そこには死のにおいが確かにあった。
おぞましく、常人ならば吐き気が込み上げてくる光景。
そこに僕は立っている。右手に血のついたナイフを、左手には血をしたたらせながら立っている。
僕の周りには不快なにおいを放つ血まみれの肉塊が転がっていて、視線の先には冷たくなった老体の男が倒れている。
その男は一滴の血も流さずに死んでいた。
その体のどこにも傷跡はなく、ただ眠っているようにしか見えない。
しかしこれは僕がやったこと。
そして命を刈り取る手応えはあった。生者が懸命に生きようと力強く脈打っていたあの心臓を握りつぶす感触を、僕の肉体ではない体がしっかりと覚えている。
そして僕の手のひらには潰れた小さな肉の塊が握られている。それは心臓だった。
「リオン、食べて」
グルグルと喉を振るわせている白狼に左手に持った肉を与える。白狼――リオンという僕の友達――は大きく口を開けて餌を求めているので望みどおりに喰わせてやれば嬉しそうに鳴く。リオンが食べ終えるまで部屋中の金品に目星をつけておこう。そう思ってキョロキョロとしていると左手がくすぐったい。視線を向けるとリオンがぺろぺろと血を舐めとっていた。
「きれいに、なったよ」
よしよしと撫でると尻尾を左右にを振る。余程食事に満足したと見える。その白い立派な毛を撫でているとふと思いついた。はたして彼とはどれくらいの付き合いになるのだろうかと。その答えを探る為に多くある記憶の海からひっぱり出せたのは薄汚い街路にリオンと僕が立っている記憶だった。そう一番古いであろう記憶にはいた。たしかその記憶は四歳の時だから少なくとも6年の付き合いにはなるのだろうか。
……ずいぶんと寂しい人生だな。と記憶がそう判断した。
これが僕に与えられた現実。
リオンと才能以外に天が僕に与えたものはない。
暖かい家庭も、美味しいご飯も、優しい家族もない。
ただ日々を生きるために他人の生き血を啜り、命を屠って生きている。
「仕事、おわった」
いつもの言葉。何度も口にした言葉。
それは死者に向けてつぶやいているようにも思える。
ただその言葉には諦念と絶望も含んでいた。
それは子供が抱いてはならない負の感情。
……子供は宝という。ゆえに純粋に純真に希望を抱いて成長しなければならないのだから、こんなことがあってはならないはずだろう?
だけど僕は何も知らない。教えてくれる親も大人もいなかった。僕が大人に教えられたことといえば、底辺に生きる人間の生き方と人の殺し方だけだ。文字の読み書きもなけなしの金をはたいて買った本で学んだ。
そして僕は死者に気をつかうなどという余裕はないから平気で死体の衣服で刃に付着した血をぬぐうし、高価な腕時計や換金できるものを剥ぎ取り、満足する量に達すれば急いでその場を後にするということを日常として、生まれてからはずっとそうやって過ごしてきた。
……ああ、どうしてこんなことに。
通い慣れた酒場に帰ったきた。
その薄汚れた店内には相応の客がいる。つまり汚い大人の掃き溜めということだ。
そいつらはもう朝日が昇ったというのに、下品な笑い声を上げて酒を飲み、賭け事をし、喧嘩沙汰を起こしている。
そんな大人たちの横を通り過ぎて店主の向かいのカウンターに座る。そして淡々と奪い取ってきた金品を古びた木のカウンターに並べていく。
「仕事、完了。これ、換金して」
僕がどうして酒場なんかにいるかというと、ここがねぐらでもあるし、なによりここの酒場では様々な依頼を持ってくる依頼者がいて、その依頼をこなして報酬を受け取るというゲームにあるようなギルドの仕事も担っているからだ。ただゲームと違うのは扱ってるのが暗殺、強盗、誘拐などの裏稼業だということだけだろう。
そしてここの店主のダンは俺を拾い寝床などを提供してくれた人でもある。ただそれだけを聞くと善人の様に思えるが、その実僕に生きる術を教えるだけ教えて利用しているという利己的な人間だ。
僕と同じような子供も何人かいるが僕以外は店の掃除や給仕の仕事などをさせられ、おまけに大した給料も与えられない。まあここらで衣食住を保証してもらえるだけ運がいいのだが。
だから僕は依頼の報酬以外にも小遣い稼ぎをしているというわけだ。いつかこの地獄から抜け出すために。
「ああ。……お前さん今回の仕事場所は?」
どうしたのだろうか。なぜそんなことを聞くかは分からないが、今回の依頼は確か隣町の豪邸に住む貴族然とした男だったはずだ。とりあえず少しぼかして話をしよう。
「近くの町にある、金持ちだった」
「……隣町か、そこの貴族か?」
「そう、だと思う」
ダンは何かしらの確信を持っているようだった。それもあきらかにやばい手合いだったのだろう。表情筋が死んでると噂されてるダンが険しい顔をしたのだからそういうことに違いないのだろう。
ダンの異変に気付いた酔っ払いたちがカウンターに寄ってきた。その酒臭さと高いテンションに不快さを感じていると酔っ払いは物怖じせずにダンに話しかけた。
「おう、マスター。なんかあったのか?辛気くせぇ顔しやがってよぉ、酒が不味くなるじゃねえか」
「……このガキがやらかしやがったんだよ。ここらを治めてるギボン家の旦那をやっちまいやがった」
ダンの話は不思議と店内に響き、騒がしかった酒場が静まり、みんながダンに注目してる。思っていたよりもすごい人物なのかもしれないと考えるとこの先が不安になってきた。
「なに?……そんな冗談は言うもんじゃねえぜ。こんなガキがどうやって殺したっていうんだ」
「……おそらくあれだ、魔法だろう。ここらで不自由してないってことはちゃんと魔力があるってことだろうからな」
「おいおい、それこそありえねえな。まだホグワーツにも通ってねえし、そもそも11歳にすらなっていないんだろ?」
彼らがなんの話をしているのかはわからないが、自分のことを話してるのは理解できた。ただ本で読んだ魔法なんて単語が出てきたから混乱してきた。彼らはまるで魔法を存在する様に話を進めている。
Q.魔法は存在するのか?
A.いいえ。そんなものは存在しません。
これが一般人の答えだろう。実際そんな質問をしたところで返ってくるのは馬鹿馬鹿しいという感想だけなのだろうが。
第一そんなものがあれば世界はとっくの昔に支配されているのではないのだろうか。ただ何か問題を抱えているという可能性もあるが……。
今、僕はいったい何を考えていた……?この考え方は魔法の存在を肯定しているようなものじゃないか。
だが僕自身、説明のつかない力の存在は知っていた。その力を行使していたのだ。それが魔法だと言われてみれば納得できないこともない話ではあった。
「それよりマスター。こいつが魔法を使えるか使えないかはどうでもいい。問題は魔法省だ。今まではここの存在は無視されていたが純血の家系が殺害されたとなっちゃあここに踏み込んでくるのは道理だ」
その一言で酒場中が騒がしくなった。怒声、罵声、悲鳴が入り混じり阿鼻叫喚というのがご相応しいのだろう。
そうしてその様子を見て不快感を隠せないダンが口を開こうとした瞬間にギシギシと音を立てて老朽化した木製のドアが開いた。
誰もがその存在を見てこう思っただろう。
──この場に相応しくないなと。
そこに立っていたのは杖をついた壮年の男性だった。その男は青白い肌をしており、伸ばした金髪を後ろに流している。そして手に持っているのは蛇の意匠を施した杖ではあるが、足腰が弱いというよりはおそらく威厳を見せるためにもっているのであろう。
現にその男からはあの老人──ギボンだったか──の持つ覇気ともいうべきオーラを持っているからだ。
いつも強気な無法者たちが怖じ気付いているなかで、ダンはいつもと変わらない不機嫌な様子で何の用だと問いかける。
だがその男は無言で近づいて、ダンの前に立つとようやく口を開いた。そうすることでより自分の存在をこの場の誰よりもふさわしいと示すことができると思っているようだった。
「私はルシウス・マルフォイ。そしてロージェン・ギボンの友人だ。今日は込み入った話があって屋敷を訪ねたのだが、ロージェンは何者かに殺害されてしまったようなのだよ。つい数時間前に」
その男──ルシウス・マルフォイは厳粛に淡々と自身の紹介をする。そしてわざとなのか声色を低くして喋っている。この静かさを好むかのように。
だが誰もが守っていた沈黙は破られた。
マルフォイ、それには特別な意味と力があるようだった。
なぜなら皆が口々にそのフレーズを復唱したからである。
あのダンも驚いたのか目を見開いていたがやがて目を細めてもう一度、何の用でしょうか?と問いかける。
「それはその犯人がこの酒場にいると考えているからだ」
「……なるほど。ではどうしてここにいるのだとお考えに?」
「分かりきったことではないか。あのギボンめを殺めたところでこの寂れた街には不利益しか生じない。それに誰が手を出すというのだ。……だがそれでもギボン殺害に価値があるというのならその限りではないだろう?」
「……つまり貴方はここに持ち込まれた依頼でギボンの旦那が殺害されたとお考えになられたのですか」
「そうだ。そして依頼を達成したものは報酬を受け取りにここにくる。違うか?」
「……ええ。その通りでしょう。それでは貴方はギボンの旦那を殺害した下手人を探しにいらっしゃったのですか」
「ああそうだとも。もし教えてくれたのならばここに向かうであろう魔法省の矛先をそらすこともできるのだがね……」
皆の視線がこの幼い体に突き刺さる。まずい流れになっている。このままでは最悪殺されてしまうかもしれない。
そう、狂った法廷で行われる魔女裁判に突き出された哀れな民のように惨たらしく処刑されてしまうかもしれない。
そして悲しいことにルシウス・マルフォイと目が合ってしまった。
「ん?そこの少年はなんなのだ?こんな酒場に平然と居座って……。オークションに並んでいないのが不思議だな?」
「……そこの子供は捨て子です。ちょうど人手が足りなかったので拾いました。似たような境遇の奴も他に何人かいますが」
「ほう。だが格好からして他の給仕たちとは違うようだが?」
重々しく、張り詰めた空気。この場を支配する重圧に敗北した誰かが声を上げた。
「そいつだ!そこのガキがギボンさんを殺したんだ。さっきその話をしてたのを聞いたぞ!!」
一人が根負けしたことで他にも便乗する大人が出てきた。いつも態度がデカイくせにこういう時は小心者のように騒ぎ立てる大人たちが滑稽で笑いそうになるが、自分の置かれている現状を思い出すと笑いなんてどこかに消えてしまった。やっぱり大人は嫌いだ。
そんな感傷に浸っていると目の前にルシウス・マルフォイが身長の差から見下ろす形で立っていた。
「そうかそうか。君がギボンをやったのか。だがどうやってやったのだ?」
「説明、できない」
「なぜ?どうして?それには何か事情があるのか、それとも自分でも説明できないのか?」
答えを濁す僕に迫るルシウス・マルフォイに困っているとダンが助け舟を出してくれた。
「そいつがおそらく魔力を持っているからです。この町に捨て子を置いていくのは魔法使いか、ここらを廃墟と認識しているマグルだけですから」
なるほどとルシウス・マルフォイは呟くと暫しの間思考を巡らせていたようだ。彼はその頭の中で何を考えているのだろうか。僕の処分についてか、はたまたギボンとの話が出来なくなったので今後について頭を捻っているのだろうか。
そうしてようやく口を開いたと思ったら、ルシウス・マルフォイは信じられないことをいったのだ。
「彼の身柄をいただいても構わないかな?」
「……それはガキを処すということでしょうか?」
「いいや違う。私が彼を
僕はきっとその時、とても間抜けな顔をしていたのだろう。彼が何を目的とし、何を考えているのか全く分からなかったからだ。だからその疑問をこぼしても不思議ではない。
「なんで?」
「何故も何も当然のことだよ、少年。君自身事情を理解してないようだから言っておくが、ギボンは魔法族の純血の血筋だ。純血とは当然古い家系でもあり、平平凡凡な魔法使いよりも強いという事だ。その魔法使いを、その護衛たちを殺害したということは君にはそれ相応の血が流れているという事に他ならない」
「つまり、僕の血が、目当て?」
「否、それは違う。その血が無為に失われることがあってはならないからだ。それは魔法界の大きな損失に他ならない。……だが悲しいことに私は君を利用しなければいけないという事も事実ではある」
大げさに首を振るルシウス・マルフォイのその発言に嘘は無い。つまり彼にとってこんな薄汚い子供もこの身に流れる血のおかげでとてつもない価値があるという事だ。
「さて少年。君には今選択肢が二つある。私の養子となるか、それとも魔法省に突き出され罪科を待つ身かだ。おそらく法廷では過激な純血派が君の死を要求することだろう。そしてそれは当然のように可決するのは必然的だ」
それは選択肢と言えるのだろうか。死を望む自殺願望持ちじゃなければ二つの選択肢もない。当然僕は前者を選ぶしかないのだ。
この男ははじめから僕を手に入れる気でいたのかもしれない。そういえばギボン殺害の依頼の報酬は大量の金貨の量が記載されていた。たしか聞いたことのない金貨だったが──ガリオン金貨といったか──それが千枚と記載されており、換金すれば相当なものだろうと思い引き受けたのだ。
この依頼を出したのがこのルシウス・マルフォイなら僕は嵌められたということか。
いやよそう。そんな話を言ったところで根拠もないし、選択肢が増えることはない。
「わかりました。養子に、なります」
「ああ。いい返事だとも。店主、この少年をいただいても構わないかな?」
「……ええ。どうぞ」
長い付き合いのダン。未だその内心を読み取ることは叶わなかったが、その顔はどこか喜んでいるように思えた。
「ところで少年、君の名は何という?」
「レナード。レナード・リード」
「ふむ、レナードか。いい名前だな。これなら新しい名前入らないだろう」
彼は僕をどうするのだろう。家でひっそりと拷問をかけるのか。それともここの給仕のようにこき使うのか。わからないことばかりでままならない。
ああ、忘れるところだった。僕の家族を。
「リオン」
返事をする鳴き声が聞こえるといつのまにか酒場にいたのか。人混みの中を小柄な体で器用に走ってきた。
「レナード。その犬は?」
「僕の、家族」
「そうか。よし、いいだろう。その犬も連れてこい」
「犬、じゃなくて。狼です」
「……まあいいだろう」
狼と聞いて顔を険しくしたが許可はくれた。ただダン以外にリオンが狼と知らなかったのか。みんなリオンからさっと距離をとった。
「では行こうか、レナード。新しい家と家族だ。妻も息子も君を歓迎するだろう」
酒場から外に出ると彼は手を差し出し掴まれといった。その指示に疑問を抱きながらも言われた通りにする。
すると周囲の光景がぐにゃりと歪み、平衡感覚が失われた。この身を包む不快感が体にさらなる負担をかけ、その苦しみが終わったのは目の前に大きな屋敷が見えた時だった。
芝居掛かった口調でルシウスはこう言った。
「ようこそ、レナード。新しい家族よ。私たちは君を歓迎する」
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