回復チートでニセコイに転生 (交響)
しおりを挟む

1話

 令和初投稿なので初投稿です。
 よろしくお願い致します。


「こんにちは。お嬢さん」

 

「……貴方は……?」

 

 

 

 

 これは遠い昔の出来事。

 

 

「……万里花。今日はお前に渡したいものがある」

 

「なんばくれると?」

 

「何故、警戒したような目を? これなんだが……」

 

「何ばい。その趣味の悪かネックレスは」

 

「えっ、趣味悪いか? ……で、でも受け取って欲しいな……?」

 

「冗談ばい。ありがと。れんくん」

 

「……ああ。実はそのネックレスには効果が有ってだな。肌身離さず着けてくれたらお前の病気も治る程だ」

 

「……れんくんの冗談は面白くなか」

 

「冗談じゃないんだけど。ま、付けててくれるなら信じなくても良いよ」

 

「ふ、ふーん? あ、ならもしそれが本当で、ウチが元気になったら結婚してあげても良かよ?」

 

「それは結構です」

 

「即答!? 何でばい! 他に好きな(ヒト)がおると!?」

 

「いや、居ないけど……」

 

「ならなんでばい!!」

 

「……そりゃあ、万里花はこれから先、俺なんかよりずっと良い相手に巡り会えるからだよ」

 

「……なんでそげんかこつわかるん?」

 

「秘密」

 

「むむ……。なら約束ばい。大人になって再会した時に――」

 

 

 ………………、………………。

 

 

「……分かった。約束するよ。もし、万が一そんなことがあったら、な」

 

「……れんくんはいぢわるかと」

 

「意地悪なもので」

 

 

 これは遠い昔。

 小さなお嬢様(かのじょ)と出会い、ある約束をした時の記憶だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は前世の記憶を持つ転生者だ。今世の名前は倉井(くらい) (れん)

 前世の享年は16歳で、死因は窒息死らしい。

 らしい、というのは死んだ時の記憶がなく、神を名乗る人物(神は人物で良いのか?)から教えて貰ったからだ。

 

 なんだその経歴は。と言われても、実際にそういう出来事があったのだからそうとしか言いようが無い。

 神は俺にこう言った。

 お前は可哀想だから次の人生には特典を授けよう、と。

 

 そこで俺が望んだものは、神が言うには回復チートと呼ぶものだった。

 前世では何かと病気や生傷を負うことが多かったので、簡単にそれらを治せれば良いな、と軽い気持ちで願ったのだが、なんとも仰々しい名前になったものだ。

 

 特典の次に神は転生先を教えてくれた。

 神曰く、ニセコイの世界に転生するということだった。

 漫画の世界に行くと知ったのはその時である。

 

 漫画の世界ってどういうことだ。

 と、神に問い詰める間も無く、俺は転生先――ニセコイの世界へと転生を果たした。

 

 始まりは赤ん坊からだった。

 前世と同じ精神年齢で赤ん坊になるなら、死んだ年齢(とき)と同じにしてくれれば良かったのに、と心の中で神に向けて文句を念じた。

 ……口を動かしても言語を発せられないからだ。

 

 赤ん坊時代は文字通り何も出来ずに暇を持て余していた。

 しかし赤ん坊から成長し、歩き回ったり色々と行動できる余地が増えると、途端に時間が過ぎる感覚が早くなった。

 

 行動範囲が広がり、出来る事が増えた俺は神に貰った回復(チート)を使ってみることにした――――のだが。

 神から貰った回復チートは、上手く使いこなすことができていなかった。

 誰かの役に立つ事に使おう。

 と、一度だけ病院に行った際に、院内の患者の病気をこっそり治したことはあったのだが、凡矢理病院の奇跡! などと言った内容で新聞やメディアに取り上げられ、大騒ぎになってしまった事があり、それ以来(おおやけ)の場で回復(チート)は使っていない。*1

 

 そんな事情もあって、ほぼ人前で回復(チート)を使わないまま高校生になった。

 つまり、前世と同じ年齢になったわけだが……なんだか前世よりも時間が過ぎるのが早かった気がする。

 

 俺が通っている高校は凡矢理という名前の高校で、言わずもがなニセコイ(げんさく)の舞台でもある。

 とは言っても、原作の主人公である一条楽や、ヒロインの桐崎千棘とは関わりがないので、あまり原作の内容に関わることはないだろうと考えている。

 強いて言うならば、クラスが同じということくらいだろう。

 

 ただ、ニセコイヒロインの一人である橘万里花には幼少期に会っている。

 それも、一条楽と橘万里花が出会う前に。

  

 何故、原作を崩壊させかねないような事をしたかと言うと、橘万里花の病気を治すためだ。

 彼女は原作通りに事が進んだら、自身の病気が原因でヒロインの座から降りてしまう。 

 その結末を変えたくて俺は幼少期に彼女に接触し、病気を治す手助けをした。

 

 つまり彼女に関わった理由は、病気で物語から退場する橘万里花の結末を変えたかった。

 という俺の自己満足であり、偽善的な行いだった。

 彼女が健康になったことで幸せに日々を過ごせていれば良いが……。

 

 俺と橘万里花の出会い方は印象に残る出会い方だったかもしれないが、彼女と関わった時間は意外と短い。

 彼女と出会った時期も一条楽よりも早いため、俺より後に会ったであろう一条楽との思い出の方が彼女の印象に残っているはずだ。

 俺は橘万里花の結末を変えたかったが、俺自身が原作キャラ(ヒロイン)と恋仲になりたいとは考えていなかったので、1つ策を講じていた。

 その策というのは、彼女の病気の治す時期をずらす、というものだ。

 

 俺は橘万里花にアクセサリーを渡し、そのアクセサリーに病気を治す回復(チート)を付与した。

 その効果は病気を治す、という物の他に、回復(チート)が発動する時期を3ヶ月程遅らせるというものだ。 

 そう、上手く時期が合えば、楽が万里花に髪飾りを渡してから効果が発揮され、まるで楽のおかげで病気が治ったと見せ掛ける事ができる……!

 

 そんな事をしているので、もしかしたら原作よりも一条楽に対する好感度は高いかもしれない。

 頑張れ主人公(一条)! もうすぐ(好感度が高いかもしれない)ヒロインが増えるぞ!

  

 

「……っと。そろそろ起きないとな……」

 

 

 ぐいーっと両手を伸ばし、ベッドから身体を起こす。

 起きる気力が沸かず、なんとなく今までの事を考えていたら、何時もより起きる時間が遅かった。

 起きたばかりの身体の怠さを消したい。

 そんな時に便利な特典を、俺は1つだけ持っているんだよなぁ……!

 

 

「……ッ!」

 

 

 身体が光ったり音が鳴ったりすることはないが、今まであった身体の倦怠感は消えた。

 地味な回復(チート)の活用法だが、精神的な疲労にも効果があるのでとても便利である。

 

 

「さて、学校行くか」

 

 

 適当に顔を洗い、寝癖をちゃちゃっと直す。

 そのまま玄関を出て、家の鍵を掛けているか3回程確かめてから外に出る。

 1階へと続く階段を1段1段降りる度に、ギシギシと嫌な音が鳴るので、今にも階段の踏み板が抜けるのではないかと心配になる。

 

 俺が住んでいるこの建物は、2階建てのアパートで、特徴的なのは全体的にボロいということだろう。

 アパートの壁は所々剥がれているし、階段は赤錆だらけ。

 おまけに階段の手すりは途中で途切れて無くなってしまっている。

 しかしこんな外観ではあるが、部屋の中はそれなりに綺麗で、外観に目を瞑りさえすれば、住む分には問題なかったりする。

 

 高校に向かって歩き出しているが、まだ登校している学生の姿はあまり見受けられない。

 それもそうだろう、なぜなら始業時間まであと1時間半もあるからだ。

 ちなみに、ここから高校までの距離は長く見積もって20分程度だ。

 

 俺は朝食を用意するのが面倒で、家で食べる事はほとんどない。

 なので、学校に行く途中にコンビニ等に寄り道し、そこで朝食を調達してから学校に向かうのであった。

 

 買い物をする時間だけで考えると、そう時間は掛からない。

 しかし近所のコンビニは、朝に仕入れる食べ物の量が多くないため、こうして朝早くに家を出る必要があるのだ。

 

 常連のコンビニに辿り着き店の中に入る。

 ふと、いつも聞くいらっしゃいませ。の声が聞こえないことに違和感を覚え、レジの方に目をやると、ここに通い始めてから初めて見るくらいの行列が出来ていた。

 ……今日の店員はレジ以外に気を回す余裕がなさそうだ。 

 こんな朝早くから混むなんて、何かイベントでもあるのだろうか?

 レジに並んでいる人のほとんどが、私服姿であるし。

 ……と、気にしても答えは出ないので、目的の朝食を選ぶことにする。

 

 

「…………」

 

 

 あの行列を見たのだから早々に気が付くべきであった。

 コンビニの弁当類は全て売り切れており、残っているのはおにぎりしかなかった。

 しかも、そのおにぎりも俺が苦手とする梅のおにぎりで、数は1つしかない。

 

 

「……なんて日だ」

 

 

 周りに人がいるにも関わらず、思わず呟いてしまった。

 幸い、周りには聞こえていなかったらしく、怪訝な目を向けてくる者は誰も居なかった。

 

 仕方がないので菓子パン(これも1つしかなかった)を選び、牛乳を持ってレジに並ぶ。

 商品を選んでいる間に行列は無くなったが、目的の物(ちょうしょく)がこれでは、早く家を出た意味が無かったな……。

 がっかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした? みかんの皮食ったみたいな顔してるぞ?」

 

「なんだその顔……。お前食ったことあんの?」

 

 

 コンビニの出来事を引きずりながら教室に入り、一息吐いたところで目の前の席の男がそんなふざけた事を言ってきた。

 彼は萩庭 健二という男で、高校から出来た友人である。

 健二はがっしりとした体格をしており、勉強はあまり得意ではないが、運動が得意といった生徒だった。

 少しうるさいが、気は良い奴なのでクラスの嫌われ者ではない。

 

 

「それより聞いてくれよ蓮!」

 

「うん」

 

 

 朝コンビニで買った菓子パンの袋を開け、一口齧る。

 甘っ!

 

 

「昨日の放課後、一条と桐崎さんが何してたと思う!?」

 

「うん」

 

 

 ……しまった。

 手がベトベトになる前に牛乳にストローを刺しておくべきだった。 

 

 

「あ、相合傘をしてたんだ! まるで非リアの俺たちに見せ付けるかのように!」

 

「ほーん」

 

 

 牛乳と一緒にパンを食べたらすぐに無くなってしまった。

 ……物足りない。

 やはり朝は米を食べたかった。

 昼飯まで持たなかったら回復(チート)で腹具合も治してしまおうか。

 

 

「……聞いてるか?」

 

「相合傘が羨ましいって話だろ?」

 

「そうだよ畜生がー!!」

 

 

 わーっと泣きながら健二は机に突っ伏した。

 突っ伏すなら自分の机に戻れよ。と思うが、ここで構うと更に面倒くさいことになるのは今までの経験でわかっているので放っておく。

 早く授業始まってくれないかなぁ。

 

 

「はーい。全員注目ー! 今日は突然だけど転入生を紹介するぞー!」

 

「ッッ!! 転入生! 美女か!?」

 

 

 担任のキョーコ先生がそういうと、目の前で突っ伏していた健二は物凄い勢いで復活した。

 しかも口走っていた内容が、欲望に忠実過ぎてドン引きである。

 

 

「ドン引きだよ (わら)

 

「良いだろ別に! てか何だよそのわらって!」

 

 

 ……例の橘万里花が転校してくるのは今日だったのか。

 原作の知識はなんとなく覚えているが、時系列まで正確に覚えていなかったので、普通に驚いた。

 こうして凡矢理高校に現れたということは、原作通りに事が進んだという事だろう。一安心である。

 周りの生徒たちも俺たちと同じように(ざわ)ついており、話している内容は似たようなものだった。

 ……前例があるからか、他の生徒も美女か美女か、と予想している。

 騒めきはキョーコ先生が「落ち着けー」と注意するまで続いた。

 

 

「それじゃ入って。橘さん」

 

「はい」

 

 

 彼女が教室に姿を現すと、おおぉと感嘆の声が上がり、誰もが静かにその様子を伺った。

 そして、俺はそんな彼女の姿を見て固まった。

 

 

「……皆さん。初めまして」

 

 

 彼女の髪の毛は()()()()

 

 

「橘 万里花と申します」

 

 

 首からは()()()()()()緑の勾玉のネックレスを掛けており、

 

 

「何卒よろしくお願いします」

 

 

 頭にあるはずの特徴的な髪飾りがなかった――。

 

 

「うおおおおー!!! またしても美人……!」

 

「モデル!? モデルなの!?」

 

「オレこのクラスで良かったー!! FO-!」

 

 

 クラス中が一斉に騒ぎ出し、歓声と拍手で一杯になった。

 キョーコ先生が何か言っているようだが、その声すら聞き取れない。

 口笛を吹いている舞子なんかは、他の生徒に担ぎ上げられている……。

 

 

「おいおい蓮! 超美人じゃねあの子! ……って、どうしたんだ? そんなアホみたいに口開けて?」

 

「………………」

 

「お、おい。もしかして、お前あの子に一目惚れでもしたのか?」

 

「………………」

 

「何か言えよ、怖いわ!」

 

 

 健二に肩をがっくんがっくん揺すられ、正気に戻った。

 彼女の原作との差異に冷静さを失ったがもう大丈夫……!

 彼女は俺と出会ったせいで少し変化しただけで、一番大事な好意は一条楽にあるはずだからだッ!

 そもそもそうで無ければ凡矢理に来る理由が無い。

 慌てる必要なんて無かった――――。

 

 

「あ」

 

 

 橘万里花は何かに気付いたようで、ゆっくりと歩みを進めた。

 心なしかこちらに向かって来ているように見える。

 

 ……原作主人公(いちじょう)の席は廊下側で、俺と健二がいるのは窓側の席なので、こちらに来るということは――――!?

 

 

「お久しぶりです。蓮様!!」

 

 

 花が咲いたような笑顔、というのは彼女が今している表情に使うべき表現なんだろう。

 文字通り花が咲いたような錯覚に陥る。

 彼女は俺の名前を呼んだような気がするが、笑顔の衝撃で前後の出来事がなんだか曖昧になってしまった。

 周りの生徒たちは息をひそめるようにこちらを見守っているようで、転校生が来たというのに不自然な程静かだった。

 

 

「……蓮様?」

 

 

 俺を呼ぶ彼女の言葉が耳に入った。

 ……やはり、先ほどの呼び声は勘違いでは無かったようだ。

 さて、ここからどうするべきか。 

 ここで原作の一条楽(しゅじんこう)のように、彼女の事を忘れているという設定にすれば、この状況を有耶無耶(うやむや)に出来るだろうか。

 ……それは駄目だ。

 彼女の悲しい結末を変えようとしたのだから、彼女が悲しむような事はしたくない。

 受け入れよう。

 どういうわけか彼女は一条楽ではなく、俺のことを優先してしまったらしい。

 

 

「…………様付けはやめてくれ。……久しぶりだな、万里花」

 

 

 昔と同じように呼んでしまったが、彼女も下の名前で呼んでいたのだから許してくれるだろう。

 ――と、

 

 

「~~っ!! 蓮くんずっと会いたかったばい!!」

 

「ふがっ!?」

 

 

 目の前にいた万里花に突然抱きしめられて、変な声が出た。

 って、ていうか彼女のおっぱ……お、お胸に顔を埋める形になっているのでは!?

 引き離したいけど、こんな華奢な子のどこを掴んで良いんだ!?

 え、ちょ、柔らかさより苦しさが…………。

 

 

「うおおおおおおおなんだぁぁぁぁ!!?」

 

「転校生が倉井に抱きついたーー!!?」

 

「一条じゃないなんて珍しい!!」

 

「どういうことだよそれ!!」

 

 

 …………。

 

 

「ちょ、ちょっと橘さん? 蓮のやつ離してやってくれ! 死に掛けてる!」

 

「はっ。あぁ、申し訳ありません! 大丈夫ですか蓮く……様」

 

「……はう」

 

「蓮しっかりしろ! 息を吸うんだ!」

 

 

 …………なんだろう。

 途中から苦しさしか感じなかった。

 健二がなんか言ってるが、頭がぼうっとして上手く聞き取れない。

 

 

「あ、あのー! 橘さんって、倉井のお知り合い……?」

 

 

 ……と、そんな中舞子が挙手をして万里花に尋ねているのが耳に入った。

 

 

「はい♪ (わたくし)は蓮様の許婚でございます」

 

 

 万里花はくるり、と身体を舞子の方に向け、笑顔のままそんなことを宣言した。

 

 

『い、許婚ぇ~~~~~!!?』

 

「ど、どういうことだよ蓮!? おま、お前許婚なんていたのか!?」

 

「知るか! 俺だって今初耳だわ!」

 

 

 周囲の生徒たちは混乱しているようだが、一番混乱してるのは俺だ!

 てか、何時の間にそんな事になったんだ!?

 横目で隣の生徒を眺めると、なんと教室のほとんどの男子が瞳に怨念を宿しこちらを睨みつけている。

 ……。

 女子は好奇の目でこちらを見てはいるが、敵意を抱いている者はいなさそうだ。

 ちなみに、正面にいる健二はわくわくしたような表情をしている。

 人事だと思って……!

 ニヤニヤしてないでこの状況から助けて欲しい。

 ……と、そこに救いの手が。

 

 

「あー、もうすぐ授業だから。あんたらちょっと落ち着け」

 

 

 今まで静観していたキョーコ先生の一声で、ひとまず教室の生徒たちに理性が戻った。

 ……この騒ぎの中俺たちを見守ってられる先生は大物だなぁ……。

 その声を聞いた騒ぎの元凶の万里花は、

 

 

「では、また後ほど」

 

 

 と恭しくカーテシー(スカートの両端を持ち上げて行うアレ)を披露(ひろう)してから、教えられた席に向かっていった。

 彼女の座席は俺の右後ろのようだ。

 視線で万里花を追っていると、彼女はこちらに天使のような微笑みを向けて来たが、俺は強張った笑みを浮かべるのが精一杯だった。

 いや、だって……周りの視線が……ね。

 

 ……原作とは違い警官隊が突入してくることもなく、平和に授業が始まったのに、俺の平和はなくなってしまったようだ。

 理由は万里花の病気を治癒(げんさくかいにゅう)したからだから、自業自得なのだけれども……。

 

 …………これからの事、つまり1時間目の授業の後を考えると憂鬱である。

 万里花との関係追求されるんだろうなぁ……やだなぁ……。

 

 

 

 

*1
高熱の患者の体温を1度下げる等、大した回復ではなかったので、ここまで騒がれるとは思っていなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

 

 不審な顔をしながら、数学の担当教員が授業の終わりを宣言した。

 授業中、俺の方を睨み付けている生徒が何人もいたからだろう。

 居心地が悪いったらありゃしない。

 

 

「……それじゃ、挨拶」

 

「起立」

 

 

 日直が号令をかけ、授業が終わった。

 すると同時にクラスの男たちが一斉に立ち上がり、こちらに向かってやってくる。

 ……こんなに注目されたのは初めてかもしれないな(現実逃避)。

 あぁ、何でこんな時に限って窓側の席なんだろう?

 廊下側の席だったなら、授業が終わると同時に逃げ出せる可能性があったのに。

 

 

「さぁて、色々吐いて貰おうかぁ? 倉井君よぉ……!」

 

 

 妬みを隠すことのない声音と表情で1人の男子が近寄って来た。

 普段、話をすることもない程度の仲なのだが、こういう時に遠慮という言葉は頭にないらしい。

 

 万里花の方を見ると、クラスの女子たちに囲まれていた。

 俺としても事情を聞きたいのだが、今の様子を見ると難しそうだ。

 

 こちらとしても、何がどうなって許婚になったのか知らないから何も教えれる情報がない。

 この説明で納得してくれれば良いが……。

 

 

「待て。俺も色々と混乱してるんだ。大体、婚約してるって話もさっき聞いたばかりだからな」

 

「……ちっ。まぁ、今回は一条じゃなかったし勘弁してやるか」

 

「そうだな。今回は一条じゃないしな」

 

「ちょっと待て!! 何で俺を引き合いに出すんだ!?」

 

『分からないとは言わせねぇぞ一条!!』

 

 

 俺に向けられていた憎しみ(ヘイト)が一気に一条の方へ向かった!

 ……そこで鈍感さを発揮するのは、流石主人公といった所か……。

 

 良くも悪くも注目の的からはずれて一息つく。

 普段、話の中心に上がることもないので、注目されただけで少し疲れてしまった。

 

 

「はは。一条の奴、今回は関係ないのにみんなから責められてるぞ」

 

「状況だけ見ればあいつのが恵まれてるしな。ま、今回は一条に救われた立場だから同情はするよ。……助けもしないけど」

 

 

 助けに入ってまたこちらに話が戻って来たら堪らないからな。

 彼には悪いが犠牲になってもらおう。

 健二は一条を見ながら笑っているが、彼は俺に対してあまり説明を求めてこない。

 こういったことには興味がないのだろうか?

 

 

「俺? いや、友人に許婚がいたって言われてもピンと来ないし……。いきなり結婚するわけじゃないんだろ?」

 

「結婚はしないだろうな。年齢も足りないし、そもそも付き合ってもない。再会したのだって今日だからな……」

 

 

 何故彼女は俺のことを許婚と言い始めたのか。

 ……うーむ、誰か説明してくれないだろうか。

 

 

「つーか、今の日本で許婚って実在したんだな。俺のことだけど」

 

「……現実逃避はほどほどにしとけよ」

 

 

 健二に心配されてしまった。

 いや、でもこんな事になったら現実逃避もしたくならないか?

 

 

「昔に結婚の約束でもしてたのか? よくある物語みたいに」

 

 

 健二がそんなことを言う。

 物語、というのはあながち間違いではないが、今の俺にとっては現実の出来事だ。

 

 

「ん。事実は小説より奇なりって奴かな?」

 

「いや、こんな出来事は物語なら何作もあるだろ。つまり何も珍しくねぇ」

 

「なんだと? つまり日常……?」

 

「お、おい倉井! お前のせいで俺に飛び火してるんだけど!? なんとかしてくれよ!」

 

 

 健二とふざけた話をしていると、一条が叫び声をあげていた。

 生徒たちがエスカレートして、なぜか一条に物を投げつける遊びが始まっている。

 今日の騒ぎの原因は俺なので、身代わりになってくれたお礼を言っておこう。

 

 

変わり身(デコイ)になってくれてありがとう!」

 

 

 軽く手を振りながらお礼を言う。

 

 

「で、でこい? 何言って……、お前ら! いい加減にしろ!」

 

 

 一条とクラスの男子たちの争いはまだ続きそうだ。

 一方、万里花の周りは平和そうで、集まっている女子たちと会話が弾んでいるようだ。

 

 出来れば俺も許婚の話について聞きに行きたいのだが、様子を伺っているうちに休み時間が終わってしまった。

 

 結局。

 今日の休み時間に万里花の包囲が解かれることは無く、彼女と詳しい話をすることは出来なかった。

 授業が終わった放課後も、万里花が申し訳なさそうな顔をしながらこちらに来て、

 

 

「申し訳ありません。蓮様。本日は直ぐに家に戻らないといけないのです。また明日ゆっくりお話しましょう」

 

 

 と言ってすぐに帰ってしまったのだった。

 転校して来たばかりだし、何かとやることがあるのだろう。

 と納得しながら、万里花が迎えに来たであろう車に乗る様子を教室の窓から眺め、する事もないので健二と帰ることにした。

 ……様呼びに戻ってしまったのはなぜなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 万里花が転校して来た衝撃の一日から日が経った翌日の朝。

 俺が教室に入ってすぐの出来事である。

 

 

「おはようございます。蓮様!」

 

 

 微笑みを浮かべ、俺に向かって挨拶してくれたのは昨日転校して来たばかりの橘万里花その人であった。

 彼女は俺より先に学校に来ていたらしく、俺の座席の隣に座り待ち構えていた。

 

 

「……お、おはよう」

 

「……? 体調が優れないのですか?」

 

 

 返事の挨拶が覚束(おぼつか)ないことを不思議に思ったのか、万里花が可愛らしく小首をかしげながら尋ねて来た。

 ……俺の体調は悪くないし、ましてや万里花が変なわけでもない。

 

 

「……いや、大丈夫だ」

 

 

 1つ。大事な話をしよう。

 目の前にいる橘万里花という女の子は、言い方はアレだが美少女である。

 しかも、ただの美少女というわけではなく、美少女の中でも最上位クラスの美人と言っても良いレベルの美少女だ。 

 そんな子に朝から笑顔で挨拶をされるなんて今まで生きていた中で経験した事が無いわけで。

 ……簡潔に言おう。

 ()()()()()()()

 

 ……考えてみて欲しい。

 今まで女の子とすらあまり関わることの無かった男が、アイドルさながらの美少女に笑顔で挨拶されたとしたら。

 ……俺は視線を合わせるのも辛いッ!!

 

 昨日は転校生だの許婚だの色々あって、緊張という感情がどこか旅に出ていたようで、2人きりで話がしたい等と考えていた。

 しかし一日経った今、俺の中で緊張という名の感情が暴走している。

 ――冷静になれ。

 と心の中で呟くも、あまり効果が見られない!

 

 

「……。……て、聞いてますか蓮様?」

 

「聞いてなかった」

 

 

 素直に告白する。

 ……万里花は少し不満顔になった。

 

 

「……あの、蓮様って呼ぶのやめて欲しいんだけど……」

 

「うっ……。その、申し訳ありません……。私も、一度呼んで、大丈夫だと思ったのですが……」

 

「俺としては、何ら問題ないが……」

 

「……わ、わたくしの方が恥ずかしいので……! しばらくこのままでも許して頂けないでしょうか?」

 

「…………!!?」

 

 

 万里花が顔を赤らめながら、もじもじと申し訳なさそうに言葉を紡いだだけで、凄まじい程の色っぽさを感じる!!?

 

 喉から変な声が出そうになったし、手も若干震えて来たような気もする……!

 緊張しすぎだろ、俺……!

 

 落ち着け。

 赤面してるのはこちらも同じだが、彼女をこのまま放置するのは状況的に良くない。

 ゴホ、ゴホと喉の調子を確かめてから、 

 

 

「わ、わかった! 慣れてくれるまで様のままで良いから!」

 

 

 と返事をした。

 ……緊張しているせいで、声が普段よりも大きくなっているのを感じる。

 

 

「は、はい……」

 

 

 俺の声の大きさに驚いたのか、万里花の声音が困惑したように聞こえた。

 

 ……それにしても、彼女はこの程度の事で恥じるような女性だっただろうか?

 失礼な事を言っているかもしれないが、昨日会った時は抱きついて来たので、様呼びから普通に呼ぶことくらい出来そうに思ってしまう。

 乙女心は複雑、ということか。

 

 

「で、なんだっけ?」

 

「はい。明日デートしませんか?」

 

「……………………」

 

 

 だからさぁ……。

 何でそういう事はさらっと言えるのに(略)。

 

 

「……今日は駄目なのか?」

 

「私としましては、明日の方がゆっくりお話できると思ったのですが、ダメですか?」

 

 

 確かに今日は学校があるが、明日は休日なのでゆっくり過ごすことが出来るだろう。

 

 って! 小首を傾げながら上目遣いして来るのは可愛さが凄いので反則ぅ!

 あざといぞ万里花ぁ!!

 

 

「……わかった。それで良い」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 

 万里花の笑顔に対して、声を詰まらせているうちに彼女は自分の席に戻ってしまった。

 ……教室中が殺気で満たされている。

 彼女の言う通り、今日は落ち着いて話が出来なさそうだ。

 

 うーむ。

 改めて考えても、名前呼びは駄目なのに、デートに簡単に誘える理由がわからないなぁ。

 自分の席に付くまで考えてみたが、答えは見付からなかった。

 

 

「ふっ。蓮は乙女心がわかってないな」

 

 

 俺の困り顔に業を煮やしたのか、健二が仕方ないなぁ、と言った表情でこちらを見てきた。

 ……健二だと腹立つ顔なのに、きっと万里花だったら美しく感じるのだろう。

 やっぱり美人は罪だわ。

 

 

「健二? お前にはわかるって言うのか?」

 

「当たり前だ。愛の伝道師と言われた俺の――――」

 

「一気に信用なくなったわボケ。二度と聞かないわ」

 

「なぜ!?」

 

 

 驚愕の叫びを上げる健二だったが、なぜこうも胡散臭いことを言っておいて、信用が生まれると思うのだろうか。

 

 これなら一条に聞いた方が……、いや健二のがマシか。

 まぁ、俺も人のことは言えないのだけれど。

 

 

「おい! 何で俺の言うことを聞く前にそうなるんだよ! もっとこう、構えよ!」

 

「構ってちゃんか!! もうすぐ授業始まるから昼休みな? な?」

 

「そうか。わかった!」

 

 

 そう言って健二は机に突っ伏した。

 完全に寝る体勢である。

 

 

「って寝るんかーい!!」

 

「ッッダァイ!!!」

 

 

 背中に強烈な突っ込みを入れる。

 ……万里花が転校して来てから、俺の日常は一層賑やかに(うるさく)なった。

 賑やかさ(うるささ)で言えば、一条グループを除くと、不本意ながらここが一番のような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み。

 

 

「聞きてぇんだけど、お前って橘さんと会ったのは昔だけなのか?」

 

 

 屋上で昼ご飯を食べながら、俺は健二と駄弁っていた。

 俺たち以外にも生徒はいるが、こちらを気にしている者は居なさそうだ。

 一条グループもここには居ないようだ。

 

 

「……ああ。それも、少しの間だけだ」

 

「……それだけでよく婚約したな」

 

 

 健二は購買で買った焼きそばパンを食べながら相槌を打った。

 

 

「俺はした記憶ないんだけどなぁ」

 

 

 俺はドラッグストアなどで売っている、一日に必要なカロリーを摂取できると評判のビスケットをもごもごと食べながら答えた。

 

 実際、覚えていることは曖昧であり、大きく分けて万里花と出会ったこと。身体を治すネックレスを渡したこと。一条たちとは会っていないこと。

 これくらいしか覚えていない。

 

 10年前に色々と話しはしたが、その中で本当に結婚の約束までしたのだろうか……?

 

 

「明日、デートするんだろ? どこ行くか決めたか?」

 

「え? ……あー、許婚云々のことばっか考えてたから全然決めてねぇや」

 

「おいおい。それは流石に無いだろ。1つ2つくらい候補考えてた方が良いんじゃねぇの?」

 

 

 飽きれたように言う健二に、少しムッとした。

 しかし正論ではある。

 

 

「……確かに。少し考えとくよ」

 

「間違ってもクラスの奴らが居るようなところは避けた方が良いぜ。あいつら一条と桐崎さんのデートの時とか酷かったからな」

 

 

 冗談めかした風に健二は言うが、一条と同じような状況になってしまった今となっては、決して他人事には思えない。

 

 

「……桐崎さんが転校して来てすぐの時のだろ? 町で見かけたからって尾行するのはやり過ぎだよな」

 

「そいつ曰く、見守ってたらしいぜ?」

 

「うーん。見守ってるなら、次の日に制裁なんてしないんだよなぁ……」

 

「祝ってただけだからセーフ」

 

 

 面白がってたの間違いなのでアウト。

 でも、あいつらって今は付き合っている"フリ"だよな?

 元からこの情報を知っているとはいえ、傍から見ても不自然な所が多い。

 2人の関係を怪しんでいる人は、結構居るのではなかろうか。

 

 

「健二は明日デートしないのか?」

 

「はぁ!? わたくしめに彼女が居ないと知っての狼藉ですの!?」

 

「いきなりのお姉ぇ言葉っ!!」

 

 

 しかも、ワザとか知らないが、何時もよりも声を低くしながら言っているので、そこはかとなく気持ちが悪いっ!

 

 

「くぅー! 蓮ちゃんったら自分だけデートするからってぇー! そうやって人のこと苛めてたら友達居なくなっちゃうんだからね!」

 

「ばいばい」

 

(たん)っ! (ぱく)ぅっ!」

 

「うぷぷぷ! 健ちゃんは友達にも見放されて可哀想でちゅねー!!」

 

「ああん!? やんのかこらぁ! 非リアの力を舐めんじゃねぇぞ!」

 

 

 ………………。

 

 

「…………やめよう、このノリ。昼休みのテンションじゃねぇ、これは放課後レベルだ……」

 

「…………だな。蓮のデートで変なテンションだったわ……」

 

 

 空しくなって、2人で脱力する。

 変なテンションというのは、茶化すことに全力という意味だろうか?

 

 

「人のデート話でテンション上がるか……? まだ行ってもいないぞ」

 

「俺……恋バナ結構好きなんだ」

 

「マジかよ。知らんかったわ。あれ、でも一条のところに行けば結構(けっこう)話聞けそうだけど」

 

「あいつは駄目だ。誤魔化してばっかでつまんねぇ……」

 

「あー……。あー……そうかも」

 

 

 あいつの場合、偽者の恋人だから仕方ないと思うけれど、事情を知らない側からしたら腹立つかもな。

 

 

「そういえば、朝に恋の魔導師が言おうとしてたのはなんだったんだ?」

 

「魔導師!? 伝道師だわ!」

 

「どっちでも良いよ。んで、彼女居ない(れき)年齢(ねんれい)()の意見は何なんだ?」

 

「そりゃあ勿論! 今日より休日の方が一緒に居られる時間が多いからに決まってるだろ?」

 

「はぁ?」

 

 

 一体何を言っているんだ?

 

 

「放課後デートも良いが、それよりも一緒にいる時間を長くしたいという独占欲! こんなこと愛の伝道師じゃなくても、恋する人間の思考を読めばわかるはずだ!」

 

「いや、俺が知りたかったのは、名前を普通に呼ぶのは駄目で、堂々とデートに誘うのは大丈夫な理由が知りたかったんだが……」

 

「………………。すまん」

 

 

 友達の伝道師からやり直せコラァ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 俺は待ち合わせの場所に向かって、ゆっくりと歩を進めていた。

 デートなので、適度に格好は良くして来たつもりだが、ドン引きされてしまったらどうしよう。

 ……とても不安だ。

 

 デートの行き先は、万里花から凡矢理市を色々見て回りたいとリクエストを貰ったので、適当に案内するつもりだ。

 万里花はまだ凡矢理(ここ)に来てから日が浅いもんなぁ。と一人納得していた。

 

 今まで女の子と1対1で出掛けた経験が無かったので、念のためにネットでデートについて調べてみた。

 待ち合わせ場所には女の子より早く着いておくとか、車道側は男が歩いた方が良い等のルールは簡単に実践出来るが、その他にも色々とNGな行動が多くて目が回りそうだった。

 そこは彼女との会話次第で変えようと考えて、ひとつ思ったことがある。

 

 ―――俺、デート楽しみにし過ぎじゃないか……?

 

 

「…………」

 

 

 …………これは仕方がないんだ(言い訳タイム)。

 何て言ったって人生初デート(前世含めて)であり、しかも相手はアイドルと言われても良いレベルの美少女。

 これは緊張するし、張り切りもする。

 緊張しても仕方がない。

 家に居ても落ち着かないからって、約束の場所に待ち合わせ1時間前くらいに着きそうになっていても仕方がない。

 

 

「…………いや、幾ら何でも1時間前は無いだろ」

 

 

 このまま待ち合わせ場所に行って、1時間待っているのは流石に疲れるので、どこかに寄り道しようと考え始めて……。

 それでも万が一ということがあるので、約束の場所に万里花が居ないことを確認してから、寄り道先を決めることにした。

 

 

「…………良し。まだ来てないな」

 

 

 時計で時刻を確認すると、約束の時間のまだ50分前といったところだ。

 周辺に時間を潰せそうな場所が無いかを携帯で検索――と。

 

 

「本屋でも行くか」

 

「……お待ちください。倉井さん。もうすぐお嬢様がいらっしゃいます」

 

「…………どちらさまですか」

 

 

 何時の間にか、俺の隣にスーツ姿の女性が立っていた。

 長身で、仕事が出来そうな雰囲気を醸し出している。

 突然声を掛けられたので、少し驚いた。

 

 

「失礼しました。私、万里花お嬢様の身辺のお世話をさせて頂いている本田と申します」

 

 

 本田さんじゃねぇかっ!!

 万里花の護衛もとい監視もとい護衛の人じゃないか!

 

 

「……初めまして。ご存知だとは思いますが、倉井蓮です。えっと、よろしくです……」

 

 

 ……こういう時、何を話せば!?

 ボディーガードと会話する機会何て、普通ないから何言えば良いのかワカンナイ!!

 ドウシヨウ!?

 

 

「お早いのですね」

 

「えっ!? あ、はい! その家に居たら落ち着かなくて、じゃ無くて早く来るのは当たり前ですので!」

 

「ええ。……そろそろですね」

 

 

 何がそろそろなのか聞く間もなく、どこからかサイレンの音が聞こえて来た。

 もしかして、そう言う事……?

 

 

「では私はこれで。倉井さん。お嬢様のこと、よろしくお願いします」

 

「……はい。任せてください」

 

 

 こちらに向かって頭を下げてくる本田さんの姿を見て、例え何が襲って来ても万里花お嬢様だけは無事に家に帰す……!

 と、決意を固めていると、警察車両(パトカー)が勢いよくこちらに向かって来て、急停止した。

 運転手の警官が後部席のドアを開け、そこから万里花が姿を現した。

 

 

「お、おはようございます蓮様! お待たせして申し訳ありませんっ!」

 

「いや、俺こそ早く来すぎただけだから……。何でパトカー……?」

 

「……言ってませんでしたね。私の父は警視総監を務めておりまして……少し過保護なものですから」

 

「職権乱用って言わない? それ」

 

「どうでしょう?」

 

 

 ニコリと微笑む万里花さん。

 その笑顔はちょっと怖いかな……。

 

 

「あ、皆さんもう構いませんよ」

 

『良い休日を!』

 

 

 敬礼して、警察官の人たちは立ち去って行った。

 ……どこかで見たことあると思ったら、最近朝のコンビニで会った人たちじゃないか。

 もしかして、彼女を護衛するために増員された、とか?

 あー………そういえば、コンビニが混んでいた時って、万里花が転校して来た日だったな。

 

 

「では、行きましょうか」

 

「ん……」

 

 

 万里花の服装はオフショルダーで、肩と背中の露出が多く、目のやり場に困る……!

 肩にショルダーポーチを掛けている。

 そして首には、緑の勾玉ネックレスが。

 

 

「……? どうかしましたか?」

 

「あ、いや……」

 

 

 じっと見すぎたせいで、万里花に不審がられてしまったようだ。

 

 

「その、今日の万里花は可愛いな……」

 

「へっ? あ、ありがとうございます……!」

 

 

 ちーがーうーだーろー!!

 服装褒めようとしたのに、何で万里花が可愛いなぁになるんだよ!! 

 落ち着け……! 

 ゆっくりで良いから、変なこと言わないように気をつけるんだ……!

 

 

「えへへ。褒められるなんて、張り切って来た甲斐がありました!」

 

「あー……。うん。良かった」

 

 

 両手を合わせて微笑む万里花さん。

 もう動いてるだけで愛おしいのでは……!?

 ……お、落ち着くんだ。

 

 

「はい! あ、もちろん蓮様も格好良いですよ? 私のためにお洒落してくださいました?」

 

「え? う、うーん……。そうなる、かな」

 

 

 初デートだからと気合い入れて来たが、まぁ、万里花の為って言っても良いよな?

 

 

「気合いを入れたのが私だけじゃなくて良かったです」

 

「……俺も良かったよ。その、ネックレスはまだ掛けてくれてるんだな」

 

「はい! 私の大事な宝物です!」

 

「そ、そっか……。ありがとうな……?」

 

 

 渡した時はそのうち捨てられると思って、適当に選んだような記憶もあるが忘れよう!

 

 

「それじゃ、行こうか」

 

 

 婚約関連のことを尋ねたいが、まだ今日は会って間もないので、落ち着いてからゆっくり話を聞こうと思う。

 ――――と歩みを進めようとして、

 

 

「……万里花?」

 

「あ、す、すみません! 大丈夫です!」

 

 

 万里花が、どことなく憂いを帯びた顔をしている気がした。

 ……何となく求めていることがわかった気がした。

 

 数秒悩んで、ゆっくりと万里花の方に手を差し出す。

 

 

「……よろしいの、ですか?」

 

 

 少し困惑した様子で、万里花が聞き返して来る。

 

 

「ま、まぁ、でーと。だからな」

 

 

 声が震えているような気がする。

 顔も熱い。

 もし断られたらどうしようと、今更ながらに不安に襲われる。

 

 

「~~はいっ!」

 

 

 しかし、万里花は花が咲いたような笑顔で腕に抱きついて来た。

 抱きつかれるとは思っていなかったので、思わず姿勢が崩れ、ガクっとしてしまった。

 そこまで来ちゃうの……?

 

 と、万里花も自分の体勢に気が付いたのか、ちょっと距離を置いた。

 手と手は繋がっているが、うん。丁度良い距離なのではないだろうか。

 

 

「行きましょう!」 

 

 

 万里花に手を引かれて、ようやく歩き始めた。 

 人生初のデートは、まだ始まったばかり――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

 触れる手の柔らかさが、何だか落ち着かない。

 小さく柔らかい万里花の手は、少し力を入れたら潰れてしまいそうで、手の力加減が難しい。

 触れ合う手と手の熱が、何だか心地良く感じる。

 ……緊張で手汗が出ないと良いが……。

 

 手を差し出しておいて何だが、いきなり手を繋いでよかったのだろうか?

 

 正直な所。

 先程手を差し出したのは、原作の知識で知っている彼女(万里花)がこういった行為を良くしていた為に気付けたもので、今俺と手を繋いでいる彼女(万里花)はある意味別人なわけだから、実際に求めていた事は違うかもしれない。

 そう不安になって横目で彼女の姿を確認すると、

 

 

「~~♪」

 

 

 ……大変満足そうなので、手を差し出したのは正解ということにした。

 何というか、超ご機嫌である。

 どれくらいかと言うと、道端ですれ違う人たちが、こちらをちら見する程度にはご機嫌だった。

 ちょっと恥ずかしかったけれど、手を差し出しておいて良かったと思える。

 

 

「なぁ、今更だけど、名前で呼ばれるのは嫌じゃないか?」

 

「どうしてですか?」

 

 

 そんなことを聞かれる意味がわからない。

 といった様子で万里花はきょとんとした。

 

 

「どうしてって……、うーん、嫌じゃないなら良いんだけど」

 

「むしろ、呼んでくださらない方が嫌ですわ」

 

「……了解」

 

 

 今更だが、つい昔と同じ様に呼んでいた事を、不快に思われていないか確認した。

 全く思われてなくて一安心である。

 っと。

 歩幅をあまり大きくしないように気をつけないとな……。

 俺がのんびり歩くくらいのスピードで合わせると、丁度良さそうだ。

 

 

「そうだ。学校はもう慣れたか? 困ってる事とかないか?」

 

 

 口に出してからで何だが、これ同級生が聞くような質問か……?

 

 

「ふふっ。何ですかその質問。まるで父みたいですわ」

 

 

 万里花にも笑われてしまった。

 そりゃあ同級生の男にそんなこと聞かれたら笑うよなぁ……。

 

 

「……いや、だって学校じゃあんまり話せてなかったから……」

 

 

 というのは詭弁で、ただの言い訳である。

 

 

「冗談です。学校は蓮様とあまり話せていないこと以外は……、いえ、1つだけ悩みがありましたわ……」

 

 

 ……意外と聞いておいてよかった話かもしれない。

 万里花は転校して来てまだ2日程だが、もう困った事があったらしい。

 

 

「……それは俺が聞いても大丈夫な悩みなのか?」

 

 

 口に出している時点で聞いて欲しい。と、言っているように感じられたが、念のために確認しておく。

 

 

「はい。それは勿論です。クラスの桐崎さんの事なんですが」

 

「うん」

 

「……その、私たち。昔に会った事があるんですよね……。それも、桐崎さんだけではなく、一条さんにも、小野寺さんにも」

 

 

 ……知ってる。

 原作知識(ぜんせ)の記憶は便利だが、こういう話をする時は厄介に感じてしまう。

 

 

「……そうなのか」

 

「ですが、彼女たちは誰1人として出会った事を覚えてないみたいで……。私、桐崎さんに初めましてって言われた時に、少し困ってしまいました」

 

「う、うーん……」

 

 

 あはは、と笑う万里花だったが、その笑顔は少し硬い物だった。

 原作には桐崎さんと万里花が険悪になる理由があったが、許婚の立場が俺の時点で、万里花と桐崎さんが険悪になる理由が無い。*1

 その為、桐崎さんが万里花に好印象を抱くのはありそうな話だ。

 でも万里花は一条たちと会っていたことを覚えているので、桐崎さんと会った時に初めましてと言われたのはショックが大きかっただろう。

 

 

「……昔に会った事を言ってみたらどうだ?」

 

 

 きっかけさえあれば、桐崎さんたちも昔のことを思い出すかもしれない。  ……そうなった場合、とんでもなく原作崩壊が起きそうだが、俺の住んでいるここは漫画じゃないので、気にしないことにする。

 

 

「んー……。おかしな目で見られないですかね?」

 

「それは……、可能性としてはあるかもしれないな……」

 

 

 俺がもし健二に昔会った事がある。と言われたら何と答えるだろうか。

 ちょっと考えてみよう。

 

――――

 

「蓮! 実は俺とお前は昔に会った事があるんだぜ!」

 

「何、それは本当か! ……もし、そうなら悪かったな」

 

「何、気にするなよ。俺とお前の仲じゃないか。んじゃ、昔貸した100円今度返してくれよな」

 

「あ、何だ嘘だったのか」

 

「なんだとっ!? 100円の恨みは恐ろしいんだぞこの野郎!」

 

「てめぇのは詐欺だろうが! ふざけんな!」

 

「野郎ぶっ殺してやる!」

 

――――

 

 …………あかん、殴りあいが始まった(ぽんこつシミュレーション)。

 でも何だかんだ殴りあった後は、仲良くなることが出来るような気がする。

 しかし、これが女の子同士だったとしたらそうもいかないだろう。

 

 そもそも殴りあう必要ないし……。 

 

 

「……俺の意見としては、今のままで仲良く出来そうなら黙ってても良いと、思う。今は思い出せないかもしれないけど、そのうち思い出すかもしれないし。ただ、万里花が気になるなら話した方が楽になると思う」

 

「……思い出してくれるでしょうか」

 

「例え思い出せなかったとしても、万里花が否定されることはないと思うぞ。話したことはないけど、彼らがお人好しなのはわかるし。あと、前に一条が昔の話をしてたから、案外思い出す確率の方が高いんじゃないか?」  

 

 

 話したことはないけど、色々知ってるしな!

 

 

「……わかりました。桐崎さんたちと話をしてみようと思います。昔にした約束の事も聞かなきゃいけませんので」

 

「……約束、ね」  

 

 

 万里花は一条に、小野寺さんが約束の相手だと教えるつもりなのだろうか。

 

 

「ふふ。私たちの約束。気になりますか?」

 

「いや、そこまでは」

 

「気になりますよね?」

 

「え。そ、そうだな」

 

 

 何でそこで強引に来たんだろう……。  

 こちらとしては、原作の知識があるのであまり気にならなかったが、ここは聞くのが正解だったか……。

 

 

「私と蓮様が出会い、別れた後、私は桐崎さんたちと出会い、ある約束をしていました」

 

「うん」

 

「皆でいつか再会した時に、また仲良しになろうって」  

 

 

 ………………。

 

 

「……それを万里花以外が忘れている、と?」

 

「はい……。あ、まだ1人会っていない方がいるので、その人は覚えているかもしれません。彼女はわたし達よりも年上でしたし」

 

 

 そういえば、そんな約束もあったな……。

 ……これが忘れられてるのは、ちょっと精神的によろしくないかもしれないな……。  

 

 ん、聞きたい約束がこれとなると、万里花も一条の約束の相手が小野寺さんだということは忘れているのだろうか?

 

 

「それは……、思い出してくれるまで待つのは、精神的にも嫌だな」

 

「そうなんです。ちなみに、私と蓮様も約束した事が一杯あるんですよ? 一つでも覚えていないですか?」

 

「え、複数なの? …………え、えーと、何だっけかなぁ」

 

 

 そんなに約束したの!?

 ……俺が万里花と会っていた時間自体は少なかったが、話はたくさんした記憶がある。

 勢いで何かを約束してしまったのかもしれないが、正直に言うと10年前に会話したこと何てほとんど覚えていない……。  

 

 

「すまない……。その時約束したことが全く思い出せない……。婚約と関係はあるのか?」

 

「さぁ、どうでしょう? ゆっくり思い出してくださいな」

 

 

 万里花は約束を覚えていないことに対して怒って居なかった。

 それどころか、なぜか楽しんでいるようにも見える。

 うーん、謎だ……。

 

 

「この近くに父から聞いたお勧めのお店があるのですが、行きませんか? 丁度お昼過ぎですし」

 

「ん? わかった。行こう」

 

 

 万里花に手を引かれるままに道を歩いてたのだが、あてもなく歩いていた訳じゃなかったらしい。

 万里花さんったら策士ね!!(何が)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうですか? このお店」

 

「…………場違い感が強いかな」

 

 

 高級なお店。という感じがして、庶民の俺からしたら少し落ち着かない。

 

 そんな俺と比べて、向かい合って座っている彼女は落ち着いており、平常時と同じ振る舞いをしていた。

 やっぱりお嬢様なんだなぁ、と実感が湧く。

 何で俺はこんな子の許婚に成れているのだろう?

 そわそわした気を紛らわせるように、運ばれて来たアイスを1口食べる。

 

 

「味の方はいかがですか?」

 

「……美味しいよ。でも、普段食べてるアイスの時に感じる美味しいとの差は分からないな……」

 

 

 これを貧乏舌と言います。

 俺に高級品など要らなかったのだ!

 

 

「そんなに難しく考える必要はありませんわ。蓮様が美味しいと言ってくださるだけで、案内して良かったと思えます」

 

「…………万里花。その……肯定してくれるのは嬉しいんだけど、あの、ちょっと照れるから、控えてくれない?」

 

「まぁ」

 

 

 万里花は口に手をやり、愛おしい物を見るかのような目でこちらを見てくる。

 な、なんだよぅ……。

 

 

「ふふ。気をつけますわ」

 

「…………うん」

 

 

 本当にそんなつもりがあるのかとか、色々と言いたくなったが飲み込んだ。

 わざわざやぶ蛇を突かなくても良いだろう。

 

 

「……そろそろ聞いて良いか?」

 

「どうぞ?」

 

 

 俺が何を聞きたがっていたのかわからないようで、万里花は不思議そうな顔をしていた。

 

 

「俺と万里花が婚約したってのは、一体どういう経緯でそうなったんだ?」

 

「そうですね……。お話するのは問題無いのですが、(ここ)では少々人目につきますね……。移動してからでも良ろしいですか?」

 

「ここより人気のない所ってことか?」

 

 

 店内にはちらほらと客は居るが、気にする程ではないと思う。

 ここより人気のない所と言えば、もう密室に入るくらいしないといけないのではなかろうか。

 

 

「そういうわけではないのですが、ここだと、ちょっと聞き耳を立てれば話を聞かれてしまう可能性があるので」

 

「……わかった」

 

 

 お嬢様(万里花)がそう言うのならそうなのだろう。

 他の人に聞かせるような話ではないので、ここは頷いておく。

 後で話してくれるということなので、今はこの店を堪能しよう。

 

 

「……」

 

 

 ……しまった。

 頼んだコーヒーにミルクを付けるのを忘れていた。

 ……しかし、ここで改めてミルクだけを頼むのは、何だか恥ずかしいので我慢して飲むことにしよう。

 苦いのが全く飲めないという訳でもない。

 たまには苦いのも良い……。

 

 

「良ければどうぞ」

 

 

 そう言い万里花が差し出して来たのは、丁度欲しかったコーヒーミルク。

 彼女は一瞬にして俺の決意を砕いたのだった――!

 

 

「…………そんなに顔に出てたか?」

 

「何やら微妙そうなお顔だったので」

 

 

 見透かされているとしか思えない。

 俺は既に万里花の手のひらで踊る哀れな虫だったのだ。

 虫じゃねぇよ!

 

 ……一人突っ込み完了。

 少し冷静さを取り戻す。

 

 万里花の様子を見ると、優雅に紅茶を飲んでおり、その佇まいはいいとこのお嬢様といった風貌だ。

 あたふたしている俺とは大違いだ。

 

 

「何ですか? こちらをじっと見つめて……」

 

「見惚れてた。……あ、いや! 違くて!! いや違くはないんだけど、あの……」

 

 

 正直過ぎィ!!

 冷静さを取り戻したとは、一体なんだったのか……?

 

 

「……蓮様も、私を照れさせようとしてませんか?」

 

「違わいっ。わざとじゃなくて、反射的に答えちゃったというか……」

 

「それは……。もう、今度からは2人きりの時にしてくださいね?」

 

「え、うん……」

 

 

 顔を赤くして恥ずかしがる万里花が可愛くて、反射的に頷いてしまった。

 まぁ問題はないだろう。……ない筈。

 

 ……しつこいかもしれないが、彼女――万里花はとてつもない美少女である。

 10人がすれ違えば10人振り返るどころか、どこからか見物人が寄って来そうなくらいの少女なのだ。

 果たして――2人きりになった時に精神が持つだろうか(緊張的な意味で)。

 

 

「さて、そろそろ行きましょうか」

 

「ん、わかった」

 

「支払いは半分ずつでよろしいですか?」

 

「うん。細かいのは俺が出すよ」

 

 

 これくらいなら男側が払っても、彼女が気に病むことはないだろう。

 

 

「ありがとうございますっ」

 

 

 高そうなお店だけど、あんまり料金高くなくてよかった……!

 

 

 

 

 

 お店を出た後、どちらからともなく自然と手を繋ぎ始めた。

 店から外に出たせいか、太陽が少し眩しく感じた。

 万里花は太陽の光に手をかざして、目元に影を作っていたが、嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

「……万里花。身体の方は大丈夫なのか?」

 

「ええ、ばっちりです。蓮様のおまじないのおかげですわ」

 

「……それも覚えてたのか。あんまり無理はするなよ?」

 

「忘れるわけないじゃないですか。私と蓮様が出会ったあの場所で、一番記憶に残ってますもの……」

 

 

 俺の予定では、綺麗さっぱり忘れてるはずだったんだけどね。

 予想ではネックレスを渡してから、数ヶ月以内に一条少年と万里花が出会い、そこで一条少年が渡すはずのアクセサリーが効果を発揮して、あたかも病気が治ったように見せかけるはずだったのだ。

 何で彼は原作と同じ行動をしなかったのだろうか。

 

 

「それに、病弱だった時と比べて体力もついているんですからね? もう少し歩いただけで倒れていたあの頃とは違うのですよ」

 

「……それは良いことだな。でも、少しでも辛かったら言って欲しい」

 

「心配性ですね。……辛くなったらちゃんと言います。無理はしません」

 

 

 と、彼女は言っているが一応注意して見ておこう。

 自分の我がままのせいで、彼女が倒れでもしたら自分を許せないだろうし。

 

 

「そこでお話しませんか?」

 

 

 万里花が指し示すのは、公園にあるベンチの1つだった。

 

 

「ん? まだ人目があると思うけど」

 

「ええ。ですが丁度良いくらいの騒がしさがあります。私たちに近付いてこない限り、会話を聞かれる可能性は低いと思いますわ」

 

「そういうならいいけど」

 

 

 2人並んで座る。

 手と手が触れ合うような距離で、客観的に見たらカップルに見られるかもしれない。

 

 

「それで、聞かせてくれるか?」

 

「はい。どこからお話しましょうか。私と蓮様が出会ってから別れるまでのことは覚えていらっしゃいますか?」

 

「……大体は。そのネックレスをあげて別れたんだよな」

 

「そうですけど……。その後に大事な、大事な約束をしてから別れたのですよ?」

 

 

 ……先程話した複数ある約束とは、何だか重要度が違いそうだ。

 約束ねぇ……。

 一体、何という約束だったのか……。

 

 

「まぁ、これはぶっちゃけて言いますと結婚の約束なんですけどね」

 

 

 ッ!!?

 

 

「ぶっちゃけ過ぎ!!? 軽く言っちゃったよ! てか、マジで!? 俺が、結婚の約束したのか!?」

 

「あははは。驚き過ぎですよ蓮様」

 

「驚くよ! そんな重要なことを忘れていたんだぞ……? 結婚の約束をしてたなんて……」

 

「まぁ、冗談みたいな感じでしたけどね。おっきくなったら結婚しましょう、みたいな感じで」

 

「…………適当に返事してたかもしれないな」

 

「ふふ。その約束が婚約者になるきっかけでしたわ」

 

 

 まさか本当に結婚の約束をしていたなんて……。

 墓穴を掘って、首絞めて、穴に埋まるまである……。

 

 あの時の俺は、万里花の病気を治してあげよう! 

ということ以外は考えてなかったし、まさか彼女に好意を持たれるなんて露ほども思っていなかったから、話半分で適当に返事をしていたのではないだろうか。

 ……何てことをしたんだ昔の俺……!

 しっかりしろよ!

 

 

「蓮様と別れた後、一条さんたちと出会い、別れ。その(あと)から急激に私の体調が良くなったんです」

 

「……うん」

 

「私のお付きのお医者様も奇跡だとおっしゃっていましたわ。治った原因は全くわからなかったのですが、私は蓮様に貰ったこのネックレスのおかげだと思い、父に自慢しました」

 

「自慢したんだ……」

 

 

 俺が言った内容を覚えているならネックレスのおかげって思っちゃうよな……。

 普通に付けてたら病気治るって言った覚えあるもん……。

 

 

「病気が治って嬉しかったもので、つい。そこで父が言ったのです。蓮様の事が好きになったのなら、私の婚約者にしてあげようか。と」

 

「……それ、簡単に言ってるけど、言って出来るもんじゃないだろ」

 

「普通に考えればそうですよね。ですが、その話からしばらく経って、父は私に婚約を約束したと話してくださりました。蓮様のご両親に許可を貰ったと」

 

 

 ……そうだ。

 本当にこの許婚が正式な物だとしたら、彼女の父親は俺の両親と会っているはずなのだ。

 

 

「……本当に? 万里花。俺の親に会ったって言うのは本当なのか?」

 

「え、ええ……。父はそう言ってましたが……」

 

 

 ……分からない。

 俺の親がそんなことを許可する理由なんて……。

 

 

「あの、蓮様は今ご両親とは?」

 

 

 俺のただならぬ様子に気圧されたのか、万里花がおずおず、と言った様子で尋ねて来た。

 

 

「……俺は今一人暮らしだから、婚約の話は聞いたことがない。……その、あんまり仲が良くないんだ」

 

「……そう、だったのですね」

 

 

 …………誰にも言って居なかったが、俺は親との仲が良くない。

 俺の事に対しては無関心だから、勝手にそんなことを約束していたとしてもおかしくはない……か。

 

 

「万里花。今度、万里花の父さんに会わさせてくれないか?」

 

 

 もし、万里花の父さんが俺の両親に本当に会ったとしたなら、聞きたいことがある。

 

 

「えっ!? そ、それは、あの、け、結婚前の挨拶ということですか!?」

 

 

 (てん)(てん)(てん)(まる)

 

 

「何でそうなるんだよ!! 第一、俺と万里花は付き合ってすらないだろ!!」

 

「え、ええっ!!? でも今日デートしてくださってるじゃないですか!」

 

「いや、デート (イコール)恋人ではないだろ!!」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 

 あからさまに落ち込んだ表情になってしまった万里花だが……、事実なのだから仕方がないだろう。

 それに一つ彼女に伝えておこう。

 

 彼女は客観的に見ても、外見良し、愛想よし、器量よしの最高の美少女だ。

 彼女のそんな部分だけを見て、付き合いたいと思う男たちは何人もいるだろう。

 しかし、

 

 

「悪い万里花。俺と万里花が許婚だって言われても、……俺はまだ万里花を好きだって本気で言えないんだ」

 

 

 万里花が可愛くて、魅力的なのは認めている。

 ただ付き合い始めるだけなら、それだけの理由で良いのかもしれない。

 でも、俺と万里花の場合は許婚であり、もし付き合うとなったら結婚まで一直線だろう。

 もしそうなった時に、外見が良いからという理由で始まった関係が、そう長く続くだろうか?

 

 

「蓮様……」

 

「……万里花はどうなんだ? 俺が婚約者だから好きなのか。俺が好きだから婚約者なのか」

 

「………………」

 

「こんなことを言うのは、本当に悪いと思ってる。……だけど、俺たちはまだ再会してから3日しか経ってない。昔に会った時は好きだったのかもしれない。けど、今も本当に俺の事が好きなのか?」

 

 

 最低な事を言っている自覚がある。

 自分の事を慕ってくれている子に、何でこんなことを言ってるんだろう……。

 

 …………理由はわかっている。

 俺が万里花のことを信じきれていないだけなのだ……。

 

 

「…………勿論、本当ですわ」

 

「ちょ、なっ!?」

 

 

 不意に万里花は俺の手を取って、自身の豊満な胸に当てた。

 若干視線を下に向けていた俺は、一瞬空白があり、彼女の行動を止めることが出来なかった。

 手に柔らかい感触が広がる……。

 

 

「私は昔、蓮様に好意を持ちました。それは今となっても同じです。ちゃんと理由はありますよ?

貴方のすぐ顔に出る素直さとか、思ったことをすぐ言っちゃうこととか。昔から全然変わっていない所……。大好きです。

自分が言うのは良いのに、相手から冗談を言われるとすぐ不安になっちゃう臆病さとか、今も変わってませんね……。

今も昔も、私のことを気遣ってくれる優しさが好きです。

ほら、貴方の好きな所はこんなにもあります。

……それに、私の胸の鼓動も大きいでしょう?

今だけじゃありません。……実はデートが始まって、最初に手を繋いだ時からずっとなんですよ?

こんなこと、好きじゃない人となんてならないでしょ?」

 

 

 時間が止まったような気がした。

 

 

「…………そう、なんだな」

 

 

 かすれた声で、何とか相槌を返す。

 

 

「ふふ、お顔が赤いですわよ」

 

「……存じておりますわよ。万里花さんもですわよ」

 

「あら、いつの間にオネエ系にジョブチェンジしたんです?」

 

「違うよ! 万里花のマネしたんだよ!!」

 

 

 お嬢様言葉を男がマネしたらオネエ系になった件について。

 お嬢様はオネエだった……?

 ……糞みたいなことを考えるのはここまでだ。

 

 ……本当に万里花は、俺のことが好きなのだろう。

 彼女の今の言葉を聞いて、まだそれが本心じゃないなんて言える奴は朴念仁どころの騒ぎではない。

 

 ……俺は万里花に何を伝えれば良いのだろう。

 さっき言った通り、俺は彼女の事を魅力的だとは感じているが、それだけだ。

 今、彼女が言ってくれたような事を何も言えない……。

 

 でも、それだけの理由で告白を断るのか……?

 嫌いではないが、好き以上の思いを持っていないからと?

 

 それとも俺が万里花のことを愛するまで待ってくれと伝える……?

 何様だって話だ……。

 そうなる保証もないってのに、とんだ糞野郎だ。

 

 

「……何やら随分とお悩みのようですね」

 

「……ああ。自分の優柔不断さに呆れてるよ」

 

 

 自分の(つら)を殴ることができたら、全力で殴っている事だろう。

 

 

「そんなところも、貴方の魅力だと思いますよ?」

 

「……それは無いだろう。君の告白にどう答えれば良いか分からず迷ってるんだぞ?」

 

 

 本当、何で俺の事をそこまで想えるのだろう。

 

 

「答えが出せないなら、私は待ちます」

 

「……何?」

 

 

 万里花の胸に当てていた手を、今更ながら戻して聞き返す。

 

 

「10年も待ったんですもの。少しの間くらい待ってさし上げますわ。蓮様が答えを出してくださるまで、私待っています」

 

「万里花……」

 

「そ・れ・に」

 

「……?」

 

 

 突然万里花が立ち上がり、こちらを見下ろし、

 

 

「答えが出るまでに、完全に私に惚れ直させて差し上げますから。覚悟してくださいね♪」

 

 

 ついでに俺の鼻先を指先で撫でながら、そう……宣言したのであった。

 

 

「…………何て言うか……。付き合ったとしたら尻に敷かれそうだなぁ……」

 

 

 無理矢理絞り出した俺の一声は、ある意味敗北宣言だった。

 

 

「ふふ。蓮様がお望みになるのなら、亭主関白でも構いませんよ?」

 

 

 上品に微笑む、万里花の笑顔は、再会した中で一番晴れやかに感じられた。

 その笑顔を見て、俺は一つ思い出した事があった。

 

 

『約束ばい。大人になって再会した時に、ウチが蓮君以外を好きになってなかったら、ウチと結婚するんよ?』

 

『分かった。もし、そんなことがあったらな』

 

 

 ニコリ、と昔晴れやかに笑った万里花の笑顔と、今浮かべた笑顔が頭の中で一致して、

 俺は漸く、万里花と結婚の約束をしていたのだと、思い出したのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

*1
ここで言う険悪とは恋敵という意味。









目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

 万里花の惚れさせる宣言を聞いた後のデートについてだが、あまり長く続かなかった。

 どういうわけかというと、宣言の(あと)(ほど)なくして彼女の携帯に家に戻って欲しいと連絡が来たのだ。

 

 彼女の家の事情なので、詳しく内容は聞かなかった。

 というのは建前で、正直に言うとタイミングが良かった。とも言う。

 万里花の告白を受けて、その後のデートを滞りなく過ごせる自信が無かったからだ。

 

 休日を1つ挟んで登校日。

 

 何時ものようにコンビニで朝飯を買い、学校に向かっている途中で面倒な奴に見つかった。

 

 

「おうおう、蓮君よォ! 美少女とのデートはどうだった!?」

 

 

 何と表現して良いのやら。

 健二が見たこともない形相でこちらを睨んで来た。

 

 

「…………楽しかったよ」

 

 

 変に誤魔化すと、余計な事まで聞かれそうなので、正直に答えた。

 

 

「普通に感想言ってんじゃねぇよ! 羨ましいぞ!」

 

 

 強引に首に手を掛けながら、恋愛魔術師(健二)が絡んで来た。

 ……正直に言えばこうだし、誤魔化したら、何であんな美少女と遊びに行った感想がそれなんだよぉ! みたいな感じで絡まれる気がする。

 どっちにしろ絡まれるのか……。

 

 今まで登校時間が被ったことは2、3回しか無かったというのに、今日に限って鉢合わせするとは。

 ……まさか待っていたわけではあるまいな。

 

 

「どこまでした? やった? 何もなかった?」

 

 

 ……うぜぇ。

 

 

「……手は繋いだ」

 

「ほう。……感触は? 初めて異性と手を繋いだ感想は? 手汗かいたか?」

 

 

 …………。

 

 

「……なぁ、そろそろぶん殴って良い?」

 

「おいおい、俺と蓮の仲だろ! これくらい聞いたくら、ぺふっ!?」

 

 

 軽くぺち。と音が出る程度の勢いで裏拳を叩き込み、健二の拘束から逃れることに成功する。

 そして少し距離を取った。

 

 

「おい! 鼻に当たってたら鼻血出るところだったぞ!」

 

「大丈夫出てない。当たったとしてもそんな勢いでは殴ってないわ!」

 

 

 頬をちょっと叩いただけでうるさい男だ……。

 ……いや、もしかしたら顔に何か傷でもあったのだろうか……?

 もしそうだったとしたら、少し悪いことした気分になる。

 

 

「俺は深く傷付いた。それによって謝罪代わりの恋愛話を所望する」

 

 

 ……うん。特に問題なさそうだ。

 

 

「桐崎さんレベルの拳喰らいたい?」

 

「大変申し訳ありませんでした」

 

 

 健二は道端だというのに、膝を地面に着け、頭を下げようとした。

 ので、俺は肩を押さえつけて頭を下げるのを阻止した。

 

 

「こんな衆人の目の中でやめなさい」

 

「……わ、悪かった。つい興奮してた」

 

 

 ……気持ち悪いッ!?

 当事者よりもテンションを上げているのではないかこの男。

 もしこいつに恋人が出来たら、相手をするのは大変そうだ……。

 ……いや、意外と聞きたがりなだけで、話すことはしないタイプかもしれないな。

 

 

「で、結局のところ付き合ったのか?」

 

 

 やはり気になるのはそこか。

 ……健二にはここも誤魔化さないで話しておこう。

 

 

「保留にして貰った」

 

「……は?」

 

 

 だよな……。

 その反応は予想がつく物だった。

 

 

「どういう事だよ連」

 

「……彼女に告白して貰った。で、その返事に迷ってたら保留でも良いって提案してくれたんだよ……」

 

 

 改めて口に出して言うと、どれだけ酷い事をしているのか……。

 凄い罪悪感がわき出てて来る。

 

 

「はー……。蓮殿は優柔不断だったでござるか……」

 

「うっせ」

 

 

 自覚はありますよー! だっ。

 

 

「告白されたなら付き合えば良いのに。橘さんのこと嫌いじゃないんだろ?」

 

「ああ。嫌いじゃない。だけどこれと言って好きって言えるような事が無かった」

 

 

 というより、あの告白の返事が出来る程の好きが無かった。だろうか。

 

 

「何言ってんのお前。あんな美人で可愛くて性格も良さそうな子のどこが好きじゃないんだ!?」

 

「……健二。お前は美人なので好きです。って告白するか? 性格が良いところが好きです。で告白するのか?」

 

 

 健二の憤りはわからないでもない。

 でも俺の場合、付き合う(イコール)ほぼ結婚であるため、軽く返事をすることが出来ないのだ。

 

 

「いや、そうは言わないな。その場合なら単純に好きって言うか」

 

「そんな薄っぺらい返事は出来なかったんだよ。もっと、理由が欲しいというか……」

 

「へぇ……。それだけ橘さんの告白が凄かったってことか?」

 

 

 ……今日一番のニヤけ顔で、健二が尋ねて来た。

 

 

「………………教えない」

 

「なっ!? それはズルいぞ!」

 

 

 再び覆い被さって来ようとする健二をかわし、小走りに移行する……!

 こんな道端で健二(アホ)に付き合っていられるか……!

 

 

「あっ! 逃げる気だな!? もっとズルいぞ!!」

 

「ばーか! 逃げるに決まってるだろばーか! こんな所でお前の相手なんかしてられるかばーか!」

 

 

 ばーか! ばーか!

 

 

「何ィ! 馬鹿って言ったな3回も! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞ!」

 

「言い訳は地獄で聞くぜぇ!」

 

 

 道を歩いている人たちに、怪訝そうな表情で見られながら、俺と健二の追いかけっこは学校に着くまで続いた。

 俺はこの後、朝飯を食べる時間も確保しなければいけないので、早く着いたのは良い事と言えば良いのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます!」

 

「……おはよう」

 

「おはよう橘さん!」

 

 

 朝のホームルームの前。

 丁度朝飯を食べ終わった頃に、万里花がやって来て笑顔で挨拶をしてくれた。

 

 ……女の子に笑顔で挨拶されるだけで、胸の鼓動がうるさくなってしまうのは、相手が告白してくれた子だからだろうか?

 流石に緊張で手足が震える程ではないが、緊張している事は間違いない。

 緊張している事が顔に出ないように心掛ける。

 ……彼女には隠せてないような気もするが。

  

 

「橘さんは蓮に用事だよな? 俺少し離れてた方が良い系?」

 

 

 気を利かせてくれているように聞こえるが、俺からしたら恋愛話(コイバナ)のネタの為に遠慮しているようにしか思えない。

 

 

「いえいえ。聞かれても大丈夫ですので、そのままでいらしてください」

 

 

 万里花は健二にも笑顔で対応していた。

 

 

「……蓮! 女の子が普通に応対してくれてる! 感動!」

 

「……お前、普段どんな話し方してんの……?」

 

 

 健二の容姿はとびきり優れている、という程ではないが見た目は良い方で、格好もだらしないわけではない。

 であるため、初見で冷たい態度を取る女子はあまり居ないと思っていたのだが、違うのだろうか。

 

 

「誰かさんが広めてくれた噂のせいでな! このクラスは大丈夫だけど他クラスの女子だと悲鳴上げられたりするんだぞ! ぴぎゃあ! とかチョッケッピィ! とか!」

 

 

 ……コイツの中の女子は珍獣か何かか?

 しかし健二の言う噂というのは、

 

 

「え? 噂ってゲーセンの格ゲーで10人抜きしたって奴? クラスの奴となら2回くらいしか話したことないんだが」

 

「ちょっと待って。元がそれ? それならどんだけ曲解されて伝わってるわけ――――」

 

「あ、あのー。申し訳ないのですがよろしいですか?」

 

 

 困り顔の万里花が、おずおずといった感じで、話に割り込んできた。

 ……そうだった。馬鹿話してる場合じゃなかった……!

 

 

「ご、ごめん……」

 

「す、すみません橘さん! 俺ちょっと噂広めたやつ探してくる!」

 

 

 ホームルームまであと5分もないのだが、健二は舞子集の元に走って行った。

 噂と言えば情報通の舞子、ということなのだろう。

 面白おかしく騒ぎ立てることが多い彼なので、意外と犯人は舞子かもしれない。

 

 

「……待たせたな万里花。何の用事だ?」

 

「はいっ。今日の放課後は何かご予定はございますか?」

 

 

 ……これはもしかして、万里花の父さんに会えるという事だろうか。

 

 

「……予定はないよ」

 

「そうですか! でしたら、少しお時間を頂いても良いですか?」

 

 

 んー、万里花のこういう丁寧な口調は嫌いではないが、もうちょっと軽い感じで言ってくれた方が良いような。

 教室(ここ)では何だし、今度話し方について聞いてみよう。

 

 

「大丈夫だ。どこに行くんだ?」

 

「ちょっと屋上まで付き合って貰いたいのです」

 

「屋上まで……?」

 

 

 父の件では無かったか……。

 屋上に1人で行きたくないということだろうか?

 ……まぁ、一人で行くにはちょっと行き辛いかもしれないが、何で放課後なのだろう。

 昼休みでは駄目な理由があるのだろうか。

 

 

「昼休みじゃ駄目なのか?」

 

「ちょっと、時間が欲しいもので。……忙しいですか?」

 

 

 不安そうな顔をする万里花。

 ……良いって言ってるんだから、そんな不安そうな顔をしないで!

 

 

「そんなことないよ。放課後で大丈夫だ。…………あ。しまった、今日掃除当番だった。終わってからでも大丈夫か?」

 

 

 何てタイミングの悪い当番だ。

 

 

「問題ありませんわ。先に行ってますので。では蓮様! また後程!」

 

 

 微笑んでから万里花は席に戻って行った。

 彼女が笑顔になると、ぱぁーっと光のエフェクトが見える気がする。

 ……絶対気のせいだけど。

 

 さて、ホームルームまで後30秒も無いと思うが、……健二の姿がない。

 

 

「おーす。ホームルーム始めるぞー。……あれ、萩庭は休みか?」

 

「…………」

 

 

 いや、さっきまでは居たんですけどね……?

 

 

「だぁ! くそ、逃げられた。……って、あれ?」

 

 

 自分以外の生徒が席に着いていることに、健二が疑問の声を上げる。

 と、そこで丁度学校の鐘が鳴った。

 

 

「はい、萩庭遅刻な。さっさと席に着け」

 

「ええええ!! キョーコ先生! 俺遅刻してない! 席から離れてただけじゃん!」

 

「はいはい。席に着いてないと遅刻よ。次からは気をつけなさい」

 

「そんな……。こんなのって無いよ……」

 

 

 野太い声の男が言っても、ただ気持ち悪いだけである。

 

 

「……さっさと席に着けよ」

 

「んだと蓮コラァ!」

 

 

 他のクラスまで噂の原因を調べに行っていた、哀れな健二は遅刻扱いにされてしまった。

 彼は無遅刻無欠席というわけでもないので、今更1つ遅刻が増えたくらい、どうということは無いだろう。

 

 

「あるよ! 平常点下がるだろ!」

 

 

 コイツにそんな概念があったとは……!!

 

 

「安心しろ。お前にそんなものは既にない」

 

「何で!? 差別!?」

 

「存在がマイナスだ」

 

「鬼ですかあんたは!」

 

「あー……。そこの2人静かにするように」

 

 

 健二のせいで怒られてしまったので、会話を止めて黙る。

 どうしてこう、この男と会話を始めると馬鹿みたいな会話になってしまうのか。

 ……奴が馬鹿だからか。

 

 

「蓮……。これが終わったら覚えてろよ……」

 

 

 聞こえてるんだよなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「覚悟ぉ……おおっ!?」

 

 

 ホームルームが終わると、席に座ったまま勢い良く健二が振り向いた。

 俺はそれと同時に、猫だましを炸裂させる!

 

 ……思った以上に音が出て、皆から注目されてしまった。恥ずかしい……。

 

 

「ふっ……。やるな、流石俺の積年のライバル……!」

 

「お前のそのすぐキャラが変わるの嫌いだけど好きじゃないよ」

 

「結局嫌いじゃねぇか!!」

 

 

 うるさいばか。

 話は変わるが、休み時間の万里花は意外と人気が高いようで、

 

 

「あれ、俺のことは無視ですか?」

 

 

 女子とにこやかに談笑している姿が見える。

 桐崎さんとの関係も悪くないようで、ここ数日の間に何度か普通に会話をしているのを目撃した。

 

 

「なぁ、お前の昼飯食って良い?」

 

「波動拳」

 

 

 という名の、ただのパンチである。

 

 

「はふぅっ!?」

 

 

 効果は抜群だっ!

 

 

「何しやがる!」

 

「昼飯取ろうとしてたから……」

 

「くそっ。否定できねぇ……!」

 

 

 健二はそれで引き下がった。

 それでいいのか……!

 

 

「んで? 愛しの橘さん見つめてどうしたんだ?」

 

 

 み、見つめてないし!

 

 

「愛しのはやめろ。……ただ人気あるなーって思ってただけよ」

 

「そりゃあな。あの容姿であの性格だもん。それに転校生に加えてクラスに許婚がいるって話題性。人気にならない理由がねぇよ」

 

 

 何だその、解説キャラみたいな言い方。

 

 

「…………改めて考えると、その相手が俺って――」

 

「ああ。橘さんが可哀想だ」

 

「可哀想!? どういう意味か予想つくけど言ってみろおらぁ!!」

 

「相手がお前で可哀想って意味だゴラァ!」

 

「ぶっ潰す!!」

 

 

 拳と拳がぶつかり合う……!

 

 

「「……ッ!」」

 

 

 地味に痛い……! 

 というか、何だこのノリは。

 万里花が来る前から健二とふざけることはよくあったが、暴力に発展することはあまり無かったのに……。

 

 …………そうだ!

 きっと、俺に婚約者が出来て嫉妬してるんだ!

 

 

「分かってんじゃねぇかぁ!」

 

「ぎゃっふん!」

 

 

 健二の打撃を受けて俺は机の上に沈んだ。

 この借りはいつか倍にして返すぜぇ……(負け惜しみ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 俺は当番の掃除を終えて、屋上へと向かっていた。

 

 放課後に屋上に行く生徒は少なく、屋上に向かうにつれて生徒の数が減っていく。

 万里花は屋上で何の話をしたいのだろうか。

 

 

「――――」

 

「ん?」

 

 

 屋上のドアを開けようとして、話し声が聞こえたので開けるのを途中で止めた。

 珍しいことに先客がいたようで、ドアを少しだけ開けて屋上の様子を伺う。

 放課後に屋上にいる生徒なんて、ほとんどが告白しているような物だから、鉢合わせになったら気まずい。

 で、そうなると万里花はどこにいるんだ?

 ……まさか、万里花が誰かに告白されている!?

 急いで扉を開けて屋上に踏み込む!

 

 ……が、告白の心配は杞憂に終わった。

 屋上にいたのは万里花と、一条グループだったからだ。

 

 

『っ!』

 

「……驚かせたな。すまん……」

 

 

 ドアの開閉音で、一斉に振り返られたので謝っておく。

 何とも言えない表情をしている一条たちの顔を見ると、少しタイミングを間違えたように思える。

 

 

「……もうちょっと時間置いてから来た方が良かったか?」

 

「いえいえ! お掃除お疲れ様です蓮様!」

 

 

 万里花の笑顔には、俺の回復技(チート)並みの(いや)(りょく)がある気がする。

 彼女の笑顔は何度見ても飽きない……。

 

 

「……で、俺は何で呼ばれたんだ? 昔話でもするのか?」

 

「っ!? 倉井も昔俺たちと会ってたのか!?」

 

 

 一条が驚きながら聞き返してきた。

 やはり話していたのは、昔に会っていた事だったらしい。

 先日万里花と話した時は、昔話をするのを躊躇(ためら)っていたが、勇気を振り絞ったのだろう。

 

 

「俺は一条たちには会ってない。……はずだ」

 

「はい。会ってませんね」

 

 

 笑顔の万里花が首肯する。

 

 

「……何で呼んだの」

 

「一緒に、話を聞いて貰おうと思いまして」

 

 

 ……とりあえず、万里花の傍にいよう。

 しかし、今まで一条たちとの関わりがほとんどなかったので、彼らと何を話して良いかわからない。

 

 

「どこまで話したんだ?」

 

「私たちが出会い、別れるまでですわ」

 

「全部じゃん!」

 

 

 もう過去編終わってる!

 え、鍵の事も話したの!?

 

 

「な、なぁ。橘は俺たちの鍵の約束の内容まで覚えてるのか?」

 

 

 おずおずと、一条が尋ねた。

 そこまでは話していなかったらしい。

 

 

「この鍵ですわね」

 

 

 万里花がポケットから見慣れない鍵を取り出した。

 その様子を見た桐崎さんと小野寺さんも鍵を取り出した。

 

 ……後は錠さえあれば、小野寺さんの鍵で開くんだけどなぁ(ネタバレ)。

 

 

「ええ。覚えていますわ。はっきりと。……一条さんは覚えておられないのですか?」

 

「あ、ああ。……その、覚えてるなら教えてくれないか? 俺たちの中で、誰がその約束の相手なのか」

 

 

 万里花はその相手を言うのだろうか?

 と、その前に一つ口を挟む。

 

 

「相手? あれ、約束って皆で再会しようって奴じゃないのか?」

 

『っ!?』

 

 

 俺が万里花から聞いた話だと、全員の約束だったからな!

 一条と何寺さんの鍵かは知らないが、一応突っ込みを入れておかないと、万里花に不審に思われるかもしれない。

 万里花以外の3人は驚愕の表情でこちらを見ていた。

 

 

「という約束も含んでいます。が、もう1つ約束がありまして」

 

「約束好きだな」

 

「結婚の約束ですけどね」

 

「何か先日も聞いたことアルヨ!」

 

 

 約束の内容言っちゃった!

 あれ、一条は約束の内容は覚えているんだっけ? 

 このまま鍵の相手も教えちゃうのだろうか?

 

 そうなると原作崩壊どころじゃないな。 

 ……いや、俺が万里花の許婚の時点で崩壊してるけれども。

 

 

「……今は、まだ秘密です」

 

「えっ!? 何でだよ橘!」

 

「意地悪しないで教えてよ万里花!」

 

 

 ……桐崎さんが万里花のことを親しげに呼んでいる。

 これも原作崩壊かぁ……。

 仲が良さそうで良いと思いますよぉ!(テンション爆上げ)

 

 

「一条さんは鍵の相手が私だったらどうしますか? 千棘さんと別れて私と結婚しますか?」

 

「はぁっ!!?」

 

「え、ちょ、それ本当なの!」

 

 

 一条と桐崎さんが悲鳴を上げる。

 ……俺も思わず心臓がキュッとなった。

 

 

「……どうでしょう。一条さんにとってはどちらが大切なのですか? 現在(いま)の恋人と、過去の約束の相手。その答えが決まってから約束の相手を知った方が良いのではないですか?」

 

 

 ……ここで一条が答えを出すのは難しいだろう。

 俺は原作の知識で一条と桐崎さんが偽の恋人だということを知っているが、向こうは俺が気付いていることに気が付いていない。

 一条たちの事情もあるため、ここで昔の約束を優先するとは言えないだろう。

 

 

「俺は…………」

 

「一条さんの中で答えが決まったら、改めて私に尋ねて下さい。その時はお教えしますよ」

 

「…………わかった。その時は頼む」

 

 

 葛藤の末、一条の出した答えは引き伸ばしだった。

 俺も今の万里花との関係を引き伸ばしているようなものなので、少し親近感が沸いてしまった。

 

 

「……んで、これで昔話は終わりか? 帰って良い?」

 

「帰らないで下さいよ! 話はここからですよ!」

 

 

 ふざけた事を言って、深刻な雰囲気を壊す。

 俺の目的がわかっていたのか、万里花もすぐに切り返して来た。

 しかし、ここからある話とは……?

 

 

『…………?』

 

 

 一条たちも同様に疑問符が浮かび、全員で万里花の方を見つめる。

 コホン、と万里花が一つ咳払いをしてから、

 

 

「えっと、ですね。……その、また一緒に仲良くなりたいのです。今度は蓮様も一緒に……」

 

『っ!?』

 

 

 もじもじといった感じで、恥じらいの表情を浮かべながらそんな事を言った万里花の威力は凄まじいものがあった。

 俺は今一人きりだったら、地面に頭を打ち付けていたことだろう。

 一条は全力で顔を逸らしているが、赤面しているのは隠せていない。

 かく言う俺も真っ赤なんですけどねっ!!

 

 そんな男性陣とは違い、桐崎さんと小野寺さんは万里花に向かって駆け出し、

 

 

「勿論だよ万里花! ……初めまして、なんて言っちゃって本っ当にごめん!」

 

「私も……覚えてなくてごめんなさい。万里花ちゃん。……許してくれるなら、また友達になって欲しいな」 

 

「……勿論ですわっ」

 

 

 美少女3人が仲良さげに談笑する様を、俺と一条は外から眺めることしかできなかった。

 あぁ~。仲良し美少女三人組(トライアングル)最高なんだが?

 

 ん?

 ……ちょっと待って。

 万里花は何て言った?

 俺も一緒に、と言わなかったか?

 …………冷静に考えてみよう。

  

 まず、桐崎千棘。

 金髪ハーフで実家がギャングのお嬢様。

 容姿端麗、成績優秀、クラス人気ナンバー1の美少女。

 

 小野寺小咲。

 まず普通に可愛い。

 天使のような優しさに加え、少し抜けてるところもあり親近感をわかせてくれるのもポイントが高い。

 性格も控えめということもあり、惹かれる男子の数は多い。

 

 橘万里花。

 父が警視総監で実家は歴史のある武家の家系。

 口調がイメージされたようなお嬢様そのもので、転校生でありクラスに許婚がいるという話題性。

 人気が出ることは明白だろう。

  

 一条楽。

 凡矢理のヤクザ、集英組の一人息子にして桐崎さんの恋人(偽)でもある。

 冴えない男子ランキング1位(非リア男子調べ)で、よく何でコイツにこんな美人の彼女がいるの? と聞かれる不憫な男子。

 

 俺。

 …………誰にも言えない回復チート持ち。

 一人暮らし、どっちかっていうと貧乏。

 そんなに容姿も優れてないと思う。

 

 俺こんなグループに入るの?

 

 

「…………」

 

 

 無言で一歩後ずさった。

 

 ……無理じゃない?

 万里花のいう皆はここにいる4人のことだろうが、更にこの中に鶫清士郎、宮本るり、舞子集と言った面々が加わるのだ……!

 美女集まり過ぎィ!!

 こんなの俺は健二でも引っ張って来ないと間が持たなくて死ぬぅ……!

 

 

「…………? あんた何でそんなに下がってるの?」

 

「っ!!?」

 

 

 桐崎さんに気付かれたっ。

 ど、どう答えれば……!

 

 

「……気にしないでくれ。俺のことは道端の小石だとでも思ってくれれば……」

 

「いやいやいや、何でそんなに卑屈になってんだよ」

 

 

 うわっ。一条まで参戦して来た!

 

 

「何でって、おま、一条? 一条! お前はあの会話の中に入っていけるのか!?」

 

「え? あー……そう言われると難しいけど」

 

 

 俺たち男子には、あの美少女たちの輪に入っていける勇気などないのだっ。

 

 

 

「だろ! だから俺は道端の小石で良い。彼女たちの会話に入――――」

 

「蓮様?」

 

 

 ふわり、と。

 まるで当然と言わんばかりに、万里花が俺の隣に来て腕に抱きついていた。

 

 

「もしかして、放って置き過ぎて拗ねちゃいました?」

 

「拗ねてないし!」

 

「……今度、皆でどこかに出かけましょう」

 

 

 仲を深めるためにもね、と万里花が目で語っていた。

 

 

「うぐっ……しかし」

 

「ね?」

 

「…………はい」

 

 

 彼女の、まるで断られるとは思ってない眼差しに俺は屈し頭をたれた。

 断れない自分がうらめしい――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「完全に尻に敷かれてるわね」

 

「2人は付き合ってるのかな?」

 

「……聞いた話だと、まだ付き合ってないらしいぞ」

 

「ふーん。……何よその顔。もしかして羨ましいの?」

 

「はぁっ!? それどういう意味だよ――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 みんな仲良し世界(*´ω`*)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

 今回は少し重めな話です。
 そんなの読みたくない! って人は後書きに大雑把に内容書いておくので、参考にしてください。


 

 屋上での会話から数日が過ぎた。

 万里花が転校して来てからおよそ2週間。

 彼女の転校生という話題性が少し薄れ、教室内で彼女と話すことが容易になった。

 

 屋上で話をした後から、万里花は教室で桐崎さんたちと会話をする機会が増えたようで、俺と健二もその輪の中に入ることが多くなった。

 健二は桐崎さんや小野寺さんといった、美人組と会話をする機会が増えたことに喜びを覚え、

 

 

「グッジョブ!」

 

 

 と、俺に礼を言う程だった。

 その一方の俺はというと、あまりグループに慣れておらず、主に健二、一条、舞子、万里花といった男子と許婚(仮)としか会話をすることがなかった。

 桐崎さんたちに対しての会話と言えば、挨拶の”おはよう”と”さようなら”くらいしかしていない気がする。

 ……もう少し慣れてから、桐崎さんたちとも会話ができるようにしたい――とは思っている。

 

 地味に厄介なのが、鶫誠士郎の存在だ。

 桐崎さんに何か間違った返答をしたら、弾丸が飛んで来そうで迂闊(うかつ)に口を開けない。

 前途多難である。

 

 そんなこんなで週末の放課後。

 数学の授業で厄介な宿題が出たので、教室で健二と雑談しながら片付けていた。

 ……と、そこに万里花がやって来て、

 

 

「蓮様、明日父に会ってもらえますか?」

 

 

 脈略もなく、いきなりそんなことを言い出したのだった。

 

 

「……わかった」

 

「いやっ、軽過ぎるだろ!」

 

 

 万里花の父さんに会わせて欲しいと言ったのは俺なので、特に驚きもなく返事が出来た。

 だが、事情を知らない健二からしたら、あっさりした返事に聞こえたのだろう。

 

 

「明日……か。スーツとか着た方が良いのかな」

 

 

 一応許婚という事になっているので、服装はしっかりとした物の方が良いだろうか。

 

 

「普段着で大丈夫ですわ」

 

 

 少し苦笑い気味に笑いながら、万里花が否定した。

 ……もしかして、滅茶苦茶張り切ってるように見られた!?

 

 

「てかお前スーツ持ってんの?」

 

「これから買いに行くんだよ! ……行く必要はなくなったがな」

 

 

 まだ学生だから着る機会なんて無いのである。

 

 

「つーか何しに行くんだ? 結婚の挨拶?」

 

「まだ付き合ってませんー。何で許婚になったのか聞きに行くんだよ」

 

「まだって……」

 

「言葉狩りはやめろ」

 

 

 一々にやにやするんじゃない健二。

 赤面しないで万里花!

 

 

「で、では駅前で待ち合わせでよろしいですか?」

 

 

 少したどたどしく万里花が言った。

 

 

「わかった。時間は?」

 

「午後2時頃にお願いしますわ」

 

「了解」

 

 

 お待ちしておりますわー。と言い残し、万里花は教室を出て行った。

 宿題を片付けていたので、気を使ってくれたのだろう。

 

 

「……お前まだ橘さんと付き合わないの……?」

 

「何だ藪から棒に」

 

 

 まだ付き合わない理由は前に教えたと思ったが。

 

 

「普通に考えてよ。あんだけ綺麗で性格も良い子に何が不満あるんだよ」

 

「不満は特に無いが……」

 

「じゃあ何でなんだよ!」

 

「何でだろうねー……」

 

「…………お前、俺の話に興味持ってないだろ」

 

「うん」

 

 

 だって宿題やってるし。

 もう少し問題解いたら休みの日に宿題やらなくて済みそうだし。

 それにコイツの場合、万里花が可哀想だからって理由で言ってるんじゃなくて、自分が恋愛話(コイバナ)聞きたいから聞いて来たのだと思う。

 

 

「蓮! 早く付き合って俺に恋愛話(コイバナ)聞かせてくれよ!」

 

 

 ほらやっぱり。

 健二のために恋を無理矢理進めることはないのだっ。

 

 

「はいはい。あっちの一条から聞けば?」

 

「……くそう。駄目元で行ってくる!」

 

 

 一条と桐崎さんも宿題かどうかわからないが、残って勉強していたのでそちらに厄介な健二を追いやる。

 その隙に俺は宿題を進める。

 休み前だからか問題が少し難しい。 

 

 

「って蓮! 俺がいない間に終わらせる気だろ!」

 

 

 ちっ。ばれたか。

 ……そもそも放課後に宿題をやっているのも、健二がやろうと言ったからだ。

 

 

「お前に教えながらやると時間かかるからな。悪いな」

 

「悪いと思うならやるなよ!」

 

 

 健二の泣き言を聞きながら、俺は宿題にトドメを刺すのであった。

 …………が、結局健二の宿題が終わるまで付き合う事にした。彼はあまり数学が得意ではないのだ。

 その後、健二はお礼にと帰る途中でファストフードを奢ってくれた。

 ご馳走様です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 一晩空けた翌日の午後。

 俺は菓子折りを持って、万里花と約束した駅前に向かった。

 そこで彼女と合流するまではよかったのだが……。

 

 今、俺は彼女の家に向かう道中で、とても困っていた。

 どれくらいかというと、人生で一番困っていると言っても過言ではないくらいだ。

 

 一体何にそこまで困っているのかというと……。

 

 

「……? どうかされましたか?」

 

「な、何でもない! 絶好調!」

 

「は、はぁ……」

 

 

 少し万里花をも困惑させてしまったが、致し方ないだろう。

 

 

万里花が可愛すぎる……!

 

 

 彼女が私服姿でニコニコ微笑んでるだけなのに、なぜここまで可愛く見えるのか!

 前回のデートの時とは違って、露出が少ない服装がまた上品さを際立て、奥ゆかしさを感じさせる……!

 

 ……マズイ。

 今日の万里花は可愛さが凄すぎて(語彙力ゴミ)、服装を褒めることもできない……!

 何だよお前、人を超えて天使にでもなるつもりなのか?

 

 いつの間にか手を繋いでるし、傍から見れば完全にカップルだろう。

 ……もういっその事付き合っちゃう?

 君の顔が可愛いのが好きですって付き合っちゃう……?

 

 ………………。

 ゴミ屑男だー!!?

 それ、相手の容姿が崩れたら速攻で別れる屑男ムーブだあぁぁぁ!!

 

 でも普通に考えて、彼女に告白の答えを待たせてる時点で屑は確定では?

 ………………。

 は、早く万里花の好きを見つけて告白の返事をしよう……!

 って、何で好きが確定してるんだあぁぁぁ!?*1

 

 

「蓮様。私の家に着きましたよ」

 

 

 少し呆れを含んだような声音だ。

 

 

「えっ。ごめん、ちょっと考えごとして……た……」

 

 

 目の前にあるのは超高層ビル……。

 地上から見上げて、ギリギリ最上階が見えるかどうか、という程の大きさだった。

 

 

「このマンションの最上階の1フロアが私の家なんです」

 

「え、なんだって?」

 

「マンションの最上階1フロアが私の家なんです」

 

「…………1部屋ではなく?」

 

「1フロアです」

 

「…………ふ、ふーん」

 

 

 …………アレ?

 マンションに住んでいるのは覚えていたけれども、1フロア丸ごととは……?

 1フロア丸ごと買うってなると、一体おいくら万円するんだ……?

 ボロアパートに住んでいる身としては、スケールが違いすぎて想像が出来ないや……。

 

 

「……蓮様がお望みになるのでしたら、お引越しして来ても良いんですよ?」

 

「いやぁ……。金銭的に無理じゃないかなぁ……」

 

「私と正式に婚約したら無料(タダ)ですわよ」

 

「……はは」

 

 

 笑って誤魔化した。

 万里花さん軽く言ってるけど、一緒に住むってことなんだよね?

 ……うーん、想像したらイケナイ妄想をしてしまいそうなので、意識を現実に戻した。

 

 ……万里花さんも! 言って照れるなら言わないでよ!

 

 

「よし、行こうか」

 

「はいっ! ……そんなに気負わなくて大丈夫ですよ? 父はとっても優しい方ですから」

 

 

 俺の声の硬さからか、緊張している事はバレバレのようだ。

 

 

「それは一人娘だから溺愛しているのでは……」

 

「そんなことないと思いますけど。部下思いだとも聞いてますよ」

 

「ふむ……」

 

 

 それをお父さん自身から聞いたのか、それとも部下本人に聞いたのかで大分印象が違うな。

 エントランスに入り、カードーキーを(かざ)すとエレベーターが降りてきた。

 エレベーターの中に入ると、階を指定する間もなく動き出した。

 カードキーが(かざ)された時点で、目的の階に行くよう設定されているらしい。

 

 

「うちのアパートとは大違いだな」

 

「……そうなのですか?」

 

「俺の家はエレベータもないし、カードキーなんて無いからな」

 

 

 万里花の家は最先端の技術を使って、セキュリティも充実してそうだ。

 それと比べて俺の家はボロいし、鍵も簡単に壊して侵入されそうだし、全然違うな。

 

 

「実家みたいなものでしょうか……? 今度、蓮様のお家に行ってみたいです」

 

 

 絶対違います。

 

 

「俺の家は何も無いけどな。……万里花が(うち)に来たいならいつか招待するよ」

 

 

 楽しみにしてますね。と万里花が微笑んで、エレベータが目的の階まで辿りついた。

 ……アパートの階段補修からしなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「めっちゃ広い」

 

 

 目的の階に着いてからの一声がそれだった。 

 気分的にはホテルの廊下を歩いているような気分だった。

 思わずキョロキョロと辺りを見回して、万里花に見つめられていることに気が付いた。

 …………。

 

 

「…………すまん」

 

「いえいえ。満足するまで眺めても構いませんよ?」

 

「遠慮しておく。高そうな物とかありそうで怖いし」

 

 

 マンションの1フロア分を占有できる程の財力だ。

 庶民(オレ)からしたら価値が無いように見えても、実際にはとんでもない金額の物がありそうだ。

 気軽に探索して、高級品を壊しました! なんて事もありえそうなので、大人しくしていた方が良いだろう。

 

 

「帰ったかマリー。早かったな」

 

「あらお父様。ちょうど呼びに行こうと思ってた所です」

 

 

 廊下(?)を歩いていると、長身で威厳のある男性が現れた。

 恐らく――というか、万里花がお父様と言っているので、彼女の父親だろう。

 原作の知識(むかしのきおく)が薄れているのか、目の前の男性が万里花の父親だと一発でわからなかった。

 ……というより、こんな強面の男性から万里花が産まれたと思えないから、だろうか……。

 いや、失礼な事を言っているとは思うが、全然彼女と顔つきが似てないんだもん!

 

 

「お父様! この方が私の婚約者の、倉井蓮様ですわ!」

 

「……初めまして。私、倉井蓮と申します。以後、お見知りおきを」

 

 

 許婚を受け入れるにしても解消して貰うにしても、今後も会うことが予想される。

 ネットで調べた挨拶だが、問題無いだろうか……?

 

 

「……ふむ。橘 巌だ。よろしく頼む。……まぁ座りなさい。ゆっくり話そう」

 

「失礼します」

 

 

 あんまり緊張しないと思ってたのに、いざとなると震えが……!

 

 

「そこまで畏まらなくて良いですよ蓮様。少しリラックスです」

 

 

 見兼ねた万里花がそう言って、俺の右腕に抱き着いて来た。

 ……余計に緊張しそうなんですけど。

 

 抵抗空しく抱き付かれたまま席に座る。

 何だか、本当に結婚の挨拶に向かっている気分だ……!

 

 

「……マリー」

 

「良いではないですか。私のことはお気になさらず」

 

「はぁ……。君は良いのか」

 

「いえ……はい。大丈夫です……」

 

 

 すみませんお父様。

 こんな幸せそうに抱きついている彼女を引き離すなんて、俺には出来ないのです。

 無力な私をお許しください……。

 

 

「……これ、つまらないものですが」

 

「……ああ、頂こう」

 

 

 菓子折り渡すことに成功!

 第一関門突破だ! 関門がいくつあるか知らないけどな!

 

 少し気分を落ち着かせていると、橘さんがこちらを見ていることに気が付いた。

 ……もしかして、俺もう何かやっちゃいました!?

 慌てて口を開こうとした瞬間、それよりも先に、

 

 

「君は……、私の傷が気にならないようだね」

 

 

 そう橘さんが言った。

 …………あ、橘さんの左目に、線を一本引いたような傷跡がある。

 もしや、それについての武勇伝を語りたかったとか!?

 俺が視線をその傷に向けた時に、”ふふふ、この傷が気になるのかね?”みたいな感じで語りだしたかったとかー!?

 

 

「この傷は君の学校にいる一条君の親に付けられた物でね。つい、同じ学校の君に話したくなったんだよ」

 

「は、はぁ……」

 

 

 いきなりそんなことを言われても困る。

 大体、最近まで一条との関わりはあまり無かったし……。

 

 

「蓮様。お父様も緊張して何を話して良いのか迷ってるのです」

 

 

 万里花ぁー!!?

 

 

「マリー! そがん事言わんで良い!」

 

 

 いや、緊張してるのは本当なんかいっ!!

 びっくりした……。

 一人娘の許婚を見極めてやるぜ。へっへっへー。みたいな感じではなく、橘さんも普通に緊張していたとは。

 ……緊張を表情に出さない所、親近感が沸きます!

 

 

「……すまない。見苦しいところを見せた」

 

「いえ! お気に為さらず!」

 

 

 どちらかというと、こちらの緊張も解れたので良かったです!

 

 

「さて、本題だが……」

 

 

 橘さんが大きく息を()いて、

 

 

「娘との婚約を知ったのは何時かね?」

 

「万里花さんが転校して来た日に知りました」

 

「そう、か……。やはり、君の親は知らせなかったんだね」

 

 

 この口振りから、やはり橘さんは俺の親に接触している事がわかった。

 ……だとすると、なぜ許婚の事を橘さんが認めたんだ……?

 

 

「失礼ですが……、橘さんは私の親とどうやって接触したのですか? 万里花さんから聞いたのですが、橘さんは警視総監でいらっしゃるんですよね? ……どうやって私の親と? そもそも私が万里花さんの相手だと、どうやって知ったんですか?」

 

 

 少し早口気味に尋ねた。

 親の事となると、どうしても落ち着かない。

 

 

「……一つずつ答えようか。まず君の父親だが、彼は検察官をやっている」

 

 

 そうなんだ。

 知らなかったぜ……!

 

 

「刑事と検察官の繋がりでね。少し話をさせて貰ったんだ。それと君の所在を知っていた理由(わけ)だが……」

 

 

 間を少し取って、

 

 

「君が娘の所に来た時には知っていたのだ。娘にはいつも護衛を付けていてね、君が帰る時に尾行して貰ったという事だ」

 

「な、なるほど……」

 

 

 確かに護衛は居るよね!

 昔の俺は調子に乗って楽に侵入できるぜぇ! 見たいなことを思っていたが、ただ見逃されていただけなのね……。

 は、恥ずかしい……!!

 そんな心境だから、尾行になんて気付く筈も無い……。

 

 

「ところで、話は変わるが……」

 

「は、はい!」

 

 

 自己嫌悪に陥っていたが、何とか思考を橘さんに戻す。

 

 

「君は娘から婚約の知らせを聞いたわけだが、他に好きな子は居なかったのかい?」

 

「え、はい。居ませんでした」

 

 

 付き合った事どころか、気になる女性も居なかった。

 強いて言うならば、桐崎さんたちを美人だなぁ、と眺めるくらいだ。

 

 

「私を待っていてくださったのですものね! 婚約の事は知らなくとも、私のことは覚えていてくれましたし!」

 

「えぇ……? ま、まぁ……うん……」

 

 

 いや、覚えていたのはそうなんだけど……。

 ニッコニコの笑顔で言われているのと、大部分が合っているので否定する事が出来なかった。

 

 

「……娘に甘いのは結構なことだが、君は少し言い返した方が良いんじゃないかね?」

 

「…………ガンバリマス」

 

 

 だって、貴方の娘さんって大層な美人じゃないですか。

 とんでも無い無茶を言われているわけでもないし、言うこと聞いちゃいますってー。

 ははははははー!(現実逃避)

 

 

「マリーは体調が良くなってから君の所に行くと聞かなくてね」

 

 

 懐かしむような声音で橘さんが話す。

 

 

「君の所に来るのに妻と何度も大喧嘩して――――何やっとるんじゃマリー」

 

「……なんですかお父様。私、何も聞こえませんでしたわ」

 

「――っ!? 万里花(ふぁりか)!?」

 

 

 橘さんの話の途中、突然万里花が俺の腕を引き、彼女の豊満な胸に抱きとめた。

 そして俺は彼女に耳を両手で塞がれ、視界も音も聞こえない状態にされてしまったのだった……。

 

 一体どうしたんだ……? 

 抱きとめられたため、橘さんの話が途中から聞こえなくなったが、俺に聞かれたくない話でもしてたのだろうか。

 彼女の柔らかい感触をふがふがと味わいながらそんなことを考える。

 …………心地良い。

 はっ! 駄目だ。

 今は橘さんの前なのだから、こんな格好をいつまでもして居られない!

 

 

「……妻との話をするのは駄目だったか?」

 

「蓮様に知らせる必要はないかと。一応()()()()とはいえ、あの人が()()蓮様に興味を持つとは思えませんもの。もし今後、蓮様に聞かれる事があれば、私の方から話しますわ」

 

 

 万里花を抱きしめ返すわけにもいかず、両手を上げたり下げたりしてしまう。

 彼女を引き剥がすとしても、やはりどこを掴んでいいのかわからない……!!

 

 

「わかった。お前がそう言うならそうしよう。……いい加減、離してやりなさい」

 

「……仕方ありませんね」

 

 

 ……万里花が力を抜いたので、ゆっくりと起き上がる。 

 じ、っと万里花を睨みつける(みつめる)と、微笑まれた。

 …………くそう、何も言えない……!

 

 美人って卑怯。超卑怯だ。

 何も文句言えない……。顔が熱くなっている。

 一体、今何を話したんだ……?

 

 

「……少し休憩にしようか」

 

 

 橘さんは万里花の方をちらりと見てそう言った。

 ちょっと注意してやって下さいよ! 俺は彼女に何も言えないんだから!(糞雑魚)

 

 

「はい。……私、お茶の用意をして来ますね」

 

 

 万里花はそう言うと、台所(?)の方へ向かって行ってしまった。

 娘の胸に顔を埋めて赤くなっている男と、その娘の父親の二人きりという状況。

 ……とても気まずいのですが!

 

 

「……娘は、君に今のようなことをよくするのかね」

 

「……いえ、……いや、たまになら、あります」

 

「そうか。苦労をかけるね」

 

「いえ、それほどでは!」

 

 

 怒られるどころか心配されてしまった。

 万里花と触れ合うのは恥ずかしいけれど、嫌いなわけじゃないからな! 

 むしろ嬉し……げふんげふん……。

 

 

「さて、二人きりだ。腹を割って話そうじゃないか」

 

「…………そういう事だったんですね」

 

 

 万里花が席を立ったのは、橘さんが仕組んだものだったらしい。

 

 

「君は……、不思議な力を持っているね?」

 

「………………ええ」

 

 

 予想できたことだった。

 万里花は俺があげたネックレスを自慢したと言っていたし、何よりこの人は俺の親と会っている。

 

 

「…………知っていて、よく万里花さんの許婚になんてしましたね」

 

「どういう意味かね」

 

「聞いたんでしょう? 俺の親が、俺のことをなんて言っているか」

 

「………………」

 

「化け物、とか。忌み子とか人生の汚点だとか言ってませんでしたか?」

 

「そうか……。君は全て知っていたんだね」

 

 

 橘さんは重くため息を付いた。

 やはり、橘さんは俺の親が俺に対して憎しみの感情を抱いている事を知っていたらしい。

 そうなると、やはり疑問は、

 

 

「どうしてそれを聞いて彼女の許婚に? 貴方が万里花さんを愛してるのはわかる。でも、だったら! 俺の許婚になんか普通しないでしょう!?」

 

「……娘がね。君を好きだと言うんだ」

 

「っ! だから――」

 

「聞きなさい」

 

「っ……」

 

 

 決して大きい声というわけではなかったのに、その声の重みで思わず怯んでしまった……。

 

 

「……君の優しさが好きだと。外の世界の事をたくさん話してくれた事が好きだと。太陽の日差しを浴びながら歩く散歩が気持ちの良い事だと教え、外の世界は悪い事以外にも良い事があると娘に伝え、それを可能にしたのが君だ」

 

「そんな……、俺は……」

 

 

 ……確かに話したのかもしれない。

 軽い気持ちで。

 ……本当に軽い気持ちで。彼女の病気を治してあげられるとわかっていたから。

 

 

「私の娘と()を君は救ってくれた。例え君が実の親に何と呼ばれていたとしてもその事実は変わらん」

 

「…………」

 

「……君に見て貰いたいものがある」

 

「なんですか……?」

 

 

 橘さんが差し出したのは一枚の書類だった。

 

 

「……これは?」

 

「転居届けだ。君の親の署名も入っている」

 

「え……?」

 

 

 ………………?

 

 

「君が正式に万里花と婚約するのなら、ここに住むと良い。幸い部屋はたくさんあるからな」

 

「え、ちょ、な、本気ですか!?」

 

 

 もしかして、最上階(ここ)に来る前に万里花が言っていたことは本気だったのか!?

 そ、そんなことをするメリットなんてないはずなのに……。

 

 

「君と両親の関係を知ってね。娘の恩人であり、想い人である君が、そんな仕打ちを受けている事に我慢ならんかったんだ。未来の息子を支援したって問題は無いだろう?」

 

「みらっ!? ……だからって、同棲を許すなんて――」

 

「問題ない。書類上はただのお隣さんだ」

 

 

 にやり、と悪い笑顔を浮かべる橘さんの顔は、万里花に少し似ていた。

 

 

「…………そうですか」

 

 

 橘さんのいう仕打ちが良くわからなかった。

 俺は両親との関係は最悪と言っても良いが、高校に行かせて貰っているし、俺が望むなら大学の金までなら払うと約束してくれている。

 住処だってあるし、普通に生活できるだけのお金は貰っている。

 橘さんにそこまでして貰う理由は……。

 

 

「君が気に病む必要はない。迷惑だと言うなら断ってくれて構わない」

 

「…………はい」

 

「時間はある。ゆっくり考えてくれたまえ」

 

 

 この後、しばらく経ってから万里花がお茶を持って戻って来た。

 橘さんと2人きりで話した時とは違い、軽い感じで雑談に興じた。

 主な話題は俺と万里花のことと、学校の話だった。

 

 ……引越し云々の話は、俺が万里花と付き合ってから考えることにした。

 もし、本当に引っ越すとなっても、彼女と付き合っていなければ、お世話になる理由もないわけだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は楽しかったですね」

 

 

 隣を歩いている万里花がそう言った。

 

 

「……だな。最初は緊張したけど、最初だけだったよ。万里花の言ってた通り優しい人だな」

 

「そうでしょう? ふふ」

 

 

 橘さんに夕食を誘われたが、今日は断って帰ることにした。

 万里花は俺を駅まで送ってくれている。といった状況だ。

 そうなると帰りの万里花が心配になるが、彼女には優秀な護衛が付いているから大丈夫だろう。

 

 

「それにしても、万里花が言ってた事は本気だったんだな」

 

「何のことですか?」

 

 

 本当に何のことかわからない。といった表情だ。

 

 

「……? 家に行く前に、お引越しして来ても良いよって言ってただろ? まさか本気だったとは思ってなかったけど……」

 

「へ……?」

 

 

 なぜか万里花が足を止めた。

 

 

「その話、本当ですか。蓮様」

 

 

 万里花の方を振り向くと、彼女の表情が消えていた。

 …………?

 

 

「うん……。橘さんが言ってた……よ?」

 

「……すみません。蓮様。今日はここでお別れです」

 

 

 なんだろう。

 雰囲気がとても怖い。

 

 

「……わかった。気をつけて帰ってな」

 

「はい。では、御機嫌よう」

 

 

 今の万里花を引き止める言葉を、俺は思いつかなかった。

 彼女は小走りで家の方へ向かって行った。

 何かマズイことを言ってしまったのだろうか……。

 

 もしかして、一緒に住むって話を万里花は知らなかったとか?

 …………今度聞いてみよう。

 

 そんなことを考えながら、俺は万里花の姿が見えなくなるまで見守ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
この時の万里花は、百面相してる主人公の顔を不思議そうに眺めながら、迷子の手を引くように歩いていた。




 読み飛ばした方のために。
・万里花のお父さんに挨拶しに行きました。
・蓮君が娘と正式に婚約するなら引越して来ないかい?
・蓮「……もし万里花と付き合ったら考えよう」

こんな感じです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

「今日で学校も終わり!! 明日から最高の夏にしよう、ぜっ!! FO!!」

 

「山いく? 海いく? 月に行く!? って月は宇宙じゃねーかぁ!」

 

「夏祭りを女の子と行って、海も女の子と行って思い出作らないと、高校の夏はすぐに終わっちまう!」

 

「勉強勉強勉強勉強! 高校1年の夏から将来を見据えた設計を立てないと……ぶつぶつ」

 

「……みんなテンション高いなぁ」

 

 

 今日は終業式。

 学生が心待ちにしている夏休みの前日であり、授業もなく午前で家に帰れることもあって、学生たちのテンションは振り切れていた。

 

 

 俺の目の前にいる健二も例外ではないようで、朝から調子を上げていた。

 今はホームルームが早く終わってしまい、待機時間となっていた。 

 クラスメイトは騒がしくしているが、担任のキョーコ先生は静観を決め込んでいた。

 

 

「そんな冷めた態度しちゃって蓮君はよ! お前も夏休みが楽しみで仕方無いんだろう? 素直に喜べよ!」

 

「頭おかしいんじゃないの?」

 

 

 ずばーん。と無言で頭を叩かれた。

 

 

「てめぇ何しやがる!」

 

「うっせぇ! もっと俺に興味を持て! どうせ橘さんのことばっかり考えてたんだろ!」

 

「考えてねぇわ! 女の事考えてるのはお前だろうが!」

 

 

 俺たちがこんなに騒いでいても、クラスの連中から注目されることは無い。

 それだけ皆も夏休みを心待ちにしているのだろう。

 

 

「何しようかー。休みって入る前が一番楽しいよなぁ」

 

「そうか?」

 

 

 休みの真ん中あたりで、やることもなくのんびりするのも俺は好きなのだが。

 

 

「……健二。夏休みの予定立てるのも良いが、ちゃんと宿題もやれよ」

 

「ふぁっ!? し、知らん……。俺はそんな物の存在を確認していない。……休みが終わった後に誰かに見せて貰うから良いのだ!」

 

「えぇ……」

 

 

 コイツに夏休みが終わった後に、宿題写させてって言われても絶対に見せてやらない事をここに決めた。

 ……宿題って、読書感想文とか、漢字の書き取りも無かったっけ……?

 ま、いっか。

 

 

「一条たちの予定も聞いてみようぜ」

 

「……あぁ」

 

 

 健二が立ち上がり、一条の方に向かったのでその後に続く。

 基本的に俺から一条に絡みに行くことはないが、健二から行く回数は増えた。

 

 

「一条! 夏休み何するのか教えろ!」

 

「ええっ? いや、特に予定はないけど……」

 

 

 驚いたようにしながら、一条は反射的に答えた。

 

 

「何!? お前は桐崎さんという彼女が居ながら何も予定を立てていないのか!?」

 

「っ! いや、何言ってるんだよ! それは別だよ別! 俺とハニーが休みの間に会わないわけないだろう!?」

 

「くーっ! 見せ付けやがって!!」

 

 

 見せ付けさせてるのは健二だろうに。

 こういう会話の時に、どう参加して良いものか。

 ……今後の課題、だな。

 

 

「あらあら。仲間はずれにされてしまいましたの?」

 

 

 後ろから声を掛けて来たのは、もちろん万里花だ。

 桐崎さんたちと話していたようだが、見かねて話しかけてくれたらしい。

 

 

「そうなんだ。俺はあいつのテンションに付いていけなくて困ってる」

 

「普段よりも騒がしいですものね。……私もちょっとあの勢いには付いていけそうもありませんわ……」

 

 

 言われてるぞ健二ー! 

 少しは落ち着きを持つんだっ。

 

 

「蓮様も大概ですけどね」

 

「えっ」

 

 

 嘘だろ。

 俺は他の人から健二と同じような目で見られてるのか?

 ……確かに。

 最近、というか万里花が転校して来てからの俺は騒がしいかもしれない……!

 健二と騒ぐのは嫌いではないが、最近は騒ぎすぎていたかもしれない……。

 

 ……反省しよう。

 今日から学校は休みに入るので、休み明けは健二との掛け合いを自重しよう……!

 

 

「ふふ。冗談ですよ。萩庭さんと話してる時の蓮様は、生き生きとしていて良いと思います。……ですから、そんな捨てられた子犬のような顔をしないでください」

 

「し、してないしー! 適当なこと言わないでくださいー!」

 

 

 そんな顔はしてないったらしてない!

 俺のそんな言葉を、万里花は微笑んだまま受け止めていた。

 

 

「…………あんたたち仲良いわね」

 

 

 呆れたように桐崎さんが呟いた。

 

 

「……桐崎さんたち程ではない」

 

 

 俺と万里花はまだ付き合ってないしね!!

 

 

「はぁっ!? 私たちのどこがラブラブなのよ! 言ってみなさいよ!」

 

「……そこまで言ってないんだけど」

 

 

 ……目を逸らしながら答える。

 やっぱり、美人と話すのは緊張するー! 

 

 ……言っておくが、万里花が美人でないと言いたい訳ではない。

 彼女の場合は、昔に会ったことがあるということに加えて、転校初日のインパクト。

 何度か2人きりで会話もしてるので少し慣れた。というだけだ。

 

 違和感を抱かれない程度に、万里花の後ろに隠れる。

 

 

「くす。でも本当に万里花ちゃんと倉井くん仲良いよね」

 

「…………そうか、な」

 

 

 小野寺さんの笑顔も破壊力やばいと思います。

 やばいと思ったので顔を逸らしました。

 すると視界に入って来たのは鶫さんでした。

 彼女も大層な美人さんです。

 美人に弱い私めは万里花さんの背中に隠れました。……ヘタレです。

 

 

「どうしちゃったのコイツ……」

 

「んーと、恐らく」

 

 

 万里花が少し首を傾け、口元に指を当てながら、

 

 

「皆様が美人で恥ずかしいだけだと思いますよ」

 

 

 俺の状況を的確に指摘していた――!

 

 

『っ!!?』

 

 

 万里花の答えを聞いた3者は、驚愕と共に羞恥に襲われていた――!

 訂正。俺も羞恥に襲われてますっ。

 

 

「ちょ、ちょ、あんたねぇ! そんな訳無いでしょ! 大体あんただって美人じゃない!」

 

「いえ、私たちはもっと凄いことをしているので……。顔を見るくらいなら問題ありませんわ」

 

「ぶへぁっ!? 凄イ事ッテ一体ナニヲ!?」

 

 

 ……桐崎さんが吹き出して面白い顔、というかちょっと変顔になった。

 美人顔が崩れたので、今の状態なら目線を合わせることくらいできる!(失礼)

 ……って、万里花さん今とんでもない発言しませんでしたか!?

 

 

「……ちょっと抱きしめただけですわ。でも、」

 

 

 ここで万里花がにやり、と悪い顔をして、

 

 

「千棘さんは、一条さんともっと凄いことしていらっしゃるんでしょう?」

 

 

 と、得意げに語るのだった。

 

 

「は、はぁっ!? 私があのもやしと何したっていうのよ!」

 

「お、お嬢! い、一体一条楽と何をしたんですかっ!?」

 

 

 鶫さんが、ちょっと顔を赤くしながら桐崎さんに詰め寄る。

 小野寺さんは、どういう事なの? と困惑の表情で様子を伺っている。

 

 

「もうキスまでは済ませてるとか」

 

「~~~!!? だ、だだだ誰がそんなことを……」

 

「一条さんですわ」

 

「っっっっ!!」

 

 

 凄い勢いで桐崎さんが一条をぶん殴り、一条は天井に突き刺さった。*1

 桐崎さんの行動は照れ隠しと分かるが、だからと言ってやり過ぎだと思います……。

 

 

「……一条さんから聞いたというのは嘘だったんですけど、事実だったようですね」

 

「……嘘だったのか」

 

「はい。冗談のつもりで……、友達ですから、これくらいは許して貰えますよね?」

 

 

 友達ですから、と照れくさそうに言う万里花。

 ……そうだよな。友達だもんな! 

 例え世界が許さなくても、俺は許すぜ!!

 

 

「万~里~花~!」

 

「おやおや」

 

 

 万里花が桐崎さんをからかって、桐崎さんが怒るというパターンは、なんだかんだいって原作通りなのかもしれない。

 そこが好意的か、敵対心からか、という違いはあるかもしれないが。

 

 

「ん……?」

 

 

 ふと、小野寺さんの方を見ると、真っ白になっていた。

 

 

「白い!?」

 

「……しっかりしなさい。小咲」

 

 

 小野寺さんの隣にいる宮本さんが声を掛けているが、状態は芳しくないようだ。

 ……ああ、さっきのキスの話にショック受けているのか……。

 

 

「…………」

 

 

 隣を見ると万里花と桐崎さんが喧嘩してる(じゃれあってる)のを、オロオロしながら鶫さんが止めようとしてる。

 小野寺さんの様子を見るとまだ白くなってる。

 後ろの方では、まだ一条が天井に突き刺さったままで、健二と舞子に指を差されながら笑われてるし。

 

 ……夏休み前のテンションって、改めて凄いなと思いました。

 

 

「おーい。そろそろ移動するぞー」

 

 

 キョーコ先生の一声で、嘘のように教室が静かになる。 

 最近、先生の一声に救われることが多いような気がするのだが、気のせいだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 終業式といえば、校長先生のお話が長いことが印象的である。

 いや、校長先生の話が長いから印象に残るのだろうか。

 ともあれ、暇な時間だというのは間違いない。

 

 ほとんどの生徒が眠そうに立っている中、俺は先生の話に耳を傾けていた。

 話を要約すると、休みの間も健康的に過ごし、勉学に励み、普段の生活では出来ない貴重な経験をして来て欲しいと言った話だった。

 

 ……うーん、中学校で聞いたような事と一緒やな!

 校長先生の話というのは、学校が変わっても大体同じなのだろうか。

 高校に通って初めての夏休みだったので、真面目に話を聞いたが、今後は話半分で聞いても良さそうだ。

 

 校長先生の話の後、夏休みの間に注意すること(羽目を外しすぎないようにとか)を生活指導の先生が口うるさく言い、あっさりと終業式は終わったのだった。

 まぁ……こんなものか。

 

 生徒たちはクラスに戻っている途中から、本格的に夏休み気分になっていたようで、朝のホームルームの時よりも浮かれていた。

 クラスメイトの話題は、心なしか海に行きたいと話している生徒が多く聞こえる。

 夏休み、と言えばやはり海なのだろうか?

 俺としては、海に行った事は幼い時に1回くらいしかないので、あまり魅力がわからない。 

 

 

「海に行く魅力って何だ?」

 

 

 仕方がないので健二に聞くことにした。

 分からない事は、友達に聞くに限るネ!

 

 

「えっ。お前、海の魅力がわからねぇのか?」

 

「ああっ!」

 

 

 行った記憶がないからな!

 

 

「いいぜ、教えてやるよ! まず泳ぐのが楽しいんだ。プールと違って広々としていて気分が良いぜ」

 

「なるほど。泳げない俺からしたら論外だな! 次!」

 

 

 足が付かない水中に入るなんて自殺行為だ!

 

 

「……今度、泳ぐ練習しようか? じゃあ砂浜! 掘って遊ぶだけでも楽しいぞ!」

 

「水ばしゃばしゃ出来れば満足だから良いです! 砂浜で遊ぶなら大人数じゃないと空しくなるだけだと思います!」

 

「じゃあ大人数で行けば良いだろ! あとは美人の水着! 見るだけで心躍るだろ!?」

 

「通報しますッ! ジロジロ見るのは失礼だと思います!」

 

「この真面目ちゃんめ!」

 

 

 普通に考えて、見知らぬ人の水着ガン見したら不審がられると思うのだが。

 しかし、健二の話を聞いてみてもなんだが、あまり楽しそうに思えないぞ。

 

 

「んなら、夏休み行ってみるか? 折角だから一条たちも誘って」

 

「むむむ! 美人目当ても入ってるだろ――――ふがっ」

 

「それは言わない約束だろー蓮君よ。そ、れ、に。愛しの橘さんの水着姿見たくないのか?」

 

 

 ………………。

 

 

「えっちだと思います!」

 

「このムッツリ!!」

 

 

 ええっ!?

 正直に言ったんだからオープンなんじゃないのか!?

 

 

「冗談は良しとして、本気で予定合ったら海行こうぜ。楽しそうだ」

 

「ん、わかった。俺はいつでも来いだぜ」

 

 

 俺の休みの予定は、ほとんど空白。空白王だ!

 

 

「後で一条たちにも聞いて見るわ。そういえば今度夏休みの間に、一条オススメのラーメン屋に連れてって貰う事になったんだが、お前も一緒に行くか?」

 

「どういう流れで? ……行っていいなら行こう。俺はラーメンにはうるさいぞ……!」

 

「……さっきからキャラ変わってないかお前? 実は夏休み楽しみだろ」

 

「そ、そんなことないわいっ」

 

 

 そんなことないわいっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休み前の最後のホームルームが終わり、生徒たちが我先にと下校を開始した。

 今日は全ての部活動が無いため、全校の生徒たちが一斉に帰宅するらしい。

 

 そんなに急いで、どこかに行ったりするのだろうか――。

 と、制服の袖をくいくいっと引っ張られて、

 

 

「……万里花?」

 

「はい。蓮様、今日は一緒に帰りませんか?」

 

「え……、あ、ああ。良いよ。今日は送迎(くるま)じゃないのか?」

 

「今日は父に我侭を言いました。過保護すぎるのにも困ったものです」

 

「んー……。なら、今日は俺が護衛になろう」

 

「ありがとうございますっ! ……ちゃんと守って下さいね?」

 

 

 そう言いながら微笑んだ万里花の笑顔が、何だか蠱惑(こわく)的に感じた。

 調子に乗りすぎたかもしれない……。

 

 

「んじゃ、俺は一人悲しく先に帰るぜ。蓮。帰ったらオンラインでゲームやるぞ」

 

 

 空気を読んでくれた健二が、鞄を持って席を立つ。

 

 

「悪いな。……休みの初日から徹夜すんの……?」

 

「休みの初日だから徹夜するんだよ! オンラインの方の用意できたら連絡するからな! それじゃ、橘さん。蓮の面倒よろしく頼む!」

 

「まるで何時もは面倒見てるような言い草っ!」

 

 

 俺の突っ込みはスルーして、健二は教室から出て行った。

 ……夜の会話で色々と聞かれそうだ。

 

 

「帰ろうか」

 

「はいっ」

 

 

 実は万里花と一緒に下校するのは、初めてのことだった。

 普段の彼女は、先程も言った通り行き帰りは車での送迎だったので、機会が一度も無かったとも言う。

 

 学校の玄関先で二人並ぶと、他の生徒たちからの視線が、ちらほらと感じられた。

 

 

「……やっぱり噂になってるのかな」

 

「ラブラブカップルって話ですか?」

 

「らびゅ!? い、許婚の話です!」

 

「ああ……、どうでしょう? 私の周りでは結婚することになっていますが」

 

「うん? ……うん? ちょっと、それどういうことか――」

 

 

 あれ、まだ付き合ってもないんだけど。

 色々飛ばしてないですか万里花さん。

 

 

「ところで蓮様。これは下校デートになりますよね?」

 

「…………あの、どういう事か――」

 

 

 目に見えて万里花がしょんぼりし始めた。

 ……もうっ!

 

 

「あぁ! デート、になるよ! それで、」

 

「それならっ! 手を繋ぎましょう! えへへっ。蓮君と手繋ぎするの久しぶりですっ」

 

 

 万里花は俺の手を取り、小走りで駆け出した。

 

 

「お、おい。急ぐな……、て、あれ名前、ちょ、まり、万里花ー!」

 

 

 情けない俺の悲鳴を、周りの生徒たちは生暖かい目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おっと。これ以上走ったら、すぐに分かれ道になってしまいますわ」

 

 

 2分程小走りで進み、万里花が立ち止まってそう言った。

 

 

「……俺、万里花に家の位置教えたことないと思うんだけど」

 

「それは失礼しました」

 

 

 口に手を当て、上品に笑う万里花だが、そういう事じゃないと思う。

 警視総監様にかかれば、一般人の住所くらい分かるだろうし、……いや、以前見せて貰った転居届けを見れば、万里花も自然と住所を知ることができるか。

 

 

「……万里花の家までいくよ。護衛だからな……」

 

 

 少し落ち込んでいるように見えた万里花に向かって、そう声をかける。

 自分から走り出しておいて、別れるのが早くなったら悲しむって、なんだかおかしいな。

 

 

「むー……。護衛だからなら良いです。近くに本田もいるでしょうし」

 

「なっ!?」

 

 

 ちょっとムクれた顔をしている万里花。可愛い。

 じゃなくて、護衛だからじゃ駄目って、どうすれば……?

 

 そういう事か……。

 ……うぐぐ。

 

 

「………………俺が、万里花と一緒に居たいから、送ります……」

 

「それは仕方ありませんね! 是非とも送って下さいな!」

 

 

 弾けた笑顔を見せる万里花だったが、今回ばかりは気にしてる余裕がなかった。

 ……こんなの拷問だぁ……。

 羞恥プレイだよ万里花さんっ!

 

 

「はぁ……」

 

「ふふ。私の魅力に負けた時は、ちゃんと言ってくださいね?」

 

 

 片目を瞑り、人差し指で自分の顔を指しながら万里花が言う。

 得意げな顔だ。

 

 

「…………負けてないし」

 

 

 負けを認めたら結婚まっしぐらである。

 可愛いのは認めるが、ここは耐えねば……!

 

 

「万里花」

 

 

 話題を変えて誤魔化すことにした。

 

 

「なんですか?」

 

「夏休みはどこに行きたい?」

 

「……どこかに連れて行ってくださいますの?」

 

「免許はないからバスとか電車だけどな」

 

 

 折角の夏休みだ。

 朝早くに家を出て、少し遠い場所に行ってみるのも良いかもしれない。

 

 

「万里花?」

 

 

 ……どうしたのだろう?

 俺から顔を背けたまま、返事がない。

 

 

「万里花――っ!?」

 

 

 呼びかけると不意に、万里花が腕に抱きついて来た。

 顔が近付いたのと、腕に彼女の身体が密着したことで、少し身体が強張る。

 ……今、二人で歩いている道は、普通に人通りが多いので、とても恥ずかしい……。

 

 

「……夏休みの間も、私に会いに来てくださいますのね」

 

「そりゃあな……」

 

 

 休みの間に出来るだけ会いたいと思っている。

 ……彼女を受け入れるにしても拒否するにしても、早く答えを出さなければいけないからな……。

 

 

「……どこか行きたい所はあるか?」

 

「そうですね……。あ、お祭りに行きたいです」

 

「祭りか……。少し後だけど、縁日があるな」

 

「お買い物にも行きたいです」

 

「いつでも付き合うよ」

 

「暑い日は、映画館とかどうですか? ホラーを見て涼しくなったり……」

 

「えっ……。ホ、ホラーか……」

 

 

 怖いのはちょっと……。

 

 

「あと夏と言えば、海ですか?」

 

「それは行けそうだ。一条たち皆で集まる話があるらしい」

 

「……なら、2人きりではプールにでも行きませんか?」

 

「プールか。行ったこと無いんだよな……」

 

 

 どこにあるかも分からない。

 

 

「ふふ。色んな所に行きましょうね?」

 

「楽しみだな。…………あー、後その……」

 

「……?」

 

 

 ポケットから携帯を取り出す。

 

 

「……番号と、メアド交換しよう。これが無いと、連絡するには不便だからな……」

 

 

 ……仲が良いはずなのに、こんなことを聞くだけでやけに緊張する。

 

 

「……そういえば交換していませんね。……はい。こちらこそお願いします」

 

 

 おずおずと万里花が携帯を差し出して来た。

 

 

「……俺が打つの?」

 

「そちらの方が早いと思いますので」

 

「いや、それなら俺が携帯渡した方が良いんじゃないか?」

 

 

 俺は見られて困るような連絡先はないし、そもそも健二のメアドしか入っていない。

 

 

「……私と初めてのメールは、私にくださいな?」

 

 

 そっと、呟くような声音で万里花が言った。

 なんだその可愛い理由…………。

 手渡された万里花の携帯に、メールアドレスを入力していく。

 

 

「……ほら、メアドと番号入力したぞ」

 

 

 入力した携帯を万里花に手渡すと、万里花は嬉しそうに微笑んで、早速メールを入力し始めた。

 数秒もせずに、俺の携帯が鳴る。

 あれ? 最初のメールを欲しがったわりには、ほとんど間を置かないで送って来たな……。

 メールを確認すると、

 

 

 タイトル:貴方の愛しの万里花です。

 本文:大好きです。

 

 

「ぷはぁっ!? ちょ、これ……。万里花ぁ!!」

 

「あははは」

 

 

 慌てた俺の様子を見て、万里花が声を上げて笑っていた。 

 怒った俺から距離を取るように、万里花はスキップしながら一足先に進んだ。

 …………一瞬見えた彼女の頬が、赤く染まっているように見えたのは黙っておこう……。

 

 

 

 

 こうして、万里花と再会してから初めての夏休みが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

*1
勿論ギャグ表現なので、一条は無傷である。ニセコイではよくある事(?)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

今回は万里花さんの出番が少ないです


 

 

 夏休みに入り数日が経った。

 その数日の間に万里花と会うことは無かったが、メールアドレスを交換したことで、やりとり自体は多く交わしていた。

 その所為(せい)か、今までよりも彼女を身近に感じてしまい、やけに携帯電話が気になって仕方がない。

 ……万里花とやり取りをする以前は、一日に携帯を触る回数が数回しか無かったというのに現金な物だ。

 

 日中にメールで他愛ない事を話して、夜に電話で声を聞くというのがパターンになりつつある。

 そんなに電話でやり取りをしているなら、実際に会った方が良いのではないのかと思うかもしれない。

 しかし、今彼女は実家に帰省しているのだ。

 

 ………………。

 

 ()()()()()()()()()()()

 ……心配していない訳ではない。

 むしろ、心配し過ぎているかもしれない。

 

 しかし、俺は原作で万里花の事情を知っているから不安になっているだけなのだ。

 彼女からしたら、俺がそんなことを知っているという方が不安になるだろう。

 電話で万里花と話している時に、何か問題が無いかと尋ねても、

 

 

『いいえ? 何も問題ありませんわ。……そうですね、強いて言うなら蓮様のお顔が見れないのと、触れ合えないのが辛い事くらいでしょうか?』

 

 

 と俺の心を締め付けるような事を言うだけで、万里花の母の話などは話題に上がらなかった。

 ……病気を治したことによって、彼女と彼女の母親の関係性も変わっているのだろうか?

 

 病気が治っている時点で、原作であったような取引がされているとは思えないが、和解しているとは考えられない。

 1週間程で凡矢理(こちら)に戻ってくるという事なので、あまり心配し過ぎないようにしよう。

 …………いざとなれば、九州まで会いに行けば良いし……!

 

 そんな事情もあって万里花と夏休みに会えるのは、少なくとも1週間は先ということになる。

 今まで彼女が転校して来てから、3日以上会わなかった事は無かったので、少し寂しさを感じてしまう。

 

 ………………。

 

 ……話を変える。

 夏休みに入ってから2日ほど経った。

 そんな中、今俺が何をしているのかというと……、

 

 

「倉井! こっちに来てくれ!」

 

「了解!」

 

 

 返事をして呼ばれた方に全力で走る。

 

 

「倉井! こっちの運んで!」

 

「お任せください!」

 

 

 お願いされた荷物を最短最速で運ぶっ!

 

 

「いやぁ……若いって良いですなぁ」

 

「倉井くんは特別ですよ。現場の中でも一番動いてるんじゃないか?」

 

 

 俺は工事現場でアルバイトをしていた。

 主な作業は建材を運んだり、物を支えたりといった肉体労働だ。

 現場の作業員の人たちは優しいし、成果を多く出したらボーナスも出る。

 最高の職場だっ!!

 

 腕が疲れたら回復(チート)で治し、足が痛んでも回復(チート)で治す。

 呼吸が乱れたら回復(チート)で息を整え、無限に走ることも出来る!

 回復(チート)最高だぜ! 

 怪しまれないようにある程度動いたら休憩は取るが、本音を言うならずっと動いていたい。

 

 なぜ夏休みに入ってすぐアルバイトをしているかというと、この夏休みの間に色々と資金が必要だからだ。

 万里花と遊びに行く事だけを考えても、映画と祭りとプール。

 他にも一条たちと遊びに行く事を考えると、資金は出来るだけあった方が良いのである。

 

 この工事現場の仕事は日給であり、その日の仕事が終わり次第給料を貰う事が出来るので、まさに天職といった具合だ。

 万里花も1週間程いないので、ここで休みの間遊べるくらい稼いでおきたいものだ。

 

 

「倉井くん! そろそろ休憩入って良いよ!」

 

「了解です!」

 

 

 という訳で休憩に入る。

 携帯で時刻を確認すると午後1時……と、何時の間にかメールが届いていたらしい。

 相手は…………なんだ。健二か。

 

 メールの内容は、今日の夜に一条たちとラーメン屋に行かないか。というものだった。

 終業式の日の約束だが、早速行くらしい。

 現場のバイトは5時には終わる予定なので、了承の旨をメールで返信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でーす!!」

 

「また明日頼むよ! 身体ゆっくり休めるんだぞー!」

 

「心配ありがとうございます!」

 

 

 現場長から給料を手渡しで貰い、そのまま帰路に着く。

 回復(チート)があるとはいえ普通に汗は掻くので、一度家に戻りシャワーを浴びてから一条たちと合流する予定だ。

 ラーメンを食べた後に、また汗を掻きそうだが……それはそれ。もう1度風呂に入るだけなので問題はない。

 

 

「おい」

 

 

 るんるん気分で歩いていると、後ろから声を掛けられた。

 俺に対して言っているのかわからなかったが、とりあえず後ろに視線をやる。

 立っていたのは作業服を着た大柄な体型の男で、先程アルバイトをしていた現場の人間だということがわかる。

 後ろを見ても、俺とこの男以外は誰も居ないので、俺に話しかけてきたようだ。

 

 

「なんですか?」

 

 

 作業服のおかげで彼が現場の人間だとわかったが、アルバイト中に関わった記憶はない。

 

 

「お前の給料よこせ」

 

 

 …………ストレートに来たなぁ。

 そもそも何故俺の所に来たのか。

 

 

「何でですか? 貴方に渡す理由はありませんが」

 

「は? お前現場長に色目使って多めに貰ってたやろうが。不公平だ」

 

 

 色目って……。

 普通に多く動いてただけなんですけど。

 

 

「そうですか。では俺はこれで」

 

「……舐めた口利きやがって。痛い目に合わすぞ」

 

 

 男は身体を揺らしながら、じりじりとこちらに擦り寄ってくる。

 彼は大柄なので、それだけで威圧感を与えてくる。

 は、話にならんな……。

 

 

「下手な殴り方したらそっちが怪我するぞ」

 

「下手な殴り方しなきゃ良いだけの話だろうが!」

 

 

 そう言いながら男が駆け出して来た――!

 しまった。出だしが遅れてしまった。

 

 男が動く前に、背を向けて走り出していたら逃げ切れたかもしれない。

 しかし、今の状況から逃げ出しても一発は背中に一撃喰らうだろう。

 その場合転倒してしまう可能性もあるので、今から逃げるという案は却下だ。

 

 だからといって、目の前の男と戦うという選択肢は選びたくない。

 ……一発喰らって、吹き飛んだフリをしてから逃げよう。

 

 回復(チート)の存在があるからここまで冷静に考えれるのであって、何の力もなかったら素直に金を渡していたかもしれない。

 

 男の拳が顔面に向かって迫ってきた。

 回復(チート)を自分の身体に使用し、拳が当たった瞬間に治癒するように設定。

  

 男の拳が当たる寸前に目を瞑り、全力で後ろにジャンプ!

 その勢いのまま反転し、全速力で逃げ去ろうと走り出した。

 …………のだが、2歩、3歩と進んで俺は立ち止まった。

 

 顔面に来るはずの衝撃が無かったのだ。

 ……気になって後ろを振り向くと、俺を恐喝していた男がスーツ姿の女性に、手を捻られ地面に転がされていた。

 男は意識も無いようだ。

 ……どういう事なの。

 

 

「おや、手助けは必要ありませんでしたか?」

 

「……いえ、助かりまし、た?」

 

 

 振り向いたスーツ姿の女性が、微笑みながら俺に話しかけて来た。

 女性の顔の中央辺りに、斬り傷のような物が入っており、橘さんのような凄みを感じさせる。

 

 ……さっきまで俺と地面に転がっている男以外誰もいなかったよな?

 一体どこから来たんだ?

 

 

「あの、ありがとうございます。……その、貴女は一体……? ただの通りすがりでは、無いですよね……?」

 

 

 ここで通りすがりと言われたら、お礼だけ言って立ち去ろう。

 

 

「ふむ。何も聞かされていないようですね。私は隠衛衆(かくれここのえしゅう)が一人、葉月と申します」

 

「……ど、どうも初めまして。倉井蓮です……」

 

 

 隠衛衆(かくれここのえしゅう)とか言われても意味がわからないのだが!?

 えっと、冗談を言っているわけではないよな? 

 彼女の身なりは整っているし、不審者というわけではないと思う。

 

 

「えっと、葉月さん?」

 

「呼び捨てで構いません」

 

「いやいやいや」

 

 

 いきなり会って、しかも助けてくれた年上の女性を呼び捨てにとか出来ないだろ!

 ど、どう会話して良いものか……。

 

 

「葉月さんは、その、なんて言えば良いのか……。俺とは初対面ですよね?」

 

「ええ、そうです。……戸惑っていらっしゃるので説明しますが、私は千花様のご命令で貴方を護衛しているのです」

 

「チカ様」

 

 

 地下、チカ(魚)、……全然心当たりが無い。

 

 

「万里花お嬢様の母君です」

 

「ぶふぁっ!?」 

 

 

 ()()万里花のお母様!? 

 どういう事!? 何が起きているの!? 

 どうして俺の護衛を命令するの!?

 な、何ゆえに……!? まさか、俺を暗殺するため……いや、それなら護衛じゃなくて殺しに来ましたって言うだろうし、

 

 

「どういう事なんですかね……?」

 

 

 自分の中だけでは答えが出ないので、素直に訊ねる事にした。

 

 

「言葉通りです。万里花お嬢様の婚約相手である貴方に、護衛の一人も付けずにいるとお思いですか?」

 

「お、お思いです……」

 

 

 一般人にそんな思考は無いです……。

 

 

「……この場は私にお任せください。コレの処理が終わり次第戻りますので」

 

「りょ、了解です!」

 

 

 処理って何!? 怖すぎる……!

 小走りでその場から離れながら、携帯を取り出す。

 アドレス帳から相手を選び、電話を掛ける。

 相手はもちろん万里花だ。

 

 

「もしもしっ。万里花か!?」

 

『こんな時間に珍しいですね。そんな大声で、何か遭ったのですか?』

 

 

 かくかく、しかじかと。

 今あった出来事を万里花に話す。

 

 

『…………あんの母は……!!』

 

「万里、万里花……?」

 

 

 今まで聞いたことのないような怒気を含んだ声だった。

 

 

『蓮くん。今度会った時に説明しますね』

 

「え? ちょ万里花? ……切れてる」

 

 

 ……どういう事なのだろうか。

 万里花は実家に帰っているし、母という単語も出た。

 病気が治った事で、万里花と母の関係も変化しているのだろうか。

 

 

「……考えてもどうしようもないか」

 

 

 今度会った時に教えてくれると言っていたので、その時に色々聞こう。

 今はともあれ家に戻ってシャワーを浴びよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい。こっちだー」

 

「はいよー」

 

 

 待ち合わせ場所に行くと、もう既に一条、舞子、健二の3人は集まっていた。

 集合時間の5分前だが、みんな来るのが早いな。

 

 

「みんな早いな」

 

「飯の時間に遅れる程、愚かじゃないぜ!」

 

 

 飯食うの遅くなったらイライラするからな、と健二は語る。

 

 

「俺と集は違うとこで集まってから来たからな。ちょっと早く着いたんだよ」

 

「ぬっふっふ~。俺と楽は親友だからなー!」

 

「ちょっ、おい! 絡むな馬鹿!」

 

 

 一条と舞子はそういう事情らしい。

 ……舞子に絡まれてる一条は不快そうにしているが……。

 

 色々と話しながらラーメン屋に向かう。

 男子だけだと、途中でどこかに寄って行こうとか話題にも出ない。

 真っ直ぐに目的地に進むのだった。

 

 今まで機会が無かっただけかもしれないが、一条も舞子も話してみると楽しいものだった。 

 話し出すと歩調もゆっくりとなり、予定よりもラーメン屋に着くのが遅くなってしまった。

 到着が遅くなってしまったせいか、少しお店の中は混みあっていた。

 

 人数を店員に伝えると、席を用意するまでに時間が掛ると言われたので、待合席へと進む。

 ここまで会話をしているうちに、もう苗字で呼ぶような仲じゃないだろう。

 ということで、皆で名前を呼び合う関係になった。

 

「いやぁ~。話込んじゃったね~」

 

 

 集がおどけた風に言う。

 

 

「ま、すぐ座れるだろうさ。食い終わってる人も居るみたいだし」

 

 

 楽が客席の方を眺めながら言った。

 健二はメニュー票を真剣な眼差しで見つめている。

 俺は何を食べようか?

 

 

「楽と集は何を食べるんだ?」

 

「俺はいつも通りしょうゆ味だな」

 

「俺は味噌味にしよっかな~」

 

 

 上から楽、集と続く。

 

 

「オススメの味は何かあるか?」

 

「うーん、特にねぇな。好みの味にしたらどうだ?」

 

「俺は味噌がオススメだよん。ま、俺自身の好みってだけだがな!」

 

 

 特におすすめの味はないらしい。

 ふと気になって健二の方を見やると、

 

 

「うぬぬ……。豚骨にしようか、いや、味噌も良い……。いや辛めというのも……」

 

 

 健二はまだ迷っているようだった。

 ……特にオススメがあるわけではないようなので、

 

 

「ん、俺は塩にしよう」

 

 

 味薄めでね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラーメンは普通に美味しかった。

 ラーメン屋で話し込むのは店の迷惑になるだろう。ということで、俺たちはファミレスに移動した。

 ドリンクバーを頼み雑談に興じる。

 

 

「海に行く話ってどうなったんだ?」

 

 

 俺はオレンジジュースを飲みながらみんなに尋ねた。

 

 

「みんなの予定合わせるとなると、少し難しそうなんだよね~。行くとしても、休みの後半になりそうかな」

 

「意外とみんな忙しいんだな」

 

 

 夏休みは基本暇な俺とは大違いだ。

 

 

「健二は夏休みどうしてるんだ?」

 

「あ? あー、俺は家でゲームしたり、ラノベ読んだりするくらいかなぁ」

 

「普段の休みと一緒だな」

 

 

 ま、休みだからといって皆が皆特別な事をするわけではないか。

 

 

「楽とかは? どっか行ったりするのか?」

 

「いや、特に無えな。予定って言えば千棘と会うくらいか?」

 

「俺も予定は無いな。……楽と蓮みたいに、可愛い彼女もいないし、ナ!」

 

『彼女じゃないし!/ねぇし!』

 

 

 集のからかいに、俺と楽の声が被った。

 ……って、おい。

 

 

「ん? 楽と桐崎さんは恋人のはずだろ?」

 

 

 当然の如く健二が疑問の声を上げていた。

 ……これは……、

 

 

「しまった……」

 

「……すまん、楽。つい2人の時と同じように……」

 

 

 2人が項垂れている様子を、健二が不思議そうに眺めていた。

 ……すぐに誤魔化せばまだなんとかなりそうだったが……。

 

 

「その、誰にも黙ってて欲しいんだが……」

 

 

 諦めて楽が事実を話し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………えっと、つまり楽と桐崎さんは()()()()()()じゃなかったって事なのか……」

 

 

 驚きのあまり小声になった健二が、確認するように言い返した。

 

 

「……まぁ、桐崎さんの照れ隠しは異常だとは思ってたしな」

 

「え、蓮は怪しいと思ってたのか?」

 

「なんとなくな」

 

 

 ……本当は最初から知っていたのだが。

 まさかそう口にするわけにもいかない。

 

 

「すまん……。そういう事情だから他のみんなには内緒にしてくれると助かる……」

 

 

 楽が両手を合わせて頭を下げている。

 

 

「当たり前よっ! 友人の隠してる秘密をバラす程、腐っちゃいねぇぜ俺は!」

 

「性根は腐っているけどな」

 

「おい馬鹿蓮。どういう意味だ」

 

 

 っと。掛け合いは自重するんだった。

 悪い悪い。と謝りその場をやり過ごす。

 

 

「俺も誰にも言わないよ。……町が滅びるなんて言われたら尚更な……」

 

「大げさに思われるかもしれねぇけど、実際ありえそうなんだ……」

 

 

 楽が顔を若干青くする。

 身内がたくさんいるというのも大変そうだ。

 

 

「んじゃ……、俺がよく聞いてた桐崎さんとの話も、毎回迷惑だっただろ。悪かったな……」

 

「ああ、いや。そんなの知らなかったんだから仕方ないって!」

 

 

 楽があたふたしながら、健二が頭を下げるのを止めようとしていた。

 

 

「でもそうなると、楽も桐崎さんも嫌いあってるまま、なのか?」

 

「えっ!? あ、当たり前だろうがっ! 誰があんなゴリラ女好きになるっていうんだよ! がさつだし暴力的だし可愛げないし――」

 

「「…………」」

 

 

 思わず健二と二人で顔を見合わせる。

 楽はまだ文句を言い続けているが、顔を赤くしながら早口で捲くし立ててる様子を見ると、照れて逆の事を言っているようにしか見えない。

 ……ツンデレというのか?

 本当に嫌いというなら照れながら言う必要はないし、もっとこう、嫌悪感というのを醸し出して言うだろうし……。

 

 

「あー……楽。わかったからもういいぞ」

 

「――はっ!? 悪い、ちょっと言い過ぎた……」

 

「……別にいいけどよ、桐崎さんに直接言うんじゃないぞ」

 

 

 呆れたように健二が言った。

 

 

「え、なんでだよ」

 

「外面はがさつに見えても、中身は繊細って事もあるだろ? ニセモノっても恋人なんだから、それくらい配慮してやれよ」

 

「…………と、エロゲーの知識を健二さんが言っております」

 

「馬鹿野郎! エロゲは大学に入るまでの楽しみにとってあるんだよ!」

 

 

 やるのは確定なのか……。

 

 

「おっ、気が合うね~健二君! やっぱそういう制限あるのは、ちゃんとルール守らないとね!」

 

 

 今まで話に加わってこなかった集が勢いよく言った。

 楽の話をしていたから、今まで黙っていたのだろう。

 

 

「「はぁ……」」

 

 

 健二と集のよくわからない話を聞き流して、楽と同時にため息をついていた。

 ドリンクのおかわり持ってこよう。と声を掛けて2人で席を立った。

 

 俺たちの無駄話は、外出可能時間ぎりぎりまで続いたのであった。

 

 

 




Q.この話いるの?
A.いるの。

追記。
隠衛の人は原作に登場しますが、名前が不明だったのでこちらで勝手に付けさせて貰ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

 

 ホラーは苦手だ。

 作り物のホラーだと尚更怖い。 

 何故かと言うと、作り物のホラーは脅かそうとしてくるからだ。

 

 例えばホラー映画。

 怖いシーンになると、まずBGMで恐怖を煽る。

 そこから徐々に効果音などを使いながら怖いのが来ますよ。と観客を充分に震え上がらせた所で、特大の音量で観客を恐怖の底に陥れる。

 ……趣味が悪いのでは?

 

 同様の理由でお化け屋敷も苦手だ。

 屋敷の中で怪しげなBGMを流して、突然機械か人が飛び出して来ると同時にでかい音を鳴らして、客に恐怖を与えるのだ。

 そんなのビビるに決まっているわ……。

 

 と、現実逃避しているが今日はそのうちの1つ、ホラー映画を見に行く事になってしまったのだ。

 既に待ち合わせ場所に居るが、まだ万里花の姿はない。

 彼女は映画館で映画を観たことが無いらしく、今回のデートで初体験と言っていた。

 

 誰の入れ知恵かは知らないが、実家でカップルで映画を観るならホラーが良いと言われたそうで、どうしても行きたいとの事だった。

 ……最初がホラーで良いのだろうか……。

 

 万里花の企みとしては、ホラーシーンで俺に抱き着こう等と考えているのかもしれない。

 しかし断言しよう。

 もしそうなるとしたら、抱き着くのは俺の方だと!

 むしろ映画よりも万里花を見ていたい程である! 

 …………出来るだけ情けない所を見せないように気を付けよう……。

 

 

「蓮様ー!」

 

「万里……っ!?」

 

 

 突如現れた万里花が俺に向かって抱きついて来た――!?

 彼女の勢いに乗って、ふわりと柔らかい匂いが鼻腔をくすぐる。

 思わず抱き止めると、身体に暖かさが広がった。

 

 

「ああ……、久しぶりの蓮様ですわ……!」

 

「う、うん……」

 

 

 安心したように身体を預けてくる万里花だが、今の状況に気付いているのだろうか。

 待ち合わせしていた場所は、あまり人気(ひとけ)のない公園であるが、流石にここまで密着していると注目を浴びてしまうだろう。

 ……ほら。

 微笑ましそうに見てる老夫婦とか、嫉妬の表情でこちらを睨みつけてくる男などから、予想通り注目を浴びている。

 

 ……と、万里花も今の状況に気が付いたのか、ビクッ! と身体を震わせ、抱きついていた力が少し弱くなった。

 なので俺も抱きとめていた腕の力を弱めた。

 

 ゆっくりと、万里花は俺から離れていく。

 彼女は俯いていて、表情は判らなかったが、頬が赤くなっているのは確認できた。

 

 

「……申し訳ありません……。久しぶりだったので、つい……」

 

「あー……。なら仕方ないな……」

 

 

 何が仕方ないのか(自問未答)。

 目を泳がせ、恥ずかしいのかゆっくりと後ずさる万里花。

 出会い頭に抱きつかれて、よく彼女の服装を見ていなかったので、今の隙に確認する事にした。

 

 今日の万里花は白のワンピーススタイルで、涼しげな格好をしていた。

 肩にショルダーバッグをかけて、首にはいつも通り、昔に俺が渡した勾玉のネックレスを掛けている。

 ……圧倒的、清純派お嬢様スタイルだ――!!

 

 

「いかんいかん」

 

 

 変な妄想を始める所だったので、意識を現実に戻す。

 しかし現実に戻っても、万里花が可愛いという事実は消えないわけで、なんというか……困る。

 心の中の天使と悪魔が、もう付き合っちまえよー! と言っているが、俺はそんな誘惑には負けない!

 だって、見た目で付き合うとか最低だろ!

 でも最近彼女の性格も好き、というか内面に触れても嫌な感じが全くしないというか……。

 あああああああ!! 

 

 

「……?」

 

 

 心の中の天使と悪魔と戦っていると、左手の指先をちょこんと掴まれる感触が。

 そちらの方向を見ると、万里花がこちらに視線を向けないまま握っているのが判った。

 先に復活したのは彼女だったようだが、完全に平常心に戻ったわけではないらしい。

 

 

「……行くか」

 

 

 指先だけ握っていた手を離し、改めて手を繋ぎながら問い掛ける。

 

 

「……はい。お願いします」

 

 

 お互い、顔を見れない状態から始まったデートは、()()()()()()()

 やっぱり夏は暑いな! 顔、というか身体全体が熱くて仕方がない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩き始めて数分も経つと、出会い頭の出来事が薄れて来たのか、会話をする余裕が出て来た。

 主に話題は万里花の実家の話だった。

 彼女は実家で地元の友人と遊んで来たらしい。

 

 

「蓮様の事、一杯自慢しちゃいました♪」

 

 

 と満足げに言う彼女に、

 

 

「何を自慢したんだ?」

 

 

 と訊ねると、微笑んだまま話題を変えられてしまった。

 ……一体何を自慢したんだろう。

 気にならない訳ではないが、秘密にしたいようなので、話の深堀はしない事にする。

 

 俺の護衛の話についてだが、万里花の母さんが付けたというのは本当らしい。

 万里花の母さん――ここからは千花さんと呼ぶが、が俺の身辺調査の報告を聞いて護衛を付けたんだとか。

 ……うん。うん? いや、重要なのはそこなのか……?

 

 万里花は母がご迷惑を掛けて申し訳ないです――と謝っているが、俺はお礼を言う事しか出来なかった。

 守って貰ったしな?

 

 正直に言って、万里花と千花さんの関係を聞きたい。

 しかし、俺が2人の仲が悪いという事を知っているのはおかしいわけで、この状況から訊ねるとしたら、どう聞くのが良いんだろうか。

 ……とりあえず、万里花と千花さんの関係はあまり悪くない。と仮定して置こう。

 そう予測する事しか出来ない。

 

 

「でも聞きましたよ蓮様。蓮様のお家は侵入し放題だって」

 

「えぇ? ……まぁ、入ろうと思えばすぐ入れるけど。別に金目の物とかは無いから大丈夫だと思うぞ」

 

「そういう問題ではありません! ()()の身に何か遭ったらどうするんですか!」

 

「う、うーん……」

 

 

 何か遭ったら治すだけだが……。

 あそこで暮らし始めて、およそ5年程。

 その間に何も起こらなかったから、危機感とか特に起きないんだよな……。

 

 

「……蓮様。私、本当に心配してるんですのよ?」

 

「それは判ってる……だけど、どうしようもなくないか? 引っ越すわけにも行かないし……」

 

 

 引っ越すという手が無い以上、後考えられるのは防犯対策とかだろうか。

 あのアパートに監視カメラとか、似合わないな……!

 

 

「蓮様ってば、もうお忘れですの?」

 

「?」

 

 

 はて、何を忘れたか。

 護衛が付いてるから防犯対策はいらない、とかだろうか。

 

 

「……私のマンションにお引越しして下されば、お金も要りませんし、安全ですわよ?」

 

「…………俺は安全になるだろうな。でも、万里花は危険が増えるかもしれない……ぞ」

 

「あら、それは一体どんな危険ですの?」

 

 

 怪しげに笑いながら、聞き返してくる万里花。

 

 

「……例えばだが、俺が鍵を無くした時とか、あと家の出入りも増えるから…………なんだ?」

 

 

 万里花が話の途中で、手を繋いでいる手とは逆の手で二の腕辺りを掴んできたのだ。

 

 

「むー……」

 

 

 可愛らしく頬を膨らませる万里花。

 

 

「……」 

 

 

 ……あぁ! そうだよ! ヘタレたんだよ!

 逃げました。

 自分から話題振って逃げましたー!!(やけくそ)

 

 

「……むー」

 

 

 顔を逸らして逃げていると、万里花が頬を膨らませながら抗議の声を上げる。

 そんな事してるけど万里花さん! 今のまま変な話して空気おかしくなったら責任取れるんですかっ。

 

 

「…………」

 

 

 万里花は何時まで頬を膨らませているのだろう。

 ……なんか、ムキになってるように見える。

 掴まれていない右手で、膨らんでいる万里花の頬を親指と中指で潰した。

 ぷふー、と空気が漏れる音がした。

 

 

「……ふふっ」

 

「な、なんばするとー!!?」

 

「お、おい、やめっ!?」

 

 

 万里花が頭突き攻撃を始めた!

 地味に痛い!

 左手を両手で掴まれているので、逃げることもできない。

 ゴス、ゴスと何度も頭突きを繰り返されている……。

 

 

「わ、悪かった万里花。だ、だからやめて……」

 

「う~。蓮君は昔からいぢわるばい……。いきなり頬を触るなんてややけん……」

 

 

 拗ねたように言う万里花。

 ……申し訳ないんだけど、ややけんってどういう事なんだ?

 拗ねてるように見えるし、嫌だったという事だろうか。

 

 

「……機嫌直してくれよ万里花……」

 

「……しょんなか。もうせんでね?」

 

「しません」

 

 

 なんだか万里花の方言が可愛らしく聞こえて来た。

 ……でもそのために怒らせるのはなぁ……。

 

 

「……こほん。つい先日まで地元に居たせいで癖が……」

 

「ちょっと判らない所もあったけど問題ないよ」

 

「判らない所がある時点で問題だと思います」

 

「……うむむ」

 

 

 いや、確かに話が通じないのは問題かもしれないけれど。

 

 

「でも、万里花が方言(そっち)のが話しやすいって言うなら、そうしてくれて構わないぞ?」

 

 

 頑張って方言を理解できるようにするし!

 

 

「……いえ。お気遣いありがとうございます。ですが、私はいつもの話し方で問題ありませんわ」

 

「ん、わかった」

 

 

 それが万里花の普通の話し方だと言うなら、何も言う事はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色々と話しながら歩いているうちに、映画館があるショッピングセンターに着いた。

 凡矢理にあるショッピングセンターの中では規模が大きい所で、小売店舗や飲食店、ゲームセンターなど様々な施設が入居している。

 

 店の中に入り、店の案内板を見に行こうと万里花の手を引きながら歩く。

 ……映画館は4階のようだ。

 1階の案内図では、4階の詳しい地図が載っていないので、4階に行ってから映画館の位置を確認する事にする。

 

 

「映画館は4階だって」

 

「楽しみです」

 

 

 上映開始時間の1時間程前に来ているので、席が空いていれば良いが……。

 エスカレーターに乗りながらそんな事を考える。

 エスカレーターで万里花と手を繋ぎながら横並びしているが、前にも同じようにしているカップルがいるので問題は無いだろう。

 

 

「……映画館以外にも、たくさんありますわね……」

 

 

 感慨深しげに万里花が言った。

 

 

「こういう所はあまり来ないのか?」

 

「そんな事はありませんよ? ただ私がいつも行く場所は、お店の種類はあまり無いもので」

 

「ふーん? お高いお店なのか?」

 

「値段で言えばそうなると思います」

 

 

 さらっと言っている万里花だが、彼女の言うお高いというのは幾らになるのだろう?

 聞いてみたいような気もするが、恐ろしい値段が飛び出して来そうで怖い。

 

 

「はー……。流石お嬢様だなぁ」

 

「ふふっ。今度蓮様も体験してみますか? ()()()()()()()()で」

 

「……お高そうだから遠慮するよ」

 

 

 お坊ちゃまコースって……。

 護衛とか付いたりするのかな? 

 ……あ、もう居るわ。

 

 4階にたどり着き案内板を確認する。

 ……現在地点から北に進むと映画館があるようなので、そちらに歩みを進める。

 万里花も一緒に案内板を見ているのだが、映画館よりも違うお店の方に興味を持っていそうだった。

 もし寄るとしても、映画チケットを購入してからにしよう。

 

 万里花の手を引っ張りながら映画館を目指す。

 ……歩幅を合わせながら、少し前を歩くのがちょっと難しい。

 

 

「歩くの早くないか?」

 

 

 思わず訊ねてしまう。

 

 

「ええ。問題ありませんわ」

 

 

 万里花は微笑みを返してくれる。

 あ~抱きしめたい。

 …………違う。

 今のは、つい、心の中の悪魔が本音を言っただけで、口に出してないからセーフ。

 

 

「……」

 

 

 無言で万里花が左手に抱きついて来た。

 違いますー!

 心の中で思わず言ってしまっただけで、口からは出てませんー!

 セーフなんですー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここだな」

 

「……はい。人がたくさんですね」

 

 

 ……俺から見たらあまり人が多いように見えないが、万里花から見ると多く感じるらしい。

 とりあえず券売機に並ぶ。

 前にいる客は5人程で、券売機の数は3つあるので、券を買うのにそこまで時間は掛らないだろう。

 

 万里花は映画館が新鮮なのか、キョロキョロと辺りを見回している。

 ……その仕草がまた可愛い。

 

 可愛いせいで、他の男性客の視線まで集めている。

 あー……。他のカップルの男が万里花を見ているせいで、相手の女の人に怒られてる……。

 こんな魅力的な子の相手が俺なんだよな……。

 ちょっと優越感。いや、かなり優越感!

 

 

「……? どうかされたのですか?」

 

 

 小さく笑みを浮かべていた俺の方を、不思議そうに見つめて万里花が言った。

 

 

「ん。万里花と一緒で楽しいなって思ってただけ」

 

「っ。そ、それは……。私も一緒で楽しい、ですわ」

 

 

 少し照れてる万里花。

 これ以上言うと怒られそうなので自重する。

 

 万里花と一緒だからここまで楽しいのか。

 それとも、彼女でなくとも同じように楽しいのか。 

 

 今感じている楽しさが、万里花のおかげだからなのかどうかがわかった時に、俺は今後の彼女との関係をはっきりとさせる事が出来るような気がした。

 

 

「あ、蓮様。機械が空きましたよ」

 

「おう」

 

 

 機械が気になるのか、万里花が小走りで券売機に近付いて行った。

 券売機はタッチパネル式のようだ。

 見たい映画をタッチし、そこから席やチケットの枚数を指定するようだった。

 

 

「おお……」

 

 

 万里花が()()()()で画面を操作しながら感嘆の声を上げる。

 

 

「……いや、なんで俺の手でやってるんだよ」

 

「……?」

 

 

 俺の左手を持ち上げながら、何言ってるの? みたいな表情で見られた。

 

 

券売機(コレ)は男性以外は反応しないと聞いた事があったのですが?」

 

「そんな差別はありませんー。……触ってみろよ」

 

「…………わかりました」

 

 

 なんだがとても気合いを入れているように見える。

 そこまで緊張しなくても良いような……。

 通常通り、万里花の手でも機械はきちんと動いている。

 

 画面を下に移動させ、万里花は目的の映画を見つけられたようだ。

 

 

「この映画ですね」

 

「……だな」

 

 

 楽しそうにチケットの枚数を選んでいく万里花。

 ……ホラー映画じゃなきゃ微笑ましいのに……。

 ちなみに映画のタイトルは"屋敷"だった。

 ……いや、屋敷って……。

 名前の前に"死の"とか"恐怖の"とか付けなくて良かったのか?

 

 

「席はどこにしましょう?」

 

 

 映画タイトルを見ているうちに、万里花が席指定の画面を開いていた。

 

 

「前の方の席は見辛いから、真ん中か、後ろの方が良いな」

 

 

 券売機の画面を見ると、空席の数は多かった。

 今の状態ならどこの席でも選べるだろう。

 映画公開からしばらく経っているようなので、あまり人入りは多くないのかもしれない。

 

 

「万里花はどこが良い?」

 

「そうですね……。後ろの方が良いかと」

 

「ん、ならここにしよう」

 

 

 一番後ろの列から、2段下がった列の席が空いていたので、そこにする事にした。

 券売機がお金を入れて下さい。と音声を出したので、財布を取り出す。

 ……しかし、先に万里花がお金を払ってしまった。2人分。

 

 

「って、万里花! なんでもうお金払っちゃったの!?」

 

 

 は、早すぎる……!

 

 

「券売機に格好を付ける必要はありませんので。……というのは冗談で、父が蓮様の分も、とお小遣いをくれたのです」

 

「……い、いや。一応バイトしてたからお金に問題は無いぞ?」

 

「そこはラッキーだ。くらいに思って下さいよ」

 

「……そんな胆力ないです」

 

 

 せめてそこに理由が欲しいです、万里花さん……。

 

 

「なら、ジュース奢ってくださいな」

 

「……値段が釣り合わないんですけど」

 

「まぁまぁ」

 

 

 言い方が可愛いのでOKです。

 ……ってなるかぁー!

 

 

「チケットは買いましたが、映画開始まで時間がありますね」

 

「……だな。どっか行くか?」

 

 

 ……諦めは肝心。

 どこか違う所でお金を払おう。

 

 映画の会場に入場可能になるまで、少なくとも30分はある。

 飲食店に行くとなると時間的に厳しいが、他の店を回るくらいなら出来るだろう。

 他にも店のあちこちに置いてあるベンチで、ただ休憩するというのも良いかもしれない。

 

 

「色々回りたいです」

 

「了解。んじゃ、行こう」

 

 

 手を繋ぎ直して、ショッピングセンターに戻る。

 映画館の場所だけ覚えておき、行き先は万里花に任せることにした。

 歩いているだけなのに、彼女は楽しそうだ。

 

 

「……? なんですか?」

 

 

 ……見つめすぎたらしい。

 俺の、こういうじっと見ちゃう癖はやめた方が良いよなぁ……。

 

 

「ごめん。つい、楽しそうだったから」

 

「……ええ。楽しいですから」

 

「そっか。……俺も楽しいよ」

 

 

 ……ホラー映画の事を考えると怖いけど……。

 万里花は手を繋いでいるからか、あまり前を見ないで余所見している。

 行きたい場所を探しているのだろうか。

 

 

「色々あるな」

 

「……ですわね」

 

 

 普段1人でここまで来る事が無いので、活気の良さに感心してしまう。

 1人で行動している人も居るが、ほとんどが複数人で歩いている。

 余程の用事がない限り、1人で来る事は無さそうだ。

 

 

「あっ……」

 

 

 万里花が何かを見つけたらしい。

 

 

「どうした?」

 

「……アイス屋さんに行きたいですわ」

 

「……良いんじゃないか? 行こう」

 

 

 アイスをのんびり食べて映画館に戻れば、ジュースを買う時間などを考えても丁度良さそうだ。

 アイス屋に並んでいるのは女性客か、カップルしか居なかった。

 男1人でアイスくらい食べても良いはずだが、なんだか1人だったら目立ちそうだった。

 

 

「何味にしますの?」

 

「バニラかな。万里花は?」

 

「……私は、チョコ味にしようと思います」

 

 

 少し迷った風に言う万里花だった。

 

 先程の教訓を活かし、万里花がお金を取り出す前に2人分のお金を払う事に成功。

 ……何故かお店の人と万里花に苦笑されてしまった。

 無事にアイスを手に入れて、ベンチに座って味わう事にした。

 

 

「アイスと言えば、俺はこのコーンの部分が好きだ」

 

「ふふ。奇遇ですね。私もです」

 

 

 暑い日のアイスは特別においしく感じてしまう。

 やっぱり、暑い時に冷たい物を食べるのは良いね!

 

 

「……バニラ味美味しいですか?」

 

「うまです」

 

「お馬さんですか……」

 

「いや、違うよ? 馬じゃないからね?」

 

 

 くだらない事を言い合ってるだけなのに、なんだか楽しい。

 ふと、万里花の方を見るとこちらの方をじっと見ていた。

 更にその目線の先を辿ると、俺が持っているアイスの方を見ているようだった。

 

 

「……食うか?」

 

「はっ。い、いえ、そういう訳では無いのですよ!?」

 

「どういう訳だよ。……食いたいなら一口やるぞ」

 

 

 万里花の方にアイスを差し出す。

 

 

「う~。……頂きますわ……」

 

 

 諦めたかのように、万里花が一口アイスを頬張った。

 

 

「バニラ味も美味しいですわね……。蓮様も私の一口どうですか?」

 

 

 そう言って、万里花も自身のアイスを差し出してくれるのだが……。

 

 

「…………すまん。万里花。俺は、チョコ苦手なんだ……」

 

「…………へ?」

 

 

 (ほう)けたような声を出す万里花。

 ……まぁ、チョコが嫌いって言われたらそういう反応になってしまうか。

 回復(チート)があるので、アレルギーというわけではないのだが、残念ながら単純に味が好みではないのだ。

 

 

「……うう。しくじりましたわ……!」

 

「なんか、すまん……」

 

 

 もしかして一口ずつ交換しよう、とか考えていたのだろうか。

 ……悪いことしたな……。

 

 

「いえ、知ったのがバレンタインで無くて良かったと思いますわ。バレンタインには、チョコ以外の物をプレゼントして差し上げますね……!」

 

「お、おう……」

 

 

 万里花が決意を(みなぎ)らせている。

 何かくれるのは確定のようだ。

 1年のうちでも嫌いなイベントが、楽しみになってきたかも……!

 

 アイスを食べ終えると、映画の入場可能時間まであと15分といったところだった。

 ゆっくり戻って、トイレに行ったりジュースを買ったりしたら良い時間になりそうだ。

 

 

「戻ろうか」

 

「はい。映画楽しみですね」

 

「……そ、そうだな」

 

 

 あんまり怖くないとイイナー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お互いトイレを済ませてから、ジュースを買うのに売店に並ぶ。

 映画が始まる前だからか、少し混んでいる。

 

 

「ポップコーンはどうしましょうか?」

 

「んー……。アイス食べたからいらないかな?」

 

「それもそうですね」

 

 

 食べ物類はいらないという事になり、ウーロン茶とりんごジュースを頼むのだった。

 

 飲み物を買って、少しすると映画の入場可能時間になった。

 映画館の店員にチケットを渡し、映画館に入場する。

 お化け屋敷の門を(くぐ)るのと同じ気分だ……!

 

 上映スクリーンにたどり着くまでに、他の映画の宣伝をする一枚絵を眺めながら、鼓動を落ち着かせる。

 万里花はここまで来るのが初めてなのか、キョロキョロと辺りを見ながら感動している。

 ……そんなに純粋なら、初めてみる映画(一番最初)にホラーはやめようよ!

 恨むぞ……地元の友人!

 

 

「……」

 

 

 ああ、着いてしまった。

 会場の階段を登ると、丁度座席の中央辺りだったので、後ろの方に万里花を連れて進む。

 彼女は映画館に感動しているようで、連れられるがままだった。

 チケットを確認するとK列の席だった。

 

 

「明るいですわ」

 

「まだ始まってないからな」

 

 

 席に座って、足をゆらゆらとさせながら万里花が言った。

 あぁ……。色んな意味でドキドキする……。

 

 

「万里花」

 

「なんですか?」

 

「……手を繋ごう」

 

 

 ……改めて言う事ではないのかもしれないが、会話が出来るうちに言っておいた。

 

 

「はい」

 

「ん……」

 

 

 万里花の手を優しく包み込むように握って、いざ映画鑑賞へ……!  

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話

長いです


「…………」

 

「…………」

 

 

 映画が終わりエンドロールが流れている中、俺と万里花は魂が抜けたかのように口を開けていた。

 怖かった……! 超怖かったよ……!!

 

 簡単に映画のストーリーを説明すると、5人の若者たちが町のはずれにある屋敷に肝試しに行くという話だった。

 肝試しに行った屋敷には殺人鬼が住んでいたという噂があった。

 その噂は事実であったが、既にその殺人鬼は死んでいた。

 しかし、その殺人鬼の怨念が屋敷に漂っており、屋敷に足を踏み入れた者を地獄に引きずろうと殺しに掛かってくるのだった。

 ……その殺し方がまたエグイエグイ。

 

 地面を崩落させて殺したり、足首を切り落としてから嬲り殺したり……。

 最後のシーンでは、主人公が脱出できた! と希望を抱かせてから腹をぶち破るという……。

 もう見たくない。

 

 

「…………万里花、大丈夫か?」

 

 

 エンドロールが流れ終わり、他の客が席を立ち上がるのを確認しながら問いかける。

 

 

「……映画館が、こんなにも怖いものだなんて、思いませんでしたわ……」

 

 

 少し震えた声で答える万里花。

 ……違うぞ万里花。

 映画館が怖いんじゃなくて、映画館で観るホラーが怖いんだ……。

 音とか迫力が、普通の家で見るのとは段違いなのだ。

 

 

「……でも楽しかったですわ」

 

「まじかよ」

 

 

 俺は楽しかったより疲労感の方が勝った。

 映画が終わった今は安堵感しかない。 

 

 

「蓮様が怖がっているところをたくさん見れましたし」

 

「……俺の姿かよ」

 

 

 確かにビビってばっかりだったけど!

 特にBGMが盛り上がって、恐怖感が増した時は万里花に抱き着く勢いだったけど!

 そんなに面白いもんかね!!(エセ方言)

 

 

「ふふっ。まだ鳥肌なんじゃないですか?」

 

「……そんな事ない」

 

「本当ですか?」

 

 

 にやにやと、万里花が意地の悪い笑顔で訊ねてくる。

 本当ですよー! だっ。

 

 

「……そろそろ出ようか」

 

「はい。そうしましょう」

 

 

 ほとんどの観客はもう映画館から退場していた。

 映画が終わった会場に長く滞在するのは映画館の迷惑になるので、まだ気分は落ち着かないが俺たちも立ち去ることにした。

 

 

「そういえば、この後はどうしようか?」

 

 

 映画館に行こうという約束はしていたが、これからの予定は特に決めていなかった。

 

 

「どうしましょうか?」

 

 

 万里花が映画館のスタッフにジュースのコップを渡しながら聞き返してくる。

 今の時間は午後4時。

 晩御飯には少し早いし、これから違う場所に行くとなるとちょっと微妙な時間である。

 

 

「少し店の中でも回ってみるか。このまま帰っても暇だしな」

 

「はい! あ、でしたら私ちょっと行きたい場所が……」

 

「ならそこに行こうか」

 

 

 案内板で見ていたお店だろうか?

 2階にあるということなので、エスカレータで階を下る。

 ……やっと映画の恐怖が薄れて来たのか、体温が少しずつ上がって来たような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たかった場所って……、ここ?」

 

「はい。ここで合ってます」

 

 

 映画館に来る時とは逆に、万里花に手を引かれながら辿りついた場所はゲームセンターだった。

 ショッピングセンターにあるゲームセンターではあったが、中々に規模は大きい。

 それなりに賑わっているようで、はしゃいでいるような声が聞こえてくる。

 

 

「……何かやりたいゲームでもあるのか?」

 

「いえ。一緒に写真を撮りませんか?」

 

「写真……ぷりくら、ってことか」

 

 

 プリクラ……。仲の良い友人同士やカップルで写真を撮る機械。

 俺は体験した事はないが、写真を撮るだけだし何も問題は無いだろう。

 

 

「いいぞ。……言っておくけど、俺はプリクラを撮った事はないから、操作とかわからないからな?」

 

「奇遇ですね。私も初めてです。……ふふ、似た者同士ですわね」

 

 

 ……似た者同士なのは良いが、初心者2人で出来る物なのかな?

 

 

「最悪、店員さんに聞きましょう」

 

「……プリクラの操作聞かれる店員もまず居ないだろうな……」

 

 

 プリクラと言ったって、所詮写真を撮るだけなのだからそんなに難しくはないだろう。

 万里花とゲームセンター内に進入し奥へと進む。途中でクレーンゲーム等が視界に入ったが、寄り道する事なく目的地に着いた。

 

 

「意外と大きいのですね……」

 

 

 プリクラを見て万里花が言った。

 

 

「見たことも無かったのか?」

 

「恥ずかしながら、ゲームセンター(ここ)に来る機会が無かったもので……。この機械の事は千棘さんと小咲さんに教えて貰ったんです」

 

「そうだったのか」

 

 

 俺の場合プリクラを撮った事はないが、ゲームセンターに遊びに来たことは何回かあるので、存在は知っていた。

 ……クラスの奴が撮った写真を2回程見た事があるが、顔や目が変な風になってたな……。

 あれって絶対そうなるのかな?

 

 

「ここにお金を入れるみたいですよ。……お札じゃ駄目みたいですね」

 

「写真撮るだけで1000円取られたら皆使わないと思う……」

 

 

 むむ、と万里花が唸って。

 

 

「あ、さっきのお釣りで100円玉がありましたわ。……蓮様。残り2枚あります?」

 

「ありますあります。丁度半分ずつだな」

 

 

 ちゃりん、ちゃりん。と100円玉を投入する。

 機械から何名様ですか? と問いかけられた。

 

 

「2人っと……」

 

「蓮様。蓮様。カップルモードというのもありますよ!」

 

「……初めてだから普通のモードにしようぜ」

 

「わかりました。……また一緒に来ると思ってもよろしいですか?」

 

「……好きに思って良いよ」

 

「ふふ。楽しみにしてますね?」

 

 

 ……行くよ! 写真くらい何枚でも撮ってやらぁ!

 くそう。

 俺は万里花の問いかけを断るという選択肢は無いのか……!

 俺を困らせている元凶の彼女は、軽くスキップしながら撮影ルームに入って行った。

 

 

「そんなに楽しみなのか……?」

 

 

 個人的には写真を撮るという行為にあまり魅力を感じない。

 普段、過去を振り返ったりしないからだろうか。

 

 

「遅いですわよ。蓮様」

 

「悪い悪い。ちょっと考え事してた」

 

 

 プリクラの中は結構な広さがあり、5人くらい入れる程のスペースがあった。

 2人で写真を撮るため、間隔には余裕がある。

 が、予想通りというべきか、万里花との間隔はほぼ零だった。

 

 

「……狭くないか?」

 

「近付いていないと、端が切れちゃいますわ」

 

「そうなのか」

 

 

 ……手の先が切れていたりしたら、心霊写真みたいで少し面白そうだと思ったが口には出さないでおく。

 万里花と2人で並んでいると、機械からポーズを取ってください。と音声が流れた。

 

 

「ポ、ポーズだと!?」

 

「……なんでそこで驚いてるんですか……」

 

 

 呆れを含んだ声で言う万里花だが、いきなりそんな事を言われて困らないのだろうか。

 普通に突っ立ったまま写真を撮ろうとしていたのに、ポーズって何をすれば良いんだ……。

 どうしようか悩んでいると、機械から10、9、8、とカウントダウンが始まってしまっていた!

 

 

「ど、どうしよう……!」

 

「もう。普通にピースサインしておけば良いんですよ。ほら、笑顔で」

 

「ちょっ、まっ……」

 

 

 万里花が腕に抱きつきながら、笑顔でピースサインのポーズを取る傍ら、俺はピースサインの成り掛け(指が3本立っている)であり、笑顔がとても引きつっていた。

 

 

「……ブフッ」

 

「わ、笑うなよ……」

 

 

 くそう……。

 万里花も初めてだと言っていたのに、なんだか慣れているような感じがするぞ。

 次は冷静に行くぞ……!

 目の前の機械に集中していると、ハートの形を作ってください。と音声が流れた。

 …………。

 

 

「お前は人を軟体生物か何かと勘違いしてないか!?」

 

「……その、蓮様は少し冷静になった方がよろしいかと……。手でこう、ですわ」

 

「あ、あー……。そういう――」

 

 

 万里花の方を見ていたらパシャリと音がして写真が撮られてしまっていた。

 ……初めての体験だからって、余裕が無さ過ぎるだろ俺。

 次。次からは本当に冷静に行くぞ……!

 

 ……結局その後も機械に翻弄され、まともに撮れた写真は2枚だけだった。

 万里花の映りはほとんど完璧だったのだが、相手の俺が変なポーズをしていたり、顔が引きつっていたりと散々な結果に終わってしまったのだった。

 申し訳ありません! 万里花お嬢様!!

 

 

「落書きできるみたいですね」

 

 

 写真を撮り終わった後、音声案内に従って移動した場所で万里花がそう言った。

 落書きというのは、撮った写真に文字などを入れる事を言うのだろう。

 

 

「……俺の変な顔塗り潰して良いか?」

 

「駄目ですよ。面白い顔しているのですから……。ちゃんと取っておきませんと」

 

「えー……。なら、目線を黒く塗りつぶすとか……」

 

「犯罪者みたいなので駄目です。えーと、小咲さんの話では自分の名前を書いたりするとおっしゃってましたよ」

 

 

 右手と左手の人差し指でばってんを作る万里花。

 

 

「名前か……。うむ、漢字だといつも通りだから、アルファベットにしてみよう」

 

「良いですね……。ではそのように」

 

「ちょっと待って。万里花が全部書くの?」

 

 

 全部万里花が書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しかったですね」

 

「……だな」

 

 

 写真に落書きをしたあと、ゲームセンター内を軽く回った。

 万里花は積極的にゲームをしようとしなかったので、他の人がゲームをやっているのをチラ見したり、クレーンゲームの景品を眺めるだけに留まった。

 

 

「この後はどうしましょうか? 夜ご飯もここのどこかで食べていきますか?」

 

 

 ゲームセンターから出て万里花がそう訊ねてくる。

 

 

「ちょっと早いけどそうするか。あ、でも時間あるから移動しても良いな」

 

 

 時刻を確認すると、午後5時といったところだった。

 今すぐに夜ご飯を食べに行っても良いし、他の所に行くのにも問題ない時間帯だ。

 

 

「とりあえずショッピングセンター(ここ)の店を見にいこうか」

 

「そうしましょう」

 

 

 万里花も同意してくれたので、まずはショッピングセンター内を探すことに。

 外食を提案しておいてなんだが、彼女の口に合うようなお店はこの近くにあるのだろうか?

 

 万里花が行くようなお店といえば、勝手なイメージだが高級店ばかりのような気がする。

 ファミレスとかチェーン店では不満を持たれてしまう可能性があるので、お店選びは慎重にしなければいけないな……!

 

 

「そういえば蓮様。今日は何をお食べになりました?」

 

 

 万里花がふと訊ねてきた。

 夜ご飯の参考にするという事だろうか。

 

 

「ん。ブロッコリー」

 

「…………はい?」

 

 

 俺が答えたとほぼ同時に、万里花がその場で立ち止まった。

 手を繋いだままだったので俺もその場で止まる。

 

 

「えっと……。その、ブロッコリー(それ)以外もちゃんと食べてるんですよね?」

 

「……マヨネーズは付けたけど」

 

 

 なんか怒ってない?

 万里花の声に怒気が含まれているというか、声は通常通りなのに冷たさを感じるような……。

 

 

「……蓮様。お食事はきちんと摂りませんと、身体に悪いですわよ」

 

「あ、あー……。ま、そうなんだけど……」

 

 

 だ、だって食費かかるし……。

 回復(チート)あるから食べなくても問題ないといいますか……。

 

 

「もうっ。これからはちゃんと食べないと駄目ですからね? でないと私、ちょっと怒りますからね?」

 

「お、怒りますか……」

 

 

 今も少し怒ってないですか万里花さん。

 ……身体に問題は無いが、彼女がそう言うなら少し気を付けよう。

 

 

「……今日は外食はやめましょう」

 

「ん? ……帰るのか?」

 

 

 ……なんだか怒らせてしまったし、今日はここで解散という事か……。

 

 

「いえ。私が作りますので。お買い物に行きましょう」

 

「作る? …………どこで?」

 

「どこでって……。私の家に決まってるじゃないですか」

 

 

 当たり前の事のように言う万里花。

 え、これから家に行って、ご飯ご馳走になるの……?

 

 

「…………ちょっと待て。これから帰ってから料理って大変だろ」

 

「そうですか? 私はいつもそうしているので問題無いですわよ?」

 

「いつも……?」

 

 

 ……あれ?

 万里花っていつも手料理なのか……?

 ……確かに彼女のマンションに行った日に、使用人のような人を見掛けた事は無かったが、まさか全て自分で作っているのか?

 

 

「……万里花。そんな毎日料理してるなら、今日くらいは外の方が良いんじゃないか?」

 

「……私こう見えてもお料理は得意ですのよ?」

 

 

 こう見えても……。

 俺から見たら、万里花は料理が得意のように見えるが。

 って、そっちの心配をしているのではなくて、

 

 

「万里花の料理の腕を心配してるんじゃなくてだな……。普段も料理するなら、今日くらいは休んだらどうだ?」

 

「ああ……。そういう事ですのね」

 

 

 納得したかのような声音で声を紡ぐ。

 

 

「問題ありませんわ。お料理するのは好きですから。……それに、好きな殿方に料理を振舞う絶好の機会ですもの。むしろ、作らせて下さいな?」

 

 

 上目遣いで片目を瞑り、俺の顔を見上げながらそういう万里花。

 …………。

 

 

「…………わかった。よろしく頼む」

 

「はい♪」

 

 

 楽しげに笑う万里花だが、こちらとしては心臓が痛くて堪らない……。

 さり気なくまた好きだって言ってくれてるし……、表情があざといというか、可愛いというか……。可愛いか。

 

 

「はぁ……」

 

 

 楽しそうな万里花を見ていると、食事を雑に済ませていてよかったと言うべきか……。

 今日の夜ご飯は豪華な物になるだろうが、彼女の負担にならないかどうかだけが心配だ。

 ……普段料理などしない俺だが、今日は出来るだけやれる事をしよう……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ショッピングセンターから万里花の家までは距離があるので、買い物は彼女の家の近くにあるスーパーマーケットですることにした。

 移動中の彼女は、何を作るのかを考えているようでほとんど会話は無かった。

 しかし不思議な事に居心地が悪いということもなく、なんとなく移動していたら何時の間にか目的地に辿り着いていた。

 

 

「今日は何を作るんだ?」

 

 

 スーパーの中で、台車の上にカゴを乗せながら訊ねた。

 

 

「……そうですね。やはり、野菜多めの料理にしようかと」

 

「えぇっ。何故に!?」

 

「……その反応で確信しました。蓮様。ちゃんと栄養摂ってますか?」

 

 

 野菜たっぷり、という言葉に反射的に拒否反応が出てしまっただけです! 

 栄養は……、

 

 

「……気にした事が無い。が、栄養たくさんのお菓子は食べてる」

 

「それは気にしていると……。いえ、なんでもありませんわ。……安心してください。ちゃんと美味しく作って差し上げますから」

 

 

 味の方は心配して無いんだよな……。

 野菜が嫌いというわけでも無いので、野菜に反応したことを子供っぽいと思われていないか心配だ……。

 

 

「お味噌汁のリクエストはありますか?」

 

「……お味噌汁まで作るの?」

 

「折角ですので」

 

 

 万里花は軽く言っているが、全ての料理を完成させるまでとても時間が掛りそうだ。

 

 

「……お豆腐入れて欲しいです」

 

 

 ……ここで断っても押し切られるのだろう。と最早諦めの境地で答えた。

 豆腐にしたのは作るのが簡単そうだと思ったからだ。

 それ以外の理由は特にない。

 

 

「お豆腐、ですか。……揚げも入れても?」

 

「……手間が掛らないなら」

 

「わかりました」

 

 

 手間が掛らなさそうな物を頼んでも、万里花の好みでどんどん手間が増えていくように感じる。

 ……本当に大丈夫なのだろうか。

 

 

「お野菜見てきます。ちょっと待っててくださいね?」

 

「わかった」

 

 

 普段俺が買い物をしていない事がバレているのか、万里花は俺の意見を聞く事なく野菜を選んでいく。

 ……その判断は正しいが。

 俺は同じ野菜を2つ持って来られて、どちらの方がおいしそうに見えますか? 等と聞かれても答えれる自信が無い!

 なので戦力外の俺は、空いている場所で台車を見張る事くらいしか出来ないのだ!

 ……俺の役立たず!

 

 

「どうかされたのですか?」

 

「えっ? あ、いや、なんでもない……」

 

 

 何時の間にか戻って来ていた万里花に怪訝な顔で見られてしまった。

 もう既に台車のカゴには、それなりの量の野菜が入っている。

 考え事をしていたとはいえ、彼女の接近どころかカゴの中身が増えていたことにすら気付けないなんて……!

 見張りすらまともにできないのか……。

 

 

「……何やら落ち込んでいらっしゃいますが、気に病む必要はありませんわ」

 

「なんでだよ」

 

「さぁ、なんででしょう?」

 

「そこは教えてくれないのね!」

 

 

 うふふと優雅に笑う万里花。

 ……まぁ、そこまで気に病む問題でもないので、彼女の言う通り気分を切り替えよう。

 

 買う物はほとんどカゴに入れ終わったようなので、順路に従ってゆっくりと進む。

 この時間帯になると買い物をしている客も多くなるようだ。

 普段買い物をする時間帯は午前中なので、この混み具合はあまり味わうことがない。

 

 

「ころころ重くないですか?」

 

「……ころころ?」

 

「それの事です」

 

 

 万里花が指で台車を指し示す。

 

 

「あー、これの事か。これくらい大丈夫だよ」

 

「辛くなったら交代しますから、ちゃんと言ってくださいね?」

 

「……俺、どんだけひ弱だと思われてるの……?」

 

 

 大して重い物も入ってないし、台車なのだから重い物をたくさん積んだりしない限り辛くはならない。

 

 

「蓮様がブロッコリーしか食べてないとおっしゃるので、心配だったんです」

 

 

 少し拗ねた口調で言う万里花。

 

 

「わ、悪かったよ……。食べてないだけで、身体に問題は無いよ」

 

「……本当ですかね」

 

「本当です」

 

 

 ……朝食を軽くしか食べていないだけで、ここまで心配されるとは思わなかった。

 今度から万里花と会う時はちゃんと食べる事にしよう。

 ……嘘をついてしまえば良いのかもしれないが、彼女には小さな事でも嘘をつきたくなかった。

 出来る事なら毎日の食生活をしっかりとすれば良いのだが……、毎日は面倒だ。

 

 

「……お肉も買って。……良し。蓮様、会計に向かいましょう」

 

「ん、わかった」

 

 

 台車の方向を会計に向けて進める。

 混み合う時間帯なので、会計にもそれなりの列が出来ていた。

 10分くらいは待つ事になるだろう。

 

 

「支払いは俺が払って良いか?」

 

 

 料理をして貰うという立場なので、せめて金銭くらいは払いたい。

 

 

「いえ。カードで支払った方がポイントが付きますので、ここは私が払います」

 

「……なら、後でその分のお金渡すよ」

 

「その必要はありません。今日は私に甘えてください」

 

「なんでだよ……」

 

 

 ご飯を作って貰う上に、材料費まで出させるなんて養って貰うのと同義では……?

 だ、駄目だ。これでは後ろめたさが大きすぎる!

 

 

「万――」

 

「蓮様が気になるのでしたら、今度違う形で返してください」

 

 

 名前を呼ぼうとするのと同時に、万里花が言葉を被せるように言った。

 

 

「ここでお金を払うより、そちらの方が私は嬉しいですわ」

 

 

 …………負けた。

 笑顔でそう言う万里花に、思わずときめいてしまった。

 

 はぁ……。

 ここでごねてお金を払っても、万里花を困らせるだけのようだ。

 彼女の言う通り、今度何かプレゼントでもする事にしよう……。

 

 

「……わかった。ここは任せる」

 

「はい♪ お任せください!」

 

 

 心なしか万里花の声音も弾んでいるように感じた。

 お金を払う事に喜びを感じているのだろうか?

 そんな事は無いと思うが、原因が思い当たらない。謎だ。

 

 数分経ってやっと順番が来た。

 店員が素早く商品を入力し会計に移る。

 万里花がカードを店員に渡して、すぐに支払いが終わった。

 

 

(らく)そうだな」

 

 

 普段の買い物は全て現金払い(キャッシュ)なので、カード払いを見るととても楽そうに見えた。

 お釣りの計算とかもしなくて良さそうだし、機会があればカードを作ってみるのもいいかもしれない。

 ……自分のことだから良くわかるが、その機会が訪れることは無い気がする。

 

 

「なんとか入りきりましたわ」

 

 

 万里花のエコバッグに買い物した分の物が入っていた。

 エコバッグは彼女の手提げ鞄にあったようで、取り出していたのを確認している。

 

 

「用意周到だなぁ……」

 

 

 恥ずかしながら俺は携帯と財布以外持ち合わせていない。

 関心するばかりである。

 俺に出来る事と言えば力仕事くらいなので、エコバッグを片手で持ち上げる。

 意外と重い。

 

 

「行きましょうか」

 

 

 俺が荷物を持っていない方の手を握りながら万里花が言った。

 

 

「……ああ」

 

 

 これから万里花の家に行って、料理を作って貰って、食べて、片付けて、となると結構時間が掛りそうだ。

 俺は気にしないけど、橘さんに文句を言われたりしないだろうか。

 

 

「父ですか?」

 

「うん。俺は遅くなっても大丈夫だけど、橘さんは俺がお邪魔したら気にならないかな?」

 

 

 聞いてどうにかなる問題は聞くに限る!

 

 

「ああ……。問題ありませんわ。今日父は家に戻らないそうなので」

 

「…………そうなのか」

 

 

 それはそれで問題ですよ万里花さん!

 2人きりなの!?

 てっきり彼女の父は毎日家に戻っているのだとばかり思っていたが、それは間違いだったらしい。

 

 

「……それは、何か事件とか関係してるのか?」

 

「詳しくは私も知りませんわ。家に帰って来ないこともよくあることですし」

 

「え? ……一人で夜を過ごす事もあるのか?」

 

「勿論ありますよ。本田もずっと私と過ごしているわけではありませんしね。慣れっこです」

 

「ふ、ふーん。そうなんだな……」

 

 

 万里花の家で2人きりとは。

 ……前回彼女の家に行った時は橘さんも居て2人きりという状況では無かった。

 なので家に行く事自体に緊張はしなかったが、今日は2人きりの状態であるという事で少し胸が痛くなって来た……!

 ど、どきどきする――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では作って来ますので、蓮様は適当に寛いでいて下さいね?」

 

 

 万里花の家に辿り着き、部屋に入って少ししてから彼女がそう言った。

 前回橘さんと話をした部屋とは別室のようで、今いる部屋からは台所の様子が伺える……って。

 

 

「万里花! 俺も何か手伝うぞ!」

 

 

 俺は料理をあまりしないが、何も出来ないというわけでは無い。

 万里花が料理を得意とはいえ、単調な作業くらいなら俺の手を使ってくれるはず……!

 

 

「普段蓮様はお料理をされているのですか?」

 

「いや普段はしてない。だけど力仕事とか、何か出来る事はないか?」

 

「うーん……」

 

 

 少し悩んでるような様子だ。

 

 

「例えばなんですけど。じゃがいもの皮を包丁で剥くとしたら、1個どれくらい時間掛りますか?」

 

「え、包丁で……?」

 

 

 …………皮剥きを包丁でやる事がない。

 

 

「恐らく……、5分もあれば出来るはず」

 

 

 少し震えた声で答えた。

 自信が無いのが目に見えていそうだ……。

 

 

「座っていてください」

 

「……はーい……」

 

 

 ですよねー!

 いも1つの皮剥きにそんなに時間掛けてたら余計に夜ご飯遅くなりますもんねー!

 

 仕方がないので役立たずの俺はソファに寝転がった。

 ……このソファも高級品なのか、硬さと柔らかさのバランスがほどよく、とても心地がよかった。

 

 今いる部屋にある物はダイニングテーブルと食器棚。

 そこから離れた所に今座っているソファと、その向かいには大きいテレビがあった。

 

 やれる事も無いのでテレビを見ることにした。

 置いてあったリモコンで電源を入れる。

 ……映像が綺麗だ。

 

 

「……うちにある安物とは大違いだなぁ」

 

 

 このテレビで映画を観たら、家で見るより倍ほど映像が綺麗に映りそうだ。

 今の時間帯はバラエティ番組しかやってないようなので、確認する事は不可能だが。

 

 

「万里花……。何か手伝える事ないか?」

 

「そうですわね……。あと30分は後になりますわ」

 

「そっかー……」

 

 

 女の子に家事をさせて自分だけ寛ぐって……、こう、気分的にもやもやする……。

 といっても、家事が出来ない俺が悪いので仕方がないのだが……。

 後片付けは全部やろうと決意して、大人しく待つ事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで完成です」

 

 

 出来上がった品を運び終わった万里花がそう宣言した。

 言っておくが料理を運ぶのは俺も手伝った。

 

 

「……単純な感想になるけど、美味しそうだな」

 

 

 テーブルにはご飯と味噌汁。

 野菜炒めに鶏肉をグリル焼きしたものまである。

 

 

「冷めないうちに食べちゃいましょう」

 

 

 万里花が俺の隣に座ってそう言った。

 向かい合って食べるのではないらしい。

 

 

「……狭いですか?」

 

「そんなことはない。もう食べさせて"いただきますっ!"」

 

 

 味噌汁から手に取る。

 味は薄すぎず、濃すぎずと丁度良い味加減だった。

 

 

「おいしー」

 

 

 野菜炒めを一口。

 元から野菜嫌いというわけではないのだが、万里花の野菜炒めは普段食べる野菜よりも倍おいしく感じた。

 味が濃いというわけではないのだが、ご飯が進みそうだ。

 

 

「うまー」

 

 

 野菜炒めと一緒にご飯を頬張る。

 炊きたてご飯ということもあって、普段食べるレトルトの物とは比べ物にならない美味しさだ。

 

 

「あー……」

 

 

 そして最後に鶏を口にする。

 こちらは少し味が濃い目で、とてもご飯が進みそうだった。

 ……今日は許されるならご飯をおかわりしたいな!

 

 

「とても美味です……!」

 

「ふふっ。感想を聞くまでもありませんね」

 

「ん?」

 

 

 万里花がこちらを見て笑いながらそう言った。

 ……俺、何かおかしい事を言っていただろうか?

 

 

「こちらは気にせず食べちゃってください。ご飯もお味噌汁もおかわりありますよ? 足りなかったら、私の肉も野菜も食べて良いですからね」

 

「そこまで貰わないぞ……」

 

 

 他の人の分まで食べるほど大食漢というわけではないぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……あまりにも美味しかったので、鶏肉を1片(ひとかけ)貰いました。

 万里花の手料理は想像通りとても美味しいもので、出された品の全てを簡単に食べきってしまった。

 といってもお腹の方は満足しているので、量が少なかったというわけではない。

 

 

「片付けるわ」

 

 

 食べ終わって少し休んだので、もう片付けをしても良いだろう。

 

 

「はい。では私が洗いますので、蓮様は(すす)いでください」

 

「いや、全部やるよ」

 

 

 料理は全て作って貰ったのだから、これくらいは全て1人でやりたい。

 

 

「2人でやった方が早いですし、早く終わった方が蓮様もゆっくりできるでしょう?」

 

「え……。まぁ、時間的に余裕は出来るけど」

 

「ね?」

 

 

 ……その魅力的な上目遣い卑怯だからやめてぇ!

 万里花の提案に目立ったデメリットがないのもあって断れない……。

 これも全て万里花って奴のせいなんだ……!

 俺の意志が弱いだけです……。

 

 

「はぁ……」

 

「どうかされたのですか?」

 

「自分の意志の弱さに呆れてるの」

 

 

 食器を水に浸けながら答える。

 皿はこのままにして少し待った方が良いのだろうか。

 

 

「そんなことないと思いますけど」

 

 

 万里花がスポンジに洗剤を付けながら言った。

 今更だが、2人並んでもスペースに余裕がある台所って凄いな……。

 

 

「蓮様の意志が弱いなら、もう私と付き合ってるはずですもの」

 

「………………」

 

 

 慣れた手つきで皿を洗いながら万里花が言う。

 ……思わず視線を正面に向けて、彼女の方を直視しないようにした。

 目の端に映る彼女の頬も少し赤くなっているようで、大胆な事を言った自覚はあるらしい……。

 

 

「それは……、……すまん」

 

「謝らなくて良いです。……それに、私も再会して数ヶ月でここまで接近するとは思ってませんでしたし……」

 

 

 万里花から渡された皿を丁寧に濯ぐ。

 こんなことを話していても、作業はちゃんとこなすのだ……!

 

 

「……ふふっ。2人で皿洗い(こんなこと)してると、一緒に暮らしてる気分になっちゃいます」

 

「……一緒に暮らしてたら手伝わないかもしれないぞ」

 

「そうなんですか?」

 

 

 今のは適当に言葉を返しただけだ。

 きっとそんな事は無いと思う……。

 

 

「……その、万里花は仲良くしてるとはいえ、俺に拒否されるとは思わないのか……?」

 

 

 告白の返事を待たせている俺が言うのもなんだが、万里花は不安にならないのだろうか……。

 俺が彼女の立場だったら、ここまで想いを前に出すことは出来ないと思う。

 

 

「……蓮君」

 

 

 万里花はこちらの方を微笑みながら見て、

 

 

「うちはもう良か返事を貰えると思っとるよ? やけん、そんな不安な顔しなくてよか」

 

「…………そんな顔してない」

 

 

 はぁ……なんていうか、彼女に隠し事は出来ないようだ。

 …………認めよう。俺が万里花に対して好意を抱いていることに。 

 それもきっかけさえあれば、直ぐに付き合ってしまう程だという事も。

 

 

「…………でも、良い返事は期待して……くれ」

 

「……はい♪ いつでも、それこそ今でも、お待ちしています……!」

 

 

 だから今はちょっと厳しいって――――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……片付けも終わったし、帰るかな」

 

 

 皿洗いを終えて時計を確認すると、午後8時を少し過ぎたくらいだった。 

 流石にこれ以上万里花の家にお邪魔しているのも迷惑だろう。

 

 

「えー……。もう帰っちゃうんですか?」

 

 

 万里花は不満そうだ。

 

 

「そうは言うけど、もう8時だぞ? ……流石にこれ以上は、な」

 

「帰りは本田に送らせますのでもう少しだけ……駄目、ですか?」

 

「………………わかったよ」

 

 

 目遣い以下略。

 ソファに2人並んで座り、テレビを眺める。

 手と手が触れ合うが、握りはしなかった。

 10分程テレビを見ながら会話をして、

 

 

「……テレビ面白くないな」

 

 

 という感想に行き着いた。

 

 

「あはは……」

 

 

 万里花は誤魔化すように笑ったが、彼女もそう思っている事は明白だった。

 ……こういう時は適当に話題を振った方が良いだろうか。

 

 ちらりと万里花の方を見ると、彼女もこちらを見ていたようで視線が合った。

 彼女は小さく頷くと、座っている俺の膝の上に乗っかって来た。華奢な見た目の通り、全然重さを感じない。

 膝に乗ったまま、彼女は両手をこちらに広げて動きを止めた。

 

 

「…………なんだよ」

 

 

 万里花の不可解な行動に気を取られ、少し声が低くなった。

 

 

「……抱きしめたいと、おっしゃってたので……」

 

 

 ………………。

 こ、心の中の悪魔あああああ!!?

 あの時の声はやはり聞かれていたのか!?

 

 

「万、万里……花……」

 

「……」

 

 

 万里花の行動を止めようとしたが、俺は声を止めざるを得なかった。

 彼女の顔もまた、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい赤らんでいたのだ。

 

 ……ここまでさせておいて、もし拒否したらそれこそ糞野郎なのではないだろうか。

 

 

「……」

 

「ん……」

 

 

 万里花の脇の下から手を差し入れて、優しく抱き寄せる。

 柔らかい感触と暖かい熱が手の中に広がる。

 

 

「……どうですか?」

 

「……なにが?」

 

「……私を抱きしめた感想です。蓮様からは初めて、でしたよね?」

 

 

 ……言われてみれば今まで手を握るだけで、抱きしめたのは今回が初めてだった。

 心臓がうるさいわけだ。

 

 

「……万里花の柔らかさにドキドキするし、良いにおいするしで大変だよ。……でも心地良いよ」

 

 

 ハグをするとストレスが減ると聞いたことがあるが、それは本当だったのかもしれない。

 

 

「……ふふっ。でも照れてますよね? お顔は見えませんが、わかりますよ?」

 

「……それは、万里花もだろっ」

 

「…………バレちゃったい」

 

「っ!」

 

 

 ~~~~~~~~!!

 もう! もうもうもうもうっ!

 そこで可愛い方言使うのは卑怯だ!!

 

 

「……ぐぐ。い、何時までこうしてて良いんだ?」

 

「……蓮様が満足するまで、いつまでも……」

 

 

 ……どうしろってんだよ!

 漫画の世界なら、橘さんとかが帰って来てお互い距離を取る場面だろ! 今!

 視線を万里花から逸らして部屋の中を確認して見たけれど、そうなる様子は今のところなさそうだ……。

 

 

「このまま泊まりますか?」

 

 

 腕の中の万里花が囁き声で言う。

 

 

「添い寝して差し上げますわよ……?」

 

 

 万里花の言葉を聞いて、もしそこまで行ったらどうなるかを想像し――、冷静さを取り戻した。

 彼女を抱きしめている力を弱くして、少し彼女の身体を起こさせる。

 

 

「……蓮様?」

 

「今日は帰るよ。お泊りは無しで」

 

「……そうですか。……では車を用意させますね」

 

 

 残念そうに言う万里花に心苦しくなるが、今日これ以上ここにいたらもっと凄い事を、

 

 

「ってちょっと待って」

 

 

 携帯で車を呼ぼうとする万里花の手を止める。

 

 

「……? どうかされました?」

 

「車で送って貰う必要はないよ。歩いて帰れる距離だし」

 

「でも前に襲われたって聞きましたよ?」

 

「それは……、前はバイト終わりだったから……」

 

 

 あの時は状況もちょっと複雑だったから起きたものだ。

 今日は特に何も問題は起きないはずだ。

 

 

「凡矢理はあまり治安が良くないと、父も言ってました」

 

 

 ……初めて聞く情報だ。

 本当なのだろうか?

 

 

「このまま蓮様を帰らせて、何かあったら自分を許せません。ですから送らせてください。……駄目ですか?」

 

「……わかったよ。お願いする……」

 

 

 だから以下略。

 

 

「お任せください。……あ、本田。……え、もう手配してある? さ、流石ですわね……」

 

 

 万里花の様子から聞き取るともう既に車の用意があるらしい。

 ……本田さん、優秀すぎでは……?

 

 

「……蓮様。もう下に車を用意してるみたいです……。本当は、もう少し一緒に居れると思ってたのですが……」

 

 

 ……明らかに落ち込んだ様子の万里花。

 車を用意するのに時間が掛かると予想していたようで、もう既に用意してあるとは思って居なかったらしい……。

 

 

「待たせるのも悪いし、もう下に行くよ」

 

「うう……はい……」

 

 

 沈んだ声で返事をする万里花。

 エレベーターまで見送ってくれるらしい。

 

 

「……そんなに落ち込まないでくれよ。また直ぐに会えるし、なんならまた明日どこか行くか?」

 

「……申し訳ないのですが、明日はちょっと用事が……。違う機会にまたおでかけしたいです」

 

 

 廊下を歩きながらそう会話する。

 万里花の部屋(?)からエレベーターの距離はそこまで無いので、もうエレベーターの入り口に着いてしまう。

 

 

「わかった。……んじゃ、またな」

 

「……はい。あ、家に着いたらお電話くださいね? 待ってますから」

 

 

 エレベーターが到着したので中に入る。

 

 

「心配性だな……。わかったよ」

 

「ありがとうございます。またね、蓮君」

 

 

 エレベーターの扉が閉まると同時に、万里花のそんな声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待ちしておりました。倉井さん」

 

「……お手数をかけます。本田さん」

 

 

 マンションを出てすぐの道路で、黒い高級車の扉を開けた状態で本田さんが待っていた。

 ……お金持ちの感覚としてはこれが普通なのだろうか?

 待たせるのも申し訳ないので、急いで車の中に入る。

 

 

「はぁ……」

 

 

 車の中で思わず息を吐く。

 あのまま万里花と一緒に過ごしていたら、どうなっただろうか。

 

 

「…………」

 

 

 想像しても仕方ないので意識を現実に戻す。

 ……今日は楽しかったけど、色々あって疲れたな。

 その疲れを回復(チート)で消す事も出来るが、なんだか勿体無く感じたのでそのままにしておく。

 

 

「…………倉井さん」

 

 

 車を運転している本田さんにふと話しかけられた。

 

 

「何でしょう?」

 

「お嬢様の抱き心地はいかがでしたか?」

 

「ぶふぁっ!?」

 

 

 見てたの!? 

 いや、それよりも紛らわしい言い方はやめて欲しい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

「ああ……やりすぎました……やりすぎました……」

 

 

 万里花は自宅で誰も見ていないのを良いことに、手を組んでうろうろと彷徨っていた。

 

 

「何故あんな事を……。うう、蓮君が拒否しないのも悪いばい……」

 

 

 蓮が家を出て行ってから、今日遭ったことを思い返して、このありさまというわけだ。

 

 

「はぁ……今日寝れるかしら……」

 

 

 と、万里花は心配しているが、今日の疲れもあってベッドに入るとすぐに眠りに付いてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は父から蓮におごってやれと多めにお金を貰ってる万里花さん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話

 

 

 

「…………」

 

 

 万里花との映画館デートを終え、一日が経った。

 今日はバイトなどの予定も無かったので、お昼くらいまで寝ていようと惰眠を貪っていた。

 …………貪ろうとしていたのだが、朝に一度目が覚めた時につい、いつもの癖で回復(チート)をうっかり使ってしまい……。

 

 

「…………はぁ」

 

 

 目が覚めてしまったというわけだ。

 時計を確認すると、朝の8時15分といったところだった。

 ……折角の休みなのだからもう少し布団の温もりを味わっていたかった……。

 

 

「起きるか……」

 

 

 布団の中で眠気が沸くまでゴロゴロしようかとも考えたが、そこまでして眠らなくても良いので、諦めて身体を起こす。

 回復(チート)によって身体の怠さも抜けているので、布団を抜け出す動きはスムーズだ。

 肩を軽く回しながら立ち上がり、ふと、いつもは何も置かないようにしているテーブルに物があるのに気付き視線を留める。

 

 

「ああ……。プリクラか」

 

 

 テーブルにあったのは昨日万里花と撮ったプリクラであった。

 プリクラをどうしようか迷って、そのまま放置して忘れていたらしい。

 

 

「……どうしようかなぁ」

 

 

 携帯に貼る……のは目立ちそうだし、携帯を使っているうちにプリクラがボロボロになってしまいそうなので却下。

 かといって家にある家電や壁に貼るのも何か違うような気がする。

 

 

「…………」

 

 

 何か無いかと部屋の中を見回して――、まだ使っていない新品のノートが目に入った。

 変なところに貼るより、こういうノートなどに思い出として保存しておくのも良いかもしれない。

 

 特に他に良い場所も思いつかなかったのでノートに貼っておくことにした。

 写真の向きだけ気をつけて、ささっと作業を行う。

 ……変な顔をしている俺の部分を切り取りたくなったが、ぐっと我慢して全て貼る作業を完了させた。

 

 

「これで良し」

 

 

 もし次に撮る機会があったとしても、こうして保存しておけばプリクラの保管場所には困らないだろう。

 

 

「朝の用意でもするか」

 

 

 特に必要とも思えないが、万里花と約束してしまったので出来るだけ摂らねばなるまい。

 何か無いかと冷蔵庫を開けてみる。

 

 

「…………」

 

 

 何もなかった。

 考えてみれば当たり前のことで、今まで必要としていなかったのだから、冷蔵庫に食品が入っていると思う方が間違っている。

 ……早起きしたのは買い物のためと考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食生活を改めて数日が経った。

 ……改めたといっても、前とさほど変わっていないかもしれないが。

 一応、最低でも2食(朝、夜。昼、夜など)は摂るようになったので、改善していると思いたい。

 

 夏休みに入ってしばらく経ち、俺は学校の宿題などやらなければいけない物を片付け終わっていた。

 夏休みという長い休みの期間ではあるが、やりたいことの無い自分の無趣味さに泣けてくる。

 今は何も考えないままネットの海を彷徨っている。特に面白くなくても、動画などは見て居られるので時間潰しには都合が良かった。

 …………PCは中学の終わりくらいに買ったが、無かった時の夏休みは何をしていたっけ……?

 

 …………。

 そうだ。

 回復(チート)を使って遊んでいたんだ。

 無限に走っても疲れることが無いので、山の中まで走ってみたり、隣県まで走ってみたり……。

 走ってばっかりだな。

 

 

「あっつい……」

 

 

 部屋に座っているだけで暑いとは、本格的な夏の訪れを感じる。

 ネットを見るのも良いが時間もあるし、今日はどこか涼しい場所にでも行こう。

 

 考えた結果、近所で涼しい場所といえば図書館くらいしか思い当たらなかった。

 が、本を読みながら涼しめると考えれば結構良い場所なので、今日は図書館に行くことにする。

 

 

「……行くか」

 

 

 一言呟き、着替えを始める。

 図書館にラノベは無いと思うが、面白い小説くらいは何冊かあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 図書館に辿り着いて10分。

 俺は涼しさが身体にしみてきて気持ちよくなっていた。 

 正直なところ、本を読む必要を感じないくらいだ。

 

 今居る凡矢理図書館は、名前の通り凡矢理にある図書館である。

 本の蔵書数はそこそこの数だが、図書館の広さは中々のものだった。

 

 町の人からの人気はあまり無いようで、図書館内はとても空いている。

 ぱっと見たところ、視界に入るのは4、5人といったところだ。

 テーブル席を1つ占拠したところで、他の人の迷惑になることもなさそうだ。

 

 

「…………」

 

 

 ちら、と時計を見ると丁度お昼の時間を指していた。

 図書館内の張り紙によると閉館時間は午後7時と書いてあった。

 さすがにその時間まで滞在する事は無いだろうが、一応心の中に留めておく。

 適当に本を選び、涼しさを堪能することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………む」

 

 

 2冊ほど本を読んで視線を上げると、時計の針が5時を指していた。

 ……そして正面の席に葉月さんが座っている事にも気が付いた。

 いつの間に……。

 

 

「おや、お気づきになられましたか」

 

「……はい。いつからそこに?」

 

 

 本に集中していたとはいえ、ここまで接近されても気が付かないものかなぁ……?

 葉月さんの特殊技術のせいでなければ、もし悪い人間が近付いて来ても俺は気付けていないということになる。

 ……多分、葉月さんの技術(ちから)だろう。

 

 

「倉井様が本を読み始めてから30分程経ってからです」

 

「…………そうなんですか」

 

 

 ほとんど最初からじゃないか。

 それにしても、護衛とはいえ四六時中俺に付いていないといけないのは大変な仕事だな……。

 ある意味俺はストーカーされているとも考えられるが、特に隠したいプライベートも無いし助けても貰っているので気にする事はない。

 

 

「いえ、四六時中付いて回ってはいませんよ?」

 

「え。そうなんですか?」

 

 

 ……簡単に心の中を読まれていることは、ここでは気にしないことにする。

 

 

「はい。近くには居ますが、倉井様を視界に入れている時間はそこまで多くないのです」

 

「……なるほど?」

 

 

 見ていなくても護衛が出来るのか突っ込みを入れたくなったが我慢した。

 きっと忍者パワーでなんとかしているのだろう(諦め)。

 

 

「ちなみに、こうして顔を合わせている理由はあるんですか?」

 

「ええ。万里花お嬢様から連絡が来ている事をお伝えしに来たのですよ」

 

 

 …………。

 

 

「……それって、もっと早く教えて貰えなかったんですか?」

 

「そうすることも可能でしたね」

 

 

 ……いや、携帯の電源切っている俺も悪いんだけどさ……。

 ポケットから携帯を取り出していると、葉月さんがこちらを見て微笑んでいる

 

 

「……なんですか」

 

「お気になさらず。ちなみにお嬢様への返事は後でも問題ないものですよ」

 

「……そうですか」

 

 

 だから連絡が来ているのにも関わらず俺に教えなかったのか。

 携帯の画面を見るとメールが1通届いていた。

 差出人は勿論万里花だった。

 

 

「…………」

 

 

 メールの内容を要約すると、明後日(あさって)買い物に一緒に行きましょう。というものだった。

 特に断る理由もないので、了承の旨を伝えるためにメールをぽちぽちと打ち込む。

 

 

「それにしても、この内容で――」

 

 

 視線を上げると、葉月さんは既に姿を消していた。

 ……用事が済んだからとはいえ、立ち去るスピードがおかしくないか?

 

 万里花のメールにしても、葉月さんが言ったようにすぐ返さなくても問題は無いものだったし……。

 もしかして会話をしたかっただけとか?

 うーん、謎だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は飛んで約束の日。

 万里花から買い物の誘いを受けた俺は、彼女との待ち合わせ場所に向かっていた。

 ……のだが、いつの間にか高級車に乗っていた。

 いや。

 道を歩いている途中、本田さんに車に乗せられたので、いつの間にかというのは語弊があるかもしれない。

 

 

「……なぁ」

 

 

 高級車の後部座席で身を縮ませながら、当たり前のように隣に座っている万里花に語りかけた。

 

 

「どうされました?」

 

 

 身を縮こませている俺を、不思議そうな目で見ながら万里花が返事をする。

 

 

「……車で向かえに来てくれるなら言ってくれれば良かったのに……」

 

 

 ちょっとした不満を万里花に投げかける。

 なんだか誘拐されたような気分だったのだ。

 

 

「サプライズです。驚きました?」

 

 

 いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべる万里花。

 そんな彼女の表情を見ると怒る気も無くなった。

 

 

「……驚きました。誘拐されるのかと思ったよ」

 

「ふふ。迎えは本田でしたのに?」

 

「そういう気分だった。ってだけだ」

 

 

 ふぅ、と息を吐きつつ、身体の緊張をほぐす。

 本田さんに案内された車がいかにも偉い人が乗っています。と言わんばかりの車だったので、橘さんが乗っているのかと少し緊張したのだ。

 実際にはそんなことはなく、運転している本田さんと隣に座っている万里花以外は居なかったのだが。

 

 

「で、今日は何を買いに行くんだ?」

 

「言ってませんでしたっけ?」

 

「……万里花が秘密って言ったんじゃないか」

 

「そうでした」

 

 

 口に手を当て、悪戯っぽく笑う万里花。

 なんだかおかしくて、つられて俺も笑った。

 一昨日彼女とやりとりしたメールでは、買い物に行かないかという誘いだけで、目的と場所の話はしなかったのだ。

 

 万里花曰く、着いてからのお楽しみです。と教えてくれなかったのだ。

 これが知らない相手ならいざ知らず、相手は万里花なので特に尋ねることはしなかったのだ。

 

 

「どこに行くと思いますか?」

 

「うん? ……そうだな、服屋とかかな」

 

「ちょっと惜しいですわね。服を見に行くというのは合ってますよ」

 

「服屋さんなのか?」

 

 

 惜しいというのは、なんでだろう?

 ……服屋の高級店では名称が違ったりするのだろうか。

 

 

「車で行くくらいだから遠いのか?」

 

「はい。駅から行くとしたらタクシーを呼ぶ必要があるくらいの距離なので、最初から車で行こうかと」

 

「なるほど」

 

 

 俺としては楽をさせて貰っているので文句はない。

 が、何もお返しをしないというのも気になるので、後で何かお金を多く払うとするか。

 

 

「いえ、私の我侭なので気になさらなくて結構ですわ」

 

「…………なんで考えてる事がわかるんだ?」

 

 

 もしかして心の中を読むのは、橘家では当たり前の技術なのか?

 

 

「何やら考えごとをしている様子でしたので、お金の事を考えていらしたのではないですか?」

 

「……その通りだ。はぁ……万里花には隠し事ができなさそうだよ」

 

 

 内心を読まれすぎてため息が出てしまう。

 過去に考えている事が顔に出ると言われた事があったが、ここまでだとどうしようもないな……。

 

 

「悪い事を考えていたわけではないのですから。そんなに落ち込まないで下さい。ほら、お飲み物はいかがですか?」

 

 

 万里花が指し示した方向には冷蔵庫があり、中には水からお酒まで、様々な飲料水が入っていた。

 

 

「……車の中って冷蔵庫があるんだっけ?」

 

 

 お金持ちの車はよくわからないなぁ……。

 まぁいいか。とジュースを受け取りながら考えることを止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は特に何事も無く車は進み、何時の間にか地下駐車場まで進んでいた。

 万里花との談笑を楽しんでいたとはいえ、少し集中しすぎたな。

 停車したのを確認し、車のドアを開けようと腰を上げると、回り込んでいた本田さんがドアを開けてくれていた。

 

 

「……早くないですか」

 

「仕事のうちです」

 

 

 さらっと言ってのける本田さんに格好良さを感じざるを得ない。

 俺も回復チートではなく運動系チートをお願いしていたら同じような事ができたのだろうか。

 

 

「さ。行きましょう」

 

「おう。……どこから行くんだ?」

 

 

 目に入る範囲にはお店の入り口が見当たらない。

 周りに駐車している車も少ないので、わざわざ入り口から遠い場所に駐車したとは思えないが、そうだとすれば一体どこに入り口があるのだろう?

 

 

「こちらです」

 

 

 本田さんに案内されるままに進んだ先にあったのは太い柱だった。

 よく見ると回転式のドアノブが付いている。

 俺と万里花が近付くのを確認しながら、本田さんはドアノブを捻りドアを開けた。

 そこは四角い正方形の部屋で、部屋にあるのはエレベータだけだった。

 

 

「……なんで柱の中にエレベータがあるんだ? 今から行く場所は普通のお店じゃないのか?」

 

「お店ですわよ? 何かおかしいですか?」

 

「……おかしくは、無いのか?」

 

 

 部屋に入ってすぐの時は気が付かなかったが、部屋の四方に監視カメラが設置されている。

 ……俺が今から行く場所は普通のお店なんだよな?

 

 

 

 

 

 

 

「……普通のショッピングモールだ」

 

 

 エレベータを降りた先は地下街になっていた。

 地下ではあるが、天井が高いので息苦しさを感じさせない。

 

 

「こっちですわ」

 

 

 俺の腕を引っ張りながら進む万里花。

 その足取りに迷いはないので、彼女はここに来たことがあるのだろう。

 

 

「そろそろ何を買いに来たのか教えてくれるのか?」

 

「ええ。これです!」

 

 

 万里花が手を大きく広げながら指し示した方向を見ると、そこは水着売り場だった。

 …………水着売り場だった。

 

 

「…………服屋で惜しいってのは、こういうことか」

 

「ささ。行きましょう?」

 

 

 腕を引っ張られ、有無も言えずにずんずんと店内に入ることになった。

 ……ちょっと待って。

 これって……、今から万里花の水着ショーが開催されるということか……?

 え、ちょっと。

 

 

「待て万里花。一体何を始める気だ……!」

 

「何って、水着を選ぶんですよ?」

 

「……誰の水着を、だ?」

 

「私のに決まってますわ。折角の夏ですから蓮様に私に似合う水着を選んで貰おうかと」

 

「……う。……そうか」

 

 

 水着は海に行った時に公開した方が良いんじゃないかとか、一緒に選ぶのは恥ずかしい等の言葉を口から出そうになるのを飲み込む。

 買い物に付き合うと言ったのは俺なのだから、ここで文句を言うのはお門違いだろう……!

 でもまぁ、照れることに違いはないが……。

 顔が強張りそうになるのをなんとか耐える。耐えれてるかな……。

 

 万里花に引っ張られながら、ゆっくりと付いて行く。

 本田さんは店の前で待っているようだ。

 水着店の客数は少なく、……というより会計に居る店員以外に人は見当たらなかった。

 

 

「…………」

 

 

 万里花の向かう先を追っていると、どんどん布面積が少ない水着コーナーの方に行っている気がする。

 ……と思ったが、通り過ぎただけだったのでその心配は杞憂だった。

 

 

「ふふ。落ち着いてないと不審に思われますわよ?」

 

「っ。不審に見えるか?」

 

「緊張しているようには見えますね」

 

 

 意識して緊張しないようにしていたが、無駄な努力だったようだ……。

 

 

「……万里花は大丈夫なんだな」

 

「そんなことはありませんよ。ただ、蓮様の好みを知る方が重要なだけです」

 

 

 そんなことは無い、と言う万里花の微笑みはいつも通りに見え、俺から見れば緊張が見られない。

 

 

「水着の好みね……」

 

 

 水着の好み……考えたこともなかったな。

 俺がイメージする女の水着といえば、一番はビキニタイプのものだった。

 次にイメージするとしたら…………。

 …………ヒモ?

 

 

「いや違くて! さっき通った場所にあったのが頭に残ってただけで!」

 

「……誰に言い訳しているんですの?」

 

「……自分です」

 

 

 冷ややかな目で見られているが……今のは仕方ないな……。

 気を取り直そう。

 何もここは水着売り場なのだから、無理に自分の頭の中にあるものだけで水着の好みを考えなくても良いだろう。

 

 

「その、俺が全部選ぶのか?」

 

「そうですね……。好きな水着のタイプを言ってくだされば試着しますわ。その時に感想を言って頂ければそれで構いません」

 

「……試着するって、いや、しなきゃ駄目なのはわかるんだけど……」

 

 

 ある意味水着の種類によっては下着と同じくらいの格好になるわけで……。 

 

 

「……俺も見ないと駄目か?」

 

「見なきゃわからないじゃないですか」

 

 

 呆れた風にいう万里花だが、こちらとしては目に毒というか……。

 

 

「……ほら、更衣室の中の鏡で万里花が確認するだけじゃ駄目か?」

 

「蓮様にも見て貰わないと似合ってるかわかりません」

 

 

 にっこりと。

 まるで断ることは許しませんよ。と言われているかのような威圧感だった。

 

 

「で、でもな? 万里花の肌の露出も多くなるわけだし、それに俺に見られるの恥ずかしくないか?」

 

「水着ですから露出が多くなるのは当たり前です。今ここで恥ずかしがっていたら海でなんて着れませんよ?」

 

 

 ……うぐ。

 確かにその通りではあるが……。

 

 

「ほら。早く選んでくださいな。じゃないと、こんなの着ちゃいますよ?」

 

 

 万里花が手に取ったのは、胸の先っぽあたりにしか布地がない水着だった。

 ……駄目だ!

 そんな過激なの見せられたら俺が何をするかわからない!

 出来るだけ布地が多い水着を選び、万里花がその水着に着替えている間に似合いそうな水着を探そう!

 万が一にもあんな過激なのは駄目だ――!!

 *1

 

 

 

 

「どうですか? 似合います?」

 

「うーん……」

 

 

 今万里花に着て貰っているのはワンピース型の水着だった。

 肩の露出以外はあまりなく、見る分には一番平常心でいられそうだが……。

 

 

「あまり似合ってない気がする」

 

「そうですか……」

 

「悪い。選んだの俺だけど違うのにしてくれるか?」

 

「もちろんです」

 

 

 微笑みを浮かべ、気にしていなさそうな様子の万里花だが……。

 …………。

 

 

「……なぁ、万里花が好きな水着(みずぎ)()てみてくれないか?」

 

「私が着たい、ですか?」

 

「ああ。正直、俺は女子の水着の種類とか詳しくないし、万里花が着たい水着の方が似合ってると思うんだ」

 

「うーん……。わかりましたわ。でも、似合ってなかったらちゃんと言ってくださいね?」

 

「それは、うん。わかった」

 

 

 万里花の服のセンスを見る限りその心配はいらないと思うが頷いておく。

 水着から元の服装に戻った万里花が更衣室から出て来た。

 

 後ろから水着を選ぶのを眺められると万里花も居心地が悪いと思うので、大人しく更衣室の前で待つことにする。

 他に客が居れば迷惑になるので移動するが、今のところ店に人がいる様子はない。

 ……人目を気にしなくて良いのはありがたいが、この時期()なのに大丈夫なのだろうか。この店。

 

 

「着替えて来ますね」

 

「えっ。……早いな」

 

 

 万里花がシャッとカーテンを閉めると、ごそごそという音が聞こえてきたので、慌ててその場から離れる。

 うーむ……、大胆というか肝が据っているというか……。

 今度は俺が選んだ水着ではないので、どんな水着なのか少しドキドキする。

 

 

「お待たせしました!」

 

 

 バッ! と片手を上げながら万里花が訊ねてきた。

 彼女が着ている水着は赤色のビキニで、先程のワンピース型の水着と比べると露出差が激しい。

 ……ビキニだから当たり前かもしれないが、彼女の豊満な肉体をこれでもかという程に見せつけて来る。

 

 

「どうですか蓮様」

 

 

 今までに何度か万里花の柔らかな部位に触れたことはあったが、改めて視覚的に見るとその強烈さがわかる。

 

 

「……蓮様? ……蓮くん?」

 

 

 特に万里花の胸の谷間など、なぜここまで魅力を感じるのかがわからない。

 ネットなどで彼女よりもでかい胸の持ち主の谷間を見てもここまで魅力を感じないというのに。

 やはり好意を抱いている女性の胸は特別なのかもしれない。

 それに胸だけではなく腰周りも――。

 

 

「……蓮くん。えっちばい……」

 

「ぶっ!? あ、いや、その違くて!」

 

 

 頬を赤く染めながら、両手で胸を隠すようにして、こちらをジト目で睨み付けてくる万里花の様子を見て、俺はようやく正気に戻った。

 や、やばい……。

 魅力的だったとはいえ見過ぎた!?

 

 

「……何が違うと?」

 

「え? えーと、そのやましい目で見ていたわけでは、……見てたな。じゃなくてっ」

 

 

 ああっ!

 どうしよう! まともに言い訳が思いつかない!

 

 

「…………もう。良いですよ、蓮様が魅力的に感じてくれたのはわかりましたから」

 

「…………ごめんなさい」

 

 

 赤い顔のまま許してくれる万里花に頭を下げる。

 こんなに見つめて許してくれるのは万里花くらいだろう……。後で辱めてしまったお詫びを何か……、何か……。

 

 

「はい。着替えて来ますので、()()()()()下さいね」

 

「わかっ……。逃げないで……?」

 

 

 ……あれ?

 逃げないでって、どういう……? 

 水着ショーは終わりじゃないのか?

 

 

「万里花? もしかして、まだ水着に着替えるのか?」

 

「…………」

 

「ま、万里花さーん!?」

 

 

 この後しばらくの間、俺は万里花の水着姿に()()され続けることになった。

 この時、他に客が居なくて本当に良かったと心から思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
本気で着ようとは万里花も思って居ない。流石に恥ずかしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話

 

 薄く目を開くと、視界全体に薄いピンク色が映っていた。

 ……? 

 家の天井はこんな色ではないし、夢でも見ているのだろうかとぼんやりとした頭で考える。

 ……待てよ。

 俺はいつの間に眠ったんだ?

いや、そもそも家に帰った記憶もない。

 

 

「お目覚めですか?」

 

 

 違和感を感じ始めたところで、上から声を掛けられた。

 聞き間違えでなければ、その声は万里花の物のように思える。

 おそるおそる……首を動かして声がした方向を見ると、慈しむような表情の彼女と視線が合った。

 

 

「…………」

 

 

 ……なるほど。

 なるほど?

 どういう経緯でこうなったのかはわからないが、俺は今膝枕をされているらしい。

 今まで気付かなかったが、横たわっている頭の感触がいつも寝ている枕より柔らかい。

 心地の良い目覚め方をした時点で、違和感に気付くべきだった。

 視界に映っていたピンク色も、天井ではなく万里花の着ている服の色だ。

 

 

「……その、迷惑掛けたな」

 

「いえいえ! こちらこそありがとうございます♪」

 

 申し訳なく謝ると、なぜか明るい声が返って来た。

 ……何がありがとう?

 不審に思うと同時に、身体が引っ張られる感じがした。

 視線をずらすと、景色が動いているのが見える。

 なるほど、今の感覚は車が発進した力だったようだ。

 ということはここは車内だったのか。

 今まで力を感じ無かったのは、車が停止していたからだろう。信号が変わるのを待っていたのだろうか。

 

 

「……そうだ。水着を買いに行って、今はその帰りだよな?」

 

 

 ぼんやりとした頭のまま、万里花に問い掛ける。

 

 

「ええ、その通りですわ。お疲れのご様子でしたので、僭越ながら枕代わりにならさせて貰いましたわ」

 

 

 段々と思い出してきた。

 店で万里花の水着選び(ファッションショー)を何度も見るうちに疲れが溜まってしまい、車に着くなり限界を迎えてしまったのだった。

 疲労を回復することもできた筈だが、万里花の甘い言葉に誘われて膝枕を堪能していたようだ。

 

 

「……寝てる向き逆じゃないか?」

 

 

 一般的に膝枕と言えば寝ている顔は外側を向いていると思う。

 今は上向きになっているが、目覚めた時の顔の向きは内側を向いていた。

 ……その体勢は俺よりも万里花の方が恥ずかしいように思えるが……。

 

 

「蓮様ご自身でこちらに向いて来たじゃないですか。お忘れなんですか?」

 

 

 靴も自分で脱いでいたじゃないですかと、くすくす笑いながら万里花に指摘された。

 ……恥ずか死!!!

 自爆とはこのことだろう。思わず両手で顔を覆う。

 何が恥ずかしいだ。恥ずかしい目に合わせたのは自分ではないか……!

 呻きながら後悔していると、彼女は優しい手付きで頭をゆっくりと撫でて来た。

 ……余計に死にたくなってきた。

 

 

「ふふ。そんな調子で大丈夫ですか? 明日は一緒にプールに行くんですよ?」

 

「……え?」

 

 

 そんな約束を何時したのだろう、と反射的に声が出た。

 思わず両手の指先をずらして、万里花の方に視線を向ける。

 

 

「……もしかして、ご迷惑でしたか?」

 

「そ、そんなことはない! ちょっと寝惚けて忘れてただけだから!」

 

 

 悲しそうな声音に対して反射的に答えた。

 約束した(らしい)のだから断るわけにはいかない。

 ……しかし、何時の間にその約束をしたのだろう? 思い出そうと考えるが、全然心当たりが無い。どうせなら記憶も回復(チート)で思い出せれば良いのに……!

 

 

「嘘です」

 

「へ?」

 

 

 驚いて目を白黒させる俺に対して、万里花は含み笑いをしてから、

 

 

「今初めて言いました。嘘ついてごめんなさい♪」

 

「ちょ、万里花!?」

 

 

 思わず起き上がって、まじまじと万里花を見つめる。

 しかし彼女はそんな俺の様子を気にも止めないような気軽さで、腕に抱き付いて来た。

 

 

「先ほどの服屋さんで蓮様の反応が可愛らし……面白くてついからかっちゃいました。怒りました?」

 

「お、怒ってはないけど……ま、万里花さん?」

 

 

 むぎゅり、と押し付けられた双丘を意識してしまい、声が上擦っていた。

 ……先程まで間近で見ていたこともあって、何時もよりもより意識してしまうのは仕方がない……こと……!

 視線を横に向けて耐えるが、逆に万里花は近付いて来てしまう。

 

 

「……お顔が赤いですわよ?」

 

「な、なんでだろうな?」

 

 

 息遣いが感じられる程の近さで、そんなことを言われても困ってしまう。

 な、なんだ?

 そんなに俺の反応は面白いのか!?

 

 

「お嬢様。もうすぐ倉井さんのご自宅です」

 

 

 思わぬところから救いの手が伸びてきた。

 もう自宅付近ということは、店を出てからほとんど寝てしまっていたようだ。

 

 

「……着いてしまったのですね。残念です……」

 

「……ほとんど寝てて悪かった。……替わりと言うには変だけど、明日は早く会えるようにするよ」

 

「え?」

 

「んん?」

 

 

 ……何かおかしいことを言っただろうか?

 

 

「……もしかして、明日のプールは冗談だったのか?」

 

「っ! いえ! 冗談のつもりでは無かったのですが……。蓮様もお疲れのようだったので、断られるかと……」

 

 

 視線を彷徨わせながら、万里花はそんな言い訳を呟くように言った。

 

 

「……俺は休ませて貰ったから大丈夫だよ。それに、どっちかというと万里花の方が心配だ」

 

「私ですか?」

 

「ああ。今日もこうして出掛けたわけだし、万里花の方が疲れてるんじゃないのか?」

 

 

 ……原作を知っている身からすると、万里花の身体が治っていると知っていても不安になってしまう。

 今の彼女に疲れた様子は見えないが、もし疲れを我慢しているだけなら気にせずに休んで欲しい。

 

 

「ふふ。ありがとうございます。でも、私こう見えて体力には自信があるんですよ?」

 

 

 片目を瞑り、自慢気に笑う万里花。

 

 

「ですから連続でお出かけしても平気ですわ」

 

「……そうか」

 

 

 万里花がそういうのなら、これ以上心配する必要はないだろう。

 丁度自宅付近に付いたようなので、荷物を持って車外に出る。

 

 

「それじゃ、また明日。だな」

 

「はい! あ、時間とかはどうしましょう?」

 

「後でメールしよう」

 

 

 去っていく万里花を手を振りながら見送る。

 さて、明日も楽しくなりそうだが、その前に解決しなければいけないことが1つある。

 

 

 

 ――如何にして、彼女の水着姿に興奮しないようにするか……!

 

 

「………………」

 

 

 我ながら最低なことを考えている自覚はある。

 ……あるが、()()はもはや凶器だ。

 そもそも普段の時でさえ意識させられるのに、それが水着で更に存在感を増してしまったら……!

 ああ、考えただけで煩悩が……。

 

 

「だ、駄目だ駄目だ!」

 

 

 頭をぶんぶんと振り、邪な考え振り払う。

 そもそも同級生の女の子の身体を意識しないでいるっていう方が間違っているのではないか?

 しかも相手はこちらに好意を抱いてくれているわけで、むしろ意識しない方が失礼に当たるのではないか?

 

 

「いやいやいや」

 

 

 そもそも――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色々と言い訳をしながら考えたが、結局いい解決方法を思い付かないまま朝を向かえてしまった。

 もうどうにでもなれと、若干やけくそになりながら万里花の家に向かう。 

 当初、待ち合わせ場所はプールの近くにある公園にしようかという話になったが、昨日自宅まで向かえに来て貰ったので、今日は俺が出向くことにしたというわけだ。

 

 

「さて……」

 

 

 無事に万里花のマンションに辿り着く事は出来たが、どこで待つのかという問題が出てくる。

 マンション内に入るには専用のキーが必要だったので、中に入ることは出来ない。

 かと言って入り口付近で待って居たら警備の人に追い払われそうだ。

 

 ……ここは大人しく万里花に電話して、少しマンションから離れて待っていよう。

 

 

「その必要はありません!」

 

「なんだとっ!?」

 

 

 ポケットから携帯を取り出した時、いきなり背後から声が掛けられた!

 その声の主はもちろん……。

 

 

「……万里花。いたのか」

 

「はい。時間は決めてましたから、当然です」

 

 

 ふふん、と当然のように人の心を読んで威張るのは万里花だ。

 

 

「でも待ち合わせ時間の30分前だぞ? 家を出るにしたって早すぎないか?」

 

 

 それに彼女からしたら待ち合わせ場所は家の前なのだから、こんなにも早く家を出る理由はないはずだ。

 

 

「それは、ですね……」

 

 

 視線を逸らし、言いにくそうに万里花が言葉を続ける。

 

 

「蓮様が家を出たと連絡がありましたので……。その、護衛の方から……」

 

「あー…………。そ、そっか……」

 

 

 普段、姿を見せてくれないので忘れがちになるが、俺には彼女の家の護衛が付いているのだった。

 ……確かに家を出る時間が分かっていれば、辿り着く時間の見当は付くだろう。

 

 

「……偶には待たせてくれて良いのに」

 

「私は早く来てくれて嬉しいですよ? 今日もそのおかげで30分長く一緒に居られますから♪」

 

「……ああ」

 

 

 …………。

 遅刻は絶対しないようにしようと心に刻んでいると、万里花が俺の手を取って小走りで歩き始めた。

 

 

「っいきなりだな……!」

 

「はい! 今日は2人きりですからね!」

 

「…………ん? そんなに珍しいことか?」

 

 

 2人で行動した事は何度もあるし、あまり特別なことには思えないが……。

 

 

「珍しいことですよ。本田さん含め、護衛の方々全員に休暇を命じましたので」

 

「えっ。今までは見守られてたの?」

 

「ええ。この町が安全かどうか確認できるまでは、って話だったんですけれど、それを待っていたら何時までも終わらなさそうじゃないですか」

 

「……あー、まぁ、そうだな」

 

 

 少なくとも、この町のヤクザとマフィアの抗争が終わるまでは安全にはならないだろう。

 今更だが、日本で刀やら銃やら使ってなんで逮捕されないんだろうな?

 これもまた漫画特有のギャグとして許されているということなのだろうか。

 

 

「なので、今日2人で行動して何も危険が無ければ、今後のデートに監視……じゃなく護衛は無しにして貰えるようになりますわ」

 

「今日が試しならよく2人で行動することが許されたな」

 

「はい。何か合ったら蓮様に守って貰う。と約束したら納得して頂けました」

 

「……なんで」

 

 

 ……俺はキズを治せる力があるだけで、武力に自信はないのだが……。

 いざとなっても盾になる事くらいしかできないだろう。

 

 

「ですから、ちゃんと守ってくださいね?」

 

「……傍から離れるなよ」

 

「はぁい♪」

 

 

 

 

 護衛が居ないからという理由で、何か問題が発生するかと身構えていたが、特に何事もなくプールに辿り着くことができた。

 ……そんなことを言うと、何か問題が起きて欲しかったかのように聞こえるが、そんなことはない。

 

 

「はぁー。やっぱり混んでますね」

 

 

 プールの入り口を見ながら、感心したように万里花が言った。

 入り口の方を見ると、何人か順番待ちをしている様子が伺える。

 とはいえ、ぱっと見で数えられる程度の人数なので、外で待ってる時間はそんなに掛からないだろう。

 

 

「えっと、何も問題無ければ並ぶけど」

 

「ええ。問題ありませんわ。行きましょう!」

 

 

 手を繋いだまま列に加わる。

 並んでる人たちを観察すると、夏休みだから子供連れの客が多そうだ。

 他にはカップル同士で並んでる人や、男だけの集団などが並んでいる。

 

 

「……プールなんて来るの初めてだな」

 

「ふふ。泳げないからですか?」

 

「うーん……。それも理由の1つかもしれないけど、一緒に行く人も居なかったからな」

 

「意外ですね。萩庭さんとは遊ばないんですか?」

 

「仲良くなったのは高校からだからな。それに、夏休み中に海行く約束もあるし、男2人でプールに行かなくても良いかな」

 

「私と2人なら来てくださるんですね」

 

「……黙秘するばいっ」

 

「あ、まねっこですね!」

 

 

 そんなやり取りをしているうちに、何時の間にか順番が来ていたので、入場料を払ってプールに向かうことに。

 初めて入る建物の中をきょろきょろと見回していると、手馴れた様子の万里花に手を引かれて奥に進み始めた。

 

 

「来たことあるのか?」

 

「このプールではありませんが、以前プールに来たことがあります」

 

「なるほど」

 

「その時は貸切でしたので、今日みたいに混んでませんけどね」

 

「……スケールが違う」

 

 

 何時も忘れそうになるが、万里花はお嬢様なんだよなぁ……。

 お嬢様で、美人で、性格も良くて、料理もできて……完璧かよ!!?

 

 

「何を考えていらっしゃるのですか?」

 

「万里花のこと」

 

「……へ?」

 

「……あ」

 

 

 考えていたのは事実だが……!

 反射的に答えてしまったので、後悔してももう遅い。

 

 

「そ、それは、そうですか……」

 

「あ、ああ。いやっ! やましいことを考えてたわけじゃないんだぞ!?」

 

「もうっ、えっちな蓮様♪ この先に着替える場所があるみたいなので、プールで合流しましょう!」

 

「え、万里花!?」

 

 

 ……怒ってはいないみたいだが、先に行かれてしまった。

 冷静になって考えると、今の言い方は誤解を生んでも仕方が無いな……。後で謝ろう。

 さっさと着替えて万里花が来るのを待つとしよう。

 

 

 

 

 

 更衣室から出てすぐ近くのプールで万里花が来るのを待つ。

 女子の着替えには時間が掛かる、とよく聞くので少しくらい遅くなっても心配しないようにしないとな。

 待っている間は暇なので、プールの案内板をなんとなく眺める。

 

 ……波があったり、流れたりと色々なプールがあるんだな。

 遠くにはスライダーというのもあるらしい。

 これら全てのプールを制覇するとしたら今日1日分くらい掛かりそうだ。

 

 近くにあるプールは、特にアトラクション的な要素は無く、ただ広いだけのプールなので、もし泳ぎの練習をするなら使えそうだ。

 ただ、どこのプールも大体底に足が着くので、ここで遊ぶだけなら泳げなくても問題はなさそうだ。

 ……もし溺れた時に回復(チート)を使ったらどうなるのだろうか?

 窒息しかけた経験は無いので、回復(チート)を使った時にどうなるかだけ少し不安だ。

 まぁ、溺れるような場所では無いけれど。

 

 

「蓮様。お待たせしました」

 

「ん、そんなに待ってな……い……よ?」

 

 

 …………!!

 

 

「……? どうされました? 何か変なところでもありましたか?」

 

 

 不思議そうに自分の身体を確かめる万里花。

 彼女は薄水色のビキニだったのだが、なんというか、やはりでかい!

 周りにいる男たちの視線も奪ってるようだ……!

 

 

 

「い、いや変なところは無いよ……。その、魅力的で……」

 

「ふふっ。ありがとうございます♪ ……蓮様もお似合いですよ。意外と、身体の方も鍛えていらしたのですね」

 

「え? あー、まぁ、そうだな……」

 

 

 言えない。

 回復(チート)の実験してただけだなんて言えない……!

 言っておくが俺の身体は力こぶが出来ていたり、腹筋が割れているというわけではない。

 贔屓目に見て、少し鍛えているように見える。と言った具合だ。

 万里花の言うようなものではない。

 

 

「後で触っても良いですか?」

 

「そんな期待されるものじゃないけど……。万里花が望むのなら」

 

「後の楽しみにとっておきますわ! 行きましょう!」

 

 

 腕に抱き着いて、そのままプールに……。

 

 

「ぶはぁっ!?」

 

「蓮様!?」

 

 

 行けず、思わず息を噴き出してしまった……。

 だって……、だって……!

 

 

「ぐぐ……! 万里花、その、今の格好で抱き着かれると非常に、非常に困るんだけど……!」

 

「えー? なんでですか? 何時もと同じことをしているだけじゃないですか。何がそんなに困るんですか?」

 

 

 重苦しく言う俺とは対称的に、明るく、甘い声音で聞き返してくる万里花。

 押し付けられた感触は、筆舌に尽くしがたいものがあった。

 彼女はどこまでこちらを揺さ振れば気が済むんだ!?

 心なしか、周囲から殺気のようなものを送られているような気もするし、振りほどくのを諦めて、一旦この場所から離れることにする。

 

 

「……何時もも困ってはいるんだぞ? と、とりあえず移動しよう」

 

「わかりました。蓮様。私、流れるプールが気になりますわ」

 

 

 少し早足気味に、しかし万里花に負担が掛からないくらいの速さでプールに向かう。

 道中。他のカップルの様子を見ると、同じようにしている人たちを何組か見たので、これ以上注目されないことを願うばかりだ。

 

 

 

 

 

 プールに辿り着く頃には、途中まであった殺気の混じったような視線を感じることが少なくなっていた。

 未だに万里花とすれ違った男の目が、彼女の方に向くことはあるが、もうそれは仕方の無いことだろう……。

 

 

「蓮様蓮様。浮き輪が借りられるみたいですよ」

 

「……え、借りるの?」

 

「流れるプールですから借りましょうよ。流されるのも楽しいですよ?」

 

「そ、そうなのか?」

 

 

 プール初心者の俺よりも、万里花の言うことの方が正しいと思うので、ここは彼女に従っておく。

 この年で浮き輪を借りるのは少し恥ずかしいように感じたが、スタッフの人は特に気にしていない様子だった。

 よくよく周りを見てみると、意外と浮き輪を借りている男はいるみたいだ。

 

 

「行きましょう!」

 

 

 俺の手を引きながら万里花がプールに突撃する。

 

 

「おおっ。冷たいな……!」

 

「気持ち良いですわね!」

 

 

 水に身体を慣らさずに入ったので、少しドキドキする。

 ふぅ。と息を吐いて呼吸を整える。

 

 

「万里花大丈びゅっ」

 

「あははっ」

 

 

 ……顔に水を掛けられた。

 定番中の定番だが、仕掛けるの早くないですか万里花さん!

 

 

「……万里花さん」

 

「ふふ。油断してる蓮様が悪いのですよ? 悔しかったら、私に追い付いてくださいな!」

 

 

 そう言って、万里花は流れるプールをどんどん進んでいく。

 プール内に居る人は少ないので、追いかけっこをしても他人の迷惑になることは無いだろう。

 

 

「……負けないぞ万里花……!」

 

 

 

 

 

 ――――。

 

 

「はしゃぎすぎた」

 

 

 流れるプールで遊びはじめてしばらく経った。

 追いかけっこから水掛け遊びや、ただ流れてみたりと意外と楽しんでいた。

 

 

「プールは好きになりました?」

 

「……あぁ、楽しいな」

 

 

 と言っても、1人で楽しめるとは思えないが。

 

 

「そろそろお昼ご飯にしましょうか?」

 

「そうだな。何時の間にか良い時間だ」

 

 

 夢中で遊んでいるうちに、時間がお昼過ぎに差し掛かっていた。

 最初からお昼ご飯もここで済ませる予定にはなっていたが、少し遊び過ぎたようだ。

 

 

「はぁ……こんな調子じゃ、全施設を周ることはできないかもしれないですね」

 

 

 そう息を吐きながら言った万里花だが、特に呼吸が乱れている様子もなく、元気そうに見える。

 どうやら時間的な問題の事を言っているらしい。

 

 

「楽しいから周らなくても良いんじゃないか?」

 

「そうですけど……。蓮様が気になされてたので……」

 

 

 もしかして、それは案内板を見ていた時のことを言っているのだろうか。

 

 

「あー……。あれはただ見てただけで、全部周ろうとは考えてなかったぞ?」

 

「そうだったんですか?」

 

 

 きょとん、とした表情の万里花。

 ちょっとレアな表情かもしれない。

 

 

「気を使わせて悪かったな……。全部周ったら時間無くなるな、とは考えてたけど、周ろうとまでは考えてなかったよ」

 

「……そうでしたか。出過ぎた真似を――」

 

「だから、また今度来よう」

 

「……はい?」

 

「思ってたよりプールで遊ぶのは楽しいからな。また今度一緒に来れたら嬉しい」

 

 

 時間が無くて施設を周れないのなら、2度と来れないわけではないのだからまた来れば良い。

 そう思ったことを万里花に伝えたかったのだが、なぜか彼女は固まってしまった。

 嫌だったのだろうか……?

 

 

「万里花?」

 

「っ。なんでもありませんわ! 次もこの次も、私と一緒に行きますわよ!」

 

「そんなに行くのか?」

 

 

 なんだか万里花の顔が赤くなっているような……?

 

 

「もうっ。お財布取って来ますわ!」

 

「……おう。俺も行って来る……」

 

 

 ずんずん更衣室に向かって進む万里花を見送ってから、俺も更衣室に向かう。

 さて、早く用意して戻らないと。

 

 

 

 

 




 お待たせしました!
 今年最後の投稿です!
 
 お楽しみ頂ければ幸いです! 良いお年を!

 来年は更新多く出来るように頑張ります。
 目指せ評価赤バー!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話

「思ったより時間掛かっちゃったな……」

 

 

 ロッカーまで財布を取りに行くまでは良かったものの、プールに戻るまでの道が混んでしまい、万里花との待ち合わせ場所に戻るのに時間が掛かってしまった。

 人混みに文句を言っても仕方のないことだが、思わず一言ぼやく。

 この様子では、万里花を待たせてしまっていそうだ……と、

 

 

「……ですから、私人を待っているんです」

 

「そんなこと言ってるけど全然来ねぇじゃん」

 

「そうそう。そんな奴より俺らと行った方が楽しいぜ? こうみえて俺ら金持ってんだ」

 

 

 …………なんか、万里花が変な男たちに絡まれてる!

 なんてことだ……俺が少し戻ってくるのに時間を掛けてしまったばかりに……。

 今日に限って彼女の護衛も居ないし、さっさと割って入ろう。

 

 

「なんだ?」

 

 

 万里花と絡んでいた男の間に割って入ると、その内の一人が訝しむような声を上げた。

 

 

「……彼女は俺の連れなんで。それじゃ」

 

 

 安堵した表情を浮かべる万里花の手を取り、早足でその場を離れようとしたが、男に肩を掴まれてしまった。

 

 

「おいおい。その姉ちゃんには俺らが話しかけてたんだけど?」

 

「そうそう。お前みたいな貧弱なガキより俺らの方が相応しいってもんよ」

 

 

 ……年下趣味(ロリコン)かよ。 

 先ほどまでとは違い、剣呑な雰囲気になり始めたのを感じてか他の客から注目が集まって来た。

 この男たち2人は今の状況をわかっているのだろうか。

 こんな観衆の前で脅し始めるなんて、警備を呼んでくれといっているようなものだろう。

 

 

「俺の方が相応しいので。それじゃ」

 

 

 手を振り払って再び歩き出す。

 これでまだ追いすがって来たら警備の人を呼んで貰おう。

 ――と、そんな俺の考えとは裏腹に、男たちは舌打ちをしただけで、追いかけて来ることはなかった。

 ……もしかして、俺が手を出すのを待っていたとかだろうか。

 ……どちらにせよ、嫌な奴らだったことには違いない。

 

 

「……遅いですわ」

 

「悪かった。人波を蹴飛ばしてでも急ぐべきだった」

 

「そんな事はしちゃ駄目です」

 

 

 呆れたように言う万里花だが、表情は少し嬉しそうだ。

 

 

「ふふ。私に相応しいのは蓮くんですから。手放しちゃ、駄目ですよ?」

 

 

 腕に抱き付きながらそう言う万里花。

 どっちかというと、彼女の方が離してくれなさそうだと思ったが黙っておく。

 ……って、それよりもやばい事態が。

 本日2回目の柔らかさの強襲だっ!!

 

 

「お昼は何を食べましょうかねー」

 

 

 暢気に言う彼女の言葉が耳に入って、そのまま抜ける。

 いや、お昼ご飯も大事ではあるのだが、その前に腕! 腕に抱き付くのをだな!

 ああ、男たちの視線が突き刺さる……。

 万里花は屋台の方を気にしているからか、他の客の様子に気付いている様子はない。

 

 

「色々あるんですねー。蓮様は何か食べたい物はありますか?」

 

 

 この柔らかいものを別の物だと考えれば、なんとか意識を逸らすことができるのではないだろうか。

 彼女が抱き着いているのは左腕なのだが、緊張によって右腕がぷるぷるして来ている。何か良い方法を考えないと、そのまま左腕までぷるぷるさせてしまいそうだ……!

 ……! 

 そうだ、この柔らかさをこんにゃくだと思おう!

 左腕に張り付いてるのはこんにゃく。少し温かみのあるこんにゃく……。

 って、温かみのあるこんにゃくとは!?

 

 

「蓮様?」

 

「おでん」

 

「へ……? おでんが食べたいのですか?」

 

「え、あ、いや。……ああ。ちょっと食べたくなったんだ!」

 

 

 ……良かった。

 口に出した言葉が変な言葉じゃなくて。

 ……唐突におでんと口に出すのも変ではあるが、そこは置いておく。

 

 

「……うーん、残念ですけど屋台には無いみたいですね。今度私が作って差し上げますから、今日は我慢してください」

 

「……え、おでん作れるの?」

 

「もちろんです。時間は掛かりますけどね」

 

 

 おでんも作れる女子高生とは。

 ……料理としては簡単な部類なのか?

 

 

「いや、作って貰うのは申し訳ないから遠慮するよ。時間掛かって面倒だろ?」

 

「ふふ。おいしく食べてくださるなら些細な事ですわ。それとも、私が作ったものは食べたくありませんか?」

 

「食べたい」

 

 

 あっさりと誘惑に負けた俺はそんな返事をしてしまうのだった。

 だって万里花の料理は美味しいだろうし、こんな聞かれ方をして食べないなんて返事が出来るわけないじゃないか。

 仕方無い仕方無い。

 若干、現実逃避気味な思考をしながら屋台を巡った。

 

 屋台巡りの結果は、焼きそばを頂くこととなった。

 焼きそばの感想としては、まあ、これくらいの美味しさだろうという納得がいくものだったが、少し味が濃かったのだけ気になった。

 

 

 

 

「さぁ! もうひと遊びしましょ!」

 

「食後の運動だな」

 

「はい! ……あ、でも財布を戻しませんと……」

 

 

 万里花が不安そうな顔でこちらを見る。

 先ほどのことを思い出したのだろう。

 

 

「そうだ。俺の財布も万里花の方にしまってくれないか? 俺がここで待ってる分には平気だと思うし」

 

「……ご迷惑を掛けてしまって申し訳ないですわ……。でも、蓮様もナンパにはお気をつけてくださいね」

 

「ナンパしないしされないから大丈夫。ほら、行って行って」

 

 

 万里花が更衣室に入るまで見送って、一息つく。

 後は戻ってくるのを待つだけだが……念の為、彼女が出てきたらすぐ合流できるよう様子を見ていよう。

 ……女子更衣室を注視してたら不審に思われるだろうか?

 しかしかといって、ちらちらと様子を伺うのも怪しいような……。

 まぁ、ちょっとの間だし、もし警備の人に話しかけられても、連れを待っていると言えば納得して貰えるか。

 

 そんな葛藤を続けること数十秒。

 特に問題も無く万里花が戻って来たので合流した。

 

 

「早かったな」

 

「急ぎましたからね。次はどこに行きましょうか」

 

「そうだな……。意外と流れるのは楽しかったから、スライダーとかも楽しいかな?」

 

 

 少し距離が離れているので滑っている人たちの声は聞き取り難いが、ぴゃーぴゃーと楽しそうな声が聞こえてくる。

 見たところ順番に滑っていくようなので、一人用になってしまうかもしれないが、一度行ってみたいと興味が惹かれる。

 

 

「楽しいと思いますよ。蓮様が前を滑ってくださるなら私も行きますよ」

 

「お。なら行ってみようぜ」

 

 

 スライダーに向かって歩き始めると、他の客の声がよく聞こえるようになる。

 ……どうやら、ぴゃーぴゃーと楽しそうに聞こえていた声は、実は悲鳴だったらしい。

 

 

「……なぁ、万里花。これって意外と怖いのか?」

 

「えーと、人に拠るとは思いますけど。一般的にはちょっと怖いものだと思いますよ」

 

「……そうなのか」

 

 

 ま、まあ途中で人に驚かされたり底が抜けたりするわけじゃないだろうから大丈夫だろう!

 と、気軽に考えながら階段を登るにつれて、少しずつ恐怖心が混み上がって来た。

 ……やっぱり、止めようかな。

 

 

「中々スリルがあって楽しそうですね!」

 

 

 そう楽しげにいう万里花には余裕が見て取れた。

 ……ここで引き返すと言い出すと、なんだか情けない気持ちになりそうなので意地で行くことにする。

 でも、前の組でトラブルが起きて中止。とかってなっても構わないんだけどな!

 そんな俺の期待はあっさりと砕け散り、とうとう順番が周って来た。

 

 

「よし、先に行くぞ」

 

 

 係りの人にどうぞー。と声を掛けられたので、気合いを入れてスライダーの入り口に立つ。

 ……改めて入り口に立つとシンプルに怖いな。

 

 

「どうして一人で行こうとするんですか? 一緒に行きましょうよ♪」

 

 

 ちょっとした衝撃と共に背中に柔らかさが――!!?

 

 

「ぶふぁっ!!?」

 

「蓮様!?」

 

 

 ~~~~~~~~~!!?

 

 

「ちょ、万里、何してんの!?」

 

「何って、ここのスライダーは2人までなら一緒に行っても良いって書いてたじゃないですか」

 

 

 そうなのか!? と係りの人に視線をやると、いいからさっさと行けと表情だけで言われてしまった。

 

 

「いや、ちょっと待って! 色んな意味で待って! ちょっと覚悟を――」

 

「ていっ」

 

 

 無慈悲と化した万里花が背中に抱き着いたまま、スライダーに突進し……!

 

 

「わぁぁぁぁっ! ぶっ!! 水、水う!!」

 

「ひゃあああああ♪」

 

 

 なるほど、俺を先に行かせた理由はこれか!!

 

 

 ――――。

 

 

「……あのー、大丈夫ですか、蓮様」

 

「……鼻に水が……。ごごまで顔面に水が直撃するどは……」

 

「重症ですわ」

 

 

 怖いとか楽しいとかよくわからないままスライダーを滑り終わり、俺と万里花はプールの端に避難していた。

 まさか顔面に水が掛かって目を瞑り、タイミング悪く息を吸い込んだ瞬間に鼻に水が入るなんて……。

 もうスライダーには乗らない……。

 

 

「プールですからティッシュも持ってませんし……。トイレでお顔洗って来ますか?」

 

「……そうする」

 

 

 少し情けないが、お言葉に甘えることにする。 

 鼻水垂らしながら万里花の傍に居たくはないからな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「迷惑掛けたな……」

 

「そんなことはありません。後でもう1度行きますか?」

 

「行かないっ!」

 

 

 トイレから戻ると、待っていた万里花に早速からかわれてしまった。

 ……まさかスライダーがあんな凶悪なものだとは思いもしなかった。

 もし、今後また乗る機会があれば十分に対策を取りたいところだ。……対策といっても何をすればいいのかは見当も付かないが。

 

 

「気を取り直して違う場所に行こう。万里花の希望はあるか?」

 

「そうですね……。折角ですから、まだ行ってないプールにしませんか?」

 

「ああ。まだ二つしかクリアしてないからな。……特に希望が無いなら、そこの近くにあるプールにしないか?」

 

 

 ええと、確かこのプールは……ただ広いだけのプールだな。

 

 

「そうしましょう。あ、丁度広いプールみたいですし、夏休み中に海に行くかもしれませんから泳ぎの練習をしませんか?」

 

「えぇー……。えぇー……」

 

「とても嫌そうですね……! ですが、泳げた方がきっと楽しいですわよ」

 

 

 万里花はそう言うが……。

 ううん……。正直一日、それも数時間くらい泳ぎの練習をしても、泳げるようになるとは思えないが……。

 

 

「っ! でしたら、泳げるようになったらご褒美を差し上げますわ!」

 

 

 良い事を思いついた! と言った顔の万里花。

 一体何を思い浮かんだのだろう?

 

 

「ご褒美……?」

 

 

 なんとなく怪しい感じがして、低い声音になった。

 

 

「はい! 今日泳げるようになったら、ご褒美として私の家の鍵を差し上げますわ!」

 

「重い!! 要らないよ!」

 

 

 ――と、言ったものの、泳ぎの練習自体はすることになってしまった。

 結論から言うならば、俺は少しの距離なら泳げるようになった。とだけ。

 後、意外と万里花はスパルタだということを知った。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 泳ぎの練習を終えると、意外と時間が過ぎていたので、今日は帰ることとなった。

 お互いに着替えて、今はバスに乗りながら帰路を辿っているのだが……。

 

 

「…………」

 

「……昨日とは逆だな」

 

 

 話しかけても返事はない。

 万里花は疲れてしまったようで、俺の肩に寄り掛かりながら夢の世界へと旅立っている。

 幸い、バスの乗客が少ないので注目されることはない。

 ここで俺も寝てしまったら、終点まで行ってしまいそうだ。眠らないように気を付けないと。

 

 

「んん……」

 

 

 万里花が居心地が悪そうに身じろぎする。

 ……流石に公共機関で膝枕してやる訳にはいかないよな……。

 頭の位置の良さは万里花にしかわからないので、そこに関しては放っておくことにして……。

 手を彷徨わせていたので、握ってみることにした。

 

 

「……」

 

 

 大人しくなったので、そのまま手を握っていることにした。

 このバスの行き先には、万里花の家と俺の家の近くの停留所があるので、予定ではここで別れようと思っていたが……。

 こんな状態の万里花を一人で帰らさせるわけには行かないので、家まで送って行く事にする。

 例え帰る時間が遅くなったとしても、警察にさえ見つからなければ何の問題も無い。

 目的の停留所まではまだ時間が掛かるので、大人しく景色でも眺めるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……申し訳ありません……蓮様……」

 

「気にしなくていいよ。それに、昨日は俺が世話になったからな」

 

 

 手を引いてバスを降りたところで、万里花は現状を理解したらしく申し訳なさそうにしていた。

 俺としては何も迷惑と思っていないし、昨日の自分を見ているようで思わず失笑してしまった。

 なるほど。確かに迷惑とは思わないわけだ。

 

 

「な、なんで笑うんですか!」

 

「いいや? 昨日同じようなやりとりをしたなって思い出しただけだ」

 

「……こすかね」

 

「なんだって?」

 

「何でもなか!」

 

 

 ぷりぷりした様子を見せる万里花だが、あまり怒っているようには見えない。

 ずんずん先に行ってしまうかと思ったが、どうやら繋いでいる手は離す気が無いみたいだ。

 手をぎゅっぎゅと握ると、少し握り返してくれる。

 

 

「怒ってない?」

 

「……つーん」

 

 

 自分でつーんなんて言う人初めて見たな……。

 

 

 

 

 

 そんなやり取りをした後、特に会話をする間もなく万里花の家に着いた。

 空は夕暮れ模様で、もう少ししたら夜になることを告げている。

 今日はここでお別れだな。

 

 

「それじゃここまでだな。また遊びに行こうな」

 

「…………」

 

「万里花?」

 

 

 家の前まで着いたので、今日のところは別れようとした……のだが。万里花が手を離してくれない。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「……今日は、プールに行ったので疲れました」

 

「うん」

 

 

 疲れたのなら早く帰って休んだ方が良いのではなかろうか。

 

 

「ですが、今日は護衛全員に休暇を命じたので一人なんです」

 

「…………」

 

「あと――」

 

「わかった。晩飯もどこかに食べに行こう」

 

「本当ですか! ですがここからお店までは遠いですし、私の家に食材は余ってるのでこっちにしましょう!」

 

 

 ………………。

 

 

「万里花。元気じゃないか?」

 

「そんなことありませんよ。とっても疲れてます」

 

 

 そう言いながら俺の手をぐいぐい家に向かって引っ張る万里花の力は、先程までより強く感じた。

 ……なんだかなぁ?

 

 

 

 家に入ると、有無を言わさずに俺から水着を奪い取り、洗濯機に突っ込む万里花。

 ……やっぱり元気じゃないですか?

 

 万里花の普段生活している部屋とは別の部屋で洗濯をしているので、洗濯機の音は聞こえない。

 ……1フロア占拠するお金持ちは、全ての部屋に家具も揃えているのだろうか。

 

 

「……申し訳ありません。蓮様。今日の具材ではおでんは作れないです……」

 

「いやいやいや。なんで時間掛かるって言った料理を作ろうとしてるの……」

 

 

 今からおでんを作り始めたら食べるのは何時になるんだ? ……流石に万里花の冗談だろう。

 

 

「あー、疲れてるんだから無理に何か作らなくても良いんじゃないか? 例えばカップ麺と……か……」

 

 

 信じられない物を見るような目で見られて、段々と言葉が尻すぼみしていく。

 ……そんなに駄目だろうか。カップ麺……。

 

 

「前にも言いましたけど、ちゃんと食事摂ってますか?」

 

「あ、当たり前だろ? ほら、偶にはカップ麺食べたって問題ないだろ?」

 

 

 怖い。

 万里花が笑顔なのに怖い。

 

 

「……わかりました。これ以上は聞きませんけど、もし変な食生活してたら怒りますからね」

 

「は、はぁい……」

 

 

 以前万里花に注意されてから、食生活は少し改めているので大丈夫なはずである。

 お弁当を買って食べたり、肉を焼いてご飯を食べたり……。

 ……偶に面倒な時は食べないけど。

 

 

「今日はお魚を焼いて食べましょうか」

 

「……魚か」

 

 

 普段あまり食べる機会のないものだ。

 

 

「大丈夫ですよ。美味しいお魚を取り寄せてますから、味の心配はありませんよ」

 

「美味しいお魚とか、関係あるのか?」

 

「勿論ですわ。普段食べているお魚と比べたら、美味しさにびっくりすると思いますよ」

 

 

 くすくす笑いながら言う万里花だったが、俺は訝しげな表情を浮かべていたと思う。

 普段食べる魚と、万里花の言う美味しい魚は一体何が違うというのだろう?

 

 

「では、お料理するので蓮様はごゆっくりしていて下さい」

 

「何言ってるんだ万里花。俺も手伝うぞ」

 

「まあ。ありがとうございます♪ でしたら私のことを見守っていてくださいね」

 

「わかった!」

 

 

 …………あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 万里花の魚料理を食べた感想としては、ここが料理漫画の世界だったら衣服は全て弾き飛ばされているだろう。というくらい美味だった。

 ……え? わかんない?

 言葉では言い表せない程の美味しさだったということだ。

 テレビで芸人がうまーい! しか感想を言わない気持ちが少しわかった気がする。

 料理は全て万里花がやってしまったので、片付けは俺がやる事にした。

 時計を見るともう8時を過ぎていたので、少し急ぎ気味に。しかし丁寧に洗っていく。

 

 

「ふふ。お魚も美味しいでしょう?」

 

「ああ! 世界が変わった気がするよ!」

 

「まあ。それは作った甲斐がありましたわ」

 

 

 今日はもう時間も遅いので聞かないが、今度おいしい魚の見分け方を教えて貰って自分でも焼いてみようか。

 ……いや、俺の家にコンロなかったわ。

 

 

「……蓮様。なんだか外の音うるさくありませんか?」

 

 

 ふと思い立ったように、万里花が訊ねて来た。

 耳を澄ますと、確かに雨音のような音が聞こえる気がする。

 

 

「雨降り始めたのかな? ……悪いけど傘貸してくれるか?」

 

「ええ。それは勿論。……ですが、嵐みたいじゃないですか?」

 

 

 万里花の家の防音性が高いからか、耳を澄ませないと聞き取れないが、確かに雨音にしては激しい音がしているような感じがする。

 

 

「天気予報見てみましょう」

 

 

 万里花が予報を見ている隙に最後の洗い物に取り掛かる。

 ふっ。今の俺は洗い物のプロ……!

 

 

「……あらー。蓮様。残念なお知らせですが、これからずっと傘のマークが続いてますわ」

 

「はぁ……。狙い撃ちされた気分だ」

 

「朝の予報では、今日の天気は晴れ1つでしたのに」

 

 

 ……とことん嫌われているらしい。

 仕方が無いので、タクシー……を利用するお金は無いので、自力で帰ることにしよう……。

 

 

「んじゃ。洗い物は全部終わったから帰るわ。今日はごちそうさま」

 

「どうして帰るんです?」

 

「はい?」

 

 

 不思議そうな顔で見つめられるが、こちらも同じような顔で見つめ返す。

 

 

「だって、外は嵐なんですよ」

 

「ま、まあな?」

 

「それなら泊まって行けば良いじゃないですか。幸い、部屋は開いてますから」

 

「…………いや、でもな?」

 

「それとも、私と一緒は嫌ですか?」

 

「……万里花。卑怯」

 

 

 だからそんな聞かれ方したら断れないって……。

 

 

「自分の武器を使っているだけです」

 

 

 言い争いに勝利した万里花はにこにこと機嫌が良さそうだった。

 男は口で女に勝てないとよく聞くが、ここまで勝てないものなのだろうか……?

 俺が万里花に弱いだけなのだろうか。

 

 

「着替えは……父の物を借りて来ますね」

 

「……そういえば橘さんは、今日帰って来ないのか?」

 

「ええ、基本的に職場の近くに泊まってますから。今日もきっとそうだと思いますよ」

 

 

 そう言い残して、万里花は部屋を出て行ってしまった。どうやら本気で泊めてくれるつもりのようだ。

 ……良いのだろうか。このまま泊まってしまって……。

 いや、世間体を考えれば悪いに決まっているのだが……。

 

 

「……違うな」

 

 

 周りがどうか、じゃなくて俺がどうしたいかで決めるべきだ。

 万里花の好意を無下にしてでも帰りたいか。こんな嵐の中帰りたくはない。

 彼女の好意に甘えて傷つけるようなことをするか。……考えるまでもなく、そんなことはしない。

 

 

「普段通りに過ごせば、問題ないな」

 

 

 変に緊張するより、普段と同じ態度でいた方が万里花も安心するだろうし、お互いに取ってもそれが最善のはずだ。 

 今日の俺は万里花の水着にも耐えた男! そんじょ其処らの男とは精神力が違うってもんよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待って万里花! その理屈はおかしいって!」

 

「そんなことはありません。理に適ってますわ!」

 

 

 そんな誓い空しく、俺は顔を赤くさせながら万里花と言い争っていた。

 その争いの原因はと言うと、

 

 

「お風呂のお湯まで一緒にしなくていいだろ!? それに風呂に入らなくてもシャワー借りれればそれでいいはずだ!」

 

「いけません! 今日はプールで遊んだのですから、しっかりと温まって休むべきです!」

 

 

 万里花が言うことはこうだ。

 他の部屋にもお風呂はありますが、貯める水が勿体無いので、一緒のお風呂で良いですよね?

 ということだ。

 だが待って欲しい。

 同じ年頃の異性と同じお湯に浸かるのは恥ずかしくないだろうか!

 

 

「ですから、蓮様が先に入っていいと言ってるじゃないですか!」

 

「入る順番のことを言ってるんじゃなくてだな!」

 

「いい加減にしないと一緒に入りますよ!」

 

「入ってきます!」

 

 

 脱兎の如く風呂場に駆けだす。

 万が一そんな状況になったら、先程の誓いを破る可能性がごく僅かでも出てしまいそうだ……!

 

 

「……もう、そんな逃げるように行かなくてもいいですのに」

 

 

 

 

 

 

 お風呂場が広いのは良いなぁ……。

 身体が温まり、ぼうっとした頭でそんなことを考える。

 万里花がお風呂に入り始めてからしばらく経つので、そろそろ戻ってくるのではないだろうか。

 特にやる事も無いので、だらけながらテレビを眺める。

 万里花が用意してくれた橘さんの寝巻きは大きいが、袖を捲っておけば問題無く、素材が良い物だからかとても着心地が良い。

 

 

「はぁ……。これだけ休めるなら回復(チート)は要らないなぁ」

 

 

 ごろごろと床に転がっていると、ドアの開く音がした。万里花が戻って来たのだろう。

 

 

「おかえりなさい」

 

「はい。ただいま戻りました。……ふふ、リラックスしてますね」

 

「……なんだか、自分の家より居心地が良くてな。困っちゃうよ」

 

「ふふ。このままお引越ししても良いんですからねー?」

 

「…………しないから。そんな事になったら万里花に駄目にされる気がするし」

 

「厳しめがご所望でしたら対応しますよ? ……何故こちらを見てくださらないのかしら」

 

 

 意識して万里花を視界に入れないようにしていたことがバレてしまったらしい……。

 だって、今の万里花は寝巻き姿なわけだし……。

 

 

「こっちを見てくださらないなら~。悪戯しちゃいますよ?」

 

「っ! 見る! 見た! わぁっ! ……あれ、思ったより普通」

 

「……蓮様の中での私は、一体どんな姿だったんですか……?」

 

「い゛い゛!? ちょ、違います違います! 邪な妄想はしておりません!!」

 

 

 万里花の寝巻きはシャツとズボンといった普通の格好で、露出が激しかったりする物では無かった。

 黒い笑顔を浮かべながら迫ってくる万里花を、どうにか撃退しながら言い訳を続ける。

 そんなやり取りを5分くらい続け……なんとか納得して貰い一安心。

 イヤァー変ナ想像ナンテシテナカッタヨー?

 

 なんてやり取りをした後、隣に万里花が座った。

 ……風呂上りだからか、何時もより良い匂いが……。いやいや、何時も匂いを嗅いでないから……。

 

 

「ふぅ。今日はたくさん遊びましたし、湯冷めしないうちに寝ませんか?」

 

「ん、そうか? なら、そうしようか」

 

 

 まだあまり眠気は無いが、布団に入って目を閉じていればそのうち眠れるだろう。

 それに万里花が寝たいと言ってるのに起きてても迷惑になるだけだからな。

 

 

「ところで、俺はどこで寝ればいいんだ?」

 

「今、案内するので待ってくださいね。他の部屋の電気とか消して来ます」

 

「そっか。ならトイレ借りるぞ」

 

 

 

 

 

 

 トイレを済ませて部屋に戻ると、丁度万里花も部屋に戻って来た。

 タイミング良いな。と二人で笑い合い、万里花に案内されて寝室に向かう。

 ………………。

 

 

「……万里花。ここ、万里花の部屋だよな」

 

「先に言っておきますけど、間違いでは無いですよ」

 

 

 そう言って万里花は部屋の押入れから布団を取り出し始めた。

 なるほど、布団を取りに来ただけだったんだな。……邪な考えをしてるのはどっちだよ……。

 ……深く反省しながら、布団を取り出すのを手伝う。

 万里花は取り出した布団を両手で抱え、別室への扉に手を掛け、

 

 

「では蓮様。おやすみなさいませ」

 

 

 と、一礼し……。

 

 

「いやいやいや!! ちょっと待って万里花どこ行くつもりだ!?」

 

「……? 蓮様は一緒にお部屋で寝たいんですか?」

 

「そうじゃなくて!! 逆だろ逆! なんで万里花が自分の部屋から出て俺が万里花の部屋で寝るんだよ!」

 

 

 万里花の突拍子も無い行動を受けて、夜中だというのに大声を出してしまう。

 

 

「申し訳ないのですが、我が家にはベッドが2つしか無いんです。うち1つは父の物なんですが、父は自分以外にベッドを使われることをとても嫌がるのです。あと1つは私のベッドしか無いので蓮様に使って頂こうと思ったのですが……」

 

「いや、俺はベッドじゃなくて大丈夫だから」

 

「そんな! お客様に床で寝ろだなんて言えませんわ!」

 

「布団あるだろ……」

 

 

 敷布団ではあるけれど、床で寝るとは訳が違うだろう。

 

 

「……万里花。今日は疲れたんだろ? 俺のことは気にしないでベッドで寝てくれよ。雨の中帰らないで済んでるだけでも十分ありがたいんだぞ?」

 

「う~。でも……」

 

「ほら、俺はあっちの部屋で寝るから……」

 

 

 ――と、万里花から布団を取ろうとしたのだが、その手は万里花に止められてしまった。

 

 

「……万里花」

 

「か、解決策が1つありますわ……! 2人一緒にベッドで寝ればいいのです! ええ! それが駄目なら私が床で寝ますわ!」

 

 

 真っ赤な顔でそう叫んだ万里花は、下を向きながらぷるぷるしていた。

 ……これも俺が照れて妥協すると思われているのだろうか。

 

 

「……わかった」

 

「……ええ、ですので私は床で……きゃっ!?」

 

 

 こちらを向いていなかった万里花の隙を付き、抱き上げる。

 そうでもしないと、また言葉で惑わされてしまうかもしれないからだ。

 

 

「れ、蓮くん!!?」

 

「一緒に寝ればいいんだろ? 俺も疲れてるし、さっさと寝ようぜ」

 

「あ、あの……!」

 

 

 万里花をベッドに降ろして、床に落ちた敷布団を畳み直す。

 枕だけ持って、呆然としている万里花の隣に腰掛ける。

 

 

「……一緒に寝るなら、いいんだろ」

 

「ふぁ、ふぁい!」

 

 

 恐ろしい速さでベッドの端まで移動しながら、万里花はそう返事をした。

 俺も少し遠慮しながらベッドに入る。

 ベッドの大きさは広いというわけではないが、ギリギリ2人で横になっても問題なさそうだ。

 とは言っても、万里花の方を向いて寝るのは緊張するので、背中を向け合う形になる。

 

 ……俺がここまでして落ち着いているのには理由がある。

 その理由とは、万里花が眠ったら敷布団で寝ようと考えているからだ。

 先ほども言ったように、俺はまだ眠気が無いので、万里花が寝るまでの間起きていられる自信がある。

 ……そうでも無ければ、朝まで一緒に寝る提案などしない!

 

 

「……はぁ。蓮様も強引ですわね……」

 

「……お互い様だろ」

 

「……そうですね」

 

 

 ふふふ。と笑い声が聞こえる。

 しばらくすると、万里花が身体を動かした感覚の後に、くいくいっと背中の服を引っ張られたので、俺も身体の向きを変えた。

 彼女の方に身体を向けると、見つめ合う形になった。

 ……顔がとても近い。

 

 

「今日は楽しいです。朝から遊んで、こんな夜まで一緒に居るなんて初めての経験です」

 

「……俺もだよ。でも、今は楽しいっていうよりドキドキの方が大きいかな」

 

「私だってドキドキしていますわ。でも、隣にいるのは蓮様ですから。信頼してますよ」

 

 

 俺の手に手を重ねて、万里花は目を閉じた。

 ……このままの状態で寝る気だろうか……!

 

 

「ふふ。このまま眠ったら、明日起きた時に驚いちゃいそうですね」

 

「……なら、離れて寝ようか。朝の目覚ましが悲鳴なのは勘弁して欲しい」

 

「あら、悲鳴を上げるのは私ではなく蓮様かもしれませんよ?」

 

「……それなら、びっくりして起きる役目は万里花になるな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話

 

 

 目が覚めると右腕に違和感を感じた。

 普段、起床する時に感じたことのない倦怠感に疑問を持ちながら、ほとんど無意識に回復(チート)を使う。

 ……腕の怠さは無くなった。

 しかし、腕にはまだ違和感がある。

 なんというか、腕に物が乗っているような感覚だ。

 考えても違和感の原因がわからないので、目をゆっくりと開ける。

 

 

「…………」

 

 

 ……視界に映ったのは、見る機会が一番多い人の後頭部だった。

 具体的に今の状況を言うと、万里花が隣で眠っていた。

 

 

「…………」

 

 

 ……段々と昨夜の記憶が蘇って来た。

 昨日は嵐で万里花の家に泊めて貰った事。

 ベッドでどっちが寝るか喧嘩して、何故か2人で寝た事。

 

 

「…………途中で抜け出すんじゃなかったのかよ」

 

 

 ベッドで横になる前に、眠気は無いから万里花が寝たら抜け出そう。と考えていた俺は心底間抜けのようだ。

 はぁ……。と心の中で深いため息を吐いて、ふと気が付いた。

 ――この状況、俺が万里花を抱きしめて離さなかったんじゃないか、と。

 

 

「…………!」

 

 

 冷静になって見ると、今の状況はどう考えてもそうとしか思えない。

 なぜなら、寝る前は向かい合って話をしていた記憶がある。

 万里花が反対側を向いて寝ているということは……。

 もし、彼女が同じように俺に抱き付いていたのなら、俺が離さなかったという可能性は半分になっていただろう。

 しかし、この状態じゃ間違いなく俺が――。

 

 

「……ん」

 

「ッ!」

 

 

 万里花がくぐもった声を上げる……。が、どうやら起きたわけではないらしい。

 もぞもぞと身体を動かして……動きを止めた。

 

 

「……いや、起きなくても状況は変わらんだろ」

 

 

 何故か万里花に腕枕してるし、抜け出そうにも恐らく抜け出したら万里花も起きてしまうだろう。

 ということは、これ以上慌てても意味は無いのではなかろうか。

 堂々としていてもこっそり抜け出そうとしても結果は同じになりそうなので、諦めてこのまま寝ていよう。

 今が何時かはわからないが、今日も明日もまだ夏休みなので、このまま2度寝する事にしよう。

 ――と、無意識に左腕で万里花を抱き寄せ……、

 

 

「やんっ♪」

 

「……?」

 

 

 何か声が聞こえたような気がしたが……。

 ……気のせいだな。

 

 

「もう蓮様。朝から大胆過ぎますよ♪」

 

 

 気、気の……。

 ………………。

 

 

「起きてたのか万里花」

 

「はい♪ おはようございます」

 

「……おはよう、ございます……」

 

 

 ……2度寝しようとする前に話かけるべきであったか……。

 まさか万里花も起きていたとは驚きだ……。

 

 

「起きてたんだな……」

 

 

 教えてくれればこんなに心の中で慌てる事も無かったのに……。

 と、思わずじと目で万里花を見つめる。

 

 

「ふふ。今日は蓮様が起きる前に朝食を作って驚かせて差し上げる予定でしたの。ですがその計画は蓮様に邪魔されてしまったので、違う方法で驚かさせて頂きました♪」

 

「……びっくりだよ」

 

 

 それにしても、俺が起きるまで待ってるだなんて、万里花は辛抱強いなぁ。

 俺だったら寝るか起こすかしてしまうだろう。

 

 

「さて、2人共目が覚めたわけですし、そろそろ起きましょうか」

 

「……」

 

 

 なんだかやられっぱなしというのが気に入らなかったので、少し意地悪返しをするとしよう……!

 

 

「? 蓮様? 何故手を離してくれないのですか?」

 

 

 ふふ、困れ困れ…………!

 

 

「あ、あの蓮様? 蓮くん? ちょ、その、そろそろ離して欲しいのですが、その、あの、お、おトイレに――」

 

 

 すぐに離した。

 ついでに万里花が起き上がるのもちょっと手伝った。

 少し仕返ししようとしたら最悪な仕返しをしてしまった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頬をぺちぺちされ許して貰った後、万里花は朝食を用意してくれた。

 最初は遠慮して帰ろうとしたのだが、食べてくださらないのですか?

 と上目遣いで聞かれてすぐに承諾してしまった。

 ……。

 料理の勉強をするべきだろうか。

 

 

「来週は縁日ですね」

 

「……ああ、お祭りか」

 

 

 朝食(パン、目玉焼き、ベーコン、サラダ)を食べ終え、そのままぼんやりとしていたので、少し反応が遅れる。

 

 

「ちょっと意味は違いますけどね。蓮様と一緒に行くの楽しみです」

 

「約束してるもんな。……最近遊んでばかりだから、ちょっとは勉強しないとなぁ」

 

「……え?」

 

 

 万里花から呆気にとられたような声が返って来た。

 

 

「ん?」

 

 

  ……何かおかしいことでも言っただろうか。

 

 

「……えっと、蓮様。今は夏休みですよ?」

 

「そうだけど」

 

「……勉強するのですか」

 

「……しないのか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 俺と万里花の間を沈黙が支配する。

 

 

「この話はやめましょう」

 

「……わかった」

 

 

 明るく言う万里花に同意した。

 ……まぁ、まだ高校1年目の休みだからな。

 確か万里花の学力は低くないはずだし、彼女のことだから夏休み中に勉強しなくても成績に問題は無いのだろう。

 はぁ……。

 縁日が終わったら夏休みもあと半分くらいだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて考えていたら、あっという間に縁日の日がやって来た。

 …………早くないか?

 俺の感覚では、万里花の家にお泊りしたのが一昨日くらいの感覚だ。

 ……こりゃあ夏休みもすぐ終わってしまいそうだ。

 万里花とは泊まった日から今日までの数日間会っていない。

 俺は特に用事の無い暇人なのだが、万里花はお稽古があるらしく連日忙しいと言っていた。

 大変じゃないか? と万里花に訊ねると、彼女は笑いながら、

 

 

「実家でお稽古するより気楽ですわ。それに、お稽古が終われば蓮様とお話できますから」

 

 

 ――と、相変わらずこちらを照れさせてくるのだった。

 そんな万里花に触発されて……という程でも無いのだが、俺も万里花が稽古している間は勉強や運動したりと学生らしく日々を過ごしていた。

 そして今日は縁日。

 万里花もこの日の為に稽古を頑張っていたので、今日は目一杯楽しもう。

 

 

「さて、待ち合わせはこの辺りだったよな」

 

 

 今日は家に迎えに行くのではなく、縁日の途中にある公園で待ち合わせをしていた。

 前回のプールの時のようにまたナンパが居たら困るので、万里花との約束の時間の30分前には着くように家を出た。

 ……のだが、なんとなくもう万里花は待ち合わせ場所にいるような気がする。

 

 

「……やっぱり」

 

 

 俺の予想通りに万里花は公園のベンチに座って、もう既に待っていた。

 幸いなことに彼女に話しかけようとしている輩はいない。

 これ以上待たせるのは申し訳ないので、急いで彼女の方に向かい、

 

 

「……万里……花?」

 

 

 彼女の浴衣姿に魅了された。

 

 

「お待ちしておりました。蓮様」

 

 

 そう言って、にっこりと万里花は微笑んだ。

 いつもならその笑顔にただ癒されるのだが、今日はそんな暢気なことを考えていられなかった。

 彼女に来る時間が早いな、とか、待たせて悪かったとか話したい事も全て吹き飛んだ。

 なんというか、今日の彼女は輝いて見える!

 

 

「ゆ、浴衣……なんだな」

 

「はい! 折角なので着てみました。似合ってますか?」

 

 

 万里花が両手を軽く上げながら、その場でくるりと一回転した。

 ふわり、と回転の勢いに乗って良い匂いが……。

 

 

「ふんっ!」

 

「蓮様!?」

 

 

 パンッ! と両手で頬を叩いて変な気持ちを発散する。

 ……考えるな。今感じたモノは気にするべきものではないッ!

 

 

「似合ってるよ、万里花。その……とても」

 

 

 一言褒めて、すぐに恥ずかしくなって視線をそらす。

 

 

「……もう一声ください」

 

 

 そんな俺の心情を知らない万里花が、ちょっと恥ずかしそうにそんなことを言った。

 ……もう一声!!? 

 う……、え、えーと……。

 

 

「そ、その。……可愛い、です……」

 

 

 万里花の顔を直視できないまま、尻すぼみの声で伝える。

 ……いや、可愛いって……。

 もっといい褒め言葉の一つくらい言えればいいのに……。

 

 

「ふふっ」

 

 

 ああ……、万里花も呆れてしまったのだろうか。

 笑い声を漏らすだけで、特に何も言って来ないし、こちらに背を向けている。

 ……なんで背を向けてるんだ?

 

 

「ま、万里花さん?」

 

「今、こっち見たら怒りますからね」

 

「……わかった」

 

 

 ……万里花の頬()赤くなっている事に気が付かないフリをする。

 お互いに顔向けできないまま数秒経ってから、万里花が俺の手を取って歩きはじめた。

 今日の万里花は草履を履いているので、歩くスピードが緩やかだ。

 

 

「……お待たせしました。行きましょう」

 

「……ああ」

 

 

 2人共声が固い。

 ……公園を出ると、お祭りの会場の方向に向かって歩く人がちらほらと視界にはいった。浴衣を着た人も結構居る。

 恐らく目的地は一緒だろう。この場所でこの数の人だと、会場は結構混んでいるかもしれない。

 

 

「……意外と混んでそうだな」

 

「そうですわね。なんでも恋結びのお守りが有名らしく、それを目当てで来る人も多いんですって」

 

「屋台の他にも目玉になる物があるんだな」

 

 

 ここで万里花はお守り要らないの? と訊ねるとからかわれそうなのであえて訊く事はしない。

 

 

「お守りの事がそれなりに話題になっていたので、会場は恐らく混んでいるかと。私とはぐれないように気を付けてくださいね?」

 

「……わかった」

 

 

 そう言いながら、万里花は手を繋いでいる状態から更に密着度を上げて来た。

 この話題から動きまで計算通りだとしたら、彼女は相当な策士だ。

 まあ、はぐれてしまったら困るから間違いではないのかもしれないが……。

 

 

「そういえば護衛の件はどうなったんだ?」

 

 

 密着している部分を意識しないようにしながら話題を変える。

 

 

「普段は護衛なしでも問題ないということになりましたわ。ただ、こういったイベントには護衛付きのままですけれど」

 

 

 そう言う万里花は、少し不満顔だ。

 

 

「……ということは今も居るのか?」

 

「ええ。あそこに本田。あっちに葉月が居ます」

 

「……なんでわかるんだ?」

 

 

 万里花が指を差した方向を見ても、どこに彼女たちが居るのか見当も付かない。

 

 

「長年の経験ですわ。蓮様も何時かわかるようになりますよ」

 

「……なるかなぁ」

 

 

 誰も居ないような場所でなら気付けるようになるかもしれないが、今日みたいに周りに人がいる状況でわかるようになるなんて思えない。

 ……なるとしても何年掛かるんだか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭りの会場は、予想通り人混みに溢れていた。

 ……いや、混みすぎでは? 

 視界いっぱいに広がる人混みに気が滅入る。

 こんなに人がいたらまともに屋台も周れないのではないだろうか。

 

 

「入り口を抜ければ隙間が出来そうですわ。それまでの辛抱です」

 

「……わかった」

 

 

 人混みに押されて万里花との密着度が更に上がる……が、それを気にする余裕はない。

 今日の万里花は普段よりも歩き辛い格好をしているので、歩幅を小さくし、他人と接触が少ない方に場所を譲ったりと何時も以上に気に掛けたつもりだ……が、この状況では焼け石に水だったかもしれない。

 ……入り口で(たむろ)してる奴らが迷惑になるのは電車も祭りも一緒だなぁ……。

 

 

 

「……抜けた」

 

「大変でしたね……」

 

 

 お互いに安堵の息をつく。

 祭りの入り口から抜け出すのに10分程掛かったが、会場を進むに連れて段々と人波が少なくなった。

 今では万里花と横並びをしても余裕がある程だった。

 祭りの屋台もまだまだあるようなので、屋台で遊ぶにしてもここからで問題なさそうだ。

 

 

「おや……」

 

 

 と、何かを見つけたような声を上げる万里花。

 

 

「何かあったか?」

 

「ええ。ほら、あそこに小咲さんがいらっしゃいますわ」

 

 

 万里花が言う方向を見ると、屋台の影に身を隠している浴衣姿の小野寺さんを見つけた。

 隠れんぼでもしてるのだろうか。

 ……浴衣でそんな遊びはしないな。

 

 

「そんなところで何をしてるんですか小咲さん」

 

「あっ……。万里花ちゃんに、倉井くん。こんばんは」

 

「ごきげんよう。小咲さんも来てらしたのですね」

 

「……ども」

 

「……相変わらず私以外の女性は苦手ですのね」

 

「そんなことない」

 

 

 ぷいっと明後日の方向を向きながら反論する。

 ……これじゃ説得力がほとんど無いな……。

 

 

「あはは……。2人共仲良いね」

 

「私と蓮様ですからね」

 

 

 万里花があっさりと認める。

 

 

「小咲さんは何をしていらっしゃるのですか? 変な人に目を付けられたりしましたか?」

 

「そ、そんなことはないよ!」

 

 

 どこか慌てた様子の小野寺さんだった。

 なにか隠しているのだろうか?

 

 

「ですがそんな明らかに隠れて……あれは……」

 

 

 万里花の視線を辿ると、そこにいたのは楽と桐崎さんのペアだった。

 彼らもこの祭りに来ていたらしい。

 

 

「……隠れなくてもよいのでは?」

 

「ふ、2人の邪魔したらアレだなぁ……って……」

 

 

 彼女たちは2人の関係が偽者だと知らないんだっけか……?

 いや、どっちにしろ2人でいる間に入っていくのは少し勇気がいるよな。

 小野寺さんが隠れたくなる気持ちが少しわかる。

 

 

「ふむ。ではみんなで合流しちゃいましょうか」

 

 

 ぱん。と手を叩いて万里花がそう提案した。

 ……まぁ、確かに1人で声を掛けるより3人で行った方が行きやすいが……。

 

 

「え、でも悪いよ。万里花ちゃんたちも……その、デートしてたわけだし……」

 

 

 俯きながらぼそぼそと小野寺さんが何か言っている。

 万里花が視線を合わせて来たので、軽く頷く。

 

 

「私たちは折を見て抜け出しますから気にしないでください」

 

 

 と、万里花が小野寺さんの返事を聞く前に、彼女の手を取る。

 そしてそのままずんずんと楽と桐崎さんの方に進む。

 

 

「え、ちょ、万里花ちゃん!?」

 

「……さて、どう接触しましょうか」

 

 

 と、万里花が言うので、俺は思いついた事を口に出す。

 

 

「だーれだってやってみるか」

 

「その案頂きです」

 

 

 即案を採用した万里花がぱっ、と俺と小野寺さんと繋いでいた手を離し、そのまま桐崎さんに突撃した!

 

 

「だーれだっ!」

 

「わわっ!? 何!? 前見えないんだけど!?」

 

「あははは♪」

 

 

 慌てふためく桐崎さんを眺めながら、万里花に少し遅れて俺と小野寺さんも楽たちに追いついた。

 

 

「お、小野寺!?」

 

「こ、こんばんは一条くん……」

 

 

 楽は小野寺さんの存在に驚いて、俺の方には全く気付いていない様子だ。

 万里花の方を見ると、万里花が桐崎さんに振り払われて怒られている。

 

 

「全くもう! 心臓に悪いったらありゃしないわ!」

 

「あら、そんなに臆病だとは思いませんでしたわ。申し訳ありません」

 

「顔が笑ってるわよ」

 

 

 仲が良さそうで何よりである。

 そんなやり取りをした後、万里花が事情を説明し始めた。

 それを聞いた楽と桐崎さんは申し出を快諾し、一緒に祭りを周ることになった。

 

 楽の話を聞くと、今日は彼の実家の人たちが屋台を結構出しているらしく、楽が居ればその屋台は無料(タダ)になるという。

 しかし、そう言われても俺は申し訳ないのでお金は払うつもりでいた。

 が、楽に気にするなと押し切られてしまい、屋台巡りは無料で行く事になってしまったのだった。

 

 

「……金魚掬いって、有料でも無料でも結果は変わらないんだな」

 

「……私たちが下手なだけですけどね」

 

「一条くん上手だね……!」

 

 

 金魚掬いの屋台では、楽以外は1匹も取れず全滅していた。

 一方、楽は桐崎さんの破れたぽい*1で金魚を何匹も掬っていた。

 しまいには、錦鯉(!?)まで破れたぽいで掬ってしまう始末。

 錦鯉って……いや、身内の屋台だからなんでもあり……なのか?

 

 

「まっ! こういうのは家でいくらでも練習できたからな。言っておくが縁日での俺は無敵だぜ……?」

 

「……そこまで言われると勝ちたくなるな」

 

 

 余裕そうな顔で言う楽に対抗心が沸く。

 しかし、そうなるとどの屋台で勝負したものか。

 金魚掬いは絶対勝てないし(1匹も取れないので)、射的などの屋台でも勝つのは難しそうだ。

 ……勝てる可能性があるのは、運任せなくじ引きくらいだろうか……?

 

 

「一条さんに正攻法で勝つのは難しそうですね。……勝負の間、ハンデとして一条さんに千棘さんと小咲さんが抱き着くというのはどうでしょう?」

 

 

 万里花が桐崎さんと小野寺さんに目線を送りながらそんな提案をする。

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった2人はきょとんとして、

 

 

「は、はぁっ!? なんで私たちがそんなことしなきゃいけないのよ!」

 

「え、ええっ!!? そ、そそんなことできないよ!」

 

 

 2人共言葉では否定しているが、顔を赤くしながらなので満更でもなさそうに見える。

 楽の方を見ると、

 

 

「小野寺に抱きつ……!? そ、それはそれで負けてもあり……いやいやいや」

 

 

 こちらも顔を赤くなりながら必死に自分の欲望と戦っていた。

 ……幸か不幸かお互いその様子には気付いていないようだったが。

 と、そんなやり取りの最中、俺は視界の端に人だかりを見つけた。

 

 

「……あっちの方混んで来たな。何かイベントでもやるのかな」

 

「本当ですね。何が始まるんでしょう?」

 

「あっ! もうそんな時間か!」

 

 

 俺と万里花はなんの人だかりかわからなかったが、楽はわかったらしい。

 

 

「え、えーと俺ちょっとあそこで買いたい物があって……! ちょっと行って来ていいか!?」

 

 

 挙動不審になりながら楽が言う。

 そんなに慌てているのにこちらを気遣ってか、まだ走り出さずにその場でそわそわしている。

 

 

「こっちは気にしなくて大丈夫だ。……だからそんな我慢せずに行ってくれて構わない」

 

 

 無理矢理合流したのはこっちだしな。

 

 

「……では、しばらく別行動としましょうか。あの人だかりの様子なので、大目に時間を取って1時間後くらいにまた集まりましょうか」

 

「わかった! それで頼む! 携帯持ってるよな? 後で連絡するわ!」

 

「ちょ、アンタが居ないとタダで買い物できないんだから私も行くわよ!」

 

 

 ……と、楽と桐崎さんはそう言って人だかりに消えていく。

 ……桐崎さんはお金持ちではなかったっけ?

 

 

「……さ、小咲さんもいってらっしゃいな」

 

「え? 万里花ちゃん?」

 

「貴女も恋むすびを買いに来たのでしょ? 今なら誰も見てませんわ」

 

 

 万里花が微笑みながら、小野寺さんを後押しする。

 

 

「っ! うん! ありがとう万里花ちゃん! 私頑張ってくるね!」

 

「いってらっしゃいませ」

 

 

 ぴゅーっ! と小野寺さんも人だかりに消えていった……。

 

 

「本田。葉月。私の友人を手伝ってあげなさい」

 

「「御意」」

 

 

 ばばっ! と影が超スピードで人だかりに向かって消えて行った。

 

 

「……は?」

 

 

 ……周りの人たちは気にしている様子は無いが、今の動きおかしくなかったか?

 いや……、まさか今の動きに気が付いていないとか……か?

 

 

「ふふっ。2人きりですね♪」

 

 

 そんな俺の心の動揺を知りもしない万里花が笑顔で腕に抱き付いて来た。

 ……まさか小野寺さんを見送ったのもこの為とか……?

 

 

「わっるい奴!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽たちと別れた後、射的、くじ引きと屋台を巡り、今は2人並んでカキ氷を食べていた。

 

 

「おいしいですわね」

 

「ああ。暑い中食べるといつもより美味しく感じるな」

 

 

 と、それから会話をすることもなく、俺たちはかき氷を食べる事に夢中になった。

 …………。

 

 

「はっ! 蓮様にあーんして差し上げる予定でしたのに、忘れていましたわ!」

 

「……それは忘れていてくれてよかったな」

 

 

 2人きりならまだしも、周りにこんな人がいる状態でそんなことをするのは……ちょっと恥ずかしい。

 

 

「う~っ! 折角蓮様とは別の味のカキ氷にしましたのに……。はぁ……残念です……」

 

「そこまで落ち込むことか……?」

 

 

 とても落ち込んでいる万里花のカキ氷容器を奪い、会場に設置されているゴミ箱に捨てる。もう少しでゴミが溢れそうだ。

 ……凄く落ち込んでいる様子の万里花を見ていると、なんだか悪いことをした気になってくる。

 次に何か食べる時はあーんしてあげた方がいいだろうか……。

 

 

「えーと、次はどこ行こうか?」

 

「そうですね……。そろそろ一条さんたちと合流しましょうか?」

 

「……いいのか?」

 

「ええ。もうすぐ時間もいいところですし……、これは?」

 

 

 万里花が何かを見つけ、その場に屈む。手に取ったのは、

 

 

「お守り?」

 

「ええ。しかも恋むすびのお守りですわ。……誰かが落としてしまったんでしょうね」

 

 

 万里花が持つお守りには、鈴が2つ付いており、真ん中に堂々と恋むすびと書いてあった。

 ……なんか、あまり効果が無さそうに感じた。

 

 

「どうしましょうか? 届けるにしても……どこに届けましょう? 警察?」

 

「祭り会場にある事務所でいいんじゃないか? 迷子とか預かってくれるとこ」

 

「なるほど。では、一条さんたちと合流するのは届けたあとですね」 

 

 

 心なしか、万里花が少し元気になったように感じた。

 ……一条たちには悪いが、合流したらそのまま別行動を続けるようお願いしようかな。

 

 

「確か事務所はあっち――痛ッ!!?」

 

 

 ――と、歩き始めようとした瞬間。俺の後頭部に何かがぶつかったような衝撃。反射的に回復(チート)を行使する。

 

 

「ネコ!? 蓮くん大丈――」

 

 

 前のめりに倒れそうになった俺を、万里花が支えてくれようとした。

 そして、俺も万里花を押し倒してしまわないようその場に踏み止まろうとして、

 

 

『………………』

 

 

 至近距離で万里花と視線が合った。

 ……それに、鼻先がぶつかってるし、唇にも柔らかい感触が……。感触がっ!!?

 

 

「……!」

 

 

 数歩下がり、万里花と距離を取る。

 え? 

 そ、そういうことなのか……?

 接触してしまったのか……?

 

 

「ま、万里花……?」

 

 

 万里花は呆然とした様子で、自分の唇を指でなぞり、なぞり、そして、

 

 

「ご、ごご……!」

 

 

 段々と顔が赤くなっていく万里花。

 不意な事故で、彼女になんと声を掛ければいいのかわからない……。

 それでもなんとか弁明しようと、口を開く寸前、

 

 

「ご、ごきげんよう~~~!!!」

 

「……え」

 

 

 ばびゅん! と、先ほど見た本田さんたちの動きと同じくらいのスピードで万里花が逃げ出した。

 

 

「…………」

 

 

 咄嗟の出来事で、万里花を追い駆けるという選択肢さえ頭に浮かばなかった。

 ぽつん、と一人取り残された俺はその場に佇むのであった。

 

 いつの間にか、万里花が持っていたお守りはネコが咥えてどこかに持っていった。

 

*1
ぽい:金魚掬いの網のこと



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話

謝罪。今回から3人称を取り入れることにしました。
ちょっと長めです。


 

 縁日の出来事から3日経った。

 それは万里花と連絡が取れなくなってから3日経っていることを示していた。

 正確に言うと取らなくなってから。というのが正しいが。

 

 

「……」

 

 

 自宅の床に寝転びながら、携帯画面を見る。

 そこには今までの万里花とのやりとりが表示されていた。

 改めて見返すと、連絡先を交換してからほぼ毎日なにかしらやりとりをしている。

 何をしてますか? とか、ちゃんとご飯食べてますか? などのメッセージをぼんやりと眺めながら一息つく。

 

 

「……参ったな」

 

 

 おこがましいかもしれないが、ここ数日連絡をとっていないだけで寂しさを感じてしまっていた。

 それならさっさと連絡を取ればいいと思うかもしれないが、その勇気があればここまで悩むことはない。

 事故とはいえキスをしてしまったあの日。

 正直なところ、あの時は不意打ち気味たこともあって、唇に柔らかいものがぶつかったな。程度の感覚しかなく、俺自身はこれといって嫌な感情は抱いていなかった。

 が、万里花の心情を考えると如何(いかが)なものだろうか。

 

 

「最悪だよな……。最初が事故ちゅーって最悪過ぎるだろ……」

 

 

 あー、うー、とうめき声を上げながら床をゴロゴロと転がる。

 何事も最初は肝心。と言うし……、最初? 最初だよな……?

 

 

「……」

 

 

 ……事故の原因はおそらくあの(とき)万里花が持っていた恋むすびだろう。

 原作にあったエピソードでも、縁結び系のアイテムは凄まじい効果を発揮していたのをなんとなく覚えている。

 アイテムに関わりさえしなければ影響はないと思っていたが、考えが甘かった。

 

 そんなことを考えながら携帯に文字を入力する。

 迷っていても仕方がないので、勇気を出して行動することにした。

 下書きだけのつもりなので、そこまで緊張はしない。

 

 

「…………話したい。……いや、会いたい?」

 

 

 仰向けのまま、文字を入力して消してを繰り返す。

 万里花と連絡先を交換するまで携帯でやりとりをする事がほとんどなかった為、まだ文字を打つ速度が遅い。

 もういっそのこと電話を掛けてしまおうか。いや、それなら会う約束をして直接話した方が――。

 

 

「あいたっ!?」

 

 

 手を滑らせて携帯を顔面に落としてしまった……。

 ぶつけた箇所を手で触りながら、携帯を手に取り……。

 

 

「あっ」

 

 

 そこには万里花に向けて送信されてしまったメッセージが表示されていた。

 内容は『会いた』の3文字だけ。

 顔面に落とした衝撃で、奇跡的に送信ボタンが押されてしまったようだ。

 慌てて削除しようとするも、無慈悲に表示される既読の文字。

 

 

「あ、あ、あ……」

 

 

 なんということだ。これが『あうえ』などといった滅茶苦茶な文章であればまだ誤魔化しようがあった。

 しかし、これでは会いたいというのがストレートに伝わってしまう。

 まだ会いたい理由も場所も時間も何も考えていないというのに!

 

 

「ど、どうすれば……」

 

 

 既読の文字が付いたということは、万里花が会いたのメッセージを読んでいるということ。

 ここで時間を掛けるのは悪手!

 しかし、次にどう言葉を送ればいいのか。今まで散々迷っていたのにこの短時間で内容を考えるというのは――。

 

 

『申し訳ありません。今はお稽古の時間なので、すぐに会うことができません』

 

 

 携帯が震えて、そんなメッセージが返ってきた。

 ……なるほど。稽古の時間か。

 それなら仕方ないな。いや、内容を考えなくて済んでほっとしているわけでは――。

 

 

『夕方に、私の家でなら可能です。どうしますか?』

 

 

 …………。

 

 

『おねがいします』

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 数時間後。

 

 

「いや、どうしよう……」

 

 

 うじうじ悩みながら、若干猫背で歩く男。倉井、蓮……。

 約束の時間まで余裕があるので、万里花の家までの道を遠回りで進みながら、色々と考えを巡らす。

 そもそも初めてのことばかりで、なにが正解か微塵もわからない。

 初めてのキスに初めての事故キスにその後の気まずい対応とか……。

 とはいえ、誰かに相談できることでもないので、自分でどうにかするしかない。

 

 

「のど渇いた……」

 

 

 緊張が原因だろうか。

 時間的に余裕はあるので、近くのベンチで休憩しながら話す内容を少し考えてみることにした。

 自販機で適当に飲み物を買いベンチに座る。

 

 一口飲んで大きく息を吐く。

 まず、万里花に会って最初にするのは謝罪でいいのだろうか? 

 傲慢屑野郎みたいな考え方から始まったわけだが、これには理由がある。

 ありがたいことに、万里花は俺のことを好きだと言ってくれている。それに対して俺は好きがまだわからないから待って欲しいとお願いしている立場だ。

 そんな俺が謝罪をする。というのは、万里花の気持ちを拒否しているように取られないだろうか。

 そもそも……。

 

 

「……いくか」

 

 

 

 

 

 数日振りに訪れる万里花の家は、夕暮れの景色も相まってラスボスが住む城のように見えてきた。

 対する俺は武器なし防具なしの魔法あり(回復専門)で、勝てる気がしない……!

 いや、耐久性能は高いのだからいつかは勝てる。つまり、この(いくさ)負けることはないっ!

 わーはーはーは――。

 

 

「すぅーー。ふぅーー」

 

 

 深呼吸。

 落ち着け。大丈夫だ。

 会話の初っ端から祭りの話題になる可能性は低いと見る。

 

『よくも顔を出せましたね。ぶちのめして差し上げますわ!』

 

 なんていきなり万里花が言うとは想像もつかない。

 もし言われたら一周回って笑ってしまいそうだ。

 面白い妄想をしたせいで、自然と口角が上がる。いい感じに緊張が少し解れた気がする。

 ロビーに入る。人影はない。

 一息ついて呼び出し口に向かう。

 ……万里花の家って、1フロア全部なんだよな。どの部屋を呼び出せばいいのだろうか。

 ――と、迷う素振りを見せる間もなく、エレベータのドアが開いた。

 

 

「……乗っていいんだよな」

 

 

 返事は戻ってこないが、タイミングからして大丈夫だろう。

 落ち着いた風を装ってエレベータに乗ると、階を指定する間もなく動き始めた。

 最上階まで時間が掛るだろう、と油断してはならない。

 最新式のエレベータは速いし音も静かなのだ。

 

 

「お待ちしてましたわ」

 

 

 ……このように。

 

 

「あっ……、ひ、久しぶり……」

 

「はい。お久しぶりです」

 

 

 微笑む万里花の笑顔は、いつもと同じように見える。

 それとも燃え盛る怒りをその笑顔の裏に隠しているのか――!

 ごくりっと唾を飲む。

 

 

「えっと、その――」

 

「お夕食の準備ができてますわ。行きましょ?」

 

「え?」

 

 

 自然な動作で万里花に手を引かれ、エレベータの中から連れ出される。柔らかい。

 

 

「ちょっと待って。夕食って、ご飯?」

 

「フフっ。そうですわ。ご飯です。あ、もしかしてもう食べてしまわれましたか?」

 

「いや、そういうわけじゃないけど……」

 

「なら問題ないですわね」

 

 

 ご飯か麺かとか聞きたかったわけではなかったのだが……。

 家に来て早々にご馳走になるって、飯を集りに来てるみたいだ。

 ……ご飯を頂いてる最中に祭りの話はできないな。

 食べている最中に気まずくなりそうな話題はできれば話したくない。

 

 

「今日はお魚を焼きました! ……お魚、食べれますか?」

 

「美味しく食べれます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魚料理の時は基本的に黙ってしまう性分だ。

 特に骨を取っている時など、空返事になってしまいがちだ。

 美味しい美味しい、と食べる合間に万里花に伝え、それ以外はほとんど黙って食してしまった。

 万里花の方も同じ気質なのか、俺の様子を察してくれたのか言葉数が少なかった。

 

 

「皿洗う」

 

「いえ、少し浸けてからのが良いので、後で大丈夫ですよ」

 

「あ、はい……」

 

 

 万里花はてきぱきと食器を片付けている。

 動きが俊敏すぎて手伝おうにも手が出せない。

 結果、中途半端に立ち上がり座りなおすという不審な動きを繰り出すだけになった。

 

 

「お待たせしました」

 

「うん……うん!?」

 

 

 片付けを終えた万里花が隣に座る――かと思いきや、向き合う形で俺の太ももに座った。

 当たり前のように座られて反応が遅れた。

 なぜ座られたのかも気になるが、万里花との距離が近過ぎてそれを気にする余裕がない。

 

 

「……近くないか」

 

「近いです?」

 

「近い……よ?」

 

 

 上手く表現できないが……、蠱惑(こわく)的とでも言えばいいか、普段とは違う笑顔に視線が引きよせられる。

 万里花は戸惑っている俺を余所(よそ)にじわりじわり、とさらに近付いてくる。

 

 

「ま、万里花?」

 

「……」

 

 

 声を掛けても万里花は止まらない。

 ……え、どうすれば? 押し止める?

 そもそも何が目的で? 無言で近付いてくるようにことの意味……て。

 考えはじめたら原因は祭りの1件しかないことに思い至ってしまった。つまり――。

 と、そこまで考えた瞬間。万里花がゆっくりと俺に向かって倒れ、そのまま胸に頭を預けた。

 

 

「良かったです」

 

「……えっと、なにが?」

 

「嫌われてなくて」

 

 

 嫌われてなくて?

 どちらかというと、嫌われるのだったら俺の方だと思っていたが……。

 万里花が背中に手をまわす。ほとんど力の入ってない抱擁だった。

 

 

「私、あの後すぐ逃げちゃいましたから」

 

「……ああ」

 

「だから、良かったです」

 

 

 ……こんな思いをさせてしまっていたのか。

 こんなことならさっさと連絡してしまえばよかった。

 俺も悩んでいたが、万里花の方もこんなに不安になっていたなんて思いもよらなかった。

 考えの浅い自分に心底腹が立つ。

 

 

「万里――」

 

 

 呼びかけている途中で、ぐぐっと押され、座っている状態から仰向けの状態にまで押し倒された。

 体勢が変わったことで身体のほとんどが触れ合っている。

 不思議と、興奮よりも安らぎに満たされていた。

 ゆっくり、包み込むように万里花の背に手を回した。

 

 

「私、成長しているんですよ。()()()

 

「……ん」

 

「ふふっ。()()()。……はい。もう恥ずかしがらずに呼べるようになりましたよ?」

 

「……それは……、ありがとう」

 

 

 様付けされるほど大層な人間ではないので、様付けがはずれるのは正直嬉しい。

 立場を考えれば、俺の方が万里花様と呼んだ方がしっくりきそうだが。

 ……万里花はなぜかそっぽを向いている。

 

 

「蓮くんはどうですか……?」

 

「俺は……」

 

「再会してから3ヶ月くらいですね。どうです? 少しは私のこと好きになってくれましたか?」

 

 

 ゆっくりとした動きで登って来た万里花と視線が合う。

 密着している状態であった為、必然的に顔と顔の距離も近くなる。

 どう思っているか。少なくとも好ましく思っていることは間違いない。

 それが――。

 

 

「……空気の読めない電話ですわね。私に気にせず出てください」

 

 

 万里花はそう言って身体を離した。

 俺の携帯に着信が入ったのだ。

 

 

「蓮くん? 電話ですよ?」

 

 

 ……この着信音は。

 

 

「……どう、されたのですか?」

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

「本当にごめん。万里花。謝って許されることじゃないのはわかってる。だけど、家に戻らなきゃいけなくなった」

 

「は、はい。わかりましたわ。それで、電話の方は出なくてよろしいのですか?」

 

「……この埋め合わせは必ずする。ごめん!」

 

「れ、蓮くん!?」

 

 

 万里花の言葉を半ば無視するような形で、蓮は逃げ去るように部屋から出て行った。

 蓮の普段とは違う様子に気を取られ、万里花が引き止める間もなかった。

 

 

「一体なにが……」

 

 

 原因は考えるまでもなく、あの電話なのだろう。

 蓮は電話に出ることもなく家を出て行ったので、考えられる相手は――。

 

 

「本田。蓮くんの後を追ってくれますか」

 

 

 ………………。

 

 

「……最初から居なかった。それとももう追っているか……」

 

 

 うーん、と首を傾げながら迷った末。万里花は電話を掛けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、蓮は万里花の家を出てからまっすぐ自宅を目指していた。

 全力で走り、息が切れる前に回復(チート)で体力を戻し、常に全力の状態を維持していた。

 ――どうして今のタイミングなのか。

 恨みがましく思いながらも、電話が来たからには蓮は戻らなければいけない。

 アパートの階段を駆け上がり、自宅のドアノブを捻る。

 出掛ける前に鍵はかけていたが、今は開いているはずだ。

 部屋に入った瞬間、蓮は家の中にいた男に蹴り飛ばされた。

 

 

「遅い」

 

 

 そこにいたのはスーツ姿の男だった。

 髪をバックで纏め、これ見よがしに付けられた高級腕時計といった風貌から、できる男といった印象を抱かせる。

 

 

「……靴履いたままかよ」

 

「私が借りている部屋だ。何か文句でも?」

 

 

 スーツ姿の男――蓮の父親は革靴を脱がずに部屋に佇んでいたのだった。

 今は壁に背を預け、蓮の方を睨み付けている。

 

 

「床が汚れ――ッ!」

 

「口答えするな」

 

 

 なにか武術をかじっているようで、滑らかな動きで繰り出される蹴りに蓮は対応できない。

 部屋に転がる蓮を見て気が済んだのか、男はフンッと鼻を鳴らす。

 やっと本題に入るらしい。

 

 

「お前みたいな()()()がどんな方法で警視総監の娘に取り入ったのか興味はあるが、まぁいい。良くやったと褒めてやるよ」

 

「……は?」

 

「先日警視総監がわざわざ挨拶に来てくださってな。お前の話を聞いた時はそれはもう嬉しかったよ。なにせ合法的に倉井家から追い出せる提案をしてくださったのだからな」

 

 

 蓮の父親は検察官であった。

 そのため、警視総監である橘巌がコンタクトを取ることができたのだ。

 蓮は父親の職業を知らないので、橘家の凄い諜報能力で特定したと思っている。

 

 

「……それで、妙に協力的だったわけか」

 

「その通り。お前と警視総監の娘の関係がどうなろうが私に取ってはどうでもいい。が、()()()()()にとって汚点であるお前が居なくなるのはとても、とても好ましい」

 

「我が? あんたにとってじゃないのか?」

 

 

 男は無言で蓮に平手打ちを食らわせた。

 

 

「……痛いんだけど」

 

「ふん。すぐ治るから構わんだろう?」

 

 

 吐き捨てるように男は言った。

 

 

「……」

 

「お前のせいでどれだけ私の人生が狂ったか。生まれた子はお前みたいな化け物で。そいつのせいで妻の精神もおかしくなってしまった!」

 

「……正常(けんこう)になったんだろ」

 

「黙れ。お前がおかしな力を使わなければあの女は私に従順なままでいたんだ。私にとってお前は疫病神でしかない」

 

「……」

 

「お前をこうして育ててるのは外聞(がいぶん)に関わるからだ。だから高校の金も払ってるし、大学に行くならそれも出してやる。だから婚約したら2度と倉井の姓を名乗らないでくれたまえ」

 

「……それが、言いたかっただけか」

 

「大事なことだ。私はお前と違って忙しいんだ」

 

 

 乱れた服装を直しながら、男は立ち去る準備を整える。

 

 

「引越しの提案もあるんだってな。出て行くなら一報入れろ。引き払いの手続きはこちらで済ませる」

 

 

 そう言い残し、男は本当に家を出て行った。

 5分程――蓮は床に転がったまま宙を眺めていた。

 そして蹴られて傷付いた部位を治していく。

 

 

「……絶好調の、健康体だ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 汚れた床を見ていると不快な気持ちになる。かといって今から掃除をするという気分にもなれなかった。

 特に目的地を決めることもなく家を出た。あんなことを言われる為だけに呼び出されたのかと思うと、やるせなさを感じずにはいられなかった。

 どうして必死に家に戻ったのか、自分でもよくわからなかった。

 父親と会うのが数年振りだったからだろうか。

 でも彼と関係が悪いことは百も承知していたことだ。

 時間が経ったから少しは関係が変わっている、とでも心のどこかで期待していたのだろうか。

 

 

「……」

 

 

 無意識に人通りの少ない道を通っていたようで、滅多に人の来ない公園にたどり着いていた。

 どうして人が来ないのかを知っているかというと、以前にも同じように来たことがあるからだ。

 その時はどうして訪れたのだったか……。

 

 ベンチに腰掛け夜空を眺める。腹が立つくらい晴天で、自分の気分との落差で余計イライラした。

 公園の中にあるのはブランコと滑り台。それと無造作に生えた木があるだけで、街灯も少ないので薄暗く、人によっては薄気味悪く思うかもしれない。

 もうすぐ深夜といった時間帯のはずだが、夏真っ盛りの今は寒さを感じさせなかった。寒さで風邪を引いてもすぐ治るが。

 

 夜空を眺めて数分。気分は良くなるどころか、もやもやとした感情が強くなっている。

 イライラする度に回復(チート)を使ってもまるで収まらない。精神的にも効果はあるはずなのだが……。ついに特典もおかしくなったか。

 

 

「……万里花に会いたい」

 

 

 思わず口に出して――駄目だと首を振る。

 何故か自分は万里花の近くにいると心が穏やかになる。

 けれどそんな理由で会いたいなんて、都合の良い扱いはしたくない。

 息を吐いて、脱力する。

 

 

「はい。呼ばれて参上! 万里花です!」

 

 

 …………?

 視線を下にやると、片手を前に突き出し妙なポーズを取ってる万里花がいた。

 

 

「なぜ……」

 

「……()えて明るく振舞ってみました。あまり効果はありませんでしたね」

 

 

 混乱してる俺を余所に、万里花は隣に密着する距離で座った。

 身体の温かさを感じる。そこで自分の身体が思った以上に冷えていたのを実感した。

 

 

「どうしてここが?」

 

「どうしてもこうしてもありませんわ! 蓮くん! 私怒ってますのよ」

 

 

 左腕を掴みながら睨み付けてくる万里花に、後ろめたさを感じながらも視線を逸らした。

 

 

「……さっきはいきなり出てって悪かった」

 

「違います! 私に会いたいとおっしゃるなら、どうして連絡してくださらないのですか!」

 

「だって……」

 

 

 ……あまりにも自分勝手な都合だったから。

 

 

「だってではありません。言い訳は家で聞かせて貰いますわ!」

 

 

 ぐいっと、左腕を抱えられたまま立ち上がらせられ――。

 

 

「え? 今から? 明日とかのが……」

 

「今日も明日も同じですわ。埋め合わせは、必ずしてくださるんでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 優柔不断で、何事も決めるのに時間が掛る俺は、万里花の強引さにとても助けられている。

 公園からの移動は、近くに停めてあった車で行われた。

 

 

「では、まず温まりましょう」

 

 

 マンションに戻って最初に言われた言葉がこれだった。

 万里花曰く、話し終わったあとは疲れてすぐに眠りたくなるだろうから、その前にやるべき事はやっておこうということだった。

 自然と泊まる事になっているが、俺も今日は家に帰りたいとは思わないので、その厚意に甘えることにした。

 1フロア借りているだけあって、浴室もそれぞれの部屋にあるらしく、どちらが先に風呂に入るかなどという揉め事になることはなかった。

 2つの浴槽を暖めるなんて、やっぱり金持ちのやることは違うな。

 

 

「風呂に浸かるなんて久しぶりだな……」

 

 

 普段はシャワーで済ませているので、最後に入ったのは林間合宿の時だろう。

 折角用意して貰ったので、しっかり味わうことにした。

 肩まで入ると暖かさで頭がぽーっとする。久しぶりの入浴だから、暑さの耐性が低くなっているのだろうか。

 長く入ると逆上せてしまいそうなので、それなりの時間でお湯から出た。

 ……しっかり味わってはいないな。

 

 風呂場を出て体を拭き、事前に渡された服に着替える。

 丁度良いサイズの寝巻きだった。何時(いつ)の間にサイズを測ったのだろう?

 何時(なんじ)にどの部屋に集合しよう――などと約束はしてないので待っていることにする。

 手当たり次第に部屋を訪ねるという方法もあるが、万里花が着替えの途中でしたなんて状況もありうるからだ。

 

 少し時間が経つと、予想通り万里花が現れた。

 寝巻き姿の万里花の姿は、風呂上りのせいかどことなく色気を感じる。

 

 

「お待たせしました。……寝巻きのサイズは……大丈夫みたいですね」

 

「丁度良いサイズで驚いてる」

 

「要望があれば遠慮なくおっしゃってくださいね?」

 

「……うん」

 

 

 これだけ手厚くしてもらって、さらに物を頼む度胸はないかな……。

 

 

「……頭がまだ濡れてますね。ドライヤーの場所わかりませんでした?」

 

「あ、いや。いつも自然に乾くまで起きてるから」

 

「なるほど。でしたらお任せください」

 

 

 素早い動きでドライヤーの用意をする万里花。

 そしてちょいちょい、と手招きしてくる。

 

 

「ドライヤーの使い方くらい知ってるぞ」

 

「まぁまぁ。私に任せてください」

 

 

 結局、万里花の押しに負けて乾かして貰うことに……。

 椅子に座らせられ、万里花は背後でドライヤーを構えて立っている。

 ……なんだろう、想定以上に恥ずかしくてムズムズして来た。

 

 

「もうっ。頭動かさないでください」

 

「う……ごめん」

 

「♪」

 

 

 優しい手付きで髪を梳かされながら、ドライヤーをかけられる。

 

 

「……なぁ、そんな丁寧にやらなくても良いんじゃないか?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「ほら、あの温風でぶわーってやるだけじゃ駄目なのか?」

 

「駄目です」

 

 

 ……早く乾かないかな。

 

 

 

 

 

 

 

「明日も天気良いみたいですね」

 

「……そうみたいだな」

 

 

 横並びで座りながらテレビを見ていた。

 内容はニュース番組で、今は天気予報のコーナーになっていた。もう大体20分以上は見ているような気がする。

 ……なにやってんだろ。

 万里花が頭を乾かしてくれた後、特に会話もなくテレビを見始めたので、それに(なら)い俺も隣に座った。

 後はニュースの感想を言う万里花に相槌を打つくらいで、今日あった出来事について話すことはなかった。

 ……聞かないのだろうか。そもそも俺は話を聞いて欲しいのだろうか。

 

 

「さて、そろそろ寝ましょうか」

 

「え? ……あ、ああ。そうだな」

 

 

 唐突に言われ、少し反応が遅れる。

 今までの時間は身体の熱を下げるために待っていたということだろうか?

 

 

「えっと、俺はどこ使って良いんだ?」

 

「ちゃんと案内しますから。ご安心ください♪」

 

「あ、いや急かしたわけじゃなくて……」

 

「ふふっ。そんな慌てなくて大丈夫ですわ」

 

 

 同い年の女の子に家に泊まるという事で、緊張はしているがそれほどではなかった。

 なぜなら万里花の家は1フロア全てで、寝るとしても隣の部屋ではなく隣の家という状況になるからだ。

 さすがにそこまで離れていれば、緊張からは遠ざかる。

 

 

「はい。こちらにいらして下さい」

 

「……嘘でしょ」

 

 

 隣の部屋どころか隣のベッドですらなかった。

 ()()()()()()()()()

 

 

「いや、ちょっと待って」

 

「大丈夫です。お父様も今日は帰って来ませんから」

 

 

 それはもっと大丈夫じゃないのでは……。

 俺の混乱とは反対に、万里花は冷静な様子でベッドの隣を叩いている。早くこっちに来いという合図なんだろう。

 

 

「……本当に?」

 

「はい。枕もちゃんと用意してますよ」

 

 

 枕元を見ると、言葉通り2つ枕が用意されていた。

 その様子から最初からこうする気だったというのがわかる。

 

 

「……」

 

 

 ゆっくりベッドに近付き、おそるおそる布団に入る。

 ……近い。近すぎる。こんな距離で寝れる気がしない。

 

 

「え」

 

 

 万里花がいきなり首に手を掛けて来た。

 そうして、その勢いのまま布団に押し倒される。

 両腕で抱きしめられながら横になる。丁度、万里花の胸に顔を押し付けるような形になっている。

 

 

「あぅ、え?」

 

「電気消しますね」

 

 

 言葉通り部屋の電気が消える。

 

 

「いや、ちょ――」

 

「んっ。あんまり動かないでください」

 

 

 ――硬直。俺は石になったつもりになった。

 顔に当たる感触はとても柔らかい。つまり、その――。

 

 

「この距離なら、こんな小声でも大丈夫ですよ。……聞こえますよね?」

 

「聞こ……える」

 

 

 囁くような声であったが、問題なく声は届いていた。

 吐息すら感じるような距離だから……。

 

 

「あの、万里花。俺は男なんだけど」

 

「はい。知ってますよ」

 

「……襲われるとか思わないのか?」

 

「……。そんな元気がおありなら私も安心なんですけど。……ありますか?」

 

 

 …………。

 

「――――ない」

 

「やっぱり。私はあのあと蓮くんに何があったのかは知りません。でも、悪いことが起きたのはわかります」

 

「……ああ」

 

「だから、話したかったら聞かせてください。話したくなかったらこのまま眠ってください」

 

「……腕、痛いだろ」

 

 

 ……どちらにしても、腕枕された状態でいるというのはちょっと。

 

 

「枕の間ですから平気です。それに、一晩くらい耐えて見せます」

 

「……どうして」

 

 

 どうしてここまでしてくれるんだ。

 わからない。本当にわからない。言ってしまえば彼女との関係は他人なのに。

 ……もう全部言ってしまおう。

 これで万里花が離れるなら、それはそれで良い。

 隠し事はもうしたくない。

 

 

「……万里花。聞いてくれるか」

 

「はい。なんでも聞きますよ」

 

「――俺は、前世の記憶があるんだ」

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 蓮は全てを万里花に話すことにした。

 前世のことからこの世界に産まれてからのことも。

 蓮の声が緊張で震えても、万里花は頭を優しく撫でるだけで何も言わずに聞いていた。

 万里花のことを知ったのは前世にあった()()であったこと。

 親の暴力が原因で息絶えたこと。

 怪我をすぐ治せるようになりたくて、回復の力を手に入れたこと。

 万里花の病気を治したのは思いつきであったこと。

 今世(こんせ)の両親の関係悪化の原因になっていること。

 

 ――話して、話し終わって。緊張で蓮の身体が震えてきた。

 なにを言われるんだろう? 突き放されてしまうだろうか、と怖くて万里花の顔を見れなかった。

 

 

「……それ、蓮くん悪くないですよね」

 

「……?」

 

「お母様を治した蓮くんは悪くありません。精神的に人を追い詰めて従順にしたてあげて、それを治されて逆切れなんてイカれてますわ」

 

 

 両親の話だ。

 蓮の父は上昇志向のエリートで、常に完璧を求める男であった。

 であるため、自分のパートナーに求める理想も極めて高いものになっていた。

 その結果、男は理想の相手を見つけられないまま年月を過ごし、婚期が気になり始めたので妥協することにした。

 そこで選んだのが容姿だけは良い女――今世の蓮の母であった。

 男は最初だけ甘い姿を見せ、結婚した後は暴力で支配する典型的なDV男で、それは蓮が産まれるまで続いた。

 

 転機は蓮が幼稚園に通えるようになってから訪れた。

 男は子供が産まれてからは、子供の前では暴力を振るうのを自重していた。

 しかし切っ掛けは些細なものであったが、つい我慢し切れずに蓮の前で母親を蹴り飛ばしてしまったのだ。

 そして、それを見た蓮が母親を癒してしまい、女は身体も心も正常になってしまった。

 その結果。支配されていた自覚の戻った女は離婚を決意。暴力男の子供を手放し、大量の示談金を貰うことで今までのことは黙るという契約に基づき、家を出て行った。

 その後、男は蓮の特異能力を世間に公表した時のメリット、デメリットを考え、男にとってデメリットが多かったため、公表を避けたのであった。

 男は蓮が原因だと思考を刷り込むことで、自分の悪評が世間に出回ることを阻止していたのであった。

 

 

「蓮くんは悪くありません。間違っているのは男の方です。間違いありません」

 

「でも、生まれたのが俺じゃなかったら、上手くいってたかもしれないだろ……」

 

「良いですか。蓮くん。例え、産まれたのが貴方ではなく別の子だとしても、男のやったことは犯罪です」

 

「でも、殴ることくらい()()にあるだろ……?」

 

「…………」

 

 

 無言で、蓮が抱きしめられてる力が強くなる。

 普通に呼吸していいか迷うレベルで密着しているので、さらに近付くとなると呼吸自体を躊躇うようになる。

 蓮はちょっと息苦しかった。

 

 

「……理由もなく家族に暴力を振るうのは普通とは言いません。悪い事です。蓮くんは自分の家族ができた時に、同じようにしますか?」

 

「そんなこと! ……。そんなこと、しない」

 

「そうでしょう? ()()はしません。だから蓮くんは悪くありません」

 

「そっ……か」

 

 

 自分は悪い事をしたのではない。という自覚が初めて蓮に生まれた。

 

 

「……あのさ。前世とか、て話。どう思った?」

 

「んー。蓮くんがあるっておっしゃるので、あると思います」

 

「うう……。いや、あるんだけど。あるんだけど……! 気持ち悪かったりしないのか? 万里花は漫画のキャラなんだって言ってるんだぞ……」

 

「ふむ。では、今蓮くんは私のことがキャラクター。意思のない人形に見えますか? その漫画の設定と寸分の違いもないですか?」

 

 

 腕枕をしているのとは逆の腕で、蓮の顎を持ち上げ視線を合わせる万里花。

 どうやったって現実を生きる人間にしか見えない。蓮は恥ずかしくなり逃げたかったが、万里花が許してくれない。

 

 

「ひ、人です! 漫画とは全然違います!」

 

「……ふふっ。なら関係ありませんね」

 

「でも、万里花の知られたくないことも知ってるかもしれないし……」

 

「なるほど。では、私の体重、3サイズなど覚えてますか?」

 

「はぁ!? …………。……なにもわからないけど」

 

「役に立たない知識でしたね」

 

 

 万里花は蓮の頬をぐにぐに押しながら勝利宣言する。

 蓮が知っているのは万里花のおっぱいが大きいということくらいだろう(実感済み)。

 あっさり流されてしまった蓮だが、ある意味万里花の指摘は的を得ている。

 そもそも漫画で万里花が惚れる相手は一条楽であり、その世界に倉井蓮は存在しない。

 この世界に生きる万里花からしたら、漫画の方がパラレルワールドだ。

 

 

「回復は、どう思う」

 

「感謝してます。それがなければ、私がこうして蓮くんと出会えてなかったかもしれませんから」

 

「……そっか」

 

 

 蓮は、回復をしなかったら万里花は一条楽に惚れることになる。という話はしないことにした。

 話をしても、今の私が好きなのは貴方です。昔のことは関係ありませんと言われるだけの気がしたからだ。

 

 

「自惚れじゃなくて、本当にそう言われそうなのがな……」

 

「……? 他になにかあります?」

 

「……えっと、その……」

 

「はい」

 

 

 少し呼吸を整える蓮。

 万里花はその様子を見守りながら、どんな爆弾が飛んできても大丈夫なように用心する。

 

 

「俺は万里花のことが好き。……なんだと思う」

 

 

 好き。と言った後の言葉は小さく、ごにょごにょとした言い方になった。

 

 

「自信がないんだ……。この気持ちが好きでいいのか。()の親はお前のため、好きだから仕方なくって言いながら殴って来たし、今の親だって言葉は言わないけど殴ってくる」

 

「……」

 

「でも、俺はそんなことしたくないし、されたくない。優しくしてる方がいいと思うんだ……」

 

「蓮くんはどっちを普通にしたいですか?」

 

「……優しい方がいい」

 

「はい。私も、そっちの方がいいと思います」

 

  

 そう言って万里花は改めて抱きしめる。優しく、壊れないように。

 蓮もゆっくり、おずおずと万里花の背に手をまわした。

 

 

「……私のこと好きですか?」

 

「……好きだ」

 

「私も大好きです」

 

「……ん」

 

「両思いですね」

 

「……うん」

 

「……恋人同士です」

 

「……そう、なるな……?」

 

「やり直し……要求してもいいですか……?」

 

「っ」

 

 

 やり直し――そう言われて蓮が思い浮かぶことは1つだけだった。

 つい3日前の縁日の出来事なのに、蓮は随分と昔のことのように感じていた。

 頭を少し動かすと、察した万里花が抱擁を()く。

 体勢をずらし、万里花と視線を交わす。今まで見たことないくらい顔が火照っていた。恐らく自分もそうなっているだろう、と蓮は自覚した。

 そうして、万里花は目を瞑った。

 蓮も同じように瞑って、そのままでは位置を調整できないことに気が付いて、目を開けた。

 もう以前と同じような失敗はできない。

 ゆっくりと近付く。馬鹿みたいに心臓がうるさい。腹筋に力を入れてみたり、息を止めたりしても鼓動が収まらない。

 唇と唇が触れるだけなのに、どうしてこんなに緊張するのだろう。

 柔らかい感触を受け、蓮も目を瞑った。

 ただ触れるだけの行為。そこにはなんの策略もなく、ただ愛だけがあった。

 

 

「えへっ。へへ……少し、照れるばいっ」

 

「……。……っ、だな」

 

 

 呼吸を忘れていた蓮は、息を詰まらせながらも返事をする。

 

 

「はあ……。今日は、寝れるでしょうか……」

 

 

 手を両手で祈るように挟んで繋ぎながら、万里花がぽつりと言った。

 

 

「ん……。万里花が隣に居てくれたら寝れると思う」

 

 

 


























































目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話

 

 蓮はよくわからない空間で寝ていた。

 普段の蓮ならば異常を感じた瞬間に回復(チート)を使い、現状把握に努めていただろう。

 しかし今の蓮はそんな考えにすら思い至らない。

 心地の良い感触に身を任せ、意味のなさない言葉を漏らしている。

 

 ふと、蓮は後頭部に何かが触れていることに気が付いた。

 なんだろう? と疑問には思うものの、それを確認することすら億劫(おっくう)だ。

 こんなに()()()()気分が良いのは何時(いつ)振りだろう。

 ……寝る?

 

 

「………………」

 

 

 ゆっくりと、ゆっくりと蓮は目を開けた。

 ……何も見えない。ただ、()()()()()()に顔を押し付けているということはわかった。

 段々と。昨晩に何をしたか、何をして貰ったのかを思い出す。

 ……おかしい。と蓮は今の状況に違和感を覚える。

 なぜなら昨晩寝る態勢になった時は、手を繋ぎあった状態であったはずだからだ。

 つまり、今の状況は意図的に行われた可能性がある……!

 ならばどちらが。

 蓮は考える。果たして、万里花が自分を起こす可能性がある中わざわざそんなことをするだろうか。

 ……と、いうことは。蓮自身から向かって行った可能性の方が高いような気がしてきた。でも、それなら意識が無かったのだから偶発的ということになるだろう。

 しかしわざとではないなら、無意識に向かってしまったということで、自分はそこまで万里花を求めてしまっているのか。と蓮は愕然(がくぜん)とする。

 

 

「…………」

 

「おはようございます。よく、眠れました?」

 

 

 頭上からの声。

 間違いなく万里花だ。

 蓮が起きたことに気が付いたようだ。

 

 

「……? まだ眠たいですか? いいですよ。まだ夏休みですから、ゆっくりしましょう」

 

 

 動かない蓮の様子を見て、そう解釈する万里花であるがそれは違う。

 蓮はただ恥ずかしくて動けないだけである。

 

 

「……お、はよう」

 

 

 弱弱しい声であった。

 声は震えているし、最後の方はほとんど消え入りそうな程の声量になっていた。

 恋人同士になったとはいえ、初日からこんな醜態を晒してしまった蓮はぷるぷる震えていた。

 

 

「はい。改めておはようございます♪ ……大丈夫です。いくらでも甘えてください。嫌いになったり、しませんから」

 

「ひぅ……」

 

 

 内心を見透かされたあげく、追撃までされた気分の蓮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先に洗顔して来ますね。蓮くんはゆっくり起きて来てくださいね。いいですか? ゆっくりですよ?」

 

 

 寝起きの顔を見られたくない万里花は、そう蓮に言い聞かせて自室を出て行った。

 どうやって顔を見られないように蓮から離れたかというと、羞恥心に襲われていた蓮がベッドに突っ伏している隙に抜け出しただけであった。

 

 しばらくベッドに顔を押し付けていた蓮だが、そのベッドが万里花のものというのを急に思い出して飛び上がった。

 

 

「か、完全にへんたいだ……!」

 

 

 一緒に寝ていることに比べれば、大した問題でも無さそうだが、蓮にとっては添い寝よりも問題に思うことのようだ。

 万里花にゆっくりと言われたので、蓮は部屋にもう少し留まることにした。

 となると、自然と目は万里花の部屋を眺めることになる。

 ……ベッドと机があるくらいで、これといって気になるものはなかった。

 

 

「……いや、気にすることじゃないか」

 

 

 私物の少なさが気になった蓮だが、家自体が広いのだから他の場所にあるんだろうと当たりを付けた。

 それよりも顔を洗っている万里花に倣い、自分も洗面台を借りようと、体を起こす。

 その際につい、いつもの癖で蓮は回復(チート)を使った。

 そして…………、

 

 

「…………??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぷっ」

 

 

 顔を洗い終わった万里花は、突如部屋から出て来た蓮に抱きしめられた。

 正面から、それも蓮からされるなんて思ってもいなかった万里花は混乱した。

 

 

「れ、れれれ蓮くん!? きゅ、急にそがん事されたら困るばい!」

 

「…………まりか」

 

「蓮くん……?」

 

 

 ただならぬ雰囲気になにがあったのかを聞かなければと、万里花の意識が切り替わる。

 

 

 

「なにがあったのですか。蓮くん。話してください」

 

 

 万里花は頼りにされて一瞬嬉しく思うも、深刻そうな蓮の様子を見てそんな場合ではないと首を横に振る。

 何を言われてもいいよう心構えをする。

 

 

「……ざわざわする」

 

「ざわざわ?」

 

 

 自分の部屋になにか不快になるような物があっただろうか、と考える万里花だが思い当たる節は無かった。

 

 

「ゆっくりでいいので、なにがあったか教えてください」

 

 

 蓮の話を聞くと、万里花が部屋を出た後に(くう)を眺めていたこと。

 顔を洗おうと部屋を出ようとしたこと。

 その際に回復を使ったこと。

 そうしたら心がざわざわし始めたということだった。

 

 

「…………ごめん。ちょっと落ち着いた」

 

「大丈夫ですよ。その、蓮くんのざわざわは回復……のせいじゃないですか?」

 

「……でも、今までこんなことなかったんだ」

 

「うーん……」

 

 

 回復技(チート)など持っていない万里花には難しい問題だった。

 考えながら万里花は蓮をぐいぐい引っ張り、蓮の顔を自身の胸に引き寄せる。

 

 

「ど、どうしていつも胸を押し付けるの……?」

 

「心臓の鼓動は安心感を与えるんですよ」

 

 

 それとは別に、万里花が抱きしめられるのに慣れていないから。というのも理由の1つだ。

 

 

「考えれば考えるほど原因は回復にあるように思えますわね……。蓮くんは普段から使っていたんですよね?」

 

「……うん」

 

「それの力加減はどうしていますの?」

 

「……力加減?」

 

「常に全力で。とか、軽い感じで、とかってことです。それとも特に意識はしてませんか?」

 

 

 そう言われて蓮は考えてみた。

 普段意識しない時の回復はいつもどうしていたか。

 

 

「えっと、健康になるようなイメージで使ってた。かな……」

 

「健康なイメージ……」

 

 

 蓮の頭をポンポンと撫でながら万里花は考える。蓮は心のざわざわ感が治まってきていた。

 

 

「……昨夜の嫌なイメージが残っていた。というのはどうでしょうか」

 

「昨日のが? ……でも、健康ではなかったと自分でも思うぞ」

 

 

 蓮は昨日の状態を健康だとイメージして回復を使ったのではないか。という解釈でとらえた。

 

 

「ええ。それはそうなんですけど、蓮くんのイメージが大事なら、気分が沈んでる状態で回復を使ったら影響があると思いませんか?」

 

「……あるかもしれない」

 

 

 万里花のおかげで昨晩の辛さのほとんどは治まったが、それでも全快というほどではない。

 だから、万里花の言う通り昨日あった出来事が回復のイメージに悪影響を与えていたとしてもおかしくはない。

 

 

「蓮くん。蓮くんのその回復。普段から使うのやめませんか?」

 

「……え?」

 

 

 万里花は蓮と視線を合わせながら諭すように語り掛ける。

 

 

「蓮くんのその力は便利です。私も助けて貰いました。でも、そんな頻繁に使うのは却って不健康になると思います」

 

「いや……でも、治るんだぞ……?」

 

「怪我も疲労もすぐに無くせるのは凄いと思います。でもね、蓮くん。普通の人はその力が無くても生きてます。大怪我をしたとか、難病に罹ったとかならない限り使うのを控えませんか?」

 

「……すぐに治すのは悪いことかな」

 

 

 ばつが悪くなり、(うつむ)きがちになる蓮。

 

 

「悪くはありませんよ。でも、今まで回復(それ)のせいで逆に体調が悪くなったりしませんでしたか? 食欲がわかないとか、夜眠れないとか」

 

「……心当たりは、ある」

 

 

 心当たりどころかその通りであった。

 食欲は餓死を回避するために回復できるし、睡眠だって回復を使えば一晩寝たのと同じだけの効果を得れる。

 だから万里花と再会するまで食事は適当だったし、夜に眠れないのはよくあることだった。

 

 

「健康のために使ってる回復が却って不健康になってたのか……」

 

「薬と一緒です。大量に飲んでも逆効果、適量が一番ということです」

 

「…………わかった。気をつける」

 

 

 今まで使っていた力を()める。というのは少し怖く感じる蓮であったが、万里花の言う通り使いすぎもよくない。と納得がいったので使用を控えることにした。

 

 

「はい♪ 安心してください! これからはその力が無くても健康でいられる生活にしてみせますから!」

 

「…………ん?」

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

「え、引越し……?」

 

 

 朝の支度(洗顔、着替えなど)を済ませた俺と万里花は、テーブルを挟んで向かいあっていた。

 回復を使ってしまったため食欲が無くなった俺は、飲み物だけでもと勧められたホットミルクをちびちび飲みながら万里花の話を聞いていた。

 

 

「お引越しです! こうして私と蓮くんは恋人同士に……恋人に、えへへ。……こほん」

 

 

 万里花はデレデレとした表情からキリッとした表情に切り替える。

 ……まだ頬が緩んでいるように見える。

 

 

「なったわけです! なので、お隣さん……もとい、一緒に暮らしても問題はなくなったということです」

 

「いや……。いや、そういう話はあったけど……」

 

 

 その話はもう少し経ってからというか、恋人になった次の日にお世話になるっていうのは気が引ける。

 が、そんな俺の内心を見通してか、万里花がどんどん魅力的な誘い文句を告げる。

 

 

「これから毎日一緒にご飯食べれますよ」

 

 

 それはとても魅力的な誘いだ。

 回復を常用しないようにするためにも、食事は大事な要素になるだろう。

 

 

「毎日一緒に寝れますよ」

 

 

 それは……ちょっと困る、かもしれない。心拍数的な意味で。

 

 

「私とずっと一緒は嫌、ですか?」

 

「嫌じゃない」

 

 

 そんなことを聞かれて嫌と断れるわけがない。

 お風呂まで一緒とかになったら困るけれども。……でも、それを拒める自信もないのが不安である。

 俺の答えを聞いて万里花がにこりと微笑む。

 

 

「思い立ったが吉日といいます。今日のうちにお引越しを済ませてしまいましょう!」

 

 

 万里花が立ち上がりながら宣言する。

 まだ午前中とはいえ、中々過密なスケジュールになりそうだ。

 

 

「あっ、でも引越しってなったら……」

 

 

 引越しをする場合、あの父親に連絡しろと言われたばかりだ。

 親に連絡しなければいけない、という事は理解しているが、昨日の今日で連絡するというのは少し勇気がいる……。

 

 

「大丈夫です。父が連絡済みです」

 

「嘘でしょ!!?」

 

 

 というか、まだ何も言ってないのに!

 それに万里花は何時の間に連絡をしたんだ!? 俺が引越しを了承するのを見越していたとしても、恋人になったのが昨晩で、しかもそれは寝る直前の出来事だった。

 起きた時も万里花と一緒にいたし、洗顔の時に離れていた時間を考えてもそんな暇は無かったと思う。厳さんが家に帰って来ているのなら今の話し合いに参加しているはずだ。

 

 

「どうゆうこと……?」

 

 

 おかしいイントネーションになりながらも尋ねる。

 

 

「……実は、昨夜は寝付きが悪く、蓮くんが寝てる横で連絡していたのです」

 

「……おおー」

 

 

 そこまでして貰ったことに罪悪感を抱きつつも、連絡しないで済んで少しほっとしてしまった。

 ……これは、もう特に問題がないということでいいのではなかろうか。

 ……なんだろう、気掛かりなこともなくなって、万里花と一緒に過ごせると思うとわくわくしてきた。

 

 

「よろしくお願いします!」

 

「お願いされました! ふふっ。忙しくなりますね」

 

 

 

 

 

----------------

 

 

「ま、万里花……、万里花ぁ……。回復、回復使っちゃ駄目ですか……?」

 

「駄目です。その状態がみんなの普通なんですからね」

 

 

 とても忙しい一日だった。

 まず蓮の家で荷物整理。引越しを決めたのが今日だったので、荷造りから始めなければいけないのであった。

 蓮一人の荷物とはいえ、それを一日で片付けるというのはそれなりの作業量になった。

 荷造りは蓮が行い、荷物を運び出すのは橘家が手配した業者と分担したが、その時点で回復を制限した蓮は疲労が溜まっていた。

 そこから住所変更などの手続きを行って、必要な家具の下見(ベッドなど)に行き、今は帰路についているという状況だった。

 

 

「まさか、まさかこんなに体力がないなんて思いもしなかった……」

 

「これから鍛えれば良いではありませんか。それに、今日はぐっすり寝れますよ」

 

 

 マンションに着くまであと数分、という距離であるが蓮はふらふらしている。

 万里花が蓮の腕を抱えるようにして支えていなければ、途中で座り込んでいたかもしれない。

 

 

「さ、頑張ってください。もうすぐ()()()ですよ!」

 

「……我が家か……」

 

 

 それを聞いて蓮に力が戻った。

 帰ろうと思って、元気が沸くのは初めてのことだった。

 

 

「……着いた」

 

「……。蓮くんは後で来てくれませんか?」

 

「え?」

 

 

 そこまで距離が離れていなかったこともあって、すぐにマンションまでたどり着いた蓮と万里花。

 ロビーでエレベーターが来るのを待っている間に、万里花がそんなことを言い出した。

 

 

「一緒じゃ駄目なのか?」

 

「駄目ってことはないのですが……」

 

「……わかった。万里花のあとに行くよ」

 

「ありがとうございます♪ お先に失礼します♪」

 

「……ああ」

 

 

 なんの意味があるのか検討も着かない蓮だったが、万里花のお願いなので特に疑うこともなく従った。

 やがてエレベーターが戻って来たので、蓮も乗り込んだ。

 

 

「……それにしても、疲労回復をしない体はこんなに疲れるんだな……」

 

 

 蓮は普段より倍ほど体が重く感じられたが、それでも回復を使う気にはならなかった。

 万里花と約束した。というのも理由の1つだが、なにより安心して過ごせている日常に使う必要性を感じなかったのだ。

 

 

「でも、体力は付けないとな……」

 

 

 しばらくは鍛えないと、と決意している間にエレベーターが最上階に到達した。

 ぽーん、と音が鳴って扉が開く。

 そこには先に戻っていた万里花がいた。

 特に何か用意している様子もなく、何をする気なんだろうと蓮は万里花を見つめる。

 

 

()()()()()()()

 

「……っ」

 

 

 優しい声音で言われたその言葉を、蓮は一瞬理解できなかった。

 そうして、理解した瞬間笑いそうになってしまった。いや、

 

 

「ふふっ。ははは! なんだよ、それを言うために先に戻ったのか……。ほんとっ、万里花は!」

 

 

 正面から万里花を抱きしめる。

 でも万里花はまだ何も言葉を返さない。蓮の()()()()を待っているからだ。

 一方、その言葉を返さなければならない蓮は万里花のぬくもりを感じて癒されていた。

 そうして、ゆっくりと蓮の中に帰って来たという自覚が生まれる。

 

 

()()()()

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話

 

 

「蓮くん。蓮くん朝ですよ」

 

 

 眠っているすぐ近くで万里花の声がした。

 次にカーテンが開けられたようで、眩しさに襲われ手で目元を隠す。

 

 

「あ、あと50分ねる……」

 

 

 回復を常用しなくなってから、俺は朝の布団の気持ちよさに気付いてしまい、その結果非常に寝起きが悪くなっていた。

 そんな俺を見兼(みか)ねた万里花が、こうして起こしに来てくれるようになったわけだが、夏休みというのもあって寝起きの悪さに改善の兆しはない。

 

 

「駄目ですよ。今日はみんなで海水浴に行く日なんですから」

 

 

 何時もならあと5分は時間を稼げたのだが、今日は事情が違った。

 そう、今日はみんな(楽たち)と海水浴に行く約束をしているのだった。

 

 

「お……きるぅ……」

 

「はい。お顔洗ってしゃっきとして来てください。朝食の用意をして待ってます」

 

「ふぁい……」

 

 

 実はこうして万里花が起こしに来てくれるようになった経緯は、寝起きが悪い以外にも理由がある。

 引越してきた当初。回復の常用を止めることを決意したが、起床時に使っていた癖が抜けずに何度も誤使用することがあった。

 やめると決意しても普段の癖は中々取れず、特に寝起きだと頭が働かず回復をする癖を止めれないことが続いていた。

 しかし、それは万里花が起こしてくれただけで解決した。

 ……恥ずかしい話ではあるが、俺の優先事項が回復よりも万里花の方が勝っているため、止める余裕が出るのだろう。

 起こして貰うことが自然となるにつれ、寝起きに回復しなければ。という思考が少なくなって来ているので、もう少ししたら起こされずとも回復を使う癖は無くなるだろう。

 洗面台で顔を洗い、着替えを済ませてから万里花の元へ向かう。

 

 

「ジャムいります?」

 

「……いらないかな」

 

 

 丁度(ちょうど)食パンが焼けたようで、皿に乗せられたパンを手渡される。

 マンションに引っ越して来てから、食事はほぼ毎日万里花と食べていた。

 俺の料理スキルが低いのも原因だが、万里花(いわ)く放っておいたら(ろく)な物食べなさそう。という割と辛口な評価をされ、こうして食事の世話をされることになったのだ。

 いずれは料理の腕を上げ、万里花からの食事評価を見直して貰おうと計画してみたりしたが、朝昼晩とお世話になっている現状、料理の腕を上げるのはしばらく掛りそうだ……。

 

 

「海に行く準備は済ませてますか?」

 

 

 万里花からの問いかけ。

 パンの咀嚼(そしゃく)中だったので、飲み込んでから答える。

 

 

「昨日のうちに済ませてる。……てか、万里花も手伝ってくれたじゃん」

 

「いえいえ。私が手伝ったのは持って行く物を確認しただけです。実際に用意したかどうかまでは知りませんよ」

 

「それは……そうかもしれないけど」

 

 

 万里花は心配性だな。

 ……いや、わざと大げさに心配してくれてるだけだろうか。

 

 

「ちなみに、私はまだ持っていく着替えが決まってません」

 

「えぇ……。人の心配してる場合じゃないじゃん……」

 

 

 なぜかドヤっとキメ顔をしている万里花。

 時間的にはまだ余裕はあるが、準備が終わってないなら少し急いだ方がいいだろう。

 

 

「な、の、で。蓮くんが私の服装決めてくださいな♪」

 

「……センスが問われるな」

 

 

 夏服の万里花か……。

 どんな格好でも似合う。というのが恋人としての答えなのだが、選んで欲しいと言われている今は駄目な回答だろう。

 ここはちゃんと選ばないと……! できれば露出控えて欲しいけど、暑いからなぁ……。

 

 なお、服装を選んだあとに海水浴で水着になるので、露出を気にしても仕方がなかったことに気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……移動が車、てのは慣れないな」

 

「慣れるほど一緒に乗ってないじゃないですか」

 

「……確かに」

 

 

 待ち合わせ場所(海水浴場の近くの宿)までの移動は車で行くことになった。

 バスや電車を使うのとは違い、時刻を気にする必要がないのでとても気分が楽だ。

 

 

「本田さん。いつもありがとうございます」

 

「……仕事ですから」

 

 

 運転手は本田さん。俺と万里花は広い車内の後部座席に座っていた。

 特にやることはないが、隣に万里花がいるので暇になることはない。

 

 

「プールで少し泳げるようになったからな。海でも泳げるか楽しみだ」

 

「プールよりも海の方が浮きやすいんですよ。ですからプールの時よりも上手に泳げるかもしれませんね」

 

「それは楽しみだ」

 

 

 海を見たことはあるが、海水浴は今日が初めてなので気分が高揚する。

 浮きやすい。と万里花は言うがどれ程のものなんだろう。

 

 

「萩庭さんは残念でしたね」

 

「……ああ。じいちゃん()に居るらしいから仕方ないよ」

 

 

 健二のことを苗字で呼んでいたことがほぼなかったので、一瞬万里花が誰のことを言っているのかわからなかった。

 ……思い出せてよかった。

 

 

「そういえば、今日のこと蓮くんはなにか知ってるんですか?」

 

「……ん? なんのこと?」

 

「ほら、蓮くん言ってたじゃないですか。この世界は漫画だ! て」

 

「まぁ、確かに言ったけど。……改めてかっこ付けて言われると恥ずかしいものがあるな……」

 

「ごめんなさいっ」

 

 

 ウィンクしながら両手を合わせて言う万里花。

 ……あざとい。可愛い。好き。

 

 

「それでですね。こうしてみんなで出掛けるってなんだかイベントみたいだなー。って思ったんですよ」

 

「……うん。万里花の言う通り、今回の出来事は本でもあったよ」

 

「やっぱり。なにか覚えてることありますか?」

 

「え? うーん、そうだな……」

 

 

 海水浴に行く話があったのは覚えているが、どんなことがあっただろうか?

 具体的に覚えていることがほぼないので、そこまで重要な話ではなかったと考える。

 

 

「……なにか、て言われても海水浴の話があったなぁ。くらいなんだけど。なんか知りたいことあるのか?」

 

「お話になるってことはなにか起きると思ったんです。海といえば溺れたり流されたりと危険なイベントも多いじゃないですか。ですから、事前にあることを知ってたら防げるんじゃないかと」

 

「……確かに」

 

 

 なんて良い原作知識の使い方だろう。その場の空気に流されることが多い俺はそんなこと思いつきもしなかった!

 ……ま、まぁ原作でそんな命の危険があった話がないからだろう。多分……。

 

 

「具体的には覚えてないけど、万里花が危惧するような出来事はないはずだ」

 

「それはよかったです。なら、蓮くんが溺れないように気をつけないと、ですね」

 

「……気をつける」

 

 

 それにしても、よく万里花は漫画の世界(このこと)を信じてくれたよな。

 もし俺が前世で他人にこの世界は漫画の世界なんだ。と言われても与太話としか思えなかっただろう。

 ……ほんと、ありがたい話だ。

 

 

「……? どうしました? そんなに見つめて」

 

「えっ!? あ、いや……」

 

 

 そんなに見ていたつもりはなかったのだが……。

 ……素直に見つめていただけって言うのは、ちょっと照れくさいな……。

 

 

「あっ! そう、ひとつ今回のことで思い出したことがあって」

 

「なるほど。ふふっ、なんですか。教えてくださいな」

 

 

 ……誤魔化したのがバレてそうだが、気にせず続きを言う。

 

 

「キムチ」

 

「…………キムチ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮と万里花が集合場所に到着すると、そこでは既に楽たちが待っていた。

 

 

「遅れた?」

 

 

 と蓮が訊ねると、

 

 

「いや、大丈夫だ」

 

 

 俺たちも着いたばかりだ、と楽がフォローした。

 全員が集合したことにより、早速海に行こうという話になった。

 それぞれ宿の部屋に荷物を置き、準備をしてから宿の玄関先に集合ということになり、男女に別れ行動を開始した。

 男3人女5人ということで、大部屋を女性陣に譲る形となったが、男部屋が狭いというわけではなかった。

 むしろ人数が少ない分、こちらの方が広く感じられるくらいだった。

 

 

「……健二のやつ来れなくて残念だったな」

 

 

 と、先ほどまで万里花と話していたことと同じような会話をしつつ海水浴の準備を進める蓮たち。

 男子の準備は女子に比べると早く終わるもので、一足先に玄関口で待つこととなった。

 その間、蓮たちは夏休みの出来事を共有していた。

 蓮が話せることはほとんど万里花とのことなのだが、わざわざ言うことではないかと蓮は万里花と付き合い始めたことは二人に伝えなかった。

 そうこうしているうちに万里花たちも合流し、海に向かい始めた。

 

 

「それにしても、よくこんな海に近い民宿なんて取れたな」

 

「知り合いがキャンセルするって、安く譲って貰ったんだよ」

 

「……顔が広いなぁ」

 

 

 そんな知り合いなど皆無な蓮は尊敬の眼差しで集を見る。

 男に褒められてもね~と、おちゃらける集であったが顔は得意げだ。

 

 

「やっぱ夏に一度は海に行っとかないとね!」

 

「あんたは水着みたいだけでしょ?」

 

 

 するどいツッコミが入るも、これを集はスルー。

 

 

「私、日本の海は初めて……!」

 

「ふふっ。はしゃぎすぎて怪我しないようにしてくだ……。速いですね」

 

「わー!! 海だー!!!」

 

 

 万里花の注意を聞く間もなく、千棘は海に向かって走り出した。

 見送る万里花の視線は若干冷ややかだ。

 しかしテンションが上がっているのは千棘だけではなかったようで、その後を宮本るりもダッシュで続いた。

 しかし上着を着たままであったこともあって、すぐに二人は戻って来た。

 

 

「……?」

 

 

 パラソルを張り、遊ぶ準備をしていると周囲から視線を感じた。

 どうやら女性陣の魅力で注目を浴びているようだ。特に(つぐみ)はその大きさもあって、男女問わずに注目されていた。

 

 

「露骨すぎないか」

 

「それだけ誠士郎ちゃんが魅力的ってことだよ」

 

 

 集が鼻の下を伸ばしながら答える。

 魅力的なのはいいが、ここまでジロジロと露骨に視線を向けられるのはどうなんだろう、と蓮が鶫の方を見る。

 

 

「……これは、私より大きいですわね」

 

「ひゃあ!? 貴様なにを……やめっ……!」

 

 

 ……蓮はそっと目を逸らした。

 

 

「……いいな」

 

「あいつら男子と一緒だってこと忘れてるだろ……」

 

「そういう問題かなぁ……?」

 

 

 蓮はどちらかというと男子の目があることより、公衆の面前であることの方が気になった。

 どうせやるなら民宿の部屋とか更衣室でやってくれればいいのに。

 

 

「B……B……A」

 

 

 と、そんな風に蓮が考えていると隣からアルファベットを唱える集の声が聞こえてきた。

 どうやら双眼鏡で海辺を歩く女性の胸の大きさを見ているようだが……。

 

 

「……目視でカップ数がわかるのか……ん?」

 

「おっ……! あれはEクラス……! 素晴らしい……」

 

 

 夢中になってる集の背後で、るりが何時の間にかバットを持って素振りをしていた。

 そして集はバットで打ち抜かれ、砂浜に倒れこんだ。

 ……あのバットはどこから取り出したのだろう?

 

 

「蓮くん♪」

 

「わぁっ!?」

 

 

 蓮が倒れた集を回復させてやった方が良いだろうか、と迷っている隙に背後から万里花に強襲された。

 後ろから抱きつかれる形でぶつかられたので、背中に万里花の大きい胸が直接あたる。

 

 

「ま、万里花! そんな密着されたら柔らかいのが柔らかいんだけど!?」

 

「ふふっ。そんな慌てなくても。いつも触ってるじゃないですか」

 

「なんでそんな誤解を招く言い方を!? 触れてるかもしれないけど、布越しだし俺から触れたことはないはずだっ!」

 

「まぁまぁ。ちょっとこっち来て下さる?」

 

 

 と言いつつ、もう万里花は蓮を引っ張って歩き始めていた。

 断る気はなかった蓮だが、若干その表情は引きつっている。

 

 

「……あいつら、あんな距離近かったっけか?」

 

「ぬふふ。これは今日の夜にでも詳しく聞く必要がありますなぁ」

 

 

 二人を見送る男二人がそんな会話をしていた。

 二人に付いて行くわけにもいかず、どうしようかと楽は頭を悩ませ、他の海水浴客に絡まれてる千棘を発見した。

 

 

「それで、どうしたんだ?」

 

「はい。サンオイル塗って頂きたいのです」

 

「……サンオイル」

 

 

 聞き覚えのない単語に思考が一時止まったが、日焼け止めの一種だろうと蓮は当たりをつけた。

 

 

「私、日焼けするとお肌が荒れてしまうんです。……ですから塗って頂けますか?」

 

「……いいけど、それなら着替える時に塗っておいた方がよかったんじゃないか?」

 

「もうっ。蓮くんに塗って貰いたかったんですよ!」

 

「あー! なら仕方ないね!」

 

 

 やけくそ気味に叫び合う二人。幸いにも他の海水浴客には聞かれていなかった。

 寝転ぶ万里花に近づきながら、蓮はサンオイルを手に出してみた。

 外の気温が高いせいか、想像よりもオイルは(ぬる)かった。

 手の平を使い、背中の真ん中あたりから塗り始める。

 

 

「んっ。……もう少し量を多くしてください」

 

「わかった。……こんなに使っていいのかな」

 

「……気にするところはそっちなんですね……」

 

「え?」

 

 

 特にトラブルが起こることもなく塗り終えた蓮。

 そろそろ海に泳ぎに行きたいな、と腕を軽く回していると、背後から万里花に襲われた!

 

 

「ぎゃーっ!!?」

 

 

 背後から突撃され、蓮は前に押し倒された。そして、背中に万里花が馬乗りしているので、立ち上がることもできない。

 

 

「何をする!?」

 

「蓮くんも、塗った方がいいですよ? 日焼けしたら痛いですからね」

 

「そ、そうか? ならお願いしようか――はははは!? ちょ、なんで(わき)!?」

 

「脇も日焼けしますからねー」

 

 

 と言いつつ、万里花は指先で蓮の脇を(つつ)く。さらにいうなら、まだオイルを手に出してもない。

 

 

「でも普通背中が先では!? あっはっはっは! やめ、やめ……!」

 

 

 理不尽な八つ当たりをされる蓮であったが、それを止めようとする者は誰もいない。

 

 

「……あいつらあんな仲良かったかしら?」

 

「仲は良かったけど、あそこまでじゃなかったと思うな……」

 

「これは夜じっくり聞く必要があるわね……!」

 

 

 と二人の後ろでは、女性陣がそんな会話をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い目にあった」

 

「……俺も」

 

 

 万里花に攻撃され終わった俺は、ようやく海に入ることができた。あまり強い風も吹いていないので、波の大きさも穏やかだった。

 隣にはなぜか桐崎さんに2回ほど吹き飛ばされた楽がいる。

 

 

「俺、海に入るのは初めてなんだけど、楽はどうなんだ?」

 

「あー、俺は何回か来たことあるな。……友達と来たことはほぼ無いけどな」

 

「ふーん?」

 

 

 楽は苦々しい表情をしている。何を思い出しているのかはわからないが、良い思い出ではなさそうなので実家関係だろうか。

 

 

「なら楽しまないとな! 海は浮きやすいから楽しみにしてた――ぶわっ!?」

 

 

 会話をしている途中、横から海水が飛んできた。

 高波が来たようにも思えないので、恐らく人力。

 

 

「ふっふっふ。隙ありですよ、蓮くん」

 

 

 そこにいたのは予想通りの人物。集や小野寺さんもいるが、桐崎さんと宮本さんの姿はない。

 宮本さんは海で泳いでいるのを見たが、桐崎さんはどうしているかわからない。

 

 

「万~里~は!? しょっぱ!? いや辛!? なんだ、これが海水!?」

 

「あー、海水の味も初めてか」

 

 

 万里花に掛けられた水が口に入っていたようで、海水の味が口内に広がる。

 とても酷い味だった。想像の10倍くらいのしょっぱさだ。

 

 

「なんだこれ!? おえ……」

 

「見事に飲んだな」

 

「律儀に飲み込まないでぺってしちまえよ」

 

 

 楽、集2人の助言に従い、汚いと思いつつも唾を海に吐き出す。

 周りから非難の視線を感じないが、個人的には吐き出したりしたくない。

 

 

「……万里花。いきなり酷いじゃないか」

 

「ふっふっふ。蓮くん。海は戦場です。隙を見せた方が悪いのですよ?」

 

「ほーん?」

 

 

 ということはやり返しても文句は言わないということだな。

 ゆっくりと手を海水に入れ、万里花に向けて手を()()()()()横へ飛ぶ!

 すると次の瞬間、元居た場所に海水が飛ばされていた。

 

 

「かわしましたか!」

 

「今度はこっちのばっ!?」

 

 

 背後から掛けられた海水。万里花は正面に居るので、他の誰かだ。

 

 

「ぬふふ。相手は万里花ちゃんだけじゃないんだぜ~?」

 

「くそう、背水の陣だ……」

 

 

 犯人は集。あとの二人は手を出して来てはいないが、楽も小野寺さんも水掛け遊びの準備は万端のようだった。

 

 

「背水の陣は少し意味合いが違いませんか?」

 

「こんな劇物かけ合って正気でいられるか! 俺は負けないぞ!」

 

 

 男女5人の水掛け合戦はしばらく続いた。  

 海初心者の俺は、なぜか狙われる確率が高かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うんめぇー! さすが楽!」

 

 

 水掛け遊びは、もはや遊びではなく戦いになり、俺たちは長い間熱中していた。

 途中、楽と小野寺さんが2人だけで遊んでいた様子も見えたので、もしかしたら原作の時よりも仲が進んでいるかもしれない。

 そんなこんなで時間は過ぎ、バーベキューの時間になった。

 食事当番はくじ引きで決め、恐らく原作通り楽と桐崎さんになっていた。

 料理はできないので正直なところ助かった。もし俺が当番になってたら肉を炭に変えていたかもしれない。

 

 

「一条さんは料理がお上手なんですね」

 

「まぁ……家の中で料理できるのは俺だけだからな」

 

「なるほど。一条さんも毎日お料理されてるのですね」

 

「ん……? 橘も作ってるのか?」

 

「ええ。毎日作ってます。我が家でも料理できるのは私だけですから、ね」

 

 

 ……こちらを見ながら意味深に微笑む万里花。

 周りはその視線の意図を理解できずにきょとんとしているが、視線を向けられている俺は内心で冷や汗をかいていた。

 付き合い始めたことを言うのは良い。だが隣に引越し、実質一緒に暮らしていることまで知られるのはどう反応が返ってくるかわからず少し怖い。

 幸いにも万里花の視線の意味は周りには伝わらなかったようで、詳しく追求されることはなかった。

 

 バーベキューを食べ終わると丁度日も暮れ、片付けを終えたら宿に戻ることになった。

 楽と小野寺さんの姿はないので、例のキムチイベントが起こっているのだろう。

 俺は片付けの方に手を貸していたので、その様子を見に行くことはなかった。なので、後で楽に話を聞いてみようと思う。

 それにしても、

 

 

「……超疲れたんだけど」

 

「水中は歩くだけでも疲れますから」

 

 

 万里花に向かってぼそぼそと話しかける。

 俺以外のみんなも同じくらい動き回っているはずだが、表面的には疲れた様子が見れない。

 

 

「なんで万里花はそんなに元気なんだ?」

 

「蓮くんが治してくれたからですよ。そうでなければ、こうして隣を歩くこともできなかったかもしれません」

 

「……ん」

 

 

 左腕をぎゅっと抱きしめられ、思わず視線を逸らす。

 日も暮れ、肌寒いはずの海辺であったがぽかぽかしてきた気がする……。

 

 

「疲れてても、お風呂に入るまでは眠っちゃ駄目ですからね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮と万里花がしばらく歩いた後に、楽とどこか気まずげな小咲が合流し、一同は民宿へ戻った。

 夕食は済ませてあったので、宿に戻ってすぐに風呂で体を清めることになった。

 蓮は海水によってバリバリになった髪の毛に戸惑い、その様子を見た楽と集に笑われてしまった。

 風呂の後はまだ寝るには時間が早かったこともあって、女部屋に集まってトランプをしながら時間を潰していた。

 なぜ女部屋かというと、単純に女部屋の方が広いからであった。

 

 

「さて、そろそろお(いとま)しますか」

 

「だな。明日もあるし。……コイツも眠そうだしな」

 

 

 そう楽が指摘したのは蓮のことだった。

 蓮は目を開いている時間よりも、閉じている時間の方が長くなっていた。

 

 

「……ソイツ、そんなに体力なかったっけ?」

 

「今日は(はしゃ)いでましたから。私が手を貸しますわ」

 

「いや、橘はいいよ。俺らが連れてくから」

 

 

 楽が申し出を断ったが、万里花はそのまま蓮に近づいていく。

 何をする気なのだろう、と周囲が見守る中、万里花は蓮をぎゅっと抱きしめた。

 

 

『ッ!!?』

 

「おやすみなさい。蓮くん」

 

 

 周りから驚愕の視線を受けつつも、万里花は動じずに蓮の頭に優しく触れる。

 

 

「……おやすみ」

 

「はい。また明日。では、一条さんよろしくおね……あっ」

 

 

 そこで自分のしている行為に気付いた万里花。

 集以外が唖然とした表情をしてる中(集はにやにやしている)、万里花のとった行動は……、

 

 

「てへっ」

 

『誤魔化されるかっ!!』

 

 

 片目を瞑り、片手で自分の頭をコツンとして誤魔化そうとした万里花であったが、それは許されなかった。

 とはいえ、半分寝ている蓮を待たせるのは可哀想だからと、半ば強引に男性陣を万里花は追い出した。

 

 

「さて、寝ましょうか」

 

「待て待て待てぇ!!」

 

 

 何事もなかったかのように進めようとする万里花は、やはり静止された。

 

 

「なんですか」

 

「なんですか。じゃないわよ! 何よ今の! 完全にこ、恋人の距離だったじゃない!」

 

「え~? 千棘さんの勘違いじゃないですか? 千棘さんも、一条さんと今くらいのスキンシップ取るでしょう?」

 

「しないわよ!! 大体私たちの関係は偽の関係よ!」

 

「万里花ちゃん。本当に千棘ちゃんの勘違いなの?」

 

「いえ。実は私たち付き合い始めたのです」

 

「な・ん・で小咲ちゃんの時は素直に答えるのよ!」

 

「ちょ、痛いです(いひゃいでふ)千棘さん(ひとげひゃん)! 引っ張らないでください(ひゃい)!」

 

 

 自分の質問には答えず、小咲にはあっさりと答えた万里花に腹を立てた千棘は万里花に飛び掛った。

 布団の上でじゃれ合う二人を小咲は苦笑いで見守り、るりは迷惑そうな表情で眺め、鶫はオロオロと困っていた。

 

 一方、男部屋では、

 

 

「おーい蓮くんや。万里花ちゃんとの関係教えてくれないかにゃ~?」

 

「…………」

 

「あー、駄目だ。こりゃ完全に寝てるな」

 

「くぅー……。ここで無理矢理起こすのは忍びないなぁ……」

 

「……まぁ、今度聞けばいいじゃねえか」

 

「まっ、そういうことにしますか。では、代わりにらっくんのコイバナ聞かせて貰おうじゃないの」

 

「ねーよ」

 

「小野寺ん()行ったんだろ?」

 

「なっ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

「ということがありまして、昨夜は大変だったんですよ?」

 

「それは悪かった……。俺は悪いのか?」

 

 

 翌日。

 万里花から話を聞いた蓮はそんな感想を抱いた。

 付き合い始めたことがバレてしまうのは覚悟していたことだが、周りの目がある中で抱きしめるのは自白しているのと同じではないかと思う蓮。

 文句があるわけではないが、バレるように万里花が仕向けたようにしか思えなかった。

 

 

「蓮くんが私の庇護欲刺激したせいなので、蓮くんが悪いです」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 

 攻められた蓮は反射的に、オロオロと謝罪をするのであった。

 しかし、その様子を受けた万里花はまた、

 

 

「もうっ。またそうやって……!」

 

「ちょ、万里花。人前では……!」

 

「周りに人は少ないから大丈夫です!」

 

 

 そう庇護欲を刺激され、有無を言わせず飛びつく万里花。

 ばしゃばしゃと水を飛ばし、昨日と同様にまた海水を食らう蓮であった。

 現在蓮と万里花は海水が腰くらいの高さまでくる沖に来ていた。

 昨日は主に水掛け遊びをしていたため、蓮の目的であった海での水泳は試していなかったからだ。

 

 

「こほん。では、ここまで来てみてください」

 

 

 咳払いをしてからすいー、と蓮から数メートル離れた距離まで泳いだ万里花が手を振って合図をする。

 すいすい泳ぐ様子を羨ましげに見送り、蓮は自分も続こうと気合いを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………俺のレベルでは海は早かったようだ」

 

「ちゃんと泳げてましたよ?」

 

 

 万里花の言う通り、蓮は海でも泳ぐことができていた。

 ただ、息継ぎのタイミングや波のせいで進行方向がブレてしまったりと、数メートルで限界に達してしまうのだった。

 

 

「最初から上手にできる人はいませんよ」

 

「そうだけど……もうちょっと、こう上手くできるような気がしててな……」

 

「また今度挑戦ですね」

 

 

 そう万里花は蓮を慰めながら、手に持った花火を見つめる。

 現在は既に海から上がり、最後の締めとして手持ち花火の準備をしていたのだ。

 

 

「私、こういう花火初めてです」

 

「俺は何回か学校のイベントかなんかでやったことあるな」

 

「…………っ!? ひゃー!?」

 

「おいおい……」

 

 

 花火に火を付けた万里花は両手を振り回しながら砂浜を駆ける。

 そんなに驚くなら両手で持つなと、若干呆れながらも笑みを浮かべる。

 蓮はまだ自分の花火に火を付けていなかったので、それを近くにいたるりに渡し、背後から万里花を抱きとめた。

 

 

「わっ……」

 

「そんなに怖がらなくても大丈夫」

 

 

 手を後ろから掴み、振り回していた手を落ち着かせる蓮。

 こつん、と珍しく万里花が蓮に体を預ける体勢になった。

 

 

「ふふっ。ありがとうございます。蓮く……んん?」

 

 

 両手を握られた万里花は違和感を覚えた。それは普段から蓮と触れ合っていたから気付けたもので、端的に言い表すと、

 

 

「蓮くん。熱くないですか?」

 

 

 

 

 

 

 

「私達が本当の恋人だったら上手くいってたと思う……?」

 

 

 皆で遊んでる中、一人離れて花火をしている千棘が心配……もとい気になって様子を見に来た一条楽は、そんな問いかけを受けていた。

 普段とは違う千棘の様子に、どう答えていいか楽は迷っていた。

 本当の恋人だったら。という問いかけは一見好意を持たれているようにも聞こえるが、事前に嫌い嫌いと念入りに言われているのでそれはないはず。

 であるならば、わざわざ好意的に返しても笑われるだけだと楽は思った。

 なのでこちらも嫌いの意を示そう。と考えたところで、以前男連中だけで集まった時のことを思い出した。

 

 

「……」

 

 

 まぁ、わざわざ悪く言う必要もないか。と考え直し、改めて楽は口を開いた。 

 

 

「……わっかんねーけど、今と大して変わってないんじゃねーの?」

 

「へ?」

 

 

 楽の答えに思わず視線を向ける千棘。

 今と変わらないというのはどういう意味だ、と問いかけるより先に楽が続きを話し始める。

 

 

蓮と万里花(あいつら)見てたら付き合う前と後でもそんなに変わらないように見えるし……、そう考えたら俺らも大して変わんねーんじゃないかって。……まぁ、あいつらが特殊なだけかもしれんが……」

 

「…………」

 

 

 何俺は熱く語ってるんだ!? と熱くなった顔を千棘から隠しながら楽は自問自答する。

 好きでもないし偽の恋人相手ではあるが、千棘相手にこんな真面目腐ったこと言うなんて……! と若干楽は後悔していた。

 

 

「……?」

 

 

 しばらくしても千棘から反応はなかった。

 馬鹿にされるか殴られることを覚悟していた楽は、ゆっくりと千棘の方に視線を向けようとして、

 

 

「ッ痛!!?」

 

 

 背中をいつものように叩かれた。

 怒りの視線を向けると、千棘は逃げるように走り始めていた。

 

 

「なにすんだてめぇ!」

 

「別に、内緒っ♪」

 

 

 振り返りざまに見せ付けられた表情は、好きと思っていない楽でさえ見とれるような笑顔だった。

 その隙に千棘は皆で花火をやってる方に駆けて行ってしまうのだった。

 

 

「ったく。なんだったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、私たちは一足先に失礼します」

 

 

 そう宣言する万里花に対し、皆は驚きの表情で返した。

 

 

「……すまない。俺は大丈夫のつもりなんだが……」

 

「駄目ですよ。蓮くんの体が大丈夫でも、同室の一条さんや舞子さんに移したくないでしょう?」

 

 

 蓮に触れた瞬間、万里花は蓮の体温が普段よりもあからさまに高いことにすぐ気が付いた。

 念のため宿に戻り体温を測らせたところ(蓮は嫌がった)、37度6分とそこそこ高い数値が出たので一足先に帰ることに決めたのだった。

 

 

「……うう、情けない」

 

 

 ヨヨヨ、と項垂れる蓮。

 発熱してしまった蓮だが、喉の痛みや咳などの自覚症状は出てなかったので、まだまだ元気なつもりでいた。

 

 

「……なんつーか、お大事にな。……橘と一緒に帰るってとこにツッコミ入れていいか?」

 

「それは――」

 

 

 口を開いた蓮を、万里花が車に押し込める。

 車――というのはもちろん橘家御用達(ごようたし)のもので、海水浴場に来た時と同じものであった。

 万里花が一緒に暮らしているということを上手く誤魔化してくれるのだろう。と判断した蓮は抵抗せずに車に乗り込んだ。

 

 

「実は最近一緒に暮らし始めたのです。それでは皆様御機嫌よう」

 

『ッ!!!?』

 

「ちょ、万里花……!?」

 

 

 最後に爆弾を投下した万里花はその場で軽くお辞儀をし、素早く車に乗り込んだ。

 運転手の本田さんは特に気にした様子もなく車を発進させた。

 

 

「あーあ……、言っちゃったよ。大丈夫かな……」

 

「書類上は隣で暮らしているだけですし、仲の良い皆さんにくらい言っても大丈夫でしょう。面白い顔も見れましたし」

 

「……今度会った時大変なことになりそうだな」

 

 

 お祭り好きの集など、嬉々として質問攻めしてくるだろう。

 もう手遅れだし仕方ないか……。とシートに体を預け一息つく。

 

 

「本田。安全運転でお願いしますね。さ、蓮くんはこちらにどうぞ」

 

 

 自らの太ももを指で指して、おいでと手招きする万里花。

 

 

「……いや、そこまでして貰うほど、体調悪くないというか……」

 

「風邪の引き始めだからですよ。いいから来てください……!」

 

「うっ。わ、わかったから……」

 

 

 ぐいぐい引っ張られ、蓮はすぐに観念した。

 大人しく横になるとおでこに万里花の手が添えられた。ひんやりと感じられるので、自分が思ってた以上に体温が高いのかもしれないと蓮はぼんやり考えた。

 

 

「回復で治しちゃ駄目だったのか?」

 

「駄目ってわけじゃないですけど。今なら治さなくてもいいかなって」

 

「……どういうことだ?」

 

「今は夏休みじゃないですか。だから風邪を引いてもゆっくり休めますし、それに蓮くんは今日が初めての病気ですよね?」

 

「確かに、そうだけど」

 

「人生で一度も病気しないってのもおかしな話です。熱もそこまで酷くなさそうですし、一度経験してみるのも良いと思いません?」

 

「……うーん、具合が悪いのは良いこととは思えないけどなぁ……」

 

 

 と文句を言いつつも、蓮は回復(チート)を使う気にはならなかった。

 

 

「付きっ切りで看病してあげます。一人にしませんから、安心してください」

 

「いや、それだと万里花に移っちゃうだろ」

 

「私に移ったら治してください」

 

「そっちはいいのか……」

 

 

 ……と会話をして間もなく蓮は眠りについた。

 体調を崩していたのもあるが、どちらかというと疲労が溜まっていたことの方が大きい。

 眠る蓮を慈愛のこもった目で見つめながら、頭に手をやり呟く。

 

 

「早く元気になってくださいね。……そういえばキムチはなんだったんでしょう?」

 

 

 気になりはじめてもやもやした万里花は、とても優しく蓮の頬を突っついた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話



∧∧
|・ω・`) そ~~・・・
|o最新話o
|―u’


| ∧∧
|(´・ω・`)
|o ヾ
|―u’ 最新話< コトッ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   ヽ/\ , ,
 | \ヾ   // |, ,
ヾ        //,,
 \ドカーン!!/



 

 

「蓮くん。この夏休みの間にやらなければいけないものがあります。それがなにか、分かりますか?」

 

 

 夏休みも早いもので残り3日。

 3連休と言い換えると、まだ休みがあるように感じるから不思議だ。

 残りの少ない休日を惜しんでいるが、今回の夏休みは今まで過ごしてきた休みの中で1番充実感を得ており、俺の中ではやらなければいけないことは特に思い浮かばない。 

 が、万里花は違うようで、真剣な表情で問いかける様子から見るに、かなり深刻そうだ。

 

 

「なんだろう……」

 

 

 部屋の中でリラックスしていた格好から姿勢をただし、万里花に向かい合いながら考えを進める。

 ……といっても、先ほど言ったように俺自身は今回の夏休みは満足しているので、特にヒントもない今の状況で答えを当てるのは難しいだろう。

 

 

「……全然わからないな。万里花の言ってるそれは、俺も関係しているのか?」

 

「勿論ですわ。全学生が関係する、といっても差し支えませんわ」

 

「全学生……?」

 

 

 全学生に関係がある夏休みのものといえば、勉強に関するアレしか思いつかない。

 が、果たして本当にこんなものが万里花に真剣な表情を強いているのだろうか?

 

 

「……夏休みの宿題のことを言ってるのか?」

 

 

 訝しげに尋ねると、万里花は正解。と言った感じに指で丸を作った。

 

 

「当たりですわ! 夏休みの間、遊びに遊んで宿題(げんじつ)から逃げた結果! ……あと3日しか休みがありませんの」

 

「……万里花といたおかげで今回の夏休みは今までと比べほどにならないくらい充実してたからな。俺も休みが過ぎるのが早かったよ」

 

 

 熱心に語っていた口調から、いきなり冷静になった口調に怯えつつ、冷静に答えを返す。

 

 

「蓮くん……! ……こほん。……で、ですので、あと3日で宿題を片付けなければいけません!」

 

「そうか。まぁ、大した量じゃないから3日もあれば終わるな」

 

 

 万里花が真剣な様子だったので身構えていたが、宿題の話だとわかってほっと一息。

 正していた姿勢を崩しリラックスする。 

 万里花さえ良ければ、宿題をやっている間は彼女の隣で過ごしていることにしよう。

 ……と、のんびりし始めた俺の方を万里花は白い目で見ている。

 

 

「な、なんだ?」

 

「……蓮くん。休みは3日しかないんですよ? のんびりしてたらお休み終わってしまいますよ?」

 

「うん? 俺は宿題終わってるよ?」

 

「へ?」

 

「え?」

 

 

 …………。

 

 

「宿題、終わってるんだけど……」

 

「…………?」

 

 

 呆然とした表情の万里花と見つめ合い、一瞬の静寂。

 そして、

 

 

「のわっ!?」

 

 

 万里花が素早い動きで襲い掛かってきた!

 その勢いのまま床に押し倒され、馬乗りの体勢で拘束されてしまう。

 

 

「ま、万里花さん……?」

 

「なしてと!? 一緒におる間は一緒にゴロゴロしたり、てれんぱれんしとったやなかと! もしかして、夜にこっそり起きてやっとったんやなかろうね!」

 

 

 許しませんよ! と表情でも怒られているように感じる。

 実際は違うのでさっさと弁解するべきなのだが、珍しい万里花の怒り顔をしばらく見ていたくなってしまう。

 

 

「…………」

 

「……なんです? 正直に言わないと怒りますよ?」

 

 

 もう怒ってるじゃないか。とは言えなかった。

 

 

「あー……。言うから。ちゃんと言うからどけてくれないか?」

 

「めっ」

 

 

 今更ながらおかしな体勢であることに気が付いてしまった。

 先ほどと逆な事を言っているが、ここはさっさと事情を話してどけてもらうことにする。

 

 

「えーと、宿題はマンション(ここ)に来る前にほとんど終わらせてたんだ。残りは万里花が稽古で居ない時とかにやってたんだが……」

 

「う、うう……」

 

 

 若干涙目になっている。

 

 

「その、万里花が稽古とかで頑張ってる間は俺もなんかやっておこうかな、って思ってだな……」

 

「わーー! 蓮くんのうらぎりものー!」

 

 

 馬乗り状態からそのまま伸し掛かり、万里花はおんおん泣き始めてしまった。

 ……悪いことをしたわけではないはずだが、なんだか罪悪感を抱いてしまう。

 ……どうやって(なだ)めようか。

 今の状態だと何を言っても聞いてくれそうにないので、手を背に回し軽く抱きしめ、反対の手で頭をよしよしする。

 

 

「う~。うー!」

 

「まだ3日あるから。全然間に合うって」

 

「……」

 

「ちょっ! 無言で噛み付くな! 八つ当たりならもうちょっと優しいやつにして……!?」

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

「……諦めて始めます」

 

「おー……」

 

 

 なんとか万里花を宥めることに成功した俺は、万里花の隣に座りながら宿題が終わるのを見守ることになった。

 ただ見守っているだけでは退屈なので、俺自身も次のテストに向けて勉強することにする。

 

 

「はぁ……。どうして宿題なんてあるのでしょう……」

 

「昔に決めた奴のせいだな」

 

 

 文句を言いつつも万里花の手は動いているので、この調子で進めれば余裕を持って終わるだろう。

 宿題の邪魔をしないように俺からはなるべく話を振らず、万里花から何か聞かれた時だけ答える。という風にしながら順調に勉強は進んでいった。

 

 

「ん~。一段落しましたわ。蓮くんは何をしていられますの?」

 

 

 のびーと手を伸ばしながら万里花が尋ねてきた。

 

 

「漢字の練習」

 

 

 書くことに集中していたためか、若干そっけない感じに答えてしまったか。と心の中で反省していると、隣からノートを覗き込まれた。

 万里花との距離が近付いたことに心を躍らせると同時に、あまり綺麗ではない文字をじっくりと見ないで欲しい気持ちがせめぎ合う。

 

 

「……? 教科書に橘の字はないですけれど、なんでそんなに書いてますの?」

 

「そのうち書くようになるだろうから…………あっ」

 

 

 ………………。

 

 

「用事を思い出した。俺は家に帰ることにするっ……!」

 

 

 己の失言(?)に気付き、その場を離れようと俺は俊敏な動きで行動を始めた。

 のだが、そこは万里花の方が1も2も上手で、即座に飛びつかれ床に押し倒されてしまった……。

 

 

「蓮くんのおうちはここですよ。ふふ……」

 

 

 仰向けの状態で万里花に圧し掛かられ、両手で顔を固定され視線を逸らすことができない。

 にやにや、というよりにまにま。という表現の方が合ってそうな表情で見つめられ羞恥がこみ上げてくる。

 

 

「ぬぬぬ……」

 

「あざとい蓮くんですね……。どうしてあげましょうか」

 

「どうもしなくていいぞ」

 

「つれないこと言わないでくださいまし」

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「残り2日になってしまいましたわ……」

 

「……そうだな」

 

 

 昨日はあのまま宿題をやる雰囲気にもならず、外食に行ったりとデートをして過ごしてしまったのであった。

 1日を無駄にしたとは言いたくないが、宿題を終わらせるという目的を考えると、無駄にしてしまったのだろう。

 とはいえ、昨日1日なにもしていないというわけではないので、そこまで追い詰められているというわけでは――。

 

 

「お嬢様。お稽古の時間が迫っています。出掛ける準備をお願いします」

 

 

 ない。と思っていたのだが、その考えは部屋を訪ねてきた本田さんによって覆されることになった。

 

 

「え? 今日はそんな予定はないはずでは?」

 

「はい。予定通りに事が進んでいればそうでした。ですが、先日行った海水浴の日にあった予定を移しましたので」

 

「…………」

 

 

 万里花がそういえばそんなこと言ったな。と心当たりがあるような顔をしている。

 そんな顔もかわい……くはなくとも面白い表情ではあるなと関心する。

 

 

「蓮くん!」

 

「ああ。俺も万里花に負けないように勉強してるよ」

 

「そうではありません! 本田の説得を……!」

 

「……また予定を変えることはできないんですか?」

 

万里花レベルの稽古を担当する教師が、そんな簡単に予定を変更できるとは思えないが念のために尋ねてみる。

 

 

「当日キャンセルは厳しいかと」

 

「万里花」

 

「いやですわー!」

 

 

 と、若干抵抗はしたものの、万里花は稽古に連れて行かれてしまったのであった。

 この日。稽古終わりに宿題をする元気が出るわけもなく、2日目は何も進むことがなかったのであった。

 

 

--------------------

 

 

 夏休み最終日。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 隣で万里花が死んだような目をしながら宿題を淡々と消化していく

 ……気まずい。

 が、どうしてあげることもできないのがなんとも歯痒い。

 一度手伝おうかと申し出たのだが、字の違いでバレてしまうだろうから。と断られていた。

 

 

「なぁ、何かして欲しいことはないか?」

 

 

 宿題を手伝うことはできないが、他に何か――例えば飲み物が欲しいだとか何か買って来て欲しいだとか。要望がないか聞いてみる。

 

 

「……。して欲しいこと」

 

 

 机から視線をこちらに向け、鸚鵡(おうむ)返しに答える万里花。

 宿題に集中していた為か、どことなくぼんやりしている風に見える。

 

 

「……それって、なんでも良いんですか……?」

 

「なんでも? まぁ、俺に出来ることならなんでもいいぞ」

 

「わかりましたわ!!」

 

「うおっ!? ……え?」

 

 

 先ほどまでの細々とした感じとは一転し、気迫に満ちた様子で宿題を進め始めた万里花。

 やる気が出たのは良いのだが……、

 

 

「万里花? 俺は今すぐなにかするつもりだったんだが……」

 

「ご褒美が欲しいです!」

 

「ご褒美」

 

 

 今度は俺が鸚鵡返しする番だった。

 

 

「……万里花がそれで良いならいいが」

 

「言いましたね! もう取り消すのは駄目ですからね!」

 

「なに求める気なんだ……?」

 

 

 その後、万里花はこの3日の中で1番じゃないかと思えるくらいの集中力で宿題を終わらせたのであった。

 

 

 

----------------

 

 

「終わりました!!」

 

 

 万里花が宿題を始めたのは昼からだったが、途中からとてつもない集中力を発揮したおかげで夕方になった今、全ての宿題を終わらせたようだ。

 宿題を始めた当初は絶望的な表情をしていた万里花だったが、今はとても晴れやかな顔をしている。

 

 

「お疲れ様」 

 

 

 (ねぎら)いの言葉を投げかけると、万里花がこちらに身体を預けて来た。

 少し驚きつつも腕を伸ばし抱きとめ、受け入れの態勢になる。

 しばらくするとすーはー。と、寝ている時のような呼吸を始めたので、このまま寝るつもり――寝たのか?

 と疑問を思い、顔を覗き込もうとした瞬間、万里花がいきなり立ち上がった。

 

 

「おぅ?」

 

「っと、申し訳ありません。元気になりましたので、お夕飯にしましょう」

 

「そうか。手伝うぞ」

 

「いえ、蓮くんは座って待っていてください」

 

「……はい」

 

 

 素直に万里花の言うことを聞く。

 俺が手伝うのと万里花1人で料理をするの、どちらが早く終わるかといえば万里花1人の方が断然早いので、今日は足手まといを連れて行く余裕がないということなのだろう。

 ……夏休みの間――正確に言えば万里花の隣に引っ越して来てからだが、まるで料理の腕が成長した気がしないのは、俺に才能がないということなのだろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食後。

 ご褒美を万里花から要求されることもなく自室に戻り、今は入浴を済ませ明日の準備をしているところだった。

 明日は教科書などは必要ないが、終わらせた宿題を忘れるという残念な結果を迎えない為にも今のうちにやっておいた方が良いだろう。

 

 

「お邪魔します♪」

 

「っ!!?」

 

 

 突如耳元で囁かれた声に反応し、身体がビクりと震えた。

 後ろから抱きしめられ、ふわりと風呂上りの良い匂いと柔らかな感触が伝わってくる。

 

 

「……万里花。びっくりしたぞ」

 

「ふふ。でも鍵を開けたままの蓮くんも悪いと思いませんか?」

 

「いや、来るのは良いんだけど、脅かさないで欲しいって意味で……。あれ、玄関開けた音聞いた覚えないぞ……」

 

 

 明日の準備に集中しすぎていたのだろうか? それにしても見事な気配隠しだ。

 

 

「それで、どうしたんだ?」

 

「どうした。とは酷いですね。ご褒美くださいな♪ ご・褒・美!」

 

 

 ぎゅっ、ぎゅっ、と抱きしめる力が強くなり、それと同時に俺の理性も削られていく……!

 どちらかというと今俺がご褒美を貰っている状態になっている!?

 

 

「そ、そうか。ご褒美ってなにをするんだ?」

 

「えー? わからないんですか? 今の状況で」

 

 

 全くわからない。むしろご褒美を貰っている最中ですらある。

 

 

「一緒に寝ましょ? 久しぶりに」

 

 

 …………やっぱり俺に対するご褒美ではなかろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歯を磨いたり、髪の毛の乾かし方が甘いと怒られたりしながらついに就寝時間になった。

 部屋のベッドは2人で横に並んで寝るとしても問題ないくらいの大きさはある。が、だからといって何も気にせず添い寝できるかと言えば別問題だ。

 前回とは違い精神状態も普通で、万里花と一緒に寝ることを考えると心臓がドクドクする。……今日が命日になるかもしれない。

 

 

「緊張しとー……?」

 

 

 ベッドに腰掛けた万里花が、こちらを見上げながらそんな問いを投げかけてくる。

 

 

「……そりゃあ、まぁな」

 

 

 緊張で視線を逸らしながら答える。

 ……そう言う万里花もそれなりに緊張しているように見える。

 

 

「そ、それやったら……」

 

 

 んー! と目を閉じ顔を突き出してくる万里花。

 心なしか頬が赤くなっているようにも見えるが、どういう意図なのかが…………。

 

 

「……緊張ばほぐそうと思うて……」

 

「いや……えぇ……?」

 

 

 緊張ほぐれるか……?

 万里花の意図はわかった。だがそれが効果的かと言われると否と言わざるを得ない。

 むしろ緊張度が高まる気がする。……緊張度ってなんだ。

 しかし心の中であーだこーだ、うじうじむしむし考えていても意味はないので、万里花の心遣いを無駄にしないためにも行動に移す。

 そっと万里花の頬に手を添えると、ピクリと身体を揺らした。

 

 

「……」

 

 

 万里花の求めている行為はわかっているのだが、手を添えた後の行動に移し辛い。

 行動を止めてしまったせいで、じろじろと顔を観察する不審な男と化してしまっている……。

 ……こうしてじっと見つめると、改めて彼女の美しさを思い知る。

 こんな子が近くにいるというのも奇跡的なのに、両思いな今の状態はどれだけ幸運なのだろう。

 

 

「……?」

 

 

 万里花の片目が開き、こちらの様子を確認してきているが、俺は美しさに囚われているいるため気にしていなかった。

 美人は3日で飽きると聞くが、万里花は100年あっても飽きないだろう……なんてことを考えていたら、何時の間にか後頭部に腕を回され、そのまま引き寄せられて……。

 

 

「……っ!」

 

 

 唇と唇が触れ、そしてそのまま身体を捻られ俺と万里花はベッドの中に転がった。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 回されている腕の力が弱まったのでゆっくりと離れたのだが、じとっとした目で見つめられる。

 

 

「遅か」

 

「……すまん」

 

 

 お詫びのつもりで、今度は俺から唇を奪う。

 一度(おこな)ったからか、最初の時よりかは緊張せず、自然な形でできたのではなかろうか……?

 

 

「……もう1度してとは、言っとらん……」

 

 

 ごにょごにょと何か言いながら、万里花は片手で口をガードしつつ視線を逸らしてしまった。

 恥ずかしいだけであって欲しい。と願いながら、以前万里花がしてくれたように彼女を優しく抱きしめる。

 

 

「……蓮くん?」

 

「今日は万里花のご褒美だから。……嫌か?」

 

「い、いえ! びっくりしただけで……嬉か」

 

 

 万里花の方からも距離を詰められ、ベッドの中で密着状態になった。

 ……ちょっと暑いな。

 

 

「……蓮くんの心臓ドキドキしとーね」

 

「……ならない方がどうかしてるだろ」

 

「ふふふ」

 

 

 そっけなく答えてしまったが、万里花としては満足な答えだったようだ。

 ご機嫌そうに鼻歌まで歌い始めた。

 

 

「明日から学校だな。……短い夏休みだったな」

 

「もう。今からそんなこと言ってると、すぐに高校生活終わっちゃいますよ?」

 

 

 なんて、ベッドの中でしばらく話をしていたせいで、次の日寝坊した。

 

 

 






お久しぶりです。久しぶりに書いたせいか書き方が変わっているかもしれませんが、楽しんで頂けたら幸いです。

……ハーメルンの原作:ニセコイで検索しても全然更新動いてない!? 
書いたらぁ!のノリで頑張りました。
更新速度には期待せず、お待ちください!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。