雨をつれてくる男 (破月)
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炎が消えぬように
壱 春の催花雨


2019/07/19 加筆修正

炭治郎が手鬼を斬るまで




 ――鬼殺隊。

 その数およそ数百名。政府からは正式に認められていない組織。だが、古より存在していて、今日も鬼を狩る。しかし、鬼殺隊を誰が率いているのかは、謎に包まれていた。


 ――鬼。

 主食・人間。人間を殺して喰べる。いつ、どこから現れたのかは不明。身体能力が高く、傷などもたちどころに治る。斬り落とされた肉も繋がり、手足を新たに生やすことも可能。体の形を変えたり、異能を持つ鬼もいる。太陽の光か、特別な刀で頸を斬り落とさない限り殺せない。


 鬼殺隊は、生身の体で鬼に立ち向かう。人であるから傷の治りも遅く、失った手足が元に戻ることもない。それでも、鬼に立ち向かう。――人を守るために。


 春。早く咲けと花を急き立てるように振る雨の中、足早に駆けて行く者がいる。腰に刀を差し、夜明けの空に似た羽織をはためかせ、人目を避けるように。

 

 

「――しくじったなぁ」

 

 

 時折崩れかける膝を叱咤し、唇を噛み締めながら。走って、走って、走って。藤の花が彫られた門戸を見つけると、一段と速度を上げて。見計らったかのように開かれた戸の中に転がり込むと、そのまま濡れてぬかるんだ地面に倒れ込んだ。

 心配そうに、あらあらと、顔を覗き込むお婆さん。いつもなら笑顔でお喋りに興じるのだが、生憎とそんな余裕などなかった。

 耳の奥に響く心臓の音。段々と感覚がなくなっていく指先。じわりじわりと滲み出てく何か。いや、何か、と濁す必要はないのかもしれない。体内から失われているのは、血だ。生きていくうえで欠かすことの出来ないもの、生命の息吹。

 鉄臭さが鼻を突き、視界が霞んでいく。気が遠くなっていく。それでも、ここで死に絶えるつもりは毛ほどもない。ただ、休息を取るだけだ。数日か、数週間か、数ヶ月か――それとも数年間か。どれ程の長さになるか、分からないけれど。

 

 

「――――お館様に、伝言を」

「はい」

「鬼は、十二鬼月では、なかった。ただ、血気術が、厄介で」

「はい」

「己の血を、空、気に混ぜ、て、吸わ、幻、術を見、せ、る」

「はい」

「と、どめを、刺し、きれず、も、しわ、けない、と―」

「――はい」

 

 

 そこから先の、記憶はない。ただ、お婆さんの声が震えていた事と、微かな梅の香りだけは、記憶している。

 

 

 

**数年後**

 

 

 

(竈門炭治郎)

 

 

「もう教えることはない」

「えっ」

 

 狭霧山に来て一年後、突然そう言われた。一瞬聞き間違いかと思ったけれど、同じ言葉を繰り返されて現実だと知る。そのままの流れで、俺は大岩の前まで連れて来られた。

 そこで鱗滝さんは、岩を斬れたら“最終選別”に行くことを許す、と言った。――岩って、刀で斬るものだっけ?首を捻る俺を置いて、鱗滝さんは山を下りていく。

 "教えることはない"。その言葉通り、鱗滝さんはそれから何も、教えてくれなくなった。何をすべきか必死に自分の頭で考えて、何か良い案が浮かぶわけでもなく。結局俺は鱗滝さんに習ったことを毎日繰り返した。

 けれど、半年経っても、岩を斬ることはできなかった。俺は焦った。何かが足りていないのだと思うけれど、何が足りていないのか分からない。鍛錬か、素質か。暗い考えが頭を過って、振り払うように頭を岩に打ち付けた時だった。

 

 

「みっともないし、危ないからやめな」

 

 

 ピンッ、と糸が張り詰めたような。それなのにどこか柔らかな、不思議な声が聞こえて来た。ハッとして上を見ると、人がいた。気配はなく、匂いもしない。狐のお面をつけている以外、目立った特徴もない。

 ただ、そこにいるのが当たり前のように、自然体で。その人は岩に腰かけていた。顎を乗せた右肘を、胡坐をかいた膝に乗せて、俺を見下ろしている。……見下ろしてる、んだよ、な?

 

 

「さて、呆けているだけじゃ時間が勿体ないね。早速だけど、打ち合おうか」

「えっ」

「稽古をつけてあげる、ってことさ」

「ええっ?」

「本当は、ただ見守ってるだけのつもりだったんだけど」

「えっと、」

「君はまだ何も身につけられていないし、自分のものに出来てもいないみたいだから。我慢できずに出て来てしまった」

「…自分の、もの」

「そう。特に、鱗滝さんに習った“全集中の呼吸”とか」

 

 

 いやぁ、参ったねと。肩を竦めるこの人は、鱗滝さんや呼吸のことを知っているらしい。それならきっと、この人も鱗滝さんに師事したことがあるのだろう。どこからともなく取り出した木刀を構え、君も早く、と俺を急かす。

 

 

「君は、呼吸法を知識として覚えたに過ぎない。まず体そのものに分からせなくては意味がない」

「体に……」

「そう。鬼とは命のやり取りをするんだ、普通、頭で考えてる余裕なんてものはない」

 

 

 確かに、と俺は頷く。それ相応の鍛練を積んで実力が伴い、鬼との戦闘経験が豊富であればその限りでもないのだろうけど。

 

 

「だから、叩きこもう。血肉に、骨の髄に。鱗滝さんが教えてくれた全ての極意を、決して忘れることなど無いように」

「やってます!毎日やってるんです!!必死で!!でも全然駄目で、前にっ…進めないんだ!!これ以上!!」

「それでも、進め」

 

 

 息を呑む。目の前に狐のお面があった。少しだけ苛ついた匂いと裏腹に、駄々っ子を宥めすかすような声が耳朶を打つ。

 

 

「男に生まれたのなら、前に進む以外の道なんてないんだよ」

 

 

 その言葉に、自然と体は動いていた。声を挙げて、刀を振るう。ふと、目の前の人が笑ったような匂いがした。

 

 

**

 

 

 いつの間にか俺は気絶していて、目が醒めると可愛らしい女の子がいた。けれど俺はそんなことはお構いなしに、さっきまでの冷めやらぬ興奮を語っていた。

 

 

「あの人凄いんだ!一撃が凄く重くて、無駄な動きが一切なくて!!本当に綺麗だった!!あんな風になりたい俺も!なれるかな?!あんな風に……!!」

 

 

 俺の話を呆気にとられて聞いていた女の子が、ふわりと笑う。そして、きっとなれるよ、と。鈴を転がしたような声でそう言った。

 

 

「私が見てあげるもの」

 

 

 その女の子は“真菰(まこも)”と言った。あの狐面の人の名前は教えられないけれど、真菰たちは“季津(すえつ)”と呼んでいるらしい。なので、俺もそう呼ぶと良いとも教えてくれた。本名は本人から聞いたほうがいいでしょ、と笑って。

 “真菰”は、俺の悪いところを指摘してくれた。無駄な動きをしているところや、癖がついているのを直してくれる。なぜ、そうしてくれるのか。どこから来たのか。聞いても教えてくれない。

 

 

「私たち、鱗滝さんが大好きなんだ」

 

 

 この言葉は真菰の口癖だった。季津さんと真菰は、兄妹ではないらしい。季津さん自身もそうかは分からないが、真菰は孤児だったのを鱗滝さんに育ててもらったそうだ。

 

 

「姿は見せてないけど、他にも子供たちがいるんだよ。皆でいつも、炭治郎のことを見てるの」

 

 

 真菰は少し変わった子だった。言うことがふわふわしている。

 

 

「“全集中の呼吸”はね、体中の血の巡りと、心臓の鼓動を速くするの。そしたら、すごく体温が上がって、人間のまま、鬼のように強くなれるの」

 

 

 とにかく肺を大きくすること。血の中に沢山、沢山、空気を取り込んで。血が吃驚したときに、骨と筋肉が慌てて熱くなって強くなる。真菰はそう言ったが、正直よく分からなかった。どうやったらできるのかと尋ねた俺に、真菰は小さく笑って言った。

 

 

「死ぬほど鍛える。結局、それ以外にできることないと思うよ」

 

 

 腕が、足が、千切れそうな程。肺が、心臓が、破れそうな程、刀を振った。それでも、季津さんには勝てなかった。――――半年経つまでは。

 その日俺が挑みに行くと、季津さんは真剣を持っていて。

 

 

「ようやっと、男の顔になったね」

「今日こそ、勝ちます」

 

 

 真正面からの勝負は単純だ。より強く、より早い方が勝つ。勝負は一瞬で決まった。――この日、この瞬間、初めて。俺の刃が先に、季津さんに届いた。俺が勝った時、季津さんは笑った。とても嬉しそうな、安心したような笑顔だった。

 

 

「……勝ってね、炭治郎。()()()にも」

 

 

 気付くと季津さんは消えていて。季津さんの面を斬ったはずの俺の刀は、岩を斬っていた。俺が勝てた理由は、“隙の糸”の匂いが分かるようになったからだ。誰かと戦っている時、俺がその匂いに気付くと糸は見える。糸は俺の刃から、相手の隙に繋がっていて。見えた瞬間に、ピンと張る。俺の刃は強く糸に引かれて、隙を斬り込む。

 ――ただ、あの一瞬。季津さんがわざと隙を見せたような気がするのは、俺の考えすぎだろうか?

 

 

**

 

 

 迎えに来てくれた鱗滝さんに、よく頑張った、凄い子だと頭を撫でられ、抱きしめられた。不覚にも涙が込み上げてきて、荒く目元を擦る。

 

 

「“最終選別”、必ず生きて戻れ。儂も妹も、此処で待っている」

 

 

 山を降りて小屋に戻り、髪を切り終えると、鱗滝さんがお面をくれた。季津さんや、真菰が身に付けていた物と、よく似ている。厄除の面と言い、悪いことから守ってくれるそうだ。そして、眠り続ける禰豆子は連れて行けないので、鱗滝さんに預かってもらう。

 

 

「鱗滝さん行ってきます!季津さんと真菰によろしく!!」

 

 

 それだけ言い置いて、前を向く。だから、俺は気付くことができなかった。

 

 

「――炭治郎、なぜお前が……」

 

 

 俺を見送ってくれた鱗滝さんが、、溢した呟きに。

 

 

「あの子たちの名を知っている」

 

 

****

 

 

「季津さん」

 

 

 真菰は不安げな顔で季津を見上げた。

 

 

「炭治郎、勝てるかな?」

 

 

 どうだろうね、と笑って返し、少しだけ考えるふりをする。

 

 

「努力はどれだけしても足りないものだ。それは君も、知っているだろう」

 

 

 季津は面の下で目をつぶり、脳裏に炭治郎の姿を思い浮かべる。他の子を後ろに庇い、大型の異形の鬼を前にして、刀を構えるその姿を。

 

 

「やっぱり炭治郎も負けるのかな?アイツの頸硬いんだよね…」

 

 

 季津さんは知らないだろうけど、と。少しだけ落ち込んだ真菰の言葉に、確かにと頷く。確かに、季津は真菰を、鱗滝に師事した子供たちを食った鬼のことを知らない。否、それは間違いだ。()()()()()()()()()()()()()()、というのが正しい。

 けれどそれは、季津には真菰にはない知識があったからで。だから、不安に思うことなどなかった。

 

 

「負けるかもしれないし、勝つかもしれない。ただ、そこには一つの真実があるだけさ」

 

 

 この勝負の結果は分かり切っているが、それを説明しようにも“竈門炭治郎は主人公だから”というのは通じないだろう。だから季津は、知識の中にある言葉を、本来ここにいるはずだった少年の代わりに口にした。

 

 

「炭治郎は誰よりも硬く、大きな岩を斬った男だという、ね」

 

 

 遠ざかる意識の向こう。季津は確かに、竈門炭治郎(物語の主人公)が鬼の首を斬った姿を見た。




竈門 炭治郎
 原作の主人公。鬼となった妹の禰豆子を救い、家族の仇討ちを目指す、心優しい少年。当作品では、語り部となってもらうことが多いと思われる。季津とは兄弟弟子関係で、狭霧山では遠慮なしに叩き上げられた。大岩を斬れた時、主人公がわざと隙を見せてくれたのだと思っている。そのうち面と向かって問いただすかもしれないし、問いたださないかもしれない。


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弐 夏の白雨

2019/07/21 加筆修正

原作軸
かまぼこ隊集合、藤の家まで
途中真菰の独白あり


 長らく意識が無かった隊士が目を覚ました。

 その知らせを産屋敷邸にもたらしたのは、水柱の片割れの青年だった。宍色(ししいろ)の髪を振り乱し、喜々とした表情で。産屋敷耀哉の目にそれが映ることはないが、手を引いた娘たちが事細かに教えてくれた。乱れた呼吸も、潤んだ瞳も、全て。

 

 

「――本当に、喜ばしいことだ」

 

 

 耀哉のその言葉に、宍色の髪の青年は耐え切れずに嗚咽を漏らした。同じ育手に師事し、目標でもあった存在が、ようやっと意識を取り戻したのだ。一時は命も危なく、もう二度と目を覚まさないかもしれないとさえ言われていた。奇蹟の回復だ、涙も自然と溢れてくるのだろう。

 

 

「五年か……長かったね」

 

 

 五年。それが、件の隊士が昏睡していた年数だ。十二鬼月ではなかったとはいえ、それに近い実力を持った鬼と対峙し、負傷した。その場に、この青年もいたのだ。

 隊士は、青年と、他に一般人二十名ほどを庇いながら戦ったのだという。実力が劣っていた訳ではない。ただ、庇うものがあったから、その実力を十分に発揮できなかっただけで。――本人にしてみれば、そんな言い訳はしない、と言うだろうけれど。

 

 

「過ぎたことだ、己の鍛練不足だと彼も言うだろう。だから、あまり自分を責めてはいけないよ、錆兎」

「――はい」

 

 

 気配が遠ざかり、湿った土の香りが鼻を衝く。おそらく雨が降るのだろう。

 

 

「雨、か」

 

 

 彼の隊士は雨を連れてくる。季節折々の、雨を。

 

 

「また、君が降らせる雨を感じることができるんだね」

 

 

 嬉しいよ、津衣鯉。そう言って、耀哉は笑った。

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 最終選別を合格し、鱗滝さんのもとに戻った俺を出迎えたのは禰豆子だった。ようやく目を覚ました禰豆子を抱きしめて、その禰豆子ごと鱗滝さんに抱きしめられる。

 よく帰って来た、と言う鱗滝さんの声がちょっと震えていたことや、涙の匂いがしたことは、気付かないふりをしておく。むしろ俺も泣いていて、その時は気にしている余裕なんてなかった。

 それから十五日後。編笠に風鈴、ひょっとこのお面という、強烈な印象の鋼鐵塚さんから、俺の日輪刀を貰った。

 日輪刀は持ち主によってその色を変えるため、別名色変わりの刀と呼ばれるらしい。鋼鐵塚さんには赤く染まると期待されたが、生憎と俺の日輪刀は真っ黒に染まった。期待を裏切られたと、子供のように癇癪をおこした鋼鐵塚さんを余所に、鱗滝さんが黒い刀について教えてくれた。

 色変わりした日輪刀は、それぞれの色ごとに特性がある。しかし、黒い刃になる者は数が少なすぎて、詳細が分からないのだという。分からなすぎて、出世できない剣士は黒い刃なのだと言われているのだとか。ちょっとだけ残念に思ったとか、そんなことはない。ないったら、ない。

 程なくして、鎹鴉が伝令を持ってきた。北西の町で毎夜毎夜少女が消えている、その原因を探れというものだ。いきなりの事で驚いたが、初仕事だ。気合を入れて取り組もう。

 通気性は良いが、濡れにくく燃えにくいという特別な繊維でできた隊服に袖を通す。雑魚鬼の爪や牙ではこの隊服を裂くことすらできない、と鱗滝さんは言った。それから、昼間、禰豆子を背負う為の箱を、鱗滝さんは俺にくれた。非常に軽い“霧雲杉”という木で作り、“岩漆”を外側に塗って固めた頑丈な箱だ。

 最後に、鱗滝さんは禰豆子の状態について憶測を語った。人の血肉を喰らう代わりに眠ることで体力を回復しているのかもしれないと。

 

 

**

 

 

 狭霧山を出てから、短期間で色々な事が起きた。初任務にして単独任務を終えて浅草へ。そこで、家族の仇かもしれない鬼舞辻無惨と遭遇。さらに珠世さんと愈史郎に出会い、禰豆子を人に戻せる可能性に光明が差した。苦戦を強いられた二人組の鬼が十二鬼月ではなかったのには、流石に驚いたけど……。

 二人と別れ次の任務地へ向かう途中、女の子にすがり付く善逸を見つけた。色々あって一緒に行動し、山奥にある屋敷へと向かう。そこには"稀血"の少年清とその弟妹(きょうだい)達、そして猪頭の被り物をした伊之助がいた。

 苦心しながらも十二鬼月だった鬼を倒し、鬼に喰われた人たちの埋葬をする。山を下るときに善逸が清の弟を連れて行く、と駄々をこねた。なので気絶させることで強制的に黙らせる。

 それから、鴉が藤の花の香り袋を吐き出して清に渡した。鬼除けらしい。“稀血”であることで、また鬼に狙われることもあるかもしれない。だから、それを持ち歩けとのことだった。鴉の体のどこに入ってたかは、気にしちゃいけない。

 伊之助は鬼殺隊の隊員と力比べをして刀を奪い、最終選別のことや鬼の存在について聞き出したのだそうだ。“育手”も介さない選別参加の後、鬼殺隊に入隊。型破りなやつだと思う。それから、人の名前を覚えないというか、話を聞かない。…そんな次元じゃない気もするけど。

 鴉に導かれるまま辿り着いたのは、藤の花の家紋の家だった。負った怪我が完治するまで、ここで休息を取れということらしい。俺、今回怪我したまま鬼と戦ったんだけど。そう呟くと、ケケケッ、と鴉は鳴いた。その笑い方はなんなんだ。

 戸を開けて現れたお婆さんに招かれ、食事をいただき、布団まで敷いてもらう。まさに、至れり尽くせりとはこの事だ。そんなお婆さんに対して、妖怪だ何だと善逸が煩いので、思わず手が出たのは不可抗力だと思う。

 鴉の話では、この藤の花の家紋の家は、鬼狩りに命を救われた一族であり、鬼狩りであれば無償で尽くしてくれると言う。お婆さんは医者も呼んでくれた。結果、三人とも肋が折れていることが発覚。伊之助が四本、俺が三本、善逸が二本。おまけに、伊之助は俺が頭突いた額が痛々しく腫れていた。素直に申し訳ないと思う。ごめんな……。

 

 

****

 

 

(真菰)

 

 多少の濃い薄いはあるけれど、年中霧が山を覆う狭霧山。当然来訪者は少なく、やって来るのは近隣の猟師や私の兄弟子ばかり。特に、次期水柱と呼び声高い兄弟子は、忙しいはずの任務の隙間を縫うようにして頻繁に顔を見せに来ていた。

 雨上がりの空を思わせる不思議な色合いの髪に、夜明けの空に似た羽織。新緑の瞳は常に優しく細められ、笑みを絶やさぬ彼。

 

 

「いい加減、腹をくくったらどうだ」

「何のことかな、鱗滝さん」

「柱の襲名だ。お館様から打診があったのだろう、なぜ断った」

「断りますよ、そりゃあ。俺は柱になりたくないんですもん、継子ですらないですし」

「…継子でなかろうと、だ。現状、柱に次ぐ階級であるお前が、いつまでも平隊士でいられる訳が無かろう。鬼の討伐数も十分であるのだし、実力ある者の宿命だと思って、早々に襲名するといい」

「ええー」

 

 

 鱗滝さんの言葉を意にも介さず、からからと笑う。季節は、夏。胸いっぱいに吸い込んだ空気が、土の匂いを運んでくる。そんな、平和なある日の一幕。そんな風に毎日が続くのだと思っていた。けれど、そんなのは嘘だ。鱗滝さんは今も一人、狭霧山で暮らしている。私は最終選別で命を落とした。実力が足りなかったとは思わない、ただ、心が未熟だっただけだ。

 変化が起きたのは、最近。鱗滝さんのもとを、一人の男の子が訪ねて来てからだ。彼とは違う、別の兄弟弟子から紹介されてやって来たというその子は、とても優しい子だった。鬼になった妹を人に戻そうと、頑張っている子。鬼殺隊には向かないと思った。鱗滝さんもそう思ったに違いない。けれど、一緒にいた彼はそうは思わなかったらしい。

 ある任務で重傷を負い、意識不明の重体のまま五年も眠り続けていた兄弟子。体から離れ、魂だけで彼方此方揺蕩っていた彼は、男の子――炭治郎の姿を認めると、それは嬉しそうに笑った。あの子は強い剣士になる。そう言って、大岩の前に立ちつくす炭治郎の前に姿を見せた。

 彼がそこまで絶賛するのなら、きっと、素晴らしい剣士になるのだろう。私もあれやこれやと口を出して、炭治郎が少しでも強くなれるように。――少しでも長く生きられるように、兄弟子に協力した。半年後、炭治郎は見事大岩を斬ってみせた。そして、藤襲山へと向かい、仇を、討ってくれた。……ああ、本当に。

 

 

「優しい子」

 

 

 私の呟きが聞こえたのか、兄弟子は柔らかな笑顔で頷いた。瞬きの一瞬で、兄弟子の姿は消えて。私は他の子供たちと一緒に、空を見上げる。珍しく晴れ間がのぞく狭霧山で、なるほどなぁと。なんだか笑えて来てしまった。

 

 

「季津さんは雨の日しか外に出ないから」

 

 

 語弊がある、と言われそうだけれど強ち間違いでもないと思う。雨は降っていなかったけれど、一年中霧に覆われたこの山は、さぞかし居心地が良かったに違いない。でも、彼は生きているから。私たちみたいに、ずっとここにはいられない。次に会うのは、きっと。

 

 

「お役目を終えて、散々生き抜いたあと、だよね」

 

 

 そう、信じたい。

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 一夜明けて。痛む肋を押さえながら起き上がると、狙い澄ましたように障子が開け放たれた。一瞬、禰豆子が灰にならないかと慌てたが、朝日が部屋に入り込むことはなかった。そのかわりに、ぬるい風と共に湿った土の匂いが鼻をくすぐる。おはよう炭治郎、と。聞き覚えのある声が俺を呼んだ。

 

 

「男子三日会わざれば括目して見よ、とはよく言ったものだ」

 

 

 温かい、血の通った――生きている人の匂いがする。

 

 

「狭霧山にいた頃よりももっと、良い顔つきをしている」

 

 

 嬉しそうに、楽しそうに、ころころと表情を変える声音。ところどころ傷みが見える狐の面は、左目の下に雫が三つ描かれている。夜明け色の羽織を揺らし、腰に刀を差して。

 

 

「それじゃあ、初めましてをやり直そうか」

 

 

 のそのそと善逸と伊之助が身を起こすのを横目に、俺は布団を蹴り上げていた。

 

 

「初めまして、竈門炭治郎。俺の名前は――」




鱗滝 左近次
 鬼殺隊の剣士の“育手”で、炭治郎の師匠。元水柱、水の呼吸の使い手で、炭治郎同様鼻が利く。押しかけ弟子の季津は想像以上に仕上がり、富岡と錆兎も申し分ない。帰ってこなかった真菰や他の子たちのことは残念だが、原作の彼よりは打ちひしがれていないかもしれない。それもこれも、頻繁に遊びに来る季津のせいだったりする。これで任務もちゃんと熟しているのだから、叱り難いらしい。

錆兎、真菰
 原作では、二人とも故人だが、当作品では錆兎が生存している。季津により、戦い方の矯正があったためと思われるが、詳細は不明。現在は冨岡義勇と共に、水柱を務めている。真菰は原作と変わらない。ただ、季津のことは本当の兄のように慕っていた。


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参 秋の冷雨

2019/07/20 加筆修正

前半が十数年前の話
中盤炭治郎視点から原作軸
那田蜘蛛山まで


 晩秋の、冷たい雨が降る日だった。

 鱗滝が薪割りを終えて小屋に戻ると、小屋から十歩ほど離れた位置に、その子供は立っていた。手足は汚れているが身なりは整っている。場所が場所なら、商人の息子と言って紹介されても納得ができる出で立ちだ。そんな子供は、一心に小屋を見つめていた。

 

 

「小僧」

 

 

 いつもより低い声で、脅しかけるように。興味本位でこの山に入ったのなら、さっさと送り返すのが一番いい。そんな思いで、鱗滝は子供に声を掛けた。弾かれたおはじきのように飛び跳ねた子供は、恐る恐る振り返る。そして、鱗滝の姿を認めると、天狗だ、と小さく溢した。

 ふむ、と面の顎を撫でて子供に歩み寄る。子供は大きく目を見開いているが、逃げる様な事はせず、その場で鱗滝が近づいてくるのを待っていた。あと一歩詰めれば手が届く、というところで、鱗滝は足を止める。

 不意に、子供の方から湿った土と、草の香りが漂ってくる。覚えのある匂いだな、と鱗滝は思った。面越しに子供を見下ろすと、新緑の瞳と雨上がりの空に似た髪が目に入る。その瞬間、脳裏を過ったのは一人の男の顔だった。――ああ、そうか。この匂いは、雨の匂いだ。

 

 

「こんな所で何をしている」

「探しモノをしていて」

「見つかったのか」

「はい」

「それなら帰るといい。親御さんが心配するだろう」

「親はいません、鬼に喰われました」

「……、」

 

 

 何の迷いもなく言い放たれた言葉に、思わず口ごもる。

 

 

「遠戚の者だと言う人が来ましたが、生憎、とんと覚えのない苗字に名前でして。……実際遠戚でも何でもなかったんですが」

「それは、」

「なのでお帰りいただいたところ、夜襲に遭いまして。結果、追い出されました」

「何と言うか……」

「あまりに腹に据えかねたので、財産は一切焼き払ってやりましたけどね!!」

「無駄に行動力のある…」

「それが自慢ですから!」

「自慢せずとも良い」

 

 

 有り余る行動力の使い方が、どこかズレているように思う。もう少し建設的な使い方をして欲しいものだ。そして、そいういう所が、あの男に似ていて。

 

 

「ところで天狗さん」

「なんだ」

「俺を鍛えてくれませんか?源九郎何某が鞍馬の天狗に鍛えられたように。天狗に鍛えられたら、きっと俺も――――鬼を殺せるようになりますよね?」

「――――、」

 

 

 清々しい笑みを浮かべて、殺伐としたことを言う子供だった。けれど、不思議と怒りや憎しみといった暗い感情の匂いはしない。感情の制御が上手いのか、それとも、知らぬふりをしているのか。

 

 

「…よかろう」

「うん」

 

 

 初めから、子供は分かっていたのだろう。鱗滝が、何を生業としてきたのかを。

 

 

「ありがとう、鬼殺しさん」

 

 

 分かっているからこそ、この山に足を踏み入れたのだ。それが、鱗滝左近次と季節津衣鯉(すえふしついり)の出会いだった。

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 骨折が癒えた頃、緊急の指令が来た。鎹鴉が姦しく、三人共々那田蜘蛛山へ一刻も早く向かえと言う。それを横で聞いていた善逸が真っ先に、何で上官がいるのに同行しないの?!と喚いていた。確かにとは思いつつ、上官こと兄弟子の顔を思い浮かべる。

 意外と筆まめな錆兎さんからの文に曰く、柱になってもおかしくない実力を持つらしい。同行してくれるなら、勿論それは心強いと思う。けれど、五年も寝たきりだったことを考えると頼みづらい。普通に考えて、刀を振るうのは無理だ。

 狭霧山で俺に稽古をつけてくれた、季津さん。もとい、季節津衣鯉さん。五年前に鬼から一般人を守って負傷し、最近まで意識不明だった人。意識がない間、魂だけの姿で彼方此方を巡ったらしい。体に戻ろうにも戻れず、それならと、最後に向かったのが狭霧山で、鱗滝さんの様子を一目見ようと思ってたらしい。そこに、俺がいた。それで、久々の弟弟子に嬉しくなって、稽古をつけてくれたんだとか。

 藤襲山で俺が鬼の首を斬ったのを見届けると、体に戻れたそうだ。不思議な話だと思う。それから、季節さんの匂いも不思議だ。湿った土と、草の匂い。――まるで、雨のような。

 

 

「俺は雨が好きだから、そう言われるのは嬉しいね」

 

 

 名前も“ついり”だし、と。“栗花落(ついり)”とは、梅雨に入ることを言うらしい。つゆり、とも読むらしいが、由来は栗の花が散る頃に降る雨から来ているのだとか。

 そんな名前だからか、季節さんが任務に出かけると、高頻度で雨が降るのだという。たまたまだと言うけれど、果たして本当にそうなのだろうか。実際、季節さんが命からがらこの家に転がり込んできた日も、雨が降っていたようで。だから周りから河童と呼ばれるのかもしれない、そう言って季節さんは笑った。

 

 

**

 

 

 よく晴れた次の日の朝、お婆さんと季節さんに見送られて、俺たち三人は那田蜘蛛山に向かった。急いで俺も後を追うよ、と季節さんは言っていたけれど、無理はしないでほしい。でも、昨日稽古してもらった時、普通に動けていたから、もしかしたら本当に追ってくるかもしれない。

 

 

****

 

 

 こきり、と。凝り固まった肩を鳴らす。藤の家には、季節とお婆さんの二人だけ。姦しい三人がいなくなると、不思議と静けさが身に染みた。

 久々の生身の体は重く、五年も寝込んでいたことを納得せざるを得ない。身軽な事が売りだったのに、と。ぼやきながら振った刀は、風に巻き上げられた落葉を真っ二つに斬り裂いた。鈍っているようでそうでもなさそうなのが救いだ。炭治郎に付き合って半年間、刀を振っていたおかげだろう。

 魂だけだっただろ、という突っ込みはいらない。

 

 

「……うん、」

 

 

 刀身を見つめ、頷く。持ち主によって刀身の色を変える日輪刀。季節のそれは、鋼の色を濁らせただけの濃い灰色だ。まるで雨雲のようで地味だ、もっと派手な色じゃないとつまらんだろう。そんなことを顔面が派手な男に言われたことを思い出し、少しだけ眉間に皺が寄る。

 季節自身はこの刀の色を気に入っているのだから、余計なお世話でしかない。

 そういえば、その派手男に、目を覚ましたことを知らせていなかったように思う。たまたま見舞いに来ていた錆兎にお館様への伝言を頼んだほか、誰にも知らせていない。もう一人の弟弟子にすら知らせていないことに思い当って、あー、と唸りながら頭を掻いた。

 

 

「……柱合会議に顔を出すのが手っ取り早いか」

 

 

 五年前、季節は柱を襲名することが決まっていた。柱になるのが心底嫌で断り続けていたが、ついに先手を打たれてお館様が触れを出したのだ。つまり、季節は退路を断たれた形になる。しかし、季節は任務で重傷を負って昏睡し、柱の襲名式が行われることはなかった。

 結果的に、季節が襲名するはずだった柱の名は、弟弟子二人に与えられている。一つの柱を二人で勤めるという、過去に例がない形での襲名だった。その事を話してくれたのは錆兎だ。申し訳なさそうな顔をしていたが、今更寄こせとは言はないので安心して欲しいと思う。

 

 

「概ね原作通りだしなぁ」

 

 

 日が暮れた空を見上げ、猫の背でも撫でるように刀の鞘を撫でながら笑う。

 

 

「俺は、お前たちが生きてくれているだけで、嬉しいんだから」

 

 

 そのためにこの世に生まれ落ちた、とは言わない。言ってしまえば、なぜ真菰を助けられなかったのかと、自責してしまうから。そんな生産性のないことをするなら、一人でも多くを生かし、一人でも多くの鬼を殺した方がいいに決まっている。

 

 

**

 

 

(竈門炭治郎)

 

 斬った、と思った。家に代々伝わる神楽で、何故技を出せたのか分からない。でもそれで助かった…勝てたんだ。視界が狭まって、目が見えづらい。呼吸を乱発しすぎたせいだろうか?耳鳴りが酷くて、体中に激痛が走っている。早く回復しなければいけない、伊之助を助けに行くために。

 地面を這いずったまま、前に進む。瞬間、ぞわぞわと悪寒が走り、血の匂いが濃くなった気がした。死んでないのか?頸を切ったのに。でも、鬼が消えていく時の、灰のような匂いがしない。まずい。早く立たなければ。立って、呼吸を整えて、もう一度頸を斬らなければ。

 鬼が何かを喋っていて、ぞわぞわと悪寒が強くなっていく。本当にまずい。焦るな、息を乱すな、落ち着け、落ち着くんだ。正しい呼吸なら、どんなに疲弊していても関係ないんだから――!!

 

 

「みっともないぞ、炭治郎。でも、その意地汚さは――嫌いじゃない」

 

 

 ――――雨の匂いがした。

 

 

「す、えふし…さん……?」

 

 

 体に覆いかぶさっていた威圧感が消えて、濡れた土の匂いが鼻をくすぐる。ぽつり、ぽつり、と雨粒が頬を叩く。

 

 

「後は任せておいで」

 

 

 優しく頭を撫でられて、季節さんの匂いが遠ざかっていく。段々と強くなっていく雨の匂いと、頬を叩く雨粒。ゴロゴロと空が嘶きをあげ、ピシャリと稲光が走る。

 

 

「次から次に…!!僕の邪魔ばかりする屑共め!!」

 

 

 強い怒りの匂い。それを遥かに超える雨の匂い。

 

 

「拾壱ノ型、」

 ――――“神立(かんだち)

 

 

 勝負は一瞬で決まった。

 

 

「来世は善い生を」

 

 

 流れるように繰り出された斬撃は、霞んだ眼でも分かるほどの雷を纏っていた。雨雲に走る稲妻のような光景に、禰豆子に伸ばした手を空中でさまよわせて魅入る。ふらり、ふらり、と頭をなくした体が近づいてくるのに気づいて、禰豆子を抱きこんだ。奪われる恐れはもうない。それでも、きつく禰豆子を抱きしめる。

 近づいてきた鬼の小さな体からは、抱えきれない程大きな悲しみの匂いがした。倒れ込んだその背は頼りない。気付くと、俺はその背に、禰豆子を抱える手とは反対の手を伸ばしていた。その手の上に、節くれた大きな手が被さる。

 

 

「ご両親が待っているよ」

 

 

 優しい雨の匂いが、鬼の悲しみを洗い流していく。

 

 

「炭治郎もゆっくりお休み。禰豆子は俺が箱に入れて連れて行くから」

 

 

 跡形もなくなってしまった鬼の、かすかに残った灰。それを掬い取ったのとは逆の手で、優しく、(やさ)しく。髪を梳くその手つきに誘われるように、俺は微睡みに身を委ねた。




季節(すえふし) 津衣鯉(ついり)
 当作主人公。季津(すえつ)という呼び名はニックネーム。炭治郎及び冨岡、錆兎、真菰の兄弟子で、鱗滝の弟子。炭治郎が鬼殺隊に入隊する五年前に、ある鬼と対峙し、意識不明の重体となる。意識がない間、体を離れて魂だけで彼方此方さまよったあげく、狭霧山で修行する炭治郎のもとに現れた。真菰と共に、本来ならば錆兎が稽古をつけるところ、替わりに稽古をつけてやることに。
 意識を取り戻したのは最近で、筋力とかも落ちている筈なのに、起きてすぐに炭治郎たちを追って那田蜘蛛山に行く程度には元気だった。驚くべきタフネス。
 鬼殺しとしての能力は高く、鱗滝や産屋敷、他の柱たちも認める実力者。どちらかというと技巧派で、生き残る事に全力を注いでいる。重体になる前は柱の襲名を控えていたが、意識がない間に弟弟子たちが襲名した。弟弟子たちが辞退しようものなら全力で止める。だって柱とかめんど――――おっと、誰か来たようだ。

・拾壱ノ型・神立
 主人公が独自で編み出したもの。雨男という特性を利用した技で、雷雲があるときにしか使えない。見た目は某忍者漫画の雷切とか千鳥とかに似ているが、一応、水の呼吸の技。


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肆 冬の鬼洗い

2019/07/20 加筆修正

冒頭は独白
しのぶさん視点から原作軸
柱合会議に行くまで


 父は、厳格でありながら、確かな優しさを持った人だった。成人を迎える前に家族を失い、身寄りも後ろ盾もない中で。酸いも甘いも噛み分けて、たった一人で生きて来た、強い人だ。

 そんな父を、尊敬していたし、目標にしていたように思う。

 

 

「鬼は人を喰らう。それを赦しはできないが、鬼も元は人だった。それを忘れ、ただ悪と見なして鬼を殺すのでは、きっと人の道を逸れていくのだろう」

 

 

 父よく、そう語った。一度や二度ではない。鬼による被害が出るたびに、犠牲となった人たちに手を合わせ、同時に鬼を憐れむ。若い頃に家族を鬼に殺されて、赦せないと言いながら。

 なぜなら、鬼もまた、哀しく、憐れな存在だからだ。だから、殺された父母の仇を討とうとは思わない。その言葉通り、父は生涯、決して刀を握ることはなかった。

 代々藤の花の家紋を掲げている家の一人娘だった母。父とは幼馴染で、幼い頃から親しかったようだ。そして、父が天涯孤独の身となると、両親を説得して婿に迎え入れたのだという。いつの時代も女は強い。

 そんな母は――鬼となっても父と(おれ)を忘れることはなかった。

 

 

****

 

 

(胡蝶しのぶ)

 

「ああ、懐かしいね」

 

 

 お館様の命を受けて、冨岡さんと共にやってきた那田蜘蛛山には、予想外の人がいた。五年前、柱の襲名を控える最中(さなか)、十二鬼月に継ぐ実力を持った鬼と対峙した人。しかも、その鬼相手に、一般人二十余名を庇いながらただの一人も死者を出さなかった強い人。

 その対価というべきか、五年もの間意識不明で、もしかしたらもう二度と目覚めないかもしれないとさえ言われていた人。

 いつ、意識を取り戻したのだろうか。鎹鴉からの伝達はない。弟弟子だという冨岡さんも驚きに目を見開いているところを見ると、本当に、最近目を覚ましたのだろう。

 

 

「季節、津衣鯉…さん」

 

 

 女の子の鬼を庇うように気を失った鬼殺隊士を背に、夜明け色の羽織を揺らして立つその人。記憶の中よりもやや痩せ細った首や腕が、否応にも年月を感じさせた。それでも、しっかりと大地を踏みしめて刀を構える姿は、五年前と変わらない。鋼の色よりもなお濃い灰色の刀身が、雨にうたれてぬらり、と光っている。

 

 

「久しぶりだね、二人とも。それから、少し離れたところにいる子は初めまして、かな」

 

 

 静かに細められた瞳は、刀もかくやという程鋭い光を宿している。離れたところで様子を見ていたカナヲが木の間から姿を見せ、私に視線を投げた。いくら継子として稽古をつけているといっても、カナヲはまだ未熟。

 襲名こそしてはいないものの、柱の地位にあって相応しいと認められた実力者。カナヲにはまだ荷が重い。だからと言って、私と冨岡さんの二人で抑えられるかと言うわけでもない。

 隙を見て倒れている彼らと引き離そうとしても、きっと、そんな隙なんて見せてはくれないのだろう。むしろ、あえて隙を見せてこちらを誘い込んだところで、鳩尾に一発食らうのがオチだ。この人はそういう人だ。

 

 

「目が醒めたら、藤の家でこの子たちと出会ってね。機能回復訓練がてら、手伝いに来たのだけれど、ここまで来るのに随分と時間がかかったな。戦闘は粗方終わっていたし、俺が止めを刺したとはいえ、十二鬼月を追い詰めたのはこの子だ。兄弟子として鼻が高い。いやはや、それにしても間に合ってよかった。五年も寝ていると、体が重くて仕方がないね」

 

 

 淡々と。柔らかな空気を絶やさず。世間話をするように。なのに、隙なんて、どこにも見当たらない。

 あくまでも自然体。それが、この人の凄いところだと思うと同時に腹立たしくも感じる。変わらない。本当に、この人は変わっていない。――――変わりようがないのだろう。

 

 

「ところで、しのぶさん」

 

 

 チャリッ、と鯉口を斬る音がした。

 

 

「身内が鬼に喰われる、殺されるというのは……哀しいことだが、この御時世よくある話だ。辛くも生き残ったとて、何らかの後遺症を抱えることになった人もいる。それから――――()()()()()()()()という人も。その人物に、君たちは覚えがあるはずだね?」

 

 

 鯉口を斬ったのはカナヲだろう。少しだけ強張った顔で、腰を落とし、いつでも抜刀できるように構えている。反対に、冨岡さんは完全に柄から手を離し、聞きの体勢に入っていた。

 

 

「この少年は、身内を鬼に殺されて、唯一生き残った妹は鬼になった。決して他人事とは思えない。……お館様から聞き及んでいるとは思うが、俺の母も鬼となり、父を喰い殺した」

「ええ、知っています。それで、その鬼を討つために鬼殺隊に入ったんですよね」

「ははっ、そうなの?どこで話が捻じ曲がったんだか……、別に、鬼殺隊に入ったのはそれだけが理由ではないんだけどね」

 

 

 参ったなあ、と。首筋を撫で擦り、木々に覆われた空を仰いで。

 

 

「十数年前の俺は、まだ何の力も武器も持っていない、子供だったからね。ただ、鬼殺隊に入ったとしても母は――()()()()()は、既に討たれていると思っていた。どうやらそれは、思い違いだったらしいけど」

「――――、」

「五年前、対峙した鬼が母だった。あの人の血鬼術は厄介でね、それ相手に一般人を庇いながら戦うのは、流石に骨が折れた。広範囲に掛かるから、下手に退避させることも出来ないし。いや、本当に手強かった。……安っぽい言い訳だと、君は思うかもしれないけど」

 

 

 君、と言って私に視線を向ける。その通り、彼が連ねる言い訳は、随分と安っぽかった。けれど、あえて、そんな風に語っている印象もある。だから私は、その次に続く言葉を簡単に想像することができた。

 

 

「俺は、母を――――鬼を、殺せなかった」

 

 

 後悔の言葉。苦渋が滲む声に、やっぱり、と思ってしまった。だって、この人は優しい(馬鹿な)人だから。

 

 

「彼女は、殺してくれと、他でもない息子の俺に懇願していたのに」

 

 

****

 

 

 人を喰わねば生きられない。尊敬する父母だけでなく、愛する夫さえ喰い殺した。今この時も、息子であるはずのお前の身が美味そうに思えて苦しい。もう、嫌だ。辛い。苦しい。殺して欲しい。このまま生き永らえたとて、何の幸があろうか。地獄に落ちるのでもいい。今の生き地獄よりはましだろう。私にこれ以上、人を殺させ、喰らわせないで欲しい。だから、どうか、どうか!――――息子よ。

 

 

「――――(わたし)を、コろし、テ」

 

 

****

 

 

(胡蝶しのぶ)

 

 雨脚が強くなっている。

 

 

「次に見えることがあったら、今度こそ、俺は母を斬らねばならないだろう。…いいや、きっと斬る、斬ってみせる。あの人は、堕ちるとこまで堕ちてしまったから」

 

 

 ええ、そう言うと思っていた。

 

 

「けれど、この子の妹は、俺の母のように堕ちてはいない。ギリギリのところで踏みとどまり、鬼舞辻の呪いから逃れようとしている。それをどうして、阻むことができようか」

 

 

 ゴロゴロと鳴る空は暗く、黒く。降り注ぐ雨は痛いくらいに身を叩く。これは、この人が呼んだ雨だ。何もかもを洗い流すような、そんな、雨。

 ふ、と。体が軽くなった気がする。季節さんはいつの間にか刀を納めていて、倒れていた隊士を背負っていた。庇われていた鬼も、起き上がって季節さんと手を繋いでいる。その姿がまるで、兄妹のように見えて。

 

 

「お館様がお呼びです」

 

 

 そんな伝令と共に、季節さんの肩に降り立ったのは、白い鴉だった。一見、鳩のようにも見えるけれど、間違いなく鴉である。雨に濡れそぼって羽が逆立っているものの、その美しさは変わらない。季節さんの首元に頭を寄せ、甘えたような声で鳴く。

 

 

「ありがとう万代(ましろ)

 

 

 初めて出会ったその時から。この人は不思議な人だった。

 

 

「それじゃあ、行こうか」

 

 

 何もかもを見透かしたような目と、言動。今いる柱の誰よりも早く、そして長く鬼殺隊に所属していて。その実力はお館様に認められ、柱の襲名も許されていた。惜しむらくは、本人に柱になる気がなく、のらりくらりと逃げ続けていたことか。

 天気のように気まぐれで、けれど、雨のように何もかもを洗い流してくれるのではないかと思わせる眼差しに。

 

 

「――――貴方には、何の悩みもないものだと、勝手に思っていました」

 

 

 私は、この人のことを、何も知らなかったのだと思い知った。

 

 

****

 

 

 “鬼洗い”と呼ばれる剣士がいる。

 “鬼洗い”とは、大晦日に降る雨のことだ。追儺(ついな)という宮中の年中行事に由来するとも言われている。その追儺は、悪魔を祓い、悪疫邪気を退散させる儀式のこと。

 始まりは中国。文武天皇の頃に日本に伝わり、寺社、民間でも行われるようになったという。古くは大晦日に行われたが、後に節分の豆まきへと姿を変えている。閑話休題(そんなところで)

 件の剣士は、鬼に怒りを向けるでも、憎しみを向けるでもなく。憐れと思い、来世は善い生をと願いながら頸を斬る。故に、平隊士からは、岩柱の悲鳴嶼行冥と同一視されることもある。けれど、全くの別人だ。

 悲鳴嶼は鬼を殺すことに戸惑いはない。当然、“鬼洗い”にも戸惑いはない。けれど、悲鳴嶼と考えを異にしているのも確かだった。

 

 

「鬼であることに苦しんで、己の所業を悔いる者がいることを知っている。自ら頸を差し出し、地獄でもいいからと生から逃れたがる者を知っている。その者たちを踏みつけることは、即ち、人の道から逸れることだと思っている。だって、鬼は――」

 

 

 それは、父から継いだ、確かな想い。

 

 

「――人間だったんだ。俺や、君たちと同じ、人間だった。望んで鬼になった者も、望まず鬼になった者も――そして、鬼舞辻無惨(始まりの鬼)も。元々は人間だった」

 

 

 それは、いつかに読んだ、ある物語の主人公が口にしていた言葉。

 

 

「醜いのではない、虚しく、悲しい存在なだけだ」

 

 

 それらを、“鬼洗い”は、心に刻んでいる。




我妻 善逸、嘴平 伊之助、栗花落 カナヲ
 炭治郎の同期、もう一人いる。善逸は高音が汚いし、伊之助は話を聞かない、カナヲは口を利かない。うん、とても濃い。善逸と伊之助の那田蜘蛛山での負傷具合は、原作通り。ただし、カナヲは炭治郎の顎を砕き損ねた。良かったね、炭治郎。

冨岡 義勇
 炭治郎を鬼殺隊に導いた鬼殺隊の“柱”の一人。担うのは水柱で、同じ師の下で競い合った錆兎と共に襲名した。異例の二人体制の訳は、本来なら水柱を襲名するは主人公だったから。当人らは代理襲名だと言い張り、主人公が回復次第辞任する気満々だったりする。が、恐らく主人公に阻止される。

胡蝶 しのぶ
 鬼殺隊の“柱”の一人。薬学に精通しており、鬼を殺す毒を作った剣士。冨岡をよくいじる。主人公のことは、鬼殺隊の中で一、二を争う実力者と認識している。姉からもよく話を聞いていた。姉が入隊する以前からいることも知っているので、年齢が知れないことに内心慄いてもいる。あ、姉は生きてます。

万代
 季節の鎹鴉。真っ白なメスで気位が高い、とても流暢に人の言葉を操る。理由は定かではないが、不死川(兄)のことが嫌いらしい。

季節 津衣鯉
 彼を知る隊士たちには、雨の日にだけ現れる鬼殺し、“鬼洗い”と呼ばれている。一部では、“季節津衣鯉河童説”も噂されているが、全くの嘘である。ちゃんとした人間です。強力な雨男であるがために、任務に就くと高確率で雨が降るだけで、晴れの日もちゃんと任務は受けている。が、やっぱり七割以上は雨になる。日照りが続く際には役に立つが、洗濯物が乾かないとしのぶには不評。そのため怪我をするともっぱら藤の家紋の家に厄介になる。
 常に狐のお面をつけているため、顔を知っている者は少ない。お館様と、育手だった鱗滝、弟弟子の冨岡と錆兎、稽古でお面を斬った炭治郎。それからなぜか“音柱”の宇随天元。そんな彼は、転生者である。前世は鬼滅の刃の読者だった。原作死亡キャラの救済を考えるも、真菰を救えなかった時点で若干諦めかけた。ただ、錆兎を救うことは出来たため、誰も救えないということはないとの確信は持っている。炭次郎は原作の主人公なので死にそうになることはあっても死なないだろう、と無駄に信頼してもいる。


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伍 青葉に注ぎ

ランキングを見ていて、当作品の題名が目に入った瞬間の驚きといったら……。
評価や感想も嬉しいです、きちんと読ませていただいております。
感想でご指摘いただいてることに関しましては、まあ、その……ね?←

肆までは五巻までの内容をざっくりと書きました。
伍以降は、じっくりと話を進めていく予定です。

2019/07/20 加筆修正

冒頭は独白
炭治郎視点から原作軸
柱合会議





 ――事後処理部隊、(カクシ)

 鬼殺隊と鬼が戦った後の、始末をする部隊。構成する隊員は、剣技の才に恵まれなかった者たちが殆んどである。


 ――柱とは。

 鬼殺隊の中で最も位の高い、()()の剣士である。柱より下の階級の者たちは、恐ろしい早さで殺されてゆくが、彼らは違う。鬼殺隊を支えているのは、間違いなく、柱たちだった。


 盛りを迎えた夏草の上に、恵みの雨が降り注ぐ。強すぎず、弱すぎず。多くもなく、少なくもなく。俄雨と言うには雲が厚い。豪雨と言うには雲が薄い。

 

 

「津衣鯉」

 

 

 そんな空を、縁側に腰掛けて見上げ、薄っすらと笑っていたその人は。

 

 

「なぁに?父さん」

 

 

 もう、この世にはいない。

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 目が醒めた時、真っ先に目に入ったのは、お面をつけた横顔だった。

 

 

「おはよう、炭治郎」

 

 

 左目の下に雫が三つ描かれた狐のお面をつけた人。季節さんは、目を覚ました俺にそう言った。剣士にしては細い手指が俺の髪を梳き、トントン、と二度額を軽く叩く。

 

 

「そろそろ膝を返してもらってもいいかな?」

「えっ」

「少し痺れて来た」

「えっ、アッ!?すみません!!」

 

 

 一瞬、膝を返して欲しい、と言われて頭が理解を拒否した。続く言葉を聞いて、どうやら俺は、季節さんに膝枕というものをされていたらしいことを知った。その事に思い至ると同時に飛び起き、体中の痛みに声を挙げて蹲る。

 えっ、痛い。凄く痛い。何だこれ。あまりの痛さに、涙が滲んできた。無理して飛び起きるから、と頭上から笑い交じりの声が聞こえる。季節さん、と呼んだ俺の声は情けなく震えていたけど、本当に体が痛いんだから、仕方がない。

 

 

「治療してやりたかったんだけど、時間がなくてね。そろそろ皆が集まる頃だろうから、行こうか」

「えっ」

 

 

 何だろう。俺、さっきから“えっ”としか言ってない気がする。

 

 

「行こうか」

「ど、どこに?」

 

 

 挙動不審な俺に、季節さんはにっこりと笑う。お面をしていても分かる。今、季節さんはすごい笑顔だ。しかし、その目は笑っていない。

 

 

「行 こ う か」

「――――はい」

 

 

 詳細を明かされぬまま、圧に負けた俺は季節さんの後ついていく。…そういえば、ここはどこなんだろう。

 

 

「ここは産屋敷邸。鬼殺隊を率いるお館様――産屋敷耀哉様の邸宅だ。所謂、鬼殺隊の本部ってやつだね」

 

 

 前を向いたまま、季節さんが言う。俺の疑問を見透かしたようなその言葉に首を傾げると、困惑してる匂いがする、と続けて言われた。そうか、それなら納得だ。季節さんは、俺のように鼻が利くらしい。

 

 

「とはいえ、鱗滝さんとか炭治郎とかと違って、感情の匂いしか嗅ぎ分けられないんだけど」

 

 

 鬼が嗅ぎ分けられれば楽なのに。それは、有り余るほどの落胆の感情が込められた囁きだった。それから、庭園に面した座敷に着くまで、俺と季節さんの間に会話はなかった。

 

 

「――――遅えっ!!」

 

 

 そう言ったのは、とても派手な格好の人だった。

 玉砂利が敷き詰められ、丁寧に整えられた庭木が美しい庭園に、あまりにも不釣り合いな存在が数名。隊士なんだろうけど、見覚えのない人ばかりだ。その人たちから少し離れたところには、冨岡さんがいる。

 

 

「裁かれる側が何の拘束もされていないというのは、なんとも不思議な話ですね」

「この子が何かしようとしたら俺が抑えるから問題はないさ、しのぶさん」

「遅刻の上、病み上がりが随分と派手に粋がりやがる」

「確かに遅刻もしたし病み上がりだが勘は鈍っていないぞ、宇随」

「無事のご生還お祝い申し上げる!!しかし、俺も遅刻はどうかと思う!!」

「ありがとう、それから遅刻したことは素直に謝るよ、煉獄」

「(季節さん…元気そう、良かった…)」

「そんなに見つめられると些か気恥ずかしいな、蜜璃さん」

「あぁ…(ともがら)の生還は喜ばしい反面、なんとも憐れでならない……」

「相変わらずぶっ飛んだ思考をしてるようで、安心したよ悲鳴嶼」

「…何だっけあの形の雲、季津は知ってる…?」

「うん、覚える必要はないが、あれは塔状雲というのさ、無一郎」

「拘束と言うなら、季節。お前と富岡も拘束されてしかるべきだろう」

「悪いことをした覚えがないが、さて、どうしようかね伊黒」

「――――、」

「立派に柱を務めているようで、兄弟子として鼻が高いよ、義勇」

 

 

 かわるがわる。小気味よく。ここにいる全員と言葉を交わした季節さんからは、白々しい匂いがする。相手の人も、その白々しさに気付いているのか、目が怖い。

 一触即発の空気に、咄嗟に腰に手を伸ばして空振り、刀がない事に気が付いた。そして、禰豆子がいないことにも。

 

 

「オイオイ本当に起きてきたのかよ!死にぞこないがご苦労なことだなァ!!」

「……君は、お館様の前以外でも取り繕うことを覚えた方が良いね、不死川」

 

 

 敵意のある声と、匂い。季節さんの匂いも変わり、ほのかな苛立ちを薫らせる。面があることで表情の変化は分からないけれど、季節さんは確かに怒っていた。いつもは雨の匂いの他に、湖面のように穏やかで静かな匂いがするのに。それがどこかに消え去って、不死川と呼んだ人に怒りを向けている。

 何故だろう。そう思った瞬間、不死川さんが手に持つそれに意識が引っ張られた。――禰豆子の箱だ!無意識に動いた俺の体を、季節さんが止める。肩に爪が食い込むほど強引に。

 

 

「鬼を連れて来るなんて、ふざけたことしやがったのはどこのどいつだ?…てめェか?季節ィィ!!」

「ああ、俺が連れてきた」

「あ゛ァん?」

 

 

 俺は思わず、季節さんを振り返った。理由は分からないけれど、俺を庇っているらしい。

 

 

「俺が頷くとは予想外だったか?」

 

 

 眉を寄せて、不死川さんは季節さんを睨み付ける。

 

 

「この屋敷に鬼を連れてくるのは御法度、確かにその通りだ。ここにいるのが、()()()()()()()()()()()()()()()()、ね」

「……あ゛?」

「君が持つ箱に入っている鬼は、()()()()()()()退()()()()()だ」

「――――はァ?」

 

 

 何を言い出すんだろうか、この人は。俺や不死川さんだけじゃなく、この場にいた全員が、そんな顔をしていた。

 

 

「だから殺す必要はない」

「…んな話はしてねェ。俺は、鬼をつれてきた愚か者は誰かって聞いてんだよォ…!!」

 

 

 頬を引き攣らせ、地を這うような声で、不死川さんは言う。季節さんは気にした様子もなく、コテリ、と首を傾げた。

 

 

「だから、それは俺だ」

「っざけんな!?鬼をつれた隊士はてめェの横にいる餓鬼のことだろうがァ!!そいつ以外にこの鬼をこの屋敷連れ込めるやつがいるか!!」

「さっきまで炭治郎には意識がなかったし、鬼の箱を持ってくるよう隠に指示したのは俺だ」

「ッ!!ッッ!!!!」

 

 

 うわぁ、と。言葉では言い表せないほど凶悪な顔をしている不死川さんを見て、何人かが顔を引き攣らせる。

 

 

「先んじてお館様から許可もいただいている。だから――」

 

 

 不意に、雨の匂いがした。

 濡れた土と草の匂い、少しだけの生臭さ。ざわりと空気が動いて、空に雲が集まってくる。気のせいだろうか。季節さんの体の周りを、小さな水の玉が渦巻いて昇っていくように見えた。そして、その姿が消える。

 

 

「返してもらうよ。大事な弟弟子の、大事な妹が入っている箱だからね」

 

 

 ほんの一瞬の出来事。季節さんの手には禰豆子の箱が抱えられている。一呼吸の間に箱を取り戻したらしい、全く見えなかった。他の柱の人たちも、季節さんの動きを追えていなかったようで。数人が顔をしかめ、宇随さんが流石、と口許を歪める。

 手元から箱を奪われた不死川さんは、怒りの匂いを強く、濃くさせると、刀に手を掛けた。けれど、それが抜かれることはない。不死川さんより速く、季節さんが抜き身の刀を不死川さんの首元に突きつけたからだ。

 

 

「お館様がいらっしゃるまで、まだ時間がある。刀で語り合うのもいいが、俺達には立派な口があるんだ。話をしよう不死川、俺が昏睡していた間のことを聞かせてやるよ」

 

 

 酷く寒々しい声だった。

 

 

「臨死体験と言うものをしたんだ」

 

 

 不死川さんの返事を待たず、季節さんは話し始める。俺と出会った時のことだろうか。でも、五年も昏睡状態だったというから、五年分の話をするんだろう。少しだけ興味を引かれつつ、季節さんから禰豆子の箱を受け取る。季節さんは刀を修め、周囲を見回してから口を開いた。

 

 

「最初の一年は、隊士たちについて回った。その中で、実体がなくても雨は降らせられる、ということが分かったから、腹いせに宇随に頻繁について回った」

「任務中やたらと雨が降ってたのはてめェのせいか!!!?」

「正直すまなかったとは思っているが、後悔はしていない」

「あ゛あん!?」

 

 

 格好が派手な宇随と呼ばれた人が激怒する。

 

 

「二年目は、宇随に付きまとうのも飽きたから、しのぶさんの屋敷にいた。人には触れなかったが物には触れたからね、屋敷の掃除とか備品の整理をしていたかな」

「洗濯物の乾きが悪かったので感謝しづらいです」

「ううん…それは申し訳ない」

「はい」

 

 

 しのぶさんと言う人が笑顔で毒を吐いた。

 

 

「三年目は、川の傍にいた。何ともなしに眺めていたら、声を掛けられたんだ。“強く生まれた者としての責務がまだ残っているのですから、早くお戻りなさい”とね」

「――――うむ。その通り、まだ責務を果たしきってはおらん!」

「最低でも、母の頸を落とすまでは死ねないよ」

「それから先も生きねばな!」

 

 

 煉獄さんとやらが、柔らかく目を細めた。

 

 

「四年目は――――鬼舞辻を探していた。北に南に、東に西に。何の手掛かりも掴めなかった。途中、鬼と遭遇することもあった。……物に触れるくせに、どうしてか刀には触れなくてね。目の前で人が鬼に喰われているのに、何もできないんだ。あれは、本当に頭にきた」

「は!!そいつは昏睡してたてめェが悪ィ!!ザマァ見やがれ!!」

「君は本当に口が悪いな?」

「てめェに言われる筋合いはねぇ!!」

 

 

 箱を取られた腹いせか不死川さんがいい顔で笑う。

 

 

「五年目に育手が暮らす狭霧山に行った。そこに炭治郎がいたから、稽古をつけてね。あとは……お館様がご存知のことだから、別に、君たちに語る必要はないかな」

「――――そうだね、津衣鯉」

 

 

 頭がふわふわするような、不思議な高揚感を抱かせる声が、聞こえた。



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陸 草木潤す

予約投稿です

2019/07/21 加筆修正

冒頭は独白
それ以降は原作軸
柱合会議


 耀哉がその男と出会ったのは、まだ齢五つか六つという頃だった。

 その日は雨が降っていて、耀哉は縁側に座り、ぼんやりと庭を見ていた。そうしていると、ふと、庭に見慣れないものがあることに気が付いた。庭木に隠れるように、けれど決して見つからない訳ではない所に、人が立っていた。

 青葉を思わせる真鴨色の着流しに、土器(かわらけ)色の帯を締めた剃髪の男。腰には刀を差していて、初めは鬼殺隊の隊士かと思ったが隊士の来訪があるとは聞いていない。何か特別な報告があって父に会いに来たのか、とも思ったが、それにしても雨の日に庭で待ち合わせと言うのもおかしい。

 結局、何も悪い気配はしなかったので、耀哉はその男を放っておくことにした。

 男は雨の中、じっと空を見上げている。その視線の先には、代わり映えのしない雨雲があるだけだ。どんよりとした、重苦しい、灰色の雲。紫陽花には映えるが、耀哉は、雨よりも晴れの日の方が好ましかった。

 けれど、熱心に雨雲を見つめる男を見ているうちに、なにをそんなに真剣になっているのか気になった。声を掛けようかとも思ったが、邪魔をするのも憚られ、そのまま男を観察し続けた。

 それから、どれほど時間が経っただろうか。雨はいつの間にか止んでおり、西の空は茜色に染まっていた。濡れた土の匂いが鼻を突き、耀哉は少しだけ眉間に皺を寄せる。その時だった。ずっと空を見つめていた男が、耀哉に視線を寄こしたのは。

 

 

「――――雨は、嫌いかね」

 

 

 皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、男は言った。穏やかな声だった。不思議と心が落ち着てくるようで、頭がふわふわとしてくるようにも感じた。そんな耀哉の状態を知ってか知らずか、男はさらに続けて言った。

 

 

「雨は天からの慈悲であり、罰である。君が厭えば悪となり、受け入れれば善となる。覚えておくといいだろう」

 

 

 その男とは、それきり。言葉の意味を尋ねる間もなく、たった一度の瞬きの間に、男の姿は消えていた。何とも不思議な出会いだった。

 まだしっかりと目が見えていたあの頃、あの時の情景は、今でも容易く思い出すことができる。強く、強く、脳裏に焼き付いているあの瞬間。――――新緑の色をした瞳が、確かに、耀哉を見返したのだ。

 

 

****

 

 

「よく来たね、私の可愛い剣士(こども)たち」

 

 

 右手を女児に、左手を錆兎に引かれながら、耀哉が姿を見せる。と、季節と炭治郎を除く全員が膝をついた。柱たちが一列に並び、一斉に頭を垂れる光景は圧巻にすぎた。季節は、口を開けて呆ける炭治郎の袖を引いて彼らの横に並ぶと、同様に膝をついて頭を垂れる。

 

 

「お早う、皆。今日は津衣鯉がいるから雨が降ると思っていたのだけれど、まだ降ってはいないようだね」

 

 

 炭治郎がちらりと横に視線をやると、季節からは苦笑する気配がした。

 

 

「顔ぶれが変わらないどころか、懐かしい顔が戻ってきて、半年に一度の“柱合会議”を迎えられたこと、嬉しく思うよ」

「お館様におかれましても、御壮健で何よりでございます。久しく見参に入れず、御心配をおかけいたしました。しかし、この通り回復に向かっておりますことを御報告し、合わせて、お館様の益々の御多幸を切にお祈り申し上げることと致します」

「ありがとう、津衣鯉」

 

 

 耀哉の挨拶に続き、誰よりも速く口を開いたのは季節だった。柱を差し置いての挨拶である。しかし、それは五年前まではよく見られた光景であり、柱と同等以上の実力者である季節が柱合会議に招かれ、挨拶を述べるのは何らおかしなことではなかった。

 不死川がギリギリと歯ぎしりし、甘露寺が少し気落ちする。横目で様子を窺っていた炭治郎は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で季節を凝視していた。すごいきちんと喋り出したぞ、とでも思っているのだろう。失礼な奴だとは思いはするが、それが炭治郎なのだからと季節はその視線を無視した。

 それから、一拍置いて不死川が口を開く。曰く、鬼を連れた隊士――つまりは炭治郎だが、それについての説明が欲しいとのことだった。話題に出された炭治郎は、今度は不死川を凝視していた。先程まで荒々しく季節に噛みついていた姿からは、全く想像ができない。知性を感じさせる様子に、目を白黒させている。

 季節は、そんな炭治郎の心境が手を取るように分かった。いくら知識として知ってはいても、実際にこの目で見るのとでは印象が違うものだ。

 

 

「そうだね、驚かせてしまってすまなかった。炭治郎と禰豆子のことは、私が容認していてね。そして、皆にも認めてほしいと思っている」

 

 

 そう言った耀哉に、柱たちはそれぞれの反応を見せる。反対する者、耀哉に従うと言う者、どちらでも良いと言う者、無言を貫く物。実に様々だ。季節は面の下で笑みを浮かべるだけで、何も言わない。炭治郎も、急なことにどうしたことかと狼狽え、耀哉と柱たち、そして腕に抱えた禰豆子が入っている箱を順繰りに見回した。

 柱たちの反応は想定の範囲内だったのだろう、耀哉は女児に手紙を読むよう促した。女児は懐から手紙を取り出し、一瞬、反対側に座る錆兎に視線を投げてから、その手紙を読み上げる。

 

 

「こちらの手紙は、()()である鱗滝左近次様から頂いたものです」

 

 

**

 

 

――――炭治郎が鬼の妹と共にあることをどうか御許しください。

 

禰豆子は強靭な精神力で、人としての理性を保っています。

 

飢餓状態であっても人を喰わず、そのまま二年以上の歳月が経過致しました。

 

俄には信じ難い状況ですが、紛れもない事実です。

 

もしも、禰豆子が人に襲い掛かった場合は、竈門炭治郎及び―――…

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

「“鱗滝左近次、冨岡義勇、錆兎。以上四名が、腹を切ってお詫び致します”」

 

 

 一瞬、全ての音が遠くなった。じわじわと胸に沁み込んでくるくる言葉を何度も噛み締めていると、視界がふやけてくるのが分かる。お面をしている季節さんは勿論、正面にいる錆兎さんの顔も、少し離れた所にいる冨岡さんの顔も、よく見えない。ただ、優しい匂いがするのだけは、確かだ。

 

 

「それだけでは足りぬと仰せでしたら、俺も腹を切りましょう。なに、可愛い弟弟子のためです。それくらい容易い」

 

 

 くしゃり、と遠慮のない、けれど優しい手つきで頭を撫でられた。俺は、この手の感触を知っている。安らぎを与えてくれる、俺のもう一人の師――――季津さんのものだ。

 

 

「……切腹するから、何だと言うのか。死にたいなら勝手に死に腐れよ!お館様、それは何の保証にもなりはしません」

「不死川の言う通りです!人を喰い殺せば、取り返しがつかない!!殺された人は戻らない!」

 

 

 不死川さんと煉獄さんの言い分は尤もだ。俺だって、当事者ではなくて第三者としてこの場にいたのなら、二人の発言に同意しただろう。けれど、俺は当事者だ。俺と、禰豆子のために腹を切ってくれると言う人が、四人もいる。そのことに、泣かずにはいられなかった。

 

 

****

 

 

「確かにそうだね。手紙だけでは、人を襲わないという保証も証明もできない。事実だとしても、心許ない。ただ……人を襲う、ということもまた、証明ができない」

 

 

 不死川や煉獄の言葉は正しいし、耀哉の言うことも道理である。

 禰豆子が二年以上もの間、人を喰わずにいるという事実がある。そして、その禰豆子の今後の行動に、五人の者の命が懸けられている。これを否定するには、否定する側もそれ相応、もしくはそれ以上のものを差し出す必要があるだろう。そう言う耀哉に、不死川も、煉獄も、口を閉ざすしかなかった。

 

 

「それに、炭治郎は鬼舞辻と遭遇している」

 

 

 耀哉のその言葉に、柱たちは炭治郎に詰め寄り矢継ぎ早に問いかけはじめた。見かねた季節が炭治郎を背に庇うのと、耀哉が彼らを静めたのはほぼ同時。ピタッと会話が止むと、耀哉は続けて言う。

 

 

「鬼舞辻はね、炭治郎に追手を放っているんだよ。その理由は単なる口封じかもしれないが、私は初めて鬼舞辻が見せた尻尾を、掴んで離したくない。恐らくは禰豆子にも、鬼舞辻にとって予想外の何かが起きているのだと思うんだ。分かってくれるかな?」

 

 

 耀哉の話が終わると、皆、何も言うことはなかった。ただ一人、不死川だけは、口端から血が滲むほど噛み締め、忌々しげに吐き捨てる。

 

 

「わかりません、お館様。人間ならば生かしておいてもいいが、鬼は駄目です。それに、身内が鬼となったと言うのなら、季節もそうだ。その季節は自らの手で身内(おに)を殺すと公言しているのに、どうしてこの餓鬼が連れている鬼は生かせと…?ふざけてる、承知できるわけがねェ!!」

 

 

 そう言うや否や刀を抜き放ち、その勢いのまま自身の右腕を斬り裂く――――斬り裂こうとした。玉砂利の上に血が飛び散る。けれど、斬り裂かれたのは不死川の腕ではない。刀身は不死川の腕を斬り裂く前に、季節の腕の肉に深く切り込まれていた。見るからに深手、下手をすれば片手が落ちていてもおかしくはなかった。

 

 

「……何のつもりだ季節ィィ!」

 

 

 激情露わに刀を振り上げた不死川の手から刀を抜き取り、足払いを掛けて庭に転がす。保険の意味も込めて、鳩尾に拳を一つおまけしておく。そして、炭治郎の手から箱を取り上げ、耀哉に向かって失礼と声を掛けてから屋敷に上がった。

 縁側から離れた、屋敷の奥。日の当たらない場所で、季節は箱の上で更に不死川から奪った刀を振り上げた。炭治郎と甘露寺が悲鳴に似た声を挙げ、他の者たちは息を呑む。

 

 

「不死川、君の気持は良くわかる。ただ、前提が間違っているんだ。俺の母は人を喰うことを厭い、戸惑ったが、結局は我慢をしなかった。けれど、禰豆子は違う。この子は――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 

 鮮血が舞う。同じことをやろうとしていた不死川でさえ、季節の行動に度肝を抜かれていた。



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漆 穀物育てや

2019/07/21 加筆修正

冒頭独白
炭治郎視点から原作軸
柱合会議、オリジナル展開


 その(おんな)は、いつも泣いている。殺してくれと、泣いている。そんなに泣いては目玉が溶けてしまうのではないかという程、泣いて、鳴いて、啼いて。人の血肉を喰らいながら。――――その母親(おに)()()()()()

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 ぼたり、ぼたり、と。夥しい量の血が腕から流れ出ている。それを、禰豆子の箱の上にかざす季津さんは、驚くほど感情の匂いがしなかった。とんでもない速さで、赤い染みが広がっていく。季津さんのが腕が、血の気を失って青白くなっているような気もする。

 

 

「お前は決して、炭治郎を裏切らない」

 

 

 囁くように、季津さんはそう言った。その言葉の後を追うように、空が段々と暗くなり、より一層雨の匂いを運んでくる。

 

 

「――――信じているよ、禰豆子」

 

 

 その瞬間、蓋が蹴り破られた。

 

 

**

 

 

 空っぽの腹を刺激する匂いが鼻を衝く。視界が急激に狭まっていき、頭に熱が昇る。ぐつぐつと、体の中で血が煮立っているような感覚さえある。目の前には、欲してやまなかった極上の餌がある。それでも、人は、守り、助けるものだ。だから――――傷つけない。絶対に、傷つけない。

 それが、禰豆子の答えだ。

 

 

**

 

 

 その場にいた誰もが、禰豆子の一挙手一投足に注視していた。禰豆子の大きく縦に裂けた瞳孔は、滴る血を凝視している。けれど、それだけだ。額に汗を滲ませ、息を荒くさせて、流れ落ちる血を見つめている。禰豆子から季節に手を伸ばすことはない。

 そして、プイッ、と。そんな音が聞こえてきそうなくらいにはっきりと、禰豆子は季節の血だらけの腕から顔をそむけた。その結果に、錆兎は満足げに笑って、冨岡は静かに頷く。炭治郎は禰豆子の名前を叫びながら、号泣した。

 鬼が人を襲わない。極上の餌をチラつかせていても、手を出さない。

 

 

「ではこれで、禰豆子が人を襲わないことの証明ができたね」

 

 

 一部始終を女児から聞いた耀哉の言葉に、反対の声が挙がることはなかった。それを見届け、季節は面の下で笑みを浮かべる。結果は上々、ただ、血を流しすぎたのか頭がくらくらする。そんな季節に気付いたのか、呆れた顔でしのぶが駆け寄り、季節の羽織の袖を裂いて止血を始めた。

 その横で、禰豆子はうつらうつらと頭を揺らしていた。そして、こてん、と。季節の膝に頭を落とすと、しゅるしゅると体を縮ませ丸くなる。まるで猫のようだ。季節は傷を負っていない方の腕で禰豆子を抱き寄せ、大人しくしのぶの治療を受ける。そして、空を見上げ、ぽつりと。

 

 

「そろそろ降り出すかな」

 

 

 他人事のように呟いた。次の瞬間、その言葉通り雨が降り出した。水を溜めていた桶をひっくり返したような、勢いのある、強い雨だ。耀哉の誘いで皆が屋敷に上がり、どこからともなく現れた女児たちが用意した手拭いで水をふき取る。ざぁざぁと降る雨の音を聞きながら、全員が落ち着いた頃を見計らって。

 

 

「禰豆子のことを快く思わない者は、まだいるだろう。今回は大丈夫だったかもしれないが、次に同じことがあればどうなるか分からない、とも思っているだろう」

 

 

 穏やかな笑みを浮かべながら、耀哉は言う。

 

 

「だからね、炭治郎。証明しなさい。これから、炭治郎と禰豆子が鬼殺隊として戦えること、役に立てることを、行動で示して欲しい」

 

 

 耀哉の声音、動作の律動は、聞く者の心地を良くさせる。現代の言葉で、1/f(エフぶんのいち)ゆらぎと言われるそれは、カリスマ性があり、大衆を動かす力を持つ者が備えている場合が多いのだという。

 ふわふわとした不思議な感覚に、炭治郎は覚えがあった。それがいつ、どこで聞いたものかは思い出せないが、とても大切な記憶だったように思う。そんなことを思いつつ、炭治郎は耀哉の言葉を真剣に聞いていた。

 

 

「十二鬼月を倒しておいで。そうしたら、皆に認められる。炭治郎の言葉の重みが変わってくる」

「俺は…!」

「くれぐれも、鬼舞辻とは戦わないこように!運よく生き残れたとしても、重傷を負うのは目に見えているから、ね?とりあえず、十二鬼月を一人倒すところから始めるように」

「は、はい…」

 

 

 勢いよく返答しようとした炭治郎だったが、季節の横槍に出鼻を挫かれ声をすぼめる。耀哉もまた、季節の言葉に頷いて笑った。

 

 

「鬼殺隊の柱たちは、当然抜きん出た才能がある。血を吐くような鍛錬で自らを叩き上げて死線をくぐり、十二鬼月を倒している。だからこそ柱は尊敬され、優遇されるんだよ」

 

 

 消え入るような声で返事をした炭治郎の背を、ぎこちない手つきで冨岡が慰めるように撫でる。なんとなくしょっぱい気持ちになりながら、不死川に刀を返す季節を横目に冨岡に頭を下げた。そして、錆兎と耀哉にも深く頭を下げ、最後に季節を見て。

 

 

「これからもご指導のほどよろしくお願いします!!」

 

 

 そう言って直角に腰を折った。その愚直なまでの誠実さに、それこそが炭治郎の美点だと、季節は面の下で笑う。かつて紙面でしかその活躍を知ることができなかった存在を目の前に。その成長を間近で感じられることが、幸せだなあと思うのだ。

 すやすやと、胸を上下させる禰豆子の頭を傷ついていない方の手で撫でる。これで、ひとまずは、炭治郎と禰豆子の安全は確保されたと思っていいだろう。次にやることは、と思考を巡らせた季節の耳に、とんでもない情報が飛び込んできた。

 

 

「炭治郎の話が終わったから、今度は津衣鯉の柱襲名の儀を行おうか」

「――――はい?」

 

 

 聞き間違い、それとも冗談?耀哉の表情を窺った季節は。

 

 

「柱襲名の儀だよ、津衣鯉。触れを出してから随分と間が開いてしまったけれどね」

「――――――――――――は?!」

 

 

 面の下で盛大に顔を引き攣らせた。

 

 

**

 

 

(錆兎)

 

 ざわり、と空気が動いた。その中心にいるのは兄弟子の季津で、面を被っていても分かる驚きように思わず口元が弛む。いい驚きを提供できたようで、とても嬉しい。他の柱の面々も、思いもよらぬことだったのだろう。少しだけ面食らった顔で、しかしすぐに納得したのか各々笑みを浮かべる。

 意外にも、一番動揺しているのは本人、ではなく兄弟弟子の義勇だった。常々、自分は水柱に相応しくないと言っていたから、当然と言えば当然か。それは俺も同じだが、俺はお館様に直接お話を聞く機会があったから、それほどでもない。お館様から話を聞いた当初は、酷く驚いた覚えがあるけれど。でも、それで納得できた。

 

 

「水柱ならば既に義勇と錆兎の二人が襲名しておりますが、まさか二人に退けと?」

「そうではないよ。ああ、でも、二人体制ではなくなるかな。錆兎には私の側付きを命じたから、水柱は義勇ということになる。事後承諾となってしまうけれど、構わないかな義勇?」

「…はい」

 

 

 全然構う、という表情をしている。表面上冷静に見えるが、実のところ酷く混乱しているに違いない。若干目の焦点も合っていない気がして、ほんの少し、申し訳ない気持ちになった。

 

 

「では、その、お館様は俺に何柱を襲名させようとお考えなのでしょうか?」

 

 

 そんな義勇を横目に、そう尋ねた季津に、お館様が笑みを浮かべる。

 

 

「津衣鯉が柱を襲名するという話が出た時、皆はこう思ったのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とね。でもね、よく思い出してほしい。私が出したのは()()()()と言う触れで、()()()()()とは一言も言っていないんだ。…この言葉の意味が分かるかい?」

「――――えっと、つまり、それは、」

 

 

 悪戯が成功した子供のように、嬉しそうに、楽しそうに。

 

 

「それじゃあ――――()()()()()()を始めよう」

 

 

 お館様がそう言った時の季津の顔を見られなかったのが、少しだけ残念だった。――そういえば、なんで季津はずっと面を着けてるんだろう。

 

 

****

 

 

(鱗滝左近次)

 

 久しく便りがなかった弟子から文が届いた。形式に拘らないあの子らしい文であったが、内容は随分と支離滅裂だった。何とか読み取った部分には、“ご心配をおかけしました”、そして、“雨柱の襲名”の文字が見て取れる。それを目にして、漸くか、と肩の荷が下りる思いがした。

 

 

「新しい柱の誕生か」

 

 

 随分と長くかかったな。十数年余りの歳月を鬼殺隊士として活動し、十分な実力を携えながらも、のらりくらりと襲名から逃れていた愛弟子。漸く襲名を受け入れたかと思えば、任務での怪我が原因で昏睡状態に陥った。そうまでして柱になりたくないのかと、心配と共に苦笑した覚えがある。

 先にあの子の弟弟子の二人が水柱を襲名したことを知らせてきた時には、思わず笑ってしまった。お館様も、随分と粋な計らいをするものだ、と。

 我が弟子らしく、水の呼吸を()()扱うあの子が、水柱以外を襲名するはずがない。誰もがそう思ったことだろう。しかし、しかしだ。あの子は水の呼吸を習得すると、早くから自らの呼吸法を確立させるべく努力していた。その一つが、“神立”である。

 拾壱ノ型とは言っているが、あれは、厳密には水の呼吸の型ではない。雷の呼吸との複合技であるそれは、もはや別の呼吸法の型である。名をつけるとしたら――――そう、()()()()と言ったところか。

 加えて。可哀想ではあるが、よく雨に降られるあの子は、“雨柱”の名が相応しい。字面こそ違うものの、名前も雨の一つを冠しているのだから、運命と言ってもいいかもしれない。ただ、あの子にその話をすれば、嫌がられるのだろうが。

 

 

「お前の姪孫(てっそん)は、随分と立派に育ったぞ」

 

 

 棚から、片耳が欠けた狐の面を取り出し呟く。それを座布団の上に置き、二つある盃のうち新緑色の物を面の前に置いた。生憎と徳利などないため、瓶からそのまま酒を注ぐ。

 

 

「――――解霜(さとえ)、見ているか」

 

 

 今宵は古い朋との思い出を肴に、祝い酒とするとしようか。……ただ、お前も承知だろうがわしは下戸ゆえ一献で勘弁してもらおう。

 

 

「物足りんと言われるだろうが」




錆兎
 この度、お館様こと産屋敷耀哉の側付きに任命された。五年前、錆兎が受けた任務に鬼が複数関係していることが発覚し、応援要請をしたところ季節が合流した。季節の昏睡には自分の未熟さが関係していると悔やんでいるが、表に見せることはない。強くなって、今度は彼の背を護れるよう、そしていつかは隣に立てるよう。今日も彼は刀を振るう。
 季節のことは季津と呼んでいる。残念ながら、この先は当分出番がない。

冨岡 義勇
 この度、正式に水柱として着任した。混乱しているが顔に出ない。出せばちょっとは可愛げがあるぞ、と錆兎に思われていることを知らない。原作の冨岡さんよりはネガティブではないはずだが、自分は柱に相応しくない、とは思っているかもしれない。安定の口下手、ただし錆兎がいると通訳してくれるので困ってはいなかった。ただし、今後は困る。
 季節のことは季津と呼んでいる。

鱗滝 左近次
 愛弟子からの手紙を読んで、安心すると共に少しだけ肩の荷が下りた。同期の同呼吸法を使う鬼殺隊士に破天荒な奴がいたが、季節にもその片鱗が見えていてちょっと胃が痛い。お前の姪孫はお前に似て手がかかるぞ。ちなみにその同期が先代雨柱なのだが、柱への就任方法が季節と全く同じであったことをご報告しておく。
 名字で呼ぶと同期とも被るので、季節のことは下の名前で呼ぶ。

産屋敷 耀哉
 皆大好きお館様。巧みな言葉遣いで、季節の意表を見事についてみせた。幼少の頃から季節を知っているため、自身の剣士(こども)であると同時に、兄のようにも思っている。いつかに出会った剃髪の男に似ているな、と記憶の片隅で思っているかもしれないが、それ以上に強烈な存在がいたりする。が、それは今はまだ語るべきことではない。
 季節のことは、他の隊士同様下の名前で呼ぶ。


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捌 恵みの雨

2019/07/21 加筆修正

前半過去話
後半原作軸
蝶屋敷、機能回復訓練


 季節(すえふし)の家は、代々藤の花を家紋としてきた。何代か前の当主が鬼殺隊に命を助けられた、とか。初代が産屋敷家と交流を持っていた、とか。理由は兎も角、鬼殺隊ができた当初から藤の花を擁き、彼らと共にあったという。しかし、その季節家の者も今ではたった一人しか残ってはいない。

 ところで、その季節家のことだが。隊士として入隊した者が、二人いることをご存じだろうか。一人は季節家の生き残りで、現当主の季節津衣鯉(すえふしついり)。元水柱鱗滝左近次に師事し、冨岡義勇、錆兎、竈門炭治郎らの兄弟子。

 最年長かつ、現役隊士の中で最も長く隊士として活動している。そんな彼は、産屋敷耀哉がまだ六つの時に最終選別を合格し、鬼殺隊へと入隊した。最近では、騙されるような形で雨柱を襲名させられた、今を時めく狐面の剣士である。

 もう一人は、鱗滝左近次と同期の男。黒い隊服では味気ないからと身につけず、代わりに自前の着流しを纏って。休息所となっている実家にいては、他の隊士の気が休まらないだろうと、産屋敷邸に勝手に住み付く。

 変わり者として知られた、実に愉快な男だ。そんな同期に鱗滝は辟易としていたし、同門の出であるということにも頭を痛めた。それでも、その実力は本物で、鱗滝と共に切磋琢磨し、水の呼吸をもって一流の剣士――鬼殺しとして名を馳せた。

 その男の名を――――季節解霜(すえふしさとえ)と言う。

 真鴨色の着流しに土器色の帯を締め、綺麗な形の剃髪が特徴の男だ。一応断っておくと、彼は出家していたわけではない。ただ、定期的に髪を整えるのが面倒だからと、頭を丸めていたにすぎない。

 片時も面を外さず、食事の時は顔の上半分を覆う面を着け、徹底して顔を隠す。お館様さえまともに彼の素顔を見たことが無かった。そのため、面を外し、格好を変えれば、誰もが解霜だと気づくことはない。ただ、剃髪を隠していれば、と言う条件が付くが。

 他にも、左差しが当然の刀を右に差していたり、喜んで喧嘩を売り買いしていたりと。なかなか逸話が多い。刀に関しては、左利きを矯正しようとして失敗し、結局右に差すに落ち着いたのだとか。

 それを指差して嗤う者たちを、文句があるならばかかってこい、と挑発するのが常だった。そうした、挑発に乗った者たちで築かれた人の山。その始末を、なぜか鱗滝に押し付けて本人は逃走。結果、“鬼の霜、仏の滝”と呼ばれるに至ったことは、鱗滝にとって甚だ不本意であった。

 

 

「この……ッ、解霜!!」

「後は頼んだぞ左近次!!」

 

 

 犬猿と言うにはやや近しく、連理と言うにはやや遠い。二人の距離感とは、そういうものだった。そんな奇妙な関係は、どちらかが死ぬまで続くのだろうと思っていた。――――そう、思っていたかった。

 解霜には、兄と妹、そして弟がいた。両親を流行り病で早くに亡くし、幼くして当主となった兄を、妹弟たちと共に支えながら生きてきた。その兄も、無理が祟って二十を目前に亡くなり、妹は失意のあまり伏せがちになった。

 長男が亡くなれば、その跡を継ぐのは長男の子。子がいなければ、次男。そういった年功序列が当たり前だった時代、しかし、解霜は早々に家督を放棄し、弟を当主につかせるべく方々に手を回した。

 

 

「風の吹くまま気の向くまま、そんな性格の自分では家を存続させられる訳がない。お前であれば、堅実に、鬼殺隊とうまく寄り添ってやって行けるだろう。面倒な事を押し付けることを心苦しく思うが、きっと俺ではだめなんだ」

 

 

 そう語った解霜()に、弟は快く当主の座を引き受けた。そして、手続云々は任せろと言う彼に変わり、妹の看病をしていた。――――そんなある日、解霜が帰宅すると、弟が真っ青な顔で彼を出迎えた。どうかしたのかと聞いてみると、妹が寝室から忽然と姿を消したのだと言う。

 人手を借りて捜索すること三日三晩。結局妹は見つからず、代わりに見つかったのは、解霜がいつかに買ってやった柘植(つげ)の櫛のみ。その櫛も半ばから真っ二つに折れ、べっとりと血がついていたらしい。

 それから一年と経たずに、解霜は鬼殺の剣士となった。元々隊士になるために修行を積んでいて、そのために家督も放棄したのだ。家の方が落ち着いた以上、入隊しない訳にもいかなかった。妹の行方は気になるが、おそらく、鬼殺隊にいればどこかで巡り合う。そんな予感がした。

 鱗滝と出会ったのもその頃だ。、二人は同じ年の最終選別に合格し、鬼殺隊士となった。それから十数年もの間、二人は互いを支えとして戦っていくことになる。時に馬鹿をやりながら、お館様の覚えもよく、いつしか柱を襲名していた。それでも、二人は変わらなかった。変わりようがなかった、はずだった。

 何かがおかしい。鱗滝がそう気が付いたのは、解霜がある任務で怪我を負って帰って来た時だ。任務中の怪我は、鱗滝にも経験がある。しかし、それは相応の実力を兼ね備えてからは滅多になくなり、今では無傷で任務を終えるのが常だ。

 解霜もそうであったし、実力で言えば鱗滝よりも解霜の方が上だ。なおさら、怪我を負って帰ってくる、ということが信じられなかった。十二鬼月と遭遇したのかと問えば、違う、と返ってくる。ならば油断でもしたのかと問えば、然もありなん、と返ってくる。白々しい、嘘の匂いがした。けれど、どちらが嘘なのかは、分からなかった。

 “季節解霜殉職”、その知らせが鱗滝のもとに届けられたのは、解霜に真意を問い質した日から一か月後のことだった。はっきりとした原因は分からないが、解霜の亡骸の側には女の着物があったという。恐らく、女の鬼と対峙していたのではないか、と言われている。

 主のいない着物の上には、真っ二つに折れた柘植の櫛と片耳が欠けた面が置いてあった。そう語る隠の声をどこか遠くに感じながら、鱗滝は思う。殉職などという、体裁が整ったものでは決してない。あの男は心中したのだ、――――()()()()()()()()()()()

 隠を見送り、鱗滝は泣きだしそうな空を見上げる。

 

 

「青葉、に注ぎ……草木潤す、…穀物育て、や……恵みの…雨…」

 

 

 解霜がよく謡っていたいた一節を口ずさみ、拳を握りしめる。

 

 

「……早すぎるのではないか、解霜よ」

 

 

 その日、雨は降らなかった。

 

 

****

 

 

 炭治郎、顔面及び腕・足に切創、擦過傷多数。全身筋肉痛、重ねて肉離れ。善逸、最も重症。右腕右足、蜘蛛化による縮み・痺れ、左腕の痙攣。伊之助、喉頭及び声帯の圧挫傷。禰豆子は寝不足。

 

 

「季節さんって、意外とお馬鹿さんですよね」

「ううん…否定できないなあ」

 

 

 蝶屋敷の一室。診察室で向かい合ったしのぶに言われ、季節は面の上から頬を掻いた。しのぶの言うことは尤もで、己は確かに馬鹿なのだろう。それが分かっているからこそ、季節は反論を挟まず、大人しく彼女の話を聞いているのだ。

 

 

「病み上がりで那田蜘蛛山に向かった挙句、全身の筋肉痛と脚の肉離れ、腕の筋損傷。後は右肩の脱臼…ですか。よくもまあこんな状態で竈門君を背負って来れましたね?冨岡さんがいらっしゃったんですから、冨岡さんに背負わせておけば良かったのに」

「弟弟子の窮地とあればどこへでも駆けつけ、見栄を張りたくなるのは兄弟子としての矜持さ」

「それで怪我を悪化させていたら意味がないと思いますけど」

「ご尤もで」

「あわせて会議中の刀傷も……利き手じゃない所が腹が立ちます」

「理不尽」

「では、今回は体調が戻るまで、この屋敷で大人しくしていてくださいね」

「……洗濯物は?」

「必要なものは既に済ませておきましたので、数日、雨が降り続いても問題ありません」

「あ、あはははは……一日でも多く晴れの日が続くよう、努力します」

「はい、期待しないでいますね」

 

 

 笑顔で言い切るしのぶに申し訳なく思いながらも、季節は言葉に甘えることにした。笑顔の裏から、有無を言わせぬ怒りの匂いを感じ取りもした。何なら、姉さんに会っていけ、という副音声さえ聞こえてくる。総じて、圧が強い。

 

 

婚約者(姉さん)を未亡人にしたら、どこまでも追いかけて行って、毒をお見舞いして差し上げますから」

 

 

 覚悟していてください。

 

 

「……はい」

 

 

 そして、困ったことに、季節はしのぶに――――否、胡蝶家の女に、めっぽう弱かった。

 

 

**

 

 

(竈門炭治郎)

 

 俺、善逸、伊之助、禰豆子。四人は蝶屋敷でそれぞれ回復するための休息に入った。禰豆子は寝まくり、俺は痛みに耐えまくり、善逸は一人騒ぎまくった。そして、落ち込みまくる伊之助を両側から励ましまくる、そんな毎日だった。お見舞いには、村田さんが来てくれた。俺が隠に連れていかれた後、那田蜘蛛山での仔細報告のため、“柱合会議”に召喚されたらしい。

 

 

「地獄だった、怖すぎだよ柱。優しかったのは季節さんだけだったよ?お面で顔見えなかったけど……腕の怪我が気になりすぎてありがたみ半減してたけど……」

 

 

 思わず場面を想像して、納得した。確かに、それは心配するし落ち着かない。気遣われてても、ありがたい、とは思えないだろうな。

 

 

「なんか最近の隊士はめちゃくちゃ質が落ちてるって、ピリピリしてて皆。那田蜘蛛山行った時も命令に従わない奴とかいたからさ…その“育手”が誰かって、言及されててさ…」

 

 

 時折挟まる、季津さんに慰められたという話以外は、愚痴ばっかりだった。しのぶさんがやってくると、村田さんはそそくさと帰って行く。柱合会議のこともあるし、柱であるしのぶさんが怖いらしい。

 そんな村田さんの背中を見送っていると、しのぶさんに笑顔で容態を尋ねられた。だいぶ良くなりました、と返答すると、しのぶさんは更に笑みを深めてこう言った。

 

 

「ではそろそろ、機能回復訓練に入りましょうか」

 

 

 どうやら、何かが始まるらしい。




胡蝶 しのぶ
 季節を屋敷に留め置くために、雨が影響しそうな仕事を手早く終わらせるよう指示を出した。流石に毎日雨が降ることはないと思っているが、念には念を入れておきたい。なんたって、季節は筋金入りの雨男ですし?実は姉が季節の婚約者だったりする。間違いなくシスコン。婚約者(姉さん)に目が醒めたことを連絡してないとか馬鹿ですか?
 季節のことは名字で呼ぶ。今現在の所、義兄さんと呼ぶ気は一切ない。

季節 解霜(さとえ)
 急に出てきたオリジナルキャラクターこと、季節の大伯父。つまり、季節の祖父の兄。鱗滝と同期で先代雨柱だが、使用していたのは水の呼吸である。雨の呼吸を生み出すには至らなかった。
 明朗快活で破天荒、名前は冬の寒いときに作物についた霜を溶かすように降る雨、解霜雨(かいそうう)からきている。勿論生まれは冬。兄と妹弟の四人兄弟。ちなみに、兄は“御山(みやま)”、妹は“春雨(はるめ)”、弟は“白驟(はくしゅう)”という。読み方は違えど、全員、雨の名前だったりする。
 幼い耀哉が庭で見かけたのは解霜だったかもしれないが、その時彼は既に故人であった。

季節 津衣鯉
 当作主人公。この度、めでたく雨柱を襲名した。不意打ち良くない!そんなの聞いてない!などとは言わせない。大伯父が鬼殺隊士で雨柱だったことは知らないし、鱗滝と交流があったことも知らない。知っていたらあんなに面倒な出会い方をしていない。ただし、鱗滝は季節に名乗られた時点で察していた模様。
 実は婚約者がいることが判明、しかもしのぶさんのお姉さん。その馴れ初めが語られるのは当分先のことになるが、もしかしたら語られないかもしれない。とりあえず養生して、婚約者にも会って、それから直近の煉獄の死亡フラグをどうしようか改めて考える所存。


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玖 卯の花腐し

2019/07/21 加筆修正

冒頭独白
善逸視点から原作軸
機能回復訓練


 花のように舞う(ひと)がいた。戦う姿を美しいと思い、目を奪われたのは、あれが初めてだったと思う。そして、何より。

 

 

「津衣鯉さん」

 

 

 誰かを愛しいと思ったのも、彼女(カナエ)が初めてだった。

 

 

****

 

 

(我妻善逸)

 

 俺、今すごい手足が短いの、蜘蛛になりかけたからね。薬をたくさん飲んで、お日様の光たくさん浴びて治療中。後遺症は残らないってさ。完全に蜘蛛にされちゃった人達は、人間に戻れても後遺症が残るかもしれないみたい。悲しいね。

 この蝶屋敷の主である、しのぶさん。この人の“音”がまた、今まで聞いたことない独特な感じなんだよな。規則性がなくて、ちょっと怖い。でも、蜘蛛にされた人たちを治療してる時は、女神のようだった。みんな泣きながら、しのぶさんの所に行ってたからな。そんで、めちゃくちゃ可愛いんだよ、顔だけで飯食っていけそう。

 ところで、その可愛い人に、体力を元に戻すための“機能回復訓練”へと連れていかれた炭治郎たちなんだけど。げっそりとした様子で、重い影を背負って戻ってくる。一体何があったのか、どうしたのか、聞いてみても。

 

 

「……、ごめん」

 

 

 一拍空けた後にこの返答。何!?何なの!?教えてくれよ!!明日から俺も少し遅れて訓練に参加するんだからさ!!

 

 

**

 

 

 善逸が機能回復訓練に合流するということで、季節は三人の様子を覗き見ることにした。のんびりと廊下を歩き、目的地である訓練室に到着する。中を覗いてみると、ちょうど、アオイが説明を始めるところだった。

 

 

「まず、あちら。寝たきりで硬くなった体を、あの子たちがほぐします」

 

 

 示された先には布団と枕が置かれ、三人の少女が待機している。

 

 

「それから、反射訓練」

 

 

 続いて、沢山の湯飲みが置かれた卓を指差す。長方形の卓の前にはカナヲが座っていた。

 

 

「湯飲みの中には薬湯が入っています。お互いに薬湯をかけ合うのですが、湯飲みを持ち上げる前に相手から湯飲みを押さえられた場合は、湯飲みを動かせません」

 

 

 最後に、と前置いてアオイは続ける。

 

 

「全身訓練を行います。端的に言えば、鬼ごっこですね。(わたくし)アオイと、あちらのカナヲがお相手です」

 

 

 黙り込む三人。炭治郎と伊之助は意気消沈して頭を垂れ、善逸は訳が分からない、という顔をしている。なんなら、少し怒っているような匂いもする。ああ、これは、と季節は面の下で笑った。この後の展開は、語るまでもないだろう。炭治郎と伊之助を裏庭に連れ出した善逸が、二人に対して理不尽な怒りを向けたのである。

 女の子と毎日キャッキャキャッキャしてただけで何をやつれた顔をしてたのか、土下座して謝れ、切腹しろと。素晴らしい理不尽、いやあ愉快愉快。紙面で見たことのある光景をこの目で見れたことに満足した季節は、頃合いを見て三人に声を掛けた。

 

 

「折角の訓練の時間がなくなるよ」

 

 

 炭治郎は肩を落とし、伊之助は肩を怒らせ、善逸は喜び勇んで訓練に向かった。まさに三者三様、見ていてこれ以上ないほどに面白い。他人事であるがゆえに、季節は彼らの後ろを軽い足取りでついて行く。善逸の参加により、伊之助の士気は上がったようだ。炭治郎は相変わらずしょげているけれど。

 体を揉みほぐされ、激痛が走っても、善逸は笑い続けていた。笑いすぎて顏が溶けてしまうのではないかと思うほど、素晴らしい笑顔を浮かべていた。あれはただ、女の子と触れあえることに喜んでいるだけだろう。

 続く反射訓練では華麗にアオイに勝利をおさめ、カッコつけてみせた。しかし、裏で話していた内容は善逸の声が大きすぎて筒抜けだったようで。少女達の目は厳しく、全身訓練の鬼ごっこでも勝ち星をあげたのだが、顔面ぼっこぼこにされていた。

 そんな善逸に続いて、負けず嫌いの伊之助もアオイ相手に勝利してみせた。その間、炭治郎はカナヲに負け続けていた。善逸と伊之助が順調だったのはここまでで、炭治郎と交代してカナヲと対戦するが、呆気なく負けていた。湯飲みを押さえることも、捕まえることも出来ない。

 結局、三人ともずぶ濡れになって肩で息をしていた。当然の結果でもある。育手のもとを離れてから自己鍛錬だけを重ねていた炭治郎たちと、継子として蟲柱のもとで鍛錬を続けていたカナヲ。呼吸への理解を深め、実力をより伸ばせる環境はどちらかなど、考えなくても分かる。

 そういった環境に左右されない者を天才と言う。例えば最年少の柱である時透無一郎とか。それは兎も角。今日の訓練はこれで終わりだろう。そう思って部屋に戻ろうとしたところを伊之助に止められた。

 

 

「柱だか何だか知らねぇけどな!ただ見てるだけってのはずりぃんじゃねぇか!?」

 

 

 挑発しているのは匂いで分かるが、何とも稚拙だ。面で隠れた顔に笑みを浮かべ、顎をさする。季節はまだ、機能回復訓練を行う許可が下りていない。下りたとしても、炭治郎たちの訓練とは若干中身が変わってくる。だが、ここで少しくらい勘を取り戻しておくのも悪くはない。そう考えた季節は、伊之助の挑発に乗ってやることにした。

 

 

「これも訓練の一環だと思って、彼らに見取り稽古をさせてやろうか」

 

 

 その言葉に、カナヲは何も言わず頷く。

 

 

「それじゃあ、やろうか」

 

 

 結果は、当然と言えば当然だが、季節の勝利だった。最初は様子を見て、カナヲと同じ速度で湯飲みに手を伸ばしていた。そして段々と速度を上げていき、カナヲが手を伸ばした湯飲み全てを押さえるようになる。ある程度それを繰り返し、最後に目で追えない速さで湯飲みをカナヲの眼前に差し出した。

 差し出された湯飲みを受け取り、参りましたとカナヲが頭を下げる。それに頷いて、見学していた男子三人を振り返る。

 

 

「見つけられたかい?勝つための――――強くなるための秘訣は」

 

 

 そんな言葉を残し、季節は訓練室から退室した。分かるかそんなもん!と伊之助が後ろで怒鳴り、少しは考えてください!とアオイに怒鳴り返されていた。

 それから五日間、炭治郎はカナヲに負け続ける日が続く。伊之助も、善逸も、カナヲの髪の毛一本すら触れなかったようだ。負け馴れていない伊之助は不貞腐れてへそを曲げ、善逸も早々と諦める態勢に入る。

 そのうち、二人は訓練に行かなくなり、炭治郎がアオイに頭を下げる羽目になった。可哀想だなあとは思うものの、季節はあの日以降訓練の様子を覗くことはしなかった。できなかったとも言う。なぜなら。

 

 

「津衣鯉さん」

「何かな、カナエ」

「今日は珍しく外が晴れているから、縁側でお茶にしましょう?」

「……そうだね、そうしようか」

 

 

 年下の婚約者(胡蝶カナエ)が、見舞いに来ていたからだ。

 

 

**

 

 

(胡蝶カナエ)

 

 私の婚約者は雨の匂いがする。春には梅と桜の、夏には青草の、秋には金木犀の香りが混ざって華やかになる。冬は雪の匂いと混じって、少しだけ気配が希薄になる。そんな(ひと)。五年もの間昏睡状態だったけれど、最近漸く目を覚ました。妹のしのぶから文が届いた時は、思わず踊りだしてしまうほど嬉しかった。

 鬼殺隊士である限り、死とは隣り合わせの人生だから、その時が来るのは覚悟していたつもりだった。けれど、本当に()()()()()で、覚悟なんて出来ていないのが現実だった。包帯に体のほとんどを包まれて、死んだように眠る姿は心臓に悪かった。

 今では、昏睡していたのが嘘のように元気だ。目覚めてすぐ、鬼の討伐に向かったという話も聞いている。彼らしいといえばらしいけれど、無茶はしてほしくない。……きっと、これからも、何度でも、この人は無茶をするのだろうけれど。

 

 

「…ねえ、津衣鯉さん」

「ん?」

 

 

 いつもはお面の下に隠れている素顔が、柔らかな笑みを作る。新緑色の瞳は慈愛に満ちて、日の下で煌く雨上がりの髪は一層美しかった。ただ、左目を抉るように走る傷跡だけが痛々しい。

 

 

「私、今、幸せよ」

 

 

 鬼と戦い、死にかけた私とあなた。

 

 

「すごく幸せ」

 

 

 二人とも、ちゃんと生きているのだから。

 

 

****

 

 

 機能回復訓練が始まってから、二十日が経った。たまたま、瓢箪を破裂させて喜ぶ炭治郎を見かけた季節は、良くやったねえと気の抜けた声で炭治郎を褒めた。ありがとうございます!と笑顔を見せた炭治郎だったが、次の瞬間にはハッと何かに気付いたようで。

 

 

「季津さんが前もって全集中・常中を教えてくれていたら、ここまで苦労することもなかったのでは……?」

「さあて、炭治郎。早速特訓の成果を見せに行こうじゃないか!カナヲちゃんが待ってるぞぅ!!」

「……誤魔化した」

 

 

 雑な誤魔化し方だったが、季節の言うことも尤もなので、早速訓練室に向かうことにした。

 まずは鬼ごっこからだ。二十日前とは違い、炭治郎は何とかカナヲの動きについていけていた。全集中の呼吸を習得したとはいえ、かなりの気合を入れなければ、一日持続することはできない。それでも、全集中の呼吸をより長く持続させられるようになれば、基礎体力が上がっていく。炭治郎の体は、確かに変わっていた。間もなく、カナヲの腕をつかんだ炭治郎は、歓喜のあまり拳を突き上げて飛び上がった。

 次に、薬湯の反射訓練。凄まじい速度で繰り広げられる勝負に少女たちが声援を送り、季節はほう、と感心したように息を溢す。湯飲みを持った炭治郎の手がカナヲの押さえを抜け、カナヲの頭の上に伸びるのを確認して。少女達と一緒になって喜ぶ炭治郎に称賛を送った。この調子で頑張って、と。

 

 

「ところで」

 

 

 ぐるん、と。顔を入り口の方に向けた季節は、面を被っていても分かるほどの威圧感を出して言う。

 

 

「君たち二人は、そのまま立ち止まったままで良いのかな?」

 

 

 結果から言おう。善逸と伊之助もまた、九日後には全集中・常中を会得した。様子を見に来たしのぶの教え方が、上手かったのだろう。季節は療養中のため初めから教える気はなかったし、炭治郎は人に教えるのが爆裂に下手だった、とだけ言っておく。




栗花落 カナヲ
 炭治郎たち同期の紅一点。機能回復訓練では季節に後れを取ったが、悔しさ感じていない。むしろ流石は柱、と感心してる部分が強い。那田蜘蛛山の一件では油断ならないとも感じていたが、平時は随分とゆるい人なんだなと思っている。
 漢字も読み方も違うが、同じ雨の名前を持ち、実の姉のように慕っているカナエの婚約者である季節を少なからず気にしている。

胡蝶 カナエ
 満を持して(?)登場、季節の婚約者。上弦の弐との死闘の末生還したが、利き手に重度の障害が残ったため、今後剣を握り振るうことはない。現在は後進育成に励んでいる。
 式を挙げる予定は今のところないが、出来たら挙げたいと思うのは当然の乙女心。そのうち、馴れ初めとかを書きたいが、胡蝶姉妹の話が単行本になって手元にないと難しいのでは?と作者は思っている。


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拾 走り梅雨

予約投稿です。

拙作が何度か日間ランキングにお邪魔させていただいているようで。
嬉しさと信じられなさで、目を疑いつつ頬を抓る今日この頃。
こんなに高評価をいただくのは初めてで、戦々恐々としております(笑)

感想も、有難く読ませていただいております。
返信もしたいのですが、今後の展開をボロっと溢しそうなので、遠慮しておきますね……。

そんなわけで10話目ですが、この後の展開が難産です。
さて、どうしたものか……。

2019/07/21 加筆修正

冒頭過去話
それ以降原作軸
無限列車乗車まで


 誰かが言っていた。――幸せは、血の匂いと共に壊れていくのだ、と。

 

 

「あぁああ゛ァあああ゛ア゛ァァアアッ!!」

 

 

 瞳孔が縦に割れ、赤く染まった瞳に涙を浮かべて叫ぶその鬼を、呆然と見つめていた。鬼の足元には、首から夥しい量の血を流す父と、祖父母が倒れている。おそらく、生きてはいないだろう。例え生きていたとしても、そう遠くなく命を落とすはずだ。

 父を、祖父母を喰らった鬼は、屋敷の手伝いの者すら喰い尽くしてなお、満たされぬ欲を持て余して叫んでいた。

 

 

「――母さん、」

 

 

 蚊の鳴くような声を拾い上げた鬼は、喜々としてその凶悪な爪牙を差し向ける。…けれど。その鋭い爪が、牙が、柔く細い喉笛に届く前に、強い藤の香りが目の前を覆った。

 

 

「立て!!」

 

 

 視界いっぱいの黒と、濃厚な血の匂い。死に体だった父が最期の力を振り絞り、鬼の前に躍り出たのだ。ほんの一瞬だけ鬼の目に灯った理性の光。それを横目に、父の声を合図にその場から駆け出した。

 

 

「生きて、」

 

 

 か細い、()の声に背を押され、転げるように。崩れ落ちそうになる膝を叩き、ただひたすら走り続けて。

 

 

「(――――母さん、父さん……っ)」

 

 

 その日、少年は初めて雨を呼んだ。

 

 

****

 

 

 十二鬼月は、上弦と下弦とに分かれている。順番としては、上弦の壱・弐・参・肆・伍・陸、下弦の壱・弐・参・肆・伍・陸。一番強いのは上弦の壱、一番弱いのは下弦の陸。下弦の鬼たちは片目しか数字が刻まれておらず、上弦の鬼たちからは蔑まれてるという。

 鬼舞辻無惨は、己の血を分け与えた者の思考を、読み取ることができる。姿が見える距離なら、全ての思考の読み取りが可能。離れれば離れる程、鮮明には読み取れなくなるが、位置は把握している。そう、()()()()()()()()()のだ。つまり、禰豆子が産屋敷邸に連行されたことは、鬼殺隊にとって深刻な事態だった。

 通常ならば、禰豆子が来た時点で産屋敷の本拠地は、鬼舞辻に知られていた。しかし今、鬼舞辻はそれを把握できていない。()()()()()()()()()()()()()、鬼舞辻の呪いを()()()()()()()()()()()、まだ()()()()

 

 

「下弦の伍である累が殺された。殺したのは柱に次ぐ実力者の男だ、あの男は既に死んだものと思っていたのだが……まあ、それはいい」

 

 

 艶やかな女がそう宣う。苛立ちの込められた声音に、女の前に伏す鬼たちは顔を青褪めさせ、冷や汗を掻く。

 

 

「私が問いたいのは一つのみ、『何故に下弦の鬼はそれ程まで弱いのか』。十二鬼月に数えられたからと言って終わりではない、そこから始まりだ。より人を喰らい、より強くなり、私の役に立つための始まり」

 

 

 訥々と、女は語る。鬼たちは身を縮こませ、より一層顔色を悪くするばかりだ。

 

 

「ここ百年余り、十二鬼月の上弦は顔ぶれが変わらない。鬼狩りの柱共を葬ってきたのは、常に上弦の鬼たちだ。しかし、下弦はどうか?何度入れ替わった?」

 

 

 そんなことを俺たちに言われても、と一人の鬼は思う。その思考を読んだかのように、女が続く言葉を催促する。殺気交じりの視線と共に先を促された鬼は、思考が読まれたことで、余計なことは考えまいとする。しかし、それも巧くはいかず、いたずらに、女の神経を逆撫でるだけに終わった。

 

 

「何がまずい?言ってみろ」

 

 

 否とも応とも言えずに黙り込む鬼を、女は変質させた腕で吊り上げる。泣き喚く鬼の言葉など一顧だにせず、女はその鬼を喰らった。他の鬼たちはなす術もなく、息を殺して黙している。次は己の身が喰われるのかもしれない。そんな不安さえ抱いた。

 

 

「私よりも鬼狩りの方が怖いか」

 

 

 その問いに、別の鬼が否と唱える。

 

 

「お前はいつも鬼狩りの柱と遭遇した場合、逃亡しようと思っているな」

 

 

 さらに、追い詰める様に女が言う。鬼はその問いにも否と答え、女のために命をかけて戦うとさえ言った。けれど、女はその言を認めない。

 

 

「お前は私が言うことを否定するのか?」

 

 

 それが答えだった。恐怖のあまり涙した鬼を、無情にも貪り喰らう。また一人、下弦の鬼が減った。また、別の鬼は絶望のあまり逃亡を図ったが、気付けば頸を斬り落とされ、女の手の内にいた。

 

 

「もはや十二鬼月は上弦のみで良いと思っている。下弦の鬼は解体する――――最期に何か言い残すことは?」

 

 

 蜘蛛の糸にも思える言葉に、縋った鬼はまだ役に立てると猶予を望んだ。女は具体的な答えを求め、鬼は女に血を求めた。しかし、それは悪手だ。手に持った頸を放った女は、血を求めた鬼を睥睨して言う。

 

 

「なぜ私がお前の指図で血を与えねばならんのだ、甚だ図々しい。身の程を弁えろ」

「……!違います!!違います!!私は」

「黙れ。何も違わない。私は何も、間違えない」

 

 

 命運は尽きた。女は冷え切った声で鬼の言葉を遮った。全ての決定権は己に有り、己の言うことは絶対であると。お前に拒否する権利はなく、己が“正しい”と言った事が“正しい”のだ、と。故に。

 

 

「お前は私に指図した。死に値する」

 

 

 そして、下弦の鬼は()()になった。

 

 

****

 

 

 結局、何の対策も浮かばぬままその日が来た。

 今日、炭治郎たちは蝶屋敷を発つ。昨夜、しのぶが経過観察のついでとばかりに、知らせてくれたのだ。

 なんでも、炭治郎に“ヒノカミ神楽”について聞かれたが答えられず、お詫びに炎柱へと繋ぎをつけたのだと言う。その炎柱からも返事が届き、今日、駅で待ち合わせとなっているそうだ。鬼の調査のついでに話を聞こう、ということらしい。

 その後は汽車内で起こる人減りについて、炭治郎たちと調査する。つまり、それは。

 

 

「――さて、どうするかな」

 

 

 炎柱――――煉獄杏寿郎の死が、直ぐそこにまで迫ってきている、ということだ。この事実を覆すことは、不可能ではないにしろ、とても難しいだろう。錆兎やカナエが生き延びたという変化がもたらす影響よりも、遥かに大きな影響があるのではないだろうか。

 とはいえ、錆兎とカナエの生存が何にも影響を与えなかった、という訳ではない。錆兎が生きていることで、冨岡はほんの少しばかり口下手が改善された。カナエの生存は、良い意味でしのぶを吹っ切らせた。

 それでも。冨岡が一言どころか、二言も三言も足りていないのは常のことで。鬼と仲良くしましょうと言いつつ、しのぶは内心怒りをぐつぐつと煮滾らせている。それは、変わることのない事実だ。

 閑話休題(それはともかく)

 本来の筋道に沿うことの良し悪しを考えるべきだ。本来の道筋を辿れば、今後の流れの把握は難しくないし、炭治郎たちが悔しさをばねに飛躍することが出来る。逆に、煉獄という強力な戦力を失うことになり、目の前で煉獄を失った炭治郎と伊之助の心に傷を残すことにもなる。

 一方で、道筋を逸れたらどうだろう。煉獄が生き残る。それによって、いずれ起きる鬼舞辻の産屋敷邸襲撃時に、こちらの戦力が一つ増えることになる。()()()()()()()()の季節も合わせれば、二つ増える。十分な増強、と言えないのが悔しいところだが。

 だから、季節は悩んでいた。それこそ、()()()()()()()()()()()()()、ずっと悩み続けている。

 

 

「いや……悩んでることこそが、答えか」

 

 

 隊服の襟を詰め、綺麗に畳まれていた羽織に袖を通しながら、季節は苦く笑った。

最後に、狐の面に手を伸ばして。

 

 

「うーん、今日はやめておこう」

 

 

 生憎と、今はまだ、雨が降りそうにない。

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 善逸、伊之助と一緒に蝶屋敷を後にし、鎹鴉から教えられた駅に着いた。しのぶさんに頼んで連絡をつけてもらった炎柱の煉獄さん。会うには“無限列車”という汽車に乗らなければいけないらしいのだけど、指定された汽車がどれか分からない。

 そうこうしている内に、まだ指令が来ていないことに善逸が騒ぎ、あまりの人の多さに慣れず静かだった伊之助が汽車を見つけて騒ぎだす。そのうち、伊之助が汽車に頭突きをして駅員さんが集まって来てしまった。さらには、刀を所持している事が駅員さんにばれて、警官まで呼ばれそうになる始末。

 慌てて逃げて隠れ、俺が伊之助の刀を隠している間に、善逸が汽車の切符を買って来てくれた。善逸がすごい頼りになって、ちょっとだけ見直した。善逸に渡された切符を仕舞い、ようやく見つけた待ち合わせの汽車に乗り込む。

 

 

「うおおおお!!腹の中だ!!主の腹の中だ、うぉおお!!戦いの始まりだ!!」

「うるせーよ!」

「確かにうるさいねえ。列車の中では他の人の迷惑にならないよう、静かにするように」

「そう――――えっ」

 

 

 騒ぐ伊之助、一喝する善逸、そして善逸に同意したのは。

 

 

「季津さん!?」

「やあ」

 

 

 蝶屋敷にいる筈の季津さんだった。俺達が出発する時に、見送ってくれていたのに、どうしてここにいるのだろうか。伊之助の頭を被り物の上から押さえつけ、ニコニコと笑っている。……ん?何とも言えない違和感に、季津さんの顔を見つめていると、善逸がエ゛ェーーーッ!?と声を挙げて季津さんを指差す。

 

 

「季節さん!?嘘でしょお面は!?」

「あっ!」

 

 

 善逸が声を裏返しながら指摘した。確かに、いつも着けているお面がない。狭霧山で一度だけ見たことのある、季津さんの素顔が惜しげもなく晒されていた。

 整った顔立ちに、柔らかな新緑の色をした右目。それと不釣り合いなのが、抉られたような傷痕が残る左目。その下に隠れている瞳は白く濁り、何も映すことはない。良い意味でも、悪い意味でも人の目を惹く容姿をしている。

 見ていてあまり気持ちの良いものではないだろうから、とお面の下に隠されていた素顔。それを、どうしてはずしているんだろうか。別に悪いという訳ではないけれど、どういう心境の変化があったのか少しだけ気になる。

 不思議に思って首を傾げていると、季津さんと目が合った。しぃっ、と口許に人差し指を当てて笑う。その顔があまりに穏やかだったから、俺はなにも言わず頷いた。




鬼舞辻 無惨
 鬼の首魁、ラスボス。全ての鬼の生みの親。パワハラに定評のある、恐怖政治型上司。ジャイアニズムが服を着て歩いているような存在。男性、女性、あと子供の姿を季節のことは五年前に殺したと思っていた。しかし生きていたからと言って、大して脅威とは思っていないが、はたして……?
 美人上司は憧れるけれど、絶対に部下にはなりたくないと作者は思う。


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拾壱 入梅すれば

予約投稿です。

2019/07/21 加筆修正

冒頭二つ独白
それ以降原作軸
無限列車-戦闘開始


「雨が嫌いだった。何もかもを攫って、洗い流してしまうようで」

 

 

 まるで丸裸にされている気分だ、と。そう言って、その人は顔を顰める。冬の雨と同じ名前を冠しているくせに、随分と矛盾したことを言うのだな、と思った。反対に、梅雨入りの雨と同じ名前を冠する己は、雨が好きなのに、とも思ったことを覚えている。

 

 

「“だった”、と言っているだろうに。話を聞かん奴だなお前は」

 

 

 整った顔立ちに剃髪、若草色の瞳、洒落た着流し。そして、右に差した刀と、片耳の欠けたお面を引っ掛けた人。雨の日にだけ現れる、魂だけの彷徨い人。

 

 

「今は、雨が好きだ。雨は良い、匂いが薄れるからな」

 

 

 嗅ぎたくもない、嫌な匂いを流してくれる。若い時分はそれが嫌で仕方が無かったのに、年を重ねるごとにありがたく思えて来た、と。そう言って、名も知らぬ、けれどどこか懐かしいその人は、清々しく笑った。

 

 

****

 

 

 鬼の首領、鬼舞辻無惨の血をふんだんに与えられ、夢心地でその鬼は嗤う。もっと血が欲しい。鬼舞辻の血が欲しい。なればこそ、殺してみせよう。花札の耳飾りの子供を、柱を、そして――。

 

 

「――ッ、津衣鯉」

 

 

 ハッとした。いけない、鬼の本能に呑まれてしまうところだった。頭を振り、先程までの考えを振り払う。この身は鬼に堕ちても、心はこれ以上堕ちぬと決めていたのだ。あの日、父母を、夫を喰らった、その時に。

 

 

「…早く、私を殺しにお出で……津衣鯉」

 

 

 息子に殺されるその日まで、絶対に、鬼には堕ちきらぬ(母であろう)と。決めたのだ。

 

 

****

 

 

「柱だっけ?その煉獄さん。顔とかちゃんとわかるのか?」

 

 

 善逸の問いに、大丈夫だと炭治郎が答える。伊之助は見当違いの方向へ行こうとしたため、炭治郎が着せた羽織の襟元を季節が掴んで引き摺っていた。するとまもなく、うまい!うまい!と繰り返している声が聞こえて来る。それを聞きながら、相変わらず声が大きいなあ、と季節は呟いた。

 声の方へ近づいていくと、目的の人物が弁当を食べていた。しかも、一つや二つではない数の空の弁当箱が、綺麗に積み重なっている。

 炭治郎と善逸が引いていたが、季節はこれを上回る大食らいの存在を知っているため、可愛いものだなとしか思わない。さらに、善逸は、本当にこの人が?という顔で季節を見上げてきた。頷くに留めて、うまい!うまい!と連呼する男を見やる。本当に相変わらずである。

 計十一箱の弁当を空にした男――――煉獄は、困惑する炭治郎たちにこう言った。

 

 

「うまい!」

「あ、もうそれは…すごくわかりました…」

 

 

**

 

 

 乗務員の女性たちが空箱を片付けるのを手伝いながら、季節は炭治郎の話を聞いていた。一介の炭焼きでしかなかったはずの父が、なぜか「ヒノカミ神楽」――――火の呼吸を使っていたこと。そのため、火の呼吸の使い手に聞けば、何か分かるかもしれないということ。

 しかし、しのぶ曰く、「火の呼吸」は存在せず代わりに「炎の呼吸」が存在し、「炎の呼吸」を「火の呼吸」と呼んではならないと聞いたこと。詳しい事は炎柱である煉獄に尋ねると良い、と言われたことを掻い摘んで説明した。

 それを聞いた煉獄は、一拍置いて、そういうことかと頷いた。だが、知らんと。

 

 

「“ヒノカミ神楽”という言葉も初耳だ!君の父がやっていた神楽が戦いに応用できたのは実にめでたいが、この話はこれでお終いだな!!」

「えっ!?ちょっともう少し…」

「俺の継子になるといい、面倒を見てやろう!」

「待ってください!そしてどこ見てるんですか!」

 

 

 キャッチボールが失敗しているどころではない会話に、季節は思わず笑みを浮かべた。にやつく口元を隠す様に手をあてて、二人の様子をそっと窺う。あれで、煉獄本人の中では会話が繋がっているのだ。確かに突拍子もないことを言いだすが、ちゃんと理に適ってもいる。

 思っていることを言葉にせず、本当に思っているだけの冨岡に比べれば可愛いものだ。気付けるかどうかは、勿論慣れもあるのだろうけれど。炭治郎の話が落ち着いたとみて、今度は煉獄が自身が持つ知識を話し始めた。

 

 

「炎と水の剣士は、どの時代でも必ず柱に入っていた。炎・水・風・岩・雷の五つが基本の呼吸だ!他の呼吸はそれらから枝分かれしてできたもの。霞は風から派生し、雨は水から派生している」

 

 

 煉獄の言葉に炭治郎が確認するような視線を寄こすので、頷いてやる。ちなみに、正確には、雨は水単一の派生ではなく、水と雷を掛け合わせたものである。しかし、それを言及する必要はないだろうと、季節は黙っていた。

 

 

「溝口少年、君の刀は何色だ!」

 

 

 誰だよ、溝口って。炭治郎のことであるのは確かだが、全く掠っていない名前に笑いを禁じ得ない。炭治郎に申し訳ないと思いつつ吹き出し、その子は竈門だよ、とやんわりと煉獄に教えてやった。

 一瞬、煉獄は目を見開いて季節を見たが、炭治郎が黒、と答えたことで視線を外した。恐らく煉獄は、季節が、季節である事に気づいていなかった。隊服を着ていることから、鬼殺隊士であることは分かっていただろう。だが、煉獄は季節の素顔を知らなかったために、声を聞くまでは気づかなかったのだと考えられる。狐面の効果は、意外とすごい。

 

 

「黒刀か!それはきついな!」

 

 

 きついんですかね。ワハハ、と声を挙げて笑う煉獄の横顔を見つめながら、炭治郎は尋ねた。すると煉獄は、黒刀の剣士が柱になったのを見たことがない、と言い切った。どの系統の呼吸を極めればいいのかもわからないのだ、と。確かにそんな話を聞いた覚えがあるな、と呟いた季節に、炭治郎も言葉を失ったようだった。

 列車が動き出し、立っていた季節も席に腰を下ろす。煉獄の目の前に座った季節は、煉獄からの突き刺さるような視線を無視して炭治郎に言う。

 

 

「俺の刀も、他と違う色に変わったからね。水の呼吸がてんで駄目だった、って訳じゃない。けど、雨の呼吸を会得してからは型にはまった感じがしたかな」

「そうなんですね」

「そういうわけで、炭治郎。君は煉獄の所に行くといいよ」

「どういうわけです?」

「そうだな!俺の所で鍛えてあげよう、もう安心だ!」

「面倒見がいい人ですね……?」

 

 

 会話がひと段落すると、ところで、と煉獄が切り出した。

 

 

「初めて拝見したが、季節は随分と顔が整っているのだな!」

「え…初めて…?」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、宇随の方が整ってると思うよ?」

「いやいや!宇随に負けてはおらんさ!初めて任務を共にするが、顔を見られるとは思わなんだ!」

「え!?初!?」

「俺の呼吸は雨雲を呼ぶからねぇ…炎を起こす煉獄とは相性悪いし」

「然もありなん!!」

「それより誰か窓から身を乗り出してる伊之助(この馬鹿)を叱って!?」

 

 

 情報過多で混乱している炭治郎を横目に、伊之助の背中にしがみ付きながら叫んだ善逸に季節が頷く。

 

 

「そうだね。鬼がいつ出てくるか分からないし、大人しく座っていた方がいいと思うな」

「彼の言う通りである!!」

「――――え?」

 

 

 サアッと。善逸は血のひく音が聞こえてきそうな程、一瞬で顔を真っ青にさせた。そして思わず伊之助から手を離し、季節と煉獄へと詰め寄った。鬼の居るところに向かっているのではなく、この列車に鬼が出るのだと分かると、案の定降りるのだと騒ぎだした。

 そんな善逸は放置し、煉獄は、短期間のうちにこの汽車で四十人以上の人が行方不明になっているのだと説明した。

 

 

「数名の剣士を送り込んだが、全員消息を絶った!だから柱である俺が来た!」

「俺も似たようなものかな。鎹鴉が指令を持ってきて、慌てて君たちを追いかけたんだ」

「はァーーッなるほどね!!柱が二人も!!そりゃあ大事ですね!?降ります!!!!」

 

 

 顔を青くしたばかりか、涙まで流し始めた善逸。けれど、煉獄も、季節も気にすることはなかった。それよりも、煉獄は季節がこの列車に乗っていること自体が不思議でならなかった。

 

 

「別の鬼を探していたのではなかったか」

 

 

 そうだとも、と季節は答えた。そして、恐らくこの列車に乗っているだろう、と続ける。

 

 

「鎹鴉が言っていたんだ。それに、俺も、何となくそうなんだろうなと感じている。……血を分けた母子(おやこ)だからかな?」

 

 

 だから、と。常に面の下に隠れていた素顔に笑みを乗せて、季節は煉獄に言う。

 

 

「俺は俺の責務を全うする、君は君の責務を全うすると良い」

 

 

 煉獄の肩越しに生気のない車掌の姿を見つけると、季節はすぐさま立ち上がって移動を始めた。急な行動に炭治郎が驚いていると、季節の気配が希薄になり、瞬きの一瞬でその姿が消える。柱合会議でも目にした光景だ。

 どこに、と首を巡らせたところで車掌がやって来て、切符の確認のために手を伸ばしてくる。ふと、鼻を擽った嫌な匂いを確かめようとした時には、全てが遅かった。

 

 

「拝見しました……」

 

 

 車掌の声を背中で聞き、炭治郎たちが夢の世界へと旅立ったのを見送った季節は、自らの目的のために動き出す。

 

 

「……煉獄を死なすまいと思って来てみれば、」

 

 

 何の偶然だろうか。本来であればこの場に存在しない季節がいるから、例の鬼もまた、この列車に乗ったのだろうか。それとも、これがこの世界での正しい道筋だったのだろうか。そんなことを考えながら、潜めていた息を深く吐き出し、背中に隠していた刀に手を伸ばす。

 

 

「まさか、こんな所で再会するとは思わなかったよ」

 

 

 乗客の居ない最後尾車両に、その鬼は居た。窓際に座り、飛ぶように流れていく景色を見つめるその姿は、五年前どころか十数年前の姿とも変わりない。――――否、変化は確かにあるのだろう。その目の色や、鋭い爪や犬歯など。変わっていない訳が無いのだ。

 込み上げてくる苦い何かを唾と一緒に飲み込み、己の方へと視線を寄こしたその()に切っ先を向ける。

 

 

「――――――――母さん」

 

 

 ()は、嗤って季節(息子)を迎えた。




竈門 炭治郎
 原作主人公。ひたすら「えっ」と言わせたいだけだった。戦闘はまるまるカットされるが、怪我の程度は原作通り。この後、上弦がスタンバってるとは思ってもみない。

我妻 善逸
 汚い高音のスペシャリスト。でっかい傷があるけど、季節さんめっちゃ整った顔してる(イケメン)じゃん許せない(羨ましい)。禰豆子ちゃんは俺が(ry

嘴平 伊之助
 猪突猛進ボーイ。常にテンション高め、話を聞かない。窓から身を乗り出すのは危ないからやめなさい、飛び降りて競争するのも駄目です、大人しくしてなさい。


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拾弐 麦雨降る

読めばわかると思いますが、作者は戦闘描写が下手くそです。
頑張ろうとして空回り、穴掘って埋まろうかと思うほどには下手くそです。
それを念頭に入れてお読みください。

2019/07/21 加筆修正

冒頭独白
それ以降原作軸(オリジナル展開)


 人は、眠っている時に夢を見る。夢の中では、人物や物事が機能するのを感じ取ることができるが、それらは実体を伴っていない。夢の中の物事には機能だけがあり、構造がない。また、夢の中に登場する人物や物事は、その夢を見ている本人の意思とは関係なく機能する、という意味で自律的だ。

 夢は自律的であって実態が伴わない、一種の模擬実験(シミュレーション)と考えていいだろう。夢の自律性は、模擬実験の器官である小脳の自律性を表しているのかもしれない。眠っている間は意識が弱くなり、視覚からの情報入力が途絶えるため、内部の模擬実験が活発になった時に、夢を感じ取るのだろう。

 夢と同様に、実体を伴わない人物や物事を、目覚めている時に感じ取ったとすると、それらは幻と呼ばれる。人の意識は、起きている間、感覚を通じて外界の物事に向けられている。しかし、意識状態が低下している時、つまり外界への注意が散漫になっている時には、意識はその人の内部情報に影響されやすくなっている。

 人の内部には、様々な記憶や想像上の物事が存在していて、脳は記憶や想像を自律的に模擬的検証を行う。そして人は、それらを外部に実体を持った存在であるかのように錯覚する。目覚めている時に感じ取る内部の模擬実験が、幻と呼ばれる。

 ――――と、小難しい話をしてきたが、ようは“夢”と“幻”は似て非なるものだということが分かればいい。実体ではないもの、頼りない儚いもの、ぼんやりとしたもの。それが夢であり、幻だ。ところで君は今、目覚めているのだろうか。それとも、眠りの中にいるのだろうか。

 

 

「それによって君の身に起きていることが、何なのか変わってくるだろう。果たして夢なのか、現実なのか、それとも幻なのか」

 

 

 さて、どれだと思う?

 

 

****

 

 

 雨の呼吸は、水の呼吸と雷の呼吸から派生した。どう派生させたのか、それを知るのは会得者の季節だけだ。だが、何ともなしにその二つの呼吸を思わせる技がある。それが、水の呼吸拾壱ノ型改め、雨の呼吸壱ノ型“神立”である。彼の()()()()()によって呼び出された雷雲を利用した、稲妻のように速く、恵みの雨のように慈悲深い、一撃必殺の抜刀術。

 ちなみに、現在、雨の呼吸の型は未完のものを除き、二つしか存在しない。壱ノ型“神立”と、もう一つ。炭治郎が一瞬で季節の姿を見失うことになった訳。雲もなく降る細かい雨――――弐ノ型、“天泣(てんきゅう)”である。

 

 

****

 

 

「逢えて嬉しいわ、津衣鯉」

 

 

 切っ先を向けられてなお、その鬼は笑みを浮かべてみせた。津衣鯉、と呼ぶ声は甘く艶やかで、愛情すら滲んでいる。その声に、嫌悪感を抱くようになったのはいつからだろう。目の前の鬼が、母から鬼へと変貌した時だっただろうか。いや、五年前に対峙した時か。それとも、今、この瞬間からかもしれない。

 

 

「俺も、貴女に会いたかった」

 

 

 季節がそう言えば、鬼は笑みを深くして嬉しい、と言う。けれど、鬼と季節の感情は行き違い、絶対に交わる事はない。何故か、と問うまでもない。元は人であろうと鬼は鬼、そして季節は鬼殺の剣士だ。禰豆子のような特殊な存在でもない限り、鬼と鬼殺の剣士の間に和解など有り得ない。有り得てはいけない。――――それでも。

 

 

「貴女を憐れむことくらいは、赦されるだろか」

 

 

 その言葉に、鬼は意外そうな顔をした。問答無用で斬られるとばかり思っていたからだ。我が子の不器用な優しさに、心の底から愛しさと誇らしさを感じた。――――故に。

 

 

「はやく、私を殺して欲しい(貴方を食べたい)わ」

 

 

 相反する思いが溢れ出る。その瞬間、二人の距離は詰まっていた。油断などという愚かなことはしない。全集中“常中”によって身体能力を極限にまで高め、この一刀に全てを懸ける思いで刀を振り抜く。手応えは――――ない。まるで霧のように、鬼の姿は揺らめいて消えた。一瞬目を瞠り、すぐさま周囲に目を走らせる。…いつからだ。いつから、鬼は血鬼術を使用していた。

 

 

「津衣鯉、貴方は誰と逢いたい?お爺様(お父様)お婆様(お母様)?それとも――――お父様(あの人)かしら?私が逢わせてあげるわ、言ってごらんなさい?」

「――――ッ!!」

 

 

 カッと、目の前が赤くなるほどの怒りが湧き上がる。刀を握る手が震え、唇が戦慄く。…少しだけ、期待していたのかもしれない。十数年前と五年前、わざと季節を逃がしたような素振りがあったから。鬼となり人を喰らうようになろうとも、心までは鬼には堕ちきることはないはずだと。……信じて、いたかったのに。

 勝手なことだが、酷く裏切られた気分になった。勝手に期待して、勝手に失望した。そんな資格など、ないのに。初めから分かっていたことだ。自身に都合のいいことが起きる筈もない。

 分かっている。分かっていた。だからこそ、個人的な感情に振り回されるのは、今日、ここで終わりにしよう。そうしなければ、きっと、季節は前には進めない。

 

 

「…貴女の頸を斬る」

 

 

 背後から伸びてくる腕が、季節を柔らかく抱きこむ。

 

 

「やってみせて」

 

 

 季節の背中を押すような、励ますような声だった。温もりは一瞬で消え、客車に霧が立ち込める。五年前も、この霧に苦しめられたのだ。あの日、後ろに弟弟子と二十人余りの一般人を庇いながら戦った。一般人を避難させるのではなくその場に留まらせたのは、広範囲に広がる霧の濃さが原因だった。

 何とか鬼を退けることができたが、季節は重傷を負った。弟弟子と駆け付けた数名の隠に一般人たちを任せ、藤の花の家に全力疾走したあの日が懐かしい。全て伝えきる前に昏睡したのは、流石に情けなかったが。

 鬼の霧、これが原因だ。自然発生する霧とは違い、鬼が生み出した霧は噎せ返るほどの血の匂いがする。ねっとりとまとわりつくような、嫌な匂いだ。五年前よりも強く薫る鉄臭さに眉を寄せる。

 鬼の強さは、五年前と比べるまでもないだろう。人を喰らえば喰らう程、強くなるのが鬼だ。そして、この鬼の血鬼術はそれすら反映する。一体どれだけの人を喰らったのか、胸糞が悪くなる。

 反対に、季節は五年前ほどのキレはなく、精細さを欠く。しのぶにも、刀を使った訓練は筋力を戻してから、と言われていた。それでも、やらなければならない。折角、己の鎹鴉である万代が齎してくれた機会だ。ふいに出来る筈がない。

 刀を鞘に納め、腰を低く構える。そして、短く息を吐き出した。

 

 

「シィッ!」

 ――――雷の呼吸壱ノ型、“霹靂一閃”

 

 

 落雷のような音が響く。季節が繰り出した後にも、同じ音が六連続いた。おそらく、善逸だろう。いよいよ眠り鬼との戦いが始まったに違いない。ここで費やせる時間も、そう多くはない。

 

 

「そこに私は居ないわ」

 

 

 季節の死角、見えない左目の方から声が聞こえた。弾む様な、からかい交じりの声だ。チッと舌を打ち、軸足に力を入れて方向を転換する。その勢いのまま拳を振り抜くが、当然手応えはない。

 左目が見えないのに合わせ、面を常につけているため、視界不良には慣れているつもりだった。実際、五年前は面を着けていた状態でもそれなりに戦えていたのだ。しかし、広範囲に広がるのではなく、客車に充満する濃霧にはさすがに歯が立たないと感じた。

 その上、彼方此方から鬼の声が響き、狭い客車だと言うのに、鬼がどこにいるのかもはっきりとしない。万策尽きた、と思わないでもない。この状態でどうにか鬼を出し抜けるとしたら。

 

 

「(()()を使うか…?)」

 

 

 切り札がない訳ではない。完成には程遠いが、水の呼吸伍ノ型“干天の慈雨”を改良したものがある。干天の慈雨は、相手が自ら頸を差し出してきた時にのみ使う、斬られた者にほとんど苦痛を与えない剣撃だ。

 季節が水の呼吸で最も得意とするのがこれだ。故に、改良できないかと考えた。相手が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 

「(…悩んでる暇はないな)」

 

 

 濃霧の奥から不規則に飛んでくる鬼の攻撃を躱しながら呼吸を整える。肺いっぱいに鉄臭さが広がるが、気にする余裕はない。五年前に抉られた左目が、ぴりり、と痺れを訴えた次の瞬間、鬼の顔が目の前にあった。偽物だと勘が囁くので無造作に振り払うと、呆気なく霧散していく。

 酷いわ、と言う声が聞こえた。酷いのはどっちだ。死んだ祖父母や父の姿を幻で見せ、それを季節に斬らせるのだから質が悪い。例え斬った手応えが無くても、いい気はしない。

 

 

「(終わりにしよう)」

 

 

 何度目か数えるのも億劫なほど、父の姿をした幻を斬った時、唐突にそう思った。その瞬間。

 

 

「ッ、」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「雨の呼吸、参ノ型」

 ――――“仁恵の虎雨(こさめ)

 

 

 気付けば霧は晴れていて、刀は半ばほどから綺麗に折れていた。血溜まりには頸のない体が沈み、その傍らには鬼の頸を抱えた父の姿がある。不思議なことに、右目には父の姿が映らず、左目にだけ映っていた。果たしてこれは、夢かうつつか、それとも幻か。

 

 

「と、うさん」

 

 

 季節の声に、父はにっこりと笑って頷いた。音もなく、良くやったお疲れ様、とその口が紡ぐ。その時だった。全身を襲う激痛に息を呑み、ハッと()()()()()

 

 

「……どこから、」

 

 

 客車の床に転がり、天井を見上げながら呟く。いったい、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが夢、幻の類だったのか。確かなことは、左目の視力は皆無で、鬼の体が既に灰になりかけているということ。ドン、という地鳴りのような音が聞こえて、右目に煉獄の顔が逆さまに映った。

 

 

「やったか!」

「うーん、そうらしいね」

「煮え切らぬ返事だが、結果は明らかだ」

「…うん、そうだね。その通りだ」

 

 

 ――――()は死んだ。例え、季節自身が確信を持てなくても、それが事実だ。




煉獄 杏寿郎
 もりもり弁当を食べて、炭治郎との言葉のキャッチボールをあえて失敗させていた人。最後尾車両に季節母子(おやこ)がいたので、原作と違い担当した車両数は4。それでも多い事には変わりない。無事使命を果たした季節を労わっているところ申し訳ないのだが、現段階では、生存ルートか原作ルートか。まだ分からんぞ?油断大敵!

季節 津衣鯉
 ()を討ち取り、ひとまず肩の荷を降ろせた当作主人公。この後、上弦の鬼との戦いが控えているが、ぶっちゃけ面倒くさいから来ないでほしいと思っている。なんなら、さっさと帰還して婚約者とのんびりしたいとすら思っている。しかし、作者は主人公に受難を与えるのが好きなので、これで終わる筈がないのは確か。
 元雷柱のお爺様のもとで一年ほど修行した事があるが、生憎と善逸同様壱ノ型しか習得できなかった。しかし、壱ノ型習得後に雨の呼吸の手がかりをつかんだので実質±0どころかプラス要素しかない。お爺様には、「雷の呼吸の使い手としては最低限以下の素質しかもっていない」と言われてちょっとしょっぱい顔をしたのは余談である。

・雨の呼吸 壱ノ型 “神立”
 雷の呼吸と水の呼吸を合わせた技。雷雲がないと使えないという欠点があるが、条件がそろえば一撃で相手の頸を狩る。まさに一撃必殺神速の抜刀術。

・雨の呼吸 弐ノ型 “天泣”
 簡単に言えば隠形の術。ちなみに、天泣とは天気雨のことである。雲がないのに雨が降る。つまり、ないのにある。返せば、あるのにない→(そこに)在るのに(居)無い、的な?

・雨の呼吸 参ノ型 “仁恵の虎雨”
 水の呼吸伍ノ型の改良版、鬼が自ら頸を差し出さずとも、心の中で懺悔を示す、あるいは死にたいと思っていれば、その刃は届く。未だ完成には至らず、今回成功したのは奇蹟に等しい。今後登場する可能性は低く、この話のためだけに考えた感すらある。
 ちなみに、虎の雨、という名前の雨があったりする。興味がある方はググってみてください。


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幕間ノ壱 父と母の話

過去話
あまり気持ちのいい話ではない、と思います。

2019/07/21 加筆修正


 思えば、出会った当初からその女は狂っていたのだろう。静かに、穏やかに、狂っていたのだろう。彼女の父母は、その事に気づいていたのだろうか。否、きっと気付いてはいなかった。その男が気付けたのも、男が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を持っていたからこそだ。それがなければ、男もきっと気づくことはなかったに違いない。

 少しずつ、しかし確かに狂っていく女の姿を、男は見ていることしかできなかった。

 

 

****

 

 

 女の名を、“霧”と言う。そこそこ大きな屋敷の一人娘で、その屋敷には刀を佩いた者がよく出入りしていた。藤の花を家紋に擁く、由緒正しい御家柄だということははっきりしていた。が、霧は良家の娘らしからぬ女だった。

 着物の裾をたくし上げ、男どもと一緒になって野山を駆けまわる。お転婆、と言えば可愛げがあるが、霧のそれは少し度が過ぎていたようにも思う。泥だらけになっては、母親に窘められている姿を、よく見かけていた。

 

 男の名を、“景雲(ひろゆき)”と言う。生まれた時分に、彩雲が空を覆っていたことからそう名付けられた。容姿端麗で好奇心旺盛、それでいて謙虚で厳格。人並外れた知識欲も持ち合わせ、自らの目で見て感じたものを大事にしていた。皆からもよく好かれ、信頼されていた。

 霧とは幼馴染であり、周囲は美男美女の組み合わせだと、よく囃し立てた。霧が満更でもなさそうな顔をしていたのに対し、景雲は顔を顰めてニコリともしない。その様子に、厳格な父とたおやかな母の姿を、多くの者が思い描いていた。

 

 景雲が九つか十の頃、父母が死んだ。正確には、殺されたのだ。草木も眠る丑三つ時にやって来た、“鬼”という存在に。景雲にとって、家族は父母だけだった。祖父母も、兄妹も、親戚もいない。その瞬間、景雲は天涯孤独の身となった。

 町の者は皆、こぞって景雲の境遇を憐れんだ。成人するまで支援をしようと言う人や、養子として引き取ってもいいと言う人さえいた。けれど、景雲はその申し出を全て断り、一人で暮らすことを選んだ。そして、霧が景雲の家を頻繁に訪れているのを、誰かしらが目にすることが増えた。

 

 それから数年が経つ。凛々しい男へと成長を遂げた景雲は、亡き父と同じ木細工職人としてそこそこ名が知れるようになっていた。そんな景雲に、結婚適齢期の少女たちがこぞって交際を申し込み、玉砕するという光景が日常と化して幾日。その少女たちの幾人かが亡くなる、ということが相次いだ。それも、景雲にこっぴどくフラれて、それでも諦めきれないと連日景雲のもとに押しかけていた少女ばかりが。

 死因はばらばらだ。山菜を取りに行って崖から落ちた、または熊に襲われたとか。家のお使いから帰ってこないので探しに出てみれば、暗い路地裏で強姦に遭ったようで舌を噛み切っていたとか。朝食の時間になっても部屋から出てこないので、心配して部屋に行けば首を吊っていたとか。

 

 少女たちは気味悪がり、一人、また一人と景雲の傍から離れて行った。男たちは景雲の不運を憐れみ、慰めるように傍にいた。が、ことさら景雲と仲良くしていた青年が亡くなると、状況は一変する。

 亡くなった青年は、線が細く中性的で、格好を整えれば女性に見えなくもない容姿をしていた。そして、同性とは言え、少なからず景雲を思っていたのも確かだった。その青年の死を切っ掛けとして、男どもも蜘蛛の子を散らす様に景雲から去って行った。結果、景雲の傍に残ったのは、たった一人――――()()()だ。

 

 つまり、そういうことなのだろう。景雲にはこの一連の流れを起こした人物の検討がついていた。むしろ、彼女でなくばこんなことをする者が他にいる筈もない、とすら思っていた。けれど、結局。景雲は件の犯人にそのことを言及することは、一度としてなかった。

 

 周囲は景雲を呪われた男と陰口叩いたが、反対に、霧のことは誉めそやした。あんなに不運な男の傍にいて、献身的に尽くして、なんて出来た女だろうと。嫁にするならああいう子が望ましい、景雲は果報者だねと。霧が景雲に懸想していたのは公然の秘密だったため、これで、景雲も諦めて彼女と結ばれるのだろうと思っていた。

 実際、そのことを景雲に聞いてみると、にこりともせずに頷いたのだという。嬉しくないのかと問えば、どんな顔をすればいいのか分からないと帰ってくる。そんな返答を、街の者たちは真面目さゆえだろうと笑って取り合おうとはしなかった。

 

 霧と景雲が成人を迎えた頃、両親の説得に成功した霧が景雲を婿に迎え入れたいと申し出て来た。遠からぬ未来、そうなるだろうと確信していた景雲は、特に迷いも見せず頷いた。あんなことをしでかしたであろう霧ではあるが、十何年もの間、景雲を恋い慕ってくれていたのは事実だ。なればこそ、その想いには応えなければならないだろうし、応えなければ亡くなった少女達が憐れだとすら思った。

 しかし、全く愛が無かった訳でもない。景雲が傍にさえいれば、霧はいたって普通の女だった。良い女房であり、子が出来てからは良い母であった。しかし、景雲の目には彼女の姿は全く別のものに映って見えていたのも確かだ。出会った当初から、ずぅっと。

 

 

「父さんは、どうして母さんと結婚したの?」

「――――霧を、()()()()()()()()()()からだ」

 

 

 息子の無邪気な問いに、景雲は迷うことなくそう答えた。鬼、と反復した息子を一瞥し、今にも泣き出しそうな空の下で作業を続けた。手には、猫か狐の顔の形をした彫りかけの面と小刀がある。

 興味深そうに手元を覗き込んでくる息子に、完成したらお前にやろう、と言うと嬉しそうに破顔した。愛しいなあ、と。男は小刀を置いて息子の頭を撫でながら、そう思っていた。

 

 平穏が崩れ去るのは唐突で、息子は想像だにしていなかっただろう。しかし、景雲にしてみれば予想出来ていた事だったため、動揺も少なかった。妻が――――幼馴染が――――霧が、()()()鬼になってしまったのだ。

 はっきり言おう。その鬼の姿は、景雲が幼い頃からずっと見続けていた、霧のもう一つの姿だった。

 

 “先祖返り”と言う言葉がある。直接の両親ではなく、それより遠い先祖の形質が子孫に突然現れることを言う。たとえば、人間での尾とか複数の乳頭とか、全身の多毛の出現など。

 これらは単に劣性形質の分離的再現のみでなく、突然変異とか、形質発現過程での攪乱も考えに入れて説明される。閑話休題(そんなことより)、霧のことだ。

 

 霧は、間違いなく先祖返りだった。同年代の少女達と比べて力が強く、丈夫で、男にすら負けない運動神経を持っていて。――――他の人よりも少しだけ、犬歯が鋭いのが特徴だった。

 霧の伯母が、鬼になったという話は聞いた事があったが、それ以前の先祖に鬼がいたという話は聞いたことがない。だが、景雲は季節家家系図の中に不自然に削られた部分があるのを知っていた。その削られた部分の血が、霧は濃かったのだろう。勿論、それを誰かに語ることはしなかった。

 

 その後、何があったかは語るまでもないだろう。景雲は一人息子を遺して逝き、霧は鬼に堕ちていく。二人の息子はあまりの衝撃に寝込み、その結果。

 

 

「――――ぇ、…この世界“鬼滅の刃”かよ……しかも母親が鬼にジョブチェンジして、父親と祖父母が喰われて?うっわ、俺の人生初っ端からハードモードすぎワロタ、狭霧山行こ……」

 

 

 前世とか言う、眉唾物の記憶を思い出したのだ。




季節 霧
 オリキャラその2。季節の母。心の中に鬼を飼っていたために、自身も鬼と化した。先祖返りでもあるらしいが、真偽は定かではない。十二鬼月入りを果たしてはいたものの、序列は下位。鬼舞辻への忠誠はあってないようなもの。ただ、息子に斬られる為だけに人を喰らい、生き永らえていた哀しい女。この度、無事、息子に討ち取られた。

季節 景雲(ひろゆき)
 オリキャラその3。季節の父で、婿養子。イケメンで、そこそこ有名な木細工職人だった。鬼とは憐れな存在であり、怒りや憎しみなど抱いても空しいだけだ、という考えを持つ人。生来不思議な目を持っていて、人ならざるモノを見ることができた。季節の生き方に大いに影響を与えた人物。故人。ちなみに、季節が身につけている狐の面は、景雲の作りかけを鱗滝が完成させたもの。


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拾参 牛車洗い

前半のは八巻巻末の番外です。
つたないのは仕様と思ってください。

中盤から原作軸
上弦の参襲来


 お腹がすいた。悲しい、虚しい、苦しい、寂しい。そんな日々だった。だけど、ある日ぷつんと音がして、何もつらくなくなった。貧しい暮らしの中、親に売られた時でさえ、悲しくはなかった。

 

 

「あの、ちょっとよろしいでしょうか」

 

 

 鈴を転がしたような声が、呼び止める。

 

 

「その子はどうして、縛られているのでしょうか。罪人か何かなのですか?」

 

 

 蝶の髪飾りをした、綺麗な女の人が二人いた。前にいる人はニコニコ笑っていて、後ろの方にいる人は仏頂面をしている。どうして、この人たちは声を掛けて来たのだろう。考えてみようとしたけれど、やめた。

 

 

「……見てわかるだろ、蚤だらけで汚ぇからだよ。それに、逃げるかもしれねぇしな」

 

 

 男がそう言う。けれど、それすらどうでもいい。

 

 

「こんにちは、初めまして。私は、胡蝶カナエといいます」

 

 

 あなたの名前は?わざわざ目線を合せるように腰を折って、その人はそう言った。名前なんかねぇよ。男が代わりに答える。親がつけていないからだ、と。

 

 

「もういいだろ、離れろや」

 

 

 そう言って、男がその人に手を伸ばそうとして、もう一人の人に弾かれた。痛そうな音がする。

 

 

「姉さんに触らないでください」

 

 

 そう、姉妹だったの。でも、それもどうでもいいな。何なんだ、と男が言う。お喋りしたかったらお金を払え、とも言う。それなら、買います、ともう一人の人が懐に手を入れて。

 

 

「これで、足ります?」

 

 

 何かをばらまいた。橋の上で、紙切れが風に煽られ、硬貨が散らばる。してやったり、と笑うその人が、早く拾った方がいいと言っていた。いいのかしら、と姉さんと呼ばれた人と、いいの!とそれに返した人に手を引かれて。――――二人の手、温かかったな。

 

 

「姉さん、この子全然だめだわ。言われないと何もできないの。食事もそうよ、食べなさいって言わなきゃずっと食べない、ずっとお腹鳴らして」

「まあまあ、そんなこと言わずに。姉さんはしのぶの笑った顔が好きだなあ」

「だって!自分の頭で考えて行動できない子はだめよ、危ない。一人じゃできないのよ」

「じゃあ一人の時はこの銅貨を投げて決めたらいいわよ、ねーカナヲ」

「姉さん!!」

「そんなに重く考えなくていいじゃない、カナヲは可愛いもの!」

「理屈になってない!!」

 

 

 その人はほわほわと笑って言った。

 

 

「きっかけさえあれば、人の心は花開くから大丈夫」

 

 

 いつか、好きな男の子でもできたら。

 

 

「カナヲだって、変わるわよ。――――私が、そうだったみたいに」

 

 

 心から幸せそうに、その人は笑っていた。

 

 

「ところで、しのぶは錆兎ちゃんと冨岡ちゃん、どっちが好み?」

「ね・え・さ・ん!!」

 

 

****

 

 

 ゴガァッ、と。形容し難い音の後に、凄まじい断末魔が響く。それに呼応するように汽車全体が揺れ、車体が、まるで蛇のようにのたうち回る。このままだと横転するだろう。煉獄、と名を呼ぶと同時に飛び出していった背中を見送り、季節は笑った。

 

 

「――――ぁあ、くそ。死なせたくねぇな」

 

 

 取り繕えず口を突いて出た言葉は、彼らしくない粗野なものだった。否、元来彼の口調は粗野だ。けれど、それでは威圧的だからと、父の話し方を真似るようになった。それが思いの外はまり、染みつき、今ではあのうさん臭い話し方へと昇華された。

 それはともかく。いよいよ、である。

 

 

「ここからだ、ここからなんだ」

 

 

 揺れの中、倦怠感に包まれた体を無理やり動かして立ち上がる。折れてしまった刀身の方を拾って鞘に落とし、刀の柄を強く握りしめて窓の外を睨み付けた。夜空には雲一つなく、雨は降りそうにもない。それもそうだ、今回季節は()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 ガガガ、と何かが擦れる音が響き、人一倍大きな揺れと共に汽車が止まった。思いがけず体勢を崩し、壁に頭を、座席に背中を強かに打ち付ける。情けない話だが、未完成の技を放った影響で足腰に力が入らないのだ。

 鍛え方が足りないと言われればそれまでだが、病み上がりだ、当然のことと受け入れるしかない。だから、泣き言を溢すのは後にしよう。

 

 

「(雨の呼吸はダメだ、あれはどうやっても煉獄の炎を消してしまう。ここは、水の呼吸を使っておくべきか?雨よりは、相性の悪さはないとは思うが……いや、それなら()()()の方が使い勝手はいいのか?だとしたらすぐにでも()()()()()()()間に合わねぇ…)」

 

 

 呼吸を整え、散らかる思考を何とか纏めあげる。事ここに至って、ぐだぐだと考えているのは時間の無駄でしかない。

 

 

「よし」

 

 

 ――――往こう。

 

 

「“千早ふる神もみまさば立ちさばき天のとがはの樋口あけたまへ”」

 

 

 口早に唱えて立ち上がる。腹はとうに決まっている。ならば、その目的を果たすために全力を尽くすべきなのだ。そうすれば、仮令(たとえ)、この命を使い捨てることになったとしても、後悔はしない。

 

 

「…いや、使い捨てたらカナエに叱られるか」

 

 

 前言撤回。捨てるのはやめて、ちゃんと命を拾って帰ろう。炭治郎たちと、煉獄と。絶対に、生きて帰るのだ。それをもって、原作と別離しよう。だってこの世界は、紙面上の出来事でも何でもない、まぎれもない現実なのだから。

 

 

****

 

 

(魘夢)

 

 体が崩壊する、再生できない。負けたのか?死ぬのか?俺が?馬鹿な…馬鹿な!俺は全力を出せていない!!人間を一人も喰えなかった。汽車と一体化し、一度に大量の人間を喰う計画が台無しだ。こんな姿になってまで……!!これだけ手間と時間をかけたのに…!!

 脳裏に、焔のような頭髪の男の姿を思い浮かべる。三百人も人質を取っていたようなものなのに、それでも押された、抑えられた。

 黄色い頭の男を思い浮かべる。アイツ…アイツも速かった。術を解ききれてなかったくせに…!!

 口枷をつけた、黒髪の女を思い浮かべる。あの娘、鬼じゃないか。何なんだ。鬼狩りに与する鬼なんて、どうして無惨様に殺されないんだ。

 

 

「(くそォ、くそォ!!そもそも……!!)」

 

 

 あのガキ、花札のような耳飾りをしたガキに術を破られてからが、ケチがつき始めたんだ。あのガキが悪い…!!あのガキだけでも、何とか殺したい…そうだ、あの猪も!!ガキだけなら殺せたんだ、あの猪が邪魔した。並外れて勘が鋭い、視線に敏感だった。

 それに、協力するはずだった女の鬼が早々にやられたのも大きい。もう一人の顔面に傷のある男に執心しやがって!!こっちが優勢かと思えば、あっさりやられやがった…!!

 炎の男と傷の男、恐らくどちらも柱だ。柱が二人も乗ってるなんて、聞いちゃいない…ッ。

 

 

「(負けるのか、死ぬのかァ…!!ああああ、悪夢だあああ、悪夢だあああ)」

 

 

 ――――鬼狩りに殺され続けるのは、いつも底辺の鬼たちだ。上弦が、あいつらだけが、ここ百年顔ぶれが変わらない。あいつらは山ほどの鬼狩りを葬っている、鬼狩りの柱さえも葬っている。下弦以下の鬼がむざむざ殺され続ける中で、あいつらだけが。

 それほどまでに、上弦とは異次元の強さなのか?あれだけあの方に血を分け与えられても、俺は上弦に及ばなかったというのか…?

 

 

「(ああああ、やり直したい、やり直したい)」

 

 

 何という惨めな、悪夢…だ……。

 

 

「――――お休み魘夢。今度は好い夢を見られるよう、祈っているよ」

 

 

 既に崩れ落ちた筈の耳が、そんな声を拾った気がした。

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 ぬっ、と。煉獄さんの顔が視界に現れた。

 

 

「全集中の常中ができるようだな!感心感心!」

 

 

 夜空に響く声でそう言われ、続けざまに柱への第一歩だと教えてくれた。気のせいかな、しのぶさんと季津さんの二人は、そんな事一言も言ってなかった気がする。

 

 

「柱までは一万歩あるかもしれないがな!」

 

 

 心なしか楽し気に見える。頑張りますと返事をするも、煉獄さんは聞いていないのか、腹部から出血している、と言ってきた。この人、伊之助とは違う意味で話を聞いてくれない。

 

 

「もっと集中して、呼吸の精度を上げるんだ。体の隅々まで神経を行き渡らせろ」

 

 

 言われた通りにやろうとして、呼吸が荒くなる。集中、集中だ。煉獄さんの声に耳を傾け、全神経を体に集中させる。

 

 

「血管がある、破れた血管だ」

 

 

 段々と呼吸が一定の拍を刻むようになり、静かになってきた。もっと集中しろ、と煉獄さんが言う。その瞬間、頭の中に出血部位の画が浮かんだ。

 

 

「そこだ、止血。出血を止めろ」

 

 

 歯を食いしばり、息を止める。トン、と額を小突かれ、集中、と言われる。ギュウ、と手拭いを力いっぱい絞ったような感覚と共に、詰めていた息を吐き出した。そんな俺に、煉獄さんはうむ、と頷く。

 

 

「呼吸を極めれば、様々なことができるようになる。何でもできるわけではないないが、昨日の自分より、確実に強い自分になれる」

 

 

 身に染みる言葉だった。呼吸を極めた道の先に、この人が――――柱たちがいる。冨岡さんや、錆兎さん、そして、季津さんも。

 

 

「……はい」

 

 

 そう答えた俺に、煉獄さんは満面の笑みを浮かべた。そして、皆無事で、怪我人こそ多いものの命に別状はないことも教えてくれた。

 

 

「君はもう無理せず――――」

 

 

 ドオン、と。煉獄さんの言葉を遮る轟音に、土煙が舞う。煉獄さんは刀に手を添え、轟音がした方に体を向けた。うるさいくらい警鐘を鳴らしている心臓に手をあてて、俺は何度か目を瞬かせた。

 いつのまにか、煉獄さんの傍には季津さんが立っている。気配は薄く、特徴的な雨の匂いもあまりしない。手には半ばから刀身の折れた刀を持っていた。そして、静かな面持ちで、土煙の奥にいる()()を睨み付けている。

 季津さんの視線を追いかけていくと、ジャリ、と。地面を踏みしめる音が聞こえた。

 

 

「来たか…」

 

 

 季津さんの囁きが耳に届き、俺はその()()の正体を知る。

 

 

「上弦の、参」

 

 

 瞬間、目の前にその兇器()が迫っていた。



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拾肆 明日君と

オリキャラが登場します。

2019/07/22 加筆修正

冒頭数百年前の話
独白を挟んで中盤から原作軸
vs上弦の参


 ――――時は鎌倉時代初期。武家の棟梁が猛威を振るい、幕府の求心力がまだ強かった頃。酒呑みの鬼が源何某(みなもとのなにがし)に討たれてから久しく、閑古鳥すら鳴いていた大江山。そこに鬼がひとり、隠れ住んでいたことをご存知だろうか。

 命からがら生き残った同輩たちが山を降り、各地に散らばって早百云年。それでも、ひとり大江山に残ったその鬼を。

 

 

「――――退屈も過ぎれば人どころか鬼だって殺すぞ…?」

 

 

 かつて酒呑童子の館があった大江山のさらに奥深く。そこに、時代錯誤も甚だしい、軽妙洒脱な()()()()()の屋敷が建っている。そんな屋敷を四角く囲む垣根の手入れをする男がいる。その背に、嗄れた声がかかった。

 

 

雨師(うし)殿は働き者ですなあ」

「あー……退屈だったけど、“誰か訪ねてこないかな~”とは少しも思ってなかったんだけど」

「まあまあ、そんなことを仰らず」

 

 

 振り返れば黒い袈裟を身につけた坊主が立っていた。男は剪定用に改良したハサミを片手に、あからさまに顔を顰める。すると坊主は背負っていた風呂敷を降ろしてニヤリと笑った。

 

 

「本日はお願いがあって参りました」

「本日()、の間違いでしょ。どうせ雨を降らしてほしいって話なんだろ?」

「いやはや、流石雨師殿。この老いぼれの考えなどお見通しでしたか」

「いや考えるまでもないよね、アンタが他の用事でここに来たことあった?」

「ところで雨師殿、ご存知か?巷では、この山に鬼の残党が隠れ住んでいる、という噂が流れているようで」

「……アンタ、強かだよね」

「ええ、伊達に六十云年生きてはおりませぬゆえ」

 

 

 差し出された風呂敷を受け取り、中身の検分を始める。塩に干物と野菜が数種類、いつも通りの内容だ。

 

 

「人間にしちゃ、長生きだよねえ」

「しかし、最近は腰が痛みましてな。そろそろ倅に跡を継がせようかと思っております」

「へえ、そう?アンタの息子さんって、アンタに似ないで物腰柔らかだよね」

「家内に似て顏も気立ても良くて、自慢の倅でございますれば」

「あっそ……明日、朝から雲を呼んで二日ほど雨を降らせるから、百姓たちにはそう伝えといて」

「畏まりました。感謝いたします、諏江臥殿」

 

 

 もう大分。呼ばれなくなって久しい名前を呼ばれ、男は苦く笑う。

 

 

「ここで名前呼ぶとか、ズルイ奴だなアンタは」

「お褒めに預り恐悦至極」

「いや、褒めてないんだけど…」

 

 

 剃髪を撫で擦り、してやったり顔の坊主が忌々しい。それでも、この生温い関係を続けているのは、何となく――――ではなくて。

 

 

「(()()()()()()()()()、アンタみたいな人がいたら面白かっただろうになぁ)……茶でも飲んでいきなよ、山下りの前に一息入れな」

「おお、雨師殿の淹れる茶は絶品ですからな!では、有り難く」

 

 

 少しだけ、過去が惜しいと思っているからだ。

 

 

****

 

 

 古い文献を調べていると、平安時代から、"すえふし"という名がよく見られるようになる。何を生業としていたのか、その情報は至る所に散見している。が、その割に、これ、といった定かな記録があるわけではない。

 有力なのは陰陽師だったという説だが、それは"雨を降らせた"という一文が根拠となっている。おそらく雨乞いの儀式のことなのだろう。時代背景を考えても、妥当だと考える者が多かった。意外にも多かったのは、医者だったのではないか、という説。だが、残念ながら根拠になりそうなものはない。

 確かなのは、帝への拝謁を許される程度の地位にいたこと。なので、それなりに裕福だったに違いない。しかし、何をどうやってそんな地位を手に入れることが出来たのかは、謎に包まれている。ただ、大正時代まで家が続いていることを考えると、歴代当主たちの手腕が優れていたことが伺える。家系図もしっかりと残っており、当然のように初代まで遡ることが出来た。

 けれど、ひとつだけ。無視することができない、不可解な記録が残っている。それは、季節家を興したのが“()()()()()()()()()()()()()、というものだ。そして季節家の男児は、()()()()をもって生まれると()()()()()()()()()()()という。

 歴史学者達は、これを一種の比喩(たとえ)だと考えた。季節家初代当主は()()()()()()()()()()()()()()()だった。そして、男系子孫で力を使えた者は()()()()だった。そんな風に結論付けたのである。

 ――――果たして、正解(しんじつ)は如何に?

 

 

****

 

 

 ――――炎の呼吸弐ノ型、“昇り炎天”。

 刀の軌道を追うように炎が舞い、炭治郎へと襲い掛かった鬼が軽い身のこなしで距離を取る。縦に斬り裂かれた腕は、致命傷のように見えるも一瞬で元に戻ってしまった。再生の速さ、圧迫感、そして鬼気。どれをとっても凄まじく、これが上弦か、と煉獄は思う。

 対して、季節は特に気負った様子もなく、極自然体で立っている。しかし、炭治郎を除く誰もが、彼がそこにいることに気が付けないでいる。それも当然。季節は天泣を発動させていた。気付かれたのでは元も子もない。

 そんな季節と炭治郎の目の前で、鬼と煉獄の問答が始まった。

 

 

「なぜ、手負いの者から狙うのか、理解できない」

「話の邪魔になるかと思った。俺と、お前との」

 

 

 たかがその程度のことで、炭治郎を殺そうとしたか。短絡的な思考とも思えるが、そうではない。こちらは人間、相手は鬼。そこに、決定的な違いがある。

 

 

「君と俺が、何の話をする?初対面だが、俺は既に君のことが嫌いだ」

 

 

 煉獄が言えば、そうか、と鬼が頷く。

 

 

「俺も弱い人間が大嫌いだ。弱者を見ると、虫酸が走る」

 

 

 物事の価値基準が違う。それもそうだ。同じ人間でさえも、物の捉え方や考え方は、一人一人違っている。相手が鬼ともなれば、違っていて当然なのだろう。故に、何を思い、何を大事にし、何を誇りとするか。どう考えても共有できそうにないと煉獄は言う。そうか、と再び鬼は頷いた。

 

 

「では素晴らしい提案をしよう。お前も鬼にならないか?」

 

 

 なるわけがない。

 

 

「ならない」

 

 

 季節の内心と煉獄の言葉が重なる。しかし、鬼はそんなことはどうでもいいとばかりに話を進めた。

 

 

「お前の強さは見れば解る、柱だな?練り上げられたその闘気……()()()()()()()()

 

 

 興奮した様子の鬼を前に、冷静に、淡々と、煉獄は会話を続ける。

 

 

「俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ」

「俺は猗窩座。杏寿郎、なぜお前が()()()()()に踏み入れないのか教えてやろう。人間だからだ。老いるからだ。死ぬからだ」

 

 

 故に、鬼になろう、と鬼は言う。そうすれば、百年でも二百年でも鍛錬し続けられ、強くなれるのだからと。…確かにそれは、魅力的なことなのだろう。だが、煉獄にとって魅力的かと問われればその限りではない。

 

 

「老いることも、死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」

 

 

 そう語る煉獄の横顔は、ただただ静かだった。

 

 

「老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ。強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない。――この少年は、弱くない」

 

 

 侮辱するな。

 

 

**

 

 

 煉獄の言葉に、炭治郎がハッとした様子で顔を上げる。話が繋がらない、不思議な人だと思っていた。その強さは間違いなく一級品で、遠い存在だと感じてもいた。そんな人が、今、炭治郎を弱くないと言ったのだ。

 それで、何も感じるものがないと言ったら、それは嘘だ。

 

 

「何度でも言おう。君と俺とでは、価値基準が違う」

 

 

 静かに、しかし猛々しく。その気迫はまるで炎のようで。

 

 

「俺は、如何なる理由があろうとも、鬼にはならない」

 

 

 ()()()()、と炭治郎は思った。

 

 

**

 

 

 薄く、細く、小さく。折れた刀を手に、己の存在を際限まで空気に溶け込ませ、静かに呼吸をする。炭治郎に気付かれたのは驚いたが、些細なことだ。猗窩座と煉獄、この二人に存在を悟られなければ、それでいい。猗窩座も、煉獄も、己の心の思うがままに動けばいい。そうすれば、きっと。

 

 

「(その瞬間(とき)はやってくる)」

 

 

 狙うは、彼らの気炎が最高潮に達する、その一瞬。恐らく、介入するのならばそこしかない。逆に言えば、その時にしか()()()()()()

 

 

「――――、」

 

 

 つい、と空を見上げる。夜はまだ明けそうになく、星々が輝いている。しかし、それももう間もなくすれば、見えなくなるだろう。そうなるように、()()()()()のだ。

 

 

「今まで殺してきた柱たちに、炎はいなかったな!そして俺の誘いに頷く者もなかった!!なぜだろうな?同じ武の道を極めるものとして、理解しかねる。選ばれた者しか、鬼にはなれないというのに!」

 

 

 素晴らしい才能を持つ者が醜く衰えていくのが辛い、耐えられない。だから死んでくれ、若く強いままに。空中で身を翻しながら、猗窩座がそう宣う。

 虚空を拳で打てば、衝撃波のようなものが煉獄へと届く。距離を取られたまま戦われると、頸を斬るには厄介だろう。煉獄もそう思ったのか、一瞬で猗窩座との距離を詰めた。

 

 

「この素晴らしい反応速度!」

 

 

 拳と剣撃の応酬。

 

 

「この素晴らしい剣技も!失われていくのだ杏寿郎!悲しくはないのか!!」

「誰もがそうだ、人間なら!!当然のことだ!」

 

 

 煉獄の叫びに、炭治郎が身じろぐ。しかし、それを目敏く見つけた煉獄本人によって、行動を抑制された。

 

 

「動くな!!傷が開いたら致命傷になるぞ!!待機命令!!」

 

 

 ――本来なら。柱が二人いる場合、一人が鬼を抑え、もう一人が一般人を避難させる。それが当然の判断であり、優先されるべき事項だ。五年前のようにその場にとどまる事もあるが、あれは例外的措置に過ぎない。

 そして、今。上弦の鬼(猗窩座)と乗客との距離は遠く、わざわざ避難誘導ためにここを離れずとも問題はなかった。今、この時、季節が優先すべきものが何と問われたらなら。彼は迷うことなくこう答える。

 

 

「(煉獄、君の命だ)」

 

 

 たとえ罵られ、詰られようとも。その決意は覆らない。



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拾伍 逢うこと叶わば

2019/07/22 加筆修正

冒頭独白
以降原作軸(オリジナル展開)
vs上弦の参


「大丈夫、」

 

 

 同じ作りの顔、同じ色の瞳と髪、同じ波長の声。唯一違うのは、その額に()()()()()()()

 

 

「アンタならできる。だってアンタは――――」

 

 

 ――――()()()()()()()

 

 

****

 

 

 煉獄と猗窩座の一挙手一投足に集中していたとき、ふと、季節はあることに気が付いた。目に映るものの動きがゆっくりと流れていく、まるでスローモーション。しかも、脳や筋繊維すら目視することができる。通常ではあり得ない、不可思議としか言い様のない現象だ。

 

 

「(これ、は…?)」

 

 

 動揺を隠すように、細く、細く、細く。蜘蛛の糸よりなお細く息を吐き出し、瞬きもせずに()()()()()()()。何も映さないはずの左目に、()()()()()()()()()()()()()

 

 

「(()()は、()だ)」

 

 

 ――――季節には、()()と言うものの記憶がある。その記憶の中に、今生きている現実が物語として描かれたものがあった。その物語によると、煉獄はこの戦いで死に、遠からず宇随が大怪我を負って柱を辞める。そして、記憶の最後は、産屋敷耀哉(お館様)が己の身を犠牲にして、鬼舞辻無惨に特攻を仕掛けるところで終わっている。

 されど、あくまでも記憶は記憶であり、絶対にその通りになるとは限らない。変わる、もしくは変えられる可能性は、決してゼロではないのだ。そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()がいる時点で、乖離は始まっている。そして、妹弟子が原作通りに亡くなり、弟弟子が二人とも最終選別から帰還した時、確信した。

 閑話休題(それはともかく)。季節の記憶の中に、()()()()()の知識はない。前世が死んだ後に出てきた設定(はなし)なのだろう。そう思いこそしても、季節は今己の身に起きていることの重大さを、いまいち理解できていなかった。

 

 

「(人体の中身が見えるのは、ちょっと気持ち悪いな)」

 

 そう思いながら、顔をしかめるだけだ。その次の瞬間、煉獄が繰り出した技と、猗窩座が繰り出した技が交差する。互角のように見えるが、明らかに煉獄の方が力と速さで負けていた。その証拠に、相殺しきれなかった拳撃が煉獄に襲い掛かる。

 通常では視認できないようなものが、一つ一つ、確かに見えている。このままでは、煉獄は致命傷を負いかねない。そう思った瞬間、季節の体は動いていた。

 

 

「(水の呼吸、肆ノ型)」

 ――――“打ち潮”

 

 

 拳撃を丁寧に弾き落としていく。二発ほど弾き損ね、それぞれ煉獄と季節の体に傷をつけたが、致命傷ではない。派手に舞い上がる粉塵を隠れ蓑にして、距離を取る。気付けば、左目に映っていた不可思議な世界は消えていた。

 おそらくこの時、季節は猗窩座の頸を斬れた。だが、直観的に、()()()()()()()()()()()()()()()()()と思ったのだ。ここで討ってしまった方が良いことは、重々承知している。だが、これから先、どこかで対峙するのかもしれない。また炭治郎や他の誰かに、試練をもたらすのかもしれない。そんなことを考え、季節は無意識に頸を斬ることをやめた。

 そうして、当初の思惑を思い出す。ただ、時間が稼げればいいのだ。――――雨が降り出すまでの時間さえ、稼げれば。夜明けが近いはずの空は、分厚い雲で覆われはじめ、薄っすらと雨の匂いを運んでくる。もうそろそろのはずだ。

 粉塵が晴れ、猗窩座が感情を削ぎ落した顔で、季節を見つめていた。季節もまた、背中に庇った煉獄の荒い呼吸音を聞きながら、静かに見つめ返す。

 視界の端には、炭治郎の他に伊之助の姿もあった。闘いに介入できないか隙を窺っているようだが、自殺行為でしかないからやめてほしい。季節のそんな思いが伝わったのか、伊之助はその場から動こうとはしなかった。

 

 

「心踊る戦いに横槍を入れるとは、無粋な輩もいたものだと思ったが」

 

 

 不快感を滲ませる匂い。顔も苛立ちを露わにし、猗窩座の額に青筋が浮かぶ。

 

 

「その顔、()()()()()()……!!あの方に靡かぬ大江山の裏切り者、人と交わり鬼としての誇りを捨てた愚か者!!」

 

 

 唇を戦慄かせ、犬歯を擦り合わせながら猗窩座は激昂した。

 

 

「その髪!瞳!見紛うはずもない……俺が頸を持ち帰り、あの方に見せしめとして殺された!貴様は!!あの鬼の、()()()()()()だな!?」

 

 

 瞬間、猗窩座の目の前に半ばから折れた刃が迫った。

 

 

**

 

 

(煉獄杏寿郎)

 

 季節の剣撃を体を後ろに引いて回避し、猗窩座はお返しとばかりに拳を振るい、続けざまに上段蹴りを繰り出す。それを軽やかに躱し、季節は、ふ、と笑ってみせた。

 

 

「猗窩座」

 

 

 空を指し、目を細める。

 

 

()が降るぞ」

「――!?」

 

 

 何か、思い当たる節があったのだろう。猗窩座は術式を展開し、拳を握り、撤退ではなく対峙を選んだ。確かに、猗窩座の実力であれば、俺と季節を相手にしても逃げおおせられるだろう。それなのにもかかわらず、ここで対峙することを選んだのはなぜなのだろうか。

 対して、季節は刀を構えもせず、猗窩座すら見ずに空を見上げている。俺が一歩前に出ようとすれば、襟首を掴まれて後ろに引かれた。

 

 

「季節」

 

 

 放して欲しいという意味を込めて名を呼ぶ。

 

 

「煉獄、君にあの鬼の頸は斬れないよ」

 

 

 唐突な、思いもよらぬ言葉に矜持が刺激された。瞬間的に込み上げてきた怒りのまま口を開く。

 

 

「ならば君には斬れると言うのか!」

「斬れる」

 

 

 即答。俺は目を見開き、左右で目の色が違う季節の顔を凝視する。面を着けている時と変わらない、何の感情も浮かんでいない顔だった。素顔すら能面のようで、思わず背筋が粟立った。

 その季節の瞳には、猗窩座の姿が映っている。ポツリ、と。俺の頬を何かが濡らす。――――雨だ。燃え盛る炎を鎮ませる、空の涙だ。

 

 

「君は強い、それは確かだ。弱い者を守るのに十二分の強さを持っている」

 

 

 襟を掴んでいた手が離れていく。

 

 

「弱者を守るのが強者の務め――――確かにその通りだ。己の命を(なげう)つことでしか守れない――――そんな時もあるだろう。だが、忘れているようだから言わせてもらおう。()()()()()()()()()()……違うか?」

「!!」

 

 

 ガツン、と。頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。盲点だった、と言ってもいい。季節はつい最近まで意識不明であったし、目覚めた今も本調子ではない。まして、既に一戦終えた後だ。刀は折れ、疲労の色も濃い。故に俺は、己と同等かそれ以上の力を持つ季節のことですら、守るべき弱者だと無意識に判断していた。

 たとえ病み上がりだろうと、季節は“柱”だ。襲名したばかりではないか、という指摘は尤もだ。だが彼は、五年前、否、それよりも前から“柱”になるよう打診されていた。鬼殺隊きっての実力者だ、俺が守るべくもなく己で己の身を守れる強者だ。それを無意識だろうが、守ろうとするなど烏滸がましいにもほどがある。

 

 

「話は終わったか?」

 

 

 瞬きの一瞬で、俺の目の前から季節殿の姿が消えた。その次の瞬間、爆発音が響き、衝撃波が襲う。その発生源へと視線をやれば、剣撃と拳撃が幾重にも重なり残像が残っている。

 右斜め下からの切り上げ、それを側面から拳が叩こうとすると刃先を返し、手首を斬り落としにかかる。敢えて手首を斬らせ、反対の拳が鳩尾に伸びれば刀の峰で受け、上体を逸らして後方に二度回転。体勢を立て直し半身で刀を構える。実に見事な手合いだ。

 刀を握る手に力が入り、沸々と心の臓の奥が沸き立ってくるような感覚がする。このまま、見ているだけでいいのか。良い訳がない。季節は言っていた、()()()()()()()と。ならば、俺がここで燻ぶっている訳にも行くまいよ。

 

 

「助太刀しよう!」

「はは、助かるよ」

 

 

 全集中の常中を用いて季節の隣に並び、刀を構えた。

 

 

**

 

 

 隣りに煉獄、目の前に猗窩座。空を覆う雨雲は今にも泣き出しそうで、準備は整ったと言って良い。腰を落とし、瞼を閉じ、深く息を吸う。

 

 

「(大丈夫…あの人も言っていた、()()()()()()、と)」

 

 

 瞼を開け、飛び出しざまに煉獄の耳元に伝言を落とす。季節と同時に飛び出した猗窩座の拳が目の前に迫る。

 

 

「ここで!!」

 

 

 瞬きを一つ――――隙の匂いがした。

 

 

「死ね!!」

 

 

 猗窩座の拳が急所に伸びる。寸前で刀を滑り込ませるが、勢いよく汽車の方まで吹っ飛ばされた。背中を車体に強打し、息がつまる。隙を晒したのは此方の方だったらしい。炭治郎の悲鳴と伊之助の怒号が聞こえ顔を上げると、猗窩座の拳が煉獄を貫こうとしているのが見えた。

 

 

「――――――――ッ!!」

 

 

 間に合え、と心の中で叫んだ。

 

 間に合うさ(間に合うわ)、と誰かが言った。

 

 二つの手に背中を押されるように踏み出した一歩は。

 

 

――――ズガァアァアアンッ!!!!

 

 

 落雷に紛れ、掻き消える。ザァッ、と降り出した雨は、しかし一瞬で止んでしまった。尤も、最初からこれを狙っていたため、特に問題はないのだが。代わりに、大地に染み込んだ雨が蒸発し、空気中に溶け込んでいく。

 原理を知っている季節をして、不思議だと思う光景。まるで早送りでも見ているかのようだ。しかし、これで――――準備は整った。

 

 

()()()()()()()

 

 

 自分以外の動きが酷く緩慢で、また、あの()()()()()を見ているのだと気付いた。気持ちが悪いのは確かだが、この時ばかりはこの訳の分からない世界に感謝しよう。ただ、左右の瞳で映すものが違うせいで、酔いそうになるのは如何ともしがたい。

 片目を閉じればいいのかもしれないが、何となく、それでは駄目な気がした。故に、季節は両目を見開いたまま、煉獄と猗窩座の間へと体を滑り込ませたその瞬間、視界が真っ白に染まる。そして、ゆっくりと、煉獄と猗窩座の目が見開かれていくのを左目が捉えた。

 立ち直りが早かったのは猗窩座で、視界の不明瞭さをものともせず、そのまま拳を振り抜こうとする。その気配を察した煉獄もまた、刀を握り直し気炎を高める。それを待って、季節は術式を完成させた。



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拾陸 洒涙雨

2019/07/22 加筆修正

冒頭過去話
以降原作軸(オリジナル展開)
vs上弦の参終結


 ――――その鬼は。

 鬼舞辻(あの方)に次ぐ長命で、しかし、決してあの方の言葉に従うことのない、自由な(愚かな)鬼だった。

 

 

「つまらん奴だな、アンタは」

 

 

 あの方の命で訪ねてきたと伝えた俺に、その鬼はそう言い放った。退屈そうな顔で、心から残念だという声音で。俺は酷く、出鼻を挫かれた気分になった。

 

 

「どうすれば話を聞く気になるんだ?」

 

 

 ひきつる頬を押さえ尋ねる。そうだなあ、と間の抜けた声。そして。

 

 

「アンタが人間だった頃の話を聞かせてくれる、とか?……うん、それがいい、そうしてくれ」

「は?」

 

 

 思いもよらぬ提案だった。それだけでいいのかと思う反面、難しいことを言うとも思う。他の鬼ならばある程度は話せたのかもしれない。だが、生憎と俺は人間だった頃の記憶を持ち合わせてはいなかった。期待には応えられそうにない、と言うと、その鬼は哀しそうに目を伏せた。

 

 

「憐れだな」

 

 

 囁くように言われ、首を傾げていると手招かれる。己が座る隣を指して、そんなところにいないでこっちに来いと。趣ある数寄屋造りのこの屋敷は、この鬼がまだ若かった時分に自ら建てたものらしい。いったい何年前のことなのか疑問に思う。

 

 

「ところで、アンタが人間だった頃に一度会ってる身としては、忘れられていることに心が傷ついたんだが」

「は?」

「冗談だ」

「冗談……?どこから…?」

「さあて?」

 

 

 どこからだろうなぁ。ケラケラと童子のように笑い、俺が腰を下ろすのを確認すると、徐に空を見上げた。空は分厚い雲に覆われ、今にも雨が降りだしそうに見える。

 

 

「つまらなく、憐れなアンタに、善いものを見せてやろう」

 

 

 なんの脈絡もなくそう言われた。その瞬間、ザアッと。桶の水をひっくりかえしたような雨が降りだし、一瞬で霧に変わる。目を白黒させていると、視界の悪い霧の奥でなにかが揺らぎ、徐々に近づいてくるのが見えた。

 次々と起こる予期せぬ現象に、情けなくも固まっていた俺の頬に、細くしなやかな指が触れた。…触れた、と思った。

 しかし、実際は指が触れる前に反射的に拳を振り抜き、()()を振り払っていた。本能が警鐘を鳴らしている。これはダメだ、嵌まってしまえばもう二度と拳を握ることはできなくなる、と。

 勢いのまま隣に座っていた鬼の胸ぐらを掴み、文句を言おうと口を開く。ふざけるな。何だ今のは。俺に何をした。そう言おうとして、何も言えなかった。そんな俺に愉快だと口端を歪め、鬼は言った。

 

 

「俺は誰にも傅かないし、靡かない。だからといって、従わせようと俺の子孫(こども)達に手を出してみろ。――――その時は、その喉笛喰い破ってやる」

 

 

 瞳孔が縦に裂けた新緑の瞳が、俺を射抜く。そして、次の瞬間にはゴトリ、と鈍い音を立てて頸が落ちた。――――俺の、頸が。ヒュッと喉の奥が鳴り、背中が粟立つ。体の崩壊の兆しはないが、気分は最悪だった。

 

 

「どうせこいつの目を通して、こっちを見てるんだろ?」

 

 

 俺の頸を持ち上げ、目を覗き込み、狂気すら孕んだ笑みを浮かべて。

 

 

「上弦かお前自身が来いよ、こんな()()()じゃあ相手にならんから」

 

 

 ――――なぁ、無惨。その言葉を最後に、俺の意識は落ちた。

 

 

****

 

 

 猗窩座は気づいていた。季節が、“雨が降る”と言ったあの瞬間に、戦い続けることは悪手でしかないと。

 まだ鬼になったばかりで、上弦ですらなかったあの頃。まんまと術中に嵌り、恥を晒したのは良い……そう、良い(悪い)思い出だ。簡単に頸を落とされ、()()と言われたことは忘れもしない。()()()()()()()()()()。そう思っていた猗窩座の矜持を事も無げにへし折った。故に、あの鬼を――――諏江臥を殺すのは己だと決意した。

 ()()()()()。それが、最適解だと確信したのは、上弦となってもう一度諏江臥と対面した時だ。諏江臥の術は、最低、術者の意識さえ刈り取れば解除される。ならばあとのことを考えると殺しておく方が早いと考えた。

 だから、撤退ではなくこの場に留まることを選んだのだ。

 

 

****

 

 

「壱式――――“霧幻(むげん)”」

 

 

 季節がその単語を口にするのとほぼ同時、煉獄の日輪刀が猗窩座の頸に食い込み、猗窩座の拳が煉獄の腹を貫いた。――――と、猗窩座は思っているだろう。だが、それは違う。

 

 

「す、ぇふ…し……ッ!!」

「すまん、煉獄」

 

 

 君は少し、眠っていてくれ。そう煉獄の耳元で囁き、力なく崩れ落ちる体を肩に担ぎあげて離脱する。頭がクラクラするのは、単純に血を流しすぎたからだろう。

 勝負は決した。後は、猗窩座がさっさと立ち去るのを待つだけだ。だが、簡単に引いてくれるだろうか?それだけが不安だった。

 

 

「(()()()()()()()()使()()のは無理があったな……)」

 

 

 薄れ始めた霧の向こうで、猗窩座がぎゃあぎゃあと喚いている。鬼になれ、と言っているのが聞こえた。――――相手が幻であるとも知らず、ご苦労なことだ。その滑稽さに薄っすらと笑みを浮かべ、ようやっと辿り着いた木立に煉獄を隠す様に横たえる。

 猗窩座は変わらず、煉獄の幻に語り掛けている。否、あれはもう、幻とは言えないだろう。質量を伴った、煉獄の分身といって良い。あれを一瞬で生み出すのは骨が折れたが、一番は“霧幻”を発動させるのが大変だった。

 雨雲を呼ぶ和歌はいつも唱えているものとは違っていたし、雨を霧に変換した瞬間に体の中から何かがごっそりと抜き取られていった。正直、頭は痛いし吐き気もする。このまま意識を失ってしまいたい、とも思う。だが、それをやればこの術式が解除され、一世一代の大博打が無駄になってしまう。それだけは、何が何でも阻止しなければいけない。

 

 

「(せめて、日が昇るその時までは――――)」

 

 

 その願いが届いたのか、山間(やまあい)から朝日が差し込み始めていた。

 

 

**

 

 

 昇ってくる朝日から逃げるように、猗窩座は森へと身を翻した。その背に追い縋るように、炭治郎が投げた黒刀が突き刺さる。

 

 

「逃げるな卑怯者!!逃げるなァ!!!」

 

 

 炭治郎の絶叫に、一瞬、猗窩座の動きが止まった。爆発的に怒りと憎悪が膨れ上がる。

 

 

「(逃げているのは鬼殺隊(おまえら)からではなく、太陽からだ)」

 

 

 何を言っているのか、あのガキは。脳味噌が頭に詰まっていないのだろうか?それに、勝負はついているのだ、煉獄はもう間もなく力尽きる。

 

 

「逃げるな馬鹿野郎!!卑怯者!!」

 

 

 炭治郎の叫びを受けながら、朝日が昇り切る前に、猗窩座は姿を完全に消した。

 

 

「煉獄さんの方がずっと凄いんだ!!強いんだ!!煉獄さんは負けてない!!誰も死なせなかった!!」

 

 

 ぎゃんぎゃんと喚く炭治郎を、いつもならば宥められる側の伊之助が、狼狽えながら見つめている。その姿を横目に、季節は大分効果が薄まってきた術式をようやっと解除した。そして、横たえた煉獄の隣にうつ伏せに倒れ込む。

 

 

「……ちょっとの間だけど、随分と慕われたな」

 

 

 掠れた声でそう言えば、案の定意識を取り戻していたらしく、うむ、と力のない返答があった。

 

 

「とても嬉しく思うのだが……どう収拾をつけるつもりだ?」

 

 

 そうだなあ、と。煉獄の問いかけに、季節は力なく笑った。

 

 

「とりあえず、煉獄の分身はまだ消えてないから、それを消してからにしようか」

「……よもや、よもやだ」

 

 

 ――――生きている。身を起こしながら苦笑する煉獄を見上げ、季節はじわりじわりと押し寄せてくる達成感に浸る。そろそろ意識を保っているのも辛くなってきたなぁ、と。しきりに瞬きを繰り返していると、ふっ、と意識が遠のく。

 

 

「さて、竈門少年や猪頭少年に、何と説明したものか……」

 

 

 どうしたらいい?と、煉獄が尋ねてくる。返事をしようと口を開くが、掠れた呼吸がこぼれるだけだった。

 

 

「……季節?」

 

 

 何だよ、煉獄。

 

 

「季節」

 

 

 だから、何だってば。

 

 

「季節!聞こえているのなら返事をしろ!」

 

 

 聞こえてる、聞こえてるから――――。

 

 

「――――そ、な…お、おごぇ、だ、すな、て…」

 

 

 瞼が落ちる。ぷつり、と何かが切れる様な音がした。

 

 

「れ――――煉獄さんが灰になったぁああああぁああああ!!!?」

 

 

 意識を失う直前、そんな、炭治郎の叫びを聞いた気がした。

 

 

****

 

 

「無惨様」

()()()()は見つけたのか?」

「調べましたが、確かな情報は無く。存在も確認できず――………“青い彼岸花”は見つかりませんでした」

「で?」

 

 

 表情を変えず、声の波長も変えず、淡々と。対して、無惨、と呼ばれた少年は冷え切った声で先を促した。

 

 

「無惨様のご期待に応えられるよう、これからも尽力いたします。ご命令通りとまではいきませんでしたが、二人の柱の内、一人は始末いたしました。もう一人も再起に時間はかかりましょう。それから――――」

「お前は何か思い違いをしているようだな、猗窩座」

 

 

 ミシリ、と。全身に圧がかかるが、それでも猗窩座の表情は動かない。

 

 

「たかが柱……それを再起不能にしたからなんだと言うのか?鬼が人間に勝つのは当然のことだろう。私の望みは鬼殺隊の殲滅。一人残らず叩き殺して、二度と私の視界に入らせないこと。複雑なことではないはずだ、それなのに未だ叶わぬ…どういうことなんだ?」

 

 

 段々と圧が強くなっていく。全身にひびが入り、喉奥から血がせり上がってきた。

 

 

「お前は得意げに報告するが、あの場にいた鬼狩りは大半が生き延びた。なぜ始末してこなかった?わざわざ近くにいたお前を向かわせたのに…猗窩座――猗窩座――――猗窩座――――猗窩座!!」

 

 

 ごふり。口に鉄の味が広がる。

 

 

「お前には失望した。まさか、柱でもない剣士から一撃を受けるとは、“上弦の参”も堕ちたものだな」

 

 

 下がれ。

 

 

**

 

 

「貴様の顔……!!覚えたぞ、小僧。次会った時はお前の脳髄をぶちまけてやる!!!」

 

 

 ――――やっぱり、アンタは憐れだなあ。




猗窩座
 上司のパワハラが酷い中堅社員的立場の(おに)。過去、とある鬼に()()と言われ、以来その言葉を覆さんがために己の腕を磨き続けた。上弦の座を手に入れ、弱いと言った鬼を倒してなお、彼は強さを求め続ける。それが、それだけが、己を証明するものだと思いながら。

煉獄杏寿郎
 生存ルートに足を踏み入れた我らが兄貴。本当はもっとボロボロになったところで季節が乱入する予定だったし、なんなら腹を貫かれる寸前まで行くはずだった。しかし、結果は原作以上にぴんぴんしている。作者の予定では、原作とほぼ同じ流れで、()()()()退()()()()()()()()()()。後に登場して「実は生きていた!」的な展開にするはずが見事に予定が狂ったので、もしかしたら炭治郎が継子になる未来もあるかもしれない(展開は未定)。

季節津衣鯉
 先取りが激しい当作主人公。鬼にも気づかれない程気配を薄くできるって、結構すごいと思う。今回、“透き通った世界”への扉を開くことになったが、もう一度、今度は意図的に開けと言われたら無理かもしれない。また、完全に失明している左目が右目には映らないものを映すことも判明した。訳が分からないよ。
 煉獄を救えたことに安堵して気絶した。今回も一番怪我が酷いかもしれない。

・諏江臥式血鬼術
 詳細は追々

・壱式 “幻霧(げんむ)
 霧で幻を見せる。目くらましの他、相手の注意を逸らすことも可能。術の応用で、質量を持った分身を作り出すことも出来るが、反動がでかい。


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遠い記憶の話
幕間ノ弐 医者の叔父さん


2019/07/22 新規追加

平安時代の話


 艶やかな黒髪、切れ長の瞳、スッと通った鼻筋。誰が見ても美形と称える(かんばせ)の男は、一方で、病的なまでに青白い肌をしていた。まさに、美人薄命とは彼のための言葉ではないかと思わせる境遇。人々は悲劇と言わんばかりに嘆き、悲しみ、憐れんだ。

 だが、男にはそれが何よりも屈辱的だったに違いない。表では好青年の皮を被り、裏で荒々しく他人を罵る男の姿を知る者が、一人だけいる。

 

 

「大人しくくたばってくれれば良かったのに、下手に延命治療とか受けないでさぁ。そうすればきっと、未来は幾分か明るくなったはずだよ?」

 

 

 後の歴史で語られることになるであろう、未曾有のの災害や戦争が起こることは回避できずとも。所詮は()()()()()()()()()()なら、どうとでも変えられるのではないか、と。そんなことを思い、しかし、やはり無理だったのだと遅まきに理解して。

 眼下に広がる血溜まりの中央で、若い女を喰うその(おに)の姿を目に焼き付けながら。

 

 

「――――所詮俺は、()()()()()()()()()()()()()()ってことだ」

 

 

 苦々しく、嗤った。

 

 

****

 

 

 ふと気が付いた時、五十路間近で緩み切ったはずの体が、幼児体型になっていた。否、それは大いに語弊がある。正しくは、幼児になっていた、だ。年の頃はギリギリ少年と呼べる程度。両手はふくふくとして小さく、まるで紅葉のようだ。夢かと思って抓った頬は恐ろしく柔らかく、そして、残念なことに痛みを訴えてくる。

 どこぞの名探偵を思わせるシチュエーションだが、どうやら現実らしいぞ、と肩を落として周囲を見回した。

 右手側には、板張りの床と数枚の畳、そして衝立がいくつか置かれた部屋がある。双六や貝合わせなどの玩具が散乱しているところを見ると、どうやら子供部屋らしい。随分と昔の記憶だが、歴史の資料集などで見た覚えのある光景だ。そう思いながら左へと視線を移す。

 左手側には、それはもう見事な日本庭園が広がっていた。梅の木が溢れんばかりに花を咲かせ、傍にある池にひらひらと花弁を落とす。それを、餌と間違えた池の中の魚が、水面から顔を出して食らう。

 昭和、平成、令和と三つの時代を生きた事がある身でも、これほどまでに幻想的な景色は見たことがない。心の中で絶賛して、己の服装を確認する。随分と手触りのいい生地の――――狩衣。そして、その場に崩れ落ちた。

 

 

「平安時代かよ、ここ…」

 

 

 こうして。己が転生とかいう昨今ありがちな設定に巻き込まれたことを、少年は理解した。“pi○iv(進○ゼミ)で見たやつだ!”という心の叫びを押さえこみ、膝についた土を払って立ち上がる。深呼吸を一つ、ひとまずこれで落ち着こう。

 他に何か、確認しておくことは何だろうか。時代は恐らく平安。藤原何某が栄華を極めている時代か、源氏と平氏がいがみ合っている(乳繰り合っている)時代か。少なくとも、最初期ということはないだろう。

 そんなことを考えながら、庭の方へと歩き出した少年の目に。

 

 

「――――っ!?」

 

 

 ()()は映った。

 

 

「――――?」

「どうかなさいましたか?」

「……いえ、気のせいだったようです」

「そうですか、では参りましょう」

「ええ」

 

 

 大きな池を挟んだ対岸に、()()はいた。慌てて梅の木の後ろに隠れたため、その姿を見たのは一瞬だが、その一瞬で十分だった。二人組の男の、その片方に見覚えがあった。――――見覚えが、ありすぎた。

 “前世”とかいうもので、己の子供たちに誘われて、一緒に見たとあるアニメ。たった一話で心惹かれ、原作コミックを大人買いしたのはいい思い出だ。その創作物に出てくる、諸悪の根源とも言うべき存在。その存在に、男は酷似していた。見間違い言うには、余りにもはっきりとこの目に姿が焼き付いている。

 

 

「……鬼舞辻、無惨」

 

 

 鬼たちの頂点に立つ、冷酷無慈悲な男。永遠を望み、陽の光を渇望する男が、()()()()()()()()()。それはつまり。

 

 

「原作はまだ、始まってない…!!」

 

 

 もしかしたら、変えられるかもしれない。悲劇を起こさず、平和な未来を、()()()()に与えられるかもしれない。そう考えた少年は、弾かれたようにその場から駆け出した。

 叔父がとある貴族の専属医として招かれる、という話を聞いた。その話を耳にしたのは昨日のことだ。それを思い出した幼児は、“もしかして”と、足の運びを速める。少年の記憶が確かであれば、叔父は花を専門に扱う医者だったはずだ。その中には()()()()()()()()もあったと記憶している。

 今ならまだ、間に合うはずだ。叔父を止めるには、今しかない。

 

 

「(叔父さんがまだ鬼舞辻と接触していませんよーに!!)」

 

 

 心の中で願いつつ、玉砂利を蹴り上げて庭を走り抜けた。

 

 

**

 

 

 結論を述べれば、目論見は失敗した。むしろ、最初から破綻していたと言ってもいい。叔父は既に鬼舞辻と接触していて、さらには薬も渡した後だった。さっき見かけたのがそうだったらしい。

 これで、“鬼が誕生する”という未来が定まってしまった。思わず脱力して床の上に突っ伏し、叔父を大変驚かせてしまったことは、申し訳ないと思っている。叔父の手を借りて立ち上がり、内心複雑な思いで感謝を述べた。――――叔父はいつ、鬼舞辻に殺されるのだろうか。そんな考えが脳裏を過り、口の中が乾いていく。

 

 

「心配してくれてありがとう。でもね、あの方は聡明な御人だから安心して欲しい。滅多なことなんて、起きやしないさ」

 

 

 そう言って笑う叔父に、酷く泣きたくなった。その滅多なことが起きるんだよ、とは口が裂けても言えず。そうして、ふと、思う。

 

 

「(叔父さんは何を思って、()()()()()()()()()()()()()()?)」

 

 

 原作ではそのあたりのことは、あまり詳しく語られていない。分かっているのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がいたこと。その医者が()()()()()()()()()()()()こと。そして、調合された薬が()()()()()()()()()()()()()だったこと。それくらいだ。

 その善良な医者とやらも、試作段階では、“青い彼岸花”が人間を鬼にするとは知らなかった?ただ、病状の改善だけを思って調合していた?――――本当に?

 

 

「どうしたんだい、××?」

 

 

 この瞬間、少年には叔父が、何か得体のしれないモノのように思えた。心優しく、多くの人を救えるようにと医者を志した、高潔な意志の持ち主。だからきっと、鬼舞辻のことにも心を痛めているのも、確かなのだろう。だが、それで試作段階の薬を渡すのはどうなんだ、と思ってしまう。

 

 

「……あのね、叔父さん」

 

 

 それでも、少年にとっては大切な家族だ。疑うことはしたくないし、そう遠からず殺される運命にある人だ。だから、しっかりと覚えておこうと思う。

 

 

「ぼく、()()()()()()()()が見たいなぁ」

「赤くない曼珠沙華とは難しいな……」

「ないの?」

「ない!……と言いたいところだが、実はあるんだ」

「ほんと!?」

「ああ、本当だとも。明日にでも案内してあげよう、今日はもう遅いからね」

「――――――――うん!」

 

 

 叔父の人となりを。

 

 

****

 

 

 あれから一年が過ぎた。病状の悪化を辿る鬼舞辻に、叔父は酷く心を痛めていた。それでも、何とかこれ以上の悪化は止めようと苦心している姿を見ると、少年の心も酷く痛んだ。

 

 

「(だぶん、もうそろそろなんだよな)」

 

 

 鬼舞辻が痺れを切らすのも、もう直ぐだろう。もって一ヶ月、早くて今日か明日にでも、叔父は殺されてしまうかもしれない。

 

 

「(助けられなくて、ごめんね)」

 

 

 自分に、叔父を助けられるだけの力があればと、そう思わずにはいられない。だがもう、時間はない。だから、これから先、残った家族にだけでも被害が及ばないようにする事だけを考えよう。

 

 

「――――俺も鬼になるのが手っ取り早いのかな」

 

 

 陽の下を歩けないのは辛い。だが鬼殺隊も存在しない現状、鬼舞辻に対抗するにはそれが一番良いようにも思える。そうすると、どうやって鬼になるかが重要になってくる。

 安全なのは、叔父の手元にある薬を服用することだろう。万人に効くという前提が必要ではあるが、おそらく、少年も鬼に変じる筈だ。危険な賭けとなるのは、鬼となった鬼舞辻の血を分け与えられることだ。鬼舞辻から与えられた血に打ち克ち、その後は鬼舞辻の呪いを解かなければならない。面倒な事ばかりだ。

 顎を撫で擦り、自室の床の上に寝転がっていると、入り口に影が差した。誰が来たのかとそちらを見ると、偏屈爺と名高い祖父がいた。人前に出るのを嫌い、陰陽術や占星術の研究に明け暮れ、帝の命があって漸く表舞台に出てくる引き籠り。無駄に博識で口達者、陰陽寮に誘われたこともあると言うが、それを蹴っ飛ばした奇特な人。それが、祖父だ。

 

 

「××、鬼になりたいのか?」

 

 

 能面のような顔で、祖父がそう尋ねてきた。全身から血の気が引いていき、口ごもる。聞かれていた、聞かれてしまった。どうやってこの場を逃れようかと考えるが、焦りもあって何も思い浮かばない。あ、やら、う、やら、単語にもならない声を漏らして視線を泳がせる。

 

 

「なればよかろう」

「え」

「ただし人は喰うな」

「……」

 

 

 あっけらかんと祖父は少年にそう言った。聞き間違いかと思って祖父を見つめるが、それ以上何も言わない。ただ、のっそりと少年に近寄って来て頭を撫でただけ。

 

 

「……人を護る、鬼になるよ」

「うむ」

 

 

 その日の夜、少年は叔父の薬箱から“青い彼岸花”をいくつか拝借した。



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幕間ノ参 もう一人の鬼

2019/07/22
「幕間・生まれながらの鬼」及び「幕間・大江山の雨師」をベースに大幅修正

平安時代の話


 鬼舞辻が叔父を殺害してから、数週間が経つ。

 

 

「うーん?」

 

 

 燦燦と照り付ける太陽の下、少年は大きく首を捻っていた。

 

 

「“鬼”は日光が弱点じゃなかったか…?」

 

 

 そう、そうなのである。鬼は日輪刀という刀で頸を斬られると命を落とし、日光を浴びても命を落とす。そういう()()だったはずだ。唯一、竈門禰豆子という鬼(主人公の妹)だけは()()()()()()()()()()()ようになるのだが、その克服方法などは明らかになっていない。…ない、よな?

 そして、少年は“鬼”である。犬歯は獣のそれのように鋭く、爪は一日でも手入れを怠ると尖ってしまう。浅い傷は瞬きのうちに治るし、やや深い傷でも一日かからずに完治する。流石に頸を落とすことはしていないが、おそらく、日輪刀でさえなければ、頸を落とされても生きているのではないだろうか。

 人間を食べたいという欲もわかず、なんなら普通の人間のように食事ができる。ただ、吸血衝動だけはあるので、生血を摂取するようにしている。ただし、これも人間のものにこだわる必要が無かった。

 ちなみに、少年の家族は“鬼”に、というか“怪異”に理解がありすぎる人たちであった。そのため、少年の奇行を奇行とは思わずに見ていたことを報告しておく。閑話休題。

 そして、検証の最後。“鬼”の天敵とも言えるのが日光だった、はずなのだが。

 

 

「どこも焼け落ちないんだよなぁ」

 

 

 ここ数週間の出来事を思い出してみるが、太陽の克服に関係がありそうなものは何も思い当たらない。 前述したとおり、“怪異”に理解がある家族にも話を聞いてみたが、有力な情報は出てこない。

 これはいよいよ、最後の砦に向かうしかないのかもしれない。狩衣が汚れるのも気にせず地面に蹲って頭を抱え込み、いわゆる“ごめん寝”状態になりながらそう思った。

 

 

「でもなあ」

 

 

 最後の砦――――それは、祖父のことだ。少年が鬼になろうとしたのを止めず、むしろ背中を押してくれた人。陰陽術と占星術を学んでいるだけあって、家族の誰よりも思考回路がぶっ飛んでいる。そう考えると、人間を鬼にする薬を調合した叔父は可愛いものだったのかもしれない。……いやいやいやいや、そんなことはないな?

 一瞬、とんでもないことを思ってしまったが、今考えるべきなのは祖父に話を聞きに行くか否か、である。そして、決意を固めて立ち上がった少年の目の前に、祖父はいた。

 

 

「ぅおえっ!?」

「驚かせたか」

 

 

 そう言われ思わず頬が引き攣った。気配も足音もさせずに近寄って来られたら、誰だって驚く。しかもそれが、ちょうど考えていた人物だったなら尚更。素直に驚いたと返せば、すまんと短い謝罪が戻ってきた。

 そんな祖父は、掛け軸を片手に持っていた。その掛け軸に見覚えがあり、どこで見たのかと記憶を辿る。――――そうだ、祖父の部屋に飾ってあったものだ。少年が見つめているのに気づいたのだろう。掛け軸を地面の上に拡げ、中身を見せてくれた。

 その動きに一切の躊躇はない。汚れとか、気にしないんだろうか。現れた絵を見つめながら、そう思う。

 

 

「儂の祖父だ」

 

 

 ヤベェ奴だ。少年はそう思った。スンッと真顔になり、顔を覆って天を仰ぐ。血縁者の中でも群を抜いてヤベェ奴、叔父さんなんてやっぱり可愛いもんだった。

 祖父の部屋に飾ってあった掛け軸は、祖父の言い分を信じるのなら祖父の祖父を描いたものであるらしい。が、見た目はよくある御伽草子に出てくる鬼のような形相をしている。本当にこれは人間なのか?という少年の問いに、祖父は神様だと言った。嘘をつけ(本当かよ)

 胡散臭いこと極まりないが、その証拠と言えばいいのか、祖父は()()()()()()()()()()と言った。占星術でもなく、陰陽術でもなく、呪術でもない。からっからに乾いた大地を、一瞬で泥にするほどの雨を降らせられる雲を、()()と念じるだけで呼び出せるのだと。

 確かに、少年は祖父が雨雲を呼ぶところを見たことがあった。時の帝に命ぜられ、雨乞いの儀を、陰陽師を押しのけて成功させたのだ。強く印象に残っている。それは、祖父の祖父――――少年にとっての高祖父からの遺伝なのだと言う。そして、それは少年も同じだと、祖父は言った。

 

 

「お前は爺様と同じ力を持っている」

 

 

 最初は半信半疑で聞いていたが、祖父にやり方を教わりやってみると本当に呼ぶことができた。何ということでしょう。乱層雲(あまぐも)層雲(きりぐも)積乱雲(かみなりぐも)。様々な雲を呼び――――雨を、霧を、雷を、発生させる。体験してみて、それは確かに、神の力とも言えなくもないだろうと思う。だが少年は、そんなに都合よく神様の力が使えるものかと、懐疑的だった。

 

 

「案外鬼の術ってことも……」

「そうだな、爺様は鬼だったのやもしれん」

 

 

 少年の呟きに、祖父が頷いた。早い掌返しですね、神様だって言ったのは祖父なのに。……とすると、だ。高祖父は鬼だったのだろうか?御伽草子に出てくるそれのように角がある訳でもない。ただ()()()()()()()()()()にすぎない。

 仮に、高祖父が本当に鬼だったとしよう。彼は()()()()()()()を飲んで鬼になったのだろうか、それとも先天性の鬼だったのだろうか。それに、人と鬼が交わり現実的に子が為せるのか、という疑問も残る。探れば探るほど、途方もない深みにはまっていくようだ、と少年は思った。

 

 

「お前はこれから、波乱の道を行く」

 

 

 不意に、祖父がそう言った。

 

 

「これは予言ではない、()()()()だ」

 

 

 少年と同じ、新緑色の――家族の中で祖父と少年しか持ちえない――瞳が、キラキラと輝いている。

 

 

「お前は激動の時代を生きることになる」

「――――」

 

 

 祖父の言葉が、その通りとなったと分かるのは、これからずっと後の話。少年は、平安から()()()()()凡そ千年以上にもなる年月(としつき)を、()()()()()()()生きていく事になる。

 

 

****

 

 

 ()()()()()()()()()のことを考えるのなら、鬼舞辻無惨を倒すのは()()()()()()()ではないか。そう思った回数は両の指の数を超え、計画を立てて実行する。立てた計画は数あれど、実行したのはたった二つだけ。だが、その二つさえ成功することはなかった。

 鬼として新生したばかりであれば、同じ鬼である少年でも鬼舞辻を倒すことは可能だと思っていた。だが、可能性はあくまでも可能性。百パーセント出来る、と断言できなければ実行するべきではなかったのだ。

 

 

「はー、流石鬼の首領様ってか?」

 

 

 鬼舞辻は異様に警戒心が強かった。原作で珠世という鬼が言っているように、臆病なのだろう。けれどそれは、生存戦略においてはとても重要な素質であると言える。臆病さは、死にたくないという生存本能に裏打ちされたものだ。

 そんな訳で、少年の“鬼舞辻無惨暗殺作戦”は座礁に乗り上げた。

 実行した計画は二つ。一つは食事に毒を混ぜること。もう一つは、暗殺。どちらも、叔父が遺した毒を使った計画だ。――――叔父が調合した毒ならいけると思ったのだ。

 その毒は、()()()()()()()()()。調合方法は残されていなかったが、回数にして二十回分服毒できるだけの量があった。これの量をさらに減らし、少しずつ、少しずつ食事に混ぜていく事で中毒死を目論んだのだ。が、結果は初回で失敗。食事を運んできた女中が殺され、喰われるという結果になってしまった。

 次に暗殺。こちらは忍を雇い、彼らが使う獲物に藤の毒を塗るよう言伝た。しかし、これも失敗。万全を期して十人ほどの忍が暗殺に向かったそうだが、生還したのはただ一人。その一人も精神をやられて譫言を繰り返すだけになってしまったらしい。

 何の関係もない者が死に、協力してくれた者が犠牲となって。そのことへの後悔が、少年の腹の中に鉛を落としこんだかのように、深く沈んでいく。

 

 

「犠牲者を減らしたいって思ってるのに、増やしてどうするよ…」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()。少年はそう結論を出した。()()()()()()()()()()()と言った方が正しいのかもしれない。いつか訪れる運命の日が来る(原作が始まり主人公が現れる)まで、決して役者を欠けさせまいとするような。

 それを何と言い表せばいいのだろうか。強制力?修正力?何にせよ、少年が抗うには強大すぎる何かに違いなかった。だから結局、少年は鬼舞辻を倒すことを諦めた。



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幕間ノ肆 大江山の雨師

2019/07/22 大幅修正

平安時代の話
中盤から戦国時代の話


 それから数年が経った。

 少年は今日、元服の儀を迎えると同時に都を離れる。僅かな供回りと、祖父と共に。少年は門に寄りかかり、叔父が愛用していた薬箱を抱え、ぼんやりと空を見上げていた。祖父は供回りと何事かを話している。

 父と母はここにはいない。なぜなら、少年は勘当されており、それを憐れんだ祖父が元服させた上で連れ出す――――という()()()だからだ。故に、現当主とその妻である二人が見送りに姿を見せる訳にはいかなった。既に別れは済ませているし、餞別も貰っている。母からは()()()()()()()を、父からは刀を貰った。

 そうして、少年は旅立つ。前世の記憶を思い出してから十年、言い換えれば――――鬼舞辻無惨が鬼となって十年が経ったということだ。

 

 

****

 

 

 かつて、都一番と名高い姫君がいた。その姫君は、ある日唐突に輿入れの準備を始めたかと思えば、瞬く間に整え都を出て行ったという。何でも()()()()()()()()()()()()()()()()、なかば厄介払いのように追い出されたのだとか。

 真偽は定かではないが、そのような噂は尽きない。いつの時代も、他人の不幸を笑って悦に浸る人間は存在する。

 確かに、その姫君は病を患っていた。治療法も特効薬も存在しない、()()()()()という名の病だ。姫君の父母は、それはもう嘆き悲しんだ。朝日を浴びれば灰となり、食物は人の血肉しか受け付けなくなった娘を憐れんで。

 意識がはっきりしていたのは幸いだったが、化け物になってしまったことに変わりはない。とは言え、大事な娘であることも確かだ。父母は姫君をどうにか人並みに幸せにしてやりたいと思った。

 そこで藁にも縋る思いで頼ったのが稀代の陰陽師、安倍何某(あべのなにがし)である。彼に占ってもらったところ、大江山にいる()のもとにやるのが良い、という結果が出た。父母は盛大に顔を引き攣らせ、姫君は不思議そうに首を傾げる。そんな対称的な反応を見た安倍何某は、人好きのする笑みを浮かべてこう言った。

 

 

()とは言いますが、彼の高祖父(せんぞ)()です。雲を呼び、雨を降らせ、草木に恵みをもたらすもの……決して、悪しきものではありません」

 

 

 姫君の嫁入りが決まり、とある鬼の嫁取りが人知れず決まった瞬間だった。

 

 

****

 

 

 季節は巡り、鬼や妖怪、怪異などが身近に感じられていた平安時代は遠い過去となった。大江山に巣食った恐怖の権化(酒呑童子)は討たれ、源平の争いに世が乱れる。公家の陥落、源氏や足利氏といった武家の台頭、しかしそれも仮初の平穏しかもたらせず。頂点に立つ者は等しく廃れ、朽ちていく。

 ついには群雄割拠の戦国時代が始まり、多くの武士(もののふ)達が天下を目指して鎬を削る。それらを横目に安穏と暮らすのも、少々飽きて来た頃の話。

 

 

「“古くから鬼退治の伝説が残る大江の山奥深くに、何でも鬼が住んでいるらしい。そんな噂を耳にしたのだが、これはお前のことだろう。そろそろ潮時かと思うのだが、いつ儂のもとに参じるのか疾く知らせよ”――だぁ?」

 

 

 幕府の使者だという男が持ってきた文から顔を上げ、男は怪訝な顔で使者を見た。使者は情けなくも視線をさまよわせ、顔面汗だくになりながら、はい、と消え入りそうな声で答える。随分と気が弱そうな使者だ、男はそう思いながら文を板間に置いた。

 

 

「ふむ……ようは、足利家へ助力しろということか。一体何様のつもりだ?公方様ってか?全く、あの阿呆は地位に権力が残ってるとでも思ってるのかね、馬鹿々々しい……」

 

 

 呆れ顔を隠さずそう言った男に、使者は縋るように口を開く。

 

 

 

「し、しかし!かつて御助力を願った初代様には快く、お力をお貸しくださったと……!!」

「あれは俺の曾孫(こども)尊氏(又太郎)に迷惑かけた迷惑料だ。又太郎から直接助力の申し込みがあった訳じゃない。今代の阿呆と一緒にするな愚か者」

 

 

 一刀両断。情け容赦なく発言を切り捨てられ、取り付く島もない。

 

 

「そもそも、又太郎は俺の助力を得られるとは思ってなかったし、俺も力を貸したのは六波羅探題の一件のみ。以降何の音沙汰もなく、曾孫が里帰りする際に土産を持たせてくる程度の関係」

「で、ですが初代様を幼名で呼ばれるということは、親交があったのでは…?」

 

 

 上が阿保だと、部下も阿保なのか。うんざりだと言いたげに肩を竦め、頬杖をついた男は使者を煩わしげに見つめた。

 

 

「……俺、こう見えて結構爺だし、年下をどう呼ぼうがどうでもよくない?それに、見た目が変わんないから山に籠ってる訳で、又太郎もそこらへん気にしてくれてね。個人的な接触は皆無。あーあと、お気づきでないようだから言わせてもらうけど……」

「は、はい」

「足利傘下に俺の子孫(こども)はもう一人もいない、逆に、織田の傘下にはいる」

「――――、」

「これだけ手掛かりをやったんだ、俺の返答が何か分からないとは言わせんぞ?」

 

 

 男のこめかみに血管が浮き上がり、薄く開いた口元から鋭い犬歯が覗く。細められた新緑の瞳は、瞳孔が縦に割れて爛々と輝いていた。言いようもない恐怖が背を駆け抜け、使者は噛み合わぬ歯をがちがちと鳴らす。つ、と押し返された文を震える手で持ち上げ、視線に促されるがまま立ち上がる、と。

 

 

「お帰りはあちらだ、使者殿。くれぐれも、公方によろしく……な?」

「ひ、ぃいッ!!」

 

 

 強烈な殺気を向けられ転げるように走り出す。草履を履くのも忘れ、供すら置いて山道を駆け下りて。置いていかれた供の者たちも慌ててその背を追って下山していく。その姿を見送り、男はやれやれと肩を竦めた。

 

 

「いやぁ、相も変わらずでいらっしゃる」

 

 

 ひょっこり、と。丁寧に手入れされた垣根の向こうから顔を見せたのは、いつかにいた坊主と似た若者だ。遠い記憶の中で黒い袈裟姿の坊主が、ニヤリと笑った気がした。

 

 

「権力に靡かぬのは流石ですが、ああも邪険にされたのでは憐れですね。奥方様がご健在でしたら、今頃お説教されていたのでは?」

「……かもなぁ」

「あ、これ。母からの差し入れの菊の花です。そろそろですよね、奥方様の御命日」

 

 

 旦那様の所へ行くと言ったら、持っていけと言われて。その言葉と共に差し出された花を受け取り、いつも悪いなと屋敷に上がるように促す。開きっぱなしだった戸を潜る若者の背を見つめ、ふと、足を止めた。

 ――――()()()()()、そう噂されていた()はもういない。昨年の梅雨入り前に、眠るように息を引き取った。腰まで伸びた射干玉の髪を揺らし、牡丹の花のように艶やかな笑みを浮かべる女だった。

 ()()()()()()()()()という事実さえなければ、時の帝に見初めてもらう事もあったかもしれない。そう思うほどに、男には勿体ないほど器量よしで、心から愛しいと思える女だった。輿入れの際に男の血を与え、結果、女は少量の血は必要としていたが、人食衝動に侵されることはなく、太陽の下に出られない事を除けば普通の人間と変わりなくなった。

 しかし、女と男は同じ鬼のようで同じではなかった。どちらも人造の鬼であることに違いは無いが、男は十六分の一という僅かなものだが()()()()()()()()()。いわゆる()()というものだ。

 男が太陽に焼かれなかったのは、そのためだ。“青い彼岸花”と言う薬と、雨師(うし)という神の血が起こした化学変化。そのお陰で、男は今までに一度も人間を喰らうことなく生きて来た。

 合わせて、男は先祖返りでもあった。高祖父譲りの力でもって、雨を呼ぶ。そうして、いつの間にか雨師(かみさま)と呼ばれるようになった。乾いた大地に天から恵みをもたらす存在。――――大江山の雨師、と。

 

 

「雨師様?」

「ああ、今行く」

 

 

 その日、空は、雲一つない青空だった。




少年/男
 平安時代に生まれ、鬼舞辻無惨が人だった頃の姿を知る人物。季節家の祖、その名を“諏江臥(すえふし)”といい、またの名を雨師という。彼個人としては後者の呼び名の方が良く知られ、、“すえふし”と言う名は“季節”の字の方が良く知られている。彼の子孫が“季節”を家名として名乗ったから、という理由である。
 諏江臥の高祖父は中国の“雨師”という神様である。故に鬼舞辻のように太陽を畏れる必要もなく、人の血肉を喰らうこともなかった。根本が少しだけ違う存在である。
 さらに、神様を高祖父(ひいひいおじいちゃん)に持つ稀血であるがゆえに、特殊な術を使う。彼自身の子孫にも同じような術を使う者はいたが、彼ほど強力ではなかったという。
 都を離れ、大江山に居を移した理由は多々あるが、一番は鬼舞辻に感付かれたというのが大きい。鬼舞辻も“青い彼岸花”を調合した医者の親族の動向は監視していた。諏江臥が“青い彼岸花”について何らかの情報を持っていると思っていた。が、まさか自分と同じように鬼になっているとまで考えが及ばなかった。

 大江山に移り住んでまもなく、諏江臥は嫁を貰うことになる。結果から言えば、妻とは仲睦まじく、子供にも恵まれ幸せだったと言えるだろう。妻は戦国時代に亡くなり、彼は一人、大江山で生きていく事になる。
 明治時代に入り、ついに猗窩座によって鬼舞辻のもとへと引き摺り出され殺されるまで。
 故人であるが、津衣鯉とは面識があるようだ。はたして、彼は本当に殺されたのだろうか――――?

 実は転生者。五十路間近の二児のパパ、研究職についていたオタク気質。週刊誌は学生時代から欠かさず読んでいた。本誌派のため、原作知識量は津衣鯉に勝る。
 記憶は薄れていくものだと分かっているので、文字におこしている。ただ、鬼舞辻無惨(面倒な相手)に見つかったらたまったものではないので、日本語ではなくドイツ語で書いてある。
 口調がやや幼いのは外見年齢に引っ張られているから。ただし、威厳のある喋り方も勿論できる。


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拾漆 仰ぐ天こそ

2019/07/22 加筆修正

現在投稿している分の加筆修正が終了いたしました。
詳細は活動報告をご覧ください。

原作軸
vs上弦の参後、蝶屋敷


 雨の匂いがする。馴染み深い、濡れた土と草の匂いだ。この目が何かを映すことはもう二度とないけれど、この匂いだけは一生忘れることはないのだろうと。そう思う。

 

 

「お邪魔してるよ、耀哉」

「ああ、」

 

 

 湿った風が頬を撫で、雨の匂いが強くなる。幼い頃に出会った剃髪の男や、津衣鯉よりも濃い雨の匂いを纏う彼は。

 

 

「いらっしゃい――――諏江臥」

 

 

 産屋敷家(わたしたち)雨師(まもりがみ)

 

 

****

 

 

 微睡みの中遠い――――過去の記憶を夢に見ていた気がする。そうか、もしかしたらこれが()()()()()というものなのだろう。

 

 

「――あ、」

 

 

 思わず零れ落ちたその声を、何だが久し振りに聞いたような気がした。

 

 

「……全く、御寝坊さんですね」

 

 

 彼女(×××)によく似た顔が声が、藤の花に似たその瞳が愛おしい。

 

 

「お帰りなさい、」

 

 

 ふわりと。鼻を掠めていったの、藤の薫り。――――――――ああ、そうか。

 

 

季節さん(あなた)

 

 

 俺が()()()()()()()()のは、()()()だった。

 

 

****

 

 

(我妻善逸)

 

 蝶屋敷に戻って数日が経つ。

 汽車に乗っていた二百人余りの乗客に、重軽傷者はいても死者はいないと聞いて酷く安心したのが一昨日(おとつい)のこと。

 怪我の状態が酷かった炭治郎は、腹部の傷が一番深くて、呼吸での止血が遅れていたら死んでいたかもしれないって。幸い臓器に傷はついていないらしい。良かったね。

 煉獄さんもそれなりに怪我をしていたけど、炭治郎に比べたら軽傷の部類。季節さんが身を挺して護ってくれたらしく、そうでなかったら死んでいたかもしれないと。どこを見ているのか分からない瞳を細めながら言っていた。

 伊之助はぴんぴんしてて、禰豆子ちゃんは相変わらず眠そう。俺も頭を打ったけど特に後遺症はなかった。なので、皆のところを見舞って回ってる。まあ、体のいい暇潰しってところかな。

 一番の重傷者は季節さんで、五年間の昏睡から回復しと思ったら、また昏睡してる。しのぶさん曰く、一週間もしない内に目を覚ますらしいんだけど、本当かな?那田蜘蛛山の一件から傷が完治していなくて、そこに追い打ちをかけるように無茶をした。それで今回の昏睡。

 寝汚い人だと思いません?って冗談交じりにしのぶさんは言っていたけれど、彼女から聞こえる音はとても心細そうだった。そして季節さんの婚約者でしのぶさんのお姉さんであるカナエさんも、ちょっとだけ寂しそうだ。

 煉獄さんは自分の治療も終わらぬうちから、季節さんの部屋に居座った。ベッド脇の椅子に腰かけて、眠り続ける季節さんを見つめている。表面上は元気そうだけれど意外にも落ち込んでいるらしかった。

 炭治郎は手当てが終わった翌日から鍛錬を始めて、案の定しのぶさんに叱られた。なほちゃん、きよちゃん、すみちゃんの三人にも泣きつかれて、アオイちゃんも憤慨した様子で気にかけてる。羨ましいと思ったのは内緒だ。

 伊之助は山に籠ると言ってそれきり、数日間音沙汰がない。きっと元気にしてるんだろうけど、ちょっと心配だったりする。ご飯とかどうしてるのかな、アイツ。

 ふとした瞬間、汽車での戦いのことを思い出す。どんなに鍛え抜かれた“音”がする人でも、上弦の鬼には歯が立たなくて、死にかけるんだと知った。今回はたまたま運が良かっただけで、運が悪かったら、俺たちの内の誰かが死んでいたかもしれない。。

 季節さんがいたから、何とか生きて上弦の鬼を退けることができたんだと、煉獄さんは苦い顔で話していた。冗談だろって思ったけど、その時の煉獄さんからはすごく苦しそうな音が聞したから、可能性は高いと思う。

 どんな強そうな人だって苦しい事や悲しい事がある。だけどずーっと蹲ってたって仕方ないから、傷ついた心を叩いて叩いて立ち上がる。煉獄さんはきっとそういう人だし、炭治郎と伊之助も似た感じ。

 季節さんは飄々としていて正直よく分からない。あの汽車で、鬼になった母親を斬ったというから、誰よりも傷ついてるはずなんだろうけど。……だから、起きてこないのかな?なんて、ね。

 そんな季節さんからは。

 

 

「お邪魔しまーす」

 

 

 優しい、雨の音がする。

 

 

「ああ、いらっしゃい」

「――――って、起きてるぅう!!!?」

「お饅頭あるけど食べる?」

「あ、ありがたく――――って、ちがぁああう!!」

 

 

 季節さんの部屋に、いつもある煉獄さんの姿はなかった。その代わりに、カナエさんがいた。貰った饅頭を床に叩き付けそうになって、踏みとどまる。食べ物は粗末にしちゃいけないって、誰かが言ってた!!でもさ!!まさか起きてるとは思わないじゃん!?

 

 

「津衣鯉さんに作り方を教えてもらって作ったの、お口に合うと良いのだけど…」

「えっ?!手作り?!ほわぁっ!!!?」

「刀は握れなくなっても、お菓子を作るくらい簡単よ」

 

 

 美人の手作り!!握ってしまって少し形が崩れてしまったけれど、カナエさんが持つお重には見栄えも美しい饅頭が綺麗に詰められていた。ちょっと重い話が聞こえたような気もするけど、気のせいということにして。季節さんから教えてもらったということにも驚いたね!こ、これが手作り…?店で売ってるものと遜色ない出来栄えで……ひぇえええ、食べるのが勿体ないね!?そんな俺の心情を察してか、季節さんが饅頭を一つ手に取って頬張る。

 

 

「うん、美味しい」

 

 

 善逸も食べてみて、と勧められて俺も一口齧る。皮は薄めで餡子は甘め、後から薫るのは紫蘇だろうか。ともかく、美味しい。渋いお茶を一緒に飲んだらもっと美味しいに違いない。

 

 

「美味しいなぁ……あの、これ、炭治郎に持って行っていいですか?」

「ええ、それは構わないけど……」

「いないんじゃないかな、病室に」

「え」

 

 

 それは、つまり、どういうことだろう?まさか、しのぶさんに無断で病室を抜け出したとか言うんじゃないだろうな??そんなことしたら、那田蜘蛛山の後の季節さんみたいに正座させられて??三時間の説教が待ち構えてるぞ??

 ……そういえば、煉獄さんがいないのはなんでだろう?大抵は庭で刀を振るってるか、季節さんの部屋にいるのに。念のため覗いた煉獄さんに与えられた個室にもいなかった。……あれ?これはもしかして、もしかすると、もしかしちゃったり??

 

 

「勘のいい子だねぇ」

 

 

 すん、と。鼻を鳴らした季節さんが、苦笑を浮かべながら俺を見た。困惑する俺の匂いを嗅ぎ取り、ご想像の通りだよと言う。カナエさんも少しだけ困り顔で頷き、せめて書置きしていけばいいのにねえ、と言う。うん、どうやら俺の予想は外れてくれなかったようだ。深呼吸を一つして、饅頭をもう一ついただく。それを何とか咀嚼して、一拍。

 

 

「ぃいいいいいいやぁあああああああ!!??馬鹿なの!?炭治郎も煉獄さんも馬鹿なんですかぁああぁあああ!!!???」

 

 

 狭い個室に、俺の絶叫が木霊した。カナエさんの言う通り、書置きくらいはしていこう!?季節さんも居なくなってるって知ってたなら、止めるなりしてくれても良かったんじゃない!?そんなことを思いつつ、また一つ饅頭を口に運ぶ。本っ当に美味しいねこの饅頭!!

 もー、知らん!炭治郎の分なんて残してやらないからな!!カナエさんの!!手作り饅頭は!!俺が!!全部!!食べるからァッ!!アッ、もちろんしのぶさん達の分はちゃんと残しておくよ?伊之助の分は…あいつ、帰って来なさそうだから残さなくてもいいよね!!

 

 

「喉に詰まらせないようにな」

「お茶入れてくるわね」

 

 

 ふぁーい(はーい)。――――いや、ちょっと待って?

 

 

ひふふぉひふぁふぉふへふひふぁん(いつ起きたの季節さん)!?」

「えっと、ついさっき?」

「そうね、ついさっきね」

「ふぁ?!」

 

 

 し、しのぶさァーーんッ!!!!戦犯!!戦犯がここにいますよォッ!!!!

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

 数歩先にある、煉獄さんの背中を見つめる。腹を庇いながら歩く俺を気遣ってくれているらしく、その歩みはとても緩やかだ。

 ふと見上げた空には、鎹鴉が二羽、飛んでいる。旋回したり、上昇したり、急降下したり。戯れるように空を舞う二つの黒は、とても美しく思えた。

 照りつける日差しに息を吐き、傷口のある腹を押さえて前を向く。いつの間にか距離が開いてしまったようで、少し離れた先で煉獄さんが立ち止まっていた。肩越しに振り返り、竈門少年、と。俺の名前を呼んで笑いかける。

 

 

「――――ッ、」

 

 

 その瞬間、鼻の奥がツンと痛んで、目の前が大きく歪む。どうしてかは、分からない。分からないけれど、この瞬間がとても尊いもののように思えて涙が滲む。慌てて空を仰ぎ、目尻にたまった滴を雑に拭った。――――雲が少ない空はどこまでも清々しくて。

 

 

「竈門少年」

 

 

 すぐ側で名前を呼ばれ振り返る。と、炎のような色合いの髪が揺れ、意志の強い瞳が真っ直ぐに俺を射抜いていた。

 

 

「生きているということは、素晴らしいな」

 

 

 その言葉に、酷く胸を打たれた。

 

 

「理由は分からんが、唐突にそう感じた」

 

 

 そして、君に伝えねばと思った。煉獄さんはそう言って、温かな笑みを浮かべる。一瞬、ギョッと目を見開いたのは、俺の涙腺が決壊したからだろう。形容しがたい感情を訴える胸元を、抑え込むように蹲る。

 でも、大丈夫、分かってるんだ。この涙は、辛さや悲しさから来るものじゃない、嬉し涙なんだって。この胸を騒がせる感情の名前こそ分からないけれど、それだけははっきりしているから。

 

 

「……煉獄さん」

 

 

 くしゃくしゃの泣き顔のまま仰いで目を合わせる。

 

 

「俺、強くなりたいです」

 

 

 技量だけじゃなく、この心ももっと強く。

 

 

「強く、なりたいんです」

 

 

 煉獄さんのように。それから――――季津さんのように。

 

 

「……うむ!それでは君は俺の継子になるといい!!」

 

 

 そう言って、煉獄さんはニヤリと笑った。




我妻善逸
 カナエさんの饅頭を美味しくいただいた、汚い叫びに定評のあるビビリ。気絶すると強い。あの後、しのぶさんが笑顔で「どいつもこいつもですよ」と言いながら拳を振っているのを見て見ぬふりした。美人が怒ると恐いんだね。

胡蝶カナエ
 料理の腕に定評がある、美人さん。紫蘇入り饅頭の作り方は季節に教わった。現在は蝶屋敷と季節の屋敷(旧藤の花の家)を行き来している。結婚する日は近いかもしれないし、まだかもしれない。私の準備は出来てるわ。


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拾捌 晴れならむ

身内が入院したり、法事があったりと、私生活の方が慌ただしく連載再開後の投稿が遅れてしまい、申し訳ございません。


ご存じの通り、煉獄さんが生き残ったため、この後は原作にない話がいくつか続きます。
章題にも「遠い記憶の話」とあるように、過去の話も書いていく予定です。
それらが終わりましたら、原作の流れに戻りまして、遊廓編に突入します。……たぶん。

え?津衣鯉とカナエの馴れ初め??……あー、また後で、かな??



前半原作軸、煉獄家訪問(オリジナル展開)
後半過去話(オリジナル展開)


(竈門炭治郎)

 

 不意に、煉獄さんの歩みが止まった。危うく背中にぶつかりそうになり、何とか踏みとどまる。どうしたのだろうかと背中から顔を出せば、そこに、煉獄さんによく似た顔つきの男の子がいた。箒を手に、門前の掃除をしている。

 

 

「――千寿郎」

「!!」

 

 

 ぽつり、と。煉獄さんが落とした呟きに、男の子が反応する。そして、信じられないものでも見たかのように、目を大きく、丸く見開いた。

 

 

「ぁに、うえ……?」

「…うむ、」

 

 

 柔らかく、温かい、そんな匂いが鼻を掠める。

 

 

「ただいま戻ったぞ」

 

 

 そう言って、煉獄さんは笑った。

 

 

**

 

 

「先程は失礼いたしました…」

 

 

 目元に朱色を乗せて、千寿郎君は恥ずかしそうに深々と頭を下げた。先程、というのは、門前でのことか。突然の煉獄さんの帰宅に、驚いたのか、安心したのか。その両方だと思うけど、千寿郎君は堰を切ったように涙を流したのだ。

 失礼な事なんて一つもない。どんな知らせが届いたのか詳細は知らない。けれど、煉獄さん――お兄さんが上弦の鬼と戦って負傷したとくれば、心配にもなる。

 俺だって、禰豆子が俺の知らない所で負傷したと聞けば、心配する。もしかしたら、陽の光に焼かれてしまったのかもしれないと不安になる。だから、決して、千寿郎君の涙は恥ずかしいものなんかじゃない。

 

 

「千寿郎君の心配は、当然のものだと思います。俺には妹がいるんですけど、俺だって――――妹が怪我をしたと人伝に聞いたら、卒倒する自信があります」

 

 

 苦笑しながら言えば、肩の力が抜けたらしい千寿郎君が小さく笑った。ひかえめなその笑顔は、豪快な煉獄さんとは真逆の印象を受ける。それでも、よく似た顔つきなことに違いはない。二人とも、ご両親のどちらに似たのだろうか?

 

 

「粗茶ですが、どうぞお飲みになってお待ちください」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 差し出されたお茶を有り難くいただく。口一杯に芳しい薫りが広がり、これは良い茶葉を使ってるな、と思わず唸ってしまった。こんなに美味しいお茶が、粗茶な訳がない。そんな俺に、千寿郎君がまた小さく笑った。

 

 

**

 

 

「父上宛に手紙を二つ、預かっております」

 

 

 そう言って、杏寿郎は己の懐からそれらを取り出し、畳の上に並べて置いた。ピクリと父の――槇寿郎の眉が跳ね、俯きがちの視線が持ち上がる。誰からのものか、言葉なく尋ねられ、杏寿郎は言った。

 

 

「一つはお館様から、もう一つは……季節津衣鯉からです」

 

 

 槇寿郎が弾かれたように顔を上げ、そして、杏寿郎が差し出した手紙を――特に季節からだというそれを――凝視する。

 “煉獄槇寿郎殿”と、流れる様な捉えどころのない筆跡。で記されている。やや右上がりになる癖も、やたらと“寿”の字が上手いことも、十数年前のあの頃のままで。ほんの少しだけ、懐かしさに口許が弛む。

 ――――あの男は、今もまだ雨の香りを運んでいるのだろうか。ふと、槇寿郎はそんなことを思う。

 季節からの手紙を手に取る。本来ならば、お館様からの物を先に読むべきなのだろう。だが、槇寿郎は、久方に寄こされた知古からの手紙にこそ、興味が引かれていた。

 

 

「…………あれは、息災か」

「あれとは、季節のことでしょうか?」

「ああ」

「五体満足、という意味であれば、息災です」

「ふん……」

 

 

 ――――季節(あれ)の自己犠牲など、今に始まったことではない。もっとずっと前から、季節(あれ)はそういう男だった。それでも、最後の線引きを違えた所だけは、一度も見たことがない。季節(あれ)は決して、()()()()()()()()()()()

 

 

「今回もまた、昏睡したと聞いたが」

「今朝には目覚めておりました。そして、この手紙を」

「…………そうか」

 

 

 ――――きっと。顔を合わせる度に言い争っていたのだ、この手紙も罵倒から始まるに違いない。そんな予感に口元を歪める。今でこそ飄々とした口調が板についているが、出逢った当初の季節(あれ)は、ただただ口の悪い餓鬼だった。杏寿郎たちには、想像もつかない話だろうが。

 

 

「…………」

 

 

 そろり、と手紙を開く。長ったらしい説教が書き列ねてあるのだろうと思っていた。けれど、そこにはただ一言。

 

 

 “約束は果たした”

 

 

 そう、書いてあるだけだった。

 

 

****

 

 

 煉獄槇寿郎が()()と出会ったのは槇寿郎が柱になる、ほんの少し前だったように思う。その頃、鬼殺隊の間では、“笑いながら鬼を狩る剣士”の噂が流れていた。

 

 

 柔らかく 温かく 清らかな

 仏の様な笑顔を浮かべて

 

 容赦なく 慈悲もなく

 哀憫さえもなく

 

 鬼の手を、足を、首を

 ()()()()()()()

 

 斬り落として

 

 斬り落として

 

 斬り落とす

 

 

 鬼が、“いい加減、もう殺してくれ”と懇願するまで終わらない。鬼をして“鬼の所業”と言わしめ、酷く恐れられる、そんな剣士の噂だ。

 鬼殺隊の中でも、“鬼とは相容れぬ、全て滅するべし”という過激思想派の連中が、その剣士を絶賛していた。反対に、“悪鬼は斬らねばならずとも、鬼との和解は不可能ではない”と主張する者たちには蛇蝎のごとく嫌われていた。

 そんな噂の剣士だが、不思議なことに誰一人としてその剣士の顔を知らなかった。

 

 

 “射干玉の髪が美しい少年だった”

 

 “狐の尾を複数生やした女だった”

 

 “天狗のような顔をした男だった”

 

 “鈴のような声で笑う少女だった”

 

 

 剣士を見た隊士たちの証言は、見事にばらばらだった。性別も、年齢も、その特徴も。一貫性など全くない、証言の意味をなしていない。これはもう、偽りの姿を見せられているのだとしか思えない、そんな状況だった。

 ただ。その中に、一つだけ、奇跡的に共通する証言があった。

 

 

 “――――雨がね、降ってきたんですよ”

 

 

 地面がぬかるむほどの雨が、ほんの一瞬降ってくる。それが晴れると視界を深い霧が覆い、何も見えなくなる。そうすると、どこからともなく悲鳴が聞こえてくる。

 それは、先ほどまで自分が戦っていた鬼の声によく似ていた。そうして、段々と霧が晴れてくると、()()の姿が見えてくる。

 

 

 “ああいうのをきっと、()()()()って言うんでしょうね”

 

 

 全ての証言が、ここで終わっていた。それに目を付けたのは、先代様だった。今代のお館様――耀哉様はまだ生まれて間もなかったと記憶している。

 先代様からの手紙には、どうにかして、その剣士と接触できないか試みてほしい、という旨が書かれていた。その剣士が近くにいるときは()()()()()()()()()()()()、と。

 それから。その手紙の言葉通り、多くの隊士が接触しようとしたが、すべて失敗に終わる始末。柱からさえ逃げおおせるというのだから、下級隊士たちは絶望した顔で諦めていた。

 そんな中、槇寿郎だけが、運よく件の剣士との接触することが叶ったのだ。――否、あれは接触したというより、遭遇した、と言ったほうが正しいかもしれない。

 別段、槇寿郎も接触することを諦めていたわけではない。ただ、目撃情報が多数上がる場所を調べた時に、あることに気が付いたのだ。なぜか、剣士の目撃情報は、槇寿郎の自宅近くに集中していた。

 こんな偶然はあるのだろうか?もしかしたら、あちらから接触してくるつもりでは?そんなことを考えた末に槇寿郎がとった行動は、()()、である。こんなにも自宅近隣で目撃情報が上がるのならば、普段通りに暮らしていれば接触ないし遭遇するのではないのだろうか。そして、その考えは見事的中した。

 意識的に探していたわけでも、接触しようと奮闘していたわけでもなかった。そして、槇寿郎の目の前に、その剣士は現れた。任務を終えて帰宅する、その道中の出来事だ。

 

 

「……君、が…?」

 

 

 刃こぼれ一つない刀を手に、ぬらりと光る赤を散らして。年端もいかぬ、曇天によく似た髪色の少女がそこにいた。その次の瞬間には、槇寿郎と変わらぬ身丈の男の姿に変わり、次いで妖艶な女の姿に変わる。

 最後に、()()()()()()()()()()()の姿に変わる。そして、ニィッと笑った。

 

 

「死合おうぜ、兄ちゃん」

「――っ、!!」

 

 

 反射的に刀を抜き、鎬で受けた剣戟は酷く重い。柄を握る手がじんと痺れ、思わず舌を打つ。子供と思って侮っていてはやられる。少年は()()()()と言った、隙を見せれば――――死ぬ。肺いっぱいに空気を取り込み、ゴゥと燃やす。

 

 

「舐めるなよ!!」

 

 

 相手は鬼ではない。鬼のように強いのは確かだが、少年は()()()()()()()()()()

 

 

「はっはぁ!舐めてんのはそっちだろーが!!」

 

 

 口が裂けるのではないかと思うほど口角を釣り上げ、少年は楽しそうに笑っている。槇寿郎は嫌悪感を抱いた。お館様の手紙には、鬼殺隊への勧誘を、とも書かれていた。が、そのご意向には沿えそうにない。

 上段からの袈裟斬りを躱し、切っ先を踏みつけ地面に縫いとめる前に躱される。下段からの斬り上げを鎬で受け、巻き取りながら距離を詰める。鍔が迫り合う前に、思い切り上から刀を押し付けた。ここで刀を落としてもおかしくないのだが、少年は体を右に半歩ずらしただけで逃げてしまう。

 巧い、と思う。刀の使い方も、己の体の使い方も、何もかもが。自分の技量に疑問を持ってしまいそうになるほど、少年は巧かった。それはつまり、強い、ということでもある。

 槇寿郎には、自分がこの少年に勝つ姿が想像できなかった。柱から逃げおおせたというのも、本当の事だろう。

 

 

「鬼相手じゃねぇからって、出し渋ってんじゃねぇ!!使って来いよ!!あんたの呼吸!!!!」

 

 

 かなり興奮しているのか、少年の目が爛々と輝き、瞳孔が細くなる。むわっと、体にまとわりつような蒸し暑さが充満した。そして、ぽつり、と空から一滴。次の瞬間、滝にでも打たれたかのような衝撃が、全身を襲う。

 

 

「極限までその身を燃やせよ!!!!俺が全部鎮火してやらァ!!!!」

 

 

 豪雨をものともせず、刀を振り下ろす少年に、槇寿郎は死を覚悟した。跡継ぎも継子も出来ぬまま、俺は果てるのか。口惜しさと怒りが、心を穿つ。そうして、大人しく首を差し出した時、ピタリと雨が止んだ。




竈門炭治郎
 我らが長男、とんでもねぇ炭治郎。今回、禰豆子は季節とカナエに預かってもらった。煉獄家へと向かう道すがら、涙腺に大打撃。槇寿郎さんにはノー頭突き、千寿郎君とは茶飲み友達になる予定。煉獄さん、俺は強くなりたいです!!

煉獄千寿郎
 下がり眉が特徴の煉獄家次男、鬼殺隊には所属していない。別称、色変わりの刀と呼ばれる日輪刀の色が変わらず、兄の継子になれないことに苦悩していた。炭治郎との出逢いで、前向きな思考を手に入れる。父上、お酒は一日一杯までです。


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拾玖 されど我が身に

拾漆、拾捌の文末に人物紹介を追加しました。


今回の話で季節の年齢がバレる……。


過去話
終盤、原作軸と独白


 ゴゥゴゥと燃え盛る技に魅入り、その姿が格好良いと憧れた。俺とは違う厚い胸板や、広く逞しい背中、太い腕が羨ましかった。研鑽を怠らぬその姿勢に、尊敬の念すら抱いていた。

 それが、なんだあの体たらく。()()()()()()()()()()()そこまで動揺することもなかったが。挫けてしまった人間が、あんなに脆く情けないものとは思わなかった。

 柱にまで上り詰めた実力者だろう?二人の子を持つ父だろう?無力さにうちひしがれた?追い討ちをかけるように妻が死んだ?成程、確かに。挫折も、別離も、人の心を容易に変化させる力を持つのだろう。

 ――――それなら、俺は。

 絶対に折れることのない、太く強靭な柱になってみせよう。そうして、煉獄槇寿郎(憧れたあの背中)を超えてやる。

 

 

「――――なぁんて、考えてた日もあったよな~」

 

 

 たった一言認めた手紙を翳して、彼は笑った。

 

 

****

 

 

 どれだけ待っても訪れない(終わり)に、槇寿郎は恐る恐る顔を上げた。果たして、そこに、顔から表情を抜け落とした少年が立っていた。

 

 

「興が覚めた、がっかりだ、拍子抜けだ」

「は、?」

 

 

 目が合ったかと思うと、少年は唾を吐き捨てるようにそう言った。苦り切った、心の底から失望したと言わんばかりの声で。その様子に、槇寿郎は思わず素っ頓狂な声を挙げる。

 

 

「あーあ、アンタとなら楽しく死合えると思ってたのに、期待して損したわ」

 

 

 しかし、少年は槇寿郎のことを気にする素振りも見せずに刀を納め、やれやれ、と肩を竦めた。

 

 

「死が目前にまで迫ってんのに足掻きもせず諦めるとか本当にあり得ねぇわ腑抜けてるにもほどがあるっつーかこれで次期炎柱とか反吐が出るアンタの上司の目は節穴なんですかね??まあ?こっちも??殺す気なんて毛ほどもありゃしなかったけど??それを見抜いた上で力を抜いた風にも見えなかったしなぁ??最初の威勢だって長続きしねぇしやる気はどこに行ったんだって話だよそれでも年上なわけ??男の象徴ついてる????」

「――――」

 

 

 一呼吸で言い放たれた言葉の数々に目を白黒させながら、槇寿郎は思った。

 

 

「(く、口が悪い…)」

 

 

 年下に説教されているという情けない現実からは、一旦目を背けておく。

 一見すると、身なりも容姿も整っているため、良家の子息に見えるのだが、ひたすら口が悪い。穏やかに細められた両目と、にこやかな口許、そして多分な毒を孕んだ口調。というか、温度差が激しい。ご両親も矯正には手を焼いているのではないだろうか。

 

 

「あと!!勘違いしてそうだから言っておくと、俺は今年で十二だ!!」

「嘘だろう!?どう見ても十以下だろう!!??」

「間違いなく十二ですぅ!!これから成長期が来るんですぅ!!」

「親からきちんとした食事を与えられているか?」

「与えてもらってるわ!?馬鹿にすんなボケェ!!!!」

「それならいいが……いや、やはりその小ささはいかがなものかと…」

「余計なお世話だよ!!次会う時には追いつくどころか追い越してんだからな!?」

「うむ、期待していよう」

 

 

 肩を怒らせ、ギャンギャンと捲し立てる少年の姿に、槇寿郎は近所の御老人が飼っていた犬の姿を重ねる。あそこの犬も、槇寿郎を見るたびにギャンギャンと吠えて来たものだったが、つい先日寿命を迎えたとかで御老人が気落ちしていたこともついでに思い出した。そんな槇寿郎の思考を読んだかのように、少年は心底嫌そうな顔をして、俺は犬じゃない、と呟く。

 それもそうか、と頷いて頭を撫でようと手を伸ばす。どうせ逃げられるだろうと思っていたのだが、少年は案外素直にその手を受け入れ、大人しく頭を撫でられていた。そうして、不意に槇寿郎は藤の香りを嗅ぎ取った。そして、合点がいったと口角を上げる。

 

 

「……君は、藤の家紋の家の子だったのだな」

 

 

 利用したことは無いが、煉獄家がある町の近くに藤の家紋の家があることは知っていた。恐らく、その家の子なのだろう。古く、大きな家で、それこそ鬼殺隊が作られた当初からあるのではないかとすら言われている。

 そんな家の子であれば、刀を手にするのも納得がいく。ただ。()()()()()()()と言う点だけは、どうにも解せなかった。

 

 

「君は何のために、その手に刀を取ったのだ?」

 

 

 やや腰をかがめ、少年と目線を合わせながら問う。槇寿郎がしゃがんだことに少年は舌を打ったが、睨むように見つめ返してこう言った。

 

 

「護りたいからだ。それ以外に何がある」

 

 

 ――――()()?そう問いかけるのは簡単だが、槇寿郎はあえて追及はしなかった。

 

 

「……そう、か」

 

 

 強く、訴えかけてくる眼差しだった。恵みの雨をたっぷりと浴びて育った草木のように瑞々しいその眼差しは、どこかほの暗さを湛えていた。少年の髪をぐしゃぐしゃにする勢いで頭を撫でまわし、やめろと言いながら離れて行く小さな体。その瞳に暗さはなく、酷く安堵した。そっと息を吐き出して、髪を整える少年に呼びかける。

 

 

「なあ、俺の名は煉獄槇寿郎という。君のことは何と呼べば?」

「……季節の“季”に島津の“津”で、“季津(すえつ)”とでも呼べよ」

「ふむ、偽名か」

「本名を名乗る義理はねぇ」

「それもそうか…だが少し寂しいな」

「……次に会う事があった教えてやるよ」

「その時には、背が伸びていると良いな」

「余計なお世話だバーカ!!!!」

 

 

 そう言って、少年は駆けていく。

 ――――件の剣士の正体が判明し、刀を握る理由を聞くことは出来た。だが、結局、()()()()()鬼を斬る理由までは分からない。ただ、なんとなく、槇寿郎には想像がつく。

 

 

「……鬼を憐れんでいるから、笑って見送るのだろう」

 

 

 刀を交えたからこそ分かることもある。少年の太刀筋は真っ直ぐで、迷いがなく、狂気を感じない。ただただ、綺麗な太刀筋で刀を振るっていた。十二とはいえ、まだ体も出来上がっていないあの小柄な少年が、だ。弛まぬ自己研鑽、そして羨ましいほどの剣才があってこそ出来上がったものだ。

 まして、藤の家紋の家の子であるのならば、よほどのことが無ければ鬼たちのように堕ちていくこともあるまい。すっかり見えなくなった少年の姿を脳裏に焼き付けながら、暮れ始めた空を見上げる。

 

 

「季津、か……」

 

 

 会いに行ってみるのもいいかもしれない。煉獄家から少年の生家までは、そう遠くはない筈だから。そうだ、瑠火も連れて行こう。きっと彼女も、あの少年を気に入る筈だ。

 

 

「うむ、そうしよう」

 

 

 我ながら良い案だとほくそ笑み、豪雨が降ったとは思えぬ乾いた地面を踏みしめて帰路につく。――――それから数日後のことだ。槇寿郎が一山超えた先での任務を終えた頃、鎹鴉がとんでもない情報をもたらした。

 

 

「藤ノ家紋ヲ擁ク季節家ガ鬼ニヤラレタァ!!ヤラレタァ!!」

 

 

 脳裏で、あの少年がニヤリと笑う。

 

 

「なんだと?生き残りはいるのか!?」

「生キ残リハァ!!嫡子ノ季節津衣鯉ィタダ一人ィ!!」

「季節、津衣鯉…?」

「現在行方ヲ捜索中ゥ!!()()()()()()()()()!!()()()()()()()()()()!!」

「――――――――季津だ」

 

 

 その日は、酷い雨が降っていた。

 

 

****

 

 

(煉獄杏寿郎)

 

「――――父上?」

 

 

 ハッと顔を上げると、息子が訝しげな表情でこちらの様子を窺っていた。自分によく似た顔つきの、妻と――瑠火とよく似た心根の、大事な息子が。

 

 

「……杏寿郎」

 

 

 口に出して漸く、その名を久しく口にしていなかったことを思い出した。呼ばれた息子も目を見開いて、心なしか驚いているように見える。一度、手元の手紙に視線を落とし、もう一度顔を上げて息子の名を呼ぶ。

 

 

「杏寿郎」

「――――は、はい」

 

 

 歯切れの悪い返事。いつもの威勢をどこかに置いてきてしまったかのように、掠れた声。緊張しているのはお互い様だ。

 

 

「杏寿郎」

「はい」

 

 

 仕切り直すようにもう一度。うまく噛み合った視線を外さず、真っ直ぐに。

 

 

「よく、帰って来た」

「――――は、」

「聞こえなかったか?」

「は、いえ、その、聞こえて、おりますが……」

「……フッ、」

 

 

 視線をあちらこちらに走らせ、落ち着かぬ様子の息子。思わず口許が弛み、同時に、途方もない後悔が押し寄せてくる。

 

 

「お前は、上弦の鬼と戦い、生きて、その鬼の情報を持ち帰った。父として、師として、こんなにも嬉しく、誇り高いことはない」

「――――っ、」

「ありがとう、生きて帰って来てくれて――――お前は私の誇りだ」

「――ち、ちうえ…っ!!」

 

 

 ぼろり、と。大きな瞳から滴が溢れて落ちては、畳に染みを作っていく。それを、成人した男が簡単に涙を見せるものではない、と笑いながら拭ってやった。

 

 

「……父上、」

「ん?」

 

 

 大人しく目尻を撫でられていた杏寿郎が、眉尻を下げてふわりと笑う。

 

 

「……ただいま、帰りました」

「――――ああ、おかえり」

 

 

 その顔は、亡き妻(瑠火)によく似ていた。

 

 

****

 

 

 槇寿郎と季津少年の出逢いから二年。

 槇寿郎は炎柱として活躍し、私生活では待望の第一子が誕生。非常に充実した日々を送っていた。それでも、季津――もとい季節津衣鯉のことを忘れた日は、一日たりともない。

 妻である瑠火に二年前の出来事を、耳にタコができるほど話して聞かせて。まだ目も開かぬ赤子の息子にも、寝物語がわりに聞かせてやる。

 瑠火は嫌な顔一つせず、繰り返されるその話を聞いていた。そして、話に区切りが着くと、必ず最後にこう言うのだ。

 

 

「きっと、逢えます」

 

 

 その言葉を聞くと、決まって、槇寿郎はホッとしたような顔をする。安心したいのだろう。未だ行方の知れぬあの少年が、生きていることを信じたいのだ。だから、瑠火は同じ言葉を繰り返す。

 

 

「きっと、逢えますから」

 

 

 お名前を教えてもらうと、約束したのでしょう?背が伸びたなと、からかってやりたいのでしょう?きっとその少年も同じようなことを思っています。だから、大丈夫。

 

 

「きっと、逢うことが出来ます」

 

 

 その数日後、槇寿郎はある任務先で狐面の少年と遭遇することになる。




煉獄杏寿郎
 さつまいもご飯が好物な煉獄家長男、現炎柱。父の言葉に涙腺が刺激を受けて思わずポロリした。戦っている最中は、後進を守るためなら死も許容できた。が、父の言葉に生きていて良かったと心から思った。父上!!共に鍛練しましょう!!

煉獄槇寿郎
 つい今しがた気力を取り戻した煉獄家大黒柱、元炎柱。季節とは現役時代に面識があり、かつての鱗滝と解霜のような関係性を築いていた。季節とどんな約束を結んだのかは後程わかる、はず。これ以上不貞腐れてはいられないな。

煉獄瑠火
 槇寿郎の精神的柱と言っても過言ではなかった、杏寿郎と千寿郎の母。故人。季節と会ったのは一度だけだが、初めて会った気はしなかったと言う。病床に沈む前、季節宛に手紙をしたためた。津衣鯉さん、槇寿郎さんと杏寿郎、千寿郎をよろしくね。

季節津衣鯉
 再びの昏睡から目覚めた主人公、年齢バレの回。
 目覚めたとき、目の前に杏寿郎の顔があって思わず叫びそうになった。病み上がりで固形物を食べて良いのか、という突っ込みはいらない。
 槇寿郎と出逢ったのは、まだ前世の記憶が戻る前。大分口が悪かったが、親の前では素直だった。再会は二年後、この時季節は十四歳。槇寿郎には生まれて間もない息子がいた。


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弐拾 樹雨は降る

捏造ましまし&季節の年齢もろ出しの回。
槇寿郎さんの現役時代の喋り方は、杏寿郎を参考にしてます。

冒頭過去話
善逸視点原作軸
後半過去話


「禰豆子ちゃんは良い子ねぇ」

 

 

 そう言って頭を撫でる手が好きだ。お兄ちゃん(誰かさん)の手には負けるけれど。

 

 

「こんこん小山の子うさぎは…なぁぜにお耳が長うござる…」

 

 

 ああ、その唄は知ってる。誰かが唄っていたのを、聞いたことがある。……お母さんだったかな?(誰だったっけ?)でも、どうして、この人が知ってるんだろう?

 

 

「小さい時に母様が…(なーが)い木の葉を食べたゆえ…」

 

 

 優しくて、柔らかくて、暖かい声。疑問なんて、どこかに飛んでいってしまう。お母さん(誰か)も、こんな風に唄っていたのかもしれない。……ううん、きっと、そう、こんな風に唄っていた。

 

 

「そーれでお耳が長うござる…」

 

 

 ――――ああ、本当に。泣きたくなるくらいの、幸せ(悲しみ)の匂いがする。

 

 

****

 

 

(我妻善逸)

 

「さ――――三十四歳!?嘘でしょ!!!?」

 

 

 と、思わず叫んでしまったのは、大変申し訳ないと思う。けど、俺のせいではないとも思う。だって、それだけ衝撃的だったんだ。年上なのは分かってたけど、まさか干支が一回り以上も離れているとは思っても見なかった。

 申告してきた季節さん(本人)は、困った顔で本当だよ、と言っている。それでも信じられなくて、すがるように見たカナエさんは、清々しい笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「十歳以上歳が離れているからって、それが障害になるとは思ってないわ」

 

 

 そんなカナエさんの膝の上では、どこからともなくやって来た禰豆子ちゃんがすやすやと寝息を立てている。可愛い。炭治郎と一緒に行ったのかと思ってた。とても可愛い。

 参ったな、と頭を掻く季節さんの顔は赤い。相変わらず仲睦まじくて羨ましい限りですね。爆発して欲しい。絶対カナエさんを幸せにしてあげなくちゃダメですよ。この色男め。――――っと、そうじゃなくて。

 季節さんの顔を見ていて、とても表情が豊かなんだなと思った。お面をつけたままでも、結構豊かだったけど、余計に。というか、お面をつけてるときは意図的に感情を表に出していたんだと思う。喜怒哀楽がはっきりしている。けれど、その身から聞こえてくる音は雨の音だ。不思議だよね。

 

 

「お館様も含めて、鬼殺隊内で一番上なんだ。だから先代様のことも知っているし――――ああ、そうだ。煉獄が赤ん坊だった頃の姿も知ってるよ」

 

 

 なんか、またとんでもないことを言い出したぞこの人。え?何て??煉獄さんの赤ん坊時代????

 

 

「あの……ちなみに、なんですけど」

「うん?」

「煉獄さんって、何歳なんですか?」

「確か今年で二十だったかな」

「にじゅう」

「そう、二十」

「私の二つ下ね」

「カナエさんのふたつした」

「そうよ」

 

 

 ちょっっっっっっと待って??あの煉獄さんが??二十歳????え????はぁ????

 

 

「え、嘘じゃなくて??」

「嘘じゃないなぁ」

 

 

 若くね??????思わず真顔になりながら、叫ぶのも忘れて考え込む。

 え?若いな??もうちょっと年上かと思ったんだけど、煉獄さん、俺と四歳しか違わないの??それで柱??あっ、でもしのぶさんは俺と二歳違いで柱か。いやいや、それはそれでどうなの??何歳で柱になったのあの人たち??

 

 

「煉獄のことで驚いてる所申し訳ないんだが」

 

 

 何です?これ以上の驚きがあるとでも??

 

 

「現在柱に就いている者の中で最も年若いのは霞柱だ」

「かすみばしら」

「君の二つ下じゃなかったかな」

「おれのふたつした」

 

 

 ――――え???年下です???しかも二つ下って、十四歳ということでは????

 

 

「ぅえぇええええ゛え゛!!!!!!??」

 

 

 うっっっっっっそでしょ!!!?

 

 

「嘘じゃないんだなぁ、これが」

 

 

 季節さんはカラカラと笑う。そして、一瞬だけ真顔になると、苦笑を浮かべて沁々と言った。

 

 

「霞柱――無一郎は、僅かな期間で柱に上り詰めた。その実力は本物だし、物言いにちょっと難はあるが、弱きを助け、護ろうという気概は柱に相応しいものだと思う。…けれど、俺よりも二回り近く年若い、幼いと言っても過言ではないあの子に、刀を握らせてしまったことが心苦しくもある」

 

 

 しとしと、と。消え入りそうなほど静かな雨の音が聞こえてくる。これは、季節さんの心が奏でる、悲しみの音なんだと思う。小雨ほど強くはなく、霧雨ほど弱くもない。何とも言えない、絶妙な静けさを奏でる雨の音。

 

 

「鬼舞辻無惨を倒さなければ、無一郎のような子が増えていく。それは、避けたい。だから、急がなければならない。それが、産屋敷家の悲願であり――――」

 

 

 ――――()()()()宿()()()

 その時の季節さんの瞳が、鬼の目のように見えたのは、俺の見間違いだったのだろうか。

 

 

****

 

 

 息子が生まれてから三か月後、奇妙な格好の客人が煉獄家に訪れた。それは、左頬に三つ雫が描かれた狐の面を被り、朝焼け色の羽織をまとっていた。年の頃は十代半ば、性別はどちらとも言えない。声を聴けばどちらか判別付きそうではあるが、その狐面の人は一言も喋ろうとはしなかった。

 たまたま任務もなく家にいた槇寿郎は、この客人に困惑した。用向きを尋ねても無言、中に入るよう促しても無言ときた。いい加減、追い返してしまおうかと思った時に、その人は徐に懐から手紙を取り出し――――槇寿郎の顔へと叩き付けた。

 

 

「き、さま!!何をするか!?」

「はっ!!油断してるそっちが悪いんだよ!!」

「――――、」

 

 

 反射的に怒鳴れば、その人も同じ声で返す。その声を耳にして、槇寿郎は思わず手紙を取り落とした。少年期独特の甲高さは無くなっているが、その声に聞き覚えがあったからだ。――――人の記憶は、声から薄れていくと言うが、槇寿郎はこの二年間、その声を忘れたことは一度もない。

 

 

「お前、季津か」

 

 

 ニィッ、と。無機質な狐の面が、笑ったような気がした。

 二年ぶりに再会した季津は、今年で十四だと言う。確かにそれくらいの年に見える、と槇寿郎が言えば、偉そうに胸を張る。それがどうにも癪に触って、小さいことには変わりないと頭を撫で繰り回してやった。

 

 

「やめろ!!せっかく成長期が仕事してんのに、縮むだろうが!!」

 

 

 何とも不思議な言い回しに笑い、名残惜しかったが頭から手をどけてやる。そうして、上から下までまじまじと、季津のことを見つめた。

 黒の隊服は鬼殺隊の物だし、その腰に差された刀は勿論日輪刀。その反対の腰には脇差があるが、その柄を見る限り、以前使っていた日本刀を短く摺り上げたものと察する。猫の毛のように柔らかな髪は、雨が上がったような色合いをしていて、朝焼け色の羽織によく似合っていた。狐の面の下には、あの新緑色の目が隠れていることだろう。

 ――――生きていた。そんな言葉が脳裏を過り、喉が引き攣る。鼻の奥がツン、と痛み視界が霞んだ。

 

 

「何で泣いてんだよ」

「歳を取ると涙腺が弱くなるんだ」

「俺と六つしか違わねぇじゃん」

 

 

 情けねぇなぁ、と。笑う気配をさせながら差し出された手拭いを受け取って、槇寿郎も笑みを浮かべる。

 

 

「自己紹介をやり直そう」

 

 

 ぐい、と涙を拭い、深呼吸を一つ。二年前よりも大きくなったその姿をしっかりと見やり、槇寿郎は言った。

 

 

「俺は、煉獄槇寿郎。恐れ多くも炎柱を任されている。君の名を教えてもらっても良いだろうか?」

 

 

 ぐい、と面が上げられ、新緑色の双眸が覗く。整った顔つきは健在で、涼しげな目元に笑みが浮かんだ。

 

 

「俺は、季節津衣鯉。昨年鬼殺隊に入隊したばかりだが、階級は(ひのと)だ!!」

 

 

 ほう、と感嘆の息が零れる。

 

 

「一年でそこまで階級を上げたか……無理をして身長が止まるのではないか?」

「止まんねぇよ!?まだまだこれから伸びるんだよ!!」

「しかしなぁ…鬼殺隊の活動は夜間であるし、いくら伸び盛りとは言っても、任務が連日続けば体にも影響はあるだろう」

「そ…れは、そう、かもだけど……」

「育手の方に心配されてはいないか?」

「そんなへましねえ」

「なるほど、猫を被っているのか」

「被ってねーし!!鱗滝さんの前でもわりと素のままだし!!口調は気をつけてるけど…」

「それを、猫を被っている、と言うのだ」

「……」

「……ふ、」

 

 

 勝った、と思った。不貞腐れた顔を面で隠し、押し黙った季津――もとい津衣鯉の頭を撫でる。高々一度会った事がある程度の槇寿郎に、育手よりも砕けた態度で接しているという事実に頬が弛む。

 鱗滝、と言えば水柱を務めた実力のある剣士だったはずだ。その彼に師事したとあれば、階級の上がり具合にも納得がいく。何より、津衣鯉自身が、剣の才に恵まれているのだ。――――ご家族のことは残念ではあるが、良い師に出会たことを槇寿郎は喜ばしく思った。

 

 

「今一度、問うてもよいだろうか」

「ん?」

 

 

 頭を撫でていた手を降ろし、表情を引き締める。空気が変わったのが分かったのだろう、津衣鯉も面を取って槇寿郎の顔を真っ直ぐに見上げた。

 

 

「何のために刀を取った」

 

 

 それは、二年前の繰り返しのようで。

 

 

「――――斬らなきゃならない()がいる」

「何?」

 

 

 全く違う。

 

 

「俺は……()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――、」

 

 

 ――――この日の出来事を、槇寿郎は忘れることはないだろう。

 じんわりと滲むように薫る雨の匂いに、ゴロゴロと遠くで雷が鳴っていた。その眼差しは槇寿郎を貫かんばかりに愚直で、ほんの一瞬だけ、気のせいかもしれないが。

 

 

「(鬼の、目だ)」

 

 

 瞳孔が縦に割れたように見えた。

 視線を逸らすことも出来ぬまま、互いに見つめあっていると、ぎゃあぎゃあと家の中から凄まじい泣き声が聞こえて来た。その声に大仰に肩を跳ねて飛び上がった津衣鯉に笑い、上がっていけ、と背中を押す。まるで借りて来た猫のように大人しくなり、小さな声でお邪魔します、と言う姿は、先程までの異質さはどこにもない。むしろ年相応さすら感じられて、槇寿郎は酷く安堵した。

 奥から妻が息子をあやしながらやってくる。その姿に口を開けて釘付けになっている津衣鯉に、槇寿郎はまた笑った。




竈門禰豆子
 珍しく炭治郎(お兄ちゃん)に置いていかれた妹。しのぶさんが怪我が治るまで気を利かせて預かってくれただけでなく、カナエさんがめちゃくちゃ構ってくれるのでめちゃくちゃ懐いた。たぶん、喋れるようになったら、炭治郎(お兄ちゃん)の次くらいにカナエさんの名前を呼ぶと思う。
 お気に入りはカナエさんのお膝の上。

煉獄槇寿郎
 ※当作では20歳で第一子(杏寿郎)を儲けたことにしています。
 季節とのファーストエンカウントは18歳の頃、炎柱になる直前くらいを想像。瑠火さんとは既に結婚していて、子供が出来るのをウキウキと待っていた。季節が藤の家紋の子であると知り、後日その家が鬼に襲われたかもしれないと聞いてめちゃくちゃ心配した。
 セカンドエンカウントは二年後。槇寿郎は20歳、息子が生まれた3ヶ月後にひょっこり現れて、めちゃくちゃ安心したし、涙ちょちょぎれた。ただし、顔面に手紙を叩き付けてきたことは許さない(手紙はお館様からの物でした)。季節のことは名前で呼ぶ。
 この後、季節との合同任務が増え、季節のストッパーをやりながら徐々に徐々に、季節との才能の差に悩まされていく事になる。その度に季節に激励されるが、それすら辛くなったところに妻の死が重なる不運。はっきり言って原作より落ち込みようが酷い。原因は間違いなく季節である。
 後のことはお察しください。

季節津衣鯉
 当時ピッチピチ()の14歳だった、現在34歳の当作主人公。ただし精神年齢はXX歳(自主規制)だ。ちなみに、カナエさんは22歳くらいだと思ってください。
 記憶を思い出す前は、不死川兄みたいな感じだった。だから、不死川兄を見ていると昔の自分を見ているようで居心地が悪い。ちゃんとできるんだから、口調直そう?そしてそんな季節に、不死川兄はめちゃくちゃ噛みついてくる。
 実は前世の記憶を思い出す前に、原作キャラと遭遇していた。思い出してから、「やっべーよ、とんでもなく生意気な態度取っちゃってたじゃん俺!!」と自分にビビる。なので鱗滝さんに会いに行くときはちょこっとだけ言葉遣いに気をつけた。大丈夫、まだ素の口調が悪いことは知られていない。今の喋り方が確立したのは20歳くらい。
 異様に出世が早い。入隊一年半で丁まで階級を上げた才能お化け。その後、炎柱である槇寿郎との合同任務が二年ほど続いたため、鬼の討伐数は50を超え、下弦の鬼も二体屠った。以降、お館様から柱襲名打診されては断り、されては断る。そりゃあ、槇寿郎も自分の才に悩んで落ち込むわけである。
 赤ん坊だった煉獄杏寿郎をあやし、おしめを換えた事もある。なんなら杏寿郎は父親の槇寿郎よりも季節に懐いていた。しかし、その事を杏寿郎は覚えていない。後々、そんな話をするかもしれないし、しないかもしれない。もししたとしたら、もれなく音柱に聞かれて爆笑される。憐れ、杏寿郎。

 槇寿郎とは何らかの約束をしていた。それが明らかになる日も近い――――かも?


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弐拾壱 作り雨

原作本編にちょっと触れる程度の、季節の過去話。
前回の煉獄槇寿郎編に続き、今回は胡蝶カナエ編。
相変わらず捏造が激しいです。
過去話は人選を変えて、もう少し続きます。
もうしばらくお付き合いください……。


過去話(オリジナル展開)
しのぶさん視点から原作軸


「季津さんからは、雨の匂いがするよね」

 

 

 まだ隊士でもなく、狭霧山で修行中の身だった頃の話。季津さんに打ちのめされた俺に、直した方がよいところを指摘し終えた真菰がそう言った。

 

 

「優しい、(やさ)しい、雨の匂い。私たちはみんな、あの人の匂いが好きなんだ」

 

 

 また、不思議なことを言い出した、とその時の俺は思っていた。()()()とはいったい誰の事だろうか、と。今はその正体が分かっているけれど、あの時は訳が分からなくて、曖昧に頷くことしかできなかった。

 

 

「炭治郎は、季津さんの匂いは嫌い?」

 

 

 俺の顔を覗き込むようにして、真菰が聞いてくる。けれど、そもそも、俺は季津さんから何かしらの匂いを嗅ぎ取ったことは、一度もない。真菰もそうだけど、あの人からは何の匂いもしなかった。それを正直に言えば、そんなことないよ、と真菰は言う。

 

 

「気付いてないだけで、炭治郎だって感じてる」

 

 

 ふわり、と。真菰が笑うと、木立がざわめいた。まるで、他にも誰かいるかのように。

 

 

「みんなも言ってるよ?“炭治郎は鈍いなぁ”って」

 

 

 そんなことを言われても、分からないものは分からない。気付いていないだけ?俺は何を見落としているというのだろうか。うーん、と唸り空を仰ぐ。生憎、霧に覆われて空は見えない。晴れているのか、曇っているのか。どちらにせよ、そろそろ青空が見たいなあと、そんなことを考えた時だった。

 

 

「あ、ほら」

 

 

 サァッと。ほんの一瞬だけの、肌を撫でていくような雨が降る。その割に雨の匂いが濃くて、思わず肺いっぱいに空気を吸い込んだ俺に、真菰が一点を指さして言った。

 

 

「季津さんが来たよ」

 

 

 ――――雨をつれて。

 

 

****

 

 

 胡蝶カナエと季節津衣鯉の出会いは、まるで、現代で言うところの少女漫画の様だった。

 母から頼まれたお使いがようやく終わり、日も暮れてきて早く帰らねばとカナエの気は急いていた。速足が小走りになり、ろくに確認もせずに角を曲がった。その時に、ドンと。思い切り何かにぶつかって、尻餅をついた。

 買ったものが地面に散らばる。ごめんなさい、と反射的に出てきた謝罪の言葉。ぶつかった何かは、いやいやこちらこそ、と言う。目の前に、人の足があった。

 

 

「俺もろくすっぽ前を見ていなかったから、御相子さ。それよりも、随分と勢いよく後ろに倒れてしまったが、怪我はないかい?」

 

 

 それは、春から夏へと変わる頃のことだったように思う。その新緑色の目が鮮やかで、夕暮れの街並みに朝焼け色の羽織がぼんやりと浮かんでいたことを、はっきりと覚えている。

 カナエはまだ十にもなっていなくて、よくある、恋に夢見る少女であった。そして、その夢見ていた恋が目の前に転がってきたのが、この時だ。妹は独り歩きを覚えて、意味ある言葉を話すようになってきたばかり。両親はもちろん健在。親子仲睦まじく幸せに暮らしていた。そんな、ありきたりで、とても大切な日々の中に。

 

 

「お手をどうぞ、お嬢さん」

 

 

 “運命の人”が現れたことを、カナエは幼心に、確かに感じていた。

 

 

**

 

 

 散らばってしまった荷物を手分けして拾い集めていると、空はすっかり暗くなってしまった。一人で帰るのは危ないから、と言われ、その人が家まで送ってくれることになった。

 お使いで買った野菜などを片手にまとめて持ち、空いた片手でカナエの手を握ってくれた。それが嬉しくて、顔が綻ぶ。とりとめのない話をしながら歩いていると、空に星が輝き始めた頃に、家に着いた。

 

 

「すっかり遅くなってしまったね、ご両親も心配してるだろう」

 

 

 その言葉通り、家の明かりが見えてくると同時に、両親が青い顔で玄関口に立っているのが見えた。カナエの帰りが遅かったからだろう。母の腕の中にいる妹に至っては、もう一度泣いた後だった。目尻を真っ赤に染めて、ぐずぐずと鼻を鳴らしている。

 そんな家族を見たカナエは、辛抱たまらんくなって駆けだした。繋いでいた手が、するり、と解けていったのが少し名残惜しい気がしたけれど。しゃがんで両手を広げた父の腕の中に飛び込み、ただいまと言えば、おかえりと震えた声が返ってくる。温かな父の腕の中は、酷く安心した。

 ねぇちゃ、と舌っ足らずな声が聞こえて顔を上げる。妹が、母の腕の中から落ちそうになるほど必死に小さな手を伸ばしていた。それがとても愛おしくて、場違いにも笑みをこぼしながらカナエも手を伸ばした。

 

 

「ご心配をおかけしてしまって、すみません。娘さんの帰りが遅くなってしまったのは、俺のせいです。なので、娘さんのことは叱らないであげてください」

 

 

 しばらくの間、家族で戯れていると、カナエを連れて帰ってきてくれたその人がそう言った。その人の事がすっかり頭から抜け落ちていたカナエは、父の腕から慌てて飛び出し、その人が持つ荷物を受け取りに戻った。その後ろを、父がのんびりとした足取りでついてくる。

 

 

「お使いも終わって早く帰りたかったんでしょうね。俺も不注意だったんですが、角の道で思い切りぶつかってしまって」

 

 

 すみません、と。もう一度そう言って頭を下げたその人に、父がとんでもない、と肩をすくめた。

 

 

「こちらこそ、すみません。わざわざ娘に付き添っていただいて…本当は私か家内が付いていければよかったのですが、生憎どちらも手が塞がっていて……。この子は歳の割に賢い子ですので、一人でもお使いに行けると言って聞かず、私たちもそれに甘えてしまったんです」

「確かに、しっかりした娘さんですね。頼ってしまう気持ちも、分かる気がします」

「いやはや、お恥ずかしい…」

 

 

 暗闇でもわかるほど、顔を赤くした父が珍しい。両手いっぱいに荷物を抱えて見上げていると、父の手がカナエの頭に伸びてきた。

 

 

「今日はありがとうございました。もう日も暮れましたし、もし、今晩の宿がお決まりでなかったら、うちに泊って行ってください」

 

 

 娘もきっと、喜びます。そう言って笑う父と目が合って、カナエはポッと頬を染める。おやおや、と笑い交じりの声が頭上から降ってくるので、それから逃げるように母のもとへ向かった。片腕に妹を抱え直した母も、そんなカナエを見て笑っていたが。

 

 

「――お気遣いは大変嬉しいのですが、」

 

 

 不意に。カナエは空気がひりつくのを感じた。

 

 

「これから少し、用事がありまして」

 

 

 柔らかな笑みを浮かべるその人から、ひりひりとした何かが漂ってくる。肌を軽く火傷したような、そんな感覚。――数年後に、これが殺気だったと気づき、随分と加減されていたのだと知るのだが。

 

 

「また、近くに来ることがあれば、寄らせて頂きますので」

 

 

 今宵はこれにて。

 どこからともなく取り出した狐のお面を顔につけ、どろん、とお道化たように言う。そして、ぶわり、と。雨が降るとき特有の湿気を含んだ風が吹き、その姿は瞬きのうちに消えていた。家族そろって、その人がいた場所を凝視する。そこには、香り袋が四つ、置かれていた。

 

 

「……山の神様の御使いだったのかしら」

 

 

 ぽつり、と。母が溢した言葉が、とても印象的だった。

 

 

****

 

 

「津衣鯉!どこに行っていたんだ、探したぞ」

 

 

 暗闇に、(ほむら)が浮かんでいる。やや呆れた表情で、しかし安堵の色を隠しもしない。

 

 

「あ?何?一人で寂しかったんです?ハッ、情けねぇの!」

「お前な……心配したんだそ、こっちは」

 

 

 ――心が悲鳴を上げてるだろうに、他人の心配とはご苦労なことだ。その心労を与えているのが自分だと、分かりきっていながら他人事のように、そう思う。

 

「頼んでもねぇのに、そいつぁどーも!」

「……茶化すな、やめろ、お前らしくもない。何かあったと言っているようなものだぞ?」

 

 

 ゆらり、ゆらり。燻るように炎の羽織が揺れている。

 

 

「――――()()()()()

「…嘘ではなかろうな?」

「ああ…、何も起きちゃいなかったよ……()()()()、な」

 

 

 ただ、来るその日に思いを馳せた。

 

 

****

 

 

 それから数年後、カナエは両親を失い、妹と二人だけになってしまった。助けに来てくれたのは、悲鳴嶼と。

 

 

「……遅くなってごめん、ご両親を助けられなくて本当にごめん」

 

 

 あの日、カナエの手を引いて、家まで連れ添ってくれたあの人だった。

 

 

****

 

 

(胡蝶しのぶ)

 

 どういう流れでそうなったのかは知らないけれど。姉さんが穏やかな声で、我妻君に昔のことを話して聞かせていた。

 それを、私は、戸口に背を預けて聞いていた。季節さんは来客があったため、客間にいる。無理はしないでほしいが、話をするだけなら、と個室を出ることを了承した。

 

 

「両親が鬼に殺されて、私としのぶだけが生き延びた。助けに来てくれた悲鳴嶼さんと津衣鯉さんには申し訳ないけれど、最初の頃は酷く恨んだわ。“どうしてもっと早く来てくれなかったの?もっと早く来てくれたら、お父さんも、お母さんも、助かったかもしれないのに”って」

 

 

 確かに、と頷く。私もそう思った。姉の手を引いて帰ってきてくれた季節さんの姿を、幼いなりに覚えていたから。“あのお兄さんは、姉さんを、私を、守ってくれる人だ”と思っていたから。

 それはもう、激しく当たった記憶がある。今思い出すと恥ずかしすぎて、穴があったら入りたいと思うくらいには激しかった。挙げ句、怒り疲れた私は季節さんの膝の上で寝落ちした。幼児でもあるまいし、本当に恥ずかしい。

 

 

「津衣鯉さんは……弁解も、何も、しなかった。私の言葉に、その通りだと頷いて、深々と頭を下げるだけだった。それがあんまりにも潔くてね?一緒にいた悲鳴嶼さんも狼狽えて、困り顔になるものだから、なんだか気が抜けちゃって」

 

 

 その話は初めて聞く。私が寝落ちした後の話だろうか。それなら、記憶にないのも当然なのだけれど。

 

 

「へぇ……でも、ちょっと気になるんですけど」

「え?」

「いや、仇と言うほどでもないけど、恨んでてもおかしくない相手と――季節さんと、どうして婚約したのかなって」

「――――(ニコリ)」

 

 

 その質問に、姉さんは、何も答えなかった。



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弐拾弐 注ぐ庭先

知っている方からすれば、「なんか見覚えあるな?」という表現を引用しております。
F/at/eシリーズの中でも某作家リスペクトなので仕方がないネ…
とはいえ、元からこの表現方法は取り入れるつもりでいたので、やっと書けた!!と当方は満足しております←

気付けばUAが10万を超え、お気に入りも1500を超えました。感想、評価も「ありがたや…」となりながらいつも見ております。
本当に、ありがとうございます。
当作の終着点はまだ見えませんが、当方の他の作品のように途中でエタることなく、完結させられるよう頑張って参ります。


独白
しのぶさん視点独白
槇寿郎さん視点、過去話
独白


 ――――男の話をしよう。

 平成の世に生まれ落ち、何の変哲もない人生を歩んだ。

 どこにでもいる凡庸だったはずの男。

 しかし、余人の評価は驚くほどに高かった。

 男は、ただ取り繕うのが巧かっただけなのに。

 人当たりがいい、と友人は言った。そんなことはない、と男は言う。

 賢く努力家だ、と別の友人が言った。それは違う、と男は言う。

 他人を慮れる子だ、と母は言った。そんなはずもない、と男は言う。

 どこへやっても恥ずかしくはない自慢の息子だ、と父は言った。冗談だろ、と男は言う。

 猫を被っているだけじゃないか、と男の弟が言った。それが正しい、と男は笑う。

 

 余人の評価に合わせた仮面を張り付け、一日、一日が過ぎていく。

 そうして、男は素顔を忘れ、摩耗した己を嘲笑する。

 最期は、唐突に訪れた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 不仲だったわけではない。

 ただ、擦りきれた兄を、弟が憐れに思ったが故だった。

 ()()()()()()()()()()()()()

 感謝すらしていた。

 それでも、“弟を殺人者にしてしまったこと”を心から悔いた。

 これが、ある男の末路(前世の話)だ。

 

 

**

 

 

 前世での記憶は、他人が見ればあまり良い気はしない。そういう類いのものだと、季節は思っている。

 全肯定しかしない父母と、上っ面しか見ないで“良い奴”と言ってくる友人たち。唯一の救いは弟が理解者であったこと。それだけで、季節はXXXとして生きてこれて良かったと思う。

 しかし、前世の死因はその弟だ。もっとも、恨んでなどいないし、むしろ感謝しているくらいなのだが。

 そんな前世で、唯一の趣味が読書だった。前世の彼の自室には天井まで伸びる本棚が壁一面に並んでいて、そのどれもが隙間なく様々な本で埋められていた。多言語かつ多岐に渡る専門書や図鑑、画集、ライトノベル、漫画、同人誌、etc…。いわゆる、“本・雑誌”に分類されるもの、特に漫画を蒐集した。

 たまに、弟がおすすめだと言って勝手に棚に本を置いていくこともあった。それがいつしか、“弟のおすすめコーナー”を確立させ、本棚を一つ埋めたのだから何とも言えない。

 前世の彼にとっての生き甲斐は、それらに埋もれながら読書することだった。その瞬間だけは誰の目にも触れず、あありのままの自分でいられた。故に、自室だけが、彼にとっての安息の地に他ならなかった。

 そんな中で出会ったのが、“鬼滅の刃”という漫画だった。某少年週刊誌で連載が始まってすぐに、弟がすすめてきたものだ。独特の絵のタッチに、魅力的なキャラクター達。時代設定や話の作り込み方など、なるほど確かに弟好みの漫画だと思った。最初はその程度の感想、そして読んでいくうちにのめりこみ、そして、彼は運命を見つけた。

 ()()()()()()()()

 

 

****

 

 

 ――――きっと、あの時に。

 

 

「昨日、婚約を申し入れられたの!」

「――――本当に?良かったわね、おめでとう!」

「ええ、ありがとう!」

「婚約の件は分かったわ、それじゃあ今後の予定は?」

「とりあえず、お互い直近の任務が片付いたらお館様に挨拶に行くことにしてるの。それからいつになるかは分からないけれど、祝言もちゃんと挙げようって……ああ、夢みたいだわ」

「……そう、そうね…本当に、夢みたい」

 

 

 私は、芽吹いたそれに、そっと蓋をしたのだ。

 

 

**

 

 

(胡蝶しのぶ)

 

 よくよく考えてみると、私は、姉さんと季節さんが交際を始めた切っ掛けを知らない。気付いたら、姉さんの横には季節さんがいて、季節さんの横には姉さんがいた。元々、姉さんに鬼殺隊の育手を紹介してくれたのは季節さんだ。その流れで交流を持つようになったのだろう。入隊後は何度か任務を共にしたこともある、と聞いている。

 幼い姉さんを家まで送ってくれて、数年後には命を救ってくれた。両親を助けれらなかったことを悔やみ十以上も年下の私たちに頭を下げて。その後、両親の葬式と私たちが路頭に迷わないように手配をしてくれた。両親のことは今思い出しても悲しくなるし、残念だった、という言葉で終わらせることもできない。

 それでもきっと、姉さんが季節さんに惹かれていくのは当然のことだったのではないか、と。そう、思ってしまう。そうなるのが当たり前なのだと周囲に思わせるほど、二人はいつも自然体だった。

 少し歳の差はあるけれど、似合いの二人だと町でも評判になっていた。私もそう思っていたし、姉さんが幸せそうに笑う顔が見れることが嬉しかった。でも、どうしてだろう。二人が一緒にいる姿を見るたびに、顔を見合わせて笑う姿をみるたびに、ぎしりぎしりと、心が軋む。

 別段、私は色恋に鈍いわけではない。だから、その理由は分かっていた。分かっていて無視し続けていた。だって、私の一番の願いは姉さんの幸せだ。姉さんが生きて幸せになってくれるのなら、もう何もいらない。――数年前、姉さんが上弦の鬼と戦い死にかけた時に、ことさら強くそう思った。

 

 

****

 

 

(煉獄槇寿郎)

 

 数年前のことだ。

 何かの気配を感じて顔を上げると、そこに、真っ白な鳥がいた。首周りには、それなりに値が張りそうな碧い組紐で作られた飾りをつけている。一見そうは見えないが、これも鴉。鎹鴉の一羽だ。

 しかも、特殊な能力も持っている。そして、この白い鴉の主はただ一人、――――季節津衣鯉しかいない。脳裏に浮かんだ知古の姿を懐かしく思うと同時に、ほんの少し、胸が痛む。あれは、背中を預けるに相応しい人物であると同時に、私の心を掻きまわす存在でもある。

 

 

万代(ましろ)

 

 

 確か、そんな名前だったはずだ。字は多少ひねってあったものの、安直な名前だな、と紹介されたときは思ったものだった。どうやら名前は当たっていたらしい。その白い鴉は満足げに頷いて、畳の上を跳ねるように進んでくる。お久しぶりでございます、元炎柱様。相変わらず流暢な喋りで鴉は言った。

 

 

「本日は()()()()()()()()()()()()参上仕りました」

「やくそく…」

 

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。もう一度、やくそく、と繰り返してハッとする。それは、もしかして、もしかしなくとも“あれ”の事だろうか。

 

 

「思い出していただけましたでしょうか?」

「よもや……今この時になってそれを引っ張り出されるとは、思わなんだ…」

 

 

 津衣鯉(あれ)が意識不明の重体となった、という話は聞いている。心配もしたが、最後に会った時の喧嘩別れが尾を引いて、見舞いには行けていない。そんな相手から――正しくはその鎹鴉から――、昔の口約束を引っ張り出されるとは思わなかった。おそらく、予め鴉に伝えていたのだろう。まったくあれも大概、意地悪が過ぎる。

 喉が渇き、体から力が抜ける。今更、私にどうしろと言うのか。刀を捨て、酒に逃げて早数年。自分で言うのも何だが、腑抜けてしまったこの私に、いつかの約束を果たせるほどの力があると思っているのだろうか。

 

 

「――――、」

 

 

 ――――答えは、()だ。津衣鯉も、期待などしていまい。だからこそ分からない、なぜ、今なのか。そこまで考えて、あることに気が付いた。どうも、私は、いつかの約束のためにもう一度刀を取るつもりでいるらしい――――と。

 現金な話だ。己の不肖さと妻を亡くしたことで荒み、折れ、落ちぶれた心のままに息子たちを遠ざけた自分が、今更刀を取って何になるというのか。その約束も、ただの口約束に過ぎず、もっと言えば酒宴の席で結ばれたものだ。守る必要がどこにある。

 

 

「――――、」

 

 

 ――――しかし、しかしである。たかが口約束だからなんだ、津衣鯉は言うのだろう。口約束だろうが、正式なものだろうが、あれにとっては違いなどありはしない。等しく、“約束”である。そして、その約束を、あれが破ることは決してない。

 

 

「元炎柱様――――否、煉獄槇寿郎様」

 

 

 鴉が目の前にまでやってきていた。光を照り返す羽毛は銀に耀き、その黒曜石のような瞳の奥には、津衣鯉が持つ新緑の輝きが沈んでいる。その神々しさに息を呑み、同時に、カチリと何かが切り替わる。

 

 

「我が主、季節津衣鯉に代わりお願い申し上げます。どうか、若き柱を――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――――――、」

 

 

 体は勝手に動いていた。

 

 

****

 

 

 ――――男の話をしよう。

 明治時代に生まれ落ち、いずれ鬼を狩る剣士となる。

 凡庸なままではいられなかった男。

 故に、余人は男を高く評価した。

 辛ければすべて投げ出して構わない、母はそう言っていた。善処しよう、男はそう答えた。

 一人で背負う必要はどこにもない、師にそう言われた。心に刻もう、男はそう答えた。

 人当たりはいいが口が悪い、相棒にそう言われた。あんたの前でだけだ、男はそう言う。

 才能に胡坐をかかない努力家だ、元継子にそう言われた。それは当然のことだ、男はそう言う。

 お前の人生はお前が生きたいように、父がそう言っていた。ならばそのように、男はそうして笑った。

 

 余人の声など気にもしなかった、ただ、全てが自由だった。

 そうして、男は手に入れた、己が振るう刀の正義(ワケ)を。

 最期は、まだ訪れない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 生きてほしい者がいる。

 立ち直ってほしい者がいる。

 生かしてくれた者がいた。

 生かしたかった者がいた。

 故に男は決めている。

 ()()()()()()()()()()()()

 それでも、きっと断ち切ることは出来ないのだろう。

 ならばこの身は主人公(だれか)のために。

 これが、ある男の変遷(今世の話)だ。

 

 

****

 

 

 力強く、空高く、悠々自適に、真っ白な鳥が空を往く。鳥は謡う、遠い、遠い、大陸の歌を。

 

 

Who killed Cock Robin(誰が殺した 駒鳥の雄を)? I, said the Ogre(それは私よ 鬼がそう言った), with my fang and claw(私の牙で 私の爪で), I killed Cock Robin(私が殺した 駒鳥の雄を).」

 

 

 ほんの少し、歌詞を変えて。



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