魔法科高校の劣等生--女神の歌は止まらない (くるりくる)
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Overture-女神の歌は止められない

色々と原作とは違う点もありますがご了承を下さい。

魔法科でCDはおかしいと思うのでダウンロード数に変更します。


 スポットライトを浴びステージの上にただ一人で立つ少女は一呼吸置いてマイクを握りしめた。ただ一人、スポットライトの明かりを浴びる少女に対し暗がりには多くの人がいた。ステージ前に設置された防護策に押しかける多くの人の姿が印象的だがしんと静まりピリピリとした緊張感を発していた。

 

 後方の観客からステージの上に立つ少女を不安そうに見つめる視線が少女に向けられるが、それ以上に険しい視線が少女に突き刺さっていた。万を超える人数から突き刺さる視線。その視線はもはや敵視を過ぎて暴力と言ってもいい。このステージに押し掛けた観客達の多くは日本人国籍を持つ者で、ステージの上に立つ少女もまた日本国籍を持つ日本人だ。

 

 黒髪、茶褐色の瞳に黄色の肌。単や二重の差異はあれど日本人と言われて抱くイメージはこのようなところだが少女は違う。紫の髪色に淡い青色のメッシュが入った特徴的なロングヘアー。透き通ったと表現するのが相応しい白の肌色と輝くような赤の瞳。女性としての柔らかさを備えながら均衡のとれたか細い体とくっきりとした目鼻立ちも相まってとても日系とは思えない神秘的な容貌であった。少女が小さく息を吸い込み、マイクを通して増幅した音が会場に響く。その時、会場のどこかで誰かが言った。

 

『人形のクセに』

 

 息を呑むような音が会場から鳴ったが、先ほどの野次に背を押された老若男女問わない者達の口から異口同音のような内容が口々に飛び出て、言葉の暴力となってステージの上に立つ少女にぶつけられる。それは一種の魔法だった。一つの意思に触発された集団が言葉という暴力を持って人を蹂躙する様子はカメラを通して全国に、一部の世界に中継されたが熱気にやられた人々は止まることなく少女にナイフを振りかざし続けた。ほんの、ほんの少数だけ何もせず縮こまっている人間もいるがそんなごく少数は会場の後方に押しやられている。彼らは否定しようとしたが、会場の雰囲気に飲み込まれて言い出せなかった。口惜しそうに、悔しそうに脣を噛んでステージの上に立つ少女を見る。

 

 ステージの上に立つ少女は魔法の才能を備え持つ人間で、彼女に野次を飛ばす観衆は魔法の才能がない人間だった。

 

 22世紀が目前に迫った2095年2月において、魔法は力であった。魔法は兵器であった。それを手繰る魔法師もまた力であり兵器であった。だからこそ、魔法の才能がない人間は魔法を持つ人間を疎み、恐怖し、羨望する。

 

 少女は彗星の如く現れた歌手であった。1年前、インターネットに投稿された少女の歌が録音された音源が瞬く間に世界に広がり、1stシングルは国内だけで20万ダウンロードを記録し一躍スターとなったのである。その歌声は国外問わず誰をも魅了した。しかし一部の者達は彼女の存在を危険視し疎み、否定する。何故ならば、不都合だからである。

 

 彼らは言った。その歌声は魔法によって作り出された虚構である、と。罪のない人々を洗脳する悪辣な魔法師の手先で人間兵器だと揶揄して罵倒した。しかし少女は知らぬと歌い続けた。少女は歌い、彼女を疎む者達は彼女の歌から存在さえも否定し、公的に彼女の存在を否定する処刑場を作り上げた。

 

 その歌声に魔法がほんの少しも込められていないのなら、証明してみせろと。

 

 そうして突きつけられた条件と作り上げられた会場は魔法師にとって地獄の場所となる。魔法の発動を阻害する特殊な波長キャスト・ジャミングを発する物質アンティナイトを所持した監視員が30人体制でステージの上に立つ少女にキャストジャミングを浴びせ続け、魔法の発動に不可欠な想子(サイオン)を検知する想子(サイオン)センサーによって監視し、その間に観客を盛り上げろという条件。センサーがピクリとも動けば即座に強制的に中断。観客は悪辣な彼らが用意した者達でありどんな妨害や野次が飛んでくるかは分からない。それどころか大量のキャストジャミングを浴び続ければ魔法師としてどのような影響が現れるか分からない。少女の妹も弟も、母親も叔母もストップをかけた。その条件を知った魔法師の一部はやるべきではないと彼女に手紙を出したほどだ。

 

 だが、少女はステージの上に立った。同性とはいえ過剰なほどのボディチェックは年頃の少女として気が滅入るはずだが少女は顔色一つ変えず乗り切りここに立つ。

 

 罵声をかけ続ける者達は人間主義と総称される、魔法師という兵器を否定する者達であった。故に彼らは兵器であり人工的に作られたとされる魔法師の少女を否定するのだ。少女に与えられた時間は三十分。その間に、魔法師だからこそ分かる地獄のような責め苦に耐えながらノンストップで歌い続け観客を魅了しなければならない。

 

 事前に収録されたボーカル無しの音源が会場に設置されているスピーカーから響き、罵声だらけの会場で世界が見守る中少女の公開処刑は始まった。

 

「さぁ、聞かせてあげる。女神の歌を――!」

 

 それでも少女は止まらない。完全アウェーの状況だが輝く笑顔で決め台詞を口にする。その顔に苦痛の色は一切浮かんでいないが、この時点で四方八方から大量のキャストジャミングが少女に浴びせられていた。だからこそ苦痛を浮かべぬ少女は尋常ではない。

 

 女神の歌声は歌い出せば最後、地の果てまで響き渡り人々を魅了する。

 

 少女にとって歌は命である。歌は神秘である。歌は魔法である。時に人に想いを届け、時に人を笑顔にする太古より存在する魔法。科学によって解明された現象・事実としての魔法ではなく、人が紡ぎあげた祈りの結晶である空想の魔法。

 

 最初からクライマックスであった。大量のキャストジャミングを浴びせられても、過剰なスポットライトの光による発汗など度外視して、歌に己という全存在を込めて少女はマイクを握って歌い続ける。

 

 音とは空気の振動だ。言うなれば少女の歌声もまた、ただの空気の振動でしかない。それだけだ。科学的に言えば歌声は周波数の異なる純音が合わさった複合音の集合体でしかない現象だというのに少女の歌は聞く者全てを圧倒した。罵声や野次は次第に止んでいき、驚きに口をポカンと開けたままの人が目立つが少女は気にしない。そんな余裕は、少女に最初から存在していない。

 

 開始五分から尋常ではない量の汗が少女の顔に浮かんでいた。キャストジャミングによる責め苦の影響が表面化している証拠である。だが、少女は止まらない。歌を歌い続ける。漂う酸素を肺の中に吸い込み、張り上げた声を旋律に乗せて女神の歌声を紡ぎ出す。内に秘めた感情を表現するには声だけでは足りぬと手振りを使い、ステップを挟み、時には全身を動かし体全身を使い彼女は歌う。

 

 そうでなければ届かぬと。己の全てが伝えられぬと全精力をこめて。

 

 もはや彼女を否定する声は会場からは上がらない。それどころかリズムに乗り出す観客も出てきはじめた。観客の顔には困惑が浮かびながらも自然と笑みが浮かんでいく。中には目端に光る物さえ浮かべる者もいた。監視員が急ぎ彼女を監視する想子センサーを入念に確認するが、センサーはどれ一つ見てもピクリとも反応した形跡を残していない。キャストジャミングには反応しないようにカスタムされているセンサーは明瞭に、言葉にせずに語る。ステージの上に立ち歌う少女は現代に証明された魔法を使わず、歌声によって観客を呑み込み魅了しているのだと。

 

 三十分という時間はあっという間に過ぎていく。その間、彼女の歌を聴く全ての人は彼女ただ一人に釘付けとなり固唾を呑んで見守った。少女の歌声に反応して、会場の観客達は一体となり少女と彼らは熱気と共に盛り上がっていった。日本中、世界各地に中継され魔法師・非魔法師問わずあらゆる人種の人間が見ているからこそ、少女は本物と証明される。それはこの悪辣な企画を作り出した人間主義に染まる者達が思い描くものとは全く違う構図となったがもはや手遅れである。

 

 三十分、彼女は全力で走りきった。だからこそこの結果はある意味当然であったかもしれない。

 

 耳障りなハウリングと共に少女の歌は止まった。悲鳴が口に出され連鎖する。ステージを駆け上がってくる数人の人間の顔にはなりふり構わない必死の形相が浮かんでいる。そしてカメラを通して映し出されたのは、マイクを取り落とし前のめりにステージの床に倒れこんだ少女の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

美雲(みくも)……ここがどこか分かるかしら?」

 

 日本人ばなれした容姿の少女、司波美雲はゆっくりと目を覚まし人の気配がする方向に目を向けながら自身に投げかけられた言葉の意味を反芻する。白を基調とした見慣れない部屋にかすかに香る消毒液の特徴的な匂い。自身の体が気怠いこととベッドに横たわっていることから美雲は病院だと判断し未だ定まらない視線の先に居る人影へと口にした。

 

「病院、かしら?」

「そうよ。どうやら意識ははっきりとしているようね……」

「お母様……」

 

 美雲が寝ているベッド脇に座る女性は彼女の母親である司波深夜という妙齢の女性である。淑やかな言葉遣いに反し深夜の表情には明らかな安堵が浮かんでいた。ぼやけた視界がようやくクリアになり美雲は右手を包む温かな感覚に気づきゆっくりと首と視線を右側へと移し温もりの正体を視界に映した。

 

「深雪は……貴女にずっとつきっきりだったの。それから手を握って眠っていた貴女に声を掛け続けていたのよ」

 

 美雲とは違った意味で美しい少女が備え付けの折り畳み椅子に座り上体をベッドの上に乗せちょうど美雲の太もも辺りに顔を乗せ美雲の右手を両手に握って眠っていた。目元は赤く腫れ上がっている。腫れが引いてはいるが明らかに涙を流した事がつい先ほど目覚めた美雲にも分かった。美雲は気怠いながらも普段の倍以上も重く感じる右手を動かし妹である深雪の頭を撫でた。絹のような髪の触り心地に美雲は微笑み慈しみを感じさせる目で眠る深雪の顔を見つめた。

 

 自身がいる部屋が個室であることに気づく。空調が効いて部屋は適温に保たれているがカーテンは締め切られている。美雲は妙な閉鎖感を感じたが口にしても仕方ないとして、気になることを母親に尋ねようと首を動かし顔を左に向けた。ちょうどその時、病室の扉が開き少年が入って来た。その少年は起きている美雲を見て驚きの為か目を見開き一瞬だけ動きが止まったが扉を閉めることも忘れて慌てた様子で部屋に入りベッドに近づいた。

 

「姉さん! 体は大丈夫なのか……!? どこか不調はあるか!?」

「達也、静かにしなさい。深雪が起きてしまうわ。それに美雲は先ほど起きたばかりなの。声を張り上げないで」

「す、すまない……母さん。その、大丈夫か姉さん……?」

「えぇ……少し気怠いけど大丈夫。達也も深雪も心配し過ぎよ」

「そうか……姉さんが無事で良かった……本当に、良かった……っ!」

 

 母親の深夜の叱責に自分の失態に気づいた美雲の双子の弟・達也はすぐに声を潜めてベッドに横たわる美雲の容態を恐る恐る伺い、彼女から確かな無事が伝えられると声を潜めながらも何度も良かったと口にし美雲の無事を喜んだ。達也はベッドに近づき伸ばされた美雲の左手を壊れ物を扱うかのような繊細な手で取り、自身の頬に当てる。

 

「美雲。暫くの間、休養なさい」

「どういうことお母様? それは……私にもう歌うなと言っているのかしら!?」

「……そういう訳ではないのよ。ただ、騒動が大きくなりすぎたの」

「どういう、こと?」

「そうね。普通の魔法師なら一秒でも立っていられないような場所で三十分も晒されながら挙句歌った貴女は……三日も寝ていたのだから、今何が起こっているのか分からないわよね」

「三日? まさか……私はあれから三日も寝続けていたの?」

「あぁ。姉さんはあの馬鹿げた企画を乗り越えたよ。だけど……歌いながら倒れたんだ。テレビで生中継していたから映像にも残ってる。そこから約三日間、眠り続けた。俺が『再生』を使っても起きない程だったんだ」

「ワザと大量に配備して集中して当て続けた過剰な光量のスポットライトの熱による脱水症状、極限状態での肉体疲労、大量のキャストジャミングを浴びた影響……それくらいで済んで良かったと言うべきなのかしら……とにかく美雲、貴女が無事で本当に良かったわ」

 

 母親からも双子の弟からも悲しげに歪んだ表情で見つめられた美雲はベッドに深く背を預け大きく息を吐いた。まさか三日間も寝続けていたとは思っておらず、体を三日も動かしていない為の気怠さかと当たりをつけ二人から顔を逸らし目を伏せ気味に深雪を見つめる美雲は二人に尋ねた。

 

「休養ってどう言うこと?」

「そのままの意味よ。貴女は無理をし過ぎた。それに、4月には第一高校に入学もあるの。だったら暫くは休養して体調を万全にすべきよ」

「……叔母様はなんて?」

「荒れてたわ。実の子のように思ってる貴女がこうなった原因を徹底的に潰してやるですって」

 

 小さな声で美雲は質問を口にする。叔母様、と言う名称が出た事にほんの一瞬だけ達也の体が強張るが深夜は大して気にしていない風にさらりと答えを口にする。荒れてる、その言葉に美雲は軽く吹き出し叔母様らしいと呟いた。

 

「真夜の事をそんな風に言えるのは私が知る中で貴女だけよ美雲」

「叔母様、あれで沢山可愛い所があるのよ。だから……らしいと思ってそれを口にしただけ」

「……うん……」

「深雪もそろそろ起きそうね。私は真夜に連絡するから少し席を外すわ。美雲、今はゆっくり休みなさい。ね?」

「はい、お母様」

 

 深夜は病室から出て行く。その後ろ姿を達也と美雲は見つめて見送りスライド式の扉が閉められて暫くの間扉に視線を向けていたが目を覚まそうとしている深雪へと視線を動かす。深雪の愛らしい寝顔を見て二人は微笑ましく思い頬を緩めるが、達也は肩をすくめ美雲へと視線を動かし笑いながら語りかける。

 

「深雪が起きたら怒られるぞ姉さん」

「あら、それは大変ね。どうやって宥めようかしら……」

「姉さんにはいい薬になるな。これで無茶をしなくなれば俺も深雪も助かるよ」

「何? 達也も私に歌うなって言うの?」

 

 美雲の視線と達也の視線が重なり合った。美雲の真剣な瞳に達也は視線を逸らし気恥ずかしさを感じながらも美雲の歌への感想を口にした。

 

「いや。俺は姉さんの歌が好きだよ。ずっと歌っていてほしい」

「そう。ならいいわ」



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Lesson1

「納得がいきません! どうしてお兄様とお姉様が新入生総代ではないのですか!?」

「いや深雪……そう言われてもだな」

「入試だってお兄様はトップだったではありませんか?! それにお姉様は私を含め他の誰よりも人前に出るのが相応しいお人です! いえ、お姉様以外にありえません! それなのに何故なのですか!? 深雪は納得ができません! これは即刻学校側に抗議すべき案件です!」」

「深雪、ここは魔法科高校だ。全国に九つしかない狭い門、ペーパーテストがどれだけ優れていても実技がからっきしでは二科生で当然だと俺は思う。いや、寧ろ俺の実技の成績でよく入学できたなと自分で自分を褒めたいくらいだ」

 

 満開の桜咲く並木道の向こう側、広大な敷地にそびえ立つ近代的ながら厳かな雰囲気をかもす建物

の門の前に達也と深雪が立っていた。深雪はその美しい顔に怒りを宿し声を荒げたが、対する達也は苦笑と共になんとか深雪を宥めようと言葉を尽くす。しかし彼女の剣幕は少しも収まらない。

 

「そのように覇気の無いお言葉で誤魔化そうとしてもそうはいきません! お姉様はどう思いますか? お兄様やお姉様に対してこのような仕打ち、私は許せません!」

 

 深雪の視線が達也の背後に向けられる。深雪の視線の先に居たのは紫のフレームに細かい幾何(きか)学模様が刻まれたサングラスを掛けた美雲がおり、今も繰り広げられている達也と深雪の二人のやり取りを深雪の荒げた声に反応しようやく気づいたような様子で顔を向けてきた。さも今気付いたような美雲の様子に達也はため息をつくが深雪は頬を膨らませ、それを見た達也は深雪がさらにヒートアップする事になるのは容易く予想できた。

 

「お姉様! 何故お姉様が総代では無いのですか!? お姉様のお力であれば私以上の成績が出せるはずです!」

「そんなわけないでしょ深雪。魔法の成績は貴女の方が上よ」

「そんなご謙遜を……ですがもう一つ疑問があります。何故、お姉様は今日という晴れの日に歌う事を拒否されたのですか?」

 

 深雪の顔が眉根が寄り美しい顔立ちに影が差す。しかし美雲のどこか超然とした近寄りがたい態度は変わらずであり深雪の疑問に答えるそぶりはまったく見せない。達也は美雲のいつもと違う様子に、深雪は答えてくれない姉の頑なな態度に疑問を抱き互いに顔を見合わせた。兄妹息の合った動きを尻目に美雲は深雪の横を通り過ぎ第一高校の敷地内へと歩き出す。これで話はもう終わり、そう言いたげな姉の後ろ姿に深雪はしゅんと表情を曇らせ俯いてしまう。達也は妹の悲しげな表情は見たくないと、衝動的に思い姉へと文句の一つでも言ってやろうと決意し力強く踏み出したその時、不意に美雲が肩越しに振り返って右手でサングラスをずらし赤の瞳を深雪へと向けた。

 

「今日の主役は貴女よ、深雪。顔を上げて前を見て、堂々となさい」

「……ッ! はいお姉様!」

 

 深雪にとって敬愛すべき姉からの言葉は万の賞賛よりも彼女の心を明るくし喜びに満たす。その上、スターと断言出来る姉から主役は貴女と言われた事で深雪の表情は曇天から雲ひとつない晴天に早変わりした。深雪の笑顔を見てかすかに笑みを浮かべた達也だが、体ごと向き直った深雪が期待するような表情で見上げてくる。まだ何かあったかと考える事数秒、自身が深雪から何を期待されているのか気づきその答えを口にした。

 

「新入生代表の答辞、頑張っておいで深雪。俺もしっかり見ておくから」

「はい! お姉様とお兄様に恥じない姿をお見せ致します。なので……お姉様にも深雪の事を見守っていてくださいと伝えてください。宜しいでしょうかお兄様?」

「あぁ。美雲にしっかりと伝えておくよ」

「ありがとうございますお兄様! それでは、行って参ります」

 

 見惚れるほどに洗練された優雅な一礼をして深雪は生徒会役員と打ち合わせが行われる講堂へと向かって行く。講堂は第一高校の敷地内でも目立つ建物であり迷うことはない。事前に講堂への道を知っていた事もあり深雪は迷う事なくしっかりとした足取りで進む。深雪のしっかりとした足取りから何も心配は無いと達也は判断して小さくため息をつき、まとわりつく周囲の視線を努めて無視して美雲が歩いて行ったであろう方向へと進んでいく。入学式が行われる二時間前に来てしまった達也たち。深雪は新入生総代として打ち合わせがありこの時間に来なければならず、美雲と達也は言ってしまえば深雪の些細なお願いを聞いて同行した付き添いでしかない。

 

 人工林に挟まれた舗装済みの広々とした道を歩く達也は、さすが国立だと、金のかけ具合に関心と呆れ半分の感想を抱き、彼個人が抱える使命と母親と叔母から念押しされたお願いから道と建物の把握に勤しんでいた。達也は敷地内の地理を頭に叩き込みながらふと、自分を取り巻く環境が三年前から随分と変わったと他人事のように思いながら、今までに比べて手入れが及んでいない人工林に囲まれた静かな空間にポツンと置かれたベンチの空いたスペースに腰を下ろした。

 

「遅かったわね」

「そうかな? 俺はすぐに追いついたと思うんだけどね」

「あの子はどう? ちゃんと前を見れていた?」

「ああ、大丈夫だよ。それと、深雪から伝言だ。見守っていて下さい、と。ちゃんと伝えたぞ姉さん」

 

 伝言を伝えながらチラリと、ベンチの右側に座っている美雲に視線を向けた達也だが、美雲の目元はサングラスの黒いレンズによって何を考えているのか、聡明な頭脳を持つ達也でも分からない。美雲は笑ってもおらず悲しんでも怒ってもいない、何とも言えない不思議な表情であり、だからこそ彼女の横顔に達也は惹きつけられてしまった。

 

 四葉直系の血を受け継ぎながら、四葉の魔法師に相応しくない達也の不遇を一変させたのは美雲である。彼らを取り巻く四葉本家と複数の分家の中には、四葉の魔法師として相応しくないと美雲を評する者が少なくない人数いる事を達也は知っている。だが、美雲の歌声が達也に救いをもたらしてくれたと、彼自身は信じて疑っていなかった。達也らの叔母であり四葉当主の心に巣食う闇を払い心を救い、達也らの母親の体を復調へと導き親子の間にあった分厚すぎる壁を壊したのは美雲の歌声だという事を達也は知っている。そして、達也の失われてしまった心を一時とはいえ取り戻させた奇跡を起こしたのも美雲の歌声だと達也は知っている。言葉に尽くせない程の美雲への感謝が達也の脳裏を駆け巡った。

 

「どうかしたの?」

「いや……何でもないよ姉さん」

 

 達也の頭を占めていた美雲への想いが、美雲の声によって霧散する。会話はそれっきりだが二人の間に気まずさはなく、むしろ漂う沈黙の空気を楽しんでいるような雰囲気であった。

 

「そういえば、そのサングラスは?」

「お母様や叔母様が色々と手を回して急ぎで作ってくれたの。人の意識をズラしてくれるみたい。結構便利よ」

「なるほど。……本当に微細な想子(サイオン)の活動しか感じられない。学校側からの許可は?」

「降りた、というより降ろさせた、が正解でしょうね」

「姉さんは比喩でもなく魔法界の宝だ。それくらいの無茶は必要経費だと俺は思うよ」

「まぁ、どうせすぐバレるでしょうね。あ、でも人の認識をズラしてくれるならバレても大丈夫なのかしら?」

「姉さんが『MIKUMO』とバレた方がそのサングラス、正確には刻印型の認識阻害の魔法はより効果を発揮するだろう。微量の想子で発動しているとはいえ、姉さんの想子保有量が多いからなせる力業だ……無理はしていないよな姉さん?」

 

 先に沈黙を終わらせたのは達也の方であった。視線は美雲が掛けているサングラスに固定されており抑揚の少ない声に不安の色が込められた問いかけが美雲へと投げかけられる。すると美雲はフレームに手を掛けサングラスを外し笑みを浮かべて観察しながらサングラスのフレームの部分を見やすいようにして達也に手渡し、それを受け取った達也は数秒ほど観察しイデアに映るエイドスを読み取れる異能、精霊の眼(エレメンタル・サイト)をもってサングラスに付随する情報を完全に理解し、その特性を理解したからこその疑問を美雲へと質問したが返答はクールな微笑だけであった。だから、達也はこれ以上聞く事をやめた。美雲を信じているが故に。

 

 時間はゆっくりと過ぎていく。スクリーン型の端末にダウンロードした電子書籍で読書をする達也とステージでの雄姿が嘘のように大人しい美雲は静かで落ち着いた時間を過ごす。春の涼しいそよ風が二人の頬を撫で髪が揺れ動く。徐々に変化していく空気と遠くに存在する人の気配に反応して読書を中断した達也は端末のデジタル時計を確認し入学式30分前だと知って空を見上げていた美雲に声を掛けた。

 

「姉さん、そろそろ時間だ。講堂に向かおう」

「そう」

 

 達也の促しに美雲は短かい返事と共にベンチから立ち上がり歩き出した。その気まぐれさと自分勝手さは双子の弟である達也にとって慣れたもので特に気にせず立ち上がるとその後ろをついて行く。二人は静かで人気のなかった穴場から道を辿って講堂へと進む。次第に真新しい第一高校の制服を着込んだ緊張気味の新入生の姿が見え始めるが達也の新入生への興味や関心は少なく、その視線は隣を歩く美雲のサングラスに向けられた。

 

「効果の程は確かなようだな」

「これで効果が無かったら何処かで昼なのに星が降るわよ」

「……姉さん、冗談でも笑えないぞそれは」

 

 美雲の冗談が何なのか分かる者にとって、四葉家当主を冗談に使うのはあまりに心臓に悪いと言わざるを得ないが美雲の態度は実に涼しげで楽しげであるのは、サングラスによって目元が分からないながらも形の良い唇が弧を描いていることから理解できるだろう。達也にとって、美雲は色々な意味でかなわない相手であった。

 

 講堂内に入った二人。講堂2階席が新入生が座るべき場所であり、開始20分前にも関わらず既に多くの新入生が席について待機していたが達也は新入生たちの察しの良さに半ば感心して手を叩こうかと思うが、美雲はサングラスの奥に隠れた瞳を鋭くしてぐるりと今一度座席を見渡した。通路前側の座席には制服に八枚花弁の刺繍が施された一科生が座り、通路より後ろの座席には八枚花弁が存在しない二科生が別れて座っている。その事について誰一人として何も言っていない。

 

「ねえさ——」

「私も後ろに座るわよ」

「……姉さんは一科生だが?」

「そうね。で、それが?」

 

 入学案内に記載されている通り座席に指定は無い。故に一科生である美雲が二科生である達也と共に通路より後ろの座席へと向かい、空いている席を見つけて座ることは何もおかしいことは無い。強いて言うなら空気が読めない、そう苦言を呈する行いであったが美雲は達也の隣に座った。好奇の視線が美雲へと向けられたが特徴的な髪の色の美雲の正体に誰一人気づかない。達也は姉の意志の強さに頼もしさを感じながらも、この先平穏な学校生活を送るには不便なのでは無いかとそう思わざるを得なかった。しかし、しがらみなどよりも自分を選んでくれた事に達也は言いようのない気恥ずかしさを感じて右側に座る美雲を見る達也であった。

 



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Lesson2

思った以上に反響があって嬉しいです。
しかし、今回のように原作のキャラに、原作にいないキャラについて語ってもらうのは難しいです。


 深雪にとって兄である達也は誰よりも敬愛すべき異性である。深雪にとって姉である美雲は誰よりも敬愛すべき同性である。どちらも特別で比べる事が出来ないほど尊い存在だと、深雪は三年前の沖縄からそう信じて疑わない。それでも、嫉妬を覚えなかったかと言われれば嘘になる。その尊さに、その眩さに、深雪は何度も嫉妬を覚えた事があった。

 

「打ち合わせはこれで終わります。それでは司波さん、新入生を代表しての答辞よろしくお願いしますね」

「はい、七草(さえぐさ)生徒会長」

 

 自然と気が引き締まる厳かな空気が漂う講堂。二階と一階に別れた座席とその奥に存在する演壇。演壇の両脇に押しやられた深紅の幕の影にて、深雪は第一高校の生徒会長である七草真由美という小柄な上級生の柔らかな笑みに緊張が解された事を自覚した。贔屓目なしに美少女と言って差し支えない七草真由美の柔和な笑みは、第一高校の生徒会長としての経験と年上であるという余裕からなせる物だろうと当たりをつけた深雪は自身の未熟を恥じながらも、今だけは真由美の笑みがありがたくて、ほんの小さな息を吐き出した。

 

 深雪にとって、第一高校の新入生総代と言う栄誉は未だ実感の湧かないもので、果たして兄と姉を差し置いて自分が新入生総代で良いのかと言う不安が今日の行きの道から、いやもっと言うのなら第一高校から郵送された紙の書類を開封しこの目で確認した時から抱いていたものだった。

 

「どうかしたの司波さん? 何か気になる事があったなら遠慮なく言って下さいね」

「お気遣いありがとうございます七草生徒会長」

 

 深雪は努めて平静であろうと外行きの用の仮面を取り繕い真由美へと言葉を返す。だが大丈夫とは言えなかった。兄や姉に比べて何もかも未熟な自分が果たしてミスをする事なく完璧な答辞を行う事ができるだろうかと。深雪にとって達也と美雲の妹であることは栄誉であり誇りである。しかし重圧を感じないのかと尋ねられたなら、感じていない、という嘘は口が裂けても言えなかった。

 

 二人に相応しい妹でありたい、それは深雪が三年前から毎日のように胸に抱き続ける想い。

 

「司波さん。舞台袖の奥に椅子があるからそこで待機しててね。私は少し外の様子を見てくるから」

「はい、わかりました」

「それじゃあ、また後で会いましょう」

 

 微笑みを浮かべて深雪のそばから離れた真由美に深雪は会釈をして、奥にあると言われた椅子へと向かう事にした。生徒会役員や準備の生徒の姿が見受けられるが深雪に気を遣ってか、声をかけてくることはなく、だからこそ深雪は安心できた。簡易的な折り畳みパイプ椅子に座った深雪は再び小さく息を吐く。

 

「大丈夫……きっと、大丈夫」

 

 深雪の表面しか知らない者がこの場に居たなら、先ほどまで完璧と称するほかなかった淑女が浮かべる不安げな表情を見て驚きを隠せない事だろう。そして彼女の不安を払拭したいと、男女問わず深雪のそばに近寄って彼女が望むままに動くだろう。絶世の美少女である深雪の所作一つ一つにはそれだけの破壊力が存在するのだ。

 

 新入生総代という重圧、ではなく達也と美雲に恥じない姿を見せられるかという不安が深雪の中に渦巻きほんの少しだけ呼吸を乱していたが不意に、呼吸の仕方が変わった事で深雪の沈んだ表情は徐々に回復して、顔を上げ前をしっかりと見れるようになる。一体どのような心境の変化だろうか、何かの魔法的効果が深雪に影響を及ぼしたのかと幾つもの可能性が考えられるが深雪が行ったことはただ意識して呼吸を変えた事だけである。それは深雪が美雲から聞いた、美雲がマイクを持って発声する時に行う呼吸方法だ。

 

「……ふぅ……。お姉様、ありがとうございます」

 

 やはりまだまだ自分は未熟だと、深雪は自身に対し羞恥と叱責を感じていたが美雲と同じの呼吸方法によって完全に持ち直した深雪にもう迷いはなく万全のコンディションとなっている。呼吸法を変えた事はきかっけでしかない。肉体面・精神面共に万全のコンディションに出来たのは深雪自身の強さであるのだが彼女は姉のおかげだと信じて疑わなかった。

 

 講堂内に在校生、新入生と人の気配を感じ、囁き声ながらかすかな騒めきを耳にした深雪はいつまでも座ってはいられないと思い立ち上がると、丁度舞台袖に真由美が入ってきた。真由美は深雪が緊張していないかと心配して見に来たのだが、深雪の晴れやかな表情とピンと背を伸ばした美しい立ち姿に心を奪われながらも、深雪の様子から一切心配する必要は無いと安心できた程だ。二人は最終確認をして真由美は生徒会長としての役目があるため舞台袖から再び出て行った。

 

 そして講堂内に響く電子音。第一高校入学式が始まる合図である。

 

 第一高校の校長や来賓からの長い言葉が舞台袖で待機していた深雪の耳にも届くが、その殆どは彼女にとって切り捨てるような無駄でしかなくむしろそんなお偉い方のありがたいお言葉が早く済む事を心の中で願っていた程だ。この万全なコンディションがいつまで続くか、深雪にとってそこが重要なのである。当初から深雪は達也と美雲に恥じない姿を見せる事であり、そう言う意味では深雪は最初から一切ブレていない。

 

『――それでは、新入生答辞。新入生代表、司波深雪』

 

 アナウンスに従い舞台袖上手から壇上へと姿を現し、マイクが設置された演台を前にして深雪は前を向く。在校生・新入生・教員などなど多くの人間の視線が壇上に立つ深雪へと向けられた。しかし深雪に気後れという心の揺れはない。講堂の二階席後部にて敬愛すべき達也と美雲の姿を瞬時に見つけた瞬間から深雪の瞳には二人しか映っていない。故に多くの人間が深雪の美貌に見惚れても深雪にとって有象無象と言って差し支えなかった。

 

『この晴れの日に歓迎のお言葉を頂きまして、新入生を代表して感謝致します。私は――新入生を代表し、栄えある第一高校の一員として誇りを持ち、皆等しく勉学に励み、魔法以外でも共に学び、この学び舎で人として成長する事を誓います』

 

 ここ第一高校では一科生と二科生の間に大きな溝が確かに存在する。深雪の答辞の内容は言ってしまえば一科生と二科生の差別などするなと言っているようなものであり反感を覚える者が出てもおかしく無いのだが、誰もが深雪の美しすぎる美貌と洗練された立ち振る舞いに心奪われており素晴らしい答辞だと勝手に処理されていた。深雪の言葉は届かなかったと嘆くべきだが、この一件を境に余計な諍いが彼女の身に及ばない事を思えばむしろその方が良かったのか、それは万雷の拍手をもって見送られる深雪のみぞ知る事であった。

 

 入学式の後、講堂から出た新入生一人一人にIDカードが配られる。IDカードには生徒の個人データと入試の成績をもとに割り振られたクラスが登録されている。IDカードを受け取る事は自分のクラスを知る事と同じである為、入学式を終えた彼らは自分がどのクラスなのかという期待を胸に各人IDカードを受け取り知人らと一喜一憂の様子を見せている。新入生総代の深雪は事前にIDカードを受け取っており列に混じって待機をすることがなかったが、それとは別の問題が彼女の眼前に広がっていた。

 

「司波さん、素晴らしい答辞でした!」

「とても素敵な答辞で私感動しました!」

「さすがは新入生総代です」

「まさに花冠(ブルーム)の名前は司波さんに相応しいかと!」

 

 新入生・在校生問わず押しかけてきたのである。さしもの深雪も気圧されてしまうほどの勢いであった。その勢いに躊躇いを覚えあしらえなかった深雪を取り囲む多くの人々。彼らに悪気はない。彼らはただ深雪の美貌と圧巻の魔法力、新入生総代という肩書きから淑やかな淑女の幻視してただお近づきになりたかっただけであるが深雪にとってはいい迷惑であった。

 

 矢継ぎ早に数々の賞賛が深雪へと浴びせられるが異口同音で、今までに何度も繰り返され深雪があしらってきた内容でしかない。四葉の家で教育を施された深雪は外面の良い淑女の仮面を被り有象無象の輩をあしらうことなど簡単なことだ。しかしこれだけの大人数となると話は違ってくる。実際にもみくちゃにされているわけではないがそれでも深雪の心労は秒刻みで蓄積されていく。しかし不意に彼らの賞賛が止む。別に深雪が何かをしたわけではない。仮面が崩れその奥に潜む深雪の本心が現れたわけでもなかった。

 

「深雪」

「お姉様!」

 

 サングラスの魔法的効果によって、朧げではあるが美雲の独特で神秘的な雰囲気の到来にすぐさま気付いた深雪の視線はもはや周囲に向けられていない。美雲は邪魔とも退けとも一言も口にせず、まるで聖書に記されたモーゼの海割りのように人の群れを割って姿を現す。サングラスに刻印された魔法式は人の認識をズラすもので、今の美雲を見ても、彗星の如く現れたスター歌手『MIKUMO』と気付けるものは達也や深雪といった事情を知るほんの一部だけだが纏う神秘的な雰囲気は損なわれていない。だからこそ自然と美雲に視線が集まった。

 

「行くわよ」

「はいお姉様。それでは皆さん私はこれで失礼させて頂きます」

 

 このような些事に美雲の手を煩わせてしまった事に深雪は自責の念を感じるも、姉の助け舟に喜びを感じてしまった。外面だけの薄いおべっかから解放されることもあるが、美雲が迎えにきてくれたことが深雪にとって何よりも嬉しくて満面の笑みで去ることができた。深雪の心からの笑顔に見とれてしまった男女が続出した中、美雲と深雪の二人は歩き出す。

 

 深雪の笑顔に心奪われていたが二人が去ってゆく後ろ姿を見て現実に帰還した一科生たちは深雪とお近づきになるべく我先にと歩き出した。だが深雪と彼らの間には距離が開いている。それは美雲の独特で神秘的な雰囲気が原因で近づこうにも近づけないのだ。彼らの心境を知らない深雪は、前を歩く美雲の後ろをまるで飼い主にじゃれる人懐っこい子犬のように健気に着いて行く。取り繕われた淑やかなアルカイックスマイルではなく、まるで恋い慕う異性に向けるような熱のこもった瞳と微笑みと共に。

 

「お姉様、迎えに来てくださりありがとうございます」

「気にしなくてもいいわ。慣れてるもの」

 

 深雪から見て美雲は、ミステリアスという言葉がこれ以上ないほど似合う存在であった。多くを語らず、目の肥えた深雪から見ても、恐ろしいまでに整った美雲の顔に浮かぶ表情から読み取れるものは非常に少ない。だが、目に見えるものだけが全てではない。美雲の見えない愛は確かに深雪に寄り添っていることを、深雪は感じていた。

 

「お姉様、ありがとうございます」

「そう」

 

 深雪の可憐な唇から出てきた鈴の音のように音色に返ってきたのは短く抑揚の少ない音だけだ。だけど、深雪にとってそれでよかった。それだけでよかった。

 

 講堂の出入口から校門へと辿り着いた美雲と深雪。校門前に見える多くの人影の中から、深雪は敬愛する兄の姿を見て心がウキウキと弾むのを自覚し、逸る気持ちを表情に出さないように何とか抑え込み兄と姉に自分の答辞について褒めてもらおうと浮かれていたが達也の側に居て、達也と話している見知らぬ二人の女子生徒を見たことで春の陽気のように晴れやかであった心が、生命の一切を許さぬ厳冬のように暗い物へと落ち込んで行く。

 

「達也、話は終わったかしら?」

「すまない姉さん。俺が迎えに行くのが一番だったんだが……」

「ここの現状、あれだけの一科生が深雪に集まってるのに二科生の達也が迎えにいったら面倒になるわ。嫌いでしょ? そういうの」

「それはそうだが……その姉さんは——」

「ストップ。今の私、オフなの」

「あっ、すまない」

 

 口止めの為に突き出された人差し指を見て申し訳なさそうに目を伏せる兄の姿を見て、深雪は不遜ながら実の姉に対して羨ましいと思ってしまった。自分と姉が、兄にとって特別なのは確かだ。それは覆らない。だけど、深雪の目に映った光景の中で、兄の残されたモノを引き出すのはいつも姉であった。それを深雪は、いつも羨ましいと思ってしまう。

 

「深雪、どうかしたのか?」

「あっ! いえ……何でもありませんお兄様」

「そうか……体調が悪いのなら言ってくれ。あれだけの人数の中喋ったんだ。緊張するなと言う方が無理だからな」

 

 達也の顔に浮かぶ優しげな微笑みを瞳に映した深雪もまた微笑む。多くを背負わされている兄とあまりに大きなものと戦う事を自ら選んだ姉を心配させたくなかったからだ。せめて自分だけはこれ以上迷惑になりたくなかった。たとえ、兄と姉が迷惑ではないと本心から言っていたとしても。それは二人に負担をかけたくないという思いもさることながら、自分が無力だと突きつけつけられているようで、そんな自分の惰弱な心に深雪は蓋をするように微笑んだ。

 

「大変仲がよろしいですね司波さん。お姉さんとお兄さんですか?」

 

 背中から聞き覚えのある声がして深雪は振り向く。反射によって沈む心は他人を前に幾重にも重なった分厚い壁で覆われ深雪の顔に完璧な淑女の仮面を貼り付けた。深雪が振り向いた先に居たのはつい先ほど世話になった七草真由美であり、付き人の様に一歩控える男子生徒が生徒会副会長だと気づく。事務的な内容とはいえ話をした印象から真由美は生徒会長ということもあって物腰が柔らかく好印象であった。しかし、副会長の方は堅苦しい印象と共に一種の危惧を深雪に抱かせた人である。現に副会長の視線は達也の胸元にあり、そこに八枚花弁がない事を知って明確な侮蔑を瞳に宿しているのが深雪にはわかった。

 

「ええ。私のような未熟者には勿体無いくらいの自慢の兄と姉です」

「そう……きっと素敵なお兄さんとお姉さんなのね」

「はい、七草生徒会長」

 

 深雪が口にしたことは本心である。だからこそ何の躊躇いもなく堂々と言える。深雪にとって兄である達也は誰よりも敬愛すべき異姓である。深雪にとって姉である美雲は誰よりも敬愛すべき同性である。どちらも特別で比べる事が出来ないほど尊い存在だと、深雪は三年前の沖縄からそう信じて疑わない。だからこそ、同時に深雪は思うのだ。

 

 自分は果たして、本当に二人に必要なのかと。

 



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Lesson3

 閑静な住宅街の中にある一戸建ての司波家。以前は達也らの母親である司波深夜(みや)の配偶者であった司波龍郎(たつろう)が世帯主として登録されていたが約一年前、両者は離婚し今は深夜が世帯主兼所有者として登録された一戸建てである。地上3階・地下2階の設計の司波家にて、地上1階のリビングに4人の人影があった。

 

「達也、深雪。二人共、第一高校への入学おめでとうございます」

「ありがとうございます、お母様」

「ありがとうございます母さん」

 

 広々としたリビング中央に設置された長机。来客を想定して机の周りに置かれたソファーに深雪と達也は座り、対面のソファーに座る藍色のドレスを着た女性の口から出てきた祝いの言葉に頭を下げて謝意を示した。ソファーに座る女性の背後に控えるように立つカジュアルな格好の妙齢の女性が笑みを浮かべ女性と達也、深雪の様子を尊いものを見るように見つめている。後ろからの視線に気づいたのか女性は肩越しに振り返って視線の主に問いを投げかけた。

 

「どうかしたの穂波(ほなみ)?」

「いえ、何でもありませんよ奥様」

「そう。ならいいわ」

 

 ドレスを着た女性は達也と深雪、美雲の産みの母である司波深夜でありその側に控える女性は深夜の護衛である桜井穂波。二人は事前の連絡もなく司波家に訪れていた。なので、全ての情報体を観ることが出来る異能を備える達也には鍵の掛かった家の中に二つの情報体があることに警戒を抱いたのだが杞憂で終わる。深夜曰く理由はないとのこと。せめて事前の連絡をと達也は言いたかったが司波家に数度しか訪れたことがないにも関わらず住み慣れた家のようにくつろぐ母親を見て思わず毒気が抜かれたほどで、バカらしく感じたのだ。

 

「達也くんも深雪さんも入学おめでとう。九つある魔法科高校のなかでも最難関と言われてる第一高校入学。本当に凄いわ」

「ありがとうございます穂波さん。俺は今でも信じられないくらいですよ」

「もうお兄様ったら! 穂波さんもお兄様に何か言ってください。入試で一位だったにも関わらず遠慮ばかりなんですよ?」

「深雪さん言いたいことは分かるわ。でも、こういう謙遜も達也君らしいとは思わない?」

「それは……そうですが、私はお兄様にもっと自信を持って欲しいのです!」

「ですって、達也くん。深雪さんはそう言ってるわよ?」

「いや、姉さんや深雪に比べて俺は二科生なんですよ? 自信を持てと言われましても――」

 

 穂波という女性は深雪や達也にとってもう一人の姉のような存在であった。穂波の優しい微笑みにつられるように達也は苦笑いを浮かべたが、隣に座る深雪としては面白くなかった。達也の素晴らしさ・凄さを達也自身が知らないと言うのであればこれは心を鬼にしてでも伝えねばと深雪は人知れず使命に燃えていた。それを見ていた深夜は面白おかしそうに薄い微笑みを浮かべる。皆、笑みを浮かべていた。それはほんの数年前までありえないと、誰も考えられなかった光景である。たとえ家族であったとしても四葉に連なる者が本心から笑みを浮かべている光景がそこにあった。

 

「……最近はどうかしら?」

 

 深夜の口から出てきた質問は要領を得ないもので達也と深雪は咄嗟に何を答えれば良いのか迷ってしまう。話が始まる前から穂波が机の上に用意していた紅茶のカップ。この一戸建てを利用しているのは達也ら三人だけだが、深夜と穂波の食器は置かれている。深夜は自分用のカップに手を伸ばし優雅な動きで口元に近づけ紅茶を飲むが、その動きがこの場にいる達也らには何かを誤魔化す動きに見え、要領を得ない質問に何か隠されているのかと考えたほどだ。だが達也はあることに気づき慣れないながらも母の質問に言葉を返した。

 

「……大丈夫だよ」

「そう……」

 

 要領を得ない質問の後、まるで誤魔化すように紅茶を飲んだ深夜を見て、達也は意図的に口調を崩す。いまだに慣れない口調で母親に対応することに達也は言いようのない感情を感じてしまい顔を逸らしてしまう。また深夜の返事も似たように素っ気無いものであった。だが、そこには家族が確かに存在していた。

 

「奥様、おかわりはいかがですか?」

「……いただくわ。それと達也と深雪にも入れてあげて」

「はい。わかりました奥様」

 

 深夜の感じた気恥かしさは穂波が助け舟を出すことで有耶無耶になるが深夜の母親としての心配は達也と深雪に確かに伝わっていた。穂波はその様子を微笑みながら見守るも、新しい紅茶を用意するためにキッチンへ向かい準備をする。リビングに残された三人だが特に会話は無い。深夜はカップを机の上に置きじっと見つめたまま、達也は視線を逸らしたまま、それを深雪は微笑んで見つめていた。

 

「それと真夜も。貴方達の入学についておめでとう、と言っていたわ」

「叔母上のことだ。母さんと一緒に来ようとしていたんじゃないか?」

「叔母様はお姉様のファン第一号と公言していらっしゃいますし、お母様も大変だったのでは?」

「……妹の名誉の為に黙っておきましょう」

 

 深夜の双子の妹であり達也らの叔母である四葉真夜。悪名高い四葉家当主である彼女の世間一般イメージは語るまでも無いが、達也らにとって美雲が絡むと感情的になりすぎて始末に負えない親バカのような人として認知されていた。真夜が美雲に固執する理由を知っているとはいえ、もう少し何とかならないかと深夜は思わずにはいられないほどである。

 

 例えるならバリバリのキャリアウーマンが家に帰ってペットの愛犬を前に赤ちゃん言葉を使って猫可愛がりしてしまう、そんな絶対あり得ないようなイメージだ。四葉本邸に帰ったら真夜の嫉妬と小言があると今から思うと、流石の深夜も思わず表情をしかめてしまうほどで、逆に言えば真夜はそれだけ美雲を愛していると言えた。しかしこの場に美雲はいない。ならばどこにいるのかと言うと美雲は今、司波家の地下2階のダンスフロアにて発声とダンスの練習の真っ最中であった。

 

「奥様。紅茶の準備ができました」

「ありがとう穂波」

「はい、達也くんも深雪さんもどうぞ。砂糖とミルクも用意してるからね」

「ありがとうございます穂波さん。……流石に慣れていますね。文句のつけようがありません」

「まぁ! お兄様が手放しに賞賛するなんて流石穂波さん。私も是非見習いたいです」

「ありがとう達也くん、穂波さん。実は葉山さんに教えてもらったの」

「葉山さん直々にですか? これは名実ともに母さん専属ですね」

「でも、葉山さんって本当に厳しいのよ?」

「四葉家の執事序列一位ですからね。それも当然と言えば当然でしょう」

 

 誰がこの光景を予想できたであろう。一人は産まれながら四葉として認められ、もう一人は産まれながら四葉として認められず使用人扱い。母である事を諦めた女と定められた自身の運命に抗えなかった女が、本物の家族としてそこに居る。些細な日常を幸福として会話を弾ませ抱き合うとはいかないまでもゆったりと和やかな空気を過ごす達也達であった。しかし、深夜はソファーに深く背を預け深い溜息を吐き出したのだ。深夜はこの空気を不愉快に感じて溜息を吐いたのではなく、心地よいと感じていたから、それを自らの手で消してしまうことに罪悪感を感じたのだ。

 

「お母様、如何されました?」

「……先日、美雲の診断結果が出たわ。今日来たのはその報告もあってなの」

 

 母の様子にただならぬものを感じた深雪が意を決して踏み込むと返ってきたのは深雪と達也が決して無視できない事項についてである。美雲の診断結果、それを耳にした深雪は息を呑んで母の言葉を待つ。深雪の隣に座っている達也はその目に燃え盛る炎のような激情と暗い後悔を宿して深夜の言葉を待っている。兄妹が美雲を大切に思っていることは穂波も深夜も当然知っていた。だから、告げることに躊躇いがあったのだ。

 

「あまり良く無い結果が出たわ」

 

 先ほどからずっと近くに置いていた小さな革製ポーチから深夜は白い封筒を取り出し封を切っていく。丁寧に糊付けされている事もあり、それは未開封の証拠であった。出てきたのは四つ折りで広げればB4サイズほどの一枚の診断書だ。ゆっくりとした手付きで紙を広げる深夜だがその顔には躊躇いと後悔がありありと浮かんでおり、滅多なことでは表情を変えない深夜を知っているからこそ対面に座る達也と深雪は驚きが隠せなかった。だからこそ、母でさえ表情を歪める結果を知りたくはなかった。

 

「大量のキャストジャミング……一つでも魔法師にとって苦痛そのもの。それを全力のパフォーマンスの中30分間も浴び続けたのだから…………この結果も当然なのでしょうね」

「そんなっ!? そんなの……嘘です! 嘘と言ってくださいお母様!!」

「……深雪、貴女の言いたいことはとてもよく分かるわ。でも……あの子はそれでも歌うでしょう。いつか声が枯れ果てるまでとは、よく言ったものね……」

「お兄様のお力があれば——」

「深雪」

 

 二ヶ月前、四葉の手がかかった病院にて長く精密な検査の下導き出された美雲の診断結果は、深雪にとって到底受け入れ難いもので、彼女は荒れる感情のままに立ち上がり声を張り上げて母の言葉を、診断結果を否定するがそれを制したのは美雲の片割れといっても良い双子の弟である達也であった。いかに敬愛すべき兄の言葉であっても、そう思い咄嗟に兄の方へと振り向くが深雪は思わず止まってしまう。

 

「俺でも無理なんだ。美雲の体は——『再生』を受け入れてくれない。まるで痛みも悲しみも幸福も、自分の結果は全て自分の物だと言っているように」

 

 達也は、無表情のまま頬を濡らしていた。言葉は全く揺れていない。傍目から見て彼はとても落ち着きを払った様子であった。無言のまま、涙を流しながら達也は机の上に広げられた診断書を手にしてじっと見つめ続ける。

 

「姉さんを止められなかった俺にも深雪にも、母さんにも穂波さんにも叔母上にも責任がある。これは人であるならいつか絶対に訪れるものなんだ。だけど、だけど……それでも、受けないといけないんだ」

「……美雲は既に知っているでしょうね。自分の事なのだから……」

 

 私にとって歌は命と美雲は口にする。それは何も知らない者からすれば、それだけ彼女が一生懸命だと、歌に対して真摯なのだと感心するだろう。誰であっても、自分の命が一番大事だと知っているのだから、彼女の心を知らぬ者に彼女の想いには、誰にも気づけない。

 

 

 

 

 帰宅してから、日々の日課である約3時間ほどの発声とダンスの練習を終えた美雲はシャワーを浴びて汗を流した後、リビングへと顔を出した。美雲も深夜と穂波に挨拶はしたがすぐに練習をしていたので近況は話していない。美雲が最後に深夜と穂波に出会ったのは一ヶ月前。話すことはそれほどないが美雲にとっては話すことよりも会うことの方が目的であった。

 

「お母様や穂波さんは?」

「……帰った」

 

 リビングに居たのは達也だけで、彼は薄暗いリビングの中でただ一人ソファーに座っていた。普段なら深雪が側にいるはずだと言うのに、随分と珍しい事もあると思ったが美雲は特に言及せずキッチンへと向かい冷蔵庫を開けた。自家製のスポーツドリンクが入った容器を取り出しグラスに注いでゆっくりと飲み干す美雲。美雲の細い喉からドリンクを飲み干す音が不気味なほどに響く。

 

「二ヶ月前だ。俺は、姉さんに歌ってほしいと言ったな」

「随分と細かいのね。二ヶ月前のことなんて普通覚えてないわよ」

「普通なんて俺は知らないしどうだっていい」

 

 互いに顔を合わせない二人。薄暗い空間なだけあって俯き気味の達也の表情は分からない。抑揚の少ない言葉遣いもあって彼が怒っているのか喜んでいるのかは第三者からすれば見当もつかない。

 

「前言撤回だ。頼むからもう……歌わないでくれ姉さん」

「論外ね。私は歌うわ」

「何故だ」

「私が歌いたいからよ。簡単でしょう?」

 

 グラスを流しに置いた美雲は顔を上げ睨みつけるような鋭い視線を真正面から受け止めた上で、達也の嘆きを無視するように歌うと口にした。達也とて美雲がどのような思いで歌っているのか知っていた。しかし、これほどまでの意志だったとは思わなかったのだ。姉を思うと何が何でも止めるのが最善で、しかし姉の意志を尊重するなら何も言わない事が最善という葛藤が達也の中で激流のように渦巻いた。しかし答えは出ない。だが、一つだけ確かに言える事があった。

 

「それでも俺は姉さんに——」



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Lesson4

 

 守るための力が欲しい、踏みならされた硬い地面に大の字になって背を付けて、憎らしいくらいに晴天の空を見上げた達也は拳を握りしめながら思う。肌を伝う大量の汗に不快感を感じながらもそれを拭う事はしなかった。

 

「どうしたんだい? 今日は嫌に感情的だねぇ」

 

 晴天を遮るように達也の視界に映り込んだのは、暗い色合いの胴着に身を包んだ禿頭の胡散臭そうな男だ。軽薄な笑みを浮かべ見るからに胡散臭そうな男だが左目から頬に走る鋭利な傷痕によって、近寄りがたい危険な雰囲気もあり夜道を歩けば不審者として即通報されかねない、そんな男が倒れこむ達也に手を差し出す。

 

「……いつも通りですよ、師匠」

「君は嘘が下手だね。いや、妹とお姉さんに関してはと、訂正しよう」

 

 ニヤリと男の口角が上がる。その笑みに苛立ちを感じた達也は土をつけられた事への意趣返しにと男の手を取るでもなく、素早い動きで背中から体を丸め込み、地面に両の手をつけてばね仕掛けの様に勢いよく立ち上がった。後転倒立のように立ち上がりながらも達也が自分の師匠である男へと蹴りかかる。

 

「おおっとぉ!? これは危ない!」

「ッ! 当たらないか……」

「手を差し出したら蹴ってくるなんて……全く達也くん、君ほど可愛げのない弟子を僕は知らないよ。さっきの流れは起き上がって流石師匠って君が言って、いや僕も危なかったよって僕が言う流れなんだよ?」

「知りませんよそんな三流喜劇」

「よっ! これは手厳しい!」

 

 飛び上がりながら蹴り上がる達也の一連の動きは武道の心得が無い者が見てもあっと驚く程無駄がない実用的なものだ。心身を鍛えるための武道ではなく、相手を殺傷する目的の武術の動き。素早く、躊躇わない達也の蹴りだが男は軽やかな動きで背後へと宙返りを決めた。宙へと身を晒した二人はほぼ同時に地面へと着地する。達也は向かい合う飄々と身構える男・九重八雲に舌打ちを打った。

 

 その胡散臭い笑みを止めさせてやると意気込んだ達也は、地を這うかのように身を低くして雷のように鋭い動きで八雲の懐へと飛び込み牽制目的で右の拳を放つ。右の拳は伸ばされる腕に手を添えられ八雲の体から逸らされる。この程度は織り込み済みだった達也。右の拳を八雲の体術によって逸らされ身を晒すように不安定な体勢になりながらも、達也は勢いのまま左足を高く蹴り上げた。

 

「甘いねぇ」

 

 八雲の側頭部を狙った容赦ない蹴撃。当たれば病院コース確実のそれは、危なげない動きで背中を反らした八雲の回避によって空を切る結果に終わる。伸びきる脚に伸縮して硬直した全身の筋肉。その隙を見逃さない八雲は上体を戻さず背中から地面に倒れこみ、片足となった達也の足を刈り取った。

 

「!?」

「とりゃ!」

 

 一瞬の浮遊感の中、飛び込む光景に達也はとっさの判断で腹部をかばうように両腕をクロスさせた。瞬間、達也のクロスした腕に衝撃が走る。腕の上から襲いかかる衝撃だが、捻りを加えられ、衝撃を体内に浸透させるようにして達也を吹き飛ばした。体が空へと浮かび上がる奇妙な感覚を味わう達也だが、腕から全身に走る衝撃によって呼吸を封じられながら約2メートルの距離を飛ばされ地面へと叩きつけられた。

 

「どうだい? 呼吸が封じられた気分は?」

「ッ!? ハァっ、ハァ…………体術ですか?」

「ご名答。最近はみんな、よく分からないモノならなんでも魔法にしたがるからね。君は聡明で何よりだ。流石僕の弟子」

「……衝撃によって、……相手の体内器官を乱す、体術」

「ま、一種の殺し技さ」

 

 息苦しさに顔をしかめる達也の視界に再び入った八雲だが、弟子に殺し技を使ったと言うにも関わらず相変わらずの笑みのまま。食えない人だと、達也はそう思いながら、差し出された八雲の手を取って今度こそ立ち上がる。

 

「お兄様! 大丈夫ですか? お怪我はございませんか?」

「あぁ……んんッ! 大丈夫だよ深雪。怪我はないさ」

「そうですか……お兄様に怪我が無くて深雪は何よりです」

 

 駆け寄ってきた深雪の慌てた表情をなだめるために、達也は現在進行形で息苦しさを感じながらも笑みを浮かべ彼女を安心させるとほっと深雪は息を吐くが、その麗しい顔に怒りを浮かべ八雲に対し幾ら何でもやり過ぎだと声を張り上げる。飄々とした八雲だが年頃の少女である深雪相手には分が悪いと感じたのか、ペコペコと頭を下げてご機嫌をとり始めたがそれでも深雪は収まらず、やはり一番強いのは男よりも女なのかと達也は他人事のように眺めていた。八雲を丸め込んで深雪の怒りは収まったのか非常にスッキリした顔になり、土煙によって汚れた達也の衣服に魔法を使いきれいにした深雪は二人を朝食に誘う。二人もそれに賛同し、鍛錬用の広い庭に面する九重寺の縁側に腰を下ろして深雪お手製のサンドイッチに舌鼓を打っていた中、不意に八雲は達也と深雪の二人に問うた。

 

「そういえば、美雲くんはアレ以来元気かい?」

「……師匠は姉さんと面識が無いはずですが?」

「いや一度だけ会ったんだよ。君たちがここに住み始めて達也くんと深雪くんが弟子になって二ヶ月くらいしてね。彼女から訪ねて来たんだ。」

 

 その時に何を話したのか気になった兄妹だが八雲が示すアレが何か深雪も達也も分かっているからこそ話を逸らす。いつ会ったのか、それはそれで気になることであったが八雲は信用できる相手であっても身内では無いのだから、美雲について言うべきでは無いと判断した達也と深雪は口をつぐむ。

 

「僕は彼女の歌のファンだからね……どうしても気になるのさ」

「先生……『(しの)び』なのでしょう?」

「その通りだよ深雪くん。でもね、俗世から離れた『忍び』の心さえも彼女の歌は掴んだ。だから、どうしても気になるのさ」

 

 八雲は気づいているのかいないのか、何度も気になると口にした。芸能人のプライベートを根掘り葉掘り聞き出そうとするのはマナーが悪いと言わざるを得ない。だが、聡い人であるのなら美雲の容体は誰でも気にしてしまうのではないかと達也と深雪は思ってしまう。深雪は話しても良いものか窺うように達也へと視線を向けた。深雪の視線に気づいた達也だが、こればかりは答えられないとして八雲に拒絶を意味を込めて首を横に振り返答とする。これ以上、聞くなと。

 

「そうか。いやすまない二人共。こればっかりは僕の浅慮だ……許しておくれ」

 

 八雲は頭を下げた。飄々とした雰囲気も軽薄な雰囲気も潜め真摯に謝罪の意を表明した。だからこそ達也も深雪も許すことにした。これ以上は意味のない問答だからだ。

 

「人と魔法師の間に立つ……難しいねぇ。魔法だ、兵器だと、どうでも良いことだよ。彼女の歌は素晴らしい。それで良いと思うのはダメなのかなぁ……」

 

 空を見上げながら八雲の口からポツリと出たその言葉が達也と深雪の心奥深くに染み入った。世界がもっと優しければ良いのにと、目を伏せ深雪は心で泣いた。

 

 

 

 

 九重八雲が住職を務める九重寺で日々の日課である鍛錬を終えた達也と付き添いの深雪が帰宅した時には既に美雲の姿は司波家には無く、二人の端末に非常に短いメッセージでの伝言があるだけで彼女は一人先に第一高校に向かっていた。すぐに登校の準備をした二人も第一高校へと向かう。時間の余裕はあり二人共遅刻することはなく、同じ学年であっても一科と二科という区分の為に達也と深雪は昇降階段で別れ互いの教室に向かう。敬愛する兄と別れた寂しさと姉と同じ教室である喜びを胸に深雪が1-Aに入ると多くの視線が向けられる。深雪の席は廊下側から2列目最前席。美雲は廊下側一列目最後席。深雪はシステムデスクのフックに手荷物を掛けるとすぐさま美雲の元へと向かった。

 

「おはようございますお姉様。同じクラスですね」

「ええ。貴女も朝からお疲れ様」

「いえ、お兄様やお姉様に比べれば私の労など取るに足りません。……あの、お姉様はもう選択科目の履修登録は終えられたのでしょうか?」

「教えるわけないでしょう。貴女が必要だと、学びたいと思う科目を自分で考えて選びなさい」

「もっ、申し訳ありませんお姉様!」

 

 姉のそばに居たいという健気な思いから出た深雪の言葉だが美雲は目を合わせずに否と返答した。教室にいる1-Aの生徒たちは美雲と深雪のやり取りを見守るも、美雲が深雪の言葉を否定した事に対していくら姉妹といえど言い方があるだろうと、美雲に対し反感を抱きながらも黙って見ているだけだ。今も美雲は特注のサングラスを掛けており、誰も彼女が『MIKUMO』であるとは気づけないしその美貌にも気づけない。傍目から見て、健気で美しい妹のお願いを断る意地の悪い姉という構図であった。

 

 しばらくの間立ち往生し黙ったまま美雲の顔色を窺う深雪であったが、美雲に戻れと促された事でしゅんと落ち込み後ろ髪引かれながらも席へと戻っていく。その様子を見ていた者たち、特に男子生徒が美雲に対し反感を抱くが誰も何も言おうとはしなかった。たとえ認識がずれていても美雲の独特で神秘的な雰囲気は損なわれていない為である。それからしばらくしてチャイムが鳴り教室の前側の扉を開けてスーツ姿の中年男性が入室してきた。男が入ってくると教室の生徒はすぐさま席につき緊張した面持ちで教壇に立った男へと視線を集める。その機敏な動きに満足したのか男は頷き咳払いをして話し始めた。

 

「初めまして皆さん。私は1-Aの指導教官を務める百舌谷(もずや)と言います。先ずは、第一高校入学おめでとうございます。しかし、魔法技能師への道を歩むとなればゆっくりと自己紹介をするような暇はありません」

 

 百舌谷の説明を聞く生徒たち。システムデスクへのID登録、選択科目の履修、この後行われる授業見学と説明を終えた百舌谷は授業見学の準備のためそれ以上何も言わずに退室した。魔法科高校は教員が万年不足しており百舌谷の態度はある意味当然とも言えるもので、生徒たちは立ち上がり授業見学について話し始める。何処に行くか、誰と見学するかと、会話に花を咲かせる生徒たちもやはり思春期の人間だが彼らの注目は自然と惹きつけられるように新入生総代を務めた深雪へと注がれた。誰が最初に深雪に声を掛けるか、男女問わず無言で牽制が行われていたがそれはあっけないほどに早く終わりを迎えた。

 

「お姉様……一緒に見学しませんか?」

「何を見るのかしら?」

「はい! 先ずは百舌谷先生が解説しながら案内をしてくださるとの事なので、そこから見て回りたいのですがお姉様は如何でしょうか?」

「わかったわ」

 

 ざわつく教室の生徒達。突然の騒めきについて気になった深雪は肩越しに振り返って様子を窺うもこれから姉と共に行動する喜びに比べれば些事だと切り捨て、教室後ろの扉を開けて先に進む美雲の後を深雪はついて行く。騒めく生徒達だが出遅れてはならぬと、深雪とお近づきになる為に我先にと行動を開始する。美雲が進みその後を雛鳥のように深雪がついて行く。その後ろを歩く1-Aの生徒達。集合場所である実験棟一階にいた百舌谷はその奇妙な行列を不思議に思ったが、新入生総代である深雪の求心力と美貌のお陰と判断し、意識を切り替え授業見学と解説に移る事にした。

 

 強化ガラス越しに伺える在校生が行う魔法実験を百舌谷が丁寧に解説し、時に生徒への質問を交えながらも見学自体はつつがなく進んだ。見学の最中に深雪は美雲の隣を歩く事で、偶然微かに触れ合う手の感触に頬を染め、手を繋ぎたいという欲求を抑えながら美雲の隣をついて行く。頬を染める深雪の様子を見ていた外野は文句のつけようがない美少女である深雪に比べて一見パッとしない美雲に対し、嫉妬と敵愾心にも似た感情を抱いた。しかし美雲は全く気にしていない。それが更に拍車をかけて行った。

 

「お姉様、昼食にいたしませんか? 第一高校は学食も美味しいと、七草生徒会長がそう仰っていました」

「そうね。自分で見なければ何も始まらないもの」

「何か、気になる物がありましたか?」

 

 授業見学が終わり美雲と一緒に食事をしようと深雪は声をかけたが返ってきたのは要領を得ないもので、姉への疑問によって小首を傾げた深雪の口から漏れた質問に美雲は答えない。サングラスから一瞬だけ見えた赤い瞳には、とても強い意志がこもっていた。深雪は美雲の瞳に魅入ってしまい足を止めたが先を行く美雲は待ってくれない。慌てて追いかけようとした深雪だがその隙を逃さないとばかりに声をかけてきた1-Aの生徒を捌ききれず大人数で食堂に向かう事になる。

 

 昼休みに入った食堂には既に多くの生徒がいたが運よく大人数で座れそうな席があり一科生の彼らはそこに行こうとしたが、深雪は兄と知り合いの姿を見てそちらに向かおうとした。しかし、深雪の兄とその知り合いが二科生である事に目敏く気づいた彼らはそれを認めなかった。

 

「花冠と雑草のケジメはつけるべきだよ」

 

 公然と使われた花冠と雑草という言葉だが誰も咎めようとはしなかった。一科生として入学できた新入生の増長と判断されたかそれとも、第一高校において二科生は一科生のスペアでしかないと本当に思われているのかと深雪の中に疑問と怒りが生まれた。これでは、美雲が身を砕いてまでやってきている事が何も実っていない。魔法の力を持たない人間からは人造の兵器と心無い罵倒をされ、魔法の才能を持つ人間からは一般人に媚びる三流魔法師などと言われた美雲を、深雪は知っている。それでも歌う事をやめなかった美雲を深雪は知っている。だからこそ深雪は彼らが許せない。深雪を中心として集まった一科生がいる食堂の一角で、肌寒さが感じられた。

 

「深雪、行くわよ」

 

 だが、深雪を中心に広がった肌寒さは一瞬だけで終わる。一科生達の中から深雪の手を掴んで攫っていくのは美雲である。もう片方の手には膨らんだビニール袋があり、深雪は美雲が購買で昼食を買って来たのだと、だから食堂に姿が見えなかったのだと気づきその背中を見つめる。

 

「ごめんなさい」

「お姉様が謝ることは何一つありません! 私が——」

 

 美雲の謝罪を深雪はとっさに否定した。美雲のやって来たことは無駄ではない、そう言いたくて、でも言葉が続かなくて、深雪はそれ以上何も言えず、美雲の手を握りしめた。深雪が感じた美雲の手は、小さな手であった。

 

 



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Lesson5

 

 第一高校にて特権とも言うべき職員の個人指導を受けられる一科生と、その権利を持たない二科生の間には無意識の差別による暗黙の了解が存在する。入試試験の結果、百人ずつに分けられた生徒達を明確に区別した烙印とも言うべき八枚花弁の有無によって、学校側は競争意識ではなく差別意識を植え付けてしまったが、国から多額の予算を割り振られている学校側の仕事は魔法大学に百人の優秀な学生を送る事にある。そのため多少の問題は大事の前の小事として片付けられ、未だ学校側からの改善策は何一つ提示されていない。故に、一科生の深雪が二科生である達也とその知り合いと一緒に帰宅しようとしても一科生側としては当然面白くないし、優秀と自負するからこそ認められない行いであった。

 

「司波さん、これから一科生だけで何処かに寄ろうよ」

「部活や選択科目について相談したい事があるの」

 

 第一高校の正門前にて深雪を引き止める男女混合の数人の一科生達は、もっともらしい理由を口にしているが深雪を待っている達也と二科生らを意識して無視して話を進める。達也のクラスメイトである千葉エリカ、西城レオンハルトは一科生らの態度に苛立ちを抱くもここで口を挟んでも面倒にしかならないと判断して黙っていた。

 

「いえ、私はお姉様やお兄様、その知り合いがたと一緒に帰宅します。皆さんもどうか御引き取りを」

「でもっ、司波さんの選択科目について聞きたいし——」

「気心の知れた知人と同じ科目を履修する、それは宜しいですが自分が本当に学びたいと思うものを選ぶ方がご自身にとってより良い結果につながると私は思います」

「そ、それだけじゃないんだよ司波さん! クラスメイトだしこれから仲良くしたいからさっ! お姉さんと一緒でもいいよっ!?」

「でしたら、後日ゆっくりとお話し致しましょう。勿論私にとっても、これから同じ学び舎で過ごす事になる貴方方クラスメイトと交友を温めることは大事ですが、家族との時間を大切にし、そのお知り合いと交流する事も大事なのです」

 

 一科生らの引き止めにも深雪は微笑みを絶やさない。しかし、彼女の可憐な唇から出てくる言葉は丁寧だが拒絶が明確に込められている。男女問わず魅了する笑みと理路整然と拒絶の言葉を返す深雪に一科生たちは押され気味だ。それを見たエリカ、レオはいい気味だと思いながら、相手の都合くらい事前に聞いておかないのかと段取りのグダグダっぷりに呆れて溜息を零した。

 

 そんな様子を一歩離れて見ていた達也にとって、一科生と二科生の間に存在する差別には思うことは確かにあるがはっきり言ってどうでも良いと結論を出している。彼にとって優先すべきは美雲と深雪であり自分ではない。故に、深雪が自分と一緒に行動しようとしてくれている想いは嬉しくもあるが、その結果深雪や美雲が一科生の中で孤立し楽しくない学校生活を送るとなれば、達也は自分の事を優先して欲しくなかった。

 

「深雪。俺は先に帰るよ。姉さん、深雪と——」

「いい加減にしてください! 深雪さんはお兄さんとお姉さんと一緒に帰ると言っているじゃありませんか!? どうして深雪さんの言葉を無視するんですか!?」

 

 校門前にて張り上げられた大きな声に、達也らだけではなく様子を窺うようにしていた生徒や無視していた生徒の視線も集まった。大きな声を上げたのは柴田美月という一見すると内気で大人しい印象の二科生の少女だ。大人しいという第一印象とすぐ近くでの大声という事もあり達也は驚いてしまうが、このままでは問題がこじれてしまうと判断し美月を止めようとした。しかしヒートアップした美月は達也の控えめな制止では止まらず、諦めの悪い一科生らに正論という苦情を浴びせてしまう。

 

「深雪さんは後日ならいいと言ってるじゃないですか!? なんでそうまでしてお兄さんである達也さんを省こうとしてるんですか!?」

「美月の言う通りね。高校生にもなったんなら普通は相手の都合を事前に聞いておくでしょ。勉強のしすぎじゃない?」

 

 感情が高ぶり矢面に出た美月の反論と水を得た魚のように意地の悪い笑みを浮かべて皮肉を飛ばしたエリカの言葉に、一科生たちの頬に赤色がさすがそれも一瞬であった。一科生である自分たちが公衆の前で二科生に諭された事実を、優秀であると自負しているからこそ認められずムキになって彼らは反論する。

 

花冠(ブルーム)である僕たちの補欠でしかない雑草(ウィード)如きが首を突っ込むな! 僕たちは司波さんと話しているんだ! 外野は黙っていろ!」

 

 花冠と雑草、その言葉は第一高校内にて禁止されている言葉だ。しかし、周りの生徒はその言葉を口にして咎めようとする正義感の持ち主も摘発するような上級生もいない。一科生は二科生より上である、そのような風潮は間違っているはずなのにここにいる皆は暗黙のうちに受け入れている。差別が存在する動かぬ証拠であった。

 

「可哀想な人ね」

 

 そう言ったのは達也たち二科生ではないし深雪でもない。今の今まで沈黙を保っていた美雲であった。同じ一科生に反論されるとは思わなかったのか一科生らは面食らっており、それは二科生らも同じである。

 

「……何が言いたい。同じ一科生だからと見逃していたが聞き捨てならないな。僕達の何が可哀想だって言うんだ!」

 

 深雪や美雲と同じクラスメイトの一科生らの中心に立っていた男子生徒、森崎駿が美雲へと噛みつくように反論し、彼の後ろにいる一科生たちも美雲へ厳しい視線を向ける。一科生から見て、午前からずっと深雪の視線も心も釘付けにしていた美雲は姉妹だったとしても深雪とお近づきになるには邪魔であったのだ。その上、可哀想だという美雲が口にした上からの言葉が彼らの心に火をつけるには既に十分すぎるほどであった。

 

 しかし、美雲は変わらず彼らを見据えたままだ。

 

「たとえどれだけ外側が綺麗でも中身の無いものは虚飾よ。その胸の、優秀である証が誇りだと言うのなら胸を張って誰かに誇れる人であるべきでしょう。貴方達が努力して手にした誇りは誰かを貶すための虚飾なのかしら?」

「……ッ!?」

 

 美雲の言葉によって一科生達の顔に明らかな動揺が走ったのを、何があっても対応できるように構えていた達也には分かった。美雲の言葉には不思議な力がある事を、グラフのような数値ではなく実感として達也も深雪も知っている。サングラスによって彼らの認識が逸れていても、その本質は損なわれていない。改めて美雲の言葉には出来ない力を知った達也は姉が誇らしいと思い、ほんの少しだけ気を緩めてしまった。

 

 それは間の悪いただの偶然だった。達也が気を緩めた空白に、美雲の言葉に気圧されてしまった森崎が、太ももに装着していたホルスターから拳銃型の特化型CADを抜き放ってしまうのは。

 

「危ない!」

「お姉様っ!!」

「!? 姉さん!」

 

 森崎が優秀であったからこそ、とっさの動きで発動してしまった魔法が美雲へと向けられた。美雲の言葉に呑まれてしまった一科生も、動揺で大人しくなった一科生たちを脅威と見なかった二科生たも、達也も深雪も一歩遅れてしまった。美雲の危機に深雪が声を張り上げ、達也は多くの制限を受けながらも自身が最速で発動できる『分解』をもって森崎が展開した魔法式を解体しようとした時、第一高校の正門前で、歌が響く。

 

 朗々と響き渡る歌声はその場に居た皆の心に響く歌声で、誰もが聞き入ってしまうほど美しい音色であった。それは、母親が愛しい子へ愛を注ぐように、包み込むような優しいの歌声で一科生たちの心に芽生えていた二科生への反感も、美雲への敵愾心も解きほぐしていく。発動直前であった森崎の魔法も、人前で決して使ってはいけない達也の魔法も、その歌声を聴いた瞬間に解きほぐされて消えていく。

 

 現実に流れた時間はほんの10秒程度であったが、校門前で響いた歌声を聴いた者達にとっては一瞬にしか感じられなかった。それほどの衝撃、感動が彼らの心に生まれたのだ。彼らの視線は歌い手に釘付けとなり、その歌い手が誰であるか、正常に認識した者達はあまりの驚きにその思考を停止させてしまう。

 

 先ほどまで美雲が付けていたサングラスは確かに効果を発揮していた。光波振動系の魔法によって人の視線を美雲からズラす。たったそれだけであったからこそ小規模で長時間の魔法発動で済んでいた。しかし美雲が歌ってしまったことで皆、彼女の正体に気づいたのだ。

 

「貴方が努力して手に入れたのは誰かを見下す為の、そんなちっぽけな誇りなのかしら?」

 

 その言葉に森崎は後ずさりをして手にしていたCADを取りこぼした。カランと、硬質な音がざわめくその場に響く。森崎は興奮し狭まった視野ではなく、美雲の歌によって精神の落ち着きを取り戻した。だからこそ自分が何をしたのか、強い罪悪感と後悔を覚えていた。

 

「ぅ……ぁ、ぼ、僕は……」

「魔法は力——そして力は容易く人を傷つけることが出来る。けれど、同時に人を守ることもできるものよ」

 

 美雲は森崎へと近づき、彼の手から落ちたCADを拾ってかすかな汚れを手で払うと森崎の手にしっかりと握らせる。戸惑いながら顔を上げた森崎はまっすぐに向けられた赤い瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えながら、続く言葉を心に焼き付けた。

 

「さっきの自分が間違っていると貴方自身が思うのなら、次は自分に胸を張れる貴方自身になりましょう」

 

 達也は思わず疑問を感じ、無言のまま美雲の背中に視線を向ける。一歩間違えば美雲に攻撃性の魔法が発動していたというのに、それを一言も責めることなく森崎の過ちを正した美雲の考えが達也にはとても理解できなかった。それに、入学式の翌日に美雲の正体が露見して今後発生するである問題に頭を悩ませ掛けたが、この場に勢いよく駆け寄ってくる二人分の気配と展開済みの起動式を感じ近く人影へと視線を向けた。

 

「生徒会長の七草真由美です。貴方達、1-Aと1-Eの生徒ですね。少し話を聞きたいのですが……」

「風紀委員長の渡辺摩利だ。動式は展開済みなので抵抗しない方が君たちの身の為だ」

 

 達也としては仕事が遅いと言いたい気分だった。美雲に怪我がなく終わったから良いものの、一歩間違えば怪我どころでは済まなかったのだから。

 

「ほんの少し行き違いがあっただけです。話せば彼も分かってくれました」

「……魔法の発動一歩手前だったと思うのだが、それでもほんの少しの行き違いなのか?」

「確かに魔法は発動直前でしたが、彼が自分の意思で止めてくれました。魔法は発動されていないと思いますが如何でしょう?」

 

 詭弁に等しい美雲の言葉。風紀委員長である摩利は鋭い視線を美雲に向けるが涼しげな表情が崩れない所を見て何もやましいところが無いと判断し、腕輪型CADを見せつけるようにかざしていた左手を下げる。

 

「流石に芸能人だな……」

「それで、この場はどう収めるのでしょうか」

 

 摩利はチラリと横目で真由美へと視線を向けた。美雲が色々な意味で一筋縄ではいかないと判断した摩利。その判断は生徒会長である真由美も同様で、ただ立っているだけの美雲に気圧されている事を実感しながらも毅然とした態度で対応する。

 

「……確かに、貴女の言う通り未遂に終わったようですしこの場は不問とします。ですが魔法の不正使用には年齢問わず社会的に厳しい罰が適応される、その事を十分に承知の上で今後は行動して下さい。では……今度またゆっくりとお話をしましょうMIKUMOさん」

「えぇ、また今度会いましょう。七草生徒会長」

 

 美雲を『MIKUMO』と呼んだ真由美。これは真由美にとって意趣返しでもあるのだが美雲は全く動じずに惚れ惚れする微笑みを浮かべて背を向けた。その動き一つ一つがモデルのように決まっていて真由美は自分が何だか子供のようだと恥ずかしくなったが背を向けている美雲が知ることはなかった。

 



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Lesson6

チャット風味がこれであってるのか不安です。
読みにくかったら言ってください。


 

 第一高校から駅への道のりを達也達は一科・二科の混成男女グループとなって歩いていた。正門前での諍いは生徒会長と風紀委員長の温情によりお咎めなしで解散となり、達也達は面倒な事情聴取二時間を取られることなく帰宅できた。しかし、問題は次から次へと舞い込んでくるのである。いや、この場合問題を呼び寄せたのは達也の双子の姉であって達也のせいではないのだが、同行するグループの深雪以外のメンバーからの質問したそうな視線が億劫であったのだ。

 

「達也、浮かない顔ね。楽しくない?」

「いや、何を指しているのか分からないが何でもないよ姉さん」

「何だと思うのか、当ててみなさい」

 

 達也らの数歩前を歩くサングラスを掛けた少女が振り向くことなく声をかけてくる。傍目から見れば普通の容姿だが纏う神秘的な雰囲気が何ともアンバランスな少女。サングラスに刻印された光波振動系魔法で人の視覚野に映り込む像をズラし、その姿を誤認させているのは達也と深雪の姉の美雲であり、巷で話題のスター歌手のMIKUMOである。

 

「ねぇ達也くん……マジ?」

「千葉さん。今時マジなんて死語を使う所、相当動揺してるみたいだが一応言っておくよ。マジだ」

「いや……普通考えないわよ。芸能人が魔法科高校にいるなんてさ……」

「世間的に『MIKUMO』は魔法師と認知されてるはずだろう。だから……姉さんが魔法科高校に通うのは不自然じゃないはずだが?」

「うんそうだけどさ。同じ学校の生徒が有名人でしたって驚くよ普通?」

 

 達也に意を決して問いかけたのは同じクラスの女生徒である千葉エリカだ。快活で一科生相手でも一歩も引かず皮肉を飛ばせる彼女の姿を見た達也としては、その呆然とした姿に笑いが込み上げたが表情には出さずにエリカの質問に端的に答えることにした。この場にいる深雪以外のメンバーが抱える疑問だったはずで皆食い入るように達也の言葉を聞いて、視線を再び前を歩く美雲へと向ける。

 

「あぁ、柴田さんは気づけたんじゃないかな?」

「え? 私は全然分からなかったんですけど……どうしてでしょう?」

 

 オーバーアクション気味であったが美月は肩を大きく上下して心底意外だと言わんばかりの表情を達也に向けて問い返した。深雪も何故と疑問顔を達也に向けたので妹の疑問を答える意味も込め目を指差した。

 

「霊子放射光過敏症なら気づけるんじゃないかと思ってね。知り合いの人が言うには、姉さんの霊子放射光の活動は特徴的で一度見れば忘れられないらしいから」

「あ、そうなんですね! でも、達也さんのお姉さんの姿を直接見たのは初めてで分かりませんでした。ただ……一目見て凄く綺麗なオーラをしてるのは分かります」

 

 豊かな魔法の才能を持つ者でも、霊子(プシオン)と呼ばれる実態が定かではない超心理現象において活動が観測される粒子を正確に観ることはできない。ただそこにあるとされているソレを霊子放射光過敏症の者は光として観測が可能なのだ。美月は重度の霊子放射光過敏症でありレンズで遮断しても見えてしまうほど。だから達也は美月なら分かったのではないかと判断した。

 

 霊子放射光過敏症の実態を知らない者はなるほどと、何となく納得しているが当事者である美月は得心が言ったとばかりに深く頷く。

 

「はぁ~……ホントにMIKUMOさんだぁ……」

「ほのか、口が開いてる。だらしないよ」

「だ、だって雫! あのMIKUMOさんだよ!? ビックリするよ! 雫もファンなのに何でそんなに落ち着いてるのっ!?」

「……よく訓練されたファンは取り乱さない」

 

 一科生の生徒で深雪と美雲のクラスメイトである光井ほのかという愛嬌のある少女と、北山雫というクールな印象の少女の会話を誰が咎められるだろう。様々な思惑があれどテレビに出演した歌手を前に、むしろ雫の落ち着きすぎている態度の方がおかしいのかもしれなかったが達也としては余計な騒ぎは好ましくないのでよく訓練されたファンらしい雫に対し心の中で感謝を浮かべた。

 

「光井さん、少し落ち着いて」

「あ、そっ、そうだね司波さん。芸能人だからバレたらマズいもんね……ごめんなさい」

「その思いがあれば私もそれ以上は言いません。でも、光井さんの気持ちも分かるから、ね?」

 

 深雪の注意にも素直に応じたほのかの態度を見て、一科生といえど十人十色だと達也らは思う。

 

「まぁ、それなら納得だな」

「何が納得なんだレオ?」

 

 男女混成グループの中で達也以外の男子であるレオの納得との言葉。一体何が疑問なのか達也としては疑問であった。それは他の者も同じなのか視線がレオへと集まる。多くの、それも女子の視線が一斉に集まったとあっては、あまり細かいことは気にしない性格のレオであってもたじろいでしまうが気を取り直したレオは慌てながら言葉を発した。

 

「達也、あんまり騒ぎ起こしたくなかっただろ? 妹さんも姉さんも一科だからかと思ってたんだが有名人だから気を使ってたのかと納得でな! ほら……有名人が問題起こしたらすぐスキャンダルだしよ」

「それもある。芸能人とスキャンダルはもはや切っても切り離せないのは言うまでもないが……身バレしてサインだ握手だ何だとなれば収集が付かないからな」

「あぁ、そういうのもあんのか……有名税ってやつ?」

 

 芸能人が身内というのは大変だと労うような視線が達也と深雪に向けられたが二人にとって、正体を隠すというのは慣れたもので今更であった。それにバレてしまったのだから、今後どうするのかという思考が達也の中に生まれていた。生徒会、風紀委員、部活連、部活動……上げていけばキリがないが美雲を加入させれば発言力が増すであろう組織への対処が目下の問題なのだ。

 

「でもさ、『そういうのは事務所を通して~』って言えばいいんじゃない?」

「それで収まらないのが大衆だからね千葉さん。そういうわけで北山さん、その手に持っている色紙とマジックをしまってくれ。というか何で持っているんだ……」

「愚問だよ達也さん。いつ会っても大丈夫なように準備してた」

 

 雫の手には色紙とマジックが握られている。おそらく手提げ鞄から取り出したのだろうがいつ取り出したのかわからない早業であった。ふんすと、擬音でも付きそうな息を出し、はにかむような笑みを浮かべている雫。ここまで熱心なファンがいるのかと達也たちは脱力したが、深雪は嬉しそうにニコニコと笑っていた。

 

「あ……でもプライベート……」

 

 興奮気味で普段らしからぬ雫だが迷惑をかけるのは本意ではなかった。その為、手提げ鞄に色紙とマジックをしまおうとするがその手は非常に遅く明らかに名残惜しそうで、叶うならサインが欲しいことがすぐに分かる。しかし、それはそれ、皆仕方ないと思ったところで雫に救いの手が伸ばされた。

 

「いいわよ」

 

 手を伸ばし、雫の手から色紙とマジックを取ると手慣れた動きでサインを書き始める。これには雫も達也たちも予想外でその場に立ち止まってしまうほどだ。

 

「北山雫。貴女宛に、それでいい?」

「は、はいっ!」

「私の歌を聞いてくれてありがとう。……深雪や達也とも仲良くしてあげて」

「ありがとうございます! もちろん、仲良くする!」

 

 胸の内に湧き出る感情を抑えきれなかった雫は美雲から手渡された色紙とマジックをとても大切な宝物のように抱き締めて彼女らしからぬ大きな声で答え、そんな素直な雫に満足したのか美雲は微笑みを浮かべ再び前に向き直って歩き出す。

 

「姉さん、少しは控えてくれ……」

「ですがお兄様。隠れるなんてお姉様には似合いません」

「深雪……いやそうなんだけどね」

 

 これも有名税というものなのか、達也はそう思って諦めることにした。

 

 

——M.FC(非公式)チャットルーム——

 

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『MIKUMOタンの生歌が聞きたい』

 

・HN.チャンミオ

『激しく同意』

 

・HN.おみやげ

『でも、あのクソ企画のおかげで倒れたでしょ。活動休止じゃないの?』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『何故愚民は芸術を理解できないのか語り合おうではないか』

 

・HN.BOZE

『女王様辛辣すぎw』

 

・HN.ジジジジジ

『この女王に政治させたら終わるな』

 

・HN.チャンミオ

『激しく同意』

 

・HN.おみやげ

『歳だからボケてるんでしょ』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『黙れBBA』

 

・HN.おみやげ

『しばくぞコラ』

 

・HN.BOZE

『BBA同士の喧嘩w』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『黙れハゲ』

 

・HN.おみやげ

『むしるぞハゲ』

 

・HN.ジジジジジ

『我らが姫の新情報あるで』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『聞かせなさいジジイ』

 

・HN.おみやげ

『何でジジイが知ってる?』

 

・HN.チャンミオ

『激しく同意』

 

・HN.キラ☆リン

『私が来た』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『主だ』

 

・HN.おみやげ

『主よ』

 

・HN.キラ☆リン

『崇めよ』

 

・HN.BOZE

『そんなことより姫の情報』

 

・HN.チャンミオ

『激しく同意』

 

・HN.キラ☆リン

『MIKUMO様、魔法科第一高校にいるらしい。驚きが隠せない』

 

・HN.ジジジジジ

『魔法の才能があるなら普通でね?』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『クンカクンカしたい』

 

・HN.おみやげ

『黙ってろ女王(笑)』

 

・HN.チャンミオ

『激しく同意』

 

・HN.BOZE

『サインほちぃ』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『黙れハゲ』

 

・HN.チャンミオ

『激しく同意』

 

・HN.BOZE

『BBAどもが辛辣w』

 

・HN.キラ☆リン

『ちな、我らよく訓練されたファンはマナーを守れるな?』

 

・HN.ジジジジジ

『当たり前すぎて草』

 

・HN.チャンミオ

『激しく同意』

 

・HN.BOZE

『死んでも漏らさない所存w』

 

・HN.おみやげ

『迷惑かけないのはファンとして当たり前』

 

・HN.漆黒の夜に舞い降りし堕天の女王

『ハスハスしたい。だめ?』

 

・HN.キラ☆リン

『バンするぞ』

 

・HN.かっちゃん

『すまん遅れた。全部読んだ上で言わせてもらう。気持ちは分かるが控えるべきだな』

 

 

 

 山梨県なのに山があってそんな山の中にある四葉本邸にて、携帯端末片手に同好の士が集まったチャットルームにて思いの丈を叫んだら全否定された黒いドレスを着た女が小首を傾げた。

 

「奥様、如何なさいましたか?」

「問題よ葉山さん。美雲さんへの愛をチャットで口にしたら全否定されたの。私、我が子のように美雲さんを愛しているのに……酷いと思わない?」

 

 現代において日本を飛び出し世界最強と謳われる魔法師の一人、触れられざる者たちの悪名を欲しいままにする四葉家当主、四葉真夜の言葉に四葉家に仕える執事である葉山は微笑みを浮かべながら内心で盛大なため息をついた。真夜にとって美雲の存在がどれほど特別なのか、葉山はよく理解している。しかしそれはそれ、これはこれである。

 

「奥様、お気持ちは分かりますが控えましょう。過剰に過ぎれば美雲様に嫌われるやもしれませんぞ?」

「それは困ったわ……でもね葉山さん。美雲さんの事を考えるとどうしても会いたくなるのよ。きっとこれが恋なのね……美雲さん、なんて罪な女なの」

「奥様、それは恋ではありません。紅茶を飲んで落ち着きましょう」

「冗談よ葉山さん」

 

 余裕の微笑みを浮かべる真夜に顔を見て、人は随分と変わるものだと葉山は思う。魔王の心を救い人に戻してくれた歌姫に感謝を抱いた葉山は、恭しく一礼をしてから紅茶の準備に取り掛かるのであった。

 



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Lesson7

 

 入学式から二日経った今日、美雲を含めた三人の兄妹は駅を利用し第一高校へと通学する。入学式ちょうどに満開の桜が咲き誇っていた並木道。今では所々花が散りアスファルトの道路上に桜の花びらが散らばっていた。

 

 登校途中の三人は顔見知りであるエリカ、美月、レオと合流し一緒に登校することにしたが、エリカたち三人は美雲の扱いを決めかねているようで戸惑いの視線が美雲に向けられていることに達也と深雪は気づく。しかし見知らぬ生徒らの姿がある場所ですべき話ではないと二人は判断し、他の人間がいない所で話すことに決めた。

 

「姉さん、本当に負担はないのか?」

「大丈夫よ」

「そうか」

 

 美雲が装着しているサングラスのフレームに刻印された魔法式は達也の目から見ても非常に文句のつけようがないほど洗練されている。しかし家から駅、コミュータ内、登校の道と装着時間はバカにならないのだ。達也同様に深雪も心配そうな視線を美雲へと向けるが返ってきたのは心配ないという言葉とミステリアスな微笑みだった。

 

「達也くん、えっと……お姉さん体調が悪いの?」

「いや、そういうわけじゃないよ千葉さん。姉さんは二重生活だから」

「あっそっか! じゃあ今新曲作ってたりするのかな~?」

 

 美雲の体とサングラスについて言うべきではないと判断した達也は別の言葉を使って誤魔化したが、納得してもらったのかレオも美月も頷くことで返事とする。しかしエリカは興味津々といった感じで美雲の歌手活動について突っ込んできた。その事について達也も深雪も全くの門外漢であり、エリカの質問には答えられない。レオと美月も突っ込みはしないがその目に宿った興味関心が隠し切れていない。果たしてどのような答えが最も穏便に済むか、達也は考えたがそれは徒労に終わった。

 

「大体決まってるわ。だけど、スタジオの確保にメンバーが集まらないと収録できないの」

「じゃあ、歌詞はもう決まってるんだ?」

「ええ。メロディも大まかには」

 

 美雲にとって隠すべき事ではなかったのだろう。あっけらかんと話すがそれでいいのかと達也は思った。だが、気ままな美雲が言った所で聞き入れてくれるかとなると今までの経験からして無駄であり、ならば少しでも穏便な方向に落ち着けたいと思う達也はまごう事なき苦労人であった。その上苦労を掛けている美雲が自重しないのだから始末に負えない。そして苦労は向こうからやってきた。

 

「おはようございます皆さん。仲が良いようで何よりですね」

「おはようございます七草生徒会長」

「えぇ、おはようございます司波さん」

 

 にこやかな微笑みを浮かべながら達也たちに声を掛けてきたのは第一高校の生徒会長である七草真由美である。同じ道をゆく他の生徒たちも真由美の姿に視線が集まると同時に、真由美が声を掛けたたちにも自然と人の目が集まった。

 

「どう? 学校には慣れました?」

「いえ、まだまだ分からない事ばかりですので……」

「聞きたいことがあるのでしたら何でも聞いてくださいね。あなた達の話も是非聞きたいわ」

 

 あなた達、そう言った真由美の視線はエリカやレオ、美月や達也たちに確かに見ていたが、その微笑みの中で達也を見る瞬間に純粋な好意とは違う思惑を感じた達也は十師族であると事も踏まえて警戒を抱くが顔に出すことはしない。エリカ達二科生は生徒会長の手前遠慮しているのか、それとも純粋に話すことがないのか一言二言話しをして終わる。それから真由美の視線が深雪と美雲に向けられる。

 

「そうだ! あなた達三人をランチに招待しようかと思うのだけれどどうかしら?」

「お兄様、お姉様……如何致しましょう?」

「深雪の好きにすればいいよ。姉さんはどうする?」

 

 達也にとって優先すべきは深雪と美雲である。深雪にとっても優先すべきは達也と美雲である。なので二人の答えは図らずとも美雲に託されていた。

 

「いいわよ。確かめておきたい事もあるから」

「確かめておきたい事、ですか? それは一体なんでしょうかお姉様」

 

 生徒会長からのランチの誘いは偶然だとしても、美雲の言動からはいずれ生徒会室に行かなければならないと言う意思を感じた深雪は問いを投げかけたがそれは返答を期待してのものではない。達也なら深雪の疑問に、彼女を不安にさせないようにしながら答えてくれるが美雲はその本心を滅多な事では明かさない事を深雪はよく知っている。だから、これは深雪にとって姉に構ってもらいたいという健気な思いだったのだ。

 

「今まで何もせず黙って見ていたのは誰? 深雪、貴女は新入生総代なのだからよく考えて自分なりの答えを今日中に出しておきなさい」

 

 だから答えが返ってきたのは深雪にとって予想外であり、彼らにとって美雲の答えが予想外だった。美雲の答えを聞いて驚きで目を見開いた真由美の様子に達也は気づいたが背を向けている美雲がその驚きに気付いているのか判別はつかない。しかし確かに達也が言えることは、美雲には他の誰とも違う全く別の物が見えていると言うことだけだった。

 

 

 

「あ……! お、おはよう司波さん」

 

 達也達や真由美と別れ1-Aの教室に入った美雲と深雪の二人。そんな二人にいの一番に反応したのは先ほどまで光井ほのかと談笑していた北山雫である。

 

「おはよう。北山雫」

「う、うん!」

 

 美雲の素っ気ない挨拶にも、雫ははにかみながら返事をした。席の関係上、雫の後ろの席は美雲であるため美雲が雫の後ろに座るのはおかしなことではない。しかし、雫は美雲が後ろである事にまだ慣れないのか見るからに緊張した顔つきでしきりに後ろの席を気にしていた。

 

 深雪は教室に入ってすぐに自分の席に荷物を置くと美雲の元へ向かう。新入生総代である深雪に視線が集まるが、彼女はその視線を機にする事なく美雲の側に近寄るとニコニコと笑みを浮かべた。美雲の側に居れる、その事が全てにおいて勝る喜びだというかのようで、その満面の笑みにクラスの者たちは男女問わず心奪われた。

 

「お姉様。歌手として精力的に活動なされるのはよろしいのですが、どうかご自愛下さい。お姉様がまた倒れるような事があれば私もお兄様も……悲しいのです」

 

 諌めるような深雪の言葉は次第に尻すぼみになり、震える声となって終息した。体の前で重ねられた手で浅く頭を下げた深雪の姿は嘆願というに相応しい。誰であっても思わず聞き入れてしまうほどの破壊力が込められた深雪の行動だが、美雲はどう思っているのか顔を向けることはない。

 

「お姉様……」

 

 代わりに、美雲は深雪の重なった手にそっと手を重ねる。しかし言葉は無い。大丈夫とも、ごめんなさいとも言わず美雲は黙ったままであった。そしてチャイムが鳴り授業が始まる。深雪は口惜しい思いをしながらも自分の席に戻るしかなかった。

 

 

 

 

 美雲はサングラスを外して授業を受けていた。その結果、彼女がスター歌手『MIKUMO』であることは瞬く間に広がる事になった。事故とはいえ、前日の時点で既に自分からサングラスを外し正体をバラしているのだから美雲としては今更である。朝の授業に始まり昼休みの時点で既に廊下から美雲の姿を一目でも見ようと多くの学生が詰め掛ける事になった。多くの好奇の視線を浴びせられても美雲の態度に変化はない。それを傍目から見ていた深雪は、美雲が誇らしくもあり悲しくもあった。

 

 昼休み、生徒会長からランチに誘われた美雲と深雪は達也が迎えに来ると多くの視線に晒されながらも生徒会室に向かう。その際、二科生である達也にぶしつけな視線が向けられ深雪の機嫌が悪くなったが生徒会室前に辿り着いた時には表面上なりを潜める。美雲の手には購買で買ったであろうサンドイッチや飲み物が入ったナイロン袋が握られており達也は姉の用意周到さに頭が上がらない思いであった。気を紛らわすように視線を前に向けた達也の目に映ったのは、最先端設備が揃った魔法科高校に似つかわしくない温かみのある木製の扉が生徒会室の入り口だ。それを不思議に思った達也と深雪であったが気を取り直し、扉の脇に埋め込まれたタッチパネルを押した。

 

「1-A司波深雪、同じく司波美雲。1-E司波達也です」

『はいどうぞ……開錠済みですのでどうぞお入り下さい』

 

 深雪がインターホン越しに来客を告げると、返答は生徒会長直々である。ピーという、単調な電子音と共に開錠された扉。木造という一見古めかしい外観だが中身は電子制御された扉であった。達也が取っ手に手を掛け開けると既に役員は揃っており、席に座って待っている。一番奥、扉をあけて入口から入ってきた達也らと相対するように席に座っていた真由美が柔和な笑みを浮かべて入室を促す。

 

「遠慮しないで入って頂戴」

 

 真由美の愛らしい外見と年上としての余裕からなる微笑みは不思議と警戒心を煽る事なく緊張感をほぐす笑みだが、達也にとってその程度の笑みで崩れる警戒心は持ち合わせていない。もし、達也の極まった警戒心を笑みだけで解きほぐせる者がいるならば、それは深雪と美雲だけだ。

 

「失礼します」

 

 達也は深雪や美雲よりも先に入室し安全を確認しようとした。それは達也の体に染み付いた習慣のようなもので無意識の行動だ。しかしそれを制して生徒会室に入室したのは達也でも深雪ではない。微笑みを浮かべた美雲である。その軽挙に達也は思わず言葉が出かけたがそれを今まで培った自制心によって抑え込む。美雲は達也を守ろうとしている、その愛情がわからないほど達也の心は白紙化していない。

 

「こんにちは、美雲さん。いえ『MIKUMO』さん……どちらで呼べばいいかしら?」

「どちらでも構いません。私は私、その事実は変わりません」

「じゃあ、お近づきの印に美雲さんでいいかしら? 私も真由美でいいわ」

「では――真由美さん。そう呼ばせてもらいます」

「深雪さんも達也くんも席に座って。自動配膳機(ダイニングサーバー)があるから食事にしましょう。話はその後にしましょう」

 

 席を勧められて達也らは空いた席に座る事にした。上座に最も近いのは美雲、その次に深雪、続いて達也。年長者である美雲が上座に座るのは当然かもしれないが、深雪と達也は美雲が上座に座ったのかその本心を理解する。

 

「お手数をかけて申し訳ありませんお姉様……」

「気にしなくていいわ。真由美さん、私や深雪、達也の分は用意してありますのでお気遣いなく」

「あら、そう? じゃあ私は今日、何にしようかしら〜?」

 

 若干砕けたような口調となった真由美だがこちらが素なのか、それとも意図した口調か。しかし真由美の砕けた口調が生徒会室に漂う雰囲気を和やかなものにした事は確かである。生徒会室の壁に埋め込まれている自動配膳機を小柄な生徒が操作して出てきた物をぴょこぴょこと配膳していく。達也や深雪も美雲が買ってきた食事を受け取り、全員に食事が行き届いた所でランチが始まった。

 

「ねぇ、美雲さん。貴女、ダイエットなんかしてるの?」

「いえ、していません。ただ比較的体は動かしている方です」

「そうなの。参考までに何をしているのか聞いてもいい?」

「……会長。一応言っておきますが姉さんの運動量を参考にしないほうがいいですよ」

 

 身内である事をぬきにしても、達也や深雪から見ても美雲の容姿は美しいと感じていた。それは彼らが普段見慣れているから美しい程度で済んでいるのだが、傍目から見て美雲がどう映っているのかそれは真由美の食い気味な姿勢から察することができる。

 

「ほほう? それではどれくらい体を動かしているのか参考までに教えて欲しいな」

 

 この場にいる風紀委員長・渡辺摩利と役員らしい小柄な女子生徒も興味を持って美雲へと視線を向ける。ただ一人、大人びた雰囲気の少女は視線を伏せ気味にして興味なさげにしていたが、真由美らの中で一番の興味関心を美雲へと向けている事に達也と深雪は気づく。その少女に何かあるのかと達也は勘繰ったが美雲はさらっと答えを口にした。

 

「朝のランニングで30分。発声練習とダンスで三時間。寝る前にストレッチ30分ほど。毎日です」

「……確かに参考にならないわね」

「芸能人の体型維持はそれほどまでにシビアなのか……」

 

 真由美と摩利の唖然とした呟き。それについては深雪も達也も一も二もなく同意であった。ただ一つ付け加えるとするならば、美雲の運動量は芸能活動と共に増えたのではなく大体中学生の頃から同等の量をこなしている。もうちょっと自分に気を使っても良いのではないかと、達也は自分のことを置いてそう考えながらもサンドイッチを食べ終え一呼吸おいた。

 

「生徒会長、二つほどよろしいでしょうか?」

「はい。何かしら達也くん。お姉さんの事を知りたいの? 二つだけでいいのかしら?」

「深雪と姉さんを生徒会室に招いたのは生徒会に加入させたい、そう考えていいですか?」

「もう、冗談が通じない子ね。コホンっ——達也くんの質問にはイエスと答えましょう。生徒会は代々新入生総代の子を次期生徒会長として教育すべく加入させてきました。深雪さんを誘ったのはそれが理由です。美雲さんの場合、もちろん彼女も非常に優秀な成績ということも理由の一つですが最たる理由として事態の迅速な収束のためです」

 

 既に用意してあったかのような真由美の解答。彼個人としては深雪や美雲が難関と謳われる第一高校の生徒会役員に任命されるのは非常に喜ばしいことだ。しかし、二人を守護する者として言わねばならない、確かめなければならないことが達也にはある。

 

「二つ目——七草は美雲の固有魔法『女神の歌声(ワルキューレ )』を利用するつもりですか?」

 



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Lesson8

 美雲がその体に宿す唯一にして無二の魔法。その暫定名称は系統外魔法『女神の歌声(ワルキューレ)』。その能力はいまだ謎であり、それでもあえて説明するならば人を繋ぎ、人の可能性を広げる魔法。発動条件は美雲の強い意志と歌。

 

 だからこそ、魔法師もただの人も彼女を恐れると同時に首輪をつけて我が物にしようとした。万人魅了しその移ろいゆく人の心を繋ぐ歌声を利用し兵器にしようと考える。凡人であっても、秀才であっても、天才であっても、魔法師であっても、理論上あらゆる人の可能性を広げる魔法を手中にしようと国外が彼女の歌に注目した。

 

 それが、美雲がその身に秘めた歌声である。

 

 

 

 

「司波くん、その懸念はもっともだと思います。ですが七草はともかく、我々生徒会は美雲さんの歌を私的に利用する気は一切ないと明言させて頂きます」

 

 殺気を隠すことなく達也が真由美に問い詰めたが、その質問に答えたのは達也の殺気に飲まれ固まった真由美でも小柄な女子生徒でもなく、咄嗟に身構えた摩利でもなく、美雲に人一倍強い興味関心を寄せていた生徒会役員の市原鈴音であった。

 

 鈴音の紹介はされていないが、生徒会役員ということで事前に調べた達也は彼女のことを把握していた。

 

「市原先輩、その確証はどこにあるんですか?」

「……ありません。ただ、信じて下さいとしか」

 

 信じる、鈴音の口から出てきた言葉は達也にとって美雲の安全を確保するのに足る理由ではない。それどころか一蹴すべき戯言であったが、それを敢えて口にするということは逆に、七草や生徒会は除外して市原鈴音という人間は信用できるのではないかという考えが達也の中に生まれた。

 

「では――利用しようとしたら市原先輩はどうしますか?」

 

 どう返す?――鈴音の返答次第で、達也は深雪と美雲を連れて帰るつもりだった。悪意ある大人の都合を浴び続け鍛え上げられた達也は、頭の中で考えられる複数の可能性を思い浮かべ答えを待つ。

 

 無言は最も愚策である。だから明確な返答が欲しくて、信じるに足る答えが必要だった。そして返答は迷い無く、躊躇いなく、打算なく返って来た。

 

「どのような結果に落ち着くにしろ——リコールします」

「リンちゃん――!?」

「市原お前何言ってるんだッ!?」

 

 返答は衝撃的で、だからこそ取り返しがつかない。生徒会長および役員、風紀委員長と第一高校の秩序を司る者たちの前で口にしたのだ。今更冗談ですなどと言えない。そして何より、まっすぐと前を見て達也から視線を逸らさない鈴音の意思はすでに決まっていた。

 

「何なら、色々とバラしてはいけない物もバラしますが?」

「冗談も大概にしろ市原ッ!」

「渡辺さん。私は冷静ですよ」

 

 摩利は鈴音とはさほど親しくはないが、だからと言ってこの問題発言を放置することはできず、最悪を回避すべく冗談として収めようとする。しかし、鈴音はため息を零した。まるで、摩利の擁護がお門違いだというように深くため息をつく。

 

「会長には恩があり居場所も用意してもらった。服部くんや中條さんといった――改善すべき点はあれど良い人たちと仕事もできる。えぇ、その場所を、恩を、友情を選ばない私は愚かでしょう。ですが、人と魔法師の架け橋になれるであろう美雲さんを――私情で利用しようとする行為こそ最も愚かしい――私はそう断言します」

 

 役員の誰もが絶句する中、鈴音は自分を愚かと称した。だが、だからこそ達也は彼女を信用ではなく、信頼に足る人物だと確信できた。女神の歌声が呼び水となり芽吹く改革の意思がそこにはある。

 

「勿論、私は会長を信じていますよ。ですが、それ以上に私は――美雲さんに傷ついて欲しくないんです」

 

 

 

 

 

「おい達也。何ボーッとしてんだよ。次、お前の番だぜ」

「――あぁ。レオ、か」

 

 友人、と言っていいのかわからないが第一高校に入学して翌日から比較的よく行動を共にするレオの声を耳にした達也は、授業中にも関わらず自分が深く考え込んでいて周りが見えていなかった事に気づく事が出来た。

 

 魔法実習室にて行われている1-Eの魔法訓練。コンパイルと呼ばれる、起動式を自身の魔法演算領域に取り込み、魔法式にして投射する工程を短縮する狙いを持った今回の授業。学校教材用もCADから供給される起動式を用いて移動魔法を発動しレールに乗せられた台車を移動系の基礎単一系魔法で動かすだけである。一つの起動式から一つの魔法式を投射するコンパイルにおいて、優秀な魔法師は一工程を0.5秒未満に抑えてと言われるほど。一科生なら苦もなくクリアできるラインだが二科生の殆どがこのラインをクリアできない。

 

「よし――」

 

 最低クリアラインは1000ms以内、つまり1秒以内に収めなければならない。CADに手を乗せて想子を流し込んだ瞬間、CADの発動と連動した計測器の計測が始まった。達也は起動式が魔法演算領域に取り込まれ処理される工程を認識しながら、同時に、今この場において不要な要素を処理していく。四葉の秘匿技術をもってすれば、単一系の魔法など歪な魔法演算領域を持つ達也であっても苦もなく発動できる。しかし、ほんの一時の自尊心を満たす行いだったとしても、達也はソレを行使しない事を自身に課した。

 

「遅いな」

 

 結果は最低ラインである1秒をとうに過ぎており、二科生の中でも不出来と言える結果がデジタル表記で達也に突きつけられた。周りが結果に一喜一憂しながら訓練に励んでいるが、達也はため息を吐くと共にCADから手を離して背後の列、その最後尾へと戻っていく。次に備えていたレオは、達也の姿を見て声をかけることはしなかったが、瞳には達也を労わるような感情が浮かんでいた。

 

 授業時間内に課題をクリアできなければ居残りや補修、などという前時代的な行いは無い。だが授業カリキュラムは次へと進みこの程度で二の足を踏んでいてはカリキュラムについていけないことは目に見えている。達也の頭の中ではこの課題をどうやってクリアするか必死になって自分を見つめ直す、ということは無く彼の思考は一つに絞られていた。

 

「レオ」

「どした達也? 俺で答えられんならいいぜ」

 

 列の最後尾に戻り達也の後ろに並んだレオに彼は問いかける。オーバーアクション気味に肩をすくめながらそう前置きしたレオ。気さくだがこういった細かい気配りが出来るレオの人の良さをありがたいと感じた達也は、それならば遠慮なくと自分の中に生まれていた疑問の答えを求めて言葉にした。

 

「姉さんをどう思う?」

「あー……質問の意味がわからん」

 

 返答を耳にした達也が振り返ると、そこには訳がわからないと腕を組み首をひねっていたレオがいた。達也としては簡潔に疑問を口にしたと思っているのだが、レオの様子と先ほど自分が口にした内容を振り返り、レオが何故わからなかったのか気づく事ができた。

 

「『MIKUMO』について、どう思う? 生の声を聞いてみたいと思ってな」

「あぁそう言うことか……ってもうまく言えるかわかん無いぜ? それに、その、達也の姉さんだろ?」

 

 レオは友人と思っている達也の質問に答えれるか、達也の顔色を伺うように見ながら口にする。レオ自身、達也の質問には答えたいと思っているが自分が口が立つ人間ではないと知っている。それと同時に相手が望んでいるとはいえ、友人の身内に対しての評価などしていいのかと迷っていた。しかし達也の顔を見て頑なな意思を感じたレオは根負けし、気恥ずかしさを感じながらMIKUMOへの自身の考えや思いを言葉にした。

 

「ありがとうって、言いたいかな」

 

 言葉にした気恥ずかしさからレオはむず痒さを感じて誤魔化すように頭をガシガシと掻いた。その様子を達也は観察しながらありがとうとは何に対してか思考する。レオの言葉はまだ続くらしく、本人には言わないでくれと、そう念押しして言葉を選んだ。

 

「俺の家族ってさ、魔法師そんなに居ないんだよ。だからまぁ……家族なんだけど何か、こう、な? 壁があるんだよ」

 

 達也は気さくなレオの複雑な家族関係を聞いて、とっさにすまないと言いかけた。だが、謝罪を口にする事はその事情を語ってくれた相手の誠意を蔑ろにする行いだと思い直し黙ってレオを見る。実習室で会話をしている生徒は達也やレオの他にも居て、レオの言葉はそれに隠れたが達也の耳にはハッキリと届いた。

 

「半年前くらいだっけか? 達也の姉さんデビューしたの?」

「そうだな。正確には1stシングルが出た時期だ」

「俺、CD買いに行ったんだよ。色々回った挙句、まぁ……買えなかったんだけどな。その時は俺が中学3年で姉貴が高校2年でよ。日も落ちて、家に帰ったらその時姉貴も帰ってきてて玄関前でばったりだ。で、まぁ……さっきも言った通り壁があって気まずい感じだった。一応会話はあったぜ? でも大した事は話さなかったと、思う」

 

 22世紀を目前とした昨今、あらゆるものがデジタル化とユビキタス化が浸透した時代において、CDというアナログな記録媒体はもはや時代遅れと言われている。一部の有志や学生が個人的な活動の際にCDに音源を記録したり、トップアーティストがアルバムなどで売り出すときぐらいしか使われていない。MIKUMOが彗星の如く現れた存在とはいえ、当初売りに出されたCDは多くない。それでも瞬く間に完売となった。関係ない話だがMIKUMOの1stシングルCDには現在プレミアが付いている。

 

「そしたらよ、姉貴が買えたみたいだったんだ」

「そうなのか?」

「おう。苦労したらしいぜ? んで俺は、そのとき初めて姉貴もMIKUMOの歌が好きなんだって知ったんだ。変だよな。おんなじ家に住んでんのにそんな事全然知らなかったんだからな」

 

 達也は別におかしくないと思ったが、レオがそう思うのならと、そう納得することにした。それに達也にとって、究極的にいえばレオの家族関係は達也には関係のない話であり気にすべきことではないし、部外者が口を挟むべきことではないのだ。

 

「色々省くんだがそっからだ。ちょくちょく姉貴と話すようになった。そっから親父やお袋、ばあさんともな」

「それで、ありがとう、に繋がるんだな」

「そういうこった」

 

 ありがとうと、レオは短く簡潔な言葉でまとめたがそこには様々な意味と思いが込められているのだろうと達也は実感として理解できた。形は違えど、達也も多くのモノを姉である美雲からもらっている。だから、他人を経由してではなく自分で感謝を返したいと考えるのだ。

 

 ただ達也は、この気の良い知人に聞いてよかったと思うことができた。下手に取り繕うことなく、真摯に言葉を尽くして自分の内側をさらけ出してくれたレオ。その言葉に嘘がなかったからこそ達也は決める。

 

 生徒会入りについては、美雲と深雪、二人の判断に委ねようと。美雲の戦いはまだまだ始まったばかりだが、決して無駄ではなくその思いは確かに世界に届いていた。



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Lesson9

 放課後、達也と深雪、美雲の3人は生徒会入りについての返答をする為に再び生徒会室に向かう。廊下を歩く三人だがその先頭を行くのは美雲であった。まるで、ついてこい、道を示す、矢面に立つと迷いのない堂々とした足取りで先を行く姿が、達也と深雪の答えに自信を持たせてくれる。

 

「お姉様。明日からお弁当など如何でしょうか? バランスの良い食事を取ればお姉様の体型維持の一助になると、私は思うのです」

 

 深雪の提案を聞いて達也は同意と納得と共に小さく頷いた。美雲の女性として理想的なスタイルの維持は、ただ食事制限をして痩せていればいいというものではない。力強い歌声を長時間出しながらダンスも行える肉体を維持しなければならないのだから、美雲には三食ともにバランスの良い食事が必要なのである。今日は不測の事態のために購買で買ったサンドイッチで済ませたが、深雪はそれについて申し訳なく思いこうして姉の為になればと自ら提案したのだ。

 

「なら、お願いするわね深雪」

「はい、お姉様! 腕によりを掛けて美味しいお弁当を作らせていただきますね!」

 

 姉からのお願いに深雪は満開の花のように顔をほころばせて破顔した。勿論、深雪は本心から美雲の助けになればと提案したが、根底にあるのは姉に構って欲しいという健気な思い。昼休みの生徒会室で、摩利が手作りと思われる弁当を見た深雪は此れ幸いと、敬愛する姉に自分の料理を食べて欲くてこうして提案したのである。この瞬間から深雪の頭にあるのは生徒会加入への返答ではなく、明日から、いや今週の弁当には何を入れるかという献立表であった。同時に深雪の中では兄である達也の弁当を作ることも決定事項であり、夢想するのは木漏れ日が差し込む中庭のベンチの下三人で同じ食事を囲む深雪たちという幸せな構図。

 

「姉さん。返答は決まってるのか?」

「勿体ぶるつもりは無いけれど今は言わない。深雪の決断を揺さぶりたくは無いの」

「そうか。もしもだが、姉さんが生徒会に入るとなると色々と大変だと思ってね」

「ですがお兄様。お姉様が生徒会役員になればその名声がさらに高まるのでは無いでしょうか? 慣習として新入生総代が生徒会長になって来たようですが深雪はお姉様が生徒会長になってこの第一高校、いえ魔法社会および人の社会をも正し、導いていく輝く御姿を見てみたいです!」

「深雪、馬鹿なこと言わないで」

 

 深雪の未来予想図にさすがの達也であっても予想外すぎて言葉に窮したが美雲の叱責が飛んだが、その言葉に反して声色は非常に柔らかい。生徒会室の木造の扉の前で立ち止まり半身となった美雲の左手が深雪の頬に近づき、白く柔らかな頬に向けて人差し指が伸ばされて頬をつく。ぷにぷにと、軽く動く美雲の指。深雪は子供扱いされていることにむくれ頬を膨らませたがそんなものは形だけのアピールでしか無いのは、美雲の指が離れたことで咄嗟に出た残念そうな表情と吐息で明らかだ。

 

 しかし、傍目から見ると種類は誓えど絶世の美少女たちが戯れる様子は男女問わず魅了してやまないのだが、特等席で見ていた達也は微笑ましい姉妹の戯れに頬をかすかに緩めるだけで、出会って数日しか経っていないのにレオから冷めてる又は枯れてると思われているのはあながち間違いでも無いのかもしれない。深雪と美雲、その二人が達也の全てを知りながらも受け入れ愛してくれていることは達也にとって最大の幸福だ。同時に、事情はあれど、美しすぎる二人に囲まれて美的感覚が麻痺していることは不幸なのかもしれない。

 

「深雪。私や達也のことを慕ってくれているのは本当に嬉しい。だけど、自分の判断を私たちに委ねることはやめなさい。貴女が貴女らしくあること、それが何よりも嬉しい事」

「はいお姉様。こうして暖かいお言葉をかけてくださる事を本当に嬉しく思います。……私はお姉様やお兄様に比べて至らない事ばかりの未熟者です。迷い、間違いを多く犯すやもしれません。それでも導いて下さい。いつまでもお傍に――居させて下さい」

 

 不安からか、胸元で両の手を握りしめて深雪は懇願する。敬愛する姉に、自分らしくあって欲しいと言われそうありたいと思いながら、それでも未熟なままで、微温湯に浸かるように暖かな陽だまりの中で、敬愛する二人の温もりに包まれていたいという二律背反。そんな愚かで臆病な自分を叱咤して欲しいが見捨てないで欲しい。そんないじらしい深雪の想いから出て言葉。

 

「それでいいの」

 

 返答は抱擁だった。深雪の肩に腕を回し頭を抱え込むようにして胸元に引き寄せた美雲は安心させるために深雪の艶やかな黒髪を優しく撫でた。

 

「いつか必ず別れるとしても私は貴女の味方よ」

 

 美雲の優しい言葉を耳にした二人の脳裏によぎったのは、何時ぞや深夜から差し出された一枚の診断書。そのいつかは一体何時なのか、深雪と達也はそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

「いらっしゃい三人共。さっそくで悪いのだけれど答えを聞かせって貰ってもいいかしら?」

 

 内側からの操作によってロックが解除され、臆する事なく生徒会室へと再び足を踏み入れた三人を出迎えた真由美の笑顔もそこそこに、三人に席を勧めることなく真由美はさっそく本題へと切り込んだ。

 

 スペースのある長机の奥、最も上座に座る真由美は努めて友好的に接しているがこの場には全ての生徒会役員と、生徒会を筆頭に第一高校の治安を担う風紀委員長と部活連会頭が同席している。昼休みには同席していなかった二人の男子。生真面目で神経質そうな印象の男子は生徒会副会長の服部刑部。そしてもう一人制服越しからも隆起した筋肉の造形が分かる男子は、三巨頭と呼ばれる三人の生徒のうち唯一の男子である十文字克人。

 

 ピリッと、緊張の空気が漂う生徒会室の空気に深雪は気圧されるが隣に立つ達也と臆することのない美雲の後ろ姿に励まされ、胸を張り前を向いて真由美と視線を交わらせた。真由美は後輩のその勇敢で気丈な姿にこれまでにない期待を抱く。だからこそ生徒会に加入して、第一高校に蔓延るモノを払う手助けをしてもらいと思いながら、深雪の輝きに恐れを抱いてた。それは美雲に対しても同様であった。

 

「生徒会加入の話、喜んでお受けします」

「お姉様同様、私も慎んでお受けいたします」

 

 緊張した空気が漂っていた生徒会室に、鈴の音のように涼やかで軽やかな声色が言葉を告げる。いっそあっけないほどの返答に、空気に当てられて意識せずとも構えていた真由美や気の弱い中条あずさは肩透かしを食った。あずさなどあからさまな態度として胸を撫でおろす程だが、その意図しない動きが、ほんの少しだけ緊迫した空気を解きほぐした。

 

「よかったぁ……断られたらどうしようかって、私悩んでたのよ?」

「ですが会長。こうして望んだ形になって良かったのではないでしょうか?」

「それもそうね深雪さん。なんだか心配して損した気分!」

 

 肩の荷が下りたように、先ほどよりも柔らかい印象の笑みを浮かべた真由美へと微笑んだ深雪。先ほどまでの緊迫感が嘘のように緩んだ空気が流れるも、それは完全とは言い難い。一科生として自らの実力を誇る服部刑部の視線が、この場においてただ一人の二科生である達也へと向けられていた。当然、友好的な視線ではない。何故部外者がこの場に居るという疑問と不快感と敵意。その視線はあまりに露骨だ。同時に、達也にとってソレは慣れ親しんだものだった。

 

「それじゃあ深雪さんは書記として、美雲さんは会計補佐として今期生徒会に参加していただきます。みんなもそれでいいかしら?」

「は、はいっ。大丈夫です!」

「お二人が良いのでしたら、私からは異存ありません会長」

「うんうん。それじゃあ深雪さんはあーちゃんから、美雲さんはリンちゃんから教わってね。最初は慣れない物に触れて戸惑うこともあると思うけれど一緒に頑張っていきましょう」

 

 後輩に格好の良い姿を見せようと、小柄な体を精一杯ピンと伸ばし胸を張るあずさ。三雲と深雪の加入を粛々と受け入れ言葉は少ないが、礼儀正しい一礼した鈴音。深雪はそんな二人の先輩たちの温かい受け入れ方を見て喜びを抱くが、それは少しの間であり、深雪の視線は不躾な態度を取る服部へと向けられた。

 

「服部先輩、姉と兄共々よろしくお願い致します」

「……えぇ。生徒会へようこそ司波深雪さん、司波美雲さん。副会長として歓迎します」

 

 兄共々も、深雪の言葉に一瞬顔を歪めた服部だが人当たりの良さそうな笑みを浮かべその場を乗り切る。達也はその分かり易すぎる態度と言動からどうやら腹芸が苦手なようだと、服部について判断するも特に何も言わず黙っておいた。

 

 服部の態度に真由美は困った風に眉根を寄せ、摩利は腕を組みながらトントンと苛立たしげに人差し指で腕を叩く。克人は何かを押し殺すように無言のまま押し黙っていた。鈴音も黙っているが克人とは別種の沈黙で、あずさは空気の変化に若干怯え気味だ。

 

 別に服部の態度は第一高校においてそれほどおかしいものではない。ただ、この場には一科と二科の確執において懐疑的であったり、取り成したいと改善へと意気込む者が多いだけだ。しかし、それは少数派だ。魔法というものが軍事力として期待されている現代において、競合では無く融和を考えている者たちの方が異端かもしれない。それが徹底した実力主義である魔法科社会の縮図、魔法科高校の現状であった。

 

「随分と大人気ないのですね、服部副会長」

 

 だがしかし、己が道を行くと決めた美雲にとってそのような空気を読むだろうか。否、真正面から見据えた上で彼女は否定する。

 

「……どういう意味かな?」

「代わり映えしない空の景色。凪の無い水面。違う空を知らないなら、貴方の世界は満ち足りているのですね」

 

 いかに含蓄のある言葉でも、過ぎればそれは意味の分からぬ言葉の羅列でしかない。一体何が如何して、美雲は服部の世界が満ちているというのか。思わずその意味を尋ねた服部を誰が責められようか。困惑の視線が美雲へと向けられるがそれについて美雲は答えることはなく、微笑みを浮かべるのみである。ただその前に口にした大人気ないという言葉から察すると、服部の態度を咎めているのか又は憐れんでいるのかもしれない。

 

「代わり映えしない空……凪の無い水面……なるほど。もし、そう言う意味なら的確だ」

「別に隠す気も混乱させるつもりはないわ。ただ、思ったことを口にしただけ」

 

 いち早く美雲の言いたいことに気づいた達也。意地が悪いと姉へと視線を向けるが、肩越しに振り返った美雲の顔には微笑だけで、なぜその言葉を口にしたのかと言う真意は伺い知れない。答えず、そして尋ねない、まるで言わずとも通じ合っているかのような関係性。そんな似ても似つかない、だがどこか似ている双子のやり取りを見て深雪は流石お姉様とお兄様と、比翼の連理のような二人に熱のこもった視線を向けるが外野は結局分からずじまいだ。

 

 真由美は達也や美雲に、言葉の意味を尋ねようとしたが応答は、緩く弧を描した唇に当てられた人差し指という艶やかで愛らしいジェスチャーだ。美雲の返答に、一瞬心に空白を生み頬の熱さを自覚した真由美はとっさに視線を逸らしたがそれは彼女だけではない。ただ、これでは聞けずじまいで疑問は氷解しないままだ。

 

「知りたかったら達也に聞けばいいでしょう?」

 

 もっともな答えだが、一科生の服部では二科生の達也に尋ねれる訳もなく。今日の顔合わせは終わりだ。ただ、生徒会役員や摩利、克人も美雲が非常に癖のある存在だという事しか分からずに終わった。

 

 

 

 今は4月、短針と長針も6時を回ったが外はまだ明るい。部活動や自習に励んでいた生徒たちは後片付けをして校門をくぐり下校する者が殆どだが、生徒会室に三人の姿があった。生徒会長、風紀委員長、部活連会頭。真由美は生徒会室ということもあって上座に座り、摩利は真由美から左斜め前に座る。克人は女性二人に気遣ってか長机を挟んで真由美の対面に座る。この場に他の役員たちの姿は無い。故に内密な話をするのにはうってつけであった。

 

「どうなる事かと思ったけど……二人共無事に参加してくれて本当に良かったわ」

「妹の方は新入生総代で即レギュラー候補だからな。姉の方は妹に見劣りするとはいえ入試では10位以内。その上、誇張無しに二人共美人と来た。どこの部活動も放っておかないだろう」

「話題性、そういう意味では司波美雲は司波深雪以上だろう。活動を停止しているとはいえ彼女は『MIKUMO』だ。良くも悪くも人の耳目を引き寄せる」

「生徒が芸能関係者なんて前代未聞よ」

「なんだ真由美。七草のお前でも未経験があったのか?」

「ちょっと摩利! それは関係ないでしょ!」

 

 摩利の言葉は揶揄するものでそれは真由美自身も長い付き合いから分かっている。故に声が大きくなったとはいえこの程度はじゃれあいだ。ただ色々と積もったものがあるのか、真由美の反撃もそこそこに机の上に上体を投げ出した。比喩無しにお嬢様である真由美のその醜態を見れば、言葉を失う者が出てくるだろうが二人は大なり小なり外面を取り繕ろわれた猫の皮の奥にある本性を知っている。だから何も言わない。だらしないと思っても口にはしない。それが分かっているから真由美もここまで自身を曝け出しているのだ。

 

「それにしても姉——司波美雲が言った事はなんだったんだ? あたしには何のことかさっぱりだった」

「あ、それは私も。何か……古典からの引用かしら?」

「代わり映えしない空と凪の無い水面、だったか? 確かに詩的ではある」

 

 話題となったのはつい数時間前に美雲の口から出てきた意味深な言葉。要領を得ない言葉に頭を捻る摩利だが真由美の脳裏に浮かぶのは美雲の艶やかなジャスチャーであった。真由美のストレス発散方法として少々小悪魔的な言動と仕草で男子の心を揺さぶるというものがある。真由美は色々と研究したりとしているのだが美雲のそれは真由美の意表を突く物であり、故にちょっとした対抗心のようなものが浮かんでいた。

 

 ウンウンと悩む摩利と人を魅せる本職相手に対抗心を浮かべる真由美。そんな二人だが響く重厚な声に意識を向ける事になった。

 

「恐らく、彼女は——服部に対して無知だと言いたかったのだろう」

 

 克人は腕を組んだままそう答えた。克人の顔に浮かんでいるのは笑み。彼の表情は喜びと敵わないと、そんな不思議な表情だ。自身に向けられている二人分の視線に気づいた克人は表情を引き締めなぜそのような結論に至ったのか、自分なりの答えを、口にした。

 

「井の中の蛙、大海を知らず——そう言えば分かりやすいだろう。代わり映えしない空は同じ物しか見ていない、凪の無い水面は新たな興味や未知という風が吹いていない事を指していると考えたならば——そういう事なのだろう」

 



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Lesson10

久しぶりの投稿。
忘れている人の方が多いと思いますが、またやっていこうかなと思います。
ですが、不定期になるかと思います。
すみません・・。


 先日、生徒会に加入する事になった美雲と深雪だが二人の生活に大きな変化が訪れたわけでは無い。二人は新入生であり、補佐という役回りもあって先ずは生徒会の仕事・雰囲気に慣れるべきだと生徒会長である真由美が判断し、本格的な業務には移ってはいなかった。

 

 加入から数日、放課後の一時間ほどを生徒会で過ごした二人だが、高校生にして色々と経験豊富な彼女たちにはさほど負担ではなくミスを出さず無事に終わった。

 

 彼女たち二人はミスが無い事を、当然のように業務を行っていたが、役員たちは一度説明した事をきちんと理解し、わからない事があれば積極的に質問をして理解を深めていく二人の優秀さに改めて感心し、これは思っていた以上に期待以上の新人が加入したと、内心喜びながらも先輩として、新人に恥ずかしく無いようにと気を引き締めさせる良い刺激となった。

 

 第一高校に新入生が入学して約一週間、慌ただしさと緊張が収まりつつあった一年生たちであったが新たな騒ぎとそこに潜む悪意が巻き起こることを、まだ誰も知らなかった。

 

 

 

 時刻は6時前。春の季節の麗らかな陽気は無く、ほんのりと肌寒い気温が流れる。日は東から昇り街並みを照らし人々の目覚めを促し始めた。そんな肌寒さと春の暖かさが同居する空の下、コンクリートで舗装された公道の歩行者優先スペースを走る二人の少女の姿があった。

 

「……深雪、休みなさい」

「ハァっ……っ! い、いえっ……ぁ、だ、大丈夫ですお姉様!」

 

 

 明らかにオーバーペース、紫色のフレームのサングラスを掛けた美雲は走るペースを緩めることなく、数歩離れながらもついてくる深雪の荒い呼吸と不規則な足音から判断した。

 

 昨今、寒冷化の影響と公共の場ではみだりに肌を出すべきではないと言うファッションコーデによって二人の露出は上下のインナーによって覆われている。しかし、美雲は半袖の黒いインナーに青のタンクトップとトレーナー素材の7分丈の黒いパンツと言うラフな格好。深雪は手首まで覆われた黒のインナーの上に白いを基調として青のラインが肩に走る半袖のスポーツウェアに美雲と同じデザインのトレーナーズボンだが、こちらは足首まで長さがある。

 

 美雲のルーチンである朝のランニングに決まった距離はない。30分の間、黙々と足を動かすだけだ。決められた距離を走るより時間制限で黙々と走らされる方が、人間精神的にキツいと言われているが美雲は敢えて後者を選んでいた。3年前、東京・八王子市に引っ越してきてから美雲はこの日課を余程のことがない限り欠かしたことはない。

 

 であるならば、ほんの2ヶ月前から同行を申し出てきた深雪が同じペースでランニングができないのは道理だろう。むしろよくついてきている方だと、妹に甘いとはいえ冷静に分析できる達也であっても口にする筈だ。

 

「はぁ……ハァっ、ぁ……クッ! ふっ……ハッ!」

 

 だが、深雪の表情に満足や喜びはなく、額を玉粒の汗で濡らし喘ぐように酸素を求め、足運びが不規則になりながらも懸命に走り続けていた。深雪が醜態を晒してまでも止まらない理由は単純だった。

 

 敬愛する姉に、兄に並び立ちたいと言う健気さ故だった。

 

「後10分よ」

「ッ! は、はいっ!」

 

 美雲は走りながら、左手首に回す四角形のデジタル時計を確認して残り時間を告げる。それは確認であると同時に深雪への励ましだ。後もう少し、頑張れと、美雲は言葉にはしない。そうして励ましの言葉を口に出すことは深雪の思いを否定する事に繋がると分かっている。

 

 だから、美雲は励まさない。規則的な呼吸のまま胸を張って前を見て振り返らない。変わる事なく自分のペースで足を動かし続ける。深雪は前を行く美雲の背中をしっかりと見つめ、懸命に追いかけた。後もう少しで6時、三人が暮らす家だ。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 第一高校にて、もうすぐ授業が始まるといった空白時間。1-Aの教室では椅子に座り授業の準備や、数人で予習の確認する者たちがいる中で北山雫はそのどれにも当てはまることはなく自分の携帯端末のディスプレイを見つめたまま無言を貫いていた。

 

 しかし、突如彼女は頬を緩ませる。普段から無表情で感情があまり表情に出ず、目で語る彼女にしては珍しい変化であった。

 

 へにゃ、とでも擬音がつきそうな程の頬の緩み具合。雫と長い付き合いである光井ほのかがその変化を目にしたなら、驚愕のあまり二度見してしまうのは確実である。しかし、ほのかは席を外しておりそれを見ることはない。

 

 ざわざわと、会話が行われる教室で雫はジッとディスプレイに視線を落とし続けた。周囲の喧騒を無視して熱心にディスプレイを見続けていた雫だったが、不意に顔を上げて教室と廊下を繋ぐドアへと視線を向けると偶然か、教室のドアが開き二人の少女が入室する。

 

「あっ……おはよう深雪。――美雲さんも」

 

 割り振られた席の関係上、雫の後ろは司波姉妹だ。しかし、雫はその事実に未だ慣れずにいた。表面上平静を保ちながらも雫の心は決して穏やかなものではなかった。

 

「おはよう」

 

 雫の挨拶におはようと返す美雲。ただそれだけであったが雫にとって喜びが溢れる出来事だ。朝のニュースでやっていた星座占いで最下位であったが、雫は今後その番組の占いを信じない事に決める。美雲の挨拶は素っ気なさは感じられず洗練された恰好良さが目立ち、さらに雫の心をときめかせる。それは他のクラスの人間も同じだった。

 

 司波が三人いる、という事で紛らわしいから名前で良いと、彼女達に伝えられたのが校門での諍いが起きた日の帰り道。だが誰も美雲を呼び捨てには出来ずにいた。遠慮と恐れが先だって呼ぼうにも読めないのである。

 

「おはよう北山さん。光井さんはまだ来ていないの?」

「ううん、ちょっと席を外してるだけ。もうすぐ帰ってくると思うよ」

「そうなのね。もしかしたら遅刻したのかと思って、杞憂でよかったわ」

 

 席につき雫の話を聞いた深雪は、優しげな微笑みを浮かべた。その微笑みは男女問わず惹きつけるほどの破壊力が秘められており1-Aの教室に空白が生まれたが深雪も雫も気にしない。そこで、深雪は雫が大事そうに両手で持っていた携帯端末に気づく。ディスプレイの発光による反射光に気づき、何かを見ていたのだろうと当たりをつけ、深雪の視線に気づいた雫は恥ずかしそうに、だが喜びを隠そうとして隠しきれない愛らしい表情で口を開いた。

 

「美雲さんのサイン……写真に撮って保存した」

「そうなの……。北山さんのような良い人がファンで私も嬉しいわ」

「うん! 大事にする!」

 

 交流してほんの数日とは言え、深雪は雫があまり表に出さない人間だと把握していた。そんな人間が人目を忘れて、感情を露わにするほど姉が慕われている・応援されていると言う事が深雪にとって実に嬉しく誇らしく、深雪もまた本心からの微笑みを雫に向けた。

 

 そこだけ見れば和やかな雰囲気だが雫の言う大事には、その日の内に額縁に飾って台座を付けて強化ガラスの箱に入れて電子ロック式の錠を二重に付ける、と言う大事の範疇を大幅に超えた保存だった。これは私に向けてのものだから他の誰かの指紋なぞ要らぬ、そのような彼女の執念さえ感じられる。

 

「あ、おはよう深雪! 美雲さんも……あれ?」

 

 噂をすればなんとやら、席を立っていたほのかが教室に帰ってきて深雪に朝の挨拶をしながら近づき、何かに気づいたのか美雲に疑問の声と視線を向けた。

 

「あの、どうかしたんですか?」

「おはよう、そうね……何でもないわ」

 

 ほのかの言葉につられて雫と深雪は背後に座る美雲へと振り返った。サングラスを付けていない美雲は赤い瞳を手に持つシルバーの携帯端末を向けたまま何でもないと口にして、側面のボタンを押してスリープにした。

 

 淀みない動きと何でもないと言う言葉から雫とほのかは気に留めなかった。しかし、一瞬とはいえ深雪は周囲に人がいるにも関わらず眉間にしわを寄せる。

 

「お姉様——後で必ずお話を伺わせて頂きます」

「あら、なら居残りしないようにしなさいな」

 

 入学試験の主席である深雪に対して告げられた美雲の言葉は冗談にしても上手くないものだったが、荒ぶる深雪をなだめる効果はあったらしい。険しい表情から羞恥で頬を染めた深雪が恥ずかしそうに廊下側の窓へと顔をそらす。

 

 ちょうど、HRの始まりを告げるチャイムが鳴った。クラスの人間が自分の席へと戻っていく。それは立っていたほのかや深雪も同じだ。深雪は自分の席、美雲の後ろの席に座り憂いのこもった瞳を背筋のピンと伸びる背中に向けるが、返答は何も無い。

 

 また厄介な仕事が姉に舞い込んでくるのかと、深雪はそっとため息を吐いた。

 



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