Sky Blue (そらかどせきね)
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星、観に行きませんか -水瓶座η流星群-

みずがめ座η(エータ)流星群はどうやら毎年、ゴールデンウィークの終わり頃に観れるらしいです。その中でも、今年2019年(五月六日・七日)は、条件が良く、観測するにはもってこいだったらしいです。黄金一週間の終わりを告げる流星、風流ですよね。


「『星、観に行きませんか』…って今日?」

 

 当然のように一緒に入ったお風呂のあと、シャンプーの香りを振りまく寝巻き姿の蒼が、居間の机に置いてあった手紙を拾い、読み上げて訊いてきた。

 

「っていうか、なんで手紙…?」

「普通に誘うより、そのほうが格好良いかな…って、どう?」

「ん、あんたらしくて、好きよ、こういうの」

 

 人差し指と中指で、贈った便箋を挟み、左右にゆらゆらと振りつつも、満更でもなさそうな表情をみせてくれる。

 その心の優しさがとても眩しい。

 ダメだと分かっているけども、湧き上がる衝動を抑えきれず、華奢な肢体を両手で抱きしめる。

 

「わ、ちょ、ちょっと! 星を観るっていう話はどこいったのよー! あたしが観測されちゃいますー!?」

 

 両手をバタバタさせて、もがく蒼をそのままに、まだ湿り気のある、お気に入りの後ろ髪に鼻を近づけ、その空間の空気を取り込む。

 同じものを使っているはずなのに、自分とはまったく違うこの匂い。

 女性特有の香りが混ざった、大好きな人の香りを、肺いっぱいに流し込む。

 目を閉じて、尚も抱きしめ続けていると、蒼も観念したのか、両の手は俺の腰に落ち着いた。

 とても良い雰囲気だ。

 そして良い雰囲気には、それに似合う台詞が必要なんだ――

 

「俺にょ…かにょにょは世界一可愛いにゃ…」

 

 耳元で甘く囁く。

 

「………」

 

 沈黙。加藤家の居間に沈黙が漂う。

 また噛んだ…。

 中々成長しない自分がもどかしい。

 いや、もうこれは加藤家の呪縛その二…なんじゃないでしょうか。

 

 『格好良い台詞を言おうとすると噛んでしまう呪縛』

 

 間違いない。

 そしていつも通りのやり取りが始まる。

 

「…噛んだ?」

「………」

 

 今度は逆に耳元で囁かれる。

 

「彼女を抱きしめつつ、耳元で甘い言葉を囁こうとして噛んだ?」

「………」

 

 抱きしめている腕を離す。

 蒼は俺の肩に手を添えて、ゆっくりと距離をとる。

 

「『俺にょかにょにょは世界一可愛いにゃ?』」

「くっ………」

 

 にやにや顔で、さらっと一言。

 よく噛まずに毎回言えるなあ。

 

「あんたのかにょにょの空門蒼です♪」

 

 くるっとその場で一回転。

 右目でウィンク。投げキッスのポーズ。

 天下無双の満面の笑み。この笑顔が見れたから良しとしよう。

 

「ちょっとー! ニヤニヤしてないで、なんか感想言いなさいよ! ほらー!」 

「すっげー可愛いくてずっと眺めていたいけど、感想としてはどう反応したらいいか悩んでる」

「…まあ、あたしも自分でやってて、これはちょっとどうかなーって思ったわね…」

 

 蒼はそう言い、髪を乾かすために持ってきていたドライヤーを手に取り、温風を流し始める。

 こちらに少し背を向け、ぺたん、と可愛らしく女の子座りをし、髪のアフターケア。

 強めの風量で前髪から手早く乾かしていく、その姿を眺めていると妙にドキドキする。

 

「羽依里~後ろお願いね~」

「了解」

 

 彼女に倣って、俺も着席。慣れた動作で、ドライヤーを渡され受け取る。

 蒼の後ろ髪はいつも、俺が担当だ。

 

「さて、お手並み拝見といこうかしら」

「バッチリ決めてやるぜ…とりあえず、軽く下向いて」

「ん…」

 

 首が少し前へ曲がる。

 髪の合間からチラりと覗く、うなじが色っぽい。

 湧き上がる性欲を堪えつつも、なるべく頭上から温風を当てていく。

 

「熱くない?」

「問題なし」

「ちょっと髪引っ張るよ、痛かったら言ってくれな」

「はーい」

 

 綺麗なストレートヘアを整えるために、テンションを髪に加え、じっくりと、蒼の髪に温風を与える。

 

「そういえば、話が逸れちゃってたけど、今日この後、行くの?」

「この後…まあ、そんなところかな。水瓶座流星群?が日付変わった後の深夜三時四時ぐらいに見れるらしいんだ」

「流星群…確かに、鳥白島は都会と違って夜は真っ暗だし、星は見放題だもんね」

「そういうこと。それで天体観測デートのお誘い、というわけです。お嬢様?」

 

 十分に根元から乾いた頭頂部を、優しく撫でてあげる。

 それが気持ち良いのか、蒼の体が左右に揺れる。

 

「えへへ…天体観測デート……星空の下で羽依里と二人きり…」

 

 お花畑に飛んでいってしまった様なので、仕上げの冷風で現実に呼び戻す。

 

「冷たっ!? ちょっとー! まだ乾いてないところあるんじゃないのー?」

「ええっ、マジで…結構上達したと思ったのに…」

「もう一回温風で、お願いね~」

 

 …どうやら、まだまだ蒼の髪を整えるスキルは足りていない様だった。

 

* * * * *

 

 寝床に移り、布団の中。

 春になり、ほどよく暖かいため、お互いに毛布一枚だけ被っている。

 さすがに、この後、外に出歩く予定なので、致すのは我慢。

 寝巻きも乱れておらず、珍しく、それぞれの布団で寝ている。

 

「ね、羽依里…三時に起きれるの?」

「目覚まし時計はセットしたし…多分、起きれる…?」

「あんたが頼りなんだから、ちゃんと起きなさいよー?」

「自力で起きるの諦めるなよ!」

「お姫様を起こすのは、いつも王子様の仕事なんですー!」

「へいへい…王子様も中々大変だよな」

 

 暗闇の中、静寂が訪れる。

 もぞもぞ、と隣の布団から暖かい物体が、こちらの布団に潜り込んでくる。

 

「………」

 

 布団の中から蒼が顔を出してきた。

 目を瞑り、顔を寄せてくる。

 

「おやすみのちゅー、して」

「甘えん坊さんだこと」

 

 唇同士を軽く密着させる。

 角度を変え、何度か触れ合う。

 それで満足したのか、俺の腕に抱かれたまま、蒼はそのまま夢の世界へ。

 結局、布団は一つで十分になってしまった。

 俺も寝よう。

 軽く寝たら眠い目擦って天体観測だ。

 

* * * * *

 

 深夜。島民全てが眠りに就いているであろう時間に、田舎道を歩いていた。

 

「んぅ……あたし~…なんであんたにぃ…背負われているんだっけぇ…」

「今から流星群を観に行くため」

「りゅーせーぐぅ……でーとぉ…」

「そうそう」

 

 やっぱり、というか流石にこの時間に起きるのはちょっと無理があった。

 蒼はまだ夢見心地。寝巻きから着替えさせるのは困難だったので、上着を一枚羽織らせただけ。

 雑なファッションでも、絵になる可愛さがあるのは、彼女自身のポテンシャルの高さ故だろう。

 

「ぁ~…着く頃には…目ぇ…覚めてると、思うから~…よろしくぅ…」

 

 それだけ言うと、また、すぅすぅ、と寝息が聴こえてくる。

 耳に心地良い背景音楽を楽しみながら、目指すは、迷い橘。

 そこまで険しくない山道を登っていく。

 これまでに何度も通った、道程。

 決して幸せな記憶ばかりではなく、悲しく辛い記憶もある。

 周囲の木々、踏み均された地面、動物達の鳴き声、それら全てが彼女との『夏の思い出』だった。

 そして今、夏だけでなく、四季折々の話が、二人の記憶のページに書き綴られていく。

 

「ポーン」

「イナリか」

 

 ライトで照らした先には、巣穴で寝ていたのか、イナリの姿があった。

 

「迷い橘まで行って、流星群を観るんだ。イナリもいくか?」

「ポンポン」

「お、そうかサンキュな」

 

 イナリも着いてきてくれることになった。

 

「ポキュ…」

 

 背負っている蒼をみて心配してくれたのか、悲しそうな声を上げる。

 

「大丈夫。普通に寝起きで覚醒していないだけだから」

「ポン?」

「心配してくれてありがとな」

「ポン!」

 

 元気良く返事をしてくれたが、キツネとしてもこの時間は眠いようで、時々「ぽきゃぁ~…」と欠伸をしている。

 

* * * * *

 

 そのまま、山道を登り、迷い橘の元に辿り着く頃には、蒼もバッチリ目が覚めていた。

 

「お、着いたわね、結局最後まで背負ってもらってありがとうね、イナリもありがとう」

「ポーン!」

「背中に当たる、やわらかーい膨らみが楽しめたから、むしろご褒美かな」

「帰りも、ご褒美あげよっか?」

「それは楽しみが増えるな」

 

 蒼をゆっくりと地面に降ろす。

 ショルダーバッグから、寝転がる用に持ってきていたレジャーシートを広げる。

 イナリは、眠いのかその場で尻尾を丸めて寝る体勢に入った。

 さすがに星に興味はないか…。

 

「今更だけど、空門の神域で天体観測なんて、本当に良かったのか?」

「平気、平気、あたしは空門の巫女だし、あんたは…その…将来の旦那さん…だし」

 

 最後のほうは、しどろもどろ。言葉を濁す。

 夏の祭事の時期以外であれば、わりと自由とのことだった。

 七影蝶の姿も、殆ど見かけない。

 どうやら、ゆっくりと星が観れそうだ。

 

「それにね、あたし達には、これぐらいの役得だって、あって良いと思うの」

「ですかね」

「ですよ」

 

 何故か丁寧な言葉遣い。二人の間に自然と笑いがこみ上げてくる。

 

「ふふ…それじゃ、観ましょうか、星」

「水瓶座η(エータ)流星群な」

「細かいところまで良く覚えてるのねー」

「一応言いだしっぺなんで。ほら、ここに寝転がって観ようぜ」

「はーい」

 

 二人並んで、シートに寝転がる。

 触れた手と手は、こちらから、やや強引に、それでいてぎこちなく握る。

 それに対して、蒼は何も言葉は発せず、優しく握り返してくれる。

 

「夜空をこんなにしっかりと観たのって、久しぶりかも」

「きっかけがないと、こうして観ることってないんじゃないかな」

「そうね」

 

 その言葉を境に、しばらくの無言。

 鳥白島の夜空を見上げる。

 都会と違い、一切の灯りが存在しない空。

 迷い橘のある開けた場所には、俺達だけ。

 まさに専用のプラネタリウムだった。

 満天の星空には、生命の輝きを放つ、星々が踊る。

 今宵は月明かりもなく、観察には最高の条件。

 特に探さずとも、目的の流星は視界に入ってきた。

 天空に座す、水瓶から零れ落ちた無数の涙が、幻想的な碧色の尾を引き、駆け抜けていく。

 映画のワンシーンにもなりそうな光景が、今、実際に目の前に在る。

 そして、それを、かけがえのない存在である蒼と、二人の思い出にできるのがとてつもなく嬉しい。

 隣に居る彼女も同じ事を考えていてくれているだろうか――

 

「ねえ、羽依里…」

 

 突然、上体を起こし、呼び掛けられる。

 

「なに、蒼」

 

 同じく、上体を起こして、それに答える。

 

「んっ」

 

 少し首を上に曲げて、桃色の唇を突き出してくる。

 と、なれば、何を要求されているかは、言葉にせずとも解る。

 頬に手を添え、相手を愛しむ気持ちを前面に押し出して、君に送る口付け。

 この日、零距離で触れ合ったこの熱さと、宇宙から降る祝福の光は生涯忘れることはないだろう。

 

「いつか、子供が出来た時にさ」

「うん」

「付けたい名前が一つ浮かんだんだ」

「どんな名前?」

「尾を引く流星の『碧』色。凄い綺麗で…でも大事な名前だから、こんな安易な考えじゃいけないと思うけど」

「確かに、心に残る色だったわね。空門家の女性には『色』が付いてるし、アリなんじゃない?」

「じゃ、候補の一つってことで、宜しく」

「まあ、その前に、子供が出来ないことにはしょうがないんだけどね」

「……なるほど?」

「あっ…ちょ、ちょっと! こ、こら~!」

 

 そう言いつつもレジャーシートに倒れる君の表情は幸せそうで。

 初めてキスした、夏のあの日みたいに我慢が利かなくなる。

 未来に会う子供に先に謝る。

 今だけは君のお母さんを独り占めにさせてもらうよ。

 

 

 

【星、観に行きませんか -水瓶座η流星群- 終わり】



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貴方にカーネーションを -空門 碧羽-

母の日をテーマにどこかで見たようなお話。前回の『星、観に行きませんか -水瓶座η流星群-』の内容を含みます。オリキャラが登場します。


「ありがとうございましたー!」

 

 島の駄菓子屋らしからぬ商品を渡し、代金をザルに入れる。

 バイトを始めてから随分と年数も経った。

 相変わらずお客さんはほとんどが島民。

 皆、買っていくものも決まっているし、そのときにするやり取りも大体同じである。

 流れていく時の中で、この光景は変わらないな、と思ったが訂正。

 今は生涯を誓った『パートナー』がお店を手伝っている。十分に変化はあった。

 

「今ので、届いてた取り寄せ品は全部か?」

「ん、そーね、あれで終わり」

「じゃ、一休憩といきますか」

 

 この時期にしては、暑い気温でよく晴れた空の下。

 羽依里が、店先のベンチに腰を下ろし、その隣の空いたスペースを左手でポンポン、

と叩いて、座るように、とアピールしてくる。

 

「まって、冷たいお茶でも持ってくるわ。暑いでしょ?」

「サンキュー、未来の奥さん」

「未来の旦那さんの為なら、お安いご用よ、えへへ」

 

 店の奥まで、麦茶を取りに行く。

 あたしとあいつの会話はいつもこう。

 こんな風に、あたしが一方的に赤面する結果になることが多い。

 サラり、と格好良い台詞が言えるところも(噛むことが多いけど)お気に入りで、

そんな彼からの、日常の中で贈られる愛にドキドキさせられてばっかり。

 ガラスのコップを二つ取り出し、冷蔵庫から出した専用の容器に入っている、麦茶を注ぐ。

 暑いから、氷も多めに入れておこう。

 大き目の氷が、涼しげな音を立てて、茶の海に沈んでいく。

 一足早い、夏の音楽。

 もう五月か…。

 

* * * * *

 

「おまたせ~、はい、あんたの分。冷たいわよ~」

 

 お盆に乗せて運んできた、コップを差し出す。

 

「ありがとう。お、和菓子もある!」

 

 甘いものを見つけて、子供のように目を輝かせている。

 彼のその反応を見て、内心にやにや。

 

「お婆ちゃんが、用意してくれていたみたい、二人で食べて、だって」

 

 彼の隣に、座る。

 ピッタリ、とではなく、ほんの少しだけ離れるのがポイント。

 そうすると、肩に寄りかかりやすいから。ふふ。

 

「あの人にもお世話になりっぱなしだなあ」

「たまには何かお礼をしてあげたいわね」

「だな」

 

 駄菓子屋でのバイトがなければ、今こうして羽依里と二人で座っている事も、無かったかもしれない。

 数奇な運命の選択肢の先に、あたし達はいる。

 もし、他の選択肢が選ばれていたら、羽依里の隣に居るのは別の女の子で――

 いや、そんなことを考えるのはやめとこう。

 思考を放棄し、麦茶を一口飲み込んで、体重を彼の肩に預ける。

 ゴツゴツしてて、頼りがいのある、肩。

 女性の自分とは違うそれに寄りかかると、凄く落ち着く。

 そういう心を落ち着ける効果のある香りでも、放出してるのかもしれない。

 

* * * * *

 

「あ、あの!」

 

 唐突に、やけに幼い女の子の声がした。

 羽依里の肩にもたれかかって夢心地だったが、すぐに覚醒。

 お客さんなら接客をしなくては。

 羽依里も一緒に寝ていたらしい、がこちらはまだ夢の中。起きる様子はない。

 

「いらっしゃいませー…?」

 

 その子は島民ではなかった。

 こんな時期に観光にくるのも珍しい。

 それも一人?

 親子さんと逸れたのだろうか。

 あたしと同じぐらい、長いストレートの髪を風に靡かせながらも、こちらを見つめる両の瞳は綺麗な碧色。

 数日前に見た、流星の尾の色を思い出す。

 

「そ、その…」

 

 なにやら後ろ手で、もじもじとしている。

 何か持っている?

 

「えと、どうしたの? お母さんは?」

「ぁう……お母さん…は…その、いまは…居ないです…」

「あー、そうみたいね。それじゃ、駄菓子買う?」

「駄菓子は『今は』まだいいです」

 

 なんだか不思議な雰囲気の子だ。

 その言葉は、少し後、とかではなく、かなり先の『未来』を指しているような印象を受けた。

 

「その…こ、これを…」

「…? ありがとう」

 

 女の子が持っていたのは、青いカーネーションの花束だった。

 

「えへへ…今日は母の日なので…」

 

 今日は母親に感謝の気持ちを伝える『母の日』だった。

 実は、あたしと藍も、お母さんへ渡すカーネーションを用意していた。

 が、しかし、見ず知らずの女の子に貰う日ではない気がする。

 

「渡す相手間違ってない?」

「いえ! あってます! もらってくだひゃい!」

「………いま噛んだ?」

「ぁう………うぅ…」

 

 なんだかこの雰囲気、隣で寝てる彼に似ている気がする。

 羽依里相手なら、迷わず追撃するが、相手は子供。

 深追いはしないでおく。

 

「そ、それでは、わたしはこれで失礼いたします」

 

 踵を返し、足早に立ち去ろうとする。

 中々に自由な子だ。

 

「あ、まって――」

 

 小さな背中が振り向き、記憶に残る笑顔をこちらに向ける。

 距離が離れて、一声。

 

「お母さん、いつもありがとう、そして待ってます」

 

 はっきりと、そう聞こえた。

 そして、その言葉を最後に、あたしの視界も暗くなっていった。

 

* * * * *

 

「おーい、蒼~もう夕方だぞ~」

 

 羽依里の声が脳内に響き、覚醒する。

 気付いたら、寄りかかっていた羽依里の肩はそこになく、ベンチに横になって眠っていた。

 しかも、ご丁寧にあたし専用の毛布まで敷かれている。

 どこまでも優しい彼の対応にほっこり。

 

「ん、おはよ、羽依里…ってあれ?」

「どうしたの」

「小さい女の子が…あ、カーネーション……」

 

 青い花束も一緒に寝ていた。

 ここにあるということは、夢じゃなかった?

 

「それ、俺が起きたときには、蒼が腕で抱えてたけど?」

「貰ったの」

「誰に」

 

 嫉妬気味に、羽依里が訊いて来る。

 それだけで、彼に想われているってことがよく分かる。

 でもこれは仕方ないだろう。

 

「あたし達の娘に、よ。ふふ」

「まったく訳が分からん…」

 

 碧色の瞳の少女。

 まだ、もう少し先だと思うけど、待ってて。

 未来に会う娘に言葉を贈る。

 もう一度、その子に会う日を夢見て。

 流星の軌跡が叶えた一時の奇跡。

 コップの中にあった氷は、全て、すっかり水になっていた。

 

 

 

【貴方にカーネーションを -空門 碧羽- 終わり】

 



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突き刺さる藍色の視線-羽依里の誕生日前日-

5月21日は鷹原羽依里くんの誕生日です!


 すれ違う多くの人々、行きかう車の音。

 島にはない、ちょっとだけ騒がしい都会の風景がそこにはあった。

 

「なあ、蒼…」

「んー? どうしたの?」

 

 急に止まった俺に、反応し、隣を歩く蒼がこちらを向いて同じく止まる。

 いつになく真剣な声色のせいか、蒼の表情も引き締まる。

 華奢な腕を引いて、体をやや強引に引き寄せ、耳元に唇を持っていく。

 この間、僅か一秒。

 耳たぶに触れるか、触れないか、ギリギリの位置まで辿り着き、声を発しようとするが――

 

「えっ、ちょ、こ、ここで!? 家に帰るまで我慢しなさいよ!」

 

 きっと頬は真っ赤染まっているであろう蒼が、先に耳元で叫ぶ。

 

「…あー、そういうのじゃないから…」

「じゃ、じゃあ…なによ…」

 

 若干、気落ちしたような印象を受ける。

 いくら俺でも、こんな街のど真ん中で発情したりはしない。

 ………。

 発情したり…しない…!

 本題に戻る。

 

「後ろからすごーい、視線を感じるんですけど…」

 

 背後に視線を向けると、視界の端、電柱の影…あれで隠れているつもりなんだろうか。

 蒼の双子の姉である、空門藍の姿があった。

 見た目が美少女でなければ、確実に不審者である。

 いや、美少女であっても、あの行動は不審者に該当するが。

 

「藍は、お目付け役だから、気にしなくていいわよ~」

「なんで、本土に一緒に行くとき、いつもついて来るんだよ!」

「あたしと、羽依里に危険が及ばないように?」

「あー、一応俺も守られる側なのね…」

 

 向こうにいる藍も、別に存在を隠すつもりはないようで、むしろ、蒼と一緒に居る俺に対して「羨ましいです、羨ましいです、そこを代わってください!」とでも言いたそうな表情。

 あ、いま、下まぶたを引き下げて、舌を出してる。

 あれは「あっかんべー」って絶対言ってる。

 アイツ、小学生かよ!

 

「とにかく! 気にしなくていいから、いきましょ!」

 

 組んだままの右手を引かれて、再び歩き出す。

 後ろから突き刺さる、強烈な視線に耐えながらも、手の握りを恋人繋ぎに切り替える。

 

「あっ…」

 

 後ろにいる藍に、ラブラブっぷりを見せつけてやろう。

 蒼の柔らかく、しなやかな指に、俺の指を絡ませていく。

 拒まれることなく、そして逆に向こうからも絡み付いてくる。

 愛する人の確かな感触を感じつつ。

 雑踏の中を、二人でゆっくりと歩いていく。

 で、これから何処にいくの?

 

* * * * *

  

 数分歩き、辿り着いた場所はアクセサリー専門店。

 高級感溢れるお店の様相だが、目的地はここなんだろうか。

 

「ここね!」

「マジで…」

「マジよ」

 

 蒼が店の中へと入っていくので、一緒に入ろうとする。

 

「あんたはここで待っててね~」

「ええ…どうして」

 

 組んでいた手が離れ、『待て』のサインが出される。

 え、飼い犬扱い?

 

「そりゃ、あんたの誕生日プレゼントを受け取るからよ」

「プレゼント…それなら俺、ついて来ないほうが良かったんじゃ?」

「いいのいいの! 予想はついても、何がくるかは分からないでしょ?」

「何かしらのアクセサリー、だろうな」

「ふふ、それは明日のお楽しみ~、じゃあ、行ってくるわね」

「待ってるよ」

 

 手を振って、蒼が店の中へ消えていく。

 さて、その間、暇だ。

 周囲に目を向ける。

 俺達と似たように、手を握って歩くカップル。

 腕まで絡ませて歩くカップル。

 腕まで……か。

 帰り道の楽しみが一つ増えた。

 

「『俺も帰りは蒼と、あんな風に腕を絡ませて歩きたいな…』ってとこですか」

「!?」

 

 さっきまで、電柱から、俺達を監…見守っていた不審者――

 いや、藍お姉様が隣まで来ていた。

 

「は? 誰が不審者ですか?」

「心の中まで読むのやめて…」

「おっと、これは失礼」

 

 自然と、こちらの心の中まで覗き込んでくるスーパーお姉様は、ショーウィンドウ越しに店内を見ているようだ。

 

「蒼ちゃんはこの中で何を?」

「俺への誕生日プレゼントを受け取って来るんだとさ」

「ああ、そういえば、明日は羽依里さんの誕生日でしたね」

「そうなんです、明日は誕生日なんです、プレゼントください」

「フッ…」

 

 鼻で笑われた!?

 少しテンションを下げつつも、話を続ける。

 

「藍さ~ん?」

「私はもう準備済みですので。そういうことです」

「おお~!」

 

 意外としっかり用意してくれているみたいだった。

 

「蒼ちゃんが戻ってきたみたいなので、私はこれで」

「え、あ、はい」

 

 凄いスピードで、電柱の影に隠れに行く。

 藍の走ってる姿は、初めて目撃したかもしれない。

 別に、一緒に居れば良いのに。

 よく分からないプライドがあるんだろうか。

 彼女はまた不審者モードへと移行した。

 

「羽依里~お待たせ~!」

 

 ドアベルを鳴らし、蒼が店から出てきた。

 手には小さな箱。

 あの中に、プレゼントが入っているのだろうか。

 

「それプレゼント?」

「明日渡すからね~」

「気になるなあ…」

「明日まで我慢しなさい」

 

 プレゼントはショルダーバッグに収まっていく。

 目的は達したみたいなので、来た道を逆に進んでいく。

 自然と手を握ろうとするが、先ほどのカップルを思い出す。

 

「蒼、腕を…」

「あっ、うん…」

 

 互いの腕を交差し、さらに手は恋人握りで絡ませる。

 往来の中で出来る精一杯のイチャつき。

 別に競うつもりはないけれど。

 それでも、俺と蒼の仲は、どのカップルにも負けないぞ、と。

 背後から突き刺さる、意外と優しい視線の主にも見せ付ける。

 誕生日前日。

 ちょっぴり恥ずかしい思いをしつつも、また一歩進んだ俺と蒼。

 さて、箱の中身は何だろうな。

 小さな子供みたいに、やたらとワクワクする一日だった。

 

 

 

【突き刺さる藍色の視線-羽依里の誕生日前日- 終わり】



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渡り鳥の辿り着いた未来-羽依里の誕生日-

鷹原羽依里くんお誕生日おめでとうございます!
こうして、お誕生日のお祝いが出来ること、とても嬉しく思います!


 ケーキに立てられたロウソクの灯りだけが照らす空間。

 その火を、息を吹きかけ、消していく。

 最後の一本が消えた瞬間、静寂になり――

 

「「「「「「お誕生日おめでとうーーーー!」」」」」」

 

 店の照明が戻り、何発ものクラッカーの音が食堂に鳴り響いた。

 

「あ、ありがとう…!」

 

 人差し指で右頬を掻きながら、声を出す。

 皆に見られる中で、感謝の気持ちを伝えるのは、少し気恥ずかしい。

 島に最初に来たときの歓迎会を思い出す。

 もうあれから約二年。

 『渡りの人』と歓迎されたあの時とは、随分と状況が変わったよなー、と周囲を見渡す。

 蒼、のみき、良一、天善、が居るのは変わらず。

 それに加えて藍、カウンターの反対側には、しろはも居る。

 特に変わったのは、しろはだろうか。

 誕生日のパーティーをここで行うのが決まったとき、真っ先に、料理担当として名乗り出てくれた。

 その能力を十二分に発揮し、テーブルには、美味しそうな品々が、所狭しと並べられている。

 

「もー! そんなに照れることないでしょうに!」

 

 当然のように隣の席に座ってきた、蒼が肩をぶつけてくる。

 

「いってえ! 仕返しだ!」

 

 無防備な腰を両手でくすぐる。

 

「あ、ちょっと! く、くすぐったいわよ! こ、こらー!」 

 

 唐突の刺激にあっさりと敗れ、体をくねらせる蒼。

 ついつい、二人っきりのときのノリで、熱くなってしまう。

 

「ほらほら、ここがいいのかな~?」

 

 慣れた手つきで、無防備な腰を擦っていく。

 

「あー、鷹原…それぐらいにしておいたほうが…」

「おーい、羽依里、後ろ後ろ…」

 

 のみきと良一のこちらを心配する声。

 

「…へ?」

 

 振り向けばそこに"ヤツ"がいた。

 

「『私の』蒼ちゃんに何をしているんですか?」

「………あ、あははー!」

 

 笑ってごまかしてみる。ダメかな。

 

「藍~! 助けて~!」

 

 蒼は、さも当然のように、藍の広げた腕の中へ、逃げ込んでいく。

 

「蒼ちゃん、もう大丈夫だからね。…羽依里さんには、あとでお話がありますから」

「ええ~…」

 

 赤子をあやす様に、蒼の背中を撫でつつも鬼の形相。

 いや、その子、俺の彼女なんですけど…。

 

* * * * *

 

 藍のお話をたっぷりと聴き、蒼を無事、俺の隣に返してもらったあとは、みんなそれぞれ、料理を食べつつ談笑。

 

「あ~、確かに…歓迎会以来よね、こうやって集まったのって」

「だろ? 妙に懐かしくてさ。あの時は、まだ名前も知らなかったっけ」

「六波羅探題と平将門とか言い合ったわね…!」

 

 過去の出来事を、しっかりと覚えていた蒼が、人差し指をピン、と立てて答える。

 

「そうそう! 思えば、ほぼ初対面の女の子相手に、よくあれだけ喋れたなーって思う」

「女子に免疫がないって言っておきながら、今じゃアレだから信じられないわね~」

「アレ…?」

 

 向かいに立つ、怪訝そうにしろはが訊いて来る。

 

「あ、あー! えっと…その…あ、アレよ…」

 

 この場で言うのはまずい、ということに気付いたのか、言葉を詰まらせる。

 

「…蒼は羽依里と付き合って、余計にエロくなったね…」

「エ、エロちゃうわ! って否定できないあたしがいるーーー!」

 

 しろはにまで言われる始末。

 もはや俺と蒼の関係は島全体の周知事項だった。

 

 話を変える為に、目の前の料理に手を伸ばす。

 

「しろはの料理は、お店の味だな…うめぇ」

「ん~~おいしっ! これには勝てないわね」

「蒼だって料理、してるんでしょ?」

「まぁ、こいつのために、頑張ってるけどね~」

 

 今度は肘で小突かれる。

 腰を的確に狙ってる気がするのは、先ほどの仕返しか…?

 ここで、また反撃すると、『お姉様』の厄介になるため我慢。

 

「蒼の料理は、毎日食べたくなる家庭の味だから!」

「フォローありがと、しろはの料理は別格だから気にしてないわよ~」

「ふふ。やっぱり二人、仲睦まじいね、ちょっと羨ましい」

 

 俺達を見る、しろはの優しい笑顔。

 相変わらずぼっちを貫いているようだが、やっぱり少し変わったな、と時の経過を感じる。

 

* * * * *

 

「いや~羽依里もすっかり、島民だよな! な!」

 

 いつの間に脱いだのか、普段通りの格好になっていた良一に背中を叩かれる。

 

「うむ。今では鳥白島の卓球神として尊敬している」

 

 反対側から肩に手を置かれる。

 天善からは、よく分からない尊敬のされ方をしている。

 

「自分でも、まさかここに居着くことになるとは思わなかったよ」

「そして~! あの蒼と、めでたく付き合い始めるとは、やるなっ! この、このっー!」

「あたしも、こいつと、ここまで仲良くなるとは、ちょっと思ってなかったわね」

「だが、歓迎会のときの二人は、既にかなり仲が良さそうに見えたぞ」

 

 過去の話で盛り上がっていく。

 

「だな! 確か、最初はー…」

 

 良一が思い出せそうで、思い出せない! という表情をする。

 

「行きずりの関係」

「そう! それ! 行きずりの関係だっ!」

 

 後ろで、聴いてた藍から助け舟。

 え、なんでそこまで知ってるの!?

 

「私が寝てるのを良いことに、蒼ちゃんを好き放題にしてくれましたね」

「あ、その節はどうも…」

「いえいえ、こちらこそ蒼ちゃんが御迷惑を…」 

「「って、ちっがーーーう!」」

 

 あの時、蒼と息ピッタリだったやりとりを、何故か藍と行う。

 

「それ、あたしのネタなんだけど…藍のキャラが最近、おかしいわ…」

「蒼ちゃん、これ、結構楽しいね」

「藍が楽しいなら、まぁ、良いんじゃないかしら!」

 

 そんな、島の仲間達と会話をしていると、自然と、笑みが零れてくる。

 『偶然』行き着いた、小さな離島。

 でも、そこで不思議な蝶を探す少女に出会ったのは、必然だったのかもしれない。

 運命の歯車は、からから、と廻り。

 歯車同士が組み合わさって、連動していく。

 さしづめ俺は……

 『翼を取り戻した渡り鳥』といったところか。

 決まった………。

 しばらく感傷に浸る。

 

「お~い! 羽依里~?」

 

 頬っぺたを指でつんつんと突かれて我に返る。

 可愛い指で突いていたのは蒼だった。

 

「蒼…ありがとう…」

 

 目の前に居た最愛の彼女を、抱きしめる。

 

「ど、どうしたのよ、急に」

「誕生日、祝ってくれるの嬉しくて」

「うん」

「あの夏のこと思い出してた」

「うん…」

「今こうして、蒼を腕に抱けるのが幸せで」

「うん………」

「まだまだ、頼りないだろうけれど、これからも、よろしくな」

「羽依里っ!」

 

 感極まったのか、蒼から唇を重ねてくる。

 皆に見られてるぞ、と返すこともなく。

 こちらからも、押し付ける。

 想いと想いが優しくぶつかり合う。

 触れた唇の味は、ちょっぴり涙の味がした。

 

* * * * *

 

 誕生日のパーティーがお開きになったあと。

 家までの帰り道を蒼と二人で、ゆっくりと歩いていく。

 皆、気を利かせて二人っきりにしてくれる辺りが、島の優しさだ。

 

「ね、羽依里。今日は楽しかった?」

「最高に楽しかったよ、ありがとう」

「ふふ。やっぱり笑ってるあんたが一番格好良いわね」

「そ、そう?」

「今日一日で、また一段と好きになっちゃったかも」

 

 少し駆け足で前を行き、こちらに振り返る蒼。

 

「ここらでプレゼントを渡してくれると、最高にロマンチックなんですけど?」

「今、そうしようと思ってたのに、何で先に言っちゃうのよ、もー!」

「蒼の考えること、分かり易すぎるんだよ。パーティー中に渡してくれないから、どうするのかと思ってた」

「こっちきて~」

 

 月明かりが照らす、田舎道。

 気付けば、蒼のお昼寝スポットに辿り着いていた。

 そこは、俺達の始まりの場所だった。

 俺はここで――

 眠っている彼女に出会った。

 でも、今、その彼女は俺の目の前で、しっかりと瞳を開けていて。

 小さなプレゼント箱を掌に持っていた。

 

「羽依里、お誕生日おめでとう! 愛してるわよ!」

 

 その言葉に乗せて、箱が手渡される。

 

「ありがとう! ここで、開けても良い?」

「もちろん! ささ、開けちゃって!」

 

 高級な包み紙を解き、箱の蓋を開ける。

 緩衝材が詰め込まれた中。

 月光を受けて煌く、銀のネックレスが入っていた。

 

「あんたは素材は良いんだから、もうちょっとお洒落しなさい! 自分の彼氏には格好良くなってもらいたいもの!」

 

 箱から取り出すと、ネックレスのトップには槌目模様が刻まれていた。

 シンプルで中々、飽きがこなさそうな良いデザインだ。

 

「おお~! 男用?」

「うん。メンズネックレスね! つけてあげる!」

 

 蒼に手渡し、首につけてもらう。

 至近距離で感じる息遣いに、少し興奮を覚える。

 

「できた~! 似合ってるじゃない! 素敵よ」

「もしかして、俺に惚れちゃった?」

「惚れてるわよ。知ってるでしょ?」

「ああ」

「ふふ…」

 

 疑問には疑問で返す。

 何度も行ったやりとりだ。

 

「じゃ、帰りましょうか」

「そうだな」

 

 『あの夏』からもうすぐ二年。

 これが俺と蒼の辿り着いた未来だ。

 そして、それは、これからも永遠と続いていく。

 羽は依り添い、里へと帰る。

 

【渡り鳥の辿り着いた未来-羽依里の誕生日- 終わり】



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あの日、宛てた恋文-キスの約束-

キスの日・ラブレターの日と聞いて思い浮かんだお話です。
オリジナルキャラですが、羽依里と蒼の娘である、空門碧羽(あおば)ちゃんをよろしくお願いします。


 部屋の整理をしている最中に、古い箱を見つけた。

 箱には、『2002/5/23 H&A』と、かなり昔の日付。

 それと多分、お父さんとお母さんの名前、かな?

 

「ねぇ、お母さん~? これ、なぁに~?」

 

 一緒に、整理をしていた、お母さんに訊いてみる。

 

「どれどれ~見せてみなさい…あ、これ…」

 

 箱に書かれた文字を見て、分かったのだろう。

 お母さんは過去の出来事を想い出したのか、急に満開の笑顔になる。

 それだけで、お父さんとの素敵な想い出が詰まっていることが分かった。

 だから、無理に、それ以上、訊こうとはしない。

 だって、私は、いつまでもラブラブな二人のことが大好きだから。

 大切な想い出は、二人だけのものであるべきだと思うから。

 でも、そんな私の心はお見通しなのか、お母さんは言葉を続ける。

 

「碧羽(あおば)は、あたし達の大切な娘なんだから、良いのよ。それにこれ、すっごい面白いんだから!」

「いいの!? じゃあみたい!」

 

 何やら面白いものが入っているらしい。私の心も弾む。

 

「開けるわね~!」

 

 お母さんが箱の蓋を取り外す。

 中には一切れの布が入っていた。

 何かが大切に包まれているようだ。

 ゆっくりと包みが解かれる。

 そこにあったのは、真っ赤なハートのシールで封がされている二通の封筒だった。

 

「あっ! もしかしてラブレター?」

「そうなのよ! 五月二十三日って『ラブレターの日』らしくてね。昔、お互いに書いたの。何十年かしたらまた開けようってね、今日の今日まで忘れちゃってたけど」

「中身は!? ね、中身は~!?」

「慌てない慌てない、いまみせてあげるから」

 

 封を外し、綺麗な状態のまま入っていた折りたたまれた便箋が出てくる。

 それを広げて、お母さんは一目見ると、また、クスクス、と笑う。

 

「一応ラブレターなんだけど、もう付き合った後だから、別に告白とか、そういう内容じゃないのだけれど、ほら」

 

 受け取った二枚の便箋に目を向ける。

 そこには、想像以上に短い文章と、二人の名前が。

 

 『貴方の事を愛しています

  この手紙、読んだらキスしましょう』

 

 まったく。一言一句同じ文章が書かれていて、私も笑ってしまう。

 

「笑っちゃうでしょ? それ、別に示し合わせた訳じゃないのに、まったく同じこと書いてたのよね~」

「お母さん、すごい嬉しそうな顔してる」

「昔のこと、想い出しちゃってね」

「あ、でも、お父さん居ないときに、見ちゃって良かったの?」

「書き終わった後に、お互いの見てるからいいのよ。まあでも、帰ってきたら見せてあげますか!」

 

 お父さんの事を考えてるときの、お母さんの顔はいつも幸せそう。

 お父さん、帰ってきたら、これを読んで、赤面するかもしれない。

 いつまで経っても、恥ずかしがり屋さんだからね。

 でも、その後、私の居る目の前で、お母さんにキスしちゃったりして…!

 そしたら、お母さんは手をバタバタして、もがきつつも、また笑顔になると思う。

 鳥白島一番のラブラブ夫婦。

 私、空門碧羽はその一人娘として、大切に育てられてて、とても幸せです!

 

 

* * * * *

 

 

「あ、そうだ、藍ちゃんに報告しよっと…」

 

 スマートフォンを操作し、伯母に、今日の出来事をメッセージアプリで送る。

 即座に、既読マークが付く。

 そして、自身がデザインして販売しているらしい、スタンプが帰ってくる。

 グッジョブ、と。

 

 

【あの日、宛てた恋文-キスの約束- 終わり】



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夫と娘と『蒼』の瞳-主婦休みの日-

島モンにて頂点を極めると加藤家の呪われた力から開放されるようです。


「碧羽~! こっち終わったぞ~!」

「はーい! …って、お父さん! たたみ方雑っ! お母さんのお洋服はね、こうやって、丁寧にたたむの!」

 

 あたしの目の前で、羽依里と碧羽が洗濯物をたたんでいる。

 あたしは、それを眺めているだけ。

 ぐでーっと、テーブルに突っ伏しながら二人を眺めている。

 時折、そばに置いたコップから麦茶を飲む。

 五月だというのに、妙に暑いからか、冷たいお茶が美味しい。

 しかし、暇だ。することがない。

 

「ねえ、本当にあたしは何もしなくていいの~?」

「蒼はのんびりしてくれてていいから」

「お母さんは休んでてね」

 

 二人に言われてしまうと、さすがに無理に手伝うこともできない。

 

 今日は五月二五日、『主婦休みの日』という、主婦が家事を休み、リフレッシュに充てたり、子供やあまり家事を行わない夫が、家事にチャレンジする日だ。

 

 と、言っても、うちは二人で駄菓子屋をやってるわけで、所謂共働き。

 家事に関しても、昔からだが、羽依里とは分担して行ってきた。

 今更、わざわざ、あたしだけ休まなくても、良いとは思うんだけれど…。

 

「お父さん~! これも、やり直し! お母さんに教わってたんじゃなかったの?」

「え~… 蒼はこれで良いって言ってたんだけどなあ…」

 

 羽依里がこちらに視線を送ってくる。

 

「お母さん?」

「え、あ~…あはは…ごめんなさい! あたしもそうやるかも!」

「もう、二人して!」

 

 碧羽は、しっかり者だ。

 礼儀正しいし、頭の回転も速い。お店を手伝ったり、家事を手伝ったりもしてくれる。

 初めての子供だったから、探り探りの育児だったけど、あたし達の愛の結晶は、立派に成長してくれているみたい。

 

「それ終わったら、夕飯の支度しましょうか」

「するー! ほら、お父さん! 次は料理だよ!」

「へへっ、お父さんに任せな! 昔は酷かったが、今じゃバッチリこなすぞ!」 

「心配だなあ。お父さんの家系って『料理が出来ない呪い』がかかってるんじゃなかったっけ?」

 

 碧羽は、あたし達のことを本当に良く知っている。

 

「あ、その呪いはね…実は解けてるのよ」

「え、そうなの?」

「まぁね~、でしょ? 羽依里?」

「その話はご飯のときにしてあげるよ。まずは夕飯作ろうぜ」

「聞きた~~い! 絶対だよ?」

「可愛い娘のためとあらば、必ず」

「やったぁ…えへへ!」

 

 夫と娘が笑いあう。

 そんな二人を見ていると、あたしも一緒に混ざって笑いたくなる。

 せっかくの休みの日の趣旨は崩れちゃうけど。

 家族三人で仲良くしたいものね。

 それにアイツに料理を任せるのも、ちょっと不安だし!

 

「やっぱり、あたしも手伝う~!」

 年季と変な染みの入った、お気に入りのエプロンを取り出して伝える。

 

 

【夫と娘と『蒼』の瞳-主婦休みの日- 終わり】



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『ソラ』の音を響かせる-立てた小指-

楽器の日 をテーマにしました。
Twitterもやっています @chekinu_


 梅雨入りは発表されたはずなのに、うだる暑さが続いていた。

 照りつける日差しはアスファルトを焼き、喉に渇きを感じさせる。

 いつもの田舎道を、あたしと羽依里は歩いていた。

 特に何も決めず、ただただ、島の中を二人で散歩する。

 彼は「え、それでいいの?」って言ってくれるけど、あたしには『それでも』楽しく思えちゃうから仕方ない。

 つまるところ、恋人と一緒なら何をしていても、楽しくなってしまうみたい。

 いつも、デートプランを、真剣に悩んで考えてくれる、羽依里も好きだけどね。

「ね、それなに?」

 羽依里は繋がれていない右手に、黒いレザーポーチを持っている。

 この間、実家に帰った際に、持ってきたらしく、あたしはまだ中身を見せてもらっていない。

「いつもの場所に着いたらみせるよ」

「少なくとも、衣類ではないでしょうけど」

「そっちについては、また今度な」

「…別にそっちは期待してないわよ?」

 何かと理由をつけて、あたしに洋服をプレゼントしてくる羽依里。

 因みに、その殆どが、衣類としての本来の役目は、果たした事がない。

「期待してはいないけど、嬉しいと」

「ま、まぁ…何にせよプレゼントは嬉しいし」

「次はどんなの選ぼうかな」

「ったくもー…」

 クローゼットへの新しい入居者はどんな子になることやら。

 そんな話をしながら『いつもの場所』へ向かう。

 

* * * * *

 

 葉の間から降り注ぐ、僅かな太陽の光。

 風に吹かれ、宙を舞う、緑の葉。

 その木の下は、あたしのお気に入りのお昼寝スポット。

 彼と初めて出会った場所もここだった。

 色々な想い出が詰まったこの場所に、デートで訪れるのも中々感慨深い。

 あたしは白いワンピースの裾を払い、いつもの場所へ座り込む。

 羽依里はその隣に座ると思いきや、後ろへ回り込み一言。

「髪、結ってもいい?」

「え、うん、いいけど?」

 デートだから、といつもの髪型ではなく、今日は髪は結わず、下ろしている。

 でも髪留めは持ってきていないし…あ、何故か彼の白い上着のポケットから出てきた。

「…いつも持ち歩いてるの?」

 問う視線を向ける。

「彼氏の嗜みだから」

「どんな嗜みよ! あんたのポケットが気になるわ…他にも何か隠してないでしょうね?」

「あとは思い出ばっかり詰まってるよ」

「…? まぁいいわ…」

 不思議なポケットについては、また今度確認しよう。

「じゃあ、失礼してっと…」

「あっ……」

 彼の指が、あたしの髪に触れたのを『感じる』

 ちょっと、こそばゆくて、でも嬉しい、そんな気分。

 毎回、お風呂場で洗ってもらっている時とは、違う感覚。

 無骨な男性の指が、髪をまとめていく。

「えーっと…」

 戸惑う彼の声色に少し心配になり、後ろを振り向く。

 口を半開きにしつつも、真剣な表情の羽依里。

 間抜けな姿とのアンバランス具合に、思わず笑いがこみ上げてくる。

「どうしていいか分からなかったら聞いてね?」

「あ、ああ」

 しばらくの間、羽依里の奮闘は続いた。

 

* * * * *

 

 羽依里に髪を結ってもらったあとは、肩に寄りかかり瞳を閉じる。

 視覚情報が遮断されることで、辺りの『音』がより強く感じられる。

「このままお昼寝する?」

「もうちょっと起きていたいかも」

「それなら、コイツの出番かな」

 持ってきていた、レザーポーチのファスナーが開く音。

 中に入っている何かを取り出したようだ。

「そのまま目は閉じてていいよ」

 開こうとした寸前で、彼に止められる。

 それなら、と従い、瞳は閉じたままにしておく。

「まぁ、見たかったら見ていいけどな」

「わかったわ」

 それだけ言うと、静寂が訪れる。

 ふと、羽依里が息を大きく吸い込むのを感じた。

 周囲に流れ出したのは、楽器が奏でる、耳に心地良い音。

 聞いたことのないメロディだけど、妙に心に響く。

 思い浮かべるのは、蝶を追いかけた記憶。

 藍を目覚めさせる為に、奔走した夏の日々。

 そして眠ってしまうことへの不安。

 羽依里がいることで、安心したあたしの気持ち。

 色々な感情・記憶が、音楽にのせて流れてくる。

 瞳を開くと、羽依里は羽依里で目を瞑っていた。

 優しい顔。

 手には、青色のオカリナが握られていた。

 塞ぐ穴を変えるため、小刻みに指が動く。

 繊細な動きに、呼応するかのように、楽器からも、澄んだ空に響く音色が放たれる。

 『ソ』の音を出すときに、ぴくっと立ち上がる小指が可愛らしい。

 そんな良く分からない感想を抱いているうちに、彼の演奏は終わった。

「凄い素敵だったわ…何の曲?」

「蒼『の』想いを綴った曲」

「いつの間に作ったのかしらそんな曲…」

 どうやら、あたしの感じていたのは間違いではなかったらしい。

「曲名は?」

「蒼に素敵な名前を付けて欲しいな」

「考えておくわ…」

 梅雨に差し掛かる空を見上げる。

 そこでは、二羽の鳥が互いにその翼を並べ飛んでいた。

 

 

 

【『ソラ』の音を響かせる-立てた小指- 終わり】



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蝶を追い、君を見つけた-父の日-

劇中にある設定で、蒼と藍のお父さんは七影蝶については信じていない、という言葉がありましたが、実は見えていた。
だったらいいなーという妄想でした。(ただ、それだと蒼の「光る蝶をみた」に対して肯定してないとおかしいのであまり深く突っ込まないでください!)
お二人は公式設定で名前がないですね。お名前募集したいです。


「お父さん、はい! あたし達からのプレゼントよ」

「父の日のプレゼントだからね。いつもありがとう、お父さん」

「二人揃って、プレゼントを渡してくれる日がくるとは・・・ありがとう・・・」

「ちょっと! 貴方、泣かないでくださいよ、もう」

 六月十六日。

 父の日をこうして、家族四人で過ごせることに感動を覚える。

 子供の頃から何年もの間、ベッドの上で眠っていた娘の藍。

 そして、藍の目覚めと入れ替わるかのように、眠りについた娘の蒼。

 二人の娘が同時に瞳を見開き、再び祝ってくれる。

 この平和を齎してくれたのは、島外からやってきた『彼』のおかげだと訊いている。

「だって……二人揃ってなんだぞ…これが嬉しくないわけあるか」

「お父さんって、羽依里みたい」

「確かに、羽依里くんと、この人って似ているわね」

「お父さんも夏に島にやってきて、お母さんと会ったんだよね?」

「そうよ。この人も『渡りの人』でしたからね」

「…まぁな」

 昔のことを思い出す。鳥白島にやってきた時のことを。

「ねぇねぇ! 二人の馴れ初め聞かせて!」

「私も気になる」

 二人の娘に挟まれ、せがまれる。

 向かいに座る妻にアイコンタクト。

 話してあげてもいいんじゃない? と瞳で返事が返ってくる。

「では、話そうか――あれはもう二十年以上前のことだ」

 

* * * * *

 

 その年は特別に暑い夏だった。

 八月の上旬。私は大学の夏休みを利用して『珍しい蝶がいる』という情報を追いかけ、とある離島を訪れていた。

 その島は、外からやってきた私のことを『渡りの人』と歓迎してくれ、暖かく迎え入れてくれた。

 泊まる場所は、役場に連なった宿舎。狭い寝床だったが、自らの研究で来た身。屋根のある場所で眠れるだけでありがたい。

 食堂は島に一軒しかなかったが、営んでいる若い夫妻はとても仲睦まじく。また、振舞われたチャーハンの味は、一度食べたら忘れようのない、衝撃的な感動を齎す、素晴らしく美味しい味だった。

 

 島は一日あれば、ぐるりと周れてしまえるぐらいの広さ。

 とはいえ、自然の一つ一つに目を向けていれば、あっという間に時間は過ぎる。

 旅の目的は蝶の観察だったが、島に伝わる風習や、それこそ景色なども興味深く、飽きが来ることは一切ない。

 本土へは島で行われるという、八月下旬の『海の祭事』を見た後に帰ろうと思っていた。

 

 島の駄菓子屋に立ち寄る。

「かき氷、お一ついただけますか」

「100万円だよ」

 100円のところを、100万円と言い、相手を驚かせるノリか。

 都会では中々味わえない、田舎の雰囲気にほんわか。

 財布から100円玉を取り出し、店を受け持つ女性に手渡す。

「あと99万9900円足りないよ」

「え、えっ…?」

「これはこの店の鉄板ネタだよ。100円でいいさ。味はどれにするんだい?」

 様々な色のシロップ達が入った容器を指差し、訊ねられる。

 見上げた島の綺麗な『蒼穹』を連想させるブルーハワイ味を指定する。

「味はどれも一緒だけどね」

「おおー! それも鉄板ネタってやつですね?」

「色とかで違って思えるだけで、味が一緒なのは本当だよ」

「なんと…初めて知りました…」

「はいよ、ブルーハワイ味」

 てんこ盛りのさらさらした氷の上から、流水の如く螺旋を描いて味付けられた、かき氷を渡された。

 土地の雰囲気も合わさり、美味しさが特別なものとなる。

 口の中のシャリシャリとした心地良い食感。冷たさにより引き起こされるアイスクリーム頭痛。

「っくー…冷たい」

 

 かき氷をたっぷりと味わった後はまた散策。

 島の反対側の港まで向かう田舎道の途中。

 少し逸れたところに、ぽつんと一本、ちょうどよく寄りかかれそうな大きな木が立っていた。

 散策をと思っていたが、デザートを食べた後の休憩、ということで早速、私は木の元に座り込む。

 たくさんの緑の葉が日陰を作り出している。

 暑い夏でも自然に囲まれ、風に吹かれ、日陰にいれば心地良い。

 こうして木に背を預け、目を閉じ視覚情報を遮断していると、多くの音が聴こえてくる。

 蝶を追い、やってきただけだったが、何だかとても居心地が良い。

 眠気がやってくる。歩き続けた疲れか。

 このまま眠ってしまうのもいいだろう。都会では絶対に出来ない事も、この島でなら問題ない。

 大きな木と共に、昼寝と洒落込んだ。

 

* * * * *

 

 浅い意識の中。急に甘い香りが辺りに、というか私に迫ってきた。

 今までに嗅いだことのない香り。

 いつまでも嗅いでいたい香り。

 心の底から癒されるのを感じる。

 だからか、なんだか安心して、より深い眠りにつけそうだった。

 首が傾く。

 重力を受けて、続けて体が傾く。

 私の体はそのまま地面へと倒れこもうとした――

 ――が、そうはならなかった。

 意識が覚醒。すぐさま瞳を開く。

 柔らかな人の腕の感触。私の倒れ掛かった体は、華奢な腕に抱きとめられ、バランスを保っていた。

 その『女性』と目線が合う。

 大学生にもなって恥ずかしい話だが、女性経験が皆無だった私の、最初の経験。

 普通、男女の立場が逆なのでは・・・?

「あのー…倒れそうだったので、思わず……ご迷惑でした?」

「い、いえ! ど、どうも…ありがとうございます」

 澄んだ瞳をしたその女性は、島の住民だろう。

 凛とした佇まい、丁寧な物腰。そして、柔らかな雰囲気と甘い香り。

 香りの持ち主はこの女性か。

「ふふ…道端でお昼寝してる人なんて、初めて見ましたよ?」 

「絶好のお昼寝スポットだったもので…」

「変な人」

「あ、いえ! 決して怪しい者では! 私は島の――」

「蝶を見に来た大学生さん?」

 途中で言葉を続けられる。

 狭い島だから、外から一人学生がやってきている、ということは知れ渡っているのだろう。

「夏休みを利用して、研究のために来ました」

「ふふ…そうでしたか。何もない島ですが、楽しんでいってくださいね」

「都会では味わえない経験に溢れていますよ! 素敵な場所だと思います!」

「お気に入りましたか。永住されてもいいんですよ?」

「えっ、え?」

「ふふっ…それでは、また」

 その言葉と笑顔と、甘い残り香を置き、女性は背を向けて去っていった。

 トンボ玉が付いた髪留めで、一纏めにされていた長い髪がそよ風に揺れる。

「また……か」

 寝ぼけた私の脳が見せた、甘い夢だったのでは?

 そんな不思議な一瞬だった。

 

* * * * *

 

夢のような一時を過ごした日の夜。

 暑さに寝付けず、軽く夜の散歩に出掛ける。

 外灯もない島の道は、少し民家から外れると、あっという間に月明かりだけが支配する銀の世界へと変わる。

 念のため、と懐中電灯は持ってきてみたが、今夜は月が綺麗だ。必要もないだろう。

 島の中央を突き抜ける田舎道を再び歩く。

 気付けばまた、あの木の傍まで来ていた。

 木に背を預け、座り込む。

 …ここに来れば、またあの女性に会えるような気がした。

 私の中で、よく分からない感情が渦巻いている。

 研究一辺倒で生きてきた、これまでの人生に差した、暖かい光。

 この感情の正体を確かめたい。

 もっと知りたい。

 知識欲がどんどん膨れ上がる。

 そういえば、名前すら聞けていない。

 明日、島の人に聞いてみるか。

 少し涼み、目的も達成したため、帰路へ。

 立ち上がり、ふと、山のほうへ目を向けると、暗闇の中にぽつんと輝く存在を見た。

 

 それは――『蝶』だった。

 ゆらゆらと虚空を舞う、その姿はまさしく蝶だ。

 だが、今までに見た如何なる存在とも違う、不思議な雰囲気を纏っている。

 虹色に煌くそれは、通常の種が舞う速度よりもさらに遅く。

 スローモーションでも見ているかのように、一方向へと意思を持って飛んでいく。

 山の中か。

 そのまま眺めていると、見失いそうだったことに気付き、私も山の中へと入っていく。

 

 山の中は既に何度か足を踏み入れている。

 そこまでの標高があるわけではなく、それこそ遠足気分で登っていけるぐらいだった。

 目の前を先ほどの蝶が飛んでいる。

 この蝶はなんという種だろう。

 羽が輝く種がいるとは聞いたことがある。だが、これはそんな輝きとはおそらく別次元。

 そう。別次元なのだ。

 見ているだけで何故か涙腺が緩み、悲しい気分になる。

 触れてみたい、という欲求と、触れてはいけない、という生物としての本能が相反する。

 そしてこの蝶が向かう先には一体何が…。

 私はただひたすら、暗い山道を歩き続ける。

 

 何十分か、一時間は歩いていないとは思う。

 蝶を追い、歩き続けていると、視界が急に開けた。

 そこは辺り一面に濃い緑色の葉と、それに白い花が咲き誇る空間だった。

 銀の光を上空から浴びる場所には、これまた一本の大樹。

 そして、その根元に――

 眩い光を反射する、白を基調とした巫女服を着た女性。

 そして片手に持った灯籠の光には、先ほどの蝶と、さらに数頭の同じ蝶が集っていた。

 それは傍目に見て、神聖な儀式であると、一目で分かった。

 女性が灯篭を根元にある祠に治める。

 一礼をし、儀式が終わったのか、こちらへ振り向いた。

「え……」

「あら……」

 昼間のあの女性だった。

 思いがけない再会に心が焦る。

「ここは空門の神域です。夜、夏の間は島民は立ち入っては行けないことになっています」

「あ、え、私は……」

「ですが、貴方は『島民』ではありませんでしたね。だから大丈夫です」

「えっと、そういうものなんでしょうか…?」

「私が決めたんだから良いのですよ。それよりどうしてこんなところへ?」

 何とも強引な考えだったが、ここの管理者?であろう彼女が、許可するのだから良いのだろう。

「蝶を追いかけて……」

「こんな夜中に? 夜に蝶は飛ばないのでは?」

「虹色に煌く蝶」

「……………」

 その言葉を出した途端、彼女は押し黙り、ふんわりとした雰囲気から一転。厳かな雰囲気を纏いだす。

「その蝶には触れてはいけませんよ」

「何故です?」

「……とても悲しいから」

「よく分かりません……」

「まぁ、私も知らないんですけどね」

「変な人だ」

「あら…会ったばかりの女性に言います、普通?」

「あ…ごめんなさい、つい…」

 彼女と話していると調子が狂う一方だ。

 それと、同時に落ち込んでいた気分が、一瞬で嬉しい気持ちへと変わる。

 きっとそれは、初めての恋の瞬間。

 理解したのはもう少し後だったが。

 

 毎晩のように山へ赴き、彼女と落ち合い、他愛もない会話をする。

 誰にも内緒でこっそりと会うのが楽しくて。

 昼間は会っても、軽い挨拶だけ。

 また夜になると、楽しくお喋り。

 あるときは一緒に山の祭事を手伝ったり。

 あるときは一緒に食堂で食事をしたり。

 そんな日々を過ごし、気付けば八月も終わりに近づいていた。

 

「お気をつけて」 

「……ありがとうございます」

 短いやり取り。

 本土へと帰る日。

 彼女に見送られ、私は自分の心の中の気持ちを整理していた。

 フェリーに乗り込む。

 優しく手を振る彼女の顔は、少し寂しそう。

 想いを伝えないで良かったのか。

 葛藤を抱えた私を乗せたフェリーは進みだす。

「あの!」

「なんですー!?」

 彼女が突然大声を上げる。

「忘れ物ですー!」

 そう言い、手に持った『何か』を虚空へと放り投げる。

 綺麗な放物線を描き、私の頭上へ。

「え、えっ!?」

 急な出来事に驚いたが見事にキャッチ。

 投げ込まれたのはトンボ玉の髪留めだった。

 これは彼女が普段から身に付けていたものだ。

 それを何故…?

「それがないとできませんからー! 絶対返しにきてくださいねー!」

 トンボ玉は魔よけの効果があるという。

 それがないと出来ない、ということは…つまり山の祭事か。

「わかりましたー! また『夏』に来ますー!!!」

 お互い不器用な者同士だったのだ。

 上手く言葉は伝えられなかった。

 でも、また来年もきっと会える。

 髪留めからは、大好きな女性の香りしていた。

 

 

* * * * *

 

「こうして、父さんと母さんはめでたくお付き合いを…って」

「ふふ…二人とも寝ちゃってますね」

「可愛い娘たちと、奥さんに囲まれて幸せだな、私は」

 私の肩に寄りかかり眠っている二人の娘。

 空門の御役目を継ぎ、次の世代へとその役目をさらに継いで行く。

 蒼の彼氏である、羽依里くんは、確かに私に似ている。

 昔の自分を見ているみたいで、面白いのだ。

「あら。急に笑い出してどうしたんですか『変な人』?」

「羽依里くんのこと考えててな」

「『娘はやらんー!』って言うおつもりですか」

「あれだけ愛し合っているんだ、認めているさ」

「では、私達も負けてはいられませんね?」

 ずっと話を聴いていてくれていた妻が立ち上がり、私の傍までやってくる。

「私は蝶を追いかけて、君を見つけたんだったな」

「見つけられてしまいましたね」

「…いつまでも愛しているよ『変な人』」

「もう! 愛していますよ」

 あの時と変わらず、トンボ玉を揺らす彼女。

 たまには、神域に行ってみようか、なんて。

 ただ、最近は夜な夜な島を出歩く、若い男女が居るという。

 昔の自分達とそっくりな行動をしているらしく、再び笑みが零れた。

 

 

 

【蝶を追い、君を見つけた-父の日- 終わり】



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願い事とその隙間で-七夕-

 七夕の夜。

 島の役場脇に飾られた笹の木には、島民のたくさんの願いが短冊に込められ、初夏の生温い風に吹かれ、揺れていた。

 ある者は島の平穏を。

 ある者は妹の幸せを。

 そして俺と蒼は…。

 短冊に願い事を書き、笹の木のまだスペースの空いている部分を探し…何故か中央の目立つ所しか空いていない。

「あんたは何て書いたの? まあ、大体予想付くけど」

「『蒼と幸せに過ごせますように』」

 自分の書いた短冊を僅かな灯りの下、隣にいる蒼に見せる。

「うわー…予想通りなのきちゃった…」

 若干引き気味の声色。

 だが、俺の書いた文字を指で一文字ずつなぞり、大切に大切に確かめながら黙読するその姿は、その声色とはまるで正反対。

 よほど嬉しいのだろう、頬が緩みに緩みまくってピンク世界に飛んでしまっている。

「蒼。おーい、戻ってきてー」

 肩に両手を置き、軽く揺する。

「あ、あ…嬉しくてその…」

「まあ、お願いなんてしなくても自分の力で幸せにするけど」

 もうすっかり手馴れた自然な動きで両手を腰に回して蒼の体を抱き寄せる。

 俺の胸元に納まった蒼の少し火照った頬が熱い。

「…頼むわよ」

「頼まれました」

 素敵な香りを振りまく、丁寧にケアされた頭髪に顔を沈めてキスを贈る。

 いつもと違う柔らかさを堪能すると、自分の仕出かしたことに急にドキドキする。

 抱きしめてるのに、何故か恥ずかしくて、慣れたはずなのに顔が熱くなる。

「ど、どこにしてるのよ…ってやらかした本人が照れるなーーー! あたしのほうが恥ずかしいわーーー!」

 腕の中にいる蒼がこちらを見上げて大声で叫ぶ。その声量は周囲の家から島民が飛び出してくるほど。

「あー! ごめんなさい! ごめんなさい! 大丈夫です! うちの蒼がご迷惑をおかけしました!」

 特に問題が起きた訳でもない、と分かったのか、すごすごと建物に引っ込んでいく。   

「いつあんたのになったのよ…もう」

 ポカポカと優しく胸板を叩かれながら、今度は小声で囁くように。

「とっくに蒼は俺のものだろ?」

「ぁ……うん」

 叩いていた胸板に顔を預けてくる蒼。

 今度は手で頭と背中を丁寧に撫でてあげる。

 柔らかい感触が心地良くて、ずっと抱きしめ続けていたい気持ちに駆られるが、ここは役場の前の前。

 俺を誘惑する甘い香りに脳が負けそうになるが、家に着くまでは我慢我慢。

「落ち着いた?」

「うん…ってあんたが恥ずかしい台詞言うからでしょ」

「そうでした」

 蒼はするーっと俺の腕を抜けて行き、自らの短冊を取り出す。

「じゃあ、あたしの分の短冊も飾るわよ」

 そのままの流れであっさり飾ろうとするが、そうはいかない。

 枝に向かう程よく筋肉のついたしなやかな腕を掴み引き止める。

「えっと…掴まれていると飾れないんだけど?」

「蒼のも見せて」

「あー…やっぱり見せなきゃダメ? あとからでも見れるじゃない」

「飾る前に見たいの」

「仕方ないわねー…はい」

 手渡された短冊を眺める。

 なんというか蒼っぽい、そんな内容でとても可愛らしかった。

 口には出さずに渡し返す。

「あれ? 特に感想ない感じ? まあ分かってるからいいけど」

 こちらの反応の薄さに心配になったのか、不安そうに訊いてくる蒼。

「可愛らしいお願いだと思うよ。でも、そのお願いはもうわりとすぐに叶う事になると思う」

「おおー…いつかしら?」

 こちらに背を向け、笹の木に向かってちょっとだけ伸びをして短冊を括り付けている、そんな姿すら愛おしい。

 俺の短冊の隣に当然のように一つ短冊が飾られた。

 それはこれから先の俺達の未来の形を表すかのように。

 二つの短冊には少しだけ隙間が。

 その位置にはいつかもう一つ短冊が増えるといいな。

 そんなことを思う。

「蒼が学校卒業したらな。あと一年我慢して」

「うん、楽しみにしてる。指輪選びもね!」

 こちらに振り返り、とびきりの笑顔を見せてくれる。

「あんまり高いのは買えないかも」

「ベタだけど、ここはそうねー…あんたの愛が詰まった指輪なら、たとえ玩具の指輪であっても喜ぶわよ?」

「大事な俺の蒼に玩具の指輪なんて渡せないよ」

「そ、そうよねー! えへへ」

 俺の腕を取り、自分の体を寄せて、半ば寄りかかるように頭をこちらの肩に乗せてくる。

 まったく随分と恋人っぽい佇まいに慣れたものだ。

 胸と胸の間に挟まれる腕の居心地が良い。

「それじゃ、帰りますか」

「あんたのせいで変に汗かいちゃったから、帰ったらまずお風呂ね」

「へいへい」

 役場通りをあとにする。

 一瞬だけ後ろに振り返り短冊を見る。

 『羽依里のお嫁さんになれますように』か。

 蒼と結婚…。

 正直今も同棲しているので、そんなに日常に変化はないのかもしれない。

 でも、苗字も変われば、関係性も変わる。

 ただ一つ変わらないのは、今も未来も互いが愛し合っているということ。

「ねえ、羽依里。空をみて」

「天の川か…」

 二人して満天の星空を見上げる。

 頭上を流れる星の川。

 なんだか最近、星を見る機会が多い気がする。

 島の夜空は澄んでいて、都会のように人工の灯りも殆ど無い。

 五月に観た流星群からちょうど二ヶ月程度。

 星を見る機会が多いのは俺が一週間に一度の島への渡り鳥ではなく、既にこちらに居ついた存在だから当然か。

「織姫と彦星って一年に一度しか会えないのよね」

「蒼と付き合っている今なら分かるけど、相当寂しい想いしているだろうな」

「あんたが四月にこっちに移り住んでくるまでの間は、あたしもかなり寂しかったわよ」

「携帯電話の一件とか」

「まだ覚えてたのそれ! もう忘れなさいよー!」

 ぐいぐい、と体をぶつけてくる。

 俺も負けじと押し返す。

 二人仲良くふざけ合いながら夜道を歩いていく。

「…あたしのためにありがとね羽依里。すごい嬉しい」

「可愛い蒼のためならば何でもできりゅってね…」

 あっ…またやらかした。

「………」

「………」

 いつも通りの沈黙の後。

「あたしの彼氏はさすが、格好良いわねー! 行動力も体力もあるし! 女心も分かってくれるし! 大事なところで噛むし!」

「ここにきて新しいパターン!? ごめんなさいでしたー!」

 誉めちぎってから最後に落とされた。

「羽依里!って感じがして面白いからよし!」

「いいのか!」

 変わらないやり取りの中にも変化はある。

 織姫と彦星のように一年に一度の逢瀬ではなく、こうして日々過ごせることにとてつもない幸せを感じつつ。

 蝶番の儀が執り行われる、その時が段々と現実の話として近づいてきた。

 俺達は常に未来へ向かって歩き続けている。

 一緒に歩くのは空門蒼、という女性。

「ちゅーしてもいい?」

「なっ! ど、どうぞ?」

 少し驚かれるも許可してくれる。蒼の優しさだ。

 一度離れ、向かい合い抱き締める。

 腕の中にいる蒼に対して、伸長差を埋めるために顎に手を添え顔を軽く上へと向かせる。

 視線で捉えた蒼の命の色が流れる膨らみに、自分の命の熱を重ね合わせる。

「ちゅ…………んっ」

「…ご馳走さま」

「一回だけでいいの?」

 名残惜しそうに上目遣いで言われるとかなり揺らぐものがあるが。

「家帰ってからな」

「あー…うん、そうね」

 どうせ、この後は一緒にお風呂に入るのだ。

 いくらでも重ねる時間はある。

 七夕がどうとか、あんまり関係ないのかもしれない。

 蒼と一緒に居られるのなら、毎日こんな感じだ。

 星の海が見守るこの島でこれからも蒼を愛していこう。

 

 

【願い事とその隙間で-七夕- 終わり】

 

 

 

 

 



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虚空還門 -名付けられた意味-

 私がお風呂からあがり、タオルで湿気をある程度取った後、ドライヤーで髪を乾かそうと居間へ向かうと、お気に入りソファでいつも通り、こちらが照れるぐらいに熱々な、お父さんとお母さんがキスしている現場を目撃した。

 まずはお父さんがお母さんの頬へ。

 すると今度はお母さんが照れつつもお父さんの頬へ。

 一度ずつキスした後は、微笑みあっている。

 お母さんの瞳が私の方へ向く。気付いたようだ。

 あ、お父さんがお母さんの頬を両手で押さえて、顔を近づけていった。

 

「ちょ、ちょっと…碧羽がみて…んっ……もう!」

 

 一瞬結ばれる唇と唇。

 相変わらずラブラブな二人の様子に、眺めている私まで嬉しくなる。

 

「碧羽もこっちおいで。髪乾かしてあげるよ」

「はーい!」 

 

 二人の座るソファに空いた隙間が私の定位置だ。

 大好きなふかふかの場所に沈むように座り込むと、左右から頭を撫でてもらえる。

 

「えへへ…」

「碧羽の笑い方は蒼にそっくりだよな」

 

 後ろ髪を大きい手で掬われると、そこへドライヤーの温風が当たり、濡れ染めた髪の一本一本から水分が程よく飛んでいく。

 お父さんの手に撫でられつつ、全体を満遍なく、丁寧に優しく乾かしてくれるその手際は、長年に渡り行ってきた結果。

 今でもお風呂上りには、こうして私の髪だけでなく、お母さんの髪までお父さんが乾かすのを担当しているのだから、夫婦の愛が深いこと深いこと。

 

「そうね。あたしにそっくり、ふふ」

 

 目の前にある、お母さんも私とまったく同じ感じで「えへへ…」と微笑む。

 しばらくお母さんとお喋りしていると、仕上げの冷風も止み、「終わったよ」と後ろからお父さんの合図が聞こえた。

 

「今日もバッチリだね!」

「ありがとう」

 

 お父さんが頬をこちらに向けてきたらご褒美を下さい、というポーズだ。

 いつものやり取りではあるけども、念のためにまずお母さんに確認。

 先ほどの笑顔のまま、頷いてくれた。

 『一番』はお母さんだから、私がするときには許可を取ってから、と決めている。

 それをお母さんに最初に話した時、「あたしたちの大事な娘なんだから、遠慮する必要なんてないのよ。むしろ手をブンブン振って喜びそうね」と言ってくれたけども。

 お父さんの大きな肩に両手を置き、少し硬い頬に顔を寄せ、照れの赤色が奔ったその部分へ唇を軽く触れさせる。お母さんみたいに長時間するのは、私が恥ずかしくて出来ないから、いつも少しだけね。

 

「ご褒美頂きました」

「あげちゃいました。えへへ」

「っしゃー! やったよ蒼ー!」

 

 本当に手をグーにしてブンブンと振って喜ぶお父さん。子供みたい。

 

「もう! 娘にほっぺちゅーして貰ったぐらいで、はしゃぎ過ぎよ! あんた毎回してもらってるじゃない!」

「蒼もやってもらったら分かるから! ほら!」

 

 大はしゃぎのお父さんは、ソファの反対側へ回り込み、お母さんの頬っぺたを押さえ込んで、私に側面を見せる。

 

「…碧羽。お願いできる?」

「もちろん!」

 

 今度はお母さんの、いつ触っても滑々で柔らかい頬っぺへちゅー。

 お父さんはいつもこの感触を味わってるんだなあ、と思うと、羨ましさ半分、お母さんみたいな、美しい女性になりたいという気持ちが半分。

 

「えへ…えへへ…」

 

 お母さんは、はしゃぎはしないものの、お父さんが言うところのお花畑状態になってしまって、しばらく現世に戻ってこなさそう。

 

「これが俺のお嫁さんなんだよ」

「素敵なお嫁さんだね!」

「だろ?」

 

 未だに新婚さんみたいなラブラブ生活を送る秘訣を見た気がする。

 そんな二人から生まれた私だが、そういえば、と夏休みの宿題を思い出す。

 『自分の名前にこめられた意味を調べよう』という内容だ。

 碧羽。

 それが私の名前。

 音でわかるように、お母さんとお父さんの名前から取っている、とは思う。 

 それ以外にも何か意味があるんだろうか。

 

「ねえねえお父さん。私の名前の意味って何があるの?」

「お、もしかして宿題で出たのか。勿論あるぞ」

「教えて! 教えて!」

「ああ。教えてあげよう。蒼、戻っておいで」

 

 お花畑に羽ばたいていたお母さんが体を揺すられると、すぐさま正気に戻った。

 

「な、なに? あ、あたしったら、あはは…」

「碧羽の名前の意味を教えて、だって」

 

 再びソファの反対側へ移動し、私を挟むようにして座るお父さん。

 背もたれに重力を預けると、ぶわっと人の体の形に沈みこむ。

 

「学校の夏休みの宿題なの!」

「じゃあ、まずはあたしから話すわね」

 

 お母さんも背もたれに沈み込むのを見て、私も倣い二人の間で沈む。

 

「碧羽は『碧』と『羽』という字の組み合わせ。碧は、『みどり』とか『あおい』とか『あお』って読むの。私の名前の『蒼』と同じ音でなおかつ、空門家の女性には色の名前が付けられる例に則ったの。羽はもちろん、こいつの名前からね」

「やっぱりそうだったんだ!」

「あたしと羽依里の子って意味になるわね。これは組み合わせの話。もう一つの意味については羽依里からお願いするわ」

「分かった。さて、そもそも何でこの字なのか。それはもう十年ぐらい前の、まだまだ付き合いたての頃の話なんだけど、今でもしっかりと覚えてるよ」

「そ、そんな前から決まってたの?」

 

 普通は子供が出来た、もしくは生まれる前後とかに、考えられるものだと思っていたが、まさか十年も前からとは。相変わらずの愛の深さにほくそ笑む。

 

「ある年の五月上旬だったな。深夜に水瓶座流星群を見に行こうってなって、半分寝ぼけてる蒼を背負って空門の神域まで行ったんだ」 

「大体合ってるけど、水瓶座η(エータ)流星群ね」

 

 横からお母さんの細かい補足が入る。えーた? よく分からない。

 

「ηはギリシャ文字だよ。こう書くの」

 

 お父さんの人差し指が、虚空へお洒落な線を描く。なるほど、そういう字なんだ。

 

「ありがとう。お父さん」

「碧羽は賢いからすぐ理解するよなあ。さすが俺の才能を受け継ぐだけはある」

「あたしの才能を継いだんですー! あんたは学校の成績悪かったでしょ!」

「やめて! 娘の前で頭が残念なことを暴露しないで!」

「もうとっくに知ってるわよねー?」

「ふふ。そうだね。でもお父さんはその分凄く格好良いから大丈夫だよ」

 

 手で顔を覆ってしまったお父さんの肩をぽんぽん、とあやす様に叩いてあげる。

 

「碧羽ぁ…マイエンジェル…」

 

 起き上がって私の体を優しく抱きしめるお父さん。

 もう、どっちが子供なんだか。

 そこも大好きな一面だけどね。

 

「お父さん。続き~」

「ごめんごめん。神域に着いたあと、目的である空を見上げたんだ。都会では見られないような綺麗な星空。無数に流れる流星群。その流れ星が、今でも思い出せるぐらいに素敵な碧色でさ。その時に二人で名前を考えたんだよ」

 

 過去の記憶、その光景に私は引き込まれる。

 

「碧っていう字は『王』『白』『石』で造られてるけど、『王』は元々は玉で宝石。『白』は光り輝くさま。『石』は石そのもの。それらが組み合わさった『碧』は光り輝くような綺麗な石を意味するんだ。それに元々の碧色からの連想を加えると…」

 

 そこで一息置いて、私の名前が語られる。

 

「光り輝く宝石の様に澄み切った、純真な心を。好奇心旺盛で、活発で元気な子に。青色でもあり、緑色でもある、碧色から大空や大海、大自然という雄大なイメージを。羽を持ってどこまでも高みへ羽ばたいて貰いたい。長くなったが、こんな意味を込めて名付けたんだよ」

 

 すごい。聴き終わった後は素直にそう感じた。

 たった二文字の名前に、ここまでの意味が、お父さんとお母さんの想いが、二人の思い出まで込められていただなんて。嬉しい。すごい嬉しい。

 

「教えてくれてありがとう! 二人の期待に応えられるように、頑張るね!」

「別にそんなに気張らなくてもいいのよ。こうして意味はあれど、碧羽は碧羽の生きたいように生きてくれれば、それが一番なんだから、ね? 羽依里?」

「そういうこと」

 

 二人に同時に頭を撫でられる。

 髪にそって流れていく、両親の指は次第に絡み合って、そして解けていく。

 たくさん、たくさん愛してくれてありがとう! お父さんお母さん。

 私の名前は空門碧羽。

 空門の一族に生まれた『次』を担う娘。

 そして、両親の愛を一身に授かった幸せな女の子です!

 

【虚空還門 -名付けられた意味- 終わり】

 

 



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虚空還門 -母から子へ-

 夏のとある一定の時期。

 溢れ出た七影蝶を神域にある迷い橘へと導く。

 それが空門の一族の御役目とされている。

 担うのは空門家の女性。七影蝶自体は見えなくても役目を果たすことはできるらしいが、私には七影蝶が見える。お父さんにもお母さんにも見えるらしい。

 幼い頃から、蝶に触れてはいけない、と何度も両親から教わってきた。

 お母さんは一時期、触れ過ぎて深い眠りに陥り、長い間目覚めなかったらしい。

 その間のお父さんの話も聞いたことがあったが、聞くだけも辛さが分かる。

 ただ、聞いていると何故か惚気話に変わっていくのはさすがとしか言い様が無い。

 

「碧羽。今年から空門の御役目にちょっとずつ慣れて貰うわよ」

 

 迷い橘が咲き始めた頃。

 夜になってから、私たち家族は山の入り口に集まっていました。

 

「うん。頑張るよ!」 

 

 今年からは私が御役目の担当。

 桃色を基調とした専用の巫女服も私が着ている。

 私に合わせて織られた新品のお洋服は、所々がひらひらしていてとても可愛い。

 その服と、私とお母さんが髪飾りでつけているトンボ玉には魔よけの効果がある。

 神聖な儀式を執り行うのには重要な存在だ。

 

「最初のうちはみんなで行くから安心してくれ。イナリも居るし」

「ポンッ!」

 

 足元には、お友達のイナリさんが居ました。

 お母さんが子供の頃からずっと一緒に居る頭の良いキツネさんで、御役目があるときには道を先導したり、七影蝶を探したりしていただけるようです。

 

「これからよろしくね。イナリさん」

「ポンポン!」

 

  私の足に擦り寄ってきたところ、頭のもふもふした部分を撫でてあげると、その場でぐるぐると回り喜びの舞いをみせてくれる。

 

「そして、これを持って山の中を歩くのよ」

 

 手渡されたのは、煌く蝶たちを導くための吊り灯籠。七暁と呼ばれるらしい。

 何年も、何代もの空門の巫女たちの手を渡り、今は私が持つことになる。

 実際には重くないものの、空門の御役目という重責がある。

 これは遊びではないのだ。気を引き締めないと。

 

「それじゃ、準備もできたことだし、行きましょうか。碧羽をお願いねイナリ」

「ポ~ン!」

 

 イナリさんは人の言葉を理解しているらしい。

 「私に任せておきなさい」と胸を張るようにして、先頭を進んでいく。

 暗い山道とはいえ、今よりも小さい頃から一人で駆け回った島の中は、自分の庭のようなもの。空門の神域へも何度も遊びに行ったので道も完全に記憶している。

 なのに、今日は…今日に限っては少し雰囲気が違う。

 それは何故か。答えは単純だった。

 

「ポン」

 

 山へ入ってわりとすぐのこと。

 イナリさんが短く合図をしてくれる。私も同時に気づいた。

 暗闇を揺ら揺らと儚くもゆったりと羽ばたく蝶。

 それは、当て所無く山中を彷徨うかのように、飛んでいた。

 

「七影蝶…」

「灯籠を掲げてみて。寄ってくるはずだから」

 

 背後から聞こえるお母さんの声のとおりに暗闇の宙へ七暁を掲げる。

 眩い明かりにすっと誘われるようにして、蝶はこちらへと進路を変更した。

 やがて、光の下へ辿り着き。灯籠の周囲を旋回して飛び始めた。

 

「こ、これでいいの?」

 

 思ったよりも簡単で拍子抜けしてしまった。

 

「それでいいのよ。ね、簡単でしょ? あとはある程度集めて神域まで行くだけよ」

「七影蝶には触れないように注意しつつも、気楽に、な」

 

 もっと厳かなものだと思っていたけれど、後ろの二人はデートをしているみたい。

 振り返ってみてみると、がっしりと腕は組まれて指まで一本ずつ絡み合っている。

 あの…。一応、貴方たちの大事な娘の初仕事なんですけど。

 

「ポ~ン」

 

 若干呆れつつも「まあ、しょうがないですね」と言いたそうに尻尾を振っている。

 

「いつもあんな感じだよね」

「ポン」

 

 分からないけれど、何を言っているかは分かる。

 イナリさんとは心が通じ合っているのを感じた。

 さらに山の中を進むと、少しだけ開けた場所に出た。

 

「あっ…」

「ここは…」

「どうしたの?」

 

 後ろから見守ってくれている二人から、動揺の声がする。

 何かの思い出の場所なのだろうか。

 少し立ち止まり周囲を見渡すが、木々と上には真っ暗な空以外何も無い。

 

「な、な、なんでもないわよー! ほら、先行きましょう!」

「えー! 絶対、何かエピソードがあるんでしょ! お父さーん?」

「この場所で俺と蒼は初キスをしたんだよ。こんな風に背中に手を回して」 

「あああー! 簡単にばらすなー! って、あ、あ、あー!」

「首の後ろにも手を回して、ちょっと下を向いてこんな感じで」 

 

 熟練の動作で、あっという間に月光に映えるカップルの図が出来上がった。

 

「ね、ねえ…し、しないの?」

「娘の目の前だぞ」

「え、私は気にしないよ! どうぞご自由に~!」

「それなら遠慮なく」

 

 わー! キスするときのお父さんのキリっとした顔が格好良い!

 一方で恥ずかしくて目を閉じちゃってるお母さん可愛い!

 

「ん……っ……」

 

 結ばれる唇。

 それは二人だけの『夏の思い出』だった。

 記憶のワンシーンが何十年か経った今、再現される。

 ここに至るまで、どれほどの時間がかかっただろうか。

 お父さんは、夏休みに訪れたこの島で、お母さんに出会い、恋をしたという。

 そこからもたくさんの困難、壁を乗り越えて二人は結ばれ。そして私が産まれた。

 私という存在は、無数の運命の分岐の先にあるのではないか。

 もし、お父さんが、お母さんが、少しでも違う運命を選んでいたら。

 そんなことを考えてしまう。

 唇がゆっくりと離れると、銀の糸が弓形にしなり重力を受けて垂れていく。

 

「わー…凄いね…」

 

 娘の前でここまで出来る二人は、さすが鳥白島最強の夫婦。

 これが噂の『呂の字』というやつらしい。藍ちゃんの話は本当だったんだ。

 

「こんな感じで初キスしたんだよ」

「とっても素敵な一場面でした!」

 

 お母さんのほうを向くと「さあ、先行くわよー! 早く行くわよ!」と灯籠を代わりに持ち恥ずかしさを隠すようにして、イナリさんと進みだしていた。

 

「お父さんもお母さんも恥ずかしがり屋さんだね?」

「碧羽もだぞ」

「返す言葉もございません!」

 

 つまり、家族揃って似たり寄ったりなのだ。

 私は、自然と差し出された大きな手を取り、お父さんと手を繋いで歩き出す。

 さらに進むこと数分。

 

「迷い橘…咲いてるね」

「今年も綺麗に咲いたわね。あとはあの祠に灯籠を治めて今日は終わりよ」

「うん」

 

 空門の神域の一面に咲き乱れる白い花。

 その中央にぽつんと存在する。一本の橘。

 ここは現世と幽世の境目。

 虚空へと還る七影蝶たちの門。

 今日からは私がそれを継ぎ、御役目を果たしていく。

 祠の前。隣に立つお母さん。

 少し離れて後ろから様子を見守ってくれているお父さんとイナリさん。

 

「特に巫女の継承の儀とかは無いけど、でもそうね…あたしから言葉をひとつ」

 

 厳粛な雰囲気の中、私はお母さんから空門の巫女の役目を継ぐ。

 

「碧羽も素敵な恋をしなさい」

「はい! …ってあれ?」

 

 もっと畏まった言葉が出ると思っていたのだけれど。

 恋?

 

「父親としては複雑なところだけど、応援してるよ」

「ポン! ポン!」

 

 向こうからも肯定的な声。

 

「空門の一族を絶やさないためにも、ね? 大事でしょ」

「よくわかんないや」

 

 恋をすることが一族を絶やさないことに繋がる?

 

「今はそれでいいのよ。はい、灯籠を持って」

 

 未だに疑問符を浮かべながらも、再び灯籠を持ち、一人で祠へとそれを治める。

 すると、七影蝶たちは灯籠の明かりを離れ、御神木の周囲を舞い始めた。

 

「一礼」

 

 お母さんの声に倣って、御神木に向かい深く礼をする。

 

「もういいわよ。灯籠を取り出して」

 

 灯籠を祠から再び手にする。

 

「これでおしまい?」

「うん」

「蝶々さんたちはどうなるの?」

「朝になったら消えているわ。還るべき場所に還った、っていうこと」

「そう…」

 

 ここまで一緒に進んできた蝶々さんたちが居なくなってしまうのは少し寂しい。

 でもこれが空門の御役目なんだ。

 

「よし! 俺たちも帰ろうぜ。帰り道はお背中にどうぞ」

 

 お父さんがこちらに背を向けて腰を下ろす。

 

「え! いいの?」

「我が家の大事なお姫様ですから、どうぞどうぞ」

 

 頼もしい背中に飛びつき、前に腕を回す。

 お母さんが、後ろから落ちないように支えてくれる。

 

「立ち上がるぞ~」

 

 普段とは違う目線の高さ。安心するお父さんの匂い。

 隣にはぴったりと寄り添うお母さんの匂い。

 恋についてはよく分からないけれど、今はこれで良いと思う。

 

「ねえねえイナリさん。家族って良いよね」

「ポン! ポーン!」

 

 当面のパートナーに語りかけると肯定の返事と同時に空を見上げた。

 私もそれにつられ見上げる。

 夏の夜空には儚くも麗しい星たちが煌いていた。

 お父さんとお母さんが見たって言う碧色の流星群、私も見たいな。

 聞くところによると、わりと毎年のように観測はできるらしい。

 自らの名前の意味を知り、空門の御役目を継いだ。

 空。

 私は澄み切った空に対して、特別な想いを胸に秘めた。

 

 

【虚空還門 -母から子へ- 終わり】



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