拝啓妻へ (朝人)
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番外編
《寧音》前


※十四巻読んでからじゃないとわからない所あると思うので注意。


 ――それは少し古い記憶。

 仲は正直言ってそんなに良くない。

 顔を合わせれば常に喧嘩腰になる。

 好敵手(ライバル)とは違う、友人でも恩師でもない。かといって、どうでもいい存在などでは決してない。

 とても不思議でおかしな関係で、彼女自身嫌な感情は……いや、抱いていたか。当時から『ムカついて』いたはずだ。

 しかし、そこに変化が起きたのは何時の頃だったろうか。

 偶に笑うようになったからか、はたまた徐々に男らしく《強く》なっていった為か――いや、そんな真っ当な理由ではないだろう。

 しかし、気が付けば寧音は『彼』に好意を抱くようになっていた。

 勿論一人の人間としてではなく、一人の異性として。

 それに気づくも今までの関係が変わることや、価値観が一転した為困惑し、結果気持ちの整理も先送りにしていた。

 そんな中、彼は『青﨑』の当主の座を継ぎ、そして当主として初の仕事を行うべく、一旦国を離れることになった。

 その仕事の内容を聴いたのは彼が発った後であった。

 嫌な予感はしていた。

 しかし、もし聴いていたとしても止めることが出来ただろうか?

 答えは否。

 きっと寧音には出来ない。彼と同じ強くあろうとする彼女に引き止める権利はない。

 それでも、と。

 思わずにはいられないのはきっと未練故だ。

 ――エーデルワイスの討伐。

 この命令が寧音と『ジン』の在り方を変えてしまった。

 

 

 『ジン』という名前を彼につけたのは寧音だ。

 最初の邂逅から暫く、何の因果か顔を合わせる回数もそこそこに、出逢えば腕試しに付き合わされ、愚痴を聴かされ、適当に会話などもした。

 ちなみに『腕試し』と称したが、その実態は幻想形態を使用してはいるものの、実戦紛いの殺し合いに等しかった。

 それというのも、二度目の邂逅の折に寧音が彼の力を確かめようと挑んだのが原因だ。

 元々勝ち気勝り、強いのが当たり前と思っていた寧音だったが、武曲学園に入る前に行ったある『模擬戦』にてその常識は叩き壊された。

 以来強くなることに精進していた彼女にとって一目見ただけで『強い』と確信出来た彼は正に打ってつけの相手だった。

 最初は彼も渋っていたが、殺気立った寧音とその時傍にいた彼女の師である南郷寅次郎の許しが出た為『一度だけ』と条件を付け試合をすることにした。

 結果からいえば、彼が勝った。

 才能溢れ、地下闘技場での戦闘経験、更には《闘神》直々の教えを備え、その実力は既にプロに到達するレベルだ。

 しかし、寧音は負けた。

 同年代の寧音や黒乃に比べ彼の異能は強力と断言出来るものではなく、持って生まれた才はきっと二人の方が優れている。

 だが彼は勝った。

 理由など考えるまでもなかった。

 二人になく彼だけに備わっているもの。

 それは経験だ。学生の時分では決して味わうことのない生と死の駆け引きを、彼は『日常』として過ごしている。

 黒乃に効いた卑怯な手など勿論通じず、圧倒的経験値から来る物の対処は隙がない。

 地下闘技場に出ていたことがある寧音は裏の世界について知っているつもりだった。しかし彼女が見聞き体験したものなぞまだまだ浅瀬にすぎず、彼はそれよりも遥か深淵に身を浸し、命懸けの研鑽を行ってきた。

 それで得た技量たるや、恐らくは当時の七星剣王すら軽く凌駕する程であっただろう。

 生涯二度目の敗北。

 一度目に比べればショックはそんなになかった。自分より強い存在に彼女は既に出逢っており、師を含めそんな存在はまだまだいることは分かっていた。

 だがしかし、理解と感情は別物であり、頭では納得しても心はそうでないことなどままある。

 寧音も同様である。しかも彼女の場合『大』の負けず嫌いだ。負けたままで終わらすなど彼女の性格的にあり得ない。

 結果、以降も寧音は彼に逢う度に『腕試し』をするようになっていた。

 

 

 

 そんなこんなで付き合いが長くなれば必然相手の名前を呼ぶようになる。

 

『はぁ? なんだそのだっせー名前』

 

 だから寧音も彼の名前を聞いたのだが、予想の斜め上をいくネーミングセンスに思わず声が出てしまった。

 『青﨑』の家はその代の当主が決まるまで皆仮名だ。その中には信じられないような古くさかったり適当な名前すらあり、彼は生憎その名を付けられてしまったのだ。

 とはいえ当の本人としてはあまり気にしていない。名前なぞ自分か相手か、それさえ分かればいいと思っていたのだから。

 しかし寧音は違った。その名自体は愉快で笑えるが、それを彼女自身の口からとなれば話は変わってくる。ただ話をするだけでも一苦労だ。

 だからそう、寧音は彼に別の呼び名を与えることにした。

 『ジン』。その名の意味はつまるところ、彼が無数の刃を自在に扱う所から来ている。安直ではあったが、彼を表すのに最も適した言葉である。

彼自身もその名をすんなり受け入れ、以来寧音や黒乃といった近しい者達からはそう呼ばれるようになった。

 

 『青春』とは無縁である彼が唯一歳相応に振る舞っていたのは僅かな期間。

 それは本当に少なく、二人が学生を卒業するより前に彼は『青﨑』の当主となった。

 そして件の命令が下され、ジンは一時国から離れることになる。

 その間に、寧音と黒乃は卒業しプロの世界へと入って行った。元々学生の頃からその実力を遺憾なく発揮していた彼女達はすぐに頭角を現し、更に注目を集めることとなった。

 暫くして、ジンは帰国した。

 当主として初の仕事は失敗に終わった。彼は国内では屈指の強さになってはいたが、『世界最強』の前には逃げ帰るだけで精一杯だったらしい。

 元よりジンがエーデルワイスに勝てると確信を持って命令が下った訳ではなかった。あくまで僅かでも可能性があるのなら……その程度の認識だったのだろう。

 そういった込み入った事情は気にせず、単純にジンが帰ってきたことを聞いた寧音は、エーデルワイスに完膚なきにやられたことをネタに弄ろうと思い、彼との再会を希望し、連絡を取ってみた。

 意外な程願いは早く叶い、数日の内に逢うことが出来た。

 そうして彼女がそのネタで彼を弄ることは、なかった。

 久しぶりに見たジンの姿は陰りなど一つもなく、寧ろ『喜び』すら感じているようだったのだから……。

 『強さ』を追い求めるジンにとってエーデルワイスは正に劇薬であった。

 今まで積み上げてきたものなど無駄であるが如く、彼女の前では無意味であった。

 それ程の力量差、格の違いを見せつけられた。

 しかし、だからこそジンは嬉しい。その『理不尽な存在』も元は人間。であれば、同じ『人間』である自分もいつかはそこに到達できるという可能性を示唆してくれたのだから。

 挫折を味わっても尚絶えぬ向上心、『力』への渇望。

 『そうあるべし』と育てられ、『青﨑』の中の誰よりもそれを体現した男は、今までより更に困難な道へと進むことを決意した。

 その行き着く先がどんなものになるか、分かっていようとも寧音には止めることは出来ない。

 

 

 そうして、寧音とジンにとっての運命の日が訪れてしまう。

 幾度か行っていたエーデルワイスへの挑戦。その何度目の帰国後。

 突如ジンは連盟から『凶悪犯罪者』という烙印を押され、追われる身となった。

 エーデルワイスの件以外では従順に仕事をこなしてきた彼がどうしてそんな扱いを唐突に受けたのか?

 その理由は、彼が《覚醒》してしまったことが起因していた。

 《覚醒(ブルートソウル)》とは、運命によって定められた才能の限界に達しても、尚研鑽を重ね『突破』してしまった者達が至る境地だ。この者達は生まれ持ち定められた総量しかないはずの魔力すら増やすことができる。

 その者達のことは総じて《魔人(デスペラード)》と呼ばれた。

 そしてジンもその一人に成ってしまった。

 

 

「容赦ねーなー」

 

 ジンのことを聞き、駆けつけた寧音が現場について放った一声。

 場所は郊外、森の中。

 連盟の命ということもあり、腕に覚えのある実力者が何人も先行、派遣されているという話だ。

 しかし、寧音が現場に到着する頃にはその悉くが無様な姿を晒していた。

 恐らくは幻想形態による殺傷のせいだろう。皆、生きてはいるものの、例外なく地面に投げ出されている。

 中にはAランクの者もいたが、有象無象の一つになっている。

 

(っ……やっぱ、異常なまでに進化してやがる)

 

 その惨状を見て、寧音は内心舌打ちした。

 彼が《覚醒》し、《魔人》となったのは知っている。彼女が最後に会った時には既にその域に達していたのだから。

 しかし、だ。

 それを加味してもジンの『伸び』は異常だ。

 BランクどころかAランク伐刀者ですら太刀打ち出来なくなっている。

 やはり、エーデルワイスとの死闘が彼を更なる高みへと登らせてしまったのだろう。

 寧音も同じ『領域』に立ってはいる。しかしその中でも差というものは生まれてしまう。

 今の寧音とジンとの間にどれほどの差はあるかは分からない。だが、以前出会った時よりも離されていることは直感で分かった。

 どこまで立ち回れる、食い下がれるか、そんな不安をしかし寧音は抱くことなく足を運ぶ。

 どんな状況であろうと、どれだけ力量差があろうと彼女がすることに変わりはない。

 

 

 意外なことに、それから数百m行った所にジンはいた。木に背中を預けていた彼は、まるで待ち合わせでもしていたかの様に、寧音の姿を視認すると数m近くにまで寄る。

 

「やはり来たか」

 

「久しぶりだってのにずいぶんな言いぐさだなー、おい」

 

 落胆とも取れる物言いに、寧音はいつも通りの喧嘩腰で返す。

 

「逢いたくはなかったが、お前のことだ。どうせ来るだろうと思ってた」

 

 『意外』ではなかった。ジンにとって寧音の来訪は想定内のことであった。

 ジンが願うことと真逆のことを一々仕出かす。本当に厄介極まるその姿勢が、今は少しだけ愛おしい。

 

「……テメェどういうつもりだ。ただ《魔人》になったくらいで連盟から追われるかよ。それならとっくにうちやジジィなんて処罰もんよ」

 

 《魔人》へと至った者は数こそ少ないが存在する。その中には秘密裏ではあるものの、表舞台で活躍している者すらいる。

 寧音やその師、南郷寅次郎もその内の一人だ。

 故に、ただ《魔人》に至っただけで連盟から追われることはない。その者が余程手に負えない犯罪者とかではない限りは。

 しかしジンは忠実、従順に命令をこなしていた。反旗を翻す要素などなかった。

 

「何やらかしやがった?」

 

 唯一可能性があるのはやはりエーデルワイスだろう。

 『世界最強』が彼に与えた影響は、きっと予想を超えるよりも遥かに大きいはずだ。

 現にジンの異常な成長速度の一因にもなっている。

 しかしそれでもまだ連盟が怖れる程の『脅威』ではない。

 

「――エーデルワイスを殺し損ねた」

 

「………………は?」

 

 あまりに突飛な言葉に寧音は耳を疑った。

 殺し損ねた?

 寧音の聞き間違いでなければジンは確かにそう言った。

 それが意味することはつまり……。

 

「テメェ……まさか《比翼》に……!?」

 

「勝った。一回だけのギリギリの所だったがな」

 

 絶句した。

 相手はあの『世界最強の剣士』だぞ?

 確かに何十回という戦績のトータルとして見るのならたかが一勝(・・・・・)と言えなくはない。

 しかし、そのたかが一勝(・・・・・)にたどり着けた者は果たしていただろうか?

 寧音が知る限り未だかつて存在しない。

 そんなものにこの男はなってしまったという。

 そしてその域に達しても殺すことが出来なかったエーデルワイスの化物っぷりに改めて戦慄する。

 

「おい待て。ならなんでテメェ追われてんだよ?」

 

 ふと新たな疑問が沸いた。

 一度だけとはいえエーデルワイスを倒した騎士をみすみす失うような真似を連盟が行うとは到底思えない。それを帳消しにするような『何か』がない限り、そんなことは起こり得ない。

 だがそれも瞬きもしない内に解消された。

 

「あーそれは、俺はもうアイツを殺す気はないし、アイツと共に生きるって決めちまったからだろうな」

 

「…………………………は?」

 

 何の気なしに放たれた特大クラスの爆弾発言に寧音の思考は一時フリーズしてしまう。

 エーデルワイスを殺さない。

 確かに彼に与えられたエーデルワイス討伐の命は既に取り消されている。一度目の敗北の時に下げられたのだ。だからそれ以降は彼が『自分の意思、自己責任』で行っているものだ。

 故に再度命令を与えない限り、そこについては完全にジンの一存になる為寧音にとってエーデルワイスの生死はどうでもいい。問題は次だ。

 『共に生きる』だと……あのエーデルワイスと? どういう風の吹き回しだ。

 いや、正直に言うと寧音としてはこの際相手なぞどうでもいい。

 問題なのは『共に生きる』と宣言したことだ。

 それが意味するのは、つまり――。

 

「テメェ……連盟を、この国から出て行くってことか!」

 

「――ああ」

 

 狼狽する寧音とは対照に、ジンは静かにそれを肯定した。

 

『すまない』

 

 その瞬間、寧音の脳裏を過ったのは『あの梅雨の夜』の事だった。

 ずっと一緒だと思っていた宿敵との決別。望まぬ形で叶ってしまった『見下げた頭』。

 行き場のない怒り、『自分』という器にひびが入ったかのような見えない痛み。

 暗かったはずなのに一粒一粒すら鮮明に思い出せるように心に焼き付いた雨模様。

 ――同じだ。

 大切な人が出来たからと。自分は『そちら』には行けないのだと言って懺悔した彼女の時と。

 

「ザっけんな!! テメェもか!? テメェまでもがそんな理由でうちの前からきえんのか!!」

 

 当時の情景も重なり、寧音は堰を切ったように怒りが爆発した。

 どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ。どうして(どいつ)黒乃(こいつ)もいなくなる。

 どうして、この男はそうなのだ。

 与えるだけ与え、掻き乱すだけ掻き乱し、思わせるだけ思わせて、それでいて勝手にいなくなる。

 いつもそうだ。

 ジンが寧音を苦手とするのと同じくらい、寧音もジンが苦手だ。

 だがそれでも、こんなひねくれた関係でも良いと思える程、その存在は大きくなっていた。

 ――それなのに。

 黒乃と違い、同じ魔人の域にまで至った存在。

 同じ『強さ』を求め、同じ高みを目指してる者だと……どれだけ反発し合っても根っこは同じなのだと、そう思っていたのに……。

 ――それなのに……!

 

「ザっけんなぁぁぁ!!」

 

 怒りは魔力へ、魔力は重力へと変貌を遂げる。

 それは強力な衝撃波となりジンを弾き飛ばした。

 石ころのように十数mも飛ばされたジンは、即座に霊装を顕現させ、地面に突き立て凌ぐ。

 瞬間的なそれが収まるとジンは寧音を見据えた。

 彼女の手には既に一対の鉄扇、固有霊装《紅色鳳》が握られていた。

 

「行かせるかよ……ぶっ殺してでもテメェを止める!」

 

 そして、未だかつて見たことのない怒りの形相を浮かべ、殺意と憤怒を孕んだ睥睨がジンを貫く。

 

「やっぱり、そうなるよな」

 

 諦めにも似た口調でジンは呟く。

 予感はしていた、彼女はきっと許さない。絶対に止めに来る。

 たとえ殺してでもジンの行く道を阻むだろう。

 長年の付き合い、腐れ縁からそのことは理解していた。

 あの気迫を見るに、仮に逃げても地の果てまで追ってくるだろう。

 やはり、戦う以外の選択肢は存在しない。

 出来ることなら別れの言葉だけ残して行きたかったのだが、そうもいかないらしい。

 つくづく自分達は反りが合わないな。

 その苦笑は表に出さず、心の内に仕舞い込んだ。

 

「上等だ。なら俺も、殺してでも押し通る」

 

 代わりに刃を構えることで応えた。

 向けられる殺意と気迫から、正真正銘二人にとっての過去最高の『全力の殺し合い』になる。

 

 ――それは二人にとって決して忘れることの出来ない決別の記憶。

 




Q.なんでジン国外追放されたの?

A.《魔人》になって一度だけとはいえ《比翼》に勝ってしまったくせに、そいつと一緒に生きると馬鹿正直に宣言してしまった為です。

Q.どうやってエーデルワイスに勝ったの?

A.人間どころか生物が至ってはいけない領域にまで踏み込んでようやくギリギリ勝てました。

Q.エーデルワイスの下に帰る必要性は?

A.後の妻「絶対帰ってきてくださいね」《無欠なる宣誓(ルールオブグレイス)
帰らないと死ぬし、死ななかったとしてもエーデルワイスが迎えに来るという最悪な展開が待ってるので帰るという選択肢しかないです。

Q.サブタイに『前』とか書いてあるんだけど?

A.余裕で一万文字超えたから分割することにしました、ごめんなさい。『後』の方は後日投稿します。


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《寧音》後

過去最高に長くなりましたごめんなさい。
好きな子程イジメたくなる、そんな私はきっとS。


 綺麗な三日月が夜空に鎮座する。

 その中を黒い蝶が無数に舞う。一見雅に見えるそれは、しかし生ある物ではない。

 寧音の力によって産み出された超常の物だ。

 名を《黒死蝶》。見た目に反し、その実態は超重力エネルギー機雷。掠りでもしようものなら、最大質量十トンにもなる質量の爆弾に襲われることになる。

 それが今、ジンの周囲に展開している。数は優に二百はくだらない。

 爆発を必要とせずとも押し潰せそうな数を相手に、しかしジンは霊装の刃を鈍く光らせた。

 瞬間、黒死蝶の数に匹敵する刃が出現し、悉くを切り裂き、貫いていく。

 

「っ! 随分と面白い芸を身につけたじゃねーか」

 

 一頭も逃さずに殲滅した手腕に寧音は驚愕した。

 それは寧音が未だ見たことのない芸当だ。

 

「《大六感応》。エーデルワイス(アイツ)と対峙するってなるとこいつは絶対必要だったからな」

 

 神速に至るであろう速度、尚且つ一撃一撃が卓逸した剣技であるエーデルワイスを相手取るには同等の速度か、攻められても対処出来る『何か』がなければいけなかった。

 しかし、仮に同等の速度を手に入れたとしても超高速の戦闘となれば向こうに一日の長がある。それは埋めようとしてもそうそう出来るものではない。

 結果、ジンは後者を取ることにした。

 第六感を鍛え上げることによって得た技能の前では、単純な物量攻撃など無意味。

 何よりそれはジンが最も得意とする物だ。

 異能の性質上、膨大な物質構成などは日常茶飯事に使っている。そんな彼の前で、数で挑んだところで勝てるはずもない。

 ジンが寧音を天敵と感じるものの一つは異能の相性だ。大量展開を得意とするジンにとって重力という純粋な力による制圧力は厄介極まるからだ。

 ちなみに余談ではあるが、異能だけの関係性を見るだけなら黒乃を含めた彼ら三人はある種の三竦みの様な関係になっている。

 圧倒的物量による大量展開が出来るジンは黒乃に対し有利だが、寧音は苦手。

 純粋な重力()による破壊的な制圧力を持つ寧音はジンに対しては有利だが、黒乃は苦手。

 時間に干渉でき静と動を自在に操れる黒乃は寧音に対しては有利だが、ジンは苦手。

 むろん、本人達の努力や研鑽によりそれらは覆すことが出来るものであり、事実能力的には勝っているはずの寧音はジンに遅れをとっている。

 元々経験値の差はあったが、エーデルワイスとの邂逅でジンのそれは更に拍車を掛け増していった。

 

「――っ」

 

 その一端を垣間見たことで寧音は噛み締めた。

 《魔人》という同じステージに立っていたと思っていたのに気付けばジンはその先へと進んでいる。

 元より感じていた差は明確な形として、寧音に突き付けられた。

 

「《黒刀・八咫烏》」

 

 伐刀絶技の名を唱える。

 すると寧音の霊装である《紅色鳳》に黒い魔力光(オーラ)が発現。鉄扇を閉じると集束し、三mを超える刃と成った。

 間合い(リーチ)は完全に上回り、得物もこちらの方が『重い』。

 重力を刃という形へ変じさせた伐刀絶技。その威力は想像以上のものだ。まともに受けようものなら単純且つ純粋な力に押し負けてしまう。

 それに加え、彼女は《夜叉神楽》という伐刀絶技も持つ。

 師である《闘神》の《剣曲・剣の舞》を寧音が発展、進化させたものだ。

 完全な守りの剣であるそれを、寧音は自らの異能とセンスを組み合わせることで攻防一体の技に仕立て上げた。

 この二つを同時に使用することで、如何な達人とて寧音に傷を負わすことは出来ず、むしろ『返り討ち』にあってしまう。

 故にこそ寧音は世界ランク三位の実力を有しているのだ。

 強大な能力だけでなく、類い稀な『才』と磨き挙げる努力。そこに至るまでの過程を含め、現在の功績を成し得たのだから。

 しかし、それも相手がジンであれば話は別になる。

 

「――!」

 

 長い付き合い故に手の内を知っているジンは臆することなく寧音に迫ってくる。

 それに対し寧音は得意の《夜叉神楽》を、舞うことはしなかった。

 重力刀のリーチを活かし、近接戦を許さないよう、二刀を巧みに操り連撃を放つ。

 見た目や威力に反し、《八咫烏》は軽快に閃を描く。

 それをジンは触れぬよう、防御しないように回避する。

 おかげで距離は一向に縮まらない。

 本来の寧音であればこんな戦い方はまずしない。

 そうしなければならない理由は相手がジンだからだ。

 ジンが寧音の手の内を知るように、寧音もまた彼のことを知っている。

 ジンの異能、《欠落具現》は具現化と幻想を操る能力だ。彼の思考一つで具現化した物を一時(・・)幻想にすることだって出来る。

 寧音にとってその『幻想にする』というものが厄介なのだ。

 彼女の異能は物理的なものに対しては圧倒的なまでに有効な力だ。しかし実体のない物に関してはその限りではない。

 重力……いや最悪空間に干渉さえ出来れば問題はないのだが、ジンの扱う『幻想』は実体を持たず、空間干渉すら出来ない。

 故に刃の実体、不実体を自在に変えれるジンの前では《夜叉神楽》の守りなど有って無いようなもの。

 これは何度も戦って学んだこと。

 時に負け、時に勝ち。切磋琢磨して得た経験だ。

 だからこそ、対処法もある。

 

「ぐっ!」

 

 重力刀から逃げていたジンの動きが急に止まった。見ると、足が地面に埋まりつつある。

 寧音の伐刀絶技《地縛陣》だ。射程範囲内に入ったジンに通常の数十倍の重力が襲う。

 それだけで骨も内臓も潰れてもおかしくはないというのに彼は耐え凌いだ。

 だがしかし、そこに容赦なく重力刀が振り下ろされる。

 宣言通り、寧音は殺す気なのだ。

 躊躇いも迷いもなく、迫った漆黒の刃を前に、身動き出来ないジンは――

 

「《縮帯迫狭(しゅくたいはくきょう)》」

 

 数十倍の重力が支配する中、いつの間にか寧音のすぐ横に立っており、その小柄な体に刃を振るう。

 

「ちっ!」

 

 驚愕と共に反射的に回避を選んだ寧音は重力操作を使いジンとは真逆の方向に自らを飛ばした。

 咄嗟のこともあり、《地縛陣》を解いてしまったがそんなことを気にする暇はなかった。

 既に回避し、何だあれはと……考える時間はなかった。

 

「っ――!?」

 

 移動を終えた眼前(・・)に既にジンはいた。

 ――馬鹿な!

 移動する素振りすら見せなかった彼が、異能を使い弾の如く弾き出された寧音に追いつけるはずがない。

 一瞬の混乱。それを見逃す程ジンは甘くない。

 瞬く間に数十にも及ぶ斬撃が寧音を襲う。

 ジンは《孤狐丸》だけでなく、もう片方の手には小太刀を顕現化し、更に《閃刃》を交じえることで刹那の時間で数え切れない手数を放った。

 それに対し、防衛本能が働いたのか彼女は無意識に自分の周りの空間を歪めることで防御した。

 しかしそれでも全てを避け切ることは出来ずいくつか受ける羽目になる。

 四肢は吹き飛び、胴は両断され、首は切り落ちる。

 そのはずだった。

 

「ラァッ!!」

 

 現実は、寧音の身体には傷一つ付いていなかった。

 だからこそ寧音は反撃することが出来たのだ。だが、お返しと見舞った一撃がジンに当たることはなかった。

 直撃の寸前、彼の姿が忽然と消える。

 振り切った後改めて見ると、彼は数m後ろに佇んでいた。

 全く不可解な移動。《比翼》のエーデルワイスが得意とするそれとは似て非なる正体は、彼の伐刀絶技《縮帯迫狭》の為せる技だ。

 ジンの《欠落具現》はどんな異能よりも『想い(イメージ)』が重要な要素となっている。

 その特性故に具体性、精密性を必要とし、それを下地に無色の魔力を具現化させるのだから。

 だがそれは、裏を返せば具体的、精密的な物をイメージ出来るのであれば『実現可能』であることを意味している。

 真実、早い段階で自らの異能の本質を理解したジンは、自身の身体を実験台として様々なことを試した。

 その結果、彼は自分の肉体であれば《胡蝶の夢》の外であったとしても復元可能なまでになっている。

 人としての段階で既にその域に達していた彼が、果たして《魔人》となった今もそのままでいるだろうか?

 答えは否。

 正確には《魔人》だけでなく、エーデルワイスとの戦闘経験からも彼は多くのことを吸収している。

 その一つがこの伐刀絶技だ。

 エーデルワイスの動きは最早常人の理解の範疇を超えている。何も知らない人が見たら『距離が縮んだ』かのように錯覚する程だろう。それほどまでに規格外なのだ。

 そしてジンはその『誤った認識を現実の物』にした。

 エーデルワイスというサンプルを元に、対象と自分の距離を縮める術を身につけた。

 それは視界に対象が入り、そこに至るまでの計算を即座に脳内で叩き出し、確かなイメージを以て異能を使い現実に反映させる。

 超高速移動によって距離が縮まるのではなく、距離そのもの(・・・・・・)を縮ませてしまうという本末転倒もいいところの技はそうして出来てしまったのだ。

 そして、三度見ただけで寧音はそのことを看破した。

 偏にそれは、良い意味でも悪い意味でもジンのことを理解しているからだ。

 アイツならきっとそれくらいやってのける。そんな不思議な信頼があるから確信出来たのだ。

 だから、その件については問題ない。

 それよりも――。

 

「どういうつもりだテメェ! なんで幻想形態にしやがった!」

 

 寧音が傷を負わなかった原因だ。

 そう。ジンは寸前で実像形態から幻想形態へと変えていた。だからこそ、寧音は五体満足でいられたのだ。

 しかし、如何に直接的な傷を負わなかったとしても、痛みは本物と変わらない。

 殺すこと、敵を屠ることを生業にしてきたジンの苛烈且つ必死の斬撃を数閃も受けて立っていられる者などまずいない。ましてや首や胴体を切断された痛みがあるのだ、昏倒しないだけでも賞賛にあたるのに、寧音はその状態でもまだ戦闘を続行しようとしている。

 そしてまた寧音の怒りも尤もだ。

 寧音は完全に殺す気だった。ジンもそうだと思っていた。

 しかし彼は直前で変えた。

 殺さないよう手心を加えてしまった。

 

「テメェのそういうところがホントにムカつくんだよぉ!!」

 

 ジンにとって寧音は数少ない大切な存在だ。

 名を貰い、本来過ごすことの出来なかった時間をくれた存在。

 如何に気に食わない、反りが合わないと言っても、そこだけは変わることのない事実。

 だからこそ、無意識の内にそういうことを行ってしまったのかもしれない。

 寧音という存在を失うことを恐れてしまったのかもしれない。

 悪い意味で彼らの距離は近くなり過ぎたのだ。

 寧音もそれを理解している。だからこその怒りだ。

 何せ彼女は心の底からジンになら殺されてもいいと思っていたのだから――。

 

 爆発する怒り。

 それを表すかのように寧音は重力操作を使い、宙へと躍り出た。

 点々ときらめく夜空をバックに、寧音は《八咫烏》を解除した《紅色鳳》を天に向け掲げた。

 

「《覇道天星》ェェェッッ!!」

 

 寧音が持つ最大級の伐刀絶技の名が放たれた。

 大気圏外のスペースデブリを異能の力で引き寄せそれを敵に直撃させる。

 おおよそ個人に向けるような技ではないそれは、正にその通りだ。

 何せこの伐刀絶技は国一つ滅ぼしかねない災害級の威力を誇っており、それによって連盟から禁呪指定を受けている。

 しかし寧音はその禁を破り発動した。

 そして大気圏との摩擦によって赤々と燃える隕石と化した『それ』が寧音の背後から姿を見せた。

 数は一つ、直径十数m。それでも隕石としてみるなら十分過ぎるほどの大きさだ。

 もしそれが地表に落ちようものなら被害は計りしれない。

 そんな物がジンというたった一人を目掛けて降ってくるのだ。

 寧音がこの伐刀絶技を使うのは二度目。

 一度目は学生の頃、七星剣舞祭にて黒乃に対してだ。

 その時は黒乃自身も《時空崩壊(ワールドクライシス)》という凶悪な伐刀絶技を使用することで消滅するに至ったが、それは黒乃が時間という因果干渉型の能力者であり、有数の実力者だから成り立った事象だ。

 今回標的にされたジンは確かに彼女に匹敵、いや凌駕する程の実力を有してはいるが、大規模且つ絶対的な破壊力は持ってはいない。

 あくまで『人間』に対して必死を与えることが出来る。そういう家系であり、環境であり、育ち方をしたのだ。

 だからこそ、超小型とはいえ星を砕くような力は持ち合わせてはいないのだ。

 ――そう、今までは。

 彼は既に《魔人》という規格外の存在となった。

 才能という枠組みを取り払い、自由度の高い異能を研鑽し続けた彼に今まで通りのことが通用するのか?

 ――答えは否だ。

 

「《夢現境界》」

 

 迫り来る赤々とした星を見据え、ジンもまた伐刀絶技を発動させる。

 瞬間。突如として大気が発光し極光(オーロラ)が発生した。

 いや、それはオーロラというにはあまりに異様だった。

 発生した場所はジンと寧音の間という、あまりにも低過ぎる位置。

 輝き方、色合いは正にそう呼んでもおかしくはない。しかしそこに神秘性などなく、むしろ潜在的な恐怖を煽るかのような冒涜的なものにすら感じられた。

 猛々しく、荒れ狂う星に対し、用意されたカーテンは不可解で不気味で底知れない。

 衝突まで数秒もいらない。

 もしここに第三者が居れば、流星と化したデブリがカーテンを突き破る光景がありありと目に浮かぶことだろう。

 それほどまでに両者が人に与える印象は対極であり、それは正にジンと寧音の様でもあった。

 怒り狂った(寧音)を前に、極光(ジン)は静かにそれを受け入れた。

 第二宇宙速度で落ち、通過するだけでも凄まじい衝撃波が起こる、天よりの災害。それはオーロラを破り、ジン諸とも地表に……衝突することはなかった。

 

「っ――!」

 

 寧音は目を丸くし、息を呑んだ。

 オーロラを突き破り、落下するはずの星が、そのオーロラを通過した途端色が剥がれるかのようにどんどん薄く、透明になっていき最後には消えてしまった。

 地球外からの脅威などなかったかのように後にはただオーロラだけが不気味な輝きを放っている。

 何が起きたのか? そんなもの考えるだけ無駄だろう。

 あのオーロラ……ジンの伐刀絶技《夢現境界》による仕業だ。

 

「あんだけの質量を消すたぁな……なにしやがった?」

 

 直径十数m。それだけでもかなりの大きさだ。加えて、第二宇宙速度で迫っていた物を跡形もなく消滅させるには些か疑問が残る。

 黒乃の《時空崩壊》の様な明確な破壊力が感じられないのだから当たり前と言える。

 

「別にそんな小難しいものじゃない。ただ『現実と幻想の境界をいじって、幻想への一方通行な入り口を作ってやった』だけのことだ」

 

 寧音の疑問をジンは簡潔に答える。

 それはジンの異能の特性だからこそ出来た芸当。

 具現化と幻想の二面性、更にはその境界を操る術を持つが故に可能とした伐刀絶技。

 幻想の物を現実に具現化するのとは真逆に、現実の物を幻想へと変える。

 あのオーロラは幻想へと導くための入り口。あれを通ることは現実の物が幻想の彼方へと消え去ることを意味している。

 単純な物理作用ではない為、どんな質量であろうと、如何な速度を持とうと入り口を通過してしまえば末路は同じ。

 

(連盟基準なら禁呪指定だろうが、クソが……!)

 

 その伐刀絶技の本質を知った寧音は内心毒づいた。

 それもまた、使い方一つで国一つ崩壊させかねない危険な代物だからだ。

 生憎と使い手であるジンの性格上そんなことをしないのは分かっているが、それと伐刀絶技の危険性は別だ。寧音の《覇道天星》を文字通り消滅させる力の持ち主などそうはいない。ましてや衝撃や余波すらなく、跡形も消し去れるものなどいなかった。

 ジンはその唯一の例外だ。

 おまけに、大規模な『入り口』を作れるのであれば、並外れた魔力制御の使い手であるジンなら小規模も作れるのも道理だ。

 そしてそれを人間に向けて使うことも出来るだろう。

 ただの無機物ではなく、生物が幻想の向こう側へ行けばどうなるのか。それは恐らくジンすら預かり知らぬこと。

 確かなことは、一度通れば二度と戻って来れない……最悪存在そのものが消滅する可能性があるということくらいか。

 それ程に危険な代物なのだ、《夢現境界》という伐刀絶技は。

 その伐刀絶技の発現を顕すオーロラはいつの間にか消えていた。

 恐らくは脅威が消え去ったからだろう。何より今ので寧音の奥の手が通じないことは証明された。

 だからこそ、ジンはこれ以上の戦闘は望んでいない。

 

「ザっけんな……!」

 

 意図を察した寧音の苛立ちは最高潮に達した。

 この期に及んでまだ、そんな甘い考えを抱くジンに。

 この期に及んでまだ、寧音の身を案ずる場違いな優しさに。

 

「ホンッットにテメェは、ムカつく野郎だなぁ!」

 

 寧音の技は全て完封された。

 ジンは最早寧音の想像を遥かに超える程の怪物になっていた。

 『世界最強』を倒したというのも嘘と言い切れない。

 全身全霊を尽くしても倒すことは出来ない。

 だが、それで諦められる程潔くはない。

 最大の重力加速度を使い、ジンへ特攻を仕掛けた。

 超高速移動をするエーデルワイスを何度も相手にしてきたジンにとって、その程度の速度は既に見切れる。

 その上、《大六感応》の恩恵もあり回避するのも容易なことだ。

 しかし――。

 

(こればかりは避けたらダメだよな……)

 

 見間違いならいいが、今急降下で迫ってくる寧音の目の端に一瞬光るものが見えた気がした。

 彼女の想いを全て理解することは出来ない。

 それでも確かなことがある。ジンは彼女の想いを蹴飛ばしてでも行かねばならないということを。

 その為にも全力を以て彼女に向き合わなければいけないということを。

 

「――屠れ《童子切り》」

 

 だからこそ、ジンは自らが持ち得る中で最高の一振りを顕現させる。

 本来の姿であるはずの小刀型の霊装であるはずの《孤狐丸》にひびが入り、間を置かず砕け散った。

 だが次の瞬間には全く異なる刀がジンの右手に握られている。

 一般的な日本刀より刃渡りが三寸程長い白銀の刃。

 刀身もさることながら柄も、鍔も、見る者の目を――いや、魂すら惹いてしまうような仕上がり。

 これこそがジンが自らの異能の本質に気付いてから、毎日欠かさず鍛え続けて出来た最高の一振り、《童子切り》だ。

 《欠落具現》の幻想を使うことで霊装を……魂を研鑽し続けた結果。掛けた時間は優に十年以上。

 人間の時には才能という枷によって至るまでにはいかなかったが、《魔人》と化したことでついにそれは形を成した。

 それは最早魂の一部ではなく、魂そのものだ。

 ジンが死なない限り、決して折れず曲がらず傷付かず、因果干渉すらものともしない。

 それでいてあらゆる存在を切り伏せる絶対無比の刃。その前ではたとえ『バケモノ』であっても両断されるだろう。

 そのようにして鍛え上げた一振りなのだから。

 真実、この《童子切り》はエーデルワイスの霊装《テスタメント》すら切り捨てた。

 それ程の得物。寧音ならば一目見ただけでその脅威は理解できただろう。

 しかし彼女は止まらない。止まることは出来ない。

 ぐちゃぐちゃに混ざり合い、身を焦がす程の感情の炎は捌け口を求めている。

 ならばその元凶を叩き潰さねば気が済まない。

 最高にムカつく野郎を叩き伏せなければ気が済まない。

 

「《八咫烏》ッッ!!」

 

 白銀の一振りに挑むのは、漆黒の重力刀。

 長い年月を掛け魔人の域へ達することで鍛え上げられた刀と、重力という純粋な力を集束させることで出来た刀。

 相反する二刀はその使い手を顕しているようだ。

 時間にして数秒もせず、彼らの距離はゼロとなり二つ筋の閃が交わった。

 

「……ク、ソ……ッ」

 

 その結果、白銀の刃は重力刀を両断した。それもただ切っただけではなく、刃として纏っていた《紅色鳳》すら破壊して。

 魂の具現化である霊装が破壊された寧音は、異能の制御もなくなり無様にも地面に……倒れなかった。

 

「……ぁ……っ」

 

 もはや満足に呼吸すら出来ないはずなのに、身体には力は入らないはずなのに、寧音は倒れることなく、残った《紅色鳳》を手にジンに向け――その手から落としてしまった。

 地面に落ちた片割れの《紅色鳳》も限界だったのか、それだけの衝撃で砕け散った。

 

「……行け、よ……うちの気が、変わらない内に、さ……そんで、もう、顔……見せ、んな……」

 

 喉が、眼球が焼けるように熱い。

 限界が近いこともあり、寧音は今自分がどんな表情を浮かべているかなどわからない。

 わからないが――

 

「……悪い」

 

 それを見たジンの顔色からは罪悪感が感じ取れた。

 きっと酷い顔をしているのだろう。それこそ同情を誘える程に。

 しかし、ジンは踵を返し背を向ける。

 ――ああ、わかってる。その程度で揺らぐ程弱くねーもんな、テメェは……。

 それが決別の表れであることを悟った寧音は静かに目蓋を閉じ、意識が遠退くのを感じ……。

 

「それから……ありがとう、寧音。こんな俺を少しでも人間扱いしてくれて」

 

「――っ!」

 

 その言葉で僅かに覚醒してしまった。

 俯いていた顔を上げると、そこには既に腐れ縁の天敵はいなくなっていた。

 恐らくはあの距離を縮める伐刀絶技を使ったのだろう。

 彼がいなくなったことで改めて寧音は現実を再認識し、空虚感に見舞われた。

 限界だった身体は耐えきれず膝をつく、そして地面についた手は無意識に土を握り締めていた。

 

(ちげぇ……そうじゃねぇ……!)

 

 寧音は先程のジンの言葉を否定したかった。

 彼女が彼に与えたものなど因縁と気紛れの思いつきだけだ。ただ超えるべき壁の一つだと思っていた……少なくともその期間の方が長かったのだ。

 寧音からすれば感謝される謂われなどこれっぽっちもない。

 だがジンは違ったのだろう。

 物心ついた時から裏の世界で生き、ただ人を殺すだけだった一つの刃にとって、寧音と共に過ごした時間は新鮮で、きっと心の底では楽しかったのだ。

 だからこそ、否定したい。否定しなくてはいけないのに……。

 

「……ちく、しょう……!」

 

 思い返してみると自分自身も『そう』だったことに気付いた。

 

「ジン……! くーちゃん……!」

 

 ジンだけではない。黒乃も含めた、三人で過ごした時間は、とても楽しくて輝いていて……そして、もう戻らないのだと思うとどうしようもない虚しさと孤独感に包まれた。

 

 それから暫くして、雨が降った。

 『あの時』の様な強く激しいものではなく、小さな、小規模程度の小雨が……。

 




尚、こんな別れ方しておいて数年後再会します。
ちなみにここで寧音が勝てたとしても、既にエーデルワイスルートが確定してるので寧音ルートにはいけません。

実は元々プロット段階時点では14巻がまだ手元になく、寧音との関係も黒乃とは真逆の感じで、と決めた感がある。まあ、歪な関係とか好きだから因縁関係はその時には既に組み込んでいたんだけど。
で、いざ14巻を手に入れ寧音関連の掘り下げ見てみると……あれ? なんか予想以上にジンと相性よくない?お前。てか、なんでフラグへし折る為に天敵やら気に食わない相手として因縁与えたのにそれが逆効果になってるの? これ普通の友人関係からとかの方がまだ諦めいいパターンだよね?
予想を超えるひねくれ者のくせに一途過ぎるよ……。
プロットも大幅の変更は必要ないし、むしろ付け足すくらいで丁度いいとか……。
あれー?おかしいね、私エーデルワイスをヒロインに想定したオリ主作ったはずなのに、なんで寧音の方が相性いいんだろ?
そんなこんなで、長くなってしまったジンと寧音の過去は以上です。
寧音関係の番外編はあと一つだけif的な話を投稿する予定です。……いつになるかはわからないけど。


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《寧音》if

某五作目の仮面のゲームやってたらこんなに期間が空いてしまった……申し訳ない。
とりあえずあのゲームの教訓は「浮気なんてしちゃダメだろ」でした。
尚この話は本編とは別の世界線の話なので浮気ではない、いいね?


「うはははは!」

 

 ある天気が良い、春眠の時期。破軍学園の敷地内に年端もいかぬ少女の声が木霊した。

 何事もなければ十五歳から三年の間学び場として世話になる所にその声はえらく不釣り合いだった。

 純粋で無邪気で、何より幼い。

 在校生の声でないことはすぐに分かった。

 

「あっちか」

 

 その声が一人の少年の耳に入った。

 丁度、探し人と同じくらいの年齢だと推測。流石に同じ日に都合よくあの年代の子が二人もいるはずもないだろう。何よりも、聞き覚えのある声だ。

 妹も探しているはずだが、さてどうしたのか?

 そう、思いつつ少年は声のする方へと歩みを進めた。

 

 

 

 破軍学園の敷地内には湖がある。

 敷地そのものが広い為あっても無駄にはならない。寧ろ四季の彩りを映えさせるのに持ってこいであり、その付近ではよくカップルが校内デートと洒落込んでいることも多い。

 

「うはははは!」

 

「待ちなさい! この悪ガキ!」

 

 その湖に今、二人の少女が『舞っていた』。

 一人はこの学園の生徒なのだろう。銀髪のショートヘアーに小柄な体型、実年齢よりも幼く見えるであろう愛らしい容姿だ。

 彼女は必死の形相でもう一人の少女を追いかけていた。

 その少女は、銀髪の少女よりも更に幼く、どう見ても一桁の年齢だ。高そうな朱色の着物をきっちりと着込み、長い黒髪を靡かせ、楽しそうに笑いながら追われている。

 そんな二人だけの鬼ごっこをしている場所は『湖の上』だった。

 各々、超常的な力である『異能』を使っているから成せることである。

 銀髪の少女――黒鉄珠雫が波紋すら立たせず接近し、捕まえようと腕を伸ばす。

 それを少女はのらりくらりと難なく避ける。珠雫より更に小柄ということもあるが、彼女の動きを見切っているというのが大きい。

 相手が子供で手加減しているとはいえ、それでも普通なら一秒で捕まえれる所が一分以上続いている。

 

「うははー!」

 

 なによりも必死に追いかけている珠雫に対して、少女は完全に遊び気分全開だ。

 満面の笑みで高笑いをし、小さな波紋を立たせ湖の上を駆け回る。

 一見大袈裟な動きに見えるが、その実、水は跳ねるどころか一滴足りとも着物についていない。

 散った水飛沫すらも少女は舞うことで避けている。

 それは一種の舞踊の様でもあった。

 

「まったく!」

 

 埒が明かないと思った珠雫は、自らの異能を使う。

 その瞬間、少女の足下の水が木の蔦のように足を捕らえようとした。

 

「っと、と、と」

 

 寸前、一秒すらなかったはずの刹那で少女はそれに気付き、大きくその身を宙に躍らせた。

 その距離、実に十m(メートル)。子供どころか大人ですら単身では不可能な飛距離を目の前の少女は容易く行った。

 つまりそれは、やはりというべきか、少女も異能を宿していたことを意味している。

 

 

「降りてきなさい、この悪ガキ!」

 

「シズ(ねぇ)ちっちぇ~」

 

 上空で静止した少女は水面から怒声を発する珠雫の姿を見てカラカラと笑う。

 遊び気分は未だ抜けず、むしろエスカレートしている。

 このまま更に異能を使おうものなら、最終手段として珠雫の伐刀者としての師匠に連絡をしなくてはならない。

 ただの幼子であれば、珠雫も加減して捕まえることが出来るのだが、なまじ力を扱える分(たち)が悪く、加減を間違えれば怪我をさせかねない。

 もし、そうなれば良くて呆れられ、悪ければ地獄の特訓を与えられることだろう。

 後々のことまで考慮するのであれば、やはり一時の恥とはいえ師匠に連絡を――

 

「あ、此処にいたんだ」

 

 そう思った時に丁度一人の少年が現れた。

 

「お兄様!」

 

「あ、イッキ(にぃ)!」

 

 少年の名は黒鉄一輝、珠雫の兄である。

 

圭衣(けい)ちゃん。先生……お父さん達話が終わったみたいだから帰るって言ってたよ」

 

「うん! わかったー!」

 

 娘を呼び戻すように頼まれていた一輝が少女――西京圭衣に呼び掛けると彼女は驚く程あっさりと頷き、彼の下……いや、『目掛けて』落ちてきた。

 まだ子供とはいえ、重力加速度に従い落ちてくるのだ。相応の速度と威力で備わっている。

 だが、一輝はそれを苦もなく受け止める。円の力を使い、受け止めた衝撃を逃がすように一回転してから圭衣を地面に下ろした。

 

「ありがとー! イッキ兄!」

 

 そして下ろされた圭衣は礼を告げると走り去っていく。

 異能を使っているからなのか、その速度はおよそ子供が出せるものではない。

 しかし、ぶんぶんと手を振って去っていく姿そのものは正に子供そのものだ。

 その姿を見送りながら、一輝は珠雫に労いの言葉を掛けた。

 

「お疲れ、珠雫」

 

「はい……凄く、疲れましたお兄様」

 

 大きなため息と共にドっと疲れが顔に出た。

 如何に自分が世話になっている人の子守りとはいえ、普段から他人のことに無関心な珠雫にとって、今回のはなかなかにハードな内容だった。

 天真爛漫で無邪気の塊の様な少女の相手は予想以上に体力を使った。その上、あの歳で既に能力の発現までしているのだ。一般的なそれより難易度は断然に上がるだろう。

 心身共に疲れ果てた珠雫に、一輝は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「流石、あの人達の子供だ」

 

 既に去った少女の方を見て、小さく呟いた。

 

 

 

「やっぱ暫くは帰ってこれないか?」

 

「んー? なによ、うちがいなくなって寂しいん?」

 

 破軍学園の校門前に二人組の男女がいた。

 青い髪のカジュアルな洋服を身に纏った男は相方の女性に話しかける。

 それに対し、どう見ても少女にしか見えない日本人形のような女性は、にやにやと訊き返した。

 

「まあな。騒がしい奴がいなくなると落差が激しいからな」

 

「……テメェちっとは言葉選べよ」

 

 言いたいことは解るし、抱いている気持ちも理解出来るが、もう少しオブラートに包めないものか。

 最愛の女が遠くに行く(ただの単身赴任)のに随分と冷めた物言いだ。

 もっと歯の浮いたようなセリフの一つや二つ言えないものか……。

 

(いや、無理だな)

 

 この男の口からそんなものを出ようものなら、腹を抱えて笑う自信がある。

 ロマンスなぞ似合わない、血生臭い人生を送ってきた奴の口からそんな『気色の悪い』ものが出て堪るか。もしそのようなことをしようものなら力ずくで口を塞ぐことだろう。

 

「……ま、寂しくなるってのは本心だがな」

 

 むろん、心配は杞憂で終わり、代わりにぼそっと呟いた言葉は確かに女の耳に届いた。

 

「……お互い様、か」

 

 同じ様に小声で応えたそれを男が聞き取ることは、しかしなかった。

 

「とーちゃーん!!」

 

 同じタイミングで遠くの方からこちらに向かってくる幼い声が聞こえた。それにより女の小声は掻き消されたのだ。

 見ると、少女――圭衣が父と呼んだ男に向け一目散に駆けてきた。

 子供とは思えない速度に、しかし男――ジンは慌てることなく両腕を広げ迎い入れた。

 

「死ねー♪」

 

 そんなジンに、圭衣は容赦なく突っ込んできた。笑顔で物騒な言葉を放ちながら。

 異能を使っての全速力は優に時速四十kmは超えていた。しかしジンは何食わぬ顔でそれを受け止める。相応の衝撃も有ったはずだが、彼は微動だにしない。

 

「ったく、ホント口の悪さはお前譲りだよな」

 

 最愛の子供(悪ガキ)を抱きかかえ、よしよしと頭を撫でながら女――寧音を睨む。

 

「はははは、うちに行儀の良さなんざ求めんじゃねーよ」

 

 しかし寧音は何処吹く風と言わんばかりにそれをスルー。寧ろ愉快に笑って見せた。

 改めて、これが自分の伴侶であることに頭を抱えそうになった。

 

 

 

 ジンと寧音の関係はそこそこ長い。

 特別運命を感じるロマンチックな出会いではなく、寧ろ一度の接触で雁字搦めになったのでは? と思う程の腐れ縁だ。

 そんな二人が何故付き合い、結婚し、子どもまで儲けたかと言うと、切っ掛けはまだ寧音が学生の頃にまで遡る。

 二人が会う時は総じて戦うことが多い。模擬戦、腕試し、色々な言い方はある。

 元より負けず嫌いな寧音と強さを求め続ける(さが)を持ったジンだ。そういう流れになるのは別段不思議なことでなかった。

 しかしその時は珍しく寧音の方からある提案が出された。

 ――負けた方は勝った方の言う事を何でもきく。

 勝負事においては何かを賭けるというのは珍しくもなく、ジン自身疑問を感じることなくそれを了承してしまった。

 結果。その日の寧音はいつも以上に鬼気迫る力を発揮し、ジンから一本取った。

 ジンとて手を抜いた訳ではないが、その日に限り異常に寧音は強かった。

 そして勝った後はガッツポーズしたり、嬉しそうに笑ったり、童女の様なはしゃぎように小首を傾げたが、その理由はすぐに解った。

 

『じゃ、今日からテメェ、うちの所有物(モン)な』

 

 満面の笑みでとんでもないことを言い放つ寧音。

 あまりのぶっ飛んだ命令に一瞬呆けてしまうが、同時に納得もした。

 わざわざ戦う前にいつもはしない提案をしたのはこの為だったのだろう。

 鈍いが故にジンは気付いていなかったが、 遠回しな告白である。だが残念なことに他人からの好意に疎いこの男は――

 

『俺の所有権は青﨑……牽いては黒鉄家にあるだろうから、そいつら説得しないとお前のモノにはならないぞ?』

 

 と見当違いな返答をした。

 本来であれば年齢的にも元服を済ませており、本人の自由意思というものが尊重されるものだが、彼は特殊な環境下にいた為だろう。

 その言葉に内心ムカついた寧音は、後日師であり黒鉄家とも所縁がある寅次郎に頼むことにした。

 その甲斐もあってか、意外な程あっさりとジンは寧音のモノになった。

 経緯としては他ならぬ寅次郎たっての頼みであることと、寧音とジンという高い素養を持つ伐刀者同士を結ばせることでの将来性を鑑みてのことだ。

 斯くして、ジンは晴れて寧音のモノとなり、関係も現在のものへと変わった。

 そして彼らの思惑通り、十分過ぎる程の素養を持った子供も生まれることとなった。

 

 西京圭衣。僅か五歳にして能力を発現、既にDランク伐刀者に相当する力を持っている。両親は、母は表舞台でも活躍しているAランク伐刀者の《夜叉姫》西京寧音。父は表舞台にこそ出てはいないが、裏の世界の実力者である《千刃》のジン。

 知る者が見れば紛れもないサラブレッドであり、事実周囲の想定を超える力を宿している。

 彼女の異能は『重さ』に関する概念干渉であることが確認された。純粋な重量変化だけでなく、概念にすら干渉できることから、強力で多様性のある能力だ。本来であれば扱いは困難であり、暴走する危険性も視野に入れなければいけないのだが、幸運なことに彼女は両親譲りの才能も秘めていた。能力の発現からものの一週間で自らの制御下に置いたのだ。むろん、独学ではなく指導したジンの功績もあるが、やはりその短期間で終えることが出来たのは才能による所が大きいだろう。

 

 そんな将来有望の天才少女は、しかし今はまだまだ甘えん坊の悪ガキだ。愛しの父に頭を撫でられ猫の様に目を細めている。

 

「圭衣ともしばらくお別れかー、寂しいなー圭衣」

 

「あ、かーちゃんいたの?」

 

 近日には破軍学園に臨時講師として出向くことになっている寧音は、別れを惜しむような事を言う(表情は全然そうは見えない)が、返ってきた言葉は冷たかった。

 

「はっはっは、圭衣ー? それが母親に対する態度かコラ」

 

 圭衣の頭をがしりと掴み、持ち上げた。笑顔を浮かべるものの、肝心の目は笑っていない。

 どういうつもりだ? そう言わんばかりに力を込めていく。

 

「だってかーちゃん家にいるほーが少ないじゃん?」

 

 それに対し、圭衣は何事もないかのように返した。

 頭部に相当な圧力が掛かっているはずなのだが、ケロリとしている。それは偏に彼女の能力故だろう。本来掛かるであろう負荷は、彼女の能力により『軽く』なっており、『触れられてる』程度の感触しかない。

 概念干渉系とはいえ、まだ幼い少女が意図して行うのは極めて難しいことだが、彼女の父は世界レベルの魔力制御の腕だ。彼の指導と、彼女の才能があれば出来てもおかしくはない。

 

(ホント、面倒な能力持ちやがって)

 

 加減しているとはいえ、Aランクの騎士の力に耐える辺り流石の我が子と言ったところか。

 呆れ半分に寧音はため息を吐く。

 同時に、圭衣から言われた言葉が頭の中で反芻された。

 彼女達家族の稼ぎ頭は寧音だ。世界ランク三位という肩書きに相応しく、彼女への仕事の依頼は多い。今までは本人の性格も相成り余程のことがなければ受けることはなかったのだが、子を持った身としては稼ぎは多いに越したことはないと考え、受けるようになった。

 ジンは既に裏の世界との関係を切り、主夫として家にいる。子供が出来たこともあり、彼女の面倒を見る意味でもそういう立ち位置になったらしい。

 その傍ら、旧知の伝手ということで黒鉄家の本家の娘である珠雫の指導も請け負っているが、比較的ジンは家から離れることは少なく、もしそうなっても圭衣を連れて行く場合が多い。

 接する機会が多い為だろうが、圭衣からするとそんな父を嫌う必要はどこにもない。むしろ大好きだ。

 だが、しょっちゅう家を空ける寧音()に関しては別だ。親の愛情というものが必要な時期に傍にいなければどうなるか、寧音はそれを痛く実感することとなった。

 

「圭衣。かーちゃんだって本当はお前の傍にいたいけど我慢して仕事してるんだから、そう冷たくするなって」

 

 そして毎度そのフォローに回るのはジンだった。

 彼の場合、下手に動いて『裏』でのことがバレると世間体的に危なくなる。ジン個人だけであれば、そんな慎重になることもないのだが、今は妻子持ち。寧音に関しては昔からの問題児で悪評もあった為ギリギリだがまだどうとでもなるが、流石にまだ幼い娘がそんな風評のせいで変に見られるのだけは親として我慢ならない。

 だからこそ、下手に動くことが出来ない自分の代わりに頑張ってくれている寧音への擁護は常々行っている。

 ――尚、数年後リトルリーグでジン()のことを悪く言った選手を(幻想形態だったとはいえ)四肢を砕いた上に頭から地面にめり込ませるという、プロですら引くような暴虐っぷりを発揮し、結局悪評が着くことになる事をこの時のジンはまだ知らない。

 

「ぶー……」

 

 未来の悪鬼はせめてもの抗議として頬を膨らませた。

 

「……夕飯、ハンバーグ作ってやるから」

 

「やりぃ!」

 

 しかしそれも一瞬で、好物の影をチラつかせるとすぐに機嫌が良くなった。やはりまだまだ子供だ。

 

「でかした圭衣!」

 

 尚、もう一人子供の様な大人がいた。

 容姿といい好物といい、やはり親子なのだろう。寧音の見た目的に並ぶと親子というより姉妹の様にも見えるが……なんだかんだ言いつつも仲は良い。

 こういう時だけ意気投合する二人を眺めつつ、ジンはため息を一つ吐いた。

 

「なら、さっさと帰るぞ。流石に都合良く冷蔵庫に材料はないからな」

 

「うん!」

 

「愛してるぜージン」

 

「随分安い愛だな」

 

 上機嫌に頷く圭衣と、ニヤニヤしながら茶化す寧音。

 そんな妻と娘(二人)にせがまれ帰路に着く。

 ジンと寧音の間には圭衣がいて、二人を取り持つかのように手を繋いでいる。

 客観的に見て、それは和気藹々(わきあいあい)とした親子のようであり、実際そうなのだろう。

 だが、自分がそんな人間の一人になるとは思ってもいなかったし、それは寧音もきっとそうなのだろう。少なくとも出逢った当初はこんな光景を想像することはなかったはず。

 それがいつの間にか、だ。

 人生何があるかわからないとはいうが、正にその通りだと実感した。

 昔の自分であれば苦笑を禁じえなかっただろう。

 それほどまでにおかしな関係は成立して、今尚続いている。

 そしてそんな現在()を「悪くない」と思っている自分。

 この関係がずっと続くのか、更に良くなるのか、はたまた悪くなるのかは未来を視る術のないジンには分からない。

 しかし『願わくば』、そう思い空を仰ぎ見る。

 赤から黒に変わる最中、三つの星が輝いていた。

 




以下圭衣についてと本編との差異


西京圭衣

人物概要 《夜叉姫》と《千刃》の娘

ジンと寧音の娘。重度のファザコン。
母親譲りの容姿と凶悪な能力、父親仕込みの高い魔力制御を既に身につけた天才少女。
異能は『重さ』に関する概念干渉系、固有霊装は羽衣型の《乙姫》
学生最後の七星剣舞祭で黒乃と決着がつけられなかった寧音が、そのイライラを解消する為だけにジンを呼び寄せ『過ち』を犯した、という経緯によって生まれた。
生まれるまでの経緯はアレだが、両親からの愛情は本物。ジンは元より、寧音もなんだかんだで可愛がっている。
将来的(学生騎士になる頃)には黒髪ロングの和風美人という風貌になるが、ファザコンは治らず。母親の幼児体型も受け継がれない。
基本的に見た目と性格が良く、言葉遣いも丁寧になる(父の教育の賜物)。しかし、何らかの切っ掛けでスイッチが入った場合は言葉は汚くなり、圧倒的な力で暴虐の限りを尽くす。そのあまりの変わり様に《宿儺(すくな)姫》という二つ名がつくこととなる。


本編との相違
ジンが《刄》として当主にならなかった。
その結果エーデルワイスとは遭遇せず、《覚醒》の切っ掛けがなく、《魔人》にはなっていない。
本編と比べるとジンはかなり弱体化している(それでも実力はAランクに届く)。
こっちでは主夫をやっており、その一方で珠雫を鍛えている。一輝に関しては表向きは指導とかではなく、手合わせと称し技を盗ませている。


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本編
プロローグ


リハビリでなんとなく書いてみた。


 ――愛する妻へ

 

 まず、突然姿を消したことに対して謝罪を……すまない。

 別に「嫌いになった」とか「愛想を尽かした」とかそういったものではないのでそこのところは安心して欲しい。

 実は知人から呼び出しを受け、急ではあるが里帰りすることになった。

 いきなりではあるし、断ることも出来たが、彼女には昔貰った大きな「借り」がある。

 向こうも本当に人手が足りないようだし、この際だから「借り」を返しに行こうと思った次第だ。

 ちなみにキミに相談せず独断で決めた理由は、「言ったら止められる可能性がある」のと「下手したら着いてくる可能性」があったからだ。

 特に後者は問題しかないので、すまないが暫くの間留守を頼む。

 出来る限り早く帰ってきたいと思っているが実際の所どうなるかは分からない。

 とりあえず定期的に連絡はするつもりなので、色々と早まらないでほしい。

 では、行ってきます――。

 

 

 そんな置き手紙をして発ったのが今から数日前だったのを懐かしむように思い出す。

 現在自分は『彼女』が理事長へと就任した学園、そしてその理事長室の前にいる。

 最後に会ったのは数年前。とある事情により生まれ育った国を離れなくてはいけなくなった時だ。

 それからは縁遠くなり、連絡等も互いにしなかったのだが……今回の一件で久しぶりの再会となる。

 一体どうなっているか。期待半分不安半分といった心境で扉を二回ノックする。

 

「入れ」

 

 了承を貰うとドアを開け、中に入る。

 

「失礼しま――」

 

 その瞬間、タバコ特有の臭いが鼻をついた。臭いのキツさ的に一本や二本でないことは明らかだ。

 ――ああ、これはダメな方に成長したのでは?

 そんな失礼な思考が一瞬でも巡ってしまったが、これから世話になるのだ。

 背けたい現実であろうとも立ち向かわねばいけない。

 

「失礼します」

 

 覚悟を決め、言い直し理事長室へ入る。

 

 そこにいたのは黒髪を纏め上げたスーツ姿の女性。

 記憶の中の知人と照らし合わせ、経過した年数も加味すれば彼女――新宮寺黒乃本人である事が確認出来た。

 数年が経ち、結婚し子供も出来、今では立派な大人の女性になったと聞いていたが、現物を見て「あぁ、あの彼女がかぁ」と一種の感慨に耽ってしまった。

 そんな彼女、黒乃は立派な椅子に腰掛け、こちらを視界に入れると顔をしかめた。

 

「誰だ、お前?」

 

「帰っていいか」

 

 予想の斜め上を行く発言につい本気で思ったことが口に出てしまった。

 しかし、よくよく今の『自分』の姿を思い出し、頭を掻く。

 

「お前が用意した戸籍(プロフィール)だろうが」

 

 ため息混じりでそう言うと合点がいったらしく、「あぁ」という言葉が漏れた。

 黒乃の方はともかく、自分は昔と姿が変わっている。ちょっとやそっとの変装ではなく彼自身の異能を用いての物だ。

 諸事情により、実名や本来の姿で帰国するのが出来ない彼の為にわざわざ用意してくれたらしい。

 事、騙すことにおいては右に出る者はいないと自負出来るそれが今回は仇となった。

 

「悪いな、すっかり忘れていた」

 

 おまけに当の本人も忘れていたらしく、完全に誰か分からなかったようだ。

 しかし悪びれもせず言うこの図太い精神は間違いなく黒乃本人だ。

 嫌な事で再確認した後、ため息を一つ。

 

「久しぶりだな。……確か、今は一ノ瀬だったか?」

 

 記憶をほじくり返し何とか出てきた名前を尋ねる。

 

「ああ、『一ノ瀬 仁(いちのせ じん)』。それが、今回お前が用意してくれた俺の名前だろ」

 

 『自分』の――『一ノ瀬 仁』としてのプロフィールを再認識する。

 一ノ瀬 仁。容姿は黒髪黒眼の青年。新宮寺の遠縁の伐刀者(ブレイザー)であり、ランクはC。

 黒乃の夫である新宮寺琢海の伝で急遽臨時講師として来た。

 そういう『設定』である。

 

「そうだったな。ならば仁、再会を祝して一杯どうだ?」

 

「後でな。まずは俺が暫く厄介になる所と、仕事の内容をもう少し具体的に教えてくれ」

 

 誘いを一蹴されるも中身が変わっていないことに苦笑する。

 

「相変わらず馬鹿みたいに真面目だな」

 

 数年振りの再会だというのにロマンも何もあったものではない、だがそれが却って自分達らしいと内心ほくそ笑む。

 仁の要望に応えるように机の引き出しから纏められた資料を出す。結構な量があった為かドンという音が出た。

 

「事前に言った通りだ。お前には臨時として講師をしてもらう、ついでと言ってはなんだがクラスも受け持て。今は本当に人手不足でな、悪いが拒否権はない」

 

 一方的な押し付けに反対すら許さないとは流石といえる。

 元より拒否するつもりはないし、黒乃もそこは理解しているのだろう。仁の性格上拒否するのであれば、まず話自体を断ることは目に見えている。その為、多少仕事が増えようとも引き受ける事は明らかだ。

 現に受け取った資料に書かれている事を異常な速さで読み込み、内容を頭に叩き込んでいっている。

 一分も掛からずに辞書程の厚さもあった資料を黙読完了すると質問が一つ。

 

「ちなみに『臨時』との事だが、期間はどれくらいと見積もればいい?」

 

 その辺りは個人の契約に含まれるせいなのか、書かれていなかったらしい。

 とはいえ臨時。そんなに長くはないだろうと――

 

「多少の前後はするだろうが、大体一年だ」

 

 思っていたら予想より多分にオーバーしてしまい、頭を抱えた。左手薬指にはめられた銀の指輪が光る。

 

「……ヘソを曲げられるな、これは」

 

 頭の中の妻が無言で圧を放っている。

 保険としていつ帰れるかは伏せてきたが、流石にその期間ほったらかしはマズイ、絶対に。

 

「……まあ、私の方からも弁護はしておくから腹を決めろ」

 

 何の事で悩んでいるのか察した黒乃はそう言い聞かせた。

 相手が相手だけに、下手をしたら黒乃自身も――いや、むしろ実質元凶とも言える黒乃の方が危険かもしれない。

 

(こいつへの執着は相当なものだからな)

 

 了承を得ても、滞在中に仁の身に何かあれば飛んできて戦争を始めてもおかしくはない。そんな核弾頭並に扱いが難しいのが仁の嫁だ。

 

(もっとも、そんな奴がそうそういる訳がないがな)

 

 仁の実力は知っている。少なくとも何処かの馬の骨にやられる程脆弱ではない。

 それこそこの学園で彼を倒せる可能性があるものは黒乃を除けばあと一人しか思い浮かばない。

 

「お~い、くーちゃん、飯食いに行こうぜ~」

 

 そして不意にその声が聞こえた。

 気付けば理事長室にはもう一人いた。

 大人の女性を体現したかのような黒乃とは真逆に童女のような女性。

 着崩した着物を纏った黒髪の彼女は西京 寧音。現世界ランキング三位という末恐ろしい力の持ち主である。

 彼女も現在この学園の臨時講師として滞在しているのだが。

 

「げ」

 

「ん?」

 

「しまった」

 

 寧音の姿を確認した仁は明らかに動揺し、そんな様子の仁を寧音は小首を傾げて凝視し、その二人の遭遇に思わず声を上げてしまった黒乃。

 それから、時間が止まったかのように十秒、誰も動けずにいた。

 

「あ」

 

 しかし、そこからいち早く立ち直ったのは寧音であり、何かを察したのか俯き体がプルプルと震えている。

 そして――

 

「どの(ツラ)下げて戻って来やがったテメェ!!」

 

「何でいるんだよ!? 聞いてないぞ! 新宮寺!」

 

 突如として怒髪天。

 怒りの化身と化した寧音から逃れるように仁は理事長室から去って行った。そしてそれを追いかけるように寧音も退室。

 寧音の怒りの余波で見るも無残な惨状と化した室内に残されたのは黒乃だけとなった。

 そこに佇む彼女はタバコを一本取り出し吸う。

 

「さて、どうするか……」

 

 数年という月日が経過していたとはいえ、二人に因縁がある事を忘れていた黒乃は先行きが少しばかり不安になってしまった。

 ――とりあえずこれ吸ってから考えよう。

 ある種の現実逃避を思いながら黒乃は紫煙を吐くのだった。



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一話

 着任早々一悶着があってから数日。

 あれからも寧音には会う度に怒りをぶつけられ続けている。しかし異能を使うことは一度もなく、それ故に命の危機とまでは感じない。

 何よりも向けられるのが『殺意』ではなく『怒り』な辺り彼女も本気ではないのだろう。

 あれは何というか、久しぶりに会ったは良いもののどう接していいか分からず、結果最も強い感情に頼ったという、一種の困惑の表れなのだろう。

 時間が経てば解決……出来るかは当人による所が強いが、落ち着いてはくるはずだ。

 だがしかし、それにしても――

 

「何故『俺』と分かったんだ?」

 

 鏡に映る自分の姿を見て仁は首を傾げた。

 ここの所毎朝かかってくる妻からのモーニングコールにより目覚め、今丁度顔を洗ったばかりだ。

 そこに映っているのは紛れもなく『一ノ瀬 仁』。本来の『自分』とは容姿が違うのだ。なのにも関わらずどうして寧音は自分の正体を看破出来たのだろうか。

 自分の異能は欠陥を抱えている。しかしだからといって決して劣っているわけではないし、あの時も内心は動揺していたものの能力そのものは異常なく機能していたはず。

 ならばこそ、理由はますます分からない。分からないが……。

 

「ま、昔から勘が鋭かったからな、あいつは」

 

 戦い方に能力、性格に至るまで在り方が真逆な二人。

 昔から思っていたことだが、両者共に火と水レベルの真逆の存在だった。気が合う事もほとんどなく、犬猿の仲とも言える間柄。

 そんな彼女の事について考えた所で今更だろう。

 考えるだけ無駄。

 そう思考放棄し、仁は身支度を始める。

 今日から新学期。本当の意味で教師としての仕事が始まる事になる。

 黒乃曰く、一年の問題児ともいえる者達は皆一組に集め、教師として先輩である折木有里が担任になった。故に仁が受け持つ四組(クラス)は至って普通の生徒が多いという。

 その心遣いは大変有り難いのだが、だからといって問題が全く発生しない訳ではない。機械と違い、人間はイレギュラーの塊みたいなものなのだから。

 

 

 ――そんな事を思って挑んだのがつい数時間前のことである。

 

「はあ……」

 

 馬鹿みたいに大きなため息を吐いた仁を心配そうに見る顔が複数。

 彼らはこれから彼が受け持つ生徒であり、此処は彼が担当する四組の教室。時間は生徒に色々と説明が終わった直後の事だった。

 いきなり校内に爆音が響いた。

 距離と位置的に瞬時に例の『一組』である事を理解した仁は頭を抱えつつも思考する。

 一組の担当となった折木有里はかなりの虚弱体質と聞いている。故に肝心な時にいないというケースは元々考えられていた。その場合の対処として、他の教師が対応するのが当然だろう。

 しかし――

 

(二組と三組は動く気なしか)

 

 位置的に仁のいる教室より近いであろうクラスの担任教師が動いていないのは二度目の爆音が起きたことで分かった。二人共関わりたくないのか、動く気配がない。

 使えない奴らめ。心の中で毒づいた。

 結局の所、厄介な事は鉢が回ってくるのだ。つまり、位置的に近い二人が動かなければ、自分が動くしかない。

 動かず次の者へ。という選択も無論あるが、どうせ誰かが動かなければいけないのだ。ならば、無駄に時間を使うのは得策とはいえない。

 結果仁が動かなくてはならなくなったが、仕方ない。理事長の黒乃や寧音辺りが動くのに比べればマシだろう。

 

「様子を見てくる」

 

 自分の中で結論が出ると、そう言い残し仁は教室を後にした。

 

 少年、黒鉄一輝は目の前で起きた事に唖然とした。

 事の発端は彼の(珠雫)ルームメート(ステラ)が出会ったことだ。互いに一輝を好きな者同士、気が合うということはなく、寧ろ水と油……どちらかというと火か?

 ともかくどちらか片方が倒れないと気がすまないと言わんばかりに彼女達の喧嘩が始まってしまった。

 両者共に高ランクの為か止めようと思う者はいない。当事者である一輝自身止めようと思ったが、まるで聞く耳を持っていない為匙を投げる他ない状況。

 互いの異能(特にステラ)が高い威力を誇る故に教室はたった数秒で爆心地と化してしまった。

 間が良いのか悪いのか、彼らの担任である有里は今保健室のベッドの上だ。

 もし彼女が今此処にいたら彼女達の仲裁に入ってくれたか、或いは目の前の惨状にショックを受けベッド行きか……恐らく後者ではないかと失礼ながらも一輝は思ってしまった。

 しかしどうすべきかと考える。

 正直な所、彼が本気を出せば二人の仲裁は可能だ。しかし荒れた内容が内容な為に、その一因である彼が止めに入るのは些か気後れしてしまう。

 ベストなのは第三者によるものが好ましい。

 だがしかし、相手が高ランクであることや家柄の問題もあってか、止めに入ってくれる教師がなかなか来ない。

 確かに面倒な事この上なく、事後処理やら何やらとあることは容易に難くない故に関わりたくないと思うのは当たり前だろう。

 しかしながら曲がりなりにも教師の端くれならば生徒の仲裁くらいはしてほしい所だ。実力云々はさて置いて。

 二度目の爆発が起きた際、これは「いよいよを持って理事長に連絡か」という考えが過った時に

 

「いい加減にしろ、ガキ共」

 

 彼が待ち望んだ仲裁者が現れた。

 

 声がする方を見るとそこには一人の青年がいた。

 いつからいたのか、不動という言葉が似合うように微動だにしない彼の手には大剣と小太刀の二振りが握られている。

 それは先程まで争っていた少女達の固有霊装(デバイス)

 

(いつの間に……)

 

 気配もせず、音もたてず、それどころか相手に「取られたことすら気付かれず」に固有霊装のみを手中に納めた手腕に一輝は舌を巻いた。

 当事者達はいつの間にか失くなってる自身の一部とも呼べる物を手にした乱入者に警戒心を抱き、睨みつける。

 

「ちょっと! 何なの貴方!」

 

「早く霊装を返しなさい」

 

 既に頭に血が上っている二人は得物を取られただけでは止まる気はないらしい。

 それは相手が誰であろうとも同じらしく、敵意丸出しだ。

 

「仕方ないか」

 

 その事を確認すると青年――仁は静かに大剣、ステラの固有霊装に視線を送る。

 一体何をしているのか、傍目からはただ大剣を眺めてるだけにしか見えない。

 しかし、変化はすぐに起きた。

 ――ピキピキと何かに亀裂が入る音が聞こえた。

 

「ウソ、でしょ……」

 

 その『現象』を前にして一番動揺を隠せないのは大剣の本来の持ち主であるステラだった。

 彼女の目には、仁の手にある自らの魂の一部である霊装(レーヴァテイン)に罅が入っていく姿が見えた。

 それは彼が持つ柄から始まり、徐々に全体に広がっていく。

 そして――

 

「あ……」

 

 切っ先にまで到達すると霊装(それ)はガラスの様に音を立て砕け散ってしまった。呼応する様に持ち主であるステラも静かに崩れ落ちてしまう。

 固有霊装とは則ち伐刀者の魂を具現化したものであり、それが破損するということは精神に大きなダメージを受けるという事である。

 とどのつまり、霊装が粉砕されて無事な者はいない。それは例えAランク伐刀者が相手でも例外ではないのだ。

 

「…………」

 

 眼前で起きた現象に一輝は……いや目撃した者達は皆唖然とする他なかった。ちょっとやそっとの事では絶対に壊れないはずの霊装を意図も容易く砕かれた現実。

 そしてそれを行った仁に対する畏怖の念が強まった頃。

 もう一人、霊装を奪われた少女は狼狽していた。

 

「素手で霊装を破壊……! こんな芸当『あの人』くらいしか出来ないはず! でも『あの人』は確か国外追放されたって……え? そんな、まさか、そんなはずは……!?」

 

 目の前で起きた不可解な現象は他人からすれば未知のものだが、どうやら珠雫は違ったらしい。

 それを可能とする人物を脳内の「トラウマ」というフォルダからピックアップしてくる。

 

「あ、ああ、あああ……!!」

 

 そして同時再生される忌まわしき過去。

 

 ――この程度の魔力制御も出来ないのか? なら死ね。

 ――あ? 太刀筋が覚えられない? ならその身体に刻んでやるから覚えろ。『死ぬ気』じゃなくて『死んで』覚えろ。

 ――は? 厳しい? ふざけるな、戦場に送りつけていないだけまだぬるいだろ。甘っ垂れんなガキ。

 ――幻想形態? 傷を負わずに強くなる訳ないだろ? だから気なんて抜くなよ、容赦なんてしないからな。

 ――霊装が破壊されるとどうなるかだと? ならお前の霊装で試してやる。心配するな疑似的な魂が壊れるだけだからな。

 

「せ、師匠(せんせい)……!?」

 

 顔面蒼白。ただでさえ白い顔が、思い出されたフラッシュバックにより更に白くなっていく。

 ああ、そうだ。あんな事が可能な人など自分が知る限り一人しかいない。

 鬼のようで悪魔のような、一切の容赦がない恐ろしい人生初の師。

 「厳しさ」や「優しさ」というものを一輝()に教わったのであれば、「恐怖」という感情はきっとこの人に教わったのだろう。そう言っても過言ではない程に珠雫にとっての恐怖の象徴といえる人物。

 その「恐ろしい師匠」は周りの目など気にせず、今度は珠雫の霊装に視線を送る。

 

「い、いや! 止めて、師匠! ごめんなさい! もう暴れないから、だから許し――」

 

 心ではもう分かっている。この人はある意味で真の平等主義者だ。相手が誰であろうとなんであろうと関係ない。

 だからどんな懇願したところで――

 

「喧嘩両成敗って知ってるよな?」

 

 大剣に続き、小太刀も同様に砕け散った。

 そして、その持ち主の珠雫も膝から崩れ落ちた。

 

 つい先程まで台風のようだった教室は一気に静かになった。

 元凶の二人は再起不能となり、後に残ったのは、ただただ呆然となるだけの一組の生徒と。

 

「おい、そこの留年生」

 

「え? 僕、ですか?」

 

「とりあえずそいつらは自室に連れていけ、謹慎処分だ」

 

「は、はい」

 

「さて、あとは――」

 

 そんな中、きびきびと後始末をする仁と、彼に体よく使われる一輝の姿だけだった。



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二話

前回のあらすじ(嘘)
仁「ドーモ。生徒ブレイザー=サン。教師デス」
珠雫「アイエエエエ! センセイ!? センセイナンデ!?」


 それはちょっとした好奇心からだった。

 

「珠雫は、一ノ瀬先生の事、前から知っていたの?」

 

 ある日の昼休み。食事中に愛しの一輝()から問いかけられたそれに一瞬何のことかと首を傾げてしまったが、すぐにかつての自分の師である人の事だと思い出し、身体が震えだした。

 仁と呼ばれる教師はかつて珠雫の伐刀者としての師に当たる存在であった。本人から聞いた訳ではないし、姿も彼女の知る当時のものとは異なっている。しかし、彼女の弟子時代の恐怖心(本能)が叫んでいるのだ。

 アレは間違いなく師匠(せんせい)である、と。

 

「そんなに怯える程!?」

 

 話題に出しただけで小鹿のように震える。それだけで如何に珠雫が彼を恐れているのかが分かった。

 予想以上の過剰な反応に訊いた本人(一輝)ではなく隣にいたステラが驚いてしまう。

 確かに固有霊装を破壊するなど異常とも思える力を持っていたが、それ程の者なのか。

 

「黙りなさい、豚足。あの程度まだ優しい方よ、本気だったら私達二人共首はねられていてもおかしくないのよ」

 

 あの人は平然とそれをする。その事を物語るように言葉とは裏腹に声は震えていた。

 そんな事したら退職じゃ済まないんじゃ……。そんな言葉がふと口から出たが、珠雫は即座に返した。

 

「戯れ言は寝てる時にでも言ってなさい、デブ。実行しても『何事もなかった』ように出来る、規格外のとんでも存在だと何度言えば分かるんですか? 師匠(せんせい)舐めると本当に殺されますからね(実体験)」

 

 目から光は消え失せ、此処ではない彼方を見て珠雫は語る。

 今は仁と名乗っているあの人物の恐ろしさは自分がよく知っている。

 一ヶ月という短い期間だったが、それでも師であったのは事実。

 幼く、調子に乗っていた自分の鼻っ柱を折り、世界にはどうしようもない理不尽な存在がいる事を魂に刻みこませた張本人だ。

 

 今でも時折思い出す過去の自分の愚かな行為を。

 伐刀者としての力に目覚め、その力を研鑽すべく彼女に師を与えようと父が考えていた時だ。

 

「弱い人から教わっても強くなんてなれません、どうせなら一番強い人を呼んできて下さい」

 

 そんな子供の息巻いた戯言を聞いて本気にしてしまった父もどうかと思うが、よりによって「一番強い」などと言わなければ……そう後悔しなかった日はない。

 後日、一人の青年が連れてこられた。

 曰く、父の知る中では間違いなく一番強いとの事。

 

「この人が? 《千刃(サウザンド)》なんて二つ名聞いたこともないのですが? え、裏社会の人間ですか……裏?」

 

 聞く所によると彼は、黒鉄に属する一族の一人らしい。彼ら一族は生まれた時から黒鉄の敵となりうる存在を密かに抹殺する使命を帯びている。

 その使命は過酷なものであり、見返りなんてものはまずない。

 汚い裏方の仕事として仕えるべき者達からも嫌悪されるおぞましい一族、その内の一人が彼であるという。

 生を与えられた時から茨の道を進むことを定められ、その道も『力』がなければ途中で息絶えてしまう修羅の道。

 その中を、「欠陥品」と呼ばれた異能を持ちながら並々ならぬ力への探求心を以て歴代最強と呼ばれるまでになった男こそ彼なのである。

 幼かった珠雫にとってその道程が如何に険しいのか、聞かされても理解は出来なかった。

 唯一、彼は父をも認める伐刀者である事が分かったくらいだ。

 ならば問題はないのだろうと珠雫は彼に弟子入りすることになった。

 

 結果からいえば、著しい程に成果は出た。僅か一ヶ月という短い期間ながら彼女はその歳では到達が難しいであろうCランクの力を得る事となった。魔力制御においてはBランクに匹敵するものであり、誰もが彼女の才覚を再認識した程だ。

 そこに至るまでにどれほどの地獄を彼女が経験したかも知らずに……。

 

 まず、彼女を待ち受けていたのは標高百mもない小山だった。

 珠雫はそこに連行された後一ヶ月間サバイバル生活を送ることとなった。

 しかも普通のサバイバルならまだ心に余裕も出来ただろうが、実際は彼の伐刀絶技(ノウブルアーツ)『胡蝶の夢』によって異界と化してしまった世界での命懸けの生存競争に投げ込まれてしまい、食料を手にするのですら大変だったという。

 

『鹿ですら狂暴化して下手したら殺されますし、油断すると兎にすら頭を吹き飛ばされる始末。熊に出会ったら死を覚悟しつつも逃亡一択、でも逃げ切れたのは一割にも満たないんですよね』

 

 本来であれば、異能の力を使える彼女がたかが野生動物に負ける事はあり得ない。しかし、『あの世界』においてはそんな法則は通じなかった。

 適当に異能使えばどうにかなるという考えは初日で潰えることとなり、それから約三十日間は正に死に物狂いであった。

 しかも忘れてはならないのは、これはサバイバルではなく師付きの修行であるという事。

 毎日徹底した厳しい試練を受けることになった。

 体捌きに魔力制御、型の姿勢などを徹底、正にスパルタであった。

 ――そう、『スパルタ』であったのだ。

 

『厳しいという言葉ですら生温いですよ、物覚え悪ければ問答無用で殺されましたからね。……ええ、殺されたんです。何言ってるか分からない? じゃあ何故生きているのか、ですか。それは、あの『世界』……正確に言えば、師匠(せんせい)の伐刀絶技が成せる技ですね』

 

 彼の伐刀絶技『胡蝶の夢』は端的に言えば、現実と空想を混ぜた空間を作るという物だ。

 その空間においては彼は絶対的な権限を持っている。それは例えば『死』すらも覆すことが出来る程だ。

 そういった特殊空間での修行故に、文字通り命を費やすことによって珠雫は短期間での急激な成長が出来たのである。

 尚、痛みや死んだことへの矛盾による強力な嫌悪感に襲われることもあったらしいが、泣き言言ったら間違いなく殺される事は分かっていたので必死に我慢したらしい。

 

 正に命を賭した一ヶ月が終わり、修行から解放されると同時に彼は行方を眩ますこととなった。

 その後会う機会は一度もなく、ただ風の噂で聞いた「国外追放された」というのを耳にしただけ。

 一度だけの師弟関係。その期間はあまりに短くしかし濃厚で決して珠雫の心から消えることはないのだろう……。

 

「う……すみません、思い出したら気分が……」

 

 凄惨な過去を思い出したせいか、気分が悪くなった。

 立ち上がり、すぐにその場を去ろうとするが、ふらついてしまう。

 そんな彼女の体を優しく抱きとめたのはルームメイトの有栖院 凪だった。

 男の体に生まれた乙女を自称する彼(彼女?)は日頃から珠雫の面倒を見ており、信頼もされている人物だ。凪自身も珠雫の事を妹の様に可愛がっている。

 

「まったくもう、そんなに辛いなら無理に言わなくてもいいのよ」

 

「う……でも、別にお兄さまやアリスに隠すような事じゃないし」

 

「あら、嬉しいわ」

 

 さりげなくステラを省いたことには触れず、凪は笑顔で返す。

 

「じゃああたし、珠雫を部屋に送ってくるわね」

 

 珠雫の安否を気にした凪は一輝達にそう告げると自室に戻って行った。

 一輝達の方も特に止める理由はなく、彼女達を見送った。

 

千刃(サウザンド)……」

 

 その姿を見ながら、一輝の口から自然とその二つ名が漏れる。

 黒鉄の家の中でも『いないもの』として扱われてきた彼がその名を知る事はなく、恐らく会ったことすらないのだろう。

 話を聞く限り、かなり中核に位置する存在であり、自分たちの父からもそれなりに信頼されていたようだが、一体どういう風の吹き回しで『国外追放』なんて処遇を受けてしまったのか。

 そして、なんでそんな処遇を受けたのに、名前と身元を隠してまで舞い戻ってきたのか。

 疑問は尽きないが、今はそれよりも……。

 

「『死』すらも覆すか」

 

 限定的とはいえ、世の理すらねじ曲げるような力……そしてその力を振るうであろう仁の存在に、胸の内の「ナニカ」が震えていた。



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三話

 明くる日の空き時間。

 姿勢を正し、行儀良く席に座っていた有栖院凪は真剣な表情で今女生徒に囲まれている人物を見つめた。

 女生徒の中心にいるのは仁である。彼の下に女生徒が集まるのはイケメンだとか話すと面白い人とかそういう事ではなく――

 

「ねぇねぇ先生! 今日も奥さんからラブコールあったの?」

 

「ん? そりゃまあな、向こうも毎日の日課になってるみたいだしな」

 

 女子の一人が訊いてきた質問に臆面もなく答えると周りから黄色い声が上がる。

 そう、彼女達が求めているのは仁自身というよりは、彼を取り巻く環境……詰まる話、結婚生活だ。

 仁の左手薬指にはまった指輪を、思春期真っ盛りの彼女達が見逃すはずがなかった。

 おまけに「先生って結婚してるんですか?」という食い気味な質問にも「そうだが」と簡素に返したのが運の尽き。以降は毎日のように「妻」について根掘り葉掘り訊いてくることとなった。

 単身赴任で離れている生活のせいか、謎の多い「妻」は生徒達にとってかっこうの話題となる。

 同じく既婚者で子供持ちの黒乃がいるが、彼女の場合理事長という立場やAランクという目に見えた壁が邪魔をして中々そういった話を訊く勇気が湧かない。しかし担任であり、作られたとはいえCランクというプロフィールのおかげか仁には気兼ねなく訊くことができるようだ。

 

 「先生って結婚して何年目なの?」「離れてて寂しくない?」「先生、浮気しちゃ駄目だよ」「奥さん美人? 今度写真見せて!」

 

 思ってることを次々と口にする。その勢いに気圧されるのと、一々答えるのが面倒だからか全部の質問には返さず、適当な物だけに返事をする。

 ちなみに、妻は美人の部類であるのは胸を張って言えるが、生憎写真などは持ってきていないらしい。

 

「なぁんだ~」

 

「じゃあね、じゃあね!」

 

 返答が終わると次の質問がくる。

 

 本当によく飽きない物だ。そう凪――アリスは苦笑を浮かべた。

 いや、本来であれば自分もあの中に入って仁の事を色々と聞きたいところではあるのだが……。

 

(『千刃(サウザンド)』……まさか此処でその名を聞くことになるなんてね)

 

 先日、思いがけない所から出たその言葉を聞いてから、彼の内心は穏やかではなかった。

 『千刃(サウザンド)』。この二つ名を表の世界で知る者はあまりいない。しかし裏の世界の住人にとっては話は別だ。

 アリスはある事情により裏の世界とも繋がりがあり、その時に『千刃()』の噂は聞いている。

 接触すれば必ず殺される、もし生き残っても精神を破壊されどのみち再起不能、『十二使徒(ナンバーズ)』ですら匙を投げる相手などと色々な謂われがあった事は覚えている。

 中には変に誇張された物もあったが、要はある種の『触れてはならない存在』らしい。

 アリスも、彼の師からその事をきつく言われていたらしく、その名だけは今も頭の片隅に残っていた。

 特にアリスの師の場合、実際に剣を交えた経験があり、その彼が「一騎打ちではまず勝てない」と評した程だ。

 そんな裏の人間が恐れる化物がまさか自分のクラスの担任になるとは、世の中何があるのか分からない。

 そう思いつつ、ふと意識を逸らすと教室に備え付けられていた時計の針がそろそろ予鈴の時間に迫っていた。

 

「はいはい、貴女達、先生の熱々な結婚生活への質問タイムは終わり。予鈴鳴るわよぉ」

 

 その事を知らせる為にパンパンと手を叩きながら集まっている女子達に告げる。

 色々と顔が広いアリスからの言葉だからか、「えぇ~」と口では言いつつもすぐに解散という流れになった。

 

「悪いな、有栖院」

 

「いえいえ、どういたしまして。先生もあたしのことは『アリス』って呼んでくれると嬉しいわ」

 

「……考えておく」

 

 上手い具合に散らしてくれたアリスに礼を言うと、彼はにこりと笑顔を浮かべ、そう返した。それに対し、仁は複雑な表情をしつつ一考することを告げる。

 

「それはそうと、お前も用意をだな……ん?」

 

 アリスに言い終わる前に、仁の通信端末に着信があった。

 何事かと思い、ディスプレイを見た瞬間……嫌な予感が過り頭を抱えそうになった。

 そこに写し出された名前は『折木有里』――問題児が揃う一組の担任からだった。

 

 

 

「あー……聞いてる奴はいると思うが、折木先生が例によって倒れた。ただ今回は感染する可能性が極めて高い病の為出勤は不可能となり、急遽ではあるが合同授業する事とした。何か質問がある奴は手を挙げろ」

 

 酷くやる気のないトーンで仁はそう言い、周りを見渡した。

 場所は屋外、グラウンド。

 集まっているのは彼が受け持つ四組の他に一組の生徒もいる。

 

「はい先生」

 

「何だ、日下部」

 

 そんな中、一組の眼鏡をかけた少女――日下部加々美が元気よく手を挙げた。

 

「折木先生の事情はわかりましたけど、合同相手のクラスが四組の理由とは?」

 

 至極真っ当で且つ純粋な質問だった。

 確かにわざわざ四組である必要性はない。仁のやる気のなさから見ても彼が自ら引き受けたとは到底思えない。その理由が知りたいというのは当然の疑問だろう。

 

「知らん。折木先生が何故か四組(ウチ)を指定して、理事長も許可してしまったからな……何でそうなったかまでは知らん」

 

「えぇ……」

 

 だが、ただ任されただけの当人からすれば、それは預かり知らぬことだった。

 

(……たぶん原因はステラと珠雫の喧嘩を先生が止めたからだと思うけど)

 

 ただ一人、一輝だけはその原因がなんとなく分かった。

 つまりあの一件で仁は有里の中で『頼れる同僚』としての高い位置にきたのだろう。だからつい頼ってしまったのだ。

 本当の真相は本人に訊いてみなければ分からないだろうが、あながち間違ってはいないはず。

 

「さて、合同とは言ったがどうするか」

 

 訓練場でするには二クラス分は数が多いこともあり、屋外で行うまで決めたはいいがはてさてどうするべきか。

 自分のクラスだけならともかく、もう一クラス分の面倒を見るのは思っている以上に重労働だ。

 しかもそっちにはステラや珠雫といった恵まれた才能の持ち主もいる。半端な教えをするくらいなら自習させた方がいいような気もするが、それはそれで平等ではないだろう。

 魔術という面だけ見れば一輝も問題ではある。魔力が少ない彼でも出来る魔術を、となると一気にレベルは下がるだろう。

 

「…………」

 

 暫しの思考。

 顎に手を当て、約三十秒経った頃。

 

「よし、お前ら、霊装展開しろ」

 

 唐突にそう言うと、戸惑ったように数秒が経過した後次々と生徒達は自らの霊装を展開していく。

 

「今日は、そうだな……間合い(リーチ)の重要性ってのを改めて学んで貰おうか」

 

 そして全員が霊装を手にしたのを見ると仁はそう告げる。

 曰く、固有霊装は一度顕現すると形を変えることはまずなく、結果戦い方は霊装によって左右される事が大きい。だから自らの間合いを改めて再確認し、利点と欠点を理解するのが今回の合同授業の内容となる。

 組み合わせは三人一組。近距離、中距離、遠距離の三人で組むのが理想ではあるが、武器と間合いが異なっていればその限りではない。

 三人一組の理由は自分と相手、そして第三者から見た時の違いがよりよく分かり易くする為らしい。それ故に実際は一対一の模擬戦で二人、その二人を観察するので一人となる。

 

「お前らはまだまだ場数踏んでないからな、ちゃんと『自分の手の届く範囲』は覚えておけよ」

 

 ――一部の生徒は言わずとも分かっているだろうが。

 

 

 

「で、やっぱりお前が余る、と?」

 

「あ、あはは……」

 

 仁の冷ややかな視線を受け、一輝は頬を掻いた。

 

「いや、奇数で組ませたのは俺だけどよ」

 

 ある意味予想通りというか、なんというか。

 かつては嘲笑のように「Fランク」や「落第騎士(ワースト・ワン)」と呼ばれていた彼だが、今ではその見方は変わっている。

 それもこれも七星剣舞祭の実戦選抜に出た事が原因だ。

 彼は確かに伐刀者ランクは最低ランクであり、魔力量は少ない。ステータスだけを見れば間違いなく弱い部類に入るだろう。

 しかし実際は類い稀な観察眼と、異常なまでの身体能力。そして、一日一回限定とはいえ使える強力な伐刀絶技(奥の手)

 更にはつい先日『狩人』の二つ名を持つ、強力なステルス能力を持つ桐原静矢を破った功績もある。

 その結果、一輝を見下す生徒は少なくなった。

 反面、その強さを理解しているからこそ、こういう時浮いてしまうのかもしれない。

 

(……少なくとも並の一年じゃ歯が立たないしな)

 

 ステラや珠雫、アリスといった仲の良い四人組で組ますという手もあったにはあったが、そもそもにして全員が近接武器だからそれではこの授業の意味がない。

 

「……仕方ないか」

 

 頭を掻き、数秒の思考の後、仁はため息混じりに呟く。

 

「? 先生?」

 

「ほら、俺らも場所移動するぞ」

 

「え……?」

 

 突拍子もない言葉に一瞬呆けてしまったが、仁が先行して歩き始めた為、一輝は慌てて後を追うことになった。

 

「このくらいでいいか」

 

 それから、他の生徒達と十分な距離を置いた所で仁は立ち止まり、一輝に向き直った。

 そしておもむろに左手を前に差し出す。

 

「――牙を研げ、《孤狐丸(こぎつねまる)》」

 

 瞬間、仁の手には一本の日本刀が握られていた。柄も鞘も白い、『極めて普通の刀』が。

 それが仁の固有霊装である事を理解すると同時に

 

「ほら、構えろ黒鉄。今回は特別だ、俺が相手になってやるよ」

 

 放たれた言葉に、一輝の胸は一際強い高鳴りを覚えた。

 




ちなみに『一ノ瀬仁』として設定されたステータスはこんな感じ↓

伐刀者ランク:C
攻撃力:D
防御力:D
魔力量:C
魔力制御:B
身体能力:B
運:E


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四話

「来てくれ、《陰鉄》」

 

 自らの霊装を展開し、構える。無意識に口は弧に歪む。

 

「お願いします、先生」

 

 喜びを隠せぬよう嬉々として言うと同時に一輝は躊躇いなく仁に切り掛かる。

 それを仁は鞘に納めた状態で受け止め、その一瞬後に一輝を弾き飛ばした。

 ――まずは鞘から抜かせる所から。

 仁の霊装は恐らく鞘まで込みでの一体型だろう。そういったものの真髄は刀身を見せた時に初めて発揮されるのが大半だ。そうでなくても鞘に入れたまま戦うのは中々に難しく、同時に加減しているという分かりやすい証拠でもある。

 だからこそ、まずは鞘から抜かせるのが一輝にとっての第一歩となる。

 その事を再認識すると一輝は再度接近し、数度に渡り陰鉄を奔らせる。

 数回に及ぶ剣戟。一年の並みの伐刀者では間違いなく耐えきれないであろう速度と威力。それを正面から受けた仁は、しかし全て鞘に納めた状態でいなしてしまう。

 もっと強く、もっと速く。

 いとも簡単に対処されたことに一輝の闘争心は燃え上がる。

 肉体をフル稼働し、剣戟を速めると流石に厳しくなったのか、仁の反応が遅れ始めた。

 そしてその中で見えた『隙』目掛け一輝は一閃を切った。

 

「がッ――!」

 

 その直前、顎に鈍い衝撃が走り、思わず仰け反ってしまう。だがそれも一瞬で立ち直し、バックステップで距離を取った。

 何が起きたのか?

 その疑問はすぐに解決した。

 鞘から僅かに刀身が抜き出ていた。それが示す意味、今自分が味わった『衝撃』から察するに……。

 

(まさか鍔を弾いた勢いで――)

 

 信じられないかもしれないが仁は刀身が納まった状態から鍔を指で弾き、鞘から抜いたのだ。しかもそれを一輝の顎に寸分狂わず当てるという神業染みたおまけつきで。

 確かに伐刀者なら、強化の魔術を使えば鞘に納まっている刀身を指だけの力で弾丸のように射ち出すこと自体不可能ではないのかもしれない。

 しかし問題は、それを動いている相手……しかも顎というピンポイントに当てるなどそうそう出来るものではない。十中八九狙って行ったのだろうが、それが出来る技量の者などそうはいない。

 だが、一輝の目の前にいる人物はそれをやってのけた。恐らくはあえて「隙」を見せることで逆に一輝の「隙」を作り、そこを突いたのだ。

 一輝は類い稀な観察眼を持っているが、それが真の意味で発揮するのは『相手の情報を知っている』時に限る。今回のような完全な初見殺しな上に相手の性格や力量も把握していない状態では働かない。

 だからこそ、その一撃は『重かった』。

 自分の至らなさを突いたようなそれを、一輝は痛感し……心が震えた。

 仁の底が知れないことに、そしてそんな彼が『自分を指導してくれている』ことが堪らなく嬉しかった。

 一輝は幼少の頃より誰かに教えを乞う事が出来なかった。理由は単純、伐刀者としての素質がないから。

 Fランクという烙印は彼に望んだものを決して与えなかった。

 それは魔導騎士の育成期間である破軍学園に入ってからも変わらない。彼の実家、黒鉄家の圧力により一輝は授業を受けることが出来ず、結果留年する形となった。

 今年度になり、理事長が黒乃に代わったことをより一輝の待遇は格段に良くなった。

 しかし、それでも彼は誰かに『剣』を教わることが難しかった。

 一輝の剣の腕は既に達人にすら通用するレベルであり、大半の魔導騎士にとって武術とはあくまで固有霊装を扱う術や護身程度の物であり、魔術の方を重要視している。

 それはプロと呼ばれる者達とて例外ではなく、一輝に教えれる程に『剣』に精通した者……教師はいなかった。

 武術という点だけを見れば寧音などは間違いなく達人だろう。しかし純粋に剣技に関しては話は変わってくる。

 それほどまでに一輝の剣は卓越しているのだ。

 だが今彼の前にいる男は、『そんな一輝ですら』軽くあしらわれるであろう化物だ。

 まだ本気ではない。たった数回打ち合っただけで、顎に一撃食らった程度。

 それだけだ。

 しかし、“たった”それだけで一輝は確信する。

 

(――間違いなくこの人は強い)

 

 伐刀者としても、剣士としても、仁は一輝の遥か高みにいる。

 恐らくは《一刀修羅(奥の手)》を使っても一太刀浴びせることが出来るか怪しいだろう。

 以前珠雫が仁の事を『規格外』と言っていたが、成る程確かに納得だ。

 一輝にとって仁は未知の領域におり、それは彼にとって嬉しい誤算だった。

 

「先生、本気でいっていいですか?」

 

「あ? ったく、曲がりなりにも授業の一環なんだが? ……まあいい、俺もギアを一つ上げるか」

 

 嬉しそうに言いながら構える一輝に、仁は呆れながらも鞘から刀を抜いた。《陰鉄》とは真逆の白銀の刃が煌めいた。

 それはつまり合意の上という事だ。

 その姿に、一輝は己の今出せる全力で応えようと思った。

 

「第一秘剣――《犀撃》」

 

 突きの構え、体勢から一転、瞬きも許さぬ内に《陰鉄》の切っ先は仁を捉えていた。

 ――第一秘剣《犀撃》。百を越える剣技、体術を身につけた一輝が独自に開発した必殺剣の一つ。一輝の超人的な身体能力、その全てを切っ先に集中させ、脅威的な破壊力を得る剣技だ。

 岩ですら容易く貫く、ただでさえ強力な一点突破力に加え、今回のそれは魔力放出による加速も加えた強化版。

 避けることは不可能であり、防御も至難だろう――並みの伐刀者なら。

 瞬間、衝撃による激しい風圧が辺りを駆けた。

 《一刀修羅(奥の手)》を除けば一輝の出せるであろう最強の一撃。

 それを仁は避けようともせず真っ向から受け止めたのだ、刀ではなく鞘で。

 

「な……!?」

 

 しかもその使い方が、相手(一輝)霊装(陰鉄)を、自分()霊装(孤狐丸)の『鞘に納める』という常軌を逸した物だった。

 先の一撃は文字通りの必殺だった。

 当たれば再起不能は確実であり、防御されても崩せると踏んでいた。回避などさせる気はなく、その為になけなしの魔力によるブーストまでした。

 そうして放った最高の一撃を、仁は眉一つ動かさず迫りくる凶刃を鞘に納めたのだ。

 その、予想すら出来なかったあり得ない光景を前に一輝は一瞬でも呆けてしまう。

 だからこそ気付かなかった、見逃してしまった。

 確かに《陰鉄》の刀身は鞘に封じられた。しかし、刀身と鞘の長さが合っていなかった、僅かに隙間が存在したのだ。

 

「《納め折り》」

 

 そして、それの隙間こそがこの技の肝。

 仁が力を込めると、その隙間から《陰鉄》の刀身は折れてしまった、呆気ない程に。

 ――《納め折り》。刀や剣を破壊する為に仁が開発した技。本来なら固有霊装の破壊は困難であるが、仁は異能の副産物の影響により、触れさえすれば容易く破壊することが可能となっている。それをよりよく活用するべく編み出した技の一つがこれである。

 本来の武器であれば、刀身の形状や長さから使う場面は限られるであろうそれは、しかし固有霊装で……何よりも仁だからこそ実用レベルとして使用できる代物。

 

(やはり予備動作があると見切るのは楽だな)

 

 霊装を破壊された衝撃で静かに崩れ落ちる一輝を見て、そんな『当たり前』のことをつい思ってしまった。

 一輝が完全に地面に伏してしまうと同時に、仁は自身の霊装を鞘に納めた。その瞬間、僅かに鞘の長さが変化したように見えたのを、確認できた者は残念ながらいない。

 

「……ん? あ、しまった……」

 

 霊装を消した後、改めて地面に倒れている一輝を見て、仁は額に手を当て、深く息を吐いた。

 あまりにも一輝が本気だった為に、仁も一瞬とはいえ忘れていたのだ。

 これが『授業』であったことを……。

 つい、加減するのを忘れてしまったことを……。

 

「やっぱ俺、教師には向いてないぞ……新宮寺」

 

 自分を教師に任命した此処にはいない人物に向け愚痴を呟きつつも、仁は一輝を保健室に連れていく為持ち上げた。

 

「……こいつもこいつで何で嬉しそうな顔をしてるんだ?」

 

 その表情の意味を理解出来ない仁は、困惑しながらも足を進み始めるのだった。



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五話

仁「間合いは大事。古事記にもそう書いてある」


「げ」

 

 ある日の昼下がり、所用により少し遅い昼食を取ろうと仁は食堂に来た。

 適当なランチセットを選び、トレイに乗せ、その辺りの席にでも座ろうとしていた時だ。

 何の因果か、同様に遅い昼食を取ろうとしていた寧音がいた。

 正確に言えば、仁よりも僅かに早く来て、先に席に座っていた寧音とばったりと目が合ってしまった。

 仁にとって寧音は昔から天敵の様な存在だ。それは向こうも同じようで会えば高確率で反発する。

 故に此処は見て見ぬふりを――

 

「うちをシカトするとはいい度胸してんなー」

 

 しようと思ったら寧音の方から接触してきた。

 

「別にそういう訳じゃねぇよ」

 

 声を掛けられた以上、知らんぷりも出来なくなった仁はやむを得ず寧音の対面の席に座ることになった。

 彼女は相も変わらず着物姿だ。着崩れして着るくらいならいっそ辞めれはいいのにと昔から思っていることだが、あれでも彼女のアイデンティティー的な物らしいので口にはしない。

 さて、対面に座ったからといって別段話のネタがある訳ではない。だから黙々と食事を済ませ、さっさとおさらばしようと思い、箸を進めた。

 

「そういや、黒坊のことかなり気にかけているみたいじゃねーか」

 

 そんな仁とは対照に寧音の方は気になるネタがあるらしく、突如そんなことを訊いてきた。

 最初は『黒坊』と言われ、誰のことかと思ったが、『黒』という単語に『気にかける』ときて、最近毎日自分の所にくる人物が一人だけ該当した。

 

「別に、向こうが勝手に来てるだけだ」

 

 黒鉄一輝。彼はあの合同授業の後もしきりに仁の下を訪ねてくる様になった。理由を聞けば「指導してほしい」との事だ。

 最初は渋ったものの、向こうもかなり粘り強く、結局は根負けしてしまった。何かと仁は多忙であり、一輝も自主トレや選抜戦もある為付きっきりというのは難しく、一日五分から十分程度しか面倒は見れない。それも、時間の都合上実戦形式の打ち合いのみ。

 それでも日を追うごとにメキメキと一輝は力をつけている。

 嬉しくある反面、その成長速度にはある種の脅威すら覚える。

 何せ、仁が得意とし剣士にとっては鬼門といえるはずの伐刀絶技《自在刃》への対応ができ始めているのだから――。

 

「わざわざ引き受けるようなタマかよ、テメェは」

 

 仁の性格を知っている寧音は鼻で笑った。

 彼が人に物を……特に剣や戦い方を教えるというのは稀なことだ。

 珠雫の一件に関しても、あれは仕事として受けたからであり、個人としては間違いなく受けることはなかった。

 

「違いない。だが今は教師という立場だからな、熱心な生徒にはなるべく応えてやらないといけないだろ」

 

 仁自身も否定する気はなく、苦笑する。

 しかしなんだかんだ言っても性分なのだろう、今の立場で出来ることはするつもりのようだ。

 その言葉を聞いた寧音は面白くなさそうに目を細めた。

 

「……何で今更戻ってきやがった」

 

「それこそ今更だろ」

 

 声のトーンが一気に落ち、鋭い視線が仁を貫く。

 だが、仁は何処吹く風で肩を竦めた。

 経緯(いきさつ)は違えど寧音と同じく、黒乃が職員の人手不足として召集した内の一人。それが回答だ。

 

「うちが『日本(ここ)』にいるのは知ってんだろ」

 

 顔も見たくない、逢いたくないと口にしたことが何度かあったがそれは嘘だ。

 数年間全く会っていなかったのだ、僅かにではあるが気にする。別れ方が『アレ』だった訳だし。

 しかしそれは寧音の事情でおり、仁が……『彼』がどう思っているかまでは知らない。

 だからこそ、思っているよりもきつくあたってしまうのだろう。

 そんな寧音の心中を知ってか知らずか。

 

「別に今回の件にお前は関係ないだろ。居ようが居まいが新宮寺には借りがある、それは返さなきゃいけなかった訳だしな」

 

 あっけらかんとそう言い放った。

 

「――――」

 

 ブチっと何かが切れた音がした。

 人が似合わずナイーブになっているというのに、その元凶たる男はこれである。

 本当にどれだけデリカシーがないのか。それでよく結婚出来たな、そしてよく生活が続けられるな。あいつはよく愛想を尽かさないものだ。

 そんな罵声がつい口から出そうになったが、何とか抑えた。

 いや、言いたいことは確かにたくさんある。

 だが、それよりも何よりも――

 

「ぐっ……!?」

 

 瞬間、仁に掛かる重力が何倍にもなった。

 完全な不意打ちだった為直にその重さを痛感し、骨が何本か折れた気さえした。

 すぐに身体強化の魔術を使うことでなんとか持ちこたえた。

 

「おいこら……!」

 

「フン!」

 

どういうつもりだと睨み付けるが、寧音は応えずそのまま食堂から出ていってしまった。

 ――昔の自分はよくこんな男を好きになれたな。

 一時の『気の迷い』だったとはいえ、そんな感情を抱いた過去の自分を恨めしく思った。

 

 

 

「そんなわけで女の扱いには気をつけろよ、黒鉄」

 

「いきなりなんですか、先生……」

 

 翌日の早朝。

 一輝は日頃の自主トレである、二十kmの全力ハーフマラソンをした後、ここ数日の日課にもなった仁の稽古を終わらせた所だった。

 まだ一週間にも満たず、時間もあまり取れないが、それでも一輝にとっては有意義だった。

 今日はついに仁の伐刀絶技《自在刃》の攻略に成功し、仁から一本取るという功績を上げることが出来た。

 仁の伐刀絶技の一つである《自在刃》とは、端的に言うならば『自由に間合いを変えることができる』というものだ。正確にはあくまでも本来の使い方の応用ではあるのだが、とにかく今回一輝が特訓で使われたのはそれだった。

 『間合いを変える』と言ってもピンとくる人はいないだろう。

 要は自らの霊装(得物)の刃渡りや厚さ、重さすらも自在に変えることが出来るといえば理解し易いのかもしれない。それも一目で解る程の変化ではなく、ミリ単位での調整すら可能なのだ、しかもコンマで変える為変化に気付くことは極めて困難だ。

 恐らく剣士や武術家以外にこの伐刀絶技の説明をした所で「地味」とか「だから?」としか反応が貰えないだろうし、その脅威は実際に戦ってみなければ体感出来ないだろう。

 ――『紙一重』という言葉がある。紙一枚分の厚さというそのままの意味であり、主に格闘技などでよく聞く言葉だ。

 相応の腕を持つ者はこの『紙一重』というギリギリでの回避を意図的に行える。一歩でも間違えれば当たってしまうが、彼らは優れた動体視力と肉体制御、そして数多の経験によりそれを可能とする。近接戦闘における紙一重の状態とは客観的に見てもかなり肉薄しており、した側はカウンターを当て易く、された側は回避が極めて難しい。

 だからこそ、近接戦闘における『紙一重』とは言葉以上に大きな意味を持っている。

 しかし、仁の伐刀絶技《自在刃》はその『紙一重』を許さない。

 目測や感覚で掴んだ間合いは回避する直前に変えられ、確実に当たる。対近接戦闘用に編み出したそれは恐ろしいまでに効果を発揮するのだ。

 一輝も一度目は目測を『誤らされた』事により、直撃を受けてしまった。幻想形態でなかったら、確実に首が飛んでいただろう。

 

「いや、女関係で苦労するかもしれないからな、人生の先輩として忠告を」

 

「不吉なこと言わないでください」

 

 数日前には苦戦していた技を短期間で突破した優秀過ぎる生徒に、嫌味半分老婆心半分で告げると一輝は微妙な表情を浮かべる。少し気が晴れた。

 対近接用として編み出した伐刀絶技。絶対とは言わないがそれでもそうそう破られることはないと自負していたのだが、それをたった五回の打ち合いで突破されるとは思っていなかった。

 しかもその攻略法は仁にとって最悪と呼べるものだった。

 一度は目測を誤り敗れ、二度ではある『疑問』を抱き、三度でそれは確信に至る。四度にて打ち合いの中で目処をつけ、五度にて実践、見事に看破し攻略に成功する。

 正直、学生の時分でここまで完膚なきまでに暴かれるとは思っていなかった仁は一輝に対する見方を少し……いや、かなり変えた。

 

 《自在刃》。一輝はこの伐刀絶技に対する疑問をすぐに持った。

 固有霊装は一度顕現すると以後その姿で固定される。剣なら剣、槍なら槍、銃なら銃といった具合に。更に付け足すのなら、蛇腹剣とかのような変形ギミックがない場合、大きさ等が変化することはまずあり得ない。

 むろん、絶対とは言えない。そういった事ができる異能もある。

 では仁の霊装、《孤狐丸》はどうだろうか?

 一見、変形するようなギミックは見当たらない、一般的にイメージされる日本刀そのものであり、変な所は何もない。

 なにより、この霊装は変形とかするのではなく純粋に『長さが変わる』のだ。伸びるだけでなく、縮むことだってあった。

 この時点で一輝はある仮説が浮かんだ。

 単純に伸びるだけならやろうと思えば出来る者はいるだろう。現に珠雫の伐刀絶技に《緋水刃》というものがある。彼女の霊装は小太刀なのだが、この伐刀絶技は水の刃を生成し、刀身を伸ばす事ができるのだ。

 しかし仁の霊装は『伸縮』する。伸ばすだけでなく縮めることも可能なのだ。

 なら単純に長さを付加しているわけではない。原則として霊装の姿は変わらない、そして変形ギミックがあるわけでもない。

 となれば考えられるのは一つ。

 

「……顕現と同時に霊装の姿を変えるのは、やっぱり卑怯じゃないかしら、センセイ」

 

 不満気に文句を垂れる声が足下から聴こえた。

 視線を落とすとステラが地に伏しながらも睨んでいた。

 実は一輝が指導を受けることを聞いたステラは「ならアタシも」と志願してきた。そこにどんな思惑があるのかはわからない、もしかしたら「一輝に構われる時間が少なくなる」とかいう子供染みた理由かもしれない。

 ともかく一輝同様仁に稽古をつけて貰う羽目になったのだが……生憎ステラの方はまだ《自在刃》の攻略が出来ないらしい。

 

「『実戦形式』と前もって言っただろう。戦場で最初から手の内を見せてくれる相手がいると思うか」

 

「う……それはそうだけど……センセイは霊装の姿すら見せてないじゃない」

 

 正論で返され苦虫を潰したように顔をしかめたが、すぐに今回の稽古の問題を指摘した。

 ――そう、つまる所《自在刃》の正体とは、霊装の顕現と同時に発動させることで『最初から』相手に得物自体を間違わせるというもの。

 仁の固有霊装《孤狐丸》の本来の姿は、刃渡り三十cmすらない短刀だ。それを異能で刀に変えていたのだ。これにより変えた姿は本来のものより大きくなる為伸縮が可能になるのだ。

 公式の試合であれば禁じ手になるかもしれないが、仁はちゃんと前もって二人に言っている。

 ――『実戦形式だ』と。

 一輝はその与えられた情報と、打ち合った際の違和感、そして持ち前の観察眼によって《自在刃》の正体にいち早く気付く事が出来た。その対応の早さに仁は舌を巻いた程だ。

 しかし一輝としては稽古とはいえ『実戦形式』で攻略までに四度も切り伏せられたのは痛かった。稽古でなかったら四回は死んでいたのだから。

 《自在刃》の攻略が出来たことは素直に嬉しいが、それでも自分はまだまだだとも思い知った。

 ちなみに一輝がとった攻略法とは「避けられないのなら正面から突破する」という極めてシンプルなものだった。ただしその為には《孤狐丸》本来の刃渡りを知る必要性があり、それを見極めるのに二回も敗れてしまった辺り地味ながらも厄介な伐刀絶技であることは嫌という程思い知らされることになった。

 刃渡りを知った後は『絶対に変化しない』その刀身に刃をたて、そこから更に刃を奔らせ鍔へ、そしてその鍔を利用して《孤狐丸(得物)》を弾き飛ばすという離れ業を以て破った。

 正直、一輝以外に出来る者はそういないであろう光景を眺め、唖然としていたのは言うまでもなくステラだった。

 仁の霊装の本来の刃渡り以外に参考になりそうな情報がなかったのだから。

 結果、彼女は今日“も”地に伏すことになった。

 ちなみにステラに関しては初日に「大技禁止」と釘を打たれたせいで得意の膨大な魔力によるゴリ押しが出来ないのが大きなネックとなっている。

 

「異能は千差万別だ、もっと厄介な物も世の中にはある。この程度で音を上げるな」

 

「うぐ……確かにこれはスパルタね……」

 

 とはいえ、ステラもステラなりに《自在刃》への対応も対策もでき始めてきている。こちらも数日中――恐らくは三日以内に攻略してくるだろう。

 教える時間は少ないはずなのに、異常な速度で成長する教え子二名が、頼もしいやら末恐ろしいやら。

 

「ともかく、今日は此処までだ。お前らも程々に切り上げていけよ」

 

「はい。ありがとうございました、先生」

 

「ありがとうございました、センセイ」

 

 受け持つクラスが違う為、軽く注意してから仁は切り上げ、その場を跡にした。

 残された二人は挨拶をした後、今日の反省会のようなものを五分くらいするのだろう。

 それもまた、ここ最近では見慣れた光景だ。

 

「黒鉄に対しては少し難易度を上げてもいいかもな」

 

 彼らを背に去っていく仁は今後の予定を脳内スケジュールに記していく。無意識に口角が上がっていることを知るのは本人も含め誰もいなかった。



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六話

 多くの既婚者はよく他人から『馴れ初め』というのを訊かれる。

 『夫婦』というものを特別視し、『出会い』という『運命』に憧れるからこそ、興味があるのだろう。

 それはいい、ただの憧れであれば問題はない。

 実態さえ知らなければ、どんな状況のものでも聞き手は勝手に都合よく解釈してくれるのだから……。

 

 時に、仁と妻の出会いは戦場であった。二人は幾度も死線を潜り抜け、その果てに結婚するに至った。

 簡素且つ簡潔に二人の『馴れ初め』を書くとこうなる。

 さて、それを聞いた第三者はどんなイメージを浮かべるだろう。

 ――共に戦場を駆け抜ける戦友から恋が芽生えた?

 ――戦場に置き去られた一般女性との劇的な恋物語?

 どちらもあり得なくはない可能性だ。しかし、『彼ら』のそれはそんなドラマチックなものではなかった。

 戦場というのは間違っていない。だが、その中心にいたのは『彼女』であり、『彼』はその存在を殺す為に差し向けられた刃であった。

 つまる話、彼らのファーストコンタクトは殺し合いであり、最悪な出会い方であったのは間違いない。

 それが『結婚』なんて明後日な方向に突き進んだのは、二人が少々……いや、かなり変わった人種だったからだろう。

 

 

 

「え!? センセイの奥様ってそんなに強いの!」

 

 今日も今日とて『結婚』というものに興味を持つ生徒が一人、仁から話を訊いていた。

 彼女の名はステラ・ヴァーミリオン。学生の時分にして伐刀者ランクAの力を持つ少女だ。

 彼女は才女ではあるが、同時に努力もする勤勉な生徒だ。暴走しがちなのが珠に傷だが、優秀な教え子の一人だ。

 しかし、如何に伐刀者として優秀でも彼女はまだうら若き乙女であり、絶賛恋愛真っ只中である。

 想い人(一輝)と少しでも進展しようと常々思っているステラは、本日は自分達の指導をしてくれているセンセイ()の下を訪れていた。

 運良く、学園内で遭遇出来たステラはそのまま相談する流れとなった。

 「いや、教師に相談するか恋愛事(そういうこと)を」と相談された()は思ったが、「参考になるかわからないがな」と一言添えてから引き受けた。

 ちなみにステラはこれでもヴァーミリオン皇国の王女であり、場合によっては国際問題にもなりかねないデリケートな内容なのだが、仁は「結局は当人達の問題になるだろうし」と良い意味でも悪い意味でも二人の気持ちを尊重するようだ。

 そんなこんなで二人の馴れ初めを訊かれることとなり、他の生徒と同様にボカしながら応えたのだが、勘がいいのか「もしかして、敵同士だったの?」と的を射てきた。

 

「ああ、強いぞ。初めて会った時なんて手も足も出ずボコボコにされたからな」

 

 我ながらよく生きていたものだ。

 一番肝心な所は伏せるとして、妻の事を語る。

 妻は伐刀者だ。しかも相当の実力者であり、少なくとも出会った当初の『彼』ではどう足掻いても勝つことは出来なかった。恐らく彼が今まで歩んだ人生で最強と称していい相手だった。

 対して、そんなに強い妻の方からすると、最初の内は彼のことなど眼中になかったらしい。

 彼女に挑む者は日頃から多く、その内の一人に過ぎなかった。だからこそ、彼は逃げ延びることが出来たのだろう。

 その認識はある意味間違いであったのだが、流石に初見でしかも眼中にない相手の心境を知るなどどだい無理な話だ。

 ――彼の力に対する見方と、人生の価値観は『(イコール)』である。

 つまり、「生きるとは(すなわ)ち強くなり続けることである」という独自の固定観念を持っている。

 これは物心つく前から実力社会である裏の世界で生き続けてきた影響なのだろう。

 強くなるのは当たり前。弱ければ死ぬ、死ぬことは負けである。

 そんな教えを叩き込まれて育った彼の人生観は正にその通りになっていた。

 おまけに当の本人が負けず嫌いなのも加わり、『強者』に出会った時の彼はとにかく『危険』だ。

 自分よりも強い存在に出会い、負かされ、彼の心に芽生えた感情は悔しいとか勝ちたいとかではなく、『歓喜』だったのだから。

 今の自分より強い存在と対峙するとまだ果てがあると嬉しくなる。まだまだ強くなれると心が躍る。限界なぞやはり自分で決め付けた枷なのだと再認識出来る。

 こうなるともう手がつけられない。文字通り勝つまで挑み続ける。

 実際彼女はその後何度も執拗につけ狙われることになり、その度に異常な速度で彼が強くなっていくのを実感した。

 最初は歯牙にも掛けなかった相手が徐々に、食い下がり、立ちはだかり、当てにきて、切迫し、敵と成り、脅威になる。

 会う度に強くなるクセに、逃げるのも上手い、そして時を置いて現れた頃にはまた強くなっている。正直、彼女が相手をしてきた中でも一番厄介だったであろう。

 そうして、命懸けの邂逅を何度も果たしている内に相手の手の内や、心境まで理解出来るようになり、最後には――。

 

「そんなわけで夫婦という関係になってしまったんだが……」

 

「ごめんなさいセンセイ、一つ言わせて……どうしてそうなったの?」

 

 傍で聴いていても理解出来なかった。

 ファーストコンタクトが最悪だとか、最初は全く相手にされなかったとかならまだ分かる。

 敵同士であったことも、彼女に追いつこうと強くなろうとしたのも理解出来る。

 ただ一つ解せないのは……どうしてこの二人はそこから『結婚』なんておかしな方向に着地したのかって所だ。

 

「だから言ったろ? 『参考になるかわからない』って。実際俺もあの流れで何で夫婦になったのか不思議なんだよな」

 

「えぇ……」

 

 当の本人ですら理解出来ていないことに呆れ返ってしまった。

 本当に愛し合っているのだろうか? という疑問がステラの脳裏を過った。

 その疑問を口にしても当人は答えられないだろう。

 本人は自覚していないが、裏の世界で生き続けていたのと『力』への探求心が強い反動なのか、恋愛……色恋沙汰には関しては滅法弱く関心もあまりないのだ。

 その為、もし仮に『告白をされてしまうと無条件に呑んでしまう』のだ、この男は。

 しかも相手がどんな女性でも関係なく、受け入れる可能性がある。性格が悪かろうが、幼かろうが、年齢が上だろうが一切関係ない。

 不幸中の幸いとも言えるのは妻と出会うまでそういったものとは縁がなかったことか。……いや、約一名いたが、『彼女』は色々と遅すぎた。

 とどのつまり、告白自体は妻の方からであり、彼自身は二つ返事で返しただけなのだ。

 ……その『告白』がわりと物騒だったのは言わぬが花だろう。

 そんなこんなで夫婦という関係になってしまった二人なのだが、意外な事にちゃんとお互い愛し合っている。

 仁に関しては古臭い教育が恋愛観に関与しており、『妻一筋』という考えが根底にある。元より彼女の事を嫌っているわけではなく、むしろ『強い』のは彼にとってプラスでしかない為愛せるのだろう。

 妻の方は、何度も刃を交えている内に彼の存在がどんどん大きくなっていったらしく、気付いたら惹かれていたらしい。

 ちなみにこんなふわっとした理由だが、彼女の愛は相当重い。具体的に言うと彼女の異能、伐刀絶技により互いにある誓約を掛けられている。

 それは『浮気したら死ぬ』という稀によくあるもの。だがしかし、この『死ぬ相手』というのは本人だけでなく(つがい)もなので、うっかり浮気しようものならめでたく二人揃ってあの世行きとなってしまう。

 正に、死せる時も伴にあるのだ。

 そんな、命よりも重い愛を一身に受けている男はされど特に気にした様子もなく、単身赴任生活を送っている。

 恐らくこの先何があろうと、彼が愛せる女性は『妻』だけと確信出来るからだろう。

 

 

 

 色々と話を聞いた後仁と別れ、一人になったステラは不意に呟いた。

 

「流石に、参考に出来ないわよ、アレは……」

 

 色んな意味で真似出来ない『例外』として頭の奥に仕舞い込んだステラは、気を取り直し自室に帰る為踵を返す。

 想い人(一輝)がいる部屋へ向け、彼女の足取りは早くなる。

 

 




妻「愛は命より重い」

仁「お、そうだな」

ステラ「なにこの人たち怖い」


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七話

 黒鉄珠雫はかつての師である一ノ瀬仁が苦手である。

 それは幼き日に修行と称し、生き地獄を味わわされたせいだ。

 いくら父の頼みで、当人が生意気な子供だったとしても、まだ十歳にも満たない幼い少女が経験するには過酷過ぎるものをこれでもかと言わんばかりに与えたのだ。

 結果として、彼女は歳不相応に強くなったが、心には深い傷を負うこととなった。

 その時のトラウマは今尚珠雫の心に根付いている。

 だからこそ、彼とはなるべく顔を合わせない様にしていた。

 大好きな一輝()(ついでにステラ)が彼に個別指導を受けていると聞かされた時も、兄とトラウマ()を天秤にかけた結果僅かにトラウマが勝ってしまい、彼らの下には足を運ぶことはなかった。

 それほどまでに珠雫にとって彼は恐怖の象徴なのだ。

 だがしかし、つい先日ある出来事によって、その『恐怖』へと向き合わなければいけないと、そう決心する事となった。

 

 

 

「お願いします師匠(せんせい)、私を鍛えて下さい」

 

 仁は頭に手をやりため息を吐いた。

 場所は教室から職員室に向かう途中にある空き教室。時間は授業が終わってすぐの事だ。

 教室を出た直後、神妙な顔をした珠雫に呼び止められた。真剣な眼差しから今は使われていない空き教室に移動したのだ。

 そしてそこに着て扉を閉めて早々珠雫は上記の言葉を放ち頭を下げた。

 

「……一応、理由を聞こうか」

 

 プライドの高い彼女がこうまでする理由。それに心当たりはあるが、当人の口から直接訊いてみたかった。

 

「――強くなりたいからです」

 

 一点の迷いもなく、言い切った。

 つい昨日のことだ。珠雫は破軍学園序列一位の生徒、東堂刀華と試合、完膚なきまでに敗北した。

 伐刀者ランクは互いに同じBランク。細かいステータスは違えどそこは変わらない。

 同格同士がぶつかり合い、勝敗を決する大きな要因はやはり経験だろう。確かに珠雫は一年の中では抜きん出た才覚の持ち主だ、努力も怠らず強くなっている。

 しかしそれでも、経験の差というものはそう簡単に埋めれるものではない。珠雫と刀華では二年も歳の差がある、この差は思っている以上に大きいのだ。

 もし、この差を埋めようとするなら、短期間で自分と同格かそれ以上の相手と何十、何百と戦い続けるか。

 あとはそう……想像を絶する地獄のような環境に身を置くくらいだろう。

 そして珠雫が取ったのは両者だ。

 生半可な鍛え方では足りないと感じた彼女は、かつての師の下に来、頭を下げたのだ。

 

「俺である理由は?」

 

 教師は他にもいる。世界レベルの実力者だっている。そんな中敢えて仁を選んだ理由は何か?

 

「師匠なら『確実』に強くしてくれると知っているからです」

 

 即答。

 仁はかつて珠雫を育てた、一ヶ月という短期間でCランクにまでその才を伸ばした。

 確かに当時の事を思い返すと今でも恐ろしく、出来れば忘れていたい。

 しかしその『実績』があるからこそ、珠雫にとって仁は師として最適だと理解している。

 

「……一応断っておくが、仮に今から強くなった所で昨日の勝敗は変わらないし、お前が今年の七星剣舞祭の本選に出ることは出来ない。それは承知の上か?」

 

 仮の話として、仁が珠雫を育てるとしよう。彼女の頑張り次第にもよるが、今より確実に強くはなるだろう。

 しかし、七星剣舞祭の予選は戦績によって決まる、トーナメント形式だ。現在残っている者達は皆黒星がない。つまり、もうどうしようと黒星が着いてしまった珠雫が今年の七星剣舞祭本選に出るのは無理なのだ。

 七星剣舞祭は年に一度。つまり、今年出れないということは次の機会は来年になるのだ。

 それまでの間、静かに、しかし厳しい環境に身を置いてひたすら研鑽だけの日々に暮れる。果たして彼女に耐えることが出来るのか?

 

「はい。だから師匠に頼みにきたんです」

 

 答えは是。

 己の弱さを認め、更に強くあろうとする気概。そしてその為には雌伏の時を耐える覚悟。

 今の珠雫の胸の内にはそれが秘められている。

 

「なら、相応の態度で示せ」

 

「…………」

 

 その想いを汲み取り、珠雫が本気であることを理解した仁はそう言い放ち、扉へと向かう。

 その姿に誠意が足りなかったか、それとも自分の覚悟を認めて貰えなかったのか。どちらにせよ、彼の心には届かなかったのか……そう思い、落胆し――

 

「今夜二十時、第二訓練所」

 

「――え?」

 

 俯きそうになった時、その言葉が耳に入り顔を上げた。

 

「お前の覚悟見せてみろ、どうするかはそれから決める」

 

 一瞬だけ振り向くとそれだけ言い仁は教室から出ていった。

 残された珠雫は向けられた眼と言葉から彼の心意を汲む。

 つまり、「本気ならば力を見せて俺を納得させろ」ということらしい。

 曲がりなりにもかつての『弟子』だからなのか、問答無用に切り捨てるような真似はしないのだろう。しかし頼まれたからといって素直に手を貸す程甘くもない。

 指導や授業ならまだしも、珠雫はそれ以上を求めている。ならば、それに耐えることが出来るか見定めるのは師の務めだ。

 

「――はい、必ず期待に応えてみせます」

 

 既に去った相手に向け、珠雫は静かに返した。

 師が与えたチャンスを逃さぬ為、師からの期待を裏切らぬ為。

 自分にも言い聞かせるように強く、そう宣言した。

 

 

 

「まったく、だからって一人で行こうとするなんて」

 

 時間は過ぎ、約束の二十時に差し掛かろうかとしていた。

 指定された場所、第二訓練所には当事者である珠雫と仁の他に、ルームメイトのアリス、それから理事長である黒乃と臨時講師の寧音の姿があった。

 アリスは珠雫からある程度説明された結果心配だからとついてきた。本当は一輝とステラも呼ぼうとしたのだが、珠雫がどうしてもと言い二人が来るのを拒んだのだ。自分の問題であることや一人で挑みたいという想いがあるからだろう。事情を知られた上に面倒見の良さが祟り、ついて来られたが、一人ならまだ許容範囲ということにして同伴を許した。

 黒乃に関しては『万が一』を想定した仁が呼んだのだが、寧音は関しては預り知らぬ。恐らく仁が黒乃に連絡した際に近くにいて、そのまま見物がてら来たのだろう。

 広い訓練所に、しかし当初予定していたよりも多い人数集まった。

 珠雫と仁は訓練所の中央で向かい合っている。手には既に霊装が握られている。

 そのすぐ近くには黒乃が待機していた。有事の際には駆け付けれる為だろう。

 観客席にはアリスと寧音の二人がいた。

 来たはいいものの、相変わらず仁が絡むと不機嫌になる寧音は、アリスの独り言にも反応せず黙って中央にいる二人――いや、仁を見ていた。

 その様子にやれやれと苦笑を浮かべたアリスは、もう一人の方――珠雫に視線を向けた。

 

「改めて確認だ。お前の希望もあり、実戦形式で行う。霊装も幻想形態ではなく実像形態だ」

 

「はい」

 

 実戦形式と実像形態の提案は珠雫からだ。彼に鍛えて貰いたいと言っている以上、幻想形態なんて半端ものは珠雫自身が許せない。

 

「死ぬか意識を失うことがお前の敗北条件」

 

 意識を失うだけならまだいいが、この試練は文字通り『命懸け』だ。最悪死ぬことすらあり得るだろう。その為の保険として黒乃を呼んだが、出来ることなら彼女の出番がない事が一番だろう。

 

「勝利条件だが、俺に勝つ――というのは無理だろうな。ま、妥当な所で一当てするか、もしくは――」

 

 そこで言葉を切り、左手で指を鳴らす。

 すると、仁の周辺を一陣の風が吹いた。

 

「この円から俺を出すことだ」

 

 それが止むと彼を囲むように半径五十cm程の円が地面に描かれていた。

 

「はい。分かりました、師匠」

 

 確認し、心の内で反芻すると珠雫は頷いた。

 第三者が聞けば舐めてるとしか思えない条件だが、この場にいる全員が理解している。

 珠雫は過去の経験から、アリスは師の実体験から、そして黒乃と寧音は実際に刃を交えたことがあるから分かる。

 この条件ですら、珠雫が勝てる可能性は五分もないということを。

 だがしかし、それでも――挑まねばならない。

 敬愛する(一輝)に置いていかれない為に、あの(ステラ)に負けられない為に、姉のように慕う(アリス)を守れる為に。

 ――これらを為すには『力』が必要だから。

 

「両者合意の上だな」

 

 最終確認として、黒乃が訊く。

 両者は応えず沈黙。しかし珠雫が霊装を構え、仁の纏っている空気の“質”が変わったことで黒乃は合意したと判断する。

 

「では……始め!」

 

静寂が支配した空間に、黒乃の凛とした声が響き渡った。

 




一騎、ステラ→指導
珠雫→再度弟子入り希望
この差何気に大きかったりする。


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八話

 開幕の合図と同時に無数の水の飛沫が仁の周囲に展開された。

 それは三百六十度、全方位を取り囲み、逃げることも抗うことすら許さないと言わんばかりに殺意にまみれていた。

 

「はっ!」

 

 愉快そうに仁が鼻で嗤う――瞬間。

 飛沫は全て、水の刃へと姿を変え、細切れにせんとばかりに仁へと襲いかかる。

 全方位から迫り来る水の刃。数もそうだが、決められた形を持たない故に小さくも鋭く形成されたそれは、見た目以上に凶悪な凶器となっている。

 それを真っ向から防ぐ手段も出来うる者も限られているが、果たして仁はそれを可能とする者であった。

 バンと、何かが弾けるような音が何重にもなって聴こえると同時に仁を襲った水の刃は『全て迎撃(・・)』されてしまい、彼の周りを局地的な雨が降った。

 

「相変わらずえげつねーな」

 

 珠雫やアリス、黒乃ですら驚きのあまり息を呑むが、ただ一人、寧音だけは頬杖をしたまま目を細め呟いた。

 今この場にいる中で最も彼の強さを理解しているのは寧音だけだ。黒乃もかつて交戦したことがあるが、彼は日々強くなっている。

 少なくとも今みせた芸当は黒乃が戦った時には修得していなかったものだった。

 

「――《大六感応》」

 

 夫婦になる前、互いに敵同士だった頃に彼女に対抗する為鍛え上げた技能。

 彼女の剣は無駄を削ぎ落とし、極限にまで研鑽した結果恐ろしく速く鋭かった。

 それはどんなに反射神経、反応速度が速かろうと『見て』からでは絶対に間に合わない神速の領域。

 対抗するにはいくら五感を研ぎ澄ましても遅すぎると判断した彼は、人間に備わったもう一つの感知能力――『第六感』を鍛えるに思い至った。

 第六感とは、人間が持つとされる六つ目の感知能力であり、人は皆これを有しているものの意識的に使うのは極めて難しいものである。大体の人間は無意識下で使ってしまうが、その原理などもわかっていない。

 そんなブラックボックスをこの男は意識的に使えるように開花させ、鍛え上げてしまったのだ。

 伐刀絶技《胡蝶の夢》。その空間内ならたとえ命を落としても生き返ることが出来る。それを利用し、更に自らの五感を断った状態で何度も敵と戦闘するという常軌を逸したやり方で修得するに至った。

 この技能の恐ろしい所は、理屈など関係なく、感じ取った瞬間タイムラグなく即座に対処出来るというものだ。

 先の全方位の水刃も自分の周りに障壁を生み出したとかではなく、丁寧に一つ一つ対となる刃を作り相殺、それを一度に同時に行った結果あのような光景になったのだ。

 予知とは違い『見る』という行為を必要とせず、しかして同等の……もしくはそれ以上の精密性を持っている。

 これが異能ではなく、純粋に鍛え上げて得た技能だというのだから馬鹿げた話だろう。

 

(ま、うちらと同じ『領域』じゃ理屈とか通る方が稀だがな)

 

 同じように人間の潜在能力という意味では一輝の《一刀修羅》も同じだが、あちらは無理矢理身体能力のリミッターを外すのに対し、これは普段使われていない……そのくせ使い方も満足にわからないものを無理を通して使えるようにしたものだ。

 どちらが『まだ』マシかと問われれば前者であろう。

 並大抵のことでは修得なぞ出来ず、それどころか得ることができるかも怪しい。しかしそれが無ければ対抗出来なかった。

 改めて、彼女が如何に異常な存在かが分かる。

 

 そうして得た超越的な感知能力を前に珠雫は何とか打開出来ないかと攻撃の手を休めることなく、思考する。

 大気中にある水素を使い、強力な水の弾丸をいくつも放つが、全て仁に届く前に相殺される。

 ならばと、地面に散った水を使い、諸とも凍り付けにしようとするも、仁が片足で地面を蹴りつけただけで周囲に衝撃が走り迫り来る氷を砕いた。結果、彼の周辺を除いた全てが凍りついただけ。

 触れることすら出来ない様子に苦虫を潰したような表情を浮かべる珠雫だったが、僅かに仁の左手の人差し指が動いたことに気付きハッとした。

 少しだけだがアクションがあった。仁が無意味な行動を取るはずがない。

 それが意味するのは――。

 次の瞬間、珠雫の頭上より無数の凶器が降ってきた。長さ、厚さは一般的に売られているカッター程度だが、問題はその数だ。数十という単位では生ぬるい、凶悪な物量が容赦なく珠雫の身体を切り裂いた。

 

「よく気付いた」

 

 しかし、それは咄嗟に作った身代わり、水の人形。

 本体は既に刃の範囲外に待避していた。

 

「うっ……」

 

 だが、完全な回避は出来なかったようで、身体のあちこちに浅い切り傷がいくつもあった。

 痛みで表情が僅かに歪んだ。

 

「あれが、先生の異能……」

 

 初めて見る仁の能力にアリスは顔が険しくなる。

 あの刃の群れを見るに恐らくは具現化系統の能力だろう、しかし問題はその形成速度だ。先の『迎撃』の時もそうだったが、仁の形成する速度は並ではない。文字通り一瞬で複数体を精密に形成する。

 珠雫の師匠というだけはあり、その魔力制御は恐ろしく高いようだ。アリスが見た所、どう考えてもAランクはあると思われる。

 

(プロフィールを偽るのはよくある話だけど)

 

 『一ノ瀬仁』として作られたプロフィールは真っ赤な偽物だ。本来の彼のステータスで同じようなものなど精々『運』くらいなもの。

 他は全て一級品とも言える実力であり、特に《大六感応》とあの異能のせいで防御力と魔力制御は文句なしのAランクである。

 他のステータスも最低でもBランク以上はあると考えると、《千刃》としての伐刀者ランクはAと見るのが妥当だ。

 表舞台に立つことがない故に世界的な知名度はないが、それでもその強さはAランク(同格)の中でも上の方だろう。

 現在は力をある程度制限しているようだが、それでも珠雫が圧倒される程だ。本来の力など推して知るべしだろう。

 

 それを一番に理解しているであろう珠雫は、しかし諦めることなく仁を見据える。

 その不屈の姿に、仁は嬉しそうに口を歪ませ――

 

「《刻傷切開(こくしょうせっかい)》」

 

 ある伐刀絶技のトリガーを放つ。

 刹那。突如珠雫の右腕が切り裂かれ、肩から夥しい血が吹き出た。

 

「ああああァァああぁぁ!!」

 

 良く見ていた、観察していた。

 そのはずなのに、完全な不意打ちを食らったことで、頭は混乱し肉体は激痛で悲鳴を上げた。

 実像形態である以上、受けた傷は現実のものとなる。つまり珠雫は本当に右腕を切り落とされたのだ。

 目で確認せずとも切り口から感じる痛みと熱、それと水使いの彼女ならではの感覚として身体から凄い勢いで水分がなくなっていくのを感じた。

 痛みを我慢し、意識を集中し、すぐに切り口を止血すると何故不意打ちを受けたのか思考し、原因を突き止めた。

 それが分かると同時に、珠雫は止血を行った以外の傷口から“意図的に”出血を促す。

 すると彼女の血に混じり、小さな鉄の欠片が幾つも出てきた。

 ――そう、それは先の回避し切れなかった、軽症と言える程度の切り傷から出たのだ。

 珠雫は直撃を受けていないと思っていたのだろう。確かに『直撃』はしていない、しかし『当たった』、『傷つけられた』という事実が重要なのだ。

 仁は《自在刃》という『紙一重』を許さない伐刀絶技を生み出す程に徹底した人間だ。『軽症』なんてものを見逃すはずがない、特に自分の攻撃で与えたものであれば尚更だ。

 仁の遠距離用(ロングレンジ)の攻撃に使用する多くの刃には『傷をつけると同時に脆くなる』という仕様がある。それは彼が生み出したものを敵の内部に入れる為の細工だ。彼の異能、そして魔力制御を以てすれば、一欠片からでも再構築出来るようになっており、それを使えば相手を内部から切り裂くことすら出来るのだ。

 似たような伐刀絶技に貴徳原(とうとくばら)カナタの《星屑の剣(ダイヤモンドダスト)》というものがある。固有霊装の刃を細かく砕き、それを吸い込んだ敵を内側から切り刻むというものだ。ただしカナタのは念頭からそういう風に使うのに対し、仁のは物のついで、追い打ちとして使う。似たような技でも用途は違うのだ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 急激な出血多量と片腕を切り落とされた激痛が珠雫を蝕む。

 息も絶え絶えだが、それで待ってくれる相手ではない。動かなければ、また何をされるか分からない。

 そう判断し、少しでも距離を取ろうとして――足が止まった。

 嫌な悪寒が走った、それこそ第六感的な何かだった。

 本能が囁くのだ、『動いてはいけない』と。

 それに従い、その場で佇み、入念に周囲を調べた。

 

(囲まれている……)

 

 上手く隠しているが、珠雫は今無数の刃に囲まれていた。しかも、初擊のお返しと言わんばかりに三百六十度、全方位をだ。

 先の件を鑑みるに、この刃一つ一つがあの伐刀絶技に必要な条件を孕んでいると見ていい。

 かすっただけでも致命傷。いや、恐らく命はない。

 先程まだ珠雫の体内に刃の欠片が残っていたのにも関わらず、右腕を切り落としただけで終わったのは、緊急時での判断能力を確認する為だろう。実戦であれば、片腕を失う可能性なぞ十分にあり得る。喚くだけで終わろうものなら、仁は容赦なく他の刃も再構築し珠雫を肉片に変えたことだろう。

 しかし、その様子見は既に終わった。次は猶予はない。

 浅い僅かな切り傷でもついた瞬間、内部から切り刻まれる。

 『傷』に対する対処法はある。完全に防御に専念すれば易々と傷をつけられることはない。

 しかし『守り』に入った所でその場しのぎにしかならず、『勝利条件』を満たすことは出来ない。

 元よりこの試練は戦って、挑んで、攻めるしか勝ち筋がなく、『強くなりたい』と願い彼に頼んだ以上そんな無様な真似は出来ない上、珠雫自身がしたくないのだ。

 

「私はお兄様の妹で……師匠の弟子」

 

 呟くように言い聞かせた。

 自分の追う背中の人達なら同じ状況に追いやられた時どうするか?

 ――そんなの決まっている。

 

「ッ――ああああああああ!!」

 

 空気を吸い込んだ後、声の限り叫んだ。

 自らの固有霊装《宵時雨》を掲げ、同時に間欠泉の如き勢いで水柱が立った。

 初擊で迎撃された水、凍った地面、そして多量の血液。水ならもう十分にある。

 《雷切》の時のように氷塊を叩きつけた所で、彼女に通じなかった手が仁に通じる訳がない。

 全身全霊の一撃を以てしかこの人には挑めない、決して届くことはない。

 意識を研ぎ澄ませ、水柱は只の水から姿を変え、巨大な刃へと変わった。

 

「ヴァーミリオンの伐刀絶技の真似か」

 

「はい。癪ですけど、ステラさんの《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》を私なりにアレンジしました」

 

 オリジナルであるステラの伐刀絶技が炎の大剣に対し、珠雫のは水の大太刀といった所か。

 恐らくはトン単位の水量を使い、凝縮し、成したのだろう。

 総魔力量を鑑みて何度も使える技でないのは明白。

 この一刀で決めるつもりと見た。

 幸いにして、珠雫を囲んだ刃……頭上の方にあったものは水圧に弾かれ、吹き飛ばされたらしく、腕を振るスペースはギリギリあるようだ。

 おまけに、狙うは動くことのない的ときた。

 好機は今を除いて他にない。

 

「私の全身全霊(最強)を以て最強(貴方)に届かせる!」

 

「来いよ、ガキ。俺に力を示してみろ!」

 

 綺麗な太刀筋を描いて振り下ろされる縦一閃。

 対して、隠し切れない喜悦を口下に表した仁は、ここにきて試練中初めて固有霊装の柄に手をかけた。

 迫り来る水刃は優に数十mはある。珠雫を包囲した刃はその質量により弾かれ、または破壊された。

 それに対抗する《孤狐丸()》のなんと短いことか。仁の霊装は今、本来の姿である短刀だ。そんなのが、あんな質量の暴力に勝てる訳がない。

 長さ、重さ、大きさ、全てにおいて負けているのだ。普通なら挑もうという気すら起きないだろう。

 

「はっ!」

 

 仁は鼻で嗤う。愉快に、楽しく、嬉しそうに。

 この男の前には長さも重さも大きさも、果ては切れ味すら関係ない。

 何故なら、答えは簡単、単純に『想ったことを現実に出来る』からだ。

 

「閃刃――断空」

 

 抜いた。

 そう見えた瞬間、短刀は何事もなかったように鞘に収まり鯉口が鳴った。

 刹那として、宙を一筋の閃が走った。

 それは巨大な水刃の“側面”を貫き、そして……見事に両断した。

 空中で、仁に当たる前に切断された水刃はまるで切られたことに気付かないかのように、液体ではなく固体のまま彼を通り過ぎ無人の方の観客席に突き刺さった。

 珠雫の渾身の一撃。それが呆気なく破られたことに落胆した……者はまだいない。

 “当人を含めて”。

 

 珠雫は走った。

 痛む身体、途切れそうになる意識に鞭打ち。仁目掛けて一直線に駆け抜ける。

 珠雫は分かっていた。見よう見まねの《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》が破れることを。アレはステラの膨大な魔力と、炎という上限がないエネルギーだから出来る戦術兵器。そういった意味でもとことん珠雫とステラは相性が悪いらしい。

 如何に質量を凝縮しても、仁の前ではそれは無力だ。

 彼がどんな理不尽な存在か珠雫は知っている。馬鹿正直に正面切って打ち勝てる程甘くない。

 何処かで『裏』をかかねば、今の自分の力量ではまず無理だ。

 だからこそ、ある意味隠し球として取っておいた物を囮として使ったのだ。

 全てはそう、彼へ接近する為だけに。

 

「ッ……!」

 

 残されたありったけの魔力を放出した。

 仁との間は十数m程度。三秒もかからない距離だ。

 《宵時雨》を構え突撃する。もはや切るのは体力的に無理だ。刺すしかない。

 正真正銘最後の一撃。

 己の全てを乗せたそれは――届くことはなかった。

 あと五mという所で、珠雫は霊装ごと腕を切り落とされてしまった。新たな鮮血が舞う。

 両腕を失いバランスを崩した彼女は、しかし倒れる前にその頭を仁によって鷲掴みにされてしまう。

 そして、持ち上げ息も絶え絶えの瀕死の彼女と目が合うと――珠雫はうっすらと笑みを浮かべた。

 その様子と自分の足下を見た仁は、呆れたように目を閉じ、

 

「――合格だ」

 

 静かにそう告げ、ゆっくりと地面に下ろし、その頭を不器用ながらも優しく撫でた。

 

「《胡蝶の夢》」

 

 魔力で作られた銀色の蝶が珠雫の肩に止まり、弾けた瞬間、まるで画面が切り替わったかのように一秒すらなく彼女は試練前の状態に戻っていた。

 切り落とされた両腕は勿論のこと、小さな切り傷や服の汚れまで、まるでなかったかのように『元通り』だ。

 その様子に、然して驚くこともなく珠雫は緊張の糸が切れたようにそのまま倒れ、眠ってしまった。

 流石に疲れや精神的なものは元に戻せないので、仕方ない。

 もう少しすれば心配でしょうがないアリスが飛んでくるだろうから、後は彼に任せよう。

 

「さて」

 

 仁は改めて視線を足下に落とした。

 仁の足、正確には革靴なのだが、そこには赤い液体が付着していた。

 この試練中、仁は一度も負傷していない。試練前から靴に血が着いていた訳でもない。何よりもその血は『真新しかった』。

 それが意味するのはつまり、その血は珠雫の物だということだ。

 ここで試練前に仁が述べた勝利条件を思い返してみよう。

 彼は言った『一当てするか円から出せば勝ち』だと。

 『一撃』ではなく『一当て』というのがミソで、つまりどんなものでも当てることが出来れば良かったのだ。

 それは、ほんの一滴の血液でも身体の何処かに触れることが出来れば『当たり(ヒット)』扱いであり、これこそが珠雫の真の狙いだった。

 ――無茶をする。

 そうとしか言えないが、事実それしか手がなかったのだ。

 如何に制限されているとはいえ、仁はそれほどの強敵だったのだから。

 

 ともあれ、珠雫は見事試練に合格した。

 これからはまた、仁に鍛えられる日々が続くことになる。

 それは修羅や茨よりも険しく厳しい道だろうが、ただただ彼女が後悔しないことを祈るばかりだ。




前回の更新の際「ネタ浮かんだし、お気に入り1000越えたらif的な番外編でも書こうかな」とか思ってたら、その更新分で越えるなんてたまげなぁ。


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九話

 珠雫が無事仁の弟子として教えを乞うことになって数日。彼女の兄である一輝がスキャンダルとしてマスコミにとり上げられた。

 内容はヴァーミリオン皇国の王女であるステラとの交際についてだった。

 それだけで良くも悪くも話題になるだろう、ただ今回は作為的に『悪い』方になってしまった。

 一輝の素性や経歴が詐欺師ですら呆れる程の嘘八百で塗り硬められていたのだ。

 無論直接会ったこと、接触したことがある者ならすぐに真っ赤な嘘だと理解できるだろう。しかし、完全な赤の他人からすればそれが真実にもなる。

 『人』ではなく『世間』を騙すのであればこれ程巧妙な手段はないだろう。

 斯くして今まで以上に厄介なレッテルを張られた一輝は、騎士として問題があるとして、査問会に掛けられることになった。

 その事に対し、憤慨する者は少なくない。事実、ステラや珠雫といった近しい者だけでなく、黒乃を始めとした教師陣や一部の生徒は憤りを感じていた。

 

「飽きもせずによくやる」

 

 そんな中、仁は興味もなさそうにここ数日似たような見出しの新聞をゴミ箱に捨てた。

 今回の騒動、間違いなく裏には『黒鉄家』が関わっている。掟やら秩序やらを注視する一族だ、このくらいの事をしてきても不思議ではない。ましてや『身内の不始末』となれば尚更だ。彼らにとって身内であろうとも一個人より大多数を取る選択が第一なのだ。

 一輝もその事を理解しているから下手な抵抗はせず連行されたのだろう。逆らったところで意味などないのだから。

 査問についても弁護などはまずないだろう。実質孤立無援の状況だ。

 仁自身、何とかしてやりたいという思いがない訳ではない。

 しかし。

 

(『黒鉄』が関わっている以上、手は出せないか)

 

 忘れてはならないのは彼は国外追放された身であるということ。

 では、そんな処分を下したのは誰なのか?

 それは言わずとしれた『魔導騎士連盟』であり、『黒鉄家』だ。

 幸い今の彼は『一ノ瀬仁』という仮面(プロフィール)がある為易々と身元がバレることはない。

 だがもし、下手な行動を起こし『黒鉄家』に正体が暴かれようものなら、一輝の立場はますます危うくなるだろう。

 ――彼の『追放処分』とは連盟が下したからそうなったのではない。

 連盟そのものがもはや手に負えなくなった彼が、自らの意思で国を出ていったから“そういう処置”にしなくてはいけなかったからだ。

 それほどまでに彼は危険な爆弾なのだ。

 一輝のことは心配ではあるが、だからこそ自分は動いてはいけないのだと、言い聞かせ、彼は怪しまれることなく『いつも通りの日常』を過ごしていく。

 

 

 

 それから更に時は過ぎ、破軍学園生徒会会長であり学園序列一位でもある東堂刀華と一輝の試合がある日。

 選抜戦の最終試合ということ、『黒鉄家』――正確にはその分家である赤座守の手配によりマスコミもきている。

 いつも以上に騒がしい訓練所の屋内に仁はいた。

 本当は観客席から見守っていたかったのだが、仕方ない。

 自分の存在を露見させるのはやはり危険だ。

 相手が赤座だけならまだしも、先ほど通路で彼とすれ違った時、もう一人老人がいたのを確認した。

 南郷寅次郎。《闘神》という二つ名を持ち、黒鉄龍馬のライバルと称される程の実力を持つ男だ。

 遠目から見ていたこちらの視線に気付いた彼が仁を視界に入れた瞬間、僅かに驚いた表情を浮かべた。だが、一秒後には直り、笑みを浮かべながら去っていった。

 あの様子、間違いなく仁の正体に気付いている。

 過去何度か顔を合わせたのが原因だろうが、しかしそれでも《偽装》を見破る辺り流石というべきか。

 

(やはりまだ改善点はあるな)

 

 大半の者には通用するが、それでも見破れる者が少数はいるのが現状だ。

 姿を偽る“程度”では限界がある。だがそれは現段階での事、改善する所はまだまだあり、将来的には誰が見ても彼だと分からないようにするのが目標だ。

 改めて自分の伐刀絶技の欠点を確認し、頭の中で改善策を巡らすと自然と口元が綻ぶ。

 自らが強くなることや、技の研鑽は彼にとってルーチンワークであり数少ない趣味の一つだ。面倒な事でも嬉々として取り組むのが性分なのだろう。

 

 そうこうしている内に会場の方から歓声が聴こえてきた。

 決着が着いたのだろう。

 僅かに聴こえる実況の声や、観客達の声で分かる。

 

「勝ったか」

 

 自らが得意とするクロスレンジ。その格上である存在に一輝は勝ったようだ。

 査問会でどういう扱いを受けたのかは大体聞いている。そんな状態であの《雷切》から一勝をもぎ取るなどそう出来ることではない。

 大方、また無茶でもやらかしたのだろうと容易に想像が着く。

 もっとも向こうには黒乃もいる、万が一が起きようと問題はないだろう。

 そう思い、仁は足を出口に向けた――

 

「ん?」

 

 同時に、こちらに凄い速度で走ってくる影を見つけ、踵を返した。

 

「ヴァーミリオンか」

 

 それはステラだった。

 ぐったりとしている血だらけの一輝を抱えて猛スピードで走って来る。

 恐らく行き先は医務室だろうが、状態を診るに観客席にいた黒乃に託した方が早いのではないか?

 そう思ったが、恐らく焦りやパニックになっているせいで思考が短絡化しており、『怪我をしている=医務室』という図式が頭の中で成立しているのだろう。

 大切に想うのはいいが、もう少し冷静になるべきだ。

 ――《空縫(からぬ)い》。

 目の前を通り過ぎようとしていたステラを止める。

 それは文字通り時間を止めたかの様に、ビデオの一時停止でも押したかのように走っている姿のままステラの動きが止まった。

 

「な、に……これ!?」

 

「医務室までは距離あるだろ。さっさと治してやるからちょっと見せてみろ」

 

「え? センセイ! これ、センセイの仕業なの!?」

 

 急に動けなくなったことと、(ステラからすると)いきなり現れた仁に驚くステラ。

 狼狽する彼女には目もくれず仁は、ステラの腕の中で項垂れている一輝の容態を診た。

 外患は見た目通り酷いありさまだが、今の医療技術、魔術などを使えば何の問題もなく完治するだろう。

 問題は内部の方だ。微粒子レベルの身体に無害な物質を形成し傷口から体内に侵入させ調べた結果、幾つかの内臓が弱っているのが分かった。

 査問会で薬物混入でもされたのだろう。

 肉体的な疲労や損傷と相成り、予想していたより重症だ。

 

(ま、この程度であれば問題ないな)

 

 とはいえ、仁の前ではそんなものは些細な事。

 一番厄介な『死んでいる状態』でさえなければ大抵のことは何とかなる。ましてや今回は何度も顔を合わせ、指導とはいえ剣も交えた相手。把握も容易だし、対処も余裕だ。

 ――《胡蝶の夢》。

 ステラから距離を取ると仁は指を鳴らす。

 するとステラはいつの間にか“立って”おり、腕の中の一輝は傷どころか汚れ一つ着いておらず、静かに寝息を立てていた。恐らく体内も綺麗さっぱり『元通り』になっていることだろう。

 

(え? ……何が起きたの?)

 

 そんな中、ステラは何が起こったのか理解出来ずにいた。

 一輝の容態が完治したのはいい、理由も方法も分からずとも想い人が無事に治ったのなら文句などあるわけがない。

 だが唯一つだけ納得いかないのは、何故ステラは『立っているのか』ということだ。

 彼女は先程仁の伐刀絶技により動きを封じられたはずだ。丁度走っている最中に止められたのだ。

 それを解除されたのなら必然走るという動作、もしくは余ったエネルギーが残っているはず。しかし、彼女はいつの間にか『立っていた』。エネルギーなど余っていなかったのだ。

 仁の配慮なのか、それともその伐刀絶技を使用した弊害かは分からない。

 だがステラは確かに『不気味な違和感』を覚えた。

 

「後は安静にしていればすぐ良くなるだろ」

 

「! ……あ、ありがとうございます、センセイ」

 

 仁の言葉で我に返ったステラは頭を下げ、また駆け出して行った。行き先はゆっくりと休める場所。それが自室であれ、医務室であれ、一番の不安要素がなくなったステラの足取りは軽かった。

 その姿を見送りながら仁は複雑な表情を浮かべ頭を掻いた。

 

「今回の一件、俺ら大人は役に立たなかったからな。せめてそれくらいはな」

 

 特に仁はその最たるものだ。

 誰が何と言おうと、どんな事情があろうとも教え子が困っているのに手を差し伸べることをしなかったのは事実。

 糾弾されたとしても反論はしないし抵抗もするつもりはないが、生憎彼は性格上そんなことはしないのだろう。

 今は無事に目が覚めるのを待つばかりだ。

 



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十話

 『七星剣舞祭』の実戦選抜が終わり、代表者達による強化合宿が行われた今日。

 七月ということもありうだる様な暑さの中、合宿先である巨門学園の敷地内にあるベンチにステラと一輝は座っていた。

 ステラは同じく合宿に参加していた刀華との模擬戦で一勝取れなかったことを悔しがっていた。彼女の場合、ただ悔しがるのではなくちゃんと次再戦する時の事を考えている辺りちゃんと経験として蓄積しているようだ。

 その様子を横から「まあまあ」と宥める一輝は合宿先の教官を全て倒してしまい、他の学園からも注目の的だった。

 そんな周囲の反応とは真逆に一輝はある種の欲求不満だった。

 

(先生の指導が受けれないのは残念だったな)

 

 原因は仁――正確には合宿に参加した事で、彼の指導を受ける機会が減ったからだ。

 仁は仁でやることがあるらしくこの場にはいない。

 幸い、仁からの指導は一段落つき内容をステップアップしようかと思案している所だ。だからある意味ではタイミングはいいのだが、此処にきて一輝は自分が如何に教師に恵まれていたのかを知った。

 無論巨門の教師が劣っている訳ではない。しかしいざ比較してしまうとどうしても否めない点は多い。

 元世界ランキング三位であり『時間』に干渉する因果系統の異能を持つ、理事長の新宮寺黒乃。

 現世界ランキング三位にして『重力』の異能を持つ臨時講師の一人の西京寧音。

 そして臨時講師のもう一人の片割れは知名度こそないが明らかに上記の二人に引けを取らない実力の仁。

 正直な所、一般的な教師になる者達とは比べものにならない実力を有している。教鞭を振るう振るわないは別とし、彼らがただ近くにいるというだけでいい刺激になる。

 

「ねぇイッキ、ちょっといい?」

 

 少し物思いに耽っていると、ステラが急に訊ねてきた。

 

「どうしたの?」

 

「あのね……センセイの異能についてなんだけど」

 

 彼らの教師は多くいれどステラが「センセイ」と呼ぶのは一人。

 

「あの人の異能って本当に具現化能力なのかしら?」

 

 それは前々から抱いていた疑問。一輝同様、仁の指導を受けているステラは度々気になる点があった。それが前回の一輝を治した時に更に大きくなった。

 外傷だけならともかく、薬の影響で弱った内臓も元通りにするのは、具現化能力では限界があるのではないか?

 確かに異能は千差万別ある故に、一概に『出来ない』と決めつける事は出来ない。だがそれでも、ステラは納得出来ずにいた。

 少なくともステラが知る具現化系統の異能で、同様の事を、しかも一瞬で行えるものなどないのだから。

 

「うん、そうだね。たぶんステラの考えは当たっていると思う」

 

 それを一輝は肯定した。

 「え?」と意外そうな顔を浮かべるステラに一輝は続けた。

 

「だって、先生は自分の異能については何も言っていないからね」

 

 そう、実は仁は自らの異能については何も語っていない。ただ何度も手合わせし、能力的に一番近いのが具現化能力であることから一輝は暫定的にそう思っていただけだ。ステラはいつの間にかそう断定していた。本人は気付いていないだろうが、そう思わせるように指導の際さりげなく誘導されていたのだ。

 実際、彼らが受けてきた指導の内容と、それに伴い使う伐刀絶技は全て具現化能力であれば出来るであろうというものばかりだった。

 故に必然そう思うのは当然だ。

 しかし一輝は違った。

 実際に刃を交えた感覚や珠雫から事前に聞いていた情報。そして持ち前の観察眼を以て、仁の異能は具現化能力とは似て非なるものだと見抜いた。流石に異能の正体までは分からないが、それだけは確信ができた。

 

「……シズクなら知ってるかしら」

 

 最近、もう一度弟子入りを果たした彼女なら自分達以上に何か知っている可能性はある。ただでさえ、付き合いは向こうの方が長いのだ、仁についてなら彼女の方が分かっているだろう。

 そう思い、気にし始めてきたステラは好奇心を抑えることが出来ず、一輝を連れて珠雫の下に向かう。

 そんな様子のステラを温かくも見守りつつも、自身も気になる為か足早に彼女の後を追う一輝だった。

 

 

 

「知りません。例え知ってても貴女には教えません」

 

 出会って事情を話し、返ってきた言葉は非情なものだった。

 いつものこととはいえ辛辣な言葉に「な、なによ……」と口ごもってしまう。

 珠雫とアリスと共に木陰で休んでいた。

 手にはペットボトルに握られている。その中身は水になったかと思えば氷になり、氷になったかと思えば空になり、そしてまた水になる。

 その工程を何十、何百往復としている。

 これは珠雫が仁から離れる為出された宿題の様なもの。彼女の行っているものは液体を固体に、固体を気体に、そして気体を液体に変えるという単純な変換作業だ。

 水使いであり、かつ魔力制御がAランクの珠雫にとってそれは児戯に等しかった。ただそれを行うだけなら問題は何もない。

 しかし仁の出した宿題は『最速で簡略化させる』というものだ。

 変換工程として固体を気体にする為には必ず一度は液体にしないといけず、逆もまた然りとなる。それを一秒未満で行えるようにするのが仁から出された課題であった。

 その為単純作業とはいえ、ペットボトルを使い何度も繰り返し変換を行っている。現在のタイムはまだギリギリ二秒台である為目標には遠いが、効率自体は上がっている後は時間の問題だろう。

 

「師匠が自分のことを語りたがる人だと思いますか?」

 

 そんな作業を片手間で行いながらもジトっとした目でステラに訊いた。

 確かに。指導を受けてから会う機会は多くなり話すことも普通にある。しかし彼が自身のことや、過去について語ったことはあまりない。強いて言うなら妻関連なら話すが、逆にいえばそれくらいであり、後は指導の内容などが主だ。

 

「お兄様に免じて教えますが、私が師匠の事で知っているのは二つだけです。『黒鉄』の分家の人間であることと、本家を含め当代で最高峰の実力を有していたというくらいです」

 

 名門とされる『黒鉄』の中で最強クラスの実力。それが意味するのは『魔導騎士』全体から見ても上位に位置するということだ。

 もし表舞台に出ることがあったのなら世界ランクに入っていた可能性すらある。

 そのことに改めて彼の底知れなさを再認識した。

 

「……ああ、そういえば一つだけ……」

 

 ふと、思い出したように珠雫は呟いた。

 

「理由は不明ですが、師匠の異能は後天的に変異してしまったものだと聴いたことがあります。その為極めて不安定であり、ただ発現させるだけでも高い魔力制御が必要だとか」

 

「……それ、具体的にはどのくらい?」

 

 嫌な予感がしたが訊かずにはいられなかった。

 

「正常に発現させるだけでもCランク、実戦で使えるレベルでBランク、そして伐刀絶技に至るにはAランク。それが“最低でも”必要な技量であると」

 

 絶句した。

 魔力制御がEの一輝だけでなく、B+のステラですら彼と同じ異能を有した場合伐刀絶技には至れないということに。

 そしてそんな使い勝手が悪い異能を持ちながらもあそこまで使いこなすとは、どれ程の鍛練を積み死地を乗り越えたのか。恐らく彼らには想像するのは難しいだろう。

 だが、何よりもステラが気になったのは――

 

「そんなセンセイを圧倒した奥さんって一体何者なのよ……」

 

 そんな彼を出会った当初とはいえ、『手も足も出ずボコボコにした』妻の正体だった。

 

 

 

 薄暗い部屋。

 質素な造りと模様のそこに一人の妙齢の女性がいた。純白の長い髪が目を惹いた

 姿見鏡の前に立ち、写しだされた姿は綺麗だった。白い肌、整った顔立ち。身体の方は今バスタオル一枚で隠されているがそれが余計神秘的に魅せている。

 

「あと少し……もう少しですね」

 

 彼女の左手薬指には銀の指輪が嵌められおり、それを愛おしそうに撫でた。

 そして微笑む。鏡の中の女性も同じ笑みを浮かべる。

 その表情は愛する人を想ってのものだった。



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十一話

 意識が遠退く中、一輝の瞳には一人の女性の姿が写っていた。

 純白の髪と肌、一対の剣を構えた美しい妙齢の女性の名はエーデルワイス。『世界最悪の犯罪者』にして『世界最強の剣士』と呼ばれる程の強さを持つ剣士だ。

 

 巨門学園での合宿を終え、帰ってきた一輝達を待ち構えていたのは壊滅状態になった破軍学園と『暁学園』を名乗る数人の生徒達だった。

 同じく暁学園の一人であったアリスが彼らを裏切り、一度は撃退したかに思えたが、それすらも読まれておりアリスは拐われ、一輝と珠雫が奪還の為彼らの本拠地である暁学園にまで来たのだ。

 その際にエーデルワイスと遭遇。一目見ただけで今の実力では勝てないと理解した一輝は珠雫を先に行かせ、彼自身は全身全霊を以て『世界最強の剣士』に挑むこととなった。

 結果、一輝は敗北してしまった。

 所詮は学生騎士、如何に修羅場を潜ろうとも世界に名を轟かせる程の剣士を相手に勝てる程世の中甘くはない。霊装も壊され、自身も瀕死の重傷を負った。

 しかし一輝もただではやられなかった。

 浅い、傷と呼べるかも怪しいが、あのエーデルワイスを相手に一撃を与えることができたのだから。文字通り『一矢を報いた』のだ。

 

「本当、無理もするし、驚かしもするよな、こいつは」

 

 倒れた一輝の傍、音もなく現れたのは仁だった。

 彼は一輝の症状を診た後、すぐに《胡蝶の夢》で肉体の修復を行った。結果、一輝の身体は激闘の後とは思えない程に綺麗になった。

 その様子を見たエーデルワイスの眉が僅かに動いた。

 

「ったく、ちょっとした買い出しに出て戻ったらあの有り様だろ? 流石に残ってたらあいつらに何か言われそうだし、不本意ながら弟子の方も気になったからこっちに来たんだが……随分と面白いことになってるな」

 

 そう言い頭を掻く青年の姿は自身が知るものとは違った。しかし彼の異能であれば姿を偽ることなど造作もないだろう。

 故に眼前の青年は則ち――。

 

「あ――」

 

 間の抜けた声を残し、仁は一瞬で数十mも後方に飛ばされてしまった。

 理由は言わずもがな、エーデルワイスが彼に斬り掛かったからだ。

 初速や終速の概念がない彼女特有の動き故に、第三者からは仁が『何故か吹き飛んだ』ようにしか見えないだろう。実際は恐ろしく速い彼女の剣撃を受けた結果なのだが。

 

「逢って早々なんなんだよ……」

 

 その吹き飛ばされたはずの仁は、気付けばエーデルワイスの後ろに立ってぼやいていた。手には孤狐丸が握られていることから何らかの伐刀絶技によるものだろう。

 久しぶりの再会なのに散々な扱いだと嘆いていると。

 

「少し、付き合ってもらいます」

 

 振り向くことなく、しかし確かな凛とした声でエーデルワイスはそう言った。

 

 

 

 黒乃は寧音と自分が不在の間に学園で何が起きたのかを自身の異能で調べ、原因を突き止めた。そして寧音と二手に別れ自分は一輝達を追ってきたのだが……その選択を後悔しそうになった。

 彼女は今、暁学園の近くにいる。そこで『何故か倒れていた』一輝を回収し、後は珠雫とアリスだけとなったのだが。

 

「く……! 冗談じゃないぞ、あいつら! 何がどうしたらこうなるんだ!」

 

 暴風と呼べる威力、肌を通り抜け内臓にまで響くかのような衝撃。気を抜いたら飛ばされそうなそれが、断続的に何度も発生している。

 発生源は間違いなく暁学園の敷地内。そして遠目だが元凶の二人を視認した。

 一人はエーデルワイス。恐ろしい速度で縦横無尽に駆けているがどうにか黒乃の目でも確認できた。

 もう一人は青と黒の中間、紺色の髪の男性。駆け回るエーデルワイスとは対照に彼は一歩も動いていないが応戦している。

 黒乃は知っているあの男の正体を。

 

 男の名前は青﨑刄(あおざきやいば)。今は『一ノ瀬仁』として破軍学園の臨時講師をしている。普段は名前や戸籍だけでなく、容姿すら偽っているが、あの姿が本来のものだ。

 青﨑とは『黒鉄』の分家の一つである。この家はかなり古風であり、名前も当主は襲名式となっている。当代で最も強い者だけが『刄』の称号()を継ぐことができるらしく、それ以外の者は一時的な仮の名を与えられ、当主になれなかった者たちは皆その名で一生を過ごすことになる。

 そんな家柄か、青﨑の家は何よりも実力主義だ。これは青﨑が分家の中でも特に暗部の部分に位置する為だろう。

 弱い者は生き残れない、弱い者は当主になってはいけない。

 幼い頃より徹底して教育された彼らは何よりも強さを求める。誰よりも強く、どんな者でも殺せるように。

 その環境は時として規格外の怪物を生み出すことすらある。

 その一例が正に仁――刄だった。

 そして彼は今偽りの殻を捨て、枷を解き放ち、『最強』の前に立ちはだかった――。

 

 二人の激突により、何度も強い衝撃が生まれ、その余波が辺りに拡散している。

 音すら発することなく超高速で動くエーデルワイスに対し、刄は超越的な感知能力である《大六感応》によって対処していた。

 エーデルワイスの接近、攻撃の意図を察すると同時に、『そこに』斬撃が生まれる。それとエーデルワイスの剣がぶつかり合い度に凄まじい衝撃波が生じる。

 それが瞬きの内に何合起きるのか。数えるのが嫌になる程の余波が黒乃を襲う。

 

「エーデルワイスはともかく、刄の奴、更に威力と精度が上がっているのか」

 

 黒乃は刄のあの伐刀絶技を知っている。

 《閃刃》。斬撃そのものを生み出すという剣を扱う者にあるまじき伐刀絶技だ。彼は世界に残すであろう剣撃の軌跡を思い描くだけで現実に反映させることが出来る。勿論ただ『思った』だけでは実現は出来ない。

 その切れ味を、速度を、鋭さを、一撃の重さを、より確かに明確な物にすることでそれは実現可能な領域に至るのだ。

 現実の剣撃と変わらない、もしくは凌駕するものをイメージするのは極めて困難だ。しかし刄はそれを一瞬の内に幾つも繰り出すことが出来る上、その一つ一つが刀華の《雷切》や一輝の《雷光》と同等……いやそれ以上の威力を秘めている。

 しかも黒乃の目が確かなら今エーデルワイスに向けて放っている全てが重刃――僅かなズレを与えることにより斬撃を二重(・・)に発生させているのだ。

 おまけに《大六感応》の恩恵か、視認せずとも恐ろしい精密性を持っており、並の伐刀者ならこれだけで完封されるだろう。

 それを真っ向から迎え打つエーデルワイスもエーデルワイスだが、そんなものをポンポンと連発して放つ刄も刄だ。

 

「前から思っていたが、何処が欠落具現(ロスト・リアリティ)だ。欠陥どころか完全に近いだろう、アレは……」

 

 嘆きたくなった黒乃の心情を察することが出来る者は生憎と今この場にいなかった。

 

 ――《欠落具現(ロスト・リアリティ)》。それが刄の異能に付けられた名だ。

 具現化能力が変異し不安定になったことにより、使い方次第では幻すら扱うことができるようになった稀有な能力。

 ただしその分使用難度も跳ね上がっており、極めることが出来た者はいない。故に『欠陥』とされるのだが、刄は前例を覆し、その異能を以て青﨑の当主に上り詰め、伐刀者ランクAに至った。

 欠落具現の特徴は相反する二つの能力を孕んでいることにある。

 夢と(うつつ)、精神と物質、虚と真実。

 その二つをよく理解し、それぞれの長所と短所を把握し、そしてそれらの融和を試みる。

 すると必然、相反する二つの境界すらも自在に出来るようになった。

 その最たる物が《胡蝶の夢》だ。不要と感じたものは幻想となり、必要と思ったものは現実となる。境界を曖昧にした空間を作り出すことでそのどちらにも出来る。

 幻想は現実となり、現実は幻想となる。

 故に《胡蝶の夢》。

 

「――《閃刃百花》」

 

 二人の動きを注視していた黒乃は、刄の口がその言葉を紡いだと同時に一輝を抱え、その場を離れた。

 直後。刄とエーデルワイスを中心とした空間、半径十mを無数の銀の斬撃が埋め尽くした。

 一瞬、ペンで塗りたくったかのような異様の光景。銀色の球体が出来上がったが、それはすぐに姿を変える。

 

「《相乗裂波》」

 

 狭い範囲で放たれた無数のエネルギーがぶつかり合い、より巨大なエネルギーに変じ、徐々に広がっていく。辺り一帯を薙ぎ払う程にまで強大になり、今までとは比にならない衝撃波が生まれた

 それは建物だけでなく、地面も木も吹き飛ばす程。

 結果、無数の閃刃を放った範囲の数倍以上の空間がたった数秒で荒れ地と化した。

 黒乃はこれを読んでいたから一輝を連れて避難したのだ。事実、彼女が直前までいた位置にまで余波は及んでいた。

 衝撃は収まり、開けた視界の先には無傷の刄とエーデルワイスがいる。

 先に放った刄が使った伐刀絶技は《閃刃百花》と《相乗裂波》という。

 《閃刃百花》はその数が示す通り、百もの斬撃を瞬時に放つ伐刀絶技だ。一撃ですら鋭く重い閃刃を百も一瞬で作るのは至難の業。よって準備に最低でも三秒は掛かる。とはいえ、他の事を行いつつの並列同時進行でも可能な辺り、そこまで隙が生まれることがなく、彼の概念と想いから生まれた刃はその一つ一つがダイヤモンドですら切り裂く威力を誇っている。

 《相乗裂波》は自らが生み出した技同士をぶつける事で相乗作用を起こし、より強大なエネルギーに変えるというものだ。普通は狙ってもそうそう出来るものではないが、刄の異能と魔力制御を以てすれば造作もないことだ。

 二つとも必殺ともいえる伐刀絶技だ。並の伐刀者どころか場合によってはAランクの者ですら危険を感じる。

 そんなものを立て続けに受けたエーデルワイスの表情は、しかし涼しいものだった。皮膚を掠めたり服が所々破れたりはしているが、その程度。

 『世界最強』の名は伊達ではない。

 その姿に落胆も焦燥も抱くことなく、刄はただただ孤狐丸を握り直す。

 二人とも理解しているのだ。

 ――ここまでは準備運動(ウォーミングアップ)に過ぎない。本番はこれからだ。

 纏う空気が変わる。それに当てられたかのように大気は震え、地面には亀裂が入った。まるで世界が悲鳴を上げているかのようだ。

 次の一手からは文字通り別次元の領域と化す。

 それを誰よりも理解しているのは……黒乃だった。

 

「待て待て待て待て! 貴様ら! この辺り一帯地図から消すつもりかぁ!!」

 

 自らの固有霊装、二丁拳銃型の霊装《エンノイア》を顕現させ二人の間に弾丸を放ち、制止の声を上げた。

 彼女は直感的に悟った。このままこの二人を戦わせてはいけない。

 片や『最強』とされる因果干渉の異能を持ち、デタラメなまでに卓逸した剣を振るう『世界最強の剣士』。

 片や黒乃が知る中で『最も危険な異能』を使いこなし、果てなく強くなろうとする『規格外の怪物』。

 断言しよう。どちらか片方だけでも黒乃の手には余る超越者だ。如何に『時間』という超常的な能力を手にしようとも、『人間』の枠に収まっている彼女ではこの二人を倒すことは出来ない。

 故に本当の意味での仲裁なぞ不可能だ。

 言葉が届くのであればそれに越したことはないが、果たして……。

 

『………………』

 

 数秒の沈黙が流れた。

 だが黒乃からすればそれは数分にすら感じた。

 全く生きた心地がしない、全身から嫌な汗が吹き出ている。動悸がここまで激しくなったのは一体いつ以来だ。

 走馬灯すら見てしまいそうな、そんな絶望的な時間が経過し、動きを見せたのは――エーデルワイスだった。

 

「なっ……!」

 

 予備動作というものを必要としない彼女は、いつの間にか黒乃の背後に立っていた。

 

「動かないでください、《世界時計(ワールドクロック)》」

 

 危機感を覚え、アクションを起こそうとした黒乃をエーデルワイスの声が止める。

 絶体絶命。そんな言葉が黒乃の頭を過った。

 しかし。

 

「…………おい」

 

 それから何の動きもないのだ。

 ただエーデルワイスが黒乃の後ろに隠れただけ、それを刄が呆然と見ていた。

 

「貴様は何がしたいんだ?」

 

「あ、動いてはダメですよ」

 

 だからなんでだ。

 そんな言葉が口から出そうになったが、それよりも先にエーデルワイスは恥ずかしそうに小さな声で言った。

 

「その、今の私の姿を、できる限り彼には見せたくはないので……」

 

「――は?」

 

 鳩が豆鉄砲でも食らったかのように黒乃は唖然とした。

 いや、待て、ちょっと待て。こいつは何を言ってるんだ。

 

「ああ、やっぱりか」

 

 それで合点がいったのは刄だった。

 何故か逢ってそうそう満足に顔を合わせてもくれず、戦う羽目になった理由。

 暫く逢っていなかったからそのせいかとも思っていたのだが、どうやら違ったらしい。

 深く考える必要はなく、思っていた以上に至極単純だった。

 

「お前、また食い過ぎたのか?」

 

「う――!!」

 

 刄の容赦ない事実の一撃が、本日初の致命傷(クリティカル)をエーデルワイスに与えた。

 そう、つまる話。エーデルワイスは刄と最後に逢った日から少しだけ体重が増えてしまったのだ。

 人によっては気にしないレベルかもしれないが、エーデルワイス当人からすれば許容範囲(ボーダーライン)を越えていたらしい。

 

「あと一日……! あと一日さえあれば……落とせていたんです!」

 

 理由はある。

 ある少年の気を引こうとお菓子を山のように作ったのだが、量が量の為か全部は貰ってはくれず、自分で処理する羽目になり気付けば許容範囲をオーバーしていたのだ。

 ダイエットはした。順調であり、明日には元の体重に戻るはずだったのだが……悲しきかなその前に刄と再会することになってしまった。

 

「痩せます! ちゃんと体重減らしますから! 離婚だけは!」

 

「いや、その気はないから」

 

 ちなみに彼女がここまで必死になっている理由は刄と夫婦の関係にある為だ。

 彼女なりに夫の目を気にしているようで、愛想を尽かされないように色々と気をつけているらしい。

 なお、多少体重が増えた所で今更刄が愛想を尽かすはずがない上、離婚など選択肢としては全くないのだが、彼女には彼女の矜持があるのだろう。

 

「……本当に変わったな、お前」

 

 かつてのクールなお前はどこ行った。

 そんなことを思いつつ黒乃は一番の重荷が降りたことに胸を撫で下ろした。

 




ついに妻登場。はい、皆の予想通りのあの人です。意外性なくてゴメンね。
結婚したせいか、何故か色ボケになってしまいポンコツ感増してしまった……。
ついでに旦那の実名判明回。
ちなみに『青﨑刄』としてのスペックはこんな感じ。

伐刀者ランク:A
攻撃力:B+
防御力:A
魔力量:B+
魔力制御:A
身体能力:A
運:E

黒乃や寧音に比べると少し劣ってる感あるけど、その分異能がわりとエグい性能してるのでトントン。
『欠落具現』は分かり易くいうと現実にも幻想にも干渉できるし、その境界すらも操れる能力。完全に極めた上でその気になれば、因果とか関係なく『想ったことを実現できる』やべーやつ。ただし、扱い辛さも全異能中トップクラスなので実は刄もまだ極め切れていない。


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十二話

 ――どうして貴方はそうまでして『強さ』を求めるのですか?

 

 いつの頃だったかそんな事を訊いたことがある。

 それに対し、男は顎に手を当て、首を傾げ、暫しの思考。そして数秒した後「考えたことなかったな」とあっけらかんに返した。

 男にとって『強くなる』ことは生き物が呼吸をするくらいに当たり前のことで疑問すら抱くことはなかったのだ。

 その在り方に呆れ半分、彼『らしさ』からくる安堵半分で微笑を浮かべる。

 彼との付き合いは数ヶ月に及ぶ。元々は自分に仕向けられた刺客だったが、当の本人はそんなことは忘れ純粋に、かつ脅威的な挑戦者(チャレンジャー)となっていた。

 今日も今日とて経緯はともかく勝つことが出来なかった彼はそうそうに退散しようとしたのだが、ふとした疑問を抱いた彼女が男に問い掛けたのだった。

 既に勝敗は決し、臨戦態勢を解いたその姿に男は素直に答える。別に隠すようなことでもないのだから。

 その日はそれだけの応酬で終わったが、以降も逢う度会話を続け、話す長さも密度も増していった。最終的にはどうでもいい話題でも話せるようになった。

 命を賭けた戦いをする一方でそんな安穏とした時間を共に過ごす関係は、少し特殊で、不思議だったがいつしか楽しみの一つになっていた。

 ――二人にとっての本当の馴れ初めはそこだったのかもしれない。

 

 

 

「夫がお世話になっております、妻の『エディ』です。以後お見知りおきを」

 

 そう言って頭を下げたのは白のブラウスとロングスカートに身を包み、長い白髪を一つに纏めたエーデルワイスだった。

 暁の襲撃から数日。校舎を直し、色々と元に戻りかけた時に彼女は再び現れた。

 第一に接触したのは言わずもがな刄――仁だった。

 『襲撃』以降ピリピリとした空気が学園内に広がっており、教師が警備に駆り出されることがある。それは仁も例外ではなく、偶々その時に彼女と遭遇してしまった。

 何の連絡も取らずいきなり現れた彼女に驚くより先に呆れてしまった。

 ――曲がりなりにも暁の顧問なのだから問題しかないだろう。寧ろ『エーデルワイス』自身が悪い意味で有名過ぎるのだからどんな事情を抱えていようと来たら問題になる。

 そんな仁の心中なぞ知らない妻は『貴方()がお世話になっているみたいなので、挨拶に来ました』と何の気なしに言った。常々思っていたがわりと自由である。

 むろんそのまま学園に入れることなど出来ないのだが、帰る気がない。仕方なく自分の異能により彼女を『エーデルワイスとして認識できなくなる』よう施してから彼女を学園に入れた。

 

 表向きは『夫が勤めている学園が襲撃にあったと聞き心配になって出向いてきた妻』という具合で教師や生徒には説明をした。

 彼女本人としてはシンプルに『逢いたかった』のだろうが、そこは偽りも交えた方が融通も聞くというもの。

 ちなみに『エディ』とは勿論偽名だが、彼女『エーデルワイス』という名前の愛称の一つでもあるらしい。

 

「あ、こちらこそ、仁さんにはいつもお世話になってます」

 

 頭を下げられた有里は、『一同僚』として返した。

 その後、微笑む彼女を見ながら思った。

 

(噂には聞いていたけど、本当に綺麗な人)

 

 彼女が『エーデルワイスではない』という認識阻害が働いているものの、見た目に変化があるわけではない。

 そんな件の妻を見た率直な感想がそれだ。

 元々生徒達の間で『一ノ瀬先生の奥さんは美人』という噂が流れており、当人も『容姿は良い』といっていた為気になってはいた。

 それが急ではあるが、夫に逢いに訪問し、機会が出来た。

 彼女を見て抱いたイメージは『白』だ。雪のような肌と髪、それを良く映えさせるバランスの取れた頭身。正に理想的な大人の女性と言える。そんな彼女が仁とのやり取りで時たま見せるあどけない幼い笑みが更に魅力を掻き立てた。

 肌の白さという意味なら有里もそうだが、彼女のそれは病的、病人的なものだ。対してエーデルワイスのは健康的であり純粋な色白だ。

 そういった所を含めても、同性でも見惚れてしまう。

 

「……どうされました?」

 

 有里からの視線が気になったのか、エーデルワイスが訊く。

 

「あ、いえ、ただその……綺麗な人でびっくりしてしまって……」

 

「……ありがとうございます」

 

 素直な感想に一瞬面食らったもののすぐに頭を下げた。

 有里から見えない位置で、彼女は小さくほくそ笑んだ。

 

 

 

「先程の『オレキ・ユウリ』という方、良い人ですね」

 

 一通り挨拶を済ませ、敷地内にあるベンチに腰掛けていると不意に先の一件を思い出し、呟くように言った。

 

「そうだな。唯一の欠点は虚弱体質という所くらいだな」

 

 それに仁も同意する。

 教師という職種においては彼女は先輩であり、未だそこに関しては経験不足な仁はよく彼女にアドバイスを貰うこともある。

 彼女も自身の虚弱体質故に緊急の時は頼れる相手として仁に相談することがある。

 両者共に同僚として理想的な関係と言える。そこに男女としての不純な思いなどはなく、純粋な信頼関係が築かれていた。

 だからそう――。

 

「……そろそろ手を放してくれないか?」

 

「お断りします」

 

 がっちりと握り返し彼女は笑顔で答えた。

 そうなのだ。実は案内中もなのだが、エーデルワイスは仁の手を掴んで放さなかった、一瞬たりとも。

 道中すれ違う生徒や教師からは『仲が良い』という温かな目で見られた、実際仲は良いからそこは否定しない。

 しかし、当のエーデルワイス本人としてはこういった行為は完全に『見せつける』為にしたものだ。歯に衣着せずに言うと『この人は自分のもの』というアピールだ。

 ただでさえ結婚指輪を嵌め、自分から『既婚者』と言っているのだから余計な心配なのだろうが、彼女は知っている、世の中には略奪愛というものがあることを。情報源(ソース)は昼間にやっているドロドロした人間関係を描いたドラマだ。

 

「まったく……確認するが、これだけの為に来たわけじゃないよな?」

 

「いえ、これだけの為に来ましたが」

 

「おい」

 

 寂しかったのは分かる。実際、仁も中々会えず寂しさを覚えることはあったのだから。

 しかし、それだけの為に来るにはリスクが大き過ぎないだろうか?

 幸い、一番出逢わせてはいけない『彼女』は今学園にいない為最悪の事態は免れているが、もし鉢合わせていようものなら胃痛で倒れていたかもしれない……黒乃が。

 ちなみに、その黒乃は『仁の妻が来た』という情報が耳に入った時点で静観を決め込んでいる。もし『何か』あったとしてもエーデルワイスが相手では黒乃では対処が難しく、仁の方が適任だと分かっているからだ。ただし、周囲に対する処置は命を賭けても彼女が行う様子。

 

「冗談ですよ。八割程はそれが目的ですけど、残り二割は別件です」

 

 裏では黒乃がそんな覚悟をしている中、エーデルワイスは微笑を浮かべ、もう一つの用件を仁に伝えた。

 

「もう耳に入っているかもしれませんが、あの子……『アマネ』が『七星剣舞祭』に参戦するそうです」

 

 その言葉に仁は驚いた様子もなく、ただ「やっぱりか」とだけ返す。

 『アマネ』とは、『紫乃宮天音』という少年のことだ。

 彼は自らの異能の特殊性故に『不運』に見舞われ、肉親も生き場所もなくなった所をエーデルワイスに拾われ、以降は仁も交え共に生活していた。

 

「黒鉄からも聞いていたから、まさかと思ったがな。アイツの実力は既に一介の学生騎士など相手にならない程だろうに、何故わざわざ『暁』に参加してまで『七星剣舞祭』に出ようとするのか」

 

 名声といったものに興味がない仁は本当に心底不思議で堪らなかった。

 何せ天音は、仁――刄とエーデルワイスによって育てられ鍛え上げられたのだ。

 自らの運命を弄んだ異能ですら今ではもう彼の意のままだ。

 過程は省くが、そこに至るまでに彼が挑んだ鍛練は並のものではなかった。弱音を吐いたり投げ出しそうになったことは何度もあったが、結局の所彼はやり遂げたのだ。

 そうして得た力は現『七星剣王』ですら打ち負かせるレベルであり、プロと呼ばれる者達すら返り討ちに出来るだろう。

 育ての親が規格外だったのもあるだろうが、紫乃宮天音とはそれほどまでの強さを既に持っているのだ。

 

「本人曰く『箔をつける為』との事です」

 

 あくまで目的の一環だろうが、天音がエーデルワイスに伝えたのはそれだけだった。

 表であれ裏であれ、無名のまま活動するのはメリットがない。だからこそ『七星剣舞祭』を利用して自らの力を知らしめようと考えたのだ。

 ――しかしそれは表面上のもので、本来の目的は別にあり、エーデルワイスは理解していた。

 

「あの子もあれで不器用ですから……誰かに似て」

 

 小さく呟いた言葉を彼が理解することはないだろう。鈍感だから。

 天音はどちらかというと仁――刄の方に懐いている。表面上はつっけんどんしてるが、内心は彼を尊敬しているのだ。実際、絶望していた天音を立ち直らせたのは刄であり、彼を魔導騎士として鍛え上げるのに一番力を注いだのも刄だった。そんな経緯もある為か天音はエーデルワイスよりも彼に懐いている。

 だが、鈍感なこの男がその事を知るよしもなく、鍛練の時以外は余り話しもせず、彼の名前を呼んだことは一度もない。

 刄のことを擁護するのであれば、彼自身常に一人でいることが多かった為人との付き合い方が分からないというのと、いきなり出来た息子みたいな存在とどう接すべきか迷っていたからなのだが……。

 つまる話として、天音が『七星剣舞祭』に出る本当の理由は、そこで力を示すことで彼に認められたいという子供らしい欲求だ。

 

「『七星剣舞祭』見に来ますよね?」

 

 その事を知っているエーデルワイスは釘を刺しに来たのだ。

 流石に一番見て欲しい人がいないのは悲しい。

 

「元々行く気はなかったが、事情が事情だからな。理事長命令で俺も行くことになった」

 

 杞憂は杞憂のままで終わった。

 彼女の進言がなくとも刄は行くことが決まっていたらしい。

 

「そうですか」

 

 そう言うと今まで握りしめられていた手をほどき彼女は立ち上がった。

 そして改めて彼に向き直ると――。

 

「ではまた、お逢いしましょう」

 

 そのまま彼女は音もなく姿を消した。

 目的は果たした。これ以上居座るのは迷惑になると判断して帰ったようだ。

 残された刄は、僅かに彼女の熱の余韻が残った左手を眺めため息を吐いた。

 

「まったく、厄介なことになったな」

 

 そんな呟きは、独り言として快晴の青空へと消えていった。

 





天音君が強化されたよ! やったね、一輝君!


実は今月から転勤になり通勤距離が今までの三倍になり、書く時間が減りました。一応書き続けるつもりですが更新速度落ちます、ごめんなさい。


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十三話

サブタイ、もし付けるとするなら『一刀』VS『千刃』とかそんな感じ。


 第四訓練所。『七星剣舞祭』本選を前に、更に強くなろうと一輝は研鑽をしていた。

 本選を前にして、尚且つ『暁学園』という強敵を目の当たりにした一輝は仁に頼み指導をより厳しいものにして貰うよう進言したのだ。

 それに対し仁は二つ返事で返した。彼自身思う所があったのだろう、むしろ『指導』ではなく『特訓』を彼に与えることにした。

 その内容は至極単純なものであり、且つ最も難しいものでもあった。

 ――“俺”に勝て。

 そう宣告された時、一輝は大きく息を呑んだ。

 

 

 仁からの難題を与えられた一輝はそれから二日間、朝から晩まで仁と戦い続けていた。

 息を切らし、服は至るところが裂け、破けているが奇跡的に傷はない。だが、対面している人物は無傷どころか息一つ乱してはいなかった。

 一輝が今対峙している相手は仁だ。しかしその姿は異なっている。

 一見、本来の姿である刄なのだが、見た目や纏う雰囲気すら違って見える。

 年齢は丁度一輝と同じくらい、触れるものは全て問答無用で切り捨てると言わんばかりに鋭く冷たかった。何よりも能面でも張り付けたかのような無表情が不気味さをより際立たせていた。

 まるで若返ったかのような姿は正にその通りだ。

 一輝は今、十六歳頃の刄と戦っていた。《胡蝶の夢》の空間にて、彼は昔の刄と剣を交えている。

 戦っているのも当の本人ではなく、当時を再現した『偽物』だ。しかしその実力は間違いなく本物でもある。

 当然のことだが、昔の方が現在よりも弱い。しかし、それでも物心ついた頃から裏の世界で生きていた強者だ。如何に今より弱かったとしても、それは本人だけの基準であり、第三者からはまた違って見える。実際、一輝にとって当時の刄は強敵だ。

 既に《欠落具現》を使いこなす程の高い魔力制御は備わっており、戦い方も一輝が知るものに近い。

 しかし今までは『指導』という枠組み故にあった『遠慮』というものが一切ない。正真正銘の問答無用で命を奪いに来ている。

 一輝も今までに多くの修羅場を潜り抜けてきたが、あくまでそれは表の世界の話だ。『最低限のルール』がある。その中で『不慮の事故』が起きてしまうかもしれないが、表の世界ではそれによってある程度は守られているのだ。

 だが、無法とも言える裏の世界においてそんなものは存在しない。ただ単純に強い者が勝つ、隙を見せたものは殺される。そんな無情で弱肉強食の世界だ。

 その中を生き抜き、勝ち続けてきた刄が弱い訳がなく、容赦をする訳もなかった。

 現に一輝はこの二日間で一度も彼に勝てなかった。それどころ数えるのが億劫になる程殺されている。

 《胡蝶の夢》の空間内である為、死んだとしても生き返ることが出来る。しかしそれだけの命を費やしても未だ刄に一当てすら出来ないのが現状だ。

 原因は分かっている。対峙している当時の刄の伐刀者ランクはB。ただ強いだけなら、突破口を見いだし勝てる力量だ。少なくとも一輝なら出来る……今までなら。

 

「っ――!」

 

 満身創痍の一輝に容赦なく刃が振るわれる。

 迫るのは一刀の一撃だ。本来の一輝であれば、受けるにしろ避けるにしろ即座に反撃をすることが出来る。

 だがしかし、一輝は大きく飛び退きそれを回避した。

 距離を取る。本来、クロスレンジを得意とする一輝がその様なことをするのはあり得ない。しかし、そうしなければいけない理由があった。

 伐刀絶技《自在刃》。一輝はこの技の恐ろしさ、脅威性を知っている。……いや正しくは、知っていると『思っていた』。

 刀身を自在に変化させる。それが一輝が知る《自在刃》だ。しかしそれはあくまでも本来の能力の応用でしかない。

 《自在刃》はその名の通り、『自在』に姿を変じることが出来る伐刀絶技だ。短刀型の霊装《孤狐丸》を刀や剣だけでなく、槍や斧、果ては蛇腹剣や大鎌といった変則的な物にすら一瞬で変じることが可能なのだ。

 しかもただ武器が変わるだけでなく、使い手自身もその武器に合った型に即座に切り替えられるという万能っぷり。

 その特性を十二分に発揮することにより、クロスレンジ・ロングレンジ共に対応可能、変幻自在な戦闘スタイルが出来るのだ。

 そして何よりも、一輝が脅威と感じたのは――。

 

「くっ!」

 

 眼前にまで迫った刃を一輝は首を反らすことで咄嗟に避けた。

 見ると刄自身が接近したのではなく、『刀身そのもの』を伸ばして突きを放ったらしい。

 その長さは安全圏と思われた位置にすら届く程だった。

 だが一輝もそのままで終わらせる気はなく、その刀身に《陰鉄》の刃を走らせ逆に接近を試みる。

 刄はそれに対し防御や回避の為に刀身を戻すことはせず、そのまま(・・・・)の刀身で《陰鉄》に力を加える。

 その瞬間、《陰鉄》を『通り抜け』凶刃が一輝に差し迫った。

 一輝はそれを直前で、横に転がることで難を逃れる。

 だが攻撃の手は休まることなく、追い討ちをかけるように今度は無数のナイフが絨毯爆撃の如く降り注ぐ。

 広範囲による無差別な刃の雨を『絶対』に当たらないよう避け、弾きながら、再度前進。

 そうして距離を縮める中、一輝の瞳に刀身を下に構えた刄の姿が見えた。

 まずい!

 そう思うと同時に切っ先は地面に突き立てられ――

 

「《乱華》」

 

 ある伐刀絶技の名が紡がれた。

 瞬間。地面から無数の刃が現れ、瞬く間に訓練所のフィールドを埋め尽くした。

 スピードを活かす戦闘スタイルの一輝にとって、この所狭しとひしめく刃物の森は厄介極まるものだ。瞬間的なものならまだしも、この森は永続的に残る。切れ味は名刀にも引けを取らず、僅かに触れるだけでも命取りだ。

 上からだけでなく下から数え切れない凶器が襲ってくる。

 それら全てを避けきるのは肉体制御が優れた一輝ですら至難の業。ただ回避するのではなく、己が武器を駆使して、ようやくかすり傷程度で済むものだ……本来であれば。

 

「――っ!」

 

 しかしナイフは刃物の森に当たることで軌道がズレ、予期せぬ動きを行う。

 如何に観察眼に優れた一輝といえど、すぐに対応できる訳もなく、ほんの少しだけだがラグが生まれてしまう。

 その隙を突くようにナイフは一輝目掛けて飛んできた。

 咄嗟のことで防衛本能が考えるよりも先に動き、一輝はナイフを弾こうと《陰鉄》を振ってしまう。

 

(しまっ――)

 

 時既に遅く、動作は行われ、彼の刃は迫り来る脅威を払おうとして――出来なかった。

 ナイフは《陰鉄》を『通り抜け』、一輝の首筋を掠め、僅かな傷を残していった。

 その瞬間。

 

「《刻傷切開》」

 

 一輝の(敗北)は確定した。

 

 

 

「大丈夫ですか、お兄様?」

 

 心配そうに顔色を伺う(珠雫)の姿が視界に入る。

 

「ああ、大丈夫だよ、珠雫」

 

 それに対し一輝は微笑を浮かべて返した。

 

「どのくらい寝ていたんだろう?」

 

「一時間くらいですよ」

 

 ふとした疑問に妹が直ぐ様答えた。

 一輝は過去の刄との戦闘に敗れた後、《胡蝶の夢》の空間内で蘇生させられ、追い出されたようだ。

 彼と妹は今フィールドの外にいる。そこからフィールドのある所を見ると歪んだ景色があった。

 それそこが一輝の特訓用に仕立て上げた彼専用の空間だ。そこに一歩でも踏み入れば、刄を倒すか一輝が倒れるまで出ることが叶わない、サドンデスエリア。

 ちなみに一輝が死んでも自動で蘇生し、空間が一時的に縮小することで彼を安全圏にまで出す親切設計である。

 

「そっか。……また届かなかったな」

 

 一輝は寝そべったまま天井を仰ぎ見て、先の一戦を反芻する。

 二日前に比べれば間違いなく一輝は強くなっている。

 当初は刄の本気の殺気に当てられ本能が動くのを拒み、何も出来ぬまま一刀の下切り捨てられた。

 それが今ではちゃんと抵抗し、戦えている。それだけでも大きな進歩だが、彼の目標はそこじゃない。

 あの刄に勝つ。それこそが一輝に課せられ難題にして、彼自身の目標でもある。

 しかし。

 

(《千刃》……まさかここにきて、その二つ名の恐ろしさを知ることになるなんてね)

 

 その道はまだ遠い。

 本来、一輝が一人の騎士相手に何度も戦い負け続けるということはない。もしあるのだとすれば、今の彼ではどうしたって敵わない相手くらいなものだ。

 しかし、現在ならまだしも過去の刄の実力はBランク程度。その中でも上位に位置するだろうが、それでも一輝に勝算がないわけではない。

 それなのに負け続ける理由。一重にそれは相性の問題だ。

 一輝の戦闘スタイルは類い稀な観察眼と超人的な肉体制御による所が大きい。

 それらを下地に培ってきた技量と伐刀絶技《一刀修羅》を使い、格上であるはずの者達を下してきた。

 対し刄の戦闘スタイルは、異能の汎用性からくる圧倒的と言える手数の多さ、豊富な実戦経験からくる戦闘技術の高さだ。

 まず、多くの剣術を会得した一輝ですら圧倒される手数。

 当たり前のことなのだが、伐刀者は皆自分の霊装にあった戦い方をする。それはあらゆる者に対し例外はなく、『世界最強』とされるエーデルワイスですらそうだ。それ以外に覚えるものなど強いて挙げるのであれば体術くらいであり、おおよそこの理から逸脱する者はいない。

 しかし得物を自在に変化させることが出来る刄はその唯一の例外と言える。

 本来の霊装の型である短刀の他に剣、槍、斧、鎌……果ては糸や投擲といった変則的なものまで修得している。

 これはあらゆる状況下でも能力を十全に使いこなそうと考え身につけた結果であり、『力』を求めた彼だから至った境地でもある。

 そうして得た技能と技量と業。それらは組み合わせることにより、更に可能性を広げる。文字通りの『変幻自在』、故に彼は《千刃》と恐れられた。

 幾千、幾万もの戦術を持たれては流石の一輝の観察眼を以てしても掌握するのは難しい。

 今まで戦ってきたのは手の内が分かっている、もしくは戦いの中でそれを見出だすことが出来た相手だった。しかし今回ばかりはそうもいかない。多少手の内を見せても、相手はまだまだ多くのカードを握っている。しかも出し方一つ変えるだけでコンボにすら出来るという鬼畜っぷり。

 これだけでも相性が悪いのは分かるのだが、更にもう一つ一輝にとって厄介なものがある。

 それは先の一戦でも敗因になった、武器が『通り抜けてくる』というものだ。

 刄の異能《欠落具現》は具現と幻想の両方の特性を歪に持っている。それは少しでも制御を誤ると具現化したものは幻想になり、幻想にしたいものは多少の変化で終わるだけだったりする。

 ほんの僅かでも制御が狂えば予期せぬ事態になる。だからこそ、この異能は高い魔力制御が要求されるのだ。

 この頃の刄は既にその辺りは完全にマスターしており、むしろ逆に意図的にそういった現象を起こせるようにもなっていた。

 それがあの『通り抜けてくる』攻撃だ。

 高い魔力制御、そして積み重ね培われた戦闘技術と経験を以てすれば、瞬間的に具現化した物を透過させることすら出来る。

 唯一、本来の霊装の型である短刀だけは出来ない。そこは現在でも変わらないことだ。

 しかしこれが一輝にとってはかなりの鬼門。何せ一輝の攻撃手段は全て物理だ。

 剣を交えるなり近付いて斬るなりしなければ相手にダメージを与えられない。一応遠距離攻撃がないわけではないのだが、それは既に試したが通じなかった。

 ましてや相手は『一刀修羅状態の一輝』にすら普通に対応してくる程の手練れだ。

 そういった意味でも一輝にとって間違いなく天敵といえるだろう。

 エーデルワイスという例外を除けば、過去最強の強敵。

 その強敵を前に、しかし一輝は嬉々とした笑みを浮かべた。

 彼は何度も自分よりも強い者と戦い続けてきた。逆境は慣れている。何よりも負けず嫌いだ。

 そして初めから無理だと分かっているのであれば、『先生()』は一輝にこんな難題を押し付けたりはしないだろう。

 ――強くなれる。

 そう確信し、一輝は拳を握った。

 休息をとった後一輝は再び《胡蝶の夢》に向け歩き出した。

 

 負けん気の強い修羅は挑み続ける。いつか勝てるその時まで、何度でも。

 

 




やったね、一輝君! 強くなれるよ!

自在に攻撃範囲変えて、広範囲攻撃持ってて、偶に判定ランダムの遠距離飛ばしてきて、防御したら攻撃がすり抜けてきて、奥義発動しても普通に対応され、僅かでもダメージを受けたら即死(もしくは致命傷)技発動とかいうクソゲーに挑む一輝君マジ鋼メンタル。


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十四話

気付いたらお気に入り数二千越えてるし……いつの間に。


 七星剣舞祭の開会式を控えた二日前。

 会場となる大阪。その中心部から外れた湾岸の埋め立て地。

 普段はゴーストタウンと化しているそこは今、活気に溢れている。理由は言わずともしれた七星剣舞祭だ。

 それがあと二日後に迫り、観客だけでなく選手やスタッフも集まり始めていた。

 特に今日は運営委員会が選手を招いての立食パーティーを行う様子。

 当然それには破軍学園代表の一輝も参加することになっていた。

 あの地獄の様な死闘の日々を見事乗り越えた彼は今、パーティーに出向く為の服を見繕っていた。

 このパーティーには一輝の他に、珠雫とステラも参加する予定だ。

 本来であれば予選で落ちた珠雫が出ることはないのだが、『襲撃』の際負傷を負ったり、その時に自信喪失した者達からの推薦で出場権を獲得した。

 アリス奪還の際、彼女は『解放軍(リベリオン)』の重鎮《十二使徒(ナンバーズ)》の一人にして《隻腕の剣聖》の二つ名を持つヴァレンシュタインと戦い、その過程で更なる力を得た。そして彼女もまた仁の『特訓』を受けた身だ。今の珠雫は代表として申し分ない実力を宿している。

 ステラに関しては『鍛え直す』と寧音の下で修行しているそうだ。仁ではなく寧音を訪ねたのは自信があったパワー勝負で負けたのが原因だろう。仁は細かいことや気付き難いことを重点に教える傾向がある。今彼女が必要としているのはそれではない。故に寧音の下にいるのだろう。

 一輝達とは違い、彼女のそれは足掻きに近い。故に一輝は一抹の不安を抱きながらも待ち続けることにした。

 ……まあ、まずはパーティーに出向く為の服選びを終えねばいけないのだが。

 それから数十分。珠雫とアリスが迎えに来るまで一輝は悩み続けた。

 

 

「なんだ、もう終わったのか?」

 

 一輝達が参加している立食パーティー、その舞台であるレセプションルームの隣にある喫煙ルームから出た黒乃に声を掛けたのは仁だった。いつも通りのスーツ姿で壁にもたれている。

 

「……先生は既に出ていっただろ」

 

「ああ、まともに会ったことなんてないはずなのに挨拶されたよ」

 

 黒乃が『先生』と呼んだのは彼女の恩師にして現総理大臣、そして『暁学園』の創設者、月影獏牙だ。

 かつては破軍学園で教師をしていたこともあり、黒乃はその時の生徒だ。

 そんな人物とつい先程まで問答をし、一足先に件の人は退室した。

 その際付き添いで連れて来られた仁に対しても二、三言葉を交わして行った。内容はむろんエーデルワイスと天音のことだった。

 仁としては最終的な判断を当人達が行ったのであればあれこれ口出しするつもりはないのだが、そこは腐っても責任者、立場ある者。大黒柱に断りを入れなかったことに対し非礼を詫びた様子。

 

「エスコートでも必要か?」

 

「馬鹿を言え、お前がそんな柄か」

 

「手厳しいことで」

 

 思わぬ形での恩師との再会故かいつもに比べ上の空な黒乃に軽い冗談を告げると、バッサリと切り返された。

 そのことに肩を竦め、仁は前に向き直る。

 

「……すまん、変な気を使わせたな」

 

 その背中に黒乃は小さな声で伝える。

 付き合いの長さ故か、彼が自分の調子を見て案じたことを黒乃は察していた。

 そんな黒乃に対し、仁はただ「気にするな」とだけ返し彼女の前を歩いていく。

 ――図太そうに見えて意外と繊細な奴め。

 そう感じたのは思えば二度目だった。

 一度目は彼女が『自分達と同じ領域』に足を踏み入れかけた時か。彼女は『ただの強者』ではなく『人間』として生きる道を選ぶ為引き返した。

 ただただ『力』のみを求めるのではなく、愛する者と生きる為に選んだ生き方。

 そんなものとは無縁であった当時の仁にとってそれは少しばかり羨ましくもあったが、結局彼はどう足掻いても生き方を変えれなかったのだろう。

 ……少なくとも、『人』とは一人だけでは簡単に完結して終わってしまう生き物なのだから。

 人生の大半を一人で過ごした彼が生き方を変えることなど出来るはずがなかった。

 むろんそれは過去の話であり、今の彼は変わっている。『力』を追い求める姿勢は依然としてそのままだが、昔より他者を必要とする傾向は強い。

 そうなった原因は当然妻であるエーデルワイス――と言いたいが、実の所彼を変えたのは寧音だ。

 より正確に言えば彼女との接触とその後の付き合いが大きかった。

 

 西京寧音とのファーストコンタクトは仁が『青﨑』としての仕事で西に出向いた時だ。

 解放軍に不穏な動きがあるという情報を耳にした当時の『当主()』に命じられわざわざ彼は出向いたのだった。

 その頃の仁はまだ二つ名も着かない無名の伐刀者であった。厳しい鍛練に耐え、自ら研鑽を怠らず、修羅場も死線も潜り抜けてきた強者ではあったが、知名度自体はなかったのだ。今でこそ《千刃》という仰々しい二つ名を持つが、彼にもそんな無名時代があった。

 青﨑の家系は暗部であり、請け負うのは全て危険なものか汚れ仕事だけ。今回もその一つだ。

 要人が泊まったホテルを解放軍が占拠する。

 そんな情報を何処からともなく仕入れてきた当主は、次世代の中で最も腕の立つ仁を派遣することを決定し、彼も反論はしなかった。

 ……というより、彼等には基本『拒否権』というものはない。彼等の扱いは人というより凶器に近い。

 普段は使わないが必要に応じて取り出して使う。正に彼等はそんな存在だった。

 だからこそ『黒鉄』の中でも彼等は格別に忌み嫌われていたのだろう。

 そのことを自覚し、ただ仕事を終わらせようと歩み続けていた仁を呼び止めた者がいた。

 

「お兄さん『面白い』ねぇ~、どうよ? ちょっとうちに付き合わない?」

 

 それこそが当時まだ学生であった寧音だ。

 彼女は生まれ持った才能もあるが、《闘神》南郷寅次郎の下で鍛えられ、その実力は当時からも注目を集める程。

 そんな彼女が街を歩いてる時偶然見つけたのが仁である。

 同年代の学生騎士よりも遥かに目が肥えていた寧音が仁を見た瞬間「あ、こいつ強いな」と直感で理解し、興味を持ち声を掛けたのだ。

 ――これが二人の馴れ初めだった。

 その後、無視を決め込んだ仁の後を興味本意で『抜き足』を使って追ってきたり、そのせいで仁の仕事である『解放軍の制圧』に割って入って来られたりと仁からすると散々な目に見舞われたのだが、そこは省略する。

 一度目の邂逅はそれで終わるが、彼等はその時に腐れ縁でも出来たのだろう。この後も何度も遭遇してしまう。

 その過程で黒乃とも知り合ったり、最初は能面の様な仏頂面だった仁の表情が次第に柔らかくなったりと色々と変化があった。

 仁が彼女を『天敵』と呼ぶのは何も能力や相性の問題だけではない。『自分を変えてしまった存在』だからこそ、仁は寧音に対し、大きな苦手意識があるのだ。

 そういった意味では彼女は仁にとって間違いなく『特別な存在』だ。

 そこだけはきっとエーデルワイス()でも勝てない所だ。なにぶん彼女の存在なくしては仁が『今の仁』となれたか怪しいのだから。もし、そうならエーデルワイスと今の様な関係にはなれなかったかもしれない

 本当に『人の縁とは面白いもの』だ。

 少しばかり昔のことを思い返し、仁は小さくほくそ笑んだ。

 

 そして今はまだ来ていない者達のことを少し思う。

 ステラを鍛える。その名目で寧音はまだいないが、はてさて間に合うのかどうか。

 ホテルの廊下を歩き、窓から暗くなった空を見上げた。

 夜空には点々と星が輝いていた。

 今足掻いて沈んでしまっている彼女は、その名の通りにまたああして輝けるのか?

 そして、それをあの『天敵』に出来るのだろうか?

 そんな疑問はきっと考えるだけ無駄なのだろう。

 何せ仁はその二人の性格を良く知っているのだから。

 一人は腐れ縁の『天敵』として。

 一人は『生徒』として。

 不安の種は蒔こうとしても無駄だった。

 その二人は信頼に値すると理解しているのだから――。

 

 





寧音は途中まではメインヒロインムーブかましていたけど、エーデルワイスとかいうぽっと出ヒロインに諸々奪われた感じ。
例えるならアルト◯リコシリーズにおける第一、第二ヒロインポジが寧音。第三ヒロインポジがエーデルワイス。
分かり辛いって? ごめんね、例え下手で。


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十五話

最近疲れのせいか気を失うようにいつの間にか寝てしまう日々。


「こんばんは。久しぶりだね、イッキ君」

 

 パーティーが終わり、完全に日が暮れ、代わりに半月が昇った頃。夜風に当たりながらも自分達が滞在するホテルに向け足を進めていた。

 それを、少女の様な高い声がひき止めた。

 

「貴方は……っ」

 

「……天音くん」

 

 声に呼ばれ背後を振り返ると、そこには中性的な少年が立っていた。

 珠雫は二度、一輝は三度目になる邂逅を果たした少年の名は紫乃宮天音。暁学園の生徒の一人だ。

 パーティーに参加していた生徒もいたが、彼はその時にはいなかった。だからこそ予想外の遭遇に驚くと同時に――

 

(気配を感じ取れなかった……!)

 

 仁の『特訓』で鍛えられた一輝が彼の出現に全く反応出来なかったことに脅威を感じた。

 

「やだな~、そう身構えないでよ」

 

 意図も何も分からない相手が突如として現れたことに警戒する二人とは別に、天音は苦笑を浮かべる。

 

「何か御用ですか? パーティーなら既に終わってますよ」

 

 しかし相手が相手だけに珠雫は霊装を顕現させ突きつけた。

 それに対し天音は肩を竦め、ため息を一つ。

 

「本当にやり合う気はないよ。ただ、“偶々”君達の姿を見かけたからね、せっかくの『同門』だし、改めて挨拶しようと思って」

 

「……同門?」

 

「何を言って――」

 

 その言葉が出た時、一瞬一輝は嫌な悪寒に見舞われた。

 それは珠雫も同じようで冷や汗がうっすらと出ている。

 一輝と珠雫。二人に共通する、『同門』と呼べるような教え方をしている者など一人しか該当しないのだから。

 

「君達、あの人に……『ジン』に鍛えられたんだろ?」

 

 そして予感は的中、天音の口から彼の名前が出た。

 

「どうして貴方が師匠のことを……」

 

 不審に思う珠雫と何かに気付いた一輝。

 二人のその姿を見て、天音の口の端が吊り上がった。

 

「どうしても何も、僕も彼に鍛えられたからね。まあ、君達と違って弟子なんかじゃなく、彼の『息子』として、だけどね」

 

 そして満面の笑みでとんでもない爆弾を落とした。

 

「え……?」

 

「むす……こ?」

 

 理解するのに数瞬の間を有した。

 予想外の言葉に一輝ですら、呆けてしまう。

 そして、二人がその意味を理解した時、夜の摩天楼に驚愕の声が上がるのだった。

 

 

 

 紫乃宮天音。

 本名、天宮紫音。

 彼の幼少期は一見華やかなようでいて、その実当人からすれば酷く虚しいものであった。

 彼が伐刀者として発現した能力は因果干渉型。しかもその中でも特に汎用性の高いものだった。

 伐刀絶技《過剰なる女神の寵愛(ネームレス・グローリー)》。一%でも可能性があれば、その結果を引き寄せることが出来る万能のような力。

 実際天音はこの能力のおかげで様々な成果を得ることが出来た。……その代償はあまりに大きいものであったが。

 望んだ結果を得る。それはある種の願望機に近い。もしかしたら人によっては違った解釈も出来るが、しかし彼の周りにいた人達にはそうだったのだろう。

 それは友人であったり、恩師であったり、近所の人であったり……実の親でもあった。

 だが彼等は理解出来ていなかった。彼の伐刀絶技が引き起こす結果……そこに至るまでの『過程』について。

 確かに天音の伐刀絶技は望んだことを叶えてくれる。少なくとも可能性さえあれば出来る。しかしその『可能性』は何も良いことばかりではない。

 例えば『大金が欲しい』と願ったとしよう。この場合、大金を得る為の過程(ルート)は幾つかある。大半の人は宝くじが当たるだの大金や貴重品を拾う等と考えるだろう。しかしそれ以外にも方法はある。

 そう例えば、『家族が死んだことで保険金と財産を手に入れる』とか。

 常人であれば道徳や良心が働きそんな選択をすることはない。しかし天音の伐刀絶技はそれを『自動』で行ってしまう。可能性が高ければ『それ』が起きるよう因果に干渉するのだ。

 今はそんなことはないが、当時の天音は過程(それ)をコントロールすることが出来なかった。

 結果、彼は失うこととなった。

 両親を、友人を、生まれ育った場所すらも……。

 

 そんな絶望にある天音をエーデルワイスは見つけ保護することとなった。

 元々優しい彼女だったが、当時は『ある理由』で少し繊細になっていた。

 それもあり、天音を連れ帰宅したのだが……。

 

「犬や猫じゃないんだぞ、簡単に連れてくるなよ」

 

 ()の口から告げられたのは厳しくも当然と言えるものだった。

 忘れてはならないが、《比翼》のエーデルワイスは『世界最悪の犯罪者』にして『世界最強の剣士』だ。彼女の首を狙う強者やゴロツキはごまんといる。

 仁のように相応の実力があれば彼女の傍にいても問題はないだろうが、己の力もまともに制御出来ていない者ではただ弱味を持つだけ。

 ましてや子供。却って危険な目に遭わせるだけだ。

 厳格にそう言い放つ仁にエーデルワイスは「確かにそうですが」と言いよどんだ後返した。

 

「彼の力はある種の暴走に近い、この状態のまま表の世界に置いておくのは危険です。だからといって裏の世界で生きていくには知らないことだらけであり、相応の力もまだ持てていない」

 

 だから一旦でもいいから自分達が保護すべきだ、と。

 その言葉に仁は眉をひそめた。

 確かに天音は自分の異能を制御し切れていない。孤児院に預けてどうこうとかいうレベルではないだろう。

 だからといって裏の世界で生き残るには実力も経験もない。ただ強力なだけの能力を持ってるだけで生き抜ける程その世界は甘くはないのだ。

 裏の世界で恐れられる程の実力を有する仁だが、その心は冷徹冷酷という訳ではない。確かに性格的に厳しいが、そこにはまだ何処か『人間性』というものがある。

 そんな彼にわざわざ『此処』まで連れてきてしまった少年を『捨ててこい』などと言える残忍さはない。

 しかし、と。

 やはり難しい問題だからか、再び思考の海に浸かってしまう。

 顎に手を当て、思案する。

 ちなみに当の天音本人は、発見時かなり衰弱しており、今はベッドに寝かせ療養中だ。

 そんな夫の姿を見て、エーデルワイス()は『唯一』彼を連れ帰った『打算』を口にした。

 

「それに……どんな形であれ、私は『子供』が欲しいです」

 

「あー……まぁ、な」

 

 それを打ち明けられた仁は歯切れ悪く明後日の方に視線を向けた。

 エーデルワイスが口にしたのは他でもない二人の関係にも関わることだ。

 彼等が『夫婦』という枠組みに収まって数年。本来であれば子供の一人くらい出来てもおかしくはない年数だ。

 しかし彼等にその兆しはない。勿論仲が悪いだとか、そもそもの行為をしていないという話ではない。

 考えられる可能性として最も高いのは二人の『存在』だろう。

 仁もエーデルワイスも、人として、伐刀者としての才能の限界を超えた存在――《魔人(デスペラード)》と呼ばれるものだ。

 表の世界では秘匿され、裏の世界でもそうはいないであろう存在。故に謎も多いのだが……この夫婦、よりによって二人共それなのだ。

 ただでさえ謎が多い上に、夫婦揃って《魔人》など前代未聞どころではない。

 その為如何な事態が起きるかは全く予想がつかなかった。だが二人で暮らすだけなら特に困ったことはなく、わりかし平穏に過ごしていたのだが……。

 こうも長年子供が出来ないと原因はそれではないかと思い始めてきた。他にも純粋に肉体の相性とか元々そういう身体とか本当に運が悪いだけ等……考えられる可能性は幾つもあるが、やはり二人の『存在』そのものが無視するにはあまりにも大き過ぎた。

 そうした理由がある為女性として、妻として、彼女は子供に飢えていた。

 しかし、彼等の環境を鑑みても孤児院から子供を養子に迎え入れるというのは無理だ。片や『世界最悪の犯罪者』、片や裏の世界の住人。そんな家庭環境に表の世界の子供を入れる訳にはいかない。

 だからか最近少し元気がなかったのだが、その時に天音と出会ってしまった。

 行き場を失くした彼を連れて帰ったのは何も純粋な優しさからだけではない。『夫婦(二人)』だけでは埋められないこの空虚感を天音()を迎え入れることで埋めれるのではないか? そんな『打算』も少なからずあったのだ。

 

「……どうでしょう」

 

 もはや懇願に近い眼で訊く妻に仁は大きなため息を一つ。

 

「断言するが、こいつは面倒なこと起こすぞ」

 

 第六感を鍛えた仁が言うのだから間違いない。

 

「ええ、私もそこはなんとなくわかります」

 

 彼の境遇を考えれば、迎え入れるだけでも一苦労だろう。

 ――だが。

 

「それでもいいなら、俺からは何も。あとは本人次第だろうしな」

 

「ありがとうございます」

 

 さりげなく天音本人の意思を尊重しながら仁は妻の頼みを聞き入れた。

 

 ――こうして天音()の『絶望』は長続きすることなく終わりを告げた。

 

 何故なら彼が目を覚ますと、そんなものが可愛く思える程の理不尽な存在がいたのだから……。

 

 

 

 

「あー面白かった!」

 

 上機嫌に笑いながら天音は夜の街を歩いていた。

 一輝と珠雫に対して放った特大級の爆弾は予想以上の効果を発揮した。

 

『ジンって……まさか先生!? え、でも、確か先生はまだ二十代のはずじゃあ……』

 

『落ち着いてください、お兄様。あの人なら別に不思議なことではないです。ええ、おそらく、たぶん、そう……思います……』

 

『いや、流石に物理的、時間的に無理だよ! 珠雫こそ落ち着いて!』

 

 天音が仁の息子――正しくは義理だが――である事実に二人の慌てふためく姿があまりにも滑稽で、過呼吸になる程笑い続けてしまった。

 あともう一つの爆弾。『エーデルワイスと仁が夫婦である』という取って置きがあったが、それはまたの機会としよう。

 

「……まあ、でも、これで少しは気を引き締めてくれたかな」

 

 天音が彼等に接触したのは暁学園の生徒としてではなく個人的な理由だ。

 それは彼が『ジン』の息子として、そして鍛えられた者として、同じ立場にいる二人をただ倒すのはつまらないと感じたからだ。

 同じ師を持つ者として優劣を決めたい。自分の方が強いのだと『ジン』に証明する。

 その為には彼等に素性を明かし、万全の態勢で来て貰わなければ困る。

 彼に鍛えられた騎士だと知れば、あの二人は必ず警戒し、全力で挑むはず。

 それを真っ向から叩き潰す。

 

「僕の強さ。ちゃんと見ててよ」

 

 『認められたい』という、子供らしい欲求。しかし、それに見合わない闘争心が彼の瞳に宿っていた。

 

「――はっ」

 

 口の端が上がり、鼻で嗤うようなその姿は誰かによく似ていた。

 

「アマネ」

 

 だからか、彼の妻にして育ての親の片割れが声をかけてきた。

 

「用事は終わりましたか?」

 

 変装というにはおざなりな、眼鏡をかけ、地味めな服を着ただけのエーデルワイスがすぐ傍にいた。

 いつ居たのかなど訊くだけ野暮だろう。

 

「はい。もう終わりました」

 

 特に意味はないが、内容は伏せる。あくまで個人的にやっておきたかったことだし、改まって言うのは少しばかり恥ずかしい。

 

「貴女の方はいいんですか? アイツに逢わなくて」

 

 天音が向けた視線の先にはパーティーが行われていたホテルがあった。

 もう既にいない可能性が高いが、もしかしたらまだいるかもしれない。

 そう思い訊ねたのだが。

 

「彼とはこの間逢いましたから」

 

 首を横に振り、その時握りしめた手を見て答えた。

 愛おしそうに微笑む姿に、天音はふとした疑問を投げ掛けた。

 

「ちなみにどこまでやったの? キスくらいはした?」

 

「………………………………え?」

 

 純粋に夫婦なら『そのくらい』するのでは? という軽い気持ちで訊いた天音に対し、数秒を置いてエーデルワイスは声を漏らした。

 そして次の瞬間からどんどん顔が赤くなっていく。

 

「その、さすがに外でしたし、学園の敷地内でもありましたから……だから、その……キ、スまでは……」

 

 たどたどしく、且つ弱々しい声で当時の状況を語るが、最後は最早消え入りそうで上手く聞き取れない。

 

「あー……はい、分かりましたから」

 

 その姿から天音は大体察した。

 つまり、僅かなスキンシップで満足したと。キスまではしなかったと。

 

(ホント、この人達過剰なスキンシップはしないんだよなぁ)

 

 恋人ではなく夫婦。しかも既に数年を共にしているからか、彼等の雰囲気は新婚のそれとは違う。しかし熟年と言うには初な所もある。でも、やることはちゃんとやっている。

 なんとも不思議な夫婦関係だ。

 長年彼等と共に暮らしてきた天音だったが、やはりどうしても変な違和感を感じてしまう。

 原因は仁が特殊な環境で育ったことや、エーデルワイス自体色恋とは無縁だったことだろう。

 しかし、だとしても。

 

(結婚生活数年の人の反応じゃないよね)

 

 未だ赤くなったままの育ての親を見て天音は改めてそう思った。

 





実は番外編予定だった寧音ルートだと普通に子供いたりする。


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十六話

今更だけど『エーデルワイス』タグとかって、いる?


「おはようございます。今日の予定、お訊きしてもよろしいですか?」

 

 起床し、身仕度をしてから朝食を摂る為に宛がわれた部屋を出ると、それには最愛の妻がいた。

 

「……ホテルはともかく、部屋番教えたか? 俺」

 

「受付に『夫の部屋はどこですか』と訊いたら答えてくれましたよ」

 

 さも当たり前のように扉の向こうに立っていた姿を見て、一瞬記憶を昨晩まで遡ってみたが、連絡自体は入れたものの、どの部屋に泊まっているのかまでは伝えていないことを改めて確認する。同時に、エーデルワイスの口から疑問への回答が出た。

 思っていたよりも真っ当な手段だったので、内心安堵した。

 流石に千里眼的なものを修得した訳ではないらしい。

 そんな仁の心境など知らないエーデルワイスは「それで予定なのですが……」と再度訊いてきた。

 

「ああ、悪い。基本俺は予定ないぞ」

 

 無視した訳ではないことを謝り、告げる。

 仁が連れて来られた主な理由は『いざという時の為の戦力』だ。

 暁学園、ひいては創始者である月影獏牙が解放軍(リベリオン)と繋がりがあるのは間違いない。

 そうだとすると何かしらの妨害……最悪民間人に被害が及ぶようなこともあるかもしれない。

 そういう『いざという時の為』に仁はいる。

 だがそれは裏を返せばその時以外は出番がないことも意味している。

 ましてや仁は本来国外追放された身。下手に関わって身元を詳細に調べられると色々と危ない。だからこそ有事の時以外は静かに息を潜める必要がある。

 とはいえ、要は目立った行動さえしなければいいのだ。外出も禁止されていない。

 故に物見遊山でもしようかと思っていたのだが……。

 

「では、ご一緒しても?」

 

「いいぞ。むしろ有り難い」

 

 思わぬ誘いに、しかし仁はすぐに頷く。

 一人寂しく徘徊するより、二人の方が断然良い。

 なによりも仁にとって、エーデルワイスと二人だけで出かけるのは久しぶりのことであり、その申し出は正直嬉しかった。エーデルワイスの方も、暁学園での主だった行動はない為時間が余っているのだろう。暁での彼女の役割はただ名前を貸すことと天音の保護者としているだけなのだから。

 

「デート、久しぶりですね」

 

「……面と向かって言うなよ」

 

 仁とは対極に嬉しさを隠そうともしない妻の笑顔に仁は少しだけ気恥ずかしさを覚えるのだった。

 

 

 

「何か希望は?」

 

「露店とか見て回りたいです。日本独自の料理など、興味もありますから」

 

「なら、そうするか」

 

 朝食を終え、改めて身仕度を済ませた仁はエーデルワイスに何処に行くか質問すると考える素振りすら見せず即答してきた。

 その要望に応えるべく、ケータイ片手に周囲の情報を収集する。

 七星剣舞祭という一大イベントで店を構えるということもあり、全国の名店が出張しているようだ。全部を回るのは流石に無理だろう。軽く調べただけでも数十店以上あったのだから。

 さて、どの辺りから回ろうか。

 そう思い、思考する時の癖でつい顎に空いた手を当てようと――したのだが、その腕が動かない。

 違和感に気付き目を向けると、本来空いてある腕を妻がガッチリと捕らえていた。……いや、『絡め取っている』と言った方がいいだろうか。密着する程の至近距離で彼女は仁のケータイを覗き込んでいる。

 

「どうした?」

 

 手を繋ぐ程度であればよくあることだが、こうも積極的なスキンシップはそうはない。しかもホテルを出てまだそんなに歩いていないとはいえ、外でこういう行為をするのは今までなかった。

 どういう心境の変化かと思い訊いてみるものの、「いえ、その……」と口ごもってしまう。

 白い頬が赤みを持っていることから、当人も少しは恥ずかしいようだ。

 その様子を見ても彼女一人で思案して出したものとは思えない。入れ知恵をした者は確実にいるはず。

 

「何か言われたのか」

 

 とはいえ二人の交友関係的にそういったことをする人物は一人しかいないのだが。

 

「……はい。実はアマネに『もっと夫婦らしいことをしたら』と言われまして……」

 

 その返答を聞き「やっぱりか」と呟く。

 二人の義理の息子である天音は、二人のやり取りを見て偶にやきもきすることがあるらしく、そういう時は決まってエーデルワイスの方に進言するのだ。そして真に受けた彼女がそれを実行し、仁を困惑させる。そんなことが度々あった。

 その前科故に彼の仕業であることは容易に察しがついた。

 今回は比較的『大人しい』入れ知恵なのは幸いしたが……。

 普段の姿からは想像し難いが、エーデルワイスの仁に対する独占欲は相当なものだ。それこそ、浮気対策に因果干渉の伐刀絶技を使う程には。

 だからか、『彼が喜ぶことをしよう』と考え、実行してしまう。それは良い方に転ぶこともあるが、悪い方になるのが大半だ。

 自爆することもあるが、主な確信犯は天音である。

 

「そうだな。ま、偶にはいいか」

 

 思惑こそはあるものの、そこにあるのは二人の仲を思ってのこと。

 仁とエーデルワイスは『恋人』を経ずにすぐ『夫婦』という関係になった。そんな特殊な関係故に、ちぐはぐな距離感があり、そこを天音は心配しているのだ。

 抱いてくれる思いが思いだけに余計なお世話と一蹴することは出来ない。今回のような程よい助言を出すこともある。

 過剰なものは却下だが、これは素直に受け取ろう。

 その気持ちを表すようにエーデルワイスの手を握り返した。

 

「あ……フフ」

 

 一瞬驚くものの、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。

 そんな妻を伴い、とりあえずは近場の露店に向かうことにした。

 

 

 会場となる湾岸ドームの周辺には目当ての露店が並んでいた。百m以上の距離を所狭しと並んでいる。これで一部だというのだから七星剣舞祭が如何に大規模で人気のイベントかが伺える。

 そこを練り歩くこと暫く。

 太陽は真上に上がり、一日で最も暑い気温になる。快晴であることもあり日陰を求める人も増えてきた。

 それでもこの祭りの如き賑わいが収まる様子はない。本格的に始まるのは明日からであり、今日は前夜祭の様なものだ。

 しかし、彼らの興奮は抑えられず結果彼らなりの『前哨戦』で発散しているのだろう。

 

「すみません。これとそれと、あと、そちらもお願いします」

 

 そんな中、エーデルワイスは次々と気になった食べ物を買っている。片腕は未だ仁の腕を絡め取っている為片手に会計を済ませ、商品を貰う。

 その際、店主がやたらデレデレとしていたのを仁は冷めた目で見ていた。

 ――まあ、見た目は良いからな。

 たとえすぐ傍に妻や彼女という存在が居ようとも、綺麗な女性には少なからず見惚れてしまうのは男の性なのだろう。

 実際、仁も初めて見た時は一瞬とはいえ心を奪われたのだから。

 だがしかし、それと同時に思うのは――

 

「……知らないってことは幸せだな」

 

 彼女の外出に合わせ、今回も認識阻害の魔術を掛けている。あの店主がお気楽な態度でいられるのもそれがあってのこと。

 目の前にいる見目麗しい女性が、あのエーデルワイスだと気付くはずもなく、思いすらしないだろう。

 正体が露見しようものなら店主だけでなく、この辺り一帯がパニックになり、最悪大会運営とかも出てくることになる。

 改めて思うことだが、下手な爆弾よりも危険物としての知名度は高いのだろう。

 

「あ、おまけしてくれたみたいですね」

 

 「フフ」とあどけない笑みを浮かべてそう語る姿を眺めながら、なんとなしに仁はそう思った。

 

「いい加減休んだ方がよくないか」

 

 それはそれとして。

 自分達の状況を客観的に見てみる。

 互いの腕同士は絡まり――俗に言う『恋人繋ぎ』――空いた手には五つのビニール袋。

 袋の中身は露店で買った食べ物。手の大きさ、買った品の容量などを考えるにそろそろ片手では限界だ。

 

「腕を解放してくれるのなら問題なく続行出来るが?」

 

「休みましょう、アナタ」

 

 両腕の自由よりも片腕の拘束を選んだ妻の答えは速かった。

 どの道、買った物を食べる時は両手を使わなければいけないので、ここで彼女が固執しようともすぐ腕は解放しなくてはいけなくなるのだが。

 離れていた期間が長かった弊害か、はたまた普段とは違った甘え方に味を占めたのか、もしくは両方か。

 とにかく中々離れてくれない現状。嫌ではないが、終始それでは気疲れしてしまう。主に周囲からの好奇や妬みの視線のせいで。

 その中から抜け出したかった仁の願いは、思いの外早く叶うこととなった。

 

 

 

「さて、そろそろ露店巡りをした理由聞いてもいいか?」

 

 時間は経ち。少し遠くの公園まで足を運んだ仁とエーデルワイス。

 露店で買った品々に舌鼓を打ち、食べ終わると同時に仁は質問を投げ掛けた。

 

「物見遊山というのは本当ですよ。後は、料理のレパートリーを増やしたかったからです」

 

「なんでまた?」

 

 エーデルワイスの料理の腕は知っている。真の意味でその力量が発揮されるのは菓子類だが、通常の料理も劣らぬ出来だ。

 『知りたい』という欲求自体は別に不思議なことではないだろう。

 しかし、それだけではないような気がした。ただの勘だが、仁のそれは『ただの』と切り捨てるには難しい。

 だからこそ、聞くだけでも聞いてみようか。そう思い話を振ったのだ。

 

「……アナタの故郷の味を覚えるため」

 

 恥ずかしそうにハニカミながら返ってきた言葉に仁は何ともいえない気持ちになった。

 嬉しくもあり、そんな手間を取らせてしまった申し訳なさもある。

 つまる話、エーデルワイスは自分が原因で国を捨てた仁のことを案じていたのだろう。

 事情が事情だ。今は偽りの身分によってこの国に滞在はしているが、所詮それは仮初め。

 用事が終わればすぐにまた出て行かなければいけない。そうなればもう二度と帰ってくることはないかもしれない。

 生まれ育った国を離れるというのは並大抵の覚悟では出来ない。ましてや『捨てる』など想像するのも難しいだろう。しかし仁はそれをした。理由は他ならぬ彼女(エーデルワイス)の為。

 気軽に帰ることも出来ない身にしてしまった負い目。確かに自分の下に戻って来てくれるよう頼んではいたが、まさか正面切って連盟を敵に回すような行為をするとは思わなかった。

 彼女としては定期的にでも逢いに来てくれるだけでも良かったのだが、仁はそれ以上……寄り添う道を選んだ。

 正直に言うのならば、それは嬉しかった。彼を好いた者として、一人の女性として。

 しかし同様に、そんな決断をさせてしまったという罪悪感がある。

 彼女の仁に対する執着や『彼の為に』という想い、行動はそれも加味されたものだ。むろん全てがそういう訳ではなく、純粋な愛情や好意からくるものだってある。

 だがやはり、無意識に『負い目』というのは感じているのだろう。

 今回の件もその一つだ。

 故郷に帰れない彼の為にその国の料理を覚えたい。

 その想いの裏にはそういった複雑な事情もあるのだ。

 

「……ありがとう」

 

 妻の抱える想いを察した仁は、謝るのではなく礼を言った。

 そうした理由は謝ったところで解決する問題ではないのと、やはり素直にその気持ちが嬉しかったからだ。

 

「フフ、腕に()りを掛けますので楽しみにしていてください」

 

 そしてエーデルワイスは微笑を以て応える。

 再び空いた互いの手を握り、彼女は暫しの間目を閉じる。

 恐らくは自宅でも作れるよう、イメージトレーニングをしているのだろう。露店で直に作って出している所では、目を皿のようにして一挙一動を見ていたのだから。あとは材料や器具が揃い、少しばかり練習でもすれば彼女ならすぐにでも作り上げてしまうことだろう。

 

「ああ、楽しみにしているよ」

 

 お世辞でもなんでもなく思ったこと、本心を口にする。

 やはり好きな人の手料理というのは嬉しいものだ。その日が来るのが今から待ち遠しい。

 手を握り返すことで仁はその想いも確かに伝えるのだった。





リア充書くのなんかキツい……キツくない? でもこれからも頑張るぞ

ちなみに永続的な純度百%の好意とか信用していないひねくれ者なので、愛やら色恋関係には必ずマイナス要素を何かしら入れてしまうのは私の仕様です。


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十七話

番外編、前にあった位置だと新しい話更新する時、操作するのがちょっと面倒だったし、更新しても分かり辛いかなと思って上に移動させました。


「師匠、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 

 そう言い訪ねてきたのは珠雫だった。

 時刻は二十時を回った頃。

 昼間エーデルワイス()との逢瀬を楽しんだ反動か、神妙な顔つきで弟子(珠雫)が夜に会いに来た。

 

「飯、まだなんだが?」

 

「付き合います」

 

 見るからに厄介事だと感じた仁は夕食を理由に逃げようとするが、どうやら無駄なようだ。

 頑固なのは誰に似たのか? そんな疑問が一瞬過るが、あの兄を見るにそういう血筋なのだろう。分家とはいえ、自分にもその血は通っているし、よくよく思い返せば自分も『頑固』と言われることがある。もしかしたら本家分家問わず『黒鉄』とはそういう一族なのかもしれない。

 そんな半分現実逃避染みた思考をするも現状が変わる訳もなく、渋々仁は珠雫を連れ滞在中のホテルのレストランに向かうことにした。

 

 

 

「単刀直入に訊きます。師匠と紫乃宮天音は本当に親子なんですか?」

 

「そうだ。まあ、孤児だったのを(あいつ)が見つけ引き取る形だから、あくまでも『義理の』だがな」

 

 レストランで、テーブルを挟んで座りナポリタンを食べながら仁は答えた。

 その回答に珠雫は「なるほど」と頷いた。

 確かに『家族』の形は一概に同じとは言えない。血が繋がってるから幸せだとか、繋がってないから不幸だという訳では決してない。

 だから彼らの関係もそれは間違いではなく、彼らにとっての正解なのだろう。

 さて、問題はここからだ。天音と仁が家族であることは確認できた。あと一つ、どうしても訊かなくてはいけないことがある。

 

「その過程で彼を鍛えたんですか?」

 

「ん? まあな」

 

 意を決して問うた珠雫に仁は呆気ないほど簡素に返した。

 彼が『同門』と言ったのはやはり間違いないようだ。

 問題は何故仁が彼を鍛えようとしたか、だ。

 仁の性格は知っている。少なくとも誰彼構わず鍛えるようなタイプではない。

 一体どういう心境でその決断をしたのか、そこが気になった。

 

「理由を訊ねても?」

 

 不躾かとも思ったが、単純に興味もある。

 何よりその相手は本戦において『自分が当たる可能性が高い相手』だ。情報は多いに越したことはない。

 そんな珠雫の思惑を知ってか知らずか、「そーだな」と宙に視線を向け逡巡する。

 そして待つこと十秒。

 

「気に食わなかったから、だな」

 

「……え?」

 

 長考の末出された回答が予想の斜め上をいった為か、呆けた声が漏れてしまった。

 

「アイツの境遇とかに関してはまあ同情の余地はあったが、だからといって何でもかんでも異能のせいにしてたのが癪に触った」

 

「……あー」

 

 納得。

 彼の境遇を珠雫が知る由はないことだ。しかし、『異能(才能)を盾にする行為』は仁にとって最も忌み嫌うものだということは知っている。

 何せかつての自分も持って生まれた才能を盾に傲慢な事を行い、その態度故に本来なら『仁が蹴るはずだった教育の依頼を受ける動機』にしてしまったのだから……。

 事情は知らないが珠雫は天音に少しだけ同情した。

 事実、当時の天音の『悪いことは何でも能力のせいにする』という行いは仁の逆鱗に触れることとなった。

 その結果彼は手始めに『おつかい』をさせられることとなった。ただ『ミネラルウォーターを買ってくる』という至極単純で簡素なものだ、子供だって出来る。

 ……そこが普通の町ならばの話だが。

 

 

 

 エーデルベルク。《剣峰》とも称される標高九千mを超える世界最高峰の山。

 彼らが住まう場所は正に『そこ』だ。正確には標高八千m付近の断崖絶壁の合間にポツンとある石造りの小屋。そこがエーデルワイスの家にして、ジンと天音も住んでいる所なのだ。

 そこから麓の村までは距離なぞ考えるのも億劫になるだろう。ましてや『おつかい』なら往復だ。外は猛吹雪、視界が悪いどころの話ではなく、命すら奪う絶対零度の世界だ。

 そんな中を『水を買って来い』というのだ。

 鬼か悪魔か、お前には人の血は流れていないのかと暴言を吐きたくなった天音に――

 

『お前の異能なら出来るんだろ?』

 

 半ば挑発染みた物言いに、しかし天音は乗ってしまった。……というよりは乗らざるを得ないのだろう。

 彼は起こりうる出来事の大半を自らの能力のせいにしていた。責任転嫁をしなければいけなかった。

 そうしなければ故郷で起きた『制御不能な能力が暴走した災厄』が、自分は悪くないという免罪符が成り立たなくなってしまう。

 だからこそ、無茶とも言えるジンの言葉を呑んでしまったのだ。

 まだ子供、感情のコントロールが難しい為だろうが、こうして天音は極寒地獄への旅に出ることとなった。

 最低限の防寒対策と水を買うだけには余分過ぎるお金を渡されての出立。その道程は過酷という言葉では済ませられなかった。

 まずスタートラインからして断崖絶壁だ。そこを降りるのでさえ命懸け。何度足を踏み外し転落したことか……その度に彼の異能は全力全開で発揮され、『奇跡的に』何とか軽い怪我程度で済んだのだが、問題はまだあった。

 単純に道が険し過ぎるのと、村までの距離だ。

 エーデルベルグは人が住むには過酷な環境だ。それ故にレジャーで登山をするような山では決してない。だからこそ、道は自然のままであり悪路という言葉すら生温い山道しかない訳だ。

 そしてそんな山の麓までの距離は優に数km以上ある。

 天音は騎士の血筋や家柄という訳ではない。ついこの間まで普通の学生だったのだ。体力など平均的か、良くて少し上程度。

 世界最高峰の山を登山も下山も出来る体力を持ち合わせている訳がない。

 ここにきて天音は自身の異能の欠点に気付いた。

 確かにあらゆる状況を運でどうこう出来ることは多分にある。しかしそこには誰かしら、第三者の関与があることが多い。

 例えば自身が見舞われた不運などはその最たる物だ。第三者の思惑や思考が絡みに絡んだ末に起きた悲劇だった。

 だが、今はどうだろうか?

 見渡す限りの雪景色。険し過ぎるその山岳には人っ子一人見えない。

 そうなった際、運というものはどこまで働くのだろうか。

 奇跡的に誰かが登ってくる?――あの《比翼》の根城に?

 もし仮に居たとして、それは果たして善人か?――《比翼》を狙ってくる以上名を上げたい挑戦者か賞金稼ぎだろう。

 そんな者達と遭遇したとして自分を救ってくれるのだろうか?――答えは限りなくゼロに近い。

 そしてもし仮に、それらを全てクリアしたとして帰りはどうする?

 考えれば考える程自らの能力への理解の甘さを思い知った。

 一番簡単な手である『ジンの考えを改める』という行為にしても、相手は因果干渉すら受けつけない《魔人》という怪物だ。同じ魔人であるエーデルワイスならまだしも、たかだか一介の少年の異能ではどうにもならない。

 つまり他者への因果干渉はほぼ当てにならないと思っていいだろう。

 本当の意味で一人になった時、彼は己が無力さを痛感した。

 幸いなことに吹雪は止み、天候は安定したが強いて言うならそれだけだ。

 息も絶え絶え、身体中傷だらけ、足は棒に、体力も底を尽きそうになっているにも拘わらず、麓まではまだ五kmもある。

 絶望的なこの状況を本当に異能()だけでどうにか出来るなど……そんな甘い考えは既にこの時の天音にはなかった。

 ただ、それでも……むざむざ帰るような真似はしたくなかった。

 あるのはどうしようもなく下らない意地だけだ。

 『どうせ諦める』などと思っている男の鼻を明かしてやりたい。こんなもの朝飯前だと、買った水を叩きつけてやりたい。

 彼の心中に渦巻く感情は未だマイナス()だ。しかし方向性自体は変わりつつあった。

 小さな、しかし確かに根付いた衝動を原動力に彼はまた歩き出す。険しい道程のその先へ。

 

 途中滑り落ちたり、危うく賞金稼ぎに遭遇しそうになったりと命の危機に何度か見舞われたが、子供とは思えない根性を見せ、何とか彼が村に辿り着いた頃には日が完全に暮れていた。目当ての物を手に入れても今から帰るには体力的にも時間的にも無理がある。

 幸いにして、余分にある(・・・・・)お金で宿を取ることはでき、後は翌日水を買って帰るだけ、そう思っていたのだが……。

 翌日。天候は快晴、厄介事に巻き込まれることなく件の品を手にした天音が、山を丁度登り始めた頃。

 

「アマネ!」

 

 彼を呼ぶ声が聴こえ、次の瞬間には素早い何かに捕えられていた。

 一瞬の拘束。何が起きたのかはすぐに分かった。

 天音は、彼を引き取った義理の親の片割れ――エーデルワイスに抱きしめられていた。

 

「無事でよかった」

 

 少し苦しいくらいに力が籠められているのは安堵故だろう。

 本当に心の底から心配していたのが分かる。

 同時に、天音は思い出した。

 

(あ、そういえばいなかったんだっけ?)

 

 一連の発端の際、彼女は家にいなかったことを。いや、そもそも彼女があの場にいたのなら、こんな事態にはならなかったはずだ。

 

「あの人から聞きました」

 

 呆れ気味にエーデルワイスは言った。

 ジンの売り言葉に易々と釣られ、まさかの世界最高峰の山を往復する羽目になったことを。

 詳細をジンから聞いたエーデルワイスはそれはもうカンカンだった。優しい彼女からすると彼の行いは虐待と見てもおかしくはない。

 ジン本人としては天音に異能が万能でないこと、本当の意味での『無力』を知って貰う為に仕向けたことなのだが、第三者から見れば荒療治とかそんなレベルの話ではない。

 いや、もし本当に虐待を行おうとするなら余分過ぎるお金も防寒対策も与えるような真似はしないのだが。おまけにその余分なお金も宿に泊まれる程の金額ともなれば、なんだかんだで天音が麓に辿り着くと信じていたのだろう。

 だからこそ彼女の怒りは既に呆れへと変わっているのだ。

 

(……本当に不器用なんですから)

 

 Aランクという魔力制御に反し、人との関わり方はEランク程度ではないだろうか?

 一人でいる時間が長過ぎた為だろうが、相変わらずの不器用さだ。

 もっと素直に、真摯に天音に『それは違う』と説くことが出来なかったのか?

 確かに今腕の中にいる彼からは、以前の様な陰鬱さは消えている。今回の一件で彼なりに異能に対する見方が変わった事、本当の意味で『出来ない事』や『限界』というものを感じたからだろう。

 そういう意味では間違いなく効果はあったし、エーデルワイスでは絶対にこんな危険な真似はさせない為かかる時間は相当な物になっていたはずだ。

 幸いにして良い方向に転んだが、それは結果論に過ぎない。

 

「帰りますよ、アマネ」

 

 だからこそ、これ以上危険な行為は行わせたくないとエーデルワイスは天音の手を引く。

 しかし――。

 

「……アマネ?」

 

 彼は頑なにその場から動こうとはしなかった。

 いや、動こうという気配はある。しかし、エーデルワイスに引かれる形を嫌がっているのだ。

 見ると彼の目はエーデルワイスではなく、その向こう――《剣峰》を捉えて固まっている。

 ――ああ……。

 その『目』をエーデルワイスは知っている。

 どれほどの敗北を噛み締めて尚、何度も自分に挑み続けてきた『ジン()』と同じなのだ。こうなったらきっと意地でも動かない、経験則から分かる。

 どうして『男』というのはこう意地っ張りなのか。諦めが悪いのは時として美点だが、限度というものがあるだろう。

 そう思いつつも、我慢勝負になろうものなら根負けするのは間違いなく自分だ。これも過去の経験から分かってしまう。

 無理矢理連れていくのは簡単だ。しかしそれは天音の気持ちを蔑ろにするも同然。

 自分達の所に来て、初めて自発的に抱いた衝動を奪うのは酷なことだ。

 

「……わかりました。行ける所まで行ってみなさい、アマネ」

 

 諦めにも似た口調で促すと天音は歩み始めた。

 世界最高峰の山に。今度は降りるのではなく登る者として……。

 標高八千mにある彼らの家に辿り着くには、今の天音では何もかもが足りない。きっと途中で力尽きる。

 だからこそ、彼女は少し離れた位置から彼を見守ることとした。

 気持ちだけでどうにかなるほど世界は甘くない。しかしその気持ちがなければ世界は変えられない。

 久しく忘れていた人間が持つ特有のジレンマを目の当たりにし、複雑な気持ち半分、これもまた一つの『成長』なのだろうという嬉しさ半分を胸に、エーデルワイスはハラハラと天音を見守り続けた。

 

 ――結局。この時の彼の挑戦は標高三千mにも達しない所で終わってしまった。

 しかし、それから天音は変わった。

 無力を味わった、能力を万能でないことを知った。他者の助けがなければ自分なぞその辺りにいる子供より出来ることがちょっと多いだけのガキだと思い知らされた。

 惨めだと思った、本当の意味で自分が嫌いになった。

 だからこそ、そんな自分から脱したいと彼は願った。

 異能のせいとか、ただ想ったとかではなく、心からの願いだ。

 それを叶えるべく、彼は新たに生まれた衝動をジンに吐露した。

 

 ――強くなりたい。

 

『ハッ――』

 

 それを聴いたジンは鼻で笑うかのように一笑した。

 だがその表情に侮蔑の色はなく、むしろ喜んでいるようにも見えた。

 

 

 

 そこがきっと『紫乃宮天音』という騎士のスタートラインだったのだろう。

 《魔人》という規格外の存在、それも二人の手によって育てられた天音の強さがどれほどのものか。本当の意味で知るものは、本戦出場者の中にはいない。

 そんなダークホースに当たるであろう予感を珠雫はヒシヒシと感じ、そしてそれは現実の物として刻一刻と近付いていた。

 




天音君、はじめてのおつかいで改心するの巻。


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十八話

「久しぶりだねイッキ君、一回戦突破おめでとう」

 

 七星剣武祭当日。

 一輝の初戦の相手は現七星剣王である諸星雄大。

 魔力を喰らうという正に伐刀者殺しとも言える脅威的な伐刀絶技を持つ騎士だ。おまけに卓越した槍術も扱い、魔、武共に隙がない。

 頭のキレや回転も早く、駆け引きも上手い。

 そんな厄介極まる相手を、しかし一輝は何とか倒すことが出来た。

 《比翼》――エーデルワイスの剣を盗み、自覚出来ず忘れていたのを仁との特訓で思い出し、その力を得た一輝の実力は予選の時より格段に上がっていた。

 その後行われたBブロック第四試合。遅刻したステラに鶴屋美琴はペナルティを与えようとし、ステラ自身それを了承。

 それどころかその後に控えていた暁学園の多々良幽衣、風祭凛奈、平賀玲泉の三人をも相手にするという無茶な提案までした。

 四対一という圧倒的な不利な条件を前に、しかしステラは勝利する。

 そんな圧倒的な強烈な力を目の当たりにした一輝達の下に天音は姿を現した。

 

「すごいねイッキ君、試合見てたよ。まさかあの比翼の剣が使えるなんてね、ますますファンになっちゃいそうだよ」

 

「そ、そうかな?」

 

 いきなりの出現から先の一輝の試合の結果を嬉々として語る天音に一輝は若干引いた。

 そういえば、『(先生)の息子』という衝撃が強くて忘れていたけど、初めて会った時ファンだと公言していたな。

 一輝の試合は全て欠かさず見ていたであろう彼は、当然のように今回の試合も見ていた。

 出場する選手だから当たり前なのだろうが、彼の場合は別の意味で当たり前なのかもしれない。

 そうして「すごいなぁ」と感嘆の声を漏らす天音に珠雫は食って掛かる。

 

「まったく、何がファンですか。だったら何故貴方は暁にいて、私達の学園を襲撃なんてしたんですか?」

 

 天音が暁学園、ましてや日本にいることなど仁は完全に知らなかった。そのことは既に本人から聞いている。

 本人の性格的に厳しくもどこか自由な教育方針なのだろうが、それでも世間一般でテロリストと呼ばれる仲間の一人になることを許すはずがない。

 どういうつもりなのか?

 そんな珠雫の問いかけに天音は返した。

 

「いやいや、ファンなのは本当だよ。イッキ君の不屈さとストイックさはある種の憧れすら覚える程だよ。あと、僕は暁学園の生徒だけど《解放軍》じゃないよ、理事長から声が掛かったからきただけ。襲撃に関しても上からの命令で仕方なくだよ、僕自身は気乗りしなかったんだけどねー……」

 

 両手をヒラヒラとして弁明を述べる。

 

(弱い者イジメなんてカッコ悪いしね)

 

 つい口から出そうになった言葉は何とか心の内にしまい込む。

 実際問題、天音からすればあの程度の実力者は何人も倒して来ている。

 自惚れの様にも思えるかもしれないが、それは紛うことなき事実だ。

 それほどの力は既に両親(彼ら)によって鍛えられている。

 だからこそ気乗りしなかった。何せあの時は主力メンバーが全員合宿に出向いてもぬけの殻。そのメンバーも戻ってきたと思ったら自分の相手は、同質の因果干渉系の御祓泡沫。天音からすれば明らかな『格下』だ。彼としてはやる気はしなかっただろう。

 

「まあ、実際起こしてしまったから弁明のしようがない訳なんだけどね。……だからその『お詫び』をイッキ君にしようと思って」

 

「え?」

 

 疑問の声を上げるイッキに向け、「条件付きだけどね」と悪戯でもするかのように微笑んだ。

 

「ねぇイッキ君…………『最強を破った魔剣』に興味はない?」

 

『っ!?』

 

 瞬間。まるで息すら出来ないような重苦しい威圧感が場を支配した。

 発しているのは天音だ。これまで見せていた愛らしい笑顔から一変し、有無を言わさないようなプレッシャーを放っている。

 それを向けられたのは一輝だけでなく、周囲にいた全員だ。

 数秒すらない正に一瞬。

 しかしその場にいた誰もが感じたはず、相当な修羅場……いやそんな言葉では済ませられないであろう場数をこの少年は既に歩んでいる、と。

 

「最強を、破った……?」

 

 そして一輝にとって聞き逃すことの出来ない言葉。

 最強と一言で言っても色々なものがある。しかし彼らは伐刀者にして騎士。

 そんな彼らにとっての『最強』とはつまり……。

 

「まさか……!?」

 

 『世界最悪の犯罪者』にして『世界最強の剣士』、《比翼》のエーデルワイス。

 一輝が挑み、圧倒的な差を見せつけられ、実感させられた最強の剣士。

 彼女の《比翼の剣》を一輝は何とか使えるようにはなったが、それはあくまで『使える』程度。物に出来ていない、寧ろ使えば使うだけ彼女の凄さが分かり、正に『最強』なのだという実感が沸く。

 そんな彼女を『破った』……?

 にわかには信じ難いし、何よりそんな話は噂にすら聞いたことがない。

 

「正直使う機会なんてないと思ってたんだけど、まさかイッキ君が比翼の剣を覚えるなんて想定外だったからさ、だったら僕も『とっておき』を見せないとね」

 

 そんな訝しむ一輝とは対照に天音は嬉しそうに語る。

 嘘をついているようには見えないが、信憑性は正直怪しいところだ。

 しかし。

 ――これでようやく“あの人”の剣が使える……!

 狂喜とも呼べそうな歪んだ笑みを浮かべ、くつくつと笑う天音の姿はとても不気味だった。

 一輝は知らないが、実はその《魔剣》が真価を発揮するには条件があるのだ。しかも自分にではなく相手に。

 ただでさえ修得が困難な上に超が付く程の条件下でしか使えない為、基本無用の長物と化す。技を開発した本人ですら「どっかの流派の奥義を覚えた方がまだ使える」と匙を投げる程に。

 天音も能力ありきとはいえ、何とか修得出来るに至ったが、未だ実戦で使えた試しがない。それを振るうに相応しい存在がいないからだ。

 だからこそ、その『条件』を満たしてくれた一輝には感謝しかない。

 

「勿論、イッキ君が僕と当たってくれないと見せれないんだけどね」

 

 一輝と天音。順当に二人が勝ち進んだ場合、当たるのは準決勝となる。つまりそこまで勝ち進んで来いということだ。

 

「一回戦すら終わってないのにもう準決勝の心配? ずいぶんと余裕なのね」

 

 それに対し反応したのは、一輝達と共にいた薬師キリコ。

 廉貞学園の学生騎士にして、《白衣の騎士》の二つ名を持つ。普段は騎士ではなく医師として活躍している彼女だが、高い魔力制御を持ち、本格的に騎士として活動すればAランクに認定されるとも言われている実力者だ。

 一輝とステラの試合を立て続けに彼らと観戦していたキリコは異を唱えるかのように天音の前に出た。

 

「あ、えーと……確か貴女は……」

 

「薬師キリコ。Dブロック第四試合で貴方と戦う相手よ」

 

 そして彼女こそ、天音の対戦相手なのだ。

 名前を聞き、直接言われたことで頭の中の情報と合致した天音は「ああ、そうだったそうだった」と勢いよく首を縦に振る。

 おちゃらけた反応にキリコは気が抜けそうになったが、彼女もさっきの天音の威圧感を感じている。

 見た目とは裏腹に油断がならない相手なのは分かった。

 なにより――。

 

(この子、可愛い顔して身体はきっちり鍛えてるのね)

 

 数多の患者を診てきたキリコは瞬時にそれを理解した。

 愛らしい見た目に反し、その身体は騎士として恥ずべきところがない程鍛えられていた。

 育ての親が両方共武術に富んでいた影響だろうが、天音の騎士としての修行は過酷の一言に過ぎる。

 まず家と麓の村までを往復出来るだけの体力と肉体制御を付けさせられ、その後は自らの霊装に見合った戦い方をみっちりと仕込まれ、他にも徒手空拳なども叩き込まれた。

 その為こう見えてバリバリの武闘派なのだ。

 

「あー……出来れば女性とは当たりたくなかったなぁ」

 

「あら? 女性には手をあげないフェミニスト精神かしら?」

 

「いや、父が『女の恨み程面倒臭いものはないから気をつけろ』って」

 

「……貴方のお父さん、何したの」

 

 頬を掻き苦笑いを浮かべる天音、呆れた様に呟くキリコ。

 そして普段の仁と寧音の関係を知ってる破軍学園生徒は全員明後日の方へ視線を泳がせた。

 

『Dブロックにエントリーされている選手に連絡します。試合開始まで残り十分となりました。急ぎ、控え室に集合してください』

 

 その時、空気を読んだかのように流れたアナウンス。

 実はステラが戦った際リングは見事に破壊され、その修繕作業が行われていたのだが、それも終わり用意が出来たらしい。

 

「それじゃあ行きましょうか紫乃宮君。その余裕、どれほどのものか、ちゃあんとお姉さんに見せてね」

 

「えー……お手柔らかに……」

 

「あ、ちなみに仮にキリコさんを倒せてもその後には私がいますので、覚悟してください弟弟子」

 

「え!? 珠雫ちゃんってことは……また水使い相手なの! うわー……」

 

 そしてDブロックの選手であるキリコ、天音、珠雫の三人は控え室に向け足を運ぶ。

 一輝への『お詫び』の為とはいえ、結果的にキリコを軽んじてしまった天音に彼女は静かに怒りを見せ、更に追い打ちとばかりに珠雫も『イイ笑顔』を浮かべて言った。

 少しばかり父の言葉の意味を知った天音はげんなりした様子で二人のあとをついていく。

 

「……最強を破った魔剣」

 

 そんな三人を見送りつつも、先程の天音の言葉が気になった一輝は自然と口が動いていた。

 

 

 

 そして行われたDブロック第四試合。

 紫乃宮天音対薬師キリコの対決は、主審の開始の合図から一秒も経たない内に天音の固有霊装《アズール》がキリコの眉間を貫くことで早急に幕を下ろすのだった。




気になったいた人がいるかもしれないし、いないかもしれないけど、二十話手前にしてようやく《比翼》を破った技に触れました。
原作における『お詫び』が優勝をプレゼント!だったのに対し、本作だと誰も知らない最強破った技見せるよ!という内容に変更。
本作の天音くんはあの両親のせいでバリバリの武闘派思考になっちゃってるから……『お詫び』の内容が変わるのも多少はね。
あとこの辺りで触れておかないと永遠に触れずに終わりそうだったので……使える相手が限られているから。


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十九話

実況とかって難しい……。

※独自解釈あり


 魔術において大事なものは何か。

 そう聞かれた場合は多くの人は魔力と答えるだろう。

 確かにそれは間違いではない。魔力こそ魔術における源泉にして原動力なのだ。

 しかし、それだけで果たして魔術というものは成立するのか?

 答えは否。

 魔力とは無色の力に過ぎない。それに具体性や方向性を持たせなければ魔術とは成り立たない。

 一部の例外を除き、それは絶対といえる条件だ。魔導騎士の使う魔術においてそれだけ『イメージ』というのは大切なのだ。

 ではその一部の例外とは何か?

 それは、膨大な魔力を単純な『暴力』として振るったり、具体性なぞ欠片もなくとも『曖昧』なものですら実現させる力などを指す。

 前者は世界クラスの魔力総量の持ち主であれば不可能ではない。既にステラが実践している。

 では後者について。魔術に大事なものは強いイメージだ。それがなければ魔術なぞ発動しない、仮に出来ても『不発』に終わることだろう。

 しかし、そんな曖昧なものですら実現させてしまったのが天音の異能だ。

 『願い』などという曖昧なものを因果干渉によって実現してしまう彼の力は、通常の異能とは一線を画していた。

 しかしそれは良いことだけではない。本来なら不発に終わるものですら、無理矢理実現しようとするからだ。その結果何が起こるか、天音は嫌という程に身に染みている。

 地図もなく、ただ目的地のおおよその位置を知っているからと車を走らせ、安全且つ快適な旅が果たして出来るだろうか?

 ただ大金が欲しいと願っただけで目の前に忽然と札束が現れるのか?

 ――勿論、そんなことはありえない。

 その結果に行き着く為の『道程』、『過程』は必ず存在する。

 だが天音の伐刀絶技はその結果だけを先に定め、そこに至る過程を無理矢理後付けした。だからこそ、彼の願ったことは歪な形となり成就していた。

 しかしジンはその問題点をすぐに見抜いた。それは偏にジンの異能が何よりも『イメージ』を重要視しているからだ。

 生半可な想いで具現化したものなぞ、瞬く間に塵芥に変わってしまうようなデリケートな能力を持つ彼からすれば、そんな曖昧なもので能力が成り立つのか甚だ疑問だった。

 『願い』とは形あるものではない。しかしそこに籠められる想いは確かにあるはずだ。何よりもそれを司るというのであれば、より明確に繊細に確かな『軌跡』が必要なのではないか?

 それは最早確信に近かった。

 だからこそジンは天音に能力の使い方を教えた。

 単純で面白みはない。しかしだからこそ最も効率のいいやり方を――。

 

 

 

『し、瞬殺!? 試合開始から僅か一秒! 紫乃宮選手の刃が薬師選手の眉間を貫いたァ!?』

 

 七星剣武祭の実況を務める飯田が驚愕の声を上げ、それに呼応するかのように会場がざわめいた。

 当然だろう。一般人の視力では天音が霊装を投げた姿は見えず、主審の開始宣言のすぐ後にキリコの頭をアズールが貫いた光景だけしか確認出来なかったのだから。

 そして問題なのはその速さ。七星剣武祭にて過去最速で決まった記録は二十秒。だがしかし、天音はその記録を大幅に削って勝利を収めたのだ。誰の目から見ても分かる形で。

 その異常なまでの速さは主審が一瞬呆然としてしまい、実況の声で我に返ってから試合終了の宣言をする程。

 

『いやーそれにしても、あの《白衣の騎士》がこうもあっさりと……紫乃宮選手の異能はそれほどまでに強力だったのでしょうか?』

 

 薬師キリコは名の通った医者にして学生騎士だ。医者としての腕は勿論のこと、騎士としても卓越した技量を持っている。生粋の騎士というわけではなく、魔術の方を重視した魔導騎士であり、彼女は特にその魔力制御の高さで知られている。

 水使いとしての性質を利用し、自らの肉体を気体に変えることすら可能な高い魔力制御の術を持っている。

 そんな彼女が今、担架に乗せられ運ばれていく。幸いにして天音は幻想形態でアズールを投擲したらしく、頭を貫かれた痛みはあるものの、命に別状はないだろう。

 

『ええ、確かに紫乃宮選手の異能は強力だと思います。控え室にいた時から薬師選手は紫乃宮選手を警戒していたと情報にあります。そんな彼女が何の対策もしないわけがない。それはつまり、裏を返せば『対策をしていたが破られた』と考えるのが妥当でしょう。僕が思うに、紫乃宮選手の異能は因果干渉系、それも相手の魔術の妨害や発動の遅延すら可能なものだと考えます』

 

 キリコの見送りをしつつ飯田の疑問に解説の牟呂都(むろと)が返す。

 プロである彼の目から見た天音の異様な強さに、実況含め会場の観客は息を呑んだ。

 しかし――。

 

『ですが、僕が彼に驚かされたのはそこ(・・)ではありません。投擲の方です』

 

『え……? 投擲、ですか?』

 

『はい』

 

 投擲とは則ち物を投げるという行為である。

 実はこの投擲は有史以前からヒトが使っている最古の技術の一つとも言える。

 今でこそ、やり投げや円盤投げといったスポーツとしての面が強いが、元々は狩猟や戦闘にすら使われていた技術なのだ。

 それというのも人間は肉体構造的にも『投げる』という行為が得意であり、物は勢いよく飛んでから落ちると威力が増すという物理法則故にそれらを掛け合わせた結果強力な武器になったからだ。

 古代の人々がそこまでのことを考えてこの技法を思い着いたのかは分からないが、その技術は確かに現代に脈々と受け継がれているのだ。

 

『多くの武術、体術が生まれた今態々物を投げて攻撃するというのは手間です。求められる技術などもそれらとは別のものですからね、牽制程度で修める人は何人かいますが……。ですが紫乃宮選手は純粋な驚くべき技術のみであの速度と精密精に至ったのだと思います』

 

『それはつまり『投擲そのものには異能は使っていない』ということですか……?』

 

『はい。少なくとも異能頼りではあんな洗練された動きは出来ません。……一体今までどれほどの数を投げてきたのか。異能に関してもあくまで薬師選手の魔術への妨害のみに使われたのでしょう』

 

 牟呂都が目を細め、退場する天音を注視して向けた言葉に戦慄する。

 そう、天音は伐刀絶技《過剰なる女神の寵愛(ネームレス・グローリー)》を発動した。しかしそれはあくまでキリコの魔術が発動する時間を僅かばかり遅らせただけのもの。ほんの一秒程度遅らせるよう因果に干渉しただけ、それだけだ。

 しかし、それだけで天音には十分だった。

 キリコまでの距離、投げるのにかかる時間、速度。それら全てを経験則から瞬時に理解、把握した上での伐刀絶技の使用。

 結果彼が思い描いた通りになった。

 それも当然だろう。何せ天音は『確実に敵に当てれるよう』鍛えられたのだから。

 しかもそれは能力の有無を問わず、『当たることが当たり前』それが常識だと思えと言わんばかりに鍛え抜かれたのだ。

 

 ジンに教わり始めた当初こそは能力ありきの百発百中だった。ジンもそれを良しとし、数日間は朝から晩までずっとそうだ。

 そしてそれが身に付き始めたと思われた頃に《胡蝶の夢》の空間に閉じ込められ、同じようなことをさせられた。

 ただ違うのは、その空間では能力が使用不可になるということ。

 純粋な技量、実力のみで文字通り『百発百中』させないと出れないという悪夢の様な所だ。

 勿論能力補正つきでの百発百中だった天音は悪戦苦闘。出るまでに実に七日は掛かった。食事や水などは差し入れられるので命の危険こそはなかったが、「賽の河原で石積み上げてた方がマシかもしれない」と語る程に辛く厳しいものだったらしい。

 一応能力ありきの際に細剣の『理想的な飛び方』は何度も見ており、それを自力で飛ばせるレベルになったのは大きな進歩なのだが、彼の受難はまだまだ続く。

 その後はエーデルワイスによる理想的な投げ方を手取り足取り何日も叩き込まれ、それが終われば実践。野生動物を相手にも必中且つ一撃で仕留めれるよう山籠もりさせられたり(勿論能力使用禁止)、人間相手として賞金稼ぎの相手をさせられたりとジンの同伴があったとはいえ、こうした経緯により同年代の伐刀者とは明らかに実力の差が生まれる要因となった。

 他にも骨身に染みる程の厳しい特訓を幾つも行ったのだがここでは割愛する。

 そうして今では動かない的であれば目を瞑っても当てるようになり、目視出来るのであれば鳥すらも『打ち落とせる』程の名手となった。勿論能力は使わずに。

 そして肝心な能力に関しても、彼にとって『投げれば確実に当たる』、『当たるのは必然』という認識と、投げる際に『明確に軌跡が予想出来る』おかげで誤差修正程度の因果干渉ですら覆すのが難しい強固なものと化した。

 

 この様な過去が天音にある事を牟呂都は知らない。しかし彼もプロだ。体捌きなどから只の学生騎士でないことは分かった。

 だが、そんな天音の後ろにいるのがあの《比翼》とその旦那だというのは流石に見抜けなかったらしい。

 だからこそ純粋に、また一人新たに現れたダークホースに騎士としての彼の高揚感は増すのだった。

 

 

「……まだ、足りないかな」

 

 ふと、退場する間際に溢した天音の呟き。

 それは虚空へと消えるが、歩きながらも見上げる観客席の中にいる人物へと向けたものであった。

 彼の視線の先にいるのは一輝だ。

 未だ未知数の実力である天音の試合に見に来ていたらしい。隣にはアリスもいる。

 諸星との試合で体力を消耗しているだろうに、しかし一輝の目はギラついていた。

 天音が見せたのは力の一端だ。しかしそれだけでも『強い』と確信を持てた。そしてそんな彼なら先に言った『お詫び』の内容も本当なのかもしれない。

 好奇心と闘争心。その二つが今、一輝の中で静かに燻っていた。

 それは天音も同じ……ではなかった。

 寧ろ、まだ『足りない』。

 一輝に誇示する力はこの程度では足りない。こんなものでは天音の望む『展開』に辿り着けない。

 だからこそ、見せつけてやる。彼と戦う前には必ず見せつけ、『それしかない』のだと思わせてやる。

 

「待っててね、イッキ君」

 

 ほくそ笑むように口の端を吊り上げる。

 天音にとって、既にこの七星剣武祭での目的は優勝などではなく、一輝との決着になった。彼ならきっと『最高の瞬間』を体現してくれるはず。

 そして何より、そんな彼に勝つことで証明する。今の自分の強さを――。

 ゲートを潜った後リングの方を振り返ると、丁度真っ正面に位置する観客席の通路にジンが立っており、視線が重なり合った。

 何を思ってるかは分からない、しかし無断で出場したことには呆れているだろう。

 ならばその『呆れ』を驚愕の色に変えてやる。

 自分だって騎士として着々と強くなっているということを見せてやる。

 子供染みた感情なのは天音自身理解している。しかしそれでもあの背中にいつか届くよう研鑽した『力』を見せて認められたい。

 ジンは天音にとって、それほどまでに大きな存在になっていた。

 

「……べ」

 

 しかしそんな態度を表に出す気はない天音は舌を出して悪態をつく。

 遠目だがジンなら目視可能だろう。

 愛情の裏返し? 反抗期? いや、そのどちらともまた違う。単に捻くれているだけだ。

 憧れはある、尊敬もしている、しかしそれを態度に出したくはない。そんな複雑な少年心。

 これもある種の暴走――若気の至りとも言う――それはもう少しだけ続くのだろう。

 一輝と決着をつけるその時まで……。




天音君の能力に対する解釈って色々あると思うけど、自分の中では『イメージ不足』という印象。
一輝戦の様な短絡的、直上的なのだと本当の意味で思った通りになるのを見るとなんかそんな感じがしました。
因果干渉系の個人的な見解とか書こうと思ったけど、長くなりそうなんで止めました。

ところで数ある落第騎士の二次のオリ主達の異能の系統ってどんな比率になっているんだろう。個人的に解釈の仕方とかで応用の幅が効く概念干渉系が多い気がするけど……ちょっと気になってしまった。


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二十話

「それにしても、《鬼火》とも知り合いだったなんて、本当に先生顔広いわよね〜」

 

「珠雫から聞いた話だと仕事で結構色々と飛び回っていたらしいからね」

 

 七星剣武祭初日を乗り切った一輝はアリスと共に大浴場の脱衣所で着替えていた。

 先程まで二人は湯に浸かっていた。今日の諸星との試合を振り返ったり、最愛の恋人であると同時に最大のライバルのステラの強さを再認識したり、天音の実力や『お詫び』の件について考えていた。

 前者二つはともかく、最後の一つに関しては対策もだろう。

 天音の試合の後、彼に倒されたことで寝込んでいた御祓泡沫から連絡がきた。その内容は天音の異能についてだ。

 解説の牟呂都が言っていたようにやはり天音は因果干渉系の異能であるとのこと。

 一輝も薄々は勘付いていたが、これで確定した。

 数ある異能の中でも最強の分類とされているのが因果干渉系である。天音はその使い手であり、(先生)の手によって育てられた。

 強敵であることは必至であり、更には『お詫び』として使うであろう切り札もある。

 一輝が順調に勝ち進めば準決勝で天音、決勝でステラと当たるのは確実。

 どちらも油断のならない相手だ。

 その対策をあれこれ思案している時、次の対戦相手である城ヶ崎白夜と出会った。より正確には『入ってきた』というのが正しいか。

 一輝達がいるのは選手用に用意されたホテルの大浴場だ。共同用ということもあり、選手同士が鉢合うのは当然あるだろう。

 突如として遭遇した次の日の対戦相手、更にその対戦相手に己が鍛えた身体に興味を持たれて何か危機的なものを感じたりしたが、諸星が来たことでそれに脱却することが出来た。

 白夜本人は「失礼な、ちゃんとした恋人がいる」と抗議の声を挙げていたが、手付き目付き、そして言葉遣いが見事なまでに誤解しか生まなかった為に諸星にそこを指摘され「なんと」と驚いていた。

 諸星のフォローがあったとはいえ、彼自身のお詫びとして一輝には緑茶、アリスにはブラックコーヒーを送った。それは白夜の異能が為せる技であり、近くの自動販売機から転移させたものであろう。勿論ちゃんとお代は払っている。

 踵を返そうかとしたその時「ああ、それと」と思い出したように二人に訊ねた。

 

「そちらの学園に『アオさん』という方はおられますか?」

 

「いえ、僕は知りませんけど」

 

「あたしも心当たりはないわねぇ」

 

 破軍学園にいるであろうと思われる人物を名前を言ったのだが、二人はそんな名前の人物は知らなかった。

 それを確認した白夜は「ふむ」と少し考えた後再度訊いた。

 

「では『一ノ瀬仁』という教師はおられますか?」

 

『え!?』

 

 その人物の名を聞いた二人は同時に声を上げた。

 

「一ノ瀬先生なら確かにいますが……」

 

 白夜は対戦する相手の情報を蒐集することで有名な騎士だ。それは過剰と言える程で、戦闘時だけでなく私生活のほんの些細なものですら対象となる。

 それらを入念に調べ尽くすことでその人間の思考の『根』――『理』を暴くことを得意としている。だからこそ一輝とアリスが風呂上がりに飲もうと思っていたものすら解ったのだ。

 

「……各学園の教師陣までも調べたんですか?」

 

「いえ、確かに学生を導く教師も調べたりしますが……今回は個人的なものでして」

 

 一輝の問いに肯定で返すが、同時に仁に関しては否定した。

 

「実は椛がそちらの一ノ瀬教諭と知り合いらしく……同門の《夜叉姫》から聞いた様で、それからというもの『会いたい』と駄々を捏ねるようになりまして……」

 

 白夜は疲れた様子で経緯を話した。つられる様に話を聞いていた諸星は「あー、噂の『アオさん』かー」と思い出したように呟いていた。

 曰くまだ能力が発現して間もない頃、《解放軍》のテロに遭遇したことがあるらしく、その時に助けてくれた人物が『アオさん』なのだとか。

 それ以降というものの不定期ではあるが寧音が彼と会いに行く時は決まって付いていくようになったらしい。ちなみに椛本人としては彼に騎士として鍛えて貰いたかったらしいのだが、仕事の都合や彼の剣が『殺し』に特化し過ぎていたこともあり断られた様子。その結果、寧音と同じく寅次郎の下で鍛えられることとなった。

 ちなみに何故『アオさん』と呼ばれているのかと言うと、名前を聞かれた際彼はただ『青﨑』とだけ答えた為だ。そうした結果、いつしか椛は愛称として『アオさん』と呼ぶ様になったらしい。これは寧音が『ジン』という名を授けた後も変わらず、半ば椛専用の呼び名となっている。

 この様な理由により椛は仁に懐いていた、それはもう『妹分』を自称するくらいには。

 そんな彼が別れの言葉も告げずに突如数年前に姿を眩ましたのだ。

 寧音や寅次郎に訊ねても理由は教えて貰えず、音信も不通。

 生きていることだけは唯一寧音の口から語られた為そこだけは安心したが、逆を言えばそれ以外は心配しかなかった。

 ジンが強いのは知っている、しかし何が起こるか分からない世の中だ。

 便りがないのは元気な証拠と言うが、実際その立場になるとそうも言っていられなかった。

 しかし、居場所も分からない相手を探すのは難しい上に椛自身まだ学生の身。何より、椛の技量はまだ『助けてもらった頃のアオさん』にすら届いていない。

 そんな状態で広い世界に単身乗り出せる程無謀ではない。何より今では白夜という恋人もいる。

 だからこそ無茶は出来ず大人しくしていたのだが……。

 先日、破軍学園に派遣講師として出向いている姉弟子の寧音と連絡を取り合った際、話の流れで仁のことが話題に上がった。

 その結果、今まで燻っていた感情が爆発したようだ。

 

「どうか『椛が会いたがっている』と一ノ瀬教諭に伝えては頂けないでしょうか?」

 

 それは偏に恋人を想っての頼み。

 恩人として、兄貴分として慕っていたであろう人と再び会わせて上げたいという切なる願いだ。

 

「わかりました。丁度先生も来ているから折りを見て頼んでみます」

 

「ありがとうございます」

 

 そして、ステラという恋人がいる一輝がそれを無下にすることはなかった。

 元々の人柄もあるが、やはり彼女持ちとしての『彼女の為に』力になりたいという想いは理解出来るようだ。

 

 

 ――そうして、白夜からの頼まれ事を引き受け、大浴場から出た彼等は脱衣所で服を着ながら仁についての話をしていたのだった。

 

「そういえば、彼の言っていた『お詫び』について先生は知っていると思う?」

 

 ドライヤーで髪を乾かしながらアリスが訊く。

 彼とはむろん天音のことだ。元暁学園所属とはいえアリスは天音と会ったことがない。故に一輝や珠雫から彼について色々と聞いたのだ、勿論彼が仁の義理の息子であることも。

 

「ん、そのことなんだけど……実はもう先生には確認を取ったんだ」

 

 白夜からの餞別として貰った緑茶を一飲みしてから一輝は答える。

 

「それで?」

 

「『は? 俺は知らないぞ、そんなの』って……」

 

 試合を見終わり、休息を取った後運良く仁と遭遇した一輝はそれとなく訊いたのだが、結果怪訝そうに眉をひそめられただけだった。

 

「嘘をついてる可能性は?」

 

「ないと思う。先生表情とかあまり出さないけど、あの時だけは一瞬本当に驚いていたと思うから」

 

 それは何も観察眼に優れた一輝だからというわけではない。恐らくある程度仁と親睦を深めた者なら気付ける程、それほどまでに珍しく表情に出ていたのだ。

 「そう、やっぱり幾ら先生でも《比翼》を破るような剣技なんて知らないわよねぇ」とそう都合良くいかないか、とため息を漏らすアリスに対し。

 

(とはいえ、先生が知らないって言ったのはあくまで『天音くんについて』のことだけで『剣技自体』には触れていないから、そっちは知っててもおかしくないんだよね)

 

 ある確信があるからか一輝は心の中で呟く。

 仁にとって天音がその剣技を修得するのは完全に予想外のことだったのだろう。だからこそ、そこだけははっきりと否定した。

 だがしかし、『(イコール)仁が剣技について知らないとは限らない』のだ。

 これは直にエーデルワイスと一騎打ちし、更に過去の仁とも戦闘を行った経験がある一輝だから持てる確信だ。

 エーデルワイスの《比翼の剣》を受け、自身でも使えるようになり、その恐ろしさを知った。

 それを得て尚圧倒された過去の仁――正確には十九才頃の彼。

 《比翼の剣》を使えるようになり、何とか十八才までの仁を倒すことが出来た。

 余った時間(と言ってもそれほど多くはなかったが)を休息に充てようと考えていた仁に対し、一輝はもう一段上の仁との戦闘を希望したのだ。

 元よりストイックな傾倒ではあったが、今回は《比翼の剣》が使えるようになったのが後押ししたのだろう。

 渋る仁を何とか説得し、一輝は更に上の領域に足を踏み込むことになる。

 

 ――《魔人》と呼ばれる者達が住まう領域へと。

 

 一輝が挑んだのは《覚醒》を果たした後の仁だった。

 おまけに既にエーデルワイスに勝てるよう試行錯誤を経た彼は正に今までとは『別次元』の力を有していた。

 あのエーデルワイスを打倒すべく死にものぐるいで強さを求めた彼の前では、《比翼の剣》が使えるようになったばかりの一輝は文字通り手も足も出なかった。

 《大六感応》により攻撃の兆しを読まれ、ノーアクションから放たれる無数の《閃刃》による即死コンボ。

 これだけで完封された。

 そしてその経験と戦闘スタイルから一輝は仁がエーデルワイスとの戦闘を見越して鍛え、技能を得たことを看破する。それほどまでに十九才の仁の戦闘スタイルは対エーデルワイスに特化し過ぎて(・・・・・・)いたのだ。

 

(だから先生が知っていても不思議じゃない)

 

 故に、一輝はそう思っていた。

 こじつけの様にも感じるが、理由はちゃんとあり、筋も通っているように思える。

 なにより――

 

(それに、伏せているけど先生の奥さんってやっぱり《比翼(エーデルワイス)》……なんだよね、たぶん)

 

 確認はとっていないが、恐らくは間違いないだろう、そう考えると色々と辻褄が合うのだ。

 国外追放され外国で結婚。それから素性を隠しての単身赴任。愛しているはずの妻の姿を確認出来るものを持っていない。断片的にしか詳細は語らない。名前は絶対に口にしない。

 どうしてそこまで徹底して隠していたのかという疑問もそれなら納得がいく。

 一回だけ破軍学園に訪れた事があり、その時はただ「噂通りの綺麗な女性」として何人かが語っていたが、それも仁の異能を以ってすれば『そう認識される』ように仕向けるのは十分可能だ。

 なにより、あの先生()を完膚なきまでに叩き潰せる女性などそうそういない。

 そして今日の試合で天音が見せた投擲、それは正に《比翼》の動きに通じるものがあった。

 バラバラになったピースが揃って出来たものを前にした一輝の心境は驚きよりも納得感の方が大きかった。

 恐らく珠雫辺りがこの真実を聞いたとしても似た様な感想になることだろう。

 

 だが、やはりそうなると別の問題が生まれる。

 

(もし、先生でないのなら一体誰が天音くんに《魔剣》を教えたんだろう?)

 

 数多ある流派の技ではなく、あの《比翼》を破る程の剣技となれば修得は容易ではないだろう。ましてやそれを修めた者となればまずいない。

 一輝ですら《覚醒》を果たした仁に挑んだ後でようやく『その可能性を持っているかもしれない』という思いが生まれた程度。

 世界は広く、未だ見ぬ強敵は多数だ。しかし、そんな者達ですら勝てない『最強』こそがエーデルワイスである。

 仁の対応や世間一般のエーデルワイスに関する情報を鑑みるに彼等の関係はやはり秘密裏なのだろう。

 必然、最強を破った《魔剣》の存在も開発した本人である仁か、その前に敗れたエーデルワイスの二人しか知らないはず。

 複数で挑むならその限りではないが、仁の戦闘スタイルを見る限り単騎決戦を望んだと思われる。

 もし仁以外となれば、真っ先に浮かぶのはエーデルワイスだろう。しかし、彼女自身がその《魔剣》を使えるかは分からない。彼女程の剣の腕ならば大抵の……いや、常軌を逸脱したことをしても不思議ではないが、そんな存在を打ち負かす剣技ともなればそれこそ想像が出来ず、同時に使えるのかも怪しい。

 

(天音くんが使えるってことは彼女が使えてもおかしくはない。でも……)

 

 どうにも釈然としない。

 仁のスパルタっぷりは知っているし、体験もしている。無茶だと思える難題をいくつも振ってくる姿勢はきっと、天音の時にも健在だったに違いない。

 そんな彼が教えることがなかった技を、態々エーデルワイスが教えるだろうか?

 天音の戦闘スタイルは主に投擲による物なのは今日の試合と泡沫の証言で確定している。勿論それはあくまで側面の一つに過ぎず他にも戦術を持っていることは予想出来る。

 だがそれでも拭えないのだ、一輝は一度だけとはいえエーデルワイスと邂逅しており、その時に彼女が優しい人物であることを知った。そんな彼女が、仁が教えなかったことを独断で教えるとは思えないからだ。

 

(天音くん、君は本当に誰に教わったんだ……?)

 

 仁、エーデルワイス、そして《暁学園》とは別の何者かが天音に接触しているのだろうか? ならばそれはどんな存在で、思惑は何なのか?

 自身の理解の及ばない存在の有無に一輝は一抹の不安を覚えた。




天音君に接触している奴について凄い悩んだ、後の展開まで含めて一ヶ月程。悩んだ結果当初のプロット通りに進めることにしました。
オリキャラ出ます、とんでもないチート能力ありです、敵ではないけど味方でもない奴らが後々出てきます、インフレやばいです。
でもどうせそいつら出てくる頃には原作も更にインフレしてるよね。


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二十一話

「どういうつもりだ?」

 

「……何が?」

 

 立腹。そう言わんばかりに珍しく表情を険しくしている仁。

 そんな彼の眼前には義理の息子、紫乃宮天音がいた。

 彼等は今、街から離れた公園に来ている。時刻は既に二十時を回っており、気晴らしに出てきたという訳でもなさそうだ。

 なにより、二人の間を漂う雰囲気は和気あいあいとしたものではなく、爆弾の如き一触即発な不穏な空気だ。

 

「黒鉄から聞いた。お前、『アレ』に手を出したらしいな」

 

 原因ははっきりしている。

 天音が仁に無断で彼が秘中にしていた剣を覚えたことだ。

 彼が天音にそれを教えなかったのは修得の難易度の他に危険性があったからだ。それも肉体的なものではなく精神に異常をきたし、最悪廃人になる可能性すらあった。

 だからこそ教えなかったというのに……。

 

「戦犯は分かっている。俺以外に使える奴なんて限られているからな」

 

 目星は既に着いていた。自分以外であの《魔剣》を使えるものは一人、教えること“だけ”ならあと一人該当者がおり、こんな『余計なお世話』をするのは後者しかいないからだ。

 おおかた、そいつに(そそのか)されたのだろう。アレは人間の扱いに長けている、たかが十数年生きただけの子どもなぞ簡単に誘導出来たことだろう。

 問題はその後だ。

 恐らくはあの性格からして巧みな誘導こそはしただろうが、最後の一押し――選択その物は天音に委ねたはずだ。

 だからこそ、その『選択』を行った天音に対し、怒りを抱いている。

 

「教えなかった理由は分かるはずだ。『アレ』はお前には不要な物だ、仮に教えるにしてもまだ先の話だ」

 

「でも僕は使える様になったよ?」

 

「異能ありきでだろう」

 

 迂闊にも危険な行為を行ったことに対し怒られていると実感している天音だが、せめてもの反抗を試みるがあっさりと看破されてしまう。

 そう、確かに天音は件の《魔剣》を使えるようになったが、それは異能あってのこと。仁は異能なし、己が技量と膨大な経験と鍛錬によりその域に至ったのであってこの時点で土俵そのものが違う。とはいえ、天音の異能の特性上可能性が一%でもなければ実現は不可能であり、その一%を生み出すのが如何に厳しかったかは身を以て思い知った。そして生みの親である仁もそれは容易に想像が着く。

 

「別にお前の努力を否定する気はない。ただ、もう少し待てなかったのか、という話だ」

 

 本当に教えたかどうかは分からない。何分使い勝手が悪過ぎる故に、覚えた所で無用の長物になるのが目に見えているからだ。だがそれでもと、言うのであれば教えただろう。

 しかし、それでも『まだ』だ。

 時期尚早。十二分に腕を磨いてからなら喜んで教えただろう。だが実際には未熟といえる段階での修得。しかも異能ありきときた。流石に怒りを通り越して呆れてしまう。

 何が天音をそこまで駆り立てるのか。その答えを仁が知ることは難しい。

 ――仁とエーデルワイスという両親は天音にとって強大過ぎた。《魔人》という埒外の存在故に仕方ないが、それでもその背中は大きく遠い。

 憧れは毒の様に蝕み、そこに至る道程はただただ険しく、されど到底諦めることは出来なかった。

 その諦めの悪さはきっと父親譲りであろうことを本人()は分からないだろう。

 総じて、人とは本人が思っている以上に『自分』を理解するのが難しいものだ。

 だが、かつて同じように我武者羅に強くなろうとした仁を見たことがあるエーデルワイスだけは天音の心情を理解していた。

 つまる話としては、『そういう所』まで似てしまったのだろうと苦笑を浮かべる程にそっくりなのだ。

 故に彼女はその事に対して『黙認していた』。かつての仁と同じなら言った所で無駄なのは分かっているから。

 しかし仁にとってはその限りではない。あの《魔剣》の危険性を誰より理解している彼からすれば気が気ではなかった。

 

「……一応確認するが異常はないんだな?」

 

 偏にそれは心配から来るものなのだが、何かと不器用な彼は先に怒りの方が出てしまっていた。

 

「あったらこんな所にいないよ」

 

 勿論、そんなことを知るよしのない天音の機嫌は悪い。

 しかしそれを聞いた仁は一先ずは胸を撫でおろした。自分に向ける不躾な態度は今更なせいかそこは気にしておらず、ただ天音の安否に内心安堵する。

 なんだかんだ言いつつも気に掛けているのだが、それを表に出さないのが仲の悪さの最大の要因だろう。

 無論それは天音も同じ。

 

「それにしても、珠雫ちゃんはともかく、一輝くんも鍛えてたんだ。少し意外だったよ」

 

 話題を変えたのは空気を変えたかったからか、はたまた単純に気になったからか。

 かつての弟子である珠雫ならまだしも、一介の学生騎士でしかない一輝を鍛えたのは天音からすれば驚くべきことだった。

 一輝のフィジカル面やストイックさは驚嘆するものだが、それでも仁が目を掛けるとは思えなかった。

 

「……アイツは遅かれ早かれ“こっち”側に来るだろう。だったら今の内に目を着けるのはおかしなことじゃない」

 

 その理由を、しかし仁は淡々と述べた。

 誰しも才能の限界を感じることはあるだろう、それは伐刀者とて例外ではない。大半の者はそれを感じたと同時に諦める。

 だが、《魔人》という領域に至るような者達はそんなものでは止まらない。『破綻』『異常』『逸脱』様々な言葉があるが、用はそういった『常識の範疇を超えた者達』が行き着く到達点の一つだ。

 一輝の姿勢には既にその片鱗が見えていた。だからこそ早い段階で、見極めなくてはならなかった。

 その境界を超える者かどうかを……。

 そして仁が判断した結果は、黒。間違いなく“こちら”側に来る。

 先達者の中にはギリギリまで見定めようとするものもいるが、生憎仁は違う。育った環境もあるが彼は不安の種は早急に刈り取る。

 もし一輝が『害』となる存在であったのなら、迷わず殺していただろう。

 無論、行っていないということはそういう風には見なさなかったことを意味している。

 基本《魔人》と呼ばれる者達にとって他者や世間体など知ったことではない。多少良識を持つ者もいるが大多数はそうだ。

 だがそんな者達にとっても自らに敵対するもの、害するものには容赦しない。道を阻むものは慈悲も与えず切り捨てる。

 たとえ、それが同じ《魔人》であろうとも。

 同じ境地に達しようとも彼等は『仲間』ではない。利害の一致から共に行動することはあるが、仲間意識なんてものを持つ者はそう多くない。

 しかし、人の道から外れたとしても損得勘定はある。

 仁の動機も正にそれだ。

 一輝の資質を見抜き、見定め、そして自身に及ぼすであろう影響を考慮する。

 一輝への鍛錬にはそういう意味合いも含まれていた。

 

「まあ、一番の原因はお前なんだがな」

 

「え?」

 

 とはいえ、それはあくまで理由の一つに過ぎず、やはり大きな要因は天音だろう。

 彼が七星剣舞祭に参加すると聞いた瞬間仁は即座に理解した。今のままの一輝や珠雫では勝負にならないだろう、と。

 同時に、天音の成長を促すには一人でも多くの強敵が欲しいということも。

 良い言い方をすれば天音に対抗出来うるよう育てた。

 悪い言い方をすれば天音の鍛錬の一環として二人を利用した。

 今の仁は教師だが、同時に親でもある。どちらを優先するかと問われれば当然息子の方だろう。

 なんだかんだ言いつつも仁は仁で天音のことを大事に思っている。

 

「……ともかく、一回なら『アレ』を使っていいが、流石にそれ以上は看過できん」

 

 一輝との勝負。そこで行われるであろう攻防を予想し、やむを得ないとして《魔剣》の使用を許可した。

 一回のみと条件を付けたが、現状使える相手なぞ一輝だけだ。言われなくても彼以外に使う予定はない。

 仁が求めるベストはそれを使わずに済むことだが、二人の性格を考えるに叶わぬ願いであろう。珠雫も強くなっているが天音相手では分が悪く、勝率は限りなく低い。

 

「それ以外はルールの範囲内なら好きにしろ。『強さ』を求める衝動はよく知っているからな」

 

 とはいえ、どう転んでも自らが鍛えた者同士が戦うのだ。興味がないわけがない。

 なにより競い合うことにより互いがどれほど成長するのかが楽しみだ。

 教師という役職故か、単純に『力』に関することだからか仁本人すら理解出来ないが、しかし悪い気はしない。

 

「頑張れ。とは今の立場上言えないが、ちゃんと見ている。強くなったというのなら示してみろ」

 

 言葉は変わらず淡々としているが、天音に向けられる眼には期待や関心が籠もっていた。

 

「ぁ……もちろん! ちゃんと証明してみせるさ!」

 

 今まで見たことのないそれに一瞬呆けるものの、すぐにいつもの調子で返した。ただその内心はいつもより穏やかではなかったが。

 『期待』されたのはこれまでも何度かあった。しかし、今回のは少し違うことはなんとなくだが分かる。

 これまでのは用意された課題をこなし、それを乗り越えることで力を増していった。想定外のことが全くなかった訳ではないがそれでも目の届く範囲にいた為ある程度憶測は出来た。

 しかし今回は、完全に仁の預かり知らぬ所で強くなった為想像するのは難しい。

 『男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ』とは言うが、正にその通りだ。

 単身赴任とはいえ、まだ発ってから半年も経っていないのにその短期間で《魔剣》を修めたのは驚嘆に値する。

 異能ありきとはいえ、そう容易く修得出来るものではない。危険性も覚える為に『あの感覚』を味わったのならとっくに承知してるだろう。しかしそれを顧みず、果には修めるまでに至った。

 厳しい物言いをしていたが、実はこの予想外の成長は嬉しい誤算でもある。

 しかし下手に褒めて調子に乗るのも危ないので、結局仁はちゃんとした言葉にはせず、僅かばかりに目や表情に表す程度。

 だが付き合いの長い天音はそこから察することが出来たようで、口ではまだ小憎たらしいものの、その顔からは先程まで張り付いていた不機嫌な影はなくなっていた。寧ろ嬉しいとさえ思う。

 けれど、天音はそれが表に出るのを抑えた。

 まだ結果を見せていない。ぬか喜びで終わらせたくはない。完全な形では認められていない。喜ぶのは全てが終わってからだ。

 

「ああ、楽しみにしてる」

 

 そんな天音の心情を知ってか知らずか、仁は心底愉快そうに微笑を浮かべるのだった。

 

「あ、そういえば『あの人』今こっちに来てるらしいけど知ってる?」

 

「……誰のことだ?」

 

 しかしそれはすぐに崩れることになる。

 

「――《最古の魔女(ラストウィッチ)》」

 

 天音の口から紡がれたある人物の二つ名によって。



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二十二話

盛りに盛ったオリ主がいるのにオリ主最強タグを付けない理由の一つ。


 とある百貨店。一輝は女性陣に連れられ、そこに来ていた。

 ある事情により、大会のスケジュールが大幅にズレ、急遽一日に二回試合をすることになった彼は晴れて一戦目の相手である白夜を破った。

 その代償は大きく、長期戦では勝てないと思った一輝は一日一度しか使えない《一刀羅刹》を使わざるを得なかった。

 通常の試合であれば問題はない。しかし今回に限ってはそうもいかない。

 勝者に待ち構えているのは一時の安らぎではなく、次なる強者との対戦なのだから――。

 それは一輝も例外ではなく、切札を切ってしまったからといって待ってくれる訳もない。

 彼の次なる対戦者は暁学園のサラ・ブラッドリリー。『色』という概念を自在に操る手練だ。色そのものに何らかの効果を持たせるだけでなく、描いたものを実体化させることすら出来る驚異的な能力。

 そんな彼女が相手なのだ。苦戦することは想像するに難くない。

 しかし彼……いや、『彼等』には他に向き合わなければならない問題があった。

 偏にそれはサラの服装だ。

 彼女はステラすら圧倒するスタイルの持ち主だ。だが絵を描く以外に興味がない為、化粧っ気などは欠片もない。

 そしてファッションにすら無頓着だ。

 具体的には公衆の場にすら下着を付けずトップスとエプロンだけで出向く程には。

 後日天音は仁から「曲がりなりにも学園名乗る割には校風どうなってるんだ?」という質問を投げ掛けられた際、「教師役があの人の時点で察して」と遠い目をしたという。それに対し仁は納得してしまったらしい。

 そんな天音が嘆く程のメンツで一番の問題児であろう彼女をどうにかしようと挑んだのが彼等だ。

 ……いや、正確にはサラについてはファッションに精通しているアリスが行なう。その際にアリスが変にサラを焚き付けたのを見たステラは対抗心を燃やし、自身に合う服を探しに向かう。珠雫は意地の悪そうな笑みを浮かべながら彼女に同行した。

 そうして各々の買い出しに向かったのだが。

 一輝は早々に読みたかった文庫本を手にし、待ち合わせ場所にいたのだ。

 ――そんな彼に声を掛ける者がいた。

 

「ちょっといいかい、坊や」

 

「え?」

 

 声の感じは女性のそれであり、実際顔を上げた一輝の眼前には一人の女が立っていた。

 一見するとローブのような真っ赤なドレス。相応な年月が経過した西洋人形の様な褪せた長い金髪。手に高そうな漆塗りの杖が握られている。

 歳の頃は二十代後半程。しかし、明らかに『その程度』の人間では出せない妖艶さを纏っていた。

 一輝を見据えるその双眸は、遺跡から発掘された金貨の如き妖しさだ。

 

「――っ」

 

 『異色』、『異質』。

 視界におさめただけで彼女は『違う』のだと本能が告げた。

 実際、派手な衣装を身に纏っているにも拘わらず通行人は誰も彼女を見ようとしない。ただの一人も。

 

「ほぉほぉ、なるほどねぇ。たしかに、似てる(・・・)かもねぇ」

 

 女の異常さに一瞬我を忘れていた一輝を尻目に、当の女はまじまじと一輝を観察する。

 頭の上から足の先まで。一通り目を通し、最後に『眼』を凝視。そこから内臓でも覗かれているのではないかという得体の知れない『気持ち悪さ』に襲われた。

 同時に、ついぞ女の眼を視てしまった一輝はその妖しい金色の瞳に吸い込まれそうな感覚に陥る。

 

(ダメだッ!)

 

 瞬間、我を取り戻した彼は本能の警告に従い拒絶しようとする。

 しかし、それは出来なかった。

 まるで蔦のように、蛇のように、一輝の身体は見えない何かに絡めとられたかの如く動けない。視線を逸らすこともままならない状態だ。これでは恐怖による震えすら許されない。

 何故そんな状態になったかなど考える余裕はなく、そして必要もない。

 目の前にいる『ヒトの形をしたナニか』はそうさせてしまう程に規格外の存在なのだ。

 一輝はそれが解る。解ってしまえる。

 仁やエーデルワイスという《魔人》の域に達した二人と対峙したことがある彼だからこそ、瞬時そう判断出来た。

 そして、それが『災い』した。

 

(なん、だ……この、ヒト……!)

 

 肥えた眼力が、蓄えた知識と経験が、目の前の『ナニか』を解明しようと無意識に働く。

 だがそれは、埋められた不発弾でも掘り起こすかの様に、恐ろしさだけが思考を蝕んでいく。

 もはや一輝には女が『人の形をした黒い塊』にしか思えない。

 理解しようとすればする程、女の正体が解らない。人の根底にあるはずの理が一切見えない。

 ――いや、違う。

 本当は解るのかもしれない、見えるかもしれない。しかし、それを解明することを拒んでいるのだ。

 本能が、知性が、他ならぬ一輝自身が。

 ただ見られているだけなのに一輝は今、全力で自衛している。

 危険だ。対峙どころか関わってすらいけない。

 そんな《災害》あるいは《天変地異》の様な存在であることだけを脳に叩き込まれた一輝は――

 

「っ……!」

 

 首に鈍い衝撃が奔った。

 女に対して必死な抵抗をしている最中故の完全な不意打ち。当然反応も出来ずに一輝の意識は刈り取られ、崩れ落ちてしまう。

 その寸前に、彼を支える影があった。

 

「一応マークしておいて正解だったか」

 

「おや?」

 

 意外と言わんばかりに声を上げた女の前にいたのは仁だった。

 支えている一輝を腰掛けていた所に寝かせ、文庫本も傍に置く。

 その後、怒気が籠もった目で女を睨む。

 

「何故こんな所にいる……《最古の魔女(ラストウィッチ)》」

 

 次いで、女の二つ名を口にした。

 

 

 ――《最古の魔女(ラストウィッチ)》。

 現存する中で最も古い伐刀者にして魔人。

 外見年齢こそ二十代後半といった所だが、実年齢を知るものはいない。嘘か真か、当人すら余りの長い時間生き続けたせいで正確な年齢は覚えていないと言う。

 だがその二つ名が示す通り、彼女は伐刀者がまだ『魔女』だなんだと騒がれていた時代の生き残りだ。それだけでも優に四百年以上も昔の話であるが、彼女の場合『最低でも』という付属語が付く。

 魔人に到達した者ですら寿命に逆らうのは難しい。しかし彼女はその枷すら取り払い今日(こんにち)まで生き続けてきた『正真正銘のバケモノ』だ。世界各国に伝わる『不老不死』の伝説は彼女のような力を持った者を指しているのやもしれない。

 彼女に関してはたとえ仁が全力を以って挑んでも倒すことは出来ない。……いや、仮に倒せたとしても『真の意味で勝つ』ことは現状誰にも出来ないのだ。それ程までに《魔人》の中でも格が違い過ぎる存在。

 

「なんだい、(ババア)がいると問題でもあるのかい?」

 

「……お前は、自分が『世界』からどんな目で見られているのか自覚しろ」

 

 無垢な子供のように首を傾げる魔女に対し、仁は額に手を当て項垂れた。

 彼女が自国に入り込んだと知れば国王然り大統領然り総理然り、生きた心地などしないはずだ。

 彼女の存在そのものはこの世界において『禁忌(タブー)』のようなもの。

 一般市民はともかく、相応の立場にいる者達はこの魔女の存在を認知しており、その脅威も知っている。

 《最古の魔女(ラストウィッチ)》の力は強大であり、凄まじい汎用性を秘めている。

 かつて数多の国が彼女に助力を求めた。

 力を得る為、飢えを凌ぐ為、天災から逃れる為……理由は様々だが、それら全てを可能にしてしまえるのが魔女であった。

 多くの国はその恩寵を受け入れ、滅ぶことなく現代まで生き残っている。

 だがその影には魔女を利用しようとし、逆に彼女の逆鱗に触れ惨たらしい最期を迎えた国もあった。

 一例として、ある昔話をしよう。

 

 ある国の王が国を栄えて貰う代わりに魔女とある約束をした。

 気まぐれかそれとも律儀な性格なのか魔女は約束を守り国を見事な大国に変えて見せた。

 しかし、肝心の王の方はというと、端から約束を守る気などなく、用が済んだ魔女を殺そうとした。

 騙されたことに怒り狂った魔女は王を豚の姿に変えてしまった。それだけでは飽き足らず国を完全に孤立させ外交などの手段を全て絶ってしまった。

 すると日が経つ毎に食料はなくなっていき民を飢え始めてしまう。

 そんな中、彼等の目に映ったのは一匹の豚である。

 ――それは彼等がかつて崇めた王の成れの果て。

 国が豊かな頃は賢王だ聖人だなどともてはやしていたが、今では口すら利くことの出来ない畜生だ。

 飢餓に苦しむ者の前に丸々と肥えた豚がいる。

 飢えで死ぬかもしれない瀬戸際の状態で、果たして崇めるものに対する敬いなど皆無であった。

 こうして、愚かにも魔女を騙そうとした王は哀れ愛しい民達の手によって美味しく戴かれることとなり、国は緩やかに滅んでいったそうな……。

 

 そんな教訓染みた昔話。

 何も知らない人が聞けば「人を騙してはいけない」という教訓として作られたのだろうと捉えるはず。

 しかし事情を知る者からすればコレはそんな生易しいものではない。

 これは魔女……《最古の魔女(ラストウィッチ)》の怒りを買った国の末路を著している。

 王は本当に豚にされ、民達の手によって殺され、食われたのだ。

 この他にも世界には多くの魔女に関する伝承や昔話がある。その全てとは言わないが、ほとんどは彼女が関わっている場合がある。

 伝承や昔話として残るということは世界に傷を残すようなものだ。事実(ノンフィクション)であったとしても、大抵はその人物が死した後に綴られる。

 しかし彼女は今尚生き続けている。過去のものとしてではなく、現実のものとして。

 そんな真実を知っている者に対し、恐れるなという方が無理な話だ。

 

 

「……どんな理由で接触したかったかは知らないが、コイツも災難だな」

 

 改めて、仁は魔女の被害にあった少年(一輝)に視線を向ける。

 彼はまだ学生騎士。実力そのものはプロにも通じるが、それでもまだ魔人と対峙するには足りない。

 そんな中、RPGゲームで言う所のラスボスどころか裏ボスのようなバケモノに出逢ってしまったのだ。その差は明確に感じたことだろう。

 

(眼が良いのも考えものか)

 

 ましてや、一輝の観察眼はズバ抜けている。それによって助けられる場面は多いが、今回は完全に裏目になっていた。

 如何に相当な場数、修羅場を潜り抜けようとも十数年という年月に収めれるのには限りがある。つまるところ、推し量るにも限度がある。

 今回の相手はその限度を余裕で超過した存在だ。

 もし仁が止めず、あのまま解明を続けようものなら良くて失神。悪ければ廃人と化していたかもしれない。

 何分あの魔女には数百年の歴史と経験が蓄えられている。そして同時に彼女の感性は既に人間によるものではなくなっているのだ。一輝が魔女から感じた『得体の知れなさ』はそこから来ている。

 彼が今まで視てきた者達は皆ちゃんとした人間だ。

 仁やエーデルワイスは魔人だが、彼等はまだ『こちら寄り』だろう。

 しかし魔女は違う。アレは既に完全に『人』から外れている。『人の皮を被ったナニカ』でしかない。

 故に理解するのは不可能。解ってしまっていけない禁断の領域。

 

「んー? その子はリョーマの坊やに連なる者なんだろう? なら、一度くらいは会っておきたかったからねぇ」

 

「……お前からすれば、あの『黒鉄龍馬』すら坊や扱いか」

 

 最早驚きすらない。

 寿命で魔女に勝てる者はおらず、彼女は人知れず色んな国を渡り歩いていた。日本の英雄である龍馬と知り合いだったしてもなんら不思議なことはない。

 

「それに、だ。その子、“こっち”に来るんだろ?」

 

 そして一輝が《覚醒》を果たす虞があることも見抜いている。

 三日月のように釣り上がった口を隠そうともせず、喜悦を宿した金色の瞳は仁に向けられていた。

 

「……まだ確定した訳じゃない。仮にそうなったら『役目』は俺がする」

 

 この魔女を相手に隠し事をする気はないし、したとしても無駄だろう。彼女にとって嘘を看破するのは造作もない行為だ。

 

「随分買ってるねぇ?」

 

「俺は今教師やってるからな、そしてコイツは教え子の一人だ。である以上は責任は持つ」

 

 「ほぉ、あの坊やがねぇ」と仁の発言に今度は愉快そうにくつくつと笑う。

 《覚醒》を果たし、《魔人》と化した者はいつか必ず魔女に出逢う。そしてその際、魔女から幾つか言葉を投げ掛けられる。

 《覚醒》と《魔人》。それについて教えられ、また警告と呼べるようなものもする。

 曰く、基本自由だが『線引き』だけはしろ、との事。 

 これが出来なかった者は何らかの形でしっぺ返しに逢う。そういう『定め』らしい。

 尤も、仮にその『定め』を跳ね除けても魔女に……いや彼女達(・・・)に敵対しようものなら末路は同じことになる。そういう意味を含めての『線引き』なのだろう。

 

「ともかく、だ。『役目』なら俺が行なう。だからさっさと帰れババア」

 

「冷たいねぇ、(ババア)と坊やの仲じゃないか」

 

「同盟組んでるだけだろ」

 

 その中の一人にはジンも入っている。

 彼はエーデルワイスと出逢い《魔人》と化した後に魔女と邂逅を果たした。

 最強(エーデルワイス)を倒したいと願っていた彼にとって魔女の存在は渡りに舟だった。

 手段を選ばない時に、悪魔に魂を捧げるなど比喩されることもあるが、ジンは魔女と契約を結んだ。

 一人では限度のある鍛錬をより緻密に過激に効率良くする為に魔女に協力を申し出た。

 結果は言わずもがな。ただでさえ力に対する強い執着心、エーデルワイスという劇薬、《魔人》という限界突破。その上での『契約』は彼に更なる飛躍を与えた。

 ジンの短期間における急成長の一つには実は彼女も一枚噛んでいたのだ。

 その代償としてジンは魔女の『同盟相手』の一人となった。

 

「まあいいさ、人も待たせてるからねぇ」

 

 そんな相手に、しかし魔女は躊躇いなく踵を返す。

 名残惜しさなぞ一切感じない足取りで、カツカツと杖をつきながら、そのまま人の群れの中に消えて行った。

 

「まったく、相変わらずだな」

 

 一言で表すなら自由奔放。

 己がその時の気分、心のままに行動する。

 童心の様にも思えるが、対照に存在そのものが埒外であり、純粋な善意と呼ぶには怪しい行動は時として周りを混沌に誘う。

 今回の件然り、天音の件然りだ。

 ――そうだ。天音に《魔剣》を教えたのは彼女だ。

 どんな思惑があったかは知らない。ただ同盟相手の息子だったからか、ただの暇潰しか。どちらにせよ余計なお節介なことには変わりない。

 しかし今回の様な場合もある。魔女の何気ない行動は時として危険だ。たとえ悪意がなくとも存在そのものが毒として働くこともある。

 逆鱗に触れなければ大丈夫という保証は何処にもない。

 あの魔女は気まぐれだ。気まぐれに救い、助け、そして破滅させる。

 だからこその二つ名。正真正銘の《最古の魔女(ラストウィッチ)》なのだ――。

 

 

 

 

「ククク。ようやく廻り会えたな! 偉大なる魔女よ!」

 

「お嬢様は『おばあちゃん何処行ってたの、探したんだよー!』とおっしゃっています」

 

「悪いねぇ。少しばかり用事があったからねぇ」

 

 旧知の仲である者の娘とその使用人に合流した魔女は小さくほくそ笑んだ。

 そしてそのまま孫の様な、曾孫の様な愛らしい少女に色々なことを聞かれながら談笑した。

 魔女の嘘か本当か解らぬ壮大な話を少女は目をキラキラさせながら聞き入り、使用人は冷や汗を流しながら主の傍に佇み、魔女は愉快に嗤っていたという。

 





覚醒超過に関する説明読んで、鬼や悪魔がいるなら不老不死とかもいるのでは?という疑問から出来たババア。
一応この作品における上限の一人のつもり。


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二十三話

ポンコツは増すよ、どこまでも。……若干ギャグ風?


 三回戦第三試合。

 珠雫と天音が行なう試合は正にそれであり、天音への宣言通り仁は観る為に珍しく客席にいる。その横には育ての親のもう片割れ、エーデルワイスも控えていた。勿論、周囲に正体がバレないよう、仁の認識阻害の魔術を用いている。

 だから露見はしていない。そのはずなのだが、何故か顔を両手で覆っている。心なしか、雪のような肌が朱色に染まっている。元が色白のせいだろう、殊更目立っている。

 

「うぅぅ……お願いですから忘れてください、ジン……」

 

 目線を合わすことすら出来ず肩が小刻みに震えている。

 周りの観客からは「大丈夫ですか?」と何度か声を掛けられるが、その都度「実は人見知りで」とか適当に返している。

 勿論そんな理由でこうなっている訳ではない。

 『世界最強』と名高い彼女が何故このような状態に陥ったのかと問われれば、一言で表すなら……『羞恥心』といったところか。

 信じられないかもしれないが、あの《比翼》のエーデルワイスが今羞恥心で震えているのだ。

 その原因は分かっており、既にそれは終わっているのだが、未だに立ち直れていない。

 そんなにショックだったのか、と逆に引いてしまう程に。

 フォローしようにも、現在進行形で仁が何を言ったところで更に恥ずかしさが増すばかりだろう。

 それこそ臨界点を突破(リミットオーバー)して暴れられても困るので、落ち着くまで傍にいることにしたのだ。

 

 さて、では何故彼女がこんな状態になったか。その理由はつい先程行われた試合が関係している。

 三回戦第二試合。黒鉄一輝対サラ・ブラッドリリー。

 勝敗に関しては一輝が勝った。《色》という概念を自在に操るサラは確かに驚異ではある。その実力はプロの目から見てもAランクに匹敵すると言われた程だ。

 しかし、一輝は知ってる。『イメージを実体化』させるという点において、彼女よりも危険な存在を……。

 仁という、その系統の能力を以って《魔人》の域に達した存在。それと何度も戦った、何度も殺された。たとえ過去の存在だったとはいえ、仁が造り出した『己』は紛れもなく本物であった。

 『理不尽さ』が足りない。そう感じた一輝はだいぶ毒されている。「お兄様も師匠側(そっち)に行くんですね……」と虚ろな目をした珠雫を幻視したのは内緒だ。

 それと比較すればただ勝利を掴みにくるだけの偽物なぞ、対処のしようは幾らでもある。たとえそれがエーデルワイスであったとしても。

 そう、エーデルワイス。サラは伐刀絶技を用いてエーデルワイスを造り出したのだ。

 無論本物同然とはいかない。一輝も苦戦を強いられたものの結果として打ち破ったのだから。

 しかし、それが現れた時の会場全体の動揺は尋常ではなかった。紛いものとはいえ、あの《比翼》のエーデルワイスなのだから。

 どよめき、恐れ、驚愕。様々な感情が渦巻いたことだろう。

 それは『使われた本人』も例外ではなかった。

 サラが造り出した己を見て彼女は顔面蒼白となった。

 サラが自分を造れたことにではない、何故よりによって『あの時』の自分を再現したのか、だ。

 認めた瞬間の彼女は正に神速であった。コンマ0.01秒で()の目を覆ったのだ、両手で。

 

「え?」

 

 勿論いきなりそんなことをされた仁は訳が分からなかった。理由を訊ねようとしたが……。

 

「ごめんなさい、ジン。でも、ほんとうに、あの『私』は見ないでください、お願いします。……見ないでぇ」

 

 有無を言わさず、まさかの懇願である。

 疑問符しか浮かばないが、妻が嫌がっている以上は仕方ない。素直にそう割り切った仁は暫しその状態を受け入れた。

 何故エーデルワイスがこのような行動を取ったのかというと、偏にサラが原因だ。

 より正確にいえば彼女の造り出した偽のエーデルワイスが問題だった。

 彼女の異能は色の概念干渉だ。しかしそれを絵を介すことで彼女の能力は幅広く、且つ強力なものになっている。

 ところで絵、特に人物画の場合モデルが存在する。架空のものを描くよりかは実在するものを描いた方がよりリアリティを出せるからだろう。

 ではサラが造り出したエーデルワイスは? 勿論本人をモデルとしたものだ。

 故にこそ細部に至るまで明確に再現されている訳だ。

 ただ問題なのはこれがいつの頃の再現か。

 遥か昔ということはない。日々強くなっていく彼女を模写するのであれば、最近のものがいいだろう。

 そう、例えば……暁学園の校舎が破壊される前の時分とか。

 

(なんでよりにもよってあの時の私を再現するんですか! サラ!)

 

 思い出すのは体重計()との戦いの日々。あともう少しで勝利するはずだったのに横槍を入れられたせいで惨めな姿を愛しい夫に晒してしまった。

 それでもその時はあと一歩の所まで行けていたのだ。だからまだ軽傷で済んだというのに……。

 よりによって再現されたのは正に死闘(ダイエット)真っ最中の頃だ。

 一瞬で判った、一目で理解出来た。何せ散々姿見の前で見た自分自身なのだから。

 確かに天音を鍛える名目で彼女達の前に姿を現した時がある。恐らくその時にサラはエーデルワイスの姿形を脳裏に焼き付け、元々あった記憶に上書きしたのだろう。

 

(恥ずかしい……)

 

 正直第三者、知り合いとかならまだいい、大丈夫だ。しかし()に見られるとなれば話は別だ。

 エーデルワイスは仁が好きだ、愛してる。その熱は結婚をして夫婦になってからも衰えることはなく、寧ろ増している。

 彼の前では『綺麗でありたい』という乙女心すらある。

 だからこそ見せれない。あんなだらしない自分なんて……。

 ……まあ勿論そう思ってるのは本人だけであり、別段著しい変化がある訳でもなく、仁も気にしないだろうが、それでも当人からすると許容出来ないらしい。

 

(お願いですから早く倒してくださいイッキ!)

 

 一刻も早く偽物の自分をこの世から消し去って欲しい。

 許されるなら自分の手で一秒すら使わずに塵芥に還してやりたい。

 しかし悲しきかな、これは七星剣武祭。手を出していい訳がない。

 だからこそ彼女は心の中でエールを送った。かなり身勝手な理由な気もするが、仕方ない。だってそれ以外に出来ないのだから……。

 果たして、一輝が偽のエーデルワイスを倒すまでの間、彼女が感じた時間は途方もなく長かった。

 恐らく、今日初めて彼女は無力感というものを実感したのだろう。

 どんなに強大な力を持っていようとも時と場合、状況によって全く意味を為さないことを思い知らされた。

 

「……嫌いにならないで」

 

 その結果、試合が終わった後だというのに傷心状態から抜け出せないでいる。

 彼女からすれば瞬間的にでもあの自分が仁の目に映ったのが嫌だったらしく、未だに鬱々としていた。

 

「いや、だからそんなんじゃ嫌いにならないって」

 

 大袈裟な気もするが、それはやはり彼女の恋愛経験の無さからくるものか。人との接触もそんなに多くなかったから寂しさを感じていたのかもしれない。

 そんな中、出逢い、好きになり、結婚し、夫婦になれた。

 正直彼女の境遇や経歴を鑑みれば奇跡に等しい。

 だからこそ手放したくない。失いたくないという気持ちが強いのだろう。

 

「離婚……」

 

「する気はない」

 

「……ほんとうに?」

 

「本当だ」

 

 慰めるように頭を撫で、出来る限り優しく答える。

 気持ちが通じたのか、顔を覆っていた両手がようやく離れた。

 向けられた顔は何処か自信なさげだ。こんな弱々しい姿、仁の前以外では決してしないだろう。

 

「落ち着いたか?」

 

「……はい。その、すみません……」

 

 泣いてはいない。しかしまだその顔はうっすらと赤い。

 己の行動を振り返り、さっきまでとは別の恥ずかしさが湧いた。

 だが仁は「気にするな」と頭を軽く叩いた後、リングに目線を向けた。

 清掃が終わり、そろそろ第三試合が始まるのだろう。

 大事な息子と弟子の試合だ。余所見をしては申し訳がない。

 その切り替えの早さを倣いエーデルワイスも目を向ける。

 

 言葉数は少ないが、それでも大事に、ちゃんと愛してくれていることを感じた。

 他者から見たら淡々としているように見えるだろうが、その実エーデルワイスには確かに伝わっている。

 色々と厄介で面倒な女だという自覚はあるが、そんな自分を好きでいてくれる彼はやはり手放したくない大事な存在なのだ。

 意識はしていない。しかし無意識下でそう思い、自然と身体は動いた。

 求めるように左手が彼の右手に触れた時、躊躇いも迷いもなく優しく握りしめてくれたことに、エーデルワイスの口元は弛んでいた。




ここの天音くんと珠雫はちゃんと戦います。


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二十四話

 ――昔、強くなるのに動機(理由)はいるか? そう問いかけたことがある。

 

 それに対し「ただ強くなる為ならいらん」と父は切り捨てた。

 出自が特殊な彼……いやその一族からすれば一々理由を持って鍛えるということはなかった。強いていうなら『そう育てられた』というのが理由だろうか。

 だがしかし第一の問題として、『強さ』なぞ生まれ持った時に差は生じる。

 特に努力せずとも始めから優れた者や、天才と呼ばれる者、努力を怠らずにすれば力がつく者はおり、そしてどんなに頑張っても実らない者もいる。

 分かり易く顕著なのは魔力だろう。その総量は産まれ出でた瞬間に決まる、これだけで大きなアドバンテージがある。こと伐刀者においてその存在はやはり無視出来るものではなく、魔人となる以外でこれを覆すのは不可能だ。

 だから『ただ強いだけ』ならこの時点で決定する。この世界ではスタートラインは平等ではないのだ。

 それでも何らかの形で向上心というものを持ち、研鑽を怠らず、ただただ果てを目指す。

 そう『より強くあろう』とするのであれば『動機(理由)』は欲しくなる。

 別に大層な物である必要性はない。漠然とただ「強くなりたい」というものですらいい。

 魔力は伐刀者にとっての動力だが、動機(理由)は人間にとっての燃料だ。

 あるのとないのでは大きく違う。

 ジンですら己に対する容赦のない現実を目の当たりにしてから無意識下に刻まれた『強くなりたい』という想いを胸に、絶えず研鑽し、常に命掛けの死線を潜り抜け、強者達の強さに憧れ、それらを超越する為に修羅の道を歩み続けてきたのだ。

 寧音や黒乃という壁が傍にいたこと、エーデルワイスという劇薬との邂逅もまた飛躍する為の大きな要因ではあったが、しかし彼の想いは昔から変わらない。

 気付けば『それ』が当たり前だった。

 

 ――だから(ジン)は言う。ただ強くなるだけならさしたる理由はいらん。だがより(・・)強くなりたいのならそれは必須となるだろう、と。

 

 

 

『ご来場の皆様。時間になりましたのでこれより三回戦第三試合を開始します!』

 

 リングが整い終えたことを伝えるように飯田はマイクに向けて言い放つ。

 

『第三試合、Dブロックの頂点を争うのは破軍学園一年・黒鉄珠雫選手と、暁学園一年・紫乃宮天音選手です! それでは両選手入場していただきましょう!』

 

 会場に備え付けられていたスポットライトが動き、両側の入場ゲートを照らす。

 

『赤ゲートより姿を見せたのは暁学園一年! 紫乃宮天音選手! 一回戦、二回戦ともに開始宣言とほぼ同時に相手選手の頭を貫き瞬殺した手腕! ブラッドリリー選手同様暁学園が誇るダークホース!』 

 

 飯田の紹介を受けながら入ってきた天音は人懐っこそうな笑顔を浮かべながらリングに上がる。

 最速撃破記録は一輝に塗り替えられたが一、二回戦を一撃の下沈めた実力は確かなものだ。

 

『青ゲートより姿を見せたのは破軍学園一年! 黒鉄珠雫選手! 正に水のように柔軟且つ臨機応変に戦い、強者達を退けてきたその力で紫乃宮選手の快進撃を見事止めることが出来るのか!』

 

 対する珠雫は持ち前の魔力制御と能力への理解度により、変幻自在な戦い方により、経験不足を補いながらも勝利をもぎ取ってきた。

 一、二回戦では余裕すら感じとれていたが、今はそんな影は露一つ見えない。

 眼前にいる少年に対し、珠雫は警戒をしている。

 それは彼があの師匠の息子であり、鍛えられた伐刀者だからに他ならないのだが、それだけではない。

 彼からは何か末恐ろしいものを感じた。

 

「ねぇシズクちゃん、キミの強くなりたい理由はなにかな?」

 

「……なんですか、いきなり」

 

 気を張り詰めながらも開始線に立った珠雫に向け、天音は問いかける。

 これから戦うというのにあちらは随分と余裕のようだ。そう思った珠雫は目を細めた。

 

「いや、少し気になってね。だってキミ、わざわざ『アレ』の元で鍛え直す決心したんだろ? 僕が言うのもなんだけど、生半可な気持ちで受けるような物じゃないはずだよ」

 

 珠雫のことは風の噂で聞いていたし、ジンの苛烈な鍛錬方法に関しては言わずもがな。

 命が幾つあっても足りないどころか、実際に何度も死ぬような鍛え方を行うジンに対し、一度ならず二度も教えを乞うなど相当な覚悟がなければ不可能だ。

 天音に関しては異能に振り回された過去と育ての親への強い憧憬があり、最終的には彼等(特にジン)にいつか追いついてやるという気概がある。だからこそどんな辛い修行も鍛え抜ける胆力がある訳だが……。

 それに比べ珠雫は一体どうなのだろう?

 彼女の兄である一輝は常に望まれぬ環境にいた。それでも彼はただ我武者羅に剣の道を突き進むことを選んだ。

 だから理解も共感も出来る。

 しかし、対し珠雫は恵まれた環境、資質を持っていた。確かにジンに師事することで飛躍的な成長は出来るが、それでも『そこまで追い込まれている』とは天音には思えない。

 アレは今出来る限界に直面した際に現れる悪魔のようなものだ。一見誘蛾灯の如き存在感だが、そこに至る道は茨であり、針の山でもある。そこを通過することで強さは確かに得れるが、代償は死の苦痛だ。それも一度だけでなく、何度も。

 彼女には将来性がある。ジンに頼らずともその内にでもAランク伐刀者に届くだろう。

 それが天音から見た珠雫の評価だった。

 故に、何故あんな修羅の化身の如き男を頼る? 何故師事するのか?

 ジンの事を理解しているからこその単純な疑問だった。 

 

「そんなの決まってます」

 

 心底不思議な顔をしている天音に対し、珠雫は憮然とした態度で言い放った。

 

「お兄様を守れる程強くなりたいからです」

 

「……え?」

 

 いっそ誇らしくも語るその姿に、天音は一瞬呆ける。

 

「はっ……あははは!! そっか! うん、なるほど、なら納得だ!」

 

 しかしそれも一瞬で、次の瞬間には腹を抱えて笑っていた。

 それは別に馬鹿にしている訳でなく、ただただ得心がいっただけのこと。声色からも分かる為か、珠雫も眉を顰めるだけ。

 ああ、なるほど。確かにそれなら(・・・・)師事してもおかしくないな、と。

 その根幹にあるのはきっと自分と同種のものだと理解できたのだから。

 

「いやー、ありがとう。おかげでスッキリしたよ」

 

 目の端に涙が浮かべ笑い終えた天音は清々しい顔をして固有霊装(アズール)を顕現させる。

 

「僕達案外似た者同士かもね? シズクちゃん」

 

「気持ち悪いこと言わないで下さい」

 

 切り捨てるように言うと珠雫も宵時雨を顕現化する。

 とはいえ天音が言わんとしていることは珠雫にも理解出来る。

 彼の心の奥底にあるのは特定の人物(ジン)に対する『憧憬』だ。しかし、その憧憬も根底となっているのは『愛情』からだろう。一概にそれだけだと言えないのは、他にも様々な感情、想いが渦巻いているからだ。だがやはり大半を占めるのは『それ』だ。

 珠雫は一輝を、天音はジンを見て育ち、無意識でも彼等に傾倒している。

 認めよう。珠雫と天音はある種の同類だ。

 力を得る為の動機はどうあれ、根底にある想いはよく似ている。

 だからこそ。

 尚更珠雫は天音に勝たねばならない。同類なんぞに負けてたまるかと。

 そう意気込み、宵時雨を握り直した。

 そして、両者戦闘態勢に入ると同時に――

 

『それではこれより、七星剣武祭三回戦第三試合を開始します!

 Let's GO AHEAD――ッ!!』

 

 戦いの火蓋は切られた。

 

 

 

 開幕早々、ジャスト一秒。

 それが珠雫の額をアズールが貫いた瞬間だった。

 一回戦、二回戦共に見せた唯一の手段。如何に速く正確な攻撃であろうとも異能を駆使する伐刀者同士の戦いにおいて、有効となるのは稀だ。

 だが天音もまた異能を有してそれを行う。因果干渉という上位の異能により彼の理想は現実となり、願った通り試合開始一秒で相手の眉間を貫くことが出来るのだ。

 

「うわ!」

 

 そんな彼の攻撃が直撃した。そのはずなのにアズールは何事もなかったかの様に珠雫の頭を通り抜けた。

 それに対し意に介さないよう迫り来る珠雫から距離を取るべく飛退く。

 数瞬遅れで天音が立っていた位置を宵時雨が通り過ぎる。

 「ちっ!」と躱されたことに苛立ちを覚えた珠雫だったが、まあいい。

 ――時間は十分稼いだ。

 次いで、彼女のその身は実体を無くす。

 《青色輪廻》。自らの肉体を気体に変える伐刀絶技。気体化することで物理的な攻撃の大半を無効化出来る。水使いであり、尚且つ高い魔力制御が無ければ到底出来ない代物。

 珠雫はそれを発動させた――いや発動させ終えた。

 

「びっくりしたー、まさか頭部だけ既に変えてたんだね」

 

「貴方の能力を鑑みれば下手に避けるより受け流す方が簡単でしょう。況してや何処を狙っているのかが分かるなら尚更です」

 

 天音の異能は因果干渉系。望んだ結果に行き着く強制力がある。故に攻撃が来ることが分かっていながらも避けるのは難しい。何せ彼が攻撃するということは当たるという結果に帰結するのだから。

 だが逆に返せばその確定事項さえ対策すれば対抗できるということだ。

 珠雫はジンの指示で能力による変換を瞬時に出来るよう鍛えられた。故に本来なら一秒すら用いずに《青色輪廻》を発動できるのだが、ここに至っては天音の異能の妨害が入る。それは薬師キリコ戦が物語っている。

 だから珠雫は全身ではなく頭部だけ変えることにした。それによりコンマ単位とはいえ短縮することができ、僅かばかりとはいえ勝機が見えた。

 そしてそれは正にその通りとなった。

 

「《白夜結界》」

 

 だからと言って油断も慢心もしない。

 次いで珠雫は濃霧を発生させ天音の視界を奪った。

 一瞬でリング内を覆うそれに対し、天音は慌てることなくアズールを一本顕現化させる。

 そして切っ先を下にすると、躊躇いなく地面に向け投げ、突き刺した。

 瞬間。アズールを中心に強い風が起き、霧が搔き消えてしまう。

 

『なんとぉ! 紫乃宮選手、剣一本で霧を晴らした!? どういうことだ!』

 

『おそらく加我選手とは真逆の事をしたのでしょう。力の流動をコントロールすることで力を集約した彼とは逆に、紫乃宮選手は敢えて分散させることで突風を起こしたのです』

 

 《鋼鉄の荒熊(パンツァーグリズリー)》の二つ名を持つ加我恋司。黒鉄王馬によって破れ去った彼が、試合の前に行ったパフォーマンスと原理自体は同じだ。それの応用に過ぎない。

 

『可能なんですか!?』

 

『魔力放出、魔力制御、肉体制御。この三つを寸分の狂いなく、全く同時に行えるのであれば可能でしょう。尤も、異常なまでの繊細な加減が必要なので、出来る人はそう多くはいないでしょうが』

 

「ッ! 《凍土平原》!」

 

 視界を奪うことに失敗した珠雫は、ならばと動きを封じるべくフィールドを氷原に変貌させた。

 瞬く間に凍てつき、自身にすら迫ってくる脅威を前にしても天音は慌てることなく、アズールを上に投げる。するとアズールは十数本に増え、天音の前に落ちる。それは迫りくる凍土を阻むように綺麗に刺さった。

 しかし障害物があろうとも構わず、それ諸共氷漬けにしようとする絶対零度の侵略は止まらない。

 アズールは凍らされ、脅威は天音にも届く――

 

「よっと」

 

 前に、新たに顕現させたアズールを放つ。凍らされているのと同数に増えると、それらは同じタイミングで当たった。

 すると、それらを介して伝わる魔力が、互いに相乗し氷原を割って氷の侵略を防いだ。

 その光景に珠雫は苦虫を噛み潰したが、そんな余裕を与えてくれる程天音は甘くない。

 今度はこちらの番。そう言わんばかりに彼は動いた。

 両手に顕現させたアズール、計四対を高く上空に投げる。その行動に何をするのかと思う間もなく、彼は即座に駆け出した。

 肉体強化と魔力放出の二つを駆使して接近するその速度は思ったよりも速い。

 しかし、対処出来ない程ではない。

 そう即座に判断した珠雫は、無数の水弾を放った。

 見た目はビー玉程度の大きさのそれだが、実際にはバケツ一杯分の水量を圧縮して出来たものだ。

 故に見た目に反し、硬く重い。それを一瞬で百以上も作り、天音に向け射出。

 対して天音は避ける素振りすら見せず直進する。

 その行動は愚かな選択でも自棄になった訳でもない。その証拠に無数の水弾が天音に当たることはないのだから。

 水の弾幕が迫ると同時に、空から無数の刃が降り注いだ。

 それは先程天音が上空に放ったアズールだった。天音の固有霊装《アズール》は数を増やすことが出来る。その特性を利用し、宙にあった間も数を増やし続けていた。

 倍々ゲームによって増え続けたその数……ざっと『千』。

 

 「《千刃乱雨》」

 

 それらは容赦なく落ちてくる。剣の絨毯爆撃に見境はない。

 しかし、数多の剣が降る中天音には一つも掠りはしない。

 それはそうだろう。

 《過剰なる女神の寵愛(ネームレス・グローリー)》を以ってすればガラスのシャワーだろうが剣の雨だろうが銃弾の嵐だろうが、傷一つ負うことなどありはしないのだから。

 それどころか、迫っていた水弾は悉くが無数の刃により壊されたり、阻害されたりし全滅してしまった。

 珠雫は慌てることなく、再び距離を取りさらなる追撃をしようとした瞬間――。

 

「ッ!?」

 

 顔面目掛けニ本の銀剣が飛んできた。

 乱雑に降り続ける刃の中、それらに当たりもせず真っ直ぐに飛ばす精度に内心舌打ちをする。

 受け流すか、それとも回避するかを逡巡する暇もなく無意識に後者を選択し、首を反らした。

 気体と化した肉体に意味はないと分かっている。しかし問題なのはそれにより一瞬とはいえ視界を妨げられることだ。

 強者との戦闘において一瞬でも隙が生まれればそれは致命傷と化す。だからこその選択だ。

 その判断は間違いではない。事実、銀剣は顔……というより目を狙ってきていた。故に間違った行動ではない。

 

 ――その選択こそが天音が望んだもの(・・・・・・・・)でなければの話だが。

 

「捕まえた」

 

「ッ!?」

 

 身を屈め、珠雫の視界にギリギリ入らない位置で天音は珠雫の左手を『掴んでいた』。

 いつの間にと思うよりも先に、「どうして?」という疑問が頭を過る。

 気体と化し、実体を無くしたはずの珠雫の体に彼は触れている。

 生身の感触が、体温が伝わってくる。

 

 ――まさか!

 

 嫌な予感はそのまま現実のものとなる。

 珠雫が動くよりも速く、天音は左手に顕現させたアズールを彼女の心臓目掛けて突き刺した。

 次の瞬間、本来ならすり抜けるはずの刃はそのまま珠雫の胸を貫き、血飛沫が宙を舞った。

 





某ウィルスのせいで人件費削減の被害に遭い、暫くの間無気力になっていました。すみません。


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二十五話

 夜。

 自身が泊まるホテル周辺の公園で一輝はトレーニングに勤しんでいた。

 手には霊装ではなく一般的なコピー用紙。それを使って角材を切り捨て、次は鉄パイプを切ろうとした最中ステラと邂逅。

 お互いに翌日に対する意気込みなどを話した後、器物損壊を起こし少し格好がつかない形でステラが帰った後の事。

 

「精が出るな」

 

 入れ替わるように仁が現れた。

 

「先生」

 

「様子を見に来たんだが……」

 

 一輝を一瞥した後、公園の壁にめり込んでいる紙のボールを見て額に手を当てた。

 

「これだから火力馬鹿共は……」

 

「あ、あはは……」

 

 ため息交じりに吐かれた言葉にはえらく実感が籠もっていた。

 きっと過去に似たような境遇に遭遇したか、被害にでもあったのだろう。

 掛ける言葉が見つからず、一輝はただ苦笑する他なかった。

 

「まあいい。それより明日のことだ。単刀直入に訊こう、お前は天音(アイツ)に勝てる自信があるか?」

 

「…………」

 

 仁のその言葉に一輝は沈黙で返した。

 天音と珠雫の試合は一輝も観ており、その結果も知っている。勝負は、そう天音の勝利で終わった。

 

 ――脳裏に蘇るのはその時の光景。

 

 天音が剣を引き抜くと、赤い飛沫を撒きながら重力に従い、珠雫の身体は地に伏した。

 その身体は確かに肉を持っており、重さを宿していた。倒れた際に音も聴こえたことから実体であるのが分かる。

 つい先程まで気体の身体であったはずの珠雫が何故そのような状態になったのか、困惑の色を隠せないそれを見ていた者達。

 その中でいち早く、正気を取り戻したのは審判だ。

 

『しょ、勝者! 紫乃宮天音!』

 

 そして、勝利の宣言を受けた彼が、明日一輝と戦うことが決定した瞬間だった。

 

 

「《栄光に届きし手(ハンズ・オブ・グローリー)》」

 

「え……?」

 

「それがアイツが最後に使った伐刀絶技だ」

 

「……なるほど」

 

 伐刀絶技――《栄光に届きし手(ハンズ・オブ・グローリー)》。

 《過剰なる女神の寵愛(ネームレス・グローリー)》に、より具体的な方向性を与えることにより、さらに高い強制力を持った伐刀絶技。

 魔力によって構成された腕に触れた物を望んだ状態に出来る。

 例えば、枯れた花を瑞々しく開花させることも、湖を一瞬で氷にすることも出来る。更に凶悪な使い方としては、触れただけで相手を殺すことさえ出来てしまう。

 今回は腕に纏うような形でそれを顕現化させた為、傍目からは珠雫が『何故か気体の状態を解いてしまった』風に見えただろう。

 実際はこの伐刀絶技により、強制的にその状態に変えられただけのこと。

 種を知ってる身としては驚くようなものではなく、寧ろアレがあるから珠雫が天音に勝てる可能性は低かったことは始める前から分かっていた。

 それでも、珠雫は善戦はした。正直能力の相性的にかなり分が悪かった。

 これは珠雫だけに限らず大半の伐刀者に言えることであり、それだけ天音の異能は強力なのだ。

 あれに勝つには因果干渉すら捻じ曲げてしまう程の圧倒的な力か、天音ではどう足掻いても勝てないような存在か、はたまた因果の外にいる存在か。

 いずれにせよ、学生の時分で勝てる者は多くない。

 それは次の対戦相手である一輝とて例外ではない。

 確かに一輝は強くなっている。しかしこういった試合形式の戦いにおいて、天音の能力は強力だ。

 実戦よりも勝つ為の手段があまりにも多過ぎる。

 もし仮に天音が勝つことに執着しようものなら彼の優勝は揺るぎなかっただろう。

 しかし、天音はそれをしない。寧ろ一輝との決闘においては望んだシチュエーションすら用意しようとしている。

 自ら勝ち筋を捨てるという暴挙を行ってまで天音はそれに固執している。

 そこに勝機はある――だが。

 

「……正直、絶対に勝てると断言はできません」

 

 その固執している秘中の技がパンドラの箱である以上確実ではない。

 それを避けて戦おうにも天音の有する二つの伐刀絶技があまりにも厄介だ。

 範囲が広く汎用性に富んだ《過剰なる女神の寵愛(ネームレス・グローリー)》。

 範囲こそ狭まったが、より強力な強制力を持った《栄光に届きし手(ハンズ・オブ・グローリー)》。

 この二つをその時々によって対処しなければならない。

 しかも忘れてはならないのは、天音自身が繰り出す攻撃も速く鋭い。百発百中の投擲技術に、増殖する霊装。

 更に仁に鍛えられたことと、今回の珠雫との戦闘を鑑みるに近接戦闘にも対応出来る。

 それら全てを加味して考えると……長期戦は悪手となるだろう。

 勿論一輝もただではやられない。因果干渉を受けようとも対応して見せる気概ではある。

 しかし、そうなるとやはり問題なのは天音の地力にある。いっそ彼が鍛えてもいないズブの素人なら幾らでも対策のしようがあるが、よりによって仁とエーデルワイスという《魔人》に鍛えられたことにより地力そのものが高くなっている。珠雫の時に最後に見せた素早い動きも、一輝に劣るものの確かに《比翼》の動きだった。

 何にでも言えることだが、地力があるとそれだけ出来ることは多くなる。特訓せずに強くなるなど有りえないことだし、そんなに現実は甘くない。

 天音はそれを痛い程理解し、強くなった。

 一輝もまた同じである。だからこそ、天音が強敵だと解るのだ。

 そんな彼に対し、守りの姿勢でいって勝てるとは思えない。何より一輝自身がそれを強く痛感している。

 だからこそ、やはり彼の用意した舞台(シチュエーション)に敢えて挑まねばならない。

 勝率の問題も確かにある。だがしかし、やはり一番の理由としては『一輝自身が挑みたい』からだ。

 前述した通り、天音は勝てる手段を自ら放棄してまでその状況にしようとしている。

 端から見れば愚かにも見えるだろう。だが、そこには天音という男の矜持がある。

 そこまでの覚悟を見せられて、尚逃げの一手を選ぶことが一輝に果たして出来るのか?

 ――答えは否。

 他の騎士ならともかく、常に格上に挑み続けてきた生粋の挑戦者(チャレンジャー)たる『黒鉄一輝』がそんなことするわけが――いや、出来るわけがない。

 

「でも、負けるつもりもありません」

 

 不敵に笑い、そう告げる一輝に「そうか」と仁も口の端を釣り上げた。

 

「なら、一つ助言をしてやろう」

 

 その勝負への姿勢に気を良くしたのか仁は思わぬ発言をする。

 ……だが。

 

「『何が起きても足を止めるな』」

 

 次に出た言葉に一輝は疑問を抱いた。

 言葉の意味をそのまま捉えるのなら、天音との試合中に『何かが』起こるというのだろう。

 そしてそれは一輝ですら驚くようなものらしく、だからこその発言とも取れる。

 それ故に、前もって言ってくれたことは有り難く、素直に嬉しいが……。

 

「いいんですか?」

 

「何がだ」

 

「一応、天音くんは貴方の息子ですよね?」

 

「……ああ」

 

 逡巡し、彼が何を気にしているのか理解した。

 つまり、息子の敵である自分に天音が不利になるような事を言って良かったのか? ということなのだろう。

 確かに、明確なアドバンテージを取れるような助言ではなかったとはいえ、人間関係だけを見れば『息子の敵に塩を送った』行為そのものだ。

 一般的な親であればまずしないだろうが、生憎と仁はその『一般的な親』とは価値観が違う。

 天音に対する情は確かにある。そうでなければ、長年鍛えるようなことはしない。

 最初こそ卑屈な態度が気に食わなかったが、それも最初だけ。態度も意欲も相応のものになり、比例して力も着いてきた。

 あまり表情に出すことはないが、仁はそんな天音を高く『買っている』。

 それこそ一輝や珠雫以上に、だ。

 

「今の俺の立場は破軍(お前ら)の教師だ。であれば私情で他校に肩入れする訳にはいかないだろう。……それに少しでもハードルが上がるのはアイツにとっても良い糧になる」

 

 ――まあ、だからこそ『厳しい』わけだが。

 仁の力に対する渇望は強い。困難や強敵に立ち向かえば強くなれると思っているし、事実それで強くなってきてる。

 故に、『買っている』からこそ天音にも困難を与えようとする。況してや設備に充実した場所で行う試合だ。スタッフも精鋭揃い、死ぬ可能性はまずない。

 ならば、ハードルを多少上げた所で問題はないだろう?

 ……仁の愛の鞭は重い。

 それを理解した一輝は渇いた笑いが口から漏れていた。

 

「そ、その先生……失礼ですけど、天音くんを褒めたこととかは……?」

 

 少し気になった為問いかけてみることにした。

 元々感じていたことだがジンはかなりのスパルタ精神だ。

 それは教師や師として教える立場故かとも思ったが……。

 

「そんな暇があれば鍛えさせる」

 

「……そうですか」

 

 私生活からしてそうらしい。

 いや、曲がりなりにも一輝や珠雫は少ないながらも褒められたことはある。

 しかし、それは恐らく『教師』という立場故に行ったのだろう。

 逆に言えば、その枠組みが無くなれば、より厳しくなるということ。

 事実、先の仁の発言が物語っている。

 『褒める暇があれば鍛える』と。

 これはジン自身が、力を着けることが当たり前の環境で育ち、褒められたことがなかった背景がある為だ。

 その経験を当て嵌めているだけのこと。

 なのだが……。

 

(ああ、そうか)

 

 一輝は天音がどうしてここまで躍起になっているのかが解ってしまった。その想いには『覚えがある』からだ。

 つまるところ天音は少し前の一輝と同じなのだ。この人()に認められたいという承認欲求が彼にはあるのだろう。

 かつては自分もそうだった。

 家ではいない者として扱われ、それでも諦められない想いを胸に影ながら精進してきた。その努力は生半可なものではない。

 最底辺の総魔力量で魔導騎士に目指すなど他者から見れば正に自殺行為だろう。

 それでも、そんな自分でもやれるのだと、弛まぬ努力によりそこに至れることを証明したかった。

 ――自らを認めて欲しかったのだ。

 だが、父――黒鉄厳はそんな一輝を認めることは出来なかった。

 誤解がないように言うのであれば『息子としての一輝』は彼は認めていたのだ、しかし『騎士としての一輝』を認められなかった。

 偏に、それは彼が黒鉄家現当主であり、国際魔導騎士連盟日本支部長だからだ。

 公人として徹底していた彼は、たとえ実の息子であろうとも容赦がなかった。

 《伐刀者》としての才がないと分かっていたから他の者達と同じような鍛錬をさせなかった。才能がものをいう世界であるからこそ、余計な希望など持たせないよう徹底した。

 それこそ嫌悪しているのではないかと疑う程に。

 実際の所は、魔導騎士全体を鑑みての判断だ。

 一輝の様に与えられた伐刀者ランクに見合わない活躍をし、同等の低ランクの者が「自分にも出来るかもしれない」という希望を抱かせない為。

 誰しもが一輝みたいになれる訳ではない。結果、ただ混乱が起こるだけで済めばいいが、もし過激な思考や行動を取られると厄介だ。

 故に、厳は己の職務の責務を全うすべく、不安の種は刈り採らねばいけなかった。過去には色々と手回しをして妨害をした程だ。

 そこまで……と思うかもしれないが、それが『黒鉄厳』という人物だった。

 『私』よりも『公』を重んじ、厳格に秩序を護る。徹底した公人。

 それ故に冷徹とも見えていたが、一輝に対する情は確かにあった。

 厳が認められないのはあくまで『騎士としての一輝』だ。それ以外の道を進むのであれば厳は妨害どころか止めはしないだろう。もしかしたら、応援すらしたかもしれない。

 ただ己にすら厳しく律していた職に関することだったからこそ、厳も退かなかった。

 そして、そこに関しては一輝も同じだ。これだけは譲れないとして進み続け今此処にいる。

 ……長々と記述したが、結局の所はただ単に不器用な似た者親子なのだ。

 それに気付いたのはサラとの試合の直前と、つい最近の事だが。 

 

「先生。もし、次の試合天音くんが勝っても負けても、彼のことを褒めてあげてください」

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

「僕も長年父さんに……父に認められたいって想いがあったんです。だからか、なんとなく彼の気持ちが分かるんです」

 

 分かるから余計なお節介かもしれないが口を挟んでしまう。なにぶんそれで苦労した身だ、同じような思いを抱くものに老婆心くらいは抱いてもおかしくはない。

 なにより一輝達とは違い、こちらに関してはそう難しいことではない。

 天音には才能があり、仁もそれを認め、彼の意思も汲み取って直々に鍛えている。この時点で一輝と厳の関係より幾分難易度は低い。

 唯一の問題点は二人共素直ではないというくらいだ。

 しかし、仁はともかく天音は端から見ても慕っているのがわかる。たとえ口悪くしていても節々からそれを感じるのだ。

 

「……余計なお世話かもしれませんが、認めてあげてください」

 

 立て続けに一輝が放った言葉に仁は訝しむ。

 

「アイツのことは『買っている』つもりだが」

 

「それを本人に対して言ったことは?」

 

 畳み掛けるようなそれに対し、少し思案する。

 しかし答えはつい先程自分で語ったではないか。

 ――褒めるくらいなら鍛えさせる、と。

 認めるような発言もまたそれに類するものと考えていたはずだ。なら本人を前に言うはずがない。

 

「………………」

 

「先生」

 

 その無言こそが答えであると感じた一輝は、念押しとばかりに詰める。

 他人の家庭問題に首を突っ込むような野暮な行為だろう。しかし、万が一にも自分と父のようなすれ違いになどなって欲しくはない。

 特に、それが明日の試合で影響するのであれば尚のこと。

 

「……わかった。考えておく」

 

「ありがとうございます」

 

「ったく、なんでお前が礼を言うんだよ」

 

 一応の快諾を得ると一輝は胸を撫で下ろす。

 その(さま)に仁は呆れる。わざわざ無駄にこちらに気を回さずともいいものを。

 しかし、一輝も一輝で仁に対しては恩義を感じている。『教師』という立場故に指導するのは当然の行動だったのかもしれないが、一輝からすれば直に誰かから教えられるなど初めてのことだ。それも自分よりも格上の者に。

 だからこそ、それを返したかったという思いもある。

 

「ま、頑張ることだな」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 とかく、互いに言いたいことも終わったのか、激……というには軽い言葉を残し仁は去っていく。

 その背中に一輝は礼を言い、再びトレーニングに戻るのだった。

 

 

 

 そうして、息子と教え子の決戦が明日に迫っていく中――

 

「それで何かご用で?」

 

 一輝と十分に距離が離れた所で仁は立ち止まると虚空に向かって語り掛ける。

 果たして独り言の様なそれに応える者は、いた。

 

「やはりわかるものか、非戦闘系とはいえこれでも伐刀者の端くれなのだがね」

 

 現れたのは日本の総理大臣にして、暁学園創設者の月影獏牙その人だ。

 

「生まれ育った環境の影響でね、そういったのにはちょっと敏感なんだよ」

 

「なるほど」

 

 立場上、黒鉄家、ひいては『青﨑』について知っている獏牙は得心がいったように頷く。

 

「それで、要件は?」

 

 ただの世間話をしに来たとは思えない。

 仁についての何がしかはエーデルワイス辺りに訊ねれば答えてくれるだろう。

 そんな中わざわざ会いに来たということは、仁に対する情報ではなく仁が持つ情報が目的だろう。

 

「君に……いや『君達』について幾つか訊ねたいことがある。いいかね?」

 

 予想通りの言葉。しかし予想よりも真剣な眼差しに仁は感嘆の声が漏れる。

 使命感すら感じるそれに仁は興味が出た。

 

俺達(・・)、ねぇ……」

 

 更にはその言い回し。

 これは仁個人ではなく、他の者を含めた言い方だ。

 仁個人のことであれば妻であるエーデルワイスに、破軍の教師としてならば黒乃にでも訊けばいいようなものを、それをせずわざわざ本人に聞きに来るとは。

 つまりそれは……。

 

「そう、君達――《互眸鏡(ゲイザー)》についてだ」

 

 そのどちらとも違う面を持つ仁に対してのものだ。

 




今更だが18巻を読んだ時、黒乃のせいで『ドキ☆魔人だらけの同窓会! (身体の部位が)ポロリもあるよ!』みたいな感じの光景が頭の中に……。


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二十六話

彼女の余剰魔力で編まれた、霊装に匹敵する甲冑
原作より一部抜粋


「あ゛?」

 

 不機嫌な言葉がつい口から漏れたのは仕方がなかった。

 わざわざ早朝に新幹線に乗ってようやく会場にたどり着いたと思ったら、まさか迎えがいるとは。

 

「一ノ瀬先生、お久しぶりです」

 

 同乗してきた東堂刀華と貴徳原カナタ。その内刀華の方が仁に挨拶している。

 それに対し、仁は「元気にしてたか」とか「身体は大丈夫か」などと当たり障りのない話題を振っている。

 一見すると生徒の事を心配しているの教師の図であり、事実その通りだ。

 そこだけ見ればそうなのだが……。

 

「あら? 先生、隣の方は?」

 

 カナタが仁の横で佇んでいた白髪の美女について訊いてきた。

 

「はじめまして、私はジンの妻です」

 

 それに対して答えたのは、仁本人ではなく件の女性――エーデルワイスその人であった。

 

 そうなのだ。何故か迎えに来たはずの仁と共に彼女……エーデルワイスがいたのだ。

 にこやかな笑みを浮かべ自己紹介した彼女に対し、認識阻害の魔術が働いている二人は「いつも旦那さんにはお世話になってます」とか「噂通りお綺麗ですね」とか能天気に返している。

 ――いや待てお前ら。認識阻害受けてるとはいえ『それ』エーデルワイスだぞ? 『世界最悪の犯罪者』だぞ? なに楽しく話してるんだよ。つか、なんでいるんだよ?

 そんな事を思いながらも仁を睨むと、彼もまた困ったように頬を掻いていた。

 何考えるんだと思ったが、どうやらエーデルワイスが此処にいるのは仁にとっても想定外のことらしい。

 ちなみに認識阻害の魔術は確信が持てるものに対しては効果が薄い為、仁の妻の正体を知っている寧音は最初から見破っていた。

 じとーとエーデルワイスを眺めていると、その視線に気付いた彼女は寧音の元に近付いてくる。

 ――不敵な笑みを浮かべながら。

 

「これはこれは、《夜叉姫》。今は臨時講師をなさっているみたいで、同 僚 として 私 の 夫 をよろしくおねがいします」 

 

 ――ビキッ

 

 まるで空間というガラスに罅が入ったような音がした。

 判明。この女、牽制にきやがった。

 仁にちょっかいを掛けそうな人物として寧音をマークしていたのだ。

 仁から身の上話を聞くような機会など幾らでもある。そんな中エーデルワイスは寧音が如何に彼に影響を与えたのか、また寧音自身も影響されていたのかを察したのだろう。

 そして女の勘か、寧音の秘めたる想いを解ってしまった。

 ありえないが万が一ということもある、故に釘を刺しに来たのだ。

 

「……へぇ、それはどうも。でも意外だなー、思ってたより普通じゃねぇか? 風の噂じゃ 恥 女 みたいな格好してるってはなしだったんだがなぁ」

 

 ――ピキッ

 

 今度は何かが折れたような音がした。

 まったくの余談だが、切れ味が鋭いことで有名な日本刀の耐久性は思いの外低いらしい。

 

「面白い冗談ですね。見た目だけでなく頭も幼いのでしょうか?」

 

 笑みこそ浮かべているが、纏っている雰囲気が一瞬で変わった。

 それこそ触れようとしたらその瞬間真っ二つにされそうな鋭い刃の如く。

 ほんの数十秒前まで優しげな雰囲気だった女性が、表情を崩さず桁外れの殺気を放ったことに刀華とカナタは驚愕し、縮こまってしまった。

 

「口の悪い女だなー、こんなんが相手じゃ流石に同情しちまうぜ」

 

 寧音も寧音でケラケラ笑っているがいつ《霊装》を抜いてもおかしくはない状態だ。

 

「いつまでも昔の事を引き摺るような人よりはマシかと。なんなら私がスッパリと縁を切ってあげますか? ええ、私『斬る』のは得意なので」

 

「余計なお世話だコスプレ野郎。運良く掠め盗れただけの泥棒猫が何言ってやがる」

 

「ずっと二の足を踏んでいた人が言った所で説得力ないですよ」

 

 バチバチとそんな擬音が聴こえそうな雰囲気。

 重い、ひたすらに重い空気が徐々に広がっていく。更に殺気による影響か、三十五℃を超える猛暑にも拘わらず身体はガタガタと震えている。

 駅の近くということもあり、最初こそ野次馬がいたが、皆彼女達の殺気に当てられ蜘蛛の子を散らすように去っていった。

 遠目から見ても解る、関わってはいけないと本能が告げる。

 

「せ、先生……!」

 

 どうにかしろと言わんばかりに縋るように仁を見る教え子。

 それに倣うかのように周辺の第三者達も仁を見る。

 ――お前が原因か! だったら早く何とかしろ!

 そんな怨みが籠もった視線を一身に受け、仁から大きなため息が漏れた。

 いや確かに連れてきてしまったのは悪いと思っている。実際仁も本当は連れてくるつもりなど毛頭なかったのだ。恐らく……いや間違いなく問題が起こる。人の好意には疎い故に寧音の内心は知らないが、無駄に鍛え抜かれた第六感がそう囁いていたのだ。

 だからこそ来ないよう忠告したのだが、何故かやたらしつこく、時間だけが無為に過ぎようとしていた為、問題を起こさないように言いつけて、渋々承諾した結果が……これである。

 やはり《無欠なる宣誓(ルールオブグレイス)》による契約の方がよかったかもしれないと後悔するも既に後の祭りだ。

 

「あん? 日本人なんざみんなロリコンなんだよ! ガキの身体に欲情する変態なんだぞ!」

 

「東洋人は銀髪や白髪に惹かれるんですよ! それは色んなサブカルチャーが証明しています! もちろんエッチなの含めてです!」

 

「公共の場で何言ってんだ!!」

 

 話がおかしな方向に流れ始めた為慌てて止めに入る。

 「ババアみたいな髪の色しやがって」、「凹凸のない子ども体型ですね」と、どちらも自身の外見的特徴を馬鹿にされた故に反論したのだろうがとんでもない返しをしてくれた。

 互いに相手だけでなく何人もの通行人に流れ弾が当たっている。

 ある者は「ち、違うし、ただかわいいと思ってるだけでそんな感情抱いてねぇから!」と狼狽し、またある者は「何故わかったし!?」と慌ててケータイを隠した。

 それらの行動を見た女性陣からの視線が絶対零度並みに冷たかった事は知らぬが仏だろう。

 兎にも角にもこれ以上の放置はさらなる被害を及ぼしかねない。

 そう判断した仁はエーデルワイスの手を引き物理的に二人を離す。

 

「もうお前は先に行け」

 

「ですが!」

 

「騒ぎ起こしてアイツの試合無くなってもいいのか?」

 

「う……それ、は……」

 

 それでもまだ食い下がろうとする妻に向け、息子の件を出す。

 本日の準決勝第二試合。それが一輝と天音の試合だ。

 そして今日の解説に呼ばれているのは寧音。多少の遅れとかならまだしも、流石に暴れたりしようものなら解説という立場上、試合に影響がないとは言えない。

 その言葉に頭が冷えたエーデルワイスは、身なりを整えた後咳払いを一つ。

 

「……わかりました。では先に行っています。……皆さん、失礼しました」

 

 そう仁に向けて言った後、刀華やカナタ、周辺の人に向け、先程までの非礼を込め頭を下げてからその場を後にした。

 その際寧音に関しても『形だけ』は行うものの、明らかに目は敵と捉えたままだった。

 やはりその心にまだ『未練』があることを見抜いたが故だ。

 曲がりなりにも母親としての自覚はある為最低限の線引きはしたが、同時に女として譲れないものもあるのだろう。

 寧音も寧音で、相当頭にきていたのか、唾を吐き捨てるわ、舌を出して中指を突き立てるわとかなりの悪態をついていた。

 その姿を見て、何処までも相容れないなと軽く現実逃避をしたくなった仁。

 頭を痛めながらも何とか事態を収拾させると、未だ膨れている寧音に向き直る。

 

「あん? なんだよ」

 

 相も変わらずの喧嘩腰。ただいつもより五割増しで不機嫌だ。

 

「あー……悪い、別に喧嘩させたかったわけじゃないんだ。ただ、まあ御しきれなかったというか……」

 

「はん! テメェの女房なら手綱くらいしっかり握りやがれ」

 

「……ホント、すまん」

 

 返す言葉もなく素直に謝る。

 今までは運良く会わずに済んでいた為少しだが楽観視していた。実際に会って問題は起こるだろうが、多少手を焼くくらいだと思っていた。

 だが現実は予想の斜め上を行くレベルで互いにヒートアップした。

 いや、騎士だ伐刀者だとかではなく単純に女としての争いというか、罵り合いというか……。もはや引くレベルに凄まじい応酬にはただただ唖然とする他なかったわけで……。

 少なくともエーデルワイスがあそこまで積極的に仕掛けにいくことはそう多くない。

 まあ、それだけ彼女からみたら寧音が持つアドバンテージや想いは油断ならないと判断したのだろうが。

 

「……ああ、そうだった」

 

 一連の出来事のせいでつい忘れそうになってしまった。

 元々の目的を思い出し、『それ』を寧音に渡す。

 

「? なんだぁ」

 

 渡されたのは折り畳まれた一枚の紙。折り目正しくされており、渡してきた人物のマメさが伺える。

 

「うちに鞍替えか?」

 

「んなわけあるか」

 

 暗に恋文かと問うと、刹那の早さで返された。

 そんなもの渡そうものならその時点で《無欠なる宣誓(ルールオブグレイス)》の誓約に引っ掛かりめでたくあの世行きだ。

 無論、そんな事態にはなっていない以上は『それ系』の物ではない。

 

「今日の試合の解説はお前だろ」

 

 本日行われる準決勝、二試合共に解説は寧音だ。

 

「解説が『わかりません』じゃ色々と問題あるだろうからな、念の為にな」

 

「ふーん、そうかい」

 

 興味無さげに、しかし渡された紙はきちんと懐にしまった。

 仁の事だからまたおかしな技能でも身につけて、それを誰かしらに教えたという所だろう。

 付き合いの長い寧音からすると仁が突飛な芸やら技能やらを手にするのは別段珍しいことではない。何かしらからインスピレーションを受けるのは過去何度もあったことだ。教師にもなった以上それらを誰かに教えるのは十分考えられる。

 だから言及する気はない。

 まあ、その相手が天音で、エーデルワイスとの義理の息子だと知ったらまた面倒な問題が発生していただろうから、仁としては大いに助かったわけだが。

 それから更に言葉を交わすこともなく寧音もその場を後にする。

 

「さて、俺達も向かうとするか」

 

「あ……はい」

 

 その姿を見届けると、仁は残った刀華とカナタに向け言葉を投げる。

 エーデルワイスと寧音の剣幕に気圧されていた二人は仁の呼びかけで我に返る。

 解説として呼ばれている寧音とは別に、こちらは観客席からの観戦だ。

 仁はこれまで通り妻と共に観ることになる為途中から分かれることになるが、それまでは同じ道順だ。

 何事もなかったかのような変わり身の早さに肝が据わっているのか鈍感なのか……。

 ともかく、試合が始まる前になんとも凄まじい台風に巻き込まれた二人……いやその付近にいた者達は皆予想外の無駄な気疲れに見舞われる事になってしまった。




エーデルワイスのあの甲冑がな○はのようなバリアジャケット的な感じの『変身系』なのか、それとも本当に文面通りの意味でただ『そのまま着ている』だけなのか、それによって見方が変わりそう……。
とりあえず、この作品においてはバリアジャケット的な感じにしておこう。一応人妻だから、義理とはいえ子持ちだから。体裁は気にしないと……。


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二十七話

「《ドラゴン》か」

 

 準決勝第一試合が終わり、終始の過程を観ていた仁はふと呟いた。

 

 第一試合はステラ・ヴァーミリオンと黒鉄王馬の対決だ。

 王馬は一輝と珠雫の兄であり、学生騎士という時分でありながら既にAランクの認定を受けている。

 幼少より『黒鉄』の英才教育を受けた彼は、周囲の期待以上に強く成長した。それこそ小学最高学年の時に連盟主催で行ったU−12世界大会を制す程に。

 だが、それでも王馬は現状に満足することなく、寧ろそれらすら『鍛錬の延長』でしかないと悲観して、日本から飛び出し世界を渡り歩いていた。

 その心意気、強さへの執着はわからなくはない。……だが同時に、彼のそれは『驕り』でもあると考える。

 なにぶん彼の近くにはその求める環境の一つがあった。仁の古巣『青﨑』だ。

 少なくとも彼が『刃抜き』などど蔑称したような温い環境ではない。常に生死の駆け引きがあり、力がものをいい、『敗北=死』であるそこは正に強者以外は許されない世界だ。

 まあ元々『青﨑』自体が日陰者であり、知っている者からも忌み嫌われるような一族であった為、まだ小さかった王馬が認知していたかは定かではない。

 しかし、仮に知っていたとしてもあの様子では見下していた可能性はある。

 『暗殺者』など闇夜に紛れ隙を突いて殺す臆病者という印象かもしれないし、その考えは間違いではない。だがその為の技術は無論欲しく、一朝一夕で身につくものでもない。更に一撃一撃を必殺とする彼等のそれは下手な剣戟よりも恐ろしい。

 あと『青﨑』に関しては、集団や軍団のような複数人を相手に一人で制圧するような状況など日常茶飯事だ。少なくとも仁はもう数えるのを止めている。それだけ多いのだ。

 『青﨑』に限った話ではないが、日本には似たような組織はまだあるだろう。

 それに見向きをせずに外に飛び出したのを浅慮だと思わなくはない。

 とはいえ、結果論として彼は《風の剣帝》という二つ名を持つような実力者にはなったのだが……払った授業料は高かったようだ。

 結局の所《暴君》という大海の前に彼は為す術もなく大敗した。裏社会の頂点に君臨していると『されている』者により、如何に自分が矮小な存在なのかを思い知らされることとなった。

 その恐怖が彼をより高みへと登らせる原動力と化したのは皮肉でしかないが……。

 それを契機に彼は強靭な強さに焦がれるようになり、自らの風の異能を使い、肉体に負荷を掛けて戦い続けるという暴挙すら得て己の肉体を進化させた。

 見た目とは裏腹にその体重は五百kgに及び、筋密度と骨密度が常人の数十倍に達する程の劇的な『進化』を果たした。

 そうまでして得た肉体はパワーに自信のあるステラの一撃すら耐えうるものであり、その彼女を会場ドームの壁を打ち抜いて叩き出す程の膂力だった。

 純粋な人体の力だけでそれを成し遂げるものは、《魔人》の中にもそうはいない。

 《魔人》とはまた違うベクトルで人智を超えた力を得た王馬だったが……今回ばかりは相手が悪すぎた。

 相対するステラは確かに王馬の常軌を逸した肉体に驚愕こそすれ、怖れを抱くことはなかった。

 西京寧音という破壊の申し子の如き伐刀者。その元で修行し彼女の才能(原石)は宝石へと昇華した。

 『炎』なぞただの一側面に過ぎない。ステラの真の異能は《ドラゴン》の概念干渉系であった。

 つまり、今までは知らず知らずの内に炎のみを制限していて使っていた、ある種の縛りプレイの様なもの。

 その枷から解き放たれた彼女の力は正に暴竜そのもの。

 いかに獅子が如き強さを得た王馬とはいえ、相手は神話の幻想種、それもその最上位に位置するもの。百獣の王ですら小猫扱いだ。

 事実、ステラが伐刀絶技《竜神憑依(ドラゴンスピリット)》を使い、ドラゴンの力を解放してからは一方的であった。

 鋼の如き肉体は一変しズタボロにされ、骨は砕かれ、罅が入り、肋骨などは無事な所はない。どう見ても即搬送される重態だ。

 それでも倒れることなく、最後の最後まで対峙したのは単純に『意地』だ。

 無様に負けるなど認めない。他者が良しとしても自分自身がそれを許せない。

 彼の根底にあるのは遥か昔に抱いた幼稚ともいえる願望(願い)だ。しかしそれを原動力にここまでこれたのもまた事実。

 たとえ窮地になろうと、本能が勝てないと判断しても、黒鉄王馬は最後まで暴竜(ステラ)に挑んだ。

 その結果は、途中から大多数の者が思った通りステラの勝利に終わったが、しかし王馬にとっては悔いのない戦いだった。

 会場も想像を超えた一戦に、試合が終わった後だというのにも拘わらず、熱気は冷めない。

 そんな周囲と対象に、静かに見守っていた仁は、試合が終わり去っていくステラの背中を見ながら冒頭の言葉を呟いたのだった。

 

「意外でしたか?」

 

「……まあな」

 

 隣に座っているエーデルワイスの言葉に仁は頷く。

 元々ステラが純然たる炎の使い手でないことは分かっていた。ステラ程の魔力の保持者が使うにはいくら何でも低い(・・)のだ、温度が。摂氏三千度は確かに脅威的ではあるが、仁はそれを超える火力を扱う者を知っている。それと比較すると純然たる炎……上限のないエネルギーの使い手としてみるとステラは格落ちする。確かに比較対象は《魔人》だが、それを考慮してもステラの馬鹿げた魔力量は目に余る。

 もし本当にステラが炎の使い手なら最大火力は今の倍はなくてはおかしいのだ。

 周りに気を使って制限しているかもしれないと思って、一度《胡蝶の夢》の空間で全力を出させたのだが、それでも少し上がる程度。圧倒的な威力や熱量は確かに素晴らしくはあったが、しかしステラの魔力量で扱うにしては摂氏自体は低いのだ。

 だから異能が炎でないことは前から知っていた。

 故にそこはいい。今更驚く所ではない。

 問題はそう、真の能力である《ドラゴン》だ。

 ドラゴン。日本語にするなら()。その意味合いや存在は東洋で西洋では大きく異なる。

 東洋において龍は神聖なもの、神や水の化身の様な扱いであることが多い。

 逆に西洋においては悪しきもの……怪物(モンスター)としての面が強く、神話等では英雄により倒される強大な敵として描かれることが多い。

 姿に関しても西洋の竜は翼の生えた巨大なトカゲのようなものに対し、東洋では蛇や鹿や虎等の様々な動物の特徴を持った複合生物(キメラ)に近い。

 同じ名前の幻創種でありながらも、その役割や容姿は乖離している。

 そしてステラの宿した《ドラゴン》の概念は西洋に伝わる物だ。

 山の如き巨体、それを浮かすことが出来る強靭な翼、口からはあらゆるものを焼き尽くす炎。

 神話における圧倒的捕食者、その頂点。

 その力を宿しているとなればステラの馬鹿げた力も納得がいく。

 

「――酷な事を」

 

 だが同時に、どうしてステラが世界最高の魔力保有者なのかも理解した。

 《ドラゴン》という概念に干渉する能力だから。それは半分は正解だ。

 ステラは言った「神話の世界に住まう頂点捕食者の力をその身で体現する能力」と。

 しかし、彼女は果たして正しく理解しているのだろうか、『概念』の意味を。

 概念とは物事のなんたるかを指す言葉だ。認知した事象に対して、抽象化・ 普遍化し、思考の基礎となるもの。

 例えば火の概念は熱いものを連想する為の『熱』、何かを燃やすことから『焼却』する力。そして目に見えずとも関連性からその言葉を表せる『命』や『魂』にも関与できる場合がある。

 概念干渉系の多くは自らの能力を正しく理解しなければいけない。それが出来ること、それが持つ性質。

 その見極めこそが能力をより強く、昇華させることが出来る。

 サラはその最たるものだ。彼女は《色》の概念の使い手であり、色に込められた意味を理解し、『絵』により更なる昇華をさせた。

 彼女の場合は元が画家ということもあり、性質をよく理解していた。だからあれほどの事が出来た。もし、彼女と同じ能力を持ったものがいたとして、同様のことができるかと問われればまず無理だろう。

 

 ではステラはどうか?

 確かに《ドラゴン》は彼女の言う通り神話においてですら捕食者の頂点だ。強靭な肉体も、強力な吐息(ブレス)も正にその通りだ。

 故にこそ、神話においてもその存在は特別なものとされる。

 そこは正しい。

 しかし、彼女はあくまで《ドラゴン》の性能(スペック)のみを注視していないか?

 確かに彼女が弟子入りした寧音は自然干渉系である為概念干渉系に対する理解度は足りないかもしれない。ステラ自身も今まで自分は自然干渉系だと思っていたのだから仕方ないのかもしれない。

 それでもステラはもっと視野を広くしなくてはいけない。

 ――概念とは力ではなく性質である。

 そして性質とは役割でもあるのだ。

 炎の役割は何だ? 水の役割は何だ? 風の役割は何だ? 色の役割は何だ? 音の役割は何だ?

 この世界にあるもので役割を持たぬものは存在しない。それは空想上のものですら同じだ。

 さて、では問おう。

 神話の……『物語』における《ドラゴン》の役割とは何か?

 ステラは理解しなければいけない、思考を止めてはいけない。

 《ドラゴン》の力を宿したから最強の魔力を持ったのではない。

 散々言われ続けていたではないか。魔力とは世界が課した運命だ、その重さなのだ。

 では、《ドラゴン》の役割を与えられたステラの運命とは……?

 もしだ。もし、このまま彼女が己が宿した概念の性質、役割をちゃんと理解出来ないままだったとしたら……。

 それは実に……(むご)い話だ。

 

「……ジン」

 

 哀れむようにステラの背中を見ていた仁の手を静かに握る。

 ステラと関わりがなければただただ「憐れな子だ」と吐き捨てるだけで済んだだろう。

 しかし教師と生徒という関係。それによって生まれた情は、なかなかどうして簡単には捨てきれない。

 魔力(運命)は他人がどうこう出来るものではない。

 仮に《覚醒》を果たし、それをどうにか出来たとしても、やはり一番の問題はその概念の性質だろう。

 

「……《最古の魔女》」

 

 仁を除いて、その事を理解しているであろう人物がもう一人。

 風祭凛奈とその従者シャルロット・コルデーを伴い試合を見ていた《最古の魔女》は、実に愉快そうに口の端を釣り上げ、そのくすんだ金貨の様な目を反対の席にいた仁に向ける。

 概念干渉系の頂点に君臨する者の目を欺くことは出来ない。

 間違いなくステラは《選考》の対象となる。

 仁が反対した所で結局は多数決で決まること。どうにかして打開策を考えなくてはいけない。

 仁の不安を表すように、空は曇り始めてきた。



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二十八話

「来たねイッキ君」

 

 準決勝第二試合。

 雨が降り出しそうな天候の下、一輝は本日の対戦相手である天音と対峙する。

 

「天音くん」

 

 紫乃宮天音。

 暁学園の生徒にして、仁の義理の息子。

 強力な因果干渉系の能力は勿論、なにより仁とエーデルワイスにより鍛えられたのが顕著な少年だ。

 異能ばかりに目がいきがちになるが、身体能力も侮れない。少なくとも投擲に関しては一輝よりは上なのは確実だ。

 もし異能と掛け合わせて来られたら、一輝が本領とするクロスレンジでも苦戦する事だろう。

 非常に厄介な相手だ。

 故に、一輝が取る手は一つしかない。

 

「待ってたよ! この時を! キミと戦えるこの瞬間を僕は待っていたんだ!」

 

 その思惑を察してか、天音は歓喜の声を挙げる。

 一輝が天音に勝つには《一刀羅刹》による最速の一撃。これしかない。

 それを天音は理解しているのだ。

 何故なら『その為』に敢えて自分の手の内を見せたのだから。

 珠雫との戦いにおいても本来なら《栄光に届きし手(ハンズ・オブ・グローリー)》を使わずとも勝てたのだ。

 しかしそれでは、今と同じ状況にすることは出来ない。

 《過剰なる女神の寵愛(ネームレス・グローリー)》は確かに強力だが、それだけでは一輝を追い込むのは難しい。外的要因のミスが発生した所で一輝ならば対応出来るだろう。それを用いた近接戦をしたとして苦戦はしよう。

 だが、あくまでそれだけ(・・・・)だ。

 『そんなもの』一輝は何度も潜り抜けてきた。ならば今更そんなことで窮地に立つなどありえない。

 だからあと一押しが欲しかった。

 《過剰なる女神の寵愛(ネームレス・グローリー)》よりも強力な強制力を持つ伐刀絶技。

 それすらをも以って天音は自ら望んだ状況にした。

 この状況は異能で願って手にしたものではない。己が絶えず研鑚し、鍛え上げ、身につけたそれを誇示してどう対応するかまで見据えた上での結果(予測)だ。

 望むものに対し、異能を使うか使わないかの違いだが、天音にとってその選択は大きな意味があるものだった。

 

「約束通り見せてあげるよ……アイツの、そして僕の《魔剣》を」

 

 故に今の天音のコンディションは過去最高だ。

 《アズール》を一本顕現させると、胸の前で横倒しにするように構えた。

 耳障りな観客からの歓声(雑音)も、やかましく響く実況の声(騒音)も、天音の耳には入って来ない。

 

「うん、楽しみだよ。だからこそ僕は、僕の最弱(最強)を以ってキミの最強を打ち破る!」

 

 同じく一輝も《陰鉄》を顕現させ正面に構える。

 コンディションというのであれば一輝もまた同様。

 《比翼》を破ったという魔剣。剣士であれば興味がない訳がなく、しかも実際に対峙出来るとなればその興奮は一際だ。

 互いに自然と口の端が釣り上がる。

 歓喜する両者だが、一つだけ懸念があった。

 それは――

 

『それではこれより、七星剣武祭準決勝第ニ試合を開始します!

 Let's GO AHEAD――ッ!!』

 

 待ち焦がれたにも拘わらず勝敗は一瞬で終わってしまうという所だ。

 

 ――《一刀羅刹》

 

 開始の宣言と同時に一輝は刹那の一閃を打ち込み。

 

 ――《無動砕》

 

 天音は微動だにせず(・・・・・・)それを迎え撃つ。

 

 そして、試合開始から一秒もせずに光も音も置き去りにした衝撃波がリング上に発生し、それが伝わった後(・・・・・)に音や光が遅れて届いた。

 

 

 

 何が起きたのか。

 多くの観客達は呆然としていた。

 審判の開始宣言と同時に、身体に伝わった衝撃。それを自覚する前に、爆音と極光が耳と目を奪った。

 数秒の遮断。それが終わり、再び彼等が目にする事になった光景。

 

「なんだよ……これ……」

 

 誰かの口から漏れたその言葉は、正に観客全員の総意とも言えた。

 理解が出来ない。何でこんなことになっているのか分からない。どうしたらたった一合斬り合っただけでこんな惨状になるのか……。

 そんな疑問しか浮かばない理由は彼等の眼前にあるリングに……いやリングだった物(・・・・・・・)が原因だ。

 ほんの数秒まで、歪みも凹凸もない真っ平らなリングだった。それがどういう訳か、爆弾でも落とされたかのようにクレーターになっていた。

 リングと場外の境すら越え、半円状に抉られた破壊の痕跡。

 あるのは瓦礫と化したコンクリートの山と、それに紛れ混んでいる土石。

 砂塵が舞う為、全容は見えないが、断片的にでもそれが確認出来てしまう惨状。

 強力な魔力同士のぶつかり合いでも起きたのかと言わんばかりのそれに観客は皆唖然としている。

 破壊力を物語っているのは地上だけではない。何人かは気づいているが、先程まで空を覆っていた厚い雲が、破壊痕と同じ範囲だけなくなっていた。

 

『……っ!? あ、あまりの事態に少し呆然としていました! 申し訳ございません! い、いや……しかし、一体何が起こったというのでしょうか? 解説の西京先生』

 

 我に返った飯田は、事態の確認をするべく隣に座っていた寧音に問い掛ける。

 自分に分からずともランクAの騎士である寧音ならばと思っての事だ。

 ――しかし。

 

「…………あの野郎……!」

 

 彼女はいつの間にか手に握っていた紙を眺めながら、小さく悪態をついていた。

 

『あ、あの、西京先生……?』

 

 眼前にある光景が見えていないのかと再度訊ねる飯田に、寧音はギロリと睨み返す。

 怒気を孕んだそれに一瞬怯んだ飯田を見て、寧音は目を閉じた後ため息を吐いた。

 

『しつけぇな、聴こえてるっつの。ウチも遭遇したことのねぇもんだったからちっとばかし驚いただけだ』

 

 頬杖をしながら吐き捨てるように言うと、読んでいた紙を背面に投げ捨てた。紙は舞うこともなく、強力な力で圧縮されていき、瞬く間に豆粒以下にまでなってしまった。

 

『西京先生ですら見たことがない……? で、では!? 何が起きたのかわからないのでしょうか!』

 

『んなことは言ってねぇだろ』

 

 実際の所、寧音の目でも二人の姿を捉えることは出来なかった。一瞬の事だが、姿を見失ったというより忽然と消えたようなもの。

 《一刀羅刹》を使った一輝だけならばまだしも、問題は全く動いていない天音も消えたのが腑に落ちない。

 その疑問点もつい先程まで読んでいた仁からの手紙で絡繰は理解出来たが。

 ……もっとも、だからといってそれで納得がいくかと問われれば首を横に振るだろう。

 それだけ書いてあった内容はあまりにもバカげたものだったのだから。

 

『人間が見ている世界ってのは全く同じだと思うかい?』

 

 未だ舞う砂塵により、安否の分からない二人。彼等が姿を現すまで、その『バカげた』説明をする羽目になった。

 

 

 

「……貴様こうなるのが分かっていたな」

 

 観客席。ステラや珠雫、アリスと共にいた黒乃が振り向きざまにそう言った。

 その言葉を向けられた相手である仁は一人、彼女達の下に来ていた。

 

「師匠、どうして……」

 

「ああ、俺等のいた位置だと見え辛いと思ってな」

 

 黒乃より先に珠雫の疑問に答えた仁は、次いでその黒乃に視線を向ける。

 ちなみにエーデルワイスは、天音の姿を確認出来る所を探しに行ってる。エーデルワイスは天音の安否、仁は両者共の安否確認の為別行動中である。

 

「私や係員よりも早く障壁を張ったのはお前だろう」

 

「まあ、そうだな」

 

 先の強力な衝撃波。

 本来なら黒乃を筆頭とした大会の係員が対処しなければいけなかったのだが、あまりの突飛な状態だった為に反応が遅れてしまった。

 いや、そもそもの話。一輝しかり天音しかり、ステラや王馬の様な物理的に周囲を巻き込むタイプではない為、先の衝撃波は不意打ちもいいところだ。

 予備動作もほとんどなく、光や音すらも超えて襲ってくる衝撃波に対応出来るような者など、黒乃が知る限りいない。

 それが出来るとすれば『次に何が起こるか知っている』者だけだ。

 リングを破壊尽くす程の衝撃から観客を守ったのは銀の魔力光(オーラ)の障壁だった。

 黒乃が把握している中でその魔力光を持っているのは、現時点では仁のみ。

 ならば、そう考えるのは当然の事。

 

「とはいえ、俺も驚いているがな。まさか本当に成功させるとは……」

 

 手すりに肘を乗せ、砂塵が舞い続けているリングを眺める。

 言葉とは裏腹に口の端が釣り上がっている。機嫌が良いと取るべきか、楽しんでいると見るべきか。

 その姿に黒乃はため息を漏らした。こういった所はやはり変わっていないな、と。

 

「それで、なんだアレは?」

 

「その辺りについては『解説役』が答えてくれるだろう。ま、詳細まで語れるかは分からないがな」

 

 呆れつつもした質問に対し、仁は実況席を見ながら答えた。

 それと同時に、寧音の声が聴こえてきた。

 

 

 

『見てる世界、とは……?』

 

『そのままの意味さ。ウチやアンタが認識しているものは全く同じかってことさ』

 

 唐突な話に飯田は困惑するものの、逡巡し答える。

 

『それは、同じではないでしょうか? 少なくとも同じ対象を見ているのであれば間違いないのでは?』

 

 象やキリンを見て間違える人はいないだろう。

 現在の状況に関しても、眼前にある巨大なクレーターを見間違える訳がない。

 だから『同じ』だと飯田は答えた。

 

『ああ。それは間違っちゃいないが、ウチは『全く同じ』かって訊いたんだぜ?』

 

『え……?』

 

 例えば、雨上がりの虹を見たとしよう。多くの人はそれを七色で綺麗だと答えるだろう。

 では、もしその各色を正確な色で表して欲しいと聞かれた際全く同じものを選ぶことがあるだろうか?

 赤や青といった大きなカテゴリーだけでなく、より詳細な薄紅や群青といった鮮度の違った細かい色彩を幾つも用意されて選ばせたら全く同じ物になるのだろうか?

 恐らくそれは不可能だろう。何故ならそれは視力の違い……だけではない。

 感じ取れる光量は人によって違う。育った環境や目の負担、生まれ持った物によっても変わってくる。

 何もこれは色だけに限った話ではない。

 例えば、何かしらの事件の犯人の目撃情報を集める時も、全く同じ情報が出る訳ではない。それは各々が常日頃から注視する所が違うからだ。

 騙し絵等にも同じことが言える。同じ物を見ているはずなのに、正解が分かるまで各々違った見え方をする。

 同じ対象物を見ようとも感じ方は人それぞれであり、事実違って見える場合もある。

 ならば『全く同じ』とは言えないのではないか?

 

『確かに、そうですが……それとこれとは』

 

『関わってくるのさ、厄介な事にな』

 

 納得しかけるも、関係があるのか? と疑問を抱いた飯田。

 その言葉に寧音は首を横に振る。

 それら――『認識』とは厄介なものであり、それがズレたり、誤ってしまうとそのまま間違って処理されてしまう。

 武術の世界でも同じだ。最たる例として挙げるのなら《抜き足》だろう。

 あれもまた高等な技術によって他者を誤認させる術の一つなのだから。

 

『で、ではこれはそれらと同じ……』

 

 《抜き足》は確かに高等な武術だ。それ故に扱えるものはそう多くはない。しかし、その技術の応用でこんな事が出来るのかと問われれば否だろう。

 《抜き足》はあくまで歩法の一つ。誤認をされる事は出来るが、その技術そのものは他者を傷つける為のものではないのだ。

 

『ああ、『共通認識』、『世界との差異』、『矛盾』……過程は色々とあるが、下地(・・)は間違いなくそれさ。ただやってる内容があまりに奇天烈過ぎて理解出来る奴なんざいねぇだろうがな』

 

 だがしかし、寧音の出した答えは是だ。

 いや正確には『意図した認識の誤認』のみと答えるのが正しいか。

 何せ天音が……いや仁が編み出した《無動砕》は本質は同じだが、やっている事は真逆なのだから。

 《抜き足》が『動』によって他者を誤認させるのならば、《無動砕》は『静』によって世界を誤認させる術だ。

 とはいえ、それを言った所で理解できるものはいない。

 その領域に踏み込めるのは当事者達だけであり、第三者は観測が出来ないのだから。

 

『細かいのや難しく考える必要性はねぇよ。実際やった事は単純。要はただのカウンター(・・・・・・・・)だ。そこにその技術をぶっ込んだだけさ』

 

 そう。複雑で高等な技術を用いようとも、行ったことはシンプルなのだ、ただ相手に合わせてカウンターをしただけ。

 天音が何をしたかは寧音が口頭で説明したが、それでも完全に納得は出来ないのだろう、「は、はぁ……」と曖昧な返事しか返って来なかった。

 

(ま、仕方ねぇか)

 

 仁からの説明文を読んだ寧音でさえ、頭を抱えたくなった内容だ。

 大雑把に説明するならこの辺りが限界。深堀りをしようものなら余計混乱するだけであり、研究者とかならともかく一解説者としての仕事ではないだろう。

 

(ったく、こんなメンドーなもん押し付けやがってクソが)

 

 説明を丸投げした当人に対し、心の中で悪態を吐く。

 そんな荒れるような心境とは真逆に、リングを覆っていた砂塵が晴れていった。




たぶんあの世界なら出来ると思うけど、ひたすら説明が面倒な技。


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二十九話

自分で作っておいてなんだけど説明が難しいな、この技……。


 それは何度目かの死合を終えての事だ。

 

 自分と相手は果たして同じ『世界』を見ているのか? そんな疑問を抱いた。

 音すらも発せずに、超速で動く彼女は自分と同じ時間と空間を認識しているのか?

 もしそうなら何故こちらは捉えられないのだろうか?

 もし違うのなら、その『視点』を自分も得ることが出来ないだろうか?

 実に馬鹿げた考えだ。

 ロケットに乗っている者と、外から観測している者が同じものを見れる訳がない。

 子供でも分かることだ。

 しかし、そのロケットに対して自分は徐々に対応できるようになっている。

 『視る』のではなく『感じる』ことで対処が出来ている。

 普通ならあり得ないかもしれないが、事実出来ているのだ。

 だがそれでも防戦一方。反撃は出来ず、ジリ貧になる。

 そんなどん詰まりの状態だからか、思わず馬鹿げた思考になってしまった。

 それに気付いた時点で、止めればいいのに、頭の中では色々と錯綜していた。

 そうして考えている内に、ふとある言葉が浮かんだ。

 よく速いものに対して『世界を置き去りにする』などという形容が使われている。

 ただの形容と言われればそれまでなのだが、そこで自分の異能のことが引っかかった。

 概念干渉系に分類される力。概念とは性質であり、目に見えないものすら含む場合がある。

 古来より言葉には力が宿るとされており、日本には『言霊』という概念がある。

 目に見えないものでも概念は存在し、言葉には力が宿るとされる。

 ……もしや、あまりに速過ぎると本当に『世界を置き去り』にするのではないだろうか?

 実際音速の壁は存在し、それを突破することは可能だ。似たようなことを出来ても不思議ではない。

 ならば自分も同じような状況に到れるのではないだろうか?

 突拍子も無い埒外な思考だが、彼女への対策としてはどんなものでも試す価値はある。

 だが速さに関して、彼女と同等には到れない。それは《第六感応》を発現させる際に感じたことだ。

 では、どうすればいいか?

 長考の末に彼は一つの案を思いついた。

 

 ――そうか、ならばこちらは逆に『世界から置き去り』にされよう。

 

 もしそこに第三者がいたら「お前は一体何を言っているんだ?」と訝しまれたことだろう。

 それだけぶっ飛んだ答えを導いてしまったのだから当然だ。

 しかし、そこには彼なりの理由もあった。

 静と動は対照的ではあるが、世界はちゃんとその二つを包容している。どちらか片方だけが存在しているわけではない。

 如何に止まっているかのように見えても、実際は劣化や摩耗という『動』を含んでいる。それは例え『死』であろうとも同じ。死とて所詮世界の中の流転の一つに過ぎないとある《魔人》は語っていた。

 完全な『止』は存在せず、だからこそ静と動は世界に包容される。

 エーデルワイスの《比翼の剣》もそうだ。0から100へと瞬時に行うそれだが、その0とて完全な零ではない。肉体はちゃんと生命活動を行っている、鼓動も呼吸もしている。無論血液や細胞が止まっているわけでもない。

 あくまで限りなく0の状態――予備動作を必要としないというだけであり、世界最強とされる剣士ですら完全な零には到れない。

 元より生命にとって生とは則ち動くことであり、死とは則ち動かなくなることだ。

 生命としての正しい活動を、エーデルワイスは最大限にまで引き出しているに過ぎない。

 それに掛けた時間と練度により、後追いする者が彼女を追い越すことはまず不可能だろう。

 故にこその考えだ。追いつけないのであればそもそも動かなければいい。

 動の極地ともいうべきそれに、静の極地ともいうべきものをぶつける。

 ――矛盾。

 『世界を置き去りにする者』に『世界に置き去りにされた者』を相対させる。

 ――矛盾。

 別のベクトルで『世界』から外れた者達が、その外れた側という『共通認識』を以てば知覚出来るかもしれない。

 ――矛盾。

 考えれば考える程生じる矛盾。しかし人間なぞ思ったことと実際に行動することが乖離する場合もある。元より矛盾を孕んだ存在だ。であれば、可能性が皆無ではないはずだ。

 

 とはいえ、そもそも静の極地など果たして存在するのかという所から始まるのだが。

 《比翼の剣》の対となる考えた場合、生命活動とは真逆となる。

 自らの動きを全て止める。筋肉や、呼吸だけでなく、血液や細胞、毛先一本に至るまで全てだ。

 それを行うということは、つまりは行き着く先は『死』でしかない。

 『勝つ為に死ぬ』なぞ正に矛盾している。狂気的ともいえる。『死ななければ負けではない』という信念を持っていた過去の自分が糾弾している。

 だがしかし、それを利用しなければ出来ない以上避けては通れない道だ。

 なればこそ、彼は嬉々として臨んだ。過去の自分とも決別した。

 幸い自分の異能を以ってすれば、最悪の状況は避けられる。

 途方もない苦難が待ち受けているが、その程度で手に入れられるのであれば安いものだ。

 

 そうして編み出した技こそが《無動砕》。

 『静』の極地に到ろうした結果、最早それは『静』ではなく『止』に到る境地。『動』により命を繋ぐ生命が決して踏み入れてはいけない領域。

 最強の剣士に勝ちたいが為だけに人の……生命としての範疇を超えてまで得た力。

 そこまでして得ても、その力は対極に位置するものにしか効果はない。完全な《比翼》に対してだけ使えるカウンター(メタ)

 

 まさか自身以外が使うのを見る日が来ようとは、当時の仁は知る由もなかっただろう。

 

 

 

「――……っ……!?」

 

 息を吸うと同時に目が覚めた。

 一体どれだけ気を失っていたのだろうか?

 そう思ったのは紛れもなく意識が飛んでいたからだ。

 

(僕は、一体……?)

 

 幾つもの亀裂が入った《陰鉄》を握り、振り下ろした形で身体は止まっている。

 

「ぐっ……ぅ……!!」

 

 動かそうとして、激痛が身体を奔った。

 膝を着きそうになったが、《陰鉄》を地面に突き刺し、杖の代わりにすることでなんとかそれは間逃れた。

 試合がどうなったかはまだ分からないが、自分が未だにリングにいるのは確かだ。

 爆弾でも落ちたかのように抉られて、最早見る影もないが、未だに観客はいる。だから間違いなく、試合の最中だ。

 ざわざわとどよめく観客達の声が耳に入る。

 皆、この惨状に驚いている様子。

 それはそうだろう。一輝ですら自分達の必殺の一撃の衝突でこんなことになるなど想像していなかったのだから。

 

(そうだ、確か……)

 

 そこで思い出したのだ。

 試合開始と同時に自分が《一刀羅刹》を使ったことを。そして、天音が例の『魔剣』を使ったのも感じ取った。

 《無動砕》。あの技を使われた瞬間、一輝の見ていた世界は突如一変した。

 世界を遠く感じた。音はなくなり、周囲は色彩がなくなり、あらゆる像が失せていた。

 そして全力で踏み込んでいるにも関わらず、何故か天音との距離が遠退いていた(・・・・・・)

 本来ならあり得ない事象。存在しないはずの距離が生まれていたのだ。

 驚愕すると同時に理解する、これが仁の助言の正体だと。

 二の足を踏みそうになったが、止まらなかったのは事前に彼の言葉を聞いていたからだ。

 そうでなければ、足が止まっていたかもしれない。

 だが、そうして駆け続けようとも中々その差は埋まらなかった。

 本来なら一秒と掛からずに到達する距離。それに一体どれほどの時間がかかった事か。

 僅か数秒の事か、はたまた一分か、それとも一時間か。

 実際にそんな時間も掛かっていないはずだが、不思議とそう感じたのだ。

 それでもその距離は徐々に縮まっていく。

 十m……五m……一m……数十cm。

 そうして辿り着き、彼に刃が届く範囲で、一輝は振り下ろす。

 感じたことのない感覚に襲われながらも、あり得ない距離を踏破し、迫った刃は――しかし斬るは叶わなかった。

 《陰鉄》が天音に触れる瞬間、世界は急速に元に戻った。

 色が、音が、像が、あるべき形として戻る。

 正常な世界に引き戻されたことに驚く暇もなく、一輝の意識は奪われた。

 

 

 

(あれは……一体?)

 

 そして気付いた時にはこの惨状だ。被害を鑑みても五体満足なのが不思議な程だ。

 いや、正確には満足ではないか。

 全身の何十という骨は砕けており、筋肉も裂けている。皮膚は裂傷だけでなく、抉れたり剥がれたりしている。思いの外出血量は多くないが、代わりに内側は酷い有り様だ。

 それほどの重傷、のたうち回るような激痛に苛まれながらも瞼はひたすらに重い。

 気を抜けばそのまま倒れてしまいそうな程の倦怠感。

 最早まともに戦うことは出来ない。

 それでも命があり、こうして足が地に着いている事に驚いている。

 

(未完成か……僕も、彼も)

 

 対エーデルワイス用として編み出された技がこんなものであるはずがない。

 確かに脅威的な威力ではあったが、それでも一輝は生きている。この程度では恐らくダメージを与えられこそすれ倒すのは無理だろう。

 本来ならエーデルワイスの速度を考慮して練られているはず、その速度に達していない時点で不発でもおかしくはない。

 だが、恐らくは天音の《無動砕》もまた不完全なものなのだ。

 互いに不完全なもののはずが『技量が近しい故に条件が一致した』お陰で発動したと考えるのが妥当か。

 想像でしかないが、仁とエーデルワイスが衝突したら被害はこんなものでは済まないだろう。

 自分よりも遥かに速く鋭いエーデルワイスの剣に対し、より完成された技で真っ向から迎え撃てたとしたのなら……。

 嫌という程痛感する、自分達は未熟だと思い知った。

 

「は、はは……」

 

 思わず乾いた笑いが出てしまいそうな彼我の差。しかし実際に笑ったのは一輝ではなかった。

 

「天音くん」

 

 声がする方を見ると瓦礫に埋もれている天音の姿があった。

 仰向けに空を見上げる形で転がっている。手に握られている《アズール》はボロボロで、いつ砕けてもおかしくはない。

 

「なるほど……『使えない』って意味がわかったよ……確かにアイツ以外に、こんな自爆同然のカウンターなんて使える訳がない、か……」

 

 辛うじて動く視線で自らの霊装の状態を確認し、一人納得した。

 

 《無動砕》は本来いる世界から外れた者達が対峙することが発動条件だ。

 エーデルワイスの『世界を置き去りにする』速さ、仁の『世界から置き去られる』停止。相対する対極の存在。

 彼等の視点には本来では『あり得ない彼我の差』が生まれる。 

 仁曰くはそれは『矛盾の距離』という。この世界にはあり得ないはずだが、しかし確かに両者はそれを認識している。二人だけが持つ共通認識。

 どれだけ置き去りにしたか、どれだけ置き去られたかによってその距離は変わる。

 そしてその距離が大きければ大きい程矛盾も大きくなり、それを縮めようとすると矛盾は肥大化する。

 本来存在しない距離()が縮まることで凝縮されたそれは、二人の視点が元の世界に戻ったからといって消えることはない。

 世界から外れて生まれたとはいえ、その世界の人間が認識出来てしまった以上は『在る』ことが確定される。エネルギーは行き場を失い暴発を起こす。それを利用して、諸共に消し飛ばそうとするのがこの技だ。

 『カウンター』などと小気味よく聞こえるが、やってることは死なばもろともの道連れ精神。

 仮に肉体か霊装のどちらかが無事でも片方は深刻なダメージを受ける。天音は発動させる事だけに全能力を使用した為に、両方共多大なダメージを受けることとなった。

 何故自爆染みた事が起こるのか? それは最初の矛盾が《無動砕》を行った者にあるからだ。

 自らを生命としてはあり得ない『完全な停止』へと追いやる。そこが肝心なのだ。

 その後に続く事象も全てはこれが出来なければ始まらない。だからこそ起点であり、中心でもある。

 故にその者が爆心地の起点になるのは必然といえる。

 無論、そんな所にいて無事でいられる訳がない。

 事実、天音は一輝以上に凄惨な状態だ。瓦礫に埋もれて見えないが、左腕は千切れ飛んでおり、全身粉砕骨折状態だ。特に脚は感覚はないが、両方共あらぬ方向に曲がっている。

 意識を失っていないだけでも驚愕だ。

 ……なるほど、確かにこれは■■の概念を司る仁でなければ扱い切れない代物だろう。

 

「……おめでとう、イッキ君、キミの勝ちだ」

 

 しかし、それすらも残り僅かとなる。その事を悟った天音は一輝に賛辞を送る。

 

「え……?」

 

「聞こえなかったかい? もうカウントは終わってるんだよ」

 

 天音の言葉で、改めて周囲を見ると、無事であった審判が高らかに勝者――一輝の名を挙げている。

 どちらも満身創痍だが、天音は倒れており、一輝は膝を着いていない。

 その状態ではダウンと見なされカウントが始まっていたのも当然といえば当然だ。

 未知の体験と感覚により、まだ正常に五感が働かなった為か、一輝には審判の声が聞こえていなかったらしい。

 

「今回は、僕の負けだよ、イッキ君……でも、次は必ず……っ」

 

 全身全霊全力を出し、結果負けてしまった。そこは素直に認めるが、それ以上に『次こそは』とリベンジをする気概を見せた。

 だが流石に限界だったのか、そのまま意識を失ってしまった。

 

「ああ、受けて立つよ」

 

 既に聞こえていないだろうが、一輝は彼の挑戦に受けることを約束した。

 負けず嫌いなのは自覚しているし、その気持ちも分かる。

 だからこそ、受けることで彼の気持ちを最大限に尊重した。

 

「っ……!!」

 

 そして、一輝も限界がきたらしく、ついに膝から崩れて落ちた。

 

 準決勝第二試合の勝者は黒鉄一輝となった。

 意識を手放した彼等の下に駆けつける医療班。

 何が起きたのか、結局最後まで分からなかったが、それでも貴重な一戦を観れたとして困惑しながらも興奮する観客。

 

 慌ただしくなった会場からいつの間にか姿を消していた仁に気付いたのはそんな最中だった。

 「まったく……」とタバコを吹かしながら黒乃は呆れる。

 そうこうしている内に近くにいた教え子達も一輝を心配して、医務室に向かって行った。

 一人残された黒乃はため息の代わりに紫煙を吐いた後に彼等の後を追う。

 もし、最悪の事態であった場合は彼女の出番だが……それが杞憂に終わる予感がし、そして現実のものとなる。

 




元々は初期プロットにあった一輝戦において使う予定だった《無動砕》。
初期では某海賊漫画の鉄塊のような技のハズだったのに、対エーデルワイス用に生まれ変わったらとんでもない面倒くさい技になってしまった。
でもエーデルワイスに対抗するにはなんかぶっ飛んだものじゃないと無理じゃねと私の中のゴーストが囁いていたから仕方ないんや……。


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三十話

「……ここ、は……?」

 

「起きたか」

 

 医務室で天音は目を覚ました。

 白い天井をボーッと眺めていると声を掛けられた。

 その声は聞き慣れたものであり、何処か安心感を覚えた。

 倦怠感が満たされた身体は言うことを聞かず、何とか首だけを動かし声の主を視界に捉える。

 そこにいたのは、果たして仁だった。

 

「安心しろ、肉体は復元している。黒鉄の方もだ」

 

 ベッドの近くにある椅子に鎮座する姿に驚きはしない。

 淡々と語る為か、すんなりと耳に入る。

 時間がどれほど経ったのだろうか。そんなことを思いつつ日付けも備えた壁時計を確認すると、まだ準決勝当日の夜十一時のようだ。

 既に深夜とも呼べる時間。普通なら面会出来ない時間だろうが、仁ならいても不思議ではない。

 家族であることを明かして特別に許可を貰ったのか、それとも忍び込んだのか。どちらでもありえそうだが……あの口ぶりから察するに天音と一輝、両方の状態を確認したようだ。

 最悪、《カプセル》で治せないようなものや、後遺症が残るようなものは彼が治した可能性はある。

 いや、事実治したのは仁だ。より正確には不自然のないように、それでいてちゃんと《カプセル》で治せる具合に手を加えただけだが。

 天音に関しては勿論、一輝にはけしかけるように『助言』してしまった負い目もあった。だから試合の終了と共に即座に動いたという訳だ。

 

「笑いにきたの?」

 

 心配で来たのかと思うよりも、そんな言葉がつい口から零れてしまった。

 だが、そう思われても仕方ないのかもしれない。

 あれだけ大見得を切ったというのに、結局勝てなかった。

 《無動砕》も発動こそ出来たが、使いこなせなかった。そしてあんな大怪我までしたのだ、滑稽に映ることだろう。

 

「……そうだな」

 

 少し考えた後、仁は頷いた。

 

「わざわざ勝ち筋を捨ててまで拘った勝ち方で負けたんだ。笑われても仕方ない」

 

 天音が予想していた答えそのままに仁は言う。

 実際、天音が一輝に勝つ方法は幾らかあった。それが可能な程に天音の異能と力は優れている。

 だというのに、それを捨ててまで得た方法。仁に内緒で修得し、その彼から忠告されたのにも拘わらず、使おうと決心して負けたのだ。

 

「前に言ったはずだ、アレは使えたものじゃない、今回の一件でわかっただろう? お前にはちゃんと見合った戦い方がある」

 

 痛感した。

 憧れからくる、追いつきたいという想いだけが先走り過ぎた結果がこれだ。

 呆れられても仕方ない。

 

「だからこそ、アレに掛けた時間は無駄と言える」

 

 仁の言うことは正しい。

 天音には身に余るそれに掛ける時間を他のことに使えばさらなる飛躍が出来たことだろう。

 

「――だがそれでも」

 

 そう、正しいのだが――。

 

「なんでだろうな。どんな形であれ継がれたのは嬉しかったのは……」

 

「え――?」

 

 意外な言葉に天音は耳を疑った。

 つい仁の顔を見るが、彼自身不思議そうに眉を顰めている。

 胸に去来する感情に困惑しているのだ。

 ……思えば、仁が歩んできた人生で何かを残すという行為をしたことはない。

 ただ己を鍛え、研鑽し、敵を倒す。これだけの人生だ。

 無論、寧音や黒乃と過ごした時間はあり、それが無為な物か問われれば違うと断言できる。あれはあれで必要な過程であった。エーデルワイスに関しても同様だ。

 いや、エーデルワイスに関しては夫婦という間柄だからそれ以上だろう。

 しかし……だからこそともいうべきか、子を授からなかった事もあり、やはり何かを残したという実感はない。

 恐らく、この感情はつい最近、それこそ教師なんて似合わない職種についてからだ、芽生え始めたのは。

 自分が培った経験や技術、それらを教え、糧とする生徒達の姿を見て胸の内がザワついた。

 最初は分からなかったが、後任を育てるという行為が自分が今まで行ってきたものとは真逆のものだったからだ。

 倒す、殺すことで磨き上げた力なぞ、それ以外では使い道がないと思っていた。それをこんな形で思い知らされるとは……。

 無論、全てという訳ではない。一輝やステラ、珠雫といった特定の生徒は別だが、基本はその中から使えそうなものだけを教えた。

 やはり殊更強く感じたのは一輝だろう。ステラが寧音に弟子入りしていなくなっていたのもあるが、一輝は叩けば叩くだけ強くなる。それが如実に分かるからか、嬉しくもなる。

 そうして、判明した感情だが、実は既にその片鱗は燻っていた。

 それが天音だ。彼を育て、鍛える際に時折感じていたが当時の仁は分からなかった。しかし、此処暫くの教師生活でその正体に気付けた。

 日本から脱出する際に助けて貰った礼として請け負ったのだが、思った以上に収穫があり、黒乃には感謝しかない。まあ、わざわざ面と向かって言うのもあれなので、心の内に留めておくだけだが……。

 兎角、心境に変化が起きたのは確かだ。

 今回の一件でそれは明確に感じた。

 使えないとわかっていた技。だから教える気もないし、覚えさせてどうなると思っていたのだが……。

 しかし、唯一無二とも言えるそれを修得し、目の前で実践され、確認した事で見方は変わった。

 あんなものでも継いでくれた者がいた。本人の意思は関与していなかったが、いざ直面すると思ったよりも嬉しかったらしい。

 一輝や珠雫とは違い、天音が覚えたのは完全な仁のオリジナルだ。それ故に、他とは違って感じたのは仕方のない事かもしれない……。

 

「頑張ったな――天音(・・)。それから、ありがとう」

 

 だからか、なんとも言えない感情が仁の心の中にあったのだ。

 それでも自分なりに考えた結果、天音に対し労いの言葉を掛けることにした。

 一輝との『約束』もあるし、今更目を逸らす気にもない。だからこその行動だ。

 

「ぁ……ぁ、ぅ……ぅぅ」

 

 ……なのだが、天音の様子がどうにもおかしい。

 顔を背けたかと思ったら、布団の上からでも分かる程小刻みに震えている。

 

「おい、天音」

 

 どうしたのか? そう思い、容態を確認しようと近付くが――。

 

「おっと」

 

 何故かいきなり物――枕を投げつけられた。

 そんなに速くもなく、容易に受け止められたが、どうしてそんな行動を取ったのかが仁には分からなかった。

 何か気に障ったかと思いつつも枕を投げ返す。

 今度は天音がそれを受け取る。そのすぐ後に、また布団を被ってしまった。

 一見ふて寝のようにしか見えないが、だとすれば何が原因なのやら……。

 

「お前なぁ……」

 

「もう用は済んだろ、僕は寝るから早く出ていってよ」

 

 呆れたように呟く仁に対し、振り返ることなく言い放つ。

 その様子に、やはりため息を吐いたが「ま、それだけ元気なら大丈夫か」と頭を切り替え、仁は静かに出ていった。

 

 

 

 そうして残された天音だったが、彼は宣言通り眠って……などはいなかった。

 寧ろ眠気など綺麗さっぱり吹き飛んでおり、それどころか一輝との戦いの疲れすら感じてはいなかった。

 

「……“天音”」

 

 つい、今の自分の名前を呟いていた。

 紫乃宮天音。実の親から与えられた名である天宮紫音のアナグラム。

 過去の自分との決別としての表れであり、現在の自分を支える大事なアイデンティティの一つであることは自覚していた。

 だからか、その名を一度として呼ばなかった()に対し、尊敬しつつも毛嫌うという変な感情を抱いていた。

 認められれば呼んで貰えるかもと思わなかった事もないが、それでも数年間一度もなかった。

 それ故に諦め掛けていたのだが……つい先程その想いは成就した。

 天音からしたらどういう心境の変化なのかは分からないだろう。しかし、名前を呼んでくれたという事実は変わらない。

 長い間心の奥底で燻っていたそれだったが、いざ現実になると少しばかり問題が起きた。

 

(……ああ! もう!)

 

 布団の中で顔を触る。

 そうすれば嫌でも分かった。『ニヤけている』事に。

 それはもうだらしないと言える程であり、何とか律しようとするが、長年溜め込み発散させられた喜色は中々鎮まってくれない。

 自分自身でも気持ち悪いと思えるが、抑える事が出来ないのだ。

 天音にとって、自分が思っていた以上に今回のことは嬉しかったのだろう。

 試合の事もあるから努力が全て実ったかと問われれば否だが、天音にとっては十分と言える収穫だ。

 

(……未熟だな)

 

 ……もっとも、過ぎたるせいで嬉しい悲鳴を挙げているのだが……。

 お陰で仁に顔を見られないようにするのに必死だった。

 感情の制御がうまく出来ない所か爆発している状態。自己嫌悪するも、そんな中でもまだ残る喜色に驚く。

 それだけ、天音にとっては大切なことだったのだろう。

 「天音」と頭を中で仁の声で反芻されるだけで嬉しさの燃料は投下されるが、同時にどんどん恥ずかしくもなってくる。

 流石にこの歳にもなってこんなもので喜ぶなど、子供過ぎる。

 そう恥じる天音だが、親の愛を受ける期間である幼少期に異能に目覚めたせいでそれを受けることが出来なかった過去がある。

 だからこそ、本人も自覚出来ないが愛情というのに飢えているのだろう。

 今の親から受けられていない訳ではない。エーデルワイスからは大変可愛がられているし、仁だって口はともかく天音のことを考えて行動する。

 異能だけを見ていた実の親よりもちゃんと“天音”を見てくれている。

 だからこそ頑張ってこれたし、それだけ仁に認められて名前を呼ばれたのは嬉しいのだ。

 ただ、やはり年頃なのか気恥ずかしさが勝ってしまう。

 

「――良かったですね、アマネ」

 

「――ッ!?」

 

 身悶えている最中、聞き覚えのある声が耳に入り、身体が硬直する。

 まさか、と思いつつもゆっくりと布団から顔を出すと、そこには微笑んでいるエーデルワイスの姿があった。

 

「……いつから?」

 

 冷や汗をかきながらの質問。

 エーデルワイスのことだから、随分前からということはないだろう。今来ましたと言われても納得出来る、音もなく現れるなど何時ものことだ、それが出来る人物なのだから、だからきっとそうなのだろう。寧ろそうであって欲しい。

 

「あの人が出て行ってすぐです」

 

 だがその願望は儚く散った。

 仁が出て行ったすぐ後ということは、つまり先程までの醜態を見られていた。

 布団を被っていたとはいえ、育ての親にそんな姿を見られたことに天音は目の前が真っ白になった。

 

「は、はは……いつもなら気付けたのに……」

 

 長い時間共に暮らしてきた為、音は無くともエーデルワイスが近くにいるという気配は分かるようになっていた。

 それが出来なかったということは、やはり想像以上に浮かれていたらしい。

 

「…………なに?」

 

 意気消沈している天音に対し、未だに笑顔を向けるエーデルワイス。何か用でもあるのか? と思い、気分は重いが訊いてみた。

 

「いえ、ようやく二人共素直になってくれて、嬉しいだけです」

 

 本当に、本当に嬉しそうに語る。

 その姿に天音は唖然としたが、よくよく考えれば二人の間に立っていたのは彼女だ。互いに嫌っている訳ではないと分かっていても、やはり気が気ではなかったのだ。

 そんな肩の荷が降りたのもあるが、彼女の人柄を知るに純粋に喜んでくれているのだろう。

 

「……別に、僕は元々素直な方だと思うけど」

 

「フフ、そうですね」

 

 先程までとはまた違った気恥ずかしさに襲われた天音はついそう言ってしまう。

 だが、それが照れ隠しなのが分かるからか、エーデルワイスは微笑を浮かべ続けている。

 

 今更な話だが、どう取り繕った所で天音の仁に対する想いは知られている。

 強さや在り方もそうだが、何より荒療治とはいえ天音を立ち直らせたのは大きい。

 手段はどうあれ救われたのだ。何かしらの感情を持つのは当たり前。余程偏屈ではない限り、恨みはしない。

 そういった意味では天音は確かに素直といえる。

 表向きの理由をどんなに用意しようとも、根底にあるのは仁に認められたいという想いなのだから。

 仁の態度に問題があったとはいえ、今まではそう捉えていなかった天音が、ついに正面切って言葉にして貰って、その評価を受け入れたのだ。

 そこに至るまでどれだけ長かったことか……。

 一部始終を見守っていた身としては、こんなに喜ばしいことはない。

 

「良かったですね、アマネ」

 

「…………………………うん」

 

 だから我が事のように喜べる。いや、実際家族なのだから他人事では決してないのだ。

 子供の如き笑顔を浮かべて、「良かった良かった」と安堵するエーデルワイスを視界に収めながら、恥ずかしそうに、顔を朱に染めながら天音は静かに頷いた。



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三十一話

 ――ある意味において予定通りというべきか、予想通りというべきか、なって欲しくない想像は往々にして実現される定めなのだろう。

 

「……結局、こうなるのか」

 

 七星剣舞祭は無事、幕を下ろした。

 決勝戦は一輝とステラの対決となり、一輝が勝利を納めることとなる。

 《ドラゴン》という規格外の力を前に、剣一本で戦い抜いたのは称賛に値しよう。

 地表をマグマに変える程の純粋な火力、竜の膂力と再生力、そして戦いの中で著しく伸びる成長性。

 正に才能の塊。一輝とは真逆に位置するそれに、よくぞ勝ったものだ。 

 尤も、その対戦の最中、一輝は《覚醒》を経て《魔人》と化してしまった。驚く者は多くいた、仁も『予想よりも早い』という意味では驚いたが、一輝が《魔人》になったこと自体は不思議ではなかった。

 元々、本来の限界値以上の力を出そうとする男だ。才能に関しても恵まれていなかったこともあり、その壁は他の《魔人》に比べれば低かったのだろう。

 だからこそ、その事象自体は想定が出来た。

 勝てるかどうかという意味では正直分が悪いが、そこは『いつも通り』と言える。

 だからこそ(・・・・・)、勝てたのだろう。

 教え子の一人が優勝をし、《魔人》にもなった。後者はともかく、前者に関しては両手を挙げて喜んでもいい状況なのだが……仁の表情は芳しくなかった。

 

「ジン」

 

 隣にいたエーデルワイスが、その変化に気付き声を掛ける。

 試合が終わり、満身創痍となった両者が運ばれた後だというのにまだ観客達の熱気は冷めていない。

 晴れない気持ちの仁とは対照的だ。

 

「……“呼ばれていた”のですね」

 

「ああ」

 

 先の独り言と、一変した表情に彼女は察した。

 今まで隣で歩いていた仁の気配が一瞬で変わった。ほんの一瞬の事だが、仁の態度から何があったのかが理解出来る。

 恐らくは意識だけ(・・・・)を呼び寄せられたのだろう。

 どんなに離れていようとも彼等は意識だけで会合ができる。

 それを実現させる桁外れの因果干渉系の《魔人》がいる為だ。

 ――《隔絶僧》。

 『縁』というこの世に生まれた以上切っても切れない繋がりを手繰り、操ることが出来るとされる《魔人》。

 彼の力を以ってすれば距離や時間も関係なく、『縁』を以ってあらゆる事象を確立させることが可能だ。

 それこそ、互いの意識のみを肉体から解脱させ話し合うを行うことも、それを現実の時間でほんの一瞬で済ませることも出来る。

 エーデルワイスが知る因果干渉系の《魔人》の中で最強と称していいだろう。

 それだけの力を有する者からの招集ともなれば、恐らくは仁が危惧していた通りの事が起こったと見るべきか。

 

「他の《魔人》はともかく、やはり『彼等』は――」

 

「……ああ」

 

 想定通りというべきか。

 本来どんな者が《魔人》になろうが、世界で何が起きようが関与しないはずなのだが……数は少ないがやはり例外は存在するようで、ステラはその『例外』とされたらしい。

 彼等の判定を覆すのは難しい。

 多数決によって決まった辺り、平和的ではあるが、問題なのはそれを行った者達だ。

 全員が全員、我が強いというか、個性的というか。おかげで一度決まった判決が覆るのはまずないと見ていい。

 ともすれば、やはり決定には従うしかない訳だが……。

 

「どうするつもりですか?」

 

「ま、やるだけはやってみるさ。あっちもこっちも言うこと聞かない連中だらけで想像するだけで疲れるがな」

 

 げんなりしている仁を眺めつつ、「貴方がそれを言いますか?」とつい首を傾げそうになった。

 判決が決まったにも拘わらずどうにかしようと画策する辺り仁もまた『言うことを聞かない一人』である自覚がないのだろうと苦笑してしまった。

 ともかくやる事は決まった。後は、当事者であるステラがどう対応するか……それにより仁の動きもまた変わる。

 すぐには動けない。ステラも一輝も重傷で意識を失っている。

 それに表彰式等もある。ステラが『最悪な選択』を行った場合の展開を想定するのであれば、その時に騒ぎになるのは間違いない。

 あとは気は進まないが、協力を仰がなければいけない者もいる。

 ……やはり、時間が欲しい。

 

「とりあえずは静観だな」

 

 そう思い、時を置いたのだった。

 

 

 

 タイミングが悪いと感じる時は生きていれば往々にしてある事だ。

 空気を読める方だと自負するつもりはないが、いやはやどうしたものか。

 そう、頭を抱えたくなる程にしんみりとした空気が漂う場面に仁は遭遇していた。

 

 表彰式も終わり、シンと静まり返った湾岸ドームのリングにて一輝とステラは月影漠牙と黒乃、寧音と邂逅していた。

 彼等が一堂に会している理由は一輝が《魔人》として覚醒した為にその説明と、月影が異能で視たという来るべき災害、その事だった。

 その直前にKOK現世界ランキング四位の《黒騎士》、アイリス・アスカリッドが一輝とステラの実力を試すというちょっとしたサプライズがあったのだが、そこは割愛。

 説明を全て終えたと思った仁は彼等の前に姿を現した。

 

「話は終わったか?」

 

『――先生!?』

 

 音も気配もなく、唐突な出現。まるで《狩人》桐原静矢の伐刀絶技《狩人の森(エリア・インビジブル)》を彷彿とさせる登場に一輝とステラは驚いた。

 汎用性の高い能力なのは知っていたが、こんな事まで出来るとは……ますますもって仁の異能の正体が気になる所だ。

 

「何故、キミが此処に……」

 

 二人とは別に、月影は妙な胸騒ぎを覚えたのか、感極まって流れていた涙は引っ込み、声は上擦っている。

 月影の発言に黒乃と寧音も同じようで、視線を強める。

 今回此処に呼んだのは彼等を除けばアスカリッドのみ。連盟に属していない仁には報せていない。

 この場においては部外者である仁に対する各々が抱く感情は様々だ。疑問、怖れ、疑心……少なくとも良い感情を抱くものはいない。

 

「ま、水を差しに来たようなもんだな」

 

 そんな中、頬を搔き、申し訳なさそうに仁は答えた。

 

「なに……!? どういう事だ!」

 

 その発言に驚いたのは月影だった。

 ようやく肩の荷が一つは降りたと思った矢先にこんな事態に遭遇すれば慌てふためくのも無理はない事だろうが。

 

「なに、俺……あ、いや俺達(・・)の要件はお前だ、ヴァーミリオン」

 

 狼狽える月影を他所に仁は静かにステラを指差す。

 

「え? アタシ?」

 

(……俺“達”?)

 

「ま、まさか……!?」

 

 指を差されたステラは素っ頓狂な声を挙げ、一輝は仁の発言に違和感を覚え、月影は何かを察したのか肩が震えている。

 三者三様の反応。それを気にした素振りも見せず、仁は続けて言葉を繋げた。

 

「ああ、単刀直入に言おう、ヴァーミリオン。

 

 ――今此処で死ぬか、力を失うか、選べ」

 

 そして発せられたのはあまりに理不尽な二択だった。

 

「何を言ってるのよ先生! そんな馬鹿げた要求呑める訳ないでしょ!」

 

 唐突な理不尽な選択。

 それを突き付けられたステラは声を荒げる。

 当たり前だ。急に姿を現したかと思ったら、とんでもない要求をしてきたのだから。

 死か力の消失。

 前者はそのままの意味。ステラの命をこの場で絶つということだろう。

 後者に関しては何らかの手段によりステラから魔力や異能を失わせるということだろうか? 実際命を奪われるのに比べればマシのように思えるかもしれないが、それは魔導騎士として事実上の死を意味している。

 

「だろうな。俺としても『もったいない』とは思ってはいるんだが……何分《隔絶僧》曰く、お前が原因で禄でもない未来が待ってるって話だからな。こちらとしても見過ごせないのさ」

 

 仁個人としてはまだまだ伸びしろがある貴重な人材たるステラの命を断つのは大変惜しいと考えはいる。

 しかし、あの常に悟っているような済ました表情の男が、苦い顔をしていたのだ。

 まず面倒な事この上ない事態が発生すると見ていい。

 

「《隔絶僧》! 『縁』の因果干渉系の異能を持つとされるあの!? ……まさか、未来視! いや予見か!」

 

 そして、その言葉により説得力を持たせるのが彼の異能。

 月影の言う通り彼は《予見》の力がある。

 あらゆる事象、現象には何らかの繋がりが存在する。それこそが因果――原因と結果だ。

 彼の力は、その糸を辿ることにより、未来を知り、その元凶すらも探り当てることが出来てしまう。

 未来を断片的に視るのではなく、予め起こる事態を見れるからこその《予見》。

 原因まで判明してしまうとなれば、如何に言葉を並べようと、たとえ今が無害であると弁明しようとも聞き入れては貰えないだろう。

 

「《縁》……? 《隔絶僧》……? どういう事……先生は一体何者なの?」

 

 流石に当事者であるにも拘わらず、置いけぼりを喰らったステラは声をあげる。

 今までの話の流れから分かったのは仁の思惑とは別に大きな力が働いていること。

 それに関係しているのが《隔絶僧》とその異能に関係していること。

 そして、そのせいでステラが危うい立場に立っているということだろう。

 仁が連盟に組みしていないのは現在の状況から一目瞭然だ。

 ということはやはり、仁は何らかの組織と繋がっているのだろう。

 

「彼は《互眸鏡(ゲイザー)》の一人だ」

 

 その問いに答えたのは月影だった。

 

「《互眸鏡》?」

 

「……先生、それは一体?」

 

 聞いた事がない言葉に首を傾げたのは一輝とステラ、それから黒乃だった。

 学生騎士である二人はともかく連盟に属し、相応の力も保有している黒乃が知らないのは意外だった。

 対照に、寧音は「やっぱりか」と小さく呟いており、こちらは何か知っているらしい。

 黒乃と寧音との最たる違い、それはやはり――

 

「《互眸鏡》とは、《魔人》で構成された組織の名だ」

 

 《魔人》をおいて他にない。

 

「な……!? 《魔人》で構成された、だと……!?」

 

 その言葉からの脅威をより感じ取ったの黒乃だった。

 一輝もステラもまだ《魔人》の明確な恐ろしさを知っていない。確かに《比翼》と《黒騎士》という《魔人》を相手にした経験はあるが、二人共本気ではなかった。

 本気で、全力で暴れる《魔人》を二人は知らないのだ。

 たった一人の《魔人》ですら災害クラスに危険な存在だというのに、それが組織として形を持っているだと……?

 しかも全員が《魔人》。

 事情と脅威性を知る身としてはそれだけで頭痛と目眩に襲われてしまう。

 

「早とちりはしないでくれ、新宮寺君」

 

 表情にでも出ていたのか、月影は黒乃に声を掛けた。

 いや、実際月影自身初めて聞いた時は黒乃と同じ心境だった。

 複数の《魔人》が徒党を組み襲ってきたら……そんな恐怖を確かに感じたのだから。

 ――尤も、その実体を知ったからといって安心出来た訳でもないのだが……。

 

「彼等の目的はあくまで監視だ。それも外側ではなく内側の」

 

「内側?」

 

 相互監視。それが《互眸鏡》……ひいては属する《魔人》に課せられた絶対原則だ。

 

 《魔人》の中でも特に別格や上位とされる者達を御するのはまず難しい。

 素直に何処かしらの組織に従ってくれるのならいざ知らず、《魔人》になるような者でそんなのは稀有といえる。

 だからこそ、毒には毒を、力には力を、《魔人》には《魔人》をぶつけるのだ。

 近しい実力を持つ者達が複数人。互いが互いを監視し合い、下手な動きが出来ないようにする。

 その目的の為に作られたのが《互眸鏡》だ。

 それだけを聞くのであればまるで監獄や収容所か何かと思う者はいるだろう、強制的に連れて来られ、その役割を押し付けられた、と。

 だが、実際は違う。誘われる《魔人》にも拒否権はあるし、メリットもちゃんとある。

 そのメリットとはつまり、属する《魔人》との闘争だ。

 そんなもので、と思うかもしれないが、先も述べた通り《互眸鏡》は上位の《魔人》で構成されているのだ。個人の強さ、組織としての総合戦力、平均的な強さを見てもどの組織よりも優れている。

 何よりも《互眸鏡》は頂点に君臨する者――《最古の魔女》が桁外れの強さを持っている為、少しでも彼女に近付こうと研鑽する者が多い。

 つまり常にインフレを起こし続けている様な組織であり、そこに席を置く以上停滞は許されない。ただただ強くあれと、その為なら属する他の《魔人》すら利用しても構わない。最悪命を奪ってしまっても「仕方がない」で済まされてしまう。

 正に修羅地獄の如き闘争の坩堝(るつぼ)、その権化。

 真っ当な感性なら全力で拒否するような地獄だが、純粋に強さを求める《魔人》はその限りではない。

 果てなく強くあろう、より上を目指そうとする向上心の怪物達にとってそこは一種の理想郷ですらあるのだ。

 どんなに強くなろうとも上がいる。少しでも気を抜けば下にいたと思っていた者が喰らいついてくる。

 悪夢めいた濃縮・凝縮された競争に身を置き研鑽の限りを尽くす。

 その結果、個々の力量差が乖離することはなくなる。

 

 だが、強くなればそれに引き寄せられるように、強者が寄ってくる。

 それを表すかのように、《互眸鏡》に名を連ねる《魔人》は何れもが何処かしかとパイプを持っている。

 仁を例に出せば、エーデルワイスは《互眸鏡》に属してはいないが夫婦という間柄だ。元と現KOK世界ランキング三位の黒乃と寧音とは旧知の仲。

 個人同士の繋がりでさえこの過剰戦力だ。

 仁自身は彼女達の力を借りて何か騒ぎを起こそうという考えはない。

 しかし、事実としてそういった『力』も持っているという事だ。

 無論それは他の《魔人》にも言える。

 もし彼等が一丸となり世界を手に入れようなどと考え、実行すれば一日も経たず世界は掌握出来てしまう。

 するかしないかではなく、実行出来てしまうという事実が大事なのだ。

 故にこそ、『相互監視』という絶対原則が彼等には敷かれてる。

 そこには世界平和や安寧だとかそういう優しい理想ではなく、ただ無用な混乱のせいで自分達の研鑽が鈍るかもしれないという自己中心的な思考から来ているに過ぎないが……。

 

「……その様な者達が何故ヴァーミリオンを?」

 

 聞くだけでも明らかに異質で異端な組織だ。

 おおよそ組織としての動きはなく、どちらかというと『集団』と言った方が正しいのかもしれない。

 事実、そこに席を置く者は非常に少なく、現在は十一人しかいない。その世代や時代により数は変動するが、それでもおよそ十人が平均的な数字だ。

 凄まじい競争故か入れ替わりや脱落者も多いらしい。

 

「……彼等は《魔人》にとっての抑止力だ」

 

 《魔人》の中でも特に優れた力を持つ集団である以上、他の《魔人》にとって彼等は無視出来る存在ではない。

 何より、《覚醒》を果たした後に彼等の内の誰かとは遭遇する定めにある。その理由は、『警告』だ。

 彼等は別に正義の味方というわけではない。その為《魔人》が絡んだ事件や事案が起きようとも基本動くことはない。たとえそれがどんなに残忍残酷なものであろうとも彼等の研鑽に影響がなければ問題はないのだ。

 しかし、もし彼等の研鑽を邪魔するような事態が起こり得る場合はその限りではない。

 意図して起こす者、元凶となる者は排除される。

 一人ですら別格の力を持つ者が十一人。それを相手取るような事態をわざわざ起こそうと考える者はいないだろう。

 故の『警告』だ。

 結果として彼等の存在そのものが《魔人》にとってある種のストッパーとなった。

 如何な凶悪な犯罪者の《魔人》でも彼等との正面衝突だけは回避したいからだ。

 あの第二次世界大戦ですらあと少し長引き、被害が拡がっていたら当時の彼等が腰を上げていた可能性があった程度。本当にギリギリのラインだったのだ。

 ……まあ、だからこそ《暴君》はそのギリギリを突いたのかもしれないが……。

 

「それと同時に、自分達にとって害となる厄災を払いもする」

 

 如何に強く、別格の存在であろうとも彼等もまたこの世界に生きる者だ。

 最低でも自分達が研鑽出来る領域はなくてはいけない。

 それを奪う、害する者はどんな存在であろうとも敵と見なされる。

 つまり――。

 

「……アタシがその『厄災』だって言いたいの?」

 

 ステラは彼等にとってそう認定されたという事だ。



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三十ニ話

「ま、そういう事だな」

 

「何でよ!? 理由を教えてよ先生!」

 

 淡白に返した仁に対し、ステラは苛立つ。

 唐突に死ぬか力を失うかの二択を迫られ、「お前は厄災だ」と断言されたのだから当然といえば当然だ。

 

「それは、お前が《竜》だからだ」

 

「え?」

 

 だが、尚も仁は淡々と語る。

 

「お前は言ったな、ドラゴンは『神話の世界に住まう頂点捕食者』だと。それは正しい。だが、故に争いの原因や発端にもなるんだよ」

 

「……っ!?」

 

 そう、多くの神話において《ドラゴン()》とは悪しきモノとして描かれる。

 圧倒的な生物故に、それを英雄が倒すのはある種のカタルシスだ。

 そこに夢とロマンがあり、読む者見る者を夢中にさせる。だからこそのその『役割』と『性能』が与えられているのだ。

 

「いいか、ヴァーミリオン。概念干渉系とは則ち、その概念を正しく理解し、それをどの様な形で顕現させるかだ。お前が今思い描いているドラゴンは何だ? どういう存在と認識している?」

 

「それ、は……」

 

「同じ概念干渉系の観点から言ってやろう。お前の思い描いているのはただの『暴竜』だ、違うか?」

 

 言葉を詰まらせたステラの代わりに仁はピシャリと言い切った。

 そうだ、ステラの思い描く《ドラゴン》とは絶対無比、何人にも負けない、神話を含めた上での食物連鎖の頂点に位置する存在。

 誰もが思い描くであろう正に理想とする《ドラゴン》の姿そのものだ。

 

「守護竜とかならともかく『暴竜』としてのイメージそのままに力をつけて行くのなら、お前は必ず『その通り』となる」

 

 だが、その姿勢は危険だ。

 そんな誰しもが思い描ける《ドラゴン》の概念を体現させ、力を増していくという事は『役割』もまた体現してしまう。

 つまりは神話と同じ、悪竜と化してしまう。

 たとえそこに本人の意思が介在せずともその様な『性質』となってしまうのだ。

 事実、ステラが七星剣舞祭で自らの異能の正体を高らかに宣言した試合からだ、《隔絶僧》が例の未来を予見し始めたのは。故にこそ既に本人の預かり知らぬ所でその事態になる、そういった思惑が蠢いているのだろう。

 

「だからこそ、お前は『害』と見なされた」

 

 たとえ、今その思惑を持つ者を処断した所で第二、第三の者が現れるだろう。

 それ程までに《ドラゴン》という神秘の怪物は人を魅了してしまうのだ。

 

「………………」

 

 言葉を失ったのははっきりと断言されたからか。

 いや、そうではない。

 単純に自身が思っていた以上の価値がステラにあった為だ。

 『価値』などと言えば良く言ってるように聞こえるかもしれないが、実際は迷惑を被っているだけ。

 何故自分の預かり知らぬ所で厄災や害やらと断定されなければいけないのか?

 意思など関係ないと言わんばかりに利用しようとする者が原因なのだろうが、それでも良い気分ではない。

 自然と強く拳を握っていた。

 

「……確かに、アタシがイメージしているのは大人しくて聞き分けの良いドラゴンじゃないわ。でもね……だからって、誰かに指図されたり、いいように使われたりするような軟弱なものでもないのよ!!」

 

 爆発した怒りの如く紅蓮の炎が巻き上がる。

 感情を表したかの様な荒れ狂っていたそれだったが、ステラが手を差し出すと収まるようにそこに集束する。

 

「倒すわよ! アタシを利用する奴も、そう強いるように仕向ける奴も全部! それで文句はないでしょ!!」

 

 次の瞬間には《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を顕現させ、仁に向け宣言した。

 絶対強者の自負として、自分の力が目的で近付くような悪しき輩は悉くを塵芥に変えそう。

 そうすれば『暴竜』ではあるが『悪竜』となる事はない。

 彼等の言う所の『厄災』とはならないはずだ。

 

「アタシは強くなるって約束したの! イッキと一緒に! だから死ぬのも力を失うのもどっちもゴメンだわ!」

 

「……ステラ」

 

 ステラの啖呵につい顔が綻びそうになったが、気を引き締めて一輝も仁を睨み付ける。

 

「先生、貴方の……いえ、貴方達の事情はわかりました。でも、すみません。僕もステラとの約束を破りたくはないんです。だからもし、ステラに危害を加える気なら僕も黙ってはいません」

 

 そうして、自らの固有霊装を顕現させ、その切っ先を仁に向けた。

 仁の口ぶりからしてやむを得ない事情があるのは明白だ。しかし、だからといって見過ごす訳にはいかない。

 

「たとえ先生――貴方であろうと、斬り捨てます」

 

 人生で初めて出会えた恩師ともいうべき存在。誰かに教わることが出来なかった一輝が唯一教えを説いて貰った貴重な人物だ。

 その為、恩義を感じており、いつかは恩返しのようなものが出来ればいいとも思っていた程には一輝にとってその存在は大きい。

 だが流石に恋人に危害を加えるとなれば話は変わってくる。

 どんな人物であろうとも……それこそ恩師ですら例外ではない。

 

「イッキ……。そういう訳よ、悪いけど帰って貰えるかしら、先生? 今なら冗談で済ませてあげるわ」

 

 一輝の想いを感じ取ったのか、ステラもまた口が弧を描く。

 学生騎士とはいえ、七星剣舞祭の優勝と準優勝のツートップだ。実力は既にプロの騎士と同等かそれ以上だ。

 流石にそんな二人を同時に相手するには荷が重い――

 

「はぁ……まあ、お前らの性格から予想出来ていたが、やっぱりかぁ」

 

 そんな考えよりも、呆れからため息が漏れた。

 彼等の決定はステラの死だ。しかし、多少なりとも情を持った仁はそれ以外の選択も用意した。それが力の喪失だ。

 確かに失うものは多いが残るものもある。少なくとも一輝はステラが力を失おうとも傍に居てくれるはずと……そう思っていたのだが。

 これが出来る最大限の譲歩だったが……この様子では幾ら言っても首を縦には振らないだろう。

 とはいえ、だからといって「はい、わかりました」と簡単に引き下がれる案件でもない。

 いや、正確には引き下がってもいい。だが、結局仁の代わりに他の誰かがやってくるだけの話だ。

 そうなれば、手心も加減も容赦もなく、ステラは葬られてしまう。

 唯一仁だけが慈悲として選択肢を与えただけで、他の《魔人》にそんなものは存在しない。

 ただ、『邪魔な存在』として消されるだけだ。

 

「――仕方がない」

 

 引く気がないのは重々承知だ。

 だからこそ、此処からはこちらも本来の姿と力で対応しよう。

 それが最後の手向けとなるだろうから。

 

「《擬装》――解除」

 

 顔を覆うように右手を当て、そう呟いた瞬間――仁の姿が歪んで見えた。

 それはほんの一瞬の出来事であり、まるで蜃気楼のような、目の錯覚のようにも感じられる。

 しかし、無論そんなことはない。

 歪みがなくなると、仁の姿は変わっていた。

 黒髪は濃い青に変わり、目付きはより鋭く、深海を思わせる深い青の瞳。顔からは感情の色が薄くなったようだ。纏う空気は鋭利な刃物を彷彿とさせ、近付いただけで真っ二つにされそうだ。

 これが本来の姿なのだろう。

 そう一輝達が思うと同時に彼は顔から手を離し、二人を見据えた。

 瞬間――視界が下がった(・・・・・・・)

 

「っ――!!」

 

「え……!?」

 

 何故そうなったのかはすぐに理解出来た。

 一輝もステラも、あの仁と目を合うと同時に膝を着いていたのだ。

 ……何故?

 疑問符で頭は一杯になる。

 どうして自分は膝を着いている? どうして身体に力が入らない? どうしてこんなに息苦しい? どうしてこんなに視界が明暗する?

 次々と襲う身体の不調に困惑の色を隠せない。

 頭は混乱するも眼前の敵から目を逸してはいけないと、気概だけでも捉えようとして――出来なかった。

 直視が出来ない。『視る』という行為すら封じられているのか?

 ――否。

 あまりに突発的で、無意識的なものであったから気付くのが遅れたが、これは……恐怖だ。

 自らに巣食う本能が全力で警鐘を鳴らしている。

 アレと対峙してはいけない。アレと刃を交えるなどあってはならない。

 そう訴え続けているのだ。

 

「っ――」

 

 気付いた時には僅かに身体が仰け反った。足が動かない状態でも本能は退く事を選択している。

 数多の強者、好敵手(ライバル)を降し、自らもまた昇華したと思っていた。

 それは紛れもない事実だ。だが、それでもどうしようもない彼我の差を感じてしまった。

 元より、仁が《魔人》である事は月影から聞いていた。《魔人》の説明を聞いた際にもしやと思い確認してみたら正にその通りだった。

 故に普通の《伐刀者》でない事は理解していたはず。

 だが、それでも、あの仁の存在感は異常だ。見た目は一般的な男性よりも高い程度の身長。だというのに、まるでその中身は何十mもの巨人が入っているのではないかと思える程の重圧を感じるのだ。

 

(なんて圧迫感だ! 殺気や闘気ですらない! 純粋な存在感だけでここまで……!?)

 

 一輝もステラもかつては互いの師から殺気を向けられた経験がある。それは今まで過ごしてきた人生の中で特に濃く、凶悪なものだと思っていた。

 だが、今感じているそれは、そんなものすら軽く感じてしまえる程に、ただただ強大で圧倒的な物だ。

 

「ぁ、あ……ぁあアアァァ■■■■■■■――!!!」

 

 そんな圧倒的強者を前にして、ステラは吼えた。

 本来であれば《暴竜の咆吼(バハムートハウル)》を発動させれたのだろう。いや、寧ろそれをやるつもりだったのだ。

 だが、実際に出来たのはただの咆哮のみ。

 不発に終わり、悲鳴染みたそれを嘆く者は、果たしていなかった。

 何故なら、その咆哮に合わせるように彼女は震える身体に鞭を打ち、立ち上がったのだから。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

 息を切らせながらも何とか己の心を奮い立たせる。

 

 確かに、目視しただけで絶対的な彼我の差を感じてしまったが、それでもまだ戦ってすらいない。

 そんな相手を前に臆してなるものか。

 

「う、おおおぉぉオオオォォォ!!」

 

 そう、勇ましく立った姿に一輝は鼓舞された。

 彼もまた吼えた。

 ステラのようなドラゴンの咆哮ではなく、彼のは騎士としての魂の叫びだろう。

 本能が怖れを抱く程の相手。そうそう出会えることなどないそれを前に、尻込みするなど生粋の《挑戦者》が聞いて呆れる。

 ステラとは違い、《陰鉄》を杖代わりとして使ったが、彼もまた立ち上がる。

 

「ほぉ……」

 

 その姿を見ていた仁の口元が喜悦に歪む。

 仁は《魔人》の中でも上位に位置する存在だ。

 故に、相応な実力者以外は彼の気にあてられ戦意を喪失することが間々ある。一般人や未熟な騎士ならば意識を保つことすら出来ない。

 無論加減は出来る為、常という訳ではないが、はっきりと言ってそれは手間でしかない。

 だからこそ、教師をしている時はその姿と力を変えているのだ。そうしなければ、毎日何人の生徒が保健室送りになるか定かではない。

 そんな仁の本来の『気』に耐えるとは、やはり見込みがある。

 

「……惜しいな」

 

 だからこそ、実に惜しい。

 将来有望な騎士の命が散る事が……。

 

 

 

「ちっ! ビクともしねぇな」

 

「干渉そのものを断つか……厄介だな」

 

 舌打ちをした寧音は重力刀《八咫烏》を解除する。

 彼女の目の前には黒い幕の様な物がある。一見すると薄っぺらく、通れるようにも思えるが、実際はあらゆる物が通ることを許されない不干渉の壁だ。

 事実、今仕方寧音の《八咫烏》で切り裂こうとしたが見事に弾かれた。

 同じく黒乃の弾丸でも風穴一つ空けることが出来ない。

 

「《ブラックカーテン》。噂には聞いていたが、なるほど《遮断》の概念を用いればこのような事が出来るのか」

 

 その様子を眺め、一人頷いている月影。

 彼はこの能力に覚えがある。確か、第二次世界大戦の折にアメリカの兵士の一人が使用していたはず。

 《遮断》という概念干渉系の異能を最大限に用いた鉄壁の護りともいうものであり、実際かなり脅威であり、故に早々に危険視され対策されたらしい。

 その為使用者は既にこの世にはおらず、ただデータだけが残っている。月影はそれを見たことがあったから知っていたのだ。

 さて、では何故既にこの世にいない者の力が眼前に顕現しているのか?

 答えは到って簡単だ。

 それを『再現』出来てしまえる者がいるからだ。

 その人物はドームの観客席の一角にいた。

 ローブを彷彿とさせる真っ赤なドレス。人形の如き褪せた長い金髪。一見すれば二十代後半の淑女だが、実体はそんな生易しいものではない。

 

「《最古の魔女(ラストウィッチ)》。貴女まで来るとは……」

 

 《最古の魔女(ラストウィッチ)》。現状確認されている中で最古の《伐刀者》にして《魔人》。

 『記憶』という概念を司り、己が見聞き体験した事象は全て(・・)記録し、再現できるとされる正真正銘の怪物だ。

 彼女にかかれば半世紀も前に生きた《伐刀者》の力を再現するなど児戯に等しい。

 よってこの件――《遮断》の力により一輝達と分断した犯人は彼女と見ていい。

 

 月影と黒乃、寧音が一輝達から分断されたのは仁が《擬装》を解く直前。

 仁が《魔人》と本来の力を開放すると分かった瞬間、それを阻止しようと動こうとした、まさにその時だ。

 彼等の前に《ブラックカーテン》が顕れ、一切の干渉を封じたのは。

 犯人である《最古の魔女》は驚く程あっさりとその姿を現したが、それ以降目立った動きは見せていない。

 無論、黒乃と寧音も使用者を倒せば、この伐刀絶技を消せるのは理解しているが、流石に今回は相手が悪過ぎる。

 数百年生き、その間『記憶』された数多の《伐刀者》の力を有する魔女だ。

 どう過小評価した所で、万が一にも自分達に勝ち目は無い。

 何より、魔女からすればその数多の《伐刀者》の力すらもあくまで能力の一端でしかないのだ。

 真に恐ろしいのは『記憶』本来の力。

 事実上の不老不死すら体現させたその力の前では重力という純粋なエネルギーも、時間という因果干渉すらも無為と化す。

 だからこそ、彼女達はこうして手をこまねいているしか出来ないのだ。

 

「黒鉄、ヴァーミリオン……」

 

「あの野郎、マジで何考えてやがる……」

 

 教え子の安否と、腐れ縁の思惑が分からず、ただ案ずる事しか出来ない身を呪った。

 





『記憶』の概念干渉系は個人的にやばい思う異能トップ3に入る能力だと思ってます。


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三十三話

「イッキ、気付いてる?」

 

「うん、先生達と分断されたね」

 

 僅かばかりとはいえ、何とか持ち直した一輝達は自分達が置かれている立場を再確認した。

 仁の気に呑まれていて気付かなかったが、どうやら黒乃達と引き離されたようだ。黒い幕のような物が彼女達がいた方に出現し、その先が見えない。

 これもまた仁の狙いなのだろうか?

 どちらせよ、仁とは刃を交える以外道はない。

 

「行くよ、ステラ!」

 

「ええ!」

 

 構え直し、呼びかけるとステラも応じた。

 偽りの姿を捨てた仁との力量差はこの段階でもはっきりと分かる。

 しかし、「だからどうした」と二人は意気込んだ。

 そんな事はわかっている。だが素直に要求を呑むつもりもない。なら、徹底的に抗う他ない。

 

「消し炭になって文句言わないでよ、先生!」

 

 ――《煉獄竜の大顎(サタンファング)》。

 反抗の狼煙というには巨大で派手な七つの炎の竜の首が顕現する。

 それらは大きな顎を開け仁に向かっていく。

 仁は既に《孤狐丸》を顕現しているが、鞘に納めた状態で帯刀している。抜く必要はないという事だろうか。

 舐められてる。まずはその鼻っ柱をへし折る。

 そんなステラの感情が反映されるかの如く、七つの竜は荒れ狂う。

 一つでも驚異的な火力を誇る炎竜が七つ。

 単純に数だけ見ても増している脅威性。まともに喰らおうものなら宣言通り消し炭になるであろうそれを前に、しかし仁は慌てた様子はない。

 翳す様に右手を眼前にまで上げる。そして、迫りくる七つ首の竜を捉え、何かを握り潰す様に拳を作る。

 次の瞬間。

 まるで見えない巨人によって引き千切られたかのように、炎竜は断末魔をあげ、その姿は四散した。

 

「嘘!?」

 

 驚愕するステラ。彼女が何より驚いたのは《煉獄竜の大顎(サタンファング)》が破られたからではない。七つの竜を全く同時に破壊された事についてだ。

 タイムラグなど存在せず、同時にそれを行ったという事は、一輝とステラが知る得る仁の能力では出来ない。やはり全容は明かしていなかったのだ。

 炎竜の残滓ともいうべき火の粉が舞い散る中、駆けたのは一輝だ。

 《比翼》の動きにより格段に跳ね上がった速度。それを最大にまで引き上げ、一直線に仁を捉える。

 

 ――第一秘剣《犀撃》。

 

 一輝が持つ中で一番の破壊力を持つ技。

 かつては仁の前に破れたが、以前の一輝とは違う。

 《比翼》の加速により、更なる突進力を得たそれならば以前の様に鞘で受け止められる事は出来ないはず。

 更には宙を舞う無数の火の粉のお陰で目眩ましもある。

 即席とはいえ、相方の力も利用した見事な一撃であり、事実仁は避けることが出来ない。

 

(いける!)

 

 そう確信したと同時に《陰鉄》の切っ先は仁を捉え、貫いた――かに思われた。

 その光景は、ゆっくりと、まるでスロー再生のように見えた。

 仁の右手が動く。人差し指だけを出し、それを一輝……《陰鉄》の切っ先に合わせるように向ける。

 すると、見事に衝突し、一輝の突進は止められた。

 

(っ!? 指一本で!!)

 

 驚愕する一輝を他所に、仁は涼しい顔をしている。全くダメージが入っていない。

 あり得ない。

 そんな感想を抱く暇もなく、次いで一輝は突如弾き飛ばされた。

 まるで砲弾にでも当たったかのような衝撃だが、二転三転しつつも受け身を取り持ち直す。

 そんな一輝と入れ替わるように、間髪入れずに今度はステラが仁に刃を振るう。

 元よりパワーに自信のあるステラの上段切り。更には摂氏三千度の炎を纏った一撃だ。

 受けるには困難な上に、避けても衝撃が周囲に飛ぶ。

 そんな剛剣を、仁は右手の親指を弾きその勢いを刀身に当て、軌道を逸らした。

 結果、対象から外れた剛剣はそのまま大地を破砕し、衝撃を起こす。

 当然至近距離にいた仁はまともに受けた……はずだったのだが。

 

「がっ……!」

 

 ダメージなぞないと言わんばかりに裏拳でステラを叩き飛ばす。

 

「何なのよ、これ……!」

 

 危険を察すると同時に《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》を展開したはずだった。しかし炎の鎧などまるで無いかの如く、仁の拳はそれを突き破り、確かな一撃を与えた。

 見た目に反し重い一撃と、先の不可解な現象に苦虫を噛み潰す。

 

「……魔力放出だ」

 

 自分が喰らった一撃と、ステラとの応酬で一輝は仁の繰り出した攻撃を看破した。

 何て事はない、ただの魔力放出だ。ただ問題なのはその瞬間出力と制御だ。

 一瞬の内に繰り出す魔力が高い上に、それを瞬間的に行う制御能力が常軌を逸したレベルだからこそ行えたのだろう。

 だが、あくまでこれは仁の反撃や剣の軌道を逸らした際に使用したもので、ダメージを喰らわない絡繰は依然として不明だ。

 《犀撃》を受けて傷一つない理由も、ステラの炎に触れたはずなのに火傷一つない理由も見当がつかない。

 ただの魔力障壁なら一輝はともかくステラに関しては説明がつかない。

 

(やっぱり、先生の異能の正体が分からないと突破口が見い出せない)

 

 憶測での異能の候補は幾らか思い浮かぶが、その何れもが今まで使っていた能力を含めて考えると合致するものがない。

 やはり、異能の正体を突き止めるしかない。

 ステラにアイコンタクトでそれを伝えると理解したのか頷いた。

 

 「《焦土蹂撃(ブロークンアロー)》!」

 

 火球が空を埋め尽くす。

 一つ一つが爆弾の如き破壊力を秘めたその数、優に三百以上。

 桁外れの魔力量を保有するステラだからこそ瞬間的に生み出せた芸当だ。

 そうして生み出された破壊の雨粒は、容赦なく標的()に降り注いだ。

 絨毯爆撃という言葉すら生温い破壊力を持つ伐刀絶技。

 如何に強固な防御を持っていようとも全くの無傷という訳にもいかない、何かしらのアクションは取るはずだ。

 それをつぶさに捉え、観察し、予想しなければいけない。

 時間は掛かるが、確実且つ堅実に攻略するには地道に行く他ないのだ。

 だからこそ、これから起こりうるであろう何らかの反応を見逃してはいけない。

 

「《夢現境界》」

 

 そして仁は動いた。

 再び右手を眼前に差し出す。手を開き、迫りくる紅蓮の雨に向けた。

 次いで、スッと横に動かす。まるで布で窓を拭くように、普通に生活する上で行われる、そんなありきたりな動きだ。

 だが、その瞬間。

 彼の手に合わせるかのように空間が歪み、極光(オーロラ)が発生する。

 それは破壊の限りを尽くす紅蓮の雨から仁を守るかの如く彼の前に展開し、不気味にゆらゆらと揺れている。

 気味が悪いが、だからといって三百を超える火球を防げるとは思えない。

 頼りないとも見える極光のカーテンに、しかし何故か脅威を覚えてしまい――その予感は見事的中する。

 無数の火球は、オーロラを破る所か、通り抜けた傍から色と実体を無くし消えていく。

 例外は一つとしてなく、空を埋め尽くす程にあったはずの火球は全て消え失せていた。

 そうして、仁は手の平を下にする。

 するとオーロラは仁の前から消え、新たに一輝達の真上に発生する。

 ――マズイ!!

 直感で危険を察知した二人の反応は早かった。

 一輝は《比翼》の速度で以ってオーロラの範囲外に、ステラは《妃竜の羽衣》を展開した。

 

「返すぞ」

 

 まるで鍵盤を弾くかの様な動きで指を下にした。

 そのすぐ後だ、上空から三百を超える紅蓮の雨が降り注いだのは。

 ダイナマイトを彷彿とさせる爆発と爆音が二人を襲う。それも一つや二つなどではない。数えるのが億劫になる程の数の暴力が次々と襲い掛かってきているのだ。

 それは正しく、先程オーロラの彼方に消えた《焦土蹂撃》であった。

 数、威力、速さ。その全てをそのままに返されたのだ。

 紅蓮の雨が地面に着弾する度に、破壊と破砕が起こり、爆発は連鎖する。

 時間にして十秒にも満たなかったが、そんな短時間でリングは平な所はなくなり、火の海と化してしまう。

 

「ステラ! 大丈夫!?」

 

「え、ええ……何とかね」

 

 集中砲火であり、絨毯爆撃でもある《焦土蹂撃》に曝された二人だったが、五体満足で再会する。

 回避に重点を置いた一輝は、大きな怪我はないものの破壊され飛び散った無数のリングの破片は完全に避け切れなかったらしく、至る所に小さな裂傷がある。

 防御に重点を置いたステラは被弾こそしたが流石の魔力量のお陰か、多少のダメージは負ったが、重傷はない。

 二人共、肉体は戦闘を続行出来る状態ではあるが、精神は僅かに揺らいでいる。

 理由はいうまでもなく、先の仁の伐刀絶技《夢現境界》によるせいだ。

 

「なによアレ!? 《空間》の異能か何かなの!」

 

 空間が歪み、オーロラが発生し、自らの攻撃を全て消されたと思ったら返された。

 ステラの見解は短絡的ではあるが、そう思わせるには十分な現象であった。

 実際《空間》の異能であれば、一輝とステラの攻撃が効かない理由にも納得はいく。《胡蝶の夢》もその類ならば出来なくはないかもしれない。

 

(でも、《空間》の異能だと具現化の能力の説明が出来ない)

 

 しかし、そうなると仁が得意とする具現化能力は何なのかという話だ。

 あれは空間の異能で出来ることではない。何処かから転移させるとか引き寄せている訳ではない。瞬時に、即座に魔力を使って造っているのだ。

 少なくとも一輝の目には《空間》で武器を引っ張りだしているようには見えない。そういう挙動がなく、転移にありそうなロスが僅かもない。

 故に《空間》という線は除外すべきかもしれないが、そうすると今度は先のオーロラが気になってくる。

 アレもまた純然たる具現化能力では出来ないはずなのだから……。

 頭の中で正体を暴こうと錯綜する思考。

 空間、物質、複写……様々な候補が思い浮かぶがやはりどれも何か(・・)が違う。

 

「なるほど、時間を稼いで俺の異能の正体を探るつもりか」

 

 その考えは仁に見抜かれていた。

 それはそうだろう。一輝もステラも仁の本当の異能を知らないのだ。そうするだろうと読まれることくらい想定済みだ。

 無論その状態でも最初から全力で立ち向かって勝算がなかったのかと言われれば、希望的観測で見積もれば一%くらいはあったかもしれない。

 だが、その選択を握り潰す程に、あの姿の仁から発せられた気は異常だったのだ。

 だからこその、一か八かの出たとこ勝負ではなく、堅実な手を取った。

 とはいっても、それでも手を抜くような行為は勿論行っていない。

 奥の手を使っていないだけで、全力で挑み掛かっているのだ。

 

「別に俺は構わないがな」

 

 だがそれでも仁には焦り一つ見えない。

 迫りくる力を淡々と対処していた、ただそれだけの認識。脅威でもなんでもない。

 事実として――

 

「果たしてお前らにそんな時間があるか?」

 

 一輝達は既に決定打と成り得る一撃を与えられているのだから。

 

 ――ピキリ、と。嫌な亀裂音が耳に入った。

 





思ってたより原作の続刊が出てきてくれないので、当初予定していた二部構成にしていたこの作品、一部の部分で終わりそう……。
つまり、VS一輝&ステラがラストバトルとなります。


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三十四話

「え……?」

 

 ――ピキリ、と。

 

 疑問の声をあげると同時に、嫌な亀裂音が耳に入った。

 出所は彼等が握っている物からだ。

 まさか!

 慌てて自らの霊装を確認すると、いつの間にか“罅”が入っていた。

 息を呑んだ。

 

「いつの間にって顔してるな? そんなの、さっきお前らの霊装に触れた時に決まっているだろ」

 

 それはつまり、一輝の《犀撃》を受け止めた時であり、ステラの一撃を逸した時だ。

 両方共ほんの一瞬の接触だったはず。その刹那で叩き込んだという。

 

「《魂現破壊》。説明は不要だな」

 

 名を《魂現破壊》。

 相手の固有霊装を破壊する仁オリジナルの伐刀絶技。

 二人……特にステラにとって忘れる事は出来ないはず。何故ならこの伐刀絶技は彼が赴任してきた際に、喧嘩していたステラと珠雫を仲裁する時に使用した技なのだから。

 当時は力を制限していた為に常に触れていなければ壊すまでに至れなかったが、それがなくなった今、僅かな接触ですら傷を与えることが出来るようになった。

 しかも――

 

(罅が……拡がっていく……!)

 

 一輝は亀裂が入った自らの霊装を観察する。

 すると、ゆっくりではあるが罅は確かに、拡がりを見せていたのだ。

 この現象は覚えがある。ステラと珠雫の霊装を破壊した時も、罅が全体に拡がり切った後だった。

 詰まる所これは霊装が壊れるまでの制限時間を表しているのだ。

 なるほど、確かにこれは悠長な事は出来ない。

 如何に《魔人》に覚醒した身とはいえ、魂の具現化でもある固有霊装が破壊されて無事なはずがない。

 間違いなく、気を失う程のダメージを精神に負うはずだ。

 そのタイムリミットが正にこの罅なのだろう。

 

(固有霊装への干渉……)

 

 仁の扱う異能の中でも飛び抜けて異質な力。

 そんな芸当すら出来るという事は、霊装にすら干渉出来る概念なのだろうが、果たしてそれが出来る物となれば、一体どんな概念が当て嵌まるのか?

 空間、具現化、霊装、魂……。

 繋がっていないようで、それらが内包している概念が必ずあるはずだ。それこそが仁の異能の正体。

 その汎用性、効果範囲から見て、かなり原初……それも普遍的に存在しているものに違いない。

 あまりに埒外な性能の異能に驚愕しながらも、何とか謎を紐解こうと、今この瞬間も脳をフル回転させている。

 対して、ステラは一度破壊された経験がある為か、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 

「だったら――!!」

 

 だが、それはあくまで過去の話。

 

「《竜神憑依(ドラゴンスピリット)》ォォォォォ!!」

 

 瞬間、ステラは《ドラゴン》の体現者となる。

 正に咆哮と呼べる程の大地を揺るがすような爆音が吐き出される。

 明滅した身体と共にそれが終わるとステラの纏う空気も変わる。

 爆発的に跳ね上がった身体能力、並外れた回復力、常に高温を宿す肉体。

 見た目こそ可憐な少女の姿そのままだが、性能(スペック)は今までとは比にならない程格段に向上している。

 無類の力とも言えるそれにも無論弱点はあり、それが魔力の他に膨大なカロリーを消費するという点だ。

 故に、一輝程ではないにしろ長期戦には向かないが、その懸念も仁の《魂現破壊》のお陰で消え失せた。

 どの道制限時間をつけられたのならば、今更出し惜しみをする意味はない。

 そう判断し、ステラは《竜神憑依》を発動させたのだ。

 

「フン!!」

 

 そうして竜の膂力を手にしたステラは先程と比べものにならない速度で仁に接近すると、左手でボディブローを喰らわした。

 それは見事に仁の腹部を捉えた。

 だがしかし、直撃の寸前に仁は右手に易々と受け止める。

 瞬間、空気すら震わす衝撃が周囲に伝わった。仁自身はともかく、彼が立っているコンクリートブロック、その半径十mは粉々に砕け散った。

 それだけの重い一撃を受けて尚、眉一つすら動かさない。

 竜の膂力を、灼熱の拳を真っ向から受け止めているはずなのに、骨は砕けるどころか罅も入っていない。皮膚も焼かれても、爛れてもいない。

 本気の竜の一撃ですら、仁の前では無力なのか。

 そう思い、落胆は――しなかった。

 

「《妃竜の大顎(ドラゴンファング)》!!」

 

 効いていないと分かった瞬間、ステラの判断は早かった。

 その体勢、拳を受け止められた状態にも拘わらずステラは《妃竜の大顎》を放つ。

 密着状態、零距離から放たれた炎竜は仁を喰らいそのまま天へと昇っていく。

 一見するならこれで終わりと思うだろうが、ステラは確信している。

 こんなのでやられてくれる程、仁は柔くはない。

 だからこそ追撃すべく、炎の翼を展開すると後を追うように空を翔けた。

 竜を彷彿とさせる大きな紅蓮の翼を纏ったステラの速度は速く、先に放った《妃竜の大顎》をすぐに追い越した。

 そして、上を取ると同時に炎竜の身体は火の粉に変じる。

 

「《爪刃》」

 

 まるで巨大な爪で引き裂かれたかのように八つ裂きにされたが、真実その通りだ。

 仁が何かを爪で裂くような動作をし終えている所から見るに、伐刀絶技によって破壊されたのだ。

 炎竜に呑まれてからほんの少ししか時間は経っていない上に、やはり(・・・)一つとして焼け跡はない。

 僅かな時間稼ぎにしかならなかったが、それでいい。

 

「《妃竜の大顎》!!」

 

 本命はこちらだと言わんばかりに上空から二発目の《妃竜の大顎》を放つ。

 その大きさは先程よりも大きく、優に倍はある。容易く再び仁を呑み込む事だろう。

 しかし、不意打ちとはいえ先程と比べ距離がある。

 如何に速く迫り来ようとも、僅かな時間があれば仁にとっては十分だ。

 巨大な顎を開き、喰い殺さんとする炎竜を視界に捉えると、それに向け右手を向け、握り潰すような動作をする。

 すると、最初に見せたのと同じ現象が起こる。

 炎竜は断末魔の悲鳴を挙げながら、その身体が崩れていき四散。

 ――すると思いきや、炎の残骸の中、未だに燃え続ける塊があった。

 それは小さな隕石の様に仁目掛けて落下する。

 炎により赤々と染まっていたそれは、纏っていた炎が剥がれていき、ついに実体を露わにする。

 

「なに……!?」

 

 ここにきて仁は初めて驚愕に目を見開いた。

 その隕石の正体は――一輝だった。

 凄まじい速さで《陰鉄》を構え接近してくる。

 何故一輝が……!

 咄嗟の事とはいえ、即座に思考を切り替え、彼の後ろにいるステラの姿を観察し、合点がいった。

 

(なるほど、翼で隠していたのか)

 

 そう、ステラが展開した炎の翼は異様に大きかったのだ。それこそ人独りを隠すには十分な大きさだ。

 二度も放った《妃竜の大顎》は囮。いや、悟らせないようの目眩ましだ。

 真の本命は一輝。

 《妃竜の大顎》も炎の翼も……いや《竜神憑依》すらも全てはこの為の布石か。

 即席とはいえ見事なコンビネーションだ。

 事実、仁は度肝を抜かれた。虚を突くことには成功したのだ。

 ――だからこそ惜しい。

 

「《閃刃》」

 

 無数の斬撃が一輝を襲う。

 仁が得意とする《閃刃》は挙動を必要としない。

 故にどのような体勢であろうとも放つことが出来るのだ。

 突如生み出された斬撃の群れに、重力に逆らえない一輝は飛び込む。

 逃れることは不可能だ。

 確定された未来は真実その通りとなり、一輝は幾つもの《閃刃》の餌食となり、その姿は陽炎の様に(・・・・・)消え失せてしまう。

 そして、その後ろから新たにもう一人の一輝が現れた。

 

「っ!?」

 

 二度に渡る驚愕。

 先の《閃刃》に切り裂かれた一輝は幻だったのだ。

 一輝の使う秘剣《蜃気狼》ではない。空中にいる以上足捌きで残像を作りだすのは物理的に無理だ。

 そうなれば考えられるのはステラの《陽炎の暗幕(フレイムベール)》を措いて他にない。

 幻を先行させることで一輝への被害を少なくしたのだ。

 とはいえ、如何に幻を囮にしようとも離れ過ぎれば気付かれてしまう。故に《閃刃》を完全に回避することは出来ず、一輝は至る所に裂傷がある。そして、《妃竜の大顎》を隠れ蓑にしていたのも事実な為に火傷も負っている。

 それほどの覚悟、肉を切らせて骨を断つ精神で特攻してきたのだ。

 その甲斐あって一輝の間合いに入った。

 リーチはこちらの方が有利であり、一撃で仕留めるべく首目掛けて振り切り、空を切った(・・・・・)

 

「なっ!?」

 

 今度は一輝が息を呑んだ。

 流石の仁とて回避出来ないであろう空中を狙って斬り込んだというのに、どういう訳か標的を見失ってしまった。

 唯一、避けられたと分かった瞬間。

 

「ステラ! 上だ!」

 

 次に狙われるであろうステラに視線を移し、叫んだ。

 ハッとし上を向いたと同時にステラは顔面を鷲掴みにされ、そのまま落下する。

 

(重い!!)

 

 幾度も炎の翼を広げ、羽ばたかせても逃れることが出来ず、重力に従い落ちていく。

 如何に相手が成人男性で体重がステラよりも重いとしても、能力で飛翔しているその身が逃れられないのはおかしい。これもまた仁の異能による産物なのか。

 思考が過ぎり、抵抗を試みようとするが――。

 

「がは……!!」

 

 想定よりも速い速度で落下していたらしく、気付けば地面に叩きつけられていた。

 その衝撃は何トンもある大岩が落ちてきた様で、地響きと振動が周囲に響き渡る。

 

「やはり、頑丈だな」

 

 高度から勢いよく落ちたというのに、両者共に怪我一つない。

 ステラはともかく、仁はやはり何かしらの異能を使っているのだろうか。

 しかし、頭を固定され地面に叩きつけられたステラは軽い脳震盪が起きていた。

 視界がボヤけ、上手く仁を捉えられない。

 だが痛覚により、鷲掴みにしている仁の握力が増していくのが分かる。

 このまま行けば、頭が握り潰されてしまう――!

 正にその直前。数瞬遅れて落ちてきた一輝が、受け身を取ってすぐ仁に向け、刃を振るう。

 ステラを抑え、硬直した状態。その隙を突いての一撃だ。

 先と同様、一撃で仕留めれるよう首を狙う。

 今回は、逃げられないように朧気ながらステラも離さないよう仁の腕を掴んでいる。

 そして、先程見失った距離まで来たが、仁は未だにいる。

 今度こそ斬る。

 その想いを刃に乗せ、渾身の一撃を放つ。

 

 ――だが、しかし《陰鉄》はそこに何もなかったかの様にすり抜けてしまった。

 

 勢いそのままに通り過ぎた一輝は、驚きよりも先に再度斬り込もうとし、身体を向き直る。

 同時に、ステラが一輝に向け投げ飛ばされる。

 咄嗟に受け止めようとするが、《竜神憑依》で灼熱の肉体と化している為に身を焦がすような熱量が一輝を襲う。

 だが、そこは何かと頑丈な一輝。落とすことなく受け止めると、ステラを地面に降ろす。

 

「大丈夫!? イッキ!!」

 

「うん……僕は平気だよ」

 

 火傷を負ったこともそうだが、先の件を含めての謝罪なのだろう。

 《妃竜の大顎》を隠れ蓑にするという案は確かに奇抜で虚を突くには申し分なかった。普通ならアレで一撃入れれたはずだったのだが、今回は相手が悪かった。

 一輝達は知らないが、仁には《縮帯迫狭》という実質転移の様なことが出来る伐刀絶技がある。それを使えば、たとえ空中であろうとも関係なく移動が出来てしまう。

 

「……ごめんなさい、イッキ。ヒントになりそうな物、引き出せなかった」

 

 いくら一輝が耐えれる程に《妃竜の大顎》の火力を落としていたとはいえ、それでも仁に欺く為にもギリギリの調整で放った為火傷を負うのは必至だったのだ。

 そうまでして身を切る一撃すらも通用しなかった。危ない目に遭わせてしまったのに成果が出せなかったことにステラは下唇を噛んだ。 

 

「……いや、そんな事はないよ」

 

 だが、一輝はその言葉を否定した。

 「え?」とステラが疑問の声を挙げ、一輝に顔を向ける。

 

「分かったんだ、先生の異能の正体が」

 

 そして彼の衝撃的な発言に息を呑む。

 

「候補としては浮かんでいたんだ。でも、それはあまりに常軌を逸するものだったから一度は除外した」

 

 既に一輝は一度は目星を付けていたらしい。

 ステラも同じく戦っている中でどういう能力か思考していたが、結局解明は出来なかった。

 やはり観察眼において一輝はずば抜けているのだろう。

 流石だと思いつつも耳を傾ける。

 

「でも、今までの先生の使った力、それを全て扱えるのはやはりこれしかない。何よりもステラが証明してくれた、見た事も聞いた事がないものでも未知の異能がまだあるという事を」

 

 ステラと同じ《ドラゴン》の異能を持つ者を一輝は知らない。

 異能と一言で言っても千差万別だ。大体は過去に発現、発見されたものと比較して、どのようなものか見定める場合が多い。自身で気付ける事もあるが、汎用性の高かったり、一側面の力が強力だと本人ですら誤認したままの場合すらある。

 その為、中には一度として見つかっていない、もしくは正しく理解されなかったものもあるはずで、ステラの《ドラゴン》もまたその内の一つだったのだろう。

 そういった例を間近で見たからこそ、一輝は一度は除外したその選択肢をまた掬い上げたのだ。

 

「その事を加味して考えた結果、僕はこれ以外に思い付かなかった」

 

 今回の戦闘以外でも体験した事象、それらの事まで思い返し考察した。

 《胡蝶の夢》を含め、まるで空間に干渉するかのような力。しかし、もしそれならば先の一輝の特攻の際に隠れ蓑にした《妃竜の大顎》が破壊される時、一輝も諸共に消し飛んでなければおかしいのだ。

 最も得意とする具現化能力もまた物質だけに干渉するのであれば固有霊装への干渉は説明出来ず、また《閃刃》や自らの肉体を変質させていた《擬装》の説明には説得力が足りない。

 その上、先に見せた空間転移を思わせる力と、自らの肉体すらも透過する異質さ。

 純粋でいて、普遍的、そしてもし干渉出来るのならば凶悪極まりない概念であろう。

 恐らくは万物万象が内包しているであろうその名は――。

 

「――《存在》」

 

「……え? 今、なんて言ったの、イッキ……?」

 

 耳を傾け、一言一句漏らさず聞いていたはずだったが、もしや聞き間違えたのだろうか?

 そう思い、恐る恐る再度訊ねた。

 頭では理解している聞き間違いなはずがないと、ちゃんと聞き取ったのだ。

 しかし、感情は受け入れることが出来なかった。

 だってそうだろう? もし、本当にその概念に干渉出来るというのなら……。

 それはつまり、事実上この世界にある全てのもの(・・・・・・・・・・・・)に干渉出来るということなのだから。

 だからこそ、否定して欲しくて訊ねたのだ。

 だが――。

 

「先生の異能は、《存在》の概念干渉系だ」

 

 無情にも、今度こそ一輝ははっきりと言い切った。

 その言葉にステラは絶句する。

 言った本人である一輝すら沈痛な面持ちだ。

 認めたくないのは一輝とて同じだろう。

 だがそれでも、きちんと受け止めて立ち向かわなければいけない。

 それだけ眼前に佇む《魔人》は驚異的な力を宿しているのだから……。

 

「はっ!」

 

 真相に気付き、尚も諦めない眼をする一輝に、魔人()は愉快に笑みを浮かべた。



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三十五話

「《存在》の概念干渉系……それが彼の真の異能だと……?」

 

 遮断された空間の外。

 手をこまねくことしか出来ない三人の話題は、《ブラックカーテン》の向こうへと行った二人の生徒と仁に関することだった。

 一輝とステラの実力は知っているが、仁に対してだけは知らない月影がかつて互いに研鑽しあった黒乃と寧音に対して訊ねた。

 その際に、仁の異能について語られたのだ。

 

「だが、彼の異能は確か……」

 

 《欠落具現》という歪な形で発現した具現化能力のはず。

 少なくとも、月影は情報としてそれを識ったはずだ。

 異能が二つある? そういう訳でもないのだろう。

 ――いや。

 

「そもそもの話、前提からおかしいのさ」

 

 月影の疑問に答えたのは寧音だ。

 つまらなそうに鉄扇で肩をトントンと叩きながらも《ブラックカーテン》の方を見続けている。

 

「前提とは?」

 

 何を以っての前提なのか、そこが気になった月影は疑問をそのままに口にする。

 

「んなの決まってんだろ? ――なんで異能に固有名称が付けられてんだよ?」

 

「っ――!?」

 

 その言葉にハッとする。

 そうだ、どんな異能であれ固有名称を付けるというのは本来あり得ない。

 基本的に何を司り、どの力の系統かが判明すればいいだけなのだからわざわざ名を付ける意味はない。

 なのに何故そんな異能があるなどと思い込んでいたのか、それはそうなるように仕込まれていたからだろう。

 

「名称が付いているということは識別しなければいけなかった理由があるはず」

 

 そして黒乃の言う通り、わざわざ特定の異能に名前を付けるということは、明らかに他の異能と分けなければいけない理由があるはずだ。

 

「……なるほど、《存在》の異能はそれ程に危険という事か……」

 

 なまじ人生経験が豊富で、相応の立場にいるからか月影はその理由をすぐに理解した。

 別段難しく考える必要はない。もし仮に《存在》に干渉出来る異能を持つ者が出た場合、その力で何が出来るか、出来てしまえるかを考えればいいだけの話だ。

 

 ある一説では宇宙が生まれる前は『存在』という概念すら存在しなかったという。

 つまり逆説的に言えば宇宙が生まれた瞬間初めて誕生したのは存在という概念であるともいえる。

 それだけ原初にして普遍の概念なのだ。

 そして、存在という概念は与える影響も大きい。時間や空間ですら観測者が存在しなければ、明確に在るという証明が出来ない。

 無論、因果――原因と結果にも関わりはある。

 いや、もっと広くいうのなら、この宇宙に在るもの全てが等しく存在という概念を内包しているのだ。それは実際にないもの、例えば架空や伝説のものですら例外ではない。どんな形であれ『在る』以上は存在しているのだから……。

 そう考えれば、如何に凶悪でデタラメな力なのか分かるだろう。

 ――とはいえ、本当に万能の力ならわざわざ偽って隠す意味はないはずだ。

 

「つっても、アイツが言うには《存在》って言うのはかなりデリケートなものらしいぜ」

 

 普遍的に内包しているということはそれだけ因果にも拘わり易いという事だ。

 その為、迂闊な行為はそのまま自分の首を絞める。

 特に起きやすいのはやはり『存在の消滅』だろう。

 もしも、《存在》という大きな要素に干渉出来る場合、真っ先に思い付き尚且つ実用性が高そうなものを思い浮かべるとしたら大多数はそう考えるだろう。

 目障りな者を消そうと考える者はいるだろう。それは異能の保持者本人であったり、利用しようとする者であったりと様々だ。しかし、その思考を抱く人物は必ずいる。

 そうしてその欲望のまま力を行使して平気なのか? と問われれば勿論そんなはずはない。

 瞬間的な物、例えばマッチの火とかのように持続性が少ないものならともかく、人間の寿命は他の生物と比べても長い。おまけに関わりや繋がりというものに大きく影響される。

 その分、一人が人生で起こす因果は思いの外多い。

 しかもそれが一般人とかではなく、多大な影響力を持つ有力者や実力者の場合計り知れないだろう。

 その存在を丸ごと消して影響が出ないはずがない。必ず矛盾が生じ、代償を払うことになる。それは時として災害にすら発展する。

 ならば今生きている人を神隠しの様に消すだけなら影響が出ないのかと問われれば、それもまた違う。

 《存在》は概念だが、因果と切っても切れない関係だ。そして因果には少なからず時間が関与する。原因と結果。この二つは全く同時に起きる訳ではないからだ。

 因果と密接な関わりがある以上、概念干渉系の力として扱うには緻密で繊細な、それこそ常に針の穴に糸を通すような正確性が求められる。失敗した時の反動は非常に大きい。

 『存在を消す』。口では簡単に言えるが、因果律を狂わせないように出来た者は長い歴史の中でもいなかった。

 少なくとも、扱える者など今後出ないだろうと見限り、『欠陥品』の烙印を押した《最古の魔女》、彼女が生きた数百年に及ぶ歴史の中にはいなかったのだ。

 

 だからこそ、それを実現出来た仁は稀有な存在だ。

 皮肉な事に、誤った認識をそのまま鵜呑みにすることで具現化という方向性に持っていき、更には高い魔力制御までも身に付けることに成功したのだから、正に奇跡の産物に等しかっただろう。

 己の真の異能に気付いた後ですら、出来る限り存在を消滅させるという手段を取ることはなく、もし使うとしてもそれは瞬間的に生み出された技や魔術に対してのみ。

 自らの保持した異能の危険性を見抜いているからこそ、慎重に扱う。

 仁が人を蘇生させる場合も決まって《胡蝶の夢》の範囲内でだ。その理由もまた現実での因果に絡ませない為。あの空間は一種の夢だ、夢の中でなら死んでも現実に影響はない

 仁の異能では現実に起こったことを反故にしようとすると、余計なものにまで触れてしまう可能性がある。だからこそ、その時々で使い方を変える必要性がある。

 万能のようでいて、実は色々と制約を定めないと真っ当には使えないのだ。

 ハイリスクハイリターン。見合った性能を引き出すことは出来るが、誤った時のリスクは尋常ではなく高い。

 そんなものを駆使し、《魔人》の域にまで昇華した仁を相手に一輝達は果たして大丈夫なのか?

 恐らく彼等の答えは同じだ。普通に考えれば無事でいられる訳がない。

 如何に《魔人》と化した一輝、《ドラゴン》の概念干渉系を持ち且つ世界最高の魔力を保持しているステラの二人とてまず倒すことは出来ない。それだけ仁との間にある差は大きい。

 だからこそ、そう思うのは当然なのだが……それにしては時間が掛かり過ぎている気がする。

 月影はともかく、寧音と黒乃は仁の実力を知っている。確かに昨今の程は刃を交えていない為不明ではある。しかし、仁は二人とは違い、立ち止まらず強さを求め今尚研鑽し続けているのだ。

 その事を踏まえて考慮すれば、どう足掻いたとて一輝とステラに勝ち目はない。

 それこそ、本気で殺しにいくのであればとっくに決着が着いているはずなのだ。

 だがどうした事か、未だ遮断の幕は上がらない。つまり決着は着いていないのだ。

 《最古の魔女》も動く気配はなく静観しているだけ。

 何か意図があると考えるべきか。

 

「新宮寺君」

 

「今は待ちましょう、それ以外に私達が出来る事はありません」

 

 不気味な程に動かない《最古の魔女》。

 彼女がいる理由も不明だ。ただ今回の一件の妨害を阻止したいのなら手段は幾らでもあるはずだ。仁の異能ならそれをするのは可能なはずなのだから。

 わざわざこのタイミングで、《最古の魔女》の手を借りてまで行うということは、やはり裏があるのだろう。

 そこを信じる以外に彼女達には選択肢はないのだ。

 寧音は既にそれを察しているのだろう。遮断の幕を注視こそしているが、無駄な警戒は解いたらしい。

 そんな好敵手の姿に黒乃もまた倣うのだった――。

 

 



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三十六話

「よく気付けたな」

 

 一輝が見破った仁の異能の正体。

 それを聞き驚愕のあまりに絶句してしまったステラを他所に仁は愉しげに嗤う。

 その言葉、態度から一輝の推察はやはり当たっていたらしい。

 

「そう、俺の異能は《存在》の概念干渉系。その概念が示す通り、一応この世に存在する全てのものに干渉出来る」

 

 言うと仁は右手を広げると炎が生み出された。

 それは松明の火の様にゆらゆらと揺れるが、すぐにその姿は消えてしまう。

 今度は氷を顕現させる。小岩程の大きさのそれは出現してから数秒と経たず粉々に砕け散った。

 どちらも顕現させる事は可能だが、持続性はないようだ。

 

「と、言えば耳心地良いが、実際はそこまで万能じゃあない。全てを思いのままに操ることは出来ない、出来るのであればそれは既に神の領域だ。ま、俺はそんなものになりたいとは思わんし、興味もないがな」

 

 今度はナイフを顕現する。それを握り、くるくると手馴れたように扱う。

 それだけで既に先の炎と氷の顕現時間を超えている。

 やはりこちらの方が馴染む。そういう含みがあるかのように笑うと、ナイフを投げた。

 弧を描き、宙を舞うナイフは徐々に色褪せていき、最後には透明になるように消えていく。

 力の方向性、イメージの固定化。自らの異能の特性を理解した上で自分に適した形へと落とし込む事で、最適解へと持ってきた。

 あらゆるものへ干渉出来るからと言ってその全てをものにするのではなく、取捨選択をし、伸ばせる所を伸ばす。出来そうだと感じた時にはそちらにも着手する。

 人間としては当たり前の行動だ。しかし、過去にこの異能を手にした者達はそれが出来ずに自滅していった。目の先の巨大な力に手を伸ばした末路ともいえるが、同様の状況に陥った際に誰しもが仁と同じ選択が出来るかと問われれば無理だろう。

 それだけ、この異能は魅力的に映っていたのだろう。

 そんな異能を持ちながらも振り回されるのではなく御し、どんどん手懐けていく。

 仁にとって異能はただの力に過ぎない。強くなる為の手段の一つに過ぎないのだ。

 武術も、魔術も、《覚醒》も、《魔人》も、《互眸鏡》も同様。

 ただ強くなろうと思い、日々研鑽する仁にとってどれも等しく『手段』でしかない。

 たとえ今の異能以外を保持していたとしてもきっと《魔人》に至るだろう。それ程までに『力』に対する執着心は強く、純粋だ。

 数え切れない実戦経験、何度も死に瀕することで手にした第六感、《魔人》と化して尚研鑽し続けて身に付けた魔術と武術。その全てが仁にとっては等しく同じなのだ。

 

 ――ああ、やっぱり、この人は強い。

 

 素直にそう感じ入る。

 『力』に対する探究力が今まで出会ったどの伐刀者よりも強い。王馬も相応だったが、年期が違い過ぎる。

 それに、ただ強くなる為に鍛えるだけではない。己の異能の研究にも余念がないのだ。

 武術も魔術も極めようとし、それを実行している。

 それに掛けた時間と労力は一輝やステラの想像を遥かに上回っているだろう。

 その結果は既にまざまざと見せつけられた。

 ステラの圧倒的な火力も、一輝の剣術も即対応される。

 たとえ虚を衝いた所で鍛え抜かれた第六感により、それすら躱される。

 そもそもの話、攻撃そのものが通じていない。

 仁はこの姿の時、魔力障壁の他に《位相皮》という伐刀絶技を常時発動している。触れた存在の序列そのものを強制的に引き下げるというものだ。

 一瞬で灰と化す火力はマッチの火の如く、研ぎ澄まされた剣戟は爪で引っ掻くように、そういった階位にまで強制的に引き下げてしまう。

 完全に消滅させるのではなく最小にまで軽減させ、そして軽減されたそれらは通常の魔力障壁により遮断される。

 《大六感応》とはまた別にこの二つの強固な盾がある故に仁の防御を突破するのは非常に難しい。 

 無論一輝達はこの伐刀絶技を知らない。しかし、今までの応酬でそれに近い能力があることには気付いている。

 その上で、霊装に手を掛けてもいない。

 そのまま行けば……どの道ジリ貧となるだろう。

 《ドラゴン》の力すら消せる異能の前では下手な小細工は最早通用しない。

 

「――《一刀修羅》」

 

 それを理解したからこそ、一輝もまた奥の手を出す。

 《一刀羅刹》でも《追影》でもなく《一刀修羅》を使う理由は簡単だ。

 現状の一輝ではどれ程鋭い剣戟をしようとも、一太刀では決して届かないであろうという自覚がある。

 故に必殺の一撃ではなく最大限に動ける一分間を選んだのだ。

 青い《魔力光》を纏ったその姿を見て、仁は愉快に口を歪めた。

 

「来い」

 

 招くような口振り、その言葉に誘われるように一輝は駆ける。

 一秒も使わず浴びせた一太刀は、しかし仁には届かない。手応えがなく、斬ったという感触すらない。

 想定していた通り、やはり防がれたのだ。

 しかし、だからどうした。

 

「うおおおおおおおお!!」

 

 間を置かず一輝は剣戟を奔らせる。

 煌めく軌道は仁を中心に何重と描かれるが、その全てが無為と化す。『存在』という絶対的な原則の前ではあらゆる現象が無力だ。しかし、それでも構わず一輝は一心不乱に斬り続ける。

 そんな状態が十秒と続いた時だった。

 

「――っ」

 

 不意に仁が右手を翳した。その瞬間、一輝の一閃が振り下ろされた。

 すれ違い様に斬り抜けると同時に赤い液体が滴り落ちる。

 仁の手のひらから薄っすらとだが、赤い線が入り、血が滴ったのだ。

 存在という絶対的な序列により下位にまで引き下げられた斬撃が何故その様な結果を残したのか。

 それは単純な話。如何に序列が低かろうとも上位の存在に傷を負わすというのはよくある話だからだ。

 紙で手を切るように、蟻の一噛みで痛みを感じるように、ただそれだけの事。

 弱者が強者に傷を負わせる等よく耳にするだろう。

 ならば同じ弱者である一輝が出来ない道理はない。

 だが、無論これが出来たのは一輝自身の力にもよるが、《比翼の剣技》による所が大きい。

 ただの紙を用いてですら鉄パイプを切断できる常軌を逸した技巧。それを修得出来ていなければきっとこの剣が届くことはなかったはずだ。

 しかし、そうまでしても斬れたのは薄皮一枚。そこが現在の一輝の限界だ。

 

「――はっ!」

 

 だが、仁からすればそんな薄皮一枚でも斬れたことが驚きだ。

 ステラのドラゴンのブレスですら完封した《位相皮》をほんの僅かとはいえ突破するとは……全くもって喜ばしい。

 その傷を見て、血を舐め取ると、歓喜の声を挙げる。同時に仁は《孤狐丸》を鞘から抜いた。

 

「《擬装剣――小烏丸》」

 

 そして得物の形が変質する。

 透き通るような白さだった刃は一変し、黒一色に変貌する。両刃と片刃の中間の様な歪な形をしたそれが顕現すると、無意識に一輝は後方に下がっていた。

 本能から来た危機回避だったが、その判断は正しい。

 たった今一輝がいた所を刃が過ぎった。

 見るといつの間にか仁が接近しており、刃を振り切っていた。

 移動の素振りすら見せなかった事からまた転移なのだろう。やはり距離を離そうとも即座に縮められるようだ。

 ならばこそ、このまま詰めて攻めるべきだ。

 そう即断し、足を踏み込もうとした瞬間――

 

(いや、違う!? これは!)

 

 身を翻し、更に距離を取った。

 数瞬遅れて、仁が斬った空間が裂かれている事に気付いた。

 その光景を一輝は知っている。

 サラとの戦いの際に、偽とはいえエーデルワイスが見せた技そのものなのだから。

 

(転移なんかじゃない! アレは純粋な速さだ!)

 

 何故それを仁が出来るのか、答えは簡単だ。

 仁もまた《比翼の剣技》を修得したからに他ならない。

 元より優れた伐刀者にして騎士だ。その上《魔人》の領域に至り、エーデルワイスをも降している。

 武術に関しても一輝より多くを学び、修得し、研鑽し続けている。

 だからこそ出来ても不思議ではなかった。

 ――しかし……。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に防衛本能に従い剣を構えた瞬間、一輝は吹き飛ばされた。

 

(ッ……速い!?)

 

 だからといっても、一輝の想定より仁が速いのはどういうことか。

 一閃、二閃と放たれる剣戟を目では捉えられず、経験と本能のみで捌いている。

 一撃一撃の威力は何とか逸らせる程だが、問題なのはその速度。

 エーデルワイスを彷彿とさせる……いや、純粋な速度だけならば超えているであろうそれは正に神速の域だ。

 威力こそは劣るが、速度は上。

 《比翼の剣技》を修得している一輝の目から見てそれはおかしなことだった。

 無駄を削ぎ落とし、音すら生じさせない剣戟。それこそが《比翼》だ。仁の使っているのもまたそれではあるが、やはり違和感を覚える。

 思考を割こうにも許さないと言わんばかりに剣戟が奔る。

 《一刀修羅》状態で、尚且《比翼》すら使っているのに、防戦一方に追いやられる。

 ――何が違う、何処に違和感を覚えた。

 そんな中でも、必死に解けそうな思考の糸を結び直し糸口を探る。

 四方八方から放たれる剣戟。異能により小太刀を造り左手に持ったことで仁の手数は更に増えている。

 仁の異能なら出来ない事を探す方が難しい。そう思ってもおかしくない汎用性に富んだ異能だが、仁はそれを全て使えてる訳ではない。

 必ず今まで使った力の応用が何処かにあるはずだ。

 そう確信し、必死に思い返す。今までの出来事を。それこそ走馬灯を彷彿とさせる程に一瞬の内に過ぎっていく。

 そうして、感じている違和感とこれまでの経験で得た情報から僅かな『差異』を見抜いた。

 

(間合いが変わってる……?)

 

 一輝の感じた違和感の正体。それは間合いだった。

 武器を変幻自在に変える仁に対してそんなものは意味がないものと思うかもしれない。

 事実、現状顕現させてる武器ですら本来の物とは刃渡りが違う。

 そこに違和感を覚えるのは当たり前のことだ。

 

 ――だが、それはあくまで常人であればの話。

 

 その身一つ、剣一本で鍛え登り詰めてきた男の眼はそこではなく肉体の方を注視していた。

 腕の長さが、歩幅の大きさ、指の動き。

 基本受けの構えが多い仁だが、一輝は彼が攻めた時の動きも知っている。『過去の仁』と戦った際に嫌という程目に焼き付けたのだ。

 その時のと現在のを照らし合わせると、僅かだが仁の動きにブレが生じている。

 無論、攻め方を変えていることや使っている技巧が違うという点はある。

 だがしかし、それでも歩幅までも変化するのはおかしいのだ。

 武術とは則ち『型』を如何に最適に、最大限に引き出せるかにある。流派によって『型』は様々だが、決まった『形』が必ず存在している。

 その再現は人によって変化する事はあるだろうが、同じ使用者がそう簡単に変えれるものではないのだ。

 達人の動きが常人と違うのはそれを何度も身体に叩き込み、刻みつけたからだ。それはある種の『癖』とも言える。

 仁程に優れた騎士ならば尚の事それは切り離せないものとなっているはず。

 だからこその違和感だった。

 

(――まさか!)

 

 常人では理解出来ないであろうほんの僅かな……それこそ指二、三本程度のズレ。

 その正体に気付いた一輝は戦慄する。

 

 ――肉体を変えているのか!?

 

 筋肉を、骨の密度を、血液を流れを、肺の大きさを。身体における至る箇所に手を加えることにより、自らの形態(スタイル)を変えているのだ。

 それは王馬の異常な進化ではなく、ステラのような底上げする形でもない。

 強いて言うのであれば《自己改造》だ。自らの肉体を瞬時に変質させているのだ。

 あり得ないことだが、仁の異能を以ってすれば可能だ。

 とはいえ常に何処かしかを変え続けている訳ではないはず。

 自分の肉体とはいえ干渉するのは存在だ。リスクは必ず生まれる。それを最小限に留めるにはやはり――

 

(あの剣か)

 

 仁の霊装が変質した剣にある。

 《擬装剣》。間合いや形を自由に変える《自在刃》とは別に仁が使用する伐刀絶技。

 特定の形と名を与えた剣に己の霊装を変えることで、霊装だけでなく肉体にすら変化を齎す。

 通常、どれだけ鍛えても自分の肉体はそれほどの変化はない。筋肉がついたり脂肪が減ることはあるが、骨が変わったり身体や手足の大きさが変わることはない。王馬の様なある種の進化であれば話は別かもしれないが、本来はそうなのだ。

 しかし、仁はこの《擬装剣》を発現することにより、その剣を扱うのに最も優れた肉体に変質させているのだ。

 速さが必要ならそれに特化した肉体に、力が必要ならそれに特化した肉体を。その都度変えているのだ。

 

(あり得ない……!)

 

 一輝は内心驚愕する。

 自らの肉体に手を加えるのもそうだが、何よりも驚いたのは変えた身体を十全に使いこなしている(・・・・・・・・・・・・・・・・・)ことに、だ。

 体格や骨格が変わるという事はそれは既に『別人』の身体だ。違和感を覚えない訳がない。

 で、あるにも拘わらず、動きにはノイズが一つも見られない。

 自分自身の身体ですら完全に扱える者は多くないというのに、仁はそれを苦もなく行っている。

 ……いや、きっとその域に達するにはとんでもない量の時間と鍛錬を有したに違いない。

 それを感じる程に仁の動きに無駄は一つとしてない。

 

(本当に、この人は……!)

 

 あまりの桁違いの技量差に驚きと共に狂喜する。

 剣士の頂とされるエーデルワイス。彼女と刃を交えた経験があるというのに、仁の剣もまたそれに引けを取っていない。寧ろ速度だけならエーデルワイス以上だ。

 恐らくは《比翼》による瞬間最大速度を出せるように自己改造を行い、極めた結果なのだろう。

 結果、パワーこそは下がったが速度はオリジナルを超えている。

 速度の重要性は一輝が誰よりも知っている。その一輝が舌を巻き、純粋に尊敬すら覚えた。

 それほどまでにエーデルワイスとは別方向に卓越した剣技。

 惜しむべきは自分の身体が彼の剣戟についていけない事。

 如何に経験を詰み、《魔人》と化したと言っても、最小限の被害に抑え、捌くのが精一杯なのだ。

 そうしている間にも《陰鉄》の罅は既に鍔にまで届き、柄に至る寸前。

 《一刀修羅》の制限時間も迫っている。

 もはや後はない。

 そう覚悟を決めると、一輝は距離を取るように大きく後方に飛び退いた。

 瞬間、《一刀修羅》は解かれ、切り替えるように《一刀羅刹》を発動。

 そして、右腕で剣を背中に構え、左手の指で刀身を握りしめた。

 

「面白い! 受けて立つぞ、黒鉄!!」

 

 その構えは決勝戦で見せた技。自らの影すら置き去りにする速さ、『斬る』という概念の究極形。

 《追影》。それを一輝は使用した。

 距離を取られたが、他にも攻撃する手段は幾らでもあるだろうに、仁は愉快に笑い一輝に接近する。

 顕現させた小太刀を消し、一輝と同じ一刀で以って挑み掛かった。

 互いに超速の一撃。

 接近も抜刀も肉眼で捉える者はいないだろう。

 事実、ステラですらこの時二人の衝突する瞬間を捉える事が出来なかったのだ。

 だが、如何な過程があれど結果は必ず生まれる。

 

「……はっ!」

 

 すれ違い、残心そのままに愉快に笑う仁だったが、その胴体には綺麗に斜めの一閃が入っている。

 《追影》は『斬る』という概念が収束されている、その為発動と同時に『斬った』という概念を与える。

 故にこそ『斬る』ことが出来たのだ。

 

「――惜しいな」

 

 しかし、そこから血は流れない。

 

「かっ……!」

 

 対して一輝は膝をついてしまった。

 見ると彼の身体にも鋭い一閃が刻まれている。

 それは見事な袈裟斬りであり、心身共に消耗した一輝にとっては決定打だった。

 そして、同時に彼の霊装は砕け散る。罅が完全に達した為だ。

 結果、一輝の意識は奪われる。

 薄れいく意識の中、何故仁に自らの必殺の一撃が届かなかったのか。

 そう思い、ありったけの神経を以って観察し、彼の霊装がいつの間にか黒い剣ではなく、白銀の刀に変わっていた事に気付き、そのまま意識を失った。

 

 《擬装剣――童子切り》。仁が造り上げた最初の《擬装剣》、その一振り。あらゆる概念、因果干渉を以ってしても不壊不傷の絶対不変の刀。

 この刀の前ではたとえ『斬る』という概念付与ですら意味を為さない。何故ならその様に定まっているからだ。

 人間に酸素が必要なように、血が逆流しないように、そう定まって出来ているからこそ何人も壊すことも傷つけることすら出来ないのだ。

 更に《童子切り》は《無動砕》の発動に必要な要素だ。それ故に肉体もそれ用に調整され、《擬装剣》の中では最硬の防御力を誇っている。必然、《位相皮》と魔力障壁の強度もまた跳ね上がる。

 その結果は見ての通りだ。

 一輝の《追影》を真っ向から斬り伏せ、その身には傷一つ付くことはなかった。

 だが、《童子切り》は仁のとっておきの一つだ。瞬間的とはいえ、それを使用しなければいけない程に《追影》は強力だったのだろう。

 弱点はあるが、確かに強力な技だ。故にこそ、敬意を払って正面から打ち破ったのだ。

 

「さて」

 

 一輝は敗れ去った。

 残るは本命(ステラ)のみ。

 そうして、彼女の方を向くと同時に、眩い灼熱の巨剣が天を穿つ様に顕現した。

 

「……ありがとう、イッキ」

 

 《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》。

 彼女を象徴する伐刀絶技。あらゆる物を焼き尽くす炎剣。その熱量は未だかつて見た事がない程に上がっていた。

 一輝が全力を以って稼いだ一分。その間に彼女は魔力を溜めに溜めて、そして今解放した。

 これまでの戦闘から感じた仁の防御の高さから、通常の《天壌焼き焦がす竜王の焔》では仕留め切れないと悟ったステラは七発分の魔力を全て(・・・・・・・・・)注ぎ一つに束ねたのだ。

 その火力たるや空気中にある水分が瞬く間に蒸発していく程だ。

 

 

「――はっは!」

 

 注がれたであろう馬鹿げた魔力についぞ口元が歪む。

 人一人を殺すには随分と物騒で派手だ。

 しかし相手は《魔人》。こうまでしても完全に倒し切れると断言は出来ない。

 だからこその全力だ。

 惜しむべきはこの場に一輝がいた事だ。彼のお陰で時間を稼ぎ、万全の状態と化した《天壌焼き焦がす竜王の焔》を用意出来た。

 しかし彼がいることでその余波に巻き込まれないよう注意をしなくてはいけない。

 常時であればともかく、今は気を失っている。その状態で身を守る術などあるはずもない。

 ステラの抱いた唯一の懸念。

 

「ほらよ」

 

 それを見抜いた仁は倒れていた一輝をステラの後方に移動させていた。

 その事に一瞬驚愕するものの、考えてみれば当然だ。

 仁の狙いはあくまでステラのみ。一輝は巻き込まれた……いや、勝手に首を突っ込んだに過ぎないのだ。なればこそ、この行動に不自然な所はない。

 唯一の後顧の憂いがなくなり、ステラは今度こそ己が持ち得る最大火力を仁に向け放った。

 

「蒼天を穿て! 《天壌焼き焦がす竜王の焔》!!」

 

 全長百mもある灼熱の暴力。

 幾重にも束ねられた巨大な炎剣。

 ステラの文字通りの必殺の一撃が振り下ろされた。

 

 迫りくる膨大な魔力と火力の塊。

 一輝もだが、ステラもまた成長をしている。《天壌焼き焦がす竜王の焔》を連続で放つのではなく、一つに集束させるまでに魔力制御も上がっている。

 いやはやなんとも、その成長速度には恐ろしさすら感じる。

 だからこそ、避けるのは容易いその一撃を正面から挑んでやろうという気になった。

 刀を鞘に収め、腰を落とす。

 先の一輝と似た姿勢。それが意味するのは仁もまた抜刀――居合い切りの態勢に入ったということだ。

 一輝とは違い、鞘を造り出すことが出来る為それに納刀する。

 一輝然り刀華然り、その一撃の恐ろしさを知っているステラは、しかし構わず炎剣を振り下ろし続ける。

 

「《閃刃・断空》」

 

 そうして仁を呑み込もうとしていた巨大な炎は突如として、真っ二つに両断されてしまう。

 そのタイミングは仁が抜刀するのと全く同時であり、然るにそれが彼の放った伐刀絶技だ。

 

 《閃刃・断空》。その名が示す通り、空すらも断つ閃刃。通常の閃刃は魔力による斬撃だ。ノーモーションから放たれる数多もの魔力の斬撃はただでさえ脅威だ。

 《断空》はそれをより鋭く、強力にすべく開発された。

 《閃刃》は確かな実感を以って発現させるものだが、それでも僅かな差異がある。それはどう足掻いても『想像した斬撃』だからに他ならない。どれほど理想とした一撃であろうとも想像と現実には誤差が生じる。

 本当に僅かなものでしかないが、それを解消しようとした際に思い至ったのが、《閃刃》と同時に剣を振るということだった。

 無論ただ振るのではない。己が理想とし、最高の一振りを以って、想像と現実両方で全く同じ一撃を放ったのだ。言うなれば伐刀絶技を二つ同時に使ったようなもの。

 軌道も速度も寸分違わずに放たれたそれは、従来の《閃刃》より遥かに強力であり、その一閃は正に空間を断つ程。

 

 そんな必殺の一撃を受けたステラの炎剣は見事に両断された。

 そして、絶対的な彼我の差を思い知らされたステラの心と共に必殺の炎剣は――

 

「なめるなぁぁぁ!!」

 

 更なる燃焼を起こした。

 増す火力、渦巻く炎。蛇の様に蠢きながら、まるで互いを喰い合うようにして再び剣へと戻った。

 何故、と。そんな疑問は尤もだろう。

 しかし仁はすぐにその理由を看破した。

 

(面白い! 空間そのものを歪めてそのまま自分の領域にしたな!)

 

 膨大な熱量により、切断された空間が更に歪曲を起こしている。そしてその歪曲された空間を、エネルギーの塊である炎が喰らうように侵食していってるのだ。

 二つに切られた鉄が高熱により、融解してまた一つに戻るように、ステラはそれをやってのけたのだ。

 只の熱いだけの炎ならば無理だろう。しかし、ステラの炎は魔力であり、魔術であり、異能であり、そして――彼女の想いの強さだ。

 通常の炎では出来ぬことだが、不可能を可能とするからこその伐刀者、その頂点に君臨するAランクだからこそ出来た芸当。

 

「――……ああ」

 

 零れたのは感嘆。

 素晴らしい、実に素晴らしい成長速度だ。魔力量、異能も含め正に逸材。

 学生騎士の段階で既にこの域。将来はどれ程に化けるか、想像しただけで口元が歪む。 

 そんな極上の原石を前にして歓喜せずにいられるか。

 笑みを浮かべたまま仁は刀を構える。

 下から上への下段からの放たれる斬撃は、それもまた必殺と呼べる一撃だ。

 《閃刃・断空》は理想と現実が噛み合いさえすれば、如何な斬り方でも発動できるのだから。

 故にこそ、確信出来る。今度こそあの炎剣を斬り裂き四散させれると断定出来るのだ。

 そう判断し、すぐさま動いた仁の刃が再び空を斬る。今度は炎剣だけでなく、その使い手たるステラすらも両断すべき一撃を放つ。

 

「は……?」

 

 ――その間際、驚愕に目を見開いた。

 

 親指に薄っすらとだが痛みが奔った。

 見ると付け根が刃物で斬られたような痕があり、出血していた。

 指が切り落とされた訳でも、多量に出血した訳でもない。

 ただ鋭利な刃物で斬りつけられたかの様な真新しい傷があった。

 何故と、一瞬思考を巡らすが答えはすぐに出た。

 ただ一度だけ一輝が浴びせた一撃。右手の平を斬りつけたあの一撃だ。

 その時受けた傷はすぐに完治しているが、それでもその事実は残っていた。

 《第五秘剣・狂い桜》。一輝の秘剣の一つであるそれは、相手がある行動を起こした時に傷口が開くようにする時間差攻撃。

 本来なら気付かれないように斬りつけるのだが、今回は相手が悪い。《位相皮》の前ではそんな余裕はなく、《小烏丸》を使用された速度の前には掠ることすら出来なかった。

 故にこそ、仁が本格的に動く直前に与えたあの一撃を、一輝は布石として打ったのだ。

 《第三秘剣・円》を完全な形にしたことで人体を巡る力の流れを理解し、浸透勁の技術を有する《第六秘剣・毒蛾の太刀》も応用することで可能とした時間差による内部からの斬撃。

 それは仁の《刻傷切開》からインスピレーションを受け、新たに編み出した技。三つの秘剣の複合技ともいえるそれは、まだ試作段階であり、威力もそうあるものではない。故に名はまだない。

 ステラが仁と対する時に手助けにでもなればと放った決死の一撃は……仁にとって最悪のタイミングで発動した。

 

(マズイ)

 

 即座にそう判断出来たが、もう遅い。

 《断空》は僅かな誤差すら許さない技だ。少しの握力の弛みすら不発の原因となる。

 ほんの僅か、本来ならすぐに治せるような小さな傷でしかないそれは、しかし瞬間的とはいえその弛みを生み出してしまった。

 

 ――あ、ダメだな、これは。

 

 悟ると同時に放たれた《閃刃・断空》は、仁が予想した通り不完全な状態だった。

 通常の《閃刃》よりは強力ではあるが、しかし至高の一振りと言うには遠く及ばない。

 空を断つことも出来ず、ただ鋭いだけの斬撃は、巨大な炎剣と衝突する。

 しかし、それは炎剣を断つことは出来ず、寧ろそのまま呑み込まれ――勢いそのままに灼熱の螺旋は仁に直撃した。

 

 



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三十七話

「はああぁあああァァぁぁあああ!!!」

 

 手応えを確かに感じたステラは直撃させた後も尚も緩めることなく、炎剣を叩き付けた。

 骨どころか髪一本すら残さない勢いで燃え続けるそれは、ついには螺旋の状態を保つことが出来ずに爆発を起こし、周囲一帯が炎へと変える。

 ステラは自分と一輝を守るべく《妃竜の羽衣》で防御する。

 放った術者ですら守らなければならない程の余波。本来では起こり得ない事象だ。

 しかし、ステラは確かに感じた。膨大な熱量を持つ《天壌焼き焦がす竜王の焔》は確実に直撃した……にも拘わらず、暴発する最後の瞬間までその手応えは消えなかった。

 それはつまり、鉄すらも跡形もなく溶かす熱量の中でも仁はその姿を保ち続けたということだ。

 存在という絶対的な概念に干渉出来る故か、純粋に仁が規格外すぎる為か。恐らくは両者であろうが、爆発によりその生死は不確かなものとなった。

 現状のステラが発揮出来る最大出力の《天壌焼き焦がす竜王の焔》。直撃したことは確実、だからこそ倒れていて欲しい。

 跡形もなくは……無理かもしれないが、せめて再起不能、戦意喪失する位にはダメージを負って貰わなければステラと一輝に打つ手はもうない。

 祈るように火の海を睨みつけていたステラだったが――それは叶うことはなかった。

 

「ハハハハハハハハハハッッ!!!」

 

 突如として狂ったような高笑いが響く。

 空気そのものを震わせるような、聴いていると胃に石でも落とされているかのような、酷く重く、潜在的な恐怖を感じる声だ。

 それはステラだけでなく、燃え広がったはずの炎すらもその笑い声に(おのの)くかのように散り散りとなり、どんどんと鎮火していく。

 たった数秒。その間響いた笑い声だけで、周囲を覆っていたはずの炎は残らず消え去っていた。

 そしてそんな中残されたのは、やはり仁だった。

 天を仰ぐかのように恍惚ともいうべき不気味な笑みを浮かべていた彼は、静かにその視線をステラに向けた。

 

「っ!?」

 

 「ひっ」と小さな悲鳴が出るかと思いきや、それすらも出来なかった。

 ただ視線を合わせただけで身体が石にでもなったかのようにピクリとも動かない。

 それ程までに今眼前にいる仁は純粋に恐ろしかった。

 にやりと三日月のように歪む口、宝石や玩具でも見るかのような爛々とした瞳。

 それらが自分に向けられていると思うと、心の底から恐怖が湧き上がる。

 今まで見たことのない姿は得体が知れず、本当に自分達が知っている仁なのかと疑う程だ。

 

「なんで……どうして無事なのよ!?」

 

 そして、無傷な姿を見てステラは狼狽した。

 確かに完全に倒せるとは思っていなかったが、それでも五体満足な上に火傷一つないとはどういう事だ?

 かつてない困惑に声を荒らげてしまっていた。

 その姿を見て仁はニタリと嗤った。

 

「いや、実際危なかったぞ? あと一瞬でも遅ければ俺の肉体は塵も残さず消えていただろう」

 

 仁の言った事は正しい。

 如何に強力な防御の力があろうとも僅かな綻びがあれば瓦解するには十分。

 《位相皮》と魔力障壁による二段構えも一輝の残した一撃により、その綻びとなっていた。如何に強固な鎧とて内側からの攻撃には弱いのだ。

 あのまま受けていれば、そこから膨大な熱量が体内に入り込み一瞬の内に灰と化したことだろう。

 

「ならッ――!?」

 

「どうして、か。まあ、あのタイミングだと避けれなかったからなぁ……その疑問は尤もだ」

 

 それが分かっているからこそステラは激しく動揺をした。その心情を汲み取るかのように頷いた。

 事実として、先に仁本人が述べたように直撃すればひとたまりもなく、回避も出来なかった以上こうして五体満足であることは本来あり得ないことだ。

 しかしとして、それを可能とする『力』を仁は持っていた。

 

 

「簡単な話だ。避けようがなければ避けなければいい。ただ正面から受け止めたんだよ、『俺』という“存在を固定”させることでな」

 

 

「ッ――!?」

 

 その正体を知りステラは言葉を失う。

 《存在の固定》。それはそのままの意味。存在をその状態のまま固定させることで如何な事象や干渉を受けようともその姿が変化することはない。無論それには傷や火傷のような外傷も含まれる。

 《存在》という絶対的な概念に干渉出来るからこその荒業ともいえるそれを、この男は苦もないように語ったのだ。

 

「ま、本来はそんな使い勝手がいいものじゃないから滅多な事では使わんのだがな」

 

 存在を固定させる。それはあらゆる外的要因を遮断すると同時に、対象の存在の意識もまた固定されてしまう。

 詰まるところ『その存在の時を止めて互いに不干渉の状態』にしているようなものだ。その為固定された存在はその間に起こったことを把握出来ない。視界から相手が消えると追うことも出来ないのだ。

 故に絶対的な防御を誇っていようとも使い勝手はすこぶる悪い。

 今回は炎が燃え広がり一時的にでもステラが仁の姿を見失ったから良かったものの、そうでもなければ使う機会はなかっただろう。『固定』も本人の意思というよりは予め制限時間を設けることで解除される仕組みでもある為、やはり使い辛い。

 とはいえ、そんな技すら使わなければいけない程危険な状況であった。いやはや、命の危機を感じたのは一体いつ以来だろうか?

 

「は、ははは! 本当にお前らは……!」

 

 予想を大きく超える展開に仁は浮かべていた笑みを鎮め、左手で顔を覆う。

 二人の成長が喜ばしい反面、それらに当てられ自らの内に燻っている闘争本能が活発化してるのが分かる。

 戦わせろと血が騒ぎ、急かす様に心臓は脈打っている。

 元々仁に堪え性はない。基本即断即決するタイプだ。それでもそんな彼が、何かと今まで我慢出来ていたのは『一ノ瀬仁』という教師の仮面を被っていたからに他ならない。

 だが、今その仮面は取り払われている。

 そんな中自らに迫ろうかという強者の出現は、甘い誘惑でしかない。

 叩けば伸びる。それも分かっているからこそ、身に巣食う本能が騒いでいるのだ。

 ――もっとだ、もっと強くなれ、と。

 自身に迫る、いや追い抜こうかという者なぞ仁にとっては願ったり叶ったりの存在だ。

 己に匹敵しようかというそれらを降すことでまた彼は強くなる。その確信と実績がある。故にこそ、そういった者達にはより力を付けて貰わなければならない。

 

「――マズイなぁ……」

 

 つい零れた呟き。

 意識せずとも腕は既に霊装を構えている。

 布に燃え移った炎の様に、着実に本能が身体を支配していく。

 

 ステラは既に満身創痍。この状態で更に力が増そうかという仁に、しかし彼女は退くことなく《妃竜の罪剣》を構える。

 全身を覆うように、既に罅は広がり切っている。いつ壊れてもおかしくはない。

 だがそれでも、気持ちだけでも退かないよう、自らに活を入れ奮起する。

 そんな姿もまた仁の瞳には魅力的に映った。

 だからこそ、より一層抑えが利かなくなる。

 我慢の限界と言わんばかりに《童子切り》は不気味な煌めきを放ち、ステラ諸共空を断とうと――

 

「そこまでですよ、ジン」

 

 した瞬間。

 突如仁を囲むように三人の女が現れた。

 こめかみに銃口を押し付ける黒乃、首筋に向け《八咫烏》を構える寧音。

 そして、背後で静かに、しかし確かな存在感と共に現れたエーデルワイス。手には二刀一対の霊装《テスタメント》が握られており、無形の構えではあるが即座に斬れる状態だ。

 あまりの突発的な介入に呆然とするステラを他所に、仁は思考を巡らす。

 周囲には《最古の魔女》が展開した《ブラックカーテン》があったはず。それを力ずくで突破するのは並大抵のことでは出来ないが、もしもに備え事前に仁はエーデルワイスとある『契約』を交わしている。

 それは、もし『仁の歯止めが利かなくなった際に止めに入る』というものだ。

 《無欠なる宣誓(ルールオブグレイス)》により『契約』を交わし、その因果の強制力を以ってすれば《遮断》の概念の力であっても突破することは可能だ。特に実行するのがエーデルワイスであるならば問題は何もない。

 故に、彼女が此処にいることに違和感はなく、その後に続いて寧音や黒乃が入ってきたとなればおかしな所はない。

 しかし、それにしては妙に静か過ぎた。

 《ブラックカーテン》を破壊した痕跡が見当たらない。力ずくで突破したにしては引っかかる点は幾つかある。

 

「……なるほど、お前らが入ってきたってことは――」

 

 そうなれば、考えられる可能性は一つしかない。

 

「ええ、貴方の目論見は成功しましたよ、ジン」

 

「……そうか。やっと腰を上げたか、あの石頭共」

 

 エーデルワイスの言葉を聞き、何処か安堵の息を漏らす。

 そんな仁の顔に後ろから抱き着くような形で手を触れる。その手に凶器(テスタメント)はなく、愛しいものを撫でるように優しい手つきだ。

 

「はい。ですから抑えて、ジン。そうしなければ全てが台無しになります」

 

 囁くように、言い聞かせるように耳打ちする。

 

「…………ああ」

 

 エーデルワイスの静かな声により、燃え上がっていた仁の闘争本能が鎮まる。

 その証拠とばかりに、容姿が変貌していく。髪と瞳は黒く、纏っていた空気は穏やかに、重苦しく感じていた存在感はなくなる。

 霊装も消え、そこにはいつもの教師としての仁の姿があった。

 

「っ……は、ぁ……ぁ」

 

 それを確認し、仁からの敵意がなくなったと感じたことと、寧音と黒乃が来てくれた安心感からか、ステラの意識は遠退く。

 同時に、既に限界に達していた《妃竜の罪剣》は粉々に砕け散った。

 

「ヴァーミリオン!」

 

 倒れるステラに気付き、すぐに傍によると黒乃は様態を確認する。

 ダメージの蓄積と《竜神憑依》による反動、そして霊装が破壊されたが故の意識の昏倒だが、外傷は思いの外少ない。

 その様子から黒乃は命の危険はないと判断。一輝も同様、確かに一撃喰らってはいるが、黒乃が手に負えない程の致命傷という訳ではない。すぐに応急処置をした後、彼女は胸を撫で下ろした。

 

「……で? ちゃんと説明すんだろうな、テメェ」

 

 黒乃とは別に未だに仁に刃を突き付けている寧音が睨む。

 当たり前と言えば当たり前だ。

 どんな事情があろうとも生徒に手を挙げた……のは寧音的にはどうでもいい。いや、手塩に掛けたステラを殺そうとしたのは確かに腹立たしいのだが、彼女の最初の地雷はそこではない。

 自分達に……寧音に何の説明もせずに勝手なことをしたことだ。

 無論、仁にも仁の事情がある。だからこそある程度の事は目を瞑るが、流石に今回の一件はその限度を超えている。

 確かに寧音は《魔人》でありながら《互眸鏡》に属していない。過去に誘われた経験があるが、当時は興味がなく蹴ったからだ。

 故に彼等の問題に首を突っ込むことは出来ないが、仁とは個人的な繋がりがある。下手な同僚や友人よりもよっぽど強くて厄介な縁が……。

 その上、今は同じ職に就いているというのにも拘わらず独断で決めただけでなく、無断で実行したのが気に食わない。

 更に言うならエーデルワイスには話していたという事実が余計に頭に来る。

 それこそ、今すぐにでも《八咫烏》の手元を狂わせて首を切り落としてくれようかと考えが過ぎる程に。

 

「わかっている」

 

 だが、それは仁の肯定の言葉により無事収まる。いや、なんとか我慢した。

 その証拠に「ちっ!」と舌打ちをした後、《八咫烏》を解除すると鉄扇で肩を叩きながら背を向け、そそくさと歩いて行った。

 寧音が向かう先には不安を隠し切れていない様子の月影と、その横で静かに佇んでいる《最古の魔女》の姿があった。

 



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三十八話

「さて、確認だが、ババア。《ブラックカーテン》を解いたってことは考えが変わった奴がいると見ていいな?」

 

 エーデルワイスを伴い月影と《最古の魔女》の前まで来ると、早速仁は彼女に問いた。

 ババア等と口悪く呼んでいるが、これは彼女たっての頼みだ。彼女は自らの二つ名があまり好きではないらしく、「それで呼ばれるくらいならいっそババアでいい」と宣った経緯がある。故にこその呼称だ。

 

「もちろんだとも、坊や」

 

 仁の問いかけに魔女は不敵な笑みで返した。

 此処で嘘を吐くような者でないことを知ってる仁は改めて安堵の息を漏らす。

 

「一ノ瀬君、一体君は何を?」

 

 未だに事態を呑み込めない月影は疑問を投げ掛ける。

 寧音にも伝えたが、問題が解決したこともあり、今回の一件……そして仁の企みについて話すこととした。

 

「先も言ったはず、ヴァーミリオンは害と成り得る存在だ、と。だから《互眸鏡》はアイツを排除するべきだと決めたと」

 

 それは一輝とステラと戦う前に言っていた内容。

 ステラの膨大な魔力と《ドラゴン》という概念干渉系の異能からくる危険性とその脅威。

 その結果、未来という不確定とはいえ、自分達にとって邪魔だと感じた《互眸鏡》――その尖兵として仁が出向く事態となった。

 

「ただ、俺個人としてそれは“勿体ない”と思ったんですよ」

 

 しかし、仁本人の気持ちとしては大変不服だった。

 確かに危険性は多いにある。それ程の力であるし、予見が出来る《隔絶僧》が断言したのだから事実なのだろう。

 それでも、やはりあれほどの才と可能性の塊を消すのは忍びなかった。

 何れは自分達に匹敵するかもしれない極上の原石。自らに近付ける者が増えるのは強さを追求する仁にとって稀有で有り難い存在だ。

 それにあくまでもまだ可能性の話だ。確率こそは高いかもしれないが、『絶対』ではない。

 なればこその考えだ。

 

「――だから“賭け”に出た」

 

「賭け……?」

 

 その言葉に首を傾げそうになったが、ふと横にいる魔女の事を思い出した。

 恐らく彼女が此処にいる理由に仁は噛んでいる。そう悟ると、徐々に彼の真意が見えてきた。

 

「そう、《互眸鏡》は力が全て。だが、如何に強大な能力を持っていようとも扱い切れないようならそれは俺らが求める強さではない。だから口でいくら擁護しようともヴァーミリオン(アイツ)に対する見方なんて変わる訳がない」

 

 ただ暴走するだけ、暴れるしか能がない者は《互眸鏡》にいない。況してや扱い切れぬ者、定められた運命に屈する者なぞ論外だ。

 彼等は修羅である、しかし同時に力の探求者でもあるのだ。

 強さに対して貪欲ではあるが、無差別ではない。

 己が求め、理想とすべきそれ(・・)を手にしようと、より高めようとする確固たる『信念』がある。

 だからこそ鎬を削り、より昇華すべく研鑽の限りを尽くすのだ。

 そんな彼等を納得させるには言葉だけでは足りない。

 

「だから――見せたんですよ」

 

「まさか……!」

 

 力、そして『信念』。その姿を見せる必要があった。

 そこで月影はようやく合点がいった。魔女がこの場にいる本当の意味(・・・・・)を。

 それはステラの最期を見届ける為でも、その断罪の妨害させない為でもなく――。

 

「そのまさかですよ、俺との戦闘を全て奴等に見せて考えを変えさせたんです」

 

 ――《互眸鏡》に属する他の《魔人》にステラの価値()を認識させる為だったのだ。

 《最古の魔女》は記憶の概念干渉系の能力者だ。

 記憶を記録し再現する事は勿論、他者の記憶に干渉する事も出来る。

 記憶とは生命が、いや大地や海……広く定義すれば星すらも持つものだ。その概念に干渉出来る魔女からすれば、『誰かが見聞きした記憶を他の者に共有させる』ことなど片手間で行なえるだろう。

 その対象は例え《魔人》ですら例外ではない。

 つまり、仁は自らが経験した『ステラとの戦いの記憶』を、《最古の魔女》の力により、他の《魔人》達に共有させたのだ。

 それにより彼等は識ることとなる、ステラ・ヴァーミリオンという少女が如何に才能と力、そして可能性を内包しているのかを。

 無論、その為に手を抜くような真似をしては意味がない。故にこそ仁は現在自分に課していた能力の制限――『一ノ瀬仁』という仮面を一時的にでも外さねばいけなかった。

 そして解放された本来の仁の(プレッシャー)と能力を相手にステラは抗った。

 いや、それどころかあわや仁を倒し掛けた。

 結局失敗に終わってしまったが、全力を出していなかったとはいえあの仁を一度は追い込んだのだ。

 

 ――そう、《互眸鏡》序列五位。その男に迫った事実は非常に大きかった。

 

 それによりステラを見る目が変わったのは言うまでもないことだろう。

 仁は《互眸鏡》の若輩の中で最も優れている。入って僅か数年で現在の位に座した、これは《互眸鏡》の歴史から見ても早い方であり、それだけ仁が異質であることを表している。

 《互眸鏡》においてですら別次元扱いされる上位四人、彼等に追い付くことすら時間の問題と思われていた鬼才。それをあと一歩まで追い込んだのだ。

 確かに一輝の助勢や仁が全力を出していないという条件はあった。しかしそれでも、同条件で同じことが出来る者が一体如何ほどにいるだろうか? 恐らくは《魔人》でもそうはいないであろう。

 それほどにステラが行なった意義は大きく、だからこそ一度は決まった判決が覆る事態となった。

 

「にしちゃあ幾らなんでも早くねぇか?」

 

 ふと、今まで静観していた寧音が呟くように異を唱えた。

 彼女の言い分は尤もだ。確かにリアルタイムで記憶を共有したとしてもだ。一度決めたことをそう簡単に覆すような輩ではないはず。

 彼等は力もそうだが、持ち得る価値観や考え方、意思の強さからも一筋縄でいくような相手ではない。だからこそあらゆる国々と組織が頭を悩ませているというのに、今回の一件、身内からの進言があれども考えを変えるのがやけに早い。

 彼等の総意はそう簡単に揺らぐような脆いものではないはずだが……?

 

「……なるほど。浮遊票か、君が目を付けたのは」

 

 果たして、その疑問に答えたのは月影だった。

 

「浮遊票?」

 

 何故そんな言葉が出てきたのかと首を傾げる寧音に対して月影は仁の代弁と言わんばかりに説明をした。

 

「ああ、人間は多数で考えが違えてしまい、どうしても決断しなければいけない場合、多くは多数決を取る。その際にどの考えにも賛同出来ない者という者は一定数いる。俗的な言い方をするのなら日本の選挙と同じだ。投票権を持っているといってもその全員が必ずしも投票する訳ではない」

 

 集団や組織において考えの相違が出た場合多数決を取ることが多い。それは単純且つ明確、余計な時間を掛けずに済む、最も合理的な方法とも言える。浮遊票で例えたのは彼が政治家故だろう。

 しかし、それでも決めれない者はいる。そういった者達を抜きにして決着をつけることは可能だが、かといって彼等の存在は軽視できるものではない。

 もし、そういった者達が何かに触発され考えを変えた場合、結果が覆ることは勿論あり得る。

 そして今回の一件にもまたいたのだ、どっちつかずの浮遊票を持っていた者達が……。

 ステラの処遇。その賛成と反対は5:4で分かれていた。つまり二つの浮遊票があった。

 仁は既に意思決定した賛成者には目もくれず、その二人に狙いを定めた。

 結果として仁の思惑は上手くいった。その二人は見事に反対に票を入れたのだ。

 

「ただ、これはあくまで“延命”でしかないのでそこは間違いように」

 

 そこまでの説明で感心と共に安堵をしていた月影に、仁は念押しとばかりに釘を刺した。

 ステラの抱える危険性は未だに消えていない。ただ、仁はステラが自らの運命に打ち勝てる可能性があるという証明の手助けをしただけだ。

 それにより、《互眸鏡》はステラに関して『保留』という扱いにこそすれ無害と認めた訳ではない。

 もし今後そんな予兆を見せたり、そのものに成ろうものなら予断もなく排除されることとなるだろう。

 それだけは肝に銘じなければいけない。

 

「はん! 安心しな、ウチがしこたま鍛えんだ。んなアホな事態になる訳ねぇだろ」

 

 不安を煽るような仁からの警告を、しかし一笑に付したのは寧音だった。

 その様子から一度受けた師としての役割はまだ続けるらしい。

 仁としてもそれは願ったり叶ったりだ。

 だから「そうか」とだけ淡泊に返事をするもの、口の端は僅かに上がっていた。

 

「話は終わったかい? なら(ババア)達は引き上げようじゃないか」

 

 一連の流れを眺めていた魔女であったが、一区切り着いたと見ると仁とエーデルワイスに語りかけるように言う。

 それに対し仁は「ああ」と短く、エーデルワイスは「わかりました」と丁寧に返すと彼女の傍に寄る。

 どういうことだ? そんな疑問を抱く周囲を他所に仁は――

 

「悪いな、少し野暮用が出来たから俺は一足先に引き上げる」

 

 と簡素に応えた。

 『待て』という言葉が出る頃には既に三人の姿は搔き消えていた。

 一頻(ひとしき)りに派手に暴れたかと思えば、勝手気ままに居なくなる。その光景はかつて何処かで見た覚えがあるようで……だがその時に違うことは去り際に向けられた視線。

 そこには当時とは別の意味で申し訳なさげに「黒鉄達への説明は頼んだ」という思いが籠もっていたことに寧音は察し――

 

「もう二度と戻ってくんなバカ野郎ッ!!!」

 

 また勝手にいなくなった天敵に向けた怒声が波乱を終えた静かな夜空に響き渡るのだった。



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三十九話

 軽やかで、ついリズムに乗ってしまいそうなジャズが流れていた。

 CDどころかネット配信全盛期の現代において、骨董品と呼んでもいいような年季を感じるレコードが置かれている。

 カウンターの後ろの棚には各種様々な酒がある。中々お目にかかることのない高級な物からメジャーではないマイナーな物までピンキリだ。

 古めかしい、レトロな雰囲気のバーに何人かの人がいた。各々が酒を飲んだり、音楽に耳を傾けたり、雑談したりとリラックスしている中、一人やたらイライラとした様子で貧乏揺すりをしている青年がいた。

 逆だった金髪に鋭い目付き。顔――右頬には山羊を模ったタトゥーが刻まれ、近寄り難い雰囲気を纏っている。

 カウンターに座っていた青年の前にウォッカが出されると、彼はそれを一気に呷る。何杯目かは覚えていない、それだけ呑み続けていた。

 空になったグラスをカウンターにドンと勢いよく叩きつける。酒による酔いにも、物に当たっても彼の中にある苛立ちが晴れる事はなかった。

 それというのも全て――

 

「戻ったよ」

 

 苛立ちの元凶を思い浮かべようとした瞬間、突如店内に三人の人影が現れた。

 その内の一人、《最古の魔女》はまるで家に帰宅したかのように軽い口調で言う。

 

「おや? 全員居ますね?」

 

「そりゃ一箇所にいてくれなきゃ、判決のラグとかあっても困るしな」

 

 次いで店内を見渡し、目測で今いる人数を確認したエーデルワイスが「珍しい」と感嘆の声を挙げる。それに対し仁はバラバラにいられても困ると苦笑した。

 実際の所、離れていても問題がないといえばないのだが、しかしわざわざバラける理由もなかった為に集まっていたのだろう。

 

「テメェ……!」

 

 苛立ちの元凶たる人物――仁を視界に収めると、金髪の青年はすぐさま席を立ち、近付くと胸ぐらを掴んだ。

 

「どういうつもりだ《千刃》! どうしてあのガキを生かした!」

 

 そして鼓膜が裂けそうな程の大きながなり声で問い質す。

 

「久しぶりに会ったというのに随分とだなディオルス」

 

 対して仁は澄ました顔で、青年――ディオルス・ハーバルドを睨む。

 ディオルス・ハーバルド。《互眸鏡》に属する魔人の一人である。

 優に180を超える長身のディオルスに胸ぐらを掴ませ、本来なら足が浮いてもおかしくはないのだが、仁の身体は微動だにしていない。

 構図から見てもディオルスの方が威圧しているはずなのに、逆に彼は仁に睨まれると一瞬息を呑んだ。

 確かに、久しぶりの再会であったのにいきなり粗暴な態度ではあったが、それは仕方ない事。

 突然呼び出されたかと思えば『世界を崩壊させかねない化物』になりえるかもしれない少女の処遇についての話し合い。更にはそれを擁護するような序列五位と彼が出した提案。

 そんな『普通なら』考える余地がないような物に振り回された身としてはたまったものではない。

 しかもその判決が覆ってしまったのだ。荒れるなという方が無理な話だし、元凶ともいえる仁に当たりたくなる気持ちも分かるが……しかし、相手とタイミングが悪かった。

 

「手を放した方がいいですよ、《雷帝》。ジンの記憶を共有したのならわかっているはず、彼の熱はまだ冷え切っていませんよ」

 

 仁の瞳の奥にある僅かに残る『闘争』という炎がまだ完全に消え去っていないことに気付いた。どうやら一輝とステラとの一戦はそれほどに心踊るものだったらしい。

 気を抜けばまた再燃し、一気にトップギアにまで上がるであろうことは用意に想像がついたらしいディオルスは、エーデルワイスの助言通り「ちっ!」と悪態をつきながらも仁の胸ぐらから手を放した。

 流石にこんな所(・・・・)で本気の仁と事を構えるのは彼も本意ではないようだ。

 

「キャッハハ! ウケるー! 自分からケンカ吹っ掛けてビビってるとかマジ小物じゃん!」

 

 突如、甲高い笑い声が耳に入った。

 声の方を見ると一人の女が大きなソファに座り、腹を抱え笑っている。

 背中まである濃いブロンドの髪に、モデルの様なスラリとした体型。町を歩けば男女関係なく振り返ってしまうのではと思える程に美しい顔立ち。

 どうやら先程の様子を見ていたらしい彼女は、何処かツボにでも入ったのか、麗しい見た目とは裏腹にゲラゲラと笑い転げる。

 

「あ゛ぁ!? 何だと! やんのか《無垢偶像(イノセンス)》!」

 

「キャー! こわいー! 雑魚の分際で吠えるのだけは一丁前なんだから。そんなんだからアンタは万年最下位(雑魚)なのよ」

 

 馬鹿にした物言いに頭にきたディオルスが、ただでさえ鋭い目を更に細め睨みつける。しかし、女――《無垢偶像》はそれに一切の怯みを見せず、変わらず見下した口調を続けた。

 確かに彼、ディオルス・ハーバルドは《互眸鏡》に属してからまだ二年足らずの若輩であり、それ故に彼等の中において力の序列は十一位(最下位)に位置している。

 しかし、それでも常にインフレを起こし続けている《互眸鏡》という組織において、そこに属する他の《魔人》に引き離されないようについていく時点で十二分に彼も強者の部類といえる。

 ただ、他の《魔人》の格差が元々あったことと、彼等もまた強くなっていってる為に追い着くのが困難というだけの話なのだ。

 故に、序列こそ低いがディオルスは決して弱くはない。

 それを当人も自覚しているからこそ、《無垢偶像》の『雑魚』という罵倒が一層頭にくるのだ。自身の『力』に彼なりにプライドがあるのだろう。

 おかげで彼の額には青筋が浮かび上がり、身体はバチバチと電気を帯び始めた。《固有霊装》を顕現させる一歩手前にまでなっている。

 ディオルスが臨戦態勢になったというのに《無垢偶像》はカラカラと鈴を思わせるような笑い声を挙げながら、しかししっかりとその顔はディオルスの事を見下していた。

 仁の時とは違い、両者共に退く気配がなく、このまま戦闘が始まるかに思われた……その時だ。

 

「……うるさい」

 

 《無垢偶像》の座る大きなソファから新たに声が聞こえた。

 声色からして女。それも若く、やけに気怠い様子でまるで呟いたような声量。

 

「――ッ!?」

 

 しかし、その声は確かに両者に聞こえ、そしてディオルスの身体から一瞬で臨戦態勢が解かれた。

 バチバチと音を鳴らしていた電気は失せ、闘犬を思わせる眼光は鳴りを潜める。

 それどころか、動揺するかの如く目は見開かれ、額からは大量の汗が浮き出る。

 たった一言。それを発せられただけでディオルスは自身の身体が不調を起こしたことを理解する。

 

「あら、ごめんなさい、起こしちゃった? 《夜行(ナイト)》」

 

 そんなディオルスとは対照に、声の主――《夜行》の傍にいるはずの《無垢偶像》は申し訳なさそうに軽い調子で謝った。

 それに応えるように「ん」と小さい声を出しながら件の女はソファから身を起こした。

 肩まであるオレンジ色の髪に、真っ黒な大きな丸いサングラスを掛けた少女。白いTシャツと水色の薄い上着、ハーフパンツという随分とラフな格好だ。

 一見すると十代半ば程度にしか見えない姿だが、実際の所はもっと上……それこそ第二次世界大戦の時には既に活動していたという情報すらある。

 《互眸鏡》の中でも特に得体の知れない人物とされる《夜行》。大体は寝ていることが多い彼女は眠りを妨げられるのを嫌う。故に寝起きは不機嫌になる事が多い。

 安寧の邪魔をされた《夜行》は寝ぼけ(まなこ)で周囲を見渡すと、一人の意外な人物に目を奪われた。

 

「あれ? エーデ……? お前なんでいんの?」

 

 《互眸鏡》の寄り合い所のようなバーに、本来そこに席を置いていないはずの彼女の存在に疑問を抱いた。

 

「お久しぶりです《夜行》。私はただジンに着いてきただけなのでお気になさらず。貴女達の事情に口を出すつもりもありません」

 

「ジン……? ああ、《千刃》のこと。そういや夫婦になったっていってたっけ?」

 

「はい」

 

「へぇ、それはメデタイ」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 その疑問はすぐに融解し、気怠げながらも祝福の言葉を送り、エーデルワイスはそれを笑みを浮かべて受け取った。

 懐かしい顔を見たお陰か、彼女から発せられる威圧感は徐々に薄れていく。

 しかし、ディオルスの表情は変わらず、瞳孔が開き硬直したままになっている。

 蛇に睨まれた蛙とは正にこの事を指すのだろうか?

 既に蛇にとっては眼中にないというのに、潜在的な恐怖心が刺激され、その影響が未だ続いているらしい。

 そんな新参者の姿にため息を一つ漏らし、仁は軽く肩を叩いた。

 

「っ!? はぁ……はぁ……っ!!」

 

 その衝撃でようやく正気を取り戻したかとも思われたが、動悸は激しく脈打ち、過呼吸に陥っている。

 

「まったく、しっかりしてくれよ」

 

 情けない姿につい呆れてしまう。

 実は、ディオルスを《互眸鏡》へ誘ったのは仁なのだ。二年前《魔人》と化した彼へ『警告』に行ったのが仁であり、その際に一戦交えることとなった。

 結果はディオルスの惨敗で終わったのだが、彼の持つ将来性や負けても尚強くなろうとする心意気……他に色々と要素はあるが、端的に言えば仁は彼を気に入った。だからこそ勧誘し、ディオルスもまたその誘いに乗った。

 そういった経緯であるが故に、仁はディオルスを高く買っている。実際、仁の期待以上に成長もし、行く行くは序列も上がると踏んでいる。

 それだけの価値と実力があると見込んではいるのだが……。

 やはりまだ別次元と称される序列四位より上の者達に対しては身が竦むようだ。

 ――そう、《夜行》の序列は四位。実力は仁よりも上であり、現状彼ですら敵わない圧倒的強者、その一人だ。

 だからある意味では仕方ない。寧ろ寝起きで不機嫌な彼女の魔力に当てられたのにも拘らず、その瞳から光が失くなっていない(・・・・・・・・・・)辺り流石は《互眸鏡》の一人ではあるか。

 もし仮に此処に、同じく仁が買っている一輝やステラがいたとした場合、今の彼等では間違いなく目から光が奪われていたことだろう。

 ただの寝起きに発した不機嫌な一言で、他者に一生の傷を残すことすら可能。それほどまでに埒外な存在なのだ、《夜行》という《魔人》は。

 

「っ……!」

 

 そんな彼女に対して、一応は抵抗出来たらしいディオルスだが、仁に叩かれるまでは身体が硬直しており、それが解けると同時に悪態をつきながら元いた場所に戻った。

 そうしてまた自棄酒をする姿を見て、仁の口の端が上がる。

 不貞腐れたように見えるが、実際は《夜行》との力の差を認識した結果「まだまだだ」、「もっと強くならなければ」と内心で思ったのだろう。

 ああ見えて《互眸鏡》の中でも向上心は高い方だ。だからこそ仁はディオルスを目にかけているのだ。

 そしてディオルス自身もその自覚があり、性格や人間性はともかく仁の実力を認めているからこそ、今回の一件は彼が荒れるには十分な要因だった。

 何分、確かにステラの実力は想定よりも強く、より強くなる可能性はあったが、わざわざ仁が手を煩わせる程ではないだろうと思っていたからだ。

 だというのに彼の予想は裏切られた。

 それこそ酒を呑まなければやってられない程だ。

 そんなディオルスを尻目にし、仁もまたカウンター席に着く。無論彼とは距離を離している。

 

「やあ」

 

 気さくにそう声を掛けたのはバーテンダーの男だ。

 見た目は三十代中程。美しい銀髪は肩先まで伸びている。着ている服の印象だろう、その姿は紳士的に見える。

 朗らかな表情で、穏やかな口調のその男は、先程まで仁に突っ掛かっていたディオルスとは真逆の人間だ。

 

「キミは何にする?」

 

 しかして、《魔人》という埒外の巣窟である所にいるのだ。真っ当な人間でないこともまた事実だろう。

 常人であれば既に卒倒していてもおかしくはない空間にいるにも拘らず、彼には恐れや怯えといった感情が見受けられない。それが意味するのはやはり彼も例外ではないということなのだろう。

 

「今は熱を冷ましたいからな、水でいい」

 

「承ったよ」

 

 綺麗な所作で頭を下げた(のち)、手慣れた動きでグラスに氷を敷き、ミネラルウォーターを注ぐ。

 そうして、瞬く間に仁の前にグラスを差し出した。

 躊躇いなくそれを口にすると、キンキンに冷えた清涼感溢れる液体が喉を潤す。

 分かっていたことだが、やはりミネラルウォーター一つ取っても特注品を使っているようだ。市販されている物とは何もかもが違う。そういった物に対してあまり関心を持たない仁だが、そんな自分でも『違い』が分かる程の一品。それを気前よく出せる辺り懐事情はよろしいのだろう。

 

「《隔絶僧》は?」

 

「君達が来てから少ししたら出ていったよ」

 

「何か言われると思ったんだがな」

 

 水を飲んだ後に、周囲を見渡した後気になった事があり、訊くと瞬く間もなく返事が返った。

 《隔絶僧》。その二つ名に相応しく僧侶の如き装いの男であり、《魔人》の一人でもある。

 しかし、彼に関しては《互眸鏡》の中でさえ特殊な立ち位置にいる。

 それというのも彼は『闘争』を好まないからだ。《魔人》であり、《互眸鏡》という修羅地獄に席を置いているにも拘らず争い事を嫌う。

 まったく理解に苦しむことだが、そもそも《隔絶僧》の目的は『(さと)り』。その境地に至る為にあらゆる修行をし、苦行に挑んだ。その結果、自らの運命を超えてしまったイレギュラー中のイレギュラー。

 ……まあ、世の中にはダイエットしてその境地に至った者もいるのだから、『修行してたら魔人になった』はまだ現実的かもしれないが……。

 兎角、《隔絶僧》は今回の騒動の一端でもある。

 彼が『予見』をした為にステラの危険性が浮き彫りになり、彼女を巡る事態に発展したのだから。

 故に一言何かあってもおかしくはないと思っていたのだが……肩透かしを食らった気分だ。

 

「まあ、ちゃんとした多数決で決まったことだ。それで喚く程彼の心は狭くないよ」

 

 そう、いない人物に対してフォローをされたが、それは先程まで喚いていた者の心が狭いと暗に言っているのでは?

 横目で一瞬ディオルスの方を覗くと、小さくくしゃみをしていた。

 

(……まあ、否定のしようはないか)

 

 静かに心の内でそう呟く。

 

「それより、どうだったんだい?」

 

「何をだ」

 

 そんな中、興味深々とばかりに訊ねられ首を傾げる。

 

「決まってる、キミが何の見返りもなしにただ『勿体ないから』というだけで助けるなんてあり得ない。

 ――目当てのもの(・・・・・・)は手にしたんだろう?」

 

 穏和な仮面の下から、嘲るような笑みが一瞬垣間見える。

 それは瞬く間のことではあるが、誰にも……エーデルワイスにも話していないステラと戦った『もう一つの目的』を看破した辺りやはりこの男は侮れないと改めて戦慄する。

 

「ああ、あんたの予想通りさ……《流動王》」

 

 そうして、隠しても無意味と悟った仁は、素直に明かすことにした。

 ――《互眸鏡》序列二位に位置する、《流動王》という二つ名を持つその男に。




二部構成を想定し、その二部で暴れる予定だった連中の一部。
二部行くの難しそうなので軽く紹介。

ディオルス・ハーバルド
二つ名《雷帝》
異能:《雷》の自然干渉系
序列十一位。

《無垢偶像》
異能:《熱》の概念干渉系
序列八位。

《夜行》
異能:《夜》の概念干渉系
序列四位。

《流動王》に関しては次話で。


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四十話

序列四位より上の共通コンセプト、ラスボス。


 《流動王》の言葉に応えるように、仁は彼の眼前で一振りの刀を顕現させた。

 

「ほぉ……」

 

 それは仁の伐刀絶技《擬装剣》によって造られた刃、《童子切り》である。

 美しい白銀の刃は、前に見た時より依然として変わらない。

 

「やはり、打ち直した(・・・・・)ね」

 

 しかし、《流動王》は一目見ただけで即座に見抜いた。

 

「狙いはステラ姫の……いや《ドラゴン》の炎か」

 

 おまけにそこからステラとの戦いで手に入れたものすら看破する。

 本当にこの男は底が知れない。いっそ畏怖だけでなく畏敬すら抱くレベルだ。

 

 ――そう、仁が密かに狙っていたというのはステラが扱う炎……より正確には『ドラゴンのブレス』である。

 何故そんなものを……と疑問に感じるだろうが、その答えは既に《流動王》が口にしている。

 打ち直した(・・・・・)、と。彼は確かにそう言った。

 それは比喩でも何でもなく本当に自ら鍛えた至高の一振りを一から打ち直したということだ。

 異能を使っているとはいえ、それでも最高傑作ともいうべきものを造り治すなど正気とは思えない。しかし仁は強くなる為ならそれすらも厭わない男だ。

 つまり、より強くなる手段が思い付いたから実行しただけという至極単純な理由ではある。

 それに必要だったのが先に《流動王》が言った『ドラゴンの炎』だ。

 剣を造る際に炎は最重要にして必要不可欠なものであり、神格化しているものともいえる。

 それは異能の力を用いて造った《擬装剣》も例外ではない。そもそも異能で、且つ現実に関与していないとはいえ、《擬装剣》の造り方は正しく刀鍛冶のそれと全く同じだ。違うのは己の内で全ての工程済ませてしまうということ。

 その過程で彼が識る・実体験した技術や技能といったものを組み込み、鍛えることで完成する。

 では何故わざわざ(ステラ)の炎を必要としたか?

 その疑問の前に一つ、鍛冶における炎の重要性というものを知らねばならない。

 刃物を造る過程において炎や熱というのは絶対不可欠であり、それの調整如何によっては失敗も成功もする。他にも素材やら環境やらと色々とあるが、大半は炎と鍛冶本人の腕である場合が多い。

 鍛冶において必要となるのは素材・環境・炎・職人の腕。大きく分ければこの四つとなるだろう。

 素材においては自らの魂たる固有霊装を使うので問題はなく、環境においても自らの『内側』で完結させる為理想とする場を用意できる。

 鍛える当人の腕に関しては異能を使い、現実で行う訳ではない為大きく左右されない。強いて挙げれば、実際に刀を打っている過程を一時も目を放さずに脳裏に刻み込まなければいけなかったが、そこは伝手で何度も見させてもらった(ついでに一応経験させてももらった)。

 しかし最後の炎に関してはだけは『異能で発現させた炎』ならともかく、それそのもの(・・・・)が特殊なものを手にすることはできなかった。

 当たり前だが、神聖なものや伝説に伝わるようなものが簡単に手に入る訳がない。

 だからこそできる限り炎としての純度が高いものを使える者と一戦交え覚えた後、それを利用して鍛えあげたのだ。

 致し方ない妥協とはいえ、その当時からすれば最高の一振りであり、実際性能は申し分ない。

 己が内とはいえ、丁寧に時間を掛けて鍛えあげたのだ。なまくらな訳がない。

 だがしかし、理由はあれど妥協してしまった結果は変わらない。

 無い物ねだりなのはわかっているが、仁はそれでもどうにかしてないものかと時間を見つけては探していたのだ。

 そしてようやく見つけた。

 ――伝説の物語にのみ存在したはずのドラゴン。その息吹(ブレス)を。

 如何に『存在』の概念に干渉できる仁とはいえ、『自分の想像しえないもの』を造り出すのは不可能だ。

 故に、考えたことはあり実行したことすらあるが手に入らなかった一品の一つ――その一つが竜の炎であった。

 それを教え子が使えたのは僥倖だった。自分の異能についての正体も自覚した為により明確な概念にも昇華している。

 あとはどうやって『ステラに本気の一撃を出させるか』だったが、それはすぐに解消された。

 そう、《互眸鏡》による脅威認定と排除の件だ。

 これ幸いと仁は利用させてもらったということだろう。

 勿論、ステラのことを案じての一面はある。だが、それはそれとして見返りの一つはあってもいいだろ?

 そうして、まんまと仁は二つの目的を成し遂げたのだ。

 

「本当に、キミは抜け目ないね」

 

 流石、歴代の中でも異例な早さで序列を繰り上げてきた男。強くなる為の余念はないようだ。

 《魔人》なぞ強欲・貪欲なエゴイストだらけだが、仁はその中でも群を抜いている。

 

「いやはや、このままだとボク達を超える日もそう遠くないかな」

 

「悪い冗談だな」

 

 その姿勢に感心したからか、つい口から零れた言葉。

 しかし仁は、そんな世辞を本気で捉えることは出来ない。霊装を虚空に仕舞うと、目を細め訝しむ。

 

「そもそもアンタの場合得物どうこうの話しでもないだろ」

 

「んー? それは否定できないね」

 

  確かに《童子切り》の性能は格段に上がった。仁の腕もあれば大半のものは切り捨てることができる。

 しかし、この男に対しては如何に武器が優れようと、どれだけ腕が立とうとも関係がない。第一に当てることすら困難なのだから……。

 

 ――《流動王》。その二つ名が示す通り、彼の異能は《流動》の自然干渉系である。

 この世界にある万物の流れを感じ、読み、そして操るとされる異能だ。

 《流動》と言ってもピンとくるものも少ないだろう。一言で表すなら、それは『ものの流れ』だ。

 気流や海流といった自然のものだけに飽き足らず、人や動物の集団の動きや場を支配する空気の流れすらも読み取ることが出来る。

 概念干渉系ではないものの、それに近いことができるのは彼が魔人と化して長く、その間に蓄積した膨大な経験値を糧とし、超越的な感覚を手にしてしまったが故だ。

 そも、彼は第二次世界大戦ではなく、第一次世界大戦の時代に暴れ回っていたとされる。

 どの組織にも属さず、ただ『戦いたかったから』という理由だけであらゆる戦場に乱入してはそこにいた魔導騎士を一人残らず鏖殺していた。葬った数は幾千にも及ぶ。

 紛うことなき生粋の殺戮者にして戦闘狂――それが当時の《流動王》である。

 そうして、数多の戦場、数多の強者と刃を交えたことで彼の感覚は鋭敏化し、その眼は相手の()を読める様になっていた。

 それは、例えるなら仁の《大六感応》と一輝の《完全掌握》のハイブリッドであり、上位互換でもある。加えて《流動》の異能により、文字通り『流れを支配できる』彼はあらゆる攻撃と奇襲が効かなくなってしまった。

 単純な筋力としても技能的にも、そして能力的にも彼を捉えることは困難と化した。

 どれほど困難なのかという答えとしては『あのエーデルワイスが一方的に斬り伏せられた』と言えばその異常さが分かるだろう。

 ……まあ、彼女の場合は単純に相性が悪いというのも大きな要因ではあったが。

 しかし、それほどまでに《流動王》は捉えた上で攻撃を当てることが非常に難しい騎士なのだ。

 そもそもの話。そんなものがなくても固有霊装のサーベル一本で大戦を生き抜いた強者だ。純粋に騎士としての技量もまた桁外れに高い。仁ですら剣技だけの勝負に挑んだ所で負けるのは目に見える。

 

 正に規格外(・・・)の騎士といえる。

 その様な者に『自分達を超えるのもそう遠くない』と言われても実感なぞ出来る訳がない。

 距離は縮められているが、溝そのものはまだまだ大きいのだ。

 ……とはいえ、それで諦められるなら《魔人》なぞには成れない訳だが。

 

「ま、いいさ。その『いつか』があるなら実現させるだけの話だ」

 

「アハハ、楽しみだね」

 

 眼前の男がどの様な人物なのか分かった上で、軽口を叩く。しかして、その言葉に込められた想いが本物であることを感じ取った《流動王》は愉快に笑った。

 格上と分かっていて尚挑む姿勢。それは、彼等にとって基本にして基礎、そして何よりも重視しているものなのだから。

 それが色濃く染み付いている仁だからこそ期待している部分はあるのだ。

 

「……そういや、昨今の情勢はどうなんだ?」

 

 それはそうと。

 思い出したように仁は《流動王》に問いかけた。

 

「というと?」

 

「とぼけるな、どうせ何かしら掴んでいるんだろう?」

 

 一度らすっとぼけた見せた《流動王》を睨む。

 彼は異能以外にも、実は『世界の流れ』を掴む術を持っている。表沙汰にはされてはいないが、《流動王》は世界的な物流会社の会長だ。その規模は業界を牛耳っているとされる程で、莫大な富を得ている。このバーとて彼の私物の一つだ。

 把握している範囲も広く、表だけでなく裏にも精通している。

 故に『物流の流れ』を理解している。不穏な流れはすぐに彼の耳に入るのだ。

 

「そうだね……。ま、相変わらずと言えば相変わらず、かな」

 

 その答えは、一見『問題ない』と見て取れる。

 しかし、実情は元々不穏な動きが長期に亘って行われている故にその様に答えただけだ。

 ちなみにその動きを見せているのは犯罪組織として名高い《解放軍》と、《大国同盟(ユニオン)》の二つ。

 《解放軍》に関してその在り方が在り方な為、これが平常運転と言える。

 しかして問題なのは《大国同盟》だ。世界を三分する組織の一つでありながら、どうにもきな臭い動きがある。より正確にいえば、《大国同盟》ではなく合衆国であるが。

 

「大丈夫なのか」

 

「別に後手でも問題ないからね、こちらは。ま、ボク達が先手を打つのは問題だけどね」

 

 大規模な組織が何かしら水面下で動いている。しかも善からぬことの可能性が高い。

 だが他の組織はともかく、《互眸鏡》は先手で動くのは禁じられている(・・・・・・・)

 理由は単純明快。あらゆる可能性を認識できる《隔絶僧》がいる為だ。そんなデタラメな異能を持たれ、断言されようものなら反論の余地はない。

 例え今は大丈夫でも未来で問題を起こすなど言われ、その責任を今に持ってこられても困るだろう。しかもあくまで『可能性』の話でしかない。

 故に、彼等は基本問題が発生するとしても後手に回るよう各組織、各国の代表者に通達しているのだ。

 ――だからこそステラの案件は例外中の例外だった訳だが……。

 しかして、彼等は後手に動いたとて問題はなく、それだけの戦力であり、脅威である。

 そのことを理解しているものは多く、そんな動きを見せるものは余程の阿呆か無知か、驕りきったものだけだ。

 第二次世界大戦を契機にその様な者達は少なくなったらしいが……ここ暫くはその『予兆』が幾つか見られるとのこと。

 その一つが合衆国の不穏な動きらしい。

 普通であれば、早々に話を着けるべきだが、その誓約により彼等が動くことはできない。精々が釘を刺す程度だが、はたして効果の程はあまり見込めないだろう。

 しかし、もし仮に《互眸鏡》に弓を射るようなことになればどんなしっぺ返しが返ってくるか……。それに関してはここ百年近くは記録にない為に不明である。

 だが曲がりなりにも上位の《魔人》で構成された組織だ。それに喧嘩を売ってただで済むはずはない。……となれば、何かしらの秘策でもあるのだろうか?

 

(ま、それはあくまで『俺等』を相手取る場合だが……流石に《大国同盟》もそこまで馬鹿じゃないだろうしな)

 

 そこまで考えるが、あくまでまだ『不穏な動き』で止まっている。

 それがどう動くかまでは不確定だ。

 仁としては巻き込まれたくはないし、わざわざ化け物の巣窟を荒らすような真似はしないだろう。こちらから仕掛ける気もない訳だし、杞憂で済むはずだ。

 そう思ったのだが……。

 

 ――後日、その認識がとんでもなく甘かったと痛感する羽目になることを仁はまだ知らない。

 

「……そういや、あのガキの方はどうなってるんだ?」

 

「? ……ああ、あの鋼糸使いか。どうだろうね、表立って対立する気はないみたいだけど」

 

 話題を変えようとして、ある《魔人》について訊ねた。

 それは狂気を身に宿した人形使い(マリオネッター)の少年。《傀儡王》と呼ばれる様になる魔人のこと。

 《魔人》である以上《互眸鏡》から『警告』はされ、その存在を認知しているはず。事実として、彼にそれを伝えたのは他ならぬ《流動王》である。魔人と化したならば尚のこと《流動王》が並外れた存在かは感知出来たはず、しかも差はあれどそれに近しい者達が集まった組織。それと敵対するような自体を起こすのは普通ならばやらない。

 しかし。

 

「ただ――巻き込む気はあるかもね」

 

 あの少年が宿している狂気は相当だ。直接的に敵対することはなくとも何かしらの形で利用しようと考えているかもしれない。

 事実、彼等が表立って動けばそれだけで世界に混乱が訪れる。手段を選ばなければあの少年ならばできそうだ。

 そもそも、此処に顔を出した理由もこれである。

 何か騒ぎを起こそうとしている気配のある《魔人》。それについての進展を聞きにきたのだ。

 予想通りではあるが、止める気はないらしい。

 だが――。

 

「ま、その前に一悶着ありそうだけどね」

 

 それよりも前に、どうにも他の動きを見せているようであり、故にこちらもまだ様子見といったところ。

 その『一悶着』がどう転ぶかによって仁達の動きも変わるだろう。

 

「それは《隔絶僧》の『予見』か?」

 

「ああ」

 

 断言するその物言いに、また《隔絶僧》が不安の種でも蒔いていったかと察する。そしてそれは的中したようで、《流動王》は何の感慨も持たずにただ肯定した。

 その様から、彼にしてみれば些末なことでしかないのかもしれない。

 結局の所、此処にいる連中は皆自らに影響を及ぼさなければ世界がどうなろうとも知ったこっちゃないという考えであり、それは《流動王》とて例外ではない。ただ彼は会社を持つ身として、情勢等は把握しなければいけないからそうしているだけだ。

 だからこそ情報源としては確かなものなのだが……。

 

「……確認するが、それはヴァーミリオン関係か?」

 

「恐らくね」

 

 発信元が《隔絶僧》であり、時期も考慮した結果、ステラに関することかと思ったら見事にドンピシャだ。

 早々に厄ネタを引き寄せるとは……前途多難だな。流石に同情する他ない。

 

「もしかして、あのガキと関係あるのか?」

 

「さあ?」

 

 白を切っているが、話の流れとして当たっているのだろう。

 まったく、話題には事欠かない奴だな。

 問題が一つ解決したと思ったら、また新たな問題とは……ついぞ呆れてしまった。

 しかし、これもまた彼女に架せられた試練なのだ。

 

(手は貸せないが、頑張れよヴァーミリオン)

 

 どんな形にせよステラが招いてしまったのなら、仁が手を貸すことはできない。こういった自らの不始末を含めての『保留』という扱いなのだから。

 故に、仁は心の内で静かに声援を送ることとした。

 それが、彼の立場的に唯一できることなのだから――。





《隔絶僧》
異能:《縁》の因果干渉系
序列三位。

《流動王》
異能:《流動》の自然干渉系
序列二位。

《最古の魔女》
異能:《記憶》の概念干渉系
序列一位。


《互眸鏡》の組織としての在り方とステラの処遇を考慮するとヴァーミリオン戦役は丸々スキップされます。すみません。


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