すめーちめ (七名様ありがとうございました)
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7月21日。
うだるような暑さとけたたましいセミの歓待に包まれた、なんでもない昼下がり。
空は快晴──雲一つない青に悪態の一つでも吐きたくなる透明度は、紛う方なきあっぱれあっぱれである。
あろうことか教室の窓側。直射日光が肌を刺し貫く拷問椅子のような場所に座らされた、哀れなる仔羊。
まぁ僕なのであるが、余りにもな暑さと余りにもな"遅さ"に完全に突っ伏してしまっていた。机に。
教室。学校の、教室。
この一室はすでに喧騒の過ぎ去ったガランドウ──半日終わりの授業でみんなさっさか帰ってしまった、といえばわかりやすいだろうか。
生徒も教師もいない、いや、教師は職員室にいるかもしれないけどぱっと見存在しない、熱気と鳴き声だけで満たされたその世界に、どうして僕が座っているのか。
それは非常に簡単なことだ。ナコト写本ばりに簡単なこと。
人と待ち合わせをしているから──それに尽きるのである。
そろそろ来てもいい頃合いだ。
なぜって、約束の時間を大幅オーバー。具体的に言うと二時間強、オーバーしているから。
文句の一つ言ったってバチは当たらないだろう。バチが飛んでくる状況は想像に難いけれど。
それじゃあ、と。
──意地でも顔を上げてなるものか。
方ポンされて手を合わせての平謝りをされるまでは、僕は起きない所存である。
唐突に起き上がって天井を仰ぐ──快晴。
雲一つない空が美しい
はて。
空はこんなにも美しかっただろうか──じゃ、なくて。
さすがの異常事態に体を起こし、あたりを見渡した。
いやいやいや、と。
いやいやいやいや、と。
差し支えなければ教えてほしい。オッケーG〇〇GLE。
座っていた姿勢で、突っ伏した姿勢で、唐突に海に投げ出されて──溺れない方法。
どうやら差支えあるようで、G〇〇GLE先生はうんともすんともすっとこどっこいとも言ってくれなかった。防水加工されてないから拗ねてしまったのだろう。私を塩味にして食べる気ですか、と。
しまった思い浮かべていたのはsiriだった。G〇〇GLE先生ではsiriに勝てないということだろうか。
わからない。
わからないが──まぁ。
口に入ってくる水と、鼻から入ってくる海水の苦しさを前にしては、siriのほうが強いことは明白である。
いやわからん。多方面にケンカを売るつもりはないから安心してほしい。一番は火狐だよね。
がぼごぼと聞こえる濁った呼吸音が、まるで他人事のように響いては去っていく。遠くなっていく。
同じようにあれほど感じていた日差しも、遠く、遠く。
わかった。
わかった──これは。
BAD END、というヤツである。
山。
山だ。山田だ。センチメンタル小室マイケル坂本ダダ。
ミーンミンミンシャワシャワシャワシャワホーツクツクツクツクツク。
7月にはまだ早かろう種類までいる気がするけれど、うるさいことうるさいこと。
そしてセミだけでなく、アブやら蚊やら、見たこともないくらい大きい虫やらが飛んでいて、正直お近づきになりたくない。ご趣味は何ですか? 僕は殺虫です。
しかしこちとら学生服。
しかも夏服なので、防御力はお察しである。学ランって防刃性能あるらしいね。
背の高い草木。僕の腰のあたりまであるそれらは、少々どころでなく鋭利だ。はっぱカッターである。
学生服が長ズボンでよかった半面、腕の守りが薄い。籠手を寄越せぃ!
とはいえ、僕の座っていた机もきれいさっぱり消えてしまっている──待とう。何をそんなにすんなり受け入れているんだ。
5W1Hが必要である。
5ワット1ヒットが必要だ。
まず、ここはどこなのか。
カバンにしまってあったスマホを取り出す──Oh,カバンがないじゃないか。
今がいつのなのか。
まぁ待て、カバンにしまってあったスマホを取り出して調べるから。カバンないけど。
僕が誰なのか。
ちょっと待っていてほしい。今カバンにしまってあったスマホを確認する──いや、しなくていい。そもそもスマホに個人情報とか入れてないし。
そう、僕は……あー、僕の名前は。
なーんだっけねぇ。
ナーンダッケネェである。不思議の国のナーンダッケネェ。
とりあえず思い出せないので現地人に出会ったらナーンダッケネェと名乗ろう。
さて、自分の名前を確認した。
そしてそれ以外何もわからないことも確認した。
ではどうするか。
前に進もう。
前がどっちなのかはわからないけど、まぁ僕の向いてる方向が前だよ。
一応、選択肢は持っておこう。
太陽は体に対して左上の空でコロナレーザーを放っている。
男は黙ってバック走だ。古事記には僕が書く。
どうせだから高笑いしながら行こう。そのほうが気持ちがいい。万葉集にも書いてある。
それでは3、2、1──GO!
ふわっ。
浮遊感。
違う。
踏みしめるべき地面がないのだ。
ナコト写本ばりに簡単に言うと──足を踏み外した、という感じ。
記憶に相違なければ周囲は山で、崖なんかなかったはずなんだけどなぁ。
とまぁ、後の祭り。朝の頂。
あれよあれよに、グッバイ現世。照り付けるような日光は一瞬で鳴りを潜め、僕を囲ったのは深く暗い闇。
崖じゃなくて穴だったか──なんて。
この穴を掘ったモグラを一生涯呪いながら、僕の生涯は幕を閉じるのである。
前に進もう。
前に進むと決めたのだから、前に進むべきである。
であれば踏み出すべき足は前──太陽に向かって一歩。
浮遊感。
ふわっ。
足を踏み外した──わけではない。どちらかというと、めっちゃ強い風が下から吹いてきてメリー・ポピンズ。ポピンスだっけ?
とかくそんな感じで、ふわぁっと。
僕の体は宙に浮いたわけである。ヤーチャイカ。
それに驚く声を出す暇もなく、今度は後ろからの潮流。いや、空にいて何を、と思うかもしれないけれど、そうとしか表現できない力の流れにぐぐいと押されて、僕の体は前に進んだ。前──太陽のほうへ。
その速度は驚異的。空気抵抗なんのその、物理法則を完全に無視した潮流は、タカとワシが豆鉄砲を食らったときの顔を思い浮かべているハトくらいの速度で進んでいく。
僕のいた草原のような場所、囲んでいた山をあっという間に越え、その後ろに連なる山々山々山河破れて山があったわ。
山だ。山しかない。なんだここ。少なくとも日本じゃない──だって目の前にそびえたつ山、軽く十万mくらいありそうだもん。日本っていうか、地球じゃないよね。富士山3000m強でしょ。
広い──広く、険しく、高い。
これは登山家も意欲バリバリだろう。そこに山があるからだ。山を登る人の気持ちは全く理解できないけれど。
しかしそんな山に向かって、潮流は僕を運んでいく。
正確に言えば元から潮流はそこに向かって流れていて、僕が無断侵入させてもらった感じに近いのだろうけれど。
そしてぐんぐん上っていく潮流。
高さにして五万ftくらいはありそうだ。なぜフィートで例えた。
しかし……このまま上って行っていいのだろうか?
酸欠とかならない? なるならもうなってる? 確かに。
……。
潮流は雲を突き抜け、山の上の上の上の方へ進んでいく。
地平が見える。空が黒くなってきた。
この星も丸いのだ、という事がわかる。
潮流の勢いが弱まってきた。だというのに、速度は変わらない。
あー……あーね。
そういうことねー……。
ふわぁ……。
今度はメリー・ポピンズではなく、カーズ様になったワケだ。
この星のどこまでに大気があるのかわからないけれど。
まぁ、まだ、寒く、ないし……。
大、じょ。
男は度胸である。
潮流の中を掻き分け、泳いで──無理やり外に出る。
今度は浮遊感じゃなかった。
浮遊感じゃなく、落下。見事なまでの落下。サヨウナラ!
しかしやはり物理法則の違う世界。空気抵抗を全く感じない。だから早い。はっやーい!
超高度にあった僕の体は、しかし凄まじい速度で地面に近づいていく。
あ、これ死んだわ。
これは死んだ。うん。もうどうしようもない。
お手上げである。人間、高いところから落ちたら死ぬんだよ、っていう授業が今ならできる。
それでは皆さん、ゴキゲンヨー!!
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