5、6年程前からだが)

 

 

ただ………ただ、アイツに死なれるのは、もう…やだ。

 

 

 

 

でもやはり、少しだけ不安が残る。

いつもそうだ…俺という人間は、いっつも自分を肯定出来ていない。

 

自分に否定的になるおかげで、毎度災いを呼び寄せる。

主に自分…時に(それも最悪な形で)自分の“世界”に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………1か月程の仕事から1週間たった今ならハッキリと言える。

また、自分が見出した答えを失いかけている。

 

 

仕事で殺した奴は、分かりやすく酷い…というか醜い男―――たった一言で言えば下種って呼べるような奴だった。本当に“人間臭い”…それも「良くも悪くも」では無くて「悪い意味で」という風に…殺しやすさも相当だった。

 

 

それだけで済めば、どれ程に…。

 

 

「…」

 

「…父さん?

本当に大丈夫?

すっごい上の空だったよ?最近そんな感じだって聞いたから様子見に来たけどさ…」

 

 

「ッ!

ああ…大丈夫だ。っと、紅茶冷めちまったな…まあ飲み時か」

 

「―――…ねえ、いっつも思うけど、そのティーカップの持ち方どうにかならない?

見るたびに笑いそう」

 

「気にせず笑え、気にしたら禿ると思え」

 

「禿るって…」

 

「ハゲに性別は無ぇ…男だって女だってハゲはハゲなんだ、以上」

 

 

変な話でちょいと熱くなったので、冷めきった紅茶を喉の奥へ一気に流し込む。

こうも渋い味のモノを飲んでいると、安っぽい甘さが懐かしくなる…例えば、そう、コーラとか。

 

だが、仕事中飲んでいたコーラの味と一緒に胸糞悪い記憶もよみがえったせいで、またうんざりした気分に悩まされる羽目になる。

 

 

 

しばらく無言の時間が続いた。

スミカも此方の様子を窺うように、じつと見ているだけで特に一言も喋ろうとはして来ない。

 

この文章だけだと、俺が娘に疎まれているようにしか見えないのだが…まあ間違ってない、と言いたいがそうだったら今彼女は目の前じゃなくて自分の勤務先の研究施設にいる。

 

あの、中世ファンタジーをぶち壊しにかかっている…えらく20世紀チックな建物だ。

旧ソ連染みた建築は嫌いじゃないし好きだがね。

 

 

俺も俺で、彼女の研究内容を(俺じゃ到底理解できなかったので断片的だが)思い出しつつ、鳶が鷹を生んだなと…多少の羨ましさを含みつつ嬉しく思っていた。

 

同時に、自分の経歴がいつしか彼女を妨げるのではないかと不安になる。

 

 

「…また暗い顔した」

 

今のスミカの発言は、ぼそっとした小さくて細い声の…所謂独り言だが、どうも“耳が良すぎて”拾ってしまったようだ。

 

 

…自分の左手を見た、あの無機質なヤツだ。

よくもこんな身体で妻を、子供を持とうと考えたなと…自己否定が極まったような自虐的思考をしてしまう。

 

 

 

やはり無言が続く。

どうやら茶を飲み干したようで、そして茶菓子も切らしたので彼女は手持ち無沙汰なわけで、もじもじとティーカップの持ち手を弄っていた。

 

そして急に思い出したように、こちらへ顔を向ける。

 

 

「ねえ、父さん…」

 

「なんだ?」

 

唐突な問いかけに、思いのほか冷静に反応出来たような気がした。

だが、この後すぐにその冷静さを大きく欠くことになる。

 

 

 

 

 

「…あの戦いの最後、何を見たの?」

 

 

 

 

 

 

…恐ろしく正確に、俺の不安の核心を突いて来た一言だった。

いや…多少誤りがあるのだが誤差だ、最初から最後まで…ずっと同じような物を見ていたのだから。

 

 

「…地獄、だよ」

 

どうにか絞り出せた答えが、このありきたりで曖昧な答えだ。

地獄など…あの旅の中でいくつもあったしスミカもそれを見ていた。

 

 

「地獄って、どんな?

絶対そこらの死線の連続なんかじゃない、そうでしょ?」

 

これ以上の会話が、とても辛くなった。

続けていられない…逃げたい。

 

「………出来る事なら、言って欲しい…言って、楽になれるのなら…」

 

「…」

 

「…痛いのを我慢させるのは、ごめんなさい。

でも…――――」

 

 

無言で席を立ち、スミカへ背を向けた。

もう何が怖いのか分からない…有るのは、得体のしれない後ろめたさへの恐怖だけだ。

 

 

 

「…もう帰りなさい、寮の門限があるんだろ?

父さんはちょっと………」

 

手が震え、鼻の奥から喉あたりがゾッと冷え、動揺しているのが明らかな状態だ。

 

「ちょっと、何?」

 

 

「…ちょっと、用事を思い出したから」

 

逃げるように、早歩きで立ち去った。

だが家に帰れるかと言えばそういう訳にはいかず、だが立ち寄る当てもない。

 

昔っからの仕事仲間は論外だし、カムイ一行の同僚には碌に話せる奴もいない。

良くてモズメだが、アイツは今じゃ王城住まいで碌に会えるワケないし、そう言うのは一番やっちゃいけない裏切りに繋がりそうにも思えた。

例えその気が最初こそなくとも、何かが崩れれば脆く砕け去ってしまう…どうせ俺なんて、その程度だ。

 

 

いいよな、アイツらは…易々と固い誓いを結べて。

どうせ各々の家で幸せにやってのけているのであろう一行メンバーの顔を思い浮かべ、自分の惨めさが身に染みた。

 

これも全部…。

 

 

 

 

「ッ!」

 

一瞬、誰かの笑い声が聞こえた。

…いつの間にか森の中だ。こう言う所の開発は進んでいないようだ。

 

 

「誰だよ…誰か、笑ったか…?」

 

しかし見渡しても何も見当たらないし、“気配”も感じられない。

幻聴だったようだ。

 

そんな物にカッカしていたと思うと惨めさが加速する。

 

 

 

また行く当てもなく、何処かを彷徨った。

しかし…今度は幻聴ではない、“気配”もある、影も見かけた…何かがいる、何かがある。

 

久しく感じていなかった感覚を思い出していく…。

 

 

“気配”によれば周囲を取り囲むように3、4体…体感でも鋭く感じられる程の気配だ。

内一匹がもうすぐ見える…すぐそこの、あの木の後ろ。

 

 

あの感覚に震えているのか、身体がとても…とてつもなく熱い。

チラリと視界にかぶせられたディスプレイの表示に目をやると、体温指数がえらく非現実的な事になっていた。

 

 

「…ァァァァ”ア”ア”ア”…ッ!」

 

 

戦意がこれでもかと刺激される…身体中に走る熱と痛みがそうしているのか。

最早襲撃者が何なのか、そんな事はどうでもよくなってきた。

 

 

戦わせろ、さっさと出て来い。

 

 

「マ”ァ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!」

 

ホントに体幹で分かるぐらいに堪忍袋の緒が切れ、叫びながら“敵”へ駆け出した。

 

 

 

 

――――――――不味い、と思った時にはとっくに手遅れだった。

ブレーキがバラバラにぶっ壊れてた。

 

 

 

 

この瞬間、この場所は【静かな暗い森】という肩書から【凄惨なる殺人(キル)[“ゾーン”]】という物騒な烙印へと書き替えられた。

 

 

 

 

なりふり構わず、敵へと爪を振り下ろした!

防御に使った斧か何かを丸ごとバラバラにして、次いで右から迫る別の敵を腕のヒレ状のカッターで斬り裂く。

 

得物をブツ切りにされて困惑しているヤツをそのまま蹴り飛ばし、自身もすぐ近くの木までひとっ跳びする。

 

真っ直ぐな木のど真ん中に着地して間髪入れずにまた別の木へと飛び移り、そしてまた別の木へと飛び移るのを高速で繰り返す。

 

 

無様に背中を晒している阿呆を後ろから爪で貫き、そのまま臓器(おそらく心臓か肺)を引きずり出した。

血でてらてらとしているソレを投げ捨て、殴りかかったソイツの拳を逆に握りつぶし、手を放さぬまま対の手で胴体へ執拗にパンチを繰り出す。

 

 

何度血を吐こうが、臓物が潰れようが構いなく、気が済むまで殴り続けた。

 

 

ボキリ―――――音からして背骨が逝ったらしい。

最早立つことすら叶わないソイツの身体を投げ飛ばし、トドメにヒレで真っ二つにした。

そうバッサリ…心地よいくらいにバッサリと。

 

 

 

 

止まらない…求める本能が止まらない。

このまま何処までも戦えそうだ…いつか息の根が止まるまで…!

 

 

 

どれだけの血が飛びかっただろう、どれだけの肉が引き裂かれただろう。

どれだけの臓物が零れただろう、どれだけの脳が漏れ出しただろう。

 

どれだけの眼球が潰れ、どれだけの爪が割れ、どれだけの毛が毟られ、どれだけの皮が剥がれ、どれだけの歯が砕け、どれだけの神経が悲鳴を上げ、どれだけの、どれだけの、どれだけの―――――――――。

 

 

 

 

――――――どれだけの絶望を感じたか。

 

 

 

 

ああ、今なら分かるさ。

あの地獄はまだ…まだ終わってすらなかったのだ。

 

そうだ、そもそも何が根拠で終わりがあると思ったんだ?

人の生き死にに、「あり得ない」がある事などッ…。

 

 

 

 

高速で迫る木々を避け続け、我が家へ走った。

見える、見えてくる俺の…俺らの家。

 

形の歪んだ鍵を鍵穴に刺し、こじ開けるかの勢いで施錠を外した。

 

 

「ッ!!」

 

 

必死でベルカを探した。

…この時間だ、もう眠っているのは分かっていたのだが…いや、本当の事を言うと一瞬頭になかった。

 

焦りのまま探し求めるのだから、思考が及ぶはずもない。

 

 

 

だが、代わりに…今の俺にとって何よりもトドメになり得るモノを見た。

 

異形――――――それを見た瞬間に、全身を急に凍らされ身動きが取れなくなるような感覚が迸った。

 

 

 

 

 

 

―――――鏡に映る異形、おまえ(おれ)が人殺しの化物だよ。

 

一周回ってしまったのか、今の己の姿を冷静に見つめる事が出来た。

筋張った、昆虫を思わせるような気食の悪い体表に…だが歪な顔と合わせて見れば鳥の化物の様にも見えない、どっちつかずの異形。

 

そしてよく見れば、その全体が、嘗て自分を蝕んでいた“うみ”の乾燥したものだと分かった。

あの膿だ、あれが乾燥して固まって…それがまるで鎧か何かのように…。

 

 

…下顎が震えだした。

飛蝗の顎の様に左右二つに分かれた肉食的な下顎が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

膝を付き、声にならない悲鳴を上げた。

それが最後となり、ぷつりと意識がなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

「…マーシィ?」

 

「―――…何だ?」

 

 

「…何でもない。

少し、呼んでみただけ…あまりにも動かないから…」

 

「ああ、悪かった…大丈夫だよ」

 

 

 

「…………そう」

 

「大丈夫には、見えないってか?」

 

「…ええ。

やっぱり……」

 

 

 

「もし、迷惑だったら…」

「そんな事、ない…!」

 

「っ…。

出てたか…声、に」

 

「…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、マーシィ?」

 

「なんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナンデコロシタノ?

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ッ!!?」

 

夢のナイフを持った手を振り払おうとして空を切り、現実に戻った。

目覚めると暗いままで、しかしベルカは調理場で朝食の準備をしていて…ただ、日常があるだけだった。

 

全部、悪い夢だったってワケだ。

仕事も無かった、昨日?はスミカとも会ってない、そして飛蝗と鴉の衝突事故なんかは起こってすらいない。

 

 

まああんな悪い冗談があるわけないか。

それこそあの戦で燃え尽きた膿が今更出てくるなんて―――――――――――。

 












































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