Virtual actress ~貧乳オタク女子高生がアバターで受肉し巨乳美少女女優になる話~ (岸雨 三月)
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突然の脅迫、壊れ去る日常(ただし脅迫のネタはセクハラDM)

学校の屋上。どこまでも青い空が続く下に、あたしこと瀧村アイカはいた。

 

普段は日の光に当たるのすら嫌う、引きこもり系オタク少女であるあたしがこんなところにいるのは、目の前に立つ少女、比奈川愛々(ひながわ・めめ)に呼び出されたからだ。

 

学園一の美少女(容姿は黒髪ロングの清楚系。クラス委員長。おっぱい大きい)に屋上に呼び出されるとか、普通ならば、告白か?告白なのか? と女であるあたしですらドキドキしてしまうような王道シチュエーションだ。

 

だが、比奈川の口から放たれたのは、学園エロゲライクなあたしの都合の良い妄想を粉々に打ち砕くような、予想の斜め上を行く言葉だった――

 

「瀧村アイカさん。い、委員長権限で命じます……! あなたのバ美肉スキルと、あなたのバーチャルアバター『風切アイ』を使って、文化祭企画グランプリ1位獲得に協力しなさい……!」

 

バ美肉スキル。そんなパワーワードが真面目な委員長の口から出てくると思わないだろ、常識的に考えて。

こんなことになっている原因は、昨日まで遡ることになる――

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

私立清宮学園高等部2年I組。都内でも有数の生徒数を誇るマンモス女子高であるこの高校の、無数にある教室の一つの片隅に、あたしはいた。

 

今は昼のHRの時間だが、教室内に教師の姿は無い。教師がいないというのは好都合だ。だって机に突っ伏して眠っていても誰にも文句を言われることが無いんだから。

 

もっとも、あたしは普通の授業中でも割と寝ている。引きこもり系オタクであるあたしにとって、夜はソシャゲの周回、SNSにアップされた神絵師のイラスト収集、ネット小説の更新チェック、新作ゲームの攻略などで多忙を極める時間だ。では足りない睡眠時間はどうやって補うか? 今でしょ。と言わんばかりに昼は爆睡しているのだった。

 

そんな意識朦朧とした頭に、突然鋭い声が突き刺さる。

 

「……むらさん! 瀧村さん! HR中に熟睡しないでください! 今度はあなたの番です!」

「……んぅ、ふわぁ……?」

 

目覚めるとクラス全員の視線があたしに集まっている。何だ?この状況。あたしに鋭い声を浴びせてきたクラス委員長の比奈川は、教室の前方に立って怒りの表情をくれている。怒りの表情といっても、元の顔が可愛いので「ぷくーっ」という感じであまり恐くもないのだが。

 

教室の前の電子ボードに目をやると、「文化祭 クラス企画」の文字の下に「オバケ屋敷」「射的屋」「メイド喫茶」などの文字が書き込まれている。そういえば文化祭なんてののシーズンだったな。あたしは大体こういうイベントには不参加を決め込んでるから、全く意識してなかった。

 

ようやく状況が飲み込めた。どうやら、文化祭のクラス企画の企画決めをしているらしいが、全く意見が出てこないので、一人ずつ当てて意見を言わせているらしい。だるいけど、さっさと適当に何か言って次の人に番を回してしまおう。そう思ったあたしは席から立ち上がり、こう言った。

 

「ゃ……とかで、ぃぃん……すかね」

「え?」

 

しまった。「焼きそば屋とかでいいんじゃないですかね。手間もかからないし定番だし」と言おうと思ったが、リアルで大勢の人の前で話すと思うと無意識に緊張してるらしく、かすれ声しか出なかった。ようやく3回くらい繰り返して声が出るようになり、ボードに「焼きそば屋」の文字が書き込まれた。

 

数十分が経ち、HRの終わりを告げるチャイムが鳴った。比奈川に当てられた後はまた寝ていたので詳しい経緯を聞いていないが、「焼きそば屋」が結局採用されたようだ。あまり志の高い企画とも思えないが、やる気のある者がクラスにいなかったのだろう。まあ、文化祭なんてどうでもいい。あたしはさっさと教室を出て、学園寮の自室へと急いでいた。オタクの放課後は忙しいのだ。特にあたしにとっては――

 

「ハーイ! 風切アイです! 今日はね、『アズールファンタジア』、イースターガチャが実装されたということでね、早速回して行こうと思いまーす!」

 

そう、あたしが忙しい最大の理由、それは人気バーチャルアバター「風切アイ」の中の人として活動していることだ。バーチャルアバター。それは動画サイトやSNS上で架空のキャラの3Dモデルを使って配信活動を行うことを指す。世界的な動画サイト「Youmove」からブレイクしたキャラが多いため、「Vmover」と呼ばれることも多い。

 

今日は人気ソシャゲ「 アズールファンタジア」のイベント初日とあって、他のVmoverも我先に実況動画を投稿しているようだ。人気を維持するためには、常に流行のコンテンツには食らいつき続けるのが重要。ということであたしも負けていられないと動画投稿を急いだのだった。しかし、リアルではHRで話一つ出来ないあたしが、ネット上のアバターを介してなら、大勢の視聴者の前で流暢に喋れて、声も張り上げられるっていうのは、自分でもちょっと意外だ。

 

ちなみに 「風切アイ」だが、あたしとは真逆の天真爛漫なキャラ付けで、露出度の高いファンタジー風のドレスを身に纏った風の妖精、といった容貌をしている。3Dモデルが動くたびに服の合間から零れ落ちそうになるおっぱいも人気の秘訣だが、おっぱいを大きくしたのは完全にあたしの趣味だ。巨乳女子は目の保養に良いので積極的に目に入れて行きたいが、自分がまったく胸が無いのでせめてアバターくらいはおっぱい大きくしたい。

 

動画投稿の後はSNSタイムだ。優雅にコーヒーを飲みながら、タイムラインに目を通していく。今日の動画の評判も上々のようだ。そして、ファンから飛ばされたリプライに、「風切アイ」としてのキャラを保ちながら一つ一つ返信していく。こういうマメな交流を欠かさないことが人気維持には必要だからな。

 

ブーッ、ブーッ。スマホの通知音が部屋に鳴り響く。この通知音は、公開のリプライではなく、自分しか読めないダイレクトメッセージが来た時のものだ。DMは返信しませんってプロフィールに書いてるはずなんだがな。面倒くさいなぁ、そう思いながらもメッセージを開いた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

http://kiyomiya.ac.jp/koutou/cMuw8fBZmW.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

――なんだこれ? 謎のリンクが1行だけ。いきなりこんなリンクを踏むほどネットに疎いあたしでもない。しかも送り主のユーザー名には聞き覚えが無く、アイコンもデフォルトアイコンのまま、いかにも「捨てアカウントです」といった風だ。

 

しかし、気になるのはリンク先のアドレスだ。このアドレスはここ、清宮学園のサーバを使っていることを指している。生徒用のファイル共有サービスにアップロードされているらしい。つまり、送り主はこの高校の生徒ということになる。あたしは数十秒悩んだ後、リンク先を踏んでみることにした。

 

カチッ。画像が表示される。表示されたのは、チビで貧乳、眠そうな顔をしている冴えない女子の顔写真だ。明らかに見覚えのある顔だが、どこで見た顔だったか、――って待て待て待て! これ、あたしの顔写真じゃないか。これは確か学内新聞の新入生紹介記事用に撮らされた写真だ。しかし当然だが、「中の人」バレはVmoverの禁忌なので、あたし=風切アイ であることは、学園の誰にも言っていない。

 

じゃあ何でこんなものを。そしてこれをあたしに送りつけてくる意味は? フリーズした思考の中で、さらにスマホが鳴り響き、2つ目のメッセージが届く。

 

「ごうふっ!!」

 

2つ目のメッセージのリンク先の画像を見た瞬間、思わずコーヒーを吹き出すとともに頭を抱えた。表示されたのはSNSのDMのスクリーンショットだった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

風切アイ「雇われの企業系の癖にリアルの画像アップしちゃうとか、素人かよ」

風切アイ「てかおっぱい大きいね^^ どこ住み? てかLIMEやってる?w」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

黒歴史を思い出さされてしまった。これは、とある企業系Vmover、つまり企業がビジネスとしてプロデュースしているVmoverに向けて、確かにあたしが送ったものだ。

 

そのVmoverは、いかにも「何か儲かりそうだから参入してきました!」というクオリティの低い有象無象の一人、という感じで、キャラデも凡庸、トークもつまらない、しかもうっかり「中の人」の写真(流石に顔は写っていなかったが)をSNSにアップしてしまうような脇の甘さのある奴だった。当時は風切アイも有象無象の一人で、少しでもチャンネル登録数を稼ごうと、動画の内容や宣伝を工夫したり、四苦八苦していた頃の話である。そんな中で、覚悟もクオリティも伴ってないような奴が企業系という後ろ盾付でデビューしていることに、あたしはイラッとするものを感じざるを得なかった。どうせすぐ消える奴だろう、ちょっとおちょくってやろうと思って(あと中の人の画像が服の上からでも分かるほどおっぱい大きくて好みだったので)、出来心で送ったDMがそれだった。

 

結局その企業系Vmoverはすぐに消えてしまったので、ある意味あたしの予想は当たった訳だが、今頃になってそんなもの持ち出されるとは。

 

しかしこれで、メッセージの送り主の意図は明白になった。

 

――脅迫だ。

 

天真爛漫なキャラで売っている風切アイが「おっぱい大きいね^^ どこ住み? LIMEやってる?w 」は流石にまずい。炎上からの人気ガタ落ちは間違いない。そして1つ目の顔写真の意味は、どうやってかは分からないが、「瀧村アイカ=風切アイ=セクハラDM送る奴」と結びつける材料を持っているということだ。つまり、ネットとリアルの双方であたしを破滅させる材料を持っている。

 

そんなことを考えているうちに、あたしの思考を裏付ける内容の、3通目のメッセージが届いた。

 

「お前を特定した。拡散・炎上したくなければ、明日放課後、校舎屋上へ来い」



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屋上の独白、究極の選択(ただし選択権はない)

脅迫メッセージが届いた日は、教師に言うか、警察に言うか、一晩中悩んだが、

 

「Vmoverとして活動していたらセクハラDM掘り起こされて炎上させられそうです!」

 

なんてアホなカミングアウトを相手にしてもらえるとも思えず、言われるがままに屋上に来てしまったあたしだった。そして事は、冒頭のシーンに至る。

 

「驚いたよ、あの真面目な比奈川さんが、きょ、きょうひゃくひゃんだったなんて」

 

しまった。「脅迫犯だったなんて」とビシッと言ってやろうと思ったら、完全に噛んでしまった。大勢の前で話すような緊張はないので声はちゃんと出ているのだけが救いだ。

 

「手荒な手段を使ったのは、本当にごめんなさい。こうでもしないと、あなたの協力は得られないと思ったから……」

 

脅迫犯はこの高校の生徒、というのはあのURLを見た時点で分かったが、流石にこんな身近な人間、それも真面目で通っているクラス委員長が犯人とは思っておらず、驚かなかったといえば嘘になる。

 

あたし=風切アイ とどうやって特定したのか?とか、どういう経緯で企業系Vmoverに送ったDMを持っているのか?とか、色々聞きたいことはあった。

 

――しかし、あたしを屋上に呼び出した比奈川の顔は青ざめ、震えていて、声は弱々しく、「あれ? あたしが脅迫してたんだっけ?」と思ってしまうような様子だった。あたしは比奈川を糾弾するよりも、まずは事情を聞きだすことの方を優先することにした(あたしは基本的に巨乳に甘い)。

 

「で、『風切アイ』を使って文化祭企画グランプリ1位獲得に協力しろ、ってどういうことなんだ? 焼きそば屋をそんなに盛り上げたいか? 動画でアイに焼きそば食べさせれば良いのか?」

「ち、違います。私が協力して欲しいと言ったのは、クラス企画の焼きそば屋ではなく、演劇部の演目のことで……」

 

なるほど。この学校の文化祭では、各クラス単位の出し物のほか、部活単位の出し物もある。あたしは帰宅部だから忘れていたが、大抵は、たまたま同じクラスになったに過ぎない人たちでやるクラス企画はそこまでやる気がなく、同じ志を持った人たちが集まる部活企画の方がクオリティ高い。グランプリを獲っていくのも、大抵は後者だ。そして――

 

「思い出した。そういえば比奈川さん、演劇部の部長さんだったっけ。しかも元・天才子役で、この学校に入ってきたのも一発芸枠だったとか」

 

元・天才子役というあたりで、比奈川の顔に影が差した。比奈川愛々。数年前までは、その名前をTVで聞かない日は無いくらいの有名人だった。その名のとおり愛らしい容姿と声で、お茶の間の人気者。もっとも、子役として活躍していたのは小学生くらいまでの間で、今はめっきり名前を聞かなくなったが――

 

「事情を……お話しします」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

屋上の青空の下、比奈川の話し始めた「事情」は、自分の出生から始まる長いものだった。要約するとこういうことになる。

 

比奈川の母親は、日本人ながら、ハリウッドでも活躍する世界レベルの大女優だった。その大女優は、これまた有名な日本人映画監督と結婚し、比奈川が産まれた。いわば比奈川愛々は芸能界のサラブレッドで、子役としての成功も、ある意味約束されたものだった。

 

しかし、どんな分野でも生まれ持った才能だけで通用する期間というのは短いもので、中学に進み、女優としての比奈川愛々は伸び悩むようになった。「女優としての才能が開花しないのは、かつての天才子役として、周囲から甘やかされすぎているからだ。娘には、厳しくも、正しく教え導くような指導者が必要だ」――、比奈川の両親はそんなことを考えるようになった。両親は現在アメリカに在住しているそうで、比奈川を自分達の手元に呼び戻し、アメリカの有名な演劇学校に入れて教育しなおすというのが両親の計画だった。

 

一方の比奈川本人は、かつてからの志望校である清宮高校を諦めたくなかった。高校だけは日本で進学させてくれ、と両親に頼み倒し、一度はそれは認められたのだが――

 

「流石に一年間芸能界での実績何も無し、ということになると、親御さんもやはり呼び戻したい、という気持ちが出てくる、か……」

「そういうことです。そして、このまま何も実績が上がらないようだったら、次の9月から、日本を離れてこっちに来なさい、とも言われています。日本に残るための条件は、何か一つ小さい分野でも実績を上げること、具体的には……」

「この学校の文化祭でのグランプリ1位、だと」

 

確かに世界的に活躍する大女優から見れば、文化祭のグランプリなんてのは大したものではないのかもしれない。しかし、このマンモス女子高である清宮の文化祭では、クラス企画だけでも30以上、部活やサークルも含めれば100近い企画がある。出し物の中には、主に一発芸枠で入ってきたセミプロ高校生達の手による、やたらとクオリティの高い喫茶店だったり、プロ顔負けのバンド演奏だったりもある。一方、演劇部は、元天才子役のエース比奈川が所属しているアドバンテージはあるものの、特に高校として演劇部が強豪だったり有名だったりするという訳ではない。そんな状況で、文化祭全来訪者の投票で決まるグランプリ1位を勝ち取る、というのは、言うほど簡単ではないと思えた。

 

「投票で勝つには、まず人が集まり、演劇部の演目を見てもらわなければなりません。しかし普通の演劇では、集められる人の数に限りがあります。そもそも演劇なんて、さほど興味ない、喫茶店やバンド演奏の方が良いという人の方が多数派でしょう。私の知名度を足したとしても、所詮は過去の人です。実際のところ、去年の文化祭でも私は出演していましたが、グランプリを取れるほどの集客効果があった訳ではないです。人を集める起爆剤になる、目新しい『何か』が必要なんです」

「そこで、Vmover?」

「そうです。Vmoverと生身の人間を組み合わせた、バーチャルとリアルの交錯する誰も見たことがない舞台。それを今回の演劇部公演の目玉にしたいんです」

 

バーチャルとリアルの交錯する誰も見たことがない舞台、ねえ。

 

アバターを操作するあたしの側としては、やろうとしていることは言うほど簡単ではないと分かる。しかも、たとえ目新しさから人が集まったとしても、普通に演劇としての中身の面白さが伴わなければ、投票まではしてくれないだろう。それにVmoverなんてのは、確かに流行ってはいるが、実際のところ、一部のオタク界隈だけの間で流行している身内ネタの域を出ない。出してみたは良いが、オタクネタに一般人はドン引きのだだ滑り、なんてことになったら、起爆剤どころか演劇部ごと轟沈させる爆薬になる。正直、他を当たった方が、――そう言い掛けようとしたのを察したらしく、比奈川は焦った様子で目を潤ませ、こんなことを言い始めた。

 

「あっ、あのっあのっ! これはお願いではなくきょ、脅迫です! あなたに……しぇ、しぇんたく権はないんです! 断ったら、昨日の画像……ネットで全世界に拡散する準備は出来てます!」

「お前、萌えキャラじみた仕草で恐ろしいこと言うな!?」

 

どうやらあたしに「しぇんたく権」はないらしい。まあ、あたし自身、一度は芸能界のトップを取った比奈川と、今の時代の最先端を行くVmoverとが出会って生まれる「誰も見たことが無い舞台」というのに興味が無いといえば嘘になる。

 

こうやって、完全に巻き込まれる形ではあるが、Vmover「風切アイ」の文化祭参加が決まったのだった。



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副部長は金髪留学生(ただしハーブか何かやってる(かもしれない))

翌日。さっそくあたしは演劇部の部室に招待されることになった。

 

今回の企画に乗るにあたって、あたしには一つだけ気にしていることがあった。それは、中の人バレは禁忌と言うVmover鉄の掟。あたし= 風切アイということは、部長である比奈川にはバレてしまっているので仕方ないが、それ以上の情報の拡散は避けたいので、他の演劇部員にはバレないように事を進めたかった。もちろん生身の自分が舞台に上がることはないが、それだけではなく終始徹底して黒子になるという訳だ。

 

ところが、「実際問題として、事前打合せやらリハーサルやらの全てのイベントを、他の演劇部員と顔を合わせないようにこなすのは無理があります」「演劇部員はみんな信頼できる人だから、言い触らしたりしません! 絶対大丈夫です!」と比奈川は言い張り、「あくまで比奈川以外には絶対秘密」を主張するあたしとの間で一悶着が起こった。長いこと言い合った結果、最終的には、副部長一人だけにはあたし= 風切アイと明かす、ということで妥協した。

 

本当はただ一人でもリスクの上がるようなことはしたくなかったのだが、演劇部の副部長は、あたしも顔だけなら知っている。金髪の留学生で(この学校は留学生も多い)、整い過ぎた顔立ちで近づきがたい印象すら与える美人だ。部長の比奈川はロリ可愛い系の顔立ちなので、ベクトルの違う方向性の美女が揃っているなー、と思ったものだ。おまけにこの留学生、無口で、他の生徒と喋っているところをほとんど見たことが無い。しかもごくまれに口を開くと中身の性格はとんでもない変人なので、友達も少ないという噂だ。まあ、そんな奴だったら、ベラベラ言い触らすことは無いだろう、とあたしも妥協したのだ。

 

打合せやら、他の部員との調整やらには全てその副部長が間に入って行ってくれるらしい。本番はあたしは別室に入って機材を操作し、アバターの「中」に入って演技することになるので、最後まで副部長以外の他の部員とは顔を合わせずに済むという訳だ。他の部員には、風切アイは校外から呼んだゲストなので部長と副部長だけが窓口となって対応する、と説明してごまかすようだ。まあ、正直、あたしはリアルで大勢の前で意見を言うミーティングとかは苦手なので、この対応は結果的にありがたかった。

 

そして今日は、その副部長と比奈川、3人の顔合わせミーティングということになる。

 

「はじめまして。私は演劇部副部長のローズ・オースター。ローズでいいわ。あなたがアイ・カザキリ兼ね役のアイカ・タキムラね。よろしく」

 

ずいっと目の前に手が出される。

 

「よ、よろしく」

 

欧米式の握手だ。戸惑いながらも、ローズの手を握る。「兼ね役」っていうのは日本語としておかしいが、留学生相手にそこを突っ込むのも野暮というものだろう。今まで一度も声を聞いたことがない相手なので、意思疎通が出来ないようなタイプだったらどうしようと思ったが、普通に喋れるじゃないか。喋り方は、いかにも無口キャラです、という感じの抑制された喋り方だけど。

 

「アイカについて大体のことはヒメから聞いている。今回、私は、劇の脚本を任されている。私から脚本について説明するので、アイカからのfeedback……、意見をもらいたい」

 

ん? ヒメって誰だ? あたしの不思議そうな顔を見て、比奈川が顔を赤らめながらこう付け加えた。

 

「ひながわ・めめだから、名字と名前の頭文字『ひ』『め』を取って、姫って呼ばれてるんです……、恥ずかしいからやめて欲しいんですけど……」

 

そういうことか。比奈川くらい容姿端麗だったら姫と言われてもさほど違和感ないし、堂々としてれば良いと思うけどな。

 

意見と言っても、あたしは、バーチャルアバター操作の専門家ではあっても、脚本に関しては素人だ。言うことがあるとも思えなかったけど、とりあえず説明を聞くことにした。

 

「ではさっそく始める。まず脚本の方向性だけど、Vmoverという目新しい要素を入れる分、脚本そのものは斬新さを求めず、誰もが知ってる話をベースにすべきだと思った」

 

なるほど。それはそうかもしれない。

 

「そこで脚本は、Snow White……、失礼、『白雪姫』を題材にする。白雪姫役がアイ・カザキリで、意地悪な王妃役がヒメ」

 

確かに白雪姫なら誰でも知ってる話だな、妥当なところだろう。

 

「ただ、これはVmover劇なので、現代的な修正をいくつか施す。まず最初の場面だけど、王妃が鏡に向かって『世界で一番美しいのは誰?』と問いかける。鏡は、『それは白雪姫です』と答える。王妃は激怒する。原作だと王妃は老婆に化けて白雪姫に近づき、白雪姫に毒リンゴを食べさせようとするけれど、この世界では、リアルの存在である王妃はバーチャルの白雪姫に直接近づくことはできない。そこで、白雪姫を葬り去るべく、王妃自らバ美肉することにする」

「王妃がバ美肉」

 

待て待て待て。とんでもないパワーワードが飛び出したぞ。

 

「あ、バ美肉というのは、バーチャル美少女受肉の略で、美少女のバーチャルアバターとしての体を作り出して、Vmoverとしての活動を始めることを指す」

 

丁寧な解説ありがとう。金髪留学生の口から「王妃がバ美肉」とかいう日本語を解説される日が来るとは思わなかったよ。

 

「バーチャルアバターと化した王妃は、『国の母』としての立場で培われた経験から醸し出されるロイヤルバブみオーラで人気を獲得していく。王妃は正体を隠したまま、白雪姫に近づこうとコラボ配信を持ちかける」

「ロイヤルバブみオーラ」

 

声に出して読みたくない日本語ランキング(?)のかなり上位に入るだろ、このワード。

 

「白雪姫と王妃は、コラボ配信を通じて色々な体験を共有し、すぐに仲良くなっていく。具体的に言うと、『アズールファンタジア』の実況配信でバレンタインガチャ210連爆死という体験を共有して仲良くなっていく」

「ちょ……ば……やめろ!!!」

 

何で今あたしのトラウマえぐりに行った。210連爆死のくだり、それ具体的に掘り下げる必要あったか。

 

「ローズさん、そのくだりは私もどうかと思います」

 

よく言った比奈川。もっと言ってやれ。

 

「『アズールファンタジア』は実在のゲームですよね? 版権元からクレームになりそうな名称使用はちょっと……」

「了解。何か適当にそれっぽい名前に置き換えておく」

 

いやそこじゃねえよ。駄目だ。このいかにもゲームとかやらなそうな清楚系女に210連爆死の重みが分かると思ったあたしが馬鹿だった。

 

「話を続ける。十分に白雪姫と仲良くなったと判断した王妃は、油断させて白雪姫に『毒リンゴ』を食べさせる。と言っても、バーチャル世界の話だから、『リンゴが無料で貰えるリンク』と偽ってマルウェアへのリンクを踏ませる」

 

そういえば、 アズールファンタジアではスタミナ回復アイテムのことをリンゴって言っていたんだったか。

 

「哀れ、受肉に必要な機材がマルウェアに感染してしまった白雪姫は、活動休止に追い込まれてしまう」

 

さあ、ここからどうなるんだ。あたしの記憶では、この後の原作の白雪姫のオチは――

 

「王妃は今度こそ鏡に問いかける。『世界で一番美しいのは誰?』。しかし、鏡は王妃の凶行を全て見届けていた。しかも、鏡はVmoverガチ恋おじさんで白雪姫推しのオタクだったので、王妃に対して怒り狂った」

「鏡はVmoverガチ恋おじさんで白雪姫推しのオタク」

 

だから、パワーワードやめろ。

 

「鏡は録画していた王妃の凶行をネット上にばらまいた。これによって、今度は王妃も、炎上からの活動休止に追い込まれてしまう。ちなみに、この時代の鏡はIoTの進展でスマートミラーになっているので普通にネットに繋がっているという設定」

 

何だその超展開。薄々感づいていたが、この脚本家、この展開を終始淡々とした口調で説明し続けるとか、めちゃくちゃ頭がおかしいだろ。ハーブか何か吸いながら書いたのか? 誰だよ、こいつのこと意思疎通出来そうなまともな奴とか評価したのは。

 

「王妃は深くショックを受けた。しかしそれは、炎上してしまったことに対してではない。偽りの関係とはいえ、白雪姫とコラボした楽しい記憶は自分の中で予想以上に大きなものになっていた。幼い頃に政略結婚させられ、国を背負わされ続けてきた王妃にとって、白雪姫は初めて出来た友達だった。『これでよかったのか?』、世界で一番美しくなるという目標と引換えに、白雪姫を手にかけてしまったことは、王妃自身を深く傷つけ、苦しめていた。執念とも思える嫉妬心は、王妃自身が白雪姫の美しさを誰よりも評価し、愛していることの裏返しだった」

 

「……数ヵ月後。ほとぼりが冷めた頃、王妃はVmover活動に復帰した。時を同じくして、マルウェア騒動から回復した白雪姫も復帰していたが、流行り廃りの激しいVmover界で数ヶ月のブランクは大きく、両者とも人気は地に落ちていた。王妃は白雪姫にコラボ配信を持ちかける。許しを乞いたい、と。王妃は配信の中で白雪姫に全てを打ち明け、謝罪する。そして、白雪姫への隠していた愛も打ち明ける。白雪姫は持ち前の柔雪のような優しい心で、それを受け容れる……。ということで二人は幸せなキスをして、配信終了。バーチャルアバター同士の濃厚百合キスシーンは視聴者の間で大評判になり、二人の人気は生き返りましたとさ。めでたし、めでたし」

 

「え。えーっと、どこから突っ込んで良いのか」

 

超展開に次ぐ超展開。あたしは思わずのけぞった。隣の比奈川も、オチまでは聞いていなかったらしく、目を白黒させている。――しかし、序中盤のオタクネタラッシュはどうかと思ったが、オチに関しては、まあまあ良いんじゃないか、というのがあたしの正直な感想だった。

 

あたしの記憶が正しければ、原作では「王子様のキス」で白雪姫は生き返るということになっている。一方、風切アイは、どちらかというといわゆる「百合営業」路線で売っている。ここは女子高だから、もし王子を出すとしても男装と言うことになるが、男装とはいえ男とキスさせるという展開は避けたかった。まあ、よく考えるといきなりポッと出の王子がキスして解決、というのも、超展開といえば超展開だしな。もしあたしが白雪姫の立場だったら、王子なんかよりも、比奈川のような容姿端麗・才色兼備・巨乳女子にキスされた方が生き返りそうな感じはあるし、このオチはこれはこれでありかもしれない。

 

「ちょ、ちょっと私には分からないネタが多かったけど、せっかく新しい境地に挑戦するんですもの、これくらい攻めてる方が良い……んですよね?」

 

そうだな。どうせ演劇としてはイロモノ扱いは免れられないのであれば、これくらい突き抜けた内容の方がかえって良いかもしれない。あとは、当たって砕けろだ。

 

淡々とした口調でキマッた内容の脚本を話し続ける変人留学生脚本家・ローズの毒気に当てられただけかもしれなかったが、部室を出る頃には、そう思えるようになっていた。



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練習は順調(ただし、さらなる衝撃事実が発覚)

脚本の方向性が決まると、今度は脚本を実現するための現実的な問題点を話し合おうということになり、またあたしは部室に呼ばれることになった。

 

ローズの説明では、舞台に半分の大きさのスクリーンを下ろし、舞台の残り半分を生身の人間パート、スクリーン側の投影をVmoverパートとして活用していくということだった。

 

「一つ質問いいかな? この脚本だと、王妃は途中でバ美肉する。つまりバーチャルアバターは風切アイのほかにも、王妃用にもう一つ必要ということになるけど、アバターと機材の用意はできるのか? どちらも一朝一夕に用意できるものじゃないし、それなりにコストだってかかる。こっちでは風切アイしか用意できないぞ?」

 

「それに関しては、私の方で抜かりなく用意してます」

 

立ち上がったのは比奈川だった。PCを起動すると、アバターが画面に写る。なるほど、これを使うつもりか。それにしてもアバターと機材を比奈川が持ってるとは意外だったな――、って、このアバター、既視感がすごくあるんだが、まさか――、

 

「瀧村さんはこのアバターに見覚えがあると思いますけど!?」

 

比奈川がぷくーっという感じの表情でこちらに目線を向けている。その瞬間――

 

「そ、その節は大変申し訳ございませんでしたあぁぁぁぁ!!」

 

あたしはスライディング土下座した。

 

なんと、比奈川のアバターは、あたしがセクハラDMを送った某企業系アバターと同一のものだった。つまり、あたしがセクハラDMを送った相手は、他ならぬ比奈川ということになる。比奈川、おそらく芸能活動の一環なんだろうが、そんなことにまで手を出していたのか。セクハラDMがどういう経緯で流出したのかは気になっていたのだが、まさか比奈川が受け取った本人とは思いもしなかった。顔が見えない相手だからという気安さもあり送ってしまったDMだが、相手の顔が見えるととんでもなく恥ずかしさがこみあげてくる。

 

「ま、まあ私はいいんですけどね!? げ、芸能人として、こういう悪戯受けるのは慣れてますし!? でも、誰彼とも無くこういうDM送るのは、止めたほうがいいと思いますよ瀧村さん!?」

 

別に誰彼とも無く送ってる訳ではないのだが、返す言葉もない。あたしはさらに謝りつつ、こう続けた。

 

「ほ、本当にすみませんでした……、でも、このアバター、比奈川さんのものになったんだね。会社の所有物なのかと思ったけど」

「会社は残念ながら業績不振で倒産してしまったので……、元々会社の経営サイドと父が知り合いで参加することになった企画だったので、倒産するときにアバターごと貰い受けることが出来たんです」

 

ふーん、そういうこともあるのか。こういうものって会社が倒産したら銀行とかに差し押さえられるイメージでいたけど。まあ、銀行員みたいな人が大真面目な顔で、ちょっとエロい衣装の女の子のアバターを差し押さえていくってのもシュールな光景だし、単に価値がないと判断されたのかもしれない。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

さらにその翌日からは、本格的に練習が始まった。

脚本の読み合わせ、台詞の暗記、演出や大道具小道具班との調整、各場面ごとの稽古、リハーサル。

 

どれをとっても演劇未経験者のあたしにとっては新鮮なものだった。

 

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」

「妾を愚弄するか! かくなる上はこの妾自らバ美肉し、毒リンゴで……」 

「こうして王妃は、あふれるロイヤルバブみオーラで視聴者を虜にし、人気Vmoverランキングを駆け上っていった」

「コラボ配信? もちろんいいよ、あたしたち友達でしょ?」

「は? 何してくれやがったんだオルァン!! 俺は白雪姫の配信だけが生きる楽しみだったの!!」

「妾は……汝の美しさに嫉妬していた。それだけではない、汝の太陽のような性格、誰とでも友達になれる性格にも……。汝は妾の初めて出来た友達だった」

 

何より新鮮だったのは、初めて間近で見る比奈川たち演劇部員の演技だった。

特に比奈川の演技力は凄い。

演劇にまるで興味ないあたしでも、一目で圧倒されるようなオーラを舞台上でまとっている。

比奈川演じる王妃は、嫉妬に狂い白雪姫を手にかけてしまう悪女だ。しかし、アバター内ではあふれる母性で視聴者を惹きつけるカリスマであり、バックグラウンドには幼くして国を背負わされた不遇な幼少時代がある。徐々に白雪姫に惹かれるようになり、最後には自分の罪を認め、白雪姫への愛を打ち明け、救われる。そんな複雑な二面性とドラマに満ちた、難しい役どころだ。

その大役を、難なく比奈川はこなしていた。

これが、普段の真面目ながらもおっとりしているクラス委員長と同一人物とはとても思えないな。さすが、元・天才子役というべきか。

というか、これだけの実力を持っていても芸能界では過去の人扱いって、芸能界、魔境すぎるだろ。

 

凄いといえば、ナレーション、兼、鏡役を務めるローズの実力も中々のものだ。淡々としたナレーションで真面目に「ロイヤルバブみオーラ」とか言われるのはシュールさしかないが、それが逆にいい塩梅のギャグ要素になっていた。鏡も、当初は「真実だけを告げますよ」という風に飄々としているが、白雪姫が殺された途端にヤバいオタクへと豹変するという、濃い脇役だ。その豹変ぶりを、普段の無表情のローズからは想像もつかない迫真の演技でこなしていた。

 

白雪姫のキャラは、普段の天真爛漫な風切アイそのものという設定なので、あたしは比較的すんなりとアバターを動かすことが出来た。が、それでも慣れない練習についていくのは大変だ。だが、比奈川達の指導のおかげもあって、台詞を一つ一つ覚え、今まで出来なかった演技が一つ一つ出来るようになっていくことには、確かな充実感があった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

練習と並行して、あたしにはもう一つ下されている使命があった。

ネット上での宣伝だ。

 

「5月12日、清宮学園高等部文化祭、企画No.047演劇部公演に校外ゲストとして出演します。Vmover風切アイと、あの『天才子役』比奈川愛々が夢の共演。バーチャルとリアルの交錯する、誰も見たことの無い舞台が展開されます。見に来てね……っと」

 

普段の動画投稿の末尾に必ず宣伝を入れるようにしたし、SNSでの定期的な投稿も欠かさない。日頃から交流のあるニュースサイトやまとめサイトの管理人とも連絡を取り、素材提供や当日の取材権と引き換えに宣伝記事を書いてもらう取引もした。

 

巻き込まれて参加することになった文化祭で、ここまでする必要あるか? とも思ったが、リアルのイベントに出演するのに客席がガラガラ、なんてことになったら、それこそ人気Vmover風切アイとしての沽券にかかわる。やれるだけのことはやっておきたい。それにセクハラDM画像もまだ比奈川の手元にある訳だし。

 

そういった営業努力の甲斐あって、界隈での注目度はじわじわ高まっていき、清宮高校の中でもネットを良くチェックしている生徒達を中心に話題になり始めた。

 

比奈川とローズ以外の演劇部員とは、直接顔を合わせないので、どういう反応なのかはっきりとは分からないのだが、練習を始めた当初は、こんなイロモノの演劇が成功するのか、半信半疑の雰囲気だったようだ。しかし、比奈川の高い演技力とリーダーシップで舞台が完成に近づいていくと同時に、周囲からの注目度も上がってくると、演劇部員の間で「あれ、この企画、結構行けるんじゃね……?」というムードが漂い始め、着実に部の雰囲気が良くなっているようだった。

 

この「結構行けるんじゃね……?」ムードが最高潮に高まったのは、文化祭一週間前のことだった。



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文化祭へ(ただし、天候は不良)

「キャー!!」

「ワー!!」

 

演劇部の部室本体の方から黄色い歓声が聞こえてきて騒がしい。いったい何が起こった? あたしは普段の舞台稽古していない時は、他の部員と顔を合わせないよう、資材置き場を改造した隔離された一室で作業しているので、こういう時に情報がリアルタイムで入ってこないのがもどかしかった。

 

しばらくすると、ローズが部屋に入ってきた。

 

「アイカ、good newsが入った。今日行われた、文化祭グランプリの公式事前アンケートで、私達の公演は総合3位になった。1位、2位との票数の差もそこまで無い」

 

文化祭グランプリは、当日の来訪者全員による投票結果で決まるのだが、当日一週間前には、現時点でどの企画が良いと思うか、前評判を調べるためのアンケートを行うのが恒例だった。いわば当日のグランプリを盛り上げるための前座企画だったが、前評判と当日のグランプリの結果は、ある程度は連動する。そこで総合3位につけているということは、当日の舞台の出来次第で十分逆転可能ということだ。

 

「アイカ、感謝する。ここまで来れたのは、あなたの協力のおかげ」

「や、まだそれを言うのは早いでしょ。狙うのは、グランプリ総合1位なんだから……」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

三十分後。あたしは校内をウロウロ歩き回っていた。中間投票の結果を早く比奈川に知らせたかったのだが、肝心の比奈川は、部室にもどこにも見当たらないのだった。

 

「あ、見つけた」

 

夕焼けの光の差し込む屋上。真っ赤な空の下に、比奈川はいた。

声をかけようとしたが――

 

「……っ」

 

屋上の欄干に腕を預けて、夕闇に沈む街を眺めながら、憂鬱げな表情を見せる比奈川の佇まいの美しさに思わず息を飲み、一瞬、声をかけるのが躊躇われた。

 

どちらかというと、美人と言うよりは、愛嬌のある、という顔立ちをしている比奈川だが、夕日に照らされた憂い交じりの顔は、びっくりするほどの美しさがあった。

 

「……瀧村さん。どうしたんですか? こんなところで」

「どうしたんですか? じゃなくてだな。比奈川さんを探してたんだよ。3位だってさ! 中間投票。部室は大騒ぎになってるよ」

「あ、それを伝えるために私を探してくれていたんですね。でもごめんなさい、そのことなら先にローズから聞いてしまいました」

 

何だ、入れ違いになっていたのか。あたしは先ほどから気になっていた疑問をそのまま口にした。

 

「比奈川さんのほうこそ、何でこんなところにいたの?」

「……少し、考え事をしていました。もし、1位を取れなかったらどうなるんだろうって」

「もし、1位を取れなかったら、か……。あたしは案外これ、行けるんじゃないかと思ってるけど。ネットでもリアルでも話題になってきてるし。それに何より、比奈川さんの演技力、本当に凄いと思ったよ。特に最後の、『妾は友達が欲しかったんだー』って独白のシーンとか、柄にもなく感動するくらい。もし1位になれなかったとしても、素人目だけれど比奈川さんなら海外の演劇学校でも全然通用すると思ったし、むしろ日本で才能を眠らせてるよりも良い選択肢なんじゃないかなぁ」

 

比奈川の表情にさっと影が差す。あー、勢いで思うままに喋ってしまったが、あたしったら、またコミュ障特有の人の気持ち考えない発言してしまったか。

 

「あっあっあっ、今のは別に1位取りたくないとか、比奈川さんに日本からいなくなって欲しいとか、そういう意味じゃなくて。むしろ比奈川さんとは今回のことが終わってもお友達でいたいというか、まずはお友達から始めてゆくゆくは結婚を前提とした御付合いをし子供は三人くらいを希望と言うか何と言うか」

しまった。焦ってフォローしたらさらに変なこと口走った。

 

「くすっ。瀧村さんって時々面白いこと言う人ですね。安心してください、別に気を悪くした訳ではないので……。それに瀧村さんと友達になりたいのは私も一緒です。友達になってくれると『二度も』言ってもらえて、私は嬉しい」

「へ? 『二度も』って……」

「やっぱり覚えてないんですね。これを見ても思い出せませんか?」

 

そう言ってスマホをこちらに向けた比奈川が見せてきたのは、以前のセクハラDMのスクリーンショットだった。だが、あたしのスマホに送られたものと違い、DMには続きがあった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

風切アイ「雇われの企業系の癖にリアルの画像アップしちゃうとか、素人かよ」

風切アイ「てかおっぱい大きいね^^ どこ住み? てかLIMEやってる?w」

 

風切アイ「おーい、スルーかよ」

風切アイ「見てるなら反応しろ」

桃亜もこ「おんなのこにおっぱいおおきいねとかはやめたほうがいいとおもいます」

風切アイ「あ、反応した。動画だけど、声がBGMにかき消されて聞き取りにくい、このページを参考に音量調節してみた方がいい」

桃亜もこ「ありがとうためしてみる」

風切アイ「そうそう、今アップしたのはいい感じだ」

桃亜もこ「動画にもコメントありがとう」

風切アイ「どういたしまして。あたしの動画にもコメントありがとう。トークの方はまだ改善の余地ありそうだね。あたしも始めたばっかだし、人のこと言える立場じゃないけど」

風切アイ「……よければ同じ駆け出しVmover同士、友達としてうまくやっていかないか?」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

そうだった。あのメッセージの後も、比奈川が中の人をやっていたVmover――桃亜もことの間では、しばらく交流があったのだった。結局、桃亜はこの後すぐに活動休止になってしまい、アカウントも消えてしまったので、思い出すことも無かったけど。

 

「私、このメッセージ貰った時、実は嬉しかったんです。私、それまで子役としての仕事に打ち込みっきりで、ほとんど友達もいなかったから。それに、桃亜もこをやっている時は、全く人気が無くて、フォロワーもほとんどいなかったし、その少ないフォロワーからの反応も全然無かったから」

「あー、それは分かる。あたしも風切アイを始めたばっかりの時はそんな感じだったな」

「だから、迫真と言ってもらえた王妃の演技、あれは私にとっては、ある意味、演技ではなかったんです。瀧村さんは、私にとって初めて出来た友達だったから。……無理やり文化祭に巻き込んでおいて、私がこんなこと言える立場じゃないのかもしれないけど、瀧村さんさえ良ければ、もう一度、友達になってくれませんか……?」

「こちらこそ、セクハラDMから始まる友情とか、恥ずかしいことこの上ないけど、比奈川さんさえ良ければ、喜んで」

 

こうしてあたしは比奈川さんの手を取り、もう一度、友達となった。

 

その後はしばし、風切アイの駆け出し時代の話から始まり、駆け出しVmoverあるあるで盛り上がった。比奈川さん、委員長で真面目で美少女でクラスの中心的存在とか、オタクと気が合う訳ないと思って今まで敬遠してたし、練習の間もあまりちゃんと話せてなかったけど、ちゃんと話してみると普通にいい奴だな。子役という経歴もあって面白いネタも豊富に持ってるし、割ともっと話してみたさがある。

 

そのためには、比奈川がアメリカに行かなくて済むよう、文化祭頑張らないとな――。あたしにしては珍しく、殊勝にそんなことを思った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

それからも練習と宣伝の日々は続き、あっという間に、文化祭当日になった。

 

「……今日の天気です。今日は朝から関東全域で雨、昼からところによっては雷雨混じりになるでしょう。お出かけの際はお気をつけください」

 

寮の自室で朝の準備をしていると、流しっぱなしのTVから、天気予報が聞こえてくる。暗雲が垂れ込める、という形容がぴったりの天気だが、あたしは「よし、悪天候だと屋外企画は不利だから、あたしたちが勝てる可能性上がるな!」程度にしか思っていなかった。

 

――この時は、まだ。



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舞台へ(ただし、ぶっつけ本番)

あたしの目論見どおり、天候のおかげもあって、開演10分前には演劇部公演は満席御礼となり、立ち見も出る盛況になっていた。

 

期待感漂うムードの中、公演の幕が切って落とされた。

 

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」

「妾を愚弄するか! かくなる上はこの妾自らバ美肉し、毒リンゴで……」 

「こうして王妃は、あふれるロイヤルバブみオーラで視聴者を虜にし、人気Vmoverランキングを駆け上っていった」

「コラボ配信? もちろんいいよ、あたしたち友達でしょ?」

 

公演は、前半は順調だった。客席の反応も良い。あたしは別室からアバターを操作しているのでダイレクトには分からないが、ギャグシーンでは笑い、真面目なシーンでは見入る。そんな様子がモニター越しに伝わってくる。

 

――トラブルが起こったのは、休憩に入ろうとする直前の、前半最後のシーン。いよいよ王妃が白雪姫に毒リンゴを食べさせるシーンだった。

 

「白雪姫ちゃん、もっと、『周回』したくはないか――? リンゴをDMで送ったから、早くお食べ」

「わーい、ありがとう! じゃあ早速ポチっとな……、って、これは何? 変なウィンドウが出て……ってあーっ!! ワーッ!!」

 

ドンガラピシャーン!!!!!!!!

 

えっ、何だ今の凄い音は? 演出? いやいや、こんな演出リハーサルの時には無かったはず。観客もびっくりしている。

 

何が起こったのかは、目の前のPCの状態からすぐに分かった。

 

――落雷だ。

 

アバター操作のためのPCの電源が落ちてしまっている。

ちょっと待て。後半の公演はどうなる?

 

しばらく間があって、ローズの声で10分間の休憩に入るというアナウンスがあった。

 

「前半凄かったねー、面白かった」

「最後のアレ、何? 演出? めちゃくちゃ気合入ってるじゃん!」

 

無邪気に盛り上がる観客を尻目に、あたしと比奈川、ローズの三人は急遽楽屋裏に集まっていた。あたしは第一声、こう言った。

 

「時間がない。手短に状況だけ伝えたい。今の落雷でPCは再起動不能。このままでは後半の公演は出来ない」

いち早くローズが反応した。

「バックアップや、予備の機材は無い?」

「あたしの寮の自室になら、ある。大急ぎで引き返せば、何とかなるかもしれない。休憩を少し延長してもらえるか?」

「それは可能。……でも」

 

ローズがチラッと比奈川の方に目をやった。比奈川は、病人なんじゃないかと言うくらいに青ざめた顔をしている。

 

「王妃のアバターを操作する用のPCと機材も、雷で壊れました……。バックアップと予備は、ありません……」

 

何てこった。そういえば、比奈川は数年前のこととはいえ「中の人」の写真をSNSにアップするほどのネット・PC初心者なのだった。きちんとした日頃からのバックアップなど、期待するのは酷というものだ。むしろあたしが、注意してやらせておくべきだった。だが、今となっては後の祭りだ。

 

頭を巡らせて方策を考える。後半の公演は、白雪姫が毒リンゴを食べさせられて、王妃が炎上によって、ネットから退場するところから話は始まる。その後は、幼くして国を背負わされた王妃の悲しい過去のストーリーが掘り下げられる。つまり、生身の比奈川が演じるシーンが多く、王妃と白雪姫のアバターが登場するのは、最後の、数ヵ月後にネットに復帰するシーンからとなるため、あたしの役目はしばらくない。急いであたしのバックアップを取りに帰って、その後、公演を再開してもらっている間に比奈川のPCの復旧を進めれば――、

 

いや、無理だ。流石にこの短時間で復旧できるという保証はない。じゃあ、どうすれば。どうすればいい。

 

その時、ローズがこう言った。

 

「……脚本家として、脚本変更を提案する。元の脚本上、この後にVmoverが登場するのは、最後の場面のみ。この最後の場面を、生身の人間で演じてもらう。王妃が白雪姫の住所を特定して訪問したということにすれば、最低限の変更で脚本の整合性は取れる」

 

それって――、つまり。

 

「それは……、王妃を演じるのは私として、生身の『白雪姫』を演じるのは誰になるのですか?」

 

ローズは一呼吸置き、まっすぐにあたしを見つめた。

 

「今から、他の演劇部員に台詞を覚えさせ、脚本を理解した上での演技を求めるのは無理がある。……アイカ、あなたに舞台に上がって欲しい」

 

ローズの目がまっすぐにあたしを捉える。

生身のあたしが、舞台に……?

思考がフリーズし、しばしの沈黙が三人の間に流れる。

その沈黙を破ったのは比奈川だった。

 

「……部長として、そこまで瀧村さんにお願いすることはできません。瀧村さんは、元々あくまでVmover風切アイとしてこの企画に協力する約束だった。それに、瀧村アイカとして舞台上で顔を晒せば、風切アイの中の人として特定されてしまうことになりかねない」

「アイは対外的には校外ゲストということになっている。その中の人が、清宮の生徒かも、と直ちに結びつけて考える人はいない。あくまで『白雪姫の中の人』役としてアイカが起用された、ということで切り抜ける」

「……それにしたって」

「じゃあ、グランプリ1位も全て諦めて、公演中止にする? ヒメだってこの舞台をここで終わらせたくはないはず」

「それは……もちろん私も、そうですけど」

「ただ、アイカがやりたくないということであれば、強要はできない。アイカ、あなたの気持ちを聞きたい」

「……瀧村さん」

 

ローズの青い瞳と、比奈川の黒い瞳が同時にあたしを見つめる。

生身のあたしが舞台に。正直、無茶だと思う。

リアルのあたしはただのネット弁慶のオタクで、クラスみんなの前で「焼きそば屋」の一言を言うのに苦労するほど、人前で喋るのは苦手だ。

断ってしまいたい。

一ヶ月前の、比奈川に屋上に呼び出される前の自分なら、そうしていたはずだった。

 

――だが。

 

あたしはそうすることが出来ないほどに、比奈川のことを知ってしまった。

 

あたしを屋上に呼び出した時の、とても脅迫犯とは思えないくらい青ざめて震える顔。

 

夕暮れの光を浴びて、アメリカに行くことになった時のことを憂える表情。

 

そして、あたしにもう一度友達になってくれと言ってくれた時の、満面の笑顔。

 

本当にこのまま比奈川をアメリカに行かせていいのか?

 

――あたしの決断は、一つだった。

 

「やるよ。演劇部の部長から頼まれたから、じゃなく、比奈川さんの友達として。ただ、あたしがアバターを脱いでもうまくやれるかは、全く保証できないよ? 放送事故ならぬ舞台事故になっても、恨まないでくれよ」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

脚本の変更点についての短いレクチャーが終わり、舞台袖で準備をしていると、ローズが近づいてきた。

 

「……アイカ。アイカには本当に申し訳なく思っている。この状況で舞台の幕を下ろさないようにするためには、こうするしかなかった。私を恨んでくれてもいい」

「恨むだなんて。そんなことしないよ。自分で決めたことだからね」

「……感謝する。そうだ。これから人生で初めて舞台に上がるアイカに、この言葉を送ろうと思う」

 

するとローズは、歌うような流暢な英語でこう語り始めた――

 

 

All the world's a stage,

 

And all the men and women merely players:

 

They have their exits and their entrances;

 

And one man in his time plays many parts.

 

 

って、待て待て待て。ただでさえいっぱいいっぱいのところに、英語なんていきなり言われても訳が分からないぞ。せめて日本語で頼む。

 

「私の母国では、そこそこ有名な劇作家の名台詞。聞いたことない? 訳するなら、『この世界は一つの舞台で、人間はみな役者。それぞれの退場と登場があって、一人がいくつもの配役をこなす』――、こんな感じ」

 

「アイカは役者として舞台に上がるのは初めてだけど、この世界を一つの舞台と思えば、ただ配役が変わる程度のこと――。気楽にenjoyしてきて欲しい」

 

そう言い残すとローズはさっと舞台裏に引っ込んでしまった。これ、一応、励ましてくれたってことで良いんだよな? こんな時でもいまいちよく分からない奴だ。

 

ブーッ。後半開始を告げるブザーが鳴った。さあ、ここからは本当の意味で「誰も見たことの無い舞台」の幕開けだ。だって何しろ、リハーサルも何もしていない、ぶっつけ本番の展開なのだから。



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Virtual actress

「は? 何してくれやがったんだオルァン!! 俺は白雪姫の配信だけが生きる楽しみだったの!!」

「……こうして王妃もまた、炎上によってネットから退場したのであった」

 

後半の舞台は始まり、本性を表した鏡によってネットから退場させられる王妃、そして悲しい過去のストーリーが進んでいく。

 

正直なところ、わずか10分前までPCトラブルで真っ青になっていた比奈川が、ちゃんと気持ちを切替えて演技出来るのか、ちょっとだけ心配だった。しかしそれは全くの杞憂で、比奈川の演技は、リハーサルで見ていたとおりの、完璧なものだった。幼くして一国を背負わされた重圧、国の顔として最もふさわしい女性にならなければならないという重圧から、世界で一番美しくなるという執念を抱くようになるまでの、若き日の王妃の姿。そして、白雪姫との友情を取るか、自分の目標を取るか、葛藤する現在の王妃の姿。それらを比奈川は鮮やかに舞台上に描き出していった。

 

――そうなると、最も問題なのは、あたしがちゃんと演技できるかどうか、ということになる。

 

あっという間に、物語は最後の局面へと向かっていた。

ローズの手で変更された脚本どおり、王妃が白雪姫のリアルの住所を訪れるシーンが始まる。いよいよ、あたしの出番だ。

 

「白雪姫! 白雪姫! 妾じゃ。王妃じゃ。どうか、妾の声に答えて欲しい……」

 

王妃の声に呼ばれるようにして、舞台袖からステージの中央へと進み出る。スポットライトが予想以上に眩しい。ライトの熱量でくらくらする。汗が流れ、木製の床の上に滴り落ちる。そして何より、客席に満員の観客の視線があたしに突き刺さっているのが肌で分かり、足がすくむ。え? あたしは何でこんなところにいるんだっけ? そうだ。台詞を言わなければ。あたしは、あたしに割り当てられた台詞を言おうとするが――

 

(こ、声が、出てこない……!?)

 

枯れ切ったあたしの喉からは、どう頑張っても台詞が出てこない。やばい。これはまずい。

 

1秒、2秒、3秒、4秒、5秒。

 

6秒、7秒、8秒、9秒、10秒。

 

固唾を呑んで見守っていた観客が、舞台の上でフリーズしているあたしを前に、徐々に困惑の表情に変わっていくのが分かる。反対側の舞台袖で、ローズが焦ったように他の演劇部員に耳打ちしているのが目に入る。冷や汗が、だらりと脇の下から流れ落ちる。何とかしなければ、という脳の命令とは真逆に、声帯はぴくりとも動いてくれない。頭が真っ白になりかけた、その時――

 

「……は、私にとって初めて出来た友達だったから。……無理やり……でおいて、私がこんなこと言える立場じゃないのかも……けど、もう一度、友達になってくれませんか……?」

 

頭にかかった真っ白なもやを突き破って、はっきりとした声が聞こえる。王妃が、――いや、比奈川があたしに語りかけている。いや、今はあたしの台詞の番のはず。すると、この台詞はアドリブ? この台詞は――、そうだ、一週間前、夕方の屋上で、比奈川があたしに対して言ったものだ。

 

この舞台は、あたしと比奈川のために用意されたものだ。幼い頃から孤独を抱え続け、あたしが初めての友達だったという比奈川の姿は、王妃そのもの。自分でそう言っていた。

 

そうだとすれば、この舞台に上がっているあたしは、白雪姫ではなく、風切アイなのであって。比奈川の手を取って友達になりたい。そんな風に思った、あたしそのものなのであって――

 

 

「もちろんだよ」

「喜んで」

 

 

――そう理解した瞬間、呪いが解けたかのように、あたしの唇は動いた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

そこから先のことは、正直よく覚えていない。

気がつくと、舞台上であたしと比奈川は抱き合って、万雷の拍手に包まれていた。

緞帳が下りて客席から切り離されると、まず駆け寄って来たのはローズだった。

ローズは客席にも聞こえるくらいの声で「ブラボー!」と言いながら二人にキスしまくってくるのでびっくりした。無口キャラでもそういうところはちゃんと欧米人なんだな。

その後、もう一度緞帳が上がって、カーテンコール?とやらに無理やり引っ張り出され、何度も客席に向かってお辞儀したり手を振ったりをさせられた。

 

意外なのは、あたしがお辞儀する時も、比奈川と同じか負けないくらいの大きさの拍手を客席から受けたことだった。ローズいわく、あたしの演技は「まるで白雪姫本人が登場したかと思うくらい神がかっていた」らしい。肝心のあたし自身がさっぱり記憶を残していないので、その評価が正しいのかどうかは分からない。

あたしはむしろ、舞台上でフリーズしてしまったこと、そしてそれをフォローするために口走った比奈川のアドリブが、不自然に見えたのではないかと気にしていたのだが、それを気に留めた人は不思議と一人もいないらしかった。

 

そして、この日一番嬉しいというか、ホッとする出来事が後夜祭で起こった。

 

――演劇部公演が無事、グランプリ1位に選ばれたのだ。

 

後夜祭のステージでグランプリが発表された時、演劇部員は蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。笑っている部員も、泣いている部員もいた。ローズはまたしても嬉しさを爆発させていて欧米人モードになっていた。正直、あたしの脳は今日一日の出来事で既にオーバーフロー気味だったので、この時の出来事もあまり良く覚えてはいない。

 

後夜祭の後は、そのまま演劇部の部室に流れ込んで、ジュースとお菓子で打ち上げの流れになった。あたしは元々部外者だし、そういうイベントには縁の無いオタクなのでささっと帰ろうと思ったのだが、演劇部員にがっちり周りを固められて拉致されて、強制的に打ち上げに参加することになった。

 

(……まあ、でも、なんだ。こういうのも、やってみると意外と楽しいもんだな)

 

比奈川も凄く嬉しそうだった。比奈川は、部員達へのねぎらいやら、お祝いを言いに来てくれた来客への対応やらの、部長としての対外的な仕事で忙しそうで、あんまりこの夜はちゃんと話せる機会がなく、遠巻きに表情を眺めるしかなかったけれど。

でも、これで比奈川はアメリカに行かずに済むのだから、またじっくり今日のことを話す機会もあるだろう。

 

――この時は、そう思っていた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

文化祭の翌日から、比奈川は学校に出てこなくなってしまった。担任からは、ドラマの撮影の仕事が忙しくなるので、しばらく学校をお休みしますと説明された。

 

元々、芸能活動をしている比奈川は学校を休むことが多かったし、仕事が忙しくなるのはむしろ良いことなので、それ自体さして気にも留めなかったが、グランプリ1位おめでとうを直接言えずにいることは心の中で引っ掛かっていた。比奈川のLIMEも聞いていたのだが、あたしがコミュ障なのもあって何となく連絡が取り辛かった。あたし自身、演劇部公演がいくつかのネットメディアに取り上げられたのをきっかけに風切アイの注目度が高まったので、取材の対応に追われていたこと、そこにさらに中間試験の準備が重なり、一気に忙しくなったので、比奈川のことは何となく放置してしまっていた。

 

比奈川から、爆弾のようなLIMEが来たのは、そんな忙しさにかまけているある日のことだった。

 

「明日15時15分。羽田空港国際線ターミナル。3階出国ロビー、中央カウンター前。来られますか?」

 



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別れ(ただし、リアルの世界では)

「どうしたんだ? 急に?」と寝ぼけた返信をする気にはならなかった。このタイミングで国際線ターミナルに来いという意味が、ただの海外旅行だとは流石に思わなかった。

 

翌日。あたしはとるものもとりあえず空港へと向かったが、普段空港なんて来ないから、目的の「出国ロビー」とやらがどこなのか分からず、だいぶ迷ってしまい、辿りついた時には大遅刻だった。

 

頼む、まだ出発しないでいてくれ。祈るような気持ちで、汗だくでダッシュしながら出国ロビーへと転がり込む。すると、あたしの目に入ったのは、大きなキャリーケースを持ち、たくさんの人たちに囲まれている比奈川の姿だった。「たくさんの人たち」は、あたしと同世代の人間がほとんどだった。よく見ると、演劇部員やクラスメイトといったあたしの見知った顔も多い。中にローズもいた。その「たくさんの人たち」が、比奈川を前にして泣いたり、握手したり、抱き合ったり、プレゼントのようなものを渡したりしているのだった。どう見ても、お別れ前の挨拶というやつだ。

 

何と声をかけていいか分からず、遠巻きに見ていたのだが、すぐに比奈川がこちらに気づき、「ちょっと抜ける」いう風に回りに声をかけ、比奈川のほうから人だかりを抜けてこちらに近づいてきた。

 

比奈川と向き合う。

今日の比奈川の表情は、あたしを最初屋上を呼び出した時のように、心なしか青ざめて見えたが、その目には、最初の時のような恐れや不安はなく、はっきりとした意思を持った目をしていた。

 

一瞬の沈黙があって、あたしから喋り始めた。

 

「……どういうことだよ。アメリカには、行かなくて済むようになったんじゃなかったのかよ」

「ごめんなさい、嘘をついていて。両親との間で、文化祭グランプリを取れれば日本に残るという約束をしていたのは本当。でも、私は、文化祭の結果にかかわらず、日本を離れる決心をしていたの。……今の環境のままじゃ、役者としての私にこれ以上の成長は望めない。それは、両親の言うとおりだと思ってたから。ただ、日本で何も実績を残せないまま、負けるようにして日本を去るのは嫌だった。何か自信を持って、小さなことでも、私は日本でこれをやったんだ、と胸を張ってアメリカに行きたかった。……ごめんなさい、私のちっぽけな自己満足のために、瀧村さんを利用したような形になって」

 

頭がくらくらする。あたしは最初から最後まで全部騙されていたのだろうか。比奈川が演技派の元・天才子役であることを今更のように思い出した。

 

「利用って……。じゃあ全部、嘘なのかよ。あたしのこと、友達になってくれって言ってくれたのも、それも全部、演技だったって言うのかよ」

「違うわ! それは、本当。瀧村さんが、2回も友達になろうって言ってくれて、本当に、嬉しかった。瀧村さんが私にとって、初めて出来た友達……。その事実は、私がアメリカに行っても、世界のどこに行っても変わらない。2回目に友達になれたと思ったら、すぐにお別れになってしまったのは、本当に残念だし、申し訳なく思ってるけれども。でも、3度目も、絶対に瀧村さんと友達になりたい。そんな風に、思ってる」

「3度目……?」

 

あたしは比奈川に真意を聞こうとしたが、それは出来なかった。それをしようとした時、無情にも空港のアナウンスがこう告げたからだ。

 

「ユナイテッド航空、9686便、ロサンゼルス行きは、ただいま、ご搭乗の最終案内をいたしております。お急ぎ、106番、Aゲートまでお越しください……」

 

「私の乗る便です、もう行かなくちゃ……。向こうに着いたらまたLIMEしますね! それと、3度目もまた必ず、私の友達になってください!」

「あっ、ちょ、ま……」

 

止める間もなく比奈川は踵を返し、残してきた人だかりの方に一声かけると、わーっという歓声が巻き起こった。そしてそのまま歓声をバックに、ゲートの方へと向かっていってしまった。アメリカに行って、お別れになってしまうのに、3度目の友達? 謎と、狐につままれたような表情のあたしが、ロビーに残された。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

比奈川との突然の別れの翌朝。あたしは、風切アイの配信動画の作成も、ネットメディアからの取材メールへの返信も、中間試験の勉強も、何となく何もする気が起こらず、ゴロゴロと家で過ごしてしまっていた。

 

そろそろ、比奈川はアメリカに着いた頃だろうか。こっちからLIMEしてみようか? そんなことを思っていたとき、SNSのリプライの着信音が鳴った。見ると、風切アイの配信に良く来ている常連オタクからのようだが、何だこの内容?

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

@sangatsu_k 3分

返信先:@ai_kazakiriさん

アイ姐さん! Vmover速報にこんな記事上がってましたよ!! この新人、生意気なんでやっちゃってください!!

 

【新人】自称アメリカ在住Vmoverデビュー!! さっそく風切アイに喧嘩を売ってしまうwww

http://blog.lifedoor.jp/vmover/51577830.html

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

アメリカ在住Vmoverの新人がデビュー? 何となく嫌な予感がしつつ、リンク先が大手まとめブログのものであることを確認してクリックする。そして記事に埋め込まれていた、件の新人Vmoverとやらの動画を再生する。画面に出てきたアバターは――、ほかでもない、比奈川がかつて使っていたアバター、「桃亜もこ」のものだった。動画を観進めていくと、声も間違いなく、比奈川のものだ。

 

(3度目の友達って、つまり、比奈川さん……)

 

「新人」は、アメリカ在住だというプロフィールを含めた簡単な自己紹介から始まり、抱負などを語っていた。そこで「目標にしたいVmoverは?」という質問に対し、「風切アイです! 私はアイさんのことが大好きで……だから、私はアイさんを1年で超えてみせます!!」と宣言したのだ。それが、常にネタに飢えてるアフィブログ連中に面白おかしくまとめられた、ということのようだった。

 

(……やれやれ、喋りはだいぶ改善されてるけど、ネットリテラシーに関してはまだまだだな。まずアメリカ在住と言ってる時点で、ネット上のキャラ設定とリアルのプロフィールがごっちゃだし。いくら「中の人」同士が友達とはいえ、いきなり先輩Vmoverに喧嘩売りに行ってアフィブログに餌を与えるのも得策じゃあない。Vmover友達として、教えなくちゃいけないことはまだまだありそうだ)

 

3度目の友達に、か。比奈川が何を考えていたのか、今なら分かる気がする。あたしは風切アイのアカウントを使って「新人」とやらをフォローし、メッセージを送った。

 

――こうしてあたしと比奈川は、バーチャルの世界で、国境を越えて、もう1度、友達となった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

以上が、高校2年の春にあたしに起こったことの全てだ。

この春の出来事は、間違いなくあたしを変えた。

最初に比奈川に屋上に呼び出されたときの、どこまでも青い空。

中間投票の日、夕焼けの屋上で見た比奈川の横顔の美しさ。

リハーサルで観た比奈川の、本物の天才の卓越した演技。

初めて生身で舞台に立ったときの、スポットライトの眩しさと熱さ。

グランプリを取った瞬間の、演劇部員達の爆発するような熱気。

どれも一生、忘れることがないだろう。

 

比奈川とは、その後、リアル・バーチャルともに親しく連絡を取り合う仲となった。お互いのアバター同士でのコラボ配信もよく行っている。そのうち、本当に王妃と白雪姫みたくなるんじゃないか? と思うくらいだ。今のところ、毒リンゴが贈られてくる気配はないけれど。

アメリカに行ったばかりで忙しい時期なのに、ネットで遊んでいて大丈夫なのか?とも思うが、そこは流石の比奈川、自由の国アメリカでも変わらない堂々たる演技っぷりで、向こうの演劇学校の中でも頭角を現し始めているらしい。

 

何気にローズとも、文化祭をきっかけに親しくなった。ローズは話してみると、演劇の脚本をやっているだけあって色んな事に詳しい。そして、面白いストーリーに目が無いという点では、オタクのあたしと共通していた。いつの間にか、ローズからは面白い小説や脚本を、あたしからは面白い漫画やラノベを、お互い貸し借りする仲になっていた。

 

そういえば、ローズから借りた脚本の中に、あの一節が出てきた。

 

All the world's a stage,

 

And all the men and women merely players:

 

They have their exits and their entrances;

 

And one man in his time plays many parts.

 

「この世界は一つの舞台で、人間はみな役者。それぞれの退場と登場があって、一人がいくつもの配役をこなす」

 

――あたしが舞台に上がる直前に、ローズが激励してかけてくれた言葉だ。

あの時はいきなり英語でまくしたてられて正直意味が分からなかったが、今ならなんとなく分かる気がする。

 

古の脚本家が言ったように、人間は誰しも、多かれ少なかれ何かを演じているのだ。

比奈川は、芸能界のサラブレッドとして両親の期待を背負い、かつては天才子役としての役割を演じ、次は、元天才子役に相応しい実力の女優という役割を演じようとして苦しんでいた。

あたしも、何事にもやる気のないコミュ障のオタクという役割を、無意識的に演じていた。

 

そして、人が何かを演じるのは、新たな役割を得ることで、普段背負っている自分の役割から、自由になりたいからなのだろう。

あたしが風切アイを演じている間は、コミュ障のオタクという役割から離れることが出来た。

比奈川が、親に言われた仕事がきっかけとはいえ、Vmoverにのめりこみ、今ものめりこみ続けているのは、Vmoverになっている間はリアルの自分から自由になれるからなのかもしれない。

 

昔の時代は、職業としての役者に就き、「演じる」ことが出来るのは、容姿や才能に優れた一部の人たちの特権だった。しかし今は、インターネットとバーチャルアバターを通じて、誰でも別の「誰か」になることが出来る。そのことによって、新しい自分の側面に気づき、救われる人間も多いのかもしれない。

 

少なくとも、あたしはそうだった。

Vmoverとしての活動がなければ、文化祭をめぐる一連の出来事を経験することも無かった。

生身で初めて舞台に立たされたとき、最初はフリーズしながらも、まるで別人のように白雪姫を演じることができたのは、風切アイを演じていた経験をそのまま舞台上で生かせたからだ。

そして何より、バーチャルアバターがなければ、あたしにとって「も」初めての友達である、比奈川と出会うことも無かった。

 

 

「この世界は一つの舞台で、人間はみな役者。それぞれの退場と登場があって、一人がいくつもの配役をこなす」

 

 

バーチャルの世界にせよ、リアルの世界にせよ、あたし達は演じ続けるのだろう。

「今」「ここで」背負わされた役割を脱ぎ捨て、より自由に、新しい自分になるために。

終演のブザーの鳴る、その時まで。




これにて完結です。
短い間でしたがお付き合いいただきありがとうございました。
私にとっては初めての小説賞応募の経験でしたが、受賞作がどれもレベル高く、まだまだ精進しないといけないなーと痛感した次第です。


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