Cube Escape (発光ダイオード)
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The Lake
01


「あなたはRusty Lakeに浮かぶ小島の上に捨てられた小屋を見つけた。
その中にあったのは釣り道具、ナイフ、そしてバールくらいだけ。
さあ探査と釣りの始まりだ!
もしかしたら運命を変えることも……


 

 

1969年

 

 

 

「もう直きに到着しますよ」

 

小波の揺れに気分を悪くしていると、背中越しに船頭が声を掛けてくる。目を開くと、水面にはブロンドの髪を垂らした女性の顔が映っていた。

私だ。少しばかり顔色が悪く見える。特別舟が苦手と言う訳ではないけれど、恐らく長旅で疲れが出たせいだろう。

 

「こちらへはどういったご用事で?」

 

「休息に来たの。最近なんだか調子が悪くって」

 

波に揺らめく自分の顔をただぼうっと眺めているよりも会話をしていたほうが幾分か気も逸れるだろう。そう思って、私は気怠げに身体を起こしながら応える。

 

「それは良かった。ここラスティ湖には様々なお客様が心と身体の休養にやってまいりますが、皆様お帰りの際にはとても良い顔をしてらっしゃいます。学者だったり一国の大使であったり、はたまた女優や手品師なんて方も…。お客様の“ご病気”もすぐに良くなることでしょう」

 

「…随分いい所なんですね」

 

「それは勿論。メンタルヘルス&フィッシング、自然の多い所です。湖畔を散策しても良いですし、釣りをしても良い。そして何より、魚介類が美味い」

 

そう言うと、船頭は顔に刻まれたシワをくしゃりとして笑った。

黒い帽子に薄手のオーバーサイズコート、手にはシルクの手袋をはめている。見た感じ、六十歳は越えていそうだ。しかしそう感じさせないのは、ひび割れた顔に反して声に張りがあり背筋もピンと伸びているせいだろう。櫂を漕ぐ腕は力強く、いっそ若々しくさえ思えた。

 

「ほら、ご覧下さい」

 

櫂を片手に、彼は舟の進行方向に指を差す。その行く先に目を向けると、湖の真ん中に建てられた大きな建物が目に入ってくる。対岸から見た時はマッチ箱ほどの大きさだったのに、いつの間にかすぐ近くまで来ていたらしい。

反射した水面ような白い壁に、空を落としたような青い屋根。まるで湖に浮かんで見えるその建物は、中世の貴族屋敷を彷彿とさせる立派なホテルだった。二階建てで、その上に展望室のような所もある。あそこからの眺めはさぞかし景色がいいだろう。

 

「素敵なホテルですね」

 

「オーナー自慢のホテルでございます。お客様も、きっと快適なご滞在をお楽しみ頂けるでしょう」

 

船頭は、今度は誇らしげに笑った。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

程なくして、舟は陸地から伸びた桟橋に停まった。船頭は慣れた様子で舟と橋をロープで結び、手際よく荷物を降ろしていく。それに比べて私は立ち上がるのがやっとで、生まれたての子鹿のようにヨロヨロとして足元がおぼつかない。彼は荷物を全ておろし終えるとまだ舟の上でもたもたしている私に向かって、まるで自分の娘でも相手にしているかのように優しく手を差し伸ばして来た。

 

「ようこそ、ラスティレイクホテルへ」

 

「ありがとう」

 

「足元にお気をつけ下さい」

 

私は彼の手を取り、引き上げられる様に桟橋の上に立つ。と同時に、足の裏から不安感が流れ出て行くのを感じた。

まだ多少揺れるとは言え、やはり地面に足がついているということは素晴らしいことだ!

 

キャリーケースを引く船頭の後に付いてホテルの前まで来ると、中から赤い制服を着たベルボーイらしき男が現れた。階段を降りてきて、船頭と二言三言言葉を交わしキャリーケースを受けとる。ちらりと目が合う。しかし、私を一瞥したかと思うと直ぐにキャリーケースをホテルへと運びはじめた。

なんだか無愛想な態度だ。媚び諂えなんて言わないけれど、せめて友人と話す様に接してくれても罰は当たらないんじゃないかしら。

 

「彼はシャイなのかしら」

 

皮肉混じりにそう言うと、

 

「きっとお客様がお美しいので緊張したのでしょう」

 

と、船頭は私の口許を見てニコリと笑った。

 

「…お上手ね」

 

まんまと乗せられた私は、船頭に別れを告げてホテルの階段を上がっていった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「すごい…」

 

ホテルの館内は、外観に負けず劣らず造りの素晴らしいものだった。ピンクとホワイトのチェックの床は、恐らく大理石だろう。ダマスクス調の壁紙、コリント式によく似た柱など、作り手の技術の高さが伺える。これだけのものを揃えるのに、一体どれだけの時間と費用を掛けただろう。つい辺りをキョロキョロと見回している自分に気付き、若干の恥ずかしさを感じつつベルボーイの後に着いて歩くが、私の視線は未だグランドフロアの中を彷徨っていた。

 

フロントまで来た所で、ベルボーイはキャリーケースをカウンターの横に留める。それから私に向かって小さく会釈をすると足早にその場を離れて行った。

フロントの壁にはルームキーが掛っていて、カウンターには緑色の大きな呼び出しベルと黒電話が置いてある。どれも年季がはいっているが、その全てに細やかな細工がなされている。しかし可怪しな事がひとつ…そこにいるはずのフロントマンの姿が見当たらない。どんな安ホテルだろうと必ず一人は受付人が居るはずである。ましてやこのクラスのホテルともなればコンシェルジュだって居てもおかしくはない。だのにそのどちらの姿もない…。

 

暫くその場で待ってみても誰も来ないので、ベルを鳴らそうか迷っていると、

 

「申し訳ありません。ただ今人で不足でして…」

 

と、背後から声を掛けらる。振り返ると、そこに立っていたのは先程別れを告げたはずの船頭だった。彼はカウンターの内側に回り徐に帽子とコートを脱ぐ。私の口から、感嘆の声が漏れる。

まさかそんな!先程までただの船頭だと思っていた彼は、黒のモーニングコートを着た老紳士へと変身したのだ!

 

「私がフロントも勤めさせて頂きます」

 

櫂を漕いでいた時と変わらぬ笑顔を見せると、彼はカウンターの下から何やら黒くて分厚い本を取り出した。開くと中には人の名前や住所などが隅々まで羅列されてある。宿泊名簿だ。指先でぺらぺらとページを捲ったかと思えばぴたりと動きを止め、それから目を細めて指で一文をなぞる。

 

「ローラ・ヴァンダーヴーム様でいらっしゃいますね。オーナー共々、心よりお待ちしておりました」

 

船頭…もといフロントマンは深々と頭を垂れる。その立ち居振る舞いは上品で礼儀正しく、船頭にしては丁寧過ぎた口調にもなるほどと納得してしまう。

 

「ただ今お部屋の準備をしておりますので、もうしばらくこのフロアでお待ち下さい」

 

「わかったわ。ところで、ハーヴィー…荷物はもう届いているかしら」

 

私が尋ねると、彼は表情を曇らせる。

 

「申し訳ございません。先程荷物の便が遅れているとの連絡がありまして、こちらに到着するのは明日明後日になるとの事です」

 

なんてこと!荷物として送るのにも不安があったのに、よりによってこんなトラブルに巻き込まれてしまうだなんて!

思わず表情が歪む。

 

「ですが、どうかご安心下さい。配達人にはくれぐれも慎重に扱う様に伝えてあります」

 

私の怪訝そうな顔を見て彼はすぐに取り繕う様に言うが、私は不安と焦りからカウンターにもたれ掛かる。

この時代、長距離郵便と言えば鉄道である。何か特別な事件でもない限り大幅にダイヤが乱れる事はないだろう。けれどその後は?なにせここはラスティレイクだ。観光施設があるとはいえ人の往来もそれ程多くないし、何か奇妙な事が起こったとしても全く不思議ではない。そう考えれば、荷物が遅れる事も当然あるだろう。

なんだかまた気分が悪くなってきた…。

 

「…本当に大丈夫なんですか?」

 

確かめる様に訊くと、彼は深く頷いた。

 

「ええ、勿論」

 

その言葉を盲目的に信じる程、私は彼の事を理解していない。けれど、少なくとも誠実さは伝わってくる。仮に否定した所で事態が好転するわけでもないし、ならば不安に怯えながら待つよりは希望を持って待った方が心も幾分か楽だろう。

あぁハーヴィー!どうか無事で、また元気な声を聞かせて頂戴。

 

「…届いたら直ぐに知らせて下さい」

 

「畏まりました」

 

「それと、水を一杯貰えますか?」

 

「直ぐにお持ちします」

 

フロントマンにそう頼むと、私は桟橋の上を歩くようにフロントを後にした。

 

 

 

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「お待たせしました」

 

グランドフロアの窓際に置かれたソファに座って幾許か、フロントマンが声を掛けてきた。私は重たい頭を左手で支えながら、沈み込んだ身体をゆっくりと起こす。

 

「お加減はどうですか?」

 

彼はテーブルの脇に立って私に尋ねる。左手に持った銀製のトレンチにはカクテルグラスなどが幾つか乗せられている。水の入ったコップを選び取りテーブルの上に置く。

 

「ありがとう」

 

私はそう言ってカバンの中からピルケールを取り出し、緑と白のカプセルに入った薬を一錠取り出す。

プロザック。医者から処方された薬だ。抗鬱剤の一種で、今はまだ認可されていない特別な薬でもある。一般的に抗鬱剤は鬱病など暗い気分や強い不安感を軽減する目的で使用されるが、プロザックはパニック障害、強迫神経症、外傷後ストレス障害などにも効果がある。また、病気でない人が服用しても自信が高まったり、積極的な性格になるといった効能もあることで一般的な抗鬱剤とは大きく異なる。そして主な副作用としては、吐き気、頭痛、神経痛、自殺リスクなどがある。

私は口に入れた薬を水で一気に流し込む。薬は喉に引っかかりながらやがて胃へと落ちていく。この感覚には未だ慣れないが、これで暫くすれば効果がでてくるだろう。そう思うと、少しだけ気持ちが楽になった気がする。

私は空になったコップをウェイターに返す。

 

「それは?」

 

「シュリンプカクテルです。ラスティ湖で捕れたエビを使った、当ホテルの特産物です」

 

左手のトレンチを見て尋ねると彼は流暢に応えた。いつも宿泊客に常套句の様に話していたのか、それともよほど味に自信があったのだろう。グラスにはピンク色のカクテルソースが注がれていて、カットされたレモンとお頭付きのエビがまるまる一匹入っていた。酸味のあるカクテルソースの香りが鼻先をくすぐる。

 

「宜しければこちらも?」

 

「ありがとう。後で頂くわ」

 

エビ好きな私としては是非とも食べてみたいところだ。

気分が落ち着いて来たら声を掛けよう。

 

 

フロントマンの去った後、私は窓の外の湖をぼんやりと眺めていた。水面を揺らすように波がキラキラと反射し、対岸の木々もそよそよと風に揺れている。差し込む陽射しも暖かく、まどろみが手ぐすねを引き始める。

瞼も閉じてしまおうかと思っていると、ふと湖畔にある建物が目に入ってくる。自然の中にぽつんと現れたそれは、白くて四角い角砂糖の様だった。屋根には鐘と十字架が付いている。たぶん礼拝堂だ。ちゃんと確認したわけじゃ無いけれど、ここラスティレイクにはホテルやあのチャペルの他にもまだ幾つか建物があるはずなのだ。それらを見て確認するのが、私がここを訪れた理由のひとつでもある。途端に目が醒めてくる。

明日はあそこへ行ってみよう。フロントマンに聞けば他の建物の場所も分かるかしら。

私は自分が身を乗り出すように外を見つめている事に気付いた。そういえば気持も随分と落ち着いている。どうやら薬が効いてきたみたいだ。ひょっとしたら今からあの礼拝堂まで行ける?いやいや、まだチェックインすらしていないのに。

フロントはまた誰も居なくなっている。部屋の準備にはまだ掛かりそうだったので、私はグランドフロアを見て回ることにした。

 

 

「これは何かしら」

 

グランドフロアを散策していると、エレベーターの傍に掛けられた奇妙な絵に目が留まる。描かれているのは半身の自画像で、金色の額縁には細かなレリーフが彫られている。大きさもそこそこあり、まるで有名な絵画の様に堂々と飾られていた。首元にリボンの付いたフリルシャツ、ブラウンのベストに赤いジャケット。気品溢れる佇まいだ。

けれど、何故か頭だけ動物なのである。オレンジの大きな瞳に耳のように突出した羽毛、それに鋭い嘴…これはフクロウそのものだ。なぜこんなフクロウ人間の絵を飾ってあるんだろう?

疑問を感じつつもフロアをひと回りし終えた私は、再び窓際に戻ってソファに腰かけた。すると、タイミングを見計らったかのようにフロントマンがやって来る。

 

「大変おまたせしました、先程お部屋の準備が整いました」

 

「ありがとう」

 

「ローラ様のお部屋は一階ですので、あちらのエレベーターをお使い下さい」

 

私が腰を起こすと、フロントマンはエレベーターの方に向かって右手を挙げる。

 

「Mr.バットよ。お客様をお部屋まで案内して差しあげてくれ」

 

その声を聞いて、エレベーターの前に立っていた男がやって来る。蝙蝠と呼ばれた男は、あの無愛想なベルボーイだった。

 

「何故Mr.バットなの?」

 

「私たちはスタッフの親睦を深めるために、互いをニックネームで呼び合うのです」

 

フロントマンがそう応える。Mr.バットに聞いたつもりだったけれど、まあ無口な彼はきっと返事をしてくれなかっただろう。

浅黒い肌に少し潰れた鼻。手足は細く、確かに言われてみれば蝙蝠に見えなくなくもない。

 

「じゃあ、あの絵は?」

 

私は壁に飾られたあの奇妙な絵の事を指差して尋ねる。

 

「あれはオーナーの自画像です。有名な画家に描いて頂きました」

 

自分の自画像を動物にするなんて、よっぽどフクロウが好きなんだろう。

 

「ちなみに、あれはフクロウではなくミミズクです」

 

ミミズクらしい。

 

「貴方にも何かニックネームはあるの?」

 

恥ずかしさを誤魔化すように尋ねるとフロントマンは口許に手を当てて、

 

「 勿論ですとも。そうですね…わたしの事はMr.クロウ、そうお呼び下さい」

 

と答えた。

 

 

Mr.クロウに見送られ、私はMr.バットと共にエレベーターで一階に向かう。インジケーターには-1、0、1、2と表示されていて、どうやら外から見えた展望室にはエレベータでは行けない様だった。しかし、それよりも気になるのは-1という数字…つまりラスティレイクホテルには地下室があるということだ。こんな湖の真ん中に浮いているような島に地下なんて作っても大丈夫なんだろうか?

 

「このホテルには地下室があるのね」

 

「……」

 

Mr.バットは入り口を向いたまま喋らない。まあ予想は出来ていたけれど。しかし数秒の沈黙の後、Mr.バットはポツリと呟いた。

 

「…関係者以外、立ち入り禁止です」

 

「わかった、気をつけるわ」

 

予想外の返事に驚きと若干の嬉しさを感じつつ、エレベーターは私を乗せて、ゴトゴトと音を軋ませながら上へと登っていった。

 

 

 

 

 



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