生島提督の鎮守府録 (ジルラーザ)
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プロローグ
艦娘計画1
新世界歴100年、帝国歴71年、新生大日本帝国帝国議会
「だから、今この国難を乗り越えるためには、これしかないんだ!それとも君達は帝国が滅んでも構わんというのか!」
「我々とて、現状を打開する手伝いをしたいと思っている。しかし、"意志持つ人型の兵器"なんて、承認できるわけ無いでしょう!反乱でも起こされたらどうするんです?今よりもさらに悪化する危険もあるんですよ!」
議場は、怒号の飛び交う、ある意味無法地帯になっていた。議題は今年度の予算。揉めているのは、国防省海軍局の代表者達と、行政省財務局の代表者達だ。
新生大日本帝国帝国議会は、全国から選挙で選ばれた189人の議員と、各局の代表者数名で構成される。議長は与党の中から選任される。
基本的に、議会で承認されたことは、帝国五権(監督省、国防省、司法省、立法省、行政省)の中において絶対であり、五権の介入を許さないようになっている。
但し、国家予算については、行政省財務局の介入が許されている。と、いうより財務局に一任されていると言って良かった。
つまり、どういうことが起こるかというと、
その他の省、局「予算増やせ!」
財務局「No。」
こういう構造が出来上がる。
中でも、国防省と財務局の仲は最悪と言ってよいほどに悪かった。
軍拡を進めようとする国防省と、内政を充実させようとするスタンス(つまり、やや行政省寄り)の財務局では、対立するなというほうが無理であろう。
これまでにも、このような言い合いを数多くやって来たため、議会の春の名物、とまで言われていたほどだ。(予算委員会は春の3月から4月にかけて行われるため。)
しかし、今回は少しばかり事情が違っていた。特に、国防省の代表者の必死さが大きく違っていた。
「それについては、セーフティを掛けるから心配ないと言っているだろう!それに今はそんな下らないリスクの話をしていられるような状況か?!奴ら、"深海棲艦"はもう沖縄近海まで迫っているんだぞ!」
海の底から突如として出現したとされる謎の艦艇軍、"深海棲艦"。これによって、人類は制海権を喪失した。
海運は麻痺し、あちこちで空襲があり、民衆の生活はぎりぎりまで追い詰められていった。
太刀打ちしようにも、奴らは障壁によってこちらの攻撃を無効化してしまい、歯が立たない。
世界各国の海軍保有量が、この一年間で4割近くにまで減少したといわれている程にだ。
東洋一の海軍国家といわれた日本も例外ではなく、この一年間で、フィリピン、インドネシア、マレーシアなどの植民地から撤退している。
そして、その毒牙は、ついに本土にまで迫ろうとしていた。
そんな中、海軍局はある兵器の開発に成功する。それは、深海棲艦と同じように人型であるためか、彼らの張る障壁を打ち破る能力を持った"意志ある兵器"。
艤装と呼ばれる武器を使うこと、そしてその容姿が皆可憐な少女のようであることから、海軍局の者達はこう名付けた。
"艦娘"と。
深海棲艦出現とほぼ同時期に、存在が確認されたされる謎の存在"妖精"。
彼らの力を借りねば作ることができないが、それでも現状を打開するだけの力を彼女たちは持っている。
そう判断した海軍局はすぐに、全国に艦娘を配備し、深海棲艦に対抗。その後時期を見て反攻作戦を行うという趣旨の「艦娘計画」を立案し、これを実行するための予算の増額を財務局に求めていた。
普段は、なにかと理由をつけて予算の増額を渋る財務局だが、今回ばかりは承認してくれるだろうと海軍局の上層部は考えていた。彼らとて国を思って仕事をしているはずだ。国の危機に対しての打開策を、みすみす頓挫させるような、そんなことはしないはずだと。しかし、
「そのセーフティもどこまで信用できるのやら、それに今は空襲を受けた地区の復興に多額の予算が必要なんだ!そんなハイリスクで効果も出るかわからない兵器の量産、配備のための金なんて無いんだ!」
「貴様!」
結局何も変わらなかった。いや、財務局からすれば変わることなど不可能なのだ。
ある意味独立国家のような強力な権力を持つ財務局であるが、それでも所属する行政省の意向は無視できない。
「直したところで、また空襲されては意味がないではないか!」
「だが、民衆はそれを望んでいる!それが民意だ!復興もせずによくわからん兵器に多額の税金をつぎ込んでいる余裕はない。わかったか!」
議員の日高は、この二人のやり取りに冷めた視線を送っていた。
(下らん。非常に下らん。お互いに時間の浪費というのがわからんのか。)
軍部は国のために、新兵器の配備資金等を寄越せと言っている。財務局、この場合は行政省か。彼らは民衆のために、復興予算を確保しようとしている。
お互いに筋が通っているため一向に話が進まない。
今ここで、どちらの意見を尊重するか議会で投票してみても良いが、恐らく渋ることだろう。
何故か。議会は、というよりそれを構成する議員は国民の代表であるからだ。
もっと分かりやすくいうと、国民によって選ばれた者達だということだ。
つまり、国民が自分の意見と違う考えだったとしても、それに従わなければ彼らは議員ですらいられなくなるのだ。
彼らとて、海軍局の言うとおりにしなければならないことぐらい分かっている。さもなくばこの国が滅んでしまう可能性もあるのだから。
しかし、先ほども言った通り彼らは国民の代表だ。民意は無視できない。
ここでもし、海軍局の言うとおりにしてしまえば国民の信頼の失うことになりかねない。そして議会の解散なんてことになってしまった場合、呑気に選挙をしている余裕が果たしてあるのだろうか。結局、国としての足並みも揃わないまま滅ぶことになるだろう。
つまり、どちらを選んでも国の滅亡しか見えてこないわけだ。
そんなことを選べと言われて選べるわけがないだろう。
誰だって、国の滅亡の張本人になるのは嫌なはずだ。例え自分が国と共に死ぬとしても。
よって多くの議員はこのやり取りを傍観するつもりしかない。実際、ほとんどが我関せずという顔と、早く決めろよ、という顔をした(自分は決める気のない)者ばかりである。
だからこそ、
(貴様らそれでも本当に国民に選ばれた議員なのか?こういう時のために"あれ"があるというのに。)
日高はイライラせずにはいられなかった。
政治は汚職にまみれ、やがて腐敗していき、そして崩れていく。それはこの国でも例外ではない。
今この議場にいる殆どが、親やその知り合いのつてで議員になった者ばかりだ。
一応、議員は国民の投票によって決まるものだが、著名な元議員や経済界の大物等がバックにいて、本当に平等な選挙活動を他の者が出来るのか?
結局、金持ちで世渡りのうまいやつが楽に議員になっている。だから、政治の勉強なんて最低限もしない。議員になったらそれっぽいことをして、国民の機嫌をとっていけばそれだけで必要経費という名の賞金が手に入る。
あとはその金で悠々自適な生活を送る。それだけだ。それだけの議員が、今この議場に何人居るのか?一人いても胸くそ悪いのに、百人を遊に越すなど、堪えられない。
(まあ、いい。)
今そんなことを考えたところでどうにもならない。今自分にできるのは、腐った無知な奴らに見せ付けてやることぐらいだ。
日高は手を挙げ「議長。宜しいでしょうか?」と言った。議員が議長に意見申し立てするときの慣例だ。シンと静まり返る議場。「どうしました?日高議員?」と返す議長。
(この場にいる無知どもに目にもの見せてくれる。)
マイクが来るまでの間、日高は口の中でククッと笑っていた。
艦これ春イベ辛いよお、陸上型が倒せないよお。
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艦娘計画2
同刻 帝国議会 審理席
「議長、宜しいでしょうか?」
その声で、本郷は相手の胸ぐら数センチのところで手を止め…、たところで背中の裾を思いっきり引っ張られ座らせられた。
突然のことに本郷は思いっきり背中を打ちつけ、「痛たた…。」と背中をさすり呻きながら引っ張った同僚の顔を恨めしそうに見る。
「頭は冷えたか?」
が、当の本人からは、その一言だけである。
「…。まあな。」
本当は恨み言の一つでも言ってやろうかと思ったが、不毛なだけなのでやめておく。ただし、不満げな表情は崩さなかった。
「そうか。」
が、同僚は本郷のその表情を見ても、顔色一つ変えず一言答えるだけである。コイツ…!と思ったが彼の視線はもう本郷には向いていない。本郷はため息をついて自分も議員席へ視線を移す。
議場には189人の議員と各局の代表者がいるが、発言者は起立していたので見つけるのに苦労しなかった。
若い。議員の平均年齢が30代後半前後と言われているが、彼は20代後半のようだ。名は日高というらしい。頭の切れそうなやつだった。
マイクを受け取った日高は、議員達に向けて一礼するとマイクのスイッチをいれる。
「議長。このまま審理を延ばすことに自分は甚だ疑問を感じます。」
そして彼から放たれる言葉は、本郷達にとって思わしくないものになりそうだった。
「既に予定されていた時間を2時間も超えています。他の審理もあるので財務局と国防省で決められないのであれば、議会の採決によって決めるべきであると思いますが?」
嫌なことを言ってくれる。と、本郷は忌々しげに口を歪める。投票になればほぼ確実に否決されてしまうだろう。
それだけはなんとしても阻止せねばならない。望みがあるとすれば、
(多くの議員がこの議題を議会の採決によって片付けることを望んでいない。ということか。)
本郷がそう考えた直後、
「日高くん、それは些か早計に過ぎると思うがね?」
議場の前の方に居た議員から早速反論の声が上がった。
声のした方に目を向けてみると、こっちは50代くらいの白髪混じりの髪の議員が居た。
たしか名前は土肥重蔵。見た目は50代中盤くらいだが、年齢は71歳。議員歴30年を超えるベテランだ。
議会の陰の実力者とも言われている大物である。
「と、言いますと?」
普通の若手議員なら萎縮してしまいそうな相手だが、日高は顔色一つ変えない。
そして土肥も、顔に余裕の笑みを浮かべている。
「この問題は、国の存亡をかけたものだ。専門家たる担当省局でお互いに、双方納得できるところまで議論をを深めていくべきだろう。」
「つまり、議会には決める勇気がないのですね。立法を司る、民意の代弁者たる議会が、本当に民意の通りに決められる自信がないと、そういうことですね。」
「そうは言ってないだろう?」
「事実、そうじゃないですか。いままで議会が単独での採決を見送った議案のほとんが国民の批判が多かったものばかりです。」
「それは仕方なかろう。国を左右する重要事項ともなれば、批判するものも多くなる。それこそ喜ばしいことではないかね?批判するものが多いいうことは国民一人一人が、真剣に我が国について考えているということだろう?」
「そうですか。自分には国民の批判を逸らそうとしているようにしか見えませんが。」
「…。結局、君は何が言いたいのかね?議会の批判をしたいのならもっと別のところに行くのをお薦めするよ。」
嘲笑するように言ったあと土肥は、ゆっくりと振り返って日高を見つめる。恐らく睨み付けているのだろう。
「…。そうですね。私の言いたいことはこんなことではありません。」
一応、舌槍を納めた形の日高だが、別に土肥の眼光に戦いたわけじゃ無いのは明らかだ。あの男に睨み付けられて、涼しい顔をしている若手議員を本郷は初めて見た。
「さて…。議長。改めてになりますが宜しいでしょうか?」
「構いませんよ日高議員。」
「…では。私は今でもこの議題に関しては議会の採決によって決められるべきだと思っています。しかし、先程の通り、議会にその能力がないのであれば、議会の採決に委ねるわけにはいきません。」
議場の雰囲気が一瞬ピリッとしたものになったが、日高は意にも貸さない。
「であるのなら、私は…。」
何故か日高は言い淀んだ。…様に見えた。一体どんなことを言うんだろうなと、本郷は少し楽しみにしていた。この後彼の口から飛び出す新生大日本帝国の現状をひっくり返す言葉が出るとは夢にも思わずに。
次は早めに出す予定です。早くプロローグを終わらせないと…。
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生島優希
帝国歴73年3月30日、長崎県何処かの港町、居酒屋「卯月」
初めて来たときは、元艦娘の人が切り盛りしている店かと思ったものだが、実際は至って普通の居酒屋である。
本郷孝は、その居酒屋の二階の和室のでグラス(というよりジョッキ)に注がれたビールを掲げていた。
「ほんじゃ、優希の鎮守府着任を祝して乾杯。」
「乾杯。」
今回の祝賀会(といってもメンバーは、本郷を除き一人だけだが)の主役、自分の養子である生島優希と杯を交わし、そのままグラスを呷る。この喉にくる感じと、広がる苦味が本郷は何よりも好きだった。
優希の方はというと、まだ未成年で酒は呑めないので、烏龍茶を飲んでいる。
間もなくして、部屋に料理が運び込まれ二人だけの祝賀会が始まった。
料理を食べながらの会話はお互いの近況報告になりがちだ。その点において今回の話題が優希のことになるのは、至極当然の流れであった。なぜなら
「どうだ?新しい鎮守府の雰囲気は?」
優希はこの4月から提督として鎮守府に着任し、これはその祝賀会であるからである。
「どうって言われてもねえ…。まあ、さすがに新築の鎮守府って感じかな。綺麗だし、フローリングだし。執務室は絨毯だったけど。」
「俺等が子供の頃は鎮守府=赤レンガ、もしくは普通のレンガだったのにな。時代は変わるねえ。その調子で海軍本部もフローリングに改装してくんねーかな。」
ハハッと、本郷は笑い、天ぷらを頬張る。
「そういや、本部だけそのままなんだっけ?」
「本部だけっていうよりは、地方の中枢鎮守府もだな。舞鶴とか佐世保とか、深海棲艦に対抗するために、艦娘が生活できるよう改装したはいいが何せあのときは急いでいたからな。施設の増設とちょっと掃除するくらいしかできんかったから。住みやすさや施設の綺麗さなんて二の次さ。」
これらの鎮守府は元々あった海軍施設を改装、あるいは増設したものが殆どで、艦娘の運用に適していない問題(工廠、港が大きすぎるなど)や、そもそも建物自体が老朽化しているといった問題があった。
「まあ、最近の鎮守府の新設数の増加に伴って横須賀本部と地方中枢鎮守府の近々大規模な改装があるらしいから、こういう愚痴も聞かれなくなるだろうけどな。」
「そうなんだ。」
もう本部に行った時に天井や壁のシミを数えることもないのかあ。と優希は少々残念に思いながら、烏龍茶を飲む。ちょうど空になったので、店員を呼び新しいものを注文する。
そこから先は、お互いのこと(といっても殆ど優希の話から入りそれを本郷が広げるというもの。)を語り合った。
最初は、「初期艦は誰にしたんだ?」や、「資材の運用は…した方がいいぞ。」など、海軍らしいものが多かったが、だんだん酒が廻ってきたのか「彼女はいないのか?」とか「貯金は海軍になってもした方がいい。」とかになっていき、終いには「優希の成績でこんな地方の鎮守府に着任なんておかしい!」という我が子に対する贔屓目たっぷりのものになっていた。
(それに関しては言わんでくれ。)
優希は、なおもヒートアップする本郷を見ながら、溜め息をつきたい気分だった。
確かに優希の海軍士官学校での成績は優秀なもので、普通であれば横須賀鎮守府管轄内に着任したりするのだろうが、実際着任したのは地方のしかも離島の鎮守府だ。子思いな養父の本郷が、納得いかないのも無理からぬことだ。
しかし、実際のところ優希がそんな辺境の鎮守府に着任したのは、本人の希望によるところが大きい。
理由としては、本部のギスギスした雰囲気をよく本郷から聞かされていた(愚痴られていた)ため、そういう雰囲気が苦手だったこと。
そしてもう一つ、優希が海軍になった目的によるところだ。その目的を果たすためには、忙しいのに中央の鎮守府より、地方の比較的暇な鎮守府の方が都合がいいからである。
そして優希はその目的のためにある組織に所属している。本部から目をつけられている組織なので、その意味でも中央からはできるだけ離れた場所の方が都合が良かった。
もちろん、この事は養父である本郷にも伝えてない。否、横須賀鎮守府付きの軍人である本郷には伝えられないのである。
このまま本郷をヒートアップさせたままだと、この事について結果的に探りを入れられることになりかねないので、優希は本郷を宥めることにした。
「お義父さん、呑みすぎだよ。それに、場所なんて関係ないさ。どこであろうが自分のやることは変わらない。"奴ら"を見つけ出して叩くそれだけだよ。」
これは優希の本心でもある。実際、鎮守府の場所は地方であればどこでも良かった。目的さえ果たせればどこでも良かった。まさか、本部から最も遠いところになるとは思わなかったが、それは嬉しい誤算というものだ。
そして、"奴ら"見つけ出して叩く。これも本心だ。本郷は"奴ら"を深海棲艦と捉えるだろうが、優希は心のなかで別のものを指していた。
優希が海軍になった理由。なんとしても"奴ら"を見つけ出し、雪辱を果たさねばならない。なんとしても。
そこまで考え、優希は本郷を宥める手に力が入っていることに気づく。
まったく、常に冷静でなければならない軍人にあるまじきことだなと、優希が自嘲の笑みを浮かべたときだった。
「それは…。その"奴ら"ってのは深海棲艦のことか?」
そう言って振り向いた本郷の顔は嫌に真面目だった。
その顔をみて優希は硬直してしまった。
悟られたのか、それとも偶然きいてきたのか優希にはわからなかった。
わからなかったが、このまま黙って固まっていては余計に怪しまれる。
「ああ、そうだよ。」
だから、できるだけ自然に、でも間髪いれずに答えた。
本郷は「そうか。」とだけ言って、そのまま机に視線を戻す。しばらく沈黙が流れ、優希は冷や汗が出てきそうな、そんな心情でいた。
と、突然
「よし、もうこんな時間だしお開きにするか。」
手を叩き唐突に明るい声で言うものだから、優希はまたまた硬直してしまった(さっきとは違う意味で)。
あわてて時計を確認してみると、針は10時を過ぎていた。開始が7時だったのでたっぷり3時間いたことになる。
さすがに長居しすぎたな。そう思い畳んでおいていたコートを着て腰をあげる。本郷はもうすでに会計の支度を済ませていた。
二人は会計に行き、そのまま店を後にした。今回の食事代は本郷が奢ってくれた。礼を言うと。
「これで最後だからな。」
と、言われた。これからは養子としてではなく、一人の大人として扱うという意思表示だろう。それがわかったので優希は、
「わかってるよ。」
と、返しただけだった。
本郷はその後特に何も話しかける訳でもなく、
「じゃあな。頑張れよ、優希。」
とだけ言って、帰路についた。今日中に横須賀まで戻るのは恐らく無理なので、どこかに泊まるのだろう。
優希も「お休みなさい。」とだけ言うと。帰路についた。
居酒屋から5分ほど歩くと、いま優希が暮らしている部屋のあるアパートが見えてくる。この近辺の鎮守府に新しく着任する提督のために二部屋だけ借りられている3階立てのアパートで、他の部屋には普通の住人が住んでいる。夜遅くなってしまったので、あまり足音をたてないように階段を昇っていく。
用意されている部屋は3階の一番階段から遠い部屋だ。そのとなりの部屋には誰も住んでいない。機密が少しでも漏れないようにするためのものだ。
そんな回りくどいことをするくらいなら、海軍で宿舎を用意しろとも思うだろうが、生憎日本全国+東南アジアの全てに新しく着任する提督のための宿舎を作るほどの予算はないのだ。
逆にそんなことしなくても、ある程度信用できる付近のアパートを確保した方が都合が良いのだ。
しかし、いくら機密漏洩を防ぐためとはいえ、毎回階段を3階分昇ってそこからさらに廊下を歩いていかなければならないのは(逆もまたしかりである。)、正直、もう少しどうにかならなかったのだろうか。
ようやく部屋の前にたどり着いたとき、優希はハァと溜め息をついた。ついたところでドアノブをこれまた大きな音がたたないように開けて、部屋の中に入り、そーっとドアを閉める。
「ただいま。」
どうせ返事は返ってこないだろうと思っていた。ただいま。といったのは、言うなれば癖だ。長年の生活で(といっても彼は18歳だが。)身に付いた癖。そのため返事を期待していなかった。が、
「お帰りなさい。遅かったのね。」
落ち着いた女性の声が返ってきた。そして部屋の奥から、その声に不釣り合いなあどけない顔をした少女が出てきた。
「なんだ。起きてたのか。」
優希は少し驚きながらも、笑みを浮かべて、出てきた少女-黒井碧音を見つめる。
「なんだとは何よ。部屋の明かりはついていてはずでしょ。」
碧音は、呆れ声でそういい、すぐに振り返ってリビングへ入って行った。
優希は靴を脱ぎ、碧音の後を追う形でリビングへはいる。
このアパートには部屋が3つあり、優希たちは玄関から一番近い部屋をリビング、残り二つの部屋をそれぞれで分けて暮らしている。決して広いとは言えないが、2週間滞在するだけの部屋なので、十分であると言えよう。
優希が何の気なしに机の上をみてみると、何やら空になったボトルとコップが置いてあり、その横には、干し肉の写真が印刷されたパッケージの袋が置いてある。まあ、いわゆる酒とつまみである。
「随分呑んだんだな。」
優希が机の上にあったボトルを拾い上げ、しげしげとそれを眺める。ラベルからしてウイスキーだろうか。
「別に今日全部呑んだわけじゃないわよ。この二週間の間に少しずつね。明後日着任だからちょうど良かったわね。」
碧音は、あどけない顔をしているが、年齢は優希の4つ上、つまり22歳である。
「で、どうするの。お風呂にする?」
「そうだな。そうさせてもらうよ。」
優希はそういうと、着替えを取りに自室に向かった。
本郷は、居酒屋付近の宿屋の部屋の窓を開け、タバコを吸っていた。列車はまだ走っているが、どうせ今日中に横須賀には帰れないので、今日の寝床を探すことを優先したのだ。ふうっと煙草の煙を吐き出す。今夜は港町には珍しく無風状態だった。まっすぐ昇る煙を眺めながら。今日のことを思い出す。
優希が例の組織に入っていることは実は知っていた。
その組織は、確かに本部から要注意組織として目をつけられている。が、それは彼らの目的が、本部の意向にそぐわないという理由によるものだ。実際本郷も、彼らの目的には賛同している方の人間だ。そのため度々彼らから誘いを受けていた。とはいっても、本郷は一応本部の人間なので体制を重んじ、丁重に断ってきたのだ。優希が彼らの仲間になったのを知ったのは、その断りの連絡をした時だった。相手はいかにも残念そうに言った。
「生島君も、我々の考えに賛同してくれたんだがねぇ。」
今にして思えば、あれは一種の脅しだったのかも知れない。だがそれは、彼には意味のないことだ。確かに本郷は優希のことをとても可愛がっていたが、だからといって彼の人生にまで干渉するつもりはなかった。彼には彼の人生がある。そう本郷は考えている。だから彼がどんなことをしても余程の事でなければとやかく言うつもりはなかった。だから優希には黙っているのだ。
そして今日、優希の力の入った手の平、表情をみて確信した。彼は自分の信念に基づいて行動しているのだと、どうあってもそれを変えるつもりはないと。
"奴ら"に対する復讐を望んでいるのだと。
だが、それがどんな結果を招くにしろ、優希がその事に関して本気であることが確認できた今、本郷にそれを止めるつもりは無かった。
(好きなだけやれ。優希。)
そう心のなかでエールを送りながら、本郷はもう一度タバコを吸って虚空へと吹き掛けた。
優希は部屋のリビングで風呂上がりのお茶を飲んで体の火照りを冷ましていた。
テーブルの上には、一つの冊子が置いてある。1cmほどの厚さのそれは提督のために配られるマニュアルのようなものである。といっても、艦隊の運営や、鎮守府の運営方法等は、海軍学校で事前に勉強しているし、着任してからも初期艦の子が色々教えてくれるので、特に必要ないのだが、例えば単純に建造の資材の配分を忘れたとか、初期艦との間に運営方法の認識について差異が出たときなどの確認用に用意されているのだ。着任は明後日。明日は荷物の運び込みなどで忙しいので、今のうちに確認しとけ、という碧音の言葉が聞こえてくる。
当の本人はというと、もう寝床についているようだった。彼女はあまり夜遅くまで起きれる人間ではない。今日はなぜ起きていたのかは優希には分からなかったが。
おもむろに卓上にあるマニュアルを広げてみる。マニュアルは艦隊や鎮守府の運営方法の簡単な説明から始まり、装備の種類やその開発資材配分、そして全艦娘のプロフィールとその建造資材配分が載っている。
プロフィールは、簡単な性格や艦だった頃の戦績、接し方に関しての注意事項などが書かれている。ここまで聞くと普通に聞こえるかもしれないが、内容をよく見てみると、ヤンデレになりやすいので接し方に注意とか、ダークマターを生成することがあるので厨房には立たせないこととか、挙げ句の果てには、よくパンツを見せてきますが本人は無自覚なので優しく見守ってあげましょうとか、なんというかこれを書いた人は随分とユーモラスなんだなあ、と逃避したくなるような、このマニュアルを作った本部に不安を抱くようなそんな内容なのだ。
さらに優希を不安にさせることが、先ほどの最後の説明がなされた艦娘、それこそが、明後日顔を合わせる予定の初期艦の吹雪のものなのだ。
訓練学校では、優しく真面目でよく尽くしてくれるとてもいい子です。みたいな説明がなされていたが、これはどういうことだろう。
今になってマニュアルの表紙に赤字でマル秘とかかれていたか分かった。分かりたくなかったが。
(これは艦娘には見せられないな。)
他者の書いた自分のプロフィールを見るだけでも恥ずかしいのに内容がこれだともうどうしていいのか分からなくなるだろう。
ハアッと優希は息をつき、マニュアルを閉じて自分の位置から手の届く範囲で一番遠い位置に置く。
残っていたお茶を飲み干し、食洗機に入れてスイッチを押し、歯を磨いて寝床につく。
明後日には提督服に身を包み、鎮守府の門をくぐるのだ。
(ここまで長かった。)
あの日から4年。ようやく目的を果たせるときが来た。
高ぶる胸を押さえるように優希は目を閉じた。
もうなん月中にとか言わない…。
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