傓物語 -サカモノガタリ- (黒兎可)
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おうぎワンダーズ
001-002


いきぬきになんとなく作成


 

 

 

   001

 

 

 

 生きているのか、死んでいるのか――――なんていうのは実は意外とどっちでも良かったりする。生きることに対する飢餓感の薄さと、死ぬことに対する危機感の薄さ。日本の、少なくとも西暦二千年代前半において、まぁ平均を仮にとったとするのならば。この双方のどちらかを抱いている子供の数は、ほぼ等しい値になるんじゃないだろうか。その話を聞いて大半の人は「へー、そうなんだ。だから?」と疑問符を返すだろうし、僕でも返す。話にオチがないという奴だ。でも、これが一番重要だったりするのだ。

 オチがない。

 つまりヤマもない。

 ヤマがなければオチることもないし、同時にオチがなければヤマ場も存在しない。お互いの存在がお互いの存在をトートロジーとする、二律背反しない話。

 とはいえど、そこで冒頭に返るのならば、つまり「生」があるから「死」がある。これはトートロジー、この事実は変えようがない。それでもなんでどっちでも良いのかと言えば、つまるところジャッジする側が個々人に委ねられているからだ。自己決定、自己責任、自由と義務。これらが同時に存在し保証されているからこそ、生死どちらであろうと、それを選択するのが個人の価値観である以上、そこに絶対的な意味合いは存在しない。

 だから、積極的にどちらかを選択する必要もない。

 あるがまま、流されるまま――――。

 そして流されるままに、僕は誰もいない校舎で吸血鬼を探していた。

 きっかけはクラスでの噂話。僕らの通う直江津高校。春休みのグラウンド。ここで実は、吸血鬼と吸血鬼ハンターとが異能力バトルを繰り広げている、とかいう話だ。

 一体全体誰がそんな話を流しているのかは判らないし、誰がそんな話を作ったのかもわからない。挙句一体どんな伝奇小説かライトノベルかテレビアニメか漫画だよ、ないない、とないない尽くしのこの話。

 特別信じている訳でもないけれど、映像を実際に見ない限りは僕にとっての判定はグレー。

 バカにすることもない。吸血鬼がいてもいなくても、そんなものどっちだって良かったりする。

 良かったりするのだけれど、そこで少しだけ不穏な話を聞いた。

 その吸血鬼が、我が校の男子生徒の制服を着用していたという話だ。

 話の真実味が下がるのか、あるいは上がるのか。

 ただその話を聞いた僕が最初に思ったのは、僕らが実際に使っているグラウンドに対する違和感のようなものだった。生理的な違和感のようなものだった。

 体育の時間とかで使われる校庭で、夜中に吸血鬼と吸血鬼ハンターが血とか肉とかを散らしながら殺し合いをしている――――そんな話を信じる信じないが平等である僕にとって、とてつもなく気持ちの悪い感じがしたのだ。

 実際にこの場で血沸き肉躍る戦いが繰り広げられているとするなら。たとえ毎晩片づけられているとしても、飛び散ったそれらとか、怨念とかに汚染されていそうで気持ち悪い。

 実際には何もなかったとすると、何が理由でそんなネガティブキャンペーンめいたことを実行するのかという謎が残ってしっくりこず、気持ち悪い。

 何よりこの二つが同時に来て、どっちが正解かわからないのが一番気持ち悪い。

 つまるところ、その噂話を傍観者ではなく、より身近な話として感じてしまったからこその気持ち悪さだ。

 そんな状況ではうかうか補習も受けていられない。胸のあたりがムカムカしてくる状態で数学の問題集を解くのは中々にストレスフルだ。胃に穴は開かないけど、問題用紙にシャープペンシルで穴を開けたくなる。ちょっとしたストレス解消法だが、紙がいくらあっても足りない。

 だからこの日。

 つまりは、きょう日。

 補修が終わった後になんだかんだ理由を付けて校舎に残り、見回りを回避しているさ中なのだ。夜の校舎に忍び込むより、色々物を持ち込んで一晩明かす方がいくらか楽だろう。幸か不幸か直江津高校、未だに監視カメラや防犯装置の置かれていない教室も存在する。観測状況で何も変化がなければ僕も一安心、何か変化があればそれはそれで納得、という状況だ。

 そういう謎の探求は僕の仕事じゃない。実際に起こっているか、起こっていないかわからないのが気持ち悪いのだ。

 よって僕の想定ミッションとしては、①学校に潜入、②一時間おきに校庭を眺めて状況変化を観察、③特に何もなければそのまま寝て、明日の補修にさも今日登校したかのように駆けつける、といった流れ。

 シンプルすぎるけど、まぁ複雑だから良いという話でもないので、これはこれで良いとする。本当はどうでもいいけど。

 そして夕方、教職員の巡回が終わったあたり。そろっと教卓の下から出て座席の一つに座った瞬間――――。

 僕は、忍野扇(おしの おうぎ)に行き遭った。

 

 

 

   002

 

 

 

「おやおや、これはこれは。存在しない1年3組の教室でも遂に見つけたかどれ生徒の顔でも拝んでやろうか、と思いきや、なぁんだ一戸瀬(ひととせ)くんじゃないか。一戸瀬、一戸瀬栄冶(ひととせ えいじ)くん」

 

 ちょっと何を言ってるか分からないことを宣いながら戸を開ける彼女、忍野扇。僕が一年生のとき、十月に転校してきた女子生徒。男子生徒ゆえに女子生徒とそこまで交流がある訳ではないのだけれど、噂によればミステリー好きとか。

 そんな彼女は、制服の袖をひらひらさせてこちらにアルカイックスマイルを浮かべている。開けはしたものの、何故か入り口から中には入ってこない。

 しまった、見つかってしまったか。ミッション、インポッシブル。

 

「何をしているんだい? こんな時間に」

「あー、いや、大したことじゃないですよ。もう帰るつもりだったし」

 

 女子とあまりしゃべらない男子高校生代表みたいな僕である。意識している訳ではないけれど、自然、口調は丁寧語。彼女との間に距離感をとろうとする。

 一方の忍野は、独特な笑いを浮かべて少し陽気に思えた。

 

「はっはー。てっきり夜の学校に泊まり込みしようとしているのかと思ったけれども、気のせいか」

「う、うん、はい、気のせいです」

「そうだよねー。流石にいくら男子高校生が、己の全能感を過信してなんでも悪いことに走りたがる性質を兼ね備えているのだとしても、そう仮定したとしても、いくらなんでも泊まり込みなんて小っちゃいことはしないよね。小っちゃいというよりは、みみっちい非行と言ったら良いかもしれないけど。はっはー、まさか一戸瀬くんに限ってそんなバカなことはしないだろう」

「えっと……、忍野さん、僕に限ってってどういうこと? 僕、何か知らない間に君と接点とかってありましたっけ? それを判断できるだけの情報が」

「いや全然。私は君のことは、全然、それこそ十全にさえ知りえてはいないのだけれども。当たり前じゃないか何を言っているんだい気もち悪い」

「気持ち悪い!?」

「キモい」

「キモい!!? いや、じゃあなんで僕に限ってとか言ったんですか!?」

「初歩的な推理だよ、ワトソンくん。初歩的すぎるから、説明はしない。その程度は自分で考えたまえ。まぁしいて言うのなら、その居心地の悪そうな表情を少しは取り繕うことだ。ポーカーフェイスというやつだね。それが出来て初めて、潜入任務は成功するかもしれない」

 

 口調の陽気さに話してこちらの核心を射抜いてくる。何だ、こいつ。名探偵でも気取っているのだろうか。

 違う違うと否定しつつも、ばつが悪く目をそらそうとして――――。

 

「では、一体どうしてここに居たのかな? 一戸瀬くん」

「うわっ」

 

 こちらを覗き込むように先回りして来た。女子生徒の顔が近いとか、ほんのり女の子の匂いがするとか、そういう話以上に、こちらに向けられている彼女のその実験動物でも観察するような真っ黒な目はなんだ。

 なんだこの女子高校生。

 訳もなく気圧される僕を前に、はっはー、と繰り返し独特な笑い方を続けた。

 というよりも、気が付いたらまた入り口のすぐそばに戻っている。いつの間に移動したのだろう。

 

「ぼ、僕のことはともかくとして。忍野さんはどうしてここに? 確か補習受けなきゃいけないような成績ではなかった気がするんだけど」

「いえいえ、確かに補習を受ける必要はないのだけれど。一戸瀬くんとは限って」

「とは限って?」

「失礼、噛みました。一戸瀬くんなんかとは限って」

「いや、直せてないんじゃないでしょうかそれ。噛み直してるんじゃないでしょうかそれ。というよりも、その言い回しには悪意を感じますかね」

「いえ、全然? 悪意なんて然々、それこそ前々をさかのぼってもございませんとも。全々に」

「じゃあその『なんか』って何ですかいっ」

「ですかい? いやぁ、少なくとも同じクラスの男子生徒が、そこまで畏まった口調をしてくるのなら、お互いに距離感を感じている錯覚だよ。私はあまり親しくない男子生徒にも分け隔てなく接することができるくらいには、器の大きい高校生なんだよ―――― 一戸瀬くんなんかとは違って」

「今度は言い切った!」

 

 言い回しに悪意しかないような女子高生だった。

 

「まぁ器が大きいと言っても、おっぱいの器が大きい訳ではないんだけれどもね、はっはー ……。はっはー」

「いえ、その自虐は色々キツいので止めていただけないでしょうか……」

 

 自分の胸元をぺたぺた、膨らみを潰したり押し戻したりを繰り返す忍野扇。

 さして刺激がある絵面という訳でもないのだけれど、触れづらいは見ていられないわで色々と切ない。

 

「まぁ冗談はさておき」

「饒舌に悪意を振りまいておいて、本当に冗談です?」

「常談はさておき。そろそろ入り口も校門の鍵も施錠されるだろうし、用務員の人たちも多くが片づけに入る頃合いだろう。教師もほぼいないし、早いところ帰った方が良いと思うのだけれど、何をしていたんだい?」

「あー、いや、僕のことはともかく。忍野さんこそ、こんな時間まで学校で何を」

「はっはー。これは痛いところを突かれた。そうだね、私も人のことをあまり言えない。私の尊敬するところである神原先輩の用事の付き添い、を装ったうえで、僕も調査任務に来ていたんだ。事前に確認していた監視カメラの設置されていないこの教室を目当てにしてね。何大丈夫、校門で私が突如消えたとしても、神原先輩なら途中で仕事を投げ出さず任務を完遂してくれるはずさ」

「いや、尊敬するところである神原先輩の用事には、つきそってないんですかいっ! 装ったうえでって何ですかっ」

「今頃神原先輩は、後輩の女子生徒たちのハーレムで癒されて、阿良々木先輩の元へ帰っていったことでしょう」

「いやハーレムて何ですかいっ」

 

 何だよハーレムって。普通、男対女多数とかじゃないだろうか。

 というか阿良々木先輩とは一体どなたなのだろうか……。

 

「真面目な話をすると、特に理由もなく私が校舎に侵入することは、ちょっと難しいというか。ともあれそんな理由で、一芝居打ったというところなんだ」

「何か事情があるなら素直に話せば良かったのでは……?」

「だから潜入任務、スニーキングミッションなんだよ。しかしそれはともかく、ですかい、とは。妙な口調のツッコミだねえ。そこまでして丁寧語を取り繕う必要はあるのかな?」

「いや、まぁ、それはどうでも良いので……」

 

 神原先輩というのは、本名を神原駿河と言い、我が校のバスケットボール部のエースだった選手だ。僕らより一つ年上、現在二年生。年度明けには三年生になる。現在は試合の事故で左腕を故障し療養中。風の噂では、在学中の復帰は難しいとか何とか。

 そんな神原先輩と彼女とにコネクションがあるというのは、なんというか、意外といえば意外だった。

 典型的スポーツウーマンな先輩と、典型的文系な華奢な少女。ありがちと言えばありがちだし、ないといえばない組み合わせでもあるが。なんにしても接点が見えてこない事実には全く訴求できないのだった。

 

「まぁ武士の情けということで一戸瀬くんの話は終わりにしてあげるけれども。いやー、しかし失策でしたね。てっきり1年3組、発見したかと思ったのだけれどまさか教室で空気が薄すぎるがゆえに幻のクラス31人目と呼ばれる一戸瀬くんを誤認するとは」

「幻のクラス31人目などと呼ばれていません! って、薄いって何ですかい、薄いって! 薄くないし、普通に友達いますしっ」

「はっはー。さて、その中で本当の友達と呼べる人数は、一体何人くらい居るんだろうね…………」

「いや、そりゃ卒業してからも交友関係が続くかどうかと問われれば、また違う話ですけれども……、って、いえ、それはもう悪意を隠しきれてない!? え、何、僕って本当に忍野さんと接点とかってないの? なんでそんな悪意を向けられるようなことになっちゃってるんですか!!?」

「私は何も知らないよ? 君が知ってるんだよ」

「…………って、いや、やっぱり知らないですって」

「一戸瀬くんは、何にも知らないんだねー」

「その言い回しには悪意しか感じないのですが!」

「1年3組を知らないのに? おやおや一戸瀬くんともあろう者が、直江津高校七不思議を知りませんか」

「貴女の中で、僕、どういう位置づけの人物なんですか。って、七不思議……?」

 

 えっ、そんな古典的なものが本校に存在していたのだろうか。

 

「真面目な話、私が悪意を振りまくのに特に理由はないんだけれどもね」

「理由ないんじゃん……!」

 

 なんだこの性格。こんな毒舌でもなく、微笑みながらこんなことをしてのける人物、他にいるんだろうか。こんな女子高生が存在していて良いのだろうか。

 

「真面目な話、私は結構周囲の人に影響されやすい設定だから。私の今のキャラクターもまた、私の交友関係の状況に左右されているという訳なんだ。最近丸くなっちゃったからなーあの滅多切り先輩、その分の反動を補っているんだろう」

「いえ、設定って」

 

 というか滅多切り先輩?

 

「閑話休題。それはそうとして、こんな時間まで残って暇していそうな一戸瀬くんだけれども、君の目的はアレかな? 深夜の校庭、グラウンドの吸血鬼異能力バトルでも見たいのかな?」

「もっと他に言い方、あるんじゃないでしょうか」

「ほかにどう言い表せるというのだい? まぁそのバトルを目撃しようとしているのか、何をしようとしてるのかまでは定かではないとして。時間的に暇があるのなら、私と一緒にどうだい? と誘ってあげよう」

「私と一緒に?」

「だから――――」

 

 そこで一区切りして、忍野扇は微笑みを深めた。

 

「――――七不思議の探索を」

 

 

 



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003-004

話は決まってるんですが、意外と苦戦しています


 

 

 

   003

 

 

 

「一般的に七不思議と言えば、小学生、中学生を中心に流行っているパターンが多いかな。特定の集団下において通説が流布する中で、一番、物の見方が素直な時期がそれくらいの年代だからね。もっとも、特定のコミュニティにおいて、という点で鑑みると、その限りではなかったりもする。麻布だったり越後だったり、特定の地域において観測された場合、それは地域の中で真実として広まる。それが只の枯れ尾花である場合もあるし、幽霊である場合もあるといえる。その限りにおいて、この直江津高校の七不思議というのはかなり珍しいパターン、つまり単独で独立した七不思議として成立しているものだと言えるんだ」

 

 突如として、何かしらの講釈をはじめた忍野扇を前に、僕としては言葉を続けられない。独立した七不思議、というフレーズが何とも珍妙というか、微妙というか、陳腐なものに聞こえたからだ。そんなこちらの心情を察したのか、彼女はむっとして続ける。

 

「ちなみにだけれど、この場合何が問題なのかといえば――――七不思議が『七つない』というのが問題なんだよ」

「七つない……? つまり、六不思議?」

「そう、六不思議。七とか、そういう決まりの良い数字から一つ欠けた状態であるというのを常とする。数えに対して数字を欠損させることにより、それが補填された時点で何かしらのエネルギーを発生させるというのが、この七不思議を始めとしたもののメリットでありデメリットでもある。例えば百物語なんか、聞かないかな? 怪談を、百語り後、恨み出る。百語ることにより、一種の境界線を排除し、別な側面の側のエネルギーを引き入れるというような、そんな話さ」

 

 正直に言おう、話についていけていない。吸血鬼の噂を検証しに来てる立場の僕が言うのも難なのだけれど、ところどころの説明を意図的に省いているのではないかと思うような、そんな独特な語り口だ。総じて、意外と眼前の彼女がミステリーだけではなく、ホラーより、電波よりの話も出来るのだなあ、と、そういう認識が新たに生まれた。

 

「つまり、えっと……、七不思議の七つ目がない状態でないといけない、ということですか? 忍野さん」

「それは、近いようで遠いかな。私が危険視してるのは、七不思議の七つ目に『吸血鬼の怪談』が組み込まれてしまうことなんだ」

「七つ目……、そうすると、えっと、恨み出る?」

「そう、つまり化けて出る。たまさか学校というものは、そういった力場の発生しやすい場所ではあるのだけれど、この町に限って言えば今はかなり『危険な状態』だといえる」

「危険って、どういうことです?」

「ちょっと前まで、この町では妖怪大戦争が起きていた――――と言ったら信じるかな」

 

 信じない。

 

「応答を待つまでもなく、素振りで判断できるのは中々だね。それはそれとしてだ。七つ目に吸血鬼の話がカテゴライズされてしまうと、それが『有り得てはいけないもの』として自然界の法則に処分されてしまうかもしれない。それは、下手を打てば私を含めて、この町全土が。神様の代替わりが終わってまだしばらく、そのあたりの管理状況もまばらな現在、動けるのは私くらいしかいなかった、というのが理由と言えば理由かな?」

「ごめんなさい、先ほどから何をおっしゃられてるのかさっぱり理解が及ばないと言うか……、って、神様の代替わり?」

「代替わり。神社を新しく建ててしばらく、ようやっとこの町も安定にこぎつけたという訳だ。私が言うのも変なんだけど、それはそれで良いことで、だから君が今日こうしてここに居ることができるということでもある」

「はぐらかしてるのか、真面目に取り合っていないのかがよくわかりません……」

「別に、はぐらかしている訳ではないよ。むしろ謎めかしている。宇宙にはびこる九割のダークマタ、観測不能の暗黒物質のごとくね。まあ下手に知る必要性はないと思うから詳しくは言わないだけだよ。それでもこうして話の流れとして語るのは、そこは私が、君に対して誠実な態度をとろうという意思の表れと思ってほしい。忍野扇、神原駿河のエロ奴隷だ」

「エロ奴隷!?」

「おっと失礼、噛みました。忍野扇、神原駿河の出来の良い後輩です」

「一文字も引っかかってる要素がないじゃないですかっ!」

 

 単にエロ奴隷と言いたいだけではないのか、それはもはや。

 しかし、本来ならまともに話に取り合う必要を感じないくらい、相手にされていないことがわかる一連のやりとり。しかし、どうしてか僕は彼女の言葉を聞き続ける選択をとっていた。それは珍しく同年代の女子生徒と会話が続いているという希少性かもしれないし、吸血鬼が出てくるのを待つまでの時間が暇を紛らわせるためかもしれない。

 

「話を戻すけど、七不思議。本来こういった話は、模倣文化、ミーム的に拡散していくところもあるのだけれどね。そこを行くと、高等学校という環境は小学校、中学校よりもより閉鎖的な側面があるから、今回に関しては助長されたと見ることもできる」

「ミーム?」

「文化遺伝子、というか。つまりは何々のようである、何々っぽいという振る舞いなどが、それ自体を抽象化せず拡散し同一視されるものを言う。性質、いや、この場合は形質かな」

「えっと、つまり七不思議っていうテンプレートだけが周辺に広まっていったと、そういう話ですか?」

「正解だ、拍手と一緒に投げキッスを送ってあげよう」

「いらないです……」

 

 別に忍野扇があまりセックスアピール、異性を感じさせる風でない子だからという事情ではなく。普通に、女の子から男子を勘違いさせる振る舞いをとられるのが苦手なだけだった。それに類するトラウマも、多くはないけど少なくもない。

 そして、自分の体を抱いてしなを作る忍野扇の表情、声音は全く変化していなかった。

 

「おやおや? つまり一戸瀬くんは……、べろちゅーが良いと」

「なんでその結論に至ったんでしょうかね!?」

「嫌だなー、あまり普段からクラスでも話さない女子に面と向かってべろちゅーが良いとか。ひょっとして欲求不満?」

「ないない、ないです、ないですから! 普通にべろちゅーとかしないですから。というかその話題にもっていったのは忍野さんでは?」

「まぁ残念ながら私の体は、一戸瀬くんが法を犯してまで手に入れるほどのものではないんですよ。本当に」

「やらないですから。本当に」

「一戸瀬くんに限って?」

「一戸瀬くんに限って」

 

 だから忍野扇の中で、僕という人物の評価はどうなっているものなのかという疑問もある。

 

「とはいえ一戸瀬くん、私がこうして話している一戸瀬くんは、実は一戸瀬ちゃんかもしれない、という可能性が、読者の中にはちょっとあるんじゃないかと思うんだよ」

「一体全体何の話なんですか!?」

「推理小説、ミステリー的文法として、叙述トリックというのは大いに存在するものだからね。初歩的な推理として、この話の最後に阿良々木先輩が颯爽と登場して良いところをかっさらっていく可能性も、まぁないとは言い切れない。一連の一人称による男性主張は、実は男性詐称であるかもしれないと、その可能性が私の闇色の脳細胞には過るんだ」

「だから誰ですかその先輩……。あと、ちゃんと自分は男ですからね? 仮に小説媒体でこちらの内心が開示されていたりしても、ちゃんと自分の自己認識と言動は男性のものですからね!」

「しかし一戸瀬くん、そこが叙述トリックの妙というものなんだ。たとえ主人公が男性的にふるまっていたとしても、物語の展開上、ヒーローとヒロインの役割がどこかしらに割り振られる必要がある。ハガレンでエドとウィンリがちゃんとヒーローヒロインしていたのを含めてみると、阿良々木先輩が登場するとしたら、私では役者不足。そうなるとここは新キャラである一戸瀬くんが適任ではないかと思うのだけれど、どうだい?」

「新キャラとか言わないで下さい」

 

 何故こうしてクラスメイトに、自分という人物の実在性を問われなければならないのか。

 

「闇色の脳細胞にもツッコミが欲しかったんだけどね」

「自分からボケを振っておいて、自分からツッコミをせびらないでください。灰色の脳細胞じゃないのかとか、そういうツッコミが欲しかったんですか?」

「いや、要求しておいて言うのも難なんだけど、ずいぶんボケとしてもレベルが低いものだった。ごめん、謝るから許してくださーい」

 

 謝るだけの話でもないし、そして声音が完全に棒読みだった。

 わかったぞ、この子。絶対、僕で遊んでいるんだ、そうに決まってる。七不思議の話がどこまで本気かというのも疑いたくなってくるけど、手をたたいて彼女が話題のリセットを示したので、気を取り直す。

 

「ともあれ、こういった怪談、奇談の収集、フィールドワークに関して言えばミーム……、類する、とくくるのが妥当かな? 類するという概念は非常に大きい。時に習合されたり、あるいは切り捨てられたり。様々な変遷をたどることにより、兎がワニになったりもすると」

「随分大きな違いがありますねそれ……。兎って、月?」

「ええ。一戸瀬くんは何でも知ってるんですね」

「何でも知ってる訳ないじゃないですかっ」

「おや? はっはー、流石にテンプレートがないから、通じないのか」

 

 ただ、この忍野の意味不明なセリフの多さは、一体どのあたりに由来を持つ事柄なのだろうか。彼女の自己申告では周囲の人間関係に影響されやすいとのことだが、間違ってもここまで濃いレベルではないと信じたい。

 まぁ一つだけ言えることがあるとすれば、と彼女はにんまりと口を歪めて。

 

「独立した七不思議なんてものが発生する場所が普通の場所であるとはいいがたいし、そこに新しく怪談が追加されそうになるっていうのはもっと変な事態である、ということだね」

 

 語るその目は、何一つ感情が見えない。文字通り、闇色の瞳だった。

 

 

 

   004

 

 

 

「そんな訳で、改めて。忍野扇、親類に妖怪変化、怪異譚の蒐集をしている人がいたりする、ごく普通のミステリー好きさ」

 

 改めてといったものの、放り込まれた自己紹介は明らかに普通の女子高生のそれではなかった。

 聞けば、彼女自身の家系もそれに類する色を持つ職種らしい。以前この町に来ていた、彼女のおじさん。叔父なのか伯父なのかは定かではないが、それはともかく。彼女自身もそれを趣味というか、生活範囲の活動の一環として執り行っているらしい。

 ずっと誰もいない教室に、男女二人きりでとどまっているのもどうかという話になり、僕と忍野さんは現在一緒に階段を下りている。一階にある七不思議の確認もあわよくば、とか何とか言っていたので、それも理由として兼ねる。

 忍野さんは、首をちょっと深くかしげて、可愛らしく言葉を続ける。

 

「どちらかと言えば、予防接種のようなものだけれどもね。身近に怪異あらば、ある程度の妥協はともかく、大ごとになりそうならば『手を回す』。物事のつじつま合わせ、バランサーが忍野姓としての妥当な振る舞いといったところだ。ちなみに叔父さんは有料で怪異がらみの案件に手を貸してくれたりもするけど、私はあくまで趣味の範囲なので、出来ることと決着については、あしからず」

 

 そういう彼女であるものの、今までのからかい半分の言動からしていくらかは嘘が混じっているだろう。しかし語りに入ったときの振る舞いや立ち姿、独特のこの何かしら探偵というか、陰陽師っぽいというか、そんな雰囲気がある彼女だ。すべてが嘘ということもないのだろうと、僕は何故か確信していた。

 そんな彼女からの誘いは、次のような話であるらしい。

 

「つまり七不思議が起こる条件を一緒に探索してほしいってことなんだ。七不思議の内容についてはこちらである程度は確認したのだけれど、細かい内容を実際に目にするには至っていなくてね。時間をおいて、夕方から夜にかけて学校にいれば発生するようではあるのだけれど」

「発生って……。いや、単に噂話ってことではないんですか?」

「たかが噂話、されど噂話。火のないところに煙は立たないし、もし火がなくて煙が立つなら別な何かがそこに存在しているといえる。それを検証し確認し、七不思議の内容を『体験して』『固定』することが重要なんだ」

「でしたら、お一人で出来るのでは? わざわざ僕に協力を仰ぐ理由が……」

「はっはー。まっさか、一戸瀬くんに限って、こんな力弱そうな華奢な女子生徒を、放課後の学校に夜まで置き去りにするなんてことは言いはしないよね」

「自分から力弱いとか言うんですね……」

「実際、力はない体だからね。自転車を漕ぐのも一苦労さ。来年度からは自転車通学を推していこうと思うから、少し鍛えなおさないとね。それに、一人では実際危ないんだよ」

「警備員に見つかるから?」

「それもそうだけど、どちらかと言えば「何か起こってしまった』場合だ。『普通の女子高校生は』『何か起こってしまっても』『一人では対処できない』ものだからね。当初は一人でやる予定だったけど、せっかく一人ではなかったのだから。ここは、一人では無理でも、二人ならという古い言い回しに従いたい。かのシャーロックホームズも、ワトソンという友人がいたからコカインを吸っていても実生活を成り立たせられた訳だし」

「たとえが極端すぎじゃないですかね、それ……。そして、何か起こってしまったら?」

「十分ありうることだよ。たとえ、私が一戸瀬くんに襲われるかもしれないというリスクを孕んだままだとしても」

「だから襲いませんって……」

「いやいや、世の中には羊の皮をかぶった狼という言葉もある。一戸瀬くんに限ってそんな、とは思いたいけれども、最低限の予防線を張っておくのは立派な女子力さ」

「女子力って何だろう……」

「うーん……、意地かな?」

「あけっぴろげすぎじゃないですかいっ!?」

 

 ただ、そう。この時点で僕はあまり意識していなかったのだけれども。この会話が終わって視線をそらした時点で、はたと気づいたのだ。

 考えたら僕らは、三階からただ下っていただけ。階段一面を13段とし、一歩0.5秒、踊り場3回をそれぞれ5秒と仮定しても、一分かそこらで1階付近にいるはずである。

 にもかかわらず――――あれだけ長い会話をしていて、僕と忍野さんは、いまだ階段に居る。

 否、階段を下っている。

 ふと思い出せば、途中から踊り場を歩いた覚えがない。

 この状況の違和感を覚えた瞬間、僕は中央の隙間から階段の底を見下ろし、愕然とした。

 底が見えない――――文字通り、闇のように。

 無限のように続く階段は、さながら螺旋階段のよう。いや、実際そうだ、そこは「螺旋階段になっていた」。

 見上げ、周囲を見渡し、僕は言葉もない。いつの間にか夕日の差し込む窓ガラスは全面張り、学校の怪談であることを忘れさせる、永遠に続くような円柱状の下り階段。そこには最低限の手すりこそ存在するものの、中央の柵すらいつの間にか姿を消している。

 突然の目の前の光景の変容に、僕は忍野さんの方を見た。

 ところが、彼女は何一つ様子が変わらない。

 まるで何事も起きていないかのように話続けている――――。

 

「つまり一戸瀬くん。この場合の自己の認識というのは、叙述トリック的な自己認識の変容ではなく、受容する形での変容なんだ。叙述トリックとは別に、犯人視点の叙述形式というものもあるけれど、どちらかと言えばこれはそれに近い――――」

 

 何やらミステリー的な話を続けている彼女に、僕は眼前に起きている事態の異常さを伝えようとして、しかしそれができないでいる自分に気づいた。何だこれは。眼前での自分は、当然のように忍野さんと会話を「続けている」。にもかかわらず、現在いるこの場所の状態が異常であることを僕は理解していて。そして同時に、体の自由が利かない。

 それでも何とか力を振り絞ろうとして、無理に動こうと下り続ける自分の体に意識を当てれば――――。

 

「――――だから、知らないということはないんだ。『たとえ目の前の光景が受け入れがたい』ものであっても、それが正しいかどうかは『知っている』はずなんだよ」

 

 とたん、意味不明なことを続けた忍野さん。それに返答しようと、そしてしながら歩く僕の体は、どうしても無理に動かそうとしたせいもあってかバランスを崩し。

 そして、踏み出した数段先には、なぜかバナナの皮が。

 

「えっ」

 

 ここで体の自由が戻り、僕は螺旋階段の中央に投げ出される。

 落下する上方、スローモーションに見える景色の中。思わず僕は、彼女に聞いた。

 

「忍野さん――――君は、何を知ってるんですか?」

「私は何も知らないよ? 君が知っているんだよ―――― 一戸瀬くん」

 

 驚くでもないその様子の彼女の顔が猛烈な速度で遠のき、僕は地面に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 




※デッドエンドではありません、ちゃんと続きます;


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