チイロノミコ (SnowWind)
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第1話
第1話 前編


 ハジマリノマチ

 

 

 

 ここはどこだろう? 視界が悪く、周囲に目立つようなものもない。

 そんな薄暗いどこかを、私はひたすらに走り続けていた。

 どこから照らされているのかわからない僅かな灯りだけを頼りに、『誰か』の手を引きながら、走り続ける。

 

「はあっ・・・はあっ・・・はあっ・・・。」

 

 もう息も絶え絶えだ。よっぽど長い時間を走り続けたのだろう。

 それでも私は足を止めない。

 今止めてしまえば取り返しのつかないことになる。

 そんな根拠のない漠然とした、でも確かにある不安に駆られて、私はわき目も振らず走り続ける。

 額から流れる汗が目に入ろうとも瞑らず、全身の骨と筋肉が悲鳴を上げようとも構わない。

 あるいは、私はもう身体の感覚が無くなっているのかもしれない。

 でもただ1つ、手のひらの感触だけは残っていた。

 冷たくほっそりとした手のひら、もう何度も繋ぎ続けて来たその手のひら。

 それさえ離すことがなければ、感じ続けることができれば、私はもうこの身体さえ捨ててもいい。

 そうでなければ、わが身を捨ててでもこの子を連れ出そうとは思わないはずだ。

 

「ねえ・・・。」

 

 その時、耳元から微かな声が聞こえた。 それと同時に走り続けていた私の足が、突然後ろに引かれて止まる。

 

「どうして?」

 

 振り向きながら震える声で問いかけると、立ち止まるあの子の足が映る。 そして視線を上にあげていくと・・・

 

「もう・・・止めよ・・・。」

 

 目の前にいるあの子が・・・。

 

「あたしはもう、大丈夫だから・・・。」

 

 あの子の言葉が・・・。

 

「だから・・・。」

 

 頭を殴るように反響し、そして・・・。

 その子の顔が映るよりも早く、視界が突然まばゆい光に包まれるかのように真っ白になっていった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

「夢・・・?」

 

 目が覚めると、うっすらとした朝日が寝ぼけ眼に差し込んできた。

 窓から外を見上げれば空は晴天。 雲一つない青い空の上を、小鳥が心地よい鳴き声と共に飛んでいく。

 そんな爽やかな朝とは裏腹に、『チコ・カムイ』の気持ちは憂鬱だった。

 背丈は161cm。ピンク色のロングストレートな髪を持つ少女だ。

 

「また、同じ夢・・・。」

 

 気怠げに身体を起こしながら、チコはため息を1つ吐く。

 これで何度目の夢だろうか。もう何年もの間同じ夢を繰り返し見ることがある。

『私』と思われる少女の背中が映り、『誰か』の手を引いて逃げ回る。

 だが何から逃げているのかもわからず、どこへ逃げているのかもわからず、数え切れないほど見続けて来たはずなのに手を引く子の顔すら見たことがない。

 そもそも、『私の背中』が映っている時点でこの夢は『第三者の視点』から見ているものなのだ。

 それなのに、感覚だけはなぜか非常に現実味を帯びている。 自分のことなのに、客観的に自分のことを見ている夢。

 頭が混乱しそうな話である。 夢なんて荒唐無稽なもの、と思えてしまえばどれだけ楽だろうか。

 だが何度も同じ夢を見たせいですっかり記憶の中に刻み込まれてしまい、気が付けばこの夢はチコにとって『悪夢』以外のなにものにでもなくなっていた。

 

「全く・・・明日は『大切な日』だって言うのに。」

 

 とはいえ、こんな見慣れた悪夢1つで気が滅入っているようでは、明日を万全に迎えることなんてできないだろう。 チコは気持ちを切り替えて、身支度を整えるためにベッドから下りるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 多くの子どもたちの中に紛れ、『スズ・サキミ』は学び舎までの道のりを歩いていた。

 背丈は149cm。赤みがかった髪をツーサイドでまとめた少女だ。

 周りにいる子どもたちはみんな、同じ学び舎で学ぶ生徒たちである。

 それにしても朝から快晴なのは良いことだ。 風が吹くから種が芽吹き、雨が降るから大地が潤う、と言うことは知っていてもやっぱり快晴の天気に勝るものはない。

 普段なら少し億劫に感じる学び舎までの道のりでさえ、朗らかな気持ちで足取り早く進めるのだから、晴れるに越したことはないのである。

 

「スズ~おはよ~。」

 

「おはよ~。」

 

「ほらほら、そんなぼさっとしてると授業に遅れちゃうぞ~。」

 

 途中、すれ違った学友の『ユミ・アヤセ』と挨拶を交わしながら、スズはその子の後を追うために少し歩調を早める。

 決して遅れそうと言うわけではなく、毎日余裕を持って登校しているのだからむしろ時間を持て余すくらいなので、速度をあげたのはこのせっかちな学友と駄弁るためである。

 

「そんなわけないでしょ、もう。」

 

 なんて口では文句を言いながらも、賑やかな学友のおかげで一層、明るいスタートを切ることが出来るのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 この街で唯一の学び舎『寺子屋』では、7歳から18歳までの子どもが通っており、年齢ごとに『小学部』、『中学部』、『高等部』と3つの建物に分かれている。

 そこから更に共有スペースである『中庭』、『外広間』、『道場』が揃って、1つの施設を形成しており、街内の施設の中でも最大の土地面積を誇っているのだ。

 そしてスズのクラスでは今、歴史に関する授業を受けていた。 ある生徒は真面目に授業内容をノートに執筆し、ある生徒は不真面目に居眠りをしている。

 またある生徒はノートの切れ端を渡し合いながら談笑し、ある生徒は窓の外の景色を見て物思いにふける。

 

「もうすぐ試験が控えているから、今日はこれまでの復習をしていくぞ。」

 

 授業態度に千差万別のある子どもたちに、一々目くじらを立てていてはキリがないと判断したのか、担当の教師は特に気にした様子を見せずに講義を進めていく。

 

「元々この世界は『旧人類』と呼ばれる人間たちによって支配されていた。

 そんな旧人類を相手に『新人類』の先祖は戦争で勝利を収め~。」

 

 スズは真面目に授業を受ける側の人間なので、講義の内容をノートにまとめながらこの世界の歴史について振り返る。

 今から800年以上もの昔の話、この世界を支配していた『旧人類』と、魔法と言う超常的な力と放射能耐性を得た『新人類』との間で戦争が起きた。

 戦争に勝った新人類は『聖刻歴』と言う新たな元号を刻み、世界の新たな統治者となったのだ。 そして今の世界は旧アメリカ領土を大きく分けて『聖王国』、『帝国』、『自由都市同盟』の三国と、遊牧民である『カナド人』の領土とで分かれており、それ以外の土地には旧人類が残した『魔獣』と呼ばれる生物兵器が住まうため、人間が生きていくには過酷な環境となっている。

 もう少しかいつまむと、カナド領土の北側には『魔族』と呼ばれる人外の種族が住まう『魔界』と呼ばれる土地もあるみたいだが、これについては授業でほとんど触れられたことはない。

 

(でも『新』人類って言われてもね~。)

 

 旧人類が滅びた今、現代における人間は全て新人類と言うことになる。

 つまりスズ自身も『新人類』に当たるのだが、当の本人にはその自覚がない。

 なにせ新人類の全てが魔法と放射能耐性を持っているためにそれが『当たり前』な上に、持たざる旧人類は滅びてしまったのだから比較のしようがない。

 そしてスズの家である『サキミ家』をとっても何代にも渡って当主が代替わりしており、スズ自身、2代以上前の当主の顔は遺影くらいでしか見たことがないのだ。

 つまり新人類とは言ったものの既に800年以上の歴史を持ち、ご先祖様の名前も顔も知らない有様なのだから、何が『新』なのかは自覚の持ちようがない。

 現にスズは勿論、スズの周りで新人類を自称する人は見たことがないのである。

 

(そう言えば、他の国だと旧人類は禁忌の対象なんだっけ?)

 

 三国の内、『聖王国』と『帝国』は、旧人類は愚かな人類だと忌み嫌う風潮があると聞く。

 だがここは、三国の中でも特に差別とは無縁な『自由都市同盟』である。

『亜人』と呼ばれる半人半獣の種族の国が母体となって興され、やがて商人と冒険者からなる連合国家となったこの国は人の移り変わりが激しく、かつ多種多様な人が往来する。

 そんな来るもの拒まずの姿勢がお国柄となっていき、他国では差別の対象となりやすい亜人や、旧人類の文明を受け継いでいるカナド人も、この国では分け隔てなく暮らしていける。

 そして自分たちの住むこの街は、そんな自由都市同盟の辺境の地にある『カミナの里』と呼ばれるところだ。

 旧テキサス州のベイタウンの土地で興されたこの街は、余所から来た人たちに言わせれば『異端』な街らしい。

 建物は『木造建築』が多数を占め、夜間では『提灯』と呼ばれるものを照らして明かりを灯す。 伝統的な食文化は穀物と山菜、肉食は魚類が一般的だ。

 聞けばこの街の文化は、とある旧人類の文化の特色が強く残っているらしい。 自分の住む街なのにそんなことも知らないが、逆を言えば生まれてからずっとそれが『当たり前』として育ってきたので気が付きようがないのだ。

 

「さらに聖刻歴402年、魔神デウスーラの眷属である魔族と人類による戦争、人魔大戦が行われ~。」

 

(戦争・・・か。)

 

 講義の中では何度も戦争に関する内容が繰り返されていた。

 旧人類と新人類による戦争。

 新人類同士による戦争。

 人外の存在である神様や魔族との戦争。

 800年余りの歴史の中でも、世界を覆すほどの大きな戦争が幾度となく行われている。

 そして今も、この世界のどこかで戦争は起きている。 特に聖王国と帝国は開国時代から敵対しており、今でも度々軍事衝突が繰り返されていると聞く。

 自国である自由都市同盟も、数年前に首都『中央都市アマルーナ』を恐怖に陥れた『魔獣バフォメット』の軍団による大規模な襲撃戦があり、多くの人々が命を落としたと聞く。

 だけどカミナの里は、自由都市同盟の更に辺境の地であり、これまで戦禍に見舞われたことがない。 そしてスズは街の外に出たことがない。

 別に街から出ることを禁じられているわけではない。大人になれば外の世界に出る者も多くいる。

 ではなぜかと言うと、単にスズが幼い子どもと言うだけだ。

 今年で14歳。18歳から成人とされる現代では、大人になるまで後4年もかかる。

 だがスズ自身は特に好奇心が旺盛と言うわけでもなく、『とある理由』から外に出たいと思ったこともないのだ。

 同学年の男子の中には、この街には何もないから退屈だとか、外の世界にはこの街ではお目にかかれない高性能な『機操兵』があるとか、行っても見てもいないことを自慢げに話していたが、結果としてスズは他国は愚か、自由都市同盟の首都にすら行ったことがない。

 自国の戦争でさえ、スズにとっては小耳に挟んだ程度でしかなく、まして他国同士の戦争など、空想の物語に等しいのだ。

 それは平和の証なのだが、同時にこの世界を良く知らないと言う不安でもあるのだ。

 もしもこの街にも、戦禍が飛び火したらと思うと・・・。

 

(まあ、そんなわかりもしない先のことよりも、『明日』の方が重要だよね。)

 

 この手の思考は一度ハマると、延々と悪い方向へと引き込まれていく。

 スズは授業を聞きながら、『大切な明日』に想いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 昼休みを迎え、昼食を取るべくスズがお弁当を取り出した矢先、教室の戸に近い生徒がこちらに声をかけてきた。

 

「おーいスズ~!愛しの先輩が迎えに来たよ~!」

 

「えっ!?」

 

 びっくりして目を向けると、戸の前には『チコ・カムイ』の姿があった。

 

「スズ、一緒にお昼食べましょ?」

 

「はい!」

 

 チコに誘われたスズは、お弁当を片手に勢いよく立ち上がり、チコの元まで小走りで向かう。

 

「今日はいい天気だし、せっかくだから中庭で食べましょうか?」

 

 チコからそう誘いを受けて、2人並んで教室を後にする。

 チコはスズの1つ上の先輩であり、10年近い付き合いのある幼馴染でもある。

 自分よりも背が高く、大人びて、学問も武術も魔術も学年トップ、いや、校内トップの成績を収めている。

 特に武術と魔術に関しては、大人ですら太刀打ちできないほどであり、この街でチコと渡り合える人はほんの数人しか存在しないだろう。

 その性格は男子相手にも怖気づかない勝ち気で堂々としており、それでいて口調や身だしなみに気を遣う女性らしさも兼ね備えている。

 まさに完璧美少女。 歳の差はたったの1つなのに、スズには1年後、今のチコと並べる自信なんてない。

 だけどそれに対して嫉妬の念を抱くよりも、憧れの気持ちの方を強めてしまうのがチコの魅力だ。

 こんな才色兼備で素敵な女性になりたい。 そう思わせる人と幼少期から交流があることに、スズはひっそりと優越感を抱いているのである。

 

「えへへ、チコさんからお誘いを受けるなんて、今日は本当に良い一日です!」

 

 恥ずかしげもなく満点の笑みでそう言ってのけるのだから、チコは少し困ったように苦笑する。

 

「もう、まあでも、私もスズの顔が見れて良かったわ。今日は朝から少し憂鬱だったから。」

 

「朝からってことは、また例の夢ですか?」

 

「ええ。」

 

 1人の子どもを連れて逃げ回る、そんな同じ夢を繰り返し見ることがある。

 チコから何度も聞いたことのある話だ。 その話をする度にチコはどこか鬱屈とした様子を見せていたが、何も明日を控えた時にそんな夢を見なくても良いのにと思ってしまう。

 だけどそんなチコの気持ちを晴らすことが出来たのであれば、笑顔で誘いに乗った甲斐があると言うものだ。

 そんなお互いに晴れやかな気持ちで中庭を訪れてみるが・・・。

 

「・・・げっ。」

 

 突然チコが苦虫を噛み潰したかのような顔と声で呻き。

 

「・・・げっ。」

 

 全く同じ反応が目の前にいる男子から返ってきた。

 背丈は175cm。赤みががった髪を逆立て、腰に木刀を添えた男子。

『レンジ・サキミ』。スズの1つ上の学年であり、チコの同級生。

 

「あっ、お兄ちゃん。」

 

 そしてスズの実の兄である。

 

「・・・はあ、なんでお前がここにいんだよ。」

 

 開口一番、レンジはチコに隠すつもりもない毒を吐く。

 

「それはこっちの台詞よ。

 よりにもよってなんでこんな気分であなたの顔なんか見なきゃいけないのよ。」

 

「意味わかんね。なんでオレがわざわざお前と顔合わす機会測んなきゃならねえんだよ。」

 

「勝手に測らないで頂戴。あなたの顔なんてできれば二度と見たくないんだから。」

 

 また始まった。とスズは心の中で大きなため息を吐く。

 この2人、水と油もここまでいがみ合うことはないだろうというくらい、とにかく仲が悪いのだ。

 一部外野からは痴話喧嘩だの喧嘩するほど仲がいいだのと言われているが、10年近くも2人を見ているスズには本当に仲が悪いと言うことがわかる。

 

「はっ、大方・・・。」

 

「大方晴れてるから外でご飯を食べようとか女々しい事言ってたんだろ、って言いたいんでしょ?」

 

 レンジの言葉に割り込み、チコが心を読んだかのようにその後を綴る。

 そしてレンジの不機嫌そうな表情を見る限り、読まれた通りの言葉を言うつもりだったようだ。

 

「本当に・・・」

 

「お前は悪口がワンパターンだな、って言いてえんだろ。」

 

 意趣返しと言わんばかりにレンジがチコの言葉に割って入り言葉を綴る。

 そしてチコの表情を見る限りでは大当たりだったようだ。 ここでスズはまたしても呆れ交じりのため息を吐く。

 

「勝手に人の心を読まないで頂戴。気持ち悪い。」

 

 本当になんで読めるのさ。とスズは心の中でツッコミを入れる。

 

「お前の考えなんざ手に取るようにわかるんだよ。」

 

 本当になんで分かるのさ。とスズは心の中でツッコミを入れる。

 そもそもお互いが自分の心が読まれることを前提に、相手の心を読むなんて何かが間違っているとしか思えない。

 そう、この2人は相手の悪口を言うために、互いの悪いところを余すことなく研究していった結果、ついにはお互いの考えていることがわかるようになってしまったのだ。

 仲の悪さが一周どころか世界を七周半ほど回って相手への理解を一層深めてしまうだなんて、占い師だってこんな未来を予知することは出来ないだろう。

 そしてこんな犬も食わない、棒にもかからない、しょうもなさ極まりないいがみ合いの末、自分よりも兄の方がチコに対する理解が深いだなんて、スズはどんな顔をしてショックを受けたらいいのかわからないのである。

 

「その言葉そっくりお返しするわ。」

 

「オウム返ししかできねえのか、この仮面優等生。」

 

「不良被れ。」

 

「英雄気取り。」

 

「ヤンキーもどき。」

 

「も~2人とも、喧嘩はやめにしてお昼にしようよ。」

 

 単語を変えただけで意味合いは同じな罵り合いがループを開始する予兆を見せたので、スズが強引に2人の間に割って入る。

 

「そうねスズ。こんなやつ放っておいてお昼にしましょ。」

 

「スズ、悪いことは言わねえ。こんなやつ絶対に尊敬すんな。将来棒に振るぞ。」

 

「あら?別にスズの将来に影響を与えたいわけじゃないけど、兄として全く見本になっていないあなたと比べたら私の方がずっとマシよ。」

 

「ああ?物事最後にゃ鉄拳制裁で決めてるやつが何を偉そうに・・・。」

 

「2人とも!お昼にするよ!!」

 

 今度は強引に2人の手を引いて無理やり座らせ、スズを挟んで3人並び中庭で昼食を取ることに。 食事の間、一切顔を合わせようとしない2人を見比べて、スズは本日3回目の盛大なため息を吐くのだった。



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第1話 中編

 口論の絶えないレンジとチコを強引に大人しくさせたスズは、チコと世間話をしながら昼食を取る。

 隣には仏頂面のまま黙々と弁当を食べるレンジが映るが、わざわざ繰り返さなくてもいいことを飽きずに繰り返す2人のいがみ合いに、いい加減慣れているスズは特に気にも留めない。

 一方でチコも、レンジが視界に入らない程度までしか顔をこちらに向けてくれず、結局スズがチコの顔を覗き込むように少し身を寄せながら話すことになった。

 とは言え、こんなどうしようもないことに根を回すのも、いい加減慣れているスズは特に不満を言うことなくチコと談笑を続ける。

 

「そう言えばチコさん、いよいよ『明日』ですね。」

 

「・・・ええ。」

 

 そんなチコとスズの間だけ明るかった空気が一転、少し間を空け、チコがやや沈んだトーンで頷いた。

 そんな空気を察知したのか、これまでそっぽを向いていたレンジも少しだけこちらに顔を向ける。

 

「カミナの里の『カンナヅキ祭』。 チコさん、今年で正式に『巫女』の役職を引き継ぐんですよね?」

 

「そうなるわね。」

 

 カンナヅキ祭。

 毎年10月10日に行われる、この街の伝統的な祭りだ。

 食事処や遊技場まで多くの屋台が日中から夜間にかけて催され、街中には色とりどりな提灯が飾られるこの祭りは、一年を通じてこの街が最も華やかに、そして賑やかになる日である。

 祭りに参加する人は『浴衣』と呼ばれる民族衣装を身に纏うことを義務付けられているが、この街では浴衣は当たり前のように普及しているため、街中の人たちが参加権を持っている。

 そんな賑わう街中を友人や家族と一緒に見て回り、屋台で出来立ての食べ物に舌鼓を打ちつつ、遊技場で景品を取り合うのも毎年の楽しみだが、この祭りにはもう1つの意味が込められているのだ。

 

「『チノヨリヒメ』様を『祀る』儀式。私、今年もちゃんと見に行きます!」

 

 スズがそう意気込みながらチコに話しかける。

 そう、街が賑わう『祭り』であると同時に、明日はカミナの里の土地神様『チノヨリヒメ』を『祀る』日なのだ。

 チノヨリヒメが祀られる『威之地(いのち)の社』にて、『神祀りの一族』の『巫女』が『奉納演舞』と呼ばれる舞を納める。

 それが『奉納の儀』と呼ばれる儀式であり、チコの家系であるカムイ家はその一族であり、長女たるチコはその巫女なのだ。

 

「そう・・・ありがとう。」

 

 だけど当の本人は、どこか自信なさそうな様子を見せる。

 何事に対しても常に自信満々で勝気なチコにしては珍しい反応だが、これには理由がある。

 先ほど『正式に巫女の役職を継ぐ』と言ったように、チコは言わば『見習い巫女』だ。

 それでもチコがこの街に来てから、奉納の儀は全てチコによって行われてきたが、これにはカムイ家の仕来りが由来している。

 カムイ家では代々長女が巫女としての役目を継ぎ、5歳から奉納の儀の役目を引き継ぐ。

 だがこの時点ではまだ正式な巫女ではなく、一説によればチノヨリヒメ様に認めてもらうための修行の一環とのこと、15の歳を迎えたときに正式な巫女としての名を襲名するのだ。

 そしてチコは今年、15の歳を迎えた。 明日は神祀りの巫女を正式に継ぐことになる。 だがそれだけではチコがここまで自信喪失する理由にはならない。 問題はもう1つの理由にある。

 

「カムイの『血』を『継いでいない』私が、本当に巫女になってしまってもいいのかしら・・・?」

 

「チコさん・・・。」

 

 隠すことなく、チコがそんな弱音を打ち明けてきた。

 チコはカムイの家の出身ではない。10年前、この街に捨てられていたところを偶然、カムイ家の人が見つけたのだ。

 そして子宝に恵まれなかった現カムイ家の当主は、チコを養女として迎え入れ巫女の役職を継がせる決意をした。

 当時、街の人からは反対の声も上がったそうだが、最終的にはチコの父が頭を下げてまで懇願したことで、事なきを得たのだ。

 だけどそんな背景があるせいか、チコはカムイ家の人が代々引き継いでいた、神祀りの一族の巫女たる役職を正式に継ぐことに抵抗を覚えている。

 勝気なチコがここまで弱音を見せる相手は家族と自分と、なぜか兄だけであるが、そうやって慕われるのは純粋に嬉しい。

 だけどスズには、落ち込むチコにかけてあげる言葉が思いつかなかった。

 

「まだんなことでウジウジ悩んでんのかよ。」

 

 そんな時、隣から遠慮のない言葉が飛んできた。

 

「何よ。」

 

「おめえの親父さんがとっくの昔に許したことだろうが。今更んなことでいじけんな。」

 

「別にいじけてなんかいないし、あなたに何が分かるって言うのよ。」

 

「10年も前に決まったことを今更ウジウジ悩むようなやつの気持ちなんか知ったことか。 んなことより、今日までおめえに期待していた親父さんの気持ちを考えろっての。」

 

「・・・。」

 

 無遠慮も無遠慮なレンジの言葉にチコは黙り込むが、スズは一切止めに入らない。

 

「今更ヤダなんつったら親父さん悲しむだろうな。 オレはそんな腰抜け相手に『負けた』覚えはねえぞ。」

 

「うっさいわね!あなたなんかに言われなくったってわかってるわよ!」

 

「何が分かってるんってんだ。腰抜けの見習い巫女が。」

 

「明日には正式な巫女になってやるわよ!その言葉撤回させてやるから覚えてなさいよ!」

 

 言われたい放題でたまりかねたチコがとうとう怒りを爆発させるが、いつの間にかいつも通りの口喧嘩に変わっているばかりか、勢いに任せて正式な巫女になると来たものだ。

 いや、チコは昔から巫女の役職を継ぐことを決めていた。

 ただ直前になってどうしようもない不安が押し寄せて、弱気になっていただけなのだ。

 そしてレンジもまた、その真意を見抜いていた。 とは言えレンジが狙って今の状況を作ったかは定かではない。

 弱音を吐いていじける相手に『負けた』ことになりたくないと言うのは、彼の紛れもない本心だからだ。

 それでも、チコの悩みを吹き飛ばしあまつさえ逃げ道すら封じてしまったのだから、レンジの存在は間違いなくチコの背中を後押しした。

 かけてあげる言葉が何も思いつかなかったスズには、そんなレンジのことが羨ましい。

 

(ふふっ、ありがとう、お兄ちゃん。)

 

 だけど同時に、いつものチコを取り戻してくれたことが嬉しかった。

 

「も~2人とも、休み時間終わっちゃうよ~。」

 

 だからスズも、いつも通り喧嘩を始める2人の仲裁に、いつも通り入るのだった。

 

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 午後の授業、寺子屋の外広間では、1対1による実技訓練の授業が行われていた。

 対峙する生徒はレンジとチコ。

 レンジは腰に携えている木刀を置き、学校の備品である2尺程度の木刀に持ち返る。

 対してチコも、学校の備品である1尺程度の木刀を両手に持つ。

 両者は一定の距離を開けて睨みあうも、一礼を交わして各々の木刀を構える。

 

「よーい!はじめ!!」

 

 そして教師の号令と同時に、レンジが木刀を腰に構えて踏み込み、抜刀の要領で横に薙いだ。

 

「はっ!」

 

 だがチコは、レンジを見据えたまま後方に飛び、その一撃を軽やかに回避する。

 

 トン、トン

 

 着地したチコは、軽快なリズムで左右に足踏みする。

 そして突然、レンジに目掛けて一踏みで距離を詰め、右手に持つ木刀を振るった。

 一定のリズムを相手に意識させてからの突然のペースチェンジ。

 チコが最も得意とする奇襲だ。

 だが『何度もやられてきた』その動きに今更対応できないレンジではない。

 木刀の柄で攻撃を受け止めるが、チコは反対の手を振りかざして追撃する。

 それを皮一枚でかわすと、今度は独楽のように回転しながら木刀を叩きつけてきた。

 流れるような動作から繰り出される怒涛の連撃。その様はまるで舞うが如く。

 それもそのはず、チコが繰り出す技は本来、奉納の儀で行う『奉納演舞』の動きなのだ。

 その舞の動きを取り入れ、彼女はそれを技に昇華させている。

 体技にも、剣技にも応用の効く彼女独自の技を前に、レンジはこれまで一度も勝てたことがない。

 

(だが今日こそは勝つ!!)

 

 彼女の連撃を凌いだレンジは闘志を燃やす。

 明日には巫女の『継承の儀』が控えているが、レンジは手を抜くつもりは一切ない。

 そもそもチコは今日、実技訓練から外れる予定だったのだ。

 継承の儀を前に大事があってはならないと教師が気を利かせたからだ。

 だけどチコはこう言った。

 

「この程度、本番前の練習ですよ。」

 

 チコの実技訓練の相手はいつもレンジが任されていた。

 理由はとても簡単。レンジ以外の生徒では、チコの相手は3秒も務まらないのだ。

 つまりチコが実技訓練を行う場合、自動でレンジが相手をすることになる。

 とどのつまり、その言葉はレンジに対する挑発、そしてチコはレンジに勝つことを確信していると言うことだ。

 それどころか怪我1つ負わないでいるつもりもない。

 こいつは昔からずっとこうだ。いつも人の前に立って、いつもバカにしていく。

 

(いつまでも、バカにされてたまるかよ!)

 

 そこまでコケにされては、遠慮する理由がどこにある。

 だがチコの連撃は徐々に鋭さと速度を増していった。

 先ほどまでは反撃出来たのに、やがて防戦一方の状態に追い込まれていく。

 

「くそっ!」

 

 そしてついに、レンジの木刀が宙を高く舞い上がった。

 木刀が地面に刺さるよりも前に、レンジの首元にチコが木刀を突き立てる。

 

「そこまで!」

 

 先生の号令がかかり、勝敗が決する。

 チコの顔を見上げてみると、彼女は澄ました顔で木刀を引き、そのまま列へと戻っていった。

 自分を負かしたことに対して何も抱かない。勝ったことに対して何も沸かない。

 この状況が『当たり前』だと言わんばかりの彼女の態度が、いっそうレンジの神経を逆撫でる。

 

(・・・畜生。)

 

 だがここで情けなく喚いたところで男が廃るだけだ。

 泣き言を言ったところで強くはなれない。そんなことに時間を使うくらいなら鍛錬を積んだ方がよっぽどマシだ。

 レンジは肩を震わせ、悔しくて叫びたい気持ちを堪えながら、木刀を拾いに行くのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 カミナの里の中心街にある大きな宿に、1組の男女が入っていった。

 無精ひげを生やした男は40代前後と思われ、レザー帽を深々と被り赤いマフラーを付けている。

 腰のホルスターにはリボルバー式の拳銃が収納されており、如何にもガンマンといった風貌だ。

 一方のメガネをかけた女性は20代後半と思われ、聖王国の修道着に身を包んでいることからシスターと思われる。

 フード越しからでも分かるほどに耳が尖っており、それは聖王国北部の森林地帯に住む『エルフ』と呼ばれる種族の特徴と一致している。

 とは言え、亜人も巨人も珍しくない自由都市同盟では、さして気にすることでもなく、受付嬢は2人に宿泊者名簿を差し出した。

 

「ではこちらにお名前をご記入ください。」

 

 宿泊者名簿に男は名前を記入する。

『ピース・バード』と『シスター・レイ』。

 何やら胡散臭い名前だが、他人の名前にケチを付けるのも失礼なので、受付嬢は黙って名簿を手に取る。

 

「おかしな風体なやつらが来たと、そう思いでしょう。」

 

 すると男の方が突然、受付嬢の心を読んだかのような言葉を口にしてきた。

 

「いっいいえ、滅相もございません。」

 

 慌てる受付嬢を一瞥し、男はからかうように笑う。

 

「ははは、良いですよ。何せ風変わりな旅人と巡礼中の修道女って組み合わせだ。

 悪いね警戒させちまって。何も怪しいものじゃない。

 旅の途中でたまたまこの街の近くを通りかかってものでね。

 宿を探してたってだけですよ。」

 

 身の潔白を証明しようとしているようにも見えるが、そこまでおかしな理由でもないと思い一先ず警戒を解く。

 

「チェックアウトは明後日の朝ですね。では、お部屋の方までご案内致します。」

 

 そこで通りかかったスタッフに案内されながら、2人は部屋まで向かうのだった。

 

 



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第1話 後編

 部屋で一息ついた『ピース・バード』と『シスター・レイ』は、旅の荷物を降ろして『座布団』に座る。

 

「直にお茶と茶菓子をお持ちいたします。

 それからお客様、本館は全室禁煙ですので、一服するのでしたら外か、ベランダにてお願い致します。」

 

 スタッフはそう言いながら、男のレザージャケットのポケットに差し込まれた葉巻に目を向ける。

 

「あいよ、ご丁寧にありがとう。」

 

「では、ごゆるりとお寛ぎください。」

 

 スタッフが襖を三度、引いてから戸を閉め、足音が遠ざかったタイミングを見計らい、ようやく女の方が口を開いた。

 

「随分と変わった宿ね。他国では見たことのない建築様式だわ。」

 

 足場は『畳』と呼ばれる床材が使われ、座布団と呼ばれるこの座りものもクッションとは異なる感触だ。

 

「この街では宿のことを『旅館』って言うらしいぜ。」

 

「リョカン?まるでカナドみたいな言葉ね。」

 

「ああ、カナドの言葉だ。

 この街の成り立ちには、カナド人が関わってるんだろうな。」

 

 かつて旧人類が住んでいた島国『日本』と交流があったとされるカナド人には、その文化が根付いており、日本の文化を取り入れて独自に発展したそれは『カナド様式』と呼ばれている。

 

「っても、ここまで色の強いカナド様式を見るのは流石に初めてだけどよ、異境の地らしくていいじゃねえか。」

 

 だが普段見慣れているカナド様式と比べても、この街の雰囲気ははっきり言って『異様』だった。

 その事に違和感を覚えるが、今はそんなことを気にしても仕方がない。

 

「見た限り建物は木造建築ばかりだし、火事にでもあったらこの街全部焼け野原になるんじゃない?」

 

「怖えこと言うなよ。それに建物に使わる木には特殊な細工が施されてそう簡単には燃えないって話だぜ。」

 

 そんな世間話をする2人だが、宿泊者名簿に記載したこの胡散臭い名前は当然、本名ではなく、男の名は『バレット・クロウ』、女の名は『クレア・レスター』と言う。

 

「それにしてもよく『こんな仕事』、安請け合いしたわね。」

 

「こんなって言ったらダメだろ。これも立派な仕事さ。」

 

「本当にあるかどうかもわからない眉唾物探しにこんなところまで来たのよ?

 これで手ぶらだったらどうするの?」

 

 得体のしれない仕事を安請け合いされたことにクレアは眉を顰めるが、バレットはどこ吹く風だ。

 

「いいじゃねえか。空気は澄んでるし宿の居心地もいい。

 それにこの地の飯は美味いって評判だぜ。新鮮な魚が生で食えるんだってよ。」

 

「私たちは観光に来たわけじゃ・・・って生魚!?

 そんな得体のしれないものをこの街では食べてるの?」

 

 だが『仕事』の話をしていたはずなのに、クレアが自分の常識からは考えられない言葉が飛んできたので身を乗り出す。

 

「この街の伝統的な食文化らしいぜ。

 なんでもこの付近で取れる生魚は肉と遜色のない旨みがあり、それでいてヘルシーで健康にいいとか。」

 

「信じられない・・・

 ってそんなことより!本当にここにあるって保証があるの?」

 

 観光客と成りつつあったところをクレアが強引に軌道修正する。

 

「何ならちょいと、ここのスタッフにかまかけてみるか。」

 

 バレットがそう言った矢先、ノックの後、襖が再び3度に渡って開けられ、先ほどのスタッフがお茶と菓子を持ってきた。

 おあつらえ向きと言わんばかりのタイミングにバレットはニヤリと笑う。

 

「失礼いたします。お茶と茶菓子を持って参りました。」

 

 だが目の前に差し出されたお茶と菓子を見て、2人はまたしても観光モードに入ってしまう。

 

「お茶が緑色・・・。」

 

 見たこともない色のお茶を前にクレアが目を白黒させる。

 

「緑茶、と申します。」

 

「そのまんまね。」

 

 そして身もふたもないツッコミを入れる。

 

「美味え、渋いがいい苦みだ。こいつあチョコが欲しくなるぜ。」

 

 一方でバレットは緑茶を豪快に一息に飲み干し、まるで酒のつまみを欲しがるかのような親父臭さ満載の感想を言う。

 

「この菓子も見たことがないわ。」

 

 続いてクレアが菓子の方を興味深く観察し、『爪楊枝』でツンツンと突いている。

 

「羊羹と申します。」

 

「へえ、こいつが羊羹か。餡子を固めて作ったもんだと聞いたことはあるが。」

 

 一方でクレアよりもカナドの文化に詳しいバレットは、羊羹についての解説をした。

 

「餡子?」

 

 だがそもそもクレアには餡子自体が初めてだったようで、バレットは少し呆れた様子で説明を付け足す。

 

「カナド人が使う甘味料のことだよ。どれどれ。」

 

 そして2人して爪楊枝を羊羹に突き刺し、口の中へと運ぶと。

 

「美味しいわ!程良い甘さが口に広がって、それでいて後味が悪くない。」

 

 クレアが初めての味わいに感激し、

 

「しかもこの渋い緑茶と相性抜群だ。こりゃすげえわ。」

 

 バレットも喉を唸らせ、2杯目のお茶を一気飲みした。

 

「いえいえ、お粗末様でした。」

 

「なんでそんなに腰が低いのよ。ここまで美味しいのだからもっと誇りなさいよ。」

 

「いやシスター、こいつはカナド様式の『謙虚な姿勢』ってやつさ。」

 

 すっかり観光モードに入っている2人だが、そんな中でもちゃんと偽名は使っていく。

 

「これも土地柄ってやつなのね・・・ってじゃなくてピース!

 あんた聞きたいことがあるんじゃなかったの!?」

 

 またしても本来の目的を見失っていたクレアは、本日2度目の強引な軌道修正をかける。

 

「っと、そうだった。ちょいとお嬢ちゃん、聞きたいことがあるんだが。」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「明日、ここで祭りがあるんだってな?カンナヅキ祭と言ったっけ?」

 

「はい、もしかしてご観光でいらっしゃったのですか?」

 

「いやまあ旅の途中で寄ったってだけだが、そんな話を街の中で耳にしてよ。

 ちと興味があるんだが俺らでも参加できるのか?」

 

「浴衣さえ着用すれば、旅の方でもご参加は可能です。

 本館では浴衣のレンタル販売も御座いますので、よろしければ今からでも寸法をお測りしましょうか?」

 

「じゃあ、後で頼みますわ。」

 

 言葉の端々に商魂逞しさが見え隠れするが、願ってもない条件なので了承する。

 

「スンポウ?」

 

 するとクレアから間の抜けた声で質問が飛んできた。

 

「サイズって意味だよ。カナドの言葉もちっと勉強しておけよ。」

 

「ずっと『聖王国』にいたのだからしょうがないでしょ?」

 

 クレアの反論をスルーしてバレットはスタッフと会話を続ける。

 

「この街の祭は、実に賑やかと聞いてて楽しみだったんだ。」

 

「はい、年に一度のお祭りですから、街中揃って大賑わいです。」

 

 そう楽し気に語るスタッフだが、バレットはこれが切り口と見てついに本題に入る。

 

「そういやさ、もう1つの『祀り』があるってのも聞いたんだが。」

 

 その瞬間、スタッフは少し決まりの悪そうな表情を浮かべた。

 

「えっ・・・ええ、チノヨリヒメ様を祀る奉納の儀のことですね。」

 

「チノヨリヒメ様・・・?」

 

 クレアの疑問にスタッフは答える。

 

「この街で祀られている土地神様のことです。

 チノヨリヒメ様を祀るためとも、鎮めるためとも言われていますのが、神祀りの巫女による奉納の儀なのですよ。

 それがどうか致しましたか?」

 

「そいつは、部外者じゃあ見学できねえのかい?

 何せ異境の地に根付いた独自の文化だ。純粋に興味があってね。」

 

 バレットの問いに、スタッフは申し訳なさそうに顔を伏せながら答える。

 

「真に申し訳ございませんが、普段なら一般解禁もされているのですが、明日だけは御覧になることができないのです。」

 

「なんでだ?」

 

「明日は、神祀りの巫女様が正式にチノヨリヒメ様からの洗礼を受ける、特別な日だからです。」

 

「つまり、巫女さんが完全に神様のものになるってことか?」

 

「はい。

 ですので明日は旅の方どころか、街の人々も立ち入りを禁止されております。

 儀式に参加することを許されているのは、街の有権者と神祀りの一族、それから『防人の一族』だけなのです。

 縁の遥々、わざわざおいでなさったのに大変申し訳ございませんが、この街にとっては重要なしきたりですので、なにとぞご理解の程をお願い致します。」

 

「限られたものしか入れない特別な儀式か・・・わかった。そんじゃあそっちは諦めるわ。」

 

「代わりと言っては何ですが、街のお祭りの方は普通に参加できますので、そちらの方だけでもお楽しみください。」

 

 街の仕来りに旅館のスタッフが関わっているわけでもないのに深々と頭を下げなくても、とクレアは思ったが、これがこの街の『謙虚な姿勢』ってやつなのだろう。

 

「ああ、ありがとさん。んじゃあ後で寸法頼みますわ。」

 

「はい、では失礼致します。」

 

 再びスタッフが立ち去ってから、クレアはバレットを問いただす。

 

「で、今ので何が分かったって言うの?」

 

「お前、チノヨリヒメって聞いたことあるか?」

 

「あるわけないじゃない。そんな神様。

 この世界の神々は、『三柱の女神』だけ。それ以外の神なんて存在しないわ。」

 

『創世の女神アウローラ』、『運命の女神フォルトゥナ』、『刻限の女神クロノス』。

 宗教国家である聖王国では、この三柱の女神を信仰の対象とする聖導教会の教えが国教となっている。

 今は国を離れたとはいえ、かつて聖王国に暮らしていたクレアは今でも敬虔な聖導教会の信者であり、反論には熱がこもる。

 とは言え、その聖導教会も敵対国である帝国では邪教とされ、遊牧民であるカナドは部族ごとに独自の信仰を持っているので、その教えは絶対ではない。

 だがこの自由都市同盟にもその教えは広まっており、知名度の高さもあってこの国における一般的な宗教となっているのだ。

 それなのにこの街ではチノヨリヒメと言う、見たことも聞いたこともない神様を祀っている。

 

「そう、所謂『土着宗教』ってやつだな。」

 

 バレットが胸ポケットから葉巻を取り出し、火もつけずにクレアに突き立てながらそう説明する。

 

「その土地、独自に築かれて行った宗教。

 自由都市同盟だから信仰されてるものの、聖王国じゃあ邪教よそんなもの。」

 

 仮にも余所の国の神様をそんなもの呼ばわりするクレアの身もふたもない言葉に嘆息しながら、バレットは話を続ける。

 

「お前の言う通り、土着宗教ってのはその土地に由来するものだ。

 さっきの嬢ちゃんも土地神様と言ってたし、チノヨリヒメ様ってのはこの土地に根付いた神様のことで間違いねえだろう。

 まあっても、問題はそこじゃねえ。

 問題は俺たちの『依頼人』が、なぜこの場所を指定したかってことだ。」

 

 一見すると、脈絡のない言葉に思えるが、その言葉にクレアはここに至るまでの経緯を思い出す。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 数日前の自由都市同盟の首都、中央都市アマルーナ。

 まだバフォメット襲撃戦の爪痕を残すこの都市だが、今日も盛んに商人が往来し、多くの冒険者たちを相手に商売に魂を燃やしている。

 そんな都市にあるギルド商会にて、バレットとクレアは依頼人である男と商談を交わしていた。

 

「今の世界情勢を鑑みれば、いつ自由都市同盟も大規模な戦争に巻き込まれるかわかりませんからね。

 私たち『冒険者組合』としても、この国が再び戦禍に巻き込まれることは避けたいところですが、世界がそれを許してはくれないでしょう。

 ですから来るべき日に備えて少しでも戦力を補強しておきたいのですよ。」

 

 クラシックスーツに黒いサングラスと言うナンセンスな組み合わせの依頼人は、『冒険者組合』に所属する役員であり、名前を『マティス・カーズ』と言う。

『冒険者組合』とは、『冒険者ギルド』を管理統括している組織のことであり、自由都市同盟に本部を置いている。

 統制機関、と言うこともあり普段はギルドの活動に直接干渉することはないが、時折こうして冒険者組合から直に依頼を受けることもあるのだ。

 

「言わんとしてることは、わかりますけどねえ。」

 

 バレットは差し出された書類に目を通しながら葉巻をふかし、後ろに控えていたクレアは書類を見た途端露骨に眉を顰める。

 

「・・・何よこれ。私たちにこんな『宝探し』をしろって言うの?

 あなた、私たちを『弱小ギルド』と思って、こんな小間使いな仕事をさせるつもりじゃないでしょうね?」

 

「いえいえ、滅相もない。

 私は純粋にあなた達の実力と実績を見込んで、この依頼を持ちかけたのです。」

 

 そうは言いながらも、依頼人からは露骨に小馬鹿するような雰囲気が伝わってくるので、クレアは不機嫌な表情を浮かべる。

 

「クレア、依頼人の前だ。失礼な言動は控えろ。」

 

 だが『ギルドマスター』たるバレットにそう制されては文句も言えず、クレアは大人しく黙り込む。

 

「いいでしょう。引き受けましょう。

 報酬も悪かねえし、他国跳ね除けられるような『宝』が本当にあるんなら是非見てみてえ。

 クレアもそれでいいな?」

 

「・・・わかったわよ。」

 

 未だに納得した様子ではないが、とりあえず事なきを得たようだ。

 

「ありがとうございます。現地までの往復旅費はこちらの方でお出ししますので、また当日に。」

 

 依頼人はそう丁寧にお辞儀をしながら、せっせと書類を片付ける。

 

「おう、傭兵ギルド『ピース・メーカー』にお任せください。」

 

 そしてギルド『ピース・メーカー』を名乗るバレットは、葉巻をふかしながら不敵に笑うのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

「それがこの街の信仰と依頼と何が関係あるのよ。」

 

 クレアは不思議そうに尋ねる。

 

「関係大ありさ。俺たちに依頼されたことはなんだ?

『この街に隠された兵器を探して来い』だったろ?」

 

 そんなトレジャーハント紛いの依頼だったからこそ、クレアは今の仕事に難色を示しているのだ。

 

「さっきの嬢ちゃんと話してわかったことがある。

 チノヨリヒメを信仰するこの街の宗教は、そんなに排他的なものじゃねえ。

 祭は勿論、チノヨリヒメの祀りだって余所者に平気で教えているし、観光客も参加することが出来る。

 それどころか、この旅館の対応からして、積極的に観光名所にして街興しを狙ってる見てえだしな。」

 

「神を祀るための奉納の儀が、見世物になってる時点で世も末ね。」

 

 クレアの皮肉を聞き流しながらバレットは続く。

 

「なのにだ、明日だけは絶対に『見てはいけねえ』って来ただろ?

 おかしくねえか?

 神様の御前で行われる大切な儀式すら見世物になっているのに、明日だけはダメと来たものだ。

 つまり部外者に見られてはダメって境界線がしっかり出来ているってことだ。

 この街の人たちの信仰は一見、薄れているようで実は根強いんだよ。」

 

「・・・つまり、余所にはバラしたくない何かがあるって言いたいのね?」

 

 ようやくバレットの言うことの要領を得たクレアの言葉に、バレットは満足げに笑う。

 

「そうゆうことだ。そこで組合からの依頼だ。

 軍備を補強するために必要な兵器の回収が依頼だってのに、あてがわれたのは俺たち2人だけだ。

 つまりそれはそう大きなもんじゃねえ。精々『機操兵』一機分くらいだろう。

 それに組合の連中だってバカじゃねえ。

 何の根拠もなく宝探し使わすなんてことはしないはずだ。

 つまりこの地にはそれなりのアテがある。

 そこにきて辺境の地で行われる封鎖的な儀式と来たものだ。

 隠したい何かがある場所で、戦力を大きく補強できる、眉唾物な宝が眠っている。

 そんなお宝に、お前は心当たりがないか?」

 

「・・・あなたまさか。」

 

 バレットの言わんとすることを理解したクレアは、信じられないと言わんばかりの表情を浮かべる。

 

「あるんじゃねえのか?ここに。最古の決戦兵器『古操兵』が。」

 

「・・・正気なの?」

 

 尚も疑惑の目を向けるクレアだが、バレットの瞳には自信が宿っていた。

 

「出なきゃこんな仕事、引き受けねえよ。」

 

 そして尚も火のついていない葉巻を再び突き出した。

 その時、再びノックの後、先ほどのスタッフが巻尺を持ってきた。

 

「では、寸法を測りますね。」

 

 明日の祭に参加するための浴衣の寸法を測ることで、2人は明日への緊張感を高めていく。

 だが・・・。

 

「美味しい!これ本当に生魚の身なの!?」

 

「おーい、酒のお代わり頼むわ!」

 

 夕食に振る舞われた海鮮料理をたらふく食べ、

 

「は~いい湯だわ~。」

 

「これが噂に聞く『ゴクラクジョウド』ってやつか~・・・。」

 

 広々とした旅館の温泉にゆっくりと浸かり、

 

「温泉・・・ゴクラクだったぜ。」

 

「あの生魚、美味しかったわ・・・。」

 

「刺身だ・・・。」

 

 旅館に備え付けの寝間着に着替えて部屋で大いに寛いでいた。

 

「おいクレア・・・。」

 

「なに・・・?」

 

「俺、この街に住みてえ・・・。」

 

「私もよ・・・。」

 

 もはや当初の目的など完全に忘れ、100%観光モードに入ってしまった2人は、明日の朝にはどんな馳走が振る舞われるのかとちゃっかり楽しみにするのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 次回、チイロノミコ第2話

 

「ヨゾラノカゲヒメ」

 

 運命の糸が、物語を紡ぐ。

 



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第2話
第2話 前編


ヨゾラノカゲヒメ

 

 

 

 

カンナヅキの祭を迎えた日の夜。

スズは、学友のユミと一緒に屋台を回っていた。

 

「お~流石『名家のお嬢様』。浴衣姿もレベルが違うね~。」

 

「毎年見てるくせに急にどうしたの?」

 

「いや、14歳にもなると日々成長しておるのおと。」

 

「なんか気持ち悪いよユミ。」

 

「ひっど!!」

 

なんてユミと冗談を言い合いながら、お互いに屋台を見て回る。

多くの提灯が飾られた祭では、夜を忘れてしまうほどに明るく、それでいて上を見上げれば、星々が輝く夜空が映る。

遊技の屋台では男子生徒が射的やらダーツやらで腕を競い合い、その中には学友も何人か見かけた。

街の広間には大きな舞台照明が置かれており、大人の男性は模造刀を手に殺陣を披露し、大人の女性は着物姿で綺麗な舞を踊っている。

 

「おいシスター見てみろよ、商品を的に模造銃当てろって面白え遊戯じゃねえか。」

 

「そんなことよりこのたい焼き、魚の揚げ物かと思ったら餡子が入ってたわ!」

 

途中、ひょっとこのお面とおかめのお面を頭にかけた男女が何やら興奮気味で祭りを楽しんでいるのに出くわす。

射的とたい焼きを初めて見たと言う反応を示していることから、恐らく観光客だろう。

この時期には特別珍しいものではない。

そしてそんな賑やかな祭りの中、スズとユミは何をしているかと言うと・・・。

 

「ユミ、このかき氷美味しいよ。ひと口あげる。」

 

「ありがとー、お返しにこのリンゴ飴ひと口あげるねー。」

 

お互いになけなしの小遣いを切り合って、ひたすら甘味処の屋台を巡っていた。

華やかな祭りの中、花も恥じらう若き乙女2人が、花も見とれる鮮やかな浴衣に身を包みながら、やっていることはただの食べ歩きである。

花より団子とはよく言ったものだ。

 

「あっ、見て見てスズ、花火だよ。」

 

ユミの言葉に空を見上げると、色とりどりの花火が空に美しく散っていく。

 

「ふわあ・・・。」

 

毎年この時期、繰り返し見ているはずなのに、いつ見ても花火の綺麗さには目を奪われる。

だけどしばらくしてスズは、花火から目を反らし街の外れの方へと視線を泳がせた。

 

(チコさん・・・大丈夫かな?)

 

毎年この日はチコともどこかで時間を見つけ、2人で祭りを回っていた。

だけど巫女の役職を継ぐ『継承の儀』がある今日は、チコは朝からずっと威之地の社にいるのだ。

奉納の儀の演習の他に、身を清めて祈りを捧げる必要もあるらしい。

本当は、自分もチコの元へ行くつもりだった。

だけどチコが『友達と過ごす時間も大切にしてほしい』と言うので、奉納の儀が始まるまでの時間を、ユミと一緒に過ごすことにしたのだ。

 

「チコ先輩のことが気になる?」

 

「えっ?」

 

チコのことを想って惚けていたスズに、ユミが微笑みながら声をかける。

 

「うん、今日のこと、すごく気にしていたから。」

 

学友で一番の親友と言えるユミとは、隠し事はしない仲だ。

スズは遠慮せず、胸中をユミに打ち明ける。

 

「でもね、そんなチコさんが凄いなってずっと思ってたの。

子どもの頃から今日のために、ずっと頑張ってきて・・・。」

 

スズはチコの背中にずっと憧れていた。

恩人であるカムイ家の当主に応えるために、チコは巫女を継ぐことを決意した。

それから教養、礼儀作法、武芸、様々な分野においてチコは類まれな才能を開花させた。

だけどそれに裏打ちされた血の滲むような努力があることを、スズは知っている。

そしてそれはチコだけではない。スズの兄であるレンジだってそうだ。

『家業を継ぐ』ことを幼いころから決めていたレンジは、それに向かってひたむきに努力を重ねてきた。

 

「私には、何もやりたいことなんてないから・・・。」

 

1つの目標に目掛けて迷いなく打ち込める2人は、スズにとって憧れの対象であると同時に、羨望の対象でもある。

 

「でもスズにだって才能あるじゃん。ほら、それ。」

 

そう言いながらユミは首筋をなぞる。

 

「才能なんかあったって、使う気がないなら、ないと同じだよ。」

 

スズはそんな嫌味とも取れる言葉を口にする。

今は浴衣に隠れて見えないが、スズには生まれつき首筋から肩にかけて『聖痕』と呼ばれる痣がある。

これは聖刻の三女神から信託を受けたものが持つとされており、『光魔法』と呼ばれる特殊な魔術を行使できる証と言われているのだ。

特に女神信仰の強い聖王国では聖痕を持つ者は重宝され、ほとんどの人が王国の騎士たる『聖騎士』となる。

辺境の地で生まれた小娘が、王国の聖騎士となる資質を持つ。

何と夢のある話だろうか。

だが普通の魔術とは異なる体系の光魔法は、その使い手に師事するか、聖王国に行かなければ学ぶことができない。

 

「私は、この街を出るつもりはないから。」

 

そしてスズはこの地を離れるつもりはない。

当然、聖王国へも行くつもりがないので、この聖痕は完全に宝の持ち腐れである。

そんな自分になんで女神様は信託を与えたのだろう?とはスズが幼少期から抱いている疑問である。

聖王国どころかアマルーナに行けば、女神を信奉する人たちは沢山いると言うのに、気まぐれと言うか、意地が悪いと言うか。

第一カミナの里の住民として、土地神様であるチノヨリヒメを信仰しているスズに信託を与えるなんて、もはやチノヨリヒメへの挑発行為である。

 

「ふ~ん、それってやっぱり・・・。」

 

ユミが何か言いかけようとした瞬間、スズの鞄に入っている『スマートフォン』から着信音が響く。

 

「もしもし、お兄ちゃん?」

 

「スズか。もうじき奉納の儀が始まる。早く来い。」

 

『スマートフォン』は旧時代の文明品あり、当時は個人用携帯通信機として使われていたとされている。

フレーム自体は現代の技術でも再現可能であるものの、旧時代の文明が失われた現代では通信機として使うことは出来ない。

だが簡易術式(ルーン)と呼ばれる魔術の詠唱を省略するための文様を埋め込み、通信と言う概念を魔術と結びつけることで、カミナの里では思念通話を行うための媒介として普及しているのだ。

着信音が鳴ったら相手の思念を受け取ったサイン。その思念を汲み取ることで、脳内に声が再生される。

そのため実際にはスマートフォンを通信機として利用しているわけではないのだが、それでも耳元に当ててしまうのは、通信機としての概念をイメージしやすいからだろう。

尚、本来ならばテレパシーとは高度な魔術の1つであるのだが、スマートフォンは魔力さえ探知出来れば思念の送受信が可能なのだ。

このスマートフォンは魔術の媒介としては破格の性能を持っていると言え、これはかつて相当な高性能かつ、通信概念のレベルで普及し、そして直感的に扱うことが出来たのだろうと、街の考古学者はそう熱弁していた。

ただし1台の端末につき、通信できる相手は1人のみ。別の人と通信する場合は、その人の魔力を読み込み直す必要がある。

一見便利に見えても本職の通信魔法には遠く及ばないが、それでも日用品としてこれほど簡易かつ便利なものもなく、スズのような子どもでも持ち歩いているのだ。

 

「ありがとう。あの、お兄ちゃん。チコさんの様子はどう?」

 

問いかけてからスズは自分の質問が迂闊であったことを悟る。

 

「・・・自分で確認しろ。」

 

思った通りの言葉が返り、レンジからの通信が切れる。

 

「始まるんだね。」

 

レンジとの話を終えたタイミングで、ユミは微笑みながら話しかけてきた。

 

「うん、また明日ね。ユミ。」

 

「うん、また明日。」

 

そしてユミと別れ、スズは威之地の社へと向かうのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

威之地(いのち)の社』

街外れの山に建てられたこの神社は、チノヨリヒメ様が眠る土地とされている。

スズは参道を抜け、巨大な朱色の鳥居を潜ると、黒漆で塗られた神社の屋根が月明かりを跳ね光沢を帯びていた。

月の明かりさえも受け付けんとするその堂々としたその佇まいは、『威の地』の何相応しく、いつ訪れても畏怖の念を抱いてしまう。

それはきっと、幼少期からスズに刻まれた、チノヨリヒメへの信仰心の表れだ。

信仰の対象、自分にとっての神様であるチノヨリヒメがこの地に眠っているから。

そんな威之地の社は、神の寝床にも等しいから。

土地神が眠るこの地に足を踏み入れというだけで恐縮してしまう。

無礼の無いように立ち振るわなければと、スズは自然と心を律する。

 

「こっちだ。ここで大人しく見ていろ。」

 

すると、スズの姿に気付いたレンジが小さく手招きした。

口が悪い上にぶっきらぼうな兄だが、ここからなら、社の前に立つチコの姿がはっきりと見ることが出来る。

自分のためにわざわざ、チコの姿が見やすい場所を取ってくれたのだ。

 

「ありがと、お兄ちゃん。」

 

その意図に気付かないほど、スズは兄の気持ちに鈍感ではない。

お礼を言うとレンジはどこか極まりの悪そうな顔でチコの方に目を向けた。

レンジにつられて視線を向けると、奉納の儀を行うための正装『朱色の巫女服』に身を包んだチコが、静かに威之地の社の前に鎮座していた。

やがて前代の巫女であるチコの母から、舞の扇を渡され、チコは静かに立ち上がり、社の前で一例する。そして

 

トン、トン

 

いつもレンジと戦っている時よりも静かなリズムで、左右に足踏みをしたチコは奉納演舞を踊り始める。

土地神チノヨリヒメへと捧げるその舞は、チノヨリヒメを祀るとも、鎮めるためとも伝えられている。

それを体現するかのように、チコの舞は見る者の心に安らぎを与えるかの如く静かに、優雅で、そして美しいものだ。

毎年この日、何度も見てきたチコの舞。

だけど何度見てもその美しさは褪せることなく、何度見てもスズは鼓動が早くなるのを抑えることが出来なかった。

 

(チコさん・・・綺麗・・・。)

 

そして今日もスズは、チコに心を奪われる。

祭りの華やかな景色も、甘味の味も、花火の美しさも、全て忘れてしまうほどに、チコの舞に魅了されるのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

威之地の社を覗きこめる森の中、浴衣姿のバレットとクレアは気配を消して、奉納の儀を覗き見していた。

つい先ほどまで街の祭りにて、目の付いた屋台の食事を全て平らげ、遊技場の結果に一喜一憂していたところだが、奉納の儀が始まる直前になってようやく観光モードから脱することができ、こうして本来の依頼遂行に戻ったのである。

決して見てはいけないと言われる儀式を覗き見ると言う、この街の人に知られたら極刑ものの行為だが、そもそもトレジャーハント紛いとは言え依頼の内容自体が盗人と何ら変わらない上に、これまで汚い仕事も多くやってきたので、この程度では罪悪感は抱かない。

 

「あれが奉納の儀ってやつか。」

 

頭にひょっとこのお面を乗せたままバレットがクレアに話しかける。

 

「見たところ魔術的な影響はないわね。形式的な儀式なのかしら?」

 

頭におかめのお面を乗せたまま、クレアが疑問を述べる。

曲がりにも土地神を祀る儀式と聞いていただけに、魔術の影響が一切ないと言うのはクレアにとっては予想外だった。

聖王国では教会の讃美歌でさえ、光魔法を活性化させて参列者の祈りを強めると言う影響を及ぼしていたと言うのに、あの奉納の舞は見るものを魅了する人間的な美しさこそあれど、神に捧げると言えるほどの神聖さは感じられない。

形式的な儀式なのだとしたら、やはりこの街の信仰は廃れているとしか思えないが、それはバレットの仮説と矛盾する。

 

「ねえ、バレット。本当にここに古操兵があると思うの?」

 

「まあ、今はまだ成り行きを見守ろうや。

それに今日は何かあるって、俺の直感が訴えている。」

 

この男は時折、直感に頼ろうとする嫌いがある。

 

「あんたがそれを言うと大概ロクなことがないんだから止めてよね・・・。」

 

そして残念なことにその直感と言うのは、いつも悪い方向に的中するのだ。

 

「そう言うな・・・ん?」

 

「どうしたの、バレッ・・・。」

 

名前を言いかけた矢先、バレットが手で静止し、もう片手である一点を指さした。

黙ってバレットの指さす方向へと見ると、赤髪の少年がこちらの様子を伺っている。

 

「・・・まさかバレたの?」

 

「不味いな・・・かもしれねえ。」

 

いくら会話していたとは言え、森の先にいる彼らに聞こえるほどの声ではなく、音も気配も完全に消して隠れていたはずだ。

それなのに視線の先にいる赤髪の少年はこちらに気付いた。只者ではないことは明らかだ。

 

「どうするの?強引に突破して社に突入する?」

 

「いや、一旦退く。今はまだ大事な儀式の最中だ。あの小僧だって事を荒げたくねえはずだ。」

 

実際赤髪の少年は、隣にいる同じ髪色の女の子に一言声をかけた後、周囲の大人に気づかれないように席を外して、ゆっくりとこちらに詰め寄ってきた。

 

「あの小僧1人なら何とかなるだろう。一度退くぞ。」

 

「わかったわ。」

 

2人は森から少しずつ離れていく間、赤髪の少年もこちらを見失わないように後を追ってくるのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

周囲を警戒していたレンジは、何か妙な視線を感じた。

視線の先を見てみると、僅かにだが人の気配がする。

 

「お兄ちゃん?」

 

スズがこちらの様子に気が付いたようで、首を傾げながら話しかける。

 

「・・・誰かいる。」

 

「えっ・・・。」

 

「少し様子を見てくる。スズ、お前はここにいろ。」

 

「1人で行くつもりなの?」

 

スズが不安な様子で問いかける。

街の人たちが今日、ここへ来ることは考えられない。

つまり相手は十中八九余所者だ。

それも儀式を盗み見るような不埒な輩となれば、穏便に済むとは限らない。

 

「儀式を台無しにするわけにはいかねえ。

オレ一人で何とかするから大人には黙ってろ。いいな?」

 

それでもレンジは1人で向かうことを決意する。

全ては今日の儀式を無事に終えるため。

最も、それは当然チコのためなんかじゃない。

儀式を無事に守り抜くことが、レンジに与えられた『役目』だからだ。

 

「・・・わかった。」

 

スズは静かに、だが力強くそう頷いた。

そんなスズの頭を優しく撫でた後、レンジは周囲に気付かれないように静かに持ち場を離れる。

視線の先にいる気配が動いたのを察知し、レンジもその後を追う。

やがて逃げる2人追いついたレンジは、木刀を抜いて叫ぶ。

 

「止まりやがれ!」

 

恫喝に近い声を受けた『バレット』と『クレア』は、ゆっくりとレンジの方を振り向く。

 

「てめえら、なんで儀式を盗み見してた?ことによっちゃあ警察に差し出し・・・。」

 

だがレンジが言い終える前に、バレットが素早く腰のホルスターからリボルバー銃を取り出し、発砲した。

だがレンジは木刀を僅かに振り、弾丸を叩き落として見せた。

 

「へえ。」

 

クレアは驚いて目を丸くし、バレットは感心した様子で口角をあげる。

だけどバレットにはまだ余裕があった。

何せ先ほど撃った弾丸は実弾ではない。

催眠薬を染み込ませた粉末を固めて作った、特殊な催眠弾だ。

人体に当てても傷一つ付けることが出来ないほどに脆いが、着弾した瞬間爆散し、催眠薬が目や呼吸から体内に侵入する。

一瞬で眠りに落ちる、とまではいかないにしても数秒もすれば意識が朦朧とし、足もとがふらつくだろう。戦闘中であれば十分に致命的だ。

そして先ほどレンジは催眠弾を木刀で叩き落した。

ならばすでにレンジの周辺には粉末が飛び散っているはずだ。

 

「ふん。」

 

だがレンジはそんなバレットの態度を鼻で笑い、木刀に風を纏わせ勢いよく振り上げた。

次の瞬間、レンジの周囲に強い風が巻き起こり、粉末はあっという間に霧散して消し飛んだ。

 

「なにっ?」

 

これにはバレットも驚愕する。

こちらの仕掛けた罠を一瞬で見抜いたレンジの洞察力もそうだが、何よりもただの木刀だと思っていたものが、詠唱もなしに風を纏い呼び起こしたのだ。

 

「もう一度聞くぞ。なんで儀式を盗み見てた?」

 

「・・・クレア、念のため『ペネトレーター』で待機しろ。

こいつは俺が引き受ける。」

 

バレットはレンジの質問を無視してクレアに指示を送る。

 

「わかったわ。」

 

バレットの指示を受けたクレアは、身を翻して走り去る。

 

「待て!」

 

だがレンジが追うとした矢先、バレットは再び弾丸を撃ち込む。

それをまたも木刀で払い落としたレンジは、追うのを諦めバレットと対峙する。

 

「ただの護身用のお守かと思えば、風の簡易術式(ルーン)を仕込んでやがるとはな。

鎌鼬でも纏わせりゃ、相手を斬れる立派な『武器』になるじゃねえか。」

 

バレットの言葉に、レンジは無言のまま切っ先を向ける。

バレットにはその意図がわかった。『本気でやり合うつもりだと』。

 

「いいぜ、相手になってやるよ。」

 

まるで得物を見つけたハンターのように相手を睨み、バレットはリボルバー銃を構える。

だけど余裕を見せる言葉とは裏腹に、警戒心を強めていく。

辺境の地であるこの街は、過去にも大きな争いに巻き込まれたことはないそうだ。

それだけにこの街の戦士は実践経験のないヒヨっこばかりかと思っていたが、お門違いもいいところだ。

目の前にいる剣士は腕は確かだし洞察力も高い。そして肝が据わっている。

何よりもまだ10代の子どもだ。子どもでありながらここまでの実力。

もしも軍に志願したら、一角の戦士になっていただろう。

 

(全く、思う通りにはいかねえもんだな。)

 

だからこそ人生はスリリングで楽しい。

バレットはそう納得しながら、レンジと対峙するのだった。

 



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第2話 中編

 奉納演舞を終えたチコは、社の御前で礼をする。

 いつもなら、奉納の儀はこれでおしまいだが、今日はまだ1つ、やるべきことが残っている。

 

「ではこれより、継承の儀を行う。」

 

 現カムイ家の当主にしてチコの父がそう宣言し、チコに黒塗りの小太刀を手渡す。

 

「巫女の儀を継ぐものよ。そなたの『血』をこの地に捧げよ。」

 

「はい。」

 

 チコは小太刀を受け取り、みんなの前でそれを抜く。

 神祀りの一族が正式に巫女としての役割を継ぐ儀式は、奉納演舞を納めた後に、『土地に血を捧げる』ことになっている。

 血とは命の源。魂そのものと言っても良い。

 チノヨリヒメの信仰にはその教えであり、土地に眠るチノヨリヒメに魂を捧げ、傍に寄り添うことを誓うために、巫女は血を捧げるのだ。

 

 

(ついに始まるんだ・・・『血の儀式』が。)

 

 チコを見届けたスズは震える手を抑える。

 血を捧げると言っても、手を少し切り一滴だけ垂らすだけだ。

 側にはチコの母が救急箱を持っているから止血だってすぐにできる。

 そもそも命に関わるような儀式だったら、自分が何としても止めていたところだ。

 それでもこうして震えが止まらないのは、血を捧げると言う行為そのものに畏れを抱いているからだ。

 人間だけでなく、生きとし生ける生物は全て血を失えば死ぬ。

 その血を僅かとはいえ神に捧げると言うことは、神のために自分の命を削るようなものだ。

 

「威之地にて眠りし、チノヨリヒメ様。

 我が血の一滴を以って、御心に仕わすことを誓います。」

 

 チコは小太刀で自らの手のひらを斬る。

 僅かに顔を歪めながらも手のひらを表にし、流れ出る血を指先まで伝わせる。

 その痛々しい光景を前にスズは目を瞑りそうになるのを堪えて、しっかりと儀式の様子を見届ける。

 

「『チイロノミコ』として。」

 

 そしてチコの指先から一滴の血が、威之地の社の大地へと落ちる。

 だが次の瞬間、眩い光が大地から湧き上がり、チコの周囲を明るく照らした。

 

「なっ、なに?」

 

 突然の出来事に慌てふためくチコだが、この場にいる全員が何が起きたのか理解できなかった。

 チコが血の一滴を捧げれば、儀式は終了のはず。

 こんな超常的な現象は予定されていない。

 

「チコさん!!」

 

 いても立ってもいられなくなったスズは、光に包まれるチコの元へと走り出す。

 

「スズ!待ちなさい!!」

 

 父親の静止も聞かず、スズは光の中へと飛び込んでいく。

 

「スズ!?」

 

 その時、チコとスズは突然、足元の感覚が無くなったことに気付いた。

 

「えっ・・・?」

 

 次の瞬間、チコとスズの足元が消えてなくなり、2人は奈落の底へと落ちていくのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 威之地の社にて起きた眩い光は、天へと昇る勢いで空へと伸び上がっていく。

 

「なんだ、あれは?」

 

 その光景は、社から離れた位置にいるレンジとバレットからも見えていたが、それとは別に突然、森を揺るがす大きな物音が響き渡る。

 

 レンジがその方向へと目を向けると、8m近くある巨人が姿を見せたのだ。

 

「『機操兵』だと!?」

 

 レンジは驚き、より警戒を強める。

 機操兵とは、現代において最も普及されている人型兵器の総称である。

 平均的な全高は約8m。『操手』と呼ばれるパイロットの魔力を動力として稼働する。

 この街の自警団にも少数ながら配備されており、レンジも『訓練』を受けたこともあるので、特別珍しいものではない。

 それでもレンジが驚いているのは、それが突然この場に現れたからだ。

 参道の近くに隠していたのだろうが、8m近くある機操兵はそう簡単に隠すことはできない。

 レンジは威之地の社に向かうまでの道でも警戒を緩めなかったが、機操兵の影さえ見た記憶がないのだ。

 そこまで思い当たり、レンジは1つの可能性に着目する。

 

視覚隠蔽(スクリーンアウト)か。」

 

 隠密魔法の一種であり、光を屈折させ周囲の景色と同化させる、所謂保護色を伴う魔術のことだ。

 

「ほう、良く知ってるじゃねえか。」

 

 バレットはレンジの分析を素直に褒める。

 機操兵に乗りながらこの街を訪れ、あまつさえここまで見つからずに済んだのは、スクリーンアウトを展開して周囲の景色に溶け込んでいたからに他ならない。

 とは言え、例えばこれが中央都市ならば魔術を探知するセンサーは愚か、サーモグラフィーでも簡単に位置が特定できるだろう。

 外敵への警戒心が薄いこの街だからこそ、成せる隠密術と言える。

 

「社で何かがあったようね。バレット、様子を見てくるわ。」

 

 バレットの持つ通信機から、クレアの声が聞こえてくる。

 クレアが搭載している機操兵は彼女から『ペネトレーター』と名付けられており、聖王国軍所属時代の彼女の愛機を、ギルドで改修したものだ。

 

「クレア、映像板の映像をこっちにも送ってくれ。」

 

「でもその子どもは?」

 

「別に隠す必要はねえだろ。元々この子らの土地だ。」

 

「・・・わかったわ。」

 

 渋々と言った様子で、クレアが通信機を操作すると、バレットの目の前にある空間に映像が映し出された。

 それはクレアの搭載する機操兵の映像板から通じて見える景色であり、空間に映し出されたと言うことは当然、レンジの目にも留まる。

 

「何のつもりだ?」

 

 レンジが木刀を構えながらも、バレットに向かって問いかける。

 

「なに、ちょっとした親切心さ。お前だって何が起きてるか気になるだろう?」

 

 そう言いながら対峙しているはずの2人は、警戒心を緩めずにスクリーンに映し出された映像を見るのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 膨大な光に包まれながら、チコは奈落の底へと落ちていく。

 だが身を包み込む光が浮力となり、落下速度は一定かつ緩慢なものだった。

 一度魔法陣の足場を使い登ろうかと思ったが、魔術を行使することができず、この速度ならば大事には至らないだろうと思い、結局流れに身を委ねながら静かに落ちていった。

 やがて光の奔流が少しずつ収まっていき、視界が開けると底が見えてきた。

 チコは両足を底の方へと向けると、そのタイミングを見計らったかのように光が弾け飛び、浮力を失ったチコの身体はそのまま何事もなく着地した。

 

「チコさん!」

 

 背後から名前を呼ぶ声が聞こえ、振り向くとスズが涙目でチコに飛びついてきた。

 

「スズ!」

 

「良かった!無事だったんですね!」

 

「ええ、そっちも無事で何よりだわ。」

 

 本当は危険を顧みず追ってきたことを叱りたいところだったが、声を震わせながら自分の胸に顔を埋めるスズを見て、チコは彼女を宥めるために頭を撫でようとする。

 だが、儀式の時に手のひらを切っていたことを思い出して、慌てて手を引っ込める。

 血が滴る手でスズの頭を触るわけにもいかないし、もしも衣服に付いたらシミになってしまう。

 だがここでチコは、手のひらの痛みがなくなっていることに気付き、自分の手を見て驚愕する。

 

「傷がなくなっている・・・?」

 

 そこまで深く切った覚えがないにしても、この短時間で傷口が欠片も残らないのは明らかに異常だ。

 

「もしかして、光の影響なんでしょうか?」

 

 すると落ち着きを取り戻したスズがゆっくりと顔をあげ、チコに問いかける。

 その様子を見てチコも冷静さを取り戻し、一先ず治ったのであれば今は大事でないと思い辺りを見回す。

 

「さあね?それよりも今はここがどこだか知ることの方が重要ね。」

 

 チコにつられてスズも辺りを見回してみるが、今2人がいるところは文字通り何もない空洞のようだ。

 上を見上げてみると、1つだけ穴があり、そこには光の奔流が今も渦巻いている。

 チコとスズが通って来た穴だろう。

 

(スズを抱えて飛び出る・・・は、流石に無理かしら。)

 

 落下中、魔術を使うことが出来なかったことを思い出す。

 突っ込んでみないことにはまた同じ現象が起きるかもわからないが、一先ず他に脱出できる場所があるか探してみる。

 一体どこに光源があるのか、洞窟にも関わらずほんのりと薄暗く、洞窟の角には空間を支える柱のようなものが立ててある。

 人為的に作られた場所であることは間違いないだろうが、なぜこのようなものが社の地下にあるのだろうか?

 だが少なくとも、人によって作られたものであれば、地上への脱出口も必ずあるだろう。

 チコはそんな希望を抱きながら、震えるスズの手のひらを強く握り探索を続ける。

 

「チコさん、あれ。」

 

 するとスズが何かを見つけたようで、チコは彼女が指さす方に目を向ける。

 

「なに・・・これ?」

 

 だが目の前にあるものを見て、チコは言葉を失う。

 そこには、漆黒の巨人の姿が映った。

 チコは自分の目を疑い、瞬きした後に再び見てみるが、巨人の姿は消えない。

 

「まさか、『機操兵』?」

 

「なんで、社の地下に機操兵が?」

 

 チコもスズも目の前にある巨人のことが信じられないでいるが、現代において人を模した巨大な人工物と言えば、真っ先に思いつくのが機操兵のことだ。

 動く気配はないので、チコはスズの手を引き、恐る恐ると言った様子で巨人へと近づき観察する。

 巨人は足を屈めて正座し、頭を垂れた状態で鎮座している。

 直立状態と推定しても、目測の全高は4m。

 一般的な機操兵の全高の半分程度しかない。

 

「随分と小さい機操兵だけど・・・。」

 

「なんだか、『変わった感じ』がしますね。」

 

 その姿は、見れば見るほど奇妙なものだ。

 頭頂からそびえるアンテナ状の曲線には、先端に幾つもの光源板がまるで髪のように連ねている。

 肩部の装甲は折りたたまれ、両手を覆い隠しており、その様は長い振袖に手を隠しているようだ。

 正座状態で展開されている横部スカートと後部スカートは、巨人の膝の位置まで届くてあろう長く、

 形も相まって袴のように見える。

 そして全体的に丸みを帯びたデザインであり、そのフォルムはとても女性的だった。

 

「あっ、チコさん。ここが人の乗るところじゃないですか?」

 

 するとスズが巨人の胸部に開閉口のようなものを発見する。

 もしもこの巨人が街に秘匿された秘密兵器の類であれば、勝手に触るのは良くないことだ。

 だけどチコはまるで何かに導かれるように、スズの手を引いて巨人の膝の上へと登る。

 そこから身を乗り出し、巨人の胸部に手を添えたその時、突然巨人の胸部が発光した。

 

「なっなに!?」

 

 2人は驚いて身を竦めるが、発光と共に胸部が開閉し、中の様相が露わになる。

 

「・・・ウソでしょ?」

 

 2人は再度言葉を失い、巨人の上で固まってしまう。

 巨人の中には、『小さな少女』が静かに横たわっていたのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 巨人の内部に横たわる少女を見て、チコは混乱しながらも現状を整理する。

 なぜ巨人が社の地下深くに隠されていたのか、その中になぜ年端もいかない少女が眠っているのか、わからないことだらけだが、一先ず顔を近づけて少女を観察する。

 見た目は10歳前後、背丈は140cmくらいだろうか。

 あどけないその顔立ちはスズよりも幼く見える。

 まるで髪そのものが光沢を帯びているような長い銀髪は、薄暗い洞窟の中でも分かるほどに目立ち、透き通る素肌は雪を思わせるほどに真っ白だ。

 あまりにも常人離れしたその風体は、まるで人形かと思わせるほどである。

 そして身に纏う衣装は少女の体系には不釣り合いに長い袖と、それに反比例するように裾が短い薄紅色の着物であり、その服装からしてこの街の子どもであることは間違いないだろう。

 だがそうなると疑問が残る。

 

「この子、一体誰なんでしょうね?」

 

 自分の肩越しから少女の姿を覗きこむスズもまた、同じ疑問を抱いたようだ。

 神秘的な見た目と言い、奇抜な着物と言い、ここまで外見的特徴の強い子どもが街を歩いていたらあっという間に有名人である。

 寺子屋に通えば瞬く間にアイドルとなっているだろう。

 だけどチコもスズもそんな子どもの噂を聞いたこともなければ見たこともないのだ。

 それにこの街で子供が失踪にあったなんて事件があれば、街中に噂が広がるだろうが、そんな話も聞いたことがない。

 では今日、偶然ここに迷い込んだのだろうかとも思ったが、自分を始めとする儀式に関わる人たちが、早朝からここで準備をしていたはずだから、気が付かないわけがない。

 要するに、少女の素性についてはわからないことだらけなのだ。

 

「この子、大丈夫なのかしら?」

 

 一先ず、素性を詮索することを諦めたチコは、続いて少女の首筋に手を伸ばして当てる。

 彼女の眠る巨人の中には異臭はなく、最悪な事態は避けられそうだが、こんな異様な状況下で眠り続けているのだから普通に容態が心配だ。

 だが脈を取ろうとした瞬間、チコは少女の体温が異様に冷たいことを知る。

 そして、再び最悪な事態が頭の中に思い描かれたその時。

 

「・・・んっ。」

 

 少女の小さな唇から、僅かな吐息が漏れた。

 チコはそれを聞いて少し安堵するが、続いて少女の眉が僅かに震え、首筋に添えたチコの手に、少女の手が触れる。

 とてもひんやりとして、冷たい手のひら。

 およそ生きている人のものとは思えない体温だが、その手のひらはチコの心にどこか安堵の念をもたらす。

 そして少女の瞳が、ゆっくりと開かれていった。

 

「赤い・・・。」

 

 チコの口から、率直な感想が漏れる。

 まるで宝石のように煌びやかで、真っ赤な瞳。

 その赤々とした色にチコは惹かれていき、身体の芯が熱くなる感覚を覚える。

 なぜこんなにも心が昂るのだろう。なぜこんなにもこの子のことが気になるのだろう?

 初めて見た少女のはずなのに、チコの心には不思議な懐かしさが駆け回り出す。

 だが次の瞬間、少女が突然目を見開き、チコの手を強く握りながら跳ね起きる。

 そして・・・。

 

(え・・・?)

 

 少女の唇と、チコの唇と重なり合った。

 

「ううぅえええぇぇぇえええええええええええ!!!!!」

 

 その瞬間、後ろから見守っていたスズがまるでこの世の終わりに直面したかのような絶望的な金切り声をあげる。

 一方でチコはそんな叫び声を背中から浴びながらもそれどころではなかった。

 初めて出会ったばかりの少女にいきなり口づけをされる。

 突如として訪れた現実味の無い現実を前に思考が完全にオーバーヒートしてしまい、少女の冷たい唇の感触が、まるでチコの体温を奪ったかのように身体が凍り付いてしまった。

 必死で頭の中を冷静にしようと心掛けるも、心は熱く身体は冷たい状態のせいでまるで思考がまとまらず、ただ少女の成すがままに長い長い口づけを交わし続ける。

 だがやがて、少女の方から唇を離し、こちらの手を引いてきたことでようやく我に返ることが出来た。

 彼女の手の引き方は、まるでこの巨人の内部に手招きをしているかのようだ。

 

「乗れって言うの?」

 

 チコの問いかけに、少女は首を縦に振る。

 どうやら言葉は通じるようだ。チコは少女の手に引かれるがままに、巨人の内部へと入る。

 先ほどまで少女が眠っていた場所に腰掛け、改めて内部を見てみると、様相は機操兵の操縦席にあたる『操手槽』にそっくりだ。

 以前、レンジに付き添って機操兵の操縦訓練を受けたことがあり、あいつみたいに戦うことはできないけれど、簡単に動かす程度ならできる。

 あの光の奔流に突入しても大丈夫かと言う不安はあるが、魔術を頼りに生身で行ったところで同じ不安が残るだけだし、この機体を村の人にも早く知らせた方が良いだろうから一緒に上った方が早い。

 

「スズ、これに乗って外に出るから、こっちにおいで。」

 

 一般的な機操兵の半分程度の大きさしかないため、以前訓練用に乗せてもらった機体よりも操手槽の面積はかなり小さい。

 それでも自分が抱えれば、スズ1人くらいならギリギリ入りそうだ。

 

「スズ、どうしたの?」

 

 だが何度か声をかけても、スズは青ざめた顔で固まったまま言葉にならない声を震わせていた。

 いよいよ様子がおかしいと思い、チコは少し身を乗り出してスズの手を引く。

 

「スズ!」

 

「はっはい!!」

 

 ようやく我に返ったスズだったが、こちらと目が合うなり・・・いや、正確には目の下を見るなり視線を横に反らした。

 なぜ視線を反らされたのか理由はわからないが、チコはスズの手をそのまま引き、操手槽へと引き込む。

 

「これに乗って脱出するから、しっかり捕まってなさい。」

 

「はっはい、でもこれって・・・?」

 

「大丈夫、簡単な動かし方ならわかるから。」

 

「いや、そうじゃなくて・・・この姿勢で大丈夫ですか?」

 

 スズは恐る恐ると言った様子でチコに尋ねる。

 チコに手を引かれたまま、スズは身体を横に向けてチコの上に座り、両手をチコの背中に回すような姿勢となっている。・・・要するにお姫様抱っこだ。

 それもチコから離れないように身体を密着させているものだから彼女の体温がダイレクトに伝わってくる。

 

「ごめんね。狭いし窮屈だろうけど、我慢して。」

 

 そして何よりも顔が近い。

 チコの吐息が鼻腔を掠める程度には近く、ふと目線を上にあげるだけでチコの唇が目に映る。

 

「いいいっいいいえ!だだだいじょうぶです!!」

 

 一度意識し始めたら止まらない。途端に顔を真っ赤にしたスズは慌ててチコから視線を反らす。

 

「そう?」

 

 一方でチコは、青ざめたかと思ったら顔を赤くなったりと、忙しい子だなと言う詮無き感想を抱きながら、機操兵を動かそうとする。

 だがすぐに違和感に気付き、眉を顰める。

 

(訓練用に乗った機体と、規格が全く違うわね。)

 

 足もとには脚部を動かすための足踏板はあるが、本来ならば操手槽の両端にあり両腕部を動かすための操縦桿がなく、代わりに水晶体のようなものが設置されている。

 座席後部には通信用の拡声器と集音機があるが、これらは非常に簡略化されており、この操手槽は非常に簡易な作りになっているのだ。

 その分スペースにも余裕があり、ギリギリとは言え3人も同時に乗れているわけだが、外見と言い操手槽の造りと言い、この機操兵は明らかに他と大きく異なることをチコは改めて実感する。

 それでも脱出しないことには始まらず、チコは物は試しと操縦桿の代わりに設置された水晶に手を乗せる。

 次の瞬間、開閉していた巨人の胸部が、音を立てて閉まり始めた。

 チコは反射的にスズの身体を寄せ、スズがそれで更に顔を赤くする。

 やがて操手槽の開閉口が完全に閉まり、前面にライトブルーの映像板が表示される。

 そして映像板に、ある文字が浮かび上がった。

 

 夜空ノ影姫

 

「「ヨゾラノカゲヒメ?」」

 

 チコとスズは映像板に映し出された文字を復唱する。

 この機操兵の名前だろうか?

 確かに黒色のボディと女性的なフォルムを持つこの機体の体を名で表しているかのようだ。

 

「どのみち呼び名がないと、不便だもんね。」

 

 ヨゾラノカゲヒメ、チコは一先ずこの機体をそう呼ぶことにする。

 足踏板を踏むと、映像板の視界が徐々に上がっていくのが見えた。

 正座状態から無事に立ち上がれたのだろう。

 両手を置いた水晶は未だに使い道がわからないが、一先ず歩行と、後は飛び上がる方法さえわかれば何とかなりそうだ。

 

「あれ?あの子は?」

 

 するとスズが不思議そうな様子で、先ほどまで少女がいた方向へと目を向ける。

 

「え・・・?」

 

 いつの間にかいなくなってしまったようだ。

 予備映像板も含めて周囲の景色を見てみるが、少女の姿はどこにも映らない。

 忽然と、影も形も消えてなくなってしまったのだ。

 

「・・・夢?それともまさか幽霊・・・。」

 

 スズが怯えながら不安を口にする。

 

「わからないけど、一先ずここを出ることを優先にしましょう。」

 

 行方を眩ましたあの子のことは気になるが、先ほどまでの様子を見る限りでは突然行き倒れる心配はないだろう。

 チコは頭上の穴の元までヨゾラノカゲヒメを歩行させると、そのまま高く飛び上がるのだった。

 

 



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第2話 後編

 立ち上る光を映像板で監視しながら、クレアは参道にて待機していた。

 先ほどから何人かの大人が光の中へと入ろうとするが、いずれも弾き飛ばされており内部への侵入が出来ない。

 そんな超常現象を引き起こしているあの光が何を意味するかは知らないが、少なくともバレットの懸念通り、この儀式には秘匿された何かがあったようだ。

 それからしばらくして、光の中から黒い機操兵が姿を見せた。

 

「ビンゴってわけね。」

 

 髪のようになびく光源板に女性的なフォルム。

 異様な風体をした機操兵だがこれが『お宝』と言うやつに違いない。

 クレアの駆るペネトレーターは、右手に持つ弓を構える。

 するとこちらに気付いた黒い機操兵が、跳躍と共にここまで降り立った。

 

「何これ?なんで機操兵がこんなところにいるの?」

 

 黒い機操兵、ヨゾラノカゲヒメに搭乗するチコは、映像板越しの映像に息を飲む。

 

「そう言えば、お兄ちゃんが儀式を覗き見してる人たちがいるって言ってました!」

 

「レンジは?」

 

「その人たちを追ってどこかへ・・・。」

 

 チコは映像板を見ながら周辺の魔力を探知する。

 すると少し離れたところでレンジの魔力が感じられた。

 その事に僅かに安堵するも、魔力だけでなく風の魔素(マナ)も感じ取れたので、戦闘中であることを知ってしまう。

 だがあの負けず嫌いの不良かぶれが、自分以外のやつに後れを取ることは早々ないだろう。

 

「レンジなら無事よ。私たちは目の前の事に集中しましょう。」

 

「はい!」

 

 レンジの無事をスズに伝えると、彼女の顔から安堵と喜びが見て取れた。

 とは言え喜んでばかりはいられない。目の前には得体のしれない機操兵。

 自警団に配備されている機操兵とは形が異なるので、間違いなく余所者だろう。

 それもこのタイミングでこんなところに現れたと言うことは、連中は最初からこの機体が目当ての盗人と言う可能性が高い。

 

「そこの黒い機操兵。」

 

 すると目の前の機体から拡声器を介して女性の声が聞こえてきた。

 

「私たちの目的はその機体だけ。

 大人しく機体から降りてそれを渡せば、あなた達の命とこの街の安全を保障するわ。」

 

 交渉、と見せかけた脅迫文が相手の口から語られる。

 大人しくこの機体を差し出すか、それとも慣れない機操兵の操縦で戦うか、その2択を押し付けられたチコは一気に血の気が失せる。

 下手に応戦した場合、一緒に乗っているスズは勿論、最悪街の人たちが被害を受ける。

 だからと言って、このまま大人しくこれを渡した場合、自分たちには目の前にいる敵への対抗策を失ってしまう。

 そして敵が条件を大人しく飲んでくれるとは限らない。

 渡すだけ渡したら証拠隠滅のために自分たちを殺すと言うことを平気でする可能性だってあるのだ。

 それを考えれば相手の言葉を素直に受け止めて機体を差し出すのは危険だし、だからと言って自分が戦ったところで勝てる保証がない。

 

「チコさん、戦ってください。」

 

 すると一緒に乗っているスズが真剣な表情でそう懇願してきた、

 

「スズ?」

 

「あんな人の言うことなんて、大人しく聞く必要はありません。

 街の仕来りを破って継承の儀を盗み見するような人たちですよ?

 聞いたところで、私たちのことを見逃してくれるとは限りません。

 だから戦ってください!きっと、お兄ちゃんだって同じことを思うはずです!」

 

 自分と同じ疑問を抱いていたスズからそう力強く背中を押される。

 

「ありがとう、スズ。」

 

 その言葉でチコの迷いはなくなり、ついでにレンジは既にその結論に達しているから戦っているのだろうと言うことに微妙な苛立ちを覚えながら、映像板に映る敵を力強く睨み付ける。

 

「そっちこそ!今すぐにこの街から出て行きなさい!

 じゃないと痛いじゃ済まさないわよ!!」

 

「そう、じゃあ力づくでも引きずり出してあげるわ。」

 

 その攻撃的な言葉に気を引き締めながらも、チコは戦う決意を固める。

 一方で、『ペネトレーター』に搭乗するクレアは内心驚きを隠せずにいた。

 

「何なの?この機操兵?」

 

 先ほどから妙におかしいと思っていたが、これはおかしいなんてレベルでない。

 

「駆動音が、一切聞こえない・・・。」

 

 自分の機操兵がこうして立っているだけでも、機操兵の筋肉部に当たる『筋肉筒』の収縮音、筋肉筒を流れる『黒血油』の流動音、各部から吹き出される排気音が小音とはいえ絶え間なく聞こえている。

 それは敵の機操兵も同様のはずで、集音機の精度を上げれば僅かながらでも駆動音を拾えるはずだ。

 だけど目の前の機操兵からは、それが一切聞こえない。

 隠密性、消音性に優れているとかそんな問題ではない。言葉通り存在しないのだ。

 それだけではない。一般的な機操兵のサイズが8mに対して、目の前の機体は4m程度しかない。

 軽量サイズの機操兵である『軽操兵』ですら最低でも5mはある。

 4m程度の機操兵と言えば、機構が大幅に簡略化された『従兵機』と呼ばれるものが一般的であり、それらはおよそ人型からはかけ離れた、ブロック状の胴体に手足をくっつけた不格好な形が特徴だ。

 それなのに目の前の機操兵は従兵機と変わらぬ全高ながら、人としての形を成している。

 そんな精密な機操兵が開発されたなんて情報は聞いたことがない。

 

「いずれにしても、一度やり合ってみなきゃわからないわね。」

 

 これ以上は思考を重ねても仕方ない。

 目的はやつの鹵獲であって破壊ではない。

 サイズが小さいのならむしろ鹵獲する分には好都合かもしれない。

 

「クレア、くれぐれも『魔道弓』は使うなよ。」

 

 通信機から聞こえるバレットの声がそう警告する。

 

「わかってるわ。」

 

 そう一言返し、クレアはペネトレーターの弓の両端を相手に向けて構えた。

 この弓の両端は湾曲する剣となっており、接近戦にも対応している弓剣だ。

 狙撃による後方支援を主軸とした機体だが、接近戦でも後れを取ることはないのだ。

 ペネトレーターが弓剣を構えて、『ヨゾラノカゲヒメ』へと斬りかかる。

 

(来るっ!何とかかわさないと・・・。)

 

 目前まで迫ったペネトレーターを前に、チコはかわさなければと意識して水晶を握る。

 次の瞬間、ヨゾラノカゲヒメが片足だけで体重を支え、身を仰け反らせて攻撃をかわした。

 

「えっ?」

 

 特別何も操縦していないはずなのに、ヨゾラノカゲヒメが相手の攻撃をかわす動作を行っている。

 

「なんですって!?」

 

 一方でクレアは、目の前で行われた機操兵あるまじき動作に驚愕する。

 如何な人を模して造られているとはいえ、機操兵が人間と同じ動作をするには制限がある。

 何せ巨体なのだから総重量が桁違いだ。

 人と同じように片足一本で全体重を支えることなんて出来るはずがない。

 それなのに、目の前の機操兵はそれをやってのけた。

 4m級の大きさだとしても、それはあり得ない動作である。

 

「もしかしたら・・・。」

 

 一方でチコは、1つの仮説に基づいて水晶を握る。

 先ほど自分は攻撃を回避したいと思い、具体的な動きのイメージを頭の中に思い描いた。

 もしもこの水晶が自分の脳内のイメージを読み取って、機体の動作に反映させているのだとしたら?

 チコはこれからの反撃の動作をイメージする。

 仰け反った姿勢のまま片足で跳びあがり、その力で身体を捻りもう片方の足で蹴り飛ばす。

 するとヨゾラノカゲヒメがチコのイメージ通りの動作を見せ、ペネトレーターに蹴りをお見舞いした。

 

「やっぱり!」

 

 ヨゾラノカゲヒメの操縦を心得たチコは、高揚する気持ちを抑えて再び敵を見据える。

 一方でクレアは、再び目の前で繰り広げられた機操兵離れの動きに衝撃を受ける。

 

「何なのこれ?あり得ないわ!」

 

 全てにおいて常識の通じないヨゾラノカゲヒメを前に、クレアは苛立った様子で叫ぶのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 ペネトレーターから見える映像は、遠隔映像板を通じてバレットとレンジにも届いていた。

 そして両者とも、ヨゾラノカゲヒメが見せた行動を前に沈黙する。

 

「おいおい、なんだよありゃ?」

 

「なんであんな機体が?しかも乗ってるのはチコだと?」

 

 ヨゾラノカゲヒメの方へ魔力探知を行っていると、チコだけでなくスズの魔力まで探知出来たのだから、レンジは内心、気が気でならなかった。

 それでもチコがいる以上、必要以上の心配は無用と思い、バレットへの警戒を解かずにいる。

 

「こりゃあクレア1人じゃ荷が重いな。おいボウス!勝負はお預けだ!」

 

「なに?」

 

 だが突然バレットが足もとに銃弾を放ち、スモッグを撒き散らしてから脱兎のごとく走り去っていった。

 

「待て!」

 

 急いで風を巻き起こしてスモッグを振り払うが、既にバレットの姿はなく、代わりに大音量の排気音とともに、もう一体の機操兵が姿を見せる。

 

「ちっ、こんなのまで隠してやがったか。」

 

『トリガーハッピー』

 バレットがジャンクパーツを寄せ集めて造りだした彼の専用機だ。

 全高は8m前後。頭部にはバレットのレザーハットを思わせる形状をしており、両腰には二丁のリボルバー銃が収納されている。

 背部には予備弾倉を積んだバックパックが搭載されており、その名の通り雨のように銃弾を撒き散らす戦い方を得意とする機体だ。

 

「いずれまた決着を付けてやるよ。じゃあな!」

 

 機操兵に搭乗したバレットはそうレンジに伝えると、急ぎクレアの元まで向かう。

 レンジも舌打ちしながら、バレットの駆るトリガーハッピーの後を追う。

 やがてクレアの元までたどり着いたバレットは、彼女の隣に並びヨゾラノカゲヒメを見据える。

 

「・・・ねえバレット。」

 

 すると通信機からクレアが困惑した声色で問いかけてきた。

 

「あれ、本当に『古操兵』だと思う?」

 

 かつて旧人類との戦争で使われたとされる最古の機操兵。

 現代では失われ他国では調べることもタブーとされている科学技術と、新人類による魔導工学のハイブリットによって作りだされたそれは、現代の機操兵を遥かに凌駕する圧倒的な性能を有すると言われている。

 過去の歴史においてもその雄姿は語られており、およそ信じられないような逸話を多く残しているのだ。

 そんな古操兵は過去の戦争によって多くの数が失われ、まだ幾つかの機体はこの世界のどこかで眠っているとされているのだ。

 そんな古操兵だからこそ、眉唾物の宝探しでも捜索する価値があるので、バレットはこの仕事を受けたのである。

 結果、目論見通り眉唾物の機体を探し当てることに成功はしたが、バレットは目の前にいる機体は古操兵ではないと確信した。

 

「いや、『違う』だろうな。」

 

 あれは根本的に機操兵として『あり得ない』動きをしている。

 現代機を遥かに凌駕する性能を持つ古操兵がだからと言って、あのような限りなく人に近い動作が可能だろうか?

 そう、目の前にいる機体はそもそも『機操兵』かどうかすら疑わしい代物なのだ。

 

「じゃあ、あれは一体?」

 

「何にしても、とっ捕まえて調べて見ねえとわからねえ。

 見たところ武器は持ってねえみたいだし。挟撃で決めるぞ。」

 

「わかったわ。」

 

 バレットとクレアは二手に分かれ、多方向からヨゾラノカゲヒメへと迫る。

 バレットの駆るトリガーハッピーがリボルバー銃を引き抜き、ヨゾラノカゲヒメへと引き金を引いた。

 銃身からは『何も出てこない』が、ヨゾラノカゲヒメは何かにぶつかったような衝撃を受ける。

 

「きゃあっ!」

 

「スズ!大丈夫!?」

 

 トリガーハッピーの銃弾から放たれたのは、大気中の空気を圧縮して放った空気砲だ。

 リボルバーの弾倉にはそれぞれ他属性の簡易術式(ルーン)が刻まれており、風の簡易術式(ルーン)を使って空砲を放ったのだ。

 機操兵の装甲に傷を与えることは出来ないが、衝撃で機体を揺らして隙を作ることは出来る。

 

「もらった!」

 

 その隙を突いてペネトレーターが弓剣を振り上げ、態勢を崩したヨゾラノカゲヒメへと振り降ろす。

 だがヨゾラノカゲヒメは態勢を崩した姿勢のまま空中を回転し、蹴りでペネトレーターの手首を跳ね除けた。

 

「はあっ!?」

 

 雑技団紛いの動きを目の前で見せつけられたクレアは驚愕したまま弓剣を落としてしまう。

 

「だが、空中なら身動きは取れねえだろ!」

 

 バレットはヨゾラノカゲヒメが地上に降りる前に、2、3発続けて空気砲を放つ。

 だがヨゾラノカゲヒメの足元から光の陣が出現した次の瞬間、それを足蹴にして空中を飛び上がって見せたのだ。

 

「なっ・・・。」

 

 バレットが絶句し、口にくわえていた葉巻を落とす。

 魔術を用いた空中跳躍。とてもじゃないが機操兵の重量で出来るものではない。

 だけど目の前には魔法陣を足場とし、空中に停滞するヨゾラノカゲヒメの姿があった。

 

「確かにこれは、機操兵じゃないわね・・・。」

 

 クレアが先ほどのバレットの言葉に同意する。

 次の瞬間、ヨゾラノカゲヒメが陣を地上へと向けて踏みつけ、急接近してきた。

 トリガーハッピーが空気砲を連射するが、陣を次々と展開して四方八方に飛び回るヨゾラノカゲヒメを補足することが出来ない。

 

「このっ!」

 

 一方でペネトレーターは落とした弓剣を広い、無理やり跳躍してヨゾラノカゲヒメへと斬りかかった。

 だがヨゾラノカゲヒメは機体を反らして回避し、足元の魔法陣を足蹴にして再び跳躍。

 そのまま機体を半回転させ、空中で踵落としを繰り出したのだ。

 

「がはっ!」

 

 重い衝撃が操手槽内のクレアを襲い、ペネトレーターは地面へと叩き付けられる。

 

「やばっ!やり過ぎた!?」

 

 一方でチコは、ここまで重たい一撃を叩きこむつもりはなかったので慌ててしまう。

 だがヨゾラノカゲヒメの全体重を乗せた踵落としなぞ叩き込めば、凄まじい衝撃が加わるに決まっているだろうと、今になって後悔する。

 搭乗者の安否が気になるところだが、あまり間を置かずしてペネトレーターが立ち上がって見せたので、一先ず安堵する。

 

「おいクレア、大丈夫か?」

 

「何とか・・・あ~頭痛い。」

 

 思いの外元気な声が通信機から聞こえてきたので、バレットもホッとしながら葉巻をくわえ直す。

 

「クレア、一旦退くぞ。」

 

 そしてクレアに撤退勧告を出すのだった。

 

「でも組合直々の依頼だし、このまま放棄したら私たちの信用が。」

 

「別に依頼を放棄するわけじゃねえ。一旦帰って対策を練り直すだけだ。

 今のまま戦ったところで勝てるかどうかわからねえし、それに。」

 

 バレットはそう言いながら、遠くに見える街の景色に視線を移す。

 

「このままだと本気でやり合うことになるだろ?」

 

 その言葉にクレアは沈黙する。

 

「ここは良い街だ。人は温かいし飯も美味え。何より平和だ。

 俺はこの街を戦場にするつもりはねえ。」

 

 バレットとクレアの脳裏に、旅館の温泉、賑やかな祭りの風景、旅館と屋台で食べた郷土料理の数々が思い浮かぶ。

 

「私も同感よ。ったく仕方ないわね。」

 

 クレアも嘆息し、しかし微笑しながら撤退を受け入れる。

 その直後、2機は目の前の敵に背を向け、街の外れへと走り去っていくのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 敵対していた2機の機操兵の姿が見えなくなり、チコはようやく緊張の糸を解く。

 

「終わった・・・みたいね。

 スズ、大丈夫?酔わなかった?」

 

「はい、大丈夫です。なんだか不思議ですけど・・・。」

 

 こちらは戦いに集中していたし、スズにも特に異変がなかったので気づかなかったが、冷静に考えてみれば空中であれだけ飛び回り、あまつさえ空中半回転なんてしたものだ。

 普通ならば操手槽に重力負荷が大きくかかるはずなのに、チコにもスズにも全く異常がない。

 この操手槽は何か不思議な力によって外部の衝撃から守られている。そんな気がしてならなかった。

 

「まだまだ、わからないことだらけね。」

 

 そう言いながらチコは、操手槽を開けるように念じて水晶を握る。

 するとヨゾラノカゲヒメが正座し、映像板が停止した後に操手槽が開かれた。

 スズは今になってずっとチコに抱きついていたことを思い出し、慌てた様子で操手槽から降り、チコもそれに続く。

 

「おい、スズ!」

 

 すると参道からレンジが姿を見せ、こちらへと駆け寄ってきた。

 

「無事だったか?怖くなかったか?」

 

「大丈夫、ずっとチコさんと一緒だったから怖くなかったよ!」

 

 そう笑顔ではにかむスズを見て、レンジはチコの方を一瞥する。

 

「スズが世話になった。礼を言う。」

 

 チコから視線を外しながらお礼を述べる。

 

「・・・どういたしまして。」

 

 スズが絡むとどうしても弱い2人は、珍しく素直にお礼を言い、それを受け取る。

 そんな2人の様子を見てニコニコするスズから、チコが視線を外すと、いつの間にか洞窟で見つけた少女の姿があった。

 

「あなた、今までどこに行ってたの?」

 

「あっ、さっきの子?」

 

「ん?」

 

 スズが驚いた様子で、事情を知らないレンジは首を傾げて様子を伺う。

 

「どこって・・・ここ?」

 

 すると少女の口から静かにだが、はっきりとした声が聞こえた。

 質問に答えているようで何の答えにもなっていないが、とりあえずこちらと意思疎通を図ることはできるようだ。

 

「どうして、あんな場所にいたの?」

 

「あんな場所?」

 

「えっと・・・あの洞窟に。」

 

「それよりもお腹空いた。」

 

「・・・。」

 

 否、意思疎通ができるだけで、コミュニケーションを取るつもりは全くないようだ。

 とは言え、はっきりと話せる状態で空腹を感じていると言うことは少なくとも健康体のようだ。

 そう自分に言い聞かせて納得させたチコは、最後に1つだけ問いかける。

 

「あなた、名前は?」

 

「・・・カンナ。」

 

 少女が静かに名前を告げる。

 チコ・カムイ、スズ・サキミ、そしてカンナ。

 運命の糸に導かれた少女たちの物語が、今始まるのだった。

 

 

 

 

 次回、チイロノミコ第3話

 

「サキモリノヤイバ」

 

 運命の糸が、物語を紡ぐ。

 



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第3話
第3話 前編


 サキモリノヤイバ

 

 

 

 

 昔々のおはなしです。

 

 ある日のこと、小さな村の山奥から、突然大きなヘビが現れました。

 ヘビは口を大きく開けて、人を喰らい、家を喰らい、村を喰らっていきました。

 村人たちは嘆き泣き暮れて、生き残った人たちと必死に助けを求めて回りましたが、大きなヘビに立ち向かおうとする勇気ある人は中々現れませんでした。

 そんな時、1人の少女がヘビを鎮めると言って現れました。

 女の子1人になにができるのかと、村人たちは大層疑問に思いましたが、少女が手をかざすと眩い光がヘビを包み込み、たちまち鎮めてしまうのでした。

 大人しくなったヘビはシズミの丘へと封じられ、村に平和が戻りましたが、ヘビを鎮めるために力を使い果たした少女は、そのまま静かに息を引き取りました。

 少女の死に涙を流した村人たちは、少女を供養した土地に社を築き、

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

「土地の守り神『チノヨリヒメ』として祀っていくことを誓うのでした・・・か。」

 

 この街に古くから伝わる昔話を読み上げながら、チコはベッドに眠るカンナの姿を横目で見る。

 昨日の夜、偶然見つけた謎の黒い機操兵ヨゾラノカゲヒメと、少女カンナの正体もわからぬまま、余所者の駆る機操兵2機を相手に戦うことになった。

 ヨゾラノカゲヒメに搭乗していたチコは何とか彼らを撃退したものの、身元のわからないカンナをどうすればいいのか悩み、親の許可を取って一晩家に泊めることにしたのだ。

 家に着いてからのカンナはと言うと、お腹が空いたと駄々をこね、少し遅めの夕食を遠慮なく食し、食べ終えたら眠くなったと言い出し、寝ぼけ眼を擦るカンナを無理やりお風呂に入れた後、自分のベッドを堂々と占領して寝てしまったのである。

 愛らしい容姿と儚い雰囲気とは裏腹に、随分と無遠慮と言うか太々しい性格をしているが、とりあえずは何も気にする必要がないほどにすこぶる健康であることを喜んだ。

 それにしても、この子は本当に何者なのだろうか?

 なぜヨゾラノカゲヒメの中で眠っていたのか?

 そしてなぜヨゾラノカゲヒメは威之地(いのち)の社の地下に安置されていたのか?

 そこに思い当たった時、チコの脳裏をよぎったのが先ほどの昔話だ。

 大蛇を鎮めてその命を落としたチノヨリヒメが眠る土地、威之地の社の地下に安置されていたヨゾラノカゲヒメ。

 その中で眠っていたカンナ。そして昔話によれば、地依姫は少女だった。

 もしかして彼女は・・・。

 

「ねえ、あなたはチノヨリヒメ様なの?」

 

「・・・スゥ~・・・。」

 

 チコの問いかけた言葉は、欠片も耳に届いていないようだ。

 健やかな寝顔で静かに眠るカンナの頭を、チコは優しく撫でる。

 

「・・・まさかね。」

 

 そんなカンナの様子を見てチコは微笑む。

 確かに彼女の容姿はともすれば人間離れしており、何も知らない人に神様だと言えば納得してしまうかもしれない。

 だがこの我儘で図々しい少女が本当にチノヨリヒメだとしたら、如何なこの街の人たちだろうと、たちまちその信仰心が薄れ、神様の評価も大暴落するだろう。

 

「カンナ、そろそろ起きてご飯にするよ。」

 

「・・・まだ・・・ねる・・・。」

 

 そんな詮無きことを考えながら、チコはカンナの身体をゆする。

 知らずうちに巫女としての最初の朝を迎えたチコは、この我儘な少女をどうやって起こそうかと考えるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 スズの家元であるサキミ家は、古くから『カナド式刀剣術』と呼ばれる『刀』を扱うことに特化した剣術の道場を開いている。

 父はその道場の師範、兄であるレンジとスズはその門下生だ。

 朝早くに起きたスズは、誰もいないサキミ家の道場で木刀を手にひたすら素振りをしている。

 

「21、22、23・・・。」

 

 昨日の夜は一度に色んなことが起きた。

 血の儀式で発生した眩い光。

 社の地下で見つけたヨゾラノカゲヒメとカンナ。

 そして余所者の襲撃。

 今でも頭の中で整理がつかない状態が続いており、昨日からずっとモヤモヤが溜まっている。

 こんな時スズは、一旦気持ちをリセットするために、ひたすら素振りをして身体を動かす習慣が身についており、それは間違いなく一緒に育った兄の影響だろう。

 曇った思考を晴らし、雑念を断ち切り、無心に素振りを続けながらスズは精神を統一させる。

 

「30、31、32・・・。」

 

 そして40回ほど素振りを続けたその時、ふと脳裏に昨日の『ある出来事』が過ってしまった。

 自分の目の前で、2人の唇が重なり合い・・・

 

「!?」

 

 その瞬間、これまで経ち切っていた雑念が急に遡るように噴出し、スズは顔が一気に真っ赤になる。

 

「あわわわわ・・・ごっ50!!・・・はあ~。」

 

 何とか切りのいい数字まで終えたスズは、ため息1つ、肩を落として素振りを中断する。

 

「ととっ、いけない。」

 

 スズは慌てて気を引き締め、木刀を納めるように腰に下げ、一礼をする。

 例えこの場に自分以外の誰もいなくても、如何なる時でも『礼儀』を失ってはならない。

 礼儀とは、相手に自分を良く見せるためにあるのではなく、自分の心を正しく導くためにあるのだ。

 それがサキミ家の教えであり、その教えをスズはずっと大事にしている。

『昨日の出来事』が脳裏を過ったくらいで『残心』を忘れてしまうなんて、まだまだ修行不足である。

 

「素振り終わった?」

 

「え?」

 

 すると思いもよらぬ人の声が聞こえて来て、スズは慌てた様子で声の方へと視線を向ける。

 

「よっ、スズおはよう。」

 

「ユミ、朝からどうしたの?」

 

 スズの学友であり親友であるユミが、道場の入り口に立っていた。

 

「いやさ、昨日社の方でなんかあったって話を聞いて、尋ねてみたんだ。

 そしたらおばさんが、スズが1人でここで素振りをしているって言うから見に来たの。」

 

「心配してきてくれたんだ。ありがと。

 私は何ともなかったよ。えと、何があったかは、まだあまり言えないけど。」

 

「社の近くで女の子が見つかったって話なら、聞いたよ。

 スズ、あんたもしかして会ったの?」

 

「・・・まあね。」

 

 もう街中の話題になっているようだ。

 昨日の夜、チコとレンジ、それから双方の両親と街の有権者たちと話し合い、ヨゾラノカゲヒメとカンナが社の地下で眠っていたことは公にはしないことにした。

 チノヨリヒメの眠る地で機操兵と少女が見つかったなんて知られたら、街中がパニックになる可能性があるからだ。

 それにヨゾラノカゲヒメのことは余所の盗人が狙っていたこともあり、迂闊に話を広げてしまうと無関係な人たちにまで迷惑がかかる。

 だからヨゾラノカゲヒメは昨日の内に街にある工房へと身を隠し、そこに勤める整備士にしか今のところ話はしていない。

 だがカンナのことは幼子と言うこともあり、出来る限り早く家に返してあげたいと親が言うので、社の近くで身元の分からない女の子を発見したと言うことだけは、公にすることにしたのだ。

 そして普段平穏で大きな事件もほとんどないこの街では、身元不明の少女が見つかったなんて言うだけでも大事件であり、あっという間に話が街中に広まってしまったのである。

 

「まっ、その様子だとそれ以外にも色々あったみたいだし、今はまだ聞かないよ。

 でもいつかちゃんと話なさいよ。」

 

「うん、落ち着いたら、必ず話すから。」

 

 空気の読める親友に感謝し、いつか全てのことを打ち明けようと心に誓いながら、スズは木刀を片付けてユミと道場を後にする。

 

「いや~それにしても流石スズ。素振りの姿もなかなか様になってたよ。」

 

「え?」

 

 ややわざとらしい話題の転換だが、スズとしても昨日のことをいつまでも引っ張りたくないので乗ることにする。

 

「も~素振りが様になるって、どうゆう意味さ。」

 

「なんて言うか?段々と刀を振ってる形になって来たって言うか?

 やっぱスズは凄いよ。勉強も出来て武術も出来るんだから。」

 

 ユミは時々、自分のことをやたらと持ち上げてくれるが、スズはその言葉に首を振る。

 

「あんなの、出来る内に入らないよ。私がやってるのは基礎的な素振りだけ。」

 

「でも、もう『抜刀』だって覚えたんでしょ?」

 

「それもまだ基礎の基礎、『序の型』しか覚えてないよ。

 お兄ちゃんはもう奥義まで覚えてるし、チコさんは舞踊にも長けているもん。

 私なんて、まだまだ何も足りてないよ。だから凄いことなんてないって。」

 

 それは紛れもないスズの本心だ。

 確かに勉強は苦手ではないが、自分よりも出来る人間は同じ学年でも沢山いる。

 剣術も同様だ。同学年の門下生もいるが、スズより何枚も上手な人は多く、年上となれば更に多い。

 特に顕著なのが、兄のレンジである。

 15歳にして既に『奥義皆伝』の境地まで達しており、歴代最強の使い手と誉れ高い。

 立場上は門下生ではあるが、弟子を持てばもう立派な『師範代』なのだ。

 そしてチコはそんなレンジよりも武に秀でながら、奉納演舞を覚える過程で舞も極めている。

 スズからすれば、レンジやチコこそが『凄い人間』なのであり、そんな彼らと比べたら自分なんて平凡もいいところである。

 

「・・・全く、あんたはいつもそう・・・。」

 

 するとユミが嘆息した様子で、小声で何かを呟いていた。

 

「ユミ?」

 

「んんっ、何でもない。ま~確かに、お兄さんとチコ先輩は別格に凄いもんね~。」

 

 何だかはぐらかされたような気がするが、多分追及しても答えてくれないだろう。

 

「うん、だから私も、2人のような凄い人になるために、頑張らないと。」

 

 そう意気込むスズのことを、ユミはどこか見守るように微笑むのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 レンジは、チコとカンナと共に、カミナの里の工房を尋ねていた。

 ヨゾラノカゲヒメが正体不明の機操兵と知った整備士の人たちが、わざわざ早朝から点検してくれたのである。

 

「なんでその子まで連れて来たんだよ。」

 

 レンジがカンナを一瞥した後、チコを責めるように問う。

 

「『カゲヒメ』の中で眠っていたから、無関係じゃないでしょ?

 それに何か『思い出す』かもしれないし。」

 

 チコがそう反論する。

 ちなみに『ヨゾラノカゲヒメ』だと若干名前が長く呼びずらいため、チコたちは『カゲヒメ』と呼ぶことにしたのだ。

 程なくして、多くの従操兵と並んで格納されているヨゾラノカゲヒメが目に映り、幾人の整備士たちが忙しなく動いている。

 

「ねえ、カンナ。あなた、あれの中で眠っていたのだけど、何か思い出せない?」

 

 チコがカンナに問いかけるが、カンナは首を横に振るう。

 昨日、家にカンナを連れて帰ったチコは、彼女に出身地、両親、なぜヨゾラノカゲヒメの中で眠っていたのか。彼女の身元に関わることを多く質問してみた。

 だけど驚くべきことに、彼女はそれに対して何も答えられなかった。

 

「寝てた時のことは・・・何も覚えてない。」

 

 カンナは、過去の記憶を失っているのだ。

 

「ただ、『あの子』のことは少しだけわかる。」

 

「あの子?」

 

 カンナがヨゾラノカゲヒメを見て指さしながら言うので、恐らくヨゾラノカゲヒメのことだろう。

 

「なんでわかるかは、わかんないけど・・・。」

 

「そっか・・・ありがとう。」

 

 曖昧な答えだが、チコは一先ず答えてくれたことにお礼を言う。

 記憶を失っている以上は只事でない事情を抱えているのだろうし、無理をしてまで思い出させる必要はないだろう。

 

(記憶喪失か、まさかここに『2人』もいるとはな。)

 

 一方でレンジは、カンナの頭を優しく撫でるチコを見ながら、チコの心境を読み取る。

 チコもまた、この街に来る以前の記憶を失っているのだ。

 5歳と言う年齢も、街の医者に検査してもらったときに割り出した肉体年齢に過ぎない。

 だからチコは同じ境遇のカンナにシンパシーを感じているのだろう。

 カンナの面倒を献身的に見ているのも、そのせいで放っておけないからだ。

 

「おーい、レンジ君!」

 

 するとヨゾラノカゲヒメを点検していた整備士の1人が、レンジたちを手招きした。

 

「悪いな、やっぱりここじゃあ無理だったわ。」

 

「やっぱ、難しいすか?」

 

 レンジたちが尋ねてから間もなく、整備士の人たちははっきり無理と言ってきたが、レンジは特に落胆する様子を見せずに頷く。

 

「出来る限りのことはやってみたけど、やっぱウチの設備でこいつを見るのは厳しいね。

 元々ウチは民間用の『従兵機』しか扱ってないし。」

 

 従兵機は、全高約4mと操兵の半分程度の大きさしかない、小型の機操兵のことだ。

「操兵に付き従う者」と言う名の意味の通り、戦場では操兵の護衛兵として運用されているが、製造コストが安価のため一般人にも購入しやすく、加えて機構が簡素であるため、設備投資にもそこまでコストがかからない。

 結果、土木や建設作業に従事する民間人にも広く普及しており、特にカミナの里では、建築物の大半が木造建築を占める他、主食となる穀物の自給率が9割を超えているため、農業方面においても需要が高い。

 一方で、操兵は自警団に数機しか配備されておらず、それも街の外に出没する魔獣退治の時にしか稼働されない。

 従兵機より巨大で、機構も複雑な操兵はそれだけで高価かつ大型の設備が必要になってくるため、この街における需要も相まって、ここの設備は従兵機の整備に特化しているのだ。

 それでも簡単なメンテナンス程度ならここでも行えるが、得体のしれない機操兵を調べて欲しいと言う難題には答えられないのである。

 

「となると、『マギアディール』まで行く必要があるか。」

 

「そうだな。『リクドウ』のおやっさんに頼むといいだろう。」

 

 工業都市マギアディール。

 旧テキサス州、ダラスに位置するその都市は、機操兵の生産及び整備は勿論のこと、武器や魔導具、その素材となる鉄やミスライト鋼の生成、加工等、様々な工房が点在しており、それぞれの専門的な分野で活躍する整備士、鍛冶師、加工人等の職人が多く住んでいる自由都市最大の工業都市である。

 その都市に住む職人『リクドウ・カナチ』は、このカミナの里出身であり、その縁でこの街の機操兵は彼から取り寄せて貰っているのだ。

 ちなみに自警団の操兵が損傷した場合は、彼に修理、整備を依頼することになっている。

 それが魔獣の脅威からこの街を守っていることを鑑みれば、リクドウは街を離れても尚、この街を支えてくれている縁の下の力持ちなのである。

 

「行くなら、早い方がいいだろう。

 ここからマギアディールはかなりの距離があるし、本当ならおやっさんに話をつけてからの方がいが、その機操兵については早めに調べた方が良いだろうしな。」

 

 整備士が早急に向かうことを提案する。

 カミナの里からマギアディールまではかなりの距離があり、長距離用の通信機を使っても連絡を取ることが出来ない。

 その場合、手紙を書いてギルドに配達を依頼することになっているが、そうなればリクドウの元に話が届くのは早くても3日はかかるだろう。

 

「そうですね、出来るだけ早く、カゲヒメのことを知りたいし。」

 

「・・・そうだな。」

 

 チコも自分と同意見だったようで、レンジは少し躊躇しながらも同意の言葉を口にする。

 

「それなら、今からにでも運び屋に連絡しておくよ。

 レンジ君はいつでも出られるように準備しておいてくれ。

 チコ様の方も、お手数ですが旅の仕度をお願い致します。」

 

「何から何までありがとうございます。」

 

 チコが深々と頭を下げてお礼を言い、整備士はやや動揺する。

 神祀りの一族であるカムイ家は、街の中でも格式の高い家柄だ。

 子どもであれば特に気にするものはいないものの、街の大人からすれば失礼の無いよう敬意を払わらなければならない相手であり、特にチコは。信仰の対象であるチノヨリヒメに仕える巫女でもあるので、チコへの敬意はチノヨリヒメへの敬意に等しい。

 チコ自身はそんなこと気にせず、一般常識としてお礼を述べたに過ぎないが、そんな相手に頭を下げられたものだから、整備士の人が動揺するのも仕方ない話である。

 

「この子、どこかへ持ってくの?」

 

 すると、ちゃんと話は聞いていたのか、カンナが小声でそう問いかけてきた。

 

「うん、少し遠い街まで持って行って、そこでよく見てもらうの。」

 

 チコがそう説明すると、カンナは真っ直ぐチコを見据える。

 

「じゃあ、スズも連れてかなきゃダメだよ。」

 

「え?」

 

「ん?」

 

 ここで思いもよらぬ人の名前が出てきたものだから、チコもレンジも首を傾げる。

 

「スズがいないと、あの子、動かないから。」

 

「動かないって、どうゆうこと?」

 

「・・・わからない、でもスズがいなきゃダメなの。」

 

 そんなチコの質問にカンナは曖昧な返事をするが、スズがいなくてはいけないと言う点だけは、頑として譲らないのだった。

 



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第3話 中編

家に戻り、スズに話を伝えたレンジは、父親に呼び出されて道場を訪れる。

 

「親父、一体何の用だ?」

 

「話は聞いた。マギアディールにいるリクドウのとこを尋ねるのだろう?」

 

威圧感のある低い声が道場に木霊する。

見るだけで相手を委縮させるほどの鋭い眼光。屈強な骨格の目立つ強面な顔立ち。

刻まれた皺も、白髪んでいるオールバックの髪も、老いた証よりも老成された威厳へと変えている。

190cmを超える背丈。服の上からでわかるほどに鍛え上げられた筋骨隆々とした身体。

既に50に差し迫る年齢にも関わらず、全く衰えを見せないこの巨漢こそ、レンジの父であり、師であり、現サキミ家の当主、『ムラサメ・サキミ』だ。

 

「お前に託さなければならないものがある。ついて来い。」

 

そう言いながらムラサメは道場の地下に通じる階段を下り、レンジもそれに続く。

 

「ここは?」

 

「お前も話には聞いただろう。サキミ家の当主は代々『操兵』を持つことが許されると。」

 

カミナの里では、兵器である機操兵の個人保有は禁じられている。

機操兵を持つことが許されているのは、街の自警団に所属する『機操部隊』と・・・

 

「チノヨリヒメ様の『防人』として、使命を果たすためにな。」

 

カミナの里を、チノヨリヒメを守る『防人の一族』。サキミ家だけだ。

 

「まさか、ここに?」

 

この話を聞けば、なぜムラサメが自分を呼び出したのか察しが付く。

 

「そうだ。お前にこれを託す時が来たようだ。」

 

階段を下り、明かりを灯すと、レンジの目の前に1体の機操兵が格納されていた。

一般的な機操兵と比べると胴がやや細く、腰から脚部にかけては鋭利なデザインで細長い印象を与える。

一方で上半身は細い胴と長めの両腕から、一見すると肩幅が広く映る。

そして腰には機体の全高とほぼ遜色のない長刃の刀が納められている。

そんな逆三角形状のデザインは見るからに、これが『特別規格』で造られていることを物語っていた。

 

「オーダーメイド機か。」

 

「そうだ。お前が乗ることを想定して徹底的に調整されている。

お前の得意とする風を帯びた高速剣技を、最大限まで活かすことのできる機操兵。

その名も、『風切』」。

 

「カザキリか・・・気に入った。」

 

レンジは高揚を抑えきれずに口元に笑みを浮かべる。

 

「それから、この刀を。」

 

続けてムラサメは、カザキリの足元に置かれていた刀をレンジに差し出す。

 

「これは?」

 

「名刀『風魔』。

これもお前に合わせて新たに打ったものだ。柄には風の簡易術式(ルーン)を刻み込んでいる。

奥義を皆伝したお前ならば、この刀の威力も最大限に発揮できるだろう。」

 

専用の機操兵に加えて専用の太刀。至れり尽くせりな現状にレンジは思わず喉を唸らせた。

 

「珍しく褒めてくれるじゃねえか。こんなプレゼントまで用意してくれてよ。」

 

「その分、お前の双肩には『責任』がのしかかる。」

 

だがここで父の語る責任と言う言葉に、レンジは口元を引き締める。

 

「昨日、チコ様に狼藉を働いた賊が現れたそうだな。」

 

機操兵を駆る2人の盗人は、ヨゾラノカゲヒメに撃退された後、この街から姿を消した。

今日になってわかったことだが、やつらは一昨日旅館に旅人偽って宿泊しており、昨日の夜、逃亡の最中に旅館に堂々と姿を見せ宿代と謝礼金だと言って大金を置いて行ったそうだ。

妙に義理堅い連中だが、それでも儀式を盗み見、ヨゾラノカゲヒメを奪おうとした不埒な盗人であることに変わりはない。

 

「そやつらがまた、現れる可能性も十分に考えられる。

レンジ、その時にお前が何をすべきか、当然分かっているだろうな。」

 

レンジの覚悟を見極めるかのように、ムラサメは殊更威圧感のある声で問いかける。

 

「チノヨリヒメ様に血を捧げたチコ様は、謂わばチノヨリヒメ様の現身。

防人の一族として、必ずやチコ様の身を守り抜け。」

 

「あいつのことを様付けでなんて、死んでも呼びたかねえけどな。」

 

「守る覚悟があるのなら、それでいい。」

 

防人の一族の使命は、街を守ること。そしてチノヨリヒメの巫女を守ることだ。

レンジは幼い頃から、父の後を継ぐことを決意した。

戦乱の世の中でも平和を保てるこの街を、ずっと守っていきたいと思ったからだ。

そのために誰よりも鍛錬を積んできた。

剣術も、体術も、魔術も、機操兵の操縦訓練も、己が力に変えられる全てをレンジは鍛え続けて来た。

全てはこの街を守るために。

そのために、大嫌いなチコの身を守るなんて余計な使命もついてきてしまったが、レンジはその事を後悔したことはない。

 

「当たり前だろ。チコのことは必ず守る。防人の一族として。」

 

防人の一族を継ぐことを選んだのは、自分の意思だから。

街を守るついでにチコのことも守り抜く。それが自分で選んだ道なのだから。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

「ふ~ん、それでマギアディールまで行くことになったんだ。」

 

「そうみたい。」

 

自室でユミと談笑していたスズは、家に帰ってきたレンジから事情を聞きマギアディールまで付いて行くことになった。

ユミには流石にヨゾラノカゲヒメに乗るために、とは言えないので、適当な理由を付けて旅の仕度を手伝ってもらっている。

着替えに洗面用具、化粧品も少々、後は長旅になるからと聞いているので漫画と小説を数冊。

小腹が空いた時の菓子類と、ユミから助言を得て水筒も持参。

後は近い内に試験があるので、教科書も数冊持って行こう。

 

「あんまし荷物詰めすぎると、歩く時大変だよ?

道中はまだしも、都市に着いたら徒歩でしょ?」

 

「あっ、そうだね。え~とじゃあこの漫画は置いといて・・・。」

 

「後着替えも、多分そんなにいらないと思う。」

 

「じゃあ、これは置いてって・・・。」

 

何せ初めての旅なものだからどれほどの重量が適量なのかわからず、ユミから助言を貰いながら旅支度をようやく終える。

 

「ありがとう。ユミはどこか旅に出たことあるの?」

 

「どういたしまして。隣町に親戚が住んでて、そこに何日か泊まりに行ったことがあるだけだよ。

流石にマギアディールなんて遠いところは行ったことないなあ。」

 

「それでも凄いじゃない。街の外なんておっかないもん。」

 

街を一歩外に出れば、そこは『魔獣』が蔓延る無法地帯。

旧人類の負の遺産と言えるその生体兵器群は非常に凶暴であり、かつ生殖能力を保持しているため今も繁殖を繰り返している。

多少なり知性はあるようで、人が集まる集落に襲い来ることは滅多にないようだが、集落から離れ孤立した人に対しては容赦なく牙を剥く。

戦う力を持たない一般人が街の外を出歩くことは自殺行為に等しく、街から出る時は魔獣退治を生業とする人に護衛を依頼するのが一般的だ。

これまで大きな戦禍に巻き込まれたことがないカミナの里でも、魔獣の脅威は存在している。

決して長くない隣町までの旅路であっても常に危険と隣り合わせであり、街から出たことのある子ども、と言うのはそれだけで英雄視されるのである。

 

「まっ、その点スズは心配無用だよね。

何せお兄さんとチコ先輩が一緒だもん。」

 

「そうだね。」

 

だが今回の旅でスズは魔獣に対する脅威や不安と言うのはあまり抱いていなかった。

チコとレンジ。スズの尊敬する人にして、カミナの里でも1、2を争う実力者と一緒だからだ。

特にレンジは自警団とともに魔獣退治に向かったことも多くあるので、実績もお墨付きだ。

それに今回はヨゾラノカゲヒメを輸送するための輸送艦に乗っての旅なので、魔獣も下手に近寄らないと聞いている。

結果、不安よりも初めての旅と言う高揚感の方が勝ってしまい、こうして旅支度の最中も少し心を躍らせていたのだ。

 

「ふふっ、それにしてもスズ、あんた気づいてる?」

 

「え?」

 

ニヤニヤと笑いながら、ユミが何やら意味深な言葉を投げる。

 

「スズにとっては初めての『街の外』だよ?

あれだけ街から出る気はないって言ってたのにね。」

 

「あ・・・。」

 

ユミに指摘されてスズは初めて気が付く。と言うよりなぜ思い当たらなかったのだろう?

今日が初めての旅となる。つまり自分は生まれて初めて、『街の外』に出ることになるのだ。

だが諸般の事情があってやむなくであり、自主的に出るつもりはなかったとしても、スズはこれまで頑なに街から離れるつもりはないとユミに言い続けて来たので、気恥ずかしさと気まずさが合わさって思わず硬直してしまう。

 

「まっ、今回はチコ先輩も一緒なんだから、そこはそんなに重要じゃないんじゃない?」

 

スズの沈黙を感じ取ったユミがそうフォローするが、それはそれで心の内を見透かされてしまっているので余計に恥ずかしい。

 

「小難しい事考えないで、初めての旅、楽しんできなよ。」

 

そしてこうも気を遣われては、街から出る気がない、なんてつまらない拘りで気落ちするのも失礼な話である。

 

「そうだね。ありがとうユミ。」

 

だから今回の旅は、せめて心の行くまま楽しもうとスズは誓う。

すると襖をノックする音が聞こえ、返事をするとレンジが部屋に入ってきた。

 

「スズ、準備は出来たか。」

 

「うん、今終わったところ。」

 

「ならもう出るぞ。チコのやつは先に行ってるらしい。」

 

「うん、わかった。」

 

それだけ言い終え、レンジは襖を閉める。

 

「お兄さん。相変わらずカッコいいね~。」

 

「え?」

 

するとユミがどこか羨ましそうな視線をこちらに送りながらそんな感想を口にした。

確かに妹である自分から見ても、レンジは整った容姿の持ち主だ。

やや不良じみた雰囲気も、曰くちょい悪の方がカッコイイらしく、校内でも女子人気が高い方である。

ユミの視線は、そんな女子に大人気なイケメンを兄に持つなんて羨ましいと言う意味が込められているのだろう。

 

「・・・もう、ただ目つきが悪いだけだよ。」

 

それを認めてしまうのも妹として恥ずかしいので、スズは照れ隠しに口を尖らせて返す。

 

「じゃっ、私もお暇しますか。

カンナちゃんだっけ?あの子についてはこっちで情報集めてみるね。」

 

明朗快活で誰とでも分け隔てなく接することのできるユミは、スズの学年のムードメーカーであり、男女問わず友達が多い。

こういう時、顔の広い親友の存在はとても頼りになるのだ。

 

「うん、お願いね。」

 

「その代わり、お土産ちゃんと買ってきてよ~。」

 

「もちろん。」

 

「美味しいお菓子を所望するぜ!」

 

「わかってるって、それじゃあ行ってくるね。」

 

ひとしきりユミとの会話を終えて、スズは家を後にするのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

それぞれ身支度を終えたチコたちは、街の運送業者の元を尋ねる。

チコとスズたちの両親、それからカンナも、見送りのために一緒に来ている。

 

「よっ、待ってたよ。チコちゃんたち。」

 

「ミリアさん、ご無沙汰してます。」

 

『ミリア・サンドウ』。

年齢は30代、背丈はチコより少し上。

小型輸送艦『サナギ』を狩り、遠方からの物資の運送を生業とする女性だ。

チコに対しても特に畏まることなく、気さくに接するその性格は見た目通り大らかで細かいことは気にしない主義。

ちなみに女手一つで魔獣の脅威が蔓延る外の世界を往来しているだけのことはあり、彼女自身も武術の達人であり、徒手空拳による戦いを得意とする。

自警団による魔獣狩りにも時折同行しており、素手で魔獣をなぎ倒していくその姿に畏怖したものも多いとか。

ちなみにチコは一時期、体術を学ぶために彼女から教えを乞うたことがあるので、その実力は身を以って知っている。

そして体術における師に当たる人物なので、今でも敬意を払っているのだ。

 

「急なご連絡でしたのに、引き受けて下さって有難う御座います。」

 

チコが深々と頭を下げてお礼を言い、レンジたちもそれに倣う。

 

「別にいいってことよ。

事情は掻い摘んで聞いているし、今日は仕事も無くて暇を持て余してたからね。」

 

整備士の人から連絡が渡った時、ミリアは二つ返事で引き受けてくれた上に、都合がつくならすぐにでも出発できると言ってくれたのだ。

チコたちからすれば願ってもない言葉であり、それだけにミリアに対しては感謝の気持ちでいっぱいである。

 

「それにマギアディールまでの長旅なんて久しぶりだもんね。

最近は近所の街をウロウロするだけで身体が鈍ってたし、ひっさびさにこの子を存分に飛ばせるって思うと腕が鳴るってもんよ。」

 

そう言いながらミリアはサナギを親指で指す。

ミリアは所謂『走り屋』の気質があり、運送業を営んでいるのも輸送艦を存分に走らせることに生き甲斐を感じているからである。

つまり今回の件はミリアからしても願ってもない申し出であり、ここまで張り切って今日の内に立とうとしたもの、単純に早くサナギを駆って飛ばしたいだけなのだ。

 

「あはは・・・同乗者もいますので、お手柔らかにお願いします。」

 

急な依頼を申し出たことに引け目を感じていたチコは、思いの外ミリアの方がノリノリであることを知って苦笑しながらも一先ず安堵する。

そして今度はスズの方に心配そうな眼差しを向けて話しかけた。

 

「スズ、本当にいいの?」

 

「何がですか?」

 

「何がって、街の外は魔獣の危険があるし、あのコソ泥たちがまた現れるかもしれないのよ。」

 

実際には輸送艦による移動のため、野良の魔獣程度ならばそこまでの脅威にはならないが、相手が機操兵持ちの盗人であれば話は別だ。

そんな危険にスズを巻き込んでしまうことにチコも、そしてレンジも抵抗を覚える。

 

「大丈夫ですよ。私、カンナちゃんがウソをつくとは思いませんし。

それに戦闘になる可能性があるなら、猶更ついて行かないわけにはいきません。

カンナちゃんの言う通り、私がいないとカゲヒメが動かないなら、お兄ちゃん1人で戦うことになっちゃうじゃないですか?

そっちの方がよっぽど危険ですよ。」

 

「それは・・・。」

 

「・・・。」

 

だがスズの思いの外、理論整然とした言葉に、チコもレンジも黙り込んでしまう。

確かにあの連中が再び現れた場合、狙いは間違いなくヨゾラノカゲヒメの奪取だ。

であれば間違いなく機操兵を駆って出るだろう。

そんな時もしもヨゾラノカゲヒメが稼働しなければ、レンジの機操兵一機で迎え撃つことになるわけだが、レンジは度重なる訓練こそ積めど、機操兵による実践経験は皆無だ。

初めての機操兵戦で熟練の操手を2人相手に戦って勝てる自信があるほど、レンジは己惚れてはいない。

つまり戦闘になることを想定した場合、ヨゾラノカゲヒメが稼働することは絶対条件であり、それにスズが必要であれば、彼女を置いていくわけにはいかないのだ。

 

「でも・・・。」

 

だがそれが、カンナによる曖昧な情報に基づいたものであるため、チコは未だに難色を示している。

勿論チコも、カンナがウソをついているとは思えず、だからこそスズにこの話を持ち掛けることには反対しなかった。

それでも不安は払拭できず、出来ればスズには街に残って欲しいと思っている。

 

「いつまでもうだうだ言うなよ。めんどくせえ。」

 

そんな煮え切らないチコの様子にレンジが食ってかかる。

 

「レンジ!あなたスズのことが心配じゃないの!?」

 

「心配だったらオレたちで守ってやりゃあいいだけだろ?

それとも、自信ねえのかお前?」

 

「なっ・・・!」

 

レンジの挑発にチコは顔を赤くして口元を震わせる。

 

「スズの護衛程度には役に立つかと思ったが、やっぱ腰抜けだなお前。

自信がねえならお前こそここに残れよ。目障りだ。」

 

「減らず口だけは達者で、実力の伴っていないあなたが偉そうに言わないで!」

 

「はっ、いざって時に腰が砕けて役立たずに成り下がるやつが何を偉そうに。」

 

「継承の儀は昨日終えました!

あなたこそ、新しい機操兵と武器に舞い上がって足元掬われたりしないでしょうね?」

 

「んなガキみてえなヘマするかよ。

とにかく、スズはオレが守るからてめえは大人しく引っ込んでろ。」

 

「いいえ、あなたなんかに任せられないわ。スズのことは私が守る。」

 

「ふっ2人とも!その辺にしてよ!!」

 

レンジがいつも通り喧嘩腰の口調でチコを叩きつけるはずが、なぜか自分の護衛役を巡る口論に発展してしまい、予期せぬ『私のために争わないで状態』に陥ってしまったスズは、羞恥で顔を真っ赤にしながら2人を止めに割り込む。

 

「スズ、私の側から離れないでね。こいつの一緒だと危なっかしいわ。」

 

「スズ、オレから離れるなよ。この腰抜けと一緒にいたら命が足りねえぞ。」

 

「も~!!いい加減にしてよ!!」

 

周りには両親もカンナもミリアもいると言うのに、恥ずかしさで穴に入りたくなるような言葉の総攻撃を受けたスズは、とうとう爆発してしまう。

 

「いや~スズちゃん、大事にされてるね~。」

 

そんなやり取りを見たミリアがニヤニヤ笑いながらスズをからかう。

 

「スズ、かお、真っ赤だよ?」

 

そしてカンナからの無邪気な追い討ちに、スズはその場に屈みこんでしまうのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

恥ずかしさが臨界点突破して屈みこんでしまったスズの回復を待つ間、輸送艦にヨゾラノカゲヒメとカザキリが格納され、ようやく出発の準備が整った。

 

「お父様、お母様。行ってきます。」

 

「行ってらっしゃいチコ。気を付けるのですよ。」

 

「お父さん、お母さん、行ってきます。」

 

「行ってらっしゃい。大変かもしれないけど、初めての旅、楽しんできなさい。」

 

「レンジ、防人としての使命、しっかり果たすのだぞ。」

 

「わかってる。行ってくる。」

 

それぞれの両親に出発の挨拶を交わした後、チコはカンナの頭を撫でる。

 

「それじゃあカンナ、しばらくの間離れるけど、お母様の言うことをちゃんと聞くのよ。」

 

「え?」

 

だがチコの言葉にカンナは首を傾げる。

 

「あたしも、ついてくよ?」

 

「え?」

 

だがまさかカンナまで付いてくるつもりだとは思わなかったチコは、彼女を諭す。

 

「何を言ってるの。さっきも話したでしょ?

街の外は危険でいっぱいなの。流石にあなたまで連れていくことはできないわ。」

 

「でもあたし、あの子から離れられないよ?」

 

「離れられないって・・・?」

 

あの子、と言うのはヨゾラノカゲヒメのことだろうか?

だが離れられないとはどういう意味だろう?

 

「カンナちゃん、チコには懐いているみたいだもの。きっと離れるのが寂しいのでしょう。」

 

言葉の意味を測りかねているチコが思考していると、チコの母がカンナの両肩に手を置いた。

 

「カンナちゃん、チコはちょっとお仕事で遠くまで行っちゃうけど、すぐに帰ってくるからお家で待ちましょう。」

 

「そっそうよ、カンナ。

お土産に美味しい食べ物買ってきてあげるから、お家で待ってなさい。」

 

とりあえず無理にでも母の言葉に便乗し、チコはカンナの説得を試みる。

 

「む・・・。」

 

だがカンナは口をへの字に曲げてしまい、そっぽを向いてしまった。

 

「チコ、何やってる。早く出るぞ。」

 

そんなチコを見かねたレンジがサナギの入り口から声をかけてくる。

カンナの機嫌を損ねてしまったことは気になるが、機嫌を直している時間もない。

 

「それじゃあカンナ、行ってくるね。」

 

この場は母に任せて、チコはレンジの後に続きサナギに搭乗する。

そしてサナギからけたたましい音と共に宙に浮きあがり、カミナの里を出発するのだった。

 

「それじゃあ、カンナちゃん。お家に帰りま・・・あれ?」

 

だがサナギを見送ったチコの母が振り返ってみると、先ほどまでその場にいたはずのカンナが忽然と姿を消すのだった。

 



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第3話 後編

 小型輸送艦サナギは大きく分けて3つのブロックで構成されており、最前面には操縦室、最後尾には格納庫、そして中間には居住スペースがそれぞれ割り当てられている。

 操縦室にいるミリアに改めてお礼を述べたチコたちは、彼女の案内で居住スペースにある寝室に荷物を降ろして寛いでいた。

 本来ならば所有者用の寝室であるはずだが、ミリアは操縦室が一番落ち着くと言い私物やら何やらは全てそこに持ち込まれており、寝る時も操縦席を倒してベッドの代わりにしているとのこと。

 居住スペースは手洗い場とシャワールームしか使っていないそうだ。

 その分、寝室は来客用の部屋に改装されており、畳が敷かれ、ちゃぶ台が置いてあり、台の上にはお茶と駄菓子が並べられている。

 部屋の隅にはベッドが1つ。その下には布団が一式。

 私物が散乱してまるで整理の行き届いていない操縦室とは裏腹に、この寝室は来客用と言うこともあり隅々まで掃除が行き届いている。

 そして現代の輸送艦はほとんどがホバー飛行であるため地面の状態に依存せず、荒れ地だろうと常に一定の速度を保つことができ、ミリアが存分に速度を出して飛ばしていても室内が大きく揺れ動いたりすることはない。

 要するに、とても快適な旅だった。

 

「なんだか、想像していたよりも乗り心地がいいですね。」

 

「そうね、でも乗り物酔いする人もいるみたいよ。スズは大丈夫?」

 

「今のところ大丈夫です。」

 

「マギアディールの到着は早くて今日の夜。

 半日近くはここにいることになるから、あまりはしゃぐなよ。」

 

「うん、わかった。」

 

 マギアディールまでの距離は遠く、通常の輸送艦なら半日ほどかかる距離にある。

 小型輸送艦であることに加えてミリアの走り屋気質もあり、普通の輸送艦よりも足の速いサナギだが、それでも昼より少し前に出発しているため、どれだけ飛ばしても到着は夕方を過ぎるようだ。

 そして道中であの盗人に出くわす可能性も否定できず、魔獣の脅威も決してゼロではない。

 むしろ道中の諸々のトラブルは旅の付き物と言えるものなので、サナギで一夜を明かすことは心して置いた方が良いだろう。

 

「とりあえず、お茶入れますね。」

 

 スズがそう言いながらちゃぶ台に置いてある急須にお茶を入れようとする。

 

「あっ、おまんじゅうだ。」

 

「待ってカンナちゃん、まずお茶を入れてから・・・。」

 

 その言葉が余りにも自然に聞こえてきたからスズはつい自然と応答してしまったが。

 

「って、え?」

 

「え?」

 

「ん?」

 

 この場にいなかったはずのカンナが突如として姿を見せていた。

 

「「え~!!!?」」

 

 チコとスズが同時に叫び、寝室に2人の絶叫が木霊するのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

「あっ、お母様。うん・・・カンナ、こっちについてきちゃったみたいで。

 うん・・・うん・・・わカンナのことは私の方でちゃんと見ておくから、心配しないで。

 うん・・・それじゃあ。」

 

 母の魔力を記録したスマートフォンで連絡を終えたチコは、ため息1つ吐いてそれをしまい込む。

 

「通じたか?」

 

「音が途切れ途切れだったからギリギリね。

 それにしても、まさか街の外まで通じるなんてね。」

 

 まだカミナの里を経ってあまり間もなく、ミリアの事務所は街の離れにあるのでそこまで距離が空いてはいないとは言え、街の外から思念通話(テレパシー)が出来るとは流石に思ってはいなかった。

 

「旧人類はこいつを使って、世界の裏側まで通信してたって話だぜ。」

 

 そう言いながらレンジは自分のスマートフォンを軽く手に取る。

 

「『魔導工学』で造られた大型通信機でさえ、隣町までが関の山だって言うのに、それが事実だとしたらとんでもない話ね。」

 

 旧人類の英知と言える『科学』は現代では失われて久しく、旧人類を忌み嫌う聖王国と帝国では調べることすらタブーとされている。

 旧人類の文明を受け継いでいるカナド人は科学も一部継承しており、自由都市同盟では科学の調査、復元することを専門とした考古学者や技術者たちが多くいるが、その多くは軍用の機操兵に使われており、人の暮らしには根付いていない。

 その上、科学の全容は未だに解明できておらず、曰く、昔は国1つをボタン1つで滅ぼすことが出来たとか、曰く、旧人類は科学の力で自然界や生物の生態系をコントロールしていたとか、傍から見れば荒唐無稽な話も多く耳にする。

 要するにチコたちにとっての科学とは、魔術よりもよっぽど魔術染みたものであり、面白可笑しく脚色された様々な憶測や噂が飛び交っているのだ。

 だがこのスマートフォンに限って言えば、街の考古学者がそれなりに学術的な見解を以って分析しており、レンジの言う言葉を荒唐無稽な話として切り捨てることは出来ない。

 無論、事実かどうかは今となってはわからずじまいだが、それが本当ならこの手のひらサイズの小型通信機が、下手な建物よりもよっぽど巨大な大型通信機なぞ比べものにならないほどの性能を誇ることになる。

 それに現代では一般家庭に通信機は普及しておらず、カミナの里で通信機を使う場合、街の雑貨屋にあるものをお金を払って借りるしかない。

 だがこのスマートフォンは一般家庭どころか個人レベルで普及していたとされているのだから、現代を生きるチコからすれば到底、想像もつかないことである。

 

「最強の機操兵である古操兵にも科学が使われてるって話だしな。

 存外、聖王国や帝国の連中が科学をタブーにしてるのは、見下してる旧人類よりも劣っていることを認めたくねえからかもしれねえな。」

 

 何とも捻くれ者のレンジらしい発想だが、チコもその言葉を否定できない。

 旧人類は新人類よりも肉体的強度で劣り放射能耐性もなく、魔術も扱うことの出来ない下等な生物だったと、旧人類を嫌う人たちは新人類の有用性を誇示して徹底的に見下していると聞く。

 しかしこんな末恐ろしい通信機がごく当たり前のように普及している世界を生きていたとすれば、自分たちこそ旧人類に劣るのではないかと思えてしまう。

 

「って、そんなことより、カンナ!あなたなんでついてきたの!?」

 

 ここでチコは話が思い切り脱線していたことにようやく気付き、カンナを叱る。

 だがカンナは頬を大きく膨らませてこちらを睨み付けてきた。

 

「あたし、ちゃんと言ったもん。あの子から離れられないって。」

 

「だからそれはどういう意味・・・。」

 

「ふん。」

 

 だがカンナからすれば、ちゃんと事情を話したはずなのに取り合ってもらえず、あまつさえ声を荒げて怒られたものだから、すっかりへそを曲げてしまった。

 

「カンナちゃん、甲板に出て外の景色見に行こっか?」

 

 そんなチコたちの様子を見かねたスズが、カンナを甲板まで連れていこうとする。

 

「・・・うん。」

 

「よし、きっと外の景色は綺麗だよ~。

 チコさん、いいですよね?」

 

 念のためチコに確認を取るが、チコは気まずそうに視線を反らしながら答える。

 

「・・・落ちないように気を付けなさいよ。」

 

「大丈夫ですよ。魔獣除けの魔導結界を張ってあるって言ってましたから。

 じゃあカンナちゃん、行こっか?」

 

「うん。」

 

 スズと会話して多少機嫌を取り戻した様子のカンナは、スズと手を繋いで部屋を出る。

 勿論、本音を言えばチコもついて行きたいところだが、目的がカンナの機嫌を直す以上、自分がついて行ってしまっては逆効果だ。

 

「あの子、本当に何もんなんだろうな?オレでさえ気配に気づかないとは。」

 

 カンナとスズが部屋を出た後、レンジが心底驚いた様子で、カンナについての疑問を口にする。

 だがレンジだけじゃない。自分もスズも、恐らくミリアもカンナの気配には気づかなかった。

 

「スズは、幽霊かもしれないって言ってたけど。」

 

「幽霊か・・・。」

 

 現代における幽霊は、魔導学でその存在が確立されている。

 この世の生物は全て肉体の中に魂を宿しており、肉体的な生命活動を終え、身体が活動を停止した時、魂が抜け出し命が失われる。

 これが『死』であり、肉体から魂が抜けた状態のことを狭義における『霊体』と言うのだ。

 そして魂のみの存在となった霊体は、程なくして跡形もなく消滅し、存在が失われる。

 だが生前に強大な恨み辛みを抱いたものが、死後魂そのものを変質さえ悪意を持った霊体として実体し『ゴースト』と呼ばれる魔物へと成り果てることがある。

 また、失った肉体の代わりとなる『依代』に魂を定着させることで、現世に魂を繋ぎ止める術もある。

 このように、何らかの外的な要因が働き、魂が現世に留まる現象が、広義における『霊体』とされており、一般的に霊体と言えばこのことを指す。

 中でもゴーストは、肉体の実体化と解除を切り替えることが出来る個体も存在し、物理的な接触を伴うときのみ実態を現す器用な芸当も可能なのだ。

 それは今のカンナの現象と、一見すると同じように見える。

 

「だが、カンナには確かに身体があったろ?」

 

「そうなのよね。あれはどう見ても魂の実体じゃなくて、生きる人の身体だし。」

 

 ゴーストを始め、実体化した幽霊は生前の姿をしているものもあり、触れることもできるから一見すると人間に見える。

 だが実際には人の形を成しているだけで、生きているわけではない。

 見た目が人と言うだけの、ただの物体だ。

 だがカンナの場合、空腹は訴えるし食事も取るしお手洗いにも行っている。

 眠気もちゃんとあり、昨日の夜は無遠慮にも自分のベッドの上で睡眠を取っていたし、今朝は布団から出たくないと駄々をこねたものだ。

 つまり彼女の肉体はちゃんと生きており、実体の伴うゴーストとは根本的に異なっている。

 そうなると、今度は神出鬼没なところが説明付かない。

 その上でカンナが記憶を無くしており、自分のことも良く知らないため、今のチコたちには何も分からず仕舞いなのだ。

 するとひとしきり話を終えて黙り込んだレンジは、立ち上がり部屋から出ようとする。

 

「どこに行くの?」

 

「2人の様子を見張ってくる。お前はそこで頭冷やしてろ。」

 

 最後の一言に食ってかかりたくなったが、チコはぐっと堪えてレンジを睨み付ける。

 そして1人になったチコは膝を抱えて、その場に蹲ってしまった。

 

「私・・・何してるんだろ・・・。」

 

 こんな時、不器用な自分が恨めしくなる。

 スズのことが心配で食ってかかり、レンジに叩き付けられ、今度はカンナのことでまた一悶着。

 結局カンナの面倒はスズに見てもらい、レンジが護衛に付き、自分は1人部屋に残ってやさぐれる。

 これではレンジに言われるまでもなく役立たずである。

 スズは度々自分のことを凄いと褒めてくれるが、一皮むけばこのザマだ。

 レンジのように感情を抑えて客観的になることができない。

 スズのように人の様子を見て器用に対応することもできない。

 思い込んだら一直線、そのくせ思いは空回り。

 挙句に幼子と喧嘩を起こして仲直りは他人任せで、何が凄い人か。

 

「・・・こんな気持ちじゃダメだよね。

 敵が来たら、スズもカンナのことも守らないと。」

 

 そんな自分が唯一他人に対して誇れるところがあるとすれば、切り替わりの早いことくらいだ。

 敵は自分たちの都合なんて考えてくれない。

 こんな落ち込んだ状態でもしも敵襲があったら、それこそレンジの言うところの役立たずに成り下がってしまう。

 ものは単純、スズのことを守ると決めたのなら、そのついでにカンナのことも守ればいいだけだ。

 

「よし、あの子たちのためにお昼の準備をしますか。」

 

 そう独り言を言いながらチコは立ち上がり鞄を開ける。

 お昼、とは言ってもあらかじめ家で作ってきてあるものを並べるだけ。

 笹の葉に包んだたおにぎりと、木製の容器に入れた山菜、後はお湯で解凍できる携帯味噌汁。

 スズが入れ損ねたお茶の準備もして、一通り準備を終えたらみんなの帰りを待つだけである。

 後でカンナにはちゃんと謝罪を、スズにはちゃんとお礼を言おう。

 レンジには・・・健啖家のあいつにはおかずの一品くらい追加してやろう。

 気持ちを一転切り替えたチコは、食卓の準備に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 カミナの里からマギアディールまでの道中、バレットとクレアは魔獣除けのお香を炊きながら岩の影に身を潜めていた。

 

「昨日の様子をみてわかったことがある。

 あの黒い操兵は恐らく街の連中にとっても預かり知らぬものだ。」

 

「確かに、てっきり余所者を遠ざけて儀式を秘匿しているのかと思ったけど、光の柱が出たときの慌てよう、街のやつらにとっても想定外だったとしか思えないわ。」

 

 元々街がヨゾラノカゲヒメを機密に保持しており、人を遠ざける継承の儀にてその乗り手を引き継ぐのかとばかり思っていたが、街の人たちの慌て方や取り乱し方を見る限りでは、昨日の出来事は彼らにとっても予想外の出来事であったのだろう。

 

「だったらやつらも、あの操兵が何なのかを知りてえはずだ。

 だが旅館に着く前に街の工房を見てきたろ?

 あんな従兵器用のお粗末な設備じゃ、操兵を調べることは出来ねえ。」

 

「だからマギアディールまで足を運ぶ可能性があると?」

 

「それも神様が眠る土地で見つかった、得体の知れねえ操兵だ。

 一刻も早く調べてえはずだ。」

 

「なるほどね。そこまではわかったわ。

 でもどうして待ち構える場所がここなわけ?」

 

 クレアたちが今いるところは、見渡す限り岩場しかない荒野だ。

 魔獣一匹見当たらない無機的なこの地にも、元々緑があったそうだが、何度も戦場になる度に野が完全に焼けてしまったと言われている。

 

「カミナの里からマギアディールまでの道のりはよっぽど遠回りをしなければここを通過する。

 見晴らしのいいここなら、やつらが通過すれば確実に見つけられるだろ。」

 

「なるほど、理解したわ。」

 

 バレットの分析にクレアも納得し、周囲を見張る。

 

「それに周りは自然がなにもねえ。存分にやり合うのにも最適な場所じゃねえか。」

 

 するとバレットが葉巻をふかしながら、好戦的な眼差しを向けてきた。

 

「そうね。今回は手加減抜きで存分にやらせてもらうわ。」

 

 そんな彼に、クレアも不敵な笑みを返しながら、戦意を高めていくのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 次回、チイロノミコ第4話

 

「カザキリノウイジン」

 

 運命の糸が、物語を紡ぐ。

 



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第4話
第4話 前編


カザキリノウイジン

 

 

 

 

小型輸送艦『サナギ』に乗り、カミナの里から工業都市マギアディールまで向かう道中。

チコたちは簡単な昼食を終えて一休みした後、あることを確認するために格納庫を訪れていた。

そこで正座状態で格納されていたヨゾラノカゲヒメを見つけたチコは、さっそく操手槽へと乗るために胸部のハッチを開く。

 

「あの時と同じで動くなら、水晶に手を置いて念じれば・・・。」

 

操手槽に乗ったチコは水晶に手のひらを乗せ、立ち上がるイメージを思い描く。

だがヨゾラノカゲヒメは微動だにせず、その場に座り込んだままだった。

 

「よし、スズ。操手槽に乗ってみろ。」

 

「わかった。」

 

レンジの指示を受け、スズはチコの乗る操手槽へと向かう。

 

「チコさん、失礼します。」

 

一言断りを入れ、やや身を屈めながらチコの隣へ寄る。

 

「チコ、その状態でもう一度やってみろ。」

 

「言われなくても分かってるわよ。」

 

スズが操手槽にいる状態で再び水晶に手を置きイメージを思い描くと、ヨゾラノカゲヒメがゆっくりと立ち上がったのだ。

 

「・・・これで決まりみたいね。」

 

カンナの言うことは正しかった。

未だに理由はわからないが、スズがいなければヨゾラノカゲヒメは起動しないのだ。

するとレンジがひと飛びで開いたままのハッチに足を乗せ、操手槽の中を覗きこむ。

 

「チコ、ちょっと手をどけろ。」

 

人にものを頼む態度か、と内心毒づきながらもチコは水晶から手をどける。

そしてレンジが水晶の手を置き歩くように念じてみるが、ヨゾラノカゲヒメは一歩も動かず、続いて無遠慮にも操手槽に足を入れて足踏板を踏んでみるが、それでも動作しなかった。

 

「チコ、こいつに『個人識別情報』を読み込ませた記憶はあるか?」

 

個人識別情報とは、特定の個人の認証に使う情報であり、網膜、指紋、声紋、魔力反応等を差すものである。

国や軍の重要施設における入退場、機密度の高い兵器、兵装の使用認証などに採用されており、第三者による無断使用及び介入を簡単には許さない。

普通に生活をしている分にはお目にかかることは滅多にないが、チコとスズにしか扱えない以上、ヨゾラノカゲヒメにはこの機能が備わっている可能性がある。

 

「私は覚えがないわけじゃないわ。この水晶に手を乗せたときに初めてカゲヒメが動いたから、その時に私の情報を読み取ったのかもしれない。

でも、スズはないわ。」

 

「なに?」

 

「最初に乗った時、この子はずっと私に抱きついていたもの。」

 

「チッ、チコさん!!」

 

ここでチコがレンジの目の前で堂々とあの時の様子をカミングアウトするものだから、スズは大いに慌ててしまう。

 

「どうしたの?なにか違ってたっけ?」

 

「いっいいえ!違ってませんけど違ってませんけどそんなあっさりと・・・。」

 

「どうして?」

 

だがチコが素知らぬ顔であっさりとそう聞き返してくるものだからスズは自分の中で一気に熱が冷めていくのを感じる。

 

「いいえ、なんでもないですよー。」

 

「?変なスズ。」

 

「はあ・・・。」

 

チコはわけがわからず首を傾げ、スズは拗ねてそっぽ向き、レンジは呆れた様子でため息を吐く。

 

「とにかく、私だけならまだしも、スズは個人認証できたところは・・・あれ?」

 

「待てよ・・・?」

 

ここでチコとレンジは、話が微妙にズレていることに気が付く。

そもそもここを訪れた本来の目的は、『スズがいなければ』ヨゾラノカゲヒメは動かせないことを確認することだ。

それなのになぜ今、『チコでなければ動かせない』ことに話が傾いているのだ?

 

「待って・・・カンナが言ってたのは・・・。」

 

「カンナがあの時言ったのは・・・。」

 

レンジとチコが同じタイミングで思考を始め、そして同じタイミングで1つの答えにたどり着いた次の瞬間

 

「ねえ、レンジ!」

 

「おい、チコ!」

 

「え?」

 

「ん?」

 

全く同じタイミングで話しかけ、全く同じリアクションを取ってしまう。

 

「・・・何よ。」

 

「何だよ。」

 

それが無性に面白くないから、つい喧嘩腰な態度になってしまう。

 

「なんで喧嘩になってるの!?」

 

その様子を見かねたスズが2人の間に割って入る。

 

「もう!どうせ2人とも同じこと考えてたんでしょ!?

だったら答え合わせなんてしなくていいから本題に入ればいいじゃない!」

 

そして2人が全く同じ思考を辿っていたことを直感的に悟ったスズはつい声を荒げ、でも話の腰を折らないように促していく。

 

「じゃあチコ、お前そっから出ろ。」

 

「分かってるわよ。スズ、私が出たらカゲヒメを動かしてみて。」

 

「え?分かりました。」

 

スズにそれだけ指示し、チコはヨゾラノカゲヒメから飛び降りる。

そしてスズは操手槽の椅子に座り、両手を水晶の上に置いてみた。

 

「あれ?動かないみたいです。」

 

「・・・やっぱり。」

 

「決まりだな。」

 

チコは天を仰ぎ、レンジも複雑な表情を見せる。

確かにカンナはあの時、スズ『が』いなければ動かせないと言った。

だが、スズ『じゃ』なければ動かせないとは言ってなかった。

そう、スズだけでも、ヨゾラノカゲヒメを動かすことは出来ない。

ヨゾラノカゲヒメを動かすための鍵は、『もう1人』いたのだ。

 

「ねえ、カンナ。」

 

「なに?」

 

いつの間にかカンナが自分の隣に立っているが、この子の神出鬼没にも慣れたチコは、特に気にせずに話を続ける。

 

「ヨゾラノカゲヒメは・・・『私とスズ』じゃないと動かせないの・・・?」

 

「うん。」

 

声を震わすチコの問いに、カンナは静かに頷くのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

時刻は夕方に差し掛かり、直に日も傾き始める頃、チコたちを乗せたサナギは荒野の通過していた。

 

「ここを乗り切れば、マギアディールまであともう少し。

日はとっぷり暮れるだろうけど、まあ夜分にお邪魔するには問題ない時間につくんじゃないかな?」

 

操縦室の様子を見に来たチコたちは、ミリアからおよその到着時刻を聞く。

まだ到着まであと数時間はかかりそうだが、今のところ敵襲も魔獣の襲撃もなく、旅路は順調だ。

 

「そう言えば、リクドウさんってどんな人なんですか?」

 

ここでカンナを除けば、この中で唯一リクドウと面識のないスズが、彼の人物像について尋ねてきた。

 

「そっか、スズちゃんはあったことないんだっけ?

リクドウさんはね、君のお父さんの旧知の人だよ。」

 

「え?そうだったんですか?」

 

父の交友関係についてはイマイチ詳しくないスズは、旧知と言う言葉に驚きを隠せないでいる。

なにせ父であるムラサメ・サキミと言えば、厳格と威圧感の塊のような人物だ。

無論、とても優しくて頼りになる父であることはわかっているのだが、その威厳溢れる表情と声色は、家族である自分でさえ未だに怖いと思う。

正直、母はよくこの強面の父と結婚する気になったな、だなんて失礼な感想を抱いたのも一度や二度ではなく、そんな父と旧知な人がいると言うだけでも珍しいと思ってしまうのだ。

 

「そうそう、口の堅い人で、職人気質な整備士さんだよ~。」

 

「え・・・?」

 

そしてミリアから続けざま語られた人物像に、スズは緊張した面立ちを見る。

あの父の旧知にして口の堅い職人気質。

スズがどのような人物を想像してしまったのか、それこそ想像に難くない。

 

「ミリアさん、スズを怖がらせないでください。」

 

スズの様子を見ながら必死で口元を抑えているミリアを、チコが呆れた表情で窘める。

 

「まーまー、嘘は言ってないんだし?」

 

だがミリアは素知らぬ顔だ。

確かに先ほどの言葉に嘘はないが、肝心な情報が抜けている。

チコとしては、スズの初めての旅に怖がらせるような要素は極力排除したいので、今一度ミリアを窘めようとする。

 

「だからって、スズをからかうような・・・。」

 

だがその時、チコとミリア、そしてレンジの3人の表情が途端に険しいものへと変わる。

 

「え?」

 

急な空気の変化を感じ取ったスズが首を傾げると、ミリアが突然サナギを急停車したのだ。

 

「ミリアさん!」

 

「やっこさんのお出ましだ!」

 

ミリアに確認を取るよりも前に、答えが返ってくる。

チコとレンジが感じた魔力に間違いなかった。またあの2人組が現れたのだ。

 

「チコ!カゲヒメに乗って出撃しろ!」

 

そう指示をしながら、レンジは操縦室の窓際へと駆け出す。

 

「レンジは!?」

 

「先に出てやつらを引きつける!」

 

「死んだら殺すわよ!」

 

「死なねえし殺されねえよ!」

 

レンジは刀を手に、窓から外へと飛び出した。

 

「いくよ!スズ!」

 

「はっ、はい!」

 

ここまで来ればスズにも何が起こったのか分かる。

これから戦いが始まると言う恐ろしさに強張りながらも、スズは気丈に返事をしてみせた。

 

「ミリアさん!カンナを部屋に!」

 

「はいよ!」

 

最後にカンナをミリアに託してから、チコはスズの手を引き急いで格納庫へと向かうのだった。

 

 

 

 

・・

 

 

 

 

少し遡り、荒野の岩場に身を潜めているバレットとクレアは、軽食を取りながら待ち伏せしていた。

クレアはチーズを食し、バレットは干し肉を豪快に噛み千切りながらウィスキーを呷っている。

 

「いつ戦いがあるかもわからないのに、お酒なんて飲んでいいの?」

 

「多少、酔いが回った方が戦いに集中できるのさ。酔拳って言うだろ?」

 

クレアが怪訝な表情を浮かべて注意するも、バレットはどこ吹く風だ。

 

「あれは本当に酔うわけじゃないでしょ。」

 

「堅えこと言うなよほら、お前も一杯どうだ?」

 

「頂くわ。」

 

だがクレアも、真顔で戦闘前の飲酒を注意していたかと思えば、表情1つを変えずにウィスキーを受け取り、バレットと同じように一気に呷る。

 

「・・・いつもより弱いわね。」

 

「まっ、戦闘前だからな。」

 

「その気遣い、いるの?」

 

「飲み過ぎにはご用心ってこった。」

 

「じゃあ残りの酒は私がもらうわ。」

 

そう言いながらクレアはウィスキーを飲み干し、バレットはもう一本の酒を取り出して再び呷る。

何の気回しにもなっていない気回しを終えた2人は結局、戦闘前に飲酒をしたわけだが、全く酔った様子を見せずにひたすら待ち伏せを続けていた。

その時、遠方から輸送艦特有の重々しいホバー音が聞こえてきた。

 

「おい見ろよクレア。あの芋虫面、街で見かけた輸送艦と同じだぜ。」

 

「まさか張り込み1日目で出会えるだなんて、ラッキーだったわね。」

 

マギアディールを尋ねるためにここを通過すると言う確証こそあれど、当然時間までは知りようがない。

正直なところ、向こう数日はここで張り込みを続ける予定だったが、初日で功を成したのだから、運が傾いているとしか思えない。

そう自分たちの幸運を喜ぶ2人は、さっそく襲撃の準備に取り掛かる。

バレットは軽くリボルバー銃の弾倉を回し、問題ないかを確認する。

クレアは体内のエーテルを感じ取り、十分に補給されていることを確認する。

 

「それじゃあ、このまま・・・。」

 

「待て、クレア。」

 

だが操兵に乗り込もうとしたクレアをバレットが呼び止める。

そして次の瞬間、2人とも目を見開く。

視界に入った輸送艦が突如として急停止したのだ。

 

「まさか・・・またバレたの!?」

 

「おいおい嘘だろ。まだここまで距離があるのにか?」

 

小型輸送艦とは言え、ここからならまだミニチュアサイズの大きさにしか映らない。

それほどの距離が空いているためか、急停車したのは輸送艦に問題があった可能性もあると、バレットもまだ半信半疑であった。

だが次の瞬間、操縦室の窓から1人の少年が飛び降り、こちらに向かって一直線に駆け出してきた。

 

「クレア!ペネトレーターへ!ボウズは俺が!」

 

このままでは操兵に乗るよりもやつがここへ到達する方が早い。

バレットは端的にクレアに指示を飛ばし、岩陰からレンジへと銃を放った。

 

「わかったわ!ああもう!なんでわかるのよ!」

 

クレアは愚痴を零しながら、バレットが囮になっている隙にペネトレーターへと搭乗する。

 

「この位置がバレてんなら、岩陰でコソコソする意味はねえか。」

 

あの少年の得物は刀だけ。間合いはまだこちらが有利だ。

岩陰に姿を隠して撃つよりも、いっそ正面から見据えて弾幕を張った方が牽制になるだろう。

そう思い当たったバレットは岩陰から飛び出し、こちらに向かってくる少年、レンジを真正面から狙い撃つ。

だがレンジは手に持つ刀を鞘に納めたまま振り上げ、弾丸を弾き飛ばした。

 

「チッ。」

 

舌打ちしながらもバレットは2度、3度連射する。

するとレンジは刀を腰に構え、居合の構えを取った。

 

「カナド式刀剣術、『アクメツ流』。」

 

アクメツ流。

それはサキミ家に代々伝わる剣術であり、抜刀術を主とする流派だ。

その太刀は心に巣食う悪を写し、その技を以って己が邪心と敵を斬れ。

『己が悪を滅する』を極意とするアクメツ流は剣術にして剣道であり、心・技・体の全てが要求される流派である。

ちなみにカナド式刀剣術とは、カナド人をルーツとする刀を武器として用いた剣術の総称であり、アクメツ流もまた、カナド式刀剣術に分類されるのだ。

 

「『序の型、剣閃(けんせん)』。」

 

レンジが抜刀すると同時に柄のルーンが緑の光を帯び、風を纏った刀の一撃が迫りくる弾丸を全て斬り払う。

 

「おいおい、刀でもそれをやるか。」

 

以前木刀で弾丸を弾かれたことを思い出したバレットは苦笑しながら、レンジの持つ刀『風魔』を観察する。

 

「上質なミスライト鋼で打たれた魔力を帯びた刃、柄に刻まれた風の簡易術式(ルーン)

なるほど、所謂ワザモノってやつか。」

 

初戦で木刀を持っていた時よりも、更に強くなっていると見ていいだろう。

厄介な相手だと思いながらも、バレットは今の状況さえも楽しむ余裕を見せるのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

バレットとレンジが戦っている最中、チコとスズはヨゾラノカゲヒメに搭乗し、外へと躍り出た。

操手槽の操縦席は1人用であり、スズが隣に座るスペースは当然ないため、前回同様スズはお姫様抱っこされた状態で乗ることになり、顔を赤くする。

そしてこちらに向かって来た機操兵と、長い距離を開けた状態で対峙する。

 

「あの機操兵、あの時参道で戦ったのと同じやつね。」

 

「はい、間違いありません。」

 

敵を補足したことでスズの羞恥も吹っ飛び、緊張した様子で正面の敵を捉える。

一方、相対する機操兵ペネトレーターは、右手の弓剣をヨゾラノカゲヒメに向かって構えた。

 

「今回は前みたいにはいかないわよ。得体のしれない操兵ちゃん。」

 

通信機は閉じているためこちらの声は聞こえないが、クレアは相手に話しかけるように1人呟く。

前回はカミナの里を戦場にしたくなかったから、この機体の本懐を発揮することはできなかったが、今回はその遠慮もいらない。

ペネトレーターの真価を十分に発揮することが出来る。

一方でチコは、ペネトレーターの構える弓を見て不審に思う。

 

(弓・・・でも矢も矢筒も見当たらない・・・。)

 

長弓ほどの大きさとなれば矢もそれなりの長さはあるだろうが、敵の形状からして内部に収納できるスペースは見当たらず、そもそも弓には弦すら張られていない。

あれでは完全に見掛け倒しだが、これだけ空いた間合いで弓を構えたと言うことは単なる脅しではないだろう。

それならば、思い当たる節が一つだけある。

 

(『魔法』を用いた弓矢、『魔導弓』ね。)

 

魔導弓とは、魔法によって精製した矢を、あたかも弓を引くように放つことができる武器である。

そして魔法とは、新人類であれば誰もが扱える、物理法則を無視した超常現象のことだ。

この世界には『魔素(マナ)』と呼ばれる魔法の元素となる物質が大気中に存在する。

新人類はそれを取り込み『魔力』へと変換して蓄える器官があり、魔力を『エーテル』と呼ばれるエネルギーに変換することで、魔法と言う名の奇跡を引き起こすのだ。

そして高位の術士、または魔法を扱うことに特化した機操兵による魔法は、機操兵の装甲さえ撃ち抜くと言われている。

機操兵についてはそこまで詳しくないチコは、敵の機操兵の兵種は勿論、操手の術士としての習熟度もわからない。

レンジなら一目みて兵種も分かるのだろうか、なんて忌々し気な思いが頭の片隅を過るが、少なくとも魔導弓を得物とする時点で敵はそのどちらか、あるいは両方である可能性が高いだろう。

ならば常に最悪を考慮し、チコは敵の魔法による攻撃に備え、力強く水晶を握る。

 

「チコさん、気を付けてください。」

 

こちらの緊張が伝わって来たのか、スズも神妙な面立ちで敵を見る。

 

「あれ、弓です!」

 

「・・・え?」

 

だが続けて出た言葉が余りにも当たり前過ぎたせいで、チコは敵前にも関わらず思わず呆けてしまう。

 

「きっと、矢を射ってくるはずです!遠距離攻撃に気を付けてください!」

 

「・・・いや、見ればわかるけど?」

 

「えっ?気づいてたんですね!流石チコさんです!」

 

弓を構えた相手の矢を警戒する。こんな当たり前のことを褒められるとは思っても見なかったチコは、ジットリした目でスズの顔を見る。

 

「いや、どう見ても弓でしょ、あれ。」

 

「えっ?どう見ても剣じゃないですか?」

 

だがスズにはあれが弓でなく剣に見えたようだ。

確かに弓の両端に曲剣を備えた複合武器ではあるし、前回の戦いでは専ら剣として運用されたので斬りかかられた印象の方が強いかもしれない。

だが形状から基となっているのは弓であることは見れば明らかなことである。

 

(はあ~・・・。)

 

チコは内心、ため息を吐く。

スズは普段は聡明なのだが、やや感性が独特と言うか、ズレているところがあり、所謂『天然ボケ』な発言をすることが時折ある。

だが何も敵と真っ向から睨みあっている状況でこんなボケを言わなくても良いのに、・・・。

 

「ととっ、いけない。」

 

そこでチコは今が戦闘中であったことを思い出し、再び敵に向けて意識を集中させる。

こんなことで敵から先手攻撃を受けてしまっては、レンジから何を言われるかわかったものではない。

幸いにも、こちらの呆けは敵には伝わっていなかったようで、あちらも弓を構えたままだ。

すると敵の弓が発光しだし、左手も光を帯び始めた。

 

「光よ、駆けろ。『スターロード』!」

 

クレアの唱えた呪文に呼応し、ペネトレーターは魔法による光の矢を精製して放ち、ヨゾラノカゲヒメはその一撃を回避する。

 

「流石に速いわね。でもまだまだよ。光よ、駆けろ。『スターロード』!」

 

2射、3射とクレアは次々とスターロードを発動していく。

魔法の発動とは即ちイメージの具現化だ。

『術式』と呼ばれる、術者が脳内で思い描いたイメージをエーテルを消費して具現化することで、初めて魔法は効力を発揮する。

そのイメージの具体化するために、魔法の効力を言葉で唱えることで、より洗練されたものへと昇華するのが『詠唱』だ。

故に魔法を表す呪文が長ければ長いほど、より強力かつ複雑な魔法を発動することができ、呪文が長いと高位の魔法を発動できるのはこれに起因している。

クレアが先ほど唱えた呪文は『光よ』、『駆けろ』の2節詠唱であり、所謂下位魔法に分類されるが、唱える呪文が短い分連射が効くので、小手調べには十分だ。

 

「かわし続けてもキリがないわね。」

 

一方でスターロードを回避し続けながら、チコはヨゾラノカゲヒメを跳躍させ、空中に陣を展開して足蹴にする。

 

「また来たわね。魔法による空中歩方。」

 

クレアの駆るペネトレーターが上空へと狙いを定めるが、空中を縦横無尽に飛び回るヨゾラノカゲヒメは中々補足出来ない。

 

「よし、ここだ!」

 

ヨゾラノカゲヒメは空を飛び回りながらの接敵に成功し、そのままペネトレーターの懐に飛び込む。

 

「甘いわね!」

 

だがペネトレーターは弓剣の刃を向け、ヨゾラノカゲヒメの蹴りを受け止めた。

ヨゾラノカゲヒメの鋭い爪先と、弓剣の切っ先が、鍔迫り合いを起こす様に火花を散らす。

 

「確かに動きは速い。でも反応できない速さじゃない。」

 

クレアはそう言いながらも、やや自嘲気味な笑みを見せる。

正確には、前回戦えたおかげで相手が仕掛けるタイミングを見切れたため、反応することができただけだ。

あの速度に対して見てから反応するのは厳しいだろうが、補足すら困難だった以前とは異なり、今回は相手の動きに対応することが出来る。

するとヨゾラノカゲヒメは後方へと飛び、空中に陣を作りその場で停滞した。

そして

 

トン、トン。

 

陣の上を左右で足踏みし、まるで呼吸を整えているような動きを見せる。

 

「あの動き、確か巫女の舞と同じ・・・。」

 

クレアは儀式を盗み見ていた時を思い出す。

あの足捌きは、奉納演舞で巫女が見せたのと同じものだ。

それに以前、通信機越しに聞こえてきた声も少女の声だった。

と言うことは、あれに乗っているのはあの時の巫女で間違いないだろう。

 

「あの時、痛いじゃ済まさないって言ってたわね?

全く、口の悪い巫女さんもいたもんだわ。」

 

確かにあの時は踵落としを受け、多少だが痛いじゃ済まない目にあった。

ならば今日は、あの時の意趣返しと行こうではないか。

 

「聖なるの光よ、天を照らし、地を芽吹き、邪悪を清める、恵みの雨をもたらさん!」

 

5節詠唱の中位魔法。クレアが最も得意とする魔法。

 

「セイクリッド・レイニー!!」

 

ペネトレーターは上空に目掛けて光の矢を放つのだった。

 

 



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第4話 中編

バレットの放つ弾丸を斬り落としながら、レンジは距離を詰めていく。

そうして接近に成功したレンジは、風を纏った突きを繰り出す。

 

「おっと。」

 

バレットは身を反らしてかわし銃を放つが、レンジは左手に鞘を持ちそれを弾く。

 

「器用なボウズだ!よっと。」

 

するとバレットは両手に銃を持ち、『弾倉を撃ち尽くした』はずなのに引き金を引いた。

次の瞬間、爆炎が発生し、その反動を利用してバレットは後方へと飛び退いた。

 

(火の簡易術式(ルーン)か。)

 

爆炎の範囲は狭く、レンジにも届かない。

爆風を利用した反動で距離を開けるためのものだろう。

レンジは急ぎ距離を詰めようとするが、バレットは器用に空中で弾倉を交換しているため、一度様子を見るためにその場に留まる。

 

「普通に撃っても弾かれるってんなら、こんなのはどうだ?」

 

するとバレットは右手のリボルバー銃をまるでヌンチャクのように振り回し始めた。

 

「愛しの女性達(レディース)よ!」

 

四方八方に銃を乱射するが、放たれたのは弾丸ではなく火球。それもバレットの周辺で停滞していく。

 

「宴の時間だ!」

 

(詠唱?魔法か!)

 

バレットの狙いに気付いたレンジは刀を構えて斬りこもうとするが、火球の停滞に紛れて時折こちらに実弾を撃ってくるため、うまく斬りこめずにいる。

 

「情熱的なキスで、歓迎してやれ!」

 

やがて火球の停滞を終えたバレットは、銃を回しながらレンジに狙いを定める。

 

「バレット・パーティ!!」

 

そして放たれた実弾と同時に、停滞した火球が一斉にレンジへと襲い来る。

 

(・・・変な呪文だな。)

 

そんなことを内心思いながら、レンジは降り注ぐ火球を回避する。

呪文の詠唱は術式を洗練させることが目的であるが、あくまでも『術者本人』のイメージが具体化すれば良いため、呪文と言うのは術者の個性が非常に光りやすいものだ。

こんな型破りな呪文でも術者にとっては効果絶大なのだが、一見して呪文とは分かりづらい分、相手をする側からすればやりづらいことこの上ない。

レンジがバレットの意図に気が付くのが遅れたのもそのせいである。

レンジは火球をかわし、刀で落として捌いていくも、やがてかわし切れない量の火球に囲まれる。

 

「ゲームオーバーだ。」

 

バレットの言葉とともに、火球が一斉にレンジへと襲い来るが、レンジは刀を逆手に持ち、地面へと突き刺す。

 

「風よ、我が身に纏え。」

 

バレットとは異なり、淡白な2節詠唱を静かに唱える。

 

護風陣(ごふうじん)。」

 

次の瞬間、周囲に竜巻が発生しレンジを包み込み、バレットの放った火球を全て吹き飛ばしたのだ。

 

「何っ!?」

 

バレットが驚き怯む。

バレット自身は決して魔法が得意な方ではないし、火球の半分ほどはかわされ斬り落とされていたのでバレットパ・パーティの威力も下がっている。

それでも4節詠唱の中位魔法が、2節詠唱の下位魔法によって防がれたのだ。

 

(シンプルな呪文によるシンプルな魔法・・・なるほど、そのせいか。)

 

バレットは苦い表情を浮かべながらも冷静に状況を分析する。

簡素な呪文による魔法は単純な効果しか持てないが、直感的なイメージをストレートに表現できることは、それだけで高い効力が望める。

そして何よりも、術者の熟練度を直接的に反映させられる。

2節詠唱の下位魔法とて、侮ることなかれ。

単純な魔法と言うのは、術者がこれまでの鍛錬で研ぎ澄まして来た術式を、最高のパフォーマンスで発揮することができるのだ。

まさにシンプル・イズ・ベスト。

レンジの得意とする魔法系統であり、同時に好みでもある。

 

「風よ、我が刃に宿れ。」

 

竜巻が消えると同時に、レンジは風魔に風を纏わせ鞘に納め、居合の構えを取る。

 

「抜刀術か。」

 

だが構えを見せてくれるなら回避も容易い・・・と思った次の瞬間、風を纏ったレンジが高速で距離を詰めてきた。

 

「なっ!」

 

余りの速度に完全に意表を突かれたバレットは、反射的に後退する。

 

「アクメツ流。」

 

レンジが抜刀し、風魔を薙ぐ。

それは紙一重で届かず、バレットはニヤリと笑うが、次の瞬間バレットの身体が強風に煽られて吹き飛ばされる。

 

「なにっ!!?」

 

風魔に纏わせた風が抜刀と同時に強風を引き起こし、刃が届かぬ間合いへは強風による攻撃を同時に行う。

風の魔法と組み合わせた2段構えの抜刀術。

 

疾空斬(しっくうざん)。」

 

葉巻を飛ばされ、はるか後方へと飛ばされたバレットは、突然『何もない空間』へとぶつかった。

その様子をレンジは訝しむが、バレットは怪しげな笑みを浮かべる。

 

「こいつは参ったぜ。どうやら白兵戦じゃあ、分が悪い見てえだな。」

 

口ではそう言いながらも、バレットは余裕な様子だ。

そんな彼の様子と、以前彼らがどうやってカミナの里へと侵入してきたのかを思い出したレンジは目を見開く。

 

「ちっ!」

 

「おせえよ。」

 

レンジが再び刀を構えるが、バレットの姿さえもどこかへと消え、次の瞬間何もない空間からバレットの操兵トリガーハッピーが姿を見せた。

視覚隠蔽を使って機体を隠していたのだ。

もしかしたら火の簡易術式(ルーン)でこの方向へと後退したのも、バレットの狙い通りだったのかもしれない。

 

「わりいなボウズ。だが俺たちの目的はチャンバラごっこじゃない。

遊びはこれで終わりだ。」

 

そう言いながらバレットはヨゾラノカゲヒメとペネトレーターが交戦している方へと操兵を向ける。

だがレンジは慌てた様子を見せず、静かに左手を横へと突き出した。

バレットはその様子を見て眉を顰める。

レンジの左手首には、風の簡易術式(ルーン)が刻まれた腕輪を付いており、それが淡い光を帯び出したからだ。

 

「来い!カザキリ!」

 

そしてレンジがカザキリの名を叫んだ次の瞬間、ここより遠くにあるサナギの格納庫から、カザキリが出撃し、一直線にレンジの元へと飛んできた。

 

「なんだあの操兵は?」

 

バレットは初めて見るカザキリに動揺するが、次の瞬間さらなる驚愕が襲う。

こちらに飛んでくるカザキリの操手槽は開いており、中には『誰も乗っていない』のだ。

 

自動操縦(オートパイロット)だと!?」

 

機操兵は操手のエーテルを動力としているが、これは機操兵に貯蓄させることはできない。

だがカザキリのバックパックには、『液体エーテル』が搭載されている。

これは『魔石』と呼ばれる魔素が結晶化した鉱物と、『聖水』と呼ばれる特殊な水を用いてエーテルを液状に保管したものだ。

人間、または魔獣の体内でしか生成できないエーテルを、液体として保管できる万能燃料として重宝しており、これにより機操兵の予備燃料を確保することができるのだ。

そしてレンジの腕輪に刻まれた簡易術式(ルーン)は、機操兵の『召喚術』。

カザキリの液体エーテルを探知できる範囲であれば、腕輪の簡易術式(ルーン)に呼応してカザキリが自動に駆け付けてくれる。

これがカザキリに実験的に搭載された兵装、『機操召喚(きそうしょうかん)』である。

 

「チッ!」

 

バレットがトリガーハッピーの魔導砲を放つが、カザキリの纏う風のバリケードによって遮られる。

レンジはその場で跳躍し、後方から迫りくるカザキリの操手槽へと飛び乗った。

そして操手槽のハッチが閉じ、レンジは操縦桿に手を入れ、足踏板に足を置く。

 

「魔導炉の起動を確認、エーテル伝導率良好、各部異常無し。」

 

カザキリの両目にあたる『魔晶球』から青色の光が点灯し、操手槽内の映像版にトリガーハッピーの姿が映り出す。

 

「さあ、行こうぜカザキリ。」

 

カザキリが腰の刀を手に取り、居合の構えを取る。

 

「初陣だ。」

 

そしてバレットの駆るトリガーハッピーへと駆けていくのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

ペネトレーターが上空に放った矢は、やがて大きな光となって弾けた。

その光景をチコは警戒心を強めながら眺めていたが、次の瞬間、弾けた光が無数の矢へと変わっていく。

 

「範囲攻撃!?」

 

そう直感したチコはヨゾラノカゲヒメを走らせた途端、空から無数の光の矢が雨のように降り注ぐ。

進行方向へと矢の雨が降り立ち、慌てて旋回して降り注ぐ矢の中を潜っていくが、ついに回避が間に合わず、矢が肩部へと着弾した。

 

「きゃああっ!」

 

「スズ!」

 

操手内に衝撃が伝わり、チコの肩を抱くスズの力が強まる。

やがて矢の雨が収まり、チコが態勢を立て直そうとしたその時。

 

「セイクリッド・レイニー!」

 

再び空へと矢が放たれ、矢の雨が降り注ぐ。

チコが回避に気を取られている間に、クレアは第2射の詠唱を終えていたのだ。

 

「長い呪文を必要とする魔法は、どうしても隙が生じるからね。」

 

クレアは操手槽内で1人愚痴る。

その点では下位魔法は融通が利くが、中位以上の魔法ともなれば、操兵相手にも十分な威力を発揮できるのだ。

だがここでクレアは、相手の肩部を見て眉を顰める。

 

「傷一つついていない・・・?」

 

セイクリッド・レイニーは矢の一発当たりの威力こそ控えめだが、それでも並の操兵相手ならダメージを与えることは容易いはずだ。

 

「見かけによらず、頑丈みたいね。」

 

とは言え、今更あれの得体のしれなさ1つくらいで驚くこともない。

それに目的はあくまでも奪取だ。破壊し難いのであればむしろ好都合だし、矢が着弾した時に相手が態勢を崩していたから、手応えはあったはずだ。

攻撃の手を緩めなければ、衝撃で操手槽にいる操手の意識を奪うこともできるかもしれない。

ヨゾラノカゲヒメは再び回避を試みるが、先ほどと同じように退路を封じられ、降り注ぐ矢をかわし切ることが出来ずに被弾する。

そのタイミングを見計らって、クレアはペネトレーターの弓剣を構えて斬りかかる。

だが態勢を崩しながらもヨゾラノカゲヒメは陣を足蹴にして脚部を大きく伸ばし、弓剣の腹を蹴って受け止める。

 

「この期に及んで、まだ『両腕を使わない』だなんて、舐められたものね。」

 

クレアはペネトレーターの弓剣を構え直し、再び斬りかかる。

 

「もう!なんで『腕が使えない』のよ!!」

 

一方でチコは溜まりに溜まった不満をぶちまけながらも、何とか足だけで応戦する。

そう、ヨゾラノカゲヒメは今まで両腕を使わなかったわけではない。使えなかったのだ。

足でさえ、足踏板を踏まずとも水晶に念じるだけで動かせるのに、肩部装甲が折りたたまれ指まですっぽりと隠れた両腕はどれだけ念じても、うんともすんとも言わず強制的に『気を付け』の姿勢のままである。

もしも動かすことが出来たら近接戦で後れを取るようなことはなかったのだが、結果として足だけで応戦せざるを得なくなったチコは、万全な態勢かつ魔法も織り交ぜてくるペネトレーターに押されていく。

 

「まあいいわ。これでも舐めてかかるって言うのなら、自分の愚かさを嘆くことね。

聖なるの光よ、天を照らし、地を芽吹き、邪悪を清める、恵みの雨をもたらさん!」

 

クレアが再び呪文を唱え、セイクリッド・レイニーを放つ。

 

「また・・・あれ?」

 

とここでチコは、2度に渡って放たれたセイクリッド・レイニーに共通点があることに気が付く。

再びヨゾラノカゲヒメを走らせるが、またしても退路を封じるように進行方向に矢が降って来る。

 

「もしかして、この術。」

 

範囲攻撃かと思ったが、降ってくる矢に規則性があるのでは?

チコは記憶を辿りながら2度に渡って着弾した寸前までの動きをなぞる。

そして・・・。

 

「なるほどね。」

 

降り注ぐ矢を前にして、静かに微笑むのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

バレットはトリガーハッピーの魔導砲を放ち、カザキリの小手先を調べる。

するとカザキリは刀を抜き、手首を回転させて弾丸を斬り払った。

 

「もう驚かねえよ。」

 

いい加減慣れてしまったバレットは慌てることなく、両手に持つ魔導砲を連射する。

まるで操手の動きをなぞるかのように、カザキリは巧みに弾丸を斬り払いながらトリガーハッピーへと距離を詰めていく。

 

「どの国の機操兵にもねえ規格だな。オーダーメイド機か。

各部に刻まれた風の簡易術式(ルーン)、長く可動域の広い両腕部、両腕の可動域に接触しないよう、細く絞った下半身。

なるほど、風の魔法と刀を振るうことに特化している。ボウズ専用機ってわけか。」

 

辺境の地に住む少年が、自分に合せて徹底したチューニングされた専用の機操兵を持つ。

何とも贅沢な話だと、バレットは1人ごちる。

ジャンクパーツをせっせとかき集めて造りだした自分のトリガーハッピーとはエライ違いである。

やがて距離を詰めてきたカザキリと、トリガーハッピーが正面からぶつかり合う。

衝撃が両者の操手槽に伝わるも、レンジもバレットも怯まない。

 

「はっ!」

 

カザキリが刀を袈裟懸けに薙ぐ。

 

「甘い!」

 

トリガーハッピーが肘でカザキリの手を受け止め、もう片手の魔導砲を連射する。

だがカザキリの肩部のルーンが輝き、突風を引き起こして弾丸を回避する。

その後も続けざま放たれる魔導砲を、カザキリは風を纏いながらかわし続ける。

 

「簡易版のウィンドフローか。」

 

操兵に風による推進力を付与させる一般的な下位魔法。

熟練した魔法師であれば機体を浮かせるほどの推力を得ることができるそうだが、簡易術式(ルーン)ではそこまでの効力は望めない。

その代わりにカザキリは全身の至るところに簡易術式(ルーン)を刻み込み、簡易ウィンドフローによる推力を利用して機体速度の底上げをしている。

加えて簡易術式(ルーン)の刻まれた箇所は全て可動式。

全方向、あらゆる角度に風の推力を向けることができる。

 

「魔導炉のエーテル出力は特に飛び抜けてはいねえ。

装甲強度もさっきの鍔迫り合いでそこまで頑強でもねえ。」

 

何かと高性能なイメージが付きやすいオーダーメイド機だが、カザキリと呼ばれた操兵の『基本性能』はそこまで優れたものではない。

だが簡易術式(ルーン)による推力の補強、操手の得意とするスタイルに合わせての調整。

乗り手が優れていれば優れているほど、あの機体は数値以上の性能を発揮するのだ。

 

「こりゃ、底が知れねえわ。」

 

益々羨ましい話であるが、バレットは付け入る隙があることに気付く。

あの操兵は操手の戦術を再現することに特化している。

裏を返せば、操手に出来ない戦い方は考慮していない。

 

「それなら、こんなのはどうだ?」

 

カザキリが再び接敵し、トリガーハッピーと取っ組み合う。

だが次の瞬間、トリガーハッピーのバックパックから補助腕が現れ、後部に収納している予備魔導砲を構えた。

 

「なにっ!?」

 

完全に意表を突かれたレンジは、敵からの攻撃を許してしまい、ついに被弾する。

魔法を火薬代わりに利用して弾丸を射出する魔導砲は、威力自体は大したことはないが、衝撃で機体を揺らされたカザキリは隙を晒してしまう。

 

「もらったぜ!」

 

バレットは魔導砲の弾丸を実弾へと切り替え、火の簡易術式(ルーン)で着火し敵に放つ。

 

「ちっ!」

 

一方レンジは舌打ちしながらも、肩部を稼働しウィンドフローを全面に展開し、弾丸の威力を削ぐと同時に機体を後方へと退避させる。

肩部に着弾し銃痕こそ残ったが、何とか持ち直すことは出来たようだ。

 

「思った通りだ。『人間同士』の行儀の良い戦いにしか慣れてねえようだな、ボウズ。」

 

だがこれは操兵による戦いだ。

先ほど見せた『4本腕』による銃撃等、人には出来ない戦い方だっていくらでも出来る。

カザキリは操手に合わせて造られたのが災いして、人の域に収まる戦いしか出来ないのだ。

ならばその域から外れた土俵に立たせてしまえば、こちらが負ける道理はない。

 

「ようボウズ。親切心で警告してやる。大人しく撤退して輸送艦に引っ込め。

ピカピカの操兵にこれ以上傷は付けたくないだろう?

俺たちの目的はあの黒い操兵だけだ。それさえ渡せば命までは取りはしねえよ。」

 

トリガーハッピーが4本腕による魔導砲を構え、人非ざる戦いであることを強調しながら、バレットは通信機を使い、撤退を呼びかける。

だがカザキリからの返事はなく、再び腰の刀を構えた。

 

「やれやれ、無口だねえ。モテねえぞそんなんじゃ。」

 

トリガーハッピーが4本腕で魔導砲を乱射する。

 

(大きなお世話だ。)

 

レンジは内心、大きなため息を吐きながら、弾丸の雨の中へ飛び込むのだった。

 

 



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第4話 後編

クレアは目の前の出来事が信じられずにいた。映像板の不良であることを何度も疑った。

だが・・・

 

「嘘でしょ・・・なんで?」

 

黒い操兵、ヨゾラノカゲヒメは間違いなくこちらへと向かって来る。

 

「なんで当たらないのよ!」

 

セイクリッド・レイニーの中を掻い潜りながらだ。

 

「聖なるの光よ、天を照らし、地を芽吹き、邪悪を清める、恵みの雨をもたらさん!」

 

2度の着弾以降、セイクリッド・レイニーはヨゾラノカゲヒメに掠りもしない。

それどころか着実にこちらまでの距離を詰めてきているではないか。

 

「・・・まさか。」

 

ここでクレアは、考えられる限り最悪の事態を思い浮かべる。

一方でチコは、セイクリッド・レイニーの『規則性』を紐解きながら再び攻撃を掻い潜る。

 

「最初の一撃は、外から。」

 

ヨゾラノカゲヒメの進路上に、矢が退路を塞ぐかのように降り注ぐ。

 

「そこから一発ずつ落として誘い込み。」

 

上空から次々と矢が降り注ぎ、ヨゾラノカゲヒメはそれを回避していく。

 

「あるタイミングで、『一歩先』の箇所に矢を落とす。」

 

上空から降り注ぐ矢は一定の間隔を保っている。

そこで相手に回避の間隔を測らせ、本命の矢を一歩ずらして着弾させる。

 

「ここだ!」

 

チコはヨゾラノカゲヒメを停止させると、矢がその一歩先に着弾した。

 

「残りの矢は全部ダミー。範囲攻撃と見せかけた罠。

全く、手の込んだ魔法ね。」

 

セイクリッド・レイニーは範囲攻撃なんかではない。

本命の矢を数発、着弾させるために大量の矢を囮にしていただけだ。

あれだけの矢を降らせる以上、それなりの魔力を消費するはずだが、術士の練度が高ければ光の矢数発だけでも操兵にダメージを与えるには十分な威力だ。

だからその数発を当てるためだけに、大量の魔力を使って盛大なダミーを作りだす。

一見すればそれは魔力の無駄遣いかもしれないが、有効打となる一撃を与えてしまえば、数発だろうが全弾だろうが結果は変わらない。

まして今は一騎打ち。これ以上の敵はいないのだ。

相手を確実に仕留めると言う点では、ある意味効果的な戦術と言える。

 

「今の動き、間違いない。見破らてる・・・。」

 

一方でクレアは、たったの2射放っただけで攻撃を捌かれたことに愕然とする。

規則性を隠すために過剰な範囲と大量のダミーの矢を使った魔法なのに、敵の操手はそれに惑わされることなく、術の法則を見抜いたのだ。

 

「くっ、聖なるの光よ、天を照らし、地を芽吹き、邪悪を清める、恵みの雨をもたらさん!」

 

クレアは再びセイクリッド・レイニーを発動する。

だが今度はシンプルに、全弾を一斉に落とし込む範囲攻撃だ。

だがヨゾラノカゲヒメはその切り替えに惑わされることなく、その速度を武器に一瞬で範囲外へと逃れた。

 

「やっぱりダメか!それなら、光よ、駆けろ!スター・ロード!」

 

ならばと、自らの矢で射抜こうとするが、ヨゾラノカゲヒメを補足することが出来ない。

するとヨゾラノカゲヒメは空中に静止し、両足を踏み出した。

 

トン、トン。

 

「またさっきの動きね。でも、わざわざタイミングを教えてくれ・・・」

 

だが次の瞬間、ヨゾラノカゲヒメがペネトレーターへと急接近し、蹴りを繰り出した。

 

「ぐっ!」

 

操手槽内の衝撃に揺らされながら、クレアは苦悶の声をあげる。

操兵による戦いとは言え、操手は人間。

一定のリズムを意識させてからの急激なペースチェンジと言うフェイントに、まんまとハマってしまった。

だがフェイントを絡めた心理戦は、命のやり取りをする戦場で積極的に取るべき手段ではない。

相手が自分の術中にかかってくれなければ、大きなリスクが付きまとう。

読心術でも使えない限り、心理戦は一種のギャンブルめいたものであり、一歩間違えたら自分が死ぬのだ。

 

「随分とスポーツめいた戦いね・・・。戦場を舐めているのかしら?」

 

そうは言いながらも、クレアは屈辱から唇を噛み締める。

こちらの戦術が破られ、相手が有利な状況に後転し、その上で心理戦まで仕掛けられたと言うことは、相手には相応の余裕があると言うこと。

既に戦況は、相手の思う通りに支配されたのである。

 

「仕方ない。ここらが潮時のようね。」

 

クレアは怒りに震えながらも冷静に状況を分析する。

操手のエーテルは、操兵の動力にもなるので、魔法の発動も合わせれば魔力の消費量は著しく上がるもの。

そして自分は中級魔法を連発したせいで、魔力が切れかかっている。

魔力切れを起こせば操兵を動かすこともできない。つまりここからの撤退すら不可能となるのだ。

 

「次に会うときはこうはいかないわよ。巫女さん。」

 

クレアは大人しくペネトレーターを下げ、バレットの元へと向かうのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

バレットは目の前の出来事が信じられずにいた。映像板の不良であることを何度も疑った。

 

「おいおい、嘘だろ。」

 

だが敵は間違いなく、こちらに接近している。

 

「なんで当たらねえんだ!」

 

それも魔導砲の弾丸を全て斬り落としながらだ。

4本腕で魔導砲を放つ、人非ざる戦術を取っているにも関わらず、カザキリは被弾1つしない。

全てかわされ、落とされる。弾幕の密度まで計算に入れて放っているはずだが、また振り出しへと戻ってしまったのだ。

 

(補助腕の可動域は・・・あの形状ならそこまでが限界か。

それと両腕の可動域まで視野に入れて・・・。)

 

一方でレンジは、補助腕を含めたトリガーハッピーの射程範囲を分析する。

 

「よし、ようやく。」

 

そして刀を腰に構えて一気に抜刀し。

 

「目が慣れてきたぜ。」

 

4方向から放たれた弾丸を一振りで斬り落とした。

 

「こいつ、もう補助腕の攻撃にまで対応したってのか!?」

 

最初の一撃で意表を突けたが、二度目が一切通じない。

レンジの対応力と適応力の高さに、バレットは驚愕する。

やがて距離を詰めたカザキリは刀を振り上げる。

トリガーハッピーは機体を反らして回避するが、そこへカザキリは柄を突いた。

柄は補助腕の魔導砲の銃身へと当たり、レンジはそこへ魔力を流し込む。

次の瞬間、魔導砲内部で魔力による反作用が発生し、魔導砲が補助腕を巻き込み爆散する。

 

「くっ!」

 

補助腕の爆発によりトリガーハッピーが態勢を崩し、そこへカザキリが再び刀を振り上げる。

 

「甘い!」

 

だがトリガーハッピーはもう片方の補助腕から爆炎を放ち、無理やり機体を制御してその太刀を受け止めた。

 

「わりいな。俺にだって操手としてのプライドがあるんだよ。

生身での戦いでも負けたってのに、操兵でまで負けちゃあ、ギルドマスターとしての示しがつかないぜ。」

 

そうは言いながらもバレットは焦りを覚える。

あの少年の実力は本物だ。操手としての年季の差なんて簡単に踏み越えてきている。

こちらの戦術に対する対応の早さを鑑みれば、このまま戦いを続ければ・・・。

 

「バレット。ごめん、魔力切れしたわ。」

 

バレットの脳裏に敗北の2文字が浮かび上がった直後、クレアの声が通信機から聞こえてきた。

ペネトレーターは動いているので、厳密に言えば魔力が切れたわけではないが、少なくとも戦闘を継続できる余力はないようだ。

 

「仕方ねえ。クレア、引き上げるぞ。」

 

「了解。全く、可愛げのない子どもたちね。」

 

「やれやれ、思ってた以上に面倒なことになったな。」

 

そうは言いながらも、バレットは笑みを浮かべながら葉巻に火を付ける。

確かに子ども相手に徹底的に打ち負かされ、自分もクレアもプライドがズタボロだ。

だがそれ以上に、思い通りにいかないアクシデントを楽しむバレットは、今の何もかもが思い通りにいかない現状さえ、暇つぶしの一環として捉えるのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

戦闘を終えたチコたちは、サナギへと帰還してそれぞれの機体から降りる。

 

「スズ、大丈夫だったか?」

 

「うん。」

 

「ごめんね、怖い思いさせちゃって。」

 

「チコさんと一緒だから平気です!」

 

そう笑顔で言うスズを見て、レンジもチコも苦笑する。

 

「みんな~お疲れ~。」

 

そんな一同をミリアが明るい声で出迎える。

 

「あれ?カンナちゃん。こんなところにいたんだ。」

 

するといつの間にか、カンナがチコたちの後ろに立っていた。

 

「こんなところって、カンナ、寝室にいなかったんですか?」

 

「いや~気づいたらどっか行っててね。

操縦室のモニターから目を離すわけにもいかないし、とりあえず戦場にはいなかったみたいだからいいかなあって。

てゆうか、てっきり君たちと一緒かと思ったよ。」

 

チコは目線だけでレンジに聞くが、レンジは首を横に振る。

戦いの最中、カンナは忽然と姿を消していたのだ。

一体どこに・・・。

 

「ふう~・・・。」

 

すると隣にいるスズから盛大なため息が漏れた。

 

「スズちゃん、お疲れなんじゃないの?」

 

「あはは、今になって緊張が解けたみたいです。」

 

「スズ、早く部屋に戻って休みましょう。」

 

恥ずかし気に笑うスズを見て、チコも一旦思考を中断する。

いくら気丈に振る舞っていても、スズは戦闘術を持たない普通の女の子だ。

内心とても怖くて、疲弊していたに違いない。

そのことに改めて胸を痛めながらも、チコはスズを休ませることを優先する。

 

「もう日がとっぷり暮れちゃってるし、流石に今日はここで一夜を明かしますか。

周り見たところ魔獣の気配もないし、ここなら安全だろうからね。」

 

細かいことは気にしない主義のミリアも、カンナのことを詮索せずに今晩はサナギで過ごすことを告げる。

 

「寝室は1つしかないから、レンジ君にとっては窮屈かもしれないけどね~。」

 

するとミリアが悪戯めいた笑みを浮かべながらレンジを茶化す。

 

「別に、問題ねえです。」

 

その言葉にレンジは一切の動揺を挟まずにあっさりと答える。

 

「うわ、反応薄っ。君、昔流行った草食系男子ってやつ?」

 

内心、なんだそれは?と思いながらレンジはため息を吐く。

1つの部屋に1人の男子が複数の女子に囲まれて一夜を過ごす。

武術一辺倒のレンジにだって、それが客観的に見れば男子が羨むような状況であることは理解できる。

だが主観的に見れば、内1人は実の妹、内1人は幼女、最後の1人に至っては女子とかどうとか以前の問題であり、こんなメンツでレンジに異性を意識しろと言う方が無理である。

 

「私、先にシャワー浴びちゃってもいいですか?」

 

「いいよ。シャワー室は寝室出てすぐ目の前にあるから。」

 

「スズ、旅中の水は貴重だ。無駄遣いするなよ。」

 

「わかった。」

 

「チコ、お前とカンナも一緒に入れ。その方が無駄にならねえ。」

 

「そうするわ。スズ、一緒に入りましょ。」

 

「はい。」

 

この中で一番旅慣れているレンジからアドバイスが飛び交うが、こんな会話が自然と出来ている時点で異性として意識できていないことは明白であり、ミリアはつまらなそうな表情を浮かべる。

 

「レンジ、あなたも後でちゃんとシャワー浴びなさいよ。」

 

「オレはいい。」

 

「良くないわよ。汗くさい男と一緒の部屋で寝るなんて真っ平ごめんよ。

それに私だけならともかく、スズとカンナがいるってことを忘れないで頂戴。」

 

「・・・チッ。」

 

そう言われてはレンジとしても引くしかなく、忌々しく舌打ちしながらチコの意見を聞き入れる。

だがこれまたごく自然に、『私だけなともかく』なんて言葉が出てくるあたり、チコも妙なところで鈍感である。

 

「ホント、仲良いんだか悪いんだかわかんない2人だね。」

 

そんな2人のやり取りみたミリアは一転、面白そうな笑みを浮かべる。

 

「本当ですよ。」

 

一方スズは、つまらなそうにジットリとした目で見るのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

それぞれシャワーと夕食を終えたチコたちは、寝室で寝る支度をしていた。

 

「ベッドは1つ、布団も1つ。

レンジ、ベッドはスズとカンナに使わせるけどいいわね。」

 

「問題ねえ。」

 

「すっすみません。気を遣わせてしまって・・・。」

 

「気にしないで。スズとカンナなら2人でベッドでも狭くないだろうし。ある意味適材適所よ。」

 

「ありがとうございます。カンナちゃん、一緒に寝よ。」

 

「ふわあ・・・うん。」

 

寝むたそうに目を擦るカンナをスズがベッドまで手を引き、2人で掛布団に潜る。

 

「さてと、問題は・・・。」

 

そしてチコはレンジと睨み合う。

最後の問題は当然、自分とレンジのどちらが布団を使うかである。

当然、同じ布団で一緒に寝るなんて選択肢は世界が滅びてもあり得ない話であり、そもそもそんなスペースもない。

だからと言って畳で雑魚寝なんてのも御免だからわざわざ相手に譲りたくない。

でも相手から貸しを作るのも御免だ。

・・・この時点でチコもレンジもどちらに転んでも反発し合う未来しかないわけだが、それに気づいてか知らずか、レンジが風魔を手に取り立ち上がる。

 

「どこ行くの?」

 

「魔獣の危険が無いとも限らねえ。オレが寝ずの番をするからお前ら勝手に寝てろ。」

 

「なっ、ちょっと何を勝手に・・・。」

 

「どうせお前は布団譲らねえし、オレが譲るっつっても受け取らねえだろ。」

 

「そんなのお互い様じゃない。」

 

「だったら譲らねえし、いらねえから勝手に寝ろ。」

 

そう言い残し、レンジは1人部屋を出る。

 

「・・・あの、チコさん?」

 

スヤスヤと眠るカンナを優しく抱きながら、スズがチコの様子を伺う。

 

「・・・何でもないわ。あいつの言う通り今日はもう寝ましょう。」

 

「はい。」

 

スズにそれだけを言い、チコは部屋の明かりを消す。

結局予期せぬ貸しを1つ作られたわけだが、これ以上強情になってはスズに迷惑し、ここであいつの厚意を無下にしてわざわざ睡眠時間を削ってしまうのは、それはそれでまた貸しが1つ増えそうだ。

 

「あ~もう、メンドくさいやつね。」

 

最早、何が貸しなのかよくわからなくなってきたチコは、仏頂面のまま布団に潜る。

 

(ふふっ、チコさんがそれ言いますか?)

 

そんなチコの言葉に、スズはつい心の中で苦笑するのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

深夜、目を覚ましたチコは枕元に置いた懐中時計を見る。

 

(午前3時か・・・。)

 

昨日は多少早くに寝たので、睡眠時間としては十分だろう。

チコはスズとカンナを起こさないように物音立てずに布団から出て、側に置いてあった自分の剣を手に取る。

そして静かにドアを開け、外へと出ると。

 

「何の真似だ。」

 

こちらに目もくれず、レンジがぶっきらぼうに尋ねてきた。

チコはドアを閉め、ドアを挟んでレンジとは反対側に壁に腰掛ける。

 

「見張りの交代。」

 

「いらねえ。」

 

「あなたに貸しを作られたままでいるのはイヤなの。

これで貸し借り無しよ。」

 

「知るか。お前の都合なんざどうでもいいからさっさと戻れ。」

 

「こっちこそ、あなたの都合なんかどうでもいいからさっさと寝なさい。」

 

お互いに小声で言い争い、しばしの沈黙が訪れる。

こうなったら根競べだが、チコには勝てる自信があった。

なぜならレンジは不良かぶれのクセに義理堅く、相手の厚意を無下にすることなんて出来ないからだ。

 

「・・・チッ。」

 

しばらくして、レンジが忌々し気に舌打ちしながらゆっくりと立ち上がり、ドアに手をかける。

勝った。なんて内心思いながら、チコはレンジに念を押す。

 

「言っておくけど、ちゃんと布団で寝なさいよ。

畳で雑魚寝なんかしたら疲れが取れないからね。」

 

「るせよ。軟弱なお前と一緒にすんな。」

 

「マギアディール到着までに、またやつらが来るとも限らないでしょ。

疲れが取れずにヘロヘロな状態でコテンパンにされてもいいなら止めないけど、私たちでスズを守るってことを忘れないでよね。」

 

スズの名前を出して更に念を押す。

 

「・・・チッ。」

 

再度レンジが舌打ちをし、ドアを開けて部屋へと入る。

スズに弱いレンジのことだから、これで断ることも出来なくなるだろう。

部屋の中から布団を被る音が聞こえてきたので、チコはホッと一息をつく。

 

「よし・・・。」

 

3時を過ぎているとはいえ、夜明けまではまだ遠い。

一応これは、魔獣を警戒するための見張りであることは忘れてないので、チコはうっかり寝ないように気を引き締める。

 

(懐かしいわね・・・最初にこうやって見張りをしたのって、いつだっけ?)

 

チコは昔を思い出す。

あの時も確か・・・操兵の訓練に出るレンジに対抗して、無理を言って輸送艦に乗せてもらったのだった。

次代の巫女が操兵の訓練に無理やりついてきて街の外へと出る。

あの時大人たちも、両親も、顔を真っ青にして肝を冷やしていたことを思い出し、今にして思えば、随分と迷惑をかけたものだ。

そして今日のように、輸送艦で一夜を明かすことになり、レンジとどちらが寝ずの番をするかで揉めたのだ。

結局、2人して寝ずの番に付き、自分はうっかり寝落ちしてしまった。

目が覚めたときには身体に毛布が巻かれており、後になってそれがレンジの仕業だと知った時にはぶん殴ってやりたいくらいに自分に腹が立ったものだ。

 

(結局・・・負けず嫌いもお互いさまよね。)

 

自分に一度も勝てたことがないレンジは、何かと対抗心を燃やしてくるが、自分からすれば、レンジに対して勝っているものは白兵戦での実力しかない。

それは今日もまた身に染みた。

客観的な判断力、旅の慣れ方、操手の実力、そして何よりも己を信じられる強さ。

アクメツ流を極めたレンジは心・技・体の全てを高水準で揃えている。

自分よりも弱いくせに、それ以外の全てで自分よりも先を行くあいつのことが気に入らない。

そして何よりも気に入らないのが、そう認めざるを得ないほどの実力を、自分は何度も目の当たりにしてきたことだ。

 

(だからこそ、あいつには負けたくない・・・。よし、気合を入れて夜更かししますか。)

 

気持ちを1つ切り替えたチコは、手に持つ剣を強く握る。

背中から伝わる、3人の魔力反応に身を委ねながら、チコは灯り1つない静寂な輸送艦の通路で、寝ずの番を続けるのだった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

次回、チイロノミコ第5話

 

「カゲヒメノナゾ」

 

運命の糸が、物語を紡ぐ。

 

 

 

 



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第5話
第5話 前編


 カゲヒメノナゾ

 

 

 

 

 小型輸送艦サナギで一夜が明けた日の朝。

 スズが目を覚ますと、目の前には静かに寝息をたてているカンナの寝顔が映った。

 

(そっか・・・昨日は輸送艦で過ごしたんだっけ・・・?)

 

 カンナを起こさないように小さく欠伸をしながら、スズがベッドから身を起こす。

 初めての旅に出た昨日の夕方、盗賊の駆る機操兵と再び交戦することになったが、自分がいなければヨゾラノカゲヒメを起動させることができないため、戦う力のないスズも止むを得ず戦闘に参加した。

 実際にはスズ自身は操手槽の中でチコにお姫様抱っこされていただけなので何もしておらず、チコが側にいるどころかくっついていたため、安心よりも羞恥の方が大きかったわけだが、それでも戦闘が終わった後に急な脱力感に見舞われたので、自分でも気が付かない内に気を張り詰めていたのだろう。

 そのままシャワーを浴びて夕飯を食べたらすっかり眠くなってしまい、いつもよりもだいぶ早い時間に寝付いたものだ。

 

「おはよう、スズ。」

 

 すると既に起きていたチコが、微笑みながら声をかけてきた。

 その後ろには胡坐で座っているレンジの姿もある。

 

「チコさん、おはようございます。」

 

「昨夜は良く寝れた?」

 

「はい、おかげさまで。」

 

 昨夜、レンジが寝ずの番をしてくれたからこそ、安心して眠ることができた・・・とここでスズはあることを思い浮かべ、チコとレンジを交互に見てから頭を下げる。

 

「昨日は、私たちのために見張りをしてくれて、ありがとうございます。」

 

「えっ?スズ。気づいてたの?」

 

 チコとレンジが少し驚いたような顔でこちらを見るものだから、その様子をスズは自分が思い浮かべたことを確信する。

 

「あっ、やっぱり。チコさん、途中でお兄ちゃんと交代してたんですね。」

 

「え?」

 

「ごめんなさい。

 私、ホントは寝てて気づかなかったんですけど、チコさんがお兄ちゃんにずっと見張りを任せるのは、多分我慢できないだろうなって思ったので。」

 

「スズ・・・あなたねえ。」

 

「えへへ、でも、もしそうならちゃんとお礼を言いたかったんです。」

 

 最初は呆れていたチコも、長年の付き合いからスズの言葉が本心であることは十分に理解しており、何よりもあざとらしく舌をペロって出しながら言うものだから、騙したことを責める気持ちも完全に失せてしまった。

 

「・・・もう。ほら、カンナを起こして朝ごはんにしましょ?」

 

「はい。カンナちゃん、起きて。ごはんにするよ~。」

 

「ふみゅう・・・。」

 

「カンナ。いい加減に起きなさい。」

 

「むにゅう・・・。」

 

 なかなか目を覚まさないカンナを起こすことに苦戦しながら、スズたちは輸送艦の中で賑やかな朝を迎えるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 朝食を終えたチコたちは、ミリアから直にマギアディールに到着することを聞き、操縦室へと訪れる。

 検問の前で身分証を開示する必要があるからだ。

 

「見えてきたよ。あれがマギアディールだ。」

 

 ミリアの言葉に、スズは操縦席の映像板を見る。

 

「すごい・・・。」

 

 都市の全貌が見えるほどにまだ離れているが、それでもカミナの里とは比べものにならないほど広大であることは明らかだった。

 都市を覆う魔獣除けの城壁は遠目で見ても十分に高いはずなのに、その内側にある建造物は城壁を突き抜けて見えるものばかり。

 特に目を引くのは中央に建てられた巨大な塔であり、まるで天にも届くほどの高さを誇り、側面部に巨大な輪が回っている。

 

「あれは石油の掘削リングって言ってね。地下から石油燃料を汲み上げるためのものなんだよ。」

 

「あれが石油ですか・・・。」

 

「そっ、あそこから汲み上げられた石油は配管を通じて、都市中の工房に供給されるの。

 石油燃料は凄いよ?火の魔法や魔石なんかよりも熱効率が段違いでさ。

 製鉄に必要な熱量をあっという間に確保できてしまうんだぜ?」

 

 ミリアの言葉にスズは目を丸くする。

 マギアディールでは石油と呼ばれる地下資源を利用している、と言うのは地理の授業で習ったことがあるが、一般的に火を必要とする場合は、火の魔法を使うか、火属性の魔素(マナ)を結晶化させた魔石を使って起こすものだ。

 わざわざ地下から資源を採掘してまで火を起こすなんて手間のかかることをする、と思っていたが、製鉄に必要な熱量を確保するとなれば、相当量の魔石かエーテルを用いて火を起こし、長時間熱する必要がある。

 だが石油なら、そのエネルギーをあっという間に確保できると言うのだ。

 そう言えば、石油はかつて旧人類が使っていた資源であるとも授業で教わった。

 昨日、チコとレンジがスマートフォンについて話していた時もそうだが、それほど強大なエネルギーがかつて世界中で使われていたと思うと、旧人類の文明と言うのはやはり末恐ろしいものである。

 

「そろそろ検問だよ。みんな、身分証の準備しな。」

 

 やがてマギアディールの検問まで辿りつき、何人かの警備兵がこちらへ来た。

 

「よっ、お勤めご苦労さん。」

 

「ミリアさん、お久しぶりです。早速ですが、『身分証』の開示をお願い致します。」

 

「お堅いね~。私ら見知った仲なんだし、顔パスでも良くない?」

 

「はは、そうゆうわけにはいきませんよ。こちらも仕事ですので。」

 

 警備員と親し気に冗談を交わしながら、ミリアは身分証を見せる。

 自由都市同盟最大の工業都市であるマギアディールは多くの人、種族が出入りする都市であり、その分、検問のチェックも他の都市よりも入念に行われる。

 身分証の開示の他、他の警備員が輸送艦に対して魔力探知も行っており、これは内部に密航人がいないかを調べるためのものだ。

 

「ほれ、あんたらも。」

 

 ミリアに続き、レンジ、チコ、スズもそれぞれの身分証を見せるが、身元不明なカンナは然、身分証を持っていない。

 

「そちらの少女は?」

 

「この子、まだ10歳を迎えていないので、身分証はないんですよ。」

 

 チコがそう説明する。

 自由都市同盟国民としての身分証は10歳を迎えると発行されるものなので、幼子は所有していない。

 そしてカンナの外見年齢は10歳に満たないと言われても通じるほどに幼く、持っていないと言われても別段、不自然ではないのだ。

 

「では、お名前とご家族をお聞かせください。」

 

 だが当然、これだけで終わるわけがなく、カンナの身元について聞かれる。

 

「カンナ・カムイ。私の妹です。」

 

 チコはカンナのことを、自分の妹であると偽って紹介する。

 警備員はチコの身分証に今一度目を通し、チコの語る名字と身分証の名字が一致していることを確認した。

 

「はい、ありがとうございます。」

 

 警備の強いマギアディールの検問とは言え、10に満たない幼子と言うのはそれだけで自然と警戒心が薄れるもの。

 カンナについてはこれ以上、言及してこなかった。

 無論、ミリアと言う社会的に信用されている人が同伴していると言うのも手伝ってはいるのだが、いずれにしても警備員の善意を利用していることに変わりはないので、チコは少し心を痛める。

 とは言え、事情は不明だがカンナがヨゾラノカゲヒメから離れられないのであれば連れてくるしかなく、不法滞在とは言え別段悪さをするつもりはないので、致し方ないとして割り切ることにした。

 

「他に内部に魔力反応はないか?」

 

「大丈夫です。問題ありません。」

 

「ではミリアさん、お通りください。」

 

「信用無いね~、今更輸送艦で不法侵入なんてしないさ。」

 

 実際にはカンナの身分を偽っているので、チコは再び居た堪れない気持ちになる。

 

「これも仕事ですので。」

 

 ミリアと警備員のやり取りが終わり、サナギはマギアディールへと入る。

 

「今度あの警備員さんたちにお詫びの品を贈らなきゃ・・・。」

 

「チコちゃんは真面目だね~。別に悪い事するために連れてきたわけじゃないんだからいいじゃん。」

 

 良心を痛めてお詫びしたいと思うチコとは対照的に、ミリアは変わらず明るい調子でサナギを走らせるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 マギアディールは大きく分けて4つの区画に分かれている。

 中央区には、都市で最大の権力を持つコクトー商会が君臨する大工廠区。

 北東区には、自由都市同盟国軍の機操兵及び装備を扱う軍用区。

 北西区には、冒険者組合が運営する冒険者区。

 そして南区には、フリーランスの職人が集う鍛冶師街がある。

 リクドウ・カナチはこの内、南区にある鍛冶師街に工房を設けており、チコたちはそこへ向かう。

 

「あ~もしもし、リクドウのおっちゃん?

 急なんだけどさ、実はかくかくじかじかで・・・。」

 

 通信機が届くようになったので、ミリアはリクドウに連絡を入れる。

 

「よしっと、おっちゃん大丈夫だって。

 格納庫で出迎えてくれるから、このまま向かうよ。」

 

「ご連絡、ありがとうございます。」

 

「すごい・・・街の中を輸送艦で走れるんですね。」

 

 スズはマギアディールの中を輸送艦で走ることに驚きを隠せずにいる。

 

「街中、ってわけじゃないけどね。この道を通る場合、操兵用の工房にしか行けないから。」

 

 そんなスズにミリアは苦笑する。

 確かに窓の景色からは街並みが見えるが、ここは輸送艦用に整備された輸送路であり、街中へ向かうための道ではない。

 機操兵用の工房は、機操兵の搬入及び搬出を行うために輸送艦の出入りが必要となる。

 そこでマギアディールには、都市一帯に輸送艦専用の陸路を設けているのだ。

 この輸送路は区画ごとにターミナルが存在し、そこから案内板を頼りに目的地となる工房までの道を走っていくことになる。

 そしてフリーランスな職人が集う鍛冶師街は工房の数も場所も点々としており、輸送路も迷路のように入り組んでいるのだ。

 いくつもの分かれ道とカーブが続く道のりは、映像板を見ているだけで酔ってしまいそうなほどであり、スズなんかは早くも、元来た道を見失ってしまった。

 だがミリアはまるで家の庭だと言わんばかりに、案内板に書かれた文字をスズが読むよりも先に分かれ道をどんどん先へと進んでいく。

 やがて『カナチ工房』と書かれた案内板を通ると、ようやく目的地であるカナチ工房へと辿りついた。

 

「ミリアさん、有難う御座いました」

 

 カナチ工房の格納庫へとサナギを入れ終えた後、チコはミリアに深々と頭を下げて礼を述べる。

 レンジたちもチコに続き、ミリアに感謝の言葉を述べる。

 

「いいってことよ。」

 

 そんなチコたちの言葉をいつものマイペースで受け止めたミリアがサナギから降りると、さっそく何人かの整備士たちと挨拶を交わしていく。

 

「よう、レンジ君久しぶり。」

 

 チコたちがサナギから降りると、1人の青年が姿を見せ、レンジに声をかけた。

 

「デミルさん、お久しっす。」

 

 レンジがその青年に礼をする。

 青年の名は『デミル・カナチ』。リクドウ・カナチの長男で、この工房の設計士だ。

 年齢は20代後半、背丈は170cm程度。

 レンジとは幼少期から縁があり、会う頻度こそ少なけれど、レンジが機操兵オタクになったきっかけを作った人物でもある。

 

「俺の設計したカザキリ、さっそく使ってくれたそうじゃないか。」

 

「いい感じに馴染みました。有難う御座います。」

 

 そして彼は、レンジの機操兵カザキリの設計者なのだ。

 

「ははっ、そいつは良かった。

 君の専用機として作るから、君を良く知る俺に任せるっていきなり親父に振られてさ。

 初めての大仕事だからどうなるかと思ったけど、上手く使えたようで何よりだよ。」

 

「いえ、流石デミルさんっすよ。」

 

 そんなこんなでレンジが敬意を払う数少ない人物であり、スズは驚いた様子で見る。

 

「ようみんな!来てくれたか!」

 

「親父、来るのが遅いぜ。」

 

 そんな一同の元へ、ついにこの工房の親方、リクドウ・カナチが姿を見せた。

 年齢は50代に差し掛かったところ。

 筋肉と脂肪で大柄に映る恰幅の良い体格、作業着の上を脱いで腰に巻きバンダナを頭に縛っており、いかにも整備士と言った風貌の持ち主である。

 

「おやっさん、ご無沙汰っす。」

 

 レンジが姿勢を正して一礼をする。

 言葉遣いこそ少し捻くれているが、一礼の様は教科書にも載っているかのような模範的なものだ。

 

「ようレンジ君!久しぶりだな!」

 

「リクドウさん、このたびは突然の訪問をお許し頂き、有難う御座います。」

 

 レンジに続き、チコも丁寧に礼を述べながら深く礼をする。

 

「いいよいいよ、そんな改まんなくて。

 それよりもチコちゃん、久しぶりだね。しばらく見ない間に随分と別嬪さんになって。」

 

「いえ、リクドウさんもお変わりないようで何よりです。」

 

「がっはっは!操兵の整備と元気だけがワシの取り柄だからな!」

 

「あら、チコちゃんじゃない!やだわ~すっかり美人さんになって。」

 

 豪快に笑うリクドウを尻目に、1人の女性がチコに向かってハグをする。

 ダリア・カナチ。リクドウの妻だ。

 年齢は40代頃、リクドウと並んでふくよかで褐色な肌が特徴だ。

 この都市の出身であり、里からこの都市へ越してきたリクドウと出会い、そのまま結ばれたそうだ。

 

「わぷっ、ダリアさん、お久しぶりです。」

 

 急なダリアからのハグに、チコは戸惑いながらも照れくさそうに笑う。

 

「ミリアちゃんもご苦労さん。珈琲出すから上がっていきなよ。」

 

「いえいえお構いなく、私も久々にこの子を走らせたので満足してますんで。」

 

「あら?その子たちは?」

 

 互いの再会を喜び合う中、ダリアがカンナとスズに気付く。

 

「紹介します。この子はカンナ、分け合って今、私の家で面倒を見ている子です。

 今回どうしても、ついて行きたいと言うので連れてきました。」

 

「あら、そうなの。初めましてカンナちゃん。」

 

「カンナ、ちゃんとご挨拶は?」

 

「・・・はじめまして。」

 

 慣れない様子でチコに倣い、頭を下げて挨拶するカンナ。

 

「こっちはオレの妹のスズです。スズ、お前も挨拶しろ。」

 

 一方でレンジがスズのことを紹介し、挨拶するように促すが・・・。

 

「?おい、スズ。」

 

 スズはなぜかリクドウを見たまま、面食らった表情で固まっていた。

 

「えと・・・あの人が、リクドウさん?」

 

「ああ、自己紹介がまだだったなお嬢ちゃん。

 ワシがこの工房の親方、リクドウ・カナチだ。よろしくな。がっはっは!」

 

「ええ・・・。」

 

 豪快に笑うリクドウの姿を前に、スズは混乱を極める。

 何せスズがリクドウについて聞いている話は、父のムラサメの旧知で口の堅い職人気質、と言うことだけだ。

 だがあの厳格と威圧感が服を着て般若の面を被り外を歩いているような父と旧知と言うものだから、どのような羅刹が来るのかと戦線恐慌としていたのだが、目の前に現れたのが人が良さそうな笑顔が特徴の仏様だったので、衝撃でつい硬直してしまった。

 外見から性格まで父とは全て真逆なリクドウが、旧知だと言うのもまるで信じられなくなってきている。

 そんなスズの心境を知ってか、リクドウの誤ったイメージを『わざと』植え付けさせた張本人であるミリアは、口元に手を当てながらも笑いを堪えきれずにいる。

 

「ごめんなさい。この子、リクドウさんのこと、ムラサメ様と旧知としか聞いていないものだから、なんか余計な印象抱いちゃったみたいで。」

 

 そんなスズの様子を見かねたチコがフォローに入る。

 

「がっはっは!そうかそうか!そうゆうことか!

 そりゃそうだ!あの強面の友人だって聞けば、そりゃあどんな恐ろしい悪鬼が出てくるかと思うだろうなあ!」

 

「いっいいえ・・・あの・・・。」

 

 スズは失礼なことを考えてしまったことへの罪悪感と、心境を見透かされてしまった羞恥から赤くなって狼狽する。

 

「だがな、あんな羅刹でも昔は結構やんちゃしてたんだぜ?」

 

「え・・・?ええ~っ!!!?」

 

 そして突然の父の過去を激白されて驚愕する。

 普段から寡黙で厳格で礼節にも厳しい父にやんちゃをしていたころなんて、それこそスズには想像のしようがない。

 

「あいつは昔っから化け物染みてたせいで、力を持て余していたからな!

 操兵の訓練に生身で挑むは、ドラゴン退治に行くって言い出して里から遠く離れた山まで1人で向かって帰って来るは、挙句の果てには俺より強いやつに会いに行くとか言い出して、カナドの領土まで行っちまったしな!」

 

「はえええっ!!?」

 

 そしてどれもこれもおよそ人間とは思えないような話ばかりなので、スズは素っ頓狂な声をあげる。

 

「親父のやつ、人には防人の使命を守れとか偉そうな事言いやがったくせに・・・。」

 

 スズとは別ベクトルでレンジは驚き、ここにはいない父に文句を言う。

 

「懐かしいね~その話。

 ムラサメさんが帰ってくるまでの間、私とカブトさんで防人代理したっけ?」

 

 その話に乗って来たのは何とミリアだった。

 ちなみにカブトとは、カミナの里の自警団の総隊長を務める男性、『カブト・ケイジ』のことである。

 

「そうそう、オレの代わりは信頼できる弟子の2人に任せた!って言ってな!」

 

「えっ!?ミリアさん、ムラサメ様に弟子入りしてたんですか!?」

 

 それを聞いて驚いたのは、かつてミリアの元で体術を学んだことのあるチコだ。

 

「あれ?言ってなかったっけ?私、ムラサメさんから武術の基礎を教えてもらったんだ。

 ま~剣の方はどうしても性に合わなかったから、アクメツ流は学ばなかったけどね~。」

 

「初耳ですよ!じゃあもしかして、私が教わった技も?」

 

「ううん、あれは我流だよ。言ったでしょ?学んだのは基礎だって。

 ま~それを応用して今の技を作ってるから、無関係でもないけどね~。」

 

「その腕前を買われて、ムラサメから代理を任されたんだもんな!」

 

 ひとしきり話を終えた一同を前に、ようやくスズが口を開く。

 

「なんかもう・・・何に驚いたらいいのかわからなくなりました・・・。」

 

 衝撃的な話が続いた末、スズは自己紹介をするタイミングを完全に見失うのだった。

 



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第5話 中編

 想像していた羅刹が実は仏様であったことと、知られざる父の過去の2段攻撃を受けたスズがようやく混乱状態から立ち直り、緊張しながらも挨拶を終えた頃、輸送艦からカザキリとヨゾラノカゲヒメが搬出され、工房へと移動された。

 

「それじゃあ、この操兵はワシらが責任を持って預かり、調べておくよ。」

 

「お願いします。」

 

「カザキリの方も、デミルに見させておくよ。

 肩の装甲の補修と、予備燃料の補充もしなけりゃだが、そう時間はかからんさ。」

 

「どうもっす。」

 

 それぞれの機操兵を預け、チコは一応の目的を果たすが、問題となるのはここからだ。

 ヨゾラノカゲヒメに関する手掛かりが少しでも掴めればと思いここまで来たが、その謎について解明できるかどうかは誰にもわからない。

 そしてヨゾラノカゲヒメとカンナが一定距離を離れられないとなると、自分たちは何か手掛かりが掴めるまでは、ここに滞在することになるのだ。

 勿論これはレンジとスズ、そしてミリアもわかっていることであり、リクドウにも滞在期間が未定であることは知らせている。

 いずれにしても、ここからは完全に人任せの状態となるため、チコたちは不明確な滞在期間中、特にやることもなく時間を持て余すことになる。

 

「おい、お前ら。」

 

 するとレンジがチコとスズ、カンナの3人に目配せをして声をかける。

 

「ここはオレが話を聞いておく。お前ら街の方まで行ってきたらどうだ?」

 

「えっ?」

 

 その言葉にまず驚いたのが、日頃からレンジに借りを作りたくないと思っているチコだ。

 

「でも、カゲヒメのことなら私もちゃんと話を聞かなきゃ。」

 

「お前に操兵の話が理解できんのかよ?」

 

「むっ・・・。」

 

 いつものように反論しようにも、機操兵についてそこまで詳しくないチコは小さく唸る。

 確かに整備士であるリクドウやデミル、機操兵オタクであるレンジの間で専門的な話をされたら蚊帳の外になるだろうし、かと言って自分にわかりやすく解説を加えるとなると、その分だけ無駄な時間がかかる。

 それならばレンジ1人が一通り聞いた後、話を掻い摘んで聞いた方がいいだろう。

 ・・・と言うことはわかっていても、昨日に続きレンジに借りを作ってしまうことにチコは対抗心から反発しそうになる。

 

「スズ、お前里の外は初めてだろ?マギアディールの街を見てみたいとは思わねえか?」

 

 一方でレンジはそんなチコなどお構いなしに、スズに話しかける。

 

「それは・・・思うけど・・・。」

 

「お前がここにいたところで聞ける話もねえだろ。

 だったらここにいる時間を有効に使ったらどうだ?」

 

 その言葉が後押しとなり、スズは嬉しそうに微笑む。

 

「うん、ありがとうお兄ちゃん!」

 

「昼はここでご馳走になるから、それまでには帰って来いよ。」

 

「わかった。」

 

 スズにとっての初めての旅、初めての外の世界。

 それを見て回れることへの嬉しさと期待から、スズは明るく笑う。

 

「全く・・・それじゃあ私がついてくしかないじゃない・・・。」

 

 そして旅慣れない以前にただの子どもであるスズが街を見て回ると言うことは当然、誰かが側についてあげなければならない。

 チコもレンジも年齢的には十分に子どもなわけだが、生半可な戦士よりもよっぽど腕が立つため、普段からスズのお守役を自然と引き受けているどころか奪い合っているところだ。

 だが今回はレンジが工房で話を聞く役回りに適している以上、その役回りを負うことが出来ない。

 だからレンジは、スズに街に向かうよう聞かせることで、スズを心配するチコもついて行くしかなくなるように選択肢を封じ込めたのだ。

 今日の深夜、チコがスズの名前を使ってレンジを無理やり寝室に戻したように、レンジもまたスズを使ってチコを言いくるめた。

 要するにこの2人、徹底的にスズに弱く、過保護なのである。

 

「・・・本当にいいのね?」

 

「2度言わせんな。オレが残るからお前らは街を見て来い。」

 

「その方が良いだろう。

 嬢ちゃんここは初めてだって話だし、里じゃあお目にかかれないような珍しいもんがいくらでもある。

 きっといい経験になるはずだ。」

 

 工房の親方であるリクドウにまで後押しされては、もうチコとしても引くに引けなくなった。

 

「わかったわよ。スズ、カンナ。一緒に街を見て回りましょう。」

 

「はい!」

 

 満点の笑みでスズが答えるものだから、チコもこれで良かったのだと思い微笑んだところ・・・

 

「スズ、チコが暴力沙汰を起こさないようにしっかり見張ってろよ。」

 

「え?」

 

「はあっ!?」

 

 唐突なレンジの言葉に穏やかになりかけていたチコの心は一発で静けさを失う。

 

「こいつは何か揉め事があれば暴力で解決するキライがあるからな。

 神祀りの巫女様が暴力女だって余所に知られたら、里の名に泥を塗ることになるぜ。」

 

「あなたこそ、次代の防人が不良かぶれだって知られたら、里の名に泥を塗ることになるんだから、せいぜい態度に気を付けなさいよ。」

 

「はっ、礼儀は人に良く見せるための衣じゃねえ。

 外面だけが自慢のお前こそ、化けの皮剥がれねえ内に帰って来いよ。」

 

「外面さえロクに繕えないあなたが偉そうに言わないで。

 仮にもアクメツ流の奥義伝承者のくせに、敬語1つ満足に使えないとか恥ずかしくないの?」

 

「はいはい!チコさん!一緒に街まで行きましょう!」

 

「あっ、ちょっとスズ!」

 

 例によって終わりなき口喧嘩に入りかけたところで、スズが無理やり割って入り、チコの手を引く。

 サキミ家の長男とカムイ家の長女が、公衆の面前で口喧嘩を繰り広げているだけでも、里の顔に泥を塗りかねないと言うことに、いい加減気づいて欲しいものである。

 

「カンナちゃん、手を繋いで行こうね。」

 

「うん。」

 

 そしてもう片方の手をカンナと繋ぎ、3人は街まで向かう。

 

「いや~見てて飽きないでしょ、この子たち。」

 

 そんな一同の様子を見ながらミリアがニヤリと笑う。

 

「がっはっは!若いってのはいいもんだ!!」

 

 その意図を知ってか知らずが、リクドウは豪快に笑うのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 工房を出たスズたちは、鍛冶師街にある商業地区へと向かう。

 

「商業地区って言うのは、ここからどれくらいかかるんですか?」

 

「その前に、これをちょっと見てみて。」

 

 スズの質問に答える代わりに、チコは鞄からパンフレットを取り出し地図を見せる。

 この都市の観光客用に配布されているものを、ここに来る前にミリアから借りたのだ。

 

「これが鍛冶師街の全体図よ。私たちが今いるのがここで、商業地区はここ。」

 

「えええっ!?鍛冶師街ってこんなに広いんですか!?」

 

 地図を見るや否や、スズが驚きの声をあげる。

 縮尺から見て取れる鍛冶師街の全体は、それだけでもカミナの里の全てを飲みこんでも尚余るほどだ。

 それにカミナの里は土地面積の半分ほどが農地と山海で占めており、人口が集中しているのは里の中心にある街で、後は第三次産業に関わる人たちの住居が点々としているだけだ。

 つまり土地面積に対する人口密度は低いのだが、この地図から見て取れる鍛冶師街は、街全体に余すことなく商店や住居、工房が記されており、その過密度はカミナの里の比ではない。

 それでいて土地面積も広いのだから、一体どれだけの人がここに住んでいるのか考えただけで恐ろしくなる。

 

「ちなみにだけど、こっちがマギアディールの全体地図で、鍛冶師街はこの一帯よ。」

 

「はええっ!!?」

 

 ここでチコからもたらされた新たな真実に、スズが2度目の叫び声をあげる。

 鍛冶師街はマギアディールに区分けされた街の一帯でしかなく、同じほどの土地面積を誇る区画があと3か所もあるのだ。

 カミナの里よりも広大かつ人口密度の高い街がこの都市だけで4つある。

 スズは目を回してしまいそうだった。

 

「さらに言えば、これはあくまでも都市の地図。

 都市の外には広い農業施設が幾つもあって、全てを含めたマギアディールの土地面積は、カミナの里の優に10倍はあるそうよ。」

 

「じゅ・・・。」

 

 スズはとうとう声を失う。

 カミナの里から出たことのないスズは他の街の広さなんて当然知る由もなく、そもそも里での行動範囲も街に限定されがちで、後はサキミ家として威之地の社がある山に行ったことがあるくらいだ。

 外れにある漁業区や農業区にはそこまで足を運んだことはなく、そんなスズにとってはカミナの里でも十分に広い街だった。

 だがマギアディールの総面積はその10倍以上。もはや想像の余地どころか現実未すら感じられなくなり、スズは魂が抜けたように呆けてしまった。

 

「懐かしいわ。私もここへ初めて来た時に同じようなことを思ったわ。」

 

 スズの反応にチコは昔を思い出して苦笑する。

 ダリアから街を案内された時、今自分がしたのと同じ説明を受けたわけだが、およそ信じ難い話だと思ったものだ。

 

「・・・でっでも、それだけ広いなら、歩いて行くのも大変なんじゃ・・・。」

 

 ようやく我に返ったスズは真っ先に抱いた疑問を口にする。

 レンジからは昼には戻ってくるようにと言われているが、ここから商業地区までの距離を考えれば行って帰って来るだけでも時間がかかりそうだ。

 これでは街を見て回る時間はあまりありそうにない。

 だがチコは特に気にした様子を見せず、街を走るある車両を指さす。

 

「だからスズ、あれ、乗ってみない?」

 

「え?」

 

 その車両は幾つかの同型車両が連結しており、先頭のみ形状が異なり上部の筒から大量の蒸気を吹き出しながら街の中を走っている。

 

「あれ・・・もしかして『蒸気車両』ですか!?」

 

 水の簡易術式(ルーン)を使って大気の魔素(マナ)を水に変え、火の簡易術式(ルーン)で水を蒸発させてその水蒸気を利用して車両を走らせる。

 スズも授業で学んだことがあるが、こうしてお目にかかるのは初めてである。

 

「ええ、あれはマギアディールを巡回している大型の蒸気列車よ。

 あれに乗れば、商業地区まですぐに行けるわ。」

 

「乗ります!乗ってみたいです!」

 

 大きく手を上げながらスズが勢いよく返事する。

 

「それじゃあ、さっそく駅まで行きましょう。」

 

 ここから最寄りの駅までは約5分。そこから蒸気列車に乗って10分ほどすれば商業地区だ。

 徒歩ならば1時間ほどかかりそうな距離をあっという間に短縮できたものだからスズは大いに驚き、同時に初めての蒸気車両だったからもう少し長く乗っていたかったと贅沢な感想を抱いた。

 そんなこんなで訪れた商業地区は、非常に多くの人たちが往来し活気だっており、カミナの里のカンナヅキ祭の比ではないほど賑わっている。

 それも祭ではなく日常の風景なものだから、スズからすれば年中お祭り騒ぎである。

 工業都市、と言うだけあり武器防具、機操兵のパーツ、ジャンクショップが多く並んでいるが、肉や野菜などの食品売り場、屋外に構えた食事処も見かけ、そのほとんどが石造建築だ。

 木造建築が主なカミナの里と比べると、建物の構造1つとっても全く異なるのもスズにとっては興味深いことだ。

 そんな多種多様なお店を道行く人々の人種もまた、様々であり、道行く人の中には亜人も多くみられる。

 カミナの里には亜人がいないため、自由都市同盟は本来亜人の国だと言われてもスズにはイマイチ実感の沸かない話だったが、こうして見るとそうであることが確かであることが伺える。

 

「ふわあ・・・色んな人たちがいますね。」

 

 猫のような外見をした人は、恐らく猫の能力を持つ亜人だろう。

 フサフサな耳と尻尾はちょっと触ってみたい衝動に駆られる。

 矢を背負った耳の長い人はエルフだろうか?

 初めて見たが、本当に人の倍以上の寿命があるのかは、流石に外見からはわからない。

 赤い陣羽織を着た男性は腰に刀を差している。

 スズが学んでいるアクメツ流と同じカナド式刀剣術の使い手かもしれない。

 修道着に身を包んだ人は聖導教会の人だろう。

 あの人にも聖痕があるのだろうかと、スズは少しだけ気になった。

 

「ふふっ、そうは言うけどスズ。私たちだってここの人から見れば十分に珍しい風体よ。」

 

「あっ、それもそうですね。」

 

 カナドの文化が強く残るカミナの里の服は、旧人類における『和服』に近い形をしており、確かに街行く人たちの中で同じような服装の人はあまり見かけない。

 だが道行くから特別、注目を受けているわけでもなく、スズは特に気にせず街を歩いて行く。

 

「あっ、チコさん見てください!チョコレートが売ってますよ!」

 

「ホントだ。買ってく?」

 

「もちろんです!ユミにもお土産に買っていかなきゃ!」

 

「チョコレートってなに?」

 

 ここでこれまでの道中、終始無口だったカンナがようやく口を開く。

 

「チョコレートって言うのはね、とっても甘くて美味しいお菓子のことだよ。」

 

「あまい・・・お菓子!」

 

 無口無表情無感動だったカンナに突然活力が宿り、チョコレート屋へと一目散に駆けていく。

 あの様子ではチョコレートを買うまではこの場を動かなくなるだろう。

 チコは苦笑し、スズは両手を合わせて無言で謝る。

 

「いらっしゃい、お嬢さんたち。」

 

 店員に軽く会釈した後、スズは店に並べられたチョコレートに目を通し。

 

「チョコレート1つがたったの5ゴルダなの!!?」

 

 その金額を見て大声で驚く。

 カミナの里で売られている甘味は餡子を材料としたものが多く、周辺にカカオ農園がないこともあってチョコレートは全て輸入品だ。

 そして食糧自給率が9割を超えるカミナの里では食料の輸入はそこまで大事ではなく、残りの1割は里では作れない調味料か、酒や菓子類と言った嗜好品が大半を占めている。

 そんな足元を見られたからか高い関税をかけられているが、嗜好品と言うのはその程度では需要は衰えないもの。

 結果、里でチョコレートを買おうとすると30ゴルダほどかかるのだ。

 30ゴルダと言えば、1人1食分の金額に相当する。

 子どものお小遣いでも何とか買える金額ではあるが、1食分相当であることを思えば、おいそれと手を出せる代物ではない。

 要するにカミナの里におけるチョコレートとは、子どもにとってはかなりの贅沢品なのである。

 だがこの街ではそれが5ゴルダで購入できる。

 5ゴルダと言えば里で売られている一般的な甘味とさして変わらない金額であり、スズが驚き狼狽えるのも仕方ない話である。

 だがここでスズの脳裏に1つの言葉が思い浮かぶ。

 安物買いの銭失い。

 もしかしたらこのチョコレートは安い分味が悪く、とても食べられたものじゃないのかもしれない。

 そんな失礼な感想を抱いてしまうほど、今のスズは動揺していた。

 

「嬢ちゃんたちのことじゃ、チョコレートは珍しいのかい?」

 

 スズの動揺が見て取った店員が話しかけてくる。

 

「はい、私たちの住む街で買おうと思えば、ここの6倍近く値が張るんですよ。」

 

 スズに代わり、チコが答える。

 

「なるほどな。普段買ってるもんよりも安い分、不味いんじゃねえかと気になってるわけだ。」

 

「えっ、えと・・・。」

 

 店員に核心を突かれたスズは慌てて言葉を取り繕うとするも、真実なものだから上手い言葉が思い浮かばない。

 

「どれ、それじゃあ1つサービスしてやろう。」

 

 店員は側に置いてある板チョコを取り、そのひと切れを3つに割ってスズたちへと差し出す。

 

「でっでも・・・。」

 

 流石に店からタダで恵んでもらうわけにもいかず、スズが断ろうとするが、店員は笑顔で首を振る。

 

「こいつは俺のおやつだ。売り物じゃねえから気にすんな。

 ほれ、1つ食ってみ?」

 

「でっでは・・・いただきます。」

 

 スズとカンナ、そしてチコがそれぞれ小さく割られた板チョコをひと口に入れ・・・

 

「っ!?」

 

「っ!?」

 

 スズとカンナが目をカッと見開いた。

 

「とても美味しいですね。私もいくつか買ってこうかしら。」

 

 チコだけは特に変わった様子なく、店に並ぶチョコを見ていく。

 だがスズとカンナは微動だにしないままだった。

 

「スズ?カンナ?」

 

 2人の様子がおかしいことに気付いたチコが声をかけたその時、ようやくスズが動き出す。

 そして店に並ぶありとあらゆるチョコを手早く重ねていき・・・

 

「おじさん!これ全部ください!!」

 

 山積みになったチョコレートを店員の前にドン!っと差し出した。

 

「スズ!?あなた何を考えてるの!!」

 

 スズの突然の行動にチコは慌てて静止にかかる。

 

「チコさんこそ何を言ってるんですか!

 私こんなに美味しいチョコレート生まれて初めて食べました!!

 里で売っている何倍も値段のするものよりも遥かに美味しくて安いんですよ!!?

 ここで買わずしていつ買うと言うんですかあああ!!?」

 

 だがスズの熱弁にチコは逆に圧倒されてしまう。

 

「でっでも、こんなにたくさん買えるわけ・・・。」

 

「大丈夫です!私お土産買うためにお小遣い100ゴルダ持ってきました!!

 里のチョコでも3つ買うことが出来ます!!でもここならその6倍以上買えるんです!!

 この機を逃したら女が廃ります!!」

 

「チコ!あたしにもチョコたくさん買って!!」

 

 するとスズに遅れて静止状態から解除されたカンナが食い気味で話しかけてくる。

 

「えっ?ちょっとカンナまで!?」

 

「スズばっかりズルイ!あたしもチョコたくさん食べたい!!」

 

 スズと違ってお小遣いを持たないカンナの分は、保護者代わりであるチコが払うことになる。

 確かにチコも宿代として親から預かっているお金以外にも、自分のお小遣いを少し多めに持ってきているが、それは家族と友人へのお土産の分と、旅路のアクシデントに見舞われた時の保険であり、断じてこんな衝動買いに参加するためのものではない。

 

「ちょっ、ちょっと!スズからも何か言ってあげて!」

 

「チコさん!買ってあげましょう!!カンナちゃんの将来のためにも!!」

 

「将来って・・・。」

 

 他人のお小遣いで大量のチョコレートをまとめ買いすることが、果たしてカンナの将来にどのような好影響を及ぼすのかまるで理解できず、むしろ逆に悪影響でしかないのではと思い、これも旅路のアクシデントの1つなのだろうか?なんてどうでもいい事を考えている内に、スズとカンナがジリジリと距離を詰め寄ってきた。

 

「チコ!!」

 

「チコさん!!」

 

 格安絶品チョコレートに魅了された少女2人の気迫に完全に圧倒されてしまったチコは、呆れ交じり諦め交じりのため息を1つ吐く。

 

「もう、仕方ないわね・・・。」

 

 大量のチョコレートを購入する羽目になり気を落とすチコに対して、スズとカンナ、そして店員の3人は非常に上機嫌な笑顔を見せるのだった。



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第5話 後編

 スズたちが大量のチョコレートを手に工房へと戻ってくると、全てを察したレンジによるお説教が始まった。

 久しぶりに兄からこっぴどくお叱りを受けたスズはようやく我に返り、レンジに何度も謝り続ける。

 

「お前らバカだろ・・・。」

 

「ごめんなさい・・・お兄ちゃん・・・。」

 

「おいチコ、お前がついていながらどうしてこうなった?」

 

「だって・・・カンナがどうしても買いたいって聞かないから・・・。」

 

「ガキに気圧されてんじゃねえぞ。何やってんだよ・・・。」

 

 レンジは頭に手を当ててすっかり呆れ果てるが、今回ばかりはチコも反論に熱が籠らず、レンジからの説教をスズと一緒に甘んじて受けるしかなかった。

 そんな中でもカンナだけはマイペースにチョコを口にしながら、ご満悦な笑顔を浮かべている。

 

「がっはっは!まあいいじゃねえか!ここのチョコは他と比べても絶品だもんな!

 それよりもみんな、直にダリアが飯出来るってよ。」

 

「おやっさん。わりい、ゴチになります。」

 

 リクドウが来たことでレンジも説教を止め、ミリアを含めた一同は彼の案内の元、工房にある食卓へと向かう。

 その間、説教を受けて落ち込みムードだったスズは昼食と言う言葉を聞いて一転、明るい笑顔を取り戻す。

 スズは美味しいご飯を食べることが何よりも好きなほど食道楽であり、それが転じて料理の腕前を磨いているほどである。

 そんな食に関して余念がないスズにとって、他郷の食文化と言うのは非常に興味を惹かれるものだ。

 一体どんな料理が出てくるのか、期待を込めて食卓を訪れると、テーブルの上には野菜のスープとパン、そして羊肉の丸焼きが置かれていた。

 

「さあ、遠慮せず召し上がれ。」

 

 それぞれ席に着き、ダリアの言葉に合わせて、いただきますを合唱する。

 だがここでスズは、人の生活における衣・食・住の内、最も大事にしている食の文化に置いて盛大なカルチャーショックを受けることになる。

 まずパンだが、スープに浸けて食べるように聞いたが、正確にはスープにでも浸けなければ食べられないほどにパサついて喉を通りにくい。

 そのスープは一体どれほどの量の塩を使ったのかと思うほどにしょっぱく、具材の野菜は大きく切られているだけでなく、火が通っているのか疑問に思うほど固いせいで、とにかく食べづらい。

 そしてメインであろう羊肉は、皿の上にドロドロの脂が滴り落ちており、見ているだけで胃が重たくなりそうである。

 

「スズちゃん、ひょっとして口に合わなかったかい?」

 

「えっ?いえ・・・そうゆうわけでは・・・。」

 

 ダリアが心配そうにこちらを見るが、決して食べられないものではない。

 最初の内は驚きながらも、カミナの里ではまず食べられない新鮮さのおかげでスプーンが進んでいたものだ。

 だがこう言ったしょっぱく、重く、味が濃い料理と言うのは飽きが来るのも早く、すっかり舌と胃が悲鳴をあげてしまい食事のペースが見る見る内に落ちていく。

 ふとチコを見ると、彼女も普段より食の進み具合が遅く、カンナに至っては最初の一口目で堂々と「マズい!」と言ってのけ、それ以降一切口にしないものだから、チコが平謝りに平謝りを重ねて台所を借りて、スープを薄めて千切ったパンと羊肉の脂身の少ない部分を入れた即席ミネストローネに作り直してようやく口にしたほどだ。

 それでも野菜だけは頑として食べようとしないものだから結局、初対面の人から出された食事を食べ残すと言うカンナの無礼に対して、彼女に代わってチコが再度陳謝することになった。

 

「がっはっは!やっぱ里の飯に慣れてる人からすりゃあ、ここの飯は味が濃いか。」

 

「ごめんなさいねえ。この人からその話を聞いていたから、普段よりは薄く作ったつもりだったんだけど。」

 

 その言葉にスズは目を丸くする。

 これで味が薄いとなると、一体この人たちは普段どんな味の濃い料理を食べているのだろうか?

 だが無礼を働いたのはカンナなのにダリアの方が謝って来たものだから、チコはもう居た堪れない気持ちになって食卓に突っ伏してしまった。

 スズも流石に残すわけにもいかず、頑張って食してみるが、それでも胃の許容量に限界が訪れ、羊肉だけは食べきることが出来なかった。

 

「スズ、腹いっぱいなら無理して食うな。オレがもらう。」

 

「ごめんなさいお兄ちゃん・・・。」

 

「まっ、ワシも初めて来たときは驚いたが、1週間もすればこの味にも慣れた。

 結局は慣れだよ。慣れ。がっはっはっは!」

 

「慣れ・・・ですか。」

 

 彼の言う通り、結局は慣れと好みの問題なのだろう。

 現にミリアとレンジは文句ひとつ言わないどころかパクパクと食し、レンジに至っては自分の食べ残しを食べた後、羊肉のお代わりまで貰っている。

 だが里の質素ながらも味わい深い料理が好きなスズにとって、ここの料理の味に慣れていく自分の姿と言うのは中々想像出来ないものだ。

 マギアディール到着から半日もしない内に、衝撃的な話や出来事が多く続いていたが、滞在期間中に一番記憶に残った出来事は間違いなくこの食文化の違いだろうと、スズは確信するのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 その後、昼食を終えたスズたちは再び商業地区へと観光に行き、レンジはリクドウの話を聞きながら点検作業の手伝いをする。

 それぞれが一日を過ごして夕方に差し掛かった頃、商業地区からスズたちが帰ってきたのを頃合いに、一同は早めの夕食を終えた後、滞在中に宿泊するホテルへと案内された。

 ちなみにミリアはサナギの中が一番落ち着くと言い、格納庫に納めたサナギへと戻っていった。

 だがここで1つの問題が発生する。

 カムイ家とサキミ家は里でも格式の高い家柄であることを知るリクドウが、宿泊代を全額負担すると言って聞かないのだ。

 元々何の連絡もなしに突然ヨゾラノカゲヒメを見て欲しいと頼みに訪れ、それを快諾してくれたばかりか食事までご馳走になった。

 それだけでも返し切れない恩があるのに、その上で滞在期間が未定な宿泊代を全額負担すると来たものだから、流石にこれ以上の厚意に甘えるわけにもいかず、レンジもチコもやんわりと断ろうとした。

 だが普段は豪快な笑い方が特徴の朗らかなリクドウだが、ミリアの称する職人気質、と言う言葉に間違いはなく、一度決めたことは譲らない頑固な面があり、結局、2部屋のみを借りて2人ずつ分かれて泊まる形で何とか妥協してもらったのだ。

 だがここで更なる問題が生じる。それは部屋の割り振りである。

 まず大前提として、チコとレンジが同じ部屋を使うことは当然、誰の選択肢にも入っていない。

 となると残る組み合わせの1つはチコとスズ、レンジとカンナだが、如何な年端もいかない幼女とは言え、カンナとレンジを相部屋にすることをチコが許さず、レンジ本人からも御免と言われた。

 そのため自動的に残りの組み合わせに決まり、一同はそれぞれの部屋へと戻ったわけだが・・・。

「むう・・・なんでお兄ちゃんと同じ部屋なのさ。」

 

 スズは1人、仏頂面でベッドの上に体育座りをしていた。

 ここに来るまでは昼間の観光で真新しい景色を多く見てきてご機嫌な様子だったが、ホテルの部屋割りが決まった途端、あからさまに不機嫌な態度を見せたのだ。

 それは勿論、如何な兄妹とは言え、異性であるレンジと同じ部屋にされたから・・・ではない。

 

「文句があるならカンナに言え。」

 

 チコと相部屋じゃないからである。

 当然、こんなつまらない嫉妬心でカンナに当たることなんてできないものだから、スズはレンジに対して八つ当たりに近い文句を言う。

 だが文句を言われた当人からこんな言葉が返ってくるあたり、すっかり内面を見透かされているものだから、スズは一層不機嫌な表情を浮かべながら、近くに置いてあったお土産用の板チョコレートを手に取る。

 そしてその包み紙を雑に破り捨て、チョコレートに齧り付いた。

 

「夜食ったら太るぞ。」

 

「ふとらないもん。」

 

 口元をチョコレートで汚しながら、スズは何の根拠もない反論をする。

 腹いせにヤケ食いを始めた妹に対してレンジは露骨に呆れた様子のため息をつきながら、着替えを手に取りシャワールームへと向かう。

 

「シャワー浴びてくる。言っておくが覗くなよ。」

 

「それ私のセリフ!!」

 

 そんなレンジの冗談でも気休めにならず、スズはチョコレートを貪り続けるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 チコはカンナと一緒にシャワーを浴びた後、ベッドの上でカンナの髪を手入れする。

 右手に櫛を持ち、左手に意識を集中させて魔法を起こす。

 魔法はこの世界における生活の一部。スズも料理をするために火の魔法を心得ているほどに、人の暮らしの中に浸透している。

 これから魔法を使って、カンナの髪を乾かすのだ。

 熱風を生み出す魔法はスチームドライと言う1節唱えるだけで簡単に発動できるものが一般的に広まっているが、チコは魔法の訓練のために、風と火の魔法を自ら生み出して熱風を作り出す。

 それも詠唱に頼らず、自分のイメージのみで魔法を具現化させる。

 深呼吸を繰り返し、意識を左手だけに集中させて、風と、風の温度を高めるための熱をイメージする。

 やがてチコの手のひらには小さな風が起こり、それは火の魔法と組み合わさることで熱風へと変わる。

 

「・・・よしっ。」

 

 櫛を持ったままの右手で少し触れ、温度も風力も問題ないことを確認する。

 その熱風をカンナの髪に当てながら、櫛で解いていく。

 

「カンナ、熱くない?」

 

「うん。」

 

「くすぐったくない?」

 

「うん。」

 

 カンナは静かにチコに身を委ねる。

 チコ自身も髪が長い方なので、手入れに時間がかかることには慣れているが、カンナのそれは爪先まで届くほどに長い。

 乾かすまでに相当な時間がかかるので、チコは集中力を切らさないように心掛ける。

 バランスを崩して風力を強めてしまっただけならまだしも、火の魔法で発火させてしまっては大変だ。

 チコは慎重に、カンナの髪を丁寧に解いていく。

 

(本当に、綺麗な髪・・・。)

 

 透き通るような銀色、滑らかな手触り、手を離せば小川の流れのように靡く。

 これだけ細く、長いのにまるで痛んだ様子が見られない。

 自分と出会う前は、カンナは誰に髪の手入れをしてもらっていたのだろう?

 勝手だが、カンナが自分で手入れをしている姿は想像できない。

 それこそ、身だしなみの全てを使用人に任せている方が、よっぽど自然に思い浮かべる。

 そして今更ながら、チコはカンナのことを何ひとつ知らないことに改めて思い当たる。

 チコだけじゃない。カンナだって自分自身のことを何も知らないのだ。

 愛らしい容姿に我儘な性格は、どこか異境のお姫様と言われても違和感はない。

 あるいはスズの言う通り幽霊なのか、それとも本当にチノヨリヒメなのか。

 それに、カンナを初めて見たときの妙な既視感。自分はこの子を知っていると訴えるような感覚。

 あれは一体、何だったのだろうか?

 ヨゾラノカゲヒメについて何かわかれば、その中で眠っていたカンナについても何か掴めるかもしれない

 実はチコは内心、そんな淡い期待を抱いていたのだ。

 

「チコ・・・?」

 

 こちらの動揺を感じ取ったのか、カンナが不思議そうな様子で少し振り向く。

 

「ううん、なんでもないよ。」

 

 いけないいけない。集中力を切らしてはダメだと思った側から、思考の渦にハマるところだった。

 カンナの正体が何なのかは、追々調べてみればいい。

 今は、彼女の髪を解くことに集中しよう。チコは気を落ち着かせて、魔法を再び調整する。

 やがて髪を乾かし終わり、チコはカンナの頭を優しく撫でる。

 

「お疲れ様。終わったわよ。」

 

 ふうっ、とため息を1つ吐き、チコは軽く身体を伸ばして緊張を解く。

 スチームドライならここまで疲れることはないのだが、これも訓練の一環と思えば心地よい疲労である。

 

「ありがと、チコ。」

 

「どういたしまして。」

 

 何かと我儘ばかり言って自分を困らせるカンナだが、礼を言うときはちゃんと言える子だと言うことも最近わかってきた。

 この子にお礼を言われるのは何だか気恥ずかしいが、根は良い子・・・。

 

「ねえチコ、あたしチョコ食べたい。」

 

 かもしれない思った瞬間、さっそく我儘を言ってきた。

 

「ダメ。」

 

「なんで。」

 

「こんな夜に食べたら太るし、もう歯を磨いたでしょ?虫歯になるわよ。」

 

「やだ。」

 

「明日にしなさい。」

 

「やだ、今食べたい。」

 

「明日ご飯食べ終わったら、食べてもいいから。ほら、今日はもう寝ましょう。」

 

 こうなるとカンナは自分が良いと言うまで我儘を言い続けるだろう。

 だから明日なら食べてよい、と言う条件を付けた上で、今日は寝るように促す。

 

「むう・・・。」

 

 するとカンナは不満そうな表情を浮かべながらも、寝る支度をし始めた。

 我儘を言う子は頭ごなしに否定せず、妥協できる案を挙げた上で上手く丸め込む。

 以前、親戚の子どもの世話を任されたスズが、この方法を使って我儘を諫めたのだ。

 あの時隣で見ていて、こんな形で役に立つ日が来るとは思っても見なかった。

 

「それじゃあ、お休みカンナ。」

 

 チコが自分のベッドに戻ろうとしたその時、不意にカンナがチコの手を掴んだ。

 

「いっしょに、寝ないの?」

 

「えっ?」

 

 カンナの手を握る力が強くなる。

 

「・・・一緒に寝たいの?」

 

 わざわざ聞き返すまでもないことだが、チコがそう問いかけるとカンナは静かに頷いた。

 

「・・・もう、しょうがないわね。」

 

 我儘を言い出したかと思えば、甘えてくる。

 だけどカンナの立場からすれば、幼い身でありながら記憶を失い、自分が何者かも分からない内に、ヨゾラノカゲヒメを巡る戦いに巻き込まれてしまったのだ。

 外見からの推測でしかないが、まだ母親にべったりでもおかしくない子どもだ。

 もしかしたら内心、とても心細い思いをしているのかもしれない。

 そして甘えてくると言うことは、自分に対して多少なり好意を抱いてくれているのだろう。

 それはチコとしても、決して悪くないことだ。

 2人で同じベッドに横になり、一緒に布団を被る。

 するとカンナが嬉しそうに微笑むものだから、チコの方が顔を赤くしてしまう。

 

「チコ、ぎゅってして。」

 

「えっ?」

 

「昨日、スズがそうしてくれた。だから、ぎゅってして。」

 

 そう言えば昨日、スズとカンナが一緒に寝たとき、スズはカンナのことを優しく抱いて寝ていたか。

 だけど一緒に寝るならまだしも、小さな子どもを抱いて寝ると言うのは、とても気恥ずかしい。

 

「・・・チコ?」

 

 そんなチコに、カンナは不安そうな表情で上目遣いに見てきた。

 その表情は反則だ。断ろうにも断れない。

 

「・・・しかたないわね。」

 

 戸惑いながらも、チコはカンナのことを優しく抱く。

 

「えへへ、おやすみ、チコ。」

 

 嬉しそうに笑いながら、カンナは静かに目を閉じる。

 

「おやすみ、カンナ。」

 

 眠りにつくカンナを優しく抱きながらも、チコは気恥ずかしさから中々寝付けない。

 いつになったら自分は寝られるだろうか、なんて詮の無いことを思うのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 翌朝。

 チコとカンナが部屋から出ると、ちょうどレンジとスズが通りかかった。

 

「おはようございます。チコさん、カンナちゃん。」

 

「おはよう、スズ。」

 

 レンジには挨拶しないが、向こうもしてこないのだからおあいこだ。

 

「チコ、早くチョコ食べたい。早くごはん食べよ。」

 

「カンナちゃん?」

 

「朝起きてからずっとこれよ。

 聞いてよスズ。カンナったら昨夜寝る前にチョコ食べようとしたのよ。」

 

「えっええ・・・?」

 

「明日の朝ごはん食べた後ならいいよって何とか聞かせたけど、スズからもちょっと注意してあげて。

 夜にお菓子は食べちゃダメだって。」

 

 カンナはチコに対しては我儘を多く言い反抗的だが、スズの言うことならもしかしたら聞いてくれるかもしれない。

 チコはそう思ってスズに声をかけたのだが。

 

「そっそうだねーカンナちゃん。よるにチョコレートなんてたべたらだめだよー。

 むしばになるしふとっちゃうよー。あは、あはははは。」

 

 なぜか酷く棒読みな上、目の焦点がまるで合わないものだから言葉にも態度にも説得力が伴わない。

 ふとレンジの方を見ると頭を抱えてため息を吐いていた。

 一体何があったのか、少し気になるところだがこの様子だと話してもらえそうにないだろう。

 チコはカンナを落ち着かせるためにも、工房へと向かうのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 工房へと着くと、何やら神妙な面持ちでいるリクドウの姿があった。

 

「リクドウさん、おはようございます。」

 

「ああ、チコちゃん。みんな、おはよう。」

 

「何かあったのですか?」

 

「ああ、実はだな・・・。」

 

 リクドウが言いよどむその姿は、普段の豪快な姿からはかけ離れている。

 何か良からぬことがあったのかと思ったその時。

 

「チコちゃんたち、もしかしたら明日にも帰ることになるかもしれん。」

 

「えっ・・・?」

 

「すまない。あの操兵については、ほとんど分からなかったんだ。」

 

 リクドウの言葉に、チコとスズは息を飲む。

 レンジだけは、特に変わった様子を見せなかった。昨日の内に何か聞いていたのだろう。

 

「分からなかって、どうしてですか?」

 

 声を震わせるチコは、ついリクドウを責めるような口調で質問してしまう。

 だがヨゾラノカゲヒメのことを調べるために来たのに、一日目で既に分からないと言われた。

 何より職人気質のリクドウがそう簡単に根を上げるはずがないことを知っているから、彼の言葉を受け入れられずにいるのだ。

 

「なんて言えばいいんだろうな・・・。とにかく、調べることが出来なかったんだよ。」

 

 それもリクドウの説明はあまり要領を得ていない上に、本人からも困惑の色が見て取れる。

 

「解体出来なかったんだ。あの操兵。」

 

 そんな中、レンジがリクドウに代わって状況を説明してきた。

 

「オーバーホールして内部を調べてみようと思ったが、装甲が張り付いているように離れねえんだ。

 溶接を試みても、熱を一切通さねえ。

 多少粗い真似をすれば無理やりにでもひっぺ剥すことは出来たろうが、そんなことして壊したら元も子もねえだろ。」

 

「そんなこと・・・。」

 

 あり得ない。と言い切ることはチコには出来なかった。

 そもそもヨゾラノカゲヒメ自体、操縦機構からし規格外の箇所が多くあるのだ。

 

「操手槽は?あそこの装甲だけは開閉するはずよ。」

 

「それなんだが、あの操手槽だけは操兵から切り離された機構で作られてたんだ。

 胸部にだけポッカリ穴が空いてあって、そこに操手槽が収まっている。

 だけど切り離された先は何もない空洞だ。

 筋肉筒どころか配線1つ見当たらなかったよ。」

 

「足踏板は?あれを踏めば確かにカゲヒメは動いたはずです。」

 

「ありゃ恐らくダミーだ。チコちゃん、本当に足踏板で足を動かしてたか?」

 

 そう言われてチコは息を飲む。

 確かに自分が足踏板を踏んでカゲヒメを動かしたのは、最初の時だけだ。

 それ以外は水晶で念じて動かしている。

 だけど最初、足踏板を押したとき、自分は水晶を掴んでいた。

 もしもあの時、本当は足踏板を踏むことで機操兵を動かすという『自分のイメージ』を水晶が読み取っていたとしたら・・・?

 

「足踏版がカゲヒメの脚部と連動して動くってんなら、オレやスズが踏んでも動いたはずだ。

 だけど動かなかった。

 おやっさんの言うようにダミーか、あるいはイメージを具体化するための補助だと見て間違いないだろうな。」

 

 レンジの言葉が、チコは動揺するが、話はこれだけで終わらなかった。

 

「唯一、分かったことがあると言えば、この操兵には『筋肉筒』も『黒血油』もねえってことだ。

 それだけじゃねえ、こいつには操兵の心臓に当たるはずの『魔導炉』の反応すらなかった。」

 

「ウソ・・・。」

 

 魔導炉が操手のエーテルを吸い上げ出力を増幅させ、それが操兵の全身に黒血油を送り、その油圧を持って人で言うところの筋肉に当たる『筋肉筒』が伸縮する。

 それで機操兵が稼働するはずだが、ヨゾラノカゲヒメにはそのいずれも存在しない。

 機操兵の機構として、あり得ない話だ。

 

「一体どうやって動いているのか、誰がこんなものを作ったのか。

 今回分かったことがあるとすれば、分からないことが増えたってことだけだ。」

 

 リクドウの言葉が、今回の旅の全てを物語っている。

 ヨゾラノカゲヒメに関する謎を解明しようと思い始めた旅は、更なる謎を呼び覚ます結果に終わるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 次回、チイロノミコ第6話

 

「シダイノゲンソ」

 

 運命の糸が、物語を紡ぐ。

 

 

 



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第6話
第6話 前編


 シダイノゲンソ

 

 

 

 

 マギアディールまでの旅を経てチコたちが得た情報は、『ヨゾラノカゲヒメについては何もわからない』、これのみに終わってしまった。

 機操兵を専門として扱う工房を尋ねれば、また新しい情報が得られるかもしれないが、ヨゾラノカゲヒメを狙うコソ泥たちがいる以上、迂闊に人の目に触れることはやつらに撒き餌を与えるようなものだ。

 だからこそ今回、里の縁がありチコにとっても知人であるリクドウの工房を訪ねたのだが、急な依頼にも関わらず引き受けてくれたリクドウたちに感謝の気持ちこそ忘れずとも、チコは途方に暮れる思いだった。

 一方でレンジは、顎に手を当てこれまでの情報を整理する。

 

「黒血油どころか魔導炉すら積んでねえとはな・・・。

 おいチコ、お前どうやってカゲヒメに自分のエーテルを送ってたんだ?」

 

「えっ?」

 

 急に話題を振られたチコはつい呆けてしまい、レンジが改めて説明する。

 

「お前、カゲヒメで『空駆(そらがけ)』使ってたろ?

 そん時にどうやってエーテルを送ったんだって聞いてんだ。」

 

 普通の機操兵ならば魔導炉が操手のエーテルを吸い上げ出力を増幅し、それを用いて機操兵用に威力を高めた魔法の発動する。

 魔導炉がないヨゾラノカゲヒメに同じ理屈が通じるとは思えないが、チコが自分の魔法を使っていたことから、操手であるチコのエーテルが使われているのだとレンジは見たのだ。

 

「・・・あれ?そう言えば私、どうやって魔法使ってたっけ?」

 

「は?」

 

 だがチコから何とも間抜けな答えが返ってきたので、レンジもつい間の抜けた声を出してしまう。

 

「お前バカか?」

 

「うっうるさいわね!頭でイメージしたら勝手に動くし、『空駆(そらがけ)』はもう反射的に使える技だから意識したことなんてないのよ!」

 

「だとしても魔力の消費くらい、てめえで分からねえわけねえだろ。」

 

「戦闘中は動かすことでいっぱいなのよ!

 カゲヒメは普通の機操兵と規格が違うし、機操兵戦なんて初めてだったもの!」

 

「だからって、魔力管理を疎かにするとか操手失格だろうが。」

 

「そんなこと言われたって・・・あれ?」

 

 チコはふと昨日の夜、カンナの髪を魔法で乾かした時のことを思い出す。

 新人類には魔力を体内に保有する『魔力臓器』と呼ばれる体内器官がある。

 そして魔法を使うとき、魔力がエーテルに変換される過程で体内の魔力が消費されるわけだが、体内器官である魔力臓器から魔力が抽出される以上、魔法の発動は身体にも負担がかかるものだ。

 要するに魔力だけでなく体力も消費することになるのだが、チコはこれまでの戦いで精神的疲労感こそあれど、肉体的な疲労はそこまで感じられなかったことを思い出す。

 

「・・・私、結構空飛んでたわよね?」

 

「お前いよいよボケ始めたか?」

 

「茶化さないで聞いてよ。

 今思い返してみたけど、私魔力消費した感覚がなかったのよ。

 意識してないとかそんなんじゃない。戦いが終わった後も魔力消費による疲労感がなかったもの。」

 

「何だと?」

 

 チコの声色から嘘ではないことを知ったレンジは眉を顰める。

 

「それなら一体誰の魔力が・・・待てよ。」

 

「どうやってカゲヒメの魔法が・・・あれ?」

 

 チコとレンジは同時に、ヨゾラノカゲヒメに乗る『もう1人』の人物に視線を向ける。

 

「え?私?」

 

 2人の視線を受けたスズは不思議そうに首を傾げる。

 

「スズ、この前戦いが終わった後、急に疲れたわよね?」

 

「はっはい、でもあれは緊張から解放されただけで・・・。」

 

「スズ、そんとき魔力の消費は感じられたか?」

 

「ごめんなさいお兄ちゃん。それはわかんない・・・。」

 

「あなたじゃ『仕方ない』わよ。それに空駆《そらがけ》は元々、魔力消費の少ない魔法だし。」

 

 申し訳なさそうに俯くスズを励ましながら、チコはスズの側に歩み寄る。

 

「チコさん?」

 

「スズ、ちょっと失礼するわね。」

 

 そしておもむろにスズの下腹部を触り出した。

 

「ひゃうっ!!?チッ、チコさん!!?」

 

「どうしたの、スズ?」

 

 突然のチコの行動にスズは顔を赤くしながら慌てるが、チコの方も不思議そうに首を傾げるものだから更に混乱していく。

 

「どどどどうしたのじゃないですよ!!なななんでいいきなりおおおなかに!!!」

 

「なんでって、魔力臓器が丹田の近くにあることくらい、スズも知ってるでしょ?

 今からあなたの魔力保有量を測るから、少しの間じっとしてて。」

 

 言いながらチコはスズの体内に魔力を送り込む。

 スズの魔力臓器に自分の魔力走らせ、魔力臓器を抜けたら自分の元まで返す。

 その時間から、魔力の消費量を推し測ることが出来るのだ。

 

「でででもそれって、別にお腹じゃなくてもいいですよね!!?」

 

 だが要は自分の魔力が相手から返って来るまでの時間を取れればいいので、普通なら手首や首筋と言った脈に当てて測るものだ。

 それ以前に人の下腹部を触るなんて、下手をしなくてもセクハラである。

 

「だって、あなた聖痕持ってるじゃない。

 聖痕に宿る『光の魔素(マナ)』が測定の妨げになるから、あなたの場合、直接触って測った方が正確なのよ。」

 

「うぅぅ・・・。」

 

 チコの言葉にスズは顔を赤くして黙り込んでしまう。

 スズが生まれ持つ聖痕には、『光の魔素(マナ)』と呼ばれる特殊な魔素(マナ)が宿っている。

 これは大気中に存在する『下位5属性』の魔素(マナ)とは区別されており、魔導学によれば下位5属性の魔素(マナ)は、光の魔素(マナ)から生じたものとされている。

 魔力が大気の魔素(マナ)を属性問わず取り込んで生成されるものなので、光の魔素(マナ)は謂わば、純正の魔力と言えるものであり、聖痕を持つ者は魔力臓器に保有する魔力に加えて光の魔素(マナ)が加算されるため、生まれついての魔力総量が多いのだ。

 現にスズは魔力だけなら、チコとレンジの魔力を足しても尚、足元に及ばぬほどの桁外れなものを持っている。

 その弊害として今回の場合、膨大な光の魔素(マナ)が測定の障害となるので、魔力臓器の位置に直接手を置いて測ると言うのは正しい判断である。

 だが納得出来たものの、チコに下腹部を触られるという羞恥には替え難い。

 元々スズは聖痕を持つこと自体、信仰するチノヨリヒメへの挑発に等しいとして快く思っていなかったわけだが、まさかチコのセクハラを容認するためにまた一段と嫌いになるとは思いもしなかった。

 

「よし、終わったわ。今度カゲヒメに乗ることがあったら、また測らせてね。」

 

「えっええ・・・。」

 

 差分を比較すると言うことは当然、もう一度これを行う必要がある。

 またこんな恥ずかしい思いをしなければならないのかとスズが憂鬱に思う一方で、チコは相も変わらず素知らぬ顔だ。

 そりゃあスズだってチコをお縄につかせるつもりなんてなく、チコも第三者が相手ならこんなセクハラを平然とはしないだろう。

 幼馴染の距離から来る気軽さだと思えば、それだけチコに近しい間柄である裏付けにはなるわけだが、同時に自分だけがチコを意識しているという事実をまた思い知らされてしまう。

 結局いつも通り、チコの無自覚から来る羞恥と、鈍感さから来る怒りで二重に顔を赤くするスズだが、そんなスズを見てチコが心配そうな表情を見せる。

 

「スズ、どうしたの?顔が赤いけど。」

 

「なっ、なんでもないです・・・。」

 

 誰のせいで、と内心愚痴ろうと思ったが、チコがおもむろに顔を近づけてきて・・・

 

「へ・・・?」

 

 自分の額の髪をかきあげてから、チコ自身の髪もあげて額と額を当ててきたのだ。

 

「大丈夫?熱とかない?」

 

 チコとしては、初めての旅に異郷の地と慣れないことが続いたストレスから、スズが体調を悪くしていないかと純粋に心配してのことだったのだが、チコの綺麗な緑色の瞳、ほのかに甘いシャンプーの香り、そして艶やかな唇を全てをゼロ距離で受けたスズは、ただでさえ熱暴走寸前だった頭の中がとうとう爆発してしまい・・・。

 

「ふにゅうぅぅぅ・・・・。」

 

 頭から湯気を出して気絶してしまった。

 

「えっ!?ちょっとスズ!大丈夫!!?」

 

 突然気を失ったスズを抱きかかえ、チコは必死な表情で呼びかける。

 だが必死になっているのはチコだけで、周りの人々は揃いも揃って呆れた表情でジットリと見ている。

 

「チコちゃん、流石に今のコンボはないと思うな・・・。」

 

 ミリアでさえ、額に手を当てながら呆れ交じりのため息を吐く。

 

「ミリアさん!ふざけてる場合じゃないですよ!」

 

「チコちゃん、もう15だよね?もう少し大人になろっか?」

 

「えっ?ダリアさんまで・・・?」

 

 ダリアに続いてデミルとリクドウまでも、うんうんと頷いている。

 

「なっなんなんですか?それよりもスズが・・・。」

 

「お前、やっぱバカだろ。」

 

 最後にレンジまで馬鹿にされてしまい、チコは何が何だか分からない内に不思議な疎外感に包まれるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 同時刻、自由都市同盟の中央都市(アマルーナ)にある酒場では、バレットとクレアが酌を交わしていた。

 当初はバレットたちもマギアディールを訪れて、黒い操兵もどきを駆る巫女たちの監視をするつもりだったが、やつらの常人離れした探知能力の高さを警戒して一度アマルーナまで帰還したのだ。

 そして今回は『助っ人』の要請し、こうして酒場で待ち合わせをしているのだ。

 

「もう待ち合わせの時間過ぎてるけど、あいつら遅くない?」

 

「まあ、マイペースな連中だからな。多少の遅刻は目を瞑ってやれや。」

 

「今回ばかりはそうはいかないでしょ。あの子たちがいつマギアディールを出るかわからないのに。」

 

 待てども訪れぬ助っ人に業を煮やしたクレアが愚痴り始めた直後、酒場の扉が大きく開かれようやく待ち人である4人組が入店してきた。

 その姿を確認したバレットは、葉巻をふかしながら笑みを浮かべる。

 

「待ってたぜ、『フォウ・フォース』。」

 

 傭兵ギルド『フォウ・フォース』。

 男性2人、女性2人の僅か4人によって結成されたそれは、傭兵ギルドの中でも特に戦闘を専門としており、全員が熟練の戦士にして操手、そして特定の属性における魔法のエキスパートである。

 

「悪いバレットの旦那。昨日ちと1人で飲み明かしちまってさ。」

 

 さして悪びれた様子も見せずに謝る男性の名は『フレイ・ハイウェスター』。

 年齢は30代頃、背丈は180cm程。

 金色に染めた髪にサングラス、半裸の上に赤いジャケットを羽織っているだけのその風体は一言で言えば『チャラい』が、フォウ・フォースで一番の実力者である。

 

「久しぶりだなフレイ。どうだ。寝酒に一つ乾杯と行こうぜ。」

 

「旦那の奢りでね。」

 

 そんなフレイを非難することもなく、むしろ酒を勧めてきたバレットはグラスにウィスキーを注ぐ。

 

「全く、バレットさんから連絡があった側からよく飲めましたね。」

 

 呆れた様子でフレイを一瞥する女性の名は『アクア・サーペント』。

 年齢は20代後半、背丈は165cm程。

 フォウ・フォースのギルドマスターであり、茶がかった黒の長髪、水色のローブの上からもわかる豊満なバストを持つその姿はどこか艶やかな雰囲気を漂わせており、今も異性から注目を浴びている。

 

「久しぶりね、アクア。どう?稼業の方は順調?」

 

「はい、クレアさん。おかげさまで順風満帆です。

 問題児たちに手を焼くことを除けば。」

 

 クレアは親し気にアクアと挨拶を交わしながら、性懲りもなく酒を呷るフレイに冷めた視線を送る。

 

「それでそれで今日はアタイらに何の用?何か面白い話でもあるの?」

 

 早口で捲し立てる女性の名は『ウィン・テーヴァ』。

 年齢は20代前半、背丈は170cm程。

 ライトブルーのツインテール、ビキニウェアとホットパンツと言う露出の多い格好は、フレイとは違った意味で『チャラい』印象を与える。

 

「ああ、面白い厄介事を持ってきてやったぜ。」

 

「マジで?チョー楽しそう!

 最近は雑魚の相手ばっかだったから退屈してたんだよね~。ねっグラン?」

 

「・・・。」

 

 口をへの字に結んでいる男性の名は『グラン・ハワード』。

 年齢は30代後半、背丈は200cm程。

 フォウ・フォースの年長者であり、筋骨隆々とした屈強な体躯を持ち、亜人と言われても違和感がないほどの巨漢である。

 

「んじゃっ、要件を話すぜ・・・ってか、よく俺から聞く前に話を引き受けたなお前ら。」

 

 昨日の夕方ごろ、バレットは通信機を使ってフォウ・フォースに協力を要請したのだが、彼らは2つ返事であっさりと引き受けた上に、詳しい話は当日に聞くと言ってきたものだ。

 傭兵は命を賭ける職業故に、仕事内容が明確でない案件は安易に引き受けるべきではない。

 これが傭兵ギルドにおける鉄則であるも関わらずだ。

 

「旦那からの要請とあっちゃあ、断る理由はないでしょ?」

 

 バレットの言葉に、フレイは笑って答える。

 見ればアクアとウィンも、バレットへの協力は惜しまないと言わんばかりの笑顔を浮かべていた。

 グランだけは押し黙ったままだが、こう見えて自己主張はしっかりとするタイプだ。何も言わないのは、肯定の裏返しである。

 

「全く、お前らと来たら・・・。」

 

 やや呆れながらも、嬉しさを隠せない様子のバレットは、カミナの里で起きた出来事、そして謎の操兵についてフレイたちに話す。

 

「辺境の地で見つかった謎の操兵ですか・・・。」

 

「見た目こそ操兵っぽいけど、あの動きは操兵の範疇を超えているわ。

 操兵を模した何か、と見るべきでしょうね。」

 

 クレアの補足があっても、アクアは信じがたいと言った表情を浮かべている。

 それはそうだろう。当事者じゃなければクレアだって同じ反応をしている。

 

「それにボディーガードの剣士か。確かに面白そうな話じゃないの。」

 

 一方でフレイは謎の操兵よりも、その護り手を務める少年へと興味を向ける。

 

「依頼はあくまでも黒い操兵の捕獲だ。

 だがあのボウズが旅館の嬢ちゃんが言っていた防人の一族とやらなら、巫女ちゃんを守るために戦うだろう。

 ボウズを無視することは出来ねえ。適当に相手をしながら黒い操兵を捕獲する。」

 

「黒い操兵についてはまだどんな力を隠しているかわからないわ。

 あんな得体のしれないやつに正々堂々と事を構えるつもりはない。

 今回は数の暴力で押し切るわよ。」

 

「え~!?」

 

 2人の説明に不満げな声をあげたのはウィンである。

 

「何それ?アタイらに寄ってたかって弱い女の子を袋叩きにしろっての?」

 

「言っておくけど、全然か弱くないわよ、あの巫女ちゃん。

 言葉遣いも粗暴だし、あれは絶対に暴力女よ。」

 

 冗談半分とは言え、クレアが若干的外れな意見をする。

 

「なんだ、可愛げないのですね。」

 

 なぜかアクアが残念そうに頷く。

 

「少年の足止め役に最低1人は必要でしょ。

 旦那、そっちは俺がもらってもいいかい?」

 

「そう言うと思ったぜフレイ。ボウズはお前に任せる。お前が適任だろうからな。」

 

「旦那が喉を唸らすほどの剣士か。こりゃあ楽しみだわ。」

 

 フレイがサングラス越しに好戦的な笑みを浮かべる。

 

「他の3人は黒い操兵を頼む。」

 

「やだやだやだ!

 アタイだってたまにはサシで戦いたーい!タイマンでやり合いたいー!!

 ね?ね?グランもそう思うよね?」

 

「・・・。」

 

「何か言えし!!」

 

「・・・ふむ。」

 

「いや、ふむじゃねーし!!」

 

「ウィンちゃん、少し静かになさい。」

 

 1人騒ぐウィンを、アクアが静かに叱る。

 ウィンはこれでも立派な成人女性なのに、口調も態度も駄々っ子そのものである。

 

「えー、アクア姐は不満ないわけー?」

 

「クレアさんが1人で相手をするなって言うからには、相手に相応の力があると言うことです。

 ウィンちゃんももう子供じゃないんだから、それくらいは理解しなさい。」

 

「ちぇっ。」

 

 アクアに諭され、ウィンはやっと大人しくなる。

 曲者揃いのフォウ・フォースをまとめるギルドマスターだけのことはあり、アクアはこのメンツの中では『比較的』常識人である。

 

「最初はお前たちだけで相手をしてくれ。俺たちは遅れて奇襲をかける。」

 

 ひと段落ついたところで、バレットが再び作戦の説明に移る。

 

「最初から6人でかかれば、それだけで相手も警戒するだろう。

 4人だけと思わせておいてからの方が動きやすい。」

 

「数の暴力な上に奇襲か。よっぽど警戒してるのね、旦那。」

 

「それだけ手酷くやられてきたってことだ。」

 

「はいはーい!じゃあアタイらだけでちゃちゃっと仕留めちゃってもいい?」

 

「こら、ウィンちゃん。」

 

「いや、むしろ大歓迎だぜ。こっちが休める。目的さえ達成できればそれで良し。

 お前らだけで押し切れると思ったら、遠慮なく攻め倒せ。」

 

「よっしゃー!やる気沸いてキター!!」

 

 1人テンションを上げるウィンを余所に、フレイがバレットの奢りと言っておきながら、酒の代金を置いて店を出ようとする。

 

「んじゃま、連中がいつマギアディールから出るか分からない以上、早めに動きましょうかね。」

 

「おう、報酬は後で弾ませるぜ。」

 

「別にいいさ。これくらいの依頼じゃあ、旦那から受けた恩の足元にも及ばねえ。」

 

 フレイの断りに、クレアが驚いた様子で言葉を続ける。

 

「本当にいいの?

 戦闘は避けられないし、せめて操兵の修理費と燃料代くらいは出すわよ。」

 

「構いませんよクレアさん。

 あなたたちのおかげで、今の私たちは食べることに困っていません。

 だから私たちはみんな、個人の意思であなた達に協力するだけです。」

 

「面白そうなことになってきたしねー。誘ってくれただけ儲けもんだよー!」

 

「・・・うむ。」

 

 仮にも命を賭けた戦闘の依頼なのに、4人は一切の見返りを求めない。

 

「ホント、頼りになる連中だぜ。」

 

「ええ、全くだわ。」

 

 だからこそバレットもクレアも彼らに全幅の信頼を置き、感謝しながら笑い返すのだった。

 



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第6話 中編

 その日の夜、カナチ工房で夕食を終えたチコたちは、マギアディールを離れる支度をしていた。

 本来ならば明日の朝に経つ予定だったが、深夜帯に移動した方が、コソ泥たちが襲撃してくる可能性も低いだろうと言うミリアの提案を受けて、早朝目掛けてカミナの里に帰ることになった。

 

「リクドウさん、ダリアさん、デミルさん。短い間でしたがお世話になりました。」

 

「いやいや、遠くから来てくれたのに、力になれなくて悪いな。」

 

「いえ、カゲヒメについて少しでも触れることが出来て良かったです。」

 

 申し訳なく言うリクドウに、チコは今一度頭を深々と下げる。

 何もわからなかった、と聞いた時には確かに失礼ながらも落胆してしまったが、ここに来なければヨゾラノカゲヒメについては本当の意味で何も分からなかっただろう。

 操手槽どころかそもそも各部の造りすら違う。更には魔導炉も積んでいない。

 機操兵を模して造られた何かである可能性がある。

 それがわかっただけでも一歩前進である。

 

「チコちゃん、またいつでも遊びにおいでね。」

 

「はい、ダリアさん。また必ず来ます。」

 

「スズちゃんとカンナちゃんも元気でね。またいつか会いましょう。」

 

「はい、お世話になりました。」

 

「えと・・・お世話になりました。」

 

 スズに倣い、カンナがぎこちない様子で礼をする。

 

「レンジ君、カザキリ大事に使ってくれよ。」

 

「それはちと保証できませんね。でも壊さないように気を付けますよ。」

 

「みんな~、挨拶済んだなら出発するよ~。」

 

 ミリアの言葉を締めに、一同はマギアディールを離れるのだった。

 

 

 

 

 サナギの客室で一息ついたチコたちは、遠くなるマギアディールを窓の外から眺める。

 すっかり夜も更けているのに、そびえ立つ建物にはいくつもの明かりが灯っている。

 故郷であるカミナの里よりも遥かに広大なその都市は、今も星空と同じくらいに輝いていた。

 

「スズ、初めての旅はどうだった?」

 

「・・・とても、楽しかったです。里では見れないものをたくさんみることができて。」

 

 カミナの里を出るつもりはないとずっと言い続けて来たスズは、少し躊躇いうように間を置き、はにかみながら素直な感想を述べる。

 

「そう、良かったわ。」

 

「お前、里を出る気ねえってばかり言ってたからな。正直心配だったぜ。」

 

「えへへ・・・。」

 

 照れくさそうに笑うスズだが、初めての旅は目に映る景色が全て新鮮で、驚くことばかりだった。

 広大な都市を巡回する大型蒸気列車、大勢の人種で賑わう商店街、甘くて安いチョコレート、味の濃い食べ物。

 きっと世界には、マギアディールと同じかそれ以上に大きな都市が幾つもあるのだろう。

 そこではどんな人が住んでいて、どんな建物が並んでいて、どんな食生活を送っているのか。

 もっと世界を知ってみたい。そんな欲求が芽生えたのも決して嘘ではない。

 

(・・・でもやっぱり私は、カミナの里が一番好きかな。)

 

 その一方で、今回の旅はスズの持つ郷土愛を一層に強めた。

 里から出たことがないスズにとって、生まれ育った故郷にあるものは全てが当たり前のものだと思っていたけど、それは違っていた。

 澄んだ空気、綺麗な自然、そして何よりも美味しい食べ物。

 カミナの里の10倍の土地面積を誇り、大勢の人が住むマギアディールには、カミナの里に当たり前のようにあるものがなかった。

 里に住む人の中には、カミナの里は小さくて何もない街だと言う人も少なくはないが、旅に出たスズにははっきりとわかったことがある。

 スズの故郷は、カミナの里は、自慢したいものに溢れた素敵な街なのだと。

 住めば都と言う言葉があるように、暮らし始めたらいずれは慣れるのかもしれない。

 リクドウがそうであったように、自分もマギアディールで暮らすことになれば、その土地の風土にいずれは順応していくのかもしれない。

 それでも暮らせる場所を選ぶことが出来るなら、自分は迷いなくカミナの里を選ぶだろう。

 無論、里に留まりたいと思う一番の理由は別にあるが、スズにとってはやっぱり生まれ育った故郷こそが、最も落ち着いて暮らせるところなのだ。

 

「それじゃあ、早いけど今日のところはもう寝ましょう。

 明日の早朝にはもう里には着く予定だし。」

 

「コソ泥たちの襲撃だってないと決まったわけじゃねえ。

 寝られる内に寝ておこう。」

 

 ひとしきり話し終えたところで、チコとレンジがそう提案する。

 夜間の移動で少しでも敵側の襲撃が来る確率を抑えたとはいえ、ゼロではない。

 休める内に休んでおかなければ、戦闘に支障が出るだろう。

 今晩はミリアが寝ずにサナギを走らせてくれるので、チコたちも寝ずの番をせずにしっかりと就寝できる。

 ミリアの厚意を無下にしないためにも、大人しく就寝した方が良い。

 

「はい、わかりました。カンナちゃん、一緒に寝よ。」

 

「ふわあああ・・・。」

 

 スズが一昨日と同じようにカンナの手を引きベッドに移動する。

 ちなみにレンジは今晩のために、わざわざ商業地区で安物の寝袋を購入しており、チコの敷いた布団の隣で寝袋に包まった。

 

「レンジ、ここから先に入ってきたら殺すわよ。」

 

「お前こそ、こっから先に寝返り打ったら斬るぞ。」

 

「斬れるものなら斬ってみなさいよ。寝袋に入って芋虫になるくせに。」

 

「布団被って丸くなる猫が偉そうに言うな。」

 

「2人とも!早く寝ますよ!」

 

 早めに寝るよう提案したはずの2人が終わりなき口喧嘩に入る予兆を見せたので、スズが一喝して中断させる。

 布団越しにピリピリとした空気を感じながらも、一同はそれぞれの寝床で一夜を明かすのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 空が白み始めた頃、早めに起床したチコたちは最低限の身だしなみと朝食を終え、いつでも出撃できるように準備していた。

 無事に一夜を明けたと言うことは、以前やつらが仕掛けてきた荒野では待ち伏せされなかったことになるが、カミナの里に到着するまではまだ油断ならない。

 

「この草原を抜ければもうすぐ里だが、次にやつらが仕掛けてくるとしたらここの可能性が高いな。」

 

「どうしてそう思うの?」

 

「これ以上先に進むと近隣の町村に入るだろ。そこにも操兵を持つ自警団がいる。

 やつらがオレたちにだけターゲットを絞り込みたいなら、不用意に周りを警戒させるような真似は控えてえはずだ。」

 

 レンジの言葉にチコは内心、頷く。

 連中は以前も、周囲に街は愚か魔獣の気配すらない荒野で待ち伏せしていた。

 戦闘を仕掛ける場所を吟味していることは間違いなく、加えてやつらは以前カミナの里を訪れている。

 里の周辺にある町村についても調べがついていると見ていいだろう。

 となれば少しでも不安要素の募るような場所は避けたいと思うはずだ。

 そうなればこの草原でやつらが待ち構えている可能性は十分にある。

 最も、何事もなく過ぎてくれればそれに越したことはないわけだが。

 

「まっ、このまま何もなく素通り出来るのが一番・・・。」

 

 と、自分が思ったことと全く同じことを言いかけたレンジが突然言葉を遮り、後方を振り返る。

 微かだが、こちらに向かって来る魔力反応が感じ取れたのだ。

 

「おーいみんな!またお客さんのお出ましだ!!」

 

 程なくして、部屋中に通信機越しのミリアの声が響き渡る。

 

「レンジが余計なこと言うから。」

 

 内心同じことを考えていたチコは、自分のことを全力で棚に上げながらレンジを責める。

 

「オレのせいかよ。」

 

 そんな細やかな言い争いをしながら、チコとレンジは格納庫へと走り、スズも慌ててその後を追う。

 やがて格納庫に辿りついた一同は、それぞれの乗機へと向かう。

 

「スズ、行くわよ。」

 

「え?はっはい・・・あわわ!」

 

 チコはスズをお姫様抱っこで抱きかかえながら跳躍し、ヨゾラノカゲヒメの操手槽へと乗り込む。

 

「行くぞ、カザキリ。」

 

 レンジは左手を差し出しカザキリに呼びかけ、自動操縦(オートパイロット)で操手槽を開いて飛び乗る。

 

「みんな!気を付けてね!」

 

「はい!」

 

「うっす。」

 

 通信機から聞こえるミリアの声に返事をした後、格納庫の扉が開く。

 ヨゾラノカゲヒメとカザキリは出撃し、サナギから遠く離れた場所まで移動すると、魔力反応は、こちらの方に真っ直ぐ向かって来た。

 これならサナギを戦闘に巻き込む心配はないだろう。

 

「チコ、気づいてるか?」

 

「ええ、前のやつらとは違うみたいね。それも今回は4つ。」

 

 こちらに向かって来るものは、以前対峙したコソ泥たちの魔力反応ではなかった。

 

「だがサナギをほっぽってこっちに向かっている以上、狙いは同じだろうな。

 やつらの仲間か、それとも噂を嗅ぎつけた同類か。」

 

「どっちだっていいわ。全員ぶっ飛ばして帰るわよ。」

 

 チコは水晶を握る力を強める。

 やむを得ないとは言えスズをまた戦いに巻き込んでしまうことに、チコは苛立ちを募らせているのだ。

 これ以上、スズに怖い思いをさせたくない。敵が向かって来るならば、早々に蹴散らすまでだ。

 

「そろそろか。」

 

 4つの反応が大きくなるごとに、遠方から4つの機影が見えてくる。

 

「っておい、なんだあれは?」

 

「えっ・・・?何あれ?」

 

 だがその姿が目に映った瞬間、レンジもチコも驚いて目を見開く。

 エーテルの出力からして、あれは機操兵であることは間違いないだろう。

 だがそのいずれも、『異様な外見』をしていた。

 赤い機体は手足が4つあり、車輪の駆動音を高鳴らし、粉塵を巻き上げながら地を走る。

 青い機体は手足すらなく、長い胴体に鰭の付いた尾を揺らしながら、赤い機体の隣を走っている。

 土色の機体は上半身及び両腕が身体の大半を占めるほどに大きく、両腕で大地を掴むように4足歩行している。

 緑色の機体は自ら動かず、土色の機体に乗せてもらっているが、手の代わりに翼のようなものが両端に取り付けられており、口部が円錐状に尖っていた。

 そう、4機とも全て『人の型』をしていないのだ。

 

「ゲテモノ揃いだな。チコ、不意打ちに気を付けろ。」

 

 以前の戦いで4本腕による銃撃を受けたレンジが、チコに注意を促す。

 

「分かってるわよ。」

 

 チコも警戒し、こちらに向かう4機を見据えるが、やがて赤い機体が速力を上げてカザキリの方へと向かって走り来るのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 

「あの緑色のやつが、少年剣士の乗る操兵か。」

 

 赤い機体に乗るフレイは操手槽の中で好戦的な笑みを浮かべ、カザキリに目掛けて速度を上げる。

 

「んじゃっ、予定通りあのサムライさんはもらってくぜ!」

 

 カザキリに急接近した後、前方の片輪を強引に回転させ、機体を前後を反転させる。

 そして機体後部に尻尾のように取り付けられた『剣』を、カザキリに目掛けて振り回した。

 

「剣だと!?」

 

 レンジは咄嗟にカザキリを動かし抜刀し、赤い機体の尾を模した剣と切り結ぶ。

 

「ははっ!良い反応してんじゃないの!」

 

 フレイは益々楽しそうに笑いながら、そのまま機体を逆方向に回転させ、尾の剣を振り回す。

 車輪で地を走る4足の機操兵の、尻尾の剣と斬り結ぶ。

 初めてどころかこの先まず2度と同じタイプの剣士とはお目にかかれないであろうが、それだけに挙動が読みづらく、レンジは相手のペースに翻弄され始める。

 

「レンジ!」

 

 チコの駆るヨゾラノカゲヒメが援護に向かおうとするが、その眼前を青い閃光が走る。

 

「援護はさせませんよ。」

 

 アクアの乗る青い機体が、ヨゾラノカゲヒメを狙って水流を放つ。

 続いてグランの乗る土色の機体が、背に負う擲弾筒から爆撃を放つ。

 ヨゾラノカゲヒメはそれを跳躍してかわすが、立て続けに砲撃を回避したためカザキリと距離を離されてしまう。

 

「キミの相手はアタイたちだよ。巫~女ちゃん。」

 

 緑の機体に搭乗するウィンは特に何もしていないのに、挑発的な口調でヨゾラノカゲヒメを視野に捉える。

 一方でレンジと離され、3体の機操兵に睨まれたチコは、緊張した面持ちで映像板を睨みつける。

 

(しまった、敵の狙いは最初からこっち・・・。)

 

 3機の敵に囲まれ、チコは焦りを覚える。

 魔導弓を扱う機操兵と戦った時でさえ、1対1で苦戦を強いられたのだ。

 それなのに今回はあちらに数の分がある。

 赤い機体が真っ先にレンジを狙ったところを見ると、敵は最初から3機で自分を囲むのが目的だったのだろう。

 この機体が敵の最優先とする目標であることがわかっていながら迂闊だったと、チコは自分を恥じる。

 

「チコさん。」

 

「大丈夫よスズ、心配しないで。」

 

 不安げな様子で見上げるスズにチコは優しく声をかけ、こちらの不安を悟られないように顔を引き締める。

 自分がやらなければ、スズの身も危険に晒される。

 

(スズのことは、私が必ず守る。)

 

 その思いを胸にチコは闘志を燃やし、戦う覚悟を決める。

 人数に差がついているとか、過ぎたことはもうどうだっていい。

 スズを守るためならば例え3機相手だろうが100機相手だろうが、まとめて壊してやるだけだ。

 その一方で、冷静に相手の様子を観察する。

 異様な風体をした4機の機操兵だが、そのいずれも『動物』の姿を模っている。

 かつてこの世界には、人間以外にも多くの動物が生息していたようだが、現代では人に飼われている家畜くらい以外はほぼ絶滅したと聞いている。

 だが自由都市同盟は旧時代の文明を積極的に調査していることもあり、旧時代の動物図鑑が複写されて国中に広まっているのだ。

 カミナの里の図書館にもそれがあり、チコも読んだことがあるので、動物に対する知識は人並みにある。

 そして動物を模した機操兵となれば、思い当たるものが1つある。

 

(動物型の機操兵、『獣操機』かしら・・・。)

 

 獣操機とは、自由都市同盟に広く住まう亜人が造り出した、動物を模した機操兵のことだ。

 外見だけでなく骨格から筋肉筒の形状まで全て基となった動物を模して造られており、その動作には動物的特徴が幾つも散見されるとレンジから聞いたことがある。

 だがそうなると、敵対する4機には妙な点が幾つも見られる。

 赤い機体の元となった動物は恐らく『蜥蜴』だろうが、胴体についている両手足は地にすらついていない『飾り』であり、実際には手足の先端についている車輪で走行している。

 緑の機体は『鳥』を模して造られているのだろうが、現代の技術では飛翔できる機操兵はまだ造られていない。

 飛行能力は鳥類の最大の特徴であり、それが再現できないのであれば鳥を基にする意味はほとんどない。

 土色の機体は恐らく『ゴリラ』が基だろう。

 外見及び走行中の動作にもその特徴が見られるが、背に大型の擲弾筒を負っているところを見ると、あの形状は固定砲台としての姿勢制御を行うためだろう。

 ここでもわざわざ動物を模する理由が見当たらない。

 青い機体は細長い胴体と色合い、そして鰭の存在から『海蛇』を似せて造られたのだろうが、水辺に生きる動物が地上にいる時点で動物的特徴もへったくれもあったものではない。

 

(そうなると、あれは獣操機じゃない。でも、何か意味があるはず・・・。)

 

 無意味なものなんてない。どんなことにも必ず意味がある。

 出なければ、獣操機でもないのに動物を模った機操兵を駆る理由はないはずだ。

 

「チコさん、あれ・・・。」

 

 チコがその意味について考えている最中、スズが神妙な面持ちでチコに話しかけてくる。

 

「どうしたの?スズ。」

 

「きっと、フトアゴヒゲトカゲとダイナンウミヘビとアフリカシロクロオオタカとマウンテンゴリラです!」

 

 こんな状況下でまたしてもスズの天然ボケが炸裂し、チコは臨戦態勢にも関わらず頭痛がしてきた。

 

「いや、そこまで明確な模型はないと思う。」

 

 だが幼馴染の条件反射とでも言うべきか、しっかりとツッコミを入れてしまう。

 

「え?じゃあ爬虫類と魚類と鳥類と霊長類でしょうか?」

 

「いや、そこまで大雑把でもないと思う。」

 

 なんで0か1の思考しかできないかなとスズに呆れながら、チコは今一度、映像板に映る3機を見据える。

 数で不利を取っている以上、こちらから迂闊に攻めるのは網にかかりにいくようなものだ。

 一先ずは相手の出方を伺った方が良いだろう。

 

(大丈夫、カゲヒメの速さならどんな攻撃にも対応できる。)

 

 チコは気持ちを落ち着かせながら、敵からの攻撃に備え身を構えるのだった。

 



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第6話 後編

 ヨゾラノカゲヒメと対峙したフォウ・フォースたちは、得体のしれない操兵と言う前情報から迂闊には仕掛けず、静かに相手の出方を伺っていた。

 だがいつまで経っても相手から動く気配が一向になく、ついにウィンがしびれを切らす。

 

「意外と慎重だね~。アクア姐、先に仕掛けてもいい?」

 

「こちらに数の分がある以上、あちらが迂闊に動けないのも当然でしょうね。

 いいわよウィンちゃん、突いちゃいなさい。」

 

 アクアとしても、これ以上待ち構えていても時間の無駄であり、輸送艦に残っているであろう運び屋が通信機で応援を要請してくる可能性も捨て切れないので、やむえずこちらから仕掛けることにした。

 

「はいはーい!グラン!いっくよ~!」

 

「うむ。」

 

 ウィンがグランに合図を送ると同時に、乗機である緑色の機体を、グランの乗る土色の機体が背負う擲弾筒の末端、槌のような形状をした土台の上へと移動させる。

 そして翼と足を折りたたみ、三角状となって土台に腹を乗せた。

 この時点でもはや鳥型である意味が欠片もなくなり、改めて敵が獣操機でないことを認識したチコだったが、次の瞬間、足場となっている槌が砲身を滑り、緑の機体がカタパルトのように射出されたのだ。

 

「イヤッホ~イ!!」

 

 射出されたウィンはノリノリで叫びながら機体の全身に風を纏わせ、頭部先端の円錐をドリルのように回転させてヨゾラノカゲヒメへと突撃する。

 

「えっ!?」

 

 まさか機体そのものが弾丸のように飛んでくるとは思わなかったチコは驚くも、何とかヨゾラノカゲヒメを反らして回避する。

 だが次の瞬間、緑の機体は片翼を僅かに反らして風の向きを変えて旋回し、やや高度を落としながらも再び突撃してきた。

 

「滑空!?」

 

 空を飛ぶことは出来なくても、風の魔法で高度を緩やかに落としながら空中を旋回する。

 チコは何とか惑わされることなく2度目の攻撃を回避した後、敵は翼を広げて風を受け止め、再び土色の機体の背中へと着地した。

 

「なぜこのような形をしているのか、今ごろ疑問に思っているところでしょうね。」

 

 アクアが通信機も開いていないのに、乗機である青色の機体の操手槽内で1人ごちる。

 

「ですが魔法の発動とはイメージの具現化。

 形から入ることで、より高度な術式を洗練させることが出来る。」

 

 フォウ・フォースのメンバーは全員、魔法のエキスパート。

 下位5属性である火、水、風、土、雷の内、フレイは火、アクアは水、ウィンは風、そしてグランは土の魔法を得意としている。

 そしてこの4属性は、旧世代の考古学に置いて物質世界を構成する最小単位、四大元素と呼ばれていたものであり、フォウ・フォースは己が得意とする魔法を更に昇華させるべく、この思想を取り込んでいる。

 獣操機でないにも関わらず動物の形を模しているのは、決して伊達や酔狂ではない。

 それぞれが得意とする魔法の効力を最大限に発揮するために、自然界に生きる動物の姿を模っているのだ。

 

「水は古来より、水害として多くの破壊を地上にもたらしてきた。

 形から入りしその破壊力、とくとご覧あれ。」

 

 アクアの機体が、頭部の口を大きく開く。

 

「我が水よ、仇なすものを(つぶ)せ。

圧壊水擲弾(プレッシャー・キャノン)』!」

 

 アクアが呪文を唱えると同時に、口内の筒が展開され、水が一点に集中される。

 次の瞬間、圧縮された水の塊が、ヨゾラノカゲヒメめがけて放たれた。

 ヨゾラノカゲヒメはそれを回避するが、放物線を描いて放たれた水は地面に着弾した瞬間、轟音と共に大地を抉り取り、飛散した水が雨のように降り注ぐ。

 

「なんて威力なの!?」

 

 青い機体から放たれた水の魔法を見て、チコが目を見開き、スズは身を震わせる。

 

「ウィンちゃん!グラン君!畳みかけますよ!」

 

「りょーかい!」

 

「うむ。」

 

 敵が怯んだことを感じ取ったアクアたちは、一気に攻め立てる。

 

「次はもっとすごいのいっくよ~!」

 

 ウィンの機体が再び擲弾筒の背に乗り、カタパルトのように射出される。

 

「クルクル~と回って、ビュッと吹いて、ドカーン!!

『竜巻ストライク』!!」

 

 ウィンの呪文と共に先端の円錐に風が纏わりつき、やがて機体そのものを包み込み巨大な渦巻きへと姿を変える。

 

「本当、よくそんな呪文で魔法が使えますね・・・。」

 

 一方でアクアは聞き慣れながらも、一向に理解できない摩訶不思議な呪文に苦笑する。

 術式をより洗練されたイメージへと昇華するために唱えるのが呪文なのものだから、こんな抽象的な呪文では本来、効果なんて望めないはずだ、

 だがウィン曰く、この方が『気合』が入るらしく、実際にちゃんと魔法が発動しているばかりか威力まで高まっているのだから始末に負えない。

 これだから感性で魔法を使う人は・・・なんて思いながら敵を見ると、黒い操兵は軽やかに宙を舞い、迫りくる攻撃を再び回避していた。

 

「随分と足が速いようだけど、いつまで持つかしら?」

 

 それでもアクアは余裕の態度を崩さず、グランの方へと目をやる。

 するとグランは敵が着地するタイミングを見計らい、静かに呪文を唱えた。

 

「大地、揺れろ。

『ランド・シェイク』。」

 

 グランの機体が拳を地面に振り降ろした次の瞬間、地鳴りと共に大地が揺れ出す。

 

「えっ!?」

 

 突然の地震にバランスを崩し、膝をついたヨゾラノカゲヒメに対して、アクアが照準を合わせる。

 

「我が水よ、仇なす敵を(つぶ)せ。

 プレッシャー・キャノン!」

 

 放たれた攻撃をヨゾラノカゲヒメはかわそうとするが回避しきれず、ついに肩部に着弾した。

 

「「きゃああああっ!!」」

 

 チコとスズの叫びが重なり、ヨゾラノカゲヒメは後方に吹き飛ばされながら地面を転がる。

 

「グラン~、相変わらずつまんない呪文だね~。」

 

「・・・。」

 

「何か言えし!!」

 

「・・・うむ。」

 

「いや納得するのかよ!!」

 

「ウィンちゃん、戦闘中、集中なさい。」

 

「はいは~い。」

 

 軽口が過ぎて油断するほどウィンもバカではないが、こうも緊張感がないとこちらの士気にも影響が出る。

 そんなことを考えながらアクアは気を引き締めて映像板を見ると、ゆっくりと立ち上がる敵の姿が見えた。

 一方、ヨゾラノカゲヒメの操手槽内では、チコがスズの身を案じていた。

 

「スズ、大丈夫?」

 

「はい、痛いところとかはないです。」

 

 敵の攻撃を受け豪快に地面を転がったのだが、自分にもスズにも打撲した様子はない。

 やはりこの操手槽は、不思議な力で守られているようだ。

 だが映像板に映るヨゾラノカゲヒメの全体図では、肩部の装甲が赤く点滅しており、機体の方は肩に損傷を負ったことを物語っている。

 以前の戦いで受けた魔導弓では傷一つ負わなかったが、今回の攻撃はあの時の比ではない威力だ。

 いくら操手槽が保護されているとは言え、どこまで持ち応えられるか分からない。

 次の攻撃は当たるわけにはいかないと、チコは一層、気を引き締める。

 

「あの程度の損傷で済みましたか・・・。」

 

 一方アクアは、自分の魔法が直撃したにもかかわらず、相手の肩の装甲が凹む程度に収まっていたことに驚く。

 

「あれあれ?おかしくない?アクア姐の魔法くらってあれだけで済むなんてさ。」

 

「うむ・・・。」

 

 通信機から聞こえてくるウィンとグランの声にも疑問が宿っている。

 並の操兵ならば一撃で粉砕できるほどの威力なだけに、少なくとも片腕を吹き飛ばせたと思っていた。

 

「見た目より丈夫っぽいね~。」

 

「それだけでしょうか・・・。」

 

 ウィンの陽気な言葉に、アクアは静かな疑問を抱く。

 なぜなら相手に攻撃が当たる瞬間、ほんの僅かだがこちらの魔法が『分散』したような感覚があったのだ。

 

「アクア姐?」

 

 アクアがしばしの間黙り込んでしまったので、ウィンが不思議そうな声で尋ねてくる。

 

「得体のしれない機操兵・・・なるほど、確かに興味深いですね。」

 

 ウィンの呼びかけには答えずに、アクアは知的好奇心をそそる敵を目の前に静かに微笑むのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 フレイの駆る赤い操兵は、地上を旋回しながら器用に尾の剣を振り回す。

 レンジの駆るカザキリは刀を逆手に持ち替えてそれを捌くも、足元を回る敵の動作は機敏で捉えずらく、かつ低姿勢の敵を相手しなければならない窮屈さに後れを取ってしまい、防戦一方の状態が続いている。

 すると赤い機体がやや後退した瞬間、後輪から火花を撒き散らし車輪に炎を纏う。

 

「フルスロットルで行くぜ!!」

 

 車輪を纏う炎が推進力となり、赤い機体はそのまま空中へと躍り出る。

 そして機体を前後に一回転させ、尾の剣を縦に振り降ろす。

 

「チッ!」

 

 レンジはすぐに刀を順手に持ち替えさせ、降り降ろされた剣を受け止める。

 敵が重量を全て乗せられるよりも前に、刀を滑らせて斬撃を受け流す。

 

「良い判断じゃないの!少年!」

 

 フレイは楽し気に笑いながら、敵を称賛する。

 あのまま受け止めていたなら、こちらの重量を全て乗せた一撃を前に態勢を崩すか、下手をすれば刀がへし折られていただろう。

 レンジの冷静かつ瞬間的な判断力に、フレイの気分は益々高揚していく。

 地上に降り態勢を立て直したフレイは、再びカザキリ目掛けて機体を走らせる。

 

「いい加減、分かってんだよ。」

 

 レンジはそのタイミングを見計らい、逆袈裟に刀を振り上げてきた。

 赤い機体は直進を始め、今から止まろうにも間に合わない。

 

「へえ、もう慣れてきたってわけか。」

 

 だがフレイは余裕を崩さず、そのまま機体を走らせる。

 そして次の瞬間、赤い機体の胴体から、突然『手』が現れた。

 

「なっ!?」

 

 その手は尾の剣を取って切り離し、カザキリの振るう刀を受け止めたのだ。

 

「『サラマンダー』、形態変化(モードチェンジ)。」

 

 フレイの言葉とともに、赤い機体『サラマンダー』の胴体が上下に切り離され、下段が両足となって立ち上がる。

 そしてもう片方の手が現れ、蜥蜴の頭部が背に降りるとともに操兵としての頭部が露わになる。

 

戦士形態(ファイターモード)。」

 

『動物型』から『人型』へと変形したサラマンダーは、右手に持つ剣を肩に置く。

 

「可変機か・・・。」

 

 最初は驚くも、人型になったのであればむしろ戦いやすくなったと、レンジは前向きに状況を捉え、刀を腰に据える。

 レンジとフレイが映像板越しで睨み合い、カザキリとサラマンダーに一拍の間が空く。

 次の瞬間、両者ともに踏み込み、カザキリは刀を抜いて逆袈裟に、サラマンダーは剣を振り降ろして切り結ぶ。

 

「炎よ爆ぜろ!爆撃樽・バレルボム!」

 

 フレイが呪文を唱えると、剣に火が宿ると同時に爆発する。

 爆発の衝撃で刀を弾かれたカザキリは一瞬怯んでしまい、その隙を突いてサラマンダーが再び剣を振り降ろす。

 だがカザキリは肩部の簡易術式からウィンドフローを展開し、その攻撃を回避して後退。

 そして刀を鞘に納め、サラマンダーを真正面に捉える。

 

「風よ、我が刀に宿れ。」

 

「炎よ、我が剣に宿れ!」

 

 カザキリが刀に風を、サラマンダーが剣に炎を宿す。

 

「アクメツ流、疾空斬。」

 

「炎光剣・コロナブレード!」

 

 風と炎が、刃と刃がぶつかり合い、やがて風と炎が爆風を生み出し、両者ともに距離を置く。

 

「いい魔法じゃないの。荒っぽいが威力だけなら俺のと大差ねえ。

 剣の腕前もかなりのもんだ。こりゃあ旦那がてこずるわけだわ。」

 

 楽しそうに相手の実力を分析しながら、フレイは拡声器のスイッチを入れレンジに話しかける。

 

「そこの少年。」

 

「・・・。」

 

 相手から返事はないが、カザキリの動きが一瞬止まったので聞こえていると判断する。

 

「君、名前は?」

 

「・・・レンジ・サキミだ。」

 

「レンジ君ねえ、いい名前じゃないの。俺は・・・。」

 

「興味ない。」

 

「は?」

 

「あんたがオレに興味あろうと、オレはあんたに興味がない。」

 

 名乗り返そうとした矢先に言葉を遮られたどころか、殊更冷たい口調で離されてしまい、フレイは唖然とする。

 

「いやいやいや、ここはお互いに名乗り合うのがお約束でしょ?」

 

「知るか。」

 

「か~、捻てるねえ~レンジ君。今時そんなんじゃモテないよ~。」

 

「チッ。」

 

 あのコソ泥と同じことを言いやがって、と内心愚痴りながら、レンジは早くも相手に名乗ったことを後悔する。

 

「まあいいわ、俺の名はフレイ・ハイウェスター。こいつはサラマンダーだ。

 よろしく頼むよ、レンジ君。」

 

「興味ねえっつってんだろ。」

 

「お約束だって言ってんでしょ。」

 

 通信機越しに聞こえてくるレンジの様子を楽しみながら、フレイは人型形態のサラマンダーを駆り、向かって来るカザキリの太刀を受け止めるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 青い機体から放たれる水弾と、緑の機体の突進を回避しながら、チコは反撃の機会を伺う。

 途中、土色の機体が両腕を振り上げたのが見えたので、足元に魔法陣を作りだして空へと躍り出る。

 

「大地、揺れろ。ランド・シェイク。」

 

 土色の機体が再び地面を揺るがすが、空を飛ぶヨゾラノカゲヒメの前には意味を成さない。

 

「やーい、グランの役立たず~。」

 

「むむ・・・。」

 

 ウィンからの煽りにグランは渋い表情を見せる一方、アクアは空を駆けるヨゾラノカゲヒメを見失わないように視界に収める。

 

「あれがクレアさんの言っていた、魔法による空中歩方ね。」

 

 ウィンドフローを始め、操兵を空に飛ばす手段は数あれど、魔法陣を足場にして空中を飛び回るなんて話は聞いたことがない。

 操手の巫女がよほど高位の魔法師なのか、それとも機体のエーテル増幅力が桁外れなのか。

 ますます興味をそそってくれる。

 

「まずはあの青いのから!」

 

 一方チコは、アクアの乗る青い機体に的を絞り込む。

 3機の中で最も厄介なのは、魔法による支援射撃を行うあの機体だ。

 緑と土色の機体よりも一歩後ろに下がり、戦況を見据えた上で的確な援護射撃を行っている。

 前衛を張る2機の様子を伺ってから、後隙をカバーしている。間違いなく青い機体がやつらの要だ。

 ならば早々に叩くことが出来れば敵の足並みを乱せるかもしれない。

 ヨゾラノカゲヒメは魔法陣を足蹴に、空中から一気に距離を詰める。

 だが向かって来るヨゾラノカゲヒメを前に、アクアは動揺することなく不敵な笑みを浮かべる。

 

「レヴィアタン、形態変化(モードチェンジ)戦士形態(ファイターモード)。」

 

 次の瞬間、青の機体『レヴィアタン』の細長い胴体に、頭部と尾の中心点を軸に亀裂が走る。

 2つに分かれた胴体の内、下部は脚部を形成し、上部は頭部と後部を両腕に変えて上半身を形成した。

 

「何あれ!?」

 

「へっ変形しました!?」

 

 海蛇を模した細長い機体が瞬く間に人型へと姿を変えたことに、チコもスズも驚きを隠せない。

 そして人型へと変形したレヴィアタンは、尾だったものを杖のように持ち、ヨゾラノカゲヒメの蹴りを受け止めた。

 

「白兵戦なら分があると思いましたか?甘いですよ!」

 

 杖を振り払い、ヨゾラノカゲヒメを後退させた後、レヴィアタンは杖の先端を向ける。

 

「水の槍よ!蒼槍(ブルー・ランス)!」

 

 レヴィアタンの持つ杖の先端が水を纏い、槍へと形を変える。

 ヨゾラノカゲヒメ目掛けて2、3と突きを繰り出した後、弧を描くように大きく振るった。

 

「ちっ!」

 

 まさか海蛇を模した機体が人型に変形し武器を振るうとは思っても見なかったチコは、一度ヨゾラノカゲヒメを後退させる。

 それを合図にウィンとグランは、アクアと同じ言葉を口にする。

 

「フレスヴェルグ、形態変化(モードチェンジ)戦士形態(ファイターモード)。」

 

 ウィンの駆る緑の機体『フレスヴェルグ』の腰部が旋回し、両足を反転させる。

 そして両翼の先端から掌が現れ、両腕部へと変形し、鳥を模した頭部が上を向き、首元に人の顔が現れる。

 

「ゴライアス、形態変化(モードチェンジ)戦士形態(ファイターモード)。」

 

 グランの駆る土色の機体『ゴライアス』は、両手を地に付き逆立ちをする。

 両手だったものが脚部へと変わり、両足だったものが腕部へと変わる。

 そして胴体の擲弾筒の先端を持って取り外し、ハンマーのように構える。

 

「さて、ここからが我らの本領発揮ですよ。巫女さん。」

 

「形を変えるアタイたちの攻撃に、どこまでついてこれるかな~。」

 

「・・・見物だな。」

 

 動物形態(ビーストモード)による魔法攻撃と、戦士形態(ファイターモード)による白兵戦、2つの異なる形態と特化戦術を自在に切り替えて戦う。

 これこそがフォウ・フォースの真骨頂である。

 

「チコさん・・・。」

 

「・・・大丈夫よスズ。」

 

 動物と人、2つの姿を切り替える3機の操兵に囲まれたチコとスズは、焦りと戸惑いの表情を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 次回、チイロノミコ第7話

 

「マホウノマイ」

 

 運命の糸が、物語を紡ぐ。

 



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第7話
第7話 前編


 マホウノマイ

 

 

 

 

 マギアディールからカミナの里までの帰還中、チコたちは4人組の傭兵ギルド、フォウ・フォースと交戦することになった。

 魔法攻撃と白兵戦、動物形態(ビーストモード)戦士形態(ファイターモード)、2つの戦術と形態を切り替える変幻自在の攻撃を前に、チコもレンジも翻弄されていく。

 

「サラマンダー、形態変化(モードチェンジ)動物形態(ビーストモード)。」

 

 レンジと交戦するフォウ・フォースの火剣士フレイは、乗機のサラマンダーを動物形態(ビーストモード)へと変形させる。

 そしてレンジの搭乗機であるカザキリの足元を走り回り、尾の剣を何度も叩き付けた。

 対してカザキリは刀を逆手に持ってその剣撃を受け続けるが、不意にサラマンダーが立ち上がり戦士形態(ファイターモード)へと変形し、手に持つ剣を振り降ろしてきた。

 

「チッ。」

 

 レンジは舌打ちしながらも、素早く両肩のウィンドフローを展開して後退し紙一重で避ける。

 

「いいねえ、レンジ君。いい反応だ。魔法の扱いも慣れたものだね。」

 

 簡易術式(ルーン)とは言え、咄嗟に魔法を発動し攻撃を回避する。

 思考ではなく反応の域で魔法を扱うレンジに、フレイは素直に感心する。

 

「だけど、まだ甘いね。」

 

 だがフレイは一転、不敵な笑みを浮かべた後、サラマンダーの持つ剣を地面へと突き刺す。

 

「燃え盛る龍よ、天焦がす吐息と、熱帯びた雄叫びと共に、その姿を顕現せよ!

 天翔龍・レイジング・ドラゴン!」

 

 サラマンダーの突き刺した剣から2つの火柱が生まれ、龍へと姿を変えてカザキリに襲いかかる。

 

「なにっ?」

 

 2匹の炎龍に挟み撃ちされたカザキリは、刀に纏わせた風を振るい追い払う。

 だがその隙をつき、サラマンダー本体が突きを繰り出してきた。

 カザキリは咄嗟に刀でそれを受け止めるも態勢を崩してしまい、そこへサラマンダーが蹴りをお見舞いする。

 

「ぐっ。」

 

 衝撃で揺れる操手槽内でレンジは苦悶の声を上げるも、全身のウィンドフローを展開して強引に姿勢を立て直す。

 

「レンジ君。君さ、魔法を能力強化のための強壮剤(ドーピング)か何かと勘違いしてない?」

 

 サラマンダーの持つ剣を片手で器用に回し遊びながら、フレイは通信機でレンジに話しかける。

 実際、レンジの魔法は補助的な役割が多く、風を直接攻撃として扱うことは少ないため言い返せない・・・基、レンジの方は会話する気など更々ないが。

 

「違うんだよね~これが。

 魔法ってのはね、『何でも出来る』ものなんだよ?

 術者の発想1つで様々な戦術を構築できる。こんな風にね。」

 

 魔法を使い、2匹の炎龍を生み出しての波状攻撃。

 疑似的な『3対1』の状況に追い込まれたレンジは、カザキリの刀で片方の炎龍を受け止め、もう片方の炎龍が逆方向から襲い来るところをウィンドフローで抑え込む。

 だがサラマンダー本体が更なる追撃を仕掛け、ウィンドフローで抑え込める許容量を突破されたカザキリは、再び後方へと弾き飛ばされた。

 

「火の壁!ファイヤー・ウォール!」

 

 続けざま、フレイが新たな呪文を唱え、周辺を囲うように巨大な火柱が次々と立ち昇る。

 それはサラマンダーの攻撃を受けて弾き飛ばされたカザキリの背後にも現れ、灼熱の壁となってカザキリを受け止めたのだ。

 

「ぐああっ!」

 

 ウィンドフローで威力が軽減されているとはいえ猛烈な熱気が操手槽を支配し、レンジは苦悶の声を上げる。

 

「君の魔法はね、バカ正直で、単純過ぎるんだよ。

 魔法だけじゃない、剣技だって一直線。真っ向から敵を叩き斬る以外考えない。

 そんなんじゃダメダメ。剣も魔法も最大限に活用して敵の意表を突く。

 それが賢い戦いってもんさ。」

 

 フレイは自身の戦術論を得意げに話しながら、切っ先をカザキリへと向ける。

 

「あの2匹の火蜥蜴、自律型じゃねえな・・・。

 蜥蜴野郎との連携が完璧すぎる・・・ってことは・・・。」

 

 一方でレンジは高熱の中でもギリギリ意識を失うことなく、フレイの操る魔術を分析する。

 生物を模った魔術の行使は大抵の場合、簡単な命令を与えて自律行動させるか、『術者自ら操る』かだ。

 そして自律式のものは、術者の練度に左右されるものの、単純なルーチンを繰り返す程度しか出来ない。

 それが攻撃命令であれば、攻撃に一定の間隔が生じるもの。

 だがあの炎龍は、まるで術者本人が仕掛けるタイミングを毎回測っているかのように、攻撃が正確だ。

 

「それなら・・・『3対1』なんかじゃねえ。」

 

 サラマンダーが背部から炎を噴出させ、突きかかる。

 カザキリはよろけながらも、突きの一撃を刀の鎬で受け止める。

 

「仕掛けてくるならここだろ!」

 

 再び炎龍が襲い来ようとした次の瞬間、レンジはカザキリの全身から風を一斉に噴射し、サラマンダーを一瞬だけ押し戻す。

 

「アクメツ流、序の型。剣閃!」

 

 そして一度刀を鞘に納め、噴出した風を一気に収束させ、抜刀とともに強大な鎌鼬を引き起こした。

 

「なっ!?」

 

 フレイは咄嗟に剣を構えて鎌鼬を防ぐが、2匹の炎龍は乱気流に飲みこまれ身を切り刻まれていく。

 それだけに留まらず、カザキリの引き起こした鎌鼬は周辺を囲っていた火の壁さえも一斉に両断してみせた。

 

「おいおいおい、そんな力技で押し切るかい?」

 

 全身に刻まれた簡易術式(ルーン)から生じた風を一点に集約させ、一気に開放する。

 呆れるほどの力任せな突破方法を前に、フレイも肩をすくめるしかない。

 その一方で、こちらの術が自律型ではなく、遠隔操作型であることを見破り、攻撃を仕掛けるタイミングを見抜いてきた。

 炎龍による挟撃と高熱に当てられた状況下で、それだけの判断が瞬時に出来たレンジに、フレイは驚きを隠せずにもいるのだ。

 

「ごちゃごちゃうるせえんだよ、さっきから。

 これが戦いだってんなら、知っておくことは1つだけでいい。」

 

 先ほど得意げに戦術論を話されたレンジは極めて不機嫌な声色とともに、フレイに言い返す。

 

「先に倒れた方が負け。それだけで十分だ。」

 

 余りにも単純明快、シンプル過ぎるその返答にフレイはつい大声で笑う。

 

「はっはっは!いいねえ~そうゆうシンプルな考え、嫌いじゃないよ!」

 

 それでもバカにしている様子はなく、殊更楽しそうな様子で、再び剣を構え直す。

 

「んじゃま、お望み通りとことんやりあいましょうや!どちらかが先にぶっ倒れるまでな!」

 

 荒れ狂う強風を纏うカザキリと、燃え盛る業火を纏うサラマンダーは、文字通り正面からぶつかり合うのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 レンジとフレイが対峙する一方、チコは残る3機の操兵を同時に相手していた。

 チコとスズの乗るヨゾラノカゲヒメを前に、フォウ・フォースの風使いであるウィンは、乗機フレスヴェルグで特に意味のない屈伸運動を始める。

 

「いっちに、さーんし!せ~のっ!どん!!」

 

 ウィンの掛け声と同時に、フレスヴェルグは風を纏い空高く跳躍する。

 先ほどまでは仲間であるグランの乗機ゴライアスの砲塔から射出されていたが、戦士形態(ファイターモード)であれば自ら空中に飛び上がることが出来る。

 

「フレスヴェルグ、形態変化(モードチェンジ)動物形態(ビーストモード)。」

 

 飛び上がったフレスヴェルグはそのまま空中で鳥の姿へと変形し、先ほどまでと同じようにヨゾラノカゲヒメめがけて滑空する。

 

「またさっきの攻撃。」

 

 風の魔法で浮力と推力を得ての突進攻撃。

 ヨゾラノカゲヒメはその一撃を回避するが、フレスヴェルグは着地と同時に再び戦士形態(ファイターモード)へと変形し、尾をVの字型の2振りの短剣に切り離して両手に持ち、斬りかかる。

 動物形態(ビーストモード)戦士形態(ファイターモード)を切り替えての連撃を前にチコは回避に専念するが、遠方にいるグランの乗るゴライアスがその隙を逃すまいと、大きく鉄槌を振りかぶった。

 

「ふんっ!」

 

 グランの力強い掛け声とともに、ゴライアスが鉄槌を振り払う。

 距離は大きく離れているが、鉄槌から生み出された風圧がヨゾラノカゲヒメへと襲い来る。

 

「なにっ?今の攻撃?」

 

 ヨゾラノカゲヒメの足元が僅かに風に煽られた感覚こそあったが、機体への損傷は皆無だ。

 だけどそれならば、これだけ離れた間合いから鉄槌を振るう意味が見当たらない。

 

「地を揺らすばかりが俺の魔法ではない。」

 

 一方、先ほどウィンに『役立たず』と言われたことをちゃっかり根に持っていたグランは、ヨゾラノカゲヒメに向けて鉄槌の柄を向ける。

 動物形態(ビーストモード)では擲弾筒の砲身となるそれは、戦士形態(ファイターモード)では銃となる。

 ゴライアスの持つ銃が轟音と共に『特殊弾』をヨゾラノカゲヒメへと放つ。

 そしてそれを『回避された』のを見計らい、グランは新たな呪文を唱える。

 

「磁石、引き寄せろ。

『アース・マグネット』。」

 

 次の瞬間、ヨゾラノカゲヒメは足元に着弾した弾丸に、吸い込まれるように引き寄せられた。

 

「きゃあっ!」

 

「この力・・・まさか磁力!?」

 

 突然機体が地面に引き寄せられ、スズは叫び、チコは力の正体を見破る。

 磁力を自在に操ることが出来るのは、土属性の特徴の1つだ。

 魔法でN極とS極の特性を物質に付与させることができ、磁気を帯びないものでも磁石に変えられる。

 先ほど足元に撃ち込まれた弾丸に、恐らく1つの磁極が付与されているのだろう。

 そして対極となる特性が、いつの間にかヨゾラノカゲヒメにも付与されていたのだ。

 

「グラン君、そのまま押さえてて。」

 

「うむ。」

 

 アクアの機体レヴィアタンが右腕をヨゾラノカゲヒメへと向ける。

 動物形態(ビーストモード)の時は頭部であったそれの口が開き、砲身が露わになる。

 

「迸れ、蒼き死線よ、汝が敵を消去(めっ)せよ。

蒼激滅閃光(ハイドロ・イレイザー)』!」

 

 砲身から水流が光線のように放たれ、磁力で身動きの取れないヨゾラノカゲヒメへと襲い来る。

 

「こんのおおおおおっ!!」

 

 だがチコはヨゾラノカゲヒメの両足に魔法陣を展開し、力任せに足蹴にして無理やり磁場から逃れる。

 

「なんて強引な・・・。」

 

「だが、動きを鈍らせることは出来る。」

 

 その光景にアクアは呆れるが、グランの言う通り磁石の魔法なら一瞬、相手の動きを縛り付けることができる。

 それならば次は逃さない。このまま攻撃の手を緩めずに隙を見つけるまでだ。

 

(さっきの鉄槌による攻撃・・・。

 空振りかと思ったけど、もしかして磁極を付与する魔法を風圧に乗せて、煽られたものを磁石に変えたと言うの・・・?)

 

 そんな芸当が可能だとすれば、敵は間違いなく熟練の魔導士だ。

 いや、あの土色の操兵だけではない。

 風力で自在に空を飛び回る緑の操兵。

 大地を抉り大雨を降らすほどの水圧砲を放つ蒼の操兵。

 今戦っている敵は全員、恐らく魔術のエキスパートなのだろう。

 以前戦った魔導弓使いと同等か、恐らくはそれ以上の・・・。

 

(とにかく、早く解呪の魔法を使わないと。)

 

「解呪させる暇なんて与えないよ!」

 

 チコの思考を先読みしたウィンが、戦士形態(ファイターモード)のフレスヴェルグで再び斬りかかる。

 

「ばっさり、ザックリ、クルクル回れ~!

『旋風ブーメラン』!」

 

 後退するヨゾラノカゲヒメに対して、両手に持つVの字の刃物に鎌鼬を纏わせブーメランのように投げつけた。

 

「手裏剣!?」

 

 文化の違いから似て非なる感想を口にするチコだが、飛んでくる手裏剣もといブーメランは物理法則ではあり得ない動きで迫りくる。

 風を操り、投擲の挙動を自在に制御しているのだ。

 その変則的な動きを追い切ることが出来ず、ついに肩を霞めてしまう。

 だが肩部装甲に傷こそついたものの、姿勢が崩れるまでには至らず、何とか態勢を立て直す。

 

「ん?アクア姐の魔法を受けても凹むだけだったのに、あの程度の攻撃で傷つくんだ?」

 

 一方でウィンは、敵の耐久性に違和感を覚える。

 鎌鼬を纏わせていたとはいえ、ただの投擲でしかない攻撃よりは、アクアの魔法の方が圧倒的に破壊力は上だ。

 それにも関わらず、被弾時の損害にはそれほど大差がないように見える。

 むしろこちらの攻撃は掠めただけのことを考えれば、直撃時の威力は投擲の方が有効なのだろうか・・・?

 

「まっ、目的は破壊じゃなくて捕獲だからどっちでもいっか。」

 

 思考を切り替え、ウィンは再びブーメランを操り、ヨゾラノカゲヒメを追い詰めていく。

 その反対側から、動物形態(ビーストモード)に変形したゴライアスが、背部の擲弾筒から爆撃を放つ。

 両者の挟み撃ちをギリギリのところでかわし続けながらも、チコは敵の魔法に翻弄されるがままの現状に苛立ちを募らせる。

 

(もう!こっちだって両手が使えれば、『攻撃の魔法』が扱えるのに!!)

 

 チコも攻撃用の魔法を扱うことが出来るが、それらは手または武器に纏わせるイメージを以って具現化させるもの。

 両手が封じられた今の状況では、魔法陣を足蹴にして空を飛び回る『空駆』以外の魔術を使うことが出来ない。

 加えて敵は、個々の実力も去ることながら連携も巧みだ。付け入る隙を一切与えてくれない。

 何よりもこちらは魔法が一切使えないのに、敵からは一方的に魔法が飛び交ってくる。

 そんな受け身な状態が続き、チコは焦りで唇を噛み締める。

 だからチコは、ゴライアスから放たれる爆撃の中に『磁石弾』が織り交ぜられていたこと。

 そしてフレスヴェルグのブーメランを避け道が、その『着弾地点』に追い込むためのものであったことに気付くことができなかった。

 

「グラン!追い込んだよ!」

 

「磁石、引き寄せろ。

 アース・マグネット。」

 

 ヨゾラノカゲヒメは再び、磁力で大地に引き寄せられ身動きを封じられてしまう。

 

「しまった!」

 

「我が水よ、仇なすものを(つぶ)せ。

圧壊水擲弾(プレッシャーキャノン)』!」

 

 そして動物形態(ビーストモード)へと変形していたレヴィアタンが再びプレッシャー・キャノンを放つ。

 チコは先ほどと同じように空駆で逃れようと一瞬思ったが、完全に不意を突かれた現状ではそれも間に合わない。

 

「スズ!ちょっとだけ我慢して!」

 

「はい!」

 

 チコはスズに呼びかけ、ヨゾラノカゲヒメの肩部を敢えて敵に晒す。

 次の瞬間、肩部装甲にプレッシャー・キャノンが着弾したが、それと同時にチコは魔法陣を展開し勢いよく蹴る。

 そして着弾と空駆の反動を利用して、無理やり磁場から脱出したのだ。

 

「きゃあああっ!」

 

 スズが悲鳴を上げながら目を瞑り、チコに身を寄せる。

 ヨゾラノカゲヒメは着弾と空駆の反動のまま吹き飛び、地面に叩きつけられる。

 もう片方の肩部装甲が凹み、衝撃で操手槽が大きく揺れこそしたもののスズに傷はない。

 だがあのまま磁場に縛られていたら、敵の総攻撃を受けることになっていただろう。

 この程度で済んだのだから儲けものだ。

 不思議な力で守られている操手槽と、ヨゾラノカゲヒメの耐久を利用した、捨て身の策である。

 

「なるほど、致命傷にはならないと思い自ら受けましたか。ですが。」

 

「何のために、アタイたち3人いると思ってるの?」

 

 だがアクアたちは余裕を崩さない。

 こちらは3人。1人が意表を突かれたらもう1人がカバーすればいい。

 ヨゾラノカゲヒメの不穏な動きをいち早く察知したウィンは、フレスヴェルグを宙に飛ばせて動物形態(ビーストモード)に変形、地に倒れ伏すヨゾラノカゲヒメへと狙いを定める。

 

「これで終わりだよ。」

 

 フレスヴェルグが嘴をドリル状に回転させながら、上空から一気に降下する。

 チコは一瞬で思考を張り巡らす。

 ヨゾラノカゲヒメを起こして逃れるか、いや間に合わない。

 空駆は?魔法陣を展開する時間をくれないだろう。

 それならばこの状況を逃れる方法は1つしかない。

 

「はああっ!」

 

 チコは仰向けのままのヨゾラノカゲヒメで、両足を敵へと向ける。

 そしてそのまま両足を閉じ、剣のように尖った爪先でフレスヴェルグの嘴を挟みこむように受け止めたのだ。

 

「ちょっ、えええっ!!?」

 

 目の前で起きたことが一瞬、理解できなかったウィンは驚き目を見開く。

 

「おおうりゃあああああああっ!!」

 

 その隙を逃さずチコは雄叫びをあげながら両足を横に倒し、フレスヴェルグを地上へと引きずり降ろす。

 そして反動を利用して宙を飛び、何とか危機を脱出したのだ。

 

「ちょいちょいちょ~い!!白羽取りって手でやるもんじゃないの!!?」

 

 まさか足で嘴を白羽取りの如く受け止められるとは思いもよらなかったウィンは、何とも間の抜けたツッコミを1人ごちる。

 

「ウィンちゃん、切り替えて。」

 

「へいへーい。」

 

 アクアに窘められ、ウィンはフレスヴェルグを戦士形態(ファイターモード)へと変形させて身構える。

 それにしても、とウィンは1人思う。

 3人がかりに寄る攻撃を巧みにかわし続ける反射神経。

 アクアの魔法を敢えてその身に受けての捨て身の離脱を思いつき実践する胆力。

 そしてこちらの攻撃に対して『足で白羽取り』をする動体視力。

 敵の強さは何も、黒い操兵の異様な性能だけに由来しているわけでもないようだ。

 

(操手の巫女ちゃん・・・結構強い子なのかもね。)

 

 そんなことを考えながら、ウィンは人知れず舌なめずりをするのだった。

 



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第7話 中編

 レンジはフレイと交戦しながらも、ヨゾラノカゲヒメの様子を横目で見る。

 

(あのバカ・・・何やってやがる。)

 

 ヨゾラノカゲヒメは3機の操兵を相手に、翻弄されて追い詰められていた。

 その様にレンジはチコに対して怒りを覚える。

 実力で押されているならまだしも、あのバカはまだ何も『本気』を出していない。

 そしてあのバカが本気を出せない理由も大体察しがつくが、だとしたらそんな体たらくに巻き込んでスズまで危険に晒すつもりか?

 

「はいはい、よそ見してる場合じゃないよレンジ君。」

 

「チッ。」

 

 全くスズを守るなんて偉そうに言いながら何てザマだ。

 レンジはフレイと斬り合いながら、拡声器のスイッチを入れて大声で叫ぶ。

 

「おいチコ!!なんだそのザマは!!?」

 

「レンジ!?」

 

「お兄ちゃん!?」

 

「ん?」

 

「はい?」

 

「うむ?」

 

 チコとスズだけでなく、アクア、ウィン、そしてグランも驚く。

 レンジが個人回線に繋ぐ手間すら惜しんだため、彼の怒号が大音量で戦場に響き渡ったからだ。

 

「たかが家畜3匹に押されやがって!そんな鶏と猿と鰻にいつまでも手間取ってんじゃねえ!!」

 

「鰻・・・。」

 

 自機を鰻呼ばわりされたアクアは1人不満気にぼやく。

 

「そっちこそ!そんな蜥蜴相手にもたもたしてないで、さっさと尻尾ちょん切っちゃないよ!!」

 

 チコも負けじと拡声器のスイッチを入れ、大声で怒鳴り返す。

 

「チッ、チコさん!お兄ちゃん!」

 

 両者ともに敵に追い込まれると言う危機的状況であるにも関わらず、いつも通りの罵り合いを始めたレンジとチコに、スズは困惑する。

 否、困惑しているのはスズだけでなく、フォウ・フォースの4人も、戦場にて突如始まった犬も食わない口喧嘩を前に、操手槽越しからも分かるほど唖然とした様子で傍聴していた。

 

「スズを守るとか偉そうに言ったくせに、一方的にやられてんじゃねえぞ腰抜けが!!」

 

「しょうがないでしょ!!こっちは両手が使えないせいで剣どころか『魔法』だって使えないんだから!!」

 

「ああっ、やっぱりな!!やっぱバカだなお前は!!

 お前の『魔法』は手からしか出ねえのか!!?

 足でも口でもどこでもいいから出しやがれ!!」

 

「機操兵に口があるわけないでしょ!!バッカじゃないの!!?」

 

「うだうだ泣き言ばかり言ってねえで根性見せろってんだよ!!」

 

「根性なんかで魔法が使えてたまるもんですか!!」

 

「あの~、アタイら放っといていきなり夫婦喧嘩すんのやめてくれない?」

 

 なぜか敵であるはずのウィンが見かねて止めに入るが、その瞬間、カザキリとヨゾラノカゲヒメの拡声器が寸分変わらぬ波形で見事なまでに共鳴し、

 

「「だれが夫婦だ!!」」

 

 寸分違わぬ絶妙なタイミングで、寸分狂わぬ絶妙なハモリを見せるのだった。

 

「わ~こっわ・・・。」

 

 息が合ってるのか合ってないのかわけのわからない2人に、ウィンは思わず黙り込むが、2人の口喧嘩は一応の終わりを迎える。

 

「嫁さんとの会話は終わったかい?レンジ君。」

 

「・・・誰の嫁だ。」

 

 フレイに対してぶっきらぼうに答えたレンジは拡声器を切る。

 あれだけ発破をかけておけばもうあちらは問題ないだろう。

 レンジはヨゾラノカゲヒメを視線から外し、フレイとの戦いに意識を集中させる。

 対峙するフレイからは、操兵越しからもわかるほどの余裕が見て取れた。

 今の状況を変わらず有利なものだと確信しているのだろう。

 だがやつらは知らないのだ。

 チコと言う少女の潜在体な能力を、その才能を。

 そして何よりも・・・。

 

(さっさと本気出しやがれ、腰抜け巫女。)

 

 チコと言う少女が、どれだけ『負けず嫌い』であるかを。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 レンジとの口喧嘩を終えたチコは、操手槽内で身体をわなわなと震わせていた。

 

「レンジのやつう・・・・言いたい放題言ってくれて~・・・・。」

 

「あっ、あのう・・・チコさん?」

 

 顔を真っ赤にし、水晶を割らんばかりの力で両手を握り、肩を震わせるチコの姿は、スズが思わず心配して声をかけるほどの有様である。

 だが今のチコは、スズにすら構ってあげる余裕がなかった。

 こちらにはまだ言いたいことがあったのに一方的に中断され、腹の虫が全く収まりを見せない。

 そして何よりも、レンジの『言う通り』であったことが腹立たしい。

 魔法の発動はイメージの具現化によるもの。両手が使えないのであれば、代わりとなるイメージを思い描けばいいだけの話だったのだ。

 だがそれをよりにもよって、レンジに気付かされた。

 これまでの喧嘩の中でも5本指に入るほど癪で、屈辱で、自分の腹でも切ってやりたい気分である。

 

「いいわよ!やってやろうじゃないの!」

 

 それでも防戦一方だった今の状況にようやく光明を見いだせたのだ。

 あいつのアドバイス通りに戦うしかないのは心底気に入らないが、こうなればもうやけっぱちである。

 今の状況を打開するにはこれしか方法がないし、何よりも・・・。

 

「スズのことは、私が必ず、守って見せるんだからあああああ!!!」

 

 一緒にいるスズを、自分の最も大切な人を守ってみせる。

 そのためならどんな赤っ恥だってかいてやる。

 

「チコさん!声!声!」

 

 だが拡声器のスイッチを切っていなかったせいで、チコの渾身の叫びがこの場にいる全員に聞き届いてしまい、スズの方が赤っ恥をかいてしまい、慌てて拡声器のスイッチを切る。

 

「ヒュ~、情熱的~。」

 

「ウィンちゃん、ふざけてないで終わりにしますよ。」

 

 ウィンがからかうように口笛を吹き、アクアたち3人はヨゾラノカゲヒメを取り囲み、逃すまいと睨みを見せる。

 ウィンたちは既に勝利を確信している。油断さえしなければ、後はじわじわと追い詰めるだけだ。

 

「まっ、どれだけ強がりを言おうが、これで終わりだよ巫女ちゃん。」

 

 ウィンの駆るフレスヴェルグが戦士形態(ファイターモード)で宙を飛び、動物形態(ビーストモード)に変形する。

 

「クルクル~と回って、ビュッと吹いて、ドカーン!!

 竜巻ストライク!!」

 

 竜巻を纏ったフレスヴェルグがヨゾラノカゲヒメへと突撃する。

 連携を取りながら少しずつ追い込み、逃げ道を封じ、トドメの一撃を叩きこむ、これまでと変わらぬ最初の一手。

 この一手をヨゾラノカゲヒメが『回避』してから次なる一手を打っていく。ウィンたちはその算段だった。

 だが今回はこれまでと違った。

 ヨゾラノカゲヒメは回避どころか、フレスヴェルグの方へと真っ直ぐ向かってきたのだ。

 

「えっ?」

 

 武器もなく、両手も使えないにも関わらず、真っ直ぐにこちらに向かって来ることにウィンは驚く。

 

(これまで手に辿らせたイメージを、足に切り替えるだけ・・・。

 足を・・・手のように使えば・・・。)

 

 一方、魔法のイメージ転換を終えたチコは、機体を反転させ爪先をフレスヴェルグへと向ける。

 

「風そよぎ、空に舞い散る、桜花(さくらばな)

(ふう)の舞・春風(はるかぜ)』!」

 

 チコが呪文を唱えた次の瞬間、ヨゾラノカゲヒメが片足を薙ぐと緑色の魔法陣が発生し、強烈な突風を生み出した。

 

「えっ?ちょっ、ちょっちょっちょっと!わああああ!!」

 

 その突風は、フレスヴェルグを纏う風を吹き払うだけに留まらず、機体さえも吹き飛ばし地上へと墜落させる。

 

「ウィンちゃん!」

 

 機体を吹き飛ばされたウィンをアクアは気に掛けるが、敵がこちらに睨みを見せる。

 

「くっ。我が水よ、仇なすものを(つぶ)せ。

 圧壊水擲弾(プレッシャー・キャノン)!」」

 

 アクアは瞬時に思考を切り替え魔法を放つが、ヨゾラノカゲヒメはもう片方の足を向けてきた。

 

「澄み渡る、川の流れに、身を委ね。

(すい)の舞・静流(せいりゅう)』!」

 

 チコが呪文を唱えると、ヨゾラノカゲヒメの足元に蒼色の魔法陣が発生し、水流を纏った足を薙いでプレッシャー・キャノン受け流す。

 

「何ですって!?」

 

 魔法を受け流され絶句するアクアだが、今度はグランがヨゾラノカゲヒメが着地するタイミングを見計らう。

 

「大地、揺れろ。

 ランド・シェイク。」

 

「土揺らし、木々がさざめく、森の声。

(つち)の舞・割震(かっしん)』!」

 

 だがヨゾラノカゲヒメは着地の瞬間、土色の魔法陣とともに大地を揺らす。

 その振動はグランの魔法を打ち消しても尚残り、周囲一帯に地震を引き起こした。

 

「むっ。」

 

 ゴライアスがバランスを崩すが、即座に戦士形態(ファイターモード)に変形して態勢を立て直す。

 

(よし!まだ粗いし、発動まで一拍遅れるけど、これならやれる!)

 

 チコは魔法の発動に確かな手応えを感じる。

 チコの魔法は、奉納演舞を覚える過程で母から習った『舞踊』と『詩』から派生したものだ。

 舞踊と詩は、人の心情を、見た情景を、思い描くものを表現して伝えることができるもの。

 これを術式に応用しており、それはチコにも思わぬ副産物を『2つ』もたらしたのだ。

 

「アクア姐!同時攻撃だよ!」

 

 空から落とされたフレスヴェルグが戦士形態(ファイターモード)となって立ち上がり、ウィンはアクアと挟撃を仕掛ける。

 

「分かったわ!

 迸れ、蒼き死線よ、汝が敵を消去(めっ)せよ!

 蒼激滅閃光(ハイドロ・イレイザー)!」

 

「ばっさり、ザックリ、クルクル回れ~!『旋風ブーメラン』!」

 

 鎌鼬を纏ったブーメランと、光線状の水流が同時にヨゾラノカゲヒメへと放たれる。

 だがヨゾラノカゲヒメは右足に風を、左足に水を纏い、ブーメランを風で吹き飛ばし、水流の射線を水で反らすを『同時』にやってのけたのだ。

 

「なっ!?」

 

「嘘っ!?」

 

 目の前で起きた光景に、ウィンもアクアも唖然とする。

 

(詠唱短縮で2つの魔法を連続発動・・・違う。タイミングが全く同じだった。

 それならエンチャントで2つの魔法を持続させ・・・いいえ、あれは明らかに魔法の発動だわ。

 2つ以上の魔法の同時発動・・・まさか、多層術式(マルチ・ヴィジョン)!?)

 

 多層術式(マルチ・ヴィジョン)

 2つ以上の魔法のイメージを全く『同じタイミング』で具現化し、魔法の発動を同期させる。

 魔導学として理論は確立されているが、実現するには思考の多重化、有体に言えば2つの物事を同時に思考し、かつ魔法の発動が可能なレベルまで具体化させる必要がある。

 それに同じ属性の魔法なら術式も似通るだろうが、あれは異なる属性の魔法を同時に発動させた。

 呪文も術式も全く異なるはずだろうし、何よりも今は戦闘中である。

 魔法のイメージだけに意識を割くことなんて出来ない。

 常に戦況を見て、敵と戦いながら、2つ以上の魔法を具体化させ、同時に発動させる。

 はっきり言って、常人の成せる技ではない。

 だが目の前にいる敵は、辺境の地に住む巫女は、それを実際にやって見せたのだ。

 

「何なの・・・あの子は・・・。」

 

 アクアはこれまで、クレアを退けた敵の強さは、得体のしれない操兵の性能に依存しているものだと思っていた。

 そうでなければ、かつて聖王国の国軍に所属し、今も傭兵として多くの死線を乗り越えてきたクレアが、辺境の地に住む巫女の少女に負けるわけがないと思ったからだ。

 だけど今、その認識を改める必要がある。

 敵の操手は、巫女の少女は、末恐ろしいほどの才能を秘めた魔導士だったのだ。

 

(よし!同時発動もできた!)

 

 一方でチコは、多層術式(マルチ・ヴィジョン)の成功に内心、喜ぶ。

 詩を用いて思い描いた情景は歌い終えても脳裏に残っており、集中力を切らさなければ2度目の詠唱を必要としない。

 謂わばチコ独自の無詠唱(ゼロ・スペル)であり、これが1つ目の副産物である。

 更に幾つかの詩は、同じ情景の中で自然と調和できる構成となっている。

 異なる属性の魔法であっても、詩に載せれば1つの風景に同調できる。

 チコが多層術式(マルチ・ヴィジョン)を実戦レベルで扱うことが出来るのも、この情景描写に起因している。

 これが2つ目の副産物であり、カムイ家の長女として、里の巫女として、舞踊と詩を学び感性を磨きあげてきた、チコだからこそ成せる技である。

 

「それにしても・・・なんて威力なの?これが、カゲヒメの魔法・・・。」

 

 チコは、自分自身が放った魔法の威力に驚愕する。

 生身で使ったところで、機操兵を吹き飛ばすような風を起こすことは出来ないだろう。

 ヨゾラノカゲヒメは魔導炉を持たないが、機操兵の魔導炉は操手の魔力を増幅させるため、魔法の効力も劇的に高めることが出来ると言う話を聞いたことがある。

 恐らくそれと同じ現象が起きているのだ。

 

「このまま、押し切る!」

 

 今の自分は敵の魔法を全て押しのけることが出来る。

 ここからはこちらが攻める側だ。チコは一呼吸を入れ、改めて敵陣を睨み付けるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 フォウ・フォースが戦闘を繰り広げている場所から少し離れたところで、バレットとクレアはそれぞれの操兵に乗りながら移動していた。

 今のところ、状況は優勢だと聞いている。

 となれば敵は周囲に意識を向ける余裕もないだろう。

 だが今は優勢でも、あの黒い操兵の力は未だに謎に包まれたままだ。

 そう悠長に構えているわけにもいかない、つまり不意を打つなら今しかないのだ。

 バレットはそう判断し、当初の作戦通りに奇襲を仕掛けようとしていた。

 

「クレアいいな、作戦通り俺たちはまず、遠方から強烈な一撃を・・・。」

 

「待ってバレット、あれ。」

 

 だが突如、三角状の屋根に障子の襖と言う、異様な風体をした小型のホバークラフトが目の前に停止した。

 バレットたちが思わず足を止め様子を伺うと、襖が開かれ1人の男性が姿を見せた。

 190cmはあろう身長、和服の上からでも分かるほど筋骨隆々とした体躯。

 鋭い眼光に眉間に皺を寄せ、羅刹のような形相を浮かべており、その腰には身の丈程の長さを誇る大刀を携えている彼こそ、ムラサメ・サキミである。

 

「あのおっさん・・・確か祭事の時にもいた。」

 

 バレットたちは名前こそ知らないが、その佇まいと腰の大刀から防人の当主であることを直感する。

 そんな人物がなぜここへ?と言う疑問を抱くまでもないほど、彼は全身から凄まじい敵意を放っている。

 それはまるで青白いオーラのように立ち昇っており・・・。

 

「何?あの青白いオーラは?」

 

 否、彼は実際に青白くに立ち昇るオーラを全身に纏い始めた。

 

「なんだありゃ?エンチャントか?」

 

「まさか・・・このまま戦うつもりなの?」

 

 戦闘民族と名高いカナド人ならいざ知らず、普通の人間が生身で操兵に挑むなんてただの自殺行為だ。

 そのはずなのに、視認出来るそのオーラも相まってバレットたちは操兵に乗っているにも関わらず、目の前の相手にプレッシャーで押し潰されるような錯覚を覚える。

 そしてムラサメはゆらりとした動作を見せた直後、不意にバレットたちの視界から姿を消す。

 

「なっ、どこに行った?」

 

 そしてバレットが予備映像板を含め周囲を伺おうとした次の瞬間、

 

「ごおおおおおおおっ!!!」

 

 猛々しい叫び声と同時に、トリガーハッピーの操手槽に大きな衝撃が走った。

 

「なんだっ!?」

 

 バレットは驚き機体の状況を見ると、いつの間にか乗機が仰向けに倒れていた。

 一体何が起きたのか、それを考えるよりも先に魔晶球が『操手槽の上に立つムラサメの姿』を捉える。

 

「まさか、あのおっさん!?」

 

 素手で押し倒したと言うのか?人間が8m級の操兵を?

 だが理解が追いつくよりも前に、ムラサメが腰の大刀を抜き構えてきた。

 

「バレット!」

 

 クレアがペネトレーターの持つ魔導弓の刃を彼に向け牽制するが、ムラサメはそれを一瞥した後、トリガーハッピーを足蹴に『空高く』跳んでみせた。

 

「えっ!?」

 

 目測、10m以上は軽く飛び上がり、ムラサメがペネトレーターの上を取る。

 そして大刀を大きく振りかざすとともに、得物ごと青いオーラを纏わせた。

 クレアはまるで操兵を相手にするかのように、咄嗟に魔導弓を両手に持ちその刃を受けようとする。

 だが次の瞬間、ムラサメの持つ大刀が、ペネトレーターの魔導弓を真っ二つに両断したのだ。

 

「はああっ!!?」

 

 魔導弓を斬り捨てられたクレアは目を見開いて絶句する。

 生身の人間が操兵を押し倒したかと思えば、次は魔導弓を叩き割ったのだ。

 

「クレア!一旦降りるぞ!」

 

 そう指示するや否や、バレットは操手槽から飛び降りる。

 

「正気!?」

 

「操兵のまま戦ったところで、的を大きくするだけだ!」

 

 バレットの言葉に、クレアは訝しながらも操手槽から出る。

 確かに相手が操兵を揺るがすほどの怪物であろうと、人であることに変わりはない。

 生身の人間を相手に操兵で戦うなど普通、想定するはずもないが、相手の的が小さい以上、操兵の映像板では補足し難く、相手が操兵に対する有効打を持っているとなれば、こちらの的を悪戯に大きくしているだけであることは理解できる。

 それでもこれから、その怪物を相手にこちらも生身で挑まなくてはならないことにクレアは戦慄するしかなかった。

 それぞれの乗機から飛び降りたバレットとクレアがムラサメと対峙すると、程なくしてムラサメを纏っていたオーラが見えなくなった。

 だがそのことについて考える間もなく、バレットは攻撃を仕掛ける。

 

「悪く思うなよおっさん!」

 

 普段のバレットなら無関係の人に銃を向けるなんてことはしないが、あんな怪物を相手に飄々としていられるほど悠長にしていられない。

 少しでも油断を見せれば、こちらがやられる。バレットは迷いなくムラサメに銃を撃つ。

 だがムラサメはその場から一歩も動かず、『指2本』で挟むように弾丸を受け止めて見せた。

 

「は・・・?」

 

 これまでも防人の少年に木刀やら刀やらで弾丸を叩き落とされたことはあったが、それを上回る芸当を見せつけられたバレットは、開いた口が塞がらず葉巻を落とす。

 一方、バレットの攻撃と同時に距離を詰めたクレアは、両刃の剣を振りかぶりムラサメへと斬りかかる。

 

「もらった!」

 

 クレアはムラサメの背後を取り、剣を振り降ろす。

 だがムラサメは振り向きもせず、もう片方の手をかざし再び『指2本』で刃を受け止めた。

 

「この程度の太刀筋で我に挑むか・・・。」

 

 低い、威圧感のある声とともに、ムラサメは白羽取りした指に力を入れる。

 次の瞬間、2本の指で刃をへし折り、そのまま武器を引きクレアを引き寄せる。

 

「片腹痛いわ!!」

 

 そして絶句するクレアに、ムラサメは鉄山靠のように背面を叩きつけた。

 

「がはっ!」

 

 ムラサメの一撃を受けたクレアは血反吐を吐きながら、遥か後方まで吹き飛ばされる。

 

「クレア!」

 

 地上に落ちる寸前で、バレットはクレアを受け止める。

 

「はあ・・・っ!はあ・・・っ!」

 

「おい!しっかりしろ!」

 

 肺の中の空気を全て吐き出すように粗い息づかいを繰り返したクレアは、やがて歯を震わせながら。

 

「めっちゃ手、抜かれた・・・。」

 

 と、ようやく一言呟いた。

 

「だろうな。」

 

 操兵を揺るがすほどの強烈な打撃だ。

 加減無しで直撃を受けたら下手すれば木っ端微塵に吹き飛ぶだろう。

 それでもあの一瞬、クレアは死を覚悟したのだろう。今でも口元を震わせ目に涙を浮かべている。

 

「賊ども、今すぐこの場から立ち去れ。これ以上続けると言うのなら・・・。」

 

 そんなバレットたちを睨み殺すような鋭い眼光を向けたムラサメは、全身から殺意と威圧感を放ち大刀に手をかける。

 

「・・・こりゃあ無理だ。クレア、ずらかるぞ!」

 

「ああもう、ホントどうなってんのよここの人たちは!」

 

「はっはっは!ここまで来ると笑うしかねえな!」

 

「笑ってられないわよ!!」

 

 ムラサメの威圧に耐え切れなくなった2人は、それぞれの乗機に飛び乗り脱兎の如く立ち去るのだった。

 

「・・・全く、ミリアから連絡があったからって、年甲斐もなくはしゃぐものではありませんよ。」

 

 戦いが終わり、乗機車両から1人の女性が姿を見せる。

 レンジとスズの母にして、ムラサメの家内。ツバキ・サキミである。

 

「何、たまには身体を動かさんと、鈍ってしまうからな。」

 

 そんな家内の心配・・・もとい呆れを余所に、ムラサメは久々の実戦で刀を振るえたことに、僅かな笑みを零すのだった。

 



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第7話 後編

 レンジとフレイは互いに一歩も引かず、何度も剣を打ち合い続けていた。

 

「そろそろ残り魔力も心もとないからね。一気に決めさせてもらうよ!」

 

 フレイがサラマンダーの剣に纏わせた火を爆発させ、距離を置く。

 

「燃え盛る龍よ、天焦がす吐息と、熱帯びた雄叫びと共に、その姿を顕現せよ!

 天翔龍・レイジング・ドラゴン!」

 

 そして再び2匹の炎龍を生み出し、自機の周囲に停滞させる。

 

(さっきと同じようにはいかねえだろうな・・・。)

 

 2匹の炎龍を前にレンジは身構える。

 先ほどは強引な手段で何とか突破できたが、向こうも一度破られた魔法を再び使ってきた以上、同じ手は食わないだろう。

 それに魔術に関しては相手の方が練度は上だ。受け身な姿勢ではまたこちらが不利な状況に後転してしまう。

 

(なら、こっちから仕掛けるだけだ!)

 

 レンジはカザキリの全身に風を纏わせ、上段の構えを取りながら急加速する。

 

「なっ!?」

 

 その動きに意表を突かれたフレイは、反射的に2匹の炎龍で迎え撃つ。

 だがレンジは迫りくる炎龍を迎撃しようともせず、直撃を受けながら前進する。

 風が盾となりある程度威力を削ぐことは出来たものの、全身に焼け跡が残り、操手槽内が再び熱気に満ちる。

 それでもレンジは構わず、機体を走らせる。

 

「アクメツ流、破断撃(はだんげき)!」

 

 そのままサラマンダーと距離を詰め、上段から刀を振り降ろす。

 

「サラマンダー、形態変化(モードチェンジ)!」

 

 だがフレイはサラマンダーの、腰部が折りたたまれる変形機構を利用し、咄嗟に機体の上半身を屈ませた。

 胴体を狙って振るわれたカザキリの刀は、サラマンダーの肩甲骨部分を斬るに留まる。

 更にフレイは動物形態(ビーストモード)のサラマンダーをすかさず旋回させ、尾の剣をカザキリの足元に振るった。

 

「チッ。」

 

 レンジは急ぎ後退するが間に合わず、右足首の半分ほどを斬られてしまう。

 

「これでもう踏ん張り切れないだろう。剣士としては致命的だ。」

 

 レンジの得意とする抜刀術は、軸足となる右側に重心を置くものだ。

 右足の接地が悪くなった今、これまでのような力強い踏み込みは行えないだろう。

 それは事実上、剣を取り上げたようなものだ。

 

「ふん。」

 

 だがレンジは意に介せず、斬られた右足に風を重点的に纏わせ、風力で機体を無理やり支え、強引に斬り込んだ。

 フレイはサラマンダーを戦士形態(ファイターモード)に変形させ、『左腕』で剣を構えて応戦する。

 

「やれやれ、乱暴な魔法の使い方しちゃって、そんなんじゃへばっちゃうよ?」

 

 魔力臓器に負荷のかかる魔力の消費は、体力の消費も伴うもの。

 特に操兵戦の場合、操兵を動かすだけでも常に一定の魔力を消費し続けているので、魔法は効率良く扱わないと、魔力よりも先に体力の方が切れてしまうのだ。

 

「この程度でへばるかよ。」

 

 だがレンジは臆することなく、再び斬り込む。

 これが多数の兵が入り乱れる戦場だったら、レンジの戦いは自殺行為にも等しいものだ。

 若気の至りか、恐れ知らずか、あるいは1対1であることを踏まえた上での選択肢か、どちらにしても肝の据わったことである。

 それにレンジの言葉は、強がりには一切聞こえない力強いものだった。

 よほどスタミナに自信があるのだろう。魔力切れを狙うにはどうにも相手が悪い。

 

「若いってのは羨ましいねえ。」

 

 そんな悠長なことを言いながらも、フレイにもこれ以上の余裕はない。

 先ほどの攻撃で右肩を斬られてしまい、右腕が使えなくなってしまったのだ。

 操兵に利き腕なんてものはないが、フレイ自身が右利きである以上、左腕で剣を振るうと言うのはどうにも直感的に動かしずらい。

 あちらは風の補助がなければ満足に斬り込めないが、こちらもこちらで十分に剣を振るうことができない。

 要するに、互いに全力を出せない泥仕合の状態にハマってしまったのだ。

 

「おい、お前ら。」

 

 そんな折、通信機越しにバレットの声が聞こえてきた。

 

「おう旦那、首尾はどうだ?」

 

「悪い、しくじった。」

 

「は?」

 

 フレイはその通信から、当初の作戦通り奇襲により再び好機を見いだせるものと思っていたが、返ってきた言葉は、その正反対を行くものだった。

 

「連中にも伏兵がいたんだ。そいつにやられた。奇襲は失敗だ。」

 

「おいおい、マジかよ。」

 

「そっちはどうだ?さっきまで優勢っつってたが。」

 

 バレットとクレアの2人を退かせた伏兵とやらのことも気になるが、それよりもフレイはふと、アクアたちの方を見る。

 

「さてと・・・どうしたものか。」

 

 そこには、およそ信じがたい光景が広がっていたのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 両足に風と水を纏い暴風雨を巻き起こしながら、ヨゾラノカゲヒメは敵陣を掻き乱していく。

 

「まさかアタイが風の力で押し切られるなんてね・・・。」

 

 他の属性ならともかく、自分が得意とする風属性で力負けしてしまったウィンは、少しだけ苛立ちを覚えるが、すぐに切り替えフレスヴェルグを飛翔させ、動物形態(ビーストモード)に変形させる。

 

「でもね、アタイの力は何もものを飛ばすだけじゃないんだよ。」

 

 ウィンにとって、風の軌道を操ることなど造作もないこと。

 暴風の中に飛び込んだフレスヴェルグは、そのまま嵐の軌道を制御し、ヨゾラノカゲヒメへ続く突破口を作り出したのだ。

 

「これでどうだ!」

 

 フレスヴェルグが再び竜巻を纏い、ヨゾラノカゲヒメへと突撃する。

 

「ウィンちゃん!待って!」

 

 だがフレスヴェルグの両脇には暴風が吹き続けており、その様は、傍から見れば『逃げ場のない直進路』を進んでいるかのようだった。

 その違和感に気付いたアクアが注意をかけるが既に遅く、ヨゾラノカゲヒメは片足を掲げ、爪先を天へと向ける。

 

天光(あまひか)り、雷鼓轟く、暮れの空。

(らい)の舞・轟天(ごうてん)』!」

 

 ヨゾラノカゲヒメが足を振り降ろすと共に黄色の魔法陣が出現し、幾つもの雷がフレスヴェルグへと放たれる。

 両側に吹き荒れる暴風で逃げ道を遮断されたフレスヴェルグは、雷の直撃を受けてしまう。

 

「あびゃびゃびゃびゃびゃびゃ!!!」

 

 操手槽に電撃が走り、ウィンが奇声を上げ、僅かの間意識を失う。

 

「やっべ、一瞬意識とん・・・だ・・・。」

 

 そして気を取り戻したウィンが映像板を見ると、鋭く尖ったヨゾラノカゲヒメの爪先が、目前まで迫っていた。

 魔晶球から見る映像なので、実際にはフレスヴェルグの頭部へと向けられているのだが、まるで喉元に刃を突き付けられたような錯覚を覚えたウィンは血の気が引き、青ざめた表情を浮かべる

 やられる、そう直感した次の瞬間、グランの乗るゴライアスが両者の間に砲撃を放った。

 ヨゾラノカゲヒメは身を翻し、砲撃をかわしてフレスヴェルグから距離を置く。

 

「グラン、サンクス!マジサンクス!!」

 

「うむっ。むっ?」

 

 涙目にグランに感謝するウィンを余所に、ヨゾラノカゲヒメは機体をゴライアスの方へ向け、魔法陣を蹴り空中から躍り出た。

 

「グラン君!下がって!水の壁、落水壁場(ウォーター・フォール)!」

 

 アクアが動物形態(ビーストモード)のレヴィアタンで割って入り、防御魔法の呪文を唱える。

 上空から大量の水が滝のように落ち、壁となってヨゾラノカゲヒメに立ち塞がる。

 

「宵の闇、儚く灯る、白焔(しらほのお)

()の舞・蛍火(ほたるび)』!」

 

 一方チコ新たな呪文を唱えるとともに、ヨゾラノカゲヒメの足に朱色の魔法陣が発生させ、白い炎を纏わせる。

 そして炎を纏わせた足を踵落としのように振り降ろすと、水の壁を両断するかのように、真っ二つに蒸発させた。

 

「私の盾が!?」

 

 魔法同士の衝突に物理法則は通じない。威力の弱い方が負ける。

 敵の魔法の威力が、自分の防御魔法を上回っていることを目の前で証明されたアクアは驚愕し、水の壁を両断し目前に迫るヨゾラノカゲヒメの姿を呆然と見る。

 

「アクア姐!」

 

 だがフレスヴェルグが、アクアとヨゾラノカゲヒメの間に竜巻を放ち、再びヨゾラノカゲヒメを退かせる。

 

「あっ、ありがとうウィンちゃん。」

 

「どういたしまして。それよりもさ・・・。」

 

 アクアの窮地を救ったウィンは、フレスヴェルグをレヴィアタンの元まで駆け寄らせると、声を震わせながらヨゾラノカゲヒメを見上げる。

 

「あれ、ヤバくね・・・?」

 

 魔法陣を足場に浮遊し、火、水、風を纏い、地を揺らし、雷を落とす。

 天変地異さえも引き起こさんとするヨゾラノカゲヒメの魔法を前に、自分たちはとんでもない化け物を相手にしているのではないかと、ウィンはとうとう恐れを抱き始めたのだ。

 

「ヤバイ・・・わね。」

 

 アクアもやっとの思いで言葉を口にする。

 先ほどまで圧倒的に有利な状況であったはずなのに、相手が魔法を解放した途端、全てが覆された。

 しかも魔術のエキスパートである自分たちが、各々が得意とする属性の魔法を打ち破られ、その上で相手は下位五属性の全ての魔法を桁外れの威力で行使している。

 何よりも問題なのは・・・。

 

(相手の魔力は、操手の巫女の魔力は無尽蔵だとでも言うの?それとも・・・。)

 

 あれだけ空を飛び回り、こちらに勝る威力の魔法を同時に行使しているはずなのに、敵の魔術にまるで衰えが見られないことだ。

 流石に不審に思ったアクアは、映像版に映るヨゾラノカゲヒメに対して魔力スキャンを行う。

 

(何なの・・・これ・・・?)

 

 すると普通では考えられない『異様』な情報が映っていたのだ。

 だけどこの情報通りなら、敵に魔法の攻撃が通用しづらかったことにも説明がつく。

 そして全てが自分の想像通りだとすれば・・・。

 

(私たちは・・・絶対に勝てない・・・。)

 

 3対1と言う人数差も、己が得意とする魔法戦術も、全てを打ち砕かれたアクアの表情は、屈辱と困惑に満ちていた。

 

「どうする、アクア姐?アタイらが連携すれば、躱し続けることは出来ると思うけど。」

 

 ウィンの言う通り、3人で隙をカバーし合えば敵の攻撃を凌ぐことはできるだろう。

 だが既に戦況は、相手の攻撃をこちらが一方的に受け続けている状態だ。

 攻撃を凌ぎ続けたところで、最後に待ち受けるのはこちらの魔力切れだ。

 

(でも、退くわけにはいかない。バレットさんとクレアさんの恩に報いるためにも!)

 

 それでもアクアは退こうとしなかった。

 魔導士として、傭兵としてのプライドと、バレットたちへの恩にかけて・・・。

 

「おい、アクア。どうも雲行きが怪しい。一旦退くぞ。」

 

 だがその時、フレイから撤退を促す通信が届いた。

 

「フレイ!でも!私たちには、バレットさんへの恩が・・・。」

 

「このまま戦って勝てる保証はあるのか?」

 

 アクアは感情的に反論するが、続くフレイの言葉に思わず黙り込んでしまう。

 

「勝ち目のない戦い挑んで無駄死にすることは恩返しじゃない。

 ただの自己満足だ。旦那だってそんなこと、望んじゃいないよ。」

 

「・・・。」

 

 フレイの厳しい言葉に、アクアは歯を食いしばりながら肩を震わせる。

 

「アクア。お前が望めば、いつでも恩は返せる。」

 

 だがグランが、自分を窘めるように穏やかな声をかけてきた。

 

「グラン君・・・。」

 

「アクア姐。ねっ?」

 

 そしてウィンが優しい声とともに、フレスヴェルグをレヴィアタンに寄り添わせる。

 

「ウィンちゃん・・・。」

 

 彼らの言葉を受け取ったアクアは、胸中に渦巻く屈辱も怒りも飲み下す。

 自分はフォウ・フォースのギルドマスターとして、仲間の命を預かっている身だ。

 それなのにちっぽけなプライドと自己満足のために、仲間を危険に巻き込むところだった。

 自分の行いの浅はかさを恥じたアクアは一転、毅然とした声で全員に呼びかける。

 

「わかりました。フォウ・フォース。全機撤退します!」

 

「「「了解!!!」」」

 

 アクアの指示とともに、フォウ・フォースたちは動物形態(ビーストモード)の操兵を走らせ、戦線を離脱するのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 戦いが終わり、チコはようやく肩の力を抜くと、これまで意識していなかった疲労がどっと押し寄せてきた。

 空駆を含め、6つの魔法の同時発動。

 生身なら魔力の消費は勿論、魔力臓器への負担も著しいものだからとても出来たものではない。

 自分の魔力に依存しないヨゾラノカゲヒメの魔法だからこそ成せたわけだが、それでも魔法のイメージを描くのは自分の頭だ。

 流石に6つの魔法の多層術式(マルチ・ヴィジョン)は脳への負荷も大きかったようで、チコは急に頭が熱くなるのを感じる。

 

「ふう~・・・。」

 

「チコさん、お疲れ様です。」

 

 スズの労いの言葉も清涼剤となり、チコは1つ長い深呼吸を置き頭を休ませる。

 今にして思えばあそこまでやる必要もなかっただろうが、スズを守りたい一心でがむしゃらに戦ってしまった・・・と、ここでチコは大事なことを見落としていたことを思い出す。

 

「しまった!スズ!身体に疲れとかない!?」

 

「え?特にないですけど。」

 

「ちょっと魔力測らせてね!」

 

「はっ、はい・・・。」

 

 再び顔を赤くするスズを余所に、チコは内心、猛省しながら慌ててスズの魔力を測る。

 ヨゾラノカゲヒメの魔法は、彼女の魔力を消費して発動している可能性があることを昨日話したばかりなのに、無理な魔法の使い方をしてしまった。

 無論、如何な戦闘中だろうとスズに異変があればすぐに気づいていただろうし、彼女もこうして何にもないと言っている以上、大事にはならないだろうが、それでもスズのことを考えずに魔法を使ってしまったことに変わりはない。

 スズの魔力を測りながら、チコはサナギの格納庫へと帰還するのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

「いや~、ひっさびさに手酷くやられたね~。」

 

 撤退中、殊更明るい調子のウィンの声がフォウ・フォースたちの通信機に響く。

 先ほどの大敗も既に割り切っているようだ。

 

「いよっ、お前らも敵わなかったようだな。」

 

「おう、旦那。」

 

 バレットの声が通信機から聞こえてくる。

 機影は見えないが、通信が届くと言うことはそこまで遠くにもいないのだろう。

 

「ごめんなさい。バレットさん、クレアさん。作戦に失敗してしまって・・・。」

 

「気にしなくていいわよアクア。私たちだってコテンパンにされてきたんだから。」

 

 申し訳なさそうに謝罪するアクアに、クレアが優しく声をかける。

 彼女の言葉に救われたアクアは嬉しそうに微笑み、そして映像板に残した『ある画像』を見ながら物思いに耽る。

 

「アクア、どうかしたのか?」

 

 そんな彼女の様子を通信機越しに感じ取ったフレイが声をかけると、アクアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら答える。

 

「・・・そうね。みんなもちょっとこれを見て頂戴。」

 

 アクアはその画像を、並走する3機に送信する。

 

「・・・おいおいこりゃあ。」

 

「むむっ?」

 

「え?何これ?どうゆうこと?」

 

 その画像を見た3人とも、不審な声をあげる。

 そこには5属性の魔法を纏う黒い操兵の姿、そして機体周辺の魔素濃度のみが、他と比べて『低い数値』を示していたのだ。

 

「さて・・・どうゆうことかしらね・・・?」

 

 知的好奇心を刺激されたアクアは、不敵に微笑みながらその画像を見る。

 既に操手として、魔導士としてのプライドを踏みにじられたことすら忘れ去るほど、アクアは敵の操兵に強く興味を惹かれていく。

 

「どうやらよっぽど面白い情報が入ったようだな。」

 

「はい、バレットさんとクレアさんにも後でお見せしますね。」

 

 フォウ・フォースたちの反応から敵の操兵に対してどんな面白い情報が手に入ったのか、バレットは興味を抱く一方で、1つの懸念を覚える。

 

「どうしたの?バレット?」

 

 今度はクレアが通信機越しにバレットの様子を感じ取り、声をかける。

 

「いや、ちょっとな・・・。」

 

 バレットは葉巻をふかしながら、1人ぼやく。

 

「組合の連中は、どうやってあれの存在を知ったんだ・・・?」

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 

 サナギに帰還したチコたちはそれぞれの乗機から降りると、レンジがスズの元へと駆け寄ってきた。

 

「スズ、身体の具合はどうだ?」

 

「何でもないよお兄ちゃん、私の魔力も使ってなかったんだって。」

 

「何?」

 

 チコと同じく、魔力消費によるスズの容態を案じていたレンジだったが、チコが測ったところ、スズの魔力も全く消費されていなかったのだ。

 

「スズの魔力を使っていたわけでもないみたいよ。」

 

「じゃあ、カゲヒメの魔法は一体どこから・・・。」

 

 チコとレンジがその事について考え始めたその時。

 

「あれ?カンナちゃん?」

 

 いつの間にか、スズの後ろにカンナの姿があったのだ。

 

「カンナ・・・?」

 

 そう言えば、とチコは思う。

 初めてヨゾラノカゲヒメに乗って参道で戦った時も、荒野での戦いを終えたときも、ヨゾラノカゲヒメから降りたとき、いつの間にか後ろにカンナがいたのだ。

 そのことを思い出したチコは、恐る恐ると言った様子で確かめる。

 

「ねえ、カンナ・・・。あなた、さっきまでどこにいたの?」

 

「むっ、あたし、前にも言ったよね。」

 

 そしてカンナは口をへの字に曲げながら、『あの時と同じ言葉』を口にする。

 

「あたしは、ずっと『ここ』にいたって。」

 

 カンナの視線の先には、鎮座するヨゾラノカゲヒメの姿があるのだった。

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 次回、チイロノミコ第8話

 

「カンナノイエ」

 

 運命の糸が、物語を紡ぐ。

 

 



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