ロウきゅーぶ!のハイ勢がロウだった頃+オリ主の話(仮) (緑茶わいん)
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小学生
プロローグ -鶴見翔子という少女-


二話を翌日投稿後、不定期更新予定です。


 何かが違う。

 最初に感じたのは物心ついたばかりの頃だった。

 

 鶴見翔子。

 

 ごくごく普通の中流家庭に生まれた()は、生物学的には女の子だった。

 赤ん坊の頃の俺は当たり前のように赤やピンクの服を着せられ、遊び道具に人形を与えられた。最初はちゃんと喜んでいたらしい。

 だが、自我が芽生えるにつれて、どうしても受け入れられなくなった。

 

 癇癪を起こして可愛いものを拒んだ。

 青や黒の服を好み。人形なら戦隊ものや光の巨人を欲しがった。棒を振り回してチャンバラごっこをし、自分のことは『わたし』ではなく『ぼく』と呼んだ。

 遊び相手はもっぱら男子。ままごとで『お父さん役』になって怒るどころか笑って喜ぶ。

 両親は「一時の気まぐれだろう」と楽観視していたが、性格は直るどころか日々悪化した。

 

 違う。

 ぼくは、いや、()は女じゃない、男だ!

 

 何度窘められても、諭されても、男子から笑われても主張を曲げなかった。

 端的に言って問題児だった。人は異物を排除したがる。素直な子供ならなおのこと。それでも幼稚園では『変わった子』で済んでいたが、小学校に入るとそうもいかなくなった。

 喧嘩やいじめは日常茶飯事。

 両親も困り果て、担任や精神科医に相談するなど苦心していたが、俺は頑ななままだった。

 

 ――何故なら、それは魂の叫びだったからだ。

 

 俺には前世の記憶がある。

 かつての俺は成人した男だった。女装趣味もなければ女になりたいとも思っておらず、当たり前のように女を恋愛対象にしていた。生まれ変わった当初は忘れていたが、成長するにつれて記憶が蘇った。

 理由のわからないぼんやりした違和感が明確な嫌悪に変わったのはそこからだ。

 

 だけど、転生が原因で女の身体に馴染めません、なんて言えるわけがない。

 

 最終的には家族からも匙を投げられた。

 治らないものは仕方ないと、俺の性別については我が家ではタブーになっている。

 

 そして。

 どうしようもないまま、無情にも時は流れて。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「はぁ……」

 

 放課後。

 公園のベンチに一人、腰かけた俺はため息をついた。

 隣には黒いランドセル。小二あたりで「もう赤なんて使いたくない!」と駄々をこねた結果、中古で買ってもらったものだ。新品同様の赤いランドセルは小学六年生の春になっても押し入れで埃を被っている。

 

 校内で「悪い意味で有名」になった俺は今日も今日とて暇だった。ぼんやりと見上げた空は青い。子供の一日は長いのだ。まあ、友達と遊び惚けていればすぐ夕方になるのだろうが、生憎俺には友達がいない。

 毎日直帰していては親が心配する。

 意地を張って学校に残っても先生方を困らせるので、必然的にどこかで時間を潰すことになる。主な行先は公園や河原。いつも同じ場所だと不審に思われるかもしれないので、できるだけ違う場所で時間を潰すようにしていた。

 

 今日いる公園も自宅からは少し遠いところだ。

 帰る時に少し歩かなくてはいけないが、遠いということは小学校の知り合いが来る可能性も低い。なかなか悪くないチョイスだと思う。

 ただ、スマホもなしで時間を潰すのはなかなかしんどい。

 スマホは最近ようやく出始めたかな? 程度である。まだまだ持っていて当然という時代ではない。携帯ゲーム機ならまだアレだが、さんざん迷惑かけておいてゲームが欲しいとか物凄く言いづらい。理由が放課後の暇つぶしでは余計だ。

 

「……宿題でもするかなあ」

 

 呟いて、ランドセルから宿題を取り出す。

 やることを学校側が用意してくれるのは有難い。まあ、とはいえ小学校の宿題だ。前世で大学まで出ている身で躓きようもない。

 できるだけのんびり進めても三十分もかからず終わってしまい、時間が盛大に余った。

 

 ――さあ困った。

 

 毎度のことだがどうしたものか。

 ベストは昼寝だが、こんなところで寝ていては変質者に襲われるかもしれない。男だと主張としているのは感情的な理由であって、身体的に女なのは理屈として理解している。最低限の自衛くらいはしなくてはならない。

 まあ、子供なら男女関係なく襲う変態もいるわけで、男でも危なくないとはいえないし。

 

 と。

 

「……ん?」

 

 不意に、音が聞こえた。

 ベンチからは少し離れた場所からだ。耳を澄ますとボールの音であることがわかった。それに混じって子供の声が聞こえてくる。スポーツでもやっているのだろうか。

 確か、あっちにあったのは……。

 吸い寄せられるようにして音の方へ向かえば、見えてきたのはバスケットゴール。

 

 やっぱり。

 

 来た時にざっと回ったので、園内に「それ」があるのは記憶していた。

 今度来るときはボールを持ってきてもいいかもしれない、と思い、いやさすがに一人バスケは寂しいと却下していた。

 常連がいるなら止めて正解だった。どうやら同じ小学校の子ではないようだけど。

 

「昴、どこでそんな技!」

「葵に負けないように考えたんだよ!」

 

 遊んでいるのは男子一人と女子一人の計二人。

 可愛い顔をした男子と、ショートヘアの女子。一見性別が分かりにくいが、よりボーイッシュな方が女の子で多分合っている。

 歳は、俺と同じくらい。

 二人の他にメンバーはいない。もしかして友達が少ないのか。だったらいいなあと失礼なことを思いつつ、俺はつい立ち止まって観戦する。

 1on1というやつだろう。

 攻撃側と防御側に分かれているようで、彼らは一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

「……上手い」

 

 そう、彼らは上手かった。

 子供のレベルには違いないので、大人の試合のような派手さはない。

 だけど、クラスの男子が遊びでするバスケとは全然違う。真剣にやっているのだろう。技のキレ、視線の動かし方、かけあう言葉にも熱が籠っている。

 

 凄い。

 

 興奮が俺にも伝わってくる。

 男子はもちろんだが、彼と対等に渡り合っている女の子は特に凄い。いや、この歳ならギリギリ女子の方が上位な時期か? まあそれでも、こういうスポーツはどちらかといえば男子の領分。真剣にできること自体が稀有な才能のはず。

 どこの子だろう。

 今まで見たことはなかったけど、まあ、俺は割と人目を避けて動いているのでアテにならない。

 

 などとぼんやりしていると。

 不意にボールの音が止み、プレーしていた二人が揃ってこっちを振り返った。

 

「あ」

 

 どうやら邪魔をしてしまったらしい。

 

「ごめん、続けて」

 

 楽しみに水を差すのは本意じゃない。

 ぺこりと頭を下げてその場を去ろうとすると、男の子の方が「待った!」と俺を呼び止める。

 立ち止まって振り返る。

 二人がこっちに駆け寄ってきた。運動の直後だからか息が切れている。

 

「なあ、バスケ興味あるのか?」

「同じ学校じゃないわよね。どこの小学校?」

「えっと……」

 

 学校名を答えると、二人は「ああ」と頷いた。

 彼らが通っているのは桐原小というところで、俺とは別の小学校だった。二人とも友達はいるが、それはそれとして二人でよくここに来てバスケットボールをしているらしい。

 

「どうして二人だけで?」

「私達が強すぎるからつまんない、って付き合ってくれないのよ」

 

 肩を竦めて言ったのは女の子の方。

 男の子の方は苦笑しているあたり、どっちかというとパワーバランスは男女逆の様子。高校あたりでぽっと出の転校生キャラでも出てこない限り、幼馴染の独壇場で恋のゲームセットを迎えそうだ。

 まあ、それはともかく。

 

「確かに、二人とも凄く上手かった」

 

 正直に褒めれば照れくさそうに笑う二人。

 可愛い、とか思ってしまうのは失礼か。

 

「で……バスケ、どう?」

「興味あるなら一緒にやろうぜ!」

 

 と、思ったらぐいっと顔を近づけてくる。

 

「い、いや、俺はバスケ上手くないし」

 

 混じったら邪魔になると首を振る。

 すると女の子の方が不思議そうに首を傾げた。

 

「俺?」

「? 男なんだから俺でいいだろ?」

「何言ってんのよ昴。どう見たって女の子でしょ」

 

 正解。

 なのだが、胸にぐさりと突き刺さる一言だった。

 いや男だろ、と言いたげにこっちを見てくる男の子の反応の方がよっぽど嬉しい。今身に着けているのはTシャツに半ズボン、スニーカーも全部男の子用のものである。

 さて、どう言ったものか。

 嘘はつきたくないが、どう言えば嘘じゃなくなるのか。咄嗟に言葉が出てこなかった。

 

 単に「俺は男だ」と言えないのは嬉しかったからだ。

 

 仲のいい同士の遊びを黙って見ていた初対面の子供に「一瞬に遊ぼう」と言ってくれたことが。

 だから、彼らに自分を打ち明けて笑われたり、からかわれるのが怖かった。

 

「……俺は、男の子の格好が好きなんだ」

 

 結果、口から出たのはそんな言葉。

 嫌悪感で胸がムカムカする。間接的に「自分は女だ」と認めたせいで感情が暴走しかけていた。我ながら本当にどうしようもないと思う。

 口をつぐんで俯いた俺をどう思ったか、二人が顔を見合わせる気配。

 嫌われただろうか。

 

「そっか。まあ、葵も似たようなもんだよな」

「誰が男女よ! ……あー、ええっと、気にしなくていいからね、昴も悪気があるわけじゃないから」

「あ……うん」

 

 あれ、それだけ? と、拍子抜けした俺は気のきいた返事ができなかった。

 

「それで、名前は?」

「……鶴見、翔子」

 

 女の子の方に聞かれて小さく答える。

 相変わらず、自分の名前を言うのには抵抗があったが、その時、俺の仲の胸は間違いなく高鳴っていた。

 差し出された手を握り、コートへ踏み出す。

 

 それが、俺が新しい人生で初めて作った友達であり、これから先、長い付き合いになる親友、長谷川昴と荻山葵との出会いだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……はふぅ」

 

 風呂がこんなに気持ち良かったのは初めてかもしれない。

 空が大分暗くなってから家に帰った俺は、先に夕飯を済ませてから入浴した。そうしたらどうだろう、温かなお湯に癒されること癒されること。

 めちゃくちゃ疲れていたのだと思い知らされた。

 

 いや、うん、なんていうか、昴と葵が思った以上に凄かったのだ。

 

 結局、あのあと俺は二人のバスケに参加させてもらった。三人だと同数に別れられないが、それならそれで、いろんなことをやった。攻撃側二人で防御側を抜く普通っぽいのや、逆に一人でダブルマークを抜く練習とか。三人で連携する練習に参加させてもらったりとか。よくそんなに思い付くな、という感じ。

 特にバスケの技量もさることながら、昴達がろくに休憩を取らないことだ。彼らに言わせれば「次何する?」と話している時間が休憩らしいのだが、俺からしたら「そんなんで休憩になるか」という短さ。子供のスタミナには驚かされる。まあ、俺も子供なんだけど。

 

 でも、楽しかった。

 

 久しぶりに思いっきり誰かと遊べたことが嬉しくて、楽しかった。それが、ついついやりすぎてしまった一番の理由だった。

 気が付けば門限をオーバーしかけており、慌てて帰宅を告げなければならなかった。

 

「また、か」

 

 それじゃあ、と別れようとした俺に昴達がかけてくれた言葉が「また今度」だった。

 

『楽しかった。結構やるじゃない』

『またやろうぜ。暇な時だけでもいいからさ』

 

 突如、目に溜まった水を拭わなければならなかったのも無理ないだろう。

 お世辞ではない。そんなタイプでないことくらいはわかった。彼らは馬鹿がつくくらいのバスケ好きで、切迫した対戦が好きなのと同じくらい、誰かにバスケを教えるのも好きなのだ。

 

『……ん、えっと、迷惑じゃなければ』

 

 素直じゃない返事をした俺にかけられたのも、やっぱり温かな言葉で。

 

『迷惑なわけないだろ! じゃ、次はいつ遊べる?』

『今度の日曜日とかは?』

 

 日曜なら問題ない。俺はこくんと頷いた。

 またここに来ればいいかと尋ねれば、二人からの返事は意外なもの。休日だと別の人が使ってることが多いから、昴の家の方がいいかもしれないと言うのだ。庭にバスケットゴールが取り付けられているのだという。

 どうやら昴の家は割とお金持ちらしい。

 ついでに、両親のどちらか、あるいは両方が昴と同じバスケ馬鹿なのだろう。

 

 バスケ、勉強した方がいいかもしれない。

 

 前世では体育の授業でやった程度。知識としては小さい頃、夏休みに見たスラムダンクのアニメによるものが大半。戦術どころかルールすらあやふやなところが多い。

 まずは原作を読むところから始めようか。

 昴の家なら全巻揃っていそうな気がするので、今度遊びに行った時に聞いてみよう。

 

 きっと、これからも沢山バスケをすることになる。

 なぜなら、こんなに面白い遊び、一回きりで止めるなんてできるわけがないんだから!

 

 わくわくと胸を高鳴らせ、次の日曜日に思いを馳せていた俺がのぼせてベッドに倒れ込んだのは、それから十分ほど後のことだった。



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初めての長谷川家

 待ちに待った日曜日。

 俺は童心に返った気分で家を飛び出した。女の子扱いされるのと違い、子供として振る舞うこと自体はあまり抵抗がない。一度通った道だからだろうか。

 

 昴達との待ち合わせ場所はこの前の公園である。

 長谷川家がどこなのか知らない俺のためだ。いったん公園に集合し、この前のゴールが埋まっているのを確認してから移動する手順。もちろん、ゴールが空いていればそのまま使ってもいい。

 早足で歩きながら今日の自分を確認してみる。

 バスケ三昧になるのは予想できるので、動きやすくTシャツに短パン、スニーカー。悩んだ末、前回と同じような服装になった。違うのは野球帽をかぶってきたことと、鞄にタオルと水筒が入っていることくらいか。

 

「……もうちょっと、ちゃんとした格好の方が良かったかな」

 

 小学生なんてこんなもんだと思うが、昴の家は金持ちの可能性がある。

 品とか礼儀にうるさい家だったら、という今更の懸念は、実際の長谷川家を見て爆発することになる。

 

「鶴見!」

 

 公園が見えてきたところで、入り口あたりから昴の声。

 駆け寄ると昴、それから隣にいた葵が笑顔を浮かべる。

 

「悪い、待たせた」

「まだ時間になってないわよ。私達が早く来すぎただけ。昴が急かすから」

「葵こそ、本当に来てくれるかなとか変なこと言ってただろ」

「ちょ、昴! それ内緒だって!」

 

 慌てて昴の口を塞ぐ葵。

 ばっちり聞こえてたけど、知らない振りをした方がよさそうだ。俺は曖昧な笑みを浮かべて二人の服装を確認。昴は俺と大差ない。葵も動きやすい格好ではあるものの、ワンポイントのリボンや全体的なデザインがちょっと可愛らしい。

 まあでも、これならそんなに浮かないかな?

 

「コートはどうだった?」

 

 尋ねると、じゃれ合っていた二人は同時に振り返った。

 

「駄目。やっぱ使われてる」

「まあ分かってたしな。俺んちでやろう」

 

 昴と葵が先導する形で公園を離れ、道を歩く。

 長谷川家があるのは公園よりは俺の家に近い方向だった。何度も通うならこっちの方が楽そうだ。いや、まだ通えるかどうかはわからないが。

 そして、しばらくすると見えてきたのは。

 

「翔子、あれが昴んち」

「……うわ」

 

 立派な庭付きの一戸建てだった。

 家は二階建てで、家族四人くらいで住むなら十分すぎる広さがある。庭も、バスケットゴール一つとコート半面ぶんプラスアルファのスペースをとってなお狭苦しい感じがない。

 一昔前のサラリーマンが憧れてやまない家だろ、これ。

 なお、俺が働いていた頃のサラリーマンだと分譲マンションの一室でも十分に夢の範疇である。

 

「昴って金持ちだったんだな……」

「そうか? 別に普通だろ」

「言っとくけど昴、普通の家はしょっちゅうパーティ開いたりしないわよ」

 

 言いつつ、慣れた様子で長谷川家の門を開く葵。

 勝手知ったるなんとやら。既に幾度となくこの家を訪れていることが一目でわかった。

 となると、新参者としてはプレッシャーがかかる。特に意識しなくても借りてきた猫になるのは請け合いだが、できれば親御さんにいい印象を与えておきたい。

 

「じゃ、やろうぜ」

 

 意気込んだ俺をよそに、昴は玄関のドアをスルーして庭へ。

 無造作に転がっていたバスケットボールを拾い上げると、俺と葵に笑いかけてくる。どうしよう? と葵の顔を見ると、彼女は苦笑して肩を竦める。

 

「ちょっと昴――」

「すばるくん、帰ってきたの? 葵ちゃんも一緒?」

 

 と、葵がなにがしかを幼馴染に伝える前に、玄関のドアが開いて一人の女性が顔を出した。

 振り返った俺は彼女と目が合う。

 

「あら、そっちの子は?」

 

 ほんわかした雰囲気の綺麗な人だった。

 歳は二十代前半だろうか。顔立ちが似ているところから見て、おそらく昴のお姉さんだろう。

 俺は慌てて居住まいを正すと頭を下げる。

 

「鶴見です。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。すば……長谷川君のお姉さん」

「あら、まあまあ」

 

 お姉さんは顔にぱっと花を咲かせると、頬にそっと手を置いた。

 

「礼儀正しい()()()()ね。すばるくんたちのお友達?」

「う……はい」

 

 お嬢さんと呼ばれたのを訂正したいところだが、ぐっと我慢。

 しかし、葵といいお姉さんといい、一目で俺を女子だと見破るとは。服装だけじゃ不十分なのか、それとも女は同族を見破るセンサーでも持っているのか。

 慣れない愛想笑いを浮かべた俺の肩を葵が掴んで。

 

「七夕さん。この子、翔子っていうんですけど、女の子っぽいの苦手みたいで……でも、良い子なんですよ」

「あらあら、そうなの。翔子ちゃんっていうのね」

 

 にっこり笑い、「よろしくね」と微笑んでくるお姉さん。

 葵の出してくれた助け舟がどの程度伝わっているのかいまいちわからないが、不思議と彼女の話し方からは嫌な感じがしなかった。包容力のようなものが全身から発散されていて、それが見る者の力を抜いてしまうらしい。長く話していたらそのまま惚れてしまいそうだ。

 でも、指輪しているあたり、きっと既婚者なのだろう。……って、指輪?

 

「鶴見。その人、俺の母さんだから」

「え?」

 

 お母さん? この人が?

 なんともいえない表情で昴が訂正してくれたものの、すぐには意味がわからなかった。だって計算が合わない。昴が小六なので十一、二歳。十六で産んだとしても二十七歳。それが計算、けいさん、経産婦?

 お姉さんにしか見えないお母さんとか物語の中だけの話だと思っていたのだが。

 葵という幼馴染までいるあたり、ひょっとして昴はラノベ主人公的な星の元に生まれているのかもしれない。

 

「す、すみません。若くて綺麗なのでお姉さんかと思って」

「うふふ、いいのよう。翔子ちゃんね。良かったらすばるくんや葵ちゃんと仲良くしてあげてね」

 

 それだけ言うとお姉さん、もといお母さんは「邪魔しちゃ悪いから」と家に戻った。

 なのに、庭には彼女のほんわかした雰囲気や見た目と年齢のギャップが大きな影響を残しており、俺達は三人ともすぐには言葉を発せなかった。

 一番早く立ち直ったのは身内である昴で、

 

「なあ、鶴見。昼飯、覚悟しておいた方がいいぞ」

「へ?」

「そうね。お姉さんって言われて七夕さんご機嫌だったから、きっとご馳走が出てくる。嬉しいけど、食べきってあげないと可哀そう」

「ええ……」

 

 葵の様子からしてメシマズではなさそうだが。

 ご飯までご馳走になっていいのか。でも、この流れだと拒否する方が悲しまれそうだ。

 とりあえずお腹を空かせておいた方がいいのは間違いなさそうなので、俺は昴達とのバスケにより一層、力を入れて臨むことにした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 バスケットボールとは格闘技である。

 と言うと言いすぎかもしれないが、ボールスポーツの中でもかなり激しい部類に入るのは確かだ。危険度という意味ではドッジボールに劣るが、密度ではドッジにもサッカーにも勝っている。何しろ狭いコートの中で絶えず動き回らなければいけないのだから。

 

 通常、バスケットボールは五対五で行われる。

 人数が足りない場合の試合は1on1や2on2など同数同士で行うのが基本。人数が少ないこともまた、ゲームの激しさに拍車をかけている。

 すなわち、やることのないメンバーがいないのだ。

 昴達とのバスケの場合は試合をやるわけではないが、プレーの激しさは何も変わらない。むしろ制限時間がないため延々と続く。

 

 休憩したいなんて悠長なことは言ってられない。

 お母さん――七夕さんの料理に備える意味もあるが、それ以上に熱中していたからだ。遊びとはいえ負けると悔しい。このメンバーだと昴と葵が同じくらい上手くて俺だけ素人同然なので、基本俺は負けっぱなし。たまにまぐれで昴達を抜かしたり、シュートが決まるとたまらなく嬉しかった。

 また、昴達は教えるのも上手い。

 朧げとはいえ俺が基本を知っていたからかもしれないが、それでも、ドリブルやシュート、ブロックの仕方等々について頃合いを見てアドバイスをくれる。それを素直に受け止めて実行すると動きが良くなるのだ。

 

 気づけばお昼の時間になっていて、三人揃って七夕さんから呼ばれた。

 

「三人とも、玄関から上がって手を洗っていらっしゃい」

「はーい」

 

 昴達の後について家に上がらせてもらって、洗面所で手を洗った。長谷川家の内部を見た感想は「可愛い家」。七夕さんの趣味が多分に反映されているのだろう。本人の雰囲気と相まって、なんだか落ち着く空間といった感じである。

 そうしてリビングのテーブルに座った俺は並んだ料理を見て驚く。

 

「ありあわせだから、翔子ちゃんのお口に合うかどうかわからないけど。好きなものがあったら今度作るから、是非教えてね」

「あ、ありがとうございます……」

 

 答える声にも気後れが出てしまった。

 オムライスにピザトースト、フライドチキン、大盛り野菜サラダにコーンポタージュ、デザート用にフルーツの盛り合わせまで用意されているのだが、これで「ありあわせ」だというのか。これは心してかからないと残す羽目に……。

 

「ふふ、おかわりもあるからね」

「えっ」

 

 幸せと絶望を等量に混ぜ合わせた俺達は、幸せいっぱいの七夕さんに見守られながら食事に取りかかった。

 味は美味しかった。レストランを開いてもやっていけるんじゃないかと思うくらいだ。これが毎日食べられると思うと昴が羨ましい、と口にしたところ、七夕さんがホットケーキを焼き始めそうになったので慌てて三人で止めた。

 テーブルの上が綺麗になり始めたあたりで、おかわりまでは手がつけられないとわかったものの、残った分は夕飯に回すと言ってもらえた。

 チキンやオムライスを頬張る俺を見ながら、七夕さんは。

 

「ねえ、翔子ちゃん」

「はい?」

 

 首を傾げる俺ににっこりと笑いかけてきた。

 

「また来てね。今日、すばるくんも葵ちゃんも凄く楽しそうだから」

「……そんな」

 

 じわりと涙腺が崩壊する。

 不意打ちは反則だ。泣き顔を見せたくなくて俯き、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「楽しいのは俺の方です。今まで友達、いなかったから」

 

 会ったばかりの俺を友達と呼び、家にまで招いてくれたのが嬉しい。

 夢中になるほど一緒に遊んでくれたのが嬉しい。

 ぽろぽろと涙をこぼす俺を見て、昴と葵も感じるところがあったようで、

 

「俺達は何もしてないだろ。友達と一緒に遊んでるだけで」

「泣くのはやめなさいよ。男らしくないわね」

「……ごめん」

 

 指で涙を拭って笑う。

 

「そうだ、昴。バスケの勉強ができる本、ない? できれば漫画がいいんだけど」

「ああ、あるある。バスケ漫画ならあれ一択だろ。食べ終わったら俺の部屋で読もうか」

「食休みも必要だしね。美味しすぎて食べ過ぎちゃったから、私も賛成」

 

 というわけで、七夕さんのご飯を(おかわり分を除いて)平らげた俺達は揃って「ごちそうさま」をすると、昴の部屋に移動した。

 昴の部屋は男の割には片付いていた。

 頻繁に葵や七夕さんの手が入るからか、単にバスケ以外興味が無くて物が少ないからか。ただ、バスケの本やグッズなどは色々置かれており、目当ての漫画もその中にあった。

 三人で、適当に床へ座って回し読みする。

 なんとなく流れは頭に入っていたが、通して読むのは初めての作品。俺はついつい熱中してしまったものの、さすがに長いので全部読むのは無理だった。お腹の苦しさが無くなったあたりで読書は止めにして、バスケの実践を再開した。

 

「続き、また読みに来ていいか?」

「ああ、いつでも来てくれ」

 

 昴からも快諾を頂く。

 横で聞いていた葵からは「ちゃんと私も誘いなさいよね」との返事。本当に仲が良い。昴は幼馴染だからだと言っているけれど、本当にそれだけなのかどうか。

 ともあれ、三人でのバスケはくたくたになるまで続けられた。

 気づけば空が橙色に染まっている。七夕さんから「お夕飯も食べていって」と声をかけられたが、親に言ってこなかったからと丁重に辞退。帰宅前に一休みしながら、昴達と次の約束を交わす。

 

「次からはここに集合でいいよな?」

「ああ、大丈夫。昴達は、普段はいつバスケしてるんだ?」

「いつ? いつって」

「やりたくなったらいつでも? 多い時は毎日」

 

 うん、やっぱり二人ともバスケ馬鹿だ。

 

「凄いな。俺も……と言いたいところだけど身体が持たなそうだから週二、三回くらい来てもいいかな?」

 

 昴達はこれをあっさりと了承。

 七夕さんにも聞いてみたが二つ返事でOKだった。昴達がいつも一緒に遊んでいるので、二人が三人になっても大して変わらないとのこと。

 

「じゃあ、また来る」

「おう」

「楽しみにしてる」

 

 そんな風に俺達が言い合っていると、

 長谷川家の門をくぐって声を上げる人影が一つ。

 

「おねーちゃん、いるー? ご飯食べに来たんだけど」

「げっ」

「あっ」

「?」

 

 よくわからないが。

 おねーちゃんと誰か、おそらく七夕さんを呼ぶあの小柄な女の子は、今度こそ昴のお姉さんだろうか。

 と、呑気なことを考えていた俺はまだ、昴達が呻いた意味に気づいていなかった。



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美星襲来

「おっ、この前の」

「あ……っ」

 

 次の水曜日。

 放課後、日曜の約束通りに長谷川家に向かった俺は、家の前で昴のお姉さんに出会った。

 確か、ミホ姉とか呼ばれていた人。

 子供の俺が言うことではないが、相変わらず小さな彼女はにやりと笑い、素早く歩み寄ってくる。

 

「ここで会ったのも何かの縁だ」

 

 肩を組まれた。

 

「ちょっとお話しよーぜ。ジュース奢ってやるから」

「は、はい」

 

 え、カツアゲとかじゃないよね……?

 ()()七夕さんの身内なのだから悪い人じゃないはずだが、この前、会った時の昴と葵の反応がちょっと妙だった。

 

『み、ミホ姉! 久しぶり!』

『ほんと。美星ちゃん、いいところに来たよ。七夕さんがご馳走作ってるから! ……あ、翔子は用事があるんでしょ? 急がないと』

『あ、ああ』

 

 二人揃って彼女の注意を逸らし、俺を逃がすように帰らせたのだ。

 なので、お姉さん――美星さん? とは話ができていない。携帯がないので昴達と連絡を取るタイミングも無かった。

 加えて、この待ち構えていたようなタイミング。

 近くの公園に引きずられていった俺は身の危険を感じながらベンチへ座る。そもそも、話すだけなら長谷川家で良かったのでは。

 

「ほい。コーラで良かった?」

「ありがとうございます」

 

 プルタブを起こして口をつけると、冷たい炭酸が喉を抜けていく。

 ついこの前まで寒かったと思ったら急に暑くなってきたので、炭酸飲料の類は凄く嬉しい。最近運動することが多いせいもあるかもしれないけど。

 

「それで、その、話って?」

「うん。お前、私のこと知ってる?」

 

 知ってるといえば知ってるが、知らないといえば知らない。

 

「昴のお姉さんじゃないんですか? ……あ、従姉妹とか?」

「残念。正解は昴の叔母」

「昴の叔母さん!?」

「そ。おねーちゃん……長谷川七夕が私の姉。あと『昴の叔母さん』ならいいけど、そっから『昴の』を抜かすなよ」

 

 女性に歳の話は厳禁、ってやつか。

 無暗に事を荒立てる気はないためこくこく頷く。別に老けてるようには見えない――というか、七夕さんの家系なのか若く見える。せいぜい高校生くらいだ。多分、実際にはもうちょっと上なんだろうけど。

 

「でさ、お前、ゲーム好き?」

「……へ?」

 

 え、ここでそんな質問?

 身構えていたせいか拍子抜けした。俺はコーラをもう一口飲んでから答えた。

 

「んー、人並みくらいには」

 

 得意というほどではないが、特別苦手でもない。

 転生してからは殆どやっていないが、そこは前世の経験でカバーできる。

 すると美星さんは「そうかそうか」と笑った。

 

「じゃーやろうぜ。今はこれしかないけど」

 

 どこからか取り出したのは二台の携帯ゲーム機。

 なんかいっぱいシールの貼られている方が美星さんのらしいが、そうするともう一台は……?

 

「ん、それ? 昴のを借りてきた」

 

 おい。

 それ、なんとなくだけど前に『無断で』って付きますよね?

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 落ちてくるゼリー状の生き物(?)を積み重ねる。

 カラフルなこいつらは同色で四匹集まると消滅するのでそれを狙うのだが、かといって四匹ずつ律義に消していても高得点は狙えない。

 五匹以上同時に消したり、例えば青のグループを消した結果、赤が密着して消える……いわゆる連鎖を狙っていかなければならない。一度にたくさん消すと魔力でも生み出すのか、敵の画面に邪魔ゼリーを呼び出すことができるのだ。

 積みすぎてどこにも置けなくなったら負けなので気が抜けない。

 

 三連鎖以上が苦手な俺はスピード重視で動かしていく。

 メインは五個消し六個消し。合間に二連鎖を狙える塊を作り、ちまちまと邪魔ゼリーを送り込む。対する美星さんは勘とノリで積み上げたゼリーから複数回の連鎖を生み出す厄介なタイプだった。

 しかし、回数の多い連鎖は綻びが生まれやすい。

 一個二個の大したことない邪魔ゼリーでも、ちょうどいいところに落ちれば連鎖妨害になる。狙ってこの状況を作り出す俺に、美星さんは「ぐぬぬ」と呻いた。

 

「なかなかやるじゃん」

「それはどうも……っと」

 

 危うく手が滑りそうになってゲーム機を持ち直す。

 前世の感覚はちゃんと生きているが、手の大きさが違うので微妙にやりづらい。大掛かりな細工を避けているのはそれもあるのだが……。

 

「だけど、私の相手をするにはまだまだ早いな!」

「ああっ!!」

 

 美星さんが大規模な連鎖を成功。

 目を覆いたくなるような量の邪魔ゼリーが送られてきて、俺は思わず悲鳴を上げた。なんとかリカバリーしようとするが、こういう時に限ってちょうどいい色が来ないのは世の常である。

 ゲームオーバーになった俺は息を吐いてゲーム機から目を離した。

 

「ゲーム、強いんですね」

「まーな。こういうのよりは撃ち合うやつとかの方が好きだけど」

「俺はFPS苦手なんですよね。だいたい後ろから殺されます」

「にゃはは。そんなの私だってしょっちゅうだっての」

 

 何度目かの対戦を始めつつも会話は弾む。

 なんだ、良い人じゃないか。

 俺は美星さんに対する認識を改める。なんで昴達が警戒していたのかわからない。案外、あのタイミングでゲームに誘われると長いから、程度の話だったのだろうか。

 ゲーム好きの美人。ただしロリ体型。

 なまじ完璧美人より付き合いやすくてよさそうだ、と。

 

「なー、少年」

「なんですか?」

「なんで女なのに男の格好してんの?」

「……っ」

 

 不意打ちだった。

 美星さんの声音はさっきまでと全く変わらず、視線もゲーム画面に落ちたまま。なのに何故か、俺は一挙手一投足を注視されていると感じた。

 気づいてないのかと思ったのだが。

 ゲームの話を振ったのは単なる前置きか。彼女にとってはこっちが本題。

 わかってたら逃げてたかもしれない。そう考えると、美星さんは確かに厄介な人かもしれない。

 

「………」

「………」

 

 沈黙も無駄だった。

 俺が黙ると美星さんも黙る。誤魔化せないプレッシャーを感じる。

 仕方なく、観念することにした。

 

「……自分が女だって認めたくないからです」

「男だと思ってるわけじゃねーってこと?」

「身体が女なのはわかってます。でも、心は今でも男だと思ってる」

 

 おかしいのは心の方だってことは百も承知。

 それでも、女になったから「はいそうですか」と切り替えられないのもまた事実。時が解決してくれるとはよく言うものの、最初に「違う」と認識してしまった以上、どうしてもそういう風に感じてしまう。

 あっさりと、画面中にゼリーが埋まる。

 二連勝した美星さんはゲーム機をベンチに置くと、おもむろに俺の首に腕を回してきた。

 

「!?」

「じゃあ、こーいうことされると困るか?」

 

 からかうような調子なので真意はよくわからない。

 

「……ドキドキはしますけど、別にエロいことしたいとかはないです。俺、まだ小学生ですし」

 

 成長したら変わるかどうかも正直不明。

 慣れ親しんだものが無くなったお陰で、ムラムラする方法がよくわからない。

 

「ふーん。じゃあ、葵のことは?」

「友達です。もし手を出しても、葵の方がそんな気になりませんよ」

「なんか妙に達観してるな、お前」

 

 身を離した美星さんがジト目で俺を見る。

 かと思ったら、不意にぽん、と頭に手のひらが乗せられた。温かくて柔らかい。

 

「悪い、少年。ちょっと試した」

「……えっと」

「この前会ったばかりの子を昴達が連れてきたってゆーからさ。どんな子なのかと思ったわけ。もう変なことは言わねーし、もう一本ジュース奢るから許してくれない?」

 

 言って、彼女は真っすぐに俺を見てくる。

 おちゃらけた印象はどこかに吹き飛び、代わりに真剣な顔がそこにあった。

 からかう気持ちでの質問でなかったことは、それだけでわかる。正直、それでも釈然としないものはあるけど、そもそも大部分は俺が悪い。

 

「わかりました。昴達のこと、大切なんですね」

「まーね」

 

 照れくさそうに腕を組む美星さん。

 

「正直、昴と葵に関してはそんなに心配してないけど。おねーちゃんは特にお人好しだから、旦那がいない時に何かあったら困るわけ」

 

 昴のお父さん、たまたまいなかったわけじゃなくて長期不在なのか。

 七夕さんの美貌を思い出して納得する。あの人がエロ漫画のような目に遭うのはちょっと、いや、かなり勘弁願いたい。

 やっぱり、美星さんはいい人だ。

 あの七夕さんの身内が悪い人のわけがない、という認識は間違っていなかった。

 

「……にゃはは。にしても、やっぱ小学校かなー、こりゃ」

「何の話ですか?」

「こっちの話。ちょっと進路のこと考えてて」

 

 今度はぽんぽん、と頭を叩かれた。

 

「まー、昴達と仲良くしてやってくれよ。で、私ともたまにゲームしてくれると助かる」

「そんなことなら喜んで」

 

 笑顔を返すと、美星さんもにっと笑う。

 公園の入り口の方から声がした。

 顔を上げれば、昴と葵がこっちに向かってきている。俺が遅いうえ、美星さんの姿が見えないから探しに来た、と言ったところか。

 合流しようと俺は立ち上がり、

 

「言質取ったからな」

「……え?」

 

 なんか、今、背筋に寒気が走ったんだけど。

 

「翔子、美星ちゃんにジュース奢らされたりしなかった!?」

「こいつの頼み、ほいほい聞いたりしてないか!? 後から面倒なこと言われたりするから注意しないと大変だぞ!」

「……あー」

 

 ちょっとだけ遅かったような気もする。

 いや、ジュースはむしろ奢ってもらったんだけど。

 

「失礼なこと言うなよ。ちょっとお話して、ゲームしただけだって。なあ?」

「はい、まあ。それはそうなんですが」

 

 言質ってなんだ。

 

「よし。二度目の言質も取った。少年、今度サバゲー行こうぜ」

「はい!?」

 

 この人はいきなり何を言いだすのか。

 顔を引きつらせる俺。昴と葵は顔を見合わせて「やっちゃったか」という表情。にゃはは、と気楽に笑っているのは美星さんだけ。

 良い人、ではあるんだろうけど。

 どうやら癖のある人なのも事実なようで、俺は今後、彼女のことを「美星姐さん」と呼ぶことにした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 それから何度か昴の家にお邪魔してバスケしたり、スラムダンクの続きを読んだりして。

 日常から退屈な時間がぐっと減ったある日曜日、俺がいつものように家を出ようとすると、母さんから声をかけられた。

 

「今日も長谷川さんのところ?」

「ああ、そうだけ……ど?」

 

 靴の紐を結んでいた俺は硬直する。

 何で知ってるのか。

 遊びに行く先について俺は細かく説明してはいない。だから、母さんは俺が汗を流して遊び惚けているのは知っていても、誰の家に行っているかは知らないはずだった。

 振り返ると、母さんはにっこり笑って言った。

 

「行ってらっしゃい」

「……行ってきます」

 

 狐につままれたような気分になりつつ家を出て。

 長谷川家でそのことを話すと、意外というか当然というか、犯人は七夕さんだった。

 

「ごめんなさいね。翔子ちゃんのことお預かりしてますって、親御さんにもご連絡しておかないとと思って」

 

 なお、共犯者は昴。

 

「悪い鶴見、母さんに電話番号喋った」

 

 この前の美星姐さんの件のように、急に連絡したいことがあった時のため、家の電話番号を教え合っていたのだ。俺や昴が実際に使ったことはなかったが、先に親が有効活用していたらしい。

 俺はなんとも言えない表情で「いいよ」と答えた。

 

「そういうことなら全然構わない」

 

 どうしても、表情は仏頂面になってしまったが。

 申し訳なさそうな顔をしていた昴や七夕さん達も、俺がバスケを始めて機嫌を直すと「本当に気にしていないらしい」とわかってくれた。

 実際、後を引くほど気にしているわけじゃない。

 ただ、単に気恥ずかしくて、どうしていいかわからなかっただけだ。

 

「翔子ちゃん。今度はお夕飯、食べて行ってくれる?」

「……えっと、母さんに電話させてもらってもいいですか?」

「うふふ。もちろんよぉ」

 

 相変わらず七夕さんの手料理は美味しかった。

 でも、母さんの料理だって負けてはいない。長谷川家に厄介になってばかりいないで、ちゃんと家のご飯も食べなければと心に誓う。

 

 それから、少しずつだけど、家の食卓での話題が増えた。

 

 バスケという趣味ができたことを両親は喜んでくれた。

 学校のことを話すとどうしても暗くなりがちだったが、昴達のことなら屈託なく話せた。毎日が楽しいとご飯も美味しい。おかわりを申し出ると、母さんは喜んでご飯をよそってくれる。

 やっぱり、今のままではいられない。

 

 どういう形にせよ、変わらなければいけないんだろうと、俺は少しずつ思い始めていた。



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翔子と初めてのブラ

 さあ、どうやって攻めてくる?

 

 葵と一、二歩の距離を置いて並んだ俺は、昴の出方をじっと窺う。

 何度目かのバスケ中。

 今は昴の攻め番だ。俺と変わらない身長の彼は、落ち着いた表情でボールをバウンドさせている。俺と葵のディフェンスをかいくぐってゴールできれば昴の勝ち。ボールが俺達に渡れば俺達の勝ち。どっちが勝ってもオフェンスが入れ替えになる。

 

 二対一。 

 普通ならディフェンスが有利。しかし、昴や葵はかなりの率で突破してくる。特に遊び始めたばかりの頃は大変だった。二人とも当然のように「俺が昴達と面識ないこと」を利用してきた。俺と昴(もしくは葵)の間にただ突っ込むだけで、俺がまごついて隙を作るというやつだ。

 数の多い方が有利だとは限らないと知った六年生の春である。

 もちろん、突破方法は他にもある。どうしてそんなに引き出しがあるのかと思うくらいで、俺は新しい手法を目にする度に驚いている。

 

「………」

「………」

 

 ちらりと葵にアイコンタクト。すると彼女はこくんと頷く。

 仲良くなったお陰で多少は連携できるようになった。未だに目線だけでは「行け」なのか「私が行く」なのかそれ以外なのかわからないが、今回は幸い「私が行く」だったらしい。

 

「やっ!」

 

 前進した葵が昴に攻めかかる。

 

「そう簡単には行かないぜ」

 

 感心してしまうような速さだったが、昴の方も負けてはいない。

 葵がボールに手を伸ばせばすかさず逆方向に逃れようとする。踏みとどまっての追撃にも動じず、半歩下がって体勢を立て直した。そこから幼馴染同士、目線と身体を使ったフェイント合戦。遠目で追っていなければ、自分があそこで対峙していれば、確実に幻惑されていたと思う。

 いや、あんまりぼうっと見ている場合でもないんだけど。

 正直、昴と葵の一騎打ちになってしまうと割って入りづらい。まだまだ実力が足りない俺では逆に邪魔になってしまう。

 なので、

 

「……っ! ……!?」

「ここから先は通さないからなっ!」

 

 一瞬、葵が右に意識を傾けすぎた隙をついて。

 左から突破してきた昴を、俺は満を持して迎え撃った。

 

「わざとか!」

「あたり!」

 

 楽しそうな声で葵が笑った。

 敢えて隙を見せ、突破されたタイミングで俺が妨害に入る。前後からの挟み撃ちなら仲間割れになりにくいし、何より、突破できた瞬間に妨害されるのは辛い。

 罠を悟った昴が身体を強張らせ、次いで背後の葵へと意識を向ける。

 正直、隙だらけだった。

 

「よっ……!」

 

 ぱん、と、軽い音と共に。

 俺は昴の手からバスケットボールを奪い取った。

 

 

 

 

 

「くそ、やられた」

「じゃあ、次は翔子の番ね」

「う、ああ、うん」

 

 基本的に、次の攻め役はボールを手に入れた人間がやる。

 つまりこの場合は俺なんだけど……。

 スタート位置でボールをバウンドさせながら、俺は「どうしたものか」と悩む。昴達はいいだろうけど、俺に一対二は荷が重い。

 あれだ。昴達は敵側に昴と葵が揃わないからズルい。

 ともあれ。

 

 ――やっぱアレしかないかなあ。

 

 最近凝っているとある攻め方を試してみることにする。

 敢えて遊びに来ない日を作って自主練までした必殺技。ただし、鋭意開発中。完成にはほど遠いが、ゴールにやや近い位置にあるこのスタート位置からならなんとかなるかもしれない。

 

「っ!」

 

 俺は、ドリブルで真正面から突っ込む()()()()()

 流石の反射で昴達が動く。息ぴったりのダブルマークで阻もうとしてくる彼らをよそに、俺はすぐに立ち止まると動きのベクトルを上に向けた。

 ジャンプ。

 両手でしっかりボールを固定しながらゴールを見据え、投げる。

 

「う、やっぱ高いな……!」

「でもそうそう入んないでしょこんなの……!」

 

 葵が言った通り。

 放物線を描いたボールは惜しくも、ゴールの淵に当たって跳ね返った。

 ジャンプしていた俺にリバウンドが取れるはずもなく、ボールはあっけなく葵の手に渡ったのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「鶴見のアレ、面白いけどめっちゃ大変だと思うぞ」

 

 空が暗くなり始めた頃。

 今日のバスケを切り上げたところで、昴が言った。

 

「あー。俺も練習しててそれは思った」

 

 ジャンプシュート。

 その利点は打点が高くなること。地面からのシュートだとカットされやすいが、ジャンプすれば単純にその分、ディフェンス側の指が届きにくくなる。

 ただ、なんていうか、疲れる。

 ついでにジャンプしたせいで精度は下がる。ただでさえシュートの成功率が低い俺がそんなことをすれば、入る率がヤバイ。

 さっきのスリーポイント気味のシュートなら猶更。もはやただ放っただけに近い。

 

「中学からはゴールが高くなるから気をつけないと」

「……そうすると余計に決まらないな」

 

 俺はため息をついた。

 

「俺の長所を生かせる戦法かと思ったんだけど」

「あー。翔子、足長いもんね」

 

 葵が俺の足を見て頷く。

 美脚などと言えるのかどうか。ついでに言われても嬉しくないが、俺は足が長い。その分、ジャンプ力もあるというのが、バスケをするようになって知ったことだ。

 

「身長伸びそうで羨ましい。ちょっと分けて欲しいくらい」

「ちょ、くすぐったいからやめろ」

 

 足を撫でる葵の手から身をよじって逃げていると、俺はふと、彼女への用事を思い出した。

 

「そうだ、葵。……ちょっと相談があるんだけど」

「相談? うん、いいけど」

 

 手を止めて頷く葵。

 ほら話せ、と言いたげな彼女に、俺は困り顔を作った。

 

「あー、いや。ちょっと二人だけで話したいというか」

「待った。バスケの話だったら俺も聞きたいぞ」

「いや。仲間外れにするみたいであれだけど、バスケ関係ない話なんだよ」

「じゃあ、漫画かゲームの話か?」

「だったら美星姐さんに相談する」

 

 葵は電子ゲームにあまり興味がない。漫画は読むが、少年漫画については昴の影響なので範囲は狭い。対して美星姐さんはどっちも尊敬したくなるくらいに詳しい。

 

「わかった」

 

 自分に関係ない話らしい、と知った昴は少ししょんぼりした様子ながらも頷いてくれた。

 

「じゃあ翔子、帰りでいい?」

「ああ。……あ、でも、七夕さんにも相談した方が良かったりするかも」

「本当に珍しいわね……」

 

 言いながら庭の片付けをする。

 すると、ちょうどよく、家の中から七夕さんが顔を出した。

 

「翔子ちゃん、今日はお夕飯食べていく?」

「いえ、今日は帰ります。でも……その」

「七夕さん、翔子が相談あるらしいですよ。……多分、私達じゃないと駄目なやつで」

 

 葵は本当に察しがいい。

 うん。そうなのだ。

 甚だ不本意だけど、今回のは女性にしか相談できない悩みなのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「翔子!」

 

 次の土曜日。午後二時。

 駅前にある百貨店の入り口近くで、俺は葵、それから七夕さんと合流した。

 葵はブラウスにスカートと、珍しく可愛い系の服。七夕さんは大学生くらいに見えてしまいそうな清楚系のコーディネートだった。

 さすが、二人はちゃんと女の子してるなあ、と感心してしまう。

 俺はできるだけ無地に近いTシャツにショートパンツ。これから行くところで男の格好だと浮く。でも女装はしたくないので、極力ユニセックスな感じにしてみた。

 

「……ふふ」

「あは」

「な、なんだよ」

 

 なのに、葵と七夕さんは顔を見合わせてにっこりと笑う。

 

「別に。ただ、翔子は可愛いなあ、って思っただけ」

「なっ」

 

 解せぬ。

 解せないが、多少はそういうのも飲み下さないといけないのだろう。

 肉体的には、女の子なわけだし。

 

「じゃあ、行きましょうか」

「……はい」

 

 連れていかれる子牛のような心境で頷く俺。

 昴を除け者にしてまでやってきたのだから、ここで逃げるわけにはいかない。

 

 ――ちゃんと、ブラを買って帰らなくては。

 

 そう。俺が葵や七夕さんに相談したのは下着のことだ。

 最近、胸の膨らみが無視できなくなってきた。

 まだ大丈夫、まだ大丈夫と自分に言い聞かせ、ブラをつけたらどうかという母の提案もスルーしていた。パンツはまだ形が違うだけと言い訳できるか、ブラとなるとハードルが高い。

 ただ、運動している時に擦れて痛い。

 あのジャンプシュートの時もそうだ。痛みが無かったら入っていた……かどうかはさておき、シュート時に若干集中できなかったのは確か。なので、恥を忍んで相談してみた。

 

『ブラ? そういえばつけてなかったけど……付けたことないの? 全然?』

『葵ちゃん、そういう言い方はだめよう。翔子ちゃんだって不安なんだから』

 

 二人は俺の相談にちゃんと乗ってくれた。

 ちょっと親には話しにくかったので、こういう相手がいるのは本当にありがたい。

 

『葵はもうつけてるんだ?』

『気づいてなかったの? あんたはそういうとこ本当に……うん、つけてるわよ。翔子って男っぽいから変な感じするけど』

 

 室内だったのでシャツを捲って見せてもらうと、葵には結構わかりやすい膨らみがあった。

 ちょっとエロい。

 まあ、女の子なんだからブラくらいつけていて当然だ。というか、将来的にはかなり大きくなるんじゃない

か。

 

 葵がつけていたブラは淡いブルーのもの。

 色気は薄い。ロリコンじゃないので欲情はしないが――十二分に可愛いらしい。

 

『……つけなきゃいけないのはわかってるけど、その、どう選べばいいのか』

 

 絞り出すように言うと、真っ先に反応したのは七夕さんだった。

 

『まかせて。一緒に行ってあげるから、ちゃんと選びましょう。ね?』

 

 と、いうわけで。

 今度時間がある時に買いに行こうという話になった。さすがに日曜だと昴が拗ねるので、土曜の半日授業の後、自宅でご飯を食べてからに決定。

 この日が来なければいいと思ったりもしたが、当然、時が止まったりするはずもなく。

 俺は葵や七夕さんと一緒に衣料品売り場を歩いている。

 

「とりあえず、このあたりかしら」

「う、色が眩しい……」

 

 立ち止まったのは子供服売り場の一角。

 近くに男児服のコーナーもあるので場違いではない。色合いだって淡いものが中心だ。しかし、ピンクやブルーやグリーンなどカラフルな感じは女子っぽい。

 

 男の服は暗めの色が多いからなあ……。

 

 逃げたい。今なら逮捕されることはないが、前世の感覚的にここは苦手だ。

 

「やっぱり俺、もうちょっと我慢……」

「お客様、何かお探しですか?」

「ひっ」

 

 驚いたせいで変な声が出た。

 振り返ると、制服に身を包んだ女性が笑顔で立っている。子供が来るのは普通だからか、俺を見ても表情は変わらない不審そうな顔にはならない。

 

「はい。この子に初めてのブラを見立ててあげたいんですけど……」

「まあ、そうなんですね」

 

 七夕さんの声にあっさり頷いた彼女はしゃがんで俺に目線を合わせてくる。

 

「胸、擦れて痛くなったりしますか?」

「は、はい」

「なるほど。ちょっと触らせてくださいね」

「っ」

 

 くすぐったさに身体が跳ねた。

 

「うん、確かに膨らんできてますね。そろそろブラをつけた方がいいと思います。でも、初めてですから、できるだけシャツに近い形のものをご案内しましょうか?」

「あっ、お願いします……!」

 

 願ってもない申し出に勢いよく答えた。この店員さんはいい人に違いないと急に安心してしまう。

 そうだ。上につける下着っていっても色々ある。子供用なら特にそういう需要も多いはずで、何もブラの形をしたものに拘らなくてもいい。

 第一、シャツだって肌着だ。素材的に肌に優しいのとかあるのかも。

 わくわくしながら向かうと、コーナーには実際、比較的シャツに近い形状のものがあった。

 

「このあたりのお品物はいかがでしょうか?」

 

 あった、のだが。

 

「わあ、可愛い。どうかしら、翔子ちゃん」

「……え、ええっと」

 

 俺はつい絶句してしまった。

 並んでいたのは、ブラのように胸だけホールドするタイプではなく、へそのあたりまで布があるタイプ。確かに若干気楽ではあるのだが、形状としてはキャミソールに近い。七夕さんが「可愛い」と評したように、女の子らしさからは逃げきれていない。

 

 ――特にその、胸元にリボンとかつけなくていいから。

 

 カップ部分のデザインや布のひらひら感も可愛らしい。

 

「こういうデザインでしたら、透けて見えてもブラジャーっぽさは少ないですから、お友達にからかわれたりする心配も少ないかと思います。いかがでしょう?」

「……あー」

 

 どうしよう。

 フリーズした俺は曖昧な呻き声を漏らした。

 

 

 

 

 紆余曲折の末。

 

「ありがとうございましたー」

 

 買い物袋を抱えて店を出る。

 買ってしまった。衣類なので軽いはずなのに、なんだか袋が重たく感じる。

 

「無事に決まってよかったぁ」

「買っただけじゃなくてちゃんと使いなさいよ」

「ああ、それは必ず」

 

 頷いて約束する。

 多大な犠牲を払ったのだから、ちゃんと活用しないと勿体ない。

 

「翔子、試着のときすごい挙動不審だったもんね」

「うるさい。あれは普通に恥ずかしいだろ。カーテンで隠れてても店の中なんだぞ」

「うふふ。お洋服を買うだけなら裸にはならないものね」

「はい。……時間取らせちゃった上に、貰っちゃてすみません」

「気にしないで。いつも昴くんと遊んでもらってるお礼だから」

 

 結局、俺が買ったのはキャミソールタイプが二着とブラタイプが二着だった。一着だと洗濯に困るし、運動用にはブラの方がいい、と言われたからだ。

 これだけ買うとそこそこの値段になる。

 軍資金は両親から貰った、貰わざるをえなかったのでお小遣いは無事だが、出費を心配してくれたのか、七夕さんがスニーカーをプレゼントしてくれた。

 度重なるバスケで靴が痛んでいるのを知っていたのだ。

 自分で買いますと言ったのだが、お礼と言われてしまうと弱い。代わりに昴達の誕生日にプレゼントして返そう。

 

 ふと、空を見上げる。

 

 照りつける日差しは強い。

 そろそろ、季節は夏に差し掛かろうとしている。

 

「そういえば、翔子ってプールの授業は」

「言うな」

 

 俺の扱い方を覚えてきた葵はくすくす笑って「ごめん」と謝ってくれた。



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翔子とクラスメート

 意外と大丈夫っぽい。

 

 通学路を歩きながら思う。

 七夕さん達と買い物に行った次の月曜。つまり、下着をつけることにしてから初の登校日のことである。

 道には小学生が何人かいるが、変にじろじろ見られてはいない。いつも通り「え、あれ女?」みたいな視線を向けられているだけだ。

 キャミソールの着け心地は意外と快適。

 女性下着の肌触りが良いというのは本当らしい。肌への抵抗が少ないので着けていて楽だ。

 ただし、妙な気恥ずかしさはある。朝なんてパンツのまま数分間も葛藤してしまったくらいだ。

 

 なお、ブラの方は昨日のバスケで体験済み。

 キャミソールとは違う独特の締め付けがあって悩ましい。けれど、見せた相手は葵と七夕さん、それに昴だけ。女性陣は事情を知っていたし、昴は気づきもしなかったので気楽なものだった。

 一度、興味深そうにじっと見られた時はドキッとしたけれど、

 

『鶴見、なんか動きが良くなったな。昨日、葵と秘密特訓でもしたんじゃないのか?』

『違うっての』

 

 思わず苦笑し、葵と顔を見合わせてしまった。

 相変わらずのバスケ馬鹿で安心する。でも、年頃になれば女子を意識しだすのだろうか。

 

「よう、()()()()

「おー」

 

 不意に、脇をクラスメートの男子が駆け抜けていく。

 ショウゴというあだ名には素っ気なく返答。男みたいな奴に「翔子」は似合わない、ということで「子」を濁して「ゴ」。クラスだけでなく六年生男子全体が使っている。

 男っぽいと言われる分にはノーダメージなので放置状態だ。

 どちらかというと、俺には女子達の方が厄介なのである。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 人目が気になるのをこらえ、何食わぬ顔で登校して数時間。四時限目までが何事もなく終わった。

 良かった。

 給食の準備を始めながら、俺はほっと息を吐いた。自分で思っているほど人は見られてはいないらしい。この分ならいつも通りに生活できそうだ。

 

 席を立ち、トレーを持って一列に並ぶ。

 

 今日はご飯にふりかけ、味噌汁と焼き魚、野菜の煮物と和食尽くしだった。

 子供にはウケが悪い献立だが、それはそれ。男子を中心に「魚はこっちの大きいのがいい」などと当番と交渉を始める者が多数。

 そんな中、俺は黙ってトレイを突き出す。

 

「………」

 

 俺をちらりと見た当番の子は、残っていた一番小さい魚を選んでよこした。

 煮物はごぼうやこんにゃくなど不人気の具が多め。嫌がらせが発覚しやすいご飯や味噌汁は普通によそってくれるのがありがたい。

 軽く頭を下げて机に戻り、形だけの班形式で机をくっつけ、黙々と食事をする。

 味は微妙。前世で和食を好むようになったのは大学卒業後くらいだった。それまではあまり好きじゃなかった。年齢で感じ方が変わるのかもしれない。好き嫌いはないので全部食べるが。

 

 ちょっと足りない。

 

 このところ運動量が増えているので身体がエネルギーを欲していた。

 そこへ。

 

「牛乳もう一本欲しい人ー」

 

 来た。

 男子の中心人物である諏訪(すわ)一宏(かずひろ)――通称カズが声を上げる。挙手したのはやはり男子が中心だ。それに混じって手を上げると、諏訪はこれ見よがしに嫌そうな顔をする。

 

「男女。身長伸ばしてどうするんだよ。タカラヅカでも行くのか?」

 

 男子から明らかな、女子から遠慮がちな笑い声が上がった。

 俺は取り合わない。

 

「別に。単に食べ足りないんだよ」

「……ふーん」

 

 それ以上の追撃はなかった。

 希望者でじゃんけんを行った結果、運よく残っていた二本のうち一本を入手。もう一本は諏訪が持っていった。容器から瓶を持ち上げる時に目が合ったが、お互い同時に目を逸らした。

 前世同様、どうにも開けづらい蓋をなんとか開けて一気飲みする。

 多少は腹が膨れるし栄養もたっぷりだ。幸い腹を壊すような体質でもない。

 

 と、そんな俺を隣の女子がじーっと見ていた。

 

 柿園さつき。

 ショートヘアで、剥き出しのおでこがトレードマーク。クラスのムードメーカー的存在であり、休み時間はほぼいつも誰かと話をしている。

 やかましいがイジメの類には加担しないため、俺としては若干有難い。

 

「……柿園?」

 

 三分の一ほどを残して飲むのをやめる。

 口をつけてしまったものをくれとは言わないだろうし、一体何だろう。

 首を傾げて返事を待つと、

 

「胸大きくするために牛乳飲んでる的な?」

「は?」

 

 数秒間、意味を理解するのに時間を要した。

 いきなり何を言いだしたんだこいつは。

 悪意の全くない楽しげな表情――悪く言うとアホ面――からして、俺をからかうのが目的ではない。というか、どこからそんな発想が出てきた。

 

「だって、下着つけ始めたのってそういうことだろー?」

「あ」

 

 そういうことか。

 これまでと今日での俺の違いといえばそれしかない。

 

 ――っていうか、いちいち声でかいよお前!

 

 案の定、柿園の声にクラス内がざわりとどよめく。

 え、あの鶴見が下着? ブラってこと? そんな感じはしなかったけど……あ、ほんとだ、ブラじゃないけどつけてる! と。

 あっという間にどよめきは広がり、やがて騒ぎの域に達する。

 すかさず担任が場を収めて片づけを命じたものの、それは子供達の声を昼休みまで我慢させただけのことだった。

 

 

 

 

 そして。

 

「いやー、なんかまずった?」

「……確信犯じゃないのかよ」

 

 この使い方は誤用だったか。まあいいや。

 あの後、俺はたまらず教室から逃げ出した。するとどういうわけか柿園がくっついてくる。まだ言い足りないのかと思えばあっけらかんとした様子。何がしたいのか。

 空き教室の椅子に適当に座ってため息をつく。柿園も向かいに座った。スカートで、前後後ろ向きに。

 

「足」

「ん? ああ、細かいことは言いっこなしだぜ」

 

 妙に芝居がかった口調で話す奴である。

 柿園も話し方は割と男っぽい。俺みたいにイントネーションまで変えないあたり、あくまでキャラ付け的な意味合いなのだろうが。

 

「当たり前みたいにつけてたから気にしてないのかと思ったんだって」

「こそこそしてたら逆に怪しいだろ」

「それもそうだな!」

 

 てへ、とばかりに舌を出される。

 そこで柿園は更に身を乗り出して、

 

「じゃー、実は気にしてるんだ」

「それは、まあ」

 

 肩を竦めて答える。

 

「……身体の成長は止められないからな」

「んー、鶴見は男になりたいわけか?」

「そこまで聞くのかよ」

「こんな機会じゃないと話せそうにないだろ」

 

 確かに。

 クラスの人気者である柿園と、クラスのはみ出し者である俺。どう考えても釣り合わない。こうして誰もいない教室だから向かい合って話せているだけだ。他に誰かいれば俺は即、逃げ出している。

 しかし、やっぱり柿園の相手はやりにくい。

 俺からすれば、女子が男子の格好をしていることを「変」「気持ち悪い」と考える奴の方が正常だ。なので、そこを大して気にしていない奴とはどう接していいかわからない。何がポイントになっているのか掴みづらくて仕方ない。

 

「なら、いきなり女になっちゃった的な? 漫画でよくあるやつ」

「少女漫画ってそういうの多いのか?」

「いや、男向けの方が多いんじゃね? あちしはダチの付き合いでよく読むだけ」

「あー。……まあ、そうかな。別に魔法でも呪いでもなくて、俺がそう思ってるだけだけど」

「セードイツセーショーガイってやつか」

 

 納得したとばかりに頷く柿園。

 結構難しい言葉知ってるんだな。

 

「ってゆーか、鶴見って意外と話しやすくね?」

柿園(おまえ)が特殊なだけだろ」

「そうかもしんないけど、鶴見のこと気にしてるやつ、結構いるんだぜ? ……男子なんか恋しちゃってそうな奴もいるし」

「マジか?」

「マジマジ」

 

 ふふん、と笑う柿園の顔は物凄く胡散臭かった。

 

「まー、これからは普通に話そうぜー。せっかく仲良くなったんだし」

「待った。いつ仲良くなったんだ」

「今」

 

 真顔で言われた。

 

「嫌?」

「……話してくれるなら嬉しいけど」

「ツンデレかよ!」

「違うだろ!?」

 

 こいつの語彙はどうなってるんだ。

 けらけら笑った柿園は、そのまま「じゃあそういうことで」と話をまとめてしまう。俺は怒ればいいのか喜べばいいのか、曖昧な表情を作って言った。

 

「言っとくけど、俺は女の仲間になりたいわけじゃないからな」

「わかってるわかってる。漫画の話とかでもあちしは歓迎だし」

 

 ……変な奴。

 思えば、こいつと同じクラスになるのは今年が初めて。ダチだという誰かさんも含め、この学校にも結構変人がいるらしい。

 筆頭は間違いなく俺だが。

 

「なら、まあ、よろしく。柿園」

「あいよ。さつきとかゾノとか、好きに呼んでくれていいからな」

 

 何故か、友達ができてしまった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 柿園さつきは変なやつだ。

 宣言通り、彼女はあれ以後、時々話しかけてくるようになった。俺が返事をしてもしなくても、話したいことを話したいように話してくる。

 他に話せる相手が少ないからか、少年漫画関連の話題が多い。俺は雑誌を買っていないので、立ち読みと前世の知識を元に話を合わせた。柿園の話から今どこまで進んでいるのか判別するのがミソである。間違ってもこち亀終了とか「月島さんのお陰」とかを口に出してはいけない。

 もちろん、ドラマの話やファッションの話題が出ることもあったが、それはそれで相槌さえ打っていれば楽しそうに話し続けてくれる。

 

 ムードメーカーの柿園がそんな感じなので、クラスからの注目度は必然的に上がった。

 

「ほんとだ、鶴見さんちゃんと下着つけてる」

「なんかかわいい」

 

 体育の時間など、俺が着けたクリーム色のキャミソールにそんな感想まで上がる始末。

 見た目は近寄りがたいけど無害、という野良犬みたいな評価が広がったようで、柿園に混じり何人かの女子が話しかけてくるまでになった。

 あとは、漫画の話をしたい男子も若干名。

 俺だって好きで突っ張っているわけではない。その格好はおかしいとか止めろとか言ってこないのなら、友達はもちろん欲しい。

 なので、少しずつ話題について理解する努力を始めた。

 

 ドラマを見たり、ファッションブランドやアーティストの名前を覚えたり、少女漫画を借りて読んだり。

 このあたりは葵もある程度知っていたので協力を仰ぐことができた。昴は「そういえば二人とも女子だったな」と呑気な感想を口にした挙句、葵の拳骨を食らって沈黙した。

 

 とんとん拍子に良くなり始めた俺の生活。

 何が切っ掛けかといえば間違いなく昴と葵に声をかけられたことだ。二人にはますます足を向けて眠れない。

 

 ――けれど、何もかもが上手くいっているわけではない。

 

 クラス内で俺と接してくれているのは、どちらかといえば少数派。

 諏訪を始めとする大多数の男子と、ファッションやコイバナが好物の背伸び系女子達からの受けは今なお最悪に近い。

 机の上に落書きがされていたり、下駄箱に心無い言葉の書かれた手紙が入っていたり、上履きが不自然に潰れた状態になっていたりといった嫌がらせも日常茶飯事。

 

 鞄や文具への悪戯なら犯人が搾れるし損害があるため訴えやすいが、机ではやや弱い。

 落書きや手紙の内容も「死ね」「消えろ」といった一線を越える発言はなく、嫌な気分にはなるだけで殊更騒ぎ立てるべきかといえば微妙なところ。

 上履きに画鋲とかならともかく、ただ潰れているだけなら管理不足で片付けられても仕方ない。

 

 嫌がらせをする側も考えている。

 逆に言えば「継続的に俺を攻撃したい」意思が明確なわけだが、元はといえば俺の素行に問題がある。実害が出るまでは無視と決めていた。

 向こうのやり口も無視、陰口、こっそりした嫌がらせなので、似たようなものである。

 別に全員と友達になりたいとは思っていない。

 少しずつ、ゆっくりとで構わない。俺が納得できるかどうかが一番重要だ。

 

 そして。

 

「翔子。プールだぞプール」

「あー、そうだな……」

 

 半ば引きずられるように更衣室へ向かいながら、俺は柿園に返事をした。

 とうとう来てしまった。

 プール、すなわち水泳の授業。そこでは当然、水着を着用しなければならない。体操着ならハーフパンツなのでデザインは男女とも大して変わらない。ジャージの色が赤になるくらいだが、スクール水着に関しては男女で全く異なっている。

 毎年この時期は憂鬱で仕方ない。

 出なければ出ないで内申に響く。転生前と後で一番変わった点と言えば、親や教師のいう「勉強しなさい」「後々後悔しても知らないぞ」が大体正論だと知っている、ということである。遊ぶ時間を削る気はないが、出られる授業に出ないとか授業中寝るとかは論外。

 

 まあ、今年は下着を克服したし、水着への忌避感も大分マシ――。

 

「可愛いじゃん翔子」

「本当。鶴見さんちゃんと髪伸ばせばいいのに」

 

 じゃなかった。

 未熟ながら女性的なラインを描く自分の身体、そして友人達の歓声に、俺は困った笑いを浮かべた。



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翔子とプール

 スクール水着とは機能美の体現である。

 

 肌を過不足なく覆うこと。授業用に地味な色合いであること。ある程度の伸縮性を持ち成長に耐えられることなどなど。

 性能だけで見れば競泳水着の方が上だが、コスパや着用時間を加味すれば最適解の一つだろう。

 

 ――だから、これはあくまで水泳のための装備。

 

 下着じゃないから恥ずかしくないの精神。

 一体型だから生地の面積も広い。他の女子も同じ格好をしているわけだし、男子なんて海パン一丁だ。それを考えれば恥ずかしがる必要なんて、

 うん、無理。恥ずかしい。

 

 クラスメートと共にプールサイドへ並んだ俺は顔から火が出そうだった。

 うちの小学校は公立で、プールは同然のように屋外型。風が肌を撫でる感触が都度、今の格好を自覚させてくれる。

 かといって腕で隠すのも挙動不審だ。

 もう何年もやっているんだから慣れればいいのだが、夏場だけの授業というのが毎度、新鮮な気持ちにさせてくれる。しかも今年は胸が大きくなり始めているわけで。

 

「おい、ショウゴ。お前なんで女子のところに並んでるんだよ」

「こっち来いよ。男なんだろ」

 

 今はそれどころじゃないのに、そういう時に限って男子がはやし立ててくる。

 いやまあ、行けるもんなら行きたいんだけど。

 

「先生に怒られるだろ」

 

 俺はちょっと卑怯な逃げ方をする。

 しかし、残念ながら納得してもらうことはできなかった。

 

「怒られなかったらこっち来たいのかよ」

「鶴見さん、行きたいなら行ってくれば?」

 

 お調子者の男子の声に、女子から援護が入る。

 見れば、クラス内でも飛びぬけた美人の子がつんと澄ました顔であさっての方向を見ていた。名前は(おおとり)(さち)。柿園と人気を二分するリーダー格であり、俺が最も苦手としている相手だ。

 彼女が着るとスクール水着ですら様になる。

 俺は反射的に口を開きかけ、すぐに閉じた。何か言っても「なんのこと?」と惚けられるのがオチだろう。

 

「はい静かに」

 

 幸い、先生が号令をかけてくれたので、話はそこでおしまいになった。

 ぽんと肩を叩いてくる柿園に感謝を込めて頷く。

 大丈夫。別にこの程度、いつものことだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 水着は恥ずかしいが、プールの冷たさは心地いい。

 水に浸かった途端、全体から歓声が上がるのも無理ないことだ。今日は日差しが強いので、絶好のプール日和。ここぞとばかりにはしゃぐクラスメート達に混ざり、俺もしばし水の感触を楽しんだ。

 

 その年、最初のプール授業は水に慣れるところから始まる。

 しばらく自由に遊ばせて感覚を取り戻したら、去年までのおさらい。水に顔をつけて一定時間待つといったものから各種泳ぎ方の練習へ。

 六年生ともなると全く泳げない生徒は殆どいない。

 スピードやフォームに差こそあれ、とりあえず泳ぐだけならなんとかなる。男女二コースずつ計四コースに分かれて順次、クロールや平泳ぎを何度かこなす。苦手な生徒はビート版を使いながらゆっくりとだ。

 

 そんな中、目立っていたのは柿園と諏訪。

 

「柿園さん、凄い凄い!」

「さつきはこういうの得意だよね。こういうのだけは」

「ほっとけ」

 

 称賛に混じるからかいの声に笑顔で答える柿園。

 危なげないフォームのクロールで25メートルを泳ぎ切った彼女は前髪から水滴を垂らしながら、自然体で立っている。

 俺同様、成長途上にある身体は若干エロい。

 ませた男子が見たら性的な自覚を速めてしまいそうである。

 

 まあ、男子の注目はむしろ、諏訪の泳ぎに黄色い声を上げる鳳に行っているが。

 

「諏訪くん、格好いい!」

 

 諏訪はイケメンで、勉強は微妙だが運動神経は良い。

 体育となれば常に中心に位置し、運動会ではエースを張る。典型的なモテる小学生男子であり、憧れている女子は多い。

 特に鳳の入れ込みようは相当なものだ。

 毎日どこかの休み時間で諏訪の気を引こうと話しかけているし、アプローチの前には髪や服の乱れがないか入念にチェックしている。わかりやすいことこの上ない。諏訪は気づいているのかいないのか、一貫してごく普通の対応しかしていないが。

 

 ほんのりと頬を染めてはしゃぐ鳳の姿は、俺から見ても可愛い。

 もちろん、だからといって惚れるとかはない。あまり眺めて変な誤解をされても困るので視線を外せば、代わりに諏訪の方と目が合った。

 

「……ふん」

 

 俺の身体を上から下まで眺めた後、鼻を鳴らして顔を背ける少年。

 一体何だというのか。

 

「翔子、次お前の番じゃね?」

「っと」

 

 近寄ってきた柿園に声をかけられ、俺は意識を引き戻した。

 

「格好いいとこ見せろよ」

「努力はするけど」

 

 適当に答えつつ、スタート位置に立つ。

 呼吸を整える。心臓が少し高鳴っていた。柿園にはああ言ったものの、実を言うと俺も少し自分のタイムを楽しみにしていた。

 前世の頃や五年生までと比べ、俺は運動が好きになった。

 言うまでもないバスケのお陰だが、さんざん走ったり跳ねたりした経験は果たして、水泳にどの程度、影響して来るのか。

 

 ――先生の笛と同時に飛び込む。

 

 冷たい水が全身に纏わりつく。

 飛び込みによる推進力を失わないうちにバタ足を開始し、クロールへ移行。水中かつ運動中ということで苦しくなる呼吸を息継ぎによって補い、一心不乱に身体を動かした。

 

 ――なんだ、これ。

 

 気持ちよかった。

 身体が軽い。去年の感覚とは大違いだった。腕や足が思ったように動き、水を次々にかき分けていく。肺活量が上がったのか呼吸の苦しさが思ったほどではなく、お陰で無理のなく息継ぎができる。

 楽しい。

 心からそう思った。

 途中からは無心。ただ泳ぐことに夢中になり、気づいた時には泳ぎ切っていた。

 

「なんだよ、やっぱり結構泳げるじゃんか」

「あれ、鶴見さんってこんなに運動得意だったっけ?」

「でも、最近体育でも調子良くない?」

 

 水から上がると、柿園や何人かの女子の声が聞こえた。

 どうやら、俺の泳ぎはなかなか良かったらしい。体感で思い返してみると、柿園や諏訪には及ばないが見栄えはするレベルといったところか。俺としては期待以上だ。ちょっとバスケ始めただけでクラスで一番になれたら、ちょっと都合良すぎて逆に怖い。

 それに、泳ぐのは楽しいけど、あくまで授業や遊びでの話。

 思った以上に泳げたと理解して最初に思ったのは「もっとバスケ頑張ろう」だった。やっぱり継続してやるならバスケだ。

 いや、昴と葵が水泳に転向したら俺もそっち行くけど。

 

 と、プールサイドを歩くうちに誰かの視線。

 振り返るとそこにはまたしても鳳がいたが、彼女はとっくに目を逸らしており、真意も真偽も確認できなかった。

 

 

 

 

 

 二コマ連続授業の二コマ目が半分近く終わった頃。

 先生が俺達に言い渡したのは「後は好きなように泳ぎの練習をしなさい」というものだった。

 練習用にはここまで使っていた四コースがそのまま開放され、残ったコースは水遊び用に使っていいと言われる。

 泳ぐのが苦手な者なんかは嬉々として水遊びに流れていく。

 さて柿園は、と、

 

「さー休むかー」

「おい」

 

 先生が少し離れたところで観戦モードに移行した途端、日陰に移動して座り込んでいた。

 思わず抗議すると胡乱気にこっちを見てくる。

 

「何だよ。あちしは貴重な休憩時間をだな」

「授業中だっての」

「いや、泳ぎなんてそこそこできればいいだろ。真面目に練習し続けるとか疲れる」

 

 この天才肌が!

 基本の運動神経がいいんだから、もっと打ち込んでもいいと思うのだが。

 柿園にとってはダルいという感情が優先するらしく、梃子でも動きそうにはない。俺は息を吐いて説得を諦めるとプールの方へ戻った。幸い、柿園に追従したのは特に不真面目な一、二名だけだった。残りは何かしらの形で水に浸かろうとしている。

 俺ももちろん、空いた練習用コースに直行。

 プール授業はそう何回もない。雨が降れば中止だし、練習できるときに練習しておきたい。……という建前で、実際はもっと泳ぎたいだけだが。

 

 うきうきしながら飛び込もうとすると、隣のコースに誰かが立った。

 

「………」

 

 鳳だった。

 長い髪をスイムキャップにしまった彼女は、ちらり、と俺に視線を向けた後で正面に向き直る。

 勝負だと言われた気がした。

 俺は頷きを返すでもなくそれを了承し、軽くタイミングを合わせながらプールに飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 水から上がった時、ちょうど鳳がプールの端に手をついていた。

 

「……えっと」

 

 お疲れ様とでも言った方がいいのか。

 迷っているうちに彼女は上がってきて、こっちに目もくれずに歩いていってしまう。

 

 ――気のせいだったのかな?

 

 向こうは別に勝負する気もなかったのかもしれない。

 お洒落大好きで肌荒れとか気にするタイプっぽいし、男子みたいなノリも好きじゃないだろう。考えすぎだったと納得して歩き出す。

 そうしてスタート側に戻ると、

 

「男女。勝負しようぜ」

 

 今度はお前か、諏訪。不敵な顔が鬱陶しい。

 

「カズ、勝てよ!」

「ショウゴなんかに負けんな!」

 

 もっと鬱陶しいのは周りの男子達だが。

 

「わかった、勝負だな」

 

 俺は頷いて構える。

 鳳と違って男子のノリは嫌いじゃない。叶うならそっち側に混ざりたかったくらいだ。だから、真っ向勝負には心が躍る。

 多少、唇が歪むくらいで顔には出さないが。

 

 隣に立った少年と同時にスタート。

 

 身体は十分に火照っているため、最初からギアは全開。

 スタミナを使いつくすつもりで力を籠め、腕と足を力強く動かす。

 何度も泳いだせいで疲労はあるものの、最初に泳いだ時よりも確実に早い。それでも、泳ぎながら見た諏訪は俺よりも前にいた。

 やっぱり速い!

 どうせなら負けたくない。もっと速くと自分を鼓舞する。

 だが、互いの差は縮まることなく、そのままゴールまで辿り着いた。

 

「よっし! よくやったカズ!」

「ざまーみろショウゴ!」

 

 喜ぶ男子。一方、女子は悔しそうだった。

 

「鶴見さんでも駄目かあ」

「さつきなら勝てるんじゃない? やってみなよ」

「めんどいからパス」

 

 柿園の声を聞き流しながら、俺はプールから上がる。

 諏訪がすぐ傍に立っていてこっちを見ていた。

 

「……何?」

「お前、一番得意なことは何だよ」

「は?」

 

 なんだ急に。

 

「バスケだけど」

「バスケ?」

 

 意外そうに眉が細められる。

 

「ふーん。なら、バスケで勝負しようぜ」

「……なんで?」

「このままじゃ勝った気がしねーから」

 

 よくわからん。

 

「まあ、いいけど」

「決まりだな」

 

 諏訪は満足そうに頷くと「メンバーいるのかよ?」と聞いてきた。

 そんなこと言われても困るが。

 

「ん……。3on3ならなんとかなると思う」

「三人だな」

 

 なら一学期の終業式の後に、と一方的に言い渡される。

 早速男子の輪に戻って仲間を誘い始めた諏訪をよそに、俺は呆然と立ち尽くす。

 

 そんな俺を、鳳が冷ややかな目で見ていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「翔子。メンバーのあてはあんの?」

「あるような、ないような」

 

 プールの後の給食の時間、柿園に問われて曖昧に答える。

 あの時、咄嗟に3on3と答えたのは昴と葵の顔が浮かんだからだ。けれど、よく考えると他校の生徒に頼るのはドン引きかもしれない。

 昴達なら「バスケができる」と言えば飛んでくるだろうけど。

 他のメンバーとなると途端に苦しくなる。何しろ俺は友達が少ないのだ。

 

「あちしなら心配ねーよ?」

「ん?」

 

 俺の返答を聞いた柿園が笑みを浮かべていた。

 

「協力してくれるのか?」

「当たり前だろ。そんな楽しそうなこと放っておけないっての」

「いや、てっきり面倒って言われるかと」

「お前はあちしを何だと思ってるのか」

 

 正統な評価じゃないかなあ……。

 

「でも、手伝ってくれるなら凄く助かる。ありがとう、柿園」

 

 食事の手を止めて頭を下げる。

 すると、柿園は何故か硬直する。「素直かよ!」とか、そんな感じの呟きが聞こえた。

 はあ、とため息をついて、

 

「もう一人、あちしに心当たりがなくもないけど」

「というと、例の友達とか?」

「正解」

 

 どこか悪戯っぽい笑顔。

 

「あちしのノリについてこれる逸材だぜ」

「変なのが増えるってことか」

「言いやがったなこの!」

 

 肘を突かれたのでお返ししたら更にやり返される。

 給食そっちのけで身体が絡み合った挙句、先生に怒られ、二人で笑い合った。

 

 その日から、俺はより真剣にバスケに取り組み始めた。

 やはり明確な目標があると違う。昴達に事情を話すと「参加したかった」と嘆かれたものの、俺が謝れば笑って許してくれた。

 やることは変わらないのだから勿論、特訓に付き合ってくれるという。

 俺が上手くなればなるだけ、同じように上手くなる昴達に「ぐぬぬ」と呻きながら特訓を続けて、あっという間に一学期の残りを消化。

 

 気づけば夏休み――そして、一学期の終業式が間近に迫ってきていた。

 七夕さんからプレゼントされたスニーカーは適度に履きならして絶好調。

 

 これならきっと、いい試合ができそうだ。



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悪意

「……なんだよ、これ」

 

 柿園の声は震えていた。

 終業式後のバスケコートには俺達七人しかいない。そして、そのうち約半数が硬直している。

 みんなの視線が注がれている先は、俺が取り出した巾着袋の中身。

 

 ──ずたずたになったスニーカー。

 

 カッターによるものだろう。

 直線的な切り傷が幾重にも引かれ、男女どちらでも使えそうなシンプルなデザインが穢されている。一目で「もう履けない」とわかる有様からは明確な悪意が感じられた。

 

「……翔子」

「つるみん……」

 

 友人達のかけてくれた声に、俺は何の反応も示せなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 話は数日前に遡る。

 

「はじめましてぇ。御庄寺多恵です。ゾノはショージって呼んでるよぉ」

 

 放課後、校庭の一角。

 柿園が連れてきた少女はどこか間延びした口調で挨拶してくれた。髪には天然でウェーブがかかっており、顔のそばかすが愛嬌ある印象を与えている。

 可愛いが、可愛すぎないあたり、同性から嫌われるのをギリギリで避けている感じ。

 

「鶴見翔子です。よろしく」

 

 右手を差し出して会釈すると、御庄寺は俺の手を握って「えへへ」と笑った。

 

「ゾノから聞いてるよお。漫画好きなんだよねぇ?」

「ん……まあ、人並みには」

「人並み程度な子はスラムダンク全巻読破しないと思うよぉ」

 

 ドラゴンボールと並んで男子のバイブルだけど、あれももう昔の漫画だからなあ……。

 

「弊社はねえ、雑食だからなんでもいけるよお。今度ゆっくりお話ししようねえ」

「ああ、是非」

 

 弊社ってなんだ。……ああ。御庄寺→ショージ→商事→弊社か。初めて聞いたぞ、そんな一人称。

 

「それで、バスケするんだよねぇ?」

「ああ。クラスで一番の男子が仲間を連れてくる。そいつらに勝ちたいんだ。……協力、してくれるか?」

 

 御庄寺の瞳を見つめて尋ねる。

 嫌だと言われたら仕方ない。別のクラスメートをあたって、駄目なら昴や葵に協力を仰ごう。条件が明示されていない以上、極論、美星姐さんを連れて行ってもいいはずだ。やらないけど。

 果たして、

 

「うん、いいよぉ」

 

 彼女はいともあっさりと首を縦に振った。

 

「いいのか?」

「じゃなきゃわざわざここまで来ないよぉ」

 

 ちらりと柿園を見る。

 どうよ、と言いたげな笑みが返ってくる。どうやら事前説明もばっちりらしい。インドア派っぽい子だったのでどうなるかと思ったが、

 

「ありがとう、助かる」

 

 あらためて深く頭を下げた。

 

「……ほわぁ」

「言っただろ? こういう奴なんだよ、こいつは」

 

 頭の上で柿園達が何か言っていたが、意味がよくわからなかった。

 

 

 

 

 

 自己紹介の後、御庄寺の運動能力を見せてもらった。

 意外にも普通に動きが良い。鉄棒での逆上がり、縄跳びでの二重跳び三重跳びも難なくこなす。体育以外で殆ど運動をしないらしいので、むしろかなりセンスのある方だろう。柿園に続く天才肌二人目。類は友を呼ぶ、というやつかもしれない。

 ひととおり見せてもらったところで、俺は御庄寺に尋ねた。

 

「バスケのルールはわかるか?」

「うん。授業でやったから、だいたい覚えてるよぉ」

 

 ルールも問題なし。

 諏訪もバスケ部ではないので、試合は授業に準拠したものになる。細かいことまで教える必要はない。

 

「じゃあ、後は当日。風邪だけは引かないでくれ」

「特訓とかするなら付き合うけどぉ?」

「そこまではいいよ」

 

 試合には勝ちたいが、何が何でも勝ちたいというわけではない。

 俺にとってバスケは楽しいもの。初心者にスパルタ特訓を施してまで勝つものではない。バスケコートが空いていれば軽く慣らすくらいはしたかったが、あいにくと他の生徒が使用中だった。

 

 ──いきなり昴達のところに連れていくのも拒否反応が出かねないし。

 

 あいつらはバスケが身近すぎるせいで感覚がおかしいところがある。

 丁寧に教えてくれるし、できるまで付き合ってくれるが、だからって延々ドリブルだけとかフリースロー打ちっぱなしとかいきなり言われてもキツイ。俺はいつの間にか慣れたが。

 本人達は毎日基礎トレとかも欠かさないから余計に劣等感が生まれやすい。

 

「多分、御庄寺も面倒なの嫌いだろ?」

「うん、まあ、ぶっちゃけるとその通りだよぉ」

 

 ふわりと笑う御庄寺。

 悪びれる様子もない。俺としてもそれくらいの方が気楽で良かった。

 

「じゃあさあ、つるみん」

「つるみん?」

「あだ名だよぉ」

 

 いきなりか。

 センスが良いのか悪いのか微妙だが、ルミショーとか呼ばれるよりはマシな気がする。

 

「で、つるみん。時間あるなら弊社の家行こうよぉ。漫画いっぱいあるよぉ」

「え、でも、いきなりはお邪魔じゃないか?」

「全然問題ないから気にすんな」

「柿園が言うのかよ!」

 

 御庄寺に引きずられ、柿園に背中を押されながら言ってみると、実際、ごく当たり前のように歓迎されてしまった。

 今人生で初めて入る女子の部屋(自室を除く)は割と普通だった。

 全体的な色調こそ淡いピンクで居心地の悪さがあったものの、本棚に並ぶ漫画やらラノベの半数近くは馴染み深いレーベルのもの。一緒にいるのが男っぽい口調の柿園とオタクっぽい御庄寺ということもあって、いつの間にか時間を忘れて話し込み、やがて全員無言での漫画鑑賞に落ち着いた。

 気づいたら夕方になっていて、慌ててお暇したくらいである。

 

「また来てよねぇ」

「ああ、うん。また折を見て」

 

 今度は手土産(駄菓子)くらいは持ってきたいところだ。

 と、結果的にはチームメイトとの友好を深めることができた。翌日からは昴達と特訓したり、超回復を狙って身体を休めたり。

 相変わらず続いている嫌がらせはスルーして。

 遂に当日を迎えた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「ん? 翔子、そっちの袋は?」

「ああ。まあ、秘密兵器」

 

 その日、俺はランドセルの他に巾着袋を持参していた。

 中身は七夕さんがプレゼントしてくれたスニーカー。昴達とのバスケで適度に慣らしたそれを履くと凄く動きやすい。いわばお守りだ。

 柿園は「ふーん」と相槌を打つと、いきなり身を乗り出して。

 

「じゃーこっちも秘密兵器か!」

「ちょ、止めっ!?」

 

 胸を揉まれた。

 お陰でクリーム色のブラ──キャミソールではなくブラだ──を意識させられてしまう。学校に着けてきたのは初めてだったので死ぬほど恥ずかしい。というか、男子もいるところでその仕打ちとか正気かこいつ。小学生ならそんなもんかもしれないけど。

 反射的に柿園をぶん殴らなかったのは褒めて欲しい。

 真っ赤な顔で睨みつけると、さすがの柿園「あー、悪い」とバツの悪そうな顔をして、

 

「ちょっと」

 

 いつのまにかすぐ傍に立っていた鳳が俺達を呼び止めた。

 

「ん?」

「あ?」

「バスケ、私も行くから」

 

 なんで?

 俺と柿園は顔を見合わせ、鏡写しのような表情を浮かべる。

 鳳が額に青筋を浮かべた。

 

「審判。諏訪くんにお願いして『ぜひ』って言われたの」

 

 諏訪くん、と言う時だけ幸せそうな顔になる彼女。

 なんというかわかりやすい。

 好きな人を応援して、勝ったらここぞとばかりに距離を詰めるつもりなのだろう。

 

「いいでしょ?」

「好きにしろよ」

 

 チームに入れろと言われたら全力で断るが、審判なら別に構わない。

 素っ気なく答えると鳳は満足そうに頷いた。

 じゃあ、と言って去っていく。

 

「あいつ、諏訪に有利な審判とかしねーよな?」

「さすがに、それは諏訪が怒ると思う」

 

 まあ、大丈夫だろうと俺達は思っていた。

 そう、この時はまだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 終業式の後、更衣室を借りて体操着に着替えてからバスケコートに移動。

 そこで初めて巾着袋を開け──犯行を知った。

 

「……おい、鶴見」

 

 諏訪に呼ばれる。

 男女って言われないのは珍しいな、とどうでもいいことを思った。

 顔を上げる。

 液体が瞳から頬を伝ってこぼれ落ちる。

 

「お前……!」

 

 諏訪が、柿園が、御庄寺がはっと顔を強張らせる。

 男子側の残り二人は状況についていけないのか呆然と立ったまま。

 鳳は眉を顰めて胸に手を当てていた。

 

「それ、どうしたんだよ……?」

「……さあ? 誰かがカッターで切り刻んだんだろうけど」

「どう、すんだよ」

 

 声がかすかに震えていた。

 

「その靴じゃ、試合は無理なんじゃない?」

「鳳」

 

 横手から言ってきたのは鳳だった。

 唯一、試合に直接関係ない彼女はある意味、傍観者といっていい。最も客観的に物が言える立場にある。

 実際、ズタズタにされた靴はもう使えない。

 幸い登校に履いてきた靴があるので試合自体は可能だが、想定していたほどのパフォーマンスは発揮できないだろう。

 

 ──肉体的にも、精神的にも。

 

 続けて紡がれた声はどこか優しげだった。

 

「ね? 鶴見さん、もう負けでいいじゃん。やる意味無いよ」

「黙れ、鳳」

「え……っ?」

 

 低い諏訪の声に鳳が目を見開く。

 何で、と、彼女の表情が尋ねている。そこに諏訪が何か言おうとして、

 

「ああ。負けでもいい」

「っ、おい!」

 

 少年の矛先がこっちに向いた。

 駆け寄ってきて、今にも掴みかかりそうな勢いで睨まれる。

 俺はそれをぼんやりと見つめかえして、言った。

 

「悪いけど中止にしてくれ。俺は行くところがある」

「……どこ行くんだよ」

「職員室」

 

 言うだけ言って踵を返す。

 柿園と御庄寺がついてくる気配。更に、後ろから声。

 

「職員室に行ってどうするのよ!」

「先生に報告するに決まってるだろ」

 

 立ち止まって振り返る。

 鳳の表情が強張り、肩はかすかに震えている。

 

「なんで」

 

 なんで、か。

 

「知らないのか。人の物を故意に壊すのは犯罪なんだよ」

「でも、誰がやったのかなんて……」

「? 変なこと言うな。俺は誰かを先生に言いつけに行くんじゃない。大事な物を誰かに壊された、って報告しに行くんだ」

 

 まだ、涙は止まっていない。

 そのまま睨みつけてやる。

 

「それとも、お前がやったのか?」

「ひっ……!?」

「これは、俺の友達のお母さんが、プレゼントだって買ってくれたものだ」

 

 あの時の七夕さんの表情は忘れていない。

 あの時の嬉しさだって忘れていない。

 

 必ずいつか恩を返そう、そう思っていた。

 

()()()()()()()()()。それを壊されたんだ、お前が犯人だって言うんなら、俺はお前を許さない」

 

 一歩、近づく。

 一歩、鳳が後ずさる。

 

 よっぽど怖いんだろう。肩の震えは大きくなっている。

 瞳には涙が浮かび、唇はきゅっと結ばれていた。

 だからどうした。

 

「教えてやる。やるなら、やり返される覚悟をしなくちゃいけない。俺は別に常識人でもなんでもない。キレたらなんだってできる。取り返しのつかないことをされる感覚を教えてやる。もう一度聞くぞ。──お前がやったのか?」

 

 もう一歩近づく。

 鳳が、ぺたんとアスファルトの上に座り込む。更に一歩踏み出そうとした俺の両腕を柿園と御庄寺が一本ずつ抑えた。

 

「やめとけ、翔子!」

「つるみん、それ以上やったら本当に警察沙汰だよお!」

 

 警察沙汰になんかなるか。

 今の俺は法律上も見た目上も小六女子だ。歳も性別も鳳と変わらない。多少、相手に怪我させようと子供の喧嘩で片付けられる。

 第一、言質を取れなきゃ何もするつもりはない。

 言質さえ取ってしまえば、先にやったのはあっちだ。いじめた側が仕返しを受けただけ。自業自得で終わりだ。

 

 ──だけど、柿園達に怒鳴り返すのは筋が違う。

 

 俺は足を止め、息を吐いて気持ちを落ち着けた。

 鳳は大粒の涙をこぼしながら首を振っていた。

 

「私じゃない! 私は悪くない!」

「そうか」

 

 なら、職員室に行くしかない。

 ゆっくりと校舎に向かって歩き出した俺を、もう鳳は呼び止めなかったし、柿園と御庄寺も黙ってついてきてくれた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……ごめん」

 

 職員室を出た後、俺は二人の友人に頭を下げた。

 

「ついかっとなった。せっかくの試合、台無しにした。気分の悪い思いもさせたと思う。せっかく付き合ってくれたのに」

「もう、いいよぉ」

 

 答える御庄寺の声には力が無かった。

 

 先生への報告、相談は正直に言ってスムーズとは言えなかった。

 担任を捕まえて現物を見せ「悪意ある悪戯」を訴えたが、担任は「誰がやったのか」という問いに俺が答えられないのを確認して論調を変えた。

 端的に言えば管理不行き届きを責めてきたのだ。

 大事なものなら学校に持ってくるべきではない。誰かに貰ったからと見せびらかしていたら悪戯に遭うこともある。今回は反省して今度から気をつければいい、と。

 

 ──ふざけるな、と思った。

 

 俺は声を荒げて反論した。

 

『悪戯した方は悪くなくて、された方が悪いってことですか?』

 

 敢えて他の教員の注目を集めた。

 その上で再度主張する。俺が持ってきたのはただの靴、それも運動靴だ。キャラクターものなどの華美なものですらない。放課後にクラスメートとスポーツをするために家から持ってきたもので、目を離したのはトイレの際と体育館での終業式の間でしかない。

 式の間、抱いて守っていなかったのが迂闊だったというのか。

 せっかくプレゼントしてもらったものなのに。友達と、そのお母さんに「ごめんなさい」と謝らなくちゃいけない。せめて犯人に一緒に謝ってもらえないのか。そのために先生に協力してもらうことはできないのか。

 

 居心地の悪くなった担任は愛想笑いを浮かべて協力を請け負った。

 こっちでも動いてみるから変なことはしないで欲しい、と。

 

 ──意訳すれば、話はこれで終わりだということ。

 

 今日は終業式。

 先生がどう動くつもりか知らないが、集められる情報にも限度がある。もし、二学期になってから生徒達に話を通すつもりなら無駄としか言いようがない。一か月以上前の話を聞かれても「何を今更?」で終わるに決まっているからだ。

 結局、俺の負けは確定事項。

 相手から譲歩を引き出した以上、ここで退くのが大人の対応。子供が従う必要はないとはいえ、もともと心証のよくない俺が食い下がっても意味はない。

 

「じゃあ」

「ああ」

「うん」

 

 柿園達とは言葉少なく別れた。

 

 ──得られた教訓は一つ。

 

 郷に入っては郷に従え。

 特異であること。弱いことが悪だというのなら、強くなるしかないということだった。




※補足
 復讐劇が始まったりとかはありません。本格的にイメチェンしないと駄目だなと決意した、くらいにお考えください。


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翔子と秋葉原

「やっほー、つるみん! 会いたかったよぉ!」

 

 最寄り駅に集合するなり御庄寺に抱きつかれた。

 柔かい。というか人が見てる。赤面しながら引き剥がすと、しまりのない笑顔を直視してしまった。

 助けを求めて柿園を見れば、彼女は頭の後ろで手を組んで。

 

「元気そうで安心したぜ」

「……いや、そんなに元気でもない」

 

 抱きつかれたまま息を吐く。

 

「さんざん走り回った挙句、女子高生にしこたま銃で撃たれて大変だった」

「何があったんだよ!?」

「JK!? JKのお姉さんたちが銃持ってたの!? 見たかったよぉ!」

 

 御庄寺の感想は若干ズレている気がするが。

 終業式から数日。突然、家の電話に連絡を受けて出てきた俺だが、では昨日まで何をしていたかというと――サバゲーをしたり、その疲れを癒したり、宿題をしたりしていた。

 前に美星姐さんが言っていた件。

 どうやら本気だったらしく、昴や葵ともどもいきなり連れていかれ、装備を貸し出されてゲームに参加させられた。

 

『子供にやらせることじゃないんじゃ』

『にゃはは、大丈夫だって。男の子だろ?』

 

 男女比1:3なんですが。

 葵と顔を見合わせた俺だが、これは無理だと悟って大人しく従った。

 相手が良い人達だったのが幸いだが、約一名、殺気が凄い子が混じっていたのも気になったポイントである。確か、学校名はステラ女子とかいったか。女子高でサバゲーの部活とか世界は広い。

 と、柿園が呆れ顔になって、

 

「くそ、心配して損したぜ」

「本当に悪い。だけど、まあ、この通り。割と元気だから」

 

 肩を竦めて苦笑する。

 嫌なことはあった。しかし、人は忘れるようにできている。一晩寝て起きると重苦しいものは目減りしていた。

 良くも悪くも、だが。

 お陰でこうやって遊びに出かけることができる。それは有難いことだ。

 

「………」

「………」

 

 って、なんでそこで黙るのか。

 

「つるみん。その服はイメチェン?」

「……そんなに変かな?」

 

 Tシャツにショートパンツ。

 運動することになってもいいようにとブラをつけてはいるが、そんなに変な格好でもないはず。

 首を傾げて見せると柿園が頷き、

 

「大丈夫、似合ってる。ちょっとしたイメチェン的な?」

「ま、そんなとこ」

 

 それ以上の説明はいらないようだった。

 御庄寺が笑って、

 

「それじゃあ出発だよぉ、夢の秋葉原に!」

「……え?」

 

 今日の目的地を告げてくれた、のだが。

 

「さつき、多恵の頭が湧いてる」

「いつものことだろ! って翔子、お前今――」

「ほらほらゾノ、つるみんも行くよぉ!」

 

 なんか、色々有耶無耶のうちに出発になった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 オタクの聖地、秋葉原。

 御庄寺なら池袋の方じゃないのかと思ったが、曰く「あっちはもっとディープだからぁ」とのこと。確かに俺や柿園にとってはアキバの方がマシだ。

 というか、何気に前世含めても行くのは初めてである。

 気になる軍資金については「お年玉があるから大丈夫だよぉ」とのこと。お前の心配をしてるわけじゃない、と二人してツッコミを入れた。まあ、俺は割と貯金があるので大丈夫だが。柿園は電車賃の時点で「小遣いが……」と泣いていた。

 後で缶ジュースでもプレゼントしておこう。そのくらいなら受け取ってくれるだろうし。

 

「はぁはぁ、遂にやってきたよぉ……!」

 

 テレビや漫画で見たことのある駅前に立って。

 御庄寺は早速、鼻息を荒くしていた。

 

「もしかして、多恵も初めて?」

「さすがの弊社でもそうそう来られないよぉ。ゾノはこういうの、そこまで興味ないし」

「ふうん」

 

 待て、オタク適性は俺>柿園という判定か。

 ……うん、悔しいが正解だな。

 翔子になって以降は体育会系のはずだが、前世の知識だけでも十分だろう。

 

「どこから回る?」

「適当に端から歩いてきゃいいんじゃね?」

 

 じゃあそれで。

 というわけで、駅前からアキバの街を歩いていく。小六女子が来るにはディープな所だが、裏道に入ったりしなければ人目も多く危険はほぼない。

 看板や広告にピンク色が多いのだけは注意しつつ。

 適当な店(もちろん全年齢向けのところだ)に入って漫画やラノベを物色してみたり。さすがアキバ、品揃えはピカイチで、御庄寺だけでなく俺や柿園も目を輝かせた。気になったのを端から買ったらお金がいくらあっても足りなさそうである。

 ここは節約すべき。

 翔子になって以来、俺はお小遣いやお年玉を極力貯金している。女子向けのアイテムに興味がないのもあるが、本当に欲しいものが買えなくなる辛さを味わいたくないからだ。

 

 ――だから一冊だけ。

 

 費用と「読むのにかかる時間」の比率をコスパとするなら、漫画よりラノベを買うべき。

 となれば、いずれレーベルと絵師が変わって絶版になるこの作品か。いやでも、後書き芸でおなじみのこいつも短編集という意味で優秀な気が。待て、こっちにはとある未来の人気ラノベのグッズ付き限定版が! 丁寧にとっておけば後で高く売れるのでは!

 

「つるみん」

 

 ぽん、と肩に置かれ、振り返れば御庄寺がいい笑顔をしていた。

 気づくと俺の手には何冊もの本が。

 

「ようこそ」

「………」

 

 俺は物凄く迷った末、最初の誓い通り一冊に絞った。

 

 

 

 

 

 

 御庄寺からは罵られるかと思いきや「さすが、わかってる」という顔をされた。

 

「本番はここからだから、軍資金は残しておかないとねぇ」

「え、そこ?」

 

 本は十分見たような。いや、次はゲームか? まさか自作PC?

 と思ったら、御庄寺がうきうきと突撃したのはよりオタク向けのショップ。扱っているのはアンソロジー系のコミックやマイナーレーベルのラノベ、それから同人誌。

 

「さつき、逃げ」

「逃がさないよぉ」

 

 ぬるん、と、伸びてきた腕が俺達をがしっと掴んだ。

 

「翔子。あちしたち、気づくのが遅かったみたいだぜ」

 

 まあ、さすがに18禁コーナーには連れていかれなかったが。

 漫画は漫画だから大丈夫、と引っ張られたBLコーナーはさすがに独特の雰囲気だった。

 俺としては場違い感が甚だしい。

 買い物に来ていた年上のお姉様方からは「将来有望」とばかりに見られるし、良くわかってない柿園は案外ダメージが少ないのか本を手に取って見ているし。

 

「つるみんも物色しよ?」

「いや、遠慮して……ん?」

 

 そういえば、年代的にBLの主流はアレとかコレなのか。

 ふと目についた本を見て立ち止まる。話としては聞いたことがあるけど、この辺が全盛期の頃は殆ど知らない。え、あいつとこいつの組み合わせ? それはまた斬新な。っていうか全年齢のBL作品って何するんだ? キス? 男同士で?

 気になるような、気にならないような。

 

「つるみん、一冊くらいなら気の迷いで済ませられるよぉ」

「……か、買わない!」

 

 結局、気の迷いは生まれた。

 薄い癖に高い本は宝物として大事にしようと思う。具体的には、読まない時は奥の方にしまって見つからないように。

 

 

 

 

 

 

 気づけば結構お腹が空いていたので、良さげな喫茶店に入る。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様!」

 

 メイド喫茶だけど。

 可愛らしいメイドさんに出迎えられた俺はつい胸を高鳴らせてしまう。また、柿園は柿園で物珍しそうに店内を見回し、御庄寺は「ほわぁ……」と目を輝かせる。

 

「ねえゾノ、つるみん。写真撮影とか頼んじゃおっかあ」

「小学生女子のすることじゃなくね?」

「気にしたら負けだと思うよぉ」

 

 まあ、生のメイドなんてこんな機会じゃないと見られないだろうけど。

 さすがに写真撮影は止めにして軽食を頼んだ。

 メイドさんも小学生女子の客が珍しいのか、楽しげにケチャップアートやパンケーキのトッピングを行ってくれた。更には「どんな作品が好きなの?」と会話まで始まる始末である。アキバでメイドさんをする女子だ、オタクでない方が珍しい。

 

 ――正直、楽しかった。

 

 料理の味は普通、値段を考えるとかなり割高だけど。

 通い詰める男の気持ちもわかってしまう。女子は女子で可愛いものが好きなら十分に楽しめるだろう。

 接客を担当してくれたメイドさんにしても「可愛い服が着たい」が最初の動機だったそうだし。

 

「興味あったら将来、着てみてね」

「いや、さすがに恥ずかしいです……」

 

 そんな機会はできるだけ避けたい、と切実に思った。

 

 

 

 

 

 

 

 食事の後はちょっと歩いて神田明神にお参りした。

 聖地巡礼を先取りしつつお守りを購入。ラノベや同人誌は躊躇するのにこういうのは買ってしまうあたり、俺も脇が甘いと思う。

 

「巫女さんもいいよねえ」

「バイト代は安いらしいな」

「夢も何もないな!」

 

 馬鹿な話を肴に来た道を戻り、シメにゲームセンターへ入った。

 格ゲーで一回ずつ対戦して俺が勝利。クレーンゲームでは柿園がぬいぐるみをゲットし、ホッケーでは御庄寺が何故か鬼のような強さを発揮した。

 そうこうしているうちにいい時間に。

 ゲーマーっぽい男が店内に増えだしたところで、御庄寺が最後に、と、とあるモノを指差した。

 

「あれをやって帰ろっかぁ」

「マジか」

 

 つい言ってしまうほどの衝撃。

 

「あれは女子がキャーキャー言いながらやるものじゃ」

「あちし達も女子だけどな」

 

 あっさり言って、柿園はそれ――プリクラの機械へと歩いていく。

 まさかの裏切りである。

 

「さつきは抵抗ないのか?」

「まさか。あちしだって得意じゃないっての」

 

 だけど、と彼女は続けて。

 ゆっくり歩く御庄寺と、立ち止まったままの俺を笑顔で振り返った。

 

「お前らとならそういうのも悪くないだろ」

「……それは」

 

 反則だろう。

 何も言えなくなった俺は渋々、歩を進めると目隠しをくぐって中に入った。

 言ってしまえば証明写真のデカイ奴みたいなもの。

 三人で入ってもスペースのあるそこで身を寄せ合い、財布からそれぞれにコインを投入。程なく起動し、案内の画像と音声が表示された。

 

「ど、どうすれば」

「落ち着け翔子。書いてあるだろ」

「ここをこうするっぽいよぉ」

 

 表示に従い、おぼつかない手つきで操作。

 すると『三秒後に撮影します』といきなり表示されたから大慌て。

 

「はい、チーズだよお!」

「え、いきなり言われてもどうすれば」

「いいから笑っとけ!」

 

 カシャ、という音の後、表示された写真の中で――俺は、ぎこちないながらも笑っていた。

 思わず自分と見つめ合ってしまう。

 鏡の中で毎日見る顔。これが自分になって十年以上。もはや慣れ親しんだ顔だが、こいつは最近、本当に生き生きしている。

 

 ここまで楽をしすぎていたくらいだろう。

 

 何故か泣きそうになるのを堪え、もう一度笑顔を作る。

 と、柿園に言われた。

 

「翔子。その顔、そのままにしとけよ」

「え」

 

 取り直しのカウントダウンが始まっていた。

 

「慌て損かよ!」

 

 カシャ。

 ……憤慨した顔はさすがにどうかということで一枚目の方が採択され――出てきた写真シールの三分の一が俺の手に渡された。

 初めての経験である。

 記憶にある限り、女子達は筆箱やら鞄やらキーホルダーやら色々なものに貼っていたはず。自分の映った写真を私物に貼りまくるとか正気だろうか。

 

 けど、まあ。

 せっかく撮ったのだから貼ってもいいかな、と、思った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「なあ、翔子」

「……ん?」

「お前の靴やったの、多分、祥だろ」

 

 帰りの電車内。

 さすがに疲れてうとうとしていたところに、柿園の声。

 少し間を置いてから返答した。

 

「多分」

 

 向こうも言葉を選んだのか、ガタゴトという音の間を縫うようにして。

 

「いいのか?」

「本人が『やってない』って言ってるから」

 

 証拠があれば別だが、そんなもの、そうそう見つかるはずもない。

 聞き込みしようにも夏休みだし、俺の信用度的に協力してくれる生徒がどれだけいるかわからない。

 犯人捜しをするのは不毛だ。

 

「……いいのか?」

「いいよ」

 

 報復だのなんだのは諦める。

 七夕さんのところには夏休み初日に行って頭を下げてきた。せっかく買ってもらった靴を台無しにした俺を、七夕さんは怒るどころか抱きしめてくれた。

 涸れ果てたはずの涙が溢れてきて、わんわん泣いた結果、昴と葵にまでもらい泣きさせてしまった。

 

 ――また買ってあげる、という申し出は丁重に断った。

 

 駄目になってから買ってもらえばいい、というのは間違いだ。

 同じものを買ってもらったとしても、あの靴が戻ってくるわけじゃない。

 一つきりだから、元通りにならないからこそ尊くて大事なのだ。

 

 だから、新しいスニーカーは自分で買うことにした。

 昴と葵にも買い物に付き合ってもらうことになっている。また財布から金が逃げるが、これは必要な出費だから問題ない。

 そっか、と、柿園はぽつりと言って。

 

「ま、なんかあったら言えよ」

「うん」

 

 俺は笑って答え、すやすや眠っている御庄寺の頭をそっと撫でた。

 

「ありがとう。二人とも、一日中付き合ってくれて」

「ばーか」

 

 温かくも軽い返答が胸に染み渡った。



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翔子と海

 少し離れたところから波の音が聞こえた。

 風に乗って鼻をくすぐるのは潮の匂い。人々の汗と、焼きそばか何かのソースの香りも混じっている。

 海である。

 夏真っ盛りの海水浴場はわいわいという喧噪に満ちていた。

 

「……どうしてこうなった」

 

 我に返った俺は呆然と呟く。

 一足遅れて脱衣所を出てきた葵が呆れ顔で背中を押した。

 

「今更何言ってんの。堂々としてなさい」

「いや、急に恥ずかしくなったというか」

「却下」

 

 問答無用で腕を取られ、ぐいっと引かれた。

 汗ばむ手のひらが貼りつくような感触。

 いけないことをしている気分になり、慌てて葵の手を振りほどく。手のかかる弟を見る姉のような目で微笑まれた。

 と。

 

「にゃはは。とうとう翔子も観念したかー」

「翔子ちゃん。すごく可愛いから自信もって大丈夫よ」

 

 先に飛び出した俺達を追って美星姐さんと七夕さんが合流。

 道行く男性が妙にこっちを見てくるが、果たしてこれは誰の魅力によるものか。

 敢えて口には出さないことにして、俺は男子の脱衣所を振り返る。

 

 さて、昴は大丈夫だろうか。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「翔子の裏切り者」

「そう言われても、俺だって恥ずかしいんだし」

 

 一人、脱衣所から出てきた昴に恨みがましい目で見られた。

 昴はごく普通の海パン姿。楽そうで羨ましい。

 俺の水着は淡いブルーのツーピースタイプ。裏切り者というのは昴以外が全員女という状況のことだ。原因は俺だが、昴は俺のことを男友達と思っている節がある。

 

 ちなみに、葵は濃いブルーの水着で俺と色違い。

 七夕さんは白いワンピースタイプで、美星姐さんは何故かスクール水着。みんなとても良く似合っていた。みんな。

 

「お? おい葵、昴が翔子の胸見たいってよ」

「あ?」

「言ってないだろ!? なんでそうなった!?」

「俺に海パン履け、みたいなこと言ったからじゃないかな」

 

 三人で水着を買った時からそんな感じだった。

 例のスニーカーを買いに行った日のことだ。安くていい品が見つかり、ほくほく顔で会計を済ませた俺に葵が言った。

 

『翔子。ついでに水着買って帰るわよ』

『水着なら持ってるけど』

『そうじゃなくて。夏休みに海に行こうって話』

『初耳なんだけど』

『今初めて言ったからね』

 

 その時、バスケ用品に夢中で離れていた昴も海行きの話は知っていた。

 なんでも事前に言うと来ないと思ったとのこと。よくわかっていると言わざるをえない。

 

『別に水着なんて適当でいいだろ。なあ翔子』

『俺に同意を求められても』

『女子は男子と違って色々あるの。ね、翔子』

 

 同じ台詞を返したくなったが、実際、女子の水着は色々難しい。

 葵と違って細かい色や形状は気にしないが布面積は重要だ。ワンピースタイプかツーピースタイプか。子供向けではないものの、腰にひらひらした水着を巻くタイプもある。

 っていうかスクール水着でよくない?

 と、割と真面目に主張してみたが却下された。遊びに行くのに学校の水着とかありえないらしい。

 

『それとも、美星ちゃんとお揃いになりたい?』

『よくわからないが、大事なのはわかった』

 

 仕方なく真剣に吟味した。

 宣言通り値段で適当に決めた昴は待ちぼうけだったが仕方ない。葵がときどき「どっちがいいと思う?」と話しかけていたから暇ではなかったはず。男からすると滅茶苦茶困るやつだけど。俺が聞かれた場合は同性の気安さで流した。こっちが可愛いと思うけど、葵はどっちが気に入った? といった具合だ。

 なお、昴が真似した場合は「ふーん……そうなんだ」と意味ありげな反応になって逆効果だったことを付け加えておく。

 

 結局、俺は葵とお揃いの水着を色違いで買った。

 色々悩んだ挙句、どれがいいのかわからなくなったのが原因の一つ。下手に布面積に拘ってワンピースタイプにすると逆にエロいのではないか。

 ならばツーピースで活動的な印象を与えた方が、と血迷ったのがもう一つ。

 行き着いた先が海に来てからの往生際の悪さである。

 

「翔子、ちょっと髪伸びてきたよね」

「ああ。サムライヘアーにしようかと思って」

「……ポニーテールのこと?」

「サムライヘアー」

 

 そっぽを向いて繰り返すと、葵が回り込んできてにんまり笑った。

 

「ああ、髪を縛るのはいいよな。運動するとき邪魔にならないし」

「昴は」

「黙ってていいから」

「え、なんだその扱い」

 

 傍らで美星姐さんが大爆笑していた。

 

 

 

 

 

 

 やっぱり、海の水は塩辛い。

 波打ち際に入るなり、葵にぱしゃっと水をかけられてそう実感する。

 

「なら、お返しに」

「わっ、冷たい」

 

 葵が身を庇いながら歓声を上げた。

 お返しのお返しが来て、更にそのお返しを繰り出していると、

 

「翔子。泳ごうぜ」

「ん」

「ちょっと二人とも、もうちょっと遊んでからでも」

 

 言いつつ葵もついてくる。たぶん、彼女も泳ぎたくてうずうずしていたのだ。

 バスケ馬鹿だが他の運動も十分に好んでいる。俺も人のことは言えないので、俺達の海での行動は色気もへったくれもないスピード勝負に移行した。

 危ないから遠くまで行かないように、という七夕さんの声にはーいと返事をして競争を開始。

 

 ――む、二人とも速いな。

 

 多分、柿園より速い。

 諏訪と同じくらいか。そういえば、あれからあいつはどうしただろう。不戦勝をみんなに言いふらしていたり? いや、そんなタイプじゃないか。案外、俺への怒りを溜めているかもしれない。今度会ったら謝った方がいいか。

 バスケ勝負ができなかったのも心残りだ。

 勝負の件は昴達にも伝えていたので、どうだったと聞かれて事情を話した時はさすがにがっかりされてしまった。俺が勝つと信じていた、と言われてむず痒くもあった。実際は勝てたか五分五分といったところだろう。

 

「よし、一着!」

「二着……だよな?」

「う、悔しい。翔子には勝てると思ったのに」

 

 初泳ぎの結果は昴、俺、葵の順だった。途中から葵がやや失速した感じ。

 

「翔子。背、伸びてきてるでしょ」

「葵もちょっと伸びた気がするけど」

「あ、わかる?」

 

 頭のてっぺんを比べあうと、葵は嬉しそうに笑った。

 それを見ながらいじけていたのは少年。

 

「いいよな、翔子達は順調に伸びてて」

「? 別に昴も小さくないんじゃ?」

「バスケプレーヤーは大きい方が有利なんだよ」

「あはは。昴は身長気にしてるのよ。お父さんがおっきいから」

 

 ああ、まだ見ぬ長谷川家の家長か。

 大きいというのはさもありなん。昴はどう見ても七夕さん似だし。

 でも大丈夫だと思う。男子と女子じゃ平均身長が違う。そのうち俺も葵も抜かされる可能性が高い。

 

「よし、せめて泳ぎでは勝ちこす!」

「待ちなさい。次は私が勝つから!」

「俺も一着取っておきたいな」

 

 何度も泳いだ結果は一進一退。

 

「おーいお前ら。そろそろ飯にしようぜー」

 

 美星姐さんの声がかかった時点で一位は昴、僅差で二位が葵、やや離されて三位が俺だった。

 回数を重ねるにつれて地力の差が出た感じ。もっと精進することに決める。

 海から上がり、七夕さんがいるパラソルの下へ。そういえば美星姐さんが大人しかったが、どうやら日光浴をしていたらしい。

 砂浜に寝そべるスクール水着の成人女性(ロリ体型)。

 犯罪性はないが、対応に困りそうな案件だ。

 

 お昼ご飯は七夕さんがおにぎりや簡単なおかずを用意してくれていた。それに海の家で買い込んだものを加えてわいわいやろうという算段。

 買い出しは美星姐さんが買って出てくれ、俺が手伝いに任命された。

 さすが姐さん、自分が担当に回ることでメニューの決定権を握るとは。

 

「なー、翔子」

「なんですか?」

「ちょっとは吹っ切れた感じ?」

 

 と思ったら、俺へのヒアリングも兼ねていたのか。

 どうやら教師志望らしい姐さんとしては俺の動向も気になるのだろう。

 

「そうですね。……ちょっと思うところがあって、決心は固まりました」

「ふーん」

 

 簡潔すぎる相槌は無関心の現れではない。

 むしろ、受け止めるのに複雑な感情があったからこそだったと思う。

 ちらりと見えた顔がそんな風に見えた。

 ぽん、と、頭に手が乗せられ、髪がわしゃわしゃとかき回された。男の子にするみたいな仕草がなんだか無性に嬉しい。

 

「私は別に、お前がしたいようにしてもいいと思うけど」

「一人でいるのは辛いですから」

「……にゃはは。友達ってのはいいもんだろ?」

「はい、もちろん」

 

 誰のことかは言わなくても伝わるだろう。

 実際には柿園や御庄寺、その他、何人かのクラスメートも含まれているけれど。

 

「あ、美星姐さん。俺はフランク食べたいです」

「あいよ。ちなみに、それはさっきの話と関係──」

「ねえよ!」

 

 小学生女子にする話じゃなかった。

 誤魔化しているのか素なのか、にゃはにゃは笑う姐さんを見て溜息をつく。この人はなんだか憎めないから困ってしまう。

 これで、せめてサバゲーの件みたいなことがなければ。

 

「あ、午後は水鉄砲であそぼーぜ。人数分持ってきたから」

「また銃ですか!?」

 

 せめて……!

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 酷い目に遭った。

 美星姐さんは相変わらず大人気がなかった。小学生に混ざって普通に遊び始めたと思ったら、いつの間にか誰よりはしゃいでいた。水鉄砲の二丁拳銃とかマジで大人気ない。

 これで「見た目は小学生みたいだからセーフ」とか言うと関節技が飛んでくるのである。主にターゲットは昴だが。あいつの女性趣味が歪んだり、ホモに走ったりしないことを願う。

 

 ともあれ、楽しかった。

 

 今回の件とこの前の秋葉原と、それから昴達とのバスケで夏休みは十分元を取っただろう。

 他にも柿園や御庄寺と普通に集まってこの前の戦利品を回し読みしたりもしたし、美星姐さんがゲーム勝負を挑んできたりもした。

 こんなに楽しかった夏は転生してから──いや、前世も含めて初めてかもしれない。

 はしゃいでいた。

 普通の女子のように黄色い声を上げたりはできない。けど、俺は確実に浮かれていた。自分に定めた努力自体はこなしつつも、都合よくあのことを忘れそうになっていた。

 

 あらためて勝負しろ、と諏訪から連絡を受けたのは夏が終わりかけた頃だった。

 

「……よう」

「久しぶり。あの、終業式のことだけど」

「うるさい」

 

 ぴしゃりと遮られた。

 午後の公園。バスケットゴールを背にして立った諏訪は仏頂面をしていた。

 彼は一人だ。

 俺も一人きり。柿園や御庄寺もいない。一対一でいいと言われたからだ。単にメンバーの都合を考えただけかもしれないけど。

 

「騒ぎのことは気にしてない。だけど、勝負できなかったのは嫌だ」

「ごめん」

 

 言い訳のしようもない。

 それに関しては俺の落ち度。もっと早く謝るべきだった。

 頭を下げれば、諏訪は納得がいかないというように俺を睨んだ。

 

「先に五回ゴールした方が勝ち。それでいいか?」

「……ん」

 

 頷く。

 準備はできている。いつも通りのラフな格好に、大分慣れてきた新しいスニーカー。運動用にブラもしっかり着けているし、伸びてきた髪も後ろで縛っている。

 ここまで軽く走ってきたのでウォームアップも不要。

 

「悪いけど、本気で行く」

「当たり前だ」

 

 流石は男の子。

 手加減したら許さないとばかりにボールを投げつけてくる。しっかりと受け止め、ゴールから既定の距離を置いて立った。

 ドリブルを開始しながら、諏訪を見る。

 真剣な表情。

 油断はない。両手を広げ、軽く腰を落として、俺の一挙手一投足を見逃すまいと注視している。

 

 ──まずは。

 

 軽く呼吸をし、即座に始動。

 自分にできる最高速度をもって直進。真っすぐに突っ込まれた諏訪は一瞬、表情に戸惑いを浮かべてからボールへと手を伸ばしてくる。

 その時にはもう、俺は脇をすり抜ける軌道に入っていた。

 

「これで、一点」

 

 走り込みざまのレイアップシュート。

 振り返れば、諏訪が目を見開いていた。

 

「お前……!」

 

 苛烈な声。

 本気以上になったクラスのエースが、ボールを手にして襲い掛かってくる。

 俺は、心のどこかでわくわくするのを感じながら彼を迎え撃って──。

 

 

 

 

 

 

 一点目に似たレイアップが、諏訪のブロックをかいくぐってネットを揺らす。

 五点目。

 ここまで、俺がブロックされた回数は一回。俺が諏訪をブロックした回数は二回。五対三、というのが最終的な勝負のスコアだった。

 

「やっぱ上手いよ、諏訪は」

「……勝っておいてそれかよ」

 

 ボールを拾い、微笑めば、低い声が返ってきた。

 

「それは、俺がバスケをしょっちゅうやってるから」

「うるさい!」

 

 ずき、と胸が痛んだ。

 

「男女」

「………」

 

 黙って受け止める。

 何度も何度も言われてきた言葉。思わば彼は、一度も俺を「ショーゴ」とは呼んでいない。

 男女という呼び方は、裏返せば俺を最低限、女として扱っていたということ。

 

「もう、言わねえ」

「諏訪」

「じゃあな、()()

 

 吐き捨てるように言って背を向ける諏訪。

 小さな彼の背中を、俺は慌てて呼び止めた。

 

「諏訪!」

「っ。……なんだよ」

 

 振り返らずに問う彼。

 

「良ければ、翔子って」

「……考えとく」

 

 結局、諏訪がどんな顔をしているかはわからないまま、俺は彼と別れた。

 ボールを返していないことに気づいたのは、諏訪の姿が完全に消えた後のことだった。



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中学生
進学


「翔子が……!」

「スカート履いてる!?」

 

 顔を合わせた途端、昴と葵が声を揃えた。

 

「同感だけど失礼」

 

 俺はそう言って膨れっ面を作った。

 成長を見越して大きめサイズの真新しい制服はセーラー服にスカート、赤いリボンという構成。

 

 ――まさか、こんな格好をすることになるとは。

 

 試着時にも感じたことだが、スカートはやたら翻って頼りない。

 これじゃ、ちょっと道を走るのにも気を遣わないといけないし、どこかに引っかけたら一発で裂けてしまいそうだ。

 今まで避けてきたのが正解に思える。

 制服では仕方ないので、慣れるまでは騙し騙しやるしかないだろう。

 

 ちなみに、葵も同じ制服を着ている。

 隣にいる昴は学ランだけど、飾られた校章は同じ。嬉しいことに俺達の進学先は一緒だった。市立桐原中学校。主に俺の小学校と昴達の小学校から生徒を受け入れている中学だ。

 校門付近には他にも見知った顔がいくつも見える。

 

 家の住所によって別の公立に行った生徒もいるし、私立に進学した者もいるので全員が全員ではないのだが。

 

「お、いたいた」

「つるみん、制服姿を拝みに来たよぉ」

 

 縁、というやつだろうか。

 駆け寄ってきた二人――さつきと多恵も同じ学校である。二人とはあれからも付き合いを続けており、だいたい週に一度は一緒に遊んでいた。

 今となっては昴達と同じく『親友』といっていい。

 歓声を上げる二人を昴と葵が振り返って、

 

「翔子の友達か」

「前に言ってたバスケ勝負の子?」

「うん。こちら、柿園さつきと御庄寺多恵」

 

 俺はそれぞれをそれぞれに紹介する。

 昴達とさつき達はこれが初対面。もっと早く引き合わせても良かったのだが、なんとなくタイミングを逃がしてしまっていた。

 長谷川家の庭に五人は窮屈だとか、この面子だとバスケばっかりになるというのも理由だ。

 

 ともあれ。

 みんな新しい出会いを歓迎したようで、笑顔で挨拶を交わしてくれた。

 

「つるみん、制服似合ってるよぉ。私服でもスカート履けばいいのに」

「……ん、まあ、そのうち」

「またそれかぁ。前からこんな感じなのよね。可愛いんだからお洒落すればいいのに」

「大丈夫。前より気を使ってる」

 

 ポニーテールを揺らして答えた。

 夏休みから伸ばし始めた髪は、以来、一定の長さを維持している。縛っていればそう邪魔にならないが、風呂で手入れする時は結構大変だ。

 ずっと縛っていると痛むし蒸れるし、しっかり洗わないと痒くなる。

 

 そんな俺にさつきが笑って、

 

「しかし、翔子の変な口調にも大分慣れてきたな」

「変って。これでも精一杯」

「弊社はいいと思うよぉ。組織のエージェントって感じで」

 

 どこの組織だ。私が死んでも云々とでも言えばいいのか。

 イメチェンの一環である口調矯正はまだまだ途上。それにしても、多恵は相変わらず変なことを言う。苦笑していると、昴と葵が「弊社?」と首を傾げる。

 懐かしい反応だと頷くうちに二人は意味に気付いたらしく、昴が勢い込んで口を開いた。

 

「なあ。翔子とチーム組んでたってことは、お前らもバスケやるのか!?」

 

 やっぱり気になるのはそこか。

 問われたさつき達は対照的に微妙な感じで顔を見合わせる。

 

「んー、いや。あの時は結局試合しなかったしなあ」

「やるってほどやってないよねぇ」

「……む、そうか。残念」

 

 やるなら誘おうと思ったのに、と肩を落とす昴。

 うん。実際、さつき達とは別の遊びをすることが殆どだった。普段からバスケしていたならもっと前に紹介している。

 とはいえ、今のは若干意地悪なような。

 さつきと多恵を見れば、二人はくすりと意味ありげに笑った。

 

 ――そう、今まではやってなかったよな。

 

 と。

 

「ここにいたのか、三馬鹿」

 

 話を続けようとしたところで、横手からの声がそれを遮った。

 今度は誰か。

 俺達を『三馬鹿』と呼ぶ相手は限られている。振り返れば案の定、男女ペアの新入生がこちらに歩いてきていた。

 

 良く言えばワイルド系、俺の主観では悪ガキ系の雰囲気を纏った顔立ちのいい男子。

 早くも制服を着こなした、長い髪の清楚系女子。

 

 男子が前、女子がその後ろという陣形で立ち止まると、二人はふんと鼻を鳴らした。

 俺は目を細めて彼らに尋ねる。

 

「三馬鹿って誰のことだか」

「お前ら以外にいないだろうが」

 

 なかなか言ってくれる。

 

「……テストの点で勝ってから言って欲しい」

「勉強できる馬鹿っているんだぜ。鶴見には難しいかもしれないけどな」

「さすがカズくん。格好いい!」

 

 きゃあ、と、女子の方が声を上げて男子の腕に抱きつく。

 それを適当にあしらって肩を竦める男子。

 

()()。お前こういうの本当似合わないな」

()()は拘りが足りないのよ。ただ着ればいいわけじゃないのに」

 

 相変わらず、この二人の距離感はよくわからない。

 

 ――諏訪一宏と鳳祥。

 

 彼らとも腐れ縁というかなんというか、なんだかんだで付き合いが続いている。クラスが同じなので切りようがなかっただけかもしれないけど。

 友達、と言っていいのかはよくわからない。

 校外で遊ぶことはない。昼休みなどに大勢で遊ぶことになった際、たまたま一緒になることがある程度。結局、諏訪はあれから俺のことを名前で呼んでくれていない。

 

 当然だが、二学期からの半年も色々なことがあった。

 

 俺にとっての大きな変化はイメチェンを始めたこと。

 休み明け。髪をポニーテールにし、堂々と下着をつけ、ユニセックスながら女子の服で登校した俺にクラス中、いや、下手したら学校全体が驚いた。

 どうしたのかと聞いてくる生徒もたくさんいたが、それには簡単に答えた。

 

『別に。ただ、いつまでも意地張ってても仕方ないなって』

 

 男子、特に俺をショーゴと呼んでいた奴らは盛大にからかってきたが、スルーするか適当にあしらった。すると次第に声は収まり、女子からの歓迎の声にかき消されていった。

 俺が疎まれていたのは「変だったから」というのが大きい。

 彼女達の基準で変じゃなくなれば仲間として認めてもらえるわけで、俺はだんだんとクラスの輪の中に入っていくことができた。

 

 例のスニーカーの一件の悪影響もなし。

 というか、何故か同情的な声をかけられたくらいだ。どうやら夏休み中に噂が広がっていたらしい。

 原因は、諏訪のチームメイトだった二人の男子。

 夏休み中に仲間と会って遊ぶ際、それとなく話した内容が他の男子に伝わったようだ。

 

『鳳のやつスゲーびびってた』

『あれ、絶対鳳がやったんだぜ』

 

 鳳は女子に根回しをしていなかった。

 携帯が普及しきっていないのも要因の一つ。メールがあれば女子のネットワークが勝っていただろうが、結果的に鳳は不利な噂を打ち消せなかった。

 すると何が起こったか。

 

 ――逆転。

 

 俺はここぞとばかりに本気を出した。

 バスケのおかげで体育の成績は上がったし、座学はぶっちゃけ余裕である。文武両面から鳳を上回った結果、俺がいじめられることはなくなり、証拠はないが汚点を抱えた鳳は逆に転落していった。

 スクールカーストにおける下剋上である。

 俺はもう一人のトップ層であるさつきとも仲が良い。風見鶏のごとく情勢を読む女子達はさっさと俺についた。そうでない女子にしても、ぐっと話しやすくなった俺を無理に排する理由がない。

 

『翔子ちゃん。祥、全然反省してなくない?』

『鳳がやったって決まったわけじゃないし、気にしてないよ』

『やだ、鶴見さん格好いい』

 

 俺は、鳳を潰せとか除け者にしろとか命じたりはしなかった。

 むしろ何もしなくていい、普段通りでいいと言ったのだが、気づけば鳳は孤立していた。こういう時、本当に女子は怖い。

 お洒落をしても大した称賛を受けられなくなった鳳は一時期、沈んでいた。

 そんな彼女に声をかけたのが諏訪だ。

 

『おい。最近元気ねーな。大丈夫か?』

 

 何気ない一言。

 諏訪からすれば、男女関係ないただの心配だったのだろうが――意中の相手からの優しい言葉に、鳳はどうやらころっといってしまったらしい。

 

『カズくん!』

『……は?』

 

 当の諏訪がドン引きするレベルのアタックが始まった。

 半ばステータスとして「恋する乙女」をやっていたのが、ガチの恋する乙女にランクアップしたのである。

 鳳は得意のお洒落を「みんなに自慢するため」ではなく「諏訪に見せるため」にするようになり、見た目的には大分落ち着いた。諏訪が「派手なのは好きじゃない」と言ったからだ。

 堂々としたカズくん呼び、他の男子が目に入らない一途ぶり、若干アホの子と化した彼女に対し、クラスの雰囲気もだんだんと軟化、トップカーストではないが底辺でもない位置に落ち着いた。

 

 諏訪と一緒になって俺に難癖つけてくるのがちょっと不満だが。

 何気に翔子呼びしてきているあたり、仲良くなったと言ってもいいような、でもやっぱり違うような――微妙なところである。

 

 そんなわけで。

 俺はため息をついて言った。

 

()の話はいい。それより今はバスケの話」

 

 と。

 

「翔子が――」

「鶴見が――」

「つるみんが私って言ってる!?」

 

 だから、そこは今どうでもいいんだって。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 一人称を変えるのは中学からと決めていた。

 新顔も増えるので目立ちにくいし、中学デビューと言ってしまえばある意味珍しいことでもない。

 友達の前ではさっきのが初めてだが、家族には既に解禁している。

 

「……まあ、母さんに思いっきり泣かれたけど」

「そりゃそうだろ」

 

 さつきが呆れ顔で言い切った。

 ちなみに母さんのは嬉し泣きである。それでも申し訳なくて仕方ないが。

 

「あはは、びっくりしたけど……確かに今までが変だったのよね。むしろ」

「不本意だけど葵の言う通り」

 

 まあ、別に内面まで変わったわけじゃない。

 外面を取り繕っただけなので大したことないといえば大したことはない。就活の時はよくやっていた。

 この話は終わり、と暗に意思表示をすれば、昴が。

 

「別に翔子は翔子だろ。それよりバスケの話って?」

 

 諏訪が半眼になった。

 

「お前、バスケしか興味ないのかよ」

「んなわけないだろ。単にバスケが一番好きなだけだ」

 

 え、本当に……?

 ちらっと見れば、葵も似たような顔をしていたので俺の認識は間違っていない。

 初対面のさつき達や鳳は呆れこそないものの、ああ、そういう子なんだ――という顔をしていた。当人達も大概濃いキャラだが。

 

 俺は苦笑して昴の問いに答えた。

 

「さつきと多恵もバスケ部に入る予定なんだよ」

「え、本当!?」

 

 ぱっと表情が明るくなったのは葵だ。

 

「本当本当。どうせなら翔子と一緒がいいしな」

「帰宅部禁止らしいから仕方ないよねぇ」

 

 頭の後ろで腕を組んださつきと、ほんわか笑った多恵が頷く。

 桐原中では原則、生徒はどこかの部に所属しなければならない。所属していれば幽霊部員でもいいため形だけのものだが。

 二人は俺と一緒に女子バスケ部に入ることを選んでくれた。

 これがさっき言いかけていたこと。

 今まではあまりバスケに触れる機会がなかったが、これからは機会を作ってくれるということ。

 

 女子バスケ部に入るとなれば、直接恩恵を受けるのは葵である。

 

「当然、私も入る」

「へえ……! やった、楽しくなりそう」

 

 小さく呟きつつ、少女は口元を綻ばせた。

 一方の昴は面白くなさそうだが、

 

「ちぇ。翔子だけでも男バス来ればいいのに」

「昴。私、女子」

「知ってるけどさ。俺だけ寂しいだろ」

 

 言っている俺達の横で、諏訪と鳳が微妙な顔をしていた。

 視線を向けると嫌そうに目を背ける。

 これは、ひょっとするとひょっとするだろうか……?

 ふむ、と俺は首を傾げて昴に言う。

 

「昴。男子ならそこに一人いる」

「そうか! なあお前、バスケしないか?」

「……ああもう! するよ! お前に言われなくてもそのつもりだっての!!」

 

 何故か自棄になったように諏訪が叫んだ。

 ぎゃーぎゃーやり始めた二人についていけず、鳳がぽつんと立ち尽くしていたが――声をかけると藪蛇になりそうなのでそっとしておいた。

 俺の勘が正しければ体験入部で会えそうだし。

 

「はーい、みんな。並んで並んで。記念写真撮ってあげる」

「げ、母さん」

「あ、七夕さん! ありがとうございます」

 

 カメラを手にした七夕さん、更にその後ろからは俺や葵のお母さんまでやってきて、纏めて写真に収め始めたため、結局、鳳も孤立してはいられなかったし。

 早くも大騒ぎになった中学生活だけど、一体どうなることやら。

 

 心配な反面、わくわくしている自分がいた。



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翔子と新しい学校

「何でお前と同じクラスなんだよ」

「いきなり喧嘩売るなよ!」

「それはこっちの台詞」

「翔子も買わない! せっかく同じクラスなんだから仲良くしなさいよ!」

 

 悲喜こもごものクラス分けの結果。

 俺は昴、葵と同じクラスになった。早速つっかかってきた諏訪はおまけ。他にも同じ小学校出身が何人かいるが、比率を見る限り、先生方は出身校と男女のバランスを心がけたようだ。

 他の面々はというと、さつきと多恵が一緒のクラス、鳳は一人で別クラスだった。

 

『なんで翔子がカズ君と一緒なのよ。代わりなさい』

『無理』

 

 諏訪を連れて行ってくれる分には一向に構わないけど、学校側の決定は絶対。

 

『……はぁ。理不尽』

 

 肩を落として歩いていく鳳は少しだけ可哀そうだった。

 他の友達だっているんだから、もうちょっと元気出してもいいだろうに。

 

「彼女と別々になったのは残念だけど、仕方ないでしょ」

 

 睨み合いを止めると、葵が溜息をついて言う。

 すると諏訪は嫌そうな顔をして答えた。

 

「祥は彼女じゃねえよ」

「え、嘘だろ」

 

 素で反応したのは昴。

 自分のことには鈍感な癖に、他人のことには案外鋭い。ただし今回は本当に誤解だ。

 諏訪と鳳は付き合っているわけじゃない。

 鳳は何度も告白しているが、その度に諏訪が断っているのだ。恋愛とかよくわからないというのが大本のようだが、数を重ねるうちに「無理」とか「嫌だ」とか、断り文句は雑になっている模様。

 

 鳳は鳳で「そういうカズくんも素敵」と言っているのだから、ある意味お似合いである。

 

「今はそういう気分になれねえ。もっとやりたいことがある」

「バスケか」

「違うっての。……ただ、勝ちたい奴がいるだけだ」

 

 ふん、と、諏訪は顔を背けると俺達から離れていった。

 割り当てられた教室に先生が来るにはもうしばらくかかるだろうか。

 

「ねえ翔子」

「ん?」

「定期的に挑戦してくる男子がいるって言ってたけど、どっちが勝ってるんだっけ」

 

 俺はなんとなく窓の方を見ながら答えた。

 

「五戦五勝。今のところ私が勝ってる」

「ふうん、なるほどね」

「? つまり、諏訪(あいつ)は翔子に勝ちたいってことか?」

「大丈夫、それで合ってるわよ」

 

 こっちとしては割と迷惑な話である。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 小学校と中学校の差は大きい。

 一番違うのは見た目だろう。公立小学校は基本私服だが、中学は公立でも基本制服。画一的な衣装、規律をより重んじる雰囲気は「一歩大人になった」という実感を与えてくれる。

 二次性徴が本格化する時期でもあるため、二、三年生の先輩はぐっと大人びて見える。

 学習科目も英語その他、幾つもの追加があるわけで、進学に際しては誰もが多かれ少なかれ期待と不安を抱くはずだ。

 

「でも、思ったほど変わんないわね」

 

 入学式を終えた葵の感想に俺は頷く。

 

「そんなものだと思う。授業が始まったらまた別かもだけど」

「まだ入学式だもんな」

 

 昴がのほほんと同意した。

 変わるといっても普通は少しずつだ。よっぽど進学校でもない限りは初日から授業なんてやらないし、整列とか校歌斉唱とかも最初は丁寧に教えてもらえる。

 

「多分、後は教材配布と自己紹介があるくらい」

「自己紹介かあ……わかってても憂鬱になるわね」

「葵たちが緊張?」

「いや、私だって緊張くらいするわよ。ねえ昴」

「え? ああ、そりゃもちろん」

 

 いや、昴は普通にやれば問題ないと思う。

 

『長谷川昴です。桐原小学校から来ました。趣味はバスケ。部活もバスケ部に入ろうと思ってます。好きな奴がいたら一緒にやろうぜ!』

 

 とか。

 ちなみに本当の自己紹介も想像と大差なかった。普通ではあるが引かれるような要素はなにもないし、スポーツが好きなさわやか系なのは過不足なく伝わっただろう。

 葵も似たようなもの。

 むしろ、問題なのは俺である。まあ、イメチェンには成功しているので普通にやればいいんだろうけど。胃が痛くて仕方ない。

 

 ――そして、心の準備が全然足りないうちに順番が来て。

 

 なるべく平静を装いながら席を立った。

 

「鶴見翔子です」

 

 第一声は定番。というか他に選択肢がない。いきなり「オッス、オラ~~」から入るのはハードルが高すぎるし、「ただの人間に興味はありません」とか言い始めたら痛い人だ。

 第一印象は何よりも大事。

 前世でさんざん経験したからこそ、ここでの失敗が響くことはよくわかっている。

 

「部活は女子バスケ部に入ろうと思っています。趣味はバスケと漫画とゲーム。たくさんと友達ができれば嬉しいです。一年間、よろしくお願いします」

 

 深くお辞儀。

 幸い、拍手はしっかりと返ってきた。「よっ、男女!」とか野次が飛んできたらどうしようかと思った。

 諏訪を見れば、彼はなんともいえない表情で黒板を睨んでいた。

 

「なによ、翔子も全然平気だったじゃない」

「平気じゃない。凄く緊張した」

「それはみんなそうでしょ。私だって緊張したし」

 

 ホームルームが終わった後で言われたが、いや、だって葵達は初対面の相手に「バスケしようぜ!」とか言えるタイプだし……。

 物凄く感謝してるので、ネガティブな意味合いでは絶対言えないけど。

 俺は軽い荷物を持ち上げて話題を変える。

 

「部活紹介、行く?」

 

 入学式とホームルームの後には、自由参加の部活紹介が予定されていた。

 既に部活を決めている身としては行ってもいいし行かなくてもいい。行けば部の雰囲気を少しでも掴めるかもしれないし、行かなくても支障はない。

 昴達は顔を見合わせ、笑顔で頷いた。

 

「せっかくだから行こうぜ」

「そうね。部活って初めてだし」

 

 俺もだけど、そういえば昴達も帰宅部だったっけ。

 バスケ部に入っててもよさそうなのに何故か。尋ねてみると、単にバスケ部がなかったらしい。確かに、小学校だと自分で作るっていう発想もあんまりないだろう。

 そのお陰で俺は二人に会えたわけだ。

 

 ――神様に感謝しないと。

 

 俺は小さく笑みを作り、昴達に移動を促して、

 

「なあ、部活見に行くんだろ?」

「荻山さん? たちも一緒に行こうよ」

 

 機を窺っていたらしいクラスメート達にわっと群がられた。

 さすがは昴と葵。何の問題もなく友達が増えそうである。

 ついでに俺も恩恵に預かれれば、もう言うことはなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「お、翔子」

「やっほー、つるみん達も来たんだねえ」

 

 会場となる体育館に着いたところで、さつきと多恵に会った。

 二人はちゃっかり友人を作っていたらしい。クラスメート数名と一緒に合流してきたものだから、人数が大幅に膨れ上がった。女子が多いせいもあってきゃあきゃあと騒がしい。

 

「羨ましいコミュニケーション能力」

「そっちも人のこと言えなくね?」

「こっちのは昴と葵の力」

 

 実際、二人は物怖じせず初対面の子とがんがん話している。

 俺はついつい気後れしてしまってうまく話せない。男子相手なら割と気兼ねなく話せるけど。

 

「なあなあ、鶴見。好きな漫画は?」

「スラムダンク」

「古いやつじゃん。今やってるのだと何?」

「進撃の巨人。あれはそのうち色んな奴が巨人に変身し始める」

「あはは、そんなわけないじゃん」

 

 というか、男子ってちょろいんじゃないだろうか。

 趣味が合えば喋り方がどうとか気にしないし、女子だろうと気にせず話しかけてくる。趣味がぶつかったらぶつかったで言い合いを楽しみ始めるし。

 これが女子だとまず前提からして変わってくる。

 

 例えば、男子との会話が途切れたところで入ってきたクラスの女子は。

 

「ね、鶴見さんって好きな人いるの?」

 

 いきなりか。

 

「いない」

「じゃあ、好みのタイプは?」

 

 ロングヘアーの清楚系。

 ……って、そうじゃなくて。

 

「優しくて清潔感があって、趣味のあう人……とか?」

 

 前世の嗜好を答えるわけにもいかず、適当に答えておく。

 すると、高い歓声が返ってくる。

 

「それって、長谷川君のことだよね?」

「へ?」

「だって長谷川君って落ち着いてるし、さっぱりした感じだし、バスケも好きなんでしょ?」

「あ、あくまでタイプだから」

「でも、ばっちりタイプだよね?」

 

 当たり障りない回答をしただけだったんだけど!

 目をキラキラさせた女子に問われ、俺は愛想笑いを浮かべながら途方に暮れる。

 ちょっと離れたところでは昴が「え? 俺?」という表情を浮かべていた。まあ、こっちはどうにでもフォローできるだろうけど、隣にいる葵が何食わぬ顔で耳をそばだてているのが怖い。

 変な勘違いをされたら大変である。

 ついでに諏訪と鳳――いつの間にか合流したらしい――が冷ややかな目を送ってきているしで、やむなく早急にリセットをはかった。

 

「残念だけど、昴にはもう好きな人いるから」

「報われない恋ってこと!?」

「へ……?」

 

 きゃー、と、より熱狂した声を上げられ。

 聞きつけた他の女子に群がられた俺は、部活紹介の開始をひたすら願ったのだった。

 

 

 

 

 

 桐原中の部活ラインナップはいたって普通だった。

 ごらく部とか階段部とか学園生活部とか変な名前の部は存在せず、一覧にはサッカーや陸上など一般的な名前が並ぶ。野球部や吹奏楽部といったスペース、道具の問題が大きい部もない。そのせいか、バスケ部が運動系の部活第三位くらいの印象である。

 

「多恵、ここ読書部とかあるけど」

「そっちはバスケに挫折してからでも遅くないからぁ」

「なるほど」

 

 運動部は今入っておかないとついていけなくなる。

 部活動必須の学校における文化部は当たり外れが大きい印象もある。部活とかダルイという層が興味なしに入部していたりするからだ。黙って暇つぶししているか幽霊部員になってくれればいいが、そういう手合いは無駄に場を荒らしたりする。

 ラノベを指して「こんなガキみたいなもん読むのか」とか言われたら多分、ぶん殴ってしまう。

 

「お、始まるぞ」

 

 昴が呟いた直後、壇上に先生が立った。

 新入生たちを静かにさせると前口上を述べ、順番に一つずつ部の代表を呼んで紹介をさせていく。持ち時間はひとつの部活ごとに三分程度。

 バスケ部は運動部の最後に登場した。

 

 男子部と女子部合同のようで、三年生と思われる男女が体操着にゼッケンをつけて登場した。

 なんか、体育館であの格好をしているだけで凄くバスケ部っぽい。身長は、残念ながらそれほどでもなかった。それぞれの平均よりちょっと大きな、程度だ。

 

『バスケ部です』

『バスケットボールは五対五でプレーするスポーツで、小さなコートの中を走り回るので、まるで格闘技のような激しさがあります』

 

 二人は実際に、手にしたボールを使ってデモンストレーションをしてみせる。

 男子がオフェンス。

 両手を広げて立った女子のディフェンスが道を阻む中、ドリブルしながら隙をついて前進、ゴールへシュート。ボールは残念ながらリングに弾かれた。

 

 ――高いな、ゴール。

 

 遠目に見上げてあらためて思う。

 昴達と中学ルールでも練習しているが、やっぱり高い。シュートの感覚が大分違うから本格的に覚えなおさないといけない。

 彼らが言った通り、バスケは激しいスポーツ。

 小学校、中学校、高校と身体が大きくなればなるほど傾向は強くなる。そんな中、バスケを選んでプレーしている先輩方はなんというか、格好いいと思った。

 

『練習が辛いと思われるかもしれないけど、実際、辛い時もたまにあります』

『でも、うちのバスケ部はそんなに強くありません。初めての子でも大歓迎です。みんなで楽しくバスケをやりましょう』

『授業が始まってから一週間、体験入部できます。是非、来てください』

 

 紹介に目新しいところはなかった。

 でも。

 

「やっぱいいなあ」

「そうね」

「……うん」

 

 昴も葵も、俺も、言葉少なに感動を共有した。

 バスケ部って感じがした。

 今までは真剣に、でも遊びとしてバスケをやっていた。部活に入ればもっとたくさんの人とバスケをすることになる。

 もっと本格的にバスケができる。

 

「おいおい、燃えてんな三人とも」

「うずうずしてるのが見え見えだよお」

 

 さつきと多恵からはそんなふうにからかわれてしまった。

 

「仕方ない。さつき達こそ、気が変わったり?」

「しないって」

 

 さつきが苦笑して答える。

 

「翔子がそんな顔してるのに、やっぱ止めたなんて言えねーよ」

「? そんな顔してる?」

 

 むに、とつまんでみてもよくわからない。

 俺達のやり取りを聞いた多恵は爆笑していた。

 

 そういえば、鳳はどうするんだろう。

 

 諏訪は男子部に入るらしい。

 考えてみるとマネージャーという選択肢もあるわけで、朝のはそっちのつもりだったかもしれない。

 さつき達に聞いてみると「ないんじゃね?」との返答。

 

「さっちんは『それだと負け』とか思ってそうだしねぇ」

「……最終的に落ちぶれそうなあだ名だな」

「死徒最強クラスは進化じゃないかなぁ」

 

 通じるのか。いや、漫画もあるから不思議じゃないけど。

 というか、その勝ち負け云々は誰をライバル視してるんだ。俺か。

 

「どうせなら普通に仲良くしたいんだけどな……」

「無理じゃね?」

 

 台無しだった。



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翔子と体験入部

「起立、礼」

 

 任命されたばかりのクラス委員が号令をかける。

 ホームルームが終わり、担任が出ていくと同時に教室が騒がしくなった。やけに騒がしいのは初日の授業が終わった解放感と、それからもう一つ。

 かくいう俺もほっと息を吐きつつ、すぐさま席を立っていた。

 

「翔子、準備はいい?」

「もちろん」

 

 葵の呼びかけにそう答える。

 通学鞄と、バッグに入った新しい体操着。体育館履きもばっちり用意できている。

 授業中からずっと楽しみにしていたのだ。

 そんなに早く行っても先輩方が集まれないとはわかっているが、居ても立っても居られない。

 

 授業初日から一週間が体験入部期間。

 さつき、多恵と合流してから女子バスケ部へ顔を出すことになっていた。

 

「二人とも気合い入ってるな。お互い頑張ろうぜ」

 

 俺達と同じようにうずうずした感じの昴を葵が振り返って、

 

「昴もね」

 

 息ぴったりな様子で、ぱん、と手のひらを打ち合わせた。

 凄く格好いい。幼馴染というか、それを超えた戦友っていう感じでちょっと羨ましいくらいだ。

 と、思っていたら「ほら、翔子も」と促される。参加していいらしい。ちょっと気恥ずかしい気分になりつつ、内心では嬉々として二人に倣った。

 

 教室を出てさつき達のクラスに向かえば、二人もちょうど準備ができたところだった。

 活動場所は男女共に体育館。

 案の定、着いた時にはまだ誰もおらず、後ろからやってきた諏訪と鳳に呆れられた。

 

「早すぎだろお前ら」

「どんだけ気合い入ってるのよ」

 

 二人も大して変わらないんじゃないだろうか。

 

「鳳はマネージャー希望?」

 

 挑発には乗らずに尋ねてみる。

 急になんだとばかりに眉を顰められたが、答えはちゃんと帰ってきた。

 

「違う。女子バスケ部の体験に来たの」

「意外」

「どういう意味よ!」

 

 そのままの意味なんだけど、

 

「鳳は日焼けとか汗かくの嫌いだと思ってた」

「は? 嫌いに決まってるでしょ?」

 

 じゃあ無理に入部しなくていいだろうに。

 それ以上は聞かないことにしてしばらく待つ。先輩方が来るまでにはそんなに時間がかからなかった。

 部活紹介に出ていた部長さんが声をかけてくれる。

 

「もしかして、体験入部しに来たの?」

「はい、そうです」

 

 葵が代表して頷くと、部長さんの顔がぱっと輝いた。

 

「こんなにたくさん……! 今年は大漁、いや豊作かも」

 

 部長さんは俺達に端の方で待機するよう指示し、部員達の方へ歩いていった。

 続いて嬉しい悲鳴が聞こえてきたので、真っ先に五人も来るとは思っていなかったのだろう。

 昴達も男子部に呼ばれたので、いったん男女に分かれる。

 

 更に待つことしばし。

 

 俺達以外の入部希望者もやってきて、体育館内は賑やかになった。

 並んで部員と対面。二年生が七人、三年生が五人の計十二人。

 

「……女子しかいない」

「当たり前でしょ」

 

 呟きを拾った葵が眉だけを動かして呆れを伝えてきた。

 当然だけど、あらためて考えると変な感じなのだ。何しろ、女子の運動部に交ざるのなんて初めての経験なわけで。

 先輩達は既に着替えを終えて体操着姿になっている。

 部長同様、特別背の高いメンバーはいないものの、中二、中三となると発育がはっきりと見て取れる。胸の膨らみや手足のすらりとした感じなど、女の子らしさが新入生よりも強い。

 

「みんな、バスケ部の体験入部に来たってことでいいかな?」

「はい」

 

 声を揃えて答えた。

 間違えて来た人はいなかったようで、部長は笑顔で頷く。

 

「それじゃあ、説明の前に着替えてもらっちゃおうかな。更衣室が使えるから、体操着に着替えてね」

 

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 

「なんか新鮮」

「?」

「葵と一緒に着替えるの」

 

 首を傾げた葵は、俺の補足を聞いて「ああ」と笑った。

 

「そうかも。あんまり着替えとかしなかったもんね」

 

 小学校時代は私服だったので、殆どの場合そのままバスケをしていた。

 長谷川家で夕食をご馳走になる時はまとめて入浴することが多かったので、葵の下着姿自体は結構見ているけれど。

 セーラー服とスカートを脱ぎ、ブルーの上下を晒した葵は結構いいスタイルをしている。

 鳳を男子が憧れるタイプとするなら、葵は男子の欲望が集まるタイプだ。歳の割に大きめの胸も、この先もっと大きくなるだろう。

 俺の視線に気づいた葵が顔をこちらに向ける。

 

「翔子、着替えの時は割と普通だよね」

「もう慣れた」

 

 体育の度に挙動不審になっていたら身がもたない。

 小学生相手ということもあって性欲は頭から追い出していた。男だと主張していた頃はむしろ「こいつと着替えるの嫌」みたいな女子の態度の方がきつかった。

 

「ふうん、それもそっか」

 

 あっさりと流した葵はブラに手をかけてホックを外し、するりと腕を引き抜いて――。

 

「ブラ、外すの?」

「あ、うん。スポーツ用とブラ分けたの。運動してる時に普通のだと苦しいし」

「なるほど」

 

 俺は短く答え、慌てて目を逸らした。

 危ない。不意打ちだったせいでばっちり見てしまった。深呼吸して頭から追い出す。

 と。

 

「何やってんの。さっさと着替えたら?」

「申し訳ない」

 

 逆方向に目をやると、鳳がゴムを口に咥えて髪を纏めていた。

 

「っ」

「何よ?」

「いや。そういうのは諏訪に見せればいいのに」

「? よくわかんないけど、男の子に効果あるってこと?」

 

 今度やってみようかな、と呟く鳳をよそに、俺はまだまだ落ち着きが足りないことを実感した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 体操着で再び集合した後は、まず活動内容の説明が行われた。

 活動は基本的に週五日で水曜と日曜が休み。体育館を使うことが多いが、基礎トレーニングなどでグラウンドを使ったり、外に半面だけあるバスケコートを使う場合もある。悪天候等で練習場所が確保できなかった場合やテスト前などは臨時休みあり。

 逆に、大会前などは日曜に臨時の練習が入ることもある、とのこと。

 

「用事がある子もいるだろうし、毎日出なくても大丈夫。道具はシューズとユニフォーム、後は替えの体操着くらいかな。ボールは学校にあるから買わなくて平気。だから、そんなにお金はかからないと思うよ」

 

 シューズの値段と買い替え頻度が気になるが、それでも野球とかに比べたら安上がりだ。

 

「今日は体験入部だから、気軽に楽しんでいってね。もし気に入ったら入部してくれると嬉しいけど」

「部長、そんなこと言ってみんな帰っちゃたらどうするんですか?」

「あー、それは、まあ。困る」

 

 あはは、と、笑いが起きる。

 どうやらアットホームな雰囲気の部活らしい。緊張していた新入生も肩の力が抜けたようで、口元に笑みを浮かべている。

 

「それじゃあ、せっかくだからボール触ってみようか」

 

 倉庫からボールの入った籠を持ってきて、一人一つずつ手に取る。

 ボールの感触が手に馴染む。

 小学校で使っていたものより一回り大きく、重い。

 持ち上げたり下ろしたりして感覚を掴んでいると、似たようなことをしていた葵と目が合った。二人でふっと笑みを交わす。

 

 練習、というか体験会はドリブルから始まった。

 部長がお手本を示した後、新入生が見様見真似でボールをつく。そこに部員が一人ずつついて声をかけたり、アドバイスを送ってくれる。

 初心者でも歓迎、というのは確かだった。

 これなら「バスケは授業でやっただけ」という子でもついていけるはず。実際、さつきや多恵、鳳はなんなくこなしている。

 

「あれ? そっちの子達は、もしかして経験者?」

「はい。私と翔子……その子は放課後によくバスケやってて」

「へえ」

 

 俺と葵についた部員の目がきらりと輝く。

 

「翔子ちゃん――ええと、鶴見さん? 背高いよね」

「六年生から急に伸び始めたんです」

 

 年齢差がある部長達を抜くほどではないけど、葵と比べてわかる程度には高くなっている。

 

「いいなあ。できれば二人とも入ってくれないかなあ」

「こら。無理に誘わない」

「でも、バスケ好きならやらないと勿体ないですよ」

 

 よっぽどのことがない限り入部するつもりの俺達は思わず笑ってしまった。

 ちなみに、褒められたのは俺と葵だけではなかった。パスや歩きながらのドリブル、シュートへと移っていく中、さつきや多恵、鳳、その他の新入生もそれぞれに温かい言葉をかけられた。

 褒めて伸ばす方針なのだろう。

 また、ちゃんとみんなのいいところを褒めてくれているので嫌味がない。さつきと多恵は筋がいいと称賛され、鳳はフォームが様になっていると言われて満更でもない顔をしていた。

 

 気づけばあっという間に時間が過ぎていって。

 

「じゃあ、最後に試合してみようか」

 

 試合、という言葉に何人かが不安な顔をする。

 それを見て取った部長は安心させるように笑顔で言う。

 

「いきなり試合って言われても、初めての子は困っちゃうよね。だから、やりたい子の中から五人でチームを作ってくれるかな? 相手は私達がするから」

「……へえ」

 

 葵の目がすっと細くなった。

 好戦的な表情。昴とやりあって燃えてきた時の顔に近い。

 一年生対上級生という挑戦的な構図が気に入ったらしい。

 

「やりたい人ー」

「はい」

 

 真っ先に葵が手を挙げ、一呼吸遅れて俺が挙手。

 さつきと多恵が「面白そうだから」と続き、意外というべきか、負けず嫌いな鳳が最後に立候補した。

 知り合いで固まったのは後のことを考えると微妙かもしれないけど。

 

「経験者の子が二人もいるのかー。これは私達も危ないかも」

 

 部長の一言が、残った新入生の表情を変えてくれる。

 一年生、いわば仲間が強敵に立ち向かう、という構図を明確にしてくれたのだ。

 

 ――これなら思いっきりやっても大丈夫そうだ。

 

 確執は生まれない。

 むしろ、勝てないまでも良い勝負ができた方が、入ってくれる子は多くなるかもしれない。

 

「ようやく翔子と試合できるな」

「半年以上待たせて申し訳ない」

「先輩達格好いいよねえ。燃えてきたよお」

 

 多恵が変な燃え方をしないかちょっと心配だ。

 

「……ふん」

「鳳。どうぞよろしく」

「別に、言われなくても」

 

 手を差し出せば嫌そうにしながらも握り返してくれた。

 握手の後、すぐにぷいっと顔を背けた鳳だが、ポニーテールの具合を確かめながら俺と葵に尋ねてくる。

 

「ポジション、どうするの?」

「翔子。センター任せていい?」

「了解」

 

 問われた葵はすぐさま反応し、俺は彼女の判断へすぐに応じた。

 センターとは守りの要。スラムダンクで言うとゴリこと赤城主将のポジションである。相手チームのシュート妨害やリバウンドをすることが多く、そのため背が高い選手や体格のいい選手が務めるのがセオリー。

 このメンバーなら俺が適任だろう。

 いや、あいにくゴリみたいにガタイがいいわけじゃないけど。

 

「柿園さんと御庄寺さんは真ん中あたりで攻めたり守ったりしてくれる?」

「あいよー」

「了解であります!」

 

 センター以外のポジションは告げず、葵はざっくりとした指示を出す。

 サッカーで言うMFみたいなニュアンス。良く言えば自由、悪く言えば無軌道なさつき達にはちょうどいいかもしれない。

 

「で、私と鳳さんで主に攻撃。いい?」

「いいわよ」

 

 鳳は軽く髪をかき上げて答えた。正直、ちょっと格好良かった。

 先輩達も選手を決め、五対五で向かい合う。

 

「よろしくお願いします!」

 

 

 

 

 

 ジャンプボールは俺と部長での争いになった。

 審判役の先輩がボールを投げると同時、思いっきりジャンプするも――先輩の指がより高いところまで到達してボールを味方側に弾いた。

 

「くっ……」

「高いね。私じゃそのうち勝てなくなりそう」

 

 賛辞は嬉しいが、悠長に話している暇はない。

 俺は急いでゴール前に戻る。辿り着く頃にはもう、上級生チームの攻撃が始まっていた。

 

 ――パスを回しながらゆっくり進軍してくる。

 

 どこから来てもおかしくない上、全員が上がってくることでプレッシャーがかかる。

 と、いう建前で、まずはお手並み拝見。パスを潰す機会をさりげなく与えつつ、何もしないならそのまま点を取りに来るつもり、といったところか。

 演出が心憎い。

 だけど、

 

「遠慮なく行きます!」

「わっ」

 

 何度目のパスを葵が素早くインターセプト。

 ドリブルし、ディフェンスが向かってきたところで鳳へパス。ボールを渡された鳳は一瞬だけ戸惑いつつも、すぐ気を取り直してゴール前へ。

 

「落ち着いて!」

 

 葵の声が功を奏したか、両手で放たれたシュートは見事にゴールを貫いた。

 観戦している新入生から歓声。

 

 そして、先輩方のギアが上がる。

 

 ほんの少し早くなったパス。同じく葵がカットすれば、さっきより素早くマークがつく。鳳へパスすればそっちにもマーク。自然、鳳はさつきへパスを出した。

 もちろん、さつきもマークしようと選手が向かうが、

 

「荻山!」

「おっけ!」

 

 さつきはマークが到着する前に葵へパス。

 うまくマークをかわした葵はボールを受け取ると、今度はそのままドリブルしてシュートを決めた。だが俺は「これ、勝てないな」と思い始めていた。

 さっきと同じ流れでさつきがパスを出すと、それがカットされる。

 

「やっべ」

「つるみん、来るよ来るよぉ!」

「多恵、落ち着いて」

 

 一度目の襲撃はなんとか阻み、ボールを叩き落すことができた。

 しかし、上級生チームの動きはこっちが得点する度、防御に成功する度によくなっていき、点数は徐々に拮抗していく。

 仲間に焦りが見え始める。

 鳳は点を取ろうと躍起になり、そこを突かれてボールを奪われる。さつきと多恵が動き回ろうとすると基本に忠実なマークがついて上手く機能しない。俺のブロックもそうそう連続では決まらず。

 やがて、同点。

 

「ああもう、楽しい!」

 

 定められたミニゲームの終了時間ギリギリで通った葵のシュートがギリギリで勝利を繋ぎ止めた。

 

「惜しい、負けちゃった」

「でも、私達も本気じゃなかったからね! 次は負けないから!」

 

 はしゃぐ新入生達には可愛い負け惜しみに聞こえたかもしれないが、先輩達の発言はただの事実で。

 俺は「次はもっと頑張ろう」と自分の中で想いを固めたのだった。

 

 そして後日。

 初日に体験入部したメンバーは全員、正式に入部することになる。



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翔子と腹痛

 体験入部期間が終わって数日が過ぎた。

 初々しかった新入生も徐々に慣れを見せ始め、授業や部活も本格的に動き出した。俺は葵達と共に女バスに、昴と諏訪は男バスに入り、それぞれ部に溶け込もうと奮闘している。

 

 今のところ、部活は簡単なボールワークと基礎トレーニングが主体。

 走り込みや筋トレでボールに触らない時間も結構あり、さつきや多恵はその度に悲鳴を上げている。それでもきちんと参加しているのは楽しいからだろう。

 俺も部活が、バスケが楽しくて仕方ない。

 仲間がいるのはいいことだ。一緒に同じことをするだけでも仲良くなった気がするし、それぞれの動きにも特徴があって勉強になる。

 誓って言うが、胸や尻を見ているわけではない。

 見たければ自分のでいいわけだし。自分も見られる側だと我に返って悲しくなるのが落ちだ。

 

 部活が無い日は相も変わらず昴の家に集まってバスケ。

 前世では大して運動していなかったが、こういうのは一度やり始めると止まらなくなるものだ。

 気づけば朝の走り込みや風呂上がりのストレッチも日課になっている。

 

 と、そんな風に幸せ一杯な俺なのだが。

 

「……どうしたの、翔子? この世の終わりみたいな顔してるけど」

 

 その日に限ってはテンションが地の底を這っていた。

 登校するなり机に突っ伏した俺は、葵が本気で心配するくらい調子が悪い。ただ歩くだけ、口を開くだけのことが死ぬほど億劫で、かつ不機嫌すら隠せていない。

 

「ごめん。お腹が痛くて」

 

 なんとかそれだけを答える。すると葵は眉を顰めた。

 

「悪いものでも食べたの?」

「諏訪じゃあるまいし、そこまで不注意じゃない」

 

 昴にバスケ雑誌を見せられていた諏訪が「あ?」という顔で振り返ったが、なんでもないとばかりに手を振って無視した。

 小学校時代、あいつは時々、食べすぎや食あたりで腹を壊していた。食い意地が張りすぎなのだ。

 ちなみに昴がそうなったのは見たことがない。七夕さんが食材の状態、栄養、食べる量をしっかり管理してくれているお陰だろう。

 

「じゃあ、今日の牛乳は私がもらっちゃおうかな」

「……ん、今日は譲る」

「……本当に大丈夫? 何かの病気なんじゃ」

 

 桐原中は給食制。余った牛乳は俺、葵、昴に諏訪を中心として取り合いになる。

 俺や葵が持っていくと「それ以上デカくなってどうするつもりだ」とか言われるわけだけど。

 

「いや。病気じゃない。何日かすれば収まるはず」

「え、何日も続く腹痛って……あ」

「わかってくれて何より」

 

 言わずとも想像がついたようで、葵は納得顔で頷いてくれた。

 

「翔子はまだだったよね。辛そうなとこ見たことなかったし。……大丈夫? 放課後、七夕さんに相談してみる?」

「大丈夫。今回は母さんにお願いしたから」

「そっか。それなら良かった」

「良かったは良かったけど」

 

 良くないといえば良くない。

 指を切ったとか膝をすりむいた以外で血を見たのは久しぶりで、そのせいもあって気分が落ち着かない。

 初めての経験だ。

 数日続く痛みが一月おきにやってくるとか何の罰ゲームだろうか。対処方法はもちろんあるようだが、あくまで対処であって予防ではない。慣れるしかないのだろうが、これに関してはいつ頃平気になるか見当もつかなかった。

 

 ――女子なんだよなあ、俺。

 

 テンションが低い原因の半分くらいはそこだ。

 見た目や言動をできるだけ寄せて、曲がりなりにも仲間入りできたつもりでいたところにこれである。まだまだ知らないこと、経験していないことが多いということを突き付けられた。

 身体の成長は心の成長を待ってくれない。

 大きくなりたいと思う反面、早く大人になりたいとは今のところ思えない。

 

「今日、部活休みで良かったね。その調子だと無理でしょ」

「本当に」

 

 幸いなことに体育もない。

 座学だけなら乗り切れるだろうから、六科目耐えれば楽になれる。

 

「ねえ、翔子」

「ん?」

 

 ホームルームまで少し目を閉じていようか、とか考えていたところに葵の声。

 同性にして趣味の近い親友はいつになく真剣な顔をしていた。

 

「あの、ね。こんなときに言うことじゃないと思うんだけど」

「うん」

「ちょっと放課後、時間取れないかな。その、話したいことがあって」

「いいけど」

 

 あらたまってなんだろう。

 気になったが、葵は「その時に話すから」と教えてくれなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「葵、翔子。帰ろうぜ」

「ごめん。ちょっと用事」

 

 なんと。

 帰りのホームルームが終わった後、昴の誘いを葵が拒否した。

 

「ん、そうか。待ってた方がいいか?」

「ううん。悪いけど一人で帰って」

 

 いやまあ、こいつらの仲はちょっとやそっとじゃ揺るがない。

 呆気ないほどあっさり別行動することもあるのだが、それでも今日のこれにはかなり衝撃を受けた。

 ちらりとこっちを見てくる昴に「なんかそういうことらしい」と肩を竦めると、元来穏やかな気性の彼は大して気にした様子もなく頷いた。

 

 ――これ、かなり大事な話だ。

 

 諏訪へ声をかけに行った昴を見送りながら、思う。

 何か悩んでいるような雰囲気もある。その上、幼馴染にして相棒の昴を除け者にしたということは……大体、相談の種類もわかってくる。

 女バスのメンバーでないとわからない相談、部長の攻略法とかか、あるいは。

 

「翔子。いい?」

「ん? どこにする?」

 

 俺の問いに、葵は少し考えてから答えた。

 

「私の部屋、でどうかな」

 

 

 

 

 

 葵の家に来るのはこれが初めてだった。

 多恵の家には何度も行っているので、若干順序が逆な感じだが――三人で集まるなら昴の家で事足りるため、今まで来る機会がなかったのだ。

 何度か会ったことのある葵のお母さんに挨拶してから部屋に上がらせてもらう。

 

「……わ」

「その声、どういう意味なのか気になる」

「可愛いと思った。特に他意はない」

 

 葵の部屋はちゃんと女の子していた。

 青系が好きなのか、ピンクの色合いは控えめではあるものの、隅にぬいぐるみが置かれていたり、クッションや壁紙がそこはかとなくファンシーなあたり可愛らしさがある。

 少年漫画も少女漫画もバスケットボールもアクセサリーも置いてあって「雑多」としか言いようのない俺の部屋とは大違いだ。

 

 俺の返答にほっとしたのか、葵はクッションを勧めてくれる。

 何の気なしに抱いて腰を下ろすと「お尻に敷くの」と苦笑された。いや、なんかふわふわしてて落ち着かなくないか? と思いつつ指示に従う。

 気を張らなくてよくなったら腹痛も少し和らいだ気がする。

 葵が台所から持ってきた麦茶を一口いただき、話を促した。

 

「話って、昴のこと?」

「ぶっ!?」

「葵、大丈夫?」

「い、いきなり何でそんなこと……っ!?」

「いきなりも何も、それくらいわかる」

 

 普通に考えれば昴に聞かれたくない話だろう。

 公共性のない場所に連れてこられたことも加味すると恋バナの可能性が高いと見ている。

 葵のか、昴のかはわからないが。

 この場合、どっちだとしてもぶっちゃけ大差はない。どうせ昴が関わるのだから。

 

「……翔子って、変なところ鋭いんだから」

「心外」

「自分の胸に手を当ててみなさいよ、もう」

 

 くすりと笑ってから、葵は意を決したように尋ねてきた。

 

「あのね、翔子」

「うん」

「昴のこと、好きなの?」

「………」

 

 俺は返答に少しの間を置いた。

 予想はしていても衝撃があったのが一つ。ここは無駄にややこしい答え方をするべきか、とか余計なことを考えてしまったのが一つ。

 結局、器用なことはできないと普通に口を開いた。

 

「この前の話、気にしてた?」

「……うん」

 

 こくん、と頷く葵。

 気が気でないという様子がたまらなく可愛い。

 口元が綻んでしまうのを必死に抑えながら答える。

 

「友達としては好き。でも、それ以外はない」

「本当に?」

 

 かすかに潤んだ目がじっと俺を見てくる。

 

「そもそも私、恋とか興味ない」

「でも、あの時好みのタイプって!」

「あれは一般論。昴のことじゃない」

「でも、タイプではあるんでしょ?」

 

 それはまあ、そうかもしれない。

 未だに「男子と付き合う」なんて考えられない――この腹痛のせいで余計に――俺だが、それでも強いて好みのタイプを挙げろと言われれば、あの時答えたのと回答になるだろう。

 昴がばっちり当てはまるのも確か。

 知らない相手よりは仲のいい友人の方が距離感に悩まなくて済むし、そう考えると昴は優良物件だ。

 問題は本人が色恋沙汰に疎いことくらいか。

 

「気になるならさっさと告白すればいい」

「なっ!?」

 

 わかりやすいくらい動揺する葵である。

 わたわたと手を動かし、視線をあちこち彷徨わせて、

 

「ななな、何の話!? べ、別に私が昴を……とか、そういう話、じゃ」

 

 嘘でも「好きじゃない」とか言えないあたり自覚あるんじゃないか。

 当の昴はバスケの事しか頭にないっていうのに。

 この辺、女子が早熟なのか、それとも男子がアホなのか。アホだとすると俺もアホの仲間だということになるけど。

 苦笑し、俺は葵に語り掛ける。

 

「葵、私は葵をライバルだと思ってる」

「え」

 

 今度はわかりやすく固まった。

 

「部長達との初めての試合、私は勝てないと思った」

 

 だから手を、あるいは気を抜いた。

 負けようとしたわけではない。だけど、最後まで勝ちを諦めずに死に物狂いにはなれなかった。

 

 ――葵と違って。

 

 葵は、最初から最後まで、できることをやろうとしていた。

 劣勢。自分より上手い人達とのバスケを心から楽しみ、格上に笑顔で挑んでいた。

 根っからの挑戦者。

 きっと昴もそうだろう。そんな二人に俺はあらためて憧れた。そう語って。

 

「だからライバル。そして目標」

「翔子……」

 

 瞬きの後、葵が息を吸い込む。

 

「って、なんの話よ!?」

「だから、バスケの話」

 

 間違っても恋の話ではない。

 まだまだ女子として未熟な俺では恋の話なんてどうしたらいいのかわからない。

 

「私は今のところバスケに夢中。恋愛とか告白とかしてる暇ない。そういうのは鳳に任せる。だから、気にしなくていい」

「ほんとう?」

「親友に嘘なんか言わない」

 

 笑顔を作って言えば、葵も笑った。

 なんか、友情っぽいかもしれない。

 

「ありがとう、翔子。私……」

「気にしなくていい。でも、あんまりもたもたしてると誰かに取られるかもしれない。むしろ、私かさつきか多恵が発破をかける」

「やめてよ!?」

 

 悲鳴を上げた葵が飛びかかってくる。

 安定性の悪いクッションのせいで回避はできず、俺はそのまま抱き着かれた。男子の悪ふざけとは絶対的に違う柔らかな感触に今更戸惑いつつ、それとなく麦茶のグラスを安全圏に退避させて、俺達は絡み合ったままごろごろ床を転がった。

 幸い、葵は本気で襲ってきたわけではなかった。

 たまに美星姐さんから格闘技を習っている彼女はぶっちゃけ俺より強い。今回はただのじゃれ合いだったため、お互い怪我をすることなく身体を重ねる。

 

「制服、皺になる」

 

 葵を引き離そうとしながら言えば、彼女は至近距離から囁いてくる。

 

「アイロンかければ大丈夫でしょ。それより、こういうの嫌い?」

「嫌いじゃない、けど」

「じゃあ、もうちょっとだけ。ね?」

 

 吐息がくすぐったい。

 というか、なんで微妙に勘違いされそうな言い回しなんだ。まさか俺は今、攻略されているのか――って、そんなわけないな。

 でも、あと一、二年分、葵が成長していたら理性が大変だったかもしれない。

 それともその頃には俺も、もっと成長しているのだろうか。

 

 まあ、せっかくだからもう少し、親友とじゃれ合っておこう。

 

 思う存分ごろごろした後、俺達はゆっくりと身を離した。

 お互いに息がかすかに上がっていて、恥ずかしさから頬は赤く染まっていた。後、俺は余計な運動したせいで身体がダルくなっており「帰りたくない。というか動きたくない」と滅茶苦茶後悔した。

 

 なんとか家に帰って温かくして寝たら、翌日には多少マシになった。

 それから、この日以来、葵とはもう少しだけ距離を近づけられた気がする。

 

 ちなみに。

 この時の俺は思ってもいなかった。まさか葵がこの後、三年間にわたって昴への告白を足踏みし、友人一同揃ってやきもきすることになるなどとは。

 やっぱり、もうちょっと焚きつけておけば良かったのかもしれない。



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翔子と秀才

「……え?」

 

 瞬きを数回。

 目を擦って再度、まじまじと紙面を見つめる。

 けれど、記載内容が変わることはなかった。

 

『学年順位:2位』

 

 マジか。

 思わず硬直していると、その間に全員分が配り終わったらしい。

 担任に命じられたクラス委員が起立と礼の号令をかける。

 

 途端に騒がしくなる教室。

 

 どこか取り残されたような感覚のまま、俺はすとんと椅子に座った。

 

「どうしたの? ……って、凄いじゃない翔子! 何よこれ!?」

「うわ、本当だ。葵も大概だと思ってたけど、上には上がいたか」

 

 後ろから覗き込んできたのは葵と昴。

 紙面の内容――中間テストの結果を見た二人が驚きの声を上げる。

 

「ん。……自信あったんだけど、上には上がいた」

「え?」

「そっち?」

 

 二人が顔を見合わせて首を傾げた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 六年生の二学期以降、テストで一番以外を取ったことはなかった。

 中学になって他の学校からも生徒が集まるとはいえ、今回の中間では全科目九十点以上を取っている。幾つかの科目に至っては百点だった。

 さすがに勝っただろうと思っていたのだけれど。

 

「不覚。部活の疲れで授業が少し疎かになってた」

「嫌味か!」

 

 二周目の人間として恥ずかしいと内心思っていると、昴が不貞腐れたように唇を突き出す。それを見た葵は笑いをこらえるように身を震わせた。

 

「そうね。バスケばっかりじゃなくて、ちゃんと授業も聞かないと。ねー昴?」

「う、うるせー」

 

 二人の結果も見せて貰えば、昴の成績は中の下といったところ。

 一方の葵は上の下くらいの成績を取っている。バスケしながらでこれなら十分、というか、感心するくらい頑張っていると思う。

 傷心のまま諏訪のところへ向かった昴を見送り、俺は葵に尋ねた。

 

「一位の心当たり、ない?」

「んー、どうだろ。うちの学校から来た子じゃないんじゃないかな」

「そっか」

 

 特にそれっぽい生徒は向こうにもいなかったらしい。

 だとすると、単に中学から猛勉強しだしたタイプかもしれない。私立に行かず、中一の一学期からっていうのも珍しいけど。

 

 ――何か他に理由があったとか?

 

 例えば、対抗意識を燃やさなければならない相手がいるとか。

 脳裏に一人の顔が思い浮かんだ。

 推測を確かめるため、俺は昼休み、一年生の他クラスへと一人で向かった。なんとなく別世界だと感じてしまう教室を覗き込み、目当ての顔を見つける。

 

「鳳」

 

 特に飾り気はないのにお洒落に見える美少女は、クラスメート数人と談笑中だった。

 名前を呼んで手招きすると露骨に嫌そうな顔をしつつ、立ち上がって歩いてくる。

 

「何?」

「テストの結果、どうだった?」

「は? そんなこと聞きに来たの?」

 

 睨まれた。

 溜息をついた鳳は小さな声で「六位」と答えた。

 

「あんたは? 二位なんでしょ?」

「そう。一位が誰か知りたかった」

 

 彼女は敢えて「二位」と断定した。

 俺の学力を知っているだけなら一位と言う方が自然だろう。彼女自身が一位でないのなら、一位の奴を知っていることになる。

 

「うちのクラスよ。今はいないみたいだけど」

 

 教室内をぐるりと見渡して鳳は言った。

 

「名前は?」

「上原」

「下の名前は?」

「……一成」

 

 一瞬、言いよどんだのはどういうわけか。

 訝しんだ俺だが、すぐに理由に思い至った。上原一成。

 カズ、か。

 

「なるほど、カズ君」

「あんなのとカズ君を一緒にしないで!」

 

 ガチギレであった。

 レトリーバーに牙を剥き出しにされた気分で「ごめん」と謝る。

 鳳祥。相変わらず諏訪のこととなると手がつけられない。

 なおも気が昂っている様子で息を吐いていたが、そこに背後から声がかかった。

 

「あんなのとは失礼だな」

「む?」

 

 振り返ると、そこには眼鏡をかけた少年が立っていた。

 顔立ちはそれなりに整っているものの特筆するほどではない。身に纏う飄々とした雰囲気は好みが分かれるところだろうか。

 邪魔だったか、と一歩脇にどいても中に入っていかない様子からして、

 

「上原?」

「おう。お前は?」

 

 やっぱり、彼が上原一成らしい。

 

「鶴見翔子。中間テスト学年二位」

「へー。平均点は?」

「九十六、二」

「うわ。危なかったな。俺、九十七、一」

「……く」

 

 平均で一点近く差があったとは。

 たかが一点、されど一点。九十点台の一点差は大きい。試験範囲を網羅している前提で、引っ掛け問題に引っかからないとかケアレスミスを徹底的になくすとかしないと差は埋まらない。

 認めざるをえない。

 眼鏡をかけているあたりも賢そうだし、今回の結果はまぐれではないだろう。

 

「次は負けない」

「おー。っても、俺、体育は平凡だし。通知表だと負けるだろうけどな」

「? もしかして、私のこと知ってた?」

「まあ。名前は知らんけど、運動神経良いことくらいは」

 

 目ざとい。こっちは全くノーマークだったのに。

 

「一年の可愛い子くらいはチェックしてるって」

 

 え。

 と、びっくりして顔を見れば、何故か上原はドヤ顔だった。決まった、とか思っていそう。

 なるほど。そういう奴だったか。

 俺は、隣で半目になっている鳳をちらりと見て、

 

「カズ君にはこの子がお薦め」

「鳳か。よし、じゃあ俺と付き合って――」

「一万年早い」

 

 ぴしゃりと。

 極低温の声で俺と上原を凍り付かせると、鳳は席へと戻っていく。

 

「あんた、覚えときなさいよ」

 

 離れざまに耳元で囁いてくるのも忘れない。

 駄目だこれ。

 同じことを思ったらしい俺と上原は顔を見合わせ、同時に肩を竦めた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「へー。もう一人のカズか」

「諏訪君とは真逆のタイプみたいね」

 

 今日も今日とて部活終わり。

 男子部も同じくらいに終わったので三人一緒に帰りつつ、昼休みの出来事を葵達に話して聞かせた。

 テストで俺を上回った男子の話に昴は感心した様子。

 

「そういう奴と友達なら俺も成績伸びるかな」

「他力本願……」

「いいだろ、効率重視だ」

 

 ジト目の葵にあっけらかんと答える昴。

 

「あのねえ、努力しないとしっかり身に――」

「友達になりたいなら協力する」

 

 呆れ顔になった葵の声を遮って昴に告げる。

 放っておくと多分、喧嘩になるだろう。

 お陰で昴は一瞬きょとんとし、葵も呆気に取られていたが。

 

「へ? 何か方法があるのか?」

「上原とメアドを交換した」

 

 言って、秘密兵器――メタリックレッドの携帯電話を取り出す。

 残念ながらガラケーで、機能的にも全盛期に届いていないが、紛れもない文明の利器。中学生になったから、ということで母さんから買ってもらったものだ。

 ちなみに、母親達で相談して決定したらしく、昴達も時を同じくして携帯を手に入れている。

 これによって遊びに行く算段をつけやすくなった。

 同じ学校なのでなくてもそこまで不便でないとはいえ、突発的なバスケの誘いに対応できるのは大きい。

 

 まあ、パケ死が怖いので使いすぎには注意が必要。

 あのソシャゲとかこのソシャゲとかをやり直したい気持ちはぐっと堪える。物欲センサーの恐ろしさは前世で嫌というほど味わった。これまでに使った額がまるまる残っていたら……とか考えたことは一度や二度じゃない。それが実現するのだから欲を出しては駄目だ。

 

「男子にメアド聞いたの!?」

「いや、向こうから聞いてきた」

「それ、狙われてるんじゃない……?」

 

 うん、十中八九そうだろう。

 でも、そこは相手が俺である。幾ら口説いても靡きようがないし、そうすれば諦めてくれるはず。話した感じ、どうしても俺を落としたいというより女の子全般が好きな感じだったし。

 

「問題ない。それより、いつでも上原を呼び出せるのが重要」

 

 俺としても勉強の話ができる相手が増えるし。

 

「よっし、じゃあ今度バスケしようって誘ってくれよ」

「あんた、上原君が運動得意じゃないって聞いてた?」

「え、じゃあどうやって仲良くなるんだよ?」

 

 あ、結局言い合いが始まってしまった。

 葵の指摘はもっともだが、昴の言いたいこともわからなくはない。俺達の遊びはもっぱらバスケ。たまに漫画を読んだりすることはあったが、身体を動かしてナンボというところがある。

 さすがに、この面子に交ざってバスケは罰ゲームだけど。

 

 ――バスケ以外のスポーツならまだいいか?

 

 スポーツでも、身体能力がそこまで必要ないものもある。

 卓球とかボウリングとか、ダーツとかビリヤードとか。運動神経、または種目単体のセンスがあればそこそこ、友達同士レベルなら十分に遊べるはずだ。

 屋内型の総合アミューズメント施設に行けばちょうどいい。

 前にさつき達と行ったゲーセンがそれに近かったけど、この近辺に、よりスポーツに特化したところがあったはずだ。

 名前は、えっと、なんていったか。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 というわけで、やってきました『オールグリーン』。

 卓球やボウリングやビリヤードの他、カラオケやゲーセン、更にはちょっとしたフードコートまで併設されている。中高生男子はもちろん、リア充系の大学生でも十分利用できる夢の施設である。

 上階にはバスケコートもあり、ちょっと心惹かれるが、今日のところはパス。

 

「俺、上原一成。よろしくな」

「長谷川昴。こちらこそよろしく」

 

 互いに手を差し出して握手を交わす昴と上原。

 思うところのない相手同士、すんなりとした挨拶だ。続いて葵も笑顔で自己紹介をしている。

 特に心配はしていなかったけど、この分なら大丈夫そうだ。

 

 メールで誘ってみたところ、上原は二つ返事でオーケーしてくれた。

 

 運動は別に得意じゃないが、遊ぶのは好きだとのこと。

 ならばと昴や葵を招集。部活のない日曜日に集合となった。

 誤算があるとすれば。

 

「お前が上原か」

「おう。ってことは、お前が『カズ君』か」

「どう? カズ君は格好いいでしょ?」

 

 誘うだけ誘ってみた二人が何故か律義にやってきたことか。

 諏訪と上原はなんか無駄に睨み合ってるし、鳳は無駄な自慢をしている。ちなみにさつきと多恵は用事があるということで不参加だった。

 

「何しに来た」

「遊びに来たんだよ。長谷川にしつこく誘われて」

「カズ君が行くなら私も行くし」

 

 昴、お前の仕業か。

 別に来ちゃ困るわけじゃないけど。昴としては「大勢の方が楽しい」という感じだろうし。

 

「とにかく、喧嘩はなし。OK?」

「ああ。お前が売ってこなきゃ喧嘩なんかしないって」

「同じく」

 

 ……その喧嘩、買えばいいんだろうか?

 むっとして睨んでやると、葵と昴から「どうどう」と取り押さえられた。

 おかしい。これだと俺の方が問題児みたいである。

 

 

 

 

 

 で。

 一緒に遊んでみたところ、上原は実にノリのいい男だった。

 ぱかーん、と、盛大にピンを倒した彼が隣の席に戻ってくるのを、俺はなんとはなしに見つめた。

 

「いやー、たまにはボウリングもいいよな」

「それは確かに」

 

 俺達の筋力だと重い球は使えないけど、それはそれで楽しい。

 スコアは割と白熱している。

 トップは諏訪。次いで昴、葵で、その次が上原。鳳が下から二番目で、どういうわけか俺が最下位。球の扱いなら日々腕を磨いているはずなのに。

 

「でも、上原がここまで騒がしいとは思わなかった」

「騒がしいとか言うなよ。悲しくなるだろー」

 

 ははは、と笑う彼の表情はとても悲しそうには見えなかった。

 ボールを手にしては前口上で場を盛り上げ、ピンを倒しては大げさに喜んでみせる。

 秀才は宴会ノリにも強いらしい。

 しんみりしたい時には向かなさそうだが、この面子では大騒ぎにしかなりようがないので、あまり気にしなくてもいいだろう。

 俺はホルダーから缶のウーロン茶を持ち上げて一口。

 鳳の投球に「おー」とか言っている上原の横顔を見て、尋ねた。

 

「また、誘ってもいい?」

「お? それは鶴見、俺のことを好きになっちゃった的な?」

「友情的な意味なら間違ってはいない」

 

 にべもなく答えれば、上原は「それは残念」と笑った。

 

「仲良くなってくれるならそれでいいけどな。いつでも誘ってくれ。バスケしろって言われたら最下位になる自信あるけど」

「心配しなくても容赦しない。……バスケも、勉強も」

 

 小さく付け加えた言葉に、上原がにやっと笑う。

 

「それはお互い様だなー。俺、勉強では負ける気ないから」

「生意気」

「好きに言ってくれていいぜー」

 

 俺の番が来たので話はそれで終わりになった。

 その日、俺達は財布と相談しつつ思いっきり遊び、笑い、睨み合った。

 

 以来、休みの日で遊ぶときはたまにこいつが交ざるようになったのである。



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翔子と初めての大会

「大会があります」

 

 部長の発した声に、部員一同が沸いた。

 中間テストが終わって一週間ほどが経った頃の事である。

 本大会が八月。

 その前に行われる地区予選に、我らが桐原中もエントリーする。

 

「出たい?」

「出たいです!」

 

 みんなの声が唱和。

 二年生以上は言うに及ばず、体験入部の際に試合の興奮を植え付けられた一年生にとっても、大会というのは夢の舞台だ。

 やっぱりスポーツは本番が一番楽しいし。

 すると部長は笑って言う。

 

「じゃあ、頑張って練習しよう。予選までに練習試合も組むから、まずはそれに向けてね」

「はいっ!」

 

 こうして、俺達は大会に向けて動き出した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……部長。うちって、弱いんですか?」

「あはは、うん……まあ」

 

 程なくして行われた練習試合。

 相手は特別有名ではない普通の学校。大きな選手もいないし、天才的なエースがいたわけでもない。

 こっちは三年生、主力を中心とするメンバー。

 

 でも、勝てなかった。

 

 俺や葵、さつきら一年生、それから二年生も必死に応援した。部長達、選手のみんなも精一杯頑張っていた。

 単に実力が足りなかったのだ。

 

 翌日、学校て行われた反省会にて、一年生部員の一人からこぼれたのは不安げな問いかけだった。

 部長の返答は、肯定。

 

「うちの学校、公式戦で勝ったことないんだ。……今まで、一度も」

 

 静寂が生まれた。

 

 ――どこかで楽観していたのだろう。

 

 今まで楽しかった。頑張ってきた。だから勝てる、と。

 だけど現実は甘くなかった。

 はしゃいでいたところに水をぶっかけられた形。夢が覚めてしまったとしても、それは仕方のないことだ。

 

「………」

「………」

 

 一年生を中心として、不安げに顔を見合わせる一同。

 反省会は捗らないままに続き、部長をはじめとする三年生は必死に盛り上げようと声を出す。

 そして、最後の締めくくりとして。

 

「予選の出場メンバーを発表するね」

 

 俯いていた何人かが顔を上げる。

 

「まず4番――」

 

 一人ずつ発表されていくにつれ、戻りかけていた空気は再び重くなっていった。

 

 ――出場メンバーは全員が三年生だった。

 

 顧問を中心として作成されたというそれ。

 確かに、学年が上である方が上手い人は多い。それでも、二年生の中にだって上手い人はいる。にもかかわらず全員三年で固める采配。

 最後の思い出作りに最上級生を出す、という慣例だろう。

 

 つまり。

 下級生にチャンスはない、と、宣言されたに等しかった。

 

 

 

 

 

 その日の練習も散々な結果に終わった。

 ただ、決められた時間を過ごしているだけ。そんな感じで活動が終わり、みんなそれぞれ着替えを済ませると部室を出ていく。

 そして、気づけばなんとなく、俺と葵、さつき、多恵、鳳の五人――体験入部最初の試合のメンバーは一緒に家路についていた。

 

「当然でしょ。むしろ知らない人がいたのが不思議なくらい」

 

 微妙に気まずい雰囲気の中、言ったのは鳳。

 

「鳳は知ってた?」

「入部する前に下調べくらいするでしょ、普通」

 

 耳が痛い。

 最初から「バスケ部に入る」と決めていた俺は完全にノータッチだった。葵を見ると知ってはいたようで苦笑された。

 鳳はため息をつくと再び口を開く。

 

「勧誘の仕方がまずかったんじゃない?」

「鳳」

 

 見過ごせずに口を挟む。

 部長達、三年生の盛り上げ方は見事だった。それをそんな風に言って欲しくなかった。

 けれど、抗議は肩を竦められただけで一蹴されてしまう。

 

「希望を持たせすぎなのよ。実は私達は上手いのかも、紅白戦で勝てるかも、試合に出られるかも――って、そんなわけないのに。あんたや荻山さんに勝てない腕で試合に出られるわけないし、ましてや勝てるわけない」

 

 シビアな感想は「私も含めてね」という、自嘲気味の言葉で締めくくられた。

 

「………」

「何、つまんない顔してるわけ?」

 

 黙り込めば、鳳はつんと顎を上げて俺を睨んでくる。

 

「あんたがダメージ受ける必要ないでしょ。勝てなからってバスケ辞めるの?」

「いや」

「だったら落ち込むの止めて。うざいから」

 

 もしかして、俺は発破をかけられているのか。

 物凄く不器用な言葉だ。

 

 ――でも、鳳の言う通りかもしれない。

 

 俺は、うちの部が弱かったことを気にしていない。

 ただ、部の空気が悪くなってしまったのが嫌だった。楽しくバスケができないから。みんなが暗い顔をしているから。

 軽く息を吐いて首を振る。

 

「確かに。私まで呑まれる必要はない」

 

 言うと、葵が笑顔を浮かべた。

 

「ん、私も別に気にしてないよ。一年生が試合に出られないなんて、逆にバスケ強い学校なら当たり前だし」

 

 俺以上のバスケ大好き人間がこれしきでどうにかなるはずがない。

 男子部も似たような状況らしいが、昴だって同じだろう。

 

「さつきと多恵は」

「あちし達が勝ちに拘ると思うか?」

「うん、ない」

「そういうことだよお」

 

 さつきが格好つけて言えば、多恵がふわりと笑った。

 彼女達はみんなでわいわいやれればいい、というタイプ。むしろ完全ガチの試合とか面倒なので、メンバーには入れなくてもいいらしい。

 それはそれでどうかと思うけれど、堪えていないなら良かったと思う。

 

「……今まで通り、か」

 

 呟くと、鳳がさらりと髪をかき上げて言った。

 

「当たり前でしょ」

 

 悔しいけど、ちょっと格好いいと思った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 翌日からは気を取り直して練習に臨んだ。

 他のみんなもそれなりに立ち直ったのか、部の雰囲気は表面上、元に戻った。ところどころにぎこちなさはあったけれど、部長達三年生はいつも以上に練習を頑張っているようだった。

 言わずもがな、大会が近いからだ。

 

 ――考えてみれば、部長達にとっては最後の大会。

 

 負ければそこでお役御免。高校受験に向けて引退することになる。

 いつまで部活をできるかは、イコール、大会でどれだけ勝てるか。公式戦で勝ったことのないうちの部にとって、それはとても残酷なシステムだ。

 

 俺達に何かできるだろうか。

 

 悩んだ末に出た答えは「何もできない」だった。

 俺はもちろん、葵ですらただの新人でしかない。他の一年生よりバスケが上手いとはいえ、別に天才的なプレーヤーでもなんでもない。

 結局、俺はただ練習を頑張った。

 授業を疎かにせず、一番にバスケを楽しむことを考えながら、少しでも上手くなろうと励んだ。

 

 でも、時間は足りなくて。

 

 運命の試合の日はあっという間にやってきた。

 

 

 

 

 

 会場に集合した俺は、真っ先に部長の様子を窺った。

 

「おはよう翔子。昨夜はよく眠れた?」

「はい」

 

 彼女はいつも通りだった。

 部活紹介で初めて見かけた時、体験入部の時、部活に入ってからの顔と同じ。一年生の俺達のことまで気にかけ、笑顔を向けてくれている。

 俺は「部長はどうですか?」と尋ねようとして。

 それより前に部長の方が口を開いていた。

 

「それは良かった。……ぼーっとしないで、ちゃんと試合見てなよ」

「……え」

 

 ぽん、と、頭に手が置かれて。

 歩き去っていく部長を、俺は呆然と見送った。

 

 ――なんか、意味ありげな。

 

 不真面目な態度を咎められたわけではない、はずだ。

 ならば、今のは。

 

 言われた言葉を胸に留めたまま、俺は第一試合を他の部員達と共に見守った。

 みんなユニフォームに着替えてはいるが、多分、殆どの者が出られるとは思っていないだろう。

 それでも声を張り上げて応援する。

 部長達は適度に気を引き締め、適度にリラックスして試合に臨んでいた。ジャンプボールから試合開始。動きは放課後の練習で見た時よりも速い。

 絶好調だったと言っていい。

 

 でも。

 

 スコアボードに表示された彼我の点数はだんだん差が開いていく。

 単純な戦力差。

 応援する部員達の顔に絶望が広がる中、

 

「ファイトー!」

 

 葵の声がひときわ大きく聞こえた。俺は負けじと叫んだ。

 

「負けるなー!」

 

 だからどうなったというわけではない。

 ただ、少しだけ、みんなの応援の声も大きくなったような気がした。

 

 

 

 

 

 点差は縮まらないまま第三クォーターまでが終了。

 戻ってきた先輩方がタオルやドリンクを受け取り、短い休憩をとる中、部長は真っすぐに顧問の先生の元へと歩いていった。

 何を話しているのかは聞こえなかった。

 ただ、難色を示す先生に対して何かを訴えていたのはわかった。

 

 ――部長の願いが届いたのか。

 

 第四クォーターでは次々と選手交代が行われた。それも、三年生から二年生へと。

 先生の顔からは意図は窺えない。

 ただ、わかることは、交代が行われても点差が縮まらない、ということだけだった。

 そして。

 

「荻山さん。鶴見さん。ウォームアップしておいて」

 

 顔を見合わせた俺と葵は慌てて同時に「はい!」と答えた。

 豆鉄砲を食らったような顔をしていたのは、その場にいた殆ど全員だったと思う。

 

 俺達がコートに出たのは残り三分弱のタイミング。

 

 残っていた三年生、センターとフォワードから入れ替わる形でメンバーに加わる。

 広い、と感じた。

 既に全面のバスケコートには慣れた。だけど、部活内での練習試合などとはまた、重さと圧力が全然違っている。

 地方大会の一回戦だが、お客さんだってゼロではない。

 何より背負っているものがある。

 

「荻山さん!」

 

 再開直後、司令塔――ポイントガードは葵へとボールを渡した。

 このタイミングで一年生に託すという強気の選択。

 

「はいっ!」

 

 葵もまた、先輩の意を汲んで速攻をかける。

 速い。己の実力が全くの未知数であるワンチャンスを見事に掴んだ、正攻法による奇襲。

 うまくマークをかわした彼女はそのままゴールネットを揺らし、二点をもぎ取った。観戦する部員達から小さな歓声が上がる。

 まだまだ。得点差は埋まっていない。

 

 ――埋める。一点でも多く。

 

 ディフェンス。各自、別々の選手をマーク。

 相手チームはセンターを攻撃に据えてきた。俺より幾らか身長の高い二年生がその場でドリブルを続けながら、左右にフェイントをかけてくる。

 油断なく構えて数秒、時間稼ぎだと気づいた俺は敢えて左に隙を作った。

 一瞬の動揺。相手は迷ったようだったが、結局、抜くことを選択。

 

「っ!」

 

 当然、フェイント。

 俺はすぐさま左へと踵を返し、ボールをスティール。

 

「速攻!」

 

 先輩の声が聞こえた時には、既にパスの動作に入っていた。

 五人、フォーメーションを作って前進。

 警戒されているのは二年生三人。そして、先程、予想以上のポテンシャルを見せた葵。

 ノーマークの残り一人(おれ)にパスが通る。

 

「やっちゃえ翔子!」

 

 葵の声。言われるまでもない。

 俺だって昴と葵に追いつこうと、少しでも上手くなろうと練習してきた。

 おあつらえ向きに身長も伸びてきている。ここで活用しないでどうするというのか。

 

 可能な限りの速さでドライブ。

 マークにつこうとしてくる相手選手をフェイントで牽制、僅かな間に身を滑り込ませ、そのままゴール下へ。

 

「リバウンド!!」

 

 そんな声が聞こえたが、生憎、外すつもりはなかった。

 とん、と。

 足のばねを使って跳び、シュートを放つ。

 

 ネットが揺れた。

 

「っし!」

 

 今度の歓声はさっきよりも強かった。

 慌てた相手チームの監督が選手交代を申請する。しかし、既にこっちの勢いは強くなっている。流れを止めることは難しいだろう。

 

 ――問題は。

 

 俺は自分達のコートへと戻りながら時計を見やる。

 残り時間二分弱。

 得点差は未だ大きく、一年生故に生まれた油断にも、もう期待できない。

 

 足りない。

 それでも。

 

 焦燥感に苛まれながらも、俺と葵は必死に抗う。

 そして、無情にも、試合終了のブザーが鳴った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 三年生の先輩達は泣いていた。

 試合後、顧問の先生からのお話は、三年間頑張ってきた先輩達への「お疲れ様」だった。

 終わったのだ。

 夏が本格的にやってくる前に、熱い夏が終わってしまった。

 

「来年は公式戦初勝利を目指します」

 

 次の最初の部活にて。

 正式に部長を引き継いだ二年生の先輩は、そう言って強い意気込みを見せた。

 

「悔しかったよね? だから、来年はみんなで勝とう」

 

 俺は、葵と一緒に強く頷いた。

 でも、そうじゃない部員もいて。

 

 三年生の引退と同時に二年生が一人、そして一年生が二人、退部を宣言。勉強に集中したくなったので文化部に行く、というのが理由だった。

 大きく人数を減らすことが決まった女バスを、俺は「寂しい」と感じた。

 

「ほら翔子! 声出てないよ!」

「はい!」

 

 寂しいけど、だからこそ頑張らなければいけない。

 部長達がやってきたことを引き継いで、その先に行かないといけない。

 楽しく、みんなで。

 

「翔子。この後、時間ある?」

「……え?」

 

 何故か浮かんできた涙を堪えながら。

 練習を終えた俺に、部長――元部長が声をかけてきた。



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翔子と屋上

 着いた先は屋上だった。

 事故防止で開放されていないところも多いけど、うちは出入り自体は可能だ。その代わり柵はかなり高くなっている。

 もちろん、俺達にアイキャンフライする意思はないが。

 

「ん、いい風」

 

 夕方になって気温も下がってきたので大分過ごしやすい。

 目を細めた部長は少し歩いてから俺の方を振り返った。

 正確には元部長だけど、ややこしいので今だけは部長で通す。

 

「わざわざごめんね」

「いえ……でも」

 

 わざわざなんの話だろう。

 それとなく先を促すと、部員は穏やかな口調で言った。

 

「勝てなかった」

「………」

「連敗記録伸ばしちゃった。私達の代で脱出してやる、って思ってたんだけど」

 

 結果は惨敗。

 最終クォーターで多少は取り返したけど、まだ点は足りなかった。

 もっと力があれば。

 部長達ともっと、バスケできたかもしれないのに。

 

 俺の心を読んだように、部長はこくりと頷いた。

 

「実力不足だったね。私達みんな」

 

 それは、俺の思い上がりを正す言葉。

 心のどこかで思っていた。自分は特別なんだと。先輩達のためと練習を続けながら、俺が頑張れば結果は変わるのだと。

 思い上がっていた。

 

 転生者だからなんだというのか。

 

 俺はただの女子中学生。

 チートもなければ天才でもないと、とっくに知っていたはずなのに。

 

「悔しがってくれるのは嬉しいけど、考えすぎるのは駄目。翔子って落ち着いてるのに、ときどきすごく子供っぽいから」

「……そんなこと」

「あるよ」

 

 くすくす、と笑われる。

 

「誰かが騒いでたり、喧嘩してるとすぐ止める癖に、祥にからかわれたり、さつきや多恵が何か言ってくるとすぐ乗っちゃうでしょ?」

「う」

「まあ、そこが可愛いんだけど。もうちょっと落ち着いた方がいいかもね」

「さっき『落ち着いてる』って言ったじゃないですか……」

 

 部長の笑いが「くすくす」で収まらなくなった。

 ひとしきり笑った後、部長はお腹を抑えながら言う。

 

「でも、ほら。翔子にはみんなを支えて欲しいから」

「………」

 

 きゅう、と、胸が締め付けられる感覚。

 連れ出された時点で予感くらいはあった。上司からサシ飲みに誘われた時と雰囲気が近い。

 でも。

 できるだけいつも通りに答える。

 

「……そういうのは葵がやるかと」

「うん、だろうね」

 

 あっさり頷かれた。

 

「きっと、次の部長は葵だと思う。あの子はみんなを引っ張っていくのに向いてる」

「なら」

「葵とは別に話すつもりだけど、()()()、先に翔子と話したかった」

 

 俺は何も言えなくなった。

 そんな器じゃない。

 自分のことは良く知っている。

 弱くて憶病で寂しがりやで、自分を抑えきれていない。俺はそんな人間だ。

 

 そっと俯く。

 俺と部長の間をふわりと風が吹き抜けていく。

 ほんの数歩の距離がとてつもなく遠く感じた。

 

 近づくのは簡単だけど、そうした途端、部長が離れていってしまうような気がした。

 

「葵は凄い子だと思う。私よりずっと上手いし、いい部長になれると思う。でも、一人じゃきっと最後までいけないと思う」

「最後」

「うちの部の目標」

 

 公式戦初勝利。

 その先には誰もが目指す栄光、大会出場や全国優勝がある。

 

 部長が空を見上げる。

 夕焼け空は綺麗で、眩しくて、手の届かないところにあった。

 

「私達ができなかったからって虫のいい話だけど。葵がみんなを引っ張って、翔子がみんなを支えてくれたら、きっといいチームができると思うんだ」

「……虫がいいなんて思いません。私は、バスケ部で頑張るつもりです」

「ありがとう。でも、翔子はなんとなく危なっかしい気がしたから。他に大切なものができたら、あっさりバスケ止めちゃいそうっていうか」

 

 そんなわけない。

 言い返そうとしたが、部長の言っていることが正しいと気づいて口を噤んだ。

 俺はきっとバスケを止められる。

 葵や昴が別のスポーツに行ったらきっぱりすっぱり諦めるだろう。バスケを止めたら男にしてやると言われたら飛びつくかもしれない。

 だけど、葵達はきっと止めない。止められない。

 あの二人は他のものを全て捨て去れるくらいの情熱をバスケに抱いている。

 

「それはね、阻止したかった」

「………」

「翔子達は凄いよ。みんながみんなを補い合える。葵の足りないところは翔子がどうにかできる。翔子の足りないところをどうにかしてくれる子もいる。三年の頃にはもっといいチームになってる」

 

 だからね、と部長は続けて。

 

「お願い。バスケを止めないで。葵を助けてあげて。翔子はきっともっと、翔子が思ってるよりずっと凄い子だから」

 

 部長の目から視線が外せなくなる。

 夕陽に照らされた黒い瞳はきらきらと輝いていて、俺はそれが欲しいと本能的に思った。

 

 一歩、踏み出す。

 二歩、三歩と近づいても、宝石のような輝きは消えなかった。

 手を伸ばす。

 頼りない手が柔らかな手に握られて、引っ張られる。

 

 気づくと部長の顔がすぐ近くにあった。

 彼女の息遣いが手に取るようにわかる。少しペースが早かった。

 

「……約束します。私は、もっと」

 

 その日の約束は俺の心の深いところに刻まれた。

 いつものことながら、やっぱり時間は待ってくれない。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 翌日から、俺は気持ちを新たに部活へ臨んだ。

 約束を果たさないといけない。

 

 具体的にどうすればいいかはわからない。いきなりがらっと何かを変えるなんてできっこないけど、できそうなことから試してみたい。

 三年生のいなくなった部活は寂しいけど、もうすぐ期末テストもあるからゆっくりはしていられない。

 と。

 

「なんでいるんですか」

「いや、だって暇だし」

 

 普通に三年生がいて、練習に参加していた。

 ジト目で睨んだらしれっと返された。酷くないだろうか。

 

 ――昨日のアレはいったい。

 

 いやまあ、三年生は部活を引退しただけで卒業したわけじゃない。引退してすぐドン! と受験戦争をスタートできるわけでもない。バスケ好きな元部長達がそうすっぱりとボールから離れられるわけもない。

 だけど、こう、もうちょっと情緒とかそういうのが。

 

「なに、どうしたの翔子?」

「ち、近いです」

 

 俺の様子から何かを察した元部長はにやりと笑うと近づいてきた。

 鼻をくすぐるいい匂いから昨日のことを思い出して顔が赤くなる。

 

「もしかして、私達がいるのが嬉しかった?」

「違います」

 

 言われた通り、落ち着きを意識して返してみたものの。

 どれだけ効果があったかといえば怪しいところだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「翔子、今日はうち来るか?」

「ん、ごめん。今日はパス」

 

 テスト一週間前に入ると部活は休みになった。

 学生の本分は勉強。部活のせいでテストに集中できないのは本末転倒という配慮である。もちろん正論であり、ある程度の勉強はするべきだが。

 俺はもちろん、葵や昴が一週間もバスケ無しでいられるわけもなく。

 俺達は予定が合う時は長谷川家に集まって自主練していた。で、感覚を忘れない程度に動いたら切り上げて、昴の部屋でテスト勉強という流れ。

 まあ、大体の場合、

 

『じゃ、そろそろ終わりにしましょ』

『えー。もうちょっとやろうぜ。やっといいところだろ』

『駄目。そう言ってずっと止めないんだから』

 

 と、幼馴染同士の言い合いが挟まるのだが。

 

『翔子。お前も物足りないだろ?』

『翔子。こいつの成績考えたらわかるでしょ?』

 

 俺はだいたい板挟みである。

 心情的には昴の味方をしたい一方、理性の面では葵が正しいとわかってしまう。一度、折衷案として「じゃあ後三十分だけ。明日は定時で練習を切り上げる」と言ったら双方から駄目出しを食らったので、それ以降は中立派を保っていた。

 

「あれ、なんかあるの?」

 

 鞄を手に寄ってきた葵が首を傾げる。

 

「今日はさつき達と勉強会」

「あー。あの子達のことも構ってあげないとね」

 

 うさぎか何かのような扱いだが、ある意味正しい。

 葵とさつき、多恵も同じ部活のよしみ、話をするうちにだんだん仲良くなっている。あの二人は放っておいても距離を詰めてくるので、問題は葵側の心理的距離だけなのだが。

 何かにつけてわーきゃー騒ぐ二人のだいたいの印象は「子犬みたいにきゃんきゃん騒ぐうさぎ」である。

 小うるさいが、下手に無視すると寂しさで死ぬ。かわいいからついつい無視できずに構ってしまう。ある意味、魔性の魅力を持っている。

 

「それもあるけど、二人の成績も心配」

「あいつらも成績悪いのか」

「まあ、昴とどっこい」

 

 進級するだけなら問題ないだろうものの、補習から逃れられるかは微妙なところ。

 

「それは大事だわ。あの二人も貴重なメンバーだし」

「ん。というわけで行ってくる」

 

 昴達と別れ、さつき達のいる隣のクラスへ。

 向こうも準備は終わっていたようですぐに出てきた。軽く手を上げてくれたさつきに同じように返すと、多恵が胸に飛び込んでくる。

 

「つるみんつるみん! 水着、水着買いに行こうよぉ!」

「なんで急に?」

 

 さつきに尋ねると、彼女は苦笑して。

 

「勉強飽きたから泳ぎたいって話になってなー」

「プールなら合法的に水着拝み放題だしねえ」

 

 へへへー、とばかりに顔を見合わせ、笑い合う二人。

 なるほど。だいぶ暑くなってきたので気持ちはよくわかる。夏場のスカートは正直、ズボンと比べて超快適だが、それでもぱたぱたと風を取り込みたくなる時とかあったりするし。

 水泳なら身体も動かせて気分転換にもってこいである。

 

「多恵はプール派?」

 

 二人に促し、歩き出しつつ会話を続ける。

 

「砂浜も捨てがたいけど、手頃さが違うよぉ」

「海はそんなにお金かからないと思う」

 

 泳ぐだけなら無料というところも多い。

 となれば往復の電車賃と食費、シャワーやロッカーの利用料くらいだ。去年、七夕さん達と車で行ったときは、駐車場代とか結構取られてて内心「うわぁ」ってなったけど。

 最寄り駅から歩く覚悟があるなら電車が割と気楽である。

 

「お、意外とアグレッシブだな翔子」

「? そう?」

「テスト前に海とかチャレンジャーだと思うよお」

「いや、今すぐじゃないし」

「「なにぃ!?」」

 

 何故驚いた。

 

「水着のおねえさんが弊社達を待ってるんだよ!」

「気分転換なんだからテスト前じゃなきゃ意味ねーだろ!」

 

 さつきの言い分は一理あるような気もするが。

 

「多恵。落ち着いて。話は終わってない」

「ほえ?」

「水着買いに行って海かプールに行くことは確かに可能。急ぎたい気持ちもわかる。でも待つべき。行くなら葵も誘った方がいい」

 

 すると、多恵の目が丸く見開かれた。

 

 ――食いついた。

 

 俺はにやりと笑う。

 彼女達と行動を共にするようになって一年近く。ノリと勢いの方向性はそこそこ掴めてきている。よって、やろうと思えばある程度誘導できる。

 例えば、多恵は男女問わずラブコメ的シチュエーションを好む。

 

「葵はどんどん大きくなってる。誘わないのは損」

「そ、それは盲点だったよぉ」

「なんなら鳳も誘ってみればいい。何で私がとか言いながらついてきて、いい仕事してくれる可能性がある」

 

 地味めで落ち着いてはいるものの、相変わらずあいつはファッションに詳しい。

 服や化粧等、年上女子と話を合わせやすいので「お姉さん達」と話したいなら使えるかもしれない。

 

「そうか。あの胸じゃ前のは使えねーな」

「正直、去年のは私も使えない。泳ぐなら買いに行く必要がある」

 

 スクール水着はアウトらしいからな……。

 ひと夏しか着られないとか勿体ないにもほどがあるが、俺の場合は身長的な意味でサイズがきつい。

 仕方ないので前の水着は美星姐さん経由でネットオークションに流した。意外とそこそこの額で売れ、新しい水着を買ってもいいと思わせてくれている。もちろんいかがわしい手法ではない。子供服をこうやって引き継ぐのは節約とエコを兼ねた常套手段だ……と、前世で聞いた覚えがある。

 

「どうせ選ぶならじっくり選ぶべき」

「さすがはつるみん。じゃあじゃあ、男子も誘っていいかなあ?」

「うん、誘えばいい」

 

 昴と諏訪、あとは上原といったところか。

 上原は予定が入ってなければほぼ確実に来るだろう。鳳と諏訪はセットなので、どっちかを勧誘すれば両方釣れる。

 あいつらと一緒は微妙な気分だが、落ち着きを持てと先輩から言われたばかりである。

 楽しい話に気を良くした多恵は声を弾ませた。

 

「長谷川センセーにはどういう水着が似合うかなあ」

 

 センセー、というのは昴についたあだ名だ。

 多恵がバスケを始めるきっかけになった俺。その俺にバスケを教えた人間、ということで先生。

 

「やっぱりぴちぴちの競泳水着とかかなあ」

「いや、昴なら女子の水着でも似合うと」

「乗った上に話広げるのかよ! ならあちしはブーメランを推すぜ!」

 

 冗談で馬鹿話をしていたら、近くの廊下から罵声が飛んできた。

 

「うるせーよ三馬鹿!」

「三馬鹿って言うな」

 

 諏訪のことはとりあえず睨み返しておいた。



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翔子とプール

「夏だー!」

「プールだー!」

 

 かんかんと照り付ける日差しの中、さつきと多恵が叫んだ。

 薄手のシャツにショートパンツ。下には独特の形が透けて、若くて健康的な魅力が溢れている。エロ? いやいや、言ってもまだ中一だし、下につけてるのはブラじゃなくて水着である。一緒に買いに行ったから色合いでわかる。

 さすがに元気だなあ、と苦笑しつつ、俺は他のメンバーを見やる。

 市営プール前にはいつもの(?)面子が揃っていた。昴に葵、俺、それから諏訪と鳳、おまけで上原。さつきと多恵が最後の到着だった。指定した時間から三分オーバー。文句を言うほどの遅刻ではない。多分、楽しみすぎてどっちかの家に集まった結果、出発タイミングを逃したとかそんなとこだろう。

 

「夏だー!」

「プールだー!」

「わかったわよ! 何で二回言うわけ!?」

 

 あ、鳳がキレた。

 基本的には優等生タイプなので、問題児タイプのさつき達とは相性がよくない。清楚な白ワンピース姿で眉を寄せ、怒声を上げる。

 そしてもちろん、その程度で二人が堪えるはずもなく。

 

「誰も続かないからに決まってんだろ」

「こういうのは三人で完成なんだよぉ」

「いや知らな――」

「というわけで夏だー!」

「プールだー!」

「………」

 

 どうにかしなさい、という視線が俺に向けられた。

 わかった、と視線で答えて右手を天に掲げる。

 

「飛行機だー!」

「何の関係があんのよ!?」

「うるせえぞ馬鹿共!」

 

 ボケを飛ばした俺と、思わず突っ込んだ鳳。

 さつきと多恵は言わずもがな、全員まとめて諏訪に一喝された。この程度でキレるとは、もしかしたらこいつも早く泳ぎたいのかもしれない。

 俺は肩を竦めて謝意を示す。

 さつきと多恵も笑いながらプール用のバッグを持ち上げた。一人、ダメージが大きいのはとばっちりを受けた奴である。

 

「馬鹿って言われた……カズ君に」

「鳳、元気出して」

「うっさいわね馬鹿!」

 

 励ましたら元気になってくれたので幸いである。

 肩をいからせながら歩いていく鳳をゆっくりと追いかける。珍しいことにスニーカーを履いているのが見えた。ユニセックスなデザインで、お洒落好きの彼女とはちょっとイメージが違う。

 もちろん、敢えて指摘したりはしなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 暑いせいか、プールはなかなかの盛況だった。

 子供連れや小中学生で賑わう中、空きロッカーが固まっているのを見つけて着替えをする。といっても鳳以外は服の下に着こんでいたので脱ぐだけだ。

 

「……邪道」

「この方が楽」

 

 ジト目の抗議にはそう返しておいた。

 

「むー」

「? 葵、どうかした?」

「や、翔子の水着、やっぱよく似合ってるなあって」

「ん、ありがと」

 

 新しい水着は白の上下にしてみた。

 汚れが目立つのが難点だが、主な活動が水中だから問題ないはず。スポーティーなデザインのお陰で動きやすく、傍目にも悪くないと思われる。

 露出が多いのはまあ、市営プールなら同年代多くて目立たないし。

 

「背が高いから格好いい。羨ましいわ、ほんと」

「葵こそ、新しい水着も可愛い」

「そ、そうかな。えへへ」

 

 ブルー系の大人しい色合いなのは変わらず。

 ただし、丸みの強くなった身体にフィットするサイズや素材になったため、女の子らしさが去年よりぐっと協調されている。

 ちなみにさつきはライトグリーンで動きやすいタイプ、多恵はイエロー系の可愛い水着をチョイス。どちらも当人の雰囲気によく合っている。

 さっさと服を脱いだ俺達をよそに、タオルで隠して着替えた鳳は。

 

「わ……」

「おお」

「ほへぇ」

「む」

「な、何よ」

 

 四人からの感嘆の声を聞いて警戒するように身じろぎをする。

 黒のビキニに同色のパレオ。

 中一で着る水着かと言いたくなるが、スリムな鳳にはそれがよく似合っている。さすがの着こなし。女子力の差というやつをひしひしと感じる。

 しっかり日焼け止めを準備してきており、バッグから取り出しているあたりも抜け目ない。

 

「さっちん、準備まだぁ?」

「……仕方ないでしょ。日焼けは天敵なんだから」

「もーあちし達先行くぜ」

 

 問題は他のメンバーのやることがない、ということか。

 苦笑した俺はさつき達に言った。

 

「私も髪やらないといけないから、先に行ってていい」

「いいの?」

 

 葵の問いには普通に笑って答える。

 

「その代わり、葵はさつき達を抑えて欲しい」

「あはは、了解」

 

 右手を肩の上あたりまで持ち上げ、軽く打ち合わせる。

 迷コンビが葵を引っ張るようにしてプールに向かえば途端に静かになる。いや、周りには騒いでいる子が沢山いるが。

 スイムキャップを取り出して髪を束ねていると、日焼け止めを塗り終えた鳳が「ねえ」と声を出した。

 

「? 帽子忘れたとか?」

「違うわよ。……日焼け止め、あんたも使えば?」

 

 差し出されたのは、まだ内容量の残ったチューブ。

 

「いいの?」

「言ってるでしょ。翔子は無頓着すぎなの。もうちょっと気を遣いなさい」

「難しいことを」

 

 カロリー気にして栄養バランス気にして、肌のケアと長時間の入浴を怠らず、睡眠時間も十分に確保する……なんてやってたら、それだけで一日が終わってしまいそうである。女子か。いや女子なんだけど。

 

「でもまあ、ありがたく」

「ん」

 

 鳳的にはマウントを取っているのかもしれないが、こういうお小言は正直助かる。

 チューブを受け取り、髪を纏め終わった後でぬりぬり。向こうも髪を纏めるので、逆にこっちが遅れたりとかはない。

 しばし無言が続いて。

 

「ねえ」

「ん?」

「プールの後、時間ある? あるでしょ?」

 

 まるで「どうせ暇よね?」とでも言いたげだ。その通りだけど。

 

「あるけど」

「なら、勝負しなさい」

「わかった。2on2?」

「……そうよ」

 

 何でわかるのよこいつ、という顔をされたが、そのくらいわかるだろう。

 勝負というフレーズから俺が思い浮かべるのは、鳳ではなくあいつの方だから。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「お、やっと来た」

「遅いぞお前ら。これだから女子は」

 

 合流するなり諏訪に罵倒された。

 

「カズ君! どう、この水着? カズ君、黒が好きって言ってたからそうしてみたんだ」

「……ふうん。まあ、似合ってるんじゃね?」

「本当! ねえねえ、具体的にどの辺が可愛い?」

 

 先程の罵倒が聞こえていなかったのか、さっそく諏訪に近寄っていく鳳。

 好意のアピールと今後のための研究に余念がない。諏訪の方は相変わらず、クールなのか枯れてるのかわからない反応である。

 いつもの二人は放っておいて昴に手を上げ挨拶した。

 

「お待たせ」

「おー。葵達は先に遊んでるぞ。ほら」

 

 指で示された方向では葵とさつき、多恵がわーきゃーと騒いでいた。

 正確にはさつき達に葵が振り回されている図だが、三人とも楽しそうにしているのは間違いない。

 

 それにしても、結構な人である。

 

 ぐるりと見渡してみても、人が視界に入らない角度が存在しない。

 プールは深さや形状別に幾つか用意されているが。

 

「昴達にリベンジしたかったけど、ここじゃ無理そう」

「だな。残念。もちろん負けるつもりはないけど」

「それはこっちの台詞」

 

 お互い、にやりと笑って顔を見合わせる。

 すると諏訪が溜息をついて声をかけてきた。

 

「……荻山がいないからって内緒話してんじゃねえよ」

「おい待て、なんの話だ」

「は? お前ら付き合い始めたんだろ?」

「……初耳」

 

 マジでどっから出てきたんだそんな話。

 

「え、何それカズ君。私知らないんだけど」

「そりゃ知らねえだろ。こいつらが好きって言い合ったの、どっちも教室だったし」

「は?」

 

 ……言い合った?

 諏訪は当たり前のように言っているが、そんな覚えはまるでない。いや、俺が昴に言った(ことになった)のは覚えてるけど、昴が俺のことを好きって言わない限り「言い合った」ことにはならない。

 となると。

 隣で「あ」とか間抜けな声を出している親友をジト目で睨む。

 

「昴?」

「すまん翔子。俺、諏訪に聞かれてそう答えた」

「……私のこと好きかって聞かれたと?」

「ああ」

 

 そんなことだろうと思ったよ!

 どういう意味での好きなのか指定しないからそういう齟齬が生まれるのである。まだ、相手が諏訪だったからいいようなものの。

 

「諏訪。私だって友達としてなら昴のこと好き」

「お? ……ああ、そういうことかよ。驚かせんな」

「それこそ私の台詞」

「そうだぞカズ。変なこと言うなよ。除け者にしたなんて知れたら葵に殺される」

 

 殺されるだろうけど、葵が気にするポイントはそこじゃないんだよな……。

 幼馴染二人がなかなか結ばれそうにないのは葵が奥手なせいもあるが、昴が鈍感なのも大きいのではないかと思う今日この頃である。

 慌てなくてもそのうちくっつくだろうとも思うが。

 俺としても葵との仲が悪くなるのは困る。せっかく誤解だとわかってもらったのに、また俺関連で悩ませるのはとても心苦しかった。

 

「……なんだ。長谷川君とくっついちゃえばいいのに」

「何て?」

「なんでもないわよ」

 

 ふん、と、顔を背けてプールの方へ歩いていく鳳。

 濡れた床を早足で歩く彼女を昴が心配して追いかけていき、後には俺と諏訪が残された。

 

「鳳からこの後、勝負したいって言われた」

「ああ」

 

 こいつにもきちんと話は通っているらしい。

 諏訪と鳳、か。

 一対一ならともかく、二人一緒ではほぼ確実に俺が負けるだろう。たった一年程度の経験では圧倒的な実力差になるはずもない。

 

「昴、連れてきていい?」

「彼氏とペアか」

 

 違うっつってんだろこの野郎……と、ついイラっとした。

 

「それなら諏訪と鳳も恋人同士?」

「……やめろよ」

 

 やけくそでからかってみれば、諏訪も相当イラっとしたのか俺を睨んできた。

 実際、嫌だったのはお互い様だろうに。

 

 

 

 

 

 

「あれ、俺の出番は?」

 

 ごめん上原、気づいたら蚊帳の外だった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「翔子は、私としたいの?」

 

 綺麗な葵の瞳が真っすぐに俺を見つめる。

 少女の純粋さが俺の胸をざわめかせ、熱く疼かせる。

 

「本当に? 昴じゃなくて私でいいの?」

「もちろん。葵がいい葵じゃないと駄目」

「駄目。もっと具体的に言って欲しい」

「私は葵の相方になりたい。だから、葵の激しいところか弱いところ、もっとちゃんと知りたい。そのためには一緒にプレーするのが一番」

 

 注:バスケの話です。

 

「一緒に戦って欲しい。バスケで」

「……ふふ。そこまで言われたらしょうがないわよね」

 

 葵、仕方ないとか言いながら滅茶苦茶嬉しそうだった。

 男女ペアで考えると昴以外ありえないんだけど(悪いけど、上原だとハンデにしかならない)、途中で「別に男女ペアじゃなくても良くない?」と思い直した。

 身体能力を思うと多少のリスクはあるが、葵とこれからも関係していく以上、彼女と共にする経験は多い方がいい。

 自分だけ出られないと聞いた昴は少し不満そうだったものの、人のプレーを見るのも勉強になるからと納得してくれた。ちなみに上原とさつき、多恵は泳ぎ疲れたということで先に帰っている。マック寄っていこう、と騒いでいたので直帰してなさそうだけど。

 

「鳳さんがスニーカーだったのはそのせいだったのね」

 

 昴達と出会った思い出の公園。

 夏休み直前の夕方という時間、そこには俺達以外に誰もいなかった。

 

「だったら服も気にしろよって話だけど」

「カズ君、こういう服嫌い……?」

 

 かみ合わない会話に諏訪が息を吐き「嫌いじゃない」と折れた。

 歓喜の声を上げる鳳は一見、恋愛脳の残念女子だが、伊達に一学期ずっと女子バスケ部に所属していたわけではない。

 いったん試合となれば真剣に、その才能を発揮してくるはず。

 

 諏訪のポジションはセンター。鳳は――ポイントガード。

 俺は言わずもがなセンター。葵はシューティングガード、あるいはパワーフォワードといったところ。

 俺達が攻守を流動的に使い分けることになるのに対し、相手は鳳がサポートをしつつ、攻撃的なセンターである諏訪が得点源となるスタイルだろう。

 

 どちらがいいかは一長一短。

 2on2のバスケは連携がものをいうため、スタイルに拘らず協力していった方がいい場面もある。

 

「いきなりだけど、あんた達の場合は問題ないでしょ?」

「そうね。翔子も、いいでしょ?」

「もちろん。ここまで来て嫌なんて言わない」

 

 帰りに昴の家に寄るかもしれないと、俺も葵もスニーカーだったし。

 

「じゃあ」

「……やるか」

 

 2on2形式は初めてだけど。

 俺と諏訪にとっては六度目。俺と鳳にとっては初めての勝負が、見届け役となった昴によるジャンプボールから幕を開けた。



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翔子と六度目の勝負

※今更ですが、バスケ描写に関しては暖かい目で見ていただけると幸いです。


「……葵!」

「ありがと、翔子!」

 

 ジャンプボールは俺が勝った。

 弾かれたボールを受け取った葵は即座にドライブ、速攻をかける。鳳がブロックに入るも、葵はスピードで抜き去ってそのままゴール。

 二点先取。

 

「ごめんなさい、カズ君」

「気にすんな。荻山は絶対決めてくると思ってた」

「あはは。うん、そのつもりだったよ」

 

 ボールを諏訪に渡しながら葵が笑う。

 勝負事には「流れ」が存在する。これはオカルトじゃない。今で言えば先制点を決めた側は勢いに乗る、入れられた側は焦ってミスをしやすくなる、といった心理的作用の話。

 点を取って悪いことなどないのだから、ここぞとばかりにそれを狙った。

 

 これで諏訪達にはプレッシャーがかかるわけだが。

 ボールを受け取った諏訪は軽く腰を落とし、ドリブルを始めながらコート内を見据えていた。

 彼の顔に動揺は、ない。

 

「祥!」

「うん、カズ君!」

 

 諏訪が選んだのはパス。

 割と早い球だったが、鳳はしっかりと受け取ってドリブルを開始。葵が阻もうとする、鳳は自分のプレーに固執せずパスを戻した。

 ぱしん、と、軽い音を立てて諏訪の手にボールが渡る。

 こっちのリズムを崩し、自分達のリズムを作ってきた。

 

 なら、センターはセンター同士、俺がしっかりと抑え込む。

 

 両手を広げ、腰を落として妨害の構え。

 バスケットボールは点を取りあうゲーム。よほどの力量差がない限り、ブロックの成功率は高くない。だからこそ一回の成功が大きな意味を生む。

 バスケなら俺が先輩。諏訪に引けを取っているつもりは全くない。

 

 だけど。

 

「……行くぜ!」

 

 諏訪は俺の予測の上を行った。

 二、三度のフェイントからいきなりの高速ドリブル。

 見事な切り返しに慌てて反応するも、俺は背筋に寒気を感じて一瞬動きを止めてしまう。直後、最速でブロックしていれば俺がいたであろう位置を諏訪が駆け抜けていく。

 

「……く」

 

 一応後を追いかけはしたが、シュートが入ることを俺は疑わなかった。それくらい鬼気迫るドリブルだったからだ。

 実際、諏訪の放ったボールはあっさりとネットを揺らした。

 

「ドンマイ翔子。取られた分は取り返していきましょ」

「……ん」

 

 ぽん、と軽く肩を叩いてくれる葵に俺は微笑みを返した。

 

 

 

 

 

 反撃は葵のボールからスタート。

 鳳がしっかりとした構えで抑えにかかる。こいつは防御の方が上手い珍しいタイプだ。持ち前の観察眼のお陰かもしれない。現に今も葵の進行ルートを阻みつつ、じっと出方を窺っている。

 がっちりマークにつかれてからでは、さっきのようなスピード勝負も難しい。

 

 でも、一人で決める必要はない。

 

 俺は自分のマークについた諏訪を見据える。

 身長はこっちが少し上。そのうち抜かれるだろうが、まだまだこいつは成長途上。

 将来はわからないとして、今ならまだ抜ける。

 

「……っ、葵!」

「任せた、翔子!」

「っ、てめっ……!」

 

 視線と動作によるフェイントの後、横跳びに近いステップで諏訪を突破。

 葵からの鋭いパスを受け取った俺は背に威圧感を覚えながらもゴール下へと到達。すぐさま跳ぶことを選択した。

 何の変哲もないジャンプシュート。

 だけど、ブロックは間に合わなかった。決まったのを確認し、俺は小さく「よし」と呟く。

 

 これで心理的にはイーブン。さて相手は。

 

 諏訪を窺う。

 彼は無言で、落ちたボールへと足を向けていた。ワイルド系に属する目つきは今、何を考えているのかがわかりづらい。

 無駄に熱くなってくれればやりやすいんだけど。

 残念ながらそうはならなかった。諏訪はまたしても鳳とのパス回しからのかき回しを狙ってくる。させるかと、パスを出した直後の少年をマークにかかれば。

 

 とん、と。

 

 一歩踏み出した諏訪が、キスでもできそうな距離から俺を見つめた。

 感じたのは寒気。

 貞操がどうの、とかそういうのじゃない。単純な「負ける」という予感。

 駄目だ。

 簡単には負けられない。硬直した隙をついて俺を抜き去ろうとしている諏訪へ必死に追いすがる。ギリギリで間に合って半身を入れることに成功したが、

 

「祥、ボール!」

「うん、カズ君!」

 

 諏訪はあっさりと俺に背を向け、鳳からのパスを受け取った。

 もちろんドリブルをするにはワンテンポ必要だが。

 

「このまま入っちまえ!」

「なっ……!?」

 

 そんな馬鹿な。

 一か八かにも程がある。スリーポイントラインからのロングシュート。そんなのそうそう入るわけがない。ないというのに。

 放物線を描いたボールは見事、ネットを揺らしたのだった。

 4-5。

 俺も葵も、審判をしていた昴でさえ「マジかよ」という顔をしていた。点数的に負けている状況で、成功率の高くないスリーポイントを打つ勇気。それを決めてくる勝負強さ。諏訪が決して弱い選手でないことを嫌というほどわからせてくれた。

 

 それでも、取られた分は取り返す。

 

 俺と葵は負けじと攻めのバスケを展開。

 主に葵をアタッカーとし、鳳を翻弄する形で得点を重ねた。現状ではまだまだ、葵と鳳の間に力量差がありミスマッチなのだ。必死に食らいつこうとしてはいるものの、葵の攻撃バリエーションと鍛え続けたフィジカルが追随を許さない。

 もちろんシュートが外れることもあったが、そういう時は俺がリバウンド。

 ジャンプを含めた高さにだけは自信がある。何度か諏訪に競り勝ち、点をもぎ取ることに成功した。

 

 戦えている。

 

 小六の頃から一緒にプレーし、部でも切磋琢磨している葵との連携。

 もっと磨いていけばきっと力強い武器となってくれる。

 

 

 

 

 

 だけど。

 残り時間が半分を切った時点で、点差はむしろ開いていた。

 五点差。

 俺も葵も調子に乗れている。むしろ鳳の方が不本意そうな顔をしているが、事実として負けているのは俺達の方だった。

 原因は、諏訪。

 

「……お前達のボールだ」

「……ん」

 

 彼は今日、ずっと静かだった。

 プールでは普通だったはずだが、ゲームが始まってからはおちゃらけた雰囲気を封印、恐ろしいまでの気迫をもって臨んでいる。

 俺とて遊んでいるつもりはないが、諏訪の冴えは異常だった。

 圧力をもって突破してくるドリブル。俺達の習性を読んでいるかのようなブロックはだんだんと成功率を増し、制空力で俺に分があると見るやジャンプ前の位置取り等で「飛ばせない」態勢を敷いてくる。

 

 強い。

 いや、俺が弱いのか。

 

 わかっていた。予感してもいた。いささか予想より早かったが。

 急に諏訪が上手くなったわけじゃない。覚醒したとかそういう話でもない。単に、ガチで潰しに来ている男子はそれくらい怖いというだけの話。

 センターは体格に優れ、力による競り合いに強い者が務めるのがセオリー。

 成長するにつれ、女子が男子にフィジカルで勝てなくなるのは当然の話。多分、諏訪は中学でバスケ部に入ったことにより、年上の男子とするバスケを知った。

 その結果、力の使い方というやつを学習したのだ。

 

 試合に、勝負に対する意識が変わった。

 単なる「勝ち負けを決めるもの」ではなく「戦い」になった。

 敵を全力で打倒するのは当たり前のこと。

 

「葵」

 

 俺は葵を手招きし、作戦変更を伝える。

 

「マークする相手を変えて欲しい」

「……いいの?」

 

 作戦を聞いて葵が言ったのは一言の確認、それだけだった。

 

「うん、いい。勝ちに行く。……チームで」

「そっか。よし、じゃあ、やっちゃおうか」

 

 反撃が始まった。

 

 

 

 

 

 俺達がやったことは単純だった。

 攻撃においてはより積極的に弱きを潰し、防御においては弱点をならした。

 すなわち、

 

「翔子!」

「やらせるか……っ!」

「だよね、だから今のはフェイク!」

 

 鳳にマークされた葵が()()()()()()()()()スピンムーブで強行突破したり。

 

「……荻山か」

「簡単に抜けると思わないでね。こう見えても私、大きい人慣れてるから」

 

 俺よりも「対男子」に慣れ、技術でも優れる葵が諏訪を抑え込んで。

 俺がリーチの長さを活かし、鳳の進路を阻んだ挙句、焦れた彼女の手からボールを叩き落したり。

 馬鹿正直にポジションを合わせる必要などなかったのだ。適材適所。戦いやすい相手と戦うことこそ真に必要なことだった。

 結果。

 支出が減り、収入が増えた。

 ジリジリと追いついていくスコア。このポジショニングに対処する方法はいくつかあるが、これからそれを行うのは現実的ではなかった。

 

「やっちゃえ翔子!」

「……くそっ!!」

 

 そして。

 葵のパスによって放った俺のシュートにより、勝負は四点差で俺達の勝利となった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「ありがとう、葵。大感謝」

「ううん、私こそ。楽しかった」

 

 手のひらを打ち合わせようと腕を持ち上げたら、葵は握手をしようとしていたらしい。互いの手が空を切ったので、誤魔化すように肩を組んだ。

 しばし肌を重ねたままじゃれ合っていると、鳳を連れた諏訪が「おい」と寄ってくる。

 

「あ、ごめん。先に挨拶」

「……ん」

 

 仏頂面の諏訪、涙ぐんでいる鳳と握手を交わし「ありがとうございました」と頭を下げる。

 挨拶は基本。

 だけど、決まりだからやりました、っていうレベルでお通夜モードになられるとさすがに気になる。

 ごめん、と。

 全時間通して鳳を狙ってしまったことを謝罪したいところだが、ファウルなし、悪意をもって臨んでもいないのだからマナー違反ですらない。謝れば逆に侮辱になれかねないため、俺は代わりに諏訪へと視線を送った。

 

「私はもっと、強くなる」

「ああ」

 

 勝者の宣言を、彼は短い言葉で受け入れた。

 

「次はお前、一対一じゃ俺に勝てないだろうからな」

「……知ってる」

 

 何様だ、って言いたくなるようなセリフだけど事実だ。

 だから俺は怒らない。昴が何か言おうとしてたけど、葵が手で制してくれた。ありがたい。諏訪との勝ち負けを尊重してミスマッチを許してくれていたことも含めて。

 半ば睨むような諏訪に対し、俺は微笑みを浮かべた。

 

「私は私の勝ち方を探す。諏訪と同じやり方には拘らない」

 

 元部長から言われたこともここに繋がるかもしれない。

 落ち着きを持て、と。

 血気盛んなままでいるのではなく、柔軟性を手に入れろと。

 

 ――男の土俵で戦ったら、女は男に勝てない。

 

 未だに自分が男だと思いたい気持ちは抜けきっていないけど、俺にはやはり女としての自覚、振る舞いが必要なのだ。

 積み重ねてきたバスケの成果が「そう」なのだから、単に理屈で言われるよりは納得できる。

 

「そうか」

 

 諏訪は頷いて、

 

「じゃ、お前との勝負はこれで最後でいいや」

「……勝ち逃げ?」

「勝手にそう思ってろよ」

 

 実質的に自分の勝ちだからもう必要ない、ということか。

 ずるいが仕方ない。

 どうしても、ちゃんと諏訪に勝ちたいなら、今度は俺の方から挑むしかないだろう。

 

「じゃあな」

 

 言って、諏訪は一歩下がった。

 しゃくり上げる鳳の頭にぽんと手を置いて「行くぞ」と声をかけると、二人してどこかに歩いていった。

 鳳の様子が気になるけど、まあ諏訪なら上手くフォローするだろう。ぶっちゃけ傍にいるだけで物凄い効果ありそうだ。

 俺は、二人の背中が見えなくなるまで見送った。

 

 ようやく諏訪達が視界から消えた後、葵が。

 

「翔子。バスケ、これからもやるよね?」

「……もちろん」

 

 振り返って頷く。

 

「続けるよ。私、バスケが好きだから」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 後日。

 本人から聞いたところによると、鳳はあの後、諏訪から告白されたらしい。

 告白といっても非常にぶっきらぼうなものだが。

 

『なあ。俺と付き合うか?』

 

 泣いているところにそう言われた鳳は、まさか夢かと思ったらしい。

 目をごしごし擦った後「もう一回言って」とねだり、諏訪を辟易させた挙句に再度、同じ言葉を引き出した。

 

『ごめんねカズ君』

 

 で、振った。

 え、なんで? お前そのためにバスケやってたんだよね? と俺は思った。後で昴や葵に話すと二人も似たような反応をしていた。そりゃそうだ。

 なんで振ったのかといえば。

 

『今の私がカズ君と付き合えるわけないでしょ』

 

 とのこと。よくわからない。

 まさか、バスケに負けたのが悔しいからって痛恨の判断ミスをしたのか。と、実際にはもうちょとオブラートに包んで言ってみたところ、返ってきた答えは「あんたのせい」というものだった。

 なんで俺のせいになるのか。解せぬ。

 まあ、どうやら、葵はともかく俺に勝てないようじゃ諏訪に釣り合わないと思ったらしい。振り向いてもらうためにあらゆる努力をしてきたつもりだが、あの勝負でまだまだ足りないと痛感した、と。やっぱり判断ミスじゃないかと思ったが怖いので言わなかった。

 

 それが鳳の判断なら仕方ない。

 

 俺は何も言わないことにして、彼女に一つのお願いをした。

 

『私と友達になって欲しい』

『馬鹿じゃないの?』

 

 鳳の返事は身も蓋も無かったが、その後にはしっかりと「好きにしなさいよ」という言葉がついてきた。

 祥と呼ぶと恥ずかしそうに目を逸らすあたり、やっぱりこいつにはツンデレの気があると確信する俺だった。




幾つか閑話気味の話を投稿後、時間が大きく吹っ飛ぶ予定です。


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【閑話】翔子と作文

『将来の夢』

 

 そんなお題の作文が宿題として課せられたのは、二学期が始まって一週間が過ぎた頃のことだった。

 どうやら学年共通の課題であるらしく、クラスの違うさつきや多恵、祥に聞いてみたところ「あれ、どうしたもんか」といった反応が返ってくる。

 かくなるうえは。

 学校帰り、手頃な公園に寄り道した俺達はちょっとした作戦会議と洒落混む。

 

「っていうか小学生みたいな宿題だよなー」

「弊社としてはクライアントの要望レベルにがっかりであります」

 

 真っ先に愚痴をこぼしたのは、やはりさつきと多恵。

 達観したところのある祥が即座に駄目だしする。

 

「もっと面倒なお題出されたかったわけ?」

「……っていうか、中学生になったからこそ出されたんじゃないかなあ」

 

 俺は何の気なしに話に加わる。

 そもそも、作文というのは大抵、なにかしら明確な目的があって出されるものだ。今回で言えば、生徒達の意識調査を行いつつ発破をかけることだろうか。

 いつまでも小学生と同じつもりでいるなよ、と。

 なので、書くべきは「なれたらいいな」ではなく「なりたい!」。自分が本当にそうなる、という前提で想像し、なりたいと思ったことを書くべき。

 なりたいと思った動機があればなおよし。

 必要な資格だの進むべき学部だのに関しては中三か高校生あたりになってからていいだろうけど。

 

「……? みんな、どうかした?」

「いや、翔子がそんなこと考えてるとは思わなかったっていうか」

 

 葵の返答に若干へこんだ。

 

「心外」

「あはは、ごめんごめん。……じゃあ、翔子は将来何になりたいの?」

「ラノベ作家」

「………」

「………」

「台無しじゃねーか!」

「冗談」

 

 それはまあ、憧れはするけど、なれるとは思わないし続けられる気もしない。

 話題逸らしとして、今いない人物の名前を出す。

 

「昴はプロなのかな」

「あはは、かもね。……私は、インストラクターとかかなあ」

「専業主婦じゃないんだ」

「な、ななな、何言って……!? それこそ小学生みたいじゃない!」

 

 わかりやすく取り乱す葵。別に誰とくっつくとか言ったわけじゃないんだけど。

 さつきと多恵が不気味な笑みを浮かべ、祥が「はいはい」とばかりに肩を竦める。このままだと葵がからかわれて話がぶっ飛びそうなので誘導する。

 

「さつきと多恵は夢、ない?」

「宝くじで億万長者」

「有明の女王」

 

 ないな。

 自分に水を向けられた途端にこれである。まあ、夢といえば夢ではあるけど。

 

「そんな大層な夢とかねーよ。っていうか翔子だって答えてないし」

「つるみんの回答に興味津々であります!」

「私も大した夢はない」

 

 強いてひねり出すのであれば。

 

「……そう、私は教師になりたい」

「お?」

「ほえ?」

「というのも、小学校の担任の先生には()()()()()()()()()。なので、()()()()()()()生徒を導いていける立派な教師になりたい。友人の従姉妹に教育学部に行っている人がいて、その人からも影響を受けた。私は芸術系の科目が苦手なのと、中学校の部活動に大変感銘を受けたので、できれば中学校の先生になり、バスケットボール部の顧問がしたい」

 

 目を丸くしたさつき達を前にぺらぺらと喋ってみる。

 

「……とか。実体験を交えつつ言っておくと教師受けがいい」

「作り話かよ!」

「感心して聞いたのが馬鹿みたいだよぉ!」

「あはは、私も、あんまり真に迫ってたからびっくりしちゃった。だって、翔子の担任だった先生って……」

「反面教師」

 

 ふっと笑うと、さつきと多恵が揃ってプロレス技をかけにきた。

 ちょっと苦しい。だけど、笑ってじゃれ合える範囲だ。これが葵や美星姐さん相手だったら全力で抵抗しないといけないけど。

 その葵が俺達の格好に笑いながら呟く。

 

「……や、でも参考になったわ。嘘も方便というか」

「嘘にならない範囲で脚色するのがコツ」

「おい翔子。そのテクニックで後二つ文章を考えてくれ」

「さもないとくすぐり地獄の刑だよお」

「駄目。さつき達のは洒落にならない」

 

 格闘技なら怖くないが、逆にそういうのは得意なんだよな……。

 必死に身をよじって逃れた俺がダッシュで逃げ出すと、さつき達は笑いながら追いかけてくる。それを見ていた鳳がジト目で言った。

 

「はしゃぎすぎよ、馬鹿」

「祥、助けて」

「って、こっち来ないでよ馬鹿!」

 

 きゃーきゃー騒いでいる横を道行く人が「なんだ?」といった様子で通り過ぎていく。

 徐々に冷静になった俺達はやりすぎたと反省。

 まあ、喉元過ぎればまた繰り返すんだろうけど。

 

 ――結構、女子中学生できてるかな?

 

 帰り道。

 さつき、多恵、葵と別れた後、祥と二人きりになった。

 このパターンは珍しい。俺の下校ルートはあまり定まっておらず、葵と一緒に昴の家へ寄ることもあれば、さつきか多恵の家で駄弁ることもあるし、自宅へ直帰することもある。その基準は下校時の話の流れだ。

 今日の場合は、祥がなんだか話し足りなさそうだったため。

 その割に口を開いてくれない友人を見て、俺はこちらから尋ねる。

 

「祥は将来の夢、ない?」

「……ないわ」

 

 少女は足を止めぬまま、少し間を置いてから答えた。

 

「小学校の頃はあったけど」

「初耳。何に?」

「アイドルよ。歌って踊ってきらきら輝く、女の子」

「………」

 

 つい言葉を失った俺を祥が横目で見た。

 

「笑っていいわよ」

「別に笑わない。けど、意外だった」

「ま、私じゃ無理よね」

「そうじゃない。私に話してくれたのが、意外」

 

 プライドが高くて負けず嫌いで、そのくせ自分を低く見ている節がある。

 あの場でさつき達に明かさなかったのは恥ずかしいからだろう。

 

「……あんたは、笑っても人に言いふらさないでしょ」

「それは、もちろん」

 

 みんなに知られたくないことなんて誰にでもある。

 俺だって前世で男やってたことは知られたくないわけで、その辺の機微はわかっているつもりだ。

 頷くと、祥は小さく笑みを浮かべた。

 可愛いと率直に思う。祥の長い髪、清楚系に見える外見が俺の好みだというのもあるが、それを差し引いても彼女にはオーラがある。

 

「今からでも遅くないと思うけど」

 

 秋葉原を拠点とするアイドルグループもある。……まあ、あれが大ブレイクすることは俺しか知らないわけだけど。

 ネットアイドル、ユーチューバーの系譜も含めれば「アイドル」の間口は十分に存在している。

 年々低年齢化が進んでいるようではあるものの、一昔前は高校時代にスカウトなんていうのも珍しくなかったらしい。中一で遅いということもあるまい。

 

 けれど、祥は髪をかき上げて答える。

 

「いいの。……他にやりたいこともできたし」

「バスケ?」

 

 まさかとは思ったが。

 

「悪い?」

 

 返ってきた答えは肯定だった。

 悪くはない。けど、それこそ意外だ。彼女がそこまでの熱意をもって部活に臨んでいたとは。運動部なんて肌が荒れるし疲れるし、余計な筋肉がつくしでアイドルからは程遠いはず。

 俺に対抗してとか、諏訪と話を合わせたいから、じゃなかったのか。

 

 と、隣の少女は苦笑。

 

「最初は適当なところで止めるつもりだった。カズ君に見てもらえるし、あんたにもすぐ勝てると思ってた。……でも、先輩達のあんな顔見て、適当になんかできない」

 

 そうか。

 祥も、三年生の無念を感じてくれていたのだ。

 悔しいと。

 自分達がいるうちに負の記録を打開したいと。

 

 考えてみれば、プールの後のあの勝負であんなに悔しそうにしていた祥が、バスケに本気じゃないはずがない。

 昴や葵だけじゃなく、彼女もまた俺の仲間でライバルだ。

 

「そっか」

「そうよ」

 

 短く答えたのが気に食わなかったのか、ジト目でじろりと睨まれた。

 

 ――そういうつもりじゃなかったんだけど。

 

 俺は苦笑し、何かしら弁解しようと頭を巡らせた。

 

「祥は頭がいい」

「? 馬鹿にしてるわけ」

「違う」

 

 成績は俺の方がいいけど、頭の良さとは学力だけを指すわけじゃない。

 

「私は応用が苦手。やったことあることしか上手くできない。……でも、祥は考えたり、情報を集めたりするのが得意。違う?」

「……なんて言えばいいのよ」

 

 仏頂面である。

 確かに、得意ですとか自分から言いづらいか。

 

「昴もそう。あいつは見かけによらずバスケは理論派」

「……滅茶苦茶、感覚で動いてそうなんだけど」

 

 うん、俺もそう思う。

 でも、昴がそう見えるのは多分、バスケのことしか考えていないからだ。下手すると日常生活すら放り投げる奴だから抜けてそうに見える。だけど裏返せば、そうまでして考え続けたことで蓄積したアイデアがある。寝る間を惜しんで本や動画から得た知識がある。

 実戦ではそれをほいほい引き出しから持ってくるから、感覚でやっているように見えるんじゃないか。

 

「あいつもガード向きだから参考になると思う」

「長谷川、ね……」

 

 小さな呟きは気乗りしない風ではあったが、積極的に嫌がっている雰囲気はない。

 

「大丈夫。昴と付き合えとか言ってるわけじゃない」

「当たり前でしょ馬鹿じゃないの!?」

 

 物凄く早口で言われた!

 

「……諏訪のこと、まだ好きなんだ?」

「もちろん」

 

 即座に頷く彼女。

 ただ、表情には僅かな翳りが見られた。

 

「私はカズ君が好き。……あの時のことは、また別。あんたに一対一で勝ってから、もう一回カズ君に告白する」

「祥は不器用」

「知ってるわよ、そんなこと。一年以上前からね」

 

 一年以上か。

 思えば、祥と深く関わるようになってから長い時間が過ぎている。友達になることができたのはほんの一か月半くらい前だけど。

 高校生になる頃には幼馴染と呼べる関係になっていることだろう。

 

 ――遠いようで、あっという間に過ぎてしまう気もする。

 

 一回目の青春もそうだった。

 過ぎてから大切だったと気づいた。きっと今の時間はそういうものだ。

 俺達はまた沈黙を保ったまま歩き、やがて、これ以上進めばどっちにとっても致命的な遠回りという地点に辿りつく。

 

「ねえ」

 

 だから、祥は立ち止まって俺に告げた。

 

「あんたがカズ君と付き合いたいなら好きにしなさいよ」

「……私が?」

 

 俺は笑って首を振った。

 

「冗談。私は諏訪なんか眼中にない」

「うん、わかった。やっぱりあんたは絶対倒す」

 

 恋敵は少ない方がいいだろうに、祥は瞳に怒りを燃やしていた。

 かすかに肩を揺らしながら足早に去っていく少女を見送り、俺も一息ついてから踵を返す。

 

 帰ったら色々やらなくちゃいけない。

 宿題、風呂での肌と髪の手入れ、風呂上がりに牛乳を飲んでから柔軟体操をして、夕飯はカロリーと栄養に気をつけつつお腹いっぱい食べる。

 立っている時も座っている時も、バランスの悪い姿勢はできるだけ控える。

 作文の提出期限はまだ余裕があるものの、早めに終わらせておくに越したことはなく、でも夜は早めに寝ないと身体に悪い。

 

 ――なんか、挙げていくと凄く面倒臭い。

 

 夏休み頃から日々の日課が増えた。

 どこかの誰かを見習ってみた結果だが、お陰でやることが倍増した。これでも彼女がやっているよりは大分マシなのだから、ちょっと尊敬したくなる。

 そう。鳳祥という少女は綺麗で、芯が強く、頭が良い完璧超人だ。

 それが俺みたいなのと張り合っているんだから、世の中分からないものである。

 

 でも、俺だってただで負けるつもりはない。

 

 祥にも昴にも葵にも、もちろん諏訪にだって負けないように。

 大会で勝てるくらい強くなれるように頑張りたい。

 

 気づけば、家を目出す俺の足は少しだけ早くなっていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 ちなみに。

 小論文やら就職面接のノウハウを逆輸入した俺の作文は先生方から高評価を受けた。ちょっと優等生的な文章になりすぎたせいか、クラスメートからの受けが良かったのはむしろ昴や葵の作文だったけど。

 

 祥は堂々と「専業主婦」と書いた上で、将来子を育て家を守るためのノウハウを十分以上に身に着けるため大学か専門学校に進みたい、と斜め上のパフォーマンスを見せたらしい。

 彼女の想い人は多くの生徒に周知のため、諏訪は四方八方からのからかいに難儀していた。

 

 そして。

 悪い意味で斜め上だったのはさつきと多恵である。

 

「なんでだよ翔子! 言われた通りやったのに!」

「弊社達の評価がストップ安だよぉ!」

 

 作文発表の時間の後、二人に泣きつかれた俺だったが、なんというか。

 

「順当」

 

 公園で俺が言ったことそのまま書いたらそれは、そうなる。

 オリジナルが俺なのは先生方で付き合わせればすぐわかるだろうし、そもそもさつきと多恵は同じクラスなので同じ作文を発表したらバレバレである。

 結果、二人の評価は「もう少し頑張りましょう」。

 

 まあでも、俺が言うのもなんだけど、進路を早め早めに決めさせようとあまり子供を急がせすぎな教育現場にも問題があるんじゃないだろうか。

 さつき達にはああ言ったし、半分くらいは誇張であるものの、残り半分は本気で作文を書いた俺は、ちょっと分不相応な不満を抱いたのだった。



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【閑話】翔子とバレンタイン

「そろそろチョコの季節だなー」

 

 とある昼休み。

 さつきと多恵が教室にやってきたかと思ったら、唐突にそんな話題を出された。

 カレンダーが一月から二月に切り替わった、そんな頃。

 そこにチョコレートとくればその意味は一つしかない。

 

「なんだよ、くれるのか?」

 

 今日も今日とて、昴とバスケの話に興じていた諏訪がこちらを振り返って尋ねる。

 

「や、あちしは貰う専門」

「威張るなよ……」

「弊社はクラスと女バス全員にチロルチョコを配る所存であります!」

「おい長谷川、女バスってのはあんなんばっかりなのか」

 

 胸を張ったさつきと、対抗して同じポーズをする多恵。

 げんなりした諏訪は昴に話を振る。

 バスケ以外に関しては基本温厚な親友は、どこか七夕さんに似た表情でのほほんと答えた。

 

「そんなことないぞ。翔子はちゃんとしたチョコくれたし」

「ダウト」

 

 ちらりと俺を一瞥しただけで嘘と断定しやがった。

 

「どういう意味か詳しく聞きたいんだけど」

「去年の話だろ? だったら小六だ。お前にそんな器用なことできるかっての」

「失礼な。私だって料理とかお菓子作りくらいするし」

 

 心外だと睨み返してやる。

 隣にいた葵が苦笑しつつもフォローしてくれた。

 

「諏訪くん、本当だよ。去年もらった翔子のチョコ、美味しかった」

「葵と昴だけだよね、私を褒めてくれるのは」

 

 わざとらしく手を握って見上げると、葵は照れくさそうに目を逸らした。

 

「ちょっと待て翔子! あちし達もちゃんと褒めるぞ!」

「そうだそうだー!」

「ん、大丈夫。さつき達にもちゃんと作るから」

「……おい、本当に食えるものができるんだろうな」

 

 歓声を上げるさつき達をよそに、なおも不審そうな諏訪。

 まあ、そりゃ、去年手作りを渡したのは親しい友人だけ。後は市販のチョコで誤魔化したけど。そのせいで「お菓子も作れない」と思われるのは納得いかない。

 かくなる上は仕方ない。

 

「それなら諏訪にも作ってくるから確かめればいいよ」

「……ん。まあ、くれるんなら食うけど」

 

 眉を顰めた上で小さな返答。

 わざわざ作ってくるって言ってるのにひどい態度である。

 

「あはは、諏訪くん。食べたいなら素直に言えばいいのに」

「おい荻山、言っていいことと悪いことがあるぞ」

「そうだよ葵、こいつは私に喧嘩売りたいだけだってば」

「こういう時は仲良いよな、二人とも」

「「よくない!」」

 

 ハモった。

 さつきと多恵がけらけらと笑いだし、葵まで笑いを堪え始める。くそ、昴が変なこと言うからだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 とまあ、そんなことがあってからはや一週間ちょっと。

 早くもバレンタイン前日である。

 

 近所のスーパーで材料を買い求めた俺は葵の家へ向かった。チャイムを鳴らし、葵のお母さんに挨拶をしてから家にあがらせてもらう。

 葵は台所に調理器具を準備し、汚れてもいいラフな格好で待っていた。

 

「やっほ、翔子」

「お待たせ、葵」

 

 どうせ作るなら一緒に作ろうという話になったのだ。

 その方が材料も有効活用できるし、道具の片付けも分担できるから楽ができる。

 あらかじめ用意したエプロンをつけ、きちんと手を洗って準備万端。手伝おうか? と葵のお母さんが申し出てくれたものの、葵が「いいからテレビでも見てて」と追い返した。親の手を借りずに作りたいのだろう。

 その方が気持ちが籠もるというのはなんとなくわかる。

 

「どんなの作るの?」

「普通が一番かなって思ってる」

「というと、チョコを溶かして固めるだけ?」

「うん。後は甘さを調節したり、トッピングするくらい」

 

 そう答えると葵は微妙に浮かない顔。

 

「不満?」

「や、そうじゃないけど。どうせなら美味しくしたいなって」

「葵。シンプルだから美味しくないっていうのは間違いだよ」

 

 俺は彼女を振り返ると指を立てて言った。

 

「本格的に作ったチョコはもちろん美味しい。でも、私達にはそこまでの腕はない。その場合、変化をつけようとして余計なことをするのが一番まずい。普通のものを普通に作れば、普通に美味しいものが出来上がるんだから、それで十分。いや、それでも十分難しい……って言った方がいいかな」

 

 一般的な手作りチョコは市販の板チョコを溶かして固める。

 一度出来上がったものを溶かした時点で味が落ちるのは確定しているわけだ。もちろんアレンジで補うことはできるけど、それにはある程度の経験がいる。

 中一でそこまで行くのは無謀だろう。どうしてもというなら毎年ステップアップしていけばいい。

 幸い、俺の説明で葵も納得してくれた。

 こくんと頷いた少女は小さく微笑む。

 

「そっか、バスケと一緒ね。基本が一番難しい」

「そうかも」

 

 ドリブルしながらフェイントかけて突っ込む、という動作一つとっても、プロと学生じゃ天地の差が出るからな……。

 昴や葵が集めている動画を見てると「何これ人間?」ってなるし。

 

「偉そうなこと言ったけど、簡単なアレンジならしてもいいと思う。中に何か入れるとか」

「んー……フルーツとか?」

「うん。生物は日持ちしないから注意だけど」

 

 チョコの熱が伝わらないよう、入れるタイミングにも注意が必要だ。

 

「翔子、お菓子作り得意よね」

「私的には料理の方が難しい」

 

 よく言われることだけど、お菓子作りは化学だ。

 レシピの分量や手順には意味があり、安易にそこから外れると大きな失敗を招く。さすがに爆発したりはしないが、例えばケーキなら膨らまなかったりとかがありえる。目分量に頼らず逐一量ってから使うとか、そういう基本的なことさえ守ればそれなりのものができあがる。

 料理の方は、そもそもレシピの時点で「塩少々」とか書いてあるのが厄介だ。ちょっとの差で結構味が変わったりするのでセンスが問われる。

 葵は料理の方が得意だ。たまにお母さんの料理を手伝ったりするらしく、調理実習ではちゃんと見栄えのするものを作っていた。

 

 俺も、不規則な仕事をしている両親の代わりに料理をするが、どうも大雑把になりがちだ。

 食べられれば問題なかろうという男心理が働くらしい。

 お菓子なら作れるのでマインドセットの問題なんだろうけど。

 

「よし、じゃあリンゴとか入れてみようかな……」

「私は柿ピーに挑戦してみようかと」

「何そ――あ、ううん、そういうのもアリなのか」

 

 コーティングするより中入れた方が楽だからなあ。

 

 などと言いつつ板チョコを溶かし、型に流し込んでいく。

 型は幾つか買ってきた中から葵がやや大きめのものを、俺は数を作るために小さめのものをチョイス。全部に柿ピーを入れるとスイーツ感薄くなるのでプレーンのものも用意。プレーンにだけカラフルなふりかけみたいな奴を振っておけばわかりやすいだろう。

 型に流し込んで余熱が取れるのを待ち、フルーツや柿ピーを投入。

 冷蔵庫に入れて待てば、

 

「完成!」

 

 待ちきれずに何度か冷蔵庫を開けてしまい、葵のお母さんから注意されたりしつつ。

 固まったチョコを見て葵と二人、微笑みあった。

 

 昴に諏訪にさつきに多恵、祥に部活のみんな。渡す人を指折り数えつつ、一つ一つラッピング袋に入れ、可愛いリボンで封をしたりして。

 手作業故の不格好は致し方ないとして、なかなか良い感じに仕上がった。

 余りが出た分は葵のお母さんも交えて三人で味見。普通にチョコだった。個人的には葵のフルーツ入りが酸味も入って美味しいと思う。

 

「さすが葵。センスある」

「私は翔子の柿ピーも好きだけどな。幾つでも食べられそう」

「食べ過ぎると太りそうだけどね」

 

 言いつつ、ついつい手が出てしまう。

 転生して以来、甘いものへの興味が増した気がする。チョコや果物、ケーキ等々を食べると意識せず顔が綻ぶ。まさかこれも女子の習性なのか。

 男に比べ脂肪がつきやすい女子に「甘いもの好き」などという習性を与えるとは、神様もなかなか鬼畜である。

 

「これで、後は渡すだけかあ」

 

 一仕事終えた気分。

 バレンタインは元々、チョコを売るためのお菓子会社の陰謀だと聞く。商売のために人類の半数へ年イチの労働を課すとは許すまじ。

 いや、ホワイトデーとかいうのもあるから男女平等にはなってるのか?

 お返しもマシュマロやクッキーだったりするから余計に太るという説もあるけど……と。

 

「葵、どうかした?」

 

 気づくと親友が微妙な顔をして固まっていた。

 さっきまではそんなことなかったはずだ。そう、俺が「後は渡すだけ」と言ったあたりまでは。

 

「あ、あはは。ね、翔子。お願いがあるんだけど」

「……あー」

 

 引きつった笑みを浮かべてこっちを見る葵。

 なんとなく見覚えがあるなと記憶を探ると、ちょうど去年の今頃に見た顔だった。

 我ながら情けないと自嘲しつつも後には引けない、といった表情。

 

 ――やっぱり駄目か。

 

 実は去年、俺は昴に「二種類のチョコ」を渡していたりする。

 昴もそこまでは言っていなかったが、彼の感想が好意的だったのはそのせいもあったりするかもしれない。味がちょっと違うから飽きにくかっただろうし。

 ちらちらと、俺と自作チョコへ交互に視線を送る葵に、頷いてみせる。

 

「わかった。葵に手伝って貰ったってことでまとめて渡す」

「っ! ……いいの?」

 

 ぱっと表情を輝かせた後、恐る恐る聞いてくる葵。

 その顔、凄くいじらしくて可愛いということを本人は自覚しているのやら。

 

「別に渡す手間は変わらないし。むしろ、葵の手柄を横取りしちゃうことになるから悪いくらい」

「いいのいいの、それは気にしないで! 私は主に試食と場所の提供をしたって言っておくから!」

 

 などとヘタレた宣言をしつつも、葵は笑顔だった。

 無事にチョコが渡るのが嬉しいのだ。

 まったくしょうがないなあ、と、葵のお母さんと顔を見合わせて笑い合ってしまった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「昴、諏訪。約束のもの持ってきたから」

 

 翌日、俺は登校するなり昴達へチョコを渡した。

 女子のはしくれとしてイベントには参加するが、無駄に勿体ぶる気はない。

 チョコは葵の家の冷蔵庫で一晩寝かせてもらい、行きがけに立ち寄って保冷バッグで運んだ。二月だし、フルーツ入りもまだまだ美味しく食べられるはず。

 それぞれの前に二つずつ包みを置くと、昴は笑みを浮かべ、諏訪は怪訝そうな顔をする。

 

「今年も二つあるのか」

「ってことは去年もかよ。……片方は失敗作か?」

「別にそういうわけじゃない。趣向が違うから分けただけ。葵にもちょっと手伝ってもらったから、二人分だと思えばいい」

 

 当の葵はちょっと離れたところからちらちらこっちを見ている。

 心配しなくても、昴は素直な感想をくれるだろう。

 

「お、美味い。このリンゴが入ったのいいな」

 

 案の定、チョコを口に入れるなり笑顔を浮かべた。

 直後、葵がぷいっとそっぽを向いたので、どうやらちゃんと聞こえていた模様。今、顔を覗き込めば、ニヤニヤしている姿が拝めることだろう。

 と、昴に続いて諏訪もチョコを口に。昴に毒見させやがったなこいつ。

 

「……へえ」

 

 一言呟いた後、続けて口に放り込んだところを見ると気に入ったらしい。

 

「参ったか」

「はあ? 別にチョコ作ったくらいで何勝ち誇ってんだよ」

「へえ。なら一か月後にやってみせてくれると」

「馬鹿じゃねえの。男がそんなことするかよ。……ま、この柿ピーが入ったやつはもっと欲しいくらいだけど」

 

 タダで食い物貰っておいてなんだその態度は。

 と、前半の言葉に憤っていた俺は、諏訪の言葉の後半を碌に聞いていなかった。

 

 ふん、と顔を背けた俺は葵の机に近寄り、彼女のところにも一つだけ包みを置く。

 

「はい、葵にも。昨日試食してもらったけど」

「あ……。うん、ありがと」

 

 まだ喜びが収まっていないのか、はにかんだ笑みのまま、葵はチョコの包みを両手で包み込んだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 クラスのみんなには大きな包みを用意し、早い者勝ちで回してもらった。

 女バスのみんなにも同じ感じ。さつきと多恵、祥にだけは個別に用意したけど。さつきは包みを差し出すなり高速で(ただし丁寧に)かっさらっていき、多恵は逆に恭しく拝みながら受け取ってくれた。祥は顔を背けながら小さく「……ありがと」とだけ。

 多恵のチロルチョコほか、何人かの女子からはお返しというかお裾分けもあった。もちろん義理だと言われたが当然そんなことはわかっている。

 意外だったのは祥もチョコを用意していたことだ。市販のちょっと高いやつ(中学生基準)だった。

 

 貰ったチョコは夕食のデザートとして有難くいただいた。

 お供のドリンクはホットコーヒーである。舌が幼くなっているため、普段は砂糖を入れて飲んでいるものの、甘いチョコと一緒ならブラックで十分。

 食べきった時には満足の吐息と共に「もうしばらく甘いものはいいかも」と思った。

 

 と言いつつ、たぶん一週間もすれば普通に食べるだろうけど。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そして、俺はまだ知らない。

 来年、再来年は後輩からのチョコが殺到し、食べる量が今年の比ではなくなることに。

 また、なんだかんだ言いつつも、自分がそれを完食してしまうということを。

 

 バスケやってなかったらカロリーの消費に困っていたところである。



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【閑話】翔子と後輩

「……じゃ、今度は本当にお別れ」

 

 あっさりと。

 元部長を含む三年生は桐原中を卒業していった。

 

 進学先はバラバラ。

 高校でもバスケをやるのかと尋ねると、返ってきた答えは「遊びでなら」というものだった。

 下手だから、と。

 元部長は歯に衣着せずに言っていた。よりきつくなる高校バスケの練習についていくより、他の夢を目指す方が現実的だと。

 他のみんなも似たような意見。

 

 間違ってはいない。

 何も、バスケの楽しみ方は部活でやるだけじゃない。週一や月一、季節に一回集まって遊ぶだけだって、立派な、何一つ劣ることのない楽しみ方の一つだ。

 だから、先輩達は笑っていた。

 

 俺達がわんわん泣いたせいで次々にもらい泣きしていたけど。

 

 俺も、自分があんなに泣けるのだと初めて知った。

 前々から感情の紐が緩くなっているとは思っていたのが、まさかあれほどとは。将来、先輩方と再会することがあれば徹底的にからかわれるとみていい。

 

「翔子、頼んだからね」

「はい」

 

 涙を必死に拭いながら、俺は鼻声で答えた。

 そして。

 

 去る者がいれば新たにやってくる者もいる。

 三年生が卒業を迎えたということは、在校生は進級し、新入生が入ってくる。

 来る、のだけれど。

 

「……実感湧かない」

 

 相変わらず節操なく本の置かれた多恵の部屋で、俺は愚痴をこぼした。

 さつきと多恵、それに俺というよくある面子。

 いつものグループ内での漫画好き度は「多恵>俺>さつき>葵>祥」といった具合なので、残りの二人はあまりここへ寄り付かない。

 なお、昴と諏訪は誘っても「身の危険を感じる」と言って断ってくる。

 良くも悪くも何をするかわからない二人が揃っているので、正直、正解だろう。

 

「珍しいな、翔子がそんなに弱気とか」

「そうかな?」

 

 首を傾げると、多恵も薄い本から顔を上げて笑う。

 

「こういう時は大抵、つるみんの蘊蓄が炸裂するからねぇ」

「蘊蓄……」

 

 確かに身に覚えはある。

 何気なく経験則を語っただけのつもりだったが、いつのまにか恒例みたいに扱われていたらしい。まずい。周囲から「激寒蘊蓄ガール」みたいな扱いにされたら死ぬしかない。

 今後は気をつけようと思いつつ、多恵に反論する。

 

「私だって苦手なことはある」

「別に大したことじゃないだろ。新しい部員が入ってくるってだけで。なあショージ」

「そうだよねぇゾノ」

「二人とはコミュ力が違うから」

 

 練習試合とか地区予選で知り合った他校の友達が何人もいるんだぞ、信じられるか?

 新しく友達を作るのが苦手な俺としては信じられない。

 と、さつきと多恵は顔を見合わせる。

 

「葵ちんはむしろ、どんな子がくるのかわくわくしてたけどねぇ」

「私だって楽しみだけど、それ以上に不安なわけで」

 

 どういうわけか、この不安をわかってくれる人が少ない。

 祥は祥で「そんなの、なるようにしかならないでしょ」と一刀両断してくるし。あいつ絶対、心の中では不安がってると思うのだが。

 

 ――新入生。つまり後輩。

 

 祥の言う通り、どんな子が来るかは蓋を開けてみなければわからない。

 だからこそ期待と不安が入り混じる。

 

「たくさん入ってくれるといいなとか、一人も来なかったらどうしようとか。ない?」

「ないとは言わねーけどな」

 

 さつきが肩を竦めて言った。

 

「一人も来ないとかはねーだろ。去年より二、三人少ないくらいじゃねーの」

「つるみんは考えすぎだよお。リラックスしてこ」

「……ん」

 

 俺は曖昧に返事をしつつ笑みを浮かべる。

 そんなこんなで、あっという間に数日が過ぎ、俺達は入学式の日を迎えていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 在校生は先に体育館へ入場し、新入生を拍手で迎える。

 先輩達がいた位置にいると思うと妙な気分になる。去年、入場した俺は一年の差を非常に大きく感じたが、果たして自分はそこまで成長できているのか。

 せめて姿勢を正し、表情を整えて待つ。

 

 ――やがて、新入生が入場してきた。

 

 整列し、一定の歩調で歩く彼や彼女達。

 真新しい制服に身を包み、どこか緊張した面持ちで肩肘を張っている。

 

「可愛い」

 

 誰かが小さく呟くのが聞こえた。

 ついつい「なるほど確かに」などと思ってしまった。自分では大して変わった気がしないが、この一年で中学校生活に慣れたことだけは間違いない。

 大人の余裕というのは案外そういうものなのかもしれない。

 

 向こうが緊張してるのを見ると落ち着いてくるから不思議だ。

 気づけば口元には笑みが浮かんでおり、俺は自然と歓迎の拍手を送ることができた。

 

「あー、緊張した」

「葵がそんなに緊張してたなんて、意外」

「翔子こそ、何で落ち着いてるの」

 

 式が終わったら態度が入れ替わってしまった。

 葵と頬の引っ張り合いなどをしつつ、自分達が上級生になったことを噛みしめる。

 

「とりあえず入学式は終わったね」

「部活紹介は先輩達がやってくれるから、次は体験入部か」

 

 幕は上がった。

 部員募集のポスターはみんなで手分けして作り、校内のめぼしいところに貼ってある。後は時が来るのを待つしかない。

 

 

 

 

 

 帰りのホームルームが終わると、俺は急いで体育館へ向かった。

 速攻で来たせいか、先に来て待っている一年生とは出会わなかった。更衣室で着替えをしていると他の部員達も集まってくる。

 やや遅めに到着した祥に「来てる?」と尋ねると彼女は頷いた。

 

「三人」

「……そっか」

 

 ちょっと少ないかな、と感じた。

 すると、着替えを終えた葵に肩を叩かれる。

 

「そんな顔しないの。まずは来てくれた子達に『楽しかった』って思ってもらわないと」

「ん、了解」

 

 葵の言う通りだ。

 宣伝のために口コミを狙うのも必要なこと、と思考を切り替え笑顔を作る。上級生が浮かない表情では下級生が楽しめない。

 

「よし、行こう!」

「はいっ!」

 

 部長の号令にみんなで返事をし、更衣室を出た。

 プレッシャーを与えないようにそっと盗み見ると、祥の言った通り三人、女の子が体育館の隅に固まっていた。体操着用のバッグを持っているので体験希望で間違いない。

 身長は、あまり大きくない。

 でも、数ある部活の中からバスケ部を一番に選んでくれた子達。期待を裏切るわけにはいかない、とより強く気合いを入れた。

 

「来てくれてありがとう。ここは女子バスケ部だけど、間違いない?」

「はいっ」

「良かった。それじゃあ、まず簡単にどんな部活か説明するね」

 

 基本的な流れに沿って部活説明が行われる。

 俺達にとっては慣れ親しんだ内容。しかし、新入生にとっては全てが新しい。彼女達は神妙な顔つきで、時折、頷いたりしながら聞いていた。

 ちょっと緊張しすぎな気もするけど……。

 目が合った子ににっこり微笑んでみる。すると、ぷいっと目を逸らされてしまった。緊張を解そうとしたんだけど失敗したかもしれない。

 

 説明の後は更衣室で着替えてもらい、体験を開始。

 

 三人はほぼバスケ未経験。授業で少しやった程度で部活にも所属していなかったらしい。

 小学校で女子のバスケ部があるところは多くない。興味はあったものの、バスケゴールや仲間を探すのが大変で今まであまりできなかったという。

 バスケのゴールは「高さ」が重要なのでエアバスケもなかなか難しい。一人がゴール役になるポートボールなんて球技もあるけど。

 

「とりあえず、ボール触ってみよっか」

 

 体験会でできることはそう多くない。

 未経験者に高度なことを教えてもついていけないし、単調な練習をしても飽きてしまう。ドリブル、緩いパス、近い位置からのシュートなどを短いサイクルで行っていき、その複合へと移行していくような形を取った。

 当然、サポートには俺達上級生がつく。

 大人数で群がっても怖がられるので新入生一人に対して上級生一人ずつ。サポートに入るメンバーはローテーションになった。なので、新入生の子と言葉を交わす機会は少ない。

 それでも、向こうからすれば数倍の会話量なわけで、結構目まぐるしいだろう。

 

 ドリブルからのシュートや、パスを受けてからのシュートを見守りつつ思う。

 あらためて考えると、元部長達のやり方はかなりちゃんとしたものだった。もちろん、去年のやり方を踏襲している今年もそうだ。

 最初は緊張していた新入生達もみんなから声をかけられながらシュートやパスを成功させていると次第に笑顔になってくる。

 

 ふと気づくと葵がこっちを見ていた。

 なんだかニヤニヤしている。

 

「どうしたの?」

「ううん。ただ……バスケって楽しいなあ、って」

「そうだね」

 

 多分、俺も似たような顔をしていたと思う。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 体験の終わりには試合が組まれていた。

 

「どうする、やってみたい?」

「はいっ」

 

 ここまでで緊張を解してきたお陰か、新入生の三人は元気よく答えてくれる。

 いい子達だと素直に思う。

 経験の有無より一生懸命かどうかが大事だ。悪い意味で適当な子が入ると、それだけで部の雰囲気が悪くなってしまう。

 さつきと多恵も大の練習嫌いだけど、あれはまあ、うん、良い意味で適当だから大丈夫。

 

 ――ともあれ、ここは去年と少し違う。

 

 俺達は事前に、部長から「去年とはやり方を変える」と言われていた。

 元部長達のやり方は凄いと思うけど、全面的に賛成はできないとのこと。代わりとして定められた試合の方法は八百長を省いたもの。

 試合は十分間の五対五。

 選手交代はなしで、新入生チームには部長と副部長の二人が助っ人として組み込まれる。そして、対するは二年生から選抜された五人。

 

「どっちも頑張るんだよぉー」

「一年生は二年生チームを遠慮なく倒していいぞー」

「みんな、部長達は上手いから安心していいわよ」

 

 ……選抜?

 

「さつきと多恵はともかく祥まで入らないとか」

「鶴見さん、私達じゃ不満?」

「そうじゃないけど裏切られた気分?」

 

 答えると、一緒に頑張ってきた部活仲間三人が笑った。

 二年生組では主力とされている五人、去年の体験で試合をしたメンバーのうち、さつきと多恵、祥がまさかの不参加である。

 面倒くさいし応援の方が楽しい、と言われただけで説得力があるから困る。

 さつき達の無軌道ムーブは相手を選ぶため一概には言えないものの、総合ポテンシャルとしては落ちているこの人選が仕掛けの一つ。

 

「さ、二年生。本気で来なさい」

「先輩。それは私達を舐めすぎです」

 

 嫌な言い方だが、新入生に俺達の細かい腕はわからない。

 上手い順ならさつき達は外されないとはバレないので、編成の時点で手加減ができるのである。

 その上で、俺と葵は「派手にやれ」と命令されている。

 

「それじゃあひとつ」

「やりますか」

 

 すくすく大きくなっている俺がジャンプボールを取り、チームメイトの一人へボールが渡る。

 部長の指示で一年生の一人がマークしに向かったところで葵にパスが渡る。

 

 ――刹那、一迅の風がコートを駆け抜けた。

 

 奇をてらうことのない速攻。

 ふわりと舞い上がったレイアップシュートがゴールネットに吸い込まれると、一年生から歓声が上がった。葵も心得たもので、にっこりとお礼を返すのを忘れない。

 

「じゃ、こっちの番ね」

 

 ボールを得た部長は副部長へパス。

 その際、ちらりと俺の方を見てくる。今度はこっちの活躍をご所望らしい。

 とはいえ副部長は三年生。積み重ねてきた経験値は俺達を上回っており、一筋縄でいく相手ではない。俺達はアイコンタクトと短い声かけからのダブルチームを敢行。

 紅白戦のメインチームに入れずとも腐らず、練習に励んできたチームメイト達がボール権を奪う。

 

「葵!」

 

 攻撃のチャンスが来れば、当然、頼るべきは主砲。

 

「させないっ!」

 

 と、思うのは当然。

 ダブルチーム、二人以上でのマークが有効と認識した一年生達が()()()葵へのパスコースを阻みにかかる。

 悪い判断ではない。

 見えている情報では葵が圧倒的エースなのだから、それを塞ぐと自分達で判断したのはむしろ凄い。

 

 しかし。

 

「……と、見せかけて翔子!」

「えっ」

 

 バスケはエース一人でやるものではない。

 三人もの選手を葵に割いた結果、マークががら空きになった俺は、とっくの昔にスリーポイントラインで待機している。

 パスも余裕を持って通り、すぐさまシュート体勢に入る俺。

 慌てて駆け寄ってきても遅い。

 

 これで外したら格好悪いことこの上ないけど。

 

「ん……よし」

 

 見栄え重視でジャンプを加えたスリーポイントはうまいことゴールに入ってくれた。

 

「先輩。五点先取しちゃいましたけど」

「あはは、まずいな。これは本気出さないと」

「今まで本気じゃなかったみたいですね」

 

 嬉しそうな顔をしてくれて……。

 宣言通り本気を出した部長、副部長が俺と葵をマークにかかる。今までだって手を抜いていたわけではない。ただ、前情報による対策を行わず、一年生に経験させることを優先していただけだったのだが。

 エースにはエースをぶつけるセオリーを身体で示しにきた。

 

「……く」

 

 こうなると俺達もすんなり優勢とはいかない。

 部長達の攻撃を全部止められるわけではないし、そうなると一年生達も「どこにボールを集めるか」肌で理解してしまう。

 五人でパスを回しつつ、最終的に三年生のどちらかへ回す。

 このやり方が徐々に浸透し、点が向こうに入り始める。

 

 結果は十点差で俺達の勝ち。

 けれど、新入生達は試合の後、笑顔で「楽しかった」と言ってくれた。

 

 しかも、悔しいからリベンジしたいと言った彼女達が友達を連れてきてくれたのだから、部長達の手腕に俺達は舌を巻くことになるのだった。



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翔子と世代交代

「……あはは、負けちゃった。残念」

 

 二年目の夏もすぐに終わった。

 

 計五人の新入生を迎えた桐原中女子バスケ部は、二度の練習試合の後に大会へ臨んだ。新三年生をメインに据え、新二年生を一、二名加えた布陣。都度選手交代を挟むことでスタミナの温存、戦術の切り替えを図る策も上手く機能していたと思う。

 結果、そこそこいい勝負ができたのだが、いかんせん相手が悪かった。

 毎年「優勝候補」として名前が挙げられる有名校。結果的に決勝戦で敗れはしたものの、彼女達もまた十分に強かった。

 

 一回戦敗退。

 

 先輩達も、もちろん俺達だって頑張った。

 それでも、悪しき伝統は打ち破れなかった。

 

「しょうがないから来年に託すよ。みんな、次は必ず勝ってよね!」

 

 試合後の反省会、部長の表情は明るかった。

 悔しくないわけじゃない。試合当日、負けた直後は多くの三年生が泣いていた。みんな勝ちたかったに決まっている。

 けれど、今はもうリベンジに燃えている。

 たとえその場に自分がいなくとも、次回、勝ってくれと。

 

 そのせいだろうか、二年生以下の雰囲気も重苦しくはなかった。

 

 初心者ながらバスケを選んでくれた一年生達。

 五人は試合に出られなかった。にもかかわらず、みんないい表情をしていた。部長が言った通り次の戦いへ思いを馳せているのだろう。

 ぐっと手を握る子や唇を噛んで頷く子。仕草は違えど、勝てなかったからつまらない、なんて表情の子は一人もいない。

 本当に良い子達だ。

 

「……もちろんです!」

 

 部長の言葉に力強く答えたのは葵だ。

 瞳に意志の光を宿し、三年生に頷いてみせる。

 

「ね、みんな?」

 

 そして彼女は俺達――二年生を振り返る。

 笑顔の葵にいち早く、さつきと多恵が明るい声で応えた。

 

「おうよ。あちし達、いいとこまで行ったもんな!」

「来年は勝ちたいよねぇ。練習は嫌いだけど」

 

 多恵が付け加えた言葉に何人かがくすりと笑い、空気が一気に弛緩する。さすがは我が部のムードメーカー達、素なのか計算なのか未だに迷うところがあるけれど、こういう時は本当に凄い。

 勢いに乗るように他のみんなも頷き、あるいは答えて、

 

「約束はできませんけど、できることはやります」

 

 祥の淡々とした返答も照れ隠しとわかる。

 

「……うん」

 

 気づけば、俺が最後の一人になっていた。

 自然とみんなの視線が集まる中、深い頷きを返す。

 

「私も勝ちたい。みんなと笑って、楽しい大会だったって言いたい」

「よし。なら、あんたたちに任せた」

 

 新部長に任命された葵が部長と向かい合い、こつんと拳を合わせる。

 割と男らしいやり方ではあるけれど、それがたまらなく格好いい。

 

 こうして、桐原中女子バスケ部は俺達の代へと受け継がれた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『うちの部って弱いんだよね。試合で一度も勝ったことないし』

 

 一度目の練習試合の前、部長はみんなの前でそう口にしていた。

 本当に何気ない口調。

 後から思えば、そこしかないと思える絶妙のタイミング。

 

『だから、今年は勝ちたいよね』

 

 部長が目指したのは元部長――俺達から見て二つ上の先輩達のやり方から脱却することだった。

 本人からはっきり聞いたわけではない。

 推測も交えた結論だが、彼女は先代の方針のうち「楽しさにこだわりすぎた」ことを失敗と考えていたようである。

 とにかく新入生に楽しく部活をしてもらうこと。

 部内の和を重んじ、辛いことや苦しいこと、現実的な部の状況をオブラートに包んでしまった、その結果が練習試合後に発生した重い空気だと。

 

 楽しさはとても重要だ。

 どんな形でもバスケに触れているだけで楽しい、と思える人は少ない。昴や葵のような天性のバスケ馬鹿くらいだろう。俺だって二人がいなければこんなに続いていない。

 だけど、単に楽しいだけじゃ足りない。

 むしろ、楽しさとは何か。試合形式の練習に勝ったけど手加減に気づかないことが、体力づくりや地味な基礎練習を省くことが本当に楽しさに繋がるのか。

 多分、そんな風に考えた。

 

 初心者が勝てないのは当たり前。

 弱いチームが勝てないのも当たり前。

 

 勝つためには強くなるしかない。

 強くなるためには辛いことや苦しいことだって当然ある、と伝えようとしたのだ。

 正直、それを一年の大会までに為すのは荒療治だ。

 それでも必要と考え、自分達なりのやり方で成し遂げた。

 

 彼女達のお陰で、俺達の元には良い雰囲気のチームが残されたのだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「あはは、さすが翔子。私よりよく考えてるね」

 

 マクドナルドの二階テーブル席にて。

 部長――いや、元部長になった先輩はポテトをつまみながら笑ってみせた。

 肯定なのか否定なのか。

 狐につままれた気分になった俺は若干憮然とした表情になる。

 

「そんな顔しないでよ。はい、あーん」

 

 差し出されたポテトをぱくっと咥える。美味しい。

 

「じゃなくてですね……」

「大丈夫、合ってるよ。私が思ってたことを言葉にしたら多分、そんな感じ」

 

 脳内で言語化できていたわけじゃない、ということか。

 それであれだけ動けるんだからこの人、実は天才なんじゃなかろうか。そんなことを考えつつ、俺は向かいに座った新部長を見る。

 葵は「相変わらず、翔子って難しいこと考えてるわ」という顔でシェイクを啜っていた。

 こんな顔してる癖に、俺よりずっと後輩の指導が上手いのだからひどい。案外、天才というのはあちこちにいるものである。

 

 この場にいるもう一人もそうだ。

 

「祥はうちの部、どう思う?」

 

 水を向けられたのはロングヘアーの美少女。

 爽健美茶と塩抜きのポテト(ケチャップ付き)、チーズバーガーという布陣に満足げにしていた彼女は一瞬、間を置いてから答えた。

 

「私達の誰も、公式戦で勝ったことがありません」

「うん」

「弱い学校には上手い選手が来ない。教わる相手がいないからなかなか上手くなれないし、勝ったことがないから()()()()()()()()()()

「そうだね」

 

 うちの部は弱い。

 それを先輩はあっさりと肯定した。

 

「どうすればいいと思う?」

 

 他人事のような問い。

 実際、他人事になってしまったわけだけど、内心はそうじゃないはずだ。

 祥も気にした様子はなく、淡々と答える。

 

「勝てばいいんじゃないでしょうか」

「どういうこと?」

「そのままです。練習試合でもいいから勝ちます。一回勝てれば次に勝つのはもっと楽です」

「勝てる?」

「勝てます。チャンスは一回じゃありませんし、教わる相手ならいますから」

 

 言って、視線を横に向けてくる。

 確かに、俺達の代には葵がいる。別に名門校出身でもなんでもないけど、俺達の中でずば抜けているのは間違いない。

 天性のフォワード故の魅せるプレイ。

 面倒見の良さと人当たりの良さも併せ持ち、ついでに言えば少人数で遊んでいたせいで他のポジションのテクもある程度持ち合わせている。

 正直、部長になるのは彼女以外考えられなかった。

 

「……うん」

 

 こくん、と頷いた先輩は何かを考えるように黙り込む。

 もともとこの面子を呼んだのはこの人。きっと何らかの意図があるんだろうけど。

 注文したチキンのバーガーセットを食べ進めつつ待っていると、やがて口を開いた先輩は葵を見ながら言った。

 

「ねえ葵。やっぱり、副部長は祥がいいんじゃない?」

「え」

 

 鶴見翔子、まさかの昇進不可であった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「よし、じゃあ十分休憩しよっか。水分補給とかトイレは今のうちにね」

「はいっ」

 

 一週間ほど後。

 学校周辺のランニングを終えた部員達に葵が指示を出す。一年生を中心にみんなが元気よく答え、暇つぶしに参加している三年生達が満足そうに頷く。

 いったん散開していく部員達の背に声をかけるのは祥だ。

 

「今いらない、と思ってもちゃんと済ませときなさい。後から欲しいと思っても遅いわよ」

「はいよ副部長」

「了解だよお、さっちん」

「茶化すんじゃないわよ問題児二人」

 

 さつきと多恵がすかさず茶化し、部員達から笑い声が上がる。

 けれど指示自体は通っており、その場に留まろうとしていた子達も遅れて動き出した。

 

「翔子先輩も行きますか?」

「うん、行こうかな」

 

 身体が水分を欲している。

 声をかけてくれた後輩と一緒に校舎へ近寄る。外でのランニングの際は壁際の一角に手荷物を纏めて置くのが定番になっており、殆どの部員はそこにドリンクを用意している。

 昴達を含めた男子は外の水飲み場から水をがぶ飲みする者も珍しくないが、女子はやっぱり抵抗があるようで、最初のうちはドリンクを持ってきていなかった子も次第に用意するようになる。

 

 人気のドリンクは水かスポーツドリンク系。

 果汁系は温まると美味しくない上、汗をかいた後だと必要以上に甘ったるく感じてしまう。お茶系は利尿作用があるので部活中は不向きだ。寒くなってくると保温効果の高い水筒にあったかいお茶っていう選択肢もアリだと思うけど。

 

「大丈夫、疲れてない?」

「まだなんとか。……翔子先輩達はまだまだ平気そうですよね」

「約二名を除いてね」

 

 俺が答えると、相手もくすりと笑ってくれた。

 自分達でも言っている通り、さつきと多恵は大の練習嫌いである。ボールを扱う練習だと水を得た魚のようにはしゃいでくれるのだが、大抵の場合はスタミナ不足で失速する。

 今も、休憩時間を天の助けとばかりに日陰で座り込んでいるし。

 

「私も、来年には慣れてますかね?」

「きっと大丈夫だよ」

 

 口下手な性分なので、話しかけてくれる子はとても助かる。

 こちらからあまり話題を振らずとも会話が続くし、なんだか先輩をしている感覚が味わえる。

 

 ――まあ、翔子()()なんだけど。

 

 結局、副部長に就任したのは祥だった。

 

 

 

 

 

 

 任命権を持つのは新しい部長、つまり葵なので、先輩の強権に屈したというわけでもない。純粋に副部長には祥の方が相応しいと判断された結果だ。

 

『この子じゃなくて私ですか?』

 

 副部長に指名された祥自身がそう尋ねていたが、

 

『うん。副部長は厳しい子の方がいいと思うんだ』

 

 先輩はすぐにそう言って自分の考えを示してくれた。

 聞いた俺にもその理論はよく分かった。

 組織において、トップに立つべきはカリスマ。とにかく人望のあるタイプや、人にできないことをやるタイプ、癖はあるが圧倒的な実力のあるタイプなどが向いている。俺達の代なら葵以外ありえない。

 一方のサブリーダーになるべきはトップを補佐できる人物。実務能力においてトップを凌ぐような人物か、締めるべき時に締めることのできる人物、いざという時に泥をかぶれる人物。そう考えれば祥以上の適役がいないのは自明だ。

 

『でも、この子がなるって思ってる人、結構いると思います』

『そうかもね。それでも、私は祥がいいと思う』

 

 祥は「思ってる子」とは言わなかった。

 敢えて同世代以上を含んだ。私が屋上で交わした約束を察していたのかもしれない。

 

『いいかな、翔子?』

『私は構いません』

 

 俺はそう答えた。

 実際、祥の方が向いていると思うのだ。多分、あらかじめ打診されていたら彼女を推していただろう。

 だから問題はない。

 

 気持ちの面でもやもやしたものは残るけど。

 それは俺が適材適所に適さなかっただけの話で、

 

『葵はどう?』

『……私は。私も、鳳さんでいいです』

『そっか。じゃあ、決まりだね』

 

 一瞬、言いよどんだ葵も先輩の提案を了承し、副部長は祥に決まった。

 顧問の先生に伝達するまでは内定だが、決定が覆ることはないだろう。暗黙の了解のうちに引き継ぎの手順などが話し合われるのを俺は横で聞いていた。

 いや、聞いているつもりで聞き流していた。

 

 ろくに耳に入らないまま解散になり、みんなと別れて歩き出した。

 拗ねている、と自分でもわかる。

 それでもどうしようもない。飲み下すのにはどうしても時間がかかる。

 

 と。

 

『翔子!』

『……葵?』

 

 わざわざ後を追ってきた少女がいた。

 息を切らせた幼馴染はじっと俺の目を見ると、ぎゅっと俺の手を握った。

 

『翔子、多分勘違いしてる』

『勘違い?』

 

 何の話かわからなかった俺は少しだけいらっとした。

 

『副部長のこと』

『それはもう』

『聞いて! あれは別に、翔子が悪いんじゃないの!』

『そんなのわかってる』

 

 突き放すような言い方になってしまった。

 優しくて強くて立派な幼馴染へあれだけ悪感情を抱いたのは初めてだったかもしれない。

 怒鳴りこそしなかったけど、それだけ。

 一度成人しているくせにそのザマだった。

 

『わかってない!』

 

 肩を掴まれた。

 

『翔子が選ばれなかったのは逆! 翔子が副部長じゃ駄目だったの!』

『だからわかって――!』

 

 堪えきれなくなった俺は葵を振り切って帰ろうとした。

 そこに、声が聞こえた。

 

『私のサポート役じゃ駄目なの! あんたは私の相棒だから、私と対等に、私と違うやり方で、私を助けてくれなきゃ駄目なの!!』

 

 頬を張られ、抱きつかれて。

 俺は、胸に顔を埋めた葵の嗚咽を聞いた。



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翔子とそれぞれの役割

 葵は言った。

 俺が副部長から外されたのは戦力外通告ではないのだと。

 

『部長はね、翔子に「ただの部員」でいて欲しかったんだと思う』

 

 近くの公園に移動して。

 ようやく落ち着いた葵に烏龍茶を手渡すと、彼女はそれを一口飲んでから口を開いた。

 俺の方は、未だ胸がざわめいたまま。

 むしろ、自己嫌悪と葵への申し訳なさで余計にいっぱいいっぱいだったが、言葉の意味を捉えようとする理性は働いた。

 

『部長とか副部長って、どうしても上の立場になっちゃうでしょ?』

『話しにくいと思う子もいるってこと? でも、それならさつきと多恵が』

『ゾノとショージは話しやすいけど、相談はしづらいのよ』

『……あー』

 

 つい、確かに、と呻いてしまった。

 さつき達は部の雰囲気を盛り上げてくれるけど、指導役としては適していない。コツコツとした練習が嫌いな上、なまじセンスがあるせいで論理的なアドバイスが下手なのだ。

 

 そこを俺に埋めて欲しい、と。

 

 わからなくはない話だ。

 というか指導はもちろんする。その上で言わせてもらうなら、そんなの当たり前だ。顧問と部長、副部長が練習方針を決め、それに従って上級生全員が下級生を指導する。

 敢えて俺に任せる話ではない。

 むしろ役職者が率先してやるべきだ。

 

『ううん。……ごめん、上手く言えないけど、ちょっと違う』

 

 葵は言葉を探すように視線を彷徨わせ、やがて言った。

 

『翔子には、みんなに近いところに居て欲しいの』

『……近い?』

 

 感覚的な表現のせいで意味を掴みにくい。

 立ち位置の話なのはわかるのだが、それはそんなに重要なことだろうか。

 

 説明が欲しかったわけじゃない。

 むしろ、俺は自分の力不足が悔しかった。選ばれなかった理由を語られてもモヤモヤを増やすことにしか――。

 

『私も先輩に言われるまで、副部長は翔子だと思ってた』

『っ』

『でも、思ったの! 私はきっと、翔子に頼りすぎちゃうって!!』

『……え?』

 

 思考が止まる。

 

『別に、頼ってくれれば』

 

 それの何がいけないのか。

 副部長は部長をサポートする立場だ。葵ができないこと、する暇のないことをこなすのが仕事である。

 どんどん頼ってくれればいい。

 むしろ、頼られた方が俺は、

 

『駄目。それじゃ、私はみんなのことが見えなくなる』

『……ぁ』

 

 ようやく、葵の言わんとしていることの一端を掴んだ。

 

『翔子がサブなら安心できる。ちょっと悩み事でも相談できるし、相談すると思う。……それで解決するから、後はみんなに指示を出すだけ』

 

 殆どの物事がトップ間で完結するから、他の部員が入る隙がない。

 そもそも葵の有能さなら俺は大して必要ない。雑用をこなしながら、葵が相談という体で行う確認に頷くだけで済む。二人だけで通じ合っている俺達に後輩が話しかけやすいかといえば……答えはノーだ。

 代わりに向かう先は俺達の代のヒラ部員だが。

 

 ――祥は可愛い癖に愛想の悪い面があり、口調がキツイ。

 

 上との乖離が著しくなったみんなの頼りはさつきと多恵になる。二人はお調子者と不真面目のラインギリギリを見極めているが、バランスを欠いた部の状態で端からそう見えるとは限らない。

 責任者に頼れない状態で、親しみやすい先輩が練習に文句を垂れ、そのくせ実技をあっさりこなすのはきっと、良くない影響を生んでしまう。

 

『鳳さんはきっと、私にも遠慮なく色々言うと思う』

『祥は、私達と見てるところが違う』

『うん』

 

 だからこそ、その方がいい。

 

『副部長じゃないと翔子に相談できないわけじゃないでしょ?』

『もちろん。いつでも相談して欲しい。……祥が口出しできる形で』

 

 葵が目を瞬き、頷いた。

 

『鳳さんが副部長なら言い合いがしやすいよね。私、まだそこまで考えてなかったけど』

『葵は言葉にできてないだけだよ。私よりずっと凄い』

『そんなことない。私には翔子が必要なの。だから身軽でいて欲しい。余計な雑用で時間を使ったり、責任を感じて欲しくない。私と、みんなを助けて欲しい』

 

 言葉が胸に染みこんでくる。

 

 ――こういう時、どうしたらいいんだろうか。

 

 すぐには気分が切り替えられない。

 モヤモヤが残ったままの胸が締め付けられ、瞳からは涙が溢れてくる。

 俯いて顔を背けようとしたら葵の腕に止められた。抱き寄せられてホールドされると、止まらなくなった涙のせいで頭がぐちゃぐちゃになる。

 転生してからは泣いてばかりだ。

 

 嗚咽交じりに言葉を漏らす。

 

『葵はずるい。私の欲しいものばっかり持ってる』

『それは……こっちの台詞よ。あんただって私の欲しいものいっぱい持ってるじゃない』

 

 それは初耳だった。

 

『……例えば?』

 

 顔を上げて問う。

 すると葵は何故か目を逸らして答える。

 

『身長とか、お菓子作りの腕とか、成績とか』

『それだけ?』

 

 できるなら、もうちょっと内面的なところを褒めて欲しい。

 努力でなんとかなる部分と体質だけとかちょっと悲しくないか。

 

『………』

『葵』

『だ、だから、どんどん挑戦して女の子らしくなってるとこ……駄目! ごめん、今の無し!』

『えー』

 

 俺は、口元に笑みを浮かべながらジト目を作った。

 なるほど。

 ちゃんと、これまで頑張ってきた意味はあったらしい。

 

 ――なら、それでいい。

 

 もともと器用ではないのだ。

 それなりに努力はしてきたつもりだが、面倒な役職なんてないにこしたことはない。

 この、何に使うつもりで女の子らしさを求めているのか丸わかりな親友だって、この通り完璧ではないのだから。

 

 腐る前にやるべきことをやるべきだ、と、俺は考えを新たにした。

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで。

 桐原中女子バスケ部、部員、鶴見翔子はマイペースに活動中である。

 

「ねえねえつるみん。長谷川せんせぇとカズたん一号はどっちが攻めでどっちが受けだと思う? ゾノはよく分からないってノってくれないんだよぉ」

「んー……どっちもあんまり攻めのイメージない。強いて言うなら昴の鈍感さに痺れをきらせた諏訪が勢い任せに攻めるとか」

「なるほどぉ。でも弊社的にはせんせぇの無自覚攻めも捨てがたいと――」

「ショージ、部活中に変な話しない! 翔子も乗らないの!」

 

 さつきや多恵と悪ノリして葵や祥から怒られてみたり。

 

「翔子先輩。シュートフォーム見てもらえませんか?」

「うん。……えっと、そうだね。脇をもうちょっとしめた方がいいかも」

「? えっと……」

「んー。そうだなあ、ちょっとごめんね」

「あっ。んっ……」

 

 後輩のちょっとした相談に乗ってみたり。

 

「翔子。ハンドクリーム持ってない?」

「あるよ、はい」

「ありがと。……また安物使ってる。もうちょっといいの買いなさいよ」

「でもそれ、ネットの口コミで評判いいし」

 

 祥と買い物のポリシーで衝突してみたり。

 

「翔子。あのシュート、また試してみたいんだけど、時間ある?」

「OK。じゃあ残って練習しよう」

 

 葵の必殺技修得に協力してみたり。

 今までと大して変わらないことを精一杯に務め上げる。結局、これが俺にできる最大限なのだ。

 

 ――もちろん、自分自身の強化も忘れない。

 

 日々の自主トレは成長と共に少しずつメニューを増やしているし、葵やみんなとの対戦経験がセンターとしてのレパートリーを増やしてくれる。

 見かけによらず理論派の昴からアドバイスを貰うことも多々あった。

 

 俺は、いつもみんなに助けられている。

 

 一人でできることなんてたかが知れている。

 俺のバスケは昴や葵に教えられたことがベースになっている。人付き合いの仕方はさつきや多恵から教えてもらった。祥は口うるさいが、彼女の振る舞いは女子として生活するにあたり助けになっている。

 後輩のみんなが頼ってくれるたび、先輩としての力が上がっている気もする。

 

 

 

 

 

 役職決定の一件について、当の祥と交わした言葉は少ない。

 

「……悪いけど、私は謝らないわよ」

「うん、わかってる」

 

 不意に二人きりになった時、彼女はそう俺に告げた。

 何のことか前置きすらなかったが、それで十分。

 

「雑用は祥に任せる」

「はいはい。……本当、面倒なこと押し付けてくるんだから」

 

 言いつつ、ちらちら俺を気にしていたので「ん?」と首を傾げて見せると「なんでもないわよ」とそっぽを向いてしまった。

 そこからはいつも通り。

 だけど、休み時間や休日にみんなで集まった際、祥が昴に教えを乞う姿を前より多く見かけるようになった気がする。

 

 しばらく話していると大抵、祥が昴の生活態度に駄目出しする流れになっているのが気になるけど。

 まあ昴のバスケ馬鹿は直らないだろうし、あれが彼のいいところだから、と、俺としては思っていたのだが。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……ねえ、鳳さんって、昴のこと好きなのかな」

「は?」

「ほぇ?」

 

 なんだか悩んでいる様子だったので、それとなく強引に連れ出してみたところ。

 何故かハンバーガーショップの隣にあるチキンで有名な店のシェイクをストローでぐるぐるかき回しながら、葵はぽつりと俺達に言った。

 

 さつきと多恵が揃って声を上げ、俺はそういうことかと納得する。

 

 スパイスの効いた国内産ハーブ鶏から手を離して顔を上げる。

 と、「こいつ何言ってんだ」という顔をしていたさつきと多恵が表情を笑みに変えるところだった。

 

「ははあ。ブチョー、長谷川センセーが取られる心配してるのか」

「葵ちんは相変わらず一途だよねぇ」

 

 うんうんと頷く二人。

 対する葵は真っ赤になって、俺にとっては割といつもの芸を披露してみせる。

 

「はあ!? べ、べつにそういうんじゃ……ある、けど……っていうかなんであんたたち、いつの間にか私がその、昴のこと好きだって……!」

「「「見ればわかる(よぉ)」」」

 

 期せずして三人の声がハモった。

 部活で男女別に分かれるようになって以来、一緒にいる時間は減ったものの、葵と昴は相変わらずセットとして扱われることが多い。

 二年生に進級しても一緒のクラスだったし、この分だと三年でもそうかもしれない。

 男女の友情が成立するかどうかはともかく、あれだけ一緒にいて親しい雰囲気を出していれば誰だって気づく。多分、部内で知らない者はいないだろう。

 

「……うぅ、恥ずかしすぎるでしょそれ」

 

 葵は真っ赤になって俯いていたが、俺達からしたら「可愛い」という感想しか出てこない。

 

「気になるのは当たり前だから、葵はそれでいいと思う」

「翔子……。ありが」

「祥を昴にけしかけたのは私だけど」

「え。って、あんたねえ……!」

 

 言われた意味を理解した葵の表情が変わる。

 

「そういうことは早く言いなさいよ……!」

「ごめん、知ってると思ってた。でも、タイプが似てるからプレーの参考になるかと思って」

「プレイ……ああ、バスケの話。いや、そりゃそうだろうけど……」

 

 合点がいったと頷く葵だが、納得しきれないのかぶつぶつと呟く。

 とりあえずストローに口をつけて中身を啜り始めたので、俺もチキンの残りに口をつけた。

 

「気になるなら本人に聞けばいい」

「で、できるわけないでしょそんなこと……!」

「それなら私が聞いてくる」

 

 後日、祥へ率直に尋ねたところ「は? そんなわけないでしょ?」との返答があった。

 露骨に嫌そうな顔で即座に言われたので嘘ではないだろう。

 彼女の諏訪への想いは筋金入りだし、他の男にうつつを抜かすというのも考えにくい。

 

 ――未だに恋愛ってよくわからないけど。

 

 女になって十数年。

 二次性徴も始まり、上半身だけでも『女』と一目瞭然になった。スカートにも大分慣れたけど、自分が男と恋愛するところは想像できない。

 キスくらいならまだいい。

 試しに昴とするところを想像してみたら、まあ、そこまで嫌な気はしなかった。先に親しくなってから恋人関係になるのなら他の男でも多分、なんとかなるだろう。

 

 ただ、恋愛の行き着く先はキスではないわけで。

 

 結婚、出産。

 初恋の人と結ばれなくてもいいとはいえ「出産に至るためのプロセス」は恋人同士なら普通にすること。それを俺がする、と考えると途端に嫌気がさしてくる。

 だって、俺が言うのもなんだけど、男なんて無精で鈍感で、下半身優先のどうしようもない生き物だぞ?

 自分が(そっち)側ならともかく、何が悲しくて筋肉質で汗臭くて毛深い野郎と抱き合わなければならないのか。昴みたいに細いのに引き締まったフォルムならともかく。

 

 女の子の方が柔らかいし清潔だしいい匂いがする。

 と、今言ったら百合扱いされる思考が抜けない限り、俺自身が恋愛するのはまだまだ無理そうだ。

 

 ……そう思っていたんだけど。

 

 

 

 

 

 

 ある日の練習終了後。

 後輩の一人から呼び出しを受けた俺は、校庭にある大きな樹の下で、思いもよらない()()を受けることになった。

 

「翔子先輩。好きです。私と、付き合ってくれませんか……?」

 

 潤んだ彼女の瞳は罰ゲームの類で言っているとはとても思えなかった。



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翔子と告白

「……にゃはは。初めての告白が女子からとか、さすがだなー翔子」

「笑いごとじゃないですよ、もう」

 

 美星姐さんが一人暮らしをしているアパートの部屋は、なんというかカオスだった。

 脱いだ服や漫画、エアガン等が散乱し、ゴミ箱にはコンビニ弁当やカップ麺の容器。隅に設置されたデスクトップPCはネットゲーム仕様で割とゴツイ。匂いがしないあたり生物は片づけられているものの、これだけだとまるで男子大学生の部屋だ。

 けれど、ラフなジーンズやジャケットに交じる下着や、申し訳程度に置かれた化粧品に女性らしさが多少残っている。

 頻繁に長谷川家に来てはご飯を食べている通り、生活力には難がある模様。

 

 俺は、適当に片したテーブルの上に手製のチャーハンを並べると、烏龍茶の入ったグラスを一緒に置いた。

 ありあわせの具材でもそこそこ美味しく作れるチャーハンは手抜き料理の代表格。

 味見もしたが、まあそこそこの味になったと思う。

 

「お、なかなか美味そうじゃん。いただきます」

「どうぞ。七夕さんとは比べないで欲しいですけど」

 

 早速スプーンを手にする姐さんに釘をさしつつ、自分も席に着く。

 そうして一口、米と具材を味わったところで尋ねられた。

 

「で? 断ったの?」

「……わかりますか?」

「翔子は真面目だからね。そのくらいは想像つくよ」

 

 気づけば、大盛りにしたチャーハンの三分の一くらいが消えている。

 早い。さすがは美星姐さん、食べる量も速度も半端じゃない。

 烏龍茶を飲み、いったん口の中を空にした彼女は、いつものおどけた感じとは違う落ち着いた声を出した。

 

「どうして? その子のこと、嫌いだった?」

「いえ。むしろ、仲のいい子です」

 

 後輩の中で一番、俺に話しかけてくれていた子だ。

 自然と会話が多くなり、雑談をすることも結構あった。小学校がどこだったとか、ざっくりしたプロフィールくらいなら思い出すまでもなく挙げられる。

 嫌いなわけがない。

 

「嬉しかった。そんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったから」

「じゃあ、どうして? ……やっぱり、女の子同士は嫌?」

「それも違います。私、男子と付き合う方が無理ですし」

 

 苦笑して答える。美星姐さんも小さく息を吐いて「ま、だろうね」と言った。

 彼女は、俺がまだ「俺」を名乗っていた頃を知っている。

 葵や昴、さつき達は一緒に成長してきた分、変化を自然に受け入れてくれているが、出会った頃から大人だった姐さんは「あの頃の俺」をはっきり記憶しているはず。

 

 外面ほどは内面が変わっていないことも、きっとバレている。

 

 俺は自分の中で言葉を整理する。

 彼女のことが嫌いだったわけじゃない。女同士が嫌だったわけでもない。

 

「覚悟ができなかったから、ですね」

「覚悟?」

「はい。あの子の想いを受け止めてあげる、覚悟」

 

 俺は告白を断った。

 付き合って欲しいと告げた後、あの子が途切れ途切れに口にした真摯な想いを、全て聞いた上で……ごめん、と言った。

 

『私、今はまだ誰とも付き合えない』

 

 告白を軽く見たつもりはない。

 その上で、拒絶した。

 

 美星姐さんは、はあ、とため息をついて表情を崩した。

 

「なんだろ。恋人同士になるのに覚悟とかいるのかね」

「いる、と思ってます。経験ないですけど」

「あたしだってねーよ」

 

 睨まれ、俺は瞬きをした。

 

「……ちょっと意外です」

「……お前、私をなんだと思ってるんだ」

 

 褒めたつもりだったのに胡乱げな目で見られた。解せぬ。

 ともあれ口調が戻ったあたり、美星姐さんとしてもある程度は納得してくれたのだろう。食事を再開した彼女は顔を上げずに言ってくる。

 

「あれだろ。女同士だから、ってことだろ」

「はい。そうです」

 

 頷く。

 

「あの子のことは好きです。告白してくれて嬉しかったし、きっと付き合ったら楽しいと思います。向こうから愛想をつかされるまで、きっと私は離れません」

「でも駄目か。女同士だから」

「はい。……男同士や女同士で付き合うのは、男女で付き合うのと違いますから」

 

 前世含めてもそんな経験はないが。

 想像してみればわかる。同性と付き合った結果――というか、同性と付き合っていることを周囲に知られた場合にどうなるか。

 

 甘く見積もっても良い顔はされない。

 

 何故って、男女でペアになるのが常識だからだ。

 男女でないと子供を作れない以上はそれが自然。だから常識になっている。トイレや更衣室が男女で別れているのは「同性は性愛の対象にならない」という前提に基づくものだ。

 一緒に馬鹿やってた友人からある日突然「俺、ホモなんだ」とカミングアウトされたと考えてみればいい。

 何気なく肩を組んだ時、隣で着替えをしていた時、相手が性的な目で自分を見ていなかったか、気にならない人の方が少数派だろう。

 

 同性愛者だからって同性全てが対象とは限らない、というのも苦しい理屈だと思う。

 異性の恋人同士でも浮気をするのだ。先の理屈は「ブスには欲情しないから」という程度の言い訳にしかならない。

 人は、異質なものを排斥する。

 排斥しなければ自分達に害が及ぶかもしれないのだから当然だ。抗議したところで正統性は薄い。

 

 言い方や言う立場の問題はあるし、言われた側の気持ちを度外視しているという意味で最低ではあるが――同性愛に生産性がない、というのは事実なのだ。

 かつて俺がいじめられたのと同じ、いや、もっと酷いことが起こるだろう。

 

「でもさ、好きなら別によくね? そんなの自由じゃん」

「はい。私もあの子もそう割り切れるならそれでいいと思います。でも、私じゃきっと、あの子を守り切れません」

「……中学生だもんな」

 

 チャーハンを食べ終えた美星姐さんがスプーンを置いた。

 続いて烏龍茶を飲み干し、たん、と音を立ててテーブルに置く。

 

 そう、俺もあの子も中学生だ。

 これが社会人か大学生、せめて高校生ならまだ違うだろう。プライベートな時間以外は友人として過ごすとか、そういう対処が可能だが、現状ではコミュニティの範囲が狭すぎる。外出して知り合いに出会う確率はかなり高い。

 

「その子にもそう言ったわけ?」

「だいたい、そんな感じのことは」

 

 もちろん、もうちょっとオブラートに包みはした。

 周囲からの反応がどうこう、という部分ではなく「この先、男の子を好きになるかもしれない」ということを示し、同性愛に走るのは早計だと暗に諭したのだ。

 

 

 

 

 

『……やっぱり、私じゃ駄目ですか?』

『ううん、そんなことない。女同士だから嫌だなんて思わないし、付き合ったら楽しいと思う。でも、私はきっとやりすぎちゃう』

『やりすぎ……?』

『うん。……キスとか、ハグとか。初めては一回しかないのに私が貰っちゃったら、好きになった男の子にあげられなくなる。それが怖い。勇気が持てない状態で付き合いたくない』

 

 あくまで相手ではなく俺の問題だとも強調しておいた。

 

『だから、ごめん。今まで通り、先輩後輩として仲良くしてくれないかな?』

『……今までみたいにお話してくれるんですか?』

『もちろん。私にとって、部活の楽しみの一つなんだから』

 

 笑いかけると、彼女もにっこりと笑顔になった。

 

『わかりました。私、頑張ります!』

『……ん?』

 

 何を頑張るのか気になったけど、本人は聞けなかった。

 多分、文脈的にバスケだろう。

 

 

 

 

 

 と。

 気づけば美星姐さんがジト目になっていた。

 

「お前それ『私を本気にさせてみろ』って意味になってねーか?」

「へ? ……あ、え、えぇ!?」

 

 いやそんなはずは――ある、のか?

 確かにそれなら「頑張る」の意味は通るし、直後に明るくなった意味もわかる。ついでに言うと今日も凄く懐いてくれてたし。

 あ、うん、なる、ほど。

 えーっと。

 

「……どうしたらいいでしょう?」

「知るかばーか」

 

 ひでぇ。

 

 ……うわぁ。でもそうか、そういうことかぁ。

 まさか自分がラノベ主人公みたいな鈍感ムーブをかましていたとは。事実を受け止めきれず「あー」とか「うー」とか言いながら、俺は空になった皿を持って流しへ向かう。

 と、その背中に声が。

 

「まあ、高校に入れば解決するなら、二年経ってから告白してもらえばいいんじゃね? それかさっさと別の恋人作っちゃえ」

「簡単に言いますね……」

「お前ならなんとかなるだろ。その子が告白してきたのだって、今じゃないと葵に勝てなくなると思ったからだろうし」

 

 バスケの腕の話、なわけがない。

 

「葵とはただの親友ですよ。昴がいますし」

「端からそう見えるかは別問題だろーよ」

 

 まあ、確かに。

 

「っていうか、もしかして女子限定ですか」

「そりゃあね。男子にモテそうには見えないし」

「……辛辣」

 

 文句を言いつつ、さっさと皿を洗ってしまう。

 百六十センチ中盤を超えた身長のお陰で踏み台の類もいらない。というか、いつの間にか美星姐さんよりも大きくなっている。そう思うと感慨深い。

 せっかくだからグラスは洗わず烏龍茶をついで持っていこう。

 

「っていうかさ、翔子。お前はどうなりてーの?」

「……私は」

 

 その何気ない問いに、俺は答えることができなかった。

 バスケ選手としてなら、いくらでも答えようがあったんだけど。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「お? ポニテコンビの片方が髪を下ろしてる……だと?」

「上原」

 

 中学校近くの通学路。

 久しぶりに会った気がする眼鏡男が、俺を見るなり驚愕した。

 彼の視線の先にあるのはストレートロングの髪。

 俺は鏡でも使わないとよく見えないけど。

 

「どーかしたのか? 結んでる時間がなかったとか?」

 

 横に並んだ彼は不思議そうに聞いてくる。

 

「いや。どっちかというと縛る方が楽だよ」

「じゃあ何でだ?」

 

 中学ではずっとポニーテールだったから、上原から見ると相当な変化らしい。

 俺と葵でポニテコンビ、バスケやってるときは祥も加えてトリオなんてあだ名まで使われていたくらいだ。まあ、俺のポニテ自体が葵の真似してるところがあったわけだけど。

 

「ん、気分転換というか、イメチェン?」

 

 似合わないかと尋ねれば、上原は真顔で首を振った。

 

「俺と付き合ってください」

「ごめんなさい。私、眼鏡の人とは付き合うなと言われているんです」

「よし、コンタクト買ってくる」

「コンタクトの人は敵」

「なんでだよ!」

 

 おお、勢いのいいツッコミ。

 漫才のノリをやり終えた俺達はふっと吹き出し、顔を見合わせた。

 上原はことあるごとに交際を迫ってくる変な奴だけど、あまり気を置かずに話せる貴重な男子だ。

 ちなみに彼が「付き合ってくれ」というのは何も俺に限った話ではなく、仲間内だと祥とかも含まれる。要は半ば冗談、オーケーされればラッキーくらいの感覚なのだ。

 葵に迫らないのは昴に気を遣ってか、武力で敵わないからか。

 

「もしかして私、可愛い?」

「おー。ぱっと見だと清楚系美少女にしか見えなかったぞ」

「それはいいことを聞い……『ぱっと見だと』?」

 

 ちらりと目を向ければ、上原は不敵に笑って。

 

「ああ。なんていうか、お前って可愛いけど燃えてこないんだよな。男っ気がなさすぎるというか、あれだ、残念美少女?」

「……ふん」

「っ痛った!?」

 

 微妙に心外だったために脇腹をつねってやると、上原は悲鳴を上げて離れていく。

 他愛もない。葵みたいな武力行使は本領ではないものの、あれくらいの攻撃なら俺だってできる。ちょっと半日くらいは跡が残るかもだけど。

 

「翔子先輩っ」

「ん? ……あ、おはよう」

「おはようございますっ」

 

 上原が見えなくなったあたりで後輩――例のあの子が駆け寄ってきた。

 微笑んで挨拶すると向こうも満面の笑みを浮かべてくれる。

 決して派手ではない、どちらかというと大人しい感じの子だけれど、なんだかそこがほっとするというか、話しているだけで気持ちが温かくなる。

 俺のあの返事を超ポジティブに捉えるあたり天然の気がありそうだが、それもまた彼女の長所だろう。

 

 志望ポジションはセンター。

 俺と同じというのが大きそうだけど、司令塔や主砲となるには優しすぎる性格、そしてそのマイペースさは決して向いていないということもないと思う。

 パワープレイが多くなりがちなせいで我が部では不人気のポジションであり、うちの学年では俺一人しかいないため、次の大会ではサブのセンターとして活躍してもらう可能性が高い。

 

「先輩、髪下ろしたんですか? ……素敵です」

「そう? ありがとう、お世辞でも嬉しい」

「そんな、お世辞なんかじゃ!」

「あはは、ごめんごめん。でもさっき、同じ学年の男子に色気がないってからかわれちゃって――」

 

 一体、この反応の差はなんだというのか。

 他愛のない話を続けながら思った。上原が特殊なのかもしれないけど、でも諏訪あたりも盛大に罵ってきそうである。

 でもまあ、とりあえず成功だろうか。

 バスケと並行して、他の面でも自己改革、始めてみようと思う今日この頃だった。



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翔子と夏の到来

「……いよいよ、かあ」

 

 会場へ向かうバスに揺られながら、俺はぼんやりと呟いた。

 あの一件以来、傍にいる頻度の上がった後輩が微笑み、それから困ったように眉を寄せる。

 

「大会が終わったら、先輩達は引退なんですよね」

「しばらくはお邪魔しに行くけどね。私達の先輩達もそうだったし」

 

 月日は流れ、三年目の夏が近づいている。

 今、向かっているのは練習試合の会場となる相手校だが――その目的は、地区予選に向けてチームの仕上がり具合を確認することだ。

 夏はもう始まっている。そう言っても過言ではない。

 

「翔子。昨夜はちゃんと寝られた?」

「ぐっすり。新しく仕入れたハーブティーのお陰かも」

「何よそれ。どこのメーカー?」

 

 葵の問いに答えていると、それまでメモに目を落としていた祥が顔を上げる。

 

「祥。作戦はいいの?」

「こんなの、ただの復習に決まってるでしょ。見直してるのはお守り代わり。……だから、私が落ち着くために教えなさい」

 

 って言っても、超有名な国内メーカーである。

 名前を答えれば「なんだ」と落胆される。

 

「日本で一番親しまれてるメーカーの定番が悪いわけないと思わない?」

「ハンバーガーとコーラが世界一の食事になりそうな理論ね」

「ハンバーガー、美味しいでしょ。……カロリー高いけど」

「そのカロリーと栄養が問題なのよ。わかってきたじゃない」

 

 祥と言い合いを始めると、他の部員達は「またか」という顔で苦笑し、自分達の話に戻っていく。

 でも、案外みんな耳をそばだてているようで、俺達が持論を展開してしばらく経つと部内にプチブームが起こっていたりする。

 ちなみに、周囲からの賛同は拘り派の祥よりコスパ派の俺の方に若干分がある。

 だから何だと言われると困るし、こういうのはプラシーボも馬鹿にできないので、結局好きなの使うのがいいんだと思うが。

 

「二人とも、ほどほどにしときなよぉ」

「翔子も祥も、今日バスケしに来たってわかってるのか?」

「「さつきと多恵に言われるとは思わなかった」」

「「何おう!?」」

 

 宥めてくれたさつき達につい言い返すと二人が憤り、無駄に騒がしいことになった。

 おかしい。

 まだ本番ではないとはいえ、最上級生になっての試合。

 もうちょっと感傷的な雰囲気になると思ったんだけど。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 俺達の代が主導する新入生勧誘は良くもなく悪くもなく、七人の新入生を迎える形で終わった。

 部活紹介で矢面に立ったのは男子部と女子部の部長である昴と葵……に加えて、何故か助手扱いされた俺の計三人。2on1形式でのデモンストレーションは葵も昴も割と本気出していて、長谷川家での特訓と変わらないんじゃないかと訝しんだ。

 が、本気も本気のプレーは見てる方としても面白かったらしく、なかなかに好評。

 そこそこの人数が体験入部に来てくれるという結果に繋がることとなった。

 

 体験入部に関しては葵と祥、それから俺の三人で意見交換を行った末――さつきと多恵は当然のように丸投げだった――特に奇をてらったことはしない、と決めた。

 俺達は、自分達の代で桐原女バスの負の伝統を壊すつもりでいる。

 だから、弱い部を強くしようなどという策は必要ない。単にありのままの部の姿を示そうと思った。なので、先輩方が作り上げたレクチャーのメソッドはそのまま踏襲、恒例となった体験入部最後の試合は両チームともに先輩後輩入り乱れてのミニゲームとなった。

 一年生を地区予選の戦力としては数えていない――というと残酷なようだけど。

 俺達が新入生に期待したのは、俺達の姿をしっかりと目に刻んでもらうこと。弱い部だとかそんな固定観念は最初からすっ飛ばして、バスケを楽しんでもらうことだった。

 

 そしてもちろん、後輩達の指導にかまけて鍛錬を怠ったつもりもない。

 自主トレ、葵とのマンツーマンでのトレーニング、昴も交えた三人での特訓、いつものメンツを集めての男女合同練習まで、これでもかというくらいバスケ三昧だった。

 お陰で結局、テストでは上原の牙城を崩すことができなかったが……まあ、学年上位はキープし続けられたので別にいい。

 腕は上がっているはず。

 後はもう、行けるところまで突き進む、それしか残されていなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「じゃ、行こっか」

「うん」

「ええ」

「おうよ」

「はいな」

 

 体育館の端で五人、プラス他の部員達も含めて円陣を組む。

 

「桐原ファイトー、オー!」

 

 恥ずかしい掛け声とか言ってはいけない。

 慣れれば慣れるもので、こういうのはフレーズがどうこうではなく、みんなと一緒に同じことをするのが重要。俺としても欠かせないプロセスになっている。

 

 ……一人で最初に言う葵ほどは恥ずかしくないし。

 

 ともあれ。

 練習試合におけるスタメンは手加減も様子見もないベストメンバーとなった。

 

・ポイントガード   :鳳祥

・シューティングガード:御庄寺多恵

・スモールフォワード :荻山葵

・パワーフォワード  :柿園さつき

・センター      :鶴見翔子

 

 相手も経歴としては大差ない、バスケ弱小校。

 これといって高い選手のいない、入ってきた人材でやりくりしているタイプの学校だった。

 

「よろしくお願いします!」

 

 互いに挨拶を交わして試合開始。

 

「……え。大きい」

「ありがとうございます」

 

 対峙した相手センターに微笑み――直後のジャンプボールを難なくゲット。

 俺の現時点での身長は百六十九。できれば七十の大台を超えたかったが、男である昴とほぼ同じ高さを得られたのだから贅沢は言えない。

 少なくとも、強豪が相手でなければ十分に競り勝てる。

 

 弾いたボールは葵へ。

 直後、更に速さを増した疾風がコートを駆け抜けた。

 

「よし、まずは一本!」

 

 危なげもなくネットを揺らした葵が、絶句する相手校をよそに声を上げる。

 応援してくれている部員達からは歓声が上がり、コート内の俺達も笑みを浮かべた。

 

「なー祥。今日は思いっきりやっていいんだろ?」

「いいわよ。好きなだけ暴れなさい」

 

 悪役かよ、と言いたくなるようなさつきと祥のやり取りだが。

 歓声を上げたさつき、それから触発された多恵がにわかに勢いを増す。暴れるというより「はしゃぐ」といった趣ではあるものの、二人のそれはチームの攻撃力を引き上げる。

 

「ゾノぉ!」

「からのー……ショージ!」

 

 息のあったパスワーク。

 無軌道と形容すべき二人の動きが見事に相手チームを撹乱、なんでそこ、というようなタイミングでパスを挟み、隙が生まれれば容赦なくシュートが飛ぶ。

 得点率自体は高くないものの、見た目の派手さというか「わけのわからなさ」のお陰で注目が集まり、相手に対処を強要した。

 そして、マークを切り離せないという意識はエース・荻山葵への警戒を引き下げてくれる。

 

「しまった!?」

 

 向こうのポイントガードが気づいた時には、得点差は十点にまで広がっていた。

 

「大丈夫、まだ第一クォーターなんだから!」

 

 その判断は正しい。

 だが、俺達だってここで攻め手を止めるつもりはない。

 むしろ、ここからが本番だと思っていた。

 

「……翔子!」

 

 ボールを握ったポイントガード――祥が俺へとパスを出す。

 ここまで地味な戦いに終始していた俺は、向こうの印象から外れないであろう基本通りのドリブルで進攻した。当然、向こうのセンターが阻みに来るが。

 警戒はしているものの、意識が葵やさつき、多恵へのパスに向いている。

 

 隙だらけだ。

 俺はオーソドックスなフェイントから彼女を抜き、レイアップでゴールを奪う。

 

「嘘……!?」

 

 嘘も何も、本当の話だ。

 とはいえ、相手にしてみたら悪夢でしかないだろう。自分達と大してレベルの変わらない、弱小校だと思っていたチームが次々にエース級の選手を繰り出してくるのだから。

 向こうが慣れる前に次を出すいやらしい戦術はうちのポイントガードが考えたもの。

 気取っていて嫌味なところのある少女だが、学力とは違う頭の良さは天下一品――稀代のバスケ馬鹿こと長谷川昴の入れ知恵により進化したその才能は、バスケ歴の短さを補って余りある。

 

 俺の得点後、彼女自身がシュートで点を決めたことで、その事実は白日に晒される。

 

「どこから崩せばいいのよ……!?」

 

 どこからも崩せないに決まってるだろ。

 と、いい気になりたいくらい、上手い具合にハマっていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 第二クォーターに入ってすぐ、俺達は選手交代を連発した。

 メインメンバーを下げ、残りの五人――三年生と二年生で構成された控えの子達をコートに出す。リズムが崩れないよう一人か二人ずつ。

 かといって、交代した子達が主力の代わりかといえばそうではなく。

 

「急に、普通に……っ!?」

 

 普通、というのは腕の良し悪しの話ではなく、攻め方の話。

 一線級の実力を持つ葵、攻め手の読めないさつきと多恵、抜け目なく目を光らせる祥はそれぞれ強烈な個性を持っている。緩衝材のような役目の俺はともかく、プレイスタイルも独特で、噛み合わなければ破綻する可能性も秘めている。

 で、それを防ぐため、相手の目が慣れないうちに選手交代。

 他の子達はスタンダードなバスケットボールを学んでいるので、急激なリズムの変化に相手は戸惑う。

 

 当然、向こうも選手交代は可能なわけだが、同じ撹乱策ができるかといえば……。

 

「……勝てる?」

 

 控えに下がった俺は誰かが呟くのを聞いた。

 もちろん。だって、勝つために戦っているのだから。

 

 

 

 

 

 しかし、相手も黙ってやられてはくれない。

 第二クォーターの終盤あたりから点差が徐々に縮まり始めたのだ。最初の五人が全員下がって普通のバスケが展開され、やがて気づいたのだろう。

 普通のバスケなら普通に対処できる、と。

 混乱が収まればやることは単純。レギュラーをふんだんに用いて桐原の布陣を切り崩しに来た。第一クォーターで稼いだ分がまだまだ残っているとはいえ、このペースだと試合が終わる頃には十分逆転が可能。

 

「……頃合いかしらね」

 

 祥はこの練習試合を実験のために用いている。

 どういう作戦がどう機能するか、仲間内だけだとどうしても把握しきれないところを見定める手筈だ。その少女は第三クォーター早々に選手交代を打診。

 前クォーターとは別の順序で、最初の五人がコートへと戻っていく。

 

 向こうのチームに緊張が走る。

 

 彼女達も思い出したのだ。リズムチェンジには逆も存在するのだと。

 スタンダードなバスケに慣れた目で、果たして耐えられるか。

 

「本当は一気に交代した方が効果的なんでしょうけど」

 

 祥の呟き。

 敢えて一人、二人ずつ選手交代したのは、多くの部員に経験を積ませるため。

 バスケは一人でやるスポーツじゃない。

 スタミナの枯渇だってある以上、層の厚さ、控え選手の練度は重要になってくる。それに、今年だけじゃなくて来年も勝って欲しいから。

 

「さあ、一気に行こう!」

 

 葵の号令。

 

 ハイスピードかつテクニカルなアタックが次々とゴールを揺らす。

 姉妹のように息の合った撹乱戦術(天然)が攻めはもちろん、守りにおいても相手のペースを崩す。

 弱いところを的確に察知し、遠慮なく突いてみせる悪辣な指揮が勢いに拍車をかけて。

 押せ押せのうちは大した仕事がないものの、俺が駄目押しとばかりに財布の紐を締め――入ってくる得点だけでなく出ていく得点さえもコントロール。

 

 そして。

 我が桐原中女子バスケ部は、練習試合とはいえ、相手校に大差をつけて勝つという快挙を成し遂げたのだった。

 

 

 

 

 

 試合の後、みんなは笑顔だった。

 俺達が一年生の時とは大違いだ。もちろん反省点は色々あるし、そこはちゃんと振り返るけれど、それはそれとして祝勝会を開くことになった。

 練習試合で大袈裟だが、祝勝会といってもみんなでご飯を食べるだけ。

 

 最初は一人が「美味しいお好み焼き屋さんがある」というのでそこになりかけたものの、人気店なので大人数は難しいということでファミレスへ。

 次の練習試合、および本番に向けて英気を養った。

 

「はあ、チキングリル美味しい」

「あはは。翔子最近、鶏肉多いよね」

「鶏肉は女子の味方だからね」

「ふうん。私は気にしたことないなあ。ハンバーグ美味しいし」

「ハンバーグにチーズ乗せとか反則じゃないかな……?」

「じゃあちょっと交換する? はい」

「え、直はちょっと恥ずかし……ま、いいか。あーん」

 

 葵に食べさせてもらったハンバーグは凄く美味しかった。

 まあ、牛肉もたまになら問題ないだろうし。チーズは乳製品だから身体にいいし。俺にはカロリーゼロ理論は使いこなせないのでその分、運動は必要だけど。

 女子の身体がだらしなく崩れてるのとか、たとえ自分のでもなるべく見たくない。

 

「む。……あの、翔子先輩。私の目玉焼きハンバーグもどうですか?」

「う。じゃ、じゃあもらおうかな。卵も身体にいいし」

 

 祥がサラダ食べながら「この軟弱者が」って目で見てきてたけど、目玉焼きハンバーグもやっぱり美味しかった。

 そんな風に英気を養い、俺達は次の戦いに臨む。

 

 おそらく本番は、今日ほどスムーズな戦いにはならないだろうと思いながら。



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翔子と三年目の大会

「……話って、なに?」

 

 地区予選の二日前。

 最後の練習を終えた後、俺は祥から屋上へ連れ出された。

 

「どうしても、言っておきたいこと」

「………」

 

 祥の表情はいつになく硬かった。

 普段から澄ましているか仏頂面かではあるけど、そういうのではなく、言いにくいことを強いて言おうとしている感じだった。

 風で髪が乱れるのを気にしていないあたりからも余裕のなさが窺える。

 

 こんなタイミングで言うことだ。大事なことなのだろう。

 明後日の大会に出られないとか言われたらぶん殴ってやるけど。

 

「……六年生の時、カズ君との試合が駄目になったの、覚えてるでしょ?」

「うん」

 

 短く答える。

 祥は頷き、ほんの少しの間を置いてから言った。

 

「あの時、あんたのスニーカーを切ったのは――私」

 

 風が吹き抜け、他の音の一切が消えた。

 俺は深く深呼吸し、目を閉じて開いた。

 

「うん。それで?」

「……え?」

「そんなの、あの時から知ってるよ。前に謝ってもらったし」

 

 ぽかんと口を開けた祥を見て苦笑する。

 そんなことだろうと思わなかったわけではないが、今更そんな話をしてくるとは。

 

 状況証拠からして犯人は祥以外ありえない。

 それまで徹底して被害をコントロールしていたのに、あのタイミングでそれを破った。ならば諏訪絡みと考えるのが自然。二学期に俺がカースト上位に行った後、過剰に俺を敵視したり、逆に怯える子もいなかった。

 だから俺は、祥が犯人だとずっと思っていた。

 

 それに以前、祥は俺に「あのスニーカーと同じもの」を持ってきたことがあった。

 露骨にがっかりしてて鬱陶しかったから。

 そんな口実をつけていて、あれは自分がやったとは言わなかったけど、彼女なりの罪滅ぼしだろうとは察しがついていた。

 まあ、犯人でもない人からそんなもの貰えないって突っ返したから、祥が自分で履いてたけど。

 謝罪の意と、反省してるという気持ちは受け取っている。

 

「それに、今、友達が減る方が嫌だ」

「……あんたは」

 

 祥は俯き、唇を噛み、握った拳を震わせる。

 

「怒りなさいよ。怒ればいいでしょ、そこは」

 

 泣いているようだった。

 鼻声で、重苦しく吐きだす彼女に、俺は答える。

 

「勘違いしないで」

「……え?」

 

 俺は微笑み、それから足を踏み出した。

 呆気に取られている祥の真正面で立ち止まり、彼女の首筋に軽く触れる。

 ぴくりと身体が震えたが無視。

 

「私はもう恨んでない。でも、七夕さんの気持ちを踏みにじったのは絶対に許さない」

「っ」

「そっちの件は本人に直接許してもらって。あの件はそれで本当におしまい」

 

 長いような短いような間を置いて。

 

「……わかった」

 

 返答が俺の耳にかろうじて届いた。

 後日、祥は昴を通して七夕さんに連絡を取り、彼女に謝りに行ったらしい。はっきりとは教えてくれなかったが、七夕さんが「とってもいいお友達ね」と嬉しそうに言っていた。

 繋ぎ役になった昴は「一体何だったんだ」と首を傾げていたが、昴はそれでいいと思う。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 奇しくも、初戦の相手は去年と同じだった。

 優勝候補の一角。

 先輩達が敗れた相手であり、一筋縄でいかないのは間違いない。逆に言うと、ここで勝てれば道が一気に開けてくれる。

 負けられない一戦。

 司令塔である祥が提案した作戦は、リスクを伴う大胆なもの。

 

「行ってきなさい」

「ん、行ってくる」

「まずは任せて。できるだけ点、取ってくるから」

「ブチョー、格好いいとこ期待してるぜ!」

「つるみんも頑張るんだよぉ!」

 

 祥、さつき、多恵らの()()()()()()()()、コートに立つ俺と葵。

 さりげなく相手チームの様子を見れば、さほど訝しんでいる様子はない。……うん、やっぱり大して警戒されてない。三年を控えに置いて二年生を使っていることに「変だな」と思っている程度。

 桐原みたいな弱小校のデータを詳しく収集していないだろう、という読みと作戦は当たりだ。

 

 二度目以降の練習試合、桐原女バスはそれぞれ違う布陣で臨み、そこそこ接戦で勝利している。

 一度目の練習試合に注目していない限りは「うちの部のベストメンバーがどんな構成か」把握しきれない可能性が高い、と踏んだわけだ。

 危うい賭けだが、それによって再び、テンポ調整による混乱作戦が日の目を見る。

 

「……高い」

「そっちこそ」

 

 さすが強い学校、向こうのセンターは俺と変わらない身長だった。もしかしたら俺より若干高いかもしれない。ジャンプボールは接戦となったが、ジャンプ力の差で俺が勝利。

 ただし、狙いを定めるまではいかず、ボールは葵ではなくポイントカード役の同級生へ。

 

 頼んだ。

 そんな声にならない声が伝わったか、彼女はぐっと頷いてドリブルを開始。

 自分での進軍には拘らず、さりとてエースの葵に頼ろうとはせず、マークが激しくなる直前に余裕のある仲間へボールを送ってみせる。

 みんなも同じようにパスを回し、少しずつ着実に侵攻し、最後はパスを貰った葵がそつのないシュートで先制点。

 

 返しの攻撃は止めようと思っていたが、敵もさるもの。

 ポイントガードがボールを手にするやいなや、素早いパス回しで一気に進軍。マークを絞らせない見事なチームワークを披露して同点に追いついてくる。

 まるで、俺達のやったことを一段上の技術で繰り返されたようだった。

 

「やっぱ強いなあ」

 

 呟いた葵の表情は「やっぱり楽しい」と告げていた。

 

 ――七夕さんや葵のお母さんが応援する中。

 

 緩いパスからボールを手にした葵はさっきと一転、マークに来た相手選手を華麗なフェイントでかわし、速攻のレイアップでゴールを揺らした。

 いつもの勝ちパターン。

 とはいえ舞い上がらず、仲間に声をかけながら自軍コートへ戻っていく。相手チームはそれを見ながら、何やら小声で言葉を交わしていた。

 戦術の調整。

 チームプレイから押し込むようにして得点した彼女達は、さっきまでよりも葵に対する警戒レベルを上げてきた。他のメンバーも下手ではないが、火力の大半はエースによるものと踏んだのだろう。まったくもって正解である。

 俺やみんなも奮戦したものの、必ずしも点には結び付かず。

 警戒される中、葵が無理やりにゴールを揺らしたりするも、向こうが点を取るペースの方が早い。第一クォーターが終わった時には四点の差がついていた。

 

「お疲れ様。……やっぱり強い?」

「うん。やっててヒリヒリする感じ」

「対応が早い。当たり前のことが当たり前のように上手いって感じ」

 

 観戦していた祥は俺達の感想を聞いて「なるほどね」と頷く。

 

「じゃあきっと、こっちが交代したら向こうもしてくるでしょうね」

 

 果たして、第二クォーターはその通りになった。

 選手交代。三年生のフォワードがさつきとチェンジ。向こうはセンターを変えてきた。交代要員でも十分に対応可能と見られたか。悲しい話だが、直後にそのセンターはパスからのシュート、リングに当たって落ちたボールをリバウンドから決めてみせた。

 ここで交代。俺とガードの二年生が抜け、代わりに多恵とあの子がコートへ。

 ちょっと不安そうな顔をする後輩に笑顔で「大丈夫」と告げると、彼女はぐっと頷いてくれた。

 

 こちらの攻撃で葵が二点を獲得。

 再び点差が四点になったところで選手交代が完了する。最初に出ていたメンバーが全て外れ、控えの五人が出る形。

 向こうもスタミナ温存のためか、何人かを交代。

 

「さて。ゾノとショージがどこまでやってくれるかしら」

「似たようなカードがなければきついんじゃないかな」

 

 果たして、急激なリズム変化が成った。

 

「ほいゾノ!」

「オッケーショージ!」

 

 何の裏付けもなく勘だけでフェイントを先読みし、何の前触れもなくキラーパスを通し、ことあるごとに上がる姦しい声がチーム全体の士気を上げる。

 

「問題児二人。調子に乗らない」

「「すいません先生」」

「誰が先生よ」

 

 二人のやりすぎを諫めるのは司令塔である祥の役目。

 場を俯瞰する能力とさつき達との付き合いの長さが相手チームよりも早く深く状況を察知、無軌道すぎる動きによってできる穴を塞ぎ、逆に鋭い部分を更に強調してみせる。

 やってることは的確にパスを出し、いるべきところに移動し、かけるべき声をかけているだけなのだが――逆に言うとそれができているというのが凄い。その動きには確実に、ポイントガードとして天性の才能を持つ長谷川昴のエッセンスが含まれている。

 点が詰まる。

 二点差になり、同点。

 

 しかしそこが限界だった。

 さつき達の動きに対応しきれない残り二人が「埋めきれない穴」と見透かされた。二番手同士のセンター対決は拮抗していたが、向こうの正センターが復帰すると一気に分が悪くなる。

 特殊なムーブに目が慣れてきたのもあるだろう。

 普通に、卒なく、最も適切な対処がなされ――再び二点差に。

 

 その二点が取り戻せない。

 四点に逆戻りしなかったのはみんなの執念と言うしかない。ギリギリのところで祥のパスカットが成功し、第二クォーターが終了。

 試合時間の四分の一とはいえ、激しく動いたメンバーはみんな荒い息を吐いていた。

 

「鳳さん、どう?」

「ギリギリ。でも予定通りに」

「了解」

 

 第三クォーターは再びの選手交代。

 俺と葵を含めた四人が戻り、祥以外の四人には下がってもらう。最終クォーターに向けてスタミナを回復してもらいつつ、ここで仕上げの下準備をする。

 

「翔子!」

「……んっ」

 

 パスを受けてのスリーポイント。

 残念ながらリングに弾かれたが、相手チームが一瞬「ヤバい」という顔をしたのは確認した。見せ札一枚、この試合で決めるチャンスがあるかは状況次第だけど、警戒すべき項目を増やした。

 リバウンドは向こうのセンターが取ったが、そこに俺も追いすがる。

 

 邪魔、という目にどうも、と目で微笑む。

 

 気迫は柳のように受け流す。

 足はしっかりと根を張り、それでいてすぐに動ける柔軟性は忘れず。相手のフェイントを見誤らないよう、意識を静かに集中。

 全体を見るのは苦手だが、狭い範囲の観察眼ならそこそこあるつもりだ。

 俺は身長があるものの、体格的にはそう恵まれている方ではない。細身故のパワー不足は応用力で補ってやる。昴いわくヨーロピアンスタイルのセンター、だったか。

 別にそっちに拘る気もないけれど。

 

「っ!」

「……ん」

 

 痺れを切らせた相手が強引に抜きに来た。

 無理に追わず抜かせてやる。俺の陰から葵が迫っていたからだ。虚をついてボールをスティールした彼女はそのままシュート、同点に追いつく。

 二人で視線を交わし、ぱん、と手のひらを打ち合わせた。

 

「くっ!」

 

 僅かな焦りが生まれる。

 短期的にはいい影響が出たのか、相手チームはそこから連続で攻撃を成功。一時的にまた点差が縮まるも、再びの葵の攻撃で失策をやらかした。

 俺はスリーポイント以外大したことないと思ったのか、センターで守りにかかったのだ。

 

 ――でも、葵にはあれがある。

 

 ふ、と口元を歪め、葵が跳んだ。

 背の高い相手と対峙した際の切り札、後ろ跳びのジャンプシュートが、見た目以上の威力を伴ってゴールに吸い込まれた。

 

「嘘でしょ」

 

 残念ながら嘘ではない。

 ついでに言うと葵以外の火力だって馬鹿にはできない。相手のフォワードのシュートをブロックした俺は仲間とパスを回しながら進撃、ゴール前でボールを受け取る。

 立ち塞がるのは相手センター。

 センターにはセンターを、は正しいけど、何も()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ちょ、本家よりやばいんじゃ」

「それはないです」

 

 背丈とジャンプ力でそう見えてるだけで、キレは本家の方がずっと上だ。

 

「でもまあ、どんどん行きますね」

 

 にっこり笑ってみせると、相手はぽかんとした表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 小技、奇策を用いて差を埋めた結果、第四クォーターへは同点のままもつれ込んだ。

 さつきと多恵がコートに戻ったのは第三クォーターが終わる直前。彼女達の真価が露わになったのは第四クォーター開始直後だった。

 

「ショージ、パス!」

「ゾノ、パス! ……と見せかけて葵ちん!」

「ありがと! ……と見せかけて翔子!」

「ん、受け取った」

 

 ちょうどいいところに居たので、一拍間を置いてからスリーポイント。

 運よく今度はゴールに吸い込まれた。外れたら相手コート内で奪い返すつもりだったけど、上手くいってくれて良かった。

 

「……マジ?」

「あれ、二人だけじゃないんだ」

 

 残念ながら、俺達は仲良し五人組なのである。

 まあ、纏めて「馬鹿共」で済まされる方が多いけど。主に諏訪から。上原のポニテ軍団呼ばわりの方がまだマシである。

 ともあれ、もう向こうに対策している時間はない。

 祥がランダムとしか思えない基準で送ったボールが、これまたランダムにしか見えないだろうパスワークの末、ちょうどいいところで誰かがシュートする。

 

 どうせまたパスだろ、とか気を抜いている相手は葵のカモでしかない。

 俺がスリーポイントラインにいると警戒してくれるので、そのままドリブルしてジャンプシュートしてみたり。長谷川家で三人でやっていた名残からポストプレー役を葵と一時チェンジしてみたり。

 ノリにノっている時のさつきと多恵はもう誰にも止められない。

 

 相手もなりふり構わず全力で守り、攻めてきて、最後は総力戦。

 最後まで気を抜けない戦いの中――気づけば同点のまま残り十秒。

 

「翔子!」

 

 祥から回ってきたボール。

 ほんの一瞬だけ迷い、俺はすぐさまそれを構えた。

 

「させ――」

「かかった」

「え……?」

 

 性格が悪いのは重々承知だが。

 シュートに見せかけたパスは見事に通り――我らがエースにして俺の親友、俺がバスケを始めることになったきっかけの一人。

 荻山葵があらためてシュートフォームを作る。

 

 止められるわけがない。

 

 これでいい。

 最後の一瞬は、全ての始まりである彼女のためにこそあるべきだ。

 白いネットが揺れ、その直後、試合終了のブザーが鳴った。

 

 頭が真っ白のまま走り出した俺は、葵を抱きしめてから己の大胆すぎる行動に気づいたのだった。



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翔子と進学先

「ね。みんなは進路、どうするの?」

 

 葵がそう尋ねてきたのは、大会が終わってしばらくした頃のことだった。

 

 俺達桐原中学のバスケ部は男女共に地区決勝で敗れた。

 男子はやばいエースを擁する志津野中というところ、女子は去年と同じ名門校――私立硯谷女学園に。割といい勝負をすることはできたので、悔しい反面、満足もしている。

 昴と葵なんか地方のスポーツ誌で特集組まれてたし。『桐原中の織姫と彦星』とか。冷静に考えると遠距離恋愛を連想してアレな感じなので、マイナー雑誌なのは幸いだったかもしれない。

 

 男女揃って公式戦無敗脱出、しかも決勝進出ということで学校側からは褒められた。

 大会前後は『祝!』と書かれた垂れ幕まで用意されてちょっと恥ずかしかったくらいだ。

 

 そんなわけで大会が終わり、まだ部活には顔を出しているものの、俺達も本格的に進路を考えなくてはならない。願書提出は先だが、志望校によって勉強の仕方も変わるわけだし。

 

「……そうだなあ」

 

 ちょくちょく来ているうちに慣れ親しんだ、複合アミューズメント施設『オールグリーン』のフードコートで、だらだらとポテトなどをつまみながら。

 俺は前に調べた、この地域の高校データを思い返してみる。

 前世のデータがたまにザッピングするのと、女子高が範囲に入るせいでちょっと混乱したのはいい思い出。

 

 うちはそれなりに収入があるため「私立でもいい」と言われてはいるものの、基本的に公立の方向で考えている。

 主なチェック項目は学力のレベルとバスケ部の活発さ、通学距離。一応つけ加えるなら制服が可愛いかどうか、といったところか。

 その上で総合的に判断するなら、

 

「俺は七芝だな」

 

 俺の結論をぐったり顔の上原が先取りした。

 俺達と張り合ってバテバテの状態だったが、なんとか喋れるようになったらしい。

 

「っ」

 

 すると、その声に昴が反応する。

 聞きたくなかった名前だから、というわけではない。前に七夕さんから聞いたことのだが、七芝高校は長谷川家に縁のあるところなのだ。

 曰く、昴のお父さんが通っていた学校で、その伝説が今も残っているとか。

 子供としては少々複雑だろう。ついでに言うと七芝、昴の学力だとちょっと、いやかなり厳しい程度には進学校だし。

 

「で、考えてた鶴見はどうよ?」

「私も七芝かなって思ってるけど、上原の後だと言いにくい」

「辛辣! っていうか言ってるし!」

 

 悲鳴を上げる上原はなんだか嬉しそうだったので放置。

 さつき達はどうなんだろうと尋ねると、あんまり遠くなくて無理なく入れて制服が可愛い学校との回答。

 

「それだと東高とか?」

「へー、あそこ確かに制服可愛いよな。じゃあそこにするかー」

「弊社も弊社も」

 

 それでいいのか二人とも。いや、ネタで言ってるだけかもしれないけど。

 でも、制服の可愛さなら七芝も負けてないと思う。胸元に大きなリボンのついたブレザータイプで、胸が小さいと余計平坦に見えてしまいそうなのが難点だけど。

 幸い、俺も貧乳と呼ばれない程度には成長している。

 

「……マジか。一成に翔子もか」

「……うわ。悩む」

 

 俺達の回答を聞いて難しい顔をする葵と昴。

 何かあったのかと思えば、実は幾つかの高校から非公式の勧誘が来ているのだと教えてくれる。当然、今の段階では確定ではないしオフレコだが。

 その中には七芝高校も含まれている。

 

「それって優遇措置があるってこと?」

「ん……一応、スポーツ特待を検討してるって話」

「え、何それすごい」

 

 学力での特待ならまだしも、スポーツの特待なんてそうそう取れるものじゃない。

 入試が免除、もしくは優遇されるなら昴でも入りやすくなるし。高校でもバスケを続けるなら願ってもない話だ。

 

「おめでとう二人とも。……ちょっと気が早いかもしれないけど」

「あ、あはは。ありがと」

 

 けれど、葵達の顔は微妙に優れなかった。

 何か悩んでいるのかもしれない。それも現段階では言えないか、相談して解決する問題じゃなさそうだ。

 

「……私は、できれば二人と同じところがいいけど」

「無茶言うのは止めときなさい。進路なんて、自分のために選ぶべきでしょ」

 

 さらりと言ったのはロングヘアーの美少女。

 祥の方を振り返り、俺は尋ねた。

 

「祥は、どこに?」

「硯谷を受けるつもり」

「……っ」

 

 決勝で俺達に勝った学校。

 硯谷女学園はスポーツ特化の私立だ。全寮制で、校舎を山の中に備えており、余計なものに邪魔されることなくスポーツに打ち込むことができる。

 本気で取り組みたい者にとってはこれ以上ないと言っていい環境。

 強いのも頷ける、というとアレだけど。

 

「どうして?」

「別に。私だって、なんとなくでバスケしてたわけじゃないってだけ。……後は、癪だったから」

「………」

 

 いつの間にか、祥にとってもバスケは大切なものになっていたらしい。

 癪と言ったのは未だ俺に勝てていないことか。司令塔であるポイントガードが1on1に拘る必要はないけれど、俺に勝つことが彼女の原点でもある。

 後は、もしかしたら去年の夏にあった出来事。

 

『……ね、二人とも。良かったら再来年、硯谷に来ない?』

 

 去年の硯谷で四番を務めていた人に偶然出会い、誘われたことがあった。

 その場には祥もいた。なのに誘われたのは俺と葵の二人だった。昴もいたが、硯谷は女子校なので彼が含まれないのは当然のこと。

 容姿から「根っからの体育会系じゃない」と判断されただけかもしれない。

 ユニフォーム姿との印象が違うのでわからなかっただけかもしれない。それでも、祥は悔しかったに違いない。俺と葵だって、友達を軽く見られたようで悔しかった。

 

「連絡先、変わる時は必ず教えて」

「わかってるわよ。あんた、ほっとくとストレッチも洗顔も栄養管理もサボりそうだし」

「失礼な。私だって自分なりに頑張る」

 

 俺達がしょうもないことを言っている間に、残る一人、諏訪もまた志望校の表明を済ませていた。

 

「長谷川。俺は伊戸田に行こうと思ってる」

「っ」

 

 それは、昴達の優勝を阻んだ「ある男」が進学するであろう高校の名前だった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 その後、昴と諏訪は二人だけで話す機会を設けたらしい。

 彼らがどんな話をしたのか詳しくは知らない。ただ、男同士の熱いやり取りがあったらしいことは雰囲気でわかった。

 多恵が得意とする腐ったフィルターをかけた上で想像するならこんな感じだろうか。

 

『長谷川、俺はお前とやりたい』

『っ。諏訪、それは俺だって、でもお互い、もっとやりたい奴が……っ!』

『関係ない。やりたいか、やりたくないかだ。それに、お前とだらだら友情ごっこしてても仕方ない。俺はもっと熱くなりたいんだ』

 

 ……文面だけならそっくりそのまま言っててもおかしくないな。

 

 諏訪との話が影響したのか、それとも別の理由か。

 昴は結局、進学先に七芝高校を選んだ。諏訪が進学した伊戸田商業からも推薦の話が来ていたらしいが、それを辞退して七芝のスポーツ科に特待生として進学。

 筆記試験の難易度が大幅に引き下げられた結果、俺と葵が集中指導することでなんとか事なきを得た。

 入ってからもスポーツ科は色々な面で優遇というか余裕を持たせてくれているようなので、気を抜かなければ大丈夫。後はバスケに集中できる良い環境だろう。

 

 そして、葵。

 彼女も進学先は七芝高校となった。そこの()()()()()()()し、合格。

 

 ――そう。彼女は特待生の話を蹴ったのだ。

 

 この件についても詳しくは聞いていない。

 葵が色々悩んでいたのは知っている。普通科受験を宣言する際も言いづらそうにしていたが、それでいて後悔はないと目が語っていたからだ。

 それを踏まえればなんとなく想像はつく。

 特待生で入学した場合、条件として運動部に()()()()()入部しなければならない。敢えてそれを避けたということは、葵はそれ以外の道を残しておきたかったのではないだろうか。

 例えばそう、男子部のマネージャーとか。

 

『なんでだよ。辞めるのか、バスケ。そんな勿体ないこと――』

『それは! ……だって!』

 

 納得しなかったのは昴だ。

 彼はバスケ馬鹿だ。自分だけでなく他人がするバスケもこよなく愛している。引退後も毎日のように部活に顔を出し、頼まれても頼まれなくても後輩の指導にあたっていたあたりからもそれがわかる。

 だから我慢ならなかったのだ。

 荻山葵という、類稀な才能を持つ選手がバスケから離れるということが。最も良い環境でプレーしないということが才能への裏切りに思えたのだ。

 

 そのままなら喧嘩になっていたかもしれない。

 もしかするとそれで良かったのかもしれないが、俺は見えている問題を見過ごすことができなかった。

 

『進学のこととかも考えたらそれもありだと思う』

 

 だから、口を挟んだ。

 水をさされた二人がなんとも言えない表情で振り返ると、強いて柔らかく笑みを浮かべて。

 

『将来、バスケに接する方法は一つじゃないでしょ? 将来トレーナーになるとか、トレーニング機器を開発するなら、いい大学に入ることも考えておかないと』

『……なるほど、そうか。それもそうだな。すまん、葵。熱くなりすぎた』

『う、ううん。私の方こそごめん。その、ちゃんと説明できなくて』

 

 二人の破局は回避された。

 本当の理由を有耶無耶にしただけなので、いつか明かさなくてはならない時が来るかもしれないけど。その時はきっと、葵がどうすべきか判断してくれる。

 彼女は俺に「ありがとう」と言ってくれた。

 

『翔子もごめんね。私、勝手に決めちゃって……』

『いいよ。……まあ、なに贅沢なことしてるんだこの、とは思うけど』

『う。それはその、本当にごめんなさい……』

 

 大会が終わってからの約半年はあっという間だった。

 

 勉強したり、バスケしたり、漫画読んだり、アニメ見たり、ゲームしたり、みんなで遊びに行ったり、なかなか会えなくなる祥からうんざりするほどお洒落談義を聞かされたり、美星姐さんから職場での愚痴や軽い相談を受けたり、七夕さんから料理を教わってみたり。

 そんなことをしているうちに卒業を迎えた。

 

 女バスの後輩達は別れを惜しみ、泣いてくれる子まで大勢いた。

 先輩を教訓に「自分達は泣くまい」と思ってたけど、みんなが泣いているのを見ていると今までの思い出が甦ってきて、自然と涙が溢れた。

 お互いわんわん泣くものだから何がなんだかわからなくなってしまったのもまあ、後から振り返ればいい思い出になるのではないかと思う。

 

『待っててくださいね!』

 

 と、俺や葵に言ってくる子が複数いたのがちょっと気になるけど。進路のことで相談があったらいつでも呼んで欲しい、とだけ伝えておいた。

 恋愛のために進学先を選ぶのはできれば避けて欲しいけど、無理強いもできない。

 お互いが高校生になった時、まだどちらにも相手がいなくて、もし俺に告白してくれる子がいたのなら、その時は真剣に考えられると思う。

 

「それじゃあ、これで」

 

 祥はそう言って、何でもないように去っていった。

 またね、という俺達の声にはちゃんと答えてくれたし、俺からも定期的にメールするつもりなので重苦しくなる必要はないが、それにしてももう少ししんみりしてくれてもいいだろうに。

 なんて、あの子もしっかり後輩達と泣いていたので、その辺りのことはわかっている。

 

「んじゃ翔子、ブチョー、長谷川センセーも」

「仲良くやるんだよぉ」

「……もう。さつき達はもうちょっと気分出そうよ」

 

 まあ、わかってはいたけど。

 さつきと多恵はまた、祥とは別の意味であっさりとしたものだった。

 

「いやいや、どうせ会うだろ。一か月もしないうちに」

「つるみん、新アニメが出揃ったらメールするからねぇ」

「あはは……」

 

 実際、休みの日なら幾らでも会えるわけで。

 友達の多い子達だからいつでもとはいかないまでも、こっちが誘わなければ向こうから電話なりメールなりが間違いなく来る。

 

「それだと、学校で会えなくても大して変わらないね」

「そりゃそうだ」

「友達だしねぇ」

 

 友達、か。

 こういう状況をそう呼ぶのはなんだか新鮮な気がした。男同士の場合、仲のいい相手であればあるほど、期間が開いても大丈夫という面がある。

 飯でも食いに行かね? から適当に集まって「最近どうよ?」と適当に駄弁って、時間があればカラオケかゲーセンでも寄って解散なんていうのも普通だ。

 だから、親しいほど会う頻度、連絡する頻度が多いというのは前世とは全然違う。

 

 ――けれど、そういうのを鬱陶しいと感じなくなっている自分がいる。

 

 吹き抜ける風を受け、髪とスカートを自然に気にしているのに気づき、苦笑する。

 

「翔子、どうかした?」

「ううん、なんでもない」

 

 葵の問いに笑顔で答え、一言付け加える。

 

「これからもよろしく」

 

 一瞬の間を置いて、満面の笑みと明るい声が返ってきた。

 

「もちろん!」




ここでお話は一区切りとなります。ご愛読ありがとうございました。

次回からは蛇足として高校生編、原作の時間軸に突入した翔子が介入したりしなかったりする予定です。


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高校生with小学生
1st stage 長谷川コーチ就任(1)


【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

【生年月日】6/1

【血液型】O

【クラス】七芝高校1年5組

【所属】七芝高校女子バスケットボール部

【学業】優

 

 

------------

 

 

 鶴見翔子、十五歳。

 小学六年生のふとした出会いから始まったバスケ生活もはや数年、あっという間に高校生になりました。

 

 進学先は七芝高校。

 同じ学校には昴(スポーツ科)、葵(普通科)、上原(特進)などが進んでいる。特進にするか普通科にするかは大分迷ったものの、やっぱりバスケもやりたい、ということで普通科を選んだ。

 葵と別のクラスになってしまったのは残念だったけど、休み時間などに幾らでも会えるのでよしとする。

 

 新しい制服は胸元の大きなリボンが印象的なブレザータイプ。

 指定ブラウスは袖口が波型になっている可愛いデザインで、似合うか少々心配だったものの、なんとか着こなせていると思う。

 中二の途中まで縛っていた髪は下ろしてストレートに。

 スカート丈は大人しめの高さをキープ、タイツを履いて日焼け対策。バスケ中は、母からプレゼントされた組紐で髪を纏めることにした。

 高校生なので化粧はほぼ必要ない。リップクリームや日焼け止めを使うくらいで十分。

 百七十に到達した身長もプレーヤーとしては嬉しいところ。服のサイズの問題があるので、高くなりすぎるのも困りものだけど。

 

「本当、化けたよな」

 

 上原には失礼なことを言われたが、これが努力の成果だ。

 俺がなんと言おうと「鶴見翔子」は女子である。

 ならばいっそ、俺好みの女の子を作り上げてしまおう、というのが二度目のイメチェンのコンセプトだ。ロングヘアーの清楚系。男どもの反応はどうでもいいが、女子からのアドバイスは素直に参考として取り入れながら、どうにかこうにか形になった。

 

「鶴見さんってモテないんだね、意外」

「うん。私、びっくりするくらいモテないんだよ」

 

 高校で新しく知り合った子からしみじみと言われたこともあった。

 実際、俺の男受けは微妙だ。昴なんかに「可愛いか」と尋ねれば「可愛い」と返ってくるのだが、恋愛的な意味では上原が言った通り「燃えない」らしい。

 目が慣れるまでは普通に可愛いらしく、入学して三日間くらいは男子から結構声をかけられたが、一週間も経つ頃にはぱったりと無くなった。

 

 部活は、予定通りバスケ部に入るつもりだ。

 葵と一緒に部活見学に行ったところ、七芝のバスケ部はかなり本格的だった。進学校とはいえ部活動にも力を入れており、中堅くらいの実績があるらしい。

 高校ともなるとさすがにレベルも高い。

 中三の時はいいところまで行った俺達だが、二年生や三年生の先輩は赤子の手をひねるようにあしらってくれる。まだまだ学ぶべきところがあることがわかり、また、もう一度部活ができるのだという実感に胸が高鳴った。

 

 昨日から仮入部が始まり、今日が二日目。

 出すことは決定している入部届をいつ出そうか考えながら授業をこなして――俺は、葵は、そして昴は、その時を迎えたのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「あー、勉強きついー」

「帰ろー。あ、鶴見さんは今日もバスケ部?」

「うん、またね」

 

 声をかけてくれた子に笑顔で答える。

 胸の前あたりで小さく手を振る独特の所作も、繰り返しているうちにだんだん慣れてきた。

 葵との挨拶は大きく手を挙げる感じのが多いけど、文科系や帰宅部の子はこういう可愛い仕草を自然にやってくる。

 

 ――よし、と。

 

 荷物を入れた鞄を持ち上げ、教室を出る。

 葵の教室を覗くと、彼女も支度を終えたところだった。

 

「葵、部活行こ」

「うん」

 

 頷き、葵が小走りに合流する。

 と、彼女は俺の顔を見て苦笑した。

 

「?」

「や、私より翔子の方が気合入ってるなって」

「だって、部活楽しいんだもん」

 

 自然と人の輪の中に入れる「部活」というシステムが俺の性には合っている。

 先輩達も優しいし、高校でもバスケを続けたい。

 正式入部してからの練習がどれだけきつくなるか戦々恐々としつつ。

 

「あはは、それは私も同感。中学の時も凄く楽し――」

「聞いたか、バスケ部の話」

 

 不意に、その情報は俺達の耳に入り込んできた。

 野球か何かやっていそうな男子二人が何事かを話している。バスケ部、というフレーズについ振り返ると、葵も立ち止まって彼らの方へと意識を向けた。

 男子が話しているからには、確率的には女子部ではないのだろうけど。

 

「緊急で部員全員、部室で待機だってよ」

「何かあったのか?」

「わかんね。けど、何か問題起こしたっぽい」

「―――」

 

 時が止まったような気がした。

 

 緊急招集。

 部室待機。

 問題発生。

 

 新しい生活が始まった、このタイミングで?

 ()()長谷川昴が仮入部している男子バスケ部が?

 

「葵」

「行こう、翔子」

「……ん」

 

 微笑んで頷き、揃って駆け出す。

 どこにと尋ねる必要はなかった。昴のいるスポーツ科へ。今ならまだ、部室に向かう前の少年と話すことができるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 幸い、昴は教室の前で捕まえられた。

 ()()()()は彼の元にも届いたようで、彼は困惑や不安でいっぱいの顔をしていた。

 

「とにかく行ってくる」

「う、うん」

 

 俺達は見送ることしかできなかった。

 初めて来たスポーツ科はバタバタしているように見える。男子バスケ部の噂が影響しているのだろうか。

 

「……部活、行こっか」

「………。そうね、そうしましょう」

 

 男子部で何かあったとはいえ、女子部は普通に活動するはず。

 話が終わるのを男子部の部室前で待つ――なんてことも不可能ではないものの、そうしてどうなるというものでもない。

 むしろ、きっと邪魔になるだけだ。

 

 お互い黙ったまま部活へ向かい、活動に参加。

 けれど、女子部もどこか落ち着かない様子だった。練習に身が入らないまま、昨日よりも早い時間に終了が告げられる。

 みんな気になっていたのだろう。

 もしかしたら男子部に彼氏のいる人なんかもいたかもしれない。制服に着替えている間に誰かが情報を持ってきて、聞こえるように告げる。

 

「……休部だって」

「え。……どれくらい?」

「それが、一年間」

「嘘」

 

 隣で葵が呟く。

 親友の顔は見たことがないくらい蒼白になっていた。

 

 ――詳細はこうだ。

 

 七芝高校男子バスケ部のキャプテン、水崎新の不純異性交遊が明らかになった。

 相手は()()()()()()()。しかも顧問の愛娘。かなり激しく思い合っていたらしく、両親の説得も聞かず駆け落ち寸前まで行った挙句、水崎キャプテンは自主退学。

 男子バスケ部は一年間の活動休止を言い渡された。

 

「……ロリコンとか信じられない」

「水崎君、爽やかで格好いいと思ってたのに」

 

 俺としても「マジかよ」という気分だった。

 同性愛ならまだしもロリとかアウトに決まってるだろアホか……って、そういう問題でもないんだけど、これは正直、ヤバすぎる。

 

 一年間。

 

 学校という場において、このブランクは致命的すぎる。

 三年生は最後の年を棒に振り、二年生は一つ下の指導ができないまま最上級生を迎えるしかなく、一年生はやりたかったバスケができず路頭に迷う。

 普通に考えれば大半が辞めるか、別の部に移るだろう。

 少なくとも今年の一年生は大幅に減る。残るのは「どうしてもバスケがやりたい!」という連中だけだ。

 

 そして。

 

 どうしてもバスケに拘るようなタイプにとっても、一年間の休止は痛すぎる。

 ましてやあの昴なら。

 

「あの、先輩。男子部の人達はまだ部室にいますか?」

「え? ううん、もうみんな帰っちゃってたけど……」

「そう、ですか。ありがとうございます」

 

 不思議そうにしながらも答えてくれた先輩にお礼を言い、内心ため息を吐く。

 駄目か。

 できれば昴と合流して様子を見たかったけど、無理みたいだ。

 となると、俺にできるのは。

 

「葵。飲み物でも買って、どこか座ろう」

「……ん」

 

 今にも泣き出しそうな親友を少しでも落ち着かせることだろう。

 

 

 

 

 

 

 自販機でレモンティーとミルクティーを買い、屋外に設置されたベンチへ座る。

 ペットボトルを二本とも差し出すと、葵は無言のままレモンティーの方を手に取った。

 

「……私、悪いことしちゃったのかな」

 

 誰に言うでもなく葵が呟く。

 

「別の方法で昴を追いかけたい、なんて。それで特待蹴ったから」

「違うよ。葵のせいじゃない」

 

 確かに、葵にはこれ以上ないくらい辛い仕打ちだけど。

 だからって、これが天罰であるはずがない。

 

 葵はペットボトルを開けようともしないまま抱きしめる。

 

「翔子。私、どうしたらいいのかな」

「………」

 

 問われた内容に俺は一瞬、言葉を失った。

 今の状況は葵にとっても辛い。

 女バスに入って腕を磨くか、それとも昴のいる男バスにマネージャーとして入るか。二つの選択肢のうち一つが選択不可能となり、もう一方も昴を差し置いての選択となる。

 昴なら「羨ましい」と思っても、裏切りなどとは考えないだろうけど。

 

「……まずは葵が落ち着くこと、かな」

「私、が?」

 

 俺は微笑を浮かべて葵に頷く。

 

「うん。昴も落ち込んでるだろうから、葵が励ましてあげないと。それなのに、葵が落ち込んでたら始まらないでしょ?」

「でも、どうやって」

「バスケの楽しみ方は一つじゃない。でしょ?」

 

 部活に入るのも一つ。マネージャーになるのも一つ。クラブチームに入るという選択肢もあるし、草野球のような形を取ることだってできる。

 第三の選択肢を見つければいい、と、暗に告げると、葵は噛みしめるようにして頷いた。

 

「……そっか」

 

 上を見上げると、雲に覆われた空が目に入った。

 一雨来そうだ。

 早く帰った方がよさそうだけど、今の葵には時間が必要だ。ミルクティーをちびちびと口にしながらしばらく待っていると、親友がようやく顔を上げてくれる。

 

「ありがと、翔子」

「大丈夫?」

「うん」

 

 弱々しく微笑んだ彼女は「後は家で落ち込む」と言った。

 俺達はペットボトルの中身を飲み干すと、専用のダストボックスに投げた。葵のは入り、俺のは入らなかった。さすが葵、抜群のコントロールである。

 俺もジャンプしたら入れられただろうか。無理か。

 

「翔子がいてくれて良かったわ」

「葵なら一人でも立ち直ってたよ」

 

 でも、少しくらい回復を助けられていたらいいと思う。

 

 葵と一緒に電車に乗り、最寄り駅に着いて。

 互いの道の方向で別れてから立ち止まり、高校入学祝いに買ってもらった新しいやつ――スマートフォンを取り出した。

 コールするのは昴の番号、ではなく自宅の長谷川家。

 

『はいもしもし――あ、翔子ちゃん。こんにちは』

 

 電話口で穏やかな声を発したのは予想通り七夕さんだった。

 

「お忙しい時間にすみません。七夕さん、昴は帰ってきてますか?」

『うん。帰ってきてるけど……すばるくん、なんだか辛いことがあったみたいで、ご飯もいらないってお部屋に閉じこもってるの』

「……やっぱり」

『やっぱりって、翔子ちゃん、何か知ってるの?』

 

 俺は迷いつつも、七夕さんに七芝高校男バスの活動休止を伝えた。

 伝聞だということを明言した上で知っている限りの顛末を話すと、さすがの七夕さんもショックを受けたようで「そんな……」と息を漏らした。

 昴の七芝進学は七夕さん達の希望でもあったと聞いている。

 難しいかもしれないけど、あまり気に病まないで欲しいと思う。

 

 ――昴も、やっぱり落ち込んでる。

 

 最終的に発破をかけるのは葵であるべきだけど、俺も彼を放ってはおけない。

 

「七夕さん。これからお邪魔してもいいですか? ……昴をバスケに誘いたいんです」

『あ……うんっ、もちろん。お夕飯、三人分用意しておくねっ』

「あ、ご飯まではご迷惑ですし……」

 

 一応辞退してみたものの、夕食の誘いは断り切れなかった。

 今日は両親共に仕事で帰ってこられないはずだから、まあ、ラインでも流しておけば問題ないか。

 

「ボールは、昴の家にあるはずだから……」

 

 ここからだと少し歩かないといけない。

 俺は小走りに長谷川家を目指した。

 

 

 

 

 

 

 玄関の呼び鈴を鳴らすと、すぐに七夕さんが出迎えてくれた。

 空は少しずつ暗くなり始めている。

 

「こんばんは、翔子ちゃん。来てくれてありがとう」

「こんばんは、七夕さん。……その、昴はまだ?」

「うん。やっぱりお部屋、開けてくれないの」

 

 育ち盛りの男子が食事を抜くとかただ事ではない。

 

「上がっても、いいですか?」

「もちろんよお」

 

 俺達のやり取りは昴に聞こえているだろうか。

 俺ははやる気持ちを抑えながら靴を脱ぎ、ゆっくりと二階への階段を上がった。

 閉ざされた昴の部屋の前に立つと、軽くノックする。

 

「……ああもう、だから夕飯はいいって」

 

 感情を押し殺したような声。

 昴の悲しみ、苛立ちを強く感じながら、俺は口を開く。

 

「ね、昴。ちょっとでいいからバスケしようよ」

「……翔子?」

 

 ドアの向こうから聞こえる声に、かすかな戸惑いの色が混じった。




オリジナルキャライメージ
(女子のみ、ランダム生成ツールを使用。下段はNovelAI製)
〇鶴見祥子
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〇鳳祥
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1st stage 長谷川コーチ就任(2)

「すばるくんの様子、どうだった?」

「……すみません、本人が落ち着くまでは難しいと思います」

 

 答えて首を振ると、七夕さんは「そう……」と表情を曇らせた。

 俺としても申し訳ない。

 結局、昴は顔を出してもくれなかった。

 

『……もう遅いだろ。すぐ夜になっちまう』

『ちょっとでいいの。必殺技、改良できそうな方法を思いついたから』

『なら、葵にでも頼めよ』

『ううん、昴にも意見をもらいたくて──』

『──いい加減にしてくれ!』

『っ』

『……悪い。でも、今は何もする気になれない。母さんにも伝えてくれ』

『……うん』

 

 昴は悪くない。

 ぐちゃぐちゃどん底状態の時に優しく話しかけてくる女。人の気も知らないくせに楽しそうな声出しやがって、と思われても当然だ。

 今の彼を無理矢理立ち直らせるには、本気かつ向こう見ずな愛情か、同じ道を歩む同性からの挑発がいるだろう。

 そのどちらも『鶴見翔子』にはできない。

 俺にできるのは、せいぜい諦めずに声をかけ続けることくらいだ。

 

「翔子ちゃん、せめてご飯食べていって」

「ありがとうございます。でも、今日はこのまま帰らせてください。……沈んでると、他の人が普通にしてるだけでも堪えたりするので」

「……そう、わかったわ。じゃあ、ちょっと待ってて」

 

 キッチンに戻った七夕さんは、夕食を手早くお弁当にしてくれた。

 チャーハンと麻婆豆腐。小さなタッパーには杏仁豆腐ならぬミルクプリン。粗熱が取れているところを見ると、こうなる可能性を見越していたのかも。

 中華は冷めても美味しいし、辛いものは食欲増進になる。

 昴が腹ペコで出てきてもいいよう、部屋の前に置いておくこともできるだろう。

 

「あの、七夕さん。ついでに傘を貸していただけませんか? 明日の朝、返しに来ます」

「あ……うんっ。好きなのを持っていって」

 

 長谷川家を出る頃には雨が降り始めていた。

 少し歩いてから振り返ると、二階にある昴の部屋の窓はカーテンがしっかりと閉ざされていた。暗い空模様とあいまって、幼馴染の心内を表しているようだ。

 てるてる坊主でも作ろうか。

 そんなことを考えながら自宅に帰り、着替えてから七夕さんのお弁当をいただく。

 

 同じチャーハンでも、俺の手抜き料理とは格が違う。

 麻婆と合わせることまで計算された薄めの味付けとパラパラ感にレンゲを動かす手が止まらなくなる。これを昴が食べたら「足りない」とおかわりを要求してしまうかもしれない。

 この味の差は腕だけでなく、料理に込める愛情の差だろうか。

 

 と、机の上に置いていたスマートフォンから着信音が響いた。

 発信者名の表示は『篁美星』。

 残ったお弁当を未練がましく眺めながら端末を手に取る。

 

「はい、翔子です」

『よー、夜分遅くに悪いな。晩御飯はもう食べたか?』

「ちょうど食べてるところでしたよ」

 

 嫌味ではない。決して。

 

『そっか。……ん、あんたは割と元気そうね』

「……もしかして、七夕さんからもう聞きました?」

『うん、だいたいのところは』

 

 七夕さん、行動が早い。

 と、いうよりは居ても立っても居られなかったのかな。

 

『でさ、あんたに頼みがあるんだけど』

「私に?」

『そ。私が今、六年生の担任してるのは知ってるだろ?』

「はい」

 

 美星姐さんが初めて担任した子達で、四年生からの付き合いになるらしい。

 何度か話を聞かせてもらい、時には意見を求められた。背が高いのを気にしている優しい女の子のこととか、男子と平気で喧嘩するやんちゃな子のこととか、別の学校から転校してきた「バスケが大好きなのに我慢している女の子」のこととか。

 大した意見は言えなかったけど、自分と重なる部分があるので親近感はある。

 

『ついでに最近、女子バスケ部の顧問になったんだけど』

「あの子の件はそうなりましたか……」

 

 五年生の途中で転校してきた件の子。

 その子に惚れ込んだ「やんちゃな子」が女子バスケ部の発足を発案し、仲の良かった子を集めて実際に立ち上げた。

 沈んでいたバスケ好きの子もだんだん打ち解けていい雰囲気だったものの――いいところで横槍が入った。

 同じ学校の男子バスケ部が練習場所の競合に文句を言ってきたのだ。ほぼお遊びの部と、大会でもいい線行っている部。どちらかといえば男子の方に理がある。

 

 それでも納得できない美星姐さんは抗議、部員同士のバスケ対決で処遇を決めることになった。

 女子バスケ部が勝てば現状維持、負ければ部は解散。

 

 しかし、五人いる女バスのうち四人はバスケ素人。

 顧問である姐さんもバスケ未経験であり、このままでは男子に勝てるわけがない。

 

『そこで、現役高校生にコーチを頼もうと思ってるわけ』

「なるほど……」

 

 つまり、それが俺に電話してきた理由か。

 

「私は断ればいいんですね?」

『そ。やー、話が早くて助かるよ』

 

 その条件で美星姐さんが伝手をあたるとすれば、真っ先に挙がるのは俺達だ。

 

 件の部は「女子バスケ部」だから、できれば男子よりは女子の方がいい。

 葵は七芝高校にとっても期待のホープ。

 となれば、葵に比べると時間の余裕を作りやすいであろう俺に白羽の矢が立つ――立ってしまうので、俺はここで断らなければならない。

 

「はい。私も手伝いたいのはやまやまなんですけど、入部届を明日には出す予定だったので。入部早々、しばらく来られませんはちょっと」

『そうだなー、それじゃ仕方ない』

「できれば葵もそっとしておいて欲しいです。私以上に忙しいですし」

『ん。……仕方ない、そうなると昴に頼むしかねーか』

 

 俺も美星姐さんも滅茶苦茶、笑いを堪えていた。

 つまり、姐さんが持ってきた話は「長谷川昴を立ち直らせるための策」だ。

 

 もちろん女バスと男バスの一件も本当なんだろうけど、今、このタイミングでその話を進めるなら――昴に任せる以上の解は存在しない。

 みんな昴を心配しているのだ。

 なんとかして彼にもう一度、バスケと向き合ってもらえるように考えている。

 

「ありがとうございます、美星姐さん」

『あ? いやいや翔子、そこで言うべきは「ごめんなさい」だよ』

「あはは。そうですね、お手伝いできなくてごめんなさい」

 

 俺達はくすくすと笑い合った後で悪だくみを終えた。

 

『んじゃ、そういうことで。あんたは適当に昴励ましといてくれればいいから』

「了解です」

 

 通話を切ると、レンジで温めたはずのお弁当は冷めてしまっていた。

 けれど、胸の奥には温かなものが灯っていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 翌日。

 ゆっくりめに登校してきた葵は瞼こそ腫れていたものの、表情には生気が戻っていた。

 廊下の壁を背にして並び、例の件について尋ねる。

 

「おはよう葵。……昴の様子はどうだった?」

「おはよ、翔子。うん、顔色は物凄く悪いけど、ちゃんと教室に居た……って、なんで私が知ってると思ったのよ!?」

「ん、まあ、なんとなく」

 

 それくらいは長い付き合いだから想像がつく。

 

「そっか。次の日に学校来られたなら、大丈夫そうかな」

 

 今朝、長谷川家に行ったものの、昴には追い返されてしまった。

 先に登校して教室で自習をしていたため、幼馴染が登校してくるかどうかはわからなかったのだ。

 頷く俺をよそに葵は浮かない顔。

 

「……どうだろ。しばらくすれば気分は晴れるだろうけど」

「放っておいたらバスケは止めちゃいそう?」

 

 返事はなかったが、葵の表情が答えを語っていた。

 

「なら、放っておかなければいいんじゃない?」

「あっさり言うわよね」

 

 言いつつ、俺の言葉に笑みを浮かべる葵。

 一晩考えた結果、答えは出たらしい。

 

「……ごめん、翔子。私、入部届は出さない」

「ん、わかった」

 

 俺は微笑んで頷いた。

 多分、そうなるだろうと思っていたので驚きはない。

 

「いつでも葵が戻ってこられるようにしておくから、好きなことをやってきて」

 

 俺は、葵がいなくてもバスケ部に入る。

 中学の三年間で、バスケは俺にとってもかけがえのないものになっている。

 

 それに、同じ部にいないから『一緒じゃない』なんて思わない。

 休み時間や放課後にはこうやって話ができるわけだし。

 寂しいけど、これでいい。

 

「……あんたは、全くもう……っ!!」

「わっ」

 

 がばっと葵に抱きしめられた俺は柔らかな胸に顔を埋めてしまう。

 でも、小さく聞こえた「ありがと」の声で邪な気持ちは全部吹き飛んだ。身体から力を抜き、葵の体温を全身で感じる。

 

「うわ、荻山さん大胆」

「もしかして二人って付き合って……?」

「「ないです」」

 

 葵の名誉のためにも、そこはしっかりと否定しておいた。

 

 

 

 

 

 

 数日後、美星姐さんから『我、目標の確保に成功せり』とメールが来た。

 

 どうやら無事、昴を焚きつけることができたらしい。

 これで形はどうあれ、あのバスケ馬鹿をバスケに触れさせられる。そうすれば後は我慢の限界が来て、元の昴に戻ってくれるはずだ。

 葵や上原も動いてくれて――あまり穏便ではない方法ながら、昴に発破をかけた模様。

 

「お前さ、もう朝飯うちで食べてけよ」

 

 金曜の朝にそう言われたのは努力の成果に違いない。

 ここしばらくの日課になっていた「早起きして長谷川家に行く」→「昴に門前払いを食らう」→「誰もいない教室で朝ご飯を食べる」を繰り返そうとしていた俺は、昴の言葉に笑顔になった。

 

「じゃあ、バスケしてくれる?」

「いや、それはせんけども」

「駄目か」

 

 じゃあ仕方ないと、朝ご飯だけご一緒することにした。

 学校で食べていたのも七夕さん特製のサンドイッチやおにぎりだったけど、やっぱりご飯は温かいうちに食べた方が美味しい。

 こう毎日だと申し訳ないので、そのうち食材か何かでお返ししないとだけど。

 

 にこにこ顔の七夕さんと一緒に席について「いただきます」をする。

 箸を手に取ったあたりで、じっと見られていることに気づいた。

 

「? どうしたの?」

「いや、お前も変なやつだよなーって」

「そうかな」

 

 性自認の方向で変なのは自覚してるけど。

 

「いや、葵とか一成とか、あとミホ姉とかはもっとしつこいから」

「代わりに、私は諦めが悪いんだよ」

「なるほど。タチ悪いな」

 

 その日、俺は久しぶりに昴の笑った顔を見た。

 苦笑だったけど、それでも貴重な笑顔だ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 昴が美星姐さんの職場――私立慧心学園へ行く日。

 俺は、日課になっていた長谷川家訪問を最後にした。後は慧心女バスの子達に託す。姐さんの話からしてみんないい子達だし、昴の心をきっと癒してくれるはず。

 

 俺の方も朝練が始まり、忙しくなったというのもある。

 自由参加だけど出た方が上達は早いし、先輩方とも仲良くなれる。

 

「時に、鶴見君」

「はい」

「もう一人の子――荻山君は気が変わってしまったのかな?」

 

 女バスには色んな先輩がいるが、中でも特に個性的なのは、二年生にして正センターの島崎きらら先輩だろうか。

 百八十センチ超えの長身に、女子受けの良さそうな甘いマスク。芝居がかっているのに嫌味にならない不思議な話し方をする人で、部員からは色んな意味で一目置かれている。

 仮入部の際はよく一年生、特に葵に熱い視線を送っていた。

 

「通常、入部届の提出期限は今日なのだが」

「はい。葵――荻山さんは入部しません。どうしてもやりたいことがあるそうで」

「やりたいこと、か。それは、バスケで全国へ行くよりも重要なことなのかな?」

 

 俺は笑顔を作って答えた。

 

「バスケが好きだからこそ、やらないといけないことなんです」

「……ふむ、そうか」

 

 一応、納得してくれたらしい。

 島崎先輩は頷いた後、どこか沈痛な面持ちになった。全国について口に出すあたり、彼女は本気で上を目指しているらしい。

 そういう人から見ると、葵の行動は理解できないかもしれないけど、

 

「あの巨乳を手に入れ損ねたのは痛いな」

「……え?」

 

 何言ってるんだこの人。

 さつきや多恵の言動に慣れた俺でさえ、即座に反応できなかったぞ。

 

「あの、バスケの話ですよね?」

「もちろんそうだが、惚れた相手を欲しいと願う女の話でもある」

「……女同士ですよ?」

 

 俺だけは言っちゃいけない台詞なんだけど、この際仕方ない。

 この頭のネジが外れてるっぽい女性を止めないと。

 

「それがどうした? 私は人に恥じるような生き方をしているつもりはない」

「あ、駄目だこの人」

 

 擬態を吹き飛ばし、素で呟いてしまった。

 ええい、こうなれば仕方ない。

 強引にでも釘をさしておくことにしよう。

 

「先輩。残念ですが、葵には相手がいるんです」

「ほう? それはひょっとして君のことかな?」

「もし、そうだとしたら……どうされますか?」

 

 ここで退いたら負けに違いない。

 俺は敢えて不敵に微笑み、島崎先輩を正面から見上げた。

 平常心平常心……って。

 

「きゃっ!?」

 

 すっと伸びてきた手に顎を持ち上げられる。

 

「良い声だ。……あの巨乳は惜しいが、君もなかなかの美乳を持っている。悪くない」

「ええと。……先輩が悪い人なのは良くわかりました」

「ふふ」

 

 顎に触れた手を離し、俺の頬を撫でながら先輩は笑った。

 

「どうやら楽しい一年になりそうだ」

 

 こっちは貞操の危機である。

 ひょっとして、この人のせいで俺はあんまり目立たなくて済むかも、なんて思った四月のある日であった。



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1st stage 長谷川コーチ就任(3)

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(前略)

 メッシュの膝丈ソックスを装備した香椎愛莉さんは、(中略)小学生の女子としてはこの高さは稀有だろう。幼馴染である鶴見翔子でさえ、今の身長に到達するのに中学三年間を要している。

 

【原作一巻より ささやかな影響】

 

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「……でも、実際勝てるのかなあ」

 

 昴に委ねた、美星姐さんの教え子達の行方。

 関わりのないまま日々を過ごしながらも、やっぱり気にはなってしまうわけで。

 コーチが始まって一週間ほど経った月曜の夜、俺はベッドの上でぼんやりとそんなことを思った。

 

 男子と女子の戦力差は大きい。

 俺は彼ら彼女らがどんな子達なのか詳しく知らないが、男子は少なくとも十人以上いる。選手交代なしのルールにするとしても、層の厚さはチームの完成度に直結する。

 まして、女子は一人以外素人らしい。

 つけいる隙があるとすれば真剣度の差。対男子用の作戦をあらかじめ用意し、相手が舐めてかかっているうちに点を稼げれば、あるいは。

 昴ならやってくれるかもしれない。

 いや、彼ならきっと突破口を見つけ出す。桐原中男子バスケ部を率いていた時も、今ある手札を最大限に活かすバスケをしていたのだ。

 

 まあ、こうやって「自分ならどうするか」を考えてしまっているあたり、ちょっともったいなかったかな、という気持ちもあるけれど。

 

「……ん?」

 

 そこへ、スマホが着信音を響かせた。

 手に取ってみれば『長谷川昴』の名前。ちょうど彼のことを考えていたところで電話だった。

 

「もしもし、昴?」

『こんばんは、翔子。今大丈夫か?』

「こんばんは。うん、大丈夫だよ」

 

 それで? と先を促すと、昴はおもむろに話を切り出してきた。

 

『なあ、背が高いのがコンプレックスな子に自信を持たせるにはどうしたらいいと思う?』

「ああ……愛莉ちゃんのことだよね? 美星姐さんにも聞かれたなあ」

『愛莉に会ったことあるのか?』

「ううん、姐さんから話だけ」

 

 一度そこで言葉を切って、続ける。

 

「……私に言えるのは同じことかな。背が高いことが何かの役に立てば、変われるんじゃないかと思う」

 

 美星姐さんにもそう答えた。

 高身長がコンプレックスなバスケ女子自体が意外な存在。加えて、俺と愛莉ちゃんだと条件が色々違いすぎる。同じ年の頃はまだ大して大きくなかったし、身長がバスケに役立つことを知っていたし、男と並ぶのはむしろ望むところだった。

 なので、意見の元は前世の知識。

 胸の大きい女の子が出てくるエロ漫画が根拠だって言ったらドン引きだろうけど、あながち間違ってはいないはず。

 

『自信持って試合に出てもらうのは、試合で活躍すればいいってことか……。矛盾してるな』

「そうだね」

 

 電話の向こうで昴が残念そうに息を吐くのがわかった。

 

「ごめんね、力になれなくて」

『いや。相談できる奴がいるだけ有難い。ミホ姉から「葵には言うなよ」って釘刺されたし』

「あはは。小学生の女の子にバスケ教えてる、なんて言えないよね」

 

 そんなこと言ったら二重三重の意味でやばい。

 小学生に本気で嫉妬したりはしないと思うけど、それでも葵にとって昴に近づく女は少ない方がいいだろう。

 と、昴がしばらく黙って、

 

『……なあ、翔子は止めろって言わないのか?』

「コーチのこと?」

『ああ。……普通に考えたらおかしいだろ。部活があんな理由で休止になったのに、女子小学生のコーチなんて』

「まあ、勘違いされそうな話ではあるよね」

 

 そんな気がなくても、そういう風に見られかねない。

 そういうものだと思って見れば何でもそう見えてしまうもので、例えば、昴が教えている愛莉ちゃん達自身が「長谷川さんはいい人です」って言っても「そうやっていい人ぶって騙しているのか」となりかねない。

 

「でも、やましいことがないなら堂々としてればいいと思うよ」

『……いいのか?』

 

 昴のコーチが、ではなく、俺のスタンスが「それでいいのか」という意味だろう。

 

「うん。だって、そもそもこの話って美星姐さんが持ってきたんでしょ? 慧心女バスの顧問からの依頼なんだから、もし何かあっても責任持つのは姐さんだよ」

 

 上にどこまで話したかは謎だが、それでも「七芝高校男子バスケ部所属の一年生」をコーチにしたまま放置するなら、それは慧心学園運営側の判断と同義。

 保護者や七芝側から抗議が入ったとして、すいませんと謝れば「問題があった」と認めることになるのだから、慧心側が昴の味方をしてくれる可能性はそれなりに高いはずだ。

 

「昴は毅然としてればいいよ。……もし変なことするつもりなら別だけど」

『するわけないだろ、そんなこと』

「だよね」

 

 同い年の女子に指導する時ですらそういう雰囲気ゼロだったし。

 桐原女バスの後輩達も「長谷川先輩には頼みやすい」と言っていたのを思い出してくすりと笑った。

 

『……ありがとな、翔子』

「私は何もしてないよ。頑張るのは昴と、バスケ部のみんなでしょ?」

『ん。そう、かもな』

 

 なんか「そういうことにしといてやるよ」というニュアンスを感じた。

 なんとなく気に入らないので言い返そうとしたら、その前に「じゃあ、また」と電話を切られてしまった。ふう、と息を吐いて腕をベッドの上へ。

 

 本当に、昴には頑張って欲しい。

 

 俺の心情としては、できれば慧心女バスに勝って欲しい。

 男バスの言い分は割と筋が通っているし、理解してあげたい面もある。だけど、大会に出る気がないから程度が低いなんていう態度は気に食わない。

 勝つことではなく楽しむことに全力なバスケがあったっていいじゃないか。

 先に練習場所の使用権を得たのが女バスなのだから、強引に奪うのはお門違いだ――と、曲がりなりにも女子である俺としては思うのだ。

 

 とはいえ、俺にできるのはちょっとした手伝いくらい。

 後はだた祈るしかないのだが。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 昴からのオファーで出番が来たのは決戦二日前、祝日の金曜日だった。

 部活の休日練習を終えた俺はバスと徒歩を使い、とある河原沿いの公園を訪れた。そこにはもう、昴の手引きを受けた待ち合わせ相手の姿があった。

 可愛らしい制服に身を包んだ、背の高い女の子の姿。

 まだあどけなさを残す大人しそうな顔立ちと、既に俺と大して変わらない驚くような身長の高さがアンバランスであり、魅力的にも映る。

 

 初めて会うけど間違いない、聞いていた印象通りの子だ。

 向こうにも俺の特徴は伝わっていたらしく、近くに寄る前に立ち上がって頭を下げてくれた。

 

香椎(かしい)愛莉(あいり)ちゃん、だよね? はじめまして、昴の友達の鶴見翔子です」

「は、初めましてっ。その、香椎愛莉です」

 

 初対面の年上に緊張しながらも挨拶を返してくれる彼女。

 その視線が俺の頭あたり――身長に行っていることに気づき、俺は微笑んだ。

 

「突然、昴が無理言ってごめんね。どこか場所移そうか? お茶とケーキくらいならご馳走しちゃうけど」

「い、いえ、そんなっ! ここで大丈夫です」

 

 愛莉ちゃんが見たのは、それまで彼女が座っていたベンチ。

 俺は頷いてそれに答える。下手に店に入ると長話が前提になってしまうし、逆に緊張させてしまうかもしれない。それならと、自販機で飲み物だけ買うことにした。

 遠慮しないで、と言ったところ、愛莉ちゃんのオーダーはまさかのお汁粉。値段が安いわけでもないし喉が渇きそうなのに何故、と思ったら「小豆が好きなんです」と恥ずかしそうに教えてくれた。そういえば「大きい」と「小さい」に強く反応するんだったか。

 

「そうなんだ。そういえば、お汁粉ってなかなか飲む機会ないよね。美味しいんだけど」

「は、はいっ。美味しいですよねっ」

 

 ちょっと食い気味に同意された。

 緊張してるけど怖がられてはいない様子。こういう時、同性は便利だ。男だったら幾ら穏やかに話しかけようと警戒からは免れない。

 並んで腰を下ろし、自分用の紅茶に軽く口をつける。

 美味しい。運動した後だから身体が水分を欲していたし、さっぱりしてるから飲みやすい。

 

 さて。

 

 愛莉ちゃんも自分の練習が終わった後。

 見かけによらず小学生となれば門限も早いはずであり、あまりのんびりもしていられない。

 打ち解ける間を取りたいところではあるものの、早速、昴からの依頼を果たすことにする。

 

「あのね、愛莉ちゃん」

「は、はいっ」

「あはは。そんなに硬くならなくて大丈夫だよ。難しい話はしないし。私もね、昴に言われて来た感じだから、何を話そうってあんまり考えてないの」

「あ……」

 

 苦笑を浮かべて見せると、愛莉ちゃんの表情が緩む。

 引っ込み思案な子らしいけど、それでも同性、かつ自分と似た属性を持つ俺にならある程度、心を許してくれるのではないか。そんな昴の予想は正しかったらしい。

 愛莉ちゃんは一口飲んだお汁粉の缶を両手で包み込んだまま、おずおずと言った。

 

「あの、なんてお呼びしたらいいですか?」

「愛莉ちゃんが呼びやすいようにしてくれていいよ。昴には翔子って呼ばれてるし、つるみんとか呼んでくる友達もいるし」

「じゃ、じゃあ、あの、翔子さんっ」

「うん」

「翔子さんも、その、バスケ、してるんですよね?」

「やってるよ。小学六年生からだから……始めて四年になるのかな」

 

 長いな、と、あらためて思い目を細める。

 そういえば、愛莉ちゃん達とだいたい同じくらいに始めたことになるのか。そういう意味でも親近感を持ってくれるかもしれない。

 

「その頃から、身長、大きかったんですか?」

 

 視線がそっと俺に向けられる。

 ずっと年下の子の目線が殆ど同じというのは、やっぱりちょっと不思議な気分だ。

 

「ううん。えっとね、私はバスケ始めたくらいから急に伸び始めたの。だから、小学校の頃はそんなに大きくなかったかな」

「そう、なんですね」

 

 ちょっとがっかりしたのか、愛莉ちゃんの表情が曇る。

 

「……背が高いの、嫌?」

「………。はい、嫌、です」

「そっか」

 

 自分もそうだった、とは言えないけど、理解はできた。

 

「背が高いと大変だよね。服とか、下着とか。みんなからも見られるし」

「そ、そうなんです!」

 

 ぱっ、と、愛莉ちゃんが目を輝かせた。

 

「わたし、好きで大きくなったわけじゃないのに『デカ女』とか言われて……悲しくて」

「それは酷いな。男の子はすぐそういうこと言うんだよね」

「はい。だから、男の子も怖くて……お兄ちゃんも」

 

 お兄さんがいるのか。

 あれ、そういえば、うちの学校に「香椎」姓の一年生がいたような。昴と同じスポーツ科で、バスケ部に入った結果、一瞬であぶれた男子。

 背が高く、今はバレーに転向していたはず。

 同じ苗字。背が高くて、バスケットボールに繋がりがある。今度、ちょっと確認してみよう。

 

 俺はそのまましばらく、愛莉ちゃんと「高身長あるある談義」で盛り上がった。

 状況こそ違えど共感できるところがあるとわかると、愛莉ちゃんはだんだん心を許してくれて、可愛らしい笑顔を見せてくれるようになった。

 

「翔子さんは格好いいです……。わたしも、そんな風になれたら」

「焦らなくていいと思うよ。背を低くするのは難しいと思うけど、うまい付き合い方を探すことはできると思う。身長のこと、気にせず付き合ってくれる友達もいるでしょ?」

 

 そう言うと、愛莉ちゃんはこくん、と頷いてくれた。

 大切な宝物について話すような表情で。

 

「はい、います。大好きな、お友達」

「それなら大丈夫。愛莉ちゃんは素敵な女性になれるよ。私が保証する」

「……えへへ」

 

 笑顔になった彼女は物凄く可愛かった。

 ついつい頭を撫でてしまい、嫌がられないかと心配したけれど、愛莉ちゃんは嬉しそうに目を細めただけだった。

 せっかくなのでさらさらの髪をしばし堪能。

 やっぱり子供の髪は何もしなくても良質だ。年齢と共に衰えていくものなので手入れは必要だと、あらためて認識してみたり。

 

「あの、翔子さんの部活はどんな感じなんですかっ?」

「うん、えっとね――」

 

 そうして話題はバスケの話に。

 

「私が入った高校のバスケ部はそこそこ強いところでね。私より大きい先輩なんかもいるんだよ。()()()()()()()()()()()()()んだけど、高校では別のポジションになっちゃうかも」

「センター……やっぱり、大きい人は」

「うん。一番背の高い子がセンターをやることが、やっぱり多いかな」

 

 任務完了。

 俺は心の中で密かに呟いた。昴からの頼みとはなんのことはない、愛莉ちゃんに会って、とある情報を伝えるというだけのこと。

 

 いわく、センターの役割はぼかした上で、それが高身長用のポジションだと印象づけろ。

 

 何言ってるんだこいつは、と最初は思った。

 その後、意図を明かされた時は爆笑すると同時に呆れた。というのも、昴は愛莉ちゃんがバスケ初心者なのを利用し、とある仕掛けを考えたのだ。

 背の高い人=センターは知っているが、センターが何をする役割か知らない子に嘘を教え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という暴挙ともいえる仕掛けを。

 

 長期的に考えればあまりいい策とは言えないけれど。

 短期間で愛莉ちゃんを「使う」にはこれ以上ない作戦。それにこの方法なら、試合で活躍することで自信をつけてもらう例の考えも活かせるかもしれない。

 今は錯覚かもしれない。

 でも、コートの中なら高い身長が役に立つと知ってくれれば。

 

 家に帰らなければならない時間になり、名残惜しそうにする愛莉ちゃんと連絡先を交換した俺は、色々な意味合いを籠めて「またね」と微笑んだのだった。



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2nd stage 長谷川コーチ、小学生と合宿する(1)

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【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

 

【趣味】バスケ、アニメ・漫画鑑賞、ゲーム、ネットの口コミを見ること(主に美容関係)

【弱点】頼まれごとを断るのが苦手

【座右の銘】人はいつか必ず死ぬ。だからこそ一生懸命に生きるのだ

 

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「勝った、かあ……」

 

 スマホに送られてきたメールを見つめ、俺は深く息を吐いた。

 良かった、と思う。

 これでみんなの居場所は守られた。愛莉ちゃんとも知り合ってしまった以上、俺にとっても他人事とは言えなくなっている。

 

 同時に、良く勝てたものだという思い。

 後から聞いたところによれば本当にギリギリ、紙一重で掴んだ勝利だったらしい。愛莉ちゃんから送られてきたメールにも「勝てないと思った」と書かれていた。

 さすがは昴だ。

 人を活かすバスケにおいて彼の右に出る者はいない。俺が葵が同じ役を担ってもこうはいかなかったかもしれない。

 

「おめでとう……っと」

 

 お祝いの文章を作って昴と、それから愛莉ちゃんに返信する。

 

「そういえば昴、これからどうするのかな」

 

 コーチの話は臨時で、男バスとの勝負までって話だったけど。

 美星姐さんなら継続を打診しそうな気がするし、もし彼女が言いださなくても昴か、もしくは愛莉ちゃん達の方からお願いするかもしれない。

 

 きっと、人にバスケを教えるのもいい経験になるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 それから二週間くらいがあっという間に過ぎた。

 

 案の定、昴はコーチを続けることになる模様。

 毎日女子小学生のフリースローを眺めていると嬉しそうに言われた時はどうしようかと思ったが、どうやら何がなんでも昴に続けて欲しい子がいたらしい。その子と賭けをしたのだという。

 あれからたまに連絡を取っている愛莉ちゃんもその子――智花ちゃんの勝ちを望んでいるようなので、きっと、慧心女バス五人の総意なのだろう。

 

「でさ、良ければ同好会、入ってくれないか?」

 

 七芝高校一年生による非公式のバスケ同好会。

 四月の終わり頃、昴からそんな話が持ちかけられたりもした。元・バスケ部入部希望だった生徒などに声をかけて回っているものの、今のところオーケーしてくれたのは葵と上原だけだとか。

 

「うん。ほとんど名前だけになっちゃってよければ」

 

 俺はそれを快諾。

 これが学校側を介した同好会なら校則を紐解かねばならないけど、非公式ならその必要もない。部活優先だから幽霊部員ならぬ幽霊会員ということで四人目のメンバーとなった。

 部活が臨時休みの時とか休日、顔を出せる時には出すことにする。

 

 でもコーチの方は平気なのかと思ったら、昴が提案した活動日はしっかり女バスの活動日とずらしてあった。

 葵のいるところで確認してバレそうになる、なんて羽目にならなくて一安心である。

 と。

 

「あ」

「ん?」

 

 昼休み。

 ご飯の前に花摘み(婉曲表情)へ行こうとしたところ、向こう側から歩いてくる目立つ人物と目が合った。相手も俺がデカイと思ったのか瞬きをする。

 チャンスか。

 

「あの、香椎くん、だよね?」

「あ、ああ。そうだけど」

 

 駆け寄って声をかけると、島崎先輩よりさらに大きいその男子生徒は戸惑いつつもそう答えた。

 

「すまん、どこかで会ったことあるか?」

「ううん。ただ、私が間接的に知ってたというか」

「?」

 

 わかりやすく疑問符を浮かべた彼に俺は微笑んで、

 

「香椎くん、妹さんがいたりしない?」

「愛莉のこと、知ってるのか?」

 

 やっぱり。

 そんな偶然そうそうないだろうと思いつつ、推測が正しかったことにほっとする。

 

「うん。ちょっと話す機会があって、お友達になったの。……それで、今時間あるかな?」

「ああ。学食で飯食いながらで良ければ」

 

 幸い、彼、香椎万里は俺の誘いを快諾してくれたのだった。

 

 俺はお弁当なので、万里には先に行ってもらい教室へ一度取りに帰った。

 学食に着いたのは、ちょうど万里が食事の受け取りを終えたところだった。

 

「香椎くん」

「おう。……さて、どこか空いてる席は」

「あそこでどうかな」

 

 ちょうど隅の方に向かい合って空いている席が。

 万里が頷いたため、席について腰を下ろす。

 

「うまそうな弁当だな」

 

 弁当箱の蓋を開けると万里がそんなことを言う。

 

「うん。なかなかの自信作だよ」

 

 白いご飯に卵焼き、鶏の唐揚げにいんげんの胡麻合え、にんじんと里芋の煮物という和食メニュー。

 塩分を取りすぎないようにやや薄味だが、そのあたりは出汁などを使って工夫している。

 万里が「いいなあ」といった様子で見ているので「食べる?」と聞いてみると、彼は驚いたのか目を見開いて「いいのか?」と言った。

 

「でもそれだと……ええと」

「あ、ごめんね。私、普通科の鶴見翔子」

「鶴見さんか。……あんたの弁当がなくなったら困るだろ」

「そこはトレードしてもらえれば」

 

 万里のトレーに置かれたカレーライスを指す。

 ちなみに彼の昼食はラーメンとカレーのセット。大柄かつ運動部とあってさすがによく食べる。

 俺も普通の女子よりは大食いだが、一般的な弁当箱ひとつで基本的に事足りている。部活終わりに間食することもあるし。

 

「むう……。そう、か。なら遠慮なく」

 

 割と本当に食べたかったのか、万里は交換した俺の弁当箱を興味深そうに眺めつつ煮物を口に入れた。

 

「うまい」

「ありがとう。でも、普通の料理だよ?」

「うちの飯は豪快なんだよなー。唐揚げも煮物も大量に作ってなんぼだから味は二の次になる」

「なるほど」

 

 相槌を打ちつつカレーを口に。

 大量生産といえば、このカレーも家庭で真似できない味に仕上がっている。こういうところのってなんともいえない美味しさがあるんだよな……。

 

「香椎くんの家は体育会系なんだ」

「ああ。家族でスポーツジムを経営しててな。親父もお袋も昔から運動やってたクチだ」

 

 アスリートのサラブレットというわけか。

 それは食事が豪華になるのもわかるというもの。

 

「愛莉ちゃんはお母さん似なのかと思ったけど」

「お袋もサバサバしたタイプだな。あいつは……誰に似たのか」

 

 言いつつ、万里が遠い目になる。

 愛莉ちゃんのことを心配しているのか、歯がゆいと感じているのか。

 しばらくして表情を戻すと俺に尋ねてくる。

 

「愛莉の話をしに俺に声かけたのか?」

「ううん。そういうわけでもないよ。ちょっと興味が出ただけ。ほら、私もバスケやってるから」

「そういうことか。……生憎、俺は止めちまったけど」

「一年生の長谷川昴から同好会の誘い、来なかった?」

 

 彼がバスケプレーヤーを繋ぎ止めようとしている話をすると、万里は首を振った。

 

「いや。聞いてないが、そんなやつがいるのか?」

「うん。私の幼馴染なの。本当にバスケ馬鹿なんだけど……香椎くんに声をかけなかったのは、どうしてだろう」

「あー、俺がバレー部入ったからかもな」

 

 肩を竦めて万里が言う。

 なるほど。既に新しい部を決めており、そこで楽しそうにやっているなら「邪魔しちゃ悪い」となるだろう。

 

「そうか、バスケプレーヤーだったのか。その身長ならセンターか?」

「うん。中三の時は県の決勝まで行ったんだよ。責任重大だけど、楽しいよね、センター」

「だよな。デカくて邪魔だとか言われるけど、それが仕事なんだっての」

 

 万里の表情が綻ぶ。

 彼も中学時代、センターを務めていた。彼の中学は生憎、優勝校と初戦で当たって敗退してしまっていたけれど、香椎万里の名はそれなりに知られている。

 県の高一の中では最高峰のセンター……だったと言っても過言ではないはず。

 当時は手一杯であまりよく知らなかった俺だが、後からデータを調べただけでも彼の凄さはわかる。だからこそバスケを止めてしまったというのは勿体ないけれど。

 

「そうそう、愛莉ちゃんとも昴繋がりで知り合ったんだよ。彼、顧問の先生から直接頼まれて、愛莉ちゃんの学校でバスケ部のコーチやってるの」

「何だって!?」

 

 バスケに悪印象を持ったわけではなさそうだし、愛莉ちゃんのことなら興味あるかも。

 そう思って話題を振ってみたところ、万里は予想外の食いつきを見せた。

 

「高校生の男が、愛莉のコーチ?」

「あ、そういうことだったんだ。大丈夫だよ、昴は小さい子に変な感情抱いたりしないから」

 

 バスケ馬鹿だし。

 むしろ、同世代の女子にすら碌に反応しないくらいだ。

 そうでなければとっくに葵と恋仲になっている。

 

「いや、しかしだな……!」

 

 ぐさ、と、ラーメンに載った薄っぺらいチャーシューが箸の餌食になった。

 

「心配なら、愛莉ちゃんに直接聞いてみたらどうかな。コーチに変なことされてないか、って」

「っ。……それができれば、苦労はしないんだけどな」

 

 さっきよりも更に遠い目。

 どうやら、万里と愛莉ちゃんの間にも何やら色々あるらしい。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 後日。

 

 愛莉ちゃんのお兄さんが七芝にいたんだね、という話を昴にすると「あいつの苗字って鹿島じゃなかったのか」という、すっとぼけたことを言ってのけた。どうやらその勘違いのせいで「万里イコール愛莉ちゃんの兄」という図式が成立していなかったらしい。

 とはいえ、昴が万里をスルーしていた理由は想像通りだった。

 バレーに熱中している彼を無理に勧誘もできず、昴としても同じ痛みを持つ者として話を振りづらい。

 

 来年の新生・男子バスケ部にぜひとも欲しい人材ではあるが、こればっかりはどうしようもなかった。

 

 ちなみに、愛莉ちゃんにも「お兄さんと同じ学校だった」という話は伝えている。

 するとどうやら、万里とは緩やかな喧嘩中らしい。

 穏やかで優しい愛莉ちゃんなので、嫌味を言い合うとかそういうのではなく、単についつい避けてしまっている感じらしいけど。

 

「どうして? お兄さんのこと、嫌い?」

『ん……えっと、その、怖い、というか』

 

 ぽつぽつと教えてくれたことを総合し、意訳すると次のような感じだ。

 

 ――図体がでかくて声がやかましく、動きが乱暴なのが怖い。

 

 殆ど存在が全否定だった。

 万里も決して無駄にでかいわけではない。喧嘩したり、やたら騒ぎ散らすようなタイプでもない。単に小回りがきかないだけで、根の優しい力持ちって感じなんだけど……愛莉ちゃんからしたらそうは見えないのかもしれない。

 異性の兄妹はどうしても疎遠になっていくものだし、こちらも難しい問題だった。

 

 愛莉ちゃんも話したくないっぽいのでその話題は打ち切った。

 すると、ほっとした様子で「とあること」を教えてくれる。

 

『翔子さんっ。今度、みんなで合宿するんです』

「合宿? もしかして、バスケ部で?」

『はいっ。智花ちゃん達と、長谷川さんも一緒です。二泊三日でお泊まりです』

「昴も」

 

 場所は慧心学園の施設らしい。

 であれば宿泊費などの心配はないんだろうけど……女子小学生と男子高校生が二泊三日でお泊まり。

 ええと、それは物凄くアウトっぽいフレーズだ。

 少なくとも葵に言ったら確実に潰しにかかるだろう。

 

「美星姐さん――篁先生も一緒なのかな?」

『? いいえ、先生は「お前達だけの方が気楽だろー」って言ってました』

「そっか」

 

 後で美星姐さんに電話しようと誓う俺だった。

 実際に参加しないにせよ、対外的には顧問同伴にしておいた方がいい。大人がいればアウト感は薄まるし、いざという時に「身内のいるところで犯行に及ぶか?」と言い訳できる。

 

 後で聞いたところ、わざわざ言うまでもなく姐さんも把握していた。

 ついでに言うと参加者は女子だけでなく、男子が一名追加されているらしい。それなら安心、とは言い切れないのが今の世の中とはいえ、要は何も問題を起こさなければいいのである。

 

「一緒に寝たりご飯食べたりすれば、みんなもっと仲良くなれそうだね」

『はいっ。……できたら、翔子さんも一緒に行けたらいいんですけど』

「あはは。私は部活もあるし、他の子達のこと知らないもの。気兼ねなくみんなで楽しんできて」

 

 なんでもこの合宿は親睦会兼、初等部の球技大会対策らしい。

 

 愛莉ちゃん達が所属する六年C組は、男子バスケ部員の主力が所属する六年D組とライバル関係にある。

 練習場所を巡って試合したばかりの彼らは当然、球技大会でもバスケを選択――再びぶつかることとなり、お互いに必勝を誓っている。

 そこで、顧問である美星姐さんが手を回した結果が合宿だとか。

 

 前世の中高でやった球技大会は「自分の部活以外の種目に出ること」というルールがあったけど、どうやら慧心ではそういう決まりはないらしい。

 となると確かに、前回の勝利をもたらした名将――長谷川昴の存在は欠かせないだろう。

 

 つまり。

 長谷川、小学生と合宿するってよ――ということで。

 本当に何の問題も起こさないで欲しいと、俺は切に願うのであった。



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2nd stage 長谷川コーチ、小学生と合宿する(2)

「鶴見君、揉ませてくれないか」

「……先輩」

 

 部活終わりに真剣な顔で何を言い出すのかこの人は。

 島崎先輩は今日も平常運転。上級生の皆様が「またか」と流してるのが凄い。言う人が違えば普通にセクハラである。

 この人だから許される台詞。

 いつもならさっさと断るところなのだけれど。

 

「……先輩のも揉ませてくれれば」

「む?」

 

 ちょっと仕返ししてみたくなってそう告げる。

 どうだ。

 先輩が目を丸くするのを見て、してやったりと笑みが浮かぶ。

 

「いいだろう。ほら」

「え……?」

 

 今度は俺が目を丸くする番だった。

 長身美女が笑みを浮かべ、つん、と己の双丘を突き出してくる。

 決して小さくはない、形のいい胸。

 揉みたいなら自分のを揉めばいいのに、と思ってしまう程度には柔らかそうで、魅力的な膨らみがちょうどいい位置に晒された。

 

 ……揉んでいいの? 本当に?

 

 じゃなくて。

 

「こんなもので良ければ存分に揉むといい」

「え、あの」

「というか、その気になったのなら早く言って欲しいな。うむ、そういうことなら静かな部屋でゆっくりと『楽しむ』方がいいだろうか」

「いや、違うんです、その」

 

 どうしてこうなった。

 しどろもどろになりつつ弁解を試みる俺だが、うまく言葉になってくれない。互いに胸を揉み合う行為、そして「その先」を想像してしまったせいだ。

 顔が熱い。熱は心なしか全身に広がっているような気さえする。

 

 もしやこの人、ガチレズなのか……?

 そうじゃないかとは思ってたけど、ここまでとは。

 

 外野から「大胆」とか「まさか鶴見さんから攻めるとは」とか聞こえてくるのが怖い。

 見てないで助けて欲しいんですが「あー、今度のターゲットはあの子か」なんか今凄い言葉が聞こえたんだけど。

 駄目だ。

 首を振って煩悩と混乱を追い出した俺は力強く叫んだ。

 

「ごめんなさい、やっぱりなしにしてください!」

「残念だ」

 

 姿勢を戻した島崎先輩はにやりと笑った。

 からかわれた、あるいは軽くあしらわれたと知った俺は深い敗北感に苛まれたのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「ね、葵。ちょっとだけ、揉ませてくれないかな?」

「……どうしたの? 何かあった?」

 

 葵のクラスにお邪魔して、二人での昼食中。

 胸の大きさの話題からそれとなくお願いしてみると、返ってきたのは心配そうな表情だった。

 

「大丈夫。……そう言ってくれただけで解決した」

「……どういうこと?」

「普通はノータイムでオーケーしないよね、ってこと」

 

 別に、揉むなら大きい方が良かったわけではない。

 島崎先輩がアレすぎたせいので、ブレた常識を正したかったのだ。

 ついでなので先輩のエキセントリックな言動を葵に話してみる。胸を触らせてくれとか揉ませてくれとか、今日も綺麗だね、とかそういうのだ。

 葵は苦笑気味に笑顔を浮かべてくれた。

 

「あはは。中々個性的な先輩ね……。三年生?」

「ううん、二年生」

 

 二年生から復帰すれば会わなくて済むかも、とか思ったに違いない。

 

「悪い人じゃないんだよ。バスケの話してる時は真剣だし、気が緩んでるとしっかり叱ってくれるし」

「へえ。……好きになっちゃった、とか?」

 

 葵の笑みが意地悪な感じに変わる。

 気心の知れた仲だ。からかわれてることはすぐわかった。

 

「うん。優しくて格好良くて――大好きな先輩だよ」

「えっ」

「手取り足取り、色んなこと教えてくれるの。耳元で囁かれたりするとドキドキしちゃうんだよ」

「嘘……」

 

 すぐわかったので悪ノリしてみたところ、うまい具合に引っかかってくれた。

 ちなみに、周りには男子もいるので小声である。

 

「翔子。あのね……その。もしかしてマジだったの?」

 

 恐る恐る聞いてくる葵がなんだか可愛い。

 

「あはは、そんなわけないよ」

「だ、だよね」

 

 微笑んで首を振ると、向かいに座る幼馴染はほっと息を吐いた。

 

「変な言い方するからびっくりするじゃない」

「ごめんごめん。……先輩としては尊敬してるし、バスケのことは教えてもらってるけど、そういうのじゃないよ」

 

 今のところは。

 と、付け加えるかどうか迷って、俺は付け加えないことを選んだ。

 

 きっと、言っても仕方ないことだろう。

 

 男であるという意識を消しきれないでいる俺と、女子が好きな島崎先輩。

 普通に考えれば相性は申し分ないはずで、誘いを断る理由などないのではないか……なんて。

 

「ところで、同好会の方はどう?」

「ぼちぼちかな。やっぱ人数少ないのがネック。一成は人数合わせみたいなもんだし。……あんたももっと顔出しなさいよ」

「うん。次の活動はいつだっけ?」

「えーっと……」

 

 余計な考えを断ち切って。

 別の話題へと移りながら、俺は幼馴染の笑顔を眺めていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『なあ翔子、ちょっちバイト頼まれてくれない?』

 

 美星姐さんから電話が入ったのは金曜日の夜のことだった。

 確か、慧心女バス組+男子小学生一名+男子高校生のコーチ(昴)という混成チームは今日から合宿だったはずだ。

 昨日、愛莉ちゃんからも聞いたので間違いない。女バスには胸の大きい子がいないのでブラの枚数がわからないと相談のメールが来たのだ。二泊三日で運動付きとなると確かに悩みどころで、しばらく考えた後で「六枚あれば多分大丈夫」と返信した。

 朝練、昼練と運動が複数回にわたる場合はまた悩ましいんだけど。

 

「バイトって、どんなことですか?」

『大したことじゃないよ。明日の夕飯、作ってくれないかと思って。……七人分』

「なるほど」

 

 人数を聞いて理解した俺は二つ返事で了承した。

 材料費込みで五千円、というバイト代が美味しかったのもあるけど、女バスのコーチを昴に押し付けてしまった負い目もある。

 俺がオーケーしなかったらピザでも頼むつもりらしいので、栄養バランスを考えても手料理の方がいいだろう。

 

「でも、こういうのってみんなで作るものじゃ」

『にゃはは。それがさ、あいつら大失敗しやがって』

 

 追加された男子と、女子の元気のいい子が大喧嘩したらしい。

 カレー粉爆弾と小麦粉爆弾が炸裂した結果、カレーの予定が肉入り野菜炒めに変更。それはそれで美味しそうではあるけど、合宿の定番がお流れになったのは残念だろう。

 にしても、喧嘩とは。

 大丈夫なのか尋ねれば、姐さんからは問題ないとの返答。

 ことあるごとに喧嘩している二人らしく、突発的に決定的な決裂が生まれたわけではない。むしろ気兼ねなく言い合った方が仲直りできるかも、と。

 

 ――昴と葵みたいな感じかな?

 

 俺がいる時は不思議と喧嘩が少なかったけど、それでも言い合いになることは結構あった。

 二人だけだと日常茶飯事のようで、多少手が出ても保護者勢が「いつものこと」というスタンスだったくらいである。

 なお、基本的に手を出すのは葵の方だったけど、それは余談。

 だとすると、二人の関係が将来恋に変わったりする可能性もなきにしもあらずかもしれない。

 

「そういうことなら。……あ、私、合宿所の場所がわからないんですが」

『それは迎えに行くから心配ないよん』

「ありがとうございます。じゃあ、スーパーで落ち合えれば」

『りょーかい』

 

 それから、なんで姐さんが事の顛末に詳しいのか。

 これは単純で、昴達をこっそり見守っているからだった。もちろ勤務外で残業代も出ない。そこまでするなら一緒に遊べばいいのに、教師としてそれはできないという。

 

 これだから、この人には頭が上がらない。

 

 適当に見えるけど、実は絶対譲れない一線をしっかりと持っている。

 彼女にとって教師は「なんとなく」で選んだ仕事ではない。

 誰よりも真摯に子供達と向き合おうとしている。

 

 憧れてしまうのも仕方ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 と、いうわけで。

 土曜日。

 部活を終えた俺は家に戻って着替えをし、ちょっとした調理器具や調味料などを調達した後、スーパーで食材の仕入れを行った。

 

 何を作るべきかは難問だった。

 定番のカレーやシチューは騒動を蒸し返すことになりかねない。ピザやグラタン、ドリアはあったかいうちに食べるべきだけど、作るにも温め直すにも時間的な手間がかかりすぎる。

 お好み焼き辺りを作る端から食べてもらうという案も、姐さん情報で土曜の昼に先取りされたことが発覚。加えて言えば、女バスメンバーに有名お好み焼き店の娘がいるらしい。ということは粉もの全般を避けた方が無難だろう。

 麺類は伸びやすいから却下。

 

「……うん、サンドイッチにしよう」

 

 お米はこういう時、量の調節がしづらいし。

 ベーコンやレタス、卵など色んなものを少しずつ買えばバリエーション豊かになってお得感もある。後は唐揚げとコーンスープあたりでいいだろう。火が使える子が複数いるみたいだし、スープくらいなら温め直してもらうこともできるはず。

 どうせならあれもこれも、と欲張ったらお金があんまり余らなかったけど、まあそれはそれ。

 

「結構買ったなー。サンドイッチ?」

「はい。美星姐さんの分も作りましょうか?」

「ありがと。でも、余ったらでいいよ」

 

 駐車場で美星姐さんと合流して合宿所へ。

 そこのキッチンを使わせてもらう予定で、となると必然的に女バスのみんなと対面するわけで、愛莉ちゃんとは既に会っているとはいえ若干緊張気味だったが。

 

「あー、そのことなんだけど、あいつら出かけてて今いないんだよね」

「あ、そうなんですね」

「夕飯まで帰らねーっぽい。っていうか、あの感じだと時間オーバーした挙句『ご飯どうしようか』ってなると思う」

「じゃあ、結構余裕かな?」

 

 せっかくなので「小人さん作戦」を実施することに。

 もし早めに帰ってきてしまっても、その時はその時。美星姐さんに頼まれてご飯を作りに来たと言えばスムーズに歓迎してもらえるはず。

 と、ちょっとせこいことを考えつつ、姐さんが持っていた合鍵で侵入。

 キッチンもそこそこちゃんとしていたので、問題ないことが確認できた。

 

「何か手伝う?」

「怖いので大丈夫です」

「へえ? 私のことわかってるじゃん、さすが翔子」

「いばらないでください……」

 

 姐さんにはしばらく待機してもらいつつ、手早く調理。

 パンの耳をひたすら切り落とすのが案外大変だった。これ捨てるのももったいないし、どうせ油使うんだから揚げてデザート代わりにしてしまおう。

 耳を落とした食パンの表面にマーガリンを塗り、カリカリ気味に焼いたベーコンやスクランブルエッグ、レタスやきゅうり、チーズにシーチキンマヨ等々の具材を載せた後で四等分する。三角も捨てがたいけど、小学生が多いなら小さめで数を用意した方がいいと思った。

 

 並行して唐揚げと揚げたパンの耳、コーンスープも完成。

 テーブルにずらっと並べた後、テントを作るような感じでラップをかける。キッチンにスープがあるよ、というメッセージも忘れずに。

 

「これだけあれば足りますよね?」

「足りると思うけど、いまいちわかんねーから全部置いてこっか」

「食べ盛りの男子もいますしね」

 

 今のところ、昴達が戻ってくる様子はない。

 ならば小人さんはさっさと退散するとしよう。

 

「翔子。お礼にハンバーガー奢ってやるよ」

「いいんですか?」

「にゃはは。見てたら私もパン食べたくなった」

 

 姐さんの車で近くのハンバーガーショップへ行き、ドライブスルーを利用。

 店内で食べなかったのは昴達の監視、もとい見守りのためだ。脱衣所とかの危険スペース以外にカメラを設置し、ネット経由で見られるようにしてあるらしい。ハイテクだが、何かあった時駆け付けるには近くに居なければいけない。

 バーガーやポテト、ドリンクで腹ごしらえをしているうちに昴達も帰ってきて、何者か(俺)が用意した料理を見て驚きの声を上げる。

 声はやがて歓声に変わり、賑やかな夕食が始まる。

 

 その辺りで、俺は美星姐さんのモニターを後ろから覗くのを止めた。

 

「もう見ねーの?」

「はい。この子達の顔を見るのは会った時にしたいですし。後は声だけで」

「そっか。それもいーかもね」

 

 果たして、俺が会う機会がそうそうあるかはともかく。

 自分の作った料理に「美味しい」と声が上がるのはたまらない。独特の喜びと興奮があって、料理人も悪くないかも、なんて思ってしまった。

 先に食べ始めたので、俺達の方が食べ終えるのは早くて。

 向こうが食べ終わると何か動きがあるかもしれない、ということで、俺は姐さんの車で家の近くまで送ってもらった。

 

「じゃ、さんきゅーね」

「はい。姐さんも、ちゃんと寝てくださいね」

 

 なお、それから数時間後。

 姐さんから「昴、夜這い、女子小学生の部屋」というメールが入ることとなり、俺は一緒に居なかったことを後悔するのだが、それはまた別のお話。

 昴本人の弁明によると「とある子のパンツを偶然拾ってしまったため、こっそり返そうとした」ということで、まあその、一応、ギリギリで事件性はなかったのだけれど。

 

 昴、それ、身内じゃなかったらアウト判定だから。

 と、強く思った夜であった。



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3rd stage 長谷川コーチ、小学生に泳ぎを教える(1)

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【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

 

【胸囲】良

【今月の弁当マイベスト】

 蒸し鶏と焼き野菜のヘルシー弁当

 

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「ね、昴。……私のこと、どう思う?」

 

 胸の前あたりで手を重ね合わせて、ゆっくりと尋ねる。

 目線の高さは同じくらいなので彼の目を苦もなく覗き込むことができた。

 

 昴が浮かべたのは、かすかな動揺。

 

 可愛いと思い、くすりと笑う。

 

「どうしたんだよ、急に」

「答えて。私って魅力ない、かな? ……友達からは可愛い、って言われるんだけど」

 

 真っすぐ見返してきた昴は恥ずかしくなったのか、視線を下に移動させる。

 組み合わせた指に目をやれば、自然とその先――サイズはそこそこだが形のいい、割と自慢の胸が目に入るだろう。

 慌てて天井を見たりしても無駄である。

 

 こっちだって恥ずかしいのだ。

 少しくらいはときめいてもらわなければ割に合わない。

 

「そりゃ、可愛いんじゃないか」

「嘘」

 

 他人事のような感想を一蹴。

 

「嘘って……。なんでだよ」

「じゃあ聞くけど、昴」

 

 軽く息を吸って、告げる。

 

「小学生と高校生、どっちが好き?」

「いや本当になんの話だよ!?」

 

 昴の声が、彼の部屋全体に大きく木霊した。

 俺は肩を竦めて苦笑。

 

「だって、昴がわかってないみたいだから。……自分が、どれだけ危ない状況か」

「待て。なんの話だ」

 

 ほらやっぱり。

 

 部屋に一つきりの椅子に座った幼馴染は「よくわからない」という顔。

 俺は彼のベッドに腰かけたまま深いため息をついた。

 

「この前、小学生の女の子の部屋に夜這いをかけたでしょ?」

「ああ。……じゃあやっぱり、あの料理はお前だったのか。っていうか夜這いじゃない。ミホ姉から事情は聞いてるだろ」

「まあ、聞いてるけど」

 

 まず、女バスメンバーの一人の落とし物(パンツ)を拾いました。

 動揺した彼はもう一人の男子――唯一の男子小学生にそれを拾わせることで共犯者に仕立て、一緒に返しに行こうと唆して女子部屋に侵入。

 なんとかバレずに済んだものの、女の子達に「謎の侵入者の存在」を知らせてしまった……と。

 なんというか、誰が信じるんだこんなの、という話である。俺だって昴の性格、言動を熟知していなかったら百パーセント嘘だと思っただろう。

 

「そもそも、何で部屋に侵入するの。返すだけなら他に方法があるでしょ?」

 

 そう言うと、昴は仏頂面になった。

 

「そう言われても、相手は女の子だぞ。正面切って返せるか」

「……あー」

 

 そう言われると微妙なところだ。

 これが俺なら同性のよしみがある。落ちてたよ、ありがとうで済むだろうけど、同じことでも年上の男性から言われるのは嫌かもしれない。

 ませてる子で、かつ、好感度によっては「触られた」という事実だけでゴミ箱に放り込むかもしれない。

 

 硯谷でバスケに邁進しているはずの親友の顔を思い出しつつ、頷いた。

 

「それにしたって、昼間の誰もいない時間を狙うとか」

「……お前は天才か」

「昴がパニックになりすぎなんじゃないかな」

 

 この通り、別に昴には悪気があったわけじゃないのだ。

 ただ単に、バスケ以外の機微には疎い上、妙なところで感覚がズレているというだけで。

 とはいえ。

 

「昴、このままだと確実にまた何かやらかすでしょ」

「既に何かやらかしたみたいな言い方だな」

「じゃあ、女バスの子達に今回の件を話せる?」

「うっ……」

 

 ですよね。

 

「だからね、少しブレーキが必要だと思うんだ」

 

 でないと二度三度と同じようなことが起こりかねない。

 そういうのは防いでおくのが誰にとっても幸せに繋がる。

 

 合宿が無事に終わったのはいいことだけど、次も上手く誤魔化せるとは限らないのだ。

 そうだ。

 合宿といえば、球技大会での試合は無事、女バス側の勝利で終わったらしい。愛莉ちゃんも大活躍だったそうで、俺としても嬉しい限りである。

 やっぱり昴は指導者としても素晴らしい素質を持っている。

 そこも踏まえて、彼が警察の御厄介になる可能性は潰しておかないと。

 

「……なるほど、わかった。で、何をすればいい?」

 

 覚悟を決めたのか、真剣な目になる昴。

 

「うん。じゃあ、とりあえずクイズを出してみようかな」

「クイズ?」

「そう。次のうち、小学生の女の子に対してセクハラになるのはどれでしょう?」

 

 A,性行為を強要する

 B,抱き着く

 C,キスをする

 D,手を繋ぐ

 E,「今日も可愛いね」と声をかける

 

「……簡単だな。さすがに俺でもこのくらいわかるぞ」

「本当? じゃあ、答えは?」

 

 安心したのか表情を緩めた昴は自信満々に言った。

 

「AからCまでだ。さすがにDとEはセーフだろ」

「ぶー。正解は全部です」

「何!?」

 

 どうやら全然簡単じゃなかったようである。

 驚愕している昴だが、少し考えれば当たり前の話だ。

 

「昴。セクハラってね、凄く被害者側に寄った概念なんだよ」

「?」

「被害を受ける側とか、訴える側がセクハラだと思えばセクハラになるってこと。PTAのやかましいおばさんとか、性格のきつい先生とかが見たら、Eだって十分セクハラ」

「なんだよそれ。言ったもん勝ちってことじゃないか」

「そうなんだよ」

 

 深く頷く俺。

 痴漢冤罪とかもそうだが、この手の仕組みは正直どうかと思う。まあ前世はともかく、今は主に訴える側になってしまったのだが。

 

「だから注意する必要があるってこと」

 

 言って、俺は更に説明を続けていく。

 幸い昴は熱心に聞いてくれ――小一時間ほどのレクチャーが終わった時には「よくわかった」といい表情を見せてくれた。

 

「つまり、みんなが嫌がってないか逐一確認しろってことだな」

「うん、そういうこと」

 

 そういうことなんだけど……。

 なんとなく、それだけだとあんまり意味ないかもなあ、なんて思ってしまった俺であった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……ってわけで、昴のやつ最近付き合い悪いのよね。何してんだろ」

「あ、あはは。どうしたんだろうね?」

 

 歩道を並んで歩きながら、俺は葵の愚痴へ曖昧に答えた。

 

「昴のことだから、バスケ関係なのは確かなんだろうけど」

「でも、それだったら私に言ってくれてもいいと思わない?」

「確かに……」

 

 フォローしてみたらすかさず反論され、思わず同意してしまった。

 

 ――昴。葵のことももうちょっと構ってあげて欲しい。

 

 今日は久しぶりに二人で買い物だった。

 中三辺りから服や下着を買いに行く機会も増えたけど、今日はちょっと違う用事。七芝高校の最寄り駅から歩いて十五分ほどの位置にあるスポーツ用品店「ミウラスポーツ」が目当てだった。

 中学時代からシューズなんかでお世話になったお店であり、七芝高校のスポーツ用品指定店舗でもある。

 六月に入って段々暑くなってきたこの時期は水着の注文シーズンなのであった。

 

「あー、暑いから早く中入りたい」

「もうちょっとの我慢だから」

 

 入店した俺達は真っ先に学校指定水着のコーナーへ。

 せっかくだから色々見ていきたい気持ちはあるけど、それは後からゆっくりで構わない。開店から昼にかけて徐々に混んで来るだろうし。

 と。

 

「すいませーん。七芝高校の指定水着が欲しいんですけど」

 

 葵が係の人を呼ぶのとほぼ同時、俺の耳に別方向からの声が入ってきた。

 

「こ、このバッグ良いと思わない?」

「ええっ……? そ、そうですね……」

 

 ちらりと視線を送れば、小さな女の子を一人連れた「もう一人の幼馴染」がいた。

 わざとらしい会話は突然現れた天敵、すなわち荻山葵から隠れるため、連れの子の注意を惹くためだろう。幸い(?)葵は店員さんの方を向いているので昴達には気づいていない。

 

 ――目が合った幼馴染は態度だけで「見逃せ」と訴えてくる。

 

 いや、なんで隠れなければならないのか。

 隣の子は教え子の一人だろうし、やましい関係でも……そうか、説明するとなし崩しに慧心女バスのことを話さずにいられない。

 俺は「了解した」と首肯すると視線を昴達から逸らし、葵と昴達を結ぶライン上に立った。

 

「七芝高校ですね! サイズはどうされますか?」

「んーと、どうしようかな……。あはは、たぶんM……なんですけど、ちょっとおしりが緩かったりすることが多くて。でも……」

 

 すぐに店員さんが来てくれたので、葵の注意も完全にそちらへ向いた。

 相談された店員さんは試着を勧め、葵もそれを了承。葵がSサイズはないだろう(身長の話である)と思うけど、スリーサイズが大きく関係してくる女性ものは実際その辺シビアなのである。

 

「そちらのお客様はどうされますか?」

「えっと、私はLで大丈夫だと思うんですけど……逆に胸が緩くなっちゃうかなあ」

「でしたら、やはり試着をお勧めいたします。……ただ、試着用の数がないので順番でお願いすることになりますが」

「はい。じゃあ、それでお願いします」

 

 にこりと微笑んだ店員さんは試着用の水着を取りにその場を離れていく。

 

「じゃあ、葵から先にどうぞ」

「いいの? 私が後でもいいけど」

「葵がM着けてる間に私がL試せばちょうどいいかなって」

「なるほど」

 

 俺の提案に葵は笑顔で頷いてくれた。

 良かった。下着つけたままだから汚れの心配はないとはいえ、逆の順番だとちょっと心苦しいところだった。別に葵の温もりがどうこうとか言うつもりはないけど、なんとなくだ。

 

 結果、俺はちょっと大きめだけどLサイズ、葵はちょっときついけどSサイズを購入した。

 

 俺は来年以降の成長を見越した形で、葵は逆に来年買い直す前提のチョイスである。身長か胸、たぶんどっちかは大きくなって水着のサイズに影響してくるだろう。

 島崎先輩がLサイズなのか、それとも特注しているのかちょっと気になる。

 

「でも、こういうところで水着になるのちょっと恥ずかしいよね」

「わかる。でも慣れちゃった方がいいと思う。そういうの言ったら試合中だって人前で胸揺らしてるんだし」

「確かに」

 

 目的を終えた俺達はついでにバスケシューズやバッグなどを物色し、お昼をうどん屋で食べてから帰宅した。

 数量限定の特別メニューがあったらしいのだが、それはあいにく品切れだった。残念。かまたまカルボナーラとかいう、聞いただけで美味しそうなメニューだったのに。

 まあ、カロリーのこと考えたら品切れで良かったかもしれないけど。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「というわけで、葵にも構ってあげて」

『……そう言われてもなあ』

 

 月曜日の夜。

 昴から電話がかかってきたので、いい機会と思い彼に釘をさした。

 しかし、返ってきたのは浮かない声。

 

「気が進まない?」

 

 そこまで邪険にされると葵が可愛そうになる。

 

『そうじゃない。そうじゃないが、話すとボロが出そうだ』

「でも、避けてるのも不自然だよ」

 

 本当なら、幼馴染三人のうち一人だけ除け者というのもひどい話なのだ。

 事情を話せるなら話してしまった方がいい。

 

「そろそろ二か月経つし、既成事実でなんとかならないかな」

『いや。あいつの気分は電気ケトル並みに急上昇するからな。説明を全部聞いてくれるかも怪しい』

「うーん……」

 

 俺にも覚えがあるため、それについては否定できなかった。

 昴と喧嘩すると売り言葉に買い言葉、何で急に怒鳴り合ってるのこいつら、とぽかんとしてしまうこともあったりする。

 試合の時はその切り替えの早さが速攻をより強力なものとしているんだけど。

 

「私から言えば少しは聞いてくれると思うよ?」

『いや、大丈夫。話すときは俺から言う』

「本当?」

『ああ』

 

 力強い返事。それなら任せてみようか。

 根本的には二人の問題だから、あまり俺が口出しするのもアレかもしれないし。

 

「じゃあせめて、何かあったら教えて。葵のことでも、愛莉ちゃん達のことでも」

『わかった』

 

 答えた後、ほんの少しの間があって。

 

『あ』

「?」

『なら一つ、聞きたいことがある。……お前、割と泳ぎ得意だったよな? どうやって泳いでるんだ?』

「どうやってって――えっと、身体を水に浮かせた上で、何らかの手段で推進力を作って?」

 

 って、そんな杓子定規な回答が欲しいわけでもないか。

 

「何かあったの?」

『ああ。実は、愛莉に泳ぎ方を教えることになった』

「へ?」

 

 どうやら愛莉ちゃん、水が苦手で水泳もできないらしい。

 ちょっと意外ではあるものの、心優しいあの子のことだから不思議ではない。兄の万里なら「泳ぐのなんて簡単だろ」とかあっさり言っちゃいそうだけど。

 でも、水泳。

 それはつまり。

 

「愛莉ちゃん達と一緒にプールに行くってこと?」

『うむ。そうなるな』

「……そっかぁ」

 

 おまわりさん、こっちです。

 って、ならないことを祈るしかないなあ、これは。



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3rd stage 長谷川コーチ、小学生に泳ぎを教える(2)

「大丈夫かなあ……」

 

 昴に水泳の件を聞かされてから数日が経った土曜日。

 俺は朝から落ち着かなかった。例の水泳指導が今日から始まるからだ。なんでも女バスメンバーの中にお嬢様がいるらしく、その子の家でやるとか。

 まさかプライベートプールとは思わなかったけど、それならアクシデントも多少は減るかも。

 

 いや、昴を信用してないわけじゃない。

 ただ、注意していても起きるのがアクシデントというものだ。

 

 いっそ一緒に行くこともできたけど、部活もあるし、そうすると今までのスタンスではいられなくなる。どう変わるのかうまく説明できないけど、これ以上、葵を裏切る立場に回りたくなかった。

 それに、昴に依頼したということは女バスの延長だろう。

 愛莉ちゃん以外も一緒だと、素人が首を突っ込むのはちょっと気が引ける。

 

 というわけで。

 俺はそわそわしながら部活を終え、家に帰り、夕方になってようやく昴からメールを受け取ったのだった。

 

「特に大きな問題はなし、か」

 

 男の子らしい簡潔明瞭な文面を何度か読み返してから、ほっと息を吐いた。

 女の子達とのプールは問題なく終わったらしい。

 

 何かの役に立てばと伝えたコツも役に立ったと書いてある。

 といっても「まずは水に慣れることから」「絶対に焦らせない」「一緒に遊んで気を紛らわせるのもいいかも」といった当たり障りない内容だったけど。

 昴やみんなの協力もあって、愛莉ちゃんは何歩も前進してくれた。

 

 ただ、それでも、実際に泳ぐところまではいけなかったらしい。

 

 当初は水に入ることすら怖いような状態だったという。

 体力、気力の問題もあるし、一日でどうにかならないのは仕方ない。最後の方は、泳ごうとさえしなければ水に浮いていられたらしいし。

 これから何度か通って愛莉ちゃんをサポートする予定だと、メールは締めくくられていた。

 

 ──良かった、というのが一番の感想。

 

 懸念していたイエローカードは発動しなかったし、愛莉ちゃんも順調に進歩している。

 

「ただ、一回で終わらないとすると……別の問題があるかも」

 

 スマホのカレンダーを立ち上げる。

 今から二週間もない近い日付、六月の第四週にはスタンプが押されており、タップすれば「中間テスト」の文字が浮かび上がった。

 

 昴のことだからテスト勉強なんて二の次だろう。

 昴のことだからなんとかするだろうけど、あまり愛莉ちゃん達にばかり構っていられないかもしれない。

 

 勉強に付き合うべきか。

 範囲はそう変わらない。むしろスポーツ科の方が狭いだろうし、昼休みなどを利用すれば俺の予定にもさしさわりはない。

 

「……うーん」

 

 悩んだ末、俺は止めておくことにした。

 さすがに干渉が過ぎる。

 それに、もし昴に教える必要があるなら、それは別の人間の役目だろう。

 

 そして、ある意味俺の予想通り。

 

 誰よりも昴のことを心配している少女──荻山葵が動き出していた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 葵の目的は「昴に勉強を教えること」のようだった。

 休み時間や昼休みに廊下へ出れば高確率で、スポーツ科の教室へ向かう幼馴染の姿を見ることができた。足取りは楽しそうだったり不安げだったり、とにかく浮かれていた。

 

「青春だなあ」

 

 放課後、空き教室か昴の部屋で顔を突き合わせ、勉強する二人。

 小さい頃から一緒にいる仲の良い同士となれば絵にならないはずがない。

 

 頑張れ葵。

 

 昴だって葵のことは憎からず思っているはず。

 喧嘩にさえならなければ葵は可愛い女の子。年頃を迎えてますます魅力を増しており、二人の関係が急激に動くことだってありえる。

 もしそうなったら一番に教えて欲しい。

 

 ……と、思っていたんだけど。

 

 

 

 

 

 

 木曜日の夜。

 話があると言って俺を呼び出した葵は開口一番に尋ねてきた。

 

「昴のこと、知ってたんだ」

「……ん」

 

 短く、返事ともいえない声を上げた俺は内心呟いた。

 

 ──どうしてこうなった。

 

 どうやら慧心女バスの件が知られたらしい。

 待ち合わせのファミレスに着く直前、昴からも「すまん、バレた」と連絡が来た。ちょっと遅い。あと危機管理が足りなかったんじゃないか。

 ともあれ。

 俺は動揺を抑え、眉を下げつつ笑みを作った。

 

「ごめん、黙ってて。……でも、葵はきっと怒ると思って」

「う」

 

 昴に怒った後だからか、ポニーテールの幼馴染は痛そうに呻いた。

 ジト目を苦笑に変えた彼女は俺を見つめて言ってくる。

 

「怒るわよ。……信用、してもらえなかったのが」

「それは、本当にごめんなさい」

 

 深く頭を下げる。

 幼馴染としての連帯感を突かれるのが一番痛い。

 まさに俺が気にしていたところだ。

 

「葵なら絶対怒るって信じてた」

「何よその信じ方。……や、怒ったんだけどさ」

「怒らないの?」

「昴からも言われたのよ。『翔子を怒らないでくれ。あいつはお前に話そうとしてた』って。私も多分、そうなんだろうと思った」

 

 昴は本当にお人好しだ。

 怒った時の葵は怖い。特に自分がヒートアップできていない時は。

 自業自得とはいえ自分がヤバイ時に人を気遣えるのだから、やっぱり大物だ。

 

「ありがとう。……でも、買いかぶりすぎだよ。私が葵に話そうって言ったのはつい最近」

「……それでも、嬉しい」

 

 少女の口元にはにかんだ笑みが浮かぶ。

 可愛い、と掛け値なしに思う。

 どうしてこの子の想いがあいつに伝わらないんだろう、とも。

 

 ふう、と、葵は息を吐いて。

 

「寂しかったのは、翔子の方があいつに信頼されてるってことかな」

「……あ」

 

 それは、なんというか。

 

「すぐ手を出す癖を直した方が」

「その通りよ悪かったわね!」

 

 それから。

 気分を直してくれたらしい葵は、俺にことの顛末を聞かせてくれた。

 

 ノートを渡そうと昴を追いかけた葵は、昴がバスに乗るのを見た。

 慧心行きのバス。

 美星姐さんの職場なので軽い気持ちで追いかけ、警備員さんに教えてもらって初等部の体育館に行くと──昴が、ロリコンのせいで部を失った幼馴染が、女子小学生にバスケを教えていた。

 一応、練習を止めない程度の自制は働いたらしい。

 最後まで練習を見た結果──葵は愛莉ちゃん達の頑張りとバスケへの情熱を知ることができ、お陰で昴ともだいぶ理性的(当社比)に話すことができた。

 

「いい子達だったでしょ?」

「うん。あんたも会ったことあるんだっけ?」

「ううん。私が会ったのは愛莉ちゃんだけ」

「ああ、あの背の高い子か」

 

 愛莉ちゃんのことを思いだすように、葵が目線を上げる。

 

「ああいう子がいてくれると心強いよね。センターは、みんなの支えだから」

「ん……」

 

 気にしすぎかもと思いつつ、自分が褒められているようでむず痒い。

 そんな俺を見て葵はくすくす笑った。

 

「もっと教えてあげたら? あの子には、翔子みたいな先輩が必要だと思う」

「そう、なのかな」

「そうよ。もう私に遠慮することもないんだから」

「そっか」

 

 なら、今度遊びに行ってみようか。

 行くなら土曜日か日曜日?

 そう思った俺は、昴に打診のメールを送信したのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そして。

 俺が一つ、決定的な勘違いに気づいたのは土曜日のことだった。

 

『あの子達と勝負することになっちゃった』

「……へ?」

 

 勘違いとは、葵への説明があれで終わったと思っていたこと。

 確かに昴は、葵に女バスのコーチについて説明していたが──愛莉ちゃんに泳ぎを教える件については言っていなかった。

 出くわしたのは水泳じゃなくて通常練習の方だったから、葵には気づきようがなかった。

 美星姐さんが変に口裏を合わせたせいもあり、その件については秘匿され──知っているのだろうと思った俺も、ファミレスで話題にしないままとりとめない話に移ってしまった。

 

 結果、葵は再び昴の後をつけ、今度はプールに辿り着いてしまった。

 勉強をみてあげる、という申し出を嘘で辞退した、水着姿の昴と小学生達の元に。

 

 その行き着いた先が葵からのメール。

 お昼休憩でスマホを手にした俺は、ディスプレイ上の文字を見て硬直する。

 数秒後、すぐさま葵の番号をコールしていた。

 

『翔子?』

「葵、どういうこと?」

『どうもこうも。あいつの嘘が原因』

 

 そうして俺は勘違いを知った。

 

『あの子達にね、言ったの。昴にコーチを続けて欲しいなら私に勝ってみせて……って』

「それは、無茶だよ。実力が違いすぎる」

 

 荻山葵は優秀なプレーヤーだ。

 多少のブランクがあるとはいえ、中学全国クラスの実力者相手に小学生が勝てるはずない。

 

『……あはは、ありがと。でもね、三対五なんだ』

「……あ」

 

 それで多少、分がある勝負になった。

 五人いる小学生に対し、葵側は三人でディフェンスしなければならない。五人がよほど固まらない限りは二人必ずフリーになるわけで、点を取るのがかなり容易になる。

 攻める時だってダブルチームを覚悟しなければならないわけで、簡単にはいかない。

 

「後の二人は、どうするの?」

 

 尋ねた時点で俺にはわかっていた。

 そこに鶴見翔子の名前がないだろうことは。

 

『ゾノとショージにお願いした』

「さつきと多恵、よくオッケーしてくれたね」

『遊びでやるバスケならオッケーだって』

 

 さつきと多恵は進学先の女バスに一度入部したものの、すぐに退部している。

 曰く練習がきつすぎたとのことで、以来、ガチのバスケは毛嫌いしているのだ。

 

「そっか」

『あはは、戦力的にもちょうどいいでしょ。……昴にもね、言われたの。翔子と祥を連れてくるのは止めろ。お前ら三人に組まれたら絶対に勝てないって』

「え」

 

 不意打ちにとくん、と胸が高鳴る。

 呼ばれなかったのは忙しいからとかそういうことじゃなく、実力を買ってくれているから?

 

 ──そう、か。

 

 それなら仕方ないかな、などと思いつつ、口元がにやけてしまった。

 

『というわけで、憎まれ役をやる予定』

「憎まれ……もしかして葵、いいところで負けるつもり?」

『……さあ、どうだろ』

 

 返答には少し間があった。

 通話が切れた後、俺はしばし思考を巡らせた。葵とさつき、多恵が全力で戦ったとして、慧心女バスが勝てるかどうか。

 負けた場合、愛莉ちゃん達のモチベーションがどうなるか。

 自分なりの答えが出たら、行動までの間は殆どなかった。

 

「部長、すみません。急用ができたので早退します」

「わかったけど……なに、彼氏?」

「いいえ。……大切な友達から、大事な相談を受けたんです」

 

 みんなは快く送り出してくれた。

 島崎先輩が「私以外の女と」とか冗談めかしていたのは無視し、俺は手早く着替えを済ませると、その足でバス停に向かった。

 歩きながら昴の番号をコール。

 まずは、彼らがどこで練習しているのか聞かなければならない。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「───」

 

 美しさに絶句する、なんてことが本当にあるのだと、俺は初めて知った。

 一目惚れと言ってもいい。

 目の前に現れたメイド服の女性は、それほどまでに俺の好みだった。

 

「はじめまして、鶴見翔子さま。三沢家のメイドを務めさせていただいております、久井奈聖と申します。以後、お見知りおきくださいませ」

 

 長く美しい髪を持った清楚系の美人。

 顔立ちが整っているせいで素の表情はちょっと冷たい感じだけど、口調はどこまで柔らかい。

 また、にっこりと微笑むだけで心奪われてしまうほど温かい印象となる。

 

「───」

「あの、鶴見さま?」

「っ。す、すみません。鶴見翔子です。あのっ」

 

 顔を覗き込まれてようやく我に返った俺は、「はい?」と首を傾げる久井奈さんに言った。

 

「今、付き合ってる方はいますか……?」

 

 初対面の人に何を聞いてるんだ俺は、と、死ぬほど後悔するのは半日ほど後のこと。

 久井奈さんは瞬きをした後、困ったような表情を浮かべた。

 

「申し訳ありませんが、そういったご質問にはお答えできません」

「そうですよね、それだけお綺麗なら彼氏くらいいますよね……」

「いえ、あの。それ以前に同性とお付き合いすることはできかねるかと……」

 

 もしタイムマシンがあるなら、この時の出会いをやり直したいものだが。

 ともあれ、久井奈さんは俺を乗ってきた車に誘った。

 

「あの、もしかしてお宅までは遠いんですか……?」

「はい。本館までは徒歩ですと少々距離がございます」

「本館……?」

 

 その疑問はすぐに解消された。

 車が動き出し、目的地の方向が示されると──それはその先にあった。

 

「でか……っ!?」

 

 思わず素で叫んだ俺に、久井奈さんがくすりと小さな笑みをこぼす。

 

「あちらの、丘の上の白い建物が本館になります」

 

 三沢家、といったか。

 昴が御厄介になっているというお嬢様のお宅は、なんというか、ラノベや漫画でしか見たことないようなスケールの、馬鹿みたいに大きなお屋敷だった。

 それは久井奈さんみたいなメイドさんを雇えるわけですよね、と呟いたら、変なものを見るような目で見られた。



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3rd stage 長谷川コーチ、小学生に泳ぎを教える(3)

「なにやつだー! あのおっぱいおねーちゃんの仲間かー!?」

「おー。きれいなおねーさん。おにーちゃんのお友達?」

 

 久井奈さんが案内してくれたのは三沢家のプライベートプールではなく、家族専用のテニスコート――にどん! と設置されたバスケットゴールの下だった。

 見知った人物が一人と、これが初対面になる人物が四人。

 他に三沢家のメイドさんが何人か待機しているのを除けば、それがここにいる全員だった。

 

 俺を見てすぐさま声を上げたのは、いかにも元気そうな女の子。

 さらさらしたロングの髪をツインテールに纏め、幼さの残る声と共に俺をきっと睨みつけてくる。すると彼女の目鼻立ちや肌が驚くほど綺麗なのに気づく。

 直感的に、この子が三沢家の愛娘だろうと思った。

 言動はやんちゃ娘のそれであるものの、容姿や仕草にそこはかとなく上品さがある。

 六年生までのびのびと、やんちゃに育ってこれたこと自体が育ちのいい証かも。

 

 次いで駆け寄ってきたのは、小学生達の中でもひときわ小さな女の子。

 あどけない顔立ちと舌足らずな声。

 長い髪はふわふわで、先のお嬢様とは別の意味で顔立ちが整っている。お人形さんみたい、とはこの子にこそ相応しい言葉だろう。

 愛莉ちゃん達の後輩が参加している――わけではないはず。

 六年生だとすると色んな意味でびっくりだけど、合宿の時の中継映像でちらっと見た覚えもある。間違いなく慧心女バスの一員だ。

 

「えっと……三沢真帆ちゃんと、袴田ひなたちゃんかな?」

 

 美星姐さんと愛莉ちゃんからの情報を思い出しつつ、該当しそうな名前を口にする。

 と、俺を警戒していた真帆ちゃん(推定)はぽかんと首を傾げた。

 

「ほえ? あたしたちの名前、なんで知ってるの?」

 

 可愛い。

 一瞬、段取りも忘れて和んだ。俺を睨んでる時も大した迫力はなかったけど、そういう素の表情になると「動」の魅力がぐっと引き立つ。

 自然とこぼれた微笑みをそのまま用い、彼女達に目線を合わせながら告げる。

 

「初めまして、鶴見翔子です。……そこにいる長谷川昴の幼馴染、かな」

 

 なので、先の問いかけは二人とも正解。

 

「真帆、そいつは敵じゃないから大丈夫だ」

 

 ちょうどいいタイミングで昴がフォローしてくれる。

 それでみんなの緊張も解れたようで、残りの二人もゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

 

 片方は、ダイバーが使うのに似たゴーグルを付けた利発そうな女の子。

 水泳用ではなくバスケ用だとすると、視力が低めなのだろうか。真帆ちゃんを「しょうがないなあ」といった風に一瞥したのも含め、役割を色で表すなら「青」という印象。

 微笑と共に一礼する仕草も丁寧で、自分が同い年の頃とは大違いだと思った。

 

「初めまして。慧心女学園初等部六年、女子バスケットボール部の永塚紗季です。……愛莉から、何度かお話は聞いています」

「そうなんだ。それは、ちょっと恥ずかしいな」

 

 愛莉ちゃんなら変な噂を流したりはしてないと思うけど。

 

「大きい……。あ、あの。湊智花です。よろしくお願いします……」

 

 最後に、大人しそうな大和撫子といった感じの子が進み出た。

 初対面の相手に緊張している姿が初々しい。髪がロングでないのが残念だけど、結構好みのタイプだ。あと三年、四年もすれば凛とした美人さんに育つだろう。

 愛莉ちゃんの話だと、この子が唯一のバスケ経験者――つまり、美星姐さんから聞いた訳ありの転校生。

 だとすれば、俺を見て「大きい」と言ったのはそっち方面の意味か。

 

「よろしくね、智花ちゃん。できたら一緒にバスケ、してみたいな」

「っ。は、はいっ。是非お願いします」

 

 バスケの誘いにぱっと表情が輝く。

 やっぱり。

 昴からも、バスケ好きで「コートの中だと性格が変わる」子がいると聞いた覚えがある。この子がそうだとは信じられないけど、この反応ならそうなのだろう。

 

「バスケ? おねーちゃんもバスケするのっ?」

「あのねえ真帆、長谷川さんが『助っ人が来る』って言ったでしょうが」

「おー。バスケ。ひなね、ひなもバスケ、するよ?」

「あ、あのっ、鶴見……さんは、やっぱりセンター、なんですか?」

「わ」

 

 ちょっとぼんやりしていたら四つの声が殺到してきた。

 やっぱり小学生はパワフルだなあ、と妙なところで感心しつつ、一瞬聞こえてきた内容を吟味して。

 

 うん、とりあえず智花ちゃんの質問に答えよう。

 

「うん。中学ではセンターやってたよ。それで助っ人に来たの」

「へー、センターってことはアイリーンと一緒か!」

 

 と、真帆ちゃん。

 アイリーン? と思ったところで昴が「あだ名だよ」と教えてくれた。なるほど。愛莉ちゃんの身長とプロポーションをハリウッド女優っぽい名前で表現しているのか。

 この子、実は頭がいいのでは。

 

「じゃあ、真帆ちゃん。私にも何かつけてくれないかな?」

「あ」

 

 ちょっとわくわくしながらお願いすると、真帆ちゃんの隣にいた紗季ちゃんが口を開けた。

 

「あの、鶴見さん。それはちょっと止め」

「おっけー! んー、どういうのがいっかなー」

「……駄目ね」

 

 額を抑えて首を振る紗季ちゃん。

 あれ、もしかして「アイリーン」が奇跡の出来だったり……?

 

「ちなみに他のみんなのはどんな感じなの?」

「私は単にサキって呼ばれてます。真帆とは昔からの付き合いなので」

「おー。ひなはね、ひなだよ」

「わ、私は『もっかん』です。ちょっと恥ずかしいですけど……」

 

 捻ってるのは愛莉ちゃんだけだった!

 

「はは、ちなみに俺は『すばるん』だ」

「真帆ちゃん、多恵と仲良くなれそうだね」

 

 既に俺には「つるみん」というあだ名があるので、できれば別系統を所望したいところだけど。

 しばらく悩んだ真帆ちゃんはぱっと顔を輝かせると言った。

 

「よし! じゃあ、おねーちゃんはショコタンで!」

「待って。ワンモアプリーズ」

「ショコタンってショタコンっぽいよな」

「うるさいロリコン」

「なっ……ちょっと待て、それは言っちゃいけないだろ!」

 

 と、挨拶程度のはずがすったもんだあって。

 結局、俺のあだ名は「るーみん」に決まったことだけを伝えておこうと思う。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 みんなで話していると進まないので、真帆ちゃんと紗季ちゃん、ひなたちゃんには先に練習に戻ってもらった。

 

 智花ちゃんだけ残ったのはバスケ経験者だから。

 決して好みで贔屓したわけではないはずだけど、そういえば、ミウラスポーツで見かけたのも智花ちゃんだった。単に専門的なグッズを見に来ていたからか、それとも、昴のお気に入りだったりするのか。

 

「それでお前、なにしに来たんだ?」

「えっ……? 昴さんが呼んでくださったのでは……?」

 

 開口一番、昴の問いかけに智花ちゃんが不思議そうな顔。

 俺は苦笑して説明する。

 

「ううん、ごめんね。どっちかというと、私が押しかけた感じなの」

「どっかから聞きつけてな。……って、一人しかいないけど」

「あの人、ですね……」

 

 ぎゅっと、左の手首を右手で包む智花ちゃん。

 

「……うん、そういうこと。でも、昴の言った通り助っ人のつもりだよ」

「ん……具体的には?」

「もちろん、センターのことはセンターに、だよ」

 

 微笑むと、二人にはそれだけで伝わったようだった。

 理解、それと同時に諦めに似た感情が昴達の顔に浮かぶ。

 

 ――愛莉ちゃんは自分の身長にコンプレックスがある。

 

 それは周知の事実であり、仲間内では「どうにもならないもの」として扱われている。

 だからこそ昴は最初のコーチ、練習場所をかけた男バスとの試合で「スモールフォワード作戦」を発動させたし、二度目のコーチ、球技大会での作戦に苦心した。

 センターで成功したからコンプレックスが消えました、とはいかなかったということだ。

 

 でも。

 

「背の高いセンターがいないと、葵には勝てない」

「っ」

「もし、葵を止められるとしたら愛莉ちゃんしかいない。止められなければ、試合には勝てない」

「待て、翔子。お前、智花達のバスケを知らないだろ」

 

 息を呑んだ智花ちゃんを見て、昴が制止に入る。

 私は彼に頷きつつも言葉を続けた。

 

「知らないよ。でも、関係ない。……例えば、智花ちゃんがいくら上手くても、一対一で葵に勝てるはずがない」

「それ、は」

「言いすぎだ。智花の気持ちも考えろ」

 

 真摯な瞳が俺を見据える。

 俺は眉を寄せてもう一度笑った。

 

「ごめん。でも、それは当然だよ。小学六年生と高校一年生――四年の差があるんだから。才能だけで埋められるほど、この差は小さくない」

 

 荻山葵は凄い。

 それだけは絶対に、誰が相手だろうと譲るつもりはない。

 

「わかってます。でも……っ!」

 

 きっ、と、顔を上げる智花ちゃん。

 昴と身長の変わらない「同性」を相手に引く気はない、といった風情。

 彼女の負けん気の強さの一端を垣間見た。

 

「うん。もちろん、()()()()()()()()()()()()。だからこそ、五人全員が協力しないと――勝てない」

「っ」

 

 智花ちゃんが唇を引き結んだ。

 気持ちが理屈に追いついていかない、そんな表情。

 この子、意外と葵に似てるのかもしれない。

 

 ちらりと昴を見れば、彼は何かを考えるように黙っていた。

 

 話し合いが実用的なところに踏み込まないまま、俺達の間に沈黙が下りると。

 

「あの……っ。私にも、教えてくださいっ。どうしたら、いいか」

「愛莉っ!!」

 

 久井奈さんに連れられる形で、この場にいなかった最後のメンバー――愛莉ちゃんが足を少々ふらつかせながら、それでも決意を込めた表情で、こちらに歩み寄ってきた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 昴と智花ちゃんにも練習に戻ってもらった。

 後は二人だけでいいと説得してなんとか納得してもらい、コートの半分――ゴールの一方を背に愛莉ちゃんと向かいあう。

 そっと彼女の顔色を窺うと、もう大丈夫そうに見える。

 

 愛莉ちゃんは一度、体調不良で屋内に戻っていたらしい。

 水泳の練習に続く葵の襲来でストレスが限界突破したのだろう。お医者さんを呼んで診てもらった(!)ところ、特に風邪などの症状は見受けられなかった。

 しばらく休んだら回復したのでコートに戻ってきた、ということだ。

 この辺りは久井奈さんが気を利かせてくれたところも大きい。

 

 とはいえ、あの人が子供に無理をさせるとは思えないので、愛莉ちゃんがもう大丈夫なのは間違いないはず。

 

「翔子さん……私」

「愛莉ちゃん。葵に、勝ちたい?」

 

 それでも、愛莉ちゃんは声を震わせていた。

 無理もない。

 俺とそんなに身長が変わらないとはいえ、彼女はまだ小学生なのだ。見た目ほど心身が出来上がっているわけではない。

 

「勝って、昴とこれからもバスケがしたい?」

「……したいです……っ!」

 

 だから、返ってきた答えはやっとの思いで絞り出したものだったはずだ。

 心優しく仲間思いで、争いごとの嫌いな子。

 真っ向から誰かと敵対するなんて怖くて仕方ないだろう。

 

 でも、愛莉ちゃんの目は俺を見ていた。

 

 涙で潤み、時折揺らいではいたけれど、逸らされることはなかった。

 俺は頷き、プレッシャーはここまでだと微笑みかける。

 

「それなら、今回だけ――明日の試合だけでもいいから、センター頑張ってみよう? 葵の攻撃は愛莉ちゃんじゃないと止められない。……逆に言うと、愛莉ちゃんが葵を少しでも邪魔できれば、智花ちゃん達が凄く楽になる」

「私が、みんなを」

「そうだよ。センターはみんなを支えるポジション。大きいからじゃなくて、みんなのことが大好きな愛莉ちゃんだから、センターは愛莉ちゃんしかいないと思う」

 

 メールで、電話で、時には顔を合わせて。

 みんなのことを話してくれる時、俺は自然と胸に温かな気持ちを抱いていた。

 それは愛莉ちゃんがみんなのことを愛しているからだ。

 

 率先して前に出なくてもいい。

 いつもはみんなの後ろにいてもいい。ただ、大事なところで必ずみんなのことを助けてくれる。それだって立派なセンターの資質だ。

 攻撃はいったんみんなに任せよう。

 今回考えるべきは最大の敵――荻山葵を一度でもいい、邪魔してみせること。

 

「どう、かな?」

「やります。……やらせて、ください」

 

 良かった。

 俺は内心、へたり込みたくなるのを感じながら、足を奮い立たせて微笑む。

 

「ありがとう。……じゃあ、練習してみよっか」

「はい。あの、私は何をすれば……?」

 

 おずおずと尋ねてきた愛莉ちゃんに俺は答えた。

 

「私のシュートと同時にジャンプする練習、だよ」

「……え?」

 

 それを聞いた彼女はぽかん、と口を開けた。

 それだけ? と思うだろう。でも、それだけでいい。それだけだって、ほんの数時間しかない練習時間ではこなしきれない。

 そのことは、練習を始めればすぐに伝わった。

 

 お昼を食べ損ねた俺は久井奈さんお手製のおにぎり(涙が出そうなくらい美味しかった)を休憩中に詰め込み、少しでも愛莉ちゃんに心得を伝えた。

 愛莉ちゃんも頑張ってついてきてくれ――もう終わり? と思ってしまうくらい早く日が落ちて解散になった。

 

 あまりにも短すぎる練習で不安そうだったけれど、愛莉ちゃんは俺の「頑張って」という月並みな言葉に「はい」と頷いてくれた。

 そして彼女は、彼女達は、翌日の決戦を迎えたのだった。



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3rd stage 長谷川コーチ、小学生に泳ぎを教える(4)

 翌日。

 日曜日は部活が基本お休みなので、これ幸いと三沢邸での戦いを観戦しに行くことにした。

 どうせ家にいてもトレーニングするか料理の練習するかテスト勉強するかそんなところだし、その場合、愛莉ちゃんが気になって身が入らないのは間違いない。

 

 そして。

 

「やっほー、つるみん! 久しぶりぃ」

「おー翔子。また一段と猫被ってやがるな!」

 

 よく見知った顔と声に思わず頬を緩めてしまった。

 

「二人とも久しぶり。……しょっちゅう連絡してるから、あんまりそんな感じしないけど」

 

 バスケコートに着くなり服を脱ぎ捨て、水着になった親友二人とハイタッチを交わす。

 プールがあると聞いて来たらしい。それにしても二人とも、脱ぐだけとはいえ更衣室を使って欲しい。一応、昴がいるわけだし。

 いや、昴なら平気か?

 

「っていうかさつき、ひどい。別に私、猫被ってるわけじゃないもん」

「ほっぺ引っ張るな! 素の奴が『もん』とか言うわけねーたろ!」

「……相変わらず仲いいわね、あんたたち」

 

 そりゃ、まだたったの二、三ヶ月だし。

 

「っていうかるーみんはこっちの味方だろ! なに遊んでんだ!」

「だ、そうだけど?」

「あはは……真帆ちゃん、ごめんね。私はどっちの味方にもつかないよ」

 

 薄く笑った葵に苦笑で返し、俺は自らのスタンスを明かした。

 

「ほえ?」

「私にとっては葵も大事なの。でも、愛莉ちゃんとみんなにも勝って欲しい。だから、中立」

 

 これに対し、真帆ちゃんは顔に疑問符を浮かべた。

 ちょっと難しかっただろうか、と思った直後、彼女はにかっと笑った。

 

「敵じゃないんならいいや! カンキャクは多い方が燃えるし!」

 

 逆に、全部わかっているらしい紗季ちゃんはくすりと笑みをこぼし、それにひなたちゃんや智香ちゃん、愛莉ちゃんも続いた。

 

「そうね。……鶴見さん、愛莉のこと見てくださってありがとうございます」

「おー。るみおねーちゃん、応援してくれるの? ありがとう」

「昴さんにも、鶴見さんにも、恥ずかしい姿は見せられません。……頑張ります」

「長谷川さん、翔子さん。……私、精一杯頑張ります」

 

 真っ直ぐな気持ちに触れ、思わず胸が熱くなるのを感じた。

 昴が「な、小学生っていいだろ?」とでも言いたげに見てくるので、柔らかく微笑み返しておく。

 でも、愛莉ちゃんはちょっと表情が硬い。

 大事な役目だと気負ってしまっているのかも。焚きつけた責任もあるし力を抜いて欲しい。俺は笑顔と共に両手でガッツポーズを決めてみる。

 

「っ!? ……ふふっ……!」

 

 何故か紗季ちゃんが吹き出したものの、お陰で愛莉ちゃんもくすりと笑ってくれた。

 

「翔子。審判お願いできる?」

「了解」

 

 葵の申し出にすぐさま頷く。

 昴がやるよりはまだ俺の方が公平だろう。

 

「それじゃあ、始めよっか」

 

 昴と慧心女バス、葵とさつき達がそれぞれ簡単な打ち合わせを終えた後、運命の試合が始まった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 試合のルールは変則的なものだ。

 シュートは全て二点で、フリースローは一点。基本的にシュートが五本決まったら勝ちと考えていい。ゴールは両チームで高さが異なっており、細かいルールは小学生基準。

 

 葵達がアウェーといえる状況の中、序盤は女バス側がリードした。

 

 最初の分岐点であるジャンプボールは葵の申し出によりキャンセル。

 智花ちゃんのパスからの、初心者とは思えないパスワークでまずは2-0。

 返しの攻撃はさつきが無意味なスリーポイントを外し、慧心女バスの二度目の攻撃は惜しくもリングを脅かすだけで終了。

 ボールを任された多恵がドリブルを開始しようとした直後――緩慢な空気を塗り替え、智花ちゃんが神速のスティールを見舞った。

 

 ――速い。

 

 経験者、というだけではない。

 類稀な瞬発力と数え切れない練習、その両方が今のプレーだけで見て取れる。間違いない。智花ちゃんは昴や葵と同じ、バスケが好きで好きで仕方ないバスケ馬鹿だ。

 

「負けられません……!」

「ふぅん、良い眼だ」

 

 ゴール前でエースを阻んだのは、葵。

 二人の攻防は離れた場所から眺めていてなお、スピーディーなものだった。

 あの小さな身体のどこから力が湧いてくるのか。智花ちゃんが即行で抜きさろうとすれば、葵もきっちりとそれを阻みにかかる。仕切り直された攻防。発揮されたのは全身を利用したフェイクからの後ろ通しドリブル。自分ですらできるか怪しい技につい見惚れてしまった。

 しかし、葵もまた必死に食らいつく。

 バランスを崩しながらも智花ちゃんの進路を阻もうと腕を伸ばす。

 

 そして、智花ちゃんが満を持して刀を抜いた。

 

 ふわりと、まるで浮かび上がるようなジャンプシュート。

 まるで無駄のない流麗なフォームから放たれたそれは、当たり前のようにすっぽりとゴールへ吸い込まれた。

 どこかにジャンプシュートが得意とか言ってる女子高生がいたが、そいつに智花ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませたくなった。

 

 これで、4-0。

 このまま行けてしまうのではないか。そんな期待が頭をよぎる。

 そう思ってしまう程度には、智花ちゃんのポテンシャルはずば抜けていた。

 

「翔子。タイムアウト」

「了解。一分間ね」

 

 ここで葵は一回きりの作戦タイムを使った。

 幼馴染達の顔を見れば、涼しい顔の葵と対照的に昴は苦い顔をしていた。勝っているのは女バスなのに。理解しているのだ。このままでは終わらないと。

 

 

 

 

 

 再開された試合はさつきのパスから始まった。

 息の合った素早いパスによりゴールへ近づいていく葵チーム。智花ちゃん達もダブルチームで止めにかかるが、コースを塞がれる前にパスを出し続けてしまえば簡単には止まらない。

 マークをするするとかわしてのけるのはさつき達の十八番でもある。

 

「ほいブチョー!」

「しまっ……」

「ナイス、ゾノ。んじゃ、行っちゃいましょうか」

 

 やがて、距離が心もとなくなったところでボールは葵へ。

 短いドリブルから膝を折り、跳びあがる葵の前に立ちはだかったのは、

 

「葵さんを止めるのが、私のやくめ……っ!」

「……来たね。でも……っ!」

 

 小学生にして葵を上回る身長を持つ少女――愛莉ちゃん。

 彼女は最初から、さつきと多恵のマークにつかずゴール近くに位置していた。コーチである昴もまた彼女の役割をここだと定めていたからだ。

 決意を込めた表情。

 怯えと不安も見え隠れするものの、その場から逃げ出そうとはしていない。

 

 ただ、今回に関して言えば、少しブロックが遅かった。

 

 ワンテンポ遅れて跳びあがった愛莉ちゃんは惜しくもシュートに関わることができず。

 初めて、葵チームのボールがネットを揺らす結果となった。

 

 4-2。

 

 

 

 

 

 

 更に、葵の策がコートを侵食していく。

 ボールを手にした智花ちゃんを葵がマーク。

 

「ゴメンだけど、マジで行くから」

「――っ!」

 

 あからさまなトラッシュトーク(ちょうはつ)に、しかし智花ちゃんはパスを選択。

 ボールは真帆ちゃんの手にすっぽり収まる形となった。

 

「一対一には、こだわりません。……みんなで勝つためなら」

 

 それは正しい選択。

 フォワード向きの勝気な子が、試合のさなかにそれを選べたことは称賛に値する。

 でも、

 

「ゾノっ!」

「あいあい、ご心配なく!」

 

 指示を受けたさつきが真帆ちゃんをぴったりとマーク。

 どこにパスを出そうかコートを見渡していた真帆ちゃんは困惑。なんとか突破口と見出そうとするも、さつきとて簡単には逃がさない。

 時間を使いすぎればルールに則り攻守交代が発生してしまう。

 痺れを切らした智花ちゃんがパスを要求するも、コースが甘すぎた。マークマン、葵はこれを難なくパスカットし、時計を待つまでもなく攻撃の権利を手にした。

 

「駄目っ!」

「っ、と」

 

 すぐさま反転、ゴールへ向かった葵の前に、再び愛莉ちゃんが立ち塞がった。

 今度はナイスタイミング。

 葵がシュートフォームに入る前に前方を塞ぐことができている。これなら葵に対するプレッシャーは十分だ。

 

 ――ぶっちゃけ、ボールに触れなくてもいい。

 

 俺が愛莉ちゃんに教えたのはそういう緩い心構えだった。

 ブロックの技術は一朝一夕で身に付くものではない。

 ならばどうするか。ボール自体の軌道を変えられなくても、打つ人間のフォームを崩してやればいい。前に立って視界を塞ぎ、タイミングを合わせてジャンプすることで威圧感を与える。

 シュート成功率が五パーセントでも十パーセントでも落ちれば、それが敵の点数を抑えることに繋がる。

 

「タイミングを合わせて、ジャンプ……!」

()()()()()()()()()。……なら、仕方ないね」

 

 一瞬、審判である俺を見て微笑む葵。

 どこか申し訳なさそうに、それでいて楽しそうにコートの床を踏み切る彼女。

 

「あ……っ!?」

 

 俺は、葵のシュートを見てきた回数なら世界一だ。

 だからわかった。一見、通常のシュートと変わらないようフォームが、ほんの少しだけ後ろに傾いていたことを。それは次の瞬間には具体的な違いとして現れたのだが。

 

 後ろ跳びの(フェイダウェイ)ジャンプシュート。

 

 敢えてゴールからの距離を離し、自分よりも高い愛莉ちゃんのブロックを飛び越え、ボールがゴールへと飛び込んでいく。

 4-4。

 中三の時、桐原中女子バスケ部を公式戦初勝利に導いた武器が、小学生の女の子達を追い詰めるために用いられた。

 

 

 

 

 

「……嘘。あんなのトモでも止められないでしょ」

「……っ」

 

 紗季ちゃんがこぼした言葉に、智花ちゃんが唇を噛む。

 仕方ない。

 身長が違う。あのシュートは、葵が『自分より高い相手』用に身に付けた技。葵よりずっと背の低い今の智花ちゃんが止めるのはほぼ不可能。

 本人が納得できるかはまた別の話だけど。

 

「まだまだ行くよ」

 

 

 

 

 

 葵の宣言は現実のものとなった。

 葵達は智花ちゃんのドリブルが始まった途端――すぐさま慧心女バス側のコートに乗り込んでプレスディフェンスを仕掛けた。

 そうして圧力をかけ、パスコースを塞ぎ、ボールを奪ったらそのまま攻撃に持ち込む。

 こうなったらもう、エースは止まらない。

 再びのフェイダウェイシュートがネットを揺らし、ついに逆転。

 スコアは4-6となった。

 

「駄目っ! 絶対、負けられない……っ!」

 

 敵方に傾いたスコアを戻したのは智花ちゃんの執念。

 ジャンプシュートにはジャンプシュートを。

 そんな言葉が聞こえてきそうな、鬼気迫る表情で放たれたシュートが見事決まって、同点の6-6。

 

「……撃ち合いだね。いいよ、乗ってあげる」

 

 唇の端を吊り上げた葵に、智花ちゃんは答えなかった。

 俺は見た。

 さっき、葵が、智花ちゃんに対するディフェンスを僅かに緩めたのを。それは彼女なりの手心だったのか。プレスディフェンスからの速攻を決めるためにスタミナを温存したのか、本当のところは分からないが。

 

 試合はエース同士のシュート合戦となり。

 8-8。

 葵と智花ちゃんが一度ずつ、失敗することなくシュートを決めたことで、次のゴールで勝負が決まることが確定する。

 

 

 

 

 

「行くよ」

「……っ」

 

 葵のドリブルが始まった時、智花ちゃんは泣きそうな顔をしていた。

 それでも必死で追いすがり、ボールを奪おうと手を伸ばす彼女に対し、

 

「ごめんね」

 

 持てる手管を駆使して抜き去る葵。

 

「ちくしょー! 通せよこのー!」

「ごめんねぇ」

「……っ、止めないと、行けないのに……!」

「あちし達も仕事しとかねーといけねーんだ」

 

 真帆ちゃんと紗季ちゃんが多恵とさつきに阻まれ。

 ディフェンスに回ろうとしたひなたちゃんの横を疾風の如く葵が駆け抜けて。

 

 ――幾度目かの対決。

 

 ゴール前に立った愛莉ちゃんは震えていた。

 彼女には何の落ち度もない。

 単に葵が思った以上に本気だったことと、俺が先生として未熟すぎただけ。結果として一本も止められていないことを責める者など誰もいない。

 それでも、彼女は立っていた。

 

 誰もが理解していた。

 最後の希望を。

 

 ここでもし、葵のシュートが外れれば、智花ちゃんが決めるチャンスを得る。

 ここで止められれば。

 

 愛莉ちゃんが、止めれば。

 

「……うう」

「……怖い?」

「っ」

 

 びくんと肩を震わせ、愛莉ちゃんが葵を見る。

 どういうつもりか、葵は至近で対峙したまま愛莉ちゃんを見つめていた。

 

「このシュートで全てが決まる。止められなければ、終わり。怖いよね」

「………」

「友達の頑張りも、教えてくれた人達にも、申し訳ないよね」

「……ぁ」

 

 愛莉ちゃんが視線を動かす。

 昴を、みんなを、俺を見た。

 大事な場面で何を。フェイントの一環だったらどうするのか、と言うべきなのかもしれない。

 

 それでも、俺は微笑んでいた。

 

「……がんばれ」

 

 小さく唇を震わせて囁く。

 

「……んっ」

 

 声は聞こえなかっただろう。

 見えてすらいなかったかもしれない。

 それでも、愛莉ちゃんは何かに頷いて――葵に向き直った。

 その時にはもう、震えは止まっていた。

 

 二人がほぼ同時に跳躍する。

 高い。

 

「くっ……!?」

 

 葵が歯噛みし、ほんのかすかに手を震わせて、シュートを放った。

 愛莉ちゃんの指はボールに触れない。

 ボールは放物線を描いて飛び、リングに弾かれて。

 

「ありがとう、愛莉。……大好き」

 

 飛び込んできた智花ちゃんの手に収まった。

 

「ひなたっ!」

「おー。ともか、お返し」

 

 いったんひなたちゃんに託したボールを、最速で切り返した智花ちゃんが再度受け取り。

 

「う、マークされちゃうか。参ったな」

「駄目。葵さんは、私が止めなきゃ……駄目っ!」

 

 ほんの一秒程度。

 抜かれるまでの時間は僅かだったが、愛莉ちゃんによって阻まれた葵はブロックに間に合わず。

 

「いっけええええええっ!!」

 

 下手したら妨害行為なんじゃないかという昴の声をバックに――試合が、終わった。

 

「そこまで! 勝者、慧心学園女バスチーム!」

 

 事態を把握する一瞬の間を置いて。

 子供達の歓声が一斉に巻き起こった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……申し訳ありません。わたくし、見誤っておりました」

「あはは……。葵は誤解されやすいんですよね」

「いえ。鶴見さまのことを、です」

 

 落ち着いた声音の久井奈さんに言われ、俺はうっと呻いた。

 

「……昨日の失言は忘れてください」

 

 そのせいであんまり眠れなかったんですから。

 

「では、お尋ねになったことも冗談ということで?」

「あ、えっと……それは本気なんですけど」

 

 嘘を言うのも憚れてそう答えれば、久井奈さんがくすりと笑った。

 目を細めて俺を見る仕草は僅かに嗜虐的で、かわらうような色があってぞくぞくする――じゃなくて、少しは気を許してもらえたのかと嬉しくなった。

 

 コートから場所を移してプールサイド。

 

 休憩中の俺の目には、子供達にもみくちゃにされる昴と葵、それからもみくちゃにする側に回っているさつき達の姿が見えていた。

 試合の後、葵は熱くなりすぎたことを詫び、今日は遊びにとことん付き合うことを宣言。

 殆ど休む間もなく振り回されているのはご愁傷様ではあるものの、おかげで変な確執は残らなくて済みそうだ。気づいたら接戦になってた、本当はもう少し余裕持って負けるつもりだったらしいので、ちょっとくらい苦労してくれてもいいと思う。

 

「鶴見さま。よろしければこちらをどうぞ」

 

 と、久井奈さんが差し出したのは小さなカード。

 

「わたくしの連絡先です。今後、使うこともありそうですし」

「え……その、いいんですか?」

 

 自分で言うのもなんだけど変人では。

 尋ねれば「ええ」と久井奈さんは頷いて。

 

「紛失された場合、次はありませんが」

「え」

 

 直後。

 

「るーみん! 休憩終わりー! こっち来てあそぼーよ!」

「つるみん、隠居するにはまだ早いよぉ!」

 

 真帆ちゃんと多恵、二人の放った水鉄砲が直撃し――俺はくすくす笑う久井奈さんの横でひどく狼狽することになったのだった。

 

「えへへ、翔子さんっ。一緒に遊びましょうっ」

「あの、鶴見、さん。お時間あったら後でバスケを……っ」

 

 愛莉ちゃんや智花ちゃん、他の子の声まで飛んできて、俺は苦笑しそうになった顔を微笑みに変えて頷いた。

 

「うん、今行くね」

 

 どうやら、今日は部活並みにハードな一日になりそうである。



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4th stage 翔子、小学生と合宿に行く(1)

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【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

【家庭環境】

 母は女流棋士、父はホビー雑誌の編集者

【夏休みの目標】

 得意技に更なる磨きをかける

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「試合、させてあげられないかな」

 

 葵から切り出されたのは、彼女と愛莉ちゃん達との試合が終わって数日後のことだった。

 試合。

 バスケを──いや、あらゆるスポーツをやるにあたって、やはり一番気合いが入るシーンだろう。目に見える形で成果が現れるし、仲間との団結も深まる。

 何より、勝った快感と負けた悔しさは格別だ。

 

「そうだね。でも……」

 

 現状、愛莉ちゃん達は大会に出られない。

 ミニバスの大会は十人入れ替えで行われる。だから、部員が足りないあの子達にはそもそも資格がない。

 葵もそれに頷いて。

 

「うん。だからね、練習試合」

「なるほど。でも、ツテがあるかな……」

 

 慧心女バスは真帆ちゃんが発足させた新しい部活。顧問の美星姐さんも含めてコネクションは皆無。

 男バス経由という手はあるけど、顧問と犬猿の仲らしいので無理。

 いや、学校側から協力するよう指示させれば……? 駄目か、実績も何もない部費食い虫のためにそこまでする理由がない。

 と。

 

「あれ、知らない? ショージの親戚に硯谷の教師がいるらしいんだけど」

「……初耳」

「……何で翔子が知らないのよ」

「いつも馬鹿な話しかしてないせい、かな」

 

 多恵と話すときは殆どが趣味の話。

 そういうことが話題に出るのは、何かの拍子に話の流れが向いた時だけだ。

 

「でも、そういうことなら話が早いね」

「ん。一回、昴にも話を通してみる。多分、二つ返事でオッケーだろうけど」

「だろうね」

 

 案の定、昴からはオーケーが出たようで。

 数日後、葵は多恵から「作戦成功だよぉ」とのメールを俺に見せてくれた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……どうしようかなあ」

 

 というわけで組まれた、硯谷初等部との練習試合。

 どうやら向こうから快諾され――練習試合というか交流のための親善試合、それも三泊四日での合同練習込みとなったらしい。

 これには試合好きの真帆ちゃんをはじめ、女バス全員が飛び跳ねんばかりの喜びようだったとか。

 やりとりを続けている愛莉ちゃんからは直接喜びの声も聞いた。

 

 日程は夏休みに入ってすぐの土曜日から。

 美星姐さんがマイクロバスを借り、それで一緒に向かう手筈となっている。

 

 で、そんな中、俺に生じた悩みというのが。

 

「行きたい」

 

 練習試合、もとい合宿には葵も参加を表明している。

 となると慧心女バスと昴だけのイベントではなくなるわけで、俺も一応顔見知りだし、行ってもいいのではないだろうか。

 別に葵や愛莉ちゃん達と寝泊まりしていかがわしいことを――などという思ってはいないが。

 合宿、みんなで一緒にあれこれするイベントって正直大好きなのだ。

 

 幸い部活の合宿とは被っていない。

 家族と遊びに行ったり帰省するメンバーもいるため、夏休み中は普段より練習を休みやすい。むしろ全部出たら「暇なの?」と揶揄されかねないくらいだ。

 

 愛莉ちゃんからも「一緒に行きませんかっ?」と誘われた。

 二つ返事でオーケーしてしまいたいくらいだったのだけれど。

 

「……昴に聞いてみようかな」

 

 しばらく悩んだ末、俺は昴の番号をコール。

 

『もしもし?』

「あ、昴? 時間大丈夫? ……ちょっと、相談があるんだけど」

 

 電話に出た幼馴染におずおずと、合宿に行ってもいいか尋ねた。

 結果は、拍子抜けするほどあっさりと。

 

『そんなことか。……もちろん大歓迎だ。愛莉達も喜ぶだろ』

「……いいの?」

『悪いわけあるか。翔子がいてくれると俺も助かる』

「……そっか」

 

 えへへ、と、安堵の吐息と共に声がこぼれた。

 続けて言われたのが「ポイントガード以外の視点からアドバイスが欲しい」だったあたりが本当に昴らしいけど、だからこそ本気でオーケーしてくれたのがわかる。

 

「うん。じゃあ、私もお邪魔するね」

『お邪魔なもんか。……夏早々、楽しくなりそうだな』

 

 聞きようによっては甘い言葉と共に通話が切れる。

 俺の口元は隠しようもなく笑みを浮かべていた。

 

 の、だけれど。

 

 

 

 

 

 テストが終わってしばらく経ったある日、ちょっとした懸念が発生した。

 

「そっか、じゃあ最近は肌荒れ気味なんだ」

『まあね。最低限のケアはしてるけど、疲れて寝ちゃう時もあるし』

「さすが、硯谷の練習はきつそうだなあ。……それなら今は私の方がお洒落してるかも?」

『馬鹿言いなさい。あんたとは年季が違う』

 

 別の学校に進学した親友――鳳祥と電話で女子トークをしていた時のことである。

 

「そういえば、夏休みに硯谷に行くことになったんだ」

『は? なにそれ?』

「えっとね」

 

 かいつまんで事情を話すと、祥は息を吐いて言った。

 

『なるほどね。……でもそれ、本当に大丈夫?』

「大丈夫って?」

『冷静に考えなさい。()()御庄寺多恵の仕事よ? 故意か過失かはわからないけど、無駄なサプライズが仕掛けられてる可能性大じゃない』

「……あー」

 

 確かに、多恵とさつきは大の悪戯好きである。

 加えて、ノリで生きているところがあるため、大事なことを伝え忘れていることも多い。

 前にプールへ行った時なんて、服の下に水着をつけて来た挙句、着替えの下着を忘れてきた。パンツ貸してと言われたのは後にも先にもあの時だけだ。

 

「……ちょっと不安になってきた」

『……でしょうね。ちゃんと確認しておきなさい。こっちも心当たりに聞いてみるから』

 

 持つべきものは親友。

 桐原女バスが誇るポイントガードは女子校に行っても抜け目なく冷静だった。

 

 俺は祥との電話を終えるとすぐさま多恵の番号をコール。

 こういうのはすぐやらないと有耶無耶になるに決まっている。そして案の定、思ってもいなかった事実が発覚することになるのだった。

 

 

 

 

 

 

「え、野宿?」

『そうだよぉ。言ってなかったけ?』

「うん、聞いてない」

 

 スピーカーから聞こえてきた声はいつも通りほわほわしていた。

 小学校からの親友に悪意がないのは明らかで、だからこそ脱力してしまった。

 

「つまり、多恵が連絡を取ったのは硯谷初等部の先生じゃなくて――その妹さん、なんだ」

『うん』

 

 やけにあっさり話が進んだと思ったら、そういう裏があったらしい。

 多恵自身が連絡先を知っていたのは現在高校二年生の妹の方で、彼女を経由して教員の方に話が行った。合宿及び練習試合を快諾したのも妹の方で、姉とは一度も話していない。

 また、姉――つまり教員の方から「宿泊施設等々は貸与できない」との話があったこと、その話が多恵で止まっていたことも発覚した。

 合宿については「慧心さんがキャンプするなら」という条件で了承が出たものらしい。

 

「じゃあ、私達あんまり歓迎されてない?」

『大歓迎だったよぉ。マナマナってば「うち山奥だから、なかなか相手が見つからなくて」って大喜びだったしぃ』

 

 それは嬉しいんだけど、先生の方が問題。

 

「というか、マナマナって?」

『野火止麻奈佳。バスケやってるらしいけど、つるみん知ってる?』

「……知ってる」

 

 緑の悪魔が関係なくて何よりだ。

 野火止麻奈佳。その名前は硯谷女学園において唯一、祥以外で面識ある人物のものだ。

 

 ――忘れもしない一昨年の夏。

 

 俺と葵へ「硯谷に来ないか」と誘いをかけ、結果的に祥を引き抜いた人物。

 当時の硯谷中等部において女バスのエースを務めていた女性だ。

 

『マナマナ、今、足怪我してるらしくてぇ』

「へ?」

『暇だから小学生のコーチみたいなことしてるんだって』

「待って。急に情報量が多い」

 

 後でネット検索したら、大手掲示板サイトでそれっぽい記事が見つかった。

 さすがに小学生のコーチ云々は出てこなかったけど、あの人が活動を休止しているのは本当らしい。

 

 まさか、昴みたいなことしてる人がこんな身近にいるとは。

 まあ、彼女の場合は同性を教えているのでアウトになりようがないけど。

 

「ありがとう、多恵。後はこっちで調整してみる」

 

 俺は多恵にお礼を言って電話を切――ろうとしたところで今期アニメの話題を振られ、小一時間ほど多恵と雑談を繰り広げたのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そんなこんなで合宿当日。

 

「このたびの件、感謝いたします。るーみんさま」

「いえ、もともと気づいたのは私の友達ですから」

 

 美星姐さんが手配したマイクロバスの前で、俺は久井奈さんから頭を下げられていた。

 今日の彼女はメイド服ではなくジャケットとパンツというカジュアルな格好。山の中にある硯谷へ赴くにはさすがに不適当という判断らしい。

 見たところ、ブランドは全て『ForM』というところの品。レディースもメンズも手広く扱うファッションブランドで、高すぎず安すぎず質のいいものを提供している。俺も何度か購入したことがあるし、祥も普段使いにお薦めとしているところだ。

 って、それはともかく。

 

 ――どうして久井奈さんがいて、俺に頭を下げているのか。

 

 あれから昴経由で愛莉ちゃん達に相談した結果「楽しそう」とキャンプは快く受け入れられた。

 お嬢様である真帆ちゃんや大人しい愛莉ちゃんも難色を示すことはなく、ほっとした俺だったのだが、ここで声を上げた人物がいた。

 

 真帆付きのメイドである久井奈さんだ。

 

 真帆さまが野宿なんて心配でなりません、とのこと。

 野宿といってもテントを使ったキャンプだし、保護者役に美星姐さんもついてきてくれる。そこまで心配することはないと思うのだけれど、真帆ちゃんへの愛が不安を掻き立てるらしい。

 ご両親がオーケーを出してくれていたため、旅行禁止などにはならなかったものの。

 どうしてもキャンプするなら道具一式を三沢家から貸し出す、また管理者として自分もついていくと言ってきかなかった。

 

 まあ、久井奈さんなら俺達としても異存はない。

 真帆ちゃんはちょっと窮屈そうだったけど決して嫌っているわけではなく、むしろ大好きなようで最終的に了承。美星姐さんも「そのぶん私が楽できる」とあっさりオーケーした。

 で、おかげで事前に気づけたと、俺が久井奈さんに感謝されてしまった。

 

「私も久井奈さんとご一緒できて嬉しいです」

 

 もとはといえば祥の手柄。

 あまり頭を下げられるのは困るので話を逸らそうとすると、久井奈さんが半眼になった。

 

「……感謝はいたしますが、くれぐれも変なことはなさらぬよう」

「そういうことは誓ってしません」

 

 逆に俺が土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。

 と、頭の上からくすくすと楽しそうな声が響いた。

 

「冗談です」

「……良かったです。嫌われちゃったんじゃないかと」

「いえ、そのようなことは決して」

 

 笑顔の久井奈さんからネガティブな印象は窺えない。

 大人の女性ゆえに本心を隠すのも上手かろうが、俺としてはもう誠心誠意、清い行動を心がけるしかない。好みのタイプの女性にドキドキしてること自体は本当なのだし。

 

 ――さて、忘れ物はないだろうか。

 

 山歩きも考えて厳選した荷物はバスに積み込み済み。

 久井奈さんが持ってきたキャンプ道具も同様に積み込まれている。三沢家の車で運び何人かで積み込んでいたけど、かなり最新式のモデルらしくサイズと重量はかなり抑えられている。俺や葵、昴が手伝えば運搬は十分に可能だろう。

 昴達はもうバスに乗り込んでいる。

 漏れ聞こえてきた声からすると智花ちゃんから朝ご飯を受け取ったり、同行を伝えていなかったらしい葵とひと悶着あったり、どこに座るかでわいわい話をしていた模様。

 

 考えてみると、昴視点ではハーレムである。

 

 とはいえ美星姐さんは血縁。俺には興味ないだろうし、愛莉ちゃん達は小学生。

 久井奈さんとくっつくのは真帆ちゃん相手に気まずすぎるから、実質、選択肢は葵一人である。どこを見ても女子ばかりの中、劣情を向けていいのは葵だけ。これはかなりチャンスじゃないか。

 もし、いいタイミングがあるのなら積極的に二人の仲を後押ししていく所存である。

 

 さっさとくっついてくれないと俺達も困る。

 

 俺やさつき、多恵、上原がどれだけ焚きつけても紳士的な対応を崩さない昴、恋愛となるとヘタレる葵だけど、にっちもさっちもいかない状況になれば進展するはず。

 と。

 

「おーい二人とも。そろそろ出発しようぜー」

「はーい」

「今参ります」

 

 久井奈さんと目配せし、マイクロバスに乗り込む。

 

「翔子さんっ。わたしの隣でいいですか?」

「うん、ありがとう愛莉ちゃん」

 

 隣を空けておいてくれた愛莉ちゃんに微笑み、頷く。

 ちなみに久井奈さんは保護者ということでドライバー――美星姐さんのすぐ傍に座した。葵は紗季ちゃんの隣、昴の隣には智花ちゃんがいる。

 

 むう。案外、あの子が伏兵だったりするのか……。

 

 などと、複雑な思いを抱きつつ、動き出したバスの中で、俺はみんなとの歓談に移るのだった。



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4th stage 翔子、小学生と合宿に行く(2)

「にゃはは。みんな、わりーけど、ちょっと抜けさせてくれ」

 

 夏休みに入ったばかりの七月二十三日、土曜日。

 慧心学園女子バスケットボール部五名にコーチの長谷川昴、付き添いの荻山葵と俺、鶴見翔子、お目付け役の久井奈聖さん、美星姐さんの計九名は山でのキャンプ+合宿という一大イベントのため、県校外へとマイクロバスで出発した。

 

 少しでも景色を楽しむために一般道を走り、途中でパーキングへ寄るためだけに高速へ乗る――というプランは非効率極まりなかったものの、主役である愛莉ちゃん達のはしゃぐ声を聞かされては文句を言う気にならない。

 というか、俺自身も割とわくわくしていた。

 だって、完全に遠足のノリなのである。思えば、こういうのって小学生の時が一番楽しかった。

 中高と進むにつれて「ダルイ」「めんどい」と盛り下げるのが増えるし、慣れも出てきてさほど興奮できなくなる。

 だから、みんなの純真な反応はとても嬉しい。

 

 思い切って着てきた白ワンピと麦わら帽子もあんまり浮いてないし。

 昴からは「気合入れすぎじゃないか」と言われたけど、子供達からは「可愛い」と好評だった。そう、可愛ければいいのだ。

 スカートの丈は短めで、あんまり広がらないタイプだから、見た目ほどは動きづらくもない。

 

 ――で。

 

 冒頭に話を戻そう。

 ドライバーである美星姐さんが唐突に宣言したのは、パーキングエリアでの昼食を終え、いざ出発という時のことだった。

 子供達がおしゃべりに興じる中、さっさと牛肉串×2とホットドッグ、たいやきを完食した姐さんは一人トイレに籠もっていたのだが。

 なかなか戻ってこないのを心配した久井奈さんが様子を見に行き、俺達は先にバスへ戻っていたところ、二人してひょっこりと帰ってきた。

 

 顔色はそんなに悪く見えない。

 ただ、今思えば、食事の量がいつもよりだいぶ少なかった気もする。

 

「……何だよ? 悪いものでも食ったのか?」

 

 眉を顰め、心配を隠しながら昴が問えば、姐さんは苦笑してみせる。

 

「いやー、それがさ。トイレ行っても腹痛が治らん。一応、病院行って来ようかと」

「それって、なにかの病気なんじゃ……?」

 

 ちょっと腹が痛い程度なら盲腸とかじゃないだろうけど、でもそこは美星姐さん。逆に多少の痛みなら「気のせいだろ」でスルーしてしまうかもしれない。

 そんな彼女がわざわざ、このタイミングで病院行きを決めるとは。

 

「えー! だいじょーぶなのかみーたん!?」

 

 大きな声を上げた真帆ちゃんを筆頭に、子供達も心配そうな表情を見せるも。

 

「大丈夫だって。念のために診てもらうだけだし。車の運転なら聖に代わってもらうことになったから」

「はい。お任せください、みー……篁先生」

「にゃはは、みーたん先生でいいって」

 

 一礼した久井奈さんが呼び名で言いよどむと、姐さんはきさくに笑ってみせる。

 

「そんなに大事じゃないのね。良かった」

 

 葵がほっと胸をなでおろしたのを皮切りに、バス内の空気が弛緩する。

 実際は言うほど楽観できる状況じゃないんだろうけど。

 

「一人で大丈夫ですか? 私、付いていっても……」

 

 久井奈さんが同行してくれていたのはラッキーだが、ドライバーを代行する以上、彼女が美星姐さんを病院に送り届けることはできない。

 タクシーでも呼ぶにせよ、付き添いが居た方がいいだろう。

 となれば、この場で最も部外者に近い俺が、

 

「心配すんなって翔子。お前にゃ昴が変なことしないか見届ける義務がある」

「おい、待て。変なことってなんだ」

「自分の胸に聞いてみやがれ。ま、そんなわけだから後よろしく。治ったら後から追いかけるから適当にやってくれ」

 

 言うが早いかバスを降りてしまう美星姐さん。

 何を言っても聞いてくれそうにないな、これは。

 俺は息を吐き、努めて明るい声を出した。

 

「……しょうがない。昴を放っておくのも不安だし、行こっか」

「……翔子まで俺を性犯罪者に仕立てる気か」

「違うよ。ご飯とか、久井奈さんや愛莉ちゃん達に任せっきりにしそうだもの」

「うっ……」

 

 昴が呻き、それ以上何も言わなくなった。

 彼もやろうと思えばできるはずだが、母親があの七夕さんである。黙っててもご飯を出してくれるし、いざ昴が作るとなってもあれこれ世話を焼くに決まっている。

 結果、実績はほぼゼロのはず。

 

「……そうね。篁先生のことは心配だけど、いつまでもここにいても仕方ないわ」

 

 話の流れに紗季ちゃんが乗っかってくれ、みんなも次々に同意する。

 

「そうだね。篁先生ならきっと大丈夫だよ」

「……うん。いっしょに行けないのは、残念だけど」

「おー。みほしもきっとすぐ来てくれる」

 

 これを受け、昴が号令を出した。

 

「……よし、出発しよう。遅れたら先方に申し訳ないし」

「おー!」

 

 こうして俺達は再び出発。

 なお、美星姐さんの病気についてはガチで盲腸と発覚するのだが、それはまた別のお話。山中でぶっ倒れる前に代わっておいて良かったというか、途中まで運転できただけでも驚異的すぎる。

 あの人の内蔵、チタンか何かでできているんじゃないだろうか。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「わぁ……!」

 

 幾人かの上げた歓声が重なってバス内に響いた。

 私立硯谷女学園。山の中とは聞いていたものの、敷地は当前ながら開かれており、舗装された道がまだ新しいゲートの奥へと続いていた。

 無事、マイクロバスは駐車場へ停め、アスファルトの床に足を下ろすとゲートを振り返る。

 

 近くに見えるのは受付らしき建物。

 全面ガラス張りの近代的なそれからは美しく清潔感のある印象を受けた。さすが女子校。あの建物を見て心を奪われる見学者もきっといるだろう。

 山の中のスポーツ特化校、という字面から受ける修行場のようなイメージとは程遠い。

 

「とりあえず、荷物は後でいいかな」

「ええ、それがよろしいかと。……練習に必要なものがございましたら、それだけご用意くださいませ」

 

 俺の声に久井奈さんが答えてくれる。

 この後の予定は硯谷の顧問に出迎えてもらい、キャンプ場に案内してもらった後で先方のバスケ部に合流、挨拶の後で合同練習。

 約束の時間は既に近づいており、本格的な荷下ろしを始めてしまうと遅れてしまいそうだ。

 みんなこの流れは予期していたようで、手荷物に着替え等を用意しており問題なし。

 

 ……正確に言うと真帆ちゃんは久井奈さんと紗季ちゃんから甲斐甲斐しく世話を焼かれていたけど。

 

 リュックやショルダーバッグを手に受付に向かえば、そこで一人の女性が待っていた。

 ストレートの髪をバレッタで纏めた理知的な女性。推定で久井奈さんと同じくらい、二十代中盤といった感じで、シックなスーツ姿が「できる女」を演出している。

 一言付け加えるなら、久井奈さんと違い「きつそう」という印象が強く来るのが玉に瑕か。

 

「初めまして。初等部女子バスケットボール部の顧問の方でいらっしゃいますか?」

「ええ。そちらは――慧心学園女子バスケットボール部の皆様で間違いないでしょうか」

 

 冷たい、とも取れる冷静な声。

 愛莉ちゃんがびくっと身を震わせるのを見て、そっと肩に手を置いてあげる。震えはそれで止まってくれたものの、顧問さんの視線が俺と葵、昴に向けられた。

 

 意訳するなら「誰だよこの高校生達」といったところか。

 

 ただ、久井奈さんも一歩も引かない。

 美星姐さんから預かった書類を差し出すと、静かに話を続けてみせた。

 

「はい。ただ……申し訳ありません。顧問が急病でして、わたくしは代理の久井奈聖と申します。慧心学園女子バスケットボール部全五名と――お手伝いをお願いしている七芝高校の生徒さんたち。あらかじめお送りしたリストから一名減となりますが、メンバーに相違はございません」

 

 意訳するなら「誰だも何も、事前に言ってあったよね?」といったところか。

 

「……はい、確かに。私は顧問の野火止初恵と申します。遠いところ、ようこそいらっしゃいました」

 

 あまり表情は歓迎しているように見えないものの、挨拶はスムーズに進んだ。

 

 顧問――野火止先生に続いて俺達が一人ずつ名乗り、それが終わるとキャンプ場へ案内してもらう段になった。

 受付横のゲートを通って敷地内に入り、奥にあった淡い色合いの校舎を横目に歩く。とりどりのユニフォームに身を包んだ女の子達とすれ違い、その度に会釈をしながら、徐々に校舎から離れた方向、人気のない木立ちの中へと入っていく。

 

 ……前言撤回。割と修行場っぽいかも。

 

 木立ち、というかちょっとした森に入って一分ほど進むと、再び視界が開けた。

 野原だ。

 元は何のためなのか不明だが、俺達がテントを張ってキャンプをするには十分なスペースに、ポリタンクや炭といった品が無造作に置かれている。

 かさばる品は貸与可能と言われていたが、うん、これは有難い。

 

「こちらになります。……表のゲートは十八時以降、基本的に開けられなくなりますので、荷物を運び込むのでしたらお早めにお願いします」

「ご配慮、感謝いたします」

 

 その他、トイレの場所や入浴について等、こまごましたことを説明される。

 事前に交渉した結果、()()()練習後に体育館のシャワーを使わせてもらえることになっている。入浴は寮のお風呂を生徒と被らない時間に利用可能。

 男子というか昴はまあ、うん。ここ女子校だからどうにもならなかった。

 女子とかち合わなければいいだろう、というのは理屈の上の話で、思春期の女の子には「同じところを男が使う」だけで嫌だと思う子もいるのだ。

 

「では、続いて体育館にご案内しますが――」

「わたくしは今のうちに荷物を下ろして参ります。皆様のご案内をお願いしてもよろしいでしょうか」

「わかりました」

 

 久井奈さんの提案に野火止先生が頷く。

 マイクロバスから荷物を運び込めるのは十八時まで。練習に参加してからだと時間的にタイトすぎるので、ここで準備しておくべきだろう。

 

「じゃあ、私も手伝います」

 

 ならばと、俺はそうみんなに向けて表明したのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……よろしかったのですか? バスケットボール、楽しみにされていたのでは?」

「大丈夫です。合宿は始まったばかりですし」

 

 小学生に交じって自分の練習するわけにもいかない。

 全員に面が割れなくてもさほど問題はないだろうし、明日からしれっと参加すればいい。

 愛莉ちゃん達の実力については葵の方がまだ知っているので、昴のサポートはばっちりしてくれるはずだ。

 

「それに、あの二人はもうちょっと二人っきりになるべきなんです」

「なるほど。……るーみんさまは縁の下の力持ちなのですね」

 

 テントの入った袋を二人で運びながら、久井奈さんがくすりと笑った。

 

「あはは、そうですね。地味な手伝いくらいしかできないので」

「そんなことはございません。とても素敵なことだと思います。メイドという仕事も似たようなところがありますから」

「お仕事、楽しいですか?」

「ええ、もちろん」

 

 きっぱりと答える久井奈さん。

 三沢家に仕え、真帆ちゃん専属で働いているという彼女。週休二日取れているのかとか、給料はいくらなのかとか、色々考え始めると「激務」という結論にしかたどり着けないのだけれど、多分大学出てからこの職に応募したと思われる。

 好きでなければ務まらないし、嫌いならメイドさんなんかしていないだろう。

 

「……いいですね、そういうの」

「あら。るーみんさまでしたら、メイドも務まるかもしれませんね。今晩からお料理の腕も見せて頂きたいところです」

「真帆ちゃんのところのメイドさんなんて、東大受かるより難しそうですけど……」

「そこは特訓あるのみです」

「なるほど。将来のことも、そろそろ考えないとですね」

 

 メイドさんも、母親の跡を継ぐよりはずっと性に合っていそうだ。

 たまに入ってくる情報だけで、今の将棋界はやばいことになっている。最年少竜王だの浪速の白雪姫だの、どこのラノベだっていう人材がゴロゴロしているのである。

 五歳で駒の動かし方を完全に把握した! ってベタ褒めされた時にいい気にならなくて本当に良かった。

 本格的に将棋やらなかった理由は着物着たくなかったからだけど。

 

「……これで、だいたい完了ですね」

「ありがとうございました、るーみんさま。お陰で捗りました」

「いいえ。体力はあるのでどんどん使ってください」

 

 マイクロバスとキャンプ場を何度か往復して。

 食堂の調理場にある冷蔵庫を一部貸してもらえることで、持ってきた食材を置かせてもらい。二人がかりでテントを設営し、近くの水場から水を汲んで運び。

 真帆ちゃん達の仕事をちょっと奪いすぎたかも、というレベルでキャンプの準備が完了した。

 

「じゃあ、ご飯の支度くらいは」

「はい。皆様にお任せいたしましょう」

 

 俺達は顔を見合わせ、程なく戻ってくるであろうみんなを想い微笑みあった。



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4th stage 翔子、小学生と合宿に行く(3)

試験的に、原作おなじみ台本形式を挟んでいます。


「うわ、もうテントできてる!」

 

 練習後にシャワーを浴び、さっぱりした様子で戻ってきたみんな(昴だけ汗だく)。

 最初に声を上げたのはやっぱり真帆ちゃん。

 俺と久井奈さんが設置した最新型テントに駆け寄り、見上げて歓声を上げた。

 

「ずるい、やんばる! あたしもテントやりたかったのに!」

 

 ……歓声?

 

「申し訳ございません、真帆さま。練習でお疲れになると思いましたので」

「我儘言うな。大体、今から作業したら暗くなっちゃうでしょうが」

 

 立場上、強くは出られない久井奈さん。

 眉を下げて詫びる彼女を擁護するように、紗季ちゃんが進み出て一喝。

 

「ごめんね、真帆ちゃん。でもほら、一番いいところは残してあるよ」

 

 もう一押しと、俺は調理道具一式と食材を示した。

 

「いいところ?」

「うん。キャンプと言えば、やっぱりカレーじゃない?」

「カレー! そうそう、わかってるじゃんるーみん!」

 

 ぱっと真帆ちゃんの顔が明るくなる。

 道具へ駆けていく少女をゆっくり追いかけながら、紗季ちゃんがくすりと笑った。

 

「そうね。前の時のリベンジをしなくっちゃ。……ありがとうございます、久井奈さん。鶴見さん」

 

 本当に出来た子だ。

 大袈裟にならない程度に頭を下げてくれる紗季ちゃんに、俺と久井奈さんは微笑みを返した。

 そうすれば残りの面々も行動を開始。

 

「おー。ひなたち、カレー作るの?」

「前の時は食べ損ねちゃったもんね。また野菜炒めにならないようにしないと……」

「えへへ。お料理なら、わたしも貢献できるかな」

 

 無邪気に歩き、笑顔を浮かべるひなたちゃん。

 智花ちゃんは決意を顔に浮かべ、愛莉ちゃんはほんわかと協力を表明してくれる。

 

 ほっと胸を撫でおろす俺。

 と、いつのまにか傍にいた昴が苦笑を浮かべて言った。

 

「悪いな。二人だけでテントまで張ってもらって」

「とんでもございません。むしろ、どんどんお申し付けくださいませ」

「そうそう。それより、そっちはどうだった?」

「ああ、こっちも順調……とは、いかなかったな」

 

 練習の出来事を思ったのか、昴が来た道を振り返る。

 彼の言葉は葵が継いだ。

 

「痛いとこ突かれちゃった。……一番、嫌なタイミングで」

 

 顔合わせと挨拶自体はスムーズに終わったらしい。

 ただ、硯谷側――特に野火止先生とレギュラーメンバーには、愛莉ちゃん達を軽く見ている節が多く見受けられた。

 

 キャプテンの少女から昴が罵倒され、合同練習なんて時間の無駄と一蹴

 野火止先生からも慧心女バスは五年生と練習するよう言い渡される。

 当然、葵や真帆ちゃん、紗季ちゃんが抗議の声を上げたが、そこで慧心女バスが抱える一番の問題点を突かれてしまった。

 つまり、人数不足で大会に出られないということ。

 

 そのことは、子供達には秘密になっていた。

 もちろん智花ちゃんだけは知っていたものの、残りの四人は知らなかった――特に、試合を強く望んでいた真帆ちゃんのショックは大きく、体育館から走って出て行ってしまうほどだったという。

 

「でも、みんなのお陰でなんとかなった」

 

 お通夜のようなムードになってしまったみんな。

 硯谷の六年生が自分達だけで練習を始め、五年生以下も動かない慧心勢を見て仕方なく練習開始。

 

 ――そんな、流れを変えてくれたのはひなたちゃん。

 

 いつもの調子で練習への参加を表明してくれたことで、智花ちゃんと愛莉ちゃんが続くことができた。

 ぎこちない流れも練習を始めた仲間達を見て、紗季ちゃんは昴と共に真帆ちゃんを追いかけ、小一時間ほどで連れ帰った。

 

「で、まあ、そのあとはうまくやれた感じ。……五年生とだけどね」

 

 と、葵が肩を竦める。

 別に全員が喧嘩腰だったわけではなく、レギュラーに遠い子はかなり親切にしてくれたそうだ。

 慧心女バスもみんないい子達なので、そうなれば和気藹々と練習は進んだ。

 

「だけど、この分じゃ試合もどうなるか」

 

 確かに、その流れなら「五年生とやって」と言われるだろう。

 ひどい話だ。

 きっかけが従姉妹からのお願いとはいえ、学校間での交流を了承した時点で、それはもう部として対応すべき話だ。こじれたら大事にもなりかねない。例えば真帆ちゃんがご両親に告げ口し、そこから硯谷の悪評が広がるとか。

 でも。

 

「仕方ないよね」

「翔子?」

 

 意外だというように、昴と葵が目を瞬いた。

 俺は二人に苦笑を返す。

 

「気持ちでは納得いかないけど。向こうも本気なんだよ。……五人しかいない、大会にも出られないようなチームと練習しても身にならないって思ってる。愛莉ちゃん達のことを知らないから」

「……諦めろってことか?」

「違うよ。逆。知らないなら知ってもらえばいい。……試合のある最終日までに」

 

 どうせ、昴達だって似たようなことを考えたはず。

 俺の意図を察した昴達はふっ、と、よく似た不敵な笑みを浮かべた。

 

「なるほど、な」

「よく言うわ。……あの子達の練習、まだ大して見てないのに」

「見なくても想像はできるよ。昴が夢中になる子達だもん」

 

 そうして俺達は笑い合った。

 と。

 

「るーみん! すばるん! あおいっち! 遊んでないで手伝えー!」

 

 真帆ちゃんからの可愛いカミナリが炸裂したため、高校生同士の相談はそこで終了となったのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 一番張り切っていた真帆ちゃんが一番へっぽこだったのはご愛嬌として。

 主に小学生のみんなが頑張って作ったカレーは無事、美味しく出来上がった。なおその間、久井奈さんはハラハラしたりうずうずしたりで物凄く忙しそうだった。

 残っても困るのできっちり全部食べきり、片付けと洗い物まで済ませたら、みんなを水場やトイレに案内してから入浴に向かった。

 

「はー……なんだかんだ疲れたかも」

「私も。あ、ごめんなさい久井奈さん。運転していただいておいて」

「いいえ。揺られるだけでも疲れますもの」

 

 息を吐く葵に答えつつ首を向ければ。

 利用時間が短いため一緒に入ることになった久井奈さんが着ていたものを脱ぎ、その見事なプロポーションを晒していた。

 

「? ……るーみんさま、変なことはなさらないと」

「ち、違います。見惚れるのは仕方ないじゃないですか」

 

 慌てて弁解すれば、反対側で葵が苦笑。

 

「翔子だってスタイルいいでしょ。モデル目指せるくらい」

「うーん……私、色気ないらしいからなあ。務まらないと思う」

「服を買うのは同性ですから、そこは問題ないかと」

 

 なるほど。

 であれば、女子受けはするらしい俺は適役か?

 

「あれ、もしかして久井奈さん、経験が?」

「ええ。職場が職場ですから似たようなことは」

「職場……?」

「あら、ご存知ありませんでしたか?」

 

 くすりと笑って教えてくれる久井奈さん。

 なんと、真帆ちゃんのお父さんがファッションブランド『ForM』のメインデザイナーなのだという。

 え、いやその、世界的に展開してるブランドなんだけど。

 そりゃお金持ちなはずだよ!

 

「お陰で、私服はなるべく『ForM』をという暗黙の了解がございますが、わたくしどもメイドにも社割が適用されます」

「……本気で就職したくなってきたんですが」

 

 社割に惹かれるのもどうかと思うけど。

 でも教師は免許さえ取っとけばすぐならなくてもいいんだし――と、よからぬ方向に思考が飛んだ頃。

 

「るーみん、うちで働くの?」

 

 すっかり蚊帳の外に置いていた小学生達が声をかけてきた。

 みんな服を脱ぎ終わったようで、生まれたままの姿を晒している。同性しかいないからこその無防備。いい加減に慣れたからいいようなものの、昔なら反射的に目を逸らしているところだ。

 言ってる俺も裸なわけだけど。

 

「ふふ。後輩ができるのも楽しそうですね」

「ひゃん!?」

「……なんか、翔子と久井奈さん、随分仲良くなってない?」

 

 急に首筋に触れられ声を上げれば、葵が半眼になってなにやら呟いていた。

 

 

--------

 

  ―ガールズ・トーク―

 

【真帆】るーみんるーみん、ずっと聞きたかったんだけど!

【翔子】なあに、真帆ちゃん?

【ひなた】おにーちゃんとは恋人さん? おつきあい、してたりする?

【翔子】な……っ!?

 

【紗季】ふむ。その反応……ありえるわね。

【智花】え、そ、そうなんですか……!?

【愛莉】そんな……今まで、そんなこと全然。

【翔子】だ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。私と昴はそういうのじゃないよ。

【真帆】ほんとかー? 嘘だったら承知しないぞー!

【翔子】ないない。ただの幼馴染。

【ひなた】おー。よかった。おにーちゃんはまだおつきあいしてない。

 

【智花】ほっ。

【愛莉】ほっ。

【葵】……ほっ。いや、わかってたけど。

【聖】くすくす。あおいっちさまが一番ほっとしていらっしゃいますね。

【葵】なっ!? そ、そんなわけないじゃないですか! なんで私が!

 

【翔子】……ん? もしかして昴って凄い罪作りなことになってる?

 

--------

 

 

「……ふう」

 

 お風呂の後、みんなと別れて散歩に出た。

 火照った身体に夜風が気持ちいい。

 緑が多く、高いところにあるせいか夏でも意外に涼しいのもいい。そういう意味でもスポーツするのには良い環境なのかも。

 ついでに少し運動しておこうか。

 人通りのありそうなところから少し外れ、立ったままでできる運動を軽く行う。そのうち、ポーチへ入れて傍らに置いたスマートフォンが着信音を響かせた。

 

「もしもし?」

『もしもし、私だけど』

「ああ祥。どうしたの?」

 

 大して遠くない距離にいる親友からの電話だった。

 

『今暇? 外っぽいけど、どの辺?』

「うん、ええと……」

『わかった。行くから待ってなさい』

 

 大体で場所を伝えると、それだけ言って電話が切れた。

 

「……ふふ」

 

 つい口元が緩む。

 会えたらいいとは思ってたけど、まさか向こうから言いだしてくれるとは。

 別にわざわざ会う必要ない、とか言われるかと思ったのに。

 

 

 

 

 

 待ち人は程なくしてやってきた。

 草の揺れる音がだんだんと近づいてくる。ただし、音は二つ。

 ついでにコツコツという小さな音。

 

「?」

 

 疑問の答えはすぐに出た。

 連れだって現れた祥と、もう一人の顔に見覚えがあったからだ。

 

「や。こんばんは。久しぶり、かな」

「……っ。お久しぶりです、野火止先輩」

 

 右足にテーピングをし、松葉杖をついた女性。

 野火止麻奈佳先輩が俺に笑顔で笑いかけ、それからなんとも言えない表情に変わった。

 

「んー。昴くんたちにもお願いしたんだけど、できれば名前で呼んで欲しいな」

「じゃあ、麻奈佳先輩?」

「おっけー。や、でもほんと久しぶり。大きくなったねー、翔子ちゃん」

 

 かつて俺と葵を硯谷に勧誘し。

 その後、怪我で活動休止を余儀なくされたらしい二年生の彼女は、屈託なく笑った。

 麻奈佳先輩の身長は、杖で前傾になっている分を差し引いても俺より低い。

 

 ――かつて「勝てる」とは全く思えなかった人に、身長だけでもアドバンテージを取れている。

 

 俺は不思議な気分になりながら「ありがとうございます」と微笑んだ。

 

 それから、少し離れて立つ親友を見やる。

 若干日に焼けた肌。四肢は以前よりも引き締まり、身長も多少伸びている。こっちを睨んでくる目つきは変わっていないものの、表情は少し柔らかくなっただろうか。

 

「先輩を案内するために電話してきたの?」

「……そ。あんたにだけ会えなかった、って麻奈佳先輩が言うから」

「そっか」

 

 麻奈佳先輩、か。

 祥が人のことを下の名前で呼ぶのは珍しい。

 

「うんうん。祥は本当に先輩想いだよねー。うちに来てくれてよかったよ」

「……私のことは無視だった癖によく言いますよね」

「ごめんってば。今は後悔しながら感謝してるよ。優秀なポイントガードが七芝に行くのを防げたって」

「む」

 

 大会を見据えた宣言に俺は少々むっとする。

 元はと言えば、この人が祥を「誘わなかったから」こうなっているわけで――そう考えると、悪運の強さというか転んでもタダで起きない感じが憎らしい。

 先輩の発言に祥は肩を竦めて。

 

「……結局、桐原のエースは自主的に活動休止中ですけどね」

「祥。葵には会ったの?」

「ううん、会ったのは私だけ。この子は初等部には関わってないしね」

 

 うん、祥が進んで小学生の相手をするとは思えない。

 

「それで……どうして、こんなところに?」

 

 尋ねると、麻奈佳先輩は苦笑した。

 

「大した用事じゃないよ。ただお話したかっただけ。……怪我の事は聞いてるよね?」

「はい」

 

 よく考えると人づてに聞く話でもなかったかもだけど。

 

「なら話が早いね。……私は、会っておきたかったんだ。自分が逃した子が今どうなってるか。復帰した時、その子に勝てるのかどうか」

 

 そう言って、麻奈佳先輩はどこか艶めいた笑みを浮かべた。



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4th stage 翔子、小学生と合宿に行く(4)

「葵。合宿中に昴ともっと仲良くなろう」

「な、なによ急に」

 

 顔を洗って髪を簡単にまとめただけの、ちょっとラフな朝の葵が上ずった声を出す。

 合宿二日目。到着翌日の朝のことである。

 

 昨夜の麻奈佳先輩との話は本当に雑談で終わった。

 また勧誘でもされるのかと思いきやそんなこともなく、互いの身の上とかバスケのこととかを取り留めもなく話しただけ。

 なお、恋バナの類は殆どなかったことを付け加えておく。

 いい意味で飾らない、気さくないい人だった。女子にモテて困るというので「そうでしょうね」みたいな反応をしたら、祥から「あんたが言うわけ?」とジト目で見られた。

 お陰で先輩からは「仲間だ!」と親近感を持たれる結果に。

 

 朝ご飯は簡単におにぎりと味噌汁、炒めたウインナーという献立に。

 現在進行中の調理は実働を愛莉ちゃん達、指導を久井奈さんにお任せして、俺は葵を森の中に引っ張ってきた。

 

「……一学期も終わったのに進展無いって言うからでしょ」

 

 俺の隣には仏頂面の祥もいる。

 部活はいいのかと聞けば、自主参加なので休んでも問題ないとのこと。

 

「……二人してゾノとショージみたいなこと言って」

 

 と、俺達の提案を受けた葵は表情を硬くし、軽く俯く。

 ふん、と祥が肩を竦めた。

 

「面白半分で言ってるわけじゃないわよ」

「そうそう。昴だって、いつまでもフリーとは限らないんだし」

「う」

 

 これには葵も小さく呻く。

 

「で、でも。あんなバスケ馬鹿に出会いなんてそうそう……」

「そう言ってた結果があれよね」

 

 ちらりと横目で木立の隙間を覗く祥。

 そこには、わいわいと朝ご飯を作る小学生達と――ハラハラと見守る久井奈さんの姿。

 

「小学生に手を出すとか犯罪じゃない!」

「手を出したら犯罪だけど、出さなきゃ純愛だからセーフよ」

「昴にその気がなくても、愛莉ちゃん達の方はわからないしね」

「え。まさか……」

 

 はっとする葵。

 

「自分達の好きなスポーツを優しく教えてくれる年上のお兄さん……好きになってもおかしくないと思わない?」

「そ、それは……まあ」

 

 実際、昨夜のお風呂での反応は怪しかった。

 葵は自分のことでそれどころじゃなかったかもだけど、昴に彼女がいないと聞いてみんなほっとしていたのだ。

 幼い憧れ、で果たして済んでいるかどうか。

 

「というわけで、少し思い切りが必要かなって」

「いや。むしろこの際だから大分思い切りなさい」

 

 せっかく祥も協力してくれてるわけだし。

 

「そういうことで」

「決まりでいいわね」

「ちょ、待……っ、私はまだやるとは……っ!」

 

 張本人がまだ抵抗していたけれど、俺達は有無を言わさず押し切った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

【mission1.さりげなく密着作戦】

 

「やっぱり、基本は距離を近づけることじゃないかな」

「いや、それって物理的な距離の話じゃないでしょ!?」

「物理的距離が大事に決まってるでしょ」

 

 というわけで。

 祥には隠れて見守ってもらいつつ、朝ご飯中に作戦決行。

 

 ――さりげなく昴に近づき、密着して座れ。

 

 内容としてはただこれだけ。

 多少不審に思われるかもしれないけど「何か?」という顔で惚けてしまえば誤魔化せる範囲。一度気にしてしまえば昴といえどもドキドキするはず。

 それでも葵は恥ずかしいのか、うー、と言いながらキャンプ場に戻って、出来上がったご飯を紗季ちゃんから受け取る。

 ちらちらと昴を見て、顔を真っ赤にしながら「よし!」とそっちに歩いていく。

 傍から観察してると明らかに挙動不審だけど。

 

「……可愛いなあ、葵」

「翔子さんっ、どうしたんですか?」

 

 と、愛莉ちゃんが俺の分のご飯を持って寄ってきてくれた。

 微笑んで首を振り、答える。

 

「ううん、なんでもないよ。ありがとう。……食べよっか」

「あっ……はいっ!」

 

 座るように促せば、愛莉ちゃんは元気よく答えて腰を下ろしてくれた。

 ぴたりと、肩が触れ合うような距離。

 

「……えへへ」

 

 視線を向ければ、照れたような笑顔が返ってくる。

 可愛い。

 男同士なら「暑い。離れろ」で終わるところだけど、そんなことは全く気にならない。食事中でなければ頭を撫でてあげたいくらいだった。

 綺麗な三角形じゃないおにぎりも塩がきいてて美味しい。

 昼間は運動しっぱなしだろうからちゃんと食べておかないと。

 

 ――と、いけない。葵は。

 

 いた。ちゃんと昴の隣だ。

 ちょうど腰を下ろすところで、このくらい? もっと? と何度か首を傾げた末、昴のズボンの裾をお尻で踏みそうなくらい近づいて、

 

「……何やってんだお前」

「っ。べ、別になんでもねーわよ!」

 

 あ、立ち上がった。

 

「そうか。いや、何でもないならいいんだが」

「え、ええ。だから、さっさと食べましょ……朝ご飯」

 

 座り直した。

 さっきより指一本分くらいだけ遠い位置。でも十分近い。快挙だ。

 恥ずかしさでぷるぷる震える葵も、心なしか嬉しそうな気が――。

 

「なあ、やっぱおかしいぞお前」

「な、何がよ?」

 

 あ。

 

「いや、だって挙動不審だし。こんなくっついて座る必要ないだろ。スペース空いてるし。第一夏だから暑苦し」

「誰が暑苦しいってこの大馬鹿!」

「ぶっ……!?」

 

 挑発(本人は素)に乗った葵の鉄拳が炸裂、見事に昴をノックアウトした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

【mission2.意味深アピール作戦】

 

「……うう、勇気出して損した」

「ごめん葵。でも、さっきのは昴にも問題があるかなあ……」

「あいつの鈍感も筋金入りね。なら、はっきり意識させるしかないんじゃない?」

 

 次の発案は祥。

 

「え、それ本当にやるの……?」

「踏み込まなきゃあの朴念仁には太刀打ちできないでしょ」

「う。それは、そうだけど……」

 

 朝ご飯が終わり、練習場所の体育館へ向かっている最中に決行。

 まずは俺が小学生組を引きつける。

 

「真帆ちゃん達のバスケ、やっと本格的に見られるなあ」

「るーみんは昨日居なかったもんね。あたしの凄さ、ちゃんと見といてよ!」

「自慢するほどのものじゃないでしょ。真帆相手なら、私だって」

 

 ちょっと大きめに言えば真帆ちゃんが反応し、紗季ちゃんが追随。

 後はひなたちゃん、愛莉ちゃん、智花ちゃんも自然と寄ってきてくれる。

 

「おー、おねーちゃん。ひなのことも見てください」

「わ、私もっ、センターのこと教えて欲しいです……っ!」

「私は、その、できたらまた対戦したいですけど……難しいですよね」

 

 引きつけ成功。

 軽く葵に目配せしつつ、みんなに答える。

 

「あはは。うん、もちろん。みんなのことちゃんと見てるよ。……でも、私がプレーするタイミングは、なかなか難しいかな」

 

 そして、肝心の葵は。

 

 

 

 

 

 またも赤い顔のまま、おずおずと昴に近寄って。

 

「ねえ、昴。あんたって魚は何が好きだっけ」

「魚? 何でまた急に」

「いいから答えなさい」

 

 んー、と、宙に視線を彷徨わせる昴。

 

「なんだろ。赤身よりは白身魚の方が好きかな。鱈とか」

「へ、へー。じゃあ、さ」

 

 かすかに声を震わせながら、葵はさりげなく指を唇へ。

 ぷるんとした柔らかそうなそれを昴へ示しつつ、あくまで「考えてます」と言い訳して。

 

「キス……とかはどう?」

 

 よし! と声が出そうになった。

 羞恥で染まった顔が良い味を出している。あれなら誰だって葵とのキスを想像するはず。

 実際、昴も一瞬だけど言葉を詰まらせた。

 

「っ。ああ、鱚な。あれも美味いよな。天ぷらとか。母さんがたまに作ってくれる」

「そうなんだ。七夕さんの天ぷらならきっと美味しいよね」

 

 ほっとしたのか、葵はそのまま昴と魚談義を始めた。

 

 

 

 

 

「おー。キス? キスってどうやって天ぷらにするの?」

「駄目だなーひな。ちゅーしたところで油にどぼーん! だろ!」

「違うから。キスじゃなくて鱚ね」

「長谷川さんは白身魚の天ぷらが好き……」

「わたし、天ぷらはあんまり作ったことないなあ。危ないからお母さんが一緒の時だけ……翔子さんは、どうですか?」

「うん。お母さんが好きだから、たまに作ってあげるよ。でも、油で揚げるから食べ過ぎに注意だよね」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

【mission3.危機感アピール作戦】

 

「少しは意識したみたいね。……もう一押しすれば効果大なんじゃない?」

「さっきので葵のことは意識しただろうから、次は恋愛自体に注目かな?」

「まだやるの? ありがたいけど恥ずかしい……」

「大丈夫。次は葵、何もしなくてもいいから」

 

 最後の作戦は体育館に着いてからになった。

 キーパーソンは、ここまで隠れてついてきていた祥。

 

「相変わらずみたいね、長谷川」

「鳳か。久しぶり、そっちこそ元気そうで何よりだ」

 

 ようやく姿を見せた彼女は何食わぬ顔で挨拶をする。

 俺や葵を抜かして名指しだったことには気づかず返事をする昴――よし、上手くいった。

 そうやって昴の知り合いだと意識させれば、

 

「えー、またすばるんの知り合い!?」

「長年バスケットボールをやっていらしたのだからおかしくはないけど……また、綺麗な女性ね」

 

 子供達が食いつかないはずがない。

 祥は子供好きではないものの、ここは友好アピールのために笑顔でしゃがみこむ。

 

「初めまして。鳳祥といいます。……長谷川とはただの知り合いだから、安心してね」

「……あ。じゃ、じゃあ、彼女さんじゃないんですね」

「あはは。俺なんかと恋人同士じゃ鳳が可哀そ――」

「違うわ。私、彼氏いるし」

「なん、だと?」

 

 ざわっ。

 フォローしようとした昴をさらりとスルーし、祥は爆弾を投下。

 真帆ちゃんが頭上に「!」を浮かべ、ひなたちゃんが「おー」と声を上げ、紗季ちゃんが瞬きを繰り返し、愛莉ちゃんが口元に手を当て、智花ちゃんがぽかんと口を開ける。

 うん、みんな上手い具合に驚いてくれた。

 

「お前の性格に付いてこれる男だと……奇特だな」

「どういう意味か言って見なさい長谷川」

「そのままの意味に決まってるだろ」

 

 昴もびっくりしたようで、割とひどい台詞を祥に吐いている。

 この二人、スタイルが似ているせいかお互いに容赦がない。

 

「お生憎様。バスケのことしか考えない誰かさんと違って、私は流行にも敏感なの」

「くっ……!?」

 

 つん、とすまして言った祥を見て呻く昴。

 

 ――これが三つ目の作戦。

 

 高校生なら恋愛なんて普通だと実例でアピール。

 しかもそれが知り合いとくれば、無駄な焦りを覚えずにはいられない。

 自分もと少しでも思ったのなら、身近な女子に目が向くはずだ。

 

「え。祥、ついこの前『男になんか興味ない』って言ってなかった?」

 

 そう。

 大前提が不慮の事故で崩れなければ。

 

「なんでバラすんですか麻奈佳先輩!」

「え? なに? 言っちゃダメだったの?」

 

 顔に「?」マークを浮かべて首を傾げたのは、練習のために待っていた麻奈佳先輩だった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そうして。

 葵と昴をくっつけよう作戦は三つとも大した成果を残せず、俺達は無駄な徒労感を残したまま初等部への合宿へと参加することになった。

 昨日顔を出せなかった俺はみんなに軽く挨拶し、慧心女バスと一緒に五年生以下の練習に参加。

 

 まず思ったことは、みんな上手い。

 さすが硯谷。小学生なら経験値にさほど差はつかないだろうに、小学生時代の俺より上手いと思える。運動に自信がある、あるいは好きな子しか入らないだろうから当然といえば当然だけど。

 でも、慧心女バスも負けていない。

 むしろ本格始動が今年の四月でよくぞここまで、というくらい様になっている。もちろん、基礎がそこそこ形になっているというだけで磨く余地はいくらでもあるけど、愛莉ちゃん達の中に眠る才能を感じずにはいられなかった。

 

 加えて、葵との対決で見せたチームワーク。

 智花ちゃんの存在も考えれば、お世辞抜きで二軍レベルの扱いは勿体ない。

 パス出しなどのお手伝いをし、たまに声をかけたりしつつ、ちらりと六年生+レギュラー側を窺えば、麻奈佳先輩や野火止先生を中心に時折こちらを窺っているのがわかった。

 

 ――ほらほら、この子達は放っておけるほどつまらないチームですか?

 

 なんていう風に、昴や葵と一緒に内心煽り。

 昼食(学食を利用できた。全寮制だからか普通に営業中である)を挟んだ午後の練習からは、個人的なアドバイスを少しずつ増やしていく。

 もちろん、最初は愛莉ちゃん達に対して。

 でも、そうしていると硯谷の子達からも質問が来るようになった。特に俺と葵。もちろん快く答え、昔やっていた練習で「やってみたい!」と言われるものがあれば教えてあげる。

 

 練習メニューは硯谷から提示されていたわけだけど、これは「合同」練習なわけで。

 そっちは勝手に五年生とやってくれと言うなら律義にお仕着せされる謂われもない。ここは俺達のやり方で和気藹々とやらせてもらう。

 

 向こうが痺れを切らすのはいつごろになるだろうか。



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4th stage 翔子、小学生と合宿に行く(5)

 変化が訪れたのは、三日目の昼休みのことだった。

 

 昼食を済ませた後、一人で体育館へと歩いていたタイミング。

 後ろから追いかけてくる足音と声がひとつ。

 

「ちょっと、いい加減にしてよね!!」

 

 振り返った俺は瞬きをした。

 

 長い髪を大きなリボンで纏めた女の子が、こちらに指を突き付けてきている。

 

 硯谷の六年生。確か、名前は藍田(あいだ)未有(みゆ)ちゃん。

 現チームのキャプテンを務めている子だ。

 

「うちの五年に余計なこと吹きこんで! 邪魔、そして迷惑……っ! 硯谷の練習を勝手に壊すな!」

「えっと……それは、みんなにバスケを教えてること?」

 

 微笑んで尋ねると、未有ちゃんの目がきっと鋭くなった。

 

「他にないでしょ? 不遜そして卑怯! うちにはうちのメニューがあるのに……!」

 

 俺や昴、葵によるアドバイス作戦は今日も捗っている。

 愛莉ちゃん達はもちろん硯谷の五年生にも好評で、聞きたいという子は増える一方だ。

 

 ただし、聞いた話によれば、硯谷ではあまり行われないやり方らしい。

 トレーナーや教員が作ったメニューを欠かさずこなすのが基本で、個人特訓も非推奨。麻奈佳先輩が初等部を指導していることさえ例外的なものだそう。

 であれば、メニューを崩すべきでないと思うのも自然。

 今の時期は大会を控えているため、レギュラーなら猶更だろう。

 

「でも、こっちの練習はお任せされてるの」

 

 わかった上で、俺はあくまで自分の理を解く。

 

「私達はプロじゃないけど現役だから、教えてあげられることもあると思うんだ」

「は? ……ぷくく、なにそれ。そんなものあるわけないじゃん」

「それは、どうして?」

「あんたたち七芝高校でしょ? 硯谷より弱い学校の癖に何威張ってんの?」

 

 侮蔑の笑みで俺を見る未有ちゃん。

 確かに七芝は決して強くない。優勝常連の硯谷よりは格下だ。

 俺が麻奈佳先輩に勝てないのもおそらく事実。

 でも、ちょっと苛々した。

 

「………」

「ほら言い返せない。わかったらさっさとごめんなさいして考えを改め――」

「じゃあ、試してみる?」

「は?」

 

 黙らせれば勝ちとでも思っていたのか。

 得意げに言い募っていた少女は俺の提案にぽかんと口を開け、気の抜けた声を上げた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 想像になるけれど。

 未有ちゃんが俺のところに来たのは、六年生からも希望者が出たからだろう。

 俺達のアドバイスを聞いてみたい、と。

 実際、練習中にこちらを気にしてる子がいた。多分、未有ちゃんはそれが気に入らなかったのだ。五年生までならギリギリ我慢できたけど、レギュラーまでとなると試合に影響しかねない。

 勝ちたいから見過ごせなかった。それはわかる。

 

 でも、こっちだって教える以上は真剣にやっている。

 だから。

 

「決闘!?」

 

 体育館の一角にて対峙した俺と未有ちゃん。

 話を聞いた麻奈佳先輩、昴と葵は揃って声を上げた。

 

「未有、何考えてんの!?」

 

 先輩の問いかけに未有ちゃんが硬い声で答える。

 

「休憩時間の間に終わらせますから、迷惑はかけません」

「……翔子ちゃん」

「……何でいきなりそういう話になったんだ」

「……まったくもう、何やってんのよ翔子」

「ごめんなさい。……七芝の女バスを、先輩や仲間達を馬鹿にされたら黙っていられませんでした」

 

 申し訳ないと思いながら、俺は小さく頭を下げた。

 足を動かさないのは譲れないから。

 麻奈佳先輩がもう一度未有ちゃんを見た。

 

「未有、そんなこと言ったの?」

「未有は本当のことを言っただけです。そしたらその女が『試してみる?』って言うから……」

 

 七芝と硯谷に差があるか、勝負して確かめることになった。

 意義ある勝負かといえば答えはノー。

 高校生vs小学生の個人戦では何の検証にもなりはしない。それでも未有ちゃんが応じた以上、この勝敗には絶対的意味がある。

 

 ――ちらりと、野火止先生を窺う。

 

 クールな美貌には迷惑そうな表情が浮かんでいた。

 しかし、ため息と共に示されたのは消極的な了承。

 

「午後の練習に支障が出ないなら構いません。ただし、時間内に済ませること」

「っ! やった……もちろんです!」

「……ありがとうございます」

 

 もう一度頭を下げる。

 昴達には苦笑を浮かべて一言。

 

「全力でやるから安心して」

「まあ、やるからには全力だろうけど……」

「いやいや、小学生相手に本気出すんじゃないわよ!」

 

 俺達のボケツッコミに未有ちゃんは取り合わない。

 ふんと鼻を鳴らして胸を張ってみせた。

 

「笑止、そして論外。ただのデカブツにこの未有が負けるわけないでしょ」

 

 凄い自信だ。

 だけど、彼女には自信を裏打ちする実力がある。

 身長はむしろ低めなのに、名門硯谷でキャプテンをしている少女。

 小学生とはいえ侮ってはいけない。

 

「ハーフコートで五本先取。先攻は未有ちゃんにあげる。……それでいいかな?」

「いいわ。力の差ってやつを見せてあげる」

 

 オフェンスの未有ちゃんとディフェンスの俺。睨み合い、合図と共に動き出して――。

 審判役の麻奈佳先輩が見守る中、激突した。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 がこん、と。

 五点目となるボールを俺はリングへ()()()()()

 

「うわっ! ダンクだよ!?」

「藍田先輩だって止めようとしてたのに……止まらなかった!」

 

 観戦していた硯谷の子達が歓声を上げる。

 麻奈佳先輩は呆れ笑いで、ごめんなさいと言いたくなった。ミニバスルールに合わせたゴールなら俺や昴は余裕でダンクできる。ボールを持ったままゴールに運ばれたら止められるわけがない。

 

 一応、ダンクしたのは今の一本だけだけど。

 

 ロングシュート二本にフェイダウェイ、レイアップ、とどめでダンク。

 小学生相手に無双とか大人気ないことこの上ない。

 

「……嘘、でしょ」

 

 沸く体育館内で、未有ちゃんだけは呆然としていた。

 最終スコアは二対五。

 負けると思っていなかったのならショックのはずだ。

 立ち尽くす少女を見た麻奈佳先輩がそっと近づき、

 

「未有」

「認めない認めない認めないっ! 未有が負けるなんて、絶対認めない……っ!」

 

 きっ、と鋭い視線が俺を射貫く。

 不屈。

 高いプライドが、さっきのでは優劣を決められないと訴えたらしい。

 だけど勝ちは勝ち。

 認めてもらわなければならないと、俺は口を開いて。

 

「無理よ。あんたがそいつに勝てるわけない」

 

 俺が何か言う前に、意外な声が未有ちゃんを制した。

 

「才能の問題じゃない。……他のプレーヤーをけなすような奴じゃ、鶴見翔子には絶対勝てない」

「祥」

 

 いつから来ていたのか。

 制服姿で近寄ってきた彼女は俺を見て唇の端を吊り上げ――。

 

「もしかして暇なの?」

「うるさい。夏休みだって言ってるでしょうが」

 

 真っ赤になって俺を睨みつけてきた。

 格好いいのに格好悪い。

 完全に俺のせいだけど、なんだかグダグダである。

 

 ふう、と息を吐いた麻奈佳先輩が気を取り直したように口を開いて。

 

「未有。謝りなさい」

「え?」

「あんたが貶した七芝の皆さんに、ちゃんと『ごめんなさい』って言いなさい。でないと今後、練習には参加させない」

「!?」

 

 ありがたい話だった。

 信じられないと目を見開いた未有ちゃんには酷な話だっただろうけど。

 助けを求めるように視線を向けた野火止先生が何も言わないのを見て、諦めたようにがっくりと肩を落とした。

 

「……ごめんなさい」

 

 渋々といった様子ではあったけれど。

 確かに謝ってくれた彼女に、俺はにっこりと微笑みを返した。

 

「ありがとう。……それから、ごめんなさい。大人気ないことしちゃって」

 

 でもねと続けて。

 

「私はただ、伝えたかったんだよ。私達の経験だって無駄じゃないってこと。私達が本気で、みんなと仲良くしたいと思ってるってこと」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 未有ちゃんは午後の練習を休んだ。

 疲れたからではもちろんなく、気持ちの整理がついていないからだろう。

 

「うーん、レギュラーが欠けちゃったか。困った」

 

 キャプテンがいないのでは試合想定の調整はちょっとやりづらい。

 麻奈佳先輩が腕組みして悩むそぶりを見せると、六年生の一人が提案した。

 

「あの……慧心さん達と一緒に練習できませんか?」

「俺達としては是非お願いしたいですけど……」

「んー。私としても『もちろん』と言いたいんだけど」

 

 昴や麻奈佳先輩が揃って窺えば、野火止先生は「好きにしなさい」と答えた。

 きゃあ、と上がる歓声。

 一方で、先生の表情は決して明るいものではなくて。

 昴と麻奈佳先輩が中心となって練習メニューを組み立て始めるとしばらくして、彼女はそっと体育館を後にしてしまったのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 結論から言えば、野火止先生の態度は麻奈佳先輩との関係がぎくしゃくしたことが原因だったらしい。

 三日目の練習終了後。

 昴と葵、麻奈佳先輩が一緒に話をしに行ってわかったことだ。

 

 ――きっかけは先輩の怪我。

 

 妹に何かしてあげたいと思う気持ちが、姉に勝利を志向させた。

 妹は指導そのものを楽しんでおり、後輩にバスケの楽しさを伝えたいと思っていた。

 

 どちらも不器用故にうまく伝わらず、伝わらないせいで余計にぎくしゃくしてしまう。

 良くない悪循環が働いていたらしい。

 誤解がとけたことで野火止先生は麻奈佳先輩と和解、慧心との合同練習にレギュラーを出すと約束してくれたそうだ。

 その間、久井奈さんや愛莉ちゃん達とご飯を作っていた俺は「どうしてそうなった」という気分。

 

 なんというか、昴は時々、何の気なしにすごいことをやってのける。

 

「……私、いらないことしてかき回してただけですね」

「そんなことないよ。翔子ちゃんのお陰で未有は一皮剥けてくれると思う」

 

 夜に遊びに来た先輩がそう言ってくれたのがせめてもの救いだった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 試合の場に現れた未有ちゃんは昨日の午後、不参加だったことを謝罪した上で試合への参加を希望した。

 俺達に拒む理由はなく、もちろん快諾。

 

 ――待ちに待った試合は名勝負となった。

 

 紗季ちゃんをポイントガード、愛莉ちゃんをセンターに据えた慧心女バス。

 仲の良さに由来するパスワークと、智花ちゃんをフルに使えるポジショニング、日々鍛えてきた技術により、彼女達は決して硯谷にも引けを取らなかった。

 智花ちゃんの技術。愛莉ちゃんの高さ。真帆ちゃんと紗季ちゃんにもシューターとしての能力があるし、ひなたちゃんはいつの間にかトリックスターとしての才能を開花させていた。

 多彩な攻め手により着実に重なっていく点数。

 

 受けて立つ硯谷もまた、やはりいいチームだった。

 超小学生級と言っていい天才・藍田未有を中心に、堅実でストイックな四人が質の高いフォーメーションを作る。

 容易に切り崩すことは叶わず、また、攻撃においても非凡な能力を見せた。

 

 ポイントレースは若干、硯谷リード。

 時と共に点差は少しずつ開いていく。

 

 智香ちゃんと未有ちゃんの実力は互角。であればこれはチームとしての地力の差だろう。

 積み重ねてきた経験値が違う。

 昴も策を用いて差を埋めようとした。智香ちゃんもトップギアから更なるプレーを見せ、愛莉ちゃん達もそれに応えようとした。

 無理はスタミナの枯渇に繋がる。

 みんなも最後まで諦めずに食らいついていったけど──結果は覆らなかった。

 

 八点差。

 慧心女バスにとっては初めての敗北。

 だけど。

 

「……舐めてたわ、あんたたちのこと。またいつか、やりましょう」

 

 試合後、硯谷のキャプテン──未有ちゃんは慧心のエース、智香ちゃんに向けて手を差し出した。

 他のレギュラーの子達も、快勝に沸くというよりは安堵の表情。

 

「危なかったぁ……」

「未有が超絶好調じゃなかったら負けてたんじゃない?」

 

 だから。

 両校の間にギスギスしたものは生まれなかった。

 整列した彼女達は、

 

「ありがとうございました!」

 

 揃って元気よく、お互いに頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 発つ鳥後を濁さず。

 暗くならないうちに帰るためには、後片付けや挨拶を慌ただしく済まさなければならなかった。

 手術を終えた美星姐さんも合流し、みんなで出発する。

 仲良くなった子達に向けて手を振る愛莉ちゃん達。

 俺もまた昴達と共に手を振ったが──正直に言えば、試合を見ている最中からずっと、集中できてはいなかった。

 それは、見送りに出てくれた人達の中にない、一人の人物のせい。

 

 不意にスマホが震え、ラインの着信を告げる。

 

『またね』

 

 彼女の強さに胸が痛んだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 昨日の夜。

 先輩が帰った後、話があると残った祥は森の中、二人きりで俺に向かい合った。

 ファッションの話を振っても生返事。

 何だろう、と俺は首を傾げながら、何気なく尋ねた。

 

「そういえば、諏訪とは連絡取ってるの?」

 

 返ってきたのはそっけない答え。

 

「取ってない」

「そうなの?」

「だってカズくん、彼女出来たし」

「な」

 

 初耳だった。

 

「知り合いの従姉妹と仲良くなったんだって。ラブラブらしいよ」

「あの諏訪が……? って、そうじゃなくて! 言ってくれれば!」

「どうして?」

「だって、愚痴くらい私でも付き合えるし……!」

「別にいいわよ」

 

 くすりと。

 楽しそうに、本当に楽しそうに祥は笑った。

 

「俺とか言ってた子が女の子らしくなっちゃって」

「そ、その話は今いいでしょ」

「カズくんの話の方がどうでもいいわよ」

「……祥?」

 

 様子がおかしい。

 失恋のショックかと思いきや、むしろさっぱりし過ぎている。

 あれだけ諏訪のことを好きだったのに、

 

「私が好きなのは別の人だから」

「……え?」

 

 風が吹いた。

 向かい合った彼女は、真っ赤な顔をしていた。

 驚きから思考を止めた俺はそれをただ見た。

 

「鶴見翔子さん。好きです。ずっと好きでした。……私じゃ、駄目ですか?」

 

 不遜なほど落ち着いた親友はどこにもおらず。

 ただ、恋する乙女だけがそこにいた。



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5th stage コーチと葵は小学生と海へ行った

-----

【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

【今年の自由研究】

 恋についての考察

(恥ずかしかったのか後半ほど字が震えている)

【はじめての水着】

 淡いブルーの上下(の上だけ捨てた)

-----

 

 合宿から帰ってきて一週間と少しが過ぎた。

 

 八月上旬。

 

 「もう」と言うべきか「まだ」と言うべきか微妙なこのタイミングで、昴は「また」慧心女バスのみんなとお泊まりに行っている。

 今度は海だ。

 真帆ちゃんの家が保有している別荘を借りるとかで、今度は五泊六日。練習と遊びを兼ねた長旅だ。よく親御さんの許可が出たと思う。まあ、美星姐さんと久井奈さんも一緒なので心配はないだろうけど。

 

「……はあ」

 

 ラインの画面を表示すれば、みんなから送られてきた旅先での写真がずらり。

 色とりどりの水着に身を包んだ愛莉ちゃん達の姿や、何故か砂に埋められている昴、海の中を走って逃げ回る昴に、昴を追いかけまわす五人プラス葵の姿、などなど。

 そう。

 海には葵も同行している。

 今回の旅は慧心女バスと昴達だけ。昴や葵が練習する暇も割とあるので、同好会の合宿も兼ねている感じだ。

 まあ上原は予備校の勉強合宿で不参加なんだけど。

 

 ――行かなかったのは俺だけ。

 

 そう考えると、みんなへの申し訳なさと居心地の悪さを覚えてしまう。

 行かなかったのは私的な都合だ。

 部活を休みすぎるのも問題だし、棋士と編集者という忙しい両親に代わって家の掃除なんかもしないといけない。……というのが建前で。

 そんな気になれなかったというのが正直なところ。

 

 残念、なんて言って葵は笑ってくれたけど。

 彼女の顔を思い出す度に胸が痛くなる。

 

 余計なモヤモヤを吹き飛ばすように、ここ数日は部活や個人練習に邁進していた。

 集中していないと余計なことを考えてしまうからだ。

 お陰で先輩方からは「上達した」と褒められたり、プレーにムラがありすぎだと注意されたりしている。

 それもこれも。

 

「祥のせいだ」

 

 俺はもう一度息を吐き、ベッドに寝ころんだままあの時のことを思い返した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「どうして?」

 

 祥に好きだと言われて、口をついて出たのはそんな言葉だった。

 酷い言い方。

 受け取り方によっては死刑宣告にもなりかねない。

 

 でも、あの時の俺にはそう言うしかなかった。

 

 全く想像していなかった。

 彼女は、彼のことが好きなんだと思っていたから。

 祥は寂しそうに笑って答えた。

 

「言った通りよ。……私が本当に好きなのは、カズ君じゃなくてあんただったってこと」

 

 嘘だ。

 言いかけた言葉をぐっと飲み込む。

 

「……いつから?」

「わからない。気づいたのはつい最近。カズ君から珍しく電話が来た時」

 

 その時、彼女ができたと知らされたのだろう。

 

「俺を追っても無駄だ、って言われた」

「追う……?」

「カズ君がどこまでわかってたのかは知らない。でも、私はカズ君を追いかけられなくなった」

 

 物理的な話ではない。

 精神面での支え、あるいは逃げ道を祥は失った。

 

 ――諏訪が好きだと言っていた自分。

 

 諏訪が彼女を作ったことで、捨てなければならなくなった。

 

「……それで気づいたの。私が好きな人は別にいたんだって」

 

 柔らかくて甘い笑み。

 こんなにも大人っぽい笑顔を、彼女は諏訪に一度でも向けただろうか。

 向けていればきっと、一発で堕とせていただろうに。

 

「どうして」

 

 俺はもう一度尋ねた。

 

「私、祥に好きになってもらえるようなこと、何もしてない」

 

 俺は、祥からたくさんのものを奪った。

 昔、彼女が俺に突っかかってきたのは嫉妬のせいだ。諏訪が俺にばかり突っかかるのが気に食わなくて八つ当たりしていた。

 そんな彼女を俺は叩き潰した。

 潰して放置して丸くなるまで待った。手ずから丸めてすらいない。そのくせ丸くなった彼女を拾い上げて可愛いと愛玩したのだから最低だ。

 大半が自業自得だったとしても、祥の人生が俺のせいで狂ったのは間違いない。

 

「馬鹿」

 

 しかし、祥は首を振って否定した。

 

「私は『今の私』をあんたに貰ったの」

「………」

 

 何も言えなかった。理解できなかったからだ。

 そんな俺を彼女は愛おしさそうに見つめる。

 

「私は嫌な奴だった。……今でも性格良いとは思わないけど、小学校の頃の私は自分を良く見せるために人を貶めるのが当たり前だった。あのままだったら変わらなかった。変われなかった。上っ面の友達と上っ面の関係を引っ張って、ただのクズに成長してたと思う」

「そんなこと」

「ある。私、あの藍田でも見てるとぶん殴りたくなってくるし」

 

 未有ちゃんか。

 あの子はそんなにひどくないと思うけど――って、それじゃ何のフォローにもなってないというか、祥の言ったことを肯定している。

 ひたむきにバスケをしている未有ちゃんと違って、祥には目指すものがなかった。

 アイドルになりたかった。

 昔、そう聞いたことはあったけど、なら当時の祥がひたむきにレッスンしていたかといえば……。

 

「そんな私をあんたが変えた。変えてくれた。最初はあんたに勝ちたかっただけ。そのためにバスケ始めて、続けて、気づいたら止められなくなってた」

「楽しかった、から?」

「そうね。あんたと、あんたたちとバスケするのが」

 

 なら、俺と同じだ。

 仲間がいたから始められた。続けられた。それは特別なことじゃない。

 誰だって最初はそんなものだ。

 

「ううん、私にとってはあんたは特別だった」

「っ」

「ライバルで、目標で――憧れだったの」

「私なんか」

「なんかじゃない。鶴見翔子は永遠に()()()()

 

 最強。

 そんなもの、目指したこともなかった。

 

 ――俺にとっての最強は。

 

 よぎったイメージを目を閉じて打ち消す。

 

「結局、三年かけて一回も勝てなかった。藍田との試合を見て今も敵わないと思った。そんな格好いいやつが私の全部を許してくれて、友達になろうと言ってくれた。そんなの、好きになるに決まってる」

「女同士なのに」

「関係ない。好きなっちゃったんだから仕方ない。それに、硯谷(ここ)にいたら同性愛なんて珍しくない」

「尊敬と恋愛は違う」

「私はあんたを自分だけのものにしたい。キスだってしたいし、その先だって」

 

 とくん、と胸が高鳴る。

 もともと祥は美少女だ。

 まがりなりにもアイドルを志してしまうような子が、俺にありのままを晒している。

 

「遠距離恋愛」

「じゃあ転校しましょうか。……張り合う理由も無くなったし」

 

 理由というのが何かはわからなかったけれど。

 

「……っ」

 

 俺は唇を噛んだ。

 反論ができない。

 言い訳できない。

 胸に置かれた祥の手がしなやかに曲線を作って。

 

()()。返事を頂戴」

「………」

「それとも、勇気が持てない?」

 

 一歩ずつ、彼女が近づいてくる中。

 俺は震える唇を必死に持ち上げた。

 

「ううん」

「………」

「ごめんなさい。……私には好きな人がいるから、あなたの気持ちには答えられません」

 

 脳内で百回考えてもオーケーすることができなかった。

 祥が嫌いなわけじゃない。

 ただ、譲れない想いがあっただけだ。

 

 ――いつから?

 

 わからない。

 きっと、昨日今日の話じゃないことだけは確かだけれど。

 

「そっか」

 

 小さく頷いた祥は、後ろに一歩足を踏み出して。

 呼び止める声にも応じないまま、木立の奥へ消えていった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 あれから祥には会っていない。

 でも、硯谷から帰る直前に来た『またね』のメッセージに俺は『うん』と返した。

 だからきっと、また会える。

 

 その時には親友として。

 

 振っておいて虫のいい話だけど、俺は親友を失いたくない。

 祥もきっとそう思ってくれている。

 だけど。

 

「うううううううう……っ!!」

 

 ベッドをごろごろと転げまわる。

 俺は一週間経っても気持ちを消化しきれていなかった。

 話の直後なんて恐ろしく情緒不安定だった。最初に顔を合わせたのが久井奈さんじゃなかったらどうなっていたかわからない。あの夜は久井奈さんに抱きしめられながら何時間も涙を流した。一つじゃ不便だからと三つのテントを用意していたのが良かった。

 

 ――気持ちを持て余している理由は二つ。

 

 一つは祥の想いがとても深かったこと。

 一つは自分の想いから目を逸らせなくなってしまったこと。

 

「……はあ」

 

 部活で消費した体力を更に削ってもなお、眠気が湧いてこない。

 目を閉じれば後から後からたった一人の顔が、名前が、声が、触れた感触が、匂いが甦ってきて俺の心を満たしていく。

 途方もない幸せ。

 温かくて甘くてふわふわしたこの気持ちはなるほど、スイーツに例えられるのも納得だ。

 その人に告白することを考えた途端、生のゴーヤをブラックコーヒーで流し込んでいるような気分になるのだけれど。

 やるしかない。

 告白しないという選択肢はもはやない。

 どのみち、こんな状態じゃ今まで通りでいられない。

 

 一つは祥のため。

 一つは自分自身のため。

 

 もらった勇気を胸に、溢れる思いを形にしてぶつけるしかない。

 ここしばらく何度も悩み、その度に出してきた結論を再度思う。

 

「うん」

 

 昴達が旅行から帰ってきたら決着をつける。

 告白が百パーセント――決裂に終わるとわかっていたとしても。

 恋する乙女はきっと、止まってはいけない生き物なのだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「もう凄かったの! ひなたちゃんとかげつちゃんのマラソン対決! ううん、二人だけじゃない。真帆ちゃんと早稀ちゃんの自転車レースもそうだし、愛莉ちゃんと智花ちゃんの水泳も! みんなバスケもすっごく上手くなったし、翔子も驚くと思う!」

 

 みんなが帰ってくる日の昼過ぎに「会いたい」とメールと送った。

 夕方には着くからそれからならと言ってくれた彼女と待ち合わせ場所を相談し、夕食時のファミレスへやってきた。

 少々日に焼けた荻山葵は遊び足りないとばかりにはしゃいでいて、ファミレスのハンバーグセットを「久井奈さんの料理と比べたら落ちちゃうよね」などと言いながらあっさり平らげてみせた。土産話の方も止まらず、追加で注文したパフェもそろそろ無くなりそうだ。

 なんでも、今回の海行きでも色々あったらしい。

 前日の夜にひなたちゃんが昴のところに家出してきたり、朝になって妹さんが迎えに来たり、別荘に行ったら行ったで竹中君という男の子(球技大会の時の合宿に来た子だ)がひなたちゃんの妹さんと一緒に乗り込んできたり、姉妹喧嘩(?)の末にチーム制のトライアスロンで勝負したり。

 

 お土産のクッキー(どこのSAでも似たようなのを売ってそうなやつ)はありがたく頂き、俺は葵が聞かせてくれる思い出に笑顔で相槌を打ち続けた。

 

「……あ、ごめん。私ばっかりしゃべっちゃって」

「ううん」

 

 話が止まったのはパフェが無くなり、ホットカフェオレで一息ついてから。

 俺はふるふると首を振って告げた。

 

「私の話は最後でいいから」

「何よそれ、気になる」

 

 じっと見てくる葵からさりげなく目を逸らして、

 

「ここじゃちょっと。静かなところがいいんだけど」

「じゃ、場所を移しましょ」

 

 よほど気になるのか、葵はあっさりと席を立った。

 何杯もおかわりしたドリンクバーのせいか、それともストレスのせいか胃が痛くなり始めていた俺はこれを快諾。初めて会った公園へ誘った。

 バスケットゴールの下にはさすがに誰もいなかった。

 常夜灯に照らされたアスファルトの上で立ち止まって、彼女を見る。

 

 ――幼馴染は笑顔だった。

 

 数え切れないほど見てきた顔。

 何度見ても飽きることのなかった顔。

 じっと見つめて、

 

「翔子? 今日、なんか変だよ?」

「……ん。ちょっとね」

 

 あなたに、どうしても言わないといけないことがあるから。

 声に出さずに言うと、それが伝わったのか。

 葵は俺から少し離れたところに立って表情を戻した。

 

「話、って?」

「うん」

 

 俺は微笑みを作った。

 こんな時に笑えるのが不思議だったけど、もしかしたら当たり前なのかもしれない。

 好きな人に好きだと伝えることが、悲しいことのわけないのだから。

 

「私ね、葵にずっと言えなかったことがあるの」

「ずっと?」

「そう、ずっと」

 

 高校で同じ部活に入れないとわかってから。

 中学で県大会優勝してから。

 副部長になれないとわかった時から。

 もしかしたら、初めて会った時から。

 

 男子を好きになるのなんて無理だったのだ。

 既に心奪われていたのだから。

 そう、たった一人の女の子に。

 

「荻山葵さん」

 

 幼馴染だとか親友だとかで誤魔化していたけど。

 本当は、俺はあなたの全てが。

 

「好きです。私と付き合ってください」

 

 どれだけ言葉を尽くしても足りないと思った。

 だから、逆に限界まで言葉を削った。

 

 ――頭は下げなかった。

 

 前を向いたまま反応を待って。

 俺は見た。

 葵の瞳が見開かれ、揺らいで、そこに哀しみが生まれるのを。

 形のいい唇がゆっくりと開かれるのを。

 

「ごめん」

 

 そして、何千とシミュレートした通りの結末が訪れた。

 

「私、翔子とは付き合えない」

 

 俺は、初めて失恋する気持ちを知った。

 

 ――やっぱり、祥は強いよ。

 

 心の中で呟いて、もう一度笑顔を作る。

 

「うん。……わかった。ありがとう」

 

 くるりと。

 

 踵を返して歩き出すと、後ろで「あ……」という声がした。

 聞こえるか聞こえないかの声。

 俺は聞こえていないふりをした。

 

 公園を出て自宅に辿り着くまで、葵が俺を追いかけてくることはなかった。

 酒を飲んで赤くなった母さんが駒入れを抱えて「指そう」と迫ってくるのを「ごめん」とスルーし、自室に着くと鍵をかけた。

 鞄を落として。

 薄く施した化粧も、汗ばんだ肌も、本当はやらないといけないストレッチもスキンケアも全部放り出して、ベッドへ身を投げ出すと枕に顔を埋めた。

 

「……う、ああ」

 

 一度溢れ出した涙は止められなかった。

 一晩中泣き続けた。

 恋心と化粧が涙によって押し流されて小さくなって、それでも涙は止まらなくて、自分の中のプライドとか矜持とかが流されていくような感覚があって。

 濡れすぎて使い物にならなくなった枕を投げ捨て、無理矢理布団に包まって。

 

 明け方頃、ようやく眠りにつくことができた。



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extra stage

   ‐葵日記 8月8日(月)‐

 

 翔子に告白された。

 こんなことになるなんて考えたこともなかった。

 

 ……ううん、違うか。

 

 私はたぶん、あの子の優しさに甘えてたんだ。親友だからって目を逸らして、あの子が本当はどう思っているのか考えようともしてなかった。

 遠ざかっていく翔子の背中を私は追いかけられなかった。

 

 女の子同士だから気持ち悪いとかそういうわけじゃない。

 むしろ、翔子とならきっと大丈夫だったと思う。

 でも、翔子は昴じゃない。

 だから断った。

 

 言ってしまえばそれだけ。そんなの、翔子にどうしろっていうんだろう。ひどい振り方。泣かせたと思う。翔子は顔を背けるまで、私から姿が見えなくなるまで、泣き顔を見せなかったけど。

 

 ……そう思ったら私まで涙が出てきた。

 

 どうしてこうなっちゃったんだろう。

 涙が枯れて、落ち着いてから考えてみたら答えは簡単だった。

 私と昴のことを一番応援してくれていたのは翔子。

 バレンタインは毎年あの子とチョコを作ってた。

 私の気持ちを知らなかったわけがない。

 

 ……私のためだ。

 

 いつまでもウジウジしてはっきりしない私の背中を押すため。

 それだけのために、翔子は。

 

 だったら、もう誤魔化してなんかいられない。

 私は、昴に告白する。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「真帆さま、つかぬことをお伺いしますが」

「ほえ?」

 

 久井奈聖が声をかけると、彼女の主――三沢真帆は可愛らしい声と共に振り返った。

 ポーズされたゲーム画面に一抹の申し訳なさを感じつつ聖は尋ねる。

 

「最近、るーみんさまとお会いになられましたか?」

「るーみんと? スズリダニに合宿行ってから会ってないけど、どーして?」

「いえ、少し元気がないご様子でしたので。ありがとうございます」

 

 返事を聞いた真帆は「ふーん……?」と首を傾げてゲームに戻った。

 武者鎧を纏った武将がばったばったと敵兵を切り倒す。

 こうしてゲームをしている時は真帆も比較的大人しい。

 とても悪戯好きで、かつ最近はバスケに夢中な彼女がインドアな遊びに興じているのは珍しいが、それは女バスの活動が約一週間お休みになっているからだ。何しろ合宿と称して山へ行き海へ行きしていたわけで、少しくらい休まないとオーバーワークだ。

 ちなみに、どっちにも付いていった聖は今日も休みなく働いているのだが。

 

(……立ち直れていればいいのですけれど)

 

 考えるのは鶴見翔子という少女のことだった。

 出会ったのはつい最近。

 顔を合わせた回数も数えるほどだが、初対面のインパクトもあって印象に残っていた。

 

(いきなり交際相手のことを聞かれましたものね)

 

 くすりと声が漏れる。

 下世話な興味ではない熱の籠もった視線。それでいて柔らかく自然体な態度。

 真帆のコーチである昴と幼馴染の葵が衝突した時には両者の間を取り持とうと努めていた。香椎愛莉とも面識があったようで、子供たちともすぐに打ち解けていた。

 補正された後の印象は苦労人。

 しかも、好きで苦労をしょいこんでいるあたりどうしようもない。メイドをしている聖が親近感を覚えるには十分で、キャンプの際に作業を共にしているうちにその気持ちは大きくなった。

 

 真帆の恩人の昴、その友人。

 

 微妙な立場の少女を聖は己の知人に近い位置に置いている。

 山の合宿三日目。

 あの夜の涙とそのわけを聞いた今となっては放っておけない妹分のようにすら思える。

 恋愛的な意味で好き、というわけではないけれど。

 好意を向けられて嫌な気はしなかったし、鶴見翔子という少女の容姿は生理的な嫌悪感を抱かせない。

 

(お茶にでも誘ってみましょうか)

 

 聖達、住み込みメイドには一人ずつ個室が与えられている。

 三沢家基準では狭いものの一人暮らしのアパートなどよりはずっと上等。シフト上は休日でも突発的な仕事が入るのがたまにキズだが、翔子ならそれも喜んで手伝ってくれそうだ。

 そうと決まれば後でメールをしておこう。

 心に決めた聖は主からの声に驚かされることになる。

 

「ねーやんばる。何かいいことあった?」

 

 知らず笑みを浮かべていたらしい。

 仕方ないので、主に変に思われた恨みは次に会った時に晴らすことにした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「やっぱあの公園は埋まってたか。……残念」

「夏休みだしね。仕方ないでしょ」

 

 海から帰った翌々日。

 長谷川昴は荻山葵と共に自宅の門をくぐっていた。

 慧心女バスの活動はしばしの休止中。休息や家族との団らんを楽しんでもらおうと涙を呑んでいた矢先のお誘いは昴にとっての都合のいいものだった。

 相手が長年連れ添ってきた荻山葵となればなおのこと。

 第一候補とした公園に先客がいるのを確認するや、すぐさま第二候補である自宅へとって返したのも、気心の知れた二人ならではである。

 

 ただ。

 

 ちょっと気になるのは葵の様子。

 具体的にどことは言えないが、何かが違うような気がする。

 表向き自然体を装っているだけに迂闊に触れることもできないが、そもそも、翔子や柿園、御庄寺、上原といった知人友人を誘わなかったのも不自然といえる。

 後、強いて挙げるなら。

 

「……何よ?」

「いや、なんでもない」

 

 なんというか、今日の葵はちょっとお洒落な気がする。

 Tシャツにジーパンで済ませられる男子と違って色々大変なのは知っているし、葵も結構な衣装持ちではあるのだが、赤いリボンがワンポイントのブラウスに紺のショートパンツという組み合わせはあまり見たことがない気がする。

 もう一人の幼馴染ならショートパンツではなくスカートを合わせるだろうが、葵にはこの一見アンバランスな組み合わせが似合っていて。

 青少年としては「褒めた方がいいのか」なんていう悩みに襲われたりもする。

 

 が、結局、気が付かない振りをすることにして。

 

 自宅の庭にあるバスケットコートで練習を開始するのだった。

 ただまあ、練習といっても半面あるかないかのスペースに二人きりでは出来ることも限られる。なので基本的には1on1、試合形式に近い真剣勝負を繰り返すこととなる。

 これまで何度、繰り返したかわからない勝負。

 小六からは翔子が加わることも多かったが、彼女は毎回来られるわけではなかった。対した経験は葵とのものが圧倒的に多く、故に互いの手の内は知り尽くしている。

 けれど、否、だからこそ楽しい。

 既知の手をただ出すだけでは通じないため、一工夫してから使わなければならない。似通った戦術二つに共通するムーブを用いて二択を迫ったり、初動を偽装することで判断を誤らせたり、あるいは新たに開発した新技を披露したり、敢えて使わずにいた技を忘れた頃に拾い上げたり。

 

「っ、ふふ!」

「あはっ!」

 

 気づけば二人、どちらからともなく笑い合っていた。

 楽しい。

 時が経つのは早く、あっという間に昼になり、母――七夕の呼びかけで手製のパンケーキを平らげた後、当然のように対決を再開する。

 いつまでやるか?

 決まっている、それは相手が音をあげるまでだ。

 

「ね、昴。退屈してない?」

「するもんか。……お前となら、一生続けたって退屈しない」

 

 長谷川昴は純粋で真っすぐな人間だ。

 スポーツマンになるべくして生まれてきたような彼は、どうしても必要でない限り嘘を言わない。

 故に誤解を生むことも多く、そのせいで葵から蹴りをもらうことも多々あったが、今回の言葉がそういった負の結果をもたらすことはなかった。

 

「……そっか」

 

 葵は、昴と対峙しながら()()()

 はにかむような笑顔。

 それに一瞬見惚れた昴は、少女のフェイントへの対処が遅れたことを知り、思考を瞬時にバスケモードへと引き戻す。

 圧縮されたような時が二人の間を流れて。

 気が付けば二人とも疲労困憊、息を荒げ芝生の上にへたり込んでいた。

 

 空を見上げれば日が完全に落ちようとしている。

 

 これは葵も夕飯を食べていくコースだなと思いつつ、昴は心地よい疲れを感じていた。

 と。

 

「昴、笑ってる」

 

 笑顔の葵がじっとこちらを見つめていた。

 

「葵こそ」

「あ、私もか。……しょうがないじゃない、楽しいんだから」

「ああ、そうだな」

 

 そう。楽しい。

 男と女。

 成長するにつれ絶対的な「違い」が目につくようにはなったものの、昴と葵は変わらずにライバルであり続けていた。

 どうしても発生する身体能力の差を、葵は持ち前の頭の良さでカバーしてくる。

 通算戦績はほぼ互角で、故に昴は葵のことを心から尊敬している。

 

 彼女こそ、彼にとってかけがえのない――。

 

「ね、昴」

「ん?」

 

 問いは、これ以上ないほどに軽いもので。

 だから昴も何の気なしに聞き返していた。

 

「ずっと、こんな風に、死ぬまで一緒にバスケしたいね」

「……ああ、そうだな」

 

 ふっと笑って頷く。

 

「俺と葵なら大丈夫だろ。進学して、就職して、結婚とかするかもしれないけど――お前とバスケしなくなるなんて考えられないし」

「違うわよ、馬鹿」

 

 馬鹿、と言う割に葵の声は優しかった。

 昴が間違えたことを言うのは日常茶飯事。

 蹴りでなくとも拳くらいは飛んでくるのが当然なのだが。

 

「すばるくん、葵ちゃん。そろそろばんごはん――」

「私はね。ずっとあんたの隣にいたいって言ってるの」

 

 家の中から顔を出した七夕の明るい声を遮って。

 葵が、夕陽が途絶えた夜闇の中、ほんのりと頬を染めて言う。

 

「あんたと一緒に、死ぬまで。それなら確実でしょ?」

「……それって」

 

 ようやく、昴は気づいた。

 先の失言で葵が怒っていれば、あるいは七夕の声で会話を中断していれば……いつもの通りのノリが続いていたのだろうが。

 今日ばかりはそれでは許されなかった。

 

「うん」

 

 微笑む葵の顔がたまらなく美しい。

 思わず吸い込まれた昴は、その言葉を遂に聞いた。

 

「私は昴が好き。あんたと結婚して、子供を産んで――笑って死にたい。あんたさえ、良ければだけど」

 

 昴は胸が高鳴るのを感じた。

 ここまではっきり言われれば勘違いのしようもない。昴とて思春期の高校生。性欲はそれなりにあるし、色恋沙汰を全く解しないわけではない。

 まさか、幼馴染が自分のことを。

 冗談あるいはドッキリを疑う気持ちは持ち前の勘の良さで否定。この真剣さはそういったネタの介在を許してはいない。

 

 考えてみる。

 

 葵と、本当の意味で『一緒』の人生。

 何か問題があるか?

 もう一人が自分が問う声に答える。

 無い。何一つ。

 

 答えを出した昴は笑って答えた。

 

「わかった。俺で良ければ、よろしく。ええっと、末永く?」

「っ」

 

 返答を聞いた葵がぱっと破顔し。

 傍で聞いていた七夕が「お赤飯炊くべきかしら」などと言いだし。

 

「……まったくもう、締まらない返事よね」

 

 言いながら、幼馴染だった少女の顔と身体が近づいてくる。

 触れ合う唇と唇。

 お互いの表情は、きっと七夕にも――わからなかっただろう。

 

 智花達は祝福してくれるだろうか。

 

 葵の腰にぎこちなく手を回しながら、昴はそんなことを考えた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……つるみん?」

「翔子、だよな? 偽物とかじゃなくて」

 

 何週間かぶりに会ったさつきと多恵は会うなりそんなことを言ってきて。

 失礼じゃないかと頬を膨らませて二人を睨んでしまった。

 

「それは、どこか変ってこと?」

 

 すると二人は顔を見合わせ。

 なんだか微妙な表情を浮かべた後で言った。

 

「いや、変っていうか」

「雰囲気変わったからびっくりしたんだよぉ」

「……そんなに変わったかな?」

 

 ()は自分の姿をあらためて確認し、首を傾げる。

 服もコーデも特別変えたつもりはない。

 清楚系、ちょっと高めの身長をカバーしつつ露出少なめな感じ。

 うん、大丈夫。ちゃんと可愛いはず。

 頷いてにっこり微笑むと、多恵達の後ろでぽかんとしていた上原がずいっと身体を近づけてくる。

 

「鶴見。俺と付き合ってくれ」

「上原君、私じゃ興奮しないんじゃなかった?」

 

 苦笑して問うと、彼は真面目な顔で首を振ってみせる。

 

「いや。今のお前ならイケる」

「それは喜んでいいのかなあ……」

「いや、駄目だろ」

「とりあえず墓地にでも送っておいた方がいいと思うよぉ」

「なんだお前ら、止め、心配しなくてもお前ら二人は性格的に無理……っておま、それは反そ……あーっ!?」

 

 左右から腕を掴まれた上原が悲鳴を上げるのを、私はくすくすと笑って見つめた。

 

 ――うん、大丈夫。

 

 失恋のショックは大きかったけど、ぐっすり眠ったら頭はすっきりしていた。

 余計なもの全部流れていくほど大泣きしたお陰だろう。

 

 色んなものが吹っ切れた。

 葵への執着とか。

 前世への未練とか。

 

 もちろん葵のことは今でも好きだし、自分が転生してきたことを忘れるつもりはないけれど。

 ようやく本当の意味で「鶴見翔子」になれた気がする。

 

 長い長い、回り道にもほどがある道筋だったけど。

 後悔しない、とだけはきっぱりと言える。

 さて、ひとまずは。

 

「……あらためて、私の恋を始められたらいいなあ」

 

 一人呟いて。

 私は、上原をからかう多恵達に加勢すべく、

 

「つるみん! カズたんと付き合うくらいなら弊社と!」

「翔子! あちしに胸揉ませてくれ! 付き合わなくていいから!」

「二人ともうるさい。せっかく格好つけたのに締まらないじゃない……!」

 

 軽やかに一歩を踏み出したのだった。




TS的な意味ではここが終着点になるかと思います。
この後は分岐end的なものか、その後の昴の奮闘を主に翔子視点で描写するか、ちょこちょこ投稿を考えております。


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ending01.鳳祥

ストレートなエンディングすぎて5000字に辿り着けませんでした……。


 あれから何年が過ぎただろう。

 

 七芝高校を卒業した私――鶴見翔子はそこそこいい私立大学に進学し、教育学部で四年間学んだ後、桐原中に国語教師として就職した。

 実は硯谷からも声がかかったのだけれど、それは辞退。

 主な理由は、中等部バスケ部顧問の座を麻奈佳先輩が持っていってしまったからだ。

 仕方ないので七芝でバスケ部顧問に就任し、先輩と教え子を通して争うことにした。むしろそれはとても燃える展開で、これで良かったのではないかと思っている。

 

 正直、学校という職場はブラックすぎて泣けるけど。

 毎日はすごく充実している。

 苦楽を共にできるパートナーも、幸いなことに見つかったから。

 

「ただいまー」

「お帰りなさい、翔子」

 

 都心から程よく遠いところにある地方都市の一角。

 閑静な住宅街に佇むマンションが、私と『彼女』の家だ。

 

「いつもごめんね、祥」

 

 エプロン姿で出迎えてくれたパートナーにキスをし、眉を下げて微笑むと、祥は笑顔で首を振ってくれる。

 

「いいわよそんなの。先に帰った方が晩御飯を作るルールでしょ」

「公平なルールだと思ったんだけどね……」

 

 大体、祥の方が先に帰っているパターンである。

 美星姐さんは割と余裕そうだったけど、ぶっちゃけアレは小学校の終業時間が早い&部活の監督に顔出してないせいだった。

 勤務先が中学校かつ一年目から部活顧問を引き受けてしまった私には当てはまらない。

 

 っと。

 

 順番が前後してしまったけど、私はあれからあらためて祥と付き合い始めた。

 随分都合のいい話ではあるのだけれど、葵に振られたことを報告したところ、祥の方からもう一度告白してくれたのである。

 

『あんた、これでフリーなのよね? なら、私と付き合いなさい』

 

 前回振られた件については、それはそれ。

 チャンスが来たのだから告白し直さないわけないと断言された時は、豪胆すぎて心から尊敬した。それからもちろん、そこまでして私を好いてくれたことへの感謝も。

 

『はい。……私で良ければ、喜んで』

 

 そうして、私達は恋人同士になった。

 祥と付き合い始めたとみんなに話した時はさすがに大騒ぎになったけど、幸い徹底的な拒否反応を示されることはなかった。戸惑っていた人も最終的には納得してくれた。近しい人ほどすんなりと受け入れてくれたような気がする。

 結局、祥が硯谷から転校することはなかった。

 私達は遠距離恋愛ながら別れることもなく、むしろ熱の籠もった交際を続けた。暇な時間にはラインや電話で話をし、月一回ひねり出せるかどうかの予定が合うタイミングでデートもした。

 大学は同じところを選んだ。

 今のマンションと賃貸契約を結んでルームシェア。互いの両親から仕送りを貰いつつアルバイトでお金をやりくりした。就職してからはお給料だけでなんとかかんとか生活費を工面できている。

 

「今日のご飯はなんだろう……?」

「塩麹につけた鶏肉を焼いてみたわ。あとは雑穀ご飯と根菜のお味噌汁ね」

「わ。美味しそう」

 

 テーブルの上に並べられた料理はまだ湯気を立てていた。

 盛りつけや彩も意識されていていかにも美味しそうだ。

 

 健康を意識しつつ、美味しそうなものはとりあえず試してみる。

 私も祥も相変わらず女子力とか気にしまくってるので、どっちが料理をしてもだいたいそんな感じになる。疲れてる時は「生姜って身体にいいよね」とか言いながら豚の生姜焼き作ったりするけど。

 

 目ざとい祥がハマってるということは、塩麹ブームがもうちょっとで来るか。

 前世で「ふーん」と聞き流していた流行だが、こうして消費する側になってみると結構楽しい。ただ、このあいだ調子に乗って「タピオカ屋を始めないか」と祥に言った時は「正気?」みたいな反応をされた。多分凄い儲かるのに。

 まあ、今の仕事を辞めるかと言われるとアレなんだけど。

 

「先にお風呂入っちゃう?」

「ううん。ご飯食べてからゆっくり入ろうかな」

「ん」

 

 素っ気ない返事だけど、顔を見ると嬉しそうにしていた。

 やっぱりご飯はあったかいうちに食べてこそ。

 私はスーツの上着を脱ぎ、鞄を部屋に置いてから食卓についた。二人で向かいあっていただきますをする。一日の終わりを感じてほっとする瞬間だ。

 

「祥は、仕事順調?」

「……どうかしら。あの業界って実務能力以上にセンスが問われたりするから」

「そういうのは難しいよね。教師だって最重要はコミュ力だし」

 

 祥は大学卒業後、ファッション業界への就職を決意。

 色んな会社や事務所を受けた末、なんと『ForM』に就職した。もちろんコネではなく実力で。今はティーンズ向けの下着づくりに携わっているらしい。

 

 どうせやるなら好きなことを仕事にしたい。

 

 きっぱりと進路を決めて実現させ、毎日頑張っている祥は本当に格好いい。

 アイドルとは違うけれど、キラキラと輝いていると思う。

 

「祥の関わった下着を、私の教え子が着けたりするんだよね」

「……そうね。そうなったら、嬉しい」

 

 恥ずかしいのか、祥の頬はほんのり赤く染まっていた。

 可愛い。

 ちょっといじめてみたくなるけど、そうすると大体倍で返ってくるので我慢。

 と。

 

「私達の子供に、ってできないのが残念だけど」

「祥……」

 

 私達は女同士だ。

 お互いの両親には必死に話して了承をもらっているけど、女同士では子供が作れないのはどうしようもない事実。そういえばiPS細胞で、なんて都合のいい話は現実にない。

 どうしても子供が欲しいなら養子という形になる。

 もちろん、そうなったら我が子として愛して育てるつもりだけど、それでも、その子は私達が愛し合ってできた子ではない。

 

 自分達なりに納得して選んだ道だけど、やっぱり子供が欲しくなることはある。

 例えば、幼馴染の子を抱かせてもらった時とか。

 

 あれから葵とは仲直りした。

 彼女とは今でも親友を続けている。あの時のことを思いだすと今でも切なくなるけど、恋心はさっさと手放した。昴とラブラブな姿を間近な見せられたし、何より祥というパートナーを見つけられたから。

 二人の第一子は可愛い女の子。

 『紫(ゆかり)』という名前を聞かされた時は「実子だから大丈夫だよね?」と今更ロリコン疑惑を再燃させてしまったりした。でもそのくらい可愛いのだ。昴もロリコンもとい親馬鹿ぶりを発揮し、主に美星姐さんがその被害を受けている。

 

「祥は、後悔してる?」

「してるわけないでしょ」

 

 即答だった。

 祥は苦笑し、それから慈愛の籠もった笑みを浮かべた。

 

「私は好きな人と一緒になれた。結婚はできないけど、あんたが私だけを愛してくれてるだけで幸せすぎるくらい。むしろ心配なのは、あんたの気持ち」

「私?」

「私に付き合わせちゃったんじゃないか、ってこと」

 

 は? 馬鹿かこいつは。

 何年かぶりに男口調が出そうなほどいらっとした。

 

「怒るよ、祥」

「……翔子」

「私は後悔なんかしてない。ううん、これからも絶対後悔しない。私は祥を愛してるし、今が凄く幸せ」

「……ん」

 

 私の言葉に、祥は噛みしめるようにして頷いた。

 

「ごめんなさい。……でも、聞いてよかった」

「ちょっと」

「だって、凄く嬉しかったから」

 

 愛しい人の瞳からは涙が溢れていた。

 あーもう、何で嬉しいとか言いながら泣くのか。私までもらい泣きしてきてしまうじゃないか。ご飯の味がわからなくなるどころか、食欲自体がなくなりかねない。

 ちゃんと片付けておかないとお風呂にもベッドにも入れないというのに。

 幸い殆ど食べ終えていたので頑張って片づける。祥も同じように残ったご飯を口に放り込んで、しっかり咀嚼した後で玄米茶を啜った。

 ふう、と同時に息を吐いて。

 

「あんたのせいで変な気分になっちゃったじゃない」

「ちょっと待った。絶対祥のせいだと思うんだけど」

 

 むっとして睨み返す。

 すると、祥の目が完全に笑っていたので、私まで吹き出してしまった。

 

「……お風呂、後にしようかな」

 

 呟くように言うと、祥がぱっと表情を明るくする。

 わかりやすい。

 硯谷に入って棘が抜けた感があったこの子は、付き合いだしてからは更に変わった。今までの態度が嘘だったみたいに可愛くなったのだ。まあ、私以外、特に男子相手だと前と大して変わらなかったけど。

 積極的にキスを求めてきたり、手を繋いできたり。

 ふと拍子に「好き」とか言われるとこっちまで赤面してしまう。

 

 あんまり積極的なので、他の子に目移りしないのかと尋ねれば「他の女を好きになるわけない」との答え。

 嬉しかった。その後に「でもついつい目が行っちゃうくらいは仕方ないわよね」と続かなければもっと嬉しかった。

 まあ、それこそお互い様なので、デートに行くとお互いにちょっとした嫉妬をしてしまうこともある。

 

「それじゃ、洗い物してから」

「後でいいわよそんなの」

 

 これである。

 まったく、効率やら女子力やらはどこにいったのか。

 さっさと立ち上がって駆け寄ってくると、ブラウスの袖を掴んだ祥に――私は、不意打ちのキスを見舞ってやった。

 




おまけ(余談)

祥と翔子の名前は、サグ先生作品キャラに軍艦と同じ名前の子がいる(香椎と鹿島とか、ひなた=日向とか)ところから。
・鳳祥:祥鳳
・鶴見翔子:翔鶴

個人的に祥は目つきの鋭い祥鳳(艦これ)のイメージ。
翔子の方の外見は翔鶴姉かというとうーん……? となります。
諏訪は適当です(ぇ


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endingXX.つるみんのおしごと?

悪ノリ的な他原作ネタです。
ロウきゅーぶ以外のキャラが登場します。また、本編のストーリーには影響しないため、苦手&興味のない方はスルーしてください。


 とある日曜日。

 とくに予定がなかったので、朝のトレーニング後は家事に精を出した。母さんは将棋に熱中するとすぐに周りが見えなくなる。ちょくちょく手を入れておかないと家中が埃まみれになったりするのだ。

 洗濯して掃除して、食材は昨日父さんが買ってきてくれたはずだから……と考えていると。

 

「翔子」

 

 リビングの方から母さんの呼ぶ声がした。

 

「何、母さ……ん?」

 

 歩いていった私は、いつの間にかお客さんが来ていたことを知る。

 ベランダに出ている間か、掃除機をかけている間か。

 瞬きをした後、挨拶が遅れたことを詫びようとして――気づく。

 

 お客さんの姿が随分と()()()ことに。

 綺麗な黒髪に質のいい洋服(これも黒だった)を身に着けた女の子。

 智花ちゃん達とあまり変わらないんだろう歳の彼女を、私は知っていた。

 

「夜叉神天衣ちゃ……先生!?」

「はじめまして。夜叉神天衣よ。よろしく」

 

 ついちゃん付けしかけたのが気に障ったのか、天衣ちゃんはかすかに眉を顰めながら私に会釈する。

 夜叉神天衣()()()()

 小学生、最年少にして女流棋士の資格を得た天才少女。将棋を指してお金を貰っている、いわばプロだ。将棋業界でいうプロは別に区分があるんだけど、それはややこしいから置いておいて。

 

 この子、ぶっちゃけ母さんより強い可能性あるんだよね……。

 

 私の母、鶴見瑞穂もまた女流棋士である。

 とはいえ一線級の若手や名うての女流と比べると一歩も二歩も引いてしまっているのが現状。まあぶっちゃけ上の人達が強すぎるだけなんだけど。

 自分でお金を稼いでいるという意味で、彼女は私よりもずっと偉い。

 女流棋士の娘ではあるが弟子ではない私は本来、天衣ちゃんを「先生」と呼ぶ必要はないんだけど、そこへ敬意を持っておくべきだろう。

 

 私はその場で正座をすると彼女に頭を下げた。

 

「初めまして。鶴見瑞穂の娘、鶴見翔子と申します。以後お見知りおき下さい」

「ええ、いいわ。頭を上げなさい」

 

 顔を上げた私は「ふふん」といった表情をしている天衣ちゃんを見た。

 可愛い。

 女王様然とした態度が品のある仕草とマッチしている。肌の隠れる服を好んでいること、長い黒髪がちゃんと手入れされていることなどもあって、この歳ながら美しいとさえ思う。

 何を隠そう、私はこの子のファンだったりするのだけれど。

 

「今日はどうしてこちらに?」

 

 天衣ちゃんの実家は神戸。

 仕事の都合であちこち行ってはいるのだろうけど、マイナー女流棋士の家にわざわざ来るかな?

 

「私がお呼びしたのよ。あなたと指していただくために」

「何やってるの母さん」

 

 たまに母さんの相手はするけど、私はアマチュアですらない一般人だ。

 なんで自分じゃなくて私のために他の女流棋士を呼ぶのか。

 

「あなた今日は暇でしょう? なら少し付き合いなさい」

「そういえば、何度も予定確認されたなあ……」

 

 遠い目になる私。

 とはいえ呼んでしまったものはどうしようもない。

 天衣ちゃんもこのまま帰るつもりはないようで、出されたお茶を飲み干すと椅子から立ち上がった。

 

「話が終わったのなら早速始めましょう。時間が勿体ないわ」

「わ、わかりました」

 

 ちょっとって言ったけど、これ絶対一日がかりだよね。

 返事をする表情が少しばかり引きつってしまったのは仕方ないのではなかろうか。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 鶴見家はちょっと広めの一軒家である。

 特徴は母さんの職業柄、広めの和室が用意されていること。そこは主に母さんが将棋の研究に使っていて、後は気まぐれでお茶を点てたりしている。

 私が母さんと指すのもそこで、天衣ちゃんとの対局も当然そこになった。

 

「行くわよ」

 

 当たり前のように平手を命じられ、先手を貰った私は角の斜め前の歩を前に進めた。

 後手の天衣ちゃんは平然と駒に手を伸ばし、母さん愛用のそこそこいい将棋盤に駒を打ち付けた。

 

「……角頭歩!?」

「どうしたの? あなたの番よ?」

 

 黒い瞳がすっと射貫いてくる。

 化け物級の女性棋士『浪速の白雪姫』相手に公式戦で使った戦法を私にって……これ虐めだったのかな?

 天衣ちゃんが使った戦法はハメ技のようなもの。

 使う方は使い方を知ってるけど、使われる方は普通そんなの研究していない――そんな想像の範囲外の手で撹乱し、相手に対応を間違わせるのが本領だ。

 

 プロだって研究してないようなもの、私が慣れているわけがない。

 

 一つ深呼吸。

 知らないものはどうしようもないと割り切った私はさっさと動揺を追い出すと、とにかくできることをしようと次の駒を手にした。

 序盤は淡々と素早く手が進んでいく。

 けれど途中から、私は何度も手を止めて考えなければならなくなった。天衣ちゃんの手は変幻自在。指してきた対局数の違いが引き出しの多さに直結している。

 持ち時間の十分はあっさりと使い切り、一分将棋になってからはギリギリまで考えることが続いた。

 

 ――強い。

 

 感じたのはただただそれだけ。

 本気は出していないだろう。角頭歩を選んだのは私の対応力を見るために違いない。以降の指し方にしてもところどころ挑発めいた手があった。

 格が違う。

 勝ち目などないに等しかった。でも、だからって勝負を投げることはできない。もう本当にどうしようもないというところまで指して、私は投了を宣言した。

 

「参りました」

 

 正座したまま深く頭を下げる。

 天衣ちゃんも同じようにしてくれた。所作の美しさは私も見習いたいくらいだった。

 

 ……うう、疲れた。

 

 足を投げ出したら不格好だし、せめてちょっとストレッチを。

 

「じゃあ翔子。次は私と指しましょう」

「何言ってるの母さん……!?」

 

 抗議は全く聞く耳持ってもらえなくて。

 私は続けて母さんと指し、更にその後もう一回天衣ちゃんと指した。

 もうその時には疲労困憊。

 普段あまり使わない思考回路を使っているせいか神経が消耗するのである。

 

「どうですか、私の娘は」

「棋力は話にならないわね」

 

 母さんに尋ねられた天衣ちゃんはあっさりと答える。うわ辛辣。

 

「勉強量と経験値が絶対的に足りてない。だから必要ないところで悩むし、変な手が多くなる。こんなんじゃ素人の趣味として指すのが精々でしょ」

「不勉強で申し訳ありません」

 

 そりゃただの趣味だから……とは言わない。

 言っても格好悪いだけだし、負けるのはやっぱり悔しいから。

 天衣ちゃんはそんな私を見て「ふん」と鼻を鳴らすと付け加えた。

 

「悔しかったらマイナビで勝ち上れるくらい強くなってみなさい。そうしたら本気で相手してあげるから」

 

 マイナビ。

 天衣ちゃん自身が勝ち上がって女流棋士への道を作った大会だ。

 この大会から女流棋士になる条件は、同じ夢を持った女性達を薙ぎ倒した上で最終的に「現行の女流棋士と指して勝利すること」。

 ぶっちゃけ私なんかが挑戦できるところではない。

 けれど。

 

「ありがとうございます、夜叉神先生」

「……は?」

「いえ、その。今のは激励していただけたのかな、と」

 

 違っただろうか。

 小首を傾げると、天衣ちゃんは何故か真っ赤になって顔を背けてしまった。

 あれ、可愛い。

 

「好きに考えればいいじゃない。それと、これ」

「これは……」

 

 手渡された紙片にはとある将棋アプリの名前と、天衣ちゃんのものであろうユーザーIDがあった。

 フレンド登録していいということか。

 紙を私に渡すだけ渡すと、天衣ちゃんは慌ただしく立ち上がった。そろそろ帰らないとまずいらしい。

 母さんと二人で見送って一息つく。

 気づけばお昼というにはちょっと遅すぎる時間になっている。

 

「……お腹空いた。何か作るね。ご飯っていうよりおやつの時間だからパンケーキとか……」

「翔子」

「なあに?」

「奨励会。入ってみる気はない?」

 

 エプロンを身に着けていた私は一瞬硬直した。

 

「夜叉神先生を呼んだのはそのため?」

「そうよ。将棋に取り組むなら、そろそろラストチャンスだろうから」

 

 女流棋士になるには年齢制限がある。

 知人の中には高校卒業後に修行を始めて夢を掴んだ人がいるけど――彼女も「プロ棋士の娘」というアドバンテージがあってなお、本当にギリギリの成功だった。

 なお、最年少記録は天衣ちゃんの十歳。

 

 ――私は心のうちを探ってみる。

 

 前世の記憶を持っていた俺は子供の頃、天才と褒められた。

 それでも将棋をやらなかったのは、前世知識が付け焼刃にすぎないと知っていたこと。それから着物を着るのが嫌で仕方なかったから。

 才能のなさはとっくに理解している。

 着物はたまに着ている。嫌悪感はもう無いし、着付けだってできる。母さんなんて「楽ができていい」とか言って私をこき使いつつ、「娘を着せ替えるのが夢だった」と毎年のように浴衣やら着物を勧めてくる。

 

 私にはバスケがあるけど。

 

 バスケをやっていた一番の理由はつい最近消えてしまった。

 荻山葵が七芝の女バスに入ることは、少なくとも二年になるまでありえないだろう。入ったとしても多分あの子は男子部マネージャーと兼任すると思う。

 別のことに打ち込んでみてもいいのかもしれない。

 

 きっと母さんは、塞ぎ込んでいた私を心配してくれたのだ。

 

「……ポイントガードは苦手なんだけど」

「ポイントガード? バスケットボールのポジションだったかしら」

「そう。仲間の長所を生かして戦略を立てる司令塔」

「なるほど。将棋で言えば王将かしら」

 

 そういうことだ。王はプレーヤーの分身でもある。

 言いかえると、将棋とはポイントガードを中心に他のポジションを運用するゲームということ。

 どの駒に誰を当てはめるかは私が好きに決めていい。

 例えば変な方向にぶっ飛んでいく多恵を角に、相方のさつきを飛車に、王を昴に見立てて私は金か銀の役をやってもいい。

 そう考えると、ちょっと楽しい。

 コートという戦場で敵味方が入り乱れる光景はもう、さんざん見て来た

 

「……やってみようかな、将棋」

「本当?」

「うん。どこまでできるかはわからないけど」

 

 きゃあ、と歓声を上げた母さんが飛んできて抱きついてくる。

 

「言質取ったわよ。パンケーキ食べた後はもう一局指すから」

「母さん。せめて部活に話通すまで本格的なのは待って……」

 

 迂闊なことを言ってしまっただろうか。

 思いつつも、どこかわくわくしている私がいた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「どうでしたか、お嬢様?」

「最悪。バスケットボールに付き合わされたわ」

「は? あの、お怪我は!?」

「馬鹿ね。そういう意味じゃないから大丈夫よ」

 

 天衣は黒塗りの車の後部座席で外の景色を眺めながら、運転手を務める女性に言葉を返した。

 

 ――そう。天衣には翔子が指した将棋が自分とは別のものに思えた。

 

 定番戦術をそこそこ押さえているかと思ったら急に外れ、弱点を突いてやると露骨に慌てる。それでいて局地的な競り合いになると驚異的な読みを見せ、心を折るために魅せ手を用いても決して諦めない。

 極めつけは体力と集中力だ。

 座っているだけだから楽だと思われがちだが、将棋は意外なほど体力を使う。知っている戦型から外れて思考する必要が多くなれば猶更。天衣は省力化のテクニックを無数に抱えて消耗を補っているが、あの女はそういったものもなしに長時間集中し続けていた。

 彼女は普段、将棋ではなくバスケットボールに熱中しているという。

 日ごろから体力づくりをしている棋士なんてそうそういない。過度の緊張に慣れているアマチュアも多くはない。

 

 ――あれは、将棋を通してバスケしていた。

 

 局地戦での「未来が見えているのでは」というレベルの先読み。

 天衣の師匠である男やライバルである少女が「大局的に」やっていることを部分的ながら成立させているように見えた。

 それは、かの『浪速の白雪姫』なら「将棋星人と人間のハーフ」とでも例えただろう力。

 天衣には全くわからない感覚。

 

 瑞穂から「娘と指して欲しい」と言われた時には正直気乗りはしなかった。

 実際指してみても勉強になったかと言えば怪しい。

 しかし、刺激という意味ではこれ以上なかった。

 

 将棋の世界からしたら異端といえる存在。

 あれを他のライバル達に渡すのは惜しいと思った。ちょっとつついただけで進化するようなのが将棋界にはゴロゴロしている。気づかれる前にキープしておきたい。だからこそコンタクトを取る方法を与えたし、それとなく発破をかけてやった。

 まさか即座に看破された上、嫌な顔すらせず感謝されるとは思わなかったが。

 

 もしも、あの女が母親以外の師を求めるというのなら。

 

「考えてやってもいいかしら」

 

 他ならぬ天衣自身のために。

 そんなことを考えながら、天衣はしばし身体を休めるために目を閉じたのだった。




※続きません。


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ending02.長谷川昴

「3rd stage 長谷川コーチ、小学生に泳ぎを教える(4)」の後あたりからの分岐になります。


「翔子、俺と付き合ってくれないか」

「うん、いいよ。どこに行くの?」

 

 ある日の昼休み。

 珍しく昴がクラスに来たと思ったら、神妙な顔で付き合ってくれと言ってきた。

 周りにいた子達がきゃーと騒ぐ中、俺は「早まったか」と思う。

 昴がわざわざ改まって言ってくる件だ。ただの買い物では済まないかもしれない。どこか遠出? 愛莉ちゃん達関連だとしたら、一人じゃ行きにくい学校に敵情視察とかだろうか。

 そうなるとスケジュールを確認しないで「うん」と言ったのはまずった。

 

「いや、そうじゃない。この顔がそんな頼みに見えるか」

「見えるけど……ごめん、どういう話?」

 

 と、思ったら、そもそもお出かけじゃないと来た。

 じゃあなんだろう。

 こいつに限ってまさか交際の申し込みじゃないだろうし――。

 

「俺の彼女になってくれ」

「は?」

「きゃーーっ!?」

 

 なん、だと……?

 まさか外野の歓声が冷やかしじゃなくて真実だったとは。

 でもまた、なんで。

 葵じゃなくて俺に告白して来るんですか、長谷川さん。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「いや、だってこんなの葵に言ったら殴られるだろ絶対」

「なるほど。それはそうかもしれませんね」

「その点、翔子なら事情を話せばわかってくれるし。ミホ姉とも仲いいからちょうどいいだろ」

「うふふ。長谷川君は頭がいいんですね」

 

 聞いてみればなんのことはない、よくある(?)偽装彼女のような話だった。

 久しぶりにお父さん――長谷川銀河さんという、昴にはあんまり似てない大柄長身の人だ――から連絡があったらしいのだけれど、その時に「高校生にもなって彼女一人いない」という話になったらしい。

 別にいいだろそんなの、っていうか大人気ないこと言うなよ……みたいに返したら「お前だってオトナゲ生えてないだろ」とか言われて「彼女くらいその気になればすぐできるわ!」と啖呵を切ってしまったとか。

 

 その上、銀河さんから連絡があったことが美星姐さんに伝わって。

 伝聞だったから大して詳しくなかったはずの情報から的確に全貌を把握され、からかわれ、彼女作れるならすぐ見せてみなと挑発された。

 その時には一晩経って冷静になっていた昴ももう一回ブチ切れてしまい、今に至る。

 

「ミホ姉はなんか智花や愛莉の名前出してたけど、さすがにあの子達に頼むのは気が引けるし」

「さすがは長谷川君です」

 

 駅からの道を長谷川家に向かって歩きながら、俺はくすくすと笑みを零した。

 

「なあ、っていうか俺なにか悪いことしたか……? 怒ってるんだよな?」

「え? 私と長谷川君はただのクラスメートですから、普通の対応だと思いますけど」

「頼む翔子、見捨てないでくれ……っ! お前から葵にバレたら最悪のパターンだ!」

「もうちょっと本音を隠せばーか」

 

 駄目だこいつと思いながらデコピンをお見舞い。

 ぐわっ! とか言いながら額を押さえてくれるあたり昴も付き合いがいい。これでもうちょっと女子の気持ちに敏感だったらいいのに。

 

 しかしこれ、どうするべきか。

 

 俺も小学生と交際はまずいと思うけど、美星姐さんが薦めたってことは「そういうこと」だろう。

 少なくとも智花ちゃんと愛莉ちゃんはそういう面があるに違いない。

 三人も候補がいるのに、それを全部避けて俺に交際を申し込むとか、刺されたいんだろうか。

 

「もう……ごめんなさい、態度が良くなかったよね」

 

 俺はため息を吐いて口調を戻す。

 

「それで? 私は彼女のフリでいいの? それとも継続的にお付き合いする話?」

「それはもちろんフリで構わない」

 

 昴はきりっとした顔で答えてくれるんだけど、

 

「そう上手くいくかなあ……」

「というと?」

「この手の話って、すぐにフリだってバレて失敗するか、引くに引けなくなって泥沼になるのがパターンなの。だって、共通の知り合いに彼女だって紹介するんだし」

「う、それは確かに」

「だから、フリだとしても、ある程度続ける覚悟はいるんじゃないかな」

 

 その覚悟がないなら「無理でしたすいません」って謝った方がいい。

 だって嘘なんだから、つき通すよりはバラした方がスマートなのは当然だ。

 とか言ってるうちにだんだん長谷川家が近づいてきている。

 

「なあ、翔子は嫌じゃないのか? 俺なんかと付き合うことになっても」

「私? 私個人としては平気だよ。昴となら、本当に付き合う話でも」

 

 俺が問題にしているのは、どうせ付き合うなら他の子にしてあげて欲しいという一点だけ。

 

「……そっか。お前、昔から俺のこと好きだって言ってたもんな」

「待って昴。なんでそこだけ的確に覚えてるの!?」

 

 葵から毎年チョコ貰ってたこととかを思い出して欲しい。

 そりゃ俺も一緒にあげてたけど……そのせいで印象が薄れてるとかじゃない、よな?

 まあともかく、考えてもいい案が浮かばないので。

 

「美星姐さんも待ってるんでしょ? とにかく一度言ってみよっか。それで嘘つけって言われるならそれはそれで楽に収まるし」

「そうだな。……頼むぞ翔子」

「ん。よろしくね昴」

 

 でも恋人同士らしくするにはどうしたらいいだろう。

 互いに名前で呼び合うって、もうとっくにやってるんだな、俺達。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……昴。お前なんでよりによって翔子なんだよ」

「やっぱり美星姐さんもそう思いますよね」

「翔子、お前がそっちに付かないでくれ」

 

 俺を彼女だと紹介した昴は、即座に姐さんの胡乱気な瞳に射貫かれた。

 全くもってその通りな指摘に俺はついうんうんと頷いてしまった。

 そうしたら昴からは恨みがましく見られてしまったけど。

 

「私は、他にいい人がいると思うって言ったんですよ。それなのに昴が……」

「言っただろ。お前じゃないと駄目なんだって」

 

 言われたけども。似たようなニュアンスのことは、割とさっき。

 昴、わかってるのかなあ……それもう嘘をつき通すパターンなんだけど。

 腹をくくるしかない、か。

 俺が心中で息を吐いて気持ちを切り替えたところで、七夕さんがきらきらした目で話に割って入ってきた。

 

「翔子ちゃんがすばるくんとお付き合いしてくれるのっ?」

「はい。不束者ですがよろしくお願いします、お義母様」

 

 椅子の上ながら深々と頭を下げると、七夕さんは「まあまあ」と微笑む。

 

「お義母様なんて……。翔子ちゃんの呼びやすい言い方でいいのよ?」

「じゃあ、今まで通り七夕さんでいいですか?」

「もちろんよお。……うふふ。これからは色々教えてあげるわね。あ、でも、翔子ちゃんにはあんまり教えることもないかしら」

「そんなことありません。七夕さんのお料理、もっと教えて欲しいです」

「本当? じゃあ張り切っちゃおうかしら」

 

 七夕さんと話しているとほんわかする。

 料理はもともと教わっていたので、その延長上という感じで気負わなくていいのも嬉しい。

 二人してにこにこ会話していると、昴と美星姐さんが黄昏な雰囲気を出しながら言い合うのが聞こえた。

 

「母さんと翔子って本当仲良いよなあ……」

「おねーちゃんと仲悪い奴って殆どいないでしょ。ま、翔子とは特別仲良いよ。もともと家族みたいなもんだし」

「お前も姉さんと言われるしな」

「あれは字が違うだろ。お前らが結婚すれば実際姉みたいなもんだけど」

「な、結婚ってお前な……!」

「あれ、昴ったら結婚しないつもりなの? やることだけやってポイ捨てとか、おねーちゃんそんな子に育てた覚えないんだけど」

「こっちもお前に育てられた覚えは……」

「へえ、面白くもなんともない安牌連れてきておいてその言い草?」

 

 なんか火花散ってる気がするけど気づかないフリをしておく。

 さすがに七夕さんの前では喧嘩しないだろうし。

 

「ってゆーか翔子。()()()()()()()?」

 

 と、不意に美星姐さんが尋ねてきた。

 

「……みんなには私から話します。わかってくれるかはわかりませんけど、私が言わないといけないことでしょうから」

「そ。お前がそれでいいならいいけど」

「大丈夫です。それに、葵が異議を唱えてくれるなら、もうワンチャンスあると思いますし」

 

 言って俺は苦笑する。

 昴が「何の話だ?」と尋ねてきたけど、こっちの話だとはぐらかした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 果たして衝突は起こらなかった。

 葵も智花ちゃんや愛莉ちゃんも、私が「昴と付き合うことになった」と告げても、目に見えて反発してくることがなかったのだ。

 この泥棒猫とか言われたり、最悪「中に誰もいませんよ」される覚悟をしていたんだけど。

 

 小学生組はまだわかる。

 昴に恋していたとしても、きっとそれは淡い恋心。自分よりも相応しい相手――例えば同い年の女子高生が相手に選ばれたのなら「仕方ないよね」と諦めがつくだろう。

 しばらくは傷となって残るかもしれないけど、トラウマになるほどじゃない。

 好きな人と結ばれた相手を敵とみなしたりもしないと思う。

 

 でも、葵は?

 小学校か、下手したらもっと前から好きだった相手。

 私自身、葵が昴を好きなことは知っているし、葵の恋路をむしろ積極的に応援してきた。そんな相手に「奪われて」平静でいる方がおかしいだろう。

 なのに、葵は動かなかった。

 ぶっちゃけかなり挑発した自信がある。それでも葵は怒らなかった。最初に告げた時点でこの世の終わりのような顔をした癖に、無理矢理笑顔を作って「おめでとう」と言った。

 

 ……葵のいくじなし。

 

 そんなだから俺なんかに奪われるのだ。

 ただ本気で告白するだけで「勝てる」のに、いつまでもうじうじしている。誰よりも恋に身を焦がしているのに、恋が「勝負」だということをわかっていない。

 元男の俺が言うことではないけれど。

 

「すばるー!」

 

 だから、俺は身を引くことを断念した。

 昴が提案した嘘の関係はなし崩しに本当の関係となり、俺は名実ともに長谷川昴の彼女となった。

 彼の手伝いをしたいからと女バスをすっぱり辞め、同好会へ積極的に参加。慧心の練習にもたまに顔を出すようになった。

 慧心女バスのみんなからの反応はまちまち。

 

 真帆ちゃんは当初こそ「すばるんは渡さねー!」と息巻いていたものの、昴が普通に練習に来ることがわかると落ち着いた。

 ひなたちゃんは特に前と変わらず。

 愛莉ちゃんは前より距離を置きつつも徐々に「親しいお姉さん」として俺に接してくれるようになっている。

 智花ちゃんからはあからさまに敵視されているものの、方向性がバスケ対決に向いているので「恋敵」というよりは「ライバル」という感じ。

 取り付く島がないのは意外にも紗季ちゃん。みんなのために怒っているという体で、実際のところは彼女自身、昴に惹かれていたのだろう。

 

 でも、俺にはもうこれっぽっちも身を引く気はない。

 切っ掛けがアホみたいなものであろうと、昴の恋人という一つきりの枠を獲得してしまった以上、下手な態度は許されない。

 俺は全身全霊をもって昴の彼女を全うする。

 自分で言うのもなんだが、「普通科の鶴見翔子さん」は「性欲をそそられない」という欠点を除けば割と優良物件だ。

 男を立てる心づもりもあるし、家事もそこそこできる。

 付き合うようになってからは昴に手製のお弁当を毎日用意している。

 

「翔子……。弁当はありがたいけど直接持ってこなくても」

「あ……。そうだよね、ごめんなさい。友達と食べたい時もあるよね。今度から朝のうちに渡すようにするから」

「いいのいいの鶴見さん! 長谷川君のは照れ隠しだから!」

「おうよ。おい長谷川、こんないい彼女にそんな言い草はないだろ?」

 

 ついでに一緒に食べていると、だいたい誰かが寄ってくるのでいつも賑やかだ。

 ちなみに弁当の中身は俺と昴でだいぶ違う内容になっている。

 俺は美容と健康を維持しなければいけないけど、昴の方は育ちざかり。肉や魚を食べないと元気が出ないだろうし、量多め味濃いめ揚げ物推奨となっている。

 そういう料理の方が上手なんじゃ? という評価が生まれつつあるのは納得いかないけど。

 

 ――葵とは「微妙にぎくしゃく」した関係が続いている。

 

 微妙にというのが曲者で、無理に解消することもできないし決定的な破綻も訪れていない。

 俺が同好会に出るようになって葵が代わりにレアキャラになり、高校で会っても挨拶をする程度。こればかりは時間が解決するしかないと思っている。

 

 今のところ、昴とは身体の関係とかはなく。

 

 けれど、昴が拒絶してこない限り、いずれは結婚したいと思っている。

 俺みたいな半端者を貰ってくれる男なんてそうそういないだろうし、俺にとっても長谷川昴は得難い男性なのである。

 だから。

 これからの人生、鶴見翔子は長谷川昴と生きていく。

 

 もうすぐ夏。

 果たして、今年の夏はどういう夏になるのだろうか――。



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ending03.荻山葵

葵の告白が失敗したif分岐です。


 告白した私があっさり玉砕してから。

 初めて葵に会ったのは、数日後のことだった。

 

「……翔子」

「葵」

 

 部活に出たり、朝のランニングをしたり。

 夏休みとはいえ私は毎日のように外出している。告白した次の日こそ練習を休んだものの、その翌日からはずる休みしていない。

 なので、葵と会ったのも偶然だった。

 コンビニ袋を下げた幼馴染は「ちょっとそこまで」といったラフな格好をしていた。でも、私を見るなりバツの悪そうな顔になったのは別の理由だろう。

 

 一方の私はといえば。

 にっこり笑って、積極的に彼女へと歩み寄った。

 ぴくっと、震える葵。

 ちょっとだけ傷ついた。

 

 でも、顔には出さないで頭を下げる。

 あまり大袈裟にすると葵が恥ずかしいだろうから、軽く。ほんの一秒だけ。

 

「この前はごめんなさい。勝手なこと言って困らせて」

「ううん。私の方こそ、ごめん」

 

 いやらしい意味がないとわかってもらえたのか、葵はしゅんとした表情になる。

 

「ううん。葵は悪くない。悪いのは私」

「そんなわけない。私が考え無しだったから……」

「じゃあ、仲直りしてくれる?」

 

 ちょっと虫がいいかもしれないけど、葵の人の良さを利用して右手を差し出す。

 付き合えないなら友達辞めます、なんてできない。

 葵とはこれからも友達でいたい。

 

「……うん」

 

 葵は、私の手を握ってくれた。

 告白してきた同性愛者の手を握るのは、きっと勇気がいっただろう。

 でも、これから時間をかけて、私が諦めたことを伝えたい。

 

 そして聞きたい。

 

「昴とは、上手くいった?」

 

 きっと、葵は昴に告白したはずだ。

 私がそうだったように、近しい人からの告白というのはそういう力を持っている。

 告白したなら成功したはずだ。

 

 昴に一番近い女子は葵で、二番目は私。

 私の知る限り、昴に想いを寄せる「年頃の女の子」はたった一人しかいない。

 荻山葵が本気で告白すれば、昴が断る理由なんてあるはずがない。

 

 だから、私は葵の勝利を確信していた。

 もしかしたら、そこには「私が玉砕したんだから」という思いがあったのかもしれない。

 気づいていなかった。

 葵の目に、まるで泣きはらしたような隈ができていることに。

 

「ううん」

 

 空気が、凍った。

 

「え?」

「駄目だったの! 昴と喧嘩して! 付き合えないって!!」

「嘘」

「嘘じゃ、ない……っ!」

 

 きっと、本当はギリギリの状態だったのだろう。

 葵は()()抱きつくと、縋るように顔を埋めてきた。大好きな匂い。役得……なのかもしれないけど、そんなことを考えている余裕はなかった。

 私は葵の身体を抱き留めながら慌てて言う。

 

「葵。どこか場所変えよう?」

 

 幼馴染は私の服を掴んだまま泣き声を上げている。

 泣かせたのは私なので、誰かに見られても誤解はされないだろうけど。

 

「と、とにかく行くよ……!」

 

 半ば強引に持ち上げて、近くにある葵の家に連れて行った。

 チャイムを鳴らして葵のお母さんに入れてもらう。

 お姫様抱っこされた葵が私にしがみついているのを見て、お母さんは相当びっくりしたようだったけど、しばらくして状況を察したのか「葵をお願いね」と言ってくれた。

 自宅かつ、お母さんが下にいるなら葵も安心だろう。

 

 私に襲われても悲鳴を上げれば助けが来る。

 襲う側(仮)が心配することじゃないかもだけど。

 

 クッションを敷いて二人で座ったら、しばらくして泣き止んでくれた。

 ここ数日で何度泣いたのか。

 ゴミ箱にはティッシュが山を作っていて、葵の目は真っ赤になっていた。

 

「葵。昴はなんて言って断ったの?」

「……それは」

 

 ぽつぽつと、葵は私に語ってくれた。

 

 ――告白に際し、葵は言葉が足りないと思ったらしい。

 

 昴は葵の気持ちに気付いていない。

 好きだと言おうが愛してると言おうが通じない可能性がある。バスケのことだと勝手に勘違いされないように手を打つべきだと考えた。

 それに、伝わったとしても信じてもらえるかどうかはわからない。

 だから、恋心の来歴からしっかりと語って聞かせた。

 

 葵にとってのバスケが昴そのものだったこと。

 葵の目標とは昴に生涯成績で勝ち越すことであり、それ以外は二の次であると。

 

 ぶっちゃけこの時点で告白だと思うんだけど、昴は一筋縄ではいかなかった。

 

『女バスに入らなかったのってそれが理由だったのか?』

 

 そうだと答えた。

 休部になって打ちひしがれている昴を見ていられなくて、何かしたくなったのだと。

 昴は葵にありがとうを告げた上で、言った。

 

『今からでも入れよ、女バス』

 

 話が食い違い始めていた。

 葵は恋愛の話に戻そうとする。しかし昴も引かない。彼にとっても荻山葵というプレーヤーの進退は重要なもの。「それはいいから」と言われたところで納得はできない。

 気づけば言い合いに発展していた。

 

『わかってよ! 私はあんたとバスケするのが一番大事なの!』

『だからって部活はできるだろ!?』 

『なんでそんなことばっかり言うの!? 私がそんなに邪魔なわけ!?』

 

 引くに引けなくなった葵は最悪の形で言ってしまった。

 

『あんたのことが好きなの! 恋してるの! だからあんたの傍は離れない! 男バスが復活するまでは同好会にいる!!』

『……っ!? っ、勝手にしろ……!』

 

 昴は目を瞠りつつも吐き捨てるように言ったらしい。

 

『だけどな、葵。……俺はお前とは付き合えない』

『え……?』

『俺はバスケを二番目にはしたくないし、お前がそんなこと言うなんて思ってなかった』

 

 第三者である私にはわかる。

 二人は単にボタンを掛け違ってしまっただけだ。

 

 葵にとってバスケと恋はイコール。

 昴にとってバスケと恋はイコール()()()()()()()。相手がプレーヤーでもそうでなくても、恋を昇華してバスケに生かそうと考える。恋をバスケの領域と結び付ける、あるいは引っ張り上げる考え方。

 主体がバスケで恋がサブ。

 

 葵の話だと昴が好きだからバスケを好きになったと聞こえる。

 恋がメインでバスケがサブ。

 昴はこう思ったんじゃないだろうか。好きな男がバスケじゃなくて別のもの、例えばロックバンドに心血を注いでいたらそっちをやるのかと。

 お前にとってのバスケはそんなものじゃないだろうと。

 バスケが好きすぎるからこそ、葵が大切な相手だからこそ、許せなくなった。

 

 言葉が足りなかった。

 タイミングも悪かった。相手を思いやるだけの冷静さがお互いに欠けてしまっていた。

 

 昴は「恋愛のせいで」バスケが滞るのを嫌がるだろう。

 きっと、アスリートとしてスポーツには真摯でいたいと()()()()なる。

 幼馴染としては仲直りできるだろうけど。

 しばらく、そう。数年くらいは告白すら聞いてもらえないかもしれない。

 

「……私のせいだ」

 

 何が葵のことが好きだ。

 何が葵の告白は成功するはず、だ。

 

 ――単に、葵を苦しめただけだったじゃないか。

 

 あんな告白しなければ良かった。

 ううん。

 そもそも私がいなければ、二人はもっと簡単にくっついていたのかもしれない。

 

 涙がこみ上げてくる。

 罪滅ぼしにできることすら思いつかない。

 

「違う……! 翔子のせいじゃない!」

 

 葵はそう言ってくれた。

 

「きっかけを作ったのは私だよ。……葵が告白すれば絶対大丈夫だって思ってた」

「でも、翔子のお陰で私は昴に告白できた!」

「失敗するなら、タイミングは今じゃなかったんだよ。私のせいで――」

 

 ぱん、と。

 乾いた音が響いたのと、頬の痛みを結び付けるのに数秒かかった。

 

 ごめん、と。

 

 葵は呟いて、私を抱きしめてくれる。

 

「……辛かったよね、翔子」

「―――」

「昴に告白してみてわかったの。告白するのにどれだけ勇気がいるかって。……それにね、成功すると思ってたのは私も。言えばオーケーしてくれると思っても辛いんだから、()()()()()()()()()()()()()()()はもっと辛かったでしょ」

「それは」

「辛かったよね」

「……うん」

 

 有無を言わせぬ口調に、私は渋々そう答えた。

 

「どうして、告白したの?」

「祥が背中を押してくれたから」

「鳳さんが?」

「うん。だから、私は葵に告白できた。もうこれ以上、曖昧なままにしておきたくないって思ったの」

 

 私一人だったら告白なんてできなかった。

 

「どうして、そこまでしてくれたの?」

「……葵が好きだから」

 

 大層な理由なんてない。

 結局のところは私が我慢できなくなっただけだ。

 

「私は葵が好き。……葵の言い方で言うなら、私のバスケは葵を支えること」

 

 七芝で女バスに入ったのだって、葵がいつでも入れるようしたかったのが理由の一つ。

 告白だって失敗して構わなかった。

 それで葵の踏ん切りがつくなら、と思った。

 

 見ているものの違う私達。

 難儀な恋をしてしまったものだ。

 

 葵が瞬きをして私を見つめる。

 

「翔子は、それで良かったの?」

「いいも何も、私にとってはそれがバスケなんだよ。好きじゃなかったらやってない」

「……そっか」

 

 葵は頷き、腕に力を籠めた。

 彼女の顔が見えなくなる。

 

「私と同じだ」

「違うよ」

 

 葵は昴に勝ち越したい。

 私は葵に幸せになって欲しい。

 

「同じだよ。……私と同じ。そっか、そうだったんだ」

「葵?」

「翔子。ありがとう。今までずっと」

「……葵?」

「もう、頑張らなくていいよ」

「っ」

 

 胸を衝撃が貫いた。

 

 ――お別れ?

 

 もう会いたくないってことだろう。

 でも、仕方ない。

 告白した時点でそれくらは覚悟して、

 

「あの告白、今からOKしてもいい?」

「……え?」

 

 何言ってるのこの子。

 身を離して葵の顔を見ると、彼女は笑顔だった。

 

「もう顔も見たくないんじゃ?」

「何言ってるの。私が、翔子のこと嫌いになるわけないでしょ」

「でも、頑張らなくっていいって」

「だから、こういうこと」

 

 またもぎゅっと抱きしめられる。

 

()()()()()はあげられないけど、私の恋をあげる」

「……いい、の?」

「いいよ。翔子こそいいの? 私、あんたの恋とバスケ、両方欲しいって言ってるんだよ? ……昴に告白したばっかりなのに」

 

 そんなの、答えは決まっていた。

 

「いいよ。……私、葵のこと大好きだから」

「馬鹿」

 

 泣きながら笑い合って。

 私達は初めてのキスをした。

 

 柔らかくて、しょっぱくて――ほんのりと甘い恋の味がした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 夏休み明け。

 葵は七芝女バスへ遅まきながら入部届を提出した。

 

 ――ただし、同好会のある日はそっち優先という条件で、だ。

 

 新人が偉そうにと言われかねないところだけど。

 許してもらえたのは、ひとえに葵の実力と熱意のお陰。それから葵にご執心だった島崎先輩のフォローしてくれた効果がちょっと。

 ついでに私も同じ条件にしてもらった。

 

 遊ぶために部活を休むわけではない。

 むしろ、もっと自分を高めるために、私達はこの道を選んだ。

 

 幸い、葵と昴はすぐに仲直りした。

 昴も馬鹿じゃない。

 根が爽やかな彼は一晩経って頭が冷えたようで、葵と謝り合って例の件を水に流した。葵が「もう言わない」ときっぱり言い切ったのも大きかったかもしれない。

 本当にもう言わないかどうか。

 それは時間が経つのを待つしかないけれど、私としてはなんとか「言わせない」所存。

 

 そのためならなんだってする。

 

 お弁当を毎日作ってもいい。

 ラノベや漫画を断てと言われれば断つし、人前で恥ずかしいことをしろと言うのならする。

 

 代わりに、気持ちを我慢するのを止めた。

 二人っきりの時はとことん甘えることにした。

 耳元で好きだと囁き、何もないのににこにこ笑顔を向ける。

 葵は照れくさそうにしつつも嫌だとは言ってこない。

 

 あんまり公にしない方がいいかと、今のところみんなには黙ってるけど。

 上原やさつき、多恵にはさっさとバレている感じがする。

 

 ――そのうち、ちゃんと言おう。

 

 葵とそう約束しつつも。

 並んで登校しながらこっそり、人目を避けて手を繋いでみたり。

 そういうのが凄く楽しかったりする自分がいた。

 

 大好きだよ、葵。

 

 だから全力で、葵の心を奪ってみせるから。

 一生かけて。

 覚悟して、くれるよね?



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ending04.篁美星

ひとまずエンディングは打ち止めです。
次回は原作六巻のお話となります。


「なー翔子。前にした約束、果たしてくんね?」

「あはは……。あの約束、まだ覚えてたんですね」

 

 美星姐さんから真剣に詰め寄られたのは大学四年の時だった。

 私は高校卒業後の進路に慧心学園大学部を選んだ。

 近い地域の学校という縁か、指定校の枠があったのでそれを利用した形だ。学部は当初の予定通りに教育学部を選び、そろそろ就活を始めないとというところ。

 小中学校の免許は両方取れるようにしたから色々候補はあるものの、さて第一志望をどこにしたものかと考えていたそんな時である。

 

 姐さんの家に呼び出されたかと思うといきなり切り出された。

 私が遊びに来ること自体はよくある。

 というか、大学に入ってからは自発的に来ることも呼びつけられることも増えていた。この人、放っておくとロクな食事しないし。定期的に訪れてはご飯を作ったり、簡単に温められるおかずなんかを冷蔵庫に入れておいたり、掃除洗濯をしたりしていた。

 お前は私のお母さんか、なんて言いつつ、姐さんもノリノリだったし。

 なんなら実のお母さんと鉢合わせして一緒に料理したことさえあった。

 

 で。

 どうせまた大した話じゃないんだろうなーと思っていた私は、思わぬ要件に目を瞬いたのだった。

 

「まだ焦るには早くないですか?」

「もう三十路が見えてるだろ。おかーさんもおねーちゃんも焦り始めちゃってんの」

「いい人、いないんですか?」

「いたように見えるか?」

「……見えませんね」

 

 週二くらいで通ってる私が言うんだから間違いない。

 美星姐さん、休みの日はサバゲーに行ってるか家でゲームしてるか、さもなければ智花ちゃん達か昴達と会いに出かけてばかりで全然男っ気がない。

 これはやはり、無理やりにでも香椎君とくっつけておくべきだったのかもしれない。

 

 ――と。

 

 件の約束について触れるのを忘れてた。

 特筆するほどの大事な約束じゃなかったんだけど、いつだったか「どうしても貰い手がなかったら私がお嫁に行きますよ」みたいな話をしたことがあった。

 姐さんの方も冗談めかして「おー頼むわー」なんて言ってて、蒸し返されることもなくそれっきりで。

 私も言われるまですっかり忘れていた。

 

「昴がとっつかまってくれれば良かったんですけど」

「あいつは葵がとっ捕まえて子供までできそうな雰囲気じゃん」

「香椎君も多恵とラブラブですしね……」

 

 あの二人に関してはいつの間にかそういうことになっていた。

 どっちかというとお似合いなのはさつきの方じゃ? とも思ったんだけど、多恵の奥ゆかしさにやられたとかそんな妄言を語られた。

 まあ、若干ギャルっぽいさつきと腐女子の多恵なら後者の方が奥ゆかしいかもだけど。

 

「で、私ですか?」

「おかーさん達も、もう翔子ちゃんでいいからって言ってるわけ。嫌?」

 

 そこまで追い詰められてたんだ……。

 現状既に通い妻みたいなものだし、七夕さんとは仲良しだし、お母さんにも顔が知れてるけど。可愛いだろう次女の相手が女の子でいいと決断するとは。

 私は苦笑して首を振った。

 

「私で良ければ喜んで」

「やった! 翔子ならそう言ってくれると思ってた! 付き合った子と全然長続きしてなかったし……」

「うっ」

 

 痛いところを突いてくる。

 葵に振られた後、特に大学に入ってからは色んな子と付き合った。でもどういうわけか一、二か月とかでみんな逃げて行ってしまう。

 いわく「愛が重い」「この先ついていける自信がない」「好きだけど疲れちゃった」などなど。

 もう駄目だと思って男の子に走って、こっちは比較的長続きしたんだけど、私が世話するようになってから急にモテ始めて他の子に持っていかれた。

 

 しばらく恋はいいかなー、と思いつつ、社会人百合とかいう絶望的に困難な道に途方に暮れていた。

 イーグルジャンプに就職する道を模索しなかったのが失敗だったか。

 

「わ、私のことはいいじゃないですか。……私は仕方なく! 仕方なく! 美星姐さんのピンチを救ってあげるんです!」

「お前、そういうところ図太くなったよな……」

「このくらい割り切らないと季節ごとに失恋なんてやってられないんですよ……」

 

 遠い目をすると姐さんはため息をついた。

 

「私が悪かった。だから機嫌を直してくれる?」

「……あはは、ごめんなさい。言いすぎました」

 

 私は苦笑して答え、それから首を傾げた。

 

「でも、女同士じゃ結婚できませんよ? 籍を入れるわけにもいきませんし、式も挙げられません。具体的には何をすればいいんでしょう?」

 

 これには姐さんも「あー」と呻いた。

 

「ま、ご飯作ってくれたり掃除洗濯してくれれば十分じゃね? 後はできるだけ一緒にいるとか」

「見事に今までと変わりませんね……」

「じゃーいっそ同棲する? 家賃とか光熱費も節約できるし」

「いいですね。でもそれなら、私が今住んでるマンションの方がいいかもしれません。広いですし、セキュリティもしっかりしてますから」

「私が移るのかよ……。途端に面倒臭くなってきたんだけど」

「私が手伝いますから」

 

 私は「愛が重い」と言われるくらいには嫉妬深い。

 美星姐さんがこんな安アパートで暮らしていては、いつ悪い人の毒牙にかかるか気が気でない。まあ、ここ数年でこの人を襲ったのってロリコンかつショタコンの羽多野先生だけだけど。

 

「そういえば羽多野先生じゃ駄目なんですか?」

「お前は私に死ねって言ってるのか。……お、そーだ翔子。結婚しなくても苗字を揃える方法があるよ」

「? それって……」

 

 姐さん、ううん、美星さんは頷いて。

 

「そ。お前さ、いっそのことうちの子になっちゃえよ」

 

 悪戯を思いついた子供のような顔でそう告げたのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 美星さんと添い遂げると報告すると、各所が騒然となった。

 昴と葵からは「正気か」と三回くらい確認されたし、香椎君ですら「勇者だな」みたいな反応をくれた。七夕さんは嬉し泣きをし、昴のお父さんですら私に「ありがとう」と何度も何度も言ってくれた。

 同性愛に関しては「だって翔子だし」でスルー。

 それはまあ、何人もの女の子と付き合ってきた以上、バレてないわけがないんだけど。

 

 養子縁組の件も割とすんなりご両親から受け入れられた。

 誤算だったのは、私が篁家に入るのではなく、美星さんが鶴見家に入るのを提案されたこと。一人娘を奪ってしまうのは心苦しいというのが理由だ。

 七夕さんが銀河さんに嫁いでいるんだから条件は一緒だと思うんだけど。

 美星さんのご両親はこれを譲らなかった。私の両親としても、向こうから来てくれるなら拒む理由はない。もしかしたらお互いにお互いの逃げ道を潰しにかかろうとする裏の思惑があった可能性もなきにしもあらず。

 

 就活が本格的に始まったり、美星さんの引っ越しを手伝ったりしているうちに手続きは進んだ。

 そして無事、私達は同じ苗字となった。

 

 ささやかなお祝いの会が身内だけで開かれ、そこでウェディングドレスとタキシードを着た。

 男装をしたのも久しぶりだ。

 ドレスよりスーツの方が似合うと言われたのは、まあ、お酒の席だったので根には持たないでおく。

 

 美星さんにご執心だった羽多野先生は意外にも祝福してくれた。

 私なら絶対嫉妬するのに、と思ったら、私が女同士に慣らしてくれればワンちゃんあるかも? と思っているらしい。

 生憎だけど他の人に渡すつもりは毛頭ない。

 結婚ほどさらっと解消できる関係でもないし、私は何度も言う通り嫉妬深いのだ。

 

「やー、このマンションは楽でいいな。広いし綺麗だし、翔子が掃除してくれるし」

「テレビやパソコン置いても余裕ですもんね」

 

 引っ越し作業を嫌がっていた美星さんも、一度越してくると手のひらをくるりと返した。

 表札には鶴見性で私と彼女の名前を列記。

 名目としては姉妹で共同生活を送っているという体だ。法的にも姉妹なので間違ってはいないし、そのうちやって来るだろう下種な勘繰りは無視する方向。

 

「でも、私が仕事始めたら空いてる時間も減っちゃうんですよね」

「気にすんな。そしたら私は」

「家事、手伝ってくれます?」

「いんや。飯をカップ麺で済ませる」

 

 駄目だこの人。

 

「部活の顧問しながら家事かあ」

「にゃはは。やりたいって言ったのは翔子だろ。できるところまで頑張ってみな」

「うー。まあ、そうですね」

 

 私は第一志望を慧心初等部に定め、見事内定を得た。

 美星さんは女バスの顧問を私に引き継ぐつもりで、遊ぶ時間が増えると大喜びしている。まったく、女泣かせの『旦那様』である。

 毎日うきうきしながら家事をしている私にも問題があるけど。

 ご飯を作るにしても、食べてくれる人がいると張り合いが出る。美星さんはいつも「うまいうまい」と言って食べてくれるし、聞けば味付けの希望も言ってくれるから作り甲斐もある。

 

 ――専業主婦も良かったかなあ。

 

 とはいえ、お金はあって困るものじゃない。

 私立なのでだいぶマシではあるものの、教師のお給料はそこまで高くないわけだし。

 ふっと思い立って養子を取ったりすることも考えると貯金が欲しかった。

 

「ところで翔子、今日の晩御飯はなに?」

「ふふっ。今日は親子丼です」

「お、いいじゃん。あ、でも三つ葉とか載っけなくていいからな」

「えー、あった方が綺麗なんですよ」

 

 何の気まぐれか、美星さんが台所に来て私の料理を覗き込んでくる。

 肩越しとはいかないので横に立つ格好。

 多分、私達を見て恋人同士と思う人は殆どいないだろう。よくて姉妹、下手すると母娘に見られかねない。ちなみに美星さんが娘で。

 

「翔子って裸エプロンとか似合いそうだよな」

「今度してみましょうか?」

「いいよ。別にそういう趣味はないし」

 

 お前に逃げられても困る、という呟きが聞こえた。

 

「逃げませんよ、私は」

「それでもだよ。翔子といるのはなんだかんだ楽しいから」

「もう。そういうこと言ってるとキスしますよ?」

「別にキスくらいで今更動じねーよ」

 

 そこまで言うならと、私は包丁を置いて振り返った。

 身長差のために一回屈んでから唇を重ねる。

 数秒の後に離れると、大人で格好良くて、そのくせ童心を忘れない美星さんがほんのりと頬を染めていた。

 

「押し倒したいです」

「待った。そういうのは別にいらないから」

「私、逃げちゃいますよ?」

「さっきと言ってることが違うじゃない。……わかった。じゃあ卒業祝いってことで。それまでお預け」

「わかりましたっ」

 

 ついつい声が弾んでしまった。

 あの美星さんから許可が出たのだ。卒業までにまだ数か月あるけど、私達の先は長いんだから焦らずに行かないと。

 

「愛してます、美星さん」

「はいはい。お前、そういうところじゃね? 愛が重いって言われるの」

「う。痛いところを……」

 

 料理を再開しながら私は苦笑した。

 

「美星さんこそ、あんまり私を誘惑しないでくださいね。我慢できなくなっちゃいますから」

「しないっての。私は翔子が傍にいてくれればそれでいーの」

 

 だからそういうところなんですって。

 仕方ないからもう一回キスをさせてもらった。もう何度もキスしてるけど、美星さんの唇は柔らかくて温かくて、いつもながらドキドキしてしまった。



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6th stage 翔子は小学生と夏祭りに行く(1)

『るーみん! 明日あたしんちに集合ね!』

 

 真帆ちゃんからそんなメールが届いたのは、夏休みが中盤に差し掛かった木曜日のことだった。

 私はスマホの画面を何度か見返してから首を傾げる。

 

「……明日かあ」

 

 随分急だけど、何かあったのだろうか。

 確か、慧心女バスの練習再開するのは三日後のはず。

 じゃあ昴関連じゃないのかと考えて、

 

「あ」

 

 思い至った。

 むしろ何で真っ先に思いつかなかったのかって感じだけど、多分、このメールは十中八九、昴が葵と付き合いだしたことによるものだろう。

 葵からは電話で勝利報告を貰っている。

 嬉しさが抑えきれないといった彼女に、私は心から「おめでとう」を言った。葵は「ごめん」とも言ってくれたけど、謝る必要なんてどこにもない。葵が本懐を遂げられたなら、私にとってもそれが一番の幸せなんだから。

 でも。

 このことで恋が破れてしまったのは私一人ではない。

 愛莉ちゃんと智花ちゃん、もしかしたら紗季ちゃんと真帆ちゃんとひなたちゃんも、昴に恋をしていたかもしれないのである。

 

 情報の出所は智花ちゃんだろう。

 彼女は毎日、昴のところへ通っていると聞いた覚えがある。

 

『そういえば俺、葵と付き合い始めたんだよ』

 

 あの朴念仁が何の気なしに報告したとすれば、それはもう衝撃だっただろう。

 あっという間に慧心女バス全員に伝わり、昴達に最も近い高校生ということで私が呼ばれた、といったところか。

 それは、もう。

 

「行くしかないかな」

 

 呟いた時、スマホに着信。

 発信者は『久井奈聖』。

 

『もしもし。るーみんさまでしょうか?』

「はい。ご無沙汰しています、久井奈さん」

『いいえ。キャンプの際はお手伝い誠にありがとうございました。……それで、真帆さまからのメールはもうご覧になられましたでしょうか』

 

 どうやら、主人の様子を見て連絡してきてくれたようだった。

 それとなく聞き出してくれた事情も予想した通り。

 

「ありがとうございます、久井奈さん。明日、必ず行きますから」

 

 私は久井奈さんにお礼を言うと、訪問を約束する。

 

『お願いいたします。……お茶会のセッティングはまた後日いたしましょう』

「あはは、そうですね」

 

 真帆ちゃん達の練習が再開後、半休を取った久井奈さんとお茶の予定だった。

 恋愛の愚痴を聞いてもらうつもりだったんだけど、この分だとそっちはグダグダになりそうである。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「るーみん! あおいっちとすばるんが付き合いだしたってどういうこと!?」

 

 三沢家の応接間には、真帆ちゃんほか慧心女バスのみんなが勢ぞろいしていた。

 お茶の準備をしてくれる久井奈さんにお礼を言う間もなく、私は真帆ちゃんを先頭としたみんなに詰め寄られてしまう。

 年齢差があるとはいえ、五人がかりと結構な迫力。

 

「み、みんな落ち着いて」

「これが落ち着いていられるかー! すばるん取られちゃったんだから!」

「鶴見さん、知っていることがあったら教えてください。トモと愛莉のためにも」

 

 五人のうち、最も憤慨しているのが真帆ちゃん。

 ヒートアップはしてるけど、私を責める雰囲気ではない。智花ちゃんから断片的な話だけ聞いて居ても立っても居られないといった感じか。

 

 真帆ちゃんをフォローする紗季ちゃんは一見冷静そうだけど、表情がいつもより暗く思える。

 表面を取り繕っているだけで内心穏やかじゃないと思った方が良さそう。

 

 紗季ちゃんから名指しされた愛莉ちゃんと智花ちゃんはただただ不安そう。

 手をぎゅっと握って私を見上げてくる姿を見てすぐさま抱きしめてあげたくなるけど、今はその時じゃないのでぐっと我慢。

 残ったひなたちゃんは見た感じいつも通り。

 

「おー。おねーちゃんとおにーちゃん、恋人同士になった?」

「うん、そう。昴と葵は恋人になったの」

 

 隠すことはできない。

 私はひなたちゃんの質問に頷いて答えた。

 

 ――愛莉ちゃん達に動揺が広がる。

 

 あらかじめ聞いていても、確定情報になると再び意識してしまうのだろう。

 

「どうしてですか? トモも愛莉もショックを受けて――」

「葵が昴のことを好きだったからだよ、小さい頃からずっと」

 

 子供向けの説明なんて私にはわからない。

 だから、私に言えることをそのまま伝えるしかなかった。

 

「ずっと想い続けて、やっとの思いで告白して、OKを貰ったの」

 

 尋ねてきた紗季ちゃんの目を見て言う。

 葵が昴を想っていたのは小学校か、その前か。愛莉ちゃん達の歳からあと最低四年は片思いを続けていることになる。

 愛莉ちゃんが拳を解いて、か細い声で呟く。

 

「……そんなに長く……」

「うん。だから、葵を責めないであげて欲しいの。好きな人に好きって言うのは、いけないことじゃないでしょ?」

「……はぅ」

 

 智花ちゃんが息を吐く。

 理屈は理解してくれたみたいだ。聡い子だ、と思う。あれから唯一、昴に直接会っているせいもあるのかもしれないけれど。

 あの昴が、一度OKした告白に思い悩むとは思えない。

 と。

 

「でも、すばるんはあたしたちのコーチだ! あおいっちに取られるのは許せねー!」

 

 あー、それがあったか。

 それで一度、葵は真帆ちゃん達と対立している。

 コーチを取られると思ったら必死になるのもわかる。

 でも。

 

「取られないと思うよ?」

「……ほえ?」

 

 気勢を削がれて口を開ける真帆ちゃん。

 

「彼女ができたくらいじゃ、昴はみんなのこと放り出さないよ。むしろ、練習再開が楽しみだとか葵に言ってひっぱたかれてるんじゃない?」

「そうなの、トモ?」

「う、うん。昴さんはいつも通りで、どんな練習にしようか楽しそうにしてらっしゃったけど……」

「おー、おにーちゃん、今まで通り?」

「うん。一応昴にも聞いてみて欲しいけど、大丈夫だと思うよ」

 

 にっこり微笑むと、ひなたちゃんは安心したように笑顔を見せてくれる。

 この子を見てると和む。

 

「で、でも! 長谷川さんのことを好きな子なら他にもいます!」

 

 必死に反論してきたのは、紗季ちゃん。

 私には彼女が友達の話をしているようで、実際には「友達の話」をしているように見えた。

 苦笑を浮かべ、できるだけ優しく尋ねる。

 

「それは、みんなに了解を取らないと付き合っちゃ駄目ってこと?」

「っ、それは」

 

 昴のことを好きな子みんなにOKを貰わないと付き合えない。

 紗季ちゃんの言いたいことは極論、そういうことになってしまう。

 もしそうなら、昴はきっと葵とは付き合わない。

 代わりに――昴が愛莉ちゃん達とバスケで繋がっている限り、その中の一人と付き合うこともないだろう。みんなを平等に見てあげたいから、とかなんとか言って。

 

「確かに、前もって話をする方が良いと思うよ。もしかしたら、葵はそうすべきだったかもしれない。私は葵が悪いとは思わないけど、みんなが許せないっていうなら仕方ない」

 

 葵と喧嘩でもなんでもすればいい。

 最終的にどうするかを決める権利は私にはない。

 

「怒ってもいいよ。でも、昴を責めるのだけはやめて」

「長谷川さん、を?」

「そう。昴は悪くない。だって知らないんだから。他に、好きって思ってくれてる子がいることを」

「!」

 

 昴は知らない。

 愛莉ちゃんや智花ちゃん、紗季ちゃんが自分に恋愛感情を寄せていることを。

 知らないものは考慮しようがない。

 

「恋って、そういうものなんだよ。告白して、OK貰わなくちゃ叶わない。告白してもOKが貰えるかなんてわからない。それでも必死に勇気を振り絞って告白するの」

 

 何で私より先に、なんて言いがかりでしかない。

 後から言ったって負け犬の遠吠え。

 じゃあなんで告白しなかったの? という話だ。

 それをこの子達に言うのは酷だろうけど。

 

「……私もね、好きな人に告白したの」

「え……?」

 

 声を上げたのは紗季ちゃん。

 でも、他の子達も目を丸くしてこっちを見ていた。

 

「でも、振られちゃった。好きな人がいるからって」

「……翔子さん」

「その人は無事に好きな人と付き合い始めた。恋人を奪うのはマナー違反だから、私はもう諦めちゃった」

「いいの?」

 

 真帆ちゃんの純真な瞳が私を見つめてくる。

 

「いいよ。……でも、もしみんなが昴のことを今でも好きなら、諦めなくてもいいんだよ。昴達がこのまま結婚までいくかなんて誰にもわからない。昴がフリーになるまで、マナー違反にならない程度にアプローチしていくのだって、立派な決断だと思う」

「………」

 

 みんなが黙り込んでしまった。

 ちょっと言いすぎたかもしれない。特に「別れるまで待てばいいじゃん」なんて、お前が言うかとしか言いようがない。

 でも、少しでも伝わってくれればいい。

 

 私は沈黙を和らげるように明るい声を出した。

 

「ごめんね、変なこと言って。もしかしたら昴も葵に構ってばかりで手を抜くかもしれないし、何か困ったことがあったら私が協力するから――」

「おねーちゃん、ほんとう?」

「え」

 

 差し込まれたひなたちゃんの声に、硬直する。

 無垢すぎる視線に射貫かれていた。

 可愛い。

 いや、そうじゃなくて。

 

「うん、もちろん。私にできることならなんでも……」

「じゃ、じゃあ翔子さん! お願いがあるんです!」

「お願い? なんだろう」

「それは……」

 

 勢い込んだ愛莉ちゃんは、私の問いかけに視線を逸らす。

 いや、隣にいた智花ちゃんにバトンタッチしただけか。

 すっ、と、静かに進み出た大和撫子が私を見上げて「お願い」を告げる。

 

「あの、私達と一緒に、夏祭に行ってくれませんか……!?」

 

 それは意外な、けれど微笑ましいお願いだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 智花ちゃんが口にした夏祭りのことは私も知っていた。

 一週間後の土曜日。

 近くの神社を中心に開催されているもので、何年か前から花火大会が開催されて賑わっている。女流棋士である母さんが毎年、地元のおじさんやおじいさん相手に将棋を指しに行っていて、その関係から私も足を運んだことがある。

 そういえば、昴達と行ったことはない。

 母さんが浴衣着せようとしてくるし、いつの間にかお年寄りから顔を覚えられて「鶴見さんとのこお嬢さん」扱いをされるしで気恥ずかしかったからだ。

 でも、智花ちゃん達となら気楽に楽しめるかもしれない。

 

 私は、二つ返事でこれを了承した。

 

 みんなも、このタイミングで昴に「夏祭りに行きませんか?」とは言いづらかったらしく、それはもう喜んでくれた。

 特に真帆ちゃんは大張り切りで、

 

「ねーねー、るーみんの分も浴衣、おとーさんに頼んであげよっか?」

 

 なんて言ってくれた。

 浴衣なら家にもあるし、安いものでもないから遠慮しようと思ったんだけど、結構ぐいぐい来られて結局お言葉に甘えてしまった。

 久井奈さんによれば、愛莉ちゃん達は代価として服のモデルを引き受けているらしい。

 真帆ちゃんがお父さんに私の写真(硯谷に行ったときのもの)を見せたところ、是非一緒に連れてきなさいと言われたんだそうな。

 

 背の高い素人女性でメンズも着こなせそうだと。

 社内用の見本写真らしいので、それくらいなら……と、ありがたく引き受けさせてもらうことに。

 

「なんか、私の方が得しちゃってるような気が」

「お気になさらないでください。真帆のお父さんは激甘ですから、真帆が頼めば大抵のことはしてくれます」

「なるほど……」

 

 昴交際ショックから立ち直った紗季ちゃんがくすりと笑って教えてくれる。

 

「でもごめんね、私じゃ昴みたいにエスコートはできないだろうけど」

「うふふ。るーみんさまが男性役をなさるという手もございますよ?」

 

 給仕が一段落した久井奈さんが楽しそうに囁いてくる。

 それはそれで楽しそうだけど、

 

「それだと浴衣が着られないんですよね……」

 

 母さんが聞いたら狂喜乱舞しそうな悩みを浮かべてみる。

 そこへ、智花ちゃんが「あの」と口を開いて。

 

「実は、もう一つお願いがあるんです」

「うん。どんなこと?」

 

 むしろこれで少しはつり合いが取れると快く頷く。

 

「はい。実は、父が保護者の方を必ずつけろと言っていて……」

 

 事前に一度連れてこいと言っているらしい。

 久井奈さんにお願いする手はもちろんあるけど、それは久井奈さん当人としても「従者がでしゃばるのは……」とできれば遠慮したいところらしい。

 そういうことならと頷いて、

 

「それじゃあ、お父さんのご都合がいい日を聞いてみてくれる?」

「いいんですか? その、父は茶道の家元で、結構厳格な人で……」

 

 なるほど。

 言いにくそうにしていたのはそれが原因か。そうなると女子が行っても不安だと言われてしまう可能性が……と、待った。

 

「茶道の先生……? 智花ちゃんの苗字って『湊』だったよね?」

「は、はい。お父さんは湊忍といいますけど……」

「私、会ったことある」

「え?」

 

 智花ちゃんが目を丸くして首を傾げた。




※原作との相違点はだいたいつるみんのせいです


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6th stage 翔子は小学生と夏祭りに行く(2)

 湊忍先生とは以前、何度かお会いしたことがあった。

 女流棋士という職業柄、うちの母さんは和風フリークなところがある。いつだったか急に「お茶の勉強をする」とか言いだし、私まで連れて習いに行ったのである。

 母娘揃って、というところに感心されたのを覚えている。

 

「娘さんは何を?」

「将棋には興味がないようで、部活動でバスケットボールをしております」

「ほう」

 

 気難しそうな顔のまま、眉がぴくりと動いたのを覚えている。

 

「激しいスポーツと聞きますが、部内での軋轢などは」

「えっと……私の所属する部ではそういうことはありません。公式戦で勝てない弱小の部ですが、みんな和気藹々と楽しんでいます」

「なるほど」

 

 湊先生が深く頷いていた理由が当時はわからなかったけど、あれはきっと智花ちゃんのことを考えていたんだろう。

 前の学校でいじめられていたという彼女。

 バスケットボール自体にいいイメージがなかったところに現れた女子のバスケプレーヤーに、本当のところどうなの? と尋ねてみただけだったのだ。

 

 ――っていうか。

 

 夏祭りの話を聞いた翌日。

 以前にも訪れたことのある、庭付きの日本家屋を見上げて私は呟く。

 

「私、智花ちゃんのお母さんにも会ったことあるし……!」

 

 湊花織さんは日舞の先生で、こっちも母さんの気まぐれ繋がり。

 何で今まで気づかなかったんだろう。湊なんて苗字、そうそうあるものじゃないのに。初対面の時は割と緊張してたのと、以降は苗字を意識する場面がなかったせいか。

 なんか、ちょっとだけ気が楽になったような、どっと疲れたような。

 

「変じゃないよね……?」

 

 白地に青い鶴の模様をあしらった着物を、もう一度チェック。

 母さんが若い頃に着ていたが「もう年齢的に無理」となって眠らせていたものらしい。鶴って長寿の象徴なんだし別にいいんじゃ? とも思ったけど、私用に丈を調整されたそれは全体的な色合いのせいか、ちょっと可愛らしい印象があるような気もする。

 着付けを手伝ってくれた母さんが「私より似合うわね……」と呟いていたのは、鶴のすらりとしたフォルムが長身とマッチするからだろう。

 

 うん、問題なし。

 

 着物に乱れはないし、簪で纏めた髪もばっちりのはず。

 一人頷き、ようやく呼び鈴を鳴らした。

 

『はい?』

 

 どこか聞き覚えのある女性の声。

 

「ご免ください。鶴見翔子と申します。智花さんの夏祭りの件で、ご挨拶に伺いました」

『はい。智花から伺っております。今開けますので、少々お待ちくださいね』

 

 少しの間があって、小柄な美しい女性が母屋から顔を出した。

 予備知識が無ければお姉さんだと思ってしまいそうな若々しさ。

 凛とした雰囲気とおっとりとした穏やかさを併せ持つ、この方こそ湊花織先生だ。

 

 彼女は私の姿を見て「まあ」と顔を綻ばせた。

 

「素敵なお着物。まさかこんな可愛らしい方がいらっしゃるとは思っていませんでしたわ」

「申し訳ありません。ちょっと気持ちが入りすぎてしまいました」

「いえいえそんな。主人にも好印象だと思いますわ」

 

 顎に指を当ててくすりと笑う花織先生。

 どこか悪戯っぽい仕草に、私もつい笑みをこぼしてしまった。

 

「さあどうぞ、こちらに」

「お邪魔いたします」

 

 家に上がらせてもらい、花織先生の案内で奥へ歩いていく。

 

「鶴見翔子さん……鶴見瑞穂先生の娘さん、でしたね?」

「はい。以前、一度だけお目にかかったことがあります」

「覚えていますわ。まさか、あなたが智花や昴さんとお知り合いだったとは……世間は狭いものですね」

 

 昴、花織先生に会ったことあるんだ。

 もしかするとご両親からしたら「昴が来る」と思っていたのかもしれない。

 

「さあ、こちらです」

 

 案内されたのは茶道のお稽古の時にも通された広い和室だった。

 そっと、襖に対して斜めに座る花織先生。

 こういう時、どうするんだっけ……? と思いつつ、私は結局、香織さんの斜め後ろに正座をして背筋を伸ばした。

 頭を下げるのは目が合ってからでいい、ん、じゃないだろうか。

 

「あなた。智花のお知り合いの方がいらっしゃいましたよ」

「うむ」

 

 厳かな声。

 花織先生はちらりと私に視線を向け「がんばってください」と唇だけで言うと、そっと襖に手をかけた。

 開く。

 落ち着いた色の和服を着た背中が見えた。

 

 ――そう来たか。

 

 私は頬が引きつるのを感じながら、その場で指をついて深く頭を下げた。

 

「七芝高校一年。女子バスケットボール部所属の鶴見翔子と申します。この度は夏祭りにて一日、智花さんをお預かりしたいと思い、ご挨拶に上がりました」

「……入りなさい」

「ありがとうございます」

 

 初対面ではないとはいえ、びくびくしながら答える。

 

「失礼いたします」

 

 足を滑らせ、廊下との境界を越えて中へ。

 中に入ったらそっと立ち上がり、座布団の横へ正座する。就活のマナーとごっちゃになったりしてないか不安だけど。

 ちなみに、開いたままの襖は花織先生が後から入ってきて閉めてくれた。

 

 湊先生が振り返ったのはようやくこの時。

 

「……君は」

 

 私を見た先生は一瞬目を瞠り、何事もなかったように表情を戻した。

 

「座りなさい」

「失礼いたします」

 

 一礼して座布団の上に座る。

 正面から見つめ合う形。正直、格が違いすぎて逃げ出したい。

 黙ってじっと見つめられて硬直。

 こっちから何か言った方がいいんだろうか、と考えていると。

 

「……いつだったか、会ったことがあるね」

 

 先生の声が幾分か穏やかになっていた。

 

「はい。母と一緒にお稽古にお邪魔させていただきました」

「ああ。そう、その時にもバスケットボールをやっていると言っていた」

 

 覚えていてくれたのか。

 と、花織先生がおっとりと、内緒話をするように言う。

 

「それも翔子さんだったのね。主人ったら、あれ以来『バスケットボール選手の中にも礼儀正しいお嬢さんがいるんだな』って、少しだけ考えを直したのよ」

「花織」

「ごめんなさい。……でも、わかったでしょう?」

「……うむ」

 

 渋々、と言った感じで頷いた湊先生は苦笑を浮かべた。

 

「コーチをしているとかいう青二才が来たらどうしてやろうかと思っていたが……」

 

 昴、セーフ……?

 

「君ならば間違いが起こることはないだろう」

「もちろん、お約束いたします」

 

 真摯な表情で答えた。

 いえ、実は私、レズなんですよとかこの場で言ったらぶち壊しである。

 まあ、当然、女の子が好きだとしても智花ちゃん達に手を出す気はない。

 

 湊先生は息を吐いて。

 

「ただ、君自身も若い女性だ。羽目を外し過ぎないよう気をつけなさい。……立ち居振る舞いからして問題ないとは思うが、ね」

「はい。十分注意しますし、万が一何かあった場合は子供達の無事を最優先に致します」

「ありがとう。もちろん君にも危険がないことを願っている。……なに、私達も本当に何かあると思っているわけではない。楽しんできなさい」

「はいっ」

 

 どうやら、なんとかなったらしい。

 あらかじめ身元が割れていたせいか、思ったよりはあっさりと許してもらうことができた。

 こっそりと内心息を吐く私。

 もしかしたらバレバレだったかもしれないけど、

 

「ところで翔子さん。本格的に日舞を習ってみる気はありませんか? その身長で舞っていただければ、きっと見映えがすると思うのですが……」

「待ちなさい花織。精神修養という意味では茶道だろう」

 

 あれ、なんか勧誘が始まってしまった。

 ご挨拶のために着物を着てきたのが正解だったのか、そこそこ気に入って貰えたらしい。

 とはいえお稽古をしている時間は今のところないので、部活が忙しいのを理由に辞退させてもらった。ちょっと興味がないわけではないんだけど。

 

「そうだ。翔子さん。例の青二才が交際を始めたというのは――君ではないんだったかな?」

「はい。私の幼馴染の荻山葵です」

「そうか、残念だ……。いや、良かったのだろうか」

「?」

「ふふっ。主人はあなたのことが気に入ったみたいです。あなたがコーチなら良かったのに、なんて思っているのではないでしょうか」

「花織」

 

 女子のコーチを男が、なんて男親としては心配だよね……。

 

「ご心配なく。長谷川昴は私のバスケットボールの師です。恋人の葵も真っすぐな人柄ですから、会っていただければきっと、お気に召していただけるかと」

「む」

 

 唸る湊先生。

 少しは見直してくれるといいけど、もし昴のことを「智花ちゃんのコーチ」じゃなくて「智花ちゃんの恋人候補」として見ているのだとしたら、ちょっと厳しいかもしれない。

 頑張れ昴、色々と。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 茶室を辞した後は智花ちゃんの部屋に案内してもらった。

 成り行きを祈ってくれていたらしい智花ちゃんは、私が洋風の子供部屋に顔を出すとすぐ、明るい笑顔を浮かべてくれた。

 

「鶴見さん! 大丈夫でしたか……っ?」

 

 駆け寄ってきた彼女は「ふあぅ。綺麗……」と呟く。

 一家揃って似たような反応をされると恥ずかしい。

 

「うん、ばっちりだよ」

「あ……っ。良かった、これでみんなで夏祭りに行けます。えへへ……」

 

 はにかんだ笑みを見せる智花ちゃん。

 可愛い。

 ひなたちゃんはひたすら愛でたくなる可愛さだけど、智花ちゃんは光源氏計画したくなる可愛さというか……って、最近の私は性癖がダダ洩れな気がする。

 こほんと咳ばらいをして一言。

 

「いいご両親だね」

「はいっ。自慢のお父さんとお母さんです」

 

 ちょっと恥ずかしそうに、でもしっかりと答えてくれる智花ちゃん。

 ご両親だけじゃなくてこの子もそうだ。

 茶道と日舞のお稽古をしながらバスケの練習をして、それでいて学校の勉強もちゃんとやっている……言うのは簡単だけど実行するのはとても難しいと思う。

 年下の子に変かもしれないけど、尊敬してしまう。

 

「私も、もっと頑張らないとなあ」

 

 智花ちゃんを見て言うと、智花ちゃんは「ふえっ」と声を上げた。

 

「あ、あのっ。鶴見さんは」

「翔子でもいいよ。愛莉ちゃんはそう呼んでるし」

「そ、そうですか? じゃあ、翔子さん」

「はい」

「翔子さんは、私のバスケ……どう、思いますか?」

 

 予想外の問いだった。

 私は質問の意味をしばし考え、思ったままに答えた。

 

「やばい」

「や、やばいですか……っ!?」

「あ、ごめんなさい。変な意味じゃなくて――並外れてると思う。才能も、努力も」

「……あ」

 

 慌てていた智花ちゃんが押し黙って私を見る。

 真意を推し量ろうとするかのように。

 私は微笑みを浮かべて彼女に告げる。

 

「智花ちゃんは上手いよ。嫉妬しちゃうくらい。憧れちゃうくらい」

 

 下手な年上なら簡単に凌駕してしまいそうなポテンシャル。

 若さ故の吸収力と、諦めの悪さから来るさらなる成長力。

 知らず知らずのうちにみんなを惹きつけ、鼓舞するカリスマ性。

 彼女はプレーヤーとして見ても非凡すぎるものを持っている。

 

「ううん、智花ちゃんだけじゃない。真帆ちゃんの伸びしろには驚かされてばっかりだし、紗季ちゃんはその真帆ちゃんへの対抗心と頭の良さが並じゃない。愛莉ちゃんは身長だけじゃなくて優しい心と観察力がある。ひなたちゃんは、今はまだ発展途上だけど、人一倍頑張り屋で、なんにでもなれそうな可能性を秘めてる」

 

 未有ちゃんといい、この世代はどうなってるのかと言いたいくらい。

 ここって密かにバスケ漫画か何かの世界で、私達は引き立て役の世代だったりするのだろうか。まさかね。

 

「だからって、簡単には負けないつもりだけどね」

「あっ……」

 

 悪戯っぽく笑うと、照れていた智花ちゃんの目に炎が宿る。

 負けないとか言ってるけど、私とこの子の勝負は割と拮抗してしまっていたりする。

 昴と特訓しているせいで高身長の相手に慣れている上にフェイントのパターンを滅茶苦茶たくさん抱えているし、小柄な身体からは信じられないくらいのスピードを出してくる。

 得点を数字にすれば私が圧勝してるように見えるけど、いつ追い抜かされてもおかしくないくらい。

 

「翔子さんにも、負けません。昴さんにも――葵さんにも、負けたくないですから」

「うん、その意気」

 

 私は葵派だけど、だからって智花ちゃん達の恋路を邪魔するつもりはない。

 正々堂々と想い続ける限りは傍観を貫く。

 射止めた昴の心を守り抜くのは葵の役目なのだから。

 

「せっかくだから対戦といきたいけど――」

「あはは。私、これからお稽古がありますし……翔子さんも、せっかくの綺麗なお着物ですから、難しいですね」

 

 二人で苦笑し、残念と言いあう。

 私、意外とこの子とも話が合うのかもしれない。

 

「私もたまにみんなの練習見に行ってみようかなあ」

「大歓迎ですっ。その、対戦もしたいですし……!」

「ありがとう。でも、葵が昴についてく気もするんだよね」

「そ、それは猶更来ていただきたいというか……」

 

 二人にさせるといちゃいちゃ空間が発生しかねないか。

 そのあたり、ちょっと考えてみた方がいいかもしれないと思った。



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6th stage 翔子は小学生と夏祭りに行く(3)

「ちょっとだけならいいじゃん。ね? 飯なら奢ってあげるし」

「すみません、人を待ってるので」

 

 半端に染めた髪に安物のアクセサリー、耳にはピアス。

 同い年か少し年上くらいの男性――もとい()()は軽薄な笑みを浮かべて手を広げた。

 他にもお客さんがいるというのに、ファミレスの店内をぐるりと見まわして。

 

「いつ来るの? 来ないっしょ。暇な時間過ごすくらいなら俺と遊んだ方が良くない?」

「あはは、ごめんなさい。私、そういうの苦手で……」

「ああ、うん! そうだよね! わかるよ、俺も最初はなかなか女の子と話せなかったし! でも、こういうのって慣れだからさ! 俺が君を一人前にしてあげるから安心して……」

「あの」

「あ?」

 

 ピアス野郎は顔を顰めて声の方を見た。

 んだよ邪魔すんじゃねえよぶっ飛ばすぞ、とでも思ってるんだろうけど。

 

「その子は俺の連れです。放して頂けませんか?」

「……ちっ」

 

 舌打ち一つ。

 くるりと踵を返してピアス野郎は去っていく。

 私はほっと息を吐いてお礼を言った。

 

「ありがとう。助かっちゃった」

「気にするなって。そっちこそ災難だったな」

 

 そこにいたのは昴と、それから後ろに葵。

 穏やかにご退場願った昴と対照的に殺気を放っていた葵はふっと笑って、

 

「それだけ着飾ってればナンパもされるわよ。……やっほ、翔子」

「葵、()()()()。あはは、ちょっとフォーマルな場にお呼ばれしちゃって」

 

 あれから初の顔合わせ。

 お互いぎこちなさはあるものの、なんとか普通っぽく話せたと思う。

 そのあたりの事情を知らない(はずの)昴は首を傾げて、

 

「フォーマルな場って……国会議員と会食とか? なわけないか」

「ないない。将棋の名人くらいならワンチャンあるけど。とりあえず注文しちゃおうか」

 

 それぞれに注文を終えたところで説明する。

 ちなみに私は和風パスタのサラダセット、葵はチキングリルのご飯セット、昴は目玉焼きハンバーグでパンのセットだった。

 

「智香ちゃんのご両親かあ……それは緊張するかも」

「にしても、そんな話になってたんだな。智香達、遠慮しないで言ってくれればいいのに」

 

 いや、昴、それはなかなか言えないよ……。

 

「夏祭りの上に花火大会だからね」

「? どういうことだ?」

「だって、そんなロマンチックなシチュエーションなら彼女と一緒に行きたいのが普通じゃない?」

「なっ」

 

 途端、赤面&硬直する葵。

 幸い硬直は数秒で解けたものの、

 

「な、ななな……っ、恋人とかっ。そりゃ、私と昴は恋人……だけど。恋人……えへへ」

「はいはいご馳走様。あ、遅くなったけどおめでとう昴。葵とはもう話してたんだけど」

「あ、ああ。さんきゅ、翔子。……そうか、夏祭りとか花火大会なんて漫画でもよく出てくるもんな。デートとかどうすりゃいいのかイマイチわからなかったんだが」

 

 つんつん指をつき合わせてしまらない顔をする葵と、うっすら顔が赤い程度で軽く受け流す昴。

 うん、さすがの温度差である。

 とはいえ、昴ものほほんと構えていたわけではなく、彼なりにデート先とか検討していた様子。リア充爆発しろ。

 

 ……でも、良かった。

 

 この様子なら放っておいてもゴールインするだろう。

 だからって放っておくつもりはないし、七夕さんとか美星姐さんとかがこぞって世話を焼いてくれるはず。

 これからはさつき達と「まだ結婚しないの?」ってからかえばいいってことだ。

 

「よし。せっかくだから俺達も行こうぜ、葵」

「ふえっ。そ、それって……二人っきりで、だよね?」

「ああ。嫌なら誰か誘ってみるけど」

「……ううん。嫌な、わけないじゃない。嬉しい」

 

 これ、私お邪魔だったかな?

 

「それでね、もいっこ相談なんだけど」

「お、おう」

「っ。う、うん。どうしたの?」

「実はね……」

 

 慧心女バスの練習についても相談してみる。

 

「昴、もちろん続けるんでしょ?」

「もちろん。智花にも言ったけど、むしろ辞めるわけがない。みんなの指導は俺にとってかけがえのない時間なんだから」

「だと思った。……葵は、どうする?」

「え? 私?」

「うん。ほら、昴はこれからも週三で指導に行くわけでしょ? 一緒にいようと思ったら……ね?」

「ああ、そうか。来いよ葵。みんなも歓迎だろうし」

 

 うーん、それはどうだろう。

 はっきり説明するのも難しいので、私は曖昧な笑顔を浮かべてしまう。

 

 ――好きな人との時間に、その人の彼女が割り込んできた。

 

 知らない仲じゃない、むしろ親しい相手とはいえ、歓迎できるだろうか。

 さっきの調子でいちゃいちゃされたら「失せろ馬鹿」くらい思っても不思議はない。

 

 幸いなのか、葵には私の懸念が伝わったようだった。

 彼女は私とよく似た笑みを浮かべて首を傾げる。

 

「いや、止めとくわ。邪魔しちゃ悪いし」

「邪魔なもんか。俺だけじゃ五人を見切れない時もあるし、フォワードからの意見だって」

 

 言い募ろうとした昴を葵は遮って、

 

「手伝いが必要なら翔子に頼みなさいよ。そういう話なんだし」

「いいの?」

「いいも悪いも。……あんたなら、絶対大丈夫って信じられるし」

「……あはは。ありがとう」

 

 うん。それは間違いなく大丈夫。

 葵のいない間に昴のことを落とすなんて百パーセントありえない。

 逆だったら自信ないけど。

 

「それじゃあ、ちょっとお邪魔してみようかな」

「部活は大丈夫か?」

「ほら。進学考えたらいつまで続けるのって話もあるし。コーチ的なことと同好会くらいにしておいた方が何かとやりやすいかなって」

 

 昴は「なるほどな」と頷いてくれたけど、もちろん本当の理由は違う。

 葵は少なくとも一年生の間、女バスに入らないだろう。

 二年生からどうするかはわからないけど、マネージャーと選手の兼任という線が濃いと思う。そうなった時、私がどれだけ力になれるかという話。

 

 葵にとっては昴=バスケだ。

 はっきり聞いたわけじゃないけど、昴に勝ち越すことが葵の第一だと思う。

 だとすれば。葵にとって女バスでの立ち位置はそんなに問題じゃない。というか、葵なら私がいてもいなくても、やりたいならやりたいって突進していくはず。

 なら、むしろ私がやるべきは「試合における葵の相棒」じゃなくて「選手・荻山葵のサポーター」かもしれない。

 男子部が困らないようにマネージャーやるとか、そっちの方が私に合っているかもしれないと思った。

 

 それが私のバスケットボール。

 後悔するつもりは微塵もない。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 とりあえず夏休みの間にお試しで、と、私はみんなの練習にお邪魔することにした。

 思い立ったが吉日ではないけれど。

 智花ちゃんのお宅に訪問して、昴達と話をした翌日がちょうど練習再開日である。

 

 ――過密スケジュールすぎじゃない?

 

 部活行ってアニメ見て漫画読んで料理して掃除して洗濯して、合間に服買いに行ったくらいの私からしたら驚き……実は私も大概だ、これ。

 ともあれ。

 昴と校門前で待ち合わせた私は、警備員さんに紹介してもらった後で体育館へ向かった。

 

「待たせんなよすばるんー! 来ないかと思っただろ!」

「こら真帆、まだ時間前じゃない。……ようこそ、長谷川さん」

「おー。おにーちゃん、おねーちゃんといっしょ」

「長谷川さんも、翔子さんも、いらっしゃいませ!」

「えへへ。昴さん、翔子さん。今日はよろしくお願いします」

 

 入った途端の大歓声。

 女の子とはいえ、やっぱり小さい子のパワーってすごい。

 昴は慣れた様子で笑顔を浮かべてるけど。こいつ、保父さんとか向いてるんじゃないだろうか。

 

 ひとしきり挨拶した後は着替えの時間。

 

 昴は男子更衣室で一人、私は女子更衣室でみんなと着替えることになる。

 邪魔しちゃ悪いかと思って隅っこの方を借りてみたけど、気を遣ってくれたのか愛莉ちゃんが寄ってきてくれた。お礼を籠めて微笑むと、可愛らしい笑みが返ってくる。

 

「翔子さんがいてくれると、わたし、なんだか安心できます」

「あはは。コーチとしては頼りないと思うけど、お手柔らかにお願いします」

 

 愛莉ちゃんと視線を交わし合った後、そっと一言。

 

「といっても私はお手伝いだから安心してね。……紗季ちゃん」

「べ、別に心配なんかしてません」

「サキは大人だなー。あたしはちょっと心配だったぜ。すばるんをるーみんが取っちゃわないか」

「おー? おねーちゃん、泥棒猫?」

「ひなた、猫さんはいないと思うよ……?」

 

 どこからそんな言葉聞いてきたひなたちゃん。

 小学生って昼ドラの時間に帰れたりしたっけ……?

 

「取らないから安心して」

「だよね! むしろアイリーンが取られちゃいそうだし!」

「ふええっ!? ま、真帆ちゃん、変なこと言わないでよおっ!」

「うーん、愛莉ちゃんには怖いお兄さんがいるから一筋縄では……」

「翔子さんも乗らないでくださいっ!」

 

 なんて言いながら着替えを終えて戻ったら、とっくに着替えていた昴に「仲良しだな」って言われた。

 それはつまり精神的に同レベルということか。

 うん、ちょっと否定できないのが困る。

 

 練習の方は宣言通り、お手伝いレベルでの参加になった。

 

 まずは昴のやり方を見せてもらわないと、ということで、口は出さずに手を動かす感じ。

 サポーターが一人だとやりづらい練習もあったようで昴もほくほく顔だった。

 

 結構ハードな基礎練をこなした後はミニゲームで締め、という王道の構成。

 それでいて練習内容や練習量はみんなの技量や体力をしっかり見極めた上で定められているようで、さすが理論派と言わざるを得ない。

 ならば感覚派、経験重視の私としてはそっち方面から攻めるべき。

 昴がミニゲームに参加せず観察に回るということだったので、ありがたく愛莉ちゃんと対決させてもらった。私と真帆ちゃん、紗季ちゃんのチームに愛莉ちゃんと智花ちゃん、ひなたちゃんのチーム。

 

 練習ながら、なかなか白熱した試合になった。

 時間が短めだからか、いきなりトップギアで攻めてくる智花ちゃん。私が彼女をマークすると愛莉ちゃんの「高さ」を止められる人がいなくなってしまう。指示出しをお任せした紗季ちゃんは二律背反に悩んだ末、真帆ちゃんの瞬発力を頼りに智花ちゃんを止めにかかった。紗季ちゃん自身はフリー気味に構えつつ、時には真帆ちゃんのフォローに入り、時にはひなたちゃんがスリーでシュートしないよう抑える。

 攻めではポイントゲッターとして頼られた私が愛莉ちゃん、智花ちゃんのダブルマークを受けた。

 こうなるとさすがに突破しづらいため、パスワークでゴールを狙う形となる。真帆ちゃんと紗季ちゃんが点を決めると私ばかりを押さえてもいられなくなるため、その隙を狙って私にスイッチする。

 真帆ちゃんが「やって」とせがむのでダンクも決めた。……一回だけ。

 結果的には私達が勝利した。

 

「みんなお疲れ様。翔子もさんきゅ。いいデータが取れた」

「ありがと。……そうだね、センター同士の対決とかは今までできなかっただろうし」

 

 これまでのミニゲームだと昴と智花ちゃんが分かれる形だったらしい。

 後のメンバーはバラバラだったみたいだけど、その時と比べるとポジションのマッチ率はかなりいいはず。

 

「ごめんね愛莉、ひなた。もうちょっと点を入れられてれば」

「ううん、私こそ、翔子さんにマークされると全然突破できなくて……」

「ともか、気にしないで。ひなも次はもっとシュート入れる」

 

 しょんぼりしている愛莉ちゃん達だけど、センター同士で抑え合う構図はきちんとできていた。高校生の私が気を入れて挑まないと危なくて仕方ない智花ちゃんも小学生として規格外に過ぎる。意識の外に置いた時のひなたちゃんは本当に変なところからひょっこり現れるから困る。

 

「やっぱかっこいーなーダンクシュート! あたしもできるようになるかな?」

「その身長じゃ無理でしょ。……それより、勝ったけどミスが多かったわ。トモが向こうに回るとやっぱり怖いっていうのと、愛莉と鶴見さんの動き方を同じだって勝手に思っちゃってた」

 

 こっちのチームは向上心の塊のような真帆ちゃんと、冷静な紗季ちゃん。

 特に紗季ちゃんの分析には舌を巻く。

 ちらりと昴を見れば「どーだ俺の弟子は」みたいな顔をしていた。まあ、そう言いたくなる気持ちもわかる。

 

「よし! じゃあ、あんまり時間ないけど反省会しようか。今回は翔子が入ったからいつもと勝手が違っただろ」

 

 そして、反省会をして終了。

 

 ――正直、楽しかった。

 

 また来てもいいかな? と尋ねたら、賛成四の消極的賛成一を貰ったので、次もお邪魔することにした。

 あ、真帆ちゃんに一つ「お願い」するのを忘れてた。

 後でメールを送っておこう。了承が得られたら本人にも別途連絡かな。

 

 夏祭り、なんだかんだ言って楽しみだ。



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6th stage 翔子は小学生と夏祭りに行く(4)

 待ち合わせ場所は夏祭りの会場に近い小さな公園だった。

 私が着いた時にはもうみんな揃っていたので、小走りで近寄る。

 

「翔子さんっ」

「お待たせ、愛莉ちゃん。みんな」

 

 駆け寄ってくれた愛莉ちゃんと手を繋いでにっこり微笑む。

 

「やっほーるーみん! おとーさんの着物似合ってるじゃん!」

「こんばんは、鶴見さん。今日はよろしくお願いします」

「おねーちゃん、こんばんは。ひなのきもの、にあってる?」

「えへへ。みんな浴衣でお揃いですね」

 

 智花ちゃんの言った通り、みんな思い思いの浴衣で着飾った艶やかな姿だった。

 

 智花ちゃんは藍色の生地に金魚の柄。臙脂色の帯が鮮やかで目に楽しい。

 真帆ちゃんのは黄色地のミニ丈で、柄はなんと幾何学模様。さすがデザイナーさんと言うしかない、前衛的ながら和のテイストも織り交ぜた逸品。

 紗季ちゃんのは黒地に水色の帯。ちょっとシックすぎる取り合わせを兎柄がうまく中和して、可愛らしさをプラスしている。

 ひなたちゃんのは自前なのか、白地にアニメキャラがプリントされたものだった。丈が合わなくなってミニになっちゃってるけど、このくらいの歳の子なら活動的な感じが出て全然アリだと思う。

 

 そして愛莉ちゃんは薄い桜色の浴衣。

 良く見ると、縁取り部分だけを白くすることで舞い散る桜の模様を入れ込んである。ド直球のピンクにこの上品さは、愛莉ちゃんの穏やかさと見た目の大人っぽさを上手く取り合わせていると思う。

 みんな、ほれぼれしてしまうくらい可愛い。

 これは誘拐に気をつけないと、と、ちょっぴり本気で思いつつ。

 

 私は、この場にいるもう一人の人物に頭を下げた。

 

「無理を言ってすみません。……久井奈さん」

「いいえ。お呼びいただきありがとうございます、るーみんさま。お召し物もよくお似合いです」

「そんな。久井奈さんこそ」

 

 久井奈さんの浴衣は黒地に、臙脂色で鳥が描かれたもの。

 鳥は雲雀か燕あたりだろうか。残念ながら(?)ヤンバルクイナには見えない。

 

 ちなみに私がいただいた浴衣は、ごくごく淡い青を基調に、帆を広げる船が大きく描かれている。

 ぱっと見ではなんの柄かわからないものの、前と後ろを両方見ると「ああ」と気づくデザイン。船は昔から女性格として扱われるものなので、女物の浴衣に使っても意外と違和感がない。

 

「むー。あたしとしてはちょっちきゅーくつなんだけどなー」

「ごめんね真帆ちゃん。私一人だとちょっと不安だったから」

 

 やっぱり久井奈さんにもお願いした、というわけだ。

 

「しょーがないなー。ま、やんばるならいいけど。その代わりうるさいことこと言うの禁止ね」

「心得ております。お小言は普段の半分ほどに抑えますので」

「半分!? もーちょっと減らしてよー!」

「馬鹿真帆、あんたいつもはどんだけ迷惑かけてるのよ」

 

 うーん、たぶんいっぱい、かな?

 凛とした表情の久井奈さんが「迷惑」と思っている雰囲気はない。むしろ真帆ちゃんが愛しくて仕方ない感じなので、二人は心の底では信頼しあってるんだろう。

 

「おねーちゃん、はやくいこ? おまつりにげちゃう」

「あはは。お祭りは足が遅いから大丈夫だと思うけど……でも、そうだね」

 

 楽しいことは目いっぱい味わった方がいい。

 私は久井奈さんと目配せしあって、会場に移動することにした。

 

「参りましょうか。みなさま、はぐれないように注意してくださいませ」

「できるだけ、私か久井奈さんの傍にいてね」

 

 はーい、という返事と共に、みんなで歩きだす。

 

 久井奈さんの傍には真帆ちゃんと紗季ちゃん、ひなたちゃんが。

 私の隣には愛莉ちゃんと智花ちゃんがついてくれた。手を繋ぐ? と尋ねると愛莉ちゃんは嬉しそうに、智花ちゃんは恥ずかしそうに手を差し出してくれる。

 二人の手をぎゅっと握って、私は思う。

 

 昴の代わりとはいかないけど、少しでも楽しんでもらえたら、と。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「わ、凄い人だね」

「うん。有名になったのは最近なんだけど、凄いよね」

 

 うん、これは凄い。

 去年より更に人が増えているだろう。注意していないと人にぶつかって転んでしまうかもしれない。

 走り回るほどスペースがないので、どこかに行ってしまう心配がないのは嬉しいけど。

 

「出店もいっぱいだね」

 

 基本どころは大体揃っているように思う。

 同種の店が複数出店してる場合は味や、仕掛けの調整なんかも見極めないといけないのが難しいところ。

 人混みである程度は判別できるけど、隅っこの方に密かな穴場があったりすることもある。

 

「みんなはやりたいものとか、食べたいものとかある?」

 

 尋ねると、スーパーボールすくいに焼きそば、あんず飴などの名前が挙がった。

 

「翔子さんは好きなものとかありますかっ」

「私の一押しはじゃがバターかな」

 

 あれは個人的に外せない。

 女の子の身でバターたっぷりは控えなければと思いつつ、屋台の什器だからこそ出せるほくほく感と、活気の中で食べる充実感は格別だ。

 今回もあれだけは絶対に確保する所存。

 

「じゃがいもにバター……となると白ワインでしょうか」

「王道で日本酒もいいですよ」

「るーみんさま……?」

 

 久井奈さんの呟きについ反応したところ、ジト目で見られてしまった。

 まさか未成年で飲酒を? と思われているのは確実。

 しまった、ついつい前世の記憶が邪魔を。

 

「母さんがお酒好きなので、お酒に合う料理も調べたりするんです」

 

 これはまるきり嘘ではない。

 しれっと追及をかわすと、久井奈さんはすぐに引き下がってくれた。

 

「そういうことにしておきましょう。……るーみんさまが二十歳まではあと五年ですか」

「あ、四年です。私、誕生日が六月なので」

 

 今年は昴からシューズの手入れ用品を、葵から子ドラゴンのぬいぐるみをもらった。

 二人の誕生日にもちゃんとお返ししないと……と。

 

「六月……ど、どうしよう。わたし、何もしてない」

「どーしてそういう大事なこと言わないんだるーみん! アイリーンが泣きそうじゃん!」

「う。え、ええと……ごめんなさい。愛莉ちゃんとは知り合ったばかりだったから、教える暇がなかったというか」

 

 私、今度誕生日なんだーって、なんかプレゼントを催促してるみたいだし。

 真帆ちゃん達に至っては出会ってすらいなかった。

 嘆息した紗季ちゃんが肩を竦める。

 

「……仕方ないわね。真帆、来年豪華なのを用意しましょう」

「そっか! いーこと言うじゃんサキ、よっしゃ覚悟しとけよるーみん!」

「あはは……お手柔らかに」

 

 燃える真帆ちゃんの隣で久井奈さんが「では、私もそれで」と呟いているのがちょっと怖い。

 笑いが引きつりかけたところに、紗季ちゃんがそっと寄ってきて、

 

「大丈夫です。真帆のことだから、来年には忘れてます」

「それは助かります……」

「まあ、私は覚えてますし、真帆は関係なく変なことするかもですが」

 

 駄目じゃん。

 視線で抗議しようとした時には、紗季ちゃんはくすりと笑って身を離していた。

 やりおる。

 でも、ちょっとは仲良くなれたのかな、という気もした。

 

「おー、射的」

「あ、こっちにはフリースロー屋さんだって」

 

 ひなたちゃんと愛莉ちゃんが同時に見つけたのは、それぞれ遊ぶ系の屋台。

 せっかくなので二手に分かれてやってみることに。分かれ方は奇しくもさっきと同じ。私達はフリースロー屋さんの方だ。

 恐縮する智花ちゃん達を「一つくらいは」押し切って三人分のお金を払い、人柱とばかりに先陣を切る。

 使うのは軽いゴムボール。規定ラインから五回放って、離れたところにあるゴールに何回入ったかを競う。一回ごとに景品が豪華になっていき、全部入ればなんと、食べ物屋台で使える引換券十枚綴りを進呈とのこと。

 いわゆる見せ景品なんだろうけど、経営大丈夫なんだろうか。

 と、思って確認してみたら、お高めの食べ物は券を複数枚使うような仕様らしい。そりゃそうだ。むしろ一枚につき百円相当でも納得する。

 

 それはともかく。

 

 一球目は気軽に放り、あっさりゴール。

 二球目と三球目は欲が出たのかリングに嫌われる結果。

 ならばと残りの二球は肩の力を抜いて、なんとか連続で決めた。

 

「おめでとうございます! 三球成功はこちらのお菓子から一つをプレゼントです!」

「ありがとうございます」

 

 山盛りのポテチの端に覗いていたクッキーの袋を目ざとくゲット。

 続いたのは愛莉ちゃん。

 可愛らしい「えいっ」という掛け声と共に放たれたボールは五球中三球、ゴールに吸い込まれていった。普通のバスケとは色々勝手が違うけど、普段の経験が生きたのかも。

 

「やった……っ。翔子さんと同じですっ」

「凄いね愛莉ちゃん」

 

 賞品はささやかだけど、達成感は何にも代えがたい。

 私が引きずり出した穴の奥からもう一つ、クッキーの袋を引きずり出す愛莉ちゃん。店主さんが「それは隠しておいたのに……」っていう顔をしてるけど気にしない。

 そして、残るは智花ちゃん。

 ゴムボールを手にした彼女は神妙な顔。

 

「智花ちゃんなら全部入れられちゃうかもねっ」

「ふええっ。愛莉、緊張させないでよう」

 

 愛莉ちゃんの信頼も、このタイミングだと逆効果か。

 私は少し考え、吉と出るか凶と出るか、智花ちゃんに囁いてみる。

 

「……昴なら、全部決めるかも」

「えっ」

 

 結果は、どうやら吉。

 びっくりした顔の後、きっと表情を引き締めた智花ちゃんはいつものジャンプシュートで一投。入った。浴衣がひらりと翻る様がなんとも可憐で格好いい。

 見惚れるうち、少女は「うんっ」と勝手を掴んだのか、残りの四本を一気に決めた。

 本当にやっちゃったよこの子……!

 

「でました~! パーフェクト達成です!」

「凄い、智花ちゃん!」

 

 見事、タダ券をゲットした智花ちゃんは恥ずかしそうにはにかんだ後、「これはみんなで使いましょう」と謙虚に申し出てくれたのだった。

 私達はほくほくしながら射的チームに合流し、見事な片手打ちを決める久井奈さんに驚いて。

 みんなに智花ちゃんの活躍を話すと大喜びされた。

 

 じゃあ、先に遊びきってからご飯にしようということになって。

 メンバーをシャッフルしながら二手に分かれ、スーパーボールすくいや型抜き、金魚すくいなんかを楽しんだ後、各々食べたいものを片っ端から買っていった。

 あ、もちろん私はじゃがバターを確保しました。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「鶴見さんとこのお嬢さんじゃないか! また一段と綺麗になっちゃって! お母さんは一緒じゃないのかい?」

「お久しぶりです。はい、今日は母とは別行動です」

 

 なんてやりとりを五、六回繰り返したりしつつ。

 本部テントの裏で日本酒片手に将棋を指していた母さんにじゃがバター(私の分とは当然別)を差し入れたところで、智花ちゃんの携帯が鳴った。

 相手はどうやら花織先生。

 二、三言話をした後、智花ちゃんは携帯を私に差しだしてきた。なんだろう、と思いつつ出てみる。

 

『こんばんは、翔子さん。お祭りはいかがですか?』

「こんばんは。はい、みんな楽しそうにしています」

『うふふ、それは良かったです。……それで、少々ご相談があってお電話したのですが』

「何かありましたか?」

『いいえ、大したことでは。ただ、主人が拗ねていまして』

 

 あー、六年生でもう「友達と回るからお父さんとは行かない」だもんね。

 

『よろしければうちの庭で花火を見ては、と』

「お庭……ああ、あそこからならよく見えそうです」

 

 一応、電話を繋げたままみんなに聞いてみたところ、みんなもこれを快諾。

 ならばと花織先生にOKの返事をして、食べ物をちょっと買い足した後、智花ちゃんのお家に取って返した。

 焼きそばやじゃがバターは多少冷めてしまったけど、それはそれ。

 

 笑顔で出迎えてくれた花織先生、むっつり顔ながら嬉しそうな湊先生。

 更に大勢になり、デザートにスイカまで用意してもらってわいわいしながら、日本家屋の庭から眺める花火は、はっきり言って最高だった。

 夜空に咲く大輪の花に、私はついつい見惚れてしまい。

 

「……私、この花火を一生忘れません」

 

 という、智花ちゃんの呟きに、

 

「うん、私も」

 

 と、返事をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 なお、昴と葵とは幸い(?)鉢合わせなかったものの。

 二人もちゃんと夏祭りに来ていたようで、トラブル続きの末にいい感じになった模様。

 葵から「昴とキスしちゃった(>_<)」と私信が届いたので、さつきや多恵を交えてここぞとばかりにからかいまくった。

 後から詳細を聞く限り事故だったみたいだけど、偶然が後押ししてくれてるあたり風向きはいい感じ。

 

 今年中にもうワンステップくらい進展してくれたら最高かなあ、と思った。



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7th stage 翔子は昴と小学生の試練に立ち会う(1)

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【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

【夏休みの思い出マイベスト】

 初の試合中ダンクシュート

(ただしミニバスゴールにて)

【楽しみにしてる二学期の学校行事】

 学園祭のミスコンに葵を放り込むこと

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「このぱんつ。どうしておしりのところ、ひもになってるの?」

「うーん……その方がグッと来るからかな?」

 

 夏祭りから一夜明けた日曜日。

 私は、とある高級ランジェリーショップにやってきていた。

 しかも、スーパーやデパートの中じゃなくて単独で店を構えてるところ。お洒落したい年頃の女子高生とはいえ、ちょっと気後れしてしまう上品さが店内には漂っている。

 パンツスーツ姿の店員さん達も綺麗で格好良くて、プロの風格がある。

 お客さんに良い下着を届けたいという気持ちが品物だけでなく全体から感じられる、そんな店内で。

 

 無垢な表情で尋ねてきたのはひなたちゃん。

 彼女の手には派手な紫色のTバック。ひなたちゃん自身はもちろん、私でさえ穿きこなすことは至難の業と思われる、まさに大人の女性のための夜の下着。

 隣に立っている紗季ちゃんも困り顔をしていて、聞かれたけどわからなかったのが見て取れる。

 

 二人に目線を合わせながら、私は首を傾げて答えた。

 と。

 同行していた幼馴染――現在、もう一人の幼馴染と交際中のバスケ少女が、顔を真っ赤に染めて私に耳打ちしてきた。

 

「ちょ……っ!? あんた小さい子に何教えてるのよっ!?」

「そう言われても、たぶん変に隠す方が良くないし」

「だからって言い方ってもんがあるでしょうがっ!?」

 

 うん、それはもちろん承知している。

 私は葵に目配せすると、視線をひなたちゃん達に戻す。

 

「グッと来る? それって、どういう意味ですか?」

「……説明する前に、ひとつだけ約束してもらってもいいかな?」

「おー、おやくそく?」

「うん。これから説明することにも関係あるんだけど……こういう下着は大人の人が穿くものなの。だから、もっと大きくなるまで穿いたりしないこと。いいかな?」

 

 意味ありげに溜めを作って言うと、紗季ちゃんがごくりと息を呑んだ。

 二人は顔を見合わせ、同時にこくりと頷く。

 いい子達だ。

 もちろん、私を信頼してくれてるからこそだろうけど。ならばその信頼には答えなければ。

 

「えっとね。グッと来るっていうのは、男の人が喜ぶってこと」

「おー? じゃあ、おにーちゃんもよろこぶ?」

「かもね。でも、喜んでもらうにはただ見せるんじゃだめなの。二人っきりで、実際に身に着けてるところを見て貰わなくちゃ駄目」

「っ。それって……!」

 

 紗季ちゃんは気づいたみたいだ。

 葵と同じように真っ赤になった彼女は、しゅんとすまなそうに肩を落とし――耳をエルフのごとくぴんと立てた。それはそれとしてちゃんと聞くらしい。

 ひなたちゃんは首を傾げて、

 

「ぱんつ、はいてるところをおにーちゃんにみせるの?」

「そう。……昴っていうか、恋人とか旦那様にだけどね」

 

 昴をその相手にしたいっていうならアレだけど。

 

「学校でも更衣室は男女別でしょ? 女の子の裸とか下着姿はね、男の子にはなるべく見せちゃいけないの。大切な『たった一人』にだけ特別に見せるもの。そういう時に着けるのが、この下着」

 

 わかってくれただろうか。

 笑顔のままひなたちゃんを見つめると、こくんと頷いてくれる。

 葵が感心したようにこっちを見ている。

 といっても、大したことを言ったわけじゃない。言わなくても存在している常識を話しただけ。男としての経験を女の目線で翻訳したから実感は籠もってるかもだけど。

 

「わかった。ひなには、まだはやい。もっと大きくなってからにする」

「良かった。ありがとう、ひなたちゃん」

「でもおねーちゃん。どうしてひものおぱんつだとグッとくるの?」

「ちょっ、ひな!」

「もちろん人によって好みもあるんだけど、女の子の裸って綺麗なものなの。だから飾りが少ない方が、男の子には喜ばれるんだよ」

「翔子! 感心した傍から何教えてんの!」

 

 で。

 やりすぎた私とひなたちゃんは、それぞれ葵と紗季ちゃんから怒られたのだった。

 ごめんなさいと頭を下げた私は葵を手で示して、

 

「こんな風に、私達でもまだ早い下着だから、くれぐれも大きくなってからね」

 

 これには二人とも神妙に頷いてくれた。

 あったところに戻してくると言って離れていくひなたちゃん達を見送ると、葵がため息をひとつ。

 

「……なんか、どっと疲れたわ」

「ごめんごめん。でも、葵ならギリギリ着ける権利あるんじゃない、あれ?」

「あんなの無理に決まってるでしょ馬鹿じゃないの!?」

 

 ごもっとも。

 

「昴はもっと清楚系の方が好きだろうしね。もしくはシックに黒かな」

「黒……っ!? それだって私には早いと思うんですけど……っ」

 

 後半になるにつれて小声になった葵は、それでも一応は物色する気になったのか、ふらふらとコーナーを移動していった。

 さて、他のみんなはどうしているだろう。

 

 説明が遅くなったけど、お店に来たのは私と葵、それから慧心女バスの面々だ。

 切っ掛けは真帆ちゃんが昴に「夏祭りの埋め合わせを」と言いだしたこと。ランジェリーショップが選ばれたのは単に下着を見たかったからだろう。

 とはいえ昴に女性下着は荷が重い。断固拒否された結果、葵に白羽の矢が立った。

 私は単なる付き添いだ。

 こういう時でないとこんなお店には来られないので、ほくほくしながら楽しんでいる。

 

 真帆ちゃんはお嬢様だけあって慣れてるのか、色んな下着をとっかえひっかえしてる模様。

 愛莉ちゃんは店員さんに下着のつけ方をレクチャーされて、前向きにブラと向き合う気になれたみたいだ。

 智花ちゃんは……神妙な顔をしてブラを手に試着室に行くのが見えた。私としては成長次第でいいと思うんだけど、好きな人がいる子にとっては死活問題か。

 

 と。

 

 不意に、後ろからかすかな香水の匂い。

 

「うふふ、先程の演説、とても素晴らしかったですわ……!」

「わっ……。え、えっと、ありがとうございます」

 

 いつの間にか、肩が触れ合いそうな距離に店員さんが立っていた。

 気持ちのいい笑顔で私に囁きかけてくる彼女は、小首を傾げて。

 

「ですが、お客様はお選びになられないのですか? 試着もできますので、どうぞお気軽に」

「あ、そうですね。でも……あはは、なかなか普段使いにするには上等すぎるというか」

「でしたら、女として気合を入れたい時用に一着いかがですか? 恋人とのひと時以外でもお仕事や受験などの際、良い下着を身に着けると良い結果が出る、という方もいらっしゃいます。お客様でしたら少し背伸びした下着もきっとお似合いに……ええ、白や黒もいいですが、上品な青なども」

 

 丁寧ながらぐいぐい来る彼女に圧され、私は幾つかを試着した末――ワンセットお買い上げしてしまった。

 まあ、品質は間違いなく良いし、買ったことに後悔はない。真帆ちゃんのお父さんから浴衣を貰ったところだし、その分と考えれば納得いく出費だ。自分へのご褒美として持っておいて、ここぞという時につけよう。

 でもあの店員さん、もしかしてそっちの気があるのかな……?

 愛莉ちゃんに下着のアドバイスしてたのもあの人だった気がするんだけど。もしそっちの趣味ならあそこはきっと天職だろう。ただまあ、私みたいに同じ性癖の人もいるわけで、誘惑してると取られそうな言動はできれば控えてもらいたい。

 近づかれる度にドキドキしてどうしようかと思ったじゃないか。

 

 それはまあ、あのお店にはそうそう行かないだろうし、良いとして。

 その日はそのままみんなでケーキバイキングに行った。

 

 ちょっとした嫁いびりなのか、葵がしこたまケーキを勧められているのを微笑ましく見守りながら――私は、スマホに一通のメールを受信した。

 その内容を読み、思わず口元が緩む。

 すぐさま新規メール作成を選ぶと、私は昴に短いメールを送った。

 

『元橋田中のセンターの子が同好会に入りたいって言ってるんだけど、どう? 昴の連絡先教えても平気?』

 

 返事は、すぐに来た。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 香椎万里は、私に同好会の話を聞いてから色々考えたらしい。

 バレー部は続けながらもバスケのこと、愛莉ちゃんのことなどが彼の頭に浮かんでは消えていった。そして次第に、やっぱりバスケがしたいと思うようになった。

 

 兄妹仲も少しずつだけど改善に向けて努力した。

 都度、私に相談の電話やメールを寄越しながら――おはようやお帰りの挨拶を「できるだけ穏やかに」してみたり、ぎこちなくてもいいから笑顔を浮かべてみたり、バスケットボールを抱えて自主練に出てみたり。

 もちろん最初は成果が出なかったけど、それでもめげず。

 やがて、ぽつぽつとだけど愛莉ちゃんとも話せるようになった。

 

 ここまででつい最近の話だというから、なかなか苦労したのだろう。

 でも、そこまで来たら妹とバスケの話がしたいと思うのが当然というもの。

 正規のバレー部を蹴ってでも同好会に入ろうと決意する最後の鍵は、やっぱり妹の愛莉ちゃんだったというわけである。

 私に届いたメールは昴との繋ぎになって欲しいというもの。

 昴ももちろん快諾し、二日後の火曜日に会おうという話になった。

 

 ――で。

 

 直接、それとは関係ないんだけど。

 私は彼に対する内心の呼称を「万里」から「香椎くん」に改めた。

 むしろ過去の私はなんで気安く呼んでたのか。男子相手に呼び捨てはまずいだろう。幼馴染の昴はあくまで例外。内心とはいえ上原は最初から上原だった。

 ナンパ男の上原と真っすぐな香椎くんを比べるのはあれだけど、完全に女子を自認してしまった今の私にはちょっと、万里呼びは恥ずかしい。

 

「来てくれてありがとうな、香椎」

「万里でいいって。それに、俺がその気になったのは鶴見と……何より愛莉のお陰だ」

 

 久しぶりに会った香椎くんは相変わらず背が高くて、気のいい男の子だった。

 何故か目が合った途端、恥ずかしそうに目を逸らした彼を昴と葵の待つ『オールグリーン』のフードコートに案内した私は、みんなの繋ぎ役を果たした。

 幸い昴と香椎くんはすぐに打ち解けた。

 

「愛莉からお前の話は何度も聞いた。教え方や愛莉に言ったことを聞けば、お前がバスケに本気だってことはすぐに分かった。愛莉に邪な気持ちがないってことも、まあ」

「そ、そうか。いや良かった! 男がコーチなんて兄貴からしたら気が気じゃないだろうし」

「もちろん、愛莉に変な気を起こしたらすぐに叩き潰すが」

「しないって! 大切な教え子にそんなことできるか!」

 

 昴の台詞の三割くらいは怖いからだっただろうけど。

 愛莉ちゃん達が大切という気持ちにも嘘はない。それを伝えると、香椎くんも「ああ」と頷いてくれた。

 彼は身じろぎする度に椅子が軋むのを気にしながら笑って、

 

「でも、両手に花を邪魔して良かったのか? 特に彼女の荻山さんには悪いだろ」

「か、彼女……っ!」

 

 たった一言で葵はオーバーヒート。

 早く慣れた方がいいと思うけど、夏休み中に付き合い始めたせいで、あらためて彼女として自己紹介する機会ってあまりなかったもんね。

 代わりに昴が答えて、

 

「確かに葵とは付き合ってるけど、こいつも俺もバスケには真摯に向き合いたいんだ。いちゃついて『なあなあ』のプレーなんかしたらそれこそ喧嘩になるって」

「……そうか。いいな、そういう関係」

 

 しみじみと頷いて目を細める香椎くん。

 

「か、香椎くんもバスケプレーヤーの彼女作ってみたら?」

「いや、そう簡単にできたら苦労しないって。女子からは『身長差ありすぎて彼氏としては無理』ってからかわれてるしな」

「あー、そっか」

 

 相槌を打った葵がちらりと私の方を見てくる。

 つられた香椎くんと昴も遅れて視線を向けてきて、無駄に大人気っぽい雰囲気に。あ、香椎くんが目を逸らした。えっと、()()()()話か。確かに私と彼なら身長差もほどほどに抑えられるかも。

 でも、名前呼びを意識した途端にそれはちょっと恥ずかしい。

 

「あ、香椎くん。女バスに百八十超えてる先輩がいるよ」

 

 レズだけど。

 注意事項は伏せて伝えたものの、何故か引きつった笑みで辞退された。

 

「いや、遠慮しとく。そういうのは急いでどうこうするもんでもないしな」

「うん、そうかもね」

 

 付き合うなら本当に好きな人とが一番だと私も思う。

 

「ところで香椎……万里。この後って時間あるか?」

「時間? ああ、大丈夫だけど何かあるのか?」

「実はこの後、慧心女バスのみんなと会うことになっててさ」

 

 その中には当然、愛莉ちゃんも含まれている。

 

「みんな対高校生で五対五の変則ゲームをしようって話があるんだ。本番は今日じゃないけど、上のコートの下見をしようと思って」

「なるほどな。俺も出ていいのか?」

「ああ。愛莉とわだかまりがなくなったなら、是非」

 

 逆に高校生は人数が余ってしまいそうな勢いだ。

 昴に葵に香椎くんにさつきと多恵、それから私。上原は忙しいから除くとしても六人いる。私が審判するのが無難だけど、そうするとさつき達が「無理にやんなくてもいいし」とか言って不参加を表明しそうな気配。

 念のため、昴の知り合いらしい男子小学生にも声をかけるかという案も出ている。

 

 そんな話をしているうちに、向こうから慣れ親しんだ声が聞こえてきた。

 大きな香椎くんに驚く声に、兄を呼ぶ愛莉ちゃんの声が重なる。

 

 はてさて、兄妹の対面、それから愛莉ちゃんのセンターとしての成長はどうなるだろうか。



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7th stage 翔子は昴と小学生の試練に立ち会う(2)

原作に絵がない奈那さん眞弓さんの容姿はグーグル先生でイメージ検索するとアニメのキャプチャを見られるかと思います。
私もそれで知りました(目逸らし


 総合アミューズメント施設『オールグリーン』の屋上にはハーフサイズのバスケコートがある。

 利用料さえ払えば誰でも使えるので近隣のバスケ愛好者が結構利用している。交流の輪が広がる一方、広さの関係から譲り合いの精神が必要になる。

 また、基本的に予約は行っていない。

 例の交流試合で使えるかは管理者さんと相談が必要だったんだけど……。

 

「文句があるなら勝負してあげるからアタシらに勝ってみなさいっ!」

「あったまきた! すばるん! こらしめちゃおーぜ!」

 

 コートは二人の中学生女子によって占拠されていた。

 

 挑発的な言動で、主に真帆ちゃんをヒートアップさせるツインテール系女子・四ツ谷奈那ちゃん。

 隣でぼーっと成り行きを見ている背が高い(愛莉ちゃんほどじゃないけど)片目が隠れてる系女子・尾高眞弓ちゃん。

 隣の県からバスケの武者修行に来ているらしく、道場破りのごとく同世代以下を相手に喧嘩を吹っ掛け勝利しては必要以上に勝ち誇る、そんなことを繰り返して利用者を追い返しまくっていた模様。

 

 初めは理性的に話し合おうとした私達(主に昴)に対しても同じ態度。

 こうなったら仕方ないと、勝負を受けて立つことに。

 となれば問題は誰が出るか。奈那ちゃんたちは中一だそうなので、帯に短したすきに長し。高校生組が出るといじめにしかならないし、智花ちゃんたちだと一年分の経験差が重くのしかかる。

 ただまあ一歳差なら、慧心女バスのエースに登場願うのが最もスマートだろう。

 

「智花。俺たちの――みんなの代表になってくれるか?」

「………はい。みんなが私を推薦してくださるのなら、全力で戦います」

 

 これで、一人は決定。

 奈那ちゃんは見るからにフォワードなので、もう一人の眞弓ちゃんを想定した戦力が欲しい。彼女の身長と肩幅の広さからすると――たぶんセンター。

 話の流れがそういう風になり、視線が一人に集まりかける。

 

 年上相手を彼女にお願いするのは酷だと思うけど。

 

「愛莉ちゃん。……どうかな? 智花ちゃんと一緒にプレーしてみない?」

「わ、わたし……ですか?」

 

 多分、私が言うべきことだろう。

 そう思って尋ねると、愛莉ちゃんはびくっと小さく身を震わせた。

 瞳の奥には不安がある。

 

「うん。たぶん、真っすぐ勝負をするなら愛莉ちゃんが一番向いてると思うの。……センターの戦い方を知ってるから」

「で、でも、わたしなんかで大丈夫かな……って」

 

 怖いのは仕方ない。

 眞弓ちゃんの方は案外話せばわかってくれそうだけど、奈那ちゃんは悪い意味で元気いっぱいの子だ。

 心優しい愛莉ちゃんとは相性の悪いタイプ。

 

 でも、ここは愛莉ちゃんに出て欲しい。

 

 背中で香椎くんがうずうずしてるのを感じる。

 彼も妹に激励したいのだろう。でも、加減を間違えて泣かせちゃわないか怖がってる。

 だから私が。

 

「大丈夫だよ、愛莉ちゃん」

「翔子さん……?」

 

 微笑んで、愛莉ちゃんの髪にそっと手を乗せる。

 

「愛莉ちゃんなら大丈夫。練習をいっぱい頑張ってたし……それに、自分で言うのもなんだけど、あの子たち、私よりは上手くないはずだから」

「あっ……」

 

 才能があるとは思ってないけど、さすがに中一に負けるような鍛え方はしていない。

 超小学生級の智花ちゃんや男子高校生の昴、それから女子高生でセンター経験のある私とプレーしている愛莉ちゃんなら、十分対抗できる。

 

「アイリーン」

「愛莉」

「あいり」

「愛莉」

「……うん」

 

 誰も「頑張れ」とは言わなかった。

 押し付けることはせず、ただ、そっと背中を押してあげる。

 やがて、愛莉ちゃんはこくんと頷いた。

 

「はいっ。みんなに、翔子さんに教えてもらったこと……精一杯やってみますっ!」

「……ありがとう」

 

 決意をこめた表情を見て思わず涙腺が緩んだ。

 そのまま抱きしめたくなっちゃったけど、このあとには勝負が待っている。

 ぐっと我慢して、奈那ちゃんたちに向き直ると。

 

「翔子? あんた、翔子っていうわけ?」

「え? うん、そうだけど」

 

 どこかで会ったことあったっけ?

 三歳差だから部活絡みじゃないはず。あー、男子気取ってた時期に喧嘩したとかだと覚えてないかも。下手すると向こうも男の子みたいだった可能性あるし。

 謝った方がいいかな? と思った矢先、奈那ちゃんからずばっ! と指を突き付けられた。

 

「はっ。鶴見翔子。どんなヤツかと思ってたけど、ガキに試合任せて見学してるようなチキンじゃん」

「……ん?」

 

 なんか、思ったのと話が違う?

 

「会ったのは初めてだけど、話だけ聞いてたってこと?」

「は? そう言わなかった? 馬鹿なの? 頭も悪いの?」

「……誰から?」

 

 ぶん殴ってやろうかこの小娘。

 ついぷっつんしそうになったのを堪えて尋ねると、奈那ちゃんは何故か胸を張って答えた。

 

「奈那の愛しのダーリン、カズ君からよ!」

「………、あー」

 

 諏訪。あの野郎。

 顔を合わせなくなってもなお、私に嫌がらせをしてくるとは。

 っていうか、彼女ができたのは知ってたけど中学一年生って。

 奈那ちゃんって正直性格良くないと思うんだけど、こういう威勢のいい子が好きだったのか。

 

「何も言えないの? やっぱりチキンね。いいから勝負しなさいよ()()()()()()()。叩き潰して身の程を教えてあげるから」

「………」

「ひっ」

 

 答えの代わりに満面の笑みを浮かべたら、何故か香椎くんが悲鳴を上げた。

 振り返った私に、葵は苦笑して。

 ぽん、と、私の肩を叩いてから智花ちゃんたちに告げた。

 

「ごめんねみんな。ここは私達にやらせてくれる? ……礼儀知らずの子達に一般常識ってものを教えてあげたいから」

 

 誰からも反対意見は出なかった。

 というか小学生たちですら呆れ気味。

 彼女たちの呆れの対象が奈那ちゃんなのか私なのかはちょっと、考えたくはなかったけど。

 

「翔子。腕、まさか鈍ってないわよね?」

「……もちろん。葵こそ、女子とやるの久しぶりじゃない?」

 

 こんな形で葵とのプレーが実現するなんて、ちょっとラッキーかもしれない。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 今日は驚くことの連続だ。

 鶴見・荻山ペアのプレーを眺めながら、香椎万里はしみじみと思った。

 待ちに待った長谷川昴との顔合わせ。

 

 最初に驚いたのは翔子の変化。

 ()()()()()()

 ダイエットしたとか胸が大きくなったとか化粧が変わったとかではない。女性らしい雰囲気がぐっと増した。以前から顔立ちがいいとは思っていたが、一学期に顔を合わせた時はあまり性別を感じない相手だった。

 そのせいか、異性が得意でない万里はつい挙動不審になってしまった。

 

 昴が葵と付き合い始めていたことにも驚いたが、より驚いたのは翔子と妹の仲の良さと、それから今まで見たことのなかった翔子の顔。

 夜叉姫を思わせるプレッシャーと、コートでの振る舞い。

 

 ――『桐原中の織姫の伴星』。

 

 昴のことを知るために地方のスポーツ雑誌を読み返した万里は、華やかな異名で呼ばれるエース・荻山葵の支えた一人の少女の記述を見つけた。

 小さな雑誌の小さな記事の、ごくごく短い文。

 荻山の相方である鶴見、と。

 書かれていたそれが真実であったことを、彼は今になって知った。

 

 ジャンプボールに固執した四ツ谷・尾高ペアは、譲ると言われていた先攻をあっさり奪われた。

 

 狙い違わず飛んだボールを葵が受け取ると、そのまま得点。

 リズムを作られる前にさっさと先制してしまうのは彼女の――否、彼女らの十八番。

 

 焦った奈那のドリブルは、目ざとい葵にスティールしてくれと言っているようなもの。

 翔子のドリブル、パスから攻め上った葵は眞弓に阻まれるも、これを得意のフェイダウェイシュートで回避、得点を重ねた。

 ここで奈那は眞弓による攻めを選択。

 しかし、身長でも技術でも上を行く翔子に眞弓は歯が立たない。あっさりと進路を塞がれた挙句、無駄に時間を浪費し、ようやく奈那にパスを出したと思ったら葵にカットされてしまう。

 

 高校生側の三ゴール目。

 

 奈那が選んだのは二人がかりで葵をマークという暴挙だった。

 ここまでの得点は全部葵のもの。

 翔子が読み通り「葵がいないと何もできないでくのぼう」であったのならアリな選択だったかもしれない。翔子がフリーで打ったシュートが外れてからボールを拾いに行けばいいのだから。

 だが、翔子は当たり前のようにゴールへ向かい、当たり前のようにシュートを決めた。

 

「なんでよ!」

 

 そう言われても、全部手のひらの上だったのだから当然だろう。

 葵に攻めを任せ、その速さと積極性を印象付ける。目が慣れてきた頃に他メンバーにシュートを打たせて得点を奪い、相手に疑心暗鬼を煽る。

 次々に新しいパターンを織り込んで想定外の行動をし続けるのも十八番。

 パターンが割れてきたところで、葵が実は「慎重な攻めもできる」ことを明かして更に得点。

 

 極めつけは。

 

「眞弓! あんたデカイんだから、なんとかフォワード抑えてなさい! あたしがこのデカブツ潰すから!」

「了解。頑張る」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()、ということだ。

 眞弓にマークされた葵は敢えてスピードを落とし、翔子たちからセンターを分断。その意味を理解していない奈那は歯を剥き出しにして翔子に攻めかかり、簡単なフェイントに引っかかってかわされる。

 得点。

 以後、奈那はもう「自分が翔子を潰す」ことしか考えていないようだった。

 自分たちの攻め番をあっさり潰され、翔子を阻みにかかってはいなされる。

 

 レイアップ、ジャンプシュート、フェイダウェイ、スリーポイント気味のロングシュート。

 

 得点の仕方さえ手を変え品を変え、わざと引き出しの数を見せつけていく翔子。

 基本的にはごく当たり前のことしかしていない。

 常套手段を丁寧にやるだけ。そこに緩急がつくから手に負えなくなる。静止状態でのドリブルから無の境地を作り出したかと思えば急発進したり、何を思ったのかふっと笑った直後に動き出すとか、マッチ相手とにらめっこを始めるなんて奇策も取る。

 一緒に観戦していた昴や妹の友達が「あいつみたいだな」とか「あれ、私の……」とか呟いていたあたり、誰かの得意技を真似ているのだろう。

 

 漫画によくいるコピーキャラとか、そういう話じゃない。

 

 他の選手から影響を受けるなんて誰でもあることだ。ただ、多くの人の技を実際に吸収して「自分なりに使う」ことができる奴は意外に少ない。

 万里は自分の技しか使えないタイプだ。

 

「器用だよな、あいつ。自分じゃ才能がないとか言ってるけど……凄い奴のことを凄いって認めて、近づこうと努力できるのって立派な才能だろ」

「……そう、だな」

「うん。翔子さん、本当に凄い……っ」

「あはは。愛莉は、もしかしたらあんまり真似しない方がいいかもしれないけど。翔子の個人技って、言っちゃえばずっと必殺技を使ってるようなものだから」

 

 簡単には真似できないし、消耗も激しい。

 

「必殺技! すっげー! よっし、今度あたし教えてもらお!」

「あー……」

 

 しまった、と、昴が頭を抱えた時、規定された試合時間を超過した。

 完全試合。

 本来なら女子中学生相手にすることではないのだろうが――相手に一点も入れさせず、翔子と葵は勝利してみせたのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 うん、やりすぎた。

 

 途中まで「絶対泣かす」しか考えてなかったから規定路線なんだけど、なんか私めっきり格下専門になってる気がする。

 さすがに圧勝しだしてからはだんだん冷静になったんだけど、せっかくだからとそのまま続けてしまった。

 で、泣かすことができたかというと。

 

「う、うわああああんっ!?」

 

 叫びだしながら走って行ってしまったので、はっきり確認することはできなかった。

 なお眞弓ちゃんは後から小走りに追いかけていった。

 

「お疲れ、翔子。気は晴れた?」

「うん。……ありがとう、葵」

「気にしないの。私もイラっとしたし」

 

 二人で手を打ち合わせると、みんなが寄ってきて声をかけてくれた。

 

 ――これでもう来ないでくれるといいんだけど。

 

 交流会で使わせてくださいとは言いづらい気分になった。

 予約して借り切るっていうのはああいうことだぞ、って言われた感じというか。なのでみんなで相談して、交流会は真帆ちゃんのお宅を使わせてもらうことに。

 いつもそこで練習している(なんとも贅沢だ)真帆ちゃん的にはちょっとご不満ではあったものの、迷惑をかけるよりはと納得してくれた。

 

 奈那ちゃんたちのせいで他の利用者さんもいなかったので、騒いだお詫びも兼ねてしばらく遊んでいくことに。

 香椎くんと愛莉ちゃんのぎこちない交流とか、何故か真帆ちゃんから必殺技の伝授をせがまれたりとか、試合にあてられた智花ちゃんがいつもより張り切っていたりとか、そんな微笑ましいやり取りをしばらく続けて。

 

「いたぁあ!」

 

 果たして。

 奈那ちゃんは再びやってきた。眞弓ちゃんと、それから――高校生組、特に昴と香椎くんにとっては悪夢といってもいい顔を引きつれて。

 悪夢。

 去年、昴と香椎くんの所属していたバスケ部に勝って全国への進出を阻んだ仇敵――須賀竜一が帽子の下から私達を睨みつけて、

 

 ごつん、と、奈那ちゃんに拳骨を食らわせた。



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7th stage 翔子は昴と小学生の試練に立ち会う(3)

「気が変わったぜ。お望み通り遊んでやるよ」

 

 それこそ牙を剥いた竜のような、圧倒的な威圧感。

 去年、県で優勝した志津野中学でエースを張っていた男――須賀竜一が、挑発的に昴を睨みつける。

 

 最初はこうではなかった。

 

 須賀は当初、私の予想を裏切って()()()()()()()()。奈那ちゃん(従姉妹らしい)が迷惑をかけたことを、一人のスポーツマン、あるいは保護者代行として礼儀正しく。

 でも、それは。

 私が、そして香椎くんが彼の名を呼んだところで止まってしまった。

 

 あらためて私達を認めた彼は、雰囲気を一変。

 

『ふん。久しぶりだな、長谷川昴。それに香椎。俺と同じ学校を避けた挙句にドロップアウトとか、ざまあねえな』

 

 恐らく、こっちが彼の素なのだろう。

 人としての礼儀は通すが、プレーヤーとしてはどこまでも利己的で高慢で、威圧的。

 

 須賀は謝罪を取りやめ、奈那ちゃんが求める通り昴達に挑んできた。

 避けてはいけない勝負ではない。

 元はといえば奈那ちゃんたちに非があるわけだし、野試合で真の決着はつかない。バスケットボールはコートで、チームで、五対五でやった時に本当の勝ち負けが決まる。

 

 でも、やっぱり昴達は逃げなかった。

 彼らはすぐには答えず互いを見た。それは「受けるか逃げるか」ではなく「どっちが出るか」という無言の相談だった。

 何しろ向こうは一人だけど、こっちには恨みのある者が二人いる。

 と。

 

「別に順番でもいいぜ。お前ら二人とも叩き潰してやる」

「ううん、いっぺんに勝負よ! アタシと眞弓とリューであんたたちみんなやっつけてやるんだから!」

 

 不敵に笑った須賀に続いて、眞弓ちゃんが自信満々に胸を張る。

 

「……あ? 何言ってんだ奈那」

「アタシがコート取り返しに来たんだもん! アタシたちも一緒にバスケする!」

「アホか!」

 

 そもそも、ここはみんなのコートなんだけど……。

 私達そっちのけでぎゃーぎゃー言い始める奈那ちゃんと須賀。眞弓ちゃんが全然動じずないどころか微動だにしていないのがすごい。

 で、根負けしたのは須賀の方。

 

「……くそ。あの野郎、手前の女の躾くらいちゃんとしとけよ」

「うん、ほんとに」

「あん?」

 

 怪訝そうに須賀が振り返る。

 しまった、あまりにも同感すぎてつい頷いてしまった。

 目が合う。

 

「ああ、お前が『鶴見翔子』か。……はん、なるほどな」

 

 薄く笑った須賀がじろじろと上から下まで私を見てくる。

 なんだろう。

 あの野郎……もとい、諏訪はいったい何を話したのか。絶対ろくなことじゃないとは思うけど。

 ちょっと寒気がする。

 

「聞いてたよりずっといい女じゃねえか。()()より()()()がいいとかどこに目ぇ付けてんだ」

「ちょっとリュー、そいつ見かけによらず性格悪いんだからね!」

「お前が言うんじゃねえよ。……おい鶴見。お前、長谷川と付き合ってんのか?」

「まさか。昴の彼女はこっちの葵」

 

 いきなり振られて、葵がちょっとだけ動揺した。

 

「そーか。……ならお前、俺の女になれよ。いい夢見させてやるぜ?」

「なっ」

「はっ?」

「えっ」

「えっ……!?」

 

 幾つもの驚きの声が重なった。

 ちなみに私としては「……はあ?」といった感じ。

 何言ってるのこいつ、という気持ちを隠しもせずに目を細めて。

 

「ごめんなさい。ワンマンプレーのバスケは嫌いなの」

「はっ。いい子ちゃんが。処女だろお前」

「うん、そうだけど、それが?」

 

 笑顔で見返してやると、何故か面白そうに唇の端が吊り上がった。

 

「お前を落として帰ったら、あのいけすかねえ野郎の泣きっ面が拝めるかもな」

「「「いや、ないない」」」

 

 思わずハモった私と葵、昴であった。

 なんか、どうでもいい方向に話が飛んじゃったけど。

 勝負は3on3ということで確定したらしい。

 また中途半端な人数ではあるものの、これ以上は向こうが増やせないし、眞弓ちゃん一人だけ除け者にするのも可哀想だ。

 昴はぐっと頷いて、私達を振り返った。

 

「万里に葵、翔子も。……ここは、俺に任せてくれないか」

 

 須賀には決勝で負けた借りがある。

 香椎くんも同じ気持ちなのは百も承知だが、有利な条件で挑んでも完全には溜飲を下げられない。

 だから、自分に託して欲しいと。

 

 深く頭を下げて、頼んできた。

 これにはまず葵が、次に香椎くんが、そして私が答えた。

 

「そう言うと思った。私はいいわよ。好きにしなさい」

「俺は負けたつっても初戦だったからな。……今回はお前に譲ってやる」

「私も。頑張ってね、昴」

 

 若干、昴が涙ぐむのがわかった。

 

「ありがとう、みんな」

 

 そこまで決まると、昴は一緒に戦うパートナーを指名した。

 高校生組を使わない以上は愛莉ちゃんたちにプレーしてもらうことになる。

 不利な条件だけど、それが望みだ。

 

 果たして、選ばれたのは智花ちゃんと愛莉ちゃんだった。

 

 最もオーソドックスな選択肢。

 私も、戦うならこの二人がいいと思う。智花ちゃんたちも気負いを感じた様子ながら昴に頷いて、共闘を表明してくれた。

 審判を買って出たのは万里。

 

 そして、因縁のミニゲームが始まった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「ま、こんなもんだ」

「きゃはは、勝負はアタシたちの圧勝ね! てことでこれから夏休み明けまで、コートはアタシたちで仕切らせてもらうわよん!」

 

 結果は、昴たちの負けだった。

 総合力で負けていたとは正直思わない。

 

 女性陣に関して言えば、智花ちゃんが奈那ちゃんを圧倒する局面もあった。

 愛莉ちゃんだってパフォーマンスを発揮しきれれば眞弓ちゃんと十分渡り合えたと思う。

 ただ、流れと噛み合わせが悪かった。

 眞弓ちゃんの何を考えているかわからない雰囲気、物怖じせずセオリー通りに突っ込んでくる胆力が愛莉ちゃんを威圧し、縮こまらせてしまう。

 智花ちゃんは突破口になりえたけど、勝負を焦った昴がキラーパスを出し――これに失敗。パスを取れない恐怖を植え付けられた智花ちゃんまで本調子ではなくなってしまった。

 

 そして肝心のエース、昴と須賀のマッチアップが絶望的。

 

 須賀の得意技はジャブステップ。

 足踏みでフェイントをかける、言ってしまえば初歩のテクニックなんだけど、これが抜群に上手いのだ。殺気と表現していいレベルのプレッシャーがフェイントをフェイントと思わせない。これを破った者は未だに一人もいないらしい。

 これを昴は一度も止められなかった。

 焦ってパスミスしたのはこれが原因でもある。

 

 点差は開くばかりだった。

 

 失望したのか、須賀は途中で1on1を持ちかけてきた。

 昴はこれを承諾し、手も足も出なかった。

 

 悠然と去っていく従兄弟たちプラスワンを、私達は見送るしかできなかった。

 

「おい鶴見。ちょっとは考えが変わったか」

「……変わらないよ。須賀くんのバスケはつまらない」

「はっ。そうかよ。ま、会いたくなったら連絡して来いよ」

 

 連絡先のメモを投げて寄越された。

 破って捨てようかとも思ったけど、一応貰っておく。

 何かの役に立つかもしれない。

 例えば、再戦とか。

 

「ねえ、須賀くん。……もしかして割と本気で口説いてたの?」

「いい女だって言っただろうが。やりてえとは思ってるよ」

 

 つくづく下品な男である。

 ちょっと、いや、かなり好みには合わない。女の子じゃなきゃ絶対やだとか言うつもりはないけど、付き合うならまだ、奈那ちゃんの方が百倍可愛げがあると思う。

 あの須賀がバスケ以外に興味あったというのは面白い発見だと思いつつ。

 

 彼らが去った後の私達は重苦しい雰囲気に包まれた。

 

 一番落ち込んでいたのは昴。

 愛莉ちゃんと智花ちゃんも、申し訳なさから表情が暗い。

 負けるのは初めてではない。

 硯谷での経験があるとはいえ、自分達()()()()()()コーチまでもが敗北したという事実は、コートに出ていなかった真帆ちゃんたちの言葉も詰まらせた。

 

 なんて声をかけていいかわからない。

 

 上っ面の励ましじゃ伝わらないことは、なんとなくわかる。

 昴へ真っ先に声をかけ、突き放したのは葵だった。

 

「――みんな、今日はもう帰ろ」

 

 彼女は今日の負けを昴のせいと断じ、彼を「一人にしてあげて欲しい」とみんなに頼んだ。

 最も昴を良く知る「恋人」の言葉に、香椎くんも頷いて。

 

 みんなは渋々ながら昴を置いて、その場を後にしたのだった。

 

「葵。この後、用事があるんじゃなかった?」

 

 私が言ったのは、家まで半分くらいの道のりを歩いた時。

 今日はできるだけみんなを送っていきたい。

 愛莉ちゃんは香椎くんと一緒に帰れるとしても、他のみんなの家の近くまでは。

 

 葵も同じだったのか、初めは首を傾げた。

 

「え? 私も一緒に――」

 

 言った途中で思うところがあったらしい。

 言葉を止めた幼馴染に視線で伝える。

 

 昴を突き放したのは、一番長い幼馴染にしかできないこと。

 でも、彼女としての葵は別の選択をしてもいいんじゃないかって。

 

「……ん。そうだった。翔子、ここで別れてもいい?」

「もちろん。行ってらっしゃい」

 

 微苦笑を浮かべた葵に手を振り、後のことをお願いする。

 

「ふう……」

 

 葵が離れていった後、私はぽつりと呟いた。

 

「負けちゃったね」

「……はい」

 

 悔しそうに智花ちゃんが答えてくれる。

 愛莉ちゃんがか細い声で間を繋いで、

 

「わたし、明日、長谷川さんとどんな顔して会えばいいんでしょう……」

「普通でいいと思うよ」

「普通に、ですか?」

「うん。昴はきっと、ちゃんと立ち直ってくる。だから普通にしてあげよう。変に申し訳ないなんて思っちゃうと、逆に昴が気にしちゃうかも」

 

 男はプライドのせいで素直になれない。

 女は悔しいときわんわん泣けるし、みんなと悔しいって言い合っても許されるところがある。そういう意味では、ちょっと気楽かもしれない。

 

「もし、昴がウジウジ愛莉ちゃんたちのせいにしようとしたら、一発ひっぱたいてあげるから安心して」

 

 悪戯っぽく微笑むと、香椎くんがぷっと吹き出した。

 

「それは困るな。俺も一発ぶん殴るから、鶴見までやるとやりすぎになるかもしれん」

「あー。葵も殴るだろうから確実にやりすぎだね」

 

 私たちがそのまま笑い合っていると、みんな少しは気分が変わったらしい。

 

「でもくやしーよなー。もっかんとアイリーンとすばるんがあんなコテンパンなんて。なんかやり返す方法ないかなー」

「鶴見さんと荻山さんが勝ってるんだもの。圧倒的に格上じゃないと思うんだけど」

 

 真帆ちゃんがぼやくように言い、紗季ちゃんが同意する。

 すると、この場にいる唯一の男子である香椎くんが、おずおずと。

 

「あれだ。悔しかったらリベンジすればいいだろ」

「おー、りべんじ?」

「復讐するってこと、お兄ちゃん……?」

 

 妹に見上げられて「うっ」と言葉に詰まる香椎くん。

 可愛い、とか言ったら怒られるだろうか。

 

「もう一回挑戦する、ってことだと思うよ」

 

 智花ちゃんがすぐに誤解を解いてくれた。

 

「そっかー! 別にこっちから勝負しにいってもいいんだよね!」

「うん、そうだね。次はやっつけちゃえばいいと思う」

 

 相手が受けてくれるかはわからないけど。

 暴れ足りないといった須賀の様子からして、全くの脈なしでもないはず。

 なんにせよ、ひとまずは。

 

「昴が立ち直ってきてから、だけどね」

 

 まだ星の見えない空を私は見上げた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 翌朝、葵に電話してみた。

 無事に昴に会えたそうで、突き放した時とは逆に優しく慰めてあげたらしい。

 

『うう、どんな顔して昴に会えばいいんだろ』

 

 逆に葵の方が狼狽していた。

 どうやら、結構大胆なことをしたっぽい。

 

『もしかして……しちゃった?』

『し、してないわよそんなこと! でもその、す、昴の部屋で……あいつのことだ、抱きしめちゃったっていうか……っ!』

『ああ、文字通り抱きしめ合ったんだ』

 

 はいはいご馳走さま。

 でも、手をださなかった昴は偉いと思う。

 女の子を逃げ道には使わなかった。

 ちゃんと前向きに立ち直ることを諦めなかった。

 

『昴、私の胸で泣いてた』

『そっか』

 

 きっと感触は覚えてないんだろうなあ、勿体ない。

 

『男だって泣きたいときはあるよね』

『あるよ。いっぱいある。だから、女の子が泣かせてあげるんだよ』

『翔子、なんか実感籠もってる』

 

 そりゃあ、まだ男の子歴の方が長いので。

 

『受け売りみたいなものだよ。……でも、それなら』

『うん。大丈夫だと思う』

 

 葵の予想通り、翌日、慧心の体育館に昴はちゃんと現れた。

 すっきりした顔をして。

 みんなに昨日の態度を謝った上で、リベンジを挑みたいと言ってくれる。

 既にそのつもりになっていた私達はもちろん笑顔で了承した。

 

 ――さあ、反撃開始だ。

 

 あ。

 それはそれとして、香椎くんに外へ呼び出されて一発殴られたっぽい。

 これも男の子同士のけじめだから、まあ、仕方ない。



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7th stage 翔子は昴と小学生の試練に立ち会う(4)

 コーチ役が四人って、船頭多すぎない……?

 なんていう懸念もあったりしたものの、私達は二チームに分かれて練習を開始した。

 

 ――前回の反省点はいくつかある。

 

 まずは昴自身の個人技。これはチームの問題ではないため後回しになった。智花ちゃん達の特訓が終わった後、高校生組で特訓なり相談なりに付き合えばいい。夏休みだから時間には余裕があるし。

 そしてチームプレーが上手くいかなかったことと、インサイドの争い。

 

 チームプレーに関しては主に昴と智花ちゃんの連携。

 パスミスがわかりやすいけど、それはつまり息が合ってなかったってことだ。

 なので、二人には葵と真帆ちゃん、紗季ちゃんについてもらって連携を磨いてもらう。葵ならば須賀……は難しいとしても奈那ちゃんを想定するには十分すぎるし、真帆ちゃんと紗季ちゃんは何やら気づいていることがあるっぽかった。

 きっと、何かコツを掴むきっかけになるだろう。

 

 そして、インサイドの方。

 こっちは愛莉ちゃんに多くを求めすぎな部分もある。ただ、彼女ならきっとと思ってしまうのも事実。

 私と香椎くんでできる限りのアドバイスをしつつ、ひなたちゃんに協力してもらって2on2の練習なんかも盛り込んでみた。

 

「あの、翔子さんは怖くなかったですか? その、あの子と対決した時……」

 

 あるとき、愛莉ちゃんから質問をされた。

 私は手を止めて少し考えてから答えた。

 

「怖くなかったわけじゃないよ。怪我とか、バスケする時はいつもちょっとだけ怖い」

「どうして、ですか?」

 

 いつもと同じくらい怖かったというのは、裏返せば眞弓ちゃん自身は怖くなかったということ。

 

「うーん……慣れてるから、かな」

「そういうもんだからな。いちいち怖がってても仕方ない」

 

 隣にいた香椎くんも肩を竦める。

 身も蓋もないけど、言ってしまえばそういうことだ。

 身体同士がぶつかり合うなんて誰でも怖い。でも、これはスポーツだ。ちゃんとルールがある。だからこそ相手を信じられるし、信じた結果、大丈夫だったっていう結果が安心を生む。

 

「慣れ……それじゃあ、わたしは」

 

 どうしたら。

 

「慣れちゃえばいいんだよ」

「え?」

 

 驚く愛莉ちゃん。

 時間がないのにどうしたら、っていう話をしていたんだから当然だ。

 でも。

 

「相手が誰でも怖いものは怖いよ。……でも、だったら、眞弓ちゃんを特別怖がらなくてもいいでしょ?」

「え? えっと……」

「あの子、きっと悪い子じゃないと思う。私は奈那ちゃんの方がひっぱたかれそうで怖いよ」

 

 ちょっと冗談めかして言う。

 

「なるほどな」

 

 香椎くんが笑った。がはは、って感じでちょっとやかましい。

 彼はそこでちょっと声のトーンを落として、軽くしゃがんで。

 

「愛莉。俺とあのセンターの中学生、どっちが怖い?」

「え? その、えっと……」

「香椎くんの方が百倍怖い」

「おい、もうちょっと加減してくれよ鶴見……」

「ごめんなさい」

 

 困った顔になっていた愛莉ちゃんが、私達の漫才を見てぷっと吹き出した。

 可愛らしくくすくすと笑っている。

 兄妹で似てるところもあるけど、こういう仕草は全然違うなあ、とほんわかした。

 やがて笑いが収まった愛莉ちゃんは「うん」と首を縦に振った。

 

「お兄ちゃんの方がずっと怖い。……でも、お兄ちゃんはわたしをぶったりしないよね?」

「ああ。あの子だってそうだ。だって、バスケは殴り合うスポーツじゃないからな」

 

 その通り。

 どこぞの赤髪の不良がヘッドバットしたりガン飛ばしたりしてたのもあって誤解されがちだけど(なお、もちろん彼はバスケ普及に貢献した英雄でもある)、バスケはスポーツ。

 不慮の事故じゃなければ怪我とかもそんなにない。

 奈那ちゃんだって嫌味と高笑いだけで、男の子を足蹴にしたりとかそういうのじゃない。いや、諏訪とならどんなプレイしてても自由だけど。

 

「うし。じゃあ鶴見。俺とお前が交代で愛莉の相手をするってことでいいか?」

「うん。問題ないよ」

「わかりやすくていいな、腕が鳴るぜ」

「おー。うでがなるぜー」

 

 お手伝いのひなたちゃんも元気いっぱいに腕を振り上げてくれる。

 

「お、おお。頼もしいな。……でも、蹴っ飛ばしちまいそうで怖いんだが」

「本当に蹴らないでね? 身長差があると見えづらいだろうけど」

 

 私達のやりとりを少し離れたところで耳にした昴が「ふむ」という顔をしていたけれど、集中していた私はそれに気づかなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「どうだ、そっちは?」

「うん。順調だよ。愛莉ちゃん、やっぱりセンターに向いてると思う」

 

 私達の技術をみるみるうちに吸収していっている。

 洗練させていく必要はもちろんあるけど、新しいことを覚えるのは自信に繋がる。地道な反復練習より上手くなった感が出やすいから。

 愛莉ちゃんの柔軟性も立派な資質だ。

 

 香椎くんは男子というのもあって、がっつり硬いタイプのセンターが好きみたいだけど、愛莉ちゃんに向いているのはヨーロピアンスタイルだと思う。

 そのあたり意見対立というか議論があったものの、それはそれで楽しかったり。

 愛莉ちゃんにとっても「色んなスタイルがあっていいんだ」という実例になったんじゃないかと思う。

 

 ぎこちなく手を繋いで帰っていった兄妹を見送ってから、昴と葵と三人で自転車を押して歩いた。

 

「昴達の方は?」

「んー……それがなあ。どうやら智花が不調みたいで」

「練習自体はできてるけど、真帆ちゃん達が持ってる『秘策』待ちって感じ」

 

 なるほど、連携が上手くいってなかったのは智花ちゃんの不調が原因か。

 何か秘策があるってことは体調とかじゃないのかな? 心理的な面とか? あ、いや、そっか。昴と葵が付き合いだしたせいもあるのかも。

 彼女のいる男性(でも好き)との距離感を測りかねてるとか。

 私と葵はあっさり仲直りできたけど、それは長年幼馴染やってきたお陰だし。

 

「むう……」

「どしたの、翔子? 難しい顔して」

「ううん、なんでも。それより、明日はみんな自主練なんだよね?」

「ああ。……概ね、そうなるな」

 

 あ、これ、智花ちゃんの朝練はあるっぽい。

 葵はわかってないみたいで「?」って首傾げてるけど。

 

「そっか。私も愛莉ちゃんと真帆ちゃんちに行く予定だし、概ねだね」

 

 事実でうまいこと話題を逸らして誤魔化しておいた。

 ちなみに三沢家での特訓は何故か張り切っている真帆ちゃんが言いだしたことで、愛莉ちゃんもそれならとお邪魔することにしたみたい。

 疲れが身体に残らない程度なら頑張りは是非買いたいところなので、私も参加させてもらおうと思う。

 

「翔子も明々後日は大丈夫だよな?」

「うん。3on3を想定した練習だったよね。もちろん」

「よし。知ってる中だとお前が一番眞弓さんに近いからな。いや、良い意味で比較にならないけど」

「ふふっ。ありがとう、ちょっと嬉しいかも」

 

 主に高校生組を集めての仮想特訓。

 須賀役にはとある男子を用意しているらしいけど、誰だろう?

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「ちょっと早く着きすぎちゃったかな……?」

 

 3on3の練習場所の候補は、昔からちょくちょく来ている例の公園。

 競争率の激しい場所だから確保しておけるならちょうどいいけど……と思いながら辿り着くと、そこには先客がいた。

 つんつんした頭をした男の子。

 小六か中一くらいだろうか。どこかで見たことがある気もする彼は、てんてんと一人、ボールをついてはシュート練習を繰り返していた。

 

 と。

 

 私の視線に気づいた彼が振り返った。

 怪訝そうな顔で首を傾げる。

 

「えーっと……もしかしておねーさん、あの変態コーチの知り合いか?」

「変態? もしかして長谷川昴のことだったりする……のかな?」

 

 尋ねると、少年はため息と共に頷いた。

 

「やっぱりな」

「ごめんなさい、その『やっぱり』って『変態』にかかっちゃってるよね?」

「違うのか?」

「うん。昴にやましい気持ちはないから。はたから見たらセクハラだとしても、ロリコンじゃないからね?」

「本当かよ。っていうか、おねーさんも疑ってるじゃん」

 

 う。痛いところを。

 私が笑顔のままで固まると、少年は「ま、いーや」とボールを持ち上げた。

 

「俺は竹中夏陽。ウェア着てるってことはあいつに呼ばれて来たんだろ? 人が集まるまで勝負しよーぜ。おねーさんの腕前見てやるよ」

 

 あ、なんとなくわかった。

 真帆ちゃんと喧嘩して合宿させられた男バスのキャプテンだ、この子。

 なるほど、元気のいい真帆ちゃんと絡ませたら大変だろう。

 

「私は鶴見翔子。……じゃあ、お相手お願いしちゃおうかな」

 

 私は微笑んで、竹中くんの提案に乗ることにした。

 その後何度か身体を重ね合わせた(誤解を招く婉曲表現)ところ、

 

「もう一回だ! このままじゃ納得いかねえ!」

「まあまあ竹中君、あんまり疲れちゃうと本末転倒だし」

「夏陽でいいよ。それよりおねーさん手抜いただろ!? 後悔させてやるからもう一回だ!」

「あ、あはは……ごめんね、夏陽くん。さすがに小学生の子に本気出せないかなって」

「ざけんな! あいつは俺の宿敵なんだからな!」

 

 なんだかヒートアップさせてしまったようで。

 竹中くん改め夏陽くんはもう一回もう一回と必死にせがんでくる。しまった、負けず嫌い相手には下策だったか。

 でも、そうやって一生懸命なところはなんだか可愛い。

 年下の男の子とはあんまり接点がなかったけど、やっぱり男の子相手でも母性本能がくすぐられるみたいだ。話を有耶無耶にできないかなー、なんて思いつつ頭を撫でてあげると、顔を真っ赤にして「子ども扱いすんな!」って怒られた。

 

「……何やってんだお前ら」

「あ、おはよう昴。葵も」

「出たな変態コーチ! もう一人女の人連れやがるし、お前、さてはエロ魔人だな!?」

「お前の中ではどうなってるんだ、俺の存在……」

 

 呆れ顔で嘆息する昴。

 夏陽くんの方は敵視してるけど、昴の方は男として仲良くしたい感じかな。

 意外といい関係かも。

 

「ううん。昴はエロ魔人じゃないよ。私が迫っても彼女一筋って全然構ってくれないんだから……ってあ痛っ」

「面倒な時に話をややこしくしないの」

 

 葵に軽く叩かれてしまった。

 さつきや多恵が来れない分、少しは混ぜっ返しておこうかと思ったのに。

 わいわいやっていると香椎くんが到着。

 トレーニングウェアを身に着けた巨体は迫力満点。彼が今日は愛莉ちゃん役らしいので、私としては負けないよう搦め手含めて準備しておかなければならない。

 

「よう。えーっと……男三人か? 今日は肩身が狭くなさそうだな」

 

 夏陽くんは初対面のメンバーが多いので、順に挨拶を交わす。

 

「それで、昴。後一人はさつきか多恵? それとも上原?」

「いんや。フォワードの助っ人を呼んだ」

「フォワード?」

 

 智花ちゃんとか?

 でも、あの子は日舞と茶道のお稽古で忙しいはずだし……と、いよいよ首を傾げてしまう。

 幸い、疑問の答えはすぐに出たのだが。

 

「せっかくの夏休みに呼び出しやがって。どういうつもりだ長谷川」

 

 背後からの声に私は振り返る。

 なかなかの長身に見覚えのある仏頂面。

 私は反射的に笑顔を浮かべていた。

 

「どちら様でしょうか?」

「ご挨拶だなてめえ。……俺に勝てない癖にまだバスケやってたのか」

「諏訪君こそ。私に勝ったのにまだバスケ続けてるんですか?」

 

 諏訪一宏。

 私にとっては因縁のある男が、今日最後のメンバーらしい。

 

「というか、恋人の手綱くらいちゃんと握っておいてください。迷惑です」

「あー。奈那とやったらしいな。さんざんお前の悪口聞かされた」

 

 顔をしかめた諏訪は私の目をじっと見てくる。

 謝ってくれるのかな?

 

「格下を叩き潰すとかアホか。この雑魚専」

「……ふふ。諏訪君こそ、女の子にそんな言い方ばかりしていたら彼女に逃げられちゃいますよ?」

「奈那の方が俺に惚れてんだよ。っていうかお前が女の子ってタマか」

 

 なんか前より相性悪くなってる気がする。

 こいつの顔を見た途端、溜まっていた鬱憤が出てくるわ出てくるわ。そもそもこいつのことは祥の件もあって気に食わないのだ。あのことを知らない人もいるから口には出せないけど。

 今の私でも女の子とは呼べないと来たか。

 だったらもっと磨きをかけて、意地でもいつか認めさせてやる。

 

「あー。二人ともその辺にしといてくれ。これからチームメイトになるんだから」

「「こいつとチームメイトとか正気(か)?」

 

 同時に言った私達を見て、夏陽くんがぼやいた。

 

「おい、あんた。絶対人選間違ってるぞ」

 

 正直私もそう思った。



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7th stage 翔子は昴と小学生の試練に立ち会う(5)

 昴が指定したチームは以下の通りだった。

 

 ・チームA:竹中夏陽、諏訪一宏、鶴見翔子

 ・チームB:長谷川昴、荻山葵、香椎万里

 

 昴側のチームは器用なフォワード(葵)とセンター(香椎くん)、智花ちゃんと愛莉ちゃんを意識した構成。

 私側のチームは剥き出しの戦意が須賀っぽい夏陽くんと数合わせのフォワード諏訪、センターの私。余りものにしては奈那ちゃんと眞弓ちゃんに近いと思うけど、我ながらフォーメーションとかチームワークとは程遠いプレーになってしまった。

 

「甘いぜ鶴見……!」

「う、しまった」

「おい何やってんだてめえ。ただデカいだけか。身長は飾りか」

「うるさいだまれ」

 

 香椎くんのパワードリブルに突っ切られ、得点されれば罵倒が飛んできて、思わず言い返す。

 

「ほら、諏訪君も慎重に構えすぎじゃない……っ?」

「なっ!?」

「あれ、諏訪。女の子にも勝てないの? 須賀からエースの座は奪えたの?」

「調子乗ってんじゃねえぶん殴るぞ」

 

 葵に突破されたあいつを笑えば、本気で殴ってきそうなレベルの怒気が来る。

 諏訪が、っていうよりはお互いに喧嘩腰が止まらない。

 

 ――本質的に相性が悪いんだと思う。

 

 形だけ仲良くしようと思っても、憎まれ口一つ叩かれただけで堪忍袋の緒が切れてしまう。

 っていうかこれだけ暴力的なんだったら、須賀の代わりは諏訪で良かったんじゃないだろうか。

 まあともあれ。

 あんまり連携が取れてなくて好き勝手やってる、っていう意味でも須賀チームを再現できてしまっていたような気がする。

 

 その甲斐あってか(?)、対須賀戦において昴が妙に不調だったという事実も発覚。

 本調子の昴ならもうちょっと戦えていたはずだとわかった。

 

 後は、対抗策と切り札。

 

「諏訪。あいつのジャブステップ、見切れたか?」

「……いや。先輩達も含めて誰も破れてねえ」

 

 昴の問いに諏訪が悔しそうに首を振った。

 間近で見ていてもそれなら攻略はなかなかに難しそうだ。

 逆に見慣れてるから見えないって可能性もあるけど。

 その辺は昴もビデオを繰り返し見てるらしいから、そっちに期待。

 

「あと翔子」

「うん?」

「ジャンプシュート得意だろ。スクープショットってできるか?」

「スクープ? 打てなくはないけど、特別に練習したことはないかな」

 

 私がそう答えると、昴は「そっか」と残念そうに頷いた。

 何かコツとかあったら教えて欲しかったらしい。そういえば、さっきも夏陽くん相手に打ってたっけ。なんでも、必殺技にできればと練習しているのだとか。

 ちなみにスクープっていうのは遠めの距離から放つレイアップのこと。

 状況的に苦し紛れ感があって、へなちょこシュートなんて呼ばれたりもするけど、実際決まってるところを見るとすごく格好いい。

 ただまあ、決めるのが難しい。

 レイアップは近くで打つからこそ片手でも決まる。それを遠間から打つとなると相当シビアな感覚が必要だ。単に遠くからシュート決めたいなら両手で打てばいいわけだし。

 その分、警戒されづらいし、乱戦になりかけたところから「ひょい」っと得点できるのが利点。

 

「やっぱり数こなすことじゃない? ブロックをかわすためのシュートだから色んな状況で打たなきゃいけないし。手首で微調整できるようにならないと」

「だよなあ……お前なら新しい技覚えるヒントがあるかと思ったんだが」

「私のは新しい技じゃなくて、誰かが覚えてる技だよ」

 

 いわばラーニング。

 それも見ただけでほいほい使えるわけじゃない。真似してみて「なにこれやってみると超難しい」ってなりながら反復練習して身に着けているのだ。

 しかも、そこまでしても本家には遠く及ばないわけだし。

 

「あんたジャンプシュート得意でしょ? あたしのフェイダウェイとかどんな感じで打ってるのよ」

「感覚だから言葉にするのは難しいよ。……強いていうなら風の精でもになってる感じ?」

「なんだそりゃ」

 

 さっぱりわからん、と昴が投げた。

 うん、今の説明じゃ私でもわからないと思う。

 

「長谷川。こいつに聞いたって無駄だ。お前がなんとかしろ」

「む。そこまで言うなら私もスクープ覚えようかな。昴が打てるようになってから」

「お前俺の技まで盗む気かよ……」

 

 もちろん、使えるものはなんでも使う。

 手札は多ければ多いほどいいんだし。

 そう言うと、昴は「手札か……」と何やら考えていたようだった。

 

 練習と作戦会議が終わると、諏訪はさっさと帰っていった。

 彼も須賀のワンマンぶりはイラっとしているようで、自分が鼻っ柱を折るヒントになるかもしれないと参加したらしい。

 まあ、そうでもないと来ないと思うけど。

 去り際に「お前とはもう会わない」と言われた。うん、私も会いたくない。口喧嘩をするにも男時代の残滓をかき集めてるような感覚があって、なんだかざわざわするのだ。

 

 諏訪がいなくなってほっと息を吐くと、香椎くんが「災難だったな」って苦笑いしてくれた。

 須賀といい諏訪といい、もう少し香椎くんを見習ってほしい。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 智花ちゃんの不調は、昴とのチームプレー経験不足が原因だったらしい。

 昴と一緒にお風呂に入ったり(水着着用)、一緒の部屋で寝た(布団は別)ことで不調はなくなり、かなりのキラーパスでも通るようになった。

 あと、昴の方の不調は智花ちゃんが改善してくれたそうだ。

 本人曰く、自分の使い方を再認識したとのこと。心機一転した昴の動きは見違えるようで、これなら須賀にも通用するかもと思えた。

 でも、智花ちゃんは大丈夫だろうか。

 聞いた限り昴に「イリーガルユースオブハンズ」はなかったみたいだし、二人の歳の差なら逆にセーフだとは思うけど。下手に想いを募らせてしまうと辛くなるかもしれない。

 それとも、想い続ける覚悟を決めたのかな……?

 

 香椎くんのお陰で愛莉ちゃんの特訓も順調。

 自分よりも大きな男子が相手でも物怖じせずにプレーできるようになってきたので、後はこの感覚を忘れなければきっと大丈夫。

 

 須賀攻略の糸口も無事見つかった模様。

 聞いてみたところ、個人戦で使えるものではなかった。ただし、チームプレーでマークマンの人数を増やせるのなら、昴が見つけた「須賀の癖」は凄く役立つ。

 

 後は須賀に話をつけるだけだ。

 

 私は昴の部屋にお邪魔すると、彼の見ている前で須賀の番号をコールした。

 電話はすぐに繋がった。

 

『誰だ?』

 

 不機嫌そうな声。

 

「私、鶴見翔子。今、電話大丈夫?」

『ああ。……くく。まさか本当に連絡が来るとは思わなかったぜ。俺の女になる気になったか?』

「あはは、ごめんね。そういう用件じゃないの」

 

 うん、須賀相手だと諏訪よりはマシに話せる。

 私は昴に電話を代わる。

 

「俺だ。須賀、お前に再戦を申し込みたい」

『……ちっ、長谷川かよ。再戦だぁ? この短期間で何か変わったとでもいうのか?』

「変わったか変わってないかは見てもらえばわかる。それとも、怖いか?」

 

 昴の挑発はクリティカルだった。

 

『……いいだろう。奈那と調整してメールを入れる。けどな、貴重な時間を割いて勝負してやるんだ。こっちからも条件を付けるぜ』

「無理を言ってるのはこっちだ。大抵のことなら飲む覚悟はある」

『そうかよ。……なら、せいぜい期待して待ってな』

 

 メールは数日後に送られてきた。

 

 夏の終わり、八月三十日。

 前回と同じ3on3で、再戦の条件として――負けた時に次の条件を呑むように言われた。

 

 ・昴が奈那ちゃんの奴隷になること

 ・私が須賀と付き合うこと

 

 昴達と一緒に条件を確認した私は思わず唸った。

 

「……須賀君って女の趣味悪かったんだね」

 

 そこまで私に固執しなくても。

 よっぽど気に入ったのか、それとも昴への嫌がらせなのかな……?

 首を傾げていると昴と葵がツッコミを入れてきた。

 

「いやいや、お前。いいのかこの条件!」

「須賀君と付き合うんだよ? あんた、あの男って……その、余裕で守備範囲外でしょ?」

 

 うん、男っていう時点でできれば遠慮願いたい。

 でも。

 

「付き合うだけならね。結婚するわけじゃないし。合わなかったら別れてもいいはずでしょ?」

 

 須賀だってそこまで無茶は言わないだろう。

 一回くらい男女の関係にならないと納得してくれないかもだけど……そこは犬にでも噛まれたと思って諦める。

 

「むしろ昴はいいの? 奴隷だよ? しかもあの奈那ちゃんの」

 

 尋ねると、昴は男の子の顔で答えた。

 

「ああ。負けなければいいだけだ」

「格好いい。……なら、私だってそうだよ」

 

 私は微笑んだ。

 

「許せない条件だって思うなら、負けないで」

「……そのための条件か。わかった」

 

 昴は頷いた。

 

「安心してくれ。俺は負けない。俺自身のためにも、みんなのためにも――今度こそ、必ず勝ってみせる」

「うん、その意気」

 

 それでこそ、私のバスケの師匠だ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 再戦は、嘘みたいにスムーズに進んだ。

 私達が総出で行ってきた対策が、特訓が、次々に実を結んだ形。

 

 昴からの鋭いパスを、智花ちゃんが逃さず受け取る。

 ダブルチームで須賀の自由を奪い攻撃を防ぐ。

 高校生の小学生の身長差を活かして視覚の隙を作り、ファウルを狙う。

 押し引きの技術を覚えた愛莉ちゃんが眞弓ちゃんを翻弄し、逆に迷いを誘う。

 

 極めつけは、昴と智花ちゃんによるジャブステップ攻略。

 

 須賀が抱えていた「パスを考慮している間は凄みが薄れる」という癖を利用し、個人突破が来る()()()智花ちゃんをマークにつけるという離れ業が炸裂したのだ。

 どうやったらそんなチームワークが可能なのか。

 お互いの信頼と相性がよほど良くないとできないはず。葵が嫉妬でちょっと変な顔をしていた。でも、そのくらい凄かったのだ。

 

「須賀。……ここからは、1on1ってことでどうだ?」

 

 前回の流れを逆にした形で昴が提案し、須賀が受ける。

 一対一では智花ちゃんには頼れない。

 ジャブステップ攻略が運頼みとすると、昴の攻撃が一回でも失敗すれば終わりと考えていい。

 

 負ければ奴隷のプレッシャーの中。

 昴は初球でスクープショットを決め、須賀のディフェンスプランにノイズを加えると、次からの攻撃は何ら奇をてらったところのない「フェイントからの突破」を選んだ。

 これが連続で成功する。

 須賀のディフェンスをするりとかわす昴は全くの自然体。彼が編み出した自分の使い方とは、須賀の戦意剥き出しのスタイルとは逆の、いわば静のバスケ。

 火と水に例えてもいいかもしれない。

 

「私の『風の精』もちょっとは役に立ったのかな?」

「や、それはない」

「それはないな」

「るーみん、なんか変なこと言ったの?」

 

 さんざんな言われようだった。

 

「負けたなんて思ってねーぞ長谷川。……完全にはな」

 

 結局、須賀は昴を止められなかった。

 須賀を止められない昴。昴を止められない須賀。彼らはライバルとして対等になったといっていい。

 次は五対五で決着をつけよう。

 ちゃんとした公式戦の場で。

 そう言葉を交わし――昴と須賀は別れた。奈那ちゃんたちはべそをかきながら須賀の後を追っていった。どのみち夏休みも終わりだけど、もう道場破りのような真似はしないだろう。

 

 ……私も、ほっとした。

 

 最悪、覚悟はしてたけど、須賀の彼女になんてなりたくなかった。

 昴が勝ってくれて本当によかった。

 と、香椎くんが遠慮がちに背中を叩いてくれる。

 

「ほら。行こうぜ、鶴見」

「あ、うん」

 

 微笑んで頷き、私も、みんなにもみくちゃにされている昴に駆け寄った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 昴達の決闘の後は交流試合をした。

 相変わらず昴に対抗意識を燃やす竹中君がいたりしたけど、こっちの試合は終始和やかに進んだ。

 そして、ファミレスに場所を移して感想戦に入った頃。

 私と昴、葵のもとに同時にメールが入ってきた。

 

「……あっ」

「おっ」

「あはっ」

 

 それは、麻奈佳先輩からのメール。

 足の手術が無事成功した旨と、私達との対戦を願う旨。

 

 私達。

 慧心女バスと硯谷のことであり、コーチ対コーチのことであり、選手対選手のことでもある。

 私達は喜びと共にこれからへの思いを新たにする。

 

 お試し期間として定めた夏休みが終わる。

 女バスに入ったまま先輩達に不義理を続けるのもこれ以上は心苦しい。

 私自身、今後の身の振り方を確定させる時期にさしかかっていた。




次はエンディング(万里編)です。


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ending05.香椎万里

「そうだ。私がお弁当作ろうか?」

 

 夏休みの終わり。

 私はちょっとした気まぐれからそんなことを提案した。

 香椎くんは目を丸くした後、何故か私から目を逸らした。

 

「い、いや。それは悪いだろう」

「そう? 私は別に構わないよ? もし気になるなら食材の代金だけ貰えれば」

 

 交流会の後、みんなで行ったファミレスでのこと。

 慧心の給食が話題になった時だ。いっそ高校も給食ならいいのにと、香椎くんが遠い目をした。お母さんがたまにしか弁当を持たせてくれないので学食に行っているが、毎回メニューを決めるのが面倒だと。

 ちなみにお母さんが渋ってるのは、息子の分だけ作るのは面倒だから。

 愛莉ちゃんが運動会や遠足などの時は「ついでに」作ってくれるのだとか。

 

『でも、それだと学食代も結構かかっちゃうよね』

『そうなんだよなー。悪いとは思うんだが、一皿じゃ足りん』

『お母さんも、いっぱい食べなさいって言ってるもんね』

 

 なるほど、じゃあ、誰かがお弁当を作ればいいのか……。

 ということで冒頭の発言に至った。

 

「翔子さんがお兄ちゃんのお弁当……いいなあ」

「あ。愛莉ちゃんも一緒に作りたい?」

「あっ、えっと、そうじゃなくて……えへへ、でも一緒にお料理はしてみたいです」

「じゃあ今度一緒に何か作ろっか」

 

 愛莉ちゃんと一緒に料理するのも楽しいだろう。

 なんていうか、妹ができたみたいで。

 

「うおー! るーみん、もしかして愛のコクハクかー!?」

「ふええっ!? 翔子さんが愛莉のお兄さんにっ!?」

「おー。おねーちゃん、だいたん」

「これは意外な展開ね……」

 

 と、思ったら話が変な方向に行きだした。

 

「もう、みんな。そういうのじゃないからね?」

 

 ね? と香椎くんを見たら、

 

「お、おう……」

 

 当の彼まで真っ赤になっていた。

 うう、なんか私まで恥ずかしくなってきたんだけど……。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 なんだかんだと騒いだ挙句。

 香椎くんは後に引けなくなったのか、「じゃ、じゃあ頼むわ」と私に言った。

 私も「う、うん」と、ちょっと上ずった返事になってしまった気がする。

 

 ――平常心、平常心。

 

 別に恋愛とかそういう話じゃない。

 単に心配になったというか、休止中の男バスを少しでも助けたかっただけだ。

 でも、男の子用の献立を考えるのはちょっと楽しかった。

 

 お弁当は、ひとまずお試しで一週間くらいという約束。

 香椎くんの好きなものとかも聞いてみたんだけど、好き嫌いはしないタチだそうで。

 

「鶴見の弁当は前にも貰ったけど美味かったからな。何が来ても喜んで食うさ」

 

 なんとも男気溢れるコメントをもらった。

 そんなこと言われるとその、ちょっと嬉しくなってしまうわけで。

 男の子用だから量多めで味濃いめで、ご飯がばーん! おかずがどーん! みたいな方がいいよねとか、でも前のお弁当を褒めてくれたんならヘルシーも意識してみるべきかとか、毎日目先を変えることを考えるとメインはアレとコレとソレと……とか色々考えた。

 

 そして、始業式翌日。

 

 二学期最初の全日授業の日、なかなかの自信作が完成した。

 さて、そうすると問題は。

 

「どうやって渡すかだよね……」

 

 事前にそれとなく相談もしてみたけど、二人ともいい案は浮かばなかった。

 

 食べ物だから下駄箱に入れるのは嫌だ。誰にも見つからず机に入れるのも難しい。

 昴経由で渡してもらうという手もあるけど、「長谷川×香椎」なんていう噂にならないとも限らない。私が毎朝長谷川家に通い詰める方も問題あるかもだし。

 しょうがないので普通に渡すことにした。

 

 香椎くんとは昼休みに学食で合流。

 

「よ、よう」

「う、うん」

 

 禁制品の受け渡しでもしている気分になりつつ、隅の席を取って。

 

「はい、どうぞ」

「お、おお。さんきゅ」

 

 私が差しだしたお弁当箱を、香椎くんは両手で受け取った。

 早速包みを開いて蓋を開ける彼。

 

「……おお!」

 

 瞬時に目が輝いた。

 よし、どうやら掴みはオッケーの模様。

 してやったりと口元が綻ぶ。

 

「もし足りなかったら、今日は学食で注文してもらえるかな? 明日から調節してみるから」

「おう。いや、これだけあれば十分だと思うぞ」

 

 答えた香椎くんがちらりと私を見る。

 くすっと笑って頷いた。

 

「どうぞ召し上がれ」

「……いただきます!」

 

 途端にがっつき始める香椎くん。

 私は自分のお弁当を用意しながら、男の子だなあとそれを眺めた。前世の私はここまで元気じゃなかったと思う。なんにせよ、喜んでくれるとやっぱり嬉しい。

 

「味の方はどう?」

「ああ、美味い。特にこのハンバーグが最高だ」

「良かった」

 

 ひき肉と玉ねぎで作った家庭的なハンバーグ。

 ビーフ百パーで肉汁どばー、みたいなやつの逆を行き、合い挽き肉を使用しつつうま味を閉じ込めるように作った。味付けは主に塩コショウのみ。一応ソースも別に付けたけど、そのままでも美味しくできたつもり。

 このハンバーグは私のお弁当にもサイズ違いのものが入っている。

 

「鶴見は料理上手だよな。お袋に教えてやってほしいくらいだ」

「そういうこと言わないであげて。女の子でも料理苦手な子はいるんだよ?」

 

 でも、料理は女の仕事というイメージが強い。

 苦手でも、結婚すれば毎日料理しなくちゃいけない。家計のために節約を考えるとなったら余計大変だ。

 

「いっぱい作るとなると時間も強敵だし」

「なるほどな。バスケだって、点差があって時間がない時はペースアップするしかないもんな」

 

 合間の雑談はどうでもいいことやバスケの話。

 香椎くんは主に食事に集中していて口数は少なかったけど、不思議とそれでも楽しかった。

 もともと男の子のリズムは嫌いじゃない、というかそっちが素だったわけで。

 今となっては男同士という感じにはならないけど、居心地はいい。

 

「ご馳走様。滅茶苦茶美味かった」

「お粗末様。味付けの希望とかあった? できるだけ頑張ってみるけど」

「んー」

 

 香椎くんは少し考えた後で「いや、特にないな」と言った。

 

「この味は濃いめがいいとか、言おうと思や言えるけどな。鶴見のことだから栄養バランスまで考えてくれてるんだろ?」

「……あはは、うん。一応は」

 

 今の台詞はずるい。

 言わなかったことを察してもらって、不覚にもうるっと来た。

 食堂の椅子が窮屈そうな名センターは朗らかに笑って、

 

「なら、その方がいいだろ。……明日も期待してていいか?」

「うん、もちろん。期待してて」

 

 私も彼に笑顔で答えた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 それから数日、私達は学食の隅っこの方で食事を続けた。

 私の料理は概ね好評。

 卵焼きは塩か砂糖かみたいな譲れない一線だけはちゃんと希望を言ってくれる。そういう拘りの話で言い合いじゃないけど話が弾んだりもした。

 

 そうして、約束の一週間の最終日。

 私はクラスメートから思いがけないことを言われた。

 

「鶴見さんは今日も彼氏と学食?」

「え……?」

 

 彼氏というのは他でもない、香椎くんのことだった。

 

「そんな風に見える?」

「違うの?」

 

 尋ねれば、きょとんと首を傾げられる。

 

「毎日お弁当渡して一緒に食べてるって、ちょっと噂になってるよ」

「うわあ」

 

 まさか、こんなにあっさり噂が広がるとは。

 学食を選んだのは足りなかった時の備えとは別に、教室で食べるよりは目立たないだろうという目論見があった。でも、こそこそした感じが逆に噂を呼んでしまったのかも。

 

 ――どうしよう。

 

 私は迷いつつも、香椎くんへ素直に打ち明けることにした。

 彼としても噂は意外だったようで、

 

「マジか」

 

 と言って眉間に皺を寄せてしまった。

 ちなみに、そうやって話しているのも学食なわけなんだけど。

 

「どうする? 今日で終わりにしておく?」

 

 その方がいいかもしれない。

 お弁当作りも楽しくて張り合いが出てきていた。女バスも正式に退部したところなので残念だし、これから時間が余ってしまいそうだけど。

 変に誤解されたままよりはずっといいはず。

 そう、思ったんだけど。

 

「俺は別に構わんぞ。……このままで」

「え?」

 

 意外なことを言われた。

 目を丸くして香椎くんを見つめる。彼は気恥ずかしそうに頬を掻いていた。

 

「そういう話になるのは分かってただろ。言いたい奴には言わせておけばいい。バレちまったんなら次からは教室で食えるしな」

「でも、彼女できなくなっちゃうよ?」

 

 既に彼女がいると思われるわけだから当然だ。

 香椎くん、前に昴を羨ましそうにしてたし。

 でも、彼は苦笑して、

 

「そう簡単にできると思っちゃいない。俺とお前の色気ない話を聞いてそう思われるなら何言っても無駄だろうし。……もちろん、鶴見が嫌なら止めてくれていいが」

 

 逆に窺うように見つめられた。

 

 ――そう言われると返答に困る。

 

 本当に嫌だったからじゃない。

 ただ、気持ちを言葉にするのが照れ臭かったのだ。

 

「……ううん。私も、お弁当作るの楽しいから続けたい」

「なら、決まりだな」

 

 にかっと笑った香椎くんは「ほら、弁当くれ」と手を伸ばしてきた。

 彼にお弁当を手渡しながら、私は胸が熱くなるのを感じていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 お弁当の受け渡しは場所を選ばなくなった。

 開き直ってからは一緒に食べたり食べなかったり。同好会の日なら後から弁当箱を返してもらえるし、なんなら洗ったものを愛莉ちゃん経由で渡してもらうこともできる。

 一緒に食べながらバスケの話に興じていると、噂もいつの間にか収まった。

 

「鶴見と付き合ってるかって? そういうんじゃねえよ」

「材料費もらって作ってるだけだよ。バイトみたいな感じ」

 

 面と向かって聞いて来た人にそうやって答えたのも効果があった。

 本当は付き合ってるんでしょ? なんて言ってくる子もいたけど、何度聞かれても「付き合ってません」が正しいアンサーだ。

 だんだん気にするのが面倒になってきた私は楽しむのを優先し、お弁当を作り続けた。

 いつの間にか二人分のお弁当を作るのが日課になっていて、暇さえあれば献立を考えている自分がいた。

 

 ――これが家族四人分だったら大変だろうな。

 

 何故か、私の相手役は香椎くんの姿をしていた。

 そうやって一か月を過ぎた頃だろうか。

 

「鶴見」

「なあに?」

 

 数日ぶりに香椎くんのクラスで一緒に食べた後、彼から不意に包みを渡された。

 

「これは……?」

「その、なんだ。弁当の礼みたいなもんだ」

 

 帰ってから開けてみると中身はエプロンだった。

 別に特別高級品ではなかったけど、だからって安いものでもない。

 いいのかと尋ねると彼は恥ずかしそうに言った。

 

「エプロンなら予備があってもいいだろ。それに、お前のお陰で金は節約できてるから」

 

 私は材料費として一回二百円を受け取っている。

 十分すぎる額だけど、学食で二品頼んだら優に五百円は超える。差し引きすればエプロン一つ買うくらいのお金は十分余る。

 

「そういうことならありがたく頂くけど……お母さんにちょっと悪い気が」

「お袋には金返そうとしたんだよ。そしたら、じゃあその子にプレゼントでもしてやれって言われちまった」

「そうだったんだ」

 

 香椎くんがしかめっ面しながらエプロンを選んでくれたと思うとちょっと楽しかった。

 

「それでな」

 

 彼は、なんだか凄く言いづらそうに言葉を続けて、

 

「今度、お袋がお前を連れて来いって」

「え」

「愛莉にも気に入られてるだろ。だから興味を持ったみたいで。……ど、どうだ?」

 

 胸の鼓動が早くなっていく。

 香椎くんと見つめ合った私は、ろくに思考が回らないまま、こくんと頷いていた。

 

 ――つまり、本心から。

 

 行ってもいいと思った。

 

「うん、じゃあ今度、お邪魔してもいいかな?」

「ああ、そのうち、な」

 

 どうしたんだろう、香椎くん。

 収まらない動悸に苦しみながら、私は不思議に思った。

 彼ならお母さんの申し出を適当に流すこともできたはず。

 

 それを、わざわざ私に。

 

 断って欲しかった?

 でも、それならOKした時にもっと残念そうな顔をするはず。

 あの顔は、なんだか嬉しそうだった。

 

 やりとりが頭から離れないまま家に帰って鏡を見ると、私の口元はにやけていた。

 

「……どうしちゃったんだか」

 

 女の子であることは受け入れたし、将来結婚だってするつもりはある。

 でも、そういうのはまだ先の話のはずだった。

 香椎くんは友達の一人でそういうんじゃないはず、なんだけど。

 

「何着てくか考えておかないとなあ」

 

 ひとまず、深く考えるのは止めることにして。

 私はお呼ばれの時の服装と受け答えをあらかじめシミュレートしておくことにした。

 

 それは、なんだか楽しくて。

 お弁当の献立を考えている時と、同じ感じがしたのだった。



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8th stage 翔子は新たな小学生と邂逅する(1)

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【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

【ポジション】

 センター

【小学5年生の頃の自分】

 性自認と実際の性の違いでピリピリしていた

-----

 

 

「おー、久しぶりだな翔子ちゃん! 見ない間にすっかり美人さんになっちまって。恋か?」

「お久しぶりです、銀河さん。……あはは、あいにく恋人には恵まれないんです」

 

 久しぶりに会ったった彼は以前と全く変わっていなかった。

 長谷川銀河。

 昴のお父さんであり、七夕さんの旦那さん。昴とは全然似ていない長身かつガタイのいい地質学の准教授。高校時代は『空飛ぶ冷凍マグロ』の異名で知られ、七芝高校を全国出場に導いた伝説のエース。

 私も何度か会ったことがある。

 物凄く気さくな彼は、会いに来た私を歓迎してくれた。

 

「これ、つまらないものですが」

 

 挨拶を済ませた私は手土産を差し出す。

 くだけた普段着で食卓に座った昴がそれを見て苦笑した。

 

「そんな気、使わなくてもいいのに。親父だし」

「そうだぞ翔子ちゃん、そういうのは大人になってからで十分っと……珍しいものが出てきたな!」

畳鰯(たたみいわし)です。軽くあぶっただけでも美味しいですし、お酒にも合うと思います」

 

 消えものなら受け取ってもらえるだろう、という目論見は成功。

 銀河さんはほくほく顔で贈り物を見ると七夕さんに声をかける。

 

「こんなもの持ってこられたら飲まずにはいられねーな。……なゆなゆ、頼む」

「はいはい。ふふ、翔子ちゃん。ありがとうね」

「とんでもありません。皆さんで召し上がってください」

「ってゆーかもう飲んでるじゃねーか親父……」

 

 うん、まあ。

 銀河さんの席の前にはビールの瓶とグラスが置かれており、中身は既に減っている。

 夕食前の晩酌っていう時間に来ちゃったから、そりゃそうだ。

 平日の早い時間はお仕事で家にいないかもって話だったから、こうして夜になってからお邪魔した。

 

「葵とはもう会いました?」

「いんや、残念ながらまだ。息子の彼女の顔、こっちにいる間に一目見ておきたいんだけどなー」

「葵のことならよく知ってるだろうが」

「甘いなすばるくん。お前の幼馴染としての葵ちゃんとは既に会っているが、お前の彼女になった葵ちゃんとはまだ会ってねーのだよ」

「変わんねーよ! いきなり両親に紹介とか結婚挨拶か! あとすばるくん言うな!」

「もうそこまで進んでんのか! なゆなゆ、お赤飯を……!」

「違うわ!」

 

 何この漫才。

 私は途中からお腹抱えて笑ってました。ああもうお腹痛い。

 

「葵も心の準備をしてるんじゃないでしょうか。そのうち会いに来てくれると思います」

「そうだな。なかなか会えなかったら昴にセッティングしてもらおう」

「まあ、いいけどな……。もともと知らない仲じゃないんだし」

 

 ぶつぶつ言いつつ昴も了承。

 ご両親への挨拶が既に済んでるようなもので、なんならいつ結婚してもOK……って、考えてみるとすごく恵まれた環境だよね。

 幼馴染の強みというのをあらためて実感する。

 ラノベやアニメにおける幼馴染の負け率? 知らない子ですね。

 

「そうかー。昴のハートを射止めたのは葵ちゃんの方だったか。大丈夫だ翔子ちゃん。その女子力ならいつでも良い相手が見つかるから」

「はい、ありがとうございます」

「射止めるも何も翔子とはそういうんじゃないって……」

 

 葵とも「そういうんじゃない」と思っていた男が何か言っております。

 

「うふふ。昴くんがみんなと仲良しで嬉しい。ね、翔子ちゃんも晩御飯、食べて行くでしょう?」

「え。いえそんな、悪いです」

「いいのいいの。せっかく銀河くんがいて賑やかなんだし、一緒に食べましょう?」

「あ……あはは、ありがとうございます。実はちょっとだけ、そういうつもりもありました」

 

 正直に白状しつつ、七夕さんの料理を手伝いに行く私。

 何度か料理を習いに来るうちに置かせてもらうようになった私用のエプロンを身に着け、並んでキッチンに立つ。これ、葵がやるべき立ち位置な気もするけど。

 一緒にと誘った彼女には「翔子に助けてもらうのは違う気がするから」と断られてしまった。

 自分から退路を断つとは、葵も本気らしい。

 

「っていうか翔子、お前親父に会うのと飯のためだけに来たのか?」

「あ、忘れるところだった。ううん、もう一つ。昴に渡したいものがあって」

「俺に?」

「うん」

 

 私は料理が一段落した後、持ってきた小さな袋を昴に渡した。

 

「これは?」

「智花ちゃんの誕生日プレゼント。昴から智花ちゃんに渡してくれる?」

 

 智花ちゃん、今週の土曜日がお誕生日らしいのだ。

 で、昴はお誕生日会に呼ばれている。

 本当は私も招待してくれようとしたんだけど、遠慮させてもらうことにした。年上が多いと子供だけで楽しめないだろうし、葵は招待しないつもりみたいだったから。

 仲良くしたくないわけじゃないけど、好きな人を取られた悔しさもある。

 複雑な乙女心に感心したわけじゃないけど、女バスの正コーチ一人だけを呼ぶなら言い訳は十分に立つだろう。

 

「なるほどな。じゃあ確かに受け取った。ちなみに何にしたんだ?」

「組紐と、オリジナルの刻印入りの将棋の駒」

 

 小学生のお誕生日会とはいえ、あの真帆ちゃんがいるわけで。

 さりげなく聞き取りをした結果、そこそこのお値段のプレゼントが含まれそうだったため、色々悩んで二つセットにした。

 組紐なら腕に着けても鞄に着けても、最悪照明のスイッチ紐を延長してもいいし(LEDが来たらお役御免だけど)。

 駒の方も小さいものだから飾る場所には困らない。

 机の隅っこにでもしまい込んでもらえればそれで十分である。

 

「お前らしいようなそうでないような……。刻印ってのは?」

「『六連星』っていうのだよ」

 

 ちなみに二枚組。

 なんならオリジナルルールとか言って実際のプレイに使えなくもないし、予備に取っておいてもいいし、誰かに渡してペアにするなんて使い方もできなくはない。

 

「六連星か。踏み台の人は関係ないよな?」

「うん。智花ちゃんたち五人と、コーチの六人で一つのチーム……っていう意味」

 

 答えると、昴が感心したように目を瞠った。

 

「……さすがだな。でもお前、それなら自分入れて七連星にしとけよ」

「あはは、それでも良かったんだけどね」

 

 それだともう一つの意味(プレアデス)から離れちゃうから断念したのだとは、昴にも智花ちゃんにも伝えなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……最近ね、ご無沙汰なの。彼ったらどうしちゃったのかしら」

「え、ええと」

 

 憂いを含んだ表情で息を吐く美人養護教諭さんを前に、私は戸惑いに襲われていた。

 週三で訪れるようになった慧心学園初等部。

 私もコートに立つ機会が増えてきて、だからか小さな擦り傷を作ってしまった。常備している絆創膏がちょうど切れていたので、分けてもらえないか保険室を訪ねてみたのだが。

 

 初等部の先生は縁なし眼鏡にショートヘアの知的美人さんで。

 何故か私が声をかけるなり「鶴見翔子ちゃん……かしら?」と名前を言い当ててきた。

 どうやら昴や智花ちゃんたちとも親しくしているらしく、その縁で私のことも多少聞いていたらしい。

 

「絆創膏ならもちろんどうぞ。……ついでに、少しお話ししていかない?」

「はい。それは喜んで」

 

 と、快く答えて向かいに座ったんだけど、それが間違いだったのか。

 

「彼って、昴のことですよね?」

「ええ。わかるの。急に淡白になってしまったのが。目が、気持ちが、年頃の女体に向けられているのが」

「昴……」

 

 なんてことだ。

 まさか、葵と付き合う前に、こんな美人さんと身体の関係だったなんて!

 

 ――って、んなわけないよね。

 

 私は小首を傾げて、彼女――羽多野冬子先生に尋ねた。

 

「淡白って、誰に対してですか?」

「決まってるわ」

 

 羽多野先生はくすりと笑って答えた。

 

「エンジェルちゃんたち……女子バスケットボール部のみんなに対してよ」

「ああ、だと思いました」

 

 良かった、と、ちょっとだけほっとしつつ頷く。

 

「それはそうですよ。女子高生……葵と付き合い始めたんですから」

「ロリちゃん達の魅力を忘れてしまっても仕方ない、と?」

 

 何故かプレッシャーを感じた。

 羽多野先生からだ。

 一見すると何も変わっていないのに、内から湧きだすオーラがやばい。何か譲れないものを犯されそうになったような、そんな印象。

 私は慎重に言葉を選んだ。

 

「そうは言いませんが、特定の相手ができたなら操を立てるべきでしょう?」

「……なるほど、そうね。あなたの言う通りだわ」

 

 良かった、分かってもらえた。

 でも、なんだろう。

 話の流れをそのまま解釈すると、羽多野先生は子供たちのことが性的な意味で好きってことに――。

 あ。

 先生の手が私の手に重ねられた。

 持ち上げられてぎゅっと握られる。

 

「私の言いたいことを暗に理解した上で否定しないなんて……。翔子ちゃん、あなたには素質があるわ。ああ、昴くんの他にこんな逸材がいたなんて。バスケットボールのコーチはみんなロリコンなのかしら」

「それはひどい誤解です……っ!」

「くす。そうよね。昴くんとあなたがたまたま、私の眼鏡に適う『同好の士』だっただけよね」

「そっちも否定したかったんですが……」

 

 羽多野先生の瞳が私を覗き込んでくる。

 放課後。

 保健室前の廊下は静かだった。でも、外で遊ぶ子供の声は聞こえてくるし、部活に興じている子も沢山いるはず。こんなきわどい話をするにはアレな環境のはずなのに。

 目を逸らせない。

 嘘偽りを許さないとばかりに先生の目は澄んでいた。

 

「女バスのみんなの中だと誰が好み?」

「へ?」

「誰が好み?」

「いえ、みんなそれぞれに可愛いと――」

「翔子ちゃん」

「ひっ」

 

 駄目だ。なんかよくわからないけど見抜かれてる。

 建前はいいから本音を言えと暗に訴えられている。

 

「愛莉ちゃんと智花ちゃんが甲乙つけがたいと……」

「同士よ!」

「なんでですか!」

 

 羽多野先生の笑顔がめちゃくちゃ生き生きしている。

 

「あの年頃の子を見て好みが生まれるのがロリコンの証拠よ。つまり私と同じ人種」

 

 言いきっちゃんだけど、この養護教諭さん……。

 

「隠す必要はないわ。私は仲間だもの。ああ、最高……! 昴くんとの連帯感も素敵だったけど、趣味の合う女の子とならいくらでも話せるに違いない! ロリコンの神よ、感謝します……!」

「駄目だこの人!」

「くすくす。さあ翔子ちゃん、胸の内を全部曝け出して。私と一緒に幸せな世界に上っていきましょう?」

「あうう……」

 

 本当にそういうの止めてほしい。

 握られた手に柔らかい感触が伝わってくるし、近くにいるからいい匂いがする。

 こんなことされたらドキドキしてしまう。

 だって、

 

「私はロリコンじゃなくてレズなんです!」

 

 一瞬、しん、と保健室内が静まり返った。

 羽多野先生が笑顔のまま硬直している。

 口をぽっかりと開けた彼女は、どうにかフリーズから立ち直ると私に尋ねてくる。

 

本当(リアリィ)?」

もちろんです(イエス)

 

 私の手を包んでいた手がぱっと離れた。

 羽多野先生は消沈したように項垂れると、そのまま動かなくなる。

 

 ――私が悪いわけじゃないと思うけど。

 

 なんとなく罪悪感を覚えながら私は立ち上がった。

 あんな告白をしてしまった以上、近くにいない方がいいだろう。いかにロリコン、特殊性癖の持ち主といえど、別種の性癖と分かり合えるとは限らない。

 これからはなるべく保健室には来ないようにしよう。

 

 思って、背を向けようとしたところで。

 羽多野先生が不意に顔を上げて。

 

「まあ、問題ないわね。翔子ちゃん、今度うちでお泊まりしない?」

「私の話聞いてました……?」

 

 この人の将来が心配になってしまった私だった(逮捕的な意味で)。

 しれっと生き返った羽多野先生によれば「でも小さい子に欲情するんでしょう?」とのこと。ひどい認識のされ方である。別に欲情まではしない。単に可愛いなって思うだけだ。それはまあ、強いて想像してしまえば興奮はできるけど。

 と、正直に口にしたら「同士よ」と抱きしめられた。だから違うって言ってるのに!

 

「安心して。私もどちらかといえばレズ寄りだから。エンジェルちゃんたちと永遠に暮らすことはできないけれど、女同士は一緒に暮らせるでしょう? 翔子ちゃんさえ問題なくて、このままお互いのことを知っていければ、私があなたを養ってあげる未来だってあるかもしれないわよ? 養子でも取って一緒に可愛がって育てましょう?」

 

 あれ? 何の問題もないんじゃないかな……?

 なんだかここにいるとこのまま「はい」って頷いてしまいそうなので、用事を思い出したことにして逃げを打った。

 お泊まりの話は流れでオッケーしちゃったけど。

 さすがに共同生活うんぬんは冗談だろうし、養護教諭の方とお話する機会なんてそうそうないから興味深い話が聞けるかもしれない。

 

 ――最悪でも、向こうからは襲って来ないだろうし。

 

 そんな失礼なことを考えつつ、私は昴たちのところに戻ったのだった。



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8th stage 翔子は新たな小学生と邂逅する(2)

 誕生日会の後、智花ちゃんからはお礼のメールが届いた。

 後日、私が贈った駒は紐を通す金具がつけられバスケットボール用のバッグのチャームとなっていた。かなり渋いチョイスだったけど、智花ちゃんには良く似合っている。

 真帆ちゃんも「かっけー!」と目を輝かせ、自分も欲しいと言ってくれた。

 ふふ、文字を変えればみんなにプレゼントできるという目論見は成功したみたい。実はもう四人の分も発注してあるのだ。愛莉ちゃんは「私の誕生日会には来てくださいねっ」とまで言ってくれたし、無駄にならなさそうで安心だ。

 

 昴は普通の贈り物の他に、智花ちゃんへ『二つ名』をプレゼントしたらしい。

 急に異能バトルものでも始まったのかと思ったけど、実は他のみんなにも二つ名があるらしい。名付け親は羽多野先生。なんかちょっとだけ納得してしまった。

 というか、アニメや漫画にも造詣が深いって――あの人、どれだけ業が深いのか。

 

 ともあれ。

 『雨上がりに咲く花(シャイニー・ギフト)』なる二つ名をプレゼントされた智花ちゃんをはじめ、慧心女バスの面々は週明けの練習にも精力的に取り組んでくれた。

 そして。

 火曜日の同好会を挟んで迎えた水曜日。

 着替えを終えていざ練習、といったところで、まさかの横槍が入ったのだった。

 

『たぁのもおおおおおおおおッ!』

 

 な、何事……?

 驚いて振り返ると、そこには体操着姿の五人の女の子。

 彼女らの姿を見た智花ちゃんたちが思い思いにその名前を呼ぶ。どうやら知り合いらしい。全員が全員、というわけではなかったみたいだけど。

 幸い、戦隊ヒーローのごとくポーズを決めた当人たちが自己紹介をしてくれた。

 

 夏陽くんの妹、双子の竹中椿ちゃんと竹中柊ちゃん。

 智花ちゃんと面識があるっぽい、お人形さんみたいなフランス人のミミ・バルゲリーちゃん。

 紗季ちゃんのお家と同じ商店街のお寿司屋さんの娘、藤井雅美ちゃん。

 ひなたちゃんの妹の袴田かげつちゃん。

 

 以上五名。ちなみに全員五年生らしい。

 なんとまあ、因縁や関係性のある子が揃ったものだと感心していると、後ろから夏陽くんが現れた。

 

「あ、夏陽くん」

「ああ、翔子おねーさん。よっす」

「「にーたん!? あの人とどういう関係!?」」

「なんでもねーよ。ただのバスケ仲間」

 

 挨拶を交わしたら、何故か椿ちゃんと柊ちゃんが声を上げたけど。

 夏陽くんはあんまり構うつもりがないようで、面倒そうに用件を告げてきた。

 曰く。

 椿ちゃんたち五人は智花ちゃんたちと別のミニバスケットボール部を作り、既存の女バスに勝負を挑みたい。自分達が勝ったら練習場所と時間を渡せ、ということらしい。

 まあ、智花ちゃんたちも夏陽くんたちと似たようなことをしているので、その辺からのアイデアなんだろうけど。

 

 ――顧問同士の話し合いで決めた前の試合とは状況が違う。

 

 どうしようか、と昴を見ると、彼は苦笑して智花ちゃんたちへ視線を送った。

 なるほど、子供たちに決めてもらおうと。

 

「みんな、どうしようか?」

「ん、勝負? いいよん、してあげよーよ!」

 

 そして、昴が問いかけると、真帆ちゃんを筆頭にいともあっさり承諾された。

 そんなにあっさり? と思ったけど、考えてみれば当然。みんなからしたら後輩や妹にあたるわけで、ガチガチにいがみ合ってる関係は殆どない。公式戦に出られなくて試合に飢えてる時だし、いい経験にもなる。

 とはいえ今から試合は急すぎる。

 せめて次回の練習日――金曜日にしてくれと昴がお願いし、臨時のコーチ役らしい夏陽くんがこれを了承。五年生組プラス夏陽くんたちは帰っていった。

 

「なんか……すごく突然だったね」

「そうだな。だけど、面白いじゃないか」

「うん、確かに」

 

 関係者ばかりのチーム同士での対決。

 漫画でもないとこんなことそうそう起こりえない。

 愛莉ちゃんたちも意気揚々と練習を始めた。いきなり試合が入ったといっても気負っている様子は全くない。彼女たちがこれまで積み重ねてきた経験が自信になっているのだ。

 負けないと。

 男らしいプライド的なものとは違う、純粋に競技を愛しているからこそ競い合いたいと思う気持ち。

 それはとても尊いものだ。

 

「でも、そうするとむしろ……あの子たちが心配だね」

「ああ、そうだな」

 

 練習の合間に短く言葉を交わす。

 

「全くの素人じゃないだろうけど、本格的な経験者はミミちゃんだけだろ」

「ちょっと心もとないよね」

「せめて、ちゃんとしたコーチがいてくれればいいんだけど」

 

 昴によると、ミミちゃんと智花ちゃんは一対一で対戦しているらしい。

 可愛らしい見かけに似合わぬフォワードで、ポーカーフェイスから繰り出されるジャブステップはまさに初見殺しだったとか。五年生にしてあの智花ちゃんと五点差、十分に試合として成り立たせていたというから驚異的、まさに漫画の主人公かライバルかといった設定の盛りようだ。

 竹中姉妹も夏陽くんの妹さんなら、ある程度のスキルは持っているだろう。でも多分、クラブチームに入ってるとかそういうわけじゃないと思う。短い会話でもわかったブラコン具合からして、お兄さんにくっついてシュートやドリブルしてた感じじゃないだろうか。

 かげつちゃんは、どうだろう。ひなたちゃんとはタイプが違ってアスリート向きなスタイルではあった。いや、そういえば、海の合宿でひなたちゃんとマラソン対決したんだっけ?

 で、雅美さん。自己紹介で「スナイパー」を名乗ってたけど――ロングシュートが得意なんだろうか。

 

 うん、急造のチームっぽいのに素質のある子達が揃ってる。

 わざわざ別のチームを作ってくるあたり負けん気の強さも相当だ。かげつちゃんは終始申し訳なさそうだったので、なんか巻き込まれた感あったけど。

 素質は十分。

 ミミちゃんも一線級。でも、みんなに勝てるかというと……。

 

「バスケの試合は個人戦じゃないからね。チームとしての練度でいえば」

「雲泥の差があるだろうな、可哀想なことに」

 

 話の続きは練習が終わってから、みんなと一緒にすることになった。

 昴以外はシャワーを浴びてさっぱりしてからだ。

 どうやら美星姐さんが暗躍していたらしく、夏休み中にシャワールームが作られていたのだ。年齢制限はないみたいなので私もありがたく使わせてもらった。

 男子用のシャワーもあるんだけど、昴は「小学校で裸になるのはなんか背徳的だから」と遠慮していた。そんなこと言って、そのうち我慢できなくなるんじゃない?

 

「ねえみんな。五年生の子達との試合なんだけど、このままだと不公平だと思うんだ」

「不公平というと、条件が、ということでしょうか?」

「うん。こっちは俺がいるし、翔子も手伝ってくれてる。でも向こうにはコーチも監督もいないよね?」

「そうですね……。竹中くんはいますけど……」

「竹中君も私達と同じ選手だから、昴さんみたいなご指導はできないと思う」

「そう。だから、ちょっと敵に塩を送ってみない?」

 

 ちょっと不遜に聞こえるけど、これは試合を盛り上げるための措置だ。

 部内の練習試合とかだと戦力が均等になるようメンバーを調整したりとかよくある話だし、これはそういうのの変形としての提案。

 昴が具体的に何を思いついたのかはまだ聞いてないけど、

 

「なるほどなー。うん、いーよ。簡単に勝っちゃってもつまんないし」

「おー。おにーちゃん、お塩送るの?」

「あはは。塩じゃなくて、人手を送ろうと思ってる。……臨時の監督を」

 

 なるほど、ヒトデを送るのか。

 じゃなくて、昴さん、なんで私を見るんでしょうか。

 

「え、私?」

「嫌か?」

「ううん、嫌じゃないけど……」

 

 言葉を濁しながら考えてみる。

 高校生コーチの不在がネックという話なら、誰か高校生を送り込むのが確かに妥当。

 向こうも女子のチームだから、できれば女子がいいかもしれない。

 暇な私は適任だ。

 

「ちなみに、葵っていう手は?」

「それでもいいんだけどな……。こっちが俺とお前、向こうが葵一人だと結局、不公平感が出るだろ。それにその、な?」

「な、って」

「いやな。なんていうか、葵と対決するのは楽しそうなんだけど、お互いに秘密ができると二人の時の話題に困るんだよな……」

「あー」

 

 ご馳走様です。

 理解すると共に苦笑する私。智花ちゃんはこっそり頬を膨らませている。

 まあ確かに、あの子たちって負けたらリベンジ挑みたがりそうだし。

 そうなったらずるずるコーチすることになって、子供たちの話をする時にタブーが多くなりそうではある。

 

「ん、わかった。みんなもそれでいい?」

「るーみんがつばひーの監督するの? きょーてきだな!」

「翔子さんにわたしたちの成長、見て欲しいですっ」

 

 みんなからも反対意見は出なかった。

 あ、椿ちゃんと柊ちゃんはまとめて「つばひー」なのか。ということは他の子にもあだ名があるのかな? と聞いてみたら、ミミちゃんと雅美ちゃんはまだ名付けてないみたい。

 かげつちゃんは「ゲッタン」とのこと。「get down?」って聞き返しそうになったのは秘密。

 

「じゃ、そうと決まれば早い方がいいよね」

「悪いな。ちょっと竹中に電話してみるから」

 

 昴から夏陽くんに連絡を取ってもらい、連絡先受け渡しの許可を貰う。

 で、昴から電話番号やもろもろを貰って私からかけ直した。

 事情を説明すると、夏陽くんは自分が楽になると喜んでくれたものの、一方で懸念も示した。

 

『俺はいいけど、あいつらがなんて言うかはわかんねーよ。結構ガンコなところあるやつらだし』

「うん。そこはなんとか話してみるから、明日あたり時間もらえないかな?」

『わかった。時間と場所をまた連絡する』

 

 二時間ほど経ってから電話があって、慧心学園近くにある夏陽くんの家で話すことになった。

 声に疲れがあったので、結構説得に苦労したのかもしれない。

 彼にはそっと、お疲れ様とありがとうを伝えておいた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「わざわざ呼び出して、なんの用?」

「おねーさん、マホたちのコーチでしょ?」

 

 集まってくれた五人に自己紹介をするなり、椿ちゃんと柊ちゃんからの洗礼を浴びた。

 おお、さすがに喧嘩腰。

 愛莉ちゃんたちが素直すぎるんだよね、と、納得しつつ笑顔を作り直していると、

 

「お前らはここが自分ちだろうが!」

「「いたっ! 痛いよにーたん!」」

 

 軽く小突かれて頭を抑える双子ちゃんたち。

 うん、ここは学園からちょっと歩いたところにある夏陽くんの家。中に入ると手狭だし気を遣わせちゃうからと、手前のガレージに取り付けられたバスケットゴールの前に集まっていた。

 と、今度は勝気そうなポニーテールの子――雅美ちゃんが進み出てくる。

 

「じゃあ、私ならいいですよね? ……何の用ですか? 敵情視察なら恥を知ってください」

「ううん、そういうのじゃないよ」

 

 私はこれに首を振って答えた。

 紗季ちゃんを目の敵にしてるっぽい感じだった彼女。そのせいかちょっと理屈っぽいところがあるみたい。

 単に感情で攻められると弱いけど、こういう攻撃ならさらっと流せる。

 

「私ね、みんなに協力できないかと思って来たの」

「キョウリョク? トモカたちに勝つため?」

 

 表情を変えないまま小首を傾げたのはミミちゃん。

 慧心の制服がけっこうファンシーなせいもあって凄く可愛い。ひなたちゃん同様、誘拐が心配すぎる。

 

「そうだよ。智花ちゃんたち強いから」

「でも、どうしてわざわざ? 姉様たちと敵対するような真似……」

 

 一番話しやすそうなのはかげつちゃんだ。

 もともと敵愾心が無い上、性格も礼儀正しくて温厚な感じ。

 愛莉ちゃんとお話してるところとかすごくほんわかしそうだ。

 

「私はね、智花ちゃんたちにライバルを作ってあげたいの」

「「ライバル?」」

「そう。強い敵と戦う方がみんなも結果的に強くなるでしょ? だから、敢えて敵に回るの」

「最終的には紗季達のため、ということですか?」

 

 雅美ちゃんに睨まれるけど、あくまで笑顔をキープ。

 

「そうだよ。でも、だからこそ手は抜かない。智花ちゃんたちにも頑張ってもらわなくちゃいけないから、本気で勝てるようにお手伝いするつもり」

「……なら、別に私は構いませんけど」

「他のみんなはどうかな?」

「そんなのなくたってボク達はマホに勝つし。ねーひー」

「ねー、つば」

 

 むむ、そう来るか。ならば。

 

「そう簡単に行くかなあ」

「ん?」

「え?」

「真帆ちゃんたちは強いよ。チームなら猶更。でも、チームで勝たないと本当に勝ったことにはならないよね」

「「むっ」」

 

 固まる椿ちゃんたち。

 もう一押しは夏陽くんがしてくれた。

 

「せっかくだから受けてみろよ。この人、ヘンな人だけど、悪いようにはしないだろうから」

「………」

 

 五年生たちが顔を見合わせ、やがて私に向き直る。

 彼女たちの表情からして、どうやら説得はうまくいったみたいだった。



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8th stage 翔子は新たな小学生と邂逅する(3)

「でも、ボク達を勝たせるって何する気?」

「試合明日だよ? 今から練習するの?」

 

 臨時の監督就任を許してもらったところで、具体的な作戦会議に移る。

 椿ちゃんたちの疑問はもっとも。

 夏陽くんもこれには賛成だったようで、訝しげに尋ねてくる。

 

「あの変態コーチみたいに変な作戦でも考えんのか?」

「ううん。私に昴みたいな魔法は使えないよ」

 

 自分で選んだわけでもない五人を短期間で鍛えて男バスに勝利させた昴。

 彼は指揮官として間違いなく天才だ。

 

 ――っていうか、そんな昴が半年とか鍛えたチームなんだよね。

 

 しかもメンバーは男バスに勝った時と同じ。

 単純に考えると、椿ちゃんたちも男バスに勝てるくらい強くなきゃいけないことになるんだけど……全国出場狙えるようなチーム相手にそれって幾ら何でも無茶じゃなかろうか。

 せめて、研究と作戦立てるのに昴と同じだけの時間が欲しい。

 

「だから、できるのは本当に簡単なことだけ」

「前置きはいいですから、さっさと話してください」

 

 雅美ちゃんが鬱陶しそうに言った。

 残暑のせいで単純に暑いというのもあるかもしれない。

 私は「ごめんね」と謝ると本題に入った。

 

「まずは確認から。みんなは、どうすれば試合に勝てると思う?」

 

 椿ちゃんと柊ちゃん、雅美さんが顔を見合わせる。

 かげつちゃんは首を傾げ、ミミちゃんは自明とばかりに微動だにしない。

 

「「「相手より点を取る」」」

「うん、そうだね」

 

 重なった声に頷く。

 ルール上、そうしないと勝てない以上はそれが真理だ。

 

「じゃあ、点を取るにはどうしたらいい?」

「決まってるよ、シュートすればいいんだよ!」

「いっぱいシュートを決めればいっぱい点が取れるんだよ!」

「当然ですね」

 

 こうやって見ると割合仲良さそうに見える。

 そんなに急造のチームじゃないのかな? とも思えるけど、夏陽くんの顔が苦い感じになってるあたり、単に我が強い子が集まった結果、意見が合ってるように見えてるだけっぽい。

 私は視線をかげつちゃんに向けて次の質問を送った。

 

「もちろん、相手も同じことしてくるよね。それでも勝つには?」

「ええと……ディフェンス、でしょうか」

「うんっ、よくわかったね」

「あ……良かった」

 

 笑顔を向けると、かげつちゃんはほっとしたように微笑みを浮かべてくれる。

 

「つまり、勝つにはシュートを決めるために相手のディフェンスを突破しないといけない。それから、相手の攻撃をディフェンスで止めないといけないの」

「えー、そんなの当たり前じゃん!」

「ボク達の技でマホ達をずばっとやっつけちゃえばいーんでしょ!」

 

 本当に元気のいい子達だ。

 やる気に溢れているのがこの子達の最大の武器かもしれない。

 

「椿ちゃん、柊ちゃん。今言った『ボク達』って誰のことかな?」

「え? それはボクと(ひー)だよ」

「ボクと椿(つば)だよね」

 

 かげつちゃんが「あっ」と声を上げた。

 私は内心で「やっぱり」と思いながら「なるほど」と口に出した。

 うん、なんとなくそうなのかなって気がしてた。

 

「雅美ちゃん達は一緒じゃない?」

 

 雅美ちゃんが呼び方にぴくっと反応したけど、ひとまずスルー。

 椿ちゃんと柊ちゃんはお互いに視線を交わして回答。

 

「だって他の子はマホと戦いたいわけじゃないし」

「チームなのに?」

「だって五人いないと試合できないし」

 

 何を言われているのかわからない、という顔の二人。

 ちなみに雅美さんも似たような顔をしている。倒したいのは真帆ちゃんじゃなくて紗季ちゃんだろうけど。

 夏陽くんがため息をついて言った。

 

「まだわかんねーのかお前ら。お前らには足りてないもんがあんだよ。それは――」

「チームワーク」

 

 涼やかな声が機先を制した。

 淡々と言ったフランス人形――もとい、ミミちゃんに視線が集まる。

 

「と、いうことデスね?」

「うん」

 

 さすが、本格的な経験者は話が早い。

 

「愛莉ちゃんたちは五人で戦ってる。椿ちゃんたちは二人で五人と戦える?」

 

 尋ねると、二人は憮然とした顔になった。

 

「別に、ボク達はサキとかと喧嘩したいわけじゃないし」

「マホ以外どうでもいいし」

「真帆ちゃん以外が入れた点数はどうでもいいってこと? 真帆ちゃん以外にブロックされてシュートが入らなくても、それは数えないの?」

「そんなこと言ったってどうしようもないじゃん!」

「みんなで協力しあいなさいとか先生みたいなこと言わないでよ!」

 

 遂に痺れを切らしたのか、椿ちゃんたちが声を荒げた。

 雅美ちゃんもこれに頷く。

 

「私は紗季に勝てればそれで構いません。……紗季より多く点を取れば、それで勝ちでしょう?」

「じゃあ一対一でシュートだけで勝負した方がいいよ」

 

 夏陽くんが「おい、おねーさん、それは」と慌てる。

 うん、まあ、通っちゃうと試合が成り立たなくなるからアレなんだけど、優しく諭すだけだと私の精神的に限界があると言いますか……。

 これに雅美ちゃんの顔まで険しくなった。

 

「別にそれでもいいですけど」

「じゃあそうする? 紗季ちゃんはシュートを練習してるんじゃなくて、仲間へのパスを含めた『バスケットボール』を練習してるんだけど――シュートで勝てば満足?」

「点を取ったら勝ちで何がいけないんです? さっきそう言ってましたよね?」

「点を取ったら勝ちだよ。相手より多く点を取った()()()()、ね」

 

 一瞬、沈黙が下りた。

 

「……おねーさんの言う通りだ。自分で二点取るより、自分で一本も決めなくても仲間に四点取らせる方がいい。バスケってのはチームでやるスポーツだからな。勝ったチームが偉いんだよ」

「シュートを我慢してでも、みんなで点を分けろってことですか?」

 

 雅美ちゃんが睨んでくる。

 私はできるだけ不敵に笑って「そんなこと言ってないよ」と答えた。

 

「じゃあ、なんなんです?」

「だから、チームで多く点を取ればいいの。シュートして点が取れる状況ならそうすればいい。シュートしても点が取れないなら、パスした方が強いし上手い」

「………」

「他の子と()()()()()()一点でも多く点を取ろうってこと。そうすれば、真帆ちゃんと紗季ちゃんと智花ちゃんと愛莉ちゃんとひなたちゃん……みんなに勝つことに繋がっていくってこと」

 

 もちろん、仲が良いに越したことはないけど。

 チームメイトの能力を正確に把握して得点チャンスを逃さずパスやコンビプレーができるなら、互いに利用しあう形だって立派なチームプレイ。

 なまじ仲が良いせいで馴れ合いになるよりそっちの方がいい、というのも意見の一つとしては正しい。

 だからって須賀みたいなワンマンは勘弁だけど。

 

「バスケの基本デスね」

 

 ミミちゃんが呟く。

 膝に手を当てて視線を低くしている(足が痺れてきた)私をじっと見つめ、小首を傾げる。

 

「ショウコもバスケ、上手いデスか?」

「どうだろう? 一応、智花ちゃんとはいい勝負してるよ」

「……いいでしょう」

 

 少女の口元にかすかな笑みが浮かんだ。

 

「ワタシ、アナタのシジに従う。でも、トモカは渡さない」

「ありがとう。……うん、もちろん。智花ちゃんはミミちゃんじゃないと止められないと思う」

 

 頭を撫でたいのを堪えながら、私はミミちゃんに笑顔を返した。

 フランスの少女は一目置かれているのか。

 これによって他の子達の反応も変わった。何かを考えるように沈黙する三人、プラス成り行きを見守るかげつちゃん。かげつちゃんに関しては最初からわかってくれてたみたいなので、実質巻き込まれただけみたいなものだ。

 最初に絞り出すように言ったのは雅美ちゃんだった。

 

「……どうすればいいですか?」

 

 続いて、椿ちゃんと柊ちゃん。

 

「……勝てるなら、頑張ってみる」

「……教えて。ボク達、どうやったら勝てる?」

 

 なんとかなった、かな?

 内心ほっと息を吐き、私は答えた。

 

「私が決めたいのは二つだけ。基本的に誰が誰をマークするかと、自分がシュートできない時は『できそうな子』にパスすること。これだけ」

「それだけか。……ま、それが決められるだけでも全然違うけど」

 

 そう。

 これさえちゃんとできれば、少なくとも試合にならないってことはないだろう。

 私は短く方針を伝えると解散を告げた。

 それでも、五人はすぐにはその場を動こうとしなかった。

 

「言っとくけど、おねーさんのこと認めたわけじゃないからね!」

「にーたんと仲良いからって調子に乗らないでよね!」

「監督として尊敬して欲しかったら実力見せてください。今すぐ」

「ええー……」

 

 ちょっとその後が大変だった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「またせたなっ!」

「今日がマホたち旧・女バスの命日だっ!」

 

 果たして、試合の時がやってきた。

 幸いにも五年生たちはみんなちゃんと来てくれて、思い思いな動きながらも整列してくれる。

 当然、私は夏陽くんと一緒に五年生側として立った。

 愛莉ちゃんたちが相手方にいるのがなんだかすごく変な感じ。なんというか、SLGの裏モードで敵方を操作してる時みたいだ。

 とはいえ、みんな私にも笑顔を向けてくれるので、いがみ合う必要はない。

 

 昴が「どうだ?」と目だけで聞いてくるので、同じく目だけで「やることはやったよ」と答える。

 審判は私と昴、夏陽くんが共同で行うことに。

 ウォームアップの後、短い作戦タイムが入る。といっても言うことは特にないけど。

 

「それじゃあ、頑張ってね」

 

 これで終わり。

 伝えるべきことは昨日伝えているし、我の強い子達だから言いすぎは逆効果だろう。

 実際、椿ちゃんと柊ちゃん――つばひー姉妹は強い視線を私に向けて、

 

「言っとくけど、指示とかこれ以上は聞かないから」

「駄目だと思ったら好きにやるから」

「うん。その辺はお任せするね」

 

 かげつちゃんがすみませんと謝ってくれたのが救いか。

 なんにせよ、そんな感じで運命の試合が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 開幕はジャンプボールから。

 私がセンター役に指名したのはかげつちゃん。チームの中では一番背が高いし、目端もきくタイプだから適任だと思う。

 とはいえ、愛莉ちゃん相手に競り勝つことはできなかった。

 弾いたボールは紗季ちゃんへ。

 

 各チームが散開し、一対一の状態に。

 椿ちゃんが真帆ちゃん、柊ちゃんがひなたちゃん、雅美ちゃんが紗季ちゃん、かげつちゃんが愛莉ちゃん、そしてミミちゃんが智花ちゃん。

 一番妥当と思われる布陣が見事に敷かれた。

 

 司令塔の紗季ちゃんはじわりじわりとしたパスワークでゆっくりと攻め上がる。

 最終的にボールが託されたのは真帆ちゃん。

 まずはお手並み拝見といったところか。

 

「よーし、いくぞーつばひー!」

「つばひー言うな! あほの癖に!」

 

 椿ちゃんは声を荒げつつもしっかりとしたディフェンスを見せる。

 夏陽くんとの練習の成果が見て取れる、十分に基礎のできたもの。ドリブルをしようとして阻まれた真帆ちゃんは「おっ」という顔をして紗季ちゃんに戻す。

 当然、今度は雅美ちゃんが紗季ちゃんを阻むも、ちょっとシュートを警戒しすぎたのか、素直にドリブルから突破して二点先取。

 

「くっそー! 取り返してやる! 行くよ柊!」

「がってん椿!」

 

 つばひー姉妹はコンビでのオフェンスもお手の物だった。

 双子ならではの息の合ったパスはキレも鋭く、すぱん! といい音を立てて相方の手に収まっていく。するするとディフェンスをすり抜けて攻めあがった二人はそのままシュートして二点をゲット。

 

「なんだ、結構イケるじゃんボク達!」

「おねーさんの助言とかいらなかったんじゃない?」

 

 そう上手くいくかなあ……。

 という、懸念が現実になったのはこの後だった。ボールをもらった愛莉ちゃんが前後のフェイントを使ってかげつちゃんをかわし、四点目。

 もう一度、息の合ったパスワークで攻めようとしたつばひー姉妹がひなたちゃんに止められた。

 一回見た動き、しかもパスの相手がわかっているならそれはそうなる。

 

 今度は真帆ちゃんがシュートを決めて、五年生から見ると2-6に。

 

「ツバキ。ヒイラギ。ショウコの指示を思い出してください」

「うー、もう、わかったよ!」

「やっちゃえミミ!」

「ウィ、待ってました」

「ミミちゃん、やらせないよっ!」

 

 ボールを受け取ったミミちゃんと対峙するのは当然、智花ちゃん。

 二人の対決は息を呑むような緊迫感があった。

 フェイントの応酬。技術とセンスのぶつかり合いはからくも智花ちゃんが制したものの、どっちが上回ってもおかしくない良いぶつかり合いだった。

 これなら、椿ちゃんたちにも「双子だけで完結しない選択肢」が伝わったはず。

 

「やるな、翔子」

「私は殆どなんにもしてないよ。椿ちゃんたちがすごい子だっただけ」

 

 昴の囁きに私は微笑んでそう答えた。

 後はどれだけ攻めにバリエーションを持たせられるか。これが駄目なら次はアレ、と色々な攻めを試す気さえあれば、急造ながら才能あふれる五年生にも勝機はある。

 ただ。

 残念ながら、今回に関しては経験値の差が如何ともしがたいかな……。

 

 私は審判の傍ら、みんなの動向を見守りながらそう思った。



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8th stage 翔子は新たな小学生と邂逅する(4)

「みんな、お疲れさま。本当に凄かったよ」

 

 涙ぐみながら歩く椿ちゃんたちに追いつき、声をかけた。

 

 試合の結果は六年生組、正規女バスの勝利。

 接戦とは言い難い、でも良い試合だった。

 

 愛莉ちゃんたちは試合の後「一緒に練習しないか」と申し出てくれたけど、椿ちゃんたちはこれを断った。

 夏陽くんと一緒に一足先に出て行った彼女たちが気になった私は、みんなに一声かけた後で追いかけたのだった。

 初等部の敷地の一角。

 立ち止まった五年生のみんなが振り返る。

 

「でも、負けちゃったじゃん!」

「どこが凄かったのか言ってみてよ!」

 

 言い返してくる双子に私は答えた。

 

 椿ちゃんと柊ちゃんのコンビプレーは予想以上、一線級の腕前だった。

 ミミちゃんのスピード、技術、引き出しの多さはエースの名に相応しかった。

 雅美ちゃんのロングシュートはチームの得点源の一つになりうる立派な武器だった。

 かげつちゃんには身長と年齢で勝る愛莉ちゃんに立ち向かえる勇気と素直さがあった。

 

 細かいところを言えばもっとたくさん出てくる。

 急造のチームだったのは間違いない。

 でも、五年生チームもまた、六年生たちに負けないくらいの才能揃いだということを実感した。

 

「……私達は、あなたの言った通りにしたつもりです。違いますか?」

「みんな、本当に頑張ってたよ」

 

 年上の経験者相手に一歩も引かなかった。

 

「でも、私が教えてあげられたのは『勝つ方法』じゃなかった。あれは、あくまでも『バスケをする方法』」

 

 試合になるかならないかというラインの話。

 実際、つばひー姉妹がコンビプレーに拘っていた時はあっさり止められてしまったのだから、無いよりはあった方が良い結果になっているはず。

 最低限、チームとしての試合は成り立っていた。

 

 双子の連携は、片割れ以外にもパスが出る可能性を生み出すことで複雑さを増した。

 総合的に見たら智花ちゃんに一歩出遅れたミミちゃんだけど、ライバルを抜いて得点する場面だってしっかりあった。彼女にボールを託すことは一本の柱を作ることになる。

 雅美ちゃんのロングシュートは角度を選ばない。どこからでも打てるとなれば相手に警戒を強いていける。

 かげつちゃんの基礎的なポテンシャルの高さと優しい性格は、このチームに不足気味な協調性を補う役を担ってくれる。

 

「みんながちゃんと練習して、チームとしても上手くなっていけば――勝つことだって夢じゃない」

 

 これは嘘でも誇張でもない。

 愛莉ちゃんたちだって結成半年くらいの若いチームなのだ。まだまだ成長段階にあることは間違いない。

 練習と戦略、それから時の運の具合によっては勝目は十分ある。

 

「もちろん、やる気があればだけど」

 

 試合が終わった途端、もう一回とねだっていた彼女たちには愚問だろうか。

 微笑んだ私に返ってきたのは予想通りの反応。

 

「……やる。やるよ。やってやる。次は勝つんだもん」

「おねーさん、コーチしてくれるんでしょ?」

「紗季に勝つにはまだまだ練習が足りませんでした。……経験者なら、教えてください」

「ワタシはショウコにも勝ちたいです」

「姉様たちとの試合、楽しかったです。次は、もっといい試合がしたいです」

 

 私は頷く。

 

「うん。私もただの高校生だけど、みんなよりバスケ歴は長いから。できる限りのことはさせてもらうつもり。……これから、あらためてよろしくね」

 

 こうして、五年生チームの存続が決定。

 そして、私、鶴見翔子の臨時コーチから正規コーチへの繰り上げ就任も同時に決定したのだった。

 

 これからますます忙しくなりそう。

 五年生のコーチと同好会で、部活を辞めても平日の予定がきっちり埋まるとか、まさに嬉しい悲鳴としか言いようがなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「まったく、あいつらずりーよな」

「? あいつら、って?」

 

 わいわい騒いだ後、椿ちゃんたちは「今日のところは」と思い思いに帰っていった。

 近いからと竹中兄妹を家まで送っていった私は、椿ちゃんたちが家の中に入った後で夏陽くんの呟きを聞いたのだった。

 

「椿達だよ。……おねーさんが暇なら俺が相手して欲しいくらいだっての」

「あはは。私なんかでお相手になるかな?」

「なるかな? じゃねえよ! 手加減されたのまだ忘れてないからな!」

「う、それはごめんなさい」

 

 素直に謝ると、夏陽くんは「はあ」と息を吐いた。

 

「俺も暇ってわけじゃねーけど、週三は個人練だからさ。……どっかのアホ達のせいで」

 

 椿ちゃんたちも言ってたけど、その「アホ」は真帆ちゃんのことなんだろうか。

 ちょっと良くない種類のあだ名だと思うけど、椿ちゃんたちや夏陽くんが言う分にはギリギリじゃれ合いの範疇、なのかな。

 他の子が言いだすようなら注意した方がいいかもしれない。

 

「でも、それもいい刺激になってるんじゃない?」

「……さあな、どーだろ」

 

 ちょっと照れくさそうにぷいっと顔を背けた。

 

「夏陽くんって、結構可愛いよね」

「はあ、何言ってんだおねーさん!? ……ま、まさかあんた、あの変態コーチと一緒でロリコンなのか!?」

 

 男の子の場合はショタコンっていうんだけど……って、そういう問題ではなく。

 

「そういうのじゃないから安心して。なんていうか、母性本能みたいなやつ」

「ボセーホンノーねえ。……女ってよくわかんねーよな。親戚のおばさんとかもよく言ってくるけど、俺が可愛いわけないだろ。男だぞ俺」

「あはは。そうだね、男の子にはわかんないかも」

 

 夏陽くんもTSすればわかるかもしれないけど。

 そしたら主人公真帆ちゃんを目の敵にするライバルキャラかな。ライバルにありがちなお嬢様属性を真帆ちゃんが持ってっちゃってるから、早々に対決終わらせて仲間になって、紗季ちゃんと併せて三人娘になっちゃいそうだけど。

 その場合、智花ちゃんは第二章のライバルキャラとして登場だろうか。

 

「時間があれば夏陽くんともバスケできるよ。……お互いの練習日がかみ合わないから、なかなか難しそうだけど」

「それな。ま、そればっかりはしょうがないよな。椿と柊の面倒見てくれるだけで助かるよ」

「そんなこと言って、暇な時は見に来てくれるんでしょ?」

「な!? すすす、するかよそんなこと!」

 

 真っ赤になって否定する夏陽くん。

 図星なのが丸わかり。

 だから可愛いんだけど、言ったらまた怒られそうだから言わないでおいた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『じゃあ、かげつちゃんたちもバスケ、続けてくれるんですね。良かった』

 

 電話の向こうで愛莉ちゃんがほっと息を吐く。

 時刻は八時過ぎ。

 ご飯もお風呂も終わって、早い子ならそろそろ寝る準備という時間帯だ。

 私もパジャマに着替えてベッドの上。

 ぬいぐるみを抱いてスマホを耳にあてた姿勢に違和感がないあたり、すっかり女の子になったなっていう感じ。

 

「ごめんね。一緒に練習できれば一番いいんだけど」

『そんなこと……。やっぱり、すぐには難しいと思います』

 

 一度凝り固まった気持ちを変える難しさは愛莉ちゃんにもよくわかるのだろう。

 柔らかな声でそう言ってくれる。

 

『でも……』

 

 続いた声は少し気落ちしていた。

 

『翔子さんに会えなくなるのは寂しいです』

 

 ちょっと、どきっとする。

 胸が締め付けられるような嬉しさを紛らわすように明るい声で答えた。

 

「大丈夫だよ。コーチは昴がちゃんとやってくれるから――」

『ううん。わたしは、翔子さんとも会いたいんですっ』

「愛莉ちゃん……」

『翔子さんは、わたしの、憧れのお姉さんなんです。だから……』

 

 感極まってしまったのか、愛莉ちゃんが鼻声になっている。

 泣かなくてもいいのに。

 なんて、女の子だって素直な気持ちを吐きだすのは結構勇気がいるのだ。

 

「ごめんね、ありがとう。私も愛莉ちゃんのこと大好きだよ」

『……翔子さんっ』

 

 香椎くんに聞いたら殺されちゃうだろうか。

 女の子同士ならセーフだと思いたい。

 

「大丈夫」

『え……?』

「練習では会えなくなっちゃうけど、こうやって電話もできるし。……お休みの日、予定が合えば一緒にどこかに行ったりもしよう? 買い物でも、映画でも」

『いいん、ですかっ?』

「もちろん。私にとっても愛莉ちゃんは大切なお友達だから」

 

 少しの間の後、スピーカーの向こうから「はい」と返事があった。

 

『ありがとうございます。……それに、きっと、またバスケットボールも一緒にできますよね。五年生の子たちと仲良くなれれば、きっと』

「うん、もちろん。何度も試合をしてれば、きっと気持ちも変わると思う」

 

 敵同士でいることだけが切磋琢磨の形じゃないって、分かる時が来る。

 共通の敵でも現れてくれれば話が早いんだけど。

 そう上手くはいかないだろうし、一歩ずつ確実に、距離を縮めていけたらと思う。

 

 私とも、愛莉ちゃんたちとも。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『どうしよう翔子』

 

 翌日の夕方。

 葵から電話があったと思ったら、出るなり「どうしよう」と来た。

 声に切迫感がある。

 あの葵が「本当にどうしていいかわからない」という感じ。それでいて悲しそうな雰囲気はないから、身内の不幸とかではないと見たけど。

 

「何か、あった?」

『うん。えっとね……』

 

 少しでも落ち着いてもらおうと静かに尋ねると、葵はぽつぽつと話してくれる。

 

 今日は昴とデートだったらしい。

 駅前に買い物に行っただけなんだけど! って誤魔化してたけど、まあデートだよねそれ……。しかも、お互いの服を見繕いに行ったっていうんだから。

 無事に服は買えたらしく、本題はここから。

 買い物の際、福引のチケットを貰った。どうやら街のイベントとして行っていたものらしい。

 

 二人分で計三枚。

 

 三枚で一回しか引けないので、分けられるものが当たったら山分けという約束で葵が引いた。

 そうしたら。

 

『当たっちゃった』

「あはは、特賞でも当たった?」

 

 話が深刻になりそうになかったので、冗談めかして尋ねる私。

 ぶっちゃけた話、そんなわけないと思っていた。

 こういうのって当たらないのが普通で、うちの商店街はそうじゃないと思うけど、あくどいところなら特賞や一等は最初から入ってなかったり、後半から投入したりする。

 なので、

 

『うん』

「え?」

『特賞。秋の京都旅行ペアチケット。当たっちゃった』

「はあ……っ!?」

 

 思わず立ち上がってしまう私だった。

 一回で特賞。

 しかも秋の京都旅行とか、いったいどれだけ強運なんですか葵さん。

 

 軽く息を吐いて落ち着く私。

 

 いいなあ、京都旅行かあ。

 ペアってことは誰と行くんだろう、と呑気に考えて、話の肝に辿り着く。

 あ。

 

「分けられるものは山分け、だっけ」

『……うん』

「昴と葵でチケット一枚ずつ。ペアチケットを」

『……うん』

 

 ペアチケットなので一枚では使えない。

 分けられるけど、一緒でないと使えないチケット。

 しょうがないからゴミ箱へポイ、なわけがない。

 

「おめでとう葵。初めての旅行が京都とか最高じゃない」

『さささ最高じゃないわよ!? どうすればいいわけ!? いきなり旅行とか心の準備が!』

「でも、恋人同士なんだからそんなに思いつめなくても」

『だから困るんじゃない! ううう、何着ていけば……?』

 

 行く気満々じゃないですか……。

 

「京都だし、着付けできれば着物もいいけど。慣れてないなら長時間は避けた方がいいかな」

『そ、そうよね……。ねえ翔子、服買いに行かない?』

 

 今日行ってきたのでは……?

 と思ったけど、今日行ったのは手頃な値段の古着屋さんだったらしい。

 気取らない旅行なら古着もいいかもだけど、「勝負」となったらアレか。

 

「うん、いつでも付き合うよ。でも」

『でも?』

「むしろ服より下着を選んだ方がいいんじゃない? ほら、この前、真帆ちゃんと行ったお店なんかいいんじゃないかな。私も二回着けてみたけど凄いよ。肌触りもフィット感も違うし、何より可愛――」

『し、下着とかっ!? な、何を想定してるのよあんたっ!』

「え、だって二人っきりで旅行だよ? 初めてにはぴったりだと思うけど」

 

 さつきと多恵が知ったら喜び勇んでひっかきまわしてくれるはずだ。

 だからこそ私に知らせてくれたんだろうけど。

 だったら、真面目に葵のことを思って焚きつけるのが私の使命。

 

『で、できるわけないでしょそんなの……っ。は、恥ずかしくて!』

「そうなの? でも、いつまでも昴と進展ないなんて、そんなに仲良くないのかな? って思う子もいるんじゃいかな?」

『っ。あ、あんた何言って……!?』

「誰とは言わないんだけどね。昴のこと好きな子も他にいるし。ほら、葵のこと好きって言う子もいるでしょ? 誰とは言わないけど」

 

 私とか。

 

「そういう子が実力行使に出ないとも限らないし。……もちろん、葵がちゃんと考えた上で『まだ早い』って判断してるなら別だけど」

『う、ううう……っ。あんた、だんだん性格悪くなってない?』

「大人になるって悲しいよね……」

 

 もっともらしく嘆いてみせると、葵は半ば以上は勢いだろうという感じで答えた。

 

『わ、分かったわよ! か、買えばいいんでしょ……下着』

 

 勝った。

 私は謎の達成感に微笑んだのだった。



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ending06.湊智花

幾つかエンディング、特殊エンディングが続きます。


「翔子さん。今日はそのあたりで構いませんよ」

「はい、師匠」

 

 柔らかな声に返事をして、私はキーボードを叩いていた手を止める。

 見計らったようにちょうど一段落したところだった。

 ファイルを保存し、ソフトを終了。顔を上げて微笑んだ。

 

「お疲れ様、翔子ちゃん」

「ありがとうございます、花織さん」

 

 お仕事中やお稽古中は「師匠」と呼ぶ。

 それが、私が湊花織さん――今は私にとっても師匠である智花ちゃんのお母さんと、取り決めた「けじめ」だった。

 

 私が日舞を習い始めたのは高校二年生の時。

 智花ちゃんたちの卒業による任期満了で、昴は慧心女バスのコーチではなくなった。残ったつばひーたちについても一念発起した美星姐さんが学びながら教えることになり、私もまたお役御免に。

 七芝の男バスが復活したため同好会もなくなり、急に手持ち無沙汰になったのがきっかけだった。

 なんて。

 単に、みんなとの繋がりを何かの形で残したかっただけかもだけど。

 バスケと日舞では全然違うとはいえ、身体を動かすことができるというのも私には有難かった。

 

 先生としての花織さんは意外なくらい厳しくて。挫けそうになることも多々あったけど、二十四歳という歳まで続けてくることができた。

 そうそう。

 若干ついでではあったけど、茶道の方も同じように学び、続けている。

 今は忍さんと花織さんを師と仰ぎ、教えを請いながら、二人のお仕事のこまごました部分のお手伝いなんかをしている。葉書等の宛名書きとか消耗品の発注とか帳簿の管理とか、忙しい時期は自宅部分のお掃除や食事の支度なんかを代わりにしたり。

 お手伝いでいただいたお給料と暇な時のアルバイト代から日舞と茶道の月謝を出し、残ったお金で生活している。裕福ではないけれど苦しくもない、そんな状況。

 

 気づいたら他のお弟子さんたちからも顔と名前を覚えられ、便利に使われ――もとい、頼りにして貰えるようになっていた。

 

「いつもありがとう。私、コンピュータには疎いでしょう?」

「いいえ。大事なお仕事を任せていただいて嬉しいです」

「うふふ。翔子ちゃんはもう、うちになくてはならない子だもの。辞めないでね?」

「あはは。大丈夫です。今、すごく楽しいですから」

 

 オンの時は気を遣うこともあるが、オフの時の花織さんとは母娘のように接してもらっている。

 まあ、そもそもオンの花織さんは智花ちゃんにも厳しいんだけど。

 

 私達は仕事を切り上げ、自宅部分へと歩きながら話を続けた。

 今日はお弟子さんたちもみんな帰宅済み。

 私は最悪、歩いてでも家に帰れるので遅くまで仕事をさせてもらうことも多々あった。

 

「今日は智花と約束しているのでしょう?」

「はい。智花ちゃんのお部屋でお祝いをする予定です」

「どうもありがとう。一昨日も食事に来てもらっちゃって」

「こちらこそ、お招きありがとうございました」

 

 昨日は智花ちゃんのお誕生日だった。

 今年で二十回目。

 成人を迎える大学生の彼女が「さすがに家族に祝われるのは恥ずかしい」と言ったため、自宅でのお祝いは前日にささやかな食事会をする形になった。私と智花ちゃんと花織さんと忍さんの四人。三人で作った料理を次々に勧められた忍さんはちょっと大変そうだったけど、大変和やかに会は終わった。

 昨日は愛莉ちゃんたち五人+αの誕生会。

 そっちは私は不参加だったけど、昴と葵もちょっとだけ顔を出したらしい。一歳になっていない二人の子供、紫ちゃんはみんなに大人気だったようで、ラインが「可愛かった」の嵐だった。

 

 ラインといえば、智花ちゃんからは約束の時間には帰ると連絡があった。

 大学にバスケに茶道に日舞と、彼女は彼女で忙しい日々を送っている。

 

 今日のお祝いは個人的なものだ。

 私が二十歳になって久井奈さんとお酒を飲みに行った時だったか。智花ちゃんが二十歳になったら一緒に飲もうと約束をしていた。

 まさかこんなにすぐ果たされるとは思わなかったけど。

 僭越ながら智花ちゃんのお酒デビューのお相手をする栄誉を授かることになった。昨日は「ひなたちゃんの誕生日が三月だから」とみんなお酒はナシだったのだ。

 

 五人全員が二十歳になった暁には真帆ちゃんお薦めのワインか何かが振る舞われることだろう。

 決して羨ましくはない。

 若いうちからそんな高いの飲んだら舌が肥えて大変に決まってる(負け惜しみ)。

 

「……あはは。私だけお呼ばれしちゃってちょっと照れちゃいましたけど」

「翔子ちゃんは家族同然ですもの。智花とも仲良しですし」

「そういうのは智花ちゃんに彼氏ができた時に言ってあげた方が……」

 

 夕食の支度を手伝いながらキッチンをお借りして、お祝い用のおつまみを用意。

 長谷川家のレシピと湊家のレシピを伝授されている私のレパートリーは広い。祥の教えに基づきお洒落女子を演出しつつも美味しい料理を作ることができる。

 なお、鶴見家の料理はとうの昔に私が掌握しているので、母さんは主に食べる係である。

 

 と。

 花織さんの手が止まった。真顔でこっちを見てくる彼女。

 

「翔子ちゃん。それは智花に言っちゃ駄目ですからね」

「え、何かあったんですか……?」

「あ、いえ。いっそ一度吐きださせた方が――お酒の力が使えるようになったのですし」

「何があったんですか!?」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 智花ちゃんは彼氏いない歴二十年だ。

 小学生で男性と同衾(ただし相手は長谷川昴である)まで経験していながら、未だにキスもしたことがない。手を繋ぐぐらいはまあ稀にあるらしいけど(ただし回数ツートップは昴と香椎くんである)。

 なんというか、びっくりするぐらい先に進まない。

 

 ――別に、全く恋をしていないわけではない。

 

 小六の時の昴に始まり、彼女も何人かの男性に想いを寄せてきた。

 ただ、その恋が悉く砕けている。

 ある時は告白する前に他の子と付き合い始め、ある時は告白した結果「他に好きな子がいるから」と断られ、中には告白しようと思った矢先に海外へ引っ越して音信不通なんていうのもあった。

 

 なんていうか、目が肥えすぎている上に恋愛運が悪い。

 

 じゃあ、向こうから来る男はどうかというと、前述の通り目が肥えているので大抵却下。

 しばらく交友関係を築いても、ガチの大和撫子ぶりについていけなくなった先方が勝手にリタイアすること多数である。

 まあ、そんな根性ナシが来ても忍さんと花織さんとついでに私がお帰り願うだろう。

 

 というわけで。

 

「わあ。翔子さんのお料理、今日も美味しそうです」

「智花ちゃんが買ってきてくれたチーズも凄く美味しそうだよ」

「ありがとうございます。昨日真帆から聞いたお店なんですけど、お客さんも綺麗な女の人ばかりでびっくりしちゃいました」

 

 二十歳になった智花ちゃんは清楚な大和撫子に成長している。

 腰まである長い髪は艶やかで、凛とした表情は笑みを浮かべると途端に柔らかくなる。

 ちょっと身長が低めなのが逆に、隣に立つ男性を自然と引き立ててくれる。

 

 忍さんと花織さんの教育を受けて清らかに育った彼女はファッションセンスも大人しいものが中心で、今通っている女子大の雰囲気にもぴったりと合っている。

 今の服装も薄手のタートルネックに白いオフショルダーの組み合わせで可愛らしい。

 って。

 

「その駒、まだ着けてくれてるんだ」

「もちろんです。この駒は、私の宝物ですから」

 

 首から下げた二つの将棋の駒のアクセサリーを、智花ちゃんはぎゅっと握った。

 駒に彫られた文字は別々。

 一つは『六連星』。もう一つは『翔鶴』。

 どっちも以前の誕生日プレゼントであげたものだ。二つ目については和風とはいえ軍艦の名前を連想するしどうなのかと思うんだけど、智花ちゃんが「これがいい」ということで決まったもの。

 チェスのナイトみたいな動きでもするのかな、と試してみたら馬鹿みたいに強かった……というのは余談として。

 名前にこめてくれた想いはもちろんわかっている。

 『六連星』――コートに立つプレーヤーだけがチームじゃないという私のメッセージに対し、コーチが一人とは限らない、と、私に言ってくれたもの。

 

 昴だけじゃない。

 私と智花ちゃんたちの絆だって確かにあったのだという証。

 同じ文字が彫り込まれた駒は私の化粧ポーチにもついている。

 

「その二つのせいで三年目からのプレゼントのハードルが上がったんだよね……」

「そんな。気を遣っていただかなくても……」

 

 ちょっと困った顔をする智花ちゃんに、私はにっこり笑って今年のプレゼントをする。

 

「ごめんね、冗談だよ。はい。誕生日おめでとう」

「あ、ありがとうございます……! なんでしょう……あっ!」

「久しぶりに原点に返ってみました」

 

 小さな包みに入っているのは、またも将棋の駒。

 それしかないのかと言うなかれ、それくらいしか私だけのアイデンティティというのがないのである。

 幸い、智花ちゃんも口元を綻ばせて喜んでくれた。

 

「もう、頂けないのかと思ってました……」

「いや、毎年同じだとさすがに飽きるかと思って」

 

 今年の駒に入れてもらった文字は『智花』。

 

「でも結局、ベタもベタになっちゃいました」

「そんなことありません……! 大切に、します」

 

 ぎゅっ、と、新しい駒を抱きしめてくれる智花ちゃん。

 

「私はどこででも頑張っていける。……そういうこと、ですよね?」

「……もう、智花ちゃんには敵わないな」

 

 『六連星』の駒は「みんなでひとつ」。

 『翔鶴』の駒は「あなたもいっしょに」。

 『智花』の駒は「ひとりでだって」。

 

 智花ちゃんが一個の駒としてやっていけるという意味。

 中学までは五人揃ってバスケを続けた智花ちゃんたち。でも高校、大学と進むにつれて別の道を選ぶ子もいた。今もバスケを続けているのは二人だけで、その二人も別の大学に進んでいる。

 大学を卒業する頃には一人になるかもしれない。

 そして、その「一人」が智花ちゃんだとは限らない。小柄で多忙な彼女がプロの道を断念する可能性だって、十分残されている。

 それでも、智花ちゃんならどこででも、何をしても、きっと大丈夫。

 

「三つは多いから、一つは別のところにつけますね」

 

 大学生になってからぐっと大人びてきた笑顔で、智花ちゃんが言った。

 今回の駒にはあらかじめ穴を開け、金具とセットにしてある。

 『六連星』を外して代わりに『智花』を取り付けると、新しい金具に外した『六連星』を取り付ける智花ちゃん。二つセットで送ったため、もう一つの『智花』が残ったが、それは私に差しだされた。

 

「翔子さんが持っていてください」

「いいの?」

「はい。持っていて欲しいんです」

「……そっか」

 

 私は「ありがとう」と微笑んで、化粧ポーチにそれを取り付けた。

 なんだか姉妹の証みたいに私には思えた。

 

「っと、お腹空いてきちゃった。始めちゃおうか」

「はいっ」

 

 私のプレゼントは駒だけではなく、もう一つ。

 甘口で飲みやすい日本酒、それもお祝いでないと買えないようなちょっと高いのを用意してみた。

 ワインやチーズじゃ三沢家に勝てないけど、まがりなりにも棋士の娘。母さんや、年中お酒飲んでる盤師の女性などなど、日本酒に詳しい人なら結構知っている。そういう伝手を使って手に入れた一品である。

 

 開けるのは今日じゃなくてもよかったけど、智花ちゃんが「飲みたい」と言ってくれたのでさっそく開けた。

 

 下調べした情報通り。

 口当たりがよくてするする入ってくる。さすが高いだけはあると感心させられる。

 洋酒党の久井奈さんにも飲ませたいな、などと思いつつ、料理やチーズをつまみにちびちびと飲む。

 

 智花ちゃんも「美味しい」と笑顔で切子グラスを傾け、て?

 

「あの、ちょっとペースが速いような……」

「翔子さん。聞いて欲しいことがあるんです」

「あ」

 

 気づいたら目が据わっている。

 頬が赤く、瞳はうるうると潤んでいて、これから大事な話をしますと主張している。

 

 ――花織さんが教えてくれたのは、この間また一人、智花ちゃんの片思い玉砕歴が増えたという話。

 

 それも、ちょっと胸に刺さることを言われたらしい。

 その、愛が重いし釣り合う自信がないとかなんとか。聞いた私の胸まで痛くなった。ちなみに私は似たようなことを年に一回くらい言われている。

 

 ぽつぽつと智花ちゃんが語ったのもそういう話で。

 酒と料理を進めながらだんだん涙ぐんでくるものだからどうしようかと思った。

 最終的に智花ちゃんは私に抱きついてしゃっくりを上げ始めた。

 

「そうだ。智花ちゃん。いっそのこと女二人で一緒に暮らそうか」

「……ぐすっ。いいんですか?」

 

 顔を上げて嬉しそうにすう彼女。

 駄目だ。この子酔ってる上に相当傷ついてる。

 

 私は苦笑し、智花ちゃんが自棄にならないよう必死で慰めることになったのだった。



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ending07.幼馴染トライアングル

「extra stage」の途中からの分岐です。


 葵に告白して、振られた後。

 

 ()は一晩中泣きはらした後、そのまま眠りについた。

 目を覚ましたのは次の日の夕方。

 放り出された鞄の中から響く、スマホの着信音が目覚ましだった。

 

 コンディションは最悪。

 瞼が腫れて酷い状態なのが見なくてもわかるし、お腹はぺこぺこ。

 夜更かししたから肌の状態だって良くないだろう

 

 それでも気分だけはそこそこ晴れていて。

 這うように移動してスマホを取り出し、画面を見た。

 

「……え?」

 

 ディスプレイには『荻山葵』の名前。

 一晩かけて割り切ったはずの恋心が疼く。

 

 ――どうして昨日の今日で、私に電話してくるの?

 

 いい話のはずがない。

 でも、ここで逃げたら、きっとずるずる逃げてしまう。

 私は覚悟を決めると通話ボタンを押した。

 

「……もしもし、葵?」

『……翔子』

 

 正直、私の声は酷かった。

 水分が足りていなくて喉がからからなのだ。

 葵にもそれは伝わったらしく、電話の向こうで息を呑んでいた。

 

 それでも、申し訳なさそうに用件を言ってくる。

 

『ごめん。……あのね、今から会えないかな?』

 

 私は。

 そのお願いに、どういう気持ちを抱けばいいのかわからなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 葵が指定してきたのは、どういうわけか長谷川家だった。

 詳しい用件は聞けていない。

 でも、込み入った話なのは確実だ。

 

 私は彼女に「わかった」と答えた。

 通話を切ってベッドから起き上がる。

 

「翔子、晩御飯は――」

「ごめん、ちょっと出てくる」

 

 案の定、髪はぼさぼさ目は真っ赤、酷い状態。

 ()()()()()()()という母さんに謝ってから、最速でシャワーと洗顔と水分補給を済ませ、白い上下の下着と、露出はないけど可愛い服を選んで身に着ける。

 メイクしている時間はない。

 せめて目薬とリップクリームだけ使ってから、足早に家を出ようとして。

 

「送るわ」

「え、母さん。お酒飲んでないの?」

「翔子が作ってくれないなら、外食かコンビニにしようと思って」

 

 胸を張って酷いことを言われたけど。

 私は枯れた涙が出てくる前に目を擦った。

 

「ありがとう、母さん」

「……その調子なら、大丈夫そうね」

 

 嫌なことを忘れるくらい将棋漬けにしようかと思った。

 長谷川家に向けて車を飛ばしながら怖いことを言う母さんに、私は真顔で「やめて」と言った。

 家の前で私だけ降ろしてもらう。

 

「帰る時は電話しなさい」

「母さん。無理なことは言わなくていいから」

 

 コンビニ弁当と一緒にチューハイ買うに決まってる。

 

「……返す言葉がないわ」

 

 気を付けて、という言葉を残して車は走り去っていった。

 

「……さて」

 

 長谷川家のチャイムを鳴らす。

 程なくして玄関から出てきたのは七夕さんだった。

 

「いらっしゃい、翔子ちゃん」

「こんばんは、七夕さん」

 

 七夕さんは私の顔を見て一瞬、表情を曇らせた後、すぐに笑顔を作った。

 私も多くは語らずに微笑んで、尋ねる。

 

「葵、来てますか?」

「うん。すばるくんと一緒にリビングにいるわ。上がって」

「ありがとうございます」

 

 靴を脱いで中に入ると、料理のいい匂いが鼻をくすぐった。

 ぐう、とお腹がいい音を立てる。

 

「良かった、お腹空いてるのね? 今ちょうどね、ビーフシチューが煮込み終わったところなの。食べて行って」

「ありがとうございます。実は朝から何も食べてなくて……」

 

 身体が塩分と水分とカロリーを欲している。シチューなんてまさに私が今欲しいものだ。

 気分が上向くのを感じながらリビングに入って――。

 

 妙な沈黙に満たされた空間に足を止めた。

 

「……何があったの?」

 

 向かい合って座る、昴と葵。

 なんだかぎこちなくて、気まずそうで、でも喧嘩したって感じでもなくて、結構長い付き合いのはずの私でさえ覚えがない雰囲気。

 なんていうか、どうしようコレ、と二人ともが思っているような。

 

「「翔子」」

 

 何故か、ほっとしたように息を吐く二人。

 いや、本当に何があったの?

 

「とりあえず、座って座って。今ご飯持ってくるから」

「あ、はい」

 

 七夕さんが割といつも通りなのが余計にわからない。

 込み入った話じゃないのかな……?

 疑問を感じながら席につく。葵の隣――は、七夕さんの定位置だったので、それを言い訳に昴の隣へ。すると男の方の幼馴染が喜色を浮かべ、女の幼馴染が表情を曇らせる。

 

「……昴と大事な話、してたんじゃないの?」

 

 埒が明かないと見て切り出せば、葵がこくんと頷いた。

 言いづらそうにしながら、

 

「昴に、告白した」

「そっか」

 

 きゅう、と、胸が締め付けられる。

 

「昴は、なんて答えたの?」

 

 断る理由が思いつかない。

 でも、二人めでたくゴールインしましたっていう話なら、私はいらない。

 

「悪いけど、気持ちには応えられないって言った」

「……なんで?」

 

 真っすぐに気持ちを伝えれば絶対大丈夫だと思ってた。

 昴と一番長く一緒にいた葵が振られるわけないって。

 でも、

 

「他に好きなやつがいるからだ」

 

 昴は真摯な声で答えた。

 気持ちが伝わらなかったわけじゃないと一発でわかる。

 

「誰? ……智花ちゃん、とか?」

 

 昴が眉を顰めた。

 

「どうして智花が出てくるんだよ」

「え、と。じゃあ、愛莉ちゃんとか――真帆ちゃん、とか?」

「違う」

 

 真っすぐな目が、()()見ている。

 

「俺が好きなのはお前だ、翔子」

「……は?」

 

 私は目を丸くした。

 七夕さんがビーフシチューを運んできてくれたのは、ちょうどその時。

 話がどういう風にこじれたのか、明確に理解したタイミングでのことだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……美味しい」

 

 野菜や肉の旨味が溶けだした複雑な味わい。

 濃厚なそれを口に流し込んで、パンをひとかけ口に放り込めば、それだけで至福がやってくる。

 シチューは完成された料理だ。

 肉も野菜も水分も取れる。じゃがいもなんかを入れれば炭水化物だって補えるわけで、塩分なんかに気を付ければ女の子にとっても強い味方だ。

 ううむ、やっぱり七夕さんの味に追いつくにはまだまだ修行が、

 

「おい翔子、現実逃避するな。お前だけが頼りなんだ」

「うるさいな。馬鹿じゃないの昴」

「いきなり罵倒から入るのかよ……」

 

 状況を理解した私はやさぐれていた。

 ちょっとくらい現実逃避しなければやってられない。

 七夕さんは「あらあら」といった様子で見守ってくれているけど……。

 

 私は、はあ、と息を吐いて言う。

 

「昴。悪いけど私も、昴の気持ちには応えられない」

「……どうしてだ?」

 

 半ば予想していたような声音に、概ね伝わっていることを知る。

 

「私、失恋したばっかりなんだよ。……振られちゃったけど、ほいほい他の相手に乗り換えるとかできない」

「振られたのに、か」

「振られたからって、その子のことが嫌いになるわけじゃないんだよ」

 

 苦笑して葵を見る。

 彼女は涙を浮かべていた。色々な感情が溢れすぎていっぱいっぱいなんだろう。

 私はもう泣きに泣いてきたから大丈夫だけど。

 

 ――三角関係、かあ。

 

 普通、完璧な三角関係は成立しない。

 三人という前提からして男女比が偏るからだ。ただし、一人同性愛者が交じれば話は別。

 前世では、拗れた恋愛アニメのレズ少女に「こいつが元凶だろ」とか思ったりしてたんだけど、まさか自分が元凶と化すとは……。

 

「昴だって葵のこと嫌いじゃないでしょ?」

「そりゃあもちろん、そうだけど」

「なら、葵と付き合う方が絶対いいよ」

 

 私は微笑んで言う。

 

「だって私、レズだし」

「………」

「………」

 

 言っちゃった。

 さすがに昴達も絶句してる。本人の口から聞くとさすがに違うのかな。

 しばらくして、昴が押し殺した声で、

 

「俺のこと、嫌いか?」

「嫌いじゃないよ。……男の子と付き合わなきゃいけないなら昴がいいな、なんて思ったことはある。でも、私は、一番好きな人に幸せになって欲しいから」

 

 私の恋のために葵が不幸になるなんて許せるわけがない。

 

「……あんたはっ、どうしてそうやって……!」

 

 葵が口元に手を当て、嗚咽を漏らしている。

 七夕さんが背中を抱いて落ち着かせようとしてくれている。

 

「私はもう吹っ切れてるからだよ。……元々、私と葵が付き合うなんて自然なことじゃないんだし」

 

 言うと、今度は昴の視線が険しくなった。

 

「お前な。そうやって自分だけ我慢するの止めろよ」

「昴。……昴は私のどこが好きなの?」

「誰よりも一生懸命なところ。純粋で傷つきやすいところ。なのに、人のために自分が我慢しちまう不器用なところだよ」

 

 だったら、私が我慢するのを止めないでよ。

 いったん諦めた私に夢を見させないで。

 

「私の恋は叶わないんだよ……っ!」

 

 絞り出した言葉に昴が絶句して――。

 

「なら、三人でお付き合いしたらどうかしら?」

 

 この状況では、いっそ「のほほん」としているようにさえ聞こえる声で。

 七夕さんが言って首を傾げた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……どうしてこうなった」

「知らないわよ……」

「でも、私としては願ってもないんだよね……」

 

 十数分後。

 私と葵、昴は揃って遠い目をして、デザートのプリンを食べていた。

 

 七夕さんの衝撃的な提案の後。

 三人で揃って「いやいやいや」と否定してはみたものの、「嫌?」と聞かれれば「別に嫌じゃないですけど」と、三人が三人とも答えた。

 いやいや荻山さん、あなたは嫌だって言ってくださいよ、と思ったんだけど。

 

『……別に私、翔子のこと嫌いなわけじゃないんだよ? 昴に恋してなかったら、多分、オーケーしてたと思うし』

 

 殺傷能力が高すぎる言葉に私がノックアウト。

 昴はさっき私が言った「男の子とどうしても以下略」でノックアウト済みで、最後に葵も、

 

『俺だって葵のことは嫌いじゃない。……翔子の次だけど、ちゃんと好きだ』

 

 誠実なのか馬鹿なのかわからない告白で陥落した。

 で、そうなると誰にも反論の余地がないわけで。

 

「昴達がいいなら、私はそうしたい」

「翔子」

「あんた、それでいいの?」

 

 いいも何も、

 

「私にとっては敗者復活戦みたいなものだし」

 

 それに、

 

「多分、三角関係って長くは続かないよ。絶対、どこかが崩れて両想いになる」

 

 一番崩れる可能性が高いのは私と二人のラインだ。

 だって、自然じゃないんだから。

 

「だからね。……もし三人で付き合うなら、私は我慢しないよ? 昴も葵も私から離れられないように誘惑して、積極的にアプローチする」

 

 幸い、努力は得意な方だ。

 女子力なら葵にだって負けない自信はある。

 

「……それが嫌なら、二人で付き合って」

 

 多分、その方がいいんだろうな、と思いながら言うと。

 

 ――昴と葵が同時にため息をついた。

 

 え、何、そのため息ってどっちの意味?

 

「なあ葵、俺はやっぱりこいつを放っておけないんだが」

「……そうね。若干不本意だけど、私達が捕まえておかないと怖いわ」

「そんな人を少女漫画のヒロインみたいに」

「「似たようなもんだろ(でしょ)」」

「ええ……」

 

 昨日まで男の自意識残ってたんですけど、私。

 というか、二人とも本当にそれでいいのだろうか。なんか私だけ得してる気がするんだけど。

 

 七夕さんがにこにこ笑って。

 

「一件落着ね。やっぱり、すばるくん達は三人仲良くないと」

 

 つよい。かてない。

 意中の男性を見事射止めた挙句、今なおラブラブを続けている女性は格が違った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そんなわけで。

 

「翔子と付き合うことになった」

「葵が付き合ってくれるって」

「昴の彼女になったわ」

 

 私達は上原やさつき、多恵といった面々に交際報告をした。

 案の定、反応はアレだったけど。

 

「……何言ってんだお前ら。いや、今更かと言うべきか」

「いや、うん。長谷川家センセー、両手に花だな!」

「良かったねえつるみん、葵ちん。お幸せにねぇ」

 

 割と普通に祝福してもらえたのが意外ではあった。

 というか、私達の関係が傍からどう見られていたのかが怖いような、その通りになったから何も言えないような……。

 まあ、でも。

 三人で、という変則的な交際がこれで結構楽しかったりする。

 私が昴と仲良くしてると葵が嫉妬してくれるし。昴と葵、二人分のお弁当を毎日作るのとか今から楽しみで、早く二学期が来ないかなと思ったりも。

 デートも三人でなら気楽というか、好きな人とのドキドキが幼馴染とのリラックスした関係でいい塩梅に落ち着くというか。

 

 エッチなことはまだしてないけど、まあそっちは問題ないと思う。

 私と葵じゃ元々子供は作れないわけで、昴の子供を産むのはやぶさかじゃないし、葵も一緒に産んでどっちも可愛がればいいんじゃないかな、とか。

 いや、結婚どうするのかとか、そもそもそこまで続けられるのかっていう問題があるけど。

 そこは宣言通り、私は全力で二人の気を引く所存だ。

 

 そうして。

 

 さつき達に報告した後は、智花ちゃん達にも伝えたんだけど。

 

「おー? お兄ちゃんたち、三人でおつきあい?」

「すげー! すばるんたちってオトナすぎない!?」

「チャンスよトモ、愛莉! ついでに入れてもらいなさい!」

「ふええ!? そ、そんなことできないよう……!」

「う、うん……。でも、もしできたら、翔子さんと葵さんと長谷川さんと……えへへ」

 

 予想外。

 逞しい小学生達の攻撃に、一対一という恋愛のセオリーを使えなくなった私達は大苦戦を強いられるのであった。

 

 めでたしめでたし……?



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endingXX.翔子が狼になった話

エゴサーチしてみたら、グーグル先生に「もしかして:狼」って言われるので書きたくなった話です。
再び他作品ネタなので本編には関係ありません。
二つ名が普通に登場するあたり、ロウきゅーぶとベン・トーの親和性も悪くないと思うのですが。


「花椒、花椒……」

 

 晩御飯は麻婆豆腐なのに、不覚にも大事な調味料を切らしていた。

 母さん達にも予告していたので別の料理に変えるわけにもいかない。麻婆豆腐が麻婆茄子になるならともかく、肉豆腐とか揚げ出し豆腐になったら胃袋が反乱を起こすだろう。

 さっさと買って帰らないとと思いつつ、私はスーパーマーケットの自動ドアをくぐった。

 買うのは花椒だけなのでカゴは取らず、調味料コーナーへ直行する。

 と、そこに偶然、見知った顔があった。

 

「紗季ちゃん?」

「……鶴見さん」

 

 パンツスタイルの私服を着た紗季ちゃんが私の声に振り返った。

 一瞬、妙に鋭い視線に射貫かれたものの、相手が私だとわかると紗季ちゃんはすぐ態度を軟化させてくれた。

 

「お買い物ですか?」

「うん、花椒を買いに。紗季ちゃんは?」

「はい。私はちょっと、お弁当を」

 

 お弁当?

 夕飯にスーパーのお弁当なんて珍しい。

 

「お店、何かあったの?」

「ああ、いえ。単に父と母が手を離せないだけです。私が手伝うほどじゃないけど忙しい日なんかはたまに買いに来るんです」

「あ、なるほど」

 

 お店が忙しいのなら賄いのお好み焼きが晩御飯、というわけにもいかないだろうし、何よりあんまりお好み焼きばっかりでも飽きちゃうだろう。

 そこでコンビニ弁当じゃなくてスーパーのお弁当というあたりがしっかりしてる。

 あれ、でも。

 

「そろそろ夕食時だから早く行った方がいいんじゃ? ……あ、ひょっとして半額狙い?」

「まあ、そんなところです」

 

 紗季ちゃんは苦笑して答えた。

 まじですか。半額弁当なら安く上がるだろうけど、そこまでするとは。

 と。

 スタッフルームから店員さんが出てくる気配。途端、紗季ちゃんの表情が嘘のように鋭くなった。そう、まるで戦いに赴く戦士のように。

 紗季ちゃんは私から顔を背けると、一点に視線を固定する。

 

「……すみません。用がありますので話はこれで」

 

 そして、お弁当にシールを貼り終えたスタッフさんがスタッフルームに戻ると同時。

 

 ドン!

 

 衝撃が、走った。

 瞬きをする間に世界が――ううん、スーパー内の様子が一変している。あちこちに潜んでいたらしきお客さん、いや、戦士達が拳を振るい、相手を打ち倒し、()()()()()()()()突き進もうとしている。

 その中には小さな紗季ちゃんの姿もあった。

 戦士たちの多くは男性で、大学生や大人の姿もある。小学生の女の子には危険すぎるように思えたけど――紗季ちゃんの拳、蹴りは的確に相手を弾き飛ばしていく。

 まるで、実力以上の何かに後押しされているようだった。

 

 なにこれ、異能バトルもの?

 でも、やってることが半額弁当争奪戦なんだけど……?

 

「やるな……! さすがは《氷の絶対女王政(アイス・エイジ)》……!」

 

 聞こえてきたのは紗季ちゃんの二つ名。

 あれって小学校で流行ってて、羽多野先生がつけたもののはずだけど……別の意味があるのか。

 

 私が考えている間にも戦いは進んで。

 素手、あるいは買い物カゴで襲い掛かる敵達を紗季ちゃんはいなし、かわし、あるいは打ち倒して、お弁当コーナーに僅かな空白地帯を作り出した。

 そして悠々と半額弁当に歩み寄り、取った。

 

 取った後は不思議と誰にも攻撃されない。

 飲料コーナーでお茶のペットボトルを手に取り、紗季ちゃんはレジへ向かっていく。

 

 ちょっと、気になる。

 私は花椒を探して手に取ると、早足でレジに移動した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……狼?」

「はい。私達、半額弁当争奪戦に参加する者はそう呼ばれています」

 

 近くにある公園のベンチにて。

 私は紗季ちゃんからさっきの出来事について説明を受けていた。

 

 狼。

 半額弁当を取り合う者達の多くは別に貧乏ではない。戦いの上で勝ち取る喜びと、それによって得られる極上の味を求めて戦っているらしい。

 彼らには幾つかのルールがある。

 例えば、半額シールが貼られてスタッフがいなくなってからがスタートになるとか、その日の夕餉にする分以上は取ってはいけないとか、半額弁当を手にした者は狙ってはいけないとか。

 集約すると『礼儀を持ちて誇りを懸けよ』というもの。

 

 説明しながら、紗季ちゃんはスーパー電子レンジで温めてきたお弁当を開ける。

 彼女が手に入れたお弁当は奇しくも『麻婆豆腐丼』――私が作ろうとしている料理を、ご飯にかけたものだった。

税抜き430円が半額で215円。驚くほどお手軽なお値段である。

 にもかかわらず、開けた瞬間から食欲をそそるいい匂いが香ってくる。

 

「いただきます」

 

 きちんとそう口にしてから、プラスチック製のスプーンを手にする紗季ちゃん。

 麻婆豆腐とご飯をいっぺんにすくい、ぱくっと口の中に入れる。

 

「~~~っ♪」

 

 ぱっ、と、彼女の顔に至福の色が浮かんだ。

 美味しいのだと一目でわかる。ぐう、とお腹が鳴った。花椒も買ったし、今夜は絶対、麻婆豆腐を作ってやる。もちろん白いご飯と一緒に食べよう。

 と、紗季ちゃんがくすりと笑って私を見た。

 

「一口どうですか?」

「いいの?」

「ええ、どうぞ」

 

 ひとすくいした麻婆豆腐丼を有難く、あーんさせてもらう。

 そうして口に入れた瞬間、私は目を見開いた。

 

「……美味しい!」

「良かった。鶴見さんにもわかるんですね」

 

 嬉しそうに言う紗季ちゃん。

 

「この麻婆豆腐には『勝利の一味』が入っているんです。もちろん、お店の方も心を込めて作ってくださっていますが……勝利が、更に上回る美味しさを与えてくれるんです」

「勝利の一味……」

 

 確かに、味見させてもらったお弁当には、作り手の工夫以上の「何か」があった。

 紗季ちゃんが戦いの末にこれを手に入れるところを見ていたせいだろうか。

 

 ――男の人や大人を押しのけて。

 

 勝ち取ることに意義がある、ということなのだろう。

 

「でも、危ないんじゃ」

「そうですね」

 

 そこは否定せず、紗季ちゃんもこくんと頷く。

 

「ですが、私達には『腹の虫の加護』がついています。多少の痛みは吹き飛びますし――半額弁当の美味しさには代えられません」

 

 食べたいという思いが、あの戦場では力を与えてくれるらしい。

 火事場の底力のようなものだ。

 食い意地が張っている方が勝つ……というと身も蓋もないけど、体格や腕力に優れているだけじゃあの場では勝てないらしい。

 紗季ちゃんの活躍を見た今となっては信じるしかない。

 

 ――狼、か。

 

 ちょっと格好いい、なんて思ってしまうのは男の子時代の感性の名残か。

 

「私にもできるかな」

 

 呟くように言うと、紗季ちゃんは驚いたように目を丸くした後で微笑んだ。

 

「ええ。……最初から上手くいくとは限りませんが、鶴見さんにもきっと」

「そっか」

 

 やってみようかな、狼。

 

 紗季ちゃんは更に細かいルールを私に教えてくれた。

 食事が終わったところで別れ、私はゆっくりと家路につく。

 

 胸は不思議なドキドキに包まれていて――お腹を空かせた母さんが待っていることを思いだしたのは、鍵を開けて家に入った後のことだった。

 その日作った麻婆豆腐は我ながらよくできたと思うんだけど……どういうわけか、紗季ちゃんから一口貰ったあのお弁当の味には敵わないような気がした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 数日後の土曜日、夕方。

 私は地元からバスに乗り、少し離れたとある街を訪れた。

 乗ったバス停自体もほぼ使ったことがなく、用がないため行くこともなかった――烏田という街。

 

『狼の世界を体験したいなら、その街のスーパーマーケットに行くといいと思います』

 

 という、紗季ちゃんの助言に従ったものだ。

 なんでも狼発祥の地であり、今でも一番、半額弁当争奪戦が盛んな地域だという。

 いきなり激戦区って、TCGを始めようとする初心者に構築済みデッキを渡して秋葉のカードショップに殴り込ませるような暴挙だけど、何か意味があるのかもしれないし。

 

 えっと、特にお薦めだって言われたのは……通称『ジジ様の店』と『アブラ神の店』の二店舗だったっけ。

 

 近くには烏田高校や丸富大学、およびその付属がある。

 烏田は結構レベルが高く、丸富は学費がお高めなので私達の進学先としては選ばれなかった。上原は烏田に行っても良かった気はするけど。

 私が選んだのは『ジジ様の店』の方だった。

 

「……っ!?」

 

 店内に入った途端、私は強烈なプレッシャーを感じた。

 

「誰だ?」

「見ない顔だな。新顔か?」

「他の地区の狼かもしれん」

 

 プレッシャーは一瞬で止んだ。

 店内を歩いていくと、どこからかそんな声が聞こえた気がした。気のせい? それとも……。

 

 紗季ちゃんの教えでは、店に入ったらまずお弁当を確認するのが鉄則らしい。

 私はお弁当コーナーを探し、近寄る。三つのお弁当が残っていた。『若鶏の唐揚げ弁当』『特製のり弁当』、そして――『サバの味噌煮弁当』。

 

「……美味しそう」

 

 ぐう、とお腹が鳴った。

 お昼ご飯を控えめにしておくといいというのも教えだった。なるほど、お弁当を前にして身体がそれを求め始めたのがわかる。まあ、空腹で力が出るのかは謎だけど。

 値段シールは30%オフ。十分お得だ。つい指を伸ばしかけて、慌てて引っ込める。

 刹那、恐ろしい殺気が私を射貫いた。

 

「いけない」

 

 半額になる前のお弁当を確保するような真似は『豚』と呼ばれて蔑視されるらしい。

 豚として貪る弁当の味には『勝利の一味』は入っていないという。

 なら、待つしかない。

 

 お弁当コーナーを離れ、()()に近い待機場所を探す。

 しかし、良い位置は既に誰かしらが立っていて、そこに並ぶのは気が引けた。仕方なく少し離れたコーナーで物色する振りをする。

 と、私の隣に誰かが立った。

 黒っぽい制服を着た高校生の女の子。ヘアスタイルが犬か狼を思わせる。

 

「もしかして、初心者さん?」

 

 この子も狼なのか、と理解した。

 

「はい。初めてなんです」

「ふうん。でも、ルールは知ってるみたいだね。……さっきはちょっと危なかったけど」

「……『弱きは叩く』」

「『豚は潰す』。そう、わかってるなら大丈夫。ただ、手加減はできないけど」

 

 くすっと笑う彼女。

 

「烏田高校の生徒が多いんですか?」

「そうだね。他にも何人かいるよ。特に《氷結の魔女》と《変態》には注意かな」

「へ、変態?」

 

 どういう意味だと尋ねようと思った時、スタッフルームの扉が開いた。

 

 ――空気が張り詰める。

 

 入り口で感じた以上のプレッシャー。

 似たようなものはバスケの試合や大会の時に感じたことがある。戦いに臨む者の気迫。それを周囲の狼達が発しているのだ。

 

「……始まるよ」

 

 あれがきっと『ジジ様』なのだろう、店員さんがシールを貼っていく。

 一つだけ。

 見れば一つはいつの間にか消えている。話している間に買われたらしい。でも、もう一つは? あ、別のシールが貼られる。

 

「月桂冠」

 

 半額神――シールを貼るスタッフが最高と認めたお弁当にのみ貼られるシール。

 貼られたのは『サバの味噌煮弁当』だ。

 月桂冠が出た場合、基本的に激しい争奪戦になると紗季ちゃんは言っていた。つまり、それを制さなければあのお弁当は食べられない。

 お腹が空いている。食べたい。頭がそのことでいっぱいになる。

 

 気づいた時には、ばたん、という音が響いていた。

 ドン!

 衝撃が響き、あの子(仮称ウルフヘア)の背中が見えた。出遅れた! 相変わらずスタートダッシュのタイミングが恐ろしくシビアだ!

 慌てて足を向ければ、既に戦線が構築されつつあるのがわかった。

 一番前で争っているのはウルフヘアの子と――やっぱり烏田高校の制服を着た、しっかりした身体つきの男の子。二人の拳が二度、三度と打ち合っている。

 

「邪魔しないでよ、《変態》!」

「それはこっちの台詞だ!」

 

 あれが《変態》。一見普通の子だけど、まさか脱ぐとか……?

 思いつつ戦線に近づく。

 怖いな、これ。バスケでも乱戦っぽいのはあるけど、あれは殴り合わないし……と、

 

「初心者だろうが……悪いな。容赦はせん」

 

 声。

 横合いから接近して来る影を辛くも察知し、振り返りざまに受け止める。

 重い! 怒ってる時の葵の拳よりきつい!

 

「……ほう」

 

 感嘆したのは攻撃してきた相手、坊主頭の狼。

 彼は一発に拘泥せず拳を引くと、更に連撃を放ってくる。避け、払い、なんとかもらわないようにするけど、その一つ一つがやっぱり重い。これが腹の虫の加護か。

 私も多少はパワーアップできてるっぽいけど、バスケ経験がなかったらたぶんもうノックアウトされてる。

 

「やるな、ルーキー」

 

 坊主はちらりと前線に目をやってから攻撃を継続してきた。

 ウルフヘアが《変態》とやりあってるからか。倒しやすい私を狙って数を減らすつもりらしい。

 でも、せっかくなら負けたくない。

 守るだけじゃ勝てない。こっちからも攻撃しないと。坊主は今のところ連撃主体。なら、それ以上のスピードで攻めるか……ううん、ここは一撃必殺!

 

 相手の攻撃をいなし、かわし、比較的間が空いたと思われるところでつま先を跳ね上げる。

 うわっ! 思った以上に勢いがついて、私はぐるっと一回転してしまう。ちょっと待った、格ゲーじゃないんだからありえないと思うんだけど。

 幸い坊主も驚いて後退してくれて、

 

「白だと!?」

 

 って、そこ!?

 しまった、なんで私はスカート履いてきたんだ。動く度にひらひらしてる上、蹴りなんか使ったら下着が丸見えだ。いやまあ、お陰で隙が出来たんだけど、

 

「隙あり!」

「ぐわっ!?」

 

 あ、坊主が横合いから来た顎髭の男子高校生に吹っ飛ばされた。煩悩に気を取られてるから……。

 顎髭はちらりと私を見て、笑みを浮かべながら前線に移動していく。

 

「初心者にしちゃやるじゃねえか。でも、《痴女》とか呼ばれないように気をつけろよ」

「ち、痴女!?」

 

 ひどい二つ名すぎる。

 どうやら狼として有名になると二つ名がつくらしいんだけど……うん、痴女で有名になるのは勘弁して欲しい。《変態》の二の舞は勘弁だ。

 

「ええい、しつこいぞ!」

 

 件の《変態》の声。

 ひときわ大きな衝撃が響いたかと思うと、なんと彼は()()()()()()()()。できるんだ、そんなこと!? なんというか、ここでは常識を捨てないといけないらしい。

 ウルフヘアに空中攻撃を仕掛けようとする《変態》。そこに顎髭が、転がったままの坊主の身体を投げ飛ばした。二人は衝突して床に落ちる。ひどい。

 

「よっしゃ今だ!」

「させるか!」

 

 途端、周りで小競り合いをしていた狼達が前線に殺到。

 どうやら《変態》は二つ名持ちだけあって一目置かれているらしい。ダメージを受けた今がチャンスだと思われたのだろう。

 えっと、じゃあ私も……。

 思った矢先、視界の端をなんか小さめのものが通り過ぎて行こうとする。パスカットの要領で反射的に手を伸ばす。「へっ!?」。声。服の端か何かを掴んだ。引き寄せる。女の子だ。眼鏡をかけて、烏田高校の制服を着ている。

 目を丸くした彼女と目が合う。

 すごいスピードだった。意識の間隙を突かれた感があったし。向こうが私のことを度外視してたっぽいからなんか止められたけど。

 

 ……倒しちゃおうか。ううん。

 

 私は彼女を軽く放り投げ、上向きの掌底を決める。

 

「ヴォェ!?」

「そこまで力込めてないですよね……!?」

 

 ともあれ、浮いた。

 床を蹴り、浮いた彼女の身体を足場にして二段ジャンプする。行ける。《変態》の真似だけど、やってやれないことはない。ジャンプ力にはもともと自信がある。それが腹の虫の加護で強化されていれば!

 跳躍。

 くるんと宙で一回転して、天井に足をつける。再び推進力を得ると共に方向転換。私が狙うのは空中攻撃ではなく――。

 

 ふわり、と、スカートを靡かせながら弁当の間近に着地するよう跳んで、

 

「上だ! 白だ!」

 

 坊主の声。

 

「ば、馬鹿な! 白だ! 自らジャンプして見せてくれるだと……女神か!?」

「アンダーウェア履き忘れたんです!」

 

 ああもう、女子を平気で殴る癖にエロは禁止なの……!?

 などと、余計なことを考えたのがいけなかったのか。

 

「悪いけど、貰うよ!」

「あっ……!」

 

 ウルフヘアと肩がぶつかる。手がお弁当に伸びようとしてる。サバの方だ。

 《変態》や坊主、顎髭も私の下着のショックから立ち直ろうとしている(どんなショックだ)。大勢を立て直している時間はない。身体全体で押すようにして妨害しつつ、私も必死に手を伸ばす。

 押し合いへし合い。

 私とウルフヘアの身体が絡み合い、もつれあう。お互い相手が邪魔で取れない。もうちょっと、もうちょっとなのに……!

 

 あ、さっきと同じ影……!?

 

「ええと、ごめんなさい」

 

 さっき私が踏み台にした子がサバを取った! 落胆が腹の虫の力を鈍らせる。

 ぐい、っと。

 接近してきた《変態》に首の後ろを掴まれ、後ろに吹き飛ばされる。坊主と顎髭がウルフヘアの肩を掴んで止めて――。

 

 私は、ウルフヘアが全員ぼっこぼこの乱戦に巻き込まれるのを、スーパーの床に尻もちをついたまま見守ったのだった。

 

 あ、もう一個の『特製のり弁当』は変態が取りました。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「全くもう、スカートの下に下着だけは迂闊すぎるよ」

「あはは……返す言葉もないです」

 

 私はベンチの隣に座ったウルフヘアに苦笑を返した。

 戦いの後、彼女から夕餉に誘われたのだ。夕餉といっても半額弁当じゃなくて、カップ麺とお惣菜だけど。私はどん兵衛のきつねうどんとおにぎり(鮭)、ウルフヘアはどん兵衛かき揚げうどんにちくわ天を追加という暴挙である。

 スーパーでお湯を入れてきたのでそろそろ食べ頃。

 私達はお互いを見た後、声を揃えて「いただきます」を言った。

 

 割り箸を割って、容器の中にさし入れる。

 ちゅるる、と麺を啜ると、ちゃんとした食感のある麺が絡んだ汁と共に口に入ってくる。カップ麺とは思えないクオリティだ。普段は食べないけど、こういうのもいいなって思う。前世では色んなカップ麺を気分で選ぶのが当たり前だったっけ。

 うう、思い出したらカップヌードルとかも食べたくなってきた。

 

「ね、ところで本当に今日初めて? 危なく月桂冠取られるところだったけど」

「うん。間違いなく初めてだよ。動けたのは、ちょっと前までバスケやってたからじゃないかな」

「え、バスケットボールってそんなに万能なスポーツだったの……?」

 

 ウルフヘアも明るい子だったせいか、話は弾んだ。

 どうやらお互い一年生だったみたいで、私も気づけば敬語じゃなくて普通に話せるようになっていた。服を買いに行くときに相談に乗って欲しいなんて言われて、連絡先も交換した。

 ご飯を食べ終わったら、自然に別れる流れに。

 私も早くバスに乗らないと補導されかねない。

 

「またね」

「うん。いつでも連絡して」

 

 手を振るウルフヘアにそう返すと、彼女は首を振った。

 

「そうじゃなくて、またスーパーで会おうよ」

「あ……うんっ!」

 

 私は笑顔で頷いた。

 そうだ。負けっぱなしじゃ終われない。もう一回、それで駄目なら二度でも三度でも挑戦して、半額弁当を自分で手に入れたい。

 それで、一回味わったら多分――もう一回って思うはずだ。

 

 バス停に向かって歩きながら、私は呟く。

 

「狼、悪くないかも」

 

 バスに乗った私は、とりあえず先達に更なる教えを乞うため、スマホでラインを起動し、紗季ちゃんへのメッセージを作成するのだった。




※どうでもいい余談

狼としての紗季……上着に仕込んだ保冷剤を自在に操るテクニカルタイプ
狼としての翔子……空中戦を得意とし、《痴女》《露出狂》などの二つ名をつけられそうになるも、最終的には《舞姫》辺りで落ち着くイメージ



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9th stage 翔子は小学生の誘拐に加担する(1)

「というわけで、葵には勝負下着を準備してもらいました」

「おし、でかした翔子!」

「さすがだよおつるみん! そこに痺れる憧れる!」

 

 ファーストフード店でお茶しながら戦果報告すると、さつきと多恵はたいそう喜んでくれた。

 

「それでそれで、どんなの買ったの?」

「白地に淡いブルーの上下セットだよ。程よいレースが可愛いやつ」

「むむ、なんていうか……普通だな! もっとこう、フリフリの黒いやつとかの方がよくね? いかにも勝負します! って感じのやつ」

 

 シェイクを啜りながらさつきが唸った。

 うん、そういう「いかにも」な奴も性欲をそそるのは確かなんだけど。

 

「初めてのエッチで彼女がそんなの穿いてたら引くよ」

「そういうもんか?」

「だと思うよ。男の子はね、自分が手をつけるまで女の子には清楚でいて欲しいんじゃないかな」

「つるみんのこういう話って説得力あるよねえ……」

 

 多恵がポテトをつまみながらしみじみと頷く。

 

 ――まあ、元男子だからなあ。

 

 前も葵に言ったけど、昴には特に清楚系の方が有効だと思う。

 美星姐さんとか、幼馴染時代の葵自身とかのせいで攻め攻めなのは拒否反応が起きるはず。七夕さんで美人に慣れている彼にはちょっと大人っぽい、それでいて可愛いやつで攻めるべきだ。

 まあ、もしかしたら女児用パンツが一番反応する可能性もあるかもだけど……もしそうだったら美星姐さんに成敗してもらうしかない。

 

「それで、私から葵にプレゼントしたんだけど……二人も三分の一ずつ出してくれない?」

「もちろんいいよぉ。でも、葵ちんが着けるとこ見たかったかもぉ」

「だな! それさえあれば気持ちよく出せるんだけどな」

 

 意味ありげに言ってチラチラしてくる二人。

 見抜かれている。

 私はスマホを取り出すと葵とのライン画面を開き、テーブルの上を滑らせた。映っているのは鏡の前で自撮りした下着姿の葵。

 

『ゾノとショージに見せたら言いなさいよ! すぐ消すから!』

 

 という文言と共に「厳守!」というスタンプも送られてきている。

 私が葵を唆して――もとい、説得して送ってもらったものだ。

 

「つるみん、お主も悪よのう」

「いえいえ、ミ商事さまほどではございません」

「なあ翔子。これ保存して送ってくれ」

「それは駄目。私まで問題児扱いされたらお裾分けもできなくなるでしょ」

「「それは困る」」

 

 真顔でハモる二人。

 

「……前から思ってたけど、さつきと多恵ってレズなの?」

「いんや。可愛い女の子が好きなだけだが」

「どっちかっていうとバイかなぁ」

 

 いや、そんなあっさり。

 それだけ私のことを信頼してくれてるんだろうけども。

 

「……ね。それって、私のせい?」

 

 ちょっと怖くなって、そんなことを尋ねてしまう。

 小さい頃から馬鹿やってきた私達。

 当然、一緒に遊ぶことも多かったわけで、いつの間にか性癖が移ってしまっていたんだとしたら申し訳が――。

 

「てい」

「とう」

「あいたっ!? な、なにするの二人とも」

「ばーか。自分の性癖くらい自分で管理してるっての」

「弊社達は楽しくやってるから気にしなくていいんだよぉ」

「本当?」

「「本当本当」」

 

 こくこく頷いてくれる。

 そっか、なら、良かった。

 

「……さつきも多恵も大事な友達だから。私のせいで彼氏できないんだったらやだなって」

「え、あちしら付き合ってるって言ってなかったっけ?」

「ゾノのせいじゃない? 弊社、ゾノから話してって言ったと思うんだけどぉ」

 

 え、あれ、そうだったんだ……?

 

「知らなかった……。おめでとう二人とも。末永くお幸せにね。デートの時は気にせず二人だけで遊んでね」

「秒で信じるなよ!? 嘘だよ!」

「あ、なんだ嘘か」

「つるみん本気で信じてるしぃ。お詫びにおっぱい揉ませて」

「お詫びが逆じゃないかな? まあ、私ので良ければ好きにしてくれていいけど」

 

 ほっとしたような残念なような、不思議な気持ちで笑って答える。

 

「翔子ので良ければ」

「好きなだけ……?」

「ん?」

 

 軽い気持ちで口にしたことが、なんか凄い反応を呼んでる?

 

「翔子。これからお前んち行っていい? 深い意味はないけど」

「その前に薬局寄っていいかなあ。深い意味はないんだけどぉ」

「ちょっと二人とも、それはどこまでが冗談……?」

 

 八割くらい本気だった。こわい。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『というわけで、ひなたちゃんのパンツをどうしたらいいと思う?』

「まだ返してなかったんだ……」

 

 昴と葵が福引で当てた京都旅行ペアチケット。

 お互いの両親に相談したところ、あっさり「行ってこい」と許可がでたらしい。まあ、恋人同士だし、親同士もとっくに顔見知り。高校生の国内旅行なら危険もあんまりない。

 七芝は二期制のため、十月頭に短い秋休みがある。

 二人はそこを利用して二泊三日の京都旅行に行くことになった。

 

 ――なったんだけど。

 

 なんと、全く同じタイミングで、慧心学園の修学旅行があるらしい。

 行き先は京都。

 どんな偶然だと言いたいけど、事実そうなってるんだから仕方ない。

 問題はそこじゃなくて、同タイミングで旅行とくれば、過去に昴の手へと収まった負の遺産を処理すべきじゃないかということだ。

 

 そう、ひなたちゃんの下着。

 

 なんで数か月も放っておいたのかと言いたいけど、返すタイミングが無かったらしい。

 

「硯谷か海の時にこっそり返せば良かったんじゃ?」

『あ』

「……それか、初等部の合宿所に落ちてたって言って美星姐さんから返してもらうとか」

『あ』

「……昴?」

 

 めちゃくちゃ抜かりまくってるんですが、長谷川さん。

 

『い、いやミホ姉からは駄目だ。俺が殺される』

「あー、まあ、確かに」

 

 ならいっそ放置してくれば……って、今更言っても仕方ないか。

 

「でも昴。今回は宿泊場所別なんでしょ? こっそり返すのも難しいんじゃないかな」

『だよなあ……』

 

 修学旅行ということは六年生全員が一緒だ。

 幸い慧心女バスの面々だけで一つの班になってるらしいけど、こういう時の部屋って男女で一階ずつ貸し切るのが定番だ。

 同じ学校の男子が女子階に潜り込むのだって至難だというのに、高校生男子がこっそり潜入とか死にに行くつもりなのかと言いたい。

 バレたら休止期間延長どころか退学さえありうる。

 

「……葵に女湯へ置いてきてもらうとかなら、ギリギリ?」

『お前は俺に死ねというのか』

 

 言い方次第だと思うけど、確かに昴たちの場合は裏目に出そうだ。

 

「でも昴。こっそり荷物に入れようと思ったら部屋番号特定しないとだよ? しかも、いない時に忍び込むには鍵をどうにかしないといけないし」

 

 どこのスパイ映画だって話である。

 

『それじゃあ詰んでるじゃないか』

「もう、だから詰んでるんだってば……」

 

 結局、まともなアイデアは出なかった。

 私が一緒に行けるなら協力できるけど、さすがに恋人同士の旅行にくっついていくわけにもいかない。

 自分でどうにかすると言う昴に、私はくれぐれも問題は起こさないように、起こすくらいなら返さない方がマシ、と言い含めることしかできなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「うふふ。すばるんさまとあおいっちさまの旅行が重なったのは本当に驚きましたね」

「はい。こんな偶然もあるんですね……びっくりしました」

 

 私と久井奈さんのお茶会が実現したのは、九月も下旬になってからのことだった。

 三沢邸別館にある使用人部屋の一室。

 さほど広くないと言いつつ並のアパートくらいの広さがある。お屋敷の中なので壁や床材などは当然立派なものが使われており、凄く贅沢な感じだ。

 なんとなく久井奈さんの匂いがする室内は綺麗に片付いていてさっぱりした印象があった。

 今日は一日オフだという私服姿の久井奈さんが二人分の紅茶を用意してくれて、どうぞ、とソーサーを添えて供してくれる。

 

 私が手土産に買ってきたケーキも一緒に。

 なんだかそれだけで幸せな気分になる。

 

「でも、この時期にお休みなんですね。てっきり、真帆ちゃんが旅行中がお休みなのかと思いました」

「いえ、実は修学旅行中も大事なお仕事があるんです」

 

 ケーキを一口食べたところで何気なく言えば、久井奈さんはそう言って苦笑した。

 

 ――有給どころか代休すら溜まってそう。

 

 真帆ちゃんが家にいない間さえ休めないとは。

 三沢家というか、メイドさんという職業自体が割とブラックだ。まあ、もともとは週休二日なんて考えが無かった頃の職業だろうしなあ……。

 

「お部屋の掃除とか、ですか?」

「いいえ」

 

 上品に首を振った久井奈さんは顎に指を当てて考える仕草。

 何気ない仕草でさえ絵になるから凄い。

 なんとなく見つめていると、ちらりと私を見た彼女と目が合う。

 

「そうですね、るーみんさまにならお教えしてもいいでしょう」

「と、いうと……」

「実は、我々使用人による非常訓練が行われるんです」

 

 三沢家は言わずと知れたお金持ちである。

 一人娘である真帆ちゃんは純真無垢な美少女。ご両親にとっては目に入れても痛くない存在であり、当然、誘拐の可能性もかなり高い。

 また、友達や使用人が一緒の日常生活に比べると旅先は非常に危険だ。

 そこで、真帆ちゃんが旅先で誘拐されるという想定のもとで大掛かりな訓練を実施するのだという。

 

 同じようなことは年に数回行っていて、その陣頭指揮は真帆ちゃん付きのメイドである久井奈さんが取るのが恒例なのだとか。

 

「……久井奈さんって、実はかなり偉い立場なんですね」

「偉いといいますか、真帆さまをお守りする上で責任は重大ですね」

 

 当然のように言って微笑む彼女。

 家事万能、車の運転もお手の物なメイドさんが護衛までするなんて――久井奈さん、数年くらい自衛隊にいたって言われても驚かない自信がある。

 

「じゃあ、久井奈さんたちも京都なんですね」

「ええ。るーみんさまだけ除け者にするわけではないのですが……」

 

 言って、残念そうに目を伏せてくれる。

 社交辞令だとしても嬉しい。

 こうしてお茶会に招いてくれたのもそうだし、こうしていると普通の友達みたいだ。

 

 ――あ。久井奈さんにひなたちゃんの下着の件、お願いするのはどうだろうか。

 

 ちょっと考えてみて駄目だと結論を出す。

 昴から下着を回収するのに事情の説明が必要だけど、もし昴から真帆ちゃんに話が漏れたら台無しだ。

 こういう護衛任務は護衛対象に悟らせないことこそ本分のはず。

 

「むしろ、お仕事で京都なんてご苦労様です」

「ありがとうございます。でも、少しくらいは観光の時間も取れるのですよ。私は防衛側ではなく誘拐側の役になりますので、四六時中気を張っている必要はありませんし」

「あ、誘拐犯の役もあるんですね」

「もちろんです。真帆さまのことを最も把握している私が犯人役になることで、敵の目線を掴むこと、他の者達の危機意識を引き上げることが目的になります」

 

 真帆ちゃんが泊まるホテルや利用する主な施設にも話を通した上でマップを入手、実際の犯行径路をシミュレートしたりもするらしい。

 なんというか、本格的すぎる訓練だった。

 さすが三沢家、やることなすことスケールが違う。

 

「ただ、そうですね……。訓練中は男装しますのでちょっと窮屈かもしれません」

「変装的な意味合いですか?」

「それもありますし、実際の犯人はおそらく男性でしょう? 当家の男性使用人は料理人や庭師など移動しない者が多いというのもあって、私が男装しているのです」

「そうなんですね。久井奈さんならきっと格好いい男性になると思います」

「るーみんさまにそう言われると少し照れてしまいますね」

 

 くすりと笑う久井奈さん。

 

「あはは。男装なら私も負けないかもしれません。こう見えて昔は男の子に憧れてましたし」

「身長もありますから、今でもきっとお似合いでしょうね」

 

 私も微笑んで、二人で見つめ合う。

 穏やかで気持ちのいい時間だった。

 定期的にこんな時間があればいいのに、なんて思っちゃうけど、久井奈さんはもちろん、私もなんだかんだ忙しいのでなかなか難しいだろう。

 

 と、久井奈さんが不意に「そうです」と目を輝かせる。

 悪戯っぽく唇が歪んでいるところを見ると、たまに出てくるSっ気モードっぽい。

 

「学校は秋休みなのですよね。でしたら、るーみんさまも参加なさいますか?」

「え? 参加、って……訓練にですか?」

「はい。犯人役をペアにしたいと思っていたのですが、適任がなかなか思い当たらず。るーみんさまでしたら、背が高くて運動をしていらっしゃるので適任かと」

 

 えっと、冗談かな?

 そう思って久井奈さんの様子を窺うと、彼女はただ楽しそうににこにこしていた。

 あ、本気っぽい。

 

「私なんかでいいんでしょうか……?」

「もちろんです。ただ、事前に面接くらいは受けて頂くことになりますけれど」

「あ、まあ、それくらいなら」

 

 ちょっとしたバイト代も出せると思う、と言われてぐらっと心が揺らいだ。

 ここで「やってみようかな」と思ってしまったことを後に私はちょっと後悔するのだけれど、今この時の私はそのことをまだ知らないのだった。



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9th stage 翔子は小学生の誘拐に加担する(2)

 何この圧迫面接。

 というのが、久井奈さんのお手伝いのため『形だけの面接』に挑んだ私の第一印象だった。

 

 面接だし一応正装だろうと、私は七芝の制服姿。

 手持ちにスーツは無かったのだ。着物なら複数あるんだけど、それだと正装っていうより盛装になっちゃいそうなので却下した。

 仕事内容が誘拐犯だし、目立つ格好をする必要もない。

 

 場所は三沢家本館の応接間。

 お客様をもてなすための部屋が息苦しいはずはないのに、実際身に感じるのは物凄いプレッシャー。

 大半は私が勝手に感じているものなんだろうけど、形だけと言いつつ面子が凄かった。

 

 まずは久井奈さん当人。私にとっては友人のようなものだけど、訓練においては責任者。馴れ合いで採用したと見られては互いに困るということで、淡々とした表情を保っている。

 次に真帆ちゃんのお父さん、三沢風雅さん。浴衣を作ってもらった時と代金代わりのモデルの際に会ったことがある。スレンダーな長身の美形で、なんというか少女漫画に出てくる理想のお父さんを具現化したような人だ。爽やかで物腰が柔らかく娘に甘い。それでいて超一流のデザイナーでもある。風雅さん自身は怖い人ではないんだけど、チェーン店のバイトの面接に社長が来ちゃった感。

 

 そして最後の一人。

 クールさと気品を併せ持ったロングヘアーの女性。身に着けているのは久井奈さんと同系のメイド服なんだけど、パーツの端々がそれとなく豪華になっている。纏う雰囲気からしてメイド長かと思いきや、彼女が名乗った名前は「三沢萌衣」――真帆ちゃんのお母さんだった。

 デザイナーの風雅さんが安心して仕事をできるよう、家の一切を取り仕切る最高権力者。

 メイド長の肩書もきっちり保有していらっしゃる、最も強敵と思われる人物だ。

 

 ――前世の就職面接より緊張する。

 

 入室から面接は始まっていた。

 できる限り姿勢を整えながらソファの横まで歩き、一礼してから所属と名前を告げる。

 着席を指示され「第一関門クリア」と思った矢先に萌衣さんの名乗りを受けた私は頭が真っ白になるのを感じた。

 

「久井奈にスカウトされて、今回の訓練への参加を希望したそうですね」

 

 涼やかな声が響く。

 間髪入れずに切り込んできた萌衣さんは間違いなくやり手だ。

 あの才媛、久井奈さんでさえどこか緊張した面持ちでいるのがわかる。仕事モードの久井奈さんをあらゆる面で凌駕していると考えた方がいい。

 なんで私、というか昴の周りには凄い人ばっかり集まってくるんだろう……。

 

「はい。真帆さんとは仲良くさせていただいていますので、彼女を守るための訓練を少しでもお手伝いできれば、と希望しました」

「なるほど。では、あなたの能力がどのように役立つとお考えですか?」

 

 これ、ガチのやつじゃん……!

 笑顔を維持しながら内心冷や汗をかく。前世知識があるとはいえ、女子としての面接はこれが初。真面目で有能なら基本オッケーな男子と違い、女子の場合は人当たりの良さや容姿、ちょっとした仕草から漂う品の良さなども大きな審査項目。

 少しも気を抜けない緊張感に心臓が高速で脈打つ。

 

「中学からバスケットボールを続けているので体力には自信があります。また、男性の振る舞いには人一番敏感なつもりです。身長も高い方なので、男装をしても周囲に溶け込めると思います」

「……それだけですか?」

 

 心なしか厳しい視線に射貫かれる。

 風雅さんが「萌衣。やりすぎじゃないか?」とでも言いたげに口を開くけど、「あなたは黙っていてください」とばかりに一瞥だけで一蹴される。

 二人の背後に立った久井奈さんの頬がひくっと動いた。

 

 ――あー、もう、これやだ!

 

 とか言いたくなるのを堪えて答えた。

 

「真帆さんとは何度もお話をさせていただき、その人柄を人並み以上に把握しているつもりです。久井奈さんとも一緒に作業をさせていただいた経験がありますので、息を合わせることが可能かと」

「ふむ。具体的に、真帆を攫うにはどんな手段が有効だと?」

「真帆さんは好奇心旺盛でいらっしゃるので、そこを突けば――失礼ながら簡単に隙を突けると思います。具体的にはゲーム、珍しいもの、それから食べ物……特に辛いものには目がないはずです。後は親しい人、そうですね、例えば長谷川昴の名前を出して誘うのも有効ではないでしょうか」

「久井奈」

「はい。彼女に計画の詳細は話していませんが、今挙げられたプランの多くは実際に候補として挙がっています」

「なるほど」

 

 頷き、しばし黙考する萌衣さん。

 なんとかなったかな、と楽観する私だったけど、残念ながらそんな上手い話はなかった。

 更にいくつもの質問が繰り出され、それに答えていく。

 

「逆に久井奈の弱点は把握していますか?」

「とても仕事熱心で優秀な方ですので、弱点は少ないと思いますが――強いて言うなら仕事熱心すぎること、真帆さんへの愛情が深すぎることなどでしょうか」

「男装に自信があると仰いましたが、男性の気持ちにも造詣が深いのですか?」

「はい。そう思っています」

「では、私のこの衣装を見て、どのように思いますか?」

「っ。それは、その」

「答えられませんか?」

「萌衣」

「これは大事な質問です」

「……その。旦那様は大変素敵なご趣味をお持ちだと。奥様のような方に『ご主人様』と呼ばれて傅かれたいのか、それとも、蔑まれることに喜びを感じていらっしゃるのか……」

「ぶふうっ!?」

「ふ、風雅さまっ……しっかりしてくださいませ……っ!」

 

 私の返答を聞いた風雅さんが紅茶を吹き出して咳き込む。

 久井奈さんが慌てて介抱する中、萌衣さんはくすくすと笑い声をこぼしていた。

 

「久井奈。真帆は、あなたに素敵な友人を運んでくれたようですね」

「……え?」

 

 思ってもみない言葉に目を丸くする久井奈さん。

 彼女は一瞬の後、目を伏せて頭を下げた。

 

「もったいないお言葉です、萌衣さま」

 

 萌衣さんは柔らかな笑みを作ると私をじっと見つめてきた。

 

「鶴見翔子さん」

「は、はいっ」

「あなたの男装姿、風雅が社内用に撮影してものを私も見せていただきました。大変素晴らしい出来だったと思います」

「ありがとうございます」

「浴衣や着物を美しく着こなした写真と見比べれば、その歳でよくぞと思います。久井奈の補佐役、どうかよろしくお願いしますね」

 

 え、と。

 私は一瞬固まった後、言われたことをようやく理解した。

 慌てて立ち上がると頭を下げる。

 

「あ、ありがとうございます……っ!」

 

 萌衣さんはもう一度にっこり笑うとゆっくりと立ち上がった。

 

「久井奈、後は任せます。私はお先に失礼しますね」

「かしこまりました。お任せください」

 

 久井奈さんが一礼し、恭しく萌衣さんを見送る。

 私も萌衣さんが退室するのを頭を下げて見送り、扉が閉じて十分な間があってから、息を吐きだした。

 見れば風雅さんも似たようなことをしていた。

 

「……いや、萌衣が張り切りだした時はどうなるかと思ったよ。すまなかったね、翔子ちゃん」

「い、いえ、とんでもありません」

 

 私は恐縮して首を振った。

 

「私こそ、変なことを言ってしまってすみません」

「ははは、気にしないでくれていいよ」

 

 暗に「メイド好きかつSかMの趣味がある」と言った例の発言を風雅さんは爽やかに笑い飛ばした。

 笑い飛ばした後、真顔になって「でも僕に被虐趣味はないよ」と言われたので、こくこくとただ頷いて答えた。

 

 ――風雅さんは断じてMじゃない。覚えた。

 

 と、久井奈さんからもジト目で睨まれる。

 

「……本当に、()()が暴走しだした時はどうしようかと思いました」

「え」

 

 すみませんと謝るのも忘れ、硬直してしまう私。

 今、久井奈さん、私のこと。

 戸惑いつつ視線を向ければ、彼女は悪戯っぽく小首を傾げて言った。

 

「京都では私の部下という扱いになりますので。構いませんよね?」

「……はいっ。もちろんです」

 

 答える声が弾んでしまったのは仕方なかったと思う。

 

「本当に仲良しのようだね。仕事一辺倒な久井奈が他に目を向けるのはいいことだ」

「風雅さま。翔子とは個人的な友人というだけですので」

「真帆ちゃん抜きで『友達』って言ってくれるんですね。嬉しいです」

「っ。からかわないでください、翔子」

 

 少しだけ三人で談笑した後、私は久井奈さんの指示で仕事の話に移った。

 

 衣装合わせに細々した注意事項に毎日のスケジュールに各種図面等々。

 覚えることがいっぱいで「これでアルバイトかぁ……」と遠い目になったけど、ぶっちゃけ後の祭りなのであった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 それから。

 つばひーたち五年生の練習を指導したり、同好会に参加して香椎くんたちと激戦を繰り広げたり、ことあるごとに電話してくる葵と話をしたり、私も一緒に行ければいいのにという愛莉ちゃんや智花ちゃんと電話でお話したり、お仕事の打ち合わせをしたり……。

 慧心女バスの修学旅行と昴・葵のペア旅行、そして私のお仕事までの日々はあっという間に過ぎていった。

 

 本当は秋休み中、五年生の指導に集中できれば良かったのかもだけど、生憎そうもいかない。

 私は代わりとして、みんなの練習プランを秋休みまでに固めた上、休み中はそれにそって練習してもらうようにお願いした。

 それから一応、代理コーチとして香椎くんを指名してある。

 小さい女の子の相手をさせるのは心苦しいものがあったけど、智花ちゃんたちで多少慣れたのか、何度か説得することでOKしてもらえた。指導というよりは監視とビデオ撮影さえしてもらえたら後から私が色々言えるので非常に助かる。

 代わりに香椎くんには何かいいお土産を買って帰らないと。

 

 昴たちには仕事のことは伝えていない。

 こっちも旅行に行くことにしたとぼかして伝えてある。まあ、実際は三沢家の従者とお仕事でお出かけなんだけど、まるっきり嘘でもない。

 

 そして、昴たちの旅行に出かける前日の午後。

 

「君、一人?」

 

 駅前広場に一人、佇んでいた私は不意に声をかけられて顔を上げた。

 

「聖さん」

 

 後ろで髪をひとつに縛ってサングラスをかけたミュージシャン風の男性――もとい、男装した女性を認めて笑顔を浮かべる。

 

「私、バレバレでしたか?」

「私はあなたが男装していると知っていますから」

 

 聖さんだけでなく私の方も男装中。

 男物のジーンズにシャツ、薄手のジャケット。長い髪を隠した帽子まで全部男物だけど、ブランド品で固めている聖さんと違って私のはユニクロの安物。

 必要経費としていくらかもらったものの、あまり服だけにお金をかけるわけにはいかなかったからだ。

 といっても変装としては十分なはず。

 

「翔子こそ、一目で見破りましたね」

「私も聖さんと同じ理由です」

 

 私達はくすくすと笑いあった。

 

「では、翔子。ここから任務開始とします。宿泊施設の部屋以外では呼び方を変えるように」

「はい。(せい)さん」

「ん。じゃあ行こうか、(かける)

 

 サングラスをかけ直した聖さんに続いて歩く。

 男装中は二人とも、いつもより歩幅を広く、かつ内股にならないよう気をつける。鞄は無造作に持つ感じで、必要以上に丁寧にすると女子っぽく見えてしまう。服にいっぱいあるポケットを活用するのも忘れずに。鞄からハンカチを出して手を拭く男とかレアだ。

 私としては前世の感覚を必死に思い出す感じ。

 聖さんも事前に練習していたようで、立ち振る舞いはかなり堂に入っていた。いつもよりラフでぶっきらぼうな彼女に何故かきゅんと来てしまう。

 

 ――実は男装女子って私のツボ?

 

 そりゃそうか。だって聖さんはもともと私の好みど真ん中だ。

 そんな彼女が男役に徹してくれるんだから、女の子を受け入れてしまった私にストライクでないはずがない。

 

「どうした翔?」

「なんでもないです」

 

 首を振って微笑――みそうになるのをキャンセル。

 

「そうか? 何かあったらちゃんと言うんだぞ?」

 

 聖さんはそう言うと、私の前髪に触れながら顔を覗き込んでくる。

 凄く格好いい。格好いいけど。

 

「そういうの、イケメン以外許されないですからね。あと今やったら同性愛者だと思われます」

「っく。……なるほど、気をつける」

 

 囁くと、聖さんは喉を鳴らしてから苦々しく頷いた。

 各駅に乗り込み、途中で新幹線に乗り換え。

 現地までぞろぞろ行くと目立つので何グループかに分かれることになっており、私と聖さんは二人きりの移動だ。犯人役の動向を防衛側のメンバーに気取らせない目的もある。

 男を装っている手前、いつもみたいに話はできなかったものの、天気のことや景色のことをぽつぽつ話したり、一緒にお弁当を食べたりした。

 

 ――男の話題といえばエロか趣味のディープな話、もしくは政治か賭け事。

 

 前もって決めたテーマに沿おうとしたらお互いに恥ずかしくなって黙り込んだりしつつ。

 持ってきたポータブル音楽プレーヤーとかで誤魔化してみたり。

 

「それ、何聴いてるんだ?」

「リヤン・ド・ファミユっていうアマチュアのバンドなんですけど、結構いいんですよ。聴いてみます?」

「ああ」

 

 でも、なんだかんだ楽しかった。



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9th stage 翔子は小学生の誘拐に加担する(3)

 京都に着いた私達はまず宿へと向かった。

 昴や愛莉ちゃんたちは割とお高めのホテルらしいけど、もちろん私達は別のところ。とはいえ、あまり離れても不便なので、近くにある手頃なホテルに部屋を取った。

 二人で一部屋。

 その方が打ち合わせなどに便利だし、荷物も一か所に集約しておける。

 

「一息つけるのはこの部屋だけなんですね」

 

 荷物を下ろした私は軽く息を吐いた。

 ベッドが二つと冷蔵庫(中身は有料)、テレビなどひととおりの設備が揃っているだけのシンプルな部屋。

 逆に言えば休むには十分すぎるスペースがある。

 さっさと男装を解いてシャワーでも浴びたいところだけど、

 

「ええ。ですが、翔子。あまり時間がありません」

「そうですね」

 

 私は頷き、手荷物だけを持ち上げる。

 私達は観光で来たわけではないのだ。ホテルに着いてはー疲れた、というわけにはいかない。

 

「行きましょうか、(せい)さん」

「ああ。頼むぞ、(かける)

 

 ホテルを出て、慧心学園の宿泊先周辺をぐるりと歩く。

 前もってリサーチも行っているが、実際の感覚は行ってみないとわからないことも多い。

 だからこその下見なんだけど、あいにく、わかったのは「この辺は治安がいいなあ」ということだった。

 

 当たり前だけど、無理に誘拐なんてしたら滅茶苦茶目立つ。

 

 当日は学校関係者や他の生徒もうろつくだろうから、声掛け事案もまずい。

 強硬策ならホテル内の方が逆に虚をつきやすいかもしれない。

 もちろん、更にその裏をかくという選択肢もあるけど。

 

「日本に生まれて良かったって思います」

「そーか? アメリカとかイギリスとか超クールじゃね?」

 

 うわ、聖さん超似合わないこと言ってる。

 思わず目を逸らして笑いを堪えたら、サングラスをかけたままじろりと睨まれてしまった。

 

「今日行けんのは近場だけだな」

「そうですね」

 

 近いところを二、三ルート歩いて回った。

 寺社仏閣は早く閉まるところも多い。そういうところの下見は明日の早い時間に回し、今日のところは土産物屋や、主な観光スポットまでの道を確認しておく。

 やっぱりねらい目は人混みの中か。

 人通りの多いところなら他のメンバーとはぐれさせることも不可能じゃない。目を惹くもので釣って足を止めさせれば、それだけで危機的状況を演出できる。

 

 拝観料を払うような施設で誘拐すると入退場のゲートを通過しづらいし。

 眠り薬嗅がせて鞄に詰めるとかなら可能なんだろうけど、漫画みたいにあっさり長時間眠らせるのって難しいらしい。

 いやまあ、本当に誘拐しちゃうとまずいんだけど。

 

 こうやって『犯人』が『下見』していることも訓練のうち。

 スタッフの多くは既に現地に着いていて、彼らは彼らで下見をしているはずなのだ。

 不審人物を発見して事前に警戒できるかも一つのポイント。

 

「……さて。飯でも食いに行くか」

「奢ってくれるんですか?」

 

 この『飯』というのも、現地協力者との打ち合わせを兼ねている。

 なので実際経費で落ちるんだけど。

 

「ま、たまにはな」

「さすがです聖さん! 一生ついていきます!」

 

 調子に乗って声を上げた私に聖さんは笑みを作り、頭を小突いた。

 

「ばーか。俺にばっかくっついてないで女でも見つけやがれ」

 

 聖さんだって女じゃないですか、とは答えなかった。

 煮込まない本格派のすき焼きをご馳走になりつつ、無駄に隠語混じりの相談を個室で繰り広げた後、ようやくホテルで一息つくことができた。

 楽な女物に戻って(って思えるようになったことにあらためて驚愕)ベッドに寝そべった私を見て、ラフな私服の聖さんが微笑んだ。

 

「お疲れ様です、翔子。でも本番は明日からですよ」

「聖さんこそお疲れ様です。……はい、精一杯頑張ります」

 

 男二人が入った部屋から女が出てくるわけにはいかない、ということで、部屋に備え付けのシャワーを浴びて。

 軽いスケジュール確認をしてから、私達は眠りについたのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 京都入りから二日目。

 昴たちにとっては旅行初日となる朝、私達は変装を済ませてホテルを出た。

 昨日と打って変わって、今日の服装はメンズスーツ。

 サングラスは無しだが、帽子やヘアゴムで髪形は変えている。手にした黒のバッグにはノートPCや書類が詰まっている……と見せかけて、もしもの時の変装グッズでいっぱいだ。

 一応、社員旅行の下見、あるいは何らかの調査で来た社会人二人組という設定である。

 

 朝ご飯はつかないホテルなのでファストフード店で軽く済ませる。

 

 男装してハンバーガーをかじる聖さんというレアな絵が見られたのはちょっと役得だった。

 その後は金閣寺や八坂神社などを素早く巡っていく。慧心学園は朝集合のそこから新幹線で、到着するのは昼過ぎだから多少余裕はあるとはいえ、お守りを買いに並ぶ暇もない強行軍。

 何しろ、その後は二日目午後分の見学先を見て回り、更には宇治にまで足を延ばさなければいけなかったからだ。

二日分のスケジュールを約半日でこなし、明日は三日目に真帆ちゃんたちが行くKYOTO映画村や京都タワーを下見する。

 

 今のところ誰かに見咎められた気配はない。

 

 お昼は通りがかったお店で買い食いをしたりして済ませた。

 うん、ハードスケジュールだけど、確かに観光っぽいことも割とできてる。

 

「なんか誘拐犯っていうより悪の幹部って感じですね」

「俺達が実行犯ってのも問題あるからなあ」

 

 私と聖さんは犯人役だが、主な仕事は「下見」である。

 何故かといえば面が割れているからだ。当の真帆ちゃんとも親しいわけでまともに言葉を交わしたら正体がバレる可能性がある。二日目なんかはがっつり昴たちと合流する予定らしいから猶更だ。

 防衛役のスタッフの目を撹乱する意味でも黒幕に徹し、現地協力者さんたちを使って実行するのが主な計画。

 もちろん、不慮のトラブルで急遽出張る可能性もあるんだけど。

 

「……もう夕方か」

 

 宇治での用事が終わって京都に戻る頃には結構な時間になっていた。

 空を見上げて呟いた聖さんは私に囁く。

 

「ホテルに行くぞ」

「はい」

 

 私は頷き、懐からサングラスを取り出した。

 聖さんが言ったホテルとは自分達の宿泊先のことじゃない。もちろん淫らな意味合いでもない。真帆ちゃんたちが泊まっているホテルのこと。

 貸し切りになってからでないと空気感がわかりづらいと、敢えて下見を後回しにしていたのだ。

 と、そういえば昴たちも同じホテルらしい。

 サイレントモードで鞄の底に眠っているスマホにそんな報告が届いていた。

 まったくどんな偶然なのか。お陰で真帆ちゃんたちや美星姐さん、羽多野先生だけでなく昴と葵に見つかる可能性さえ考慮しないといけない。

 

 緊張しつつ、聖さんと共にホテルのロビーへ。

 何食わぬ顔をしてエレベーターホールへ向かえば、誰かに見咎められることもなかった。手荷物以外持ってきてないからチェックインがまだとは取られづらいし、この手のホテルなら商談で訪れる人もいるはず。意味ありげなサングラス以外はさほど怪しいわけでもない。

 意味ありげなサングラスが怪しいけど。

 

「イヤホンを」

「はい」

 

 他には誰も乗ってこなかったので、エレベーター内で小道具を装着。

 小型のイヤホン。ペアになっているマイクの方はスーツの袖に仕込んである。ここからは別行動になるのでこれが必要だ。

 女子の貸し切り階は七階と確認済み。

 ちなみに男子は六階。ランプが点灯することなくエレベーターはそこを通り過ぎた。セーフだ。

 聖さんが自分のバッグを差し出してくるので受け取る。

 

「ご武運を」

「荒事が発生しない方を祈ってくれ」

 

 苦笑した彼女は、一枚の紙だけを手に七階で降りていった。

 持っていった紙は誘拐ルート候補を記したもの。時間で消える特殊なインクを用いている。あまりにも意味ありげだけど、まあ、そのあたりは場を盛り上げるスパイスだ。

 私は八階で降りた。

 そのまま一階に戻っても構わないんだけど、降りた途端に下へのランプが点いたのを見ると戻らなくて正解だったかもしれない。私は自分の分のマップをちらりと確認しつつ八階を横断、誘拐後上に逃げるルートはないな、と結論づけた上で、反対側にあるエレベーターのボタンを押した。

 

 聖さんからの無線が入ったのはそんな時だった。

 

『緊急事態発生。只今逃走中』

「え。大丈夫なんですか?」

『問題ありません。相手は小学生の男の子一人ですので、引き剥がします』

「男子!? どうして七階に」

 

 思わず言ってしまった私だけど、聖さんも走りながらじゃ上手く話せないはず。

 

「外の非常階段ですか?」

『ヤー』

「わかりました。こっちは普通に正面から出ます。後で合流しましょう」

『ヤー』

 

 ドキドキしつつ、エレベーターで一階まで降りた。

 騒ぎになっている……なんてことはもちろんなく、上がったと思ったら逆から降りてきた私を不審がる人も別にいなかった。

 聖さんは大丈夫だろうか。

 非常階段を三階分降り、ホテルの中庭に飛び移るルートは事前に逃走経路として候補に挙がっていた。今はもう暗くなっているし、男の子が一人でそこまで追うとも思えないので、大丈夫だとは思うけど。

 

 ――そういえばこのホテル、なんでか中庭と地続き(柵はあるけど)に露天風呂があるんだよね。

 

 しかも女湯。

 植えられた木や植物のせいで覗くのは至難っぽいけど、何故上から見下ろせる位置に作ったのか。

 まあ、それはともかく。

 

『逃走成功。拠点で合流を』

「ヤー」

 

 私はほっと胸を撫でおろした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 聖さんを見咎めた男子は、なんと夏陽くんだったらしい。

 どうして彼が一人で女子階に。

 悪戯? 夜這い? いや、そういうタイプには見えなかったし……と考えて、一つの可能性に思い当たる。ひなたちゃんの下着、あれを返そうとしたのかもしれない。

 元となった合宿には彼もいたはずだし、昴と同じく事情を把握していたのかも。

 そうすると昴がいなかったのが引っかかるけど、これについては翌朝に届いていた葵からのラインで原因がわかった。

 

『……しちゃった///』

 

 はいはい惚気乙、的なことをオブラートに包んで返信しつつ。

 なるほど、昴は臨戦態勢にあったせいで夏陽くんの連絡に気づかなかったんだな、と納得した私だった。

 下着の返却を年下に任せて彼女といちゃいちゃ、と書くと凄いクズっぽいけど……まあ、今日一緒に返すって約束してたかどうかがわかんないし、そこはなんともいえない。

 ひなたちゃんの、せっかく来てるんだし私が返せればいいんだけど、顔出すわけにいかないしなあ。

 

 と、まあ、それは置いておくとして。

 

 問題は計画が夏陽くんに漏洩してしまったことだ。

 加えて、聖さんは例の紙を落としてしまったらしい。これが三沢家スタッフ相手なら「完敗です。お疲れ様でした」で終わるんだけど、状況的に夏陽くんが拾っているはず。

 紙には「三沢真帆」とは書いていないものの、真帆ちゃんのイニシャルと「誘拐ルート候補」の文字がある。

 なんだ悪戯か、で片付けるには、夏陽くんは真帆ちゃんちの財力を知りすぎている。

 

 本当に誘拐があるかも、と思うには十分だろう。

 最低でも誰かには相談するはず。

 夜のうちに防衛側とも連絡を取り、訓練の中断を伝達。状況を見守ったところ、翌朝の時点では少なくとも警察が動いたりはしていなかった。

 教師がやけに警戒しているとかもなし。真帆ちゃん自身からの緊急連絡もなし。となると美星姐さんあたりで情報が止まったか、誰かに伝えたけど一笑に付されたか、あるいは昴と葵に助けを求めた夏陽くんが未成年だけで対処しようとしているか。

 

 最後の可能性はないと思いつつ、一応、葵に電話をかけてみる。

 

『……あ。もしもし、翔子?』

 

 ちょっと恥ずかしそうな幼馴染の声。

 

「リア充爆発しろ」

『なっ……そ、そりゃあ私だってそう思わなくはないけど、でも私も恥ずかしかったんだからね!』

 

 うん、なんか大丈夫そうだ。

 特別慌ててる様子は微塵もない。ちょうどご飯の途中だったようだ。

 

「ごめんごめん。おめでとう、葵」

『ん……ありがと、翔子』

「具体的な感想を聞くのはまた今度にするとして、昴も大丈夫そう? 一夜明けて破局とかないよね?」

『うん。昴は、なんかその、凄く優しくしてくれて……って何言わせるのよ!』

 

 ごめんごめん、ともう一度謝ってから通話を切った。

 なんていうか、よくわからなかった。

 

「どうしましょうか、聖さん」

「そうですね……」

 

 防衛側のリーダーとも話しあった末、私達はいったん訓練の続行を決断。

 修学旅行二日目の朝を迎えたのだった。



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9th stage 翔子は小学生の誘拐に加担する(4)

 二日目からは犯人役と防衛側でも連絡を取り合うことになった。

 もちろん、依頼した現地協力者さんたちの情報は漏らさないけど、更に不測の事態が起こった時のため、夏陽くんや教師陣の動向をチェックする必要があるからだ。

 

「……くそ、やっちまったな」

 

 三日目の下見中、聖さんがぼやく。

 演技を忘れてないのはさすがだけど、ちょっと心配だ、

 

「大丈夫ですよ。真帆ちゃんにバレたわけじゃないですし」

「ああ。ありがとな、(かける)

 

 おずおずと声をかければ、にっこりと笑いかけてくれた。

 ああもう、そんな笑顔、イケメン以外にはできないんですってば……!

 

 周囲の女性から注目されているのを感じた私は聖さんの手を引いてその場を離れた。

 余計に「きゃー!」と声が上がった気がしたのは気のせいだと思いたい。

 

「翔。あれ、男同士で付き合ってると思われたぞ」

「聖さんが言わないでください……!」

 

 下見自体は午前中で終わった。

 聖さんがあちこち電話をかけ、明日の段取りを指示したり状況を確認したりする。

 

 結果、警察や教師は動いていない。

 

 夏陽くんも班員と一緒に修学旅行を楽しんでいる。

 代わりに、どうやら昴が警戒にあたっているようだった。

 葵の方はいたって平常運転。

 すごくしおらしくなったり、急に顔を真っ赤にしたり感情の振れ幅は激しいらしいけど、それは()()()が原因だろう。

 

 となると、ひなたちゃんの下着の件を夏陽くんに確認、誘拐の件を相談され、確証がないのでひとまず警戒を請け負った、というところだろうか。

 二日目は真帆ちゃんたちが班ごとの自由行動のため、がっつり一緒に回る予定なのだ。

 

「どうします、聖さん?」

「予定通りに実行します」

「大丈夫ですか?」

 

 昴ならきっちり真帆ちゃんを守り通すだろう。

 今日予定している「犯行」は黒七味を餌に真帆ちゃんを釣り出す等々の「それっぽい」もの。危機感を刺激された彼がヒートアップする恐れもある。

 

「ああ。……当主に相談したところ、ならばいっそ『彼』の能力を試す方向に持っていくそうだ」

 

 当主というと、風雅さんか。

 彼というのはもちろん昴のこと。

 

 ――昴が真帆ちゃんを守れるかどうか。

 

 三沢家の訓練から、昴のための試験へのシフトチェンジ。

 ちょっと、いやかなり意地の悪い話だ。

 後で怒られても文句は言えない。

 

「ただのコーチに仕掛けるには大掛かりですけど」

「雇い主の意向だ。それに、あの方にはそれだけの価値がある」

 

 確かに。

 ただのコーチとはいえ、週三で男子高校生と一緒にいるのだ。

 昴からの影響は間違いなくある。

 このまま関係が続けば、恋に発展する可能性だってゼロじゃない。

 

「わかりました。そういうことなら」

「すまん。それで、翔にはバスケ選手を二人集めてもらいたい。できれば男女で」

「バスケ選手? どうしてです?」

「明日、『余興』に使うのだそうだ。覚悟を見るにはもってこいだろう?」

 

 なるほど。

 となると、ある程度『試練』になるような相手を用意しないといけない。

 二人ということは葵とのペア想定。

 急すぎて高校生じゃ集まらないだろうから、ねらい目は大学生か。

 確かに、プレーヤーとの交渉なら私の方が話が早そうだ。

 

「じゃあ、先に詳細を詰めさせてください」

 

 時間や場所、出せる日当などを確認。

 大体定まったところで私は頷いた。

 近隣の大学からバスケサークルが有名なところをリストアップして、片っ端から電話をかければいいだろう。バスケしてお金がもらえると言えば二人くらいは余裕で集まる。

 ノートPCとスマホを駆使した方がよさそうだ。

 

「多分、少し時間がかかると思います。別行動しますか?」

「いや、俺もホテルに戻る。後は指揮だけで問題ないからな」

「了解です」

 

 お昼ご飯を適当に買い込んだ後、私達は午後の時間をホテルに籠もって過ごした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 案の定、昴は私達のプランを悉く邪魔しにかかってくれた。

 注意喚起という意味では十分に意味をなしているのでそれはいいんだけど、黒七味の一件の後、聖さんが『宣戦布告』をしたところ、昴がどこかに連絡を取るのが確認できた。

 美星姐さんならまあ、まだいいんだけど。

 警察沙汰になるのはちょっと面倒臭いし、あまりプレッシャーをかけるのも心苦しい。

 

 男女の大学生プレーヤーを確保した私は、夕方になって聖さんに提案した。

 

「ちょっと、昴に会ってきてもいいですか?」

「試験のことを話すつもりですか?」

 

 部屋の中なので聖さんはプライベートモードだ。

 私も私服のままこくりと頷いて、

 

「はっきりとは伝えませんけど、匂わせるくらいはいいんじゃないかと」

「……なるほど」

 

 聖さんは少し考えてから「いいでしょう」と言ってくれた。

 

「許可します。こちらとしては真剣味が確認できれば構いませんので」

「ありがとうございます」

 

 深く頭を下げてから、私は手荷物だけを持ってホテルを出た。

 スマホを取り出して昴の番号をコール。

 

『もしもし? 俺にかけてくるなんて珍しいな。どうした?』

「うん、ちょっと昴に話したいことがあって」

『へえ。お土産の希望とか?』

「ううん、お土産は大丈夫。私も今、京都にいるから」

『はあ!?』

 

 本当にびっくりしている声がして、ちょっと面白かった。

 

「それでね、ちょっと会えないかな? できればひなたちゃんのアレを持って」

『ちょ、お前……いや、わかった。どこで会う?』

 

 ホテル近くの喫茶店を指定。

 私が到着するのと昴が顔を出すのは殆ど同時だった。

 

「……本当に京都にいたのか」

「あはは、ちょっとバイトが入っちゃって」

「バイト?」

 

 私はほうじ茶ラテ、昴はホットコーヒーを注文し、ひとすすりしてから話に入る。

 あ、このラテ美味しい。

 

「うん。聖さん……久井奈さんも一緒なんだけどね。黒服着てうろうろしたりするの」

「な……っ!?」

 

 またも本気で驚く昴。

 彼は慌てて声を潜めると、私を睨むようにしながら尋ねてくる。

 

「それは、つまり……()()()()()()か?」

 

 私は微笑みを浮かべて曖昧に答える。

 

「どういうことかわからないけど、依頼人は三沢家だよ」

「……お前な」

 

 椅子に背を預けた昴が深いため息をついた。

 

「そういうことなら早く言ってくれ。……本当に誘拐かと思っただろ」

「本当の誘拐犯が動いてない保証もないけどね」

「確かに。……で? なんで今更教えてくれたんだ?」

「昴ならここで放り出したりしないから、かな」

「割と信用されてるんだな、俺」

「それはもちろん」

 

 事情を聞いた昴は苦笑して答えた。

 

「わかった。俺はとにかく、今日みたいに気を張ってればいいんだな?」

「うん。私に会ったことと昴の推測は葵にも話していいから。……そうすれば動きやすいでしょ?」

「助かる。でも、なんか今度埋め合わせしろよな!」

 

 ジト目で見られた私は苦笑で返し、

 

「迷惑料は『下着』の対処でどう?」

「……できるのか?」

 

 目を丸くして問い返される。

 それはまあ、昴と夏陽くんの二人がかりで半年近く進展がないわけだけど。

 

「私が『女湯の前に落ちてました』ってフロントにでも届ければ終わるよ?」

「……なん、だと?」

 

 男子がやったら変態と間違われそうだけど、女子ならそうそう疑われない。

 名前が書いてあるらしいので女子の先生に渡って、そこからひなたちゃんに返せるだろう。

 

「じゃ、じゃあ頼んでもいいんだな?」

「うん、任せて」

 

 こうして。

 小さな紙袋にはいった『それ』を受け取った私は、無事フロントに預けることに成功したのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 決戦の部隊はKYOTO映画村。

 そこで行われるヒーローショーを利用させてもらい、悪の手先二人(私が手配したバスケプレーヤー)vs昴と葵によるバスケ勝負を披露。

 智花ちゃんたちを楽しませつつ、風雅さんたちに真剣さをアピールといった具合である。

 まあ、私は裏方として、呼んだ二人の大学生に挨拶したり手順の説明をしたり、台本を渡してリハーサルに付き合ったり、場持たせでバスケの話をしたりと大忙しだったけど。

 ショーが始まってしまえば割と楽になった。

 

 内容としてはよくある、観客の一人が人質になって、ヒーローが「くっ!」とか言い始めるやつ。

 当然、人質は真帆ちゃんで。

 私は裏に連れていかれた彼女が暇をしないよう相手をする役である。

 

「あれ? るーみん、なんでここにいるの?」

「それはね真帆ちゃん、これがお芝居だからなんだよ」

「ほえ? お芝居?」

「そう、お芝居」

 

 ショーと見せかけて悪い人が本当に誘拐しちゃう、という設定だと説明。

 

「たまに悪い人もいるから、気をつけないと駄目だよ」

「うえー、るーみんがやんばるとかおかーさんみたいなこと言ってる!」

「真帆さま、それは聞き捨てなりませんね」

「え、やんばる!?」

「ははは、まほまほ。さっきの話は萌衣には内緒にしておくよ」

「おとーさんまで!」

 

 驚いていいのか喜んでいいのか忙しそうな真帆ちゃんに、私は舞台上を映した小型ディスプレイを勧める。

 

「一応人質だから、これで我慢してね」

「おー! 十分十分! すばるんとあおいっちかっけー!」

 

 真帆ちゃんは純粋に喜んでくれた。

 昴たちと悪役二人の変則試合は最初、劣勢で進んだ。大学生という格上相手に経験値の差で押し込まれた昴達だったけど、すぐに持ち前のコンビプレーで逆転する。

 上手く適度な試練になってくれたみたいだ。

 手配した私としても良い展開にほっとする。葵の対象もちょっと心配だったけど、さすがに一日開いてれば『アレ』の影響もなくなってるっぽい。

 むしろ愛情パワーで一段階キレが増しているような気さえした。

 

 ――胸にはちくっという痛み。

 

 顔を顰めると、聖さんがそっと肩に手を置いてくれる。

 笑みだけでお礼を言うと、私は小さな嫉妬を心から追い出した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 昴と葵は見事勝利。

 裏の倉庫っぽいところで真帆ちゃんと対面を果たした。

 

「あんたね、来てたなら言いなさいよ」

「あはは、ごめんね」

 

 などと、私が葵と話している間に昴は風雅さんと正対。

 ハラハラドキドキさせられた苦情などを伝え、風雅さんからは騒がせたことへの謝罪を受けていた。

 関係各所への根回しはちゃんとしていたわけだけど、昴にだけは何も伝わっていなかったから仕方ないといえば仕方ない。

 でも、そんな毅然とした態度を風雅さんは気に入ったらしい。

 

「昴くんが独り身なら、まほまほの相手になって欲しいくらいだ」

 

 などと言いだして、むしろ葵を慌てさせたりした。

 

 何かお詫びを、と提案した風雅さんに昴はある「お願い」していたけど――それについては実現が明確になってからあらためて語ろうと思う。

 真帆ちゃんたちには聞こえないように話していたから、ぬか喜びさせちゃっても可愛そうだし。

 

 ともあれ。

 訓練も試験もこれで無事(?)終了。

 私達もお役御免ということで、昴たちが心おきなく観光に戻るのを見送ってから、後始末や後片付けに移るのだった。

 

「翔子ちゃんもご苦労様。大変だっただろう」

「いえ。本当に大変だったのは聖さんですし、私は、なんだかんだ楽しかったです」

 

 風雅さんとも短く言葉を交わす場面があった。

 彼は私の返答を聞いて爽やかに笑うと、告げた。

 

「そうか。……久井奈も君と一緒でいつも以上に張り切っていたみたいだ。萌衣からも『次の面接があれば、もっと厳しく審査しますので』と言われているよ」

「あ、あはは。肝に銘じます」

 

 それは、メイドの採用面接を受けてもいいってことかな……?

 今すぐには絶対無理だけど、視野に入れて日々を過ごすのもいいかもしれない。

 

『翔子さんっ。どうせなら一緒に帰りませんかっ?』

 

 という、愛莉ちゃんからのお誘いメールは丁重に辞退して。

 残った時間は自由にしていいというので、聖さんと二人で遅いお昼を食べ、お土産を買ったりしてから、帰りの新幹線に乗った。

 都合四日間のアルバイト代は結構な額になった。

 お土産なんかの代金を差し引いても十分に残ってくれたので、私としてはほくほくである。必要経費で買ったメンズの服ももらったし、とてもいい経験もできた。

 

 むしろ、つばひーたちへのお土産とお詫び、無理を言ってしまった香椎くんへお礼を伝え、打倒愛莉ちゃんたちに向けた指導に戻る方が大変だったかもしれない。

 それでも。

 少しずつ旅行気分が抜けて日常に戻り始めた頃、()()()()()()の告知が正式に行われたのだった。

 

 『ForM』主催ミニバスケットボール大会。

 選手交代なしの特別ルールで行われるそれは、真帆ちゃんたちのために昴が風雅さんにお願いし、実現することになったもの。

 慧心女バスが五人で出場でき、つばひーたちが勝ち上がればリベンジも可能で――都合さえつけば、因縁の()()()()()とも再戦できるかもしれない。

 

 新しい戦いの予感。

 小学生たちと同様、私もまた、それに胸を躍らせるのだった。



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ending08.久井奈聖

「こんな簡単なことで二度も失敗とは……。覚えるのが苦手ならば相応の対策を取るべきではありませんか?」

「申し訳ありません」

 

 従業員用の休憩室の奥にはベッドの置かれた仮眠室がある。

 仮眠用だから横幅は狭いんだけど、スプリングはふかふかで寝心地は抜群。なのにあんまり使われないのは殆どの子が屋敷に自室を持っているのと、仮眠を取る暇がそもそもあんまりないのと、メイド服のまま寝ると皺になるせいだ。

 なので、当主やそのご家族には聞かせられない話――具体的に言うとお説教のために使われていたりする。

 もちろん、こんなこと知ったのはここで働くようになってからなんだけど。

 

「意欲がないわけではありませんね? もしそうであれば、しかるべき報告をしなければなりません」

「も、もちろんやる気はあります!」

 

 私、鶴見翔子は大学卒業後に「三沢家」へ就職した。

 風雅さんがデザイナーを務める「ForM」ではなくて三沢家のお屋敷にメイドとして入ったのだ。前にアルバイトの面接をした時より恐ろしい面接を経てなんとか合格し、聖さんの下につけられたものの、お仕事が順調かといえばそうとも言えなかった。

 お屋敷に置かれた調度品、ちょっと特殊なお手入れが必要なものの扱いを、短い期間に二度も間違えてしまったのだ。

 馴染みのない方法――というか、馴染みのある方法とごっちゃになりやすいのが原因なんだけど、もちろん、そんなの言い訳に過ぎない。壊したとか重篤な問題ではないものの、じゃあ欠損や劣化に繋がらないかと言えば、断言はできないわけで。

 

「では、具体的な対策を提示してください」

「は、はい」

 

 直属の上司――久井奈聖さんその人から、私は叱責を受けた。

 友人としては朗らかで優しい聖さんだけど、上司としてはとてもスパルタだった。覚えることをどっさり積み重ねられ、ようやく形になってきたかと思ったら追加がやってくる。お金持ちのお家だけあってメイドさんに求められるスペックも並ではなく、さんざん覚悟してきた私でさえ「想像以上だった」と感じている。

 ここだけの話、離職率はかなり高いらしい。

 まあ、これは優良スペックの献身的なお嬢さん(だいたい美人)がどんどん貰われていくせいもあるから、一概に厳しいせいとも言えないんだけど。

 

「駄目です。もっと具体的に述べてください」

「は、はいっ」

 

 お仕事に慣れて、見事一人前になるのはなかなか大変そうである。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 研修期間が一番辛いというのを差し引いてもお屋敷の仕事は激務だ。

 日々のルーティンはだいたい決まっているものの、家主家族のスケジュールによって細かな変更や追加は日常茶飯事だし、一人一人の好みや習慣を覚えて柔軟な対応をすることも欠かせない。

 

 仕事を終えて部屋に戻る時には大体ふらふらだ。

 

 中学三年間バスケやってて、女バス辞めてからもトレーニングを続けてた私でこれだ。メイドさんに憧れただけの文科系のお嬢さんだったら多分死ぬ。

 今すぐベッドに倒れ込みたいけど、部屋に戻った直後に呼び戻されることって結構あるから、三十分から一時間くらいはメイド服を脱げないんだよね。

 と。

 

「お疲れ様です、翔子」

 

 ふわりと、私は背後から抱きしめられた。

 いい匂いと柔らかな感触。

 

「……ありがとうございます、聖さん」

「いいえ。頑張っている翔子にはご褒美があってもいいんです」

 

 一分もないくらいで腕は離れてしまったけど、私が正面から抱きつくとくすりと笑って、もう一度抱きしめてくれる。

 同性なのをいいことに、聖さんの豊かな胸に顔を埋める。

 

「苦しくないですか?」

「幸せです……」

「翔子がここまで甘える子だとは思いませんでした」

 

 なんて言いながら、聖さんは私が満足するまでずっと甘やかしてくれた。

 ベッドに並んで腰かけたまま抱きあって、頭を優しく撫でてもらう。気持ちがふわふわして、幸せになって、疲れや仕事のストレスが吹き飛んでいく。

 いつまでもそうしていたくなっちゃうのが正直なところだけど。

 ずるずるいくと本当にずるずるいくので、適当なところで身体を離した。

 

 優しく微笑んで「もういいのですか?」なんて言ってくる聖さんが心憎い。

 

「すみません、いつもいつも……」

 

 正気に戻ったせいで恥ずかしさが湧きあがってきて、そう謝ったんだけど、すると聖さんの指にこつん、とおでこを突かれた。

 

「いつも言っているでしょう? 仕事とプライベートは分けましょう。むしろ、仕事中は庇ってあげられないので申し訳ないくらいです」

 

 部屋に戻ってきた後の聖さんは私をこれでもかと甘やかしてくれる。

 仕事中に厳しい反動もあるんだろう。ここ以外ではこの顔を見せてくれないのは残念だけど、直属の上司が率先して厳しくしてくれるお陰で「コネ就職」と笑われることもいびられることもなく、むしろ「頑張ろうね」「負けないでね」と先輩方から可愛がってもらっている。

 

 ご飯は仕事の合間に賄いを食べたので、お茶とお菓子でひと時の休息を取る。今日はお茶請けが和菓子だったので私が緑茶を淹れた。

 並んで座ってお茶を飲み、ほっと一息。

 

 ――もうわかるだろうけど、私達は同じ部屋で暮らしている。

 

 理由は色々あったけど、一番大きかったのは萌衣さんの一声だ。

 

『久井奈と仲がいいのだから、同室にしたらどうでしょう?』

 

 ここだけ聞くと雇用主の横暴、いらぬお節介という感じだけど、代わりに聖さんは広めの部屋に移り、併せて昇給も果たした。

 後で聞いたところによると、そういう口実でもつけないと待遇改善を拒否するからだそう。

 前に聖さんが使っていた部屋は職務から考えると狭すぎるくらいなんだって。

 

『私は、翔子がそれでいいのなら』

『わ、私も構いません』

 

 というわけで、私達は広い部屋を二人部屋として使っている。

 

 私は聖さんの直属の部下。

 つまり、真帆ちゃん(仕事中は「真帆さま」)のお世話をする聖さんをサポートする役目なんだけど、ぶっちゃけ聖さんの仕事は聖さん一人で十分すぎるほど回っているため、私は聖さんがどんな仕事をしているのか教わりつつ、屋敷の業務全般を叩きこまれている。

 ひとまずは聖さんが体調不良とかになってもいいよう最低限の代わりができるようになること、それができたら、手が足りない部署に回されてひたすらお手伝いをするスーパーサブの役割を期待されている。

 うん、まあ。「それって一番大変なやつですよね?」って思ったけど、さすがに文句は言えなかった。

 

「そういえば……」

「? なんでしょう?」

「聖さんっておいくつなんですか?」

「っ!? けほっ、けほけほ……っ!?」

「ひ、聖さん!? ごめんなさいっ、私っ!」

 

 慌てて背中をさすり、メイド服が濡れていないか確認。うん、大丈夫。さすが聖さん、急なことでも湯呑をきちんとテーブルに置いてこぼしてない。お茶も見た感じかかってなさそうだ。

 

「……急に歳なんて聞くから驚いてしまいました」

「本当にごめんなさい。その、私が高校生の頃にはもう大人の方だったので……」

「そうですね。私も、もう……」

 

 若干遠い目になる聖さん。

 歳をあらためて実感しているんだろう。こういう姿が見られるのは同居人の役得だ。

 

「見た目は全然、初めて会った頃と変わらないんですよ?」

「そう言っていただけると嬉しいです。翔子は……少し大人になりましたね」

「う、少しですか」

「ええ。少しだけ、です」

 

 そう言って微笑む聖さんの顔は、確かに私では到底及ばないくらい大人っぽかった。

 

「結婚、しないんですか?」

「しませんよ」

 

 きっぱりした返答だった。

 怒らせてしまったわけじゃない。聖さんの中で答えが出てしまっているから、そう言う以外になかっただけだ。とっくの昔に自問自答して心に決めてしまっているのだろう。

 結婚はしない。

 一生独り身で生きていく、と。

 特に忙しい身の上の聖さんだから出会い自体少ないんだろうけど……決して皆無ではないだろうに。

 

「萌衣さまは一応、それも想定していらっしゃると思いますけど」

 

 私は「やっぱり」と思った。

 聖さんだけで回っている仕事に私をつけた理由。それは体調不良なんて一時的なものじゃない、もっと先も見据えているからじゃないか。

 つまり、聖さんがメイドを辞めること。

 それにしては実行が遅い気もするけど、まあ、無理に据えなくてもいいという考えもあったんじゃないだろうか。真帆ちゃんももう大学一年生。去年の段階で一人暮らしを始めていてもおかしくなかったのだ。

 

 聖さんは宙に視線を向け、目を細めて言った。

 

「私は、どちらかというと別の理由があるように思います」

「別の理由、ですか?」

「真帆さまが結婚して家を出られる時の備え、です」

「……あ」

 

 なるほど。

 聖さんは真帆ちゃん付きのメイドだ。もちろん他の業務全般も完璧なんだけど、何より真帆ちゃんからの信頼が絶対的。

 なので、結婚した時まで聖さんが屋敷にいるなら――真帆ちゃんは絶対に連れて行く。

 

「じゃあ、私はその時の」

「はい。私のサポート役なのではないかと」

「……え?」

 

 聖さんがいなくなった後のお屋敷で働くんじゃなくて?

 あ、でもそうか、真帆ちゃんが出ていく前提なら真帆ちゃん付きのメイドは必要ないわけで、なら別の業務中心に教えた方が効率的だ。

 だとすると……私も、聖さんと一緒に?

 ぽかんと口を開けた私を見て、聖さんはくすくすと笑った。

 

「お相手の方にもよるでしょうけれど、新しいお家で私一人……真帆さまとお相手の方と、生まれてくるお子様のお世話をするのは厳しいかと」

「聖さんなら大丈夫そう……じゃなくて、私も行っていいんですか?」

「真帆さまと気心が知れていて、私が気兼ねなく仕事を振れるメイドは翔子だけですからね」

 

 他の先輩方にも遠慮なく接してるように見えたけど……。

 

「なんだか、ほっとしました」

「そうですか?」

「はい。……聖さんと、近いうちにお別れなのかと思ってしまったので」

 

 それは寂しいな、と思った。

 だって、私がメイドを志したのは聖さんがいたからだ。だから聖さんには、せめて立派になった私の姿を見て欲しい。

 ううん、それだけじゃなくて、本当は私は。

 

「私、聖さんともっと一緒にいたいんです」

「私達は一緒ですよ」

 

 微笑んで、聖さんがそっと立ち上がる。

 気がつくと二人とも湯呑は空になっていて、お茶請けの羊羹も残り少なかった。

 

「着替えてお風呂に入りましょう。それから、たまにはお酒でもどうですか?」

「え。お風呂、私も一緒にですか?」

「そう言ったつもりだったのですけれど。……嫌ですか?」

 

 じっと、見つめてきた聖さんの顔を、私はきっと一生忘れない。

 綺麗で、可愛らしくて、艶めいている。

 私が今まで見たことがなかった、今までで一番、私の心を惹きつける顔。

 

 ――私達は一緒ですよ。

 

 あの言葉は、()()()()()()でいいんだろうか。

 でも、だって、それは。

 でも、だとしたら、それは。

 

 私も、私だって、私の方が。

 抑えていた気持ちが溢れてきてどうしようもなくなる。

 

「嬉しいです」

 

 私は精いっぱいの気持ちを込めて微笑み返すと立ち上がった。

 まずはお風呂だ。

 一緒に入るなんて滅多にない。せっかくだから思いっきり聖さんに甘えちゃおう。それで、私の秘蔵の日本酒か聖さんのコレクションしているワインを開けて、飲んで、お互い、勢いに任せられるようになったところで、素直な気持ちをぶつけてみよう。

 

 ――大好きです、聖さん。

 

 その夜。

 私達がどんな一夜を迎えたのかは、私と聖さんだけの秘密にさせてもらいたい。



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10th stage 翔子は小学生に特訓を課す

「みんなに選んで欲しいの」

「おみやげのおはなしデスか?」

「じゃなくて、バスケの話」

 

 京都から帰ってきた翌日、私はつばひーたち五人を集めた。

 足とか腰とか痛かったりはするんだけど、一日休まないと動けないとか言っていい歳じゃない。

 

「お土産はちゃんと買ってあるけどね。生八つ橋は後でおやつに食べよう。別に小物も買ってきたけど、無くしちゃうと困るから練習終わった後に渡すね」

「オー。ジャパニーズスイーツ。たのしみデス」

 

 ちなみに小物の方はあぶらとり紙と和風っぽいキーホルダーだ。キーホルダーはデザイン違いが五個だから、選んでもらう必要があるのは確かだ。

 食いついたミミちゃんに微笑んでから、私は表情を引き締める。

 

「まずは、ごめんなさい。コーチを引き受けておいていきなりお休みしちゃって」

「本当ですね。アルバイトとか言ってましたけど、本当は遊んできたんじゃないんですか?」

「うぐっ」

 

 さすが雅美ちゃん、容赦がない。

 遊ぶつもりならもっとゆっくり見て回るよ! と言いたいのはやまやまだったけど、楽しかったのも事実なので言い返しづらい。

 ここは素直に「ごめんなさい」をした。

 

「まーいいけどさ」

「愛莉のおにーさんと遊ぶのも面白かったし」

「えっと、その……ごめんなさい、私一人じゃ止められませんでした」

「あはは……ううん、私の方こそ本当にごめんね」

 

 香椎くんってば、つばひー達に遊ばれちゃったのか……。

 ラインで愚痴は聞いたけど、今度ちゃんと埋め合わせはしないといけない。お土産も他の人よりお高めの品を買ってきてあるけど、別に食べ物とかあった方がいいかも。

 何か食べたいものがあるか聞いてみよう。

 

 みんなのコーチを押し付けちゃったのは本当に申し訳ないものの、香椎くんのお陰でストレスはそんなに溜まってなさそうだ。

 これなら、うん、さっき言った選択も真剣に聞いてくれるのではないか。

 

「それで、練習の話をするね。京都に行ってる間に私も色々考えたの」

「「いろいろって?」」

「真帆ちゃん達に勝つ方法だよ」

 

 言うと、みんなの目が真剣になった。

 

「詳しく聞かせてもらえますか?」

「うん。……まず、最初に言っておくと、六年生のみんなに簡単に勝つ方法はないの。これは椿ちゃんや柊ちゃん、雅美ちゃん、かげつちゃん、ミミちゃんが弱いからじゃない。五年生が六年生に、初心者が経験者に勝つのが難しいっていう当然の話」

 

 高校二年と三年くらいの差なら才能と相性でどうにでもなるかもしれない。でも、小学生の頃の一歳差は大きい。まして、ミミちゃん以外のバスケ経験は愛莉ちゃん達よりもずっと少ない。六年生にもミミちゃんに対応するように智花ちゃんがいることを考えれば、これは単純なハンデだ。

 

「こっちが練習する間、向こうも練習するわけだしね。どんなに頑張ってもギリギリ勝つのがせいぜいだと思う」

「……そうですよね」

 

 こくんと頷くかげつちゃん。

 お姉さんであるひなたちゃんの頑張りを見ているだろうから、彼女はこの辺りを否定できないのだろう。

 でも、他の子は、

 

「でも、かてるんデスね?」

「可能性はあると思うよ」

 

 私は頷いて答えた。

 

「もちろんみんなの頑張り次第だけど、作戦と、どんな練習をするのかも重要になると思う」

「当然ですね」

「そう。で、色々考えた結果、私は二つのプランを作ってみた」

 

 A4用紙一枚ずつに纏めてきたそれを地面に置いて、みんなに見てもらう。

 ちなみに私達がいるのはバスケコートがある公園だ。慧心の体育館は六年生が使っているので、私達は他の場所で練習するしかないのである。

 

 ――さて、問題のプランだけど。

 

 前提として、愛莉ちゃん達のプレースタイルを知っておく必要がある。

 

 スピードとテクニックに秀でたオフェンスの智花ちゃん、負けん気が強くスタミナお化けの真帆ちゃん、トリッキーな動きで翻弄してくるひなちゃん……と、決してオフェンスが弱いチームではないんだけど、どっちかというとディフェンス寄りのチームだと思う。

 司令塔、ポイントガードの紗季ちゃんがあの手この手でリードを奪うのを好んでいること、センターである愛莉ちゃんが優しい子であることが、私の印象をそうしている理由だ。

 後は、コーチである昴の好みがそういうチームであることも一つ。

 

 この手のチームは弱点が少ないために本当に手強い。

 ポイントレースで勝つことを主眼としているため、相手の点を抑えることも自分達の点を増やすことも両方しっかりやってくる。それでいて無理はせず、アレが駄目ならコレを試そう、と、引き出しの多さを武器にしてくる。

 そんなチームの弱点を敢えて挙げるなら、

 

「若干、守りが弱い」

「……若干?」

「総合的に強いチームだからね。強いて言うならどこが弱いか、って話でしかないよ」

 

 相手の点を抑えつつ、確実に点を決めてくるのがメインの戦法。

 多少の失点なんか知るか、と、ガンガンシュートを決められると多分弱い。

 

「そこでプラン1。とにかく攻めて攻めて攻めまくる。

 こっちにボールが回ってきたら全員で前に走って、決められる子が一気に決める。相手ボールになったら全員で戻って、ディフェンスできそうならディフェンスする。取られた分以上に取っちゃえば勝てるんだから、ディフェンスに拘り過ぎなくていい」

「なにそれ!」

「ちょうボク達好みじゃん!」

 

 うん、なんとなくそんな気はした。

 多分、短い期間でこの子達を勝たせるなら、このプランが一番現実的。相手より素早く多くの点を取るという一点だけに集中するので、練習の種類を絞れるからだ。

 

「ただし、練習は滅茶苦茶地味。ハードな体力トレーニングを延々してもらうことになると思う。敵チームが落ち着いて陣形を組む前にダッシュで攻めにいくからね。疲れるなんてもんじゃない」

 

 正直、私が選手だったら、この作戦だけで勝負を決するとか嫌だ。

 バスケットボールをしに来たんであって短距離の選手になった覚えはない……ってなっても正直「それはそうだろうな」って共感することしかできない。

 

「プラン2は、もうちょっとバランスを取った攻めのチームを作ること。

 点を取るのをメインに考えるのは同じだけど、攻めのバリエーションと最低限の守りも意識する。どこからでも短い時間で点を取れる攻めのスペシャリストを目指すのが理想」

「あの、すみません。……どこがどう違うのか、よくわかりません」

「そうだよね。実際、そんなに違わないから」

 

 ただ、敢えて違いを口にするなら。

 

「プラン1は、今の状況から真帆ちゃん達に勝つ最短ルート。プラン2は、このチームが()()()()()()()()()()()の、私なりの最短ルート……かな」

「「勝てるチーム?」」

「ガチガチの速攻って結構大変なんだよ。普通は選手交代しながらやる作戦。鍛え方が足りなければ後半息切れするだろうし――後から別の戦い方を身に着けたい、ってなった時に、基礎を飛ばして攻撃ばっかり覚えたツケが回ってくるかもしれない」

「ショウコのオススメは2なんデスね?」

「おススメっていうか好みの問題だけどね。私はみんなにバスケを続けて欲しい。一回勝ったらそこで終わって欲しくないから、みんなに向いてる戦い方を一から身に着けて欲しい」

 

 五年生ズは好戦的な子が揃っている。

 愛莉ちゃんたちが穏健四、好戦一のバランスだとすると、つばひーたちは穏健一、好戦四のバランス。となれば、攻めと守りのバランスもそんな感じに調整すればライバルとしてちょうどいい形になるはず。

 

「ただ、プラン2の方が勝つための練習としては効果が遅くなるよ。最終的に強くなれるのは2の方だって私は思うけど」

 

 優秀な指導者なら1から2に自然とシフトさせることもできるかもしれない。

 そのあたりは私の力不足というしかない。

 

「どうかな? どっちがいい? みんなで決めて欲しい。私はどっちになっても全力でみんなのコーチをするから」

 

 それからしばらく作戦タイムを取った。

 保冷容器に移してきた生八つ橋や飲み物を取り出しておやつの準備をしつつ、みんなの結論を待っていると――。

 つれだって戻ってきた五年生ズを代表し、雅美ちゃんがふんと鼻を鳴らした。

 

「満場一致でした」

「え」

 

 ってことはプラン1か。

 うん、その方がわかりやすいし、指導も迷わなくてすむ。勝つ喜びを知ってもらうことで結果的に長く続けて貰えるかもしれない。

 

「ワタシたちはプラン2をえらびマシタ」

「ええっ?」

「……なんであなたが驚いてるんですか。あれだけ熱心に勧めておいて」

「いや、それはそうなんだけど、いいの?」

「はい。みんなで話して決めたので」

 

 微笑んで頷いたのはかげつちゃん。可愛い。

 

「だって、一回勝っただけじゃ足りないし」

「一回負けてるんだから、二回勝たなきゃ勝ちじゃないし」

 

 椿ちゃんと柊ちゃんは強気の回答。

 なるほど。今の段階から何度でも勝つ覚悟を決めていたか。本当に負けず嫌いだ。だけど……続けてくれるなら、それ以上に嬉しいことなんてない。

 

「わかった。結構スパルタになると思うけど、泣き言は言わせないからね?」

「いいよ」

「おねーさんこそ、ボク達にあっさり負けちゃっても知らないからね」

「う。まあ、実は私もけっこーキツイメニューなんだよね、実際」

 

 生八つ橋を振る舞いつつ苦笑いをすると、みんなの頭の上に「?」が浮かんだ。

 

「次の大会まで時間がない。五人中三人は基礎ができてるから、それだけを集中してやるっていう意味の基礎トレは基本、自主トレでなんとかして欲しいの」

 

 じゃあ集まった時に何をするのかと言えば、

 

「実戦。徹底的に実戦して経験値を増やしてもらう。相手は――私とミミちゃん」

 

 この宣言に、ミミちゃん以外の四人が驚きの声を漏らした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「よっす。だいぶ頑張ったみたいだな……って、なんで翔子おねーさんが死にかけてるんだよ」

「あ、こんにちは夏陽くん。あはは、子供たちのスタミナを舐めてたかなって」

 

 そろそろ帰る時間という頃になって夏陽くんが現れた。

 椿ちゃんたちをお迎えがてら様子を見に来てくれたんだろう。その辺に座ったり転がったりしてる五年生ズを見て感心とばかりに頷いた後、みんな以上にバテバテの私を見て目を丸くした。

 今、真っ白に燃え尽きそうなくらい身体が痛いです。

 

「な、何してたんだよおねーさん達」

「二対四でひたすら試合だよ」

 

 私&ミミちゃんvsつばひー、雅美ちゃん、かげつちゃん。

 テクニックと経験では私達に分があり、人数ではつばひーたちに分がある。私もミミちゃんもダブルチームくらいならその気になれば引き剥がせるので点がほいほい入る。つばひーたちも四人いるから、パスさえ出せばほいほいフリーでシュートできる。

 結果的にどうなるかというと、速攻による乱打戦だ。

 取られた分だけ取り返すポイントレース。だからこそ一回のディフェンス成功が大きな意味を生む。愛莉ちゃんよりちょっと大きい私と、智花ちゃん並みのテクニシャンであるミミちゃんをどうやって防ぐか、という課題とつばひーたちは取り組まなければならない。

 もちろん、私側にいるミミちゃんも高一女子と同じだけのポテンシャルを要求されるわけで――死ぬ。超死ぬ。

 

「なんでそんな面白いことしてるんだよ……!?」

「そっち!?」

「間違った。大会までスタミナ持つのかよ、そんな練習で」

「まあ、やってれば慣れるんじゃないかなーって」

 

 さつきと多恵を釣れれば、葵がやってたみたいな三対五でもいい。

 夏陽くんが来てくれれば私かミミちゃんと交代してもらえるので、そういうのも悪くないと思う。

 

「これくらいの無茶はしないと勝てないからね」

「なるほどなあ……。って、そういうやおねーさんさ」

「うん?」

「京都で男装したんだって? なんか俺だけ見てなくて真帆達に馬鹿にされたんだけど。ずりーぞ。今度見せてくれよ」

「ああ。うん、いいよ。それくらいならいつでも」

「本当だな? 約束したからな?」

「だんそう? なんのはなしデスか?」

「ん?」

「あ?」

 

 この後、食いついてきた五年生にも見せる約束をする羽目になったのは言うまでもない。



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11th stage 翔子は小学生と試合に臨む(1)

「昴は今年の誕生日、どうするの?」

 

 京都から帰ってきて二日後の夜、私は昴に電話をかけた。

 五年生たちの調子はどうかという問いに秘密と答えた後、本題に入った。

 来たる十月十一日、火曜日は長谷川昴の十六回目の誕生日である。

 

『誕生日? ……ああ、そういえばもうすぐだったか』

「うわ、やっぱり忘れてる」

『いや、いい加減、誕生日が嬉しい歳でもないだろ』

 

 本格的に嬉しくなくなるのはもっと後だけどね……と、私は一人遠い目になりつつ、

 

「葵から話来てない? 一緒にお祝いしよう、とか」

『いや。今のところはないけど……。そうか、そういうのもあるんだよな』

「そうだよ。お互いの誕生日なんて特に大事な日なんだから。……特に、今が一番楽しい時期でしょ?」

 

 と、電話の向こうで言葉に詰まる気配。

 

『まさか、葵から聞いたのか……?』

「そりゃあ親友だもん。おめでとう」

『あ、ああ。ありがとう……でいいのか、この場合?』

「嬉しくないなんて言ったら一発殴るよ?」

 

 葵と昴には末永く幸せに爆発してもらわないと私が困る。

 

『すまん。そうだな。……葵と、一回話してみるよ』

「そうしてもらえると嬉しい。それによって私達がお祝いするかどうかも変わるし」

『私達?』

「私と、愛莉ちゃんたち」

 

 そもそもこの電話自体、愛莉ちゃんたちからの要請だったりする。

 

 ――昴の誕生日を祝っても大丈夫か。

 

 もちろんお祝い自体は良いことだけど、昴には(かのじょ)がいる。二人だけでお祝いするなら邪魔しちゃいけないと思ったらしい。子供が気にすることないのに、本当に優しい子達である。

 で、私が代表してそのあたりを聞き出すことになった。

 もちろん、昴にはそこまで詳しくは伝えないけど。

 

「二人だけでお祝いしたいならプレゼントだけ贈ろうかなって。それとも一緒に参加してもいいのか、別々にお祝いした方がいいか。別々なら葵の前がいいか後がいいか、とかね」

 

 葵からのお祝いを先にするのが無難な気はするけど、その場合、土日のどっちかになると思う。例えば土曜の夜に長谷川家でささやかなパーティをやって、そのまま昴の部屋で二次会が始まった場合……果たして昴は、ううん、昴()はいつ起きてくるのか。

 翌日のお昼とかに私達とのパーティを設定してしまうと、シャワーも浴びてないあられもない姿の葵とご対面という可能性もある。

 

『なるほど。難しいな。……葵にそのまま聞いてみるか』

「お願い。……でも、変な聞き方して喧嘩にならないでね?」

『善処する』

 

 本気で自信なさげな声が聞こえてから、電話が切れる。

 私はほっと息を吐き、ストレッチをしてから寝ることにした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 つばひーたち五年生組の特訓を再開して以来、私には休みらしい休みがなくなった。

 平日の午前中は学校がだし、午後は公園や『オールグリーン』に集まって毎日のように練習。土日はみっちり練習するチャンスだから当然の如く猛特訓。

 唯一、土日を控えた金曜日だけはお休みを言い渡しているけど……私にとっても小学生たちにとってもハードなスケジュールである。

 

 でも、これくらいはしないといけない。

 

 愛莉ちゃんたち六年生につけいる隙があるとすれば、それは練習が週三日であることだ。

 熱心な子達だから自主練もしてるだろうけど、エースの智花ちゃんはお茶や踊りのお稽古があるし、紗季ちゃんもお店の手伝いがある。仲がいいからバスケ以外で遊ぶことも多い。

 なので、週四日以上練習することが彼女達に近づく道になる。

 

 女バス辞めたのになんでこんなにバスケしてるのか、不思議な話である。

 ともあれ。

 それだけ練習しまくってるので、同好会への参加はしばらくお預けになった。ついでに葵たちと遊びに行ったりもできない。

 唯一お休みの金曜日も練習プラン練ったりしないといけないし。

 

「翔子、なんだか最近疲れ気味じゃない? 大丈夫?」

「あはは。うん、大丈夫。毎日充実してる証拠だよ」

 

 水曜日のお昼休み。

 久しぶりに葵と二人でお昼ご飯を食べながら、そんな話をする。

 

 最近、葵はお弁当を持ってくることが増えた。

 葵のお母さん作と葵お手製の割合もだんだん後者が増えてきている。昴にお弁当を作ってあげるため、まずは自分を実験台にしているらしい。ご馳走様です。

 昴、お弁当は作ってもらってないとはいえ、競合相手が七夕さんだからきっと大変だ。

 

「それでね。昴とのお誕生日会なんだけど……八日の土曜日にしようかって」

 

 言った葵はほんのりと頬を染めていた。

 恋愛感情を吹っ切ったとはいえ、やっぱりこの子は可愛い。

 

「ん、わかった。私とか、慧心のみんなでお祝いしても大丈夫? ……あ、もちろん別の日でいいんだけど」

「もちろん」

 

 と、今度は頬を膨らませる葵。

 

「あんた、変な気を遣いすぎよ。……翔子とだって、ちゃんと幼馴染のつもりなんだからね」

「う。……ごめん」

 

 古傷をえぐられた私は目を伏せて謝った。

 葵はつんつんと、弁当箱の中身をつつきながら、

 

「でも、その、嬉しかった。……応援してもらってるんだなって」

「もちろん、私は二人のこと応援してるよ?」

「だからって、この前のお赤飯はやりすぎだからね」

 

 じろっと睨まれ、これには素直にごめんさいを言った。

 京都のホテルでの出来事(間接的表現)のお祝いに、お赤飯でおにぎりを作って渡したのだ。余った分は私のお昼ご飯になったので大して目立たなかったと思うけど……悪ノリが過ぎたか。

 そういえばお赤飯、智花ちゃんが好きだって聞いた気がする。パーティにも持っていくか検討しよう。

 

「あ、あの。それでね、翔子」

「ん?」

「翔子も来てくれない? その、土曜日のお祝い会」

「私も?」

 

 私がいたら邪魔じゃないだろうか。

 七夕さんがいるから二人っきりにはなれないって考えかな? 七夕さんならさりげなく部屋に行くよう誘導してくれそうな……あー、でもその後、それとなく聞き耳立てそうな気もする。

 純粋に我が子の成長が嬉しいから、っていうのが美星姐さんとかと違うところだけど。

 

「……足止め狙い?」

「ち、ちがっ……。それだけのためじゃないからねっ!?」

「あはは、うん。わかってる」

 

 私だけ除け者にするのは、って思ってくれた割合の方が多分大きいだろう。

 本当に嬉しい。

 

「うん、もちろん参加させて。……あ、でも、昼間は練習入っちゃってるんだよね」

「それは大丈夫。晩御飯の予定だから」

「そうすると美星姐さんの足止めも必要になる可能性があるかな」

「そうなったらさすがに諦めるわよ……」

 

 案外、二人っきりになる気満々じゃないですか、葵さん。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

   ―交換日記(SNS)― ◆Log Date 10/6◆

 

 

『というわけで、お祝いできることになりました。土曜日以外なら都合つけられるって。

るーみん』

『っ!

湊 智花』

『やったー! でかしたるーみん!

まほまほ』

『良かった……。ありがとうございます、鶴見さん

紗季』

『これくらい全然平気だよ。……でも、ここって私、書きこんでいいの?

るーみん』

『えへへ、翔子さんなら大丈夫ですっ。ちょっと緊張しちゃいますけど……

あいり』

『ほら。無理しないでね、愛莉ちゃん。

るーみん』

『おー。おねーちゃんも、たまにはいっしょにおはなししよ?

ひなた』

『グループチャットでもいいんですが、私達としてはこっちの方が楽なので。悪用するような方じゃないというのはわかってますし。

紗季』

『あらためてありがとう。特別な時以外は覗かないから安心して。あ、プレゼントも聞いたよ。今治のタオルだって

るーみん』

『タオル? いがいとジミだなあおいっち!

まほまほ』

『でも、今治のタオルは高級品だよ……。昴さんならタオルはたくさんお使いになるだろうし……。

湊 智花』

『うん。実は昴はタオルフェチだったりするんです。

るーみん』

『おー、はつみみ

ひなた』

『聞く機会もなかなかないものね。じゃあ各自、似たようなプレゼントやあんまり高いものは避けましょう。特に真帆

紗季』

『なんでナザシなんだよ!

まほまほ』

『あはは……。でも、被っちゃったら本当に申し訳ないもんねっ

あいり』

『うん。被らないようなもので、喜んでくださるもの……。難しいな

湊 智花』

『みんなが心を込めて選べば、なんでも嬉しいと思うよ。

るーみん』

『むずかしいなー。るーみんはショーギの駒にするの?

まほまほ』

『んー。今からだと発注が間に合わないから、今回は別のものかなって。思いつかなかったら料理っていう手を使うかも。

るーみん』

『じゃー、あたしもいいのが思いつかなかったらるーみんを手伝う!

まほまほ』

『邪魔にしかならないからやめなさい。

紗季』

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 その後、準備もあるので月曜日のお昼にしよう、と決まった。

 

 プレゼントはみんなで相談しながら用意する方向。

 葵の分を目安にすれば子供たちの無茶を抑制できるということで、昴としても願ったり叶ったりらしい。そうでなかったら何か制限をつけていたかも、とのこと。

 真帆ちゃんとか、ゲーム機くらいならぽんと出してきそうだもんね……。

 

 さて。

 流れで二回、お誕生日会に出席することになった私だけど、その日は祝日。普通なら練習をする日なので、つばひーたちにお願いしてお休みをもらわないといけない。

 五年生ズもお家の事情でお休みしたりするとはいえ、私には前科がある。

 どうしたものかと考え、一応、策を練ってみた。

 

「「敵情視察?」」

「うん。昴の誕生日を祝う振りをして、作戦とか必殺技とか聞きだしてこようかと。……駄目?」

 

 私とつばひーたちの決戦は十一月六日――今からだいたい一か月後に行われる、『ForM』主催ミニバスケットボール大会が舞台となる。

 硯谷からも「メインメンバーとはいかないけど連れていけるかも」と情報が入っている。愛莉ちゃんたち以外にも強敵がいるとなれば俄然燃えてくるところである。

 となれば、今からそこに向けた調整が必要なわけで。

 

「……そんなこと言いつつ、遊びに行く口実なんじゃないんですか?」

「う。そ、そんなことないよ」

 

 雅美ちゃんから鋭い指摘を受けてぎくっとする。

 さすがに簡単にはいかないか。

 ならば、と、私は他の子を巻き込むという最終手段に出る。

 

「ほら。ひなたちゃんの妹のかげつちゃんとか、智花ちゃんの友達のミミちゃんを連れて行けば向こうの口も軽くなるかなって」

「わ、私達……」

「デスか?」

「どう? 美味しい料理も出るし。……そうそう、私もお赤飯とか用意しちゃおうかなって」

「お赤飯くらい、今時コンビニでも買え……」

「セキハン、きょうみありマス」

「「駄目だった!?」」

 

 和食を使うことでミミちゃんをゲット。

 

「じゃ、じゃあ私も……。ごめんなさい」

 

 ミミちゃんが行くならとかげつちゃんも引き抜きに成功した。

 雅美ちゃんとつばひーも「しょうがないか」といった感じで息を吐き、苦笑を浮かべた。

 

「でも、ボク達はいかないからね」

「向こうのコーチのことはよく知らないし」

「紗季とパーティするくらいなら自主練していた方がマシです」

「あはは……。そっか。でも、無理しすぎないようにね?」

 

 一応、月曜日をお休みにすることには別の狙いもある。

 

「祝日だからって三日続けて身体をいじめると学校が辛いかもしれないから」

「……わかってます。体調管理も能力のうちですから」

 

 不満そうにしつつ、雅美ちゃんも頷いてくれた。

 私が言い訳を口にすると、かげつちゃんも罪悪感が和らいだのか微笑んでくれる。プレゼントをどうしよう、という彼女には「お姉さんと共同にしてみては」と提案した。

 ミミちゃんの方は割とお嬢様だからか「もんだいありません」とのこと。

 

「それより、ショウコ。セキハン、忘れないでください」

「うん、了解」

 

 その後はいつも通り、五人の小学生たちと身体を重ね合わせ、汗を流した。

 

 一か月は長いようで短い。

 一日お休みを貰った分、張り切った私は、やっぱり終わった頃にはへとへとになんっていた。



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11th stage 翔子は小学生と試合に臨む(2)

「こんばんは、七夕さん。遅くなりました」

「いらっしゃい、翔子ちゃん。お風呂の用意できてるから入って入って」

 

 十月八日、土曜日。

 五年生とたっぷり練習してくたくたになった私は、その足で長谷川家へ向かった。時刻は夕方。着く頃には汗は引いていたものの、女の子としては臭いが気になるところ。七夕さんは快くバスルームを貸してくれた。

 お風呂まで沸かしてくれていたのは予想外だったけど、お陰で身も心もさっぱりした。

 持ってきていた洗濯済みの下着と私服に着替えてリビングに行く。

 

「おー、やっと上がったか。やっぱ女子って風呂長いよな」

 

 席について寛いでいた昴に声をかけられる。

 葵の方はというと、キッチンから大きなお皿を運んでくるところだった。

 

「ちょうどいいタイミングね。支度ができるところよ」

「わ。私、お呼ばれしておいて何もしてないよ」

「うふふ。葵ちゃんが手伝ってくれたから大丈夫。足りなかったらもう少し何か作るから、良ければその時に手伝ってくれる?」

「はい、喜んで」

 

 まあ、テーブルの上にはところ狭しと料理が並んでいるので、全然物足りない感はないけど。いっぱい食べる年頃が三人、私もお腹空いちゃってるから、案外あっさり食べちゃうかもしれない。

 

「まだ作るのかよ。……っていうか葵まで慣れないことするから俺が暇だったんだけど」

「あはは。もうちょっと早く来れば良かったね」

「いや、練習が長引く気持ちはよく分かるし。……その様子だと、五年生も手強くなりそうだな」

「それはもちろん」

 

 やるからには全力を尽くさせてもらう。

 

「はーい。それじゃあ、ケーキ持ってくるわね。翔子ちゃんも葵ちゃんも座って座って」

「はーい」

「ケーキ……。って、まさか母さん、()()をやる気か!? そういうのはもういいだろ、もう十六なんだし」

「えー」

「お誕生日会って言ったらアレやらないと駄目だよ」

「お前ら裏切るのか……?」

 

 不服そうな昴にニヤニヤしながら、ハッピーバースデーの歌を歌った。

 

「「「すばるくん、お誕生日おめでとう!!」」」

「二人とも覚えてろよ……」

 

 昴の顔は真っ赤だったけど、怒っているというよりは照れてる感じ。なんだかんだ言って七夕さんのこと大好きだし、そこに彼女が加わったとなれば無下にはできないのだ。

 いいよね、こういう男の子。

 仲良くなるなら、こういう可愛げのあるタイプの方がいい。須賀や諏訪みたいな俺様は勘弁だ。香椎くんも案外、女の子には弱いし、夏陽くんもそう。昴の周りにはそういうタイプが集まってくるのかもしれない。

 

「そういえば、美星姐さんはどうだった?」

「智花達が別に祝ってくれるって言ったら『じゃーそっちで顔出すわ』ってさ」

「なるほど」

 

 葵に気を遣ってくれたのかな? 美星姐さん、そういうところしっかりしてるからなあ。

 

「うふふ。すばるくんに葵ちゃんに翔子ちゃんが揃ってると、みんなが小さい頃みたいね」

「昴の誕生日はだいたいみんなで集まってましたもんね」

 

 美星姐さんがいたり、銀河さんがいたり、追加メンバーは色々だったけど、大体私達三人は揃っていた。

 

「腐れ縁だよなあ……」

「ふーん。葵との縁が腐ってると?」

「……昴?」

「そ、そんなこと言ってないだろ。……その、お前との仲は大切にしたいっていうか」

「そ、そう? ……えへへ」

 

 葵が嬉しそうに頬を染めてだらしない顔をする。

 昴から「わざとやっただろ?」という視線が飛んでくるのは素知らぬ顔で無視した。

 

 まだまだ子供とはいえ私達も高校生。

 誕生パーティは和やかに進んだ。途中、長谷川家特製オムレツが売れに売れたため追加を作ることになり、葵と私でオムレツ対決をした。

 審査員の昴にはどっちがどっちか知らせずに食べてもらったところ、「こっちの方が断然うまい」と指されたのは私が作った方だった。

 

「さすが翔子だな。母さんの味にかなり近い」

「やった。って、バレバレだった?」

「ああ。まあ、こっちの焦げてる方は、なんか葵の味がするし」

「な、なによ私の味って」

 

 言いながら葵はすごく嬉しそうだった。

 試合に勝って勝負に負けた私は、なんか普通にバカップルしてる二人をニコニコと眺めながら、時々茶々を入れて昴の反応を引き出してみたり、昔の思い出話に参加したり、昴があんまりしないらしい七芝での生活について話したりした。

 料理をあらかた平らげ、残すはケーキのみとなったところで、私はそれとなく七夕さんに言う。

 

「七夕さん。このサラダのドレッシング、美味しかったのでレシピ、教えていただけませんか?」

「うん、もちろんいいわよ。えーっと……」

 

 にこにこと頷いた七夕さんは何かに気づいたように、ちらりと葵の方を見る。

 

「紙に書いた方がわかりやすいかな。葵ちゃんたちは、良かったらお部屋でゆっくりしてて」

「え、でも片付けとかあるだろ」

「いいからいいから。すばるくんが主役なんだし」

「昴は普段からそんなにお手伝いしないでしょ?」

「ぐ……。ま、まあ、その通りだが」

 

 言い負かされた昴を見て、葵が顔を真っ赤にしながら言う。

 

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えさせてください」

「はいはーい。ケーキと紅茶、用意して持っていくから()()()()()

 

 さすがは七夕さん。

 ぱっと見、何の裏も読み取れない日常会話。だというのに、恋人達への気遣いがふんだんに隠れている。アシストしておいてなんだけど、私、いらなかったかもしれない。

 昴と葵が二階に消え、七夕さんがお茶とケーキを運んでいく。

 その後、私と七夕さんは料理のお皿を洗ってから、食後のお茶を楽しむことになった。合間、七夕さんはドレッシングのレシピをさらさらと書いてくれる。

 

「本当に大きくなったのね」

 

 独り言のような呟きに、私もぽつりと答える。

 

「そうですね。あの二人がついに恋人同士ですし」

「ええ。……でも、すばるくんたちだけじゃなくて、翔子ちゃんも」

「私は昔のままですよー」

 

 私は転生者だ。

 表面上のノリは肉体年齢に左右されているものの、根っこの部分が成熟している気はしない。

 強いて言うなら、

 

「ううん。ちゃんと、翔子ちゃんは成長してる。優しくて格好いい、女の子に」

「……そう、でしょうか」

 

 私は、なりたくて女になったわけじゃない。

 「女になりたくない」が「女になるしかない」になって「私は女だ」に至っただけ。

 

 ――でも、みんなそうなのかな。

 

 生まれる性別を選べる人なんていない。

 なりたくて異性を目指せる人もそう多くない。悩んで苦しんで、それでも女に至った私は、結局のところ最初から女だったのかもしれない。

 みんなと同じように。

 女としての自分を成長させてきた。

 

「うん。だから、大丈夫。きっと翔子ちゃんも、運命の人と巡り合えるから」

「運命の人」

 

 葵は、私の運命じゃなかった。

 運命だったかもしれない祥を、私は我が儘のために振ってしまった。

 そんな私に、まだ運命が残っているだろうか。

 

「大丈夫」

 

 隣に座った七夕さんがそっと抱きしめてくれる。

 柔らかくて、温かい。

 小さい頃から知っている。変わらない温もり。私にとっての、もう一人のお母さん。

 私は、七夕さんに身体を預けたまま、静かな涙を流した。

 

「ありがとうございます、七夕さん」

 

 しばらくしてそう言うと、七夕さんは微笑んで身体を離した。

 

「たまにはお酒、飲んじゃおうかしら。……翔子ちゃんも飲む?」

「あ、はい。じゃあ……って! 私、未成年ですから!」

「うふふ、冗談よお」

 

 お湯割りのブランデーを傾ける七夕さんと、私はそれから取り留めのない話をした。

 肴はケーキと、ちょっとだけ残った料理。

 途中で今日帰るのは諦めて泊っていくことにした。日曜日なので学校はない。一回、家に帰ってウェアの予備を取ってきたいけど、まあ、下着は替えたし、最悪練習に直行でもいいだろう。

 

 ゆったりとした静かな時間。

 BGM代わりにつけたテレビの音のお陰で、二階の音は何も聞こえなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 月曜日のパーティは一転、小学生多数の賑やかなものになった。

 会場となったのは三沢邸の一室。

 最初は長谷川家の予定だったんだけど、昴の家は広いとはいえ一般家庭。慧心女バス六年生組五人+かげつちゃんにミミちゃん、更に私となると人数が多すぎる。私の家や智花ちゃんの家ならなんとかなるけど、そこで真帆ちゃんが「じゃーウチでやろ!」と言ってくれたのだ。

 三沢家ならスペースとして申し分ない。それどころか過剰すぎるほどである。

 

 私はせめてこれくらいは、と、お赤飯や煮物なんかを重箱に詰めて持ち込んだ。

 

 ちなみに衣装は着物である。

 智花ちゃんたちも各々ドレス等々、お洒落をするということだったので、必然的に私も自分なりのお洒落をすることになったのだ。うちには着物ならいっぱいあるけど、今の私に合うドレスはない。

 いっそメンズ服にするという手もあったけど、また夏陽くんに怒られそうだからなしにした。

 

 プレゼントはさつき&多恵と共同で「ロリもの漫画・ラノベの一巻お試しセット」。こどものじかんにうさぎドロップに十歳の保健体育にエトセトラ。いっそ清々しいほどのネタアイテムだったため、昴は困り顔になりつつ「まあ、読むけど」と受け取ってくれた。

 聖さんに挨拶した後、せっかくなので料理をちょっとだけ手伝わせてもらったり、真帆ちゃん用の辛い料理を食べて火を吹く昴を見て笑ったり、楽しく過ごした。

 

 みんなもそれぞれ高すぎず安すぎず、葵を立てつつ趣向をこらしたプレゼントを用意していた。

 

「こんなにたくさんの人に祝ってもらえるなんて、なんだか夢のようだよ」

 

 と、昴はなかなかいいコメントを残し、

 

「ふむ。こんなにたくさんの小学生に、と?」

「ちげーよ!」

 

 美星姐さんと息の合ったボケツッコミを披露していた。

 そうして、楽しい時間は瞬く間に過ぎて……。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「私までお世話になってしまって申し訳ありません」

「いえいえ。こちらこそ、娘達がいつもお世話になってしまって」

 

 決戦当日。

 郊外にある市営体育館までは、ひなたちゃん&かげつちゃんのご両親が車で送ってくださることになった。ひなたちゃんを含めた六年生チームは美星姐さんが送迎してくれているため、御厄介になるのは私と五年生チームのメンバーである。

 

「ひなちゃんがいつもお世話になってますっ」

 

 ひなたちゃんのお母さんは、なんというか、ひなたちゃんをそのまま成長させたような「お姉さん」だった。女性に歳を聞くわけにはいかないけど、この見た目で二児の母とか反則としか思えないレベル。

 他の子のお母さんもそうだけど、正直普通に守備範囲内……もとい、一人で街を歩いていたらナンパされそうな若々しさだ。

 

 車が発進すると、私はつばひーたちを順番に見る。

 

「みんな、調子はどう?」

「問題ありません」

 

 雅美ちゃんが一番に答えた後、口々に、

 

「元気に決まってるじゃん」

「昨日の練習が軽かったから動きたくてうずうずしてるし」

「はやくトモカと試合、したい」

「はい。私も元気いっぱいです」

「良かった」

 

 本当にあっという間の一か月だった。

 

「みんな、本当によく頑張ったね。前の試合の時とは見違えたよ」

「当たり前じゃん」

「今のボク達なら真帆なんかこてんぱんだし」

 

 うん、確かに元気いっぱいだ。

 同行してくれている夏陽くんが苦笑して、

 

「張り切るのはいーけど、あいつらのこと甘く見るなよ」

「「はい、にーたん!」」

 

 相変わらず夏陽くんには弱いなあ、つばひーたち。

 

 会場に着いたのは私達が先だった。

 

「先にコートを確認しておく?」

「いえ、紗季達を待ち伏せしましょう」

「「それだ、ナイスましゃみ!」」

 

 ……待ち伏せ? なんのために?

 首を捻ってしまうけど、まあ、みんながやる気満々だからいいか。一応、物理アタックは禁止だとだけ釘を刺しておく。

 駐車場から体育館までの道でしばらく待てば、やってきました昴達。いつも通り和気あいあいとした雰囲気の彼らの前に、こちらの面子が敵対心剥き出しで立ち塞がる。

 私と夏陽くんは隅っこの方で目立たないようにしてたけど……。

 

「今日ボク達が勝ったら、今度こそボク達が本当のバスケ部になる! 文句ないよね」

「いいわ、直接対決でそっちが勝ったらね。……ただし、私たちが勝ったら……しばらくの間はアシスタントとして、こっちの練習にも顔を出してもらおうかしら」

 

 喧嘩を売ってあしらわれる子、ライバルとして適切な激励を交わし合う子、姉妹らしい仲の良さを発揮する子……様々なワンシーンの後、紗季ちゃんの遠回しな協調提案に雅美ちゃん、そしてつばひーたちが乗った。

 もちろん、彼女達は気づいてなくて、勝つのは自分達だから奴隷にはならない、とか言ってたんだけど。

 

「「ほら行くよ、おねーさん!」」

「はいはい」

 

 私は息を荒げるつばひーたちに苦笑を返し、昴たちに挨拶をしてから、五年生チームの一員としてその場を離れたのだった。



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11th stage 翔子は小学生と試合に臨む(3)

「祥! 良かった、来られたんだ……!」

 

 到着した体育館の一角。

 既に多くの人で賑わうそこに見知った顔を見つけた私は、思わず歓声を上げて駆け寄っていた。

 その相手――全寮制の学校に行った親友は、私の顔を見ると柔らかく微笑んだ。

 

「翔子。……久しぶり、会いたかった」

「私も。その、色々あったけど……」

「言わなくていいわよ。お互い様でしょ? ……あんたも、いい恋したみたいだし、ね」

「ん……ありがと」

 

 頷き、私も祥に微笑み返す。

 後から気づいたけど、確かにさっきの私は昔の私らしくない。友達と会ってきゃあきゃあ喜ぶとか、本当に私も変わったものだ。

 と、話しているうちに昴や葵が寄ってきた。

 

「おお、鳳。久しぶり」

「祥も来てたんだ。……本当、仲良いわよね二人とも」

「ええ。私とこの子は親友だもの。あんたたちも、久しぶり」

 

 そっと身を離しながら答える祥。

 無意識に指を絡めていたことに気づいた私は赤面した。

 

「付き合い始めたんだって? もうすることしたの?」

「っ。ちょっ、子供がいっぱいいるところで何聞いてっ!」

「そ、そうだぞ鳳!」

「ふーん。……なるほど、ご馳走様」

 

 二人のちょっとした反応だけで察したらしく、祥はそれ以上深く追及しなかった。

 余裕が崩れない上にぐっと話しやすくなって、祥ってばちょっとパワーアップしすぎじゃない?

 

「やっほー、昴君。翔子ちゃん。葵ちゃんも」

「麻奈佳先輩!」

 

 私たちがわいわいやっていたので、祥に――というか、祥()同行していたチームもこっちに気づいた。見覚えのある子たちチームを先導していたのは硯谷女子高等部の野火止麻奈佳先輩だ。

 手術に成功した先輩にあらためて「おめでとうございます」を言って旧交を温める。

 嬉しい再会だったのは愛莉ちゃんたちも同じで、先輩が引率する硯谷の五年生チームと言葉を交わし始める。未有ちゃんたちレギュラーは来られないらしい。いつかのいざこざを思い出すけど、今回の不参加は逆の理由。慧心に手の内を晒すわけにはいかないから、とのこと。

 

 ――嬉しいこと言ってくれる。

 

 愛梨ちゃんたちの正コーチである昴も感じるところがあったようで、にやりと唇を歪めていた。

 

「あ、あのっ」

 

 そこで私たちに、というか、麻奈佳先輩に声をかけてくる子が一人。

 硯谷チームの一人。

 他の子が前に会っているのに対し、その子だけは初対面。私にとってはある一点においてとてもシンパシーを感じる特徴を持っている。

 麻奈佳先輩によれば『期待の新人』らしい。

 

「都大路綾、と申します。は、はじめまして」

 

 何この子可愛い。

 って、つい取り乱しそうになったけど、そのくらい素敵な子だった。ほんのちょっとの会話でも育ちの良さがわかる所作と話し方、すらっとした美しい()()。個人的には智花ちゃんと百合の花を咲かせて欲しい……って、そういう話は多恵とするとして。

 綾ちゃんは体操部から転部してきた子らしい。急に身長が伸びてしまってスランプに陥っていたところを麻奈佳先輩が口説き落としたのだとか。

 

「是非みんなに会わせたかったんだ。……特に、翔子ちゃんと愛莉ちゃんに」

 

 先輩の言いたいことはよく分かった。

 

「初めまして、鶴見翔子です」

「はじめまして、香椎愛莉です」

 

 私たちは――もちろん、智花ちゃんたちも一緒にだけど――綾ちゃんに挨拶をして、それから少し話をした。急に背が伸びて困惑していたらしい綾ちゃんにとって、同じような経験をしている愛莉ちゃんの存在は特に気になっていたようだ。

 

「急に伸びたのなら、びっくりしたよね」

「は、はいっ!」

「わたしもね、そうだったんだ」

 

 それから愛莉ちゃんは自分の体験を語った。下手で不安いっぱいだったけど、コートの中で自分の役目が見つかったこと。

 そして、

 

「バスケットボールを始めたお陰で、わたしみたいに背の大きい先輩にも会えたの」

「あ……鶴見さん、のことですよね?」

「うん」

 

 微笑んで頷く愛莉ちゃん。

 私も微笑んで言う。

 

「もし、どうしても不安で、同じような人に聞きたいことがあったら気軽に相談してね。……年上の、優しくて格好いいお姉さんに」

「え、ええっ。あのっ、翔子さんっ、それって……」

「うん。もちろん、愛莉ちゃんのことだよ」

「えええっ」

 

 わたわたする愛莉ちゃんだったけど、綾ちゃんはそんな彼女を見て落ち着いたみたいだった。

 ほんの短い会話のうちにすっかり打ち解けてくれて、また会いたいとまで言ってくれた。うん、きっとまた会えると思う。

 コートの上で、ね。

 

「ちょっと、おねーさん!」

「いつまであぶら売ってるの!?」

「あ、ごめんごめん」

 

 つばひーたちに怒られて五年生ズのところに戻り、しばらくすると開会式が始まった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 開会の挨拶は風雅さん。

 そして、トーナメント表の書かれたホワイトボードを運んできたのは――『ForM』主催という時点で予想するべきだったかもだけど、聖さんだった。

 しかも、ひなたちゃんに「うさぎさん」と評された通りのうさぎさん、バニーガール姿で。

 

 いや、それ、アウトじゃない……?

 

 参加者に変な性癖を植え付けるつもりなのかと疑ってしまう暴挙である。

 まあ、女子小学生の大会だからギリギリセーフなのかな……? 昴みたいな一定年齢以上の男子は殆どいないし、親御さんからは距離が離れているので舐めるように見ることは不可能。女の子達からは「可愛い」「格好いい」と憧れの声が圧倒的だった。

 とりあえず夏陽くんには後ろから目隠しをしておいたけど、私が目隠しして欲しいくらいだった。

 なお、やっぱり聖さんも多少恥ずかしいのか、私と目が合った時だけはほんのりと頬を朱に染めていた。

 

 当初は低学年高学年ごちゃまぜの予定だったものの、参加者が意外と多かったために二ブロック制に。

 

 高学年の部の参加チームは七。

 慧心の六年生チームと五年生チームは準決勝で当たる構図になった。硯谷は反対側なので、決勝に進まないと戦えない。

 つまり、初戦でコケない限りは私たちと愛莉ちゃんたち、勝った方が硯谷女子との対戦権を得ることになる。

 

「昴。みんなも。悪いけど、思いっきり行くからね」

「ああ。お前が何をしてくるか楽しみにしてる」

「くふふ、マンガみたいでちょー燃える! るーみん、ちゃんと一回戦勝ってよね!」

「鶴見さんには申し訳ありませんが、私たちも本気で行きます」

「おー、おねーちゃんとかげとしあい、たのしみ」

「私達も今日まで腕を磨いてきました。精一杯頑張ります」

「翔子さんっ。頑張りましょうねっ」

 

 そこからは完全にライバル同士。

 五年生チームのコーチとして昴達から離れた私は、つばひーたちとミーティングに入った。

 

「コーチ。初戦はどうしますか?」

「うん」

 

 雅美ちゃんの問いに頷いた私は悪役の表情を浮かべて言った。

 

「準備運動するつもりでいこっか」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 よし。快勝。

 

 幸い、一回戦はダブルスコアという大差で勝つことができた。

 悪役を続行して言うなら相手の実力が足りなかった。主催がファッションブランドな上、告知期間は短めでルールも変則的ということもあって、名だたる強豪と言えるのは硯谷くらい。他は大会のための即席チームだったり、近隣の学校のバスケ部が楽しむために来ている感じ。

 全国を狙える慧心男バスを下した愛莉ちゃんたちや、その愛莉ちゃんたちに勝とうとしているつばひーたちとは練度が違った。

 

「ま、こんなもんだろ」

 

 とは、一緒にいる夏陽くんの談である。

 

「前座が終わりましたね」

「ウイ。からだ、いい感じにあたたまりマシタ」

 

 まずい、私の悪役ムーブがうつったかも。

 ともあれ、つばひーたちは予想以上に仕上がってくれてる。指示通り「ウォームアップがてら」七割から八割の力で一気に試合を決めてくれた。

 序盤に点差をつけて相手の戦意を削いだため、懸念であるスタミナの消耗は最低限に抑えられている。

 万全の状態で、いよいよ決戦である。

 

「みんな、なるべく口出ししないから思いっきりやってきて。……大丈夫、今のみんなならいい勝負ができるよ」

「とーぜんじゃん」

「真帆には絶対勝つし」

「こんどこそトモカにリベンジ」

「ふふ。紗季に目に物見せてやるわ」

「姉様と試合……恥ずかしいところをお見せしないように、頑張ります」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そして、向かい合う十人の小学生たち。

 

「よろしくお願いします!」

 

 挨拶から始まった試合を、私と昴――両チームのコーチは反対側に立って眺める。

 ちらりと視線を送ってくる昴に私はにやりと笑って応じる。昴の隣には葵と、駆けつけてきた香椎くん。私の隣には夏陽くんがいる。

 夏陽くんがコート内を睨んだまま言う

 

「向こうはまだ俺達の手の内を知らないよな」

「うん。同じ時間に試合中だったからね」

 

 もし見ていたとしても、ごくごく普通のことしかしていないので狙いはわかりづらいだろう。

 

「最初の狙い目はそこかな」

 

 情報戦。

 私や夏陽くんは愛莉ちゃんたちの戦い方をある程度知ってるけど、昴たちは五年生の「チームとしての戦い方」をまだ知らない。

 序盤にアドバンテージを取れるかどうかが一つの鍵だ。

 

 ジャンプボール。

 

 当然、向こうは愛莉ちゃんでこっちはかげつちゃん。

 身長差がそこそこあるので勝てなくても仕方ないけど――。

 

「うお! やるなかげつ、今殆ど差がなかったぞ!?」

「ふふっ」

 

 かげつちゃんが頑張ってくれた。

 ボールに触れることこそ叶わなかったものの、本当に後もう少しのところまで肉薄した。その高さに驚いた愛莉ちゃんの手元は僅かに狂い、狙ったところにボールを飛ばせなかった。

 

「すごいね、かげつちゃんっ」

「コーチと何十回ってジャンプボールしましたから……っ!」

「翔子さんと……。そっか、うんっ!」

 

 練習の間、かげつちゃんはセンターとして私と張り合い続けていた。自分より高い相手と競り合い、試行錯誤した成果はきちんと現れている。

 そしてそれは、かげつちゃんだけの話じゃない。

 

 じっくりと策を練りながら紗季ちゃんが繰り出したパスから、智花ちゃんが先制点。

 返しの攻撃で雅美ちゃんから速攻のパスワークで、最終的にミミちゃんが得点。

 

 ――うん、いい感じ。

 

 本領発揮はまだまだだけど、出だしはまずまず。

 そこからしばらくは取って取られての展開が続いた。

 五年生ズの戦法は作戦通り。つばひーのコンビプレーが全体的なテンポを上げ、行けるならそのままシュート。警戒されたのを感じれば雅美ちゃんのロングシュートやミミちゃんの華麗なプレーに繋げ、かと思えばかげつちゃんが伏兵として得点を狙う。

 対する六年生の反応は落ち着いたものだった。いつも通り、自分達のバスケを敢行。慎重かつスムーズにパスを繋げながら全方位から点を狙ってくる様は、ある意味、鏡写しのようだった。

 

 いやまあ、こっちが後出しだから私達が真似したことになるんだけど。

 

「あいつも余裕って感じだな。気づいてないのか?」

「どうだろう。気づいてて『問題ない』って判断してるのかも」

 

 慌てて対策に走るような奇策じゃない。むしろこっちも正攻法だから、昴の判断は正解だ。

 

「でも、このまま行ったらどうなるかな」

 

 両チームの得点は差がつかないままに推移していく。

 もちろん、全部のシュートが決まっているわけじゃないけど、リバウンドやその他諸々ひっくるめて「逃した得点チャンス」にほぼ差が生まれていないのだ。

 こっちとしては想定通り。

 そして向こうのチームは違和感を覚えているようで、昴と紗季ちゃんをメインに「なんだこれ」という顔をし始めている。言ってしまえば両チームがいい勝負をしているだけなんだけど、自分達のパフォーマンスが発揮しきれているので「差がつかない」理由がよくわからないのだ。

 わからないが、不調ではないのでそのまま続行できる。

 

 そして、緩やかに二点分、六年生がリードする。

 

 コートの中で愛莉ちゃんたちが明らかにほっとしたのがわかった。徐々に押せていると思ったのだろう。

 でも、どうだろう。

 その実感は、もしかしたら錯覚かもしれない。

 

「なんだ、ボク達戦えてるじゃん、(ひー)!」

「戦えてるね、椿(つば)!」

「お、なんだチミタチよゆーだな!」

「ふふ。何か秘策があるのかしら?」

「なら、見せてあげるわ。……気づくのがいつかはわからないけど」

 

 雅美ちゃん、それは微妙にヒントじゃないかな。

 見せてあげる、と言った割に、椿ちゃんたちの動きに明確な変化は訪れない。ただ、バスケの技術を様々に繰り出しながら攻め、時には守っていくだけ。

 でも。

 

 二点差だった得点が、同点に戻った。

 

 昴が向こう側から私を見つめてくる。

 気づいたかな? うん、そうだよ昴。六年生チームの得点率がちょっと落ちてきてる。その差が得点に現れてきてる。

 夏陽くんがため息をついた。

 

「おねーさん、見かけによらずあくどいこと考えるよな。たくさん点を取る練習だとか言いながら、あいつらが気づかないうちに守りの練習に誘導してるんだから」

「いやまあ、試合形式ばっかりやってたら自然にそうなっちゃうよね」

 

 奇策なんか思いつかない私が狙ったのは、その程度の当たり前のことだった。



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11th stage 翔子は小学生と試合に臨む(4)

「もっかん!」

「待ちなさい真帆、その位置だと――」

「その通りよ紗季。残念だったわね」

「ごめんなさい、湊先輩」

 

 真帆ちゃんから飛んだパスを智花ちゃんが受け取るとほぼ同時。

 近くにいた雅美ちゃんとかげつちゃんが周囲を固め、ドライブコースとパスコースを同時に封じてしまう。

 

「っ」

 

 唇を噛んだ智花ちゃんはそれでも諦めずに視線を巡らせ、やむなく後方にパスを出した。仕切り直しには成功するも、彼女の顔には止められた悔しさが滲んでいる。悠々とディフェンス位置についている他の五年生を見て、後方に「パスさせられた」のだと気づいたのだ。

 

「あちゃー、ごめんもっかん。チューイブソクだった!」

「ううん、私の方こそ上手くはまっちゃって……」

「二人とも、切り替えていきましょう。でも、ダブルチームには気をつけましょう」

 

 順調に見えた六年生チームに見えない楔がまた一本。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「おー、あいりー」

「ありがとうひなたちゃん! これで……!」

 

 ひなたちゃんからのパスを受けた愛莉ちゃんが、がら空きの直線ルートをドリブルして――。

 

「駄目! 愛莉、横!」

「えっ……!?」

 

 閃いた銀の光に己の武器を奪われ(スティール)た。

 

「ごぶれい、デス」

 

 ルートが空いていたせいで、ほんの僅かに周囲への警戒が疎かになったのだ。そこへミミちゃんが電光石火の妨害に出た。

 高さに大きな差のある二人なので、視界に入りづらかったのもあるだろう。

 ちなみに、愛莉ちゃんにつくべきかげつちゃんは背丈を利用して智花ちゃんを一時的に封じていた。

 

 これで、楔がまた一本。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「ぐぬー! つばひーの片方め、ちょこまか動き回りおって!」

「へへー、真帆は責任持ってボクが止めるよ」

「と、見せかけて――」

「なぬ!?」

 

 あっちへこっちへ、と、ディフェンスの突破を模索していた真帆ちゃんが驚愕する。

 

「「スイッチ!」」

 

 側面からバックステップして近づいてきたもう一人の双子が一瞬で入れ替わり、何食わぬ顔で真帆ちゃんの前へ。驚きから身を硬くした真帆ちゃんはやむなく紗季ちゃんへとパスを戻した。

 

「どうだ! 柊の動きなんか見なくたってわかるんだ!」

「ボク達双子だもんねー、椿!」

 

 更に一本。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「鬱陶しすぎる……。いや、普通っちゃ普通なんだけど」

「あはは。変な実戦してたせいで、手札の数だけはやたら増えたからね、みんな」

「どう考えてもおねーさんの影響だろ、それ」

 

 夏陽くんが言う通り、ディフェンス強化の原因は試合形式の練習中、私とミミちゃんがやりたい放題にやったせいだ。

 どっちもシュートを決め続けたら点差がつかないのは当然の話。

 そんな状況でも点差を広げるための方策を椿ちゃんたちは自分で考え、徐々に実践するようになっていったのだ。つまりは相手の意表をついて攻撃を止める方法。

 彼女達が思いついたテクニックが既存の技術だった場合はより洗練された手法をその都度教えたし、乞われれば「こういう戦法もある」と披露した。

 

 何しろ年上とエースのコンビを止めるためだ。

 数の利を生かしたダブルマークは当然のこと、フェイントや不意打ちも織り交ぜ、更なる高等テクニックにまで手を出す始末。

 それでいて、極力時計を使わないという理念はきっちり守っている。

 

 そのうえ――。

 

「愛莉さんみたいな身長はないけど……っ!」

 

 ゴール前で愛莉ちゃんに阻まれたかげつちゃんがフェイダウェイシュートを放ち、

 

「あは。紗季、私がロングシュートだけの女だと思った?」

 

 雅美ちゃんがゴール下から綺麗なジャンプシュートを決め、

 

「みようみまね、デス」

 

 ミミちゃんがスクープショットで場を翻弄し、

 

「にーらめっこ」

「しましょ!」

 

 つばひーが、互いに「マークマンに視線を合わせたまま」ノールックでパスを決める。

 

「なんつー強引な撹乱だ……!」

 

 豊富な引き出しを元手に相手への選択肢を際限なく増やしていくのは、間違いなく私譲り。

 期間が少なかったので一つ一つの精度はまだまだだけど、だからこそ「これ以上はもうないだろう」と油断させることもできる。

 点差は二点から四点、そして六点へと徐々に広がった。

 

 いける。

 

 六年生に勝っているという実感から、五年生はそんな思いを抱いたようだった。過酷な特訓の成果が目に見えて現れたことで、つばひー達は勢いに乗っていく。

 

「……勝てるか?」

「どう、かな」

 

 対する六年生は――何もしなかった。

 

 ううん、「何もしない」というと語弊があるかもしれない。不必要に慌てたり、奇策を使ったりせず、ただ自分達の力を信じて一つ一つできることをこなしていった。

 一つ新しい戦法を見せるたび、それを計算に加えてプレーをブラッシュアップしていく。それはさながら、戦いの中で進化していくかのようだった。

 

 前半が終わり、後半の時計が半分を切った頃。

 六年生の頑張りが形となって現れる。六点もあった点差が縮まりだしたのだ。こちらの手札があらかた切られたことの証明であり、地力の差が顕著になった結果だ。

 何よりネックになったのは、やっぱり体力。

 激しい実戦を繰り返したことで持久力はそこそこついていたものの、ちゃんと基礎トレをした場合との差は出てしまう。特に速攻は休む暇がない分、体力を消耗しやすいのだ。

 だからこそ、撹乱して点と余裕を奪いたかったんだけど……さすがに愛莉ちゃんたちは一筋縄ではいかなかった。

 

 つばひーたちも最後まで頑張った。

 せっかくのリードを維持しようと必死で食らいついたけど、時を追うごとにプレーの精度は落ちていった。点差はやがてゼロになり、マイナスになって。

 

 試合終了した時、六年生チームとは四点の差があった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……負けちゃったね」

 

 試合後の五年生はさすがに落ち込んでいた。

 椿ちゃん、柊ちゃん、雅美ちゃんは黙って立ちつくし、ミミちゃんもしょんぼりと肩を落としている。かげつちゃんだけはひなたちゃんたちと健闘をたたえあっているけど、やっぱりどこか悔しそう。

 あれだけ頑張ったのに負けちゃったんだから、当然だ。

 六年生、愛莉ちゃんたちが嬉しそうにしているから余計に堪えるかもしれない。もちろん、みんなは悪くないんだけど。

 

「ごめんね。私が不甲斐なかったから――」

「くだらない謝罪はやめてください」

 

 私の言葉は雅美ちゃんによって遮られた。

 そのやりとりが呼び水になったように、椿ちゃんと柊ちゃんが口を開く。

 

「どうすんのおねーさん、ボク達負けちゃったよ」

「真帆達の手下なんて絶対やだよ」

「うん、ごめんなさい。でも」

 

 みんなには奴隷にするつもりなんてないと思う、と言う前に、

 

「おねーさんが京都なんか行くからだよ!」

「お誕生日会とか行って遊んでるからだよ!」

「………」

 

 鋭い言葉が胸に刺さった。

 私は何も言えなかった。二人の――ううん、みんなの悔しさはよく分かるからだ。

 代わりに口を開いたのは夏陽くんだ。

 

「止めろお前ら。……本当にそんなことのせいで負けたと思ってるのか?」

「だ、だってにーたん」

「あとちょっとだったんだよ! あとちょっとで勝てたのに……!」

「四点差だろうが二点差だろうが負けは負けなんだよ。お前らはあいつらに及ばなかった。おねーさんを責める前に、今の試合で少しもミスしなかったか考えたらどうだ?」

「………」

「………」

 

 ありがとう、夏陽くん。

 おかげでちょっと気持ちが落ち着いたよ。

 

「椿ちゃん、柊ちゃん、雅美ちゃん。ミミちゃんもかげつちゃんも。勝たせてあげられなくてごめんなさい」

 

 私はまず、あらためてみんなに謝った。

 

「いい試合だったよ。あとちょっとだったと思う。何かが少し違ってたら結果は変わってたかもしれない。……だから、どうかな? もっとバスケ、続けてみない?」

「「で、でも!」」

「紗季達の手下になる約束です。……続けるなら、ちゃんと従わないと」

 

 やめれば従わなくていい、か。

 六年生が出した条件は「アシスタントとして一緒に練習する」だから、まあ、理屈としてはギリギリ通るかもしれない。

 ミミちゃんとかげつちゃんは何も言わない。二人は合同練習に異はないだろう。ただ、仲間のことを思うと言いだしづらい。

 

「もー、あたしたち手下なんて言ってないじゃん。一緒に練習するだけだって」

「雅美、もう少し柔軟に考えられない?」

 

 真帆ちゃんや紗季ちゃんも優しく言ってくれたけど、これはちょっとだけ、逆効果だった。

 

「う、うるさいうるさいうるさい!」

「真帆のバーカ! バーカバーカ!」

「……ふん」

 

 顔を背けて離れていってしまう三人。

 これは、ちょっと時間が必要かな。夏陽くんと顔を見合わせて頷き合う。

 

「ごめんね、昴。みんなも。あの子たちをもうちょっと落ち着かせてみるから、そうしたらもう一回話せるかな?」

「ああ。……そっちは頼むな、翔子。竹中も」

「あんたに言われなくたってわかってるよ。俺はあいつらの兄貴だからな」

 

 そうして、私達は感想戦もそこそこに椿ちゃんたちの後を追った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 決勝戦はお昼ご飯の後で行われる。

 敗者復活戦はないので暇は暇なんだけど、表彰式もあるので帰るわけにもいかない……ということで、五年生チームもお昼になった。

 私も多めに作ってきたし、それぞれのお家がお弁当を持たせてくれたので、レジャーシートの上には豪華な食事が並んだ。六年生たちとは別々だけど、袴田家のお父さんや藤井家・竹中家のご両親が来てくれているので、決して寂しいことはない。

 

「……うん、良い味だ。鶴見翔子さん、でしたね。本格的に料理の道に進む気はないのですか?」

「えっと……考えたことがありませんでした。料理は好きなんですが、最近までバスケが一番だったので」

「そうですか。寿司に限らず、和食の道に興味があれば相談してください。きっと力になれると思います」

「あ、ありがとうございます!」

 

 なんだかすごい申し出を受けてしまったりしながら、みんなと一緒に憩いのひとときを過ごす。

 椿ちゃんたちも口数は少ないものの、仲間たちと一緒に大人しくご馳走に舌鼓を打っている。そんな彼女達に、夏陽くんが機を見計らって尋ねた。

 

「で? どーすんだよ?」

「「……にーたん」」

「にーたん、じゃねえって。最終的にはお前らが決めることだろ。……バスケ続けるのか、止めるのか」

「それは」

「そうだけど」

 

 もごもごと口ごもってしまう二人。

 真帆ちゃんと仲良くするくらいなら止める、とはっきり言いださないあたり未練はありそうだ。リベンジの機会を捨てたくないのと、やっぱりバスケが好きなんだと思う。

 

 ちらりと雅美ちゃんの方を見ると、こちらの方が落ち着いた表情をしていた。さすが我がチームのポイントガード。冷静で頭がいい。理屈を飲み込むだけの度量もある。

 

「小さい頃は紗季ちゃんとも仲が良かったんですけどね」

「お、お母さん。止めてよ」

 

 困ったような顔で言う姿が可愛らしい。いつもの気を張った感じじゃなくて年相応の顔だ。

 これは、もう一押しかな……?

 

「敵情視察って有効だと思うんだ」

「って、またそれ?」

「おねーさん、また遊びに行くつもり?」

「ううん、そうじゃなくて」

 

 私は苦笑して二人に言う。

 

「真帆ちゃんたちは『正式にチームに入れ』とは言わなかったでしょ? これってチャンスじゃないかな?」

「どういうことですか?」

「今回の試合、私は愛莉ちゃんたちの手の内をある程度知ってたけど、実際戦うのはみんなでしょ? だったら、みんなが直接知ってた方がいいと思わない?」

「せんにゅーそーさ、デスか?」

「うん、そんな感じ」

 

 ちょっと違うけど。

 

「一緒に練習すればいいんだから、そこから相手の技を盗んじゃうのはどうかな? 慧心の体育館が使えれば練習場所にも困らないし、試合を申し込むのも楽になるでしょ?」

「「試合?」」

「まさか、大会で負けたからってもう諦めたりしないよね?」

 

 ちょっとだけ挑発的に言うと、椿ちゃんたちがぐっと言葉を詰まらせた。

 

「私は姉様たちとの練習、大歓迎ですけど……」

 

 タイミングよくかげつちゃんが言ってくれる。

 こうなると、椿ちゃんたちは他の仲間にも視線を走らせてしまう。

 ミミちゃんが相変わらずのポーカーフェイスで呟く。

 

「ワタシも、べつにかまいません」

「敵情視察ね。いいじゃない。理由としては十分だわ」

 

 これ以上意地を張っても仕方ない、とばかりにミミちゃんと雅美ちゃん。

 

「………」

「………」

 

 残るは意地っ張りな双子だけだけど、ご両親はもう先がわかっているのかニコニコしていた。

 

「あーもう、わかった!」

「やればいいんでしょ、やれば!」

「良かった」

 

 うん、わかってくれて本当に良かった。

 笑顔を浮かべて二人の頭を撫でると、「子ども扱いしないで!」と怒られてしまった。残念。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 大会で優勝したのは六年生、愛莉ちゃんたちだった。

 スタメンではないとはいえ硯谷の五年生チームも強敵だったけど、点数で見れば快勝。つばひーたちも決して弱かったわけではないことがあらためてわかった。

 同時に、綾ちゃんを含めた硯谷の子たちが来年、手強い相手になるだろうことも。その頃には愛莉ちゃんたちは中学生だけど――。

 

 優勝賞品は風雅さんデザインの格好いいジャージ。

 この大会のために作ったものらしいので超レアである。マニアなら高値で買いそうだ。

 

 また、風雅さんは賞品とは別にプレゼントまで用意してくれていた。慧心学園の校章が入ったユニフォーム。それも、愛莉ちゃんたち六年生の分だけでなく、つばひーたち五年生の分まで。

 

 表彰式等々の後は立食パーティーに。

 つばひーたちの感情が収まったこともあって終始和やかに進んでいったんだけど、雲行きがあさっての方向に進みだしたのは終盤になってから。

 ユニフォームの試着と言って別室に消えた愛莉ちゃんたちが、何故かスクール水着姿で戻ってきたのだ。

 なんでもビールかけ大会(ただしノンアルコール)らしいんだけど、

 

「さすがにアウトです聖さん!」

「? ここにいらっしゃるのは知人ばかりですし、水着ですので濡れても」

「駄目です! せめて何か羽織ってください!」

 

 ピンと来ない様子の聖さんにはラッシュガードを着てもらった。

 本当は愛莉ちゃんにも着せたいところだったけど、一人だけ仲間外れにするのもアレだし、小学生相手だと気を使いすぎな気もするし……ということで断念。香椎くんが感涙してるのが気になったけど、彼は度を越えたシスコンななのでまあ、大丈夫だろう。

 ちなみに葵は苦笑、昴は動揺した様子を見せては葵に脇腹を抓られていた。

 

「翔子の要望を飲んだのですから、こちらの要望も飲んでください」

 

 と、聖さんから私の分のスクール水着を渡され、ビールかけに参加することに。どうせなら本物を飲みたいんだけど……そういうわけにはいかないよね。

 で、やってみるとビールかけも楽しくて。小さい子が多いこともあってわいわいきゃあきゃあと騒いだ。

 

 なお。

 なぜか紛れ込んでいた本物を浴びた智花ちゃんが酔っ払ったり、ビールかけのイベントを聞いていなかった萌衣さんから雷が落ちたりといった一幕もあったけど、それは別のお話ということにしておきたい。

 特に、

 

「昴ふぁん、なんで私じゃ駄目らんれすか~~~っ!?」

 

 酔っ払った智花ちゃんの言動については脳から厳重に消去しなければならないだろう。



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ending09.竹中夏陽

「いけっ! いっちまえっ!」

 

 出会った頃に比べて逞しくなった声が、私の耳を打つ。

 いかないで。いっちゃ駄目。

 彼の球が跳ねるのを恐々と、祈るような気持ちで見つめる。本当は身体を動かして受け止めに行くべきなんだろうけど、火照り、疲れ切った身体は思うようになってくれなかった。

 

 ――果たして。

 

 夏陽くんの放ったシュートはネットを揺らし、規定の二十ポイントを先取した。

 

「ああ……」

 

 私は喘いで膝を折った。

 お姉さんぶって余裕を演じてみたけれど、三回戦はさすがにきつかった。激しい運動のせいで身体はべとべと、シャワーを浴びてさっぱりしないと、帰る時、乱れた身体を衆目に晒すことになりそうだ。

 

「よっしゃ! ……っと、大丈夫ですか、翔子さん?」

 

 ガッツポーズもつかの間、夏陽くんが私のところに駆け寄ってきて支えてくれる。

 しっかりした男の子の手。

 見上げた彼の顔も幼さを残していたあの頃からぐっと成長し、野性味とスポーツマンらしい爽やかさを持ち合わせた美形となっている。前に後輩の女の子からきゃーきゃー言われてるところを見たことがある。この顔で運動神経が良ければそりゃモテるだろう。

 じっと瞳を見つめると、いつもなら照れて視線を逸らすのに、今はむしろ心配そうに覗き込んでくる。

 

「翔子さん?」

「……あ、うん。大丈夫。ごめんね、ありがとう」

 

 私は「あはは」と笑い、夏陽くんに手伝ってもらってなんとか立ち上がる。

 まだ膝が笑ってる。

 全くもう、年上とはいえ、年頃の男の子にあれだけがっつかれたら女の子はひとたまりもないっていうのに。

 

「悪い、無理させちゃったな。あっちのベンチで休もうぜ」

「うん」

 

 バツが悪そうに言う夏陽くんに素直に頷く。

 でも、私にはその前に言わないといけないことがあった。

 

「おめでとう、夏陽くん。……ついに負けちゃった。夏陽くんの勝ちだよ」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 今更言うまでもないだろうけど、私達がしていたのはバスケの1on1である。

 ハーフコートで、二十ポイント先取した方が勝ち。三セットも繰り返したら六十回以上はシュートするんだから、それはもう相当な疲労だ。

 ベンチに座って水分補給した私は正直、しばらくそこから動きたくなかった。

 

「……あーあ、ついに年下の子に女だって叩きつけられちゃった」

 

 隣に座った夏陽くんはぴくっと身を震わせた後、苦笑した。

 

「俺はもっと早く勝ちたかったですよ。翔子さんが大人気ないから、なかなか勝てなかった」

「あはは。同い年ならともかく、三つも下の子相手だと意地があるもん」

 

 高一で女バスを辞めた私だけど、結局、それ以降もバスケ自体はやめなかった。

 椿ちゃんたち五年生のコーチをしたり、昴たちの同好会に参加したり、二年生以降は男バスのマネージャーをやったり、なんだかんだで忙しくしていたし、その関係で日々のトレーニングもそこそこ続けていた。

 夏陽くんと勝負するようになったのもその辺の関係だ。

 本格的に仲良くなったのは、五年生の指導について相談しあうようになった頃だと思う。椿ちゃんたちを挟むと、同じ悩みを共有するパートナー。選手としては昴のオマケだっただろうけど、いつの間にか「おねーさんもいつかちゃんと倒すからな」と闘志を燃やされるようになっていた。

 それから、時々思い出したように挑戦されるので、私としても自主トレを欠かすことができず。

 

 私が大学二年、夏陽くんが高校一年になったこの夏、私達は二、三日おきに逢瀬を繰り返しては試合をして――遂に、私は夏陽くんに屈服した。

 

「同い年のやつって、諏訪さんのこと?」

「うん、そうだよ」

 

 あいつとはもう何年も会ってない。

 聞いた話によればあれからもずっと須賀をライバル視し続けた挙句、井戸田の二大エースとして称されるようになったらしい。

 夏陽くんは須賀との一件で会って以来、何度か顔を合わせているようで、あいつを尊敬するバスケプレーヤーの一人と考えているようだ。

 

「あいつともね、夏陽くんとしたみたいに何度もバスケしたんだよ。……正直、一方的に突っかかられてた感じだけど」

 

 そういえば、この話はちゃんとしたことがなかった。

 休憩がてら当時のことを話すと、夏陽くんは殆ど黙ったまま話を聞いていた。

 あの日。

 私が負けて、捨て台詞を吐かれたところまで話して、

 

「……ごめんね。こんな話つまんないよね?」

「いや」

 

 夏陽くんは真面目な顔で首を振った。

 何かを考えているのか、彼は少し離れた地面に視線をやって、しばらく黙って、

 

「その話、諏訪さんからも聞いたことあるんですよ」

「そうなんだ」

 

 意外だった。

 あいつにとってはどうでもいい話だと思ったんだけど。それとも、そんなに私のこと嫌いだったのか。

 と、ぼんやり考えていると、

 

「好きだったんじゃないかな。諏訪さん、翔子さんのこと」

「……は?」

 

 今、なんて言われた……?

 私は二度、三度と瞬きして、首を傾げ、夏陽くんの言葉を反芻して、

 

「は?」

「そこまで意外って顔しなくても」

「いや、だって、ねえ。……ないない」

 

 諏訪が? 私を? 好きだった?

 天地がひっくりかえってもありえないと思う。

 

「私達、喧嘩ばっかりしてたんだよ?」

「……翔子さんって、自分のことになると鈍いですよね?」

 

 夏陽くんがジト目で言う。

 うん、まあ、それは否定できないというか。初恋にしても切っ掛けがないと気づけなかったわけだし、その後のお付き合いも成り行きというか「気づいたら好きになってた」が多かったけど。

 

 あの、諏訪が?

 

 できの悪いツンデレだったとでもいうのか。

 須賀との一件で来てくれたのは、私を須賀に取られるのが嫌だったとか……?

 

「でも、あいつとの仲が悪化したの、私が女の子しだした頃からだよ?」

 

 男子を自称していた頃は喧嘩仲間くらいのレベルだった。

 

「あー、昔はやんちゃだったんでしたっけ。……って、だからそれが照れ隠しじゃねーか。なんでわかんねーんだよ、あんたも諏訪さんも」

 

 もどかしそうにがしがしと頭を掻く夏陽くん。

 よっぽど私の返答がアレだったのか、口調が昔に戻っている。中学の途中くらいから「目上の人だから」って敬語を使ってくれるようになってたんだけど。

 でも、照れ隠しか。

 

「……性別関係なく接してた子が急に女の子しだしたから照れくさくなった、とか?」

「諏訪さんは『あいつが女の格好すると妙にムカついた』って言ってた」

 

 ホモかな?

 須賀×昴とか万里くん×昴とかだけじゃなくて、諏訪×須賀の需要とかもあったりするんだろうか……って、それはどうでもよくて。

 そっか、あの諏訪が、私のことを……?

 だとしたら、私に突っかかってくるようになったのは、親しい相手が「急に無理をしだした」ように思えたから……?

 バスケで勝って、私がもう元に戻らないことを知って、どうしようもない憤りからあんなことを言った……とか?

 

「え、ええ……えー、そうだったんだ」

 

 驚きすぎて「えー」しか言えない私を、夏陽くんが再びじっと見つめてくる。

 

「どうする?」

「どうするって、諏訪とどうにかなるかってこと? ないない」

 

 私は苦笑して手をひらひらと振った。

 あいつはとっくに彼女作ってるし、もし想像が正しかったとしても、それは昔の話になっているはずだ。

 

「あいつのこと、そういう目で見られないよ。それに私、好きな人いるし」

「っ」

 

 夏陽くんが身を硬くする。

 意外かな? そうかもね。前の彼氏に振られてから結構経つし、夏休みに入ってから会った男の子って昴に万里くん、上原、それに夏陽くんくらいだし。

 でも、そうなんだよ。

 

「誰だよ」

「ん?」

「教えろよ。……勝ったら、なんでも一つ言うこと聞いてくれるって言っただろ」

「……言ったね」

 

 雑談中の何気ない言葉。

 もう何年も前、夏陽くんが中一の時だったと思う。彼の方はもうとっくに忘れてると思ってたけど。

 

「でも、いいの? そんなことに使っちゃって」

「いいも何も」

「いいの? 私にできることなら、なんでもしてあげるよ?」

 

 ベンチに手をついて、できるかぎり身体を向けて、夏陽くんを見つめる。

 もともと狭いベンチだ。

 その気になればキスくらいできそうな体勢。お互い汗びっしょりな状態じゃムードも何もあったものじゃないけど。

 

「どうする、夏陽くん?」

「………」

 

 彼の目に燃え上がる炎が浮かんだ。

 あの手が持ち上げられて、私の肩に置かれる。私は逃げなかった。

 

「なら、願いを変える。……俺が今から言うことに『はい』って答えろ」

 

 変な願いだ。

 でも、とてつもなく卑怯な願い。普通に言ったら拒否されるようなお願いをするつもりなんだろうか。

 もちろん、私が履行するのは一つ目のお願いだけ。二つ目に「はい」と答えた上で「やっぱりやめた」ということは可能なんだけど。

 俺を信じろ。夏陽くんはきっと、そう言いたいんだと思った。

 なら、私は。

 

「いいよ」

 

 頷いて待つ。

 そして、お願いが紡がれた。

 

「俺と付き合ってくれ。翔子さん」

 

 ああ。

 信じて良かったと、私は口元に笑みを浮かべた。

 

「はい。喜んで」

 

 こうして、私と彼は両想いになった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「まさか、竹中と翔子が付き合うなんてなー」

「そう? 私はそうなるかなーって思ってたけど」

 

 大学生になっても私達が集まる場所はあまり変わらない。

 ファミレスだったり、バスケコートのある公園だったり、あとは『オールグリーン』だったり。もちろん、葵と気楽に出かける時とかはお洒落なレストラン入ったりすることもあるんだけど。

 

 『オールグリーン』のフードコートで軽食を摘まみながら、私は昴達に夏陽くんとの交際報告をした。

 旧知の年上二人に肴にされた私の彼氏は、隣でホットドッグを齧りながら仏頂面をしている。

 

「竹中、ひなたちゃんはもういいのか?」

 

 にやりと笑った昴の方が主な原因かな。

 

「……ひなたにはとっくに振られてるよ。っていうか、あいつもう彼氏いるじゃねーか」

「ふーん。じゃあ、彼氏いなかったら?」

「も、もう未練はないっての! 変な絡み方するなよ翔子さん……!」

「ふふ、冗談だよ。……あ、夏陽くん、ケチャップついてる」

「なっ」

 

 指で拭ってぺろっと舐めると、夏陽くんが真っ赤になった。可愛い。

 

「おめでとう翔子。お似合いだと思う」

「ありがとう、葵。そっちはいつ結婚するの?」

「あはは、それはさすがにまだまだ先だってば。……ね、昴?」

「ああ。式だけ挙げちゃえって話もあるけどな。在学中に挙げると戸籍の問題とか面倒だし」

 

 照れつつもすらすら答える昴に、幸せそうに微笑む葵。

 うん、なんというか、ご馳走様です。熟年夫婦から初々しいカップルになって、熟年夫婦に戻ってきた感じ。このまま結婚して末永く幸せになって欲しい。

 と、話のムードに耐えられなくなったらしい夏陽くんがウーロン茶を飲んで、

 

「いいか。この話、他の奴には内緒にしろよ。最悪、香椎と湊は我慢するが、真帆と紗季には絶対言うな」

「はいよ。……でも竹中、わざわざ釘刺すってことは、何かやましいことでもあるのか?」

「な。ね、ねーよそんなの」

「でも夏陽くん、みんなのこと好きだった時期もあるよね。ね、翔子?」

「うん。ひなたちゃんの次が愛莉ちゃんで、次が紗季ちゃん、その後が智花ちゃんで、最後が真帆ちゃん。……合ってる、夏陽くん?」

「な、何で知って……?」

 

 それはもちろん、ずっと見てたからだよ。

 夏陽くんは真っ赤な顔になりながら私を見て、上ずった声を上げる。

 

「い、今は翔子さん一筋だからな? 信じろよ」

「わかってる。大好きだよ夏陽くん」

「う、あ……っ」

 

 いきなりの「大好き」攻撃に許容限界を超えてしまったようだ。

 口をぱくぱくする夏陽くんを見て昴が笑う。

 

「頑張れよー竹中。翔子はこれ平常運転だからな」

「もともと世話焼きだもんね。慣れないと大変だよ、夏陽くん」

「お、おう」

 

 うん、本当に慣れてもらわないと困る。

 何度も会って話をしているうちに好きになってた。一緒にいないと落ち着かなくなった。一緒にいられる時間を少しでも長くするために、意地になって試合に勝ち続けていた。

 でも、試合が接戦になるほど、成長を感じてドキドキしてた。

 離さない。離したくない。

 こういうのが「愛が重い」って言われるんだろうけど、気持ちが止まらないものはどうしようもない。

 

「椿ちゃんたちにはちゃんと報告しないとね」

 

 竹中姉妹は相変わらずブラコンだ。

 さすがにもう親愛と恋愛の区別はついてるみたいだけど、それはそれとして、お兄さんに近づく女子には厳しい。すんなりと認めてもらえる確率は低いだろう。

 

「ああ……。それはしょうがないけど、派手にやりあわないでくれよ」

「うーん。努力はするけど、約束はできないよ?」

 

 だって、大好きなんだから、絶対に諦められない。



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12th stage 翔子は小学生達のサブコーチをする(1)

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【名前】鶴見翔子(つるみ しょうこ)

【大会への意気込み】

 ここまで来たらできることないし、応援に全力を尽くすよ……!

-----

 

 

 『ForM』主催のミニバス大会からしばし。

 十人となった慧心女バスは来たる本格的な大会に参加すべく、日々練習に励んでいる。

 

 ――励んでいるんだけど。

 

 上手くいっているかっていうと微妙なところもあったりなかったりする。

 

『つまり……どうして欲しいのかな?』

『お願いします。……抱きしめて』

 

 体育倉庫の前に立った私は、中から聞こえてくる男女の声に苦笑した。

 

「鶴見さん?」

「あ、うん。早く助けてあげないとね」

 

 どうしたのかと暗に尋ねてくる紗季ちゃんに微笑み、がちゃがちゃと鍵を開ける。

 開かれた扉の向こうにいたのは昴と雅美ちゃん。当然、二人は服を乱し互いに抱き合って――いるわけがなく、年齢不相応に妖艶な笑みを浮かべた雅美ちゃんと、どうしたものかと佇む昴がいるだけだった。

 

「あー……っと、いいところで邪魔しちゃった?」

 

 わざとバツが悪そうに言えば、正反対の返事が来る。

 

「そんなわけないだろ。悪いな、助かった」

「本当です。……もう少しだったのに」

 

 大方、体育倉庫の前で上手く二人っきりになった雅美ちゃんが昴に悪戯を仕掛けたのだろう。この手の悪戯はよくある話だった。

 プライドが高い雅美ちゃんが昴に好意を抱いているとは思えないので、多分、紗季ちゃんへの嫌がらせだろう。その狙いは多少成功したのか、出てくるなり紗季ちゃんから小言をもらっている。

 その間に、私は昴に囁く。

 

「葵には内緒にしとくね」

「……頼む」

 

 五・六年生が合流したことで、私も六年生の指導に参加するようになった。最近は香椎くんもたまに顔を出すので、つられて葵も来ることがある。

 今日はいない日だったので助かったけど、あんなところを見られたら二人の仲に影響してしまうかもしれない。

 彼女の葵が小学生に嫉妬するかというとあれだけど、雅美ちゃんは結構大人びてるし、葵も嫉妬深いところがあるから怖いところだ。

 

 と。

 

「こわーい。助けてください、『翔子お姉さん』」

 

 紗季ちゃんから逃げてきた雅美ちゃんがぎゅっと抱きついてくる。

 親愛の情からでないのが丸わかりなのがアレだけど、柔らかさと温もりは悪くない。よしよしと頭を撫でてあげる。

 

「鶴見さん。雅美を甘やかしすぎです」

「そんなことないよ。雅美ちゃんはいい子だよね?」

「はい、もちろんです」

 

 かかったとばかりに笑みを浮かべる雅美ちゃん。

 うん、かかった。

 

「だよね。いい子だから、ライバルを怒らせて優越感に浸ろうなんて『子供みたいなこと』しないよね? 正々堂々、バスケで勝負して勝つんだよね?」

「う、裏切るんですか……!?」

 

 愕然とした顔で睨まれた私は「なんのことかわからない」と首を振った。

 ついでに強く抱きしめてあげると、雅美ちゃんは顔を赤くして離れていった。勝った。

 にやりと笑って勝ち誇っていると、紗季ちゃんが半眼で呟いた。

 

「……私、鶴見さんの指導方針が良くわかりません」

「私、我が儘な子は叩いて伸ばす方針なの」

 

 ちなみに、真面目で素直な子は徹底的に甘やかしちゃうタイプ。

 六年生組は基本的にこっちだ。

 

「いいなあ、雅美ちゃん……」

「愛莉ちゃんも抱っこして欲しいの? いいよ、おいで」

「い、いいんですか……?」

 

 雅美ちゃんを羨ましそうに見ていた愛莉ちゃんを手招きすると、すごく恥ずかしそうにしながらも身体を預けに来てくれた。

 こういう素直なスキンシップができるのは同性の特権である。

 もちろん、抱きしめる時にやましい気持ちはない。ないったらない。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 合同練習における問題児は椿ちゃん、柊ちゃん、雅美ちゃんの三人だ。

 かげつちゃんはもともと六年生組と仲良しだし、ミミちゃんも二度(1on1も含めれば三度)負けを喫した智花ちゃんを師匠を呼んで慕い始めていて、真面目に練習に取り組んでいる。

 

 問題児三人にしても、真帆ちゃんや紗季ちゃんに対抗意識を燃やしすぎる程度で、練習を崩壊させるような真似はしてきていない。

 私の囁いた方便も多少は効いてるんだろうけど、つばひーに関しては、オフの日に出会ったライバルが原因みたい。なんでも硯谷の五年生で、二人がかりであしらわれたとか。どんなプレーヤーだったのかと聞けば「おねーさんより頭おかしかった」とのこと。

 よくわからないうえ、少々認識を改めてもらいたいところはあったけど、まあ、前向きになれるのならどんな理由でも有難い。

 

 そんな、ある日のこと。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「すずらん祭りかあ」

「はい。父が翔子さんも是非にと。どうですか?」

 

 五年生組+私で竹中家に集合をかけられ、そんな話をされた。

 

 すずらん祭りとは、年に一度開かれている商店街のお祭りらしい。

 アーケード――すずらん通りに面しているお店や近隣の店舗が屋台を出し、毎年多くのお客さんで賑わっている。私も母さんと何度か行ったような、行ってないような。

 開催は次の日曜日。

 紗季ちゃんの実家のお好み焼き屋さんと雅美ちゃんの実家のお寿司屋さんも出店し、紗季ちゃんのお家『なが塚』の方は昴と六年生組がお手伝いするらしい。

 

 なんでも、今年だけアーケード改修の関係で日程がズレこみ、人手が足りないのだとか。

 

 そのため、雅美ちゃんのお家『寿し藤』も五年生組に、という話。

 椿ちゃんたちは乗り気。ミミちゃんやかげつちゃんもなので、私が参加すれば再び五年生vs六年生の構図が出来上がる。今回はバスケでの勝負ではないし、「どちらがよりお客さんに喜んでもらえるか」という目標はとてもいいことだけど、

 

「お寿司屋さんでしょ? 私なんかでお手伝いになるかな?」

 

 もちろん、お好み焼きなら簡単だなんて言うつもりはないけど、生ものを扱うのはやっぱり難しい。普段からお手伝いしているであろう雅美ちゃんはともかく、後は経験者を雇わないと厳しい気がする。

 

「最低限の研修はしますし、私達以外の店員もいますからご心配なく」

「なるほど。それなら、喜んでお手伝いさせて」

 

 人さらいに続いてお寿司屋さんの一日バイトとは、不思議な経験値が溜まっていく。いや、今回は無給なんだろうけど。それでも得難い経験になるだろう。

 すると、雅美ちゃんは微笑んで、

 

「ありがとう。物分かりが良くて助かります」

 

 言い方……!

 日々の悪戯の分もあるし、少し意地悪してもいいかもしれない。

 

「……雅美ちゃんこそ、お姉ちゃんに構って欲しくて一生懸命なんだよねー」

「っ!」

 

 きっ、と、目つきを鋭くする雅美ちゃん。

 付け入る隙はないかというように視線を巡らせたあと、ふん、と鼻を鳴らして、

 

「ねえみんな、知ってる? この人、結構いいスタイルしてるのよ。……こことか」

「きゃっ」

「あは、可愛い声。いいわ。前々からやり返したいと思ってたのよ」

 

 つんつんと突かれる私の胸。同性かつ子供だからってやりたい放題である。

 

「し、翔子さん。大丈夫ですか?」

「ショウコのむね、キョウミあります。触ってもいい、デスか?」

 

 そう来たか。

 今、私達がいるのは竹中家の双子の部屋。ご両親は不在で夏陽くんも出払っている。止めてくれる人が誰もいない状況だけど、逆に言うと他の人に見られる心配がない。

 ふむ。

 

「うん、いいよ」

「えっ。い、いいんですか……?」

「うん。女の子同士だし」

 

 硬直していた身体を弛緩させる私。

 恥ずかしいのを我慢すれば別に問題はない。さんざん一緒に着替えとかしてたんだから今更だし。将来自分達が「どう」なるのか、興味があるのは当然だ。

 まあ、私は知りたくなくて耳を塞いでいたけど。

 

「さすがおねーさん! ボクたちにできないことをヘイゼンとやってのける」

「そこにシビあこ、超シビあこ」

「い、いや、待って。本当にいいんですか? 触りますよ?」

「だから大丈夫だってば。なんなら脱ごうか?」

 

 何故か尻込みし始めた雅美ちゃんを挑発するようににやりと笑い、自分から服に手をかける。

 五人から好き勝手に触られるよりは主導権を握ってしまった方がいい、というのもある。

 みんながごくりと唾を飲み込む中、私はトップスに手をかけて捲り上げ、

 

「ただいまー」

「あ。夏陽くん帰ってきたからここまでね」

 

 なんというタイミング。

 途中まで捲った服を私は元に戻して苦笑した。まあ、冷静に考えてみるとやっぱり恥ずかしいし、盛り上がってからこうなるよりは良かったかも……?

 

「って、そうはいくかー! ずるいよおねーさん!」

「それならにーたんにも参加してもらお! ねーねーにーたん、おねーさんがおっぱい見せてくれるって言うんだけど一緒に見ないー?」

『はあ!? なにやってんだよおねーさん、椿達に乗せられるにしても限度があるだろ!』

 

 どたどた。

 夏陽くんが階段を駆け上がってくる音。

 

「ちょ、ちょっと待っ……!?」

「そうはいかないよおねーさん!」

「ミミ、ゲッタン! そっち押さえて!」

「ウイ」

「え、ええと……ご、ごめんなさい翔子さんっ!」

「や、止めっ!? 男の子いるところでは駄目だってば!」

 

 逃げようと思った途端、四人がかりで取り押さえられる。一人二人ならなんとかなるけど、四肢に一人ずつしがみつかれるとさすがにどうしようもない。

 夏陽くんの足音はどんどん近づいてくる。

 いや、ちょっとピンチなんですが……? 調子に乗って余裕ぶったのがいけなかったんでしょうか……?

 

「……何よコレ」

 

 逆に冷静になったらしい雅美ちゃんの呟きがなんだか印象的だった。

 

 ――なお、一線は死守したのであしからず。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 数日後の土曜日。

 私は椿ちゃんたちと一緒に『寿し藤』の店舗を訪れた。時刻はお昼の営業が終わって少し経った頃。着いて早々、従業員用の白衣を手渡されて着替え、しばし待っていると、準備を終えた親方――雅美ちゃんのお父さんと一緒に雅美ちゃんが戻ってきた。

 

「こんにちは。本日はご指導、よろしくお願いします」

「こちらこそ。夜の営業までには終わらせるつもりですので、集中してついてきてください」

「はい」

 

 親方はいかにも職人といった佇まい。

 『ForM』の大会の時に一度会ってるけど、仕事モードだからか一段も二段も真摯で、格好良く見える。それだけで気持ちが引き締まる思いだった。

 夜の営業まで、ってことは三、四時間くらいか。

 営業に支障をきたすわけにはいかないから延長はできない。言われた通り、集中してこなさないと。

 

「え、今から夕方まで……?」

「そうだよ。頑張ろう、みんな」

「う、うん」

 

 そうして研修が始まった。

 

 まず手を氷水に三分間つけて、から始まったと言えばきっと過酷さが伝わるだろう。

 まあ、基本の衛生管理ではあるんだけど。前世の学祭で飲食やったり、和食の初歩の初歩くらいは触れている私はまだいいとして、椿ちゃんたちは覚えることいっぱいで本当に大変だったはず。

 修行と呼んでもいいくらいだ。

 でも、親方が教えてくれたのは、集約すれば単純なこと。

 

 食べ物を大切にしましょう。

 

 単純で、だからこそ難しいこと。

 研修が終わった後、私と椿ちゃんたちは揃って親方に「ありがとうございました」と頭を下げた。教えてもらった心構えさえちゃんとできていれば、きっといいお手伝いができるだろう。

 うん、来てよかった。

 

「では、鶴見さん。鶴見くんだけは残ってくれ」

「はい」

 

 まあ、私はまだ終わりじゃないんだけど。

 

「し、死なないでねおねーさん」

「おねーさんが死んじゃったら愛莉さんが悲しむよ」

「あはは……大丈夫、気を引き締めてやるから」

 

 せっかくだから仕事を見て行きなさい、と親方に言われて延長戦が決定したのだ。

 お店の営業が始まってしまうので、私ができるのは端っこに座って親方のお仕事をじーっと見るくらいなんだけど、日本の職人にとって「見」の修行が重要なのは言わずもがな。

 帰りは母さんに迎えに来てもらうことにして、喜んで見学させてもらうことにした。

 多分、今日の夕飯はこのお店になるだろう。父さんに運転を頼めないか交渉する、と、母さんから気合の入ったラインが返ってきた。お寿司食べるのに日本酒が飲めないとか拷問と言い切るのがうちの母である。

 

 さて、もうひと頑張りしてみよう。

 

 私は気合いを入れて研修――修行の続きに臨んだのだった。




硯谷戦はダイジェストにするのが難しい上に原作とほぼ変わらないので、カットしようかと思っております。
また、作中でも触れていますが、つばひーは原作同様、硯谷との因縁を作っているものとしました。

慧心六年生:主に愛莉の経験値が原作より上昇
慧心五年生:広い攻め手を獲得した反面、スタミナに難
硯谷:未有のやる気と経験値が上昇、綾のやる気がやや増


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12th stage 翔子は小学生達のサブコーチをする(2)

「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」

 

 日曜日の午前八時過ぎ。

 私がすずらん通りのアーケードを訪れると、既にお祭りの準備をする人たちで賑わっていた。出店場所として指定されたのは、アーケードの先にある駅前広場。『寿し藤』のテントにいた女性に声をかけると、作業の手を止めて笑みを浮かべてくれる。

 

「おはよう。鶴見翔子さんだったわよね? 今日はよろしくお願いします」

「はいっ。えっと、何から準備しましょうか?」

「そうね。それじゃあ……」

 

 テント裏に荷物を置いて開店作業を手伝っていると、雅美ちゃんたちもやってくる。あらかじめ集合場所を決めていたらしく、全員一緒だ。

 

「おはよう、みんな。今日は頑張ろうね」

 

 笑顔で言うと、雅美ちゃんがつんと首を動かした。

 

「当然です。紗季には絶対負けません。狙うのは売上げ一位のみです」

「うん。でも、意地悪とかはナシだよ。相手にするのは他のお店じゃなくて、お客様だからね」

 

 かげつちゃんとミミちゃんはこれに頷いてくれるも、竹中姉妹は、

 

「言われなくても、ボクたち完璧だし!」

「真帆とか敵じゃないし!」

 

 ……大丈夫だろうか。

 まあ、この子達も決して悪い子じゃない。ちょっと気持ちが先走っちゃってるだけだから、いざお店が始まれば接客に集中してくれるはず。

 と、お隣のテントにも人が集まってきた。見覚えのある五人の小学生――愛莉ちゃんたちだ。

 なんだ、こんなに近くだったんだ。

 配置図まで詳しくは見てなかったから、気づかなかった。

 

「翔子さんっ。今日はよろしくお願いします」

「おはよう。お互いに頑張ろうね」

 

 コミケのサークル参加ってこんな感じなのかな? とか思いつつ、挨拶を交わしていると、一番最後に昴も到着。

 

「昴。葵は今日来るの?」

「ああ。あんまり人数多くてもアレだからって、お客さんとして食べにくるってさ。なんか差し入れも持ってきてくれるらしい」

「そっか。ありがたいね。こっちもさつきや多恵に知らせておいたから、もしかしたら来てくれるかも」

 

 挨拶を終えたら準備に戻った。

 ただ、子供たちはそうもいかなかったみたいで、わいわいやって雅美ちゃんのお母さん――都さんに一喝されていた。それをとりなしたのは紗季ちゃんのお母さん――亜季さんだ。

 都さんはきりっとした、年下の女の子に人気がありそうなタイプ。亜季さんはふわふわ穏やか系の可愛らしい人だ。顔立ちはともかく、性格は子供たちとあんまり似ていないかも。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 隣からお好み焼きの焼ける音と、香ばしい匂いが漂ってくる。

 試作品だろう。もう音と匂いだけで美味しいのがわかる。後で時間があったら食べよう。ああやって直に調理できるのはお好み焼きの利点だよね。

 でも、もちろん『寿し藤』の屋台だって負けてない。

 

 売り物は大きく分けて二つ。

 五目ちらし寿司と、五目いなり。後者の五目いなりは五年生ズのアイデアにより、動物の顔をデコレーションした可愛い一品だ。デコに使っているのは海苔や玉子などのお寿司に使う具材なので味を邪魔しないし、お寿司屋さんのおいなりさんだから本体も絶品。

 若年層に比較的弱いという弱点をカバーする秘策はきっと成功すると思う。

 隣にオカズ系の屋台があるのも追い風かもしれない。濃い味のものを食べたらご飯が食べたくなるのが日本人、そういう時はこちらのお寿司をどうぞ、というわけだ。

 

 さて。

 お隣と違い、材料の下ごしらえが済んでいる『寿し藤』の屋台。お仕事はそんなに大変じゃないのかなと思いきや、そういうわけでもなかったりする。

 確かに、油揚げは親方が前日に仕込んでくれているし、酢飯はなくなりそうになる都度作るだけでいいんだけど、その酢飯を油揚げに詰めて形にしたり、完成したおいなりさんにデコったりするのはリアルタイムでやっていかないといけない。

 役割分担としては、総指揮と調理の最終チェックが都さん。雅美ちゃんを除く四人は主にお会計とデコレーションを担当。雅美ちゃんは基本、油揚げにひたすら酢飯を詰めておいなりさんを作っていく係。

 じゃあ私は何をするのかというと、スーパーサブ。調理道具を洗ったり、海苔や錦糸卵を丁度いい大きさにカットしたり、重いものを運んだり、酢飯をまぜたり団扇であおいだり、その都度必要なことを必要なだけこなす、いわば雑用係だ。

 バスケでやってたのと似たような立ち位置なのでこういうのは割と得意である。

 

 さあ、どうなるか。

 幸い天気は快晴。

 みんなの想いが届き、このまま涙雨なんて降らないといいんだけど。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『ただいまより、すずらん通り冬の感謝祭を開始いたします!』

 

 アナウンスの直後から、待ってましたとばかりに広場へお客さんがやってくる。

 年配の方や家族連れが目立つけど、若い人の顔も結構ある。近所に住んでいる人達にとっては馴染みあるイベントであることが窺える。

 普段はなかなか行けないだろう『寿し藤』みたいな高級店も出店してるし、私だって来年からは通っちゃいそうだ。

 と。

 

「あっれー? こけしの屋台かと思ったら」

「お前……!」

「あの時の……!」

 

 波乱は、早々にやってきた。

 赤いジャンパーに野球帽を被った小さな女の子が、スティックキャンディーを咥えながらうちの屋台を覗き込んでいる。

 生意気そうな子だな、と失礼な感想を抱いた直後、椿ちゃんと柊ちゃんが敵対心を露わにした。知り合いかな、と他の三人を窺ってみるも、かげつちゃんたちは知らない模様。

 だとすると慧心の子じゃなさそうだけど……。

 

 ノリとしては『顔見せに来た強豪校の圧倒的天才』みたいに登場した彼女は、竹中姉妹と二、三、言葉を交わした後で名乗った。

 

「まいねーむいず、芦原怜那。硯谷女学園初等部五年。よろしくねん」

「硯谷……!?」

 

 驚いてついつい声を上げてしまった。

 私の印象はそう遠くないものだった。硯谷なら圧倒的天才の名は未有ちゃんのものだろうけど――このタイミングでこの会話っていうことは、多分、この間、夏陽くん込みで出会ったという「硯谷にいる因縁の相手」だ。

 雅美ちゃんが尋ねる。

 

「椿、柊。もしかして、この子が」

「……うん」

「ボクたちの、リベンジ相手」

 

 二人の返答を聞いた怜那ちゃんはぷっと吹き出した。

 

「リベンジ!? ぶはは、よくそんなことえらそーに言えるね! あんな下手くそなバスケしておいて!」

「「~~~~~っ!」」

 

 下手くそなバスケ。

 それは私が教えたテクニックのことか。まあ、私に才能がないのは知ってるし、私よりわけわかんないらしいこの子が上手いのも確かなんだろうけど、ちょっとイラっとくる言い方だ。

 椿ちゃんたちがヒートアップしないといいけど、一個人としては「言い返しちゃえ」という思いが浮かばなくもない。

 

 ――とはいえ。

 

 それ以上に気になることが一つ。

 屋台に身を乗り出してぺらぺら喋ってるのが危なっかしくて仕方ない。売れる状態になった折り詰めは蓋がされてるけど、油揚げが詰まった鍋や混ぜたちらし寿司などは外気に晒されている。口からこぼれただけで入るような位置にはないものの、あの飴を投げやしないか心配だ。

 そっと移動して鍋に蓋をし、ちらし寿司を持ち上げる。

 

 椿ちゃんたちはギリギリのところで怒りを抑えたようで、仕事優先と怜那ちゃんを追い払おうとした。すごい。気が短いように見えて私より大人かもしれない。ただ、怜那ちゃんの方は逆に気に障ったようで、事務的な対応をされたチンピラのごとく飴を手にわめきはじめ、

 

「おっと、失礼」

「おわっち!?」

 

 怜那ちゃんの背中に通行人がぶつかった。

 飴が飛び、鍋の蓋にかん、と当たった。そのまま飴はアスファルトの地面に落ちたものの――その、間一髪すぎて逆に冷や汗が出るんですが。

 油揚げの鍋は一つしかないので、もし、使えなくなったら五目デコいなりは出せないことになってしまうのだ。

 

「ったくもー。ごめーん、落ちたやつ捨てといて――って、どしたの?」

「……食料品を扱う屋台に飴なんかを差し出しておいて、ごめん、ですって?」

 

 軽く謝ろうとする怜那ちゃんだったけど、空気は圧倒的に冷えていた。

 怒ったのは椿ちゃんたちではなく、飲食店の娘――雅美ちゃんだ。

 

「鍋に入ってたらどうするつもりだったのよ!?」

「えー。なんともなかったんだからいいじゃん。今のどーみても事故だし」

「ふざけないで!」

 

 都さんが「止めなさい」と制止に入るも、雅美ちゃんの怒りは収まらない。

 怜那ちゃんに食って掛からんとばかりの態度の彼女を、椿ちゃんたちはいたましげに見つめていた。なまじ、実害が出なかっただけに置いてけぼりをくらったような形だけど、友人の気持ちが全くわからないかといえば、そんなこともないのだろう。

 例えば、私だって。バスケットゴールにサッカーボールを蹴り飛ばされたら、将棋盤に碁石を打ち付けられたら、うちの台所で化粧を始める輩がいたら……怒りに我を忘れてしまいかねない。

 

「ね。怜那ちゃん、だよね? 一言、雅美ちゃんに、お店の人に謝ってくれないかな?」

 

 微妙な空気をいつまでも続けるわけにもいかない。

 努めて冷静に告げれば、怜那ちゃんは「えー」と、あからさまに不満を露わにした。

 

「もう謝ったじゃん。それに、アタシ別に悪いことしてないし」

「じゃあ、せめて何か買っていかない? あんまりそこにいられると、商売の邪魔になっちゃうんだ」

「んー? じゃあどけばいいんでしょ? いらないよ、こんな年寄り臭い食べ物。じゃね」

 

 懸命な説得(?)の甲斐もなく。

 小柄で生意気な少女は、あっさりとその場を去っていった。

 

「寿司が年寄りくさい? 和食を愛する全国の人に謝ま――」

「落ち着け翔子。それこそ営業の邪魔だ!」

 

 移動してきた昴にどうどうと宥められたことで私もなんとか落ち着き、騒ぎも時を追うごとに沈静化して、『寿し藤』の屋台は営業を再開した。

 ただ、微妙なわだかまりは残ったまま。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 お昼のピークタイムを過ぎた頃。

 都さんから休憩を言い渡された私は、『なが塚』の屋台と他二つくらいを回って食料を買い込むと、『寿し藤』のテント裏に入った。

 すると、石を固めた花壇の淵をベンチ代わりに雅美ちゃんが座っているのを発見。せっかくなので隣に座って声をかける。

 

「雅美ちゃんも休憩?」

「……お母さんが休みなさいって。っていうか、なんでうちのお寿司を食べないんですか」

 

 そう言う雅美ちゃんは五目デコいなりの折り詰めを膝に載せている。

 

「あはは。いや、店員さんが買っていいのは余った時だけかなって。それに、他のお店のは今じゃないと食べられないでしょ?」

 

 単に気になってたのも事実だけど。

 苦笑しつつ、プラスチックのパックを開ける私。やっぱり最初はお好み焼きから。キャベツに芝海老、白ネギにニラなどの具材を使い、広島焼きに近い形で焼き上げられたそれ。わくわくしながら箸を差し入れ、一口食べると、

 

「うわ、美味しい! ……これ、ソースじゃなくて醤油なんだ。でも、すっごく合う」

 

 醤油自体は最後に塗られてるわけだけど、マヨネーズも相まってテリヤキに近い感じになってるかも。芝海老の香ばしさと白ネギの風味がなんとも言えない「和」の美味しさを放っていて、ぶっちゃけて言えば日本酒か白ワインが欲しい。

 

「敵の売り上げに貢献しないでください」

「でも、雅美ちゃん。これ凄く美味しいよ。ほらほら」

 

 半ば無理やり口に運ぶと、雅美ちゃんは嫌そうにしつつもぱくっと食べてくれた。

 しばらく黙ったままもぐもぐして、ふと思い立ったようにおいなりさんを持ち上げてぱくり。うん、ご飯とも絶対合うと思う。

 

「美味しいでしょ?」

「………」

 

 ノーコメント。

 でも、けなしたりしない辺りが素直で正直な子だと思う。私もそれ以上は言わずに一口二口食べ進めていると、隣のテントから紗季ちゃんが出てきた。

 奇しくも、彼女は『寿し藤』の折り詰めを手にしている。

 

「お疲れ様です、鶴見さん。……さっきはナイスアシストでした」

「あはは、ありがとう。ほんとにヒヤヒヤしたよ」

「そうですね。もし無駄になっていたらと思うとぞっとします」

 

 言いながら、私を挟んで雅美ちゃんの反対側に座る紗季ちゃん。

 五目デコいなりを一つつまんで口に入れた彼女は「美味しい」と口元を綻ばせた。

 

「……なんで、紗季がうちのお寿司を褒めるのよ」

「だって美味しいもの。私はお好み焼きもお寿司もどっちも好きよ。だから、『寿し藤』の営業が滞れば良かった、なんてことも欠片も思ってない」

 

 それは本当だと思う。

 もし、あの飴が入っていたら。きっと紗季ちゃんは率先して雅美ちゃんを慰め、何か代案を提示したんじゃないかと思う。

 優しくてしっかりものの「お姉ちゃん」だから。

 

「紗季ちゃんも雅美ちゃんも、良かったら私のもつまんでね。色々買ってきたから」

「じゃあ喜んで。……ふふ、でも鶴見さん、実はお寿司のお返しが目当てだったりしません?」

「バレたか」

 

 笑い合う私と紗季ちゃん。

 雅美ちゃんは若干居心地悪そうにしていたけど、逃げたりはしなかった。そして、私がじゃがばたー等々を薦められば、渋々ながら口にしてくれたのだった。



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12th stage 翔子は小学生達のサブコーチをする(3)

「うめえ! 回らない店の寿司ってこんな美味いのか!?」

「このお好み焼きも絶品だよぉ! 香ばしさと醤油の風味が絶妙なハーモニーを――」

「ショージ、意味わかって言ってる? でも、本当に美味しい」

 

 午後になってから、葵とさつき、多恵も食べに来てくれた。

 おやつにするつもりだったと言いながら、ばくばく本格的に食べてるけど……大丈夫だろうか。特にさつきと多恵。太らないといいけど。

 

「あはは、客引きへのご協力、ありがとうございます」

 

 ただのお手伝いとはいえ褒められると嬉しいので、私は三人に笑ってお礼を言う。

 サクラを頼んだわけではないけど、率先して騒いでくれたお陰で周りにいるお客さんが注目してくれている。誰かが美味しそうに食べているのを見ると食べたくなるのが人情というものである。

 雅美ちゃんを見れば、苦手なタイプなのか遠巻きにしつつも、商品への賛辞については素直に嬉しそうにしている。『なが塚』のお好み焼きと一緒に褒められたのは、図らずもいい影響になってくれるかも。

 

「ねぇ、つるみん。ばんりーんは来てないのぉ?」

「あ、香椎くんは午前中に来てたよ。マスクして変装してたけど、愛莉ちゃんが一発で見破ってた」

「だろうな! あいつでかくて目立つからなー」

 

 うん、あの身長がまず人目を惹くので、スパイには向いてないだろう。

 

 葵たちはお好み焼きと五目デコいなりを食べ尽くすと、お土産まで買ってから去っていった。売り上げにもご協力、ありがとうございます。

 私とみんなは残りの時間、精一杯やり切ろうと決意を新たにし――。

 

『すずらん通り商店街感謝祭、今年も無事終了です!』

 

 開店当初こそ波乱があったものの、以降は大きな問題もなく、営業終了を迎えたのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 後片付けの後は、『なが塚』にて二店舗合同の打ち上げが行われた。

 六年生組がみんなで考えたというあの芝海老のお好み焼きや、紗季ちゃんのお父さんによる職人技のお好み焼きに舌鼓を打っていると、『寿し藤』の親方――雅美ちゃんのお父さんが特製のお寿司まで届けに来てくれた。

 お仕事を終えた後の宴の場。

 六年生組に五年生組、コーチという立場の昴と私、そしてもちろん紗季ちゃんと雅美ちゃんのご両親も加えてわいわいと盛り上がった。

 

 相変わらずつばひーは真帆ちゃんを目の敵にしていたし、雅美ちゃんも紗季ちゃん相手だとツンツンしちゃってたけど、本格的な喧嘩が発生するようなことなく。

 多分、今更表立って仲良くするのが恥ずかしいんじゃないかと思う。バトル漫画の最終決戦で主人公を助ける元ライバルとか、そんな感じ。つばひーにしろ雅美ちゃんにしろ、他の六年生への態度は割と穏やかだから、その辺の線引きはちゃんとできているはずだ。

 

 宴もたけなわという頃、紗季ちゃんから子供たち全員、それから昴と私にプレゼントがあった。

 手編みのてぶくろ。

 六年生組と五年生組でデザインを使い分けており、お揃い感が嬉しい。全員同じデザインにしないあたりは紗季ちゃんらしい心遣いだろう。もちろん、私も昴も喜んで受け取り、紗季ちゃんにお礼を言った。

 雅美ちゃんも、悪態をつきつつ受け取っていた。

 

 うん。

 間違いなく、今日という日はみんなにとってプラスになった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 すずらん祭りの後日、五年生組は練習での態度を軟化させた。

 

「……あいつに仕返しがしたいとか、そういうのだけじゃない」

「あいつに、レナにリベンジできればいいって思ってたけど、それだけじゃ駄目だ」

「あいつを見ていて苛々したわ。自分だけは特別だ、偉いんだ、って。世の中、一人でなんでもできるわけじゃないんだって教えてやらなくちゃ」

「そのためには、バスケで勝つしかないと思いまシタ」

「みんなで、チームで戦って、あの人に知って欲しいんです。バスケの楽しさ、みんなでプレーする楽しさを」

 

 完全に仲間になるわけじゃないけど、大会までの期間、悪戯は封印する――そんな宣言。

 でも、十分。

 ううん、みんなが自分で考えて出してくれたんだから、百二十点の答えだ。

 

 奇しくも、県予選の組み合わせが発表されたのはそんな時のこと。

 美星姐さんが持ってきてくれた書類をはやる気持ちで昴と覗き込んだ私は、運命の悪戯に目をみはった。

 

 ――最初の相手は、硯谷女学園。

 

 初戦で当たるには、あまりにも強大な敵。

 マンガなら決勝戦で当たるところ。それまでに色んなチームと戦って経験を積んで、場合によっては新メンバーや新コーチを迎えたりなんかして、満を持して挑むんだろうけど。

 逆に言えば、ぐっとわかりやすくなった。

 

 硯谷は全国レベルのチーム。

 あの子たちに勝たないと全国に行けないのなら、いつ当たっても同じこと。むしろ因縁の相手との対戦だけに集中できる。

 

 それから私たちはより大会を意識した練習を開始した。

 基礎を向上させることはもちろん、メンバー間でのコンビネーションの向上や、相手チームの研究、情報収集まで。全ては打倒・硯谷女学園のために。

 葵や香椎くんも協力してくれるのでサポート体制はばっちり。

 女子のフォワードとして高いレベルにある葵が智花ちゃんやミミちゃん、真帆ちゃんに竹中姉妹にいい刺激を与え、私と香椎くんがタイプの違うセンターの技術を愛莉ちゃんやかげつちゃんに浸透させる。全ての指導や練習を管理し、調整するのは正コーチである昴。

 

 残り時間は少ない。

 でも、できるかぎりのことはやる。

 

 子供たちのやる気は十分。

 教えたことをみるみるうちに吸収していく彼女達を相手に、私たちもコーチとして日々奮闘し――そして、あっという間に大会前夜を迎えた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「愛莉ちゃん、寒くない?」

「大丈夫ですっ。おしるこの缶があったかいし、翔子さんが一緒にいてくれるから」

 

 最後の練習は軽めに済ませた。

 ギリギリまでみっちり、といきたいのは山々なんだけど、ここまで来たら本番に疲れを残さない方が重要。みんなには早めに帰ってゆっくり休んでもらうことにして、昴や私たちから激励の言葉なんかをかけさせてもらった。

 別に明日の大会で何もかもが決まるわけじゃない。

 昴のコーチも三月までは続くわけで、できるだけ湿っぽくならないように……と、明るい言葉をかけたんだけど、締めの昴の激励には、ついつい感極まってしまいそうになった。

 

 椿ちゃん、柊ちゃん、ミミちゃん、雅美ちゃん、かげつちゃん。

 智花ちゃん、真帆ちゃん、紗季ちゃん、ひなたちゃん、そして――愛莉ちゃん。

 

 五人と五人だった二つのチームは、十人でひとつのチームになった。

 慧心の体育館で解散した彼女達は、明日、決戦の舞台に集う。

 私たちコーチにできるのは、少しでもみんなのやる気を引き出すことと、悔いのない試合ができるように祈ることだけ。

 ……なんだけど、ちょっとだけ、我が儘を言わせてもらった。

 

 お話しないかと愛莉ちゃんを誘うと、彼女は嬉しそうに頷いてくれた。

 

 愛莉ちゃんのお家に近い公園のベンチに座って、午後の空を二人で眺める。

 冬の空気は冷たいけど、愛莉ちゃんが言った通り、二人でぴったりと肩を寄せ合っているとぽかぽかしたものを感じることができた。

 

「いよいよだね」

「はい」

「緊張してる?」

「はい。……えへへ、どきどきしてます」

 

 愛莉ちゃんは私の手を取って胸に導いてくれる。

 小学生とは思えない豊かさの奥に、早い鼓動が感じられる。

 どきどき、か。

 

「私も、綾ちゃんたちにまた会うのが楽しみ」

「そうですね。わたしは、何度もお手紙してるから、久しぶりな気がしないですけど」

 

 綾ちゃんとは私もたまにラインをしている。

 お互いライバル同士ということもあって、練習内容なんかはなかなか話せないけど――それでも楽しい。綾ちゃんも私たちと試合をするのを楽しみにしてくれているみたいだった。

 

「……今まで、色んなことがあったね」

「はい」

 

 こくんと頷いて、愛莉ちゃんがゆっくりと言う。

 

「わたし、翔子さんに会えて良かったです。長谷川さんにも、みんなにも」

「私も、愛莉ちゃんと会えて良かった」

 

 この出会いがなかったら、今の私はなかったと思う。

 もしも出会っていなかったら。

 ……うん、想像もできない。きっと昴も、愛莉ちゃんたちもそうなんじゃないだろうか。

 

 寒空の下、私たちの口数は少なかった。

 でも、それは気まずいからじゃなくて、互いの温かさを感じる時間が大切だったからだ。

 

 ――頑張ってね。

 

 そう、口にしようとして、私は思い直す。

 

「頑張ろうね、明日」

「……はいっ!」

 

 愛莉ちゃんは私の顔を覗き込んで、とびきりの笑顔を見せてくれた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 翌日、私は早起きして豪華なお弁当を拵え、試合会場へと臨んだ。

 試合前、麻奈佳先輩や祥とも視線を交わすことはできたけど、さすがに声をかけることはできなかった。『ForM』の大会の時とは段違いに人が多いせいもあるけど――大きな戦いの場だから。

 みんなの体調も万全。

 昴と共にベンチに控えた私は、みんなの試合を余すことなく見守った。

 

 試合は慧心の六年生組と硯谷のスタメンから始まった。

 

 ――掛け値なしにいい試合だった。

 

 エース・智花ちゃんのプレーは相変わらず私たちを魅了したし、元気いっぱいな真帆ちゃんは身に付けた技術も手伝って攻守において活躍、センターの愛莉ちゃんは普段の大人しさとは一転した凛々しい姿を見せ、ひなたちゃんのトリッキーなプレーが相手を撹乱、司令塔の紗季ちゃんが冷静な判断によって仲間達のいいところを引き出していく。

 つばひーのコンビプレーはより洗練されて鋭さを増し、智花ちゃんと切磋琢磨し続けているミミちゃんが「もう一人のエース」としての格を見せつけ、雅美ちゃんのロングシュートは主砲として相手チームに警戒を強い、かげつちゃんが大事なゴールをしっかりと守護した。

 

 でも、相手もさるもの。

 

 甘さを払しょくした未有ちゃんをはじめとするスタメンはもちろん、短期間で成長しメンバーに選ばれた綾ちゃん、向こうとしても悩んだ末の参戦だっただろう天才・怜那ちゃん。もちろん、目立ちにくい他の子達だってエースを支えるに足る総合力の高さを持っている。

 点を取り、取られ、エースとエースがぶつかり合い、才能を見せつける怜那ちゃんにこちらの策が炸裂し、覚醒した天才が真の力を発揮し――。

 

 合宿の時の試合をグレードアップさせたようなハイレベルな攻防が繰り広げられた。

 途中、真帆ちゃんの怪我(幸い、大事には至らなかった)による選手交代といったハプニングを挟みつつも、最後の最後まで白熱した試合が続いた。

 一つ、何かが違っていれば結果は変わっていたと思う。

 あそこでああしていれば、ああなっていればと口にすることは簡単だけど、みんなはみんな、持てる全ての力をもって戦った。

 もちろん、硯谷だって同じだった。

 双子に一矢報いられた怜那ちゃんが調子を崩した時、叱咤した未有ちゃん、スタンドプレーに固執する怜那ちゃんをチームプレーに導いた綾ちゃん、綾ちゃんを支えて二本の塔を打ち立てた硯谷の正センター・久美ちゃん。一人一人ができることを全部やっていた。

 

 だから、勝敗はギリギリのところで天秤が傾いた結果であり、同時に――軽い気持ちであれこれ言うことのできない神聖なものでもあるのだと思う。

 

 結果は。

 慧心女子ミニバスケットボール部は、県予選初戦にて、敗退した。

 

 けれど、事実上の決勝戦と言ってもいいくらい、素敵ないい試合だった。




12巻、13巻が続きの話、14巻が短編集、15巻が番外編のため、次の「13th stage」が実質、ストーリー上のラストとなるかと思います。
今しばらくお付き合い頂けましたら幸いです。


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13th stage 翔子は新しい一歩を踏み出す

「もう無理! 休ませて!」

 

 我慢できなくなって声を上げた時には、腰がガクガクしていた。

 全く、二人とも意地悪すぎる。

 駄目って言ってるのに「もう一回」って何度も何度もせがんできて、しかも激しいのが大好き、中に入れないと気が済まないときてるから始末に悪い。

 

 ――いや、うん、もちろんバスケの話なんだけど。

 

 ふらふらとコートから抜け出した私は、荷物置き場にした一角に息も絶え絶えに座り込んだ。

 全身に汗をかき、息を荒くしながらも元気いっぱいの葵と昴は、いち早くギブアップした私を「しょうがないなあ」という風に見る。

 

「なんだ、もう脱落か」

「だらしないなあ。女バス辞めてからなまってるんじゃない?」

「二人の性能が上がりすぎなんだよ……」

 

 なんで一年間も部活してないのに、大幅にスペック上がってるのか。

 特に葵。

 二年からマネージャーに専念するか迷いました、っていう話が「嘘でしょ?」としか思えないほどパワフルかつアグレッシブだ。

 二人共戦闘民族すぎて、もうちょっと一般人を労わって欲しい。

 

「仕方ない。じゃあ一対一だな葵」

「そう言いながら嬉しそうだけど? 負けてから後悔しないことね」

 

 ……仲いいなあ。

 

 葵と昴はじゃれ合うように言葉を交わし、持てるテクニックを駆使して相手を屈服させようと挑み始めた。

 なんか、さっきまでより動きが良く見えるのは気のせいか。

 

 交わる恋人達を微笑ましく見守りながら、私は呟く。

 

「あっという間の一年だったなあ」

 

 三月の末。

 もう何日かすると私たちは進級して二年生になる。

 思い返してみると、本当にあっという間の一年だった。

 

 

 

 待ちに待った全国大会。

 愛莉ちゃんたち慧心女バスは地区予選一回戦にて硯谷女学園に敗退した。

 

 一方、硯谷は地区予選で優勝。

 二回戦以降は怜那ちゃんを使わず、それでも決勝の相手に大差をつけて勝利。

 悔しくなかったと言えば嘘になるだろう。

 私だって、みんなの頑張りと無慈悲な結果にこみ上げるものはあった。みんなだってそうだったと思う。でも、やりきった故の晴れやかな笑顔もそこにはあった。

 

 あの戦いが、みんなの雄姿がもたらしたものは幾つもあった。

 

 一つは、さつきと多恵がバスケへの復帰を決めたこと。

 慧心vs硯谷を見て思うところがあったらしい。

 深いところでは決まっているはずなのに、ギリギリまで悩んだり弱音を吐いて、それでも、一度逃げ出した東高女バスの門を再び叩いた。

 入部を許可する代わりに言い渡された試練はなかなかに厳しいようで、日々、ラインで愚痴が飛んでくる。

 その割に楽しそうじゃない? と、見るたびに思う。

 

 もう一つは、怜那ちゃんの変化。

 彼女は後日、雅美ちゃんのお家に謝りに来てくれたらしい。デコがない以外、あの日のすずらん祭りと同じ五目いなりを完食して帰っていったそうだ。

 全国大会で解禁された彼女のプレーは更に磨きがかかり、仲間との協調を覚えたことで一段も二段も厄介になった。

 映像で見たその暴れっぷりはもはや「何このチートキャラ」としか言いようがなかった。

 

 そして、硯谷はなんと、全国でそのまま優勝した。

 あの子たちそこまで強かったんだというか、慧心との戦いで更にレベルアップしたのが窺えて恐ろしいというか、ライバルが勝ってくれて誇らしいというか、感想は一言では言い表せない。

 ただ、

 今回の大会において硯谷と一番いい勝負をしたのは、間違いなく慧心だった。

 

 ――事実上の決勝戦。

 

 なんて言ってもいいんじゃないかと、個人的には思っている。

 

 

 

 七芝高校では、上原が生徒会副会長に就任した。

 所信表明演説で「男子バスケットボール部の復活」を掲げた彼は、昴や香椎くんのために尽力してくれている。普段は飄々としているのにこういうところは絶対に外さない。そういうところは格好いいと思う。

 あれで、もうちょっと真面目に女の子に告白できれば、違うと思うんだけど。

 

 男バスといえば、部にコーチが来るらしい。

 なんと若い高校生……ではなく、お爺ちゃん。昴や銀河さんいわく「そんな可愛いもんじゃない」そうだけど、いったいどんな人なのか、怖いような楽しみなような。

 

 私は復活する男バスにマネージャーとして参加することにしている。

 葵も一緒だ。

 ただし、葵の方は女バス――選手と兼任。女バスの練習がある時はそっちに参加してもらって、主に備品の買い出しとか整備なんかを担当してもらうことになる。

 マネージャーは私がいるから無理にやらなくてもいいんだけど、そこは譲れないらしい。

 

『翔子なら安心だけど、でも、昴のサポートは私がしたい』

 

 そのくせ、選手としても昴に負けられないっていうんだから、葵も相当な意地っ張りだ。

 なら、荻山葵のことは私が精一杯サポートする。

 昴には手が出せない方向から葵の負担を減らしてあげることが、きっと私の役割なんだと思う。

 

 

 

 

「なに黄昏てんの」

「つめたっ」

 

 頬に当てられた缶の冷たさで思考が引き戻される。

 いつの間にか葵たちの勝負も一段落したようで、二人がドリンク片手に戻ってきていた。

 

「この時期に冷たいのって」

「だって身体熱いんだもん。翔子のは、はい、こっち」

 

 あったかいお茶を渡してくれる。

 ありがたい。お金は後で払うことにして、私は缶のプルタブを起こした。

 一口二口飲んで息を吐いていると、昴が、それから葵も私の方を見てくる。

 

「? なに?」

「いや。やっぱり女バスに入ればいいのに、と思って」

「もう言わないでおこうとは思ってるんだけど、つい、ね」

「ああ」

 

 苦笑して頷く。

 

「いいんだよ。選手としてはもう十分、楽しんだから」

 

 葵の女バス入部の裏には七芝の正センター、島崎先輩の働きがあった。

 事あるごとに勧誘を続けていたらしく、そのことも葵が決心する一因になったはずだ。

 そして、先輩から勧誘されたのは葵だけじゃない。

 

『桐原の名コンビの復活を私は見たい』

 

 なんて、甘い誘惑が私にも来た。

 でも、断った。

 あまりにもきっぱり断ったので、島崎先輩はそれ以来何も言ってこない。代わりに「私と付き合わないか」とか言ってくるけど、それはまあ、いいとして。

 私はちょっと、やりたいことが多すぎる。

 料理の勉強ももっとしたいし、裁縫とかも覚えたいし、あらためて将棋に向き合ってみてもいいかなとも思うし、日舞にもちょっと興味がある。バスケだけに専念してしまうと時間が足りなさすぎる。

 

 昴がはあ、と息を吐いて。

 

「よくわからん奴だよなー、お前」

「そう?」

 

 割とわかりやすいつもりでいるんだけど。

 

「ああ。妙に割り切りがいいうえ、変に頑固だろ。そういうところは会った時から変わってないよな」

「変わってない、なんて久しぶりに言われたかも」

 

 昂たちと出会った頃。

 前世の記憶を引きずって、男でいたいと嘆いていた私。それでいてだんだんと、女でいるしかないのだと諦めかけていた私。

 前向きになれたのは、昴たちのお陰だ。

 

「懐かしいね」

 

 目を細めると、葵が首を傾げた。

 

「私はてっきり、思い出話のために集まったんだと思ったけど」

「そういう意図もなくはなかったけどね」

 

 今回の集まりは、珍しく私の発案だった。

 

 ――小さい頃よく行っていた公園。

 

 私たちが出会った場所を指定して、三人でバスケをしないかと誘った。

 今しかできないと思ったからだ。

 これからは三人とも、交わっているようで微妙に別の生活を過ごすことになるから。

 

 

 

 昴はつい先日、慧心女バスのコーチを任期満了した。

 後任は美星姐さん。猛特訓の末にバスケを覚えた彼女が、これからは名実共に顧問として部を引っ張っていくことになる。

 ちょっと他人事なのは、三学期から参加率を減らしていたからだ。

 だんだん出席の頻度を落とし、最後の一週間はまるまる昴に任せていた。私はあくまでサブ、お手伝いであって、節目の時は昴とみんなで迎えて欲しかったからだ。

 なんて。

 

 

 

 

「昴。コーチとして格好良く絞められた?」

「な。なんだよそれ。俺がヘマすると思ってたのか?」

「あはは。そういうわけじゃないけど」

 

 笑って答えると、昴も笑顔を浮かべる。

 

「みんな前を向いてる。お前も、また会いに行ってやれよ」

「もちろん」

 

 私は比較的、暇だし。

 美星姐さんからも言われているのだ。

 

『別に、たまには顔だしてもいーんだぞ。中等部の方は厳しいかもしんないけど』

 

 愛莉ちゃんたち六年生は中等部に移るけど、つばひーたち五年生は初等部に残る。

 五年生組――新六年生組のコーチだった私にはまだ、あそこに顔を出す大義名分が残っている。なので、いつでも遊びに行けるからこそ、昴にいいところを譲ったのだ。

 みんなの連絡先は知ってるし。

 たまにはお休みの日に一緒にお出かけできたらな、とも思っている。

 

 なので、私としてはまだまだ寂しくなんてない。

 

 次の一年もあっという間だろうなあ、と思っていると、昴と葵がまたもじーっと見つめてくる。

 

「ん?」

「いや。あんた、どっか行ったりしないわよね?」

 

 首を傾げると、葵が変なことを言う。

 

「転校の予定はないし、死ぬ予定もないけど?」

「ならいいんだが。たまに仙人みたいな顔するからな、お前」

「どんな顔、それ」

 

 前世含めても人生に疲れるほど生きてないのに。

 

「まだ彼氏も作ってないのに死ねません」

 

 頬を膨らませて言う。

 と、葵が目を見開いて、

 

「彼氏?」

「……う、見栄張りました。彼女です。彼女が欲しいです」

「彼女……って、翔子、そっちの趣味だったのか?」

「「今更!?」」

 

 まさか気づいてなかったとは、昴、恐るべし。

 香椎くんでも察してくれてるんじゃないかと思うけど……今度聞いてみよう。

 

「まあ。色々節目の時期だから感傷的になってるんだよ」

「ああ。まあ、そうだよな」

 

 昴がどこか遠くを見る。

 

 智花ちゃんのことを考えているのかもしれない。

 少し前、あの子から相談を受けた。

 

『昴さんと距離を置こうと思うんです』

 

 葵と昴が付き合い始めてからも、智花ちゃんは昴の家に通っていた。

 子供が気にすることじゃない、というのが大義名分だったわけだけど――中学入学を期に、葵への礼儀を示すことにしたのだという。

 それは翻って、『女』になるという意思表示でもある。

 きっと昴は気づかないだろうけど、智花ちゃんは子供でいることを止める決意をしたのだ。

 

 もう、昴にもその話は伝わっているはず。

 美星姐さんに送り迎えしてもらうわけにはいかなくなる、とでも言えば納得しないわけにはいかず、昴は一種の寂しさを抱いているはずだ。

 会おうと思えばいつでも会える。

 会えるけど、葵との交際を続けていくのであれば、二人の距離はきっと徐々に離れていくはずだ。

 

 みんな、だんだん大人になっていく。

 

 私も、格好いい大人になりたい。

 美星姐さんみたいな。聖さんみたいな。愛莉ちゃんたちのご両親みたいな。

 

「私はどこにもいかないよ」

 

 少なくとも今のところは。

 将来的な話をしたら、まあ、急に留学したくなったりするかもしれないし。海外にホームステイして金髪美少女と仲良くなる、なんて展開がないとは言い切れないけど。

 

「昴と葵の結婚式でスピーチしないといけないし」

「け、けけけ……結婚って! なに言ってんのよいきなり!?」

「そ、そうだぞ。そんなのまだ先の話だろ」

「えー。どっちの友人代表で式に出るか楽しみにしてるのに」

 

 多分、葵の方だけど。

 昴の友人代表は上原でも香椎くんでもいいしね。でも、葵と一番親しいのは私でありたい。

 

「だから、二人の幼馴染でいさせてくれる?」

 

 私の問いかけに、二人は一瞬硬直した。

 硬直してから、何言ってんだこいつ? という顔になって、両側から私の頬を引っ張ってきた。

 

「何言ってんだ」

「もし、あんたが嫌だって言ったってどうにもならないわよ、今更」

「そっか。それは、良かった」

 

 それなら、私はこれからも頑張れる。

 

「じゃあ、これからもよろしくね。昴、葵」

「ああ、こちらこそ」

「あんたには色々迷惑かけそうだけど、よろしく頼むわ」

 

 すぐ傍に座って。

 自販機で買ったドリンクを片手に、私たちは笑いあった。

 

 昔のまま、とはいかないけど。

 叶うなら、ずっとずっと遠い未来まで歩んでいきたい。

 

 選手としては活動しなくても、私がバスケを大好きなのは変わらない。

 だからきっと、これからも、バスケが私たちを繋いでいってくれる。

 

 ひとりでは手が届かないところまで。




今話にて完結に変更させて頂こうと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

ここからはまだ書いていないエンディング等々を順次投稿してまいります。


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ending??.硯谷打倒タイムアタック

流行ってるのでやりたくなった、特に意味のないネタです。


 気がつくと、私は自分の部屋にいた。

 見下ろすと、小さな自分の身体。身体の起伏もろくにない、男の子みたいだった頃の私。

 

「……うん」

 

 一つ頷くと、私は部屋を出て、とてとてと廊下を歩いていく。

 母さんは和室にいた。

 詰め将棋の本と将棋盤を険しい顔で睨んでいる彼女の服を引っ張り、見上げる。

 

「どうしたの、翔子?」

 

 私が小さかったからか、この頃の母さんは将棋を邪魔してもあんまり怒らなかった。

 

「あのね、お母さん。……わたし、バスケットボールがしたい」

 

 お母さんは目を丸くして呟いた。

 

「ね、翔子。もう一回『私』って言って」

「そっちか」

 

 わかっていたのに、私は思わずツッコミを入れてしまった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 高校の卒業式を終えた直後、私は『神様』に出会った。

 自称『バスケの神様』であるそいつは、私に人生のリトライを求めてきた。

 

「私は慧心女子ミニバスケットボール部の可能性が見てみたい。彼女達の最高最良の状態がどれほどのものか、是非私に見せてくれないか」

「嫌です。いいから私を帰してください」

「へー。そういう態度を取るんだ。いいのかなー。私がその気になれば、お前なんかこの世界に永遠に閉じ込めておくこともできるんだけどなー」

「申し訳ありませんでした。是非やらせてください」

「わかればいいのだ」

 

 こいつ絶対バスケの神様じゃないな、と思いつつ、私は神の導きにより再度『鶴見翔子』として生まれ変わり――『最高の慧心』目指して何度も何度も試行錯誤をすることになった。

 そう、何度も。

 無数に繰り返すうちに精神が擦り減って、わけわかんないことになったりしつつも……私は、この世界の法則と、それを限定的に操る術を見つけ出した。

 

 筋道も立てた。

 試行錯誤といっても元の世界を改変するわけじゃなく、自称神様が作った仮想世界を使うらしいので、それほど心も痛まない。

 っていうか、やらないと帰れないんじゃ仕方ない。

 

 後は、実践あるのみである。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 神から出された条件は、慧心女子ミニバスケットボール部がバスケで硯谷女子を打倒すること。

 それも、可能な限り最速で。

 

 ――最速って言ってもなあ。

 

 愛莉ちゃんたちが硯谷と初めて戦ったのは夏休みの合宿時。どんなに早めたってここが限界だろうし、そもそも、この時点で硯谷に勝つのは現実的じゃない。

 当初はそんな風に途方に暮れたものだが、今は違う。出された条件に穴があることは突きとめている。

 

 すなわち、対決に至った経緯およびメンバーは指定されていないこと。

 

 愛莉ちゃんたち五人が結成した慧心女バスが多恵の伝手で合宿に行く、という流れは必須ではない。極論、慧心の女子ミニバスケットボール部であれば、あの五人が一人も含まれていなくても構わない。

 

 なので理想は、私と葵を慧心初等部に揃えることなんだけど……無数に試行してみた結果、これは不可能とわかった。

 あまりにも条件が整わなさすぎる。

 もちろん葵の才能は群を抜いているし、周回を重ねた私もそこそこ凄いけど、当時の慧心初等部には女子のバスケ部すらない。当然顧問もいない(美星姐さんはまだ教師にもなっていない)。にもかかわらず、硯谷側の選手のスペックはそこまで大きくは落ちない。

 確率に打ち勝ち、ギチギチにフラグ管理をしてもなお、届かない。

 部の結成をショートカットした上で、祥とさつきと多恵を集められるなら話は別なんだけど……あの三人は好感度を十分稼がないとバスケに興味を持ってくれないし。

 

 結論。

 

 智花ちゃん、真帆ちゃん、紗季ちゃん、愛莉ちゃん、ひなたちゃん、そして竹中姉妹と雅美ちゃん、かげつちゃんの全員を鍛えて六年生の一学期に勝つ。

 ぶっちゃけ六年生組の五人以外は必須じゃない。

 ただ、合宿より前に硯谷と練習試合を組むには、慧心女バスがある程度の実績と知名度を得ていなければならない。愛莉ちゃんたちが五年の時点でこれらが規定値に達してしまうと、今度は六年生との軋轢イベントが発生してしまう。これは愛莉ちゃんたちの能力が高いほどデメリットが大きくなる「引いてはいけないイベント」なので、ならば六年時まで待つ間に五年生組を加えてしまう。

 

「攻略開始」

 

 私に与えられた権能は、確率的な事象をある程度、任意に選択するもの。

 バスケの試合には使えない制限がかかっているので、これで試合結果を良くすることはできないんだけど、

 

「まず、これで私の小学校を慧心初等部にします」

 

 私の学校は数種類からランダムで選択される。低確率だけど、その中に慧心も含まれている。

 

「次に、昴と葵との出会いイベントを済ませます」

 

 これは、昴と智花ちゃんを「幼少期に出会わせないため」。

 そう。私もこの仕事(?)をするようになってから知ったけど、あの二人って小さい頃に会ってるのだ。しかも、この出会いが智花ちゃんがバスケットボールにハマるきっかけになっている。

 その流れで行くと、智花ちゃんは慧心じゃない小学校に入って、エンジョイ勢のバスケ部でガチプレーしていじめられることになるので、二人の出会いはばっさりカット。

 智花ちゃんと会う前に私が昴と出会っておけば、昴の行動パターンが変わるため出会いイベントはおきない。

 

 この分岐は次のイベント操作と併せて重要になる。

 

「さらに、母さんにねだって日舞を習います」

 

 この近辺で日舞と言ったら当然、花織さんのところだ。

 母さんに見学に連れて行ってもらい、こんな小さい子が珍しい、という話から智花ちゃんを紹介してもらって仲良くなっておく。

 智花ちゃんが小学校にする入学前に済ませるのがポイント。

 こうすると、母親同士の会話で「お子さんはどちらの小学校に?」「うちは慧心なんです」という会話が発生し、智花ちゃんの進学先決定テーブルに慧心が追加される。

 

「日舞を習い始めたら、すずらん通り商店街組とも会っておきます」

 

 日舞の送り迎えによって、あの方面に目が向きやすくなる。

 ランダムイベントテーブルに「帰りにお好み焼き(orお寿司)を食べる」が追加されるため、これを発生させる。片方発生させればもう一方の噂も聞けるので、紗季ちゃん、雅美ちゃんとの面識をゲット。

 このお好み焼き(orお寿司)美味しい! とアピールすることで、和食大好きの母さんはたまに連れて行ってくれるようになる。

 これで、二人の好感度も稼ぐことが可能。

 

「ここからは準備期間です」

 

 智花ちゃん、紗季ちゃん、雅美ちゃんとの好感度を稼ぎつつ、慧心のクラスメートにそれとなくバスケに布教していく。

 焦らず、最初は私の趣味を伝える程度から始めて、私が小六の時に女子バスケ部結成に持っていく。部員集めに必要な好感度は、夏陽くん的な男の子が因縁をつけてくる「男子との対決イベント」によって稼ぐことが可能だ。

 私が硯谷に勝つ必要はないので、部の活動はエンジョイ中心で。

 六年時の球技大会で活躍することで、他クラスや五年生以下の目にも留まり、部員数を増加させることができる。後輩が入ってくれれば、私が中学生になっても部は存続する。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 初等部に女子バスケ部を設立済み。

 智花ちゃんとは日舞のお稽古の度にお話する仲、紗季ちゃん・雅美ちゃんとも顔見知り以上の間柄。

 昴たちとも週に何日かはバスケしていたので、美星姐さんとも顔合わせ済み。私の学校が慧心だと、姐さんの勤め先は確定で慧心になる。

 

 中等部にはもともと女子バスケ部がある。

 目立って強い学校じゃないけど、私と友達が入部したことで人数が増えて活気は出た。私が硯谷に(以下略)なので、ここでもガチすぎる練習は控えめにしておく。

 

 ――うん、万全。

 

 それじゃあ、そろそろ。

 

()()()と顔合わせをしておこうかな」

 

 慧心の初等部と中等部は同じ敷地にあるため、見知った子と顔を合わせることはたまにある。

 紗季ちゃんと学校内で話していれば、当然、真帆ちゃんと知り合う機会ができる。そうすると更に芋づる式に、ある子が引きずり出されて来る。

 

「竹中夏陽()()()

 

 夏陽くんの性別はごく低確率で変わるので、女の子にする。

 バスケをしている同性同士、すぐに仲良くなれるので、その流れで椿ちゃん柊ちゃんとのコネクションもゲット。

 

 私が中学二年生になる頃には智花ちゃんたちも四年生。

 たまに一緒にバスケをしていた智花ちゃんは当然、バスケ部を希望し、夏陽くん……もとい、夏陽ちゃんもそこに加わる。

 この年に女バスの顧問は美星姐さんに切り替わるので、私が「たまに練習を身に来たい」と言ったら快く受け入れてくれる。そうしているうちに、知り合いが入っている部、ということで真帆ちゃん、雅美ちゃん、紗季ちゃんの順で加入。

 

 私が中三になると、身長が十分に伸びてくる。

 

「私の身長も、あの子の身長も……ね」

 

 俯きがちに歩いているところへ優しく声をかければ、愛莉ちゃんと仲良くなれる。

 私を介して智花ちゃんたちと引き合わせれば、自然とバスケ部の輪に入っていく。彼女の心の問題は解消に時間がかかるけど、元の世界以上に賑やかな女バスは愛莉ちゃんに力を与えてくれる。

 そうしているうちに真帆ちゃんがひなたちゃんを誘い、夏陽ちゃんにつられた竹中姉妹が加入し、ひなたちゃんを追ってかげつちゃんが参加。

 

 こうして、転校時期をずらせないミミちゃん以外の面子が集結する。

 

 後は簡単。

 愛莉ちゃんたちが五年生のうちに幾つかの大会で実績を上げるだけ。智花ちゃんと夏陽ちゃんという次期エースを加えた女バスは決して弱いチームではない。六年生との軋轢イベントを避けつつ、できるだけスペックを底上げしているので、硯谷の目に留まるのも難しくない。

 

 というか、私が麻奈佳先輩の目に留まった。

 元の世界同様に断ったけど、初等部に私が目をかけていることは伝えた。これで来年、先輩が硯谷女バスに関わるようになった時に影響が出る。

 このため、麻奈佳先輩の怪我は阻止できない。

 

「さあ、後は仕上げだけ」

 

 高等部ではバスケ部に入らない。

 七芝で「部長ロリコン事件」が起こるため、昴に付き合うという名目も使える。私は美星姐さんに「初等部のバスケ部を指導したい」と言ってコーチの役目を獲得。

 昴の同好会に出席しつつ、本格的に智花ちゃんたちを鍛え上げる。

 

 負けず嫌いの真帆ちゃん、夏陽ちゃん、紗季ちゃん、雅美ちゃんに、智花ちゃんの秘められた負けん気も開花、それにあてられるように他のメンバーも才能を発揮していく。

 そして六年時の一学期中盤。

 

「来た。硯谷からの練習試合」

 

 本番がやってきた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 勝ちました。

 

 硯谷側のメンバーは元の世界での十人から怜那ちゃんと綾ちゃんを抜いて、代わりに五年生を二人加えたもの。

 未有ちゃんは普通に参加しているものの、この時点では覚醒イベントを経ていないために詰めが甘い。

 そうでなくとも時期的に練度は高くなく、反面、こっちの面子は元の世界より早くバスケに触れているため、練度が上がっている。

 夏陽ちゃんはミミちゃんに決して見劣りしないので、こちらからすれば同格の相手が飛車角二枚落としているようなものだ。

 

 ――それに、みんなのやる気は考えられる限り引き上げておいた。

 

 結果は、序盤から拮抗しつつ徐々にリード。

 ふてくされた未有ちゃんが調子を落としたところで五年生組+夏陽ちゃんにバトンタッチすると、差は更に広がった。

 エースの崩れた硯谷に逆転の目はなく、そのまま危なげなく慧心が勝利した。

 

「……やってみれば、あっけないな」

 

 世界の全てに味方してもらっての勝利。

 もちろん、勝ったからって意味なんてないけれど。

 このまま進んだら、みんなで全国優勝できちゃったりするかもしれない、なんて思いながら、みんなの勝利を労っていると、

 

「「翔子さんっ!」」

「「「翔子おねーさん」」」

「つるみん!」

「「「鶴見さん」」」

「おー、おねーちゃん」

 

 十人の子達が異口同音に、私に言ってくる。

 

「ご褒美!」

「……え」

 

 みんなのやる気は考えられる限り引き上げた。

 やる気は大部分が好感度に比例するため、一緒に遊びに行ったりプレゼントをあげたり、電話やラインでコミュニケーションを取ったり、やれることは全部やって好感度も上げた。

 もし勝てたらご褒美あげる、とも言った。

 

 でも、なんで頬が赤い子が何人もいるんだろう?

 

 これはあれか。

 自分では平静を保っていたつもりで、延々続く試行錯誤のうちに冷静さと余裕を失っていたらしい。

 

 冷めた目で好感度を数値として見る一方、癒しを求めてみんなを愛でまくった結果、やばいことになっていたようだ。

 

「おいロリコン。責任取れよ」

 

 ぽん、と、肩に手を置く美星姐さんの目が怖い。

 

「女同士だから許してやるけど、大きくなる前に手を出したら通報だからな」

「……あはは」

 

 バスケの神様(自称)、早く元の世界に戻してください。

 みんなに笑顔で答えながら、私は心の中で必死に祈った。




多分夢オチ。


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ending10.上原一成

一成君には犠牲になってもらいました


「今回は本気だ。俺と付き合ってくれ、鶴見」

 

 上原に告白されたのは、二年に進級して一か月が過ぎた頃だった。

 生徒会に入ってから、ずっと頑張ってた。

 女子からの人気も上がっている。告白なんかも受けてたはずだけど、聞けば、断ったらしい。

 

 私のために。

 

 言葉がどこまで本心かはわからない。

 でも、彼の真剣な表情を見る限り、いつもの軽いノリではないのはわかった。

 

「はい。私で良ければ、喜んで」

 

 だから私は、彼の彼女になった。

 

 ――そして、三か月後。

 

 私は、相談があると言ってファミレスへ葵を呼び出した。

 

「最近、一成くんの気持ちが離れてる気がするの」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「何でだよ。仲良かっただろお前ら」

「ああ。仲はいいよ。いいんだけどよ……」

 

 ファーストフード店の二階席の隅で、親友――上原一成が溜め息を吐くのを、長谷川昴は胡乱気に見つめた。

 

「浮気はよくないぞ、一成」

「違えよ!」

「じゃあなんだ。翔子はお前にもったいないくらいの子だろ」

「それだよ」

「だからどれのことだ。はっきり言ってくれなきゃわからん」

 

 既に半分以上平らげてしまったバーガーを見つめ、昴は首を傾げた。

 話は長くなりそうだ。

 食べるペースを間違えたか。いや、冷めると美味しくないのも事実。ここはさっさと食べきってポテトで場を繋ぎつつ、足りなくなったら「相談料」として一成にたかるのがベストか。

 そんな、どうでもいいことを考えているのがバレたのか、一成はジト目になって言ってくる。

 

「……重いんだよ」

 

 その声も、どこか重々しい。

 なるほど。

 昴は深く頷くと、深い溜め息を吐いた。

 

「特殊なプレイの話ならカラオケとかの方が良かっただろ。あと、女の子を重いとかお前最低だぞ」

「だから違えよ! わざとやってないかお前!?」

「そう言われてもな」

 

 肩を竦める。

 そもそも、こういう相談に自分は適任なのか。葵との交際が順調なため、恋愛の経験値もそれなりに積ませてもらっているが、鈍いのは変わっていない。

 まあ、他に相談できそうな相手を思い浮かべてみたら散々な結果だったが。

 一成と一定以上親しく、恋愛相談にきちんと乗ってくれそうな相手というと、当の鶴見翔子が筆頭だ。次点で葵だが、彼女はよほどのことがない限り翔子の味方をするだろう。

 

「で?」

 

 話の先を促すと、一成はひとつ頷いて話し始めた。

 

「聞いてくれればわかる。なんていうかさ、あいつは重すぎるんだよ」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「愛情が足りてない、ってことはないと思うよ」

「じゃあ、何がいけないのかな?」

 

 私は心底から困っていた。

 初めてできた彼氏。私に男の子が愛せるか心配だったけど、いざ付き合い始めてみると楽しくて嬉しくて、毎日が輝いて見えた。

 なのに、

 

「翔子。一成とどんな付き合い方してるの?」

「どんなって、普通だよ?」

 

 パフェをつつきつつ、私は思い返すように宙へ視線を巡らせる。

 

「一成くんのお弁当を作ったり、ラインで話したり、電話で話したり、デートしたり、一緒に勉強したり」

「……普通ね」

「でしょ?」

 

 葵と昴だって似たような感じだろう。

 

「他に好きな子ができたんなら言ってくれればいいのに」

「そしたら別れるの?」

「最終的にはそうするしかないよ。気持ちが離れてるのに、無理に付き合ってもいいことないし」

 

 もちろん、ちゃんと話してくれないと私も納得できないけど。

 そんなにひどい彼女だったつもりはないから。

 微笑んで言うと、葵は切なそうに私を見つめてくれる。こんな風に、この子と恋の話ができるなんて思ってもみなかったけど、いいなあ、こういうの。

 でも。

 

「一成くんのお母さんには悪いことしちゃうなあ……」

「ん?」

「一成くんの好みに合わせた服、どうすればいいかな。売るのは悪い気がするけど、捨てちゃうのは勿体ないし……」

「んん?」

「専用のレシピ集も残念だなあ。時間かかったから捨てたくないけど、そういうの、昔の彼女が持ってるのってきっと嫌だよね?」

「ダウト」

 

 突然、葵が私を制止した。

 なんでだろう? 私、何か変なこと言ったかな?

 

「ねえ翔子。……ちょっと、一成のために努力したこと、一つずつ挙げてみて?」

「なんで?」

「いいから」

 

 そんなの、普通だと思うんだけど。

 

「一成くんの好みの女の子をリサーチして、清楚系の服とか下着とか集めたでしょ?

 身長差が目立たないように靴は平たいのしか履かないようにして、仕草とか喋り方を微調整して。もちろん食べ物の好みも研究して、好みの味付けをレシピに残してる。

 いざとなったら一緒に東大目指せるように勉強もしてるし、あ、たまに生徒会のお手伝いもしてるよ。来年一緒にやろうって話になるかもしれないし。

 でもそのくらい……ああ、お母さんにもご挨拶して、彼の昔のアルバムとかも見せてもらったっけ。いつでもお嫁に来なさいって歓迎され――」

「落ち着きなさい」

「へ?」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「へえ。凄いな翔子。いい彼女だな、良かったな一成。いやー羨ましい」

「おい長谷川、お前まさかそれ本気で言って……言ってやがるなこの野郎。お前が翔子と付き合えばよかったんじゃねーか。いや、まさか荻山もそのタイプなのか?」

「いや、葵は恥ずかしがって色々できないタイプだ。だけどまあ、翔子みたいな子もいるだろ」

 

 実の母親を思い浮かべつつ昴は言った。

 母・七夕は今なお夫と熱愛中であり、今後、昴が大学進学か就職の際に一人暮らしでも始めようものなら、それはますます加速しかねない。

 十六にもなって弟か妹ができるとか、割とありそうなレベルだ。

 

「あー、お前のお袋さんってそういやそうだったか……じゃあ、ひょっとして普通なのか? いや、そんなわけないだろ……?」

「疲れるって、あれか。翔子に干渉されすぎってことか」

「そうだよ」

 

 その結論に至るのにどれだけ時間がかかったか。

 とでもそう言いたげに一成が昴を睨んだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 気がつくと葵が真顔だった。

 じっと見つめられた後、駄目だこの子本気だ、とでも言いたげに溜め息をつかれる。

 

「あーもう、普段はしっかりしてる癖に、自分のことになると正気を失うんだから。……いやまあ、私も人のこと言えないし、翔子がいなかったら今頃どうなってるかわかんないけど」

「あ、あの、葵?」

「いいから。自分の行動がどれくらい行き過ぎてるか、第三者の視点から考えてみなさい」

 

 えーっと、私の一成くんへの行動を?

 今更そんなことしても無……あれ、えっと、え、えーっと……あ、え、あー、うわあ。

 第三者の視点から、と言われたので、なるべく冷静に――前世の頃の価値観、あるいは付き合う前の私の価値観を思い出してよくよく考えてみると、ときめいていた胸があっという間に静まって、顔が青ざめていく。

 

「あれ、もしかして私の愛……重すぎ?」

「そうよ」

 

 気づいてしまえば「なんで気づかなかったのか」っていうレベル。

 でも、私は本気で気づいてなかった。

 

「……恋は盲目、って本当なんだねえ」

「盲目っていうか猪突猛進って感じよね、あんたの場合」

「言えてるかも」

 

 恋愛が楽しくなってからの私は猛牛みたいなものだったのだろう。

 真正面しか見えてなくて、そこに突撃することしか考えてない。突進力も突破力もあるけど、端から見てどうか、なんてことは全く頭になかった。

 

「なんで、って、そんなの決まってるわよね」

「うん。幸せだったから」

 

 一成くんと付き合って、私は、本当の意味での女の喜びを知った。

 愛されること。

 誰かに必要とされて、誰かのために一心不乱に尽くすことがあんなに幸せだなんて、そうなってみるまでは本当の意味でわかってなかった。

 

 ――もちろん、自立した女性を否定するわけじゃないんだけど。

 

 私の場合は恋が必要な女だったってことだ。

 男の自我がある状態から女の身体を得て、じわじわと女の子を知って、恋によって完全に染まった私が「そう」なのは当然かもしれない。

 好きな人にはなんでもしてあげたい。

 好きな人のためなら癖も、性格も、好みさえも変えていける。そうすることが幸せだという価値観があるのだということを、私は知ってしまった。

 

 ただ、問題は、その奉仕が独りよがりになってしまっていた、ってこと。

 

「……迷惑だったよね」

「ん……まあ、心から迷惑だったってわけじゃないと思うよ、一成も」

 

 葵は言いづらそうに言う。

 

「翔子はただ行き過ぎちゃっただけ。嬉しいけど、そう。ありがた迷惑、みたいな?」

「駄目なやつだね、それ」

 

 私は自嘲気味に笑うしかなかった。

 

「直せる?」

「どうかな……。反省はするけど、多分、根っこの部分は変わらないと思う。気づいたら同じことになっちゃうかも」

「そっか」

 

 にっこりと微笑んで、葵は頷いた。

 

「なら、相性の問題かもね。翔子には同じような愛情深いタイプか、もしくはあんまり深いこと考えない、ぼけーっとした奴の方が向いてるのかも」

「じゃあ、別れた方がいい?」

「それは、二人で決めることでしょ。後は一成がどうしたいか、それ次第よ」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「俺がどうしたいか?」

「ああ。結局そこだろ。問題は」

 

 昴は端的に要点を告げた。

 ぐだぐだ言ってもしょうがない。別れるか別れないか、それがはっきりしないことにはどうしようもない。

 

「冷たくないか、長谷川」

「いや、だって翔子は悪くないだろ。ただ完璧すぎただけで」

「そりゃそうだけどよ」

 

 不満そうにこぼす一成。

 彼はしばし、ポテトを一本ずつ咀嚼し続けていたが、やがてぽつりと言った。

 

「……別れたくない。あいつには、俺の都合のいい時だけ世話を焼いて欲しい、ってのは我が儘か」

「我が儘だな」

「はっきりいいやがったな、てめえ」

「だってそうだろ。そんなこと、俺が葵に言ったら張り倒されるぞ」

 

 恋人同士とは本来対等なものである。

 翔子は典型的な尽くすタイプだが、だからといって彼女の存在が軽いわけではない。恋人同士だからて、本当に「もの」扱いすることは許されてはならない。

 人にはそれぞれ意思があり、人格があるのだから。

 

「というか、お前はあいつに何かしてやったのか?」

「……飯代くらいはたまに奢ったが」

「そういうのじゃない。わかって言ってるだろ」

 

 今度こそ、一成は沈黙した。

 昴はポテトをつまみながらじっくりと待った。

 バスケと違い、恋に明確な制限時間はない。

 

 一成はなおも迷うような素振りを見せながら、顔を上げた。

 

「あいつと話してみる。もうちょっと穏便にならないかって」

「ああ。それがいいんじゃないか」

 

 話し合いの結果どうなるのか。

 翔子の方が不満をぶつけて決裂、なんて可能性もあるし、よりを戻す可能性だってある。

 葵とだって手探り状態の昴には、一般論なんてわかるわけがない。

 

 願わくば、二人が納得して結論を出せますように。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「あ、ライン」

「一成から?」

「うん。会って話したい、って」

 

 素っ気ないメッセージ。

 それでも、見ただけで胸が弾んでしまうあたり、好きなんだなって思う。

 

「良かったね。ちゃんと、とことん話してきなさい」

「うん、そうする。……ありがとう、葵」

 

 笑顔を向けると、葵は照れたように笑う。

 

「いいわよ。いつも話聞いてもらってばっかりだし。たまには逆もいいでしょ?」

「うん」

 

 でも、今度何かお礼をしよう。

 何がいいかな。

 消えものの方が気軽に受け取ってもらえるだろうし、カロリー控えめのお菓子とかかな。

 と、私が密かに考えていると、ふと、葵が思い出したように言った。

 

「なんにせよ、無理するのは止めなさい」

「ん?」

 

 葵の目に浮かんでいるのは慈愛の色。

 

「一成と――男と付き合うって聞いて、正直ほっとしたけど、あんたはあんたでいいんだから。普通とか普通じゃないとか気にしなくていい。できないことはできないって言って、自分の幸せ探しなさい」

「……葵」

 

 瞳に涙が浮かんでくる。

 

 ――ずるいよ、葵。

 

 そんな優しいこと言われたら、また、葵のこと好きになっちゃいそう。

 でも。

 

「うん。後悔しないように話をしてくる」

 

 私は、私の恋を見つけたい。そう思った。



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ending11.羽多野冬子(前編)

エンディングというか羽多野先生ルート。
原作温泉短編がけっこうボリュームあるので一話に収まりませんでした。


「翔子ちゃん。私の両親に会って欲しいの」

「えっ」

 

 十二月後半。

 愛莉ちゃんたちとの練習を終え、着替えを済ませた私に奇襲(さりげなく後ろから肩をホールド)したのは、慧心初等部の養護教諭こと羽多野冬子先生だった。

 二人っきりでお泊まり会をしたりして、「冬子先生」と呼ぶ程度には仲良くなった彼女だけど、保健室以外のところで会うのは珍しい。

 子供たちにやったらびっくりしますからね、身長が合わないからできないわ、そうですけどそうじゃなくて……みたいな会話を繰り広げた後、何かあったのかと尋ねてみると、冬子先生が口にしたのはなんとも意外なお願いだった。

 

「えっと、それって交際の報告みたいな……?」

 

 この手の冗談が通じる人なので、笑ってそう言ってみると、

 

「くすくす。ええ、その通りよ」

「へ」

「えっ……!?」

「な、なんだってー!」

 

 更衣室を出たばかりのところだったので、愛莉ちゃんたちも一緒にいる。

 子供たちの前でそういう冗談を続けるとは、と固まる私だったけど、それ以上に驚いた子が何人か。

 本当か〇〇、って続きそうな声を上げた真帆ちゃんは「面白いことを見つけた」という顔だったけど、もう一人、愛莉ちゃんの方はこの世の終わりみたいな顔になっている。いや、そこまで大袈裟にしなくても。

 私は冬子先生から身を離しつつ、苦笑する。

 

「ほら、みんな驚いてますから、本当のことを言ってください」

「いいえ、本気なの。本気で両親に会って欲しいの」

「……はい?」

 

 あくまでネタのつもりだった私は、マジなやつらしい冬子先生の申し出に、今度こそ完全にフリーズした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「良くやった翔子。そのまま既成事実を作って来い。いや、いっそ戻ってくるな」

「美星姐さん、それ見送りとして問題ありますから」

 

 駅まで見送りに来てくれた美星姐さんは、なんだか本気で嬉しそうだった。

 

「……これでも、ちょっと身の危険を感じてるんですよ?」

「別にお前ならご褒美だろ」

「いや、そっちじゃなくて」

 

 それはまあ、冬子先生とお付き合いすること自体は確かにご褒美なんだけど。冬子先生()()が問題と言いますか。

 一番の当事者である先生は私の傍に立ってくすくす笑っている。

 冬子先生はいつもの白衣ではなくお洒落な外出着。でもって私の方はというと、なんと着物を纏っている。

 この格好の方が何かと都合がいい、ということだ。遠出するのはさすがに疲れそうだけど、そこまで遠方ではないというので了承した。

 その分、荷物の多くは冬子先生に持ってもらっている。

 

 美星姐さんはけらけら笑って、

 

「まーお前らならなんとかなるだろ。女バスの方は昴に任せて、しっかり女将修行してこい」

「いや、それはさすがにどうなんでしょう……?」

 

 挨拶は、まったくもってしまらないままに終わった。

 愛車に乗って帰っていく美星姐さんを見送ると、私は小さく息を吐いて冬子先生を振り返る。

 

「それじゃあ、行きましょうか。冬子せんせ……いえ、冬子さん」

「ええ。行きましょう、翔子ちゃん」

 

 私たちは連れ立って駅舎へと歩いていく。

 向かうは県内某所、冬子さんの実家である()()()()だ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 とある温泉旅館の一人娘。

 そんな、冬子さんの家庭の事情を聞くのは今回が初めてだった。

 

 当然、一人娘となれば旅館の後を継ぐのが本来なんだけど、冬子さんにはやりたいことがあった。

 それは、もちろん養護教諭。

 動機が不純なのはアレだけど実務能力は極めて優秀だし、今まで問題になっていない以上、子供たちとはきっちり一線を引いている。

 

 ただ、親御さんの方も痺れを切らしたのか、無理やりお見合いをセッティングされてしまった。

 

 ――実家でのお見合い。

 

 家、および故郷が総出で来る中、孤立無援では抵抗しきれない。

 そこで冬子さんは考えた。

 何か、断るだけの理由を作って、それを両親に認めさせれば、お見合い、更には旅館を継ぐ話を無かったことにできるのではないか。

 

 そこで、私に白羽の矢が立った。

 

 お付き合いしている人がいる。

 お見合いを断るには十分な理由だ。そいつと別れて見合いしろ、とは、さすがになかなか言いづらい。

 

 本当は、相手は昴でも良かったらしい。

 ただ、彼は葵と交際しているため、お芝居に協力してもらうのは気が引ける。

 ならいっそ同性愛者だと言ってしまえば両親も本気で諦めるだろう。美星姐さんに頼んで了承してくれるはずがないので、私以外いない、と、そういう話だ。

 

 もちろん、私にも断る権利はあったんだけど。

 断る理由がそこまであるかといえば、そうでもなくて。

 

『えっと、あくまでお芝居なんですよね?』

『そうよ。……まあ、私としてはお芝居でなくても構わないけれど』

 

 冬子さんは美人な女性だ。

 冬子さんはロリコン兼ショタコンで、私はレズ。性癖は違うけど、重なっている部分もある。成人男性と成人女性どっちがいいかといえば後者なのは事実らしい。

 私としても、本気でお付き合いができるなら否はない。

 前に迫られた時は急すぎたし、冬子さんの本気を信じ切れなかったから困ったけど……自分から退路を断ってきた彼女を前に拒否できるほど、私は大人じゃなかった。

 

「でも、着物はやりすぎなんじゃないでしょうか……」

 

 駅弁を買って特急に乗り込んだ私たち。

 電車に揺られながら呟くと、隣に座った冬子さんはくすくすと笑う。

 

「温泉旅館だもの。その格好の方が絶対、気に入ってもらえるわ」

「それは、確かに」

 

 昔ながらの旅館ほど和の心を残しているものだ。

 温泉旅館といえばやっぱり和服。働いている人からしたら猶更だろう。一般女子に比べたら作法を身につけている私なので、せっかくの武器を使わない手はない。

 今時珍しい良いお嬢さんだ、と思われれば、多少は話もしやすくなる。

 

「……でも、いきなりご挨拶って胃が痛いです」

「巻き込んでしまってごめんないね」

 

 と、冬子さんはそこで笑みを止めて。

 

「もし、両親に納得してもらえたら――その後の責任を取る覚悟はあるわ」

「冬子さん」

「もちろん、翔子ちゃんさえ良ければ、だけど」

 

 私たちは互いに顔を向け合い、見つめ合う。

 冬子さんがすぐ近くにいる。

 こんな関係を、これからもずっと、続けていける?

 

「精一杯頑張ります。ご両親との話し合いが上手くいくように」

 

 冬子さんにとっては実のご両親だ。

 できるなら、喧嘩別れみたいな形じゃなくて――きちんと納得して欲しい。

 

「ありがとう、翔子ちゃん」

 

 冬子さんは私に、さっきまでとは違う優しい微笑みを向けてくれた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 駅弁を食べたり、雑談をしたり、『小学校・小学生ワード限定しりとり』で時間を潰したり(最後のは当然、冬子さん発案だ)しているうちに目的の駅に着いた。

 時刻はお昼過ぎ。

 ホームへ降りると、いかにも地方の駅といった感じの静かな、趣のある佇まいを見ることができた。

 フェンス越しに外の景色を見渡してみても、自然の匂いを残した古い町並みが広がっている。さすがに木造の建物は少ないけれど、ビルなんかは見えない。観光地でありつつも、ガチガチに商売っ気を出してる感じでもない、といったところか。

 

「迎えが来ているはずだから、行きましょう」

「はい」

 

 駅舎を出ると、すぐ近くに一台のバスが停まっていた。

 『旅館・羽多野』。

 なるほど、苗字がそのまま旅館の名前らしい。バスからは白髪を短く刈った男性が降りてきて、冬子さんと挨拶を交わす。

 旧知の仲らしい。本当に旅館のお嬢様なんだな、と、今更ながらに実感。

 

「遠藤さん。こちらが鶴見翔子さん。私の恋人よ」

「初めまして、鶴見翔子と申します。今回は突然、ご挨拶に伺うことになり、申し訳ございません」

 

 遠藤さんと呼ばれた男性は私を見て目を丸くした。

 

「これはご丁寧に。……話には聞いていましたが、いやはや、本当にこんなお嬢さんが。しかも着物でいらっしゃるとは思いませんだ」

 

 してやったり。

 そんな表情で、冬子さんが一瞬笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「せっかくの見合いを断ったかと思えば、若い女を連れて帰ってくるとは。冬子、どういう了見だ」

 

 こわい。

 冬子さんのお父さんは、身長こそ私より低いくらいだったけど、和服を纏った恰幅のいい身体には十分過ぎる威厳があった。

 流石は旅館の大旦那様という感じだ。

 

「ご挨拶ね。娘が選んだ恋人に向かって、そんな口の利き方をするなんて。この旅館も質が落ちたんじゃない?」

 

 冬子さんの方も負けてはいない。

 娘だけあって慣れているのか、平然とした態度で言い返している。

 ああ、なるほど、顔を合わせる度にこんな感じなんだろうなあ、というのが伝わってくる。

 

「あなたも冬子も、それくらいにしてください。彼女が困っているでしょう」

 

 仲裁してくれた女将――冬子さんのお母さんは姿勢正しく、所作の整った、いかにも旅館の女といった感じの人だった。

 夫と娘が口を閉じたところで、彼女は私ににっこり微笑みかけてくれる。

 

「お初にお目にかかります。鶴見翔子と申します」

 

 頃合いだと感じた私は名乗りから始め、短い自己紹介を済ませる。

 お母様(と便宜上呼ぶことにする)は穏やかに聞いてくれ、お父様の方も仏頂面ながら最後まできちんと聞いてくれた。

 私が女なのがいい方に作用したのかもしれない。

 ここで下手に男の子が来ていたら、お父様も罵声を浴びせて叩きだしに来ていたかも。

 

 話し終えると、お父様は軽く息を吐いた。

 

「……鶴見、ね」

「? はい、そうですが……?」

「母親は女流棋士と言ったな。なら、鶴見瑞穂女流棋士の娘さんか」

「母を、ご存じなのですか?」

 

 確かに、自己紹介の中で伝えたけど。

 まさか苗字だけでフルネームが出てくるとは思わなかった。

 

「ああ。一度、うちで対局をしたことがある。その時に挨拶をしたから覚えている」

「……そうでしたか」

 

 妙な縁があったものだ。

 お父様と同様に息を吐きたい気分になりつつ、私は頷いた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 棋士と温泉旅館は割と縁が多い。

 広い畳の部屋があって宿泊も可能なため、対局にちょうどいいのだ。タイトル戦なんかになると名だたる名旅館が使われることも珍しくない。

 女流棋士の娘と温泉旅館の経営者。

 

 僅かに場が和んだような気がしたところで、挨拶の場は解散となった。

 

『一応、営業中だから』

 

 本格的な話は後で、ということになったのだ。

 ならばと、私はお手伝いを申し出た。今日の予約は私たち以外おらず、飛び込みのお客さんがいなければ大した仕事はないらしいが、それでも通常業務はあるはずだからだ。

 無理しなくてもいい、という冬子さんの声に笑顔で答え、仲居さん用の着物に着替えた。

 

 とはいえ、素人に大した仕事ができるわけもない。

 

 廊下の雑巾がけをして、年配の方ばかりで難儀しているという薪割をお手伝いして、あれをこっちをそれをあっちへと荷物の移動を担った。

 いやはや、殆ど力仕事だ。

 薪割り以外は普通に仲居さんの仕事なんだから、旅館の授業員がいかに大変かわかるというもの。バスケで鍛えてなかったら半日でへばっていただろう。

 

 いや、私も気合を入れすぎたせいで割とへとへとだけど。

 

 お仕事の後は露天風呂でさっぱりさせてもらってから夕食になる。

 せっかくだからと、お父様にお母様、冬子さん、揃って食べることになった。久しぶりの家族勢ぞろいだけど、冬子さんは面倒臭そうな顔。

 それはそうだろう。この流れで揃って食事なんて、込み入った話をするに決まってる。

 

 私はお客様用の浴衣、冬子さんはさっぱりした私服で、それぞれ適度に緊張しながら席についた。

 背筋をぴんと伸ばして視線を料理に向けて、

 

「わあ……!」

 

 私は緊張も忘れ、素直な歓声を上げた。

 いわゆる会席料理。手間の関係だろう、一品ずつの提供ではなくずらりと並べられているけれど、これはこれで目を楽しませる効果があって良いと思う。

 いちいち上げ下げされると落ち着かないし、温泉旅館ではこの方がお客さんにゆっくりしてもらえる。

 

 揚げ物なんかはできたてなのか、温かいのが見るだけでわかる。

 飾り包丁や添え物にも工夫が凝らされていて楽しいし、それ以上に勉強になる。

 

「和食がお好きなのかしら?」

「はい。食べるのも、作る方も好んでおります」

「まあ」

 

 お母様が興味深そうに微笑む。

 かしこまった話し方はしなくていいというので、以降はもう少し崩させてもらうことに。

 

「お料理もお好きなのね?」

「はい。父も母も忙しいので、我が家の食事は殆ど私が担当しています。母が和食好きなので、作る機会も多いんです」

「なるほど。十六歳だったかしら。若いのに感心だわ」

「いえ。人並み程度ですので、自慢できるようなものでは」

 

 そんな風にして、序盤の会話は続けられた。

 もっぱら話すのは私とお母様だったけど、合間を見てお父様が口を挟んでくる。

 

「君は、旅館の仕事に興味があるのか?」

「お父さん。私は養護教諭を辞めるつもりはないわ。彼女はそういうつもりで連れてきたんじゃないから」

「黙っていろ。俺は彼女に聞いているんだ」

 

 冬子さんはむっとしつつ、私に視線を送ってくる。

 適当に受け流せということだろう。

 でも、嘘を答えるのもなんとなく気が引けた。

 

「正直に言えば、あります」

「翔子ちゃん……!?」

「仲居さんのお仕事も、厨房も、やりがいのあるお仕事だと思います。……もちろん、単なる興味の段階ですが」

 

 教師にメイドさん、スポーツのインストラクター、料理人。

 これまでに興味を持ってきた職業と同じ程度には、面白そうだと感じている。

 

「ふむ。……棋士の道を目指す気はないのか?」

「残念ながら、私に将棋の才能はないので。着物を着られるお仕事なので、憧れはあるんですが」

「ほう」

 

 お父様の表情が緩み、何かを思案するような形に変わる。

 

 うん。

 言ってることは私の気持ちそのままなんだけど、少々言い方的に売り込みすぎかもしれない。

 その証拠に、冬子さんの表情は困ったものになっている。

 

 そんな中、お父様は口を開いて。

 

「よしわかった。鶴見翔子さん。高校を卒業したらうちに働きに来なさい。仲居か厨房かは適性を見てからになるが、ある程度希望は聞こう」

「お父さん!?」

 

 悲鳴を上げる冬子さん。

 思った以上の好感触に、私もぽかんと口を開けてしまった。



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ending11.羽多野冬子(後編)

 山のすぐ近くにある旅館『羽多野』の夜はとても静かだった。

 特別、有名な宿というわけではないけど、客室は手入れが行き届いていて、従業員の皆さんの心遣いが感じられる。むしろ、落ち着いて温泉を楽しみたい人にはこういう宿の方がいいだろう。

 

 お父様お母様との話を終えた後。

 なんとなく、部屋の窓辺で月を眺めていると、冬子さんが隣に立った。

 

「……本当に、いいの?」

 

 視線を向けると、彼女もまた月を見ている。

 静かな表情。

 でも、クールでお茶目ないつもの冬子さんとは違って、瞳の奥に不安や困惑、その他、様々な感情を抱えているのがわかった。

 大人に見えるけど、冬子さんだって私の倍も生きていないのだ。

 前世の年齢をそのまま足せると仮定すれば、ぶっちゃけ私の方が年上なくらい。理屈をきっちり飲み込めるわけでもなければ、人の気持ちを見通せるわけでもない。

 

 私だって、同じだ。

 

 だから、私にできるのは素直な気持ちを表すことだけだった。

 

「はい。私は、後悔なんてしてません」

「………」

 

 ゆっくりと、冬子さんがこちらを振り返る。

 じっと向けられた視線を、私は真っすぐに見返す。相手の瞳の奥に映る自分の姿を見て「今、一緒にいるんだ」と強く思う。

 

「冬子さんこそ、迷惑じゃないですか?」

「言ったでしょう? 責任は取るって」

 

 冬子さんの腕が持ち上がって、私の肩を抱く。

 抱き寄せられた私は冬子さんの体温を感じながら、再び月を見上げた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「なにを言ってるの。私の代わりにこの子へ旅館を継がせるつもり?」

「代わりも何も、お前、ここを継がないんだろ?」

「仕事を辞める気はないわ。だから――」

 

 うちに働きに来いと私に言ったお父様。

 当然、冬子さんは反発した。

 

 一人娘である冬子さんが継がないとすれば、後継者がいないことになる。

 血縁者が駄目なら信頼できる従業員に継がせるのは妥当。ならせめて、冬子さんの関係者である私に、というのは一つの方法かもしれない。

 ただ、私は冬子さんの恋人としてここにいる。

 養護教諭を続けるつもりの冬子さんにとって、私と離れるのを承服しにくいのも確かだ。

 ただ、

 

「別に会おうと思えば会える距離だろ」

「っ、それは、そうかもしれないけど。翔子ちゃんはまだ高校生で……」

「その高校生の娘さんをお手付きにしたのは誰だよ」

「ま、まだ手は出してないわよ!?」

 

 まだって。

 

「なんだ、そうなのか。うちに連れてくるくらいだから深い仲なのかと思ったが」

「男女とは違うもの。彼女は、その、私の理解者なの」

 

 小学校の職員が高校生と交際している。

 昔から狙ってたんじゃないかとか(実際には違うけど)色々勘繰ってしまうのも無理はない。まあ、私はもう十六歳で結構できる年齢だし、女同士なら妊娠もしない。

 そこは、胸を張ってもいいところだ。

 

 お父様が目を細める。

 

「じゃあ、末永くお付き合いする気はあるんだな?」

「……もちろんよ」

 

 返答には多少の間があったものの、その間が逆に、言葉に重みを持たせていた。

 

「覚悟もなくこんな場所には連れてこないわ。私は、この子と末永くお付き合いしたいと思ってる」

「……冬子さん」

 

 責任は取る。

 そう言われてはいたけど、お芝居で済むならそれでもいい、というスタンスだった。

 でも、ここまで来たらそうも言ってられない。

 

 ――逃げる気があるなら、今のうちに逃げるしかない。

 

 冬子さんが作った間は、迷いを振り払うための間だ。

 そして、私は、迷うつもりなんかない。

 

「翔子さんも、同じ気持ちかしら」

「はい。私も、冬子さんと同じです。……男女の恋愛ができない私を受け入れてくれた冬子さんと生きていきたい。そう思っています」

 

 思えば、初対面で私の性癖を受け入れてくれたのは、冬子さんが初めてだった。

 冬子さんの部屋でのお泊り会だって、身の危険こそ感じたものの、思った以上に楽しかった。許されるなら二回目もやりたいと思ったくらいだ。

 葵に対するような燃えるような想いはない。

 でも、じんわりとした愛しさ、執着を、私は彼女に抱いている。

 

「ただ、そうですね」

 

 言葉を切って、私は微笑む。

 

「お仕事のお話は、考えさせていただけませんか? ……まだ高校一年生ですし、将来のことも決めかねています。それに、将来宿泊業に進むにせよ、大学は出ておきたいとも思うんです」

「……翔子ちゃん」

 

 急な展開に息巻いていた冬子さんがトーンダウンし、ふっと息を吐いた。

 このまま、私の就職先が内定して、代わりに実家まで継いじゃう――そんな可能性が消えてほっとしたのだろう。

 まあ、それもナシではないんだけど、さすがに急すぎる。

 

「ま、そうだよな」

 

 お父様も案外、あっさりと頷いてくれる。

 

「……いいの、お父さん?」

「いいも悪いも、無理強いできるわけないだろうが。……ま、人手は足りてないから、早く捕まえるに越したことはないんだけどな」

「ありがとうございます、お父様」

 

 深く頭を下げてお礼を言うと、お父様はバツが悪そうに頬を掻いた。

 

「お父様、なあ。まさか娘が嫁を連れてくるとは思わなかった」

 

 それは本当に申し訳ないです……。

 

「しょうがないじゃない。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いなんだから」

「それはまあ、そうだが。どうしてそんな風に育っちまったんだか……。ああいや、あんたのことを言ってるわけじゃないからな?」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 耳が痛い。

 本来、その嘆きは私が受けるべきものだ。レズは私で冬子さんはロリコンなわけだから……って、そっち言ったらもっと危険な気もするけど。

 普通の人が変に思うのは当然の話。

 

「いやまあ、嬉しい気もしないでもないんだぜ? まさかうちに嫁が来るなんて思いもしなかったからな。なあ?」

「そうね。来るとしてもお婿さんだと思ってたもの」

 

 ごもっともです。

 

「ちょっと待って。私達は結婚しないわよ」

 

 できないと言った方が正しいけど、どっちにしても、お嫁に行くという表現はちょっと違うかもしれない。

 それはまあ、白無垢かウェディングドレスが着られるなら願ってもないし、お嫁さんとして迎えて貰えたらそれ以上の幸せはないけど。

 式だけ挙げられないか、頃合いを見て冬子さんに相談してみようかな……。

 

「一緒に生活するんだから結婚するようなものでしょう?」

「それはそうだけど、ここは継がないわけだし……」

「何も今、それを決めなくてもいいじゃない? 翔子さんも進路のことがあるわけだし、二人で話しあって決めたらどう?」

「う……」

 

 口ごもる冬子さん。

 お父様とは丁々発止のやり取りができるけど、お母様が相手だとそうもいかないみたいだ。

 ううん、それだけじゃなくて、冬子さん自身も何か迷っているのかもしれない。

 私も、無理強いはしたくないけど、冬子さんの中に別の想いがあるなら尊重してあげたいと思う。

 お父様お母様と一緒にじーっと見つめていると、

 

「……わかったわよ。最終的な答えは保留。それでいいんでしょう?」

 

 冬子さんは溜め息を吐くようにして、そう宣言したのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「この旅館、嫌いですか?」

 

 冷えるので、窓辺からは短い時間で離れた。

 布団の上で冬子さんに抱きしめられたまま、私は尋ねる。

 

 服は着てるし、さっきと同じく後ろから抱かれているのでお互いの顔は見えない。

 密着しているのに見つめ合ってはいない。

 相手の体温を感じながら、ゆっくりと答えを探せるこの体勢が、なんとなく一番話しやすいような気がした。

 

 女同士ならありえない体勢じゃない。

 でも、恋人同士ならもっと自然な、二人の形。

 

「……別に、嫌いじゃないわ」

 

 ぽつりと、冬子さんは答えてくれる。

 

「養護教諭を選んだのは、もっとしたいことだったから」

「冬子さんの趣味は、いつから?」

「物心ついた時から」

「幼女の頃から幼女に興味が……!?」

「冗談よ」

 

 わかりにくい冗談すぎる。

 でも、ちょっとほっとする。自分の性癖を許容してもらっておいてアレだけど、さすがに今のは引いた。

 

「さすがにそこまで昔ではないけど、最近でもないの。だから……」

「趣味と実益を兼ねたお仕事、なんですね」

「ええ」

 

 そういうのはわかる気がする。

 私だって、女の子と触れ合える仕事があったら考えてしまうかもしれない。女医は女相手とは限らないし、エステティシャンとかも同じだ。

 冬子さんの場合はショタもいけるので小児科医っていう手もありそうだけど、養護教諭の方が元気な子供と触れ合えるからお得なのかな。

 

 小児科医と言えば、今の竜王はロリコンだったっけ。

 

「冬子さん。来世の夢が小児科医っていう若いプロ棋士を知ってるんですけど、興味ありますか?」

 

 本当に知ってるだけだけど、頑張ったら連絡くらいは取れる。

 割と爽やか系のイケメンだから冬子先輩の趣味に合うかも――。

 

「……それは、私に乗り換えを薦めているのかしら?」

「え」

 

 でも、冬子さんの反応は、私の想像とは違っていた。

 ぎゅっと腕に力が籠もって、身体がより密着する。

 鼓動が早くなっている。

 私のだけじゃなくて、冬子さんのも、だ。

 

「……ごめんなさい。試したつもりはないんです」

 

 返ってきたのは拗ねたような声。

 

「試されているのかと思ったわ。あなたが本当は、乗り気じゃないんじゃないかって」

「冬子さん、酔ってますか?」

 

 食事と一緒に日本酒を多少口にしていたはず。

 羨ま……もとい、ちょっと心配になる。

 

「酔ってるわよ。……原因は、お酒だけじゃないけど」

「それなら、私もそうかもしれないです」

 

 急に深まった関係、冬子さんのご両親によって詰められた距離、それから――今の雰囲気。

 私たちを酔わせるには十分な力だ。

 私は深く息を吐いて、もう一つの本音を吐露する。

 

「私にも不安はあるんですよ。……冬子さんはレズじゃないから、本当は私じゃ駄目なんじゃないかって」

 

 沈黙の後。

 

「そんなこと、ないわ」

 

 腕の力が緩む。

 布団の上に崩れ落ちる私の身体。衣擦れの音を立てながら、冬子さんが私の上に覆いかぶさってくる。頭の横に手が置かれ、顔がすぐ近くに来る。

 吐息さえかかる距離。

 潤んだ瞳が真っすぐに私を見下ろしてくる。

 

 ――月の魔力に侵されたのだろうか。

 

 視線を逸らせない。

 欲しい、と思ってしまう。

 

「前にも言ったでしょう。私はどちらかといえばレズなの。翔子ちゃんだって、発育のいい子にどきっとすることはあるでしょう?」

「……あります」

 

 子供の頃というのは男の子も童顔で、肌はすべすべ、余計な毛はあまり生えておらず、腕力だってたかが知れている。

 それらの条件に成人した男と女、どちらがより近いかと言えば、女なのは当然。

 なので、その逆も言える。昴や夏陽くんが相手なら私はあまり嫌悪感がないし、幼くても女の子なら、より想いを寄せる対象にしやすい。

 もちろん、普段からそういう思考をしているって意味じゃないけど。

 

「性癖はあくまで性癖。誰でもいいってわけじゃない。……なら、私だってそうよ」

「冬子さん」

 

 それは、()()()()()()だろうか。

 

()()()

「っ」

「好きよ。私と、一緒にいたいと言ってくれたのはあなたが初めて。さっきも言った通り。あなたは、私にとって最大の理解者なの」

 

 顔が、近づいてくる。

 もともと近かった距離がゼロになるのとほぼ同時――私は、そっと目を閉じた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「というわけで、ごめんなさい美星ちゃん。……残念ながら、あなたと添い遂げるわけにはいかなくなってしまったわ」

 

 翌日、私たちは旅館『羽多野』を後にした。

 もともと一泊二日の予定だったので、そのまま帰ってきた。帰る前にお母様や仲居さんから旅館のお仕事について簡単に教えて貰ったりはしたけど、軟禁されたり、無理やりお見合いをさせられたりとかはなかった。

 また来てください、という言葉に含みを感じつつ、私は笑顔で「はい」と答えた。

 

 戻ってきて最初に報告したのは美星姐さんだった。

 

 恋人ができた、と言う冬子さんの表情は本当に残念そう。

 一方、それを聞いた美星姐さんは瞬時に歓喜の表情に変わった。

 

「……でかした翔子。いやー、まさか本当に冬子を捕まえてくれるとは思わなかったぜ」

「美星姐さん、本当に嫌だったんですね……」

「嫌に決まってるだろアホか」

 

 いっそ清々しいほどの嫌がられっぷりだった。

 まあ、それでいて仲が悪いわけではないので、美星姐さんとしても「この性格さえなければ」っていう感じなんだと思う。

 ただ、

 

「良かった良かった。これで冬子の性癖も落ち着――」

「落ち着かないわよ?」

「は?」

 

 何言ってんだこいつ、という目になる美星姐さん。

 

「おい翔子。こいつ変なこと言ってるぞ」

「あ、はい。冬子さんの趣味を無理に抑えるのも難しいと思って、美星姐さんならとOKしました」

 

 そのお陰で発散できてたのもあるだろうし。

 下手に我慢してもらって、愛莉ちゃんたちに被害が出たら目も当てられない。残念ながら私じゃ性欲は満たせてもロリコン性癖は満たせないわけだし。

 昨夜寝るのが遅かったのに、なんだかつやつやしている冬子さんはにんまりと笑い、じりじりと美星姐さんに近づいていく。

 

「そういうわけだから美星ちゃん、これからもよろしくね?」

「ちょっ、ちょっと待て! なんで恋人公認で浮気しようとするわけ!? 翔子!?」

「加勢します、冬子さん」

「そっちに加勢するのかよ!? ちょっ、冗談だよね、冗談だって言わないと――」

 

 美星姐さんのアパートに悲鳴が響き渡り……。

 昴以外には滅多に飛ばない殺人技が火を吹き、後日まで響くダメージを生み出すまで、私と冬子さんの悪ノリは続いたのだった。



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ending??.もう一回TSしちゃったら?

男→女(転生)、女→男(病気)というカオスなifです。


「性転換症候群……ですね」

 

 行きつけの病院から紹介を受けて訪れた大学病院にて、お医者さんから告げられた病名に、私は開いた口が塞がらなかった。

 じゃあ、この身体は……。

 と、今の自分を見下ろす。鍛えてもなお、一定の柔らかさを維持していた長躯は更に何センチか高さを増し、起伏が減った代わりに頑丈さが増した。十数年間かけて慣れた下腹部のへこみは、小学生くらいまで切実に求めていた「でっぱり」にとってかわっている。

 

 一、二週間くらい前から調子が悪いのは感じてたんだけど、そのうち身体に明らかな変化が出てきて、お医者さんにかかったらところ入院になった。

 病院のベッドで、日に日に変わっていく身体を見つめるのはこう、なんというか、絶望的な感覚だった。

 

「治るんでしょうか?」

「……いいえ。望みは薄いと思われます」

 

 端的に尋ねた私に、お医者さんは少し驚いたような顔をしてから、申し訳なさそうに首を振った。

 

「初の症例も最近で、世界的にも例があまりないのですが――今のところ、元に戻った方は一人もいません」

「そうですか……」

 

 私は息を吐いた。

 

 そもそも、病気というよりは遺伝子的な異常の可能性が高いらしい。

 変異は既に終わって、安定している。なので、女に戻りたいなら治すのではなく、もう一度変異を起こすより他にないんだけど、そんな技術はまだない。もう一度変異したとして、ちゃんと元の身体と同じになるという保証もない。

 詰み、である。

 

「その、こう言ってはなんですが、あまり気を落とさないでください。今のところ健康上の問題は見つかっていません。定期的に検査を行っていただく必要はありますが、まだまだ未知の病気なので――国から諸々の経費を補って余りある補助金が出ます」

「それは、そうですね。ありがたいです」

 

 話を終えて病室を出ると、それまで黙っていた母さんが口を開いた。

 

「……なるんなら、もっと早くなってくれればよかったのにね」

「ほんとだよ」

 

 私はもう一度溜め息をつく。

 

 まさか、ここに来てもう一度、異性の身体を味わうことになるとは思わなかった。

 感想としては第一に「遅いよ!」が来る。

 何しろ、私的には二度目なのだ。パニックに陥るほどの衝撃はないし、無駄にお医者さんに詰め寄る気にもならない。

 ただ、

 

「うう、これからどうしようかなあ……」

 

 うわあ、としか言いようのない微妙な気分が、私の心を支配していた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 約一週間後。

 

「というわけで、鶴見翔子です」

「………」

「………」

 

 検査やら各種手続きやら日用品の買い出しやらが一段落した私は、親しい知人に近況を報告することにした。

 症状が出始めたのが四月の中盤。

 そこから入院諸々で半月ちょっと音信不通の状態だったので、みんな心配しているだろう……と、まずは昴と葵、それから愛莉ちゃんたちを呼んで、『オールグリーン』のフードコートに集まってみた。

 

 軽い説明は前もってしてあったんだけど、実際に私が顔を出して名乗ると、みんなは「え、マジで?」みたいな顔で固まってしまった。

 数十秒という長い沈黙の後、初めに動き出したのは昴。

 

「くそ。お前、俺より明確にでかくなりやがって」

「そこなんだ」

 

 いやまあ、気持ちはわかるけど。

 ツッコミを入れつつ苦笑すると、葵もフリーズから復帰してくる。

 

「……本当に翔子なのね。またイケメンになっちゃってまあ」

「……あはは」

 

 うん、まあ。

 

 私の面影――というか、父さんと母さんの遺伝子は残しつつ、男性的に変わった私の顔は、幸か不幸か割と格好よかったりする。

 完全に変わってから初めて鏡を見た時は「誰? 私の兄か何か?」って感じだったけど、毎日見ているうちに少しずつ慣れてはきている。

 

 高校生二人が現実を受け入れたことで、小学生組も次々に声を上げた。

 

「まじかー! 本当にるーみんなんだ。男子になっちゃうとかマンガみたい!」

「口を慎みなさい真帆。鶴見さんが困るでしょう」

「おー、おねーちゃん、おにーちゃんになったの? おにーちゃんとおにーちゃんでひな、こまってしまいます」

「そう言われると翔子さんに似てるような……。でも、言われずに街ですれ違ったらわからないかも」

 

 良かった、みんな好意的な反応だ。

 いきなり「帰れ」とか言われたらどうしようかと思った。いや、難病にかかった知人にそんなこと言うような子達じゃないってわかってはいたんだけど。

 でも、一人。

 言葉が出てこないのか、私をじっと見つめたまま固まっている子が一人。

 

「愛莉ちゃん」

 

 前よりだいぶ低くなった声で呼びかけると、愛莉ちゃんはぴくりと反応し、私に目線を合わせてくる。

 

「翔子さん、なんですよね?」

「うん、鶴見翔子。見た目は大分変わっちゃったけどね」

「………」

 

 答えた言葉をしみこませるように、愛莉ちゃんがこくんと頷く。

 そして、彼女は柔らかな笑みを浮かべてくれた。

 

「えへへ、びっくりしちゃいました。……翔子さん、とても格好良くなっちゃったので」

「ありがとう、愛莉ちゃん」

 

 しばらく愛莉ちゃんと見つめ合った後、どちらからともなく視線を離すと、みんなとの詳しい話に移った。

 なかなか込み入った話だけに説明も難しかったんだけど、要点としては「身体は完全に男になった」「元に戻れる見込みはない」の二点になる。

 前の服も着られないことはないんだけど、筋肉量とかのせいでぱつぱつになるので買い直した。

 メンズなんて男装の時に着たくらいだから、なんというか違和感が凄いけど、デニムにシャツ、ジャケットという無難なスタイルでこの場に臨んでいる。

 

「学校どうするの?」

「申請はしたから、しばらくしたら戸籍が変わるの。それから男子として通うことになるんだって」

 

 世界でも百例に満たない奇病だけど、幸い国内では二例目だった。

 一人目の人は男から女だったらしいけど、お陰で前例ができていたので、どうすればいいか迷うことはなかった。ちなみにその人とは人づてに連絡先の交換をして、情報共有ができるようにしてある。

 たった一人の同類だし、お互い女の生活、男の生活についてアドバイスができるからだ。

 

「それまで休めるのか。羨ましいな」

「一か月近く授業出られないんだよ、むしろ大変だって。ついでに言うと、バスケの大会にも出られなくなっちゃったし」

「そうなのか?」

 

 昴の顔が蒼白になる。わかりやすいなあ。

 

「うん。男バスに入る分には問題ないんだけど、身体が男だから女子の大会には出られないし、男子の大会も、元女が出る場合の規定がないから出られないんだって」

「なんだよそれ。じゃあプロにもなれないじゃないか」

「どっちみち、センターだと活躍できなさそうだけどね」

「翔子さん、すらっとした体型ですもんね……」

 

 智花ちゃんがほう、と息を吐いて言う。

 うん。女だった頃よりはがっしりしてるけど、香椎くんなんかと比べると上背も幅も足りてない。センターやってた最大の理由が「身長」だったので、男子の間でバスケするなら別の武器が必要だ。

 女子の間で培った柔軟性を用いてフォワードかガードに回った方がマシかもしれない。

 

「じゃあやらないのか、バスケ?」

「そうだね。いっそこの際、将棋やってみようかとも思ってるんだけど……」

 

 そっちも鬼門なんだよね、実際。

 寝る間も惜しんで勉強すればワンチャンくらいはあると思いたいところだけど、男子扱いされてしまうと女流棋士になれない。

 界隈では悪名高いあの三段リーグを勝ち抜いてプロ棋士になれるかというと……正直無理、と言わざるを得ない。

 と。

 

「嫌ですっ!」

「愛莉ちゃん?」

「翔子さんには、まだまだ教えて欲しいことがあるんですっ。バスケ、やめないでくださいっ」

 

 切実な表情で愛莉ちゃんに見つめられる。

 ああ、そっか。

 さっきの言い方だとそういう風に取られちゃうか。

 

「大丈夫だよ、愛莉ちゃん」

「え……?」

「バスケはやめないよ。単に高校の部活に入らないってだけ。練習はできるし、みんなで遊ぶ分には問題ないんだから」

 

 というか、身に沁みついた習慣というのはなかなか変えられない。

 男の身体になってからもトレーニングは欠かしていない。バスケを完全にやめるなんてもってのほかだ。

 絶対、すぐに禁断症状が出る。

 

「良かったぁ……」

「ありがとう、嬉しい。……まあ、男になっちゃったから、今までみたいな距離感ではできなくなっちゃうのは事実なんだけどね」

 

 同性だった今までは問題なかったわけだけど、男になったとなれば、昴の身に降りかかった「部長ロリコン事件」が私にも影響してくる。

 愛莉ちゃんたちと着替えなんてできるわけないし、スキンシップもできるだけ避けないといけない。

 

「……それは、ちょっと寂しいです」

「うん、私も」

 

 しゅん、とする愛莉ちゃんを見て、私は素直にそう思った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「お待たせしました、翔(かける)さんっ。遅くなってごめんなさいっ」

「大丈夫。全然待ってないよ」

 

 駅前のロータリーで愛莉ちゃんを迎えた私は、操作していたスマホをポケットにしまって微笑んだ。

 スマホを出し入れするのに一々バッグを開けなくていいってつくづく楽だ。こういうところは男の方が得だとしみじみ思う。

 並んで立って歩き出すと、愛莉ちゃんがはにかんだ笑顔で言う。

 

「えへへ、翔さんって呼ぶの、やっぱりなかなか慣れないです」

「私――俺も全然呼ばれ慣れないよ」

 

 あれからしばらく。

 私は戸籍を変更し、高校にも復帰した。その際、性別と一緒に名前も変えたのだ。さすがに男子として通うのに「翔子」はまずかろうと、国も簡単に許可してくれた。

 新しい名前は京都で使った偽名と同じ。

 元の名前を残しつつ、男っぽく、となると自然に男装時の偽名に行き着いたのだ。

 

 慣れないといえば、「俺」という一人称もそうだ。

 内心はともかく、口にする方は長らく「私」だったので違和感が凄い。口調も元のままだと「女っぽい」って言われてしまうので微調整せざるをえなかった。

 

「まずはどこに行きますかっ?」

「愛莉ちゃんの用事から済ませちゃおうか。俺の買い物はどうしてもってわけじゃないし」

 

 今日はショッピングの予定。

 愛莉ちゃんも中学生になったので、もう少しお姉さん風の服を着ていい頃合いだ。もともと上の年代の服が多かった子なので大きく変える必要はないけれど、それはそれとして全く同じはつまらない、ということで、ファッションに興味津々らしい。

 真帆ちゃんたちや、お母さんと買いに行くこともあるらしいけど、今回は私との買い物を希望してくれた。

 親以外で年上の目線っていうと他に選択肢がほぼないしね。葵に頼むのはちょっとアレだし、久井奈さんを引っ張りだすのも悪い気がしてしまうだろう。

 

 私の方は男になった時に結構買ったので不自由はしていない。

 男なんて着られる服が二、三着あれば特に問題ないわけだし、時間が余ったらぶらっとするくらいで問題ない。

 

「えへへ、楽しみです……って、あっ」

「大丈夫、愛莉ちゃん?」

 

 目的の百貨店の入り口に来た時、愛莉ちゃんは外から出てきた人に気づかずぶつかりそうになる。

 咄嗟に手を引いて支えたので大丈夫だったけど、出てきた人ももう少し注意して欲しい。私も、ちゃんとエスコートしてあげないと。

 

「ありがとうございます、翔さん。……えへへ」

「うん。転んだりしなくて良かった」

 

 微笑みあって中に入り、婦人服売り場へ。

 見慣れた雰囲気にほっとするあたり、すっかり女子に染まってたんだなあ、と思う。男子のファッションも楽しくないわけじゃないんだけど、他人の服を見立てているような一線引いた感覚がある。

 それに引き換え、女子の服は見ているだけで心が躍る。

 とはいえ、この身体だとなかなか一人では来られない。前に一人でふらりと寄ったら「プレゼントをお探しですか?」って好意的に解釈してくれたので、あんまり気にしなくてもいいのかもしれないけど。

 

「うーん、どういうのがいいかなあ……」

「愛莉ちゃんはスタイルがいいから、なんでも似合うもんね」

「そ、そんなことないですっ」

 

 談笑しながらあれもいい、これも可愛いってやっていると、どんどん時間が過ぎていく。

 楽しい時間って早いよね、本当に。

 試着しに行った愛莉ちゃんを待つ間にしみじみ思っていると、店員さんがさりげなく寄ってくる。お客さんが少なめだから暇なのかもしれない。

 

「彼女さんですか?」

「いえ、友達の妹さんなんです」

 

 私が愛莉ちゃんが恋人なんて、ちょっと恐れ多い話だ。

 香椎くんという壁を突破する自信がない、というのでは断じてないけど、愛莉ちゃんなら現状でも色んな男をよりどりみどりだろうし。

 すると、店員さんは意外そうな顔をした。

 

「そうなんですか? 私はてっきり……」

 

 言いつつ、さりげなく隣に立って、手に小さなカードを握らせてくる。

 名刺だと、サイズで理解する。

 

「受け取っていただけますか?」

 

 囁くように言われ、私は理解する。

 名刺は仕事用のものだろうけど、多分、追記がされているんだろう。ラインのIDだか、メールアドレスだか、電話番号だか。

 どうしようか、頭の中で葛藤していると、

 

「翔子さんっ」

 

 笑顔の愛莉ちゃんが試着室から顔を出し、手招きしてくる。

 自然、口元に笑みが浮かんだ。

 

「また買い物に来ることがあったら、お願いします」

「あ……はい、是非お越しください」

 

 残念そうな店員さんに一礼して、私は愛莉ちゃんの元へと向かった。




適度に背が高くて割とイケメン。
元女子なので人当たりが良く、女子のショッピングに適応でき、清潔で、女子時代の習慣を引きずって健康的な食生活とスキンケアを続けている。
女子時代の友人を中心として、徐々に人気が増加している……可能性があったりなかったりするかもしれません。


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ending12.香椎愛莉

「葵のこと、これからは昴に任せます。どうか、二人で末永く幸せになってください」

 

 言い終えた時にはもう、涙腺が限界だった。

 溢れる涙を堪えることもできないまま、ぺこりとお辞儀をして壇上から下り、自分の席に戻る。同じテーブルにいた高校時代の友人達が口々に「お疲れ様」を言ってくれる。

 私は、口元を抑えるのが精一杯でお礼も言えなかったけど、凄く嬉しい。

 

 ――そんな私に、ハンカチがそっと差し出される。

 

 落ち着いた色のドレスに身を包む、長身の少女。

 柔らかな微笑み。

 胸の奥まで温かなもので満たされた私は、貸してもらったハンカチで涙を拭いながら、溢れ出す思いにしばし、身を任せた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 荻山葵と長谷川昴が結婚したのは、大学四年の終わりのことだった。

 我慢できなかったんだろう。

 なんて、旧友一同にからかわれても、葵も昴も否定しなかった。交際期間だけで七年、大学からは同棲もしており、とっくに夫婦のような二人だったので、こうなるのはむしろ遅かったくらい。

 昴、葵ともにプロ入りが決まり、将来の見通しが立ったいいタイミングだと思う。

 

 式の参加者はかなりの人数に上った。

 小中高大と、それぞれに新しい交友関係を構築してきた彼女達らしい。

 特に昴の知人友人は多く、それも同年代から年下の女の子がかなりの数に上ったため、一部は葵側の関係者席に振り分けられていた。

 なぜか須賀まで来てた。本人曰く、呼ばれたから来ただけらしいけど。

 真帆ちゃんをはじめとする慧心女バスオリジナルメンバーの「四人」は、そんな中、たっての希望で昴の友人として参列している。

 

 涙が収まったところで視線を向けると、智花ちゃんが大泣きしてた。

 私以上の泣きっぷりだ。

 確か、智花ちゃんも彼氏いたはずだけど、やっぱり初恋の人の結婚は感慨深いのだろう。私もあんまり人のことは言えない。

 でも。

 これで完全に肩の荷が下りた。ここから先、私が手出しするのはお節介というものだし、プロで人妻の葵にしてあげられることなんて殆どない。

 これからは、たまに外で会えれば十分。

 

 ――寂しいのは、寂しいんだけど。

 

 結婚式、さらに二次会三次会と参加した私はここぞとばかりに飲みまくった。

 普段はできるだけセーブしてるけど、若いうちに飲んでおかないと年取ってから後悔するし、こういう時くらいは羽目を外してもいいだろう。

 で。

 

「翔子さん、大丈夫ですか?」

「うう、ごめんね愛莉ちゃん。迷惑かけて」

 

 結構な時間まで騒いで、ようやく解散になった頃には、私はもう完全にふらふらだった。

 意識はギリギリあるけど、気力で保ってないとすぐ寝てしまいそう。

 立てるけど歩けないという有様で、十九歳なのでお酒にはほぼ触れていない愛莉ちゃんに支えて貰わないといけなかった。

 

「ホテル取っておいてよかったよ……」

「翔子さんと一緒のお部屋にしておいてよかったです」

 

 お酒飲んじゃうと帰るの絶対面倒臭いのはわかっていたので、その対策だ。

 せっかくだからと愛莉ちゃんを誘ったら「それなら」と乗ってくれたんだけど、これは最初から私を助けてくれるつもりだったっぽい。

 年上として情けない限りだけど……。

 夜道をふらふらと歩きながら、呟く。

 

「大きくなったよねえ、愛莉ちゃん」

「えへへ、ありがとうございますっ」

 

 愛莉ちゃんはあれから更に成長して、百七十センチ台後半に突入。

 高校バスケでも大活躍し、大学一年生の現時点で「プロ入りは確実」なんて言われている。

 身長でもバスケでも、今は愛莉ちゃんの方が上だ。

 悔しいとは思う。でも、後悔はしていない。愛莉ちゃんの実家のジムをお手伝いさせてもらってるけど、ああいうのが私の性に合っていると思う。

 

「私は、翔子さんに追いつきたかったので、大きくなれて嬉しいです」

「あはは。簡単に追いつかれちゃったよね」

「……そんなこと、ありません」

 

 真剣な声。

 嫌味に聞こえただろうか。愛莉ちゃんの顔を窺う。彼女はにこりと微笑み、視線を前に向けた。

 

「もう着きますよ」

 

 ホテルは目の前だった。

 まずトイレに行って、買い込んできたウーロン茶をペットボトル一本飲み干して、ドレスから下着姿になると、ようやく少し落ち着いた。

 相変わらず眠いけど、まだ寝てしまうわけにはいかない。

 化粧を落とさずに眠ると肌へのダメージが酷いのだ。

 

「シャワー、浴びますか?」

「ううん、もうちょっとこうしてる……」

 

 二本目のペットボトルを開けつつ、答える。

 酔ってる時はとにかく水分だ。体内のアルコール濃度を下げつつ、余分な水分をさっさと排出する。後は安静にして、血圧が上がるようなことをしなければだんだん楽になる。

 眠らないように、眠らないように……。

 

「お酒って怖いですね……」

 

 下着だけになった愛莉ちゃんが、隣のベッドに腰かけて言う。

 

「そうだね。でも、止められないんだよ」

「危ないお薬とかじゃないですよね?」

「アルコールは合法だから大丈夫だよ。飲みすぎはよくないんだけどね」

「しょうがないですよね、今日は」

 

 困ったように微笑む愛莉ちゃん。

 本当にすっかり大人になった。もともと可愛い子だったけど、今は「綺麗」という言葉が似合う。背が高くて、バスケが上手くて、その上、誰にでも愛想よく接するから皆から大人気だ。

 二本目のウーロン茶を半分まで飲んで、息を吐く。

 

「うん、今日は特別な日だからね」

 

 これより特別な結婚式は自分自身のやつだけだろう。

 愛莉ちゃんも頷いて、

 

「私も、酔えるなら酔っちゃいたかったです」

「……昴のこと、まだ忘れられない?」

 

 あれから随分、時が経った。

 でも、初恋が女の子にとって特別なのは、私や智花ちゃんの例からしても割と普遍的な事実だ。

 

「いいえ」

 

 なのに、愛莉ちゃんは首を振る。

 

「長谷川さんのことは今でも尊敬しています。……でも、今日は感動しかありませんでした。ウェディングドレスの葵さんを見ても、私もいつか着てみたいなあって思っただけでした」

「じゃあ、どうして?」

 

 昴への恋はもう吹っ切ってる。

 実は葵のことも好きだった、っていうわけでもなさそう。

 首を傾げた私は、慈愛の籠もった笑みを見た。

 

「翔子さんと同じでいたかったから」

「……っ」

 

 一瞬、思考が停止した。

 

「私に付き合ってくれるつもりだったの?」

「はい。だって、一緒に酔える方が楽しいですよね」

 

 一緒に。

 それは、もちろん。こんな子が一緒に飲んでくれたら、お酒の味も格別だ。

 でも。

 

「駄目だよ。後一年くらいなんだから我慢しないと。お酒は二十歳に……」

「翔子さん」

 

 柔らかな手が私の手を掴む。

 烏龍茶のペットボトルが音を立てて床に落ちる。蓋、ちゃんと閉めておいてよかった、なんて場違いなことを思ってしまう。

 目が。

 愛莉ちゃんから目が離せない。

 心臓の音がうるさいのは、お酒を飲んで血圧が上がっているせいだけじゃない。

 

「私は、ずっと翔子さんに追いつきたかったんです」

「もう、愛莉ちゃんは私よりずっと先にいるよ」

「そんなことありませんっ」

 

 愛莉ちゃんは立ち上がって、私の右手を両手で支える。

 自由を奪われた右手は導かれるまま、愛莉ちゃんの胸に押し当てられる。激しい鼓動。彼女は殆どアルコールを口にしていない。

 なのに、私より早い。

 

「……追いつきました」

「愛莉ちゃん」

「今日、やっと『追いついた』って思いました。葵さんを、翔子さんの初恋の人を、翔子さんが忘れてくれたから」

 

 私は、強引に腕を引いた。

 手が離れる。倒れ込んできた愛莉ちゃんを軽く支える。

 甘い、女の子の匂い。

 抱き寄せたいのを堪えて、そっと押す。

 

「大学生になったんだし、彼氏でも作ったら? 愛莉ちゃんは男っ気がないってみんな心配して――」

「嫌ですっ!」

「っ」

 

 抱きしめられた。

 腕を回され、柔らかくて豊かな胸に顔が押し付けられる。

 温かい。

 女の子の、愛莉ちゃんの温もり。

 

「じゃあ、どうして私を誘ってくれたんですか?」

「………」

 

 一名利用でも二名利用でも部屋代は大して変わらない。

 誘うのは別にさつきでも多恵でも、祥でも良かった。

 

「翔子さんの就職先、どこですか?」

「………」

 

 私は大学一年生から愛莉ちゃんの実家のジムで働いている。

 このまま就職しちゃいなよと言われ、じゃあお願いしますと、秒で内定をもらった。

 香椎くんもプロになることが決まっているので、引退して暇になるまでは私が中継ぎになったら? なんて言われてる。

 

「翔子さんだって、最近お付き合いしてませんよね?」

「………」

 

 私も何度か新しい恋をした。

 女の子だったり男の子だったりしたけど、長続きはしなかった。

 ここ一年くらいは彼氏も彼女も作っていない。

 

「翔子さんにとって、私はなんですか?」

「……それは、大切な」

 

 教え子。

 後輩。

 お友達。

 言い表す言葉はいくらでもある。

 でも、口から出てくれない。

 

「私じゃ、駄目ですか?」

 

 切ない問いかけに息が詰まる。

 

「駄目だよ」

「っ」

「愛莉ちゃんを好きな人はいくらでもいる。私なんかよりいい人だって、いくらでも――」

「いません」

 

 不意に、唇が重ねられた。

 頬を両手で押さえられ、数秒間の大人のキス。

 離れた舌が糸を引く。

 瞳はかすかに潤んでいる。

 唇が再びゆっくりと開く。

 

「だめ」

「――好きです」

 

 遮ろうとする声を無視して、愛莉ちゃんは言った。

 私は首を振る。

 うまく働かない頭が。恋を怖がっている心が、否定する。

 

「駄目だよ。女の子同士なんて絶対苦労する。私を見てれば少しくらいはわかるでしょう?」

「大丈夫です。私が翔子さんを守ります」

「駄目。みんなから噂されるし、愛莉ちゃんだって、チームメイトとやりにくくなっちゃうだろうし――」

「大丈夫です。翔子さんは絶対、私を守ってくれます」

「そんなの」

 

 綺麗ごとだ。

 私は一度も恋を成功させたことがない。自分から好きになった人とは結ばれなかった。告白されて付き合った人は短い間で私から離れていってしまう。

 愛が重い、らしい。

 気を付けてはみたものの、好きになった人を愛するなというのが難しすぎて、あまり上手くいかなかった。

 

「翔子さんの気持ち、聞かせてください」

 

 私は。

 押し殺していた気持ちを、友達だからと言い訳して少しずつ満たしていた想いを、吐きだした。

 

「……好き」

 

 好きに決まってる。

 

「大好き。ずっと好きだった。愛莉ちゃんと、もっとずっと一緒にいたい」

「はい。私もです、翔子さん」

「本当にいいの、愛莉ちゃん。私で」

「いいんです」

 

 優しい声。

 

「翔子さんは私の憧れでした。たくさん頑張って、やっと追いつきました。だから、これからは隣で歩かせてください」

 

 出会ったのはもう、六年も前。

 会う機会が一番多かったのは最初の一年だったけど、それからも頻繁に会っていた。バスケをしたり、お茶したり、買い物したり。

 真帆ちゃんたちが一緒のこともあった。でも、二人きりのこともあった。

 

 元男の私と、誰よりも女の子らしい愛莉ちゃん。

 全然違うけど、似てる部分もあった。

 そういうバランスが良かったのかもしれない。

 

「昔は、長谷川さんのことが好きでした。でも長谷川さんには葵さんがいたから……。諦めなきゃって思って、そうしたら、翔子さんといる方が自然で、楽しくいられて、気づいたら好きになってました」

 

 単なる「仲のいい後輩」じゃなくなったのはいつからだろう。

 あの五人の中で、最初から一番仲の良かった子。自然と一緒にいることが多くて、話すことも多くて――楽しかったけど、いつの間にかその「楽しい」が「幸せ」に変わっていた。

 彼女の顔を、姿を、目で追うようになっていた。

 なのに、中途半端に遠ざけようとしてたとか、女々しいにも程がある。

 

 葵と昴の結婚を意識して不安定になっていたのかもしれない。

 

「愛莉ちゃん。私、絶対過保護だよ。愛莉ちゃんのこと好きすぎておかしくなっちゃうかもしれない」

「大丈夫ですっ。私も、翔子さんのこと大好きですから」

 

 人の心は変わる。

 この誓いだって永遠とは限らないけど、愛莉ちゃんのことなら信じられる。

 

「好きです。……香椎愛莉さん、私の、恋人になってください」

「はい。翔子さん、おばあちゃんになるまで、私と一緒にいてくださいっ」

 

 この夜、シャワールームには二人で入った。

 

 女の子相手に主導権を握れなかったのは初めての経験。

 でも、悪い気はしなかった。

 ううん、正直に言えば、凄く幸せなひとときだった。



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ending13.長谷川紫

オリキャラ(原作キャラ同士の子供)×オリ主という暴挙。


「おはようございます、先生。これからよろしくお願いしますっ」

 

 午前九時過ぎ。

 一人暮らしをしているマンションにやってきた彼女は、少し見ない間に一段と可愛くなっていた。

 

 母親譲りのポニーテールに、父親似の優しい顔立ち。

 背も伸びて、百六十センチ弱くらいになっている。ここから伸びる子もいるけど、父親同様、もうちょっと背が欲しい病にかかってるのかも。

 体型の方は年相応以上。今度高一になるとは思えないスタイルだ。まあ、ここは父方母方どっちからも優秀な遺伝子がもらえるので、さもありなん。

 

 ――総合的に見ると、昴似でも葵似でもなく、七夕さん似な気がする。

 

 そんな彼女の名前は、長谷川(ゆかり)

 昴と葵の一人娘にして、両親譲りのバスケ馬鹿。そして、小学校の教員をしている私の昔の教え子でもある。

 

 私は苦笑気味に微笑むと、彼女を家の中に招く。

 

「もう先生じゃないよ。……どうぞ、狭い部屋だけど」

「はいっ」

 

 紫ちゃんはぺこりと一礼し、あらためて言った。

 

「では、失礼します。……翔子さんっ」

 

 三月。

 慧心中等部の卒業式が終わって数日後、私は数か月ぶりに紫ちゃんと再会した。

 

 彼女は、今日からここに住むことになっている。

 それは他ならぬ紫ちゃんの希望だった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 葵と昴が結婚したのは大学一年の時。

 昔ながらの言い方をするなら「できちゃった婚」というやつだ。二人の仲がいいのはみんなよく知ってたので、()()()()()()()()()()()()()()()というのがわかっていても「まあ、そういうこともあるよね」くらいの反応だった。

 お互いの両親でさえ「もうちょっと我慢できなかったのか」という怒り方で、つまりまあ、結婚自体は誰からも反対されなかった。

 

 生まれた子は女の子。

 名前は「紫」ちゃんと名付けられた。

 そのせいで「光源氏」とあだ名を付けられつつも、昴は妻と娘を溺愛し、大学卒業後はしっかり頑張って家族を養い続けている。

 紫ちゃんが初等部から慧心に通えていることが、何不自由ない暮らしの証拠だ。

 

 私も紫ちゃんのことは良く知ってる。

 自分では経験ないけど、小学校の教員をしているお陰で子育ての情報は色々入ってくる。それを提供したりして、葵からは随分感謝された。自分では経験ないけど。

 病院関係者や親族を除けば、私が彼女を抱っこした第一号だし、数か月から半年に一回は長谷川家に遊びに行ってるので会う機会も多かった。

 一緒に遊んだり、お菓子や玩具をプレゼントしたり、葵や昴の昔の話を披露したり、買い物に付き合ったり、遊園地に連れて行ってあげたこともある。両親が上手すぎるからとバスケの勝負を挑まれたことも。

 

 ……で、まあ、そのせいなんだろうか。

 

 私は紫ちゃんから妙に懐かれている。

 なんというか――そう、七芝高校への進学が決まった後「翔子さんのところから通学したい!」と言い出すくらいには好感度が高い。

 

 いや、ちょっと好感度高すぎじゃないかな……?

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「わあ、綺麗……!」

「一人暮らしだから物がないだけだよ」

 

 プラス、紫ちゃんが来ると聞いて一生懸命掃除したお陰だ。

 女子力のためにお洒落な部屋を保ってはいるんだけど、気心の知れた友人以外誰も来ないと思うとついつい手を抜いちゃうので、いい機会ではあった。

 お洒落なソファにお洒落なテーブル、食器棚には可愛いお皿やグラスが並び、さりげなく置かれた花瓶にはイミテーションの花なんか飾ってあったり。

 

「紫ちゃんの部屋はこっちね」

 

 空いていた部屋の一つを、当人および両親の希望に沿って整えてある。

 ベッドに勉強机、本棚にクローゼット。

 全体的なデザインは大学生が使っても違和感ない感じの大人びたものだ。

 それを見た紫ちゃんは歓声を上げる。

 

「ここ、私が使っていいんですか……!?」

「もちろん。お金は昴達から貰ってるから、遠慮しないでね。むしろ、使い慣れた家具じゃなくて本当に良いの?」

「はい、花嫁修業の一環なので」

「なるほど」

 

 頷く私。

 確かに恋愛、結婚ともなれば、慣れないベッドで寝る機会は沢山出てくる。そういう時の備えは必要かもしれない。

 それにしても、紫ちゃんの夢見るような表情は、

 

「好きな男の子、いるんだ?」

 

 紫ちゃんも大きくなったんだなあ。

 昴や銀河さんはもちろん、香椎くんや夏陽くんなど、格好いい男の子を何人も見てる彼女だ。恋する相手もさぞかし格好いいに――。

 

「いませんよ?」

「あれ?」

 

 首を傾げれば、紫ちゃんはくすっと笑って、

 

「将来のための備えです。それと……一緒にいれば悪い虫もつきませんし」

「え、なんて?」

「なんでもないですっ」

 

 にこっと笑う紫ちゃん。

 そう言うならなんでもないんだろう。難聴系主人公になった覚えはないし。

 私が一緒なら変な男には近づけないから、後半の言葉はそういう意味なんだろう。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『紫ちゃんを預かって欲しい?』

『うん。あの子がどうしてもって言ってて。お願いできない?』

『私は構わないけど……』

 

 葵から話を聞いた時はちょっと驚いた。

 進学を機に親戚や知人に預けるっていうのはまあ、割とある話だけど、紫ちゃんの場合はあっても大学進学時かなって思ってた。

 何しろ、進学するのは七芝高校だ。

 葵・昴夫妻は長谷川家で二世帯同居中。あの家から七芝なら通うのは余裕だ。何しろ昴が三年間、実証しているんだから。

 でも、

 

『紫がね、大学に向けて、一人暮らしの練習しておきたいんだって』

『ああ、なるほど』

 

 その気持ちはわかる。

 母親である葵はもちろんだけど、まだまだ若々しい七夕さんが過不足なく、どころか過剰なくらいお世話してくれるからだ。

 物凄く快適だけど、あそこにいたら花嫁修業なんかする気にならない。嫁姑の仲が悪い家庭というのも想像できないだろう。やろうと思えば七夕さんが手取り足取り教えてくれるだろうけど、昴があの環境に慣れちゃってる上、七夕さんも孫を息子以上に溺愛しちゃってるから難しい。

 

『うちならそっちよりは近いし、家事の練習もできるね』

『でしょ?』

 

 今のマンションに住み始めたのは大学進学の時。

 ある程度、都会に出やすいようにと中途半端な場所を選んだお陰(?)で、七芝高校からはほど近い。まあその分、職場である慧心から微妙に遠いんだけど。

 教師って割と激務なので、帰りが遅くなることもある。自分でも料理を覚えないと私の帰りを飢えて待つか、結構な割合で出来合いのものを食べさせられることになる。

 いや、残業してからでも料理くらいできるけど、敢えて甘やかしすぎない方が紫ちゃんの目的には合いそうだ。

 

『でも、いいの? 私だよ?』

 

 独身で、家事全般得意で、子供好き。

 どうして結婚できないの? と言われることもしばしばある私だけど、その理由は今更言うまでもなく、性癖のせいである。

 その一点だけで他の利点を打ち消すくらいアレだろう。

 

『しょうがないでしょ。紫があんたのとこがいいって言い張るんだから』

『いや、余計駄目でしょ』

『いや、あんた、うちの娘に手を出す気?』

『そりゃ、それこそ娘くらい歳が違うけど……。自慢じゃないけど、その気になればいくらでも手を出せるよ?』

 

 入れて出す必要はないんだから、年齢は問題になりにくい。

 出会った頃のひなたちゃんくらい幼いと母性本能しか湧いてこないけど、紫ちゃんは今度高校生だし。

 やっぱりやめておいた方がいいと思うんだけど、

 

『……いいわよ、別に』

『葵、正気?』

『あの子が懐いてるの、あんただってわかってるでしょ? 下手に駄目って言ったら家出しかねない』

 

 うちに来たらすぐ葵に連絡するけど、そういう問題でもないんだろう。

 家出するほど本気だということと、一度そういう問題が起きてしまえば「親子の仲が拗れた」という事実が生まれてしまう。

 喧嘩した親と仲良しの他人。

 天秤にかけられる程度の間柄になってしまいかねない。

 

『それに、あんたなら紫を不幸にはしないから』

『もし、本当にそうなっても、長続きするかはわからないよ?』

『それはわかってるわよ。……それでも、いい思い出になるでしょ?』

『そう、かもね』

 

 いい思い出。

 完全に吹っ切れてたら、とっくに結婚できてたような気もするけど。

 

『……わかった。どういう形にしても、大事にするから』

『うん、お願い』

 

 こうして私は紫ちゃんを受け入れることにした。

 もちろん、葵の懸念なんてそうそう当たらないだろうとは思っていた。懐いてくれてるって言ったって、気前のいいお姉さん(おばさんじゃないと主張したい)としてだろうと。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「しょ、翔子さん。一緒にお風呂、入りませんか?」

 

 ……うん、駄目かも。

 十時過ぎに運ばれてきた紫ちゃんの荷物を一緒に整理して、簡単な料理でお昼を食べて、整理の続きをして、私の生活リズムを紫ちゃんに口頭で伝えたり、紫ちゃんが七芝での抱負を聞いたりしているうちに夕方になった。

 お風呂を沸かした私は「先に入っていいよ」と伝えたんだけど……。

 

 ほんのり頬を染めた紫ちゃんはちょっとわくわくしている。

 どうしたものか。

 女同士だし、歳も離れてるわけだから、交流のためのスキンシップと思えば別におかしくない。過剰反応する方がまずいとも言えるけど、本気なら釘を刺しておいた方がいい気もする。

 

 とりあえずジャブを打ってみようか。

 

「いいよ。じゃあ、紫ちゃんがどれくらい大人になったか、見せてもらっちゃおうかな」

 

 一緒にお風呂に入った経験は殆どない。

 長谷川家に遊びに行って銀河さんに酔い潰され、泊っていく代わりに紫ちゃんのお世話をした時に一回。家族ぐるみの旅行にくっついていった時に一回。

 旅行も年単位で昔なので、今はもう恥ずかしがってもおかしくないけど、

 

「……はい。私、もう高校生ですから」

「む」

 

 右ストレートで返された!

 そう言われれば、こっちが拒否するのもおかしな話なので、一緒に洗面所兼脱衣所へ入る。あんまり恥ずかしがっても仕方ないだろうと服を脱いでいると、紫ちゃんはゆっくり脱衣しながら私の身体をちらちら見てくる。

 

「あんまり他人様にお見せするようなものでもないんだけど」

 

 つい苦笑してしまう。

 私ももう三十四。全盛期は過ぎたと言ってよく、大事に磨き、育ててきた美と健康を少しでも長続きさせる段階に入っている。

 教え子からは先生綺麗とか言われるけど、お母さん達との歳の差がじわじわ縮まっているのを痛感する今日この頃だ。

 

「そんなことないですっ。その、お母さんより綺麗です」

「そんなこと言うとお母さんに怒られるよ」

 

 ついでに私からもデコピンか何かしたい気分。

 私より葵の方が綺麗に決まってるのに、紫ちゃんは見る目がないんじゃないか……なんて、大切な娘さんにデコピンなんてしないけど。

 

「私は、どうですか……?」

「うん。可愛い。すっかり女の子らしくなったね」

 

 完全に大人になりきっていない、独特の愛らしさ。

 女子高生にプレミアがあるのもわかる、なんて、おじさん臭いことを思ってしまう。

 

「あ、ありがとうございますっ。えへへ」

 

 可愛い。

 じゃなくて、平常心平常心。

 裸になって浴室に入ったら、もう一発ジャブをかましてみる。

 

「お嬢様。お背中お流ししましょうか?」

「そ、そんな、悪いですっ」

 

 お。効果あり。

 ここで引いてくれるなら、そういうのじゃないと踏んでいいと――。

 

「でも、お願いしても……いいですか?」

「……かしこまりました」

 

 駄目だ。

 こうなれば実力行使だと、手のひらで伸ばしたボディソープで全身を洗ってあげる。もちろん、柔肌を無駄にいじめたりはしないけど、スポンジも使わず手で洗われるとか恥ずかしいはずだ。

 実際、終わる頃には紫ちゃんは真っ赤な顔になっていた。

 

 よし、勝っ――。

 

「ありがとうございます。……じゃあ、私にもお背中流させてください」

「う、うん」

 

 葵、この子、どういう育て方したの?

 

 美容に対する意識はあまりなかったのか、紫ちゃんはたどたどしい手つきでボディソープを伸ばしてくれる。

 背中を向けた私は彼女の顔が見えなくなる。

 これが目的だったとしたら策士としか言いようがないけど、

 

「あの、翔子さん」

「なあに?」

「私、言いましたよね。好きな男の子はいないって」

「うん」

 

 声が響きやすい浴室での会話は独特の雰囲気がある。

 このお風呂を他の人が使うなんて、この間、祥と一晩飲み明かした時以来だろうか。

 紫ちゃんを預かる話をしたら「頑張りなさいよ」って笑って、ここに置きっぱなしだった下着とか歯ブラシとかを回収していった。

 

「あれ、嘘じゃありません。好きな()()()()いないんです」

「え、と」

 

 難聴系主人公になりたい。

 

「言ってる意味、わかりますか?」

 

 ナルコレプシーでもいいんだけど……駄目か。

 

「応援するよ」

「……しないでください」

 

 耳元で囁いた紫ちゃんの声は、どこかむっとしていた。

 

 ――同性婚の法律が施行されたのは、今から三年ほど前のことである。



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ending??.三度目は小学生(前編)

 目が覚めたら身体が小さくなっていた。

 

「……いや、意味がわからない」

 

 クローゼットの鏡で確かめた姿は小学校高学年くらいのもの。

 ただし、髪は当時の私よりも大分長い。パジャマもピンク色だ。サイズが合ってるので、某名探偵みたいに急に縮んだわけではないだろう。

 戸を閉めれば、取っ手にハンガーで吊るされた制服が目に入るんだけど、

 

「どう見ても慧心のだよね……」

 

 お嬢様学校っていう感じの可愛いそれは見間違いようもない。

 この時点でタイムスリップの線も消えた。

 

 カレンダーを見れば、西暦も和暦も去年のものが記されている。

 どういうことなのか。

 四、五年前の年号ならまだわかるんだけど、こうなると、

 

「もう一回転生した……?」

 

 それも、昨日までいた世界と似ているようで違う世界に。

 そんな馬鹿なと言いたい。

 でも、それ以外に思いつかない。

 

 私は制服を持って部屋を出ると、母さんを見つけて尋ねた。

 

「お母さん。これ、私の制服?」

 

 母さんは「何言ってるのこの子は?」みたいな顔をして答えた。

 

「そうよ。……なに、翔子。変な夢でも見たの?」

 

 夢。

 夢かあ。

 だとしたら、いったいどれが夢なのやら。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 お母さん作の微妙に焦げた玉子焼きとウインナーで白いご飯を頬張って、家を出る。

 

 初めて着る制服だけど、着方は問題なくわかった。

 何気に小学校の制服は初めてだ。

 スカートを毎日穿いて登校していたのだとすると、この私は女子であることに抵抗がなかったのだろう。偉い。当時の私なら間違いなく癇癪を起こしている。

 

 生徒手帳によると、今の私は五年生だった。

 時間割も確認済み。

 今日は体育があるようだったので、体操着袋も忘れずに持った。

 

「翔子もしっかりしてきたわね」

 

 なんて母さんに言われたけど、小学生はこれで三度目、女子小学生でさえ二度目なのだから当然だ。

 

「行ってきます」

 

 登校径路は最寄りのバス停からバスを乗り継ぎらしい。

 鞄に定期が入っていたし、慧心には幾度となく通っていたので、迷うこともない。

 

 ――問題は。

 

 私以外のみんながどうなっているかだ。

 最初の人生に慧心学園は存在しなかった。なら、ここが二度目の人生ベースなのは間違いないんだろうけど、昴と葵は中三なのか、それとも私と同じで小学生なのか。

 とりあえず、スマホの電話帳に二人の名前はなかった。

 そう、スマホ。

 小学生にスマホとかブルジョワな、と言いたいところだけど、真帆ちゃんのところや智花ちゃんのところ程じゃないにせようちもお金持ちだ。年代がズレたせいで、小学生の私は既にスマホを所持するに至っているらしい。

 

 と、話が逸れた。

 

 昴達とは繋がりがないとすると、別方向の疑問。

 一年前。

 そして、今の私は五年生。

 

「……もしかするかなあ」

 

 そして、慧心学園前でバスを降りてすぐ、私は予感の的中を知ることになった。

 

「おはよう、鶴見さん」

「――っ」

 

 涼やかな声にびくっとする。

 振り返れば、いかにも優等生といった雰囲気をした眼鏡の少女が一人。私の記憶より多少幼い感じはあるけど、間違いない。

 

「おはよう、長塚さん」

 

 長塚――紗季ちゃん。

 なんともいきなりの登場である。心の準備ができていなかったら声を上げて驚いていたかもしれない。

 

「宿題、ちゃんとやってきた?」

「う、うん。たぶん」

 

 私が笑みを返せば、紗季ちゃんもまた微笑んで――そのまま並んで歩き出す。

 どうやら挨拶だけして終わりではないらしい。

 宿題がやってあるかどうかなんて今の私が知る由もないんだけど、そこは大丈夫だろう。多分。

 

 そのまま他愛もない話を続けていると、背後から駆けてくる足音。

 

「おっはよー、サキ、翔子」

「噂をすれば、宿題やってなさそうなのが来た」

「シツレイだなー! ちゃんとやったし! 終わらせないとやんばるがうるさいんだもん!」

「あはは……おはよう、三沢さん」

 

 金髪ツインテールの美少女。

 真帆ちゃんは、私の挨拶を聞いてむっと頬を膨らませた。

 

「なにそのタニンギョーギな言い方! いつもみたいに真帆って呼んで!」

「あ、ごめん。真帆ちゃん」

「ん、よし! 許す!」

 

 紗季ちゃんは「長塚さん」だけど、真帆ちゃんは「真帆」か。覚えた。

 

 やっぱり紗季ちゃんと真帆ちゃんは仲がいいようで、挨拶を終えると早速口喧嘩を再開した。

 久井奈さんに言われなくてもやりなさい、なんていう紗季ちゃんのお小言に真帆ちゃんが顔を顰めているのを見ていると、「ああ、いつも通りだ」となんだかほっとした。

 適度に私も相槌を打ちつつ、校舎内へ。

 上履きに履き替えて階段を上がる。そういえば教室まで行くのは初めてだけど、さすが慧心。校舎の中まで綺麗だ。

 

「さて、みーたん来るまで何しよっかなー」

「その前に宿題を見せなさい、真帆。ちゃんと全部やってあるんでしょうね? 手を抜いたら意味ないわよ?」

 

 言いながら、二人は私と同じ教室に入る。

 どうやら同じクラスらしい。

 

 ――と、いうことは。

 

 私の予想通り、クラスには他のみんな、愛莉ちゃんに智花ちゃん、ひなたちゃん、そして夏陽くんもいた。

 そして担任は美星姐さん。

 

 これはまた、数奇なめぐりあわせもあったものである。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 美星姐さんから勉強を教わる、という奇妙な感覚にムズムズしているうちに半日が過ぎた。

 久しぶりの給食(公立より明らかにお金がかかってる感じで美味しかった)を味わったら、体操着を持って体育館へ移動する。

 午後の授業は体育。

 私は、年甲斐もなくわくわくしていた。

 美星姐さんから急遽、こんなお達しがあったからだ。

 

「午後の体育は予定を変更してバスケをやります」

「え、みーたん。この前まで跳び箱だったよね?」

「気が変わった。たまにはいーだろ」

 

 クラスからはえー、という声も上がったものの、跳び箱よりはマシという声が大勢を占めた。

 もちろん私としては凄く嬉しい。

 

 ――でも、この流れ、なんか覚えがあるような……?

 

 うーん、と首を傾げつつ着替えをしていると、視界の端に見慣れた姿が映る。

 更衣室の隅。

 目立つのを嫌うかのように静かに着替えをしているのは、智花ちゃんと愛莉ちゃんだった。私が仲良くなった頃の彼女達からは信じられないけど、この頃はまだ「いつもの五人」が形成されていないようで、誰も違和感を持っていない様子。

 転校生の智花ちゃんは最初、なかなかクラスに馴染めなかったらしい。

 愛莉ちゃんは孤立してはいなかったはずだけど、身長でからかわれるのがトラウマになっていた。嫌そうに着替えをしているのはそのせいだろう。

 

 放っておくのは、なんとなく気が引ける。

 

「じゃー、適当にグループ作ってボールいじってみてー」

 

 準備運動からのごくごく簡単な説明(ドリブルとか、チェストパスとか)が終わると、あっさりとそう宣言される。チャンスかもしれない。

 

「香椎さん。湊さん。一緒にやらない?」

 

 私は何気ない風を装って二人に声をかける。

 いい感じに後方――できるだけ目だたない位置に揃っていてくれたので、話しかけるのも楽だった。

 

「う、うん」

「じゃあ……」

 

 おずおずと頷く愛莉ちゃんに、どうでもよさそうな智花ちゃん。

 ボールを一つ取ってから隅の方に移動すると、二人ともほっとしたような顔をする。うん、騒ぐつもりはないから安心して欲しい。

 

 ――ああ、この感じ、久しぶり。

 

 いや、主観だと数日前にバスケしてるんだけど。

 本当に転生だとすれば十年ちょっと、殆どバスケに触れずにいたわけで、その感覚が流れ込み始めているのかもしれない。

 とりあえず、軽くボールを突いて感触を確かめてみる。

 覚えている自分と身体のサイズが違いすぎて変な感じだけど、思ったよりは身体が動く。うん、と頷いて、私は愛莉ちゃんにパスを出した。

 

「行くよー、香椎さん」

「わ……っ」

 

 ボールを胸の前で構えてから、一拍以上の間を置いて放つ。

 全然力を入れてない、届けばいいというパスだったので、声をかけられてから構えた愛莉ちゃんにもちゃんと受け取ってもらえた。

 

「あ、と、取れた……えへへ」

「香椎さん、上手上手」

「あ、ありがとう。じゃあ、次は私かな……っ?」

「じゃあ、湊さんに出してあげて」

「うんっ」

 

 愛莉ちゃんの出した見様見真似のたどたどしいパスを、智花ちゃんは当然、危なげなく受け取る。

 

「………」

 

 彼女はボールを手にしたまましばらく何かを考えるようにして、それから私を見た。

 チェストパスが飛んでくる。

 

「わ」

 

 速い。

 鋭いという程ではない。記憶の中と比較すれば練習時のそれより軽いけど、未経験者にはちょっと酷かもしれないパス。

 さっきのアレだけで経験者ってバレた……?

 さすが智花ちゃん。特に隠すつもりがなかったとはいえ、彼女と同世代のプレーヤーにされるのはすごく恐ろしい。

 まあ、でも、

 

「香椎さん、もう一回行くよ」

 

 これで少しは楽しんでくれるといいんだけど。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「なんだと、もういっぺん言ってみろ!」

「だからー、あたしがナツヒに負けるわけないじゃん!」

 

 パス回しが楽しかったせいだろうか。

 私が気づいた時には二人の喧嘩はかなりヒートアップしていた。他でもない、真帆ちゃんと夏陽くんである。

 傍にいる紗季ちゃんは困り顔だけど、周りにはそれぞれ女子と男子が数人いて険悪なムードを作っている。

 

「馬鹿か! 俺がお前に、バスケで負けるわけないだろうが!」

「やってみなくちゃわかんないじゃん!」

 

 なるほど。

 真帆ちゃんはなんでもすぐに吸収してしまう天才肌。そのくせ、バスケに出会うまでは打ち込めるものがなかったと聞いている。

 バスケ一筋の夏陽くんに心無いことを(無邪気に)言って怒らせたってところだろう。

 これはまた、大変なことに。

 紗季ちゃんが静観しているように、外野が何か言って収まるようなものじゃない。今の私は年上でもなければ、特別親しいわけでもない、ただのクラスメートだ。

 

 止められるとしたら担任の美星姐さんだけど……。

 彼女は、どういうわけかじっと何かを待っていた。

 

「なら証明しろよ。お前が俺よりシュート上手いって」

「いーよ、勝負しよ!」

 

 美星姐さんの目がギラりと輝いたのはこの時だった。

 

「面白そうじゃない。なら、男女対抗戦にしよう。その方が燃えるでしょ?」

「はあ!?」

「ん? どうしたの翔子? 何かある?」

「いや、そんなことしたら余計喧嘩になるんじゃ……」

 

 後半、小声になりつつ言うと、姐さんはにやりと笑って私に囁いた。

 

「こういうのは満足するまでやらせた方がいいの」

 

 先生がやるにはアグレッシブすぎる選択じゃないですか……?

 ともあれ、姐さんの提案は男子女子に揃って受け入れられた。この年頃の子供って対立したがるものだもんね……。もうちょっと大きくなってくると恋愛が絡むので、男子と喧嘩したくないなんていう子も増えるんだけど。

 

 美星姐さんはうんうんと頷き、今度は智花ちゃんに囁いている。

 

「本気、出していいよ」

 

 思い出した。

 これ、あれだ。真帆ちゃんと智花ちゃんが仲良くなった一件。美星姐さんから聞いた覚えがある。

 なら、止めない方がいい……のかな。

 私は大まかな方針を決めると、智花ちゃんに言った。

 

「湊さん、行こ」

「……え」

 

 目を見開く智花ちゃんの手を引き、真帆ちゃんの方に歩いていく。

 

「真帆ちゃん。私達も出たいんだけど、いい?」

「もち、いーに決まってるじゃん!」

 

 嬉しそうに頷く真帆ちゃんをよそに、紗季ちゃんと夏陽くんが揃って驚いた顔をしていたけど、この際、それは仕方がなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 試合開始。

 ジャンプボールは私が買って出た。向こうは唯一のバスケ部員である夏陽くん。身長では負けてるけど、こっちには長年のセンター経験がある。

 

「なに……!?」

「湊さん!」

 

 狙い通りボールをタッチした私は、智花ちゃんに声をかける。

 飛んできたボールをキャッチした智花ちゃんは、刹那、瞳に炎を宿した。

 

「っ!」

 

 嵐が、吹き荒れた。

 夏陽くんの対処が遅れたのが致命的。他の四人に智花ちゃんが止められるはずもなく、目にもとまらぬ速さで女子チームが先取。

 歓声が起こり、夏陽くんが目を見開く。

 男子の攻撃。こっちのメンバーも体育に強い子が集まっているものの、私と智花ちゃん以外は初心者。夏陽くんを中心に攻め込まれるも――ゴール下で私がパスカット。

 

「嘘だろ、湊もお前も、どうなってんだよ……!?」

 

 うん、私がチートなのは認めるけど、智花ちゃんは素なんだよね。

 私のパスから智花ちゃんが更に得点。

 

 その後も、流れは変わらなかった。

 

「鶴見さん! ちょうだい!」

「うんっ!」

 

 独壇場と言っていい。

 湊智花という才能は圧倒的だった。本来なら、夏陽くんがもっと拮抗してくれたのかもしれないけど……私がちょっとサポートしてあげるだけで、あの子は誰にも止められない暴風と化した。

 結果は女子の圧勝。

 大喜びする女子達の中で、ひときわ歓声を上げたのは、真帆ちゃんだった。

 

「すごい! かっけー!」

 

 自分が夏陽くんを叩きのめせなかったのも忘れ、私達に駆け寄ってくる彼女。

 ああ、やっぱり良い子だな。

 この惨状をどう言い訳したものかと考えながら、私は真帆ちゃんに笑顔を返した。




これ、一周回ってただの転生オリ主なのでは……? と書いてから気づきました。


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ending??.三度目は小学生(後編)

「じ、実は前からバスケ興味持ってて、こっそり練習してたんだ」

「マジで!? なんだよー水くさいなー、そういうのはあたしも誘ってよー」

 

 ちょろい。

 と、思わず言いたくなるくらい、真帆ちゃんは私の言い訳をあっさりと信じてくれた。

 

 ――まあ、他に言いようがないんだけど。

 

 記憶が戻る前の私がバスケに触れていたとは思えない。

 となると、空き時間にできる程度の経験――初心者よりはマシ程度の立ち位置だと認識してもらうしかない。相手が他でもない真帆ちゃんだ。短期間であんな動きができるようになるか、なんて、彼女にだけは言われたくない。

 あのフィジカルと吸収力がどれだけ羨ましいか、わかってない。

 

「じゃあじゃあ、そっちは!? えーっと、智花だっけ?」

「あ、ええ……と、その……」

 

 代わりに詰め寄られた智花ちゃんがしどろもどろに答えるのをよそに、私はそっと安堵の溜め息をついた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 と、思ったら。

 

「あの……鶴見、さん」

 

 放課後。

 美星姐さんが教室から出て行ってすぐ、私に声をかけてきた子がいた。

 所作から和の雰囲気を感じるショートヘアの美少女――智花ちゃんだ。

 私はにっこり笑って答える。

 

「どうしたの、湊さん?」

「……話があるんだけど、いい?」

「う、うん」

 

 なんだろう。

 三沢さんもだけどウザいから話しかけないで、とかそういうんじゃないとは思うけど……。

 

「ありがとう」

 

 言って、智花ちゃんは早速歩き出す。

 慌てて荷物を持ち、後を追うと――少し離れたところから真帆ちゃんの悲鳴が聞こえた。

 

「あー! 翔子に智花を取られた―!」

「うるさい馬鹿真帆。用事でもあったんでしょ」

 

 ありがとう紗季ちゃん。紗季ちゃんにはこれからも頭が上がらない気がする。

 

 廊下に出た智花ちゃんは人気のない方向に進んでいく。

 どこに行くのか尋ねると、彼女は急にぴたりと止まった。二人で話せるところに行きたかったけど、転校生なので特にアテがないらしい。

 

「じゃあ、中庭はどうかな?」

 

 走り回るほど広くはないので、騒がしさはあまりない。

 放課後になってすぐだからか、それとも利用者自体が少ないのか、中庭には殆ど人気がなかった。

 据え付けられたベンチの一つに並んで座って、一息つく。

 

「話って、何?」

「……うん」

 

 こくりと頷いた智花ちゃんが、深呼吸をする。

 言いにくいことなのか。

 バスケの最中は人が変わったようになるけど、普段は大人しい彼女がこうなるということは、

 

「バスケのこと、なんだけど」

「……うん」

「三沢さんに言ってたことって、嘘、だよね?」

 

 やっぱり、その話か。

 

「どうして、そう思うの?」

 

 卑怯な返答だけど、そう言わざるをえない。

 

「……上手かったから」

 

 智花ちゃんの回答は明快だった。

 あの智花ちゃんに褒められた。そう思うと胸がとくんと跳ねるけど、それはあらゆる意味で場違いな反応だ。

 

「ジャンプボールも、パスも、ディフェンスも、見様見真似でできるはずない。私と同じくらい、ううん、私よりも練習してないとできないと思う」

「……それは」

 

 逆の立場なら、私だってそう言うだろう。

 体育でやったプレイは、鍛えられていない五年生の私の身体で、高校生まで培った私の技術を再現した――とてもアンバランスなもの。

 再現度で言えば決して高くない。そもそも身長が足りないのでセンターとしては不十分。

 でも、だからこそ、あのプレイは特異に映っただろう。

 

「誤魔化しきれないよね」

「じゃあ……」

「うん、嘘。……でも、全部が全部嘘じゃないんだよ」

「どういうこと?」

 

 智花ちゃんの声が、表情が、少しだけ険しくなる。

 バスケにおいては嘘偽りを許容できない。そんな厳しさが現れる。

 私は眉を下げて笑う。

 

「信じられないような話になっちゃうんだけど」

「教えて」

「ん……」

 

 即答。

 これは、本当に誤魔化せない。

 

「誰にも言わないでね」

 

 私はそう前置きした上で、智花ちゃんに真実の一端を話した。

 

 ――思えば、三度目の人生にして初めてのことだけど。

 

 私には、私じゃない私の記憶があること。

 記憶は今朝目覚めたばかりで、だからついはしゃいでしまったこと。

 バスケのプレーは別の私が持っていた記憶。だから、見様見真似というのは嘘じゃないし、この身体がバスケ初心者なのも嘘じゃない。

 誰が信じるんだこんなの、という話だったけど、

 

「そんなこと……あるんだ」

「自分でも信じられないけどね」

 

 智花ちゃんは「嘘だ」とは言わなかった。

 ただ目を見開き、深く息を吐きだしただけ。

 いい子だと思う。

 

「誰にも言わないでくれる?」

 

 目を見て言うと、智花ちゃんは微笑んだ。

 

「うん、言わないよ。……言っても、誰も信じてくれないと思う」

「それはそうだね」

 

 思わず、私もくすっと笑ってしまった。

 こんなこと信じてくれるのは相当善良な人だけだ。思い当たる範囲で言うと、昴と、智花ちゃんたち五人と……あれ、いっぱいいる。

 

「……鶴見さんは、バスケしたい?」

「したいよ」

 

 慧心に女バスがないのが残念でならない。

 

「湊さんはバスケ、したくないの?」

「………」

 

 尋ねると、智花ちゃんは少し黙った。

 誤魔化せない。

 彼女もきっとそう思っただろう。私の嘘を看破した理由が理由だから、智花ちゃん自身も「見様見真似の未経験者です」とは言えない。

 迷うように視線を巡らせた後、彼女は言った。

 

「したいよ。……でも、したくない」

「どうして?」

 

 できるだけ威圧的にならないように尋ねると、智花ちゃんは弱々しく笑った。

 

「聞いてくれる? 私の、前の学校でのこと」

「もちろん」

 

 そして私は、今まで伝聞で、断片的にしか知らなかった話を――当人の口から聞くことになった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……湊さんは悪くないよ」

 

 話が終わった後、私はそう彼女に言った。

 

「そんなことっ」

 

 受け入れられないのだろう。

 辛いことを思い出してしまった智花ちゃんは、涙を流しながら首を振る。

 当たり前だ。

 孤立して。排斥されて。原因が自分にあると思うのは自然なこと。

 強さを他人に求め続けた末、周囲から叩かれて、己の弱さを露呈してしまった――そう考えれば、自分のことが許せないだろう。

 それでも。

 

「悪くないよ。湊さんは悪くない」

 

 もちろん、部の仲間達が悪いわけでもない。

 私はそう付け加える。

 

「え……?」

「バスケの楽しみ方は一つじゃない。みんなで一緒にやるのが楽しいっていう子もいれば、勝つために全力を尽くすのが楽しいって子もいる。どれも間違ってなんかいない」

 

 だから、

 

「みんな悪くない。そして、みんなが悪い」

「……どういう、こと?」

「バスケへの向き合い方は間違ってない。間違ってたのは、仲間との向き合い方なんだよ。ちゃんと話して、納得しあおうとしなかった。だから食い違って、喧嘩になっちゃった」

 

 智花ちゃんを仲間外れにした子達だって後味は悪かったはずだ。

 楽しくバスケがしたかったなら。

 誰かを悪者にして、除け者にして、心の底から楽しめるわけがない。

 

「でも……っ」

 

 嗚咽するように、智花ちゃんはそれだけを言った。

 

 うん。

 外野が何を言ったって、過ぎてしまったことはなくならない。智花ちゃんがけろっと忘れてバスケをまた始めたら、元の学校の子達は良く思わないかもしれない。

 それでも。

 

「やりたいならやっていいと思う。バスケ」

「っ」

「もし、昔の仲間に申し訳ないと思うなら――その上で謝ればいいんだよ。許してくれるかどうかは、わからないけど」

 

 向こうは大勢で、こっちは一人。

 同意見の人がいればいるほど、人は自分の意見を翻せなくなる。私達は間違ってないと言い張るかもしれない。

 

「それでも、自分の気持ちをちゃんと伝えることは、きっと無駄じゃないよ」

 

 そう、無駄なんかじゃない。

 断られるとわかっていて葵に告白したことだって、私は、後悔なんかしていない。

 

「私で良ければ付き合うよ、バスケ。……それとも、部活がないなら作っちゃう?」

「っ」

 

 智花ちゃんがきゅっと唇を噛んだ。

 見れば、彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。慌ててハンカチを取り出してみたけど、この状態だと焼け石に水かもしれない。

 

 ――やっちゃった。

 

 どうにも、この子には感情移入せずにはいられない。

 智花ちゃんにとってはただのクラスメートでも、私にとっては大切なお友達だ。

 だから、

 

「ごめんね。言いたいことばっかり言っちゃって」

「ううん。……ううんっ!」

 

 ふるふると首を振る智花ちゃん。

 彼女は潤んだ瞳で私の顔を見つめると、肩を震わせながら泣き声を上げる。

 

「………」

 

 私は、黙って彼女の身体を抱き寄せた。

 ぎゅっと抱きしめると、智花ちゃんは泣き疲れるまで、私の胸の中で泣き続けた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 バスケットボールがしたい、と宣言したら、母さんに驚かれた。

 

「お友達に誘われたの?」

 

 誘われたというか誘ったというか……。

 ともあれ、バスケをすること自体は反対されなかった。

 

「ただし、将棋の勉強もしなさい」

「えー」

「えー、じゃない。別に嫌いじゃないでしょ?」

 

 それはまあ、そうだけど。

 こっちの私は将棋、というか着物への忌避感がないから将棋にも割と触れてるらしい。これは智花ちゃんと同じくお稽古に時間取られるパターンだ。

 考えようによっては、前にできなかったことをやるチャンスなのかも。

 

 もちろん、バスケもするけど。

 

「おはよう、湊さん」

「あ……おはようっ、鶴見さん」

 

 次の日の朝。

 教室で挨拶すると、智花ちゃんはひまわりみたいな笑顔で応えてくれた。昨日の件でだいぶ打ち解けられたのかも。

 

 あの後、泣き止んだ智花ちゃんを家まで送った。

 門限には余裕があったし、一人で帰すのが心配だったからだ。いきなりだから嫌がられるかなとも思ったけど、バスの中で話をするうちに笑顔を見せてくれた。

 華道・日舞の家元の娘と、女流棋士の娘。

 ジャンルは違えど、着物とか、分かり合える部分があるのも良かった。

 

「湊さん、早いね」

「鶴見さんこそ」

 

 教室にはまだ殆ど人気がない。

 

「朝のジョギングしたらつい、ね」

「あ、実は私も……」

 

 なんと。

 昨日あんなことがあったものだから、身体を動かしたくなったらしい。

 バスケ、忘れられそうにないみたい。いいことだ。

 

「思ったより走れなくて、時間余っちゃった」

「私は興奮して早く起きすぎちゃった」

 

 顔を見合わせて笑いあっていると、教室の入り口から「あー!」と声。

 

「二人ともいる! ねーねー昨日の話の続きしよ!」

「み」

「三沢さん……」

 

 早いな。

 あれかな、私達を捕まえるために早起きしてきたのか。それは久井奈さんが喜んだに違いない。紗季ちゃんは迷惑そうだけど。

 どうしよう、といった風に視線を向けてくる智花ちゃんに私は微笑んで頷き――さっさと彼女を売り渡すことにした。

 

「三沢さん。昨日も言った通り、私は大した話はできないんだ。だから、聞くなら湊さんにお願い」

「おっけーわかった!」

「え、えええ……!?」

 

 どうして、という視線にぺろりと舌を出すと、恨みがましい目で見られる。

 いや、でも、真帆ちゃんに転生のこと話したら、妙な中二病に目覚めちゃいそうだし。「ムー」に投稿とか始められちゃうと困る。

 とはいえ、放っておくのも可哀想。

 紗季ちゃんが「しばらく止まらないわよこいつ」って顔してるし。

 

「っていうか、三沢さん。もしかしてバスケ興味あるの?」

「あるよ、あるある! 二人みたいにやったらあたしもナツヒをぎゃふんと言わせられそうじゃん!」

 

 ぎゃふんて。

 

「そっか。ならさ、せっかくだから部活にしちゃうのはどう?」

「え?」

「ふえ?」

「女子バスケットボール部、作っちゃえばいいんだよ。そしたらたくさんバスケできるよ」

 

 私の言葉を聞いた真帆ちゃんはしばし、瞬きをしながら硬直した。

 意味を理解するのに時間がかかってる感じ。

 と、思ったら、いきなり「ばっ!」と動き出して、言う。

 

「作ったら入ってくれる!?」

「もちろん、私は入るよ」

 

 言いながら、私は智花ちゃんを見る。

 大人しくて控え目なバスケ大好き少女は、一瞬、嬉しそうに口元を綻ばせて――すぐに何かに気づいたように表情を戻した。

 

「……無理だよ。部員、集めないといけないし」

 

 ふむ。

 嫌だ、とは言わないんだ。なるほど。

 

「三沢さん。部員が集まったら入ってくれるって」

「おっけー! 何人くらい集めればいいの? 百人くらい?」

 

 何と戦う気なんだろうか。

 

「最低人数は五人だったはずだよ」

 

 でも、それだと私が困る。

 五人で満足されてしまうと、私のせいで誰かがあぶれてしまうからだ。

 

「でも、六人欲しいかな。それなら三対三で対戦できるでしょ?」

「なるほど! あったまいいなー翔子!」

 

 笑顔になった真帆ちゃんは「じゃーまずはサキだな!」と、自分の席からこちらを窺っていた紗季ちゃんに突撃していく。

 元気だ。元気すぎるくらいに。

 

「つ、鶴見さん……」

「いいでしょ? 私だって、湊さんとバスケしたいし」

「……うう」

 

 智花ちゃんは困ったような顔で唸ると、もう一度呟いた。

 

「集まらないよ、六人も」

「大丈夫だよ」

 

 きっと集まる。

 私の知っている歴史で、五人が集まったみたいに。きっと。



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14th stage 翔子と文化祭(前編)

「ね、翔子。文化祭中って暇?」

 

 二学期のある日。

 年に一度の大イベント、七芝高校の文化祭に向けて、だんだんと具体的な話が動き始めていたそんな頃――葵からお昼ご飯に誘われた私は、そんな質問を受けた。

 これは、まさかデートの誘い?

 なんて、間違っても思わないけど、なんだろう。

 

 んー、と、声と表情で「難しい」と示して答える。

 

「暇、ってほどではないんだよね。うちの出し物の手伝いがあるから」

「あ、そっか」

 

 だいだいどこもそうだろうけど、うちの学校も各クラス一つずつの展示が義務付けられている。

 例外は昴が所属する体育クラスで、彼らだけは展示が免除。普段から忙しいっていうのと、基本的に部活に入ってるのでそっちの出し物を手伝うことになるからだろう。

 私と葵は普通クラスなのでクラスの手伝いがある。

 

「そっちは何やるんだっけ?」

「将棋カフェ」

「……それはまた、渋いというかなんというか」

 

 一人一個以上案を出せと言われて、何の気なしに言ってみたら通ってしまったのだ。

 主な内容は飲み物、茶菓子の提供と詰め将棋の展示、後は対局ブースの設置。

 ペットボトルの緑茶や紅茶、柿の種なんかをまとめ買いして、適当に詰め将棋のお題を用意したら、当日二、三人ずつのローテーションを組むだけというお手軽なやつだ。

 人気はないだろうけど、TCGやスマホゲームなんかと違って「知的で高尚な遊び」みたいなイメージあるので、先生方から難色を示されづらいのが利点だろう。

 

「いちおう私、女流棋士の娘でしょ? だから責任者にされてて。忙しいのは前日までだけど、暇とも言えないというか」

 

 何かあったら呼ばれることうけあいである。

 まあ、そうそう問題も起きないと思うんだけど。もっと強い人いないのみたいなクレームとか、気まぐれに若い棋士が遊びに来る可能性とかもなくはない。

 

「なるほどね。……もしできたら、こっちの手伝いをお願いできないかと思ったんだけど」

「葵のところは……メイド喫茶だっけ?」

「うん」

「私、何か手伝うようなことある?」

「調理担当のサブをお願いできないかなって。ちょっとシフト的に不安で」

 

 なんでも、ただのメイド喫茶じゃありがちすぎるということで、フードメニューにも凝ることにしたらしい。

 主な監督・指導は調理部所属の男の子がしてくれるけど、彼にもお休みを与えないといけない。そのために誰かサブが欲しい。

 とはいえ、女子はメイド服を着ての接客があるので、できれば人数を減らしたくない。

 料理に覚えのある男子が何人もいるわけないので、他クラスから確保できれば一番いい、ということらしい。

 

 なるほど、そういうことなら……。

 

 私は当日の自分の動きを想像しながら頷く。

 

「うん、いいよ。お手伝いさせて」

「いいの? 本当に? 無理してない?」

「大丈夫大丈夫」

 

 基本、自分のクラスにずっといる必要はない。うちのところも葵のところも教室を使うので距離的に離れていないので、たまに行ったり来たりするのを了承してもらえれば問題はない。

 

「ただ、一つだけ条件があるんだけど」

「条件?」

「うん。葵のクラス、っていうよりは葵へのお願い」

 

 じっと葵を見つめて言う。

 幼馴染としてもここが分水嶺だろう。彼女は真剣な顔になってこくりと頷く。

 

「ん、私にできることならなんでも言って」

「本当? なら――」

 

 私はぎらりと目を輝かせて要求した。

 

「ミスコンに出てくれる?」

「え」

 

 葵が、硬直した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 それから、しばらくの時が流れて。

 

「私も合意の上だったから――」

「さすがにこの歳だと子供の可能性なんて――」

 

 公衆の面前で何言ってるんだろう、この二人。

 同好会の終了後、フードコートでドリンク片手に神妙な顔で相談する幼馴染二人を見て、私はツッコミを入れようかどうしようか真剣に悩んだ。

 議題は、わかっている。

 

 ――愛莉ちゃんたちを七芝の文化祭に招待した件だ。

 

 別にそれ自体はいいことだし、みんなも喜んでくれてるんだけど、問題は昴、というかバスケ部と女子小学生という取り合わせの悪さ。

 部長が小学生と駆け落ち寸前になって一年間の休部、という件はまだまだ爪痕を残しており、昴が愛莉ちゃんたちを侍らせるのは色々マズイ。

 葵という彼女がいるのでまだマシだけど、それはそれで浮気かと疑われかねない。

 

 私か葵、香椎くんの知り合いということにする手はあるものの、これは私達の誰かが一緒でないと言い訳として機能しない。

 私達の中で一番暇なのが昴で、彼が主な案内役になるため、ちょっと、いや、かなり心もとない。

 

 と、事情を知ってればわかるんだけど。

 

 夏に付き合いだした初々しいラブラブカップルが「合意の上」だの「子供の可能性」だの真剣な顔で話してるってるって、ねえ?

 香椎くん、さつき、多恵の三人なんかドン引きして隣のテーブルに移動しちゃってるし。

 

 うん。ここは一つ――私も乗っておくべきか。

 

「私もごめん。他人事じゃなかったのに、軽い気持ちでオーケーしちゃって。……昴と葵だけだったら、もっと話はスムーズだったのに」

「今更何言ってるのよ。翔子と一緒にやるのは私達だって納得したことだし、楽しかったんだから」

「そうだ。謝らなきゃいけないとしたら俺の方だ」

「昴。葵……」

 

 神妙な顔で二人を見つめる私。

 なんだか、三人の間に更なる友情が芽生えたような気がした時――。

 

「おい長谷川。どういうことか説明しろ」

「っ。な、何怒ってるんだ万里」

 

 香椎くんが昴の胸倉を掴んで持ち上げた……!

 

「おい翔子。まさか、ガチなのか?」

「つるみん。さすがに3Pで同時にできちゃうのはまずいよお……!」

 

 慌てて寄ってきたさつきと多恵が私に耳打ちしてくる。

 あー、うん。

 みんなも薄々わかってるだろうと思ったけど、ちょっとやりすぎたみたい。

 

「ごめんなさい、香椎くん。想像してるような話じゃ全然ないから」

 

 私が言うと、香椎くんは瞬きをして首を傾げた。

 

「そう……なのか? 鶴見まで真剣だったからてっきり」

「本当にごめんなさい。悪ノリなんです」

 

 平謝りして誤解を解き、許してもらった。

 

 

 

 

 

 その後、みんなも交えて意見を出し合ったものの、決定的な案は出ず。

 まあ、いざとなったら開き直るという手もあるし、もうちょっと考えてみようということで解散になった。

 愛莉ちゃんたちに我慢してもらうというのはナシだし、何かいい方法があればいいんだけど。

 

 ……変装とか?

 

 いや、変装って言っても難しいか。変に着ぐるみとか着たら怪しいし、長谷川昴であることだけ隠せればいいかというと微妙だ。

 女子小学生を連れていても全く怪しくない変装というと、思いつかない。

 と。

 唸りながら帰宅した直後、スマホが鳴った。葵からだ。

 

「もしもし、葵? 何か忘れ物?」

『ううん、そういうのじゃなくて。……ちょっと、さっきの件で思いついた手段があって』

「え、なになに?」

『えっとね……』

 

 葵が告げた案は、私の頭に浮かんでいた変装に近い――でも、決定的に突き抜けた、ブレイクスルーとでもいうべきものだった。

 なるほど、それなら。

 

「上手くいけば、上手くいくね」

『……よし。やってみよっか。幸い昴も乗り気だし』

 

 昴が乗り気?

 それって、詳細を教えずに「俺にできることなら協力する」って言われただけじゃなくて……?

 まあ、他の案があるわけじゃないし、試してみる分にはいいと思うけど。

 

『それでね、久井奈さんとの繋ぎをお願いしたいの。あんたからお願いした方がオッケーしてくれそう』

「葵でも大丈夫だと思うけど……わかった。このあと電話してみる」

『お願いね』

 

 通話を切った後、私は聖さんにコール。

 事情を説明すると、聖さんは二つ返事で了承してくれた。心なしか声がわくわくしていた気がするのは気のせいだろうか。

 あの様子なら、ばっちり対応してくれるだろう。

 

「それにしても……」

 

 ()()()()かあ。

 校内を女子高生が歩いていても何の不思議はない。

 女子なら女子小学生を連れていても責められることはない。完璧だ。

 

 ――女装させられる昴の精神的ダメージを考えなければ。

 

 転生して女子になった身としては、異性を装わされるプレッシャーはよく承知している。

 

「ご愁傷様、昴」

 

 彼女が主導してるってあたり、ひどい話だと思う。

 これを機に、二人が変なプレイとかに目覚めないことを願うばかりだ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……恨むぞ翔子」

「え、私のせいなの……!?」

 

 文化祭当日の朝。

 私が対面した時には、昴はもうドレスアップとメイクアップを済ませていた。

 

 ――衣装は、高校の文化祭にしてはやけに本格的なメイド服。

 

 こういうの好きな子がいるのかもしれない。

 シックな黒のワンピースに、フリフリの白エプロンの組み合わせは「わかってる」とデザイナーを称賛したくなるくらい素晴らしい。

 残念なのはスカートが膝丈なことだけど、足首まであると動きにくいし、白のハイソックスを履いた足が見える方が思春期の男子には受けがいいかもしれない。

 実際、同じものを着た葵は、彼氏である昴が憎いくらいに可愛い。

 

 昴も、驚くくらいに完璧だ。

 

 もともと七夕さん似の美形で、七夕さんによる栄養管理を受けていて、かつ、アスリートとして十分な運動と睡眠を取っている彼。

 筋肉が外見に出にくい体質も相まって、メイクを施してロングのウィッグを被った姿は見惚れてしまいそうなレベル。

 メイド服のワンピースがゆったりめのデザインだから体型を誤魔化せるのも大きい。胸とお尻に詰め物を入れてバランスを調節すれば、惚れる男子が出てもおかしくないレベルの美少女である。

 

 そんな美少女――葵による源氏名「長良川かえで」ちゃんは恨みがましい目で私を睨んでくる。

 

「葵に言われたんだよ。私だってミスコン出るんだからあんたも覚悟決めなさい、って」

「……あー」

 

 それはまあ、なんというか。

 さすがに言いがかりだとは思うものの、彼氏に確認を取らず葵を誘ったのも事実。あまり強く抗議はできない。

 

 昴は今日一日、かえでちゃんとして学園祭を乗り切る。

 外部参加として葵のところのメイド喫茶を手伝うことになっており、これで身元を詮索される心配も少ないし、葵と親しく話していても怪しまれない。

 

「まあ、これはこれでいい経験だよ」

 

 仕方ないので話を逸らす。

 

「こんな経験どこで役に立つんだよ……?」

「女の子の気持ちを知っておくのは悪いことじゃないよ? もし目覚めちゃって、そっちの道に進むことになっても、それはそれで幸せだろうし」

「進まねえよ。っていうかなんで実感籠もってるんだよ……!?」

 

 私は女装どころか女になってるからね……。

 

「覚悟を決めなよ、昴。みんなそれぞれ忙しいってことでお相子にしよ?」

「………」

 

 はあ、と、昴は深いため息をついて頷いた。

 

「まあな。お前も、見るからに大変そうだし」

「あはは、まあね」

 

 にこりと笑い、その場でくるりと回ってみせる。

 

「すばるん様とあおいっち様のメイド服も素晴らしいですが、翔子の着物姿も素敵です」

「ありがとうございます、聖さん」

 

 昴のメイク・着付けを主に担当したのは私服姿の聖さん。

 彼女の言う通り、今日の私は着物だ。なにせ出し物が将棋カフェなので、和服着てる女子がいた方が話題になるだろうという理由。まあ、さすがに足元はぺたんこの靴だけど。

 基本、文化祭中はこのままの予定だ。

 メイド喫茶の調理を手伝う時はこの上からエプロン――ではなく割烹着を羽織る。一応、私の分のメイド服も用意してもらってるんだけど、一々着替える暇はないと思う。ちょっと残念なので、家で家事をする時とかに着てもいいかもしれない。

 

 メイド喫茶で一人だけ和服は目立つだろうが、そこはそれ、将棋カフェの宣伝になるという寸法である。

 

「翔子はミスコン出ねーの?」

「つるみん、その格好ならいい線いくと思うんだけどぉ」

「出ない出ない」

 

 昴を捕獲して七芝まで連れてきた陰の功労者――さつきと多恵に手をひらひらと振る。

 

「投票するなら葵にしてあげて。葵にミス七芝を取らせるのが私の野望なんだから」

「おい葵、こういう時の翔子は滅茶苦茶面倒臭いぞ」

「わかってるわよ。わかってるけど、しょうがないじゃない。別に、ミスコン自体は変なものじゃないんだし」

 

 それはもちろん、そうだ。

 出てもらうからには恥をかかせるつもりなんかない。葵がミスコンに出ることによるシフト的な圧迫は私が補うし、出場前のメイクは責任持って担当させてもらう。

 彼氏持ちなのは(一部男子からの昴への怨嗟と共に)知られているので、葵が有名になっても告白してくる輩とかはいないだろう。

 

「葵。アスリート部門の方のミスコンも出ていいんだよ?」

「出ないわよ!」

 

 そりゃそうか。残念。



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14th stage 翔子と文化祭(後編)

「オムライスと焼きそば、ポテトフライ入ります」

「了解。鶴見さん、焼きそばとポテトいける?」

「うん、任せて」

 

 教室の一部をカーテンで区切っただけの調理スペースは、意外などほど本格的な空気に包まれていた。ガスコンロやホットプレートなどの簡易設備にも関わらず、それを使いこなして見事な仕事を見せる「料理部のスーパールーキー」によるものだ。

 葵のクラスのメイド喫茶は男子が調理、女子が接客の分担制。

 料理部の彼がリーダーとして男子を仕切り、オムライスなどの技術が要るものを引き受けている。他の男子は料理経験のない人が殆どなので、主に具材を切ったり道具を洗ったり、カレーを温めて盛りつけたりといった腕の出にくいところをサポートしていた。

 

 まあ、男子が調理と言いつつ私がこっちにいるわけだけど。

 私の仕事はリーダーの補佐。前日に腕を実演したところお眼鏡に適ったようで、「料理部に入らない?」と勧誘をもらった。

 そういう彼の腕は正直、私より数段上なんだけど。

 焼きそばとかポテトも美味しく作ろうとすると結構難しい。前者なんかは紗季ちゃんに尋ねれば小一時間くらい余裕で語ってくれるはず。

 

 ――でも楽しいなあ、これ。

 

 一心不乱に料理し続けるっていうのも割と性に合っている。

 すずらん祭りの時も楽しかったけど、あれは接客の割合が高かった。私はウェイトレスより料理する方が向いてるっぽい。

 

「鶴見さんが来てくれて良かったなあ」

「こっち男ばっかでつまんないもんな」

「あはは、ありがとう」

 

 恋愛感情は別として、男子にそう言ってもらうのは悪い気がしない。

 

「荻山にも感謝しないとな。助っ人連れてきてくれてさ」

「胸もでかいしな」

「おい、バレたらどうすんだよ」

 

 ちらりと様子を窺われるけど、

 

「大丈夫。言わないよ。……葵には」

「長谷川に言うのも止めてくれよ」

「どうしようかなあ」

「お願いします。何でもしますから」

 

 そのフレーズは釣りに来てるのかな?

 そんな餌には釣られないクマー。

 

「鶴見って結構話せるんだな。意外だ」

「雑談するのは嫌いじゃないよ。手が止まっちゃうのはアレだけど」

「はい」

「気を付けます。お母さん」

 

 誰がお母さんか。

 

「あー、長谷川が羨ましい」

「あの荻山が彼女だもんなあ」

 

 うん、私も羨ましい。

 まあ、そんな昴は今、メイド姿で絶賛接客中。しかも葵の発案だって聞いたら何割の男子が羨望から同情に変わるだろうか。

 私としては、女装した昴なら大歓迎なんだけど。

 と、噂をすれば当の本人がカーテンをくぐって調理スペースに来た。

 

「すば……かえでちゃん。注文?」

「あ、はい。そうなんです」

 

 いつもと違って敬語で答えが返ってくる。

 背の高い黒髪ロングの敬語美少女。可愛い。いちゃいちゃしたい……じゃなくて。

 何やらかえでちゃんは視線を巡らせて思案中の様子。

 

「お……私のお任せをオーダーされて。しかも五人前」

「五人前」

 

 結構な大口だ。

 しかもかえでちゃんが対応しているということは、

 

「みんな、来た?」

「はい」

 

 バレない程度ににやりと笑う彼のじ……彼。

 

「よし。じゃあ、オムライスと、激辛&甘口ハーフカレーを一人前、サンドイッチとポテトフライを二人前お願いします」

「はーい。じゃあ、できたら呼ぶね」

 

 メニューにお勧めだと書いているせいか、オムライスは大人気だ。

 これ、私がいてもリーダーは休めないのでは。

 ともあれ私は引き続きポテトフライを揚げ、その片手間にサンドイッチを作る。このサンドイッチも高い具材は使ってないものの、調理手順と調味料にちょっと一工夫されてる。

 

「あの子も可愛いよなあ」

「可愛いよねえ」

「なんで鶴見さんがナチュラルに交ざってるんだよ。……可愛いとは思うけど」

 

 リーダー、あなたもか。

 

「こほん。鶴見さん。それ上がったらちょっと出てきたら? 知り合いなんでしょ?」

「いいの? じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

 かえでちゃんを呼び、二人でお皿を持って接客スペースへ出る。

 

「あ、るーみんだ!」

 

 いち早く声を上げたのは真帆ちゃん。

 

「翔子さん……綺麗ですっ」

「うん。本当に」

 

 愛莉ちゃんと智花ちゃんの声が続くと、他のお客さんもこっちを向いて――おぉ、とどよめきが起こった。

 

「和装メイド……だと?」

「いや。メイド要素ないし。ただの新妻だろ」

「だがそれがいい」

「うむ」

 

 なんか言いたい放題言われてる気が。

 学園祭だからか、ちょっとおめかしした五人が揃って座っている姿はとっても可愛らしい。周りにメイドさんがいるせいもあってお嬢様みたいに見える(なお、一人はガチ)。

 

「お待たせしました。かえでちゃんのオススメメニューです」

「翔子……鶴見さん、悪ノリしないで欲しいんですけど」

「あはは、ごめんね」

 

 みんなとちょっとだけお話して、料理の感想をもらったりする。

 調理スタッフ一同自慢の料理の数々は、慧心学園初等部女子ミニバスケットボール部の面々にも好評だった。

 ほっとしていると、真帆ちゃんからケチャップアートのオーダーが。

 せっかくだからかえでちゃんにパスし、慣れない行為に苦心する様子を楽しませてもらった。

 

 かえでちゃんがケチャップとマヨネーズの容器を間違えそうになったものの、前もって大きく「マヨネーズ」「ケチャップ」とラベルを貼っておいたお陰で事なきを得た。

 オムライスにマヨネーズは合わなくもないけど、やっぱりケチャップの方が美味しいもんね。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……ふう。結構バタバタするなあ」

 

 かえでちゃんと葵は愛莉ちゃんたちが退店すると同時に休憩をもらい、香椎くんと合流して校内を周りに行った。

 自分のクラスの将棋カフェと行ったり来たりしている私はもうしばらくメイド喫茶を手伝い――二、三十分が経ったところでクラスメートからヘルプ依頼を受けた。

 なんかマント着けたイケメンが来てるんだけど、しかも将棋上手いんだけどどうしよう、と。

 

「もう、なんでプロが来るかな……」

 

 男性若手棋士の中では竜王に次ぐ有名どころ。慌てて戻ってご挨拶をすれば、小学生の妹さんを紹介してくれた。妹さんの方も小学生の将棋大会で優勝を争える実力の持ち主なので、私じゃ相手にならないくらいに強かった。

 学園祭に来た理由は聞けなかったけど、将棋部がうちの出し物に注目してたし、そっちから情報が漏れたのかもしれない。あるいは母さんが無駄に言いふらしたか。別に目的があった可能性ももちろんあるので、真相は不明だ。

 でも、彼の師匠が一緒じゃなくて良かった。

 もし一緒だったら死んでた。恐れ多すぎて私の心臓が。

 

 兄妹を丁重にお見送りした後、メイド喫茶の方に向かうと、ちょうど葵とかえでちゃんも戻ってきた。何があったのか、二人共メイド服が汚れている。

 

「どうしたの、それ?」

「ちょっと障害物競争をする羽目になっちゃって」

 

 遠目をして言う顔。

 それって、もしかしなくてもミスコンのアスリート部門だよね。

 確か、障害物競走をして一位になった女子が選ばれる形式だったはず。ちなみに一位には、男子の一位――アスリート部門のミスター七芝を選ぶ権利が与えられる。

 出ないって言ってたのに。

 

「誰が勝ったの?」

「……聞かないで」

 

 尋ねると、葵は私から視線を逸らした。

 本当に何があったのか、と。

 

「お、いた。ミス七芝」

「葵ー。彼氏への公開告白、可愛かったよー」

「っ」

 

 びくっと身を跳ねさせて涙目になる葵。

 その隣でかえでちゃんが苦笑いをして、説明してくれる。

 

「智花達が出るって言いだして……。お、長谷川君を指名するっていうので……」

「なるほど」

 

 女子小学生からミスター七芝に指名される元男子バスケ部員。

 間違いなくアウトなので阻止せざるを得ないだろう。

 で、無事に葵が勝って昴を指名したと。

 

「なにそれ、見たかった……!」

 

 あの恥ずかしがりの葵が、自分から「うちの彼氏が一番」って言うなんて。そんないいところを見逃すなんて残念過ぎる。

 

「あんたに見られてなくて良かったわよ、本当」

「誰か動画撮ってなかったか聞いてみよう」

「止めなさい!」

 

 葵から本気で止められた。残念。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 メイド喫茶のお手伝いに復帰すると、リーダーが「食事休憩で三十分抜ける」と宣言した。

 

「自由時間それだけでいいの?」

「ああ。鶴見さんのお陰でちょくちょく手は休められてるし、最後まで行くよ」

 

 やっぱりこうなったか。

 リーダー、お疲れ様です。

 

「よし。それじゃあ、鶴見さん。後は任せてくれ」

「……ん。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」

 

 道具を片付け、割烹着を脱いだ私はお客さんに回ってカレーとオムライスを平らげた(一品の量が少なめになってるので、決して食べ過ぎではない)。

 ミスコンにはまだ時間がある。

 少しくらい校内を回って来ようと、ふらりと歩く。葵のクラスのメイド喫茶もそうだけど、結構凝った出し物が多くて感心してしまう。

 

 香椎くんのクラスのお化け屋敷も盛況で、中に入るとフランケン姿の彼と会うことができた。

 

「うわ。香椎くん、すごく似合ってる!」

「ありがとう……で、いいのかこの場合?」

「もちろん、褒めてるよ」

 

 昨今のフランケンは美少女だったりするけど、ごつい身体で頭からネジが飛び出してるようなオールドタイプもやっぱり良いと思う。

 香椎くんも(メイクしたまま)笑みを浮かべた。

 

「着物着た女を脅かすフランケンってのも変だけどな」

「あはは。番町皿屋敷でもやれば格好つくかな? 一枚……二枚……って」

「こんな暗いとこで雰囲気作るなよ! 怖いだろ!」

「フランケンが怖がっちゃ駄目だよ」

 

 ははは、と、二人で笑っていると、がしっ、と後ろから誰かに肩を掴まれた!

 一瞬びくっとしたけど、掴んでいたのはこのクラスの女子だった。

 

「ね、鶴見さん」

「ちょっとお化けやっていかない?」

 

 後日。

 葵から「お化け屋敷に突如現れた着物のお化け」の噂をされた私は、事の顛末の一切を黙秘した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「葵。ミスコン行こ」

 

 メイド喫茶に戻って誘うと、幼馴染は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「……もう出た、ってことでまからない?」

「むう」

 

 二つも出るのが恥ずかしいのはわかる。

 私は見てないからって押し通すこともできるけど、昴のために頑張った彼女にそう言うのは可哀想だ。

 

「両方優勝しちゃったらやっかみもありそうだしね」

「さすがに優勝は無理だと思うけど、ね」

 

 流れが不参加に向かったのを察し、葵はほっと息を吐く。

 本気で嫌だったらしい。

 既に思う存分恥ずかしい思いをしたんだろう。私は見てないけど。

 

「でも、今からキャンセルするのはミスコンのスタッフさんが可哀想じゃない」

「あー。代役を立てなきゃ駄目か」

 

 事前告知をしちゃってるかもだけど、最悪、人数だけでも辻褄が合えば違う。

 代役かあ。

 葵が今から捕まえられそうな女子っていうと……。

 

 ――嫌な予感。

 

 にっこりと、笑顔を浮かべてフェードアウトしようとした私は、幼馴染に腕を掴まれた。

 

「ね、翔子。代役が必要なんだけど」

「私、踏んだり蹴ったりじゃない!?」

 

 バイトの報酬を図書カードで払われた挙句、その場で全部本に交換させられたような理不尽感。

 

「お願い。私の推薦ってことにしていいから」

「いや。私じゃ葵の代役は務まら……」

「久井奈さんのメイクも頼んであげるから」

「あ、それはちょっと興味ある……じゃなくて!」

 

 しばらく抵抗してみたものの、葵のクラスの女子やらかえでちゃんやらにまで「いいじゃん、やりなよ」と言われてしまい、仕方なく出ることに。

 久しぶりのオフをさつきや多恵と満喫したらしい聖さんに本格的なメイクを施してもらい、着物の乱れを手直しして、一応用意していた草履にはきかえて、

 

「あれ? なんで私、こんなに気合い入れてるの?」

「正気に戻らないの」

 

 とんだ辱めである。

 あの島崎先輩なども参加する中、私は衆人環視で自己紹介をする羽目になり――葵があることないこと紹介したせいもあって、二位になってしまった。

 ちなみに一位は三年生の先輩。

 島崎先輩はスーツ姿で「男装の麗人」っていう感じだったせいもあり、三位。女子からの票を集めたものの、肝心の男子から「でかすぎ」「格好良すぎて並んだら俺がかすむ」と票が集まらなかった模様。

 

「残念。もうちょっとで勝てたのにね」

「むう。……葵、来年は出てくれる?」

「いいわよ。……あんたも道連れなら」

 

 二人一緒ならもう一回くらい出てもいいかなあ、と、ぼんやり思った。



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ending07-ex.お母さん(転生者)と娘(転生者)

もし、翔子の娘も転生者だったら。
多分、今までで一番カオスなのでご注意ください。


 あれから結構な時間が経った。

 

 私は葵が好きで、葵は昴が好きで、昴は私が好き。

 どうしてこうなった、って言いたくなるような三角関係は「無理に解決しなくていいんじゃない?」という、斜め上の方法で収まったまま、なんだかんだで上手くいった。

 

 昴に抱きしめられたり、頭を撫でられたり、身体に触れられたりしているうちに男の子にも慣れてきて、「女として愛される幸せ」を感じられるようになった。

 葵も、三人でデートしたりしてるうちに「あんたといるのが一番楽」なんて言ってくれるようになった。昴相手だとライバルっていう意識がある分、私に甘えてくれたりして、正直役得だ。

 昴にしたって男の子なわけで、両手に花という状況をいつまでも無視していられるわけがない。葵がちょっと強気に攻めただけであっさりのめり込んだ。

 

 一番大変だったのは両親の説得かもしれない。

 といっても、長谷川家はあっさり承認してくれたし、変人揃いの棋士界に触れているうちの両親も「そういうこともあるか」で納得してくれた。

 

 最も一般的な視点にある荻山家が唯一にして最大の難関。

 高校生のうちは「私とも付き合ってる」という部分を半ば知らなかったことにしてもらうことで、実質的に見逃してもらった。

 大学進学と同時に三人で住み始めた時はルームシェアという名目でお互いに妥協。

 結局、結婚の話が出た際に全ての決着をつけることになった。

 

 最終的な着地点としては、昴と葵が法的に夫婦になった。

 葵のご両親としては娘が結婚して子供を産む、というのが譲れない点だったからだ。

 うちの両親は「孫が見れればいい」と言ってくれたので、私が昴の子供を産むことで納得してもらった。籍を入れない以上、私の産んだ子は鶴見家の子なわけだし、私は結婚という形にそれほど拘りはなかった。

 ウェディングドレスは着たかったので着させてもらったけど。

 

 昴はプロ選手に。

 葵はスポーツインストラクターの道を進み、私は保母さんとか料理人とか色々悩んだ末、結局、専業主婦になった。

 葵があんまり主婦って柄じゃないこと、二人の収入がそこそこあるため私が働かなくても十分すぎることから、なら、私が家事と育児を引き受けるということで落ち着いたのだ。

 やってみたら意外と大変だったのはご愛嬌。

 特に、私より葵の方が先に妊娠、出産したせいで「初の育児が自分の子じゃない」ことになったのには大いに混乱したものだ。

 まあ、葵と昴の子供だから可愛くないはずがない、で落ち着いたけど。

 

 二年後に私も女の子を出産。

 自分の中に新しい命がいて、やがて産まれてくるのだと実感した瞬間は果てしない感動と、過去最大級のアイデンティティクライシスを感じた。

 とっくに女になったと思ってたのに、よく男の部分が残っていたものだ。いや、あの時のあれは「女の子」から「お母さん」になった衝撃だったのかも。

 

 葵達の間に生まれた女の子は長谷川(ゆかり)と名付けられた。

 私と昴の娘は鶴見香織(かおり)

 二人は大きな病気をすることもなくすくすく育った。実の姉妹のように仲が良く、苗字が違うことで(主に私と葵、昴が)困ったりしつつもだんだんと大きくなっていった。

 子供の成長を見守るというのがとても幸せで楽しいものだというのは新しい発見だった。

 

 ――こんな生活がこれからも続く。

 

 そう信じて疑っていなかった矢先、事件は起こった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……着たくない」

 

 七五三のお祝いを目前にしたとある日曜日。

 小っちゃいつるみん(年齢だけでなく身長的にも)と多恵から評される私の愛娘、香織が不意にそう言いだしたのだ。

 大切な七歳のお祝い。

 こういうのはせっかくだからやっておこうと、香織に着物を選んでもらおうとしていたんだけど、

 

「着物、嫌い?」

「……うん」

 

 ノートパソコンのディスプレイに表示された電子カタログから目を逸らし、申し訳なさそうに頷く香織。

 同じ部屋で葵に抱かれて座っていた九歳の紫が首を傾げる。

 

「どうして? 可愛いのに」

「………」

 

 紫は二年前、晴れ着を着せられてニコニコしていた。

 彼女からすれば、せっかくの衣装を「嫌」という香織の気持ちは理解できないだろう。

 でも、葵はあんまり驚いてない。

 私の方は「やっぱりかあ」といった感想。実は、香織には前からこういう兆候があった。だからこそ、前もって意見を聞いてみたというのがある。

 

 今、香織が着ている服。

 黒ベースの、ユニセックスなトレーナーとズボン。子供服なのでもちろん可愛いデザインだけど、女の子女の子したデザインではない。

 見る人によっては男の子と間違えるかもしれない。

 しばらく前――だいたい二年前くらいから少しずつ、香織はこういう服を好むようになっていた。最初はあからさまに女の子っぽい服を避ける程度。

 そのうちどんどん、自分を女に近づけることを嫌うようになった。

 

 香織は頭の良い子だ。

 私や葵、昴はもちろん、他の大人達の感情を察して、迷惑をかけないように意識している節がある。だからこそ、どっちとも取れる衣装で収まっている。

 多分、本当なら男の子っぽい服を着たいんじゃないか、って思ってはいた。

 

 私は「そっか」と微笑んで、あらかじめ目星をつけておいた他のページを開く。

 

「お洋服なら大丈夫? ドレスとかワンピースでお祝いしてもいいんだって」

「………」

 

 無言。

 嫌と言うのは気が引けるが、こっちがいいと頷きたくもない。そう顔に書いてある。

 私としては着物ワンピースとかすごく可愛いと思う。こういうのが似合うのは時期が限られるから、今のうちにいっぱい楽しんでおいた方が得なのに、と思ったりもするけど。

 

 ――私の価値観が「こう」なったのはいつ頃だった?

 

 自問すれば、香織を責める気になんてならない。

 ならばと更に別のページ。

 画面が一気に黒くなり、男の子向けの衣装、スーツや袴が表示される。

 

「こういうのはどう?」

「………」

「お母さん、それ男の子の――」

「ごめんね紫、今は、そういうこと言わないであげて」

 

 不思議そうに「どうして?」と問う紫に、葵が「どんなお洋服が好きかは人によって違うでしょ?」と答える。

 香織の趣味は薄々察していたのか、紫はそれで納得してくれた。葵は私に目配せし、紫と一緒に別室へと移ってくれる。

 私も目線だけで感謝の意を伝えた。

 本当、こういう時は困る。紫が悪いわけじゃないけど、子供はこういう時に空気を読まない。なんとなくわかるでスルーしてくれないから、ちゃんとした説明が必要になるけど、そうやって懇切丁寧に言い聞かせようとすると、今度は香織を傷つけることになりかねない。

 お前は人と違うんだ、って、論理的に並べ立てられたら――幾ら本人に自覚があっても辛いものだ。

 

「お母さん」

 

 香織が私を見上げる。

 娘達は二人とも、私のことを「お母さん」と呼ぶ。葵は「ママ」。昴はお父さんだったりパパだったり。そのお父さん(orパパ)は練習で今日も不在だ。

 

「私は、女の子だよ?」

 

 香織の顔は歪んでいた。

 

 ――ああ、知ってる。

 

 この顔は知ってる。

 自分のことを「私」と言うことも、自分を「女の子」と言うことも、本当は嫌で嫌で仕方がないのに、事実は事実だから言わないといけないという顔。

 私はその気持ちを、誰よりもよく知っている。

 

「そうだね」

 

 私は香織を抱きしめた。

 

「でもね。もし、香織が自分のことを男の子だと思うなら、それでもいいんだよ」

「でも」

「今のお医者さんは凄いんだよ? 女の子が男の子になることだってできるんだから」

 

 逆もしかり。

 私が子供だった頃に比べて医学は発達した。未だに性器の問題は解決できてないけど、見た目やホルモン状態なら十分に変えられる。

 もちろん、気軽に変えたり戻したりは利かないけど。

 

「だからね。……あなたが思ってること、全部教えて。できるだけ、あなたがあなたらしく生きられるように考えるから」

「……お母さん」

 

 良かった。

 お母さんとは呼んでもらえるんだ、と、私はそんなことを思った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 話は夜、紫を寝かしつけてからになった。

 帰ってきた昴に添い寝をしてもらっている。嫌がられるようになる前にって冗談めかして笑ってたけど、昴、それ確実に来るからね。

 あ、でも、私はそういうのなかったな。

 どっちかというと母さんが鬱陶しい時があった。子供の頃って性で揺れてたから、どっちを同族と判断すべきか混乱してたんだろう。

 

 話が逸れた。

 

 夜のリビング。

 お茶を入れて、葵と香織の三人で座る。

 

「……えっと」

 

 ぽつぽつと話し始めた香織の話は衝撃的なものだった。

 

 前世の記憶がある。

 成人以上まで生きた男の記憶だ。

 最初は理由のわからない違和感だったけど、最近になって記憶がはっきりした。自己同一性は保持できているものの、女の子扱いされるのが気持ち悪くて仕方ない。

 それは、また。

 

「辛いよね……。わかるよ」

 

 しみじみ頷いたら、香織と葵の二人から「大丈夫かこいつ」って目で見られた。

 

「信じてない?」

「私は正直、混乱してるんだけど、一発で信じるの!?」

「信じたよ。だって、私もそうだったもん」

「はあ!?」

 

 二人の目が「何言ってんだこいつ」になった。

 葵が慌てて言ってくる。

 

「そうだったって……あんたもあるの? その、前世の記憶」

「あるよ。もう遠い昔の話だから割と曖昧だけど。ちっちゃい頃は苦労したなあ。俺は男だってつんつんしちゃって」

「ええ、あれってそういう……? いやいや、そんな話、今まで一度も……!」

「今初めて話したもん。わざわざする話でもないし。話しても信じてもらえないでしょ?」

 

 と、これには香織が「そりゃそうだ」と頷く。

 この辺は同じ境遇の者なら気持ちがわかるだろう。

 

「それにしても香織までって……存在Xか何かの仕業を疑いたくなるなあ」

 

 呪いとは言わない。

 私のせいだとも言わない。それは今の香織を否定することに繋がる。香織が、というか、前世の彼がそうなってしまったのは私のせいかもしれないけど。

 葵が半眼になって、

 

「今、アニメか何かの話は止めなさいよ」

「幼女……本当に転生者? じゃあ、ここはやっぱり『ロウきゅーぶ!』の世界?」

「籠球部? バスケ部ってこと?」

「え?」

「え?」

 

 話が通じたと思ったら急に通じなくなる。

 互いが何言ってるのかわからなくなって見つめ合う私と香織。

 なにそれこわい。

 

「いや、『ロウきゅーぶ!』っていうのは作品の名前で……」

「え、この世界って原作あったの!?」

「知らなかったの!?」

 

 むしろ私としては何で知ってるのと言いたい。

 でも、一番とばっちりなのは葵だ。家族がいきなりわけのわからない話をし始めたんだから、ぶっちゃけホラーとしか言いようがない。

 香織はお茶を啜ると、溜め息をついた。

 

「おかしいと思った。ママは原作キャラだけど、お母さんは影も形もなかったから。おまけにパパとママが結婚してるし」

「え、原作だと昴と葵ってくっつかないの?」

「慧心女バスが初等部を卒業したところで終わってるから、そもそも誰ともくっついてない。順当に行けばもっかんが相手だと思う」

「ああ、智花ちゃんかあ……」

 

 まあ、順当に行ったら多分そうだよね。

 私がいなかった場合、少なくともあのタイミングで葵達が結ばれることはない。

 そうすると、変なところで恥ずかしがり屋な葵はタイミングを逃し続けた挙句、負け犬ヒロインみたいな扱いになっていたかもしれない。

 

「いや、ちょっと待ちなさい! あんたたち、そんな恐ろしい話をなんで当たり前のように……!」

「落ち着いて、葵。別に大した話じゃないから」

「大した話よ!? 私達の人生が、あんたたちの元いた世界では物語になってたってことでしょ!?」

 

 すごい理解力。

 私やさつき、多恵の雑談を長年聞き流していただけのことはある。

 

「そうだけど、それだけだよ。別にここが物語の中の世界ってわけじゃないと思うし、そうだとしても私達が一生懸命生きるしかないのは変わらない。第一私は知らなかったんだよ? 私達の選択は、誰かの手のひらの上だったりは絶対しない」

「……翔子」

 

 瞳を潤ませて私を見つめる葵。

 ちょっと押し倒したくなって――いやいや、我慢我慢。

 何の話だったっけ。

 そうそう、香織の性別? 性癖? の話。

 

「そういうわけだから、私はあなたのこと信じるし、できる限りのことはするよ。でも、私にとってあなたは香織だから、そう呼ぶのは許してね」

 

 微笑むと、香織は苦笑して息を吐いた。

 

「……なんか、衝撃の事実がありすぎて悩みが吹き飛んだ。じゃあ、お母さんは前世男だったのに、ちゃんとお母さんになったんだ」

「法的にはシングルマザー扱いだけどね」

「なるほど」

 

 しばし遠くを見ながら何やら考えた香織は一つ頷いて、言う。

 

「着るよ、着物」

「いいの?」

 

 私だって折り合いつけるのに何年もかかったのに。

 心配をよそに、香織は今度こそ、純粋に笑って言った。

 

「いいよ。どうせ慣れないといけないだろうし。こうなったら、合法的に女体を堪能する方向で行く」

「ああ、その発想は私にはなかったなあ……」

「ちょっと待ちなさい。私、これから娘からセクハラ受けないといけないわけ!?」

 

 葵のツッコミはこの際、いったん無視した。



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ending??.好感度MAXで高一から

ホラー回です。


 目が覚めると高校の始業式の朝だった。

 

「……え、なにこれ」

 

 ハンガーにかかった制服は新品同様。

 入学以降に買った小物や服がない。スマホの日付も一年前に戻ってる。ネットに繋いでみても同じ。タイムスリップしたと認識するには十分な証拠だ。

 でも、原因は全くわからない。

 いったい、いつからループものになったのか。

 

「……とりあえず支度しよう」

 

 私は思考を放棄して朝のルーチンに移行した。

 洗顔して、ウェアに着替えてからランニングをこなし、帰ってシャワーを浴び、洗濯機のスイッチを入れてから朝食の支度を始める。

 炊飯器のセットがしてあったのでお味噌汁にしよう。野菜が欲しいから玉ねぎとキャベツを使う。後はウインナーを炒めて、厚焼き玉子を作る。デザートにフルーツを切ってお漬物を出せば十分だ。

 

 と、朝食が出来上がりかけたところでチャイムが鳴る。

 誰だろう、こんな時間に。

 

「はーい」

 

 火を止めてから玄関のドアを開けると――。

 

「「おはよ」」

「……へ?」

「「何よその顔。来ちゃ駄目だった?」」

「ううん、いいけど……どうしたの、突然?」

 

 尋ねてきたのは親友二人。

 荻山葵と鳳祥。

 朝、二人が揃って訪ねてくるなんて一度でもあっただろうか。いや、ない。

 と、葵たちは顔を見合わせてため息をつく。

 

「始業式、一緒に行こうって言ったじゃない」

「忘れないでよ、そういう大事なこと」

「ご、ごめん」

 

 とりあえず二人には上がってもらう。

 ご飯まだらしいので、葵達の分もご飯とお味噌汁を用意する。まだ起きてこない母さんの分は後で作ればいい。

 炊飯器には明らかに二人の来訪を想定した量のご飯が入っていた。

 

「というか、なんで祥が七芝の制服着てるの?」

「……硯谷に行った方が良かったってこと?」

「え。あああ、ううん、ごめん、そうじゃなくて!」

 

 むっとしているように見えて、その実、涙目になる祥。

 え、そんなキャラじゃなかったよね? 硯谷に行って丸くなってからならともかく、この時点でこんな人懐っこいはず……。

 硯谷。

 祥。

 あの告白のことが頭をよぎる。ついじっと見つめていると、祥は首を傾げて微笑んだ。

 

「なに? どうしたの、翔子?」

「う、ううん、なんでもない。ちょっと寝ぼけてるのかも」

「ふうん。ならいいけど」

 

 祥は深く気にする様子もなく、私の作った朝食を味わう作業に戻った。

 そんな私と祥を葵が見つめて、何やら頬を膨らませる。

 

「なんで二人の世界作ってるのよ」

「なに変なこと言ってるの、葵」

 

 うん、なんか変だ。

 私は「ここ」が単なる一年前の世界ではないことを確信し始めていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「おはよう。相変わらず仲いいな、お前ら」

「おはよう、昴」

 

 クラス分けの掲示板前で昴に会った。

 挨拶して隣に並ぶと、昴はすかさず一歩離れた。

 

「? どうしたの?」

「ああ、いや」

 

 尋ねても煮え切らない返事。

 昴らしくない。まるで私相手にどきどきしてるみたいだ。生身の女の子には基本欲情しないのが長谷川昴という生き物のはず。

 まさか昴まで変なのか。

 思っているうちに祥と葵が私の左右を取る……って、近い近い。さりげなく腕を取ったり、肩に手を置いて背伸びしてみたり、女の子同士とはいえスキンシップが過剰だ。

 葵さんは彼氏いるんだからそっちを気にしないと。って、まだこのタイミングだと付き合ってないか。いや、それにしたって、いつもなら軽い口喧嘩を始めるところだ。

 

 なんか怖い。

 とはいえ、振り払うわけにもいかない。表に集中するフリをして一歩前に出る――と、前にいた背の高い男子にぶつかった。

 

「あ、ごめんなさい」

「い、いや。こっちこそでかくて……って、鶴見?」

「え」

 

 ぶつかったのは香椎くんだった。

 

「香椎くん、だよね。橋田中の。会ったことあった?」

「い、いや、初対面だ。俺が個人的に知ってただけで。……鶴見こそ、俺の名前知ってたのか?」

「うん。有名だもん」

 

 頷くと、香椎くんは一見怖そうな顔に不器用な笑顔を浮かべた。

 

「そうか。鶴見が、俺のことを。ふふ、ははは」

 

 こわい。

 今度は一歩後ずさる私。そこに、背後から元気のいい声が聞こえた。

 

「やっほー、つるみん!」

「なんだよ、長谷川先生に祥まで一緒か! あたしらも誘えっての!」

 

 多恵とさつき。

 七芝の制服を着た二人が当たり前のように挨拶してくる。

 駄目だ、この世界はおかしい。

 私は正気度がガリガリ削られていくのを感じながら、遠い目でクラス分けを確認した。私と祥、香椎くんとさつき、葵と多恵が同じクラスだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そして、おかしな世界の洗礼はまだまだ終わらなかった。

 

 始業式が終わった後、私は「お腹が痛い」と嘘をつき、ちょっと遠い女子トイレに一人で入った。

 息を吐いて制服から取り出すのはスマホ。

 ラインやメールの履歴を見れば、少しは「この世界」のことがわかるだろうと思ったのだ。とりあえず連絡先を開いて――。

 

「え……!?」

 

 あるはずのない名前が幾つも並んでいる。

 香椎愛莉。永塚紗季。袴田ひなた。三沢真帆。湊智花。……竹中夏陽。

 

「なんで……?」

 

 呆然とする私。

 一応、ラインの履歴を見る限り、女バス組と夏陽くんは別口で知り合ったみたいだ。女の子たちとは何度か遊びに行ったりバスケを一緒にやった様子があり、夏陽くんからは「次いつ勝負する?」みたいな連絡ばかり来ている。

 五人とは仲良くなった誰かから紹介されたと考えればまあ、納得はできなくもないけど――いや、でもやっぱり「なんで?」と言いたい。

 

 フラグ管理どうなってるの、この世界の私……!?

 

 心の中で叫んだところで着信。祥あたりかと思ったら美星姐さんからだ。

 

『もしもし、翔子?』

「はい。お久しぶりです。どうしました?」

『にゃはは、久しぶりってこの前も会ったじゃん。例の件、今日この後とかどうかなって』

 

 例の件。

 時期と相手を考えると、

 

「ミスバスのコーチでしたっけ」

『そ。あの子たちもあんたに懐いてるしさ。どう?』

 

 ふむ。

 この後は部活説明会があるけど、別に必須じゃない。明日からの体験入部の方が重要だし、体験入部さえしないで入部届を出すことも可能だ。

 

「わかりました。慧心の初等部ですよね」

『うん。直接体育館に来てくれればいいから。あ、終わったらうちで感想聞きたいんだけど』

「そんなこと言って、ご飯目当てでしょう? スーパーに付き合ってくれるならいいですよ」

『にゃはは、バレたか。おっけー、商談成立。……愛してるぜ、翔子』

「っ」

 

 ぞくっとした。

 美星姐さんのことだから単なる冗談だろうけど、さっきまでの体験を考えると洒落になってない。なので「私も愛してますよ」と冗談めかして返すのは止めた。

 

「そういうのは七夕さんに言ってあげてください。それでは」

 

 教室に戻ると、元桐原女バスのレギュラー組が勢ぞろいしていた。

 事情を話せば、葵たちは揃って不満そうな顔になった。

 祥なんか「なら私も連れてきなさい」なんて言い出したくらいだ。さつきと多恵がそれに便乗しかけたところで葵が助け舟を出してくれなければ拗れていたかもしれない。

 

「美星ちゃんの頼みなら仕方ないか。こいつらの面倒は私が見るから行ってきなさい」

「ありがとう、葵」

「いいわよ。……その代わり、今度何かで埋め合わせしてよね」

 

 その言葉が妙に恐ろしく聞こえたが、私は「うん」と答えるしかなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「やっほーるーみん! 会いたかったぜ!」

「おー、おねーちゃん。おひさしぶり」

「いらっしゃいませ、翔子さんっ。今日はよろしくお願いしますっ」

「来てくださってありがとうございます。本当に、嬉しいです」

「すみません、()()()()。お手数ですが、ご指導いただけると大変助かります」

 

 慧心のみんなは相変わらず天使だった。

 可愛くて優しくて頑張り屋な良い子たちだったけど……違和感がなさすぎた。なんと出会って半年以上、昴がコーチを任期満了した時点のみんなと遜色ないくらいの好意を向けてくれたのだ。

 紗季ちゃんに至っては初めて聞いた呼び方になってるし。

 

 聞けば、男バスとの試合はこの世界線でも組まれているらしい。

 とはいえまだ当日までは間がある。

 元の世界では昴が行くまでミニゲームばっかりであまり練習してなかったらしいけど、こっちのみんなは私の影響か、自分たちなりに少しずつ練習していた模様。

 昴から聞いたスモールフォワード作戦よりはもう少しまともな作戦が組めそう――ううん、愛莉ちゃんが「センター」を務めてくれることだって夢じゃなさそうだ。

 

 三時間ほどの練習に付き合ってみんなと別れ、その際に「また来る」と約束。

 仕事を終えた美星姐さんの車でスーパーに寄り、姐さんのアパートで夕飯を作った。ついでに部屋の掃除をして、日持ちするお惣菜を何品か冷蔵庫に入れておく。

 

「ご飯炊くだけならできますよね?」

「やるやる。翔子の作ってくれる料理は美味しいからね。おねーちゃんには負けるけど」

「この歳で七夕さんに勝てたらプロになれますよ……」

 

 一緒に早めの夕飯を食べて、午後七時くらいにはアパートを出た。

 

「もう帰るのかよ。一緒にパジャマトークしようぜ」

「しません。着替えもないですし」

 

 ドアを閉じる直前、「じゃあ今度用意しとこ」と聞こえたのは気のせいだろう、うん。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 で。

 

「今日こそはっきりさせるから」

「絶対逃がさないから覚悟しなさい」

 

 祥と葵って、強気に迫る時は結構似てるよね……。

 約一週間後。

 寝ても謎の世界線から脱出できなかった私は、慧心のコーチに行ったり、七芝女バスの体験入部に行ったりと忙しい日々を送っていた。

 体験入部で葵ともども「即戦力!」と言われたり、島崎先輩から休日に個人指導を申し込まれたりといった小さな騒動はあったものの、なんとかうまいことやれていると思っていたんだけど……どうやら、のらりくらいとかわしていたのが良くなかったか、親友二人が痺れを切らしてしまった。

 

 母さんの許しを得た上での半強制お泊まり会。

 会場が私の部屋なので、本気で逃げようがない。

 

「布団が一組しかないんだけど……」

「ベッドに二人寝ればいいでしょ」

「葵。正々堂々じゃんけんするわよ」

 

 駄目だ。どうしようもない。

 

「……もう。二人共変だよ」

 

 穏便に済ませるのを諦めた私は、この際、しっかりと話し合うことにした。

 ペットボトルのジュースと保温ポット、急須に湯呑み、こういう時のためのお菓子まで用意して、パジャマ姿の祥と葵と向かい合う。

 私としても今の状況はちょっと不満だったけど、葵たちもフラストレーションが溜まっていたようで、

 

「変なのはあんたでしょ。ここのところ私たちのこと避けてるみたい」

「どうして? ちゃんと答えを出すって言ってくれたのは嘘だったの?」

「へ……?」

 

 雲行きが怪しい。

 これ、些細な感情のすれ違いとかじゃなくて「痴話喧嘩」ってやつに聞こえるんですが……。

 

「あの、どの話……?」

「決まってるでしょ」

「私と荻山があんたに告白した話よ」

 

 はああああああっ!?

 なにそれ聞いてない。というか、普通に考えてありえない。祥の方はまだいいけど、なんで葵が私に告白してるの!?

 

「……昴は?」

「昴は大事な幼馴染だけど、それだけ。私には、あんたの方が大事なの。言ったでしょ……?」

 

 ミニ座卓を回り込むようにして葵が迫ってくる。

 逃げようとしたら、足に手を置かれる。

 

「もう一回言わなきゃ、駄目?」

「あ、え、あああ……」

「荻山。この子、本格的に記憶が混乱してる。もう一回言った方がいい。……二人で」

「そうね。二人で」

 

 祥まで私の腕を掴み、逃げられなくしたところで――両側から押し倒された。

 いい匂い。

 二人の潤んだ瞳が私を見下ろしている。

 

「好きよ、翔子」

「大好き。もう気持ちに嘘はつけない」

「選んで。両方振られてもいいから」

「選ばないなら、このまま、一線を越えさせるけど……?」

 

 本気だ。

 本気で二人とも、私に告白してきてる。

 軽い気持ちで答えていいはずがない。

 でも、断っていいの? この世界の私がどうするつもりだったのか知らないのに。

 ううん。

 

 ――そもそも、断る必要ってあるの?

 

 大好きな葵。

 大好きだと言ってくれたのに、突き放してしまった祥。

 二人は選べと言った。

 私がどっちかを選んでも、()()()()()()()()()、きっと笑顔で受け入れてくれる。

 あれ、何の問題もないんじゃ?

 

 正気度が失われてるのは百も承知だけど、幸せな夢の中にいられるならそれはそれでいいじゃないだろうか。

 

「翔子」

「翔子」

 

 ああ、もう。

 私はゆっくりと目を閉じて――考えるのを止めた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「うわあああああっ!?」

 

 がばっと起きる。

 スマホをがっと掴んで日時を確認。戻ってる。元の世界だ。

 良かった。

 本当に良かったとへたりこむ。あのままじゃ「かゆ、うま」でバッドエンドだ。百合ハーレムを築くことに抵抗のなくなった鶴見翔子さんが手当たり次第に身近な女性を落としていくアレな世界になってしまう。

 

 いや、ちょっと興味あるけど。

 

 ぶんぶん頭を振って煩悩を追い出すと、私は三人分の湯呑みと食べかけのお菓子を片付け、朝の準備を始めた。



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ending14.須賀竜一

こいつ相手は寝取られ感あって無理だろ、と書けないでいたカップリングがようやく書けそうな気がしたので。


「「須賀(くん)と付き合い始めたぁっ!?」

「うん。なんか勢いでそういうことに」

 

 あはは、と照れ笑いしつつアイスティーをかき回していると、向かいに仲良く座った昴と葵は胡乱げな表情で私を見てきた。

 

「翔子。何か嫌なことでもあったのか?」

「弱み握られてるならなんとかするよ? これでも高校女子バスケ界にはそこそこネットワークが──」

「だ、大丈夫だってば。健全なお付き合いってことで合意したし」

「「健全? 須賀(くん)が!?」」

 

 うわあ、まったく信用がない。

 いや、そりゃそうだけど。私達が知ってる須賀くんって傍若無人、唯我独尊、チームメンバーは全員俺の引き立て役、みたいな人だし。

 

「でも考えてみてよ。一般人相手の須賀くんってちゃんと礼儀正しかったでしょ?」

「……まあ、それはそうだが」

「でもねえ……。っていうか翔子、どうやったらそんな話になるのよ?」

「ん。まあ、大した話じゃないんだけど」

 

 私はついこの間のことを思い出しつつ、二人に話して聞かせた。

 

 

   ☆   ☆   ☆

 

 

 それは一本の電話から始まった。

 自室でレシピ本を眺めていた私は、スマホに表示された名前を見て顔をしかめた。

 

「え、須賀? やだなあ」

 

 またよくわからない難癖付けてくるんだろうなあ、と思いつつ、数秒間ディスプレイを眺めた私は、着信が切れる気配がないのを感じてため息をついた。

 しょうがない、出よう。

 

「はい、もしもし?」

『つ、鶴見か?』

「そうだけど」

 

 果たして、スピーカーから聞こえてきたのは高圧的な俺様ボイスではなく、どこか緊張したような少年の声だった。

 印象が違うので戸惑うけど、うん、須賀の声には違いない。

 

「どうしたの、あらたまって? 何か昴に用事とか──」

『ち、違う。今回はお前に用事だ』

「じゃあ、また私に『俺の女になれ』とか?」

 

 まあ、いくらなんでもそこまで執着しないか。

 

 須賀もなんだかんだバスケプレーヤー。バスケで受けた屈辱はバスケで返そうとする。昴に(実質)負けた腹いせに幼馴染を彼女にして好き放題しようとかはちょっとイメージと違う。

 そういうエロ漫画みたいなことしたいなら葵をターゲットにした方がずっといいしね。

 

 と、思ったら。

 

『そうだ』

「へ」

『い、いや待て。違う』

 

 どっちなのかと半眼になる私。

 

『鶴見。近いうちに飯でも食わないか?』

「ご飯? まあ、奢りなら」

『わかった』

「え、即答?」

 

 断り文句のつもりだったんだけど、あの須賀が私なんかにそこまでしてくれるとは。

 

「あの、須賀? ほんとにどうしたの? 悪いものでも食べた?」

『違う。ただ、俺はお前と話がしたいだけだ』

「話」

『ああ。……鶴見。俺と、付き合ってくれないか?』

 

 この期に及んでもなお、私の感想は「なんの冗談?」だった。

 

 

 

 

 でもまあ、せっかく奢ってくれるらしいし……ということで、私は須賀と会うことにした。

 平日はだいたいマネージャーとして部活に出てるけど、夜なら時間が空く。母さんが仕事でご飯を食べてくる日を見計らって待ち合わせをした。

 

 場所はとあるファミレス。

 

 近所には無いチェーン店なので、桐原中のメンバーと食べる時は候補に上がらない。この機会に気になっていたメニューを試してみようとちょっとわくわくする。

 

「よ、よう」

「こんばんは」

 

 須賀は先に着いていた。

 向こうも部活帰りなのか制服姿。ただ、向かいに座った限りでは汗の匂いは感じない。シャワーを浴びてから来たっぽい。

 注文して食べてればいいのに、わざわざコーヒーなんかを飲んでいて、私が席につくとメニューを差しだしてくれる。

 率直に言うと不気味だ。

 

 まあいいや、メニューはだいたい決めてきたけど一応確認して──む、期間限定メニューも美味しそう。奢りだし両方、って言えればいいんだけど、あいにく私の胃袋は底なしじゃない。

 運動するので人並みよりは食べられるけど、大食いというレベルには程遠い。

 悩みに悩んで、元から目をつけていた包み焼きハンバーグのセット(ライス、サラダ、ドリンクバー付き)とデザート二品をオーダー。ライスはお代わり自由なのが嬉しい。

 

 須賀も運動部らしくがっつり系のメニューをオーダーして、一息。

 うん、なんか緊張してるなこいつ。

 

 長身ワイルド系の、性格を加味しなければイケメン。

 今はバスケ中のような威圧感も放っていないので普通に話せそうだ。

 

「それで、電話で言ってた件なんだけど」

「い、いきなりか!?」

 

 ドリンクバーを取ってきてからおもむろに切り出すとあたふたと慌てる須賀。

 

「や、何かの間違いかと思って……。あ、あれ、本気なの?」

「ほ、本気じゃなかったらこんなとこ呼び出すかよ……」

「うーん……。本気ならもう少し気の利いたレストランの方が良いと思うけど」

「お前がここで食いたいって言ったんだろ!?」

 

 そうでした。

 

「ああ……すまん。つい大声出した」

「さっきくらいのツッコミなら慣れてるよ。それより、えっと、じゃあ……」

「お、おう。付き合ってくれ、鶴見」

「なんで……?」

 

 意外すぎて即、問い返してしまう私。

 すると、須賀はこの世の終わりのような顔をしてがっくり肩を落とした。

 

「やっぱ駄目か……」

「え、いやいや! そうじゃなくて! なんで私なのかな、って。他にいくらでも可愛い子見つけられるでしょ、須賀なら」

「可愛い子って、例えば?」

「え? いや、須賀の知り合いには詳しくないけど──従姉妹の子とそのお友達とか可愛かったじゃない」

「はっ。あんなのまだまだガキだろ」

 

 鼻で笑われた。

 従姉妹だからか、割と容赦ない。高校生と中学生ならまあ、そこまでアレな年齢差でもないと思うんだけど……。比較対象にしたのが誰と誰のことかは明言しないけど。

 須賀は顔を真っ赤にして、目を逸らしながらぽつりと言う。

 

「お前よりいい女なんてそうそういねーよ」

「なっ……」

 

 不意打ちすぎる。

 いくら私が特殊性癖の朴念仁とはいえ、さすがにここまでストレートを投げられたら刺さるものがある。

 こっちまで恥ずかしくなってきて顔が赤くなる。

 と、そこに届く料理。ナイスタイミング(?)。

 

 お互いそそくさと食事を始めながら奇妙な間を取って、

 

「まさか須賀から告白されるとは思わなかったよ……」

「……仕方ねーだろ」

 

 フォークを止めて呟く須賀。

 

「あれから試しに彼女作ってみたりもしたけど、お前の顔が頭から離れなかったんだよ」

「っ。……だ、だからって、こんなラブコメみたいな告白の仕方」

「こっちから『付き合ってくれ』って頼むのにデカイ顔して命令なんかできるかよ」

 

 あ、なるほど。

 須賀の中では力関係みたいなのが割と重要なのか。あの時は賭けの対象だったから「俺の女になれよ」とか言えたけど、好きな子に自分から告白して付き合ってもらうなら、ちゃんと礼儀正しく、好感度を上げる努力ができる奴なのだ。

 告白した方が負けの恋愛頭脳戦的な?

 なんていうか、面倒臭いというか、変なところで律儀だ。

 

「変なの」

「わ、悪いかよ」

「ううん。昴相手にツンツンしてる須賀よりはずっと話しやすい」

 

 ちょっとだけ「格好いいんじゃない、こいつ?」とか思ってしまう。

 あ、このハンバーグ美味しい。隠し味はなんだろ。

 

「で?」

「ん?」

「へ、返事は、いつくれるんだ?」

「う」

 

 返事。返事かあ。

 どうしようか、と、私はつい悩んでしまう。

 

 ──普通に考えたら即ノーだ。

 

 だって私、男子にほとんど興味ないし。

 昴とか香椎くん、あとギリギリ上原。成長した夏陽くんとかなら付き合えると思うけど……ってこれ、要するに親しくなってからじゃないとデートとかできないってことか。

 そう考えると、須賀は全く知らない相手じゃない。彼もバスケプレーヤーだから話は合うし、私は彼の対戦相手にならないから攻撃性が向くこともほぼない。

 あれ、別に問題ない……?

 

「鶴見?」

「ごめん、待って。今断る理由を探してるから」

「わざわざ探すなよそんなもの……」

「だって探さないと結論がOKになっちゃうんだよ」

「あ?」

「ん?」

 

 何言ってんだこいつ、みたいな目で見られたので、何言ってんだこいつ、という目で見返した。

 

「断るんだろ?」

「理由がないのに断れないじゃない」

「生理的に無理とかでいいだろ」

「いや、だから別に、付き合うのは嫌じゃないんだってば」

「な」

 

 須賀が真っ赤になった。

 再び沈黙。

 かちゃかちゃと食器が立てる音だけが響いて、

 

「鶴見。もう一度言う。俺と付き合ってくれ」

「……えっと、キスとかそういうのは段階踏んでからってことで良ければ、お願いします」

「い、いいに決まってんだろ!」

 

 がたんと立ち上がった須賀──須賀くんが「よっしゃー!」と声を上げ、周りにいたお客さん達が「なんかよくわからないけどおめでとう」と拍手してくれるのを、私は真っ赤になりながら見つめた。

 ああもう、嬉しいのはわかるけど恥ずかしい……。

 

 

   ☆   ☆   ☆

 

 

「ちょっと羨ましい」

「え、葵と昴だってラブラブじゃない。告白も結構良い感じだったんでしょ?」

「そうだけど、昴って頭でっかちっていうか、奥手じゃない。もっとこう、いい意味で肉食系に来て欲しい時もあるっていうか」

「おい、ちょっと待て。なんだこれ。拷問か。公開処刑か」

 

 葵の惚気が炸裂すると、隣にいた昴がなんとも言えない表情で呟く。

 まあ、昴達のところって色々特殊だからなあ……。もともと幼馴染だから、お互い歩み寄るまでもなく心地いい距離間が出来上がっちゃってるし、そういう雰囲気にならなくても一緒にいられるからこそ、どこでどこまで踏み込んでいいのかわからなくなる。

 逆に言うと別れる心配もほとんど無いんだから、いいことだと思うけど。

 

「それで、その後はどうなの? 須賀くんと」

「うん。お互い忙しくて直接会うのは難しいから、電話したり、グループチャットしてる。あれで可愛い絵文字とか使ったりするんだよ、須賀くん」

「え、何それ見たい」

 

 途端に身を乗り出してくる葵。

 さすがにプライバシーがあるので見せられないけど、本当、須賀くんはあれで結構マメだ。毎日何かしらメッセージを送ってきてくれるし、声が聞きたくなったとか言って電話してきたりもする。

 それでいて、過度にベタベタするわけでもなく、適度なところで自然にやり取りが途切れるので──案外、波長は合っているのかも。

 

「はー、あの須賀がなあ……」

「昴、次会った時にそのネタでからかおう、とか思っちゃ駄目だよ?」

「ははは、しないって。……よっぽどのことが無い限りは」

 

 若干やるつもりがあるっぽかった。

 

「ま、うまく行ってるならいいんじゃないか。滅茶苦茶びっくりしたけど」

「うん。恋っていいものだしね。滅茶苦茶びっくりしたけど」

「ごめんなさい」

 

 直接会って話さないとこれは大騒ぎになるな、と思ってこういう場を設けたわけです。その懸念は正直正しかったと思う。

 

「じゃあ、これからはデートとかするんだ?」

「そうだね。一緒に買い物したりとか、お茶したりとか? それくらいなら友達同士でも普通にやるし、あんまり気にしなくても平気かな」

「「いや、男女ではあんまりしないんじゃ……」」

 

 あー、昴とよく出かけてたからその辺の感覚が麻痺してるのかも。

 でも手とか繋がなかったら割と普通じゃない? そんなことないのかな?

 

「ふふふ、翔子。結婚式には呼びなさいよ」

「いや、さすがに気が早すぎるってば。二週間後くらいに『別れた』ってなってるかもしれないし」

「微妙にリアルな数字出すなよ!」

「やー、でもありえるわよね。須賀くん、翔子が好きで告白したわけでしょ? 手を出していいんだ、ってなったままお預けされて我慢できなくって、初デートで無理やりキスとか」

 

 うん、そんなだったら即別れる。

 我ながら面倒くさい女だと思うけど、そんなのを好きになった須賀くんにも責任がある。私もある程度は合わせようとは思いつつ、ある程度は我慢してもらわないと──と。

 ぽこん、と、グループチャットの新着通知。

 これは、

 

「あ、奈那ちゃんだ」

「お?」

「ん?」

「ほら、須賀くんの従姉妹の中学生。覚えてない?」

「いや、それは覚えてるけど……」

 

 なんだろうと思ったら、道で可愛い猫を見かけたからって写真を送ってきてくれていた。

 すぐに「可愛い!」ってスタンプで返すとドヤ顔が返ってくる。

 

「なんか須賀くん経由でお付き合いのことが伝わったらしくて、『お姉ちゃんって呼んでいい?』とか言われちゃって。一人っ子だからそういうの楽しいなーって、葵? 昴?」

「……なんか俺、翔子が奈那さんの方と付き合いだしても驚かない自信がある」

「私も……」

 

 失礼な。

 そんなことはそうそう……たぶん、まあその、うん。ないんじゃないかな……?



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ending??.元七芝三人娘

※すばるんが女の子だったらというIFです。


 起きたら知らない部屋だった。

 

「ここどこ……?」

 

 転生して女子になった私だ。

 多少の珍事件では動揺しない自信があったけど……これは予想外。

 

 身体は──うん、見慣れた私、鶴見翔子だ。

 体型とか肌の張りから言って、歳も高校生のまま。隣に誰か寝ていたりもしないので、酔ってお持ち帰りした(された)とかじゃないと思う。

 でも、このベッド、

 

「二段ベッドだ」

 

 天井が近い。

 這うようにして下を覗き込むと、布団とパジャマを軽くはだけた状態で、葵がすうすう寝息を立てていた。

 

「な!?」

 

 驚いて頭を上げた拍子にごん、と頭を打った。

 

「いった!?」

「うーん……? どうしたの翔子、朝から暴れちゃって」

「いや、えっと。その。ごめん葵、起こしちゃって」

「いいわよ別に。えーっと時間は……なんだ、いつもの時間じゃない。いつも起こしてくれてありがとね」

「う、うん」

 

 え、なにこれ。

 どうやら私は葵と一緒に住んでるっぽい。部屋の感じからして寮っぽい? クローゼットが二つあってそれぞれに制服がかかってるし。

 って、これって、

 

「す、硯谷の制服?」

「? 当たり前じゃない。私達、硯谷に転校したでしょ?」

 

 呆然とする私に、葵があっけらかんと言った。

 

 

 

   ☆   ☆   ☆

 

 

 

 日付を確認したら一年生の六月だった。

 転校って言ってたから、たぶん、七芝に入った後で硯谷に来たんだ。

 

 でも、なんでそんなまどろっこしいことを?

 

 首を捻りながら洗顔をして、髪を整え、トレーニングウェアを着て部屋を出た。

 登校にはまだまだ早い時間。葵によれば朝練とのこと。バスケ部だよね? とそれとなく尋ねたら「他に何があるのよ」と呆れられた。いや、もう、野球でもテニスでも驚かないつもりだったから、つい。

 

 寮の外に出ると、体操着やウェア姿の生徒でいっぱいだった。

 女子校かつ、生徒全員が運動部所属の硯谷ならではの光景。

 と、近くでストレッチをしていた一人の女の子が声をかけてきて、

 

「おはよう葵、翔子も」

「うん。おはよう昴」

「え。どちら様ですか?」

 

 昴? 今、昴って言った?

 ショートながら女の子らしさを感じる髪型。控えめながら起伏のある胸元。身長は葵より二、三センチ低く、可愛い系の顔には七夕さんの面影がある。

 うーんと、その、昴というよりは、

 

「長良川かえでさん?」

「長谷川昴です」

「ねえ翔子、ほんとに大丈夫? 頭打った時に記憶飛んだとか?」

「それは危ないんじゃ。翔子、脳震盪は見た目じゃわからないから油断すると危ないよ」

「あ、あはは。それは大丈夫。ただその、随分長い夢を見てたみたいで、それとごっちゃになってるっていうか」

 

 私的には(こっち)が夢に思えるんだけど。

 

 

 

 

「昴が男の世界、ねえ。確かにこいつは男っぽいとこあるけど」

「酷いこと言わないで欲しい。これでも女子の自覚はあるって」

 

 ストレッチの後、ランニングをしながら話をすると、幸い葵も昴(女子)もすんなりと受け入れてくれた。

 

「でも、いくらリアルな夢だからってごっちゃになるなんてね。ショージに毒されすぎたんじゃない?」

「や、多恵なら全員男にするんじゃないかなあ」

「あいつならありそうだから怖い」

 

 どうやらこの世界にも多恵とさつきはいるっぽい。

 二人は変わらず制服の可愛い学校に通っているらしい。練習嫌いもそのままか。

 

「で、えっと、まだ記憶が混乱してるんだけど……なんで硯谷に転校してきたんだっけ?」

「女バスが一年活動停止になって、転校する私に翔子達がついてきたんだよ」

「あ、なるほど」

「島崎? とかって二年生がコーチの娘さん(三年)とキスしてるところを見つかったのよね……。ほんと迷惑な話だったわ」

 

 何やってるのきらら先輩!?

 っていうか、いくら現場が見つかったからってキスだけで一年間活動停止? うん、確実に「その先」に発展してた気がする。突っ込まないけど。

 

「相変わらず仲良いわね、あんた達」

 

 元の世界との違いにくらくらしていると後ろから声。

 雑談のためゆっくり走っていた私達に追い付いてきたのは、ファッション誌の読者モデルくらい余裕でできそうな美少女。

 

「祥」

「なに? 幽霊でも見たような顔して」

「ううん。ただ、祥とバスケできるんだなって実感して」

「……なに言ってるの。当たり前でしょ」

 

 つんと顔を背けた祥は再びペースを上げて私達を追い抜いていってしまった。

 

「相変わらずクールだなあ」

 

 元の世界の祥は私に告白してくれたわけだけど、こっちの世界でも同じとは限らない。

 むしろ、昴とか葵に恋してる可能性もある。というかそっちの方がありえそうだ。

 

「うん。翔子は相変わらずだわ」

「ほんとに。なんでこう鈍いんだか」

 

 何故か幼馴染二人に罵倒された。

 

 

 

 

 

「ね、葵?」

「ん?」

「やっぱり昴のこと好きなの?」

「は、はぁっ!?」

 

 シャワーを浴びて朝ご飯を食べて(硯谷の寮の食堂は料理がとっても美味しかった)、着替えに戻ってきたところで、葵に尋ねてみた。

 でも、そこまで大きな声出さなくても。隣の部屋に迷惑がかかりそうだ。

 

「その様子だと、やっぱりそうなんだ」

「いや、ちょっと待ちなさい。無いから。そういうのは一切」

 

 納得して話を打ち切ろうとしたら腕を掴まれた。

 顔が赤い。

 説得力がないにもほどがある。

 

「ほんとに?」

「ほんとだってば。だ、だって昴はただの幼馴染だし。女同士……なのは、別に関係ないっていうか、むしろそういうのは全然ありっていうか、私が好きなのはもう一人の」

「葵、無理しなくていいからね?」

「む、無理なんて別にしてにゃっ!?」

 

 あ、舌噛んだ。

 

「大丈夫? ごめんね、変なこと言って。安心して。私は別に女の子同士の恋愛とか偏見ないから」

ふぉ()ふぉんふぉ(ほんと)?」

「ほんとほんと。もし、私自身が女の子に告白されても気持ち悪いとか思わないよ」

 

 でも、そっか、こっちの世界でも葵は昴のこと好きなんだ。

 わかってたから、残念、っていうことはないんだけど、少し寂しい気はする。

 まあ、もう葵のことは諦めてる──ってはっきり言えるほど吹っ切れてはないけど、少なくとも自分の中で割り切ってはいるから、それでいい。

 むしろ、昴と葵と私、それに祥まで一緒にバスケができるなんて、こんな機会、元の世界ではありえない。

 

「えへへ、そっか、そっかあ……」

「葵? 着替えないと時間無くなるよ?」

 

 いきなり元の世界に戻っちゃう可能性もあるわけだし、せっかくだから目いっぱい楽しんでおこう。

 

 

   ☆   ☆   ☆

 

 

 硯谷ってすごく環境いいんだなあ……。

 

 登校して、放課後まで授業を受けてみて、私は心からそう実感した。

 学校の敷地内に寮があるから登校時間はないに等しくて、ご飯は学食と寮の食堂で栄養満点のあったかいものが食べられて、クラスの誰に話しかけてもスポーツの話ができる。

 百合の花を咲かせてる子がいたりするからか、噂に聞いていた「本当は怖い女子高生活」みたいな絵面もない。女の子からの目を気にする子が一定数いれば、ちゃんと綺麗に保たれる。それでいて男子のセクハラは存在しないわけで、性的な意味を含めなくても私にとっては天国に近い。

 

 家で料理と洗濯と掃除をする生活も苦だとまでは思ってなかったけど、なんだかんだ時間を食われるのはどうしようもなかったし、朝練と放課後練がみっちりあるのを考えても、ここでの生活の方が楽で自由なくらいだ。

 

「翔子、部活いこ?」

「うん。えっと、部室まで連れてってもらってもいい?」

「もー。一晩寝てもそんな調子だったら、今度の休みに病院行きなさいよ?」

 

 普通科の私達と違いスポーツ強化コースの昴とも途中で合流して部室へ向かう。

 ちなみに硯谷の普通科は一般高校のスポーツ科をイメージしてもらった方がいい感じ。なので、硯谷の中でもスポーツ重視の科は、私達の中でもバスケ馬鹿な昴にはぴったりのところだ。

 

「あ、あの、翔子先輩っ」

「?」

 

 廊下で呼び留められて振り返ると、一人の女の子の姿。

 硯谷初等部の制服を着たその子の印象は「大人しいお嬢様」といった感じで、

 

「綾ちゃん?」

「は、はい。都大路綾です」

 

 思わず名前を呼ぶと、嬉しそうにはにかんで頭を下げてくれる。

 よかった、この様子だと知り合いだったみたい。

 

「どうしたの、高等部に用事?」

「あ、はい。いえ、翔子先輩にこれをお渡ししたくて……」

 

 差し出されたのは可愛い花の刺繍が入った新品のタオルだった。

 後ろから覗き込んだ昴が「今治」と呟く。さすがタオルマイスター、見ただけで生産地がわかるとは。

 

「この間、ハンカチをお借りしてしまったので、お礼です」

「そんな、気にしなくていいのに」

「い、いえっ。その、ハンカチ、汚れが落ちなくなってしまったので、代わりに」

 

 あ、なるほど。

 怪我したところを保護するのに使ったとか、そういうのか。見たところ今は大丈夫そうだから、どこかを軽くすりむいたとか、その程度だったんだと思う。

 なら、血の染みがついちゃっても不思議じゃない。

 あんまり断ると逆に気を使わせちゃうかも。

 

「そっか。うん、そういうことなら、ありがたく使わせてもらうね?」

「あ……はいっ。ありがとうございますっ」

「あはは。お礼を言うのは私の方だよ。ありがとう、綾ちゃん」

 

 恥ずかしいのか真っ赤になった綾ちゃんはぺこぺこと何度も頭を下げると初等部の方へ戻っていった。

 

「さすが翔子。年下の女の子に強い」

「「え、昴が言うのそれ」」

「え、私なんかした……?」

 

 後輩の子から懐かれていた話をしたら「それを言うなら葵だって」と昴が言いだし、いや翔子だ昴が葵だ、と無駄な言い争いが部室に着くまで続いた。

 

 

 

 

「やー、元七芝組は今日も賑やかだね」

「麻奈佳先輩」

 

 お疲れ様です、と三人で頭を下げると、松葉杖をついた野火止麻奈佳先輩は屈託なく笑ってくれた。

 

「お疲れ様。いやほんと、転校生が三人も来て、全員バスケ部に入るなんて思わなかったな」

「それ毎回言ってますよね」

「嬉しいからね、すばるん」

「すばるんってなんですか」

「なんとなく?」

 

 なんとなくでそのニックネームとは。

 昴は「すばるん」のニックネームから逃げられないのか。

 

「なんていうか、女たらしなら麻奈佳先輩の優勝だよね」

「ほんと」

 

 葵と二人でうんうん頷いていると、麻奈佳先輩がこっちを振り返って、

 

「君達に言われるのは心外だなー。っと、翔子。くーみんがまたコーチして欲しいってさ」

 

 初等部六年生の塚田(つかだ)久美(くみ)ちゃんのことだろう。同じセンターとして頼ってくれてるのかな。

 私は「わかりました」と笑顔で答える。

 硯谷ミニバスケットボール部の正センターを教えられるほど上手い自信はあんまりないんだけど、やれるだけのことはやってあげたい。

 

「……都大路さんに塚田さん。それに祥まで。まだ転校してそんなに経ってないのに」

「いやー、大変だね葵ちゃん」

「麻奈佳先輩が煽るせいですっ!?」

「?」

 

 葵があんな風に怒るなんて珍し──くはないけど、転校して間もない割に距離が近い。

 麻奈佳先輩パワーか、それとも、葵の好きな人はこの人だったのか。

 そういえば葵って麻奈佳先輩に憧れてたんだっけ。

 

「同じ部屋なんだからいっそ襲っちゃえばいいのに」

「おおお、襲うとか何言ってるんですか!」

 

 襲うってなんだろう。

 もし葵に性的な意味で襲われたらただの役得なんだけど、葵がそんなことするわけないだろうし。

 

「着替えよっか、昴」

「……いや、ほんと。刺されるなよ翔子」

「え、襲われるってそっちの話!?」

 

 

 

 

 

「昴は恋愛とか興味ないの?」

「無い」

「即答かあ」

 

 七芝女バスより一回りか二回り厳しい練習を終えて、夕食。

 三人でテーブルを囲みながら尋ねると、昴はきっぱりはっきりと色気のない答えを返してきた。

 

「勿体ない。モテそうなのに」

「私がモテるとかないって。色々足りてないし」

 

 そうかなあ。

 まあ、胸はあんまりないかもだけど、ちっちゃくて可愛いし、七夕さん譲りの童顔が男受け悪いはずない。

 

「翔子はちょっと身長分けて欲しい」

「あげられるものならあげたいけど。もらうなら葵の胸の方じゃない?」

「っ」

「いや、いらない。余分な脂肪があると速度が落ちる」

「あんたはほんとそればっかりよね……」

 

 溜め息をついた葵はそのまま何かをぶつぶつ呟きだす。

 

「もうちょっと小さい方が好みだってこと? 胸を小さくする方法……ああもう、相手が男ならこんな悩み方しなくていいのに」

 

 大変だなあ……。

 

「葵はそのままで十分可愛いよ」

「誰のせいで悩んでると思ってるのよ!」

ひはいひはい(いたいいたい)

 

 頬をひっぱられて睨まれた。

 

「はは……。っと」

 

 私達のやりとりを苦笑しながら眺めていた昴のスマホにぴろーんと着信。

 

「げ」

 

 あまり女の子らしくない呻き声を上げてスマホをしまおうとした彼──もとい、彼女。そこに再びぴろーんと着信。

 ぴろーん。ぴろーん。ぴろーん。

 ぴろぴろぴろーん。

 連続して来るなあ、とか思ってたら私達のスマホまで鳴り出した。

 手に取ってグループチャットの通知からアプリを立ち上げると、

 

『薄情者! バスケ部の顧問とかちょー大変なんだけど! 助けろ!』

 

 美星姐さんからの悲鳴だった。

 あー、そっか、私達が三人揃って硯谷に来ちゃったから、愛莉ちゃんたちの指導は美星姐さんがやるしかないんだ。

 

「いっそさつきと多恵に頼むとか」

「あの子たちなら人気は出るでしょうけど、気づいたらバスケ部じゃなくなってそう」

「言えてる」

 

 まあ、顧問を引き受けた美星姐さんが悪い。

 どうしても無理なら専門の人呼ぶとかするでしょ……と、私達は食事を続けたのだった。



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おまけ 小学生with小学生
翔子(小五)、バスケ部を作る


「ending??.三度目は小学生」の続き的なアレです。


「うん、いいよ」

 

 あっさりすぎませんか美星姐さん。

 

 思わず心の中でツッコミを入れてしまうくらい、顧問探しは簡単に終わった。

 とりあえず担任に聞いてみようと職員室に行って直談判したら二つ返事でOKである。ちょろいというか、姐さんの優しさがすごい。

 私と智花ちゃんがぽかんとするのをよそに、真帆ちゃんは大喜び。

 

「いいの!? やったー、ありがとみーたん!」

「にゃはは、そんなに嬉しそうにされると照れるだろ」

 

 言いつつ、姐さんはぴっと指を立てて、

 

「でも、一つだけ条件がある」

「ふえ、じょーけん?」

「そ。それはね、部員を五人以上集めること。新しい部活を作るには、顧問の先生と、五人の部員が絶対必要なの。だから――」

 

 私と智花ちゃんに視線が向けられて、

 

「後二人以上、集めてからまた来な」

「おっしゃー! 二人くらい余裕だし! もともと三人集めるつもりだったもんね!」

「お、その意気その意気。頑張りな」

 

 意味ありげに微笑まれた。

 いや、真帆ちゃんの人脈を使えば、私が何かする必要もないと思うんですが。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「嫌。他を当たりなさい」

 

 一人目から難航の予感。

 栄えある部員候補第一号、永塚紗季ちゃんは「一緒にバスケしよ!」という真帆ちゃんの誘いをきっぱりと断った。

 ちなみにこれは()()()の勧誘。

 真っ先に勧誘に行ったら「顧問の先生のあてはあるの?」とため息と共に言われたので、顧問を決めて出直してきたんだけど。

 話をする前提条件を満たしたからあらためて断る、という無慈悲な結果である。

 

「鶴見さんも、こいつの思いつきに一々付き合わなくていいわよ」

 

 こっちに視線が向けられたので、私は微笑んで首を振る。

 

「ううん。私がしたくてしてるんだよ」

「………」

「………」

 

 紗季ちゃんと智花ちゃん、二人の視線が突き刺さる。

 

「私もバスケしたいの。だから、真帆ちゃんに付き合わされてるんじゃない。むしろ真帆ちゃんが私に付き合ってくれてるんだよ」

「そう……」

 

 紗季ちゃんは何かを考えるように黙って、それから首を振った。

 

「でも駄目。お店の手伝いもあるし、運動なんて体育で十分だもの」

「そっか。紗季ちゃんがいてくれるとすごく助かるな、って思ったんだけど」

 

 見た目は完全にインドア系だもんね。

 真帆ちゃんとは事あるごとに張り合ってたみたいだけど、バスケ部を作るまでは真帆ちゃんの方も本腰入れてスポーツやってたわけじゃないはず。

 真面目に体育をやって、後は理論と実践で十分ついていけてたのかも。

 

 ――でも、ここからはそうはいかない。

 

 真帆ちゃんがしっかりバスケに取り組むようになれば、運動能力には大きな開きが出てくる。

 とはいえ「このままだと負けるよ」なんて挑発の仕方はしたくない。

 

「出直してこよっか、真帆ちゃん」

「うー、サキの意地悪! いいもん、何度でも頼んでやる!」

「はいはい。おととい来なさい」

 

 やや適当な感じで追い払われ、説得は後日に持ち越された。

 

 先に他の子を誘うという手もあったけど、真帆ちゃんは紗季ちゃんの説得に拘った。ムキになって視野が狭くなっているというのが一つ、もう一つは、なんだかんだ一緒にいる一番の仲良しだからだろう。

 実際、紗季ちゃんも変に距離を取ったりはしなかった。

 いつも通り真帆ちゃんの世話を焼きつつ、でもバスケはしないという、格好いいくらいにさっぱりした態度を貫いていた。

 

 残念ながら翌日も説得に失敗。

 「三顧の礼」とはいかなかった。まあ、あれって一国の主がわざわざ自分の家まで訪ねてきて、っていう前提だもんね。学校で毎日会う友達とは前提条件が違う。

 条件。

 今の状態じゃ何かが足りてない?

 ゲーム的に言うと「立っていないフラグがある」か、「好感度が足りない」か。後者ならこのまま頼み続けるだけでいいかもしれないけど、現実的には会話をして好感度が下がることだってある。

 

 どうしたらいいんだろう。

 

 悩んだ末に私が取ったのは、意味があるのかわからない一つの行動だった。

 

 

 

 

 

 

「急に『美味しいお好み焼きが食べたい』なんて」

「だって、ここのお好み焼き、すごく美味しいらしいんだよ」

 

 母さんを誘って暖簾をくぐったお店は、当然『なが塚』だ。

 

「アツアツのお好み焼きを食べながら焼酎をぐいっと――」

「いいわね。行きましょう」

 

 ちょろい。

 夜の訪問だったけど、夕飯をちょっと我慢して遅い時間に行ったせいか、ほとんど待たずに入ることができた。

 

「いらっしゃいませ……あら」

「まあ。なが塚って……永塚さんのお店だったんですね」

「ようこそ。娘さんも一緒なんですね」

 

 私と紗季ちゃんは同じクラス。

 お母さん同士も保護者会で会ったことがあるようで、お互い一発で知り合いだと理解していた。授業参観のせいか私の顔も割れてるみたい。

 紗季ちゃんはお店にはいないみたいだ。残念。

 

「来てくれてありがとう。ゆっくりしていってね」

「はい。ありがとうございます」

 

 紗季ちゃんのお母さん――亜季さんに微笑みを返して、メニューを見る。

 

「あ、日本酒もある。ビールも……。翔子、どれが合うと思う?」

「私に聞かないでよ……。お好み焼きメインならビール、お酒メインなら日本酒、バランスが良いのは焼酎じゃない?」

「ビール、焼酎、日本酒の順で頼むのもいいわね」

「私に聞いた意味は?」

 

 メインは豚玉と、ネギ入りの豚玉にした。

 母さんは他にお酒とおつまみを注文し、私にもおつまみをつまませてくれる。それだけで食べるには味が濃い目だけど美味しい。

 ご飯が欲しくなるけど、小五の食事量的に我慢すべきか。

 やがてお好み焼きのタネが運ばれてくる。自分で焼いてもいいし、頼めばお店の人で焼いてくれる。融通のきくシステムになっている。

 

「私がやっていい?」

「私のもお願い」

「はいはい」

 

 母さんは既にビールを飲んでる。

 タネを混ぜて鉄板に載せたら、ヘラの二刀流で整え、ひっくり返す。うん。身体が小学生に戻ってるせいで勝手が違うけど、なかなか上手くできた。

 

「すごい。お上手」

「でしょう? 食事の支度もよく手伝ってくれるんですよ」

 

 手伝いとは、準備から調理までを一手に引き受けることを指します。

 

「もう、母さんは調子いいんだから」

 

 『なが塚』のお好み焼きはやっぱり美味しい。

 基本の豚玉もいいし、ネギ入りのも香りがいい。これはお酒にも合うだろうなあ。

 二つのお好み焼きを二人でシェアして食べていると、二階に繋がる階段からとんとんと足音が聞こえて――。

 

「お母さん。シャープペンの替え芯ってまだ――」

「あ、永塚さん」

「鶴見さん? どうして?」

「お好み焼きを食べに来たんだよ」

 

 八分の一カットのそれを持ち上げて答える。

 

「永塚さんの顔を見てたら食べたくなって」

「うふふ、紗季はうちの看板娘だものね」

「お、お母さん! 恥ずかしいから!」

 

 紗季ちゃんの声が響くと、お店にいた他のお客さんも笑う。

 常連さんも多いのだろう。

 身内が占拠してるって意味じゃなくて、味とアットホームな雰囲気から自然と常連になっちゃうって感じ。

 顔を赤くした紗季ちゃんが囁くように尋ねてくる。

 

「本当に、食べに来ただけ?」

「うん。……あ、あと、永塚さんと仲良くなりたかったから、かな」

「っ」

 

 目を逸らされた。

 

「別に、仲いいでしょ。よく話すし」

「そうなの? 翔子ちゃん、これからも紗季と仲良くしてあげてね」

「はい、もちろんです」

「お母さん! 鶴見さんも!」

 

 恥ずかしそうな紗季ちゃんはすごく可愛かった。

 それから、母さんが「もう飲めない」って言いだすまでゆっくりしてから、タクシーで家に帰った。

 何をしに行ったのかといえば、言った通りお好み焼きを食べに行ったのだ。あわよくば好感度を上げようという目論見はあったけど、あんまり強引に押す気はない。

 必要があったかといえば、やっぱりなかった気がする。

 

 でも、紗季ちゃんとはちょっと仲良くなれたんじゃないだろうか。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 次の日。

 私と智花ちゃんは「本当のお金持ちの恐ろしさ」を知った。

 

「はい、サキ。これあげる」

 

 朝のHR前。

 紗季ちゃんと雑談を繰り広げていた真帆ちゃんが、思い出したように取り出したのは、何やら箱状のものが入った紙袋だった。

 受け取った紗季ちゃんも怪訝そうな顔になって首を傾げる。

 

「あげるって、何よこれ? お父さんのところの新製品とか?」

「ううん」

 

 真帆ちゃんはあっけらかんと首を振って。

 

「バスケで使えるサキ用のゴーグル。かっこいいやつ。おとーさんにお願いして、知り合いの人に作ってもらったの!」

「はあ!?」

 

 私はすぐに「ああ、あのアイガードか」と思い当たった。

 視力の低い紗季ちゃんは練習の時や試合中、特注品のアイガードを身に着けていた。真帆ちゃんからのプレゼントなのは知ってたけど、まさか、勧誘に成功する前から注文していたとは。

 っていうか、この日数で完成してるって……。

 二回目の勧誘が失敗した時点で動いていたとしても、確実にお急ぎ注文だよね。いったいいくらかかったのか。

 

 真帆ちゃんに甘々な風雅さんに加え、紗季ちゃんを気に入ってるらしい萌衣さんの働きかけがあったのかも。

 

「待ちなさい。私、やらないって言ったでしょ。なんでこんなもの――」

「しょーがないじゃん、作っちゃったんだから! セキニン取ってバスケやろ! やって!」

 

 子供か。

 なんとなく智花ちゃんを見ると、彼女もまた困惑した様子で私を見ていた。

 

 ――知ってた? ううん、知らない。

 

 でも、うまい手かもしれない。

 勝手にしたことである以上、OKする必要はもちろんないんだけど、紗季ちゃんの性格からすれば、

 

「……わかった。やればいいんでしょ、やれば」

 

 やっぱり。

 紗季ちゃんは溜め息をついて頷いた。

 しょうがないなあ、この子は。そんな感じ。我が儘な妹に困ってるけど、そんな妹が愛おしくて仕方ない、みたいな。

 一方の真帆ちゃんはOKが出た瞬間に大喜びで、

 

「やった! やっぱりもつべきものはトモダチだよね!」

「調子のいいこと言ってるんじゃない。ほとんど脅迫でしょ、これ」

「キョーハクじゃないもん! ワイロだもん!」

「また変な言葉覚えて……。それ、いいことじゃないから」

 

 無邪気な真帆ちゃんに冷静な紗季ちゃん。

 このコンビが部活でも見られる。

 ほっとした私は席を立って二人に駆け寄った。

 

「ありがとう、永塚さん。引き受けてくれて」

「……鶴見さん。気にしないで。このアホの面倒が私が見ないと不安だって思っただけだから」

「あはは」

 

 私は苦笑した。

 真帆ちゃんは「アホってゆーな!」と怒ってるけど、彼女が短絡的でないかといえば、その、うん。明言を控えさせていただきます。

 でも。

 結果を見れば、私が予想していた通り。

 真帆ちゃんに任せておけば上手くいった。彼女のカリスマ、人を惹きつける魅力はやっぱり本物だ。こういう純真な子に人はどうしても惹かれるものなんだろう。

 

 ともあれ、これで四人。

 

「真帆ちゃん、次はどうするの?」

 

 私が尋ねると、元気のいい声が返ってくる。

 

「まかせろ! もうメボシはついてるもんね!

「本当?」

 

 私は智花ちゃんを手招きし、四人で彼女の話を聞く。

 真帆ちゃんの口から出てきたのは、あの子とあの子の名前。

 

「アイリーンとヒナ! キミにきめた!」

 

 名前を呼ばれた二人が振り返る。

 智花ちゃんが目を見開く。

 何かを感じたのかもしれない。私もその瞬間、運命の巡り合わせを感じた。

 一人余計なのが混ざってるけど――この子達は五人になるべきだ。

 

「わ、わたし?」

「おー、ひなのこと、よんだ?」

 

 困惑した様子の愛莉ちゃん。

 無垢な笑顔のひなたちゃん。

 二人が反応してくれたのをいいことに、真帆ちゃんはその場で声を張り上げる。夏陽くんが心底鬱陶しそうな顔をしたけど、そんなことは気にも留めていない。

 

「うんっ。二人とも、あたしと一緒にバスケやろーぜ! サキと翔子と、ええと、もっかん! これだけいれば試合もできるんだって!」

「……できねーよばーか」

 

 夏陽くん、やめてあげて。

 真帆ちゃんが言ってるのは3on3のミニゲームのことだから。公式戦に出られないのは折を見てちゃんと教えるから。

 まあ、幸い聞こえてないみたいだけど。

 

「ほーい。みんな、私が来たぞー。席につけー」

 

 美星姐さんがやってきたので、話はそこで中断された。

 でも、次の休み時間。

 詳しい話――って言っても、バスケできる子が二人いるから一緒に遊ぼう! で終わりだけど――をしたところ、愛莉ちゃんとひなたちゃんは、またも拍子抜けするくらいあっさりと快諾。

 

「うん、いいよ。私でよければ」

「おー。ひなもいっしょにあそびたい。あそんでいいの?」

「もち! ぜってー楽しいから一緒にやろ!」

 

 揃った。

 

「……揃っちゃった」

「うん、揃ったね」

 

 私は微笑んで智花ちゃんの手を握った。

 

「バスケできるよ、湊さん」

「っ」

 

 智花ちゃんは感極まったように唇を噛んで、それから小さく微笑んだ。

 数日後。

 美星姐さんを介した部の設立申請は正式に受理された。

 

 届け出用紙に記載された部員は六名。

 部長の欄に記されたのは――私、鶴見翔子の名前だった。

 

「……なんで?」

「なんでって、それは」

「もちろん」

 

 言い出しっぺだから。

 部長とかかっけーけど、めんどっちーのは嫌だから。

 目立つのはちょっと苦手かも。

 おー、ひな、ぶちょうさんやるよ?

 

 などなどの理由によるものだった。

 

「どうしてこうなった」

 

 歴史が早速変わってしまった。

 まあ、真帆ちゃんが部長だからどうこうって場面、私が知ってる限りでは無かったし。部長なんてただの裏方みたいなものか。

 

「鶴見さん、活動日は?」

「週三日。それ以外の日は男子のバスケ部が体育館を使ってるんだって」

 

 こうして、慧心学園初等部女子ミニバスケットボール部は無事に設立されたのだった。



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翔子部長、初仕事をする

 女バスの活動は月、水、金の週三日。

 場所は主に体育館。

 走り込みなどで一時的に他の場所を使ってもいいけど、他の部や生徒に迷惑をかけないこと。

 顧問の美星姐さんは基本的に名前を貸すだけで、練習には参加しない。

 

「智花と翔子がいれば指導は大丈夫でしょ。私がいたらみんな気を遣っちゃうし」

 

 とのこと。

 

「そんなこと言って、ほんとはめんどっちーだけだろみーたん」

「にゃはは、バレたか」

 

 なんてやりとりがあったけど、本当に気を遣ってくれてるんだと思う。多分、理由の七割くらいは。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 部長になった私の初仕事は、部員と話をすることだった。

 

「これからよろしくね、香椎さん。それから袴田さん」

 

 智花ちゃん、真帆ちゃん、紗季ちゃん以外の残り二人。

 説得するまでもなく、二つ返事でOKをもらってしまったため、愛莉ちゃん&ひなたちゃんとは碌に話をしていない。もちろん、同じクラスなので、部活の件に関係ない交流はあったはずだけど。

 

 ひなたちゃんを苗字呼びするのはなんかすごく違和感あるなあ……。

 と。

 

「うんっ。よろしくね、鶴見さん」

「おー。しょうこ、ひなのことはひなって呼んでください」

「ありがとう。じゃあ、ひなたちゃんって呼ぶね」

 

 昼休みを使って会話の機会を作ると、二人とも笑顔で答えてくれる。

 屈託がない良い子達だ。

 真帆ちゃんとは仲が良かったとはいえ、いきなり「バスケ部に入って」とお願いされて受けてくれるくらいだもんね。

 

「二人とも、バスケ好きなの?」

 

 ここは確認が必要だろうと尋ねると、二人は揃って首を振った。

 

「ううん」

「ありませんな」

「じゃあ、どうして?」

 

 首を傾げる私。

 

「真帆ちゃんのお願いだったから、かな」

「ひなも、まほとあそびたかった」

「そっか。やっぱりすごいなあ、真帆ちゃんは」

 

 誰とでも仲良くなれる。

 部長はやっぱり彼女の方が良かったんじゃないかと思ってしまうけど。

 

「鶴見さんもすごかったよ。この間の、体育のとき」

「おー。ひなもみました。かっこうよかったです」

「あはは、ありがとう。でも、湊さんがいてくれたお陰だよ」

 

 そっか、あの試合をみんなも見てたんだよね。

 夏陽くんを擁する男子に圧勝しちゃったんだから、憧れる子だっているだろう。

 

「しょうこ。ひなでも、かっこうよくなれる?」

「もちろん。でも、練習は辛いこともあるかもしれないよ?」

「もちろんです。かくごのうえ」

 

 愛莉ちゃんもこくんと頷いてくれる。

 

「えへへ、大丈夫だよ。鶴見さんも湊さんも、紗季ちゃんも――みんな優しいから」

「っ」

 

 不意打ちに頬が熱くなる。

 愛莉ちゃんが可愛い。胸とか身長で男子からからかわれてたみたいだけど、そりゃ、こんな優しくて可愛い子がいたら男子はそうなるよ。

 照れ隠しの意地悪って女子には逆効果なんだけど。

 

「良かった。私も湊さんと話し合って、なるべく楽しめる活動にするね」

 

 言ってから、一つだけ釘を刺す。

 

「あ、でも。もしまだだったら、お父さんやお母さんにはちゃんとお話しておいた方がいいと思う」

「うん。一応、部活に入りますって言ってあるけど……」

「それなら大丈夫かな? ほら、放課後に運動するから体操服が足りなくなるかもしれないし、洗濯も大変でしょ?」

「あ、そっか。そうだよね。一週間に三回だから……」

 

 部活があった次の日の朝に洗って夜までに乾かせばいいわけだけど、体育と被ったり被らなかったりするのがネック。

 被った日に同じ体操服をもう一回着るのかとか、洗濯のローテーションによっては二、三着、あるいはもっとあってもいいと思う。

 育ち盛りの時期に何着買うかは悩みどころ。

 

 他にも、将来的に体育館履きの替えかバスケシューズ、スポーツブラとかも必要になってくる。

 

 慧心に子供を入れられるご家庭なら何も考えずにぱーっと買えるかもだけど、いらない軋轢は減らしておいた方がいい。

 

「……そういえばお兄ちゃんも」

「香椎さん、お兄さんがいるんだ」

「う、うん。お兄ちゃんもやってるの、スポーツ」

 

 スポーツ、か。

 バスケと言わなかったのは、疎遠になってるから気まずいのかな。

 それなら私もこれ以上は突っ込まない。

 

「そうなんだ。それならお母さんも慣れてるかもね」

「そうだね」

 

 愛莉ちゃんもほっとしたのか微笑んでくれる。

 実家がスポーツジム経営してるアスリート一家だもんね。愛莉ちゃんはバスケ始めるまで縁がなかったけど、お母さん自身も経験者だから平気だろう。

 ひなたちゃんの方も、怪我の心配とかで引っかからなければ平気だと思う。

 

 そしてやっぱり。

 次の日、愛莉ちゃんもひなたちゃんも「オッケーだった」と報告してくれた。

 ほっと一安心。

 それじゃあ、いよいよ活動を始めていけるかな。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「次の月曜日から始めるよ」

「おっしゃー待ってました! 早くやりたい!」

「落ち着きなさい。翔子が困ってるでしょ」

 

 真帆ちゃん紗季ちゃんに始動を伝えると、対照的な反応が返ってくる。

 っていうか、今。

 

「永塚さん、私のこと『翔子』って」

 

 意図的だったのだろう。

 紗季ちゃんは得意げに私を見て小さく笑みを浮かべた。

 

「駄目? もともと仲良かったし、部活仲間になるわけだし。いいかと思ったんだけど」

「う、ううん。駄目なわけないよ!」

 

 ただちょっと驚いただけで。

 前の時は紗季ちゃんだけ「鶴見さん」だった。なのに、一足飛びに名前を呼び捨てしてもらえるなんて。

 

「なんなら『部長』って呼びましょうか」

「いやいや、翔子で大丈夫だよ! 私も紗季ちゃんって呼ぶから」

「紗季でいいわ。その方が楽だし」

 

 と、そんなやり取りをしていると、

 

「むー。サキと翔子が仲良くなってる。あたしもあだ名考えよっかなー」

 

 頬を膨らませた真帆ちゃんが首を傾げ、

 

「えっと、しょこたん!」

「やめて」

 

 今回もそのあだ名は勘弁してもらった。

 その後、「ルミ姉」とかになりかけたり、私のあだ名は二転三転した挙句、「サキがサキなんだからショーコでいーや」ということになった。

 「るーみん」は案にさえ上がらなかった。

 「つるみん」が先にないと連想されなかったのか、お陰で私は真帆ちゃん紗季ちゃんと名前呼びをしあうことになったのだった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……なんだか、夢みたい」

 

 智花ちゃんと一緒の下校中。

 並んで歩いていると、小さな呟きが耳に入った。

 

「夢じゃないよ」

 

 答えると、智花ちゃんは何度か瞬きをしてから頷いた。

 

「うん」

 

 部活の運営方法の相談にはラインを使うことになった。

 今週末はお稽古なんかで忙しいので、出歩くor私を家に招く暇がないそうだ。私も暇さえあればお母さんの相手(将棋)をしてるけど、智花ちゃんも忙しい子である。

 

「そういえば、智花ちゃんのお家の人は大丈夫だった?」

「え」

「バスケ、もう一回するの。もうやらなくていいんじゃないか、とか、言われなかった?」

 

 前世(仮)での彼女がどうしたのかは詳しく知らない。

 でも、忍さんがバスケに偏見を持っていたのは知ってる。

 

 ――智花ちゃんが足を止めた。

 

 答えが来るにはちょっと間があった。

 

「……なんでわかっちゃうんだろう」

「じゃあ……!」

「大丈夫だよ。お話して、わかってもらえたから」

「本当? それなら良かった」

 

 ほっとする。

 もし、ここで決定的な問題があって、友達の助けが必要なら、真帆ちゃんたちが首を突っ込み――花火大会前に忍さんと会っていただろう。

 そうじゃなかったということは、たぶん、本当に大丈夫。

 

「鶴見さんは」

「?」

「鶴見さんは、ドラえもんみたい」

「私、あんなに太ってないよ……?」

 

 何かもうちょっと可愛いのにならないだろうか。でも白いクソ運営とかも嫌だし……って、そういう意味じゃないのはわかってるけど。

 智花ちゃんも首を振って、

 

「そうじゃないよ。私が困ってる時、助けてくれるから」

「そんなの、特別なことじゃないよ」

「え……?」

()()が困ってたら助ける。そんなの当たり前でしょ?」

「あ……」

 

 前の感覚がまだまだ残ってるけど、今の私は智花ちゃんたちと同い年。

 先輩後輩でも、コーチと教え子でもない。

 友達。

 慧心女バスの中に入るのは申し訳ないような、気恥ずかしいような複雑な気持ちがあるけど、同時にみんなと友達になりたいとも思ってる。

 だから。

 

「永塚さんに言われたの。紗季って呼んで欲しいって」

「………」

「湊さんのことも、『智花』って呼んでもいい?」

 

 智花ちゃんが目を見開く。

 頬が赤くなって、何度も瞬きをして、それから首が縦に振られた。

 

「うんっ、もちろん……っ」

「良かった」

 

 私は微笑んで、智花ちゃんに――智花に駆け寄る。

 

「これから頑張ろうね。智花」

「うんっ。し……つ、鶴見さん」

 

 あ、翔子って言いかけて止めた。

 恥ずかしいよね、こういうの。よくわかるけど、こういう時はいじり倒すべきだと思う。

 

「智花? 私のことも名前で呼んで欲しいな」

「え、えっと……ふぁう」

「智花? とーもか?」

 

 しばらく「智花」を連呼していたら、悲鳴を上げて逃げられてしまった。

 

「そ、そんな急には無理だようっ!」

 

 残念。

 でも、週明けの月曜日。朝の挨拶で、

 

「お、おはよう……し、翔子」

 

 って、消え入りそうな声で智花は言ってくれた。

 物凄く恥ずかしそうな顔が可愛くて可愛くて、抱きしめそうになってしまったのはここだけの秘密である。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そして。

 慧心女子ミニバスケットボール部、初の活動日がやってきた。

 

「あたしは三年待った!」

「や、三週間も待ってないでしょ」

「わたし、放課後に体操服着るの初めて……」

「おー。たいいくかん、ひろいですなー」

 

 智花ちゃんも含めてみんな体操服。ジャージを着てる子はいるけど、シューズもみんな、ただの体育館履きだ。

 いかにも「素人の集まりです」って感じがすごく新鮮。

 桐原中の女バスは和気あいあいとした雰囲気が強かったけど、既存の部だから上下関係があった。でも、この女バスは新しい部なので私達六人しかいない。

 

 何をするかは全部、自分達で決める。

 ここから始まるんだ、っていう感じがすごく、

 

「やばい、マンガっぽい!」

「あはは、そうだね」

 

 真帆ちゃんの言う通り。

 訳あって転校してきたトラウマ持ちの天才的エースに、押しの強い純真な初心者が一目惚れして部を形成する。初心者の寄せ集めだった部は色んなトラブルを乗り越え、やがては全国を目指せるまでのチームに……なんて、まるっきりスポ根もののマンガだ。

 もちろん主人公は智花。パートナー役は真帆ちゃん。

 成長した真帆ちゃんがやがて、主人公智花の最大のライバルとして君臨、人気投票で一位を争うようになるのだ。

 

 そういうマンガだとすると、私・鶴見翔子の立ち位置は「いかにも怪しい謎の部員」。

 実は他の学校のスパイだったりとか、とある強豪校を倒してもらうためだけに他の部員を焚きつけた性格の悪い子とかそういうのだ。

 読者視点なら「誰か怪しめよ!」とツッコミが入ることうけあいである。

 

 と、それはともかく。

 

「ね、ショーコ。今日は何するの!?」

 

 わくわくしながら尋ねてくる真帆ちゃんに私は笑顔を返した。

 ちなみに、その隣では紗季ちゃんが例のアイガードを着けた姿で「甘やかさなくていいから」という顔をしている。

 智花とは相談済みなので、彼女は苦笑い。

 ひなたちゃんはいつも通りにこにこしていて可愛い。

 

「うん。最初だし、3on3の試合をやろっか」

「よっしゃー! さっすがショーコ!」

「ああ、もう……。始まる前からはしゃぐな馬鹿真帆」

 

 紗季ちゃんがため息まじりに窘めるも、もちろん、何の考えもなく試合を選んだわけじゃない。

 

「まず私と智花ちゃん以外、四人でじゃんけんして、リーダーを二人決めてくれる? そのあと、リーダーの人がもう一回じゃんけんして、順番に一人ずつ仲間を選んでいく感じで」

「なるほど、ゲーム形式ね」

 

 早くも紗季ちゃんが頷いたように、敢えてゲーム要素を強めて楽しんでもらうのが狙い。

 最初の活動ってすごく大事。

 苦手意識を持たれちゃうと取り返すのがすごく大変だから、まずは楽しく遊んで、部活に好印象を持ってもらう。そこから少しずつ基礎練を入れていって上達を目指せばいい。

 

 ――じゃんけんの結果、リーダーは真帆ちゃんと紗季ちゃんになった。

 

 先行は真帆ちゃん。

 順に仲間選びを行い、真帆チームは智花と愛莉ちゃん、紗季チームは私とひなたちゃんになった。

 経験者が一人ずつなのでバランスが良い。

 ちらりと智花を見ると、彼女は微笑んで頷いてくれる。お互いが相手の時以外は手加減する。これも前もって決めたルールだ。

 

 作戦は上手くいった。

 智花は極端に点を譲りすぎないように調節してくれ、経験者と初心者では明確な差がありつつも、全く歯が立たないわけでもないくらいを演出。

 運動がそんなに得意じゃない愛莉ちゃんやひなたちゃんも、パスを出したりしてチームに貢献。

 ちょうどいい点差で真帆チームが勝利すると、紗季ちゃんが眼光鋭く「もう一戦」を懇願。リーダーとメンバーを入れ替えて、計三戦のミニゲームをやった。

 

 準備や片付けに慣れていないのもあって、休憩やお喋りの時間も含めるとそれが精一杯だった。

 

「次は明後日だね」

 

 終わりがけにそう言うと、みんな笑顔で頷いてくれた。



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翔子部長、交換日記に参加する

 水曜日。

 慧心女バス、二回目の活動もやっぱり3on3のミニゲーム。とはいえ私も気は抜けない。

 

 経験者が二人しかいない以上、私は必ず智花と当たる。

 私がサブコーチを始めた頃の彼女と比べると、まだまだ発展途上。それでも負けん気の強さは人一倍だし、高速のドライブからは目が離せない。

 今の身体だと高さの差が殆どないから、止め方も攻め方も工夫がいる。

 引き出しの量を使ってなんとかしてるけど、早くこの身体を鍛えてフィジカルの差を埋めないと、あっという間に勝てなくなりそうだ。

 

 そんな中、嬉しかったのは真帆ちゃん達に試行錯誤が見られたこと。

 だいたいの場合、真帆ちゃんと紗季が別のチームになることもあって、負けず嫌いな二人は率先して「勝つ方法」を考え始めたのだ。

 私と智花が互角だとすると、他のメンバーによる2対2が勝敗を分ける。

 パスをうまく通すために声を出すとか、位置取りを工夫してみるとか、駄目もとで私や智花を止めに行ってみるとか、拙いながらも自分で考えて実践している。

 ひなたちゃん達に無茶させるようなら止めないといけないけど、今のところそういう方向性はなく。

 私と智花は相談された時だけ答えるようにして、なるべくリーダーの指示に従うようにしている。

 

 うん、やっぱり試合も大事だ。

 

 バスケをしていて一番楽しいのは試合をしている時。

 楽しさを掴んだら試合中の作戦だけじゃなく、試合以外の努力にも目が向いてくるはず。基礎練習をして自分を鍛え、試合をして成果を実感する。

 このサイクルができるのはそう遠い話じゃないかもしれない。

 

「じゃじゃーん! 見て見て、これ!」

 

 そして、その日の練習後。

 着替えを終えた私達に真帆ちゃんが見せてきたのは、スマホの画面。

 表示されていたのは、

 

「SNS?」

「そ! こーかんにっき! おとーさんに頼んで作ってもらったの!」

 

 私は「それ」に見覚えがあった。

 みんなが日々のコミュニケーションやグループ内の連絡用に使っていたツール。葵も昴も参加してなかったけど、ありがたいことに私は使わせてもらう機会があった。

 いわば、子供たちの秘密の場所。

 

「これならうちにいてもお話できるの! どうどう、すごくない?」

「あんたはまたそういう我が儘言って……」

 

 紗季ちゃんは呆れ顔になるものの、愛莉ちゃんやひなたちゃんは目を輝かせる。

 

「すごい。わたしも、参加していいの?」

「おー。ひなもおはなししたい」

「もっちろん! ショーコも、もっかんも一緒にやろ!」

「も、もっかんって私のこと……?」

 

 突然のあだ名に面食らった様子の智花だったけど、ちょっと楽しそうなのがわかった。

 そして、もちろん私も。

 

 ――ラインでいいじゃん、とか野暮なことは言わない。

 

 真帆ちゃんから設定変更を聞いて(風雅さんがマニュアルを人数分印刷してくれてた)、ログインできる状態にしてから解散になった。

 

 

 

 

 

 家に着き、着替えを終えてから開けば、もう書き込みがされていた。

 

『まほまほ惨状!

まほまほ』

『いいじゃんこれ!よっし、あしたみんなにおしえよ!

まほまほ』

『はやくみんなかきこもーよー!

まほまほ』

『落ち着け。まだ家に着いてない子もいるでしょ。

紗季』

『サキはかきこんでんじゃん! そんなこといってたのしみだったんでしょ!

まほまほ』

『ち、違うわよ。

紗季』

 

 最初は紗季ちゃんか。

 お陰で他のみんなも書き込みやすくなったのか、そこから人が増えていってる。

 

『えへへ、お邪魔するねっ。……えっと、これでいいんだよね?

あいり』

『あ、書けたっ。良かったぁ。

あいり』

『ひなも来ました。よろしくお願いいたしまする。

ひなた』

『お呼びいただきありがとうございます。不束者ですがよろしくお願いいたします。

湊 智花』

『湊さん、そんなに硬くならなくてもいいわよ。部員しか見てないんだし。アホを見習いなさい。っていうか、面倒だから智花って呼んでいい? 私も紗季でいいから。

紗季』

『う、うん。もちろん。……ありがとう、紗季。

湊 智花』

『もー、サキはいちいちうるさいなー! もっかんもアイリーンもヒナもいっぱいおはなししよ!

まほまほ』

 

 あ、これ、ほっとくとタイミング逃すやつだ。

 

『(/・ω・)/イヨウ

翔子』

『翔子……だよね? 可愛い。

湊 智花』

『ほんとだ、可愛いねっ。どうやってるのかな?

あいり』

『おー、これなに?

ひなた』

『なにこれすげー! 変なの!

まほまほ』

『顔文字ってやつね。昔インターネットで流行ったって聞いたわ。

紗季』

 

 真帆ちゃんと紗季の言葉が胸に刺さった私は以後、顔文字を封印した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 金曜日。

 三度目の練習時には、ミニゲームを四回やっても時間が少し余るようになっていた。着替えや片付けがスムーズにできるようになったお陰だ。

 真帆ちゃん達が息を切らせて床に座り込む中、私は転がったボールを持ち上げた。

 

「智花」

 

 チェストパスで渡したボールは、軽快な音と共に智花の手に収まる。

 

「やる?」

「……うんっ」

 

 少女の瞳が燃え上がる。

 1on1。

 ハーフコートでと取り決めをして、私は智花と向かい合った。刹那の後に始まったのは、パスの余地がないために息つく暇さえない激しいやりとり。

 ううん、智花の動きもより一層激しい。

 手加減していたというよりは、この段になってギアが上がった。やっぱりこの子、根っから真剣勝負が大好きなのだ。

 

 ――誘って良かった。

 

 ここ三回の練習、智花は控えめながら笑顔を見せていた。

 私と練習方針を相談する時も真剣だったし、この活動が嫌だというわけではないだろう。でも、チームメイトから距離を置かれるほどの情熱も消えたわけじゃない。

 どこかで満足させてあげる必要があった。

 私で間に合ってるかどうかはわからないけど、私は可能な限り智花に食らいつく。自分の攻め番では、彼女が知らないであろう技を駆使して翻弄する。

 

 ますます引き出しを酷使して。

 

 息を切らせて勝負を終えれば、真帆ちゃんが歓声を上げた。

 

「二人ともすげー! ねえねえ、あたしにもそういうの教えて!」

「……ええと」

 

 落ち着いたらしく、素の表情に戻った智花が私を見てくる。

 私は頷いて真帆ちゃんに微笑んだ。

 

「もちろんいいよ。でも、見た目より難しいんだよ。必殺技だから」

「必殺技なんだ!?」

 

 ますます目を輝かせる真帆ちゃん。

 

「うん。だから、まずは基本技から覚えてもらわないとかな。必殺技ってそういうものでしょ?」

「確かに」

 

 真帆ちゃんが頷いたところで、紗季ちゃんが歩み寄ってくる。

 

「基礎練ってことね。いいんじゃない。作戦を考えるだけじゃ差がつかないって思い始めてたところだったし」

「あはは。秘密特訓とかするつもりだった?」

「真帆が思いつく前に、ね」

 

 言ってウインクする紗季ちゃん。

 さすが、抜け目ない。

 ここまで話が弾めば、愛莉ちゃんとひなたちゃんが話に加わるのは当然で、

 

「二人はどう? ちょっとずつ、パスとかドリブルの練習をしてみてもいい?」

「うんっ。わたし、まだまだ上手くできないから」

「おー。れんしゅうしたい」

「良かった。それじゃあ、来週からはちょっと練習したら試合、みたいな感じにしてみるね」

 

 みんなから「おー!」と声が上がった。

 

 

 

 

 

 着替えの後、

 

「そうそう。一つお誘いがあるんだけど」

 

 紗季ちゃんがおもむろにそう言いだした。

 

「おー。おさそい?」

「なにかな?」

「大した話じゃないわ。うちのお店がある通りをすずらん通りっていうんだけどね、そこの商店街でお祭りをやるの」

「あー、そういやそろそろだっけ」

 

 幼なじみの真帆ちゃんは行ったことがあるのだろう。

 話を聞くとすぐに「ああ、あれか」という顔になった。

 

「お祭り……浴衣とか、着て行った方がいいのかな?」

「や、そういうかしこまった奴じゃないの。山車も出ないし。屋台を食べ歩きするイベントって感じ」

「へえ、美味しそう」

 

 と、反応しつつ、私の頭には前世(?)の記憶が浮かんでいる。

 すずらん祭り。

 やったの冬じゃなかったっけ? と一瞬思ったけど、そういえば例年は秋に行われてるんだっけ。じゃあ今頃が本当の開催時期なんだ。

 

「いつやるの?」

「来週の日曜日。ふふ、その様子だと真帆にライバル登場かしら」

「お? ショーコも大食い大会出る?」

「あ、そんなのあるんだ」

「子供の部があるの。中学生からは大人の部だから、私達にもチャンスがあるかも」

 

 前回は働きっぱなしだったから知らなかった。

 大食いかあ。

 栄養バランスとか考えたら絶対NGなんだけど、たまにはそういうのもいいかも。

 

「うん、じゃあ出てみようかな」

「おっしゃー! 燃えてきた、ぜってーまけねー!」

「あはは……。私、そんなにいっぱいは食べられないと思うからお手柔らかに」

 

 むしろ、大食いといえば智花じゃないだろうか。

 すずらん祭りの打ち上げの時もいっぱい食べてたし、昴も「智花は良く食べて健康的で大変結構」みたいなことを言ってた。その後、真っ赤な顔した智花に怒られてたけど。 

 ちらりと見れば、当の少女は何やら神妙な表情で黙っている。

 

 恥ずかしいのかな?

 

「智花。真帆ちゃんには勝てそうにないから、一緒に出ない?」

「え、わ、私?」

 

 言われた智花は驚いた顔。

 紗季がくすりと笑って、

 

「ふふ。どうせなら皆で出ましょうか。バスケ部結成記念に」

「おー。いっぱいたべられなくてもへいき?」

「だいじょぶだいじょぶ、いっしょにでよ!」

「えへへ、恥ずかしいけど……みんなと一緒だったら大丈夫かなっ」

 

 おお、ナイスアシスト。

 

「ね、智花も」

「う、うん」

 

 智花も恥ずかしそうながら、こくりと頷いてくれた。

 

 ――そっか。こういうのも大事だよね。

 

 部活やってるだけだと、どうしても関係が停滞してしまう。

 慧心女バスの仲の良さは、こうやってみんなで色んなところに行って、色んなことをしてきたからこそなんだ。部の活動の中だけであれこれ考える必要はない。

 私は「先」を知っている分、どうしてもそこに辿り着きたくなっちゃうけど。

 焦る必要なんかない。

 みんなとの「今」を大切にしていくべきなんだ。

 

「ありがとう、紗季」

「? 別にお礼言われるようなことでもないでしょ。うちのお店の売り上げも伸びるかもしれないし」

「あはは、そうだね。色々食べてみたいなあ。確か、お寿司屋さんもあったよね?」

「ええ。あそこ――寿し藤のお寿司もおススメよ。もちろん、うちの次にだけど」

 

 歳の差を感じたみんなとも、こうしていると普通に話せる。

 同じ目線になっただけでこんなに違うものなんだ。

 

「みんなと遊びたいな。バスケ関係なくても」

「あ、わたしもっ。お洋服見に行ったりとか……えへへ」

「ひなもひなもー」

「私も、お稽古が無い日だったら……」

「いーじゃん! ゲームならあたしいっぱい持ってるし、やんばるにもショーカイしたい!」

「はあ、また久井奈さんにご迷惑がかかりそうだけど……ま、楽しそうだから、遊びに行くのは反対しないわ」

 

 小学生、かつ女の子となると話はなかなか尽きないもので、私達は気づけば結構長話をしてしまった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 夢を見た。

 私(・)が普通に女の子として過ごしてきた約十一年の、断片的な記憶だ。

 違和感と同時に懐かしさのある不思議な夢。

 目が覚めると内容の殆どは消えてしまった。……ううん、消えてしまったように思えるだけで、私の中に当たり前のものとして染みこんでいる。

 

 だんだん、『私』が『今の私』に馴染んでいる。

 

 高校二年生まで生きた「鶴見翔子」はやがて消えてしまうのだろうか。

 最初の自分がやがて女に馴染んだように。

 

 いや、きっと記憶は残る。

 

 前世のことを覚えているままで、きっと私は自然に、今の私になっていく。

 それは当たり前のことで。

 でも、少し怖い気がして、私は自分との繋がりを探した。

 

 ――去年の中学バスケの大会。

 

 桐原中のホームページの過去のお知らせを漁れば簡単に発見できた。

 

 男子は地区大会決勝敗退

 女子は、

 

「……初戦敗退?」

 

 どうして。

 決勝まで行ったはずなのに。

 

「……私がいなかったから?」

 

 個人情報保護か、メンバーのリストはない。

 私一人の不在でそこまで変わるというのは自惚れすぎかもしれないけど、私はここでもあらためて実感した。

 

 この世界は前回の世界とは違う。

 

 前回とは似ているようで違う歴史を辿っている世界。

 果たして私は、コーチと生徒として長谷川昴と会えるのだろうか。

 

 私達はどこに行くんだろう。

 どこまで行けるんだろう。

 

 そんなことを、考えずにはいられなかった。



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翔子部長、すずらん祭りに行く

「それじゃ、母さん。行ってきます」

「はいはい。お土産よろしくね」

 

 ハンカチ、ティッシュ、お財布に家の鍵、邪魔にならない小さめの鞄にスニーカー。

 鞄の中にはお土産を運ぶ用の買い物袋が畳んで入ってるし、これで問題なし。

 

 母さんに声をかけて家を出た私は、最寄りの駅へ向かった。

 お祭りの会場が駅前広場なので、電車の方が近い。目的の駅で降りたら、先に帰りの分の切符を買ってから、会場の駅前広場――ではなく、逆側に出る。

 時刻は午前十時半といったところ。

 既にお祭りは開始しており、駅も会場も既に賑わっている。向こう側で落ち合おうとすると邪魔になるだろう、という判断だ。

 

「ショーコ、こっちこっち!」

 

 判断は正解だったようで、逆の出口はさほど混んでなかった。

 真帆ちゃんの元気な声に振り返ると、余所行きの服装に身を包んだ真帆ちゃんと――清楚なメイド服に身を包んだクール系の美女の姿が。

 

 予想していなかった人の登場にどきっとする。

 前回はいなかったのにどうして……って、そっか。五年生と六年生じゃ安心感が違うかもだし、前回は私や昴が一緒だった。

 駅前広場とはいえ人の多い場所だからと保護者代わりに聖さんがやってきたのだろう。

 平常心、平常心。

 今の私は初対面だからと自分に言い聞かせ、つい緩みそうになる頬を元に戻しながら駆け寄る。

 

「おはよう、真帆ちゃん。そっちの人は……?」

「やんばるだよ。うちのメイドさん」

「初めまして。真帆さまのお家で家政婦を務めております、久井奈聖と申します。本日は皆さまのお世話のためにご一緒させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

「つ、鶴見翔子です。よろしくお願いします」

 

 乱暴にならないように礼を返しながらも、私は「やっぱり聖さん綺麗だなあ」とか思っていた。何気に名前呼び+様付けは初めてだったし。

 聖さんはそんな私ににっこりと笑いかけると――不意に視線を別方向に向けた。

 

「お、おはよう、翔子。真帆」

「おはよう、智花」

 

 恐る恐る、といった感じで智花が近づいてくる。

 彼女も真帆とは別方向でお嬢様っぽい装い。緊張している様子の彼女を手招きして合流してもらう。

 それから程なく、愛莉ちゃんとひなたちゃんが揃って到着。

 

「お待たせしましたっ。向こうの広場はすごい人だねっ」

「おー。おはようございます」

 

 聖さんとはみんなも初対面だったようで、それぞれに挨拶を交わす。

 これで残るは紗季だけ。

 

「なんだよー、サキが最後か。ちゃんとしろよなー」

「真帆さま。まだ集合時間前ですので……」

「こら真帆。聞こえたわよ」

 

 噂をすれば、紗季が駅舎の方から現れた。

 

「ごきげんよう、紗季さま」

「こんにちは、久井奈さん。……みんなもお待たせ。ギリギリまでお手伝いしてたら遅くなっちゃったわ」

「大丈夫、まだ時間前だよ」

 

 みんな揃ったところで駅の向こう側に移動する。

 

「大食い大会は何時からだっけ?」

「子供の部は午前十一時からの予定になっております。大人の部が午後一時からですね」

「あ、ありがとうございます、聖さ……久井奈さん」

「じゃあ、急いで受付しちゃわないと出られなくなっちゃうねっ」

 

 まずは受付を済ませる。

 このタイミングで何かお腹に入れるのは「勝つ気がないです」って言ってるようなものだし、我慢。開始時間まで三十分もないからそのまま待機だ。

 会場付近には参加者っぽい子達が結構いて、わいわいと賑わっている。

 

 ――大食いの課題はサンドイッチ、か。

 

 冷めても美味しく食べられるし、特別な具材もないから材料費も高くはない。

 野菜を挟むことでどさくさ紛れに栄養も取ってもらおうという運営側の意図が見え隠れする。トマトとかきゅうりとか、好き嫌いすると勝てないようになっているあたりもポイントが高い。

 

「頑張ろうね、智花」

「う、うん。でも私、そんなに食べられないから……」

 

 智花に声をかけると、彼女は控えめに微笑んでそう言う。

 やっぱり恥ずかしいんだと思う。

 無理に勝つ必要はないし、限界まで食べちゃうと買い食いできなくなるっていうデメリットもある。

 

「私も優勝は厳しいかな。でも、優勝の賞品も魅力的なんだよね」

「賞品……屋台の無料券?」

「うん」

 

 本日限り有効の屋台無料券十枚綴り。

 いっぱい食べないと貰えないのに、元を取るには更にいっぱい食べないといけない……という、なんともいやらしい賞品だ。

 とはいえ、現金換算したら三千円~五千円になる。

 

「本当はうちの母さんも来たがってたんだ。だから、せめてお土産買って行ってあげたいなって」

「あ……」

 

 母さんは何かに掲載されるコラムか何かをひーひー言いながら書いてる。

 何も買って帰らなかったらツナ缶か何かでヤケ酒を始めかねない。

 

「お土産。そっか、そうだよね……」

 

 頷いた智花の瞳が燃え上がる。

 バスケコートに立った時に近い、苛烈な闘志。

 顔を上げた彼女は私の手を握って、

 

「ありがとう、翔子。私、頑張ってみる」

「うん。一緒に頑張ろう」

 

 とはいえ、本気になった智花にはとても勝てないだろう。

 彼女と真帆ちゃんの食べっぷりは多分、別の領域だ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 大会に集まった子供は三十人ちょっとくらいだった。

 当たり前だけど男の子の方が多い。私達六人以外、女の子は数えるほど。

 男の子も全員が強敵かというとそうでもない。三、四年生くらいの子とか、細くてあんまり食べそうにない子も交じっているからだ。

 

「それでは、始めてください!」

 

 大食い会場内。

 長テーブルの上に置かれているのは、大皿にこんもり盛られた大量のサンドイッチ。一つ一つにプラスチックのピックが刺さっており、その数で食べた個数を数える仕組み。

 一テーブル六人くらいに分かれて座り、司会の人の合図と共に手を伸ばす。

 慧心女バスメンバーは全員別テーブル。

 といっても、予選はないから席分けに大きな意味はない。

 

「いただきます」

 

 一つ一つのサンドイッチは食パン八枚切りの四分の一サイズ。

 挟まっている具はトマトレタスとかレタスハムとかタマゴハムとかタマゴレタスとか何種類もあって、上から取っていくとランダムにならざるをえない。

 パサパサした食パンと相性がいいのは水分の多い野菜系のサンドだけど――。

 

 これ、思った以上にきつい。

 

 元気に食べ進められたのは最初の数個だけ。

 四個食べた時点で食パン二枚+αが胃に収まっているわけで、小学生には十分な量。運動するようになって食事量が増えてるとはいっても限度がある。

 水分補給のために水を飲むとその分、お腹に溜まるし。

 

「ふふっ」

「!?」

 

 向かいに座った男の子が不敵に笑った。

 割と細身で、そんなに食べそうには見えないんだけど、

 

「俺の胃袋は宇宙だ」

「なん……だと……?」

 

 続編待ってたのに来なかったドラマだ!

 って、それはどうでも良くて。

 問題は男の子の食べっぷり。まるで本当にブラックホールを抱えているかのような勢いで、両手にサンドイッチを持って食べては飲み込み、飲み込みは食べ、

 

「……げふっ」

 

 あ、力尽きた。

 机に突っ伏してはあはあ言い始める彼を横目に、私はマイペースに食べ進める。

 時間経過と共に脱落者はどんどん増えた。

 ギブアップした子はその時点でピックの数をカウントし、記録として残される。とはいえ、この時点で脱落したら入賞はできない。フードファイターの男の子は涙目で去っていった。

 

 ――制限時間は六十分。

 

 ゆっくりでも時間いっぱい食べてればそこそこいいとこまでいけるんじゃないかと――。

 

「おー。まほとともか、いっぱいたべてる」

「すごいねっ。わたし、七個が限界だったよ……」

 

 いつの間にか愛莉ちゃんとひなたちゃんが私の傍に立っていた。

 二人とも既に脱落したらしい。

 私はサンドイッチをリスみたいにもぐもぐしながら首を巡らせ――。

 

「うおお、負けねー!」

「……っ!」

 

 対照的な様子で食べる二人の少女を見た。

 燃え上がる真帆ちゃん、静かな闘志の智花。二人の勢いは会場内でも群を抜いている。手元のお皿に載ったピックは十ではとても済まず、トマトだろうとなんだろうと構わず口に運んでいる。

 見るからに大食い自慢――普段は食べ過ぎてお母さんを困らせています、といった感じの男の子達も、二人の食べっぷりにはぽかんとしている。

 

 うん、これは勝てない。

 

「私は完走を目標にするよ」

「うんっ。頑張って、鶴見さんっ」

「しょうこ、ふぁいと」

 

 応援してくれる二人ににこりと笑い返し、とにかく一定のリズムで食べ進める。

 その間も智花達のデッドヒートは止まらない。

 優勢は僅かに真帆ちゃん。ただ、真帆ちゃんが苦しそうにしているのに対し、智花は未だ淡々と食べ続けている。地力の差は見えてきた。でも、気力が勝敗を分けることもある。

 圧倒的なツートップを見て他の参加者は次々と脱落。

 私と二、三名だけが意地で残る中、ついに制限時間を迎えて――。

 

「そこまで! 食べるのを止めてください!」

 

 集計の済んでいなかった参加者のところへスタッフさんが来て、ピックを一つずつ数えてくれる。

 なお、他の子のピックを拝借して数を誤魔化そうとした不届き者は速やかに失格にされていた。残念だけどこれは仕方ない。

 気になる最終結果は――。

 

「なんと優勝、準優勝はどちらも女の子!」

 

 僅かピック一つ分の差で、優勝は真帆ちゃん。

 準優勝は智花で、二人には参加者、保護者、スタッフ、観客からの拍手と賞品が贈られた。真帆ちゃんには無料券十枚、智花にも無料券五枚。

 

「くっ……あと一歩及ばなかったわ」

「ううん、凄かったよ!」

「おー。ゆうしょうどくせん、おしかった」

 

 智花達のせいで目立たなかったものの、紗季は最終成績四位。

 ひなたちゃんの言う通り、もうちょっとで賞品総取りができるところだった。さすがにちょっと欲張りすぎだとは思うけど。

 

「ペース配分間違えちゃった……」

「お疲れ様、智花。格好良かったよ」

「や、やめてよう……。うう、恥ずかしい」

 

 はしたない姿を晒した上に勝てなかったと思っているのか、智花は顔を真っ赤にしていたけど……あれだけ食べた上に自分の足で帰ってきて、若干余裕がありますみたいな顔って逆に怖い。

 

「でも、賞品貰えたよ。みんなで使おうね」

「……いえ、ごめんなさい。お願いだから二時間くらい休ませて」

「同感」

「わたしも、デザートくらいなら食べられるけど……」

「ひなもおなかいっぱい」

「あれ……?」

 

 そこで首を傾げないでください、智花さん。

 と。

 ちなみに優勝した真帆ちゃんはというと、救護スペースとして用意されたテントの隅に寝かされていた。

 

「うー……お腹苦しい。動けねー」

「真帆さま、このことは萌衣さまに報告させていただきますので」

「えっ、ちょっ、お願いだからおかーさんには内緒に……っ、うぐっ!?」

 

 起き上がろうとして顔色を変え、再び横になる真帆ちゃん。

 これはひどい。

 

「真帆。お腹、中に何かいそうなくらい膨らんでるよ」

「えー、エイリアンとか入ってないってば……触ってみてよ、ほらほら」

 

 言われてみんなで触ってみると、見事な弾力を感じる。

 そりゃ、小学生があれだけサンドイッチを食べればお腹も(物理的に)膨らむよね……。

 

「真帆ちゃんがお休みしてる間、わたしたちも食休みだねっ」

「おー、おやすみ」

 

 それはいい案だけど……。

 

「や、ここに大人数でいたら邪魔でしょ」

「はい。みなさまはどうかお祭りを回ってきてくださいませ」

「えー! なにそれひどい!」

「真帆さま、自業自得です」

 

 うん、声だけでも騒げる元気があるなら大丈夫そうだ。

 

「ちぇー……じゃあじゃあ、あたしのチケットもみんなで分けよ! で、あたしの分で食べ物買ってきて!」

「まだ食べる気なの真帆……」

「まだ屋台見てもいないもん! えっとー、チョコバナナと、焼きそばと、りんご飴とー」

「待て。食べるならうちのお好み焼きが一番よ」

 

 紗季、真帆ちゃんへの心配はどこに行ったの……?

 そんなこんなで、私達はいったん五人で屋台を巡り、途中で真帆ちゃんと合流してまた遊びまわった。

 

「翔子は何か食べる?」

「うん。じゃがバターだけは外せないかな」

「え? 炭水化物……?」

「じゃがバターだけは外せないんだよ」

「そ、そっか」

 

 芋は野菜だからカロリーゼロ、と、自分でも信じてない呪文を唱えておく。

 気づくと結構な時間をお祭りで過ごしていて、みんな慌ててお土産を買って解散になった。真帆ちゃんと智花の手に入れた無料券のお陰で、母さんから貰った軍資金以上に色々買えた。お陰でその日の夕飯はお土産だけで済んでしまった。

 残念ながら雅美ちゃんには遭遇できなかったけど、『寿し藤』の助六を買って帰ったら「今度このお店にも行ってみましょう」って話になった。

 

 この分だと近いうちに会えそうな気がした日曜日の夜だった。



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翔子部長、派閥を形成する?

 不意に視線を感じた。

 部活終わり、女バスのみんなと昇降口に歩いていた時のことだ。

 粘りつくような、絡みつくような感触にびくっとする。

 

「っ」

 

 なにこれ。

 前世(?)では女子の端くれとして、痴漢されたことはあったんだけど――感覚としてはその時に近い。でも、今の私は小学生で、しかも小学校の中なんだけど。

 

「鶴見さん?」

「あ……」

 

 立ち止まった私を愛莉ちゃんが振り返る。

 なんと言ったものか。

 ただでさえ発育が良く、悪意にさらされがちな彼女に変なことは伝えたくない。

 私は困惑顔のまま首を捻って、視線の『元』を辿る。

 気のせいならそれが一番いいと思ったからなんだけど、

 

「あら」

「………」

 

 目が合った。

 白衣を纏い、眼鏡をかけたショートヘアの女性。クールな雰囲気を纏った彼女は「見つかっちゃった」とばかりに微笑むと、物陰から出て私たちの方に歩いてくる。

 すると、私と愛莉ちゃんにつられて立ち止まったみんなが、彼女に気づいて笑顔になった。

 

「こんにちは、羽多野先生」

「こんにちは、みんな。部活動の帰りかしら?」

 

 そう。

 視線の主は慧心初等部の養護教諭である羽多野冬子先生だった。

 そっか。そういえばこの人がいたっけ……。

 羽多野先生は普通にしてれば男性人気も高そうなのに、成人男性への興味はゼロ。興味があるのは小さい男の子と小さい女の子だけ。修学旅行の引率などの大義名分があれば嬉々として少年少女の写真を撮影し、満面の笑みを浮かべるという困った人である。

 必然的にバイセクシャルなので、私とは割と話が合っていたわけだけど。

 

「くすくす。誰が気づいてくれるかわくわくしていたのだけれど。翔子ちゃん、敏感なのね」

「ひっ」

 

 すぐ傍に立たれてびくっとする。

 羽多野先生はロリコンにしてショタコン。

 

 ――つまり、今の私はターゲットになりうるのだ。

 

 幸い、ターゲットにはノータッチを貫く変態淑女さんなので、どうこうされる心配はないけど。

 警戒心が先に立つのはどうしようもなく、私は胸をかばいつつ一歩下がる。

 すると羽多野先生は悲しそうな顔をして呟く。

 

「嫌われちゃったかしら。前はあんなに懐いてくれてたのに。可愛い二つ名だってつけてあげたじゃない」

「二つ名……」

「そうよ、舞姫(エリス)ちゃん」

 

 言われた途端、記憶が浮かび上がってくる。

 五年生の一学期。

 クラス全体で二つ名ブームが起こり、みんなに格好いい(可愛い)二つ名がつけられた。真帆ちゃんの「打ち上げ花火(ファイアーワークス)」とか、紗季の「氷の絶対女王政(アイス・エイジ)」とかだ。

 当然、私にも二つ名がつけられていて。

 かなり初期の命名だったらしく、私のはごくごくシンプル。神話の女神の名前でもあるから洒落てるんだけど……。

 

 ――漢字表記とルビを合わせると悪意がないでしょうか。

 

 外国人留学生に弄ばれた挙句、好きになりすぎて発狂する踊り子しか思い浮かばない。

 

「私、ヤンデレじゃないです」

「あら。森鴎外なんて渋い本を読んだのね」

 

 確信犯(誤用)じゃないですか!

 愕然とする私を見て、紗季がため息をつき、

 

「羽多野先生。うちの部長をあんまりいじめないでください」

「くすくす。ごめんなさいね。ここのところご無沙汰だったから」

 

 そういえば、転生してきてから会っていなかった。

 部活で怪我することもあったけど、絆創膏とか消毒くらいは自分で用意してた。保健室に行くほどの怪我にはならなかったのだ。

 

「すみません、羽多野先生。びっくりしてしまって」

「いいのよ、私こそ驚かせてごめんなさいね」

 

 できるだけこの人には近づかないでおこう。

 羽多野先生と和解した私は、内心思った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「へえ。バスケットボールにもポジションってあるのね」

「うん。サッカーとか野球ほど厳密じゃないんだけどね」

 

 女バスの活動はちょっとずつ本格的なものに移行しつつある。

 といっても、試合一辺倒だったところから徐々に基礎練の時間を増やしてる段階。基礎練の時間はまだ三十分にも満たない。

 それでも、みんなもだんだんバスケ自体に興味を持ち始めていて。

 小休止の時間に作戦とかポジションの話をちょっとずつ聞いてくれるようになった。

 

「じゃあじゃあ、一番強いのはどれ?」

「んー……一番攻撃重視なのはパワーフォワードかな? でも、どのポジションも大切なんだよ」

 

 バスケは五人しかいない。

 野球みたいに守備位置が決まってるわけじゃないし、サッカーみたいにコートがだだっ広いわけでもない。フォワードだって守備に参加できるし、しないと手が足りない。

 逆にガードが攻撃をしないかと言ったらそんなこともない。

 

「フォワードってつくのが二つと、ガードってつくのが二つと、えっと、後は……」

「センター。私が一番好きなポジションだよ」

「おー。なんかつよそう」

「あはは。ある意味、間違ってはいないかも。チームの中で体格のいい人が担当することが多いから」

 

 だから、今の私にはちょっと不釣り合い。

 前の時に背が伸び始めた時期はまだ先のことで、身長もみんなとそう変わらない。

 チーム内には圧倒的に高い子が他にいる。

 

「タイカク……背がおっきーってこと?」

「あ、馬鹿、真帆」

「うん。ジャンプボールするのもセンターが多いから、身長が高いと有利なんだよ」

「しょ、翔子っ」

 

 紗季と智花が制止しようとしてくれたけど、もう遅かった。

 

「……背」

 

 身長が高いというワードに反応して表情を曇らせた子が一人。

 愛莉ちゃん。

 人一倍――クラスで唯一のバスケ男子である夏陽くんよりずっと背が高い彼女は、それがコンプレックスになっている。身長だけじゃなく、胸とか、発育の話が出るだけで反応し、ひどい時には泣き出してしまう。

 実際、彼女の瞳にはじんわりと涙が浮かんでいた。

 

 私が転生してきてからだけでも、彼女がからかわれて泣くところは何度か見た。

 身長がNGワードなのは当然知ってたけど、申し訳ないことに、さっきの発言はわざとだ。

 

「うん。格好いいんだよ、センターって」

「っ」

「翔子……っ」

 

 紗季が咎めるように囁いてくるけど、私は小さく笑みを浮かべてスルーする。

 傷つけたいわけじゃない。

 でも、バスケの話をするのに身長の件を無視するのは難しい。

 

「私は好きだよ。背の高い人。私はもっと身長が欲しい」

「ふえ……っ」

 

 遂に、愛莉ちゃんが涙を溢れさせる。

 真帆ちゃんが「やばっ」という顔をしたのはこの時。そのタイミングで、紗季とひなたちゃんはもう、愛莉の背を支える体勢に入っていた。

 

「あいり、なかないで」

「大丈夫だから。……もう、わざとそんな話しなくてもいいじゃない」

 

 怒っているというほどではない。

 でも、紗季の表情は険しい。

 私が褒めているのもわかるし、愛莉ちゃんの気持ちもわかるから何も言えないのだろう。

 彼女に頷きを返して、愛莉ちゃんへ頭を下げる。

 

「ごめんなさい、嫌なこと言って」

 

 数秒待ってから顔を上げて、目を見て言う。

 

「でも、知って欲しかったの。私は好きだって。背が高い子も、香椎さんのことも。素敵だって。可愛いって。あんな風になりたいと思ってるって」

「ひっく……、ぇ……っ?」

 

 しゃっくりを上げながら、驚いた顔になる愛莉ちゃん。

 手を伸ばして彼女の手を取る。

 柔らかい。ちょっと震えてるけど、彼女の体温を感じる。

 

「……うん、私も」

「もっかん?」

「バスケやってる子はみんな一度は考えると思う。もっと背があったらって。私は小さいからよく考えるよ。私の背が高かったら――香椎さんみたいだったら、もっと色んなプレーができるんじゃないかって」

「智花……」

「っ、鶴見さん、湊さん」

 

 愛莉ちゃんが泣き止んで落ち着くまでには、それから三十分くらいかかった。

 でも、その時の愛莉ちゃんはわんわん泣く感じじゃなくて――贔屓目かもしれないけど、複雑に入り組んだ気持ちをどう処理していいのかわからないっていう風に見えた。

 落ち着いて、お手洗いで顔を洗って戻ってきた愛莉ちゃんは恥ずかしそうに、どういう顔をしていいのかわからないっていう感じでぽつりと言った。

 

「練習、止めちゃってごめんなさい」

「ううん、私こそごめんなさい」

「私も、ごめんなさい、香椎さん」

 

 智花と二人であらためて謝ると、愛莉ちゃんは数秒置いてから「ううん」と首を振った。

 

「ありがとう。……えへへ、二人が言ってくれたこと、嬉しかったよ」

 

 言われた途端。

 私の中で感情が溢れ、堰を切ったように涙がこみ上げてきた。愛莉ちゃんが泣いているのを見て、私も知らず知らずのうちに色々限界だったらしい。

 

「ショーコ?」

「翔子」

「っ」

 

 私は衝動のままに愛莉ちゃんに抱きつく。

 役得とかそんなこと考えることもなく、顔を押し上げて声を上げる。すると、片腕と背中に新しい、温かいものが押し当てられた。

 くぐもって聞こえる泣き声は、智花のもので。

 彼女の声にあてられるように私の感情も更に溢れ出し――その日は、それ以上何も練習ができずに終わってしまった。

 

 泣き止んだ私と智花に、紗季は「羨ましいわ」と言った。

 

 単なる雑談からのこの有様。

 変なことを言ったつもりはないけど、ちょっと失態である。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 翌日の朝、愛莉ちゃんと挨拶するのが非常に気まずかったり、智花と挨拶するのはそれ以上に気まずかったりするのを乗り越えて。

 次の練習日。

 

「あ、あのっ」

 

 着替えを終え、練習を始めようと思った矢先、私達を愛莉ちゃんが呼び止めた。

 

「一昨日はごめんなさい」

「もー、いいってば、その話は」

「そうよ。いいっこなしってことで」

 

 済んだことだ、と、私達が口々に答えると控え目に微笑む愛莉ちゃん。

 どうやら本題はその先だったようで、「あのね」と、私と智花を見てくる。

 

「鶴見さんと湊さんの言ってくれたこと、本当に嬉しかった」

 

 どきっとする。

 さすがにもう泣きだしたりはしないけど、一時的に愛莉ちゃんしか見えなくなりそうになる。

 

「それでねっ。……わたしたち、もう、お友達だよね?」

「う、うん」

「もちろん」

 

 今更の問いかけにちょっとだけ声が上ずった。

 と。

 

「なら……わたしも、みんなのこと名前で呼んでもいいかなっ?」

 

 一生懸命に勇気を振り絞ったのだろう。

 愛莉ちゃんは真剣な表情で私達を見つめていた。

 だから。

 すぐには返事ができなかった。

 

 一つ、息を吸って。

 笑みを浮かべて答える。

 

「うん。ありがとう――愛莉」

「うんっ。私も、これからは愛莉って呼ぶね」

「っ!」

「ふふ。良かったじゃない。……愛莉」

「あたしなんかとっくにあだ名で呼んでるし! ね、アイリーン!」

「……っ、うんっ」

 

 こうして、私達はまた一つ仲良くなった。

 

 互いの呼び名が変わっただけ。

 愛莉ちゃんが急に背のことで泣かなくなったり、センターを自分から志願したり……なんて、魔法みたいなことが起こったわけじゃない。

 男子が照れ隠しにからかいの言葉を投げれば泣きだしちゃうし、着替えの度に恥ずかしそうにしてるのも変わらない。

 でも、泣かせた男子には真帆や私が言い返すようになった。着替えの時は智花やひなたちゃんがさりげなく話しかけてる。紗季はいつもさりげなく目を光らせて、大ごとになる前に調整役を買って出てくれる。

 

 金曜日の部活の度に「お休みの日はどうしよっか」って話す。

 お稽古がある智花や将棋の修行がある私、お店の手伝いがある紗季はいつも参加できるわけじゃないけど、それでもだいたい、誰かが何かを企画した。

 日曜日に出かけられなければ平日の放課後に何かしたり、真帆ちゃんの誘いでオンラインゲームをすることもあった。

 真帆ちゃんときたら小五でMMOにFPSまでこなす上、将棋のことを話したら「やってみたい!」とか言いだすくらいゲームには積極的で、そりゃ美星姐さんともウマが合うよねって感じ。飽きっぽい性格じゃなかったらプロゲーマーか女流棋士、デュエリストにでもなってたんじゃないだろうか。

 

 クラスでも、私達六人は仲良しグループとして見られだした。

 同じクラスに同じ部活の仲間が六人もいて、しかも部員全員だなんて珍しいから、当然といえば当然だ。

 六人っていうと女子の何割かを占めるわけだけど、派閥争いとかも起きてない。私立小学校だけあってしっかりした子が多いというのもあるけど、トップカーストが女バスグループになっちゃてるせいもある。

 本物のお嬢様にしてカリスマの真帆、委員長の紗季、男子人気を二分する癖に恋愛に興味ない愛莉&ひなたちゃん。そこにタイプの違う美少女お嬢様の智花が加わったのだから、女子としては一目置くしかないというものである。

 私はまあ、ぶっちゃけオマケだけど。

 

 友達がいっぱいいるお陰で、前世みたいないざこざが無くて楽ができて――。

 

「おい鶴見。勝負しろ」

「へ?」

 

 できたんだけど、そのまま無事に過ごさせてくれないでしょうか。



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翔子部長、勝負をする

 個人的に、夏陽くんは真帆ちゃんと付き合うのがいいと思う。

 たぶん、ひなたちゃんが相手だと、相当努力しないと恋人同士になれない。恋人になっても努力し続けないと長くは続かない。

 真帆ちゃんとなら相性はばっちり。

 気兼ねなく言い合いできる関係が長く続いているっていうのは、そういうことだ。

 

 だから、彼には真帆ちゃんをライバル視していて欲しいんだけど。

 

「どうして私と?」

「わかんねえからだよ」

 

 夏陽くんとは平日の朝に体育館で対峙することになった。

 ひんやりした広い空間に私達二人だけ。みんなは勝負のことを知らないからだ。勝負を申し込まれたのは廊下でふと二人だけになった時。

 応援とかで人が増えるのを嫌ったからだろう。

 

「わかんないって、どういうこと?」

「………」

 

 夏陽くんは答えずにバスケットボールを持ち上げた。

 

「今更、やらないとか言わないだろ」

 

 それはまあ、その通りだ。

 早起きしてここまで来て体操着にも着替えた。付き合う気がなかったらそこまでしない。

 勝たないといけない、っていうほどのやる気もないけど。

 

 ハーフコートで五本先取。

 

 簡単にルールを決めると、私の先攻でゲームを開始した。

 

「っ」

「っ!」

 

 最初のドライブでわかったのは、夏陽くんが本気だってこと。

 全力で止めに来てる。

 彼の気迫に驚いた私はあっさりとボールを奪われてしまう。攻守が入れ替わり、夏陽くんがジャブステップからの突破で先制点。

 てん、と。

 床を跳ねるボールに歩み寄りながら、夏陽くんが言う。

 

「本気出せよ、鶴見」

「………」

「適当にやられても意味ないんだよ。それとも逃げるのか」

 

 あからさまな挑発。

 そんなこと言われても……って思ってしまうあたり、男の子的なノリが随分と遠くなってる。

 同い年の男子に負けてきた経験のせいかもしれない。そんなに熱くならなくても、あと二年もすれば私達には勝てるよ、って。

 でも。

 スポーツをやっている以上、競い合う楽しさはわかる。

 

「……ごめんね」

 

 気合を入れ直そう。

 深呼吸をして、余計な考えを頭から追い出す。

 

「勝ちに行くよ」

「ああ、それでいい」

 

 夏陽くんは少しだけ嬉しそうに笑うと、ぐっと表情を引き締めた。

 私達は幾度も身体を重ね合わせて、最終的に私が主導権を取った。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「わかんねえ」

 

 勝負が終わった後。

 心底不可解だというような呟きが私の耳に届いた。

 

「わからないって、なにが?」

「お前、ちょっと前までバスケ興味なかっただろ。なのに、なんで俺に勝てるんだよ」

 

 夏陽くんの視線は意外なほど鋭い。

 真帆ちゃんといがみ合ってる時よりも、今の方が凶暴に見えるくらいだ。

 彼の言いたいことはわかる。

 急に新しいことを始めたと思ったら、昔からの経験者を超えてしまう。そんなのは不可解に決まっている。智花が感じたのと同じ疑問を彼も抱いたのだ。

 

 でも、もう一度「前世の記憶」について触れる気はない。

 私は苦笑して話をはぐらかす。

 

「私は天才でもなんでもないよ」

「知ってる」

 

 当たり前のように頷かれた。

 いや、あの、言ったの私だけど、その扱いもひどくないでしょうか。

 

「お前は違う。本当の天才を知ってるから、わかる」

 

 真帆ちゃんのことだ。

 何でも柔軟に吸収し、人並み以上に上達してしまう彼女に、夏陽くんは何度も追い抜かされてきたらしい。唯一のバスケでマウントを取られた一件――球技大会の時や、その後、彼本人と仲良くなった後にある程度のことは聞いている。

 智花ちゃんも天才だけど、彼女は違う。

 持ち前の負けん気や集中力、以前からバスケに向き合ってきた経験値が天性のセンスと結びついて生まれたバスケの申し子。対抗意識を燃やすことはあっても、一点特化の才能に文句はつけられない。

 

「お前のは努力した奴のプレーだ」

「……うん」

「ずるいだろ。俺の知らないところでどんな特訓したんだよ。いつからだ。何をどうやったらそんなに上手くなれるんだ」

 

 私の実力はズルによるものだ。

 蓄積された経験値量が違う。さっきの勝負でも好き放題、夏陽くんの隙を突かせてもらったけど、それは前世の経験があってこそ。

 ざっと五年近く。

 中学高校で揉まれてきた経験だから、小一から始めていてもこうはならない。

 

「……独学だよ」

「どく……自分で練習したってことか? んなわけないだろ」

「信じられないよね。でも、本当なんだよ。先生はいない。いたとしたら――夢の中、かな」

「は?」

 

 私は微笑んで説明する。

 

「偶然ね、公園で見たんだよ。男の人と女の人、一人ずつ。負けるかってバスケしてるところ。何度も何度も。それがずっと頭に焼き付いてて、夢で繰り返し見るの。それで、真似してるうちに覚えちゃったの」

 

 真実と嘘を混ぜ込んだギリギリの回答。

 私の原点が昴と葵にあるのは本当だし、前世の記憶が夢みたいなものだというのも間違いじゃない。

 唯一、明確な嘘は、真似しだしたのがつい最近ってことだけど。

 

「……名前は?」

「え?」

「そいつらの名前だよ。知らないのか?」

 

 嘘をつこうか一瞬考えて、まあいいか、と素直に答える。

 

「長谷川昴さんと、荻山葵さん。今は中学生か高校生じゃないかな」

「プロじゃないのかよ。……でも、年上か」

 

 そうか、と、息を吐く夏陽くん。

 

「わかってくれた……?」

「わかるかばーか」

「ええ……?」

 

 これ以上それっぽい話は私にはできないんだけど。

 困った顔をしていると、何やら呆れ顔で首を振られる。

 

「……変な奴だよな、お前」

「そうかな?」

「そうだよ。なんか話してると調子狂う」

「私は竹中くん、優しいから話しやすいんだけどな」

 

 昴と似てるところがあるというか。

 男女の違いは理解してるけど、それを性格や嗜好の違いと認識してて、身体のことでからかってきたり、女だからっていじめてきたりはしない。

 真帆ちゃんと喧嘩してるのだって同じ目線に立っているからこそのこと。

 

 他の男子には話しかけただけで「うるせーブス!」とか「女子が寄ってくんな!」とか言う子がいるから、なんていうか安心する。

 

「……っ」

「どうしたの、竹中くん?」

 

 夏陽くんが真っ赤になってしまった。

 年上のお姉さんならともかく、同い歳になった私相手に照れるとかなさそうな気がするんだけど。

 

「竹中くん?」

「な、なんでもねえよ! ……くそ、なんか真帆とか紗季のお母さん思い出すんだよな……!」

 

 萌衣さんに亜季さん?

 光栄だけど、

 

「私、あんなに大人っぽくて綺麗じゃないよ?」

「わかってるよ馬鹿!」

「馬鹿……!? もう、気安く馬鹿とかいけないんだよ?」

「っ、ああもう、いいんだよそういう話は! とにかく! もっと練習してお前にもそのうち勝つからな!」

 

 びしっ! と私に指を突き付けると、夏陽くんは逃げるように更衣室へ走っていった。

 仕方ないので私も着替えをして、一人で教室に戻った。

 

 なんか、昔の諏訪を思い出してしまった。

 そういえば微妙に意気投合してたし、二人って性格が似てるんだろうか。止めてほしい。夏陽くんがあんなに可愛げのない性格になった上、年下とラブラブのロリコンになるなんて。

 

 ……まさか、昴をロリコンって目の敵にしていたのは、自分に素質があるのを認めたくないから?

 

 そんなわけないない、と思いつつも、物凄く怖くなった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「こういうのはどう?」

「あ、楽しそう。じゃあ、これと内容が被り気味だから別のにしよっか。何がいいかな」

「ええと、あれとか?」

「なるほど。……あ、それだったらあっちはどう?」

 

 放課後。

 中庭のベンチに智花と二人で座って、今後の練習メニューを相談しあう。

 手には今までの練習メモ。

 今回で何度目の相談だろう。一週間か二週間か、メンバーに上達や飽きの気配が出始めるたびにこうして集まって話をしている。もちろん、他のみんなの希望も聞くけど、知識量の多い智花と私がメニューを決定するのが通例になっていた。

 手のひらサイズのメモを二人で覗き込んでいると、自然に肩を寄せ合う感じになる。

 部活動に学校行事。

 クリスマスや初詣、節分とイベント目白押しの日々を過ごしているうちに二学期が終わって三学期に入り、季節は冬から春に近づこうとしている。

 肌寒さも和らいできたけど、まだまだくっつくと暑いというほどではなくて。

 

 ――そういえば。

 

 ふと、私は智花の顔をじっと見つめる。

 不思議に思ったのか、智花は首を傾げて私の顔を見返してきた。澄んだ瞳が間近にある。小さくて柔らかそうな唇も、また。

 

「翔子。どうしたの?」

「ううん」

 

 微笑んで首を振る。

 何かあったわけじゃない。むしろ何もないことに違和感を覚えた。

 

 私、すごく自然体だ。

 

 最初の頃はみんなにドキドキしてたけど、最近はそういう機会が減ってる。もちろん、みんなが可愛くなくなったとか、魅力に飽きてしまったとかじゃない。

 たぶん、私自身の感じ方の問題。

 女子高生だった頃の感覚が薄れているというか、小学生の身体に慣れてきたというか。愛莉と着替えてても不用意にドキッとしなくなった。性的な意味じゃなくドキッとすることはあるんだけど。いや、それだと昔はちょくちょく興奮してたみたいに聞こえるけど。

 

 思えば、小学生くらいの時って、あんまりそういうの考えなかった。

 女の子なら恋愛とかデートとかには興味津々だけど、その先については曖昧で不確かで、そのことが特に気にならないのが普通だと思う。

 もう一回、その辺の情緒の成長をやり直すことになるのだろうか。

 

 小学生に戻ってから多い「まあ、なるようにしかならないよね」という結論を頭の中で描いて、私は智花との相談に集中した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「絶対やだ!」

「私も反対」

「……えっと、その、恥ずかしいから、できれば……」

「そっかあ」

 

 困ったなあ、と、私は内心でため息をついた。

 

 三月。

 五年生の三学期がもう少しで終わろうというそんな時期。

 私たち慧心初等部女子ミニバスケットボール部は一つの岐路に立たされていた。

 

 引くか引かぬか。

 媚びるか媚びぬか。

 のっぴきならない状況が目の前に広がっている。

 

 ――きっかけは些細なことだった。

 

 慧心初等部(うち)()()バスケ部が今年度最後の大会でそこそこ良い成績を収めた。

 喜びと悲しみの入り混じった六年生の姿に、五年生以下の部員たちは思った。もっと上に。もっと練習して、来年はもっといい成績を残したい。

 子供たちの素直な向上心はいいことだ。

 男子バスケ部も週三の練習だったので、スケジュール上は伸ばすことができる。なんなら倍の週六日だって、部員が望むなら可能だ。

 

 問題は場所がないこと。

 

 慧心初等部に屋外のバスケコートはないので、練習場所は体育館しかない。

 そして、その体育館は残りの三日、女バスが使っている。

 女バス。

 つまりは私たち六人である。

 

 作って半年程度の新しい部。

 実績なんてあるはずない。男バス部員たちからは「譲れ」という声が上がったものの、私たちだって「はいそうですか」と言えるわけがない。

 確かに実績はない。

 十人いないから部内での紅白戦もできないけど、真面目に練習しているのだ。ミニゲームと基礎練の比率は半々にまで到達しているし、ミニゲームに特殊ルールを組み込んで実質的な基礎練代わりにしたり、といった奇策もたまに用いている。

 少なくとも、未経験者相手に無双できるくらいには上手くなってる。

 

 男バス顧問としても強くは言えず。

 代表者同士で話し合いをしろ、という事実上の丸投げを表明し――男バスの新しいキャプテンである夏陽くんが、私たち女バスに話をもってきた。

 彼の主張は場所を明け渡せ、ではなく「一緒に練習しよう」だった。

 私たちが私たちなりに頑張ってることは(夏陽くん個人としては)理解できる。ただ、六人しかいないんだからコート余るだろうという主張だ。

 

 私としては異存はない。

 智花も競争相手が増えるなら別に構わない、ひなたちゃんも「べつにいいよ?」くらいのノリだったんだけど……残りの三人の反応はさっきの通りである。

 控えめな愛莉まで「やだ」と言っている以上、これは断固拒否に等しい。

 

「なんでだよ。仲良く使えばいいじゃねえか」

「ぜんぜん仲良くない! あたしたちは他の日に体育館使っちゃ駄目なんでしょ!?」

「夏陽だけ参加するくらいなら構わないけど、全員来られるのはちょっとね。……あ、いや、ごめん。あんたたち絶対喧嘩するからやっぱり無理」

「……男の子のバスケ部の子って、ちょっと怖い」

 

 夏陽くんが深いため息をついて私を見る。

 

「なあ、鶴見。なんとかしてくれよ」

 

 向こうが最大限の譲歩をしているのもわかる。

 女子に譲るなんて死んでも嫌な年頃の小学生男子をギリギリのラインまで抑えてくれてるんだから、夏陽くんには感謝したいけど、

 

「ごめん無理」

 

 にっこり笑ってきっぱり断る。

 

「嫌な子がいるなら無理だよ。諦めて」

「それじゃ他の奴は納得しないぞ、絶対」

「そう言われても。バスケしたいのは一緒なのに一方的に取り上げられるのは嫌だよ。部員が足りないなら署名活動でもして集めるけど?」

「……後悔するなよ」

 

 笑顔のまま「そっちこそ」って言ったら、鬼でも見たような顔をして去っていった。解せぬ。

 ううん、それにしても。

 できる限り活動内容を是正してきたつもりなんだけど……男バスとの勝負、回避できそうにないなあ。



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翔子部長、やりすぎる

この話で百話目です。
意図したわけではありませんが、原作一巻の前フリにキリよく? 到達できた感じです。


「どうして私達が我慢しなくちゃいけないか、ちゃんと説明してもらえない?」

 

 私は苛立っていた。

 夏陽くんとの交渉(?)が決裂した翌日の放課後、私達の部活動中、男バスの部員数名が意気揚々と乗り込んできたからだ。

 向こうの主張は「いいから場所を寄越せ」。

 新部長の夏陽くんは「だから言ったんだ」という顔をして頭を抱えていた。彼にも止めようがないのが一目瞭然。

 

 当然、私は抗議した。

 

 その話は断ったはず。

 第一、顧問からは話し合えって指示されてる。こうやって活動中に乗り込んでくるのは妨害、実力行使でありルール違反だ。

 ということをかみ砕いて伝え、冒頭の主張をしたところ、彼はぐっと言葉を詰まらせて顔を見合わせる。

 

(な、何言ってんのかわかるか?)

(さ、さあ?)

 

 とか思っているのがなんとなくわかる。

 感情論で押したところに理屈で返されると戸惑うよね、わかる。普通立場逆だけど。

 これで黙ってくれれば、

 

「う、うるせえな!」

 

 駄目だった。

 戸惑うとかより先にプライドを刺激された子がいたようで、大きな声を出して睨んでくる。

 

「お前ら遊んでるだけだろ? なんで譲ってくれないんだよ!?」

「……竹中君から聞かなかった?」

 

 ため息をつく。

 そうやって高圧的にならないで欲しい。愛莉ちゃんやひなたちゃんが怯えてる。そのせいで夏陽くんまで怖い顔になりかけてる。

 紗季と真帆ちゃんはむっとした顔。

 バスケしていた最中のせいで、智花まで言い返しそうな表情だ。

 

「私達はちゃんと練習してる。六年生になったら新入部員も募集する。みんな初心者なんだから、大会とかは進級してから考えるつもり。遊んでなんかいない。言いたいことがそれだけだったら――」

「だ、だからうるせえんだよっ!」

 

 再びの大声。

 

「女の癖にバスケなんかやりやがって!」

「―――」

 

 思考が冷えていくのがわかった。

 ああそう、そういうこと言うんだ。ふーん。

 できる限り論理的に説得してるつもりだったんだけど、そっちがその気ならもういいかな。

 

「そ、そうだ! 俺達は真剣にやってるんだ!」

「女は裁縫でもやってろよ!」

「お前のお母さん将棋やってるんだろ? だっせえことやってるから――」

「今、なんて言った?」

「っ!?」

 

 全員が黙った。

 

「ねえ、今なんて言ったの?」

「………」

「言えないんだ。男の癖に? ふーん、男らしくないね。困ったら大声出して無理矢理言うこと聞かせることしかできないのに、そんな風に威張ってるんだ。うっわ、だっさ」

「な、何言ってるのかわかんねえよ……」

 

 わざと「聞こえなーい」とか言ってやりたいくらいの小声。

 

「バスケばっかりやってるから頭悪いんじゃないの? ねえ? 言っていいことと悪いことの区別くらい付けられない? 私のことは何言ってもいいけど、お母さんの悪口言うのは違うよね? ねえ? ごめんなさいは? 悪いことしたのに謝ることもできないの?」

「……ひっ」

 

 思いつくまま言葉のナイフを突きつけてやると、次々に涙ぐみはじめる。

 

「うわ、泣いちゃった。男の癖に女の子に泣かされて恥ずかしくないの? 悔しかったら何かしてみたら?」

 

 こんなのは話し合いでも議論でもない。

 相手を煽って苛立たせて黙らせるだけでいいなら、男子が女子に勝てるわけないのに。

 無駄なこと。

 でも、始めたからには痛い目を見てもらわないと気が済まない。

 

「てめぇ……!」

 

 一人が拳を握った。

 私はもう何も言わず、冷ややかにその子を見つめる。

 殴ればいい。

 先に手を出したのは男子の方。男が女を殴ることの意味、思い知ればいい。大好きなバスケがしばらくできなくなるんじゃないかな。

 と。

 

「いい加減にしろ!」

「………」

 

 夏陽くんの一喝が場を叩いた。

 空気が変わる。

 暴力沙汰を起こしかけていた部員達を、部長はたった一言で掌握した。ついでに、血が上っていた私の頭も急速に冷えていく。

 

 ――何やってるんだ、私。

 

 大人気ない。

 笑顔でいなして、柔らかな言葉で丸め込んで、妥協点を探せばいいのに。

 一時的な悦びのために相手を攻撃して、泣かせて。

 

 良くわかった。

 私はやっぱり『部長』には向いてない。

 

「行くぞ」

「で、でも、竹中」

「でもじゃねえよ。……鶴見、悪かった」

「……うん」

 

 私もごめんなさい、とは言う気になれなかった。

 夏陽くんに連れられて男子たちが出ていく。

 

「……ショーコ」

「翔子……」

「ごめんね、みんな。本当にごめんなさい」

 

 その日はもう、練習にならなかった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「翔子、やりすぎ」

「……はい。本当にすみませんでした」

 

 男バスが顧問に報告したのだろう。

 次の日には、私は美星姐さんに呼び出されて叱られた。

 

「ちゃんと男子に謝れる?」

「……きつい言い方をしちゃったことは」

「ま、そうだよね」

 

 姐さんは苦笑して私の頭をぽんと叩いた。

 

「あんたは謝れる子だよ。……でも、本当に譲れないことにだけは頑固」

「……はい」

「それでいいと思うよ。……でもね」

 

 世の中、理屈だけじゃ回らない。

 自分では悪くないと思っていて、実際に非がなかったとしても、それで権利を勝ち取れるかといえばそうでもない。

 

「この際、勝負して決めよう」

 

 美星姐さんが告げたのは予想していた解決方法。

 

「男バスと女バス。試合して、勝った方がコートを使う。それなら文句ないでしょ?」

 

 

 

 

 

「この前はごめんなさい。私、みんなに言いすぎた」

「……ふん」

 

 あらためて設けられた話し合いの場。

 全員揃ったところで、私がまず、体育館の一件について謝ると――あの男子たちは「知らない」あるいは「当然だ」とばかりにそっぽを向いた。

 ほら見ろ、とか男女、ブス、なんて呟きがかすかに耳に届く。

 

「むっかー! なにそれ、ショーコがあやまってるのにそのタイドっておかし――」

「落ち着け真帆。ここは我慢しなさい」

 

 声を上げかけた真帆ちゃんを紗季ちゃんが抑える。

 本当なら真っ先にヒートアップしていたであろう真帆ちゃん、私が先にぷっつんしたことで未然に防げたけど、良かったのか悪かったのか。

 

「菊池。戸嶋。深田」

「……っ。悪ぃ」

 

 男バス顧問の小笠原先生が促すと、男子たちも形ばかり謝ってくれる。

 お互い、根本から悪いと思っていないのは一緒みたいだ。

 

 とはいえ、これで体育館の件は手打ち。

 話は根本的な問題をどうするかに移る。

 

「女子部顧問の篁先生と協議の結果、コートの使用権は男子対女子の特別試合で決めることになった」

 

 これについては両顧問経由で各部長に、各部長から部員に通達済み。

 異議なしという返答は既に出しているので、基本的には公の場を設けた、という以上の意味はない。

 

「準備期間も必要と考え、試合は約一か月後とする」

 

 条件は昴から聞いたあの一件とほぼ同じ。

 

 ◆試合時間は前半後半六分ずつの計十二分。

 ◆両チームとも、メンバーの途中交代は一回まで。控えは一人とする。

 ◆一人の選手が累計五回以上ファウルした場合、退場ではなく相手に二本のフリースローが与えられ、ボール権も移譲される。

 ◆その他は全て公式ルールに準じる。

 

 六人が参加できるようになったこと、それによって選手交代が一回だけ可能になっただけ。

 基本的にルールは私達に有利だ。

 その代わり、

 

「男子が勝った場合、女子は廃部」

 

 勝敗による利益は男子に分がある。

 今から勝ちを確信しているような小笠原先生――通称カマキリを睨んだ美星姐さんがふんと鼻を鳴らして、

 

「女子が勝った場合、男子は全員謝罪文の提出と土下座」

 

 不公平ではあるけど、絶対嫌な結末なのは変わらない。

 お互いに思っているだろう。

 勝てばいい。負けなければいい、って。

 

「全員。文句はないな?」

「はい」

「はい」

 

 両顧問の立ち合いの下、全部員が条件を了承した。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「……本当にごめんなさい。私のせいでこんなことになって」

「いいって言ってるでしょ。というか、翔子のせいじゃないし」

 

 深く頭を下げた私を、みんなは許してくれた。

 

「そーそー。ショーコはほんとのこといっただけじゃん。あたしたちわるくないし!」

「うんっ。あの時の翔子ちゃん、格好良かった。……ちょっとだけ怖かったけど」

「おー。しょうこ、がんばった」

 

 にかっと笑う真帆ちゃん。

 微笑んで言う愛莉。

 にこにこして腕を上げるひなたちゃん。

 

「翔子と篁先生が頑張ってくれたから、チャンスができたんだと思う」

 

 意を決した表情で両手を抱きしめる智花。

 

「私、頑張る。みんなとの大切な部活、無くさないで済むように」

「……ありがとう、みんな」

 

 涙がこぼれる。

 でも、感情を抑えようとすることは敢えてせず、私は笑顔を浮かべた。

 

「うん。もうあんなことしない。でも、後悔もしない。みんなで頑張って、男子に勝とう」

「おー!」

 

 その日からより一層気合いを入れて、私達、慧心女バスは動きだした。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 決戦は一か月後。

 時間は長いようで短く、できることは多いようで少ない。

 

 まずはみんなと相談。

 新入部員の募集は男バスとの試合後に決めた。部がなくなるかもしれないのに募集できないというのが表向きの理由。

 裏の理由は、男バスが新体制の確立と新入部員の指導で追われる分、こちらにアドバンテージを作るためだ。身も蓋もないことを言うと、部員を増やしても試合で使えないなら意味ないしね。

 

 更に美星姐さんに相談。

 

「男バスの練習風景と試合風景、撮影できないでしょうか?」

「んーと、それが何に必要なの?」

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」

「よしきた。そっちは私がなんとかしてあげる」

「ありがとうございます!」

 

 ついでにもう一つ相談。

 自分達でできるだけやってみるつもりだが、やっぱり指導者がいるといないじゃ効率が違う。誰か良さそうな人に心当たりはないか、と。

 暗に「長谷川昴を出せ」と言ってみると、姐さんは難しい顔をした。

 

「いないわけじゃないんだけどね」

「来てくれそうにないですか?」

「あいつ、今度高一だからさ。新しい学校のバスケ部に入るんだって楽しみにしてるから、水を差したくないんだ」

 

 そっか、それはそうだ。

 ここではまだ「部長ロリコン事件」が起こっていない。

 暇な昴を引っ張ってくることはできても、予定びっしりの昴にコーチなんか頼めない。

 

「一応、策は練ってみるけど、期待はしないで」

「わかりました。……私たちの問題です。できるだけ、私たちで頑張ってみます」

 

 私だって、ここまで無策で来たわけじゃない。

 男バスと女バスの試合が発生してしまってもいいように、勝てる可能性を上げるために、できるだけのことはしてきたつもりだ。

 みんなのやる気を保ちつつ、基礎練に慣れてもらった。みんなの技術と基礎体力は確実に上がってるし、ミニゲームだって「遊ぶ」のと「勝つ気でやる」のじゃ経験値には差が出る。部の存続をかけた試合ということでみんなの気合いも入っているから、ここからは更に身が入るはず。

 

 週三日の練習を頑張って。

 家でできるトレーニングを乞われて教えたり、休みの日も集まれれば集まって身体を動かしたりして、とにかく、できることを一つずつやっていった。

 そして、進級。

 始業式から約一週間が過ぎ、七芝高校の体験入部期間が終わりを迎えた頃――美星姐さんから一つの連絡が入った。

 

『凄いコーチを確保した。次の練習から来てもらうよん』

 

 どうやら歴史は繰り返すらしい。

 部長ロリコン事件に見舞われてしまった昴はとても気の毒だけど、私たちにとっては天の助け。

 

 ちゃんとバスケを教えられる人が来る、ということで、真帆ちゃんをはじめとしたみんなも大喜び。

 

「おっしゃー! これで勝ったもどーぜん! ま、もともとあたしたちが勝つつもりだったけど。くしし」

「どこから来るのよその自信……。でも良かったわ。コーチの方が来てくださればトモや翔子が練習に集中できるもの」

「わ、私は別に教えるの嫌じゃないけど……」

「うんっ、私も楽しみ。どんな人なのかなあ……」

「おー。すーぱーこーち?」

「美星先生の甥っ子さんなんだって。高校一年生の男の人らしいよ」

 

 男、と聞いたみんなは一瞬ざわっとする。

 新鮮な反応だ。

 これが一年もしないうちに「すばるんすばるん!」になるんだから、昴の天然人たらしぶりときたら恐ろしいものがある。

 

「オトコかー! じゃーやっぱり可愛くお迎えした方がいいよね!?」

「おー。おもてなし?」

「え、えっと……じゃあ、着物とか着た方がいいのかな……?」

「と、智花ちゃんっ。それはちょっと違うと思うけど……」

「いえ、トモ。いい考えだわ。や、さすがに着物はどうかと思うけど、男性が好む衣装でお出迎えするのはアリかもしれない」

 

 しかも珍しく紗季が頭おかしい。

 

「ほえ? オトコが好きなイショーって?」

「ふふ、決まってるじゃない。真帆のお父さんが大好きな服よ」

「ああ、メイド!」

 

 駄目だ、これ止まらないやつだ。

 

「あの、真帆ちゃん、紗季。メイド服でバスケはちょっと」

「えー、ショーコは着てみたくないの?」

「う、いや、ちょっと着てみたいけど……」

 

 学園祭で結局着られなかったし。

 と、思わず口ごもった結果、押し切られてしまい、

 

「翔子の裏切りもの……」

 

 智花と愛莉から恨みがましい目で見られてしまった。



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翔子部長、出会う

 さすが風雅さん。メイドへの拘りが違う。

 

 奥さんに着せちゃうほどメイド服が好きな一流ファッションデザイナーは、子供用のメイド服を作らせても一流だった。

 みんなで会いに行って採寸などをしてもらって。

 それから一週間くらい後にはもう、可愛いメイド衣装が全員分、計六着できあがっていた。

 

 基本形は二種類。

 ロング丈とミニ丈という分かりやすいわけ方だけど、リボンの色などの細かい部分は全部違っている。

 

 真帆ちゃんがエメラルドグリーン。

 紗季が青紫。

 智花が赤紫。

 愛莉が薄いオレンジ。

 ひなたちゃんがピンク。

 そして、私が臙脂。

 白と黒以外に一色がアクセントであしらわれていて、統一感があると同時に華やかで愛嬌がある。

 

 ちなみにスカートは愛莉とひなたちゃんがミニ、他の四人がロング。

 最初は私もミニを提案されたんだけど、個人的なこだわりとしてロングは譲れなかった。

 まあ、正直、恥ずかしかったっていうのもある。

 

「可愛いね」

「うん、可愛い」

 

 智花や愛莉と「可愛い」を連呼する。

 小学生はこういうのを無邪気に喜べる時期である。着たまま三十分くらい鏡の前でくるくる回ってられそうなくらいだけど、問題は。

 これを着るのが「高校生の男子に見せるため」ということ。

 

「……うう」

「諦めよう、愛莉」

 

 目的を思い出したのだろう。

 一転、ちょっと泣きそうになる愛莉と、遠い目をする智花。

 

「可愛いからいいと思うけどなあ」

「翔子って時々変だよね……」

「……うん」

 

 解せぬ。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 相談の結果、最初の一言は定番のアレに決まった。

 

「お帰りなさいませ! ご主人様!」

 

 体育館の入り口に整列して待つことしばし。

 放課後の体育館には、用のない人は近寄らない。美星姐さんから「だいたいこのくらい」と言われた時間に待っていれば、件のコーチが入ってくるだろう。

 と、ものすごく大雑把なノリの下、扉が開き――入ってきたのが誰かも確認しないまま、この機を逃すものかと声を揃えた。

 

 結果。

 

「………」

 

 そっ閉じ。

 ちらりと見えた姿は、童顔気味の整った顔立ちをした、細身の男子高校生。記憶にあるよりも若干幼い感じがする幼馴染、長谷川昴だった。

 

 瞬間。

 私の胸には複雑な感情が浮かんだ。

 

 他の人じゃなかった安堵。

 もう一度会えた喜び。

 見知った顔を見たことによる懐かしさ。

 そして、こうして彼を迎える側に立っているという違和感。

 

 浮かび上がった感情を一気には処理しきれず苦笑していると、みんなから目配せ。

 

(どうしよっか)

(とりあえず待ってみよ! もう一回入ってきてくれるかも!)

(そうね。間違えたと思ったのかもしれないし)

 

 そして、私達の期待通り、扉はもう一度開いた。

 

「お帰りなさいませ! ご主人様!」

「………」

 

 さもありなん。

 昴は「見間違えじゃなかった」と理解した後、「なんだこれ」というような表情を浮かべた。

 

 

 

 

 (半ば脅されて)バスケのコーチをしに来たら、女子小学生六人がメイド服でお出迎えをしてきた。

 あらためて考えると何言ってるのかわからないし、考えた方も実行前に気づかなかったのかって感じだけど――ともあれ、緊張を解くことだけは成功したようで。

 昴は困惑気味ながらも会話ができるモードに入っており、二、三の言葉を交わした。

 

 どうやら彼は、この状況が美星姐さんの差し金だと思ったらしい。

 きょとんとした真帆ちゃんたちの表情から「どうやらそうではない」と察した彼に、紗季が自己紹介を提案。

 これはすぐに了承されたものの、

 

「その前に……その、『ご主人様』っていうの、止めてもらえると助かるんだけど……」

 

 なんとも初々しい反応。

 いかにも女の子に慣れてないって感じでちょっと可愛い。いや、女子小学生の身で言うことじゃないけど。

 っていうか、昴ってそんなに女性経験なかったっけ?

 小学生の頃から私と葵が身近にいたんだからもう少し落ち着いてても、って、私と葵じゃ経験の足しにならないか。

 と、それはともかく。

 

 事前に立てたプラン(主導は紗季)にない状況が発生したため、私たちは一度円陣を組んで作戦会議をする。

 

「おかしい。コーチさん、メイドは好みじゃないってこと?」

「おー、別のしゅみ、おもち?」

「おもち食べたい」

「翔子ちゃん、何かいいアイデアないかな?」

「んー、データによると一人っ子のはずだから……下のきょうだいに憧れてたりするかも?」

「なるほど!」

 

 と、適当な妄言を吐いた結果、

 

「わかりました、お兄ちゃん!」

 

 昴が絶望的な顔になった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 自己紹介やら何やらをしているうちに、結構時間を使ってしまった。

 私としてもちょっと予想外。

 まさか、みんながここまで――男に対して無防備だったとは。

 

 メイド服の下には(ミニ、ロング問わず)スパッツやブルマを穿いて対策はしていたんだけど、真帆ちゃんなんかは「見られてもいい衣装」を「見せてもいい衣装」と解釈していたらしく、自分からスカートをめくって見せに行っていた。

 活動的な彼女がロングメイド服なのは風雅さんの親心だろうに、全く通じてないのがちょっと悲しい。

 愛莉なんか真帆の悪戯により、スカートの下に穿いたブルマを晒されてしまい、下着ではないとはいえ結構落ち込んでしまった。

 

 ――もう。純真無垢なのはいいことだけど、無防備なのは心配になる。

 

 着替えてもいい、と、昴が言ってくれたので、智花と愛莉は更衣室に向かった。

 私はちょっと考えた末にこのままを選択。

 メイド服でバスケする機会なんてこの先ないだろうし、せっかくだから経験しておきたい。まあ、袴的なものだと思えばそんなに邪魔でも……いや、うん、邪魔だけど。

 

「すみません、騒がしくしちゃって」

 

 着替え待ちの間に昴へ歩み寄り、そっと話しかける。

 

「あ、いや。元気がいいのはいいこと……じゃないかな。うん」

「ふふっ」

 

 とってつけたような言い方にくすりとする。

 今考えたフォローなのが丸わかりだけど、気にしていないのは確かっぽい。

 

「ええと、君が部長なんだよね?」

「はい。あ、鶴見でも翔子でも、好きに呼んでくださいね」

「ありがとう。じゃあ――翔子」

「っ」

 

 身体に喜びが走った。

 離れて暮らす家族に久しぶりに会った、とかそういう類の感覚ではあるんだけど……なんとなく恥ずかしくなって頬を染めてしまう。

 

「はいっ。……えっと、長谷川先輩」

「先輩?」

「バスケの先輩なので。変ですか?」

「ん……いや、いいんじゃないかな」

 

 良かった。

 さすがに「昴」とは呼べないし、かといって「長谷川さん」とかむず痒くて耐えられない。先輩呼びがギリギリの妥協点だった。

 

「先輩。今のうちにお伝えしておきたいことがあるんですが……」

「ん? うん、何かな?」

「はい。愛莉なんですけど、できるだけ身長のことに触れないでもらえませんか? 気にしてるので……」

 

 伝え終わると程なく愛莉たちが帰ってきた。

 昴は特別悩むこともなく、私たちに紅白戦を指示した。それなら得意分野だ。いつものようにチーム分けをして、スムーズにゲームを開始する。

 私、真帆、ひなたちゃんのペアと智花、紗季、愛莉のペア。

 バランスの良い組み合わせの結果、なかなかの接戦を演じ、最終的には智花のチームが勝った。

 

「どうですか、長谷川先輩?」

「あ……うん」

 

 試合終了後、昴に声をかけると、彼は放心から覚めたような顔をする。

 

「驚いたよ。できたばかりのチームって聞いてたけど、基本はちゃんとできてる」

「みんなで頑張って練習しましたから」

 

 胸を張る。ここは誇ってもいいところだろう。

 

「あー惜しかった! ……見た見たすばるん、あたしたちのユーシ!」

「え、すばるん?」

「かっこよかったでしょ? どう、あたしたちってミコミありそう? ちくゆうしょうくらいよゆーでできちゃう?」

 

 と、ここで真帆ちゃんが大攻勢。

 持ち前の人懐っこさは年上の男にも発揮されるようで、非常に犯罪臭……じゃなかった、危なっかしいけど、短期間で距離を詰めることにかけて右に出る者はいない。

 昴にしても、戸惑いつつも邪険にすることはできないらしく、苦笑気味に笑って、

 

「ち、地区優勝かあ。……そこまでは約束できないけど、ちゃんと練習すればいいチームになると思うよ」

「えー、できないの!? そこをなんとか、こう、すごい作戦とかでお願い、ね?」

「え、ええっと……」

 

 助けを求める視線。

 

「真帆ちゃん。長谷川先輩が困ってるから」

 

 私は真帆ちゃんを宥め、昴に告げた。

 

「先輩。篁先生から聞いてませんか? 私たちの事情」

「事情?」

「はい。私たちは勝たないといけないんです。……同じ学校の、男子バスケ部に」

 

 

 

 

 

 部活終了時間が迫っていたので、私だけが残って説明した。

 部を作った経緯。

 男バスとのいざこざ。

 試合をすることになった成り行きを。

 

「勝ちたい。……いえ、勝たないといけないんです。私たちの居場所を守るために」

「なるほど、な」

 

 夕暮れの下、昴は最後まで聞いてくれた。

 

「……我が儘だとは思います。私が、みんなとの時間にしがみついているだけなのかも」

 

 智花のため、というのももちろんあった。

 でも、本当のところは私がバスケをしたかっただけ、知っている子たちに知っている道筋を歩いて欲しい、という自分勝手だったのかもしれない。

 

「いや、そんなことないと思う」

「え?」

 

 見上げると、昴は照れたように笑っていた。

 

 ――背、高いなあ。

 

 前は同じくらいの身長か、私の方が高いくらいだったのに。

 今は昴が大人っぽく見える。

 

「今日ちらっと見ただけだけどさ。それでも、あの子たちが楽しんでるのはわかったよ。だから、大丈夫」

 

 格好いい、と。

 不覚にも思ってしまった。

 

「力を貸してもらえますか?」

「ん……正直、喧嘩両成敗って言いたいんだけど……」

「男子部にだけ優秀な指導者が付いているのは不公平じゃないでしょうか」

 

 もっともらしいことを言えば、昴ももっともらしく頷いて、

 

「よし、それでいこう」

 

 私たちはお代官様と越後谷にでもなった気分で笑い合った。

 

「……さて。遅くなってきたけど、門限は大丈夫?」

「はい。うちは割と緩いので、連絡を入れておけば大丈夫です」

 

 ちなみに、無断で遅くなった場合、「ご飯をどうするかわからないから困る」という方面でのお説教が始まることが多い。

 うるさく言わなくても私なら大丈夫、という信頼の証だから、甘えすぎるのも良くないけど。

 

「なので、帰りは送って頂けたりすると助かるんですけど」

「……了解。ミホ姉に交渉してみよう。そういうことならまだ時間があるけど、もう少し、詳しい話を聞いてもいいかな?」

「もちろんです」

 

 そうして、その日の帰りは美星姐さんの車で送ってもらった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 鶴見翔子は礼儀正しく深いお辞儀をしてから家へと入っていった。

 運転席の叔母が車を発進させながら、尋ねてくる。

 

「で、どうだった?」

「……あの子が言ってた通り、手伝うことになった」

「そ。にゅふふ。翔子め、うまくやったな」

「あのな……」

 

 多少なりとも隠したらどうだ黒幕。

 まあ、確かに「上手くしてやられた」のだろう。昴の胸には心地よい敗北感のようなものがある。何しろ嫌々、渋々、ノルマのような気持ちで体育館を訪れた癖に、ほんの数時間後には二週間の指導を約束されていたのだ。

 だが、

 

「……あんなこと言われて放っておけるかよ」

 

 男女グループの対立は昴自身は経験していない。

 最も身近なバスケ仲間が異性である荻山葵であったため、チーム戦をするにしても基本、男女混合だった。桐原中のバスケ部は男女ともに和気藹々としており、男女の仲も悪くなかった(友情的な意味で)。

 聞いた限り女バスに非はない。

 男バスにあるとも言い切れないが。

 翔子は事実と私見をほぼ完全に区別して語ってくれたため、ある程度、公平な視点から見ることはできる。

 

 男子の気持ちもわかる。

 が、依頼者が女バスであり、ご丁寧に「協力する言い訳」まで用意されたのだ。

 手伝わなければ嘘というものである。

 

 何より、昴自身が「もっと見たい」と思ってしまった。

 あの少女たちのバスケを。

 彼女たちが花開き、孵化し、技術を昇華させたその先にあるものを。

 もういいやと思っていたはずのバスケにもう一度、向き合ってみたいと思わされた。

 

 特に――あの、鶴見翔子。

 そしてもう一人。湊智花。

 

 彼女たちは格別だ。

 ものが違う。

 生粋のフォワードである智花と、縁の下の力持ちを得意とする翔子。経験者が二人しかいない故、必然的に敵同士になっていたが、二人が協力した時の絵を想像することはできる。

 翔子のアシストを受けた智花はきっと何倍も、何十倍もの力を発揮するだろう。

 

 もし、あの二人が桐原女バスに居たら。

 荻山葵と肩を並べていたら、それはきっと物凄いチームになっていただろう。

 

「ああくそ、ずるいだろ」

 

 翔子と智花。

 二人が試合中に放ったジャンプシュートが、目に焼き付いて離れない。



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翔子部長、うきうきする

 男バスとの対立以来、私の男子人気は一気に落ちた。

 レギュラーの殆どが所属するD組を中心に、あの時にまくし立てた悪口が尾ひれ背びれをつけて広まったせいだ。

 まあ、男子のやることなので陰湿さはそんなにない。

 どっちかというと恐怖伝説とか、怪獣に近い扱い。

 ただ、はっきり『敵』と認定されたのはちょっと困りもの。

 

 例えば、やんちゃっぽい男子二人組と廊下ですれ違えば、

 

「あ、鶴見だ」

「目合わせるなよ。殴られるぞ」

 

 私は狂犬か。

 

 もちろん、男バスの連中も「絶対俺達が勝つからな」と対抗意識を燃やしてくる。

 お陰で、女子からは「頼れる仲間」みたいな扱いになっている。鶴見さんはいざとなったら積極的に味方してくれる、みたいな。

 できれば中立に近い立場でいたかったけど、ぶっちゃけ自業自得。

 

 小学生男子と恋愛する気もないし、放っておいている。

 

 ――それはともかく。

 

 昴による二度目の指導から、私は新しいバスケシューズをおろすことにした。

 服は安くていいのを見繕うとして、他に欲しいものといったらバスケ用品と将棋の本くらいなので、使う時は思いきって使う。

 今から履きならしておけば試合の頃にはいい感じになっているだろう。

 

「あ、翔子ちゃん。その靴可愛いねっ」

 

 放課後。

 うきうきしながら靴を履き替えていると、愛莉が目ざとく気づいて褒めてくれる。

 そう言って欲しくてうずうずしてたので、ついつい口元を緩めてしまった。

 

「うん。思い切って買っちゃった」

 

 試合会場が体育館だから、学校指定の体育館履きは決して悪いものじゃない。

 でも、やっぱり専用のグッズがあるとテンションが上がるものだ。

 女の子用のちょっと可愛いデザインのものなら猶更。

 

「いいなぁ……わたしも欲しくなっちゃう」

「良いのは結構高かったりするから勇気がいるよね」

 

 愛莉のところならスポーツ用品はほいほい買ってくれそうだけど。

 

「私も買い替えようかな……」

 

 と、これは智花。

 彼女は前から使っていたバスケシューズと慧心の体育館履きを使い分けている。シューズは割とスタイリッシュな格好いいやつで、こちらも部員に好評だった。

 特に真帆ちゃんは「かっけー」と大喜びだったっけ。

 

「ショーコも買ったのかー。これはもう、あたしも買っていいよね?」

「……好きにすればいいじゃない」

 

 これまでは「あんまり履かなかったら勿体ない」と制止していた紗季ちゃんが「もう止めきれない」と嘆息。

 彼女は専用のアイガードを撫でて、呟く。

 

「みんな買うなら私も買おうかしら」

「紗季、いいの?」

 

 私は思わず尋ねてしまった。

 このタイミングで買うとそれこそ無駄になるかもしれない。

 智花もそれに思い立ったのか「あ……」と表情を硬くする。

 でも、紗季は肩を竦めて、

 

「体育館履きをダメにするなら同じようなものだし。それに――これからもずっと使うもの」

「……あ」

 

 駄目だった時のことは考えてないんだ。

 ううん。

 上手くいくと信じて――上手くいくように、願掛けの意味も込めて道具を買うんだ。

 

 私は頷き、微笑んで言った。

 

「そんなに慌てなくてもいいと思うよ」

「そう?」

「うん。ほら、慣れない靴で逆にスランプになっちゃうかもしれないし」

 

 首を傾げる紗季に答えて、

 

「これからまだまだ使うチャンスはあるんだから」

「……そうね」

 

 紗季も微笑んで頷いてくれた。

 

「おー。ひなも、ひなもみんなとおくつ、かいにいきたい」

「おー! じゃあ、今度みんなでいこ! ねっ!」

 

 私たちの部活はまだまだ終わらない。

 これからも続いていく。

 続けていく。きっと。絶対に。

 

 

 

 

 

 

「翔子、靴替えたのか。いいな、それ」

 

 まだまだ緊張した様子でやってきた我らがコーチ、長谷川昴。

 挨拶と準備運動の後、私は彼に声をかけられた。

 

 ――昴が女の子のお洒落に気づいて、自分から褒めた!?

 

 一瞬愕然としたけど、なんのことはない。

 ものがバスケ用品だからだ。

 これが葵相手でもちゃんと気づく。ほっとくと全然進展しない二人でもそういう会話はあるのだ。問題は葵が「でしょ? 安いけどモノがいいのよ。ここの部分のデザインが凝ってて動きの邪魔になりにくくて……」と普通に自慢を始めることだ。

 昴は鈍感なんだから、そういう時にこそ話をもっていかないと……などと思いつつ、微笑んで答える。

 

「ありがとうございます。可愛いし、履き心地もいい感じです」

 

 ついでに軽く一回転してみせる。

 すると、昴が何やら面食らったような顔になる。

 

「どうしました?」

「あ、いや。女の子だなあと思って」

「それは、私だって女の子ですよ」

 

 今、男子に転生したら女装始めちゃいそうなくらいには女子に染まってる。

 頬を膨らませて抗議すると、昴は「ごめんごめん」と謝ってくれた。

 

 

  ◆   ◆   ◆

 

 

 今日はぜんぶの時間を基礎練習に使いたい。

 昴は最初にそう宣言してみんなの了解を取り、私たちはそれを了承した。

 初めての通し練習。

 私の主観ではあっという間に終わったその時間の感想は、

 

「すばるーん、なんかいつもの練習とあんま変わんないよ?」

「真帆、失礼でしょ。……でもまあ、そうかも」

 

 普通。

 と、真帆ちゃんや紗季だけでなく、愛莉やひなたちゃんの顔にも書いてある。

 練習内容はパスとかドリブルとか基本的なのを一通り。

 実際、似たようなことは私や智花もみんなにしてもらっていた。

 

「うん。普通だね。でも、基礎の動きが一番大事なんだよ」

 

 答える昴に真帆ちゃんが挙手。

 

「知ってる! 必殺技を使うのに必要なんでしょ?」

「ひ、必殺技?」

 

 面食らった昴がこっちを見る。

 なんでわかったのか。はい、犯人は私です。

 視線を戻した昴は苦笑を浮かべて、

 

「うん、そうそう。……俺としては、最強の必殺技は基本技だと思うんだけど」

「えー、そんなの地味じゃん!」

「そ、そうか? 洗練された普通のパンチがどんな技より強いとか、格好良くない?」

 

 わかる。

 わかるけど、子供かつ女の子にその発想はわかりづいらいと思う。

 こほん。

 昴は咳払いを一つして、

 

「今日、基礎をしてもらったのはそれだけが理由じゃない。みんなの今の能力をあらためて確認したかったからでもあって」

「一昨日の試合だけだと足りませんか?」

「もちろん、ある程度はわかったけど、具体的に何がどれくらいできるか把握しないといけなかった。……勝つためには」

「っ!」

 

 みんなの表情が歓喜に染まる。

 乗り気になってくれた、とは伝えてあったけど、やっぱり本人の口から言われると格別らしい。

 

「じゃ、じゃあ、すばるん」

「うん。……どこまでやれるか、やってみなくちゃわからないけど、俺に手伝わせて欲しい。男バスとの試合、勝てるように」

「やったー! ありがとーすばるん!」

「おー、おにーちゃん、ありがとう」

 

 歓声を上げて昴に駆け寄り、ぎゅっと腕に抱きつく真帆ちゃん、ひなたちゃん。

 紗季は「ああもう……」と呆れつつも嬉しそうに唇を歪め、愛莉は「わたしも行った方がいいのかな? でも、恥ずかしいよう……」っていう顔をしてる。

 智花は――深い感慨を抱いた表情で、両手を胸の前で重ねている。

 

 私は深く、昴に向かって頭を下げる。

 

「ありがとうございます、長谷川先輩。……どうか、よろしくお願いします」

「ああ。こちらこそ、どうぞよろしく」

 

 慧心女バス、真の本格始動である。

 

 

  ◆   ◆   ◆

 

 

 二回目の練習を使い、昴はみんなの基礎スペックを詳しく把握した。

 

「私たち、もう丸裸にされちゃいましたか」

「弱点まで完全に、とはいかないけどね」

 

 彼は今日、美星姐さんの家に寄って男バスの試合動画を回収。

 週末を使って作戦を立てるので、勝つための特訓は来週からの三回になるという。

 次回――今週最後の練習は、おおまかなプランを元にした底上げのために使われるそうだ。

 

 部として解散した後、私はまた残って昴と話をする。

 せっかくなので今日は智花も誘ってみた。

 まだ打ち解けてないせいか、ちょっと恥ずかしそうだったけど、バスケの話だから気になるみたいで一緒に残ってくれた。

 智花の家は門限が厳しいので早めに帰らないとだけど。

 

「ところで、二人に確認したいことがあるんだけど」

「?」

「はい、なんでしょう?」

 

 昴が聞いてきたのは意外なような、当たり前のようなこと。

 

「その、翔子がセンターを練習してるのは何か理由があるのかな?」

「ああ」

 

 そりゃそうだと私は頷く。

 今の私は決して背が高くない。でも、私のスタイルは明らかにセンターだ。

 

「理由は幾つかあります」

 

 言えるものも、言えないものも。

 言えない部分はぼかして、でも、なるべく真実を伝える。

 

「愛莉が背の高さを気にしてるので、お願いしにくいのが一つ。単純に、性格的に向いてるかなって思うことが一つ。後一つあるんですけど……」

「それは?」

 

 私はにっこり笑って、

 

「これから伸びるからです!」

「………」

 

 昴はぽかんと口を開けて、それから声を上げて笑った。

 

「なるほど。それは立派な理由だ」

「でしょう?」

 

 子ども扱いされてる感もあるけど、胸を張って答えておく。

 本当に伸びる予定だし。

 前回より頑張って牛乳を飲んでるので、同じ時期よりもちょっと伸びてるし。きっと伸びる。

 

「じゃあ、俺が思ってたのは関係ないのかな」

「?」

「俺の幼馴染なんだけど――荻山葵。知らない?」

「っ」

 

 ここでその名前が出るとは。

 

「……知ってます。でも、どうして?」

「男子から聞いたんだ。ツンツンした頭の、やんちゃそうなやつ」

「竹中君だ」

「竹中君だね」

 

 一瞬で一致する見解。

 そっか、そういえば、夏陽くんに二人の名前を伝えたっけ。それを覚えてれば、昴が名乗るだけで「ん?」ってなるはず。

 悪戯がばれたような心境になる私。

 昴の方は「より興味がでてきた」という顔で聞いてくる。

 

「じゃあ、やっぱり? 葵に憧れてるならなのか? えっと、その身長でセンターやってるのって」

「え、あお……荻山先輩ってセンターなんですか?」

「え?」

「え?」

 

 何それこわい。

 

「知らなかったのか。……葵はさ、中学のバスケ部で部長やってたんだけど、あいつの代だと一番背が高かったんだよ。だから、そんなに大きくないのにセンターやってた。本当はフォワード向きなのにな」

「そうだったんですね……」

 

 そっか、そうなってるんだ。

 私の知ってる桐原女バスでも、葵はフェイダウェイシュートを身に着けたり、サブのセンターができるように練習したりしていた。

 私がいなくなった影響で正センターがいなくなり、その辺りの事情が加速したんだろう。

 

 ――この世界は、やっぱり知ってるようで知らない世界だ。

 

 寂しさを紛らわすように微笑んで、私は言った。

 

「実は、長谷川先輩と荻山先輩のこと、前から知ってたんです。でも、公園とかでちらっと見かけたくらいで。お話したこともなかったし、大会にも応援に行けなかったので」

「なるほどな。でも、それなら声かけてくれればよかったのに」

「お二人でデートしてるところに邪魔なんてできませんよ」

 

 私がいないということは、二人は出会った頃の関係を続けていたはず。

 なら、葵にとっては、

 

「デート? いや、そういうんじゃないって。葵とは単にライバルってだけ」

 

 むしろ、ファンだって言えば喜ぶんじゃないか、なんて言う昴。

 まったくもう、そんな感じだから葵が困るんだよ。

 

「長谷川先輩って鈍感って言われませんか?」

「う。言われるけど……俺、何かやらかした? 全然身に覚えがないんだけど」

「大した事じゃないので気にしないでください。それより――」

「ああ。じゃあ、翔子はセンターが得意だけど、必要に応じて他のポジションもできるってことでいい? ……ポイントガードとか」

「はい、大丈夫です。責任重大ですけど」

 

 昴みたいなポイントガードができるとは思えない。

 ちょっと緊張して頷くと、昴が微笑む。

 ポイントガードとして何か思うところがあったのかな。

 と。

 

「あ、あの。私は……」

「っと。ごめんごめん。智花にはフォワードをやってもらうつもり。……でも、場合によっては場のコントロールをお願いすることもあるかも」

「はい。やります」

 

 決然と頷く智花。

 

「よし。じゃあ、あと確認しておきたいのは――二人が選手交代のルールをどう考えているか、とかかな」

「あ、それは」

「大事ですよね」

 

 そうして私たちはしばらくの間話し合いを続けた。

 結果、わかったことは、

 

「駄目だ。時間が足りない」

「ですね」

 

 二、三十分話した程度じゃ追いつかない。

 もっとどこかで腰を据えて話したいところ。といっても、小学生でファミレスに誘うわけにもいかないし。智花の門限だってある。

 

「そうだ」

 

 昴が何かを思いついたように顔を上げて、

 

「週末、うちに来ない? 翔子と智花、二人で」

「え」

 

 出会ったばかりの女子小学生を自宅に誘う男子高校生。

 昴さん、早くも私たちがただのバスケ仲間になりつつありませんか?



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翔子部長、男の家に行く

「智花!」

「翔子。待たせちゃってごめんね」

「ううん。時間通りだよ」

 

 当日は最寄り駅で智花と待ち合わせた。

 住所と簡単な地図をもらっているので、それを頼りに訪ねるつもり。

 普通だったら辿り着けるか心配になりそうだけど、今回に限っては大丈夫。私が長谷川家への道を間違えるはずない。

 

「本当にお願いしちゃって大丈夫?」

「任せて。地図見るのは得意だから」

 

 一応、智花にはそんな風に説明している。

 昴を昔から知ってるのはバレてるから誤魔化さなくてもいいんだけど、ストーカーを公言するのもどうかと思うし。いや、ストーカーじゃないんだけど。

 演技として地図を見るフリはしつつ、歩く。

 

「うう、緊張するよう……」

「バスケの話しにいくだけなんだから大丈夫だよ」

「でも、男の人のお家なんて初めてだもん……」

 

 本当に奥ゆかしい。

 この大和撫子がコートの中だと勝ち気なじゃじゃ馬になんだから、人ってわからないものだ。

 

「長谷川先輩のお母さんも一緒らしいし、変なことされたりしないよ」

「そ、そんなこと心配してないよ……!」

 

 あ、顔が真っ赤になってる。

 こんな風に話すようになったのって、同い年になってからだけど、智花って本当に可愛い。

 純粋すぎて、変な男に引っかからないか心配なくらいだ。

 

「智花。本当に気をつけなくちゃ駄目だよ」

「だ、だから、そんなことないもん……!」

「あははっ」

 

 そんな話をしているうちに到着。

 住所も同じだったから心配してなかったけど、長谷川家は記憶にあるのと変わらない佇まいだった。庭にバスケのゴールのある二階建ての一軒家。

 うん、いつ見てもいいお家だ。

 

「いいなあ……うちのお庭にはゴールなんて置けないもん」

「智花のところは日本家屋だもんね」

 

 この世界でも一度、バスケの話をしにお邪魔させてもらった。

 ご両親にも挨拶ができたので、新しいバスケ部は大丈夫だって少しは伝えられたんじゃないかと思う。

 

「よし。じゃあ、押そっか」

「う、うん。私がやってもいい?」

「もちろん」

 

 智花が前に立ち、深呼吸をしてインターフォンのボタンを押す。

 程なくして、スピーカーから声がした。

 

『はーい』

「っ」

 

 女性――七夕さんの声に智花がびくっとする。

 てっきり昴が出ると思ってたんだろう。私もそう思ってた。彼のことだからそわそわ待機してそうなのに。

 あれかな、部屋の掃除をやり直しにでも行ったか、たまたまトイレだったか。

 待ってる時ほど来なくて、気を抜いた瞬間に来る。あるあるだ。

 

「え、えっと、あの、私も、湊とも……っ」

 

 噛んじゃった。

 落ち着いてれば全然平気なんだろうけど、出だしでつまづいちゃったせいだ。

 

「お休みのところ申し訳ありません。慧心学園初等部の鶴見翔子と申します。昴さんはご在宅でしょうか?」

『あらあら。ちょっと待ってね』

 

 そこで切れるインターフォン。

 ほっと息を吐いた智花が私を振り返る。

 

「ご、ごめんね翔子。ありがとう」

「ううん。こういうの、緊張しちゃうよね」

「うん……」

 

 頬を染めた智花がぽつりと呟く。

 

「翔子って、なんだかお姉ちゃんみたい」

「お姉ちゃんって呼んでくれてもいいよ?」

「ふふっ」

 

 二人してくすくす笑っていると、玄関のドアががちゃっと開いて昴が出てくる。

 

「ごめんごめん。母さんが驚かせただろ。さ、入って」

 

 

 

 

 

「お邪魔します」

 

 言って、玄関で靴を脱ぐ。

 きちんと揃えて置いて振り返ると、小さな足音と共に七夕さんが出てくるところだった。

 

「いらっしゃい。まあまあ、可愛い子ね」

「ああもう、母さんは出て来なくていいって」

「そういうわけにはいかないの。お客様なんだから」

 

 なんとも気の抜ける会話。

 でも、お陰で智花も落ち着いたのか、今度はしっかりと一礼して凛とした声を出した。

 

「初めまして。慧心学園初等部六年C組の湊智花と申します」

「同じく、鶴見翔子です」

「ご丁寧にどうもありがとう。いつもすばるくんがお世話になってます」

「い、いえっ。そんな、お世話になってるのは私たちの方で……」

 

 恐縮して手を振る智花。

 なんだかこのまま立ち話が始まりそうな流れに昴が息を吐いて言った。

 

「とりあえず、俺の部屋に行こう。母さんと話してると長くなるからさ」

 

 

 

 

 

「お、お邪魔します」

 

 玄関から入る時より緊張した面持ちで、智花が一歩を踏み出す。

 

「あ……」

 

 思ってたより普通だったのか、彼女は肩から幾分、力を抜いた。

 続いて入った私は智花の後ろから室内を見回して、

 

 ――おお、思ったより片付いてる。

 

 前世の私が訪問する時はだいたいもっと散らかってる。

 ちなみに、葵だけの時はそもそも片付けとかしないのが普通らしい。幼馴染な上に家が近いので、何度も迎えているうちに慣れてしまったのだろう。

 

「つまんない部屋だろ?」

「そ、そんなことありません……っ」

「えっちな本はどこですか?」

「……翔子は意外に、柿園達と気が合うかもな」

 

 前は親友だったもので。

 私は「冗談です」と微笑んで話を流した。

 

「適当に座って」

「はい」

 

 クッションなんて洒落たものはないので、カーペットの上に腰を下ろす。

 

「でも良かったよ。親御さんから許可が出て」

「門限を守る約束をしたので。それと、翔子が一緒でしたから」

 

 うちの方は「あ、そう」で終わりだった。

 まあ、男の部屋って言っても独り暮らしじゃなくて七夕さんが一緒だしね。

 

「それじゃあ、作戦会議始めますか?」

「そうだね。やろうか」

 

 美星姐さんが用意した男バスのデータ(練習と試合の様子を隠し撮りしたもの)を、昴は既に何度も見返したらしい。

 まず、私たちもその映像を見せてもらう。

 同じ学校にいるとはいえ、他の部活の様子なんて見ることはないので、男バスがどんな感じなのかは私たちも初めて知る。

 

 途中、七夕さんがお茶とお菓子を持ってきてくれたので、お礼を言ったりしつつ――。

 

「どうだった?」

「……強いですね」

「だよね」

 

 うん。男バスは強い。それは間違いない。

 私の感覚はちょっともう色々こんがらがってるので、小学生男子の平均がわからないけど、前世の私と比べて上手いのは間違いない。

 

「勝てると思う?」

「勝ちます」

 

 きっぱりと智花。

 うん。勝てるかどうかじゃない。絶対勝つ。

 それはそれとして、冷静な戦力比較はしないといけない。

 

「流れとやり方次第ですけど、勝てない相手じゃないと思います」

「その心は?」

「私たちは相手の強さを知ってますけど、向こうは私たちの強さを知りません」

「いいね。その通りだ」

 

 昴がにやっと笑った。

 情報の利。

 私たちがただ遊んでいないことは夏陽くんも知ってる。私と智花のおおよその力量も把握されてるだろうけど、真帆ちゃんたちの腕前は誰も知らない。

 練習を見たこともない癖に「遊んでるだけ」とか言った馬鹿は、みんながもう素人じゃないってことを思い知ればいい。

 

 三人で、あーでもないこーでもないと話し合う。

 バスケ馬鹿の昴に、同じくバスケ中毒者の智花。経験者だけだと余計な前置きがいらないので話しやすい。みんなには抜け駆けしちゃう形だけど、あくまで勝つためだ。

 私も昴たちも、話してると性別とか年齢とかついつい忘れて、ただのバスケプレーヤーになっちゃうし。

 

 時間も忘れて話し込んで、だいたいこれでいいだろう、とまとまった頃、

 

「みんなー。お昼ご飯、食べていくでしょう?」

 

 七夕さんがのほほんと顔を出し、ありがたい申し出をしてくれた。

 

「そ、そんなっ。悪いですっ」

「いいのいいの。みんなで食べた方が美味しいもの」

 

 料理好きの七夕さんなので、そこはむしろぐいぐい来る。

 昴も苦笑しつつも「こうなると母さんは聞かないから」と諦めを促してくる。智花と二人顔を見合わせてから、お言葉に甘えることにする。

 

 ……実は割とそのつもりだったなんて言えない。

 

 七夕さんの料理は相変わらず美味しかった。

 女子力向上を図ってはや数年、この身体になってからの半年も更に腕を磨いてきたつもりだけど、その倍以上も主婦をやっている人にはやっぱりそうそう敵わない。

 この料理の隠し味は、とか考えながら食べていると、

 

「翔子ちゃんはお料理が好きなの?」

「はい。ご飯を私が作ることも結構あるんですよ」

 

 半分くらいあなたの影響です、とは言えないけど。

 

「そうなの。きっといいお嫁さんになれるわね」

 

 むしろ、お嫁さんが欲しいんですが……。

 

「旦那様とは仲良しなんですか?」

「あ、翔子。その話題は……」

「うふふ、そうなの。銀河くん――主人とは学生時代からの知り合いでねっ」

 

 いつもにこにこしている七夕さんが、銀河さんの話題となるとより一層笑顔になる。

 上機嫌で二人の出会いから結婚に至った経緯までが語られるのを、私と智花は笑顔で、昴だけはげんなりした顔で聞いた。

 ごめん昴、私も前に何度も聞いてるけど、久しぶりに聞きたかったんだよ……。

 七夕さんは食後のお茶を淹れてくれ、デザートにホットケーキでもどう? と言ってくれたりもしたけど、そんなにお腹に入らない。メインのベーコンと生野菜のバゲットサンドだけでも結構なボリュームなのに、他に具だくさんのオムレツやら何やらがたっぷりあったのだ。

 

「さて。……智花、翔子。まだ時間は大丈夫?」

 

 食休みをして落ち着いたところで昴。

 

「もし良かったら、少しでも技術の底上げをしていかないか? ちょうど庭にゴールがあるしさ」

「それは……」

 

 智花と二人でくすりと笑う。

 

「是非、お願いします」

「ふふっ。ごめんなさい。実は、私たちからもお願いしようと思って、翔子と準備してきたんです」

 

 シューズとか着替えとか。

 

「あらあら。二人とも、大好きなのね」

 

 それはもちろん、私も智花もバスケットボールが大好きです。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 前傾姿勢でドリブルを続けながら、正面にいる昴を睨む。

 どう来るかお手並み拝見とばかりに「見」の姿勢だけど、それが隙になっているかというとそうでもない。簡単に突けるような隙は見当たらない。

 であれば、視線や動作、幾つものフェイントを重ねた上で――。

 

「ここっ!」

 

 右に行くと見せかけ左へドライブ。

 

「ふっ!」

 

 でも、さすがは昴。

 瞬時にフェイントを看破して身体を滑り込ませて来る。割と緩急をつけたつもりだったけど、やっぱり本家には及ばないか。

 なら。

 ドリブルを止めると同時にボールをバウンドさせ、()()()()

 

「――っ!」

 

 私の後方、陰に隠れるように控えていた智花が弾丸の如くそれをキャッチ、勢いを殆ど殺さないままゴールへ。

 

「くそっ!」

 

 昴も慌てて方向転換するも、一瞬間に合わない。

 かこん。

 と、小さな音を立てて、ボールがゴールに吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

「うう、全然勝てません……」

「いや、そんなことないって。翔子と二人なら何回も俺を抜いたじゃないか」

「そうですけど……」

 

 縁側に座って肩を落とす智花。

 時刻は午後三時半。日が暮れるにはまだ早いけど、まだ私たちは小学生。心配性の忍さんを安心させるためにも早めに帰った方がいいだろう。

 着替えの時間なんかも考えるとちょうどいい区切り。

 

 智花の言う通り、練習の方は二人なら勝てる時もあるけど、一対一だと全然勝てない。

 二対一にしても、会心の出来だったのは最初の一回――相談もなしに繰り出したノールックパスだけで、徐々に昴に対応され、最後の方は半々くらいでしか成功しなくなっていた。

 

「簡単に抜かれちゃうんじゃ、高校生の立場がないって」

「それはそれとして、勝ちたいよね」

「うん」

「はっきり言うなあ……」

 

 そう言いつつ、割と嬉しそうな昴。

 彼としても、緊張感のある対戦は嬉しいのだろう。

 

「長谷川先輩。お願いします。あなたの指導で、私たちを救ってください」

「救う、か」

 

 昴が苦笑する。

 

「俺はやっぱり、翔子と智花なら、自分たちでなんとかできたんじゃないかと思うよ。……でも、頼ってもらえたからには、全力でやる」

「長谷川さん……」

 

 智花が感極まったように涙ぐむ。

 そこに七夕さんの声。

 

「お風呂沸いたわよー」

 

 ありがたい。

 シャワーだけでも、なんなら着替えさせてもらうだけでも十分だけど、さっぱりしてから帰るのと、帰ってからさっぱりするのじゃ気分が全然違う。

 

「先輩、覗かないでくださいね?」

「の、覗くわけないだろ!?」

 

 若干、声が上ずったのが怪しい。

 なんて、さすがに疑いすぎだよね。



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翔子部長、決戦に臨む(前編)

「あ、あの……っ。長谷川さん、翔子ちゃん、智花ちゃんっ」

 

 二週目。

 試合まで最後の一週間の、二回目の部活がもう少しで終わる頃。

 昴を、私を、智花を呼び止める声があった。

 

 愛莉。

 

 昴の指示に従って、今日も一生懸命練習をこなしてくれた彼女。

 練習中以上に真剣な表情で私達を見つめている。

 

「どうしたの、愛莉?」

「あ、え、えっと……」

 

 尋ねると、いったん言葉を詰まらせて、それから意を決したように言ってくる。

 

「あのっ、センターのこと、もう一回、教えてくれませんか……っ?」

「え……?」

 

 私は驚きからすぐに反応できなかった。

 智花も同じ。

 だから、答えたのは昴だった。

 

「もちろん。だけど、無理してない?」

「えっ、と」

「愛莉が頑張ってくれてるのはわかってる。怖かったら無理をしなくても大丈夫だ。俺がちゃんと、みんなを勝たせてみせるからさ」

 

 優しい微笑み。

 女の子慣れはしていなくても、やっぱり長谷川昴はいいやつだ。

 それに、勝算もなく言う人間でもない。

 昴がそう言うからにはちゃんと、勝つビジョンがあるはず。

 でも。

 愛莉は首を振って、

 

「私にもできることがあるなら、やってみたいんです。私も、みんなともっと一緒にいたいから……っ」

「……愛莉」

 

 強い。

 敵わないな、って思う。

 身体のことでからかわれるのは辛いに決まってる。二周目の私が「男女」と言われてどれだけ辛かったか、自分のことに照らし合わせれば簡単にわかる。

 彼女は転生者でもなんでもない。

 ただの生身の人間として、自分のトラウマと向き合おうとしている。

 

「愛莉……どうして?」

 

 智花が尋ねる。

 愛莉は微笑んでそれに答えた。

 

「みんなが、頑張ってるから……。真帆ちゃんも、紗季ちゃんも、ひなたちゃんも、智花ちゃんも――翔子ちゃんも」

「私達が……」

 

 それを言うなら愛莉だって頑張ってる。

 そう言いたかったけど、それはきっと、愛莉のせっかくの決意に水を差すことになる。

 

「いーじゃん、あたしたちにもおしえて!」

「ふふ。そうね。後学のためにも聞きたいです」

「おー。ひなも聞きたい」

 

 真帆ちゃんたちが駆け寄ってきて、口々に言う。

 話を聞いていて、加勢が必要だと思ったんだろう。

 昴がふっと笑った。

 

「わかった。じゃあ、みんなに教えるよ。せっかくだから全部のポジションの役割をね」

 

 

   ☆   ☆   ☆

 

 

 そんなことがあって。

 私達は金曜日、最後の練習を終えて――いよいよ本番へと臨んだ。

 

 部活以外の日も個人練習をしたり、昴の家にお呼ばれして特訓したり、みんなでお風呂に入ったり(六人はさすがに物凄く狭かった)、色々あったんだけど、話してるとキリがなくなるので割愛する。

 愛梨はとても大きかった、とだけ言っておけばいいだろうか。

 ちなみに昴は別だったのであしからず。

 

 決戦前日はみんなとチャットしたりしたのもあって、なかなか眠れなかった。

 お陰でちょっと寝不足である。

 でも、体調は万全。朝に軽くランニングしたお陰で気分もすっきりした。

 

 落ち着かなかったせいか、学園に着いたのはちょっと早めだった。

 

「……あ」

 

 まだ誰も来てないかと思ったら、前方に初等部の男子を発見。

 隠れる?

 いやいや、自信がないとか思われたら癪だ。喧嘩売られたら無視することにして進む。

 

「竹中君」

「鶴見か」

 

 幸いというかなんというか、夏陽くんだった。

 私をライバル視してはいるけど、普段はふつうに喋ってくれる。私にとってはとてもありがたい存在。

 

「早いな」

「竹中君もね」

 

 微笑んで言うと、竹中君もふっと笑って頷く。

 

「待ちきれなかった。お前や、湊とやるのが」

「そうだね。私も楽しみ」

 

 真剣な試合なんて久しぶりだ。

 二年ぶりくらい?

 そう考えると、負けられないっていう以外の気持ちも湧いてくる。

 そうだ。

 慧心のみんなと一緒に試合するのも初めてなんだ。

 部活でいつもミニゲームしてるから忘れてた。

 

 平常心。

 

 力みすぎたら良いプレーができなくなる。

 思い出させてくれてありがとう。

 

「でも、勝つのは私達だよ」

 

 告げると、夏陽くんはバツが悪そうな顔になった。

 

「……悪かったと思ってるよ」

「どうしたの、急に」

「俺くらいは言っとこうと思ったんだよ。こんなあんな理由で試合するなんてさ」

「あはは……そうだね。でも、竹中くんのせいじゃないよ」

「そうだけどさ。気持ち悪いだろ、こういうの」

「あ、それはわかる」

 

 頷いてから、私も謝る。

 

「こっちこそごめんね。喧嘩みたいになっちゃって」

「みたいっつーか、喧嘩だけどさ。あいつらもちょっとはわかるだろ。お前らが弱くないって」

「そうだといいな」

 

 話は終わったということか。

 夏陽くんは自然にその場を離れようとする。

 

「竹中君」

「ん?」

「私と智花だけじゃない。他のみんなだって上手くなってるよ。きっとびっくりする」

「……楽しみにしてるよ」

 

 今度こそ、彼は歩き去っていった。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「みんな、体調はどう?」

 

 体育倉庫で最後のミーティング。

 昴の問いに、ばっちりだとみんなで返した。

 

「よし。それだけが心配だったんだ。体調ばかりはどうしようもないからね」

「では、長谷川さん。作戦は」

「ああ。予定通りだ。向こうのメンバーは想像通りだった」

 

 確かに、スタメンはビデオで確認したのと同じだった。

 謎の転校生が控えで参加してる、なんていうマンガの主人公ムーブも無し。

 

「じゃあ、すばるん!」

「ああ。あっち向いてホイ作戦、始動だ!」

 

 こらそこ、ネーミングがダサいとか言わない。

 何を隠そう発案は私だったりする。

 

「愛莉。頑張ろうね」

 

 この試合、一番のキーパーソンになるだろう仲間に声をかける。

 心優しい長身の少女は、真剣な顔で頷いてくれる。

 

「う、うん。……でも、翔子ちゃん。わたし、上手くできなかったら……」

「うん。いつでも交代するから安心して。でも」

 

 愛莉の手をぎゅっと握って微笑む。

 夏陽くんが教えてくれたこと、愛莉にも伝えてあげたい。

 

「大丈夫。せっかくの初試合だもん。楽しんでいこう」

「……うんっ」

 

 答えた愛莉の表情は、少し柔らかくなっていた。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 そして。

 男バスは驚異の布陣を目にすることになる。

 

「み……」

「湊が控え!?」

 

 そう。

 こっちのスタメンは私、愛莉、真帆ちゃん、紗季、ひなたちゃんの五人。

 誰もが認めるスーパーエース、湊智花がまさかの控えという、相手の立場から見たら驚くだろう構成だった。

 たぶん、本命予想は私が抜ける形だったと思う。

 鶴見なんて口だけで別に上手くない、って思ってる子が多いだろうし。

 

「な、舐めてんのか!」

「なめてねーし! もっかんがいなくたってよゆーだし!」

「それを舐めてるっていうんだよ!」

 

 男バスからの抗議に真帆ちゃんが威勢よく答える。

 特に深い意図はないだろうけど、うまいこと挑発になってる。

 でも。

 本当に、これはちゃんとした作戦だ。

 

 

 

 一列に並んで礼をして、ジャンプボール。

 その場に立ったのは、

 

「香椎かよ……!」

「でっか……」

 

 男子たちの心無い声。

 せっかく進み出てくれた愛莉がびくっとして小さくなってしまう。

 

「愛莉! モテない男子はほっといていいから!」

「なんだと鶴見!」

「女はすぐレンアイがどうとか言うんだよなー」

「うるさいぞお前ら! 試合に集中しろ!」

 

 と、男バス顧問のカマキリ先生が双方を一喝。

 でも、愛莉は多少、落ち着きを取り戻したようだった。

 

「ジャンプして叩くだけ。ジャンプして叩くだけ……っ!」

「うわ、高ぇ……!」

 

 高身長の子がいない男バスチーム。

 当然、センターの子もそこまで大きくない。一方の愛莉は高校生の昴と大して変わらない身長なんだから、その差は歴然。

 軽くジャンプしてボールにタッチするだけで、あっさりと空中戦を制した。

 

 もちろん、狙ったところに落とすのは無理なんだけど。

 

 飛んだボールはうまいこと真帆ちゃんがキャッチ。

 

「真帆ちゃん、いったんちょうだい!」

「おうよ!」

 

 すぱんっ。

 ストレートに出されたパスが私の手の中に収まる。

 

 さて、それじゃあ、ポイントガードを頑張ってみよう……っ。

 まずは、

 

「ひなたちゃんっ!」

「おー」

「な、なにっ!?」

 

 もう敵陣に突っ込んでいっている子にパスを出す。

 たぶん、敵さんはひなたちゃんを戦力外とみなしていただろう。ジャンプボールの時も、どこにいようと関係ない、と無視していたはず。

 だから、私達は最初から、ひなたちゃんに別のことをお願いしていた。

 とにかく敵陣に突っ込んじゃえ、と。

 

 ひなたちゃんはみんなの中で一番、身体能力が低い。

 足も速くないし、身体も小さい。

 遠くからだとシュートもなかなか入らないけど、部活は休まなかった。一生懸命、何度も何度も練習を繰り返していた。

 だから、ゴールのすぐ近くから落ち着いて投げるなら、それなりに入れられる。

 

「っ、戻れっ!」

「させると思う?」

「なっ」

 

 いち早く我に返り、走り出そうとした夏陽くんを紗季が遮る。

 両手を広げて進路に立つだけ。

 激しい動きに対応しきれるほどの技術はないけど、ただの「通せんぼ」でも十分。一秒か二秒、稼げればそれで十分。

 もちろん、その間に私も走り出している。

 それを見た愛莉ちゃんもワンテンポ遅れて駆け出す。

 

 これ、どうするんだ。

 

 他の男バスメンバーが躊躇するのがわかった。

 彼らは一瞬、その場に留まった後でゴールへと駆けだす。もうひなたちゃんはシュート体勢に入ってるけど、入らないと見たのだろう。

 判断ミスとは言い難い。

 練習して入るようになってきてるとはいえ、本番でいきなりゴールできるかは分の悪い賭け。

 

 そして、シュートは外れた。

 

「リバウンド!」

 

 紗季を突破した夏陽くんの声。

 甘い。

 悪いけどここは、譲れない。

 僅かな遅れのお陰か。私は男バスメンバーより先にゴール下に到達。有利な位置でリバウンドを成功させた。すぐディフェンスが入ったのでそのままシュートとはいかなかったけど、

 

「愛莉!」

 

 高めに放ったボールを、我が部のセンターがしっかりとキャッチ。

 

「え、えいっ!」

 

 おっかなびっくり、けれど、練習の後が見えるフォームで放たれたシュートは一度リングに弾かれ――それから、すとん、とネットを揺らした。

 

「っし!」

 

 コートの外で昴がガッツポーズをする。

 うん、今のはラッキーだった。

 まさか、初手がこんなに上手くいくとは思わなかった。

 

 

  女子2 - 0男子

 

 

『あっちむいてホイ作戦?』

『そう。まあ、口で言うと大した作戦じゃないんだけど……』

 

 金曜日。

 昴はそう言ってみんなに作戦を説明した。

 

『みんなの中でエースを決めるとしたら誰だと思う?』

『それは、もちろんトモですね』

『じゃあ、智花が控えだったら?』

『そんならあたし! ……って言いたいけど、ショーコ!』

『うん。そうだね』

 

 男バスの認識もまあ、そんな感じだろう。

 そこが付け入る隙。

 

『じゃあ、そこでいきなり真帆がシュート決めたら?』

『……あたしをマークする?』

『更にそこで紗季がゴールしたら?』

『私も警戒されますけど……あっ』

『そう。これは、相手チームに誰がエースなのかわからなくさせる作戦なんだ』

 

 智花を不在にした理由の一つがこれ。

 部長である私をポイントガード、司令塔に据え、チャンスがあれば自分で狙ってもいいけど味方にも積極的にパスに出させる。

 できれば早めに全員に見せ場を作りたい。

 こうすることで、誰がゴールしてきてもおかしくない、という雰囲気を作る。

 

 これで男バスは全員を警戒せざるをえなくなる。

 雑魚だと思ってたチームが意外に戦える。

 精神的に揺れずにはいられないだろう。

 

 

 

 

「っ。ゴール見えねえ! でかいんだよ、香椎!」

「っ、そんなこと言われたって……」

 

 向こうのオフェンス。

 男バスはあらためて愛莉の高さを知ることになった。

 ただゴール下に立っているだけで脅威になる。

 自分より背の高い女の子に、この年頃の男子ならプレッシャーを感じずにはいられない。そして、それを気にしないように、と思って放ったシュートは――外れた。

 

 リバウンドを拾ったのは愛莉。

 

「やった。ありがと、愛莉。大好きだよ!」

「っ。翔子ちゃんっ。うんっ」

 

 すかさず夏陽くんが愛莉につこうとするけど、その時には、愛莉はもう私にパスを出していた。

 受け取った私はドリブルを開始。

 ブロックしようと寄って来た男子には目線でフェイントを送り、さっさと突破。

 

 悪いけど、夏陽くん以外が簡単に止められると思わないで欲しい……っ。

 何年もかけて磨いた必殺の、シンプルなジャンプシュートがネットを揺らした。

 

 

  女子4 - 0男子

 

 

 私たちが愛莉に伝えたセンターの役割はシンプルだった。

 

『センターはね、サッカーのゴールキーパーみたいに特別な役割じゃないの』

『うん。できるのはみんなと同じこと。だから、他のポジションもセンターの仕事をすることがあるんだけど……』

『センターの役割は、ゴール下を支配すること。それと』

 

 

「ゴール下を支配することで、みんなを助けること……っ」

 

 それは、優しい愛莉にぴったりの仕事だ。



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翔子部長、決戦に臨む(後編)

 序盤、試合は女バス優勢のまま進行した。

 

「真帆ちゃん!」

「紗季!」

「ひなたちゃんっ」

「愛莉!」

 

 私は状況を見つつ、時には気分も交えてパスを出した。

 シュートが入れば大袈裟なくらいに喜び、外れれば「次は入るよ」と励まし、時には自分自身でチャンスを作りに行った。

 

「くそっ。なんなんだよ、あいつら!?」

「聞いてねーぞ、あんなに……!」

「楽勝じゃなかったのかよ!?」

 

 混乱する男子達。

 

「落ち着け! まだ試合始まったばっかりだろ!?」

「だってよ、竹中。あいつら、あんな――」

 

 あんなに『強い』とは言ってくれない。

 でも、リーダーである竹中君が一喝してもなお、なかなか彼らの冷静さは取り戻せない。

 ちょっと、ううん、かなり気分がいい。

 

  女子8 - 2男子

 

 開いた点差。

 これだけシュートが入ったのも、向こうのシュートを止められたのもラッキーな部分が大きいけど、ともあれ。

 

 遂に男バス顧問、カマキリ先生が宣言する。 

 

『タイムアウト!』

 

 タイムアウトの権限は前半後半に一回ずつ。

 状況の立て直しで浪費させられるのは大きい。

 

「みんな、今のうちに少しでも休んでおいてね」

「だいじょーぶ! まだまだよゆーだってば!」

 

 昴の指示に真帆ちゃんが答える。

 他のみんなも笑顔で和気藹々としたいいムード。確かにまだまだ大丈夫だと思う。だからこそ、今のうちに休んでおいて欲しいんだけど。

 この辺は経験がないとわかりづらいし、あまり言って士気を下げてもいけない。

 

「翔子。大丈夫か?」

「はい。私が最初にバテるわけにはいきませんから」

 

 微笑んで答え、私は男バスの方を見る。

 

「落ち着いてますね」

「ああ。取り乱してくれれば良かったんだけど」

 

 カマキリ先生は部員たちへ冷静に指示を出していた。

 熱くなっていた男子が急速にクールダウンし、元のペースを取り戻しているのがわかる。

 

 ――さすが本職。

 

 教師で、バスケの指導者。こういうところは敵わない。

 となると、ここからはさっきまでのようにはいかないか。

 

 

 

 

 

 そして。

 

「行くぞ、お前ら!」

「おう!」

 

 夏陽くんの号令の下、男バスが真価を発揮し始める。

 彼らがしてきたのは単純なことだ。

 

「なっ、なんだよー、くっつくなー!」

「ちょっと鬱陶しいわね……!」

「うう……!」

「おー、、おすもうごっこ? ひな、ふとくい」

 

 一人一人がそれぞれ別の相手につく、ごくごく普通のマーク。

 動きを制限されたみんなはやりづらそうに顔を歪め、

 

「で、お前の相手は俺だ」

「……竹中君」

 

 私にはきっちり夏陽くんがつく。

 

「こうなるときついだろ、お前ら」

「あはは。さあ、どうだろうね」

 

 と、強がってみせたけど、この布陣は正直、きつい。

 

  女子10 - 6男子

 

 点差が、縮まり始めた。

 何故か。

 簡単だ。あっちむいてホイ作戦――全員にきちんと活躍の場を作るなんて、基本中の基本でしかないからだ。

 エース以外は雑魚、という認識がまかり通っていたことの方が異常。

 同じ人間、同じ世代である以上、「相手が自分達と同じくらい上手い」なんていうのは当たり前のことでしかない。

 そして、同等程度の力量なら、落ち着いて相手にすれば止められる。

 何も慌てることなんてない。

 

「じゃあ、作戦その二に行こうかな……っ!」

「何っ!?」

 

 全力全開。

 智花が後に辿り着くはずの凪のドライブで夏陽くんを突破。

 エースが驚きの声を上げたことで、他の部員達には迷いが生まれる。私を止めるか、それともそのままマークにつくか。

 

 迷ったら、タイムアウト前の二の舞。

 

 一瞬の躊躇の末に二人が向かってきたけど、その時にはもう遅い。

 ふわり、と。

 やや遠間から踏み切った私は、後ろに跳びながらシュートした。

 

 入った。

 

  女子12 - 6男子

 

「よしっ」

「うおおお、かっけー!」

「ち。入ったか」

 

 歓声を上げる真帆ちゃん。

 追いかけてきた夏陽くんは小さく舌打ち。

 

「……マジかよ」

「お前ら、いちいちビビるなって! あんなのまぐれに決まってんだろ!」

「っ。そ、そっか。そうだよな」

「さんきゅー竹中」

 

 うまい。即座に立て直された。

 でも、まだ点差はこっちにある。

 

「向こうは鶴見が無理してるだけだ! どうせそのうちバテる!」

 

 う。それもバレましたか……。

 

  女子14 - 10男子

 

 そこから一気に点差は縮んだ。

 こっちのシュートは入る時は入るけど、入らない時は入らない。逆に向こうのシュートは「たまに止まる」程度でしかない。

 ディフェンスは技術と経験がモロに出るから、みんなと男バスとの差が顕著に出る。

 止まったらラッキー。

 基本は私が頑張って止めるというスタンス。愛莉の高さにもそろそろ慣れが出て来てるので、止められなかったらほぼ入ると思っていい。

 

  女子14 - 12男子

 

 ポイントガードとして声を出し、みんなにパスを出し、マークが固ければ強引に突破し、ディフェンスでは疲労無視で縦横無尽に動き回り――。

 なんとか点差を守るも、駄目押しでもう一本決められて点差は二点に。

 

『タイムアウト!』

 

 そこで、使っておかないと損だから、というノリで女子側がタイムアウトを取って――最後の攻防では点は動かず、前半戦は終了となった。

 

「はぁっ、はぁっ……」

「お疲れ、翔子。みんなもよく頑張った!」

 

 その時には、夏陽くんの指摘通り私はバテバテ。

 コートから出た途端、昴に向かって倒れ込んで動けなくなるほどだった。全開で動き回ってたツケだ。この身体でまともな試合するのってこれが初めてだし、私だって、他のみんなと訓練期間は変わらないのだ。

 でも。

 

「ありがとう、翔子。……後は、私がやるから」

 

 五分間。

 大好きなバスケを、仲間が戦っている姿を、すぐ近くから見せられて――これ以上ないくらいに熱くなっている真のエースが、残りの時間を引き受けてくれる。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

『交代するのは翔子と智花にしようと思う』

『はい。私たちもそれでいいと思います』

 

 色々考えてみたけど、最終的に出た結論はそれだった。

 経験者の出場時間を分割する。

 悪手かもだけど、これには幾つか理由がある。

 

 ・私と智花は同じチームになった経験がほぼ無い

 

 部内でミニゲームする時は必ず敵同士だからだ。

 

『俺とやった時の感じならチームワーク抜群っぽいけど』

『それは……翔子が合わせてくれるから』

『そんなことない、智花も私のこと見てくれてるの、ちゃんとわかってるよ』

 

 ただ、私達が良くても他のみんなの問題がある。

 私と智花が両方いるチームを経験していないので、とっさにどっちを頼っていいかわからなくなるかもしれない。

 

 ・五分間だけならフルに動ける

 

 出られる時間が短いのを逆に利用するってこと。

 最初から最後までリミッターを解除していいなら相手のエース、夏陽くんを上回り続けることも不可能じゃない。これはエースが二人いる女バスだけの利点だ。

 向こうは夏陽くんが出ずっぱり続けないといけない。

 相手の控えは本当に控え。

 戦力で言えば六番目の選手だ。

 もちろん、ポジションやチームワークの問題がある以上、個人の実力がそのまま結果になるわけじゃないけど――大きく差が出る結果は出しにくい。

 

 そして、最後の理由。

 

 ・相手をひっかきまわすため

 

 これが見事にヒットすることになる。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 男バス、女バス共にハーフタイムで選手交代をした。

 

 こっちは私と智花が交代。

 向こうは部員の一人と控えの子が交代。

 

 ちらりと見れば、カマキリ先生はかすかに難しい顔をしていた。

 そうだと思う。

 こうやってあらためて確認してしまうと、智花とあの子で一対一の交換ができるか、どうしても考えてしまうだろうから。

 もちろん、答えは「できない」だ。

 

「――っ!」

 

 後半戦開始直後から智花はフルスロットルだった。

 夏陽くんも速いけど、それを更に上回るハイスピード。ついでに言うと、智花の場合は緩急のつけ方が上手い上、見た目とのギャップがあるので余計に怖い。

 不意をついて正面突破した彼女はそのままゴールまで進行し、綺麗なジャンプシュートを決めた。

 

「……うんっ」

 

 ゴールがリングをくぐったのを確認したその直後だけ、闘志を帯びた表情に花が咲く。

 ぶっちゃけ、男の子なら見惚れて当たり前だと思うけど、

 

「速え……」

「……っ」

 

 男バスにそんな余裕はなさそうだった。

 

  女子16 - 12男子

 

 再び点差が開く。

 残り半分。

 前半戦、尻上がりに好調になっていた男バスとしては、この流れは歓迎したくない。なんとかここで止めたい、と誰もが思っただろうけど、それも罠。

 躍起になればなるほど、細かい隙が生まれて付け込みやすくなる。

 激しいプレーが好きなじゃじゃ馬に見えて、実は物凄いテクニシャンでもあるのが、智花の恐ろしいところの更にもう一つだ。

 

「くそ……っ!」

「……っ!」

 

 夏陽くんも頑張って対抗するけど、五分間、私に振り回されていた彼も相当消耗してる。

 元気な控えの子が頑張ろうとしても、地力の差で引き剥がされる。

 

 攻めでは電光石火かつ正確無比なシュートを決め。

 守りでは抜け目ないスティールをばんばん決める。

 

「うおお、さすがもっかん!」

「駄目ね。負けないように、って言いたいけど、脱帽だわ」

「すごい、智花ちゃん……。わたしたちもっ」

「おー、さいごまでがんばる」

 

  女子20 - 14男子

 

 女バスが再びペースを握った。

 男バスが調子を落としたのは、私と智花の動きが全然違うからだ。私はなるべく意識して、今の智花が得意とする「動のプレー」をセーブしていた。どっちかというと技の多彩さは見かけの格好良さを重視して、それを相手に見せていた。

 だから、リズムが狂う。

 

『タイムアウト!』

 

 カマキリ先生がいったんリセットを望むも、今度はそう簡単にいかない。

 何故なら、智花という脅威は幻惑ではなく実体だからだ。

 

 そんな中、向こうが取った戦術は、

 

「ダブルチーム……!」

 

 強敵相手に用いる常套策。

 単純に二人分のスペースを埋められたらそれだけ厳しくなるし、注意する相手が二人になるのはそれだけ集中力も割かれる。

 ただ、

 

「ああ。待ってた展開だ」

 

 昴がにやりと笑った通り。

 

「真帆!」

「っしゃあ!」

 

 智花は迷うことなくパスを出す。

 彼女は確かにフルスロットルで動いている。

 一人で全部引っ掻き回すくらいの気概で動いてはいるけど――だからといって、自分自身での勝利に拘ってはいない。

 チームが勝てるなら迷わずそれを選択するくらいには、柔軟性を持っている。

 何度も何度も、数え切れないくらい繰り返したミニゲーム。

 三対三に分かれたチームでどうやって勝つか、一生懸命頭を悩ませた、その経験は無駄じゃない。

 

 真帆ちゃんたちにも、こういう展開になったら空いてる子がばんばんシュートするようにお願いしてあった。

 

「紗季!」

「ええ」

「愛莉!」

「う、うんっ」

「ひなたっ!」

「おー」

 

 紗季が空けば紗季に。

 愛莉が空けば愛莉に。

 ひなたちゃんが空けばひなたちゃんに。

 高速のパスが飛び、だからといってマークを戻せば智花が突破、戻さなくても隙を見せればそのまま突破。

 

  女子24 - 16男子

 

 じりじりと、時間が過ぎて。

 

「湊にダブルでいい! 近くじゃないと入らないひなたは無視しろ! 入ったら諦める!」

「ああ、正解だ。正解だけど」

「間に合うかなあ」

 

 夏陽くんの回答に、私と昴は笑みをこぼした。

 こうなると時計との勝負になる。

 負けている男バスは女バスの攻撃を極力早く阻止しないといけない。逆に女バスはじっくり攻撃しても問題ない。ヒートアップしつつも狡猾さを残した智花は突破とパスを上手く使い分けて敵を翻弄する。ボールを奪われたら奪われたで、すぐさま奪い返しに向かう。

 

  女子26 - 20男子

 

 残りタイムが少なくなくなってきた頃、真帆ちゃんたち四人が息を切らせ始めた。

 試合開始から参加しているんだから当然だ。たくさん練習してきたけど、まだまだスタミナには不安がある。

 それでもみんな、一生懸命に頑張った。

 パスをつなぎ、攻めようとする選手に追い縋り、もっといい働きをしようとコートを駆け回る。

 

 見れば、男バスも必死だった。

 

「後何点だ?」

「このペースじゃ間に合わ――」

「もう一本! シュート決めるぞ!」

 

 弱気を声を出して打ち消し、一本でも多くと攻めてくる。

 苛烈な攻め、硬い守りに、智花の息も次第に切れる。

 

 でも。

 それでも。

 

 湊智花は最後まで諦めなかった。

 最後まで手を抜かず、攻めの姿勢を貫き続けた。

 

  女子28 - 26男子

 

 残り三十秒弱。

 最後になるかもしれない攻撃、ボールを持って攻め込んだ智花を阻んだのは、奇しくも夏陽くんだった。

 

「行かせねえぞ、湊。こっちも意地があるんだ!」

「………」

 

 智花は闘志むきだしの少年を睨むと――ふっと微笑んだ。

 

「え?」

「借りるね、翔子」

 

 なんて、呟きが聞こえたような気がして。

 一瞬にして闘志を消した智花が、するり、と夏陽くんを抜き去り――シュートを決めた。

 

 最後の男バスの攻撃、シュートは入らなかった。

 

  女子30 - 26男子

 

「……あはは」

 

 ごめん智花。

 それを借りたのは私の方なんだ。未来のあなたから。

 本当。

 私たちのエースは、頼もしすぎるスーパーエースだった。



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翔子部長、喜ぶ

 ホイッスルが鳴り響く。

 

「試合終了!」

 

 ……勝った。

 

「30-26で、この試合は女子の勝ち!」

 

 勝った。

 勝った!

 

「やった、勝ったよ昴! ありがとう!」

 

 先に弁解させてもらうと、この時の私は我を忘れていた。

 試合の興奮、勝利の喜び、色んなものが混ぜこぜになってテンションが上がりきっていた。

 なので、不可抗力だったと主張したいんだけど、

 

 ――私は歓声を上げ、隣にいた昴に抱きついた。

 

 意外としっかりした腕にしがみつき、身体を押し付け、ついつい前世の呼び方で彼に呼びかけた。

 しまった、と気づいたのは、昴が驚いた顔でこっちを見てきてから。

 

「……あ」

 

 やっちゃった。

 恥ずかしくて顔が赤くなる。まずい、昴の顔がまともに見られない。どうしよう。どんな風に謝ろう。真面目に? それとも、笑って誤魔化す感じで?

 うう、頭がうまく回らない。

 と、不意に頭に手が乗せられた。

 

「ああ。俺も嬉しいよ」

「っ」

 

 至近距離からの微笑み。

 気にしてないよ、とでもいうような仕草に、プレッシャーがすっと薄れる。

 ああもう昴、反則だよ、それ。

 もろくなった涙腺からみるみるうちに水分が溢れ、

 

「翔子っ!」

 

 試合後の礼を終えたみんなが一目散に駆けてきた。

 先頭にいた智花は私の手を引くと立たせ、さっき私がしたみたいに抱きついてくる。

 

「勝ったよ……! 私、守れたよ……!」

 

 ああ。

 高鳴る鼓動が伝わってきて、いったん落ち着きかけた気持ちがまた、抑えきれなくなる。

 

「うんっ、見てたよ。みんな、凄かった!」

「もっかん!」

「翔子!」

「ともかー」

「翔子ちゃん!」

 

 真帆ちゃん。紗季。ひなたちゃん。愛莉。

 みんなが次々追いついてきて、私と智花はあっという間にもみくちゃにされた。みんな涙ぐんでるので、もう何がなにやら。

 わいわいきゃあきゃあ。

 みんなが何を言ってるのか、私が何を言っているのかよくわからなくなって、でも止められなくて。

 

「すばるーん!」

 

 私たちの様子を微笑ましそうに見て、邪魔しないように()()()()()()()()()昴に、いち早く真帆ちゃんが抱きついた。

 感激しきりの彼女に決して変な意図はなかったはずだけど、昴は「なんでバレたんだ」みたいな顔で硬直する。

 

「おにーちゃんっ」

 

 続いたのはひなたちゃん。

 両側から抱きつかれた昴はいよいよどうしようもなくなってその場に立ちつくす。

 こうなったら私たちのやることは決まっている。

 紗季が涙目のままくすりと笑い、「行きましょうか」とばかりに視線を送ってくる。私、智花、愛莉はそれに頷き、せーので、

 

「長谷川先輩っ」

「「「長谷川さんっ」」」

 

 一斉に抱きつき、昴をその場に押し倒した。

 小学生サンドイッチ、どころか海苔巻きみたいになった昴はバランスを崩し、その場に尻もちをつく。

 それでも、彼は笑っていた。

 

「ははは……っ。苦しいからやめてくれよ、みんな」

 

 緩みきったその表情を、後に美星姐さんはこう語っていた。

 あの表情を録画しておけば向こう何年か脅しに使えたのに、と。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 結構な時間をかけてようやく私たちが泣き止むと、男バスはなんとも言えない表情で立ち尽くしていた。

 

「篁先生」

「ああ、小笠原先生。ほんとすいません。うちの子達、感極まっちゃったみたいで。……なにせ、真剣勝負で男子に勝ったんですから」

「………」

 

 さすが美星姐さん、煽る煽る。

 悔しいのを押し殺して声をかけてくれたであろうカマキリ先生は、一見冷静に見える顔のまま、頬をひくっと動かした。

 言い返したいのはやまやまだろう。

 でも、なんとかこらえて淡々と答える。

 

「……ええ、こちらの負けです。お約束通り、練習場所はこれまで通りということで」

 

 そこで言葉を切る彼。

 美星姐さんはわざとらしく「ん?」と首を傾げる。

 姐さん、顔が完全に笑っちゃってますから。

 

「ありがとうございます。……でも、約束はもう一つありませんでしたか?」

「……くっ」

 

 さすがのカマキリ先生も悔しそうな顔になる。

 約束は約束。

 踏み倒すことは考えてなかったにせよ、あわよくば後日に、くらいは狙っていたかもしれない。そうすれば多少は部員を落ち着かせられただろうし。

 肝心の男バス部員たちは、

 

「……女ってほんとうるせーよな」

「とっとと着替えて帰ろうぜ」

 

 言いながらも、どこか帰りづらそうに私たちを睨んでくる。

 素直なのか、そうじゃないのか。

 真帆ちゃんが赤い目をしたまま「べー」と舌を出し、紗季も「ふん」と顔を逸らす。ひなたちゃんですら握り拳を作って突き出している(かわいい)。

 

「な、なんだよ」

「もう試合終わったんだから用はないだろ」

「ですよね先生」

「……お前達」

 

 教え子の縋るような視線に、カマキリ先生は諦めたように首を振り、

 

「約束は覚えているな」

 

 男バスが勝ったら女バスは廃部。

 女バスが勝ったら男バスは土下座。

 

「……練習場所の話はもういいっすよ」

「違う。もう一つの件だ」

「………」

「竹中」

「わかってます」

 

 夏陽くんが息を吐いて仲間達に向き直る。

 

「なあ、お前ら。これ以上格好悪いところ見せるつもりかよ?」

「な、なんだよタケ」

「裏切るのかよ」

「裏切らねえよ。でも、俺達、このままじゃ卑怯者だ。お前ら、もし負けてもすっとぼけりゃいいと思って『土下座する』なんて約束したのか?」

「………」

「俺はするぞ、一人でも。じゃねーと、これから楽しくバスケできねー」

「竹中……」

「さあ、どーする?」

 

 男子たちは長い長い沈黙の後、一人、また一人と前に進み出た。

 

「遊んでるだけって馬鹿にしてごめんなさい」

「練習の邪魔をしてごめんなさい」

「ひどいこと言ってごめんなさい」

 

 試合に参加したメンバーだけじゃない。

 見学に来ていた他の部員も含め、全員が揃って私たちに頭を下げた。

 謝罪の内容は、部を馬鹿にされたことや邪魔をされたことの他、愛莉の身長をはじめとする数々の暴言も含まれた。

 

 ――正直、胸がすっとした。

 

 私たちの頑張りが無駄じゃなかったって認められた。

 とにかく、それが何よりも嬉しかった。

 

「へへーん。そーそー、あたしたちのこと馬鹿にするからそうなるんだってば!」

「真帆、言いすぎ」

「そーゆー紗季だって顔にやけてるじゃん」

「なっ。し、仕方ないじゃない。……嬉しいんだから」

 

 胸をはって勝ち誇った真帆ちゃん。

 窘める紗季をニヤニヤしながら弄ったものの、その後すぐ、

 

「しょーがないなー。これで許してやるよ!」

 

 と、にかっと笑った。

 

「な、お前、あんまり調子に……」

「やめとけ」

 

 うん、そうだね。

 今の言い方で男子が納得してくれるかはともかく――これ以上、追い打ちをかけても仕方ない。ここぞとばかりに詰ってやりたい気持ちもあるけど、無駄に禍根を残しても仕方ない。

 やりすぎたって反省したばかりだし。

 

「謝ってくれてありがとう」

「えへへ……うんっ。これからは、仲良くできると嬉しいな」

「みんな、手強かった。また、やりたいな」

 

 愛莉や智花と一緒にそう言って流すことにした。

 

「う、うるせー!」

「ええー……」

 

 男の子のプライドが許さなかったのか、何故か滅茶苦茶反発喰らったけど。

 まあ、喧嘩売るよりは良かったんじゃないかと思う。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「みんなお疲れ様。ささやかだけどお祝いよ。いっぱい食べてね」

「やったあ!」

 

 その日、長谷川家で祝勝会が開かれた。

 参加者は女バスメンバーと昴、七夕さんに美星姐さん。ささやかなんて言いながら、七夕さんが用意してくれた食事は十品に届かんという御馳走で、私たちは揃って歓声を上げた。

 実際、七夕さんの手料理以上の御馳走なんてそうそうない。

 運動してお腹ぺこぺこということもあって、みんなでわいわいと盛り上がった。

 

「部活、続けられることになって本当に良かった」

「うん。これからもよろしくね、みんな」

「もっちろん! 大会とかも出てみたいし!」

「あはは。大会に出るには十人必要だから、後四人集めないとだけどね」

「そうなのね。じゃあ、本当に部員集めをしないと……」

 

 まだまだ問題も、やりたいことも山積みだ。

 

「ねーねーすばるん! あたしたち強いよね? 大会でても勝てる?」

「んー、どうかな。これからもちゃんと練習すれば、かな。そのためにはコーチも見つけないとね」

 

 美星姐さんじゃ駄目ですか。

 ……うん。駄目か。

 

「長谷川さんは、もうコーチしてくださらないんですか?」

 

 愛莉、ナイスアシスト。

 私たちからしたら、昴がこのままコーチしてくれるのが一番いい。

 

「やってあげたら、すばるくん? それならバスケットボール、これからも――」

「いや。それはお断りさせて欲しい」

「おー。おにーちゃん、おいそがしい?」

「うん。俺もちょっとやりたいことがあるんだ。俺はまだ高校生で、コーチじゃなくてバスケ選手だからさ」

「すばるくん……」

 

 そう言われちゃうと無理には誘えない。

 誘えないんだけど、

 

「そこをなんとか! 選手しながらでいいから! ね、すばるん?」

 

 さすが真帆ちゃん、私たちにできないことを。

 これにはみんな「その手があったか」みたいな顔。真面目な紗季でさえ「無茶言わないの」とか言いながら、その実、昴に期待してた。

 とはいえ、昴もこれを簡単には呑めない。

 

「あはは。いや、ちょっとそれは……」

 

 笑顔と共に曖昧に濁され、逃げ切られてしまった。ここだけだと悪徳政治家みたいである。

 そうされればみんなも「あ、これ無理だ」とさすがにわかる。この話題は地雷だと避け、今日の試合のことなど楽しい話題へとシフトした。

 昴も、みんなのことが嫌いなわけではない、と見てればわかる。

 

「長谷川先輩」

「ん? なんだい、翔子」

「もし、試合とかあったら呼んでくださいね。応援に行きます」

 

 そう言うと、昴は嬉しそうに頷いてくれた。

 

「ああ。わかった。必ず連絡する」

「約束ですよ?」

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 祝勝パーティが終わって家に帰ってから、私はSNSに書き込んだ。

 

『ね、みんな。私、長谷川先輩にアタックしてみようと思うんだけど……。

翔子』

『おー。しょうこ、だいたん。

ひなた』

『おっしゃー、よくいった!

まほまほ』

『ええ。長谷川さんに抱きついてた時はまさかと思ったけど……告白する気になったのね。

紗季』

『きゃあ。翔子ちゃんっ。結果、あとで教えてねっ。

あいり』

『えっと、あの、コーチの件だと思うんだけど……。

智花』

『でしょうね。

紗季』

『しってた。まかせたぞしょーこたいいん。もっかんでもいいけど?

まほまほ』

『え、私? む、無理だよう……。

智花』

『なんだ、残念。でも、智花ちゃんでも大丈夫だと思うけどなあ。

あいり』

『えっと、愛莉。それはどっちの話?

翔子』

『えへへ。ひ、ひみつ。

あいり』

 

 みんな相変わらず可愛いなあ……。

 じゃなくて。みんなからもゴーサインは出た。

 となれば、長谷川昴攻略作戦を開始するしかないだろう。

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

「おはようございます、長谷川先輩」

「し、翔子?」

「はい。鶴見翔子です。昨日ぶりです」

 

 翌日。

 私は五時に起きて朝ご飯の支度を整えた後、ランニングがてら昴の家に向かった。

 着いた時、ちょうど昴は朝のロードワーク中。

 七夕さんが出迎えてくれて、事情を話すと快く家に上げてくれた。

 

 帰ってきた昴は、私を見てぽかんとした顔。

 

「ど、どうしたの、こんな時間に。何か忘れ物? ぱっと見た感じ何も――」

「そうですね、忘れ物です。品物じゃないんですけど」

 

 言って、私は昴を見上げて、

 

「長谷川先輩。私たちの部のコーチになってください」

「……また、その話か」

 

 昴はちょっとだけ表情を硬くする。

 彼としても断るのは心苦しい。だからこそ、何度も話を出されたくない。そんな感じだ。

 

「言っただろ。みんなには、俺なんかより、ちゃんとした大人のコーチを――」

「長谷川先輩以上のコーチなんていません」

「翔子」

 

 私だけならいいかとばかりにちょっと雑に言ってくる彼に、私はきっぱりと言い切る。

 

「私たちには、長谷川先輩が一番いいんです」

「……そんなこと、ないだろ」

 

 照れくさいのか顔を赤らめつつ言う昴。

 確かに、能力とか実績だけ見たら腐るほど優秀な人がいるだろう。

 でも。

 私は知っている。

 彼が、結成間もない慧心女バスを、全国優勝チームと互角に渡り合うまでに育て上げたことを。

 そして、それによって、彼自身も大きな飛躍を遂げることを。

 

 だから。

 

「長谷川先輩。課題をください。私がそれをクリアできたら、一年間、女バスのコーチをしてください」

「課題、か」

 

 昴は呟き、しばらく黙り込んでから、言った。

 

「フリースロー五十本。連続で決められたら」

「わかりました。五十本ですね」

 

 それは、前世で智花が課されたのと同じ難題。

 たしか、智花は自分で言いだしたって聞いた気がするけど――何の因果か、私にも回ってきたらしい。

 

「期限はないんですよね? じゃあ、成功するまで毎日来ます」

「え。……あ。ちょっ、待っ」

「待ちません」

 

 私は笑って玄関から走り出し、庭に向かいながら昴を振り返った。

 

「長谷川先輩。これからも、よろしくお願いしますっ」




勝った、第一部完!
いえ、第三部くらいまでやった気もしますが、キリがいいのでここで本当に終わりとさせてくださいませ。
このまま最終巻までやると、オマケが本編より長くなりますし……(汗

長い間、お読みいただきましてありがとうございました。


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