ドラクエⅦ 人生という劇場 (O江原K)
しおりを挟む

若い勇者たちのように

『・・・あと少しで魔王を倒すチャンスだったのに!あたしなんか放っておいて

 攻撃していたらあんたは世界を救った勇者になれた。とことんお人よしなのね』

 

『ぼくは・・・勇者になんかなりたくはなかった。そう、きみのために生まれた

 どんなものからもきみを守る・・・ずっとそんな存在になりたいと思っていた』

 

 

 

 

あの最後の戦いからもう一年半。こうして夢に出てくることも多いけれどもっと昔の

出来事に感じられる。ぼくは海岸の静かな場所に寝転んであくびをしながら腕を伸ばす。

ほとんど人なんか来ない、誰にも邪魔されずにのんびりできるいい場所だ。港では

この村で一番大きな船が出港の準備を進めている。今度は一週間くらいの漁だろうか。

ぼくの父さんが船長で、村の漁師たちはみんなこの船に乗っていく。ぼくはそれを

遠くから見ているだけだ。いっしょに漁に行くどころか手伝いもしていない。

ぼーっと賑やかな景色を眺めていると、誰かが近づいてくるのが見えた。

 

「おお、アルスじゃねーか。こんなところで一人・・・どうした?」

 

「ホンダラおじさんか・・・おじさんこそそろそろ船に行ったほうがいいんじゃないの?」

 

旅を終えたぼくは漁師にはならなかった。父さんや周りの人たちは『世界を救った勇者が

村の漁師じゃもったいない』と口を揃えた。それでもぼくが望むならいつでも待っていると

言ってくれた。なかなかその気にならないでいると、ぼくの代わりにおじさんが

漁師になりたいと言い出したのだ。いまは一番下っ端の見習いとして働いている。

 

「海が荒れるかもって出港が遅れているんだよ。兄貴・・・お前の親父の勘は当たる

 からなぁ。何年か前のアミット漁の豊作のときは成功の予感が、逆に世界が魔王に

 封印される直前は嫌な予感がしていたっていうほどだからな、まさに漁の天才だぜ」

 

「ふーん・・・漁師になるために生まれてきたってことなのかな」

 

人はみんな何かのために生まれてきた、ぼくが数多くの地を旅して確信したことだ。

父さんのようにすぐにそれを見つけられる人もいれば、おじさんのように時間が

かかった人もいた。いつまでたってもわからない人だってたくさんいるだろう。

 

「今日は特に何も予定はないのか・・・まあいいんじゃねーか?お前はこれまで

 働き過ぎたんだからな。そのぶん俺がしっかり働いてきてやるからよ。ずっと

 遊んで暮らしてきたんだ、そろそろ真面目に働かんと・・・そう気づかせて

 くれたのはお前のおかげだ。だからいまのうちは俺に任せな」

 

「・・・ありがとう。ぼくがプラプラしていても何も言われないのはおじさんが

 父さんの近くにいるからだ。おじさんが働くようになって父さんはとても喜んで

 いるからね。ぼくをどうにかするってところにまだ気が回らないんだよ」

 

「ハハハ・・・違いねえ。だから安心して気のすむまでとことん遊んできな、

 俺と違ってお前は選ばれた人間だからな。結局のところ俺には才能がなかった。

 遊び人としても、詐欺師としてもな。ニセの神の城に乗り込んでその後死にかけて

 ようやくわかった。コツコツ働くしかなかったんだよ。だがアルス、お前なら

 これから一生遊んで暮らしたって誰も文句は言わねえしそうする力もあるんだ」

 

一生遊んで暮らす・・・か。確かに気楽でよさそうだ。でも何のために生まれてきたと

聞かれて、自分の気の向くまま遊び呆けるため、胸を張ってそう答えられるだろうか。

何となくぼくは嫌だな。誰の役にも立たないむなしい人生だと思う。

 

「じゃあそろそろ行くぜ。気が変わって船に乗りたくなったら兄貴に言いな、大喜びで

 連れて行ってくれるだろうよ。ただ・・・そうなるとそのぶん人が余って俺が船を

 降ろされちまうかもしれないし・・・うーむ・・・」

 

おじさんが頭をぽりぽりと掻いたままいなくなった。口にはしなかったけれど最近

ぼくに元気がないと思って近づいてくれたんだろう。船に乗りたいのに言い出せずに

黙っているんじゃないか、そこまで心配してくれたのかもしれない。母さんや

村の人たちもぼくに優しく接してくれる。じっくりやりたいことを探せと。

そう、いまぼくは何をする気も起きない、ちょっとした無気力状態だった。

 

 

「時間はたっぷりあるし・・・昨日どこまで読んだっけ」

 

ぼくはとても厚い本を取り出した。遥か昔の勇者たちの活躍が書かれた本だ。

ぼくたちが小さいころ見つけた本で、子どものときはいまよりも重かった。

この本がどんな本であるか、ぼくたち三人の間でも意見が分かれた。

 

 

『こりゃあ面白れぇ!城の難しい本よりもずっと読んでて飽きないぞ!』

 

『でもあまりにも作り話が過ぎるわ。魔物だの呪文だの・・・それに』

 

『世界にはこの島しかないのに、そう言いたいんだろ?ケッ、これだから女は

 夢がないんだ。なあアルス、お前ならオレと同じことを信じているだろう!?

 そんなはずはない、きっと世界はもっと広いんだってな!』

 

グランエスタード城の王子キーファ。今思えばこの本との出会いが彼を冒険へと

導くきっかけだったのかもしれない。一方もう一人のぼくの友だちはやや冷めた

表情で本の信憑性を疑っていた。とはいえ目つきは鋭かった。自分とキーファ、

どちらの言うことに同意するのかとぼくに迫っていた。

 

『さ・・・さあ。ぼくにはわからないな。もうちょっと読んでみないと』

 

二人は不満そうにしていたが、ケンカにならないためにはこう答えるしかなかった。

ただ、この本を手に取ったときぼくにはなぜかわかっていた。これはエスタード島の

ものではない、最低でも数百年は前に書かれたものだと。そして全てが真実の歴史、

実際に起きた出来事と実在の人物たちの物語であると全く疑わなかった。

 

『ふん・・・誰に対してもいい子でいたいのね、アルス。でもあんまりみんなに

 優しいのもどうかと思うわ。特にこのバカ王子にはハッキリと・・・あら?』

 

『ふざけやがって。わがままお嬢様にこそ厳しく言ってやれ・・・むむっ!?』

 

後から聞いた話で、このとき二人は突然目の前が眩しくなって倒れそうになったらしい。

その光は青くて、結局それが何なのかはわからずに錯覚だという結論に達したけれども

さらにその後、ぼくたちが不思議な冒険を始めてしばらく経ち、すでにキーファが

いなくなってから眩しい光の正体が明らかになった。なんとぼくの腕、どこでつけたか

わからないアザから放たれていたのだ。このアザこそが勇者の証だったと旅の途中、

魔物の脅威に苦しみ勇者を欲する過去の世界でそれを知ることになったのだ。

 

 

(・・・ぼくたちが旅した過去の世界よりもずっと昔、その時代の勇者たちの記録が

 このアザに反応した・・・そんなの気がつくはずがないよ)

 

世界に一つの島しかなかったとき、そこは平和そのものだった。魔物なんかいない。

実は漁で遠くまで向かうときにごく稀に出没する魔物がいたのだが、数が少なく

漁師たちでも簡単に倒せてしまうほどだったので魔物とは認識されなかった、

父さんたちからそう聞いている。突撃魚やおばけヒトデ相手ではそれも無理はない。

エスタード島が封印されてから後になって危険な魔物たちが増えたのだ。

 

だからこの本に登場するドラゴン、ゾンビ、怪人たちの存在は現実的ではなかった。

それらを倒すための武器や身を守るための防具、対抗手段である魔法の数々。

これを何から何まで信じろというのは難しい話で、さすがのキーファも全部を

ほんとうのことだと思ってはいなかった。自分が気に入ったところ、都合のいい

箇所だけを選んでいたように見えた。派手で真に迫る戦闘描写を特に好んでいた。

 

 

(さて・・・今日はここから読もうかな)

 

今はもうこの本が誰によって書かれ、どうして幼い日のぼくたちに見つかるように

置かれたのかを知っている。寿命がないというモンスター人間と呼ばれる人たちの

一番高い地位にいる人がそれを書き記した。そしてやがて旅立つぼくたちを待ち受ける

戦いの日々に備えさせるために用意していた、それがすべての真相だった。

 

子どものころはただの物語として楽しく読むこともできたし、旅の間も空いた時間は

この本を研究することで剣技や呪文のヒント、それに魔物の弱点を知ることもできた。

昔の勇者たちが試練にぶつかったときどう立ち向かったかも書かれていて、何かに

行き詰ったり心が折れそうになったりしたらぼくは本を開いて助けを求めた。

 

魔王はもういない、なのにどうして最近になってぼくはこの本を必要としているのか。

そこまでの期待はしていなかった。だめで元々、そう思いながらも答えを探していた。

 

(・・・・・・やっぱり書いていない。三人目の勇者も・・・これで終わりか。

 もう一度読み返してみたら新しい発見があるかもと思ったけれど・・・)

 

これほどの本であっても、勇者たちの『その後』について詳しく書かれてはいない。

その時代の魔王を打ち倒して世界が平和になってから少し後までは書かれている。

それでも、どこかで幸せに暮らしたとか王として正しい支配をしたとかそれくらいの

ことだけだ。彼らの心のなかまではわからなかったのだろうか。

 

いまぼくが何をする気にもなれず、どこへ行きたいとも思えない理由が知りたかった。

この無気力の原因は何なのか、もしかすると勇者としての使命を終えたらみんな

こうなるんじゃないか。押しつぶされそうな大役を無事に果たし、心が燃え尽きた。

王として華々しい第二の人生を歩んでいても、どこか退屈でつまらない凡庸な毎日に

だんだんと生きながらにして死んでいくような気分を味わっていたのではないか。

 

(・・・・・・・・・)

 

いや、違う。ぼくはわかっている。ぼくと昔の勇者たちを同じと考えてはいけない。

彼らは勇者としての使命に燃えていた。生まれたときから魔族によって支配された

世の中で暮らし、親をはじめとした大事な人たちの命を奪われていた。悲しみや

絶望で満ちた世界を変える力があり、それができるのは自分だけだという責任感も

素晴らしく、皆が諦めても勇敢に旅立ち魔王を倒すために命をかけた旅を成し遂げた。

 

ぼくはどうだろう。冒険の始まりはちょっとした好奇心に過ぎなかった。しかも

キーファに誘われて断り切れなかったからだ。魔王が確実に存在すると知ったのも

過去のダーマ神殿を旅していたあたりで、ぼくがそれを倒すべき勇者なのだと

自覚させられたのはもっと後だ。これだけでもぼくが『ロトの勇者たち』と違うのは

誰が見ても明らかだけど、ぼくにしかわからない決定的な違いがもう一つあった。

 

 

『まあ、呆れた。あたしたちが負けたらこの世界は終わり、お先真っ暗なのよ?

 なのにこの土壇場で勇者じゃなくてもいいですって?アルス、あんた・・・』

 

『・・・『人は、誰かになれる』・・・どこかで聞いた言葉だ。ぼくの代わりに

 勇者になれる人はどこかにいる。でもきみのために生きる、きみを守るために

 生きるのはぼくしかいない・・・もしどこかに代わりがいても絶対に譲りたくない』

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

 

ぼくは最後の戦いの最中、一度勇者であることを捨てた。もともと旅の途中で

気がついたら特別な力があると言われて、『ああ、そうなのか』とどこか他人事で

聞いていただけだ。それよりも大切なことには世界を取り戻す使命も勝てなかった。

きっとこんな勇者は他にはいないだろう。だから勇者ロトとその子孫たち、また

それよりも前や後のどんな勇者たちの経験も参考にはならない。ぼくはすでに

わかっていたはずだ。情けないからそれを認めたくなかっただけなんだ。

 

「・・・・・・マリベル・・・・・・」

 

たった一か月きみと会っていないだけでここまで気分が沈むなんて知ったら

笑われてしまう。きみは何も言わずにどこへ行ったんだ、そしてどうして

帰ってこないんだ。思い当たる場所を世界中探しても手掛かりすらないなんて。

 

 

 

『それでは今からお菓子とゴールドを投げまーす!皆さん、ぜひご参加ください!』

 

魔王との戦いから一年が過ぎ、突如世界に現れた魔物たちもすでに人間に敵意のない

安全なもの以外はいなくなった。再び日常生活が始まったとはいえいまだに余韻は

残っているようで、ぼくたちにぜひ来てほしいという国や町は多い。その日は

聖風の谷の式典にぼくとマリベルは招待され、族長のセファーナさんたちが

高いところからお菓子や小さな硬貨を皆に向かって投げるイベントで一日が

終わろうとしていた。ぼくたちも人々の輪の中に入っていいと言われたので、

 

『こらアルス!ちゃんと取りなさいよ!のろまなのは相変わらずなのね!

 そっちに固まってお金が飛んでるじゃないの、腕をもっと伸ばしなさい!』

 

『ああもう・・・きみこそ口だけじゃなくて手を動かして・・・痛っ!!』

 

無事醜態を晒すことになった。ぼくたちを見た人たちも笑っていた。

 

『・・・ふふっ、世界を救った勇者さまたちと聞いていたけれどこんなのに

 夢中になるなんて・・・そんなに緊張することもないかもしれないわ』

 

『そうだなぁ。この世で最も強いというよりは最も運があったのかもしれない。

 これなら我が聖風の谷の神のほうがずっと上だろう』

 

魔王を倒したぼくたちはしばらく大変だった。神さまを殺したという魔王に

勝ったのだからとぼくたちを神として崇拝しようとする人たちもいた。

しかしこうしてぼくたちも人間に過ぎないと知り、むしろ実は大したことは

ないのでは?と皆が思うにつれて、だんだんと落ち着いていった。人間離れした

力によって世界を救ったのではなく、行動力や強運があったとみなすようになった。

ぼくたちにとってもそれはよいことだった。そうなるように一芝居打つことも

あったけれども、聖風の谷でのマリベルはどう見ても演技ではなかった。

 

『うふふ、けっこう取れたじゃない。小銭もこれだけ積もればなかなかの重さね』

 

純粋に楽しんでいた。そしてぼくも楽しかった。戦う必要のない平和な世界を

旅して笑顔になる。これを夢見ていたから苦しい戦いにも耐えられた。時には

心が凍てつくような悲惨な光景を目の当たりにしたり、海の底に沈むような

どうしようもない無力感を味わうこともあった。魔族以上に残酷な人間の悪を

味わい、救おうと思っていた人たちの裏切りに遭って傷つくことも。

 

それでも絶望せずに立ち上がり、何度でも舞い上がった。偉大な勇者たちもきっと

そうだったはずだ。そこで諦めてしまっては魔王の思う壺であり、暗い闇は

いつまでも晴れなかった。彼らがただ勇者として選ばれし人間だっただけでなく

強い心と正義感に満ちていたからこそ歴史に名を刻むことができたんだと思う。

 

(だったら勇者じゃなくなった後はどうだったんだろう。舞い上がれたんだろうか)

 

ぼくたちの場合はうまくいきそうだけど、魔王をも超える戦力を持つと恐れられて

人間として自由に生きていくことができなくなった勇者もいるかもしれない。

最後の敵を倒したはいいものの、大切な仲間が犠牲になって二度と帰ってこない、

特に自分の最愛の人を失った勇者もいると聞いた。そこからどうやって復活できたと

いうのだろう。ぼくだったら二度と舞い上がれなくなってしまいそうだ。

 

 

『ねえアルス、もしあたしが死んだらあたしのこと、ずっと覚えていてくれる?

 世界樹の葉とか雫とか、ザオリクも効かない。ほんとうに死んじゃったら・・・』

 

『・・・そんなことは起こらないよ。きみがぼくより先に死ぬだなんて』

 

『もしも、の話。魔物たちとの戦いも激しくなってるじゃない、一応聞きたいのよ』

 

忘れるはずがない、そう即答したかったけれどどこかで恥ずかしさがあったんだろう。

あえて質問への直接的な答えは返さずに、でも本心からの言葉をぼくは語った。

 

『そうだね・・・もしきみがいなくなったらきみが怒るようなことをたくさんしたいな』

 

『・・・ふ、ふ~~ん・・・なっるほどね~・・・。よっぽどあたしが怖いのかしら。

 あたしがいなきゃ好き勝手できるのにって言いたいのね!ははっ、別にあたしは

 あんたが何をしようが誰と仲よくしようがどうでもいいんですけれど!?』

 

『いや、ちょっと違うかな。きみが死んでしまったら、の話だろう?もしきみが

 怒るようなことを続けたら、いい加減にしなさいって言いに帰ってきてくれる、

 そんな気がして・・・。怒るんだったら帰って来い、そういうぼくの気持ちだよ』

 

『・・・・・・なんか回りくどいわね。まあいいわ、やっぱり縁起でもない話は

 やめにしましょう。それよりも現実的な今日の食事について考えないと。

 この修道院じゃ大したものがでてこないだろうし早く町に戻りましょうよ・・・』

 

 

初めて謎の異世界に飛ばされた日から最後の戦いのときまで、ぼくにとっていちばん

大事なことは変わらなかった。ぼくの最愛の人をどんなものからも守ってみせる、

それ以上に大切な使命なんてなかった。冷たい海や砂漠の風、底なしの悪意・・・

何が相手でもぼくが命を落とさずに勝利を収めてきたのはそれが理由だった。

倒れてしまいそうになるほど血が流れ、涙も枯れたとしても何度も立ち上がる。

背中の翼をもがれたとしても何度も舞い上がる。だからいま、それができなく

なりそうになっているのはマリベルと会えない日々が続いているからだ。

 

マリベルが一時期旅から離脱していた時期があった。そのときのぼくはそれを

悲観せずに、これで彼女が危険に晒されることはなくなった、と喜んでいた。

安全な現代の世界、故郷のフィッシュベルでこれまで通りの生活を楽しんで

くれたらいいと思っていた。だけど今回、マリベルは自分の家にも帰っていない。

彼女の家の人から、私たちが知らなくてもアルスなら知っていると思った、逆にそう

言われてしまったほどだ。ぼくにわからないのなら誰にもわからないと。

 

「・・・何か機嫌を損ねるようなことをしたかな・・・?身に覚えはないけれど。

 いまだにぼくが予想だにしていない言葉に怒りだしたりするからなぁ・・・」

 

いくら思い返しても思い出せない。代わりにマリベルがいつかぽつりと言った、

笑顔なのにどこか寂しそうな雰囲気だったのをよく覚えているこの一言が

ぼくの頭のなかで、何回も語りかけてくる。

 

 

『・・・あんたは誰よりもあたしのことをよくわかってる。パパやママよりも。

 それは自慢に思っていいわ。でも・・・やっぱり何もわかっちゃいないわ』

 

 

確かにそうだ。いまきみがどこにいるのか、どうして姿を消してしまったのか

わからないのがいい証拠だ。昔よりは心が通い合うようになったと勝手に

勘違いして浮かれていたのかもしれない。全くヒントもなく暗闇のなかを

手探りで探す。これなら不思議な石版のほうがまだ見つけるのは容易い。

人の心、特に素直じゃないきみのほんとうの気持ちはどんな占い師や精霊の

使いであってもわからないのだから、なかなか先の長い戦いになりそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白い色は恋人の色

自分の求めるものを見つけ出すためにはたとえ何の手掛かりもなかったとしても

立ち上がり、地道に探し続けるしかない。ところがぼくたちの冒険は必ずしも

そうではなかった。じっと待つことで開く仕掛けの扉があったり、誰かが

必要なものを渡しに来てくれたり、時には一休みしながら待つのも大事だった。

 

とはいえいまのぼくはただやる気が起きないだけだ。彼女を探しに行かなくちゃ

いけないのはわかっている。でも心のどこかで無駄なことだと思っている。

それに彼女、マリベルがいなくなったのはぼくに会いたくないから、その可能性も

じゅうぶんにある。だったらぼくは動かないでいるべきだ・・・・・・。

そう考えて今日も一日を無駄に過ごすことになりそうだと再び寝転がると、

誰かがこちらに近づいてくる。いつもなら誰も来ない寂しい場所なのに、今日は

ホンダラおじさんに続いて二人目だ。珍しい日もあるものだなと思った。

 

 

「・・・お久しぶり、アルス。港のほうにいないからこっちだと思ったわ」

 

「アイラ・・・こっちこそ。この頃なかなかお城に行ってなかったし、みんなで

 どこかに旅に出ることもなかったから・・・」

 

グランエスタード城で兵士たちに剣を指導し、女性たちに踊りを教える。王様と

王女様に好かれているだけでなく、実力で高い立場を勝ち取ったアイラだ。

魔王が偽の神様として世に君臨したころから今日まで数年間、ずっとアイラは

お城で熱心に、それでいて楽しそうに働いている。彼女の秘密について何も知らない

人たちでも、『もしキーファ王子がいたらこんな感じだったのかな』と言うほどで、

早いうちに皆から愛されていた。容姿も中身も完璧な、ぼくの大事な旅の仲間だ。

 

「そうね。世界が平和なのはいいけれどそろそろ退屈になってきたわ。一年前の

 あの旅はなかなか楽しかったのを思い出すわ。いまだから笑い話になるけれど」

 

「・・・よく笑い話にできるね。あのときはきみの命が危なかったのに・・・」

 

常に冒険を求め、どんな苦しい出来事も終わった後は楽しそうに語る、彼女の

遠い先祖でありぼくの親友でもあったキーファそのものだった。

 

 

 

 

魔王が滅んで半年後、つまり今から一年前。新たな戦いの幕開けは唐突にやってきた。

 

『・・・あのさぁ~・・・。あたしの目がおかしいのかもしれないけど・・・

 今日のアイラ、特に足の所が・・・透けているように見えるわ』

 

ぼくとガボもわかってはいたけど見間違いだろうと思って黙っていた。それをマリベルが

少し躊躇いながらもアイラに伝えると、どうやら本人は気がついていなかったようで、

 

『あら、ほんとうだわ!靴や服はそのままなのに・・・物だって持てるしちっとも

 わからなかった。道理でみんな私のほうをじろじろと眺めてくると思った!』

 

『変なものでも食べたんじゃねーか?オイラだって拾い食いはとっくの昔にやめてるぜ』

 

最初は不思議な現象だと思ったけれど四人とも深刻に考えていなかった。これまでの

長い冒険の旅の間、これ以上に奇妙で恐ろしいことを幾度も体験しているからだ。

 

『でも逆じゃなくてよかったわねぇ。服がだんだんと薄くなっていったら男どもが、

 特にそこのアルスなんか鼻を伸ばして見ていただろうし。真面目でそんなことには

 ちっとも興味がないように振る舞って実はむっつりスケベのアルスなら!』

 

『・・・・・・』

 

相変わらずの毒舌がぼくを襲う。アイラとガボは苦笑いするだけで助け舟を

出してはくれなかった。またいつものやり取りか、と呆れているだけだった。

 

 

ぼくたちがアイラの異変をどうにかしなければと焦り始めたのは、いつまで待っても

それが元に戻らないどころかゆっくりと進行しているうえに、ぼくたちの記憶の中の

アイラまで少しずつ薄くなり、消え始めたからだった。彼女との出会いや旅の思い出、

華麗な戦いっぷりがぼんやりと霧がかかったようになっていた。

 

『体調は何ともないわ!でも・・・この世から消えていくって実感がある!』

 

『ま・・・まずいぜアルス!このままほっといたらアイラは・・・!』

 

これはアイラの命を狙った攻撃だと四人とも理解した。そして人間にできる業じゃない。

あってはならないことだけど、まさかまたしても魔王が蘇ったのか・・・そう思った

ぼくたちは魔王軍の事情に詳しい、かつて戦ったことのある知り合いに助けを求めて

大急ぎで聖風の谷に、それも彼らの始祖たちが住む天に最も近い場所に向かった。

いまだに背中に翼を持つリファ族の人々のなか、ただ一人翼なんかなくても自由に

飛ぶことができる、風を操らせたら最強の魔族のもとにやってきた。

 

 

『・・・間違いない。邪悪な魔力を感じる。だが直接攻撃されているわけではない。

 こいつと縁のある何者かが除き去られたため間接的に消滅を始めている』

 

金髪の少女、過去の世界で初めて会ったときは自身のことを魔王軍で最も力ある英雄、

ヘルクラウダーの娘と名乗り、ほんとうの名を『ラフィアン』というモンスター人間は

しばらくアイラを見てからそう言った。ぼくたちの悪い予感は当たってしまった。

 

『縁のある何者かですって?それは・・・』

 

『さあ・・・命の恩人、もしくは先祖かもしれない。わたしがはっきりと言えるのは、

 過去で何かが起きて、こいつがそもそも存在しない歴史に変わっているということだ。

 誰かが計画的に過去に向かい、こいつを消すために行動し、それは果たされた』

 

 

それを聞いてぼくとマリベルはすっかり驚いてしまい、大声を上げて叫んだ。

 

『・・・か、過去の世界で!?』 『未来を変えてしまうですって!?』

 

すぐにみんなの冷ややかな視線がぼくたち二人に集中した。まあ仕方ないけれど。

そもそもぼくたちが最初にそれをやったのだから、今さら何を言っているのかと。

ぼくも途中でわかっていながら冗談半分にマリベルと息を合わせてみたけれど

そんなことをしている場合じゃなかった。ぼくに笑わせ師の才能はないらしい。

 

『オイラたちのほかにもエスタード島の神殿に受け入れられるやつがいたのか!?

 不思議な石版の力で滅んじまうはずの世界を救うための台座だったのに悪用

 されちまうなんて!ちゃんと見張っておくべきだったか!』

 

『いや・・・わたしたち魔族が使うのは別の場所だ。お前たちも覚えているだろう。

 大魔王オルゴ・デミーラの本拠地、魔空間の神殿。あの神殿からわたしたちは

 あらゆる時代のあらゆる地方に飛び、その地を滅ぼすために活動していた。

 わたしの向かった聖風の谷なんか特に古い、今からずっと過去の時代だ。

 どこかの誰かたちが現れなければわたしは支配を成し遂げていたのだが・・・』

 

魔王に敗れた神様が遺産として遺したもののなかで最も重要な施設がエスタード島の

神殿だった。魔族たちによって封印されてしまった土地を救うために一番ふさわしい

時代に行くことができ、そこで強力な魔物を倒すかその地が抱えている問題を

解決することで滅びる運命にあった大陸と人々を助けることができた。でも今回、

逆のことをやられてしまったようだ。歴史を変えられてしまう恐ろしさを味わった。

 

『魔王はもう死んだはずだぜ!?その手下どももみんなオイラたちが倒した!』

 

『いや・・・これはわたしも噂で聞いていたにすぎないが、オルゴ・デミーラは

 自分が倒れたときのために最後まで隠していた企みとそれを実行する力ある

 切り札たちを用意していたという。神がお前たちのために数々の遺産を遺した

 ように、魔王もまた自分が敗れた後のことを考え、備えをしていても不思議ではない』

 

『・・・あの計算高い魔王なら十分あり得る。ここからまだ復活する気でいるんだ。

 アイラがいなくなったとしたら最後の戦い・・・いや、その途中のどこかの戦いで

 ぼくたちは全滅していたかもしれない。一人いないだけで大違いだ。ただの嫌がらせ

 じゃない、もう一度甦るための厄介な悪あがきだ!』

 

不幸中の幸いか、アイラが完全に消滅してしまうまで少しだけ猶予はありそうだ。

その前に敵を倒せば歴史は元通り、アイラもこれまでと変わらない毎日を

過ごすだけだ。どうすればいいかぼくたちはもうわかっている。

 

『アルス、もう一度行くのよ、過去のユバールへ!』

 

『うん、それしかない。何百年前に行くかはわからないけど、きっと今回の敵が

 いる時代に連れて行ってくれる、あの石板の力なら!』

 

かつてキーファと別れた地へまた行くことになった。マリベルたちには黙っている

けれど、ぼくはあの後も一人でユバールの民の宿営地があった地へ向かう石版の

台座から過去に行ったことがある。でもすでに彼らは次の土地を目指して旅立ち、

キーファとは二度と会えなかった。アイラの持つ家系図からキーファが永住を決めた

時代がいつ頃かをほぼ特定できた。他の石版世界の時代に重なるところがいくつか

あって、そこから探してみようと考えたけれどやっぱり失敗していた。

 

 

『あ・・・ああっ!アルス、これを見て!』

 

突然アイラが一冊の本をぼくの目の前に出した。この本はぼくも見覚えがある。

ユバールに伝わる美しい詩を集めた本で、愛や恋の詩もあれば、大地の精霊を

讃えるものや自然に感謝するものまで様々だった。いまアイラがぼくに見せた

ページは彼女が最も好きな男女の恋愛を描いた詩で、おそらくユバール最強の

守り手と言われたキーファと、ぼくたちと別れた後にキーファが結婚したであろう

ユバール族最高の踊り手とされているライラさんが題材だとされていた。

 

『こんなときに・・・ん?あれ、な、何か違う!おかしいぞ!『白い花』は

 二人の愛と喜びの象徴だったはずなのに・・・』

 

『そう、『悲しみの花』に変わっているの!男の死を悼む詩になっているわ!』

 

愛した人はもういない、という言葉でわかった。本来であれば何事もなく

帰ってくるはずの彼が命を落としたのだ。そしてユバールの言い伝えが正しければ、

 

『・・・敵が狙っているのは・・・キーファの命だ!キーファを殺して

 アイラ、きみが生まれないようにする気なんだ!』

 

『こうしちゃいられないわ!すぐに古代遺跡の神殿に行かなきゃ!』

 

ずっと待ち望んでいたキーファとの再会が実現しそうだ。でもぼくが願ったような

平和で穏やかな空気のなかゆっくりと語り合う、というものにはならないらしい。

急がないと魔王の手下によって死んでしまったキーファの遺体と再会することになり、

親友もその子孫の命も失われてしまう。ラフィアンへのお礼もそこそこにぼくたちは

リファ族の始祖たちの村を去ってルーラで神殿へ一瞬で飛んだ。

 

 

『・・・あれ、ラフィアン様・・・あの方々はもう帰られたのですか?』

 

『ああ・・・セファーナか。長居している場合ではないそうだ。それよりお前、

 最近ずっとこっちにいるな。聖風の谷に戻らないのか?』

 

『それならお構いなく、どうせむこうに友達もいませんから。あなたたちがいる

 こちらのほうがずっと楽しいですし、居心地がいいんです』

 

『・・・まあ友達うんぬんはわたしたちの言えたことではないな。わたしも『あいつ』も

 互いに出会うまでは生涯でただ一人もそう呼べた相手がいなかったのだから。それは

 いいとして・・・いつの間に玄関の花を赤い花に変えたんだ?確か前は白い・・・』

 

後から聞いた話だけど、ぼくたちが帰った後ラフィアンの周りでも確かに世界の

変化が始まっていたらしい。数百年以上昔のたった一人の人間の死がここまで

大きな影響を与えるものなのかとぼくたちは深く考えさせられた。

 

『白い花?いいえ、前からこの種類の花でした。白い花なんて縁起が悪い。

 あれは戦いから帰ってこなかった恋人のための悲しみの花です』

 

『あれ、そうだったか。逆だったような気がするが・・・そうか、これが

 アルスたちが帰る直前に大騒ぎしていたことか。魔王が死んだというのに

 まだまだ完全なる平和な世は訪れないらしいな・・・』

 

このとき彼女は自分の右腕が軽いことに気がついたと言っていた。ぼくたちと

戦ったとき、その腕は一度アイラによって斬り落とされていた。戦闘が終わり

ぼくがベホマを唱えて腕は元通りになったけれど、いまだに時々痛むという。

アイラがいなくなればその傷もなかったことになるというわけだ。となると、

本来ぼくたちが倒したはずの多くの魔物が生き返ってくることになりかねず、

その中に魔王オルゴ・デミーラがいたとしても不思議ではなかった。

 

 

 

『じゃあ行こうぜ、アルス!あ、でも武器と防具がないぞ・・・』

 

『袋の中に最低限の物は入っているから平気だと思う。いまのぼくたちなら

 この辺りの魔物とは戦闘する必要すらない。いまはとにかく急ごう!』

 

ぼくたちは焦っていた。魔王を倒した後ずっと実戦から遠ざかっていることも、

そのへんを歩いている魔物たちは問題なくてもキーファを狙う魔王の刺客は

絶対に強いだろう。自分が消えてしまうかもしれないというアイラに正しい

判断を求めるのは酷な話で、ぼくやガボが落ち着いていなければいけなかった。

そんななか、一番冷静にこの状況を熟考していたのはマリベルだった。

いつも大騒ぎしているように見えて実は洞窟や敵の居城の仕掛けを解くのは

マリベルだったことが多い。メルビンさんが仲間に加わるまでの三人旅のとき

なんて、ぼくとガボだけだったら一生リートルードの時のはざまで迷い続けるか

海底都市で先に進めずに終わっていただろう。

 

 

『・・・そうね、いまは先を急ぎましょう。キーファを殺そうとする魔物、

 あたしはそんなに強くないとみた!対策はその場でじゅうぶんでしょ』

 

『そんなこと、どうしてわかるのかしら?彼ら魔族にとっても魔王の復活の

 ラストチャンスかもしれないわ。かなりの精鋭が・・・』

 

『いーや、こんなコソコソと出し抜こうとしてくるやつなんか力に自信が

 ないに決まってる。それにほんとうに強かったら魔王はきっとダークパレスの

 最終決戦にその魔物を呼んでいた。負けて死んだ後のことを考えるよりも

 負けないことのほうに力を入れたほうが大事だし簡単だもの』

 

確かにそうだ、とぼくたち三人はマリベルのほうを見た。彼女は胸を張ると、

 

『ふふふ・・・そうそう、もっとやりなさい。あんたたちとはモノが違う

 冷静沈着で頭脳明晰なあたしを褒め称える視線と表情、もっと続けなさい』

 

誇らしげに腰に手を当てていた。だけどぼくは知っている。全く褒めないと当然

マリベルは怒る。それでもあまり褒めすぎてもやっぱり怒り出す。きっと

そのうち恥ずかしくなってしまうんだろう。ほどほどがいちばんいいんだ。

 

『よし、じゃあいつ以来だろう・・・行こう、『失われた世界』へ!』

 

石版をはめ込んだ台座が光りだす。懐かしい久々の感触だ。それに気を

とられていたせいで、ぼくたちは石版の一部が欠けていることに最後まで

気がつかなかった。聖なる輝きが以前よりも僅かに明るくなかったのも、

久しぶりのぼくたちが見分けるのは難しかった。歯車は狂ったまま動き出した。

 

 

 

『この空気・・・やっぱりまだ魔王に支配されている時代ならではだ』

 

どこが、と詳しく説明するのは難しいけれど、平和な世の空気とは確かに違う、

失われた世界とはこうだ、とぼくたちは皆で感覚を共有していた。ただ、

ぼくの予想通りこれまでとは違い魔物たちはこちらに近づこうとしなかった。

まさか自分たちの親玉を倒した相手とは思わないとしても、魔物たちだって

命が惜しい。力の差を感じ取って逃げていった。そういう相手は追わずに、

しなくてもいい戦闘はしない。ぼくが旅を始めてすぐに決めたルールだった。

 

『これがアルスたちと私のご先祖様が別れた場所・・・あらら、この地形って

 見覚えがあるわ。私が現代でアルスたちと出会ったのもこの辺りじゃない?

 湖の祭壇まであと数日歩けばって場所だもの、わかるわ』

 

『ふ~ん・・・そっか、そのときはあたしはいなかったから覚えてないのも

 仕方ないか。しかも最近は魔法のじゅうたんに飛空石、ちっとも歩いてないし

 あんたたちがおかしなだけであたしが特別物覚えが悪いわけじゃないわよねぇ?

 ・・・それは置いとくとして、またここに来たってことはもしかして・・・

 キーファと別れたときからそう時間は経っていないのかもしれないわ』

 

ユバール一族は世界を旅する放浪の民だ。一度そこを発てばその世代の人たちは

もうその場所を見ないかもしれないと言われている。だからマリベルの読みは

正しく、ぼくたちが知っている過去のユバールとほぼ同じ時代に来たと言える。

 

『そうだね。もし数十年後もう一度ここに宿営地を構えていたとしても・・・

 そのときキーファはすでにおじいさんだ。放っておいても寿命が来る。

 若いキーファ、これから何かを成し遂げるキーファを敵は狙っているんだ』

 

『これはますます楽しみになってきたわ!あなたたちがよく話してくれる

 あなたたちといっしょにいた歳のキーファさまに会えるだなんて!

 なんだか緊張してきたわ~。私のこと、子孫だってわかってくれるかしら?

 最初は何も言わずにちょっとしてから打ち明けるのもいいかもしれないわ!』

 

自分の存在が消えようとしているのにアイラは声を弾ませて興奮していた。

ぼくたちもキーファにまた会えるというのはそれはすごいうれしい。でもいまは

喜びや期待が先行するようなときじゃないだろうと思った。さすがのキーファも

初めて過去の世界に飛ばされたときはそこまではしゃいでいなかったはずだ。

血が薄れていくどころか、キーファ以上なのかもしれないと思った。

 

 

『お——い!見ろよ、みんな!あれはきっと・・・ほら、音楽も聞こえてくるぜ』

 

先に向かっていたガボがぼくたちに合図する。苦労することなく見つけたようだ。

 

『間違いない!私たちユバール族のしるしが幾つもある!もう待ちきれない!』

 

アイラは駆け出した。歴史の書でしか触れたことのない先祖たちに一秒でも早く

会いたいと一人で猛ダッシュだ。ぼくたちも彼女を止めずにその後に続いた。

みんな早くキーファと再会したいという思いは同じだった。

 

『へへへ・・・キーファもびっくりするだろうな。いまはもうオイラのほうが

 キーファよりもアニキなんだからな。もちろんアルスとマリベルも・・・』

 

『ええ、美人になったって言ってきたら昔のことは水に流してあげるわ。

 老けたとかふざけた言葉を吐くようならまあ・・・後はわかるわよね?』

 

『・・・冗談だと信じてるよ。でも数百年前のご先祖様か。昔のエスタード島は

 どんな感じだったのか・・・魔王に唯一封印されなかったから過去に行く

 必要がなかったし、行ってみたい気もするなぁ』

 

偽の神様としてエスタードが闇に落とされたときは石板の力すら奪われた。

あのときもしかしたら昔のこの島が見られるかもと内心少し期待していた。

 

 

それから少し走ると、たくさんのテントがどんどん大きくなってきた。

ユバールの人たちはぼくたちのことを知っているからすぐに中に入れて

くれるだろうし、事情を話せばいっしょに戦ってくれるはずだ。簡単に

ぜんぶ終わってくれるといいな、そう思っているとアイラがこちらに

向かって戻ってきた。これまでと違って顔色は曇っていた。

 

『あら、どうしたの?まさか一族以外はだめだって入れてくれなかったの?

 未来の最強の剣士兼最高の踊り子もわからないなんて神の民とやらも案外・・・』

 

『それならまだよかったわ!ああよかった、あなたたちは私が見えるのね!

 私の体、一族の人たちにはぜんぜん見えないみたいなの!それどころか声も!

 ちょっと浮かれすぎていたわ・・・私じゃちっとも話ができない!』

 

アイラの体はそこまで消滅が進んでいないように見えるけれど、ぼくたちの目も

キーファと会えるという期待のせいでおかしくなっていたのか。仕方ないので

ぼくたちが先に行くことにした。アイラには過去の人たちとの交流を少し

我慢してもらい、敵を先に倒すことにした。だけど、しばらくしてからぼくたちも

首を傾げながら宿営を出た。なんとぼくたちすら誰にも相手にしてもらえない。

無視されている感じはしなかった。誰一人ぼくたちがいることに気がついていない。

どんなに激しく身振りをしても、大声で叫び続けても効果がなかった。

 

『・・・嘘でしょ!?まさかあたしたちも消えかかっているっていうの!?』

 

『いや、オイラたちの体は何ともないぜ!今のところは、だけどな・・・』

 

『・・・・・・参ったな。まあぼくたちだけで敵を探して倒すしかないか。

 それにもしかしたらキーファだけは気がついてくれるかもしれない!』

 

石版が欠けていたせいでぼくたちの姿がこの時代の人たちには見えなかった、

それを知ったのはもっと後のことで、このときは知る由もなかった。ひとまず

ユバールの人々との会話は諦めた。それでもキーファだけは彼にわかる形で

接触しなければならなかった。命を狙われているということと、その敵を

倒すまでは安全な場所でじっとしていてほしいと告げるためだ。まだダーマにすら

行く前だ。あのときのぼくたちといまのぼくたちではレベルが全く違う。

肩を並べて戦っていたキーファも残念だけどいまいっしょに戦うことはできない。

他の人たちが駄目でもキーファにだけはきっと・・・そんな確信があった。

 

 

『・・・ん?いや、何でもない。気のせいだったよ、ただの気のせい』

 

・・・駄目だった。キーファはぼくたちの必死の呼びかけにも一切反応せず。

すぐそばにいるのに触ることすらできない。感動の瞬間となるはずだった

再会は悲しみに変わった。ただ一人、マリベルは怒りという感情に満たされていた。

 

『なんかムカついてきたわね———っ・・・。あたしたちがこれだけやってるのに

 こいつはこんな顔してライラさんとお話ですって?どうにか一撃・・・』

 

キーファはこの地に残ることにした最大の理由である美しい女性、ライラさんと

二人で何かを話している。この二人はそんなに月日が経たないうちに結婚し、

その血がアイラへと繋がっていくと未来から来たぼくたちはわかっている。

 

 

『だったらやるしかないだろう。ユバールの民とそれ以外の人間が

 結ばれるためには必要な儀式があるっていうのならオレはやる!』

 

『父さんも言っていたわ、あの試練はほんとうに危険なの。死んでしまった

 人もいるそうよ。キーファ、そんなに焦らなくたっていいでしょう、もっと

 じっくりとチカラをつけてから挑めば・・・もし何かあったら私・・・』

 

『ライラ、ありがとう。きみがオレを心から思ってくれているのがわかる。

 嫌いなヤツ相手じゃそこまで必死になって止めてくれない。だからきみは・・・』

 

『・・・ふふふ、悪い人ね、あなたは。私の気持ちを聞くために・・・』

 

それから二人は口づけをかわした。ライラさんは涙ぐんでいた。嬉しい気持ちも

ある半面、キーファのことが心配なのだろう。それを見ていたぼくたちはというと、

顔を真っ赤にして騒ぐアイラ以外、つまりキーファと付き合いの長かったぼくら三人は

反応に困っていた。今の自分たちより幼いとはいえ、親友のこういう場面を覗き見

してもあまりいい気分になれなくて、早くこの場を離れてしまいたかった。

 

『オレはきみのためなら何でもできる。きみのような顔も心も美しい女性とは

 故郷では縁がなかった。旅を始めてから多くの土地を見て回ったけれど

 きみと比べられるような存在は何一つない。だから多くのものと別れたことを

 少しも惜しいとは思っていない。オレはきみと会うために生まれてきたからさ』

 

『もう・・・恥ずかしくなってきちゃうわ。あなたったら・・・』

 

調子のいいことを口にしながら、その顔や手つきは下心に満ちていた。

マリベルだけでなくぼくとガボも怒りが頂点に達した。こんなやつ放っておこうと。

 

 

『・・・仕方のない運命だったのかもしれない。キーファが死んでしまうのも』

 

『そうだなぁ。そのまま受け入れる、それもアリかもなぁ』

 

半分冗談、でも半分本気のぼくたちをアイラは必死に制止した。

 

『ちょ、ちょっと!確かに私も伝説のご先祖様があんなに軽い人間だったって

 いうのは驚いたわ。歴史は美化されて後代に伝わるものだってよくわかった。

 でもここは堪えて・・・ね、私のために・・・お願い』

 

『はーっ・・・。あいつが調子に乗ってくたばるのは全然オッケーとして、それで

 アイラがいなくなるっていうんじゃ助けないわけにはいかないわね。でも

 どうにか一撃食らわせてやりたいわ・・・何かいい方法はないかしら』

 

『・・・キーファ様の命を奪う敵って・・・まさかあなたのことじゃないわよね』

 

キーファのためではなくアイラのために冒険の続行を決めた。キーファの髪には

ライラさんが安全を祈ってお守り代わりに摘んだ白い花が絡ませてあった。

このときはまだ白い花が『悲しみの花』になることはない。彼がまだ生きているから。

愛した人がいなくなったとき、この花は現代に至るまで死別の象徴とされるのだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花の香りに①

『・・・イヤな色の空だ。嵐が来るニオイがするぜ』

 

ぼくたちの姿はいまこの時代の人々、そしてキーファには見えない。声も聞こえないから

彼に迫っている危機を伝えられず、その後ろを四人でついていくことしかできない。

 

『ヘヘヘ・・・こんな試練さっさとクリアしてオレを皆に認めさせてやる。

 そうすりゃライラはオレのもの・・・ヘヘッ、涎が出てきちまった』

 

『・・・・・・・・・は———っ・・・』

 

さすがにアイラも偉大なる先祖として知っていて、会うのを心待ちにしていたキーファの

にやけ顔に幻滅している様子だった。自分の消滅が迫っているというのにそれすら

忘れてしまうほどの落胆を隠せていない。

 

 

『・・・元気出せよ、アイラ。ところで・・・ユバールの民以外の男が一族の女と

 結婚するために乗り越えなくてはいけない試験・・・どんだけ厳しいんだ?』

 

ガボがうまく話を変えようとした。初めて出会ったときに比べて身体はもちろん

内面も成長して素晴らしい青年になった。ぼくよりよほどいい男だ。

 

『何てことはないわ。ただ山に登って山頂の花を取って来るだけ。途中で魔物は

 出るけど弱いし、危険だとか死人が出るとか・・・それはただの脅し文句よ。

 剣の力というよりも結婚に真剣なのか、勇気はあるかを試しているだけだから』

 

『おお・・・そうなのか。じゃあ普通にやりゃあ楽勝ってことか』

 

『ええ。意を決して山に行きさえすれば失敗した例なんて本当はないと聞いているわ』

 

形だけの試練。ぼくたちと別れた直後のキーファでも達成できるレベルか。

ただ、ここに魔王の遺した刺客が目をつけた。まだ守り手としての力が足りない

キーファを殺すことでアイラの存在まで消してしまおうという恐ろしい計画だ。

やがて失敗した例なんてないという記録や記憶も変えられてしまうのだろう。

 

 

『・・・・・・!!思いついたわ!この状況を打開するいい案が!』

 

『マリベル!ずっと黙っていると思ったら・・・頼りになるわ!』

 

突然マリベルが笑顔で両手を叩いて叫んだ。謎解きや物事の背景を読むのは

ぼくたちの中でずば抜けてうまいマリベルだ。今回も何か思いついたようだ。

期待して続く言葉を待っていたぼくたちだったけれど、すぐに絶望を味わった。

 

『あのバカ王子になんとか一発食らわせてやりたい・・・それだけを考えて

 考えて・・・やっと見つけたわ!間接的な攻撃をすればいいのよ!』

 

『・・・・・・はぁ?』

 

『なぜか魔物はあたしたちを認識できている。そして少しだけあたしたちにも

 触れられるものがある。だったら拾える石や魔物を投げつけちゃえばいい!

 あいつらがちょっと前に話してくれた思い出話も役に立つものね』

 

 

 

マリベルが言う思い出話をぼくもそのとき聞いていた。モンスター人間という

種族で、遠い昔大神官ハーゴンが世界を自分の望むものに変えようとしていた

時代から生きていたというはぐれメタルとホイミスライムがいた。そのときから

しばらく後の時代まで、二人はずっと報酬を狙う欲深い人間たちから追われていた。

こんなことなら見向きもされないバブルスライムとしびれくらげに生まれたかったと

思い続けていたところ、なんと『夢の世界』と呼ばれる世界に二人の夢が具現化され、

本物とは別に生活を続けていたらしい。当時の魔王が関係していた歪な世界だったと

後々気がついたようだけど、なかなかそれはそれで楽しい時代だったと言っていた。

 

『私たちは魔物だからどっちの世界だろうがあんまり関係なかったけど人間は大変だ。

 間違って夢の世界の人間が現実の世に落ちちゃったらその姿は誰にも見えない!

 魔物とか動物にしか声も姿もわからないんだ。とても生きていけないよ』

 

『ふーん・・・石版の旅をしてなかったらとても信じられない話ね』

 

『そのとき私たちは出会ったんですよ、ハーゴン様の目ざした人と魔物の真の平和を

 実現する力のあったあの人に!ロンダルキアの洞窟で私たちを見逃してくれた

 アーサー王子と同じ匂いがした。その方はまさに聖女だった!この時代の勇者よりも

 私たちのなかではずっと高く崇められている方です。この方も夢と現実二つの魂が

 離れてしまっていたのですが・・・すぐにうまい対処法を思いついていました』

 

 

 

そのとき聞いたのがいまのマリベルの方法だ。人間には触れられないし会話も

できないが魔物は普通に襲ってくる。それに一部の物は手に取ることができた。

これである程度不便ではあったものの何もできない状態は解消したという。

 

『さっそくあそこにちょうどいい大きさの石がある。アルス、投げつけてやりなさい』

 

『きみが自分でやればいいだろ。ぼくは親友殺しにはなりたくないからね』

 

『ちっ、相変わらずつまらない男ね。殺せだなんて言ってないじゃない。

 ほんのちょっと懲らしめてやればいいって話をあたしは・・・』

 

マリベルも冗談で言ったのだろう。自分で石を拾ったりはしなかった。キーファの

山登りは順調で、魔物たちが襲ってきても危なげなく撃退していた。

 

『ふう・・・今のはなかなか強かったな。こりゃあ気合を入れ直さないと!』

 

だらしない顔つきから一変、真剣な時のキーファになった。こうなったキーファは

とても頼もしく、どんな心細い状況でもぼくたちを安心させてくれた。確かに

何事もなければこのまま試練を無事に終えるのだろう。山頂が近くなり、

ここまでくると最後の最後、山頂に咲く花の前に魔王の配下がいるに違いない。

 

 

『敵といえば、過去のユバールはどんな強大な魔物に苦しめられていたの?』

 

『う~ん・・・いなかったんだよ。一族を滅ぼすような魔物は・・・』

 

『あら、珍しい。大抵の大陸や都市はその魔物を倒せば平和が戻って

 現代に帰ってきたら大陸が復活しているという流れだったはず』

 

オルゴ・デミーラのしもべたちのなかで特に力ある大物が五人いると言われていた。

ダーマ神殿を支配した邪悪な神官アントリア、砂漠の狂戦士セト、狡猾な策略家ボトク、

風を操る武人ヘルクラウダー、そして怪力無双のバリクナジャ。石版世界の旅でも

特に苦しい思い出はやはり彼らが関わっている。もちろんそれ以外の魔物も魔王直々に

大陸を任されているのだから楽勝だったという戦いはあまり記憶にない。ただ、

ユバールの場合はそのような運命を決する戦闘はなく、キーファと別れて旅の扉から

神殿に戻った時点で一族が現代までに滅びてしまう何らかの原因が除かれたのだ。

 

『キーファがユバールの一族に残ったことがよかったんだ。あのときのぼくたちは

 認めたくなかったけれど・・・あれはユバールから帰ってきて一週間くらいかな、

 まだ次の冒険に向かう気力がなかったとき・・・』

 

 

親友を失った悲しみ、その最悪の状態を脱しても村から旅立つ気にならなかった。

もしかしたらガボ、それにマリベルも異世界に永住するなどと言い出すかもしれない。

もともと過去の世界から来たガボはまだ仕方ない。現に直後のダーマ神殿で彼の

心が揺れたとき、無理に止めちゃいけないと思った。けれどもマリベルが自分の

ほんとうにやりたいことはここにあった、と決して揺らがない決意を抱いたなら

ぼくは一生立ち直れなかっただろう。何としてでも止めたいけれど、マリベルは

それを拒んで背中を向ける。それが嫌で古代遺跡の神殿に行きたくなかった。

そんなとき、フィッシュベルに見慣れぬ旅行客たちがやってきた。

 

『・・・ああ、やはりハーゴン様の言われた通りだ。全く年を取っていない!

 あれから数百年は過ぎているのに・・・お前ほんとうに人間?』

 

『あの・・・突然なんですか?ぼくはあなたたちのことを知りませんが』

 

『これは失礼しました。私たちが一方的にあなたたちを見かけただけでした。

 数百年前、あなたたちからすればたった数日前のことなのでしょうが』

 

二人の小柄な女性がいた。一人は髪が短くその恰好は遥か昔の勇者のようだった、

プチヒーローの『グルーヴ』と名乗る剣士で、もう一人は白髪であり穏やかに話す

プチプリーストの『ラフイン』。話を聞くと、ぼくたちがユバールに行ったとき、

彼女たちプチット族は密かに後をつけていたらしい。なんと魔王と呼ばれる存在から

遣わされてあの一族を滅ぼすために機会を待っていたという。

 

『あのときボクは燃えていた。この任務を成功させたら魔王軍の幹部になれる。

 いままでボクらを馬鹿にしていた連中もこれで見返すだろうとね・・・』

 

『でも私はそれに反対でした。今回は楽な仕事でも次はもっと過酷で危険な

 戦いが待っているだけ。おそらくずっとその繰り返し・・・グルーヴには

 野心を捨てて安らかに生きてほしかった。そのときあなたたちが来たのです!』

 

魔王軍での高い地位を得たいグルーヴと、彼女に戦いの日々から離れてほしいと願う

ラフイン。生まれたときから共にいる二人でも向かう道がズレ始めていた。

結果として彼女たちがユバールを襲うのをやめて魔王のもとから逃げたのは

ぼくたちがやって来たこと、それに加えてキーファが残ったのが決め手だった。

 

『あんな強いヤツがいたんじゃあボクらも無傷で勝つのは無理だ。ラフインたち

 仲間を誰か失っていただろう。前からいたオッサンの守り手だけだったら

 突撃していただろうけど・・・まあやらなくてよかったんだろうな。

 ラフインの言うように終わらない報復の連鎖の戦いに巻き込まれただけだ』

 

『だから私たちはあなたと仲間の方々に感謝しています。あなたが彼と別れる

 決断をしたからこそユバール族の数百年の人々の命、それに私たち四人の

 命までも救われたのです。真の勇者であるあなたにしかできない救いの業です!』

 

そこまで言われてもぼくはキーファと過去の世界で別れた後悔や悲しみを完全に

吹っ切ることはできなかったし、いまだにその気持ちに時々悩まされる。

けれど少し別の考え方をすることもできるようになった。人にはそれぞれの

使命がある。キーファはぼくたちが旅立つきっかけを作り、神様を復活させる

ために必要なユバール族を今日まで繁栄させるために生まれてきた・・・。

だからぼくが不必要に責任を感じたり悲しんだりしなくてもいいのかもと。

 

『ちなみに・・・残りの二人はそれでよかったのですか?』

 

『ああ、ファイターの『ドーベル』にマージの『マーチ』か。あいつらは

 もう先払いの金は貰ったからどっちでもいいとか言ってたな。あっちで

 売ってる饅頭とか煎餅に夢中になってるみたいだ・・・呼ぶか?』

 

『いや・・・いいです。みんな初めてこの村に来るとアミット饅頭と煎餅には

 心を奪われるみたいだから・・・お二人も食べてみては?』

 

 

ぼくが無理矢理キーファを連れ帰っていたらプチット族の四人によってユバールは

全滅したのだろうか。彼女たちの攻撃を凌いだとしても結局また別の脅威によって

どこかでいなくなる運命だったのか。歴代最強の守り手の血が残らなければ。

 

 

 

『よ————し!ようやく暗い洞窟を抜けた!終わりは近いぜ!』

 

もうそろそろキーファの命を奪いにやって来る魔物が来てもいいはずだ。

どこから現れどんな攻撃で襲ってくるかわからないからぼくたちの集中力も

限界まで高めないといけない。もうゴールが見えたと早足になるキーファと

真逆で、ぼくたちはここからが本番だった。あらゆる方向に注意を払う。

ついてないことに雨が強くなり、視界がとても悪くなっていた。

 

 

『・・・!これは・・・風の向きが急に変わった!嵐が来るのか!』

 

『オイラの鼻で探知していた!ニオイは変わらねえ・・・が・・・』

 

気配で察することができた。とても邪悪なものが近づいてきている。この風は

自然のものじゃない。ぼくたちを襲う悪魔の真空の刃だ。ぼくたちは何とかかわせた

けれど、気がつくのが一瞬遅れたキーファは避けられずに防御するしかなくなって、

 

『ぐおっ・・・!!うおおおおぉっ!!』

 

凌ぎ切れず吹き飛ばされて、ぼくたちから遠く離れたところの地面に叩きつけられた。

備えていたとはいえあまりに突然だったからぼくたちの初動が遅れた。キーファが

落ちた場所を確認したとき、すでに巨大な魔物が倒れる彼を見下ろしていた。

黒雲に乗る黄金に輝く姿の、くもの大王よりも何倍も強そうな魔人だ。

 

 

『ぐ・・・あああ・・・!!何だてめぇ・・・お、お前は・・・・・・!!』

 

『グフ・・・グフ・・・後にユバール族歴代最強となる男もまだ若造であるうちは

 やはり脆いものだ!グフフ・・・あんな攻撃もかわせないのではなぁ!』

 

『こいつは・・・ダーツさんよりもずっと強い!族長たちが用意した試験とは

 関係がない・・・イレギュラーってことかよ・・・ぐぐ・・・』

 

『グフフ、御名答だ。さすがは勇者の仲間だっただけはあるな。俺様はわざわざ

 遠い未来からお前を殺すために今日この日を選んでやって来たのだ』

 

僅かな間にとても危険な状況になってしまった。すぐにでも助けに行きたかった。

現にアイラはグランエスタードに代々伝わる王者の剣を持って突進しようとしていた。

でもマリベルがそれを止めた。そして唇に人差し指を当てて小声で話すようにと言う。

 

『離して!早くしないとキーファ様があの魔物に・・・!』

 

『いえ・・・いまあなたが大きな音を立てて走っていったらそれこそ終わりよ。

 この距離じゃあなたの攻撃が届く前に魔物はキーファを殺して逃げるに決まってる。

 ちょっとずつ・・・バレないように少しずつ距離を詰めないとダメでしょ』

 

『そんな悠長なことをしている時間が・・・・・・いや、そういうことか!』

 

『わかったみたいね、アルス。あんたにしては早かったわね、あたしに追いつくのが。

 あの敵はあたしたちの存在に気がついていない。だからすぐにキーファを倒さずに

 勝ち誇ったように振る舞っているのよ。魔王を倒したあたしたちが四人も

 すぐそばにいるなんて知っていたらあんな余裕はないわ。だから静かにするの』

 

あの奇襲攻撃の威力が弱かったのはかなり遠くから攻撃してきたせいなんだと

そのときわかった。金髪で目立つキーファの姿らしきものが見えたから真空波を

放っただけだ。精度と威力を見誤って咄嗟に避けてしまったぼくたちの失敗だった。

でもまだチャンスはある。今度はこっちから闇討ちを仕掛けてやればいいんだ。

あれはかなり性格の悪い魔物だ。キーファをいたぶって楽しんでいるところに隙がある。

 

『・・・ハァ・・・ハァ・・・』

 

『なんだなんだ、もう虫の息か!グフフ・・・もっと楽しませてくれるかと思ったぞ。

 お前をこの世から消し去る俺様の名前を記念に教えてやるとしよう。偉大なる

 俺様の名はヘルクラウダーの『フランケル』!風を操ることに関しては魔王様をも

 超えるというヘルクラウダー一族でも特に力ある『常勝無敗のフランケル』様だ!

 お前が地獄でもその名に怯え続けながら生きるために名乗ってやった、光栄に思え!』

 

その名前を聞いて、一歩ずつ忍び足で近づいていたぼくたちの足が止まった。

フランケルというのはどうでもいい。その前、ヘルクラウダーというところが

問題だった。しかも一族のなかでも特に力がある者だというのなら・・・。

 

『あれが・・・あいつがラフィアンの父親ってことか!?』

 

『多分そうだ。そうか・・・ヘルクラウダーというのはあんな姿だったのか』

 

 

ぼくたちが過去の聖風の谷で出会い、死闘を演じたラフィアン。目つきが鋭く、

大人びているなかに激しい激情を秘めた金髪の少女。普通のモンスター人間は

相手から教えられるか戦いぶりを見るまでは人間とまるで変わらず見分けがつかない

のに対し、彼女は一目で危険な存在だとわかった。大陸の封印を寸前のところまで

終えて、もし『あの子』さえいなかったらぼくたちでも止められなかっただろう。

そのラフィアンは『ヘルクラウダーの娘』と呼ばれ、魔物である父親と人間の母親から

生まれたのだという。母親がすぐに死んでしまったため彼女は父にとても懐いていた。

 

『父上はとにかく凄いんだ!実力だけなら魔王軍で誰の文句もないナンバーワンだ!

 お前たちには悪い話だが神の兵や精霊たちを最も多く打ち倒したのも父上なんだ。

 それでいて倒した相手の尊厳を汚さない。強奪や強姦なんて無縁の武人・・・

 まさに完璧な、わたしだけでなく皆が目標とすべき偉大な戦士、それが父上だ!』

 

あのラフィアンがまるで小さな子どものように目を輝かせながら自慢していた。

果たしてどんな魔物なのか・・・機会があればぜひ会ってみたいと思っていた。

だけどいまぼくたちの目の前にいるヘルクラウダーは小物で下衆な印象しかない。

 

『・・・聞いていた話とずいぶん違うなぁ。オイラたちの聞き間違いか?』

 

『誇張され美化されている・・・ついさっきもあったじゃないの』

 

マリベルは倒れているキーファを指さす。ユバール族では長年にわたって

聖人のような扱いで彼を高めていた。過去と現在の両方を実際に見た

ぼくたちの旅ではよくあることだった。都合の悪い出来事は消し去って

自分たちのいいように歴史を変えるか、知らずのうちに何でもない人間が

救世主や英雄として賛美されているのは珍しくもない話だ。まさかラフィアンも

いいところしか見ていないどころか自分の理想の父親像を妄想で作り上げていたのか。

 

『・・・どうする?あのヘルクラウダーを殺したらきっとあの女は怒り狂って

 あたしたちに復讐しに来る。終わらない戦いがまた始まるわ』

 

『その昔からずっと続いた・・・人間と魔族の復讐と報復の連鎖!』

 

やっと終わったと思われた戦いの日々がまた始まるのか。思わず気分が滅入った。

だけどぼくを悩ませるにはこの程度のことではとても足りなかった。

 

『親友を・・・キーファを助けるんだ!後のことは後で考えたらいいんだ!』

 

ぼくの言葉を聞くと、三人ともにやりと笑った。口ではいろいろ言いながらも

ここはどうしようかなんて誰もちっとも考えていなかった。思いは決まっていた。

 

 

『よっしゃ!だったら真っ先にあいつを叩くのはいちばん素早いオイラだ!』

 

『今日は私がその次に行かせてもらうわ!この手で大事なご先祖様を、そして

 私自身の命を救ってみせる!あなたたち主役は後から来てちょうだい!』

 

ガボとアイラが駆けていった。久々の戦闘、二人の頑張りが勝敗を分ける。

ぼくも剣を手にしてはいるけれど、戦力になれる自信はなかった。この時点では

ぼくとマリベルだけの秘密、敵に知られたらまずいことになることがあったからだ。

 

『ぐぐぐ・・・た、立ち上がらなきゃ・・・・・・』

 

『グフ、グフ!その這いつくばる惨めな姿、しびれマイマイやいどまじんのようだな!

 さて、俺様としては害虫を一思いに踏み潰すようにしてお前の息の根を止めるのが

 よいか、それとも手足を一本ずつ奪ってから断末魔を楽しみながら殺すか~~~っ』

 

ヘルクラウダーのフランケル。やはり魔王軍の精鋭たちに比べたらかなり劣った

魔物だ。まだ攻撃力や技の全てを目にしたわけではないけれどももう十分わかる。

ほんとうの強者ならとっくに察していなければいけない。追い詰められているのは

自分のほうであるということを。ガボの急接近にすら気がついていないなんて。

 

『俺様はやはり獲物が徐々に血に染まり原形が失われていくのが楽しくてなぁ!』

 

『だったらオイラがやってやるぜ————ッ!オラオラオラァ——ッ!!』

 

『はっ!!何者だ・・・・・・ぶげっ!!うごごごごごご』

 

ガボのパンチが次々とヘルクラウダーの顔面を襲う。まさに爆裂拳と呼ぶに

ふさわしい攻撃だ。でもまだ終わらない。次はアイラが久々にあれを披露する。

 

『はっ!!やぁっ!!タァ—————ッ!!』

 

『ぎゃあっ!!いだっ、いだああぁぁぁ———————っ!!』

 

剣士であり踊り子でもあるアイラならではの華麗な剣の舞。ガボと同じく

一瞬で敵に大ダメージを与えるこの技を惜しげもなく繰り出したということは、

二人とも早々に戦いを終わらせる気でいる。変に様子を見て安全策をとるよりも

速攻で反撃の機会を与えずに一気に倒してしまおうという考えのようだ。

 

『あ・・・あ・・・!!ぎ、ぎさまらはぁ~~~~っ!!』

 

『そう、『エデンの戦士たち』と人は言うわ。今日はメルビンがいないけれど

 あなた程度に四人もいらなかったかしらね。特にあなたの王である偽の神、

 オルゴ・デミーラをその手で倒した勇者アルスとマリベルがいるのなら!』

 

『・・・・・・!!こ、こんなはずでは~~~~っ!』

 

『オイラたちが倒された後、たった二人で最終決戦に挑んで、そして勝った。

 そのアルスたちに果たしてお前が勝てるのか見ていてやるぜ。なあアルス、

 あれをやってくれよ!全てを切り裂くギガスラッシュを!それともここは

 いきなりいくか!?究極の剣技、アルテマソードで決めるかぁ————っ!?』

 

ガボが意気揚々とぼくの大技に期待している。アイラも同じ視線を向けてくる。

 

『・・・・・・・・・』

 

『や、やめろ————っ・・・!俺様のもとに来るなぁ————っ』

 

ヘルクラウダーもぼくの技を受けたら致命傷になるとわかっているのだろう。

必死に後ずさりしている。しかしいまのぼくには皆の期待に応える力はなかった。

 

『あ・・・あれ?その剣・・・オチェアーノの剣じゃなくて・・・水竜の剣!?』

 

『・・・はぁ——————っ!!』

 

ぼくの攻撃は何でもない、ただ斬りつけるだけの普通の攻撃。ヘルクラウダーの

雲の部分を僅かに抉ったものの大した痛手になっていないようで、威力が足りない。

 

『・・・こ、この・・・俺様を少しずつ痛めつけて殺す気か・・・!?』

 

『おいおい、何やってんだよアルス!本気でやれよ、剣も早く・・・・・・』

 

ここでぼくは一度ヘルクラウダーから離れた。そして四人で集まってから小声で言う。

もう魔物と命がけで戦うこともないと思っていたから誰にも説明をしていなかった。

 

 

『・・・いや、これがいまのぼくの・・・ぼくたちの本気だよ。ギガスラッシュや

 アルテマソードはおろか・・・ほとんどの呪文と特技がもう使えないんだ。それに

 オチェアーノの剣をはじめとした伝説の武具は魔王に全て破壊されてしまったんだ』

 

『何ですって!?じゃあ今みたいな攻撃しかできないっていうの!?』

 

『まあそうなるわね。オルゴ・デミーラを倒すときに力を使い過ぎた反動・・・

 詳しく話す時間はないからいまはそれだけ言っておくわ。剣の腕前は

 残っているからちょっとは役に立つこいつに比べてあたしは正真正銘の

 役立たずってわけ!あっはっは!びっくりしたでしょ?』

 

笑っている場合か、とガボとアイラがマリベルを必死の形相で睨みつけた。

しかもマリベルが声をあげて笑ってしまったために最も知られたくない相手に

この事実を教えてしまう結果となった。

 

 

『グフ・・・グフ・・・!!なるほど・・・さすがは大魔王様!勇者どもに

 深い傷跡を遺して我らのために希望の道を・・・!グフフ!これならば!!』

 

立ち上がったヘルクラウダーが両手を広げるとますます雨と風が強くなった。

すぐそばにいる仲間の顔も見づらい、激しい嵐だ。ハリケーンを出したか、

もしくはヘルクラウダーが戦闘用の特技とは別に天候を操れるのか・・・。

 

『グフフ!こうなったらあの雑魚一人だけではない!お前たち全員ここで

 俺様が仕留めてやる!偉大なる大魔王様の復活が迫ってきたぞオォォォ』

 

そのまま身を隠してしまった。どこからどんな攻撃が誰を標的に飛んでくるのか

わからない、感覚頼りの戦闘が始まった。

 

 

キーファは気を失って倒れていた。彼がライラさんからもらった白い花は

すでに髪から地面に落ちていた。嵐が去った後、萎れて枯れてしまうことだろう。

白い花が悲しみの花となるときが近づいていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花の香りに②

 

山頂は大雨、嵐のなかで敵は身を隠した。ぼくたちは少しでも攻撃に対処するため

互いに背中を預けて離れずに立っていた。魔王との最終決戦で力を出し切ったせいで

ほとんどの呪文と特技を失ったぼくとマリベルの秘密が敵にばれてしまったのが

この窮地の原因だった。マリベルがあんなに大声で笑わなければこうはならなかった。

 

『詳しいことはあとでちゃんと聞かせてもらう。それにしてもマリベル、あなたにしては

 とんでもないミスをやらかしたわね。敵を元気にさせちゃったわよ』

 

『・・・うふふ・・・いや、これでいいわ!あたしにとってはね!』

 

そう言い終えるとマリベルが一人駆けだした。ぼくたちの輪から抜けてしまったのだ。

 

『お、おい!危ねーぞっ!どうしてオイラたちから離れるんだ————っ!?』

 

『おほほほ!あたしにとってはこれでいいって言っているでしょう!そこにいたら

 あんたたちへの攻撃の巻き添えに遭うかもしれないし————っ?安全なところで

 戦いを見守らせてもらうことにするわ—————っ!』

 

『ああっ!そういうことかよ!おいアルス、マリベルのやつ逃げやがったぞ!』

 

あっという間にぼくたちから距離を取って、雨風を凌げる場所まで探し始めた。

普通なら自分だけ助かろうとして別行動をとるのは自殺行為だ。一人になった

ところを狙われる。敵にとっても三人を相手にするより一対一での戦いのほうが

何倍もやりやすいからだ。でもいまに限ってはマリベルの作戦は正しい。

 

『・・・ヘルクラウダーのフランケル・・・あいつはキーファを放っておいて

 ぼくたちを仕留めようとしている。いつでも殺せる相手は後回しなんだ。

 だからマリベルはわざわざ大声で言ったのか。魔法の使えない自分はこのなかで

 唯一何もできない役立たずだと。そんなやつ、敵も構わないだろうから!』

 

『な・・・なるほど・・・マリベルは切れ者なのは認めるわ。それが悪い

 方向に向かうとただのずる賢い女だということもね!』

 

アイラはかなり苛立っていた。キーファが死ねばアイラも消滅してしまう。

そんな戦いで一人安全地帯に逃げ込んで戦闘から離脱したマリベルに怒るのも

当然だろう。だが、この後戦いは全く予想外の展開を迎えた。

 

 

『じゃあ三人とも頑張ってちょうだいね————っ。あんたたちと違って誰の加護も

 特別な力もないか弱い乙女はここで雨宿りを・・・っと。あら、誰かいる・・・』

 

『・・・・・・・・・』

 

『雨そのものは結構前から降っていたし・・・ずっとここにいたの、あなた?

 ちょっと詰めなさいよ。そこにいられたらあたしが入れないでしょうが!

 聞こえているんだったら何とか言ったらどうなの!この・・・・・・』

 

その姿を見てマリベルの笑顔が固まった。そこにいたのは他でもない、

ヘルクラウダーのフランケルだったからだ。敵が目と鼻の先にいる。

 

『うそ————っ!?何であんたがここに————っ!!あんたの敵はアルスたち、

 向こうにいるでしょう!あたしなんか狙ったっていいことないわよ!?』

 

『グフ、グフ・・・順番なんかどうでもいい。どうせすべての魂を魔王様に

 捧げるのだからな。我が身可愛さにここまでくる愚か者を待っていたのだ!

 まずはお前から俺様の餌食となれ——————っ!!』

 

ヘルクラウダーが腕を伸ばしてマリベルの首元を狙った。首の骨が折れるどころか

もしかすると一撃で刎ねられてしまうのではないかという強烈な攻撃だった。

 

『・・・あわわ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!』

 

『誰が待ってやるか!死ね——————っ!』

 

 

ぼくたちも慌てて助けに向かうが間に合いそうもない。ヘルクラウダーの攻撃が

決まったと思われた瞬間、アイラとガボは思わず目を閉じてしまっていた。

でもぼくはいま最悪の事態なんか起こらないという確信があった。マリベルなら

どうにかする、長い旅の最初からいっしょにいるのだから自然とわかっていた。

 

『・・・むむっ!?クソ、寸前でかわしやがったか!運のいい奴め、もう一撃!』

 

『あらよっと!よっ、よっ!』

 

ヘルクラウダーの攻撃を次々とかわしている。よく見るといつの間にかマリベルは

みかわしの服を装備していた。どんな破壊力のある攻撃も命中しなければ

意味がない。そしてマリベルが上手いのはもっと余裕を持ってかわせるところを

あえて間一髪で避け続けていることだ。こうなると相手は直接攻撃に固執する。

 

『クソ!クソが!いい加減観念して俺様の・・・』

 

『おほほ!お断りよ。あんたなんかに殺されちゃったら恥ずかしすぎて魂が

 安らげないでゾンビとしてさまようハメになるわ。せっかくの美貌が台無しよ』

 

冷静になれば攻撃の方法を変えるはずだ。風を操る多くの特技があるはずなのに、

あと少しで炸裂するのに全て当たらず、小馬鹿にされていると感じて躍起になって

意地でもこの腕でマリベルを仕留めようとしているのだろう。こうなっては

マリベルのペースだ。頭を使ってたくさんの強力な魔物を手玉に取ってきた。

 

 

『ハァ———・・・ハァ————・・・クソがぁ—————っ・・・』

 

『これは面白い見世物だわ、あたしの数十倍は体力のありそうなあんたが

 先にスタミナ切れとは・・・しょせんはキーファを倒すのもコソコソと

 やろうとした魔物、大した敵じゃないっていうのは最初から・・・・・・』

 

『・・・マリベル!危ないわ!そっちは・・・・・・!!』

 

そのときだった。これまで軽快にみかわしのステップを刻んできたマリベルの足が

ぬかるんだ地面によって滑り、マリベルは背中から地面に倒れてしまった。

 

『・・・あいたっ!!いたた・・・ただでさえ服がびちゃびちゃなのにそのうえ

 泥んこだなんて・・・よく見たらけっこう透けてるじゃない!最悪だわ・・・』

 

『グフグフ・・・!とうとう悪運も尽きたか!こうなってはもう俺様の攻撃を

 かわすことはできん!服の心配なんぞしなくてもいい!お前は死ぬからな!』

 

ヘルクラウダーは勝ち誇る。まず一人倒したも同然だと。

 

『散々手こずらせてくれたがここまでだ————っ!くらえ—————っ!!』

 

 

『・・・いや、最初から言ってるじゃない、あたしにとっては『これでいい』のよ』

 

 

その攻撃が倒れる彼女に届く前に、ぼくの水竜の剣が敵の右腕を斬り飛ばした。

雲の部分を斬った時と違い、確かに大きなダメージを与えたという感触があった。

 

『うぎゃぁ————————っ!!』

 

『うふふ・・・ここまで読み通りだと気持ちがいいわ。このあたしの絶体絶命の

 大ピンチ・・・アルスが間に合わないはずがないじゃない』

 

『信じてくれているようでうれしいよ。ぼくの剣の腕もまだ衰えていないみたいだ』

 

マリベルを守る。どんな攻撃からも、どんな悪意や残酷さからも。決して傷つけ

させたりはしない・・・ウッドパルナでの初心者時代からオルゴ・デミーラとの

最後の戦いのときまで一度も失敗したことのない、ぼくの唯一誇れるところだ。

薬草や回復呪文で塞がりきらなかった傷の全てがぼくの密かな自慢だった。

 

『じゃあそんなアルスにもう一つ仕事を与えるわ。あたしを起き上がらせなさい』

 

『お安い御用さ。ぼくの手につかまって・・・・・・うわっ!』

 

まさかだった。ぼくまで足が滑って転んでしまうとは。バランスを崩して

そのまま倒れてしまった。ぼく一人ならなんてことはなかったけれど・・・。

 

『・・・・・・いてて・・・ぼくも足が・・・・・・ああっ!!』

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

マリベルに覆いかぶさるようにして倒れたのはまずい。まるでぼくが押し倒した

ようじゃないか。しかも服が濡れて身体に密着しているうえにそこそこ透けている

彼女相手にだ。もしメラゾーマが使えたらぼくはすぐ燃やし尽くされていた。

それでもすぐにどかないと、と思っているうちにその右手がぼくの頬に迫った。

爪で引っ掻くかパンチが飛んでくるか・・・歯を食いしばったぼくだったけれど、

 

 

『・・・・・・・・・あれ?』

 

意外なことに、その手は優しく添えられただけだった。

 

『・・・自分で言うのも何だけど・・・怒らないのかい?』

 

『まあ・・・たまにはいいでしょ。何度もこうして守ってくれたし・・・』

 

『え・・・・・・・・・』

 

このときのぼくは、マリベルがどんな顔でこう言ったのか見たかった。

だけどそれがまずかった。じっと覗き込もうとした一瞬の隙を突かれた。

 

『・・・ふんっ!』

 

『うわっ!!急に何を・・・!きみのせいで泥だらけになったぞ!』

 

『あはははは、いいザマね。このあたしが全身汚れてあんたが綺麗なままだなんて

 許されるはずがないじゃない。これでお揃いってわけね、おほほ!』

 

地面に投げ倒された。どうにか顔だけは守ったけれど体の前面が真っ黒だ。

油断させるためにわざとあんな素振りを・・・すっかり騙されてしまった。

ぼくが立ち上がる前にマリベルはけらけらと笑いながら逃げていった。

 

 

『・・・なにやってんだあいつらは・・・しかもアルス、気がついていないぜ』

 

『ええ。あれは悪戯じゃなくて照れ隠しだというのに・・・ふふ、やっぱり

 あの二人は・・・・・・い、いやガボ!あっちを見て!』

 

ぼくとマリベルの代わりにアイラとガボが気がついてくれた。血に染まる魔物を。

 

『グフガァ・・・こ、この俺様はまだくたばってはいないぞ————ッ!』

 

しぶとい敵だった。憎しみと怒りをこめてぼくたちのもとに近づいてくる。

 

 

『やはりお前たちを葬るのはこの技しかないようだ・・・くらえ、真空・・・』

 

『おいおい、あんまり邪魔するモンじゃないぜ、男と女がいい空気のときはよォ!

 風を操るのが得意らしいが空気を読むのは苦手みたいだな————ッ!!』

 

『ぐぎゃばぁ—————っ!!きさまいつの間に復活しやがったァ————!?』

 

 

ヘルクラウダーが最大の奥義である真空の刃を放とうと力を解放しかけたとき、

その胴体が切り裂かれた。ただの剣による攻撃じゃない。邪悪なる命を燃やして

灰にする火炎斬り。何年経とうが忘れることなど決してない彼の得意技だった。

 

『・・・キ、キーファ—————ッ!!』

 

『傷が癒えている・・・しかも力に満たされているわ!あの力・・・私には

 わかるわ!大地の精霊様がキーファ様を祝福してくださっている!』

 

神様にいちばん近いところで仕えていた四人の精霊たち。魔王と配下の魔物に

打ち倒されてしまった後も、その残り香や遺産は世界の各地で確認できた。

特にこの時代は他の石版世界と比べても大昔、精霊たちが死んでから日が浅い。

キーファに一時的に一族の守り手としての全盛期の力を一足早く与えている。

ここで別れてからずっと旅を続けたぼくたちと肩を並べて戦えるほどの力だった。

 

『・・・この奇跡の力なら・・・ぼくたちが見えないか!?キーファ!』

 

『・・・・・・・・・』

 

期待を込めて叫んだ。でもキーファは答えない。やはりそれは別の問題だった。

けれどもぼくたちの希望が完全に裏切られたわけではなかった。確かな光があった。

 

『・・・オレには何も見えないし聞こえない。だが・・・そこにいるんだろう?

 アルス、それにマリベル。少し離れたところにはガボ・・・あとはもう一人、

 実感がわかねぇがオレの子孫がいる。オレの危機に駆けつけてくれたんだな?』

 

ぼくたちの存在が伝わっている。それだけでぼくは嬉しくてたまらなかった。

 

『オレの子孫ってことは・・・男か女かまではわからないが腕のある剣士だと

 信じているぜ。お前とアルスに言うぜ!あの敵にとどめを刺すぞ、オレの

 必殺技でな!オレはお前たちが見えないから呼吸はオレに合わせてくれ!』

 

『ええ・・・わかりました、キーファ様!』

 

ヘルクラウダーとの戦いに決着をつけるのはやはりこの技しかないだろう。

キーファとアイラ、二人の構えは見事に全く同じだった。そこにぼくも加わるのだ。

 

 

 

『・・・う~ん・・・やっぱりぼくにはダメだ。いくら練習してもできない』

 

『ハハハ・・・いつかできるさ。それにお前にはオレには使えない魔法がある。

 オレが剣技、マリベルが攻撃呪文、お前がおれたちの回復や補助、役割は

 しっかりしてるぜ。ずっと昔の勇者様たちにも負けず劣らずな』

 

『確かに!それならキーファはローレシアの王子アレン、あたしはムーンブルクの

 王女セリアの生まれ変わりなのかもね。剣も呪文も中途半端な残り一人と

 アルス、そこもしっくりきてるじゃない。ここまでいっしょだと驚きだわ』

 

『もう一人・・・サマルトリアの王子アーサー、テンポイントとも呼ばれた

 流星の貴公子。女性に人気があったというのはぼくには当てはまらないな。

 彼は仲間たちを残して戦いで死んでしまった・・・なんか不吉だなぁ』

 

 

 

まさかキーファが一人遠いところにいなくなってしまう、サマルトリアの王子の

生き写しになってしまうなんて・・・。ギガスラッシュにアルテマソード、

たくさんの技を使いこなせてもあの火炎斬りだけは最後まで習得できなかった。

これが最初で最後でいい。どうかキーファの前で成長したところを見せたい!

そう強く願ったとき、ぼくの腕のアザが青く光った。久しぶりの感触だ。

 

『ハァ—————ッ!!』

 

『準備は整ったようだな!じゃあいくぜ、火炎斬り——————っ!!!』

 

まずはキーファが、そしてアイラが続いてヘルクラウダーを激しく斬りつけた。

最後にぼくの水竜の剣が炎を帯びて、敵の頭から雲の一番下まで裂いた。

 

『くらえ—————っ!!これで終わりだ———————っ!!』

 

『うぎゃあああああぁぁ—————————ッ!!!』

 

ヘルクラウダーのフランケルは全身が炎上したままどこかへと吹き飛んでいった。

戦いが終わり、雨も風も収まり始めていた。ぼくたち四人は集まってキーファの前に立つ。

 

 

『アルス・・・他の三人もそこにいるな?助かったぜ。どうやらいまのお前たちは

 おれと別れてから最低でも五年・・・もしかしたら十年は経っているらしい。

 ガボもすっかり大きくなっただろうしオレの子孫までいるんだもんな・・・』

 

『・・・・・・・・・』

 

『あのときはオレの勝手な行動できっとたくさんの人間を傷つけただろう。

 当然お前たちにも酷いことをした・・・・・・ほんとうにすまなかった。

 親父や妹のリーサは元気か?もしオレの子孫が何かの縁でグランエスタードで

 親父たちといるのだとしたらこれ以上うれしいことはない・・・』

 

『キーファ!』 『キーファ様!』

 

ガボの瞳は潤んでいた。家族を失ったガボにとってキーファは頼れる兄ちゃんだった。

アイラも消滅してしまう危機を免れたことすら忘れ偉大な先祖の声を聞いていた。

 

『きっと・・・もう会うことはないと思う。今度こそ永遠のお別れだ。でも

 悲しむなよ。オレはオレ、お前たちはお前たちの宿命や生き方に従って生きる、

 それだけだ。離れていてもオレたちの友情は変わらないからな!』

 

『ふん・・・相変わらず勝手な言い分ね』

 

感情を見せずに腕を組んで立っていたマリベルが吐き捨てるように言う。マリベルは

かつてぼくとガボがキーファの離脱に猛反対する中でもこんな感じで、好きに

したらいいと彼に言った。いなくなっても構わない、どうでもいいなどとは

思っていなかったはずだ。自分が何を言おうが無駄だとわかっていたんだ。

 

納得できないぼくはキーファに決闘を挑んだ。ぼくを倒さなければ離脱は認めないと。

ナイフやブーメランを隠し持ち、意表を突いた戦い方でキーファを追い込み勝利は

目前というところまでいった。でもそのときぼくもキーファの目を見てわかった。

彼が悩み抜いて決めたことだ。こんな決闘にそもそも意味なんてなかったと。

ぼくはわざと倒れた。そしてここで別れることを認め、キーファの荷物を預かった。

マリベルにはこうなることも最初から全部わかっていたのだろう。

 

 

『・・・オレはまだまだ修行しなきゃいけねぇ。オレ一人の力で試練に合格できる

 ようになるまでダーツさんと一から訓練のやり直しだ。この花はいくら探しても

 見つからなかったことにして、ライラとの結婚はもうしばらく我慢するぜ・・・』

 

族長から与えられた試練を乗り越えた証として持ち帰らなければいけない白い花。

あれほどの嵐や戦闘があったにも関わらず美しく咲いていたそれをキーファは摘み、

彼には見えないはずなのにぼくのすぐそば、目の前に来てその花を差し出してきた。

 

『この花は・・・オレたちの永遠の友情の証としてお前に受け取ってほしい。

 生きる時代が違ってもどれだけ離れていても親友だとお前が認めてくれるなら

 どうか・・・オレの手からこの白い花を!』

 

『・・・・・・マリベルの言う通りだ。自分勝手なのは変わらないね。

 受け取らないわけがないじゃないか・・・いつまでもぼくたちは親友だ』

 

白い花をぼくは受け取った。すり抜けることなく、確かにこの手で。

そのとき、ぼくたちの視界が歪んだ。キーファの姿もわからなくなっていく。

 

『お別れみたいだな・・・最後に一つ言っておくぜ。オレがお前たちの存在に

 気がついたのはこの溢れる力のせいじゃない。何となくオレがよく知っている

 アルスとマリベルが二人で馬鹿なことをやっているのがわかったからだ』

 

『・・・・・・!』

 

『まだお前たちは恋人にすらなっていないんだろうが・・・二人とも

 早く自分の気持ちに素直になることだ。悔いのないように生きろよな』

 

 

 

 

再びぼくたちの視界が明るくなった時、すでにキーファはいなかった。ぼくたちは

旅の扉のそばまで戻っていた。今からもう一度向かったところでユバールの民は

もう旅立ってしまっている・・・それだけは四人ともわかっていた。

 

『・・・せっかく来たんだしまたあの美味しいお酒が飲みたかった。残念だわ』

 

『その通りだよ。アイラだってもっと一族の人たちと話がしたかっただろうに』

 

マリベルとぼくは顔をしかめながらユバール族との別れを惜しむ。けれども

ガボたちはごまかされてはくれなかった。すぐに逃げ道を塞ぐようにして立ち、

 

『そんなこと今はどうでもいいわ。キーファ様が最後に言った言葉が大事よ』

 

『うっ・・・!!』

 

『そろそろハッキリさせたほうがいいんじゃねーかぁ?今すぐここでよォ』

 

ぼくは何も言えないまま下を向く。マリベルもどこか関係ないところを

眺めながら髪の毛をいじっているだけだ。どうしようと沈黙したまま

数十秒が過ぎたところで、ぼくとマリベルにとっての助け舟がやってきた。

とはいえ全くありがたくない、厄介な助け手であったのが残念だったけれど。

 

 

『グブブ・・・よくぞ、よくぞ俺様をこれほどまで・・・許さんぞ・・・!!』

 

『げっ!フランケル!まだ生きていたの・・・とんでもない執念というか怨念ね』

 

敵が現れてはくだらない話をしているわけにもいかない。ほんとうにしつこい相手だった。

 

『もはやなりふり構っていられん!こいつらの力でお前たちを亡き者にする!』

 

フランケルの後ろには数十体ほどの黒雲に乗った配下の魔物たちがいた。雲だけで

なく全身も黒いその魔物たちは、暗闇入道(くらやみにゅうどう)という種類の

魔物であると後で知った。強さは・・・実のところよくわからなかった。

どうしてわからなかったかって?これから続けて起きる出来事を知れば納得するだろう。

 

 

『こいつはなかなかしんどい戦いになりそうだぞ。こんな群れを隠していたなんて。

 ヘルクラウダーはもうボロボロでも後ろの連中は強いぜ、全力で行かねえと』

 

『うん。一体ずつ確実に倒すしかなさそうだけど体力と気力が持つか・・・うっ!

 みんな、伏せろ!何かとてつもないものが急接近してくるぞっ!』

 

そんな不安も一瞬で吹っ飛んでなくなることとなる。天を切り裂くような

轟音と共にぼくたちを避けるようにして、バギクロスを遥かに超える威力の

竜巻が敵の群れを飲み込み、暗闇入道たちは細切れになっていた。彼らの

残骸が散らばる残酷な光景を目にしてもぼくたちは驚きのほうが強かった。

あっという間に敵がいなくなったというラッキーに喜ぶことも、大魔王すら

凌ぐであろう風の使い手が現れたのを恐怖することもできずにただ驚き戸惑う。

 

『・・・あいつらを倒したってことは私たちの味方・・・?でもそんな感じはしない。

 だってこの風からは正義や光の気配を全く感じないもの!魔物の放つ技だわ!』

 

『あ・・・ああ。とってもイヤな匂いがするぜ。何者なんだ!?』

 

その恐ろしきものは果たして精霊か幻魔か、それとも新たな敵か・・・・・・。

とうとう姿を現した風の王の正体は、フランケルととても似た外見をしていた。

おそらくはこの魔物もヘルクラウダーなのだろう。だけど同じように黄金に輝いて

いても後から登場したこのヘルクラウダーの放つ光は全くの別物で、その威厳ある

姿と風格はこれが神様だと言われても納得してしまいかねないほどのものだった。

オルゴ・デミーラが演じていた偽の神様よりもよほど神の名にふさわしい、

何の訓練もしていない人間だったらその栄光の前に気を失ってしまうだろう。

 

 

『・・・げげっ!!き、きさまは!!』

 

『ヘルクラウダーの名を汚す者がいると知り来てみたが・・・確かに

 救いようのない愚者であったようだ。完敗を喫しただけにとどまらず

 これほどの大群の力を借りるとは・・・』

 

ぼくたちを倒すためにフランケルに加勢しにやって来たわけじゃなくて一安心だ。

むしろフランケルへの怒りに満ちていて、その顔を鷲掴みにすると力を込め、

 

『うぬのような弱者であり卑怯者は一族の恥!その罪の報いは死以外にない!』

 

『そ・・・そんな!俺はただデミーラ様のために・・・・・・あがががが』

 

『問答無用!我の裁きを受け無に帰するがよい!』

 

なんとあれだけタフだったフランケルの頭部を握力だけで砕け散らせてしまった。

すぐに血が噴き出し、とうとう事切れた顔無しの魔物は動きを停止した。

突然現れた魔王に近い実力を持つこの魔物は今度はぼくたちのほうを見た。

 

 

『や・・・やる気?それならこのアルスがやってやるわよ!』

 

マリベルはぼくの背にそそくさと隠れた。相手に言われる前にこっちから言ってやると

いうのはわかるけれどおいおい、と思った。いまのぼくじゃあっさり負けちゃうぞ。

そしてヘルクラウダーはぼくをじっと見つめた。冷汗が流れるのを感じた。

けれどもヘルクラウダーは空へと上昇し、ぼくたちから離れていった。

 

 

『いや・・・うぬらと戦うべきはこのわたしではない。いずれふさわしい時代、

 ふさわしい場所でわたしの後継者である一人娘と戦うことになるだろう。

 うぬらの勇気と信じあう力とぶつかることがわたしの娘の成長に必要だ。

 魔王様すら脅かす人間の底知れぬ力・・・ここで潰してしまうには惜しすぎる!』

 

『・・・・・・いいのか?ぼくたちをここで逃がしてしまっても・・・』

 

『どうやらうぬは何らかの理由で力を失っている。ならば戦う時ではないと

 いうことだ。さらばだ、人間ども!いずれ再び会うであろう!』

 

これぞまさに正々堂々の戦いを好む武人か。風のなかにいなくなってしまった。

このヘルクラウダーこそがぼくたちが戦ったラフィアンの父であり、言い方は

おかしいけれども本物のヘルクラウダーなのだろう。ついさっきまでの激闘を

忘れてしまうほどの衝撃を刻まれたままぼくたちは現代に戻ることになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花の香りに③

 

『ハハハ、そうか父上に会ったか!生きて帰ってきたということは戦いにはならずに

 終わったか。命拾いしたな!せっかく魔王の遺した刺客を退治してアイラの消滅を

 回避したというのに父上と戦っては骨すらも残らなかっただろうからな!』

 

過去のユバールから戻ってきたぼくはアイラの危機を救うための大ヒントを

与えてくれたラフィアンのもとへ来ていた。この日はたまたま皆の予定が合わず

ぼく一人だった。リファ族の始祖たちの村まで行くのが面倒だっただけかもしれないけど。

 

『もしアイラがいなくなればあいつに斬り落とされた腕の調子が良くなるかもと

 期待したがやはりそういうのは駄目だな。それでも以前よりは少しだけ痛みが

 和らいでいるような・・・これも歴史が微妙に変わった証かもしれないな』

 

遠い先祖であるキーファと短い時間ではあったけれど共に戦ったことでアイラは

生まれながらにして得ていた才能がほんの少し底上げされたのかもしれない。

あまりにも切れ味鋭く腕を切断したため、ぼくの回復呪文を受けた後の回復が

うまくいったのだろう。そしてもう一つ、今回のぼくたちの旅は世界を変えた。

 

『・・・それは白い花か。白い花は故郷の悲しみの花と言われているな』

 

白い花は悲しみの証となった。でもキーファが死んだせいで遺されたライラさんが

それを詩にする、その事態は避けられた。だけどキーファが関係していることは

間違いない。彼がぼくにこの花を別れの際にくれたからだ。

 

『懐かしいな。わたしもあの日・・・フィリアからもらったのだから』

 

彼女が父ヘルクラウダーのほかにもう一人、その話をさせると止まらない人がいる。

それが『フィリア』。ぼくたちにとっても彼女にとっても大切な少女だ。

 

 

 

背中に翼を持ち空を自由に飛び回るリファ族のなかでただ一人普通の人間と同じように

足で地を歩くことしかできなかった少女フィリア。当時の聖風の谷の人々は自分たちは

神に選ばれた民だ、だからこのような素晴らしい力を持っているのだと誇り、父親すら拾った養子だと言い張るほど飛べないというのは不名誉なことだった。誰も味方が

いないフィリアを遠くから眺め、心を動かされたのがラフィアンだった。ヘルクラウダーに与えられるはずだったこの大陸の封印を彼女が任されて一人やって来たときだった。

 

『わたしには父上がいた。だけどあいつは親にすら・・・!この地の人間を根絶やしに

 するという決意をさらに強めることができた。そう、たった一人以外は』

 

自分も魔物と人間の混血であり、周りの魔族から馬鹿にされては数倍返しの攻撃で

報復し荒れた日々を過ごしていた彼女にとってフィリアは他人に思えなかったという。

村を訪れた旅人のふりをしてフィリアに近づき、すぐに友達になってからは二人とも

毎日が楽しかった、そう言っていた。互いにとって初めての親友を得たからだ。

 

『最近魔物が大人しいね。ちょうどラフィアンが来てからかな。いままでだったら

 こんなところでいっしょにごはんを食べてお昼寝なんてできなかった。魔物が

 襲ってきてもみんなは翼を使って逃げられるけど私は何もないから・・・』

 

『そうか・・・まあ偶然だと思うけどな』

 

この地の魔物を治めるラフィアンが待てと言っているのだから魔物たちは何も

できるはずがない。後になってぼくたちがリファ族の神殿に向かったときも

一切魔物との戦闘がなかったのをよく覚えている。これはおかしいとみんなで

激しく論じ合ったけれどなんてことはない話だった。ぼくたちはフィリアを

連れていたのだから、万が一の事態が起きないように指示を出していたのだ。

 

『それにわたしからすればフィリア、お前のほうが立派だ。人間はその足で

 歩くのが自然の理。あの翼に頼りきりの選民思想が強い民は実のところ

 老人から幼児に至るまで人間以下の畜生だとこの数か月ではっきりした。

 この世の中が正しければいずれ神による裁きが谷を襲うはずだ』

 

『・・・お父さんたちのことを悪く言わないで。悪いのは私なんだから』

 

『お前は優しすぎる。この地はすでに風の精霊の加護を受けた地などでは

 なくなっている。そのときは・・・もう近づいているんだ』

 

半年近く谷の人間たちには知られないように楽しんでいた秘密の友情。

そしてフィリアの優しさによって得られていた聖風の谷の滅びの猶予は、

一族の人たちがフィリアを迫害し続けたことで共に終わりを迎えた。

ちょうどそのときだった。ぼくたちが石版によってこの地に来たのは。

 

 

『・・・あれがセトやグラコスを倒したとかいう人間たちか。魔王様が警戒する

 ほどの者たちか・・・その勇気や知恵を試してみるとするか!』

 

黒雲と神の石を使った罠だった。問題を解決して今回は早く終わったとぼくたちが

思ったそのとき、風を奪われて体が重くなった人々は地に倒れ始めた。神の石が

関係していたことから、村の人々の横柄で傲慢な態度や生き方に接したぼくたちも

これはほんとうに天罰なんじゃないかと一瞬納得しかけてしまった。

 

『いや、こんなものが神からの裁きのはずがない!これはまるで伝染病でござる!

 大勢の人々が苦しみ抜いた挙句救われずに死ぬ・・・神は残酷な方ではない!』

 

神様をよく知っているメルビンさんがぼくたちを間違った考えから引き戻してくれた。

実際、魔族であるラフィアンがフィリア以外のリファ族を狙い撃ちにするための

攻撃方法だった。もしフィリアと出会わなければこんな回りくどいことはせず

魔物の群れを連れてここで虐殺をするだけだったとラフィアン自身が認めている。

それをやられたらぼくたちにとって厄介だった。マリベルが抜けてアイラが

加わって最初の冒険、しかも戦闘の機会が少ないときにそんな戦いが始まったら。

結局のところぼくたちもあの子の優しさと勇気に救われていたのだ。

 

 

 

『フィリアちゃんがいたからきみは本気を出せなかった。この地を滅ぼすのが

 きみだとわかったらきっとフィリアちゃんは他の誰でもなく自分を責める。

 最終的にきみは魔王の命令ではなくフィリアちゃんのために聖風の谷を

 滅ぼそうとした。だから優しいあの子を傷つけないためにきみは・・・』

 

『しかし真の勇気と信じあう心がわたしの野望を許さなかった。戦いの場に

 フィリアが入ってきてしまったのだからどうしようもない。動揺を見逃される

 わけもなく腕を斬られてあとは防戦一方、フィリアが命がけでお前たちに

 わたしを助けてくれるように頼んでくれなかったら確実に死んでいた』

 

その願いに応じるかどうか、やっぱりぼくたち四人の意見は分かれた。

一人ぼっちの寂しさを利用された彼女は洗脳されているとか自分を傷つけた

人々のためにここまで来たのだから魔物相手にもその優しさを発揮しようと

するのも無理はないが甘すぎる、と厳しい言葉が多かったのも確かだ。

ぼくも悩んだ。ここで見逃せば後々大変なことになるかもしれない。大勢の命を

危険に冒してまでとどめをささない、それじゃあ勇者失格だろうと思った。

答えを出せないぼくだったけれど、そのときこの場にいないはずの声がした。

 

 

『あんたのやりたいようにやればいいのよ。あたしたちはずっとそうだったでしょう?』

 

 

ああそうだマリベル。その通りだ。ぼくは世界を救う勇者になりたいわけじゃない。

だったらいま感情に任せてここにいるかわいそうでとても優しい心の持ち主二人を

救ったっていいじゃないか、心を殺してまで使命に生きる必要がどこにあるんだ。

自然と倒れる敵に向かって回復呪文を唱え、世界樹のしずくを差し出していた。

 

 

『・・・まあそのせいで結局ほんとうに大変なことになっちゃったんだけどね。

 ぼくたちがいなくなってから確か・・・三年もたたなかったんだっけ?』

 

『その話は今はいいだろう。お前の仲間が助かった上機嫌な日に出す話題じゃない。

 お前の行動は間違っていなかった。ああしなければフィリアは神の石をお前に

 託さなかっただろうしわたしは隠していた不思議な石版のありかを伝えられずに

 死んだ。お前たちの旅は終わってしまっていたかもしれないぞ』

 

ラフィアンがそう言うのでぼくも余計なことは口にするのをやめた。そもそも

なぜ昔の話になったんだっけ。ここでやっと思い出した。白い花のことだ。

今回のぼくたちの冒険は他の冒険の歴史も僅かに変えていた。キーファが残った

ユバールの時代は石版世界でもかなり昔のほうで、おそらくコスタールの次

くらいに古い。その次がギリギリで聖風の谷で、どうやらキーファたちは

ここにも訪れてきていたらしい。そのときこの文化が伝わったのだろう。

 

 

 

『フィリア・・・お前はもうわたしがいなくても大丈夫だ。お前の勇気と

 優しさはわたしの力よりも、もっと言えば勇者たちの持つ力よりも

 強くて美しいものだ。あの谷の人間たちもお前を受け入れるだろう。

 翼などなくてもあの地で平穏に生き、たくさんの友人に囲まれ・・・

 結婚して子を持つという普通の幸せが得られる。わたしはもうここには

 いられないしいる必要がない。ありがとう、そしてさよならだ』

 

『・・・・・・どうしても行っちゃうの?』

 

魔王直々の任務に失敗したのだ。いまは命拾いできたが生き続けられる保証はない。

フィリアの希望に満ちた新しい日々の邪魔をしたくないというのも大きな理由で、

何を言われてもその意志は固かった。諦めたフィリアはラフィアンにあるものを

手渡した。それは白い花、永遠に近い別れ、しかし永遠の友情を意味する花。

 

『・・・・・・私たち、これからは生きる場所も時代も違うけれど・・・』

 

『どんなに離れていても・・・親友だ』

 

 

悲しくてやりきれないような別れだけど、互いに笑って悲しみをどこかへ

飛ばしてしまおうという爽やかさの残る別れ。絶対に失われない愛と絆が

確かにここにあり、どんな強力な敵や試練、死すらもそれを断ち切れない。

そんな思いが詰まった白い花。悲しみながらも強く生きていくための花。

 

『ふふふ・・・しかしお前の話を聞くまではわたしはお前より強いかもと

 思っていたよ。フィリアが視界に入らなければ過去での戦いはわたしが

 勝利していた・・・それは大きな間違いだったようだ』

 

『どうだろう。力を失ったいまのぼく相手でも同じかい?』

 

『それでもお前の勝ちだ。とはいえ条件付きではあるがな。お前のすぐそばに

 お前が守りたいと思っている女がいれば、だ。あいつがいたらわたしはきっと

 何もできずお前たちに負けただろうな。あのときのお前はちっとも本気を出せない

 状況で戦っていたんだ・・・ふふ、ここに長居しているとその女に怒られるぞ?』

 

時々顔を見せる程度の相手にまで見抜かれているんだ。ぼくをもっとよく知っている

人たちにはバレているんだろうな。急に恥ずかしくなって汗が噴き出してきた。

 

 

 

 

 

「あの冒険から一年も経っただなんてね・・・最近は暇で仕方ないわ。

 城で稽古したって誰を相手に剣の腕を発揮するっていうのかしら」

 

「平和なのはいいことだよ。ところで今日は何の用でここに?」

 

アイラは口に手を当てて今思い出したといった顔をした。そしてサラッと言った。

 

 

「そうね・・・実はお城を辞めることになったの。もうすぐ結婚するから」

 

「へぇ、そうなんだ・・・・・・ってええええっ!?」

 

「相手はあなたも知っているトゥーラ弾きのヨハン。なかなか波長が合うのよ。

 あとは彼が族長から与えられる試練に合格すれば・・・だけどあれは前にも

 言った通り名ばかりのテスト。ヘルクラウダーでも現れたら別だけどね」

 

とても重大なことなのにやけにあっさりと伝えてきた。これだけでもぼくは

混乱しているのに続くアイラの言葉はもっと衝撃的だった。

 

 

「うふふ・・・実は私、あなたのことがずっと好きだったの。初めて会った

 あの日の夜、星空を見ながら皆で横になったあの日からね。その顔を見ると

 やっぱりアルス、あなたは全く気がついてくれなかったのね」

 

ぼくは返事をするのも忘れ、目をぱちくりとさせるだけだ。ぼくを困らせて

楽しむ冗談だと疑ってしまうほどの告白だった。でもアイラの顔は真剣で、

それでいて穏やかな笑みを浮かべて淡々と話を続けている。

 

「マーディラスのグレーテ姫・・・あの人も近いうちに婚約発表があるって

 噂があるわ。きっと私と同じことに気がついたんだわ。あなたにふさわしい

 女は自分ではないっていう悲しい現実に・・・」

 

「・・・・・・」

 

「なのにあなたたちはいまだに恋人ですらないのだからおかしな話だわ。

 最近会っていないんですって?何が原因なのかは聞かないけれどしっかり

 しなきゃダメよ。キーファ様もあなたたちが結ばれることを願っていた。

 あんまりのんびりしていると後悔することになりかねないのだから・・・」

 

アイラはぼくに白い花を渡した。城を去りこれからユバールの民として生きる

彼女と会う機会はかなり減るだろう。神様を復活させる必要がなくなっても

一族は世界中を旅している。ぼくはキーファだけでなくアイラからも別れを

告げられ、いろいろと整理がついていないけれどあの時のような寂しさや

無力感はなかった。アイラはキーファとは違い現代にいるから会おうと思えば

チャンスはあるというのも理由の一つだったけれど、彼女がこの花をくれた、

それがぼくたちはずっと親友であると言ってくれている証だったからだ。

 

「・・・じゃあね、アルス。村の人たちにもよろしく伝えておいてね」

 

「うん。ぼくからもお城のみんなやユバール族の人たちに挨拶を頼むよ」

 

 

持っていた風の帽子を放り投げるとアイラは一瞬で見えなくなった。

白い花は彼女の故郷の別れの花。永遠の友情を誓う爽やかな悲しみの花。

 

 

 

 

 

 

アイラがいなくなってからその余韻に浸る間もないうちにまたしてもぼくのもとに

お客さんが来た。普段は一日じゅう誰も来ないのに今日はとても珍しい日だ。

 

「やあガボ。港ではよく会うけどこんなところに来るなんて・・・」

 

「オイラも最初はあっちに行ったんだけどいなかったからな。でも今日に限って

 船に乗って漁に行ってたらどうしようって思ったぜ。なかなか漁師にならねえ

 くせにとうとう決心したのが今日っていうんじゃ間が悪すぎるからなぁ」

 

どうやらガボが先に港に向かったからアイラとは入れ替わりになったようだ。

わざわざぼくに急ぎの用があるということは何か問題でもあったのだろうか。

 

「実は・・・北の涼しい土地で暮らすことに決めたんだ。決めたんなら早いほうが

 いいって話になってもう明日にはいないんだよ、オイラたち。それでアルスと

 マリベルに言わなきゃって来たんだけどなァ・・・マリベルはいないのか。

 アルスの居場所だけ聞けばいっしょにいると思ったのに」

 

「ハハハ・・・きみが思うほどぼくたちの仲は深くないよ。いまはマリベルが

 どこに行ったのかわからない状況だしね。きみたちには到底及ばないよ。

 北へ行くというのは・・・そっちのほうが環境がいいってこと?」

 

「二人とも寒いのは得意だからな。誰も住んでない広い土地も見つけたんだよ」

 

そう、ガボは一人ではない。ぼくたちの誰よりも早く結婚していた。もうそれが

問題ないくらいの人間として生きた年数と経験があるからいいのだけれど、

まだ人の言葉も満足に話せないときの彼を知っているから何とも言えない気持ちだ。

しかもアイラに続いてガボも遠くへ行くことの報告に来るとはやはり今日は

大事な何かの転換点となる一日なのかもしれない。

 

 

 

 

ガボがその人と再会したのは神さまに化けていた魔王が本性を現し、エスタード島を

含めた世界の数か所が封印されたときだった。ダーマ地方もその中の一つで、

ぼくたちがそこに向かうとすでに大量の魔物が至るところで徘徊していた。

 

『・・・とんでもない数ね!こりゃあ神殿はもうダメかもしれないわ。なかなか

 いい雰囲気のあの宿屋はせめて無事でいてほしいところだけど』

 

『おいマリベル、そこは神殿が一番大事だろ!せっかくオイラたちが苦労して

 取り返したダーマがまた魔物に奪われたなんて許されねーだろうが!』

 

時々出るマリベルの困った発言に注意するのはたいていぼくの仕事だった。

でもこのときはガボが真っ先に、それも本気で怒りながら声を張り上げていた。

ぼくはその理由がすぐにわかった。ダーマはガボにとっていまだに特別な場所で、

神殿を守るということはあの日別れた彼女との思い出を守ることにもなったからだ。

 

『あのときガボはダーマに残るんじゃないかって思ったほどだ。いまだに・・・』

 

『へへ・・・キーファがいなくなったすぐ後だったのに心配させたな。魔王を

 倒すっていう目的がハッキリしてなかったら危なかったけど、そのおかげで

 なんとか先に進むことができた。そしてその判断は間違ってないと思うぜ』

 

『まさかフォズ大神官を好きになって、向こうも満更でもないって感じだったもの。

 でもあたしはフォズだったらガボにはもっといい相手がたくさんいると思うけどね』

 

過去のダーマ神殿の長、幼いフォズ大神官。背丈や生まれながらにして精霊から

特別な力を得ているというところでぼくたちよりもガボのそばにいることが多かった。

そしてマリベルとは最後まで仲が良くならなかった。ダーマを奪われた無能だの

あんな子供じゃ失敗して当然だのといつものように毒を吐いていたら、表情こそ

穏やかなままではあるけれど明らかに憤慨している大神官に足から腰のあたりまで

凍らされ動けなくなったこともあった。マリベルはその腹いせに、フォズ大神官は

丁寧な口調で謙遜に振る舞っている裏で実のところ力なき凡庸な周囲の人間を

見下しているという根拠のない悪口を撒き散らしていた。

 

『・・・でも現代の大神官はどこにでもいるおじ様だし・・・あらあら』

 

ガボのダーマでのエピソードはアイラも何度か聞いているため、ここは無駄な

仲間同士での戦いを避けるために仲裁に入ろうとしてくれた。しかしぼくたちを

囲む魔物の数が想像以上に多かったこと、しかもローズバトラーやシールドオーガ、

マッドファルコンなど倒すのに苦労しそうな魔物ばかりであることに気がつき

一瞬で緊張感に満ちた顔になった。それはぼくたちも同じで、昔話を楽しむ余裕はない。

この時点で初めて見る魔物もいたため、戦術はこれから考えないといけなかった。

 

『戦いを長引かせると危険だ。最初から全力で行こう!』

 

ぼくの方針に皆が頷く。でもそれをすでに行動に移している人がいた。

魔物たちだけを圧倒的な氷の刃が襲い、耐性のない魔物は全身を破壊され

氷をある程度凌げる魔物ですら氷漬けにされて機能が停止した。ぼくたちが

やることといえばその魔物たちを砕いて完全なとどめをさすくらいだった。

敵でないことは確かだけど、こんな実力を持つ人が現代のダーマにいたのか。

 

『圧倒的な強さだ・・・でも誰だ?ダーマで強いと言えば・・・山賊たちか?』

 

『まさか。ここまでじゃないわ。ダーマで氷の呪文・・・イヤな予感がするわ』

 

遠くから誰かが近づいてくる。たった一人、それもかなり背が低い。だんだんと

その姿が大きくなると、ぼくたちは思わず目を疑った。闇の世界に落ちているせいで

視界が悪いからこんな見間違いをするのかと。

 

 

『ふぅ・・・お怪我はありませんか?いまは外を出歩くのは大変危険で・・・・・・』

 

『・・・あ、あなたは・・・・・・フォズ大神官!?』

 

数百年前の時代の人間がここにいるはずがない。でもこの顔と声は確かに・・・。

大神官に会ったことのないアイラもぼくたちの反応を見て察したようだ。いつもは

真っ先に駆け出すガボも固まったまま事態を飲み込めていなかった。あっちも

ぼくたちを見て明らかに驚いた様子だ。これはまさかと思ったけれど、

 

『・・・あなたたちが・・・私の遠い先祖の時代にダーマを魔物たちから救い出した

 勇者たちなのですか!?ええ、間違いない!言い伝えよりも数歳年上のようでは

 ありますが・・・!この私の時代こそが勇者たちがいた時代だったとは!』

 

『その感じだと・・・アルスたちと一緒に戦った大神官の子孫ってわけね?』

 

『はい。私の名前はアパパネ。ですがそんなに似ていると聞くと嬉しくなります。

 私の先祖でありながら皆さんのほうが実際に会話もされてよく知っている、

 不思議な話ですね。皆さんはいま世界を襲う危機を救うために戦っておられるの

 でしょうから、この大陸は私に任せて他の土地の人々を助けに向かってください!』

 

フォズ大神官のものよりもずっと上級の呪文を使いこなすのだ。確かにここは

言われた通りこの人に任せても平気そうだ。ところがガボはいつになく真剣な顔で、

 

『・・・・・・ほんとうにフォズじゃないのか・・・?』

 

全く距離がないところまで詰め寄っていた。彼の直感がそうさせたのだろう。

 

『・・・いや、いま言ったはずです。私はあなたたちの知るフォズの子孫。

 本来この時代の人間であるあなたたちのよく知っている姿で数百年も前の

 人間が現れるはずがないではありませんか。そんなものは人でなく・・・化物です。

 声や雰囲気や匂いで勘違いされたというのであれば大きな間違いですよ』

 

冷たい目でガボを制すとそのままどこかへと去っていこうとした。立ち尽くすガボの

背中を優しく何回か叩いてぼくとアイラは彼を慰め、船に戻る準備をするように言った。

 

『確かにあれは間違うよ。昔の別れの思い出がいまだにきみの中に強く残って

 いたとはね・・・あの海賊船でいっしょにお酒でも飲もうじゃないか』

 

『ええ。こんなに海が荒れているのに海賊たちは魚をたくさん獲っていたわ』

 

ようやくガボも諦めようとしたそのときだった。マリベルが笑いながら大声をあげた。

誰に対して言うわけでもない、やけに大きな声のひとり言だった。

 

 

『あははは!いや~・・・びっくりした!でもあのフォズ本人じゃなくてほんとうに

 よかったわ!あんなのとは二度と会いたくないって思っていたもの!』

 

気のせいだろうか、アパパネと名乗った少女の足が止まった気がした。

 

『口だけの無能だった先祖に比べてちょっとはまともだったからホッとしたけどね。

 今さらフォズが出てきたってガボ、あんたも困るでしょ。エスタード島では

 あんなに大勢の女に囲まれてモテモテのあんたなんだから・・・』

 

くるっと振り返って戻ってきた。マリベルは気にせず言葉を続けた。

 

『フォズに子孫がいるってことは結婚して子どももできたってことなんだから

 もう諦めがついたでしょ、ガボ。別れの時にあなたのことは一生忘れませんって

 言ってたけど現実はこんなモンよ。あいつの言う一生はせいぜい一週間・・・』

 

『・・・・・・凍てつく冷気————っ!』

 

ぼくのアザが光った。考えるよりも先にギガスラッシュの構えに入っていた。

鋭い氷の塊がマリベルを貫く寸前でどうにかそれを真っ二つにすることができた。

命の危機が迫っていたというのにマリベルはいまだにニヤニヤと笑っていたけれど、

その理由はこの後すぐにわかることになった。全てマリベルのシナリオ通りだった。

 

 

『・・・・・・ふふふ、アルスさん。さすがです。やはりあなたには勇者の資質が

 あったのですね。あの状況からギガスラッシュを完璧に放つだなんて・・・。

 あのときの私の目は正しかった。あなたこそこの世界に真の平和をもたらす人です』

 

『・・・!ということはまさかあなたは本物のフォズ大神官・・・!』

 

『くだらない挑発に乗ってしまったせいでもう隠せなくなりました。あなたたちが

 去り、大神官の職を他の方に譲った後も私はこの地の決して人が来ない場所で

 ダーマと世の中が乱れたときのために一人で見守り続けてきました』

 

『あれからずっと・・・!数百年は経っているじゃないか!』

 

ガボもやってきて、ぼくたちの間に割り込んでフォズ大神官の肩を掴んで言う。

 

 

『やっぱりそうだったな!だったらなんであんな意味のない嘘を・・・』

 

しかしガボはその肩からすぐに手を離した。目の前の愛する人が涙目だったからだ。

肩を掴む力が強すぎたせいではないはずだが、彼女の言葉を聞かずにはいられない。

 

『ご覧の通り私は普通の人間ではありません。隠していましたが私の正体は

 魔物と人間の混血であり、寿命がない化物なのです。神や精霊に愛され特別な

 力を授かったガボとは違い、人間として生きていくのは不可能なんです』

 

『・・・だからずっと一人で生きてきたのか・・・・・・』

 

『もしかしたらいつかガボたちの時代になって再びその姿を遠くから見ることが

 できるんじゃないかと思って・・・。でも私が実はこんな歪な生命であったことを

 知られたくなくて・・・あなたを愛する資格もないのだから他人のふりを・・・』

 

ついに顔に手を当てて涙を零した彼女をガボは強く抱きしめた。そして静かに言う。

 

『・・・・・・オイラも同じだ。嫌われると思って黙ってたけどオイラは元は

 人間じゃなかったんだ。魔物の力で人間になった変な生き物だ。フォズや

 旅の途中で出会ってきたモンスター人間たちよりも正体不明のよくわからない

 生物・・・それがオイラさ。確かにあれから少し成長したけれど予感がある。

 これ以上は変わらない。数百年、数千年経ってもこのまんまの姿だろうってな』

 

『・・・・・・なんてこと・・・ふふっ、どうやら私たちはとことん似た者同士

 だったというわけですか。こんなことならもっと早く打ち明けていればよかった。

 数百年もあなたを待ち続ける必要はなかったのに・・・』

 

ぼくは一度だけガボから自分は何なんだと相談されたことがあった。どう答えたら

いいかわからずに『ガボはガボだ』と曖昧な答えをしてしまっていた。伝説の

白いオオカミの唯一の生き残りでありながら人間の姿で生きていくこととなり、

人でも動物でも魔物でもない彼の孤独を真に理解することはできなかった。

ただ、もともと幼い恋心を抱きあい、どれだけ時が経ってもそれを持ち続けた

相手がいたなら、それも可能だろう。

 

 

『・・・フォズ、今回はそんなに長く待たせない。ほんの短い間だ。大魔王を

 ぶっ飛ばしたら・・・オイラといっしょになってくれ。数百年なんて

 あっという間だったって思えるくらいの時間を・・・いっしょに生きてくれ』

 

フォズ大神官は何も言わず、涙を流したまま微笑んでガボに抱きついた。

それをぼくたちは邪魔にならない場所から眺めていた。ここでぼくはわかった。

昔も今も、マリベルが大神官を怒らせるようなことを言っていたのは・・・。

 

 

『あの二人を仲良くさせるためにきみはわざと・・・?』

 

『それくらいしてあげないと人間になったばかりのガボじゃあうまく大神官に

 近づけなかったでしょ。まあ過去の世界ではそれ半分、呪文を奪われて

 ストレスが溜まっていてほんとうにムカついていたのも半分だけど』

 

ガボがエスタード島でモテモテだったというのは事実だ。ぼくよりもずっと

格好よくなっていた彼は人気があった。でも自分が純粋な人間ではないという

後ろめたさからそれを避けていたように見えたけれど、後でガボ本人が、

フォズ大神官を裏切るような気になって誰とも親密にならなかったと言った。

食欲と野生の本能だけで生きていた幼いころからすればとても立派になった。

 

ガボが常に異性から囲まれていたという言葉のもう一つの正しさは木こりのおじさんが

証明している。動物たちから好かれ、特にメスはガボを相手に発情しているときも

あったとか。ガボの中に残るオオカミの血を嗅ぎ分けていたんだろう。彼が結婚

するときは人間の女の人だけでなく動物たちも落ち込んで元気をなくしていたとか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦争を知らない子供たち

ガボとフォズ大神官の結婚式はダーマ神殿の中央で盛大に行われた。世界を脅かす

大魔王を倒した戦士と歴史上最も優れた大神官として語り継がれていた伝説の存在が

式を挙げるのだから当然といえば当然だった。二人はそれぞれ衣装を整えていた。

 

『う~む・・・まさかあのフォズ大神官がこの時代まで誰にも知られることなく

 生きていただなんて・・・魔王が生きていたことすらわかっていたこのおれでも

 さすがに知らなかった。お前たちもつい最近この大陸が封印されたときにそれを

 知ったそうだが・・・まさか数百年前の世界で大神官に会っていたとは』

 

『おれたちはとんでもないやつら相手に喧嘩を売っていたんですねェ。今思うと

 恐ろしい話だ。魔王を倒せるほどの力を持った相手に向かって・・・』

 

山賊のカシラと山賊たちまで招かれていた。彼らもダーマが魔物に襲われたとき

勇敢に戦ったと聞いた。神殿にいた神官や武闘家たちよりも活躍していたらしい。

ぼくたちからお金を奪おうと襲ってきたときの彼らがめちゃくちゃ強かったのを

よく覚えている。平和な世の中を満喫していた神殿の人たちより役にたったのも

全く不思議ではない。あの頃の思い出に浸っていると、思い出したくないものが

目の前に現れた。両手でおぞましい臭気を発する鍋を持ちながらの入場だ。

 

『こんなめでたい日・・・ウチの特製シチューでお祝いするのねん!』

 

『ゲ———ッ!エテポンゲ!早くそいつをつまみ出せ—————っ!』

 

くさった死体と見分けのつかない外見と体臭を持つ山賊、エテポンゲ。彼の料理を

客に食べさせたら結婚式が葬式になってしまうだろう。ぼくは徐々に距離を取って

山賊たちから離れ、エテポンゲの処理を彼らに任せることにした。

 

 

『しかしまさか我々のなかでガボどのが最初に・・・わからないものでござる』

 

『フフ・・・世界が平和になったんだもの、これまで以上に祝福に満ちた式になるわ』

 

メルビンさんとアイラももちろん来ている。二人とも背が高いから高級なスーツと

ドレスを着たら人々の視線が集まる。メルビンさんはかなりの高齢なのにぼくよりも

女の人たちに人気があって声をかけられていた。

 

『数百年ずっとこの大陸を見守り続けていた大神官はともかく・・・ガボって

 ほんとうの年齢はどのくらいなのかしら。人間としてなら私たちの中で最年少、

 だけど白いオオカミって大地の精霊様に仕える特別な種族だと書かれていた。

 寿命は数百、いや・・・数千を超えるものもいたって・・・』

 

アイラが唐突に疑問を口にする。そういえば長い間いっしょに旅をしていたのに

ガボのオオカミ時代の話はほとんどしたことがなかったとこの時初めて気がついた。

 

『・・・ぼくたちが過去のオルフィーで出会ったガボはまだ幼いオオカミだった。

 まだ三歳とかそんなものだろうと考えてたけれど・・・』

 

『もう五十年近く生きていた・・・それもありえるでござるよ。そうなると今日から

 アルスどのは彼にしっかりと敬語を使って接しなければならなくなるでござるな!』

 

魔王を倒した後は天上の神殿で余生を過ごすと言ってぼくらと別れたメルビンさんとは

久々の再会だった。この様子ならまだまだ長生きしてくれそうだ。もしかしたら次に

結婚するのはこの人かも、と思えるくらいに元気だった。

 

『ところでマリベルは?この式を企画した本人がいないなんて・・・』

 

『マリベルどのは裏でいろいろと働いておられる。必ず素晴らしい式になるでござる』

 

フォズ大神官とはあまり仲が良くなさそうだった、いや・・・実際に険悪な雰囲気に

なっていたこともあったけれどもう大丈夫そうだ。マリベルも大人になった。きっと

ガボと大神官の生涯でも特別な日を祝うために頑張っているんだなと思っていた。

そう、ぼくたちは式が始まるまでは信じて疑っていなかった。だけど・・・・・・。

 

 

 

『それでは・・・夫となる者、妻となる者がそれぞれ入場いたします。皆さま、

 盛大な拍手で迎えてあげてください!』

 

ぼくと木こりのおじさんがガボに付き添う。ガボの親代わりだったおじさんはすでに

感極まっているように見えた。ぼくはさすがにまだそこまでにはなっていない。

というより、この時点で嫌な予感がしていた。とんでもないことが待ち受けている、

長い冒険で磨かれた危険予知能力だったけれど、その正体まではつかめなかった。

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

対面からマリベルがフォズ大神官を連れて入場してくる・・・はずだったのに、

すでに異常だった。マリベルは全身を黒い布で覆う背丈の同じ三人を後ろに従えて

登場したからだ。神殿内の照明も暗くされ、ますます見分けがつかなくなった。

 

『マリベル!きみはいったい何を・・・』

 

『ちょっとした余興よ!ガボ、そこから当ててごらんなさい!この三人のうち誰が

 あなたの花嫁か・・・その愛が本物か試してみるの、面白いでしょう!?』

 

『何言っているんだ!正気か?これだけ離れていたらガボの嗅覚でも・・・』

 

こんなときにゲームをするとはふざけているにもほどがある。今すぐ彼女のそばまで

行って怒ってやろうとぼくが歩き出したそのとき、ガボはぼくの肩に手を置いて止めた。

 

『・・・アルス、平気さ。いまのオイラならわかる。マリベルはああ見えてほんとうは

 とても優しいって誰よりもわかってんのはアルスだろ?意地悪じゃねぇ。オイラたちの

 ためにやってくれてんだ・・・マリベルなりの祝い方なんだよ』

 

『ガボ・・・・・・』

 

すっかりぼくよりも大人になったようだ。その諭すような声と自信に満ちた顔に

ぼくはもう何も言えなかった。みんなもガボの言葉に同意して何度も頷いている。

黙って見てな、とガボは三人を遠くから眺めて調べ始めた。ああガボ、きみは

見事に正解を口にするだろう。すでにぼくよりも立派な男になっているからだ。

 

 

だけど・・・それでもきみがまだぼくを追い越していないところが一つだけある。

マリベルのことをどれだけ知っているか。彼女が何を考え何をしようとしているか。

きみも確かにマリベルとは長い付き合いだけど、ぼくにはまだまだ及ばない。

暗闇の中で確かに笑うあの顔は・・・悪戯心に満ちている。何回痛い目に遭ったことか。

 

 

『・・・・・・わかったぜ。おい、もう答えを言っちまっていいのか?』

 

『なかなか早かったわね。じゃあ皆の前で言いなさい、この三人の中の誰が・・・』

 

盛り上がっていた人々がガボの答えを聞くために静かになった。すでにガボは

確信に満ちた顔つきだ。この三人のうちからフォズ大神官を見つけて口づけを

することで答えるだろう。ところがガボは後ろに下がり、マリベルたちから

遠ざかった。そして大きな声で導き出した答えを叫んだ。

 

 

『三人とも偽者だ!フォズは・・・そこにはいねえ!どうだ、マリベル!』

 

『・・・それが答えでいいのかしら?言い直すならいまのうちよ』

 

『オイラの勘に間違いはねえ!さっさと正解を発表しやがれ!』

 

 

そんな引っかけ問題を用意していたとはさすがマリベルだ。しかしここはガボが

一枚上手だった、誰もがそう思っただろう。ぼく以外は。

 

『・・・・・・参ったわ、降参よ。あなたの愛の力!完敗だわ・・・正解!』

 

『ヘッ!ナメてもらっちゃ困るぜ!誰からもちっともフォズの気配がしなかったぜ!』

 

『見事正解のご褒美に・・・三人ともプレゼントしちゃうわ!』

 

黒装束が外された瞬間、それらはガボ目がけて猛突進を始めた。世にも恐ろしい光景だった。

 

『ぶちゅちゅ~~~っ!』 『キスしてあげる!イヒヒヒヒ!』 『うじゅじゅわ~』

 

『うげ———っ!!マジックリップス、ブチュチュンパ、デスバキューム————ッ!』

 

ガボをいい男だと認めたのは魔物たちも同じだったらしい。我先にとガボの唇を奪う

競争だ。素早いガボも必死で逃げるが差がどんどん詰まっていく。慣れないスーツを

着ていたのと突然の不意打ちが重なりいつもの快足ぶりを披露できずに捕まりそうだ。

 

『クソ————ッ!こんなことなら式の前に初めてのキスを済ませておきゃあ

 よかったぜ————っ・・・!こ、こいつらちっとも引き離せない・・・!!』

 

『おほほほほ!健全なお付き合いをしているようで安心だわ!これも後々いい笑い話に

 なる時が来るわ。だからそろそろ捕まっちゃってもいいんじゃない?』

 

マリベルの高笑いが神殿に響いた。すでに酒の回っている酔っ払いや山賊たちは

いいぞいいぞと大笑いしながら口笛などを飛ばしていたけれど、ぼくはただ頭を

抱えるだけだった。やっぱりまだフォズ大神官のことを嫌っていたのかと。

過去の世界で失言を聞かれて足を氷漬けにされた件をいまだ根に持ってこんな復讐を

計画し実行に移したのか・・・後で彼女の代わりにどれだけ謝ればいいんだろうと

頭が痛くなった。けれど、マリベルの笑いはそう長くは続かなかった。

 

 

『凍てつく冷気——————っ!!』

 

『ブチャ・・・』 『イヒャッ!?』 『プリプリ~・・・』

 

三匹のリップスは一瞬で凍りついた。壁をも破るほどの氷の刃だ。強力であり

僅かなずれもない正確さ。これほどの氷の使い手はたった一人しかいない。

 

『・・・・・・は、早かったじゃない・・・』

 

『やってくれましたね。私を騙しこのようなくだらない・・・ふふふ、

 今日がこの特別の日でなければ神と精霊たちの名において裁くところです』

 

フォズ大神官がマリベルへの怒りを寸前のところで堪えながら入ってきた。

 

『魔物たちが襲ってきたからすぐに迎え撃とう、緊急事態だ、などと・・・』

 

一時的に神殿の外に花嫁を追い出しているうちにガボを罠に嵌めようとしたようだ。

このままだとマリベルが氷像にされそうだから助けに行こうか、そう思ったときだった。

神殿の泉の水が噴き上がり、巨大な影が二つそこから徐々に姿を現した。

 

 

 

『フハハハハハ!!このおめでたい席にお集まりの諸君!これからここは諸君らの

 葬式、そして我らにとっては勝利を祝う宴の舞台となる————っ!』

 

『お前らの肉と血で飲み放題食べ放題の祝勝会だぜ————っ!そして俺様が

 オルゴ・デミーラ様にも楽しんでいただいた自慢の芸を披露してやる!生きたまま

 抉り取った人間の眼球でのお手玉だ—————っ!!』

 

魔物だった。キーファを襲ったヘルクラウダーのフランケルとおそらく同じだ、魔王が

遺した刺客だ。まさか現代にもやってくるとは。しかも武器や防具を持たずにいる

この結婚式を狙ってきた。そしてもう一つ恐ろしいことがある。

 

『あ・・・あれは!あの魔物たちはまずい!』

 

『アルスどの、それは一体・・・?左側の魔物はほうらい大王、右側は確か・・・

 デーモンレスラーという魔物!こんなところにやってくるのだから確かに普通の

 ものより強いのは当然でござるが・・・』

 

『そうか、メルビンさんとアイラは知らなかったんだ!あいつらの外見は・・・

 過去の世界でガボと大神官を苦しめた魔物と瓜二つなんだ!大陸の封印を任された

 残忍でとても強かった魔物たちに!ぼくですらよく覚えているんだ。あの二人は!』

 

『・・・・・・!!』

 

ぼくの不安は的中し、魔物たちは真っ先に二人の眼前に立った。下衆な笑いを浮かべている。

ガボとフォズ大神官はどうやら震えているように見える。それも無理はないことだけど、

一応確認のためマリベルに近づき聞いてみることにした。

 

『・・・あいつらもきみが連れてきた魔物ってわけじゃないよね?』

 

『当たり前でしょ、この間抜け。魔物たちが襲ってきたっていう出まかせがまさか

 真実になるなんて・・・あたしが一番驚いてるところよ』

 

ガボたちをピンポイントで狙った刺客だった。魔物たちは得意気に語り続ける。

 

『おいガボ!俺様の姿は覚えてるよなァ!お前ら白いオオカミをお前以外皆殺しにした

 デス・アミーゴ!俺様はあいつよりも強いんだぜ、うひゃひゃひゃひゃ!お前の

 親や仲間がどうやって死んだか、惨めにも凡庸な人間のガキと体を交換された屈辱を

 そろそろ鮮烈に思い出したんじゃないかァ——————!?』

 

『貴女もだ、大神官!オルゴ・デミーラ様が幹部とした我らほうらい大王一族の

 勇士アントリアとの素晴らしい思い出に浸っているのでは?無様にも敗れ・・・

 拷問を受け力を徐々に奪われた日々を思い出したでしょう!』

 

ガボも大神官も自分が心も体もボロボロになるまで痛めつけられただけでなく大事な

人たちがたくさん殺された憎い相手の記憶が蘇ってきているんだろう。顔を伏せている。

 

『・・・・・・』 『・・・・・・』

 

『このほうらい大王の『ガリレオ』と!』 『デーモンレスラーの『モンジュー』が!』

 

お前たちを倒す、そう言って襲いかかる前にガボたちは顔を上げた。なんと二人は

笑っていた。白い歯を見せて、そして拳に力を込めながら満面の笑みを見せてくれた。

 

『へへへ・・・悲しんだり怯えたりしていると思ったか?違うな!オイラたちは!』

 

『喜びのあまり震えていたのです!かつての恨みを晴らす最高の相手が現れたと!

 新たな人生の旅立ちの前に古きトラウマとの決別の機会を与えていただき・・・

 ほんとうにありがとうございます!さあ、ガボ!』

 

これには恐れ入った。予想外の反応に魔物たちが後ずさる間に二人はもう攻撃を

始めていた。ガボはばくれつけん、大神官は杖から輝く息を放つ準備を終えていた。

 

『・・・なに———————!?』 『こ、この迫力・・・聞いた以上だ・・・・・・』

 

たった数秒の出来事だった。この場にいる人々が皆気がついたときにはすでに全身が

原形をとどめないほどに痛めつけられている凍りついた二体の魔物が完全に動きを

停止していた。彼らにとっても魔王を倒された復讐のつもりでやってきたはずだったのに

勝負はすぐに決まってしまった。そして最後にガボが見事なせいけんづきを決める。

 

『こいつらはリップスたちと違って容赦はしてやんねー。あらよっと!』

 

二匹の魔物は粉々になって息絶えた。それから間が開かないうちに泉から魔物たちが

次々と飛び出してきたけど、その群れはただの人数合わせであったことはすぐにわかった。

 

『モンジュー様!ガリレオ様!ある程度やつらを痛めつけたら合図すると言っていたのに

 いつまで待たせるつもりですか・・・・・・あ、ああああっ!!』

 

『お、お二人が死んでいる—————っ!!し、しかも戻れない!』

 

やつらが仕込んだこの泉のワープゾーンは一方通行だったようだ。ふきだまりの町に

有無を言わさず落とされた苦々しい気分が蘇ってきた。

 

『魔王軍の残党だ————っ!生かして帰すな————っ、いけ—————!!』

 

そこから先は言うまでもないと思う。ダーマ神殿の戦士たちや山賊によって魔物の軍は

簡単に殲滅され、何事もなかったかのように結婚式が再開された。魔物の襲撃など忘れ、

終始和やかな空気のまま式は無事に進み最後まで滞りなく終了した。

 

『まさかほんとうに魔物がこの日この場所を狙っていたなんて・・・マリベルさん、

 事前に知っていたのですか?それとも直感で悪の気配を感じ取っていたのですか?』

 

『あはは・・・まああたしも戦い続けて長いしこれくらいの勘は勝手に働くのよ』

 

終わり良ければ総て良しとはこのことだ。彼女のくだらない悪戯もみんな忘れていた。

 

 

 

 

 

それからしばらくガボたちはどこで暮らすか、世界のあらゆるところを候補にして

考えた結果、北の涼しい土地に決まったという。今日は珍しくみんながやって来ると

思っていたらアイラもガボも別れを告げに来たとは、やはり何かがありそうだ。

たまたま重なっただけなんだろうけど、こういうときは必ず波乱の前兆だ。

 

「二人とも暑いのが苦手だし、そろそろ子どもも生まれるから・・・」

 

「そうだったね。きみに子どもかぁ。イメージできないけど・・・」

 

ここで一つ気になることが出てきた。ガボもフォズ大神官も寿命がないに等しい。

だとしたらその子どもたちもそうだろう。モンスター人間と呼ばれる種族がその

いい例だ。ぼくは失礼を承知でガボに聞いてみた。世界に関わる問題だからだ。

 

「そのうちきみたちの子孫で世界は溢れかえっちゃうんじゃないかな?きみを祖とした

 一族が世界の半分、いや・・・それ以上に増え広がるっていう可能性は・・・」

 

ぼくの質問を聞くと、ガボは大きく口を開けて笑った。的外れなことを言ったかな?

 

「あっはっは!安心しろよアルス。そんなことにはならねえのさ。白いオオカミは

 ほとんど繁殖をしなかった。必要ないからだ。とても強いし寿命が長いから」

 

「・・・・・・?」

 

「まだわからねえかぁ?じゃあもっとわかりやすく・・・スライムとギガントドラゴン、

 どっちのほうがたくさん子どもを作るか考えてみろよ。そういうことだよ。しかも

 いまはこんな平和な世の中だ。どんな生き物もずっと生きやすくなっているんだぜ」

 

ガボの言っている理屈はよくわかる。普通の人間ではない二人はもしかしたら跡継ぎを

残す必要がない。もし子どもが生まれたとしてもせいぜい一人か二人まで、ということだ。

でも、そんなわけはない。ぼくたちは獣や魔物じゃないんだ。

 

「・・・きみは満足できるのか?それで・・・」

 

「・・・・・・・・・ムリだな。知恵比べでもアルスに勝てる日が来るのはもっと

 先になりそうだなぁ。我慢なんてできるわけねーだろぉぉ・・・」

 

 

それからガボは子どもの名前を相談してきた。双子が生まれるというのは不思議な力を

持っている占い師のおばあさんに確認済みのようで、男の子か女の子かは生まれてからの

お楽しみ、とのことだ。男の子だったら『アンバー』『ギャロップ』『ガリバー』、女の子で

あれば『カール』『カグラ』『アクトレス』などなどたくさんの候補を挙げてきた。

 

「きみが自分で決めなよ。ぼくが薦めてあとで気に入らないとか言われても困るよ」

 

「冷たいこと言うなよ———っ。アルスがいなきゃオイラは何百年も前にオルフィーで

 鎖につながれたまま死んでいたんだぜ。アルスのおかげで生まれてくる命みたいな

 モンだからさ、もう少し付き合ってくれよ、な?」

 

成長したガボの押しの強さはキーファみたいだ。確かにキーファを兄のように慕って

懐いていたけれどいっしょにいた期間はそんなに長くなかったはずだぞ。人間になった

ばかりのころ、人格をつくるうえで一番大事な時期に彼からいろいろ教えられたせいで

変なところまで似てしまったのかな。もちろんいいところもたくさん受け継いでいるけど。

 

 

「・・・その調子だときみたちはやっぱり大きな勢力になりそうだ。きみがいれば

 間違ったことにはならないと信じているけれど・・・・・・そのうちきみたち

 『ノーザングループ』ばかりが世界を動かす重要な人間になるんじゃないかな」

 

北の地から徐々に数と力を増やしていくだろうガボの血を継いだノーザングループ。

あまりにも一点に力が集中すると悲劇が起きるかもしれない。それでもガボは

ぼく以上に何も心配していないようだ。さっきよりも大きな声で笑って言った。

 

「問題ないだろ。もしそんなことになって・・・仮にオイラが倒されたとしても・・・

 アルスとマリベルの子孫がきっと解決してくれるだろ?だからオイラたちはこれからも

 必要以上に悩まずに生きていけるのさ。だからアルス、アルスも早くマリベルと

 くっついてオイラたちを安心させてくれよ」

 

「・・・・・・・・・」

 

「最近マリベルと会ってないんだって?こんなところにいないでさっさと行けよ。

 居場所がわからないんだったら見つかるまでずっと探し続けなきゃだめだ。

 みんな気にしていないようでアルスたちのことはよく見てるんだ。ほら!」

 

座っていたぼくを強引に起き上がらせ、村の外まで力ずくで引っ張ってついには

追い出してしまったガボ。これくらいの強引さと真っ直ぐな心があればこの先の

戦いを知らない世代のこともうまく導いてくれるだろう。魔族との戦争でたくさん

傷つきながら幸せを手にした彼ならきっと大丈夫だ。

 

「仕方ないな・・・じゃあどこから探そうかな・・・いたた!」

 

足元の尖った石に気がつかないで転びそうになった情けないぼくは自分だけで精一杯だ。

自分で話題にしておきながら将来の人々のことなんて考える余裕はなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

家をつくるなら 

 

「ああ、勇者様ではありませんか!こんにちは!」 「勇者様、今日はお一人ですか?」

 

ぼくが最初にマリベルを探しに来たのはコスタールの町だった。ずっと前にこの町の

外見を見て、将来フィッシュベル以外に住むとしたら同じ港町であるここがいいと

言っていたのを思い出した。町の半分以上がカジノになっていたことで多少評価が

マイナスになっていたけれど、他の町よりは可能性はあるかと思って足を運んだ。

ちなみにまだぼくは町の外にいる。ぼくに挨拶をした二人の女の人は特に変わった

ところはないように普通の人なら見えるだろう。でもこれまでの経験でぼくにはわかる。

一人はモンスター人間、それもつい最近魔物から人間の姿に変えてもらったようだ。

 

「これはこれはアルス様!コスタールへようこそ、息抜きも大切ですからな!」

 

今度は正真正銘の魔物、リザードマンが丁寧に頭を下げてぼくを迎えた。彼はいま

コスタールで生活している。人々も彼のことは恐れていない。地上に残っている

魔物たちはみんなすでに人と共に生きる道を選んだものしかいない。世界のどこかで

人と魔物の揉め事が起きたという話もこのごろちっとも聞かなくなった。

 

「まあそんなところかな・・・ところで今日はいるの?あの人は」

 

「ええ、最近はいないほうが珍しいですよ。たぶんスロットでしょうね」

 

ぼくがコスタールに来たのは、たとえマリベルがいなかったとしてももう一人

会いたい人がいたからだ。アイラ、ガボと続いたのだから、当然この人だ。

 

 

「・・・おおっ!アルスどの!珍しいでござるな、一人でカジノとは・・・。

 でも久々に会えてうれしいでござる、となりの台でいかかでござるか?」

 

「そうですね、メルビンさん。まずは先にコインを買ってこないと・・・」

 

かつては神さまと共に魔王軍と戦った伝説の英雄メルビン。最後の戦いが終わった後、

天上の神殿に一人残りここで余生を過ごすと言っていたけれど、最近になって

メルビンさんはそこから降りてきて毎日自由気ままに暮らしている。若いころから

戦い漬けだからこういうのもいいだろうと本人はその理由を教えてくれた。でも

ほんとうの理由は違うと思う。人と魔物が真の平和を楽しむ世界で英雄はすでに

必要ではなくなったから、メルビンさんは英雄として生き、そして死ぬことを捨てた。

勇者のいらない世界、役割を終えたぼくだからこそその気持ちはよくわかった。

寂しかったり虚しかったりはしない。でも何をしたらいいかがわからないのだ。

 

 

 

 

ぼくたちがオルゴ・デミーラを倒してもすぐに世界に平和が訪れたわけじゃなかった。

魔王が自分の死後のために用意した最後の精鋭と魔王軍の残党は別として、人間が

その平和を乱そうとしていた。それは驚くべきことではなかった。これまでの歴史が

明らかにしているように、魔族の脅威が去れば次は人間同士で争うようになっている。

誰が世界の新たなる支配者なのか、どの民族が最も優れているかを争い競う。

 

『でもこれまでの勇者はほとんど王様だからね。戦争に巻き込まれるのも仕方ないよ。

 ただの漁師の息子のぼくには関係ないはずだ。そこはラッキーだったと思うよ』

 

『いや、油断は禁物でござるよ。勇者ロトはゾーマ亡き後の上の世界で起きた大きな

 戦争に利用されそうになり下へと去った。魔王を倒した勇者を討ち取れば自分が

 全世界の王だという野心家に殺された勇者だっていたでござる』

 

ぼくの読んだ歴史の書でも、復讐心に燃えた魔王の娘によって暗殺された勇者もいれば

絶え間なく続く戦争に魔王との戦い以上に疲れ果てて喜びを失ってしまった勇者も

いたという。戦いによって死んだ仲間たちのことは毎晩のように夢に出て、魔王から

救ったはずの人間に裏切られて心を病むどころか命を奪われた人たちもいる。

 

『いやいや、あたしはイヤよ。勇者ロトみたいに町から外れた寂しい場所で余生を

 過ごすだなんて。アルスみたいなやつを利用しようとする間抜けは多分いない

 でしょうけど、せっかく世界を救ったのに追われる身になるのはごめんだわ。

 でも念のためにあたしたちが暮らせそうなところを探したほうがいいのかも・・・』

 

『・・・ふふふ、マリベルどの。何かあっても身を隠さなくてはならないのは

 アルスどのだけでござるよ。でもその言い方は・・・アルスどのが行くところなら

 どこへでもついていきたいということで間違いないでござるな?』

 

『・・・・・・は~~~~っ!?間違いだらけよ!アルスを一人にしたらどうやっても

 ろくなことにならないのはわかってる!監視して指導してやるだけだから!』

 

いっしょに来てくれることは否定しなかった。それならどんなことになっても

不幸にはならないな、とぼくは安心したのを覚えている。魔王がいなくなった

世界で最初に問題が起きたのはそれから一週間もしないうちだった。

 

 

『・・・そんな・・・!まさかそこまでだったなんて・・・!』

 

『はい。多くの衝撃的な事柄についてお話ししなければならないのは残念ですが・・・』

 

ぼくたち五人は集められ、『ロンダルキアのウオッカ』の使いの二人から話を聞いた。

この二人は勇者ロトの時代からモンスター人間として生きていたスライムとスライムベス、

余程のことがなければもっとモンスター人間に転生して日の浅い人たちが来るはずだ。

二人が最初に教えてくれたのは、魔王軍の生き残りがまだ諦めていないということだった。

 

『あんこくまどうの『ドクターディーノ』とかいうやつがすでに暗躍を始めた。

 真っ向からお前たちを倒すのは無理だと考え、とある地に目をつけた』

 

スライムの『キンツェム』さんが世界地図を出すと、もう一人のスライムベス、

『プリティー・ポリー』さんが棒で指したのはレブレサックの村だった。

 

『この村は以前から異常だったのをあなたたちも知っていたのではありませんか?

 魔王が倒れても彼らの懐疑心と臆病さは晴れなかった。そこを利用した魔物が

 村を乗っ取り王のようにして振る舞っているのを確認しました』

 

魔王が復活してからは以前よりも更に暗くなった村、レブレサック。いい思い出なんか

ほとんどない、真実を追い求め正義感に溢れる子どもたちだけが唯一の希望だった

この村で、悲劇はすでに起きてしまっていた。

 

『村人たちは心の平安のため悪魔崇拝を始め、それに反対した子供たちを悪魔・・・

 まあオルゴ・デミーラと言うべきか。そのための犠牲として火で焼いたそうだ』

 

『・・・・・・火で・・・焼いた!?』

 

『自分の息子や娘を親がその手で悪魔に捧げたそうだ。ドクターディーノたちは

 とても喜んでやつらに魔王への忠誠心と並外れた力を与えたと聞く。つまり

 村人たちは洗脳される前に自分の意志で子どもたちを殺したんだ。普通じゃない』

 

ぼくらやよそからの人たちを拒むだけでなくあの勇敢な子どもたちを殺した。それだけで

衝撃的だった。いつかゆっくりと語り合えると思っていたのに叶わなくなった。

 

『・・・あたしはその村のことはよく知らないけれど・・・もう時間はないってわけ?

 戦わなきゃいけないっていうのならこっちも準備がいろいろと・・・』

 

マリベルを連れて行ったことはない。村人たちと大喧嘩を始めそうだからだ。それでも

この話を聞いて憤ったようで、こちらから戦いに向かおうという勢いだった。だけど

それはダメだ。マリベルを止めよう、そう思っていたところでキンツェムさんが言った。

 

『今日私たちが遣わされたのは戦闘があるという警告のためじゃない。私たちがこれから

 やつらを皆殺しにするがそれを黙認し、決して復讐に来ないでくれということだ』

 

『・・・・・・あ、あなたたちがやるの・・・?』

 

『いかに元からどうしようもない腐った心の持ち主であろうが魔物に洗脳されていようが

 人間の姿のまま襲ってくる・・・お前たちは躊躇いなくやつらを殺せるか?少しでも

 隙を見せた途端に集団でメガンテを唱えてくるだろう。しかも精神は完全に悪魔に

 傾倒している。多少の傷では動きを止めることも叶わないぞ』

 

ぼくと違ってほんとうに立派な勇者たちですら人間を殺すことはまずなかったという。

悪人が相手でも戦闘不能にして懲らしめるまでで、命を奪うというのはすでに何もかも

手遅れ、魔物の姿になっているか救われるために死を望む、そんな相手だけだった。

最初の冒険のときに出会ったマチルダさんや恐ろしい怪物に変貌したゼッペル王・・・

やっぱり精神的にぐったり疲れる戦いばかりだった。ダーマ神殿の格闘場で先に進むため

魔物を連れた人間たちと戦ったこともあるけれど、あれは少しわけが違った。

 

 

『・・・じゃあ・・・台本通り頼むわよ、トンプソンとかいったっけ?期待してるわよ』

 

『へへへ・・・任せておけって。前金であれだけ貰えりゃあ仕事はするさ』

 

マリベルが彼らを事前に買収し八百長試合を演出、消耗することなく勝利を重ねた。

 

『あんな連中実力で潰しちゃってもいいけれどこのほうが手っ取り早いでしょう?』

 

『う~ん、まあ・・・こんなところで人間同士殺し合いをするのもいやだし・・・』

 

最終戦、魔の剣に魂を奪われて買収なんてできなかったネリスさんと戦うことに

なった後、何も言えずに立ち尽くしていたぼくとガボに対してマリベルは胸を張って、

 

『ね?だからあれでよかったでしょう?ここまで余力をたっぷり残したからネリスさんを

 適度に戦闘不能にすることができたのよ。疲れていたら負けていたか、余裕がなくて

 間違えて殺しちゃったかもしれないわ。そうなるとザジとも戦うハメになった。

 あたしのおかげでこの場を無事に終えられたのをあんたたちわかっているのかしら?』

 

『ああ・・・うん』 『そうだな、ヨカッタヨカッタ』

 

自らの作戦とそれを思いついた頭脳を自画自賛しぼくたちを呆れさせた。フォズ大神官を

待たせているガボは付き合っていられないと言った様子で先に行ってしまった。ぼくも

それに続こうと思っていたところで、注意深くしっかりと見なければわからないくらい

だったけれど、マリベルの全身が小刻みに震えている。激しい戦闘の後とはいえ

地面に落ちている汗の量も異常な多さだった。どうしてこうなったのかぼくにはすぐに

わかってしまった。人間を相手に戦う、そのことで一番精神的に参っていたのは

マリベルだったんだ。こんな戦いは二度とさせちゃいけない、そう決意した日だった。

 

 

『だから私たちがやる。お前たちはそれを見過ごしてくれたらいいだけだ。

 お前たちの身体もそうだが、心が痛んで砕けてしまうことをあの方はとても

 気にかけておられる。魔王軍の残党ならお前たちに任せるが今回は・・・』

 

いかに洗脳され操られた人間たちとはいえ、大量殺戮を見逃せというのだ。もちろん

みんなすぐに納得はしない。でもこれといった代わりの案も出てこない。そこで

ぼくは立ち上がり、モンスター人間の二人に頭を下げてお願いした。

 

『ありがとうございます、ぜひその通りにしてください。ぼくたちのことを

 気遣ってくれたウオッカさんにも感謝の言葉を伝えておいてください』

 

『・・・お、おい!アルス!』 『アルスどの!?』

 

ガボとメルビンさんはぼくの答えが予想外だったらしく大きな声をあげていた。

アイラも驚きの表情のままぼくを見ていた。ぼくだったら止めると思ったのだろうか。

生まれながらにして神さまや精霊から愛されていた三人ならこの反応は無理もない。

この地に生きる全ての人間たちを救うために魔族と戦った歴代の勇者たちもきっと

こんな結論は出さないだろう。でもぼくはほんとうの勇者じゃないから仕方ない。

 

『そうね・・・もともと危ない村だったんでしょ?ならそれでいいんじゃない?

 周りの村や町に被害が出る前にさっさと頼むわよ、あんたたち!』

 

『・・・あなたにそう言っていただけると助かります。では今晩にでも・・・』

 

かつて腐敗しきったラダトーム城をたった二人で一晩のうちに滅ぼしたというのだから

いかに力を与えられているとはいえ小さな村一つをどうにかするのは簡単だろう。しかも

今回は十人以上の仲間たちを連れて作戦を決行するらしい。これなら事故も起きない。

 

『・・・アルス、これでいいのか?確かにあの村は・・・でも・・・』

 

『・・・・・・』

 

誰に何と言われようがぼくは揺らがなかった。すでにこの決定は成功だと確信して

いたからだ。戦わなくてすんだということに一人安堵している彼女の横顔を見ることが

できたのだから。ぼくはマリベルの身体だけじゃない、心も守ると決めたんだ。

せっかく魔王との戦いが終わったのにこんなことで傷ついたり悲しんだりしてほしく

なかった、口にするとわざとらしくなりそうだから直接伝えてはいないけれど。

 

その日の夜、レブレサックの村に入った真の強者たちは、すでに村から魔族に精神を

支配されていない善良な人が一人もいないことを確認してから、まずは近くにいた

老人から始めた、そう言っていた。相手が誰であろうが容赦しなかったそうだ。

あんこくまどうのドクターディーノはぼくたちが村人たちを簡単には攻撃できないと

考えて自爆呪文や一度きりの大技を仕込んでいたようだ。でもこれからその精度を

上げていこうとしていた途中のようで、モンスター人間たちの敵ではなかった。

 

『・・・この村に厄介事をもたらしたあの旅人どもが勇者であるはずがない。

 いや、それならそうでもいい。魔王を倒した者どもを打ち倒してみせることで

 我らの民族がこの世で最も偉大で優秀だと証明できるではないか・・・』

 

『そうか・・・では残念だったな、希望を打ち砕くようですまないが・・・』

 

唯一洗脳されていなかった村長、彼は村に悪魔崇拝を持ち込んだ張本人だった。

村人たちを唆すのは以前から慣れっこだったので今回もうまくいったと思って

いたらしい。手を組んだ魔物の首を目の前に置かれ絶望する瞬間までは。

レブレサックが徹底的に滅ぼされたことはすぐに世界中に知れ渡った。でも

それは彼らが勇者たちを温かく歓迎せずに厳しく追い返しただけでなく敵意を示して

魔族と結託するに至ったので神から天罰が下ったのだと人々は考え、納得した。

 

『神の罰ねぇ。正反対なんじゃないかしら』

 

『まあ・・・キンツェムさんたちはウオッカ・・・ハーゴンという名もある

 あの人を神さまのように考えているから全く間違いとも言えないよ』

 

 

正確には『神の子』だったかもしれないけれどぼくらには関係のない話だ。

レブレサックの件はこれで終わった。それでもすぐに今度はフォロッド国が

魔王亡き後の世界の頂点に立とうとして、武器になるからくり兵の研究や

傭兵集めを急速に進めていた。グランエスタードやコスタールは平和を乱す

動きを制圧しようとこちらも戦いの準備を始め、いざとなったらぼくたちも

戦わなくてはいけないという空気になっていた。幸いなことに戦争は始まらず、

いまはどの国も戦いの用意はしていない。フォロッドが方針を改めたのが大きな

理由だったけれど、今回もぼくたちは何もしていない。勇気ある人たちがいて、

 

『王よ、どうか賢く行動してください。全世界の国家だけでなく魔王に勝利した

 勇者、更には天上の神殿の人々を敵に回したならばどうなるかよくお考え下さい。

 あなたが戦いによって得た奴隷たちに計画しておられる過酷な労働、その

 数十倍以上の厳しい扱いを全国民が受けることになるでしょう。世界の平和に

 挑戦する腫れ物のような国の民はそのようになるのです!』

 

『・・・・・・ムムム・・・』

 

王様の怒りを買って逮捕されたり処刑されるかもしれない、それでも忠告を続けて

とうとうフォロッド王の考えを変えることに成功した。国の中だけで問題を解決し、

大事には至らなかった。このように、ぼくたちを倒して名を残そうとする人たちや

魔王に代わって世界を支配しようと考える国家の動きはぼくたちが何もせずに、

時には知らないうちに終わっていた。これは長い歴史の中でも稀なことだという。

 

『いつもは勇者がどうにかしなければいけなかった。魔王を倒しても苛烈な戦いの

 日々は終わらなかった。ところがこのたびは・・・どうやら真の平和が訪れようと

 しているようだ。勇者がいなくとも人々は正しい方向へ進み、わたしの長年の

 悲願であった人と魔物の完全な共存が果たされようとしている。歴史が変わった』

 

何度も魔王の支配とそれを打ち倒す勇者の誕生を目撃し、その物語の主要人物に

なったこともあるハーゴンさん、彼女はしみじみと語っていた。勇者はもう世界に

必要がない、偉大な大賢者も最強の戦士も、神が選んだ英雄も役目を終えたと。

 

 

 

 

「・・・今日は二人とも調子が出ないでござるなぁ。これは参った」

 

「ぼくは毎回ほとんど負け組ですが・・・違う台にしますか?」

 

コインを半分以上使っても全然絵柄が揃わない。まさに神に見放されたとはこのこと。

これ以上やっても逆転はなさそうだけど、メルビンさんは続けるのだろうか。

 

「いや・・・今日はやめにするでござる。ぱふぱふを楽しむためにそろそろ上の階へ。

 アルスどのもいっしょにどうでござるか、むふふふ」

 

限られた客だけが入れるという『真のぱふぱふ』コーナー。メルビンさんが偽物の

神の城から逃げて一人でコスタールにいたときに王様相手にこの施設の必要性を何度も

訴えて実現に至ったというのだからすごい執念だ。ラッパを吹くだけのぱふぱふに

がっかりしていたのは知っているけど、まああの王様なら喜んでこの話に乗りそうだ。

 

「それは遠慮しておきます。でもちょっと安心しました。思っていたよりも毎日

 楽しんで過ごしているのがわかって・・・ほっとしました」

 

「・・・はっはっは!相変わらずアルスどのはお優しい。傍から見れば放蕩の限りを

 尽くしているわしのような者にも気遣いを示してくださるとは!英雄としての

 勤めを終えてやることがないせいで無気力に呆けている、そう心配してくれたので

 ござろうが・・・わしの女好きは昔からのこと、アルスどのも知っているはず。

 若き日は今以上に神や仲間の目を盗んでいろいろとやったものでござるよ」

 

確かにそうだった。真面目な時とそうでない時の切り替えがしっかりしていると

いうことか、戦闘や使命に全力であると同じように遊びにも全力だったと言うべきか。

散々世界各地のエッチな本を手に入れてはぼくにも見せようとしてマリベルに

怒られていたのを思い出す。最終的にはメラゾーマで丸ごと燃やされていた。

 

「望めば天上の神殿で英雄であり続けることもできた。でもわしはそれを選ばなかった。

 すでに神は死んで英雄としてするべき仕事もないのに英雄として生きるのは無駄、

 そう悟った瞬間、わしは残りの人生を地上で過ごすことを決めた。平和な世を楽しむ

 ただの老いぼれとして数多くの喜びを味わうほうがよほど有意義であるからな」

 

敬語を使わずぼくに何かを教えるようにして語る。与えられた役目を終えた者同士、

互いに相手が何に悩まされているか考えていたけれどどっちもいらない気遣いだった。

ぼくも勇者として生きていくことにこだわりはない。むしろこの先ずっとそうだとしたら

とんでもなく邪魔な重荷だから自分から放り捨ててしまいたいとさえ考えていた。

 

「アルスどのはわし以上に普通に暮らしたいと思っているだろうからそんなに心配は

 していなかった。しかし聞くところによると漁師にもならず最近は特にぼーっと

 毎日を過ごしていると・・・相談に乗ってやりたいと思っていたところだった」

 

「そんな・・・相談するほどの深刻なことなんか何もないです」

 

「もしかしてマリベルどのと何かあった・・・喧嘩でもしたのか、わしは今日の

 アルスどのを見てそう考えたが・・・どうやら勘が外れたかな?」

 

ぼくはその言葉に思わず残っていたコインをひっくり返しそうになったけれど

どうにか堪えた。表情には出していないつもりでもメルビンさんがにやりと笑って

図星か、といった目つきで見てくるのだからぼくはわかりやすい人間なんだろう。

 

「今日は一人で来ているのがいい証拠でござる。いつも二人でコスタールの町を

 見て回っていたのに一人でカジノに直行・・・それだけでわかるでござるよ」

 

「ははは・・・隠せませんね。実はこのごろ喧嘩どころか会ってすらいなくて。

 もしかしたらここにいるかもと思って来てみたんです。この町に来るのは決まって

 マリベルから誘ってくるからで、なかなかいいところだから将来のために

 どこに家を建てられそうか見に行くからついてきて意見をよこせって言うんです。

 一人で見るよりは他人の声も参考にしたいって・・・」

 

「なるほど・・・で、アルスどのはどんな家に住みたいと考えているでござるか?」

 

気がついたらいつも通りの話し方に戻っていたメルビンさんにぼくは答えた。もし

生まれ故郷の村を出て家をつくるならどうしようか、過去と現在のいろんな土地を

旅してたくさんの文化や芸術に接してきたから当然理想も大きくなっていた。

窓や屋根、じゅうたんにベッド・・・実現するかどうかは別としてこんな家がいいと

思ったことを気軽に話した。これくらいなら問題ないと話していたのに・・・。

 

「ふむ、よくわかったでござる。結局どんな家であろうと、マリベルどのが隣で

 お嫁さんとして微笑んでくれていればいい、ということでござるな」

 

「・・・・・・え?」

 

「ならば話は早い。マリベルどのだって毎回アルスどのを連れてきた理由は明白、

 アルスどのの好みを知ろうとしてに他ならないでござるからな。人のいない

 寂しい場所に逃げなくてはならないとしてもアルスどのについていくと自然に

 語っていたマリベルどのではござらぬか。アルスどの、自信を持っていい」

 

 

もしほんとうにそうならばどんなにうれしいことだろう。ぼくが勇者であることに

こだわりを持たず、逆に解放されたいと願ってモンスター人間たちの虐殺を見逃したり

世界で起こっている小さな問題に介入せずなるべく戦いから遠ざかるのも全ては

彼女と素晴らしい家を建ててそこに住み、平凡だけど幸せな日々が過ごしたいという

夢のためだったから。でも向こうはぼくとは違う。もしメルビンさんの言う通りであれば

これといった理由もなく、しかも黙って一か月もいなくなったりしないはずだ。

 

「・・・ま、でも今日はよいではござらぬか、わしは口が堅いからアルスどのも

 たまには楽しんだらいい!さあ、共に真のぱふぱふを飽きるまで味わうでござる!

 勇者ではない、一人の男であるからこそ様々な経験が必要でござる!」

 

「え!?だからぼくはそれは遠慮するって・・・」

 

「なーに、アルスどののことだからマリベルどのへの裏切りにならないかと恐れて

 いるのでござろうが今だけはそんな思いは忘れて夢の世界へ参ろうぞ!」

 

ぼくの腕を引っ張りピンク色の扉の前へと連れて行こうとする。この力強さ、きっと

いまだに鍛錬を続けている。ぼくの力では全然振り解けず、このまま強引に新たな

ぱふぱふメンバーにされてしまいそうだ。どうしようと困り果てたそのときだった。

 

 

「・・・ムム・・・・・・!!」

 

突然腕が自由になった。ぼくの意思を尊重してくれたのならありがたかったけれど

どうやら違う。メルビンさんが低い声でうめき右手を押さえている。魔物との

戦闘でダメージを受けても弱いところを見せないほどのこの人が苦しみ始めた。

 

「・・・!!メルビンさん!手が痛むんですか!?まさかぼくが変な力を・・・」

 

「いや・・・アルスどのは関係ない。信じがたいことに・・・どうやらわしの右手は

 このまま使い物にならなくなるか消え失せてしまうようだ!以前わしが不在の日に

 アイラどのを襲った魔王の遺した刺客の魔の手が・・・ぐぐ、どうやらわしにも!」

 

メルビンさんの記憶が変わり始めているらしい。オルゴ・デミーラが自分に万が一の

事態が起きた場合のために用意していた最後の魔族たちは過去の世界に向かい、

そこで再度歴史を変えることで復讐だけでなく魔王の敗北をなかったことにする狙いが

ある。今回は昔のメルビンさんに重傷を負わせることで戦力を削ぎ、最終決戦どころか

それまでの戦いのどこかでぼくたちの旅を終わらせるという企みだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

紀元弐千年

メルビンさんが突然右手を押さえて苦悶の表情を浮かべた。敵が過去で何かを

していることは最近の出来事を考えれば確かだ。せっかく世界が勇者や英雄の

力を必要としないほんとうの平和を手にしようとしているのに戦いは続くのか。

 

「くっ・・・オルゴ・デミーラめ!死んでからもぼくたちの邪魔を・・・」

 

「いや、アルスどの・・・もしかしたら別の勢力の仕業かもしれぬ!」

 

別の勢力、とは初めて聞いた。まさか新たな魔王がどこかにいるだなんて。

 

「メルビンさん、それは何者なんですか!?それにどこでそんな話を・・・」

 

「アルスどのたちと別れた後、天上の神殿で昔からいる賢者や祭司が話していたので

 教えてもらった。彼らもつい最近古い資料を見つけ、研究の末に一部を理解したに

 過ぎないと口にしていたが・・・『紀元弐千年』、それが鍵となる言葉らしい」

 

重要な言葉を言われてもいまいちピンと来なかったぼくに、メルビンさんは説明を続ける。

 

「つまり、魔族にとって重要な何者かが生誕してから今年で二千年となるという

 ことでござる!やつらはそれを祝し大々的な活動を行うと考えられる!それが

 オルゴ・デミーラのことであればまだよいのでござるが全く別の誰かであれば

 非常に厄介な、また新たなる戦闘の日々が幕を開けるかもしれないでござる!」

 

大々的な、例えばこの世界を我が物にしようとするとか・・・そんなことだろう。

オルゴ・デミーラはもう死んでいて残党たちの数も知れているから少しずつ潰して

いけば問題ないけれど、そうでないとほんとうに先が見えないぞ、これは。

 

(そういえば・・・やつはあの戦いのときに・・・・・・)

 

最後の戦い、ぼくとマリベルだけが残ったあのとき、魔王は勝利を確信したのか

口数が多くなっていた。これから目指そうとしているものに関しても惜しまずに

ぼくたちに教えていたのを思い出した。

 

 

『ふふふ・・・ついに、ついにこのわたしの悲願が成就する!お前たちを除き去れば

 あとの人間どもを再び騙しわたしは神として全世界を支配するのだ!』

 

『魔王として・・・ではなく神として・・・?』

 

『そうだ!全てがわたしにひれ伏しわたしの思い通りに世は動き時は進む!だが

 わたしはいずれ神の座をわたしよりも栄光を受けるにふさわしい偉大な方に

 お渡ししなければならない!その方こそありとあらゆる神や魔王を超越した

 永遠に世界を支配すべき方だからだ!そのお方の名は・・・・・・!』

 

大魔王と呼ばれた、魔族にとっては最高の、人間にとっては最悪の存在である

『ゾーマ』、その名前をオルゴ・デミーラははっきりと口にしていた。

 

 

「・・・なんと!わしらが倒れた後そのような話が・・・!確かにゾーマ以降の

 魔王たちはいずれもやつに仕えていた時期があったか、そうでなくてもやつを恐れて

 いたという事実があるが・・・やつの復活がデミーラの最大の目的であったとは!」

 

「ゾーマのことなのかもしれません。生誕二千年というのは・・・」

 

「ウム・・・この世界の時間には歪みがあり、しかも賢者たちが見つけた書も

 解釈が正しくなければ別の時のことを指しているのかもしれないでござる。

 よってゾーマが大魔王となってからすでにその程度時は流れているはずだから

 生まれたときとなるともっと前であるためそれは違うと一言で否定できないのも

 事実でござる。謎解きをするだけ時間の無駄でそれも敵の術中かもしれぬな」

 

メルビンさんは苦痛に顔を歪めながらも冷静さを失わない。続けてこう言った。

 

「ゾーマでないとしたら・・・やつの娘!その可能性も大いにあるでござる!」

 

そのとき、ぼくたちの裏のスロット台の椅子から誰かが大きな音をたてながら

床に転がり落ちた音がした。何やらバタバタと慌てているようだ。

 

「ゾーマの・・・娘!確かロンダルキアにいるハーゴンさん!」

 

「そう、またの名をウオッカというモンスター人間の総帥。非常に大勢の仲間に

 囲まれ、勢力は拡大を続けている。これまでは世界を征服する気がなかったと

 しても、実際に実現が可能となる戦力を手にし状況が向くのなら・・・」

 

「父ゾーマのこともどう思っているのかはっきりとしたことは聞いていません。

 あの人自身ゾーマが父親だと知ったのはロトの末裔たちとの戦いが終わった後だと

 いうことですから・・・今になって復活を望んでいるという可能性も!」

 

「そのためにはわしらを倒さなくてはならないでござるからな・・・。のう、

 そこのお二方!ちょっとこちらに来て話に加わってはもらえぬか!」

 

メルビンさんはすぐに裏に回り、ぼくたちが『ゾーマの娘』の話題を始めると

明らかに動揺していた怪しげな二人組を逃げられないようにして追い詰めた。

やはり、というべきかその二人はモンスター人間、つまりハーゴンさんの仲間だった。

 

「・・・こ、こんな所で奇遇だな。じいさん・・・」 「お久しぶりです・・・」

 

「お前たちは・・・バブルスライムとしびれくらげのコンビか。いや、ほんとうは

 はぐれメタルとホイミスライムだったかな?まあどちらでもよいことよ。まさか

 今日も偶然カジノにいたところを出会ってしまったというわけではあるまい」

 

見た目こそ若い女の人たちだけど、実際の年齢は不明でしかも人間ではないとくれば

メルビンさんも誘惑されない。しかもこの二人はたまたまコスタールで遊んでいたら

神に化けた魔王による世界の封印が始まって、ロンダルキアと下界を結ぶ旅の扉がある

エスタード島が見えなくなってしまったので神の城から逃げていたメルビンさんと

カジノで会い、そのときは協力して大灯台までの道のりをサポートしてくれたらしい。

でも今日は違う。もしかすると敵として戦わなくてはいけないかもしれない。

 

 

「バブリンさんにしびれんさん・・・でしたね?メルビンさんの手のこともあるから

 短く質問します。あなたたちは誰かの復活を計画しているのですか?」

 

「ドキッ!そ、そんなことないって。復活?私たちは不老不死、この頃大きな戦いも

 ないからそんなものは一切必要な———い!世界樹の葉だって無価値な・・・」

 

「正直に、真実を話してください。そうすれば戦わなくてすむかもしれません。

 ですがこのままごまかそうとするのなら・・・まずはあなたたちから斬ります。

 それからあなたたちの仲間を・・・ほんとうのことがわかるまで続けます」

 

ぼくは水竜の剣を出して二人に迫った。二人の顔がわかりやすく青ざめているのがわかる。

でもこれは実はただの脅しで、もし戦いを挑まれたらぼくは負ける。勇者の力をほとんど

失っているいまのぼくではモンスター人間の二人には勝てない。自信満々で自分は無敵

だと装うことで相手が『降りる』のを期待しているだけだ。これはもちろんぼくのやり方

じゃあない。彼女が得意としていたインチキの手段だった。

 

 

『・・・助かった。宿まで間に合わないところだったぜ。逃げてくれてよかったな』

 

『フフフ、あたしが強そうなのを見て逃げていったのよ、魔物たちは』

 

体力も魔力もない満身創痍でも堂々と胸を張って歩き、視線だけで魔物を退けていた。

 

『おお、これで五連勝でござるな、マリベルどの!』

 

『ええ。まさかワンペアであそこまで張って相手を追い詰めたんですからすごいです。

 ぼくは彼女の戦法をわかっていてもやっぱり敵に回したくないですね』

 

カードを持たせたら無敵だった。運がなくてもハッタリと強心臓で押し切った。

自分にあまり自信が持てないぼくには真似できなかったけれど、今日ここで

その力を借りることにした。いまマリベルはどこを探してもいない。でもこうすれば

何だかマリベルといっしょに戦っているような気分になれた。

 

 

「ぼくはたとえ史上最悪の大魔王ゾーマを復活させると言われてもすぐに何かを

 するというわけではありません。もしかしたらロンダルキアかどこかの温泉で

 のんびり暮らすためだけに生き返る、それなら好きにしてもらえばいいだけの

 話ですから。ただメルビンさんへの攻撃をやめてもらいたいんです」

 

これはぼくの本心だった。誰が復活しようがもう世界に手出ししないというのなら

関わることはない。でもこんなものはぼくだけの考えで、メルビンさんはきっと

許さないだろう。それにオルゴ・デミーラを復活させると言われたらさすがにぼくも

ちょっと待てと言う。実際にその悪事を散々見せつけられているからだ。だから

ゾーマでもいいというのはぼくの自分勝手な考えなんだけど、とりあえずは二人の

狙いを聞かないことには始まらないのでぼくも思いを隠さずに伝えた。

 

「・・・あれ、そうなんですか?てっきり私たちは怒られると思ったから皆さんに

 知られないうちに計画を実行しようとこうして見張っていたのですが。これなら

 大丈夫かもしれません。魔王だなんて物騒なものは復活させませんよ」

 

「そうそう、私たちが復活させようとしているのは『勇者』だよ。歴史の本には

 載ってないけれど、これまでのどんな勇者よりもずっと勇者だったと言える、

 人と魔物みんなから愛された『幻の勇者』・・・その時代の人間から勇者と

 呼ばれた男の妹だった・・・いや、現実には妹じゃなかったんだっけか。

 まあどっちでもいいや。その女の子の話は・・・確か前もしたよなぁ?」

 

 

長い年月を生きてきたこのモンスター人間たちや天上の神殿の人々は時間が

有り余っているのだろうか。歴史上最も偉大な勇者は誰か、最悪の魔王は誰か、

たびたび論じ合っては毎回答えが出ないらしい。それぞれが自分の一番輝いていた

時代の勇者の名を挙げるからだ。魔王のほうは人も魔物もゾーマでほぼ意見は

一致するが、勇者はそうはいかず、激しく意見がぶつかるだけとのことだ。

 

『やっぱり勇者ロトでしょう。その後の勇者は皆彼の血を継いでいます。

 全ての勇者の原点であり頂点であり最強・・・本来異論は出ないはずですが』

 

『いやいや、ロトは仲間たちと力を合わせてゾーマを倒したけどブライアン、

 あのラダトームの勇者は一対一で竜王・・・わたしの父を倒したのだから

 どちらが上かは普通に考えたらわかるでしょ、ねぇ?』

 

『あなたたちが論じているのは魔王を倒した勇者たちだ!神を相手に勝利した

 勇者のほうが勝っているとなぜ理解できないのか・・・』

 

ロトの時代、その目で彼の活躍を見たスライム、竜王の娘だったキラーマジンガ、

ずっとその後の時代のモンスター人間たち・・・誰も自分の主張を譲らない。

とはいえ天上の神殿の賢者とか聖人とか呼ばれている人たちもやっていることは

ほとんど同じだそうで、時にはエスカレートして殴り合いになるというのだから

メルビンさんも頭が痛かっただろうと話を聞いていたのだけれど、

 

『安心するでござる、アルスどの。わしはちゃんとアルスどのが一番だと彼らに

 教えたでござる。オルゴ・デミーラを倒したのだから当然のことでござるが

 それでも物分かりの悪い神官や祭司を二、三人ぶっ飛ばしてしまったがな、わはは!』

 

『・・・・・・地上に降りてきた理由って・・・そのせいじゃないですよね?』

 

一番偉大なのは誰か、ではいつまでも答えが出ないので誰が一番力が強かったか、

呪文を、剣技を使いこなしていたかという細かい分野で決めようとしても荒れて

しまう。それでも魔物たちの間で答えがほぼ一致する質問があり、『最も優しい

勇者は誰か』というもので、歴史の書には記録すらほとんど残っていない、

いまモンスター人間たちが甦らせようとしている女の子の名が挙がるのだ。

 

「あいつがいなきゃ私たちはとっくに死んでいたよ。あいつは誰に対しても

 穏やかに、愛情をこめて接してくれた。私たちのような半端者にも、魔物にも。

 どんなクズが相手でもいいところを見つけてくれたし、寛大だった。戦いが

 避けられない時はどうやって敵を倒すかじゃなくてどうやって敵を救うかを

 考えていた・・・あいつの前じゃみんな争うのが馬鹿らしくなっていたよ」

 

「あの人自身決して満たされた人間ではありませんでした。しかし自分が辛い

 思いをしているからこそ他の人の苦しみや悲しみを理解して寄り添える、

 そんな人なんです。心が爽やかに、そして温かくなる日々でした」

 

 

 

その時代、世界は現実の世と幻の世に分離していた。精霊ルビスが勇者として選んだ

兄の後を追うように故郷を旅立った彼女は最初にバブルスライム、しびれくらげと

出会い、魔物の仲間を増やしながら世界の真実を知るようになった。今の自分が

夢の世界のものであるなら現実はどんなものなのかと興味が湧くのは当然だった。

 

『・・・・・・これが本当の私・・・』

 

現実の彼女は一人で暮らしており孤独だった。そのため夢のなかで優しい兄を

求めたのだ。夢の世では両親は彼女が幼いころ魔物から守るために死んだのだが

実際はそれも真逆だった。なんと我が子を差し出して両親は逃げたのだ。

 

『・・・信じられない者たちだ。己の娘を捨ててまで生きていてどうするというのか』

 

キラーマジンガとランドアーマーのコンビはまだ赤ん坊だった彼女は殺さずに、

その両親を切り刻んだ。全く異なる生い立ちに本人は当然として共にいる魔物たちも

戸惑い、どう声をかけていいか悩んだが希望の光もあった。現実の彼女も深い闇に

射す光のような愛に満ちていたということだ。排他的でよそ者に厳しい村で彼女だけが

見ず知らずの旅人を温かく迎える。大事な芯は何も変わってはいなかった。

 

『今まで辛かったことや淋しかったこと、悲しかったことをずっと背負ってくれて

 ありがとう。これからは・・・ぜんぶ分け合おう』

 

彼女は夢に逃げなかった。彼女の仲間の魔物やモンスター人間たちは夢の産物で

ありながら不都合な現実と直面してもそれを飲み込んでなかったことにした者もいた。

彼女の兄も夢と現実が離れていた時間が長すぎて、完全に一つにはならなかった。

それでも彼女は幸せな夢の日々を捨て、ほんとうの自分として生きていくことを選び、

そこからの彼女の活躍は世界に大きな影響を及ぼすまでになった。

 

 

『・・・これだ、これがあの日ルビスと、そしてブライアンと誓った人間と魔物が

 憎しみを捨てて手を取り合う・・・ずっと求めていたものがいまここに・・・!』

 

夢と現実が一つになったとき、彼女は精霊ルビスからたった一度だけベホマズンを使える

力を授けられていた。それをなんと、天空の城で自分の兄たちと死闘を繰り広げた

だけでなく両親の仇でもあるキラーマジンガとランドアーマーに対して惜しむことなく

使った。旅の途中で数回会い言葉を交わしただけの相手に一回きりのとっておきを用いる

のを躊躇わなかった。救える命を前にしていろいろと考えることすらなかった。

この瞬間、竜王の娘と彼女の付き人大魔道の呪いは解けた。気が遠くなるほどの長い年月、

ルビスが愛した勇者を殺したためにその身に受けた呪いが同じくルビスによって力を

与えられた少女によって解呪されたのは運命だったのかもしれない。

 

 

『なるほど・・・お前の話は人を爽やかにし希望を抱かせるものだ。まさかこの我々に

 戦わずに和解する道を選ばせるとは・・・これならば世界は・・・』

 

残虐さと容赦のなさで知られていた町全体が牢獄の地の獄長と、大賢者を拘束する

怪力無双の二体の魔物、どちらも貧弱な人間の言葉など耳を傾けないはずなのに

彼女は自分の仲間たち、更には兄と彼の仲間たちを守り、更には魔族たちすらも

守るために力を尽くした。歴史の書には人々が勇者として知っている彼女の兄、

厳密には『兄だった』男が魔王を倒してから故郷の国の王になったことまでしか

書かれていないが、全てを知る者たちは彼女の働きの大きさを決して忘れなかった。

 

 

 

「あいつが遠慮したんだよ。お兄ちゃんのことだけ書いて私については何も書いちゃ

 ダメだって。ほんとうに謙遜で・・・謙遜すぎた。王と結婚したのはよかったが

 結局一回も寝なかった。あの男が夢の世界に置いてきた真の恋人とやらに遠慮して

 最後まで妻というよりは妹のままだった。自分の幸せは二の次で・・・」

 

「・・・最後まで?ということは何十年も・・・?」

 

「いえ、あの人は二十二歳の若さで病に倒れました。幸いだったのは全く苦しまずに

 あっという間に逝けたこと、もう一つ、それからすぐに人間たちが始めた世界規模の

 戦争を見ずに済んだことでしょうか。もしかしたらあの人が生きていたから世界は

 ギリギリのところで手を取り合っていたのかもしれませんが・・・あの人亡き後は

 何かが壊れたかのように長い戦争が続きましたからね」

 

歴史の中で、今回こそ真の平和がやって来ると種族を問わず誰もが思った瞬間は

何回かあったらしい。しかしいずれもうまくいかず人間同士が争い気がつけば

その隙を突いて新たな魔王が現れて、の繰り返しだったという。勇者が判断を

誤るか、勇者はしっかりしていても周りの人間が失敗して厄介事を持ち込むか・・・。

そう考えるとぼくが何もしなくても勝手に皆が平和を求めるこの時代は恵まれている。

 

「これもアルスどのの人徳あってこそ。アルスどのに危害を加えてまで栄光や

 富を手にしようなどという輩がいないのは人々に真に愛されている証拠!

 密かな陰口すらちっとも聞かないでござるから、胸を張っていいでござるよ」

 

「・・・まあ父さんと母さんはいまだにうるさいけどね。それに・・・マリベルも」

 

「ご両親は仕方がないでござろう。叱るのも愛情があるからこそ。それにマリベルどのが

 アルスどのを悪く言うのは・・・いや、わしが教えるべきではないか。アルスどのが

 自分で気がつかなければいけないことでござるからな・・・」

 

世界中の皆に好かれてもきみに嫌われたら意味がない、そんなセリフは間違っても

ぼくの口からは出てこない。そういうのが得意な男の人だけやればいい。

 

 

「そう、世界はいよいよ永遠に平和になろうとしている!長い間人間どもの失敗と

 魔族の暴走を見てきた私たちやハーゴン様が大丈夫だと後押しするんだ。

 ようやくこの時が来たんだ・・・あいつと再会する瞬間が」

 

「あの方が長い眠りについた日に約束しましたからね・・・」

 

 

 

『・・・・・・みんな・・・なんだか私・・・眠くなってきちゃった・・・』

 

『寝るな!頑張れ!ここで寝たら・・・・・・!』

 

『・・・さよならだね。でも、きっといつか・・・また会えるよね・・・』

 

そのときだった。彼女と最初から旅をしていたバブルスライムとしびれくらげの

モンスター人間二人は彼女の手を取った。そして当てのない約束をした。

 

『そうだ!お前の、それに私たちみんなの望む世界になったらまた会おう!』

 

『誰も争わない、戦わない喜びのなかで一日中歌を歌ったり絵を描いたりして・・・』

 

『・・・いいなぁ、それ。とても楽しみだなぁ・・・そのときまた起こしてね』

 

 

それはまさに今の時代、ぼくたちの時代だとこの人たちは言う。

 

「実はアルス、お前さんのことがずっと昔に預言されていたんだよ。大賢者の兄弟が

 この先世界に何が起こるかについて・・・今なら意味もよくわかるんだけど当時は

 みんなさっぱりだった。言った本人の大賢者たちすらわかっていなかったんだから」

 

 

『近い将来、夢の世と現実の世、そして狭間の世界は元通り一つとなる。世界には

 一瞬だけ平和が戻るが僅かな期間だろう。勇者が夢を追い求め現実を見ないからである。

 ただし彼の妹であり妻となる慈愛の乙女が生きているうちは争いは起こらない』

 

これはその時代のことだろう。まだぼくたちは出てこない。

 

『また、彼の子孫たちも苦しみの多い生涯を送るだろう。彼以上の勇者は出ず、

 最後の者は少年でありながら勇者とされるが大魔王との戦いにより命を落とす。

 こうしてかつてローレシアから続いた王族の家系は絶たれ、神や精霊に軽んじられ

 取るに足らない人間とされた西の悲運の王子、『流星の貴公子』と呼ばれた者が

 高められるだろう。彼の血を継いだ水に愛されし勇者が世界を救い、その者が

 世界に永遠に続く平和をもたらすからである。彼はそれまでの勇者と呼ばれた

 誰よりも謙虚であり温和で、全ての生物に愛される男だったからである』

 

「・・・それがぼく?ずっと過去にもう予告されていたってことなのか?でも

 これまでの誰よりもってのは言い過ぎだと思うな。それは買い被り・・・」

 

「ははは、今のうちに素直に喜んでおいたほうがいいと思うけど?続きがあるから」

 

『しかし彼は自分のためには何も残さずに去っていく。名誉も、富も、子孫も。

 彼を最後に勇者は必要とされず、彼が何かを継承する必要はないからである。

 彼は人々に高められることを望まず、童貞のままひっそりといなくなるだろう』

 

何かいろいろと気になる単語が飛び出してきたけれど、あえて気にしないふりをした。

そうなりそうな予感がしたからだ。ぼくの性格ややり方を考えたら・・・。

 

 

「まあ話はこんなモンで。私たちはジイさんを攻撃なんてしていないし、そっちが

 私たちのやろうとしていることを止めないのなら互いに用はないんじゃないか。

 これから盛大に復活祭をするんだ、失礼させてもらうとするかな。さっきの話の

 細かいところが聞きたいならハーゴン様のところに行きな。『流星の貴公子』、

 サマルトリアのアーサーとかいうやつの思い出話を飽きるほどしてくれるから」

 

「ええ。疑ってすいませんでした。でも最後に一つ、少し気になることが・・・。

 どうやって生き返らせるんですか?体はどうやって用意を・・・」

 

ちょっとした疑問だった。するとその答えはぼくとメルビンさんを驚かせるものだった。

 

「他でもないあの方自身の体を使います。信じられないかもしれませんが、その遺体は

 あの日から気の遠くなるような年月の過ぎたいまでも腐らずにそのままなんです。

 骨が残っている、とかいうレベルではなく、皮膚も肉も顔も・・・全てが一切

 一度目の生涯を終えた日のまま・・・。ですからあとはハーゴン様が命の息を

 吹き込んでくだされば記憶は完璧に残ったまま復活するという保証があります」

 

「い、いまだに腐らない遺体!?お前たちが手を加えたのでござるか?」

 

「いや、誰も何もしていない。実はその昔、事情があってあいつの墓から土葬された

 遺体を持ち出す必要があったんだ。死んでから数十年は経っていたから朽ち果てた

 あいつを見るのは嫌だったが・・・いざ掘り起こしてみるともうびっくりさ。

 死んでいるというよりは目覚める日を待って眠っているようだった。そして

 あいつはどんな精霊や女神よりも上だったと証明されたわけだ。こんな現象、

 後にも先にもこれだけだ。ただ・・・・・・」

 

去り際に二人はぼくを見た。そして通り過ぎてからぽつりと言うのだった。

 

「・・・完全なる平和を成し遂げたお前さんならありえるかもしれないな。

 いつまでも世界の平和の象徴として朽ちることなく存在するというのも・・・」

 

 

二人がいなくなってからぼくたちは顔を見合わせた。苦笑いを浮かべながらぼくは言った。

 

「結局紀元弐千年、誰のことなのかはわかりませんでしたね・・・それはまあいいとして

 死んでからいろいろ偉大な何かになるよりは・・・やっぱり元気で生きているうちに

 小さなことでいいから人の役にたつような生き方をしたいですね」

 

「アルスどのはもう十分働いたではござらぬか。とはいえ・・・それは力と使命を受けた

 勇者として。これからまた別な何かとしてまた別の誰かのために生きるのは人間で

 あれば当然のことかもしれぬでござるな。生きていればこそ喜びが・・・・・・」

 

そのときだった。メルビンさんの右腕に大きな傷跡が現れた。とはいえそれはずっと前、

おそらくは若い時の傷のように見えた。疼くことはあっても痛みはしないだろうが・・・。

 

「そ、その傷・・・!敵の攻撃で!すぐに過去に向かいましょう!場所は・・・」

 

「いや・・・アルスどの、もう終わったでござる。傷を負いはしたものの・・・

 若き日のわしが魔王の刺客を倒してしまったようでござる。いま記憶が完璧に

 塗り替えられ・・・すでに真の意味で過去の話となった」

 

年老いてもその眼光は鋭い英雄が腕の傷を撫でながら懐かしむように笑った。

 

「敵は殺戮のみを追い求める破壊の化身、エビルエスターク。その名を『カーリン』。

 確かに常軌を逸した力の持ち主であったが・・・心を持っていなかった。それが

 わしの勝因であり、人間の強さでござる」

 

これなら安心して帰れそうだ。下手したらぼくよりも長く生きるかもしれない。

英雄としての役目を終えても毎日を楽しく過ごし、それでいて誇りと威厳を失わず

若々しく生きているこの人なら何が起きても納得のいかない無念の死を遂げるという

ことにはならない。きれいな女の人がたくさんいるところでまた会えるだろう。

 

 

「じゃあ・・・ぼくもそろそろ帰ろうかな」

 

「マリベルどのを探しに行くのでござるな?わしが生きているうちにぜひとも

 二人の子どもを抱かせてもらいたいでござるよ、アルスどの!さっきやつらが

 語っていた預言はいいところだけ受け取って不穏なところは無視すればよい!」

 

「あはは、あまり期待しないでくださいよ、それじゃあ・・・」

 

なのに、なぜかぼくには予感があった。メルビンさんと会うのは今日が最後、

もう二度とその姿を見ることはないだろうという、予感というよりは確信が。

なぜかはわからない。でも、メルビンさんだけじゃなくてガボとアイラ、

今日これまでに会ったあの二人ともあれが永遠の別れだった。そう言い切れる。

 

「また会いましょう、メルビンさん」

 

それを口にはせずにカジノを後にしようとした。ひっそりといなくなる、というのは

正しいのかもしれない。ところが、そんなぼくの腕をメルビンさんが掴んできた。

まさかぼくの考えが読まれている・・・そう思ったのも束の間で、

 

「アルスどの!よく見たら揃っているではないか、スロットが!」

 

「え!?いや、そんなはずは・・・・・・あれ、ほんとだ・・・」

 

「わしが気がつかなかったら数千ゴールドは損をしていたでござるよ、さあ!」

 

周りの音が大きいので当たりのファンファーレが聞こえなかったみたいだ。

確かにこれは危ないところだった。目をこすりながらもう一度座り、結局しばらく

スロットを続けてから帰った。前半の大負けを取り返せたからよかったけれど、

ますます深刻な話はできない雰囲気になってしまい何も言えないまま別れた。

 

これまで次々と仲間たちが襲われてきたけれど、次はいよいよぼくの番か。

謎の悪寒の正体を敵によるものだと判断したぼくは一度村に戻ることにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雨の糸

 

いまぼくは若い女の人、年齢はぼくと同じくらい・・・ということになるのだろうか?

その人に抱きしめられている。誰に聞いても美人だと認めるだろうし、いい香りがする。

なのにちっともドキドキしないのはこの人がぼくを呼ぶ名前のせいなのか、それとも

この人が本来ならぼくの母親になるべき人だったからなのか・・・。

 

「あ~~~っ、よしよし、キーストン・・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

島に戻ったぼくは半分強引にそばにいた海賊船に乗せられていた。そこでぼくを待って

いたこの女性の名前はアニエス、この海賊船の船長の妻という人だ。この前会ったのは

半月前、それなのにこれほどべたべたとしてくるのだ。これが親馬鹿というやつか。

 

「うん、体は異常なし・・・変わらず元気そうね、キーストン。でもあなたは何か

 悩みを抱えている・・・隠そうとしてもわかるわ」

 

「・・・全く悩みがないことなんかありませんよ。ぼくなんて特にいろいろ考えすぎる

 人間ですから。どうでもいい話や今さら悔やんでも仕方のない無駄なことまで」

 

この人がぼくのことを『キーストン』と呼ぶのは、誰かと間違えているわけではなく、

キーストンという名こそがぼくにつけられるはずだった名前だからだ。このあたりは

事情が複雑だから順を追って説明しなければいけないと思う。

 

 

 

エスタード島の遺跡の奥にある謎の神殿。不思議な石版を集めて台座に置く、その

繰り返しの一番最後に向かったのがコスタールという国だった。そのときのぼくは

いろいろなことが重なって荒れていた。何のために旅をしているのかがまるで

わからなくなって、これでようやく終えられると思っていたほどだった。

 

『・・・神様の復活?魔王との決着?そんなのやる必要はない。過去は知らないけど

 いまの世の中はこれまでずっと平和だったんだ。余計なことはしなくていいよ』

 

神様を復活させるための一族に生まれたアイラや魔王を倒す希望として封印されていた

メルビンさんとは違い、ぼくには戦う理由がなかった。わざわざ闇に閉ざされた暗い

世界に行くよりは平和な現代でのんびりしていたい気持ちが強くなっていた。

 

 

『・・・・・・!?キーストン・・・あなた、キーストンね!?私にはわかる!

 あなたはあの人と私の間に生まれてくるはずだった・・・!』

 

愛する夫を魔王軍との戦いで失い、妊娠していたのに突然おなかの中の子どもが消えて

いなくなったという二重の不幸に見舞われ、すっかり無気力になっていた肌の白い

若い女の人がいた。誰が話しかけても虚ろなままでいたのに、ぼくが近づくと一変して

起き上がり、希望を見つけたかのように目を輝かせた。でもぼくはひどい対応をした。

 

『・・・あなたは誰です?いきなり見知らぬ人に息子だと言われても困ります。

 ぼくはこの国に来たのは初めてだし故郷に両親がいるのだから人違いでしょう』

 

『いいえ・・・あなたのその紋章の形をしたアザが・・・私たちの血が流れる証です。

 水の精霊に愛され、そして古の勇者の子孫であることを示すものに他なりません!』

 

『・・・・・・こんなもの・・・世界中を探せば似たような人はたくさんいますよ、

 多分。さあ、もういいでしょう、みんな、そろそろここを離れよう』

 

『ちょ、ちょっと・・・アルス、どうしたの?あなたらしくないわ』

 

ぼくもこのときその予感はあった。いつからか自覚するようになった不思議な力、

こんなものがどこからやってきてぼくに宿ったのか、その謎の答えを見つけた。

 

魔王により致命傷を受けた水の精霊が最後の力でしたことは、伝説の大海賊、

『東海の帝王』という称号も持つシャークアイのまだ生まれていない一人息子を

平和な世に送り、災厄から逃れさせるだけでなく魔王を倒すための切り札として

温めておくという奇跡だったと知ったのはその後のことだし、そこから更にずっと

後になってから、風の精霊が似たような行為をしたというのを聞いた。聖風の谷の

少女フィリアの翼を数百年以上先の人間の背に移すというものだった。

 

それらの事実を知る前からぼくも、遥か過去の見知らぬ土地で出会ったこの女性が

ぼくのほんとうの母親なのではないかと思ってはいた。でも認めたくなかった。

これ以上自分が自分でも理解できない存在になっていくのが怖かったからだ。

このままいくと二度と元通りの生活ができなくなるような気がして、だから

冒険の旅は最後の石版世界であるここで終わりにして漁師の息子に戻りたかった。

 

 

 

「全てを知った今だから納得できるとはいえ・・・いい迷惑だった。あのときの私は

 ただ死ぬことばかりを願っていた。フィリアちゃんって女の子も大変だったと聞くわ。

 やるならもう少ししっかりと説明してくれたらよかったのに、精霊たちも」

 

「あはは・・・まあそのおかげでぼくも無事に成長できたわけですから・・・」

 

「いや、あなたならあの時代でもきっと生き延びることができた!もしあのまま

 何事もなく出産していれば私の手で直接あなたを育てることができたのに・・・」

 

コスタールではメルビンさんたちに不愛想な態度を叱責されていたぼくが今ではこの人をなだめる側だ。ふくれっ面で不満を露わにするアニエスさんを落ち着かせた。

 

「でもあなたの優しさは変わらないわ。あのときも最後、私のことを『お母さん』と

 呼んでくれた・・・それだけで私は何があっても生きていけるようになった」

 

コスタールを支配していた魔物バリクナジャを倒し、それから大灯台に明かりを灯して

光を取り戻してもぼくの気持ちはそれまでとあまり変わらなかった。なのにその地を

去る最後になって真の母親を認める気になったのは目の前の絶望に沈む女の人が哀れに

思ったからか、それともぼくも我慢できなくなったからなのか・・・いまだわからない。

 

「あなたのおかげで私は今ここにいる。前にも話した通り、希望がないままでいたら

 海底王の誘いに乗って一年に一日だけ歳を重ねる人魚になろうとしていた。でも

 それを拒んだおかげで更に勝った祝福を受けることができたのだから・・・」

 

「更に勝った祝福・・・?その話はまだ聞いていなかったはずです。魔王が死んで

 奇跡的にこうして人間として生きているということは聞きましたが・・・それも

 よく考えるといろいろ教えてもらわないとわけのわからないことばかりです。

 奇跡だから何でもあり、で片づけられてしまったらそこまでなんですが」

 

「あら、まだ話していなかったかしら。もう知っているものだと勘違いしていたわ。

 別に隠すことではないからせっかくだし今日一つ残らず話しましょうか。あなたと

 別れた後の私のことからまずは・・・・・・」

 

突然とても重要な話が始まるというのは冒険のとき珍しいことではなかったのだけれど

どうしても焦ってしまう。近頃ぼけーっとのんびり生きているのだからなおさらだ。

でも、まさにアニエスさんが語り始めようとしていたときに別の声によって遮られた。

 

 

「おお!キーストンではないか!来ていたのなら最初にオレのところへ足を運んで

 くれたらよかったものを!まあいい、陸で仕入れた上等の酒と果物を持ってきたぞ!

 さあ、ここからは親子三人で語らい合おうではないか————っ!」

 

この海賊船マール・デ・ドラゴーンの船長であり、ぼくのほんとうの父親でもある

大海賊シャークアイ。彼が駆け足で向かってくると、そのままぼくたちと共に座った。

 

「平和な世、しかも本来おれたちがいないはずの時代の世なのだからもっと暇だと

 思っていたのだがな、好戦的でないとはいえ海の魔物と漁師たちのトラブルの

 解決や危険な渦潮の調査・・・やるべきことはたくさんあるものでな、なかなか

 時間が取れなかったが今日は大丈夫だ、さあキーストン、それにアニエスも」

 

「うふふ、嬉しそうね、あなた。じゃあ一杯いただきましょう」

 

ちなみにキーストンというのはシャークアイの考えた名前だという。アニエスさんが

妊娠しているとわかったその日に彼には確信があったらしい。これは男の子であり、

双子ではない。そして苦戦が続く魔族との戦いを終わらせる力を持っていると。

復活した魔王によってエスタード島が封印されたとき、氷漬けの呪いから解放され

遥か長い時を経て帰ってきたシャークアイもやはりぼくのことを一目であの時代に

残した息子だと直感で理解してぼくを船に招き入れた。そのときこう言われたのだ。

 

 

『キーストン・・・この明日なき戦乱の日々に終止符を打つ、世界の要石となる。

 そういう意味を持ってオレはまだ生まれていない我が子にこう名付けた。しかし

 勇者ロトやその子孫、更に言えばロトのずっと前の勇者と呼ばれた者たちも

 この名を一度は息子に与えようとして、しかしそれをやめたという記録があった。

 彼らは特に深く考えず、後から思いついた名のほうがいいからそうしたらしいが

 実は違う。古い預言の書をオレは昔どこかで手に入れ・・・その内容を読んだのは

 ついさっきのことだった。オレたちに起きた信じがたい出来事に加え・・・いや、

 それ以上に驚かされた。キーストン、いや・・・アルスどのだったな。これを』

 

『・・・とても古い巻物だ・・・でも書かれている文字は読める!』

 

『そう、そこがオレとアルスどのの繋がりだ!オレ以外の船員は誰一人こいつを

 読むことはできなかった。古代文字に精通した学者もいるというのにな』

 

ぼくの仲間たちも誰もそれを読めなかった。でもぼくとシャークアイだけは

見たことがないはずの文字を次々と解読し、読み進めていくことができた。

 

 

 

この世界に永久に続く真の平和をもたらすことができる勇者の名は『キーストン』と

呼ばれるべきであり、それ以外の者がこの名を授けられようとしても神の力がそれを

阻むだろう。彼は決して恵まれた体躯を持たず、小柄で期待を抱かせるような男では

ないが、時が経つうちに大きく成長し、眠っている力にも目覚めることだろう。

 

彼は力や速さ、賢さにおいて秀でた者となるのではなく、人を引き寄せる心の優しさ、

金では買えない愛情と絆が彼を勇者だと人々に認めさせる。自らの苦痛を隠し、

たとえその左腕が破壊され激痛で意識を手放しても当然と言えるときであっても

自分が愛する者の元へ行きその身を案ずることだろう。この世で最後の勇者の名は

定められた日まで守られ、彼がまだ母の胎にいるときに与えられることになる。

 

 

 

「あの巻物はエスタード島とその他いくつかの大陸が復活したときオルゴ・デミーラに

 よる襲撃やそれを妨げた突然の洪水のような大雨によってどこかへ消えてしまったが

 もう必要ない。キーストンが魔王を倒しこうして平和な日々が続いている、それで

 じゅうぶんではないか。何千年も昔の言葉を見事に成就してみせたのだからな」

 

「・・・でもぼくはあなたに対しても何度も失礼なことを言ってしまいました。

 いま思い返しても一切弁護のしようのないひどい言葉の数々を・・・それで

 ほんとうに優しい勇者などと言えるでしょうか。とてもそうには・・・」

 

「いや、立場が逆だったらオレでもそうしていたかもしれぬ。初対面であり、しかも

 自分と大して年齢が変わらない男や女にお前の親だと言われたら混乱し拒絶するのは

 普通の反応だ。それにお前はこれまで自分を育ててくれたもう一組の親たちを

 気遣い愛していたから、あの方々を裏切るような行為はしたくなかったのだろう?」

 

神様を復活させてから数年間、旅を始める前のようなのどかな日々が続いていた。

それを乱そうとするものは魔族だろうが友好的な人間だろうが拒みたかった。そこに

他人を思いやる気持ちはちっともない、自分勝手な思いからだったはずなのに。

勝手に美化されて物語を創作されるのはいつになっても好きになれそうもない。

そんなぼくの心を読み取ったのか、アニエスさんが夫の言葉に反論した。

 

「それはどうかしら。この子はただ・・・幼なじみのキーファ王子たちがいたころの

 ような戦いや苦しみ、悲しみのない毎日に帰りたかっただけじゃないかしら。

 ここであなたの子、選ばれし人間だという事実を受け入れてしまったら今度こそ

 戻れなくなってしまう・・・そう怖くなったのでしょう?」

 

「・・・なるほど、そうなのか、キーストン?」

 

ぼく以上にぼくのその時の気持ちをわかっていて、うまく言葉にしてくれた。

 

「そ、そうです。ぼくが言いたかったのはそういうことだったんです」

 

「うふふ・・・でもあなたが失うのを恐れたのは故郷や仕事や大勢の友人と

 いうよりは・・・たった一人の女の子だったのでしょう?私にはわかります」

 

「・・・・・・そ、それは・・・えーと」

 

わかりすぎているというのも問題だ。しっかりと抱かれているままでは逃げ場もない。

 

「フム・・・古より予告されていた勇者、そんなものになってしまったら一生涯自由に

 身動きができなくなる。漁師の息子として村に住み続けるなどできやしないな」

 

「歴史がそれを証明しています。使命のためにほんとうに愛していた女性ではない人と

 結婚せざるをえなかったり、魔王を倒した後も国のため、世界のための戦いは終わらず

 平穏とは程遠い生涯であったりと・・・それではあの子とどこにでもあるような平凡

 ながら幸福に満ちた家庭を築くというのはできませんからね」

 

二人はその名前を口にしなかったけれど、絶対に全部わかっている。沈黙しか手はなかった。

黙っているうちに別の話へと変わっていくのを期待した。

 

 

「ところで・・・もうそろそろいいのではないか、二人とも。体を離しても」

 

シャークアイが密着しているぼくとアニエスさんを離そうとした。確かにぼくらは

親子になるはずだったとはいえ外見はほとんど歳の変わらない友人や兄弟のような

三人だ。妻が自分ではない若い男に抱きついているのはいい気分ではないだろう。

 

「あら、そうかしら?」

 

「ああ、もう離れろ。オレだってキーストンと親子の抱擁をかわしたいのだから」

 

そっちかよ、と思わず転びそうになった。ぼくじゃなくてアニエスさんに嫉妬して

いたのか。この人も奥さんに負けず親馬鹿だなぁ。

 

 

「・・・二人とも・・・初めて出会ったときとすっかり印象が変わりましたね。

 こんなにおしゃべりで明るいとは・・・ぼくの仲間たちも驚きますよ」

 

呆れたように吐き捨てたぼくに対し、二人はくすくすと笑いながら答えるのだった。

 

「いいや、違うなアルス。これが本来のオレたちだ。オレもアニエスも感情が豊かで

 しかも表情に出やすい人間だ。しかし戦いの最中ではそうもいかないだろう?」

 

「あの日コスタールであなたと会ったとき、私は絶望の深みにいました。夫は魔物に

 倒され息子を奪われた直後だというのに元気に笑顔で話せるはずがありません」

 

それはそうだ。あまりにも簡単なことでつい忘れていた。魔王の支配下だった世界と

この平和な世界、全く変わらないでいられる人間なんているはずがなかった。

もし自分にどんな不幸があってもほんの少しも変わらないなんていうのは・・・よほど

無理をしているだけだろう。ますますその苦しみが増し加わるというのに。

 

「オレたちの船の仲間もそうだ。無口な奴だったが戦いで仲間が減り船が静かになると

 皆を鼓舞するために正反対の人間となり笑顔と元気をもたらそうと努めた男もいる。

 戦う必要がなくなったため気性が穏やかになったやつらもいる。それまでは無理して

 強がって、大声を張り上げて喧嘩好きを装っていたんだとか・・・」

 

「ですからキーストン、どこで生まれ育ち、どんな人間になったとしても人はいつでも

 変わる、言い換えれば『誰かになれる』ことができるのです。たとえあなたが遥か

 遠い昔から予告されていた勇者であったとしても・・・それを成し遂げたのはあなた

 自身の頑張りの結果であり、これから先どう生きるかもあなたが決めてよいのです」

 

誰かになれる、とはどういうことだろう。ぼくはぼくのはずだ。モシャスや変身、

ドラゴラムを使ったところでぼくはぼくだ。一度も使ったことはなかったけど。

この言葉の意味を考えているうちに、シャークアイがぼくのすぐそばに座った。

 

 

「・・・で、お前は何になりたいか決めたのか?今のお前なら何にでもなれる。

 俺の跡を継いでこの船の船長として海の平和を守る決心がついたか?」

 

やっぱりこういうことか。確かにこの海賊船は居心地がいいけれど・・・。

 

「すいません。もう少し考えさせてください。ぼくにはまだわかりません」

 

「フム・・・そうか、キーストン・・・いや、アルスどのに無理を押しつける

 わけではないから安心してくれ。ただ・・・漁師になったとしても最初は

 ただの雑用、掃除やイモの皮むき程度しかさせてもらえないだろう。その点

 オレたちならすぐに次の代の頭領という待遇だ。いい話だと思うがな・・・」

 

 

思い返してみると、コスタールに向かうずっと前からヒントはあった。初めて

ダーマ神殿で職に就こうとしたとき、フォズ大神官が驚いていたのを覚えている。

 

『・・・?おや、アルスさんには海賊の才能があるようですね。今すぐにでも

 転職できます。本来いくつかの職をマスターしないといけないのですが・・・』

 

『海賊?船乗りならまだわかりますけど。漁師の家に生まれたしこれまでの船旅は

 ぼくが操縦していますから・・・海賊というのはどこから来たのやら』

 

『微妙ねぇ・・・あんただから仕方ないけどそこは勇者とか賢者とかじゃないの?

 てゆうかあたしたちのおかげでダーマ神殿を取り戻せたんだから今すぐにでも

 勇者にするのが筋でしょうよ。天地雷鳴士とか賢者でもいいからさぁ。まずは

 魔法使いから始めなさいって・・・ドケチにも程があるわね、まったく・・・』

 

『・・・・・・今ならモンスターの心がなくても『くさった死体』にしてあげますよ?』

 

海賊のほうが漁師よりも適性があるってことなんだろう。でも魔王との決戦までに

いろんな職に就いたし、どれが一番ぼくに向いていて楽しいと思ったかはもう

覚えていない。結局ほとんどの呪文と特技が使えなくなっちゃったしね。

 

 

「今は何かの用事の途中だったのだろう?無理を言って来てもらってすまなかったな。

 楽しい時間を過ごすことができたことに感謝する。そろそろ村に戻るか?」

 

「はい。風の帽子を持ってきているのですぐに帰れます。お酒、ごちそうさまでした」

 

ぼくはそのまま空に帽子を放り投げようとした。いま船は村から少し離れたところに

いるからもう一回戻ってもらうのも悪かった。ところがそのとき、快晴だったはずの

空が急に曇り始め、すぐに大雨になった。ただ雨が降るだけならそれほど驚かずに

予定通りの行動がとれたのに、これほどの異例な事態にぼくは帽子を投げられなかった。

 

「・・・これは・・・!いったん中に入ろう、二人とも!」

 

「・・・そうですね。でもどうして突然・・・?こんなこと今まで・・・」

 

一度もない、とか見たこともない、とは言えなかった。ぼくはこの現象に覚えがあった。

あの日も雲一つない日だった。神に化けた魔王の封印から解かれた直後のエスタード島、

その神殿にあろうことかオルゴ・デミーラ自らが奇襲を仕掛けてきた。戦う準備が

できていないぼくたちにとっては絶体絶命だったけれど、洪水のような雨がぼくたちを

守ってくれた。あまりの激しい雨に魔王軍も本拠地ダークパレスへ戻ることを強いられた。

 

「あれは水の精霊の奇跡だった。魔族によって倒された精霊たち、でも水の精霊だけは

 この現代までずっと生きていてぼくたちをいつも助けてくれた・・・」

 

ぼくの腕のアザが光るとき、いつも水の精霊が力を与えてくれていた。

 

 

大きくなったいまでも覚えている。まだ赤ちゃんだったとき重い病気にかかったこと、

五歳にもなっていない幼い日、他に誰もいない危険な場所で遊んでいて崖から落ちそうに

なったこと。ぼくは見えない力に命を救われた。温かく優しいものがぼくを包んでいた。

 

冒険の旅の間もその力はずっとぼくといっしょにいてくれた。ウッドパルナで

危険なオニムカデを相手にしたとき、キーファがいないユバールの洞窟で魔物に

囲まれたとき、先に進む手段がないと思われたとき、ぼくに並外れた力を与えて

危機を乗り越えるようにしてくれた。そして最後の戦いのとき、ぼくは初めて

その力の主、つまり水の精霊と会話をする機会があった。その声は確かに言ったんだ。

ぼくとマリベルだけがどうにか生き残り、魔王から身を隠している最中のことだ。

 

『・・・アルス、もしこれ以上は戦えないと思うなら・・・その娘と二人でここから

 逃げなさい。魔王も疲弊しているので、あなたたちが戦う意思を放棄したとあれば

 すぐに追ってくることはないでしょう。その隙に無人島や異世界、魔王の手の届かない

 ところまで逃げるのです。私がそのための時間を作ります』

 

『そ、そんなことできるはずが・・・!どうしてあなたが悪魔のような誘惑を!?』

 

『・・・・・・勇者として戦死するより・・・その立場を捨てた臆病で卑怯な者として

 穏やかに寿命を全うしてくれたほうがどれほど私は嬉しいことでしょう。あなたは

 世に平和をもたらすためにこの時代に移されましたが、私はあなたを楽園の島から

 旅立たせたくなかった・・・数えきれない痛みや悲しみを味わってほしくなかった』

 

世界には一つの島しかない、歪で本来のものではない間違った平和だった。

それを正しい形にするために水の精霊はぼくを導いてきたと思っていた。

 

『できることならあのまま・・・古代遺跡も神殿も不思議な石版の存在も知らないまま

 いてほしかったところでしたがあなたの好奇心や流れる血の運命からは逃れられ

 ませんでした。私にできることは後ろから手助けをすることだけ。打ちのめされて

 傷ついたあなたを抱きしめてあげたいと何度思ったことでしょう』

 

たとえ世界が魔王の思い通り進もうと、ぼくが幸せに不自由なく暮らしているのなら

そのほうがいいと言ってくれた。命に代えても魔王を倒せ、勇者としての使命を全うしろ、口にはしないけれど皆がそう言ってくるようだったから、ぼくはその言葉に救われた。

だからもう一度戦おうと立ち上がれた。マリベルへ向けるものとはまた別の種類の

『愛情』をこの女の人に抱いていた。そう、これは母親への・・・・・・。

シャークアイを加護していた水の精霊とぼくを守っていた水の精霊は・・・きっと

別の存在なのだろう。その地位は歴史のどこかで継承されたんだ。

 

 

 

「アニエスさん、さっきあなたは人魚として不老不死の命を得るよりも

 更に勝った祝福があった、そう言っていました。いまになってやっと気がついた

 ぼくは遅すぎたのかもしれませんが、あなたは過去のコスタールでぼくたちと

 別れた後・・・魔王に負けて死にゆく水の精霊から力を託されたんじゃ・・・」

 

「・・・・・・さあ?少なくとも今の私はただの人間。あなたといっしょ、

 特別な力はほとんどないどこにでもいる人間の一人に過ぎないわ」

 

この大雨の犯人はこの人ではないかと疑って聞いてみたけれど直接の答えはなかった。

ぼくを船から帰したくないから少しでも時間を伸ばそうとしていると思った。

やり方を変えないと吐かないな。ぼくはアニエスさんの手を取って言った。

 

「・・・これまでありがとう、母さん。ぼくが生まれたときからずっと見守って

 いてくれて・・・そして数えきれないほど助けてくれて。これからはこうして

 普通に接することができるから・・・今度母さんの手料理が食べたいな」

 

「・・・・・・キーストン・・・!いま・・・確かに私のことを・・・」

 

「ところで母さん、ぼくは大半の呪文や特技をもう使えないけれどいまだに少しだけ

 使えるものもある。母さんも力は完全になくなったわけじゃないんだよね?

 短い時間大雨を降らせる、それくらいならできるんじゃないのかな?」

 

「ええ、多くの力はあなたが魔王を倒したときに失われたけれどもほんの僅か、

 私は力を残されたまま人間に戻って・・・・・・」

 

しまった、という顔をしていた。やっぱりぼくの母親だ。隠し事はできないタイプの

人間だ。シャークアイもあれほどの大物でありながらどこか抜けているところがあると

皆が言う。いつもマリベルに怒られていたぼくみたいに、何かをうまくやろうとしても

完璧にはできない不器用さが悲しいぼくの父親だ。ぼくには二組の両親がいる、

それでいいと割り切るようになれたのも最近のことだ。幸いなことに漁師の家と

海賊船の夫婦の仲は良好だ。ならぼくがそれを乱す必要はちっともないじゃないか。

 

 

「・・・いまあなたと別れたらもう二度と会えなくなるような・・・そんな不安が

 ありました。こんな平穏な世の中だというのに変な話ですが、それでも私は

 我慢できませんでした。キーストン、あなたは何か感じていませんか?」

 

これは驚いた。話し方が今だけ水の精霊のものに戻っていたこともそうだけどそれ以上にぼくが抱いていた悪い予感と同じものを持っていたなんて。こうなるとやはりぼくに

何かが起きる可能性は極めて高くなった。今日これからぼくは死ぬか、どこかへと

いなくなる。そうか、仲間たちだけでなくこの人たちともお別れになるんだ。

 

「さあ・・・たとえ平和でも足を滑らせて死ぬ確率は争いに満ちた世界と変わりません。

 嫌なものを感じたというのなら・・・喜んで足止めさせられますよ」

 

「ふふふ、足止めはしないわ。私たちもいっしょにこの船ごとあなたの村へと行くだけ。

 その間は私のつくったお菓子でも食べて・・・たくさんお話をしましょう」

 

 

かつて古代の人々は、雨は水の精霊が天で織っていた絹の糸だという言い伝えを

信じていた。地上の人々への恵みとして雨を与え、作物が育って飲む水に困らず、

命を守ってくれていると書かれていた書物を過去の世界で見つけたことがある。

 

シャークアイが魔王の軍に敗れた日、コスタールどころか全世界がひどい大雨に

襲われたという。そしていま、愛する我が子と二度目の別れが迫っていることを

嘆いたのか、冷たい雨が激しく降っていた。海賊船が村に到着するころには

止むだろうけど、ぼくがいなくなった後もう一回こんな雨が降るかもしれない。

雨は水の精霊の涙。愛する者を失った精霊の悲しい涙だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

手と手 手と手

海賊船で村に戻ったぼくたちを、港のそばというよりはそのなかに小屋を建てて

住んでいる、昔からの知り合いが出迎えた。シャークアイたちにとっては

それこそ彼らの時代、数百年以上前からの付き合いだった。

 

「おっ!今日はキーストンも一緒なんだ!親子三人揃っているのはやっぱりいいね」

 

ぼくのことをそう呼ぶのだから彼女も過去のコスタール出身だ。名前は『トレヴ』、

正式な名前は長すぎて覚えていない。ガマデウス・なんとかかんとかの何世だとか

そんな名前だ。コスタール大陸の魔物たちの長、ガマデウス一族の娘だった。

 

「相変わらず元気そうだな、お前も。まだ詐欺みたいな真似を続けているのか?」

 

「詐欺じゃないって。これは互いにとって利益になる協力関係と呼んでくれなきゃ」

 

緑色の髪をした、一見幼く見えるトレヴはいま、この村で神様のように扱われている。

フィッシュベルを魔物が襲ったときに全て返り討ちにしたことで皆の信頼を得て、

それからぼくたちが魔王を倒しに行く間にどううまくやったのかはわからないけれど、

大漁の神として崇められていた。彼女が満腹になるまで魚を食べさせたらそれ以上に

漁では網が千切れてしまうほど数えつくせない数の魚が獲れるという言い伝えが生まれた。

おそらくは最初の一回か二回だけ何かを仕込んで人々が信じるように仕向けたのだろう。

 

(まあ・・・みんなわかってて乗っているんだけどね)

 

村のみんなはすでにわかっている。トレヴは神ではない、ただの中途半端な生き方を

しているモンスター人間だということを。でもあまりにもおいしそうに魚を食べる

ものだからその顔が見たくて魚はもちろん畑の収穫やお菓子までも持っていく。

小さな体だというのも大人たちの人気を集めたのだろう。子どもや孫、ペットを

可愛がる感覚のようだ。モンスター人間は外見こそ若いが、実は数百歳数千歳という

例がほとんどのなかで彼女はぼくとそう年齢は変わらない。

 

「最初は驚いた。まさかお前にも会えるなんて。見た目が変わらずに齢を重ねると

 聞いていたがそうではなく、キーストンたちと旅の扉を通って移住していたとは」

 

「全てはあなたがいなくなった後だもの、取り残されるのも仕方がないわ」

 

「ふっふっふ、キーストンがアルスって呼ばれてるこの時代は平和だっていうし、

 食べ物もずっとおいしくなっている。引っ越して正解だった。でもその直後に

 あの偽の神と魔王の騒動だからね。なかなかうまくいかないよ」

 

コスタールに平和を取り戻し、現代に戻ろうとしたときトレヴはぼくたちと共に

行きたいと言った。彼女をその気にさせたのは洞窟での出会いの時だった。

 

 

 

『・・・ケロ?何だお前たち・・・コスタールの人間か?それともやつらか

 ホビット族に頼まれてここまで来たのか?』

 

『いや、違う。ぼくたちはあんな連中とは何の関わりもない。ただの旅人だ』

 

たまたまぼくの精神状態が荒れていた時期だったのが幸いだった。勝手にぼくを

シャークアイの息子だと決めつけるアニエスさんたちのことも、文句ばかりを

口にして自分たちは何もしないホビット族のこともうんざりしていたときだった。

だからこそ街の人々から虐げられこの洞窟の底まで逃げてきた彼女と話ができた。

 

『きみは人間じゃないな?かなりの強さを持っているはずだけど・・・』

 

『ケロロ、よくわかったね。ワタシの正体を一目で見抜いたのはこれまでシャークアイ

 だけだったのに。シャークがいた時はよかった。ワタシも街や城を自由に出入り

 できた。でも魔王軍が攻めてきてシャークがやられたら人間たちは急変したよ』

 

そのときの彼女は服はぼろぼろ、髪の毛もぼさぼさだった。歴史ある有力な魔族

ガマデウス一族の娘として人間たちとも友好的に生活していたというが、魔王軍に

よりコスタールが壊滅的な一撃を受けた後、仕方のないことではあるけれど

人間たちは魔王とは関係のない彼女を迫害した。この洞窟の奥にしか人間と

魔王軍の両方から逃れられる場所はなく、ひかりゴケをもそもそと食べていた。

 

『ワタシだって二人の親友、たっつんとシードラを殺されたんだ。でもやつらは

 聞く耳を持たずに・・・だからもしアルス、キミたちがあいつらの指示で何かを

 しに来たというのなら・・・・・・殺しちゃうところだったよ、ゲロリ』

 

実際は大灯台を上るためにひかりゴケを取って来いという話だっただけに

ほんの少し何かが狂えば戦闘になっていただろう。コスタール王やホビットの

長老に、もし変なやつが邪魔をしたら殺していいとも言われていた。仲間たちも

ここは慎重に事を進めようとしていたところでガボがひかりゴケに目をつけた。

 

『・・・ところで姉ちゃん、それ・・・うまいのか?ちょっとだけわけてくれよ』

 

『う~ん・・・どれだけ食べても生えてくるしまあいいか。あげるよ』

 

『ありがとうな、どれどれ・・・・・・オエ—————ッ!!』

 

お腹を壊すとアイラから忠告されたのに無視した代償は重かった。ガボはその場で

胃の中のものを残らず吐き出して悶絶、そのまま気絶してしまった。あまりの

まずさだったようで、しばらく意識は戻らなかった。

 

『・・・・・・こんなものを毎日食べているのか!きみの舌はどうなっているんだ?』

 

『最初はワタシも嫌な味だと思った、でもほかに食べ物もないからね。だんだん

 慣れてきたよ。ところで・・・このコケが欲しくて来たんなら持っていきなよ。

 キミたちが城のやつらの使いなのは察していたけれどアルス、キミの顔が

 シャークに似ているからそれに免じて許してあげる。もしかしたらキミは・・・

 いや、それはないか。ついこの間妊娠したばかりだとアニエスも言っていたしね』

 

『・・・・・・ありがとう。そのお礼・・・ってわけじゃないけれど』

 

ずっとここでコケしか食べていなかったせいで味覚がおかしくなってしまったのだろう。

ぼくはかわいそうになって、袋の中にあったアミットまんじゅうとせんべいを両方

取り出して彼女に渡した。フィッシュベルの名産品をぜひ食べてほしかっただけで、

これが彼女の運命を大きく変えてしまうことにつながるとは思ってもみなかった。

 

 

『ケ、ケロ—————!!こんなおいしいものがこの世に存在していたなんて!』

 

それからすぐにトレヴは洞窟を出た。敵は同じだからとぼくたちの後についてきて

親友やシャークアイの敵討ちだとして魔王軍の幹部バリクナジャをいっしょに倒した。

最後のとどめをさしたのも彼女だった。そして現代の食物に魅了されたトレヴは

旅の扉を使ってフィッシュベルにまで同行してきた。しばらくは旅を中断していた

マリベルの部屋に住みついて、アミット家の料理を堪能していたという。

 

 

「あの親切心がワタシを救ってくれた。あのときまんじゅうとせんべいをもらって

 いなければ今日生きてはいなかっただろうからね、ケロケロリ」

 

「ははは・・・偶然だよ。運が良かっただけだ」

 

「いや、キーストンの優しさがあったからこそだ。会話になる前にこいつと

 戦ってしまう可能性だってあったし、コケを持ち帰ってもいいと言うのだから

 先を急ぐためにすぐに去ってもよかった。ただ使命や正義感に燃えているだけ、

 そんな勇者であれば救えなかった命を数多く守ってきたのはお前だ!」

 

シャークアイの言葉にアニエスさんも頷く。買い被りすぎだって。あんまり

ぼくを持ち上げても意味がないと言おうとしたその時だった。空から誰かが

降り立ってきた。トレヴと同じ、外見は人間でも実は魔物との混血の少女だ。

 

 

「ああ、わたしも同感だ!わたし自身がそれを味わった者なのだからな」

 

「きみは・・・ヘルクラウダーのラフィアン!どうしてここに?」

 

「・・・いや、ちょっと遊びに来ただけだ。アルス、何を謙遜する必要がある?

 全て事実なのだから堂々と胸を張っていればよいものを」

 

彼女とは戦闘は避けられず、どうにか勝利したけれどとても厳しい戦いだった。

 

「きみの命を奪わなかったのはそれこそぼくじゃない。フィリアちゃんがいたからだ。

 あの子がいなければぼくはきっと何も知らないまま終わらせていたはずだ」

 

「違うな。戦い始めた最初から気がついていたんだろう?わたしが聖風の谷の人間の

 傲慢さと愚かさを叫んでいたとき、お前の仲間たちは三人ともわたしをこの地の

 救いのために倒すべき魔物だと見ていた。しかしお前はそうではなかった。

 どこかでわたしに共感し思いを受け入れ、悪事を見逃しにはできないがなんとか

 血を流さずに解決したい、今考えればそんな表情だったよ、あのときのお前は」

 

命を取るべき相手、そうでない相手の違いは最初の旅の時からわかっていた。

それでも救えなかったこともある。そっちのほうが多いくらいだ。

 

「きみのことも・・・救いにはならなかったんじゃないかな」

 

「フフフ、お前たちは悪くない。それはあいつにも言われたんじゃないか?

 お前はできる限り最善の行動をした。あとは当人たち次第だと」

 

聖風の谷を現代に復活させた後、リファ族の神殿で目にした歴史の書。それを見て

ぼくは愕然とした。それがコスタールの冒険まで続く不安定な日々の始まりだった。

 

 

 

勇気ある行動で谷を救ったフィリアちゃんは谷のみんなに受け入れられた。一人だけ

翼がないからといって差別されることもなくなり、笑顔の絶えない日々が始まった。

彼女が一人ぼっちではなくなったのを喜んでいたのはそれまで唯一の親友だった

ラフィアンも同じで、もう自分がいなくても大丈夫だ、と安心していたようだ。

 

『・・・もしわたしがフィリアのためにと暴走しあの一族を全滅させていたら

 あの笑顔は二度と見られなかっただろう。これでようやくフィリアも幸せな

 毎日を楽しめる・・・わたしのような者はもはや不要な存在だ』

 

魔族でありながらラフィアンは優しい心の持ち主だった。親友のために自ら

身を引いて遠くからフィリアちゃんの幸福を願っていたという。ぼくが戦いの

最後、命を奪わずにラフィアンを信じたように彼女も一度は滅ぼそうとした

人間たちを信じてみようという気になってくれていた。でも、その願いは

裏切られることになる。ぼくたちが去ってから僅か五年後にそれは起きた。

 

『翼もないくせに俺たちと同じ選ばれし神の一族の一員であるかのように

 振る舞うあいつ・・・なんだか目障りだよなあ?どうしてしまおうか』

 

『思い知らせてやりゃあいいさ。自分がいかに醜くて風の精霊様から見放された

 存在かをその身にたっぷりと・・・俺たちが教えてやろうぜ、ヒヒヒ』

 

たったの五年で人々は元に戻ってしまった。彼女の活躍を忘れ、族長に直接

文句を言う村人もいたが、それはまだましだった。彼女を辱めようとした

どうしようもない少年たちの集団がいた、とその歴史の書には書かれていた。

ぼくたちが初めに谷を訪れたときにフィリアちゃんをいじめていたグループだろう。

彼らも反省したはずだったのに、生まれついての驕りは治らなかったようだ。

 

『・・・・・・・・・』

 

『くくく、すっかり眠ってやがる。じっくりと楽しませてもらおうぜ』

 

『顔だけはいいからな、こいつは。よし、さっそく一気に脱がせてやるとするか。

 こいつには翼がないんだ。逃げようとしても何もできやしねぇ————っ!』

 

薬で眠らせた後少年たちは欲望のままに振る舞おうとした。そのときだった。

眠る彼女に伸ばしたはずの腕がなくなっていた。痛みを感じる間もない一瞬のうちに

それは起きた。人間の力ではない、切れ味鋭い真空の刃によるものだった。

 

『・・・・・・・・・な、な、な——————っ!!』

 

『・・・クズどもが・・・やはりあの日救うべきではなかったんだ』

 

金色の輝きに満たされた怪物は少年たちの手足、そして傲慢さの象徴だった背中の

翼を生きたままもぎ取って、彼らが極限まで苦しみながら死ぬようにしたらしい。

それからその場を離れ命の恩人であるはずの少女を悪く言う人々を見つけるたびに

その手で打ち殺していったという。そのまま村全体を滅ぼすべく進もうとした

ところで、いまだ眠ったままの親友を見て怪物は立ち止まった。

 

『・・・・・・・・・』

 

目撃証人によると、そのときの怪物、つまりヘルクラウダーのラフィアンはとても

悲しい顔をしていたとのことだ。その理由が今ならわかる。誰よりも心優しい

フィリアはこんな目に遭ったとしても誰をも責めたり怒ったりしないだろう。

そんな彼女の一族をまたしても滅亡させようとした自分をフィリアは決して

許さないだろう、そのことに絶望し、静かにどこかへと飛び去っていったのだ。

 

 

『誰も悪くない。悪いのは私。だから・・・』

 

谷を去ったのはラフィアンだけではなかった。目覚めた後全てを聞いた少女は

自分に責任があるとして、皆に知られないうちにひっそりといなくなってしまった。

そこでようやく人々は過ちに気がつき、悔い改めたがすでに遅かった。地上の

リファ族の背中から翼が失われたのはその時代からだったという。後代には

二度と同じ失敗をしないためにとフィリアちゃんを『親愛と救いの神』として

崇め、同時にラフィアンを『公正と裁きの神』として畏れたと書かれていた。

 

でも後になって神様にされるよりは村にいるうちに優しくしてくれたほうが

どんなによかったことだろう。彼女たちから託された神の石を見るたびに

ほんとうの救いとは何か、ぼくたちの戦いに意味はあるのかと考えるようになった。

 

 

『・・・あんた、勇者じゃ満足できなくて神様にでもなりたいの?』

 

『・・・・・・いや、そんな・・・』

 

『だったらあんまり考えすぎないことね。しょせんアルスごときにできるのは

 そこが限界なんだから、それ以上は体がいくつもないとどうしようもないわ』

 

ぼくの悩みを冷静に断ち切ってくれたのはマリベルだった。ぼくたちは

やれることをやった。だからその後のことまでうじうじと考えるのはそれこそ

神の領域だと。人間なら目の前のことを喜べばいい。悪い魔物を倒した、

滅んだはずの大陸を復活させた、それでいいと。ぼくたちのせいで逆に不幸に

なった人間がいるとか結局救えなかったとか、それは無駄だとはっきり言って

くれたとき、ぼくはなんてくだらないことでしばらく苦しんでいたのかと

笑ってしまった。魔空間の神殿でオルゴ・デミーラを倒し、神様の復活に

向かう前に彼女と二人きりで語り合った夜のことだった。

 

 

 

「お前たちが来なければそもそもあの地は滅んでいたし、わたしがその後

 暴走したときも途中で思いとどまれたのはお前がわたしを許したからだ。

 もしあのまま感情に身を任せてリファ族を根絶やしにしていたら後の

 彼らの心からの改心を見ることもできなかったし・・・何よりあいつに

 二度と顔向けができなかった。だから感謝の気持ちは尽きない!」

 

「・・・だからそれはきみたちが・・・ぼくは何もしていないよ」

 

ちなみにぼくたちが石版の力で向かった過去の世界の時代は様々で、百年程度昔の

ところもあれば、ほぼ千年は前の地もあった。メルビンさんや天上の神殿の賢者たちに

聞いてみたり自分でいろんな資料を調べてわかったことは、一番古い時代はおそらく

コスタール、その次にキーファと別れたユバールか聖風の谷のどちらかだった。

 

「そうか、じゃあキミはワタシよりも後に生まれたのに年齢は逆転しているのか。

 ワタシは千年近くスキップしちゃったわけだからねぇ、ケロケロ」

 

「フン、あの地獄のコスタールにいたはずなのにやけにたるんでいると思ったら

 そういうわけだったのか。戦い方が雑だったのも頷ける」

 

「ゲロッ、まあそうピリピリしなくても。ねえ、裁きの神様!」

 

「・・・・・・冗談のつもりか、それは?お前は全てを知った上で言っているだろう」

 

神様として崇拝されていてもラフィアンはこれまで特別に何かをしてこなかった。

人々が重大な出来事のたびにこれは神のご意志だと勝手に騒ぐだけだったとか。

リファ族の神殿のフィリア像の手入れを怠り神殿が軽んじられていた時代、村に

大国ラグラーズの軍が侵略にやってきて、これからは奴隷として我らに仕えろ、

断れば殺すと脅されたとき、これは裁きの神の罰だとリファ族は口にしたという。

これからは一生懸命に神と精霊を賛美しますと全ての民が誓うと、この地の人間は

耐性があるものの他所からの人間には重い障害を与える伝染病が流行りだして

ラグラーズの兵士は撤退し、これはフィリア様の救出だとみんな感動したそうだ。

 

「わたしもフィリアも何もしていないというのにな。まあ・・・あれ以上危機が

 迫ればさすがに動いたかもしれない。わたしはともかくフィリアは黙って

 見ていられないだろう。始祖たちの村から地上へと降りていったはずだ」

 

ぼくたちの知らないところで世界の至るところで人間の戦争や魔族の侵略は

行われていた。それでも世界は滅びずに生き残っている。だからぼくの

やってきたことはみんなが言うほど大きなものじゃない、そう言いたかったのに、

 

 

「いいえ、ヘルクラウダー、そのときはあなたたち二人よりも先にアルス様が

 再びその地にやってきて、より良い方法で救いをもたらしたでしょう」

 

「アルス様にはその実績があるからです。だから我らはここにいるのです」

 

二人の若い青年が歩いてきた。実はこの二人もただの人間じゃない。ハーゴンの力で

魔物からモンスター人間へと生まれ変わった実の兄弟で、兄は『ミルコ』、弟は

『クリスチャン』といった。彼ら兄弟は魔物だったころ、なんと虫だった。

その出身はルーメン大陸、ヘルワームという強力な虫の魔物だ。

 

「初めは外れの塔に突如現れた闇のドラゴンとそれを利用する魔王軍たちを、

 次に復活した食人植物ヘルバオムを見事打ち倒した伝説は今でも伝承として

 一族に語り継がれています。ですがそこまでは過去数多の勇者たちと同じ・・・」

 

「この方が優れているのはその後、ルーメンに真の救いをもたらしたところです。

 町の人々はもちろんのこと・・・ヘルワームという種をもアルス様は救われた。

 その点ですでに皆さんご存知の通り、これまでの勇者よりもこの方は偉大です」

 

 

 

ルーメンの町を囲んだヘルワームの大群を前に、仲間たちと作戦会議をした

あの日のことを思い出す。けど実際にはそうなる前に一度話し合いをしていた。

ヘルバオムを倒したのに現代で町が滅んでいたのはほぼ確実にチビィという

不気味な虫に原因がある。この虫をどうしようか、なかなか決まらなかったけど、

 

『・・・このまま口論してもキリがないわね、だんだん面倒になってきたわ。

 しょうがない、アルス!あんたが決めなさい!あの虫を殺すのか逃がすのか!』

 

『ぼくが!?どうしてきみはいつも大事なことを押しつけようと・・・』

 

『うるさいわね、そもそもあんたがどっちつかずの立場だからここまで話が

 もつれたんじゃない!男らしくスパッと決めなさい、それでチャラにしてあげる』

 

ぼくは悩みに悩んだ。そのどちらを選んでも犠牲が出る予感があったからだ。

でもマリベルはぼくの思いをわかってくれたのか、珍しく優しい声で言ってくれた。

 

『・・・・・・はいといいえ、必ずしもそのどちらかで答えなくちゃいけない

 わけじゃないわ。あんたならきっと正解を出せる・・・そう信じているから

 あたしはあんたに任せるの。その第三の答えを教えてもらおうじゃない』

 

『マリベル・・・わかった。ならぼくは・・・』

 

ぼくはチビィを殺さなかった。でも町の外にこっそり逃がしにも行かなかった。

つまり、何もしないという選択肢だ。ガボとエルビンさんは驚いていたけれど

これでいいと思った。シーブルさんとチビィは仲良くしているし今のところ

被害は出ていないのだから余計な手出しをせずに様子を見ようという決定だった。

 

 

『うわ————っ!!何だこの虫たちは——————っ!?』

 

『一斉になってやってくるぞ!ダメだ!この糸のせいで身動きがとれん!』

 

それから間もなくだった。ヘルワームの群れが大挙して町に入ってきた。

この虫たちはいまぼくたちがいるシーブル家を狙いに定めている。

 

『ムムム!このチビィが何らかの合図を送り虫どもを呼んだのか!?』

 

『そんな・・・だったらオイラが言うようにさっさと逃がせばよかったのに!

 殺すのはどの道ダメだぜ、どの道復讐に来ていただろうからな・・・』

 

この虫たちは数は多いけれど闇のドラゴンやヘルバオムより強くはないだろう。

戦闘力が高ければこれほどの群れを組んでやってくる必要はないからだ。

もはや戦うしかないはずの状況、町の人たちが殺される前に動くしかなくなった。

ヘルバオムの時は目の前で根っこに殺された人と目が合った。あんな思いは

二度としたくない。なら今すぐ剣を手にして戦闘を始めるべきだというのに

ぼくはなぜか足が動かなかった。そのときマリベルが小声でささやいた。

 

『・・・どうするアルス?勝てるけど』

 

やっぱり彼女はぼくのことをぜんぶわかってくれていた。ぼくも敗北を恐れて

戦いたくないわけじゃなかった。でもその理由をうまく言葉にできない。

戦えば勝てる、と念を押してくれたうえで、今回も彼女はそうじゃないだろう、と

教えてくれた。ぼくから迷いが消えた。剣と盾を持たずに屋敷を出ていた。

 

『・・・ア、アルス!』 『アルスどの!いったい・・・』

 

すでに目と鼻の先まで虫の大群は迫っていた。ぼくは大声で彼らに言った。

 

 

『皆さん、どうか教えてください!皆さんの目的は何ですか!』

 

虫の魔物と会話なんかできるはずもないのに必死の思いで叫んでいた。

こうすることが唯一、戦わないで問題を解決できる方法だったからだ。

 

『この屋敷の奥にはおそらく皆さんの仲間と思われる方がいます。彼が

 あなたたちがこうして一団となってやってきた理由なのでしょうか!?』

 

すると驚くべきことに、魔物たちが一斉に鳴き声をあげた。その声を注意深く

聞くと、ぼくたちがわかる言葉で質問への返事になっていた。

 

 

『・・・いかにも・・・我らは・・・彼を取り戻すため・・・に来た。

 お前たち人間が・・・人質にしているのは・・・我々の王となるべき

 若き者だ。彼は我らの・・・なかでも並外れた戦闘能力を・・・持つ!

 よって・・・いずれはヘルワーム族を導く・・・そんな男なのだ!』

 

『体の色が違うのはそういう意味が・・・それならあとは皆さん同士で

 話をしたほうがいいでしょう!彼は人質なんかじゃありません。

 連れ去ったのではなくたまたま保護したというほうが正しいからです』

 

『そう・・・なのか?あの者がいなければ・・・魔王軍には勝てんからな!』

 

それから後はぼくの出番はなかった。ヘルワームたちは魔王とは関係がなく昔から

この地で繁栄していた種族で、いなくなったチビィを連れ戻しに来たこと、

若いチビィのほうは一人で放浪し、こうして気まぐれに人間と過ごす生活を

好んでいることなどがわかり、人間のほうが余計なことをしなければ襲いは

しないというのもはっきりしてぼくたちと町の人々を安心させた。

 

 

 

「ぼくたちが最後に町を離れてから数年後だろ?魔王軍がもう一度ルーメンの町と

 その大陸の魔物たちを支配するために来たのは。そのときチビィを中心とした

 ヘルワームが圧倒的な力で魔物たちを追い払ったと町の歴史書に書いてあった。

 闇のドラゴンやヘルバオムを倒したことまでチビィの功績になっているのは

 笑ったけれど・・・きみたちの先祖こそルーメンの救い手だったのは確かだ」

 

「いいえ、アルス様。あなたが別の選択をしていれば私たちは生まれていません。

 あなたたちと戦っていてはいかに我々の先祖でも勝ち目はなかったでしょう。

 人間も私たちも絶滅する最悪の結果だってありえたのです」

 

あれからヘルワームたちは町の東に住み着き、人間たちとの関係も良好のまま

いまでもモンスターパークの一部は彼らのエリアだ。人間と争わずに済み、

チビィが死ななかったからヘルワームという種は生き残っているのだという。

 

 

「・・・ああ、本人は手柄を否定するがそこがアルスの真の勇者である印だ。

 わたしに勝っても命を取らずに生かしたのは甘さではなく優しさだ。

 たとえ敵だろうと同情心を示し、どこまでも信じる・・・。そこまで

 大げさなものではないのかもしれない。さりげなく手を差し出すのが

 きっとおまえは上手なのだろうな」

 

「ワタシのときもそう。並の勇者ならすぐにワタシを排除しようとしただろうね。

 それでも話を聞いてくれただけじゃなくお菓子までくれたんだ。だから魔王が

 死んだあとの人間と魔族の平和は固いと言える。人間たちも国家や身分を

 乗り越えて、芸術家も科学者も宗教家も力を合わせているし・・・」

 

トレヴはこの場にいた一人一人の手を取り、それを隣にいた人の手と合わせる。

皆が手と手を重ね合うと、最後に彼女自身がシャークアイとぼくの間に入った。

 

「こうやって夢の輪が完成するんだ、ケロケロ!」

 

人間も魔族も元魔王の手下も魔物もその輪の一員として平和が続いていく、

それまでの生き方は関係ない、そのためにぼくが少しでも役に立ったというのなら

変に抵抗せずに素直に誉め言葉を受け取ってもいいのかもしれない。

 

 

「ケロロ、でもキーストン、ホントはワタシなんかじゃなくてあの子がこの輪の

 隣にいてくれたらずっとよかったのに・・・って思ってるんじゃないかな?」

 

「・・・・・・へ?」

 

「そうとぼけるな。お前が自分で荒れていたと認める時期だって彼女がそばに

 いなかったからだろう?ボトクやバリクナジャは死んで当然のクズだったが

 かなり念を入れて殺したそうじゃないか。鬱憤の発散に丁度いい相手だったか?

 いやいやまったくそう考えると少し順番が入れ替わったらわたしも死んでたな」

 

なるほど、そういうことか。望んでいたはずの世界にどこか不満や物足りなさを

感じているのはやっぱり彼女がいないからだ。何度もぼくを助けてくれた彼女が

皆で手と手を重ねる夢の輪にいないのは思っていた以上にぼくを落ち込ませ、

苛立たせている。いったいマリベルはいまどこにいるというのだろう。

 

 

「ケロ・・・そういえば最近あの子の姿を見ていないね。でも世界は平和だし

 変な奴がいたってあの子が負けるわけはないか。ワタシの小屋でもっと

 話していかないかい?時間ならたっぷりあるだろう、ゲロリ」

 

「おお、それはいいな。飯もまだだったからちょうどいい・・・ん?

 あれはこの村の漁船・・・ではないな。どこかで見たような気はするが」

 

漁のための船でも海賊船でもない、他の港町のものでもない船がやってきた。

するとシャークアイがこれまでの緩い空気を切り裂くような強い口調で言った。

 

「・・・・・・こ、この気配は!村人たちをここからすぐに遠ざけろ!

 アニエス、お前も下がっているんだ。あの船をオレは知っている!

 かつてコスタールでオレたちを倒した・・・魔王軍の船だ!」

 

「ゲロ!ああ、ワタシも忘れていない!あの船からあいつらは・・・」

 

 

真の平和への最後の刺客がフィッシュベルに迫っていた。そして今日ぼくに

突然与えられた、親しい人たちともう会うことがないだろうという予感、

つまりぼくに死をもたらす災いが謎の船を通して運ばれているのか。

最初の一隻に続き、何隻も同じ姿をした船が続けて近づいてきていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦争は知らない①

一人の少女が歩いている。かぶっていた帽子を手に持ち、帽子のなかにはたくさんの

花がつめこまれていた。美しい花だが、野原に咲いていたものを摘んだだけなので

その花の名前は知らない。それでも帽子にいっぱい摘んでいき、彼女が愛する

父のもとへと向かっていた。父のための贈り物なのだが、彼女の目には涙があった。

 

 

 

 

 

「・・・魔王軍の船!?しかも何隻もいるとなると・・・」

 

「見ろ、船から魔物が飛び出してくるぞ!このままでは村人たちが危ない。

 キーストン、おれとアニエスはマール・デ・ドラゴーンに戻り戦闘態勢を

 整える。お前たちはここでおれたちが来るまで魔物を食い止めてくれ!」

 

しばらく前からいやな予感はしていたけれど、こんな一瞬で平和が崩れ去るなんて。

村の人たちを守るために魔物の軍と戦うしかないけれど、勇者の力を失っている

いまのぼくでは誰よりも先に命を落としそうだ。

 

「やつらが飛び出してきました!ですがこの数なら・・・我々兄弟が!」

 

芋虫の魔物ヘルワームからモンスター人間となった、ミルコとクリスチャンの兄弟が

手から無数の糸を放った。ヘルワームは糸を吐くのが得意な魔物で、姿が人間の

ようになっても彼らの特技はそのまま残っていた。この糸からダメージは受けないので

試しにと一度体験してみたことがある。ほんとうに全く動けなくなってしまった。

そのときはまだ神様や精霊の力に満たされ、強力な剣を持っていたのに、だ。

 

「絡まれ—————っ!」 「ゲギャギャ・・・ギャバッ!?」

 

怪力自慢の魔物たちもその糸にまんまと絡まり、身動きが取れなくなった。実は

じっと待っていれば糸の効果はすぐに消えてしまうけれど、早く出ようともがけば

もがくほど粘り気が増しますます脱出できなくなるという恐ろしい技だった。

 

「クソが————っ!こんな糸、ぶった切ってやるぜっ!!」 

 

幸いなことに、知能の高い魔物はいなかった。さらに糸を追加すればしばらくは

出てこられないだろう。最初の脅威はひとまず凌げたようだ。

 

「これで陸の魔物は問題ありません。ですが空を飛ぶ敵たちは・・・」

 

「それなら問題ない!このわたし、ヘルクラウダーのラフィアンに任せろ!」

 

その言葉通り、空中から攻撃を仕掛けてくる魔物の群れを次から次へと切り刻む。

久々に大暴れできるのがうれしいのか、彼女は笑いながら魔物たちを葬っていく。

 

 

「・・・さすがはヘルクラウダー・・・レベルが違うとはこのことですね」

 

「うーん・・・いや、弟よ。それにしても余裕がありすぎるように見えるが」

 

ぼくも薄々わかってきた。オルゴ・デミーラが死後に備えて用意した刺客たち、

最近大人しくなっていたのは最後の総攻撃のために力を蓄えていたわけじゃない。

もう限界なんだ。余力がなくなって、寄せ集めの集団を組むのが精一杯。そうとしか

思えないほどこの魔物たちは弱い。見たことがあるものもないものもいるけれど

大魔王の居城だったダークパレスを守れるような魔物は一体もいなかった。

 

「狙いは憎きあの船だ!一斉砲撃、はじめ—————っ!!」

 

そのうちシャークアイたちも参戦し、いよいよぼくたちの勝利は固くなった。かつて

コスタールを襲った魔王軍の船と同じものであり、敗れている彼らにとっては嫌な記憶を

呼び覚ますかもしれないというのは無駄な心配だった。あまりの手応えの無さに

拍子抜けすらしていることだろう。そんなとき、中心の船からおそらくボスと思われる

魔物が出てきた。さすがに他とは違う、魔王のとっておきにふさわしそうな強者が。

 

 

「フフフ・・・なるほど、さすがは大魔王様を倒した勇者とそれに味方する者たちだ!

 しかしお前たちには致命的な泣き所がある!あれを見ろ—————っ!!」

 

その魔物が指さす先には何と今日の朝出たばかりの父さんたちの漁船があった。

距離が離れているので捕まってしまったというわけではないだろうけれど、きっと

何が起きているか全くわかっていない。いつも通り戻ってきている。

 

「お前たちがこれ以上攻撃を続けたならどうなるか・・・もうわかるな?それに

 私は攻撃呪文にも長けている。漁船だけではない、大勢の村人たちを一瞬で

 無に帰すことも可能なのだ。取引の道具として残しておくためにあえて

 まだ手を出していないだけだ・・・攻撃をやめろ、デク人形ども!」

 

「・・・・・・取引・・・何が狙いだ!」

 

「決まっているだろう、アルス、お前の首だ。他のやつらはどうにでもなる。

 神と精霊に愛されたお前さえ死ねば我ら魔族は勝利への道を歩めるのだ」

 

なるほど、知恵も力もないのだから使うのはやっぱりこういう手か。そうなると

ぼくがもう仲間たちと会うことがないという予感が当たりそうだ。ぼくが倒された

瞬間、この魔物は総攻撃に遭うだろう。油断しきっているところを討たれる。

そして勇者も魔王もいない世界が完全に実現するということか。よくわかった。

 

 

「・・・いいだろう。ぼくがそっちに行く・・・武器は持たずに」

 

制止する皆の声を振り切ってゆっくりと海へ近づく。ぼくが素直に応じている間は

無差別攻撃に出る気はないようだ。だったらぼく一人の命で魔王軍の最後の襲撃を

終わらせられるこの選択肢が最善だ。何千年も続いてきた勇者と魔王の戦争に

これ以上無関係な人の命を巻き添えにしたくない。これでいいんだ。

 

「ハハハ————ッ!!そうだそうだ、変な動きはするなよ、こい————っ!

 大魔王様の苦しみの百倍以上をお前に与えて殺してや・・・・・・」

 

涎を垂らしながら下衆な笑い声を飛ばしていた魔物の声がピタリと止まった。

代わりに口から大量に噴き出したのはどす黒い色の血だった。気がつくと

胴体に大きな穴が開いていた。内臓や骨がぜんぶ吹き飛んでしまっただろう。

 

「え・・・・・・な、なんで?ゲハ・・・・・・」

 

「おやおや・・・どこかの戦いの攻撃が偶然飛んできてしまったみたいだね、こりゃ。

 いくら動きを見張っていてもこういうのには対応できなかったんだねぇ」

 

ガマデウスのトレヴが呑気に解説した。ラフィアンの上空の戦いか、それとも

海賊たちの海での戦いか・・・誰かの失敗した攻撃がたまたま直撃したようだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

そのまま海に落ちていった。どうやら死んでしまったらしい。

 

 

「・・・・・・え?終わり?まだ種族も名前も聞いていないというのに」

 

あっさりとした結末だった。でも勝利は勝利。大きな喜びの声が沸き上がった。

 

「勝った!勝ったぞ!」 「魔王の軍を撃退した・・・オレたちが、勝利した!」

 

周囲にいた多くの人たちが駆けよってきた。ぼくは何もしていないのにまるで

ぼくが世界の平和を脅かす強敵を倒したかのように祝福してくる。まあ何事もなく

終わったのだからこれならこれで全く文句はないんだけれど・・・。

 

「アルスばんざ————い!」 「これなら世界の平和は揺らがないぜ—————っ!」

 

魔族の脅威が去った影響は大きく、アミット漁のような大きな祭りがなくても

世界中から気軽に旅人たちがこの村を訪れる。だからぼくのもとにやってきた大勢の

群衆の中に全く知らない顔があっても別に気にしていなかった。

 

「・・・・・・・・・」

 

年齢はぼくよりも少し下・・・二十歳くらいだろうか?見たことのない女の人が

ぼくのそばまで来た。もしマリベルがいたら、鼻の下を伸ばしてデレデレしていて

見苦しい、なんて言ってくるだろう。そんなつもりはないんだけどな。一体何が

いつもマリベルを勘違いさせていたのか・・・なんて考えていた瞬間だった。

 

「・・・・・・!こ、これは・・・!!」

 

ぼくの腹部にナイフが当てられた。完全に油断していた、想定外の一撃だった。

 

「・・・!!ア、アルス!」 「なんてことだ!まさか・・・・・・ん!?」

 

とはいえ刃のほうではなく柄のほうで、まったくダメージはない。びっくりさせられた

けれど、ただそれだけだ。ちょっとしたいたずらのつもりならよかった。

 

 

「・・・・・・私がその気なら・・・お前はここで死んでいた」

 

「・・・!!」

 

「私はやつらと共に船でここまでやってきた。そう、お前たちを殺すために!」

 

見た目は人間だけど実は違う、これまで何度も経験しているからすぐに受け入れられた。

これまではずっと隠していた殺意をいま、ぼくにむき出しにしている。あっさりと

死んださっきの魔物よりも強そうで、何より憎しみや恨みの念が数倍以上だ。

 

「・・・きみは何者だ?魔族であることは間違いないようだけども」

 

「ああ、私は魔族と人間、両方の血が流れている。しかし正式な魔王軍の一員では

 ないから・・・こっそりとこの船に忍び込んできた。千年は昔、コスタールの地で

 むこうにいる海賊たちや元々住み着いていた魔物を打ち倒した栄光と威厳に満ちた

 この船に乗ることはどうしても必要だった。偉大なる王者が軍を率いて華々しい

 勝利をもたらした船だ・・・お前たちの飛空石より遥かに格が上だ!」

 

シャークアイやトレヴが忘れられないのも当然だった。コスタールを破壊した

忌まわしい船そのものが平和になったはずのいま、再び侵略に来たのだ。

 

「偉大なる王・・・オルゴ・デミーラのことか。これまで何人もの魔王軍が

 同じようにして襲ってきた。大魔王様の仇、魔族復活のためと・・・」

 

「・・・大魔王オルゴ・デミーラ・・・魔族の長であり歴史上最も世界全てを手中に

 収める一歩手前まで迫った男だと有名だ。でも私は実のところ一度も会ったことはない。

 お前たちのほうが詳しく語れるだろう、何度も対面し戦ったのだから」

 

彼女は何か違うようだ。そしていっそう怒りのこもった声でその謎を自ら明らかにした。

 

 

「当時人間たちの住む地で一番の強国だったコスタールを制圧した偉大なる者、

 それは魔王軍最高幹部であり最強の魔族だった・・・帝王、バリクナジャ!

 大魔王じゃない、私はその血のためにお前たちに復讐しに来た!」

 

用済みと言わんばかりにナイフを捨てると、とても長い鞭を手にして叫んだ。

 

「私の名は『エネイブル』!この鞭を見ての通り、お前たちに惨殺された

 バリクナジャの一人娘!この日をどれだけ待っていたことか———っ!」

 

「・・・バリクナジャ・・・!コスタールを支配していた牛魔王!」

 

現代に生きるヘルワーム兄弟でもその名前を知っているほどだ。大魔王に次ぐ

地位を得ていたというのは確かなようだ。ダーマのアントリアや砂漠のセト、

魔王軍の幹部として重要な地点を任されていた魔物たちのなかでも最も大魔王からの

信頼を得ていたバリクナジャ、その娘が復讐のためにぼくの目の前に現れた。

 

「エネイブル・・・ぼくを憎む理由はよくわかる。だったらどうしてさっきぼくを

 ナイフで刺し通さなかったんだ?あれ以上のチャンスはこの先なかなかない。

 全く警戒していなかったんだから・・・たぶん死んでいた」

 

 

かつてアレフガルドを救った勇者の最期も、竜王の娘による報復だったという。

父を殺されただけでなく、勢いを失い人間に迫害される魔物たちの姿を見て嘆き、

ナイフによる闇討ちで致命傷を与えたのだと歴史の書に書かれていた。

そう、まともに戦っても勝てないのだから手段を問わないのは当然だ。

となると、このエネイブルは真っ向勝負でぼくに勝つ自信があるということで、

もしかしたら力を失っていることがバレているのかもしれないと思った。

 

「簡単な話だ。そんな方法でお前の命を奪ったところで敵討ちにはならない」

 

「・・・・・・?」

 

「大魔王の仇であればそれでもよかっただろう。ついさっき死んだやつのように

 卑劣な作戦を使おうと。でもこれは私の父、バリクナジャのための復讐だ!

 高潔な父のように正々堂々、何も恥ずかしいところのない清く完全なる勝利、

 そうでなくては父の名を汚すだけ、復讐などしないほうがましだからだ!」

 

バリクナジャが正々堂々で高潔?どうもぼくの記憶とはずいぶんかけ離れている。

やつのやり方はそれとは真逆そのものだった。生まれたばかりの子どもたちを

魔物に変えて連れ去るというおぞましい悪事があり、シャークアイと戦ったときも

正面からぶつかるのではなく大魔王から授かった封印の力を使ったという。

 

「・・・ワタシの親友たちはもちろん、コスタールの王妃や戦う意思のなかった

 人々を次々と殺害した・・・キーストンに殺されても文句は言えないだろうに」

 

「キーストン・・・ああ、勇者アルスのことか。そいつだって数えきれないほど

 魔物たちを打ち倒してきた。多くの恨みを買っているのは本人が一番よく

 わかっているはずだ。誰もが喜ぶ平和なんて来ない!暴力によって得た平和は

 やはり暴力によって破壊される・・・覚悟しておくことだ」

 

必要以上の戦闘は避けてきた。殺すことに慣れてしまったら勇者としては一流でも

人間としておしまいだからだ。戦争の日々の罪悪感に生涯悩まされ続けた勇者たちも

大勢いると聞いたから、ぼくたちはどうしても回避できない戦い以外は避けて、

しかも真の邪悪だと疑いようのない敵の命だけを取ってきた。それでもこういう

事態になってしまった。彼女の言うように、戦いは真の平和を得るための方法では

ないというのがこれではっきりした。報復の連鎖はどこまでも続いていくんだ。

 

「私が生まれる前に父は戦場に向かい・・・そしてお前たちによって殺された。

 女手一つで苦労しながら私を育ててくれた母も長生きはできなかった。だから

 私は誰の援助も支えもなく・・・一人で強くなった!だから今、勇者たちへの

 最後の攻撃のために組織された軍が滅んで私一人になったことは問題ない!

 私だけで目的を果たせる十分な力と固い意志があるからだ————っ!」

 

最後の攻撃、と言ったのを確かに聞いた。やっぱりこの襲撃は最後の悪あがき、

もうオルゴ・デミーラの遺産も使い果たしている。ここさえ凌げば大規模な

攻撃はもうないだろう。でも、彼女のように個人的に復讐を誓い、好機を

伺っている者は果たしてどのくらい残っているのか、考えたくなかった。

 

 

「・・・さあ、もう始めよう。よくも父を・・・殺してやる」

 

「ゲロゲロ・・・キーストン、とんだ逆恨みだね、あれは。でもあいつさえ

 倒しちゃえばもう安心だ。さっさと返り討ちにしちゃってよ!」

 

ぼくの勝利を疑っていないのか、笑顔でトレヴが背中を叩いてきた。敵が望む

一対一の勝負で勝つように、という。ずいぶん呑気なものだ、ぼくはすでに

勇者の力を失っているというのに。そのトレヴの緊張感のなさ、気楽な態度は

それとは全く違う理由で一瞬にして崩れ去ることになった。

 

「殺してやるぞ・・・ガマデウスのトレヴ」

 

その場に勢いよく転んでいた。わかりやすい反応だった。

 

「・・・ワ、ワタシ!?どうして!?」

 

「とぼけるな!生き残った魔物たちから聞いている!父に最後のとどめを与えたのは

 勇者じゃない、お前だったとな!すでに瀕死の父を相手に執拗なまでに攻撃を続け

 遺体をひどい姿にしたのはガマデウス、お前だろうが—————っ!」

 

ぼくたちが大灯台に向かうとき、共にバリクナジャを倒すためにトレヴは一時的に

仲間になった。仲間の魔物たちを殺されている恨みがあったからだ。戦いはすぐに

決着がつき、勝負が決まったところでバリクナジャの命を奪ったのはトレヴだった。

 

『・・・全然強くなかったね。これなら怯えずに戦っていればよかった。

 そうすればワタシたちの被害はもっと少なかっただろうに』

 

その言葉は正しかった。どんな大物が待ち構えているのかとぼくたちを構えさせた

バリクナジャは、ヘルクラウダーよりもずっと弱かった。ぼくたちがレベルアップ

したからそう思えたわけではなさそうで、皆もあっさりした決着だったと言っていた。

 

『魔王軍最高幹部・・・こんなに圧勝できるとはうれしい誤算でござった。確かに

 やつは神と魔王の決戦の際にもいなかった・・・つまり戦闘は得意ではなく、

 組織の管理や策略に長けている男に過ぎなかったのかもしれぬな』

 

『そうかもなァ。強けりゃもっと堂々としてるはずだもんな』

 

灰色の雨を降らせたあめふらし、プロビナの竜騎兵やクレージュのウルフデビル、

卑劣さに満ちた魔物たちほど実際は大して強くなかった。戦わずして封印を

完了させてしまおうと考える魔物が弱いのは当たり前と言えば当たり前だった。

 

一方で、純粋な力による支配で人々を苦しめ、どこにいるかもはっきりとしていた

魔物たちは強かった。『かかってこい』とこちらを手招きするような自信がある魔物は

緻密な罠や仕掛けなしで大陸を封印できる力があり、厳しい戦闘を強いられた。

その大陸を復活させるための最後の敵の印象が強いか、それともそこに至るまで

苦労した印象のほうが強いか、たいていはボスと呼ばれる魔物のタイプ次第だった。

バリクナジャはもちろん、やつとの戦いよりそれ以外の出来事が記憶に残るほうだ。

 

 

「・・・ケロケロ、そこまで知っているんじゃしょうがないね。そうだよ、ワタシが

 あいつにとどめをさした。復讐なんて意味がないと言うやつもいたけれどまったく

 そんなことはなかったよ!とっても爽やかで満ち足りた気分になった!」

 

「・・・・・・何だと」

 

「あんな悪党を殺したことに一切の罪悪感なし!むしろもっと痛めつけてやって

 毛の一本もこの世に残さないようにすればよかったと後悔しているほどだよ!」

 

へらへらと笑うトレヴの煽りに、バリクナジャの娘エネイブルの怒りが頂点に達した。

 

「お前~~~っ!!やはり順番はお前からだ!最初にお前を殺す!」

 

「ゲロゲロリ、やってごらんよ。キーストン、キミがわざわざ戦うほどの

 相手じゃない。ワタシがこのバカを黙らせてあげるよ」

 

腕をぐるぐると回して戦う意思を示した。彼女に任せていいのだろうか。

敵を凍てつかせる冷気や猛毒の霧は目の前のバリクナジャの血をひく娘にも

有効だろう。すでに人々の避難は終わり、漁船にも港に近づかないように

合図を出し、どうやら届いたようだ。派手に戦ったところで被害は出ない。

明らかに小さな体つきのトレヴが、普通の体格をしている相手と戦って

無事に済むのかという不安もない。その強さはすでに知っているからだ。

 

 

「いやいや、勿体ないね。その黒髪も顔つきも・・・黙っていればどこにでもいる

 きれいな娘だというのに怒りのせいで近寄りがたいオーラを放っているとは」

 

「黙れ!私はこのときのために一人訓練を続けてきた!私が求めるのは生涯続く

 平穏や幸福ではない、僅か一瞬、悲願を叶えた絶頂だけだ!まずはくらえ!

 父バリクナジャも得意としていた地響き攻撃——————っ!!」

 

範囲は狭いので村の建物や避難した人たちに影響はないけれど、これは強力な

地響きだ。バリクナジャの繰り出してきたものとほぼ同等の威力で標的の

トレヴを襲った。回避は難しいだろうけどこれで倒されることはないだろう。

最初の様子見の一撃で大ダメージを受けていてはあの鞭を使った攻撃には絶対に

耐えられない。そっちが本命の攻撃手段であるというのはわかりきっていた。

 

 

「トレヴ!その攻撃を耐えたらすぐに反撃だ!短期決戦を・・・・・・!」

 

「・・・・・・!?ど、どこだ!?ガマデウスが消えた!」

 

素早い動きで攻撃を避けたのか、その姿が見えなかった。地響きは技自体が

失敗するのでない限りある程度のダメージは食らう。それを凌いだであろう

トレヴの俊敏な動きに、ぼくも敵も驚くしかない。これなら圧勝もあり得る、

そう思っていた時だった。トレヴは上空に逃れていたのだ。

 

「・・・空か!すぐに高くジャンプして逃げていたんだ!」

 

「くっ!だがこの程度で勝った気になるな、私の力はここからが・・・・・・」

 

自ら飛んで地響きを避けたとばかり考えていた。でもそれは全くの勘違いだった。

高く舞い上がったトレヴの体がくるくると回転を始め、そのまま地面に落ちてきた。

『ぽてっ』という音と共にうつ伏せに落下すると、ピクリとも動かなくなった。

 

「・・・・・・は?」 「え、ええっ?」 

 

攻撃の衝撃で宙に舞い、何の抵抗もできずに落下した。真相は単純だった。

あまりにもあっけない幕切れだ。早くもバリクナジャの娘エネイブルの敵討ち、

その最初の復讐が果たされてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦争は知らない②

 

少女は父のために美しい花を持ってきた。そう、父の眠る墓の前に。父は彼女と

一度も会うことなく戦場で死んだ。彼女が母親からそれを聞いたとき、すでに

戦いは終わっていた。魔王軍と神の使いの戦争の日々も、父の姿も知らないまま

彼女は育った。敵の手により惨く殺されたという父の墓前で娘は自己紹介をした。

『父さん、私はあなたの娘です』と。戦いで敗れ死んでいった魔族たちの墓が並ぶ

荒野に赤い夕日が沈み、花を並べ終えると帽子をかぶり彼女は立ち上がった。

 

 

 

 

 

ぼくたちがエスタード島の謎の神殿からあらゆる時代に飛んでいけたように、大魔王の

配下たちも魔空間の神殿から世界の様々な大陸、それも封印するのに最も適している

時代に向かい侵略を始めていったという。ヘルバオムやガマデウス、グリンフレークの

北西の洞窟にいた魔人たちのような魔王軍と関係ない魔物たちはまさにその時代に

生きていたと言えるけれど、他の魔物たちは魔王に遣わされてやってきているだけだ。

バリクナジャも千年前の魔物ではなく、実は他の魔物たちより若かったため、その娘も

大魔王について、また彼らが神に勝利し栄華を誇っていた時代を知らないのも当然だと

ぼくが知ったのは、この戦いが終わった後のことだった。

 

 

 

「ば、ばかな!トレヴ・・・!たったの一撃で・・・」

 

父の復讐のためフィッシュベルに現れたバリクナジャの娘、エネイブル。一見人間の

姿をした彼女を相手に、やはりモンスター人間と呼ばれるガマデウスのトレヴは

自信満々に戦闘に応じた。それなのに一回の地響きで沈んでしまった。

 

「か・・・勝った!偉大なる父よ!あなたの命を奪った憎き敵を私がこの手で!」

 

これで勝負が決まるとはエネイブルも予想外だったのだろう。バリクナジャへの

勝利の報告もどこか戸惑いが混ざっている。敵がどこかの誰かの攻撃を運悪く

食らって勝手に死んでいったついさっきのぼくと全く同じ反応だった。

 

「大規模な戦闘のざわめきはなくなったが・・・様子がおかしい!」

 

海の魔物を全滅させたシャークアイたちもこちらに向かって急いでいるようだ。

とはいえ到着にはもう少しかかりそうで、いまぼくがエネイブルと戦うことに

なれば海賊の援軍が来る前に倒されてしまうだろう。

 

 

「・・・さて、私は父が命を落とす原因となった者たち全てに報復するために

 やってきた。その中でもいま倒したガマデウス、それにお前は最も憎むべき

 仇敵だ。さあ勇者アルス、次はお前だ。最初から全力でいかせてもらうぞ」

 

「どうやら何を言っても戦いは避けられないみたいだ。まあきみの父親を殺した

 ぼくに言い訳や弁明なんて何もないけれど・・・仕方ない、戦おう」

 

大魔王との最終決戦の後、ぼくは勇者の力をほとんど失った。だからガマデウスが

勝てなかった敵をぼくが倒すというのは厳しい。どうすれば皆のためになる負け方が

できるか、それだけを考えて戦うのがいいだろう。時間を稼ぐのか、敵を消耗させる

のか、次に戦う人のために敵の攻撃をわざと受けるのか、それとも別の何か———。

必死に頭を働かせていたところで、ぼくとエネイブルの間に割って入る影があった。

 

 

「アルス、先にわたしにやらせてくれ。そいつはお前に用があるようだがお前は別に

 興味はないんだろう?ならばわたしに譲ってくれ、そいつを滅ぼす役を」

 

ヘルクラウダーのラフィアンだった。彼女のことはエネイブルも知っているようで、

 

「・・・フン、お前はわたしの父の部下だったヘルクラウダー、その娘か。

 お前なんか格下の中の格下だ。早く消えろ、私の敵討ちの邪魔をするな」

 

相手にするつもりはないようだ。するとラフィアンは彼女を指さして言う。

 

「いや、恨みを晴らすということならわたしの挑戦を受けてもらおう。わたしは

 お前の父を憎んでいた。ちっぽけな虫けらに過ぎないバリクナジャ、誰よりも

 価値がない男だったのに媚を売る能力と卑怯さにおいては魔王軍でも傑出した

 才能の持ち主・・・やつが無様に死んだ今、娘のお前に恨みをぶつけるほかない」

 

「・・・・・・!!」

 

バリクナジャを偉大で優れた人格者だったと信じるエネイブルを怒らせるには

これだけで十分だった。すぐに殺意がぼくからラフィアンへと移っていく。

 

「プチット族の勇者グルーヴ、あいつともよく話していた。わたしの父よりも

 バリクナジャが上にいるのはどう考えてもおかしいと。聞けばやつは父が

 人間と結婚したことをオルゴ・デミーラに報告し、大魔王を失望させて降格に

 追い込み自分がナンバー2の地位に座ったのだと。実はやつ自身もお前の母と

 共になっていたというのに狡猾極まりないクズだ」

 

ぼくも何度も顔を合わせているプチット族、そのなかでも勇者グルーヴは

魔王軍で出世したいと常に願い、友人ラフィアンとよく愚痴をこぼし合って

いたようだ。プチット族がいつまでも下っ端のままだったのは、地位が高くなる

せいで死の危険が高まるのを恐れた僧侶ラフインが裏で事を操っていたからと

いうのが真実だったけれど、バリクナジャが最高幹部の座を得たのも他の実力者を

蹴落としてのことだった。人間も魔族もあまり変わらないなと思った。

 

「・・・父バリクナジャへの無礼な発言の数々・・・今なら間に合うぞ、取り消せ!」

 

「取り消す?何を馬鹿な。わたしは真実を語っているのだからそんな必要はない。

 お前の父親は下衆どものなかでも最低の位置にいたゴミだと何回でも言ってやる。

 なあアルス、お前からも教えてやれ。やつがコスタールを征服した方法は卑劣に

 満ちたものだったと・・・その目で知っているお前が事実を口にすれば話は早い」

 

ラフィアンの言葉が正しい。エネイブルにはだいぶ捻じ曲げられた歴史が伝わって

いるようで、バリクナジャに褒めるべきところなんか一つもない。やつの部下や

親しかった者たちだけがやつはどんな人物だったかをその娘に教えたのだから

そうなるのも仕方ない。ぼくもラフィアンに同調して話をしたかったけれど

これ以上敵を刺激するのは危険だ。迂闊に挑発しないほうがいいだろう。

 

「いいか、お前の父親はわたしたちからの評判も悪かった。やつが死んでどれほどの

 人間と魔物が喜んだことか・・・生きているだけで不快な男だったからな」

 

「・・・お前~~~っ!」

 

どうやら意図的に怒らせているようだ。彼女もぼくが力を無くしたのを知らないはず、

それでも自分が戦おうとしているのはまあ助かるんだけど、なんか嫌な予感がした。

このまま戦いを始めさせていいのか・・・といっても止める方法も力もない。

 

 

「死にたいというのなら手伝ってやる!くらえ————っ!!」

 

亡き父を侮辱され怒りは最高潮のエネイブルが先に仕掛けた。さっきの戦いとは違い

様子見はなし、いきなり全力の鞭攻撃を放ってきた。

 

「切り裂いてやる——————っ!!」 「・・・・・・・・・」

 

ラフィアンは避けようとしなかった。右手を少しだけ動かして顔の前に構えた。

そして鞭は正確にその手を裂くかと思われたが、思わぬ展開になった。

 

 

「・・・・・・お前の全力・・・この程度か。さすがはあいつの娘だな。

 口だけは威勢がいいが戦ってみるとなんてことはない、ただの雑魚だ」

 

威力も速さも申し分ない鞭を片手で受け止めてしまった。その鞭を引っ張ると

エネイブルの足元がよろけた。そのまま力比べになるのを嫌ったのか、

 

「・・・くっ、ならばこれはどうだ—————っ!ハァ————!!」

 

トレヴを一撃で倒した地響きを使った。しかし全く効いていなかった。

表情一つ変えず、ダメージを受けたのかどうかすら怪しい感じだ。

 

「どうした・・・いま、何かしたのか?わたしには何も感じなかったが」

 

「————っ!!な、なぜ・・・・・・!」

 

「なぜと聞かれてもな・・・お前の力がその程度だったということだろう。

 さて、まだ攻撃手段はあるのか?もう少し付き合ってやってもいいが・・・」

 

圧倒的な力の差があった。戦っている二人はぼくよりもよくわかっているだろう。

 

「もうないのか、ならばわたしの番だ。お前などこれで十分だ!」

 

得意とする風の力を使わず、ただの張り手。しかしこの至近距離だ。

 

「うぐぅっ!!げはっ・・・げほっ!!」

 

エネイブルは胸を押さえながら転がって悶絶した。重い一撃によって呼吸も困難になる。

どうにか立ち上がろうとすると、今度は足に鋭い蹴りが炸裂し、再び地面に沈んだ。

 

 

「うううっ・・・!!あ、足が・・・・・・」

 

「これでしばらくは立てない・・・お前がバリクナジャと同じなら真空に対する耐性は

 ちっともないはずだ。だから後は真空波で跡形もなく消し飛ばして決着!」

 

完全に相手の命を握っている状況、生かすも殺すも自由というところでラフィアンは

攻撃をやめた。このまま続ければ終わりなのにそうしなかった、つまりは・・・。

 

「そうか、聖風の谷で裁きの神とまで言われているきみだ!これ以上戦闘が

 激しくなって彼女を殺してしまう前に終わりにしてあげるという温情か!」

 

フィリアちゃんと共にいたことで同情心や憐れみ、許す心を学んだと言っていた。

復讐に燃える敵にそれを捨てたなら命を助ける、そうとばかり思っていた。

ところがいまのラフィアンの顔は石版の世界でぼくたちと戦ったとき以上に

魔族特有の冷酷さに満ちていた。これが嫌な予感の正体だったんだ。

 

 

「・・・いや、こいつの命は奪う。こんなのを生かしておくことに一切の得はない。

 この場を凌ぐために『復讐はもうやめた』と言おうが執念の炎は心の中でずっと

 燃え盛っている。ここで確実にこの世から消さなければいけない存在だ」

 

「・・・!!だったらどうしてすぐにとどめをささない?私も覚悟はできている!」

 

「お前を殺す前にしっかりと教えなければいけないと思ってな。会ったことはない、

 それでも尊敬してやまないというお前の父バリクナジャの正体を。やつがどれほど

 醜悪で下劣な男だったか、それを知り絶望して死んでいくのがお前には最大の苦痛と

 なるだろう。やっと訪れた世界の平和を破壊しようとした代償は高くつくぞ」

 

バリクナジャの真実。実の娘にそれを教えること以上に残酷な行為はないだろう。

 

 

「魔王軍最高幹部バリクナジャ、やつは人間たちや魔王に従わない魔物の群れを

 襲撃するときは必ず、弱い者たちを執拗なまでに痛めつけた!どれだけ死体を

 無残なものにできるかを知能の低い魔物どもと競っていたほどだ」

 

「・・・・・・!」

 

「そして徹底的に略奪し、凌辱し、自らの欲望のままに暴走した!絶望を主食とする

 オルゴ・デミーラや同じ下衆仲間のボトクたちには好かれていたが・・・我が父の

 ような良識を持つ者たちにはひどく嫌われていた。強者との戦闘よりも抵抗できない

 弱者を嬲ることに幸福を感じた、それがバリクナジャという男の全てだ!」

 

「・・・嘘だ!そんなの、お前の作り話だ!私の父さんは・・・!」

 

立ち上がれないまま、それでも必死に声を張り上げるエネイブルを更なる追い討ちが

襲った。巨大な海賊船が戦闘を終えてようやく到着し、シャークアイとアニエスさんが

船から出てくると、ラフィアンの言葉を後押しするようにあの時代の思い出を語った。

 

「オレたちは実際にやつと戦った!だからこの話は真実だと思って聞くといい!

 長い間氷漬けにされたが頭はぼけちゃいない。バリクナジャはとにかくずる賢く、

 どうすればオレたちと真正面から戦わずに魔王から与えられた力で封印できるか、

 それだけを考えていた!その一方で弱き者が相手だと喜び勇んで戦列の先頭に立ち

 誇り高ぶりながら鞭を振るって敵をなぎ倒していった。実際にやつを見、その戦術を

 よく知っているオレが言うのだ。これ以上なく信頼できるとは思わないか?」

 

「それに・・・私は城の中で守られていたので無事でしたが・・・たくさんの女性が

 あの魔物に辱められました。狂ったように笑いながら力のない人たちを次々と犯し、

 そして殺していったのです。他の魔物たちの数倍以上はその愚行に及んでいたでしょう」

 

思い出すだけでも苦しく、腹立たしいという気持ちが伝わってくる。古代コスタールに

実際にいた、この二人が証言するのならもう信憑性を疑うことはできない。

 

 

「そこで倒れているガマデウス、それにアルスと仲間たち、わたしの父や魔王軍の

 生き残り・・・あと何人繰り返したところで同じだ。それぞれ観点や話し方は

 異なっても、だいだい同じところに結論は向かうだろう。これでわかったか?」

 

「違う、違う!父さんは優しくて勇気のある真面目な人だったって母さんが」

 

「・・・うるさいぞ、クズが。話にならないからもう黙ってろ」

 

その頭を踏みつけ、砂に埋もれさせてしまった。足を乗せたままラフィアンは続ける。

 

「いいか、真に高潔で威厳に満ちた者というのはわたしの父、ヘルクラウダーの

 ような偉大な存在のことを言うんだ。また勇気や愛情に富む者とは勇者アルス、

 そして聖風の谷で今なお崇められるフィリアを指す。バリクナジャごとき小物が

 捻じ曲がった教えによる誤解とはいえ同じように扱われるだけで我慢できない」

 

結局彼女も自分が気に入っている者たちを持ち上げているという点ではエネイブルと

同じだった。その中にぼくが入っているというのは照れくさいし買い被りだと指摘

したくなる。それは置いておくとして、争う両者の主張が異なるとき、対話で

決着がつかずに戦いとなった場合は勝ったほうの言い分が全面的に通る。ぼくも

何度かその経験がある。もっとも、いま起きている命の取り合いに比べるとかなり

レベルは低いけれど、どちらが正しいかの話し合いが決裂したら・・・戦いだった。

 

 

 

『・・・どうしてもわかってもらえないみたいだね。だったら・・・仕方ない!』

 

『あたしの言うことが聞けないっていうの!?望むところよ、受けて立つわ』

 

石版の世界で道に迷ったとき東西南北どこに進めばいいか、武器と防具のどちらを

新しくするべきか、それも誰の装備を優先すべきか、どの宿屋に泊まるか・・・。

普段はそんなに揉めない、というよりぼくが彼女に譲る。それでもどうしても納得

できない場合、ぼくが正しいと確信できるときは衝突し争いになった。

 

『決めるのは・・・この新品のカード、ポーカー対決だ!』

 

『いいわ、終わった後で文句はなし、一回きりの勝負よ!ガボ、カードを配りなさい!』

 

『・・・・・・別にいいけど・・・どっちでも大して変わらねえと思うけどなァ』

 

ポーカーだろうが言葉遊びだろうが、負けたほうは勝者の言いなりだった。その後

そこで決まったことが実は大失敗の道で恨みの目を向けたとしても負けたのが悪い、

そう言われて終わりだった。ぼくらの場合はただのゲームだからよかったけれど、

どちらが正解だろうがあまり意味はないことのために命まで賭けたら大変なことになる。

 

 

 

「・・・我慢できないのは・・・私のほうだ—————っ!!」

 

自らの頭を踏みつけていた足を両手でつかみ、そのまま回転を入れながら倒しにかかる。

ラフィアンのバランスが崩れたところを見逃さず、エネイブルは鞭での攻撃に入った。

 

「この間合い、体勢なら会心の一撃が入る!今度こそ—————っ!!」

 

「・・・・・・」

 

それでも格が違うとはこのことだろう。ヘルクラウダーの名にふさわしく、ラフィアンは

小さな真空を指先で作り出すと、なんと敵の最大の武器である鞭を粉々に消し去った。

 

「あ・・・あ・・・」

 

「これでわかっただろう。確かにお前はなかなか強い。だがそれはある範囲内での

 ものであり、その壁を超えることは決してできない・・・理由を教えてやろう」

 

オルゴ・デミーラの配下の中でも力ある魔物の娘、それも人間の血が入っている

一見似たもの同士の二人にはどうやっても覆せない決定的な差があった。

 

「お前の強さに限界がある理由・・・それはお前が『戦争を知らない』ことだ。

 わたしたちは神によって選ばれた英雄たちや精霊との戦いの日々を生き、そこで

 力を磨いてきたがお前はすでに全てが終わった後に、それも大魔王が遺した軍の

 中ではなく自己流で鍛錬をした・・・これでは本当の経験は得られない」

 

「うう・・・」

 

「すでに戦いは終結したのだから平和な世で大人しく生きていればよかったんだ。

 それなのにこうして災厄の種をまき散らしにやってくる!悲惨な戦争の日々を

 知らないせいで考えなしにまた同じことを始めようとする・・・救いようのない

 死んで当然の愚者だ。こういうクズをいちいちアルスやその仲間たちが相手にする

 必要はない!汚れたゴミ掃除はこれからもわたしに任せろ!」

 

 

ぼくは気がついた。彼女が執拗に格下の相手を痛めつけて命を奪おうとしている

のは、気が遠くなるほど昔から続く報復の連鎖の標的を自分に向けさせるためだ。

もしこのバリクナジャの娘の故郷に親友が、もしくは恋人がいたら次は彼らが復讐の

ためにやってくるに違いない。本来ぼくに向けられるべき憎しみと殺意を引き受けるため、

ラフィアンはわざと恨みを買うようなことを繰り返しているんだ。

 

「アルス、かつてわたしたちの計画はお前によって打ち破られた・・・だがそのおかげで

 真に大切なものが守られた。これはその礼に過ぎない。戦うために生まれたわたしとは

 違いお前はそろそろ解放されるべきだ。お前もそれを望んでいるだろう?」

 

「・・・・・・それは・・・まあ・・・」

 

「だったらここは黙って見ていろ。さあ、処刑の時間だ。わたしに満ち溢れる風の力で

 こいつを地獄に落としてやろう。消えてなくなれ」

 

これまでよりも強力な真空の波動がその両手から今にも放たれようとしている。

やめさせなくてはいけない、でもぼくはもちろんのこと、ここにいる誰も彼女を

止める力はない。それこそ神様のような存在でなければ・・・そう思った瞬間だった。

 

 

『・・・待て、ラフィアン!その娘を殺してはならない』

 

「・・・・・・!その声は・・・・・・!」

 

突然空が一面黒雲に覆われ、竜巻と稲妻を伴いながら黒い雲が二つに割れた。

そこから現れたのは黄金に光り輝く体に威厳ある声、これこそオルゴ・デミーラ

ではない本物の神様だ、と言われたら誰もが納得してしまうであろう魔人だった。

ラフィアンの父であり、ヘルクラウダー族最強と言われる天空の支配者だ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦争は知らない③

 

戦争を知らずに二十歳になって嫁ぎ、そして母になる。

 

 

 

 

 

空を切り裂いて突如フィッシュベルに現れたのは黄金の魔人、ヘルクラウダー。

愛娘が戦いに勝利した相手の命を奪おうとしたその瞬間に登場しそれを制止した。

その背には誰かが乗っている。どうやら二人いるようだ。やがて姿が大きくなり、

 

「・・・ラフィアン様!」 「ラフィアン!」

 

その二人の姿がぼくにも見えた。一人は聖風の谷の族長セファーナさんで、歴史書や

風の精霊とリファ族に代々伝わる神様の本を子どものころから読みふけって、実際に

その神たちと会ってからは谷を離れて風の塔の頂上の更にその先にあるリファ族の

始祖たちの村に入り浸っている時間が増えていた。本人が言うには、もともと

本ばかり読んでいたせいで友人がいないおかげで、突然背中に翼が現れて自分の家に

引き籠る必要があったときも今のような勝手気ままな毎日を楽しむのも楽でいいとか。

よかったですねとも言えず、何と返していいのかぼくたちを困らせてくれた。

 

残る一人は聖風の谷で愛と救いの女神として語り継がれるフィリアちゃんだった。

谷を去った後何があったのか詳しくは聞いていないけれど、ラフィアンと共に

始祖たちの集落で数百年過ごしていたところを、大魔王によって再度封印された

世界を元に戻すために精霊探しの旅に出ていたぼくたちと再会した。

 

『・・・わ、私が幼い日から崇拝していた神がお二人ともここに・・・!リファ族の

 悪を裁き正しき道へ導くラフィアン様、自らを虐げた民にすら無償の愛を差し伸べた

 この世で最も慈愛に溢れるフィリア様・・・このお方たちがいま私の目の前にっ!!」

 

世界の危機だの風の精霊だのはどうでもいい、子どものころから村人の中でただ一人

神殿に通い続け崇拝を続けていた『神』がいるのだから、セファーナさんはその場で

二人にひれ伏していた。二人のほうがびっくりして、自分たちは神ではないと説明し

この地を安住の住みかとしてから長い年月のいろいろな出来事を語り始めた。そのたびに

セファーナさんは高揚した気持ちを隠さず、初めに出会ったときの大人しい美人という

印象はすっかり崩れ去っていた。ガボとアイラは開いた口が塞がらず、

 

『・・・もうあの人は放っておいてあたしたちで先行きましょうよ。こう言っちゃ

 なんだけど、危ない感じじゃない?アレを連れて冒険を続けるのは面倒だわ』

 

マリベルは痛烈な言葉と共に冷めた目で見ていた。ぼくはただ苦笑いするだけだった。

 

 

その二人がヘルクラウダーと共に空からやってきて、父親の敵討ちのためにぼくらを

襲ったバリクナジャの娘エネイブルを今にも仕留めようとするラフィアンの手を

止めさせた。ヘルクラウダーが地に降り立つと、村の人たちはかつてセファーナさんが

したように自然とひれ伏す態勢をとっていた。それだけ神々しい姿だからだ。

 

「・・・父上!なぜこのようなところに?いや、こちらの用事はもう終わります。

 古き時代からの遺物であるこの無価値な負け犬を真空の刃で消し去って・・・」

 

「待てと言っているであろう、我が娘よ。その者を殺してはならない。なぜなら・・・

 その者の述べている言葉こそ真実であり、偽りに惑わされているのはお前だからだ」

 

ヘルクラウダーが一言発するたびに空気が物理的にびりびり震える。ぼくも

前情報がなければこれが神様だと信じてしまうところだっただろう。

 

「偽り・・・何のことですか?」

 

「お前がバリクナジャについて語った事柄のほとんどだ。やつがどのような人物で

 あったのか・・・実のところ、そこにいるやつの娘のほうが正しい。これまで

 教えていなかったわたしに全ての責任があるのだが・・・今こそ話そう。

 バリクナジャとはどんな男だったのか、勇者アルスたちもよく聞くがよい」

 

そして語られる、魔王軍が神様との決戦に挑む前のこと。様々な土地や時代から

集められた魔物たちが集結する魔空間の神殿で、そのとき大魔王の右腕、つまり

ナンバー2だったヘルクラウダーと、ほぼ現代に近い時代から期待の若手として

召集されたバリクナジャとの会話のすべてが。

 

 

 

 

『ほう、うぬがバリクナジャ。オルゴ・デミーラ様が高く評価し新しい

 時代より招かれた男か。いきなり神の軍との本戦に参戦できる栄誉を得たと

 いうのに・・・なぜ浮かない顔をしている?我に話すがよい』

 

『・・・私は・・・確かにこの筋力や戦術を考えることに関しては自信があります。

 ですが皆様とは違い人間との戦いがない時代からこの神殿に招待されたのです。

 私は臆病な男なのです。大事な戦いの場に立つなどとても・・・』

 

『ハハハ、誰しも最初は緊張と不安に襲われるものだ。だが一度戦場に立ち

 魔王様の栄光を目にすればその恐れなどどこかに吹き飛ぶ。たとえ命を落とすと

 しても魔族の未来のためと思えば恐怖は感じまい。何を臆しているというのか』

 

戦意を鼓舞するヘルクラウダーに、バリクナジャは一枚の絵を見せた。神殿に

やってくる前に旅の絵描き人に書かせた自分と妻の姿が描かれていた。

 

『これはうぬと・・・隣の女は人間か?しかも妊娠しているようだが』

 

『私の妻です。そして生まれてくる私の子どもです。私は死にたくありません。

 彼女たちを残して死ぬことをとても恐れています。ですがこの召集に応じなければ

 私たち家族は生きていけなくなる・・・私はどうしたらいいのか』

 

『・・・・・・・・・』

 

ヘルクラウダーはしばらく腕を組んだまま黙っていた。そして何かを決断すると

バリクナジャの肩に手を置き、彼の不安と恐れをまとめて解決する案を出した。

 

『ならばこうしようではないか。我も実は人間の妻と、彼女に産ませた娘がいる。

 魔王様にそのことを告げ口するといい。そして我が先日の戦いで狩ってきたが

 まだ献上していない神の軍の戦士の首が数個ある。それを己の手柄として

 持参するのだ。オルゴ・デミーラ様はうぬを褒め称えると同時に我に失望し

 いま我が手にしている座にそのままうぬを置くだろう。大勢の死者が出るであろう

 神や精霊たちとの本戦に加わらず、この神殿に残ることができるぞ』

 

『・・・!!そ、そんなことは・・・!あなた様ほどの方にご迷惑は・・・!』

 

『ハハハ、何を言っている。臆病者が戦場にいると邪魔だというだけの話だ。

 それに我はうぬとは逆、誰よりも戦いの激しい最前線で戦いたいのだ。魔族の

 平穏を妨げる精霊や人間の英雄たちをこの手で除き去る。うぬと正反対の方法では

 あるが、家族を守るために、という思いは同じだ。いつか互いの娘が我らの

 後継者として魔族を繁栄させるためにも・・・今は我の言葉通りに動くのだ』

 

『・・・・・・この恩は・・・必ずお返しします!』

 

そしてバリクナジャはヘルクラウダーの勧め通りに行動し、その後は全て

ヘルクラウダーの考えのままに事が進んだ。バリクナジャは魔王軍の第二位の

地位を手にし、神と四精霊、メルビンを含めた大勢の英雄たちとの戦いに

直接加わらなくてもよくなった。高い立場を失ったヘルクラウダーは最前線に

送られたがそこで大暴れし、多くの精霊や天使たちを打ち倒して勝利に貢献した。

 

 

 

 

「これが真実だ。やつがわたしを蹴落としたのではない。わたしがやつにそうするよう

 命じた結果だ。だから我が娘よ、このことでバリクナジャを憎むのは正しくない。

 互いに己の力を最大限発揮できる場所で戦えたのだからむしろよいことだった」

 

「・・・バリクナジャが臆病で腰抜けだという事実は何ら変わりません」

 

「・・・・・・いや、いかに敵とはいえ・・・一切躊躇わずに命を奪えるほうが本来

 異常だ。わたしやお前のような者こそこの平和が実現した世には不要であり危険な

 存在なのだ。やつはこの時代に生きるべき男だったが大戦がそれを許さなかった」

 

 

一番初めに三匹のスライムと戦ったときのことを思い出す。必死にひのきの棒を

振り回していたら勝手に逃げていった。殺すとか殺されるという感覚はなかった。

それから数時間後だった。ウッドパルナに入る前にマチルダさんから魔物と戦うための

指導を受けている最中に草むらからムカデが飛び出し、マリベルの首に噛みつこうとした。

 

『・・・・・・・・・!!』

 

城で剣の訓練を毎日やっているキーファと違ってぼくはちっとも上達しなかった。

それでも彼女を守るんだ、その思いに駆られた瞬間に自分でも信じられない動きで

魔物を真っ二つに斬っていた。あれがその先ずっと続くぼくの『殺しの歴史』の

最初の一ページだった。だんだんと心が慣れていく感覚があった。これだけ大群で

襲ってくるのだからやるしかない、こいつは救いようのない悪だから殺して当然・・・。

もちろんそうしなければどこかで死んでいたのだからこれで正解だったと思うしかない。

 

「わたしやお前、勇者たちは当たり前のものと受け入れることができたが・・・やつは

 とうとう最後までできなかった。平和な世であればやつは魔空間の神殿にずっと

 籠っていられただろうがそうもいかず・・・安全なところからであるとはいえ

 神の兵たちとの戦いに向かうたびに・・・バリクナジャの心は壊れた」

 

 

『これは・・・なんてことだ・・・』

 

目の前で敵も仲間も死んでいく。昨日まで隣で話していたあの魔物には自分と同じように家族が待っていたではないか。その魔物に道連れにされた人間の兵士、彼は死に値する

男だったのか?そう、罪なき者が罪なき者の命を奪う終わりなき戦いの日々。

神や魔王のこと、魔族の未来、己の命・・・全てがわからなくなっていた。何のために

戦うのか、傷つき奪い合い、いずれ死ぬのか・・・完全に壊れ、狂ってからは早かった。

 

 

「コスタールや他の地方での悪評高い行いの数々・・・ほんとうのバリクナジャで

 あれば決してあのような真似はしなかったと断言しよう。元から腐っている輩も

 数多くいたがやつは違う。それを今日、多くの者たちの前ではっきり語ろう」

 

「・・・・・・と、父さん・・・・・・」

 

「だが・・・そんなやつにも最後の良心が残っていた。やつを繋ぎとめたのは

 まだ顔も見ていない愛娘、その存在だったのだろう。アルスよ、やつがあの日

 コスタールで赤子たちをどう扱ったか・・・覚えているか?」

 

もちろん覚えている。あれは残酷な光景だった。生まれたばかりの赤ちゃんが

満月の夜に魔物に姿を変えてどこかへと去ってしまうという悲劇。ぼくが現代に

移されたのもそのせいだろう。バリクナジャが自分のいる大灯台へと招いて

いたことが明らかになり、彼を倒すと子どもたちは解放され元に戻っていった。

 

「実は赤子をすぐに親の目の前で殺すようにという命令が出ていた。しかしやつは

 このほうが絶望を与えられるとうまく言い訳してこのやり方に固執した。

 全てはいずれ自分が倒されたときに赤子たちが親のもとに帰るために。自分が

 これから親になるはずだったのだ。死の間際、やつの心は僅かに生きていたのだ」

 

これがあの事件の真実だった。それを知ればすべて納得がいった。

 

「そうか、だからバリクナジャは・・・あれだけ姿を変えられた魔物が奥にいたのに

 ぼくたちとの戦闘で一度も使わなかった・・・いや、今思えば戦いの巻き添えに

 ならないように戦っていたのか!あの戦いで感じた手応えの無さや拍子抜け・・・

 バリクナジャが弱かったからじゃない!彼は・・・・・・」

 

最後まで血生臭い戦争に慣れることができず、精神が壊れてからも故郷に残した

家族を思い、どうにか運命に抗おうとした・・・悲しき父親だった。

 

 

「・・・・・・」

 

遥か過去のコスタールでバリクナジャのせいで深い傷を負ったシャークアイや

海賊たち、アニエスさんもただ黙っていた。外道な鬼畜の正体が自分たちと何ら

変わらない、神と魔王の戦いに巻き込まれた一人に過ぎなかったからだ。そして

神も魔王もいない世界、もはやその怒りをぶつける相手もいないとなると・・・。

 

「我が娘よ、お前がわざわざその役を引き受けることもあるまい。我ら戦人の時代は

 終わった。これ以上その者に手出しすることはわたしを含めたこの場の皆が許さぬぞ」

 

「・・・・・・ふっ、父上からそのように言われては仕方がない。わたしたちの

 時代ではないというのはわかっていた。だからわたしのことを神だとか勘違いする

 連中にわたしから離れてもらうためにあえて残虐に振る舞ってみたが・・・・・・。

 おい、お前ももう復讐をしようという気はないのだろう?早く故郷に帰るといい」

 

バリクナジャの娘エネイブルを解放した。これで終わり、誰もがそう思った。でも、

 

 

「・・・待った・・・まだ・・・まだ終わってない。決着はまだ・・・」

 

エネイブルではない。彼女と最初に戦って一撃で倒されたガマデウスのトレヴだった。

あれで死んでしまうほど弱くないと知ってはいたけれど、まさか戦いの続行を

望んでいるなんて。好戦的ではなかったはずなのにどうして今このタイミングで?

 

「やはりさっきは手を抜いていたのか。遠くから見ていたが・・・わざと

 攻撃を受けたように見える。お前もこいつもダメージは大きい。そこで最後の

 勝負といくつもりか?」

 

「・・・いや・・・続けるのは戦いじゃない。その子の・・・復讐だ!このワタシに

 その手でとどめをささせてやってほしいんだ・・・」

 

さっきの戦いのあっけない結末の理由がはっきりとした。彼女自身が敗北を、そして死を

望んでいたからだ。それはバリクナジャに執拗なまでに攻撃を加えて惨たらしく殺した

罪悪感か、それともわだかまりや憎しみといった負の感情が一切消えた完璧なる平和な

未来を願っての行動なのか・・・無抵抗でエネイブルの攻撃を受け入れる構えだ。

 

 

「・・・ど、どうして・・・私がこのまま帰ろうがあなたを討とうが何も変わらない。

 私の後にはもう誰も魔王の遺志を果たそうとする魔族も勇者を逆恨みする者もいない。

 私は父さんがどんな人だったかを本当の意味で知ることができた。だからもう・・・」

 

「いや・・・それじゃキミがかわいそうだ。小さいときから一人ぼっちで復讐のことだけを

 考えて生きてきた・・・一番楽しいはずの時間におしゃれも遊びもできずにひたすら

 ワタシたち憎しの思いで今日まで自己流で鍛錬を続けてきたんだ・・・その点ワタシは

 キミの父親相手に復讐を遂げた後はこの平和な村で飽きるまでおいしい魚とお菓子を

 食べてのんびりと暮らしていた・・・いくら何でも不公平すぎるじゃないか」

 

トレヴはなおも続ける。普段の彼女には似合わない、血と砂で汚れた顔には確かな

微笑みがあった。これから命を絶たれようとしているようには思えない安らかな笑みだ。

 

「そしてここにいる皆が誓ってほしい。勇者ロト・・・いや、それよりずっと前から

 今日まで絶えず続いてきた、『報復の連鎖』をこれで最後にすると。ワタシがこの子に

 殺されても、もう誰もワタシのために武器を持とうとしちゃいけない・・・ま、

 ワタシの人徳じゃそもそもみんな動かないかもしれないけどね、ゲロゲロリ」

 

「・・・バリクナジャの娘の思いを遂げさせる・・・これまでの歩みに一区切りさせる

 ためだけにお前が犠牲になるというのか」

 

「生まれた時代も境遇も違うのに・・・ワタシとこの子はほとんど同い年だ。でも

 大切な人を奪われたってところが同じだからね、他人に思えなかったんだ。

 さあ、エネイブル!ワタシはあの日、キーストンに敗れてすでに虫の息だったキミの

 お父さんに吹雪を、猛毒を、拳の嵐を浴びせて遺体を破壊した女だ!ワタシを

 この手で倒すことで数千年以上に及ぶ全ての因果が終わるんだ!そしてキミは

 故郷で本来得るはずの幸せを掴むんだ。素敵な人と恋をして結婚して・・・」

 

「・・・・・・」

 

「嫁いで母になる、それから平和な世の中で今度こそ親子そろって・・・グエっ!!」

 

 

まだトレヴが熱く語っていたけれど、それは強制的に中断された。エネイブルが

勢いよく突進し、言葉が発せなくなったからだ。ナイフで腹を刺したのか・・・

そんな心配はいらなかった。彼女の両手はトレヴの背中を強く抱きしめていたからだ。

 

「・・・そんなことを言われたら・・・もう憎しみを捨てるしかないじゃない!」

 

「・・・・・・・・・」

 

そう、トレヴは進んで自らの命を差し出した。世界の平和や繁栄のためではなく、

敵である少女のためだけに。そしてエネイブルはトレヴを許した。本来持っている

正当な復讐の権利を捨てたんだ。こんな簡単なことでこの争いは終わった。戦いに

負けたから仕方なく折れたり相手の要求を受け入れたりしたわけじゃない。もし

数千年以上の時の中で、どこかでこれが実現していれば世界はとっくに戦いが

終わっていたのかもしれない。勇者と呼ばれているぼくやエデンの戦士たちと言われる

仲間たちが全く関わらずに問題が解決した。これでついにぼくは完全に勇者として

何かをする必要がなくなったというわけだ。大きな何かが消えてなくなった気がした。

 

 

 

「嫁ぐ・・・それならあなたのような人がいい。明るくて誰とも仲良く話せる、

 それでいていま私に見せてくれた勇気と同情心、憐れみの心・・・きっと

 空の上にいる父さんと母さんもあなたなら文句なく受け入れてくれるはずだから」

 

「ゲロッ!?いやいや、それはまずいでしょ。まあキミは確かにかわいいけれど

 ワタシたちはメス同士じゃないか。嫁ぐまではよしとして、子孫を残すと

 いうのは不可能!いくらモンスター人間といってもそれは・・・」

 

戦闘が終わった途端、流れが急変し戸惑うトレヴ。そこにラフィアンが冴えない顔で

近づいてきた。互いにとって難儀な事実がある、そう言いたそうな様子だった。

 

「いや・・・そうでもない。わたしが先ほど名前を出したプチット族たち、そのうちの

 一人、僧侶のラフインはあまりにも勇者グルーヴを想う気持ちが強すぎてとうとう

 開発してしまった。メス同士でも子が生まれるという禁断の薬を!すでに魔物で

 100パーセントの成功実績があり、普通の人間では厳しいがわたしたちのような

 特別な生物であればその薬の力を借りれば妊娠と出産が可能だそうだ・・・」

 

「ゲ—————ッ!で、でもそんな薬、誰も許しは・・・・・・」

 

「・・・それが・・・モンスター人間の総帥であり生き残った魔族の長である

 ロンダルキアのハーゴン、やつが認めてしまった。もともとあの地にいたやつの

 仲間たちは女が多かったし、オルゴ・デミーラが死んだあと最後の悪あがきに

 加わらなかった、つまり気性が穏やかな魔物はほとんどメスだ。実は今日わたしが

 この村に来ていたのは逃げていたからだったんだ!フィリアもセファーナも

 あろうことか自分たちではなくわたしにその薬を飲ませようとしているんだ!」

 

新たな問題もぼくにはちっとも関係ない話でよかった。当人たちは慌てているけれど。

 

「え~?いいじゃないですか。母親になればこんな無茶もしなくなるでしょう?

 私もフィリア様もあなたがまた戦いを求めるようになるのが心配なのです。

 決してやましい気持ちなんて少しも抱いては・・・・・・」

 

「いや、その顔がもう信用できない!アルスや他の世界の名士たちと共になる

 チャンスだってあったのにわたしの家に入り浸っているお前は怪しすぎる!

 父上からも咎めてはいただけませんか、二人を・・・」

 

「・・・我が娘よ。わたしはそろそろ孫の顔が見たい。もう過程や方法など

 細かいことはどうでもよいわ!この二人に頼まれて連れ戻すためにわたしは

 ここに来た。さあ、大人しく我らと来るのだ!」

 

「・・・・・・!まずい!ここは逃げねば!お前たち、どけ—————っ!!」

 

 

ぼくが村に被害がなかったかを確認していると、後ろからラフィアンが走ってくるのが

わかった。避けなければと思って振り返ってみた。だけど、

 

「・・・・・・・・・!!」

 

なんと、視界がぼやけて何も見えなかった。向こうからものすごい勢いできている、

それはわかるけどそれ以外は何もわからない。この見えなくなる現象は今日だけで

もう三回目だった。誰にでも見える石に躓き、スロットの大当たりもわからない。

これはもう疲れているから・・・とかじゃない。ぼくにはその原因もわかっている。

 

「・・・ア、アルス!なぜそんなところで仁王立ちを・・・・・・ぶつかる!」

 

「うわっ!!」

 

彼女と激突し、互いに転倒した。あっという間に拘束されていた。

 

 

「さあラフィアン、私たちの家に帰ろうね!いつも他人のことばかり考えているのだから

 たまにはわがままを通していい、そう言ってくれたのはラフィアンだからね!」

 

「放せ————っ、放せ——————っ!!」

 

そのまま空へと消えていった。そして魔王の最後の刺客だったエネイブルもトレヴと共に、

 

「じゃあ行きましょう。まずは父さんと母さんにあなたのことを紹介しなくては」

 

「・・・バリクナジャはワタシのことを知っていると思うけどなぁ。しかも相当

 恨んでいるはずだし・・・呪い殺されるかもしれないからやっぱり・・・」

 

「父さんはそんな人じゃありません!さっそく私の故郷へと参りましょう」

 

新たな未来へと続く全てが『勇者抜き』で忙しく始まっている。これまでの歴史で

勇者は魔族との戦いが終わった後も王として世界を治めたり国の統一に励んだりと

表舞台での活躍や歴史をつくる仕事が続いていた。いま、ぼくはそこから無縁の場所にいる。

責任感や使命に燃える今までの本物の勇者たちなら必要とされなくなるのは寂しいと

思うだろうけど、何度も言うようにぼくは違う。勇者として生きたいという思いは全く

持っていないからだ。これでようやく自由にやりたいことができる。村に危機が訪れたにも

関わらず、最後まで姿を現さなかった彼女を探しに行く。ぼくの望みはそれだけだ。

 

 

 

 

 

野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き

帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アーサーのブティック

 

アーサーのブティックは不思議な店だ。ただ貴重なものや古いものが並んでいる

だけじゃない。いま自分が最も欲しい、必要だと思っているものが見つかる。

形のないものだっていっぱいある。『心』や『証』、『残り香』や『涙の跡』も。

 

 

村はあっという間に落ち着きを取り戻した。これで大魔王の用意していた刺客は

もういない。だからあとは皆に任せてアーサーの店に行くと言ったら、シャークアイと

アニエスさんが突然抱きしめてきた。そして、私たちのことは気にしなくていいから

素晴らしい旅にしなさい、そう笑顔で送り出された。むこうもわかっているみたいだ。

ぼくと会うことはもうないという寂しい事実を。それでもぼくを行かせてくれる。

 

「・・・行ってきます。父さん、母さん」

 

男はいつか両親のもとから旅立たなくちゃならない。これまで何度も命を落とすかも

しれない危険な旅に出たけれど、今回はほんとうの帰らない旅になりそうだ。

どこから行こうか、そう思ったとき最初に思いついたのは『アーサーの店』だった。

 

 

「おっ・・・いらっしゃい。あれ、今日は一人なんだね」

 

「ええ、まあ・・・あなたの言いたいことはわかってます。マリベルでしょう?

 実は彼女を探すための冒険の旅なんです。この店が開いていたらいいなあと

 ぼんやりと思っていたらちょうど見つかったものですから」

 

アーサーの店の不思議なところの一つ目は、いつ営業しているかわからないということ。

場所は村の外れの人があまり寄りつかないあたり、昔ぼくとキーファが遊び場にしていた

あたりで決まっているのに、三日続けて店があったと思ったら一年以上来ない時もある。

移動式の店にしてはテントではないしっかりとした造りになっている。

 

「なるほど、だいたいの事情は察したよ。とりあえず飲み物でも飲んでいくといい」

 

「ありがとうございます。見慣れない商品が増えたからじっくりと見ていきますよ」

 

二つ目に、アーサーというのは店の主人の名前じゃない。ぼくに応対するこの人は

女性だ。かつての親友の名を店名に使っているとのことだ。主人と彼の時代はなんと

千年以上前で、ぼくが生まれるはずだったコスタールの世代より昔なのだから驚きだ。

そう、三つ目の不思議な理由として、この人はただの人間じゃない。普通の魔族や

モンスター人間よりも特別な、かつては魔王と呼ばれていたこともあった人だ。

 

「前回からだいぶ間が空いていましたからね・・・ハーゴンさん・・・いや、

 あなたのほんとうの名前であるウオッカさんと呼ぶべきでした」

 

「どちらでも構わないよ。ハーゴンはわたしの父、ウオッカは母がそれぞれつけた

 名前だ。どちらもわたしを表している名に違いはないのだから」

 

秘境ロンダルキアに住み、全世界に影響を持つモンスター人間の総帥であり、いまは

生き残った魔物たちを導くハーゴン。オルゴ・デミーラをはじめとした自分の後に

魔王として立ち上がった者たちとは距離を置き、力があるにもかかわらず人間と魔族の

戦いに干渉してこなかった。でもこの時代、ぼくたちに対しては違った。

 

「ハーゴンさんならマリベルの行き先がわかるかと思っていたのですが。マリベルが

 一人で村に残ることになったときいろいろと世話をしてくれただけじゃない。その後

 魔法の指導や世界の歴史を語ってくれた時間のおかげで退屈せずに済んだと本人が

 言っています。三人の勇者たちに野望を阻まれ自分の時代が終わってからは人間と

 積極的に近づこうとしなかったあなたが・・・なぜ?」

 

「ふふふ、約束してしまったからね、彼らと。君たちの子孫を必要な時に必ず助け、

 君たちとしたように酒を飲んで語らい合うと。すでにマリベルとはやったから

 あとは君だ。いま入れたのは酒だ、軽いものだから君でも安心して飲めるよ」

 

昔よりはお酒に強くなったのに、みんなまだぼくに酒を飲ませるのはどうかと

躊躇っている。ユバールの村での最初の夜の失敗をマリベルが大げさに話して

それが噂になって広がったせいだ。酔ったせいで普段ならありえない言葉を次々と

口にしたとだけ後から言われ、ぼくにもその程度の記憶しかない。ちなみにまだ

幼かったガボは泣きながら吐いていて、マリベルはいくら飲んでも酔わなかった。

でももう終わった過去の話だ。いま大事なのは気になる言葉を聞いたことだ。

 

「彼の子孫・・・あなたがいつも思い出話をするのはこの店の由来でもある

 アーサー王子とその妹のことばかり。確かあなたが書いた本で彼は破壊神との

 戦いで死んだと・・・まさかその前に子どもがどこかにいたということですか?」

 

「まさか。当時・・・しかも彼は王族だ。結婚していないのにそんな真似はしない。

 もともと国を継ぐことに関心がなかった彼だがばれたら大陸追放で済むかどうか。

 その後、の話だよ。マリベルにはもう話したはずだけど君にはまだだったかな。

 死んだことにしてくれって彼に頼まれたから物語はそれで終わりにしただけさ」

 

 

白銀の地ロンダルキアに三人の偽者の神がいた。彼らの遺したものを邪悪な悪魔神官

クライム・カイザーが解き放ち全ての魔王や邪神を凌ぐ破壊の神が世に現れた。

それを命がけで再び封印したサマルトリアの王子アーサーは帰らぬ人間になり、彼を

愛していた妹サマンサも失意のせいか失踪し国は衰退して滅びることとなってしまった。

 

一方生き残った二人の勇者の未来は明るく、共に世界を治めた数十年の期間に争いは

起こらなかった。戦闘の後遺症のせいで子どもが産めないと言われていた王妃であり

女王でもあるムーンブルクのセリアはある日を境に無事妊娠し出産できる体となり、

ローレシアの王アレンは現在ぼくたちの時代まで語り継がれるほどの存在となった。

 

「それからしばらく・・・勇者として世界を救った人たちにはみんなあの二人の血が

 流れていたと書かれています。ただ・・・ついさっきカジノであなたの仲間たちから

 聞いたばかりです。ローレシアから続いた王族の家系は絶たれ、『流星の貴公子』、

 テンポイントとも呼ばれた西の悲運の王子が高められると。彼の子孫が世界に

 永遠に続く平和をもたらしそれはぼくのことだと言われたのですが・・・」

 

「そこまで知っていれば君ならわかるだろう。アーサー・・・テンポイントは

 死んではいなかった!しかも君とマリベル、世界を救った二人の祖先として

 その名が光り輝いた!アイラも一応彼の子孫だが血が薄くなりすぎだ、あれは。

 まあそれはいいとして・・・今日君が買っていくべき商品はこれだ!」

 

ハーゴンさんがぼくに渡したのは本だった。これまでの勇者たちの冒険の記録の書に

比べたら薄く、すぐに読み終えられそうなページの量だ。

 

「これをマリベルと二人で読むといい。テンポイントの真の歴史が明らかになる」

 

「・・・本・・・ですか。う~ん・・・これまではいつも『これが欲しかった!』と

 驚くほどのものを紹介してくれましたが今日はちょっと違いますね。そもそも

 いっしょに読めと言われたマリベルがいないから探したいと思っているので」

 

「まだ終わっていないよ。その本のおまけを見てから結論を下すといい」

 

「・・・・・・こ、これは・・・!久々に見た・・・!」

 

見間違うはずがない。あの不思議な石版、それもこれから台座に置こうとするものは

いつ以来だろう。四人の精霊を暗示する四色のいずれにも当てはまらない石版で、

何色とも言い難いから『不思議な石版?』とぼくたちは呼んでいた。

 

「どの時代のどこへ行くのか、そもそもどこに台座があるのかはわたしにもわからない。

 だが君なら見つけられる。あと数時間もしないうちにその先の世界へと旅立ってすら

 いるだろう。そして売値だが・・・いま君が持っている有り金全額だ!」

 

「ぜ・・・全額!?いつもは信じられないほど良心的な値段だったのにそのツケを

 払ってもらおうということですか!?それは困ります!これからマリベルを探す、

 その旅は長くなるでしょうからお金は必要です、せめて金額を決めてください」

 

「・・・いや、わたしにはわかる。君にはもう金は不要だ。これが最後の金を使う

 機会となるだろう。もちろん信じないのならそれでいいが、本と石版は渡せない。

 どちらにせよ君にとって重大な決定だ。考える時間は与えるが・・・」

 

この人や仲間たちが金に困るということはない。アーサーの店だって商売ではなく

趣味のようなものだ。仕事の合間にやっているだけだと前に本人が言っている。

これは選択だ。何かを得るには何かを捨てる、諦める必要があるとこの人はぼくに

教えたんだ。そしてサマルトリアのアーサーの子孫を助けると誓ってもいた。

ならぼくを取り返しのつかない道には導かないはずだ。正しいのはこっちだ。

 

「・・・・・・決めました。どうぞ、これがぼくの所持金全部です」

 

「ム!即答だね。素晴らしい!ならこの金は受け取った。これで今日は皆に

 豪勢な土産を買って帰れるな。よかったよかった・・・」

 

やっぱり騙されたんじゃないのかという声は押し殺して、本と石版を手に入れた。

次はこれを持ってどこへ行けばいいかという話だけど・・・。

 

 

「そういえば数か月前だったか。マリベルがわたしのもとに来て、自分が管理する

 武器や防具をはじめとした冒険で手に入れた品々の数々を引き取ってほしいと

 言ったんだよ。旅の間に知り合った者たちや世界各国の王家に渡すことも

 考えたそうだが一番安心して譲れるのはあんたたちのところだ・・・ってね」

 

「・・・マリベルが?ぼくは知りませんでした。いつか凄い価値が出るかもとか

 歴史的に重要な品になるとか言って半分強引に持っていたのに。自分で手放すと?」

 

君の家は金持ちなのにまだ金が欲しいのか、どうしてそんなに金に汚いのか、何度も

言い争った思い出がある。マリベルが勝手に使った金をごまかしたり魔物を倒して

手に入れたゴールドのいくらかをこっそり自分の袋に入れていたからだった。

 

 

『真のお金持ちはお金に関してはしっかりしてるのよ。そうじゃないとせっかく

 大富豪になっても一代きりの成金か一代も持たないかもしれないからねぇ。

 あんただってお金の使い方がうまいとは言えないわ。賭け事は弱いし騙されるし。

 だからあたしがこの旅の費用を計算してやりくりしてる。うまくいってるじゃない』

 

ぼくの追及の直接的な答えになっていないのにぼくを黙らせる彼女の賢さだ。

ぼくもついどうでもいいものにお金を使ってしまい、普段我慢している分たまには

いいかと後から考えたら後悔しかない愚行を何度もしていたからだ。

 

『う~ん・・・ぼくがやっていたら野宿はもっと増えていただろうし装備の交換も

 今より抑えなくちゃいけないけれど・・・』

 

『そうそう、だからあんたは余計なことは考えずに戦いに専念しなさい。

 お金のことまで考えてたら疲れちゃうわ。そっちはあたしに任せなさい』

 

『フフフ。ならば将来アルスどのには稼いだお金をきちんと管理してくれる嫁さんが

 必要でござるな。たったいまそれに立候補した方がいるでござるからな・・・』

 

『・・・ば、ばかっ!そんな意味で言ったんじゃないわよ、メルビン!』

 

 

小さな装飾品一つにすら執着していたマリベルが、記念館が建てられるほどの品を

全部ただで手放す気になったのはどういうことなんだろう。しかもハーゴンさんに

言う前にぼくに相談してくれなかったのはどうしてなんだ。そんなに頼りないのかな。

 

 

「・・・アーサーは正統なロトの子孫、王位継承者だったがその地位を捨てたがっていた。

 重圧や責任から逃れたいというよりは自分らしく自由に生きたいという願いからだ。

 サマンサはおそらくこれまでの人類史の中で最強の魔力を秘めていた。わたしはおろか

 後に彼女と会う機会があった破壊神シドーですら本気で戦ったらやられると言っていた。

 こちらの攻撃が届く前に一撃で倒されるから話にならないと笑っていたよ。それほどの

 力を持つ彼女も世界の頂点ではなく愛する兄と共にいることを求めたのだ」

 

「・・・・・・」

 

「君たちはその二人の子孫だ。いつも通り何も変わらないように生きているふりをして

 どこかでとんでもない決定をする。親しい人間にも直前まで、もしくは最後まで

 話さずに自分だけでその決断を下す。彼女だって同じだと思わないか?」

 

キーファはその日の朝になってぼくたちに別れを告げ、家族への説明すらぼくに任せた。

ぼくも彼を責められない。大したことじゃないように見せかけて命を賭けた戦いに向かう

ことも何度もあったし、今に至っては仲間たちや二組の両親と永遠の別れになるだろうと

わかっていて帰らない旅に出ている。マリベルにも何かがあったのだろうか。

 

「いまだから言うが、実は彼女を誘ったことがあった。ロンダルキアで暮らしてみないかと。

 アルスは神と精霊の加護をあれだけ受けているから無理だが君は違う。普通の人間

 なのだからわたしの力で寿命の無い命が得られるとね。永遠に生きられると」

 

「・・・何だって!?そ、それでマリベルは!?」

 

「ふふふ・・・先祖たちと同じ答えをしたよ。お断りだってね。旅の仲間たちはみんな

 特別な力を持っていたけれど自分は違った、でも最後まで戦い抜いた。だったら

 普通の人間としてこの先も生きていく・・・凡庸であることに誇りを持つと言った」

 

ひとまず安心した。いや、マリベルがそう決めたのならぼくにそれを止める権利はない。

遠い存在になってしまうとしてもその背を押すしかできないんだ。ずっと元気に若いまま

生きられるなんてごく限られた種族にしか許されない特権だ。ぼくがどうやって彼女の

幸せを邪魔できるというのか。まあぼくの言葉に耳を貸すような彼女ではないけれど。

 

 

高価な宝物や武器と防具の処分、普通の人間として生きたい気持ち、ぼくたちの遠い

先祖たちの歴史・・・このなかのどれかがマリベルがいなくなった理由と大きく

繋がっているはずだ。一つだけじゃない、全てが関わっているかもしれない。

椅子に座りながら眉間に手を当てて考えていると店の奥から誰かが近づいてきた。

 

「人間であることを捨てて不老不死の体を手に入れる・・・悪い話じゃないと

 思うけどね。誰でもできるわけじゃないんだからチャンスはモノにしなくちゃ」

 

「・・・・・・!きみは確か・・・」

 

「お久しぶり、勇者アルス。この島のモンスターたちは心も体も健康だね。きっと

 水と食べ物がおいしくて人が手をつけていない場所がたくさんあるからだろうね」

 

彼女の名前はイル。優秀な魔物使いで、魔王ハーゴンに自ら永遠の命を願い求めた少女。

平和になった今も世界中の魔物の管理を日々続け、何が魔物たちにとっての最善かを

追い求める日々に終わりはないとのことだ。管理といっても捕まえて縛りつけるの

ではなく適切な世話や棲み分けと繁殖の手伝いなどをしている。人と魔物のあり方を

長い間考え続けた彼女のおかげで最終決戦後の混乱や衝突はごくわずかに収められた。

 

「きみは毎日忙しく働いているね。時間はたっぷりあるから休もうとは思わないのかい?」

 

「くすす、まさか。好きでやっているんだから休みたくなんかないよ。この店に

 立ち寄ったのもモンスターたちのおやつの材料集めのため。やっといどまねきが

 世界で一番この島を住みやすく思っている理由を科学的に証明できたんだ。

 いどまねきたちの言っていることとそう大差はなかったけどそれ以外にも・・・」

 

 

魔物を育てる牧場の娘として生まれ、国の危機を救うために魔物たちを連れて冒険に

出たイル。その才能は次第に誰もが認めるようになり、史上最高のモンスターマスター、

その称号を手にしたのはぼくがキーファと古代遺跡を探検し、マリベルを加えた三人で

石版の世界へ飛ばされたあのころよりも若い年齢でというのだから驚きだ。でも、

イルはただ国を救い王者になった英雄じゃなかった。純粋な思いからの狂気があった。

 

『・・・ぜんぜん足りない。五年、十年・・・いや、八十年あってもだめだ』

 

ただ魔物使いとして強さを求めるだけで満足せず、魔物たちにとって一番の幸せは

何か、最高の食事や結婚相手、性格や好きな道具など研究すればきりのない数々の

テーマ。人生の全てを費やしたところで理解できないのはわかっていた。

 

「私がいた国の精霊が言ってたよ、お前は最強のマスターだけどそのせいでいつか

 とんでもないことになりそうで怖いって。世界を救う勇者かそれとも世界を巻き込む

 大悪党か、人間であることすら超えていきそうでオレの手にも負えないだろうとね。

 くすす、そのとき私は気がついたよ、そういう手もあるんだ・・・ってね」

 

「・・・躊躇いとかは・・・なかった?」

 

「ちっとも。私にとってもモンスターたちにとってもプラスになるんだからこの方法が

 あるとわかった後は三日で仲間たちとタマゴを残らず連れて出発する準備を終えた。

 すぐにやってよかったと今でも思っているよ、善は急げだよね、くすす」

 

ハーゴンさんが言うには、もし彼女が本気なら自分の地位はあっという間に奪われる

だろうとのことだ。ただの魔物だけでなくモンスター人間が相手でもすぐになつかせる

力を持つのだから、その気になれば今すぐ新たな魔王として君臨できるほどだという。

とはいえ彼女の目的や夢がそこではないので平和は守られている。

 

「わたしとしてはトップの座を渡してもよかったのだがね。やっと楽になって

 自由にこの店を開いたり遊びに行ったりできるのだから・・・」

 

「いやいや、あんな仕事量、本来の楽しみの時間がなくなっちゃうよ」

 

いま世界で魔王になれる力を持つのはこの二人ぐらいだけどやる気が全くないので

永遠にその機会は来なさそうだ。二人が怒りそうなのは魔物を虐げる人間が現れた

ときくらいで、そうなってもその人間だけを滅ぼせばいいだけの話だからわざわざ

自分と大切な仲間たちを危険に晒すまねはしないだろう。狂気を秘めながらも

大事なものの存在が暴走を許さない。ただ、自分が大切に思うもののために

魔王になった者たちもいるわけで、人それぞれなんだろう。そういえば最後まで

オルゴ・デミーラがどうして大魔王として生きることを選んだのかわからなかったな。

 

 

「そういうわけで・・・アルス、君も偉大なる先祖や友人キーファ、またこのイルの

 ようにわがままになってもいいんじゃないか。後々もっと早くこうしていれば

 よかったのにと後悔するくらいなら。君だってすでにそう決意してこの店に来た

 はずだがまだどこか遠慮や後ろめたさが感じられるからな・・・」

 

「・・・・・・やはりわかりますか」

 

「もう二度と会えないかもとか仲間や家族を裏切ったとか・・・余計な感情はここに

 捨てていくといい。いま自分が何を一番求めているかに素直にならないと」

 

「そうそう。案外みんな応援してくれるよ。私だってそうだったもん」

 

 

最後の晩、イルは家に帰り家族と共に食事をして同じ部屋で眠りについた。しかし

皆の眠りが深まったころにこっそりと抜け出して帰らない旅を始めようとしていた。

家族を、国を、人間の命すらも捨てる冒険に出るのだから別れの言葉など言える

わけもなく、こうして静かに去るしかなかった。だが、イルが窓から出ていこうとしたとき、

眠っているはずの両親と兄が、更には国中の親しい者たちの声が聞こえてきた気がした。

 

『頑張れよ、元気でな!』 『お前の大好きなあいつらといつまでも仲良くしろよ!』

 

その時初めてイルの心に皆への罪悪感と謝罪の念が芽生えた。そして少しの間

どこにでもいる少女のように涙を流し、それを拭ってから禁断の鍵で扉を開けた。

 

 

「あなたにも聞こえるんじゃない?大切な人たちがあなたの背中を押す声が」

 

「・・・どうだろう。そうだと気が楽だけど・・・・・・」

 

何の説明も片づけもせずにいなくなるぼくを快く許すどころか応援してくれる、

そんな都合のいい話があるものかと思ったけれど、ぼくのほんとうの両親は

そうだった。三人の仲間たちもきっとそうしてくれるだろうという確信がある。

だったらぼくのやるべきことは決まっている。この不思議なブティックで何かの

役に立つであろう品物は買えたのだからすぐにでも店を出て彼女を探しに行こう。

 

 

「そろそろ失礼します。今日はありがとうございました」

 

「おや・・・もう行かれるのですか勇者様。まだ飲み物も残っておりますが」

 

ぼくを呼び止めたのはこれまでの二人ではない、第三の人物の声だった。これは

聞いたことがない声で、男の人なのか女の人なのかもわからなかった。

 

「ええ。あまりゆっくりもしていられなくて。ところであなたは・・・・・・」

 

思わずぼくはひっくり返った。最初は叫ぶことすらできず、ただ口をぱくぱくさせる

だけだった。そしてもう一度目をこすってから見てみる。錯覚じゃあなかった。

 

 

「・・・どうかされましたか?」

 

「あ・・・あ・・・ど、どうしてオルゴ・デミーラが—————っ!?」

 

 

声は違うけれど姿はまさにオルゴ・デミーラそのものだ。完全に滅ぼしたはずの

大魔王がこんなところに現れるなんて!驚きのあまり戦闘の構えなんかできない。

そもそもいま武器は持っていない。一瞬で存在を抹消されてもおかしくない状況に

なってしまったと思ったら、少女がくすすと笑いながらデミーラの頭を撫でていた。

脳みそむき出しの不気味すぎる頭をよく何の抵抗もなく撫でられるものだ。

 

「ごめんね~。びっくりさせちゃったかな?この子は私の数十年前からの友だちで、

 オルゴ・デミーラではあるけれどあなたの知るそれとはまた違う。モンスター

 同士を結婚させて生まれたタマゴを孵したらこの子が生まれたんだよ」

 

「ああっ・・・そうか・・・きみは歴代の魔王や邪神たちと同じ種族の魔物を

 生み出して育てて友だちになることができたんだった・・・まさかデミーラまで」

 

「記録もつけてあるよ、初代の子たちからずっと・・・いま手元にないから見せられない

 けどね。でも大魔王には勝ったというのにここまで驚くなんてねぇ」

 

確かに勝ったけどいい思い出なんかちっともない。魔空間の神殿での最初の戦いでは

両眼をあの尻尾で斬られた。最終決戦では三人の仲間を倒されたうえに左腕を奪われた。

戦いが終わった後でみんなは無事に回復したしぼくの失明した目と腕も多少の後遺症が

残ったとはいえ回復呪文の力で普通に生活するぶんには問題ないほどになっている。

これも全て勇者の力のおかげだそうだ。並の人間では呪文も効果がないという。

 

 

「デミーラ・・・やっぱりその姿が真の姿なのか?それとも怪人のときの・・・

 いや、一番強かった人と怪物が半分ずつだった三番目の姿こそが・・・」

 

「さあ、私にはわかりません。あなたが戦った大魔王オルゴ・デミーラと私は

 別人で、私は他の姿に変身することなどできませんから」

 

「ははは、別にどうでもいいことだろう、アルス。いま君にとって大魔王など

 些細な存在のはずだ。全てを投げ出してでも共にいたい者を探すために君は

 新たなる冒険を始めたのではないか。すでにあらゆる場所を探したというが、

 もう一度この島の君たちにとって重要なところに向かってみるといい。必ず

 彼女がそこにいるという保証はないが・・・行ってみて損はないだろう」

 

「・・・・・・あの場所に・・・・・・」

 

 

アーサーのブティックは不思議な店だ。そのときいちばん欲しいものを売っている。

意味のわからないものや形のないものまで。これで最後の冒険の準備は整った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あの素晴しい愛をもう一度

 

『あんたは誰よりもあたしのことをよくわかってる。でも・・・やっぱり何も

 わかっちゃいないわ。きっとこれからもね』

 

いつそう言われたのか、もう忘れてしまった。そのときはあまり気にしていなかった。

笑顔だったのに寂しそうな・・・諦めのような感じにも見えた。ぼくを責めるというよりは

これが人間ってものでしょ、しょうがないじゃないって言いたげなあのときの彼女。

ぼくが、彼女が一番欲しかったものやこうなりたかった未来とかは何だったんだろう。

 

 

「・・・じゃあそろそろ行かないと・・・ん?あれは・・・」

 

店を出るとつい数時間前にコスタールのカジノで会ったモンスター人間たちが

数人の仲間を加えて集まっていた。その中心には青い髪の女の子が座っている。

 

「まさかあれが・・・さっき言っていた『復活させられることになっている』子?

 遺体はずっと腐らずにそのままだったという、はるか昔の勇者の妹!

 こんな短い時間で生き返ったっていうのか・・・すごいな」

 

「厳密には妹じゃないんだがね・・・アーサーとサマンサのそれとはまた違った

 複雑な事情があるようだがいまの君には関係ないだろう。以前から彼女たちに

 繰り返し頼み込まれて準備は終わっていたから最後の一息だけだった。まさか

 一目惚れしたってわけではあるまい。君が目指すところは一つだったはずだ」

 

「あんなにモンスターたちから愛されている人は知らないよ。私以上かも。

 ひょっとしたら私はあの人の子孫なのかもと思ったけど違うんだって。

 それとは他にすごい魔物使いがいたらしいけど。どこかの王様だったとか」

 

ぼくの後ろからハーゴンとイルが続けて出てきた。魔物たちから絶対的な信頼を集め

トップに立つ二人が、あの女の子には敵わない、といった顔をしていた。

 

「わたしは地上に干渉しなかったがずっとロンダルキアの地から眺めていた。

 彼女は勇者ではない。ただ、勇者ではない人間のなかでは最も素晴らしい

 人間だったと断言できる。誰に対しても無限の愛情と優しさを示した」

 

「くすくす、私たちと違って何一つ悪いところがない。私たちはみんな一度は

 思うはずだよ。『こんな悪人は死んでも仕方ない』とか『当然の報い』とか。

 どうしても心を開いてくれないモンスターは倒すしかないと決めたことだって

 きっとあるよね。でも・・・あの人は違ったらしいよ。大魔王すら最後は

 心を動かされて、改心してからいなくなったんだとか・・・」

 

モンスター人間たちの言っていたこととほぼ同じだった。二十二歳の若さで

亡くなったとのことだけど、そのエピソードはいくらでも出てきそうだ。

だから先を急ぐぼくはあの輪に近づかずに目的の場所に行くべきなんだろうけど、

長い旅の間で幾度もあった不思議な感覚がした。何かしらのヒントが得られると。

 

 

「あなたは・・・」

 

「ああ、この男こそ永遠に続く平和をもたらした勇者だよ。こいつが最後の

 魔王を倒したから安心してお前が帰ってこれる世界になったんだよ」

 

「そうだったんですか!それは・・・ありがとうございました」

 

ぺこりとお辞儀をされたのでぼくもそのまま返した。いつものぼくなら彼女たちの

感動の再会を邪魔しちゃいけないとすぐにこの場を去るところだけど、今日は違う。

場に緊張が走るとしてもどうしても聞いておきたいことがあった。

 

 

「・・・一つ聞きたいんですが・・・いいですか?」

 

「え?はい、私に答えられることなら何でも・・・」

 

「正直なところ、復活してよかった、心からうれしいと思っていますか?だって

 あなたが生きていた時代とは全く違いますし、今のあなたは普通の人間では

 なくなっているわけで・・・いや、生き返ったその日のうちに聞くことじゃないとは

 思うんですが、これまでの自分とは違う新しい命というのは・・・」

 

こんな質問、普段だったら絶対にしない。案の定彼女の生前の友人たちが詰めよってきた。

 

「おい、アルスさんよ!いきなりふざけたことをほざきやがってどういうつもりだい!」

 

「いかにハーゴン様の秘術でも蘇りの意志がない人間は復活させられないんだ!

 お前なんかが心配することじゃないんだからとっととどこかへ行きな!」

 

水を差すようなことを言われたのだから怒るのは当然だ。それにまだ戻ってきて

すぐなのだから、この人たちも彼女がほんとうに喜んで新たな自分を受け入れて

いるのだろうかという不安はあるだろう。質問の答えは知りたかったけれど

これ以上ここにいるのは厳しいかなと思ったところで主役がぼくに近づいてきた。

 

 

「・・・!こんなやつ相手にする必要は・・・」

 

「だいじょうぶ。私だって昔は気になることとかわからないことをいつもみんなに

 たくさん聞いたよね。世界の話や魔族の話、呪文に特技、いろいろ教えてもらった。

 それに比べたら簡単なことだよ。難しい話なんて何もないんだから」

 

ぼくの失礼な質問に少しも気分を害していないようだ。険悪な空気は彼女が動き出して

言葉を発しただけで消えてなくなった。魔物たちと次々と親しくなり、どんな憎悪や

憤怒の心に満たされた悪人、魔族をも浄化させるというのは大げさではないようだ。

 

「そうですね・・・まだ目が覚めてすぐですが違和感はありません。私が私で

 あることは変わらないみたいですから新たな自分という気もしないですね」

 

「・・・」

 

「私の時代、世界は夢と現実に分かれてしまい私も二人いました。でも両方ほんとうの

 私だったと思っています。それが一つになった後も、おにいちゃんの妹だったのが

 妹じゃなくなって、その後にはお嫁さんになっても私は私でした。だから環境が

 変わってもそれほど気にならなかったんでしょうけどもしそこが崩れたら・・・」

 

 

そこが崩れる、つまり自分が自分でなくなる。そう、ぼくはその感覚を知っている。

いつの間にか水の精霊に愛された海賊になったかと思えば大昔から予告されていた

世界を救う勇者になったぼくは、これまで生きてきた自分がどこかへ消え去っていく

ように感じていた。皆もぼくのことを違った目で見るようになった。歴代の勇者たちは

それを受け入れたようだけどぼくは嫌だった。だからずっと何一つ変わらずに

接してくれるマリベルに惹かれ、これからもいっしょにいたいと思ったんだ。

 

「そうそう、それと関係があるんだがそもそも私たちがお前の遺体を持っていったのは

 最初からいつか復活させようっていう願いがあったからじゃないんだ。魔界の王、

 確かミル・・・なんとかっていったかな?魔族にも愛されたお前の遺体を利用して

 怪しげな宗教を始めようとしたからだ。表面上はお前を女神として皆に崇拝させて

 最終的には自分が神になるために・・・だから私たちが動いたんだ」

 

「えっ、そんなことが?全然知らなかったよ。女神になるのはいやだなぁ」

 

「あっはっは、死んでいたんだから知らないのは当然じゃないですか。いや、あなたは

 眠っていたという表現を好んでいるようですから今後はそうしましょう。私たち

 皆が愛しているあなたがどこかの小物に利用されるのは見ていられませんからね」

 

 

彼女は誰からも愛される人物でありながら過度に持ち上げられるのを嫌っている。

照れ屋なのか謙遜しているのか・・・いや、やっぱり自分でありたいからなんだろう。

彼女とは正反対のマリベルは事あるごとにあたしを褒めちぎれとか感謝しろとぼくに

言い続けてきたけれど、あまりにもそれが過ぎると顔を真っ赤にしてどこかへいなくなる。

 

でもそれとはまた違う、マリベルもぼくらと同じで自分のままでいたいという思いを

強く持っているということもはっきりしている。過去の世界で魔王の配下を倒して

大陸を復活させる。ぼくらのことなど何も伝わっていなかったり間違った歴史が

広まったりしていると呆れ顔で不満を露わにした。ところが真逆、救世主として

崇められるどころか神格化されるとだんだんマリベルは笑顔でなくなっていった。

 

『あんたたちが羨ましい?そんなことないわ。こっちは気楽だから生き易いわよ』

 

オルゴ・デミーラを倒した五人、そのなかで彼女は最後まで唯一ただの人間だった。

そこに誇りを持っていた。だんだんと重荷が増えていくぼくに同情すらしてくれた。

 

 

(そうか・・・わかった。いま、すべてがわかった!どこへ向かうべきか・・・!)

 

マリベルが突然いなくなったこと、その前から貴重な品々を処分しようとしていたこと、

その理由がわかった気がした。そしていまどこにいるのかも。やっぱりぼくは今日

この『アーサーのブティック』に来て、そして青い髪の女の子に声をかけてよかった。

 

 

 

店を離れぼくがまず最初に向かったのは島の外れ、ぼくたちしか知らない場所だ。

神殿を含めた古代遺跡があるすぐそばで、そこに旅で手に入れた武器や防具、

装飾品やその他多くのものを保管しておこうということになった。それぞれが

新たな生活に入る中、自分が一番暇だからという理由でマリベルがそれらを

管理すると手をあげた。いつもお金や物への執着心が強かった彼女がその役を

買って出たことをぼくらは怪しんだけれど、まあいいかと簡単にオッケーを出した。

 

「・・・ぼくたちが無頓着すぎたのかもしれないな。お金のことは何とかなると」

 

いまそこにマリベルがいるわけじゃないのはわかっている。それでもぼくの予感が

正しいものであると確かめるために向かった。いつ何が起きてもいいようにその

倉庫の鍵は五人全員が持っている。とはいえ全然人が来ないところなので、

大したものじゃない・・・盗賊の鍵があれば開いてしまう程度で問題なかった。

 

ぼくはその扉を開いた。やっぱり、と思った。ほとんど何も残っていなかった。

 

「もう・・・ぜんぶ片づけた後だ。あれだけのものが・・・何も」

 

何もない、そう言いかけたけれど違った。隅のほうにぽつんと残っているものがある。

数万ゴールド以上はする貴重な品々すら捨てるようにして譲ったというのにそれでも

手元に置いてあるものとはなんだろう・・・ぼくはそこに座り込んだ。

 

 

「・・・まだあったんだ。ぼくが一番初めに持っていたひのきの棒だ!マリベルの

 棒もあるし、キーファが使っていた棍棒も・・・売らなかったのは覚えていたけれど」

 

長かった旅のほんとうに最初、ウッドパルナでの冒険のときに使っていたような武器や

盾代わりにしていたお鍋のフタがあった。それだけじゃない。そばにはキャンプのときに

使っていた食器や壊れた日用品、料理のレシピなどが転がっていた。ガボやアイラ、

メルビンさんの活躍を支えた武器や防具ではなく、戦闘から離れたリラックスしている

ときの素顔の彼らのことがよくわかるものが残っていた。これで最後の謎が解けた。

マリベルが欲しかったものはなにか、ぼくと変わらなかったということが。

 

 

 

 

いまだからこそ思う。たとえぼくが古のロトの時代から言い伝え続けられていた

最後の勇者だとしても、千年前から水の精霊によって移された伝説の海賊の息子

だとしても、ぼくが世界を救わなかったらまた別の人間が出てきただけじゃないかと。

 

人は誰かになれる、ぼくのような何の取り柄もない男でも勇者になれる。でも、

何にもならないことだってできたはずだ。まあ厳密に言うなら何にもならないって

いうのはありえない。父さんの後を継いで漁師になるとかおじさんのように遊び人に

なってふらふらするとか、世界という大きなものから見て何でもないという意味だ。

ぼくが漁師になろうが城で働こうが農業を始めようが世界は気にも留めないだろう。

 

 

『勇者様ばんざ————い!大魔王を倒した勇者様よ永遠なれ—————っ!!』

 

もしかしたらぼくたちは世界を救った勇者の凱旋を人混みの中で見ているうちの

一人だったかもしれない。キーファは城の王子、ひょっとするともう王になって

いるだろう。ぼくとマリベルもあのころのまま、どこにでもいる少年少女のまま、

 

『は———っ・・・あの勇者っていうより勇者の幼馴染が羨ましいわ。なんで

 あたしにはアルスなのかしら。勇者の爪の垢でも飲ませてもらえないか頼んだら?』

 

『ははは・・・たぶん断られると思うけどなぁ』

 

いつもの小言を聞かされぼくは苦笑いするばかりだっただろう。そんな平凡だけど

変わりない毎日、それは思っていた以上に価値のあるものだったんじゃないか。

 

いや、もちろんぼくたちが冒険の旅に出なければ世界が救われたとしても歴史は

大きく変わっていたのはわかっている。アイラがこの世に存在していないのは

確定しているし、ガボとメルビンさんが救われたかはわからない。ぼくたちが

救えなかった人々が助かったかもしれないし、逆にもっと多くの国々が滅びた

ままだったかもしれない。だから何が正解だったかはずっと答えが出ないままだ。

 

 

 

「よし・・・行こう。マリベルは・・・あそこにいるはずだから」

 

遺跡のなかに足を踏み入れた。でも神殿に用はない。ぼくが目指すのは隠し通路、

行き先は大人たちの目を盗んでこっそり遊んでいた昔から知っている馴染みの場所だ。

成長したいまになってあの場所のよさが改めてわかる。この世のどこを探しても

あの場所ほど美しいところに出会ったことは一度もない。あそこが一番だ。

 

ところがこの瞬間、ぼくの決意を弱めさせようとする謎の声が聞こえてきた。

もしこの先に進めば二度と帰れなくなると。皆と永遠の別れ、それでもいいのかと。

 

「・・・・・・」

 

世界の果てまで向かうつもりでいたのにエスタード島内、しかも初日で旅が終わる。

だからすぐにでも皆に会えるはず。なのにこれまで以上に強い警告の声がする。

重い選択になるぞ、と何者かが迫ってくる経験は初めてじゃない。キーファと

遺跡の探索をした夜、最初に石版を台座に揃えたとき、大魔王の玉座の前の

最終地点・・・どれも後戻りはできないからよく考えろとぼくに強く問いかけてきた。

 

 

「この先に何があるっていうんだろう・・・どうしてこんな」

 

ぼくの当てが外れて彼女ではなく恐ろしいものが待っているのか、それとも後々

ひどく後悔することになるのか。それこそぼくがぼくでなくなってしまうような・・・。

 

 

『行けよアルス、行くって決めたんだろ?こっちのことはオイラたちに任せとけって』

 

『うむ、アルスどのが行かねば誰が行く?』 『彼女のこと、よろしく頼んだわ』

 

 

不安を煽るような声をかき消してぼくの背を押してくれる仲間の声たちがした。

そこにいるのではないかと思うほどはっきりと聞こえたので振り返ったけれど

誰もいない。でも確かに三人の仲間がいて、二組の両親や村の人々、世界中の

大勢の友たちがその後ろにいるように感じられる。そうか、これがさっきイルの

言っていた『皆の応援』か。わがままを許してくれるありがたい後押しだ。

 

『アルス、やっとお前もあのときのオレの気持ちがわかったんじゃないのか?』

 

「・・・キーファ!」

 

『何も怖くねえから先へ進め。オレたちはいつもそうだっただろ?いつも慎重な

 お前だがここぞというときは自分から前に出た・・・さあ、冒険の始まりだぜ』

 

 

 

再び静けさが戻った。もうほんの僅かな躊躇いもない。彼女がいるのは世界で

一番美しい、七色の入り江だ。きっといなくなってからずっとここにいた。

 

どうしてぼくは今日までこの場所を探そうという発想に至らなかったのか。

そもそもマリベルはなぜ誰にも言わずに姿を消して身を隠し、その隠れ場に

ここを選んだのか。ぼくのことをどう思っているのか。それらの答えを

見つけるのは後でいい。会えたのなら何もかもがどうでもよくなる。

 

早く会って話がしたい。ぼくはきみのことを知っているつもりだったけれど

まだまだわかっていなかった。だからもっと教えてほしいと言いたい。

 

 

「マリベル!そこにいる・・・・・・」

 

全速力で走っていた。目的の地に到着しても、はやる気持ちは落ち着くどころか

増す一方だ。すぐにその姿を確認できた。たとえ来ないでと拒まれたとしても

そのもとに駆け寄るために急いだ。そう、『それ』を知るまでは。

 

「の・・・か・・・・・・・・・」

 

ぼくの足は止まった。彼女は一言も返さない。以前は花なんかなかったところで

それをベッドのようにして眠っていた。穏やかに、安らかに眠っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

これ以上近づいてその体に触れなくても十分だった。確かめなくても理解せざるを

えなかった。いつもよりも顔色がいいようにすら見えるから一瞬だけ希望を持った

けれどすぐに萎んで消え失せた。体が微動だにせず、呼吸を全くしていない。

 

 

「・・・・・・ぼくは・・・・・・やっぱり何もわかっていなかった・・・・・・」

 

 

どうして、なんで・・・考えてもちっとも納得できる答えが出てこない。

ほんとうにわからないんだ。争った形跡はなく、自分からそうしたように見える。

なぜこんなことをしたのか、ぼくに一言話してくれてもよかったのに・・・!

そうした感情を抱くことすら全て無駄になってしまった。もういないのだから。

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

言葉が出てこなかった。でも、涙は知らず知らずに流れ落ちて行った。そうか、

マリベルといっしょに何かを食べたり歌ったり、遊んだり喧嘩したりはもう

二度とできないのか。ぼくの恋心もこうなっては届かない。せめてもう一度と

思っても二人の心を通わせる機会はもうないんだ。

 

美しい七色の光に包まれても、広い荒野に一人置いていかれたような気持ちだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七色の光の中で

 

ぼくはその場に座り込んでいた。何かをする気力が湧いてこなくて、これが絶望と

いうものか、と思った。そんなぼくを気にも留めずに彼女、マリベルは安らかに

眠っている。息を引き取ってからどれくらい過ぎているのだろう。ついさっきまで

生きていたとしてもおかしくないし、彼女がいなくなった一か月前、その初日に

すでにこうなっていたとしても疑わない。腐らない遺体のことを聞いていたからだ。

 

この七色の入り江の聖なる力がそうしているのか、それとも彼女自身によるものか。

ぼーっとした頭で考えていると、七色の光の中から気配がした。ここにはぼくと

マリベルしかいないはずなのに、ぼくに向かって誰かが近づいてくる。そしてこれは

ぼくがよく知っている存在だ。こんなおぞましいオーラ、忘れられるはずがない。

 

 

「フフフ・・・なるほど・・・そうかそうか・・・その女の死・・・それが

 勇者アルス、お前を絶望させ戦う力を奪うために必要だったのか。ようやく

 そこに至ったが・・・時間を要しすぎた・・・・・・」

 

「・・・!オルゴ・・・デミーラ!まさかお前が—————!!」

 

最後の戦いで完全に消滅させたはずの大魔王が、ぼくの目の前に現れた。

実体はない、魂というかエネルギーの欠片だけで存在しているような状態で

漂っているけれど、この大魔王はどんな姿だろうが世界に害をもたらせる。

マリベルを殺したのはデミーラだ、そう確信したぼくを大魔王が制止してきた。

 

「いや、違う。わたしもたった今知ったところだ。わたしはもはや何もできない。

 だから王座に君臨しているうちに万が一の事態に備えて手下たちを用意した。

 わたしを倒し油断しているお前たちを殺しわたしを復活させるために・・・」

 

「それがキーファを襲ったヘルクラウダーやついさっき村にやってきた魔物の軍!」

 

「ああ・・・だがやつらは所詮最後の悪あがきに過ぎない存在。大陸を封印させた

 精鋭たちには到底及ばない。お前たちによって残らず倒されてしまった。フフフ、

 そんなことをしなくともこの女一人を始末するだけでわたしの勝ちだったのか」

 

諦めたようにしてデミーラが笑った。でも気を抜いちゃいけない。騙し欺くことの

天才だからだ。気を許したらそこで終わりだ。

 

「・・・まだ疑っているようだな。それも無理はないか。魔空間の神殿での我らの

 最初の戦い・・・あのときもわたしは卑劣な手でお前を追い詰めたのだから」

 

「・・・・・・・・・」

 

 

あの戦いの最中、オルゴデミーラが突然変身した。それはぼくを動揺させるためであり、

確かに成功した。ぼくの永遠の親友、キーファの姿に化けて声もそのまま再現し、

ぼくはまんまと騙された。ユバール族に裏切られ、荒野で死を待つだけだったときに、

大魔王が現れて自らの後継者になるように勧められた、とそれっぽい理由を口にした。

 

『だからアルス、オレと手を組まないか!大魔王のやってきたことは間違っているが

 神や精霊たちだって薄情だ。人間がいくら苦しんでも何も助けてくれない。だから

 勇者の力を手にしたお前と偶然ではあるが魔族の王の力に満たされたオレ、二人で

 この世界を変えないか!もちろんガボやお前の新しい仲間たちもいっしょに!』

 

『キーファ・・・ぼくは・・・』

 

ちょうどその時期、ぼくはいろいろなことに迷い戦う目的を見失っていた。自分が

何者かもわからないなかで、最初からの仲間二人はいない。何のために旅を続けて

いるのか、そう思ったところで二度と会えないと思っていたキーファからの誘いの

言葉。ふらふらと近づいていったところでぼくの両眼は大魔王の尻尾によって斬られた。

 

 

「キーファになりすましてぼくはもちろんガボやアイラも惑わした・・・今でも

 目が時々痛むんだ。いまさら信頼できるわけないだろう」

 

「それは悪かった。しかしその件はともかく・・・思えばあの時からお前の力を

 限界以上に高める鍵が何か、その答えは出ていたのだ。わたしが気がついてさえ

 いればその後の戦いでの勝敗は逆になっていただろうに・・・」

 

視力を奪われ残った仲間たちも体力の限界が迫っていたとき、戦闘の流れを

大きく変えたのはオルゴ・デミーラが今でも悔やむ彼自身の失策だった。

 

 

『フッハハハハ!神に選ばれし勇者も英雄も、精霊たちの加護を受けた者たちも

 この程度か、脆いものだな!所詮は神の操り人形ども、敵ではなかった!

 どれ、残るはマリベルとかいう何の力もない小娘一人!お前たちを殺した後に

 そいつも始末すればわたしの勝利というわけだ!ハハハハ・・・・・・』

 

『・・・・・・マリベル・・・確かにそう言ったな・・・』

 

マリベルを守らなくちゃいけない。ぼくの体力と気力、魔力が戦闘の始めよりも

遥かに増していた。見えないはずの大魔王の姿がはっきりと見え、胴体の中心を

会心のアルテマソードで斬った。その場にいない彼女のおかげで勝った戦いだった。

 

 

 

「魔族との戦争に勝つ、世界を平和にする、名声を得たり復讐を果たすため・・・

 これまでの勇者とお前は全く違っていたことを最後まで見抜けなかった。

 まさか王たちや世界、果ては神よりも恋人ですらない女を大事に思いそれを

 力の源にするなんて・・・勇者失格だ!お前が正統な勇者であればわたしが

 勝っていたのだ!とはいえこんなものわたしの頭脳であってもわかるはずがない」

 

「・・・ぼくもそう思う。こんなやつに倒されたんじゃお前も死にきれないだろ」

 

まあ現にこうして出てきているくらいだし、ぼくへの憎悪は言葉にできないほど

強いものなのだろうと思った。ところが今のデミーラの顔はとてもさわやかで、

後ろ向きな感情なんかちっともないような輝いた目をしていた。

 

「ふふふ、だからこそお前に倒されてよかった・・・とも言える。神のために戦う

 デク人形ども相手に負けたとあれば永遠に恨み続けるところだったが・・・

 アルス、お前を見ていると昔のわたしを思い出す。似ているんだ、あの頃のわたしと」

 

「・・・・・・・・・」

 

「露骨に嫌そうな顔をするな。そのときのわたしはまだ怪人でも腐臭のする化物でも

 なかった。それに似ているというのは外見の話ではない!」

 

それはそうだ。どの形態のオルゴ・デミーラにそっくりだと言われても死にたくなる。

とはいえ大魔王の過去、魔族の長になる前はどんな人物だったのかは少し気になった。

 

「お前もよく知る魔族と人間の中間の存在、モンスター人間・・・わたしは生まれつき

 その種族だった。見た目は人間とほとんど変わらない。特別な力もほとんど持って

 いなかったので強い人間と戦ったら負けてしまうほどの非力ぶりだった。まさか

 自分が大魔王と呼ばれるようになるとは夢にも思わなかった時代だ。当時の

 世界の覇者は史上最悪の大魔王ゾーマ、早くどこかの勇者に倒されて平和な世が

 実現してほしいと願っていた者の一人であったくらいだからな」

 

「・・・ちょっと待て。確かお前はゾーマを崇拝していたはずだ。いずれはゾーマを

 復活させて世界の頂点の座を返すとすら言っていた・・・それがどうして?」

 

ぼくが尋ねると、デミーラは七色に光る水を眺めながら在りし日のことを語り始めた。

 

 

 

オルゴ・デミーラが凡庸なモンスター人間だったとき、ゾーマを倒すために神から

選ばれた勇者が彼の住む村に近づいてきたという知らせがあった。ゾーマがいる限り

平穏はない、デミーラたちは人間界からやってきた希望の存在を喜んだ。

 

『これでようやく何にも怯えず生きていける。その勇者の快進撃は噂で聞いている。

 ゾーマの軍の精鋭たち相手に連戦連勝、近年で最強の無敵の勇者だそうだ』

 

『そうね、いろんなところに旅行に行って素敵な景色を楽しめるようになるわ』

 

デミーラには恋人がいた。世界が平和になったらどうしようか、期待でいっぱいだった。

だが、その勇者が村に来るということでもてなしの料理の食材を手に入れるために彼が

村を離れたのと同時に、入れ替わりの形でその勇者がやってきた。デミーラは後で

他人から聞いたとのことだけど、たった数時間のうちに酷い惨劇が起きてしまった。

 

 

『・・・ここはモンスター人間の村か。ならおれたちが好き勝手に利用し、略奪し、

 殺してしまっても問題はないな!こいつらの命など虫けらと同等の価値しかない!

 これまでも神や精霊は魔族をどう扱おうが何も言わなかった。どれだけ残虐に

 拷問しようが尊厳を傷つけようが・・・だから今日もそうさせてもらおう!』

 

勇者と仲間たちは神から選ばれたことですっかり傲慢になり、弱者を見下しては

魔物や力のない魔族を相手に邪悪な『遊び』を繰り返し行っていたらしい。

デミーラが村に戻ったとき、すでに村は壊滅状態だったという。彼の家族、そして

恋人も変わり果てた姿で息絶えていた。勇者たちのゲームの犠牲になったのだ。

 

 

「・・・それで人間を憎み、勇者を止めなかった神さまたちと戦おうと?」

 

「いや・・・わたしにそんな気力はなかった。絶望が大きすぎて、皆の後を追うため

 自分で死ぬことすらできないほどだった・・・そこに目をつけたのだ、ゾーマは!」

 

 

深い絶望、それこそがゾーマの主食であり、その匂いのするところに姿を現す。

襲撃から一週間後、月の見えない暗い夜のことだった。言い伝えとはまるで違い、

妖しげな魅力を持つ整った顔つきの男がデミーラの目の前に立っていたという。

 

 

『ほう・・・君は実に素晴らしい。わたし好みの・・・これ以上なく絶望に

 満たされている。力さえあればすぐにでも自ら命を絶とうと考えるその顔、

 最高だ!これほどまでにわたしを喜ばせたのは君が初めてだ。それに感謝と

 敬意を示し・・・素敵なプレゼントをあげよう。共に来るといい』

 

『・・・・・・』

 

これはすっかり病んでしまった精神のもたらす幻なのかもしれないと思い、

抵抗せずにゾーマに連れられていったデミーラがゾーマの城で見たものは、

彼の村を襲い殺戮を楽しんでいたあの勇者だった。傷だらけで捕らえられている。

 

『・・・!こいつは・・・!』

 

『この百年で最強の人間だと言われていたらしいがわたしの前ではこんなものだ。

 わたしはしばらく留守にする。この者の処理を・・・君に任せたいのだが』

 

ゾーマは姿を消し、デミーラと勇者だけが広い空間に残された。

 

『クソが・・・殺すなら殺せ!だが神や精霊たちが黙っちゃいないだろうがな!

 おれの復讐のためテメーが死ぬまで攻撃をやめない!その覚悟があるのかよ!』

 

『・・・・・・だったら戦ってやるさ。偉大なるゾーマと共に』

 

デミーラはその勇者の命を奪うのに数年使った。死んでもおかしくないほどの

ダメージを与えては回復させ、徐々に体の部位を奪い、生き地獄を与えた。

さらに勇者の仲間や家族を連れてきて、彼の目の前で彼がデミーラの大切な

人たちにしてきた行為と同じことをした。復讐の機会とそのための力を

授けてくれたゾーマへの忠誠心は日に日に増すばかりで、勇者が死んだときには

すでに狂信者になっていた。ゾーマこそ神となるにふさわしい者だと信じた。

 

 

「それからは彼と共に多くを成し遂げた。お前たちの遠い先祖、勇者ロトが

 登場するまでの間、たくさんの世界を支配し滅ぼした。人間どもと神に

 苦痛と絶望をもたらし続けることが我が使命と信じ疑わなかった。ゾーマが

 死んでからも常に彼ならどうするか、彼は喜んでくれるかどうか・・・

 わたしの基準はすべてそこにあった。彼のようになろうと励んだのだ」

 

大魔王が世界を次々と封印したとき、その大陸が滅んだ理由は様々だった。

強力な魔物が力づくで、もしくは人間同士の争い、または洪水や火山で。

いずれにしても、デミーラはゾーマを真似ていた。ぼくが読んだロトの記録と

ほぼ同じ光景を幾度も目にしたからだ。その書のおかげでパニックにならずに

目の前の災厄にどう立ち向かうかを皆で考えることができた。

 

「人間を魔物の姿に、逆に魔物を尊敬されている人間に化けさせる・・・

 わたしのオリジナルではない。ラーの鏡さえ手元においておけば完璧だ」

 

マチルダさんやゼッペル王、愛に満ちていた神父さま・・・多くの悲劇があった。

その神父さまに化けていたボトクやダーマの大神官になりすましたアントリア。

いずれも狡猾で救いようがない下衆だった。思い出すだけで気分が悪いやつばかりだ。

 

「人を動物に、動物を人に変える業も、朝も昼も一日中闇で覆うことも、世界が平和に

 なったと思った瞬間に絶望を与えることも・・・全ては彼の行ったとおりにした。

 わたしだけじゃない。彼以降の魔王は一人残らず彼の真似をした・・・」

 

「ゾーマは親友であり神であったとか言っていたな。ロトを、そして子孫のぼくを

 恨んでいるのはそのためか。そのパワーのせいで死にきれずにこうして・・・」

 

ここで何らかの攻撃を仕掛けられたら終わりだ。もう何もできないと言っていたけれど

こいつの言葉を信じちゃいけない、そう思っていた。ところが、気がつくとデミーラの

姿がこれまで戦ったどの姿でもなくなっていた。しかも穏やかな顔で笑っている。

 

「・・・!まさか・・・それがゾーマに魂を売る前の姿・・・」

 

「ははは・・・どうだろう。そんなことはどうでもいい。今更確かめようもないじゃないか。

 いまだに恨んでいるかって話だったはずだ。確かに数百・・・いや、それ以上の年月

 ずっと憎み続け、やつの血統を根絶やしにしようとした。ゾーマのために」

 

「・・・・・・」

 

「だけど・・・オレ自身がゾーマと同じ立場になってわかった。オレはうまく利用

 されていただけだったって。甘い言葉も優しい手つきも・・・自分の言いなりになる

 信者を手に入れるための演技で、その心は無慈悲で凍てついていた。オレを信じ

 魔族の幸せな未来のために戦い死んでいった者たちにはひどいことをした・・・。

 だから恨みなんてない。お前たちにも、ゾーマにも」

 

未練なくすっきりとした表情で、自身の野望が破れたことを受け入れている。

歴史上最も勝利に近づいた魔王でありながら、ここまであっさり諦められるのか。

思えばこの場に現れたときの最初の言葉、敗北の理由を語っている声もどこか

可笑しそうだった。もう未練はないというのならますますわからないことがある。

 

「だったら・・・どうしてぼくの前に?しかもこの場所、このタイミングで」

 

「フフフ、簡単だ。復讐のためだよ。でもアルス、お前に対してじゃない。オレが

 決着をつけてない相手がいる・・・神だ。お前やゾーマを恨む気持ちは微塵もないが

 神と精霊どもだけはどうしても許せない。だからいま、最後の力でここに来た」

 

 

神さまは完全に死んでいない、どこか遠い異世界の神殿で傷を癒しているのかもしれない、

メルビンさんや神の兵たちはそう言っていた。オルゴ・デミーラにもその感覚があるの

だろうか。とても長い年月戦った相手だ。まだ生きているという予感があって、それを

ぼくに伝えにわざわざ力を振り絞ってここまで来たのだろうか。

 

「・・・まさか・・・自分に代わって神さまを倒せと?」

 

「ハッハッハ!それができるのなら一番いいが・・・お前が勇者の力を失っているのは

 オレも知っている。ダークパレスでの最後の戦いでオレを倒すために全て

 使い果たしてしまったのだからな。しかしお前に神への勝利を託したいという

 思いでいるのは確かだ。このままではやつの思惑通り事が運んでしまう」

 

ぼくが神さまに勝つ。大魔王を倒すより難しそうだけど、どうすればいいのか。

そもそもそんな必要はあるのか。デミーラの願いなんて無視すればいいだけだ。

でも、この話の続きを聞きたかった。マリベルの死で絶望に沈んでいるぼくを

デミーラは嘲笑うのではなく、救いの手を差し伸べようとしているからだ。

 

「神はこの世が真の平和を迎えた時、勇者も魔王もいない、そして二度と現れない

 ようにすると定めた。オレの力ある下僕たちは皆死んだし、オレには遺志を継ぐ

 子もいない。ゾーマにはハーゴンという娘がいて、竜王の血は今でもどこかで

 細々と続いているようだがどちらもこれから魔王となる可能性は全くない」

 

「そして勇者も・・・ぼくで最後、ということになるから・・・」

 

「アルス、もしオレが現れなければお前はどうした?そこで眠る彼女を置いて

 人々の待つ自分の村に帰ったか?いや・・・違う。自暴自棄になって己の

 命を自分の手で終わらせていた。遅かれ早かれな・・・そうだろう?」

 

否定できなかった。マリベルを救うことができなかった後悔と無力感、そして

これからマリベルがいない日々を過ごすと考えただけで絶望と暗黒に満たされる。

しばらくぼーっとした後にぼくがする行為・・・デミーラの言う通りだった。

 

 

「それでは連中の思うがままだ。どうにかそれを阻止したいと強い気持ちに

 動かされ・・・これを渡そうと決めお前のもとに来た。受け取ってくれ」

 

「・・・・・・こ、これは!不思議な石版・・・!!」

 

不思議な石版、それもどの台座にも分類することができない『?』と呼んでいたもの。

全ての冒険を終えたはずなのに数枚手元に残っていた。ついさっきハーゴンさんからも

石版を貰った。そしてこれは・・・手に取った瞬間わかった。『最後の一枚』だ。

これまでたくさんの世界に導いてくれた石版、その正真正銘最後のものだ。

 

 

「どこへ行くのかはオレにもわからない。だが、お前たちはこの島の神殿にある

 石版の台座に運ばれた時代はいずれもちょうどオレの支配が完了する寸前、

 ここしかないというときだったのではないか?ならばこれも・・・・・・」

 

ぼくに石版が渡った瞬間、デミーラが消えかけていく。美しく輝く七色の光の中に

飲みこまれて、だんだんとぼくのもとから、いや、この世から去っていこうとしていた。

 

「・・・・・・なんと心地よい気分だ・・・あれほどの非道を重ねたというのに

 このような最期を迎えられるとは・・・ゾーマと出会ったあの日にも想像できなかった」

 

「・・・デミーラ・・・」

 

「フフフ・・・あの遺跡と神殿は神がオレへの対抗策として遺したものだ。だが・・・

 オレが世界のほとんどを封印しながらこの島だけを見つけられなかったのはきっと

 神の力ではなかったのだろうな。あの時代・・・確かにここは楽園だったのだろう。

 アルス、お前ならできる。その石版を使い、お前たちだけの新たな楽園を得るんだ。

 絶望せずに何度も立ち上がったお前だ。この最後の冒険の旅も・・・・・・」

 

 

 

 

 

ぼくは神殿に向かっていた。光になったデミーラに無言で別れを告げ、そして

とても穏やかに眠る彼女に、少しだけ待っていてね、そう言って入り江を後にした。

神殿の地下に、最後の鍵を使わなければ入れない場所があるのをぼくは知っている。

この鍵もラーの鏡といっしょに大魔王の城で見つけた。魔物の気配はしないので

すぐに鍵を使って先へ進んだ。すると、予想通りそこには台座が置いてある。

それ以外には何もない、そのためだけの空間だった。

 

 

「・・・・・・・・・」

 

一枚、また一枚と石版を置いていく。すると、マリベルに会う寸前に聞こえた声が

またしても脳内で響き始めた。この先に進むと二度と戻ってこられないぞ、と。

でもそれでいい。この声が誰のものかは知らないけれど思い通りになってやるものか。

そう決心し石版を更に置いたとき、やっぱりさっきと同じようにぼくを後押ししてくれる

声があった。とはいえ、仲間たちや両親たちが現れたさっきとは面子がまるで違った。

 

 

『くすくす・・・そうだ、ここがコスタールの男の見せ所だよ、キーストン!

 キミはシャークアイの息子なんだ・・・荒波のほうが燃えるんだろ?』

 

『ええ、あなたなら世界のどこにでも新たな町を作れるでしょう』

 

ガマデウスのトレヴ、それに移民の町の少女ティア。共に普通の人間ではなかった。

 

 

『お前がその気になれば不可能なんてない、わたしたちを倒したんだからな!』

 

ヘルクラウダーのラフィアン、その後ろにはぼくが戦ってきた魔族たちの姿もある。

タイムマスターやグラコス、チビィをはじめとしたヘルワームの群れも。

 

 

『あなたは強くなっても芯は変わらずに清く純粋なまま・・・どうぞそのままのあなたで

 いてください。あの方への恋心も私と出会ったときと変わらないというのなら』

 

『まあ悪くはならないさ、迷ったら進む!サマルトリアのアーサーもそうだった』

 

忘れられない人、マチルダさん。それにハーゴンさんもいた。これでハッキリした。

いずれも魔道に手を染めた光か闇かで分類するなら闇と呼べる人たちばかりだ。

神さまに反抗するんだから応援するメンバーもこうなるのは当然と言えば当然か。

そして最後の一枚を置こうとするとき、再び彼がやってきてぼくの肩を叩いた。

 

 

『よし・・・いいぞ、アルス。勇者も魔王ももはやこの世には不要だ。だがお前は

 生きていなくてはならない。ただ生きているだけではない。希望に満ちた人生を

 全うするのだ。それこそがオレに・・・そして神に勝った証となるだろう』

 

「デミーラ・・・もしかしたらぼくもきみと同じ道を辿るかもしれなかった。

 でもこの石版を託された以上・・・この先でどうなろうが自分で死ぬことも

 悪魔の声に騙されることもしない。安心して休んでいてくれ」

 

『そうだな・・・これまであまりにも長い年月を生き過ぎた・・・少し休もう。

 もしそこで神と会うようなことがあれば・・・お前の邪魔をしないように

 厳しく言いつけておくさ。さあ行け、お前の最愛の者を救うために・・・』

 

 

 

石版が完成すると、すぐにぼくの視界が歪んだ。過去の世界へと案内される。

一体どこに、どれくらい昔の時代に行くのか・・・そう思っているとそのうち

最初の疑問はすぐに答えが出た。ついさっきまでいたのだから間違うわけがない。

 

「・・・これは・・・七色の入り江だ。つまりエスタード島!」

 

これまで何度も過去といまを行き来したから感覚でわかる。一見何も変わらないけれど

ここは確かに過去、『失われた世界』だ。神に化けたデミーラがこの島を一度封印した

ときから彼を倒すまでの間は戦いを仕掛けてくる魔物たちもたくさんいたけれど、

それ以外は歴史上一度も魔族に脅かされたことがない。だから魔物との戦いに勝利して

問題を解決する、という展開にはならないはずだ。あとはここが何十年、もしくは

何百年前のエスタードなのか・・・ひとまず水辺まで歩いてみることにした。

 

 

・・・この石版世界は最後にしてこれまでにない異例の世界だった。まだ断定は

できない。でも、一か月前から昨日までのいずれかに絞れる。確かに過去では

あるけれどこんなことは初めてだ。なぜそう言い切れるのかって?

 

「・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・マリ・・・ベル・・・・・・」

 

彼女が一人でそこにいたからだ。まだぼくがよく知っている、でも今にでも

決して起きない深い眠りに入ってしまいそうな儚さと危うさを持つ後ろ姿だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人生という劇場①

 

いま、ぼくの目の前にもう二度と会えないと思っていたマリベルがいる。七色の入り江の

水辺で快適そうな椅子に座り、何かを飲んでいるようだった。でもどうやって近づこうか、

何と言って語りかけたらいいのか・・・色々と考えているうちに彼女のほうが先に動いた。

 

「・・・誰かいるわね・・・こんなところに来るなんて・・・アルス?」

 

「・・・!」

 

気配だけでぼくだとわかってしまったようだ。正体を隠してずっと潜んでいることに

意味はないから、素直に姿を現して彼女のもとに駆け足で向かった。

 

「やっぱり。あんた、なかなかの暇人ね。仕事もしないでぶらついて・・・」

 

「それを言うならきみのほうだ。一言もなくいなくなったままずっと帰らないで、

 今からここで何をしようとしているんだ!」

 

ぼくが問い詰めると、マリベルは少し考えこむような仕草を見せた。そして

数回頷いてからぼくの言葉に対して直接の答えを避けてこう返してきた。

 

「・・・・・・アルス、あんた、ちょっとだけ未来から来たでしょ?

 石版の力を使って・・・どう、当たってるわよね、この読み」

 

ちょっとだけぼくを見ただけで全てわかってしまうなんて。ばれたところで別に

構わないとはいえ、ぼくは怯んで場は彼女のペースになってしまった。

 

「ど、どうしてわかった?」

 

「何となく、かしら。今日の日付、確かめてみる?あんたにとってどれくらい過去?」

 

ぼくが最後の石版に導かれてやってきたのはマリベルがいなくなってから三日目の日、

それがいま確定した。おそらくこれから、マリベルはこの世を去る。だからぼくは

この日この場所、この時間に運ばれた。彼女を失う歴史を変えるために。

 

 

「・・・一か月後から来たんだよ。大魔王が遺していた刺客は全滅させた。だから

 きみを探すことに専念できると思って旅を始めた・・・その初日だった」

 

「・・・・・・そう。だったらもうぜんぶ知っているのね。あたしはもう少ししたら

 ここで静かに死ぬって決めていた。他の何でもない、自分の手で終わりにする。

 どうだった、あたしの遺体は?美人のままだったでしょう?」

 

ふざけるな、と怒鳴ってやりたかったけれどここは我慢した。どれだけ美人でも

死んでしまったら全く無意味じゃないか。元の顔がどうでも最後には腐って

朽ち果てて・・・土になってしまうのだから。でも落ち着いて考えてみると、

死んでから一か月も経っていたのにマリベルは今にも起き上がりそうな顔色だった。

 

「あ・・・ああ。きみの身体は・・・腐らずにそのままだった」

 

「でしょ?あたしみたいな聖人の遺体は腐らないと思っていたけれど」

 

腐らない遺体の話はちょうどさっき聞いていた。一か月どころか何十年経っても

精霊たちから愛された人間の身体はそのままだったと。そして気の遠くなるほどの

年月を経て今日、もとの姿と記憶を持ったまま復活していた。だからマリベルにも

チャンスがあると思ったけれど、『蘇りを強く希望』していなければ生き返るのは

不可能だとも言われていた。自分で死のうとしている人間が果たしてもう一度

生きたいと思うだろうか。そんな簡単に解決する問題ではなさそうだ。

 

 

「ま、そういうわけだからあんたがここにいると困るのよ。でも帰れってどれだけ

 言ったって簡単には引き下がらないでしょ?だから、コレで勝負しない?

 あたしが勝ったらあんたは大人しく帰る、一回きりの勝負といきましょうよ」

 

マリベルがぼくの前に置いたのは新品のカードだった。カジノのポーカーで使われる

種類のものと全く同じで、確認してみたところやっぱりまだ封がしてあるままだった。

 

「あたしがポーカー強かったのはあんたも覚えてるでしょ?ついでにラッキーパネルも。

 加えてこの死の間際、勘が冴えてる気がするの。あんたが未来から来たのをすぐに

 言い当てたし、負ける気はしないわ」

 

「・・・・・・やるしかないだろうね・・・この状況なら。その代わりぼくが勝ったとき、

 きみはぼくの言うことを聞かなくちゃいけない・・・それは構わないね?」

 

マリベルは強運の持ち主ではなかった。でも頭がよかった。他人の表情を観察して

嘘をついているかどうかを見破る力もすごかった。初めて訪れたカジノ、つまり

昔のダーマ神殿そばの旅の宿にあったカジノでもかなり勝っていた。それでも

ぼくらはそれ以降あまりギャンブルを楽しむことはなかった。苦い思い出のせいだ。

 

「カジノといえば今でも覚えてるわ。あれはどうやっても忘れられないわ」

 

「ちょうどぼくもその日のことを考えていた。今でも現実とは思い難いよ」

 

 

 

 

ダーマ神殿を乗っ取り大魔王に力を送り続けていた邪悪な偽大神官、アントリアは

死んだ。でも実はすぐにダーマが元の姿に戻ったわけじゃない。アントリアの息子、

名前をアレッジドというモンスター人間がそれを邪魔した。ふきだまりの町の住人や

生き残った魔族たち、ダーマの神官や兵士たちを唆して彼がやったことは、なんと

神殿そのものを巨大なカジノにしてしまうという信じられない行為だった。ぼくらや

フォズ大神官たちが別の仕事に追われているうちに短い期間でそれを成し遂げてしまった。

 

 

『・・・どうです、スライムレースやモンスター同士が戦う格闘場、古今東西の

 ギャンブラーたちを魅了したあらゆる種類の博打がここにあります。以前から

 準備をしていたのですが・・・父が死んでくれてほんとうによかったですよ』

 

『・・・・・・どうやらきみはアントリアのことを嫌っていたようだね。そして

 きみたちの言う大魔王とやらにも忠誠を誓っていない。気に入らないことでも?

 ぼくらが来る前から父親の暗殺計画を練っていたんだろう?』

 

ぼくは彼に招かれて二人だけで話していた。このままこのカジノを放っておけば

ダーマは現代に復活しないのはわかっていた。人々は堕落しきっている。そのうち

滅び去ってしまうのは目に見えていた。だから彼の侵略のやり方も間違っていない。

でも神さまとの戦いで弱っているデミーラに人間たちから奪い取った力を渡すのが

魔族の本来考えていたダーマの目的で、彼はただ自分が楽しみたいからこうしている

だけだ。現にカジノの支配人としてではなく、遊びを楽しむプレイヤーの一人になった。

 

『そうですね・・・あえて言うなら生き方を決められてしまっていた、ということです。

 父の跡を継ぎ大魔王に生涯忠実に仕える者となることだけを求められてきましたから

 好きなことなど何一つできなかった・・・かなりストレスでしたよ。ですがいま

 私は夢を叶えた。アルス、もしあなたも将来、使命や宿命を背負ったとしても

 その決められた通りに従って人生を歩む必要はないと覚えておきなさい」

 

彼はインチキやイカサマを使わずに勝ち続けていた。まさに賭け事の天才だった。

ちなみにこのときのぼくはまだ自分が勇者だとか水の精霊に守られているだとかは

意識していなかった。しばらく先、ハーメリアのあたりから嫌でも考えさせられた。

自分で生きたいように生きると決めたのはつい最近だ。もう少し早く彼の言葉を

思い出しておけばいろいろと未来は変わっていたのかもしれない。

 

 

『・・・ア、アルス!見なさい、50万ゴールドよ・・・!』 『うん・・・うん!』

 

『私の予想に乗って勝ち続けていますね?お見事です。さて、そろそろ終わりましょう。

 大きなカジノを建て、そこで大勝するという夢は果たしました。次なる夢に向かう

 時です。本日の最終レース、私は有り金全てを5番、『スライムセイコー』に入れます。

 そしてカジノの金もダーマの宝物庫の金も残らず手にして・・・大魔王の影響から

 唯一逃れたという楽園の島に行きそこで一生遊んで暮らします』

 

そのとき彼が口にした楽園はエスタード島のことだったと知るのは後のことだ。

 

『いや~・・・ほんっとうに感謝の言葉しかないわ!最後にあたしたちにも100万ずつ

 貸してもらえないかしら?いっしょに大勝負がしたいのよ、ねえ、いいでしょ?』

 

『もちろん、さあ、どうぞお二人とも。お別れの前の最後の時間です・・・』

 

今思うとぼくたちは狂っていた。でも、瞳は希望で輝いていた。ところが・・・。

 

 

 

『・・・ただいまのスライムレース、勝ったのは21番、『スラホープ』!

 圧倒的一番人気のセイコーはどうやら3着でしょうか・・・』

 

 

 

ぼくとマリベルが無言で固まっているなか、アレッジドは苦笑いしながら歩きだした。

 

『いや~・・・参った参った。まさか大本命がここでコケるなんて、ギャンブルは

 これだから怖いですね。勝ったスライムも人気はなかったですが今思えば・・・』

 

『・・・・・・・・・』 『・・・・・・・・・』

 

『お二方・・・さっき100万ゴールドずつお貸ししましたが・・・』

 

『ばぁかっ!返せるわけないでしょっ!このまぬけ!』

 

すると彼は神殿内の宿屋、それも部屋もない雑魚寝のスペースに向かった。

 

『10ゴールドもらえませんかね?宿代に足りなくて・・・』

 

力なく放るようにして硬貨を渡した。彼はそれを持って受付を済まし、何日も

風呂に入っていないように見える男の人たちの間に入っていった。

 

『じゃあまた機会があればお会いしましょう。お元気で』

 

『・・・は、はい・・・・・・』

 

『潔いというか開き直っているというか・・・』

 

 

その後すぐにガボとフォズ大神官を中心とした軍がカジノを破壊して、一週間も

しないうちに完全に元通りのダーマ神殿が復活した。それからぼくたちはあまり

カジノに行かなくなった。たまに遊んでもほんとうに少額で楽しむだけだった。

 

 

 

 

「あいつ・・・あのままあそこで死んだのかしらね?あら、これは・・・うん、

 二枚交換といきましょうか。一発勝負ってなかなか緊張するわね・・・」

 

「いや、きっと生きているよ。どこかでしぶとくね。こっちは三枚換えるよ。

 ぼくがこの三枚を引いたら・・・いよいよ運命の瞬間だ!」

 

アントリアの息子はどんな環境でも生きていけるはずだ。それにしてもあのとき

ぼくらが負けた額はゴールデンスライム何体分だったのだろう。あれほどの現金を

手にしたことは旅の終わりまで一度もなかった。いまゴールデンスライムを例に

挙げたけれど、実はこの魔物を倒したことがない。デミーラが神さまに化けて

復活した後に出てきた魔物たちの一種だけど、彼らのほうから近づいてきたからだ。

ハーゴンさんの仲間を通訳に、誰よりも早く戦いを放棄する意思を伝えにやってきた。

 

 

『・・・我らゴールデンスライム族はこの体自体が金であるだけでなく、黙っていても

 金目の物が積もりに積もる。そこで契約を結びたい。我らが持つ財産のほぼ全部を

 差し出す代わりに、あなたたちだけでなく全ての人間との争いを避けたい。我々は

 人間を襲わないし、皆さんも我らを相手に剣を構えないでほしい、と言っている』

 

『今あるだけでもこんなに・・・!きみたちはそれでいいのか?』

 

『・・・もちろん。我々は静かに暮らしていたのに大魔王のせいで地の表に出ざるを

 えなくなってしまった。今後金目当ての冒険者たちが襲いかかってくるかもしれない。

 命がなくなってしまったらどれだけ物を持っていても無駄であり、逆に言うなら

 生きてさえいればいくらでもやり直しがきく。だからどれだけ失おうが惜しくはない、

 彼らの意見はこうだ。ハーゴン様や私はこの話を受けてほしいと思うが後は君次第だ』

 

 

結局彼らの資金援助はほとんど受けずに・・・いや、数万ゴールドぶんは貰ったかな?

金銭感覚がおかしくなっている。武器と防具の購入に使ったと思う。終わってみれば

ゴールデンスライムたちの財産はたくさん残った。でも一度は丸々失ってもいいから

生き長らえようとしていた。大金と夢を失いながらも自棄にならずに宿屋で眠った

アレッジドとどこか似ていた。これまで長年築いてきたものを手放してでも命を

大切にする。人間とは比べ物にならない長寿の彼らはそうしていた。

 

一方で短い命しかないはずの人間は欲望や使命感に動かされて簡単に命を賭ける。

彼らからすれば理解できないだろう。しかも時にはまだ元気なはずの少女が

自分で人生を終わらせようとしている。見過ごせるはずがない。

 

 

「・・・さて、カードオープンね・・・ところでアルス、もしあんたが勝ったら

 どうするの?あたしを止める?それともあんたの時代に連れて帰る?」

 

この場でマリベルが死ぬのを止めるだけなら方法はたくさんある。だけど、

 

「どうして死のうと思ったのか、それを聞かせてほしいんだ。まずは理由を知りたい。

 無理やり阻止したところできみの気持ちが変わらなきゃいずれ同じことの繰り返し、

 こうして石版の奇跡の力を使えるのはこれっきりかもしれないんだから慎重にいくよ」

 

「あら・・・そんなのでいいの?じゃあ・・・おっと、ここであんたにチャンスをあげる。

 もし今のカードがダメダメでとても勝ち目がないと思ったら一回だけ最初からやり直す

 機会があるわ。一枚目から配り直し・・・どうする?今のカードに運命を託す?

 それともこの提案に乗るか・・・あんたに決めさせてあげる」

 

寸前になって心理戦を仕掛けてきた。でもぼくは知っている。きみがいろいろと

動きたがるのはその必要に迫られているという合図だ。たくさんの特技と呪文を

覚えていたけれど普段は決まったいくつかの呪文しか使わなかったじゃないか。

 

 

「いや、このままでいいよ、ぼくは・・・Kのスリーカード」

 

「・・・そんな役で突っ張ってきたの?あんたらしくもない・・・ほら、

 あたしはワンペア、あんたの勝ち。よかったじゃない、おめでとう」

 

不機嫌そうにカードを投げてからマリベルは立ち上がり、ぶどう酒を持ってきた。

それからグラスを二つ、自分とぼくのためにそれぞれ半分くらいまで入れた。

 

「せっかくきたんだしのんびりしていったらどう?あんたからすれば久々にあたしと

 喋れる機会じゃない。そんなに急ぐ用事もないんでしょ、暇人なんだから」

 

「そうさせてもらうよ。用事といえばきみを探し出すこと以外にはなかった。

 きみが注いでくれたんだ、ありがたくいただくよ」

 

 

世界中を旅して、いろんな土地のお酒を飲んできた。ぼくが少年のころはあまり

多く飲むと記憶が飛んでしまった。最初にそうなったのはユバールの宿営地で、

彼らがジュースだと言ったビバ・グレイプはどう考えてもお酒だった。彼らに

とってそこまで強くないお酒だっただけのことで、ぼくはまんまと騙された。

泣きながら吐いていたガボよりはましだったと思うけど、次の日にマリベルから

今後はもうお酒をたくさん飲まないようにときつく注意されてしまったのだから

何かまずいことをしてしまったのだろう。おいしい飲み物には注意を払った。

 

「あんたも最近はどれだけ飲んでももう意識がおかしくならないわね」

 

「飲み過ぎると気持ち悪くなったり頭が痛くなったりはするけど・・・それは

 ほとんど誰でもそうだろう?限界はみんなと同じくらいだと思うよ」

 

「そうね・・・ま、あたしとしては安心だけど。あのままだったら大変だわ」

 

そこまで言われると気になる。ぼくは一体何をやらかしたのか。

 

「・・・知らないほうがいいのかもしれないけれどこの機会を逃したら

 一生もやもやしたままだ・・・教えてくれないかな、そのときのことを」

 

ポーカーで勝ったぶんの報酬とはまた別の話なので、どうしてもいやだと

断られたら深追いはしないつもりだった。でもマリベルは小さく笑った。

 

「ふふ・・・どうしようかしらねぇ。でも今さら隠しておく必要もないし・・・

 いいわ、教えてあげる。昔あんたは酔うと声が大きくなった。普段はそんなに

 喋らないあんたが本気なのか冗談なのか、とにかく騒がしくて仕方なかった」

 

「・・・そ、そうだったんだ。他に変なことはしてないよね?」

 

「ただ騒いでるだけだったわ。でもその内容が大問題で・・・」

 

 

 

『ぼくはいろんな土地を旅してきた!でも・・・どこにもいなかったよ、この地

 ユバールにも!ぼくの大事なマリベル以上にかわいくて守りがいのある人は!』

 

『ハッハッハ!冗談は困るぜお兄サン。一族の歴史のなかでも最高に美しい

 ライラより上ということはないだろう!少なくとも数年は経たないと勝負にすら』

 

『いいや!数年後じゃない。いま、断言できる!マリベルのほうがずっとすてきだ!』

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

ちっとも覚えていなかったはず・・・だったのにだんだん思い出してきてしまった。

 

「・・・けんかになったりしなかった?」

 

「ないない。みんな笑っていたもの。我慢できなくなったあたしが無理やりあんたを

 眠らせてその日は終わった。次の日からは儀式のための移動だったしキーファが

 別行動になったのもそのタイミングだったから皆すっかり忘れてくれてよかったわ」

 

「そしてこのことを知っているのもきみだけか。当時の人々はもう死んでいるし

 キーファももういない。ガボはそれどころじゃなかっただろうからね。たった一度の

 失敗とはいえきみには恥ずかしい思いをさせてほんとうに・・・・・・」

 

迷惑をかけたことを謝ろうとした。するとマリベルの目つきがきつくなった。

 

「一度・・・?何言ってんの?まだあったわ。リートルードのことも忘れたのかしら。

 何度も同じ日を繰り返すからいろいろ試してみようっていうのは覚えてるでしょう?

 あんたがお酒を克服して乗り越えるのが鍵かもっていう考えがそもそもばかだった。

 宿屋の酒場でユバールの再現よ。翌日になったらリセットだからよかったけれど」

 

「・・・・・・うそだろ・・・」

 

そんなことを口走っていたのか。自分でも信じられないけれど、マリベルは冗談を

言っている顔じゃない。厄介で苦労した思い出話を苦々しく語っていた。でも、

次第にお酒を飲み始めたときと同じ、静かで落ち着きのある彼女に戻っていた。

 

 

「・・・まあ・・・今となってはこれも楽しかった記憶の一つね。そのうちあんたが

 お酒に強くなって暴走しなくなったってわかったとき、ちょっとガッカリしたもの。

 もうあんなことを言ってくれるアルスはどこにもいないのか・・・って」

 

「・・・・・・」

 

「あれだけ酔っ払っていたからどこまでが本心かわからなかったけど、あそこまで

 言ってくれるのは・・・うれしかった」

 

 

マリベルはどれだけお酒を飲んでも記憶が飛んだり体調を崩したりすることはなかった。

ただ、いつもよりも口数は少なくなって、急に怒ったり厳しい言葉をぶつけてきたりは

しなくなる。ぼくとは全く正反対だと今までは思っていた。でも、マリベルを助けられずに

終わったらこれが彼女との最後の時間になるというこの瞬間になってわかった。

実はぼくたちのやっていることは全く同じだった。ぼくは言葉を増やし、逆にむこうは

余計な言葉をなくす、自分の心を隠す衣を取るにはそれでちょうどいいくらいだった。

 

 

人生は劇場のようなもので、どんなに親しい相手でも完全には素顔で生きられない、

それをぼくたちは知っていた。世界を救った勇者だろうがそこから逃れることは

できず、今日まで芝居を演じ続けてきた。そしてこれからも。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人生という劇場②

 

お酒が回ったとき、ぼくは口数が多くなることで、マリベルは冷静になることで

互いにほんとうの自分が出せるようになる。正反対の酔い方なのに本質は同じだ。

彼女は話をそらさずに、ぼくが聞きたかったことをすぐに教えてくれた。

 

「えーと・・・あたしがこれから死のうとしている理由よね、あんたが知りたいのは」

 

「うん、そうだよ。どうにかできるかもしれないじゃないか、場合によっては」

 

「・・・それは残念だけど無理ね。だって、どうせあたしの命は持ってあと数年だもの。

 今まで隠していたことは謝るけれど、わかったときにはもう手遅れだったから」

 

わけがわからなかった。こんなに元気なのに、どうして————。ぼくが次の言葉を

出せないのを知ってか、マリベルはそのことを詳しく語り始めた。

 

 

「原因は簡単。大きな力を使った代償ってところね。最後の戦い、覚えているでしょう?

 オルゴ・デミーラを倒すためにあんたとあたしは偶然見つけた究極の呪文とやらを

 力を合わせて唱えて・・・あんただって勇者の力を失ったじゃない。もともと神や

 精霊たちの加護なんてなかったあたしにはもっとダメージが大きかった」

 

大魔王の居城ダークパレスに向かう前夜、お城ではぼくらの勝利を願う大きな宴が

開かれていた。ぼくとマリベルは皆が眠ってしまったころ、何かに誘われるようにして

城下町の地下に来ていた。『この島は楽園だ』などと書かれた古い石碑の先に小さな

宝箱があり、そのなかに究極の呪文が秘められていた。箱を開けた瞬間にぼくたち二人は

それが使えるようになった。まさに最後の手段といえる、できれば使いたくない呪文だった。

 

「メガンテとメガザルを一つに合わせたような凄い力だった。しぶといデミーラに

 とどめをさしただけじゃない。倒れてしまったガボたちを生き返らせた」

 

「ええ、あたしたち二人がかりで命をかける呪文・・・でもあたしたちは死ななかった。

 奇跡が起きたって喜んだけれどやっぱりタダってわけにはいかなかったのよ」

 

世界と仲間の命を救うために自らを差し出す究極の諸刃の剣。神さまや精霊たちではなく

この島を最初に見つけた誰かによって与えられたもの。全ての奇跡を可能にしたぶん

求められるものは大きかった。続くマリベルの言葉にショックを隠せなかった。

 

 

「あたしはいま、だいぶ無理をしてこの外見を維持している。残った魔力をこのため

 だけに使って、これまで通りの美少女でいられるの。でも少しでも気を抜くと

 顔も体もしわだらけになって・・・死にかけのおばあちゃんになっちゃうのよ。

 寿命が大幅に短くなった、そう考えるのが正解でしょうね」

 

「・・・・・・!?そ、そんな・・・!い、いつからそんな症状が?」

 

「二か月くらい前かしら。最初はほんの少しだけ力を使えばよかった。でも最近は

 しんどくなるまでやらないと老化が止まらないの。とうとう限界が近づいたってこと。

 だから死ぬ。どう、これで納得してくれた?」

 

ぼくは混乱が治まっていない。でもマリベルが真実を語っているのはわかった。

たとえ早い段階でぼくがそれを知ったとしてもきっと解決できなかっただろう。

 

「・・・それでも・・・相談くらいしてほしかった。きみの昔からの悪い癖だ。

 いつもうるさいくせに肝心なときは一人で抱え込もうとする・・・」

 

「・・・・・・」

 

戦闘のときも、異世界での夜も、辛い出来事の後もそうだった。ほんとうに

助けが必要なときほどマリベルは黙ってしまうのだ。それは彼女なりの意地か、

もしくはぼくたちに余計な負担を与えないための優しさなのか————。

 

 

「ぼくってそんなに頼りにならないかな?きみの命にかかわることなのに」

 

怒りよりも悲しみが勝った。するとマリベルは頬をかきながら言うのだった。

 

「う~~ん・・・ちょっと違うわね。普段のあたしは別として今回は違う」

 

「何がだ?苦しんでいるところをぼくたちに知られたくなかったんだろう?」

 

「まあそれもあるけど・・・一番の理由はもっとシンプルよ。他の人間はともかく

 アルスにはあたしの醜い顔を見られたくない。あんな姿で数年生きるくらいなら

 黙っていなくなりたかった。愛される姿のままその記憶に残りたかった」

 

 

少しだけ照れたようにして言うと、寂しそうに笑った。そしてこれ以上決断の

理由を聞く必要はないと思った。ここまでに語ってくれたことが全てだろうから。

 

 

「・・・・・・でも・・・どうやって死ぬつもりなんだい?ぼくが現代で見つけた

 きみの身体は綺麗だった。たとえ呪いの進行に抗わずにおばあちゃんになった

 ところで数年は生きられそうなんだろう?自分にザキでも唱えるのか?」

 

「ザキね・・・即死とはいえあれは結構苦しそうだし、そもそもほとんどの呪文や

 特技が使えなくなったあたしにはできない。だから・・・これを飲むわ」

 

マリベルが取り出したのは小さな小瓶だった。その正体はぼくも知っている。

 

「その薬を手に入れていたとは。きみには生涯無縁だと思っていたけれど」

 

「あたしもよ。女の子にフラれたアルスが自棄になって使うんじゃないかって

 心配していたほどだけどまさか自分でこれを飲む日が来るなんてねぇ」

 

 

その昔、ダーマ神殿のそばにあったふきだまりの町。そこにネリスとザジという

仲のいい姉弟がいて、ぼくたちもお世話になった。でもダーマでの騒動がぜんぶ

終わった後に、弟のザジは姉の将来のために自分は邪魔だからと消えてしまった。

 

『・・・せかいじゅのしずくも駄目なのか・・・これではもはや・・・』

 

もともと病気がちだったネリスさんはそのことで逆に体調を悪化させ寝たきりに

なってしまった。神殿の親衛隊のカシムさんたちが手を尽くしてもどうにもできず、

ついにその薬を見つけ、苦しみから解放させる道を選んだのだ。ぼくらがこの話を

知ったのは現代の聖風の谷、リファ族の神殿の書物庫の本で、だった。

 

 

「苦しむことなく・・・数時間のうちに死に至る。天使と悪魔が一つになった

 毒薬・・・誰がそんなものを持っていてきみに渡したんだ?」

 

「うふふ、教えるわけないじゃない。もしかしたら絶世の美女であるあたしが死んで

 絶望するあんたみたいな男たちがあたしの後を追おうとするかもしれないじゃない?

 こんな薬の出どころなんかわからないほうがいいわ」

 

確かにそうだ。今さらそれを聞いたところでどうしようというんだ。それよりも

大切なのは、完全に死ぬことに傾いているマリベルをどうやって説得するかだ。

その心を動かすにはどんな言葉がいいだろうか、ぼくがぐずぐず考えているうちに

むこうのほうが早く次の一手に出た。

 

 

「ねえアルス、これは仕方がないの。これまでいろんな大陸に行って滅びるはずの

 土地をたくさん救ってきたあたしたちだけど、救えなかった命だってあったでしょう?

 目の前で殺された人たちもいた。言い方は悪いけれど、どうやっても助からなかった。

 だからいつまでも引きずっていたらダメだって決めたじゃない」

 

「・・・きみの運命ももう変えられないって言いたいのか?」

 

「こうなった以上は何をしても無駄なんだし慌てふためいてもしょうがないわ。

 そして後悔するのもね。あたしは前を向いて自分でどうするかを決めた。アルスも

 先に進むべきなのよ、昔の勇者たちはみんなそうやって生きてきたっていうわ」

 

 

 

昔の勇者・・・それならぼくも知っている。ゾーマを倒したロトよりも昔の太古の勇者は

冒険の仲間の女性を愛していた。ところが彼女は勇者たちを救うために命を落とした。

後にチャンスが巡ってきた。時を巻き戻し、運命を変える可能性があると知ったとき、

彼は迷わずに今いる世界を捨てた。そして新たな世界で彼女に出会い、再び旅を始めた。

 

ところが最後の決戦で邪神の悪あがきにより彼女は致命傷を負った。彼をかばったのだ。

またしてもこうなるのか、もう一度やり直せるだろうか、そう思っているところで

少女は言ったようだ。『あんたのために死ぬあたしの気持ちを受け入れて』と。

そして彼は言葉通り全てを受け入れた。後に故郷の幼馴染の娘と結婚した。

 

 

ローレシアの王子も親友の死を受け入れた。夢と現実を行き来した勇者も最後には

夢の世界を諦め、現実の世で生きていくことを決めた。故郷を滅ぼされた孤独な勇者も

しばらくは死んだはずの恋人の幻を追い続けたけれど、失われたものは帰ってこないと

誰から言われたわけではなく自分で認め、新たな一歩を踏み出そうと立ち上がったのだ。

 

 

「ぼくは勇者じゃなくていい。彼らほど立派なことをしたつもりもない」

 

「・・・だったらあたしたちが実際に会った・・・あいつのことを思い出しなさい。

 無限に同じ時を繰り返し『明日』に行けなかった男を覚えているでしょ?」

 

「・・・!そうか・・・彼も・・・」

 

 

 

 

永遠に次の日がやってこない町、リートルード。その地の封印を任されていたのは

タイムマスター、真の名を『ハイペリオン』という魔族だった。時のはざまに

たどり着き、マリベルのおかげで迷路を攻略して彼との戦いにこぎつけた。

 

 

 

『よーし!どうだタイムマスター!時の砂をばらまくお前の手下、マキマキは

 倒したぞ!あと少しだぜアルス、マリベル!あいつの魔力はあと少しだ!』

 

『ぐっ・・・!』

 

『こいつには聞きたいことが山ほどあるけれど、まーた時間を戻されたら苦労が

 水の泡だし、とっとと倒しちゃいましょう。三対一なら楽勝でしょ!』

 

ぼくたちの圧倒的優勢な展開になり、ガボとマリベルは一気に倒そうと意気込んでいた。

でもぼくはどうしても気になることがあって、二人を止めて彼に質問したのだった。

マリベルが聞こうとしたような時を巻き戻すカラクリや魔王軍の残りの精鋭たちの情報

ではなくて、タイムマスターについて、納得できないところがあった。

 

『・・・お前は何のためにこんなことをしているんだ?』

 

『そんなもの・・・決まっているだろう。魔王様の命令に従っているだけのこと。

 そしてこの任を成功させれば私は今よりも高い地位と名声を得られるのだ。

 貴様らが倒してきた者たちも同じことを言っていただろう。なぜ・・・』

 

『永遠に時の封印をしていないといけないのだからここから離れられないんだろう?

 だから褒美を受け取ることもできないじゃないか。時に縛られているのは町の人々

 だけじゃない、お前も同じだ。そんなことくらいわかっているはずだろうに・・・』

 

タイムマスター自身に時を操る力はなく、大きな砂時計と時の砂がその力を持って

いるだけ。彼は管理人みたいなものだった。同じ時間を繰り返すしかない無限の

日々は何の楽しみもないはずだ。強者との戦いも、支配欲を満たすこともできない。

ずっとここにいるのだから魔王軍のなかでの出世なんかも意味がない。

 

『魔王の狙いやこの地の人たちの願い以外に・・・お前自身の目的が何か

 あるはずだ。もしかしたらこれ以上戦わなくてもいいかもしれない、

 このまま倒されるよりはそれを教えてくれてもいいんじゃないか?』

 

 

マリベルとガボは戦闘態勢のままだったけれど、ぼくはこれまでの旅と戦いの経験から

何となくわかっていた。根っからの悪党とそうじゃない敵の違いくらいは。どう違うのかと

聞かれても難しいけれど、実際に戦ってみれば自然とわかるんだ。

 

『・・・・・・こっちだ、ついてくるがいい。策や罠はないと誓おう』

 

『・・・えっ、ちょっとアルス、ほんとうに行く気?信じちゃうつもり?』

 

最初は半信半疑だった二人もぼくの後ろからついてきて、彼が案内する部屋に

到着した。いろんなものが空中を浮いている不気味な空間のなかで、そこだけが

丁寧に掃除されたきれいな部屋だった。中心に大きなベッドが置いてあって、

そこには一人の美しい女性が眠っていた。ぼくらが大きな足音を立てて部屋に

入り込んできたというのにちっとも起きる気配がなかった。

 

『この人はいったい・・・?』

 

『私の妻だ。結婚してすぐのことだった。決して治らない病に襲われたのは。

 こうして見ると健康そのものだが実際のところは・・・あと数日の命なのだ!

 苦しみを和らげるのが精いっぱいで、今日は奇跡的に痛みが落ち着いている。

 目覚めることはないがこんな幸せそうな顔は・・・ほんとうに久々だった』

 

『・・・・・・ま、まさかそのために・・・!』

 

『ああ。明日になればまた苦しみに悶える彼女が、いや・・・死んでしまうかもと

 思ったとき・・・私は明日が来ることを拒んだ!リートルードの住人たちよりも

 ずっと強く今日この日が永遠に続くことを祈った!そのときあの男・・・お前たちが

 倒そうとしている魔王が私の目の前に現れた。互いにとっていい話があると』

 

 

このときのぼくはすっかり黙ってしまった。どう言葉をかけていいのかわからなかったし、

もしこれがぼくとマリベルだったら、と考えていたからだ。ぼくも同じ選択をするかも

しれない。魔王と契約するとしてもずっとマリベルに生きていてほしい、そう思う。

でも、マリベルはぼくらの考えを突っぱねた。呆れるかのように言い放った。

 

『あのさ~~っ。あんたはそれでいいかもしれない。でもその人はどうかしら。

 眠っていても意識は残っているものよ。自分はあと数日の命だっていう恐怖を

 永遠に繰り返させられる・・・拷問じゃないの?冷静に考えたら・・・』

 

『な・・・!!』

 

『あたしならいやだわ。ま、そのへんは人それぞれだと思うし、この人の気持ちを

 聞くのが一番なんだけど・・・何かないかしら、いい方法は』

 

いくら語りかけても触れてみても起きないという。それなら逆に身体にいい刺激を

与えてみてはと思ったぼくは、クレージュで手に入れた世界樹のしずくを袋から出した。

 

『あっ!オイラが一時間並んで買ったやつじゃねーか!ここで使うのか?』

 

世界樹のしずくとはいえ不治の病やすでに死んでしまった人には役に立たない。

無駄使いに終わるかもしれなかったけれど、どうにかして目の前で苦しむ人たちを

助けたかった。それに、マリベルが言うことの方が正しいのかどうかも知りたかった。

 

 

世界樹のしずくを残らず女の人にふりかけた。しばらくは何も変化がなかったので

長蛇の列に並んだ苦労と千ゴールドが無意味に飛んでいったと悔やんだけれど、

しばらくするとその人の口だけが僅かに動いて、小さく言葉を発していた。

 

『・・・ハイペリオン・・・そこにいるの?』

 

『お・・・おお!私はここだ!気分は・・・苦しみや痛みはないか!?』

 

タイムマスター、つまりハイペリオンは愛する人の手を取った。すると、

 

『体の方は大丈夫。でも・・・心が苦しいわ。とっても苦しくて痛いわ』

 

やはりマリベルの言う通りなのか。同じ時を繰り返していると気がつかなくても

意識の深いところでわかっているのか。自分勝手な愛を押しつけただけで、

ほんとうは迷惑がられてしまったのか・・・ぼくまで攻撃されている気分だった。

でも、この女性の苦しみの種類はまた別のものだった。

 

 

『そ、そんな・・・!私がしてきたことは・・・お前を苦しめていたのか!

 死が刻一刻と迫る日を繰り返すなど・・・お前の気持ちも考えずに・・・』

 

『いいえ、あなた。わたしが苦しんでいるのはあなたのこと。わたしのために

 あなたがいつまでも未来に足を踏み出せないでいる・・・それが苦しいの。

 わたしはもう運命を受け入れた。だからあなたも・・・新しい幸せや生きがいを

 求めて人生を再開してほしい。あなたのことが大好きだから、いつまでもわたしが

 縛りたくない・・・わかってくれる?ハイペリオン』

 

『・・・・・・・・・わ、私は・・・・・・ぐっ・・・・・・!』

 

 

彼、ハイペリオンは最愛の女性の胸で激しく泣いた。タイムマスターとなってからは

一度も流したことのない涙が止まることなく流れ続けた。何十年、もしかしたら

何百年ぶりの涙だっただろう。しばらくの嗚咽の後、彼はぼくらに言った。

 

『・・・あの巨大な砂時計だ。あれを粉々に破壊しろ。そして時を動かすのだ。

 私は彼女の最期までここを離れない。あとはお前たちに任せた・・・・・・』

 

そして彼の言う通りにすると、リートルードの時間は動き始めた。宿屋に泊まって

朝になると、まだ味わったことのない新しい朝がやってきた。

 

 

 

『橋の開通式も終わっちゃったわね。あのワクワクがずっと続けばよかったのにって

 言ってるやつらもいるけど・・・あたしたちの苦労を思い知らせたいわ』

 

『ハハハ・・・まあ知らないままならそれでいいんじゃないかな。でもハイペリオン、

 あなたはどうするつもりなんだ。魔王の命令に逆らったとなると・・・』

 

日付が変わったとたんにあの人は息を引き取ったという。でも終わりまで

安らかなまま、苦しむことなく眠るように死んでいったとハイペリオンは言った。

問題は彼のこの先だ。でも彼自身はあまり心配していないようだ。

 

『フッ・・・なるようになるさ。魔王軍の精鋭はそれぞれの土地の封印で忙しいし

 そのうちのいくらかはお前たちが倒してくれた。私の始末のためにやってくる者の

 力などたかが知れている。仮に誰もいない荒野で倒れるとしても後悔はない。

 あの時のはざまで私は死んでいたが再び蘇ったのだ、お前たちのおかげでな』

 

ぼくたちは完成した橋の先に向かい、ハイペリオンはリートルード側に残った。

そして彼と会うことは二度となかった。今でもどこかで生きているのか、それとも

どこかで人知れず命を失ったのか、それもわからないままだ。

 

 

 

 

 

「たとえ待っているのが残酷で辛い未来だとしても・・・あたしたちは先に

 進まなくちゃいけない。アルスもあのとき教わったはずだけど」

 

「そうだった。大陸がつながったし、バロックさんはエイミさんに自分たちが親子だと

 打ち明けることになった・・・あの場の結果だけ見てもあれでよかったんだ」

 

「・・・でもそのせいであんなゴミが世に生まれたことを考えると複雑だわ」

 

もともとバロック作の建築物を嫌がっていたマリベルにとってその評価を決定的に

したのは『ゴミ』と呼ぶほど忌み嫌うバロックタワーだ。最後は娘のエイミさんが

完成させたという難解な仕掛けたっぷりの塔を、常にぶつぶつ文句を言いながら

謎解きでは何の役にも立たないぼくとガボを放って一人で攻略していた。

 

 

「・・・リートルードとかその先の出来事で思い出したわ。アルス、あんたはあたしに

 従順なように見えて意見が対立することも多かったわ。グリンフレークの出来事で

 男と女のどっちが悪いとかどうすればよかったかとか・・・夜通し話し合った」

 

「きみは負けず嫌いだし自分で言うのもなんだけどぼくはちょっと頑固だからね。

 でもその考えの違いをずっと引きずることはなかった。だから今回のきみの決断も

 絶対に賛成はできないけれど尊重しなければいけないのはわかっている」

 

いくら互いの思いをぶつけても決着しない口論もあった。それでも翌朝になれば

終わり、今まではそれでよかった。でも今回は違う。このままだと彼女に明日は来ない。

 

 

「それでも・・・やっぱりぼくは譲れない。マリベル、ほんとうにもう打つ手は

 何一つないのかな?ぼくや世界中の人たちの力を使っても・・・」

 

諦めきれないぼくに対し、マリベルはお酒を少し飲んでから、微笑みながら言った。

 

「フフ・・・あたしだって簡単に負けを認めたわけじゃないわよ。いろいろ考えて

 どこかに道はないか探した。そこで思いついたのがここ、七色の入り江だった。

 かつて本物の楽園だったエスタード島のなかで一番そのときのまま残っている

 場所、この入り江なら何とかしてくれるんじゃないかと思ったんだけどねぇ」

 

「・・・確かにここは神秘的だけど・・・そんな期待ができるほどの力が?」

 

「あら、あんたは知らなかったの?そういえばあたしもこの話を聞いたのは

 旅を中断していたあの時期だったわね。暇だったから昔話に付き合うのも

 悪くないかって。この島の歴史の始まりにも関わることだったからあたしが

 いなくなる前にあんたにも伝えておこうかしら。なかなか面白かったわよ」

 

 

エスタード島は完全なる楽園だった、その言葉の意味をぼくは知ることになる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人生という劇場③

 

その日、死んだとされている一人の青年がまだ見ぬ土地を目指して船旅を始めた。

サマルトリアの国の王子であり、命と引き換えに破壊神を倒したとハーゴンが

証言し、それを聞いた仲間たちが全世界に向かって彼の死を叫んだ。彼の名は

アーサー、テンポイントとも呼ばれる流星の貴公子だった。実際にはその

破壊神により命を再び授けられたのだが、戦いの前から病に侵されていた彼に

与えられた余命は一年程度しかなかった。だからそのまま死んだことにして

誰にも別れも告げずに親友二人の結婚式を見届けてから帰らない旅に出た。

 

 

『・・・・・・・・・』

 

『あ、あれ・・・?思ったより早く見つかっちゃった・・・』

 

だが、彼の一人旅を許さない者がいた。彼の妹サマンサ、妹とされているが

実のところは竜王を倒したラダトームの勇者が共通の先祖であるだけの娘で、

養子として王家に入ったのはすでに彼女も知っていたと先日明らかになった。

もし無事に邪教壊滅の旅を終えたらその後は共に船に乗ろうと誓っていた。

 

とはいえアーサーさえいれば他のものなど何もいらないというほどの愛を向ける

サマンサが自分の死後、すぐに後を追うとわかっていたので彼はサマンサのために

密かに出ていこうとしたが、船の中のタルのうちの一つに隠れていたのだった。

 

『・・・こんな真似ができるのはハーゴン・・・いや、ぼくたちの共通の親友、

 ウオッカと呼ぶべきか。その力によるものとしか考えられない。今ならまだ

 引き返せるな。ぼくの体のことはもう聞いたはずだ。だからお前は・・・』

 

彼がまだ言い終える前にサマンサは全身を使って抱きついてきた。黙ったまま、

言葉ではなく温もりで自分の思いを伝えてきた妹をアーサーは拒まなかった。

アーサーも彼女を愛しているからこそ、これまでずっと幸せのための最善の道を

探し続けてきた。これ以上背中を向けるのは酷であり、アーサーも我慢できなかった。

 

『一人も二人も大して変わらないか・・・ぼくたちは二人とも小食だしな』

 

『・・・おにいちゃん!うん、そうだよね!いっしょに行こうね!』

 

 

こうして二人のあてのない船旅が始まった。魔物たちに影響を与えた悪霊の神々は

三人とも死んだため、航海は穏やかだった。やがてローレシアを中心とした

王国が統治する領域を過ぎた。念願だった地図に書かれていない海に入った。

 

『・・・いよいよ始まった、この旅の本番が。全く未知の世界へ出発だ』

 

『うん、始まったね。わたしたちのことを誰も知らない場所が待ってるよ』

 

与えられし使命や王家の柵から解放された二人の毎日はとても充実していて、

その日ごとに新しい発見があり互いへの愛を深めていった。アーサーの病が

再び進行し徐々に体重が減っていっても二人はとても幸せだった。このまま

大海の真ん中で揃って朽ちても後悔など何一つない、そう言い切れた。

 

 

ローレシアの港を発ってから十か月が過ぎ、二人の旅がアーサーの死で終わる日が

近づいていたころ、平和に浮かれる世界の裏側では徐々に二大勢力による大きな

戦争が現実味を帯びていた。神が率いる天使や精霊、人間界の英雄たちが属する

光の軍と、魔王オルゴ・デミーラを頂点とする魔族による闇の軍だ。

 

かつて最強最悪の大魔王ゾーマに仕え、彼を崇拝していたデミーラはハーゴンが

ゾーマの娘であることを知っていた数少ない者だった。だからハーゴンが世界を

我が物としたなら行動を起こさず彼女と手を組むつもりでいた。だが彼女は失敗し、

あろうことか憎きロトの子孫と友情を築くことまでした。自分がやらなければ、

そう決意したデミーラは立ち上がり、ゾーマの遺志を果たそうとした。それを神は

許さず、小さな衝突はすでに各地で起こり大戦の始まりも時間の問題だった。

 

『・・・今日の海はこれでもかってくらい荒れているな。アレンたちとの旅でも

 こんなのはなかった。目に見えない何かが大暴れしているとしか思えない』

 

『おにいちゃん、船は大丈夫だから横になってて。わたしがなんとか・・・』

 

サマンサは穏やかな笑顔で兄を安心させるようにして出て行ったが、もうすぐ

最愛の者が死んでしまうという悲しみから、いつも一人隠れて泣いていた。

人間離れした魔力と不幸を運ぶ体質ゆえに王国のなかに味方は誰もいなかったが、

ただ一人、アーサーは別だった。常に優しく寄り添ってくれたので必然的に

彼女の世界はアーサーだけになった。彼がいなくなるとき、その世界は終わるのだ。

 

『・・・・・・あれ、おにいちゃん・・・寝てないと・・・』

 

『いや、この嵐は異常だ!これまでに経験したことのないほどだ!』

 

なんとかやり過ごそうと二人で手を尽くす。普通に操縦しているだけでは海に

飲みこまれるだけだと悟ったので、呪文の力を使って乗り切ろうとした。だが、

不思議な力によってかき消され、その理由を考える余裕も与えられなかった。

 

『駄目だ!飲みこまれる!』

 

抵抗を試みたがどうにもならない。アーサーは突破口を探し必死に足掻くが、

サマンサのほうはこのままいっしょに死ねるのならこれでいいと思っていた。

 

『おにいちゃん、最後に抱きしめて・・・』 『・・・・・・』

 

 

 

次に二人が目を覚ましたとき、船は大破し使い物にならなくなっていた。それでも

残骸に縋りついて助かったようだ。近くに島が見えたので、船を捨てて上陸した。

 

『・・・どうやらこの島がぼくの終わりの場所になりそうだな。無人島のようだ』

 

『おなかすいちゃったね。何か食べようよ・・・あの木の実なんかどうかな?』

 

『変な色をしているな。食べられるのか?』

 

この謎の島に生えている植物は、食用になるものもそうでないものもこれまで一度も

見たことがないものが大半を占めていた。魚も同じで、見慣れぬ種類ばかりだった。

魔物たちはいないが動物はいる。しかしそれほど数は多くない。住人がいない以上

情報を得ることもできないのだが、二人がすぐに理解したことがあった。

 

『・・・おいしい!これ、こんな果物食べたことないよ!』

 

『ああ、特別な力が宿っているとは思えないのに・・・もう一個!』

 

サマルトリアで王家の美食を飽きるまで堪能した王子と王女、彼らが認めた。

この島で食べられるものに比べればこれまでの食事は何だったのかと。病が

進み食欲を失っていたうえにもともと小食のアーサーが、次から次へと島の

産物を口に運んだ。もちろんサマンサも笑顔で食べ続けた。たった二人なのだから、

いくら食べても尽きることはなかった。水も世界のどこよりも美しく、のどの渇きを

癒し、活力を与えてくれた。だが、この島が真に特別なのはそういった自然というよりは

島そのものに満たされている何らかのパワーだった。その真価がすぐに明らかになる。

 

 

『・・・・・・うそだろ・・・いや、まさかこんな・・・!』

 

『・・・やった———————っ!!わたしはもう泣かなくていいんだね!』

 

不治の病だったはずが一週間も島にいれば消えてなくなった。だんだん癒えている、

そのイメージはあったが苦痛が和らいでいるだけにすぎず、完治に至るとは期待も

していなかった。世界樹の葉であっても、ハーゴンやシドーの力をしても、そして

魔力においてはそれら魔王たちを凌ぐほどのサマンサですらどうしようもなかったのだ。

 

『わかったよ、これが楽園なんだね、おにいちゃん!』

 

この世界に楽園と呼べるような場所はまだ残っているのだろうかとアーサーはずっと

考えていた。ムーンブルクの調査に向かう最初の旅のときからその思いは強く、

やがてロンダルキアこそが世で最も美しい地だと結論し、シドーに勝利した直後、

まさに死のうとしている瞬間、世界の全ては素晴らしかったと確信した。

だが、この無人島に勝る土地などない。一切の汚れがなく、完璧な環境だった。

 

 

『今日はどうしようか・・・一日中のんびりしているのも悪くないか』

 

『そうだね・・・時間はた———————っぷりあるんだもん』

 

 

そのうち二人は服を着なくなった。日付を数えることもしなくなった。自堕落で

無気力に陥ったというわけではなく、意味がなかったからだ。二人の体は島に

住み始めてから何年経っても若々しい盛りのままだった。楽園の与える加護が

彼らを老化や衰弱から遠ざけ、完全な生命へと変化させていったのだ。三日三晩

休まずに愛し合い続けても体力も欲望もなくならないほどだった。

 

 

 

『・・・・・・こんな遺跡あったかな?まだまだ知らないところがあったか』

 

ある日二人があてもなく散歩していると、見るからに何者かによって造られた

遺跡のような一帯を発見した。これまで人の手が関わったとされるものが何一つ

なかったこの島で初めて自分たち以外の理知ある者の痕跡を見た。

 

『なかなか面白そうだ。謎や仕掛けを解いて中へ入れと招いているのか?』

 

『・・・・・・・・・』

 

アーサーは自慢の頭脳と閃きで閉ざされていた入口を開いた。ところがサマンサは

兄とは真逆で、終始不機嫌で乗り気でない態度を露わにしていた。彼女も本来

冒険好きなのになぜなのか、それは彼女のほうがアーサーよりも早くこの遺跡の

秘密に気がつき、二人だけの楽園の世界を崩壊させかねないと察したからだ。

 

『・・・・・・この神殿は・・・!まさかこれは!』

 

遅れてアーサーもこの場所が神によって造られ、何らかの理由で再び脅かされている

世界を救うための希望として備えられたのだと知った。もちろんオルゴ・デミーラの

存在も知らないので正確な理解ではないが、ほぼ正しい方向の答えを出していた。

 

 

『・・・・・・おにいちゃん・・・・・・』

 

『わかってる。この封印を解くことは・・・しない。この先ずっと』

 

『・・・!ありがとう・・・』

 

希望であると同時に、災厄を招く諸刃の剣であると二人にはわかっていた。世界から

遮断された楽園が再び世界と繋がる時、特別な力の保護も終わりを告げ、この島の

幸福を配る代わりに害悪が流入してくると。今はまだこれ以上の謎の解き明かしや

他の大陸との接触を持つ時代ではないとアーサーは判断した。ちなみにサマンサは

兄と二人きりの世界を他者に邪魔されるのが嫌なだけだった。

 

『でもこの旅の扉の技術・・・一か所だけなら繋いでも問題ないかな。

 そう、ぼくたちの親友ならここに招いてもいいだろう?』

 

『もちろん!また会おうって約束したもん。早くやろう!』

 

 

アーサーの知恵とサマンサの魔力、それに神が万が一の事態に備え遺した神殿の

謎の力が合わさって、一つの新たな旅の扉が完成した。それから数日もしないうちに

最初の客人がやってきた。大神官ハーゴンと呼ばれた、彼らの親友ウオッカだった。

再会を喜び食事と酒を楽しんだ後、皆で一連の現象についてじっくり考えた。

 

『・・・これは素晴らしい島だ。ロンダルキアの大地が魔族にとって最も快適な

 環境ならこの島は人間が住むのにこれ以上ない場所だ。邪悪な魔族はもちろん、

 あらゆる不幸や悲惨から守られている。たとえすべての世界のすべての大陸が

 滅びたとしても唯一残り続けるようにされている・・・』

 

『きみの話だと平和なのはこの島だけで、きみに代わる魔王が出てきたというのか。

 アレンたちのローレシアは大丈夫なのか?今さら手助けもできないけれど』

 

『それは心配しなくていい。世が乱れるのは彼らの統治が終わってからずっと後に

 なるだろう。わたしたちはいま行われている戦争に加わるつもりはない。

 そして神の作品である神殿の謎の解明はやはりまだするべき時ではないだろう。

 君たちの子孫が定められた時に誘われるようにして広い世界へと旅立つはずだ』

 

世界の裏で壮大な出来事が起きていると知ったが、勇者として立ち上がる役目は

アーサーではなくずっと後の代の者に託すことにした。ほんとうに人間がこの島の

住人しか残らない時代が来るのなら、ある程度の規模、人数を増やす必要がある。

 

『そうだ、アレンたちにこれを持って行ってほしい。お土産ということで』

 

『うん、わかった。密かに渡しておこう。わたしが彼らの寝床に置いたことも、

 君からの贈り物であることも隠して・・・』

 

このとき、すでにローレシア港での船出から十年以上経っていた。それでも

アーサーとサマンサの体はそのときのままで、ルビスに愛されているとはいえ

普通の人間と同じように年齢を重ねるかつての仲間たちとはもはや違っていた。

彼らはアーサーたちがすでに死んだと思っているし、会うべきではないと考えた。

せめて楽園の祝福の欠片だけでも届けたいと、黄金に輝く果実を託した。

 

 

 

邪神たちとの戦いから生還した男女は夫婦となり、互いの祖国を一つに併せて

治めていた。しかし妻であるムーンブルクのセリアは難敵バズズとの戦いで

子を産めない体になっていた。そのためやがて王権は王アレンの弟の息子たちの

誰かが継ぐと定められていた。王族も国民もそれを十分理解していた。

 

『・・・・・・万に一つもないと思われていた奇跡が起きた——————っ!!』

 

彼らが三十歳を過ぎたころ、見慣れぬ果実がいつの間にか置かれていたが用心深い

二人がどうしたことか一切疑わずに食べた。それから一年後、待望の跡継ぎが

生を受けた。世界を救った英雄たちへの神や精霊からの褒美だと人々は話を

広めていったが、ルビスへの信仰が厚いはずの二人には別の思いがあった。

 

『これは・・・きっと彼・・・アーサーがわたしたちのために・・・』

 

『そうだな。まったくあの野郎、だからどこかで生きているっておれはいつも

 言っているんだ。感謝の気持ちとして一発ぶん殴ってやりたいぜ』

 

ロンダルキアの火山に落ちたことへの疑いはないが、ひょっとしたら生き延びて

飄々と自由に暮らしている、その希望を捨ててはいなかった。彼の死の報せの後

妹のサマンサまで失踪し、彼らの国は衰退しつつある。そのことも含めた文句を

いつか言ってやろうと笑いながら語り合うのだった。

 

ローレシアの王アレンは七十歳になる前に自ら王権を長子に譲り、妻と共に

表舞台から退いた。その後城から二人で姿を消すと、もう戻ってこなかった。

それほどの高齢でありながら息子や娘たちと同い年だと言われてもわからないほど

見た目も頭も若々しく、きっと昔のように冒険の旅を始めたのだろうと人々は

彼らのことを良い意味で悲しまなかった。そして二人の『王であり勇者でもある』

血統は遥か未来まで続いたが、やがて完全に途絶えてしまった。

 

 

 

『・・・よし、もう頃合いだろう。サマンサ、以前から話していた件だけど』

 

『うん・・・わたしもそろそろかなって思ってた』

 

誰もいなかった無人島が、数十人以上が暮らす『人の住む地』になり、この島の

全ての人間の祖であるアーサーは知らずして親友たちと同じ決断を下した。

子どもたちや孫、その後の代までもが増え続け繁栄を続けていたが、そこから

さらに先へ行くためには自分たちの力なしで発展していかなければならないと

思ったからだ。いつまでも干渉していてはやがて古代遺跡から神殿に入り

失われた世界を救い出す資格のある者など生まれるはずがないからだ。

 

『次はどこへ行こうかぁ。おにいちゃんといっしょならどこでも楽しいだろうなぁ』

 

『実はもう見つけてあるんだ。長い旅になるだろうけどその入り口を・・・』

 

 

二人が子孫たちのもとを去ってからしばらくすると神と魔王の戦いが激しくなった。

そして島にも変化が起きた。人が増えたことで楽園の力が徐々に失われていった。

支配する者とされる者、雇う者と雇われる者が生まれ、アーサーが教えたわけでも

ないのに自然と世界のどこにでも見られる人間社会ができあがっていた。気がついた

ときには病や老化、そして死が当たり前になった。とはいえそれが人間として自然の

形であり、これまでがおかしかったと言われたら反論できなかった。人々は服を着る

ようになり、自分の持物を管理し家には鍵をつけるようになった。

 

そのころから島の噂を聞いて外からやってくる者、逆に島を出ていこうとする者も

現れた。自作の船で近い大陸を目指し、途中で巨大な海賊船と出会うことで彼らの

仲間となり、その息子が船長『シャークアイ』となった者もいた。シャークアイが

五歳になるころにはすでに世界は平和ではなくなり、楽園だった島へ向かうことも

島から外の大陸を見つけ出すこともできなくなった。敗北を察した神や精霊が

エスタード島と呼ばれるようになったその島を保護したからだった。

 

『世界はこれで残らず我々のものです、大魔王様。少しお休みになるべきでしょう』

 

『ああ・・・後のことは任せた、バリクナジャ。お前が我が軍を指揮し動かすのだ。

 精霊どもの影響が強い主要な土地の封印や戦闘はヘルクラウダーに任せれば

 それでいい。セトやグラコス、アントリアも役に立つだろう』

 

もともと無人島であり、しかも聖なる力に覆われていたエスタードの存在は

魔族にはわからないように隠されていた。史上最も勝利に近づいた魔王でありながら

この島を見つけられなかったせいで大逆転での敗北を喫することになってしまった

オルゴ・デミーラも、エスタード島を実際に己の目で見た時、確かにここはかつて

理想的な楽園だったのだと認めたほどだった。

 

 

 

 

 

「そう、ハーゴンがあえて書き残さなかった歴史・・・この島の始まりにつながる

 ロトの末裔たちの真実。エスタード島が楽園と呼ばれていた理由・・・どうして

 あたしがいまこんな話をしたのか、あんたならわかるでしょ?」

 

マリベルはこの七色の入り江で最期のときを過ごそうとしていた。でも諦めたわけ

じゃなくて、ここなら希望がある、そう思っていたんだ。

 

「・・・その話の中に出てきた楽園の力・・・アーサー王子の不治の病については

 ぼくも本で読んだ。それを完治できるというのならきみの病気も治せるはずだ。

 だからほとんど人の出入りがない七色の入り江ならまだその力が残っているかも、

 最後のチャンスでここに期待したんだろう?だけど・・・・・・」

 

「ええ。残念だけど残り香しかなかった。ちょっとは楽になったけれど完全に

 治るだなんて夢のまた夢。もってあと一年、そのくらい症状を先延ばしにする

 くらいの力しかないみたい。大人しく観念することにしたわ」

 

 

魔王を倒すために限界以上の力を使ったせいで、常に魔力で抑えなければすぐに

老化が始まりおばあさんになってしまうという彼女の病。ぼくが彼女を世界中

探したにも関わらず実はすぐそばにいたのと同じで、マリベルもいろんな方法を

求めたけれど最後に頼りにしたのは生まれ育った故郷の馴染みの場所だった。

ぼくは結果的に見つけることができたけれど、マリベルは見つけられなかった。

 

 

「生きていても苦しいだけだし何より生きる理由がない。永遠に生きることなんて

 求めてないけれどせめてこの病気が治るくらいサービスしてほしかったわ」

 

「・・・・・・・・・」

 

理由がない、か。若さと美しさを奪われ、すぐに死ぬわけだはないけれど

暗い気持ちに沈んだままいつ倒れるかわからない日々を過ごす。そんな状況で

ただ死ぬなって連呼しても無意味で、決断を変えることなんかできないだろう。

 

ならどうすればいいか。その理由を作ってあげる以外にない。ぼくにしては

珍しく、しっかり考えるより先に口が動いていた。

 

 

「・・・いや、きみにはこれからも生きてもらわなくちゃ困る。たとえあと数年

 だとしても・・・与えられた寿命を全うしなくちゃいけない」

 

「・・・・・・は?」

 

「きみは必要とされているからだ。どんな病気だろうが外見だろうが関係ない。

 ぼくのために生きてほしい・・・そう言っているんだ」

 

そして彼女の手を掴んだ。きょとんとしているその目をしっかりと見て、言った。

 

 

「マリベル、小さいときからずっとぼくのそばにいてくれた。そのころからぼくは

 きみのことが好きだった。こんなことになるまで言えなかったのはぼくが臆病な

 せいだけど、いまだからこそ伝える。これから先もずっとぼくの隣にいてほしい。

 いや、もう回りくどい言い方はしない。マリベル、ぼくと結婚してくれ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人生という劇場④

ついに言った。もっと早く言えたはずだとキーファやガボはきっと怒るだろう。

それでもぼくは子どものときからの思いをとうとう告白するに至った。

 

『ぼくたちが大人になったら・・・この島はどうなっているんだろう』

 

『さぁ。どうせ世界にはエスタード島しかないのよ、つまらないままだわ』

 

あのころのぼくは安心しきっていた。漠然とだけど、特に何もしなくても将来

マリベルと結婚できるものと考えていた。ぼくは父さんを継いで漁師に、そして

彼女の家が持つ船長に。そんなぼくにいろいろ言いながらも彼女は家で帰りを

待っていてくれる。そんな未来に絶対になる、それ以外ないと思い込んでいたんだ。

 

だけど世界は広くなって、可能性も無限に広がった。現代と過去の多くの土地で

たくさんの人たちと接したことで価値観も変わった。他に候補がいないしやることも

見つからないから仕方なくぼくといっしょになってくれる、そんな悠長な状況じゃ

なくなっていた。今聞いたばかりの昔話で、この島の開祖たちがひとまずは神殿の

封印を解かずにおいた理由に共感できた。きっとぼくでもそうしただろう。

 

 

「・・・・・・・・・」

 

突然の告白にマリベルは目を丸くしていた。驚いているんだろうけれど、

きっとしばらくしたら笑って受け入れてくれる。ぼくは成長しても変わらずに

根拠のない希望を信じていた。でも、現実はそんな簡単じゃなかった。

 

 

「・・・その頼みは・・・聞けないわ。悪いけどお断りよ!」

 

 

確かにマリベルは一瞬だけ笑った。けれどもすぐに厳しい顔つきになってぼくの

プロポーズに背中を向けた。ああ、失敗したんだとぼくの心は意外と冷静だった。

 

「そうか・・・まあ当然か。ぼくなんかにこんなこと言われても困るよね。

 不快にさせてごめん。きみにはもっとふさわしい立派な男の人たちが・・・」

 

これから死ぬと言っているのだからマリベルが他の人と恋人になり結婚するというのは

ないのだけれど、こんな言葉しか出てこなかった。するとマリベルは急に不機嫌さを

前面に出しながら、岩の壁を叩いてからぼくに対し怒りの声で迫った。

 

「いやいや、そういう話じゃないでしょ!あたしが納得いかないのはあんたの動機よ。

 真剣じゃないのがすぐにわかったわ。ほんとうにあたしと結婚したいわけじゃない、

 それが見え見えなのよ。馬鹿にしてるわ!アルスのくせにふざけた真似を・・・」

 

「違う!ぼくは子どものころから変わらずずっときみと・・・」

 

「いーえ、あんたの嘘も見抜けないほどあたしは終わっちゃいないわ。こう言えば

 あたしが死ぬのをやめるだろう、そう思って咄嗟に言っただけだわ、あんたは。

 恋や愛じゃない、あんたの優しさが言わせたに過ぎない台詞なのよ」

 

ぼくがどう訴えても聞く耳を持ってくれない。優しいだけだと言って譲らない。

 

「さっきまで戦った魔物相手にも情けと気遣いを忘れない勇者様だもの、幼馴染が

 治らない病気に絶望したとあったらこれくらいしてくれるでしょ。まさかあたしが

 タイムマスターやグラコス以下のはずがないものねぇ」

 

「・・・・・・タイムマスター・・・グラコス・・・」

 

「タイムマスターの話はさっきしたけれど、グラコスなんてどうしようもない

 悪党相手にもあんたの優しさは発揮されたものね。あのときは甘すぎるって

 思っていたけれどそれこそがあんたの一番いいところだって最近わかったわ」

 

 

 

 

海を操り多くの町や村を水没させた魔神グラコス。海底都市という敵の本拠地で

しかも魔王軍でもトップクラスの実力者。大苦戦の末にどうにか勝利を収めた。

謎の老楽師・・・いや、今となってはその正体はわかっているけれど、彼の助けが

なければ確実にぼくたちも海底のゴーストの一匹にされていたと断言できる。

死にきれない魂を弄び、人々の絶望を糧とする悪魔。だけど、そのグラコスが

ぼくたちに倒された後、なぜかとても安らかな笑みを浮かべていたのだ。

 

『ゲハハ・・・なるほど、これがお前たちのチカラか・・・まさかこの私が

 再び人間に敗れる日が来るとは・・・・・・大したものだ・・・』

 

『あらら、意外ね。こんなに潔いだなんて。てっきり負けを認めないどころか

 退路を封じてあたしたちまで道連れに・・・そのくらいするものだと思ったわ』

 

『フフフ、鋭いではないか。確かにそうしていたかもしれぬ。現に私は遥か昔に

 その時代の勇者に敗れている。だが怨念と復讐の心を捨てずに生き延び、そこを

 当時の魔王よりもずっと偉大なるオルゴ・デミーラ様に救われ復活したのだ』

 

『・・・オルゴ・デミーラ・・・やっぱりそいつがオイラたちの敵の親玉か・・・』

 

最低でも千年以上は生き続けただろう海の王。この様子ではこのまま消えゆくことを

受け入れているようだ。それはどうしてか、グラコスはぼくを見ながら言った。

 

『アルスとやら・・・お前に負けたのなら納得だからだ。お前は戦いの途中で

 目に入っていたはずだ。あそこの陰から私の息子たちが様子を見ていたことを。

 それを利用すればもっと楽に勝てたはずだ。外道の限りを尽くし魂を弄んだ

 悪魔が相手だ、そのくらいやったところで誰も怒らない、当然の戦術だ』

 

『・・・・・・』

 

『そしてお前は私が死んだ後も息子たちや戦闘に参加しなかった非力な魔物を

 見逃して帰るつもりだ・・・。歴代の勇者たちはもっと徹底していたぞ?

 後々災厄の種になりそうなものはどれほど小さくても容赦せず刈り取っていた。

 自分のため、世界のために。勇者と呼ぶにはあまりにも未熟で甘く、優しすぎる』

 

老楽師やマリベルとガボはいまだに警戒の目を張り巡らせていた。グラコスがいきなり

豹変するかも、それとも遠くにいる彼の息子や魔物たちが一斉になってぼくたちを

飲みこもうとするかも・・・そんな当たり前の心配からだった。グラコスがぼくを

甘いと言ったとき、ここで何か来るのではと皆の緊張感が増しているのがわかった。

でもぼくはそのまま、力は抜いたままだった。グラコスを信じていたからだった。

 

『だが・・・それでいい。この先何があってもお前は変わるな。真の安らぎと救いを

 もたらせるだろう。私のような死んでいく者にすらそれを可能にしたのだからな。

 聞け、私の息子たち、それに海底の住人たちよ!この者たちの手出しはするな!

 そして幾世紀も過ぎた後、再びこの地を訪れた際は手厚く歓迎するように!』

 

 

ぼくの力はかつての勇者たちにずっと劣るものだったのだろう。でも、ぼく自身では

わからない『優しさ』に心を動かされる敵もいた。意識して優しくしようとしている

わけじゃないから、狙ってやろうとするとわざとらしくなって逆効果だっただろう。

 

 

 

 

だけどいまのぼくは断言できる。これは優しい言葉じゃない。マリベルが大好きで

愛しているという気持ちから出た、優しいどころか自己中心的な発言だ。静かに

この世を去ろうとしていた彼女を困らせ怒らせたのだから優しいわけがない。

 

「失敗したプロポーズのことを何度も言いたくないけれど、ぼくは本気だ!

 きみをどうにか死なせたくないとか生きる理由をあげたいとか、そんなのは

 ただの苦しい後付けだ!きみを一人の女性として愛している、それだけだ!」

 

「ははっ!しつこいってわかってるならもう認めなさいよ、自分は嘘つきだって!」

 

このまま互いの主張を譲らずにぶつけ合う口論になってしまいそうだった。いや、

もうすでに突入している。どうしてわかってくれないのか、だんだんぼくのほうも

怒りが湧いてきた。だけど、ぼくが怒り出すのとは反対に、マリベルの声の調子は

少しずつ静かに、小さくなっていった。顔を伏せ、明らかに様子がおかしかった。

 

 

「マリベル?まさか・・・例の病気が!?」

 

「・・・・・・ったら・・・・・・」

 

「・・・え?よく聞こえなかった・・・」

 

ぼくの失敗は今日じゃない、幼い日からずっと続けていた過ちだった。

 

 

「だったらどうして!もっと早く言ってくれなかったのよ!世界がまだ平和だった

 あの日でも、静かな砂漠で肩を寄せ合ってきれいな夜空の星を眺めたあの夜でも、

 大魔王との戦いで二人命を捨てようとしていた瞬間も、奇跡的に生き残って

 みんなから祝福された大団円のときも・・・いつでもよかったのに!」

 

「・・・・・・え・・・・・・」

 

「こんな日になって・・・今さら遅すぎるのよ・・・・・・」

 

その感情は怒りなのか、苛立ちなのか、それとも呆れや失望か・・・。こんなに

激しく泣いているマリベルを見たのはいつ以来だろう。そのままぼくの胸に顔を

埋めてきた。拒絶されることを覚悟で抱きしめると、何も言わず体重を預けてくる。

やがて落ち着きを取り戻したのか、ぼくの上着で涙を拭き終えたマリベルがもういいと

言わんばかりにぼくから離れた。名残惜しかったけれど、余韻に浸っている場合じゃない。

 

 

「・・・ほんとうにごめん。謝る言葉も見つからない。ぼくなんかを好きになって

 くれるわけがないと思って・・・こんなときじゃないと言えなかった。後がないから

 慌てて告白したようなもの。遅すぎるって怒られるのも当然だよ」

 

「ふん。そんな言葉で騙されないわ。真剣じゃないもの、アルスは最初から」

 

まだ言っている。ここまで信用されないわけはいったい何だっていうんだ、

ぼくは首を傾げていた。でも彼女はぼく以上にぼくをしっかり見てくれていた。

 

「だってアルス、あたしが断った瞬間・・・一瞬だったけれどあんたはどこか

 ほっとした顔になった。成功しなくてよかった、そう思ったんでしょ?」

 

「・・・・・・」

 

「どう?図星でしょ。わかったらそろそろ帰ってもらえないかしら・・・」

 

「それは違う!ただ・・・」

 

ここで帰るくらいだったら全て言ってしまおう。もしこんなことにならなかったら

絶対に隠していたもう一つの秘密、命を絶とうとは思わないけれどマリベルのいない

遠くの地に行こうと決めていた、ぼくの体も呪いに蝕まれているという事実を。

 

 

「ぼくも勇者の力を失った。だからきみと同じ・・・代償を求められている。

 魔空間の神殿での戦いで両眼を斬られて視力を失い、最後の戦いではきみも

 見ていたはずだ、左腕を失ったのを。でも回復呪文の効果で多少の違和感は

 残っているけれど元通り・・・それは勇者の力のおかげだったんだ」

 

「・・・は?まさか今になって・・・」

 

「最近薄々変だなと思っていたけれど今日はっきりした。何度もあったんだ。

 そこにある石につまづいた。スロットの大当たりが見えなかった。走って来る

 ラフィアンがわからなかった。数秒ずつ・・・ぼくの目は見えなくなった」

 

全く見えなかった。音で確かめるしかなかった。その頻度が明らかに増えている。

 

「この腕も・・・思い通りに動かなくなってきている。ぼくには予感がある。

 おそらくきみがお婆さんになるよりも早く・・・ぼくの目は完全に光を失い

 左腕はこのまま残るとしても使い物にならなくなってしまう」

 

「・・・どうして黙ってたのよ・・・」

 

「余計な心配をさせたくなかった。特にきみには。だから思い切って結婚を

 申し込んだはいいけれど、もしうまくいったとしてもきみに迷惑ばかりを

 かけちゃうな、そう思ったから断られたとき少し安心したのかもしれない。

 こっちから誘っておいてきみを不幸にするんだから・・・」

 

マリベルが僅かに残った魔力と七色の入り江の力でどうにか一年は今のままの姿で

いられるとしたら、ぼくは半年かそれより短い間しか持たない。そういえば誰にも

言わなかったけれど、一部の鋭い人たちは異常に気がついていたかもしれない。

いや、マリベルがわからなかったんだから誰も知らなかったと思う。ぼくが彼女の

異変に気がつけなかったのと同じように、そう信じたい。互いのことは誰よりも

早く、真っ先にわかり合う間柄でありたいからだ。

 

 

「そうね・・・あんただったら募集すれば世界中からたくさんの女性が集まるわ。

 世界を救ったあんたの助けになりたいってね。選び放題じゃないの?」

 

「ぼくはきみがいい!他の人なんかいらない!」

 

もう後がないというときになれば、ぼくでもこんな直接的な言葉が言えたのか。

我ながらびっくりした。これまでのどこかで一度でもこの勇気が出せていれば

また変わっていたんだろうけど、こんなときでもなければ無理だったはずだ。

 

「・・・そ、そこまで言い切っちゃうんだ・・・。でもあたしはやらないわ。

 食事とか移動の面倒を見るだけならいいけれど、その~・・・下半身の

 着替えとかトイレの世話までやんなきゃいけないんでしょ?」

 

「そういうのは自分でできるようにいまのうちに練習するよ。だからどうかな、

 ぼくのためだと思っていっしょに生きてくれないか?どうせそのうちぼくは

 何も見えなくなっちゃうんだからきみの外見がどうなろうが・・・」

 

安心させようとしてそう言ったけれど、ぼくが浅はかだった。せっかく彼女が

冗談を口にできるほど雰囲気がよくなっていたのに、またその顔を曇らせてしまった。

しかも今回は顔に手を当てている。その悲しみと絶望は先ほど以上というわけだ。

 

 

「あたしはいやだ・・・。見えなくたってしわくちゃな指先や肌の感触は

 アルスに伝わるし、声だって・・・そんなあたしを知られたくない・・・」

 

「・・・・・・マリベル」

 

「ほんとうはアルスをどんなことでもして支えてあげたいのに、いつまでもそばに

 いたいのに離れたい・・・伝わってるかしら、この気持ち・・・・・・」

 

もしぼくが彼女の立場だったらやっぱり同じ選択をしていただろう。不治の病を

隠し通し、静かにいなくなる。死ぬ決心がつかないとしても、誰も来ないような

淋しい場所で余生を過ごす。苦しみぬいてやっと決めたのにいまさらいっしょに

生きてほしいって言われても確かに遅すぎだ。石版の力を使ってまだ間に合うかもと

張り切っていたぼくはばかだった。もっと早く正しい行動を取るべきだった。

 

 

「・・・わかった。これ以上ぼくのわがままを押しつけることはしない。きみを

 連れて帰るのは諦める。一人で元の時代・・・といってもたった一か月後では

 あるけれど、戻ることにするよ」

 

「・・・・・・そう、ありがと。わがまま言ってごめんなさいね」

 

「でも最後に一つわかったことがある。ぼくときみは全然違うように見えて実は

 似たもの同士だったということだ。優柔不断で臆病だとしても、本心を隠す

 恥ずかしがりやだとしても、まるで劇場の役者みたいだったことに変わりはない」

 

遠い未来、世界を救った勇者の物語としてぼくたちの旅をお芝居にして演じる人たちが

いるかもしれない。それでもマリベル以上の名女優はいないだろう。砂漠の国で、

ルーメンの町の屋敷で彼女は悪党たちを上回る悪で翻弄した。

 

 

 

『私たちはただの旅人なんです!そこのハディートにうまく騙されただけで

 セト様の邪魔をしようだなんてちっとも考えてないんです、信じてください!』

 

『ムムム・・・ではなぜこんなところへ?なるほど、この魔王像にて偉大なる方に

 崇拝をして何らかの供え物を捧げようということか?人間であってもあの方に

 魅了された者はわたしの知る限りでも数多くいるからな。いいだろう・・・』

 

『ありがたき幸せ。それでは・・・腐りきった畜生の丸焼きを捧げ物にしてやるわ!』

 

『ああ?何を・・・ブゲェ———————ッ!』

 

メラミが顔面にクリーンヒットしたセトは悶絶した。僕たちもすぐに加勢し、

虚を突かれた戸惑いと見下していた人間に騙された憤怒とで冷静さを失い

自滅していくセトを思っていたより簡単に撃破したのだった。

 

 

ルーメンでも町を仕切っていた巨漢の怪物ボルンガをまんまと罠に嵌めた。

 

『なんだお前たちは!この町の住人ではないな!しかも闇の封印の外から入りこんで

 来たようだな。このわし自ら戦い倒してやるしかなさそうだ・・・』

 

魔王軍から直々に闇のドラゴンを制御するために遣わされた大物・・・だったのだろう。

 

『・・・そんな、この男たちはともかく、わたくしはあなたの強靭な肉体と

 他に類を見ない風格の持ち主であることにすっかり惚れてしまいましたわ。

 どうぞ浴槽に戻ってください。わたくしにぜひお背中を流させてください』

 

そう言って彼女は上着を脱いだ。ボルンガには勝てないと悟り、言いなりになる

奴隷女になることで生き延びようとしている、部屋にいる魔物たちはそう思っただろう。

 

『おお・・・グフフ!ええぞええぞ、さあ、わしのもとにこい。かわいがってやる』

 

ボルンガもあっさりと陥落した。マリベルはぼくたち三人に合図を送っていた。

油断しきっている怪物の背に男たちが三人忍び寄ってもちっとも気に留めなかった。

 

『いえいえ・・・何をするにしてもまずはお身体を清めてから。さあ、お背中を・・・』

 

『わしはそのままでも構わんぞ?だがそう言うなら頼むとするか・・・』

 

『ええ、キレイにして差し上げますわ、ただしお湯じゃなくてあんたの血でね!』

 

ぼくとメルビンさんの剣、ガボの爪で背中は切り裂かれ、その強さを実感する前に

沈んでいった。こんなことをしなくても勝てたのか、この先制攻撃があったからこそ

楽勝だったのか、いまだにわからないままだ。ただ、マリベルの演技力は素晴らしい、

このときはボケーっと感心して褒めるだけだった。でもいまなら全てがわかる。

 

 

 

「・・・きみはいつもぼくたちのために命がけだった。少し間違えれば体力の低い

 きみは一撃で殺されるような敵に無防備で近づいていった。そのぶんみんな

 引っかかった。セトのときはほんとうに命乞いしているものとぼくも騙された」

 

「うふふ、うまかったでしょ?時には何にも知らない少女のように、ある時は

 子どもと大人の中間の処女、娼婦のような妖しい目で誘惑もできれば淑女になって

 おしとやかに振る舞ったりもできた。でもアルス、あんたがしたいのはそんな

 思い出話じゃないでしょう?あたしだけじゃない、あんたも名優だった。

 他の誰でもない、互いに対しては特に・・・今日まで騙し騙されたんですもの」

 

 

結論から言えば———ぼくたちは二人とも初めから恋に落ちていた。それでも

あの手この手を使って互いに騙し合った。ぼくはこの気持ちがすでにマリベルは

わかっているものと思っていた。でもぼくなんかはお断りだから知らないふりをして

相手にしないつもりでいるのだとばかり思い、勇気が萎んでしまった。

 

マリベルのほうは自分の気持ちがぼくには伝わっていないと思いつつ、いつか

ぼくのほうからそれに気がつくまで自分からは言わないつもりでいたようだ。

きつい言葉と態度で否定しつつも、ぼくがいつかわかってくれる日を待っていた。

ぼくはとても鈍かったから彼女の化粧を見抜けないまま舞台は終わってしまった。

 

 

「今はもう楽屋に戻ってきた気分。鏡に映った素顔を見て・・・ああ、あたしって

 素直じゃないし嘘ばっかりで・・・とっても醜くてこれじゃあ愛されないなって

 しみじみ感じて泣き崩れているところかしら」

 

「・・・ぼくも同じだ。ほんの少し勇気が足りないせいで取り返しのつかない

 悲劇が起きるのはあの冒険の旅の日々で学んでいたはずなのに自分がその

 主役になるなんて・・・もう結末は変えられないのはわかっている。でも」

 

灰色の雨によって滅びた町、人の心を取り戻したからこそ魔族として死ぬしかなかった

英雄の妹、人間を信じながら人間に裏切られた多くの善い人たち・・・ぼくたちが

どう頑張ってもどうにもできなかった、心が折れそうになる経験は何度もあった。

でも、彼らのエピソードにはとても小さい、微かなものだけど救いもあった。

だったらぼくたちにも何らかの、この悲劇を鑑賞した人々が、暗く悲しいなかでも

確かに感じる温かい光があってもいいんじゃないか、そう思ったら自然に口が動いた。

 

 

「せっかく邪魔の入らない聖なる場所でお互いの気持ちがはっきりわかったんだ。

 帰る前に少しだけ・・・一日・・・いや、きみが早くしたいのならそれよりも

 短い時間でいい。楽園の残り香が僅かに残るここだからこそできる遊びをしよう」

 

「遊び~?アルスの始める遊びは昔から退屈でつまらなかったし・・・いいえ、

 いまさらそういうのはやめとくわ。でも何するつもりなのよ、まさか鬼ごっこや

 かくれんぼ、おままごとっていうんじゃないわよね、いい大人のあたしたちが」

 

「おままごと・・・それが近いな。いや、そのものと言えるかも」

 

明らかに呆れ顔で今にも『はぁ?』とでも言いたそうにしている彼女に対し、両手で

ちょっと待って、という構えをして、続くぼくの言葉を聞いてもらう。

 

「きみがしてくれた昔話だ。エスタード島を最初に見つけた遠い先祖はここを

 生活の中心にしていたというじゃないか。だからぼくたちもやってみよう。

 彼らみたいな・・・新婚生活ってやつを。数時間だけでもいい。きみがもう

 つまらないからやめたいって言うまで・・・付き合ってくれないか?」

 

駄目なら駄目で大人しく引き下がるつもりだった。さっきのプロポーズよりも

マリベルは驚きの顔を見せた。全く予想していない提案だったんだろう。でも、

くすりと小さく笑ってから、その笑みはぼくの大好きな彼女のものになった。

 

「・・・いいんじゃない?面白そうだわ。でもつまらなかったら許さないわよ」

 

 

正真正銘、これがぼくたちの最後の遊びであり冒険だ。幕が下りたはずの物語が

アンコールとして再び始まり、ほんとうの完結に向けて舞台に立った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人生という劇場⑤

 

ぼくたちの最後の遊びが始まった。その昔、エスタードに最初に足を踏み入れた一組の

夫婦はここ七色の入り江を生活の中心にしていたのだという。だからこの場所で、

一日か二日、短ければ数時間かもしれないけれど最初の二人の真似事をするのだ。

 

「きっとそのころは・・・いまよりもずっと空気も水もおいしかったでしょうね。

 本物の楽園だったのだから食べ物だってあたしたちが想像できないほどに」

 

「どうだろう。確かにこの島の人たちは増えていくにつれてだんだん完璧さを

 失っていったと聞くけれど、料理の種類や漁の技術ってところでは進化して

 いるはずだ。世界が元通りになったことで特にそう言えると思うよ」

 

世界中、それも過去と現代さまざまな時代の食事を冒険の旅の間は楽しんだ。

エスタード島から出なければ決して味わえないようなものもたくさんあって、

真似できるものは自分たちなりに再現したし、できなかったけれどどうしても

もう一度食べたいものはわざわざ足を運んで食べに行ったりもした。

 

「土地ごとに味や素材はもちろん、文化も違った。びっくりしたことも多かった」

 

「・・・そうね。だったらあたしたちもこの場所にふさわしくならないといけないわ」

 

それだけ言うと、なんとマリベルは服を脱ごうとした。裸になって食事をする

場所なんて世界のどこにもない。ぼくは慌てて止めようとした。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!突然どうしたんだ!水浴びなら後で・・・」

 

「あら、あたしはさっき教えたはずだわ、アルス。最初この楽園に人間は二人しか

 いなかった。だから衣服なんかいらなかったと。せっかくその二人の生活を

 体験するのならちゃんと再現しないと・・・ねぇ?」

 

ぼくをからかっているのか、それとも本気なのか。表情だけじゃわからない。

でもきっと本気だったのだろう。ぼくがすっかり見とれてしまっているうちに

淡々と上も下も服を脱ぎ捨てて、生まれたままの姿になってしまった。

 

 

「・・・マ・・・マリベル・・・・・・」

 

「うふふ、アルスには刺激が強すぎたかしら。でもそろそろ何か言ったら?」

 

感想を言えと言われても言葉が出てこない。痺れを切らしたのかマリベルが

ちょっとだけ不機嫌そうにぼくを問い詰めるのだった。

 

「・・・何よ、つまらないわね。てっきりあたしの美しさに卒倒するか理性を

 破壊されて襲ってくるものと思ったけれど・・・もしかしていまいちだった?」

 

マリベルの顔に不安が見え隠れしていた。そうじゃないと言ってやる必要がある。

これ以上互いに本心を隠して幸せを逃す必要なんてどこにもないんだから。

 

「いや、きみは・・・とてもきれいだ。それこそ世界中、いろんな時代の女の人を

 見てきたけれどきみ以上はどこにもいない。もちろん・・・その身体も」

 

「あ、改めてそう言われると照れるわ。その割には感動が薄いような・・・」

 

どうせ少ししたら別れが待っている。怒られるようなことも隠さず言うべきだろう。

 

「その・・・実はつい最近、きみの裸を見ていたんだ。その胸も・・・お尻も。

 エンゴウの温泉で偶然目に入っちゃって。あ、でもほかに人はいなかったよ」

 

「・・・そういう問題じゃないでしょ!え、小さいころとか数年前の話じゃなくて

 ついこの間のこと!?どこかから隠れて覗き見してたっていうの?」

 

「ほんとうに一瞬だった。でもきみの姿が頭に焼き付いて・・・その日どころか

 次の日の夜も眠れなかった。旅の間もそのへんの女の人が裸になっているの

 くらいは何度でも見た。でもこんなことは初めてだった」

 

何もかも正直に話した。もし呪文を使いこなしているころのマリベルだったら

怒りのメラゾーマが二発か三発飛んできてもおかしくなかった。ところが、

 

「ふ、ふ~ん・・・まあアルスだってわざとやったわけじゃないし?事故って

 いうんなら寛大に許してあげるわ。ちゃんと自分から白状したんだからむしろ

 褒めてあげないと。なるほど、あたしが一番ねぇ、うふふ・・・」

 

あっさりと水に流してもらえた。それどころか少し喜んでいるようにすら見えた。

 

 

「許してもらえたのはよかった。でもこう言ったらなんだけど意外だった。

 もっと怒られて罵倒されるものとばかり思っていたよ」

 

「・・・やっぱりあんた、あたしのことを何もわかっちゃいないのね」

 

「そうかもしれない。だからこの最後の時間を悔いなく過ごしたい」

 

ついさっきまで気づかなかった互いの気持ち、そしていまだにわからないこと

だらけだ。もっとマリベルを深く知りたい。もう十分だと思えるくらい味わいたい。

そのためには多少のわがままもこれまで以上に聞いてあげようと思った。

 

「じゃあ、次はあんたの番ね。ほら、さっさと脱ぎなさい」

 

前言撤回だ。今はいろいろとまずい。彼女から距離を取って逃げと拒否の姿勢をとった。

 

 

「どうして後ずさりするのよ。まさか自分だけそのままでいようって気じゃあ

 ないでしょうね、まったく男らしくない!あたしは裸なのに・・・」

 

「いや、それはきみが勝手にやったことだろう!ぼくは別に脱げだなんて

 一言も言っていない。とりあえずもう少しだけ待ってもらえないかな」

 

「待たない!一人で脱げないって言うなら手伝ってあげるわ!」

 

いったい何が彼女をそこまでさせるのか。さすがに脱がされるのは情けなさすぎる。

とうとう観念してぼくはお手上げのポーズと共に、自分で服に手をかけた。

 

「・・・きみはぼくが男らしくないから裸になりたくないって言ったね?でも実は

 その逆だ。男だからこそ・・・いまは見られたらまずかったんだよ」

 

「・・・・・・・・・あ~~~~~・・・そういうことね。よくわかったわ。

 まあ生理現象なんだからしょうがないじゃない。全く反応なしのほうが

 あたしとしたらショックだったし構わないわ。別にいいわよ」

 

そういうものなのか。だったらもういいか。一回やればそれで終わりだろう。

上着も下着もぜんぶ外して、ぼくも何も身につけていない姿になった。すると

マリベルはぼくにくっつく寸前のところまで来て、じっくりと眺めるように

観賞し始めた。やめてほしかった。特に下半身は。

 

 

「・・・・・・いや~・・・アルス・・・あんたこんなに全身に筋肉あった?

 これは凄いわね・・・あたしのほうはこの頃あんたの体なんか見てなかった

 わけだから・・・・・・勇者の力は失っても鍛えた体は健在ってわけね・・・」

 

小声でぶつぶつとつぶやいている。この至近距離でも聞こえないほどだった。

 

「足もまるで鉄みたい・・・・・・え、なにこの大きさは・・・・・・昔は

 あるかないかわからないくらいだったのに。いくら大きくなっているからって

 嘘でしょ、こんなの~~~っ・・・・・・」

 

いきなり鼻血を出したかと思うと、仰向けに倒れてしまった。意識はあるようだけど、

すっかり顔は真っ赤になってタコのようなマリベルを慌てて介抱した。

 

「・・・ま、まさかあたしが倒れるだなんて。あんたがこうなるのを期待してたって

 いうのに・・・不覚!アルスも立派な大人の男になっていたのね・・・」

 

「しっかりしなよ!もういいだろう、真似事はやめて服を着ようよ」

 

「いや、続ける!一度始めた以上、明日の朝まではやるわ!」

 

 

結局その後もお互いに興奮したままの状態だった。魚の味はほとんどわからず、

寝ようとしてももちろん一睡もできなかった。エンゴウのときよりもずっと

目が冴えて心臓はドキドキして、呼吸も荒かったと思う。

 

「エスタード島の歴史の始めの人たちはよくこれで毎日普通に生活ができたね。

 そのうち慣れちゃうものなのかな?これが当たり前なんだって」

 

「さあね・・・いまのあたしたちより感覚が鈍いってことだけは確かだわ」

 

ぼくらは一晩中手をつないで横になっていた。それ以上のことはなかった。

そこから先に行けるほど落ち着くのは無理だった。

 

 

 

翌日の朝、朝ご飯を食べた後に二人でそのへんの葉っぱや木の枝を切り取った。

これで服を作れば少しはましになるかもって思いそうした。だけど、実際に

それを身につけてみたところ、中途半端に体が見えるのは裸でいるよりも

色っぽくて欲望を煽る結果になって、すぐにやめてまた全裸に戻った。

 

「そっちのぶどう酒を持ってきてくれない?それが飲みたい気分なの」

 

「わかった。それならきみは食器を用意しておいてほしい」

 

この日は一日ずっと特に何もしなかった。冒険の旅の思い出話や、旅に出る前の

ぼくらが小さかったころの話なんかをだらだらとしていたらあっという間に

陽が沈んだようで夜になった。議論も考察も口論もない、ほんとうに二人で

これまでのことを思い返すだけだった。あっという間の時間だった。

 

「いろんな場所や空間、時代を駆け回ったけれど・・・ほんとうの幸せ、

 欲しかったものは最初からすぐそばにあったんだから、ぼくたちが冒険に

 出たことは正しかったのかどうか・・・考えても仕方がない話なんだけど

 これから何回ぼくはそんな疑問に悩まされて生きていくんだろうか」

 

「ふふっ・・・その答えにたどり着けただけ無駄じゃなかったんじゃないの?

 一生かけてもわかんない人だっているんだから遅くはないはずだわ」

 

裸のまま抱き合って寝た。それだけでも今までからすれば凄いことだし、

とても緊張したけれど、今日もそこまでだった。これで十分だったからだ。

最後の一線を越えるにはぼくたちはまだ心が幼すぎたし、時間が足りなかった。

そしてぼくだけじゃなくてマリベルもそれでいいと思っていた。

 

 

 

次の日の朝になると、どちらが言い出すでもなくぼくらは服を着た。この日は

相手に対する疑問をぶつけ、ずっと聞けなかったことへの答えを得る、そんな

一日にしようと決めた。まずはぼくの長年の仮説と彼女の真意を知る番だった。

 

「きみはほんとうはとても優しい。マチルダさんもそう言っていた。そのきみが

 どうしてわがまま三昧なのかを考えていた。もしかするとそれもきみなりの

 優しさだったのかもしれないって近頃思うようになったんだけど・・・」

 

「え?どうして?」

 

「きみの両親はかなり苦労してやっときみが生まれたって聞いた。だから一人娘は

 特に可愛くて、何でも言うことを聞いてあげたいって思ったはずだ。ただのいい子で

 いるよりもちょっとわがままなほうが二人は喜ぶ、そう思って無意識のうちに

 いまのきみが完成されたんじゃないかなって勝手に考えていた」

 

異世界を旅している間もマリベルはいつも騒がしかった。水がないだの足が痛いだの、

すぐに文句を言うものだから慣れるまでは大変だった。こんなやつやっぱり村に

置いてくればよかったんだとキーファは言ったし、ガボやメルビンさんも呆れて

彼女のことをすべてぼくに丸投げしたときもあった。

 

でもぼくたちがほんとうに心配したのはマリベルがすっかり黙るときだった。

喚いているうちはまだ余裕がある。わがままや不満が消えたとき、彼女は

心から辛い出来事に元気を失ったか、痛みをこらえてやせ我慢している。

あの理不尽な要求もぼくたちを安心させるためだったのかもしれない。

 

「・・・いやいやいや、考え過ぎよ。そんなややこしい事情はないから」

 

自分で自分のことをただのわがまま娘だと認めるのは気が引けるだろうけど、

それ以上にぼくの過大評価を正したかったようだ。いつも世界一の美女だとか

歴史の中でも有数の聖人として扱うように言うくせに、いざそうすると逆に

怒ってしまう。あまり褒めすぎると照れてしまう、かわいいところだ。

 

 

「じゃあ次はこっちの番ね・・・あたしが気になっていること。大魔王との

 戦いのときアルス自身が言った言葉を覚えてる?世界を救う勇者よりも

 きみだけを守るきみのために生まれた存在になりたかった・・って」

 

「・・・うん。忘れていない。あのときぼくを叱りながらもきみは受け入れて

 くれたはずだった。思えばあれもプロポーズだった。なのにどうして自然と

 なかったことになっているのか・・・よく考えたら不思議な話だ」

 

ほぼ確実に死ぬという極限状態での誓いなんか無効だ、互いに混乱して舞い上がって

いただけだと二人して思い込んでいたせいか。あれは都合のいい聞き間違いだと

解釈したのか。もっとふさわしいムードでどちらかが言い出すものと思ったのか。

 

「今さらあんたのヘタレぶりを責めるつもりはないわ。あたしのほうにも責任は

 あるものね。でも世界よりあたしのほうが大事って・・・どこまで本気だったか

 聞きたかっただけ。単なる勢いじゃ・・・・・・なかったみたいね」

 

答えを聞くまでもなく、ぼくの目を見ただけでわかってくれたみたいだ。

もっと早く気がついてほしかったけれど、これだけで十分だ。

 

「ふふっ、あんた、あたしのこと好きすぎるでしょ。あたしが死んだ後はどうするの?」

 

「せっかく楽しい時間を過ごしているんだからそういうのはやめてほしいな。きみと

 別れてからじっくり考えるつもりだ。すでに決めていたことを言うとするなら

 一つ教えてあげようか。きみが嫌だとか絶対するなって言うことを片っ端から

 やるつもりだ。それは確定している」

 

「はぁ?あたしの嫌なことを?あたしが好きなんじゃないの?」

 

「いや、こうすればきみが帰ってくるんじゃないかなって思ったんだ。勝手に何を

 してくれてるの、ふざけないでって怒りながらね。きみのかわいいところを

 世界中に語り継ぐ旅とかをすれば案外早く戻ってきそうだよね」

 

文句があるなら帰って来い、何度でもそう言い続けよう。ほんとうはわかっている。

ザオリクや世界樹の力が通らない、完全に死んだ人間が蘇ることなんかない。でも、

ぼくやみんなが彼女のことを忘れない限りずっと生き続けているような、そんな気が

するんだ。ぼくは最後の一人になるまでやめないだろう。

 

「まずはきみの銅像を造るのがいいかもしれない。ずっと後の時代まで残るものだ」

 

「やるのは勝手だけどちゃんと腕のいい職人を雇いなさい。あたしの美貌をしっかり

 再現する必要があるんだから。あとフィッシュベルはやめてちょうだい。海が

 近すぎてすぐに錆びついて悲惨な状態になるのは目に見えているわ」

 

この計画についてはぼくよりもマリベルのほうがだんだん真剣に意見を口にする

ようになって、最終的には一から十まで事細かに指示を出してきた。完成どころか

土台作りの時点ですでに彼女はもうこの世にいないはずなのにと思ったけれど、

だからこそいまのうちに言っておかないという気持ちもわかった。

 

こんなくだらない問題だけじゃない。これまでの感謝も恨み言も全て言い尽くして

おくべきだ。いつマリベルがこの遊びに飽きて、もう帰っていいわとぼくを

去らせてもおかしくない。そういう約束で合意して始めたからだ。一秒ずつ確実に

終わりに近づいている。だからもっとしみじみとした空気になるはずなのに、

なぜか時間が過ぎれば過ぎるほどぼくたちの会話の内容はどうでもいいものに、

緊急性のないくだけた話ばかりになっていた。無理して裸にならなくてもよくなった。

 

 

(そうか・・・これが夫婦か。いいなあ、やっぱり)

 

 

かつてぼくたちのことを予言した書物には、最後の勇者は次の世代を残さない、

一生清い体、つまり童貞のままいなくなると書かれていた。確かにそれは当たった。

だけど結婚できない、幸せになれないとまでは一言もない。あと数十分でこの

幸せが終わるとしてもぼくは満足だった。きっとマリベルも同じだろう。

 

その翌日もこれといって特別な出来事はなかった。これから世界はどうなるとかいう

世間話をしたり、七色に光る水の中で泳いだり、今まで気にもしていなかった草木を

じっくりと観察してみたりと、生産性や未来に残すものなんか何もない。だけど

ぼくたち二人はこの時間、確かに幸せだった。今までとは違って本当の自分を隠して

気持ちを押し殺す必要がないからだ。すでに楽園としての力は失われているとしても

ここはいま、悲しみも苦しみも汚れもない、二人だけの楽園だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人生という劇場 (終)

その日の夜、ぼくは夢を見た。これまでに何度もこんな経験はあった。そこは天上の

神殿よりも更なる高みにあって、様々な異世界よりもずっと現世から遠かった。

 

 

「・・・ん?確かきみは・・・こんなところまでよく来たね」

 

その男の人はぼくよりも若いような、ずっと年上のような、不思議な人だった。

 

「きみがぼくらの子孫の末裔であり最後の勇者、アルスか。ぼくのことはもう

 わかっているだろう?国を捨てて海に出て、エスタード島を見つけた男さ」

 

この人こそかつて『破壊神シドー』を命と引き換えに倒したと伝えられている

サマルトリアの勇者、アーサー。実は生きていて、血の繋がっていない妹と二人で

船旅に出たところ、神さまや精霊たちに隠されていたエスタード島に上陸した。

そして楽園が繁栄するのを見届けてからどこかへ姿を消したという。

 

「この家は昔、神が住んでいた家らしい。魔王との戦いで敗れて神はいなくなったから

 空き家になっていたところを使わせてもらっている。ロンダルキアの友人たちと

 同じようにぼくらも下での争いに干渉する気はなかった。でもきみたちの活躍は

 全て見ていた。そしていまきみが置かれている状況も知っている」

 

「・・・サマンサさんはここにはいないんですか?」

 

「ああ。プラチナキングの出産の手伝いをしているよ。ここの魔物は地上よりもずっと

 強いものばかりで、そのぶんめったに繁殖しないんだ。だから助けが必要だ。

 真下ではパンドラボックスが100箱ぐらい散歩しているけど・・・見ていく?」

 

「うっ・・・え、遠慮しておきます」

 

危害はないとしても、アレが100もいるところを想像しただけで倒れそうだ。

 

「そうか。まあいまはそんな場合じゃないだろうからね。でもぼくが長々と助言を

 与えたところで最後に決めるのはきみだ。その決断を下すための参考程度にして

 くれたらいい。これからいくつかの質問をするから心のなかで答えてほしい」

 

「・・・質問?」

 

「ぼくらの偉大な先祖、勇者ロトが故郷を旅立つ直前に夢の中で幻を見たという。

 精霊ルビスさまがロトがどんな人間かを知るために彼を試した。ぼくはきみを

 試すつもりはないけれど、きみ自身が自分の道を決めるための助けにしてほしい」

 

突然のことにぼくはびっくりした。心の準備ができないまま質問は始まった。

ぼくは口に出して答える必要はなく、心のなかで答えを選べばいいらしい。

 

 

 

「じゃあ一つ目から・・・。きみはこの世で最も大事な人間のために世界を捨てる

 覚悟はあるかな?二つを天秤にかけて一人のために他の全てを犠牲にできる?」

 

 

「二つ目、自分の信じた道を進むためなら別の種族に生まれ変わることも厭わない?

 天使が人間になるように、人間であれば動物や魔物になるように・・・・・・」

 

 

「最愛の女性が他の男との結婚式の日を迎えた。その男のほうが金も地位もある、

 つまり彼と結婚したほうが最愛の女性は安定した生活が得られる。それでもその式を

 邪魔してあてのない旅に連れていく?追われる身になるとしても・・・」

 

 

「これは例えばの話だ。きみは魔王を倒したが仲間たちを全員ではないが幾人も失い

 恋人はこの世から完全に消滅した。でも実体のない幻の世界であれば会えないはずの

 人間たちに会える。現実の世界とどちらを選ぶ?現世にも大事な人々はいるとして」

 

 

「次は最初の質問と似ているけれど、とある大きな使命のためなら自分の恋心や

 本心を犠牲にできる?それとも目的の成就には遠回り、もしかしたら果たせずに

 命を終えるとしても自分の思いのままに人生の重大な選択の答えを出せる?」

 

 

「ここから後半だね。きみはかたき討ちを果たそうとしている。だけど旅の仲間たちは

 その敵にもかわいそうなところがある、彼も被害者だ、などと言う。仲間たちに

 嫌われ見捨てられることを覚悟で憎き敵を魂ごと滅ぼしつくすことができる?」

 

 

「きみは歴史上最悪の大魔王を倒した。王になるのも英雄になるのも誰も止めない、

 それどころか望んでいる。大魔王亡き新たな世界の支配者になる?それとも一切の

 称号や称賛、栄誉を放棄して残りの人生をへんぴな地で自由気ままに生きる?」

 

 

「きみのそばにはきみよりも神や精霊の祝福を受けた仲間たちがいる。努力じゃとても

 追いつけないと知ったとききみはどうする?完全に彼らのサポート役に徹する?

 それとも自分にしかできないことを見つけ、たとえ邪道だとしても己の道を行く?」

 

 

「最大の敵から世界をよくするために手を組まないかと誘われたらどうする?敵の言葉は

 もっともで、きみも世界の共同支配者になれるという。ここで戦って敵を倒すより

 誘いを受けたほうが真の平和が手にできるのなら、敵の語ることを心から信じられる?」

 

 

 

ぼくが全ての質問に答えを出すと、アーサーは一度遠くを見て、そして再びぼくに

視線を戻すと、優しい笑顔で語りかけてくるのだった。

 

「なるほど・・・きみがどんな男なのかよくわかった。あとは最後の質問を残すだけだ。

 そろそろサマンサが戻ってくるからこれで終わりにしよう。さあ、きみの最後の冒険に

 旅立つんだ!きみの物語を左右する決定を下すんだ!」

 

「・・・・・・!い、意識が・・・!視界が歪んでいく!」

 

 

 

 

 

ぼくが目を覚ますと、この二週間マリベルと暮らしている七色の入り江だった。

彼女はまだ眠っている。今日はぼくが朝食を作る番だからそれでよかった。

 

「もしこのまま一か月が過ぎたらどうなってしまうんだろう?」

 

あと半月程度すればぼくが石版の力を使った日になる。やろうと思えばぼくが二人

同じ空間にいる事態も演出できるというわけだ。

 

「あんたが二人?一人でも苦労するんだから勘弁してちょうだいよ」

 

マリベルには不評のようだ。ぼくも自分がもう一人いても何の得もない。これが

何十年も過去か未来から来たとか平行世界から来たとかいうのなら興味も沸くけれど

今回はあまりにもつまらない条件だ。その日が近くなってから対策を考えようと

思っていた。でもその日はどうやらやってこないようだ。いつも通りご飯を食べてから

なんてことのない話をして、世界でいちばん美しい水でいっしょに泳いで、今日も

気楽な一日の日が暮れようとしていたとき、マリベルがふと口にしたからだ。

 

 

「・・・・・・そろそろ終わりにしない?もういいでしょ、お互いに」

 

ぼくたちの結婚生活ごっこの終了が告げられた。もともとマリベルが飽きるまでという

約束でやっていた。必ずいつか訪れる瞬間だった。予想よりは長続きしたと思う。

 

「数時間とか半日とか・・・それくらいで打ち切られると覚悟していた。これだけ

 続くだなんてうれしい誤算だったよ。楽しい時間だった」

 

「あたしもついだらだらと先延ばしにしてたけどもういいわ。これ以上続けると

 あんたは元の生活に戻れなくなるかもしれないしあたしも病気が進んでいく。

 まあこのへんでやめておくのがちょうどいいんじゃないかしら」

 

最後の思い出作りには十分すぎる濃い時間だった。思い残すことはない。

 

「だいだいあたしたちは冒険の旅のときからいろいろ長すぎだったわ!現代と過去を

 行ったりきたり、ルーメンなんて三回も往復してやっと危機が去ったわ」

 

「普通だったら神さまを復活させてそれで終わりだよね。歴代の勇者たちの冒険と

 比べてもぼくたちの旅の長さは一番だったって自信があるよ」

 

実際の年月というよりはその中身だ。旅の記録を本にしたらぼくたちの旅は相当の

情報量があるだろう。すんなり解決しない問題も多く、トカゲのしっぽのように

切ってもまた生えてきてきりがないとうんざりさせられたことも多々あった。

 

 

「また思い出話が始まっちゃいそうだからやめましょ。もうちょっと続けたい、まだ

 あと少し楽しみたい、それが終わりにするベストタイミングだと思うから」

 

そう言うとマリベルは立ち上がって息を吸った。それから美しい声で歌い始めた。

 

「・・・・・・この歌は・・・・・・」

 

一回聞いただけだけど忘れもしない。愛する人への別れの歌だ。ユバールの宿営地で

キーファと別れるとき、ユバール族がこの音楽を奏でた。ぼくたちともう会うことは

ないと彼らは察していたから出会えた感謝と別れの悲しみを込めた歌を演奏し歌った、

後になってアイラが説明してくれた。

 

「吟遊詩人の経験も生きているみたいだね・・・もともときみは歌がうまかったけれど

 こんなレベルになるなんて・・・・・・いままで聞いた歌のなかで一番だ」

 

加護を失ってほとんどの呪文や特技を失った。それでも全部無駄になったわけじゃない、

彼女の歌声を聞いてそう思った。あの長かった旅の全てがいまのぼくたちを形作る。

マリベルの歌であの旅の記憶がこれまで以上に鮮明に蘇ってきた。

 

 

初めての冒険としてはあまりにも哀しい結末、物語でしか知らなかった火山と灼熱、

エスタードよりも小さな島の死と再生、数百年以上過去の地で出会った新たな仲間、

機械の兵士たちや灰色の雨を操る悪魔といった強敵との死闘、そして親友との別れ。

 

「~~~~~~~~~~~」

 

裏切りと暴虐に満ちたダーマでの日々、勇者ロトの歴史の書のような砂漠のピラミッド、

世界樹のしずくや時のはざまによって明らかにされた人々や魔族の欲望、水の精霊の

存在とぼくが持つ力を知った水で覆われた大陸と海底都市での思い出が。

 

「~~~~~、~~~~~~~」

 

神の兵士だった英雄の復活、偉大なる神父さまの深い愛情、魔法国家での激闘、

幾度の災厄の末に現代に蘇った大陸のことをぼくも忘れはしないだろう。

 

「~~~・・・・・・~~~」

 

マリベルがいなかった日々は辛かった。どこまでも優しい愛情に満ちた少女と風の魔王を

襲った悲劇、魔族よりも人間のほうが悪の深みに限度がないと教えられた村、そしてぼくが

何者なのか、すべては遠い過去から運命によって決められていたのか、真の母親はいま

目の前にいるこの人なのか―――。マリベルがいてくれたら、と何度も思った時期だった。

親友の子孫はその間、ぼくをとても力づけ励ましてくれた。もちろん他の二人の仲間も。

 

「~~~~~~~っ!」

 

大魔王との最初の戦い、そこでぼくは目をやられた。勇者の力が徐々に失われているせいで

そろそろぼくは何も見えなくなるだろう。それから先の精霊伝説が残る各地での戦い、

歴史上、勇者と魔王の最後の争いとなると予言されていた死闘――――。

 

それに加えて過去と現代で出会った大勢の人々や神秘的な場所、珍しい道具や武具、

大魔王亡き後の魔族の攻撃やぼくらの旅の記録を残すとしたら絶対に書かないでほしいと

思うほどの恥ずかしい失敗の数々を挙げていたらどれだけ時間があっても足りない。

 

 

「ねえアルス・・・あたし、ちゃんと歌えてるかしら・・・上手かしら?」

 

まだ歌は終わっていない。でもマリベルは途中でそう尋ねてきた。その顔を見たぼくは

抱きしめずにはいられなかった。泣いてはないけれど確かにうるんだ瞳、それはきっと

ぼくも同じだっただろうけど、情けないとかかっこ悪いとは思わなかった。

 

「うん・・・とてもよかった。最高の別れの歌だった。おかげでぼくは明日から

 きみのいない世界でも生きていける。それほど心が満たされた」

 

短く、軽く唇を合わせてからマリベルをぼくのひざを枕にするようにして横たわらせた。

ぼくが去ってからマリベルは安楽な死のための薬を飲む。でもその前に少し眠らせたい。

彼女が最後に見るぼくの顔が涙や鼻水でぐしゃぐしゃっていうのはいやだったからだ。

 

「ぼくも旅で得た力のうちまだ残っているものを最後に贈るよ。これが最後、今度こそ

 最後って続けてきたけれど、ついに正真正銘最後の歌・・・・・・」

 

「・・・さざなみの歌・・・ふーん、聞かせてもらおうかしら」

 

曲はもともとあるものだけど、歌詞はぼくがいま考えたマリベルに贈る歌。

 

 

 

大勢の個性的な人々たち。そのなかでも特にきみは激しくて、おかしかった。

だからぼくはきみのことが大好きだった。この言葉を心からきみに捧げます。

 

ああ、ありがとう、さようなら。楽しい毎日と熱い思い出をありがとう。

ありがとう、さようなら。きみはぼくの宝物。愛するマリベル、ありがとう。

 

 

 

一分足らずの短い歌だった。それでもさざなみの歌の効き目はあったし、気持ちを

凝縮させることができた。ひとすじの涙を零しながら笑顔で眠っていた。

 

「・・・・・・」

 

ぼくももう行かなくちゃ。体を酷使した反動で年老いてしまうという呪い、その姿を

ぼくに見られたくないためにマリベルは死を決断したんじゃないか。それを受け入れて

マリベルの死を認めたのだから、ぼくはもう帰らないといけない。

 

「もう一度言うよ。マリベル、ほんとうにありがとう。そして・・・さようなら」

 

 

 

七色の入り江を離れ、旅の扉の前に来た。これに乗ればぼくは彼女の遺体を見つけた

あの日に戻る。この旅、結局未来を変えることはできなかった。でも最後の最後で

余すところなく思いを伝えられた。お互いに恨みつらみも語りつくし、感謝も言えた。

 

もしかしたらぼく自身気がつかないような些細なことでも、きっと何かが変化する。

少なくともぼくはすでに―――そう思い旅の扉に左足から入りかけた瞬間だった。

 

「・・・・・・いや、いやいやいや!危ない、危ないところだった!」

 

ぼくは慌てて後方に跳ねて旅の扉入りを回避した。危うく取り返しのつかないミスを

犯すところだった。すぐに立ち上がり、頭のなかを整理した。

 

(そうだよ・・・やっぱりぼくはマリベルのことを何もわかっていなかった!)

 

つい本心とは逆のことを言ってしまう、普段は愚痴ばかりなのにほんとうにつらいときは

黙って平気なふりをする、そんなマリベルの真の思いをようやく理解できた。死にたいから

邪魔をするな?きっとマリベルも気がついていないその真意は明らかだった。

 

 

「確か海賊船が現れてからは・・・あそこに置いていたはずだ!よし、間に合うぞ!」

 

ぼくは走った。ぼくの、ぼくたちの旅はまだ終わらないからだ。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・う~ん・・・・・・」

 

魔物ですら眠らせるさざなみの歌の効力は強い。さっきのマリベルのように無抵抗で

それを受け入れたとなると、ただの人間なら半日は目を覚まさないほどだ。そして

マリベルもちょうどそのくらいの時間で目を開けた。少しずつ瞼が上がっていた。

 

「なんだかとても眩しいわ。まだ死んでないはずなのに・・・・・・えっ!?

 ちょっと!ここは・・・どうなってるのよ!七色の入り江じゃない、ここは!」

 

彼女が起きたのはぼくのひざの上、でも寝ているうちに運んで移動させてもらった。

ここは海上、ぼくたちが昔使っていた小さな船がすでにエスタード島が遠くになって

見えなくなりつつあるところでマリベルは目覚めた。ぼくの存在も認識したようだ。

 

 

「アルス!何やってんのあんたは!あたしを連れ出してどういうつもりよ!?」

 

「どういうって・・・冒険の旅?目的地を挙げるとしたら・・・そうだね、ぼくたちの

 病気を治せるほどの力を持つ、まだ誰も上陸したことのない楽園の島かな」

 

「そんなものあるはずが・・・・・・」

 

「ないって言い切れるかな?エスタード島を見つけた最初の二人はどうだった?」

 

これが神の家にいた先祖から与えられた最後の質問の答えだ。ぼくはもう勇者じゃない、

だから世の中や未来のことを考えて自分の気持ちを押し殺す必要はない。親しい人たちに

別れも済ませてある。ぼくの、ぼくたち二人のいちばん幸せになる道を進むだけだ。

 

『・・・・・・この場所ならぼくとサマンサのように永遠に生きていられる。どうだい、

 ぼくはもう十分だと思っている。これからはきみたちがここで・・・・・・』

 

『いいえ、せっかくですがぼくとマリベルの住む地は自分たちで探したいと思います。

 あなたたちがそうしたように、ぼくたちも新たな楽園を見つけられると信じながら。

 それにアーサー、あなたがよくてもきっとサマンサさんはよしとしないでしょう?

 永遠の命を終えるのも、ぼくたちのような邪魔者が入り込むのも・・・』

 

『くくっ、その通りだね。お互いなかなか面倒で扱いづらい女の子を選んだものだ。

 でもそこがよかったんだろう?ぼくもそうだ。それぞれ二人きりの世界を楽しもう。

 きっとあるさ、エスタード以上の美しい楽園が地上にはまだまだ・・・・・・ね』

 

全ての手助けを断った。ぼくとマリベル、二人だけの旅をするために。地を管理する

力は四つあって、精霊たちがいなくなった後も無意識のうちにその代わりになっている

存在があるという。ヘルクラウダーやガマデウスの姿が思い浮かんだけれど、彼女たちにも

余計なことはしないようにアーサーのほうから働きかけてくれるという。

 

 

「ふふふ・・・・・・ま~た冒険ね。だからあたしたちの旅はどの勇者よりも長い、

 だらだら続くと言ったのよ。今回は特に長くなりそうじゃないの、困ったものだわ」

 

「ん?嫌ならきみだけエスタード島に降ろしてぼく一人で行くけど?」

 

「・・・アルスのくせに生意気。あんた一人じゃ不安でしょうがないから仕方ない、

 あたしもついていってあげる。これでつまらない旅だったら承知しないわよ!」

 

マリベルが立ち上がり、船の上で何度も小さく跳ねていた。

 

「それはよかった!これならきっと楽しい旅になるだろうね」

 

 

残された時間がどのくらいかわからないけれど、ぼくたちの生きている限り物語は続く。

魔王を倒したところで勇者の話は終わってもぼくたちの人生という劇場は何度も喜劇と

悲劇を繰り返し、死ぬまで続く。まだまだ終わりそうもないみたいだ。

 

 




ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。