新・銀河英雄伝説~残照編 (盤坂万)
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1話

 視界の端から端まで散りばめられる星々の輝きは、戦闘前の高揚と相まって戦闘艇乗りと呼ばれる人種にも無形の感慨を与えるようだ。

 

 途方もない感覚に人は慄くしかないが、度し難いことに人という生き物は感動を後悔を感謝を何度繰り返してもすぐに忘却してしまうのである。

 無から生まれたとされる宇宙が紡いだ百三十五億年もの時間の中で、人が星と共に虚空を彷徨えるようになってから、まだほんの五、六〇〇年を数える程度にしかときが経たないにも関わらず、宇宙で過ごす人々は原初の驚きと発見の興奮に半ば飽きてしまったかのようだった。

 人の傲慢は留まることを知らず、無数に存在する島宇宙のひとつを切り取っただけに過ぎぬ存在でありながら、その興味と関心は常に内なる闘争へ注がれ、一向人類は人間であることを超越できずにいる。人が宇宙を語るにあたっては、その命数はあまりに短く、あまりに少ないのだろう。連綿と続く宇宙の時間の中で人が目醒める日は訪れるのであろうか……。

 

 母船から送信された座標を捜索しながら、強行偵察中のミハエル・オルトリンゲン元曹長は出撃の直前まで同僚が眺めていたソリヴィジョンのドキュメンタリーに流れるナレーションを思い出していた。

 目前に途方もなく拡がり深遠は果ても底もなく、全方位が黒々とした宇宙空間にいて、パイロットスーツに閉じ込められたか弱い生命体は時折おおきな孤独とそれに反した一体感を感じるのだった。

 これだから戦闘艇乗りはやめられない。ミハエルはほんの少しの陶酔感と大きな畏れに身をすくめさせた後、索敵範囲を広げたり狭めたりを繰り返していた。

 戦闘前の独特な高揚感は確かにある。宙域に漂う気配が、つい五年ほど前まで軍人であった彼の鼻腔をくすぐるのだ。だが見渡す限り凪の宇宙を尻目に、ミハエルは母船との交信をつないだ。

「お嬢、海賊どもが現れるというのは本筋の情報なのか? 指定座標はかなり宇宙港に近い。襲撃するにもこのあたりはレーダー網のど真ん中ですぜ。直接ワープアウトでもしない限りただちに捕捉されて一網打尽になっちまう」

 計器やレーダーを確認しながら、モニターに映る眠たげな眼の令嬢にミハエルは軽口を飛ばした。眠たそうな様子以外、表情のまるで読めない女司令官は微動だにしない。

 モニターの中の女司令官が何か言うのを待っていると別の偵察艇から通信が入った。

「ミハエル、何度も言わせるな。お嬢などという呼び方は姫様に無礼だ」

 今度はモニターの麗人の右眉がぴくりと動く。姫様と呼ばれたことに反応したのは間違いなく、反応の要素は不快に近いものであるらしい。

「言うがなヒルデブラント。お前の“姫様”も相当だぞ。時代錯誤も甚だしい」

「あなたたちいい加減になさいな。お姉様はお怒りよ」

 女司令官がようやく何か言おうとしたタイミングでさらに別の通信が入る。コンソールのモニターには、彼女をお嬢と呼んだ野卑た佇まいの戦闘艇乗りと、姫様と訂正した画像に収まりきらないほど巨漢の戦闘艇乗り、そしてお姉様呼ばわりをする十代後半の小顔な少女の戦闘艇乗りが映し出されている。

「姫様は姫様だろうが」

「時代はとっくに貴族様の世の中ではないのだ。お嬢と呼んだ方がしっくりくる」

「どの呼び方もお姉様は嫌がっておいでなのが判らないのかしら」

「しかしペトラ様……」

「お黙りなさいミハエル!」

「ご無体を仰られる……」

 何度繰り返されたか数えるのも馬鹿馬鹿しいほどのやり取りを眺めていた眠たげな眼の麗人は、手近なサイドテーブルに何も載っていないことを確認してから、それを固めた拳の底で一度だけどすんとやった。好き放題にわめいていた三人は、モニター越しに彼らの女主人の怒気を感じてぴたりと静まる。

「何度でもいいますけどね、私のことはゾフィーで結構と伝えたはず。お嬢も姫様もお姉様も禁止していたはずですが」

 ゾフィー嬢は半眼になって念を押し、モニターの三人は三様に不承不承主人の言を受け入れる返答をしたが、いずれ間を置かず同じようなやり取りが繰り返されるだろうことは想像に易い。ゾフィーは諦観のため息をまだ静かなフェザーンの海に吐き出した。

 



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2話

 フェザーン宇宙港内は行き来する旅客でこの日も大変な賑わいを見せていた。

 ターミナルは広大の一語では語れぬほどの規模を誇り、昼夜を問わず艦船の離発艦が絶えることはない。二五〇年の長きに渡った戦乱が終息し、かつては異なる政体の狭間にあったこの惑星が帝都として文字通り銀河の中心に座した現在ではなおのことであった。

 銀河の両側からの行き来に規制が少なくなった今ではあらゆる人と物がここを目指し、ここからまた旅立つ。天井高三十メートルを超える巨大空間には、乗り継ぎに束の間の休息を取る者や見送る者に見送られる者、軍人や自由商人などなどありとあらゆる職種、人種が入り交じってさながら坩堝のごとき様相だ。

 帝都がフェザーンに遷されてからその都度拡大拡張が行われた宇宙港は、人類史上類を見ないほどの規模になっており、この宇宙港だけで通常の都市三つ分ほどのインフラ投資がされていると嘯かれるほどで、それらを支える職員の数と利用者数を合わせればメトロポリスの人口を軽く凌駕する。日に数万回を数える離発艦のため管制は雑多と至難を極め、宇宙港警備隊に至っては日に三桁に及ぶ出動があった。そうした情勢下、宇宙港における民間レベルの治安はむしろ悪化していると囁かれている。

 表向きの統制は取れてはいるが、その実犯罪行為は横行していると言って過言ではない。前時代と比べて犯罪の質も当然変化しており、社会が公平なものに向かう作用は犯罪行為にもその効力を及ぼすようで、事件は多様化と一般化と平準化の様相を呈していた。いわゆる凶悪犯罪と呼ばれる殺人や傷害、強盗などは言うに及ばなかったが、犯罪の大半は密輸、脱税、禁止薬物の輸送販売、人身臓器の売買などセンシティブなものが多く割合を占めるようになっていた。

 警察、軍、憲兵がこれの対処にあたるがそれぞれの組織の扱う犯罪は異なる。前時代であれば混迷もしようものだが、幸いなことにこれらの管理統率がウルリッヒ・ケスラー元帥ひとりに帰することが唯一の救いだったであろう。犯罪発生数は毎年史上最高を記録するが検挙率が低下することはなく、むしろ微増しておりケスラーの類まれなる辣腕ぶりが圧倒的に目立つのだが、これこそが現在帝国の抱える懊悩の顕在化したものに違いなかった。

 王朝の治世は相変わらず急速に変革している。もはや変革こそが常態であるとでも言わんばかりの激動ぶりだ。ローエングラム朝の治世は獅子帝在世の頃から革新的で目覚ましいものだったが副作用はその分激しい。パンチドランカー状態でリングに上がり続けているようなものだと評したのは、アレックス・キャゼルヌだったかダスティー・アッテンボローだったか、いずれも旧同盟軍を辞して野に下っている人材の取るに足らない雑言ではあったが……。

 そしてその後の強烈な個性の喪失、ローエングラム朝の耳目であり頭脳であり心臓であり筋力であったラインハルト・フォン・ローエングラムは永遠に喪われ、それを支える廷臣も半ばが戦乱や謀略により失われていた。オスカー・フォン・ロイエンタール、パウル・フォン・オーベルシュタイン両元帥を筆頭に、テクノクラートでは当世随一の逸材であったブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ元工部尚書。これら三名の喪失だけでも王朝の骨子が瓦解するに足りる。崩壊をおし留めさらに成長させているのは、ひとえに皇太后ヒルデガルド・フォン・ローエングラムや、宇宙艦隊司令長官ウォルフガング・ミッターマイヤーなど、残された人々の尽力によるものだが、それこそが王朝の孕む不安材料のほぼすべてであると言って言い過ぎはないだろう。

 つまり帝国の人材不足は相当に深刻だった。有為の人材はいまだ数多くあったが、多くの政務が属人化しているためその重責を担わせるには後進の成長を待たねばならず、強大な武力と意志によって銀河を統べた新王朝は、いつか稀代の謀略家が評したように、拡大の一方での空洞化を顕著なものにし、いまなお解決の糸口すら見つけられずにいた。

 その影響は航路の警備体制にも顕れている。これまで不正も多く不公正な法の下にありつつも、宇宙航路は門閥貴族の手によって分割的に保全されていた。良くも悪くも宇宙海賊の類は統制されていたのである。無論中には積極的にそれら賊を排除する地方領主もあったが、多くはそれらを取り込み飼い慣らすなどし、好き勝手な跳梁を結果的に食い止めていたというのが一般の事実である。その箍が外れたことも一因であるが、瓦解した貴族制度の反作用で、それまで各貴族が私してきた軍隊が宇宙海賊化するなどの問題も生じている。新王朝になり宇宙管区制が敷かれ、警備体制が整いつつあるが、中央から離れれば離れるほど悪事と官憲の癒着は進みやすく、これらの討滅に軍関係者は奔走させられていた。

 

 宇宙港をはるか上空に頂く惑星フェザーンの地表では、生き残りの元帥の一人が重々しくため息をついたところだった。

「仕事を進めれば進めるほどより厄介な問題が拡大生産されるわけだ。考えると馬鹿馬鹿しくなってくるな」

「宇宙海賊相手ではな。だが卿は責任感が強すぎるのだ。強大な敵手が存在するわけでもないのだから何も毎回自身が対処する必要はない。部下に任務を与えて自学自習させることだな」

 義手の元帥の愚痴に、半白髪のこちらもまた元帥がコーヒーの芳香に目を細めながら答える。

「そう簡単に言ってくれるがな……」

 隻腕の元帥はそれだけ言って深々としたソファにその身を沈めた。

 



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3話

 二杯目のコーヒーをすすりながらアウグスト・ザムエル・ワーレン元帥は、同僚である帝都防衛司令官を兼務する憲兵総監相手に愚痴をこぼしていた。日頃は泰然自若を体現する元帥同士であっても、旧くからの仲間との会話には油断や隙が生じるものであるらしく、交わされる内容は壮年の中間管理職が場末のワインバーでやりとりする水準である。

「宇宙海賊討伐など俺の部下にさせるより未だ無役同然のビッテンフェルトにでもやらせておけばいいのだ。しかし彼奴め放っておくと犯罪者を軒並み軍事裁判でテロリストとして即時死刑にしてしまうからな。猪突猛進をうたう自称野蛮人などは実際の野蛮人よりよほど性質が悪い」

 まさかビッテンフェルトと言えどもそのようなことをするわけではなかったが、かの元帥を揶揄する上ではなかなか趣が深い。それに対するケスラーの返答も充分に皮肉が効いていた。

「対症療法が根治に有効な場合がない訳でもないからな。だが奴にばかり楽な仕事が回るのは確かに不公平というものだ。いっそ宇宙艦隊司令長官にでも推せばバランスがとれてよいかもしれん。その場合後を譲るミッターマイヤーの苦悩は計り知れんがな」

 このような会話にも顕れているが、帝国において軍務関係には人材がまだ揃っていると言ってよい。空席の軍務尚書には現在代行としてワーレンが就いているが、実質的には前の軍務尚書副官、アントン・フェルナー少将と、幕僚総監のシュタインメッツ中将があたって不足不明がない。いずれはシュタインメッツをして二代目の軍務尚書ということになるだろうというのが大勢の意見だが、いまだ中将のシュタインメッツでは位が足りない。ほどなく皇太后ヒルデガルドの命が下って位階が進むであろうが、大将を経て上級大将に就くまでは差し当たってワーレンが代行を続けることになりそうだった。

「ところで最近不穏な噂がある」

 ケスラーがワーレンに耳打ちしたところによると、今のところ数はたいしたことがないらしいが、旧貴族勢力が再び糾合しようとしているということだった。

「またその類の話か。有象無象が何をするというのか」

 隻腕の元帥は胡散臭そうに鼻梁をしかめたが、切れ者で鳴る憲兵総監は深刻な表情を崩さなかった。ひそめたままの声音で淡々と言葉を紡ぐ。

「確かにその通りだが、こたびは少々毛色が違うのだ。どうも求心力となる者がエルウィン・ヨーゼフを名乗っているらしくてな」

「なに。それは本当か」

 ワーレンの声音は色めき立ったが、言葉とは裏腹にさきほどより胡散臭さの濃度が増している。こうした話は年中どこかで囁かれているのだ。

「さて、ことの真偽は判らぬ。誰でも思いつきそうな三流のシナリオだがな、それだけに真実味もあるというもの。旧フェザーンの資金力が結び付くという噂もあるし、それにこれは以前から我々が想定していた事態のひとつだ。そして先年来、性質の悪い噂や流言の一つが物事の核心を突いていた悪しき例には枚挙に暇がないときている」

 生真面目に話す同僚にワーレンは辟易しつつあった。ケスラーが確信の方に判断の目盛りを傾けつつあるのだ。この悪い予感はきっと的中するだろう。そう思うから心底辟易するのだった。

 ワーレンは得も言われぬ疲労を感じ、意識の矛先を変えることにした。その話はもう少し真実味が出てきてから相談しよう、と打ち切るがそれでは遅きに過ぎるだろうか。

「ところで奥方との結婚生活はどうだ。憲兵総監どの」

 噂の話はもう充分だった。おそらくことは起こるし対処もせねばならない。そのときのために対策を立案せねばならないし組織を活性化させねばならないだろう。だがいまは考えたくないというのが本音だ。そんな心境から不意に向けた話題はしかし、意外な憲兵総監の微笑みという対価をもって支払われた。

「ああ、まあ順調だと思う。だがやはり子のことだな。俺もそんなに若いわけではないが、マリーカはあの通り元気そのものだから」

 ワーレンは微笑ましく想いながら冷めつつあるコーヒーに口をつけなおす。目を閉じた彼の脳裏にそろそろ少年期を脱しようとしている一人の男児の相貌がよぎった。

「子供はいいぞ。俺もフェザーンに居を移したからな。ようやく手元に引き取ることができた」

「そうか、卿は奥方を亡くされていたのだったな」

 憲兵総監のごく常識的な気遣いには右手を軽く挙げて謝絶の意を示しつつ、ワーレンは年齢のことなど気にするなとアドバイスをした。少し照れたような様子を見せていたケスラーだったが、子供と言えば、と話を飛躍させた。

「先年戦没したメルカッツに娘があったのを卿は知っているか」

「無論だ。リップシュタット盟約の折、ブラウンシュヴァイク公に与する誓約として人質に取られていたのをメックリンガーが救い出したはずだな。その後叛意もなく従順だということで監視相当となったのではなかったか?」

「今では独立商人として商隊を率いているのだが、これがなかなかの規模だ。実際には賞金稼ぎまがいのことをやっているらしい。結果としてだが軍関係からも何度か依頼をしており成果もそつがない」

 ケスラーが差し出す報告書に目を落として、ワーレンはそこに映る妙齢の女性の写真を見た。長い銀髪の眠たげな眼をした麗人である。言われて感じる程度ではあったが、そこかしこにメルカッツの面影があった。単純に故人を懐かしむ気持ちが自然に沸き起こってくる。

「それでこの令嬢が何かしでかしたか」

「いや、今回のエルウィン・ヨーゼフの件で上がって来た資料の中にあったのでたまたま目に留まったに過ぎぬよ。メルカッツは銀河帝国正統政府に軍務尚書として名を連ねていた。その娘がそこそこの武力を有しているわけだからまあ調査の対象になるのもおかしからぬ話だ」

 なるほど、と首肯してワーレンは再度報告書の写真に目をおとす。独身で年齢は二十六歳とある。メルカッツの享年が六十三歳で、もう五年ほど前のことになるから父娘の年齢差は四十二年か。ワーレンはふと相好を崩した。

「メルカッツ提督は四十二でこの娘を得ている。卿も年をとりすぎているなどと考える必要はないだろう」

 そう言ってワーレンは報告書の映し出された携帯端末をケスラーに返した。受け取った半白髪の元帥はそのことに関して何も口にしなかったが、心なしかその瞳に決意めいたものをワーレンは身贔屓にも感じたのだった。

 



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4話

 ドックに入港してくる輸送艦を眺めながら、際立って姿勢の良い長身の男は手持ち無沙汰に宇宙港ロビーに佇んでいた。

 同行者の元同盟人が、せっかく久々にフェザーンまで来たのだからと、帝国産かフェザーン産のビールを探してくると言い残してかれこれ二〇分程が経過している。どうせ途中で妙齢の女性を見つけてせっせと成果の種蒔きでもしているのだろう。そう想像しながら男は金褐色の短髪をかき乱しては整えるのを繰り返している。

 この五年ほど銀河の彼方此方を物見遊山していた同行人としては、フェザーンのような大都会は久しぶりとあって、生来の無分別さが自然にステップを踏み出すのに違いなく、踊り疲れるまで帰ってくる気配はなかった。

 翻ってわが身を思えば、これでいて自分にも鷹揚さがだいぶ身に付いたように思う。それにしても五年、自分自身旅に出るのにこうも時間がかかるとは思ってもみなかった。それだけに惑星ハイネセンを経つ際に感じた後ろ髪をひかれる思いは、シャトルが重力に逆らいつつ大気圏を抜き出でるあの感覚に似通っていた。

 予定では次の乗り換えまで半日あった。その予定も航路の混み具合や宇宙海賊の出没、事故などで大きく前後するのだが、そんなことはこの時代にあって一般的なことである。二日や三日旅程がずれるなどと言うことは宇宙旅行にはあまりに日常的なことだった。

 こうした情勢下にあって、彼の旅の目的である人物は無事息災でいるのだろうか。この世情不安の波の中にあって、恩人の息女たるかの人はどこにいるとも判らない。とにかく一旦オーディンへ向かい、足跡をたどるしかないだろう。不安と焦燥は、旅の出発地であるハイネセンの地表を離れるほどに募っていた。

 とめどもなく心の内を自身の手でかき回していると、不意に近くに人の立つ気配を感じ伸びていた背筋をさらに伸ばす。だがすぐにそれが連れの人物と判ってため息を漏らした。

「何を考えていたんだ、中佐?」

 明るい褐色の髪をした優男がビールのボトルを手に立っていた。自分も中佐だったろうにと思いながら、緑光を宿したような色の目を見返す。いつもどこか人を食ったようなこの人物に、男はこういう気の置けない感情を友情と呼ぶのだろうか、と自問した。

「貴官こそどこまで買いものに行っていたのだ。まあ何をしていたかは聞かずとも想像がつくが……」

「なかなかいい勘をしているな中佐。そう、投資をちょっとな」

「投資ね。芽吹くことを祈っているよ」

「あ、可愛くないね。せっかくお前さんにも分け前をやろうと思っていたのに」

 金褐色の方の男はため息を漏らすように笑うと「結構だ」と断った。

「まあ堅物の中佐に女はいらんだろうが、これは入り用だろう?」

 軽口のついでに手渡されたボトルを受け取って、金褐色は「おっ」と感想を漏らして喜色を浮かべた。

「冷えているな。ありがたい」

「あれだな。サービスが良くないと物が売れないまっとうな世の中が戻ってきたという証左だろうな」

「独創性のない感想だな」

「独創的であればいい、などと言う世迷言は……」

 優男が最後まで言い終わらないうちに、何かに目を奪われて「おや?」と呟いた。優男の意識が向いた方向に視線を飛ばしたが、金褐色には彼が何に気をとられたのかは判別できなかった。

「中佐、どうかしたか」

 問われて優男は「いやなに」と依然気をとられた様子で遮ったが、そぞろな心持のままボトルの栓を引き抜くと一口液体を口に含んだ。表情には物足りなさと期待外れの混合物が浮かぶ。

「これが本場の味なのかね?」

「中佐、こいつにはアルンハイム産とある。同盟でつくられたビールだよ」

「けっ、はるばるフェザーンまで来たってのに、なんでわざわざ同盟のビールを飲まねばならんのだ」

「貴官が持ってきたのだが……」

「フェザーンで売るならフェザーンでつくったビールを売ればいいものを、ややこしいったらないぜ」

「それは少し乱暴じゃないか」

「だが独創的ではあっただろう」

 優男はそう締めくくるとくっくと喉を鳴らして嗤って、ボトルの液体を半ばまで胃に流し込む。いまのは独創的だったろうか、と呆れた様子の金褐色の方もようやく栓を開けた。その様子を横目で流し見しながら優男は大きく伸びをした。思わずあくびが漏れる。

「しかし暇だな。半日程度ではロマンスと洒落込むわけにもいかないし、飲んで過ごすには長すぎる」

「半日で済めば僥倖さ。宇宙海賊でも現れた日には、三日四日航路が閉ざされることもある。つい先日も半月ほど航路を塞がれたことがあったらしいからな」

 真面目な口調で言う連れに、缶詰はごめんだな、と舌打ち交じりに優男は言って、とうとうベンチに寝そべってしまった。まったく気ままな男だ、と完全に呆れながらもこの優男の自由な言動を羨ましく思うのは、最近増えてきた自分でも意外な感想のひとつだった。

「宇宙海賊ごときに手を焼くとあっては、精強を誇った帝国軍も今や過去の話だな。死んだカイザーが草葉の陰で泣いているんじゃないか?」

 あのカイザー・ラインハルトが死んだからと言って、部下の不甲斐なさにめそめそするとも思えんが、と軽口を続ける。さすがに声音は小さくしているが、憲兵にでも聞き咎められたら不敬罪は免れないだろう。こんなところで拘束されて身許を暴かれるようなことになっては、送り出してくれた多くの人たちに申し訳が立たない。金褐色が自制を求めると珍しいことに優男は謝罪して見せた。決して殊勝ではなかったが。

「艦隊同士の会戦とは違って、宇宙海賊などと言っても相手はゲリラと変わりない。根拠地を見つけて叩き潰さない限り、半永久的に悩まされることになる。軍も明らかな外敵がなくなった以上、治安統制的な役割に傾かざるを得ないだろうが、内務省との折り合いの悪さもあると聞く。戦時下とはいろいろと勝手も違うわけだから……」

「お前さんこそ、ごくごく独創性のないことを言うね。よく似たやつを知ってるぜ。とっくに死んでしまったがね」

「自明のことを論じたに過ぎないが……」

 そう言い訳してようやくビールを一口含む。飲み下すとき、少し鼻腔に苦味が広がった。

「どうだい異郷の味は」

 からかう連れには答えずもう一口ビールを飲み下す。金褐色は手にしたボトルを見つめたまま、悪くないと呟いた。

「自由の味だな」

 そう答えると優男はかっかと嗤った。

「違いない。軍属や軍人なら一般旅客の入り混じるターミナルでアルコールなんぞはご法度だからな!」

 金褐色も一緒に嗤う。自分はどんな自由を手にしたと言うのだろう。戦いからの解放か、貴族社会との、旧い時代との別離か。ヤン・ウェンリーを頼って宇宙を渡った時、すでにそれを手に入れていたのではなかったろうか。しかしわだかまるものは確かにある。それに別れを告げるために今、旅をしているのだ。だが、男たちはさしあたって同じ自由を感じているようだった。

「さて、これからどうするね」

 優男が問うのに、そうだな、と相槌を打ちつつ宇宙港ロビーの壁面に設えられたディスプレイに目をやる。ガラス窓一枚を隔ててすぐそこには宇宙が広がっているように見えるが、これはディスプレイになっていてリアルタイムで外壁側の映像を流すことのできる代物だ。黒々とした真空の大海に無限の星々が散りばめられている。至近には停泊している巨大な輸送艦たち。遠くのデッキにはたった今入港してきた艦がまさに接舷しようとしていた。

 そんな折だった。突然ディスプレイの映像に乱れが生じた。最初は小さなノイズだったが、どうやら画像が乱れているわけではないと気付いたのは二人ほぼ同時だった。

「歪みが発生している……」

 先に呟いたのは金褐色の方だった。じっとディスプレイの一点を見つめる。

「おいおい、こんなところにワームホールを開ける奴があるかよ」

 距離にして三〇キロほど先だろうか。目に見えて空間に歪みが発生していた。発生する磁場で隔壁ディスプレイの映像が乱れ始めている。堅牢なはずの宇宙港がごとごとと小刻みに揺れていた。時空震が発生して何かが宇宙港至近にワープアウトしてくる。そう思った次の瞬間ディスプレイの画像が白濁した。

「くそ、肝心なところを。中佐、行こう」

 半ばまで飲んだボトルをダストロボットに投げ入れて、優男は早足で歩き出した。あたりは異変にようやく気付いて右往左往する旅客でごった返しはじめている。注意を促すアナウンスをもかき消すほどのざわめきが宇宙港ロビーにあふれだしていた。

「中佐どこへ!」

「警備隊の指揮所に決まっているだろう。ここにいても何も判らん」

 どことなく浮き立つような表情の優男に、金褐色の方の男はやれやれと呟きつつ、まだほとんど飲んでいないボトルをそっとベンチの上に置いた。あまり目立ってほしくないのだがな、と胸に去来する言葉を飲み下し、息を整えると優男を追って駆け出した。

 



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5話

 それは戦闘開始間もなく、宇宙港警備隊指揮所内でのことだった。指揮所の兵らは当初突然訪れた二人の珍客をどう遇するべきか悩んだものである。しかし流暢な弁舌と確かな身分証を提示され、ひとまずこの招かれざる客をエアロックの内側に招じ入れざるを得ない事態に陥ってしまった。

 彼らは彼らが主張する限り、ごく控えめに指揮所のサブスクリーン前で宇宙海賊が跳梁跋扈する様子を督戦していた。警備隊は迫りくる金色に塗装された宇宙海賊のワルキューレに、砲台の火力で対抗していたが成果はここまでまるで出ていない。敵が破壊ではなく、商船の拿捕を目的としているらしいことから、何とか最悪の事態は免れているが、戦況は警備隊にとってまるで芳しくなく、いずれは海賊共に目的を達成させてしまうだろうことは明らかだった。

「おい、こちらは戦闘艇を出さないのか?」

「ま、間もなく発進する予定ですが……」

 傍らを行こうとした年若いオペレーターに遠慮なく質問を投げかけたのは、先程まで旅客ロビーでビールを飲んでいた優男だった。となりには渋面を顔いっぱいに張り付けた金褐色の髪色をした男も姿勢正しく立っている。苛々している様子が傍目にも明らかである。

 そこへ仮眠を取っていたらしい警備隊の司令官おぼしき男が、小太りの身体をゆすりながら指揮所へ突入してきた。

「事態はどうなっている? 敵の所属と数は?!」

 部下から報告を受けつつ司令官は指揮所内を見渡し、サブスクリーンの前で目を止めた。民間人らしき姿の男が二人。明るい褐色の髪色をした優男と、渋面だが異様に姿勢のいい金褐色の髪をした男だ。どちらも身長が高くすらりとしていて癪に障った。

「奴らはなんだ」

「は、予備役のシーフェルデッカー中佐と同じくランペルツ中佐であられます」

 司令官はそう聞いて沈黙した。予備役? 軍務省か憲兵のエージェントがよく使う口実にある。予備役の軍人が旅行と称して対象を密かに調査するという常套的な手段ではないか。まったくソリビジョンの推理ドラマや小説の読みすぎだ。

 だが部下から二人の身分を照会した資料を携帯端末で見せられ、司令官は青ざめることになった。彼が目を止めたのは二人の経歴である。今は予備役だが、直近の経歴にはノイエラント総督直属の特務部隊所属とある。つまり亡きロイエンタール元帥の手下、それも特務部隊と言うからにはただの中佐というわけにはいくまい。

 しかし、と司令官は思考を巡らせた。密命を帯びてここへ来たのであればこの経歴が抹消されたIDを所持しているのではないか。実際に予備役の士官が偶然居合わせたに過ぎないのではないだろうか。その可能性が高いように思われるし、そうであれば迂闊な反応をするのは藪蛇だろう。そう目した。だが、そうであれば事実特務部隊の経歴を持っていることには違いない。いずれにしても厄介な客だ。どうしたものか……。

 向こうから疑わしさと怪しさをないまぜにした視線を向けられているのを感じ、ランペルツを名乗る優男はひそひそと、同じくシーフェルデッカーを名乗る金褐色に耳打ちをした。

「あれ、大丈夫かな」

「さてな。何やら我々を怪しんでいることだけはわかるが、IDは無事認証されているわけだし問題なかろう」

「あの小太りの司令官がIDの人物と知己である可能性はなきにしもあらずだな」

「…………」

 それはあり得ることだと優男の言葉を飲み込みながら金褐色の髪色をした男は尖った顎に手をやった。IDはどうやら本物だったが、おそらくID自体には本来の持ち主がいると思われる。同盟との戦闘の中で捕虜になりその後死んでしまった者からIDを奪い、あたかも生きているかのようにその存在を生かし続けるというのは、情報部などではよくやる手口だった。人道的な観点からは非難されるべき仕儀だが、有効であるからには表立って禁じていても横行するものである。敵がやるならこちらもやる。残念ながら世の中はそういう様にできている。

 あのIDの人物に来歴があるならさっき連れの男が言ったようなことは充分あり得る。だがこのペテンを仕込んだ人物への信頼が男の中に大きい。そうした事態も想定した仕掛けがされているのではないか。ここは覚悟を決めて静観すべきだろう。思いを巡らせているとトロメルと言う名の司令官に、上向きに立てた人差し指でちょいちょいと手招きをされた。側に近づくと大佐の階級章が識別できた。

「両中佐は休暇か」

「しばらくハイネセンで拘束されておりまして、もともとありもしない疑義も晴れて解放されましたのでオーディンへ一時帰郷する途中であります」

 あらかじめ落とし込まれていた設定をそのまま口にした。淀みなく答えられのはこの男の日頃からの生真面目さが生んだ結果だろう。その間、連れの男は大仰に頷きながらただ相槌を打つばかりだった。

「帰投兵は後送計画が立案されていたはずだ。このような単独行動ができるのかね」

 これも想定された質問だったので、シーフェルデッカー中佐はあらかじめ用意されてい回答をやはり淀みなく答えた。もともと生粋の帝国軍人であるわけだから疑いを差し挟む余地もない。

「そうか、ならば大人しく休暇を満喫することだ。他人のロッカーを覗き込むようなことは控えたまえ」

 捨て台詞を口にするとトロメルはひらひらと手のひらを振って二人に下がるように指示した。

「な、うまくいったろう」

「別段、貴官が誇らしげにすることではなかろう。これはキャゼルヌ中将の功績だ」

 確かにそうだが、とランペルツ中佐は口をつぐむ。実際ここへ入るまでランペルツはまったくの無策だったのである。ハイネセンを発つにあたって二人が付与されたIDは実名のものではなく帝国軍士官のものだった。ただし偽造IDではなく本物であることには先にも語った通りだ。そのIDを持って、ランペルツは指揮所のエアロックをノックしたのである。

「しかしちゃんとしたIDで良かったな。もし適当な中身だったら放り出されるだけでは済まなかっただろうぜ」

「そう思うのなら、軽々な行動は以後慎んでもらいたい」

「堅いことは言いっこなしだぜ。だがまあ、以後があるのならそうするとしよう」

 シーフェルデッカー中佐は同僚の言い分にため息をつく以外の選択肢があるなら、誰でもいいからぜひご教示願いたいと心中願ったものである。

「それで、だいたいの状況がわかったところだが、どうするつもりだ貴官。私としては早いうちにここを立ち去りたい」

「まあまあ中佐。俺にひとつ考えがある」

 にんまりと笑うランペルツ中佐に、シーフェルデッカーは既に嫌な予感を感じていたが、おし留める暇もなく、エメラルド色の瞳を輝かせてランペルツは指揮所を振り返った。

「司令官!」溌溂とした声で言い放つ。「相談がある」

 シーフェルデッカーはこの男が次に何を言い出すか完璧に予測することができた。

「空いているワルキューレはあるかね?」

 一字一句予測と違えることのない同僚の発言に、シーフェルデッカー中佐は両手で顔を覆って束の間天井を仰いだ。何とか姿勢を正し、痛み出したこめかみを固めた拳で二度三度と叩く。

 ランペルツの声に顔をあげた司令官は、たいそうな迷惑顔を顔面に展開している。

「ランペルツ中佐、まさかと思うが出るつもりか」

「無論だ」偽名の中佐は自信満々に右手の親指で自身の胸元を指した。「俺は元撃墜王でね」

 大佐である司令官に対して随分と大きな態度である。二回りほど年長である相手に、特務出身であることをかさに着るような振る舞いは演技であれば大したものだが、この無節操さは彼の生まれ持った性質に違いない。それでも不思議といつもこの男のペースにいつの間にか周りは巻き込まれていくのだ。イゼルローンに居た頃はそれほど感じなかったが、ごく常識的な世界に二人で放り込まれると、彼がいかに特異であるか思い知らされる。同時に普通に過ぎる自分をも痛感させられるのだが、なぜか残念な気持ちになるのはやはり彼自身も毒されてしまっているからなのだろう。

「俺とこの……」

 と言いつつ優男は金褐色を振り返ったが、どうやらランペルツ中佐は連れの偽名を思い出せないらしかった。こういう迂闊さがたまに顔を覗かせるから巻き込まれる方としてはいちいち肝を冷やさねばならない。

「ええと……、シーフェルデッカー中佐もかね」

 司令官はランペルツの迂闊さには気付かぬ様子で、携帯端末をのぞきながら発音しにくいもう一人の闖入者の名を読み上げた。

「そうそう、シーフェルデッカー中佐と俺と、二機融通してもらいたい」

 司令官は渋面を作った。ランペルツの不遜な態度に対してか、撃墜王と言う大言に対してか不明だったが、不愉快さを増大させていることだけは間違いなかった。

「さきほども言ったが、他人の領分を侵すような真似はよしてほしいものだ。いくら貴官らが特務出身であってもだ」

「まあまあ大佐、特務は伊達じゃないぜ。必ずや役に立ってみせよう」

「念のため聞くが、貴官らの撃墜スコアは?」

「まあ軽く三桁を超えている。もう少し戦争が続いていれば、歴代撃墜王トップの座は間違いなく俺のものだったろうな」

 ランペルツの雄弁に指揮所内は様々な理由でどよめいた。素直に驚嘆する者、失笑するもの様々だったが、司令官のトロメル大佐はどちらでもなく静かな声で身近にいるクルーに尋ねた。

「IDに戦果データはあったか?」

 そう問われてすぐに確認しますとクルーは答えたが、コンソールでデータをはじき出すと「これは……」と驚愕の表情を浮かべた。

「どうした? データを転送しろ」

 訝し気な司令官にクルーは無言で頷き言われるがままに転送する。手元の端末を注視していたトロメルは、しばらくデータを追いかけていたが、ふと顔を上げると驚きを浮かべた様子で二人を交互に見やった。

「わかっていただけたかな」

 ランペルツが勢いづいたが、ここは乗っかって大丈夫だろうか、とシーフェルデッカーはまだ様子を見ている。だがトロメル大佐は小さく何度か頷いて「よかろう」と呟いた。

「現役において全銀河の五指に数えられるランペルツ中佐のお手並みを拝見するとしよう」

 冷ややかに、しかし品定めをするような嫌な目つきと口調でトロメルは言った。

「二人に予備のワルキューレを回せ。中佐、射出所まで部下に案内させよう。武運を祈る」

「承知した。大船に乗った気分で見ていてくれ」

 そう答えると、ランペルツは案内のクルーについて指揮所を出た。シーフェルデッカーもトロメルに敬礼を送りつつそれに続く。

 戦果を挙げるもよし、海賊に落とされて抹殺されるもよし。何なら誤射と称して宇宙港の砲座で墜としてしまってもよいのだ。トロメルの胸中には黒々としたものが渦巻いていた。

 



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幕間①

 重い空気の指揮所を出ると、ヘーゼルナッツを水に溶かしたような髪色の年若いクルーが二人の案内についてくれた。射出場に向かう通路のさなかも、ランペルツは案内の青年クルー相手にも軽口を休まない。

 何かと話しかけては年若いクルーをからかっていたが、青年はさきほどのどよめきの中、ランペルツの大言に驚嘆した方の口らしく、ランペルツの武勇伝をやたらと聞きたがったのである。それに応えてランペルツは大いに熱弁を奮ったが、どれもこれもワルキューレを相手取っての話であるから、シーフェルデッカーは隣で聞いていて気が気でない。ときどきスパルタニアンと口にしかけてごまかすのを繰り返している。

 さすがに言い直すあたり、大筋は弁えているようだが実に危なっかしい。際どいところで破綻は何とか回避されていたが、その際どさをも楽しんでいる様子がシーフェルデッカーにはまた度し難くまた腹立たしかった。

 そんな同僚の心内を察してかどうかは判らないが、射出場まで来たところでランペルツ中佐はようやく軽口を収め、その締めくくりに青年にひとつ質問をした。

「さっきの当世五指に入るパイロットと言うと、貴官は誰を挙げるかな?」

 青年はあごに手をやって考える素振りだがすぐに答えを口にした。

「そうですね、まずホルスト・シューラーでしょうか。ファルコ・フォン・スプリンガー、アーデル・ウッツなども入りますね。ヘルマン・フォン・ケーニッヒも偉大なパイロットです」

「ほうほうほう。だがいるだろう、他にも」

 あっ、と察した青年クルーははにかんだように微笑した。

「ランペルツ中佐の戦果もすさまじいものでしたね。特務の方の戦果は一般には秘匿されているのでしょうか、小官は恥ずかしながら今日まで中佐のお名前を存じ上げませんでした」

 そう言われてランペルツは虚を突かれたように一瞬表情を失った。シーフェルデッカーはその心境がよくわかるので思わず吹き出す。

 その様子にランペルツはじっとりとした目つきで隣人を睨んだが、軽く咳ばらいをして気分を落ち着かせると、再び青年に向き直って質問をこころみる。

「いやまあそうなんだが、ほら、いるだろう。銀河の反対側にも」

 ランペルツの言葉に青年は「ああ」と言って指を一本立てた。

「元同盟軍で言えば、オリビエ・ポプランというパイロットの名が知られていますね」

 そう聞くと自称撃墜王は満足そうに二度頷いた。翻ってシーフェルデッカーは苦笑をため息に変えたのだった。

 



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7話

 射出場は整備士やパイロットでごった返していた。トロメル大佐は当初敵戦力をみくびったのか、自戦力の逐次投入の愚を冒していたのだ。重ねて飛び込んでくる発進指示に射出場の整備士たちは抗議を口にしながら右往左往させられていた。

 そもそもここは発進させるだけなので、ひとたび空戦隊が出ていくと今度は帰ってくるそれを迎え入れる収容場の方へ移動せねばならない。整備士の人数は戦後繰り返し削減されており、戦時下のような作業分担ができなくなっている。社会システムの維持のため働き盛りの整備士が不足し、一度引退した老整備士や若い見習いが増えているため効率も非常に悪い。

 シーフェルデッカーらはパイロットスーツに着替えると指定された区画の整備士詰め所へ向かった。周囲は走りまわる整備士たちでせわしない。詰め所には老整備士が一人、慣れない書類仕事を端末に向かって格闘しているところだったが、ランペルツが端末の指示書を整備士の詰め所に提出すると、この区画では一番端のドックを指示してくれた。パイロットを認識するためのチップを支給され、二人は不案内ながらも探り探りその場へ辿り着いた。

「ところで貴官、ワルキューレは動かせるのか?」

 シーフェルデッカー中佐が連れの男に尋ねたのは、ランペルツ中佐の正体が元同盟人だからである。彼がいかに撃墜記録を三桁に乗せているとは言え、駆る戦闘艇がスパルタニアンでなければその辣腕も振るえないのではないかと心配したのだが、優男は自信満々に軽く言ってのけた。

「以前拿捕したものを試したことがある。破壊力はスパルタニアンには及ばないが、取り回しの良さはこっちの方が上のようだ」

「貴官が思う以上に脆いぞ」

「当たらねば問題あるまい。それに小官の本領は撃たせてから撃つことだ」

「先手必勝、ではないのか」

「そいつはあれだな。相手の実力次第だがいまだ俺を上回る技術の持ち主とは、幸か不幸か戦場では出遭ったことがない」

 にやりと嗤って片目を瞑ってみせてから「ところで」とランペルツはフルフェイスを調整しながらシーフェルデッカーを振り返った。

「お前さんこそ実戦の方はどうなんだ。艦橋の人というイメージしかないが」

 ランペルツの疑問はもっともなことだ。彼は長年にわたって艦隊司令官付きの副官兼作戦参謀として従軍してきた。自らが分艦隊を指揮することもあったくらいで、一局所戦闘に従事する機会があろうとも思えない。シーフェルデッカーも別段拘る様子もなく正直なところを口にする。

「空戦も白兵戦も一通り経験しているが戦果は凡庸でね。撃墜数は一〇そこそこだ」

「謙遜だな。専門でもないのに一〇機ばかりも墜としていれば充分エース候補だぜ。背中を預けるには充分さ」

 太鼓判を押されてシーフェルデッカーは自嘲気味な表情を隠すためにフルフェイスをかぶった。七年程度ブランクがあるが何とかなるだろう。

 コクピットに落ち着くと計器類の調整を行いつつ発進許可を申請する。転送されて来た情報によると、敵戦力は巡航艦が二隻、ワルキューレが四個中隊出て係留中の商船を拿捕しようとしているとのことだった。その後の追加情報で件の宇宙海賊と敵対する勢力の作戦宙域への侵入も確認されているとのことだ。

「賞金稼ぎらしいぜ。警備隊は宇宙海賊を追い掃うために賞金稼ぎを見過ごすハラのようだが面倒だな。いっそ十把一絡げといくか」

「しかし宇宙港周辺は戦闘禁止区画のはずだろう。賞金稼ぎの方もただでは済まないだろうに何か事情でもあるのかな。それとも軍関係の依頼か何かか……」

 シーフェルデッカーが疑問を口にしたが、ランペルツは軽く鼻息であしらって、事情など知るものかと言い捨てた。

「いまは銀河中どこもかしこも戦闘禁止エリアだがね。まあここはひとつ、全キャストに主役の格の違いというものを見せつけてやろう。ちなみに貴官は準主役だ。撃ったりせんからご安心召され」

 同僚の軽口に呆れるのはこれで何度目か。

「せいぜい仰せつかった引き立て役に徹するよ」

「俺もそこまで傲慢ではないさ。貴官にも出番がきっと用意されているだろうよ。その時は助攻についてやるから心配なさんな」

 僚機との通信を切ったシーフェルデッカーは、管制に促されるまま発進指示に受領の信号を送ると、操縦桿を握った左右の手に順番に視線を配った。計器類に異常は見られない。視界が拡張映像に切り替わってカウントダウンが始まった。

 戦場は五年ぶりだ。実機を駆っての戦闘となれば七年振りだった。イゼルローン回廊での最後の会戦以降、それまで身近にあった死の気配がここには充満している。もっとも生を感じる場所に彼は戻ってきたことを実感していた。

 



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8話

「きたきたきたきた! 本当に来やがったぜ」

 通信でそう叫んだのはミハエルだった。突然周辺宙域の磁場が乱れかと思ったら、目の前の空間がみるみる歪みだしたのだ。歪んだ空間の向こう側にはフェザーン宇宙港の巨体が見える。距離にして三〇キロほどか。近すぎる、とその場にいた誰もが思ったほどだ。

「連中こんなところに出てきやがった! なんて野郎どもだ」

「ピンポイントで? そんなことができるのか?!」

「新技術でも開発したと言うの?」

 みなが通信上で口々に言う中、ディスプレイに映る光景にゾフィーも目を奪われていた。こんな宇宙港の至近で亜空間跳躍をするなどとんでもない自殺行為だ。失敗すれば時空震に巻き込まれて周辺一帯が消滅しかねない。だが実際に標的は的確に座標を指定してワープアウトしてきた。出てきたのは黄金色に塗装された巡航艦が二隻。対するゾフィーの商隊は巡航艦一隻に駆逐艦が二隻だ。戦力は拮抗していると言っていいだろう。だが完全に奇襲を成功させられた。何らかの方法で急襲することは予測していたが、ここまで強引な手法をとる技術と度胸がターゲットにあるとは考えもしなかったのである。

「そうは言うものの……」

 大きな質量の存在する場所でのワープ航法は危険を伴う、それはこの時代の常識でいわばパンドラの箱のようなものである。開けるのは容易だし、開けてみなければ中に何が入っているかは判らないのだが、開ければどのような災厄が巻き起こるか全く想像ができない、と観念で脅されているのだ。だが開けて見せた者がいる。起こった事実だけの話をすれば巡航艦二隻程度の比較的小規模質量であればこのようなことができるのではないか? 事実だけを明らかにすればその通りだ。しかしその際の制約には一体どのようなものがあるのだろうか。仮説を立証するための材料は? 無事の成功を約束させるだけの条件が相当数存在するはずだ。やはりパンドラの箱はパンドラの箱のままだ。ゾフィーには開けてみようとは微塵も思うことができない。

「まったく……。これが権威主義というものかしらね」

 内心歯噛みするゾフィーに指示を請う通信が偵察艇各機から飛び交う。乱れかけた思考を纏めるとゾフィーは問題を一つずつ片づけることにした。

「ヒルデブラント、敵の識別は?」

「姫様、識別はアンノウンですが、巡航艦の塗装がゴールドだ。こんな目立つ海賊は銀河中探してもツェアシュトーラしか存在しません」

 冷静さを必死に装う様子のヒルデブラントがモニター画面いっぱいに迫る。昨今勢力を肥大化させているツェアシュトーラと呼称される宇宙海賊は、旧門閥貴族の潜在的武力に、同じく新帝国に瓦解させられた旧フェザーンの資金力とが結び付いた集団だとされている。どこを本拠にしているか現状は不明だが、いずれ旧帝国領内の遺棄された軍需施設であろうと目されていた。ただでさえ広い宇宙に、五百年もの間一部貴族によって秘匿されていた膨大な情報や財産などは途方もないほどの質と量とが存在する。ローエングラム朝の廷臣がいかに有能で人類史上において比類なく清廉であっても、何もかもを網羅するほどには宇宙は狭くも浅くもない。

「ペトラ、ツェアシュトーラの攻撃目標はわかる?」

「はい。おそらく第三宇宙港ドックに係留されている商船の模様です。既にワルキューレが出ており目下宇宙港の砲座と戦闘中。商船を連れ去るつもりではないでしょうか。お姉様、阻止しますか?」

 もっとも宇宙港に近い宙域に展開していたペトラからの通信に、ゾフィーはほんの数拍目を閉じたが、再び眠たげな目を開けるとレーダー上の光点を確認しつつ即断した。

「単独で何とかなる相手じゃないわ。一八〇で全戦闘小隊が向かいます。それまでハラスメント攻撃に徹するように。いずれ宇宙港警備隊の戦闘艇も出るはずです。うまく巻き込むことができれば……」

 ゾフィーは各戦闘艇に指示を出しながら自艦をツェアシュトーラの巡航艦に肉薄させるよう操舵手に指示をした。近接すれば敵艦は火力の大きな攻撃はできない。敵艦の背後に宇宙港を控えさせている状況では、こちらもレールガンやレーザー砲などの高火力武器は使用を控えざるを得ないから仕方がないだろう。何せ宇宙港全体には常に三〇〇万から五〇〇万の軍民合わせた人間が滞在しているのだ。敵に高火力の攻撃をさせなければいい。直接施設に損害を与えなくとも、実際に被害が出た場合は戦闘に参加していただけで罪に問われかねない。その脅迫がゾフィーを積極策に押し出させた。それに明らかな戦闘行為を演じた方が警備隊の出動は促されるだろう。彼らを巻き込めば罪に問われる可能性は格段に低下する。今回は軍関連の依頼ではなかったが、こういう時の為に軍関連の仕事をこれまでこなしてきたのだ。このコネクションは大いに利用せねばなるまい。その算段もゾフィーの決意を後押しした。

「お嬢!」今度はミハエル機からの通信だった。「狙われている商船が動き出した!!」

 報告を受けてゾフィーは眠たげな目をぐっと細めた

 



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9話

 やはり事前に受けていた情報は正しかったようだ。目を細めた無表情の奥でゾフィーはギリギリと歯噛みをした。

 ツェアシュトーラの付け狙っている商船は、その情報によると密輸品を満載しているはずだ。それも禁忌中の禁忌である合成麻薬、サイオキシン麻薬をである。それは一体何を意味しているのか。フェザーン宇宙港に不正の温床があるという証明になるのではないか? であれば出港を強行させられる権限を持つ者が宇宙港側にいて、悪事に与しているということになる。共闘どころか宇宙海賊もろとも屠られる可能性すらあるということだ。

「ツェアシュトーラは果たして悪の組織かしらね」

 偵察機から送られてくる映像を注視しながらゾフィーは大きなため息をついた。ドックから慌てるように出港する輸送艦の巨躯が、緩慢に彼女の視界を右から左へと流れていく。連中が付け狙う標的はいつでも不正の臭いをぷんぷんさせている。蓋を開ければ彼らは人身売買や密輸に関係する商人ばかりをターゲットにしているのだ。

 さながら自警団の如し。神出鬼没、悪事の匂いを嗅ぎつければ駆け付けこれを成敗してしまう。益のみであれば軍もこれほどまでにピリつくことはないだろうが、ツェアシュトーラは嘲笑うかのように軍にも噛み付く。殆どの場合が不正軍人の摘発に結び付くものだったが……。

 ゾフィーたちがツェアシュトーラと対峙をする際の依頼主は、巧妙に出所をカモフラージュをしているが、軍関係のものばかりだと思われた。初めのうちは気が付かなかったが、何度か受けるうちにそれと気づいたのは、彼女独特の嗅覚によるものだろう。ゾフィーの嗅ぎつけた違和感は他にもあったが、それについては確信を持つには至っていない。判断を決するにはもう少し材料が必要だった。

 彼女が憂慮する間も、宇宙空間には短距離レーザー砲の発光する軌道と、明滅する爆発光が鮮やかな光源を散りばめ続けている。ツェアシュトーラの戦闘艇は漏らさずそれを包囲し、輸送艦から抵抗の術を奪いつくしつつあった。彼らの目的はペトラが指摘した通り、密輸品を満載した輸送艦の奪取だった。ゾフィーらは善戦をするのがやっとで、次々と味方のワルキューレは戦線離脱を余儀なくされる。毎度感じることだったがすさまじい練度だ。多くの賞金稼ぎがやり合うのを避けたがるのもよくわかる話だった。

「姫様、そろそろ限界です。撤収を……!」

 ヒルデブラント機から悲痛な叫びが雑音と共にゾフィーの鼓膜を震わせたとき、輸送艦を拿捕していた戦闘艇群がにわかに崩れた。モニターには連鎖して爆発していく黄金色のワルキューレが光球と化していく様子が映し出されている。

「警備隊機の増援? なんという速さと巧さなの!」

 今度はペトラ機からの通信だった。ゾフィーの妹分を自称するペトラは、ワルキューレの操縦に関しては卓越した才能の持ち主である。もし帝国軍に女性士官の任用があればエースとして一戦場に君臨したであろうほどの腕前だった。そのペトラをして驚愕せしめるようなエース級が警備隊に存在すると言うのか。散々警備隊機がツェシェトーラ機の餌食になるのを眺めていたゾフィーには、どうして今更とばかりに不思議な光景だった。

 だが好機なのは間違いない。警備隊機が圧倒的な戦技を披露しているうちに、ゾフィーは自艦を敵戦隊から離脱させ、散開させていたワルキューレを収容する作戦に転換することにした。撃墜機を思いのほか出したが、幸いにも全員の脱出を確認している。彼らの回収に一刻も早く移行したいというのが本音だった。

 ゾフィーはしぶしぶツェアシュトーラが拿捕した輸送艦の奪還を諦め、戦闘区域からの離脱に作戦目標の転換を徹底させる。その指令をあらかじめ打ち込んでいたコンソールのコンピュータから各機各艦に送信した。輸送艦は後発の警備隊によってツェアシュトーラから取り戻すことができるだろう。多くの疑惑と禍根を残して。

「今回の依頼は失敗ね……。燃料食料、破損した艦艇の修繕費にみんなのお給金、考えることが多すぎる。ほんと経営者なんてやるものではないわね」

 ゾフィーは孤独な苦悩をひとしきり口にしてからどっと指揮卓の座台に腰をおろした。それにしても警備隊が新規投入したワルキューレの空戦技術は圧倒的だ。モニターに送られてくる映像を注視しながらゾフィーはしかしそのエース機ではなく、エース機に影のように付き従うもう一機へと意識を奪われていた。

 理想的な支援……。いまだ一対一のドッグファイトが主流の空戦において支援に重きをおく支援機の存在に気付いた時から、彼女はずっと戦慄していた。おそらくそれぞれ一機が一機を墜とすよりも格段に高い戦果を虚空の戦場に築いているに違いない。圧倒的に有利だったツェアシュトーラの黄金色の機体は、いまや動く的と化して次々に屠られていく。

 これならあるいは、とゾフィーが光明を見出した時だった。ひび割れたような通信がジャミングの嵐を突き抜けて艦橋に響く。通信の主はミハエルだった。

「お嬢、だめだ! 警備隊が見逃してくれん! 奴ら海賊と俺たち両方を的にしてやがる!」

 普段は飄々としている家臣の声が完全に青ざめていた。それは充分想定されることだったが、ゾフィーは珍しく指揮卓の前で舌打ちをした。元とは言え貴族令嬢にあるまじきことであるが、幸いに聞き咎めるものはいなかった。

 そうだ、こちらは賞金稼ぎだ。もとより警備隊とは共闘しているわけでもないし、依頼も表立ったものではないから、先方からすれば宇宙海賊とひとまとめに所属不明機として対処するのは当然だろう。だだ昨今の事なかれ主義の宇宙警備隊風情では、敵の敵は味方とばかりに、今回のような場合は暗黙的にこちらに協力する、もとい彼らから言わせれば協力させるといったところだ。しかし技量の高い警備隊のエースは事なかれを良しとせず、警備隊の正道をいくことを選択したらしい。堂々たるもので称賛に値するが同時に腹立たしくもある。

「ミハエル、警備隊機に話をつけます。敵対しない旨を伝えれば無茶なことはしないでしょう。あなたがたは随時帰投するように」

「……了解!!」

 ミハエルは一旦絶句したが、すぐに意識を切り替えて命令に従う様子を見せた。別段主君を敵前に曝すわけではなかったが、それでも仕えるべき主人に庇われるのは、彼からすると大きく矜持を傷つけられたも同然だった。無論、ゾフィーにではなく警備隊のエースパイロットに対してだ。

 ゾフィーは回線がオープンになったのを確認するとマイクロフォンに向けて静かに言葉を発した。

「フェザーン警備隊【エース機】のパイロットに告ぐ。こちらは民間協力部隊です。警備隊に敵対行動をとる意思はありません。今すぐ我々への攻撃を中止してください」

 先方へは音声だけを届けモニターは切った状態で回線を開く。最悪の事態を想定しつつ時間稼ぎ程度のつもりで送った通信だったがすぐに返電が入った。想像に反して快活な声音にゾフィーは軽い驚きを感じた。

『女か、あんたが司令官?』

「……そうですが、女だと何か問題がおありかしら」

 むっとしたようなゾフィーからの返答だったが、通信の相手はからからと軽妙に嗤うとOKと答えた。

『美人からの最初の頼み事は聞くことにしているんだ。顔が見られないのは残念だがあんたおそらく美人だろう? それにきっと初対面だ。いいぜ、あんたらへの手出しは控えさせる。識別信号をこちらへ送ってくれ』

 驚くほどあっさりと交渉は結実した。あまりの気軽さにゾフィーはほんの半拍ぼんやりしてしまったくらいである。

「さあみんな、話はついたわ。ワルキューレの脱出ポッドの回収を急いで。健在なワルキューレも随時撤収後速やかに戦域を離脱します。ポッドは残り幾つかしら?」

 手近なオペレーターが、二機分を回収すれば撃墜された七機分のパイロットの回収が完了するという。ここ半年の損耗と比較すると今日の損害率は七〇〇パーセントにのぼる。ねぐらにはあと何機ワルキューレが残っていただろうか。文字通りの頭痛の種にゾフィーは憂いの皺を眉間に深々と刻んだ。

 



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