たとえば、こういう親子喧嘩 (オリスケ)
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1話

 これは、無数にある"もしも"の一つ。

 幾つもの選択肢が枝分かれする運命の大樹、その一節に過ぎない話。

 正史から外れた、有り得たかもしれないが終ぞ起こりえなかったそのIFは、今より一六〇〇年前。繁栄の粋を極めたブリテン王国、王城キャメロット。その楼閣の一つにて起こる。

 

 

「何故だ……何故認めようとしない! アーサー王!」

 

 怒りと屈辱に声を荒げ、モードレッドは眼前の王を睨み付けた。獰猛に尖った歯を剥き、翡翠色の瞳は溢れる感情に爛々と燃えている。

 激情にわなわなと震える顔。それは目の前で背を向ける王と、生き写しのように瓜二つな、美しく凜々しき顔だった。今この時、彼女は初めて兜を脱ぎ捨て、相貌を王の前に曝け出していた。

 

「この顔を見てみろ! この目の色を見てみろ! 貴方と一緒だ! オレは、貴方の血を分けて産まれた、貴方の子なんだ!」

 

 声を張り上げて、モードレッドはそう主張する。その表情は引きつり、酷く焦燥している。まるで生き急ぐかのように。

 しかし、彼女の必死の主張にも、アーサー王の反応は乏しかった。悠然とした立ち振る舞いを乱さず、静かに首を振る。

 

「それは違う、モードレッド卿。私に子供などは存在しない」

「っ……ああ、そうさ。正統な血じゃない。オレはホムンクルスだ。道具として作られた、不義の泥人形だよ」

 

 憎々しげに吐き捨てると、モードレッドは拳を固く握りしめ、心臓の上に置く。

 

「だが……だがこの魂は、オレだけの物だ! オレは王の剣として、数多の敵を屠った! 王に徒なす物を片っ端から薙ぎ払ってきた!」

「確かにその通りだな、モードレッド卿。卿は円卓の騎士として、ブリテンの力を――」

「円卓の騎士だからじゃない。王の力を受け継いで産まれたからだ! 貴方の息子として、譲り受けた才能がある。オレなら、貴方の王位を引き継ぐことだってできる!」

「……先ほどから、卿は何を言いたい」

 

 王の態度が、一層冷ややかな物に変わった。

 モードレッドは息を飲むも、狼狽をぐっと堪え、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「認めて欲しいだけだ……! 息子であると。どんな形であれ、王の血を引いていると。それだけで、いいんだよ……!」

 

 まるで命乞いをするかのような声音で、モードレッドはそう懇願する。

 ただならぬ形相で願う、その心の内に一体どんな思いを抱いているのかを、王は知らない。

 どんな気持ちで息子を騙り、認知を求めているのか、知る由も無い。

 けれど……彼女の心の内を知った所で、王の行動はやはり変わらなかったのだろう。

 眉一つ動かさず、冷然と、王は彼女の激情を聞き流した。

 

「今の情勢を、貴方も理解しているはずだ、モードレッド卿」

 

 城門前では、ガウェインの先導の下で遠征隊が組まれ、王の到着を待っている。

 不義を働いたランスロットを討つ。その大義の前には、眼前の喚き立てる騎士の駄々など、目を向ける必要のない些事でしかない。

 

「すまないが、今は卿に構っている時間は無い」

 

 それだけを言い残し、踵を返す。

 しばらくの間、モードレッドは何を言われたか理解できず、呆然と目を見開いていた。やがて言葉の意味がじわりと染み込んでいくに連れ、煉獄の如き怒りが燃え盛り、彼女の血を滾らせた。

 わなわなと唇が震える。食い縛った歯の隙間から、焼けるような怨嗟が噴き出す。

 

「ふ、ざけんな……ふざけんな、アーサー王! オレが一体、どんな思いで打ち明けたと思ってる! オレの願いは、テメエが唾棄できる程のちっぽけな事なのかよ! ――答えろアーサー!」

 

 激情の叫びは、キャメロットの楼閣に虚しく響く。王は既に彼女への関心を失っていた。青地のマントをはためかせた背中はみるみる遠ざかっていく。

 モードレッドは喉を震わせ、獣のように吼えた。王の心に届かないと分かっていても、叫ばずにはいられない。溢れ出る激情が、怒りになって噴出する。

 

「ッ何が王だ、何が理想の国だ! 辺境の屑共の言うとおりだ。テメエは人の心を理解しねえ! 人ですらないホムンクルスには、耳を傾ける必要もねえってか!?」

「……」

「失望した、見損なったぞアーサー王! 目に物を見せてやる。オレを蔑ろにしたことを、生涯に至るまで後悔させてやるからなぁぁぁぁ!」

 

 息子は叛逆を誓い、王の背中に吼え立て、そうして相容れられぬ親子は決別した。キャメロットの楼閣には、怒りの矛先を失い立ち尽くす、王に良く似た憤怒の形相だけが取り残された。

 

 

 

 

        ◇

 

 眩い月明かりに、大理石の城壁が艶やかに色めく、銀の夜。

 王城の一室、王家のために誂えられた個室で、王妃グネヴィアはすやすやと安らかな寝息を立てていた。

 

 美しい女性である。雪のように白く滑らかな肌。シーツにたおやかに流れる絹糸のような金髪。絶世という言葉が相応しい美貌は、見る者を物語の中に迷い込んだかのように錯覚させるほど幻想的だ。

 無垢な寝顔は安らかで、まるで少女のような可憐なあどけなさを感じさせる。それでいてふわりと膨らんだ薄紅色の唇はぞっとするほど妖艶で、見る者を釘付けにする、浮世離れした魔性の色香を感じさせた。

 

 深い眠りに就く、人を惑わす絶世の美女。

 その枕元に、忍び寄る暗い影が一つ。

 影は音もなくベッドに膝を乗せると、素早くグネヴィアに跨り、美しい唇を手で覆い隠した。目覚めた彼女が上げた声は、くぐもったうめき声にしかならない。

 

「んぐっ、む……!?」

「静かにしろ。誰かに聞かれたらどうすんだ」

 

 影は人差し指を立て、含み笑いと共に言った。

 狼狽していたグネヴィアの目が暗闇に慣れ、侵入者の相貌が月明かりに浮かび上がる。

 馬乗りに跨るのは、アーサー王その人であった。

 青地の衣装に銀の甲冑をまとい、三つ編みにした金髪を後ろに纏めた、威厳と気品に満ちた出で立ち。

 その中で一点、口元だけが、まるでイタズラを画策する悪餓鬼のように、得意げに吊り上っている。王は唇に指を当てていた手で、グネヴィアの細い首を静かに握りこんだ。

 

「危害を加えるつもりはない。が、声を荒げるなら、躊躇なく縊る。分かったか?」

「……」

「よし」

 

 こくこくと頷くのを認めて、王はグネヴィアの口から手を離す。

 しかしその途端、王妃はいきなり起き上がり、王をひしと固く抱擁した。

 乙女のように目を輝かせ、子供のように溌溂に、がばっと飛びつく。

 

「アーちゃん!」

「うおおっ!?」

 

 今度は王が狼狽する番だった。初めて出会う経験に仰け反るも、グネヴィアは縋り付くように抱擁を強くし、王の珠のように弾む肌に頬を擦り付ける。

 

「ああ、ああ。やっと会いに来てくれたのね、アーちゃん! 嬉しいっ!」

「ちょ、な……あ、あーちゃん?」

「ごめんね、本当に悪気は無かったの。落ち込んでいるランちゃんを慰めてあげたかっただけなの。ちゃんとアーちゃんの事も大好きよ、本当だからっ」

 

 狼狽える王の様子など歯牙にかけず、一息に捲し立てるグネヴィア。少年のような王の身体を、豊満な身体全体で包み込む。

 王妃はしばらく夢中でぎゅううっと抱き締め……それからふと、首を傾げる。

 

「……あら? でもアーちゃん、ランちゃんを追いかけてフランスに行ったんじゃ……?」

「っく、くく……」

 

 グネヴィアの胸元で、王が耐えかねたように笑い声を上げた。

 聞いた事のない響きに、グネヴィアが戸惑いながら抱擁を離す。

 王の凜々しき口は、挑発的な三日月型に吊り上がっていた。

 

「アーちゃん? アーちゃんだと? はは、臣下にはツンとお高く纏まっておいて、正室にはガキみてえに扱われてんのかよ。全く傑作だ」

「アーちゃん……?」

「まあ……この子供女のほわほわ脳じゃ判別できない位には、オレは瓜二つって訳だ。悪い気分じゃあねえ」

 

 開け放たれた窓から風が吹き込み、王の金髪を靡かせる。

 足を肩幅に広げた勇ましき立ち姿。凜々しさよりも獰猛さが勝る翡翠の目。獣の如く牙を剥いた凶暴な笑み。

 月夜に浮かぶその相貌は……まるで最愛の人の姿を形取って現れる夢魔のよう。

 

「……あなた、誰?」

「モードレッド。円卓の騎士が末席にして、王の息子。アーサーの血を引く、正統な王位継承者だ」

 

 そう言い、モードレッドは烈火の如く微笑んだ。月明かりを反射して輝く鎧が、シャンと鋭い音を奏でる。

 刃のように鋭い笑みに、にわかに空寒い心地になりながら、グネヴィアはふるふると首を振った。

 

「そんな筈がないわ。アーちゃんに子供はいないもの」

「お前が知らなかっただけさ。この顔が、この魂が、何よりの証だ……この服と剣、宝物庫から掻っ払ったんだ。サマになってるだろ? 息子だから当然なんだがな」

 

 モードレッドは得意気に笑うと、礼装の裾を摘まみひらりと踊る。

 言葉通り、衣装を揃え髪型を合わせたモードレッドは、まるで王の生き写しのようだった。姿形はそっくりそのまま。狂犬のような表情だけは似ても似つかないが、ふとした一瞬に見せる目の輝きが、玉座から向けられる王のそれに重なって映る。

 

「父上……本物のアーサー王は、尻軽なテメエのケツを拭くために、大陸を駆けずり回ってるよ。キャメロットで動ける円卓の騎士は、今はオレだけだ」

 

 流石のグネヴィアも、モードレッドがただの冗談でここに居る訳でないことに思い至った。正常な思考であれば、王の真似事などという不敬に走る筈もない。寝間着の胸元をぎゅっと握り、真意を問うべくモードレッドに対峙する。

 

「……何をする気?」

「ハッ。決まってる。生き写しの身体。王の血を引く息子としての出生……今なら分かるぜ。オレには天命があった。全ては、この時の為にあったんだ」

 

 

 ざあっと風が吹き、モードレッドの結い上げた金髪を揺らす。

 そうして彼女は、王の風体で胸を張り、力強く宣言した。

 

 

 

 

「すなわち――オレ自身が、アーサー王になるってことだ!」

 

 

 

 

 一縷の疑いも無く、自身に満ち、何より大変に嬉しそうに、そう叫ぶ。

 グネヴィアはその宣言を、十秒掛けてやっと噛み砕き……それから「ほへ?」と、間の抜けた鳴き声をあげた。

 

「グネヴィアが騙されるくらいだ。そこらの家臣じゃ、オレの変装なんて分かりっこねえ! へへっ、似てる自信はあったけれど、我ながら本当に父上そっくりじゃねえか……皆がオレを王と呼ぶ。我が王、我が王ってな……へへ」

 

 その光景を想像してか、僅かに頬を赤らめ、照れくさそうにはにかむモードレッド。

 その可憐さに見惚れそうになったグネヴィアは、頭を振って気を取りなす。

 

「そ、それじゃあ貴方は……」

「そうだ。奴が留守の内に、王座をブン取ってやるのさ! 帰ってきた王の方が偽物と誹られるほど、完膚なきまでにな!」

 

 モードレッドが画策するのは、まさしく王位の簒奪だった。瓜二つの外見を利用して、ブリテンを内側から崩落させようと目論んでいるのだ。

 その悪辣な所行を、分かっているのかいないのか。モードレッドは父そっくりな格好に喜び、子供のようにはしゃいでいる。

 さしものグネヴィアも、黙ってはいられなかった。自らの軽率な博愛が危機を招いたとはいえ、愛しき王が統べる国が崩落するのを、指をくわえて見ている訳にはいかない。

 

「ダメよ。いけないわ。この国がめちゃくちゃになったら、帰ってきたアーちゃんが泣いちゃうわ」

「へんっ、王という者がありながらランスロットに靡いたお前が、何を言っても説得力ないぜ」

「それはそれ、これはこれよっ。私の目が黒い内は、悪戯に国を引っ掻き回すことは決して――」

 

 声を荒げ、グネヴィアはモードレッドの手を取る。

 その瞬間、王妃は驚愕に目を剥き、言葉を失った。

 

 

 ぎゅっと握りしめた、モードレッドの手。

 そこから伝わる事実に、唇が震える。

 

「……あなた」

「浮気性の癖に、どうして察しだけはいいんだ、テメエは」

 

 舌打ち一つ。モードレッドは、先ほどの上機嫌が嘘のように表情を消し、グネヴィアの手を払いのけた。

 

「聞けグネヴィア……オレは、国を転覆させるつもりはない」

 

 打って変わった冷静な目に覗き込まれ、グネヴィアはぐっと息を飲む。

 その目は。固く意志を籠めた言葉は、グネヴィアがよく知る、素晴らしき王と等しく、あるいはそれ以上に重い。

 

「あの王は、オレを認めなかった。ただ息子と呼んで欲しいというオレの願いを、歯牙にも掛けず投げ捨てやがった」

 

 憤慨した。失望した。だから、復讐してやるのさ。

 そう言って、モードレッドは自らの胸に拳を乗せ、不敵に微笑んだ。

 

「より良い治世を築いてやる。より強靱な兵を持ち、盤石の塀を布き、今以上の溢れる富で国民の腹を膨らませてやる……息子のオレならできる。息子だからできるって事を、証明してやるんだ」

 

 正統な息子だと、完膚なきまでに思い知らせてやるのだ。

 才能を見誤ったと後悔させ、詫びを入れさせるのだ。

 それが、モードレッドの選んだ叛逆。より優れた王になることで、彼の過ちを糾弾する、一世一代の意趣返しだ。

 そう宣言し、モードレッドは嗤った。王の生き写しのような顔を、獣の如く獰猛に歪ませて。

 

「止めようなんて思うんじゃねえぞ……元よりテメエの浮気が原因なんだ。黙って手伝ってもらうぜ、我が尻軽な妃サマ」

 

 

 

 

 そうして、モードレッドの孤独な復讐が――

 

 

 

 

 

 ――静かで優しい、国家征服が始まった。

 

 




高潔な騎士でしっかりした矜持を併せ持ち、誰よりも王を信奉し国を愛し、民草の事を慮る懐の深さまで持ち合わせてるかわいいかっこいいかわいいかわいいモードレッドがそもそも叛逆するっておかしいよね? っと。
そんな感じで書いたストーリーです。そう長くないです。よろしくお願いします。


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2話

 結論だけを言えば、成り済ましは拍子抜けするほどに完璧だった。

 

 留守を守っていた家臣達は、いきなり現れた王にぎょっと目を丸くしたものの、すぐに我を取り戻し、眼前の王に仰々しく頭を垂れた。

 外見だけで言えば、円卓の騎士でさえ見抜けないだろうというモードレッドの変装だ。当然と言えば当然。ただの一兵卒が、誉れ高き王に対し、まさか偽物かと疑う訳にもいかない。

 それに加えてアーサー王に扮したモードレッドは、ランスロット討伐の遠征から引き返してきた理由として、誰もを唸らせる答えを用意していた。

 

「一人の騎士の不義に、我を忘れ遁走する場合ではない。円卓の結束に綻びが産まれ、国全体が揺らいでいる今こそ、私が上に立ち民を率いなければいけない。故にこそ単身翻し、この王座に就くことを選んだのだ」

 

 我ながらよく出来た回答だった。円卓の末席であり比較的自由に動き回れたモードレッドは、女たらしのランスロットの不出来な行いと、それに引っ掻き回される王の行動について、臣下が密かに不満を募らせている事に気付いていた。

 王が完璧でも、民が人である以上、齟齬は必ず産まれる。それによって発生した民衆の不満は、復讐にも懐柔にも利用できる。モードレッドは類い希なる剣の才の他にも、人の機微を読み隙間に付け入る狡猾さも併せ持っていた。

 一人の懲罰よりも国が大事。そう言う王が、全くの別人であることに気付く者はいない。むしろ、やっと国政に集中してくれると、ほっと胸を撫で下ろす者までいる始末だ。

 

 そんな訳でモードレッドは、あっけなく玉座に座り、並み居る家臣達に平伏して迎え入れられる事になった。

 騎士が居並ぶ円卓ではない、情勢の報告や謁見に用いられる玉座だ。数段高く作られたそこでは、謁見の喜びに輝く、仰ぎ見る視線があちこちから注がれる。

 アーサー王に扮したモードレッドは、凜々しき王らしく表情をキリリと引き締め……

 その実内心、天井を突き破る程に浮かれきっていた。

 

(うっひょぉぉ……! ひっれえ。たっけえ! 視線がむず痒……うおお、むずむずするぜぇぇぇ……!)

 

 人生初の、玉座である。

 憧れの王の目線である。

 浮かれるなという方が無理がある。どれだけ平静を装っても、頬がうっすらと紅潮し、唇の端がにんまりとつり上がる。

 ほんの数日前。ただの一騎士であった頃は、ここに座る事など考えられなかった。

 だが、自分は王の息子である事を知った。その瞬間、彼女の中に、王位を譲り受ける正統な資格が産まれたのだ。憧れの王座に、自分が座る。それを夢想しない訳がない。

 夢に描いた光景、今ここに実現している。誰もが尊敬の目で自分を見つめている。

 この瞬間だけは、怨念も復讐も忘れ、王の視線に酔いしれていた。

 視線のむず痒さにもぞもぞと身を捩り、無闇に肘掛けをスリスリさすってみたりする。

 

(すっっっげえぇぇ。父上はいつもこうやって民を見下ろしてんのか。そりゃ優越感じるよ、人間越えちまうわ……いやもうたっまんねえなあコレぇ!)

「あの……いかがされましたか?」

「ん、んん。大丈夫だ、何も問題ない」

 

 家臣にそう訪ねられてやっと我に返り、キリリと表情を引き締める。そうなれば彼女の姿は、誉れ高きアーサー王と寸分違わず同じになる。

 その威光にほっと胸を撫で下ろしながら、家臣が嬉しそうに言った。

 

「いや、しかし戻られて安心しました。ブリテンの象徴たる騎士は席を外し、残る騎士は、あの粗暴で気の短いモードレッドのみ。国政をこなせる者がおらず、皆不安でいたのです」

(あぁ……?)

 

 有頂天だったモードレッドの内心が、それでスッと静まった。

 確かに、血の気の多さは自覚している。騎士失格の性格だと、揶揄する者もいるだろう。が、こうも正直に言われると面白くない。

 曲がりなりにも円卓の騎士で、オマケに王譲りの才能がこの身に溢れている。そんなオレを、頭数にすら数えていないとはどういう狼藉だ。

 そう、内心でムカつくモードレッド。

 けれど次に続いた言葉によって、それはたちまち雲散霧消した。

 

「貴方がいてくだされば民も安心です……どうかブリテンをお導きください、我が王よ」

(フォーーーーーーーーーーーーー!!)

 

 我が王。我が王。我が王!

 自分に向けられたその一言が脳内で何度もリフレインし、モードレッドの心を遙か上空までぶち上げた。

 噴火したように喜びが迸る。鼻血がボタボタ流れ落ちるようだ。今なら徒競走でブリテンを一周することだって余裕に思えた。

 悶絶する程の興奮を、鋼の精神力で表情には出さず……けれども心の底からの嬉しさを滲ませて、王はゆっくりと首を縦に振った。

 

「う、うむ。任せよ。何でも来るといい。まるっと解決してやろうじゃあないか。うむっ」

「? ……え、ええ。ではまず、今季の作物の収穫量と、来期までの兵糧について……」

 

 いやに上機嫌な王に戸惑いながら、各部門の長による謁見が蕩々と行われていく。

 

 

 ものの五分で、モードレッドは自分の見通しが甘かった事を知った。

 食物について。兵士の練度について。各それぞれの町の近況に、住民からの評判。西の飢饉に北の流行病。近隣諸国の同行に、辺境にて起こる盗賊事件。

 ブリテン全土を網羅するための情報はまさしく怒濤のよう。いきなり王様になって一日目の人間に、処理ができる筈もなく。

 

 

 果たして小一時間後。玉座には思考回路を完全に焼き切らせ、真っ白になって口から煙を吐き出す王の姿があった。

 様子を見に来たグネヴィアが止めに入らなければ、モードレッドの支配計画は、たった一日で水疱に帰していたかもしれない。

 いそいそと王を運び、グネヴィアの自室に匿い、知恵熱をゆっくり冷まさせて数分。

 気分直しの蜂蜜を一気に飲み下してから、モードレッドは憎々しげに机を叩き付けた。

 

「キッッッッッッツイ!」

「まあ、こうなるだろうって思ってたけどね~」

 

 自室に匿ったグネヴィアは、声を荒げるモードレッドを、背伸びする娘を見守るように笑う。

 無理もない事だろう。何せ彼女はモードレッド。一時間だってじっとしていられない野生児で、誰よりも血気盛んで斬り合いの好きな無頼漢だ。

 椅子に座りただひたすら頭を回すなど、空腹の虎を檻に閉じ込めるようなもの。暴れなかっただけ上等だと言える。

 いや、上等どころじゃない。看病をしながら、グネヴィアはモードレッドの振る舞いに舌を巻いていた。

 彼女は確かに、王の代役を見事に勤めて見せたのだ。

 

「しっちゃかめっちゃな事もあったけど、抜けてる情報は根掘り葉掘り質問して、摂るべき最善手を指し示す。誰にだってできる事じゃないわ」

 

 知恵熱こそ起こしてしまったが、モードレッドの指示は的確で、核心を突いていた。理知的な言葉で、それこそ王が指示を下すが如く、だ。

 

「当然だ。オレは王の息子なんだからな……それに、できるで満足していちゃダメだ。オレは越えなきゃいけない。王以上の政を執り、奴を見返してやるんだ」

 

 モードレッドの瞳に、満足するような色はない。

 彼女は知っている。王はもっと凄かった。考えずとも答えを出せた。疑いようのない解で戦に勝利をもたらし、国を平穏に導いた。

 自分は熱を出すまでに考えて、やっと王の無考に並ぶ。満足などしていられない。

 考えるんだ。自分と王は、何が違う?

 何が駄目だった? 何が足りない?

 そうやって、モードレッドは反省し、比較する。

 今まで、仰ぎ見るしかなかった王。羨望の眼差しで脳裏に焼き付けていた美しく凜々しい姿。

 その目には今、復讐の炎が宿っている。見返してやるという決意に固く澄んでいる。

 王になると決めたなら、完膚無きまでになってみせるのだ。

 

 記憶に焼き付けた王の姿を、指先一本に至るまで分析する。雲の上の存在に辿り着くべく、己が手で崖をよじ登る。

 完璧な王ならば、オレは完全な王になるのだと。そう言わんばかりに。

 

「蓄えてる情報量が違いすぎる……何年分もの知識と経験があるから、決断も早く確実なんだ。一つの案件毎に過去を遡ってれば、当然その分出遅れる」

 

 そうして自分の不足を見つければ、モードレッドは直ぐさま埋めるために行動を起こす。

 

「グネヴィア。書庫にある過去の政務歴を、十年前から片っ端掻き集めてこい。お前の覚えていることも全部教えろ。王の数年を、二日で全部さらってやる」

「えぇ~、徹夜はちょっと……お肌荒れちゃうしぃ」

「テメっ……不倫を促進する肌なら多少汚しとけ! だいたい、口答えするんじゃねえよ。王に対する不忠で、お前をもう一度磔刑にする事だって出来るんだからな!」

「やらないとは言ってないのにぃ。モーちゃん怒りんぼで厳しいよぉ。ひんひんっ」

「ひんひんっ、じゃねーよ! 自分の歳考えろ脳内砂糖菓子女!」

 

 子供っぽく駄々を捏ねるグネヴィアの尻を蹴り飛ばして駆り立てる。

 国を崩壊させる絶世の美貌に、愛にとことん素直でひたむきな、女神の顕現のような女性。

 その軽率さ故に国に波乱を巻き起こす生きた爆弾ではあるものの……今は脅してはあるが協力関係、仮初めではあるが自分の妻だ。

 ひょっとしたら、初めての家族でさえあるかもしれない。

 そう気づき。部屋から締め出し、扉を閉めてから。

 誰もいないことを確認した室内で、モードレッドは何ともいえないむず痒さに、唇をもにょもにょと歪ませるのだった。

 

 



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3話

 王の資質があることを証明する。

 その一心で、モードレッドは一日の全ての時間を勉学に費やした。

 昼も夜も無く机に齧り付き、かつて王が学び、執り行ってきた施政を脳味噌に流し込んだ。

 

 十四歳で聖剣を抜いてからの全てを、数日で学ぼうというのだ。その剣幕は、鬼気迫るという表現が最もよく似合った。

 自然と、弱音が出なくなった。共に机に座るグネヴィアが睡魔に耐えかねて船を漕いでも、怒るエネルギーさえ惜しいと学びの手を止めなかった。

 王を見返す為に、王から学ぶ。越える為に、全てを取り入れて昇華する。

 

 全て、息子と認めて貰いたいが故に。

 

 血眼になって、血管が焼き切れる程に脳を回して、父上に追い縋る。それは歪で僻んでいたが、モードレッドが初めて経験した親子の交流だった。

 

 

 

 そんな命を燃やすような執念の学びを続けて、三日。

 モードレッドはとうとう王の治世の過去を遡り終え、隈と充血だらけの目を、机に広げた書類に落としていた。そこには現在のブリテンの情報をまとめた羊皮紙が広げられている。

 人口。食料の備蓄に普及率。兵士の人数にその練度。他国の動向や反乱因子といった外敵要因。つい数日前まで気にも留めなかったそれらを頭に、モードレッドは唸る。

 眼前の大いなる問い……国の行く末を見極めようと、疲弊しきった知恵を振り回している。

 今にも倒れそうな様子を見かねて、グネヴィアがそっと彼女の肩に手を置いた。

 

「……ねえモーちゃん。少し休んだらどう? 頑張りすぎは身体に毒よ」

「馬鹿言うな。父上はいつ遠征から戻ってくるか分かんねえんだ。中途半端で終わらせる事なんて出来ない。だから一秒たりとも無駄に出来ねえ」

「そうは言っても、そんなに目を真っ赤に腫らしちゃ、変装も難しいわよ。アーちゃんはどんな時でも凜々しく、格好良かったもの」

 

 モードレッドは今もアーサー王の変装をしている。しかしその目には深い隈が浮かび、疲労で顔面に生気はなく、土気色だ。グネヴィアの言うとおり、寝不足な自分の姿は、理想の王には似ても似つかない。

 グネヴィアが優しく肩をさする。その温かさは、全て投げ出したくなるほどに、たまらなく耽美だ。そう思ってしまい、モードレッドはギリと歯噛みする。

 

「ったかだか王の予習をしたくらいで、オレは何を……!」

「いけないわ、モーちゃん。あなたはよく頑張ってる。本当にすごいわ……だから、できない事を自分のせいにしちゃダメよ」

「……くそっ」

「ほら、おいで? 休める時に休むのも、立派な王様のお仕事よ」

 

 グネヴィアは渋面を作るモードレッドの手を取り、ベッドへと誘った。気力の限界に来ていたモードレッドは、明かりに引きつけられる羽虫のように、彼女に引かれる。

 グネヴィアの甘い言葉によって、水槽に穴が開いたように、モードレッドの身体から力が抜け、倒れるようにベッドに沈み込んだ。

 シーツに埋めた頭。それがひょいと持ち上げられたかと思うと、柔く温かいものに後頭部が乗せられた。

 うっすらと目を開くと、視界に大きな二つの膨らみが影を作っている。

 

「何してんだ、グネヴィア」

「えへへ、ひざ枕。頑張ったモーちゃんに、わたしからご褒美をあげようと思って」

「ガキじゃねえんだぞ。舐めたマネを……」

「おままごとじゃないわよ。私の愛だって、一応ちゃんと役に立つんだから」

 

 歌うように言うと、グネヴィアは滑らかな掌で、そっとモードレッドの目を覆った。

 優しい温みに包まれる。額に触れる掌から、グネヴィアの規則正しい心臓の鼓動と、母のような慈愛の心を感じる。

 それに加えて、ぽう、と魔力の火が灯る。

 底なし沼に嵌ったようだった疲労が抜け出ていくのを感じた。苦しさしかなかった心が、日だまりの中で微睡むような心地よさに包まれる。

 グネヴィアの愛が為せる、癒しの魔術だった。心地よさに陶酔しながら、モードレッドは鼻を鳴らして笑う。

 

「いいのかよ? 夫の王座を奪おうとしている奴に、こんなに尽くして」

「目の前で苦しんでいる人を放っておいて平気な愛なんて、わたしは知らないわ……ふふっ、それに」

 

 そこで言葉を区切り、グネヴィアはモードレッドの額を指でなぞり、父上に似せて編み上げた三つ編みをそっと撫でた。

 

「お父さんを越えたいというあなたの思いは、健気で、力強くて、とっても優しい。わたしは、あなたのそのひたむきさを、心から愛したいの」

「ハンッ……叛逆を目論む復讐鬼にまで優しいとは、つくづく尻軽な駄女神だな」

 

 そう嘯き、けれども包み込まれるような優しさに安堵の吐息を漏らし、モードレッドは王妃の膝の上で、静かに胸を上下させる。

 思えば、誰かに褒められ、掛け値無しに寵愛をかけてもらえるのは、これが初めてかもしれなかった。

 息子である事を認めろと詰め寄った時、彼女が求めたのは名誉と自己の証明だった。

 しかし本当は、言葉にならないほど深い心の内側で、こうして愛してもらう事を求めていたのかもしれない。

 モードレッドの内なる心を救済しているとは知らず、グネヴィアはまさしく母のように微笑んで、彼女の金色の髪を指で梳く。

 

「……モーちゃんが王になるって意気込んだ時、やー、無理だろなーって思ってたのに……まさか本当にこなしちゃうなんてね。びっくりしちゃう」

「まだ全然だよ。アーサー王は完璧だ。彼の治政を、オレはまだ半分も理解できていない」

「半分でも凄いじゃない……崇高っていう言葉は、手が届かないと宣言するのと同じ。そんな王を目標として据えられる貴方は、それだけで十分格好良いと思うわ」

 

 もちろん、そんな言葉がモードレッドの慰めになる訳ではない。息子として認められるまでは、彼女の渇きは収まる事はないだろう。

 グネヴィア当人としても、モードレッドが息子であると納得した訳じゃない。

 しかし……もし息子がいたとしたら、こんな風に傍に居て、成長を見守ったりするのかもしれないなあ、と。そんな事を考えると、膝の上の少女の野心にも、愛着を感じずにはいられない。放っておけない危なっかしさも、傍にいて支えてあげたいという庇護欲を掻きたてる。

 

 もっと近くで、王によく似た顔を見たい。

 そう思い、グネヴィアが上体を屈めたのと、寝室の扉が荒々しく開けられたのは、殆ど同時だった。

 

「失礼します、王よ!」

「ッ何事だ――ぶわっ!?」

「むぎゅっ!」

 

 飛び起きたモードレッドの顔面が、屈んだグネヴィアの顔に激突。視界に火花が散った。先ほどの安らかさなど嘘のように吹き飛び、二人鼻を押さえ、ベッドの上でもんどり打つ。

 

「っ~~~は、はにゃ。鼻ゃがぁぁ」

「も、申し訳ありません! ご休憩中とは知らず……!」

「あ、ああ、大丈夫だ。しかし次からはノックをしろ……それで? 何が起きた」

 

 のたうつグネヴィアを尻目に、ようよう王らしい調子を取り戻し、聞く。

 不意打ちに飛び込んできた家臣の連絡は、今のモードレッドにとっては渡りに船のような事件だった。

 

「西の砦が、我らに反旗を翻しました! 近いうちに近隣にも攻め込むとの情報があります」

「何者だ。賊の仕業か?」

「い、いえ……籠城を行っているのは、砦を守っていた兵士達です。付近の農村の住民を誘拐し、城内に監禁しているとのこと」

「――なるほど、謀反か」

 

 瞬間、王は口を三日月に吊り上げて笑った。凜々しき翡翠の目に、獣の如き炎が灯る。

 家臣が驚き、我が目を疑う間に、彼女は居住まいを正し、傍らの剣――宝剣クラレントを手に取った。

 

「討伐隊を組み、それから馬を一頭用意しろ。私が行く」

「な……お、王自ら出向かれるので!?」

「ブリテンの栄華を、遍く全土に広めるためだ。反逆者に攫われた民の心の傷を癒やせるのは、私以外には居るまい」

 

 もちろん詭弁だ。凜々しい表情の裏側で、モードレッドは内心獰猛に嗤う。

 謀反。願ってもない事件だ。何せオレはモードレッドとして、そうした愚か者を幾人も屠ってきたのだから。

 まさしく本来の自分があるべき場所だ。政に気疲れした気分転換にちょうどいい。

 命を受けて駆け出す家臣を見送り、モードレッドは鼻を押さえてようよう起き上がったグネヴィアに目を向ける。

 

「感謝するよ。お陰で随分楽になった」

「モーちゃん……」

「心配すんな。全員スパッと叩き斬って、翌日には首をひっさげて戻ってくるさ……その間、留守は頼んだぞ」

 

 モードレッドは腰に下げた儀礼用の剣――クラレントの柄を手でなぞる。

 反逆者を叩き斬り、不忠の魂を打ち砕く。

 王として。国の頂点として。

 ならばこれから自分が振るう剣は、さながら神の雷か。

 さぞかし気分がいいに違いない。王に蔑ろにされた怒りも、多少は和らいでくれるだろう。

 

 




 以下、興味ある人はどうぞなグネヴィア設定。


 かつて世界は、愛によって滅んだ事が幾つもある。
 数々の皇帝を虜にしエジプトに大波乱を呼んだ美女、クレオパトラ。
 トロイア戦争の引き金を引いた、世界で最も美しい女性、ヘレネー。
 彼女達の愛は、時に魔法のように人々を魅了し、狂わせる。
 グネヴィアもまた、そのような魔性の魅力を持つ愛の獣の一人である。

 グネヴィアの愛は健気で情熱的で、本当の意味で分け隔てがない。求められれば求められるままに、愛されたままに愛する。相手が妻帯者でも国王でも関係ない。あらゆる倫理も障害も、彼女の愛を止める力を持たない。
更にグネヴィアの愛は、その対象に凶悪と呼んでいい心身の増強効果をもたらす。たとえば彼女の愛を得たランスロットは、モードレッドを含めた13人の精鋭を、傷一つ負わずに瞬く間に打ち倒してみせた。


 数多くの男を虜にし、また怪物せしめる能力は、国を崩壊するだけの力を有する。
 グネヴィアの存在を危惧したアーサー王は、彼女を妻として迎え入れる。優れた対魔力と精霊の加護を持ち、また男装の麗人であるという自身の特性を生かし、グネヴィアを『王妃』という枠に閉じ込め、愛が暴走することを防いでいたのだ。


 彼女の精神は幼く、愛に憧れる少女の姿を常に胸に宿している。どんな形でも、自身が絡めばラブロマンスとして捉えてしまう極甘な日和見脳の持ち主。あらゆる倫理観も固定観念も、彼女の愛を邪魔することはできない。
 その一方で、彼女もまた愛した人に惜しみのない献身を行う。彼女の愛はある種の魔術として作用し、対象者に肉体強化・心身の回復といった作用をもたらし、強力な精神的支柱となる。




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4話

 

 

 報告書の通り、謀反の現場はちっぽけな砦だった。

 限界まで兵を駐在させても、五十人がせいぜいだろう。王都から国境僻地の間にある、どうあっても要所とは言えない区画だ。

 そこで反旗を翻した兵士は、たったの十人。城壁を血で濡らす必要も無く、砦の奪還はものの十数分で終了した。

 履いて捨てられる程の、あっけない戦いだった。

 

「……つまらん」

 

 小声でそう吐き捨て、王は今まさに襲い掛かる反逆者の首を、振り上げた剣ごと跳ね飛ばした。安物の兜で覆われた頭部が、踏み荒らされた土の上で弾み、血糊の線を引く。

 

(王に反旗を翻すというから、どれだけ気骨のある奴かと期待していたら……雑兵も雑兵。蟻の群れの方がまだ潰しがいがあるぜ)

 

 血で滴る銀色のクラレントを担ぎ、王に扮したモードレッドは、心の中で深々と嘆息した。

 モードレッドとして剣を振るう時にも、こういう事があった。気が触れたか己の矮小さが嫌になったか、時折こうして、分不相応に謀反を企てる馬鹿が出てくる。

 そういう奴ほど、剣はド下手で、度胸も据わっておらず、みっともなく生き恥を晒す。斬っても全く気持ちよくない。辟易とさせられるばかりだ。

 クラレントを振り、べっとりと付着した血を払う。そうして、城内を検めていた兵士の一人を呼び止める。

 

「もう終わりか?」

「はい、砦は奪還し、民の安全も確認できております」

「そうか……敵に生き残りはいるか」

「主犯と思しき一人を、鎖につないでおります……あの、光栄でした。王の戦いを、まさかこのような場所で見ることが出来るとは……」

「世辞はいらない。その男の場所まで案内してくれ」

 

 兵士に先導されるまま砦を回れば、身動きを封じられた兵士が、城壁にもたれて項垂れていた。

 痩せこけた壮年の男だった。髪も髭も黒いが顔に刻まれた皺が深く、年齢以上に老けて見える。放っておいても、冬が来れば病に倒れて朽ち果ててしまうのではと思えた。

 老兵は歩み寄る王に驚きの目を向け――それから厭世的に、喉を絞るような笑い声を上げた。

 

「一体これは何の冗談だ? まさかこんな小さな砦に、王自ら裁きに下るとはな……王都の快適な暮らしに飽きて、刺激欲しさに殺しに来たと見える」

 

 嘯く老兵。その文句に苛立ちながらも、表面上は努めて冷静に、王は老兵の前に立つ。

 

「お前に問おう。何故我がブリテンに剣を向けた」

「何故か……だと?」

 

 その瞬間、命を諦めるばかりだった老兵の目に、怒りの炎が宿った。身体を縛る鎖がジャラと重たい音を立てる。

 

「決まっている。民のためだ。無慈悲な王に殺される位なら、せめて一糸報いて死んでやろうと、我らは剣を取ったのだ」

 

 老兵の目に爛々と宿る光は――モードレッドの抱くそれに勝ることはなくとも――彼女の心によく似た、恩讐の炎であった。

 その目に僅かに狼狽しながら、王は首を振って彼の言葉を否定する。

 

「それは違う。私は民を殺そうなどとは――」

「っく、は……くははっ。やはり我らが王は甘い。視野の狭い蒙昧だ。こんなガキが王とは、ブリテンも先は長くはあるまい」

 

 反射的に右手がクラレントへと動いていた。喧しい顎を削ごうとした手を、剣の柄に乗せた所でぐっと堪える。

 殺戮の本能を理性で押さえ込む。その様子に何を思ったか、老兵は蕩々と語り始める。

 

「……ここにあるのは畑ばかり。辺境みたいに外敵の恐れもなければ、王の遠征に同行する事もない。する事と言えば、一帯の農家から課税を徴収する位さ……理不尽極まりない、途方もない量の税をな」

 

 そうして老兵は、ついと首を動かした。つられて見れば、砦に閉じ込められていた農民達が、王都の兵士に先導され、砦から解放されている所だった。

 誰も、外傷の一つも貰っていない。縛られていたような痕跡もない。むしろ深刻なのは骨と皮ばかりになるほどの飢餓であり、それはここ数日の問題でないのは明らかだった。

 

「子供がいつも腹を空かして泣いている。夏の日差しに当てられ、麦畑の中で人が死ぬ。ちょっとした風邪が大人を戻らない眠りに落とす。それなのに彼等は、汗水流して育てた作物を、口にすることを許されない。王都への徴税、俺達が全て奪い去るからだ。国が簒奪し、殺しているのと同じだ」

 

 もう沢山だ。そう呟いて、老兵は力なく首を振る。

 そうして彼は王を見上げた。皮肉と侮蔑の折り交じった、冷たく淀んだ目で。

 

「その美しく健康な顔は、ここの民には嫌味にしか映るまいよ。王都はさぞかし華やかだろう。数多の富と食物で溢れかえっているのだろう。城壁の外、同じ国土で飢えて死ぬ者がいるなど、想像すらできまい……っ」

「……」

「なあ、誉れ高き王よ! 小さな叛逆を摘み取る精力がありながら、どうして飢えた娘子の一人を救えない! 財を奪って作り上げた温床に踏ん反り返る王が、どうして人の心など分かろうものか!」

「っ……王よ、もういいでしょう。この男の不忠は余りにも――」

「待て」

 

 傍らに控えていた兵が剣を抜いて歩み寄るのを、他ならない王が押し止めた。

 驚く兵に向き直り、老兵を指し示す。

 

「首は跳ねない。此奴は王都の地下牢にて幽閉する」

「しかし……!」

「二度は言わない。分かったなら、馬の用意をしろ。明日には王都に帰還する」

 

 王の言葉に逆らえる者などいない。兵達は戸惑いつつも王の言葉に従い、方々に散会していく。

 後には王と、未だに状況を掴めきれない老兵が残される。

 王は更に一歩詰め寄ると、屈んで老兵の目を覗き込んだ。大っぴらに膝を広げ、そこにだらしなく腕を乗せた粗暴な姿勢に、老兵が困惑する。

 

「お、王……?」

「人の心が分からない……そう、貴様は言ったな」

 

 低く沈んだ声で、王が凄む。そこに先ほどの理知的な姿はない。

 獰猛でありながら、どこか鬱屈とした、飢えた獣のような瞳。

 その瞳の内側には、爛々と燃える炎がある。先程老兵が王に向けたものよりも、遥かに暗く鬱屈とした炎が。

 

「貴様は私に背いた罪人だ。日の光を浴びせる事はさせない……だが、一人書記を付けてやろう」

「……」

「この国に何が足りぬか、何を行うべきか、思う全てを記せ。他に人が必要なら遣わせる……心が分からぬ王とのたまうなら、貴様が民の心とやらを見せてみるがいい」

 

 そう言い捨てて、王は立ち上がり、背を向けた。

 老兵は最後まで、自分が見た物を信じられないといった風に、去りゆく王の背中を呆然と見つめていた。

 

 

 

 そうして砦の後始末を済ませ、馬に乗り込み王都に帰還する、その道中。

 先頭を走りながら、王は隣を併走する家臣を呼んだ。

 

「貴様は知っていたか?」

「と、いうと?」

「辺境の民が飢えていること、徴税が民に深刻な圧迫を与えていることだ。ここ数ヶ月の話ではあるまい」

「は、いえ……報告するまでもないと、思っておりましたので」

「何故だ」

「こ、これらは我々で解決するべき、些事であります……王の行いに間違いはありません故」

 

 他ならぬ王の詰問に、肝を潰して家臣が応える。

 萎縮したその様子に、『人の心が分からない』という糾弾の言葉が重なって響く。

 モードレッドは、酷い苛立ちに内心で舌打ちをした。

 民の反抗は、今に始まった事ではない。どれだけブリテンが豊かになろうとも、必ず一定数の不満が噴出し、反乱という形で現れる。前線に立ち斬り伏せてきたモードレッドは、それをよく知っている。

 『王は完璧すぎる』『人の心が分からない』――反逆者はいつもそのような言葉を口走り、モードレッドの剣の錆と化した。

 完璧な王に対して何を……と、当時から苛ついていたものの、自分が王に扮した今では、その怒りはますます強く、腸を煮え着かせる。

 

「虚勢は下らん。色を塗って誤魔化した腐った果実ほど醜悪な物はない。次からは、嘘偽りなく私に話を通せ。あるがままを、全てだ。いいな?」

「っ……仰せのままに、我が王」

 

 苛つくからこそ、放っておく訳にはいかない。それに、一方でこれはまたとないチャンスでもある。

 あの完璧な王でさえ、反乱を完全に無くす事は出来なかった。王への不満を払拭することは出来なかった。

 であれば、その悪しき粒を根絶やしにできれば。反乱の無い、誰もが真に平穏を享受できる国にできれば。

 その功績はアーサー王を越えた王の資質を裏付ける、何よりの証拠となるだろう。

 

(やってやろうじゃねえか。より優れた王に似合う、より優れた国にしてやる。父上が漏らしていた穴を埋めて、完膚なきまでに完璧にしてやるよ)

 

 モードレッドは翡翠の瞳で、眼前の荒野……その向こうにある王都を見る。

 遙か遠くにある王都に憎らしき父上の姿を重ね、モードレッドはその背中に追い縋るべく、馬を蹴り速度を上げた。

 

 

 

 

 



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5話

 それからもモードレッドは、寝食を犠牲に王の執政に没頭した。

 あらゆる課題に真剣に向き合い、短時間で濃密に熟考し、最適な判断を下す。その姿勢には、アーサー王と同じに見えて、彼にはない情熱とひたむきさがあった。

 人間味と置き換えてもいいだろう。その熱意に当てられてか、王に意見を仰ごうという者は日増しに増えていった。

 謁見の時間はぐんと伸びた。グネヴィアの治癒を頼りに寝る間も惜しんで国政に励み、モードレッドは文字通り命を削るように王として君臨した。

 その熱意は、少しずつではあるが、傍に付く臣下の心の琴線を震わせていた。

 あの王も、人並みに苦悩する事があるのだな――そういう冗句が家臣の間で囁かれ、ほっと安堵の吐息を漏らされている事を、モードレッドはまだ知らない。

 偽物の王は、少しずつ『彼女なりの王』になろうとしている。

 

 

 

 そんなささやかな変化を感じさせる、王に成り代わってから二週間が過ぎた頃。

 モードレッドは、生まれて初めて、顔面に生卵をぶつけられる不快な感触を知る事になった。

 

 月に一度の、市中凱旋の日であった。国王が王都内を視察する行事であり、ブリテン王都に住む民が、唯一王の姿を拝む機会でもある。

 王として国民から讃えられ、羨望の目と賛美の歓声を一身に浴びる日である。

 王の政務の、花形と言ってもいいだろう。

 実の所、王に扮して以来、モードレッドはこの行事を心の底から楽しみにしていた。

 

「ふっふ~ん……そっこのけ、そっこのけ、我らが王のお通りだー……ってな」

 

 後から思い返して引いてしまうくらい、モードレッドは浮かれていた。わざわざ自らの手で剣や鎧を磨き、いつも以上に気合いを入れて化粧を施し、凜々しい衣装に身を包んだ。

 それも当然。市中凱旋は、モードレッドが初めて王を目にし、王に憧れを抱いた、思い入れある行事だ。

 今でも覚えている。数年前、未だ幼子だったモードレッドは、モルガンに連れられて、王都を巡る王の一向を見に行った。

 やがて越えるべきもの。いずれ貶めるべき憎き敵……そうモルガンから教えられながらも、幼き彼女の瞳に、王はただただ気高く、凛々しく、格好良く映った。

 それと同時に……あそこから見る景色は、沢山の人から受ける歓声は、一体どれほど心地いいだろうと、幼子らしい夢想に浸ったものだった。

 

「アーサー王! 崇高な我らが王!」

「ああ、相変わらず何てお美しい……」

「万歳! 我らがブリテンに、万歳!」

(う……っひょおおおおおおおお……!)

 

 果たしてモードレッドを待っていたのは、子供の頃に夢見たそのままの景色に、それを彩る想像以上の高揚感であった。

 

 

 国民総出の、大歓待である。

 王都は年明けの例祭も足下に及ばぬ程のお祭り騒ぎであった。凱旋の道程は王をひと目見ようという人でごった返している。その全員が輝くばかりの笑顔を浮かべ、王に、そしてこの国を賛美する言葉を叫んでいる。

 視線を向ければ、民は喜び、感激の涙さえ浮かべて見せる。手を上げて応えれば、歓声が割れんばかりに大きくなって返ってくる。

 ビリビリと肌が震える感覚に、むず痒い崇高の視線。心を揺さぶる賛美の言葉。

 

(うひひっ……くひひひっ)

 

 モードレッドの心は、昂ぶりすぎて昇天寸前だ。

 視線がくすぐったい。歓声が心地よく耳を抜け、背筋をぞわぞわとさせる。全身を愛撫されているようなたまらない快感に、唇が持ち上がるのを止められない。

 

(これだよ、これこれ! こういうのだよ! 王ってのはやっぱりこうでなきゃ!)

 

 気を良くして、手を振って民の歓迎に応えてみせる。それだけで「王が笑った! 微笑みを向けてくれたぞ!」と大騒ぎになるのだから、尚のこと気分がいい。

 

(まったく役得だ。今ばかりは、ケツ向けてさっさと出てったクソ親父に感謝だな)

 

 すっかり有頂天になって市中を練り歩く、そんな夢のような時間の、最中だった。

 笑顔で手を振る民衆の中から、ひゅんと卵が投じられた。

 宙を舞った白い塊は、すっかり浮かれていたモードレッドの顔面に直撃。ぱきゃっと軽い音を立てて、中の粘液を顔面にぶちまけさせた。

 

「わぶっ!?」

 

 歓声の声がさっと引き、どよめきの声に変わる。華々しい行進が、一気に凍り付くような緊張感に包まれる。

 

「なにが万歳だ!」

「死んじまえ、バカ王!」

 

 息を飲み押し黙った群衆、そのどこかから高く澄んだ子供の声が響く。たちまち街路は、王に対する侮辱に慄き、騒然となった。

 傍に控えていた近衛騎士の一人が、大慌てで王の下に駆け寄ってくる。顔をすっぽりと覆う兜越しでも、動揺が透けて見えるようだ。

 

「も、申し訳ありません、我が王よ! お、お、お怪我は……!」

「ある訳ねえだろ……卵一つで騒ぎ過ぎだ」

 

 吐き捨てるように応え、袖で顔を拭う。その声音は、先ほどまでの浮かれた調子から一点、ぞっとするほどに冷え切っていた。

 べっとりと付着した粘つく感触に舌打つ、その唇から刃のような犬歯が覗く。

 

「気色悪い……アレ以上の屈辱はねえと思っていたが……なかなかどうして、苛つくじゃねえか」

「ッた、ただちに賊をひっ捕らえます! とにかく、すぐに換えの服を……!」

「いや。それよりも良いやり方がある。ちょっとツラ貸せ」

 

 王の出で立ちすら忘れ、鎧に身を包んだ騎士の肩を鷲掴みにする。

 刃のように冷徹なモードレッドの翡翠の眼は、ごった返す人混みの中、路地の影に消える小さな人影を確実に捉えていた。

 

 

 

     ◇

 

 王が遠征のルートとして選ぶ街路に、ひっそりと開いた脇道。

 高い建造物に挟まれて影になった、洞窟のようなそこをひた走り、家々を仕切る垣根やデコボコした屋根を猫のように渡り、十数分。

 そこに、ボロボロの教会があった。腐って穴だらけになり、すっかり黒ずんだ骨木を軋ませ、路地の隙間に身を押し込めるようにして、ひっそりと蹲っている。

 何十年も前に役目を終え、取り壊す事すらも忘れられた、今にも崩れ落ちそうなその中で、二人の少年がむっつりと頬を膨らませていた。

 二人組の正面には、彼等の姉と思しき少女が、腕を組み仁王立ちで佇んでいる。

 

「謝りなさい」

「誰にだよ」

「姉ちゃんに悪いことはしてないだろ?」

 

 よほど怒られるのが不満なのか、少女の叱責に食い気味で反論する少年達。悪びれた様子の無い彼等に、少女はますますむっと唇を尖らせ、言った。

 

「約束、したでしょ」

「「……」」

「何があっても、人を傷つける事はしないって、二人ともちゃあんと約束したわよね? それを破った。ましてや私達の王様に。とってもいけない事よ。だから、謝りなさい」

 

 年頃の少女に似つかわしくない気丈な、有無を言わせない口調は、しかし少年たちの蓄え続けた不満を爆発させるように作用した。

 

「意味分かんねえ、何で姉ちゃんがアイツの肩を持つんだよ!」

「姉ちゃんだって知ってるだろ。アイツが最悪だって事ぐらい!」

「皆の苦しさに比べれば、卵の一個ぐらいどうってことないじゃないか!」

「やめて。それとこれとは話が別でしょ」

 

 語気を強めて窘めようとするも、少年たちの怒りは収まる様子を見せない。益々苛烈に、少女に食って掛かる。

 

「俺たちをこんな目に合わせて、アイツはへらへら笑ってる! 苛つかない方がどうかしてるだろ!」

「姉ちゃんだって悔しいだろ!? だから、あの野郎に思い知らせてやるんだ!」

「そうだ! 俺たちに酷い事をした罰として、死刑にしてやる!」

「ちょっと、そのくらいで……」

「ああ、そうだな。罪は等しく罰されなければいけない」

 

 姉弟喧嘩に割って入る、酷薄な声。

 あっと思う間もなく、二人の少年は、首元をむんずと掴まれ、中空に持ち上げられた。

 いつの間にか後ろに迫っていた鎧づくめの近衛兵は、兜越しのくぐもった声で笑う。

 

「国は、規律よって守られているんだからな。例えみずぼらしいガキだろうが、王と法は容赦をしないぞ」

「このっ――」

 

 宙に吊り上げられた状態で、少年は勇敢にも騎士に蹴りを放つ。

 しかし、近衛騎士の鎧の中身は、ほとんどが空洞であった。少年の蹴りで兜はあっけなく宙を舞い、その中の美しき相貌を露わにする。

 結い上げた金髪に、宝石の如き翡翠の瞳。凶暴に犬歯を見せて笑うその顔は、しかしまさしくアーサー王その人に違いなかった。呆然としていた少女がはっと息を飲み、顔面を蒼白にさせる。

 

「ちなみに、王への侮辱は、即刻粛正だ。ブリテンの民なら知ってるよな?」

「な……っぐ、うぅ!?」

 

 瞠目する少年達は、自らの首を絞める腕力に苦しげに呻き声を上げる。宙に浮いた足はじたばたとみっともなく藻掻き、すぐに目尻からは珠のような涙が溢れ出てくる。

 絶句していた少女が弾かれたように飛び出し、王の膝に縋り付いた。

 

「お、王様! お止めください! お願いです、お手をお離しください」

「断る。こいつ等は罪人だ。完璧な国に巣くう溝鼠だ。良き国を保つためにも、放置はできない」

 

 涙を流しながらの懇願も、王は意にも介さない。微動だにしないまま、冷徹な目で少女を睥睨する。

 

「っ……何が、完璧な国だよ……!」

 

 振り絞るような悪態に、王は顔を上げた。少年が目に涙を浮かべ、苦しげに喘ぎながら、燃えるような目で王を見下ろしている。

 

「俺達だって、この国に住んでるんだ。父さんも母さんも、この国に守られていた筈だったんだ……!」

「……」

「それに見向きもしないで、俺達を捨てたのは……お前じゃないか……!」

「……何の事だ」

 

 首を掴んでいた手を離し、王は問いかけた。地面に落ちた彼等を、少女が駆け寄って抱き締める。

 死にものぐるいの勇気だったのだろう。少年達は少女に縋り付き、声を殺して泣きじゃくっている。

 改めて見れば、その歳は十にも満たないようであった。着古した衣服はボロボロで煤だらけ。あちこちに空いた穴からは、垢で茶色くなった肌が覗いている。

 それを抱き締める少女もまた、せいぜいがモードレッドより見た目数歳上というぐらい。同じく古ぼけた服を身に纏い、その身に似合わない疲れ切った顔で、少年達を抱き締めている。

 ふと視線を感じ、王は少女達の奥、古びた教会の中に目を向ける。建物の影になった、薄暗く湿気った空気の中に、黒ずんだ影が塊を作っている。

 幼い子供達が蹲り、怯えきった目で王と、少女を見つめていた。十人はいるかもしれない。いずれも、目の前の少年達より更に幼い。腕に抱かれて寝息を立てる幼児の姿まで見える。

 

「孤児か」

 

 鋭い視線を向けられ、少女は一度びくりと身を震わせる。何度か喉を喘がせ、それからようよう言葉を絞り出す。

 

「ッ……はい。行く当てもない子供が集まり、ここで雨風を凌いでいます」

「親はどうした、どこで何をしている」

「死にました。この子達の父親は皆、王城に勤める兵士でした。戦で命を落とし、帰らぬ人に……」

「そうか。しかし母親は? 殉死した者の遺族には、その後を保証する恩賞を与えていた筈だ。なぜここで浮浪者となっている」

 

 王が追求したそれこそが、彼女の心の傷を抉る言葉であった。少女は堪えられなかった涙を頬に伝わせ、少年達をぎゅっと抱き締める。

 

「恩賞は、確かにありました……けれど、仕事を得られない女子供が生きていくには余りに少なく……母親は、自らが生きる為に、この子達を不要なものだと切り捨てました」

「……お前も、そうなのか?」

「十二の時でした。街路の隙間には、人は寄りつきません、赤子だって構わず捨てられます。誰も見向きもしません。子供が捨てられようが、死んでいようが……」

 

 そこで少女は言葉を句切り、王を見上げてきた。か弱く不安げで、それでも何人もの子供を抱えて必死に生きている、責任を抱いた目であった。

 その目が、直接言葉にせずとも、王に問いかけていた。

 この国は本当に完璧かと。私達の惨状を見て尚、民の褒めそやす言葉を聞いて悦に浸るのかと。

 

「そうか……親に、捨てられたのか」

 

 苦虫を噛み潰すような感覚に、猛烈な吐き気が込み上げてくる。

 つい数週間前。モードレッドもまた、親子の繋がりを否定されたばかりだった。否応なしに、目の前の子供達に、自分の姿を重ねてしまう。

 モードレッドは知っている。親から見放される事は、自分の存在そのものを否定されたような、奈落に落ちるが如き絶望なのだ。

 モードレッドは怒りで以てその絶望から這いだし、力と才能で復讐しようとしている。

 彼等はどうだろう。少女の胸に蹲っていた少年は、今は顔を上げ、泣き腫らした目で王を睨み付けている。

 

「……お前のせいだ」

「父さんは格好良かった。母さんも優しかった。それなのに、父さんは戦いから帰ってこなかった。それで母さんもおかしくなっちゃった」

「戦いさえなければ……お前が父さんを、殺したりしなければ……!」

「やめて。この人は悪くない。誰も、悪くないんだから……」

 

 怒りはある。王に牙を剥くだけの、悲痛な怒りが。

 しかしそれをぶつけるだけの力も、才能もない。

 親に見放された赤ん坊は、他の獣の餌食となるか、腐り果て土に還るかしかない。どうしていいか分からないまま、ただ泣き、身を寄せ、深い哀しみに打ちひしがれて、死ぬだけだ。

 その残酷な事実は、ブリテンにおいては決して珍しい事ではないのだろう。子供達の人数や口ぶりからしても、それは明らかだ。

 こんなにも沢山の子供が、親に見捨てられている。

 もし、運命がほんの少し違っていれば。モードレッドもまた、何もできずただ泣いて自分の運命を終えていたのかもしれない。この少年達のように、寄る辺を失い、絶望にくれて……。

 

「……ふざけるな」

 

 自然と、そう口に出していた。少年達が幻聴かと顔を上げる。

 込み上げてくる怒りに、モードレッドはギリと歯を鳴らした。

 認めてはいけない。自分が受けたような屈辱が、怒りが、ありふれたものであることなど。無慈悲な侮蔑に、ただ泣きじゃくって塞ぎ込む以外に無いなど、許されて溜まるものか。

 

「負けたままでいるな。屈辱を受けたまま諦めようとするな。怒りがあるなら、憎いと思うのなら……牙を剥いて立ち上がれ。魂を燃やし、憎き者を焼き尽くせ」

「どうやって、だよ」

「何をやってもだ。思いつく限り食らい付け。剣でも鍬でも構わない。手に持ち、振るえ。虐げられたままの現状を良しとするな」

「そんな事、言われても……」

「加えて言ってやる。お前達が憎むべきは、お前を捨てた母親と、反抗すらできなかった自分の弱さだ。立ち上がる強さを得ろ。怒りを力に変えろ。その力の前には、国も、国王すらも、ただの道具で手段に過ぎない」

 

 まさしく自分が、国王という立場を利用して父上を見返そうとしているように。怒りは不可能を可能にし、常理も飛び越え、限界の壁を越えさせる力がある。

 他でもない国王自身が、自らを『道具』と表現した事に、少年少女は目を丸くする。王はしゃがみ込んで彼等と目線を合わせると、涙で揺れる少年達の目を、それぞれしっかりと覗き込んだ。

 

「名前は何という」

「……レジー」

「アール」

「よし。レジー、アール。もしもお前達が強くなりたくて、剣を手に取りたいと思ったら。遠慮は要らない、王城の門を叩け。門番には、王直々の命だと伝えろ。私からも取り持ってやる」

 

 少年達はまだ、何を言われているか分からず、呆然と王を見上げていた。

 少年達は孤児だ。王への侮辱を働いた、生産性すらない、国を汚すだけの埃だ。掃いて捨てるのが当然の処置で、王が行う当然の事の筈だった。

 呆然とした少年達に代わって、少女が王に問う。

 

「私達を、罰さないのですか?」

「将来への投資だ。熱した鉄ほど硬くなるように、苦しみを知るほど、強い人間に育つ……お前達にも、現状に抗うだけの手段を用意してやろう。どう使うかは貴様次第だがな」

「……どうして、そこまで?」

 

 不可解としか思えない、身に余る庇護に、思わず答えを求めてしまう。

 王はついと顔を上げた。

 古びた教会の、崩れ落ちた屋根から覗く空、その更に遠くを見つめるように目を細める。

 

「……どうにもできないという苦しさを、人より知っているだけさ」

 

 独り言のように呟くその言葉は、余りに寂しげで、遺言のように重たく少女の心を響かせた。

 

 

 

 



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6話

「王よ、一体何をお考えなのですか!?」

 

 市中凱旋から数日後、王城キャメロットの謁見の間に、泡を食ったような叫び声が響き渡った。

 声を張ったのは、資源管理を担う事務官の一人である。彼は膝を着き手にした一枚の羊皮紙を、王宮に並び立つ全員に見えるように翳して見せた。

 勅命書と題されたそこには、王による血印が押されている。内容は、現在空き地となっている王都の一画の、施工指令である。

 王より唐突に告げられたその内容に、誰もが怪訝に眉を潜めていた。謁見の間に並び立つ騎士団は、皆王座に座る王に、訝しむような不審の目を向けている。彼等の意見を代弁するべく、事務官は口火を切る。

 

「王都の工事計画を勝手に乱されては困ります。あの空き地は、ルドレ司祭が新たな教会を建設するとして仮押さえをしていた場所です!」

「そうか? 返してくれと頼んだら、すんなりと承諾してくれたぞ」

「……お、王自ら行かれたので?」

「ああ。強引な願いであったからな。ちゃんと丁寧にお願いさせてもらった」

 

 ここで言う丁寧とは、もちろん鎧をまとい帯剣した戦装束の事である。

 王による恫喝が行われたとは知らない事務官は、狼狽えながらも、更に王を問い詰める。

 

「そ、それで新たに建築するのが……製粉場? こんな物をいきなり作って、誰が従事するというのですか」

「親の無い子供だ。どうせ野垂れ死ぬのであれば、せめて粉ひきにでも活用してやったほうがいいだろう」

「その為に、特注の製粉機までお作りになられるのですか? それに、麦は? 粉を挽く麦はどうされるのです。王も既にご存じの筈。我が国には、悪戯に振りまくほどの備蓄は――」

「あるだろう。我が王城に、それこそ山のように」

 

 王の指摘に、謁見の間はにわかにざわめいた。誰もがぎょっと目を丸くし、王を見据える。あんぐりと開いた口は、言葉は無くとも「とうとう気が触れたか」という内心を良く現していた。

 

「わ、我々騎士団の食料を、民に振りまくというのですか?」

「そうだ。元より民が育てた作物だ。彼等が必要な分を喰う権利は、当然にしてあるべきであろう」

 

 動揺は、次第に大きな溜息へと移っていった。居並ぶ騎士の表情には、失笑と、王に対する失望に緩んでいる。

 事務官はやれやれと言わんばかりに、頭に手を乗せ首を振った。その嘲笑するような仕草に、王が表情を崩さないまま、拳を割れんばかりに握り締める。

 

「騎士団の重要性をお忘れですか。国には未だ賊が現れます。諸外国が付け入る隙を伺い、牙を研いでおります。剣を持つ力が緩めば、立ちどころに国が瓦解しますぞ」

「賊の正体は、国に不満を抱いた民達だ。反乱の芽を摘んだ所で、土が治らねば直ぐに新しい反乱が産まれる。放置しておけば、諸外国を待たずとも国は内側から瓦解するだろう」

「ッ……お気を確かになさってください。貴方は我々を導く存在。いつものように迷い無く采配を振るっていただかなければ、我々は――」

「う――るッせえんだよ!! ケツに付くしか能のねえヒヨコどもが!」

 

 肘掛けを殴りつける凄まじい音が、謁見の間に木霊した。

 しいん、と、恐ろしい静寂がキャメロットを包む。誰もが、自分に浴びせられた罵声を、信じることができずにいた。

 思考も魂も凍り付いた彼等を、王は煮え滾る激情を瞳に宿し、一人一人睨み付ける。

 

「おめでたい野郎共だな。王城に居座り、その濁りきった白痴な目で、この国の何を見ている? どこが完璧な国だと言うか?」

「お、王……?」

「もし、一人……国を憎み、国王を憎む人間が一人、命を賭して復讐しようと決めたなら……この国は崩れ落ちるぞ。民は容易く、不満を剣として、その切っ先を王に向けるだろう」

 

 もし、あの時。敬愛する父上に、息子では無いと一蹴された絶望の最中、王への復讐を誓っていれば。

 モードレッドは自らの怒りで、民衆に充満していた不満を誘爆させるだろう。

 苦しんでいた民は鍬を武器として手に取るだろう。やるせなさに嘆いていた兵士は、叛逆の狼煙を上げるだろう。苦しみは怒りとなって、力となって、誰よりも憎しみを滾らせるモードレッドの下へと集うはずだ。

 王を絶対視し自らの意見を持たない空っぽの臣下達に、暴徒化した民衆を止める術はない。そればかりか『実は前から不満だった』と掌を返す背信者が、この城にどれだけいるか知れない。

 

 あの時、復讐として暴力を選んだなら。

 モードレッドは民の怒りを率い、五日で王座を簒奪する自信があった。

 

 

 完璧な王? 完璧な国? とんでもない。

 民は飢えている。生活の為に捨てられる子供がいる。苦しむ彼等を見て見ぬ振りをして、王は完璧な存在を気取っている。

 

「ッだいたい! マトモな精神してたら、部下の浮気を根に持って国を留守にするかよ普通!? ランスロットのクズ野郎一人のために、何を大隊率いてスタコラ遠征してんだ!? そういうのはブチ切れガウェインを一匹けしかけてゴリラ両成敗させときゃ良いんだよボケが!!」

「お、王!? お気を、お気を確かに!」

「こっちはテメエ等よりよっぽど正気だ! ……やっと目が覚めた。盲信していた今までの自分が馬鹿すぎて呆れてくるぜ!」

 

 王の魂は烈火の如く燃えていた。血液が沸騰したように煮えたぎり、小さな身体の中を暴れるように駆け巡っている。

 苛立ちに肘掛けを再度殴りつけ、立ち上がる。

 その途端、いきなり訪れた目眩に、王はよろめいた。

 倒れるようにして王座にもたれかかり、腰に下げていた剣が激しく打ち鳴らされる。

 人が変わったかのような罵詈雑言に凍り付いていた謁見の間が、再びざわめき立つ。

 

「だ、大丈夫ですか、我が王よ」

「ッただの立ちくらみだ、何でもねえよ」

 

 危うい調子に目元を抑えながら、王は近づこうとする家臣を手で制した。

 重い頭痛を堪えるように顔を手で覆ったまま、王は家臣達に背中を向け、覚束ない足取りで謁見の間を後にする。

 その去り際に、王は一度だけ振り返った。呆けたまま動かない家臣達をドブネズミのように睥睨し、吐き捨てる。

 

「……テメエ等も、この国に何が必要か、自分の頭で考えてみろ。陰口叩く暇があるんなら、直接オレに文句を言え。有効な案であれば、宝物庫にあるもんを何かくれてやる」

「は……は?」

「とにかく、今日は終わりだ……少し、疲れた」

 

 呆然とする家臣達を放置し、王は青いマントを危うげにはためかせ、フラフラと覚束ない足取りで、謁見の間を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の目が無くなると、それまで堪えていた虚脱感が、悪夢のようにモードレッドを襲った。視界が回り、思わず壁に寄りかかる。

 

「っ……」

 

 底なし沼に掴まったように身体が重い。心臓の鼓動がやけに大きく感じ、その痛みに胸を押さえて身体を折る。

 血液が一気に粘度を上げたかのよう。酸素が十分に巡らず、脳が苦しげに悶えている。

 それは病に似て、確実に異なる苦しみだった。

 以前から少しずつ感じていたその兆候は、今や迫り来る気配が足音になって聞こえる程に、その存在を強めてきている。

 

「何を参ってんだ……この程度じゃねえだろ、オレ」

 

 歯噛みし、そう鼓舞するも、苦しみは遠のかない。

 ばく、ばくと心臓が鳴る。一発ごとに、胸を内側から叩かれているようだ。

 壁に着けていた手が腕に変わり、とうとう王は、王城の廊下に身体を凭れかけさせる。

 日が落ちかけた廊下に、人の気配は無い。夕暮れは次第に藍色の夜に支配を明け渡し、王城の楼閣に薄暗い闇を生んでいる。

 その闇が、唐突にぬるりと蠢いた。陰が一層黒を濃くし、渦巻くそれが次第に形を成して、おぞましい気配を纏い始める。

 闇の中、黒いソレはうっすらと人の形を取り、苦悶する背中を指さした。

 

「何をしているの、モードレッド。その格好はどういうつもり?」

「……久しぶりじゃねえか、母上。似合ってるだろ? 子供っぽくごっこ遊びをやってんだ」

 

 脂汗を滲ませながら、モードレッドは不敵に笑う。闇夜から響く魔女の声は、随分と苛立っているようだった。

 

「全く笑えないわ……あなたの役割を忘れたの? 私は、そんなふざけた格好を見るためにあなたを作った訳じゃないのよ」

「そりゃそうだ。役割も何も、今の今まで、お前の事なんて忘れていたんだからな」

 

 鼻を鳴らして、魔女の苛立ちを一笑に伏す。

 作った……産んだでも、育てたでもなく。

 その言葉の一節が脳内で蛇のように纏わり付き、酷く恨めしい気持ちが這い上がってくる。その内心を知ってか、魔女は嘲笑うような声を上げた。

 

「なんて無様で、滑稽なの。王にあれだけの侮辱を受けながら、みっともなく縋り付こうとするなんて。残り僅かな寿命でやることが、王様ごっこ? 全く呆れた! 紛い物とは言え王の血。それがまさかここまで馬鹿だったなんて!」

「っ……」

「力ばかりの低脳のくせに、私の思い通りにもならない! あなたを作る為に、どれだけの準備が必要だったと思うの? 吐き気がするような教育にも必死に耐えてきたのに、こんな形で不意にされるとはね!」

 

 烈火の如き怒りに、心臓が更に激しく高鳴り、痛みになってモードレッドを襲う。

 ギリを歯を食いしばってその苦悶を噛み殺して、モードレッドは闇の中に漂う魔女を睨む。

 

「っ……確かに、王は憎いさ。オレの願いを歯牙にもかけず、直視しようとさえしなかった」

 

 喘ぐ呼吸を自覚しながら、モードレッドは凭れる壁から身体を引き剥がす。ようよう自らの足で地面を押し、醜悪な気配を放つ闇に正面から対峙する。

 

「だが、王はオレの剣は認めてくれたぞ。オレの力を評価し、円卓の座を与えてくれた」

「思い上がるな。私が、王の血を持って、あなたをそうやって育てたからよ」

「オレの力だ! オレの剣だ! 王は騎士としてならオレを見てくれた! 少なくとも、道具として扱うテメエよか余程上等だ!」

 

 モードレッドは腰のクラレントを引き抜き、闇の中に翳した。闇から向けられる侮蔑の眼差しに、獣の如き眼光を返す。

 

「オレは王に憧れた、その魂はオレだけのものだ! オレの剣は王に捧げた、その志だけは本物だ!」

「何を馬鹿な事を。その魂は、私が作った偽物ではないか。その志は、他でもない王に裏切られたばかりじゃないか」

「みっともないと笑うがいいさ。子供っぽいと罵倒すればいいさ。オレは最後まで王に憧れ、王が治めるこの国を愛すと誓ったんだ!」

 

 魔女とはいえ母親に向けて、そう毅然と言い放つ。

 モードレッドは自らを、子供のようと自虐する。父に依存する、情けない騎士だと自嘲する。

 その心は、果たしてどれほどに尊く、輝かしい物か。

 彼女は知らない。癇癪を起こした子供は、組み立てた積み木を壊してしまうものなのだと。

 崩すよりも愛す方が、よほど難しく気高いものだという事に、モードレッドは気付いていない。

 それこそが清らかな魂だと気付かせてくれる人は、彼女の周りには誰もいなかった。

 

「……愚鈍で、哀れで、誰の期待にも応えられない愚図の泥人形が……!」

 

 闇の中から悪辣な言葉を並び立て、魔女はモードレッドを指さした。これ以上なく彼女を傷つける、母からの怒りと侮蔑をこれでもかと籠めて。

 

「その生き方が美しいと思っているのか? 全く愚かしい! 貴様ももう分かっていよう。邪法によって作られた偽物の命は、もう残り僅かだ! 何も成さず、何者にもなれずに散るか! 恥知らずの愚息が!」

「……」

 

 魔女の怨嗟の声は、ただの音でありながら呪いのようにモードレッドの心を痛めつけた。心臓がまた痛みを訴え、彼女を苦しみで苛ませる。

 

「見下げ果てたぞ。もう知らん。貴様は孤独だ。王から裏切られ、母たる私からは見捨てられ、独りでべそを掻きながら死ね! せっかく私が授けた命を、無為に棒に振るがいい!」

 

 最後にそう吐き捨てて、闇は形を崩し、敵意は文字通りに霧散した。後には、暮れゆく夕日に陰を落とす、寂しげな空気だけが漂う。

 一人取り残されて、モードレッドはぎゅっと唇を噛みしめた。

 爪が食い込むほどに拳を握りしめ、叫びたくなる感情を必死に押さえ込む。

 

「大丈夫……大丈夫だ、大丈夫……」

 

 何度も何度も、そう呟く。涙を流す事は、憎き魔女への屈服を意味していたから。

 ただ一人、胸の内の哀しみを、必死に押し殺す。 

 

「オレは正しい。正しい事をしているんだ……きっと分かってくれる。いつかきっと……」

 

 今にも崩れ落ちそうなか細い呟きは、誰もいない楼閣に冷たく響き、誰にも聞かれないままに搔き消える。

 

 

 

 必死に脈打つ心臓の鼓動が、今はただただ、恐ろしかった。

 



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7話

 

 王が遠征に旅立ってから、二ヶ月が過ぎた。

 

 ブリテンの民は皆、アーサー王がモードレッドの変装であることを、まだ見抜いてはいない。

 長い時期を王として過ごし、モードレッドの所作はいよいよ本物の王と遜色ない程に洗練されつつあった。

 時折、緊張のネジが緩んでしまい、本来の調子に声を荒げて怒ってしまう事もあったが……それがむしろ、王が垣間見せた人間味のある部分として見られ、好意的に受け止められさえしている。

 民と接する機会も何度もこなした。最早この都に、王の正体を疑う者は誰一人としていないと思えた。モードレッドのすり替わりは、いよいよ盤石なものになろうとしていた。

 

 その一方、当のアーサー王は、まだ戻る兆しを見せていない。

 当然ながら、ランスロットの討伐のための遠征に関する情報は、届いていない。

 フランスへと逃亡したランスロットとの戦いは、果たしてどれほどの規模へ発展しているのか。

 長引いているのに間違いはないだろうが……もう、二ヶ月である。

 

 アーサー王は、明日にでも戻ってくるかもしれない。

 その事実が。無慈悲に刻々と過ぎてゆく一日一日が、モードレッドの神経をすり減らしていた。

 王の寝室で、モードレッドは今日も外出用の装備を身につけた。ベッドの上で、グネヴィアが心配そうな目を向けている。

 

「今日も出てくる。留守の内に父上が戻ってきたら、上手い具合に伝えてくれ」

「モーちゃん……今日はお休みしたらどう? 私の力でも、疲れを抜き切れていないわ」

 

 グネヴィアの言うとおり、モードレッドの顔はいよいよやつれ、目の下は掠れて酷い隈を作っていた。血の気の薄くなった肌は、白粉を塗って強引に覆い隠している。

 七日連続の、遠出である。目的はブリテン国土のあちこちに赴き、民の声を聞くことだ。命を脅かす驚異はないか、不安はないか……そういう声に耳を傾け、できうる限りの対策を抗す。領土を広げる事に執心していたアーサー王が後手に回していたものを、モードレッドが一身に引き受けている。

 

「声を聞くのだって、騎士さんを派遣すればいいじゃない。何もモーちゃんが行くことは……」

「馬鹿が。オレが行くことに意味があるんだ。父上に納得させる為にも、良き王だという証拠が要る。テメエ等に手を差し伸べたのは王だと、王が命を救ったんだと、そう思って貰わなきゃいけないんだよ……それに」

 

 そこで言葉を区切り、王は自嘲気味に唇を持ち上げた。我ながら似合わない、そう自覚して作る気恥ずかしげな微笑みだった。

 

「オレが蒔いた種だ。オレがやると決めた、オレだけの王政だ。せめてそれだけは、最後までやりきりたいんだよ」

「モーちゃん……」

「何、この偽りの王政も、そう長くない。その間に、残したいんだ……何か、一つでもさ」

 

 笑って呟いた。その一言に、グネヴィアは沈黙する。

 自嘲気味なそれは、蜂蜜のようにまろやかで淡く、それでいて霞みのように儚く透き通っていて。

 そのまま色彩を失い、消えてしまうのでは無いかとすら思えてしまう。

 溶けかけの砂糖菓子のような危うい美しさ。グネヴィアがそれに絶句する間に、モードレッドはさっさとマントを纏い、王として寝室を飛び出してしまった。

 終わりの時間は、刻々と迫っている。モードレッドの野望はまだ果たされず、失われたアイデンティティは心を渇かし、彼女を苦しめている。

 止め処ない渇望を止められないまま、モードレッドは足掻き続ける。

 

 

 

 彼女の情熱は、確かにブリテンを変えつつあった。

 

「――本当に、フランス遠征から引き返されてから、王は変わられた。あちこちを駆け回り、随分と野心的であられる」

「それに加え、こちらの声もよく聞かれるようになった。このブリテンで、まだ高みを目指すべく模索しようとお考えとは……何だか、こちらの心まで昂ぶるようだ」

「ワシは昔から王を見てきたが……今の王は、王位に就きたての少年だった頃のようだ。ひたむきで、誰に対しても誠実で……人の心を取り戻したかのようじゃ」

 

 グネヴィアは知っている。王城に勤める家臣達が、そのように王を褒めそやしていることを。

 

 

 

 

「――はいはーい、本日焼きたてのパンだよ! ちょい焦げなのはご愛敬ねー!」

「……パンというより、ビスケットじゃねえか、これは……ま、子供だけで切り盛りしてるんだ。このぐらいがかわいげあって良いか」

「盛況だねえ、そりゃそうか。皆活き活き働いてるもんだから、買いに来てるアタシまで元気を貰っているみたいだよ」

「聞けば、あの王もわざわざ召し上がられているらしいじゃないか。孤児の物盗りも減ってるそうだし……孤児の食い扶持と治安改善を一括りに片しちまう。王様の考える事は違うわなぁ」

 

 グネヴィアは知らないが、家臣達は知っている。王都に住まう民が、そんな風な世間話をして、笑顔を作る機会を増やしていることを。

 民から兵へ、兵から民へ。

 今まで神が如き孤高の存在として君臨していた王は、時に心強い指導者のように、時に気を許した隣人のように、親しみを込めて語られるようになっていた。

 

 

 

 

 

 それから更に数日経った、ある日。

 王城の敷地内にある中庭に、硬い木をぶつける目覚ましい音が響く。

 柔かな芝生の上で、王は木刀を握り、快活な笑顔を浮かべていた。

 

「オラオラ、もっと腰入れろ! そんな剣じゃあネズミ一匹でも斬れねえぞ!」

「っ……や、やぁー!」

「とぉぉぉ、りゃあ!」

 

 荒々しくも調子のいい王の声に、張りのある幼い掛け声が呼応し、手にした小振りの木刀を振り被る。

 王に合い見えるのは、つい数週間前まで孤児だった、レジーとアールその子である。古教会にて王と邂逅した彼等は、未来の騎士となるべく、早速キャメロットの門戸を叩いていた。

 二人は現在、孤児たちの製粉場で働きながら、度々王城に入り、騎士に交じって鍛錬にいそしんでいる。

 

 王が『鬱憤晴らし』と称して未来の騎士候補と剣を交えるのは、これで二回目だ。王は心の底から楽しそうに身を躍らせ、必死に食いつく幼い剣を翻弄する。

 

「息が上がってるぜ? 腕が上がらねえか? ――そら、そこだ!」

「うわっ!?」

 

 『鍔迫り合いごっこ』をしていたモードレッドは、掛け声一つ。脚を蹴り上げ、少年たちの手から木刀を吹き飛ばしてしまった。子供たちの素っ頓狂な声が響き、抜けるような快晴を木刀が舞う。

 疲れ果て芝生にどっさりと倒れ伏した少年たちは、不敵に笑う王に不満げな目を向けた。

 

「ず、ずるいぞ! いきなり蹴りとか、卑怯じゃねえか!」

「卑怯で結構! 勝てば官軍! 戦場ではどんな手段でも取って良し。勝った奴がいちばん偉いんだ」

「で、でも、格好悪いじゃないか、そんなの」

「そうか? 正々堂々気取って命を落とすより、一つでも武勲を上げて無事に帰ってくる方が、ずっと立派じゃないか」

 

 呵呵と笑って、モードレッドは少年達に向けて木刀を放った。鍛錬に疲れ果てた少年達は、まともに腕も上げられず、木刀と一緒に後ろにすっ転んでしまう。

 その様子にまた破顔し、モードレッドもまた、柔らかな芝生の上に寝転んだ。

 

「けれど、威勢が良くて結構結構。この調子で励めば、いずれ立派な騎士になれるだろうさ」

「本当!?」

「じゃ、じゃあ……俺達もなれるかな? 王様と一緒に戦う、円卓の騎士様に!」

「ああ、なれるさ……戦う勇気と、長く生きる根性さえあればな」

 

 王がそう言うと、少年達はぱぁっと笑顔の花を咲かせる。

 つい一月ほど前、王都の影で野垂れ死ぬしかなかった彼等は、今は晴れやかな未来を夢見て、瞳を輝かせる事ができる。

 感慨深い思いで、王は呼吸を一つ。少年達に向けてしっしと手を振る。

 

「ホラ、分かったら鍛錬に戻れ。騎士への道は険しいぞ。休んでる暇はねえからな!」

「はーい!」

「ありがとう、王様!」

 

 少年達はもう回復したようで、木刀を手に、勇んで騎士の修練場に走り去っていく。

 

「……ったく、元気なもんだ」

 

 自分も昔、王に見惚れ、あんな風に剣を手にしたことがあったな……と、感慨深げに嘆息し、顔を上げる。

 雲一つない、快晴である。太陽は高く温かで、風は涼しい。まるでヴェールに包み込まれるような心地よさだ。

 若い色の芝生は、陽光を受けて黄金色にそよいでいる。時間がゆっくり流れるような空気は、まるで平和を体現しているようでもあった。

 

「うふふ。モーちゃん、とってもご機嫌だったわね?」

 

 甘く軽やかな声が、頭上から振ってくる。顔を空から下ろせば、足下にグネヴィアが立ち、微笑みを向けていた。

 

「子供をあやすのが上手なんて知らなかったわ。誰から習ったの?」

「子供じゃねえよ、未来の騎士候補だ。年相応のシゴキをしてやっただけさ……オレも、たまには身体を動かさねえとだし」

「ほんと、元気いっぱいねえ。あの子達もそう……最近は、キャメロット全部が活気づいているみたい」

「そうか?」

「そうよ。みんなとっても明るく、一生懸命に毎日を過ごしているわ。モーちゃんが王様に取って代わってから、ね」

「……そうか」

 

 褒めそやすグネヴィアの言葉に、曖昧に頷いてみせる。

 きっと、正面から褒められた事なんて殆ど無かったのだろう。呟いた声音は、自分の功績を噛みしめるようではあるが、気恥ずかしさを隠すように仏頂面を作っている。けれど、引き結んだ口の端がうずうずと緩んでいて、嬉しがっている内心が見え見えだ。

 グネヴィアはその全部を柔らかな微笑みで受け止めて、ぽむと手を叩いて話を切り替えた。

 

「そうだった。お茶の時間だから、呼びに来たのよ。今日は子供達が作ってくれたスコーンですって」

「ああ……あのガキ共の料理の腕も、ちょっとは上達してるんだろうな」

「うふふ、楽しみねえ。けれど、お城に入る前に、服に付いた草はちゃんと払ってね。立てる?」

「いや、立てねえ。悪いが、手を貸してくれるか?」

 

 何でもない事のように、モードレッドは言った。

 グネヴィアの表情がさっと凍り付く。

 彼女を見上げるモードレッドの顔は、朗らかな陽光に照らされ、まるで透き通るように淡く光り輝いている。

 

「ガキ共の相手にくたびれちまってな。身体に、思うように力が入らねえんだ」

「……モーちゃん」

「ったく、暫く剣を振るってねえのに、無茶しすぎたな。こんな所を父上に見られたら勘当モンだ。ははっ」

 

 絶句するグネヴィアと対照的に、モードレッドはあっけらかんと笑ってみせる。

 自分の身に起きている事が何なのか、彼女が一番知っている筈なのに。

 グネヴィアは何度も言葉を探して唇を震わせ、けれどもその全部が声にならず……。

 その葛藤の果てに、いつものようににっこりと、温かい微笑みを浮かべてみせた。

 

「それじゃあ、私もひなたぼっこしちゃおうかなー」

「なんだよ、情緒不安定か? 茶はどうしたんだよ」

「だってぇ、モーちゃんがとっても気持ちよさそうなんだもん。お茶とスコーンは、後でここに持ってきてもらいましょ」

 

 歌うようにそう言って、グネヴィアは自然な仕草でモードレッドの頭を持ち上げ、自分の膝の上に乗せた。

 モードレッドの顔に、むっと不機嫌な皺が寄る。けれど払いのけるための腕は、芝生の上にだらんと放り出されたまま、動こうとはしない。

 その放り出された両腕を、グネヴィアが持ち上げて、腹の辺りで組ませた。陽光が当たって眩しそうな目を、雪のように白い両手で、そっと覆う。

 すぅ、とモードレッドの胸が膨らむ。深く呼吸して、不承不承といった調子に呟く。

 

「……サンキュー、グネヴィア。いい心地だ」

「ふふっ。素直にお礼が言えるなんて、あなた本当にあのモーちゃん?」

「うっせ」

 

 柔らかな芝生に、温かな日差し、全てを包み込むようなグネヴィアの寵愛。微睡みのような心地よさに、悪態も思うように出てこない。

 モードレッドの両目を覆った手から、確かに流れる血潮と、心臓の鼓動を感じる。

 互いの魂が、触れ合った肌から伝わる。

 心地良さに浸りながら、モードレッドは聞いた。

 

「グネヴィア……あと、どのくらいだ?」

「二週間。長く保って、ね」

「そうか……思ったより、ずっと短えな」

 

 期限を宣告されても、モードレッドはつまらなそうに鼻を鳴らすだけだった。

 その無関心が耐えがたく、グネヴィアはぐっと表情を強ばらせる。

 

「……モーちゃんは、平気なの?」

「長く生きたいと思ったことは無い。これ以上生きる事に、意味を見出した事もない」

「酷すぎるわ、こんなの。貴方の寿命は、明らかに意図的に設定されたものよ。ホムンクルスだとしても、もっと生きれるはず。生きなきゃいけないはず……!」

「ホント……悪趣味だよなあ、オレの毒親はよ」

 

 モードレッドは、どこまでも他人事だった。散りゆく自分の命に、微塵も興味を見出していないようだった。

 

 グネヴィアが溢した涙が、ぽたりと一粒、モードレッドの頬に落ちた。

 その感触に、モードレッドの小さな唇がふっと綻ぶ。

 

「やっぱ、お前は駄目な浮気性だよ……王への反逆者の為に涙を流してどうすんだ」

「当たり前じゃない。貴方はいい子よ。誰よりも立派で頑張り屋な、私の息子よ……!」

 

一度あふれ出した感情は止められず、呟いた言葉が、その感情の核心を射る。

 彼女を愛したい。心を支え、拠り所となりたい。その愛情に、産まれた環境や境遇など毛ほども考慮する必要は無い。

 この娘は、悪しき魔女の奸計の、道具として産み落とされた。忌まわしく醜悪な宿命と、余りに短い命を運命づけられて。酷い親だと罵って何が悪いというのか。取って代わりたいと想って何が悪い。

 こんなにひたむきで努力家で、命の重みを知る子を、救いたいと想って何が悪い。

 感情が後から後から噴き出して、涙となってモードレッドの頬に落ちる。

 熱すぎる程の涙に顔を濡らし、モードレッドは笑う。

 

「オレ、さ。ずっと王に憧れてたんだ。初めて見た時、王は凜々しくて、気高くて、まるで光り輝く星のようだった」

「……」

「完璧だと思った。ほんとうに、神様みたいだと思ったよ……そんな完璧な奴が王な国も、やっぱり完璧なんだって、そう信じていた」

 

 馬鹿だよな、と自嘲気味に呟いて、瞳に被さるグネヴィアの手に、自分の手を重ねる。

 

「王になってみて分かった。アイツは、全然だったよ。穢れなく綺麗に見えたのは、臭い物に蓋をしていたからだ。完璧に見えて、その実何もしちゃいなかったんだ。民の不満も拭えねえ、騎士の一人も御せねえ、全く以て完璧なんかじゃねえ」

「そう、ね。そうかもしれない、わね」

 

 嗚咽を堪え、グネヴィアがこくこくと頷いてみせる。

 瞳を覆う手を、ぎゅっと握り込む。

 未だ満足に動かない、弱々しく震える手で。縋るように。

 

「なあ、グネヴィア。完璧じゃない王ならば、間違える事も、あるのかな。非を認めて、謝る事もあるのかな」

「……私も、謝られたことがあるわよ。素っ気なくてごめんって」

「じゃあ……遠征から帰ってきて、王座に座るオレを見て……奴は、自分が間違ってたって、言ってくれるかな。息子だと、認めてくれるかな……」

「ええ、もちろんよ」

「そっか……そっか」

 

 グネヴィアの肯定を、何度も何度も脳裏で反芻して、噛みしめる。

 

 

 

 十年と僅かの、余りに短い人生である。

 産まれる前から与えられた、不遇の運命である。

 看取る人間は、誰もいない。

 誰にも嘆かれず。惜しまれず。ひっそりと潰える、紛い物の命である。

 夢も、希望も、たった一つだけしか持てなかった。

 父上だけが、自分の目標だった。

 産まれてからずっと、立派な王が憧れだったのだ。

 

「父上……早く、帰ってきてくれないかな……」

 

 心の底から、そう願う。

 夢見る少女のように淡く、儚く。苦手な物を我慢して食べた幼子のように、健気に、美しく。

 見せびらかしてやりたい。思う存分自慢したい。

 

 

 どうせ偽物の魂なんだ。

 本来産まれる筈のない、貴方の息子だったんだ。

 今更命は惜しくない。死なんて恐くも何ともない。

 ただ、「良くやった」と、短く褒めてくれれば。

 それだけで自分は、いつ死んだって構わないのだ。

 

 

 だから……だから……帰ってきて。

 頑張ったオレを、褒めてくれ。

 

 

「頼むよ……父上……」

 

 

 

 最後にそう懇願して、モードレッドはいつの間にか訪れていた微睡みに、ゆっくりと意識を沈み込ませた。掌で覆われた目元から、雫が一筋溢れ落ち、頬に線を引く。

 それを親指で拭って、グネヴィアはそっと、モードレッドの額に口づけをした。陶磁器のように艶やかで、今にも壊れそうに脆い器に、溢れんばかりの愛情を注ぐ。

 

「おやすみ、愛しい我が子。今この時だけは、私はあなただけに惜しみない愛を捧げるわ」

 

 また、ぽたりと涙が落ちる。止め処なく、後から後から。

 

「だから、頑張ろうね……きっと、もうすぐ。もうすぐ、あの人は帰ってくるから……」

 

 グネヴィアが落とした涙は、眠りに落ちた王の頬、そこに厚く塗られた白粉を溶かし、土気色の乾いた肌を曝け出していた。 

 



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8話

 

 

 

それから、三週間が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鎧を身に纏った騎士の一行が、荒野に行列を作っている。乾いた空気に、蹄の音と鎧の擦れる耳障りな雑音が重なって虚しく響く。

 酷く憔悴した、疲れ切った行進だった。誰もが鬱屈と顔を俯かせ、一言も発さない。一人の例外なく鎧には無数の傷を帯わせ、中には拭うのを忘れた血がべっとりと付着しているものもいる。

 

「ああ、くそ……もううんざりだ」

「不毛だ。何を得たというんだ。俺達は、何のために……」

 

 声として聞こえるのは、そんな疲れ切った悪態と、怒りを蓄えた静かな罵声だけ。幽霊のように進む彼等は、およそ希望という希望を全て取り払われていた。

 向かう先はあの世かとまで思ってしまう、その行進が、見事勝利を勝ち取り王都に帰還するアーサー王一行だと、誰が信じる事ができるだろうか。

 余りに長く続いたランスロットとの戦は、互いの兵を削り合う泥沼の消耗戦となり……結局、根を上げたランスロットからの和平の提案により終結することになった。

 

 ランスロットの不忠を正すという、遠征の目的そのものは、果たされたことになる。

 しかし、元々の原因と言えば、一人の人間の浮気に端を発する出来事である。

 要するに、ただの痴情の縺れで長く辛い激戦に晒され、多くの騎士の命が落ちたのだ。「ふざけるな」という声は、至極真っ当な意見である。

 得るもののない遠征は、三ヶ月を数えた。

 騎士達の不満は、他でもない、アーサー王とそれに付き従う円卓の騎士達に向けられる。彼等もまた酷く憔悴し、表情に影を作っていた。背後から浴びせられる視線は重く、血液が鉛になったかのようだ。

 

「……」

「大丈夫か、ガウェイン卿」

 

 深く俯いていたガウェインが、その声にはっと顔を上げる。いつの間にかアーサー王が彼に併走し、顔をこちらに向けていた。

 

「な、何も問題ありません。我が王よ」

「そうか」

 

 慌てて返した言葉に、王は淡々と頷いた。それから後ろを振り返り、後に続く幽鬼のような行進を見つめる。

 

「……王都に帰り着けば、彼等には休みを取らせよう。ガウェイン卿も、少し剣を置くといい」

「……はい」

 

 王の進言に、ガウェインはただ頷く。

 まだ戦えるという、虚栄を作る事さえできない。

 此度の遠征は、彼等としてもいたたまれない戦いであった。家族も同然の同士と、殺し合いを演じたのである。精神は消耗し、やりきれない思いが黒々とした暗雲となって頭を埋めている。

 和平を望んだランスロットは、今は鎖に繋がれ、隊列の後部に連れられている。不満を抱いた騎士達に殺されてしまわないよう、ベディヴィエールを初めとした円卓の面々が周囲を警護している。

 今後の処遇をどうするかは未定だ。どうすればいいか分からないというのが、本音である。

 

 国も、民も、疲弊しきっていた。円卓の騎士は瓦解し、結束は崩れ去った。民は悪戯に翻弄され、不満を募らせている。

 かつて栄華を誇っていたブリテンの面影は、もはや微塵も感じられない。

 

「……ガウェイン卿」

「はっ」

 

 木枯らしにかき消されるほどの小声で名前を呼ばれ、ガウェインは王に並び立ち、驚きに目を見張る。

 王は唇をぎゅっと噛みしめ、苦渋に打ちひしがれていた。人並み外れた完全な王らしき様相は、ここにきて初めて崩れていた。

 

「答えてくれ……私は、何を間違えた。どうすればよかった?」

「……」

「良き国であった筈だ。良き王でいられた筈だ。なのに国は崩れ、卿らの目は陰を宿している……私は、その陰をこそ取り払おうとした。民を導く光であろうとした……その志は、間違いではなかったはずだ。では一体、何が足りなかった?」

 

 それは、ガウェインが知る限り初めての、王の弱音だった。

 王は初めて、己に迷いを抱き、行く先を見失っていた。

 その様子に、驚きと一抹の虚しさを感じ……それをぐっと噛みしめ、ガウェインは口を開く。

 

「誤りは一つもありません。貴方はまさしく光でした……けれどその光は、余りに眩すぎたのです。太陽を見つめれば目が焼けるように、導くべき民は貴方を畏れてしまった。貴方は、慕うには完璧に過ぎたのです」

 

 そう言ってガウェインは王から顔を逸らした。今の王の顔を、それ以上直視する事は憚られた。

 しばらくの間、蹄の音と、騎士達の溜息だけが響く。

 長い間を空けて、王は静かに頷いた。

 

「太陽の騎士から、まさか眩いなどという言葉が飛び出すとはな」

「申し訳ありません。出過ぎた言葉を……」

「いや、そう思わせる事も、私の悪い所なのだろう……すまなかったな」

 

 最後にぽつりと呟かれた謝罪に、ガウェインはぐっと喉を詰まらせる。

 ここまで参り、弱気になっている王は初めてだった。

 だが王は、初めて自分の過ちに気づき、後悔をしていた。当たり前に、人間らしく。

 

「ガウェイン卿……私は、やり直せるだろうか」

「……ええ。貴方は、自らの過ちに向き合う強さも持たれている。昨日と変わらず、昨日よりも益々、素晴らしい王であられます」

 

 ガウェインは自らの愚かさを悔いる。

 ずっと傍にいて、共に戦い続けたのに。ここまで追い詰められてやっと、目の前の少年のような王が、一人の人間であることを知った。

 王ならば大丈夫と根拠もなく信じ、疑う事をしなかった。その愚かさも、今のこの惨状を招いたに違いない。

 ガウェインはそう悔やみ――頭を振って、塞ぎかけていた心をこじ開ける。

 

これからだ。

 彼は今、自分の悔い、省みようとしている。国はこれからも続き、王は更に成長しようとしている。

 ならば自分のやるべき事は、王を支える騎士として、彼の隣にいる事だ。より一層、寄り添える男として。

 そうして彼は、気落ちした王の心を救うべく、太陽の騎士に相応しい晴れやかな笑みを浮かべてみせる。

 

「さあ、顔を上げてください、我が王よ。もうすぐ王都です。結果だけ見れば、ランスロットを取り戻した大勝利なのです。大手を振って門を潜りましょう」

「ああ……そう、だな」

「三ヶ月も不在だったのです。民は不安でたまらない事でしょう。どうか王の御心で、安心させてあげてください」

 

 ガウェインに鼓舞されて気を持ち直し、ようよう王は顔を上げる。

 眼前に、待ち望んだ王都の城壁が見えた。亡霊のようだった騎士達の顔にも、ほうと安堵の吐息が漏れる。

 門の前で一行の帰還を告げると、重たい音を立てて門が開かれていく。その音に隠すように、王は一度、大きく息を吐き出した。

 

 不満の多い王かもしれない。完璧に見えて、まだ至らないところも多くあったのだろう。

 けれど、依然として自分は、この国の王である。

 せめて民の前では、彼等が尊敬し、憧れられるような姿であろう。

 そう心に誓い、王都の門を潜る。

 荒野ばかりを眺めていた視界が賑やかな街並みを捉え、人の営みを肌で感じる。

 故郷の空気が温かな風になって、荒んだ心をわっと包み込む。

 

 

 

 

 

「……」

 

 その場にいた誰もが、怪訝に眉を潜めた有り得ない表情を、王に向けた。

 

「あれ。お、王?」

「アーサー王がおられるぞ……」

「どういうことだ。いつの間に、王都の外に出られていたのだ……?」

 

 歓迎の声は一つもなく、どよめきばかりが王都に広がっていく。きょとんと丸くした目は、全て先頭の王に向けて注がれている。

 奇妙な違和感に、ガウェインが不審げに眉を潜め、大きく声を張った。

 

「長らくの王都防衛、ご苦労であった! 安心せよ。たった今、アーサー王がご帰還なさられた!」

 

 ガウェインの声に発破をかけられたように、ぽつぽつと拍手が上がる。それでも数はまばらで、民の混乱はますます深く、彼等の首を傾げさせる。

 未だかつて無い、異様な戸惑いだった。

 

「……これは一体、どうしたのでしょう?」

 

 いたたまれない雰囲気に、ガウェインが思わずそう口にする。

 その時、狼狽えるばかりでいた民衆の中から、一人の年若い少女が飛び出てきた。彼女は王を認めると、ほうと安堵の吐息を吐き出し、すぐ近くまで歩み寄ってくる。

 

「王様! 無事でいらしたのね!」

 

 思いがけず友人に出くわしたかのような、無遠慮な弾んだ声。ガウェインがやや狼狽えながら馬から降り、駆け寄る少女を腕で押さえる。

 

「レディ。失礼ですが、貴方の振る舞いは王への無礼に当たります。謁見はまず、このガウェインを通して――」

「何よ、無礼はそっちでしょう? 忙しいのは皆承知だけれど、約束をすっぽかすなんてひどいわ!」

「……は?」

「王城に籠もって姿を見せず、みんな心配していたのよ。遠征隊を迎えに行っていたなら、ひとこと言ってくださればいいのに、全くあなたも人が悪いわ!」

 

 誉れ高き王の眼前だと言うのに、少女はまるで気にした素振りもなく、ぷりぷり怒ってみせる。けれど膨らんだ頬にはうっすら朱が差していて、王と会えた事に喜んでいるようでもある。

 敬愛でも、賛美でもない、子供に見せるような安堵の表情。意味不明なそれに、ガウェインの思考は容易く混乱の渦を巻き起こす。目眩を起こしそうになりながら、少女に問う。

 

「ええと、その……約束とは?」

「子供達に会いに来てくれると、約束してくださったでしょう? 特製のクッキーを焼いて待ってたのに、みんなしょんぼりして、宥めるのが大変だったんだから! もう二週間も前だから、今更気にしてないけれどね」

「に、二週間?」

 

 思わず王を振り返る。王もまた訳も分からないと眉を潜め、首を振るばかりだ。

 二週間前に王は騎士団を率い戦いを繰り広げていた事など、もはや論じるまでもない。

 彼等に漂う違和感に気が付き、少女も浮かれていた表情をかき消す。

 その場にいる誰もが、訳も分からず首を傾げ、沈黙が場に充満する。

 

「ちょっと……どいて、どいてちょうだい!」

 

 切羽詰まった女性の声が、いたたまれない空気に割り込んできた。声の主は群衆を掻き分け、躓いて一行の前に倒れ込む。

 倒れた拍子に、顔を覆っていた外套が捲れ、中の美貌が露わになる。

 彼女の顔は、現実味を喪失させる程美しく艶やかで、騎士達がいま最も憎み忌避するものだった。その美貌を認めた瞬間、ガウェインが烈火の如き怒りを宿し、腰の剣に手を掛ける。

 

「グネヴィア……! なぜここにいる。王城にて幽閉されていたのではないのか!?」

「ああ……っ帰ってきてくれたのね、アーサー王!」

 

 ガウェインの激昂は、グネヴィアの目には全く映っていないようだった。彼女はアーサー王だけを映した瞳を、感極まって激しく揺らしている。

 その異様な迫力に気圧される間に、グネヴィアは王に駆け寄り、彼女の足に縋り付いた。

 

「良かった、良かったぁぁ……! 奇跡よ。本当に、間に合ってくれるなんて!」

「何の事だ。説明しろ、グネヴィア。私の王都で、何が起こっている?」

 

 王の質問を、グネヴィアはぶんぶんと激しく首を振って拒絶した。

 必死の形相で、王の服を引っ掴む。その目からは大粒の涙が止め処なくこぼれ落ち、王の足を濡らした。

 

「キャメロットに向かって! お願いよっ、もう時間が無いの! あの子が……あの子が! 必死に生きて、貴方の帰りを待っているのよ!」

「……ッ」

「会ってあげて、救ってあげて! 貴方の子供よ。あの子の心を満たしてあげられるのは、貴方だけなの!」

 

 言葉の意味に気づけたのは、王ただ一人。グネヴィアの必死の懇願に、心の琴線が激しく揺れるのを感じる。

 

「――ガウェイン、後は任せた。皆を頼む」

「は……え?」

 

 絶句するガウェインに言い終わる頃には、王はグネヴィアを自分の後ろに乗せ、馬の腹を蹴っていた。馬は直ぐさま速度を上げ、王都を風のように疾走する。

 後にはただ、ブリテンの民達が、一様に目を点にして固まるばかりの光景が残された。

 

 



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9話

 爽やかな風が吹き込み、天蓋のレースを静かにそよがせている。

 王の寝室には、看護の為の女性が二人付いている。一人が薬研で薬草を磨り潰し、石が擦れる心地いい音を奏でている。もう一人はベッドの傍に座し、レースの隙間から差し出された手を、ぎゅっと握り込んでいた。

 時を刻むのをやめたよう。あるいは、時は動き続けるという事実に打ちひしがれたような光景であった。深い悲しみと共に、刻一刻と流れる時間を、ただただ静かに受け流している。

 その空気を割るように扉が開け放たれ、アーサー王が姿を現した。

 

「……外せ」

 

 一言そう告げると、看護師は弾かれたように飛び出して部屋を出て行き、扉が閉められる。

 寝室には王と、背後に立つグネヴィアだけが残される。

 異様な緊張に張り詰めながらも、寝室にはどこか成り行きを見守るような穏やかな空気が流れている。

 心地のいい風が、さあと吹く。

 天蓋の布の中から、けほっと咳き込む音がした。

 

「……なんだよ。ランスロットの糞野郎のケツを拭くのに、随分掛かったじゃねえか、父上」

 

 酷く掠れた声は、王を父上と呼んだ。見え透いた挑発を無視し、王は毅然と言い放つ。

 

「ここは私の寝室だぞ。なぜ貴様がここにいる」

「ハンッ、何ヶ月もほったらかしにする癖に、縄張り意識だけは立派だな、国王様よ」

「答えになっていないぞ。私の留守の内に、一体何をしたのだ、モードレッド卿」

 

 僅かに語気を荒げ、王は追求する。掠れた笑い声が上がるが、天蓋に阻まれて姿は見えない。

 

「オレの顔、覚えてるか? オレは、お前と瓜二つなんだよ。テメエの服を試しに着てみりゃ、家臣も民も、誰も気付かねえじゃねえか。随分と間抜けな野郎共だ……いや、テメエが誰にも信頼されてねえって、証拠かもな」

「私を、騙ったのか」

「ああ、そうさ……テメエが留守の間に、思う存分、好き勝手させてもらったよ。ハイハイ傅くバカ共を見下ろすのは、中々気分が良かったぜ」

 

 天蓋の前に立ったアーサー王は、静かに腰の剣を抜いた。

 聖剣の魔力が風になり、天蓋のヴェールを靡かせる。

 

「アーちゃん!」

「下がっていろ、グネヴィア。これは王への侮辱だ。捨て置く事はできない」

「か、はは……今更、何を偉そうにほざきやがる。手遅れになって声を荒げるのは、間抜けな愚者か、無様な亡者の仕事だぜ?」

 

 迸る魔力の奔流を感じても、モードレッドの侮辱は止まらない。天蓋の向こうで、静かに王へ侮蔑を捧げる。

 一閃。聖剣が蕭やかに振るわれた。天蓋のヴェールが横に一筋の線を描き、はらりと舞い落ちる。

 

 

 

 反逆者の姿が露わになり、王は戦慄する。

 ベッドに横たわるモードレッドは、死人に限りなく近い様相であった。

 

 

 

 幼い顔はアーサー王と瓜二つでありながら、顔に生気は無く土気色に掠れている。同じ色の瞳は、白内障に苛まれ淀みを讃えている。

 横たえた小さな身体は、さながら水気を失った泥人形のようであった。魂の灯火は、最早そよ風に吹き消される程に弱々しい。どうして生きているのかさえ不思議な程だ。

 

「卿は……」

「殺すなら、殺せよ。わざと切り詰められた寿命を全うする位なら、聖剣に錆を作る方が何倍もマシだ」

 

 モードレッドは王のベッドに背中を押しつけ、伸びをする。それだけで、パキパキと身体のどこかが割れるような音がした。

 

「何だよ、その目……オレは、ホムンクルスなんだよ。それも、魔女が国を貶める為に産み出した、とびきり悪趣味な……使い捨ての、テメエの模造品だ」

「……」

「もしかして、オレの寿命に気付いてなかったのか? ……あの時、洒落や冗談でテメエを呼び止めたと思ってるのか? どんな気持ちで、父上と呼んだと思ってる……そんなだから、『人の心が分からない』なんてコケにされるんだぜ」

 

 ひゅうと喉が鳴り、モードレッドは咳き込む。肺から空気を吐き出す事さえ、もう満足にいかなくなっている。

 そんな状態で王を見上げる相貌には、得も言えない超然とした迫力が宿り、王をひどく狼狽えさせる。

 

「よお、父上……テメエは本当は、ダメダメな王だったんだな。民は飢えていたぞ。兵は怯えていたぞ。幸せな国なんて、嘘っぱちじゃねえか……何が完璧な王だ。模造品のオレの方が、よっぽど良き王になれたぜ」

 

 愉しそうに、掠れた喉を揺らして嗤う。

 

「オレが目一杯頑張ったお陰で、アーサー王は、民に好かれる人気者になっちまったよ……これから思い知るがいいさ。沢山の民がお前を頼るぞ。困難を見て見ぬ振りなんてできねえぞ。これでもう、心が分からねえなんて、お高く澄ましてらんねえな。へ、へへ……っげほ、ごっ……ほぉ」

 

 モードレッドは静かに身体を折りたたみ、錆だらけの管楽器を鳴らすような、ざらつく重篤な咳を繰り返す。

 

「っ喋るな、モードレッド卿。直ぐに医者を――」

「うるせえ。今更、優しさを見せびらかすんじゃねえ……もう、手遅れなんだよ。ずっと前から、テメエがオレを見放したあの時から」

 

 思わず差し出したアーサー王の手を、モードレッドは掴まない。あの時、キャメロットの廊下で掴みたかった手を、侮蔑を籠めて静かに睨み付ける。

 ぜひゅー、ぜひゅーと喘ぐような呼吸を繰り返し、モードレッドはようよう、唇を吊り上げて嗤って見せた。

 

「本当は、この国をぶっ壊す事もできた。その方がよっぽど簡単だったし、オレを産み落とした魔女は、それこそを望んでいた。けれど、そうはしなかった……オレは、この国が好きだから。父上が統べるこの国を、愛していたから」

 

 譫言のように言葉を紡ぐ。ホムンクルスの耐用年数なんてとうに過ぎているのにも関わらず。

 命を失う寸前の、淀みきった目が王を捉える。得も言えぬ迫力と、今にも崩れ去りそうな儚さに、王が絶句する。

 瞳に宿る微かな灯火は、まさしく執念のなせる業だった。

 

「ブリテンの王でなきゃ意味が無いんだ。王座を継ぐに値すると思われなきゃ、何の価値も無かったんだよ……だってオレは、愛するアーサー王の、ただ一人の息子なんだから」

「モー、ドレッド……」

「へへっ。分かんねえよな。分かんねえだろ、父上? ……どんなに優秀な人間をドブに捨てたか、せいぜい思い知るがいいさ。そんでテメエがどれだけ愚図で間抜けな、思慮の浅い愚か者だったかを悔いるがいい」

 

 そう言って、モードレッドは全身の力を抜いた。

 いびきのような不格好な喉の音が、命の導火線の縮む音だ。命を失った身体が、まるで人形のような冷たい気配を纏い始める。

 思わず、王は一歩を踏み出していた。振るう場所を失った聖剣が、手を離れてカシャンと床を打つ。

 

「ダメだ、モードレッド。まだ逝くな、逝かないでくれ」

 

 王の手は、精霊に選ばれし剣を握るよりも、今まさに死にゆこうとするホムンクルスの胸に添えられる事を選んだ。

 弱々しい鼓動が、王の掌に伝わる。モードレッドは、命の炎を殆ど失って、ようやく父の掌の温みに触れる事ができた。

 

「私が間違っていた。貴公に向き合う事をしなかった。完璧を目指すあまりに、民から目を背けていた。貴方の心を遠ざけていた」

 

 声を震わせ、ふるふると力なく首を振る。

 今になって、後悔が押し寄せてくる。モードレッドの願いをどうでもいいと遮ったあの日、彼女の激情の叫び声を聞いていた筈なのに。

 

 

 下らない戯言だと思ってしまった。なぜ息子という呼び名を欲したのか、理解しようとしなかった。

 彼女はあの時、王に救いを求めていたのだ。余りに短すぎる命に、せめてもの手向けを欲したのだ。

 彼女の目を、心を、正面から見ていれば、それに気づけたはずなのに。

 心が分からない。まさしくその通りだ。

 自分は、同じ血が流れる息子の心さえ見放したのだ。

 

 

 激しい自責の念に、王は心を締め付けられる。

 彼は腰の革ベルトを外し、据えていた聖剣の鞘を、モードレッドの手の傍に差し出した。

 ”全て遠き理想郷”。剣と同様に精霊の力を授かったそれは、持つことを許された人間に、傷を癒す治癒の奇跡と、不老不死の命を与える。精霊に愛された王のみが持つことを許された、聖なる逸物である。

 それを差し出し、王は死にゆく息子に悲痛に願う。

 

「握れ、モードレッド。其方には、これを持つだけの資格がある」

「……」

「まだ死ぬな。やり直す機会をくれ、モードレッド……頼む」

「っ……へ、へ……」

 

 王の懇願を、モードレッドの掠れた哄笑が遮った。

 残り少ない命を振り絞って、モードレッドは唇を吊り上げ、獣のように嗤って王を睨み付ける。そして目の前に差し出された聖なる鞘を、手を振り払って弾き落とした。

 

「嫌だよ、バーカ」

「っ……」

「よく聞け、父上……オレはお前を許さねえ。あの時オレを突き放した事を恨み、憎み、恩讐の果てに死んでやるんだ」

 

 もう既に、顔に力を籠める事さえ満足に行かなくなっている。ブルブルと震えながら、歯を見せびらかして嗤う。

 

「ざまあみろだ……これからお前は、王都を巡る度に、オレの事を思い出す。民の笑顔を見る度に、息子を殺した罪に苦しむ」

 

 モードレッドはゆっくりと拳を持ち上げて、どうしていいか分からず狼狽える王の胸を、力なく叩いた。

 鎧越しに拳を打ち付ける。こつ、こつと、何度も何度も。叩き付けた釘を、より深くまで打ち込むが如く。

 

「オレは、お前の中で生き続ける。お前の人生最大の過ちとして、完璧な王を否定し続ける……オレは父上の汚点になるんだ。胸に刺さって抜けない棘になるんだ。オレはそうやって……自分の人生に、意味を与えるんだ」

 

 これが、モードレッドの選んだ叛逆であった。

 より良い治政を敷くことで、自分に息子たる素養がある事を見せつける。

 民の不満をを明るみに晒し、王が完璧で無いことを突きつける。

 ただ一人の息子として、王をありふれた人間に貶める。

 彼女は、誉れ高き王の、ただ一つの過ちになる。

 

「道具でしかないホムンクルスが、意味を持って死ねる。偽物の人間が、王の息子として逝ける……こんなに贅沢な事はねえ」

 

 思えば、偽物の王としての日々は、充実していた。

 焦りと苦しみに身を焦がされ続けた日々だったが、同じくらいに強い目標があって、その分必死に生きる事ができた。

 そんな必死な日々が、ある強い実感を、モードレッドの心に温かく満たす。

 

 

 ブリテンは、良き国だ。王を信じ慕ってくれる、良き民が沢山いた。

 ここに産まれられてよかった。騎士として、この国の為に剣を振るえてよかった。

 

「モードレッド……」

 

 王の胸にぶつけていた拳が、両手でそっと握られる。そこにぽたりと、涙が落ちた。

 

「んだよ……泣いてんのか?」

「すまない。本当に、すまなかった」

「へ、へ……やっぱり、ただの人間じゃねえか、テメエ」

 

 ああ、自分は生きてて良かった。

 この作り物の魂には、ちゃんと生きるだけの価値があった。

 良き王になれた。民は自分を慕ってくれた。

 それに……王に、人の心を取り戻させる事ができた。

 

 

 きっと、この国は長く続く。崇高な王は、更に人として成長し、民を導くだろう。

 自分は、その礎になれたのだ。

 大好きな父上が収める、大好きな国の、かけがえのない歴史になれたのだ。

 

 

 

 夢のようだ。これ以上なく、最高の気分だった。

 心がふわりと浮き上がる。幸せに、身体が軽くなっていく。

 

 

 

 最後に焼き付ける光景は、父上の顔だった。

 涙でくしゃくしゃになった、みっともない顔。

 およそこの世界で自分が初めて拝む、人としての顔。

 今この瞬間、王が自分だけを見てくれる。心を開いてくれている。

 それが嬉しくて、嬉しくて。勝手に涙があふれ出す。

 浮かんでいく魂が、温かな幸せに包まれる。

 

 

 

「ざまあみろ、ざまあみろだ……せいぜい、悔やむがいいぜ」

「待て、まだ逝くな、モードレッド……! 私はまだ、貴方を――」

「あばよ、クソ親父」

 

 

 

 そうして、モードレッドは涙で溢れる目を閉じた。

 最後の灯火は、自分で吹き消した。とっくに限界を迎えていた身体は、モードレッドの願ったまま、あっけなく生命活動を停止させた。

 王が胸の前で握りしめた両手から、事切れた手が落ち、シートにぽすりと落ちる。

 生きる理由を求めた彼女の、静かで健気な叛逆は、終わり方も静かに、強烈に、一人の王の心に深く温かな傷を植え付けた。

 

 

 王の涙も、喉から振り絞られた声も、何もかも全て手遅れ。

 最後まで息子と呼ばれる事なく、モードレッドはその短すぎる生涯を終えた。

 己の命に誇りを抱き、満足げに笑顔を浮かべて。

 母と父に見守られながら、息を引き取ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、無数にある"もしも"の一つ。

 幾つもの選択肢が枝分かれする運命の大樹、その一節に過ぎない話。

 有り得なかった話。彼女がもう少しだけ優しければ、有り得たかもしれなかった話。

 分岐した支点、その先の未来では、ブリテンは永劫の興隆を謳歌している。

 心ある、優しき王が君臨する、騎士と精霊に守られた、平穏な素晴らしき王国。

 その中心、王城キャメロットの庭園の一画には、木洩れ日に照らされ淡く光る石柱がある。

 

 

 

 『ただ一人の息子へ』と記された墓には、今も欠かさず、美しい花が添えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




くぅ~疲れましたwこれにて完結です!(様式美)

あんなにかわいくてかっこよくて頭も切れるいい子なモが、そもそも叛逆するほうがおかしいよね、という話でした。
元々はとある企画に載せるために書いたお話だったのですが、想定よりずっと長く、また良いお話になったので、ここに載せた次第です。

これを機に皆もモードレッドをすころう。滅茶苦茶かわいいから。オラついてるように見えるのもきっと自分に対する劣等感と不安を誤魔化すためでそういう不器用で儚い所も含めて尊いから。
すころう。な?(圧力)


このモが良かった人は、前作『もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活』もよろしくね。
こっちはかわいくて、更にエロいから、尚の事すこれるよ。



感想いただけると飛び上がって喜びます。
また、文章についても思うことがあれば申していただけると、今後よりよい作品が作れるようになるので大変嬉しいです。



以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
また次のモードレッドでお会いしましょう。


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