ソードアート・オンライン ~戦い続けるは誰が為に~ (アルタナ)
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Prologue : Beta-test
第1話:影で生きる者


とある路地裏。

 

 

「はっ、はっ……はぁっ…!」

 

 

一人の男が、奥へ奥へと駆けていく。

その足取りは、ずっと走り続けている疲れのせいか、どこか覚束ない。

走っては、時折振り返って後ろを確認しながら。

 

 

「ひぃっ!」

 

 

振り返った先の視界に映る影を見ては、男は再度前を見て、疲れた体に鞭打って加速する。

その影から逃げるように。

大きめの外套の襟で口元は隠れており、ただでさえ薄暗いせいで、表情は全く窺えない。

影は、歩くように、ゆっくりと、しかし確実に。

足音を感じさせることなく近づいてきていた。

 

…走っているはずなのに、歩いている影を振り切れない。

 

…それどころか、ゆっくりと、着実に距離が詰まってきている。

 

 

「なん、で……!」

 

 

何故、自分がこんな目に遭っているのか、男は理解できない。

心当たりがない、というわけではない。

男は、一部では有名な資産家だった。

だが、彼を知る者の間では、黒い噂も多い。

誰かを犠牲にして富を得たこともあったし、自分の得にならない者を切り捨てたこともあった。

当然だが、切り捨てた、というのは殺したということではない。

資金援助を打ち切ったり、関係を断ったりした、という事である。

男にとっては、その程度の事は当たり前のことだった。

だが、それだけである。

たった、それだけのことで。

 

 

「…っ…はぁ、はぁっ…!」

 

 

もう、後ろを見る余裕もなく、入り組んだ裏路地を右へ左へと。

相手の気配は、感じない。

けれど、男は気を抜かない。

気配を感じないと安堵して、後ろを見てそれを裏切られ続けてきたから。

影は、気配を感じさせることなく、自らを追ってくる。

それこそ、まるで少し離れたところにできた自らの影であるかのように。

 

 

「っ…!」

 

 

もう、振り返りたくない。

この恐怖から逃れたい。

その一心で、男は逃げ続ける。

こうして走り続け、追いつかれる前に、どこでもいい。

表の通りに出ることさえ出来れば、影も迂闊なことはできない。

そうすれば、助かる。

そんな希望を持って。

 

 

「……うっ…!?」

 

 

しかし、そんな希望は、打ち砕かれる。

目の前に広がる、一本道の行き止まり。

右にも左にも、道はない。

 

 

「くそっ!」

 

 

急いで、振り返り、来た道を戻ろうと踏み出す。

しかし。

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

影はもう自分の近くまで迫ってきていた。

全力で走り続けていたのに、遠目に見えていた影が、もう眼前まで迫っていた。

尻もちをついて、座り込んでしまう男。

 

 

「っ!!?!?!?」

 

 

見上げた影が自分を見下ろす視線に、男は恐怖した。

自らの足と、自らを支える腕を必死に使い、後ずさりするように逃げる。

それが無駄だと分かっていても。

男が一歩後ずされば、影は一歩近づく。

 

 

…影は一言も話さない。

 

…ただ、男の姿を見据え、その手を少しだけ振り上げる。

 

…その手に握られた刀の刀身が、少しだけ陽の光を浴びて煌めく。

 

…一部では芸術とまで言われるその輝きが、男にとっては死神の鎌のように見えていた。

 

 

「な、なんなんだよ…貴様!?」

 

 

恐怖からついに、男は声を荒げる。

その身体は震えていた。

 

 

「……」

 

 

影は何も答えず、手に持った刀を振り上げる。

 

 

「ま、待て!誰の指示だ、金か!?なら私は倍の報酬を払うから…!」

「……」

 

 

影は答えない。

振り上げられた鎌に対する恐怖しかない男に出来ることは、命乞いのみだった。

 

 

「だから頼む。何でもするから、頼む、殺さな………!!」

 

 

その命乞いは、最後まで言葉にならなかった。

影が振るう、死神の鎌が振り下ろされた。

 

 

「っ…」

 

 

男は声を上げることなく、目を見開いてその場に仰向けに倒れこむ。

そんな男の首が、体と切り離され、鮮血が溢れ出す。

 

 

「…」

 

 

普通であれば、直視するだけで気分を悪くする光景。

しかし、影は動じない。

影は男に背を向け、刀を鞘に納めて歩き出す。

 

 

「…俺だ。完了した」

『了解。確認する。無線は破壊して処分して構わない』

「承知した」

『さすが、華月の跡取りだ。子供といえど、侮れんな、時雨君?』

「……」

 

 

通信を終え、耳元の通信具を外し、それを握り潰して捨てる。

 

 

「…」

 

 

華月時雨と呼ばれた影は、一言も発せずに、その場を後した。



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第2話:仮想世界への誘い

翌日。

 

 

「……」

 

 

時雨は一人、街中に出ていた。

当然ながら、昨日持っていた刀はその手にはない。

目的はその日の食料の買い出しだった。

その途中。

 

 

『―続いてのニュースです』

 

 

ふと、家電量販店のウィンドウに並べられたテレビからニュースが流れてくるのを聞いて、足を止める。

 

 

『昨日、――市で首と体が切り離された死体が発見されました。第一発見者は近くに住む30代女性。被害者は資産家として有名な……』

 

 

聞き覚えのあるニュースに足を止めてテレビ画面を見れば、見覚えのある路地裏の光景が映し出されていた。

 

 

『……これまでに同様の手口による犯行が相次いでおり、警察は同一犯の可能性を視野に犯人逮捕を急ぐと共に、市民への警戒を呼び掛けています』

 

 

画面が切り替わり、CMに移る。

 

 

「……」

 

 

興味を失い、時雨が歩き出そうとすると。

 

 

「…またか。最近多いな…この首切り殺人」

「ホント。早く捕まってくれないと怖いわ…」

 

 

そんな話し声が耳に入る。

背後の通行人の声だろう、と時雨は考える。

そうして、立ち去ろうとテレビから視線を逸らす。

 

 

『――続いてのニュースです。明後日より開始されると発表のあったソードアート・オンラインに全国から期待の声が高まっています』

 

 

明るいニュースだからか、アナウンサーの声も少し明るい。

そんなニュースを聞きながらも、興味を失った時雨は歩き出す。

どれだけ進化しようと、ゲームというものには少しも興味がなかった。

 

 

「……」

 

 

何にも興味がなく、ただ生きているだけ。

それが、今の時雨だった。

何故、自分はこうして生きているのかすら、理由がない。

昨日の男の立場になれば、自分はあんな風に醜く抵抗するだろうか。

 

 

――ま、待て!誰の指示だ、金か!?なら私は倍の報酬を払うから…!

 

 

ふと、命乞いを思い出し、すぐにその考えを振り払う。

…ありえない、と。

そんな醜い姿を晒してまで生きることに、何の意味がある。

何度も死というものを見てきた時雨には、生への執着がなかった。

 

 

「…」

 

 

昨日のようなことは、初めてではない。

けれど、そうして出会った標的ほぼ全員が、同じような反応だった。

初めの頃は、罪の意識なく、手をかけていた。

その為の技術は、幼い頃に既に身についていた。

 

…いつだろうか、それに疑問を抱くようになったのは。

 

…いつだろうか、これがしてはならないことだと悟ったのは。

 

…いつだろうか、自分の家族が普通ではなかったと知ったのは。

 

 

時雨には一つも答えが出せなかった。

考えることをやめ、借りているアパートの一室に戻る。

電子錠を開錠し、中へ。

 

 

「……」

 

 

すると、新聞受けから差し込まれたのか、封筒が玄関口に落ちていた。

扉を閉め、内側のカギをかけてから封を開ける。

また、『依頼』だろうか。

そう思い、中の手紙に目を通すが。

 

 

「……?」

 

 

訝しげに内容を確認する。

その内容は、今までのような『依頼』ではなかった。

中に書かれていたのは。

 

 

 

――明日到着予定の荷物を、自宅にて受け取り、内容を確認せよ。

 

 

 

それだけだった。

依頼、にしては報酬に関する記載すらない。

どこか奇妙にすら感じる。

差出人の名前も連絡先もないため、今は従うしか方法がない。

 

 

「…」

 

 

釈然としない部分もあったが、それ以上疑うことはしなかった。

 

 

 

そして、翌日。

 

 

「これは…」

 

 

差出人不明の荷物を受け取り、封を開ければ、そこにあったのは。

 

 

「…確か、ナーヴギア」

 

 

昨日のニュースでも話題になっていた、ソードアート・オンライン。

そのゲームを動かすハードウェア。

今話題のその機械とともに、一通の手紙。

 

 

――ソードアート・オンラインのβテストに参加し、内部での戦闘方法を身につけてほしい。

 

 

「……」

 

 

時雨は疑問に思う。

そんな事をして、一体何があるというのか。

所詮、ゲームはゲーム、遊びの世界。

娯楽には興味がなかったが故の発想。

しかし。

 

 

「…」

 

 

手紙に付記された、アカウント情報。

使え、ということなのだろう。

とはいえ。

 

 

「……明日か」

 

 

時計を見ながら、呟く。

どれだけ疑っても、それを断る権利は、自分にはない。

そう、考えていたからこその、行動。

時計は、15:30を指していた。

 

 

…意図を知る必要などない。

 

…ただ、与えられた任務を遂行すればいい。

 

 

だからこそ、時雨は明日に向けて準備を行う。

 

 

…それが、時雨自身に変化をもたらす、全ての始まりになることを誰も。

 

…彼自身すら、まだ知らない。



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第3話:無意識な拒絶

そして、翌日。

 

 

「……」

 

 

βテストの開始と共に、時雨はゲームの世界に降り立つ。

第一層、はじまりの街、と表示されている。

辺りを見れば、皆が皆、楽しそうに行動している。

友人同士で、これからどうするかを相談する者。

あるいは一人で意気込んでいる者。

なんにしても、喜びや興奮といった感情が溢れていた。

そんな中。

 

 

「…」

 

 

初期の装備だろうか、腰に携えていた鞘から剣を抜く。

見た目的にも上質のものとはお世辞にも言えない剣。

時雨が持っていた刀とは異なる、西洋風の両刃の剣だった。

とはいえ、周りが皆そうかといえば、そうでもない。

…剣ではない武器、昆や槍、両手で振り回すほどの大剣を持つ者もいる。

 

 

「…少し、調べるか」

 

 

時雨、改めシグレは剣をしまい、歩き出す。

やれやれ、といった感じで楽しさを感じさせないシグレは、ただ無表情に街の中へと歩いていく。

シグレにとっては、遊びではなく、仕事で来ていた。

だからこそ、楽しむつもりなど、なかった。

 

 

「……」

 

 

やがて、武器屋は容易に見つかる。

見てみれば、予想以上に武器の種類は多かった。

一通り試してみようかと考えたシグレだったが。

 

 

「…なるほど」

 

 

所持金が足りなかった。

それでも、試す意味で、槍を一本購入する。

そのまま、シグレは外を目指す。

 

 

「…今の目的は、遊ぶことではない」

 

 

そう言いながら、街の外へ向かう。

選べる武器の中には、刀もあったのだが、何故か選ばなかった。

一番使い慣れた武器のはずなのに。

それが何故なのか。

 

 

「……」

 

 

無意識だった。

現実ではない世界だから、なのだろうか。

シグレ自身にも分からなかった。

 

 

 

街の外。

 

 

「……」

 

 

剣を振るうと、猪型のモンスターが光の粒となって消える。

その感覚が、どこか軽く感じるシグレ。

そこまでのリアリティはない、ということだろうか。

剣と槍を使い分け、戦っていた。

その中で少しずつお金を稼ぎながら、さらに別の武器も買い揃え、はじまりの街で買うことができる武器を揃えていた。

 

 

「…」

 

 

それでも、刀を買わなかったのは、何故なのか。

無意識に、避けていたのだろうか。

現実と仮想を無意識に切り離していたのだろうか。

無意識のどこかで、現実の自分を捨てたかったのだろうか。

…答えは、出ない。

 

 

「この中では…こいつか」

 

 

言いながら、手元に残したのは片手剣。

それを鞘に納め、歩き出す。

 

 

…こうすることが、なぜ任務になるのか。

シグレには、その理由が見当がつかない。

 

 

「……そろそろ、戻るか」

 

 

とはいえ、悩む必要はない。

ただ、与えられた任務をこなしさえすれば。

そこに、自分の意志は必要ない。

 

 

…βテストは、まだ始まったばかり。



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第4話:今、できること

そうして、なんだかんだ過ごしながら、βテスト最終日。

仮想世界とはいえ、MMORPGは他プレイヤーとの交流を楽しむ一面がある。

けれどシグレは誰とも交流を深めることなく、ただ戦い続けていた。

その甲斐あってか、そこそこレベルが上がっていた。

 

 

「……」

 

 

テストということもあり、進入可能な場所も限られていて、相手にする敵が大体見覚えのあるものばかりになってきていた。

その飽きからか、周りから敵の気配が消えたところで、片手剣の刀身を眼前に持ってくる。

目の前に自分のアバターの顔が映る。

現実とそれほど変わらない顔。

剣の方はすっかり刃こぼれを起こしていて、よくここまで持ってくれたものだと感心する。

 

 

「……もう少し、やるか。どうせ最終日だしな」

 

 

あと数時間でテスト期間終了。

そうすれば、この世界との関りは終わる。

他のテスター達はログアウトを開始しているのだろうか、などと考える。

そんなことを考えていると。

 

 

 

――βテスト終了5分前になりました。プレイヤーの皆様はログアウトをお願いいたします。テストへのご参加ありがとうございました――

 

 

 

無機質な声のアナウンスが流れる。

これで、仮想世界との触れ合いはすべて終わり。

そう思いながら、ログアウトをする。

 

 

「……っ」

 

 

ログアウトをし、頭からナーヴギアを外す。

起き上がり、目を閉じて息を整える。

そんな風に静かにしていると。

 

 

―カタン。

 

 

小さく音を立てて、何かが落ちる音が室内に響く。

 

 

「……?」

 

 

何かと思い、音がした方…玄関へと向かう。

そこには、小さな封筒が落ちていた。

 

 

「…」

 

 

封筒を拾い上げ、封を切りながら戻る。

そして、中身を取り出すと、一枚の手紙と。

 

 

「これは…」

 

 

そこに同封されていたのは、一本のゲームソフト。

初回ロットとして1万本しかない、けれど予約が非常に多く競争率が高いソフト。

ソードアート・オンライン。

その一本が、同封されていた。

 

 

「……」

 

 

どういう事なのかと、同封された手紙を見れば。

 

 

――正式サービスに参加の上、仮想環境での戦い方を確固たるものとしてほしい。

 

 

とだけ、書かれていた。

 

 

「…」

 

 

どういう事なのか、いよいよ疑問が大きくなる。

こんな事をすることが一体何の役に立つのかがまるで分からない。

とはいえ、他に依頼があるわけではない。

だとすれば、報酬すら不明だが、今はこの任務に就く事が、自分のすべき事。

 

 

「……いいだろう」

 

 

目を閉じる。

現実だろうが、仮想だろうが、時雨には関係ない。

任務とあらば、戦い、殺す。

明確な標的がないのなら、ただ、目の前に立ち塞がる者全てを打ち倒す。

 

 

「…」

 

 

そして、叶うのならば。

ただ打ち倒すのではなく、かつて自分を守ってくれた父のように。

誰かを守るための力を、得るために。

 

 

「……」

 

 

そこまで考え、時雨は目を開く。

ここまでしてきた事が、そんな事で帳消しになるとは思わない。

いずれは、報いを受ける時が来るかもしれない。

その最期が、ここで来るのだとしても。

 

 

…ただ、戦う。

それしか、出来ることはないのだから。



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Chapter-1 : Ainclad
第1話:娯楽の終わりを告げる鐘


正式サービス開始日。

時雨改めシグレは正式サービスから数分遅れてログインをしていた。

数分遅れただけなのに、周りにはプレイヤーと思われるプレイヤーが数十、数百といる。

この事から、この日を心待ちにしていたプレイヤーの多さを思い知らされていた。

 

 

 

「……」

 

 

始まりの町。

作成したキャラクターについては、レベルは1だが、武器の熟練度は保存されていた。

とはいってもレベルが1では敵に与えられるダメージが大きくないので、レベル上げは必須だが。

初期配布の装備として、剣一本が支給されているのはテストと同じだった。

 

 

「まずはレベル上げ…か」

 

 

剣を装備し、町の外へ出る。

辺りには、テストのときに散々相手にした猪型モンスター。

スキルは初期化されているが、通常攻撃の感覚は覚えている。

 

 

「ふっ…!」

 

 

剣でモンスター狩りを行う。

この辺りであれば、レベル1でもそれほど問題はなかった。

MMOの特徴なのか、このレベルであれば経験値の溜まりも早い。

 

 

「とりあえず武器を揃えるだけの金か…」

 

 

とりあえず、武器は揃えるべきだろう、などと考える。。

とはいえ、このあたりで稼げる金は、装備を買うという目的においてはたかが知れた程度。

稼ぐために敵を倒していれば自然とレベルが上がっていた。

 

 

「……」

 

 

剣を一振りし、魔物の血を振り払う。

その飛沫すらリアルなのはさすが、というべきなのだろうか。

狩りの為に持ってきていた回復アイテムが少なくなってきて、一度戻ろうかと考えていた矢先。

 

 

「…?」

 

 

ふと、モンスターと対峙する一人の女性プレイヤーが目に入る。

細剣を持って敵を倒しているようだが、どうやら慣れていないのか、動きに無駄があるように見えていた。

 

 

「……」

 

 

とはいえ、慣れていないとはいえ、あそこまで圧倒されるものだろうか、などと考えるシグレ。

そのことから、おそらく運動とはあまり縁がないのだろうと推測する。

 

 

「くっ…!」

 

 

ついには突進攻撃で武器を弾き飛ばされ、体勢を崩している。

あの状態で突進されたら避けようがないだろう。

 

 

「……」

 

 

助ける義理があるわけではない。

どうせ戦闘不能になっても、街に戻されるだけだろう。

だが、見てしまった以上、放置するのも寝覚めが悪い。

武器を構え。

 

 

「…っはぁっ!」

 

 

覚えたてのスキルを発動し、脇から近づき敵を撃破する。

それなりのダメージが与えられていたのか、あっさり敵は撃破され、モンスターは光の粒となって消えた。

 

 

「…平気か?」

 

 

納刀しながら倒れている女性に尋ねれば、無駄のない所作で立ち上がり。

 

 

「ありがとう。助かりました」

「礼はいい…勝手にやっただけだ」

 

 

礼を言われる。

作成したアバターだからというのもあるだろうが、美人といって差し支えない女性に笑顔でお礼など言われれば小恥ずかしいもので、思わず視線を逸らす。

 

 

「ふふっ…」

 

 

その様子が可笑しかったのか軽く笑われる。

自分でも可笑しい気がしていたので、何も言い返せない。

 

 

「…もう平気か?」

 

 

尋ねると、女性は頷き。

 

 

「ありがとう…とはいっても、ナーヴギアはお兄ちゃ…兄のものだから、頻繁に来ることはないかもしれませんけど」

「そうか。まぁいいんじゃないのか?」

「…ん」

 

 

そんな感じで軽く談笑をした後。

 

 

「それじゃあ…今日はありがとうございました。そろそろログアウトしますね」

「あぁ」

 

 

それだけ言い、ログアウトするためにメニューの操作を開始する女性。

振り返り、自分も街に戻るかと歩き出そうとしたとき。

 

 

「…あれ?」

「どうした?」

「あ、その…ログアウトボタンが……ないんです」

「は?」

 

 

一瞬耳を疑う。

そんな馬鹿な、と思い自分もメニューを操作するが。

 

 

「……」

 

 

確かに、存在しなかった。

正確には、ボタンの部分が空白になっていて、ログアウトボタンを押すことができなかった。

口元に手をやり、どういうことなのかと考えてる。

 

 

「……」

 

 

βテストの時は確かにログアウトボタンがあった。

それが正式サービスになってバグになるなど、普通は考えられない。

試作段階で問題がなかった部分が、正式サービスで問題になる。

そんな事になれば、テストの意味がない。

 

 

「…」

 

 

他にログアウトの方法があったかどうかを考えるシグレだったが、直ぐには思いつかない。

 

 

「…どうしよう。早くログアウトしないと怒られちゃう…」

「……家族がいるのなら、強制解除してもらえるのではないか?」

「そうかもしれないけど、その後のことを考えると…」

 

 

不安げに言う女性に、シグレは提案する。

外部から強制解除…すなわち、頭からナーヴギアを外せば、手段はどうあれゲームを中断できる。

 

 

「まぁ、そのあたりは事情を説明して…」

 

 

シグレは言いながら、ある考えに至り、言葉を止める。

 

 

「…?あの…?」

「……妙だとは思わないか?」

「え?」

 

 

シグレは女性に対し、言葉を続ける。

 

 

「…ナーヴギアとて所詮はゲーム機だ。電源を切るなりすれば強制切断が出来るはずだが…お前の家族は、何故それをしない?」

「そういえば…そうですね」

 

 

シグレの言葉に女性は答えられない。

シグレは一人暮らしの為、そのような考えには至らなかったが、女性には家族がいる。

だからこその疑問であるのだが、答えは出ない。

 

 

 

…突如、辺りに鐘の音が何度も響き渡った。



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第2話:絶望を告げる紅

鐘の音に合わせるように強制的な転移が起こり、気が付けば町の広場。

シグレが辺りを見回せば、先ほどの女性も含め、皆が皆次々にここに転移しているのか、転移の光が次々に現れてはプレイヤーが増えていく。

女性もまた、何が起こったのか、と言わんばかりに辺りを見回している。

 

 

「…あ、上」

 

 

誰かの声が聞こえ、ふと上を見上げると。

 

 

『Warning』

『System Announcement』

 

 

そんな文字を持つ赤色のオブジェクトが空全体に広がっていく。

 

 

「警告…システムアナウンス……」

 

 

呟く頃には、オブジェクトが空一面を覆いつくし、空が真っ赤に染まる。

やがてオブジェクトの隙間から血を想起させる赤色の液体が流れ落ち、それが人が羽織るローブの形をとっていく。

日常に似せられた仮想世界の中に突然現れる、気味悪く感じる非現実。

皆がざわつく中。

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ…私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 

突如現れたローブはそう名乗る。

茅場晶彦。

あちこちで話題になっている、所謂時の人、ともいうべき人物の名。

このソードアート・オンライン…ひいてはナーヴギアの開発者。

 

 

『諸君はもう、メニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしこれは不具合ではない』

 

 

不具合ではなく、仕様である。

それはつまり、自発的にゲームを終了することはできない、ということだった。

 

 

『加えて、外部からのナーヴギアの停止、或いは解除もあり得ない。もしそれらが試みられた場合、ナーヴギアの発する高出力マイクロウェーブが諸君らの脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 

ここまでならイベントだろう、何を馬鹿な、と考える者もいるだろう。

しかし、シグレはそうは思わなかった。

何故なら、それが真実であるなら、先ほどの疑問の回答になるからだ。

 

 

『この警告を無視し、家族、あるいは友人が強制的に解除を試みた例が少なからずあり…この結果、213名のプレイヤーがこのアインクラッド、および現実世界から永久退場している』

 

 

言いながら、上空に現実のニュースの映像などを展開し、それを現実だと押し付けてくる。

その中には、プレイヤーの家族であろう誰かが涙を流している映像もあった。

おそらく、知らずにナーヴギアを解除し、死亡をしてしまったのだろう。

 

 

「…大丈夫か」

「いや、嘘よこんな……っ」

 

 

先ほどの女性プレイヤーはその場に倒れそうになるのを支える。

声をかけるが、反応がない。

というより、若干錯乱しているようにも見える。

ゲームを停止することはできない。

それはつまり、ゲームから出られないということで。

 

 

『諸君には今後、十分に留意してもらいたい。今後あらゆる蘇生手段は機能せず、HPが0になった瞬間、諸君らのアバターは消滅し、同時に…』

 

 

―――諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される。

 

 

そういう頃にはプレイヤーは誰一人声を発しなかった。

発することができなかった、というほうが正確だろう。

ゲームの中とは思えない妙な静寂が辺りを包む。

 

 

『諸君らが解放される条件はただ一つ。このゲームをクリアすればよい』

 

 

ここはアインクラッド第1層。

各層のフロアボスと呼ばれるボスを撃破すれば次の階層に進むことができる。

第100層のフロアボスを撃破すればゲームクリア。

 

 

「馬鹿な…」

 

 

思わず吐き捨てる。

というのも、βテストでボスの撃破に挑んだが、第1層ですら厳しいものだった。

今、いくら慣れてきたといっても、それでも戦闘不能者0は厳しいことは火を見るより明らかだった。

だというのに、第100層。

 

 

『最後に、諸君らのアイテムストレージにプレゼントを用意した。確認してくれたまえ』

 

 

その声に、皆が一斉にメニュー操作を開始する。

 

 

「…大丈夫か?」

 

 

その声に、女性プレイヤーは小さく頷き、操作を開始した。

こちらも少し離れ、メニューを操作する。

そこにあったのは…

 

 

「…手鏡?」

 

 

アイテムを実体化する。

目の前に移るのは当然自分のアバター。

 

 

「…っ!?」

 

 

その瞬間、突然光に包まれる。

目を開いていることすら厳しい強烈な光。

だがその光はそれほど長い時間ではなく、すぐに収まる。

すると。

 

 

「…これは、俺か」

 

 

とはいえ、自分の顔をベースにアバターを作ったので、それほど驚くほどの変化はない。

しかし、周りは容姿が大きく変わったもの、あるいは性別すら変わったものもいるのか、混乱していた。

そんな混乱を知ってか知らずか、上空に浮かぶローブの茅場は言葉を続ける。

 

 

『諸君らは何故、と思っているだろう…何故、ソードアートオンライン開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか、と』

 

 

―目的は既に達成されている。この世界を作り出し、干渉するためだけにこの世界を創った。

 

 

『……以上で、ソードアートオンライン正式サービスのチュートリアルを終了する』

 

 

プレイヤー諸君の健闘を祈る。

それだけ言い残し、ローブはその場で霧散した。

 

 

「……」

 

 

夕暮れに戻った空を見上げる。

ふと握りしめた手には、無意識に力が籠っていた。



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第3話:立ち止まる者、歩き出す者

皆が皆錯乱する中。

 

 

「…おい、大丈夫か」

 

 

先ほどの女性プレイヤーも両手で頭を抱え、その場で蹲っていた。

シグレが声をかけても、反応がない。

女性の前でしゃがみ、表情を窺うシグレ。

 

 

「…」

 

 

視線は地面を向いている。

おそらく、彼女は何も見ていない。

というより、見えていない。

 

 

「…」

 

 

この後、クリアを目指し町を出て先に進んでいくつもりのシグレ。

とはいえ、放っておけば自殺するかもという状態の女性を放り出すほど無責任にはなれなかったシグレは女性に手を貸し。

 

 

「…立てるか?」

 

 

肩を支え、なんとか彼女を立ち上がらせる。

シグレの問いに女性は答えない。

とりあえず、宿に送るかと考え、町の宿を目指すことにした。

 

 

 

宿までは広場からそこまで遠くなく、宿にたどり着いてからシグレはNPC相手に手続きを行う。

稼いだ金を使い、7泊分の金額を支払い、部屋のカギを受け取るシグレ。

 

 

「…大丈夫か」

「ん…ありがとう、ございます」

 

 

ぼんやりしている彼女にお礼を言われながら。

 

 

「…とりあえず7泊分だけ確保しておいた。この後どうするかは自分で決めろ」

「どうして…?」

 

 

立ち上がり、扉を開け外に出ようとした時に言葉を投げかけられ、歩みを止めるシグレ。

 

 

「どうして…ここまで、してくれたの……?」

「…放っていって、それが原因で自殺でもされたら寝覚めが悪いからな」

 

 

シグレの中では、彼女は放っておいたら自害するかもしれない。

それくらいに精神的に追い詰められているのでは、と懸念をしていた。

 

 

「…あいつは言った。終わらせたければクリアをしろと。ならばクリアをすればいいだけの事」

「無理よ、そんな……」

 

 

βテストの時のことを考えれば、戦闘不能を視野に入れなければ先に進むことも難しいかもしれない。

まして、一度HPが0になれば現実でも死ぬとなれば、さらに慎重になる。

 

 

「…確かに、難しいだろうな」

 

 

シグレは、だが、と続ける。

 

 

「ここで死のうが、現実に戻ってそこで死のうが、どちらも等しく死だ。ならば足掻いて死んだほうが後悔はない…少なくとも俺は、だが」

「……」

「それに…どうせ俺には帰りを待つ奴などいない。だから俺が死んでも悲しむ者はいない。だが…お前はよく考えるといい。帰りを待つものがいるのなら…な」

 

 

それだけ言い、シグレは部屋を後にする。

ここから先は、本人次第。

外に出て、扉が閉まる。

そこから先は、シグレは振り返らなかった。

 

 

「……7泊で70コル。最初の町は安くて助かるな」

 

 

こういうRPGの最初の町の宿から高くては困るが、さすがにゲームバランスは調整がされており、そう無理のない金額。

とはいえ、最初の町では稼ぎにくい部分もあるので、どうしたものか、とシグレは考えながら宿の出口へ向かう。

 

 

「…まぁ、少し歩いて考えるか」

 

 

割のいいクエストがあれば、それに越したことはないのだが、と考えるシグレ。

βテストの知識だけでは心当たりがない。

正式サービスで増えていればいいが、なければ外で狩りをすればいい。

そう考え、シグレは宿を後にして、夜の街へと踏み出した。



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第4話:取り戻すために、伝えるために / Asuna

** Side Asuna **

 

 

彼が出て行ってから、どの位経っただろう。

少なくとも、数時間は経っている。

何故なら、外はもう暗くなっているから。

チュートリアルの時は、夕暮れだった。

宿の中の家具が月明かりに照らされ、静かに照らされている。

 

 

「っ…」

 

 

電気を点けてすらいないが、ずっと蹲っていたせいで気づかなかった。

けれど、不思議と、明かりをつけようという気は起きなかった。

考えれば考えるほどやりきれない思いが募る。

現実ではないこの世界から、戻れなくなって、このままここにずっといたらどうなってしまうのか。

考えたくもない。

 

 

「…」

 

 

本当なら、今頃私は家族で食事を摂っていたのだろう。

あるいは食事が終わっているだろうか。

ところが今は、仮想世界の、暗い宿の中で一人。

予想もしていなかった、望まぬ現実を押し付けられたという、一種の絶望。

その絶望に押し潰されそうであるという自覚はあるが、どうすれば彼のように立ち上がれるのか。

 

 

「……」

 

 

ふと、彼が言った事を思い出す。

どうせここで死ぬのなら、足掻いて死ぬことを選ぶ、と。

彼はきっと、ゲームクリアに向かって走り出したのだろう。

そしてそれを目指すのは、彼一人ではない。

そんな人たちに比べて、今の私はこんなにも弱い。

けれど。

 

 

「…こんな風にしてる場合じゃ、ない」

 

 

帰りを待つ者がいるなら、考えろ、とも彼は言った。

家族、友達、私が大切に思う人達。

そんな人達のところに帰るために。

私の現実を取り戻すために。

 

 

「…よし」

 

 

立ち上がり、細剣を手に取り、部屋を出る。

辺りは暗かったが、関係ない。

 

 

彼は、強かった。

戦いの技術もだが、何より心の強さも。

だからこそ、彼は前に進めているのだと思う。

けれど、負けていられない。

負けているようでは、絶対に帰れないから。

 

 

 

だからこそまずは、自分が戦えるようにならなきゃいけない。

守られるのではなく、守れるくらいに。

あの時私を助けてくれた、彼のように。

 

 

「…待ってなさい。必ず追いついて見せるから」

 

 

そして、追いついたら言ってやろう。

彼の強さは、私から見て相当の物だった。

剣の強さも、心の強さも。

…けれど、少なくとも一つだけ、彼は間違っている。

 

 

「…貴方が死んで悲しむ人は、いるのよ」

 

 

貴方が死んで悲しむ者は、少なくともここにいると伝えるために。

そして何より。

 

 

「…名乗ってなかったから」

 

 

強くなって、彼に追いついたら名乗ってやるんだ、と。

そう思いながら歩きだす。

さっきより、気分は晴れていた。

 

 

** Side Asuna End **



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第5話:手を取らず、戦う者

暗くなったフィールドで、シグレは一人モンスター狩りを続ける。

街の中のように明かりがないため、月明かりのみが頼りの中、シグレは迷いなくモンスターを光の粒に変えていく。

 

 

「…」

 

 

敵の強さについては昼間の狩りで凡そ把握しており問題がない。

だから今ここですべきなのは。

 

 

「…はっ!」

 

 

その場から斜め後ろに振り返りスキルを発動する。

するとスキルは敵に命中し、威力もあって一撃で敵を撃破する。

……今は、敵の気配を感じる訓練の時間だった。

 

 

フィールド上だからこそ敵の数はそこそこ多く、倒しても再度現れる。

敵の気性はそれほど荒くなく、自分から襲ってくることはないが、それがむしろ訓練には好都合だった。

 

 

「…今日はこのくらいにしておくか」

 

 

とはいえ、シグレもプレイヤーであり、決して無敵というわけではない。

現に、シグレのHPは幾分か減っている。

その理由の大半が、一撃で倒しきれなかったことによる反撃。

それでも戦い続けているうちに、突進攻撃を剣で受け流したり、避けたりも出来るようになってきていたが。

敵の気配を見落とせば、命の危険があることは間違いない。

 

 

「…まだ街の周りだったか」

 

 

少し距離があるとはいえ、まだ全然歩いて戻れる距離である。

やがてシグレは剣を納め、歩き出す。

向かう先ははじまりの町ではないが。

 

 

「……」

 

 

マップを確認し、シグレが向かう町はトールバーナ。

第一層の迷宮区に近い町。

 

 

 

できるだけ街道沿いを歩くが、それでも多少の敵との遭遇は避けようがない。

とはいえ。

 

 

「…この程度であれば、もう余裕か」

 

 

気づけばレベルは10。

決して高くないレベルとはいえ、このあたりの敵を狩るには十分なレベルだった。

 

 

「…ふん」

 

 

剣一振りであっさりと光の粒に変わる。

さすがにこの辺りで入る経験値でのレベルアップも厳しくなってきたと感じるシグレ。

 

 

「そろそろ行くか」

 

 

敵のAIも学習しているのだろうか。

何度も蹴散らされる様子を見てか、徐々に襲い掛かってくる敵が減ってきている気がしていた。

 

 

 

そんなこんなで、若干距離があったもののトールバーナに到着。

とはいえ、まだほとんどのプレイヤーがはじまりの町にいるのか、NPCの決まりきった台詞が聞こえてくる以外はそれほど活気がない。

夜、というのもあるのだろうが。

 

 

「……」

 

 

町を歩くと、石畳の上を歩く時の独特な音が響く。

さすがに少し休んで、翌日に備えるために宿に向かっていた。

 

 

 

…その時。

 

 

「…?」

 

 

歩きながら、剣に手をかけ、背後を警戒する。

先ほど狩りをしていた時の気配を感知する訓練がこうも早く活きるとは思わなかった。

剣の柄に手をやり、いつでも抜刀できるようにし、相手の気配を悟り。

 

 

「っ…!」

 

 

射程に入ったところで一気に抜刀し、背後の気配に向かって斬撃をかける。

とはいえ、威嚇なので命中はさせない。

 

 

「うわっ!?」

 

 

相手の眼前に切っ先を向けると、驚きからか、相手はその場に尻餅をついて倒れこむ。

シグレもそれに合わせ切っ先を相手の鼻先から外さない。

 

 

「…何者だ」

「名乗る。名乗るから頼む…切っ先を退けてくれ」

 

 

相手は両手を挙げ、降参のポーズをしながら溜息交じりに懇願する。

 

 

「…突然背後に表れて警戒をするなという方が無理がある」

「う…それは、すまない。この町に来て初めて見かけたプレイヤーだったから」

 

 

相手の言い方にシグレは思考を巡らせる。

町に来て初めてシグレを見た、ということは少なくともシグレより先にここに来ていたことになる。

となれば、そこそこの経験があるプレイヤーということになる。

 

 

「…」

 

 

シグレは溜息交じりに納刀。

相手もそれに安堵の溜息を洩らし、立ち上がる。

 

 

「突然すまない。俺はキリトだ。次の層に向かうためにこの町に来たんだ」

「…βテスタか」

「……なんで、そう思うんだ?」

 

 

キリトに尋ねられ、シグレは考えることもなく。

 

 

「簡単だ。次の層に向かうという目的でここに来たということは、迷宮区がどこにあるかを知っているから。そんな事はまだ公表されていないはずだ。知っているとすれば開発者か…」

「既プレイか…ってことか」

「そういうことだ」

 

 

察しがついているだろうが、俺もだ、とシグレは付け加える。

 

 

「…なら話は早い。ボス撃破のために俺と組んでくれないか?」

「……見たところ、お前もソロプレイヤーだな」

 

 

キリトの問いに対し、シグレは視線を逸らさずに返す。

 

 

「だったら…何だ?」

「…俺もそうだ。まして、信用できるかどうか分からない相手と手を組めるはずもあるまい…その時点で答えは見えているんじゃないのか?」

 

 

そこまで言うと、キリトはそれ以上は言ってこなかった。

問答は終わりだろうと思い、背を向け歩き出す。

 

 

「分かった。お節介かもしれないがボスのことは知ってるんだろ?無茶はするなよ」

「…忠告はありがたく受け取っておく。こっちも手荒な真似をしたな…悪かった」

「いや、それは別に…」

 

 

会話もそこそこにシグレはキリトに背を向けたまま歩き出す。

忠告は受け取るが、この世界…多少なりとも無茶をしなければクリアは見えないと考えていたシグレ。

一方で、先ほど会ったキリトは、誰かと協力して戦っていけるのだろう。

だからこそ、声をかけてきた、とシグレは思っている。

その存在が、シグレには眩しく見える。

同時に、そのような相手に関わり、仲間になるのは自分ではない、と考えていた。

 

 

「…」

 

 

キリトに限った話ではないが、無駄に誰かを死の危険に晒す必要もない。

そんな事をするのは、自分だけでいい。

現実に戻った後の希望がない存在である自分が死ぬのは、誰も困らない。

 

 

だからこそ、とシグレは夜の街の中に歩いていく。

少しでも平和にこの世界を終わらせる為に、シグレは歩き続ける。



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第6話:帰還を待つ者 / Sinon

** Side Sinon **

 

 

その頃、現実世界では『SAO事件』被害者の搬送が次々行われていた。

私が部屋を借りているマンションでは。

 

 

「いいか、ナーヴギアの電源関係、ネットワークの接続に常に注意しろ!」

「「了解!」」

 

 

医療関係者が慌ただしく動いていた。

ニュースでも、様々な地域でこれと同じ光景が広げられていた。

中には搬送中にネットワークが切断されて、プレイヤーが死亡する事故があったらしく、搬送するほうもかなり慎重のようだ。

しかし、日本全国で1万人というメンバーのうち1人がここにいるというのもなかなかの確率だ。

そう思い、私…朝田詩乃はそっと玄関を開け、外の様子を見た。

その時、被害者がタンカに乗せられ運ばれていく途中で。

 

 

「え…?」

 

 

ナーヴギアに覆われ、顔全体を覆ってこそいるが、それでも分からないはずがない。

けれど、私を救ってくれた彼の事を、忘れるはずがない。

ギア越しの顔を見て、私は言葉を失った。

 

 

「せ…先ぱ…い……?」

 

 

そこにあったのは、私を救ってくれた大切な人…華月時雨先輩の姿だった。

私は部屋着であることも忘れ、運ばれていく彼に縋るように追いかけていく。

 

 

「先輩!?どうして先輩が!」

「ご家族の方ですか?」

「いえ、違います…違いますけど、私も一緒に行っていいですか…!?」

「……分かりました」

 

 

通常は家族の同伴なのだろうが、家族と連絡が取れない、との理由で特別に同伴を許可してもらった。

先輩からは家族の話を聞いたことがないが、聞きにくい話題ということもあり聞けなかった。

それでも、連絡がつかない、というのはどこか妙な気がした。

 

 

 

救急車に乗り、近くの病院まで搬送された。

搬送中も電源に留意されながら移され、病院に移されるまで問題なく搬送が終了した。

搬送されたとはいえ、特に身体的に問題があるわけではないので、ただ病院のベッドに寝せられ、電源を繋がれただけだが。

 

 

「…先輩」

 

 

静かな病室で、無機質な電子音だけが、先輩が生きていることを伝えてくる。

医師に軽く挨拶をされ、これから家族への連絡を試みるということで、カーテンに仕切られた病室の一角には眠り続ける先輩と私だけ。

眠り続ける先輩を見ると、かつての事を思い出す。

ある事件があったとき、彼が私を救ってくれた。

それ以来、疎遠になっていたけれど、またいつか会いたいと。

会って、お礼を言いたいと思っていたのに。

 

 

「どうして、こんなことに…どうして…!」

 

 

あの時から、たとえ会えなくても私の心の支えだった。

いつか、私も強くなって、あの時のお礼をしたいと、ずっと思っていたのに。

いざ彼が危険に晒されている今、私は何も出来ていない。

 

 

「…お願い、どうか無事に帰ってきて…先輩…!」

 

 

眠り続ける先輩の手を取り、祈るだけで精一杯だった。

先輩が私の事を覚えていてくれているかなんて分からない。

彼が目覚めたとき、ひょっとしたら初対面のように扱われるかもしれない。

けれど、それでも。

 

 

「どうか…!」

 

 

無事にもう一度会えれば、きっとやり直すことも出来るから。

 

 

 

** Side Sinon End **



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第7話:手を取り、戦う者 / Kirito

** Side Kirito **

 

 

このゲーム開始から1ヶ月。

第1層ボス攻略会議。

 

 

「はーい!それじゃあそろそろ始めさせてもらいます!俺はディアベル、職業は…気持ち的に騎士(ナイト)やってます!」

 

 

そう自己紹介をすると周りからいろいろ突っ込みが入り、場が和む。

しかしそれはすぐに終わる。

 

 

「…今日、俺たちのパーティが塔の最上階でボスを発見した。俺たちはボスを倒し、このゲームがいつかクリアできることを示さなきゃならない!そうだろ、みんな!?」

 

 

その呼びかけに、周りの士気が高まる。

 

 

「…OK、じゃあまずは、6人のパーティを組んでみてくれ!」

 

 

どうしようにも、ゲーム内に知り合いなんて、せいぜいクラインと…あいつくらいだが。

あたりを見回してもそれらしき人影がない。

どうする…!?と思いながら見回すと、一人離れたところに座る…ローブを被ったプレイヤーが一人。

 

 

「…あんたも、あぶれたのか?」

「あぶれてない。周りが皆お仲間同士だったみたいだから…遠慮しただけ」

「……ソロプレイヤーか。なら、俺と組まないか?…今回だけの、暫定だ」

 

 

俺の言葉に頷いてくれた。

パーティ申請を出し、受理してもらうと相手の名前が表示される。

Asuna…アスナ?

 

 

その後、一悶着あったりしたが、無事に会議は終了。

出発は翌朝10時ということになり、解散となった。

 

 

 

その夜、街の路地裏。

ここに来た理由というと。

 

 

「結構旨いよな、それ」

 

 

パーティメンバとの会話。

 

 

「座ってもいいか?」

 

 

尋ねるが、返事は無し。

近くに座ると、あからさまに離れられた。

…別にいいけど、少しだけ傷ついたのは秘密だ。

 

 

「…本気で美味しいと思ってるの?」

「もちろん…ただ、少し工夫はするけど」

 

 

言いながら、あるアイテムを実体化し、渡す。

相手はアスナ、というのだろうけど名乗ってもらったわけでもないし、読み方が間違ってたらということもあって呼びにくい。

…なんか怖いし。

 

 

「…クリーム?」

「そのパンに使ってみろよ」

 

 

恐る恐るクリームをつけたパンを口に入れ、気に入ったのか一気に食べていた。

クリームはなくなってしまったが、まぁいいか。

 

 

「一個前の村で受けられる、逆襲の雌牛ってクエストの報酬。やるならコツを教えるよ」

「…美味しいものを食べるために、私はここに来たわけじゃない」

「じゃあ…何のために?」

 

 

まぁ、このゲームでグルメ街道みたいなことをするプレイヤーはいないだろうとは思っていたし、仮にそうだとしても攻略会議には出てこないだろうと思っていたが。

 

 

「…人を探してるの」

「人?」

「このゲームが始まった日に絶望しそうになった私を救ってくれた人。その人の言葉があったから、今、私はここにいる」

 

 

…絶望から引っ張りあげるほどの言葉をかけられる人物、か。

 

 

「そうか…会えると、いいな」

「…会えるといい、じゃなくて、必ず追いつく。言ってやりたいことがあるから」

 

 

言ってやりたいこと、か。

そのあたりのことに突っ込むのは野暮かな。

 

 

「じゃあ…明日の朝10時に、また」

 

 

それだけ言うと、頷いてくれた。

 

 

** Side Kirito End **



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第8話:その背を、追う者 / Asuna

** Side Asuna **

 

 

パーティ申請をしてきた彼が去った。

明日に備えて休むのだろう。

それは別にいいことだと思う。

 

 

「…」

 

 

けれど、私は。

腰に携えた細剣の柄に手をやり、立ち上がって町の外のフィールドに向かう。

 

 

 

フィールドにて。

 

 

「やぁっ!」

 

 

私は剣で敵を貫く。

細剣の長所はこのスピードにあるだろう。

彼に助けられ、彼と別れてから、彼に追いつくためにレベルを上げることに専念していた。

けれど、どれだけ頑張っても彼に追いついた気がしない。

 

 

「彼の強さは…こんなものじゃなかった」

 

 

ひょっとしたら美化しすぎているのかもしれない。

けれど、はじまりの町周辺のフィールドで私が敵にやられそうになった時に守ってくれた彼の戦い方は、長剣でありながら私が持つ細剣並の速さで。

長剣の威力を余すところなく発揮する斬撃は細剣など相手にできない威力であった。

 

 

 

だからこそ、立ち止まっていられない。

少なくとも、速さで彼に勝てるくらいでなくては、私の言葉はきっと彼に届かない。

 

 

「やぁっ!」

 

 

細剣のスキルで、敵を一気に貫く。

敵は一撃であっさりと光となって消えていく。

 

 

…もう何度、モンスターが光の粒になる姿を見ただろう。

それでも足を止めずに、次のモンスターを探す。

 

 

「せいっ!」

 

 

細剣でモンスターを貫けば、一撃で倒せる程度にはなってきた。

普通の剣に比べて速度重視な代わりに威力が劣る細剣でこれなら、それなり、なのだろう。

けれど、それで満足はできない。

この層をクリアして終わり、というわけではないのだから。

 

 

「せやああぁっ!!」

 

 

ソードスキル『リニアー』。

基本的な技らしいが、それでも通常攻撃よりは威力が上。

このあたりのモンスターであれば楽に倒せる。

 

 

「っ…」

 

 

細剣を鞘に納め、街の方に視線を向ける。

この街、というよりボスの攻略に関する場所に来れば、彼がいるだろうと期待したが、いなかった。

どこか別の街にいるのだろうか、と考え、すぐにその考えを捨てた。

理由は単純。

何故なら、ゲームクリアを視野に入れていたから。

だとすれば、私のように、とまでは言わずとも、ボス攻略会議を見逃すはずがない。

 

 

「…まさか」

 

 

一人、迷宮区に向かったのでは、と考えてしまう。

帰りを待つ者がいない、と言っていた彼なら、ありえない事ではない。

攻略できればそれでよし、できなかったとしても自分が死ぬだけなら問題はない。

そのくらいの事を考えてもおかしくない。

実際、私も一時そんな事を考えたこともあった。

 

 

「っ…」

 

 

その懸念が、私の足を一瞬だけ迷宮区に向けさせるが、すぐに足を止める。

もし、彼がそこにいなかったら。

仮に向かっていたとしても、最悪の事態になっていたとしたら。

一人で迷宮区に挑んで、私は無事でいられるだろうか。

 

 

…私は、こんなにも弱かった。

彼に助けられて数週間、戦いの中に身を置いて、自分を鍛えてきたつもりだった。

けれど、いざとなれば、一人で未知の領域に踏み込む度胸すらない。

 

 

「っ…まだまだね、私……」

 

 

私はβテスターじゃないけど、それでもそれなりにこの世界で戦いの経験を積んだつもりでいた。

けれど、それで彼のように一人で攻略する度胸がつくかと言われれば、少なくとも私はつかなかった。

実際、今日のように攻略会議が行われるのだから、私のような人は大勢いるはず。

だとすれば。

 

 

「…貴方は、一体どれだけ経験を積んで、それだけの強さを身につけるに至ったの?」

 

 

私の疑問は、夜風と揺れる草木の音に流され、誰にも届かない。

 

 

 

** Side Asuna End **



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第9話:孤独に、前へ

第1層迷宮区。

 

 

「…」

 

 

敵を倒した剣を鞘に納める。

さすがに次の層に続く道だけあり、フィールドより敵は全体的に強い。

それがシグレが第一に感じた印象だった。

そのせいもあって、初激だけで倒すには至らないが、それほど苦戦はしなかった。

 

 

「…」

 

 

シグレは目の前の扉に目をやる。

ひときわ大きな扉。

それがボスのいる部屋への扉だと察するのに時間は必要なかった。

そうなれば、この扉の先にいる敵は一筋縄ではいかない。

分かっている事だ。

だが、それでも歩みは止めない。

 

 

「どうせ喪っても誰も悲しまないこの命…」

 

 

ボスを倒せたならそれでよし。

そうでなくとも弱らせることで、後々ここに来るメンバーの助けにはなるだろう。

シグレは息を一つ吐き。

 

 

「…行くか」

 

 

大きな扉に手をかける。

手を触れ軽く力を入れると、システムのアシストがあるのか、扉はひとりでに開いていく。

 

 

 

そうして扉が開かれた先は大広間。

一人で来たせいか、足音がやけに部屋の中に響く。

 

 

「っ…!」

 

 

突然点いた明かりに、シグレは咄嗟に剣を抜き警戒態勢をとる。

部屋の最奥に、玉座に腰掛ける敵。

手に持っているのは斧のような武器。

βテストではボスに挑んではいなかったこともあるのだが、武器の大きさから力任せに攻めてくるタイプだと察する。

 

 

一撃が致命傷になる。

シグレはそう察するからこそ、動きに注視する。

 

 

次の瞬間、大きく振り下ろされる斧を横に飛んで躱す。

 

 

「っ……」

 

 

飛びながら、シグレは自分がいた場所に振り下ろされる斧を見て軽く息を呑む。

軽く瓦礫が散り、持ち上げられた地面は軽く抉れていた。

ゲームだというのに無駄にリアルだ、とシグレは考える。

すぐに着地し、視線をボスの巨体に定め、剣を構えて駆ける。

そんなシグレから守るように、ボスの取り巻きである、兜をつけた小さな…といっても、シグレと同じくらいの体躯の敵がメイスを手に立ち塞がる。

しかし。

 

 

「……邪魔だ」

 

 

シグレはこれまでフィールド、あるいはこの迷宮で戦ってきた経験を活かし、ボスの首元、兜と鎧の間を狙って薙ぐ。

その剣が取り巻きの頭と胴体を分断し、容易く取り巻きを光の粒に変える。

 

 

「っ…」

 

 

取り巻きは一体ではない。

しかし、何体であっても、今のシグレには及ばなかった。

一撃で光に変えるだけの力。

ここに来るまでに、何体ものモンスターを相手にしたことで積み重ねた経験。

それが、取り巻きでは相手にならない事への確証に繋がっていた。

 

 

「…!……!!!」

 

 

一方で、取り巻きとはいえ、あまりに容易く倒されていく仲間を見て狼狽える様子を見せる、ボス『イルファング・ザ・コボルトロード』。

取り巻きで動きを止め、その瞬間に斧を振り下ろす。

そのアルゴリズムが、たった一人に対して実行できない事実。

それがボスの思考ルーチンにエラーを引き起こす。

人間でいえば、自棄を起こした状態に陥る。



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第10話:戦いの先に、繋ぐために

その勢いのまま。

 

 

「ガアァッ!!!」

 

 

ボスはその斧をシグレに向けて振り下ろす。

しかし、シグレはどこまでも冷静に。

 

 

「…それはもう見た」

 

 

呟きながら、剣を手に地を蹴る。

向かう先は、ボスの懐。

斧は自分に合わせて的確に振り下ろされているが、その巨体が仇となり、武器と相手の体の間に隙ができる。

シグレはそこに潜り込み、ボスの巨体を支えるにはやや心細くも感じるその脚に斬撃を入れる。

 

 

「ガァッ!!?」

 

 

ボスが呻くように声を漏らし、シグレから距離を離すようにバックステップで距離をとる。

しかし、脚に受けた斬撃が効いているのか、着地の瞬間に軽くよろめく。

けれど、そこはさすがにボスというべきかすぐに立て直し、まるで何事もなかったかのように斧を構える。

それを見て、シグレも再度剣を構える。

 

 

「……ふん」

 

 

ボスのHPのバーの一本目が僅かに削れていた。

このペースでは、倒すのに相当な時間がかかることは言うまでもない。

しかし、シグレは自分からは攻め込まずに、ただ様子を窺う。

再度、睨み合い。

 

 

「……」

 

 

先に動いたのは、ボスだった。

ボスモンスターといえどゲームのプログラム。

結局のところ、決まった動きしかしない。

再度斧を振り下ろす。

シグレもまた、先ほどと同じように懐に潜り込み、脚を切り付けては、相手がバックステップで距離をとる。

ただ、その繰り返し。

 

 

「…」

 

 

シグレの攻撃がボスのHPを確実に削っていくが、その減りは小さい。

威力に重きを置いた攻撃ではないのだから無理もない。

けれど、HPバーが1つ削れたあたりで、減っていくHPとは別に、シグレはボスの動きの変化を察していた。

 

 

「…脚にきているようだな」

 

 

ボスの移動が覚束なくなってきているのを見ていた。

シグレこれまで、只管脚を狙い続けていた。

それがいよいよ効果を表してきた。

 

 

「…ふん」

 

 

それに伴い、シグレも攻撃の回避に余裕が出始める。

今一度、剣を構えなおすシグレ。

 

 

「……いくぞ」

 

 

次は、シグレが攻めに転じる。

そうなってからは、圧倒的だった。

ほとんど消耗もなく、動きに衰えのないシグレ。

一方で、脚への斬撃のダメージにより動きに衰えのあるボス。

 

 

「…取り巻きが残っていれば、多少は違ったかもしれないが…な」

 

 

ボスに諭すような言葉を残しながら、斬撃を叩き込んでいくシグレ。

その斬撃に容赦はなかった。

シグレは持ち前の速度を発揮し、ボスの四方八方から無作為に素早く斬撃を浴びせていく。

 

 

「ガ…グ……ッ!!」

 

 

ボスは痛む脚を庇いながらシグレを追おうとするが、その状態では追いつけず、されるがままだった。

さすがにボスも学習したのか、大振りな一撃をシグレに当てようとする事はなくなっていた。

やがて、HPゲージが残り1つ。

その1つのゲージが減り、赤表示に変わった瞬間。

 

 

「っ…!」

 

 

持っていた斧を放り投げるボス。

その突然の動きに、シグレも一度動きを止める。

事前の情報を持っていないシグレからすれば、警戒するに越したことはなかった。

次の瞬間、ボスは腰に下げていた鞘から、大振りの刀、野太刀を引き抜き。

 

 

「ガァッ!」

 

 

雄叫びを一つあげ、武器を構えて一気にシグレに距離を詰める。

 

 

「な…っ!?」

 

 

脚へのダメージが抜けきっていないのか、やや勢いが衰えていたことが幸いし、シグレは間一髪で横にそれを躱す。

勢いに任せたボスの巨体が、シグレのすぐ隣を突き抜けていき、シグレの鎧を掠っていく。

今までの動きとはまるで違うその動きに一瞬圧倒されるが、シグレはすぐに武器を構え、立て直す。

ボスの視線は、あからさまな怒りを込めてシグレに向けられる。

それは、自分より脆弱な存在にここまで追い詰められたことに対してか、それとも取り巻きを倒されたからか。

どちらなのか、あるいはどちらでもないのか。

けれど、シグレにとっては、そんなことはどうでもよかった。

 

 

「…敵は、倒す」

 

 

ただ、それだけ。

ただひたすら、冷静に。

 

 

どちらからともなく、シグレとボスは同時に動き、互いに距離を詰める。

この戦いも終焉が近い。

…この戦いが終わったとき、そこに立っているのは、どちらか。



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第11話:混乱と、先に続く道 / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

第1層、ボス部屋前。

昨日のボス攻略会議の参加者は皆、今ここにいる。

ボスを倒し、上を目指すために。

そして、解放の時に向けて歩みだすために。

 

 

「…皆、俺から言えることはたった一つだ…勝とうぜ!」

 

 

ボスの扉の前に立ち、皆を鼓舞するリーダーのディアベル。

その言葉が、これから命をかけた戦いが始まることを意味している事に息を呑む。

 

 

「……」

 

 

隣にいるアスナは、フードを目深に被っていて表情が窺えない。

人を探してる、って言ってたっけ。

けど、ここに来るまでの間、いたのはモンスターばかり。

人影は見なかった。

最悪の予想が脳裏を過る。

 

 

「なぁ…」

 

 

探している人物について尋ねようとしたが。

 

 

「行くぞ!」

 

 

気合を入れるように声を上げ、扉を開くディアベルに、俺の言葉は中断された。

 

 

 

そうして、扉を開けた先にあるのは、ステンドグラスのような色遣いで彩られた大きな部屋。

その奥には玉座があるが、そこにボスの姿はない。

 

 

「…?…どこだ…?」

 

 

誰かが呟く。

あまりに妙だった。

ボスの部屋にこれだけの人数で押し入ったのに、ボスとの戦闘が開始しない。

それでも、場所が場所だけに油断できず、誰も武器を納めない。

 

 

「……?」

 

 

360度、部屋中を見渡す。

すると、その中で唯一見つかったのが。

 

 

「おい、これ…確かボスが使うって情報にあった武器じゃないか!?」

 

 

誰かが驚くように言う。

明らかにプレイヤーが装備できるサイズを超えた斧武器。

それが誰が持つでもなく、地面に落ちているという事実。

ボスが倒された、と認識するまでにそう時間は要らなかった。

 

 

「まさか…」

 

 

あの時会った、あいつが…?

 

 

「……」

 

 

アスナもその結論に至ったのか、あたりを見回している。

とはいえ、その人物はこの場にはいないようだが。

すると。

 

 

「…なんや、次の階層への扉、開いとるやないかい!」

 

 

次階層への扉が開かれていることに気づき声を上げる。

声の主はボス攻略会議で、βテスターに意見をしていたからよく覚えている。

確か、キバオウとかいう男だ。

 

 

「っ…!」

 

 

その言葉に反応するように、アスナは駆け出す。

その先は、第2層への扉の先。

 

 

「お、おい…!」

 

 

慌てて追いかけるが、さすがに速い。

これまでの戦いを見て、アスナが速度重視なのは分かっていたが、戦闘以外でそれを活かさなくてもいいだろうに。

 

 

「…何が、どうなってるんだ……?」

 

 

気合を入れていたディアベルが、わけが分からないといった感じで呟いているのが耳に入る。

…俺もよく分からないけど、多分あいつがやったんだろう、という根拠のない確信があった。

 

 

 

*** Side Kirito End ***



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第12話:月夜の黒猫団

その後、どのくらい経っただろうか。

やがて20層より上に到達する頃になっても、シグレは単独でのボス撃破を続けていた。

とはいっても全部ではない。

いつ呼ばれるようになったか、攻略に重点を置くプレイヤー達、すなわち『攻略組』の活躍もあった。

シグレも攻略こそ続けているものの、攻略組に属するでもない、所謂ソロプレイヤーだった。

そんなシグレが今いるのは、第11層。

更に言えば、今は一人ではなかった。

 

 

「我ら、月夜の黒猫団に、乾杯!」

 

 

小さなグラスを手に、5人のプレイヤーがお誕生日席に座るシグレを囲み、一人が音頭をとる。

しかし、皆はグラスを煽らず。

 

 

「んでもって、命の恩人シグレさんに、乾杯!」

「………乾杯」

 

 

シグレに乾杯、と続ける。

シグレには、さすがに返さないという展開がなかったため、グラスを上げ、乾杯を返す。

皆から口々に礼を言われる。

 

 

乾杯をしている計5人はギルドを組んでいる。

ならギルドの皆で乾杯をすればいいのだが、誘われたのだ。

シグレがたまたまフィールドで狩りを行っていたところ、敵に囲まれ窮地に陥っていた彼らを助けた。

たったそれだけ。

 

 

「別に礼はいい。たまたま通りかかっただけだからな」

「……そうかもしれない。けど、本当に怖くて…貴方が助けに来てくれて、本当に嬉しかったの」

「…」

 

 

命を救ったというのは、彼らにとってみれば本当の事。

けれどシグレからすれば、もう何度と繰り返してきた、モンスターを倒す、というだけの事。

襲われていた時のことを思い出しているのか、恐怖から涙ながらにお礼を言う女性の様子に何も言えないシグレ。

 

 

「あの、すみませんシグレさん。失礼だとはわかってるんですが、レベルってどのくらいなんですか?」

 

 

ギルドのリーダであろう人物…ケイタに尋ねられ、別に隠す必要もないと思い。

 

 

「…ステータス、見るか?」

「えっと……っ…47…俺たちの倍近く…凄いですね」

 

 

シグレが隠すでもなく、ステータスを見せる。

誰ともパーティを組むことなく狩りやらNPCやらのクエストやらをこなしていたら自然にここまで上がっていた。

ソロでは限界があるといわれるが、それは少なくとも今ではない。

シグレはそう考えていた。

 

 

「…別に、そこまでの事ではない。このレベルでもいずれ近いうちに限界が来る…それと、敬語は別にいい。それが普通の口調だというなら無理強いはしないが」

「そうで…じゃなかった、そっか、ありがとう」

 

 

ステータスを閉じながら言うと、ケイタは敬語を直しながら。

 

 

「…ところで、もしよければなんだけど、うちのギルドに入ってくれないか?」

「……………ギルドに、俺がか?…見たところ知り合い同士のギルドのようだが」

 

 

突然のギルドの勧誘に少し思考がストップする。

 

 

「もちろん無理に、とは言わないけど…今うちで前衛って、メイス使いのテツオだけでさぁ…」

 

 

ケイタは言いながら隣でグラスを両手に持っているサチの頭をぽんぽん、と叩きながら。

 

 

「こいつ、サチっていうんだけど…盾持ちの片手剣士に変更してもらおうと思ってるんだ。でも勝手がよく分からないみたいでさ…よければコーチしてやってほしいんだ」

「…そうは言うが、片手剣とはいえ、盾持ちのやり方は分からないんだが」

 

 

コーチの依頼に少し躊躇いが出た。

いくら片手剣とはいえ、盾があるとないとでは勝手が違うはず。

…まぁ、戦闘経験という意味では多少はなんとかなるかもしれないが。

 

 

「そうかもしれない、けど少なくとも…シグレがコーチしてくれたら、そこから学べることは多いと思うんだ」

 

 

それに、とケイタは続け。

 

 

「さっき知り合い同士って言ったけど…察しの通り、同じ高校のパソコン研究部のメンバーなんだ。でも、すぐに溶け込めると思うよ」

「……」

 

 

突然の誘いに、シグレは少し考える。

シグレは話している限り、決して悪人という部類ではないだろうと考えていた。

無論、完全に信用出来ているわけではないが、ここまでされて悪人と断ずる程でもなかった。

しかし、ギルドに属すれば、しがらみが増える。

それが一番の悩みだった。

シグレは基本的にソロで、誰の目にも止まらない勢いで最前線に挑んでいた。

ギルドに属すれば、少なくともメンバーに行動が筒抜けになるだろう。

そうすれば攻略組が前線に立つ機会が多くなり、自分でない誰かの死の危険が高まる。

 

 

…しかし、今目の前にいる彼らは攻略組以上に危険だろう。

だからせめて、彼らが自分の力で歩むことが出来るようになるまでの間くらいなら。

 

 

「…まぁ、宜しく頼む」

 

 

慣れない事をするのも、たまにはいいかもしれない。

そう思い、ギルド勧誘を承諾するシグレ。

その返事に、皆は純粋に喜んでいた。

新メンバー歓迎という、乾杯の理由が一つ増えた瞬間だった。



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第13話:仲間と共に

その後、数日。

新メンバーのシグレを含めたギルドメンバーの皆で近くのフィールドでの戦闘訓練。

皆が皆、戦いにおいては課題を抱えていた。

月夜の黒猫団の皆は、単純な戦闘力。

新規に加入したシグレに比べれば、彼らの力は劣っていた。

特にサチは、その臆病な性格が災いし、特に戦いに慎重になっていた。

盾持ち片手剣士への転向に不安を覚えるレベルだった。

一方で、シグレの課題は、複数人数の戦闘に慣れること。

シグレはこれまで基本的にソロプレイでパーティも組んだことがまるでないため、『スイッチ』すら知らない。

ある意味初心者が行う練習レベルの事をせざるを得なかったのだ。

 

 

「シグレ、スイッチ!」

「っ…」

 

 

テツオの掛け声にシグレが少し遅れて反応し、入れ替わる。

テツオがモンスターの攻撃を跳ね上げていたおかげで、容易に懐に入り込み、一閃。

シグレの剣がモンスターの急所を捉え、光の粒に変えた。

 

 

「……」

 

 

シグレは息をつきながら、腰に携えた鞘に剣を収める。

 

 

「さすが、といったところだな、シグレ」

「…この程度、俺でなくともできるだろう」

 

 

ケイタの賛辞にシグレはため息交じりに返す。

またまたぁ、といった感じで、スイッチをしたテツオ、それを傍らで見ている程度だったササマル、ダッカーも混ざってくる。

その様子を遠巻きに、苦笑しながら見ているサチ。

周りのモンスターを一掃した所で、ほのぼのした雰囲気が広がっていた。

 

 

「…ところで、サチはいいのか?」

 

 

場の空気を変えるように、シグレがサチに視線を向けるが。

 

 

「…わ、私はいいかな。ちょっとまだ…怖くて」

「……そうか。まぁそれでいいなら、俺は何も言わんが」

 

 

シグレの言葉に対するサチの答えにシグレはそれ以上追求しなかった。

何かをやる上で、本人の決意が揺らいでいるのなら、やる意味がない。

シグレはそう思う部分があったからこそ、無理強いはしなかった。

 

 

「つってもさー、いつまでもテツオとシグレに前衛任せるわけにもいかないだろ?」

「そんなこといっても…いきなり前に出るなんて、おっかないよ…」

 

 

それに、普通のゲームならいざしらず、HPが0になれば現実での死に直結するこのゲームでは、慎重すぎるくらいで丁度いい。

シグレが強制しなかったのにはそういった部分もある。

 

 

「あ、だったらさ、シグレに稽古つけてもらえば?」

 

 

ササマルが思いついたように提案する。

 

 

「…えぇ、そんな無茶だよ!シグレと戦うなんて…」

 

 

サチが慌てて否定する。

レベル差を考えて、だろうか。

とはいえ、それはササマルもわかっていたはずで。

 

 

「いや、そうじゃなくてさ。圏内ならHPは減らないだろ?それで道場みたいな場所で、戦ってみるとか」

「…あー、なるほど。敵に向かってく時のシグレおっかないし、そういう意味でか」

「そうそう」

 

 

傍から見ていたササマルとダッカーが名案だとばかりに話を続ける。

それにはテツオも同調し。

 

 

「いいな、それ。シグレ相手の隙突くの上手いし、剣での戦い方って意味ならいい先生になってくれそうだな」

 

 

三人がいいね、といった感じである。

それに溜息をついたのはケイタで。

 

 

「お前らな…そんなこと言ったって、当人が了承しなかった意味ないだろ」

「……」

 

 

ケイタがシグレとサチに視線を向ける。

一方のシグレはサチに視線を向ける。

シグレからすれば、結局のところサチにその気があるかどうかが一番大切であると考えていたからである。

そうなると、サチの答えに皆の関心が集まるが。

 

 

「う……」

 

 

一気に視線を向けられ、軽く言葉を詰まらせるサチ。

そんな彼女が次に発した言葉は。

 

 

「……そ、そろそろお昼休憩…どう?」

 

 

訓練とは関係のない提案だった。



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第14話:幻影の死神

そんなこんなで、敵が少ないところでお弁当(サチ作)を広げる。

そして、ケイタ、テツオ、ササマル、ダッカーが待ってました、と言わんばかりに。

 

 

「「「「いただきまーす!!」」」」

 

 

言いながら、おにぎりを手にとって頬張っていた。

その様子にサチは苦笑していた。

シグレもその様子に軽く苦笑。

 

 

「シグレも、どうぞ」

「…頂こう」

 

 

シグレはサチにおにぎりを手渡され、とりあえず口に入れる。

何の変哲もなさそうな、塩むすび。

この世界の料理は楽しめるものではないはずなのだが、どこか暖かく感じた。

…それを言葉にはしなかったが。

 

 

「ね…シグレ、ごめんね?」

「……?」

 

 

突然謝られ、シグレはサチに視線を向ける。

視線を向けると、自分で作ったおむすびに視線を落としながら、どこか悔いるような表情だった。

 

 

「私が臆病なせいで、テツオとシグレに前衛任せっぱなしで…稽古の事になっても、やっぱり怖くて…すぐに頷けなくて…駄目だね、私」

 

 

それは誰に対する恨みでもなく、自分自身の弱さに対する悔しさ。

そしてそれが原因で人に迷惑をかけてしまっている、という事実。

それが、サチの心を苛んでいた。

シグレはそんなサチを見て、一つ溜息。

 

 

「……当たり前だ」

「え?」

 

 

シグレが発した言葉が意外だったのか、サチは顔を上げて、シグレを見る。

シグレはサチを見るでもなく、どこか空を見ているように見える。

 

 

「……死にたくないから怖い。怖いから戦いは避けたい…自然なことだろう」

「でも、そのせいでみんなに迷惑かけちゃって…」

 

 

見るからに落ち込んでいるのは、さすがにシグレでも分かる。

けれどこういったときにどうすればいいかが分かるほど人付き合いに慣れているわけではない。

そんなシグレが出来ることといえば。

 

 

「……シグレ?」

 

 

頭を撫でることくらいしか思いつかなかった。

サチは突然の事にシグレの名を呼ぶ。

 

 

「…その怖さは、忘れなくていい。その上で、自分が迷惑をかけていると思うなら…何ができるか、考えてみればいい」

「私が…何をできるか…」

「……まぁ、ゆっくり考えればいい」

 

 

それがきっと、強さに繋がる。

そう繋げながら、シグレはサチから手を離す。

 

 

「あ…」

 

 

サチは少しだけ名残惜しそうにシグレを見る。

しかしシグレはそんなサチの様子には気づかず、皆に視線を向け直していた。

とはいえ、会話に加わるでもなく、一人、塩むすびを頬張るシグレ。

サチはそんなシグレを、なんとなく無意識に眺めていた。

すると。

 

 

「そういえばシグレは、あの噂は知ってるか?」

「…噂?」

 

 

徐にテツオが話題を振る。

とはいえ、話の内容がわからなければ同意のしようもないので先を促すシグレ。

 

 

「1層から6層まで攻略組より早くボスを撃破。その後も25層に至るまでの半分以上の迷宮区のボスを単独撃破した謎の攻略者」

「誰も姿を見ていないが、確実に敵を葬る様子から、いつからか『幻影の死神』って呼ばれるようになったらしい」

「『幻影の死神』…ね」

 

 

ササマル、ダッカーと続く。

ボス攻略というとシグレには心当たりがありすぎたが、敢えて口には出さない。

 

 

「で、一番そいつに憧れてるのが、リーダーってわけで」

「…な、なんだよ悪いか!」

 

 

揶揄う三人に、不満げに反論するリーダーのケイタ。

談笑する4人をよそに、シグレはサチに尋ねる。

 

 

「…その『幻影の死神』とかいうのは有名なのか?」

「え?うん。町で情報屋さんが配布してる情報に書かれてたから、結構知れ渡ってるんじゃないかな」

「そうか」

 

 

いつの間にかついていた二つ名に、シグレは少しばかり過去を思い出していた。

 

 

…それは、シグレが『孤独』になったきっかけであり、全ての始まりの話。



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第15話:興味と、好奇心 / Sachi

** Side Sachi **

 

 

「シグレ…?」

 

 

突然黙り込んでしまったシグレに、声をかける。

彼は食べかけのおにぎりを手に持ったまま、地面の方をに視線を向けていた。

どうしたのだろう、と私はシグレの表情を窺う。

 

 

「…っ」

 

 

声をかけようとしたが、思わず言葉を失った。

彼はぼんやり地面を見ているのかと思ったが、そうではなかった。

彼は今はきっと…何も見ていない。

このゲームを始める前の私ではきっと気づかなかったけれど、今は気づいた。

気づけてしまった。

 

 

…彼の眼が、全てに絶望した時のそれである事を。

 

 

私には、皆がいてくれた。

だからこうして立ち直れて、怖さを抱えながらではあるがこうして過ごせている。

けれど、シグレは…?

 

 

たまたま知り合っただけと言われれば、その通りだ。

いくら命の恩人で、同じにギルドの仲間だとしても、きっと彼の瞳が映し出す、その奥を知ることはきっと出来ない。

彼のことを知らない私がどんな言葉をかけても、きっと…届かない。

 

 

シグレは私は皆の事を助けてくれたり、戦い方を教えてくれたり、貰ってばかり。

なのに、少なくとも私は…何の助けにもなれていない。

それが歯痒く感じた。

 

 

「…シグレ、大丈夫…ひょっとして、疲れてる?」

 

 

シグレを気遣って声をかけると、シグレはハッとした様子で顔を上げ。

 

 

「いや、問題ない」

 

 

さっきまでと全く同じ口調でそう返す。

そう返されても、さっきのシグレの事が心配で頭から離れない。

 

 

「おーい、そろそろまた狩りにいかないかー?」

 

 

ケイタに声を掛けられ、シグレは立ち上がる。

 

 

「…行くか?」

 

 

左手で腰に携えた剣の鞘を持ちながら立ち上がるシグレ。

そんな彼に、私は少しだけ笑みを浮かべ。

 

 

「そろそろ、戻りたいかな…ちょっと疲れちゃった」

 

 

そうとだけ、返した。

そんな私の言葉にシグレはそうか、と一言だけ。

皆は、サチはしょうがないなー、と、いつもの皆の調子だった。

 

 

私の心配が杞憂なら、それに越したことはないのだけど。

すごく強いと思っていたシグレに垣間見れた弱さに、少しだけ親近感を感じたことは秘密だ。

 

 

そんなこんなで、日が傾きかける頃。

戻るのが早いとも思っていたが、転移結晶を使うほどの距離でもなかったので、歩いて戻ろうということになった。

 

 

「ね。シグレは私達と会う前はどんな風に過ごしてたの?」

「…」

 

 

私の問いかけに、シグレは言葉に迷っていた。

無理もないのかもしれない。

外に出るときは、一緒だったとはいえシグレを除く5人とシグレ、という感じだった。

ところが帰りは私からシグレに積極的に話しかけている。

 

 

…客観的に考えると恥ずかしい。

けれどそれはシグレも同じなのか、黙り込んでしまっていた。

 

 

「じゃ、じゃあ…シグレってどんな食べ物が好き、なのかな…?」

 

 

いくら会話のきっかけが欲しいからって、この質問はどうなのだろう、とは思う。

けれど、彼はそれには答えず。

 

 

「…話しかけるのは結構だが、変に気を使われているらしい」

 

 

とだけ、私に返してくれた。

併せてシグレが指差すほうを見れば、こちらを面白そうに見てくるギルドの皆。

 

 

「そ、そんなんじゃないからね!?」

「…まぁまぁ、ごゆっくり~」

「ちなみに、そんなって?」

「っ~~!!」

 

 

からかってくる皆に恥ずかしさを隠さずにグーパンチ。

HPは減らないだろうけど。

 

 

「…仲がいいな」

 

 

その様子をばっちり見られ、そんな風に言われる。

そんな風に言われ、恥ずかしさをそのままにシグレにも反論しようと彼の方を振り返るが、思わず動きを止める。

 

 

…彼が、笑っていた。

……屈託のない笑顔というわけではないが、優しい笑み。

………普段は無表情ばかりの彼のそんな表情に、私は少しだけ、胸の高鳴りを覚えた。

 

 

生まれて初めての感覚に、顔まで熱くなるのを感じていた。

 

 

「…さて、この後はどうするんだ、リーダー?」

「あぁ、この後は夕食を摂って、明日に備えて休もう。皆もそれでいいか?」

「「「了解!」」」

「うん…」

 

 

シグレの問いかけにケイタが提案し、私を含めた皆が同意する。

 

 

「あ…」

 

 

皆が揃って宿に向かって歩き出すころには、シグレはいつもの表情に戻っていた。

 

 

** Side Sachi End **



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第16話:孤独の弱さと、追いかける影

その日の夜。

 

 

「……」

 

 

シグレは一人、フィールドを駆ける。

今シグレがいるのは、28層、迷宮区前。

入口の前で一度深呼吸をして。

 

 

「…行くか」

 

 

迷わずシグレは歩を進める。

最前線、未知の領域。

月夜の黒猫団という仲間を得た今も、シグレは一人で最前線に潜り続けていた。

その理由は、第一層の頃から、変わっていない。

 

 

「俺が出来る事は…これしかない」

 

 

その手に抜刀した片手用直剣を握り、どこから来るか分からない敵を警戒する。

マップ情報など、あるはずもない。

ボスの情報とて、何もない。

それがいかに危険なことか、ここにいる大半のプレイヤーが知っている事。

無論、シグレだって分かっている。

下手をすれば、HP全損をする危険。

それはすなわち、現実においての死の危険。

だが、それはシグレに限った事ではない。

攻略組とて、それは変わらない。

月夜の黒猫団とて、それは変わらない。

 

 

…だからこそ、シグレは一人潜り続ける。

 

 

「…遅い」

 

 

剣を一閃。

ソードスキルですらなく、ただ横に振るっただけ。

にもかかわらず、迷宮区のモンスターを、手近な雑魚モンスターのようにあっさりと光の粒に変える。

多少の明かりがあるとはいえ、迷宮区は決して明るい場所ではない。

それはすなわち、死角となる場所から襲われる事もあるということ。

しかし、シグレは視線を向けることもなく、けれどもまるで見えているかのように剣を正確に振るい、モンスターを確実に倒していく。

 

 

「…まだ、戦えるか」

 

 

自分の剣の感触を確かめながら、一歩一歩確実に、けれど止まることなく迷宮区を進んでいく。

こうして戦い続けるシグレだが、別に自分しか戦えない、などと思っているわけではない。

攻略組でも、このくらいの事は出来る、というより連携を考えれば、より安全に進むことはできるだろう。

 

 

「……」

 

 

しかし、連携の中で犠牲者が出ない、とは言い切れない。

犠牲を払って、ボスを倒す、という方法が採られる可能性もある。

シグレは、それを見過ごす事が出来なかった。

 

 

「…これで、いいんだよな……?」

 

 

迷宮区の一角。

モンスターの撃破を続け、辺りに気配がなくなったところで、シグレは宙を見上げる。

当然ながら、夜空は見えない。

ひょっとしたら、夜が明けているかどうかもわからない。

そんな閉ざされた空間で、無機質な天井を眺める。

そんなシグレが視線を向ける先には。

 

 

「………父さん」

 

 

シグレにしか見えない何か。

シグレが胸の内で、大切に持ち続けるそれは確かに、シグレを縛り続けている。

シグレの中で、降り続ける止まない雨。

幼き頃に降り出した雨は、シグレの心を確実に蝕んでいた。

やがてそれは、何年もの時を経て、孤独という名の錆を生む。

じわりじわりと侵食していくそれは、誰にも止められない。

 

 

「……俺が死んでも、悲しむ者はいない。この世界にも…現実の世界にも」

 

 

そこから生まれた、シグレを形作る価値観。

いつ崩壊するか分からないほど脆くも、圧倒的な力でモンスターを光に変えていく。

 

 

「…」

 

 

これを続けていけば、やがて自分は崩壊するだろう、とシグレも気付いていた。

やがて、力及ばぬ相手が現れた時、誰の目にも留まることなく、ただ討ち倒され、消えていく。

けれど、光の粒になって消えていく、その時までは。

 

 

「…止まるつもりは、ない」

 

 

剣を持つ手に少しだけ力を入れ、再び、歩き出す。

傍から見れば、狂っている、と言われても仕方がない一方で、これ以上なく純粋な意思。

その意思を自覚しながら、シグレは闇に紛れながら、歩を進める。

 

 

「ふぅん、あれが…幻影の死神、かぁ」

 

 

そんな彼を少し離れた所で、後ろから見守る影。

紫の髪を揺らしながら、距離を詰めるでもなく、離されるでもなく。

迷宮区であるという緊張感がなさそうな足取りで、影はシグレを追う。

何をするでもなく、戦いの手伝いをするでもなく、ただ追いかけ、彼を観察するだけ。

その目的は、誰が知るものでもなかった。

 

 

 

…その翌日、28層が攻略された、というニュースが、アインクラッドに広まる事となる。



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第17話:戦闘訓練、戦う意味

翌日。

 

 

「やぁっ!」

「っ…」

 

 

圏内の少し開けたスペースで、ギルドの皆が見守る中、シグレとサチが練習用の木製の武器で打ち合う。

打ち合う、とはいっても決闘ではないためHPが減ることもない。

更に言えば、シグレは防御のみで、一方的にサチがシグレに打ち込んでいる。

先日話に出た、訓練の最中だった。

シグレは剣、サチは槍。

 

 

「……」

 

 

そんな中、攻撃を受けながら、シグレはサチの戦い方に目をやる。

これまでの経験からか、相手に意識を向けながら戦う事に慣れていたシグレにはそれほど困難ではない。

気になっていたのは、サチの攻撃の仕方だった。

それを聞くために。

 

 

「せいっ!」

「……」

 

 

徐々に動きこそよくなっていたが、それでもシグレにとってはまだまだ、と言わざるを得ない動き。

そんなサチの攻撃を、木刀とはいえ、それで弾くことは容易で。

 

 

「ひっ…!?」

 

 

打ち上げられた武器を手放し、その場に尻もちをついてへたり込んでしまう。

槍は宙を回転しながら舞い、やがて、カランと音を立て地に落ちる。

 

 

「……平気か?」

「う、うん……ごめんね。戦うの下手で…呆れちゃった?」

「それはいい。そのための訓練だからな」

 

 

それよりも、とシグレは続ける。

戦いの上手い下手は、このVRの世界では特に技術に拠るところが大きい。

それは訓練次第、経験次第でどうにでもなる。

実際、少しずつではあるが打ち込み方が様になってきていた。

 

 

「…何故、打ち込む瞬間に目を閉じる。気配で相手を斬れるのは達人の域だと思うが」

 

 

しゃがんで視線を合わせるシグレに言われ、サチはう、と呻く。

シグレが打ち合った感覚としては、サチは決して、シグレが言う達人の域ではない。

目を閉じて、我武者羅、というのがシグレが感じたサチの攻撃。

そして、それはサチも自覚があったのか。

 

 

「……笑わない?」

 

 

サチが確認するようにシグレに尋ねる。

シグレは表情を変えず、無言で先を促す。

 

 

「その…ね。怖いの。戦う事もだけど……相手が私を殺そうとしてくるのを見るのが怖い。私の武器が相手を貫いてしまうのを見るのが…怖い」

「……そうか」

 

 

こうして戦い続けてきた中で、シグレはとうに忘れていた感覚だった。

戦争中というわけでもないのだから、当然といえば当然。

けれど、それは決して忘れてはいけない感覚。

 

 

「その怖さは…忘れるな」

「…え?」

 

 

シグレの言葉に、いつの間にか俯いていたサチは顔を上げ、シグレの顔を見る。

サチからすれば、その言葉が意外だったのだろう。

 

 

「でも、怖がってばかりじゃ戦うなんて…」

「…そうだな。怖がって『ばかり』では駄目だろう」

 

 

だが、とシグレは続ける。

シグレはその手をサチの頭に乗せ、あやすようにしながら。

 

 

「だが…戦わなければ、目の前の相手を倒さなければ、自分が守りたい者が殺されるのだとしたら。そんな状況であっても…お前は逃げるか?」

 

 

シグレの言葉に、サチは、ふと周りを見回す。

高校の同じクラブのメンバーでもあり、今は同じギルドの仲間でもある皆。

次に、前に視線をやる。

このゲームの世界で救われ、流れではあるが共に行動する仲間になったシグレ。

 

 

「…私が、やらなきゃ……死んじゃう…?」

 

 

サチはふと、考える。

今でこそこうして皆で一緒に過ごせているが、もし皆が死んで、私だけ取り残されてしまったら。

自分が戦えば、避けられた、という状況だったとしたら。

もし皆が死に、自分だけが生き残ってしまったら。

…自分を、赦せるだろうか。

 

 

「…そんなの、やだ…!」

 

 

サチは最悪を想像し、それを拒絶する。

シグレはサチから手を放し。

その目は、確かな決意が見て取れる。

 

 

「…ねぇ、シグレ」

 

 

サチは木製の槍を拾い、立ち上がる。

それに合わせるようにシグレも木刀を拾い、サチに向き直る。

 

 

「私…怖いけど、強くなりたい。シグレみたいに戦えるようになるかは分からないし、ここにいる全員を守る、なんて事は言えない…だけど、せめて…私が大切な人たちは、私の力で守れるように」

 

 

武器を構えるサチ。

その構えは先ほどまでと同じ構え。

けれど、先ほどとは違う何かが、シグレにも、見守っていた皆にも感じられた。

 

 

「……もう少しだけ、手伝ってくれる…?」

 

 

優しい口調で、けれどサチの表情は、先程までの怖さを残しつつ、前を向こうとしていて。

 

 

「…いいだろう」

「ありがと…シグレ」

 

 

シグレも答えるように、木刀を再度構える。

敵を倒すためではなく、大切な物を守るために武器を取るサチ。

 

 

「せやああぁぁぁっ!!」

 

 

その強さを求めて、サチは槍をシグレに向ける。

シグレはそんなサチに、自分の持てる力を以て相対する。

傍から見れば、決闘に見えなくもない程の気迫。

 

 

木製の武器が打ち合う音が、先ほどより少しだけ大きく響いた。



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第18話:温かさの中にいる資格

その日の夜。

 

 

「……」

 

 

ギルドの皆で食事を終えた後、各々に割り当てられた宿の一室。

シグレは割り当てられた部屋で一人、自分の手のひらに視線を落とす。

別に何があるわけでもない。

細かく再現されているとはいえ、仮初の自分の体。

 

 

「幻影の、死神……か」

 

 

ふと、数日前に聞いた、巷を騒がせているプレイヤーの二つ名。

話を聞く限り、それはきっと自分の事だろうと察するシグレ。

現にシグレは迷宮区のボスを何度も単騎撃破していた。

姿は見られないようにしていたはず。

しかし却ってそれが謎のプレイヤーとして、周りの気を引いてしまっていたらしい。

 

 

「…」

 

 

目を閉じ、軽く笑みを零す。

死神、という単語が自分にはお似合いか、と思いながら。

そうしてシグレは自分を戒め続けていた。

だからこそ、シグレにとって、ギルドという場所は些か温かすぎる。

…だからこそ、ずっとここにはいられない、と。

 

 

「っ…」

 

 

ぐっ、と軽く拳を握る。

シグレが加入した時に比べ、黒猫団の皆は強くなっていたことが明らかに見て取れた。

ここ数日共に過ごしていて、分かったことがある。

彼らは、新規加入である自分を仲間として、分け隔てなく扱ってくれた事。

それは簡単なようで、実は結構難しい。

自分がそう思っていても、相手がそう思っているとは限らない。

それが出来る月夜の黒猫団は、いいギルドだ、とシグレは思っていた。

しかし、だからこそ。

シグレはここに居続けるのは難しいだろうと察していた。

それは、シグレがβテスタだからとか、そんな理由ではなく。

シグレ自身が、そういった場所を自分の居場所として受け入れられずにいた。

 

 

「……」

 

 

過去に何があろうと、それを乗り越えていかなければ、ただの子供の意地でしかない。

それはシグレとて分かっている。

しかし、過去を乗り越えるだけの強さをシグレは持ち合わせていなかった。

乗り越えられていない過去が、シグレを孤独に縛り付けていた。

 

 

「…?」

 

 

そんな事を考えていると、コンコン、と小さなノックの音が響く。

何だろうと思い、扉を開ける。

 

 

「…どうした?」

「その…眠れなくて。入っても…いい?」

 

 

訪ねてきたのはサチだった。

寝巻姿で、枕を抱えてきた彼女をそのまま返すのもどうかと思い、部屋に招き入れることにした。

 

 

 

 

シグレとサチは2人、並んでベッドに腰かける。

 

 

「…その、ごめんね?こんな遅くに突然」

「いや…別にいい。何かあったか?」

 

 

尋ねると、サチは少し俯いて考えるが、少しして顔を上げ。

 

 

「……眠れなくて。少し、お話しても…いいかな?」

「…」

 

 

サチの問いに、シグレは無言の肯定を返す。

 

 

「間違ってたら、それでもいいの。シグレ…ギルド、抜けようと思ってるでしょ?」

「っ……」

 

 

シグレは一瞬言葉を失う。

それは、まさに今考えていたことだったからだ。

 

 

「分かるよ。だって…シグレ、私達とは違う何かを見てる。そんな気がするから」

「……」

「無理に聞こうとは思わないよ?けど…良ければ理由、聞いてもいいかな」

 

 

聞かれて何も答えないわけにはいかない。

けれど全部を話すつもりもないシグレ。

だから、シグレは。

 

 

「…ここは、いいギルドだ。仲間のことを大事にして、いい繋がりもある」

「うん」

「……だが、だからこそだ。俺には少し、温かすぎる」

 

 

それは、シグレが思っていた本心だった。

今隣にいるサチや、ギルドの皆からすれば、仲間内で仲良くするのは当たり前の事なのだろう。

そして、それはこの月夜の黒猫団に限った事ではないはず。

 

 

「……そっか、分かった」

 

 

本音を言えば、それは嘘だったが、きっと自分の言葉は今のシグレには届かない。

そう思い、サチはそれ以上の追及をやめる。

 

 

「…ね、今日だけ。今日だけ…一緒に寝てもいいかな?」

「……後で何を言われても知らないが」

「じゃあ…一緒に言われよう?」

 

 

苦笑するサチにシグレは溜息を一つ吐いて、それ以上は何も言わなかった。

とはいえ、向き合って寝る理由もなかったので、シグレはサチに背を向ける形で布団に入る。

すると。

 

 

「…おい」

 

 

サチは背中からシグレを抱きしめるように眠る。

体勢的に振り返って何かを言うこともできない。

 

 

「…ね、温かい?」

「……あぁ」

「うん…私も」

 

 

徐々に声が小さくなっていくサチ。

やがて眠くなってきたのだろう、口数も少なくなっていく。

 

 

「忘れ…ないでね。貴方も…温かさを求めて…いいんだよ?」

 

 

眠ってしまったのだろうか、それ以上は何も言ってこなかったが、抱きしめられたままで動くことができなかった。

けれど、サチの温かさを感じてか、シグレもまた、眠りに就いた。

サチのその想いがシグレに届いたかどうかは、定かではないが。



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第19話:罠、そして崩壊

それからさらに数日。

 

 

「じゃ、行ってくるよ」

 

 

言いながら、リーダーのケイタが一人、始まりの町への転移をする。

これまでの狩りで資金がたまり、ギルドホーム、自分たちの家を購入することにしたのだ。

 

 

「…な、ケイタが戻ってくるまでの間、少し稼ぎに行かないか?」

「なら少し、上の層に行ってみようぜ」

 

 

残ったメンバーの中でそんな話題になる。

 

 

「…このあたりでいいんじゃないのか?」

「でも上なら、もっと稼げるだろ?今の俺たちなら大丈夫だって。何より、シグレもいるしな」

「……」

 

 

こうなってくると、きっと彼らは止まらないだろう。

サチは少しだけ不安そうに見えたが、普段の臆病さが災いしてか反論しなかった。

 

 

 

 

そうして、ケイタを除いた5人で、第27層迷宮区へ。

 

 

「…な、大丈夫だろ?」

「そのうち最前線で活躍もできるかもな」

 

 

談笑しながら進んでいくテツオ、ササマル、ダッカーに不安を残しながら後に続いていく。

そうして進んでいくと、たまたま見つけた隠し部屋。

 

 

「……こんな場所に、隠し部屋…?」

 

 

そうして、あからさまに部屋の真ん中に設置された宝箱。

 

 

「トレジャーボックスだ!」

「…よせ、そいつは…!」

 

 

シグレが止めるが、もう遅い。

部屋が赤く染まり、警報が鳴り響いた。

 

 

「…ちっ!」

 

 

シグレは舌打ちをしながら、近くにいたサチを入口の方に向かって勢い良く押し出す。

 

 

「シグレ!?」

 

 

突然のシグレの行動に、サチは抵抗することもできずにされるがままで。

けれど、それが幸いし、扉が閉まる直前にサチを部屋から出すことに成功した。

 

 

「…三人、中央で背中を寄せて守れ。絶対に目の前の敵を近づかせるな」

 

 

部屋に入りきらなくなる程のモンスターが現れる中、シグレは指示を飛ばす。

 

 

「そんなこと言ったって、この数じゃ捌ききれないって!」

「…誰が捌けと言った。俺は『守れ』と言ったはずだ。全員、自分のHPに常に気を配れ。半分を切ったらすぐに回復…忘れるな」

「お、おう…!」

 

 

言いながら、シグレは剣を抜き。

 

 

「敵の数を減らすのは…俺がやる」

「俺たちを守りながら、1人でやる気かよ!?」

「…俺の回復アイテムはそっちに預ける…死ぬなよ」

「りょ、了解!」

 

 

その返事を聞いてか、シグレは黒猫団の皆からモンスターに視線を戻す。

 

 

「……行くぞ」

 

 

シグレは、モンスターの群れを見据える。

 

 

「っ…!?」

 

 

その表情がたまたま見えたテツオは、時雨の表情に一瞬だけ恐怖した。

それは、今までテツオが、あるいは黒猫団の皆が見たことのない。

敵を殲滅せんとする明らかな殺意。

口元は笑っていたが、それすら恐怖に感じた。

それを知ってか知らずか、シグレは剣を手にモンスターの群れに斬り込んでいく。

 

 

「…やるぞ!」

「「おぉ!」」

 

 

シグレに感じた恐怖を振り払うようにテツオは声を上げる。

ササマル、ダッカーもそれに応える。

 

 

文字通り、命を賭けた戦いが始まった。



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第20話:ただ、守るために

第27層、トラップの部屋。

 

 

「ちぃっ!」

 

 

長剣で敵を倒す。

もうどれだけ倒しただろうか、レベルが60を突破していた。

けれど、モンスターの発生は止まらない。

 

 

「はぁ、はぁ…」

 

 

シグレの指示通りに、背中を守りながらシグレが討ち漏らした敵を確実に仕留めていく。

自分から攻める事をしない分、隙が少なく、体力的な余裕もあり、そこから精神的な余裕も生まれ、シグレへと心配が移る。

そんなシグレのHPは黄色表示。

それは、半分を切ったことを意味していた。

しかし、シグレは止まらずに敵を倒していく。

 

 

「っ…」

 

 

シグレの斬撃は、一撃で敵を光の粒に変えていく。

それはシグレのレベルが上がったからか、あるいは敵の弱点を把握したからか。

あるいは、その両方か。

1対1なら、無傷で切り抜けるだろう、と三人は思う。

しかし、相手にしている数があまりに多すぎる。

敵を倒せば、別の敵がシグレに寄り、攻撃をする。

それが、わずかとはいえ確実にダメージをシグレに蓄積させていく。

 

 

「…っすげぇ」

 

 

誰が漏らしたか。

どれだけのダメージを負っても、少しの怯みすら見せないシグレ。

モンスターの出現が幾らか緩やかになってきて、希望が見え始めた一方、シグレのHPは赤色表示になっていた。

それに気づいてか気づかずか、シグレは未だ止まらない。

 

 

「つっても…もう、限界、だろっ…このままじゃ…!」

 

 

ササマルが目の前の敵を攻撃しながら声を上げる。

シグレの勢いは止まらないといえど、HPはあと数回攻撃を受けたら尽きてしまいそうなほどに減らされていた。

黒猫団の皆は辛うじて黄色表示になるかならないかのところ。

それでもモンスターの出現は止まらない。

黒猫団の皆が、死亡という名の絶望を感じ始めた矢先。

 

 

「危ない、シグレ、後ろだ!」

 

 

誰かが叫ぶ。

しかしシグレは正面の敵に武器を振っており、後ろに手が回らない。

そのため、その叫びに応えることはできず。

 

 

「がっ…!」

 

 

背後から切りつけられる。

 

 

「シグレ!」

「だめだ、動くなササマル!」

「けどこのままじゃ…!」

「2人とも、目の前だ、敵が…!」

 

 

切り込み隊長が体勢を崩されたことで、3人も一気に窮地に立たされる。

シグレも、体勢を整えようとするが、複数の敵に囲まれ、猛攻が止まらずにHPが減少していく。

 

 

「ここまでか……」

 

 

諦めが半分入り、目を閉じようとした、その瞬間。

 

 

 

突然、固く閉じていた扉が吹き飛ぶ。

そこから飛び込んできた複数の影。

 

 

「総員、突撃!A隊およびB隊、敵の殲滅に当たれ!C隊、D隊、プレイヤーの救出だ!」

「「「了解っ!!」」」

 

 

リーダーの掛け声で勢いよく飛び込んできたプレイヤーによってモンスターがみるみる殲滅されていく。

モンスターの出現は止まらないが、モンスターを抑え、救出をするには十分な人数のプレイヤーがいた。

別のプレイヤーにより、テツオ達も救出される。

 

 

「シグレ!お願い、死なないでシグレ!!」

「……サチ…か?」

 

 

体を揺すられ、意識が僅かに覚醒する。

HPは残りほんの1目盛り程度。

あと一撃食らっていたら、死んでいただろう。

 

 

「良かった…!」

 

 

言いながら、サチはシグレに抱き着く。

 

 

「…ここは危険だ。早く戻ろう」

 

 

剣士…キリトに促され、シグレは立ち上がる。

 

 

「これ…使って」

「…大丈夫だ。それよりも早くここを……」

「いいから使って!」

「お前…」

 

 

走りだそうとした瞬間、シグレは見覚えのある女性からHP回復薬を半ば押し付けられるように受け取る。

押しつけられたとはいえ、受け取った回復薬を使い、HPが全快までいった。

 

 

「…心は決まったようだな」

「えぇ、おかげさまでね」

 

 

シグレの言葉に、アスナは笑みを浮かべる。

剣を持つその姿は、確固たる意志を持った女性の姿だった。

 

 

「…シグレ、知り合い?」

「あぁ…第一層でな。名前は知らんが」

「………え?」

 

 

サチはシグレとアスナの関係を尋ねるが、返ってきた答えに一瞬言葉を失う。

名前を知らないのに、知り合いというのはどういうことなのだろう。

単純に疑問だった。



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第21話:出会いと、再会

そうして、27層の町まで戻り。

 

 

「よかった、皆無事だったんだな!」

「あぁ、ごめん…ちょっと、無茶した」

 

 

待っていたのか、心配していたケイタの焦りの表情が安堵に変わる。

 

 

「でも、生き残れたのはシグレのおかげだったんだよ」

「あぁ、シグレが敵を倒しまくってくれたから、被害を押さえられたんだ。本当にありがとな、シグレ」

「いや…」

 

 

お礼を言われ、シグレは俯く。

シグレの中では、お礼を言われることではなかったのだ。

自分がもっと強くトレジャーボックスを開けるのを止めていれば、という後悔。

けれど、月夜の黒猫団の皆からすればシグレは文字通りの命の恩人であった。

 

 

「…さて、俺たちはそろそろ行くよ」

「ありがとな、ディアベル」

「礼には及ばないさ。人を助けるのは、騎士の本分、だろ?」

 

 

ディアベルと呼ばれた青髪の男性はそれだけ言い残し、プレイヤーを引き連れて去っていった。

その様子は、さしずめ騎士団長、といったところだった。

 

 

 

ケイタはお説教、という名目でテツオ達を宿へと引き連れていった。

その言い方だとサチも同罪なはずだが、臆病な彼女が自分からそんなことを言うはずがない、というケイタの判断によるものだった。

そうして、その場に残ったのは、キリト、アスナ、サチ、シグレの4人。

 

 

「それにしても、とんでもない無茶をするな…『幻影の死神』は」

「…その呼び方はやめろ。というよりそれが俺だという証拠はないだろ」

「こんな事するの貴方くらいしかいないし…そもそも、貴方が名乗らないからそう呼ぶのよ?幻影の死神様?」

「……」

 

 

キリトの茶化すような言い方に反論するシグレだが、アスナに追撃され、ついに黙り込む。

シグレはそれにため息をつきながら。

 

 

「…シグレだ」

「おう…改めて、俺はキリト。よろしく」

「あぁ」

 

 

キリトと握手を交わす。

1層での出会いは、シグレが原因とはいえ最悪ともいえる出会いだったのだが、それでも握手をできるのは、キリトの人の好さがなせる業か。

…そして。

 

 

「私はアスナ。ようやく追いついたわ…シグレ君」

「…いつかは立ち上がると思っていたが、随分強くなったな」

 

 

互いに笑みを浮かべ、アスナとも握手を交わした。

 

 

「それでも、貴方の言葉があったから…私はここまで来れた。ありがとう…私を救ってくれて」

「…礼を言われるほどのことをした記憶はないがな」

「それならそれでもいいわ…今は、ね」

 

 

その様子を見ていたサチは僅かに危機感を感じていた。

何を、とは言えない。

きっとこれが、女の勘、というやつなのだろう。

 

 

「…行くよ、シグレ!」

「お、おい…」

 

 

アスナと繋いでいる方とは反対の手を抱きしめるようにしながら、ケイタ達が向かっていった宿へと引っ張っていくサチ。

突然の行動にシグレは一瞬よろけ、握手をしていた手は離れる。

 

 

「…いいのか、アスナ?」

 

 

シグレとサチの様子に苦笑しながら尋ねてくるキリトに、アスナは少しムッとしながら。

 

 

「…いいわけないでしょ!二人とも、待ちなさい!!」

 

 

二人を追いかけるアスナ。

やがて、シグレの腕は二人に抱きしめられ、シグレは歩きづらそうにしていた。

きっと、アスナとサチの2人はシグレを挟んで口論を交わしていることだろう。

その様子を見ながら。

 

 

「…幻影の死神ってのも、名ばかりな気がするな」

 

 

死神は、人を救ったりはしないだろう、と考えて、更に笑みを零しながら、キリトも3人を追いかけることにした。



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第22話:別れ

そうして、宿に戻り。

 

 

「あ、シグレお帰り。こいつらにはきつぅく言っといたから、許してやってくれるか?」

 

 

何かをやり切った感じのケイタの目の前で正座する三人。

三人は軽く涙目な様子だ。

 

 

「俺はいいんだが…お前がそろそろ許してやったらどうだ」

「んー…まぁ、そろそろいいか」

 

 

シグレが意見すると、ケイタは溜息を一つ。

サチは隣で苦笑する。

 

 

「ところで、ホームは買えたの?」

 

 

続くサチの質問にケイタはあぁ、と頷く。

 

 

「小さな家だけどな。きっと気に入ってくれると思う。行こうか、皆。よければキリトさんとアスナさんも」

 

 

ケイタの提案にキリトとアスナは軽く視線を交わし。

 

 

「…あぁ、それじゃ、少しだけお邪魔しようかな」

「うん…お邪魔します」

 

 

キリトとアスナも交えて、皆でギルドホームへと向かうことになった。

 

 

 

第1層、ギルドホーム。

 

 

「素敵…」

 

 

着いて、第一声を発したのはサチだった。

決して豪華な装飾があったりとかそういうわけではなく、始まりの町の中でも人があまり来ない一角にある、普通の木造の小さな家だった。

だが、きっとそれでいいのだろう。

 

 

「…いい家だな」

「そうだろ?いやぁ、頑張って貯めた甲斐があったよ」

 

 

シグレが言うと、ケイタも嬉しそうに返す。

このギルドにとって結構長いことの目標だったことを知っているから、嬉しそうに言う理由もわかっていた。

 

 

「…後で、少し話したいことがあるんだが…いいか?」

「………分かった。夕食後でいいか?」

「あぁ」

 

 

シグレの言葉に、ケイタはじっとシグレの目を見て、返事をする。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、夕食後。

シグレはケイタとテーブルに向かい合って座る。

 

 

「…実は」

「ギルドを抜けようと思っている、じゃないか?」

「……」

「知っていたわけじゃないさ。ただ…なんとなく、かな」

 

 

ケイタの言葉に、シグレは軽く笑みを零す。

なぜ気づかれたのかは分からないが、教えたつもりもなかった。

 

 

「…なんとなく、で察するあたりは、さすがリーダー…といったところか」

「茶化すなよ、シグレ。理由…聞いてもいいか?」

「……」

 

 

理由を聞かれ、シグレは少し目を伏せて考える。

やがて言葉が出たのか。

 

 

「…素人目だが、ここはいいギルドだ。雰囲気もいいし…何より、温かい」

「そう言ってもらえて嬉しいよ」

 

 

シグレとてこのギルドに不満を持っていたわけではない。

ケイタも褒められて悪い気はしないのか、お礼を言う。

 

 

「だが…だからこそだ。俺には温かすぎる…不相応な位に。俺がここにいていいのか、と思うくらいにな」

「……そうか。俺としても、2度も救ってくれた命の恩人の言葉を無碍にするつもりはないよ。脱退の件、了解した」

 

 

ただ、とケイタは続ける。

 

 

「忘れないでくれ…シグレが感じたその温かさは、シグレが守ったものでもあるんだ。シグレはここにいていい。それだけは断言する」

「…そうか。ありがとう、リーダー」

 

 

ケイタの言葉にシグレはお礼で返す。

 

 

「…もう行くのか?」

「あぁ…すまないが皆には」

「言うな、だろ?分かってるよ」

 

 

立ち上がりながら、準備をするシグレを見送るようにケイタは立ち上がる。

 

 

「シグレ」

「?」

「今まで、ありがとう…本当に、ありがとう」

 

 

ケイタから何度も言われるお礼に、シグレはただ一つ、笑みで返す。

 

 

「…成り行きとはいえ、二度も助けた命だ。無為に捨てるような真似だけはしてくれるなよ」

「もちろん。これからはしっかり目を光らせるよ」

 

 

本当に懲りたのか、ため息交じりのケイタ。

 

 

「…だが、借りを作りっぱなしは、嫌だからな。もっと強くなって、今度は守られるだけじゃなく、隣で戦えるくらいに強くなるから…その時は前線で会おう」

「そうなる前に、ゲームクリアをしたいところだな」

 

 

そうして、二人は拳を突き合せた。

それは、戦友としての彼らの挨拶。

 

 

「…ではな」

「あぁ。またな…シグレ」

 

 

名残を惜しむこともなく、シグレは家を出る。

一人、また戦いに身を投じることを選んで。



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第23話:ワガママと、不安 / Sachi

** Side Sachi ***

 

 

 

翌朝。

 

 

「シグレは一人で…?」

 

 

ケイタの言葉に、一瞬言葉を失う。

昨日あんな事があったばかりだというのに、あの人は。

 

 

「ねぇ、私…」

「追いかけたい、だろ?」

 

 

私の言葉に、ケイタは分かっているかのように尋ね返してくる。

 

 

「サチは、まぁそう言うだろうなって思ってたよ」

「じゃあ…!」

「…けど、追いかけられるのか?」

「っ…」

 

 

ケイタの指摘に反論できない。

実際のところ、シグレが攻略に本気で挑んでいるとしたら、ただ足手まといになるだけ。

いくらシグレに鍛えてもらったからといって、実戦となれば話は別。

そんなことは分かっている。

 

 

「…正直なところ、そういう意味では俺たちも追いかけるのは反対だ」

「そうだな。俺たちが閉じ込められた時に、正直思い知らされたよ…シグレとの実力差ってやつ」

「それに、シグレが助けてくれた命だから、無駄にするわけにいかない。それはサチだって同じだろ?」

 

 

テツオ、ササマル、ダッカーの言葉に言い返せなかった。

彼らの言っていることもわかるし、私が無理にシグレのいる場所に飛び込めば危険は大きいだろう。

 

 

「…だったら、俺とアスナが同行するっていうのは、どうだ?」

 

 

歯痒い思いをしていると、その晩はお礼も兼ねて泊まってもらっていたキリトに提案される。

 

 

「俺と、アスナで、サチを守る。その上でシグレを探す。安全マージンは考慮するし、絶対に無茶はさせない…どうだ?」

「でもなぁ…」

 

 

キリトの提案にケイタは渋る。

実際のところ、彼らはキリトやアスナの実力をよく知っているわけではない。

だから、守るといっても彼ら自身が伏してしまえば、その瞬間私が危険なのでは、と。

 

 

「…それにきっと、無理に止めていたら、きっと1人ででも飛び出して行っちゃうわ…そうでしょ?」

「……そうかも」

 

 

アスナの言葉に私は申し訳なくなるも、それを否定できなかった。

ほんの少しとはいえ、彼を知って、その内に芽生えたこの想いは、捨てたくないと思ってしまったから。

 

 

「…貴女の想いも分かるから、今は味方してあげる」

「ありがとう…アスナ」

 

 

小声でそう言葉を交わす。

女同士の会話だから、他の皆に聞かれたくなかった。

 

 

「…やれやれ、こっちの負け、だな」

「ケイタ…」

 

 

本当にやれやれ、といった様子で頭を掻くケイタ。

 

 

「…ごめんね、我侭言って」

「いいよ。ただ絶対に…皆で生きて、ここに帰って来いよ?」

「うん。絶対に帰ってくるから…シグレと一緒に」

 

 

そうして、私は月夜の黒猫団に見送られ、キリト、アスナと一緒に行動することとなった。

ギルドホームを出て。

 

 

「…ところで、どうやって追いかけるの?」

 

 

アスナの問いに、考えあり、と言わんばかりに。

 

 

「もしあいつが攻略を進める気なら、攻略組の足に合わせることなくどんどん上層に進んでいくはずだ。だったらおそらく今は…」

「…49層」

「そんなところのボスに1人でなんて…そんなことしたら…!」

「あぁ…いくらシグレでも危険すぎる。急ごう!」

 

 

キリトの言葉が真実かどうかは分からない。

けど、それでも可能性があり、それに命の危険が伴っている以上は、行かなくてはならない。

 

 

 

*** Side Sachi End ***



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第24話:聖夜と、孤独の呪縛

月夜の黒猫団の皆と別れてからというもの。

レベルが60を突破したこともあり、フィールドでの狩りに若干余裕が出てきていた。

剣を鞘に納めながら、35層の雪降るフィールドを、雪を踏みしめながら進んでいく。

現実では分からないが、少なくともこの世界では12月23日。

クリスマス・イヴの前日だった。

 

 

「……」

 

 

歩きながら、いつの間にか足音が1人分ではなくなったことに気づく。

雪を踏む足音が、明らかに1人のそれではない。

町に向かって歩いていることもあるので、たまたまフィールドから戻るプレイヤーと鉢合わせたのかもしれない。

あるいは自分が死んだ場合の漁夫の利狙いか、などとシグレは考える。

どちらにしても、する事が変わるわけではないと思い、もう少し様子を見る事とした。

 

 

 

 

町に着けば人が多く、先ほどの足音が周りの喧騒に紛れる。

それはプレイヤーとNPCの足音で半々といったところだろう。

これなら、仮に自分がつけられていたとしても撒くことは容易だろうと考えるシグレ。

それ以前に自分にそこまで執着するような人もいないだろう、と考えていが。

とはいえ、町に戻ってきた理由はそれだけではない。

目的地は、武器屋。

 

 

「………」

 

 

武器は各層で仕入れているが、市販の物では性能に限界がある。

とはいえ、仕入れないよりマシなので購入はするのだが。

仕入れたのは、メインで使う剣と、もう一つ。

 

 

「…こいつが使いこなせるかどうか、か」

 

 

その武器を鞘から抜く。

片手剣より幾分か細身のそれは、片手剣とは異なる輝きを見せている。

手にしているのは、刀だった。

ゲームの世界での違いに別に詳しいわけではないが、これまで使っていた剣とは戦い方が大きく異なる事は間違いないだろうと考えていた。

 

 

「…もう少し、鍛錬といくか」

 

 

鍛錬といっても、レベルそのものを上げるのはそろそろ厳しいかもしれない。

しかし、武器の熟練度は話が別である。

そう思い、フィールドへと再度足を向ける。

今度は、ついてくる足音はなかった。

 

 

 

再度、フィールドにて。

 

 

「っ…!」

 

 

刀を振るう。

片手剣よりも、こちらの方がどうやら自分の戦い方に合っている気がした。

 

 

「……」

 

 

小さい頃に行っていた剣道。

今でこそ鍛錬は一切していない。いわゆるブランクというやつである。

しかし体が覚えている、というやつなのか、刀の振り方が、まるで知っていたかのように自然に動く。

 

 

「…縛られているのか、自分が縋り続けているのか」

 

 

剣の振るい方を、体は忘れていない。

そして剣を振るう度に思い出す。

 

 

…全ての始まりを。

 

 

……自分が剣の道を辞めた理由を。

 

 

………全ての繋がりを、喪った時を。

 

 

また一体、敵を倒す。

過去を振り返りながら振るう、孤独な剣。

これだけが、両親との繋がりそのものだと思っていた。

……否、今も思い続けている。

 

 

「…」

 

 

けれど、あの時の事件で、犯罪者とはいえ、人を討ってしまった。

それは、いかなる理由があろうと、武道を嗜む者が決してやってはならない事。

その禁忌を犯した自分に、剣の道を続ける資格はない。

 

 

だから、こうして剣を振るうのは今だけの事。

現実に戻れば、剣を辞め再び孤独に戻る。

ここで、仮初の温かさを知ってしまえば、きっと現実では生きていけなくなってしまう。

 

 

…温かさは、弱さ。

だからこそ、温かさは…知りたくなかったというのに。

 

 

「…はあぁぁぁっ!」

 

 

余計な思考を打ち切るように声を出しながら敵を討つ。

仮に今、ここでどんなに繋がりを持とうとも。

どれだけ仲間と呼べる存在を作ろうとも。

…所詮、仮想世界の中の話。

 

 

現実に戻れば、また一人になることは揺らがない事実。

…だから。

 

 

「こいつを終わらせて、外で生きていくために…俺は一人で進まなければならない」

 

 

シグレは刀に誓い、それを敵に振るう。

光に散る敵を尻目に刀を鞘に納めながら、シグレは再び歩き出した。

 

 

…いつの間にか、日付は変わり、12月24日。

クリスマス・イヴを迎えていた。



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第25話:進み続けた先には

シグレは一人、フィールドの森林を歩いていた。

雪降る森林の中、モンスターを撃破しながら歩いていく。

 

 

「……」

 

 

町で小耳に挟んだ噂。

この層のどこかのモミの木の下で、1年でこの日だけに現れるというフィールドボス。

それが現れるかもしれない場所に。

 

 

 

歩いていると、ふと、鈴の音が空に響く。

空に視線を向ければ、雪降る空と、いつのまにか近くにあったモミの木の先端が視界に入る。

その空を、一筋の光が突き抜けていき。

 

 

…次の瞬間。

 

 

「っ…!」

 

 

咄嗟にシグレは刀を構えて後ろに飛ぶ。

すると、自分が立っていた場所に、粉雪の飛沫をあげて何かが着地した。

目の前に現れたのは、来ている衣装はサンタだが、あまりに大きい体躯のモンスター。

背教者ニコラス…複数のHPゲージを持つ、ボスだった。

 

 

「…ふん」

 

 

敵は大振りで斧を振り下ろしてくる。

この手の敵は、何度も戦ってきた。

とはいえ、気を抜くつもりはない。

刀を片手に、敵の懐へ。

こんなところで止まるようでは…先に進めない。

 

 

 

 

それから、どれくらい戦っただろうか。

 

 

「ちっ…」

 

 

今まで戦ってきたボス達とは勝手が違っていて、シグレは苦戦を強いられていた。

それは、ここが外であるということ。

地面に積もった雪に動きを阻害され、思ったように敵との間合いが取れていなかった。

とはいえ戦い続け、相手のHPもゲージ残り1本で、あと2~3撃で何とか倒せそうな状態。

一方でシグレは回復薬のストックも尽き、残りHPから見るに、あと1撃でも喰らえば…といった状態だった。

こういう状況であれば、普通のゲームなら玉砕覚悟で突っ込むだろう。

…これが、普通のゲームなら。

しかし、戦闘不能が死を招くこのゲームでそんな事を選ぶプレイヤーはまずいない。

普通であれば、回復なり、撤退なりを考えるだろう。

 

 

「はぁっ!」

 

 

そういった意味では、シグレは普通ではなかった。

シグレは刀を構え、敵の懐に潜り込む。

そこには躊躇い等ない。

一撃を加え、残り一撃。

シグレはそこで、いけると判断し、振り返り連撃を狙う。

…しかし、それが判断ミスとなり、敵が振り下ろした斧が剣を持っていない方…左肩に突き刺さる。

 

 

「がはっ…!」

 

 

自分のHPが0に向かって減少をする。

しかし、自分の剣も敵を貫き、敵のHPも0となる。

…早い話、相打ちだった。

光の粒となって夜空に消えるボスに被さるように表示されるシステムのメッセージ。

そこに表示された、You are dead の文字。

その意味を理解したところで、思考は止まった。

仮想世界で意識、というのも変な話かもしれないが、薄れゆく意識の中。

 

 

「…蘇生、シグレ!」

 

 

聞き覚えのない声が、森の中に響く。

残っていた微かな聴力が、その言葉を捉えた。



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第26話:新たな出会い

「つっ……う…!」

 

 

それからどれくらいしただろうか。

背中に感じる妙に冷たい感覚に、シグレは呻きながら目を開く。

 

 

「…気が付いた、シグレ?」

 

 

自分の視界に、逆さになった誰かの顔が映る。

見覚えのない、薄紫がかった髪の女性の姿。

後頭部に感じる温かさから、自分が膝枕されているのだという事が事実として伝わる。

さらに言うと、シグレを覗き込む体勢になったせいで、額のあたりまで、女性特有のそれの温かさが伝わってきていた。

それが何か、など、言われるまでもなく気づいてしまえば。

 

 

「…っ!!?」

「ちょ、ちょっといきなり立ち上がらないでよ…びっくりしたなぁ…」

 

 

咄嗟の反応と、警戒から即座に離れ、腰元の刀に手をかけ、臨戦態勢に入るシグレ。

一方の女性は突然の事に尻餅をついてしまっていた。

その様子に、警戒はしつつも構えを解くシグレ。

 

 

「…突然すまなかった」

「もう大丈夫?」

「あぁ…だが、その前に聞きたいことがある」

 

 

刀から手を離し、その場に膝をついて女性に視線を合わせる。

そして、その体勢のまま。

 

 

「…俺はさっきの戦いで、死んだはずだ。HPが0になる事も目視している。なのに何故、俺はゲームオーバーになっていない?」

 

 

それは単純な疑問だった。

HPが0になればその瞬間に現実世界でも死亡するデスゲームであることは初日から分かっていたこと。

にも関わらず、今こうして、目の前の見知らぬ女性と話をしている。

ありえないことが起きているのだ。

けれど、女性はそんなこと、と言わんばかりに。

 

 

「それは、アナタがさっきドロップさせた蘇生アイテムでアナタを蘇生させたからだよ!」

「……」

 

 

自慢げに胸を張って言う女性の姿は褒められるのを待つ子供のようにも見える。

放っておけば、偉いでしょ、褒めて褒めて、と言われそうだ。

だが、シグレはそんな事を言うつもりはない。

 

 

「感謝はする…が。何故、俺なんかに貴重な蘇生アイテムを使った?」

「……」

 

 

女性は、シグレの問いに姿勢を正し、真っ直ぐにシグレを見る。

女性の真紅の瞳はシグレを捉えており、離さない。

その様子に、シグレも一瞬言葉を失う。

 

 

「…俺なんか、なんて言わないで」

「……?」

「詳しいことは言えないけど…知ってるんだよ。アナタが…周りの人を守るために、命を賭けてたって事。そんな人の事を助けるチャンスがあるのに見殺しになんて…出来るわけないでしょ」

 

 

そこまで言われ、シグレは合点がいったかのように立ち上がり、女性に背を向ける。

 

 

「…なるほど。ここ数日、俺を尾けていたのは…お前だったのか」

「え…?」

 

 

シグレの言葉に反応する女性の言葉にはどんな感情が込められていただろうか。

シグレは背を向けていたので、その表情は窺えない。

 

 

「……怒ってる?」

 

 

女性は少しだけ不安げに尋ねる。

シグレはその言葉に背を向けたまま。

 

 

「これ以上…俺に関わるな。今回のような…無駄な危険に身を晒したくなければな」

 

 

質問の答えではない言葉を返す。

そのまま、シグレは問答を続けようともせず、立ち去ろうとするが。

 

 

「…待って!」

 

 

女性に呼び止められ、シグレは足を止め、自分の肩越しに振り替える。

女性は立ち上がっており、服についた雪を払ったのか、汚れはなかった。

 

 

「……アタシも、一緒に行く」

「………は?」

 

 

女性の言葉に、シグレは少しだけ睨みを利かせ、たった一文字の返事で返す。

それに多少怯む女性だったが、それでも負けずにシグレの目をまっすぐに見る。

 

 

「アタシも…アナタと一緒に行く」

「…来てどうする」

「アナタと一緒に、戦う」

「…何のために」

「…アナタを、守るために」

「それで自分が死ぬかもしれない。それでもか」

「っ…それは、アナタも同じでしょ?」

 

 

女性の言葉に、シグレは返さない。

なぜなら事実だから。

尤も、それを事実と認識して尚、シグレは進み続けているわけだが。

 

 

「アナタがどうしてこんな無茶なことをしているのかは気になるけど、聞かないよ。でも…お願いだから、こんな命を捨てるような無茶はしないで」

「……別に命を捨てているつもりはない」

「つもりはなくても、そうしてるようにしか見えないよ…!アナタにもいるんだよ、アナタが死んだら悲しむ人が…」

 

 

シグレは言われたことを思い返す。

自分が死んだら悲しむ誰か。

確かに、普通はいるだろう。

家族、友人、身の回りの人々。

親しい人が死ねば、大体の人は辛いだろう。

そんな事は分かっている。

 

 

「…少なくとも、俺にそんな存在はいない。生きていればそれでよし、死んだところで少なくとも悲しむ人間も、困る人間もいない」

 

 

シグレはそれだけ返す。

シグレが両親を喪った時から信じ続けてきた、たった一つの不変の事実。

 

 

「それがあるから、俺はここまで来れた…仮に違っているとしても、それを信じるだけの根拠もない…だからこそ、俺がこの世界の終りに向けて矢面に立てば、現実で悲しむ人間が少なくなる」

「…だから、これからも迷宮のボスに…最前線に1人で、これからも挑むつもりなの?」

「そうだ。これが…最善の攻略法だ。そしてそれは…誰かを巻き込んでいい方法ではない」

 

 

シグレは女性に背を向ける。

問答は終わりだ、と言わんばかりである。

 

 

「…待ってよ」

 

 

シグレが一歩を踏み出した瞬間、女性に止められ、再度足を止める。

 

 

「それでもアタシは…アナタを一人では行かせないよ」

「…単に攻略をしたいのなら攻略組にでも入ればいいだけのことだ。何故そこまで俺に固執する」

「それは…」

 

 

シグレにとって一番の疑問をぶつける。

しかし、女性から答えは返ってこない。

明確な意思こそあるが、一番の理由は話したくない、といったところなのだろうとシグレは察する。

そういう意味では、シグレも同じだから気づくことができたのかもしれない。

帰りを待つ者がいない、とは言っているが、その理由を話すつもりがないシグレ。

言葉を詰まらせ続ける女性に、シグレは一つ溜息を吐き。

 

 

「…どうあっても、俺についてくるつもりか」

「……うん」

「俺は最前線に挑む。そうなれば戦いでお前に構う余裕はないだろうし…そんなつもりもない。足手まといになるようなら置いていく…それが条件だ」

「それって…」

 

 

シグレの言葉に女性は少し驚いたようにシグレを見る。

 

 

「…その条件でいいのなら、好きにしろ」

「うん!」

 

 

何が嬉しいのだろうと、疑問に思うシグレは一つ溜息。

 

 

「アタシはストレア。よろしくね、シグレ」

「……あぁ」

 

 

さっきまでの真剣な表情はどこへやら、楽しそうに言うストレアにシグレはただ、やれやれ、と思うだけ。

そんなシグレの口元には、呆れ半分の笑みが、ほんの少しだけ浮かんでいた。



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第27話:望まぬ休息

それからというもの。

シグレは最前線に潜り攻略を続けていたかというと。

 

 

「…んー、おいしっ!」

「……」

 

 

そうでもなかった。

第47層、主街区のとある喫茶店。

溜息を吐きながら手元のコーヒーに視線を落とすシグレの向かいには、幸せそうにケーキを頬張るストレア。

なぜこんな事になったかというと、話は数時間前に遡る。

 

 

 

朝。

シグレは半ばストレアに引っ張られるようにしながら街を歩く。

主な目的は武具店で性能が良い武器を探すためだった。

 

 

「あっ、ねぇシグレ、あそこに喫茶店があるよ。行ってみようよ!」

「…は?いや行きたいなら一人で…」

 

 

ストレアが街の喫茶店に興味を持ち、シグレが誘われる。

シグレは寄るつもりがなかったので、ストレアが喫茶店にいる間に武具店に向かおうとする。

シグレの考えも空しく、ストレアに手を引っ張られながら喫茶店へ。

そうして今に至るのである。

 

 

 

今までソロで攻略ばかりだった事もあってか、街中でゆっくりする事に慣れていないシグレはどうにも落ち着かない。

 

 

「…?シグレ、飲まないの?冷めちゃうよ?」

「……あまり熱いのは得意じゃないだけだ」

「へー、そうなんだ。またシグレの事一つ知っちゃった。えへへ…」

 

 

シグレからすれば方便なのだが、ストレアは楽しそうに笑う。

知って何が楽しいのだろう、とシグレは疑問に思うが、聞いても答えに納得はできないだろう、と思い尋ねはしない。

ちなみに、それでもストレアに付き合ってコーヒーを飲むシグレだが、彼女を置いていく、という選択肢は今のシグレにはなかった。

というのも、これも出会って少しした頃に遡る。

 

 

 

夜。

さすがに男女ということもあり、宿は別室だった。

 

 

「じゃあ、また明日ね、シグレ」

「…あぁ」

 

 

挨拶を交わし、部屋にストレアが入っていくのを見て、シグレも部屋に入る。

夜も更け、翌日に備えて眠るには丁度いい時間帯。

 

 

「…」

 

 

その数時間後、街の明かりもなくなり、静寂が包む街の中。

シグレは一人、街から外へ向かう。

目的は刀の熟練度上げだった。

 

 

やがて、回復アイテムも尽きる頃。

 

 

「…こんな時間か」

 

 

空を見ると明るくなりだしていた。

遠くの山の陰から覗く朝日に眩しさを感じる。

街に戻り、回復アイテムを補充して、転移門から先に進むか、と計画しながら街に戻ったのだが。

 

 

 

街の入り口から転移門に続く開けた場所で。

 

 

「…ストレアか」

 

 

プレイヤーの大半がまだ寝ているであろう時間帯で、何かを探すようにしながら駆け回る、見慣れた人影。

別に逃げるつもりもないが、わざわざ声をかけることもないかと、道具屋に足を向けようとしたとき。

 

 

「シグレっ!」

 

 

今となっては聞きなれた声で呼ばれながら、背中に感じる衝撃。

そのあとに感じる、仮想とは思えない人肌の温かさに、ストレアだろうと察する。

 

 

「…やっと、見つけた」

「……」

 

 

少しだけ震えた声に、シグレは何も言わない。

縋りついてくる手は、決して強い力が入っているわけではないだろう。

しかし何故かは分からないが、離すまいという意思があるように、シグレには感じられた。

 

 

「…次」

「?」

「次、こんな事したら…いくらアタシでも、許さないから」

 

 

何がストレアをここまで駆り立てているのか。

それは、おそらくストレアにしか分からない。

 

 

「…だから、お願い。一人に…ならないで」

 

 

とはいえ、シグレとて震えた声のストレアを見たいわけでもない。

ストレアを好意的、とまではいかずとも、少なくとも嫌悪しているわけではない。

だからこそ、今のストレアにシグレは。

 

 

「…分かった」

 

 

そう返すことしかできなかった。

 

 

「ん、分かってくれればいいよ。でも、ペナルティは必要だよね?」

「……は?」

 

 

話は纏まったか、と安堵したシグレだが、それも束の間。

離れたストレアに向き直れば、んー、と悩む姿。

やがて思いついたのか。

 

 

「じゃあ、ペナルティを発表!」

 

 

そうしてストレアから発表されたのは以下の三つ。

監視の為、宿で泊まる場合は部屋を同じにする。

追跡の為、フレンド登録をする。

一人では圏外に出ない。

 

 

「ちなみに、一つでも破った場合は、攻略組にシグレの情報をリークします。そうなれば今まで通りには攻略できなくなるでしょ…そうなったら、困っちゃうね?」

「…俺を脅すか」

 

 

楽しそうに言うストレアに、諦めるシグレ。

何故かはわからないが、いざとなれば本当にやりかねない、とシグレは思い、折れることにしたのだが。

 

 

「…せめて、一つ目はどうにかしろ。男女が同じ部屋というのはよくないと思うが」

「シグレ…アタシに何かするつもりなの?」

 

 

シグレが妥協案を提示するが、自分の体を抱えて恥ずかしげに言うストレア。

 

 

「そういうつもりはない」

「ならいいじゃない。というより、それが原因で今回の事になったんだし、そこは譲らないよ」

「……」

 

 

頭を抱え、溜息を吐きながら、歩き出すシグレ。

何が楽しいのか、ストレアはシグレの隣に並び。

 

 

「駄目だよシグレ、溜息ばっかりじゃ。もっと楽しく行こーっ」

「……」

 

 

溜息は誰のせいだ、と思いながらストレアに引っ張られるように歩く。

とはいえ、楽しそうなストレアに毒気を抜かれるシグレだった。

 

 

 

そんな物思いに耽っていて、時間が経ったのか。

 

 

「…シグレ?」

「?」

 

 

コーヒーから顔を上げれば、きょとんとした感じでシグレを見るストレア。

 

 

「…どうかしたの?ぼーっとして」

「……いや、何でもない」

 

 

ストレアの問いに苦笑交じりにはぐらかすシグレ。

わざわざ言う必要もないというだけの事だが。

 

 

「ふふっ」

「…どうした?」

「んー…最近、シグレ、笑うようになったね」

 

 

楽しそうに言うストレア。

 

 

「…人を振り回すのが得意などこかの誰かに呆れているだけだ。気にするな」

「ふーん。大変だね…でも、いつもの怖い顔よりはいいよね」

 

 

暗にストレアの事を言うシグレだが、当のストレアは他人事だった。

シグレはコーヒーを飲み干して立ち上がり。

 

 

「…そろそろ行くぞ」

「あっ、待ってよシグレー」

 

 

ストレアは慌ててケーキを食べ終え、立ち上がってシグレを追いかけるのだった。



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第28話:共闘と、撤退

その後。

シグレはストレアと共に74層の迷宮区に挑んでいた。

 

 

「せやあぁっ!!」

 

 

ストレアが前に出て、大剣を大きく振り回し、敵を殲滅する。

大振りで隙が大きくなりがちなスタイルにも関わらず、敵を寄せ付ける隙がない。

 

 

「どう?結構、やるでしょ?」

「あぁ…」

 

 

大剣を軽々と振りながら声をかけてくるストレアにシグレは同意で返す。

実際、足手纏いなら同行を許すつもりはなかったのだが、そんなことを言わせない程に、ストレアは戦闘に長けていた。

しかし。

 

 

「…だが、油断は禁物だな」

 

 

言いながらストレアの背後に移動し、迫っていた敵を斬りつける。

初めこそ雑魚にも若干手間取っていたが、暫くここで狩りを続けていたせいか、雑魚クラスであればそこまで苦戦なく倒せる程度にはなっていた。

警戒を解くことはできないが、探索を続けるには十分なレベルにまで達していた。

 

 

 

そうして迷宮区を歩き続け。

 

 

「…ここか」

「うん…」

 

 

シグレとストレアは二人、一際大きな扉の前に立つ。

 

 

「行く、ん…だよね…?」

「…あぁ。俺はそのために、ここにいる。立ち止まる理由がない」

「うん…」

「…安心しろ、いざとなったら、お前が逃げるくらいの足止めくらいはできるはずだ」

「アタシはそこに貴方自身を入れてほしいんだけどね…」

 

 

溜息を吐くストレアに特に反応せずに、シグレは扉に手をかける。

それに合わせてストレアも扉に手をかける。

少し力を入れると、重い音を立てて扉が開きだした。

開いた部屋の中は闇に包まれていた。

 

 

「…」

「ちょ、ちょっと…!」

 

 

シグレはそれに躊躇わず部屋の中へと歩を進める。

ストレアが制止しようとするが、シグレには届かず。

 

 

 

暗闇の中歩を進めようとするストレアの体に何かが当たる。

それは、シグレの腕だった。

ストレアをそれ以上進ませないように、というもののようだ。

 

 

「…シグレ?」

 

 

ストレアが訪ねようとした瞬間、部屋の一角に青い炎が灯される。

それは連鎖的に次の燭台へと移っていき、暗闇の中を幾つかの青い炎の松明が照らす。

その中央に構えている、このフロアのボスであろうモンスター。

青い炎だからというだけではない、青い巨体が玉座に鎮座している。

その巨体がこちらを確認し、ゆっくり腰を上げ、こちらに向けて咆哮を上げる。

 

 

「っ…」

 

 

さすがにここまで来ると、威圧感も凄まじい。

咆哮が空間を震わせ、シグレは一瞬動きを止める。

その様子を見てなのか。

 

 

「だめ、だめだよシグレ…戻ろ?」

 

 

ストレアはシグレの手を取り、どこか焦点のあっていない目でその敵を見ながら懇願するように言う。

その様子に、シグレは疑問を感じる。

これまでそれなりに行動を共にしてきたが、いつもの調子を崩すことは殆どなかった。

だからこそ、ここまでの怯えように疑問を感じるシグレ。

とはいえ、シグレは止まるつもりなどなく。

 

 

「…最初に言っただろう。生きていればそれでよし、死んだところで」

「それでもダメ!…今ならまだ間に合うから…早く、お願い…!」

「……?」

 

 

そんな問答をしていても、相手はゆっくり近づいてくる。

背負った巨大な剣を構え、こちらに振り下ろす体制になる。

 

 

「っ…どけっ!」

「あっ…!」

 

 

ストレアを振り払い、刀を抜き、両手で柄と刀身を支えながら敵の振り下ろしに対抗する。

とはいえ、細身の刀と巨大な剣。

押さえるのに精一杯だった。

 

 

「ぐ、ぅ…っ!」

「シグレ!」

 

 

相手の重すぎて、刀がギシギシと音を立てる。

それと同時に刀身を支えている方の手に、刀身が強く押し付けられ、そのせいでHPが減少していく。

 

 

「何してる…早く下がれ!」

「っ…!」

 

 

シグレが叱咤するように言うと、ストレアはバックステップで下がる。

それを見て、シグレも刀を捨て、すぐに後ろに跳んだ。

離された刀は耐久値が限界だったのか、地面に落ちた瞬間、光となって消えた。

 

 

「…退くぞ」

「うんっ!」

 

 

シグレの言葉に、もとよりそのつもりだったストレアはすぐに部屋の外に向かって走り出す。

シグレもそれを見届け、部屋を後にした。



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第29話:語られる、真実

その後、シグレとストレアの2人は町に戻っていた。

というのも、シグレがメインで使っていた武器を失ったから。

といっても、今まで使っていたのも店売りだったので、この町で買えば何の問題もないのだが。

 

 

「その…シグレ?さっきは…ごめんね。取り乱して…邪魔しちゃった」

「…別にいい。また挑めば済む話だ」

 

 

ストレアの言葉に、シグレは彼女の表情を見ずに返す。

その様子に、ストレアはシグレが怒っているのだろうと考え、いつもの調子で強く出られなかった。

実際のところは、シグレもまたストレアを気遣って見ていなかっただけなのだが。

 

 

「…それより、いくつか聞きたいことがある」

「うん…」

 

 

シグレはストレアに言うが、やはり返ってくる声に覇気がない。

溜息を吐きながら、けれどどうしたらいいか分からず、静かに二人は宿へと向かった。

 

 

 

そうして、二人部屋を取り。

 

 

「…それで、だ。今日はどうした?いつもなら、あそこまで強く止めたりはしなかったろう」

「それは…」

 

 

ストレアはシグレの言葉に一瞬止まる。

シグレが疑問に感じていたこと、それはあのボスと対峙した時の怯えようだった。

二人でボスと対峙するのは初めてではない。

だが、あそこまで怯えるのはおかしいと思ったのだ。

 

 

「……言い辛いことか?」

 

 

シグレの言葉に、ストレアは頷いた。

 

 

「なら、無理には聞くつもりはない…だが、一つだけ。礼を言っておく」

「え…?」

 

 

シグレの言葉に意外そうに顔を上げる。

ストレアは疑問だった。

シグレにとっての目的を邪魔したのに、なぜお礼を言われるのか、と。

 

 

「なんで…お礼?」

「…単純なことだ。どういう理由かは知らんが、お前の行動で、俺は命を救われた…礼を言うのは当然かと思っていたが」

 

 

そういえばこれで二度目だな、と苦笑するシグレ。

ストレアはその様子に俯いてしまう。

自分が悪いはずなのに、彼は私を責めない。

それどころかお礼さえ言われてしまう。

 

 

「ごめん、ごめんね…シグレ…!」

 

 

そんな今の状況にストレアは俯いたまま、目頭が熱くなることを感じていた。

それが何かなど、ストレア自身にはわかっていた。

 

 

「…落ち着け、俺は怒っていない」

「でも…」

「言われた本人がいいと言っている。それ以上に責める理由がどこにある」

 

 

ストレアの様子に、やれやれといった感じでシグレは彼女の頭を撫でる。

 

 

「だが、敢えて言うなら早くいつもの調子に戻れ。明日までに戻らなければ…その時は怒る」

「うん、うん……!」

 

 

泣きながら、シグレの言葉に頷くストレア。

その声色は、泣きながらというのもあるが、徐々にいつもの調子に戻っていた。

 

 

「…でもねシグレ。こういう時は、抱きしめてほしかったかな」

「そういうことは、大事な人が出来たらやってもらえばいいことだ…誰にでも頼むことではない」

 

 

ストレアの言葉にシグレは苦笑。

それにストレアは。

 

 

「分かってないなぁ、シグレは」

「…は?」

 

 

ストレアは視線を上げ、涙を拭いきれていない視線でシグレを見る。

シグレはどうしたのかとストレアを見返すと、彼女は笑みを浮かべながら。

 

 

「隙ありっ」

「っ…」

 

 

ストレアは顔を寄せ、シグレの唇に自分のそれを押し付けた。

触れるだけのそれですぐに離れるも、顔を寄せたまま。

 

 

「ね…今日もう少しだけ、時間…あるかな?」

「…何だ?」

 

 

至近距離…吐息がかかる距離で。

 

 

「…全部、話すから…シグレに聞いてほしいんだ」

 

 

決意に満ちたストレアの瞳に。

 

 

「……分かった」

 

 

シグレは一つ、頷いた。

今日の夜は、少しだけ長くなりそうだった。



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第30話:MHCP

その後、ストレアから話された内容は、シグレからすれば驚きばかりであった。

 

 

「…メンタルヘルス…カウンセリングプログラム…ね」

 

 

意味から考えれば、カウンセラーのようなものだろうか。

とりあえず確実なのは、

 

 

「あんまり…驚かないね」

「いや、これでも驚いているんだが?」

「えっ」

「えっ」

 

 

よく分からないやりとりを交わしながら、ストレアはぷっ、と噴き出した。

けれど、すぐに真剣な表情に戻り。

 

 

「…アタシのこと、怒ってる?」

「………何故そう思う?」

 

 

突然申し訳なさそうにするストレアに単純に疑問。

シグレは尋ね返すが。

 

 

「だってアタシ…騙してたんだよ?シグレの事騙して、一緒にいたのに…」

「…だがお前は、俺を2度助けた」

 

 

だから、そんな些細なことはどうでもいい、とシグレは続ける。

ストレアはそこまで言われ、うん、と小さく返す。

 

 

「あのボスのモンスターは…アナタが戦っちゃダメ」

「…それはどういう意味だ?」

「ここまでボスを何度も単独撃破してきたプレイヤーとして…カーディナルは、アナタを監視してるの」

 

 

監視、という不穏な言葉に、シグレは真剣な視線に戻す。

無言で先の言葉を促し、ストレアはそれを察したかのように頷いて続ける。

 

 

「公平性を保つという意味では、ボスを単独で撃破できる力を持つ貴方は十分に危険因子たりうると判断されてる。そして、アナタを排除する…という方向で動き始めた」

「……普通にプレイしているだけだというのに、危険因子か」

「普通のプレイヤーはソロでボスに挑まないよ…」

 

 

普通の基準がおかしい、と暗にシグレに突っ込みを入れながら。

 

 

「…とにかく。カーディナルはアナタを排除するため…この層のボスのステータスを変更した」

 

 

そこまで言われ、シグレはストレアがあそこまで必死に戦いを止めた理由を理解した。

しかし、ストレアはカーディナルの下で動く人工知能だというのなら。

 

 

「もしそうなら、あの場で戦闘を止めては、まずかったのではないか?」

「…やっぱり、そう思うよね」

 

 

シグレの推測を、ストレアは否定しない。

 

 

「その通りだよ、シグレ。私はあの時、カーディナルに逆らった…それが理由で、今、蓄積されたデータのエラーチェックがされてる…リフレッシュが完了したら、きっと全てが初期化される」

「……」

 

 

エラーを自己修復するカーディナル。

今のストレアをエラーとみなすなら、初期化は免れない。

だとすれば、ストレアの言うことは事実だろう。

それが意味するところは。

 

 

「…でも、アタシ…やだよ。シグレの事、忘れたくない…!やだ…!」

 

 

それに力なく抗おうとしているのか、ストレアがシグレに縋るように抱き着きながら。

 

 

「この暖かさを…!シグレに対する気持ちを…仮初のものだとしても……忘れたくないよ…!」

 

 

ストレアはついに泣き出してしまう。

シグレは落ち着かせようと、ストレアの頭を撫でてやる。

言いながら、シグレは考えるように。

 

 

「……お前は、カーディナルへのアクセスは可能か?」

「え…?うん…基幹部分へは無理だけど…」

「なら…頼む。少し…考えがある」

 

 

シグレのいう考えが何なのかを知っていたわけではないが、ストレアは言われた通りにアクセスを開始する。

とはいってもコンソールからのアクセスではないため、できることが非常に限られている。

けれど、それでも。

 

 

「…なるほど。十分だ」

 

 

アクセスされた内容に、シグレは一言だけ言い、オブジェクト化された内容に手を触れる。

 

 

「忘れたくないのなら、忘れなければいい…ある意味では、人のそれより、守るのは簡単だ」

「何を、言って……」

「…お前は言ったな…忘れたくない、と。なら手を貸すが…俺を信じられるか?」

 

 

シグレの言葉にストレアは一つだけ頷き。

 

 

「…ん、信じる…信じるよ。だから…アタシを、助けて…!」

 

 

それだけを言い、ストレアは目を閉じた。



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第31話:剣を振るう理由

シグレは特段、コンピュータに詳しいわけではない。

だから、全てを理解しているわけではないし、今ここで何かをすることで、助けられるという保証があるわけでもない。

 

 

「…俺にできることは、これしかない」

 

 

仕入れたばかりの刀を手に、システムに向ける。

今振るう力は、敵を倒すための力ではない。

 

 

『…剣を持つ者が、その使い方を間違えてはならない』

 

 

それは昔、父親に言われたこと。

力を振るうこと、剣を持つことの重み。

 

 

『答えろ、時雨……お前は何のために、剣をとる?』

 

 

思い出す、父の言葉。

剣を振るう事は、暴力になる。

だから敵を倒すために、剣を振るう。

シグレ…華月時雨は、父の言葉を反芻しながら、剣を構える。

狙う先は、ストレアによって展開、オブジェクト化されたカーディナル。

 

 

その瞬間…刀を握る手に、ほんのりと感じる温かさ。

 

…そんなことは、あるはずがない。

 

ないはずなのに、そこには。

 

幼くして亡くしたはずの、父の姿があった。

 

幻影と断ずるのは、簡単なこと。

 

けれど、そう感じさせない力強さは、確かに自分が背を追いかけた父のもので。

 

 

「……っ!」

 

 

無言で、視線の先にシステムを捉え、一閃。

オブジェクト化されたシステムの一部が光の破片となり消し飛ぶ。

次の瞬間、システムが異常アクセスと判断し、シグレとストレアを弾き飛ばし、システムは閉じてしまう。

シグレは咄嗟に刀を落として弾き飛ばされたストレアを支える。

 

 

片手でストレアを支えながら、刀を再度握る。

その手には、もう先ほどの温もりは、残っていなかった。

 

 

「…」

 

 

ふと、腕の中で気を失っているのか、目を閉じたままのストレアに視線を落とす。

息をしてはいるようだが、仮想世界のそれが、生きている保証といっていいのかどうかは、シグレには分からない。

今も、ストレアのメンテナンスが続いているのかどうかを確かめる術はない。

仮に、メンテナンスが継続し、ストレアの記憶が消去されたなら、その時はその時と、シグレは考えていた。

そうなれば、ストレアと一緒にいる理由はない。

…そうなれば、単独行動に戻ればいい。

シグレにとっては、至極単純なこと。

その結論が出るのが、すぐなのか、それとも時間が経ってからか。

今はまだ、分からない。

ストレアの意識が覚醒すれば、分かることではある。

 

 

「…」

 

 

その寝顔は、普通に寝ているそれと変わらない。

なんだかんだで、膝枕になっているが、どうせ目を覚ますまで。

その程度なら、まぁいいか、などと考えながら、シグレはストレアの覚醒を待つことにした。



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第32話:決意 / Strea

*** Side Strea ***

 

 

 

あれから、どの位経っただろう。

数分とも、数時間ともとれる感覚。

 

 

「…っ」

 

 

次の瞬間、アタシの中にある、何かが切り離された気がした。

そして数秒後、アタシの体は、何かに弾き飛ばされた。

けれど体に衝撃は来ない。

代わりに感じるのは、温かさ。

シグレが支えてくれたのかな?

 

 

「…おい、聞こえるか?」

「ん…」

 

 

微睡みに身を委ねていると、シグレに声を掛けられ、目を開く。

目を閉じた先には、心配する様子も何も表情に出ていない、いつものシグレの表情。

少しくらい心配してくれてもいいんじゃないかなぁ、と思ったのは秘密だ。

 

 

 

次の瞬間、私はある違和感に気づく。

私の記憶のメンテナンスが中断されていたのだ。

 

 

「え…なんで……?」

 

 

それだけではない。

カーディナルからのアクセスが来なくなっていた。

きっと、もうアタシからのアクセスもできないだろう。

つまりそれは、アタシという存在が完全にカーディナルから切り離されてしまったわけで、早い話NPCになってしまったようなものだろう。

 

 

「シグレ…?」

「…どうやら、うまくいったのか」

 

 

シグレの名前を呼ぶと、シグレは小さく笑みを浮かべる。

その様子に、アタシも笑みが零れた。

 

 

「…そうかも。メンテナンスが中断されてるし」

 

 

手を伸ばし、シグレの頬に掌をあてる。

シグレの手はアタシを支えているので、やりたい放題だ。

 

 

「ところで、カーディナルにアクセスできなくなってるんだけど…?」

「…半ば強引に、切断したからかもしれないな」

「強引に?」

 

 

アタシが尋ねると、シグレは傍らに落ちた剣を拾い。

 

 

「…こいつでな」

「……え?」

 

 

つまり、シグレは刀でアタシとカーディナルの接続を、斬った?

その説明があまりに無茶苦茶すぎて。

 

 

「あ、あっはははは!そんな無茶苦茶だよシグレ!!」

 

 

思わず笑ってしまう。

普通、もっとこうキーを操作するとかいろいろあると思っていたのに、予想以上に原始的な方法だった。

 

 

「……でも、カーディナルから切り離されたってことは、私はもうMHCPじゃないね、きっと」

「だとすれば、立場的にはNPCとさほど差異はないか」

 

 

実際、プレイヤーの監視システムへのアクセスもできなくなってる。

これじゃプレイヤーと大差ないんじゃないかな。

 

 

「アタシ…シグレに傷物にされちゃった」

「…人聞きの悪いことを言うな」

「あぅっ…」

 

 

意味深な感じで呟くと、シグレに額を小突かれ、声が出てしまう。

でも実際のところ、プログラムは切り離されたのだから間違ってはいない。

いないんだってば。

 

 

「アタシのプログラム、どうなっちゃうんだろ…いくら切り離されてもカーディナル下にあったら、いずれは消えちゃうんじゃ…」

「……それなら、俺のSAOのセーブデータに保存すればいい」

 

 

呟くと、シグレは答えを返す。

その答えにアタシはもう一度シグレを見る。

 

 

「いいの?それってつまり、アナタとずっと行動を一緒にすることになっちゃうし、迷惑なんじゃ…!」

 

 

それは本心だった。

シグレの提案を受け入れれば、アタシは確かに消えずに済むかもしれないけれど、迷惑をかけてしまうのではという不安はあった。

けれど、それに対し。

 

 

「……もう慣れた」

「そっか…じゃあ、移行するね」

 

 

目を閉じて言うシグレに、感謝を込めながら移行を開始する。

きっと彼のアイテムストレージに私は入ることになるだろう。

 

 

 

やがて、移行が完了し。

 

 

「それにしても、そっかそっかー」

「…なんだ」

「シグレはすっかり、アタシがいないとダメになっちゃったんだなーって」

「……もう寝ろ」

 

 

アタシの言葉に、シグレはアタシを下ろし、剣を拾い上げて立ち上がった。

やっぱり、根っこは素っ気ないなぁ。

 

 

「もう、シグレのいけずー」

 

 

アタシも立ち上がり、シグレの後を追う。

 

 

「シグレ…アタシを助けてくれて、ありがとね」

「…借りを返しただけだ」

 

 

アタシがやったことに比べれば、シグレがやったことは十分すごいことなんだけどなぁ。

 

 

「ね…今日は一緒に寝よっか」

 

 

だから、何があってもシグレは最後まで、アタシが守ってあげるからね。

 

 

 

*** Side Strea End ***



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第33話:帰還を、信じて / Sinon

*** Side Sinon ***

 

 

 

先輩が搬送されてから、私は毎日病室を訪れていた。

来て何をするでもない。

 

 

「……」

 

 

私は、学校鞄の中から、普段から読んでいる小説を取り出し、お見舞いに来た人用の椅子に腰掛け、読み始める。

この部屋は個室の割に、誰もお見舞いに来ないので、彼に繋がれた医療器具の装置が出す音だけが響いている。

今出来るのは、先輩が生きていて、まだ帰ってくる希望が失われていないこと。

…私がいない間に、彼が死んでしまうことを、私は恐れている。

だから、私はこうしてお見舞いに訪れている。

 

 

 

…それにしても。

 

 

「先輩の家族はどうしてお見舞いに来ないのかしらね…」

 

 

医者の人が家族に関する情報を手に入れられていないのだろうか。

別に両親でなくても、親戚でもいいのではないか。

しかしながら、親戚すらお見舞いに訪れない。

いくら何でもおかしいのではないかと思う。

 

 

「……」

 

 

あの事件があったとき、先輩が私を守ってくれた。

だから私はこうして、会えなかったとしても先輩を支えに頑張れた。

そんな先輩は、誰かに守られたのだろうか。

…もし、誰にも守られず、たった一人だったとしたら。

 

 

 

さすがにそんなことはない、はず。

はずだけど…もしそうだとしたら。

 

 

「っ……」

 

 

そんな事を知らず、守られてただけの自分が恥ずかしくなってしまう。

先輩の事を詳しく知ってるなんて烏滸がましいことは言えないけれど。

それでも、私がもっと彼のことを知って、彼の支えになれていたら、などと考えてしまう。

 

 

「お願い…無事に……!」

 

 

いつしか本を読むことも忘れ、眠り続ける先輩の手を握る。

あの時、先輩がいなくなってから、ずっと会いたいと思い続けていた。

会って一言、お礼を言いたかった。

色々と話をして、仲良くなれたら、と考えていた。

隣を歩いて行けるほど強くないかもしれないけど、歩いていけるように、強くなりたい。

 

 

「…先輩」

 

 

今頃になって気付くなんて、とは思っているけれど。

きっと私は先輩に…恋をしている。

愛する人を待ち続けるなんて小説みたいかもしれない。

ふと、現実は小説より奇なり、という言葉が脳裏を過る。

今となっては本当にそうだと思う。

けれど、そんなのはいいから。

普通でいいから。

 

 

「何度でも…言うから。無事に戻ってきて…!待ってるから…」

 

 

先輩が生きて戻ってくるまで、何日でも私は待ち続けます。

だから、もし私がこの言葉を伝えたら。

先輩は…答えてくれますか?

 

 

 

*** Side Sinon End ***



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第34話:合流と、一波乱

翌朝。

 

 

「んー…いい朝っ」

「……」

 

 

宿の外に出て気持ちよさそうに伸びをするストレアにシグレが続く。

その様子は、朝一だというのに疲れた様子。

 

 

「元気ないねー…朝からそれじゃ、攻略なんてできないよ?」

「……誰かと一緒にいることに慣れてないだけだ」

 

 

ため息交じりのシグレ。

傍から見れば、仲のいい男女で、女性に引っ張られる男性という構図だろう。

そんな感じで、今日はどうするか、と考えていると。

 

 

「久しぶりだな、シグレ」

 

 

背後から、聞き覚えのある声で話しかけられる。

 

 

「…キリトか」

「よっ」

 

 

振り返って見れば、キリトが片手で軽く挨拶。

シグレからすれば知ることではないが、彼らからすればようやく追いついた、といったところだった。

 

 

 

そうして合流したキリト、シグレ、アスナ、サチ、ストレアの5人。

シグレ以外からすれば、ストレアは初対面である。

 

 

「…あの、この人は…?」

 

 

シグレと距離が近いことが気になってなのか、サチが尋ねる。

実際のところどう説明しようかと悩みながら紹介を始めるが。

 

 

「こいつはストレア。こいつは…」

「…私、シグレの女でーす」

 

 

どう説明しようかと考えているシグレを尻目に、ストレアはとんでもないことを言う。

その様子にキリトはあー、と声を漏らす。

 

 

「……シグレ君。どういうことかな?」

「…シグレ?」

 

 

ストレアの爆弾発言にアスナが笑顔でシグレを問い詰める。

サチに至っては目からハイライトが消えかかっている。

単純に怖い、とシグレは感じた。

その様子を見ていたストレアはふーん、と何かに納得したように笑みを浮かべながら。

 

 

「…ごめんね二人とも、ちょっとお先に進んじゃって。うふふ」

 

 

言いながら、ストレアはシグレの正面から抱き着いて、二人に見せつけるように笑みを浮かべる。

その様子を見て、アスナとサチとて何もしないほど一歩下がる性格ではない。

 

 

「「…シグレ(君)!?」」

 

 

両腕にそれぞれ抱き着いて、ストレアに牽制をかける二人。

その様子に少しだけ空を仰ぎ。

 

 

「……どうしてこうなった」

 

 

ぼんやりと宙を見上げて呟く。

最初は一人で行動していたというのに、気づいてみれば女性三人に抱き着かれるという世の男性から殺されかけないこの状況。

 

 

「自業自得だろ?」

 

 

やれやれ、という感じで指摘してくるキリトには後で決闘をふっかけてやろうとシグレは考えた。

とりあえず今日はこの調子では、攻略どころではあるまい、と判断し。

 

 

「…とりあえず、状況説明と情報交換が必要だと考えるが?」

「だな…まぁ、そっちが落ち着いたら宿でも行くか?」

「……あぁ」

 

 

見た感じ、まだ落ち着きそうにない三人を見ながら。

今日は少しばかり長い一日になるか、などと考えるシグレだった。



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第35話:情報交換と、新たな仲間 - I

そうして宿に戻る。

 

 

「……それで」

「?」

「三人揃って、ここで何をしていたんだ?」

 

 

シグレは単純に狩りの準備かと思っていた。

とはいえ、キリトとアスナだけならそうも思うだろう。

ところが実際はサチも一緒にいる。

見たところギルドの皆を置いてきているようだった。

だからこそ疑問だったのだが。

 

 

「…貴方を追いかけて来たんだよ。皆の反対を押し切って」

 

 

シグレの疑問を察したかのように、サチが答える。

そういうサチの瞳は、シグレがギルドにいたころのおどおどしているだけの少女ではなくなっていた。

決してそういった部分がなくなったようには見えない。

けれど、それだけではなく、恐れながらも前に進んでいくことを決意したかのように見える。

 

 

「……そうか」

 

 

だからこそ、シグレにはそれ以上何かを言うことはできなかった。

自分でこうするという確固たる意志があるのなら、そこに他人の意思が介入するのは野暮というものだから。

 

 

「私も、貴方を追いかけてきたのよ。27層で死にかけても止まらないんだもの…心配にもなるわよ」

 

 

続いてアスナが溜息交じりに言う。

けれど、そこで。

 

 

「あ、でも一回シグレ死んじゃったよね?ほら、私と出会った時……」

 

 

ストレアが爆弾を落とす。

きょとん、とした感じで言うあたり、爆弾を落とした、という自覚はないのだろう。

単に思い出して言っただけだが。

 

 

「「シグレ(君)?」」

 

 

アスナとサチが避難の目をシグレに向ける。

シグレはその迫力に言葉を発せなくなる。

 

 

「…どういうこと?」

 

 

アスナが詰め寄るように尋ねてくる。

尋ねて、という言葉では生温いくらいの迫力だが。

 

 

「いや、それは…」

 

 

思わず距離をとるシグレ。

今シグレは、ある意味で迷宮区のボス以上のプレッシャーを感じていた。

 

 

「…とりあえず、二人とも、少し落ち着こうぜ。これじゃ話もできないだろ?」

 

 

その様子に苦笑しながらキリトが場を収める。

それに対し二人は少し不満を持ちながらも席に戻る。

 

 

「やれやれ…それはさておき、実際何があったんだ?」

「…35層だったか。そこのフィールドボスに挑んだんだ」

「それって確か、蘇生アイテムをドロップするってやつか?」

 

 

キリトの言葉に、知っているなら話が早い、とシグレは続ける。

 

 

「…持っていれば役に立つかと思ってな」

「まぁそうかもしれないが…無謀すぎるぞ」

 

 

こりゃ二人の気苦労が知れるな、とキリトは苦笑する。

 

 

「…だが、そこで相打ちになってな。奴を倒しはしたが、俺もHPが0になった」

「で、そこで蘇生アイテムを使ってアタシがシグレを呼び戻したんだ」

 

 

その話を聞いて、まず第一声を発したのはアスナで。

 

 

「…貴方、馬鹿なの?…聞く必要はないわね。馬鹿だわ」

「む…」

 

 

溜息交じりに言われ、返す言葉もないシグレ。

 

 

「でも…無事でよかった。貴方が死んじゃったら、私は…」

「…アスナ」

 

 

ほっとしたような笑みを浮かべるアスナにシグレは声をかける。

余計な心配をかけさせたことに対してお詫びの言葉をかけようと思ったのだ。



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第36話:情報交換と、新たな仲間 - II

しかし。

 

 

「んっ…んんっ!」

 

 

サチのわざと、と言われなくてもわかるレベルの咳払いで中断させられる。

別に恋人同士という関係でもないので、後ろめたいことではない、はずなのだが思わず声をかけるのをやめてしまうのは何故なのか。

脇でストレアが笑っているのはこの際見なかったことにする。

 

 

「……シグレ。私たちの事は話したよ。そしてストレアさんのことも聞いた。けど、まだ聞いてないことが残ってる」

 

 

サチはすぐに真面目な表情に戻る。

そして、その目は真っすぐにシグレを見据えている。

 

 

「シグレはどうして、無茶をしているの…?」

「…そうね。一人でフロアボスに挑み続けるなんて、無謀以外の何物でもないわ。結果として死者は減っているとしても、貴方がそこまでリスクを冒す必要はないはずだわ」

 

 

普通に考えればアスナの言う通りであろうことはシグレでも理解している。

 

 

「……俺がこうする理由は、アスナ、お前には話したはずだが」

「えぇ、聞いたわ。どうせ死ぬなら足掻いて死にたい。その理由は私も同じ。だからこうして戦っている」

 

 

けれど、とアスナは続け。

 

 

「足掻いて死ぬのと、考えなしに死にに行くことは全然違うわ。そして今の貴方は結果的に生きてはいるけど…後者のようにしか思えない」

「……」

「それは、貴方が帰りを待つ人がいないって言ってた事と関係が…っ」

 

 

アスナが追及を続けようとしたところで、ハッとなって言葉を止める。

シグレが睨みつけるような視線を返してきたからだ。

 

 

「そこから先は、この世界より先の話だ…そこに踏み込ませるつもりはない」

「…ごめんなさい」

 

 

シグレの言葉に一瞬部屋が沈黙に包まれる。

それを打ち破ったのは。

 

 

「まぁ、そういう事は無理に聞くものじゃないよな。それはそうと…シグレに一つ言っておきたいことがあるんだ」

「…何だ?」

 

 

キリトだった。

空気を読んでいるからこその話題転換だった。

 

 

「これ以上、一人でボスに挑むのはやめろ」

「…は?」

「お前の心配も半分だが、それとは別に他のプレイヤーのためでもあるんだ」

 

 

キリトの言葉にシグレは先を促すように彼を見る。

 

 

「かなりの数のボスが単独撃破されたって事実はそこそこ知れ渡ってる。それがお前ってとこまでは広まってないが…」

「…それがどうした」

「そのせいで、フロアボスが実はそれほど脅威じゃないんじゃないかって認識になりつつあるんだ」

 

 

シグレはそこで一瞬言葉を止める。

確かに、ソロで撃破できるとなれば、フィールドにいる、いわゆる雑魚敵となんら変わらない。

もしそれで経験が浅いプレイヤーが迂闊にボスに挑んでいけば、命の危険を免れることはできないだろう。

 

 

「まずい流れができつつあるな…」

「あぁ。このままお前がソロで挑み続ければ続けるほど、より上の階層で死者が出る可能性が高い」

「……そうか」

 

 

そこまで言われ、シグレは少し考える。

このまま挑み続けるか、それともキリトの忠告を受け入れ、一人で進むのを辞めるか。

 

 

「…話は理解した。だが…」

 

 

言いかけて、今度はシグレが言葉を止める番だった。

アスナとサチに睨みつけられたからだ。

そうなれば。

 

 

「……分かった」

 

 

シグレには白旗を上げる以外の選択肢はなかった。

とはいえ、一人で行動する分には、と考えていたのだが。

 

 

「ちなみに、今後は私達も貴方と行動させてもらいます」

「…もし勝手にどこか行っても、全力で追いかけるから」

 

 

アスナとサチに言われ、その考えも止まる。

現にこうして追いつかれている以上、彼女らの言葉が本気だと信じざるを得ない。

 

 

「アナタの負けだね、シグレ?」

「……」

 

 

ストレアに面白そうに言われ、シグレはそれ以上は何も言わなかった。



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第37話:新たな武器を求めて

話が纏まったところで。

 

 

「……それで、だ。これからどうするつもりだ?」

 

 

シグレが問いかけると、皆は揃ってきょとんとする。

 

 

「……どうしよっか?」

「あのな…」

 

 

苦笑交じりのアスナに逆に問い返され、シグレは溜息をつく。

どうやら言いたいことだけ言ったはいいが、後のことはあまり考えていなかったようだ。

 

 

「あっはは…」

「…笑い事でもないがな」

 

 

その様子に、キリトが苦笑する。

シグレの頭痛は増すばかりだった。

 

 

「だったら、武器を整えるっていうのはどうだ?…その刀、店売りのやつだろ?」

「…一応、店売りの中では最高ランクの刀だったはずだが」

 

 

シグレはゆっくりと刀を鞘から抜き、刀身を見る。

決して悪い刀ではないが、ありふれた性能であることは否定できない。

とはいえ、鍛冶職人でもないので鍛えることもできないのが現実なのだが。

 

 

「なぁアスナ。リズベットの店を紹介したらどうだ?あいつならいい刀打てるんじゃないか?」

 

 

キリトの言葉にアスナとサチはあぁ、と同意する。

シグレとストレアは会ったことがないので疑問符を浮かべるが。

 

 

「あぁ、シグレとストレアは知らないよな。48層に腕のいい鍛冶師がいるんだ。俺のこの剣も打ってもらったんだ」

 

 

言いながら一振りの剣を見せるキリト。

剣を一目見て良さがわかるほど精通しているわけでもないが。

 

 

「…純粋に、いい剣だな。奇麗な刀身をしている」

「だろ?」

 

 

言いながら、剣をストレージにしまうキリト。

背に背負っている剣があるのにもう一振りあるのが気にはなったが、敢えて追及はしない。

 

 

「だったらアスナが案内してやったらどうだ?知り合いが間に入ったほうがスムーズに話が進むだろ」

「…私はそれでもいいけど、シグレ君は…どう?」

「俺は別に構わないが」

 

 

アスナの確認には、キリトの言葉とは若干違う意味が入っていたのだが、それは果たしてシグレに通じていたのかどうか。

 

 

「なら俺はサチとストレアと一緒に情報収集でもしてるか」

 

 

キリトがそう言いながら、サチとストレアに声をかけ、街に出ることにした。

情報収集ということだから、街の外に出ることはないだろう。

シグレの思っていることを察してか。

 

 

「街の外には出ないよ。それとアスナ…」

 

 

苦笑しながらシグレに言い、続いてアスナに向き直る。

 

 

「…頑張れよ」

「っ…」

 

 

真剣な表情でサムズアップするキリトに、アスナは胸に手を当て、何かを決意するように頷いた。

 

 

「?」

 

 

その様子に、シグレはただ疑問符を浮かべることしかできなかった。



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第38話:依頼と応援

そうして、キリト達を見送り。

 

 

「…じゃ、じゃあ…行こっか、シグレ君?」

「あぁ」

 

 

どこか落ち着かないアスナの後に続くシグレ。

一方でアスナはといえば、キリトにされた応援で必要以上にシグレを意識してしまっていた。

 

 

「…大丈夫か?調子が悪いなら一人でも何とかするが」

「大丈夫、大丈夫だから!」

「……そ、そうか」

 

 

気遣って声をかけるシグレに全力で否定をするアスナ。

その様子にシグレは軽く引くが。

 

 

「大丈夫なら大丈夫でいいが……」

 

 

歩き出すアスナに、少しだけ不安を抱きつつもついていくことにするシグレだった。

 

 

 

そうして、48層について。

 

 

「いらっしゃいませー…って、アスナか。武器のメンテ?…って」

 

 

アスナとは知った間柄なのだろう、桃色の髪の女性が現れ、声をかけてくるが、言いながらこちらに視線を向ける。

そこから何かを察したのか。

 

 

「ほうほう、この人がアスナの…ねぇ」

 

 

ニヤニヤしながらアスナを小突く。

それに対しアスナは恥ずかしそうにするだけだったが。

 

 

「…少しいいか?」

 

 

あまりここまでにしておくのもどうかと考え、シグレは桃色の髪の女性…リズベットに声をかける。

 

 

「あぁ、はいはい。本日はどういったご用件で?」

「…武器の製造依頼だ」

 

 

シグレは言いながら、持っている刀を抜いて。

 

 

「こいつを超える刀であれば、というのはあるが…」

「……それって、店売りの刀でしょ?それを超えないってことはないはずだけど…」

 

 

リズベットに刀を渡しながらシグレが要望を出せば、少しだけ渋い顔をするリズベット。

 

 

「…何か問題が?」

「今は素材がないのよ。ありあまりの素材じゃ、これと大して変わらない刀しか打てないわ」

「……ふむ」

 

 

言われ、少し考えたうえでシグレは一つの素材アイテムを取り出す。

 

 

「…こいつでどうだ?」

 

 

取り出したのは、鉱石のアイテムだった。

生産や鍛冶で使わなければただのゴミになりうるものだったが、それだけは単純に気に入った色だったので持っていたのだ。

夕陽のように赤く輝く中にも、虹色に輝くような揺らぎを見せる、現実では伝説とまで言われた金属。

 

 

「これって…っ!?超レア素材の…ヒヒイロカネじゃない!?」

「…そ、そうか」

 

 

驚きながら言うリズベットに軽く引きながらなんとか返事を返すシグレ。

そう簡単にお目にかかれないレベルの素材に興奮気味のリズベットだったが。

 

 

「…打てそうか?」

「あ、え、えぇ…これだけの素材があれば、いける」

「なら頼む」

 

 

シグレは短く依頼の言葉を告げる。

それに対し、リズベットは渡された鉱石をしっかり持って。

 

 

「…分かったわ。依頼は刀でいいのよね」

「あぁ」

「少し時間がかかるけど…どうする?」

 

 

リズベットの問いに考えるシグレ。

時間がかかるということは、どこかで時間を潰す必要があるわけで。

 

 

「…街でも見ているか」

「なら私も行くわ。貴方ろくに街を見たことないでしょ?それに…街を見てるだけ、っていうのが信用できない」

「……」

 

 

アスナの言葉に何も言い返せないシグレ。

前科あり、といったところか。

 

 

「あとは頼む……どのくらいで出来そうだ?」

「そうね…夕方くらいには」

 

 

話題を変えるように言うシグレにリズベットは考えながら返す。

それにシグレは分かった、と一言だけ言い。

 

 

「…それまでの間、しっかりやんなさいよ、アスナ!」

「っ…まだそんなんじゃないってば!」

「ほほう、まだ、ねぇ?」

 

 

リズベットがアスナをからかうのを尻目に、シグレは武具店の扉を開け、外に出るのだった。



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第39話:休息と、彼女の決意

アスナだけに一悶着あったが、外に出る。

少しだけぎこちなかったアスナも、少し時間が経てばいつも通りだった。

 

 

「……」

 

 

シグレは外に出たはいいが、別に目的があるわけでもないので、顎に手を当てて考える。

考えるテーマは、どうやって時間を潰すかについて。

 

 

「…どうやって時間潰そうか、考えてるでしょ?」

「………」

 

 

してやったり、という言葉が合いそうな表情でアスナに言われ、シグレは無表情に、けれど反論もできずに押し黙る。

一人であれば街の外に出るなり、そうでなければ宿で休んだりできるのだが、二人、まして女性と一緒ではどう行動すればいいかまるで分らなかったのだ。

 

 

「もしよければだけど…カフェでもいかない?この層で結構いいお店があるの」

「…構わんが」

 

 

シグレが考えていると、アスナが案を提示する。

その案に、シグレも断る理由がなかったので単純に応じることにした。

 

 

 

そうして、街中の喫茶店にて。

 

 

「……」

 

 

現実でもこういった店に縁がなく、シグレは辺りを見回す。

その様子は目新しい物が気になる子供そのもので。

 

 

「もう、あんまりきょろきょろしない!」

「っ…」

 

 

アスナに軽く小突かれ、シグレは驚きで視線を戻す。

店内にいた別の客に軽く笑われる。

そんなこともあり、とりあえず席に着く。

 

 

「……」

 

 

とりあえず、メニューを手にするシグレだが。

 

 

「…コーヒーで」

 

 

無難な注文をするのだった。

それにアスナも乗り、結局はコーヒー2つの注文となった。

 

 

「それにしても…貴方、その様子だと仲いい女の子とかいないでしょ。一緒にいたストレアさんとも少し距離置いてるみたいだし…」

「む…」

 

 

アスナの言葉に図星を突かれ、言葉を失うシグレ。

それを面白がられるかとも思ったのだが、アスナは面白がる様子もなく、カップを両手で持ってその中に視線を落としながら。

 

 

「…そっか、フリーなんだ」

 

 

そう呟いていた。

アスナの言葉はシグレにも届いていたのだが。

 

 

「……」

 

 

それ以上は何も言わないのだった。

シグレとて、アスナの言わんとすることが分からないほど鈍感ではない。

とはいえ、それに対してどう返すべきかわからなかったシグレはそれ以上は何も言わない。

というより、言えない。

けれど、アスナはそれを分かっていたといわんばかりに、それ以上の言葉を求めない。

その代わりに。

 

 

「シグレ君。私…負けないからね。サチさんにも、ストレアさんにも」

「……そうか」

 

 

宣戦布告ともとれる宣言を聞いたシグレは、ただ一言返すだけで精一杯だった。



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第40話:新たな武器

アスナの決意を聞くという、ゲームであれば重要なイベントが発生したところで時間もちょうどいい頃合い。

思えばこれはゲームであった、などとシグレは考えながらアスナについていく。

 

 

「いらっしゃいませ…あぁ、シグレ。刀、出来てるわよ」

「そうか…代金は」

「今回はサービス。その代わり、武器のメンテとかは贔屓してよね」

「……あぁ、分かった」

 

 

リズベットの武具店に戻るシグレとアスナの二人。

昼間より、距離が近くなっている二人を見て、リズベットはふぅん、と意味ありげな笑みを浮かべ。

 

 

「ちょっとは上手くやったみたいね?」

「うぅ…」

 

 

内緒話のような会話を交わす。

 

 

「…」

 

 

とはいえ、距離が近すぎるため、会話が聞こえていたので内緒も何もないのだが。

話が進まなそうな空気を察し。

 

 

「…完成したものを見せてもらいたいのだが」

「あ、えぇそうね。ちょっと待ってて」

 

 

シグレが言うと、リズベットは扉を開け、工房に入っていく。

少しして戻ってきて、その手には布に包まれた刀があった。

刀身を保護しているのか、柄の部分が見えていたが。

 

 

「…はい、これが完成した刀よ」

 

 

言いながらカウンターに乗せ、布を広げる。

広げられた布から見せた刀は。

 

 

「綺麗…」

 

 

持ち込んだ鉱石…ヒヒイロカネの鮮やかともいえる色合いを残しながら、刀特有の芸術的な造形を持っていた。

覗き込んで言葉を漏らすアスナの表情が刀身に映し出されるほどの輝きを見せている。

単純に武器、と一言でまとめるのが勿体ないといえるほどの芸術性が見て取れた。

 

 

「名前は『妖刀・緋月』…試してみて」

「あぁ」

 

 

リズベットに言われ、シグレは刀を持つ。

そして、辺りに傷をつけないよう小さく振り。

 

 

「……いい刀だ。今までより振りやすい」

「当然ね」

 

 

さすがに店売りのそれと比べるのは失礼と言わざるを得ないが、それだけしか知らないシグレからすればそれと比較するしかない。

けれどリズベットはそれでもよかったのか、シグレの言葉に自信を持って返す。

 

 

「…世話になったな」

「えぇ。ちゃんとメンテの時は来なさいね」

「あぁ」

 

 

刀を鞘に入れるシグレ。

 

 

「あ、そうだ」

「…?」

「メンテの時、アスナと二人で来たら割引してあげるから。また二人で来なさい」

 

 

リズベットの言葉に反応したのはアスナで。

 

 

「り、リズ…?」

「…何よ、二人っきりになるチャンスを作ってあげたんじゃない。応援してあげるから頑張りなさい」

 

 

リズベットの言葉にアスナは真っ赤になって、うぅ、と呻きながらも頷く。

シグレは、ここに来るときはアスナを誘わないと駄目だろうな、などと考えながら二人で店を後にした。



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第41話:合流と、新たな決意

そんなこんなで74層に戻る。

目的は、キリト達との合流。

とはいえ、それほど苦労することもなく。

 

 

「おかえり、シグレー」

 

 

三人いるうち、ストレアがシグレに気づき、大きく手を振ってこちらに声をかけてくる。

ストレアはそのまま勢いで駆け寄り。

 

 

「ぎゅー」

「……」

 

 

そのままシグレに抱きつく。

シグレはといえば、こういったことに慣れも耐性もないので固まるだけ。

しかも通りのど真ん中ともなれば目につくわけで。

 

 

「……とりあえず離れろ?」

「えー、やぁだよっ」

 

 

シグレが恥ずかしさ半分の溜息交じりに言うが、ストレアは聞く耳持たず。

それどころかシグレの胸元にぐりぐりと顔を押し付けてくる。

敢えて言うなら子犬のようであった。

 

 

「……?」

 

 

そんなこんなでストレアをどうしようかと考えていると、左腕にサチが抱き着いてくる。

そんなサチの視線の先にはストレアがいて。

 

 

「おぉ、やるねぇ」

「…負けないから」

 

 

面白そうに言うストレアに真剣に返すサチ。

そんな二人にそろそろ離れるよう声をかけようとしたら、今度は右腕に。

 

 

「むぅ」

 

 

軽く頬を膨れさせて抱き着いてくるアスナ。

シグレを蚊帳の外にして張り合う三人。

そんな三人を他所目にキリトを見て。

 

 

「……どうなってるんだ、これは」

「まぁ、頑張れ」

 

 

尋ねれば、キリトには苦笑しながら言われるだけ。

 

 

「……はぁ」

 

 

シグレとて、彼女らの想いに含まれる何かに察しがつかないほど鈍感というわけではない。

しかし、シグレは自惚れるつもりはなく、溜息をついて誤魔化すだけだった。

 

 

「…」

 

 

とはいえ、ここまでされればいくらシグレでも情が湧くというもので、この時シグレはある事を決意した。

それは、誰にも伝えない、シグレ一人の中の決意。

 

 

…たとえ、自分の身が滅びようとも、自分の周りにいてくれる四人のことは必ず守る、と。

 

 

「……」

 

 

そんなシグレを、ストレアはじっと見る。

さっきまでの明るい様子が僅かになりを潜めている。

 

 

「…どうした?」

「ん?…んー、何でもないよっ」

「…?」

 

 

シグレが声をかければ、誤魔化すように笑うストレア。

シグレのその様子には、少しの違和感もなく、シグレも疑問符を浮かべるだけだった。

宿に戻り。

 

 

「笑う棺桶のアジト…?」

「あぁ」

 

 

夕食時は、キリト達が仕入れてきたという情報についての話題となった。

笑う棺桶というギルド。

シグレは基本ソロ活動だったので情報に疎かったこともあったが、その存在自体は耳にしていた。

HPが0になれば現実で死ぬこの世界で、快楽的に殺人を行う集団。

これが普通のゲームであればそこまで問題視はされなかったかもしれないが、ここではそうはいかない。

 

 

「…明日、攻略組のトップギルドが協力してアジトを強襲するらしい」

「……ということは、それなりの準備ができた、ということか」

「だろうな。とはいえ、相手が相手だから油断はできないけどな」

 

 

キリトの言葉に、シグレは考える。

油断はできない。確かにその通りだ。

だがそれ以上に気になるのは。

 

 

「…強襲というのは相手に勘づかれていれば待ち伏せを受けて不利に陥る可能性があるが?」

「そこはおそらく、数で押すつもりなんだろ。実際、かなりの数のギルドが参加しているんだ」

 

 

そこまでキリトが言うと、サチが続ける。

 

 

「参加するのは、攻略組のトップギルド、血盟騎士団、アインクラッド解放軍……」

 

 

その後もサチはギルド名の列挙を続ける。

確かに数だけは多い。

だがそうなれば実力に差が出てきて、実力が劣れば犠牲になる可能性が高い。

 

 

「…最後に、月夜の黒猫団」

「っ…」

 

 

そうして最後に挙げられたのは、シグレが一時的に属していた、そしてサチがメンバーであるギルド。

シグレにとって、27層のトラップで文字通り死にかけたのは記憶に新しい。

それから彼らがどれほど強くなったのかは分からないが、おそらく危険は大きい。

 

 

「ねぇ…シグレ」

「…?」

 

 

サチに呼びかけられ、シグレはサチに視線を向ける。

その視線に、シグレは言いたいことを察し。

 

 

「…キリト」

「分かってる、明日の討伐に俺達も参加申請をしてきた。シグレとアスナは事後報告になって悪かったけど…」

「…わかったわ。シグレ君も…いいよね?」

「あぁ」

 

 

討伐参加に5人も参加をすることが決まり。

 

 

「…じゃ、今日はもう休む?」

「あぁ。そうだな…疲れというより、回復目的だけど」

 

 

ストレアの言葉に皆が異存はないらしく、部屋を分けて休むこととなった。



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第42話:青年の決意、少女の決意

その日の夜。

 

 

「……」

 

 

シグレは一人ベッドから起き上がり、刀を手に取る。

今日作ったばかりの刀。

窓から入る月明かりに照らされた刀身は妖しく光り、妖刀というに相応しい輝きに見える。

明日の事もあってか、皆はもう休んでいるのだろう。

宿のロビーにも彼らはいなかった。

それが、シグレにとっては好都合だった。

 

 

刀を鞘に納め、静かに宿を出る。

そうして、宿を出て少し歩いたところで。

 

 

「…やっぱり、来ると思ったよ」

 

 

そうして声をかけてくる、聞きなれた声。

 

 

「…ストレアか。どうした、もう夜も遅いが」

「それはこっちの台詞だよ。明日討伐に行くんでしょ?」

 

 

ストレアの言葉に一瞬シグレは言葉を止める。

けれど、ストレアは分かっていたかのように。

 

 

「…行くつもりなんでしょ?……今から」

 

 

指摘され、溜息しか出ないシグレ。

それが何よりの肯定だとストレアには見抜かれていて。

 

 

「…やっぱりね」

「……何故わかった?」

「アナタの癖みたいね。図星突かれると黙っちゃうんだもん。それにアタシは一度同じ目に遭ってるんだよ?忘れちゃった?」

 

 

実際そうなのだから何も言えなかった。

付き合いが長いと、行動を読まれやすくなるのは考え物だとシグレは思いながら、ストレアに視線を向ける。

 

 

「アタシも連れて行って」

「……」

 

 

向き直って真剣な表情になるストレアにシグレは一瞬言葉を失うが。

 

 

「…俺が何のためにこんな時間に一人で動き出しているかを察してほしいんだが」

「分かってるよ。自分を犠牲にしてでも、生存者を増やすため…だよね」

「なら…」

「でもアタシは、アナタを犠牲にはさせないよ」

 

 

ストレアはシグレの言葉を遮る。

それはまるで、何を言われても考えを変えるつもりはない、と言わんばかりで。

 

 

「アナタが自分を呈して皆を守ろうとするのと同じだよ。アタシは、アナタを守るって…決めたから」

「…何故そこまで」

 

 

そこまで言われ、シグレは尋ね返す。

なぜ自分なんかに、と。

それに対してストレアは顎に指をあて。

 

 

「んー…内緒っ」

 

 

面白そうな笑みを浮かべながら、そんな風に答えを返した。

その言葉にシグレは毒気を抜かれ。

 

 

「…分かった。但し…俺の言うことには従ってもらう。いいな?」

「わかった。でもその代わり…覚えておいて。アナタが死んだら…アタシも自殺するつもりだから」

「……覚えておこう」

 

 

ストレアの言葉に、シグレは彼女を置いていきたいと考えたが、ここで言い争う時間もないと判断し、そのまま二人、向かうことになった。



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第43話:闇の中の、殺し合い

そうして、辿り着いたアジト。

 

 

「……」

 

 

そこは、見渡す限りの闇。

 

 

「…暗いね」

「声を出すな…勘づかれる」

 

 

一寸先は闇、という言葉があまりに似合いすぎるその場所では、どこから襲われても文句は言われなさそうで。

シグレとストレアは互いの死角を庇うようにしながら奥へと進んでいく。

シグレはストレアに注意しながら進んでいく。

辺りを包んでいるのは静寂のみ。

 

 

 

…しかし、その一言が油断となってしまったのか。

 

 

「…来る」

「っ!」

 

 

シグレが刀を抜きながら呟く。

それに反応するようにストレアも剣を構える。

静寂を切り裂くように音なく迫ってくる脅威に。

 

 

「…そこかっ!」

 

 

シグレは刀を振るって目の前に迫ってくる暗殺者を、まるで見えているかのように的確に討つ。

一方で。

 

 

「くっ…!」

 

 

ストレアは対応しているとはいえ、やや防戦気味だった。

彼女も実力自体はシグレに劣るわけではないのだが、ここに至るまでに培った気配感知の力の差が効いていた。

更に言えば、その差に気づかないほどシグレも鈍いわけではない。

ストレアの様子とHPの減少具合を見て、シグレは判断をする。

 

 

「……転移、はじまりの町」

 

 

シグレは転移結晶を取り出し作動させる。

そして。

 

 

「…行け」

「え…?」

 

 

シグレはそれを、ストレアに押し付ける。

転移直前のそれは、強引に持ち主をシグレからストレアに移し。

 

 

「ちょ…何してるのシグレ!?」

「…このままでは危険だ。退け」

 

 

ストレアは光に包まれながらシグレを非難する。

作動を開始したそれを止めることはできない。

 

 

「…足手纏いになるなら置いていく、という約束だったはずだ。忘れたか」

「だめ、ダメだよシグレ!こんな状況で一人になったら……!」

 

 

ストレアは手を伸ばそうとするが、シグレには届かない。

やがて、ストレアを包む光は強くなり、彼女はその場から姿を消す。

転移に成功した証ともいえる。

 

 

 

 

 

そうして、一人になるシグレ。

さすがに無傷とはいかずとも、暗殺者集団の数を減らしながら奥へと進んでいく。

 

 

「…ここは」

 

 

気配を感じなくなり、納刀しながら進んでいくと、やや明るい大部屋の中に入る。

とはいえ、場所が場所だけに警戒は解かず、いつでも刀を抜ける状態のまま。

暫く辺りを見回していると。

 

 

「お見事だな、幻影の死神?」

 

 

パチ、パチ、と手を叩いているのか、拍手の音を立てながら近づいてくる気配を感じる。

シグレは声の方に視線を向ける。

相手は目深なフードで視線を隠しているが、口元には笑みが浮かんでおり、武器を手に取る様子もない。

 

 

「……武器を取らないのか?」

「いいのか?武器を持ってない今なら、殺せるかもしれないぜェ?」

 

 

シグレは刀を抜きながらフードの相手に問いかけるも、武器を抜いてこない。

しかし、なぜか警戒を解かせない雰囲気を、フードの男は纏っている。

 

 

「いいねェ…じゃあ、始めようか。『殺し合い』ってやつを!」

「……ふん」

 

 

それを本当に楽しそうに言うフードの男は、包丁のような武器を実体化させ、愉快に笑う。

シグレはそれに、表情一つ変えずに刀を構える。

 

 

そうして、合図をしたわけでもないのに、お互いほぼ同時に、互いに向かって駆け出す。



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第44話:狂い、狂わされ

「HAHAHA!いいねェ、楽しいよぉ…楽しいよなぁ!?」

「…ちっ」

 

 

何度も武器をぶつけながら。

シグレとフードの男は互いに決定打を与えられずに互いの攻撃を払っていく。

とはいえ、楽しそうに包丁を振るう男に対し、シグレは打ち込みをやめない。

 

 

「…なるほどなるほど?剣の腕はなかなかのようだが…殺すことには慣れてないようだなぁ?」

「慣れてたまるか…そんなもの」

「HAHAHA」

 

 

打ち込みを軽く受け流す相手に、決定打を与えられないシグレ。

徐々に、戦いの慣れによる差が生まれ始めてきた頃。

 

 

「…だが、不思議だなぁ?お前の眼は……殺しを知ってる眼だ。一度でも生身の人間を斬ったことがある……俺と同じだ」

「…っ!」

 

 

疑問を投げかける相手からの足払いを受け、シグレは一瞬バランスを崩す。

そこに相手の包丁が襲い掛かろうとするが、すぐにバックステップで距離を取り、間一髪で攻撃をかわす。

けれど相手は追撃をせず、包丁を持った手を下ろしながら。

 

 

「…いけねぇ、いけねぇなぁ。せっかくの楽しい殺し合いなのに、躊躇ってやがるな?さんざん今までうちのメンバーを葬ってくれたくせによぉ?」

 

 

言いながら、男は楽しそうに笑う。

 

 

「……見たところ、貴様はリーダーかそれに値する存在だろう。なら無力化して捕らえる方がいいかと考えただけだ」

「そうかいそうかい。尤も無力化なんてできるのかねぇ?」

 

 

フードの男は、僅かに視線をシグレに向けながら。

 

 

「それに…貴様には俺を殺す理由はあると思うぜ?幻影の死神…いや、華月時雨君?」

「っ!?」

 

 

知っているといわんばかりに、シグレの本名を呼ぶ相手。

突然のそれに、シグレは一瞬動揺する。

けれど相手はその隙を突くわけでもなく、ただ話を続ける。

 

 

「なんで、知ってると思ったか?…簡単なことさ。俺はアンタのことを知ってるんだよ…正確にはアンタの父親のことをな?」

「な、に…を……!」

 

 

父親のこと。

何を知っているのだろうか。

動揺を隠せず、シグレは言葉を震わせながら先を促す。

もはや、戦いの雰囲気は霧散していた。

 

 

「知ってるさ。今…このゲームが始まる10年前の、11月7日」

「っ…!」

 

 

その日は、シグレも忘れもしない。

父親が、死んだ日。

……否、殺された日。

数多の屍が、腐敗臭を漂わせながら転がる大地で、目の前で討たれる父。

その背後にいたのは、全身フードを纏って顔は見えなかったが。

 

 

「っ…!」

 

 

殺した相手が持っていた武器の記憶を辿り、それが目の前の男が持つそれと一致した。

その事がシグレの衝動を呼び覚ます。

その時、自分がどうやって目の前の男から逃れたのかは思い出せないが。

 

 

「思い出せたかい?」

 

 

声は思い出せないが、風貌があまりにも似すぎていた。

そして、シグレの父親が殺された日を知っている事。

シグレが殺意を湧かせるには、あまりに十分すぎる事実。

 

 

「貴様…か……!」

 

 

垂らした腕に握られる刀。

やがて、ゆらりとその腕が上げられ。

 

 

「…っ貴様だったのか!」

 

 

シグレを知る人間からは信じられないほどの声量で吠え、衝動に任せて斬りかかる。

けれど、男はひらりとそれをかわす。

 

 

「おぉ、いいねェ!やっと…やっと『殺し合い』ができそうじゃないか!?なぁ時雨君よぉ!」

「っ…貴様は……!」

 

 

殺意を剥き出しにするシグレに、男は実に愉快に笑う。

 

 

 

――狂った男と、狂わされた男の戦いが始まった。



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第45話:自分の死より、怖いもの / Sachi

*** Side Sachi ***

 

 

 

夜が明ける。

私はそこまで遅く起きたつもりはない。

時間を見れば7時頃、にもかかわらずストレアもアスナもいない。

みんな早いなぁ、とぼんやりしながら考える。

 

 

「あ、キリト…ストレアとアスナ見なかった?もうみんないないんだけど…」

「あぁ、さっきアスナがストレアがいないって探しに行ったけど…」

 

 

キリトも知らないか。

買い物でも行ってるのかな。

ちょっと珍しい組み合わせ、とか思ったけど、それ以前に私だけ置いてくとか酷いと思う。

 

 

「…ところで、サチはシグレを見てないか?今朝から姿が見えないんだ」

「シグレが…?」

 

 

…キリトの言葉に、嫌な予感を感じた。

これまでがこれまでだということと、シグレとストレアが揃って姿を消していること。

 

 

「ねぇキリト…まさか……」

 

 

私の言葉にキリトは頷く。

キリトも同じ可能性を感じたみたいだ。

 

 

「…あぁ。まさか、とは思うし…可能性の域を出ないけど、シグレのこれまでを考えれば……」

「っ…!」

 

 

顎に手を当てて考えるキリトの言葉の終わりを待てなかった。

これ以上考える必要はない、と言わんばかりに。

 

 

「あ、サチ!どこに…!」

 

 

背後からかけられる言葉に返す余裕がない。

シグレは危険に晒されていると、根拠のない確信がある。

 

 

「シグレ…!」

 

 

ふと、27層での事を思い出す。

その時も、助けるために、こうして街を駆けていた。

 

 

「どうして、シグレ……!」

 

 

あの時と同じで、シグレの事で思考を埋めていた。

何度死にかけても、止まらない。

ストレアの話では、一度死んでしまったシグレ。

そんなことがあっても、決して止まらずに。

 

 

そんな彼の事を思うようになったのは、いつからだろうか。

彼が私と、私達と同じギルドに所属していた時に垣間見れた、彼が抱える何か。

それが何かは分からないけれど。

彼の支えになれるかは分からないけど、そうありたいと思った。

 

 

「私だって、守られてるばっかりじゃない…!」

 

 

まだ…街の外は、怖い。

 

 

下手なことをすれば、死んでしまうかもしれない。

 

 

けれど、今はそれ以上に、シグレが死んでしまう事が怖い。

 

 

だから、危険だと分かっていても。

 

 

「今、行くから…!」

 

 

シグレの居場所に対する確証を得ないままにも関わらず、走り出した。

その目的地に確証はないが、確信はあった。

言うまでもなく、笑う棺桶のアジト。

きっと今頃、ギルドが集まり、乗り込む準備をしているだろう。

けれど、悠長に待っていたくなかった。

その間に、二人が討たれてしまったら、私はきっと一生後悔を抱える。

動かずに後悔するなら、動いて後悔したいと、今なら私は思う。

 

 

…だから、私は行くよ。

 

 

 

*** Side Sachi End ***



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第46話:生き続けるために、為すべきこと / Asuna

*** Side Asuna ***

 

 

朝からストレアさんがいない。

それ自体は、ひょっとしたら買い物かも、とか一瞬気楽に考えた。

けれど、そうだとしたらあまりに時間が早すぎる。

 

 

「それに…」

 

 

キリト君が言っていた、シグレ君がいないという事。

それもまた怪しい。

経緯はどうあれ、シグレ君を死の淵から救い、彼と行動を共にしているストレアさんと共に姿を消しているという事。

この事実から、二人は共に行動している可能性が高い。

だとすれば。

 

 

「まさか…!」

 

 

でもいくらなんでもたった二人で、規模の大きいギルドのアジトに乗り込むなど、命知らずにもほどがある。

シグレ君は赴くかもしれないが、少なくともストレアさんが共に行動しているなら止めるだろう。

そう思い、その可能性を除外する。

 

 

…除外、しようとする。

けれど、しきれない。

これまでフロアボスを何度も単独で撃破した彼のことだ。

死地に赴くこと自体にそれほど抵抗はないのだろう。

だからこそ、可能性を除外しきれなかった。

とはいえ、町のどこにも二人の姿は…

 

 

「…っアスナ!」

 

 

そう思い探していると、どこからか名前を呼ばれる。

声の方に振り返れば。

 

 

「ストレアさん…っ何があったの?」

 

 

息も絶え絶え、という言葉が余りに似合いすぎる様子のストレアを見つける。

極度の疲労なのか、息をあがらせながら、装備は消耗し、全身に傷が見て取れる。

いかにも、何かありました、と言わんばかりだった。

 

 

「お願い、アスナ…このままじゃシグレが、シグレが……!」

「落ち着いて、ストレアさん!いったい何が…」

 

 

ストレアさんに駆け寄ると、ストレアさんに縋るように抱き着かれ、そのまま俯いてしまい表情は窺えない。

けれど、いつもの明るい彼女からすれば、この様子は尋常ではない。

肩を震わせながらシグレ君の名を呼ぶストレアさん。

 

 

「シグレが、死んじゃうよ……!」

「っ……」

 

 

何とか言葉を繋ぐストレアさんに、私は何かを言う余裕を失くしてしまった。

 

 

 

その後、後から合流したキリト君、サチさんと共にストレアさんを何とか宿に連れていき、話を聞いた私達は言葉を失った。

きっとそれは無理もない。

危険ギルドを討伐するため、アジトに乗り込む作戦。

それを遂行するために大規模な討伐隊が組まれるほどのアジトに、たった二人で乗り込むという命知らずな行為。

それだけなら、いやそれだけでも十分に問題だが、それにもかかわらずストレアさんの安全を確保するために、自分が残り、彼女だけを転移させるということ。

 

 

「つまり…俺達を危険から遠ざけるためとか言いながら、自分一人で戦ってるってのか」

 

 

苦虫を潰すような表情で言うキリト君。

ストレアさんはただ俯いていた。

それは心配だけではなく、シグレ君を止められなかったという罪悪感もあるのかもしれない。

 

 

「シグレ…どうしてこんな……!」

 

 

サチはシグレ君の無事を祈るようにしながら、ただ震えていた。

皆が皆静かにそれぞれの思いを吐露する中、私はレイピアを手に立ち上がる。

 

 

「アスナ…?」

「…私、行くわ。シグレ君のところに」

 

 

ストレアさんが呼ぶ私の名前は弱々しかったが、私はそれに背を向けながら答える。

これからする事など、一つしかない。

このままこうしていても、彼が安全に戻ってくる可能性が上がるわけではない。

ならば。

 

 

「…行って、シグレ君を連れ戻すの。お説教が必要みたいだから」

 

 

これしかないだろう。

当分は監視をつける必要もあるだろう。

ストレアさんも一緒に。

 

 

「なら、俺も行くよ…あいつに、俺たちが守られるだけの弱い奴じゃないってことを教える必要がありそうだ」

 

 

私の言葉に、キリト君が同意してくれる。

君なら、そういう風に言うって思ってたよ。

 

 

「…さ、ストレアさん。案内してくれる?」

「っ…うん!」

 

 

ストレアさんに案内をお願いし、彼のもとに向かう。

必ず無事に連れ戻し、お説教をするために。

 

 

 

*** Side Asuna End ***



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第47話:信じる不安 / Sinon

*** Side Sinon ***

 

 

 

こうして思いがけぬ、そして望まぬ形での再会を果たしてから、どのくらい経っただろう。

 

 

「…先輩」

 

 

病室で読んだ本はもう何冊になるだろう。

今日は読む本もないが、ただ先輩に会うためにここに来ている。

もう何度彼を呼んだだろう。

そして、何度返事が返ってこなかっただろう。

その度に、何度私は絶望に捕らわれかけただろう。

 

 

「髪…伸びすぎじゃないかしら?」

 

 

先輩の頬に手を伸ばす。

病院での措置で点滴で栄養を取っていても、日に日にやつれていくのがわかる。

初めて彼を見た時から思えば、すっかり腕は細くなり、あの時私を守ってくれたような強さがあるようには思えない。

頭に装着された、先輩を捕らえ続けているそれの隙間から、すっかり伸びた髪が少しだけ溢れ出している。

もう楽に一年は越えた彼の髪は肩を楽に超え、軽く女性のセミロングと変わらない長さになっている。

 

 

「ほんと…いつまで眠り続けるのよ」

 

 

自分でも声が震えていることがわかるくらいに目頭が熱くなる。

病室に響く無機質な機械音が彼が生きていることを伝え続けてくる。

そのことに対する安心と、これがいつ死を伝える音に変わるかという恐怖が鬩ぎ合う。

 

 

 

…この病院にはSAO事件の被害者が結構な数入院しているらしい。

1年近く前には、そこそこのお見舞いに来る人がいたが、目覚めない被害者を見舞っては絶望して帰っていく。

そんな様子をすれ違う廊下で何度も見てきた。

だからこそ分かることがある。

お見舞いに来る人が徐々に少なくなってきていることに。

 

 

「もう、沢山の人が亡くなった…っていうことよね」

 

 

見舞う必要がなくなるのは、退院をするか、亡くなるかのどちらかだろう。

しかし、SAO事件においては退院はあり得ない。

だとすれば、自ずと理由は絞られてくる。

 

 

「先輩は…死なない、わよね……?」

 

 

問いかけても、当然ながら返事は帰ってこない。

SAO事件被害者が亡くなっているのは、何もこの病院に限ったことではない。

毎日のようにニュースで死亡者が出ていることが報道されている。

そんな中で生き残り続けている先輩は、きっと凄いのだろう。

…いや、凄いのだ先輩は。

たとえ他の誰がそうではないと言ったとしても、私は考えを変えるつもりはない。

あの時先輩がいなければ、きっと今の私はいないと、そう思っている。

 

 

「先輩は私の事覚えてないかもしれないけれど…」

 

 

先輩はあの時のことを覚えているだろうか?

それとも忘れてしまっているだろうか?

どちらでも構わない。

たとえどちらであっても、私が先輩を尊敬し、想い続けることは決して揺らがない。

 

 

「…本当に、私を泣かせることだけは天才的に上手ね?」

 

 

けれど、ここ最近のことだけは少しだけ文句を言わせてもらっても、いいわよね。

 

 

 

*** Side Sinon End ***



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第48話:戦い続ける、理由

あれから、どのくらい刃を交わしているだろうか。

 

 

「そらそら、もう終わりか死神さんよ!?」

「っ…」

 

 

包丁で何度も切りかかってくる男に対し、シグレはそれを刀で幾度と弾く。

最高クラスの鉱石から打ち出した刀とはいえ、質量差はどうにもならなかった。

肉を切ることに特化した重い包丁と、金属とは思えぬ軽い質量の刀。

 

 

シグレがここまで苦戦するのは理由があった。

それは拮抗する実力だけではなく、相手が持つ明らかな殺意。

これまで、フロアボスを単独撃破できたのは、結局のところ相手がプログラム、AIの類で決まった行動しかしなかったから。

だからこそ、パターンを読むことで対応ができた。

しかし今戦っている相手はプログラムに縛られない、意思を持った人間。

それこそが苦戦の理由だった。

 

 

「ちっ…!」

 

 

相手の攻撃を捌き、バックステップで距離を開ける。

すると相手は攻撃の手を止め、その場で俯く。

 

 

「……?」

 

 

その様子に訝しげに男を見ながら、刀を持っての警戒態勢を相手に向ける。

 

 

「…だめだ、つまらねぇなぁ。全然アガらない…お前も所詮、その程度か」

 

 

絶望したかのように大げさに言う男に、ただ様子を窺う。

 

 

「だから…もう死んでいいぜェ?」

 

 

警戒するシグレの様子をものともせずに、男は先ほどまでとは比べ物にならない速度でシグレの懐まで距離を一瞬で詰める。

 

 

「っ!?」

 

 

その速度に一瞬反応が遅れ、一瞬武器を引いてしまう。

しかしその隙を相手は見逃さない。

 

 

「シッ!」

「が、は…っ!」

 

 

包丁を勢いよく振り下ろし、袈裟の方向にシグレを切り裂く。

シグレはそれに反応しきれず、ダメージを負う。

激痛に耐えながら見る相手の口元は、笑みが浮かんでいた。

 

 

「…終わりだ。お前の父親のところに、送ってやるよ」

 

 

実に楽しそうに男は言いながら武器を振り上げる。

体力も残り僅か。

どうやら、ここまでか、とシグレは諦めたように目を閉じる。

 

 

「何か言い残すことはあるか?遺言ぐらいなら聞いてやるぜ?」

「優しいことだ…が、特に遺言を残す相手もいないな」

「そうかい」

 

 

とても殺し合いをしているとは思えないほどのやりとり。

殺される寸前だというのに、シグレは不思議と落ち着いていた。

 

 

……もう、疲れた。

 

これまで、得るものよりも失うものの方が多かった、この人生に。

 

ようやく、終止符を打てる。

 

 

それを幸福と思える自分に思わず自嘲の笑みが出る。

 

 

(そういう…ことか。俺は…)

 

 

現実では誰からも疎まれ、仮想世界では一人で突き進んできた。

この世界が終われば、また疎まれる人生に戻るというのに、何故ここまで突き進んだか。

その理由を、シグレは結論付ける。

 

 

(……死に場所を見つけるために、ここにいたのか)

 

 

全てが繋がったように結論付けた瞬間、シグレは刀を手放す。

 

 

(どうやら…もうすぐそっちに行けそうだ)

 

 

両親と、二人に囲まれていた過去の自分を思い返しながら、一瞬だけ来るであろう痛みに備えるのだった。



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第49話:彼の望みは叶わず

覚悟を決め、シグレが目を閉じてからどれだけの時間が過ぎたか。

一瞬とも、永い時とも取れる時間。

その後に聞こえてきたのは。

 

 

「させない!」

「ちっ…!」

 

 

聞き覚えのある声と共に、自分の脇を風が通る。

次の瞬間、金属同士がぶつかる音が響く。

 

 

「な…」

 

 

目を開ければ、先ほどまで死闘を繰り広げた男に対して、鋭くも速い刺突をかける栗色の髪の女性。

その女性…アスナは怯んだ相手を追い詰めるかのように攻撃を続け、体勢を立て直すには十分な時間を稼ぐ。

 

 

「やぁっ!!」

「シッ!」

 

 

そして、男の避け方を先読みするかのように槍で追撃をかける黒髪の女性…サチ。

その攻撃に対しては、男は武器を振るい、攻撃を凌ぐ。

 

 

「はあああぁぁぁっ!!」

「グっ…」

 

 

しかし、相手は武器一本。

サチの攻撃に対応している隙をついて、背後からキリトが切りかかり、ようやく斬撃が入る。

その斬撃に男は一瞬怯み。

 

 

「シグレ!」

「っ…!?」

 

 

皆が抑えているうちにストレアがシグレに駆け寄り、手に持っていた回復薬を半ば強引に飲ませる。

突然流し込まれたそれに軽く咽るシグレだったが、やがてHPが回復し、安全な範囲まで戻る。

 

 

「く、ククク…」

 

 

劣勢に立たされるも、嗤う男。

 

 

「いいねェ、さすがは『黒の剣士』ご一行様だ。少しは楽しめそうか?HAHAHA…」

 

 

武器を取り直す男に、キリト達が対峙する。

シグレはストレアに支えられながら。

 

 

「……」

 

 

疲労が溜まっていたのか、別の理由か、シグレは意識を失った。

 

 

 

それから、どれくらい経っただろうか。

 

 

「ぅ……」

 

 

ぼんやりと覚醒し始める意識の中、シグレは眉間に手をやりながら上半身を起こす。

場所は変わらず、アジトの中で、シグレだけ意識を失っていたようで、ストレアに膝枕され、サチが看病…とまではいかずともシグレを看ていた。

キリトはアスナとともに辺りを警戒していたようだが、シグレの覚醒に気づき、見張りをやめシグレに近づく。

 

 

「よ。生きてるか?」

「……」

 

 

キリトの問いに、シグレは少しだけ彼を見て、あぁ、と頷いた。

しかしすぐに辺りを見回し。

 

 

「…あれからどうなった」

 

 

シグレの独り言のような問い。

それに対し、皆がシグレが気を失っている間の経緯を説明する。

 

 

結論から言うと、逃げられた。

経緯としては、ストレアが気を失ったシグレを守るように警戒しつつ、キリト、アスナ、サチの三人で男と対峙したとの事。

シグレとストレアの二人で数を減らしていたことが功を奏したのか、それほど苦戦はなかったとの事だった。

その後、大規模に組まれた討伐隊が到着し、さすがにその数にはどうにも太刀打ちできず、転移結晶で逃亡したらしい。

その際に何人かの幹部も逃げた、とのことだった。

 

 

「…んで、血盟騎士団の団長からお前に伝言」

「俺に…か?」

「あぁ。無茶は程々に…だとさ」

「……」

 

 

伝え聞いた伝言にはシグレは返事を返さない。

ただ、何となく話しかけてくるキリトに視線を向けていると、胸元に軽く押されるような感覚。

何事かと視線を下に向ければ。

 

 

「よかった…シグレ」

「……あんまり危険なこと、しないでよ」

 

 

アスナとサチが心配を隠さずに訴える。

その思いは、シグレに届いていたかどうかは定かではないが。

 

 

「…」

 

 

肩を震わせる二人に、下手に言葉をかけずにそのままにするシグレ。

 

 

「アタシだって、すっごく心配したんだからね?」

 

 

膝枕のまま、額に触れてくるストレア。

その手は震えており、見上げた先のストレアの双眸からは涙が零れていた。

 

 

「世の男に殺されそうな光景だな、シグレ?」

 

 

キリトに言われ、今の状況を考える。

ただでさえ男女比率で男性プレイヤーが多いこの世界で、女性三人に心配されているという状況。

しかも女性は皆が皆、贔屓目に見ても美しい女性である。

確かに、世の男性からは恨まれそうな状況である。

 

 

「…どうしてこうなった?」

「俺に聞かれてもな…」

 

 

シグレ自身は多少の人付き合いはあっても、仲間を作ってとかそういうことをするつもりはなかった。

にも拘らず、この状況。

キリトに理由を聞いてみれば、苦笑して返されるだけだった。



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第50話:休息と、僅かな変化

「…とりあえず、これからどうする?」

 

 

いつまでもここでこうしているわけにもいかないというのもあってか、キリトがシグレに尋ねる。

シグレからすれば主導権を握るつもりは全くなかったのだが。

 

 

「……そうだな。少し腰を落ち着ける時間が欲しい、か」

「珍しいな、シグレがそんな風に言うなんてさ」

 

 

なんとなく思ったことを言ったら軽く驚かれ、釈然としないシグレだったが。

 

 

「…そう、だな。色々あって…少し疲れた」

 

 

目を閉じながら溜息をつくシグレ。

 

 

「だったら、家を買わないか?」

「家…?」

「あぁ。22層に静かないい場所があるんだ。休むっていう目的なら、お誂え向きだと思うけどな」

 

 

キリトの言葉にシグレは少し考える。

そこまで強い印象に残っているわけではないが、22層は自然に囲まれた場所だったと記憶している。

それを考えれば、キリトの言う通り、確かに体を休める場所としては適していそうで。

 

 

「…わかった」

 

 

特に異論を述べることはしなかった。

 

 

「…そんなところでどうだ?」

 

 

三人に問いかけるシグレ。

それに対して反対意見が上がってくることはなかった。

 

 

 

そんなこんなで22層のログハウスを購入した一行。

購入の資金については、シグレが支払った。

お金としてはフロアボス討伐等の報酬があったにも関わらず、それを使うのが最低限だったため、それなりに余裕があったのだ。

 

 

「…」

 

 

ベランダから外に出て湖をぼんやり眺めるシグレ。

その風景は、これまでいた薄暗いアジトが別世界と思えるほどに綺麗な光景だった。

 

 

「いい所だね」

「…あぁ」

 

 

アスナが栗色の髪を風に靡かせながらシグレの隣に立つ。

シグレは声の主を確信しているのか、彼女に視線を向けずに少ない返事を返す。

今の彼女は戦いの時に装備している鎧を外した私服姿なのだが、その事にシグレは気付いているだろうか。

 

 

「……知らなかったな。この層にこんな場所があったとは」

「それはそうよ。だってシグレ君、攻略ばっかりだったじゃない」

「それに関してはお前も人のことは言えないのではないか?」

 

 

苦笑交じりのシグレの言葉に、アスナは少し考える。

顎に指をあて、んー、と唸りつつ考えて。

 

 

「そんなことないかも。私はどちらかというと攻略というより、君の後を追いかけてただけだから」

「俺の事など放っておけばよかったろうに」

「…それ、本気で言ってる?」

 

 

シグレが苦笑交じりに言えば、一瞬だけアスナの声が低くなる。

シグレはそれに気づいてか気づかずか。

 

 

「あぁ…本気で言っている」

「あのねぇ…!」

「…このゲームが始まってすぐ、俺がお前に言った事」

 

 

アスナが咎めようとするが、シグレが遮る。

シグレがアスナの方に視線を向ける。

彼女にはシグレの視線が冗談ではないことに察しがつき、一瞬黙る。

 

 

「…覚えているか?」

「えぇ。帰りを待つ者がいるのなら…よく考えて行動しろ、だったかしら」

「あぁ」

「…けれど、君はこうも言ったわ。『俺には帰りを待つ者がいない』って」

「そうだ」

 

 

よく覚えているな、と付け加えるシグレに、アスナは少しだけ口調を強める。

 

 

「…そんなことはありえないわよ。本当に孤独な人間なんて、この世にいないわ」

「それはお前が恵まれた人間だからだ」

「っ…そんなこと言っても、君にだっているでしょ?家族とか、親戚とか、友達とか…!」

「少なくとも、俺を気に掛ける物好きは、身内にはいない」

「そんなこと…!」

 

 

アスナの反論にシグレは視線を落とし、軽く自重するような笑みを浮かべる。

 

 

「あぁ…ひょっとしたら、そんなことはないのかもしれない。聞けば、俺の考えを否定する人もいるかもしれないな。だが…俺には、信じられない」

「どうして…」

「……」

 

 

アスナが尋ねるが、シグレは黙る。

それは、シグレがそれ以上は話すつもりはない、という意思表示をしていることに他ならない。

アスナもまたそれを察し、追及をやめる。

 

 

「…すまないが、この考えは…変えられそうにない」

「初めて会った時から…変わらないのね」

 

 

アスナは溜息交じりに言うが、すぐに笑みを浮かべ。

 

 

「でも…変わったところも、あると思う」

「……そうか?」

「うん…」

 

 

シグレの顔を見ながら、笑みを浮かべる。

 

 

「…少しだけ。表情が柔らかくなった」

「……ふん」

 

 

いつだかにストレアに言われた事と同じ事。

自分ではそんなつもりがなかっただけに余計に恥ずかしくなり、視線を湖に戻す。

その様子がどう映ったか。

 

 

「ふふっ…」

 

 

アスナは一つ笑みを浮かべながら、シグレと同じく視線を湖に戻した。



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第51話:心の壁

それから少しして。

部屋に入ったシグレは買ったばかりの家の中を見回す。

 

 

「……」

 

 

大豪邸というほどではないがしっかりした造りの家。

その割り当てられた一室のベッドに腰掛け、ぼんやりと天井を見る。

窓から差す光のおかげで、木製の壁が明るい茶色に光る。

窓から見える先には暗さを感じさせない程度の雑木林が広がり、時折吹く穏やかな風が窓から入り、シグレの髪を靡かせている。

 

 

「…暇、だな」

 

 

ぼんやりと呟く。

落ち着ける時間が欲しいといったのは自分なのだが、いざ落ち着いてみると退屈が先に立ってしまう。

今となっては主として振るっている緋月も、鞘に納められた状態で壁に立てかけられている。

身に着けているのも、戦いの時に身に着けていた鎧ではなく、NPCが身に着けるレベルの私服。

現実であれば普通の青年が着ているような、そんなレベルのもの。

 

 

…中にはこんな風に、現実と変わらない生活を送る人もこの世界にいるのだろう。

それはそれで正しいのだろう。

命がかかっているとはいえ、仮想現実のゲームの世界。

どう過ごそうとも、そこに罪はない。

けれど、シグレは、自分がそうなろうとしていることに少しばかり違和感を覚えていた。

 

 

…つまりは、それでいいのか、と。

元の世界に、自分を、皆を戻すために進むと決めたのに、今は立ち止まっている。

その事が、葛藤となってシグレを苛む。

 

 

「…はい」

 

 

そんなことを考えていたら部屋にノックの音が響く。

 

 

「…私。入っても…いいかな?」

 

 

扉の外から聞こえてきたのはサチの声だった。

確か、サチはストレアに説教をしていると聞いていたが、終わったのだろうか。

 

 

「…どうした?」

「ストレア、ダウンしちゃったから…」

「……」

 

 

いったい何を言ったらストレアをダウンさせられるのだろう。

少しばかりシグレは興味を引いたが、藪を突いて蛇を出す趣味はなかった。

 

 

「…それで、どうした?とりあえず、今はどこかに行くつもりはないが」

「あ、うん、それはそれでいいんだけど…って、自覚あったなら少しは自重したら?」

 

 

シグレが言えば、サチが苦笑交じりに窘める。

どうやら深刻な話があったわけではないらしく、何となく気になって来ただけらしい。

 

 

「…隣、座るね」

 

 

言いながら、サチはシグレの返事を待たずに隣に腰掛け、自分の体をシグレに預けるように寄りかかる。

シグレからすれば、サチのそれは非常に軽く、この世界で鍛えていたステータスを考えれば支えるには余裕だった。

 

 

「……聞いてもいい?」

「?」

 

 

突然発せられるサチの言葉に、シグレは無言で先を促す。

 

 

「どうして……そこまで、壁を作ってるの?」

「…壁?」

「とぼけなくていいよ。私達が貴方に踏み込んでいけないように、貴方は壁を作ってる」

 

 

シグレの言葉に止まることなくサチは続ける。

 

 

「私達のギルドにいた時から、ね…なんとなく、分かってたよ。シグレは誰にも心を許してないし、それを隠そうともしてない」

「…そんなことは」

「あるよ…絶対ある。シグレにとっては無意識なのかもしれないけど…ね」

 

 

いつもより強い口調のサチに驚きもあり、言葉が続かないシグレ。

ギルドの中でも引っ込んでいる様子のあった彼女のその口調にはさすがのシグレも止まってしまう。

尤も、考えてみればギルドから飛び出して追いかけてくるのだから、それなりの決意はあったのだろうと今更ながらに思う。

 

 

「…仮にそうだとして、だ。俺のことなど放っておけばいいだろうに…何故ここまで俺に構う?」

 

 

攻略組で基本的にソロプレイをしているキリトやアスナとは違い、サチはギルドメンバーという仲間がいる。

更に言えばサチは攻略をメインに進める攻略組ではない。

シグレからすれば大事にすべきはギルドメンバーなのでは、と考えていたのだ。

だからこそ攻略を続けるうえで身を引いたわけだが。

 

 

「…うん。いつか、教えてあげる」

 

 

少し俯き気味になりながら言うサチに、何故今ではないのだろうという疑問を少しだけ抱きつつ。

 

 

「そうか」

 

 

シグレも一言だけ返し、部屋の中で二人、少しだけ暖かい時間を過ごしていた。



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第52話:謎の少女 - I

そうして時は過ぎ、日が暮れる頃。

 

 

「ただいまー」

 

 

キリトの声。

どうやら買い出しに行っていたらしく、戻ってきたようだ。

 

 

「……」

 

 

シグレは玄関まで荷物を受け取ろうと向かい、キリトの様子を見て一瞬固まる。

溜息を吐きながら頭を押さえて状況判断。

 

 

「…現実に戻ったら、警察に行くつもりか?」

 

 

キリトがおぶっている少女。

白いワンピースに身を包んだ黒髪の少女がキリトの背におぶさったまま眠っていた。

 

 

「おい…おい、違うぞ!誘拐してきたわけじゃない!森で倒れてたんだ!」

「…わかった、話は現実の警察でしっかりな」

「だから違うって!」

 

 

疑うシグレと必死に弁明するキリト。

その声に何だろうと出てきた女性陣…アスナとサチも追及する側に回り、キリトの誤解が解けるまでに小一時間を要した。

 

 

 

その後、キリトの弁明がようやく通じた頃。

 

 

「……話だけを聞く限りでは、確かに妙だな」

「だろ?」

 

 

キリトの説明にシグレを始めとした皆も違和感を感じる。

先ず、このゲームにはハラスメントコードというものが存在する。

一番分かりやすい例として、男性から女性に対する性的ハラスメント。

コードが発動した場合、被害者側は加害者に対し一定の罰則を与えることができる。

それと同時に、加害者側にも警告が出るはずなのだ。

しかしながら、キリトが気絶した少女を抱き上げても警告が出なかったらしい。

 

 

「システムの故障かとも思ったんだが…どうだろうな?」

 

 

キリトが可能性を提示する。

割と低めの可能性だが、ゼロではない。

それにシグレが頷き。

 

 

「…試してみるか?」

「どうやって?」

 

 

シグレが言いながら、隣に座っていたアスナに徐に手を伸ばし、肩に触れる。

 

 

「…本当に故障か?」

 

 

しかし、警告は出なかった。

その事にシグレはアスナに尋ねるが。

 

 

「…どうかしら。私はシグレ君に対してコード規制解除してるから」

 

 

さらっと返され、シグレは肩から手を放す。

これでは実験にならない。

というかいつの間に。

というか何故。

色々とシグレは思うところがあったが、それ以上は追及してはいけない、と直感的に悟った。

 

 

「…聞くが、サチ。そっちは…」

「あ、うん…私も、シグレに対しては…」

 

 

顔を赤くしながら俯くサチに軽く頭を押さえるシグレ。

ちらり、とアスナを見れば、平然と言ってのけた割には頬が軽く赤く染まっている。

 

 

「……すまない、俺では確認の方法が無い」

「いや、謝られてもな」

 

 

シグレに対しキリトは苦笑。

単純に知っていたのだろうとシグレは察した。

考えてみれば、アスナとサチはシグレと合流するまでキリトと行動していたのだから自然である。

 

 

「ちなみにそういう意味だと」

 

 

キリトがアスナに手を伸ばすと、肩に触れそうな距離に近づいた瞬間。

 

 

「っ…と。こうなる」

 

 

キリトの手に電流のようなエフェクトが発生した瞬間、キリトの眼前に表示されるメッセージ。

つまり、ハラスメントコードが発動し、警告が表示された、という事になる。

 

 

「…これ以上は追及はしない。話題が逸れるからな」

 

 

その様子に、シグレは軽く下を向いて考えを振り払いながら、話題を元に戻そうとする。



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第53話:謎の少女 - II

結局のところ、ハラスメントコードは正常に動作していることになる。

 

 

「…話題を戻すが、キリト。ここに連れてくるまでにコードが発動しなかったという事で考えられる可能性は?」

「可能性としては、何らかの理由でこの子が俺を知っていて、規制を解除していたか…」

「…それはないな。プレイヤーカーソルはどうした」

「それに、NPCでもない…よね。もしそうなら、ここまで連れてこれないはずだし」

 

 

キリトが挙げる可能性はシグレが否定する。

NPCの可能性も、サチによって否定され、ますます謎に包まれていく。

 

 

「ストレアさんなら何か…知ってるかな」

「…さてな。起きていれば会話に加わっていただろうが…どこかの誰かがダウンさせたらしいから、今日話を聞くのは難しいだろう」

「ぅ…」

 

 

アスナの言葉にシグレは平然とした口調のまま返し、サチは押し黙る。

原因という自覚はあったようだ。

 

 

「ま、いずれにしても…今日はこの子を休ませよう。目を覚ませばきっと何か分かるさ」

 

 

キリトの言葉で、その場はお開きとなることとなった。

人数は6人となったが、部屋割りはキリトとシグレ、アスナとストレア、サチと少女、という組み合わせとなった。

男女が同じ部屋なのは以ての外である事に加え、ストレアはサチと同室にするのはどうか、という事から自然に決まった。

 

 

 

 

そんな中、キリトとシグレの部屋。

 

 

「…それで、だ」

「?」

 

 

シグレはキリトに問いかける。

 

 

「目を覚ましてから、どうするつもりだ?…いずれ帰還の為の戦いに戻る時に連れて行くのは無理があると思うが」

「勿論そんなことはしないさ…一応、考えはあるんだ」

 

 

キリトの考えというのは、第一層、はじまりの街にある孤児院へと連れていき、心当たりがないかどうかをあたる、というものだった。

第一層は街がかなり広く可能性が高いということに加え、第一層で戦う力がないプレイヤーでも辿り着きやすい場所である事から、妥当な判断だろうとシグレも異は唱えない。

 

 

「…一応言っとくが、シグレも来いよな」

「……必要あるか?」

 

 

キリトの問いに、シグレは素で尋ね返す。

その反応にキリトは溜息を吐く。

 

 

「皆で行くんだ。お前だけにして、また失踪でもされたらたまったもんじゃない」

「……失踪、ね。俺は単に攻略を進めていただけだが」

「それが無茶じゃなけりゃ、俺だって何も言わないさ」

 

 

キリトの言葉にシグレは無茶という自覚が少なからずあったのか押し黙る。

 

 

「…なぁ、シグレ」

「何だ」

「無茶だって分かってたのなら、なんでソロでフロアボスに挑むんだ?それじゃまるで……」

 

 

キリトはシグレに尋ねる。

攻略の為に戦い続けてきたからこそ、分かるのだ。

シグレがやっていることが、どれだけ無謀なことか。

まして、現実の命を賭けたこの世界でそれをする事が、どういう事か。

 

 

「…一応聞くが、察しはついているのか?」

「あぁ」

 

 

シグレの問いに短く答えるキリト。

シグレはキリトから視線を外し、そうか、と一言だけ返す。

 

 

「……聞いても、いいか?」

「俺に答える気があればな」

 

 

シグレの言葉にキリトは聞き方を考え、やがて考えがまとまったのか。

 

 

「お前は…そのやり方を…続けるつもりか?」

「…あぁ。そしてどこかで、目的を達成するつもりだ。俺自身は現実への帰還は…どうでもいい」

「何で…って聞いても、答えるつもりはない…か?」

「あぁ」

 

 

問答を終え、少しの静寂の後。

 

 

「…もう寝ろ。明日、出掛けるのだろう?」

「あぁ。ただその前に…一つだけ」

 

 

シグレが明かりを消しながらキリトに言うが、キリトは頷きながら。

 

 

「俺も、アスナもサチも…きっとストレアも、お前の目的を達成させまいと頑張ってるんだ。それだけは忘れるなよ」

 

 

キリトはシグレに言い聞かせるように言う。

その言葉にはシグレは、肯定も否定も返さなかった。



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第54話:謎の少女 - III

翌朝。

 

 

「…起きていたか」

「うん、おはようシグレ君。キリト君は?」

「あいつはまだ起きていない。用があるなら叩き起こすが?」

 

 

シグレが起きると、アスナとストレアも起きていて、出かける準備は出来ているようだった。

キリトが起きていないことを気にしたアスナがシグレが尋ねるが、刀に手をやりながら『叩き起こす』と言うシグレに軽く冷や汗を流す。

 

 

「…抜刀はしない、よね」

「さすがにそこまでする気はないが」

「だ、だよね!あ、あはは…」

「……それはそうと、随分静かだな」

 

 

そんな会話を交わす最中に静かになっているストレアに声をかけるシグレ。

するとストレアは顔を上げ。

 

 

「…ごめんね、シグレ」

 

 

と一言、シグレに謝罪をする。

それに対し、本当に理由が分からないシグレは疑問符を浮かべるのみ。

 

 

「……何がだ?」

「あの時、私が足手纏いになったから…」

 

 

ストレアのいうあの時、というのはアジトに二人で奇襲をかけた時の事だろうと察する。

こんな所で死なせるわけにはいかない、と思い転移をさせたシグレだが、それに責任を感じさせてしまっていたらしい。

 

 

「…お前が謝ることじゃない。あれは俺の独断だ」

「でも…私がもっと上手く立ち回れれば…シグレをあんな場所に一人にしなくて済んだんじゃないかって思うと…っ!」

 

 

俯いて肩を震わせ始めるストレアに溜息交じりに頭を掻くシグレ。

 

 

「ストレア」

 

 

シグレは、はっきりとストレアの名を呼ぶ。

次に言われる罵詈雑言を覚悟してか、恐る恐る顔を上げるストレア。

ストレアから見たシグレの表情はいつも通りで、それが少しばかり怖く感じた。

 

 

「…さっきも言ったが、俺は怒っていない」

「……ほん、とに?」

「あぁ…それに、お前がどれだけ善戦しようと、俺は最初からああするつもりだった」

「なんで…」

「忘れたか?俺はそもそも一人で行くつもりだったんだが」

 

 

苦笑交じりの言葉にあ、と思い出したように言うストレア。

 

 

「そっか、そうだったね。でもそれって、私もアスナとサチと同じでシグレを怒っていいんじゃないかな?」

「…それを隣にいるアスナが許せばな」

「……なんか、アタシの立場が一番惨めじゃない?何これ」

 

 

いつも通りのストレアにクスクスと笑みを零すアスナに、やれやれ、といった感じのシグレ。

どうやらサチの説教もありながら、自分を責め続けていたのが不調の原因だったようだ。

そんな会話をしていると。

 

 

「おはよう」

 

 

キリトが目を覚ましたのか、部屋から出てきた。

 

 

「起きたか」

「あぁ…サチ達はまだ、みたいだな」

 

 

シグレが声をかければ、少女の事を気にしているのか、サチ達がいないことにすぐに気づくキリト。

 

 

「…それにしても、危なかったな」

「ん…何でだ?」

「なかなか起きてこないお前に痺れを切らしたアスナが、こいつでお前を叩き起こせと」

「ちょっと…言ってないわよ!?」

「アスナこわーい」

「ストレアまで!?もう…!」

「あ、あはは…ちなみにシグレ、本気で実行するつもりじゃなかった、よな?」

「…さてな」

「そこで濁すな…怖いから」

 

 

会話の中でシグレの冗談から始まる、平和な一時。

その騒ぎで、というわけではないだろうが。

 

 

「みんな…あの子が、目を覚ましたよ!」

「本当か!?」

 

 

部屋を飛び出すように出てきたサチが、慌てたように言う。

キリトの確認に頷きながら、サチは一度部屋に戻り。

 

 

「…大丈夫?歩ける?」

 

 

少女を支えるようにしながら連れてくるサチ。

その少女の姿を、おそらく初めて見るであろうストレアは。

 

 

「え…?」

 

 

驚いたように声を漏らす。

 

 

「……ユイ?」



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第55話:謎の少女 - IV

少女…ユイの名を呼ぶストレアだが、ユイはストレアの事がわからないのか、サチの背後に隠れてしまう。

隠れてしまったユイに対し、ストレアは伸ばしかけた手を下ろし、次の言葉を繋がずに黙ってしまう。

 

 

「…知っているのか?」

 

 

シグレの問いに、ストレアは頷く。

 

 

「この子は…ユイ。私と同じメンタルヘルス・カウンセリングプログラムの試作1号…アタシの姉にあたる…AIだよ」

「…え、AI…?」

 

 

ストレアの説明に、隣に座っていたアスナが驚いた表情でストレアを見返す。

どうやらそれはキリトも同じだったようだ。

AI…人工知能というのは、世間の流れとしては問題解決の手順としての研究が主流で、人格をコンピュータで再現する事は含まれない。

その事もあってコンピュータにおける人格の形成はそれほど発展していないはずだった。

だからこそ、ストレアのような、それこそ人だと思えるレベルの存在がAIと言われても、そうですか、と信じるレベルにはならなかったのだ。

 

 

「…どうやら本当のようだ。尤も色々あって、今のこいつはカウンセリングプログラムとしては機能していないようだが」

「それはシグレがアタシを傷物にするからー」

「……だから言葉を選べと」

 

 

シグレの捕捉に茶々を入れ、再度シグレは溜息。

 

 

「よく分からないが…ストレアはこの子の事を知ってるんだよな?それなら…」

 

 

キリトの言葉にストレアは首を軽く横に振り。

 

 

「アタシとユイは完全に別枠で管理をされてたから、ユイに何があったかは分からないよ。ただ…こんな事って……」

「……プログラムで言うところのバグってことか?」

「もしそうなら、アタシにも同じ症状が出るはずだよ」

 

 

キリトの意見にストレアは否定で返す。

 

 

「…だとすると、何が……」

「ユイ本人に聞ければいいけど…その様子だと無理そうだし…」

 

 

皆が悩む中、キリトがユイに近づき。

 

 

「こんにちは。ユイ…でいいかな?…俺は、キリトっていうんだ」

 

 

キリトがユイに近づき、視線を合わせるためにしゃがんで話しかける。

サチの背後から、恐る恐る顔を出し。

 

 

「キ…ト……?」

「…ちょっと難しいかな?」

 

 

舌足らずな感じで、それでも何とかキリトの名を呼ぼうとするユイにキリトが苦笑する。

 

 

「呼びやすいように呼んでくれていいよ」

「ん…キ…ト……パパ」

「…んん?」

 

 

まさかそう呼ばれるとは思ってなかったのか、一瞬言葉を失うキリトだが。

 

 

「ダメ…?」

「…そんなことない。いいよ」

 

 

不安そうに言うユイにキリトがOKを出すと、嬉しさからかサチの背後から飛び出してキリトに抱き着き。

 

 

「パパ…!」

「はは……」

 

 

幸せそうな娘を抱きしめる父親、という構図に見える。

その様子は確かに家族のようで微笑ましいものだった。

 

 

「…そうなると、母親は誰になるんだ?」

「シグレがパパなら、アタシがママでもよかったんだけどねー」

「……誤解を招くようなことを言うな」

「…ストレア?」

「あ、はい、スミマセン」

「…本当に何があったの?」

 

 

軽く窘められただけで黙ってしまうストレア。

その様子に純粋に疑問が浮かぶアスナだったが。

 

 

「……アスナ」

「サチ?」

「知らない方がいいことっていうのも…あると思うんだ」

 

 

サチに言われ、無言で頷く。

これは逆らってはいけない何かだと、直感で察したらしい。

 

 

「とりあえず…食事にしようぜ。6人でさ」

 

 

純粋に、そうしたいと考えていたのか、あるいは話題を変えたいと思ったのか。

キリトの言葉に異を唱えるメンバーはいなかった。



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第56話:一人になることは許されず

そんなこんなで朝食を終え。

 

 

「それで、これからどうする…AIとはいえ、攻略を進める以上連れて行くのは無理がある気がするんだが」

「うーん…」

 

 

シグレの言葉にキリトが悩む声を上げる。

キリトがユイと打ち解けてからというもの、すっかりキリトにべったりで、今もキリトの隣で、肩に頭を預けて気持ちよさそうに眠っている。

実際のところ、全員がほぼ同じことで悩んでいた。

 

 

「ねぇストレア…この子は貴女みたいに戦えるわけじゃ…ないのよね?」

「…アタシも一から十まで知ってるとは言わないけど…厳しいかもしれない」

 

 

サチの言葉にストレアが悩むような声を上げる。

だとすれば、この先攻略に戻ることになった時にまた同じことで悩んでしまうことは容易に想像がついてしまう。

とはいえ、当初の予定通りはじまりの街に行くべきかというと、今となってはその理由は薄い。

あの時は、ユイがAIだということが分からなかったから、手掛かりを集めるという意味で意味があった。

しかし、その事実が分かっている以上、その意味が薄れてしまっていた。

 

 

「でも…記憶がない今のユイちゃんにとっては、いろいろ見て回るっていうのは…意味があるんじゃないかな」

「…そう、だな。俺もそう思う」

 

 

とはいえ、何も手を打たないよりはマシ、というべきか、アスナが当初の予定を再提案し、キリトも同意する。

シグレも、その提案に特に異論がなかったのか。

 

 

「…そうか」

 

 

一言だけ、小さく返した。

 

 

「ん…パパぁ……」

 

 

タイミングを計ったようにか、寝言でキリトを呼ぶユイに、キリトは軽く笑みを漏らす。

その様子は微笑ましいもので、家の中はほのぼのした雰囲気だった。

 

 

「…さて、俺は少し外にいる」

「どこに行くの?」

「狩りだ。いくら休みとはいえ、腕が鈍っては元も子もない…安心しろ。22層のどこかにはいる」

 

 

刀を手に持ち外に向かうシグレ。

けれど。

 

 

「それなら…私も行くわ」

「私も」

 

 

一人で行くことをアスナとサチが許すわけもなく。

彼女らも武器を装備し、シグレの後に続いた。

 

 

「…別にそこまで無茶にはならないと思うが」

「ねぇシグレ…こういうのなんて言うか知ってる?」

 

 

シグレの言葉にサチが笑顔で質問を投げかけ。

 

 

「…自業自得、っていうんだよ?」

「……」

 

 

答えを言うサチの笑顔の裏にある圧ともいうべき迫力に、シグレは視線を逸らすだけだった。

 

 

そうして、家の外に出る。

この層は基本的に長閑な雰囲気ということと、ほとんどソロで活動していた事もあり。

 

 

「はっ…!」

 

 

刀一振りで魔物をあっさりと倒してしまう。

ほぼ一撃で倒してしまうため、アスナとサチは出番がほとんどない状態だったりする。

その戦いぶりは、スキルに依存した戦い方というよりは。

 

 

「…シグレって、現実でも何かやってたの?」

「?」

 

 

敵のモンスターの気配がなくなったところで、アスナが尋ねる。

シグレは質問の意図を計りかねてか、納刀しながらアスナに視線を返す。

 

 

「貴方の太刀筋は、ただ攻略のためだけに突き進んできただけにしては、動きが完成されている…っていうか。私はそこまで詳しくないけど…」

「…そう、かも。ひょっとして剣道とか……」

 

 

アスナの考えながらのような言葉にサチも同意する。

その言葉に、シグレは一つ溜息を吐き。

 

 

「…まぁ、昔、剣道はやっていたが」

「へぇ…学校の部活、とか?」

「……さてな」

 

 

アスナの質問をシグレははぐらかす。

少しでも突っ込んだ質問になると、シグレは絶対に答えない。

 

 

「…そろそろ戻るか?キリトの娘も目を覚ます頃だろう」

「あ、うん…」

 

 

答えの代わりに、戻る提案をするシグレ。

その提案に異を唱える理由もなかったので、それ以上の追及はできなかった。

 

 

そんなこんなで戻り。

 

 

「…さて、どうする。まだ陽は高いが…行くか?」

「あぁ、そうだな」

 

 

シグレの提案にキリトも賛成し、第1層へと向かうこととなった。



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第57話:二度目のはじまり

第1層の広場へと転移する一行。

 

 

「…懐かしい、な」

 

 

ぼんやりと空を見上げながら、シグレが呟く。

かつて、チュートリアルと称して真っ赤に染め上げられた空。

もう1年以上経つのかと改めて考えていた。

 

 

「……」

 

 

ぼんやりと、宙を見上げるシグレ。

誰にも言っていないが、シグレはこれがデスゲームだと告げられた時に感じたことは、絶望でも、恐怖でもなかった。

かといって、未知のゲームが始まることに対する高揚感があったわけでもない。

あえて言うなら、何も感じていなかった。

その時の周りの様子…他のプレイヤーを見て、自分がいかに感情という面で枯れているかを思い知らされた。

周りは恐怖に怯え、絶望し悲鳴を上げ、中には投身自殺をする者すらいた。

それがいかに人の心を掻き乱したかなど、想像に難くない。

けれど、自分はなぜ平静を保っているか。

その時は分からなかったが、今となっては…

 

 

「…シグレ、聞いてるか?」

「あぁ…どうした?」

「いや、それはこっちの台詞なんだが…とりあえず、孤児院にって」

「そうか」

 

 

キリトに声を掛けられ、我に返るシグレ。

キリトはぼんやりとしていたシグレを一瞬訝しむが、いろいろ思うところがあるのだろう、と、それ以上の追及はしなかった。

 

 

 

ユイを背負ったキリトの先導で、はじまりの街の路地裏のような場所に入っていく。

すると。

 

 

「…子供たちを返して!!」

「お、保母さんの登場だぜぇ?」

「いよっ、待ってました!!」

 

 

奥から女性の声が響く。

それに続いて揶揄するような男性の声。

子供たち、という言葉から察するに、声の主がいる場所が目的地だと認識するのに時間はかからなかった。

 

 

「そ、そこをどきなさい…さもないと……っ!」

 

 

声の主の場所に到着すると、鎧で武装した数人の兵士に対峙して武器を抜こうとする軽装、どころか私服の女性

武器もおおかた護身用、といったところに見える。

兵士の方も一般人であると高を括っているのか、ニヤニヤと下卑た笑みで見下すように女性に向かう。

 

 

「…この程度の兵士、俺一人で十分だ。そっちは……」

「子供たちね…任せて」

 

 

速度で先陣を切っていたシグレとアスナが言葉を交わし、対峙している場所に突貫していく。

シグレは兵士と女性の間に。

アスナは軽々と兵士を飛び越え、子供達の前に。

 

 

「あ、貴方は……」

 

 

兵士に対峙することで背に庇うような状態になるシグレに女性が声をかけようとする。

けれどシグレは軽く視線を返し、すぐに視線を兵士に戻したため、殆ど顔を合せなかった。

 

 

「なんなんだ貴様達は!」

「我々軍の任務を妨害する気か!?」

 

 

その態度が気に食わなかったのか、兵士が声を荒げる。

その中央から隊長と思わしき人物がシグレの前に立ち。

 

 

「…あんたら見ない顔だが…解放軍に楯突く意味、分かってるんだろうなぁ!?」

 

 

言いながら、剣を鞘から抜き、威嚇するように振りかざす。

尤も、その程度でたじろぐ事はなかったが。

 

 

「…キリト、アスナ。子供達の目を塞いでおけ」

 

 

ゆらり、という擬音が似合いそうな自然な所作で、シグレは刀を抜く。

 

 

「…分かった」

 

 

そこからキリトが察したのか返事を返す。

アスナが頷き、子供たちを陰に誘導するのを確認する。

 

 

「…サチ、ストレア。そっちはその女性を」

「うん…分かった」

「…程々にね?」

 

 

背中越しに声をかけ、返事を聞きながら視線を兵士に向ける。

その視線、眼光にはフロアボスに対峙するときの気迫があった。



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第58話:死神の恐怖

けれど、その事を察することができないのか、それとも所詮一般人と高を括っているのか。

 

 

「ふふ…」

 

 

剣を見せびらかすようにする隊長兵士。

構えも何もない、油断した兵士にシグレは刀を手に近づき。

 

 

「……舐められたものだな」

「あ?」

 

 

歩を止め、苦笑いしながら呟くシグレ。

その様子が、隊長の癪に障ったか。

 

 

「っ舐めるなクソガキぃ!」

 

 

大振りに剣を振り下ろす隊長。

伊達に隊長ではないということか、その剣筋はなかなかのものであった。

しかし、幾度とフロアボスに単騎で挑んだシグレにとってはそれは児戯に等しいもので。

 

 

「…ふん」

 

 

刀で受け止め、斬撃をあっさりと払う。

突然乱された剣筋に体が引っ張られて、隊長はバランスを崩し、懐ががら空きの状態になる。

シグレはその隙を見逃さず。

 

 

「…戦いに驕りは禁物だ」

 

 

懐に潜り込み、鎧に突きを叩き込む。

 

 

「ぐあぁっ!」

 

 

隊長はあっさりと転がされ、尻餅をついてしまう。

体勢を立て直させる前に、構えを緩め、けれど隙のない体勢のままシグレは近づき。

 

 

「…その程度で一個部隊を仕切る、か。解放軍とは名ばかりか」

 

 

言いながら、切っ先を隊長の首筋にあてる。

これでは攻略どころか、一層のフロアボスすら、とシグレは考える。

 

 

「くっ…この…!」

 

 

隊長は反撃の機会を窺ってか、幸いにも手元近くにあった剣を拾い上げ。

 

 

「舐めるな、小僧が…!」

 

 

剣を振り上げようとするが。

 

 

「……」

 

 

それに動揺の一つもなく、シグレは剣を持っている手の側の肩に容赦なく刀を突き立てる。

 

 

「ぎ、あぁぁっ!!!」

 

 

その痛みに耐えきれず、隊長は悶え、刀を落とし、地面に転がり肩を押さえる。

 

 

「…ここは圏内だ。痛みはあるだろうがHPは減少しない…つまり」

 

 

転がる隊長に狙いを定め、地面から切り上げるように刀を振るう。

けれどシステムの保護がかかったか、バチ、と音を立て、隊長は吹き飛ばされるだけで済んでいる。

押さえている肩でさえも出血、あるいは傷の一つもなかった。

 

 

「痛みもなく、死の恐怖が味わえる…ということだ」

 

 

刀を兵士たちがいる方に構え、臨戦態勢をとる。

 

 

「お、お前ら…見てないで何とかしろぉ!」

 

 

隊長の言葉に兵士たちも武器に手をかけるが。

 

 

「……」

 

 

先程の隊長のやられ方を目の当たりにしたからか、柄に手をかけるだけでそれ以上踏み込んでくる者はいなかった。

 

 

「ひ、ひいぃぃ!!!」

「たすけ…助けてくれえぇぇ!!」

 

 

一人が逃げ出し、また一人逃げ出し。

残ったのは隊長一人で。

 

 

「……」

 

 

まだやるのか、と言わんばかりの威圧感を纏ったシグレが近づき、再度刀の切っ先を首筋にあてると、隊長は先ほどの恐怖もあってか、あっさりと気絶した。



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第59話:少女の異変と、思いがけぬ再会

刀を納め、振り返り。

 

 

「…もういいぞ」

 

 

皆に声をかける。

すると皆が集まり、保母であろう女性がお礼を言おうと近づく。

 

 

「あ、あの…ありがとうございます。おかげで…っ!?」

 

 

助かりました、と続けようとした女性は、それ以上言葉を繋げなかった。

それは、驚きによるもの。

なぜなら女性は…その相手の顔を、知っていたから。

 

 

「華月…君……?」

 

 

女性は口元に手を当てながら、シグレの名を呼ぶ。

ここではない、現実の華月時雨の名を。

一方のシグレも、そう呼ばれた事と、女性の雰囲気から一つの記憶を思い出す。

かつて、親を喪ってからの少しの間、自分を含めた子供達を保護した孤児院の保母である、その女性を。

 

 

「……先、せ…い?」

 

 

思わぬ再会に、シグレもまた、驚きに言葉をなくす。

その様子に、サチやストレアは疑問符を浮かべるのだった。

 

 

 

その一方。

 

 

「あ……!」

 

 

キリトに背負われたユイが、何もない、青空に手を伸ばす。

 

 

「みんなの…みんなの、心が……!」

「ユイ…?どうしたんだ、ユイ!」

 

 

何かに怯えるように、けれど伸ばさなければならない、というように。

 

 

「私、私は…ここには、いなかった…ずっと、一人で……!」

 

 

何かを思い出すように、けれど震えながら。

 

 

「ユイちゃん!?」

 

 

近くにいたアスナが駆け寄り、落ち着かせようと近づいた瞬間。

 

 

「あああああああぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

突然叫びだしたユイ。

それと同時に周りにいる皆の感覚を揺さぶるような強いノイズ。

 

 

「ぁ…」

 

 

やがてノイズが収まると同時にユイが気を失い、キリトの背から手の力が抜けて落ちそうになる。

それをアスナが急いで抱き止め、大事には至らなかった。

 

 

「な、何なんだよ…これ……?」

 

 

キリトは茫然自失といった様子でぼんやりと呟くのが精一杯だった。

 

 

ユイの異変の後、一行は孤児院の一室を借り、そこにユイを休ませる。

 

 

「すみません、場所を貸して頂いて」

「いえ、いいんです。これでは助けていただいたお礼には足らないかもしれませんが…」

 

 

キリトがお礼を言う。

女性はそれでも申し訳なさそうにし、キリトはどうしたものかと苦笑するが。

 

 

「…アナタに聞きたいことがあるの」

 

 

そんな彼女に、少しだけ真剣な表情でストレアが声をかける。

どうしたのだろうと皆が見守る中。

 

 

「シグレがアナタの事、先生、って呼んでたのを聞いたんだ……シグレの事、知ってるの?」

「…おい」

 

 

何を、と続け、ストレアを止めようとするシグレ。

しかし、止めようとするのはシグレのみだったようで。

 

 

「私も…知りたいです」

「…私も」

 

 

アスナも、サチもストレアに続く。

残るキリトはというと。

 

 

「…そうだな。シグレがここまで無茶をする理由がそこにあるなら、知りたいと思うよ」

「……」

 

 

どうやら、シグレには味方はいないようだ、と。

 

 

「無茶って…華月君、一体…」

「…一応言っておくが、ここでは俺はシグレだ。そう呼んでもらえるか…サーシャ先生」

「あ、そ、そうね…シグレ、君…ね」

 

 

名前を訂正し、二人がどこから話すか、と考えていたところ。

 

 

「…話せる限り、最初から知りたい。無茶の理由、それに人と関わろうとしない理由。そう簡単に説明できることじゃないだろ?」

 

 

キリトの問いにシグレは少し考え。

 

 

「…そう、だな。だが聞いて面白い話ではないと思うが」

「最初から楽しい話は期待してない」

 

 

やれやれ、と溜息をつくシグレ。

どうやら話さずにこの場を流すことはできないようだ、と察した。

 

 

「シグレ君、私に言ったでしょ?帰りを待つ人がいない…って。本当に帰りを待つ人がいない人なんて…いないって私は思う」

「…それに、少なくともこうして関わってる私は…私達は、貴方にも無事に帰ってほしいって、思ってるよ?」

 

 

アスナが、サチが言葉を続ける。

 

 

「…分かった。なら少しだけ、昔語りをするか」

 

 

やれやれといった感じのシグレに皆が意外そうな顔をする。

 

 

「話してくれるんだ…てっきりもっと渋られるかと思ってたけど」

 

 

ストレアが皆の気持ちを代弁するように言うと。

 

 

「…あまり楽しい話ではないからな。聞くのを止めるのなら今のうちだが」

 

 

その言葉に、聞くことを止める意見を出す者も、席を立つ者もいない。

つまり、皆が止めるつもりがない、ということなわけで。

 

 

「……まぁいい」

 

 

やれやれ、といった感じのシグレは思い出すように言葉を続ける。



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第60話:過去 - I

「まずは、そうだな…アスナ。お前は俺に聞いたな。剣道をやっていたかどうか、と」

 

 

シグレの確認するような問いにアスナは頷く。

その確認にシグレも頷き。

 

 

「その問いに関しては、肯定で返す。一応家に道場がある家だったからな…厳しい中で親に鍛えられたりもしていた」

「…今は?」

「…それも話す」

 

 

サチの問いに保留で返し、言葉を続ける。

 

 

「…当時は辞めるつもりもなかったが、ある事件を期に、辞めざるを得なくなった」

「……ある事件?」

「死因はさておき、俺の両親が立て続けに死亡した……兄弟姉妹がいない俺は、それを期に一人になった」

 

 

あっさりと、いきなり言われれば驚く事実を話すシグレ。

しかし、それだけでは止まらず。

 

 

「…その後、ある家族に俺は引き取られることになった」

 

 

それ自体は別に不思議なことではない。

だからこそ、誰も何も言わなかった。

 

 

「だが、数日後…俺は孤児院に預けられることになった」

「…生活に困ってたところ、無理して引き取ったから?」

 

 

そのいきさつに、アスナが理由を推測で尋ねる。

一番考えられるのは、そうかもしれない。

しかし、シグレはそれを否定する。

 

 

「…おそらく違う。俺の親が持っていた土地、財産が欲しかっただけだろう…俺がその親戚の家に行っても、金の話ばかりだったからな…現に、後になってからだが、俺の実家はどこかの企業に売却されたと聞いた」

 

 

自重するように言うシグレ。

結局、シグレのいう親戚にとって、引き取った彼は、ただの荷物でしかなかったということになる。

 

 

「そうして、最低限の生活道具と、親の形見の木刀一本のみを持たされ、俺は半ば捨てられるように孤児院に預けられた」

「…私はその孤児院で働いていたの。その時、彼を預けて去っていくあの人たちの顔は忘れられないわ。憑き物が落ちたような顔だった…」

 

 

自分がその親戚に歓迎されていないと子供ながらに悟っていたシグレは、本当に笑顔がなかったとサーシャは語る。

 

 

「…孤児院に彼は入ってきたけど、彼は誰とも関わろうとしなかったわ。何かに取りつかれたみたいに毎日木刀での素振りをしていた」

「俺にとっては剣だけが、唯一残された、親との繋がりだった…剣を振らなければ、すべてを失いそうだった」

 

 

それぐらいまでに不安定だった、ということだろうと誰もが察する。

親を失い、家を失い。

 

 

「その時から、学校での剣道は辞めた。続けるには金がかかるが…俺には金がなかったからな」

 

 

財産は親戚に奪われ、何も残らなかった。

孤児院では最低限の生活をするだけで精一杯で、それ以上は贅沢という状態だったから。

 

 

「…だが、剣道だけでなく、孤児院での生活すらも失うきっかけになる事件が起きた」

「……」

 

 

シグレは言葉を続ける。

シグレの受難は、まだ終わらないということだった。



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第61話:過去 - II

事件のことを、シグレは目を閉じて語りだす。

 

 

「…数年前に起きた、郵便局での強盗未遂事件。強盗犯のみの死亡で片が付いた事で、実際には強盗未遂だが」

 

 

その言葉に、キリト、アスナ、サチは一瞬呆ける。

単純に、覚えがないのかもしれない。

それも無理もないだろう、とシグレは考えていた。

 

日々メディアで報道されるニュース。

その中に、この事件も存在していた。

けれど、同時にいくつも報道されるニュースがあれば、特別意識していなければ覚えていることも少ないだろう。

 

 

「…アタシ、それ知ってる。強盗犯が金銭目的と思われる動機で入るも、金銭に被害はなし。持っていた銃の暴発により強盗犯はその場で死亡、それ以外の被害者は無し」

 

 

ストレアが答える。

それは、一般的に知られている情報として正確なものだった。

 

 

「一般にはそう知られている事件だが……真相は少し違う」

「それって、どういう…」

 

 

シグレの否定に、キリトが疑問を返す。

 

 

「…俺もその現場にいた。木刀を持って…な」

 

 

疑問に返すように、シグレは言葉を続ける。

 

 

「確かに犯人は銃を持っていた…が、当時の俺は何を思ったか、木刀を手にそいつに対峙した」

「銃に木刀で…!?」

 

 

サチが驚くように言う。

普通に考えれば、鉛の玉と木製の刀。

銃を撃たれれば簡単に撃たれるか、運よく刀に当たっても木刀が破壊されるだけ。

 

 

「…犯人が銃に慣れていないのが幸いだったな。すぐには発砲しなかった…その隙をついて手元を狙い、照準をずらさせた」

 

 

数年前、というからには少年、と呼べる年齢だろう。

にもかかわらず、失敗すれば命の危険というレベルの事に対処が出来たというのは、俄かには信じ難い。

 

 

「俺はそいつの銃を叩き落し、そいつを二度打ち抜いた…一度目は腹。そして二度目は、頭。いうまでもなく即死だった」

 

 

そうした事に後悔はないが、と、シグレは自嘲するように言う。

 

 

「その場に崩れ落ちた強盗が血の海に沈んでいく様子を、誰もが静かに見ていた…そして少し遅れて到着した警察により処理された」

「でもそれは、貴方が他の人を守ったっていうことじゃ…」

 

 

自分を嘲るように言葉を続けるシグレにアスナがフォローするように言う。

アスナの言うことも間違いではないだろう。

誰も何もしなければ、強盗以外の死者が出ていたかもしれない。

 

 

「…見方によってはそうなるだろう。だが結果として、俺の行動が強盗の死を招いたことも事実…俺が、殺したのだからな」

 

 

それがまた、シグレの人生を一つ、狂わせていく。

 

 

「木刀は当然のように警察に証拠品として押収され、俺を含めた何人かが警察に事情を聞かれた。俺以外は俺に悪意がなかったことを主張した事もあったらしく、俺は罪には問われなかった」

 

 

少年院ということもなかったな、とシグレは笑いながら言う。

その言い方は、シグレ以外の皆からすればあまりに痛々しい笑い方だったが。

 

 

「解放はされたが、木刀は証拠品として押収され……過程はどうあれ、俺は家族との繋がりを全て…失った」

 

 

シグレにとって唯一の繋がりとなっていた剣を失った事。

それは、シグレの心の拠り所となる全てを失ったことと、同じだった。

…少なくとも、シグレにとっては。



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第62話:過去 - III

心の拠り所を失い。

 

 

「…そして、ゲーム開始の半年くらい前…か」

「えぇ…」

 

 

シグレの言葉をサーシャが引き継ぐ。

 

 

「…孤児院が閉鎖されることが決まったの」

「それって…」

 

 

サーシャの言葉にサチはまさか、と言った表情。

おそらく、シグレが原因、と思ったのかもしれない。

しかし。

 

 

「…理由はよくある…と言っていいのかわからないけれど、財政難。単純に運営が厳しくなってしまったの」

「……」

 

 

家族を失い、繋がりを失い、ついには住む場所すら失うこととなったシグレ。

けれど、守るための力がなかったシグレにはどうしようもなく。

 

 

「…それから俺は慣れないながらの一人暮らしを開始した。生活保護を受けながら、ではあるがな…ナーヴギアは、バイト先で知って、試しに抽選に応募したらたまたま当たったわけだが…まさかこうなるとは、な」

 

 

そして、今に至る、とシグレは軽く笑いながら続けた。

 

 

「…シグレ君。あの時は貴方を守ってあげられなくて…本当に、ごめんなさい」

「……先生。俺は別に恨んだりはしていないが」

「それでもよ。ずっと一言…謝りたいと思っていたの」

 

 

再度、ごめんなさい、と。

サーシャはシグレに頭を下げる。

その様子にシグレはやれやれ、と溜息を吐くだけだった。

 

 

「…あの時、先生とあの孤児院がなければ、俺はこうして、ここにはいなかった」

「でも…」

「俺が人を信じようとしなかったのは、俺個人の弱さのせいだ。先生に責任はない」

 

 

そこまで言うとサーシャは顔を上げ。

 

 

「…恨まれて、当然のことをしたのよ?」

「それでも、だ。当人が言っているのだから…素直に感謝の言葉くらい受け取ってもらいたい」

 

 

確認するように、許しを請うように尋ねるサーシャにシグレは表情一つ変えず言葉を続ける。

 

 

「……ありがとう、先生。俺は貴女のおかげで、今ここで生きている」

「う、ん…っ」

 

 

そこまでいうと、心の荷が下りたのか、サーシャは泣き出してしまう。

しかしシグレは何が起こったのか察することができずに。

 

 

「……これは俺が悪いのか?」

 

 

キリト達の方に向き直り確認する。

それに対し。

 

 

「そうだな。お前の責任だろ」

「む……」

 

 

ははは、と笑いながらのキリトに対し、納得がいかないといった様子のシグレ。

和やかな感じの二人に対し、アスナ、サチ、ストレアはどこか申し訳なさげに。

 

 

「…ごめんね、シグレ君。軽々しく聞いていい話じゃなかったね」

 

 

アスナが代弁するように言う。

 

 

「…聞かせるつもりがなければ最初から話していない」

「でも…」

 

 

シグレの言葉に何かを言い返そうとするかのように言葉を続けようとするサチ。

けれど、そんな彼女の言葉はシグレの溜息によって打ち消される。

 

 

「上の階層までわざわざ俺なんかを追いかけてくる物好きには話してもいいかと思った…それだけだ」

「ふーん?」

 

 

言葉を続けるシグレに、ニヤリという擬音が似合いそうな笑みを浮かべてじーっと見つめるストレア。

 

 

「それはつまり、アタシ達は信用してくれてる…ってことでいいのかな?」

 

 

シグレからすればその通りなのだが、今までが今までだけにいざ認識すると小恥ずかしさあるのか。

 

 

「………あぁ」

 

 

小さく、肯定の返事を返すシグレ。

今のシグレはそれだけで精一杯だった。

 

 

「そっかそっかー…ありがとね、シグレ」

 

 

からかうような口調から、やさしい口調に変えながらそっとシグレを抱きしめるストレア。

 

 

「…心から、っていうのは難しいかもしれないけど…アタシの事、信用してくれて…嬉しいよ」

 

 

ストレアの方から引き寄せるように抱きしめた為、胸元にシグレの頭が当たる形になるが、全く気にする様子もなく。

 

 

「大丈夫。アタシを救ってくれた貴方の事、アタシは絶対に裏切らない。何があっても…貴方の味方だからね。きっとアタシだけじゃなくて、アスナも、サチも、キリトも…みんな」

「やはり…物好きだな」

「…だって。言われちゃってるよ?」

「多分…ストレアも含まれてるよ?」

「えー」

「…というか、ずるいよストレアばっかり。私だって……」

「そこは早いもの勝ちー」

「……」

「…アスナ。妬いてるってことは何となく分かったけど…無言はちょっと怖いぞ」

 

 

暗い話の後で、和やかな雰囲気になり、その様子を見ていたサーシャは、シグレはきっともう大丈夫、と安心しながらそのやり取りを見守っていた。



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第63話:黒の剣士との決闘 - I

少しして、皆が落ち着いたところで。

 

 

「さて…昔話は終わりだが……お前の娘の様子はどうだ、キリト」

「娘って…」

 

 

シグレがユイの事を尋ねると、キリトは否定するに出来ないといった状況になりながら。

 

 

「……まぁ、多分今は眠ってると思う。今は少しだけゆっくりさせてやりたいんだ」

「そうか」

 

 

キリトの言葉にシグレは特に異論を唱えることもなく頷く。

それはシグレもそう思っていたからなのか、それとも単に興味がないのかはシグレだけが知る部分ではあるが。

 

 

「…となると、少し暇が出来るな」

「子供たちと遊んであげたら?」

「……一応聞くが、俺がか?」

 

 

暇の潰し方についてサーシャの提案にシグレは疑問で返す。

冗談です、と返され、それ以上は何もなかったが。

 

 

「もし暇なら、ちょっと付き合ってくれないか」

 

 

キリトがシグレに提案をする。

 

 

「…内容によるが、何だ?」

「いや、大したことじゃないんだ。一度お前と戦ってみたいと思ってたからさ…決闘の誘いだ」

「ふむ…」

 

 

HPが全損すれば死に至るこのゲームではある種、非常に危険な行為ではあるが。

 

 

「…構わないが、ルールは?」

「初撃決着…武器は木刀で、だ。言ってしまえば剣道みたいなもんだ」

 

 

どうだ?とキリトは取り出した木刀を見せながら言う。

その木刀はこの第一層で店売りしているレベルで、仮に攻撃を受けても今のレベルならば一桁のダメージで精一杯だろう。

 

 

「…用意周到だな。だが場所は…」

「フィールドってのはどうだ?」

 

 

モンスターこそいるが、第一層ということもあり温厚な性格ばかりで危険も少ないこともある。

問題はないだろうという判断の下、フィールドに移動することとなった。

 

 

 

そうして二人はフィールドに移動する。

 

 

「…別にこっちに付き合う必要はなかったのではないか?」

 

 

キリトとシグレが装備を木刀に持ち替え、準備をしながらシグレは女性陣に尋ねる。

 

 

「危険が何もないっていう保証はないから。私達の時みたいに罠とか…あるかもしれないし」

「…サチの言う通りよ。だから貴方達が戦う間、私達が見ててあげるわよ」

 

 

サチとアスナが若干責めるように言う。

しかし。

 

 

「とか何とか言ってるけど、実はシグレが戦うところが見たいだけでしょ?」

「「な…」」

 

 

ストレアの言葉に、サチとアスナは分かりやすく赤くなりながら言い返そうとするが。

 

 

「ちなみにアタシはシグレが戦うところが見たくてここにいるんだけどね。というわけで、かっこいい所期待してるよ?」

 

 

最近無自覚なのか自覚してなのか、爆弾投下のような発言が増えたストレアに振り回されるサチとアスナという構図が最近多い。

実害があるわけではないので放置しているが。

 

 

「……相変わらずモテモテだな、シグレ?」

「キリト」

「ん?」

「…あいつら、男を見る目がなさすぎないか?」

 

 

シグレの言葉にキリトは軽く苦笑。

そんなことをしているうちに、決闘開始のカウントダウンは進み。

 

 

「…ま、その辺は」

「これが終わってから…か」

 

 

二人は木刀を構える。

二人はどちらも剣道の心得があったからか、木刀を構える様は、剣道の手合いのようだった。



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第64話:黒の剣士との決闘 - II

やがて、カウントが0になり、決闘が開始されるが。

 

 

「……」

「……」

 

 

二人は動かない。

しかし、二人は剣を構えており、隙が見えない。

互いに互いの隙を窺っていた。

その静寂のせいで、二人の髪を靡かせる風の音が大きく響くレベルだった。

キリトが1歩シグレに近づけば、同じ距離だけ離れるシグレ。

 

 

(くそ…間合いに入れない……)

 

 

少しばかり焦れてきたキリト。

キリトが間合いに入ろうとしても、シグレがそれに対応を続ける限り、この状況は打破されない。

けれど、それはシグレとて同じはず、と考えていた。

つまるところ、動かなければ、負けることもないだろうが勝てることもない。

 

 

(…踏み込むか?いや、でも……)

 

 

間合いを見誤って踏み込めば格好の的になるだけ。

キリトはそう思っていたからこそ、迂闊に踏み込めなかったのだ。

仮に見誤っていなかったとして、シグレが簡単にやられてくれるはずがない、という確信がキリトにはあった。

何故なら、ここまで半分以上の層でボスを単独撃破した実績があるから。

1対1の決闘で簡単にやられれてくれるはずもない。

 

 

「…どうした、来ないのか?」

 

 

シグレがキリトに声をかける。

もちろん、構えは解かない。

その言葉に、キリトは察した。

やはり、シグレは踏み込んでくるのを待っていたのだ、と。

それは即ち、踏み込まなければ互いに踏み込み切れず、互いに攻め入られることはないと。

 

 

「…シグレこそ」

 

 

だからこそ、キリトは構えこそ解かず、けれど肩の力を抜いて言葉を返す。

決闘開始から維持している間合い。

この間合いであれば、シグレは踏み込んでこない。

そう思ったからこそ、少しだけ気を緩めてしまった。

 

 

「来ないのなら…こちらから行くぞ」

 

 

一方でシグレはキリトの気の緩みを見逃さず、一気にキリトの懐まで距離を詰める。

そのスピードは、システムのアシストを利用したのだろうか、と一瞬驚くキリト。

驚きより先に、反射的に木刀でシグレの攻撃に備える。

しかし、防御に気を取られすぎ、距離を空けようとして仰け反ってしまう。

 

 

(…早い!)

 

 

シグレのスピードは、キリトのそんな反射的な対応を嘲笑うかのようにあっさりと懐に潜り。

 

 

「…気を抜きすぎたな」

 

 

まるでモンスターを相手にするかのような威圧感を伴いながらキリトに対し木刀を振るうシグレ。

しかし、キリトとてそう簡単にやられる事もなく。

 

 

「くっ…!」

 

 

バックステップでシグレの斬撃を交わし、着地の勢いをバネにして前進の力に変え、今度はキリトが一気に距離を詰める。

 

 

「おおぉぉぉっ!」

 

 

距離を詰め、間合いを捉え、構えている木刀をシグレの左肩の側から右半身に向けて袈裟の形に振り下ろす。

 

 

「…甘いな」

 

 

けれど、そんなキリトの渾身ともいえる斬撃を、シグレは体を軽く、シグレから左にずらす事で回避する。

キリトの木刀は惜しくも空を切り裂く。

しかし、キリトの勢いは止まらず、木刀に引っ張られるように前に進んでいく。

そのせいもあって、キリトは背中をシグレに晒してしまう。

 

 

「…これで、終わりだな」

 

 

木刀を両手で振り上げ、振り下ろす。

バシ、と木刀がキリトの頭を叩き、1のダメージを与えた。

その瞬間、システムのメッセージが表示され、シグレの勝利が通知された。



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第65話:黒の剣士との決闘 - III

やがて通知が消え。

 

 

「…平気か?」

「あぁ。いや…強いな、さすがに一人で攻略をしてきただけのことはあるな」

 

 

シグレがキリトに与えたダメージは自然回復であっさりと回復し、問題はなくなっていた。

シグレの言葉にキリトは笑いながら返す。

キリトからすれば、決闘中のシグレとはまるで別人とも思えるほどのシグレの雰囲気だった。

 

 

「…どうする。まだやるのか」

「いや…そろそろ戻ろうぜ」

「分かった」

 

 

言いながら、二人は肩を並べ、女性陣の元に戻る。

 

 

「…シグレ」

「?」

「次は負けないからな?」

「……ふん」

 

 

愛想なく返すシグレの口元は、軽い笑みが浮かんでいた。

それにキリトが気付いたかどうかは、定かではなかったが。

 

 

「お疲れ様」

 

 

アスナが声をかけながらシグレとキリトに冷たい飲み物を手渡す。

 

 

「感謝する」

 

 

シグレが飲み物を受け取りながらアスナに感謝の意を告げると。

 

 

「……うん」

 

 

小さく頷いて、視線を逸らしてしまう。

その頬が赤く染まっているのが見えたキリトは。

 

 

「青春だな…」

 

 

見た目と似合わないような事を考えていたのだった。

けれど、それで終わるはずもないわけで。

 

 

「っ…シグレ、凄かったね。貴方を追いかけて、多少貴方に近づけたかなって思ってたけど、まだまだ、だったね」

「そんなこともあるまい…お前も、俺を追いかける中で力をつけてきただろう。サチ」

「そう…かな。まだまだ臆病だけどね…」

「…その臆病さは忘れるな、と言ったはずだが」

「うん、覚えてるよ。でも…」

 

 

強くなれたかどうかは主観的には分かりにくいものだからこそ、サチはまだ不安なのかもしれない。

その不安を完全に取り去ることはおそらく誰にもできないだろうが、シグレはそれでいいのではと考えていた。

 

 

「……ねぇ、シグレ」

「何だ」

「また…あの時みたいに、いろいろ教えてくれる?」

「教えられることがあれば…な」

 

 

サチの頼みに、シグレは考えながら言う。

直接見たわけではないが、おそらく相当力をつけているはずだろうと考えていたからこそだが。

 

 

「…私ね。まだまだ弱っちぃけど、シグレと肩を並べて戦えるようになりたい。貴方の…後ろじゃなくて、隣で」

「……物好きだな」

 

 

サチにとって、ゲーム攻略をして開放を目指すことは勿論大切なこと。

けれど、それ以上に大切なのが、シグレと肩を並べることのようだった。

 

 

「さっきのシグレとキリトの戦い見てたら、私なんてまだまだだなー…なんて」

「……臆病な事を責めるつもりはないが、臆病すぎるのも考え物だな」

 

 

まずは少し自信をつけることが先決か、等と考えながら。

 

 

「…一度、決闘をやってみるか?」

「私と…シグレで?」

 

 

シグレの提案にサチは想像したのか、軽く顔が青褪めていた。

 

 

「……無理かな、私じゃ」

「そうか」

 

 

あはは、と笑うサチに、自分の提案を撤回するシグレであった。



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第66話:戦い方は、人それぞれ

「いやいや、さすがだねシグレ」

「…そうでもないだろう。一歩間違えれば俺は負けていた」

 

 

ストレアの言葉に謙遜するようにシグレは言う。

けれどその言葉にストレアはにやりと笑い。

 

 

「よく言うよー。シグレってば…使ってなかったじゃん、アレ」

「…アレ、と言われてもな」

「アレはアレだよ。システムアシスト」

 

 

ストレアの言葉にあぁ、と頷き返す。

シグレからすれば大した事ではなかったのか、何を今更、という感じで返す。

傍から見れば、ただの談笑。

ストレアがからかうように言うのを、溜息交じりに受け流すシグレ。

しかし。

 

 

「…マジかよ。こっちは使ってたってのに」

 

 

それでも、全力どころかシステムアシストのないシグレにすら届かないのか、と自信を失いかけるキリト。

その様子を見てか。

 

 

「……だから、動きが読めた、というのもある」

「は?」

「システムアシストは確かに強力だ。現実では不可能な動きもできるようになる…が、あくまで決まった動きをするだけだ」

 

 

システムアシストにより、現実ではありえないような動きも可能になる。

それが顕著になるのがスキルの発動といえる。

だが、技である以上、その技を知っていれば、対処もできるというもの。

 

 

「こっちが構えているところに、スキルを発動して飛び込んでくる…スキルがどういうものか分かっていれば、反撃は容易だ」

「お前それ、簡単に言うけどな……」

 

 

つまり、シグレはキリトのスキルの動きを完全に見切り、それを躱した上での反撃に出たということだ。

当然だが、そんなことは容易に出来るものではない。

まして、キリトは攻略組として、シグレの後追いの形とは言え前線で活躍するという、トップクラスの実力の持ち主である。

ゲーム中のレベルは拮抗している、といえるはずなのだが。

 

 

「…お前、滅茶苦茶だったんだな」

「いきなり何だ」

 

 

溜息交じりのキリトの結論に、シグレは言い返す。

恐らく誰に聞いてもキリトと同じような答えを返すだろう。

ゲームの中で現実ではありえない速度、力の攻撃を、現実の動きのみで対応したのだから。

それと同時に思うのは。

 

 

「というよりシグレ」

「?」

「それ…楽しいか?」

 

 

キリトは疑問を投げかける。

ゲームの楽しみ、特にこういったファンタジーのタイプでは、現実と異なる体験が醍醐味だと考えていた。

だからこそ、そういった部分を使わないシグレに疑問を感じていた。

 

 

「……さぁな」

 

 

キリトの問いに、シグレははぐらかす。

アジトでの戦いで悟った、自分がここで戦う理由。

その思いは、今も変わらない。

変わらないが、それを言えば、また何か言われるだろうと考え、明言はしなかった。

その様子を、誰も気にしない。

 

 

「……」

 

 

ただ一人、この世界でシグレが最初に出会ったアスナを除いて。

 

 

「…さて、そろそろ戻るか」

 

 

キリトの言葉に、皆が武器をしまう。

つまり、それに異を唱える者はいなかった。



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第67話:一人で行動することは許されず

やがて、はじまりの街に戻る。

第1層のフィールドであれば、ここにいるメンバーであれば余裕と言わざるを得ない実力なので、問題は起きようがなかった。

 

 

「……?」

 

 

広場を歩きながら、徐にシグレがメニューを操作する。

見たのは、届いたメッセージ。

 

 

「………」

 

 

そのメッセージを確認したシグレは手早くウィンドウを閉じ、皆が進む方向から外れる。

向かう先は、孤児院ではなく、転移門。

 

 

「…どこに行くの」

 

 

その行動に待ったをかけるアスナ。

その視線は、これまでに少し穏やかになってきたと感じていた彼の表情ではなく、まるで戦いに挑むときのような表情。

そんなことも、少なからず分かるようになってきたと彼女は感じながら、シグレを問い詰める。

 

 

「…野暮用ができた。今日中には『どこに行くの、って聞いたつもりなんだけど?』……」

 

 

目的地を明言しないシグレに被せるように、やや語気を強めて問い詰めるアスナ。

眼前に詰め寄ってくるアスナにシグレは軽く仰け反り、言葉を繋げなくなる。

 

 

「……全く」

 

 

それでも言おうとしないシグレに、アスナが先に折れた。

やれやれ、と溜息をつくシグレだったのだが。

 

 

「ごめん、みんな。私ちょっと武器のメンテナンス行ってくるね」

「メンテって…リズの所か?」

「うん。シグレの武器もリズに作ってもらったから、一緒にメンテしてもらおうと思って」

「そっか、気を付けて。サチとストレアには俺から伝えておくよ」

「お願いね」

 

 

というキリトとアスナの会話。

サチとストレアは先に歩いていて、まさかそんな会話をしているとは気づかなかったようで、キリトも疑う様子もなく了承した。

 

 

「………」

 

 

その様子に、シグレは少し呆れたように溜息。

その呆れの対象が、自分なのか、そうでないのか。

それは当人のみが知るところであったが。

 

 

「さ、行きましょうか…っと、その前に」

「?」

 

 

突然メニューを操作するアスナに疑問符。

けれど、シグレの眼前に現れたパーティ申請のウィンドウに疑問はすぐに解決し。

 

 

「危険はないだろうが…あまり楽しい旅ではないぞ?」

 

 

と、シグレは戻るなら今のうちだ、と言わんばかりの言葉をかけるが。

 

 

「……」

 

 

まるでモンスターに対峙した時のような視線を向け、腰に下げたレイピアに手をかけるアスナを見て、これは断れない、と悟るシグレは溜息を一つ吐いて。

 

 

「…分かった」

 

 

シグレは了承を表すボタンにタッチする。

溜息で寿命が縮めば、何度死んでいるだろうか、などとどうでもいいことを考えながら。



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第68話:新たな情報と、新たな問題

そうしてやってきたのは57層。

 

 

「…どこに行くの?」

「人に会いに行く」

 

 

先を歩くシグレについて行きながらアスナが尋ねる。

それに振り返らずにシグレは答える。

そうして歩いて行く先は、アスナも知らない。

 

 

 

やがて、着いたのは建物の間の路地裏。

昼間でも日が差さないレベルのその場所は、一番日が高い時間を過ぎた今では夜のような暗さすら感じる。

 

 

「…よう、来たナ?」

 

 

暗がりから姿を現したのはフード姿の人物。

見た目を隠したその風貌からでは声しか判断材料がなく、女性なのか、声変わりしていないレベルの男性なのかすら判断がつかない。

 

 

「ほう、お前が女を連れて歩くなんて珍しい。これはいい事を知った」

「…俺の情報など欲しがる奴なんているのか?」

「『幻影の死神』サマは有名人なんだぞ?そりゃ高く売れるさ」

 

 

シグレと親しげに話す様子から、どうやら見知った仲なのだろう、とアスナは推測する。

 

 

「…で、紹介はしてくれないのカ?」

「人に名を聞くときは自分から名乗るのが礼儀、だと思うがな」

「ま…それもそうか」

 

 

言葉を交わし、フード姿の人物はアスナに向き直り。

 

 

「…情報屋なんダ。最初は名乗ろうと思ったんだガ、こいつが名乗らせてくれないんダ。だから『鼠』って呼んでくれればイイゾ、『閃光』サマ」

「……?」

 

 

鼠と名乗った情報屋の言葉に、アスナが首を傾げる。

閃光、という言葉が通じていないようだった。

 

 

「……もしかして、知らないのカ?『閃光のアスナ』って結構有名だゾ?」

「えぇ!?そ、そうなの…?」

「俺に聞かれてもな……」

 

 

そして言われた言葉に驚きながら、確認するようにシグレに尋ねるが、シグレは他人事のように返す。

尤も、街で活動することが殆どなかったために知らなかったのだが。

 

 

「他にもシグレの近くだと『黒の剣士キリト』に『蒼き戦乙女サチ』、『死神の護り手ストレア』……」

「…とりあえず色々言いたいことはあるが…まずは本題に入ってもらっていいか?」

「おっと、そうだったナ」

 

 

シグレの言葉に、ようやく話が本筋に戻る。

とはいえ、その内容はアスナは知らない。

状況から察するに、シグレが依頼した情報を情報屋が仕入れ、その情報を依頼主であるシグレに伝えるため、ということはアスナにも察しがついたが。

 

 

「…ところで、閃光サマは一緒でいいのカ?」

「……」

 

 

情報屋の問いに、シグレはアスナに視線を向ける。

ここから先を聞くかどうかの判断を任せようという意図だった。

それが伝わったのか、そうでなくとも離れるつもりはないという意思の表れなのかはわからないが、アスナはシグレを真剣な眼差しで見返す。

 

 

「…続けてくれ」

「あぁ……とはいっても、お前が言った本人を見つけたわけじゃナイ。下っ端らしき奴がこの層にいるのを見かけタ…上手くいけば」

「…そいつから情報を引き出せばいい、か。手がかりとしては十分だな」

 

 

シグレが謝礼だ、と幾らかの謝礼金を渡し、情報屋は確かニ、と受け取る。

 

 

「…ま、あんまり無茶はスルナヨ?」

「あぁ」

「それが空返事じゃなけりゃイイけどナ」

 

 

程々に、と言い残し、情報屋は転移結晶を使ったのか、どこかに消えていった。

 

 

「…ねぇ、シグレ君。今のって……?」

「あぁ、あれは…」

 

 

アスナの問いにシグレが答えようとした瞬間。

 

 

―――あああぁぁぁぁぁっ!!―――

 

 

突如街の中に響く女性の悲鳴に、会話を中断せざるを得なかった。



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第69話:圏内事件

悲鳴が聞こえた場所は裏路地を出てすぐだったため、状況を把握するのにそれほど時間はかからなかった。

 

 

「あれは…」

「っ…!」

 

 

シグレとアスナは二人、その状況に言葉を繋がなかった。

建物の屋上からロープで吊り下げられた、鎧を着こんだ兵士風のプレイヤー。

彼の胸元は一振りの剣で貫かれており、それを引き抜こうと抵抗しているようだった。

しかし、力が入らないのか、剣は動く様子がない。

近くに他のプレイヤーもいるが、その状況に呑まれているのか、動こうとする者はいない。

 

 

「…下で受け止めて!」

 

 

アスナが返事を待たずに建物内に入っていく。

おそらく上からロープを切り落とす算段なのだろう。

しかし。

 

 

「あ、あ、あぁぁ…っ!」

 

 

兵士の声が小さくなっていき、やがて、光の欠片となって霧散した。

 

 

「ちっ…!」

 

 

兵士が霧散し、支えを失った剣が地面に突き立つ。

ロープは兵士の首を絞めていたのか、輪の形で縛られていた。

 

 

「中には誰もいないわ!」

 

 

アスナが上から顔を出し、状況を伝えてくる。

シグレはその言葉を聞きながら兵士を貫いていた剣を引き抜き。

 

 

「……」

 

 

その刀身をじっと見る。

茨のような棘を持ったその剣は、夕暮れの赤に染まり、怪しく輝いていた。

次に辺りを見回す。

 

 

「………」

 

 

先ほどの状況を野次馬的に見に来たであろうプレイヤーが大勢いる。

そんな彼らは状況が掴めず、そんな中でプレイヤーが原因不明な状況で殺害されたという状況に動揺が隠しきれていない。

それが普通の反応。

であれば、そんな反応をしていないプレイヤーを探せばいいだけのことではあるが、そう上手くはいかなかった。

その状況では、何も変わらない。

そう考えたシグレは剣を手に、アスナの元に向かった。

 

 

建物の最上階。

杭に結びつけられたロープが外に伸びていて、アスナはそこから先を見ていた。

 

 

「…どう考える?」

「ここは圏内だから…普通に考えれば決闘で彼に剣を突き刺し、ロープに彼を括り付け、ここから突き落とした…っていうことになるんでしょうけど…」

 

 

圏内でHPが損傷するとすれば、決闘以外にはありえない。

それはシグレが第1層で、兵士に対し真剣で斬撃を与えてもHPが減らなかったことがある意味の証明といえる。

だとすればアスナの推測もありえるのだが。

 

 

「もしそうだとすれば…2つほど疑問がある」

「…言って」

 

 

シグレの言葉にアスナが先を促す。

その表情は真剣なものだった。

 

 

「…まず1つ。本当に殺すつもりなら、何故わざわざ圏内殺人という手を使ったか」

 

 

シグレが疑問を口にする。

 

 

「ただ殺すだけであれば、街の外であればいくらでもやりようがあった…それどころか、無駄に騒ぎになる可能性が少ない事を考えれば、そっちの方が普通だ」

「…殺されたあの人に強い恨みを抱いていた、っていうことは?」

 

 

アスナの推測にシグレは首を横に振る。

 

 

「ないな。もしそうなら逆に人目につかない場所を選ぶはずだ。こんなことをすれば、足がつく可能性が高くなる」

「…じゃあ、全く無関係な殺人犯による無差別殺人」

 

 

否定されたアスナは考えながら言うが。

 

 

「…それこそないか。それでこんな手の込んだことをするっていう方が不自然よね」

 

 

アスナは自分の考えを否定する。

その言葉にシグレも頷いた。



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第70話:ほんの少しだけ、大胆に

「…それともう1つは、まさに今お前が言ったことだ、アスナ」

「え…?」

 

 

シグレが感じた2つ目の疑問。

 

 

「殺人がこの場で行われたのだとしたら、何故わざわざ余計な手をかけて人目に晒すようなことをした?」

「それは…」

 

 

シグレの疑問に対し、今度は推測の意見すら挙がらなかった。

つまりは、シグレの疑問に対する解答が出なかった事を意味する。

 

 

「……ここからは推測だが」

 

 

膠着状態を破ったのはシグレだった。

アスナは視線をシグレに向け、先の言葉を待つ。

 

 

「今回の圏内殺人……そもそも目的が逆だったのではないか?」

「逆って?」

「プレイヤーを殺す事が目的だったのではなく、騒ぎを起こす事自体が目的だったのでは、という事だ」

「…ありえないわ。たとえシグレ君の推測が正しいとしても、それで人一人を殺すなんて…」

 

 

アスナの言うことも尤もである。

それはシグレにも分かっていた。

いくら騒ぎを起こす為とはいえ、人の命を奪う。

それではあまりに騒ぎを起こすための犠牲が大きすぎる。

 

 

「…確かにその通りだ。だが同時に…そう考えれば辻褄が合うことも事実だ」

「……とりあえず、戻って誰かに話を聞きましょう」

 

 

ここで推測を話し続けても埒が明かない。

シグレとアスナの話は結局のところそのような形で落ち着く。

それでも、このままにはできない。

そんなアスナに従うように、二人は階下へと向かっていった。

 

 

 

外に出てみると、まだ人は掃けておらず、互いが互いを疑っている様子が見て取れる。

簡単に言えば、疑心暗鬼になっている、といったところか。

 

 

「…この中で、今回の事件…初めから見ていた者はいるか?」

 

 

シグレが呼びかける。

その呼びかけに、互いが辺りを見回し、確認をしあう。

だが、誰も最初からは見ていないのか、互いに視線を交わすだけで、すぐには名乗り出て来なかった。

しかし、少しして一人、紫髪の女性が歩み出てくる。

 

 

「ごめんね。怖い思いをしたばかりなのに…貴女、お名前は?」

「…あ、あの…私、ヨルコっていいます」

 

 

アスナの気遣うような問いに、ヨルコと名乗った女性が答える。

彼女の話では、今回の事件に関していえば、殺されたのはカインズ、というプレイヤーで、かつて同じギルドにいた仲間。

今回は食事に来ていたのだが、広場ではぐれて、探そうと辺りを見回していたら、教会である建物の窓から突然現れたらしい。

彼女によれば、犯人と思わしき人物は建物内に一瞬だけ見えた、との事だった。

ただ、あまりに一瞬だったのか、それとも表情が見えなかったのか、犯人が誰かまでは分からない。

更に付け加えれば、カインズに恨みを抱く人物に心当たりはない、との事であった。

 

 

「……」

 

 

情報を元に考えを纏めようと考えるシグレ。

少しして、顔を上げ。

 

 

「…今日ももう日が暮れる。続きは後にした方がいいのではないか?」

「そうね。ヨルコさん…大丈夫?」

「はい…」

 

 

シグレが提案すると、アスナもそう思ったのか、反論はしなかった。

とはいえ、ここで放り出すわけにもいかず、二人はヨルコを宿まで送り届けることにした。

 

 

 

そうして、ヨルコの案内で、彼女がとっている宿に着き。

 

 

「…わざわざすみません、こんな所まで送っていただいて」

「気にしないで。それより明日、またお話を聞かせてくださいね?」

「は、はい…」

 

 

アスナとそんな会話を交わし、彼女は部屋に戻っていった。

扉が閉まったところで、シグレとアスナは二人、街の中を歩き。

 

 

「…どうするか」

「まずは手持ちの情報を検証しましょう」

 

 

シグレの言葉にアスナが提案する。

彼女が言う手持ちの情報とは、カインズの体を貫いていた剣。

その出所が分かれば、犯人の手掛かりになると踏んだのだ。

 

 

「…それができるのは、確か…鑑定のスキルを持つ者だったな」

「そうね。君は……」

「…あると思うか?」

「いいえ…思ってないけど。念のためにね」

 

 

アスナの苦笑にシグレは一瞬眉を顰めるが、事実なのでそれ以上は言わない。

かくいうアスナも持ってはいないのだが。

 

 

「…リズベットでは駄目なのか?」

「うーん…今は多分一番忙しい時間だし、すぐには難しいかも…」

「そうか…」

 

 

ふと、今回こうして二人で出てきている理由が、リズベットの武具店に行くから、だった気がしたシグレ。

とはいえ、今更それを持ち出すのも野暮だろうと思い、それ以上は言わなかった。

 

 

「…エギルさんなら、どうかな…雑貨屋さん、だったし」

「?」

 

 

アスナが思い出したように言うが、シグレには言っている事に理解が及ばなかった。

ただ、その物言いから、おそらく心当たりがあるのだろうと結論を待つシグレ。

やがて、いつの間にか前を歩いていたアスナが振り返り。

 

 

「50層に行きましょう。キリト君の知り合いの雑貨屋さんなら、頼めるかもしれないわ」

「お、おい…」

 

 

シグレの手を引き、歩き出すアスナ。

突然の事にバランスを崩しかけるが、すぐに立て直し、ペースを合わせて歩く。

ただ引っ張られ、背を追う形になったシグレからは見えなかったが、アスナの顔は恥ずかしさからか赤くなっていた。



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第71話:確かな証拠と、無茶な検証

そうして訪れた50層。

 

 

「…こんな街並みだったか」

 

 

アスナの先導に従って歩きながらシグレは辺りを見回す。

一人…あるいはこの頃にはストレアもいただろうか。

いずれにしても碌に街を歩くことが少なかったシグレは、まるで初めて訪れた街並みを見るように言う。

 

 

「もう…街の様子も覚えていないなんて、本当に無茶するのね」

「…ふん」

 

 

苦笑交じりのアスナに、視線を逸らすシグレ。

そこには気恥ずかしさがあり、それを隠すために視線を逸らしたのだが、アスナにはバレバレだったので意味がなかったが。

 

 

「ここよ」

 

 

言いながら、慣れたように扉を開けるアスナ。

 

 

「こんばんは、エギルさん」

「…おぉ、アスナか。どうしたんだこんな時間に」

 

 

アスナが声をかけると、カウンターでしゃがんでいたのか、店主と思わしき人物がカウンターから顔を出し、親しげな挨拶を交わす。

 

 

「…」

 

 

親しげな会話の声に、邪魔をするのも気が引けたが、とりあえず話を聞かなければ先に進まないと思い、無言で店に入るシグレ。

 

 

「ん?お前さん、アスナの連れか?」

「…まぁ、そうなるか」

「そうか、なら初めましてだな。俺は斧使いのエギル。攻略に参加もするが、こうして雑貨屋もしてるんだ。贔屓に頼むぜ」

「あぁ…俺はシグレ。宜しく頼む」

 

 

シグレとエギルは握手を交わす。

 

 

「…アスナに聞いたが鑑定スキルがあるそうだな」

「あぁ、そりゃあ一応はな」

「早速ですまないが、見てもらいたいものがある」

「…?あぁ。とりあえずここであれこれ言うこともないだろ。後ろに来てくれるか?」

「あぁ」

 

 

シグレは握手した手を放し、さっそく本題に入る。

その様子にエギルも応じてくれて、店の裏まで招いてくれた。

 

 

 

そうして、裏に入れてもらい、事情を説明する。

 

 

「圏内でHPが全損!?」

 

 

事情を説明すると、エギルも驚いたようだった。

 

 

「決闘の線も考えたが、いろいろと不可解な点が多い」

「…睡眠PKの線も考えたけど、直前までヨルコさんと一緒だったっていうし……」

 

 

シグレとアスナが自分達の見解を述べつつ、シグレが例の剣を取り出し。

 

 

「不可解な部分が残る中で、唯一確かな物的証拠が……こいつだ」

 

 

それを机に置く。

形状こそ刀身に棘がついた形だが、特に禍々しいという様子もない、見た目上は普通の剣。

エギルは剣を手に取り。

 

 

「…プレイヤーメイドだ。作成者は……グリムロック、となっているな。特段何かスキルがついているわけでもない…普通の武器だ」

 

 

鑑定を行い、分かった事を述べる。

ただ作成者については、エギルも心当たりがなかったのか、それ以上は何も言わない。

心当たりがないのはシグレとアスナも同じだった。

 

 

「リズベットなら…何か分かるか?」

「どうかしら。エギルさんの言う通り、一線級の刀匠じゃないとすると、いくらリズでも…」

 

 

シグレがアスナに尋ねるが、アスナはその考えを棄却する。

どうやら、手詰まりか、とシグレが考えた所で。

 

 

「…一応、それの固有名を聞いていいか?」

「あぁ。ギルティ・ソーン……罪の茨、ってところか」

 

 

固有名を答えながら、剣をシグレに返す。

鑑定はあくまで鑑定。

その剣の情報が分かるのみで、それ以上のことが分かるわけではない。

 

 

「……試してみるか」

 

 

言いながら、シグレは剣を逆手に持って立ち上がり、腕を伸ばす。

すると、その切っ先が自分の胸にあたり。

 

 

「っ!?ちょっと…!」

 

 

アスナが咄嗟に止めようとするが、それは一歩間に合わず。

シグレはその剣を、腕の力で思い切り自分の体に突き刺す。

 

 

「…ぐっ」

 

 

すると、バチ、とエフェクトが発生し、剣は弾かれる。

その作用反作用で、シグレが後ろに吹き飛ばされる。

それはちょうど、第1層で兵士相手に行ったのと同じ現象。

HPは減らないが、ノックバックする程度。

まさにその通りだった。

 

 

「少なくとも、通常の状態では剣は突き刺さらない……か」

 

 

床に尻餅をついた体制のままで再度思考に入りかけたが。

 

 

「っバカ!無茶しないでよ!」

「…これは無茶ではあるまい。現にHPが減っている様子もない」

「そういう問題じゃないでしょう!?それで人が一人死んでるのよ!?…貴方が死んだら……!」

 

 

激昂して、シグレに視線を合わせて詰め寄るアスナ。

そんなアスナにシグレは仰け反り、弁解をするも効果なし。

アスナはシグレが拾う前に剣を奪い取り。

 

 

「これは、エギルさんが持っていて下さい!」

「お、おう……」

 

 

勢いそのままに剣を預けられ、ただ頷いて剣を受け取るエギル。

不機嫌そうな表情を隠そうともしないアスナに、男性陣二人は何も言い返せなかった。



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第72話:状況整理

その後、エギルの店を出て。

 

 

「…とりあえず、戻るか。今からではもうどうにもなるまい」

「そうね。グリムロックという名前について聞くにしても、こんな時間じゃあ…ね」

 

 

シグレの言葉にアスナも同意する。

無理に調べるにも、当事者を無視して進めるのは違う、というのもある。

 

 

「ねぇ…シグレ君。今回のこと…皆に話して協力してもらうっていうのは…」

「圏内事件についてはそれでもいいだろうが…」

 

 

アスナの提案にシグレが煮え切らない答えを返す。

それはつまり、情報屋が言っていた事については、少なくとも協力を頼むつもりはないという事。

だが、皆に話せば協力を申し出てくれるだろうという確信もあった。

つまりそれは、その件については話さないことにする、という事で。

 

 

「…一番の理由は情報の漏洩だ。スキル如何では部屋の外からでも話し声を聞くことは可能だからな…最悪の場合、情報が無駄になる可能性がある」

 

 

言いながら、シグレの視線が少し厳しくなるのをアスナは見やる。

どうしてそこまで、というのを聞きたいと考えていたアスナだが、同時に、きっと答えてくれないだろうと考えていた。

 

 

「そっか…それなら、私は協力するわ」

「…いや、お前もこの件には…」

 

 

協力しなくていいと言おうとしたシグレだが、アスナに睨み返され、言葉を止める。

これは何を言っても無駄だろうと察したのだ。

シグレは溜息を一つ。

 

 

「…分かった。だが実際に協力できる事はそう多くないと思うが」

 

 

加えて、忠告を一つ。

それを言っても、アスナが引き下がらなかった事は言うまでもないが。

 

 

 

そうして、22層に戻り、シグレとアスナは事情を説明する。

無論、圏内事件のことのみ。

 

 

「…圏内でHPが0。しかも決闘かどうかも疑わしい状況…か」

 

 

キリトが考えるように言う。

根が臆病な性格のサチは怖がる様子を隠さない。

 

 

「ちょっと待って、ありえないよそんなの。システム的に絶対にありえない」

 

 

一方で、それを疑うようにストレアが意見を述べる。

その意見は、AIという立場特有の意見といえる。

 

 

「…ストレア。システムにアクセスして、グリムロックについて調べることって…出来ない?」

 

 

サチが思いついたように尋ねるが、ストレアが首を横に振り。

 

 

「…無理かな。以前ならできたかもだけど、今のアタシはカーディナルの管理者権限アクセスができないんだ」

 

 

ストレアがサチの意見を棄却する。

 

 

「カーディナルからの管理対象である代わりに管理者権限アクセスが出来るっていう繋がりだったんだけど、その繋がりを遮断しちゃったから」

「…あの時か」

「そ。シグレがアタシを傷物にした時」

 

 

シグレが思い出すように言えば、ストレアがニヤリと笑みを浮かべる。

 

 

「ちゃんとアタシの事、大事にしてね?」

「……話題が逸れる」

 

 

ストレアの言葉に、シグレはため息。

これは当分この話題でからかわれ、諦めや悟りといったものを思い知るシグレだった。

 

 

「…と、とりあえず、だ。ストレアはAIというより、一人のNPCプレイヤーとして考えたほうがよさそうだな」

「うん、そんな感じでよろしくー」

 

 

キリトの言葉に、ストレアが笑顔で返す。

自分の存在を否定されているようなものなのに、それでも笑顔でいられるのは、いろいろと吹っ切った、ということなのだろうか。

そんな会話をしていると。

 

 

「皆さん、揃ってたんですね。良かった」

 

 

孤児院の主であるサーシャがノックをして入ってくる。

 

 

「先生か」

「…別に名前で呼んでいただいても大丈夫ですが……キリトさん。ユイちゃんが目を覚ましましたよ」

「本当ですか!?」

 

 

サーシャの言葉にキリトが立ち上がり、部屋を早足で出て行く。

さすがに室内ということもあり気を遣っていたのだろう、走らないあたりは流石というべきだったが。

 

 

「…まるで、本当の父親だな、あれは」

「うん…ちょっと、微笑ましい」

 

 

シグレの言葉にサチも同意する。

 

 

「アタシ達も行ってみよ?」

 

 

ストレアの言葉に、皆もキリトを追うように、ユイが休んでいた部屋に向かった。



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第73話:少女の覚醒

部屋に向かうと、ユイは目を覚まし、上体を起こして辺りを見回していた。

 

 

「ユイ…よかった」

 

 

キリトが安心したように息を吐く。

ユイも目覚めたばかりなのか、ぼんやりした感じでキリトを見やっていた。

 

 

「…パパ」

「ん?」

「私……全部、思い出したよ」

 

 

ユイの言葉に、キリトだけでなく、その場にいた皆が驚く。

 

 

「ユイ…私のこと、分かる…?」

「…分かるよ、ストレア」

「うん…!」

 

 

ストレアが恐る恐る尋ねると、ユイは当然、といわんばかりに返す。

その言葉に、ストレアは嬉しそうに返事をする。

そのまま、ユイは説明を続ける。

 

 

ユイもストレアと同じ、メンタルヘルス・カウンセリングプログラムであるという事。

その目的は、精神状態が不安定なプレイヤーに接触、カウンセリングを行い、精神状態を安定させる事。

正式サービスの初日に、基幹システムであるカーディナルにより、プレイヤーへの干渉を禁止されたという事。

それにより、プログラムされた内容が実行できず、プログラムとしてのエラーを蓄積させた事。

そのエラーにより、今回の記憶喪失のような症状が現れた事。

プレイヤーに干渉はできず、モニタリングをする中で、恐怖、絶望という負の感情ばかりの中、喜び、希望といった正の感情を持つプレイヤーがいたという事。

そのプレイヤー…キリトに接触するために、フィールドを彷徨い続けた事。

 

 

「…そういう意味では、ユイは茅場の思惑の被害者ということになるのか」

 

 

シグレが壁に背を預け、腕組みをしたまま呟く。

実際の所は不明だが、少なくとも一因になっていることは間違いないかもしれない。

何故ならソードアート・オンラインの開発者であるということは、その基幹であるカーディナルも茅場が開発したということだから。

 

 

「ねぇシグレ…アタシの時みたいに、カーディナルから切り離すことは…出来ないの?」

「……」

 

 

ストレアの言葉に、シグレは言葉を止める。

 

 

「ストレア…切り離す、って…?」

「…アタシ、一度カーディナルの命令違反をして、プログラムチェックにかかったんだ」

 

 

ユイの言葉に、ストレアは思い出すように答える。

ユイは驚くが、構わずストレアは続ける。

 

 

「そのままだと、プログラムの消去、あるいは初期化…そうなる前に、シグレが止めてくれたんだ」

「…だがその代わりにこいつはメンタルヘルス・カウンセリングプログラムとしての役割、特権も失った。システムに依存しない孤立したAIとなった、ということらしい」

 

 

それがストレアのいう、傷物にされた、ということだった。

とはいえ、結果としてストレアは救われたわけであるが、シグレはそれを否定する。

 

 

「…いずれにせよ、ストレアの件で上手くいったのは単なる偶然だ。今回も同じになるとは限らない」

 

 

壁に背を預けたまま、シグレは目を閉じる。

ストレアの件は、シグレにとっては偶然に過ぎない。

つまり同じことをしても、ユイのプログラムを破壊してしまうかもしれない。

 

 

「……ちょっと待って、ひょっとして下手したらアタシあの時…」

 

 

少し顔を引きつらせるストレアに、極めて冷静に。

 

 

「…運がよかったな。下手をすれば消滅していただろう」

「……うん、消滅してたらアタシ、シグレの事恨んでたかも」

 

 

シグレがいうと、ストレアは半目でシグレを睨みながら言う。

結果として助かったからよかったものの、といったところだろう。

その嫌味を受け流しながら。

 

 

「……それに、ユイを救うのは、俺の役目ではあるまい」

 

 

言いながら、視線をキリトに向ける。

 

 

「あぁ…ユイは、俺が守るよ」

「パパ…」

 

 

キリトもその意図を読み取ったのか、それとも元々そのつもりだったのか。

その様子を見ていると、キリトとユイは本当の親子といって遜色のない絆のような物が見えた。



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第74話:語られる事実と、垣間見える不安

その翌日。

 

 

「…行くか」

「えぇ…グリムロック、っていう名前について…話を聞かないと」

 

 

シグレとアスナが言葉を交わす。

昨日の続き、という事である。

ユイの件でいろいろあったが、こちらも無視できるものではない。

 

 

「…そっちはどうする」

「俺は…そうだな。74層のボスについて情報を集めてみるよ。あんまり多人数で行っても、っていう気もするしな」

「そうか」

 

 

キリトの言葉にシグレは頷く。

圏内事件の解決も重要だが、攻略を疎かにするわけにもいかない。

役割分担としては、妥当な線といえる。

 

 

「ならこっちは…俺とアスナで十分だ。そっちは情報収集で人数が必要だろう」

 

 

シグレ達は人海戦術が必要なことではない。

それはむしろ情報収集を行うキリト達の方が必要といえるからこそだった。

 

 

「なら…ストレアはシグレさん達の方に行って」

「…わかった」

 

 

しかし、ユイはそれを却下し、ストレアにシグレ達への同伴を依頼する。

ストレアもユイの言葉に何かを感じたのか同意する。

何か通じるものがあったのだろうか。

それは本人たちのみぞ知る、といったところであろう。

 

 

 

そうして、昨日と同じ食堂。

ストレアを加えた一行は、再度ヨルコと会い、話を聞くこととなった。

どう話を切り出すべきか、悩んでいたところ。

 

 

「…いきなりですまないが、グリムロック、という名に聞き覚えはあるか?」

「っ!」

 

 

シグレが静寂を打ち破り、ヨルコに尋ねる。

昨日のエギルの鑑定により得た手掛かり。

 

 

「どこで、その名前を…」

「…昨日、カインズさんの胸に刺さっていた武器を鑑定したら、作成者がグリムロックさんだったの」

 

 

アスナが手掛かりについて説明をするとヨルコは一瞬躊躇するも、すぐに心当たりを認める。

そして、意を決したように話し始める。

 

 

「…昨日は、お話できなくてすみませんでした。忘れたい、あまり思い出したくない…話だったから」

 

 

でも、お話しします、と、ヨルコは続ける。

 

 

「…そのせいで、私達のギルドは…消滅したんです」

 

 

そう呟くのとほぼ同時に、灰色に染まった空から降る雨が窓を叩き始めた。

 

 

―ギルド『黄金林檎』。

ある時、レアモンスターのドロップで非常に貴重な装備品を入手した事。

その扱いをギルドで相談したところ、ギルドで利用する意見と、売って儲けを分配する意見で割れた事。

結果として、装備品である指輪は売ると決まった事。

指輪の売却にリーダーであるグリセルダ、という女性が向かった事。

……そして、その後彼女は戻らず、後に死亡した事が分かった、という事。

 

 

「…競売にかけられるほどの装備を持って、圏外という事もあるまい。とすれば、何らかの方法で以て圏内で殺されたか」

「時期を考えると、睡眠PKの可能性は低いかもしれないわ」

 

 

手段については、現在の手持ちの情報では検討は難しいと考え、別の視点を考えることにする。

 

 

「グリセルダという人物を殺した犯人…ギルドのリーダーとはいえ、それだけでは殺される理由にはあまりに弱いと思うが」

 

 

少なくとも俺はだが、という注釈をつけてシグレは意見を述べる。

 

 

「…他に狙われる理由があった?」

「そうだな。例えば…」

 

 

ストレアの疑問にシグレは頷いた。

言葉を続けようとしたシグレだが、続けたのは。

 

 

「指輪の事を知っていた…ヨルコさんのギルドのメンバーの誰か…?」

「あぁ」

 

 

アスナだった。

彼女の言葉に、シグレは頷く。

 

 

「ちなみにその、売却に反対していた人って?」

「三人いて、そのうち二人は、私と…昨日殺されたカインズです。もう一人は…シュミットという名のタンクです」

 

 

攻略組の『青龍連合』にいる、と聞いた、とヨルコは続ける。

とはいえ、攻略をほぼ孤軍奮闘したシグレと、そんな彼と組んでいたストレアは知る由もなく。

 

 

「…いたわね。確かディフェンダー隊のリーダー…だったかしら」

「シュミットを知っているんですか!?」

 

 

アスナが思い出すように言うと、ヨルコが食いつくように身を乗り出してアスナに問いかかる。

 

 

「えぇ…とはいっても、攻略会議で顔を見たことがある、っていう程度よ」

「あの、シュミットに連絡を取ってもらうことはできないでしょうか…ひょっとしたら彼、今回のことを知らないかも」

 

 

ヨルコの言葉にアスナは頷く。

もし売却反対した人物が狙われているとしたら、今は別のギルドにいるとはいえ、無関係ではない。

 

 

「…分かったわ。攻略組で仲がいい人もいるから、そこから連絡が取れないかあたってみる」

 

 

アスナに連絡を取ってもらい、ヨルコには部屋から出ないよう伝えた後、一度解散することとなった。



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第75話:AIに芽生える心

アスナに連絡を取ってもらっている間。

 

 

「…ねぇ、アナタは…どういう風に考えてる?」

「……?」

 

 

ストレアがシグレに尋ねる。

その表情は真剣なもの。

だとすれば、とシグレも真剣に返す。

 

 

「……お前は、どう考える」

「アタシ?」

 

 

尋ね返され、指を顎に当て、んー、と考える。

 

 

「…決闘、とか?」

「まぁ、妥当な線だが……システム的な抜け道の線はあると思うか?」

「それはないよ」

 

 

シグレの意見をばっさりと、はっきり否定するストレア。

そこまではっきり否定をするストレアに少し驚くも。

 

 

「…その根拠は?」

「忘れたの?アタシはもともとカーディナル監視下のプログラムだったんだよ?そういうアンフェアな事をカーディナルが許さないことくらい、分かってるよ」

 

 

それに関してはシグレも否定をしなかった。

現にストレア自身、プレイヤーを監視する中で、そういったことはほとんど起きていなかった、と続ける。

 

 

「……だとすれば、お前の言う通り決闘か、あるいはそれを用いたトリックが存在するか」

「なんかシグレ、探偵みたいだね」

 

 

なんとなく分かっていたが、いざ言われると言い返したくなるのは何故だろう、とシグレは思う。

シグレ自身、巻き込まれた感覚ではいるが柄でもない、とも思っていたのだ。

 

 

「大丈夫だよ」

「何がだ」

「戦ってる時のシグレもかっこいいけど、こういうシグレもかっこいいから!」

 

 

サムズアップするストレアに、シグレはただ無言。

またいつものか、と溜息を吐き。

 

 

「……もう少し真面目に」

「アタシは大真面目だけどね?」

 

 

ストレアを諭すもどこ吹く風。

それどころか。

 

 

「アタシとしては…このくらいしたいんだけどねー」

 

 

言いながら、シグレの左腕に抱きつくストレア。

結構強めに抱きしめているのか、ストレアの胸の谷間に腕が挟まれるようになり。

 

 

「……」

 

 

無言になる。

いくら女性好きという程ではないシグレとはいえ、男性である以上は多少は意識するというもの。

まして、そういった経験が現実で皆無だったシグレにとってはいかんせん刺激が強すぎる。

そのせいか。

 

 

「…恥ずかしくは、ないのか」

 

 

途切れ途切れにそう言うだけで精一杯だった。

けれど、何だかんだで付き合いが長い事と、メンタルヘルス・カウンセリングプログラムとしての経験からか。

 

 

「ふふっ…当ててんのよ?」

 

 

笑いながらそんな風に言う。

シグレからすれば、何が楽しいのだろうとは思うが、抱き着きながら楽しそうに頬を腕に寄せてくるストレアを拒否する術を、シグレは持ち合わせていなかった。

 

 

「…なんか、いいね。こういうの」

「相手が俺で申し訳ない、と言うしかないがな」

 

 

いつもの明るい様子ではなく、どこか落ち着いた様子のストレア。

そんな彼女に苦笑で答えるシグレ。

 

 

「そんなことないよ。アナタじゃなきゃ…こうしたいって、思うこともなかっただろうし」

「……」

 

 

どこか、安らぎすら感じさせるストレア。

 

 

「…変、だよね。アタシ…プログラムなのに、こんな風に思えるなんて」

「……俺には技術的な事はよく分からないが」

 

 

どこか自嘲するように言うストレアに、シグレは口を挟む。

先ほどまでの緊張は大分薄れていた。

 

 

「いいんじゃないのか?…人らしくて」

「…人じゃないのに?」

「……俺は逆に、お前をプログラムという型に嵌った存在だと考えた事はないな」

「……それはアタシに対して失礼じゃないかな?」

 

 

怒っているように言うが、それほどでもないストレア。

 

 

「それでもプログラムだから、かな。分かんないんだ……どうして、アナタと一緒にいると、こう…ほんわり暖かいような感じがするんだろ」

「……それは俺に聞かれても分からない話だ」

「そっか。でもまぁいいや…嫌な感じじゃないし」

 

 

感情を理解できていないが故の真っ直ぐな行動、といったところか。

ストレアはただ、自分の内から湧き上がる温かさの理由が分からなかったが。

 

 

「…それはきっと、ストレアさんが、シグレ君のことを好き…っていうことなんじゃないかな」

「好き…?」

「そ。恋…っていうこと」

 

 

連絡を取り終えたのか、アスナが合流し、二人の様子を見ていたのか、ストレアに助言をする。

優しい笑みを浮かべながら、とても素敵なことだと思うわ、とアスナは続ける。

 

 

「そっか、好き、かぁ…んふふっ」

 

 

それでストレア自身も納得したのか、笑みを浮かべながら更にシグレに身を寄せる。

 

 

「…うん。アタシはシグレの事、好きだよ。大好きっ」

 

 

恥ずかしげもなく、そんなことを言ってのけるストレアに。

 

 

「……そうか」

 

 

また一つ溜息を吐くシグレ。

真っ直ぐに想いをぶつけられた恥ずかしさで調子を乱していた事は言うまでもない。

調子を戻すためなのか、話を進めるためなのか。

 

 

「それはそうと、シュミットとやらと、連絡はついたのか?」

 

 

抱きついたままのストレアから意識を外し、アスナに尋ねる。

話題の転換にアスナも対応し、真剣な表情で。

 

 

「ついたわ。場所を伝えたから、今から来るって」

「…そうか」

 

 

アスナの報告に、シグレは一言で返し、アスナの先導の下で待ち合わせ場所へ向かう。



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第76話:豹変と、犠牲

転移結晶か、転移門を使ってきたのかは分からないが、合流するまでそんなに時間はかからず、日が暮れる少し前には合流して、一同がヨルコが止まっていた宿の部屋に到着した。

ヨルコとシュミットがテーブルを挟んで座り、シグレとストレアは壁際に。

アスナはシュミットが逃げ出さないようにか、はたまた危険人物が乗り込んでくることを懸念してか、ドアの近くで腕を組んだまま立っていた。

 

 

「……」

 

 

事情を既に聞いていたのか、落ち着かない様子のシュミット。

宿に配置されたイスに座り、ひたすら貧乏ゆすりを続ける。

 

 

「…グリムロックの武器で、カインズが殺されたのは…本当なのか」

「………本当よ」

 

 

シュミットの問いに、ヨルコは小さく頷く。

間を置いての答えは、認めたくない、といった心情があるのかもしれない。

それでもどこか落ち着いたヨルコに、シュミットは動揺を隠さず。

 

 

「あの指輪を奪ったのはあいつだったのか!?グリセルダを殺したのもあいつで…グリムロックはあの時売却に反対した三人全員を殺す気なのか!?」

「……グリムロックさんにあの武器を作ってもらった、別のメンバーの仕業かもしれないし」

 

 

問いかけるように言うが、誰も答えることはできないとわかっているのか、誰に言うでもなく頭を抱える。

そんな彼に静かに可能性で答えるヨルコ。

 

 

「でも…圏内で人を殺すなんて、幽霊でもなければ無理だわ」

 

 

言いながら、ヨルコはゆらりと立ち上がり。

 

 

「昨夜……寝られなくて、ずっと考えてた。そうしたら…こう思った」

 

 

言った瞬間、まるで、それこそ別人格の幽霊が乗り移ったかのように立ち上がり、声を荒げる。

 

 

「っ結局のところ、グリセルダさんを殺したのはメンバー全員でもあるのよ!こんなことなら…こんなことなら、投票なんかしないで、グリセルダさんに任せれば良かったんだわ!!」

 

 

その豹変ぶりに、シュミットだけでなく、シグレ、アスナ、ストレアの三人も一瞬息を呑む。

だが言いたいことを言って落ち着いたか、その豹変はほんの一瞬で。

 

 

「…あの時ただ一人、グリムロックさんだけは…グリセルダさんに任せると言った。だから…あの人には、私たちに復讐する権利があるんだわ」

 

 

また、少し落ち着いた様子で言葉を続ける。

それは、狙われていることに対する恐怖か。

 

 

「……冗談じゃない…冗談じゃないぞ。半年も経ってから、何を今更…!」

 

 

ヨルコの言葉に、シュミットは両手で頭を抱えてしまう。

傍観する立場のシグレは、壁に背を預けて腕を組み、様子をただ見守る。

 

 

「……」

 

 

シグレはただ、何かがおかしい、と考えていた。

それは、ヨルコの振る舞い。

一見すれば普通だろう。

だが、いつどこで殺されるかわからない。

安全と思われていた圏内で起こった殺人により、圏内ですら危険な領域になる。

その状況で、怯えることもなく、淡々と話すヨルコの振る舞い。

それこそが、シグレが感じた懸念。

 

 

それは皮肉にも、この世界に来ていたからこそ感じられた懸念だった。

人は死を直観する直前は平静ではいられない。

シグレはそれを、第一層で武装した兵士と対峙した時に知った。

どれだけ上から目線で威圧しようと、目の前の恐怖に怯えれば途端に平静を失い、ただ逃げ出す事しか出来なくなる。

…尤も、精神的に鍛えられた武人であれば、そうはならないのかもしれないし、ヨルコがそれほどの精神力を持っているのかもしれない。

けれどシグレは、殺されることを是とする物言いのヨルコがそういった意味で落ち着いてるとは思っていなかった。

 

 

「どうしたの、シグレ?」

「…いや」

 

 

隣にいたストレアに尋ねられるが、シグレは答えない。

 

 

「…っお前はそれでいいのかヨルコ。こんな訳の分からない方法で殺されて本当にいいのか!?」

 

 

ついに耐え切れず、シュミットがヨルコと目線を合わせるためか、ただ感情に任せてか立ち上がる。

必死に問いかけるシュミットに、ヨルコが口を開こうとした瞬間。

 

 

「っ……」

 

 

ふらり、とヨルコの体が揺れる。

そのまま振り返り彼女はこちらに背を向けた。

…その背には、小さなナイフが刺さっていた。

 

 

 

…誰かが動き出す前にヨルコは崩れ落ちるように窓から外に放り出され、光の粒となり、刺さっていたナイフが地面に転がった。



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第77話:推測と、不安

「ちっ…」

 

 

ヨルコが落ちた窓の方に寄り、シグレは外を見まわす。

すると、少し離れた所の屋根の上に一人、覆面を付けた人物がこちらを向いていた。

しかし、シグレの視線を察知したか、さっと振り返り、逃げるように屋根の上を駆け出す。

 

 

「逃がすかっ」

 

 

シグレはそれを追うように、窓から飛び出す。

 

 

「駄目よ!」

 

 

アスナが声で制止するが時既に遅し。

シグレは攻略で身につけた立ち回りを駆使し、屋根を飛び移っていた。

 

 

 

一方でシグレからすれば情報屋から仕入れた情報と合わせて考えていた。

シュミットやヨルコのいうギルドメンバーである可能性。

それと同時に、鼠から仕入れた情報による、下っ端の可能性。

この覆面を追い詰めれば何か分かるかもしれないと考えていたのだが。

 

 

「ちっ…!」

 

 

覆面男は転移結晶を取り出す。

転移のつもりだろうと察したが、そうなればもうどうにもならないことは分かっていた。

そうしてシグレが立ち止まると同時に、町の鐘が鳴り、覆面の人物は光となって、その場から消えた。

 

 

「……っ」

 

 

ようやく見つけた手掛かり。

それを見逃した悔しさからかシグレはその手を握りしめ、けれどそれ以上はどうにもならないと考え、屋根から降り、宿へと戻るのだった。

 

 

 

宿に戻ると。

 

 

「っ馬鹿!無茶しないでよ!」

 

 

扉を開けた瞬間、アスナに剣を突き付けられるシグレ。

アスナ自身、圏内だからこうしているのだろうが。

 

 

「……圏内殺人が解決していない以上、それは危険行為だと思うが?」

「分かってるわよ…でも、このくらいしないと、貴方、無茶するじゃない」

 

 

シグレが言うと、アスナは剣を鞘に納める。

雰囲気が落ち着いたところで、部屋を見渡す。

そこにはアスナとストレアがいるのみ。

 

 

「…シュミットはどうした?」

「彼ならさっき出て行ったわ。ギルドに戻るんじゃないかしら」

「……まぁそれなら、人の目がある分いくらか安心か」

 

 

そうなると、今日はここまでか、と考える。

同時に、面倒なことになった、とも考え、シグレは一つ溜息。

 

 

「…ところで、シグレが追いかけた人は?」

「転移結晶でどこかに行った、ということくらいだな。どこに転移したかまでは不明だ」

「手がかり、なし…か」

 

 

ストレアの疑問に対し、シグレが首を横に振りながら答える。

とはいえ。

 

 

「……妙だとは思わないか?」

 

 

シグレは思うところがあるのか、顎に手を当てて話を始める。

 

 

「普通、真相が分からない殺人で狙われていると知れば、動揺をするのが当然だ」

 

 

シュミットのように、と続ける。

 

 

「もちろん個人差はあるだろう。だが……ヨルコの方は落ち着きすぎだ。それに…この状況で、窓を開けたままにしていて、それを気にする様子もなく話していた」

「昨日の今日、だもんねぇ…」

 

 

シグレの言葉にストレアがそういえば、という感じで答える。

 

 

「あれではむしろ殺してくれと言っているような……」

 

 

シグレが言いながら、途中で言葉を止め、考え出す。

その様子にアスナが不思議そうにシグレを見るが。

 

 

「…シグレ君?」

 

 

アスナが声をかけても、シグレは聞こえないレベルで独り言を呟く。

アスナとストレアは二人、シグレの様子を気にしつつ歩くが、当の本人は気づかないのか、ただ前を歩き続ける。

 

 

「……アスナ。確かヨルコとはフレンドの登録があったな」

「え、えぇ…念のため、だけど……っ」

 

 

シグレの突然の問いに、アスナはフレンドの一覧を表示させ、確認する。

すると、アスナは息を呑んだ。

死んだはずの彼女の現在地が表示可能であった事に。

 

 

「現在地はどうなっている」

「…19層の丘の上、ってなってるわ。でもどうしてこんな所に」

 

 

アスナの答えに、シグレは一つ舌打ちをする。

すると、幸運にも転移門の近くにいたシグレはすぐに転移門に近づく。

 

 

「ど、どうしたのシグレ!?」

「…急ぐぞ。この事件…まだ、終わっていない可能性がある」

 

 

ストレアが慌てて尋ねるが、シグレは全てを答えずに駆け出す。

まるで、話している暇がない、と言わんばかりだった。



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第78話:望む再会と、望まぬ再会

19層の丘。

十字の丘、と呼ばれる底は、時間のせいなのか、天気のせいなのか薄暗く、枯れ木が不気味に映る。

 

 

「……」

 

 

薄暗い雑木林の中を一人、シグレは駆ける。

アスナとストレアにはシグレが頼み事をしていて、それを果たすためにここにはいない。

おおよその場所は聞いていたので、その場所から動いていなければいい、と思いつつ。

 

 

「っ…やはりか」

 

 

やがて目的地に近づくと、人影が見える。

その人影の数は、シグレが想像していた数より多い。

ヨルコ、カインズ、シュミット。

そして、フードを被った別の人影が三つ。

一つの人影は、ヨルコとカインズに対し剣を突きつけ、牽制をかけている。

一つの人影は、地に付すシュミットの近くにしゃがみ、面白そうに見ている。

一つの人影は、見覚えのある包丁のような武器を振り上げ、今にもシュミットに振り下ろそうとしている。

 

 

「っ……」

 

 

シグレは緋月を抜き、振り下ろされる包丁を間一髪止める。

 

 

「ん?…誰かと思えば、久しいな?」

「…再会を喜び合う仲になった記憶はないがな」

「HAHAHA!」

 

 

男の言葉に、シグレは面白くなさそうに返す。

男は何が面白いのか、ただ、嗤う。

刀で受け止めたまま、シグレは状況を把握する。

シュミットは麻痺。

ヨルコとカインズは牽制で動けない状況。

 

 

「シグレさん、どうして…!」

 

 

ヨルコがどうしてここに、といった感じで声を上げる。

シグレはそれには答えず、包丁を弾き上げる。

 

 

「うぉっと…」

 

 

突然の衝撃に一瞬よろける男。

シグレはその隙を見逃さずに、ヨルコ達に剣を突き付けている男の懐に潜り込み、一気に刀を振り上げる。

次の瞬間、剣を突き付けていた男の腕が、肩の辺りから吹き飛び、体と分割され、男の腕が宙に舞う。

 

 

「っ…!?」

 

 

突然の衝撃的ともいえる光景に、誰かが息を呑む。

やがて主から切り離され、吹き飛ばされた腕は光の粒となって消え、剣が地面に落ちる。

 

 

「ぐ……」

 

 

VRで痛覚がないとはいえ、腕を失ったことに対する幻肢痛か、男がよろめく。

 

 

「前より少し腕を上げたようで、嬉しいぜ…楽しめるからなァ?」

「…ふん」

 

 

腕を失った男には目もくれず、楽しそうに包丁をシグレに向ける。

そんな彼に、刀を構えるシグレ。

だが。

 

 

「だが、あの時とは状況が違うな」

「…状況?」

 

 

シグレの言葉に男が聞き返す。

そんな男に、構えを解かずにシグレは続ける。

 

 

「俺にお節介を焼く連れが、援軍を呼んでいる。直にここに30人程度が来るだろうが…実質二人で相手をするつもりか?」

「……」

 

 

シグレと男が睨み合う。

その様子は、決闘の直前、ともいうべき緊迫感で静かに、風の音だけが響くが。

 

 

「ちっ…」

 

 

先に動いたのは男の方で、手を挙げると他の二人も武器をしまう。

…うち一人は腕がないので利き腕でない方の腕で剣を拾っていたが。

 

 

「…行くぞ」

 

 

男の言葉に、フードの男たちは何事もなかったかの如く去っていく。

姿が見えなくなるまで見送ったところで、シグレは刀をしまうのだった。



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第79話:辿り着いた真実

やがて、静かな状況を取り戻したところで。

 

 

「…シグレ。助けてもらった事は感謝するが…なぜ分かったんだ」

 

 

シュミットが麻痺から立ち直り、シグレに尋ねる。

シグレは一瞬考え。

 

 

「……勘違いするな。俺はお前たちの助けに入ったわけではない……奴らを追っていただけだ」

「奴らって…あの殺人ギルドをか?お前は一体…」

 

 

シュミットが問いを続けようとしたが、それは他でもない、シグレによって遮られる。

 

 

「俺の事より、気にすべきは…こっちだろう」

 

 

言いながら視線を雑木林の方向に見やると、アスナとストレアが一人の男を連れてくる。

シルクハット調の帽子に、黒い丸サングラスで顔を隠す男は、まるで事情を知らないと言わんばかりの笑みを浮かべていた。

 

 

「…グリムロック」

 

 

シュミットが呟くように名を呼ぶ。

 

 

「……どうする、事情を自分で話すか?」

「いや、是非推理を聞きたいものだね。探偵君?」

 

 

グリムロックの言葉に、シグレは一つ息を吐く。

 

 

「…先ずはグリセルダが売却の為に持っていた指輪。それは結婚相手である、この男の物でもある」

「結婚相手のストレージ共通化…」

「なら…グリセルダが殺された時、指輪はどうなったか…」

 

 

シグレの言葉に、カインズがはっとしたように。

 

 

「グリムロックの物になった…?」

「そうだ。殺人如何はどうであれ、指輪はグリセルダから文字通り…奪われた」

 

 

見たところ、プレイヤーを示すカーソルが緑だから、直接手を下してはいないだろう、という事をシグレは補足する。

 

 

「そうして、指輪を手に入れたはいいが…指輪事件の関係者…特に、売却に反対したお前たち三人を消し、事件を闇に葬ることを考えた」

 

 

言いながら、シグレはヨルコとカインズに目を向け。

 

 

「…武器を作ってもらったのなら、今回の件について内容は話したのだろう。少し頭が切れれば、この状況を狙って、お前達三人を葬ることを考えるのは容易だろうな」

「そんな…本当なのグリムロック。どうして…」

 

 

シグレが突き付けた推測に、ヨルコがショックで崩れ落ち、彼女をカインズが支える。

その様子を意に介すこともなく、グリムロックは話し始める。

 

 

「…探偵君が言ってくれた事は大方当たっているよ」

 

 

言いながら、グリムロックは観念したのか、それとも抵抗する気がなかったのか話を続ける。

 

 

グリセルダという人物は、彼にとっては現実でも夫婦関係であった事。

このゲームに巻き込まれて、自分は塞ぎ込んでいく中、彼女は活き活きとしていたという事。

その中で、自分にとって理想の妻である彼女は、消えてしまった、と。

だからこそ、永遠の思い出の中に封じ込める為に、合法的殺人が可能なこの世界で、彼女を手にかけようと考えた事。

それこそが、彼が妻を殺そうと考えた理由である事。

 

 

「探偵君、君にもいずれ、この気持ちがわかるだろう。手に入れた愛情が、失われようとした時には…ね」

「……お前の言うその気持ちには興味がないが、失う辛さなら、お前以上に知っているつもりだ」

 

 

悪びれもしないグリムロックに、シグレは静かに返す。

その目はしっかりとグリムロックを見据える。

 

 

「尤も、貴様のように自分からそれを手放す人間の感情など…興味もないがな」

 

 

言いながら、シグレは思い出すように続ける。

奪われたシグレと、自分から手放したグリムロック。

失った、という意味では似ているが。

 

 

「…アナタなんかと…シグレを一緒にしないでよ」

 

 

ストレアが苛立ちを隠しもせずに言う。

 

 

「シグレの事、何も知らないくせに…分かったようなことを言わないでよ!」

「…やめておけ」

「シグレ…」

 

 

そんなストレアを止めたのは、他でもないシグレだった。

ストレアは納得がいかない様子だが、それでも当の本人に止められては、それ以上は言えなかった。

 

 

「…ストレアさんの言葉には私も同意見よ。それに…」

 

 

アスナが向き直り、グリムロックに言葉をぶつける。

 

 

「貴方が抱いていたそれは愛情じゃないわ……ただの支配欲よ!」

「っ…!」

 

 

その言葉に思う所があったのか、グリムロックはその場に崩れ落ちる。

そんな彼の処遇は自分たちに任せてほしいと、カインズとシュミットが連れていき、ヨルコが追いかける。

こうして、一連の事件は幕を閉じることとなったのだった。



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第80話:システムに抗う意思

そうして、一行を見送った後、シグレ達は22層の家に戻り、74層について調べていたであろうキリト達と合流する。

そんな中で。

 

 

「…っていう事があってね。酷いと思わない!?」

「あ、あぁうん…私も、その場にいたらそうなってたかもしれないけど…」

 

 

ストレアの言葉に頷きながらどこか疲れた様子のサチ。

というのも無理はなく、この話ももう数回はしている。

具体的な回数は、キリトが片手で数えられるまでは数えていたが、それ以上は数えるのを止めていた。

 

 

「…とりあえず、74層の攻略に関しては何か分かったのか?」

 

 

シグレの問いに、キリトは放っておいていいのだろうか、と少し疑問に思ったが。

 

 

「…あぁ。街で話を聞いてたら、軍が攻略の動きを見せているらしい」

「それは、例の血盟騎士団か?」

「いや…違ったな。アインクラッド解放軍…とかいってたな」

 

 

その名前にはシグレは聞き覚えはなかったが。

 

 

「まぁ…敵対するわけでもないし、大した問題でもあるまい」

「シグレは…ボスを見たことはあるんだよな?」

「あぁ」

 

 

今度はシグレが話し始める。

 

 

「…大振りな剣を持った…あれは何だ。牛か?」

「いや、聞かれても…」

「とにかくパワータイプといえるかもしれん。ただ気になったのは…そいつと対峙した時、ストレアに妙に止められたことくらいか」

「…止められた?」

「あぁ…下手に戦えば死ぬ、と。何度もな」

 

 

その事もあって、その場は撤退した、とアスナの確認にこたえるシグレ。

 

 

「…その事については、私から説明します」

「ユイ?」

 

 

突然名乗りを上げたユイにキリトが疑問を投げかける。

 

 

「…カーディナルは、このSAO全体を管理するプログラムです。その管理というのはフィールドのモンスターや、アイテムのドロップ率など広範囲に渡ります」

「確か、ユイとストレアは、カーディナルにコントロールされるAIなんだよな」

 

 

キリトの言葉にユイははい、と頷く。

尤も、ストレアは完全な管理下ではなくなっているのだろうが。

 

 

「カーディナルの管理範囲にはゲームバランスの調整も含まれます。バランスの調整というと…どんなことが含まれると思いますか?」

 

 

ユイの問いに、キリト、アスナ、シグレの三人は少し考える。

やがて、それに対し答えを返したのは。

 

 

「…アイテムのドロップ率とか、モンスターのステータス調整とかか?」

 

 

キリトだった。

βテストの時点から熱中していた彼であれば、そういう事に強いのだろう。

 

 

「…パパの言う通りですが、調整対象はアインクラッド全体です。その対象には…プレイヤーの皆さんも含まれます」

「そう。そしてシグレは…やりすぎたんだ」

 

 

ユイの言葉を、ストレアが引き継ぐ。

先ほどまで愚痴を零していた彼女とは思えない程の、真剣な視線。

それに気づいてか気づかずか、ストレアは続ける。

 

 

「ボスの単独撃破を何十層も行う…普通じゃ無理なことなんだよ。そういう風に設定されていたんだから」

 

 

ストレアの言うことも当然であろう。

勝手は違えど、多人数で協力して進めることが前提であるMMORPG。

所謂ソロプレイという方法もあるが、それでは限界があるように設計されるのも当然であるが。

 

 

「…そうね。それにそんな事、このデスゲームでやろうとすること自体、普通じゃ考えないし」

「だから私達も心配して、こうして追いかけてきているわけだし」

 

 

ストレアの言葉にアスナとサチも同意する。

シグレはそこまで言うか、と内心思っていたが、言えば言い返されるだけと考え、ただ黙る。

 

 

「そう、シグレさんは…ボスの単独撃破を繰り返していました。そして…シグレさんはカーディナルからの調整対象に、指定されました」

「……具体的には?」

 

 

ユイの言葉にシグレが尋ね返す。

それに対し、答えたのはユイではなく。

 

 

「一番単純で、多分一番効果的な方法。シグレを…この世界から退場させること」

「それって…!」

「…多分、サチが考えてる通りじゃないかな」

 

 

世界からの退場、それは言い換えればシグレを抹消する。

そうなれば当然、現実では。

 

 

「…そんな馬鹿な!ゲームバランスの為だけに人を殺すつもりなのか、カーディナルは!」

 

 

キリトが激昂し、机に両の手を叩きつけて立ち上がる。

その瞬間に机が破壊不能であることを示すメッセージが出るが、それを意に介すことはなかった。

 

 

「…落ち着け、キリト」

「でも…いいのかよ、お前…!」

「…良い悪い以前に、誰にその感情を叩きつけているか…理解しているか?」

 

 

当事者であるシグレに言われ、キリトはハッとする。

カーディナルと話をしているわけではない。

つまり、キリトはユイに対し声を荒げていたようなもので。

 

 

「っ…ごめんユイ、熱くなりすぎた」

「いえ…大丈夫です、パパ」

 

 

静かに座りながら謝るキリトに、ユイも悲しそうに笑みを浮かべながら答える。

ユイ自身も、こうなった事は本意ではないのだろう。

 

 

「…それで、カーディナルはどう調整をかけるつもりなんだ?」

「詳しいことは…何も。ただ…74層のボスエリアで調整がスケジュールされています。つまり…」

「74層ボス攻略で…何かが起こる」

「…はい」

 

 

そこまでの話を受けて。

 

 

「…シグレ」

「何だ?」

 

 

キリトがシグレに声をかける。

 

 

「…俺は正直、今回のボス攻略にはシグレは参加しないべきだと思う」

「……」

 

 

キリトの言葉に反論する者はいなかった。

シグレを除く皆がキリトの意見に言い返さなかったことを考えると、皆がキリトの意見に賛成である、という事も考えられる。

しかし。

 

 

「…仮に、今回参加しなかったとして、だ。カーディナルはそれで収まるか?」

「……」

 

 

シグレの言葉に、ユイもストレアも答えない。

 

 

「…いえ。おそらくカーディナルは別の手段で対応をしてくると思います」

「……であれば、ここで参加しようがしまいが、さしたる変化はないということだろう」

 

 

であれば、とシグレは続ける。

 

 

「どういう手段で来るかは分からないが、参加しない…という選択肢を考える必要もない」

「やれやれ…なら、俺達はボスの討伐をしつつ、シグレを守る…ってところか?」

「…ボスの討伐が優先だろう」

「いざとなったら、撤退も考えるわ」

「……大丈夫、シグレは…私達が守るから」

 

 

皆が皆、理不尽からシグレを守ると告げる。

シグレからすれば、そこには確かな『強さ』が見えていた。

それと同時に、自分の弱さに情けなくなりつつあるシグレだった。



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第81話:迷わぬ決意と、想い

そんな感じで、皆でボス討伐に行く空気になっていたのだが。

 

 

「…なんでよ」

 

 

それに反対する声が上がる。

その声の主は、ストレアだった。

 

 

「なんで…死んじゃうかもしれないんだよ!?」

「…ストレア」

 

 

ストレアがシグレに縋るように身を寄せる。

その表情は不安に揺れていた。

 

 

「っ…今回だけでいいから、行かないで。止まってよ…アタシも…一緒にいるから…ね?お願いだから…」

 

 

ここまで反対するというのは、カーディナルを知っているが故、なのだろうか。

ストレアが必死に、シグレに考え直すよう懇願する。

けれど、シグレは溜息を一つ吐き。

 

 

「…ストレア」

 

 

言いながら、ストレアの頭に手を乗せる。

一瞬肩を震わせるが、抵抗する様子もなく、むしろさらに身を寄せてくる。

 

 

「やだよ…アタシ、アナタには死んでほしくない…!」

 

 

モンスターとの戦いで死ぬわけではない、システム的な追放。

何が起こるか、少なくともその場にいる誰にも分からなかった。

…ユイやストレアにさえも。

 

 

「……そうだな。俺も所詮プレイヤーだ、カーディナルからすれば消すくらいは余裕なのだろう」

 

 

シグレはストレアの髪を梳くように撫でながら、言葉を続ける。

 

 

「…だが、自分が死ぬかもしれない、なんて些細な理由で止まるつもりはない」

「些細って…」

 

 

目の前の温もりを、ただ感じながら、ストレアは考える。

彼を失いたくない。だから、止める。

そうしなければ、きっと、二度と触れることができなくなると、考えたから。

けれど、彼は止まらない。

なら、自分は今までどうしてきたか、とストレアは思い直す。

思い直して、すぐに結論が出る。

 

 

「……分かったよ。仕方ないなぁシグレは」

 

 

ほぼ強引に同行した。

今回だって、同じにすればいい。

だから。

 

 

「うん。アタシは…絶対にシグレを守るよ。カーディナルなんて知らない…アタシが、絶対に守るから」

「…そうか」

 

 

少しだけ頬を涙で濡らしたストレアの表情は真剣なものだった。

その真剣な表情に、ただシグレは頷くだけ。

 

 

「なら…期待しておくか」

「ん…」

 

 

やれやれ、といった感じで頭を撫でるシグレと、それを気持ちよさそうに受け入れ、身を寄せるストレア。

その様子に。

 

 

「…なんか、最近シグレとストレアの距離…すごく近く感じるんだけど、気のせいか?」

 

 

キリトが疑問半分、からかい半分に尋ねる。

それに答えたのはシグレではなく。

 

 

「うん…アタシ、シグレの事…好きみたいだから」

 

 

抱きついたままのストレアだった。

表情は窺えないが、なんとなく恥ずかしさを感じているのだろう、少しだけ言葉が途切れ途切れだった。

 

 

「…いいなぁ」

 

 

羨ましそうに呟くサチに。

 

 

「あの時のは失敗だったかしら…」

 

 

ストレアに対し、この感情を教えた事を少しだけ後悔するアスナ。

そんな二人に気づいてか気づかずか。

 

 

「んーっ…」

 

 

ぐりぐりとシグレに顔を押し付けるストレア。

 

 

「ふふっ…」

 

 

その様子を、姉にあたるユイは微笑ましげに見守っていた。



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第82話:再び、前へ

翌日。

キリト、シグレ、アスナ、サチ、ストレア、ユイは全員で74層の迷宮区に来ていた。

目的はボス攻略、および75層の開通だった。

 

 

「…ここだ」

 

 

シグレとストレアは二人、一度ここまで来ていたこともありマッピングが済んでいたため、迷うことなく扉の前に辿り着く。

 

 

「ボス攻略もだけど、カーディナルが何を仕掛けてくるかわからない…注意していくぞ」

 

 

キリトの言葉に皆が頷き。

 

 

「…開けるぞ、シグレ」

「あぁ」

 

 

キリトとシグレは二人、扉の左側と右側をそれぞれ押して開く。

すると、部屋の中は暗かった。

 

 

「……」

 

 

全員が武器を構え、中に入る。

 

 

「…シグレ」

 

 

ストレアが両手剣を構えながら、シグレの隣に出る。

アスナとサチは後ろを守るように。

そうして、ある程度まで中に入り。

 

 

「…?」

 

 

シグレが違和感を感じる。

以前来たときは、松明に灯がついて、ボスが姿を現したはず。

それを知っていたからこそ、少しだけ、歩を進める。

しかし。

 

 

「っ…上か!?」

 

 

キリトが叫ぶと同時に、何かが落下するような音が響く。

とはいえ、暗い中では互いがどう動くかの視認はできない。

だからこそ、その落下に対し、どう対応するかは個人によってしまう。

 

 

「ちっ…!」

 

 

だからこそ、避けるために皆は動く。

気配を後ろに感じたシグレは、前に。

気配を前に感じたストレアと、ボスのことを詳しく知らない皆は、後ろに。

戦う力を持たないユイは、キリトに手を引かれて共に、後ろに。

そうして、シグレが他の皆と、分断された瞬間。

 

 

「な…」

 

 

シグレとストレアが見た、松明に灯る青い炎。

それと同時に、警報音とともに部屋が赤く染まり。

 

 

「なんだ、これ…!?」

 

 

シグレと、相手のボスを取り囲むように、透明なシールドのようなオブジェクトが展開された。

それにキリトが触れ、突然のそれに、驚いたように言う。

 

 

「ストレアさん!これは一体…!」

「分からない…分からないよこんなの!」

 

 

以前来ていたストレアなら何か知っているのかと思いアスナが尋ねるが、ストレアは必死に否定する。

 

 

「…シグレ!」

 

 

サチが必死に呼びかける。

だがシグレは聞こえていないのか、ただ部屋の奥から現れるボスに目を向ける。

 

 

「はあぁぁぁっ!!」

 

 

ストレアが、持っていた大剣を思い切り、シールドに対し振り下ろす。

しかし、それは傷一つつくことがなく、それどころか。

 

 

「破壊不能…オブジェクト…だと」

 

 

キリトが表示されたメッセージに、絶望するかのように呟く。

つまり、このシールドを破ることが出来なければ、シグレはボスと1対1で戦うことを強いられることになる。

その突然の事にシグレは怯む様子もなく、ただ相手に視線を向ける。



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第83話:罠と、危機

シグレは分断された事に気づいていたが、そちらに構う余裕はなかった。

 

 

「……」

 

 

ボス自体は以前と変化はない。

だが、こうして部屋の罠が作り変えられている以上、相手の力が変化している可能性がある。

つまり、以前戦ったそれとは、別の存在と捉えるべきだとシグレは考えていた。

無意識に、刀を握る手に力が入る。

 

 

相手が、その手に握られた大剣をシグレに向けて振り下ろす。

けれど、それをまともに受けるシグレではない。

その剣を横に跳んで躱す。

 

 

「っ…」

 

 

振り下ろされた剣は地面を容赦なく抉り、傷跡を残す。

ここから第二激に入るには、剣を再度振り上げ、地面から抜くというステップが必ず入る。

だからこそ、着地してから再度対応すればいいと考えていた。

…しかし。

 

 

「な…!」

 

 

その状態から相手は視線をシグレに向け、地面を抉りながら一直線に大剣を横薙ぎに振るってくる。

その速度には着地して方向転換をする余裕もなく、シグレに出来たのは、手に持っていた刀で受け止め、衝撃を緩和するのみ。

しかし、相手の巨体に釣り合うほどの大剣を、細身の刀で防げるかといえばそんな筈もなく、刀もろとも吹き飛ばされ、シールドに背中から激突する。

 

 

「が…ぁ……っ」

 

 

その衝撃に声を漏らし、その場に落ちるシグレ。

痛みこそないが、衝撃に対し一瞬動きが鈍るシグレに、容赦なく近づいてくる。

その大きな足音は、今のシグレにとっては死の足音。

 

 

「っ…」

 

 

とはいえ、シグレとて黙ってやられることを受け入れる性格でもなく、刀を支えに立ち上がる。

HPは一撃で三分の一程度減っており、あと二回受ければHPが全損するか、その近くまで行くことが容易に想像できた。

相手は、そんなことは構わずに、再度大剣を振り上げ、シグレに振り下ろす。

 

 

「ちっ…」

 

 

咆哮を上げながら振り下ろしてくる大剣を刀で受け止める。

とはいえ、まともにやりあうことができるわけもなく、シグレは押され続け、HPも徐々に減少していく。

 

 

「く、ぅ…!」

 

 

しかし、その鍔迫り合いも長くは続かない。

このままではいずれ押し負ける。

そう判断したシグレが、横に退いたからである。

 

 

 

…しかし、それは悪手であり。

 

 

「ぐ……」

 

 

横に飛び、無防備になったシグレの左腕を、肩から斬り飛ばす。

それは皮肉にも、先日、笑う棺桶のフードの男にシグレがやった事と同じように。

刀を持つ右腕でなかった事が幸運とはいえ、重症に変わりわない。

 

 

…吹き飛んだ片腕が、光の欠片となって霧散した。

 

 

「ちっ…」

 

 

シグレは舌打ちをする。

こうなってしまうと、大剣を刀で受け止めるのがかなり厳しくなると考えたからだ。

つまり、シールドである程度狭められたこの中で、剣戟を躱す以外の方法が取れなくなったという事になる。

これまでの単独撃破では、躱すだけの十分な広さがあったから出来た。

しかし今は狭められた範囲で、相手の大剣は幅が広く、それも困難な状況だった。



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第84話:システムの巨大な力

その様子を傍観する事を強いられたキリト達はというと。

 

 

「シグレ!」

 

 

キリトが呼びかけるが反応がなかった。

こちらの声が届いていないのだろうか、とキリトは考える。

片腕を吹き飛ばされ、それでも戦う意思を失わないシグレに何もできない自分を歯痒く感じていた。

そんな中。

 

 

「はああぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

持っている大剣で、何度もシールドに攻撃をかけるストレア。

当然ながら、攻撃は通じず、破壊不能であることを示すメッセージが出るのみだが。

 

 

「開け、このおおぉぉぉっ!!!」

 

 

再度、斬撃。

けれど結果は無情にも変わらない。

 

 

「落ち着いて、ストレア!」

「放してよサチ、このままじゃシグレが!」

 

 

サチがストレアを背中から抱きしめるように押さえる。

ストレアはそれでも攻撃をやめようとしない。

 

 

皆、ストレアが必死になる理由は分かっていた。

このままでは、防戦一方のシグレは競り負けてしまうことが目に見えていたから。

そうなれば、最悪の結末が待っていることはいうまでもなく。

 

 

「放してよ…!」

 

 

それでも、自分がやることに意味がないことは悟っていたか、ストレアは大剣をその場に落とし、崩れ落ちる。

抱きしめていたサチが図らずも彼女を支える形になる。

 

 

「う、ぅ…シグレ…!シグレぇ…!」

 

 

ストレア自身は冗談交じりで、傷物にされた、とよく言っていたが、実際の所はシグレに救ってもらった彼女。

ある意味では命の恩人ともいうべき人物が、目が届くどころか、手が届きそうな距離で命の危険に晒されているのに、助けに入ることもできない。

それがどれほど歯痒いか。

けれど、程度の差はあれど、アスナやサチも同様だった。

違うとすれば、それを真っ直ぐに表現する純粋さがあるかという部分。

そういう意味では、ストレアはあまりに純粋だった。

 

 

「っ…くそっ!!」

 

 

苛立ちを隠さずにシールドを殴りつけるキリト。

傷をつけることすら出来ないとしても、そうせずにはいられなかった。

 

 

「……お、おい、そこにいるのはキリトか!?」

 

 

入口の方からかけられる声。

ただならぬ状況と判断したのか、見知った様子で声をかけてくる赤が基調の装備に身を包んだ男性。

 

 

「クライン…」

 

 

そんな彼に、キリトが返事を返す。

呼ばれた男性…クラインもただ事ではない状況と悟ったか、キリトの近くに駆け寄り、シールドで分断された内部を見て息を呑む。

 

 

「あいつは…俺たちの仲間のシグレだ。罠にかかって分断されたんだ…この壁は破壊不能で、助けにも入れない…!」

「…見るからにやばそうじゃねぇか。このまま見殺しってことかよ…!」

 

 

なんてトラップだ、とクラインは苛立たしげに言う。

けれど思いついたように。

 

 

「そ、そうだ…転移結晶は!?」

「…あいつが気づいてないはずがないし、何より俺の転移結晶も反応がない…おそらく無効化エリアだ」

「くそ…ただ見てるしかないってのかよ!」

 

 

キリト達がどれだけ強かったとしても、それはプレイヤーとして。

当然ながらシステムの制限に抗うことはできない。

 

 

「…そうだ、ユイ!管理者権限があるユイなら…!」

 

 

ストレアの縋るような言葉に、ユイは首を横に振り。

 

 

「やろうとしたよ…だけど、このシールドは、最上位権限で複雑な暗号のロックがかかってる。これじゃいくら私の権限でも…」

 

 

出来なくはないが、時間がかかる。

何とかしようにも、この状況で彼が無事な間に助けられるか。

それほどまでに時間がかかるというのが、ユイの答えだった。

 

 

「…危ない!」

 

 

サチが声を上げる。

しかし、シグレには届かず、仮に届いていたとしても避けきれなかっただろう。

 

 

 

フロアボスが持つ大剣が、無情にもシグレの胸を貫き、剣先が背中から突き出していた。



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第85話:抗う者たちの戦い

貫いた剣が乱暴に引き抜かれ、シグレは力を失い、その場に崩れ落ちる。

受け身を取らずに落ちた事から、意識を失っていることは明らかだった。

 

 

「シグレえええぇぇぇぇぇっ!!!」

 

 

ストレアが叫び、アスナとサチは息を呑み、声が出せなくなる。

 

 

「くそっ!」

 

 

キリトは悔しさで吐き捨てる。

その次の瞬間、シールドはあっさりと消滅する。

カーディナルが目的を達成したから、だろうか。

消滅を確認すると、皆が一斉にシグレに駆け寄る。

 

 

「シグレ君…!」

 

 

駆け寄り、様子を確認するアスナ。

片腕を失い、気を失ったシグレのHPゲージは風前の灯といえるレベル。

彼女の表情が、絶望に染まる。

 

 

「そんな…!」

 

 

サチもまた、絶望を叩きつけられる。

あらゆる蘇生手段は機能しない。

初日に言われた事を覚えているからこそ、何も手を打てない。

 

 

「やだ、起きてよシグレ…死んじゃやだよ…!」

 

 

ストレアが必死に揺さぶる。

しかし、シグレは答えない。

どれだけ揺すっても、胸元に穴をあけられたシグレの体には、力が入らなかった。

 

 

「っ……」

 

 

キリトは皆を守るように、前に出る。

 

 

「…シグレと一緒に、下がっててくれ」

「キリト…?」

 

 

両の手に、片手剣を構えて。

 

 

「キリト、お前…剣を…両手で…!?」

「…ここは、俺が決める!」

 

 

両の手に片手剣を握るキリトに、クラインが驚くように言う。

しかしキリトはそれに答えず、ただ目の前の敵に一気に相手に距離を詰める。

 

 

 

二振りの剣を自在に操るキリト。

 

 

「はぁっ!!」

 

 

相手の一振りの大剣を抑えつつの一進一退の攻防。

とはいえ、シグレが戦う中で健闘したおかげか、相手のHPゲージは全体の半分程度まで減っていた。

 

 

「…スターバースト…ストリーム…!」

 

 

キリトがスキルの発動を宣言する。

それと同時に、キリトは二振りの剣を巧みに振るい、一気呵成に斬りつけていく。

敵のボスは対応しきれず、悲鳴を上げる。

 

 

「な、なんだあのスキルは…!」

 

 

1対1ではシグレと同じことになりかねないと懸念したクラインが加勢しようとしたが、キリトのスキルに圧倒され、その足を止める。

それほどまでに、今のキリトの力は圧倒的だった。

 

 

「…速く…!もっと速く……っ!」

 

 

滅多切り、という表現が似合うレベルでの高速で力強く、大胆で、かつ効果的な斬撃。

シグレの苦戦が嘘のような善戦。

ボスのHPがあとほんの僅かとなった所で、最後の足掻きと言わんばかりに大剣をキリトに振るうが。

 

 

「うあああぁぁぁぁっ!!!」

 

 

獣のような咆哮を上げながら、キリトが止めの一撃を放つ。

突き出した剣はボスを貫き、それでHPを完全に削られたボスは、光の粒となって消えた。

 

 

「はぁ、はぁ…っ」

 

 

キリトが肩で息をし、それでも何とか息を整える。

 

 

「パパ…!」

 

 

心配していたのか、ユイがキリトに近づき、キリトがユイの頭を撫でる。



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第86話:望まれぬ犠牲

犠牲者は…一人。

 

 

「シグレ…」

 

 

ストレアが犠牲者の名を呼ぶ。

HPは僅かに残っているが、ポーションを使おうにも気を失っている相手に飲ませる事などできないため、今は自然回復を待つのみだった。

それでも多少回復し、今はHPが1/3程度までは戻ってきている。

しかし、それでもシグレは目を覚ます気配がなかった。

 

 

「…何で、目を覚まさないの…?」

 

 

サチが不安げにシグレの頬を撫でる。

それで眉の一つも動かないあたり、本当に気を失っているのだろうというのが見て取れる。

 

 

「…転移門のアクティベートは…頼めるか?」

 

 

クラインが自分のギルド『風林火山』のメンバーに声をかけると、メンバーは異を唱えることなく、上の層への扉を上がっていった。

 

 

「……シグレ、だったか。落ち着いた所まで運ぶんだろ?手伝うぜ」

「あ、あぁ…悪いな」

「いいってことよ」

 

 

クラインの申し出にキリトが礼を言い、シグレを介抱しているストレアに近づき。

 

 

「…手伝いますよ、お嬢さん」

 

 

言いながら、シグレに手を伸ばすクラインだったが。

 

 

「…大丈夫。アタシが…運ぶから」

「いや、ンな事言っても…」

 

 

クラインが触れる前に抱き寄せるストレア。

とはいえ、いくら両手剣を振るう力のある彼女とは言え、女性が男性を一人抱えて歩くのはさすがに無理がある。

それでも譲らずに聞かない今のストレアは、子供のようにも見える。

 

 

「…いくらストレアさんでも、ちょっとそれは難しいんじゃ…」

「っ…」

 

 

それでもアスナに指摘され、やがて観念したかのようにシグレから手を放し。

 

 

「…お願い、します」

「おぉ」

 

 

ストレアがクラインに頼み、クラインがシグレを背負う。

体の力が抜けていて、遠慮なくシグレの体重がかかるが、さすがに余裕そうだったが。

 

 

「…あー、その…なんだ。ストレアさん?」

「…?」

 

 

クラインがストレアに声をかける。

 

 

「すみませんが、こいつの刀だけ…持ってやってくれませんか」

「っ…うん」

 

 

それはクラインなりの、ストレアへの気遣い。

それを分かっていたのか、ストレアは素直に応じ、鞘に納まったシグレの刀を外し、自分で抱える。

 

 

「んで、キリト…どこまで運べばいいんだ?」

「…22層にホームがあるんだ。着いてきてくれ」

「あいよ」

 

 

知った仲のキリトとクラインに続き、皆がその後に続き、ボス部屋を後にした。

 

 

「…ストレアさん。シグレ君は死んだわけじゃない…きっと目を覚ますから。信じて待とう?」

「……うん」

 

 

アスナが諭すように言うも、ストレアの表情は冴えない。

尤も、今その場には、冴えない表情ではない人物は一人もいなかったが。



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第87話:戦い続けた理由

22層。

今となっては、ギルドであればギルドホームと言って然るべき場所になりつつある、日当たりのいい小屋の一室。

その部屋で、シグレは皆の心配を他所に眠り続けていた。

クラインはシグレを運んだ後に、別行動していたギルドメンバーと合流するために去っていった。

 

 

「…」

 

 

一方、シグレを除く皆はシグレを休ませた部屋にはおらず、リビングに集まっていた。

静かに休ませてあげたい、というサチの提案だった。

それを一番嫌がったのはストレアで、最初は頑なに離れようとしなかったが、皆の説得で渋々、といった感じで連れ出した。

 

 

「…皆、聞いてくれるか?…前、シグレと話した時の事」

 

 

キリトがその重々しい空気を破る。

アスナ、サチ、ストレアの三人がキリトを見て、先を促す。

彼女らの視線を受け、キリトは言葉を続ける。

 

 

「俺…あいつに聞いたことあったんだ。あいつが戦う理由」

「……なんて、言ってたの?」

 

 

アスナが尋ねる。

事情を聞いたうえで、帰りを待つ者がいない、と本人の口から聞いた彼女が一番気にしていた部分だった。

それを知ってか知らずか、キリトは続ける。

 

 

「はっきり聞いたわけじゃないけど…あいつは多分……」

 

 

一瞬言葉を止める。

けれど、意を決したように。

 

 

「…多分、このアインクラッドのどこかで…死ぬつもりだったみたいなんだ」

「っ…」

 

 

キリトの言葉に、サチは息を呑む。

誰もが死なないために戦ったり、街で安全に過ごしたりしている事を考えれば、普通ではない目的。

無理もない反応といえる。

 

 

「…アタシじゃ、シグレの生きる意味には…なれないのかな」

 

 

ストレアが落ち込みながら言う。

シグレと共に戦った時間がおそらく一番長く、彼に一番の信頼を寄せる彼女にとっては、それが何より辛かったのかもしれない。

 

 

「アタシがAIじゃなくて、人だったら……!」

「…ストレアさん」

 

 

思考のドツボに嵌り、自分を追い詰めていくストレアをアスナが止める。

 

 

「ストレアさんだけのせいじゃない。私だって…貴女と同じで守りたいと思ってたのに、こうなってしまった」

「…私も、彼と一緒にいるためにここまで頑張ってきたつもりだったけど…ダメだったから」

 

 

今にも泣き出しそうなストレアをアスナとサチが慰めるように言う。

 

 

「う、ぅ…シグレ…シグレぇ……!」

 

 

けれど、二人の慰めも空しく、ストレアは最悪の結末を想像してついには泣き出してしまう。

それほどまでに、彼女の中ではシグレの存在が大きくなっていた。

 

 

「…本当に、馬鹿だよなあいつ。こんなに想ってくれる人がいるってことも気づかないで…!」

 

 

キリトがそんな彼女らの様子を見ながら、今ここにいないシグレに苛立ちをぶつけるように言う。

 

 

「…ひょっとしたら、あの人が目を覚まさないのは、それが理由かもしれません」

「ユイ…?」

 

 

思いつめた空気を打ち破るように話し出したのはユイ。

そんな彼女に、キリトが彼女の名を呼ぶ。

 

 

「このソードアートオンラインはある意味で、精神世界ですから…心の強さが、その人の強さになる事も」

 

 

例えばここにいる皆が生きてここから脱出する、という想い。

現に、その反対の感情…すなわち、絶望などの負の感情を目の当たりにしたユイはエラーを蓄積してしまう、といった障害を起こしている。

 

 

「…だから、シグレさんがそう思っていたとしても。死を望んでいたとしても…それより強い想いがあの人に届けば…目を覚ますかも」

 

 

ユイの言ったことは、明らかに精神論。

現実主義者であれば、一笑に付すような話。

けれど、縋るものもない彼らにとって、希望を見出すにはあまりに十分な理由だった。



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第88話:好敵手(とも)として / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

ユイの話が終わってから、重い空気を変えるため、また、気分転換も兼ねて、一度解散することになった。

 

 

「はっ!……せいっ!」

 

 

キリトは小屋の外で、木刀で素振りを行っていた。

その様子を、ユイはじっと見守っていた。

 

 

「…それって、剣道…ですか?」

「あぁ。ただ暫くやってないから…型なんてすっかり忘れちまってるけどな」

 

 

ユイの言葉に、キリトは答える。

けれどユイから見れば、非常に丁寧な素振りにも見えていた。

 

 

「……俺、一回あいつと決闘して…その時、負けちゃったんだ」

「パパが…ですか?」

「あぁ。だから今度は…勝ちたい。負けっぱなしじゃ…終わりたくないんだ」

 

 

ユイに答えながら、素振りを続けるキリト。

キリト自身、剣道に夢中になるのは何年ぶりだろうと思う。

まともに長続きしなくて、妹に負担を背負わせ、距離を作ることになってしまったそれに、仮想世界の中でのめりこんでいる。

 

 

「だから…とっとと目を覚ましてもらわないとな」

 

 

言いつつ、素振りを続けるキリト。

目を閉じながらの素振り。

キリトの視界は暗いが、彼の目の前には、シグレがいた。

 

 

「……」

 

 

かつて、一度だけ決闘をした時の印象による幻想であるが、キリトにとっては練習相手として申し分がなかった。

木刀を構える自分と対峙するシグレ。

その隙の無さは、うかつに踏み込ませない威圧感のようなものを感じる。

 

 

「…はあぁぁっ!!」

 

 

目を開き、剣を振りながらの踏み込み。

剣道で、面を打つように。

けれど。

 

 

「…ダメだな。こんなんじゃ、あいつには勝てない…!」

 

 

言いながら、再度素振りを始めるキリト。

この世界で、素振りをする事自体に意味があるかは、キリト自身半信半疑な部分があったが。

 

 

「…はっ…せいっ!」

 

 

不思議と、素振りをやめようという気がしなかった。

シグレに勝ちたい。

剣士として、シグレを超えたい。

 

 

「きっと…あいつと知り合ってれば、剣道…続けられたかもなぁ」

 

 

そう、キリトは呟く。

そうすれば、自分が剣道を続けて、妹は年頃の女の子のようになれていたのだろうか。

意味のない仮定だが、何となく考えてしまう。

 

 

「あの人は、パパにとっての…目標なんですね」

「目標?……うん、そうかもな」

 

 

ユイに言われ、少し考えて、キリトは頷く。

目標…間違ってない気がする。

超えたいと思う一方で、越えられないような強さを持っていてほしいという矛盾。

けれど、別に嫌いではないし、嫌でもない。

できることなら、現実に戻っても友人でいられたら。

キリトはぼんやりと、そんな事を考えていた。

 

 

「…早く目を覚ませよ、シグレ」

 

 

今も眠り続けるシグレに言うように、空を見上げながらキリトは呟いた。

 

 

 

*** Side Kirito End ***



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第89話:砕かれた決意 / Strea

*** Side Strea ***

 

 

 

宛てもなく一人、22層の森の中をぼんやりと歩き続ける。

何かをするわけでもない。

本当なら、シグレの傍で、目を覚ますのを待ちながら看病をしたいと思っていた。

 

 

「…気分転換、かぁ」

 

 

ぼんやりと空を見上げる。

森の中ということもあり、木の葉の隙間からほんのりと陽の光が差す程度。

きっといつもなら、この気候を楽しむ事ができたのだろう。

けれど今は。

 

 

「ん…」

 

 

そのような気が微塵も起きない。

近くの木の根元に腰を下ろし、手に持っていたシグレの刀を抱きしめる。

頬に当たる刀の感触は、その持ち主とは全く違った。

 

 

「冷たい…」

 

 

無機物だからだろうか、ひんやりとしていた。

ストレアは普段両手剣を振るっているが、あれから刀を手放そうとは全く思わない。

 

 

「…冷たいよ、シグレ……」

 

 

肩が震える。

暖かいはずなのに、寒いとすら感じる。

装備のせいだろうか。

かといって、厚着をしようとは思わない。

 

 

「アタシ、シグレを…守れなかった…っ」

 

 

守ると、決めたのに。

それができないほどに、弱い、と思い知らされた。

戦いの強さにおいても、心の強さにおいても。

 

…戦いの強さがあれば、あの時シグレを一人で戦わせることもなかったかもしれない。

 

…心の強さがあれば、今こうして、まるで全身が氷の中にあるような冷たさを感じることもなかったかもしれない。

 

 

幻影の死神、なんて呼ばれるシグレだが、アタシにとっては英雄だった。

無茶苦茶な方法とはいえ、消滅の危機から救ってくれた。

たったそれだけ、と言われればそれだけである事は間違いない。

けれど、そのおかげで今、ここにいる。

それが全てだった。

そんな彼が、自分の弱さが原因で、いつ覚めるともわからない眠りについている。

 

 

「…ごめん、ごめんね…シグレぇ……!」

 

 

それを皆…アスナ達に言えば、貴女のせいじゃない、と言ってくれるかもしれない。

それとも逆に責められるだろうか。

人の心に寄り添うメンタルヘルス・カウンセリングプログラム試作二号。

尤も今は、その権限を外されているが、機能全てを失ったわけではない。

 

 

忘れたわけではないが、今シグレは眠っているだけで、死んでしまったわけではない。

それでもいつ目を覚ますか分からないという不安。

それが募り、最悪の結末への道筋を想定してしまう。

 

 

無意識に、鞘に納められた刀を強く抱きしめる。

意味などなくても、せめて、そこにシグレがいると思いたくて。

鞘に納まっているとはいえ、抱きしめた刀が、少しだけ痛い。

けれど、今はそんな痛みにすら縋りたいと考えてしまう。

 

 

「ん……」

 

 

最初は、恐怖や不安という負の感情に襲われるでもないのに無茶な事をする彼のカウンセリングの為だった。

それこそが、アタシやユイの存在意義。

…ねぇ、アタシはアナタの役に立ててる?

それとも、足を引っ張っただけだった?

アナタは溜息ばっかりだったけど、時々笑ってくれてたよね。

アナタの事が好きだって思い始めてから、アナタがいないだけで、アタシはこんなにも弱くなっちゃう。

 

 

「これじゃあ、アタシがカウンセリングされる側だね…」

 

 

迷惑だと思われてもいい。

アタシの為っていう理由でもいいから。

早く目を覚ましてよ…シグレ。

 

 

 

*** Side Strea End ***



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第90話:信じて、待つ / Asuna

*** Side Asuna ***

 

 

 

「…そんな事があったのね」

 

 

アスナは一人、彼女の親友であるリズベットの武具店に来ていた。

名目上は武器のメンテナンスだが、彼女の武器はそれほど傷んでいなかった。

そんな中、一人で来た事を揶揄うリズベットだったが、事情を聞き、神妙な感じになってしまう。

 

 

「…ごめんね。そんなことがあったなんて知らなくて、私…」

「ううん、いいの…シグレ君は死んじゃったわけじゃないし」

 

 

リズベットは謝るが、アスナは笑顔で。

その笑顔も、親友である彼女だから分かるのか、無理した笑顔だと察していた。

だからこそ。

 

 

「…あんまり我慢しなくていいんじゃない?」

「え?」

「平気なつもりなのかもしれないけど…無理してるの、バレバレよ?」

 

 

リズベットに言われ、アスナは作っていた笑顔を崩す。

 

 

「…今の私があるのは、シグレ君のおかげだって…だから、私…」

「うん…」

「あのままだったら死んでた私を、助けてくれた…あの人を、助けたいって…思ってたのに…!」

「うん…」

 

 

感情が溢れたのか、涙を流して想いを吐露するアスナをそっとリズベットが抱きしめ、彼女の頭を撫でる。

そうするのが最善か、なんてリズベットにさえも分かっていない。

でも、そうしないと、アスナが壊れてしまいそうに見えて。

 

 

「目の前で、シグレ君があんな目に遭うのを見せられて、何もできなくてぇ…!」

 

 

手が届く距離にありながら、何も出来ない。

それは果たして、どれだけ精神的にきついだろう。

きっとそれは、想像を絶する。

 

 

「…私こそ、ごめんね…アスナが辛い思いをしてるのは分かってるけど、こんな事しかしてあげられない…」

 

 

いくら親友とはいえ、こういう時にどうしたらいいか、なんて答えは持ち合わせていなかった。

こんな時に何もできないで、何が親友か、とリズベットも自身を責める。

だからこそ。

 

 

「…だから、シグレが目を覚ましたら、絶対に連れてきなさいよ。親友を泣かせた罰として、一発殴ってやらなきゃ…気が済まないわ」

 

 

いつも通りの調子で接することしか選択肢がなかった。

けれど、アスナにとってはそれが励ましになったのか。

 

 

「…もう、リズったら」

「あら、一発じゃ足らない?どうせここ圏内だから、何発殴っても死にはしないわよ?」

「ふふ…」

 

 

それがアスナのツボに嵌ったのだろうか、肩を震わせて笑い出すアスナ。

 

 

「…いっそ、決闘でっていうのは…どう?」

「私があいつと?一発も食らわせられずに負けるわよ。あいつフロアボスを一人で撃破できるんでしょ?」

 

 

逆にこっちが死ぬわ、とリズベットが笑う。

そんな事を言ってるとアスナがだいぶ調子を戻したのか、リズベットから離れ。

 

 

「…じゃ、私が鍛えてあげるから。ばっちり強くなってね?」

「ちょ…アスナ、本気?」

「私の代わりに一発、殴ってくれるんでしょ?」

 

 

頬に涙の跡を残しながらいい笑顔で言うアスナにリズベットは苦笑しか出ない。

こりゃ藪蛇だったかなぁ、等とリズベットは考えていたが、目の前の親友の笑顔に、まぁいいか、とも思っていた。

 

 

「じゃあまずは…私から一本取ってみてね?」

「無理に決まってるでしょ!?」

 

 

 

*** Side Asuna End ***



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第91話:今、強くあれるのは / Sachi

*** Side Sachi ***

 

 

 

サチは一人、27層の主街区にいた。

 

 

「…」

 

 

トラップにかかり、ギルド全滅の危機に陥った迷宮区がある層。

私達のギルドにとっての悪夢の層。

とはいえ、あれからシグレ達と行動するようになり、このあたりの層であれば楽に攻略できるであろう力をつけている。

 

 

「…もう一回、あそこに行けば…シグレの辛さ…分かるかな」

 

 

ぼんやり呟く。

けれど、足は動かない。

足がすくんでいた。

理由なんて、分かっている。

…怖いんだ。

 

 

「駄目だなぁ、私…」

 

 

シグレはこの臆病さを忘れるなって、言ってた。

けど、シグレみたいに、無茶な敵を相手にしても立ち向かえる強さが欲しい。

シグレ…貴方はどうやって、あそこまでの強さを手に入れたの?

貴方はどうして強い敵に屈することなく、気高くあり続けることが出来るの?

ぼんやりと、眠り続けるシグレを思う。

一度、彼がまだ月夜の黒猫団の一員だった時、聞こうとしたこともあったけれど、その時は聞けなかった。

今考えれば、上手くはぐらかされてしまったなぁ、と思う。

そこまで考え。

 

 

「っ…だめだめ、こんな事考えちゃ…!シグレは死んじゃったわけじゃないんだから…」

 

 

弱気な考えを振り払う。

この前聞いた、シグレの過去。

それは、少なくとも私にとっては壮絶なものだった。

家族も、住む場所も失くし、なんとか生活できている、という程度。

そういう意味では、きっと私は恵まれている。

家族も、家も、ある。

そんな私には、きっと彼の辛さを理解することはできないだろう。

けれど、それでも。

 

 

「…」

 

 

私は、彼の支えになりたいから。

だからせめて、強くなりたい。

…だから、私は一歩を踏み出す。

 

 

 

そうして、フィールドに出る。

 

 

「せいっ!」

 

 

今の私なら、この辺りのモンスターは一撃で倒せる。

黒猫団でシグレと出会って。

彼がいなくなってから、キリト達と出会って。

その出会いが、今の私の強さを作っている。

皆と出会うことがなかったら、きっと私は弱いままで、フィールドに出ることすら怖くて。

この世界から逃げ出したくて、一人、自分を殺してしまっていたかもしれない。

 

 

「やぁっ!」

 

 

でも、今。

私はこうして、戦っている。

戦えている。

それはきっと、いや、絶対にシグレのおかげだと、胸を張って言える。

技術的な意味での、戦いの強さ。

そして、大切なものを守るために戦うという意味の、心の強さ。

シグレはきっと、その両方を持っている。

けれど、何故だろう。

同時に、シグレに感じる、彼の脆さ。

一部を崩されてしまったら、そこからすべてが崩れてしまうのでは、と思わせるほどの何か。

 

 

「……」

 

 

武器を納め、街に戻る。

初めは陰鬱な気分を払うための狩りのつもりだったが、意味がなかった。

心配ばかりが募る。

いくら戦えるとはいっても、こんな気持ちで戦ってはいけない。

きっと、シグレならそう言うだろう。

 

 

「…」

 

 

どうか、無事に目を覚まして欲しい。

そう、仮想の月に祈りながら、私は街に戻る。

 

 

 

 

*** Side Sachi End ***



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第92話:目覚め

ある朝。

 

 

「ぅ……」

 

 

シグレは差し込んでくる光に刺激され、目を覚ます。

無意識に、左手の甲を目元にやり、光を遮る。

 

 

「……?俺は、あの時…」

 

 

74層の戦いで、左手は落とされたはず、と疑問が湧く。

というより、それ以前に自分はなぜこの22層の家で寝ているのかが疑問だった。

両の手をベッドにつき、上半身を起こす。

 

 

「…」

 

 

いまいち目が冴えない。

寝ていたからだろうか、眠気が抜けきっていないのだろう、とシグレは考える。

74層での戦いを思い出しつつ。

 

 

「…?」

 

 

刀がないことに気づく。

あの戦いで修復不可能な破損をしたのだろうか。

自分の胸を貫かれて以降の事を覚えていないので、どうしようもなかったのだが。

 

 

そんな事を考えていると、部屋の扉が開く。

扉を開けた主は、まだシグレが目を覚ましていないと思っていたのだろう。

そうして入ってきたのは。

 

 

「…ストレア?」

「え……?」

 

 

ストレアだった。

けれどいつもの明るい様子はなりを潜め、それどころか目に生気が感じられない。

本当に同一人物かと、シグレですら疑いたくなるレベルの変わりようだった。

だからこそ、疑問形で名前を呼んだのだが、呼ばれた方は、期待していた、けれど今聞けるとは思わなかった声にハッと顔を上げ。

 

 

「シグレ……?」

 

 

刀を抱えたまま、シグレが目を覚ました姿を認識し、肩を震わせる。

そんな彼女が、衝動のままに動き出すまで時間はかからず。

 

 

「…シグレっ!」

 

 

シグレの刀を床に落とし、それには目もくれずに、家の中であることも気にしないかのようにシグレに一直線に駆け寄り、そのままの勢いで抱き着く。

 

 

「ぐっ…」

 

 

突然の事もあり、ベッドに仰向けに押し戻されてしまい、変な声が出るシグレだったが、ストレアは止まらない。

 

 

「シグレ…シグレぇ…良かった…良かったぁ……!!」

「…世話をかけたな」

「うぅ…」

 

 

ストレアを宥めるように両手を彼女の背に回し、軽く背を叩く。

宥める目的以外にも。

 

 

「……それはそうと、少し苦し…」

「っ…」

 

 

折角目が覚めても、今度は別の理由で気を失うのではと懸念したシグレが離れるように言おうとするが、ストレアは離れるどころか、むしろ力を強めてきていた。

さすがに普段の鎧装備は外しており、私服だったので痛みこそないのだが、肩を震わせながら抱き着いてくるストレアに本気で抵抗できず、されるがまま。

 

 

「シグレ…!」

 

 

遠慮なく体を押し付けてくるストレアだが、今のストレアの様子から突き放すという選択肢もなく、シグレは抵抗せず、されるがままでいたのだった。

それからどれくらい経っただろうか、戻ってこないストレアが気になったのか。

 

 

「…ストレア?」

 

 

キリトが顔を出す。

押し倒される体勢のためか、まだ眠っていると思ったのだろう、シグレに声をかけずに部屋に入ってきて。

 

 

「…シグレ、目が覚めたのか!?」

 

 

近くに来て、ようやく気付く、といった感じだった。

 

 

「そろそろ起きたいとは思うんだが…な」

 

 

やれやれ、といった感じのシグレ。

どうしたものか、とは思いつつ、今の状態のままキリトに話を聞くことにした。

とはいっても、特に何があったわけでもない。

ただ、74層での出来事から一週間が経っていた事。

その間は皆がここで、休息という名目でここで過ごしていたという事。

そんな中、皆が気落ちしていたが、ストレアの落ち込みようが一番酷かったという事。

 

 

「…そんなわけだからまぁ…それは、自業自得って事で。俺は皆にシグレが目を覚ましたことを伝えてくるよ」

 

 

苦笑しながらキリトは部屋を出ていく。

それから少ししてアスナとサチの突撃に遭い、シグレが更にもみくちゃにされるのだが、それはまた、別の話。



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第93話:護るものの決意

その後、シグレはようやくといったところでベッドから降り、久しぶりに地に足をつく。

 

 

「…外の空気も久しぶり、といったところか」

「うん、そうだねー」

 

 

あれから、ストレアが預かっていた刀を受け取り、装備をする。

今は22層の森の中を、特に目的もなく歩き続けていた。

 

 

シグレが目を覚ましてすぐ、皆でこれからについて話し合ったのだが。

 

 

「…それで、どうする。75層は開通したのなら…攻略に戻っても構わないが…」

「いや、お前は少し休め…本気で。病み上がりで最前線とか、それこそ自殺行為だろ」

 

 

シグレが言うが、キリトに反対意見を出される。

早い話、少し調子が戻るまでゆっくり過ごせということらしい。

VRでリハビリというのは必要なのか、シグレは若干疑問だったのだが。

 

 

「私もキリト君に賛成かな。シグレ君、ずっと寝てたわけだし…勘も鈍ってるだろうし」

「そう、だね。ちょっと…そういう意味だと、私も心配…かな」

 

 

アスナとサチにも反対意見を言われ、ストレアは言わずもがな。

そうなれば多数決でシグレが折れるしかないわけで。

 

 

「…分かった。今は少し休む」

 

 

実際、74層でボスに殺されかけた手前、反論の余地がなかった。

溜息を吐くシグレ。

そんなわけで、とりあえず、休息を兼ねて外を歩くか、と考えたわけだったのだが。

 

 

「…散歩ぐらい一人でもいいんだが」

「いいの。アタシが一緒にいたかったんだから」

 

 

すっかりルンルン気分のストレアにやれやれ、といった感じのシグレ。

話を聞いてシグレからは全く想像がつかないが、今のような明るさが嘘のように落ち込んでいたというストレア。

一人でもよかったのだが、腕に抱きつかれ、全く離れる様子がない。

 

 

「やっぱり…暖かい」

「…?まぁ今日はいい気候だが」

「もう、そういうことじゃないよー」

 

 

言いながら、あっ、と視線を前に向けるストレア。

 

 

「あっちの湖行ってみよ?早く早く!」

「お、おい…」

 

 

ストレアに引っ張られ、バランスを崩しそうになるがなんとかついていくシグレ。

そこまで距離があったわけでもないので、すぐに着いたのだが。

 

 

「こんなに奇麗な所だったんだ…知らなかったなぁ」

「…知らなかったのか?」

 

 

人は少ないが、それでも目につきにくい木陰に入り、二人並んで視線は湖の方へ。

感慨深げに言うストレアに、疑問を投げかけるシグレ。

ストレアはその疑問に、うん、と小さく頷き。

 

 

「シグレが起きる前は…そんな事考える余裕がなくて」

「…そうか」

 

 

家を出てから、片時も離れようとしないストレア。

 

 

「……正直、ここから先攻略を続けたら、何が起こるかアタシにも分からない」

「そうか」

「だから…本当はシグレには前線に立ってほしくないって、止まってほしいって……そう思ってるんだ」

 

 

どこか辛そうな笑み。

しかし。

 

 

「なら…尚の事、先に進まねばなるまい」

 

 

シグレは真剣にそう返す。

 

 

「それは…死にたいから?」

「どうして…いや、キリトか」

「……」

 

 

ストレアの返しにシグレは溜息。

 

 

「もしそんなだったら、アナタの事、全力で止めるけど?」

「安心しろ。そういう目的ではない」

 

 

ストレアの言葉にシグレはあっさり返す。

実際、目的は攻略であり、嘘は言っていない。

あの戦いで、その目的を悟ってはいたが、今すぐである必要はない、とは考えていた。

 

 

「…うん、信じられない!」

「おい」

「だから、これからもついていって、しっかり見張るから、覚悟してね?」

 

 

笑顔ではっきり言われ、一瞬言葉を失うが、よくよく考えれば結局何かが変わるわけでもない。

それにすっかり慣れた自分に笑いながら、分かった、と返すシグレだった。



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第94話:束の間の平穏

そんなこともあり、夕方。

 

 

「ただいま戻りましたー!」

「おかえりなさい、ストレア」

「今日は楽しかった?」

「うん!」

 

 

ストレアの元気な挨拶に笑顔で返すアスナ。

サチもストレアの元気な様子に、安心と微笑ましさが垣間見える笑みを浮かべている。

その様子がまるで家族のように見えたのだが、何も言わずにその様子を見て、軽く笑みを零す。

 

 

「…どうした?」

「いや…微笑ましい、といえばいいのか?」

「ん?あぁ…そうだな」

 

 

キリトが笑みの理由を尋ね、帰ってきたシグレの答えに納得する。

皆が皆武装を解除し、私服姿で過ごしている様子は、現実と遜色ない。

それは彼女らに限らず、キリトとシグレも同様だった。

 

 

「…あの光景、守りたいな」

「……そうだな」

 

 

キリトの言葉にシグレは同意で返す。

 

 

「キリト。少し…付き合え」

「なんだ?」

「…手合わせだ。実戦の勘を取り戻さないとな」

「なるほど……いいぜ。俺だって負けっぱなしでいられないと思って、素振りしてたんだ…成果を見せてやる」

「なかなか辛いリハビリになりそうだな」

 

 

シグレはキリトに訓練を持ち掛ける。

キリトの同意を確認するとシグレは木刀を二本取り出し、一本をキリトに渡す。

キリトもそれを受け取り、外に出る。

 

 

 

そんなこんなで、家の近くで気が邪魔にならない程度の場所。

 

 

「…ルールはどうする」

「前と同じで行こうぜ。初撃決着だ」

「分かった」

 

 

シグレが決闘の申請を出し、キリトが確認する。

カウントダウンが始まる。

 

 

「今度は、負けないぞ?」

「当然だな。俺は病み上がりだ…そんな俺に負けるようでは話になるまい?」

「…やれやれ、ハードルを上げてくれるなよ」

 

 

まるで決闘の直前とも思えぬ親しげな会話。

しかし二人は木刀を構え、互いから目を逸らさない。

カウント、残り10秒。

 

 

「それを言うならお前こそ、ボスを単独撃破する実力…きっちり見せてくれよ?」

「……いいだろう。全力で行く…その代わり」

 

 

そうして、カウントが0になる瞬間。

 

 

「後悔するなよ?」

 

 

シグレの声が聞こえたと思った瞬間、目の前からシグレの姿が、文字通り消えた。

それは比喩でもなんでもなく、キリトの目の前からシグレの姿が消えた。

そこにあるのは、シグレが移動する際に踏み込んだのか、揺れる草があるだけ。

 

 

「っ!?」

 

 

驚きながらもキリトは背後に気配を感じ、木刀を構えて背後に振り返る。

そこにはキリトの眼前に迫り、木刀を横薙ぎにする構えのシグレ。

普段のシグレとはまるで別人のような、本気で殺しにかかってくるような威圧感。

 

 

「ぐっ…!」

 

 

息も乱さずに、正確に首元を狙ったシグレの横薙ぎ。

キリトには、それが、シグレについた『幻影の死神』の二つ名の事もあり、死神が振り下ろす鎌のように見えた。

気を抜けば、狩られる、と意識しながらも、シグレの攻撃を咄嗟に木刀で止める。

けれど、シグレは止められることも分かっていたかのように、鍔迫り合いをせずにすぐに後ろに跳ぶ。

 

 

「くそ…っ」

 

 

シグレはキリトに反撃を許さず、攻撃をしては距離を取り、を繰り返していた。

その間も、単に横薙ぎを繰り出すだけでなく、袈裟型に切り払ったり、突きの攻撃だったりバリエーションに富んでいた。

それだけに限らず、シグレの動きは落ちることなく、目に留まらぬ速さで、キリトの眼前、側面、背後、四方八方から攻める。

キリトにとっての幸運は、それらの一撃が彼にとってそれほど重い攻撃ではなかったということ。

だからこそ、キリトは持ち前の反応速度でシグレの攻撃を上手く防いでいた。

初激決着なので、一撃もらえば負けとなる。

だからこそ、キリトは防御の手を緩められない。

しかしそれが、キリトが攻撃に転じられない理由になってしまっていた。

 

 

「…このままじゃ、負ける…っ!」

 

 

端的に言ってしまえば、今のキリトはシグレに打たせ放題の状態。

だとすれば、一瞬の隙が負けに繋がるとキリトは直感的に悟る。

この状況を打開するために、キリトは一つの勝負に出ることにした。

…必ず、もう一度チャンスが来る。

その瞬間を、逃しさえしなければ。

シグレの高速な攻撃を凌ぎながら、キリトはシグレの斬撃に集中する。

 

 

「……」

 

 

一方のシグレは、攻めながら、キリトの目が変わった事に気づく。

シグレの斬撃を防ぐ事を諦めたわけではないことは、分かる。

それとは別に、何かを狙っている、と。

シグレ自身、キリトのその反応速度は恐ろしいものがあると感じていた。

少なくともここまでの攻撃を繰り返し、ただの一度も決定打にならなかったことは、彼が今まで戦ってきた中で初めてのことだった。

その為か、シグレの中では、若干の焦りが見えていた。

 

 

「ちっ…!」

 

 

その焦りを舌打ちに変えながら、シグレは木刀を振り下ろす。

 

 

「…そこっ!」

 

 

けれどキリトはその斬撃を待っていたといわんばかりに、自分の木刀を下から切り上げ、振り下ろされた木刀にぶつける。

これまでの打ち合いで、単純な力ではシグレより上だと考えていたキリトは、それで上手くいくという確信があった。

 

 

「っ…!?」

 

 

結果として、シグレは木刀を弾き飛ばされてしまう。

剣を失ったシグレの眼前に、木刀の切っ先を向けるキリト。

 

 

「…俺の勝ち、だな?」

「……そのようだな」

 

 

キリトの言葉にシグレが溜息を吐き、降参を認め、決着がついたのだった。



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第95話:当たり前という名の憧れ

決着し、木刀を納め。

 

 

「…いい反応速度だったな」

「それを言うならシグレこそ、あそこまで速いとは思わなかったよ」

「それで決着を急いだのが、敗因だったな」

 

 

会話を交わしながら、敗因を分析するシグレ。

この様子じゃ、次も同じようにはいかないかな、などと考えるキリト。

 

 

そんな会話をしながら、家に戻ると。

 

 

「シーグーレー君?病み上がりで何してるのかな?」

「……」

 

 

玄関前で腕を組み、仁王立ちしながらいい笑顔なアスナ。

シグレは直感的にまずいと察し、何も言わない。

 

 

「もう…無茶して!キリト君も、シグレ君は病み上がりなんだから、無茶させちゃダメじゃない!」

「…おい、シグレのせいで俺まで怒られたぞ」

 

 

キリトに言われ、シグレはいよいよ言葉を失う。

 

 

「…この世界は、病み上がりどうこうでペナルティがあるのか?」

「いや、特になかったと思う、けど…」

 

 

それを言えば、心配と怒りが織り交ざったアスナに更に何か言われると思っていた二人は。

 

 

「「…すみませんでした」」

 

 

ただ、声を揃えて謝ることしかできなかった。

 

 

「…大丈夫なの?」

「……問題ない。何より攻略に戻るなら、勘を早く戻す必要があるだろう」

「それは…そうかもしれないけど、心配…するわよ」

 

 

アスナの心配からくる言葉は止まらず。

 

 

「確かに攻略を進める事は大事だと思うけど…無茶は、やめて」

「…」

 

 

無茶ではない、と反論しようとしたシグレだが、アスナの必死な訴えにシグレは言葉を止める。

 

 

「……さ、ご飯にしましょ、二人とも」

「あぁ」

「…さすがに疲れたな」

 

 

アスナの言葉に、シグレが頷き、キリトが肩を回しながらぼやく。

そうして皆で家に入り。

 

 

「お疲れ様、シグレ」

 

 

サチに声を掛けられ、シグレはあぁ、と頷きながら、サチの隣の椅子に腰かける。

キリトほど表に出ないとはいえ疲れがあったのか、シグレは椅子に座りながら軽く溜息。

 

 

「じゃあ、食べましょうか」

 

 

と、言いながら、シグレの空いている方の隣に腰掛けるアスナ。

一方でキリトはというと。

 

 

「パパ、かっこよかったです!」

「そうかー、ありがとなユイ」

 

 

ユイの賛辞を受けながら、彼女の頭を撫でるキリト。

今のキリトが現実の姿と同じであるということから、現実で娘がいるようには見えなかったが。

 

 

「本当の父と娘だな、まるで」

 

 

シグレが呟く。

暖かい家で、家族と呼べる存在と一緒に食事を摂る。

それはおそらく、ここにいる皆、シグレ以外にとっては当たり前の光景なのだろう。

 

 

「シグレ君…」

 

 

事情を知っているからか、どこか辛そうにアスナがシグレを見る。

しかし当のシグレは気にする様子もなく。

 

 

「…どうした?」

 

 

名を呼ばれ、訪ね返すシグレ。

気にしていないのか、それとも押し殺しているのかはアスナには分からなかったが。

 

 

「…ううん、何でもない。食べよっか」

 

 

アスナはそう返すことしかできなかった。



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第96話:戦う理由

食事は平和に終わり、とはいっても寝るには早すぎる時間。

 

 

「……」

 

 

そんな中シグレは一人、暇を持て余していた。

キリトは眠ったユイの世話をしつつ、自分も眠気が来ているようで、今にも寝そうな感じでソファに腰かけている。

アスナとサチは食器の洗い物。

初めは手伝いを申し出たシグレだったが、そこまで人が入ると窮屈になり、逆に効率が悪くなるという理由で断られてしまう。

ストレアはストレアで散歩の疲れが出たのか、部屋に戻って休んでいるらしい。

これまで、自分の家を持たず、ただ攻略に明け暮れていたが、それがあってか、いざ暇ができるとどう過ごせばいいか分からない。

 

 

「…戻って休むか」

 

 

結局出した答えは、部屋に戻るという事だった。

とはいえ、戻ってする事があるわけでもない。

75層攻略に向けて、フィールドモンスター狩りを行う方法もあるだろうが、そうすれば戻った時に何を言われるか分かったものではない。

戻らなければいい、とも考えたが、そうなれば追いかけられ、更に強く言われそうな気がする。

先ほど、キリトとの決闘から戻った時のアスナの威圧感が、シグレを思い留まらせていた。

 

 

 

そうして部屋に戻ると、当然だが明かりもついていない。

けれど外から入る月明かりで部屋が照らされ、家具が淡く照らされている。

部屋の明かりのスイッチを入れると、昼間とはまた違った明るさで部屋が照らされる。

 

 

「…」

 

 

部屋を歩き、ベッドに腰掛ける。

そして、何をするでもなくぼんやりと、目を閉じる。

74層で、罠とはいえ、自分はリタイアしかけた。

けれど、幸運にも、まだ生きている。

生かそうとしてくれた者がいる。

 

 

「……本当に、物好きだな」

 

 

攻略の前線についてきて、共に戦い続けてきたストレア。

追いかけてきて、共に戦っているキリト、アスナ、サチ。

そんな皆を物好き、の一言で片づけるシグレ。

皆に聞かれれば、何かしら反論されるかもしれない。

しかし、少なくとも皆より自分の命を軽んじているシグレにとっては、その言葉以外にあてはまるものを知らない。

他に強いて言うなら、お人好し、という言葉ぐらいか、とシグレは思う。

 

 

「だが…それでも」

 

 

その物好きのおかげで、今自分は生きている。

ならば、ただ死ぬのではなく、その者達の為に。

それが、今の自分にできる、せめてもの。

 

 

「…そんな終わりなら、許されるだろうか」

 

 

誰に許しを請うのか、それはシグレにも分からない。

それは、シグレの言う、物好きか。

それとも、今この世にいないシグレの両親か。

あるいは、両方か、それ以外か。

答えは、シグレにも分からない。

そしてそれが、許される結末なのか、ということさえも、分からない。

 

 

「…そういえば、あいつは」

 

 

ストレアは全力で止める、と言っていたのを思い出す。

とはいえ、この暖かさが仮想世界、このゲームをクリアして終わるのなら。

クリアをして、何も得るものがない現実に戻るというのならせめて、それを望む者達を助ける形で終われれば。

 

 

「…いい、終わり方か」

 

 

少なくとも、シグレにとっては。

目を閉じ、考える。

…ここから先、どこまで共に居られるかは分からない。

だとしても、シグレは決意する。

彼らが現実に戻るために戦い続けるのなら、どんな形であれ、最後まで、戦い続けようと。

 

 

「俺を仲間だというのなら、せめてその仲間のために…」

 

 

この世界がクリアという形で終わるその時まで、その仲間の為に戦う。

その決意を知るものは、ただ一人もいない。



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第97話:戦いの気配

翌朝。

 

 

「……?」

 

 

キリトはユイと部屋でまだ寝ているのか起きてきておらず、サチはまだ部屋で支度をしているとの事。

女性はいろいろ大変なのだろう、とシグレはぼんやり考えていたが、ふと、家の外に数人の気配を感じる。

その様子に、そこにいたストレアとアスナがシグレに目を向ける。

 

 

「…どうしたの、シグレ君?」

「誰かが来たな…」

「ひょっとして…キリトの知り合いかな」

「いや…」

 

 

シグレが物々しい気配を感じ、何かを言おうとする前に、扉がノックされる。

こうなるだろうとわかっていた事もあり、シグレが席を立ち、応対に出ることにした。

 

 

 

そうして、二人に待つように伝え、扉を開けると、鎧を纏った兵士。

自身気に立つ一人が面に立ち、後に続く兵士が四人。

その様子を見るに、今目の前にいる男がリーダーだろうと察するシグレ。

 

 

「…朝早くに、何の用だ」

 

 

シグレが溜息交じりに尋ねると、男はそれを気にすることもなく。

 

 

「うむ、私はアインクラッド解放軍、コーバッツ中佐である。君達が74層のフロアボスを討伐したという話を聞き、交渉に伺った次第…ついては、諸君らのリーダーと話がしたい」

 

 

アインクラッド解放軍、という名前にシグレは警戒を強める。

というのも、ユイの件で第1層に行った際に徴税と称した恐喝をしていた事を思い出したからだった。

とはいえ、門前払いもどうかと考えるシグレは、コーバッツの言葉に少し考え、リーダーと言われ誰だろうかと考えキリトが浮かぶが。

 

 

「…リーダーというのは誰になるんだ?」

「さぁ?」

 

 

気になって来ていたストレアに尋ねると、彼女は疑問で返す。

一緒にいたアスナがストレアに続き。

 

 

「…一応、シグレ君を追いかけて集まってるわけだし、シグレ君でいいんじゃないかな?」

 

 

アスナの言葉にシグレは面倒そうな溜息を吐きながら。

 

 

「……ということらしい。用件を聞くが」

「うむ」

 

 

シグレがコーバッツに尋ね返すと、コーバッツは一つ頷き。

 

 

「用件は…攻略の実力を持つ貴殿らに、我等の傘下に入ってもらいたい!」

「…は?」

 

 

突然の言葉に、シグレは気の抜けた返事を返す。

ストレアとアスナも驚き半分、疑問半分といった感じだった。

 

 

「…攻略をしたければ、勝手にすればいい。少なくとも…こちらにそれを強制される謂れはない」

「貴様…ふざけているのか?我々は、一日でも早く全プレイヤーを解放するために日夜戦っているのだぞ!?」

「……で?」

 

 

熱が上がるコーバッツと、いたって平静なシグレ。

それが一層コーバッツを興奮させているのだが、シグレは気づいていない。

 

 

「故に!諸君らが力を持つのなら、攻略のために我々に力を貸すのは当然の義務であるはずだ!」

「っ…ちょっと!」

 

 

さすがに身勝手な物言いに、アスナが何かを言おうとするが、シグレがそれを片手で制する。

傍から見れば仲裁であるが。

 

 

「…少なくとも俺が攻略している間、アインクラッド解放軍、等という名前は聞いたことがないが」

「我々も戦っているとはいえ、現状戦力はぎりぎりだ。だからこその交渉なのだが」

「少し凄んで言えば誰でも自分の言うことを聞くと信じ切った上での威圧的な態度。それが交渉とは…な」

「貴様…!」

 

 

シグレがコーバッツを軽く睨みつけると、その威圧感に若干押され、コーバッツは一瞬怯む。

隊長格でさえそれなのだから、後ろにいる兵士がどうなるかといえば、立ち竦んでしまうのは無理もないのかもしれない。

けれど、シグレはその様子に溜息を一つ。

 

 

「…この程度で怯むようで攻略?笑わせるな…貴様らでは最前線はおろか、第一層ですらまともに倒せまい」

「我々を愚弄するか…小僧が!」

 

 

しかし、その溜息にいよいよ怒り心頭になったのか、コーバッツはウィンドウを操作し始める。

少ししてシグレの目の前に表示されたのは決闘の申請であった。

ルールは半減決着だった。

全損決着にしなかったあたりは多少冷静なのかもしれない、とシグレは思うが。

 

 

「…いいだろう」

 

 

シグレは申請を受理し、決闘が始まるのだった。



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第98話:死神と呼ばれる者の戦い方

それからしばらくしてキリト、ユイ、サチも揃い、全員でシグレとコーバッツの決闘を見守ることになったのだが。

 

 

「いくら貴様が憎らしいからといって殺す気はないからこそ半減決着としたが…本気で叩きのめしてくれる!」

 

 

剣と盾を構えながら、シグレに対し啖呵を切るコーバッツ。

一方のシグレも緋月を構え、カウントが0になるのを待つ。

 

 

「……やってみろ」

 

 

やがて、カウントが0になり、シグレが動く。

観戦をしていた皆のうち、キリトだけが知っているその動き。

けれどそれをコーバッツが知るはずもなく。

 

 

「っ!?」

 

 

コーバッツからすれば、突然目の前から消えた相手。

どこに行ったのか追い切れず狼狽え、すぐにシグレを探し、辺りを見回す。

そうして、やがて後ろに視線を向けると、シグレは既に眼前に迫っており、その刀がコーバッツの首元を捉えていた。

 

 

「ぐっ…!」

 

 

コーバッツが持っている盾を構えようとするが。

 

 

「…遅いな」

 

 

シグレが振るう刀が、コーバッツの首を捉え、その峰が彼の喉に打撃を与える。

 

 

「が、はぁっ!!」

 

 

喉への衝撃にコーバッツは息を吐き出す。

HPとしては1/4程度減ったのだが、コーバッツが受けたダメージは戦闘継続不能なほどに致命的で、蹲って息を整えようとする。

そんな彼の眼前に、シグレは刀の切っ先を向ける。

 

 

「…どうした。俺を本気で叩きのめすのではなかったのか?」

「は、ぁ…くっ…!」

 

 

まるで感情がないかのように言葉を投げるシグレに、コーバッツは悔し気に視線を向ける。

その手に握りしめる剣で、隙あらば目の前の男に反撃をしようと。

しかし、シグレに目を向けて、コーバッツは動きを止める。

 

 

「っ…!」

 

 

コーバッツもまた、戦いに身を置くものだからこそ、気づいてしまった。

シグレの放つ威圧感。

そして、彼が放つ視線、それがあまりに冷め切っていた事。

 

 

「…どうした」

 

 

その視線は、シグレの目の前にいるコーバッツを対戦相手どころか、プレイヤー…あるいは人としてではなく、モンスターと認識していると言わんばかり。

そう感じた、否、感じてしまったコーバッツは怯む。

少しでも動けば、敵意を見せようものなら、目の前の刀は自分の命を容赦なく刈り取るだろう。

それは、まるで。

 

 

「死神…!…そうか、貴様『幻影の死神』か!だから第一層のボスを知ったような口ぶりで…!」

「…」

 

 

コーバッツが声を上げるが、シグレは興味ない、と言わんばかりに剣の切っ先を喉にあてる。

切っ先が触れ、コーバッツに僅かながらダメージが与えられる。

 

 

「う、ううおおああぁぁぁっ!!」

 

 

このままでは、狩られると思ったコーバッツが自棄を起こしたように、剣を振り上げ、シグレに振り下ろそうとする。

しかし、シグレはやれやれ、といった感じで目を閉じ。

 

 

「……」

 

 

溜息交じりに、コーバッツの剣を弾き飛ばす。

重量的には明らかにシグレの刀の方が軽く見え、物理的にはシグレが押し負けそうなものだが。

弾き飛ばされた剣は宙を舞い。

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

後ろで観戦していた、コーバッツの連れの兵士の目の前に突き刺さり、兵士は腰を抜かす。

シグレはそちらに視線をくれることもなく、コーバッツの首元に剣をあて。

 

 

「…最後まで、戦意を失わなかったのは流石だが……それだけだな」

 

 

その一言を言い、シグレは刀を袈裟形に振り下ろす。

コーバッツの鎧に斜めの傷が入り。

 

 

「うああぁっ!」

 

 

コーバッツは弾き飛ばされ、HPが1/4にまで減らされ決着。

シグレはHPを減らすこともなく、完封だった。

決闘の決着表示を見届け。

 

 

「……」

 

 

シグレは刀を一度払い、それを鞘に納める。

その動作の間、シグレは無言であった。



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第99話:休息の終わり、戦いの始まり

やがて、アインクラッド解放軍を名乗る五人はその場を後に去っていく。

キリトこそ最近よく行う決闘で彼の威圧感を知ってこそいたが、コーバッツに向けられるそれが、その時の比ではなかった。

キリトでさえそうなのだから、決闘をしないアスナ、サチ、ストレア、ユイからすれば、嫌な意味で新鮮であった。

 

 

「…どうした?」

 

 

決闘を見守っていた皆にシグレが声をかける。

その様子は、先ほどまでのシグレとは違う、彼らの知るシグレだった。

 

 

「う、ううん…何でもない!さ、戻ろ?お腹すいたでしょ?」

 

 

気丈に振舞うアスナがシグレの右腕に抱き着き。

 

 

「…さっきのシグレ…すごかったね」

 

 

左腕にサチが抱き着く。

まるで、先ほどの別人のようなシグレを、今のシグレで上書きしようとせんばかりに。

シグレからすれば、どうしたのだろうと疑問符を浮かべるばかりだが。

 

 

「……そうなのか?キリトとの決闘と同じくらいだと思っていたが」

 

 

キリトに尋ねれば、返ってくるのは苦笑のみ。

それにいよいよ訳が分からない、と言わんばかりのシグレだったが。

 

 

「そんなことないよー、今のシグレ、ちょっと怖かったよ?」

「…そうか」

 

 

言いながら、背中から抱き着いてくるストレアにバランスを崩しながらも支えるシグレ。

 

 

「だって…あんな言い方されたら、アタシだってシグレみたいにやっちゃってたかもしれないし」

 

 

ストレアの言葉に、アスナやサチも一瞬考える。

あそこまでの殺気を纏って、とはいわずとも、コーバッツに対していい感情を抱くことはなかっただろうと考えると、ストレアの言うことも分かる。

 

 

「だから、アタシ達の代わりに怒ってくれて、ありがとね、シグレ?」

「…随分ご都合解釈だな」

「いいの、アタシがそう思ってるんだからー」

 

 

ストレアの感謝の言葉に皮肉で返すシグレ。

ストレアはそんな返しに頬を膨らませるが、本気で怒っているわけでもないようですぐに笑顔に戻る。

 

 

「えへへー」

 

 

ぐいっと、体を惜しげもなく押し付けるストレア。

そうすることで彼女の豊満な胸が押し付けられることになるが。

 

 

「二人よりおっきくてごめんねー?」

 

 

ストレアがシグレの両腕に抱き着くアスナとサチに、ニヤリとしながら言う。

その視線はからかい半分、挑発半分といったところだろうか。

とはいえ、二人がそこまでされて黙っているほど大人しい性格でもなく。

 

 

「む…」

「…っ」

 

 

アスナとサチも負けじと、強くシグレの腕を抱きしめる。

二人がストレアと比べて劣っている部分があるとはいえ、決して女性としての魅力がないわけではない。

そうなれば、シグレが出来ることといえば。

 

 

「…いい天気だな」

 

 

現実逃避ぐらいであった。

天気を語るシグレの目はどこか遠くを見ていたが、それに気づいたのは、少し離れた場所にいたキリトとユイくらいのものだった。

そんな微笑ましい光景を遮るかのような通知が、キリトの目の前に現れる。

 

 

「…?……っ!」

 

 

通知は、攻略トップギルド『血盟騎士団』団長、ヒースクリフから。

そこからの通知と、その内容に、キリトは息を呑む。

 

 

「…どうした?」

 

 

キリトの只ならぬ気配に、シグレが視線を向ける。

それに対し、キリトは真面目な表情で。

 

 

「攻略の応援の依頼だ……75層、フロアボスについて」

 

 

キリトの言葉にシグレも真剣な表情になり、女性陣も言い争いを止める。

…抱きついたままなのが、いまいち決まっていなかったが。

 

 

「…説明をしたいから、55層の本部まで来てくれってさ。皆で」

「……そうか。なら、休暇は終わりだな」

 

 

キリトの言葉にシグレが頷く。

今一度、皆が攻略に戻る覚悟を決め、55層に向かうこととなった。



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第100話:75層ボス討伐作戦

55層、血盟騎士団本部。

 

 

「…偵察隊が全滅、か」

「あぁ」

 

 

シグレの言葉にヒースクリフは頷く。

 

 

「我々は5ギルド合同の偵察部隊20名を送り込んだ。まずそのうち10名がボス部屋に侵入したところ、部屋の扉が閉じてしまったのだ」

「クリスタル無効化エリアか…!」

「おそらく。そしてその五分後…扉が開いたら、そこには文字通り、誰もいなかった」

 

 

10名の偵察隊も、ボスさえも。

ヒースクリフはそう続ける。

 

 

「相打ち…?」

「もしそうなら、次の層への扉が開いたはず。だけどそれがないっていうことは…」

「…ボスが偵察隊を全滅させて…どこかに隠れた」

 

 

サチが推測を述べるが、それを否定するアスナ。

そんな彼女にストレアが続く。

 

 

「おそらくそうだろう。実際…残り10名の偵察隊も全滅したわけだからな」

 

 

ストレアの推測を肯定するヒースクリフ。

だからこそ、全力をもってあたらなければならない、と彼は続ける。

攻略を諦めれば、この世界から出られない。

だからこそ、諦めずに進むしかない。

 

 

「…話は分かりました。協力はします…但し、俺が守るべき対象は、今ここにいる四人が最優先だ。もし危険に陥った場合は…」

 

 

ここにいる皆を優先する、とキリトははっきり断言する。

けれど、分かっていたといわんばかりにヒースクリフは笑みを浮かべ。

 

 

「何かを守ろうとする者は強いものだ…君の、いや…君達の勇戦を期待するよ」

 

 

そう、キリトに告げる。

その不敵な笑みに言い返す者は、その場にはいなかった。

 

 

 

その後。

 

 

「あと三時間…」

「…サチ、大丈夫?」

「うん…平気。ありがと…ストレア」

 

 

恐怖を隠し切れないサチにストレアが声をかける。

カウンセリングプログラムとしての本来の役割を失ったとはいえ、彼女自身が変わったわけではない。

だからこれはストレア自身の心配であったのだろう。

 

 

その一方。

 

 

「…キリト君、どうしたの?怖い顔して」

「いや…」

 

 

真剣に何かを考えるキリトにアスナが声をかける。

キリトは考えながら顔を上げ。

 

 

「俺は正直…シグレは参戦しないほうがいいと思ってるんだ」

「え…?」

 

 

考えを述べる。

その考えに問い返すアスナだが、一方でユイは賛成のようで。

 

 

「…私も、正直…パパの言う通りだと思ってます。74層と同じように…何かがあるとも言い切れませんし、危険を避けるという意味では…」

「……そう、ね」

 

 

74層での事はこの場にいる誰にとっても記憶に新しい。

だからこそ、アスナもそれには反論できなかったが。

 

 

「…だけど、そうなったら尚の事、シグレ君は参加をすると思う。あの人は…攻略の為に自分を犠牲にする事を…厭わないから」

「そうだな…だから俺も、皆も苦しむことになった」

 

 

アスナはシグレを止めることはできないと言い切る。

キリトも同意するが、彼はそれで終わるつもりはないようで。

 

 

「……だから今度は、何としてもあいつを守る。守って…皆で76層に行こう」

「…うん」

 

 

キリトが決意を述べる。

それにアスナも頷く。

二人の目は、決意に溢れていた。



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第101話:密かな交渉

一方。

 

 

「…それで、話とは?」

 

 

ヒースクリフが部屋を後にした後、シグレは彼からメッセージを受け取っていた。

内容はシンプルで、話をしたい、といったもの。

メッセージにしたのは、仲間達から悟られぬように出てきてほしい、との理由からだった。

討伐に向かうまでの間、皆が皆話をしていたので、こうして目を盗んで出てくるのはそれほど難しくなかった。

 

 

「あまり警戒はしなくていい…ちょっとした交渉だ」

「…内容によるな。ついさっき、三下のギルドに交渉という名の喧嘩を売られたばかりだ。内容如何では…」

 

 

容赦はしない、とシグレの目が物語っていた。

そんな彼にヒースクリフは待った、と片手で制止をかける。

 

 

「…なに、別に君の仲間にどうこうするつもりもない。安心していい」

「……」

 

 

ヒースクリフが言うが、シグレは警戒を解かない。

やれやれ、といった感じで。

 

 

「……ならば、こう言えばいいだろうか?…私は茅場昌彦である、と」

「っ…」

 

 

ヒースクリフの言葉に、シグレは一瞬息を呑む。

そんな馬鹿な、といった感じの表情でシグレはヒースクリフを見る。

 

 

「私はこのゲームの開発者だ。カーディナルは自己メンテナンスの機能を持ってはいるが、私が管理コンソールから操作すれば、君をカーディナルの調整対象から外すことは容易だ」

「……別にそれはどうでもいいが、それをちらつかせる理由はなんだ」

 

 

ヒースクリフの言葉にシグレは溜息交じりに警戒を解く。

その様子にヒースクリフは笑みを浮かべて続ける。

 

 

「…実に単純な理由だ。私が正体を明かせば、これから討伐に来る皆は私を討とうとするだろう。こちらとしても、手札が欲しいものでね」

 

 

つまりは、キリト達を裏切り、自分の側につけ。

そうすればカーディナルの調整対象から外し、安心を与える、と。

シグレはそう理解する。

 

 

「…なに、今すぐ、というわけではない…私自身は第100層のボスという設定だ。そこで私は正体を明かす…それまでに決めてくれればいい。無論それまでは彼らの仲間として振舞ってもらって構わない…悪い条件ではないと思うがね」

「………俺を誘い込もうとする理由は、本当に手札を増やしたい、というだけか?」

 

 

シグレは少し考え、ヒースクリフに尋ねる。

その言葉に、ヒースクリフは勿論、と返す。

裏を読ませないポーカーフェイスのヒースクリフにシグレは目を閉じ、考え。

 

 

「…いいだろう。お前の手札になろう」

「ほう?」

「だが…一つ条件がある」

「無茶でないものであれば」

 

 

シグレは一つ、交換条件をヒースクリフにつきつける。

その言葉に、ヒースクリフは応じる。

彼らの契約が、成立した瞬間だった。

 

 

「君の働きには、期待しているよ」

「……」

 

 

ヒースクリフが握手を求めシグレに手を差し出すが、それにシグレは応じなかった。



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第102話:戦いの前の、微かな平穏

皆が思い思いに過ごし、やがて時間が過ぎ。

シグレ達も75層に転移する。

ヒースクリフとは別行動で、まだ来ていないようで場は少しだけ和んでいた。

 

 

「よう、キリトー!」

 

 

そんな皆の方向に声をかけてくる二人の男性。

うち一人はシグレも見覚えがあった、雑貨屋店主、エギル。

声をかけてきたのはもう一人の方で。

 

 

「よぉ、お前さん、もう大丈夫なのか?」

「?」

 

 

もう一人…クラインに声を掛けられ、シグレは疑問符を浮かべる。

74層で背負われていたのだが、気を失っていたために覚えがなかった。

視線をキリトに向けると。

 

 

「気を失ったお前を22層まで運んでくれたんだよ、そいつが」

「…そうだったのか。世話になった」

「困ったときはお互い様…ってな。俺はクライン。今更だが、よろしくな」

「……シグレだ」

 

 

残りが25層という段階ともなれば今更、という感がなくもないが、挨拶を交わす二人。

二人が握手を交わす隣で。

 

 

「なんだ…エギルも参加するのか」

「なんだとは何だ。こちとら商売を休んでここまで来たんだ。この無欲な精神を評価してほしいもんだぜ」

「…じゃ、お前は戦利品の分配からは除外していいんだな?」

「そ、そりゃないぜキリトぉ…」

 

 

屈強な男が自分より年下に頭が上がらなくなる状況に、軽く笑いが起こる。

 

 

「…よ、久しぶりだな、シグレ」

「……ケイタ」

 

 

ふと、声をかけられた方を見れば、シグレにとっては見知った顔。

ギルド『月夜の黒猫団』。

そのリーダーのケイタだった。

見れば、メンバーの皆が彼のすぐ後ろについてくる形になっていた。

 

 

「まさか最前線で再会するとはな」

「言ったろ?追いつくって」

 

 

有言実行を成し遂げる彼らに苦笑するシグレ。

けれど、どこかでそうなるだろうと考えていた部分も少なからずあり、全てが全て意外というわけでもなかったが。

 

 

「そういや、サチとはあれから仲良くやってるのか?」

「…それなり、ではないか?」

「いや、俺達に聞かれても…」

「……というより、心配するくらいなら俺を追いかけさせるべきではなかったのではないか?」

 

 

そんな会話を交わしていると、こちらに気付いたのか、サチがシグレに近づき。

 

 

「久しぶり、みんな」

 

 

自然にシグレの隣に並び、ギルドメンバーの皆に挨拶を交わすサチ。

サチはギルドを抜けたわけではないので、他人というわけでもないのだが、久しぶり、という言葉が妙にしっくり来てしまう。

 

 

「仲は悪くないけど…ライバルが増えちゃって」

「…へーぇ、幻影の死神サマは女たらしだったと」

 

 

苦笑するサチに、からかい半分に言うケイタ。

見ようによってはそう取れてしまうので、実際のところ何も言えないのだが。

 

 

「とりあえず、サチ…この層のボスを倒したら、作戦会議だな」

「…作戦会議?」

「あぁ…シグレ攻略作戦」

 

 

テツオの言葉に、サチが一瞬ハッとなり、けれどすぐに真剣な視線になり。

 

 

「…うん、頑張る。手伝ってくれる?」

「もちろん!」

 

 

離れていても仲間は仲間、ということだろう。

とても長いこと離れていたとは思わせないその雰囲気に微笑ましさすら覚えるシグレ。

 

 

…けれど、その和やかな雰囲気は、すぐに緊迫に包まれることになる。



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第103話:戦いの火蓋

転移でもって、ヒースクリフが現れ、その場の空気が一瞬で緊迫に包まれる。

無理もない。

未知のエリアのボスに挑むのだから、緊張しない者はいないだろう。

…それを知ってか知らずか、ヒースクリフは回廊を開き。

 

 

「…さぁ、行こうか」

 

 

はっきりとその場の皆に言葉を投げかけ、一同はボス部屋の前に辿り着く。

 

 

 

ボス部屋の門の前。

そこでキリトとシグレは肩を並べ。

 

 

「…シグレ」

 

 

キリトがシグレに声をかける。

シグレは視線だけで先を促す。

 

 

「……死ぬなよ」

 

 

キリトはそうとだけ、シグレに告げる。

たった一言、けれどそこにはどれだけの重みがあるのか。

それに気づいてか気づかずか。

 

 

「互いにな」

 

 

シグレは苦笑で返し、刀を抜く。

キリトも両手で剣を構える。

 

 

「…シグレ君」

「?」

 

 

キリトと反対の隣には、この世界で初めて言葉を交わした人物。

今では『閃光』の異名を持つに至った女性、アスナが細剣を構えながら。

 

 

「もう、私はあの時みたいに、守られてばっかりじゃないから。一緒に…勝って、現実に帰ろうね」

「…そうだな」

 

 

声を掛けられ、少し間を置いてシグレは答える。

内心では、それは叶わないと思っていたから。

内に秘める、ヒースクリフ…茅場との契約。

けれど、そんな不安を煽るのは今である必要はない。

だからこそシグレは肯定の返事を返す。

 

 

「…私も。私たちも…たとえ現実に戻っても、一緒にいたいって思うから」

 

 

まだ諦めないよ、とサチも槍を構えながら前に出る。

その出で立ちは出会った頃とはまるで違う、戦い慣れたからこそ出来る、隙の少ない出で立ちだった。

 

 

「……アタシは、この世界が終わったら……一緒にはいられないけど」

 

 

ストレアも両手剣を構えながら、シグレに笑顔で声をかける。

その笑顔は、自分がどうなろうとどうでもいい、と言っているような笑顔で、それはまるでシグレのようでもあった。

 

 

「最後の最後まで、一緒に戦うから、頑張ろうね!」

 

 

シグレ自身、口にこそ出さないが、皆に助けられた部分は数多く。

だからこそ、ヒースクリフとの『契約』が若干圧し掛かる。

この事実を伝えれば、おそらく皆とは共にいられなくなるだろう。

それでもせめて、今だけでも共に。

 

 

「…そうだな。いい加減…終わりにする必要があるな」

 

 

シグレは決意とともに、刀を少しだけ強く握りしめる。

そんな時。

 

 

「…諸君、ここからの戦いは熾烈を極めるだろう。だが諸君の力を合わせれば切り抜けられると信じている!」

 

 

今こそ、解放の日の為に。

そう掛け声を上げると、誰からともなく気合の入った雄叫びが上がる。

 

 

「……行くぞ!」

 

 

ヒースクリフが扉を開ける。

ボスとの戦いが、始まる瞬間だった。



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第104話:総力戦

「全員、突撃!」

「「「うおおぉぉぉっ!!!」」」

 

 

ヒースクリフの号令で皆が勢いよく突撃をしたボス部屋。

しかし、皆の熱気を裏切るかのように部屋は静寂に包まれていた。

 

 

「…何も、いないぞ……?」

 

 

誰かが呟く。

その声の通り、部屋は静まり返っていた。

不気味な程に。

 

 

「……」

 

 

そんな中、シグレは警戒を崩さずに、目を閉じる。

集中し、辺りの気配を探るためだった。

それが仮想の世界でどれほどの意味があるかは分からないが、それでも。

 

 

「…上だ」

 

 

シグレが目を開き、そう呟き、上を見上げる。

そこには、天井を這う、不気味な影が確かにあった。

 

 

「あれは…」

「スカル…リーパー……!」

 

 

キリトが、クラインがその姿を視認し、呟きながら警戒をする。

その不気味な影も、気づかれてそのまま何もしないほど優しい相手でもなく。

 

 

「っ…来る!」

 

 

ヒースクリフが矢面に立ち、落下しながらの攻撃を食い止める。

その攻撃の間に皆は下がり、体勢を立て直す。

とはいえ、ヒースクリフが止めているのは相手の片腕。

もう片方の腕の鎌がシグレを捉え、振り下ろされるが。

 

 

「ちっ…」

 

 

敵の巨体の隙を突き、前進して懐に潜り込み、刀を振るう。

シグレが先ほどまで立っていた場所は鎌が振り下ろされたことで軽く抉り取られている。

攻撃をまともに受ければ、ひとたまりもないだろうということが容易に想像がついた。

鎌は受けられ、懐に潜り込まれ、先制を取られたスカルリーパーもそのままでいるわけがなく、シグレから距離を離そうと後退する。

しかし。

 

 

「せやぁっ!!」

「…せいっ!」

「やあぁぁっ!!」

 

 

スカルリーパーの背後に回り込んでいたアスナが、サチが、ストレアが攻撃を叩き込み、一瞬スカルリーパーを怯ませる。

そして、ここにいる攻略組がそんな隙を見落とすはずもなく。

 

 

「でりゃあああぁっ!!」

「っ…暴れんじゃ、ねぇ!!」

 

 

クラインが、エギルが攻撃を叩き込む。

ボスの体力は半端ではなく、ゲージは5本あり、そのうち1本で精一杯である。

けれど、誰も戦闘不能になることなくここまでこれたことは希望になりうる。

 

 

「…はああぁぁぁっ!!」

 

 

キリトが二刀流での連撃で畳み掛けていく。

 

 

「俺たちも…いくぞっ!」

「「「はあぁっ!!!!」」」

 

 

月夜の黒猫団もケイタが指揮を執り、皆がボスへと向かう。

 

 

皆が皆、圧倒的な強さを誇るボスを翻弄していく。

 

 

…結果として、HPがギリギリまで減らされる者こそいたものの、奇跡的に死者ゼロでボスの討伐に成功したのだった。



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第105話:決着と、裏切り

そうして、ボス討伐後。

 

 

「…おう、生きてるか?」

「あぁ…」

 

 

クラインとキリトが肩で息をしながら言葉を交わす。

 

 

「……死者は、ないようだな」

「そう、だね…」

 

 

シグレの言葉にストレアが頷く。

しかし、この状況に楽観できないのも事実であった。

なぜなら、更に上の層に行けば行くほど危険度は大きくなる。

そうなれば、今回のように死者ゼロでクリアできる可能性は減る。

そう懸念するプレイヤーと、ボスを倒せたことを喜ぶプレイヤーが半々の中。

 

 

「……」

 

 

一人、キリトは、皆が疲労で座り込む中で一人、余裕そうに佇むヒースクリフに目を向ける。

 

 

「…キリト?」

 

 

その様子に、エギルが不審気に声をかける。

けれど、そんな彼の声が聞こえていないのか、それとも聞こえていても無視しているのか、剣を握り締め。

 

 

「っ……!」

 

 

キリトはヒースクリフに剣を向け、攻撃をかけようと突進する。

……しかし。

 

 

「なっ…!?」

 

 

キリトとヒースクリフの間に割って入った陰により、キリトは剣を弾き飛ばされる。

突然の事に、キリトは動きを止める。

…こんな事ができるのは。

 

 

「……シグレ?」

 

 

抜刀したシグレがキリトの前に立つ。

弾き飛ばされ、宙を舞った剣が地面に落ち、重い金属の音が辺りに鈍く響く。

何故、シグレが対峙しているのか。

理解が及ばないキリトはシグレの名を呼ぶ。

けれどシグレは答えず、振り返り。

 

 

「…気づかれたのではないか?ヒースクリフ…いや、茅場昌彦」

 

 

シグレが、全プレイヤーが忌むべき名を呼ぶ。

その名に、全員の視線がヒースクリフに集まる。

しかし、ヒースクリフはその視線を何とも思わなかったか、シグレを見返す。

 

 

「君がバラしてしまっては元も子もないだろう、シグレ君」

「…よく言う。俺が止めなくてもキリトの攻撃が届けば、気づかれただろう」

「かもしれんな」

 

 

シグレと言葉を交わした後、ヒースクリフはキリトに視線を向ける。

 

 

「キリト君、君は気づいていたのかね?」

「…あぁ。気づいていたさ」

 

 

ふむ、と頷きながらヒースクリフは辺りを見回す。

 

 

「…確かに、私は茅場昌彦だ。付け加えるなら、最上階で君達を待つはずだった、このゲームの最終ボスでもある」

 

 

そして、とヒースクリフは続ける。

 

 

「…ここにいるシグレ君は、私に仕え、99層で君達に立ちはだかる障害となる役割となるはずだったプレイヤーだ」

 

 

ヒースクリフの言葉に、シグレは何も言い返さない。

 

 

「嘘…嘘だよね、シグレ君…?」

 

 

アスナが嘘であると言ってほしい、と言わんばかりに震える声でシグレに尋ねる。

けれどシグレは無情にも、その切っ先をアスナに向け。

 

 

「…事実だ。俺はこの男の手先で、いずれはお前たちの敵として立ちはだかる予定だった」

 

 

無情にもアスナの手を払う。

アスナは絶望からか、その場にへたり込んでしまう。

 

 

「…趣味がいいとは言えないな。ボス攻略の先陣を切る実力のあるプレイヤーが一転して敵に変わるなんてな」

「そうかね?いいシナリオだと思っていたんだが…」

 

 

キリトの責めるような口調にヒースクリフは動じない。



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第106話:未来を賭けて

緊迫した空気が流れる中。

 

 

「…どうする?」

「無論、私とシグレ君は上の層に向かい、皆を待つ事にするつもりだが…」

 

 

シグレの言葉にヒースクリフは答えながらキリトに目をやり。

 

 

「…キリト君。君には、私の正体を看破した報酬を渡さねばなるまい」

「報酬?」

 

 

ヒースクリフの言葉にキリトは訝しげに返す。

その口調は、完全に敵に向けられるものだった。

 

 

「チャンスをあげよう。ここでシグレ君と戦い、勝てばゲームクリア。君達は無事にログアウトできる……どうかな?」

 

 

それはつまり、シグレと殺し合いをしろ、ということである。

 

 

「これまで仲間だったシグレとの殺し合い…随分悪趣味なイベントだな」

 

 

言いながら、キリトは剣を構える。

それはつまり、ヒースクリフの案に乗るということ。

しかし、それを止める者がいた。

 

 

「…待って、キリト君」

 

 

彼を止めたのは、アスナ。

 

 

「その戦う役…私がやるわ」

 

 

キリトの隣に並び、アスナが細剣を抜いて構える。

 

 

「…ヒースクリフ」

「……まぁよかろう」

 

 

シグレの言葉にヒースクリフが溜息交じりに了承する。

それと同時にメニューを操作しだし。

 

 

「くっ…なんだ、これ…!?」

 

 

皆が次々に倒れていく。

その場に立つのは対峙するシグレとアスナ、そしてヒースクリフのみ。

他の皆は、麻痺の状態異常でその場に伏してしまう。

 

 

「っ……」

 

 

アスナは息を呑み、細剣をシグレに向ける。

一方のシグレは刀を構えるでもなく、自然な体勢でいる。

 

 

「…考えてみれば、俺がこの世界に来て、初めて話をしたのは…お前だったな、アスナ」

「うん…そうだね。その時は…こんな風になるなんて…思ってもなかったよ」

 

 

シグレの言葉に、アスナは笑みを零しながら答える。

けれど表情は曇ったままだったが。

 

 

「……私ね。貴方のこと…好きだったんだよ。最初は、私を助けてくれた貴方への憧れだった」

 

 

とてもこれから殺し合いを始めるとは思えないほどの会話。

けれど、その言葉を止める者は誰もいない。

 

 

「でも、無茶ばかりして『幻影の死神』なんて呼ばれる貴方を止めたくて。私が強くなれば隣で戦えて…貴方に無茶をさせることもなくなるかもって…そう思ってた」

 

 

それはきっと、シグレを追いかけた皆が思っていた事。

アスナだけでなく、サチも、ストレアも、キリトも。

 

 

「…どうして、こんな事になっちゃうんだろうね」

 

 

自分を責めるように言うアスナ。

その言葉にシグレは目を伏せ。

 

 

「…誰が悪い、ということではあるまい。いろいろな要素が絡み合った結果だ」

「……そっか。シグレ君が言うのなら…そうかもしれないね」

 

 

シグレはアスナに答えを返す。

その答えにアスナは頷き。

 

 

「でもね…だからこそ、私は…君に勝つよ、シグレ君」

 

 

勝って、貴方を、止める。

そう言って、シグレを見据えるアスナの目つきが変わる。

敵に対峙する、その視線は、第一層で出会った頃のアスナとは別人といえるほどの、剣士としての風格。

そんな彼女に敬意を表するかの如く、シグレも刀を構える。

 

 

「…いいだろう。俺も全力で行く…気を抜けば、狩られると思え」

「っ……」

 

 

アインクラッド解放軍に対してシグレが向けた、モンスターを狩るように人に刀を振り下ろすシグレの殺気。

それが自分に向けられているという事実にアスナは軽く恐怖する。

けれど、長く戦い続けてきたアスナは、それを押し殺す方法を知っていた。

それでも、これから剣を向ける相手は、想い人。

その事実は、アスナに重く圧し掛かる。

 

 

 

…やがて、決闘開始のカウントは0になる。

ルールは、このゲームにおいて禁忌となりうる、全損決着モード。

シグレとアスナの、文字通りの殺し合いが、今始まる。



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第107話:望まぬ戦いと、戦う真意 - I

皆が地に伏す中、剣がぶつかる音が部屋に響く。

 

 

「せやぁっ!!」

「っ…」

 

 

アスナの細剣による、正確で高速な突きの攻撃。

それを正確に刀で受け止めるシグレ。

二人とも速度重視のスタイルであるものの、単純な速度だけでいえばアスナの方が速い。

それは持っている武器の重さによる違いであるのだが、しかしシグレもまた、決して劣っているわけではない。

 

 

「…なるほど、速いな…伊達に『閃光』と呼ばれているわけではない…か」

「っ…!」

 

 

剣を受けながら呟くシグレにアスナはバックステップで距離をとる。

シグレの言葉から、アスナは察した。

はじめは、自分の剣が相手を翻弄していると。

隙を見てスキルを発動すれば一撃を与えられると。

うまくいけば、勝てると思っていた。

しかし。

 

 

「くっ…」

 

 

アスナはシグレを見て、それが勘違いだったと気づく。

見れば、シグレのHPは殆ど減っていない。

多少掠った程度、という表現が正しい感じである。

そして、何より。

 

 

「…結構本気だったのだけど、息も切らさないのね」

 

 

シグレは、少しも息を切らしていない。

自分は息を切らすほどの連撃だったというのに。

シグレは一つも息を切らしていない。

あるいは、それが狙いだったのだろうか。

 

 

「まさか。さすがに強いなと思っていたところだ」

「…その割には、ずいぶん余裕そうに見えるわよ」

 

 

アスナの言葉に、シグレは笑みを浮かべる。

その反応に、やられた、とアスナは舌打ちをする。

 

 

「あれほどの連撃…そうそう長くはもたないことは分かっていた。だからこそ防戦一方だったが…」

 

 

シグレが刀を構える。

それを見て、アスナも剣を構え直す。

キリトとの訓練という名の決闘で、シグレの戦い方は見ている。

それが決して油断ならないことも、当然ながらアスナは知っている。

 

 

「…そろそろ、攻撃に転じさせてもらおうか」

 

 

だから、彼がいかに速いかも知っている。

その知識こそが。

 

 

「っ…!」

 

 

彼の斬撃を止める。

男女の力の差、更に言えば現実での経験の差か、シグレの斬撃が予想以上に重く感じたアスナだが、止められる程度だった。

その殺気も、受け止める。

 

 

「く、ぅ…!」

「…止めるか」

 

 

刀を止められ、シグレはバックステップで距離をとる。

シグレが力で押し切るタイプなら押し切られていたかもしれない。

だが、シグレは退いた。

これなら、いける、と。

戦える、と。

 

 

「…負けないよ、シグレ君。負けられないの」

 

 

アスナはシグレに剣を構えながら、そう告げる。

シグレも刀を構えることで、アスナに応える。



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第108話:望まぬ戦いと、戦う真意 - II

静かに、けれど剣を構え対峙するシグレとアスナ。

けれど、そんな二人に。

 

 

「っ…もうやめてよ!」

 

 

聞き覚えのある声が、二人を制止する。

その声に、二人は剣の構えを解く。

 

 

「…ストレア」

 

 

シグレが声の主の名を呼ぶ。

 

 

「なんで…何でこんなことになるの!?…こんな、こんな…っ!」

 

 

ストレアは動けないままだったが、必死に訴える。

シグレに思いを寄せる一方、アスナを友人として、あるいはライバルとして考えていた。

だからこそ、そんな二人が殺し合いをするという事実に耐え切れなかった。

 

 

「そうだよ、いくらこの世界からの解放の為だからって……!」

 

 

サチも必死に訴える。

彼女の、彼女達の命を救ったシグレ。

そんな彼が、最後の障害として、立ちはだかっている。

今までシグレと行動を共にしていた彼女らにとっては、今の状況が信じられない。

否、信じたくない。

 

 

「…ここでやめれば、俺とヒースクリフは上の層でお前らを待つだけだ。いずれにせよ、戦いは避けられない」

「でも…!」

 

 

シグレは刀を構え、今一度、アスナに尋ねる。

 

 

「アスナ。ここまで立ち会ったが敢えて聞く……続けるか?それとも先延ばしにして、攻略を続けるか?」

 

 

その問いに対するアスナの答えは。

 

 

「…続けましょう。その為にここまで、私たちは戦ったのだから。途中で辞めるつもりは…ないわ」

 

 

細剣をシグレに向ける事だった。

ここまでくれば、二人を止める者はいない。

 

 

「……とはいえ、そろそろ終わりにするぞ」

「えぇ…行くわよ」

 

 

シグレとアスナが一気に駆け出す。

二人はほぼ同じ速度で、一気に距離を詰める。

 

 

「せやぁっ!」

 

 

アスナが剣を振るう。

シグレはそれを刀で止める。

 

 

「はっ……!」

 

 

シグレがアスナの剣を払い、反撃をする。

アスナは咄嗟に後ろに飛び、その剣を交わす。

しかし、シグレはアスナとの距離を再度詰め、刀を振るう。

 

 

「はっ!」

「っ…」

 

 

しかし、アスナはその時点で既に体勢を立て直しており、細剣がシグレの刀を弾く。

突然の衝撃に、シグレは一瞬の隙を晒してしまう。

一度前に動き出したシグレ、後ろに飛ぶことはできず、刀を戻す。

しかし。

 

 

「せやああぁぁぁっ!!」

 

 

その一瞬の隙を逃さず、スキルを発動させるアスナ。

速度重視の彼女の細剣スキル。

その切っ先が、シグレを捉える。

 

 

「っ…!?」

 

 

討ち取れる。

そう確信したアスナの視線の先のシグレの口元には笑みが浮かんでいた。

刀を戻す余裕もあったはずなのに、払われたまま、目を閉じるシグレ。

その時に、アスナは確信した。

シグレは、初めから負けるつもりだったのだと。

自分の命と引き換えに、全プレイヤーを現実世界に帰すことを選んだのだと。

スキルのシステムアシストで捉えた切っ先は、もう、止まらない。

 

 

「シグレ君……っ!」

 

 

アスナはアシストに身を任せたまま、ぐっと目を閉じる。

シグレの想いに気づかずに、決闘で本気で討つことを選んだ自分の切っ先が、彼の命を奪う瞬間を見たくなかった。

その切っ先は、シグレの胸元を奇麗に貫く。

アスナの手に伝わる感触が、彼を貫いた事実を伝えてくる。

目を閉じたところで、何も変わらない。

 

 

「あ……!」

 

 

アスナが恐る恐る目を開いた先には、貫かれ、HPゲージが完全に空になったシグレの姿。

アスナは、事実を悟った。

自分が、自分の手で、この世界で自分を助けてくれた人を、殺したのだと。

最愛の人を、自分の手で、殺したのだと。

シグレの体が光に包まれ、消滅をする寸前。

 

 

「…すまなかったな、アスナ……」

 

 

それだけ言い残し、シグレは光となって霧散した。



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第109話:無意味な犠牲

それで、決闘が終わりを告げたかと思われる、次の瞬間。

 

 

「っ!?」

 

 

一瞬、空…というより、天井の部分に亀裂が入り、血のような真っ赤な液体が不気味に流れ落ちて一ヶ所に集まる。

その光景は、ここにいる誰もが、覚えていた。

 

 

「…なんで今、『これ』がここに…!?」

 

 

クラインが立ち上がり、けれど驚いたのか、たじろぎながら言う。

それは第一層で、SAOがデスゲームであることを告げた、あの赤いローブ。

 

 

「…どういうことだ、茅場!」

 

 

キリトがヒースクリフに問い詰めるが、ヒースクリフは答えなかった。

…否、答えられなかった。

そんな混乱を知ってか知らずか、赤ローブは、霧散していく光…シグレをそのローブの中へと、吸い込むように取り込んでいく。

 

 

「シグレを…取り込んだ!?」

 

 

サチがその様子に、そう結論付ける。

赤ローブは周りの混乱を知ってか知らずか。

それ以前に意思があるかどうかも疑わしいが、光の粒を取り込んだ後に、ゆらめきながらその場から姿を消した。

その様子は、何もかもが第一層のそれと同じだった。

 

 

 

突然の事に、皆が固まる中。

 

 

「…そういえば、ログアウトの件は、どうなったんだ」

 

 

誰かが、そう呟く。

確かに、元々はログアウトを賭けての戦いだったのだ。

しかし、ヒースクリフは目を伏せ。

 

 

「先程確認したが…私から、管理者権限が外れている。今の私に、君達をログアウトさせることはできない」

 

 

淡々と、事実を述べる。

 

 

「な…そんなのってありか!?お前が最初に言い出したんだろうが!!」

「ふざけるな!」

 

 

皆から非難の声が上がる。

だがそれ以上に。

 

 

「じゃあ…私は、何のために、シグレ君を……!」

 

 

アスナのショックは大きかった。

ログアウトをかけて戦い、アスナの件はシグレを貫き、シグレはその命を犠牲にした。

しかし、それが叶わないというなら、シグレは何のために剣を受け、命を散らしたのか。

先ほどの戦いが無意味だったと、暗に言われているようで。

 

 

「アスナ…」

 

 

ストレアが、そんなアスナに近づき、彼女の背を撫でる。

戦いでは凛々しかったアスナの背は、震えていた。

 

 

「…だが、私がきっかけを作ったことは事実だ。本当に私を恨むなら、私を貫くがいい…今は私は不死ではないし、抵抗をするつもりもない。今の諸君なら簡単に討てるはずだ」

 

 

ヒースクリフが言うが、アスナの様子を見た皆は動けなかった。

戦う前のやりとりも含めて見ていた彼らにとって、一番その資格があるのはきっと彼女であり、自分ではないと、皆が思っていた。

 

 

「…次の層への扉が、開いてる」

 

 

ぼんやりと、ケイタが呟く。

その言葉に、まだこの戦いは終わらないのだと、皆が絶望に捉われる。

 

 

 

……終わると思われた戦いは、一人の犠牲と共に、終わることなく続いていくことが確定した瞬間だった。

 

 

 

To be continued to next chapter...



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キャラクター設定

アンケート結果を受け、キャラクター設定を追加しました。


《本作キャラクター設定》

 

 

シグレ

 

氏名:華月 時雨(かげつ しぐれ)

武器:刀、片手用直剣

年齢:16(SAO開始時)

レベル:10 (βテスト終了時) → 101(第1部終了時)

 

 

本作の主人公、オリジナルキャラクター。

βテストから参加をしていた、βテスタの一人。

SAOがデスゲームと告知されても取り乱さないほどの冷静さの持ち主。

 

父親は剣道家で、母親は会社員。

幼い頃は優しい性格で、笑顔を見せることも多かったらしいが、父親を喪ってからはまるで感情を失ったかのように、一切の感情を表に出さなくなってしまった。

その後母親を喪ったのだが、葬儀で涙を見せることがないどころか、表情一つ変えないほど。

かつては両親と仲が良かった事を知っていた親戚からは、その様子が気味悪く映ったらしく、養子として誰が引き取るかはかなり揉めたらしい。

結局、遠い親戚のとある一家に引き取られるが、すぐに孤児院に預けられ、両親の持ち家を売却されてしまい、帰る家すら失っている。

その後は義務教育終了あたりまでは孤児院で過ごすことになるが、性格が災いし、友人を一人も作らずに過ごしていた。

 

父の厳しい指導の下で剣を振っていたことがあり、剣の扱いに長けている。

それがSAOでも活きて、ソロでボス攻略をこなすほどの実力を見せるが、現実での過ごし方に慣れすぎたせいか、ゲームの世界ですら友人を作らずに過ごしている。

それでも『誰かを守るために剣を振るう』という信念を持っていた父への憧れがあり、助けな必要な状況と判断すると迷わず助ける性格。

それが幸いして命を救われたプレイヤーもいるのだが、自分でなくても、という認識を常に持ち続けている。

 

そんな行動を続けていたこともあり、SAOにおける戦闘能力は高い。

戦闘スタイルはスピード型で、ソードスキルの使用頻度が少なくすることで硬直を減らす、隙の少ない戦い方を主としている。

その為一撃の威力はそれほど高くないので、一回の戦闘に時間を要する場面も多々ある。

その代わりに、敵の正面から一気に背後に回り込むほどの速度があり、敵の攻撃の回避に重点を置くことで力の弱さをカバーしている。

そのスタイルのため、パーティメンバーがいても置き去りにして戦闘を進めることが多く、多人数での戦闘はかなり苦手。

 

その一方で、生産系スキルや娯楽系スキル等、戦闘に関連しないは全く上げておらず、いわゆる暇潰しが出来ない性格。

その為、どれだけレアなアイテムでも、食材だったりするとすぐに売り飛ばしたりしている。

その為お金はそれなりに貯まるのだが、武器の調達やメンテナンス程度しか使わないため、そこそこ貯金がある。

 

月夜の黒猫団を助けたことで一時的にギルドに加入したり、ストレアに半ば強引にパーティを組まされたり、キリト達と合流したりと色々な出会いを重ねることで、徐々に絆されていく。

その変化を周りに言われ、少しばかり気恥ずかしさを感じるようになっていたが、その変化自体を悪くは思っていない。

ある時、複数ギルド合同で、殺人ギルドの討伐を行うことになった事を知り、それに先立って討伐に向かう。

そこで会ったリーダーの男とは何かしら因縁があるようだが…?

その戦いの中で、生きることへの疲れを自覚し、この世界で自分の命を終わらせようと行動をするようになる。

 

75層で、攻略ギルドのリーダー、ヒースクリフ…茅場昌彦に誘いを受け、プレイヤーの敵になるよう誘われる。

それを受ける一方、ヒースクリフに対し、自分が死んだらゲームクリアとするよう交換条件を持ち掛ける。

75層ボスの討伐後に、自身がSAOで初めて会話したプレイヤー…アスナとの一騎討ちを行い、わざと負けることでこの世界を終わらせようとしたが……

 

 

 

《原作/主要キャラクター設定》

※ 原作との相違点のみ。

 

 

アスナ

 

ゲーム開始時、第一層でモンスターにやられそうになったところをシグレに救われる。

少し会話をし、それで終わりだとその時は思っていたのだが、その後SAOがデスゲームだと言われ、混乱に陥ってしまう。

何をどうしたらいいかわからず混乱し蹲ってしまうが、シグレに宿に案内され、そこで泊まり、少しの間思い悩むことになる。

それでも、このまま腐るくらいなら、という想いと、二度助けられたという想いから、自分を鍛え、その時は名も知らなかったシグレを追いかけるように行動を始める。

 

追いかける中で強っていき、その事になりふりを構っていなかった部分があり、やがて『閃光』という二つ名がつくほどの強さを手にする

しかし、血盟騎士団をはじめとする攻略組には所属しておらず、無所属のまま。

途中で知り合ったキリトやサチとパーティを組むのみだったため、攻略組とは強いコネクションがない。

 

やがてシグレと合流すると、シグレと共に行動していたストレアも含め皆で行動するようになる。

その後は皆で攻略を進めていき、一行の中でも攻略に関し、キリトに次いで意欲を示す。

 

75層でボスを倒した後、シグレが敵であったという事実に衝撃を受けるも、攻略に対する意志の強さと、自分がどれだけ強くなったのかを示したいという思いから、シグレとの決闘に応じた。

途中までは互角かと思われる決闘であったが、シグレの思惑に嵌り、自らのソードスキルでシグレを文字通りに殺してしまい、けれどそれでもゲームクリアとならない事実に落胆してしまう。

 

 

サチ

 

ギルド『月夜の黒猫団』のメンバー。

フィールドで彼女を含めたギルドメンバーがモンスターに襲われ、命の危機に瀕していた所をシグレに救われる。

その後皆でシグレを誘い、ギルドのメンバーとして迎え入れる。

 

初めはシグレの強さへの憧れと、自分の気の弱さに対する自己嫌悪な部分から距離を置いていた。

しかし、ある時ふと見せたシグレの物憂げな表情に、良くも悪くも親近感を抱き、シグレに興味を持つようになる。

それから彼女なりにシグレに歩み寄ろうとするのだが、シグレはそれに応じることはなかった。

そんな中で自分の弱さを吐露したとき、その怖さを忘れるな、というシグレの言葉を胸に刻み、頑張って生きようと決意する。

 

その矢先、リーダーであるケイタを除いた五人が27層のトラップにかかりそうになった瞬間、シグレの機転によりサチのみ部屋から救出される。

恐怖で逃げ出したくなる気持ちを必死に押さえ、大切なものを守るために、必死に助けを求め、そんな中でキリト達と知り合った。

キリト達の協力を受けながらトラップ部屋へと再度向かい、救出のために飛び込んだ部屋で、瀕死のシグレを見て、無事でよかったという想いを感じ、その中でシグレへの想いを自覚するに至った。

 

その後、シグレはギルドを脱退し、一人去ってしまうが、そんな彼を追いかけようと、ギルドメンバーと少しの別れを告げ、キリト達とともにシグレを追う事になる。

 

 

ストレア

 

シグレが月夜の黒猫団を脱退した後、ボスモンスターとの相打ちにより死亡となる寸前でシグレを呼び戻したプレイヤー。

その後は半ば強引にシグレと行動を共にするようになる。

シグレは初め、街において一人で先に進もうとしたがやがて追いつかれ、シグレは諦めて行動を共にするようになる。

持ち前の明るさでシグレを度々振り回しており、その度にシグレは毎度溜息を吐いている。

 

その正体は、プレイヤーのメンタル状態を把握し、カウンセリングによってケアを行うAI、メンタルヘルス・カウンセリングプログラム(MHCP)試作二号。

そのAIが未使用のプレイヤーIDを上書きした存在。

初めはユイと同様に、プレイヤーのモニタリングを行っていたが、ユイがキリトを見つけたのと同じく、ストレアはシグレを見つけていた。

一人でボスに挑む無謀さ、と思えば撃破してしまうほどの実力。

それに対して、誰とも触れ合わずに孤独に突き進むシグレの姿に興味を持ち、シグレを追うように行動を開始する。

一方でカーディナルがシグレのMMORPGプレイヤーとしての異常性を危険視し、排除しようとする動きを見せるが、それに抗うようにシグレを守る。

それが引き金となりエラーチェックプログラムに消去されかけるが、半ば無謀ともいえるシグレの救出により、エラーチェックを強制的に解除。

その際にアイテムオブジェクト化を可能にさせた一方で、MHCPの権限を剥奪させてしまう。

これにより、カーディナルに支配されるAIではなく、NPCプレイヤーという位置づけに近い存在になる。

 

その後は自らの命を救ったシグレに一層想いを寄せるようになっていく。

AIとして知らない感情であったその想いが恋である、とアスナに言われてからは、その思いを隠さずにシグレにぶつけるようになる。

その一方で、シグレが危険な状態になると落ち込んで何も手につかなくなってしまう等、やや依存気味な傾向を見せるようになる。

とはいえ、無事にゲームクリアをしてくれるのなら、と攻略の手伝いを続けていく。

 

 

キリト

 

ゲーム開始後、第一層の街でシグレに声をかけ、ボス攻略を持ち掛ける。

突然とはいえ、いきなり剣を突き付けられ、第一印象はそれほど良いものではなかった。

とはいえ、その後すぐに謝られ、それほど悪い奴ではない、という印象をシグレに持つ。

 

その後、第一層のボスの部屋にボスが出現せず、第二層への道が開通していたこと。

それに加え、ボス攻略会議で知り合ったアスナが探している人物が、自分が知り合ったその人物と特徴が似ていること。

それらを踏まえ、その時は名も知らなかったシグレに興味を持つ。

ちなみに、ボス戦のやり取りがなかったため、ビーターと揶揄されることもなかった。

 

その後、サチと知り合い、シグレと再会してからは共に行動をするようになる。

単独攻略をやめるよう説得したりする一方、剣の腕に興味を持って決闘に誘ったりしている。

決闘については、片手剣を用いた場合で勝率は五分五分といったところ。

それでも少しでも勝率を上げるために、シグレがボス戦で重傷を負い、意識不明な間に剣道の素振りをしながら回復を待つなどしており、いつかは勝ち越したいと考えていた様子。



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Chapter-2 : Hollow Fragment
第1話:戦場での新たな出会い


キリト達が76層へと向かおうとしていたころ。

 

 

「……?」

 

 

一人の青年が、密林の中で、ふと、自分の両の掌を見る。

今まで普通に攻略を行っていた彼は、何か違和感を感じたかのように。

しかし、自分の手、服装、腰に携えて、納刀した装備。

何を見ても違和感はない。

しかし。

 

 

「……」

 

 

宙を見上げる。

そこから見えるのは、日の光がまともに入らないほどに鬱蒼とした密林。

微かに入る光が、今が昼間であることを知らせてくる。

 

 

「っ……」

 

 

記憶が混乱してか、右手で頭を押さえる。

とはいえ、頭痛というわけでもないので、それが無意味であることに気づくのに時間はかからなかった。

顔を上げ、辺りを警戒する。

見覚えのない土地だからこそ、警戒が必要だと感じた。

 

 

 

そうして警戒を始めて数分した頃。

 

 

「…っ」

 

 

どこからか、足音が聞こえる。

敵の気配かと警戒し、携えた刀の柄に手をかける。

しかし。

 

 

「っ!?」

 

 

それは、『彼』が知った装備とは違っていた。

あまりに、軽い。

自分のようで、自分でない違和感に一瞬の隙ができる。

その瞬間に足音は青年のすぐ近くまで迫っていて。

 

 

「っ……」

「うっ…!」

 

 

勢いが止まらず、足音の主が青年に、その勢いのままでぶつかる。

互いに反作用で弾き飛ばされるが、青年は身を翻し、そのまま着地し、警戒態勢をとる。

一方で足音の主である女性は受け身を取り切れず、地面を転がる。

しかし、並のプレイヤーでは出来ないような反応で態勢を整え、武器である短剣を構えて青年に斬りかかる。

 

 

「はぁっ!」

「…」

 

 

それに青年も刀を抜き、短剣を受け止める。

短剣で何度も素早く斬りかかるその斬撃の速度はなかなか、と考えていたが、以前共に行動していた『黒の剣士』には及ばない、と考える青年。

やがて、女性は手数では相手に一撃が入らないと悟ったのか、逆手に持ち替え、鍔迫り合いで押し切る方向に考える。

そこで、女性は、自分の斬撃を息一つ乱さずに受け止めている青年を見て。

 

 

「…あんた、誰…?」

 

 

そう、言葉を漏らす。

けれど青年はそれに答えず、短剣を弾き上げることで答える。

 

 

「あっ…!」

 

 

舞い上がった短剣は宙を舞い、やがて地面に落ちる。

それを見て、青年は構えを解き。

 

 

「……」

 

 

無言で刀を鞘に納める。

そうして、振り返ろうとしたところで、青年は明後日の方向の宙を見て。

 

 

「ちっ…!」

「な、え、ちょっ…!?」

 

 

女性を抱きしめるように抱え、視線の方向とは逆方向に飛ぶ。

女性は突然の事に驚き半分、恥ずかしさ半分に抗議をするが、すぐにそれどころではないと察する。

 

 

 

先ほどまでいた場所に着陸する巨大な影。

 

 

「っ……」

 

 

青年は女性から既に手を放しており、刀を抜きながら、着陸で巻き起こった砂塵を空いた手で防ぐ。

一方の女性も、砂塵を手で防ぎながら、その方向に警戒を向ける。

やがて、砂塵が晴れ、その先にいたのは。

 

 

「……こいつは」

 

 

不気味に蠢く骸骨の魔物。

75層のボスであった、スカルリーパー。

青年は見覚えのあるその魔物に対峙しながら。

 

 

「…そこのお前」

「……何よ」

「戦う気がないなら退いていろ…邪魔だ」

 

 

青年が話しかけると、女性が答える。

それは互いが互いを警戒しているような、そんな雰囲気だった。

 

 

「…戦っているあんたの背後から、斬りかかるかもしれないけど?」

「……好きにしろ」

 

 

女性の言葉に青年は短く返し、振り下ろされる鎌を避けながら敵の方へと突っ込んでいく。



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第2話:協力

「っ…!」

 

 

青年は、魔物の懐に潜り込み、刀での斬撃を当てる。

 

 

「…あの時と、変わらないな」

 

 

75層での戦い。

その時と、動きや癖が似すぎていた。

同じといってもいい程に。

だからこそ、一人でも対処ができていた。

決して効率がいいわけではない。

しかし、相手の攻撃を避けながらの青年はダメージを受けずに、ボスに僅かずつ、けれど着実にダメージを与えていく。

 

 

 

戦いの隙をついて武器を拾い、構える女性。

しかし、巨大なモンスターに1対1で挑み、善戦する青年に動きを止める。

 

 

「あいつ…」

 

 

戦い慣れしている。

それが女性が率直に感じた事だった。

それは武器の性能や、プレイヤーステータスといった意味ではない。

そうではなく、状況判断の面。

ある程度単調であるとはいえ、相手の攻撃を見切り、どう動くかの対処が上手い。

そいつから逃げて、撒こうとしかしなかった女性。

戦い、確実に追い詰めている。

この男が、あいつらの仲間でなければいい、という希望を持ちながら、女性は万が一に備えて警戒を続けていた。

 

 

 

やがて、HPのゲージ最後の一本が赤く染まる頃。

 

 

「っ…!」

 

 

青年は素早く懐から抜け出し、女性の脇辺りまで退避する。

 

 

「どうしたのよ。今の調子でいけば…」

「……いや」

 

 

女性が青年に意見をすれば、青年は否定する。

あのままいけば倒せたのではないか、という意見。

しかし、スカルリーパーもやられっぱなしではなく、自分の鎌を大振りする。

その範囲は広大で、青年が退避していなければ簡単に切り刻まれていただろう。

HPゲージが減ってきた影響か、攻撃が激しさを増し、近づくのが若干困難になっていた。

 

 

「……今だけ」

「?」

「あいつを倒す間だけ…協力するわ。どうしたらいい?」

「……」

 

 

どういった心境の変化か、女性が青年に討伐の協力を申し出る。

青年は武器を構えながら、女性を見る。

女性は恐怖からか若干震えながらも、スカルリーパーに対し武器を構えていた。

その様子を見た青年は。

 

 

「……奴の鎌は基本的に前方が攻撃範囲だ。俺が奴の攻撃は引き受ける…お前は隙を見て背後に回って攻撃しろ」

「…分かったわ」

 

 

できるだけ安全になるであろう方法を提示し、スカルリーパーに正面から斬りこんでいく。

とはいえ、今度の目的はダメージを与えることではない。

主な目的は注意を引き、背後に回らせる女性の安全確保だった。

一方の女性も、持ち前の速度を活かしつつ、木の影を利用しながらスカルリーパーの背後に回り込む。

 

 

「っ…今!」

 

 

スカルリーパーの注意は青年に向いており、背後はがら空きだった。

好機と判断し、女性は持っていた短剣で斬撃を与える。

 

 

 

蓄積したダメージと、相手の注意を逸らした斬撃が重なり、スカルリーパーは光の粒となって消滅するのだった。



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第3話:手を汚した者達

大きな敵を消滅させたところで。

 

 

「……」

 

 

青年は刀を納める。

それを見てか、女性も短剣を納める。

二人の視線は、消滅したスカルリーパーがいた場所を見ていた。

少しして、先に動いたのは。

 

 

「…」

 

 

青年の方だった。

踵を返し、用は済んだとばかりに歩き出す。

装備の刀が、彼が知る物より弱いステータスだったので、装備を整えたい、というのもあったのだが。

 

 

「…待って」

 

 

女性に呼び止められ、青年は足を止める。

けれど振り返らずに、視線のみ女性に返す。

青年なりの、先の促し方。

 

 

「……どうして、私を助けたの?」

「…敵を、倒しただけだ」

「背後から斬りかかるって…言ったでしょ?カーソル…見えてるわよね」

「…オレンジプレイヤーだな」

 

 

プレイヤーを表すカーソル。

通常は緑。

犯罪を犯すとオレンジ。

その中でも、プレイヤー殺しをした者は、カーソルこそオレンジだが、区別も兼ねてレッドプレイヤーと呼ばれる。

…アインクラッドにおける、笑う棺桶のように。

 

 

「……私、人を殺したの」

 

 

女性の告白に、青年は動じない。

しかし、視線も動かさない。

 

 

「そうか」

 

 

青年は視線を前に戻し、女性に完全に背を向けて言葉を続ける。

 

 

「…なんとも思わないの?」

「……殺しはいけない、などという綺麗事を言える程、奇麗な生き方はしていない」

「そう…それと」

 

 

女性が言葉を切ったところで、青年は再度視線を向ける。

 

 

「……さっきは助けてくれて、ありがとう」

 

 

女性からすれば、青年がいなければここで死んでいたかもしれない、という状況を救われた。

仮に自分だけで対処できたとしても、彼に救われたという事実は変わらない。

だからこそ、一言だけでも感謝の言葉を述べる女性。

それには、青年は返さなかった。

その代わりに。

 

 

「…聞きたいことがある」

「……いいわよ」

「ここは…何だ?」

 

 

青年は女性に質問を投げる。

しかし。

 

 

「…分からない。私は一月前にここに飛ばされたんだけど…生き残るのに精一杯で、碌に探索できてないし」

「そうか」

 

 

帰ってきた答えは、青年が期待するものとは少し違っていた。

とはいえ、それをどうこう言うつもりもなく。

 

 

「…街や、圏内エリアの場所は?」

「……」

「……そうか」

 

 

青年の問いに対し、女性は無言。

その無言から答えを察し、青年はやれやれ、といった様子だった。

 

 

「…世話になった」

 

 

これ以上の問答は不要と悟り、青年が歩き出そうとする。

しかし。

 

 

「……私も一緒に行くわ」

 

 

女性が同行を申し出る。

青年はそんな女性を訝しげに見る。

 

 

「別に同伴は不要だが」

「…さっきの話しぶりから、圏内エリアを探すつもりなんでしょ?見つかれば私にとっても利点はあるから」

「…好きにしろ」

 

 

溜息を吐く青年を追いかけるように女性がついていく。

女性の話では、一月経っても見つからなかったのだから、見つけるのは容易ではないだろう。

そういう意味では協力は確かに利点がある。

そう青年は考え、同伴を認めるのだった。

 

 

「…そういえば、名乗ってなかったわね。私はフィリア…どれくらいの付き合いになるか分からないけど、よろしく」

「……シグレだ」

 

 

アインクラッドとは似て非なる、けれどSAOの中という不思議な場所を歩き出すのだった。



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第4話:過酷な世界の、僅かな温かさ / Philia

*** Side Philia ***

 

 

 

森で出会ったのは、変わったプレイヤーだった。

装備している武器…刀だろうか…は、見た感じでは初期装備レベルのもの。

にもかかわらず、巨大な敵を圧倒するプレイヤースキル。

そして、オレンジカーソルである私を少しも警戒しない、プレイヤーとしての常識から外れている事。

 

 

「…」

 

 

私は、彼の背中について歩く。

さっき、背後から斬りかかるかも、といったのに私に背を見せている、今の状況。

信用されているのか、それとも私如き、いつでもどうにでもできる、とでもいうのだろうか。

もしそうなら、いくらなんでも舐められすぎな気もする。

 

 

「…ねぇ、シグレ」

「?」

 

 

呼びかけると、彼が視線を向けてくる。

 

 

「あんた…私が怖くないの?背後から斬りかかるかも…って言ったよね」

 

 

聞きようによっては、挑発するような発言。

下手をすれば、私はここに置き去りにされるだろう。

いくらシグレが強いとはいえ、わざわざ私というリスクを背負う理由はない。

私が同行を頼んだ立場ではあるが、シグレは私を助ける義務はない。

 

 

「……確かに、聞いたな」

「だったら…」

「だが」

 

 

シグレは否定しない。

だったら、私なんか放っておけばいいのに。

 

 

「…さっきの戦い、お前は俺を助けた」

「え…?」

 

 

確かに、私は協力した、かもしれない。

けれどそれは、シグレの指示通りに動いただけ。

それを、私がシグレを助けた、なんていうつもりはない。

いくらなんでも烏滸がましいというか。

 

 

「……だからこれは、その借りを返すためだ」

 

 

そんな私の思っている事など関係ないといわんばかりにシグレははっきりと続けた。

信用しているわけでもない。

私を斬るつもりでもない。

ただ、シグレの都合で私に借りを返しているだけ。

つまり、私の意志はそんなに関係がなかったらしい。

 

 

「…ふふっ」

 

 

思わず、笑みが零れる。

だって、可笑しいじゃない。

客観的に見れば私の方が助けられてるのに。

 

 

「……」

 

 

あ、少し顰め面になった。

戦いのときはあれだけ冷静な判断ができるのに、そうでないときはどこか抜けているような。

そのギャップが。

 

 

「…シグレって…お人好しって言われない?」

「……ないな」

 

 

思ったことを尋ねるが、返ってきたのは否定の答え。

でも、絶対嘘だな、と私は思う。

仮に彼に仲間がいて、それでも本当に言われたことがないとしても、内心ではそう思っていただろう。

そうでなければ、その仲間はシグレの事を分かってない。

 

 

「でもお人好しだよ。少なくとも見ず知らずのプレイヤーを助けるために、あんなデカいモンスターと単独で戦うくらいだし」

「…俺でなくとも、誰でもそうするだろう」

 

 

普通は逃げると思うけど。

そんな普通じゃない事を普通にやってのける、シグレは凄いと思う。

それにしても、ここにきて、誰かとこんなに話すのはいつ以来だろう。

 

 

「…」

 

 

誰かと話をして、ここまで温かい気分になったのは久しぶりだった。

シグレとは、圏内、または安全エリアを探すまでの暫定的なコンビだが。

 

 

「……んー…」

 

 

そこで終わっちゃうのも、なんか嫌だなぁ、なんて考える自分に驚きながら考える。

安全エリアを探して、全てが終わるわけではない。

きっと、シグレはシグレで一人、行動を続けるつもりだろう。

そういう意味では、私だって行動は続けるつもりだ。

だったらついていけばいいのでは、と考える。

少なくともこのエリアに関しては、私の方が先輩っぽいし、戦えないわけでもないし、ついていく理由には十分だろう。

 

 

「…どうした?」

「別に何でも?」

 

 

物思いに耽っていたからか、声をかけてくるシグレに、私は何でもないと返す。

シグレはそんな私が怪しかったか。

 

 

「……?」

 

 

少しだけ怪訝な表情を向けられる。

とはいえ、それほど気にしていなかったのか、すぐに振り返り、歩き出す。

 

 

…私の中に燻り始める、温かさ。

 

…その正体に気付くのは、もう少しだけ先の話。

 

 

 

*** Side Philia End ***



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第5話:再会、新たな道

それから、どれくらい歩いたか。

シグレ達は、雰囲気が変わりそうにない樹海の中を、ただ彷徨うように歩き続けていた。

 

 

「これ…もしかして迷ってるんじゃ……」

 

 

フィリアの懸念に、シグレは返さない。

その可能性が否定できないほど、歩き続けていたから。

とはいえ、実際に樹海がそれほどまでに広い可能性もある。

いずれにしても、このままではまずい状況なのは変わらないのだが。

 

 

 

そんな感じで歩いていると。

 

 

「…?」

 

 

シグレが立ち止まり、前方を注視する。

 

 

「わぷっ!?」

 

 

フィリアは気づかなかったか、シグレの背中にぶつかり、変な声が出る。

 

 

「…どうしたの、シグレ?」

「……転移だ。何かが…来る」

 

 

フィリアが尋ね、シグレが答え、指さす先を見ると、そこには二人も見慣れた転移の光。

先ほどまでそこに何もいなかったということは、ここに転移してこようとしていることになる。

シグレが刀の柄に手をかけ警戒をし、フィリアもそれに倣って警戒する。

…やがて、そこに現れたのは。

 

 

「……キリト、か?」

 

 

全身黒ずくめの見慣れた姿に、シグレが声をかけると、相手は驚いたように。

 

 

「シグレ…!?お前、なんで…あの時…え…?」

 

 

振り返り、シグレの姿を確認すると混乱を露にする。

75層での出来事を見ていた彼にとっては、混乱しかなかった。

そんな彼…キリトを見て、シグレは警戒を解く。

平然とするシグレ、混乱するキリト、状況が理解できないフィリア。

一度、状況の整理が必要だろう、と誰もが思い、一度安全な場所で話をすることにした。

 

 

 

そうして、キリトとシグレで状況を整理し、それをフィリアに説明する形で話を進める。

 

 

「…つまり、二人は知り合いで…75層でシグレは一度死んで…え?じゃあなんでシグレは今ここにいるのよ?」

 

 

とはいえ、情報量が多すぎるのか、フィリアは混乱を隠せない。

 

 

「確かに俺はあの時、アスナに貫かれて死んだはずだった。だがそこからの記憶はない」

「俺も、確かに見た。お前が光の粒になったのを。けど…そのお前の光の粒を、謎のアバターが取り込んだ。お前は…そいつに取り込まれたはずなんだ」

「だとすれば…俺は何だ?」

 

 

キリトが知る、シグレのその後。

謎のアバターに取り込まれたのなら、今ここにいるシグレは何なのか。

キリトとシグレはそれに、答えが出せない。

 

 

「…でも、シグレはシグレなんでしょ?…とりあえず、それはそれでいいじゃない」

「そうは言っても…」

「たとえ、今のシグレの体が偽物だとしても、持ってる記憶やらなにやらは本物…それ以前に私たちの体はそもそも偽物なんだし今更じゃない?」

 

 

フィリアの言葉に、キリトは苦笑しながら確かに、と返す。

当事者のシグレはどこか腑に落ちない様子だったが、やがて考えても結論は出ないと悟ったのか。

 

 

「……なら、そういうことにしておく」

 

 

溜息交じりにそう、返すのだった。

 

 

「ま、いいか。シグレが生きてたってのが…一番大事なことだしな」

 

 

そう、結論付けてキリトが立ち上がる。

 

 

「…帰ろうぜ。お前がいなくなって、落ち込んでるやつがいるんだ…元気づけてやってくれ」

「……そうなのか」

「あぁ。アスナはお前を殺したっていう罪悪感が強いみたいだし、サチとストレアも部屋から出てこなくなってるんだ。サチには黒猫団の皆がいるけど…な」

 

 

キリトはそこまで言って、少し暗い表情になる。

一時期は葬式みたいな雰囲気だった、と語るキリトの言葉が全てなのだろう。

とはいえ。

 

 

「それは構わないが…その前にやることがある」

「やること?」

「あぁ……お前は、この近くで安全エリアを見なかったか?」

「いや、見てないけど…どうかしたのか?」

 

 

シグレはキリトの問いに答える。

フィリアとともに、スカルリーパー…75層のボスを撃破した事。

助けてくれた彼女を、安全エリアに連れていくと約束した事。

シグレはその約束を反故にするつもりはなかった。

 

 

「…そういうことなら、みんなでアインクラッドに行けばいいじゃないか」

「……」

 

 

突拍子もないようなキリトの案に、シグレとフィリアが一瞬言葉を失っていると。

 

 

『「ホロウ・エリア」データ、アクセス制限が解除されました』

 

 

そう、無機質なアナウンスがどこからともなく流れたのだった。



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第6話:混濁する記憶

その言葉にシグレが思う所があったのかどうかはキリト達には分からないが。

 

 

「…そうか」

 

 

小さく返すだけだった。

そんなことをしていると。

 

 

「ちょっと、あんた…その手に浮かんでる紋様…」

「…何だ、これ…」

 

 

フィリアがキリトの手元を見て驚いたように声を上げる。

 

 

「……」

 

 

シグレも視線をやる。

皆が見る先には、見覚えのない紋様が浮かんでいた。

 

 

「…ちょっとよく見せて」

 

 

フィリアを除いて。

この場所においては、三人の中で最も詳しいからこそ何かに気づいた、といえるのだろう。

フィリアその紋様をじっと観察し。

 

 

「……やっぱり、同じ」

 

 

そう、呟きながら、フィリアは視線を明後日の方向に向ける。

その先を見れば、空の一部分を切り取るように、黒い球体が浮いている。

遠目ではあるが、その大きさを察するには十分な存在感があった。

フィリアはその球体を指さし。

 

 

「…あの場所。あそこに、同じ紋様がついた転移石…みたいなものがあって。ひょっとしたらって思ったの」

 

 

フィリアの思い出すような話。

当然ながら、キリトとシグレに真偽は分からない。

しかし、目的地がなかった為、それに乗らない手はなかった。

 

 

「それにしても、なんでこんなところにスカルリーパーが…」

 

 

歩きながら、キリトが思い出すように顎に手をやりながら呟く。

それについてはシグレもまた気にしていた事ではあったのだが。

 

 

「そういえば、そんなこと言ってたっけ…二人とも、見たことあるの?」

「あぁ…あいつは、75層で……」

 

 

キリトとフィリアがそんな会話をしながら歩く後ろをシグレはついていく。

そんな中で、シグレは思考に耽る。

…第一層から、行動をしてきた。

独りでボスに挑み、撃破し。

ただ、前に進み続け、攻略を続けてきた。

そして、結果として、75層で、自分は討たれ、死んだはずだった。

そのはずなのに今、こうして自分は生きている。

それだけでも謎が多いのだが、シグレがそれ以上に違和感を感じているのが、自分の記憶だった。

第一層から行動をしてきたはずなのに、まるで『初めからここにいた』かのような。

このゲームが始まった時から、この見覚えがある場所で、戦い続けていたかのような。

まるで、自分と、別の誰かの記憶が混ぜ込まれたような。

けれど、どちらも間違いなく自分であるかのような。

無意識に、自分の頭を手で押さえる。

自分の中の別の誰かに、意識の中で問いかけるように。

指先に、力が入る。

無意識に、歯を食いしばる。

いつのまにか、歩を止めていたことにすら、シグレは気づかない。

 

 

「ちょっと…シグレ…!?」

「……グレ、おい…どうした!?」

「っ!?」

 

 

…そんなシグレに気が付き、キリトとフィリアが歩を止め、シグレに声をかけていたことすら。

何とか耳に届いた声にシグレはハッと前を見る。

違和感がなくなったわけではない。

しかしそれでも、目の前で心配そうにこちらを見てくる二人に悟らせることはなく、軽く目を伏せ。

 

 

「……何でもない」

「何でもないって、あんた…」

 

 

シグレの返事にフィリアが食い下がるが、話は終わったといわんばかりに、それ以上の追及をさせないシグレ。

 

 

「…あの球体に向かうのだろう?」

 

 

言いながら、シグレは歩き出す。

その歩調は、キリトがよく知るシグレと何も変わらず、いつも通りだった。

しかし。

 

 

「…何でもなくは、見えなかった」

「……」

 

 

フィリアがシグレの手を掴み、話を続けようとする。

シグレはフィリアを見返すが、フィリアはその視線に怯むことはなく、シグレの視線を見返す。

そうして、シグレが折れかけていた時。

 

 

『既定の時間に達しました。これより適正テストを開始します』

 

 

先ほどの、無機質なアナウンスが響く。

そのアナウンスに、三人は警戒し。

 

 

「……いずれにしても、話は後だ」

「ん…」

 

 

どこか納得しきれないフィリアだったが、状況が状況だけに引き下がる。

その一方で、キリトはウィンドウを操作し、何かに気づく。

 

 

「…ホロウ・ミッション……」

 

 

そう、キリトは呟く。

ミッション、という単語に三人は穏やかでない何かを直感的に感じていた。



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第7話:償い、その先 / Asuna

*** Side Asuna ***

 

 

 

76層に到着した。

いつもなら、上に進めたことを喜んでいるはずなのに。

今の私…私たちの空気は、非常に重い。

 

 

「…ったく、何をやってんのよあの馬鹿男共は…!」

 

 

苛立ちを隠そうともしないリズの言葉が、どこか遠くに聞こえる。

男共、というのはシグレ君とキリト君のことだろう。

 

…悪いのは、私なのに。

 

シグレ君の考えに気づかずに、彼を貫いてしまった、私なのに。

 

 

「リズ…ごめんね。私が…私が、シグレ君を……そのせいで、…!」

「っ…アスナ……ごめんね。アスナを責めるつもりはないの…」

 

 

このやりとりも、もう何度目だろう。

シグレ君を貫いた感触が、未だ手から消えない。

今まで、何度もモンスターを貫いてきたのに。

シグレ君は、私たちをこの世界から解放するために、わざと貫かれたのだと分かっている。

だけど。

 

 

「ぅ、う……シグレ君…シグレ…君……!」

 

 

辛いのは、私だけじゃない。

だから、こうして塞ぎ込んでばかりじゃダメ。

それは、頭では分かっている。

だけど、まるで自分が細剣で貫かれたような痛みが胸に残る。

…ふと、あの戦いが終わった後の、ストレアさんとのやり取りを思い出す。

 

 

『っ…なんで、なんでシグレを……!』

『……』

『アタシは…シグレが生きていてくれれば、それでよかったのに…なんでシグレを……っ!!』

 

 

ストレアさんがどれだけシグレ君を想っていたかは、全てはわからなくとも、ある程度はわかる。

だからこそ、彼女が私に怒りをぶつけるのは、当然なのかもしれない。

けれど、その言葉だけで、それ以上は何もなかった。

頬の一発も叩かれると思ったけれど、それすらもなかった。

 

 

『…本当は、決闘でシグレの仇を討ってもいいかなって思ったんだ。それで仮にアスナに負けて、殺されてもいいって。でも…そんな事きっとシグレは望んでないから』

 

 

その言葉だけで、その話を終わらせた。

確かに、シグレ君なら、そう言ったかもしれない。

だけど、そこで感情を律することができるストレアさんは大人だな、と思った。

…或いはAIであるが故の合理的な判断、というやつなのかもしれない。

あれから、ストレアさんから笑顔が消えてしまったけれど。

どうやって謝ったらいいのか、全然分からないけれど。

 

 

「…ごめんね、リズ。いつまでも塞ぎ込んでなんて…いられないよね」

「アスナ…」

 

 

顔を上げて、何とか笑顔でリズに話しかける。

うまく笑えている自信はなかったし、実際上手くできていなかったのだろう、心配げな表情が目に映る。

 

 

「…ごめんなさい、皆。こんなところで立ち止まっていられないよね」

「大丈夫なのか…?」

 

 

私の言葉に、エギルさんは心配げに声をかけてくれる。

私は頷き。

 

 

「…シグレ君の事はすぐには割り切れないけど…立ち止まってばかりも、いられませんから」

「……そうか。でも今日はとりあえず休んだほうがいい…どっちにしても、キリトがいない以上、下手に動けないだろう」

 

 

実際のところ、エギルさんの言う通りだった。

私達も、75層を突破してきたことは事実だが、戦力はギリギリだった。

そこから、キリト君が抜けた穴はあまりに大きい。

 

 

「…でも、実際キリトはどうしちまったんだ?」

「私は…よくは知らないですが……」

 

 

クラインさんと、下の層でキリト君と知り合ったっていうシリカちゃんがキリト君について話しているのが耳に入る。

そう、キリト君が突然転移の光に包まれ、どこかにいってしまった。

彼のことだから、すぐに死んでしまう、ということもないだろう。

とはいえ、どういうわけかこの76層より下の層に下りられなくなっていて、確認ができない。

 

 

「…とりあえず、まずはキリト君を探しましょう。それから…今後の攻略について話していかないと」

 

 

そう…ここで立ち止まってしまえば、それこそシグレ君の犠牲を、私自身で無駄にしてしまう。

だから、私は…前に進んでいくよ。

それこそが…私にできる償いだって、そう思うから。

 

 

 

*** Side Asuna End ***



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第8話:待つだけでなく、その先に / Sinon

*** Side Sinon ***

 

 

 

…もう、二年経った。

忙しくて来れない日もあったが、出来るだけここに来るようにしている。

先輩が眠り続ける、病院の一室。

無機質な機械の音が、先輩が生きていることを無機質に伝えてくる。

 

 

「……」

 

 

ふと、本から目を先輩に移す。

二年前から比べると、体がすっかりやつれてしまっている。

点滴で生命維持をしているとはいっても、ずっと寝たきりで衰えてしまうのはどうしようもないのだろう。

このままでは、ゲームから帰ってくるどうこう以前に、先輩の体が限界を迎えるのでは、という心配が過る。

本音を言えば、助けに行けたら、と考えている。

けれど、私はゲームの知識なんて何もない。

仮に先輩のもとに行けたとしても、ゲーム初心者の私では何の役にも立たないだろう。

それが何とも歯痒い。

 

 

「…また、明日」

 

 

明日こそ、目を覚ましてくれたら。

何度そう思っただろう。

次、ここに来るまでの間に、死なないで。

何度そう思っただろう。

二年前から、変わらない想い。

…どうか、届いてほしい。

そう思いながら、私は先輩の病室を後にする。

 

 

 

そうして、病室を出たところで。

 

 

「あ…こんにちは」

「えぇ…」

 

 

数ヶ月前から、私と同じようにソードアート・オンラインに捕らわれた人の帰還を待っている人と話をするようになった。

話すようになったきっかけは、何度も顔を合わせているうちに、自然に、といったところだろうか。

 

 

「…こんにちは、桐ケ谷さん」

「こんにちは…朝田さん」

 

 

できるだけ笑顔を作って挨拶をすると、向こうもぎこちない笑顔で答えてくれる。

以前会話をしたところ、お兄さんの帰りを待っているらしい。

 

 

「貴女も…お見舞い?」

「えぇ…お兄ちゃんの」

「そう…」

 

 

お互いに、精神的に疲弊している。

それがわかるのは、私もそうだから。

それでも帰りを待ち続けるのは、いかにその人が大切かということ。

 

 

「…あの、私……」

 

 

少しの無言の後、桐ケ谷さんが話し出す。

その目は、少しばかり決意に満ちているようで。

 

 

「……行こうと思うんです」

「行くって…どこに…?」

 

 

決意を持った目。

行く、という言葉。

そこから先は察しはついたが、確認せずにはいられなかった。

 

 

「SAO…ソードアート・オンラインに。お兄ちゃんを迎えに…」

「…ま、待って。そんな事したら…!」

 

 

ソードアート・オンラインは、言わずと知れたデスゲームで、初回ロット以降販売は停止している。

ソフトの入手が困難な状況で、どうやって。

というより、それ以前にそんなことをしたら、お兄さんだけじゃなくて。

 

 

「貴女も…死んじゃうかもしれないわよ!?」

「…それでも。仮にここで手を拱いているうちに、お兄ちゃんが死んじゃったら…きっと一生後悔する」

 

 

だから…行きます。

桐ケ谷さんは、はっきりとそう言った。

大切な人を助けたいから、自分の命を賭けると決めた桐ケ谷さんは、とても強く見えた。

そんな桐ケ谷さんが羨ましくて。

私も、私の大切な人を助けるために、命を賭ける。

そんな覚悟は、とっくに済んでいる。

だから。

 

 

「…ねぇ」

「はい?」

「ゲームはあまり得意じゃないのだけど…VRMMOって、どうやればいいのかしら?」

 

 

私は、桐ケ谷さんに尋ねる。

そうしたら、親切にいろいろと教えてくれた。

私がこう思ったのなら、きっと貴女もそう思うって…分かってた、と桐ケ谷さんは言う。

上手く乗せられたような気恥しさはあるが、もう後には引かない。

 

 

「…待っててね、先輩」

 

 

もう…迷わない。

もう、待つだけ、なんてお断りだ。

これ以上、不安に苛まれ続けるくらいなら、貴方を助けるために、行動をする。

 

 

「ただ待つだけの…小説の中の弱いヒロインには…私はならない」

 

 

命の危険があっても、貴方と共に戦えるくらい、強くなりたい。

だから…私は、危険なところであっても、貴方の傍に行くから。

 

 

…先輩。

 

 

 

*** Side Sinon End ***



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第9話:守る者、守られる者

その頃。

キリトの発言でホロウ・ミッションというものが発生した事を知った三人は、森の中を歩く。

 

 

「…目的は、マッスルブルホーンの討伐だ。このエリアにいるらしい」

 

 

キリトの言葉に、フィリアは頷く。

シグレはそんなことは構わない、とばかりに振り返りもせず前を歩く。

その様子に、シグレはシグレだな、と苦笑するキリト。

 

 

「っ…危ない!」

 

 

シグレの向かって左方向から飛び掛かってくるモンスター。

シグレは歩を進めており、まるで気づいていないかのようだったが、モンスターの武器が振り下ろされる瞬間。

 

 

「……」

「ガアアアァァッ!?」

 

 

モンスターの武器を持つ腕が体から切り離され、光の粒になっていた。

一瞬何が起こったのか理解できていない様子のモンスターだったが、自分の腕がなくなったことに悲鳴とも雄叫びともとれぬ声を上げる。

腕を失ったモンスターはシグレに向かって突進する。

シグレはそれを横に飛んで躱す。

勢いのついたモンスターの突進は止まることなく、シグレとすれ違うように突進していく。

その先には、斧を振り下ろす、別のモンスター。

もともとシグレを狙っていたその一撃は、突進してきたモンスターを捉え、一撃を与える。

その一撃が致命傷となり、光の粒になっていくモンスター。

けれど斧を振り下ろしたモンスターはすぐにシグレに向き直り、武器を構えなおす。

 

 

「……」

 

 

…しかし、シグレに対してはそれですら遅すぎた。

モンスターが視界にいれたシグレはすでに武器を振るう寸前。

距離も詰められており、慌ててモンスターは斧で防御に入ろうとするが。

 

 

「遅い」

 

 

シグレは防御をものともせず一薙ぎし、そのモンスターを容易く光の粒に変える。

少しして、シグレは刀を戻し、再度歩き出していた。

 

 

「……」

「…どうしたんだ、フィリア?」

 

 

先のスカルリーパー改めホロウリーパーとの戦い。

そして今の戦い、とシグレを見て、その戦い慣れた様子に考えるフィリアにキリトが声をかける。

フィリアはキリトの言葉に軽く目を伏せ。

 

 

「別に……あいつが敵じゃなくてよかったって…そう思っただけ」

「あぁ…確かにそれはあるな」

 

 

出てくるモンスターを悉く光に変えていくシグレに、キリトとフィリアは殆ど戦いの苦労なく進んでいく。

とはいえ、シグレが全てを倒しているわけでもないため、二人の負担が全くない、というわけでもない。

 

 

「…っはぁっ!!」

 

 

フィリアが近づいてきたモンスターに短剣を振るう。

とはいえ、突発的な反応で防ぐが、さすがに斧との重量差で押し切られそうになり、バックステップで一度距離を開ける。

 

 

「フィリア!」

「…問題ないわ。私だって…!」

 

 

キリトも二振りの剣を抜き、フィリアの援護に入る。

そうして、フィリアが再度斬りかかろうとした瞬間。

 

 

「っ!」

 

 

影がフィリアとモンスターの間に割って入り、そのまま影はモンスターを一撃で光の粒に変える。

その突然の事にフィリアは一瞬固まるが。

 

 

「……大事はないか」

「え、あ…うん」

「ならいい」

 

 

刀を納めながら、尋ねてくるシグレにフィリアは混乱が収まらないうちに返す。

シグレはその返事に返すことなく、再度歩き出す。

 

 

「…」

 

 

さっき挟み撃ちで襲い掛かったモンスターに気付いただけでなく、フィリアに迫るモンスターの気配にすら対応するシグレ。

そんなシグレに、どれだけ気を張っているのだろうかと、フィリアは疑問に感じる。

歩きながら、それだけの気配を察知するというのは、果たしてどれだけ神経を研ぎ澄ませばできるのか。

シグレに対する興味が当分は尽きそうにないな、などと思いながら。

 

 

「ふふ…」

 

 

フィリアは軽く笑みを零しながら、少しだけ小走りでシグレとの距離を詰めて歩き出した。



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第10話:辛さを乗り越えて / Strea

*** Side Strea ***

 

 

 

シグレがアスナに殺されて、よく分からないまま、76層に辿り着く。

鞘に納まったシグレの刀を、離さぬように持ったまま。

あれから街に着いて、宿で一人、少しだけ薄暗い部屋の中明かりもつけずに、ドアを背にしてその場に座り込む。

 

 

「……」

 

 

シグレが、死んだ。

74層の時のことを思い出す。

あの時は、意識を失っていたとはいえ、シグレの体が、そこにあった。

だから、希望をもって、何とか待つこともできた。

けれど、今回は。

 

 

「っ…う、うぅ…っ!」

 

 

確実に、シグレは光の粒となって、消えた。

シグレの刀を抱きしめる。

こうしていても、もう、慰めてくれる人は、いない。

元のアタシに戻してくれる人は、もう……

その思いが、まるで胸にぽっかりと穴をあけられたような。

今まで感じていた温かさを、一瞬で奪われたような虚無感に苛まれる。

虚無感で、空っぽなアタシの頬に、温かい何かが伝う。

肩が、震えて止まらない。

 

 

「シグレぇ…!」

 

 

シグレの名前を呼ぶ。

それだけで、今までの記憶を想起する。

想起、という言い方は、適切ではないかもしれない。

何故なら、アタシはAIだから。

見たものをデータとして記録して、それをただ読みだしているだけ。

それだけ…なのに。

 

 

「なんで、こんなに…苦しいの?」

 

 

苦しいのは、いや。

だけど、どうすればいいのか、分からない。

どうすれば、この痛みから逃れられるのか、わからない。

 

 

「もう、やだよ…シグレ……!」

 

 

この痛みを取り除いてくれる最適解である、シグレは、もういない。

あの戦いで、死んでしまった。

アスナの剣に貫かれて、死んでしまった。

 

 

…正直なことを言えば、アスナが許せない。

アタシからシグレを奪った、なんて事を言うつもりはないけれど。

それでも、アタシが大切にしたいと思える存在を、破壊した。

シグレがそれを望んでいたとしても、アタシはそれが、受け入れられない。

このゲームが終われば、アタシは消える。

でも、それでも最後の瞬間までシグレと一緒にいられれば、それでいいと思ってた。

だけど、シグレは死に、それでもゲームは続いている。

 

 

「っ…」

 

 

今は、抱きしめている、この刀だけが、シグレとの繋がり。

けれど、胸を貫く虚無感は、消えない。

肩の震えは、止まらない。

繋がりを意識すればするほど、もうシグレに触れ合えないのだと、嫌でも意識させられてしまう。

 

いつからだっただろう。

彼と触れ合うだけで、温かさを感じるようになったのは。

 

いつからだっただろう。

少しだけ不器用な彼の笑顔に、胸の高鳴りを感じるようになったのは。

 

…シグレ、気づいてた?

シグレに抱き着いた時、すっごい恥ずかしかったんだよ?

すっごくドキドキして、でもそれが心地よくて。

でも多分、気づいてなかっただろうなぁ。

だって…シグレだし?

 

この事を言ったら、シグレは少しはアタシの事、意識してくれてたのかな。

そうしたら、この世界にいる間だけでも、シグレと恋人同士に…なんて、なれたのかな。

もしそうなれたら…すごく素敵なこと、かな。

それとも…それは適わなかったのかな。

 

 

「…」

 

 

思い出しただけで感じられる、あの時の温かさ。

一瞬だけ感じたそれは、窓から吹き込んでくる風一つであっさりと奪われてしまう。

まるで、窓から吹き込んでくる風が、現実を見ろ、と言わんばかりに。

涙で歪んだ景色は、陽が落ちて暗さを増していた。

 

 

「う、うぅ…」

 

 

…こんなに、弱くなっちゃったよ、アタシ。

シグレがいないだけで、いつもみたいに笑えなくなっちゃった…

もう、こんなの、やだよ…

あの時みたいに、アタシを…助けてよ、シグレ……

 

 

 

それからどれくらい経っただろう。

 

 

「……」

 

 

窓から吹き込む風に冷やされながら、少しだけ気持ちが落ち着いた頃。

ふと、以前に聞いたシグレの過去を思い出す。

両親を失い、家すらも失い、剣すらも失った、シグレの過去。

大切なものを失った、という意味では今のアタシと、同じ。

アタシの場合は、親じゃないけど。

 

…でも、シグレは乗り越えて、必死に生きてきた。

その心の強さが、羨ましいと、純粋に思う。

アタシにその強さがあれば、乗り越えられるのかな。

 

 

「……っ」

 

 

アタシのAIとしての機能が、自己防衛のために、シグレの記憶の削除を提案してくる。

人だって、辛いことを忘れることで、自分を守っている。

忘れる、という事は実はかなり大切なこと。

だけど。

 

 

「…アタシは絶対に…シグレの事を、忘れない」

 

 

提案を即座に却下する。

シグレの事をずっと想い続けるのは、きっと辛いのかもしれない。

…いや、間違いなく辛いことだと思う。

でも、仮にそうだとしても、シグレの事を忘れるなんて…できない。

今、ここにいるアタシを救ってくれたシグレ。

AIであるアタシに、恋というものを教えてくれたシグレを忘れるなんてことは絶対に、できない。

今はまだ、辛さを忘れることはできない。

今はまだ、笑い方を思い出すことはできない。

……だけど。

 

 

「…シグレを見習って、頑張ってみるね」

 

 

ひょっとしたら、ゲームの攻略が先になってしまうかもしれないけど。

それでも、シグレのように、自分の足で進めるように…頑張るから。

……もう会えないのは、すごく辛いけど。

見てて…くれる、かな。

 

 

……シグレ。

 

 

 

*** Side Strea End ***



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第11話:一方的な戦い

その後、三人は森の中をモンスターを散らしながら歩き続け。

 

 

「…あれか」

 

 

キリトが、若干違うオーラを纏った、というべきか、強敵の気配を感じるモンスターを見つける。

実際、確認をすれば、目的とするマッスルブルホーンであると判明する。

 

 

「……」

 

 

シグレはそれを知りながらも、抜刀すらせずに、普通に歩いて近づく。

気配を消して近づくでもない、正面から、普通に。

 

 

「お、おいシグレ!」

「ちょっと、何を…!」

 

 

そんなシグレを、キリトとフィリアは止めようとする。

相手はここまで戦ってきた、所謂雑魚ではなく、ボスクラス。

だとすれば、不用意に接近すること自体が危険な事。

ここまで生き残ってきたからこそ、キリトとフィリアはそれが身に染みて分かっている。

しかし、それはシグレとて同じはずだった。

というより、単独ボス撃破なんてことをやってのけるのだから、彼ら以上に、知っているはずだった。

だからこそ、キリト達にはシグレの行動が、分からなかった。

 

 

「……」

 

 

そんな二人の静止の声を聞いてか聞かずかシグレは一歩、また一歩と距離を詰める。

そこはすでに、モンスターが持つ巨大な斧のような武器の射程範囲内。

 

 

「シグレ!」

 

 

フィリアがシグレの名を呼ぶ。

それにシグレは振り返らず、抜刀する。

モンスターもそれに合わせるように、武器を振り下ろす。

攻撃態勢にすら入っていないシグレの眼前に迫りつつある斧。

仮に反応できても、シグレの武器では対応できない。

しかし、二人の目の前には、予想とは違う光景が目に映る。

 

 

「な…」

「え……?」

 

 

突如モンスターが武器に引っ張られるようにうつ伏せに倒れた。

片足のバランスが崩れたのか、武器の狙いは逸れ、シグレにモンスターの攻撃は命中しなかった。

 

 

「……」

 

 

地に伏すモンスターを見下ろすシグレ。

その瞳は、何を映しているか分からないほどに、冷めきっていた。

 

 

「っ…」

 

 

かつて、アインクラッド解放軍のコーバッツとの決闘。

その時から、キリトはシグレが敵に対して向ける冷酷さを知っていた。

……知っているつもりだった。

けれど、今のシグレは、その時の比ではなかった。

敵でなくて本当によかったと、キリトは思う。

普段のシグレを知っていたから余計にそう、なのかもしれない。

一方で、フィリアはどうか。

そう思い、キリトがフィリアに視線を向ける。

 

 

「……」

 

 

武器を構え、飛び込もうとしていたのだろうか。

けれど、突然の目の前の光景が信じられていないのか、それとも別の理由か、動けずに目の前の光景を整理しているようだった。

とはいえ、ボスモンスターは撃破されたわけではない。

武器を支えに、腕に力を入れて立ち上がろうとするボス、マッスルブルホーン。

それを見てか、シグレは刀を構え。

 

 

「…」

 

 

それを振るい、相手の肩を裂く。

シグレはモンスターに立ち上がることすら許さない。

相手がアルゴリズムに従って動くとはいえ、その動きを潰すかのようなシグレの戦い方。

シグレはソードスキルをそれほど使わないが、そうしなければダメージを与えられないわけではない。

ただ一撃の威力は下がる。

その為、敵を倒すのに時間がかかる。

それは、シグレの『弱み』だとキリトは考えていた。

しかし、今目の前で繰り広げられる光景を見て、キリトはそう思わなかった。

 

 

「…な、何なのよ…!」

 

 

フィリアも感じる、恐怖。

それに気づいてか気づかずか、シグレは、まるで削ぎ落すかのように、マッスルブルホーンの体の部位を裂いていく。

その間、シグレは僅かな抵抗すら許さない。

…時間がかかっても、自分へのダメージがなければ、何も問題はない。

それがシグレの戦い方なのだと、キリトは理解せざるを得なかった。

それにより、少しずつ巨体の体が削られていく。

そのダメージが蓄積してきたのか、モンスターのHPゲージは残り一本、半分を切っている。

体が光の粒に変えられるたびに、モンスターは悲鳴ともとれる雄たけびを上げる。

 

 

「…終わりだ」

 

 

もう黙れ、といわんばかりにシグレはモンスターの喉に、刀を突きたてる。

それが致命傷となり、マッスルブルホーンはボスとしての威厳を示すことなく、あっさりと光となって霧散した。



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第12話:守ったもの、守れなかったもの

モンスターが消え、安全となったその場所で。

 

 

「……」

 

 

シグレは刀を鞘に納める。

そうして目を閉じ、息を一つ吐くシグレ。

けれど、シグレは振り返らず。

 

 

「…それで?」

「え?」

 

 

突然声を掛けられ、キリトは驚いたように返事をする。

 

 

「目的のマッスルブルホーンは撃破したが…この後は?」

「あ、あぁ…」

 

 

しかしその口調、振り返るシグレの視線がいつも通りであることに少しだけ拍子抜けしながら返事を返す。

 

 

「出口に向かおう。それでミッションは終わるはずだ」

「そうか」

 

 

言いながら、歩き出そうとしたシグレに。

 

 

「…待ってくれ」

 

 

キリトが静止をかける。

それにシグレは足を止め、キリトに視線を向ける。

訝しげなシグレの視線を受け止めながら。

 

 

「お前…確か、剣道やってたって…言ってたよな?」

「…あぁ、言ったな」

 

 

キリトの問いに、シグレは思い出すように返す。

孤児院で、確かにそう言っていた。

 

 

「お前のそれは…本当に、剣道なのか?」

 

 

キリトは、今の戦いを見て率直に感じた疑問をぶつける。

 

 

「ど、どういうこと…?」

 

 

フィリアは質問の意図が掴めなかった。

それに答えるように、キリトが繋ぐ。

 

 

「剣道だって…わかりやすく言えばスポーツだ。それは相手との間に確かなルールがあって、その中で全力を尽くして戦う」

 

 

スポーツには、ルールがある。

それを守る中で、相手に勝つために全力で戦う。

そこには少なくとも、相手に対する敬意はある。

けれど、今のシグレの戦い方は。

 

 

「…今のお前の戦い方は、剣道のそれじゃない。殺すことに特化しすぎてる」

 

 

それは、少なくともこのご時世では、必要のない剣だと、キリトは考える。

それに気づいてか気づかずか。

 

 

「……そうか、お前は剣道をしていたのだったな」

「少しだけだけどな」

 

 

なら気づくか、と言葉を漏らしながら溜息を吐く。

やがて、諦めたかのようにシグレは顔を上げ。

 

 

「…察しの通りだ。俺の剣は…その方向に特化したものだ」

 

 

シグレはそう、答える。

このご時世に必要のなさそうな剣術。

それを身に着けたシグレ。

 

 

「…あなた、人を殺したことがあるの…?」

 

 

フィリアが尋ねる。

ゲームの中とはいえ、人を殺したというフィリア。

シグレはそんなフィリアに視線を向け。

 

 

「……あぁ。何十の人間を…殺した。この世界でも……現実でも、な」

 

 

そう、答える。

その答えに、尋ねたフィリアだけでなく、キリトも息を呑む。

当然の反応といえばそうだろう。

けれど、シグレはそれが分かっていたかのように。

 

 

「……だが、それだけ殺しておきながら、俺は本当に守りたかったものを…守れなかった」

 

 

人を殺したという罪。

守りたいものを守れなかった後悔。

その二つが、シグレを今も苛み続けていた。

 

 

「赦しを請うつもりはないが…このまま生き続けても疲れるだけだ」

「だから…死を求めた」

「それが、誰かの助けになるのならそれでもいいと…考えていた」

 

 

実際はそうならなかったが、と苦笑するシグレ。

キリトとフィリアには、その苦笑が痛々しく見えていた。



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第13話:たとえ弱くても / Sachi

*** Side Sachi ***

 

 

 

「サチ…大丈夫か?」

 

 

そう、声をかけてくれたのは、黒猫団のみんなだった。

 

 

「うん…ごめんね。私は…大丈夫」

 

 

一人でいたところに声を掛けられ、一瞬返答に迷う。

きっと、シグレがいなかったら、私たちは…

……私たちは、きっと、死んでしまっていた。

27層でのトラップの事。

あの時のことは、もうきっと、忘れられない。

それは、ここで…この世界で、死ぬ恐怖。

けれどそれ以上にあったのは、皆を、失ってしまうという恐怖。

 

 

あの時、皆に手伝ってもらいながら突撃した時。

シグレのHPはあとほんの僅かだった。

私達は、二度も彼に助けられた。

にも拘らず、私には、彼を助けられなかった。

 

 

「…ねぇ」

「?」

「どうして…シグレは、死ななきゃいけなかったの…?」

 

 

あの時に、嫌というほど感じた恐怖。

シグレを失ってしまうという恐怖。

この恐怖を現実にしたくないと、彼を必死に追いかけて、追いついて。

けれど、シグレが敵であるという宣言をしたあの時。

アスナと決闘をする時。

アスナのソードスキルがシグレを貫く寸前。

幸か不幸か、私には見えてしまっていた。

シグレは、笑っていた。

 

 

「っ…」

 

 

その意味を、察してしまった。

あの時、自分の身を挺して、黒猫団を守ろうとした姿が重なる。

だから気づけてしまった。

シグレは、あの決闘で、勝つつもりはなかった。

負けて…皆を、現実に返すために。

けれどそれは、未だ叶っていない。

76層への到達、という報酬のみで、未だにこのゲームは続いていた。

 

 

「…うん」

 

 

だったらせめて、私は、戦いたい。

シグレの遺志を継いで、なんて言うほど私は強くない。

戦いの強さも、心の強さも、シグレには敵わない。

…それでも、私は、貴方の隣で、共に戦いたいと思っていた。

それはもう、叶わないけど。

 

 

「…ごめんね、皆。もう、大丈夫だから」

 

 

こうして支えてくれる皆のためにも、私は、ちゃんと立って、前を見て歩いていくから。

皆と一緒に、絶対無事にこのゲームを脱出する。

貴方はその強さで、すごく遠くに行ってしまったけど。

 

私はシグレのような強さはないけど。

まだ、戦うのは怖いけど。

もうこれ以上、大切な何かを、失いたくないから、私は戦う。

 

 

…あの時、シグレが教えてくれた事。

ちゃんと、覚えてる。

 

 

「……そっか、ならいいんだ」

「ごめんね…」

 

 

私はきっとまだ、守られる側、なのだと思う。

でも、それでもいつかは、ちゃんと守れるように、頑張るから。

だから…少しだけ。

ほんの少し、疲れちゃった時は…シグレのことを思い出して、少しだけ泣いても、許してほしいなって。

 

 

「…そろそろ晩御飯だっていうから呼びに来たんだけど…どうする?」

「うん…行くよ。ちゃんと食べて…頑張らないと、だもんね」

 

 

ちゃんと笑えてたかな。

あ、みんな少し心配そうな顔。

……まだまだ、だなぁ、私。

 

 

 

*** Side Sachi End ***



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第14話:圏内を目指して

シグレ達は、その後、森の出口に到達する。

その時。

 

 

『クリアを確認しました。承認フェイズを終了します』

 

 

ここに来る前と同じ、無機質なアナウンスが流れる。

 

 

「…」

 

 

シグレは一瞬顔を上げるが、それ以上は反応しない。

一方で、キリトは立ち止まり、何かを考えるように顎に手を当てる。

 

 

「?…どうしたの?」

 

 

そんなキリトに、フィリアが声をかける。

その声に反応し、シグレも歩みを止め、振り返る。

 

 

「ん…いや、ちょっと考えてたんだ。テストだとか、承認フェイズだとか…気になる単語が出てきたからさ」

「……それで、何かわかったのか」

 

 

シグレが問いかける。

けれど、キリトは首を横に振り。

 

 

「いや…いくつか仮説はあるけど、確証がない。もう少し何か…情報を集めないと……」

「…そうか」

 

 

キリトの言葉にシグレは追及をやめ、歩き出す。

 

 

「気にならないの?」

「…気にならない、といえば嘘になるだろうが…分からないのなら気にしても意味がない」

 

 

シグレは歩きながら。

 

 

「それに…俺がここで為すべきこと。それを為す上で…不要な情報だ」

「…為すべき事?」

 

 

シグレの言葉に、フィリアが興味を持つ。

しかし、シグレは頭に自分の手をあて、言葉を放つ。

 

 

「お前には関係のないことだ」

「む…」

 

 

突っぱねるような物言いに、フィリアは口を紡ぐ。

内心、そうかもしれないが、そこまではっきり言わなくても、等と考えていたフィリア。

しかし、シグレにはその思いは通じなかった。

 

 

「……」

 

 

一方のシグレはというと、先ほどと同じように、自分の記憶を辿る。

自分の記憶と、自分ではない自分の記憶。

相変わらず、どこがその境界なのか、自分でもぼんやりしていた。

二つの記憶が、混ぜ込まれ。

脳が、違和感をなくすかのように勝手に記憶を改竄してるのでは、と疑いたくなるほどに自然に一つになっていく。

現時点で、それほど違和感を感じられなくなってきている。

その混ざり合った記憶が『為すべきこと』を塗り潰すかのように、靄がかかったかのように。

…シグレの記憶を塗り潰すかのように。

 

 

「…シグレ?さっきから時々頭押さえてるけど…大丈夫なの?」

 

 

フィリアに声を掛けられ、ハッとするシグレ。

目を伏せ、手を下ろし。

 

 

「……問題ない」

 

 

それ以上は追及を許さないシグレ。

 

 

「…」

 

 

キリトも訝しげに見ていたが、フィリアの問いかけに対する答えを聞いて、追及を諦める。

 

 

「…そこよ。例の転送装置」

 

 

ふと、フィリアが一点を指しながら、目的地を告げる。

そこには、文様が刻まれた、宙に浮く石のようなオブジェクト。

それに、キリトが転移門のアクティベートをするように試すと、オブジェクトの文様が色づいた。

 

 

「…あの球体の中には行ったことはないけど、この先に、ホロウエリアの秘密がある気がする」

「あぁ…そうだな。見るからに怪しいし…俺も同意見だ」

「私も…一緒に行っていい?」

「当たり前だろ」

 

 

キリトがフィリアの問いに答えた直後にシグレに振り返り。

 

 

「もちろん、お前もだ。シグレ」

「……分かった」

 

 

キリトの念を押すような言葉に、溜息交じりにシグレも答えた。



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第15話:戦う意味、目的

直後、今までと同じような転送の光に包まれる。

少しして落ち着いたところで、ふと、目を開くが、景色は何も変わっていなかった。

森の出口の光景。

そこに浮かぶ、森の中には不釣り合いな、転送を行うであろうオブジェクト。

ただ一つ違うのは、キリトとフィリアがその場から姿を消していたことだった。

 

 

「……?」

 

 

シグレは状況を把握すべく、辺りを見回す。

けれど、考えるまでもなく、転送に失敗したということだろう、とすぐに察する。

 

 

『転送エラーが発生しました。対象のプレイヤーは管理区エリアに転送できません』

 

 

すぐに流れる、無機質なアナウンス。

つまり、どういう理由かはさておき、管理区とやらに入ることを許可されていない。

シグレはそう認識する。

…尤も、シグレはそれを問題視はしていなかった。

何故なら。

 

 

「…当初の目的は達成した」

 

 

シグレはそう、呟く。

管理区、というからにはフィールドのようにモンスターが出るわけではないだろう。

そう考えれば、圏内エリアを見つける、という目的は達成した。

であれば、これ以上行動を共にする理由はない。

それがシグレの結論だった。

 

 

「…」

 

 

とはいえ、ここでいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

そう考え、次の目的地を見つけるために、辺りを見回す。

 

 

「……?」

 

 

ふと、シグレは遠巻きに、人影を見つける。

気配を感知した、とか大層なものではない。

単純に、視界に捉えただけ。

モンスターという異形が蔓延る中で、人というのはそれだけで目立っていた。

単純に、他にもプレイヤーがいたという興味だけであったが。

 

 

「……っ!?」

 

 

ふと、視界に入った、男の腕に刻まれた模様に、シグレは興味から、憎悪に似た何かに感情を変える。

それは、かつてある男と対峙した時のこと。

自分の父親の最期を知り、手にかけた、最凶ギルドのリーダーの包丁使い。

父の仇、という憎悪に捕らわれたシグレは刀を抜き、その人影に向かって距離を詰める。

 

 

 

そこから先は、シグレの独壇場だった。

 

 

「な、何なんだよ、お前…!」

 

 

人影に距離を詰め、出会い様に両脚を刀で両断し、膝から下を光の粒に変える。

正面にバランスを崩し、俯せになった男に、感情を削ぎ落したような視線を落としながら。

 

 

「…質問に答えろ」

「ぐほぁっ…!」

 

 

命令口調の言葉と共に、シグレは男の腹を蹴り上げ、仰向けにさせる。

 

 

「貴様等のリーダーは…どこにいる」

「へ、言うわけ…ねぇだろうよ?」

 

 

シグレの問いに、男は虚勢を張るように吐き捨てる。

突然、何の躊躇いもなく膝下を斬り飛ばされたことによる恐怖こそある。

しかし一方で、シグレのカーソルが緑であることが、男に若干の余裕を生む。

こいつは、人を殺したことがない。

だから、殺せない。

少なくとも、躊躇うはず。

その隙をついて、転移をすればいい。

そう考えていた。

 

 

「そうか」

 

 

シグレは武器を構えるでもなく、力なく持ったまま、溜息交じりに返事をする。

男は、シグレに隙ができた、と。

今のうちに転移を、と、懐から転移結晶を取り出し。

 

 

「…残念だ」

「転……ぎゃあああぁぁぁぁっ!?」

 

 

転移先を言い、離脱しようとした瞬間に肩を切り飛ばされ、転移結晶を手放す。

幻肢痛だろうか、男は悲鳴を上げる。

シグレは転移結晶を拾い上げ。

 

 

「……もう一度聞く。貴様らのリーダーは、どこにいる」

「し、知らない!本当だ…嘘じゃない!」

 

 

必死に弁明をする男に、シグレは無言。

ならもう用はない、と言わんばかりに喉元に刀の切っ先を当てる。

いよいよ死の恐怖にかられたのか。

 

 

「…た、頼む。知りたい事は何でも答える!欲しいものがあれば手に入れる!だから…だから、頼む、殺さないで……!!」

 

 

必死の命乞い。

情に厚い人間ならば、そこで刀を納めていたかもしれない。

しかし、憎悪にかられたシグレは、そんなことは考えない。

 

 

「…お前は今まで、その言葉を何度聞いた?」

 

 

シグレの言葉に、男の脳裏には走馬灯が過った。

命乞いの言葉は、男自身、何度も聞いてきた。

だが、自分はどうしたか。

 

 

「…因果応報だ」

「やめ、やめてくれええぇぇぇっ!!!!」

 

 

シグレは、命乞いの言葉を叫ぶ男の口に刀を突き刺し、喉奥に風穴を開けた。

男の喉奥から突き入れられた刀が首の裏を貫通し、地面を刺す。

 

 

「あ、が……っ」

 

 

言葉にならない絶叫をしながら、男を光の粒に変えるシグレ。

男はオレンジプレイヤーだった為、シグレのカーソルは緑のまま。

シグレは地面に刺さった刀を引き抜きながら。

 

 

「……」

 

 

手元の転移結晶を放り捨て、刀を納めて歩き出す。

 

 

混乱する記憶の中で見つけた、為すべきこと。

 

 

…それはあまりに、歪んだ決意であった。



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第16話:帰還する者、捕らわれる者

管理区と呼ばれるエリアにて。

 

 

「…あれ、シグレは?」

 

 

ふと、フィリアが気づいたように辺りを見回す。

コンソールを確認していたキリトも、その声に顔を上げて辺りを見回すが、姿はなかった。

 

 

「……あいつ、どこに…」

 

 

てっきり、辺りを見ているのかと思っていたキリトは舌打ちをする。

このゲーム開始の頃から、一人で突っ走っていく部分があった事を知っていたはずなのに。

いつかは連れて帰って、皆と再会して、また攻略に戻れると思っていたキリト。

シグレを探しに行くべきか、調査を続けるべきか悩んでいたが。

 

 

「…これ、ちょっと見て。少し形は違うけど…転移門じゃない?」

 

 

フィリアの言葉に、キリトは目を見開く。

それは、多少違いはあれど、見慣れたもの。

 

 

「…間違いないな。これで帰れるぞ」

「そう……よかったね」

 

 

どこか他人事のフィリアにキリトは不思議そうに尋ねる。

 

 

「どうしたんだ、フィリア…あんまり嬉しそうじゃないな。一緒には……帰らないのか?」

「…私は、一緒には行かないから」

 

 

その答えに、何か事情があるのだろうと、何となく察する。

カーソルがオレンジである事も、止むを得ない事情があるのだろうと、思っていたから。

 

 

「そうか…でも、また来るよ」

「それは…シグレの事があるから?」

「それもあるけど、単純に…この場所に、ホロウ・エリアに興味があるんだ」

 

 

キリトが言う、未知のエリア、未知のスキル、未知のモンスター。

そういった、まだ知られていない何かが、キリトのゲーマーとしての情熱を掻き立てる。

死んでしまえば現実でも死んでしまうというのに、その状況を楽しんでいるキリトにフィリアは苦笑した。

 

 

「…でも、その気持ちは、何となくわかるかな」

 

 

そうして、少しだけ楽しい雰囲気になりつつ。

 

 

「……もし、ここに来ることがあるなら私にメッセージを頂戴。ここに来るようにするから」

「あぁ。俺はいったん戻るよ…気をつけてな」

「…ありがと」

 

 

そんな言葉を交わし、キリトは転移の光に包まれていく。

きっと、アインクラッドに戻ったのだろう、とフィリアは考えながら。

 

 

「…行っちゃった、か」

 

 

フィリアは一人、呟く。

 

 

「…転移」

 

 

キリトと同じく、転移門に近づき呟く。

しかし。

 

 

『システムエラーです。ホロウ・エリアからは転移できません』

 

 

キリトのように、転移はできなかった。

フィリアからすれば、分かっていたことだったのだが。

 

 

「私って…何なんだろう」

 

 

フィリアは一人、溜息を吐きながら、諦めるように。

転移門から背を向け、コンソールで外へと転移していくのだった。



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第17話:未知のエリアでの出会いと再会 / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

転移した後の街は、確かに76層のそれだった。

無事に、ホロウ・エリアから出てこれた、ということになる。

皆が思い思いに過ごす中、ホロウ・エリアでの事を思い返す。

 

 

…フィリア。

ホロウ・エリアで知り合った、オレンジプレイヤー。

何か事情があるようだが、詳しくは知らない。

けれど、悪い人ではない、ということだけは分かる。

何か力になれればいいんだけど。

 

 

…シグレ。

75層の決闘で、確かに死んだはずだった。

けれど、あいつは、確かにいた。

何故なのかはわからないが、生きていることだけは確か。

少し様子がおかしい気もしたが、あいつはあいつだろうから。

連れ戻して、また皆で過ごしたいと思う。

 

 

そんなことを考えながら、街中を歩いていると。

 

 

「あぁー、キリト帰ってきた!」

「…リズ」

 

 

聞き覚えのある声に、そっちを見る。

ふと見れば、見覚えのある、ぼったくり鍛冶屋の顔。

 

 

「…なんかあんた今、失礼なこと考えなかった?」

「いや別に」

 

 

…なんで分かるんだよ。

 

 

「だから言ったでしょ?どうせすぐ戻ってくるって。みんな心配しすぎなのよ」

 

 

そう言って、やれやれといった感じなのは、この76層で出会った、シノン。

なんでも、SAOに囚われ続けている人を探すために、無理やりログインしてきた、のだとか。

事情はどうあれ、無茶をするな、というのが第一印象。

そうやって無茶して突っ走るところはシグレに似てる気がしないでもない。

 

 

「でも、それでも…心配はするよ。私にとっては…家族だもん」

 

 

そう言いながら不安な表情をするのはリーファ。

少し前に、森に妖精が現れる、という噂がたったころに調査していたら出会った、エルフ耳を持った、金髪のプレイヤー。

話を聞いてみると、その正体は俺の妹の直葉だった。

なんでも、別のゲームからSAOにログインしてきたのだとか。

色々と突っ込みどころはあったが、とりあえず…ゲーム、やってたんだな、というのが率直に思ったことだった。

 

 

「…で、皆に心配かけて、あんたは何してたのよ」

「悪い、ちゃんと説明するから」

 

 

そうして、76層に新装開店したエギルの店で椅子に座り。

ちらり、と辺りを見回す。

皆揃ってはいるが、一人だけ姿が見えない。

 

 

「…ところで、ストレアはどうしたんだ?」

 

 

シグレが死んだという事実に、おそらく一番ショックを受けたであろうストレア。

正直なところ、そのうち自殺でもしてしまうのでは、と不安だった。

 

 

「今…部屋にいるわ。フレンド登録もしてるから間違いないと思う…圏内だから、自殺もないとは思うけど…」

 

 

言葉を切るアスナ。

やっぱり心配なのだろう。

 

 

「…そうか」

 

 

ストレアにも聞いてもらうべきだと思ったけど、ひょっとしたら寝てるかもしれない。

無理強いはできないし、後で伝えればいいか。

 

 

「…実は、探索を行っていたら、突然別のエリアに転移させられたんだ」

 

 

その言葉に、皆が一瞬騒めく。

まぁ、そういう反応になるよな。

俺は今回帰ってこれたけど、もし超高難度なエリアとか迷宮区に飛ばされたらと思うとゾッとする。

 

 

「ホロウ・エリアって場所だ。そこで俺は…二人のプレイヤーと会った」

「……プレイヤー?」

 

 

俺の言葉に、シリカが疑問符を浮かべる。

 

 

「…一人はフィリアって子だ」

「まぁた女の子かよ…どんだけ女の子と知り合えば気が済むんだ、おめぇは?」

 

 

クラインの呆れ半分、嫉妬半分の言葉を受け流す。

 

 

「…それで、もう一人は?」

 

 

サチの問いに、俺は頷き。

 

 

「……シグレだ。あいつが…ホロウ・エリアにいた」

 

 

その言葉に、75層にいた皆も。

事情を人伝に聞いていたシリカも、リーファも、シノンも言葉を失っていた。

確かに死んだはずなのに、生きていた。

この世界では、ありえないはずの事実に混乱し、一瞬言葉を失っていた。

…そうだよな。

ありえないはずなんだ、このデスゲームで。

 

 

 

*** Side Kirito continues... ***



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第18話:再会を求める彼女と共に / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

混乱から生じる、静寂。

 

 

「…どういうこと」

 

 

その静寂を打ち破ったのは、階段の上から。

 

 

「ストレア?…もう大丈夫なのか?」

 

 

久しぶりに見た、ストレアの姿だった。

どれだけショックを受けていたかは何となく知っていたからこそ心配になったのだが。

ストレアはそんなことはどうでもいいと言わんばかりに答えない。

 

 

「シグレを見たって…どういうこと?シグレ…生きてるの?どこにいるの?教えて、キリト」

 

 

どこか慌てるように駆け寄ってくるストレアに改めて事情を説明する。

ホロウ・エリアという場所でシグレと会ったこと。

ここに戻る直前、どこかにいなくなってしまったこと。

すべてを覚えているようだが、少しだけ様子がおかしく見えたこと。

あのエリアのどこかにはいるはずだが、どこにいるか、までは分からないということ。

 

 

「…ありがと。アタシ…行ってくる」

「行くって…ホロウ・エリアにか?」

 

 

駆け出すストレア。

突然の行動に驚いたこともあって、止め損なってしまう。

 

 

「っごめん、話はまた後で!」

 

 

言いながら、駆け出す。

あの場所に一人で突撃は無茶すぎる。

フィリアがいてくれればいいが、ずっといるわけでもないだろう。

フィリアのように多少なりとも知っていればいいが、初見であの場所に一人で突撃するのはいくらなんでも危険すぎる。

 

 

 

そうして、転移門広場。

そこで一人、ストレアが佇んでいた。

 

 

「…ストレア?」

「ホロウ・エリア管理区…で、いいんだよね?」

「あ、あぁ…そうだ」

 

 

俯くストレア。

事情を聴くと、転移できなかったらしい。

理由は、分からない。

 

 

「…転移、ホロウ・エリア管理区」

 

 

俺が転移をすると、無事に管理区に入れた。

…誰も、いないか。

 

 

「…転移、アークソフィア」

 

 

もう一度転移をすると、アークソフィアに戻れる。

ストレアはその場で待ってくれていた。

 

 

「…ひょっとしたら、パーティを組めば一緒に行けるかもしれない。試してみてくれるか?」

「え、うん…」

 

 

ストレアとパーティを組み、もう一度転移してみる。

今度は。

 

 

「え?あれ、ここ……」

 

 

ストレアが突然変わった景色に驚く。

どうやらうまくいったようだった。

ストレアはその景色に見覚えでもあったのか、

 

 

「…どうかしたか?」

「え?あ、うん…何でもない」

 

 

それでも、言葉を濁すストレア。

 

 

「…?…ちょっと待っててくれ」

 

 

フィリアからメッセージが来たので確認する。

俺が転移した後、フィリアはシグレを見つけ、パーティで行動しているとの事だった。

メッセージに返事を飛ばす。

 

 

「さっき言った、フィリアって子が…今シグレと一緒らしい。とりあえず、外に出よう」

「っ…ん」

 

 

俺の言葉に、ストレアは胸元に手を当て、頷いた。

不安半分、期待半分、といったところなのだろう。

そんなストレアの様子を確認し、外のエリアへの転移をするのだった。

 

 

 

*** Side Kirito End ***



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第19話:借りを返すために / Philia

*** Side Philia ***

 

 

 

キリトと別れてすぐ、私は管理区を出る。

先程までいた、見慣れたフィールド。

 

 

「っ…あれ…?」

 

 

辺りを見回す。

けれど、シグレの姿はない。

私だって、ここで一ヶ月近く過ごしていた中で、多少は気配を感じられるようになった。

けれど、分からない。

だとすれば、おそらくシグレはこの近くにいない。

 

 

「っ…」

 

 

どれだけあたりを見回しても、何も手掛かりはない。

見慣れた風景。

その中に、探している人影はなくなっていた。

 

 

…その次の瞬間、森の中で、光の欠片が舞うのが目に入る。

 

 

「っ…」

 

 

現実ではありえない、けれど、この世界に来て幾度となく目にした光。

誰か、あるいはモンスターが撃破されたことをあらわす、光の欠片。

そこに、シグレがいるとは限らない。

けれど、少なくとも戦闘があった事は間違いない。

手掛かりとしては、十分だった。

 

 

 

…途中現れたモンスターに足止めされながら、その場所へと駆ける。

 

 

「やあぁっ!!」

 

 

短剣が、モンスターを容赦なく光の欠片に変えていく。

そうして、走りながら、考える。

…私はどうして、こんな風にあいつを追いかけているのか。

あいつとは、ただここで知り合って、何度か、共に戦った。

それだけ。

なのに、何故、私はこんなにも、あいつを気にしているんだろう。

 

 

 

…そんな事を考えていた矢先、視線の先に。

 

 

「…シグレ?」

 

 

あいつが、いた。

見覚えのある風貌。

その視線は。

 

 

「っ…!」

 

 

憎悪に満ちていた。

その視線は、地面を向いていて、今までそこにいた何かに向けられていた。

モンスターに対してだろうか。

…きっと、違う。

私は、あいつがどれだけモンスター相手に冷静に対処したかを見てきた。

そんなあいつが、どんな感情とはいえ、あんなにも感情を剥き出しにするとは考えにくい。

だとすれば。

 

 

「…プレイヤーを…殺した?」

 

 

もちろん、推測だ。

だけど、そう推測するには十分なあいつの表情。

私は一瞬、足を止める。

追いかけてきたはずなのに、あいつに近づくことに恐怖を感じた。

 

 

「……?」

「っ…」

 

 

気配に気づいたのか、シグレがこちらに目を向けてくる。

殺気を向けられているようで、一瞬足が竦む。

けれど。

 

 

「…どうした?」

 

 

話しかけられ、その表情を見る。

そこには、さっきの憎悪すらない、見慣れた無表情。

 

 

「…ううん、何でも」

 

 

さっきの事を、私は聞けなかった。

何か踏み込んではいけない、そんな気がして。

 

 

「私のことより、あんた…なんで管理区についてこないのよ?」

 

 

出来るだけ、私はいつも通り振る舞う。

いつも通りになっているかは、私では分からないけど。

シグレの視線からは、それを察することはできなかった。

 

 

「…ついて行こうとはしたが、入れなかった」

「え?」

「システムエラー、だそうだ」

 

 

淡々と告げられる言葉に、私は一瞬考える。

あの場所に、入れなかった。

キリトも、私も入れたのに。

何故なのだろう、わからない。

けれど、気にしていないのだろうか。

 

 

「…どうせ入れないのなら、留まるだけ無駄だ」

 

 

だから、行動した。

そう、シグレは言う。

 

 

「それに…やる事も、あるからな」

「それは…あんたが言ってた『為すべき事』…ってやつ?」

「…そうだ」

 

 

それは、さっきあんたが怖い顔をしていたのと…何か関係があるの?

そう、聞きたかった。

けれど、今の私にその度胸はなかった。

けれど…気になってしまう。

…だから、私は。

 

 

「…いいわ。なら…私があんたの言う『為すべき事』ってやつ…手伝う」

「その必要はない。これは俺が成す事だ…お前は安全地帯に戻ればいい」

 

 

思い付きで言ったように、捉えられたのだろう。

けれど。

 

 

「このあたりに何があるか…あんた知ってるの?」

「…」

 

 

シグレは言い返してこない。

 

 

「……それに、あんたには、借りがあるのよ」

「借り?」

「そう…管理区まで案内してもらって、道中守ってもらったっていう、借り」

 

 

畳みかけるように、シグレの真似をするように、言葉を続ける。

…少しだけ、きょとんとした表情のシグレ。

意外な表情に、私は軽く噴き出しながら。

 

 

「シグレはどうあろうと、私を助けた。だからこれは、借りを返すためよ」

 

 

借りを返すために、シグレはここまで守ってくれた。

なら、その守ってもらった借りを返すために、私がついていくのは自然な事だろう。

 

 

「……分かった」

 

 

やがて、折れたのか溜息交じりのシグレ。

勝った。

…何に?私にもわかんないけどね。

 

 

「…どこに向かうの?」

「さぁ…な」

 

 

歩き出すシグレを追いかけながら尋ねるが、答えは曖昧だった。

 

 

「…この世界のどこかに…やるべきことはある。だが…何をしたらいいかは分からない。場所もわからない」

「ふぅん…なら、この辺りを少し探索する?」

「……」

 

 

分かってる。

シグレは暗に、管理区に戻れ、と言いたいのだろう、と。

仮に私がシグレと同じ立場だったら、きっと同じことを言うだろう。

だけど、すんなり従う、なんて思わないでよね。

 

 

「…どうしたの?また頭痛?」

「………別の意味でな」

 

 

じゃあ大丈夫か。

そんなことを考えていると。

 

 

「…あ、ちょっと待って。メッセージ…キリトから」

「……」

 

 

メッセージを確認する。

内容としては、シグレと一緒に来てほしい、という内容だった。

 

 

「シグレ。キリトが…来て欲しいって」

「……お前だけ行けばいいのではないのか?」

「それじゃ私が頼まれ事を反故にする事になるじゃない」

 

 

なんかホントに頭痛そう。

無理言っちゃったかもしれないけど、少しくらいは、ね。

 

 

「いいから、ほら!」

「あ、おい…」

 

 

シグレの手を引っ張り、私達は管理区へ。

こうでもしないと、逃げられると思っていた。

けれど、よくよく考えると、恥ずかしい。

感情の隠せないこの世界で、この恥ずかしさがバレていないか気にはなるけど、今は気にしないことにした。

 

 

 

*** Side Philia End ***



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第20話:再会と、胸の高鳴り / Strea

*** Side Strea ***

 

 

 

キリトに連れられ、ホロウ・エリアへ。

 

 

「っ…?」

 

 

管理区の外、視線をやり、シグレを探す。

しかし、それらしき影は見当たらない。

 

 

「今、フィリアにメッセージ飛ばした。こっちに来るってさ」

「う、うん…」

 

 

キリトがそう、教えてくれる。

慌てずとも、ここにシグレは来る。

そう言ってくれたけど、死んでしまう瞬間を見てしまったアタシは不安しかない。

 

 

「シグレ…」

 

 

キリトが言うシグレは、アタシが想うシグレだろうか。

シグレはちゃんと、アタシの事を覚えてくれているだろうか。

アタシはちゃんと、いつも通りに接することが出来るだろうか。

他にも、いろいろな不安が巻き起こり、シグレに会いたいけど、会いたくないような、妙な感じになる。

 

 

「…っ!」

 

 

やがて、二人の人影が、近づいてきた。

 

 

「お、きたきた……ストレア?」

 

 

キリトは手を振っているが、アタシはそんな余裕がなかった。

胸元をどれだけ抑えても、緊張の高鳴りが、止まらない。

 

 

一人は、知らない女の人。

きっと、キリトが言ってた、フィリアって人…だよね。

 

 

そして、もう一人。

手を引っ張られ、溜息交じりなその人影は、見覚えがありすぎて、一瞬息が詰まる。

無茶苦茶な方法とはいえ、アタシを救ってくれた、その人を見間違うはずがない。

まして、AIなのだ。

多少の偽装くらい見破れる。

けれど、それでも偽物ではない、その姿に。

 

 

「シグレ…?」

 

 

アタシは恐る恐る、手を伸ばして問いかける。

今まで、両手剣を振るっていたのが嘘のように。

自分でもそう思えるほど、震え、弱々しい自分の手。

 

 

「…ストレア…か?」

 

 

シグレに名を呼ばれる。

なんで疑問形なのかは分からなかったけど、ちゃんとアタシを覚えてくれていた。

目の前にいるのは、確かにシグレで。

そして、アタシの事を覚えてくれている。

それだけで、アタシは十分だった。

 

 

「シグレぇ…!」

 

 

肩が震える。

目元が、熱い。

何かが、頬を伝う。

それが何かは、わざわざ答えを探す必要はない。

だって、分かりきっているから。

 

 

「っ…う、ぅ…」

 

 

目の前が歪む。

ちゃんと、シグレを見たいのに、見れない。

手の甲でどれだけ拭っても、止められない。

だけど、ぼんやりと見えた、シグレの表情は、いつもと変わらないように見えるけど、実は困ってる。

シグレの何度も見た、この表情を、アタシが忘れるわけがない。

 

 

あぁ、ちゃんとシグレだ。

 

 

その答えが、アタシの体を突き動かす。

衝動的に動いてしまったけど、きっとアタシは悪くない、と思う。

もう、この感情は、自分では止められなかった。

 

 

「っ……」

 

 

体当たりをするように、アタシはシグレに抱き着き、シグレの背中に腕を回す。

ちょっと、呻くような声が聞こえた。

だけど、そんなことは知らない。

もう、この温もりを手放したくない。

その想いを、シグレに伝えるように、シグレを抱き寄せる。

 

 

「シグレ…シグレぇ……!」

 

 

ずっと感じたかった、この温もり。

その温もりが、アタシの冷え切った心を癒していくような、不思議な感覚に包まれる。

ただ、シグレの名前を呼ぶだけで。

少しずつ、胸の奥が温かくなるような、そんな感覚。

シグレは抱きしめ返してくれなかったけど、それでも、アタシは満足だった。

 

 

「ちょっと…」

「…すまんフィリア。少しだけ…そっとしておいてやってくれないか?」

「……むぅ」

 

 

キリトとフィリアの声が、外野のように聞こえてしまう。

ごめんね、完全にアタシの我儘。

だけど…もう少しだけ、こうする時間を頂戴。

 

 

「……とりあえず、落ち着け」

「無理だよ…シグレのバカ」

「ぐ…」

 

 

アタシの答えに言葉を詰まらせるシグレ。

 

 

「…シグレがアスナに刺されて死んじゃってから、アタシ…すっごく辛かった」

「……」

「もうシグレに会えない。シグレと話せない…っていうだけで、消えちゃいたいって思うくらい」

 

 

それは、偽らざるアタシの想い。

 

 

「……もう、アタシを置いていかないで…一人にしないで……!」

 

 

ただ、傍にいるだけでいいから。

そこで、シグレが生きてさえいてくれれば、それ以上は何も望まないから。

 

 

「もう、こんな想いするのやだよ…シグレ……!」

 

 

無意識に、腕の力が強まる。

 

 

「……世話をかけたな」

 

 

言いながら、あやすように背中を叩いてくるシグレ。

本当だよ、シグレのバカ。

 

 

「もっと…ぎゅって、抱きしめてほしい…って、言ったら駄目?」

 

 

…だから、今だけ。

今だけは少しくらい我儘言っても…許してくれるかな。

 

 

 

*** Side Strea End ***



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第21話:新たな戦いの始まり

やがて、シグレが口を開く。

 

 

「…それで、目的は攻略か?」

 

 

その言葉はキリトと、ストレアに向けられたものだった。

しかし。

 

 

「いや。今回はストレアを連れてきただけだ」

 

 

そう断言するキリト。

その言葉に、シグレは溜息。

 

 

「…だって、シグレがいるって聞いて、いてもたってもいられなくなって……」

 

 

あれからぴったりとシグレにくっついて、シグレの腕を抱きしめたまま離れようとしないストレア。

その様子は、恋人同士、と言われれば、違和感を感じないレベルだった。

正面から抱き着くのをやめたあたり多少は落ち着いているようだが。

 

 

「……ま、そういうわけだ。とにかく……」

 

 

キリトが繋ぎ、真剣な表情でシグレを見て。

 

 

「…今のお前には、お前が死んだら後を追おうとするくらいに辛い思いをする人がいるってことを…忘れるなよ」

 

 

そう、言い聞かせるようにシグレに言う。

それに、シグレは一瞬、ストレアを見やり。

 

 

「……分かった」

 

 

そう、溜息交じりにキリトに答えるシグレ。

その様子が面白くないかのように。

 

 

「…ちょっと、べたべたしすぎじゃない?」

 

 

フィリアがムッとした表情を隠さずに言う。

 

 

「え?…そうかな?」

 

 

腕を離すまいと抱きしめたままシグレを見上げるストレア。

当のシグレは、俺に聞くな、と言わんばかりに視線を逸らす。

 

 

「…あぁ、そっかぁ。さてはフィリア…羨ましいんでしょ?」

「な、ぁっ…!」

 

 

すっかり調子を取り戻した様子のストレアの言葉に、フィリアは一瞬で顔を赤く染め上げ、言葉を詰まらせる。

 

 

「アタシが羨ましいなら…ほら、シグレの右腕は空いてるよ?」

「…変に煽るな」

 

 

どこか煽るストレアに、シグレは溜息。

シグレの反応は、フィリアの側に立っての言葉だったのだが。

 

 

「…いいわよ、だったら…ストレアと同じ土俵に立ってあげる」

 

 

言いながら、シグレの空いている方の手に、自分の手を重ねるフィリア。

そうして繋がれた手は、所謂恋人つなぎ。

 

 

「……」

「…嫌なの?」

「いや…」

 

 

それはお前の方だろう、という言葉をすんでのところで飲み込む。

大方、ストレアの言葉に乗せられただけなのだろう、と。

とはいえ、今指摘しても無駄かと諦め。

 

 

「…それで、だ。そっちの攻略は……」

 

 

シグレが本題に話を戻す。

 

 

「あぁ。シグレはこっちに来れない以上、俺達で進める」

「…そうか。100層まで攻略すれば、ここが何であろうとこの世界は終わる。それが無難だろうな」

 

 

キリトの言葉に、シグレは頷き。

 

 

「ここから出られないフィリアは仕方ないが、ストレアは戻ってそっちの戦力に加えたほうがいいのではないか?」

 

 

そう、意見を述べるが。

 

 

「…だそうだけど?」

「や」

 

 

キリトが引き継いでストレアに尋ねるが、非常に短い答えで返す。

その答えを表すかのようにシグレの左腕を抱きしめる力を強める。

 

 

「だそうだ。こっちはこっちで心強い仲間も増えたし、ストレアはシグレの傍がいいみたいだし」

 

 

当分はこっちで、とキリトが提案する。

 

 

「それに…シグレとフィリアがこっちに戻ってくれば万事解決なんだ。そのために協力するよ」

「……攻略が遅れるぞ」

「二年も経って今更だろ。それに、ただ早ければいいってもんじゃない。何より…」

 

 

言葉を切り、不敵な笑みを浮かべるキリト。

 

 

「ゲームのエンディングはハッピーエンドって相場が決まってるもんだろ?」

「…知るか」

 

 

そこからは、全てを上手く進めて終わらせる、という決意があるように見えた。

ハッピーエンドで終わらせる。

シグレからすれば、夢物語に思えないこともないが、このお人好しなら、あるいは、と。

 

 

「俺は元々ゲーム好きではない…だからこそ、お前の言う相場は知らん」

「…だろうな」

「…だからこそ、見届けてやる。お前の言うハッピーエンドが、どんなものか」

 

 

シグレもまた不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

「……おう、しっかり見とけ。お前にゲームの良さを、教えてやるよ。だから…死ぬなよ」

「互いにな」

 

 

キリトもまた、不敵な笑みを返すのだった。

キリトは、アインクラッドで。

シグレは、ホロウ・エリアで。

舞台こそ違えど、二人の共闘。

 

 

…戦いは、まだ始まったばかり。



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第22話:再会を許されぬ者 - I

ホロウ・エリアにストレアを残し、アインクラッドに戻るキリト。

キリトがそれを容認したのには、大きく三つの理由がある。

ストレア自身の実力、もといレベルがシグレとほぼ同じである事。

シグレと二人で行動し、それでも無事に攻略を進められていたという実績がある事。

何より、シグレがいるかいないかで、別人かと思えるほどに雰囲気が変わってしまっていた事。

 

 

「……」

 

 

宿として借りているエギルの店へと向かいながら、ストレアの変わりようを思い出し、笑みを零す。

あの場所は危険なエリアで、シグレはようやく見つけた圏内エリアの管理区には入れない。

となれば、危険は自分たちの比ではないだろう。

けれど、あいつらなら、大丈夫だろう。

どういうわけか、キリトにはそんな確信があった。

そんな事を考え、歩いていると、時間は19時を回っていた。

 

 

「遅くなっちゃったか…」

 

 

こんなに暗くなっているとは思っていなかった手前、少し驚きつつ歩いていると。

 

 

「キリト」

 

 

キリトは聞き覚えのある声に呼ばれ、そちらに振り返る。

視線の先には。

 

 

「…シノン?」

 

 

妹のリーファと同じく、この76層で出会った黒髪の女性。

シノンは一人、キリトを待っていたのか、エギルの店近くのベンチの傍に立っていた。

 

 

「どうしたんだ?こんな所で」

「…貴方を待ってたのよ。少し…聞きたいことがあって」

「?」

 

 

こんなところで待っているということは、他の皆には聞かれたくないのだろうかと察し、キリトは誘いに応じるのだった。

 

 

 

そうして、二人はベンチに腰掛ける。

 

 

「…それで、どうしたんだ?聞きたいことって?」

 

 

話を切り出したのはキリトからだった。

話を早く進めようとしたわけではなく、初めはシノンの言葉を待っていたのだが、なかなか話し始めなかったのでキリトがやむなく切り出した、という形だった。

やがて、少し意を決したように。

 

 

「貴方には…話したかしら。私がここに来た理由」

「あぁ…確か、人を探してるって…言ってたよな」

「そう。私にとっては…今の私がこうしていられるように、助けてくれた……そう、命の恩人」

 

 

キリトはシノンのいう命の恩人、という言葉が、それ以上の重みを持っているように感じた。

まるで、それ以上の何かがあるのに、言葉で表現しきれないからやむなく、という風に。

 

 

「…その人の名前は、華月時雨っていうの」

「っ…まさか」

 

 

その次の言葉。

シノンが言う、相手の名前に、キリトは一瞬息を呑み、思考に移る。

時雨…シグレ。

名前だけなら、同じ。

けれど、普通はゲームと現実は同じ名前にはしない。

今こうしているシノンも現実とは違う名前なのだろうが、それはおそらく教えてくれる人がいたからだ。

話では、シノンはリーファにゲームについて簡単に教わったと言っていた。

おそらくその時に、名前は変えるということを聞いていたのだろう。

しかし、教えてくれる人がいなければ?

現実と同じにする事もありうるのではないだろうか?

 

 

「…な、なぁシノン。もし知ってたらでいいんだけど」

「何?

「シノンが言うその人…なにか剣道とかやってるか?」

「剣道だったかどうかは知らないけど…剣の腕は相当なはずよ。私はその剣を間近で見ていたから」

 

 

そうして話してくれたのは、郵便局で起こった強盗事件。

シノンはキリトが知らないと思ったか、それをある程度細かく話す。

しかし、話を聞いて、キリトは確信した。

というより、確信せざるを得なかった。

シグレが強盗の銃を止めたと言っていた。

その事件の時に、シノンはその場にいたのだと。

そして、シノンが助けると意気込んで追いかけているのは、シグレなのだと。

 

 

「…キリト。貴方は…知ってる?彼が…先輩が、今どこにいるのか」

 

 

シノンの問いにキリトは一瞬の間を置いて。

 

 

「……あぁ、知ってる」

「…そう」

 

 

キリトは答え、シノンは小さく頷いた。

けれど、キリトは次は先回りして。

 

 

「けど、先に言っておく。今、シノンをシグレのところに連れていくことはできない」

 

 

そう、はっきりとシノンに告げた。



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第23話:再会を許されぬ者 - II

それを正に言おうとしていて、キリトに先手を打たれたのか。

 

 

「どうして!」

 

 

少しだけ声を荒げるシノン。

しかし、キリトは表情を崩さない。

 

 

「あのストレアって人は案内したじゃない!彼女はよくて、なんで…」

「……」

 

 

感情のままに立ち上がり、見下ろすようにしながらシノンは反論する。

けれどキリトは座ったままシノンに視線を向ける。

キリトもまた、譲れない、という意志をもった視線を向ける。

 

 

「それに…私は先輩を追いかけてここまで来たのに…どうして邪魔するのよ!?」

 

 

ついには感情の爆発に泣きそうになるシノンの表情を見て、キリトは観念したように。

 

 

「…勘違いしないでくれ。俺は別にシノンの邪魔をしたいわけじゃない」

「なら何で…」

「ちょっとゲーム的な話になるけど…自分のレベル、分かるか?」

 

 

キリトの言葉に、シノンは少しだけ落ち着き、メニューを覚束ない手つきで操作する。

 

 

「レベル…56……」

「……あぁ」

 

 

シノンはそのレベルを読み上げ、やがてここに来て知り合った皆のレベルを見て、キリトの言うことに納得したのか、強くは言わなかった。

 

 

「シノン。今の君じゃ、おそらくこの層のフィールドの弱いモンスターにようやく渡り合える程度だと思う」

 

 

そこから、キリトはこのゲームにおける、安全マージンについて話をする。

ここが76層であることも付け加えて。

 

 

「…レベル86くらいはないと、ここにすらいるのが大変ってことね」

「あぁ。それに今シグレがいる場所は、今のシノンの倍近くのレベルのモンスターがひしめき合ってる」

 

 

そんな危険がある状態で、連れて行くわけにはいかない。

それがキリトの言い分だった。

言っている意味は、シノンも理解ができた。

だからこそ、それ以上は反論しない。

とはいえ、落ち込んだシノンに何も言わず、という程突き放すことができなかったキリトは。

 

 

「……そう、だな。90…くらいかな」

「え?」

「レベル90になって、それなりに戦えるようになったら…シノンをホロウ・エリアに…シグレのもとに連れていく。それでどうだ?」

 

 

そう、提案する。

キリトの提案に、シノンは一瞬呆けるが、少し考える。

ここからだいたい、レベルを30ちょっと上げなくてはならないことになる。

 

 

「…そのレベルになるのに、どのくらいかかるかしら?」

「ん?んー……」

 

 

シノンの問いに、キリトは少し考える。

自分は二年間でようやく100なのだ。

普通に考えれば、半年近くはかかるだろう。

とはいえ、ここでシノンを手伝えば、最初はかなりレベルは早く上がっていくだろう。

それを考えると。

 

 

「…俺も確証はないけど、少なくとも2~3ヶ月は…かかるんじゃないかな」

「そう…」

 

 

そう、キリトは告げる。

それが妥当な数字かどうかはわからないが、少なく見積もってもそのくらいは、というキリトの意見。

その言葉に、シノンは少し考え、やがて人差し指を立てる。

 

 

「……なら、一ヶ月」

「………は?」

 

 

シノンの言葉に、一瞬呆けるキリト。

 

 

「一ヶ月で…レベル90になって見せてあげるわ」

「いやいや…シノン。いくらなんでもそれは…」

 

 

無茶苦茶を言っている、とキリトは苦笑しかけ、すぐに言葉に詰まる。

シノンの視線は、本気だった。

 

 

「…かなり大変だぞ、それ?」

「……私はゲームを楽しみたくて、ここに来たわけじゃない。そのくらいの覚悟はとっくにしてる」

 

 

折れる様子のない、強い意志のシノンにキリトは苦笑する。

 

 

「…わかった。アドバイスとか手伝ったりはするから、いつでも言ってくれ」

「あら。最初から手伝わせるつもりだったのだけど?」

 

 

条件を突きつけたのは貴方なんだから、当然でしょう?

そう言われ、キリトは笑う以外の選択肢がなかった。



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第24話:共闘と、秘める想い

その頃、シグレ、フィリア、ストレアの三人は樹海のある場所を目指して歩いていた。

無論それは、平和な散歩ではない。

 

 

「やあぁぁぁっ!!」

 

 

ストレアがその体躯に似合わぬ両手剣を振り回し、一気に敵を蹴散らす。

 

 

「……」

 

 

シグレもまた、ストレアほどの広範囲攻撃はできずとも、狙った敵を確実に倒していく。

シグレが狙うのは、主としてストレアが対処しきれなかったモンスターだった。

たった一人、されど一人増えただけで、これほどの効率の差。

それは、ストレアが両手剣使いとしての実力を備えているのは勿論だが、それ以上に、シグレとストレアの息があったコンビネーションがある。

 

 

「っ…」

 

 

それを、後から追いかけるフィリアは感じていた。

やがて、近くの敵をすべて蹴散らし、武器を納めながら。

 

 

「…どうした?」

 

 

どこか呆けた様子のフィリアにシグレが呼びかける。

それに繋がるように、ストレアがフィリアに近づく。

 

 

「大丈夫?もしかして何か状態異常もらった?」

 

 

回復アイテムあったかなぁ、とストレアが自身のストレージを確認するが。

 

 

「う、ううん、別に問題ない。ただ…あんたたち、息ぴったりだなぁ…って」

 

 

フィリアは最初、シグレは今の自分と近いソロプレイヤー、と認識していた。

しかし、実際は、ストレアという女性との息の合った戦闘スタイル。

先ほどのやり取りから、二人はそれなりに近しい仲だという事はフィリアにも察しがついていた。

しかし、予想以上の近さに、自分が入っていくことは無理なのではないかと思ってしまう。

同じ土俵に立つ、と宣言したばかりなのに。

 

 

「…息ぴったり……か」

「ねぇねぇ、息ぴったりだって、アタシ達!」

 

 

シグレは何かを思うように目を閉じながら息を吐く。

一方でストレアは嬉しそうだが。

 

 

「…俺の剣は、誰かと共闘できるような剣でもあるまい」

 

 

ストレアからするりと離れ、シグレは歩き出す。

その様子に、ストレアは少しだけ悲しげな表情を、シグレの背に向けた。

 

 

「…ストレア?」

 

 

様子が変わったストレアにフィリアが声をかける。

 

 

「……アタシ、シグレが心配なんだ。このままじゃ壊れちゃいそうで」

「心配?…そんなに弱くないでしょ、あいつ」

 

 

呟くストレアに、疑問符を浮かべるフィリア。

ここまでの戦い方を見て、そう簡単に負けるような弱いプレイヤーではないことは察しがついていた。

けれどフィリアの言葉をストレアは否定し。

 

 

「…戦闘とか、そっちの強さじゃないよ。アタシが心配なのは…心の強さ」

「心…?」

「なんとなく…分かるんだ。強そうに振舞ってるけど、少し衝撃を受けたら壊れちゃいそうな脆さ…っていうのかな」

「……」

 

 

ストレア程ではないが、実をいうとフィリアにも思う所はあった。

それがどういうものなのか、具体的に言葉にできるほどではなかったが、なぜか放っておけないような、何か。

 

 

「……それで、どうするの?あの様子じゃ、そう簡単に踏み込ませてくれないでしょ」

「別に何かをするわけじゃないよ」

 

 

フィリアの言葉に、ストレアはあっさりと、そう返す。

その表情は、笑顔と、決意の表情だった。

 

 

「…ただ、シグレの傍で、シグレを支えてあげられれば、それだけで」

 

 

少しでも、自分がシグレにとっての癒しになるなら、それでいい。

ストレアは迷うことなく、そう告げた。

その声は、おそらく前を歩くシグレには届いていない。

 

 

「シグレには、内緒ね?」

「それはいいけど…一方的なだけって、寂しくないの?」

「…いいの、シグレが生きてさえくれれば。傍にさえいられれば、それだけで幸せなんだ」

「そう…」

 

 

一途、というのはストレアのような人の事を言うのだろう。

そして、そこまで思われて、この対応というのは、さすがにストレアが可哀そうに思うフィリア。

けれど、内緒、という約束をしてしまった手前、何かを言ってやりたいが言うに言えない。

 

 

「…どうした?」

 

 

シグレが、少し距離が開いた二人に声をかける。

 

 

「何でもないよー!」

「っ…!?」

 

 

それにいち早く反応したストレアが、シグレの左腕に抱き着く。

突然の事に呻くシグレだがすぐに立て直す。

ストレアはそんなシグレの腕を抱きしめたまま、視線をフィリアに向ける。

その視線は、笑顔というか、どこか挑発しているような、そんな表情で。

 

 

「…いいわ」

 

 

その挑発に乗る、と言わんばかりのフィリアは、ストレアほどの勢いはなかったが、シグレに近づき。

 

 

「…おい」

「何。ストレアはよくて、私はダメなわけ?」

「……」

 

 

少しばかり恐る恐る、といった感じにシグレの右腕を抱き寄せる。

シグレの言葉に、勢いで反論すると、シグレは宙を見上げる。

 

 

「両手に花だね、シグレ?」

「…女たらし」

 

 

どこか楽し気なストレアに、どこか不機嫌なフィリア。

何故こうなったのだろうかと、宙を見上げながら言葉には出さずに疑問を投げかけるシグレ。

木々の隙間から覗くホロウ・エリアの空は、その疑問には答えてくれなかった。



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第25話:混乱と対立

その頃、アインクラッド76層。

 

 

「…何だ?」

 

 

エギルの店に戻ると、入り口まで聞こえており、下手をすれば外まで聞こえそうなほどの言い合いが聞こえた。

穏やかではない雰囲気に、キリトは少し慌てて店の中に戻る。

 

 

 

店の中では言い争いが繰り広げられていた。

 

 

「っ…だから、彼は敵なんかじゃない!」

「だったら75層でのあれは何なんだ!貴女があいつを殺してくれたからよかったものの、下手をすれば私たちに損害が出ていたのかもしれないんだぞ!?」

「くっ…」

 

 

アスナをはじめとした見知った皆と、あまり馴染みのない攻略組のプレイヤーが言い争っている。

その様子を何かを諦めた様子で見守るエギルに尋ねることにしたキリト。

 

 

「…何があったんだ?」

「キリトか…実はお前が戻ってくる少し前な……」

 

 

エギルの話によると、言い争いの争点はシグレだった。

店でシグレの話をしていたアスナ達。

過程はどうあれ、生きていたシグレ。

ボスを単独撃破する実力があるシグレを救出し、改めて共に攻略を進められるという期待。

それに期待を持ちつつ、思い出話に耽っていた。

そこには、サチや、彼女が属する月夜の黒猫団もいた。

 

 

…しかし、公共の場であるその場所にいるのは、彼らだけではない。

シグレと話をまともにしたことがない攻略組のメンバーもいたのである。

攻略組に最初はいたが、よく知らないプレイヤーが、75層のボスを撃破して疲弊したところで、99層のボス宣言。

シグレの人となりを知らなければ、彼を敵とみなすプレイヤーがいることは至極自然なことだった。

シグレを知る者は彼を擁護し。

シグレを知らない者は彼を非難する。

その対立が、この言い争いの理由だった。

 

 

「っ……」

 

 

キリトからすれば、立場としてはシグレを擁護する側。

この場で加勢する事はそれほど難しいことではないだろう。

しかし、それで場が納められるかといえば、必ずしもそうとは言えない。

下手をすれば火に油を注ぎかねない。

それにキリトとて、シグレに出会っていなければ、非難する立場になっていたかもしれない。

それを考えると、どちらかに肩入れをする、ということはできなかった。

エギルはそれを見兼ねてか。

 

 

「ほらほら、他の客もいるんだ。言い争いなら他所でやってくれ」

 

 

呼びかけるように言うと、声のボリュームが下がり、避難していた側が舌打ちをして出ていくことで、その場は収束したのだった。

 

 

 

少しして、落ち着いたところで。

 

 

「…私の、せいだよね」

 

 

アスナが落ち込み、椅子に座って俯いて言う。

 

 

「私が…私の剣が、シグレ君を…」

「…アスナ」

 

 

肩を震わせるアスナを、サチが宥める。

どれだけ前を向こうとしても、思い人を貫いた、という事実は消せないのだろう。

気にするな、という事もできない。

どう励ましたらいいかわからないキリトは、その様子を見守るだけだった。

 

 

「…でも、実際のところ、シグレが今戻ってきたら混乱が大きくなりそうだよな」

 

 

冷静に述べるのは、月夜の黒猫団のリーダーであるケイタ。

 

 

「僕だって、シグレには無事でいてほしいって思ってる。けどだからといって、他の誰かの意思を無視するようなことがあっちゃいけないと思うんだ」

「そう…だな。そうかもしれない」

 

 

キリトはケイタの言葉に頷き。

 

 

「…でもだからこそ、シグレの居場所は、俺たちで作ればいい…って思う」

 

 

あいつは俺達の、仲間だからな。

そう、キリトは続ける。

 

 

「……うん。シグレの為に、私が…私達ができる事しないとね」

 

 

サチも、キリトの言葉に頷く。

 

 

「あぁ。俺たちも…な」

 

 

ケイタの言葉に黒猫団の皆もおぉ、と気合を入れる。

 

 

「……彼を貫いてしまった後悔はきっと、一生消えないかもしれないけど」

 

 

塞ぎ込みつつあったアスナも顔を上げる。

その表情は、改めて決意を固めたように。

 

 

「だからこそ、シグレ君の為に。彼が安心して過ごせる場所を…作ってみせる」

 

 

もう、迷わない。

一度は誤った剣。

けれど、だからこそ、今度こそ正しい道を切り拓くために。

その決意は、誰の目から見ても、眩しいものだった。



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第26話:目的を果たすために

シグレ達は、現在ある場所を目指していた。

その場所の名は『遺棄された武具実験場』。

フィリアの武器の強化素材の収集の目的だった。

 

 

「……」

 

 

為すべき事がある、とはいっても目的地がないシグレ。

シグレを追う目的のみでこの場にいるストレア。

二人に目的地がないため、フィリアに目的地があれば自ずとその場に赴く形になる。

敵を穿ちながら先陣を切って進むシグレにストレアとフィリアが続く形になっていた。

それが、フィリアは何となく居心地が悪かった。

自分の目的で来ているというのに、自分は楽をしている。

 

 

「…ねぇ、シグレ」

 

 

自分も前に出ると申し出ようとするフィリア。

しかし、そんな彼女の前に、シグレが何かを突き付ける。

 

 

「な、何?」

「…これは、お前が探しているものか」

 

 

その手に握られていたのは、シグレが倒したモンスターからドロップしたと思われる素材。

その素材は、シグレの言う通り、フィリアが探しているもので。

 

 

「う、うん」

「…そうか。ならこの辺りでもう少し粘れば数は揃うか」

「ん…」

「これは持っていろ」

「わかった…」

 

 

有無を言わせず素材を渡すシグレに、フィリアはただ受け取るしかなかった。

それでもパーティを組んでいるため経験値は入るので、自然にレベルが上がっていく。

 

 

「…ねぇ、ストレア」

「ん?」

「あいつって、いつもあぁなの?」

 

 

フィリアとて、熱狂的なゲーマーではないにせよ、ここにいる以上、ゲームとして楽しむつもりだった。

だからこそ、自分なりにどう楽しむかという考えがあった。

しかし、シグレの戦い方に違和感があった。

それはまるで。

 

 

「ゲームをしてるっていうか、むしろ戦うためにここにいる、みたいな…」

「うーん…」

 

 

そんな会話をしながら、シグレがその場のモンスターを一掃し、刀を納める。

次の瞬間。

 

 

「う…くっ……」

 

 

シグレが突然、刀を持っていなかった方の手で頭を押さえ、その場によろめく。

 

 

「シグレ!?」

 

 

突然の様子にストレアが駆け寄るが、シグレはその場に倒れるでもなく踏み止まる。

しかし、頭を押さえる手に力が入っているのか、髪の毛が手の中で乱れる。

シグレは何かに耐えるように息を整えながら、痛みに耐えているのか目を閉じる。

 

 

「……大事はない」

 

 

ストレアの心配げな表情を見ながら体勢を整える。

やがて、フィリアに向き直り、先ほどの戦いで手に入れたのか、素材をフィリアに見せる。

 

 

「…これで、足りるか?」

 

 

目の前に見せられたのは、10近くの素材。

それを見せられ、驚いたことが半分。

シグレの様子の変化に対する心配が半分で。

 

 

「あ、うん…大丈夫」

 

 

反射的にそう返事をする。

実際に数は足りていたので、嘘は言っていないが、言いたいことを言う機会を逃してしまっていた。

 

 

「…なら、二人は管理区に戻れ」

「え?シグレは?」

「忘れたか。俺はそこには入れない」

 

 

シグレの提案にストレアが言い返すが、シグレは冷静に返す。

 

 

「というか、なんで私達だけ…」

「…何のために素材を手に入れたんだ」

「あ…」

 

 

素材を手に入れたのはフィリアの武器の強化のため。

ふと思い出させられ、フィリアは抜けたような声を漏らす。

その様子にシグレは溜息を吐き。

 

 

「武器強化をするなら一度向こうに行く必要がある。この中でそれが出来るのはストレアのみ。加えて、強化の間はフィリアは武器がなくなるため安全地帯からは出られない」

 

 

なら、二人で管理区に戻ればいい。

シグレの言葉は、正論だった。

フィリアには、言い返す材料がなかったが。

 

 

「…シグレは?」

「俺はそもそも管理区に入れない…近くで待つより他あるまい」

「でも、さっき具合悪そうだったのに、モンスターがいるところで一人じゃ危ないよ…」

 

 

シグレが事実を淡々と述べるが、ストレアの心配は止まらない。

そんなストレアに対しシグレは溜息を吐き。

 

 

「…大事ない、と言ったはずだが」

「信じて…いいんだよね?」

「あぁ」

 

 

ストレアにそう告げると、ストレアはやがて顔を上げ。

 

 

「…分かった。できるだけ早く戻るから…待ってて」

「あぁ」

「行こ、フィリア」

「え、えぇ…」

 

 

いっそ、早く終わらせればいいだけ、と思ったのか、慌てるようにストレアがフィリアを引っ張っていく。

シグレはそんな二人についていくように歩を進めるのだった。



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第27話:重なる過去と、憎悪の目覚め

そうして、ストレアとフィリアが管理区に向かった後。

シグレは軽く、というつもりで辺りを探索していた。

 

 

「……」

 

 

樹海の木々の中、不相応に立つ石造りの建物。

『供物の神殿』。

シグレは自然と、その中に歩を進める。

 

 

「…」

 

 

神殿の中は、名前が意味する通り、荘厳な雰囲気だった。

そんな中に感じる、魔物の気配。

ここに来る前から重視していた気配感知系の能力によるものか、ある程度は把握できていた。

そうしてみると、そこそこ数が多いということが感じ取れた。

シグレは刀を抜き、警戒をしながら進んでいく。

 

 

「…」

 

 

刀を持ちながら、警戒しつつ進んでいく。

おそらく、自分の周りに味方はいない。

その空気、感覚はシグレにとっては初めてではなかった。

 

 

「…」

 

 

ふと、シグレは思い出す。

誰にも告げていない、両親を喪う前。

シグレにとっては、遠くも感じる過去。

 

 

…硝煙と、血の匂いしかしない世界。

…靴越しに土の感触を感じる地面は、どす黒い赤に染まっていない場所を探す方が難しい。

…身長が自分の倍近くあるような見知らぬ大人たちが、互いを殺しあう。

…ある者は銃で。ある者は剣で。

…互いが互いの命を奪っていく。

 

 

「……」

 

 

シグレはその記憶を想起しながら、進んでいく。

味方を欲することもなく、ただ、生き残るために、全てを薙ぎ払う。

 

 

「…来たか」

 

 

少し進んだ先、大広間のような部屋。

その先に扉があるが、数多くのモンスターが徘徊していた。

 

 

「…っ」

 

 

刀を持つ手に少しだけ力を入れ、モンスターが徘徊する中に単身突っ込んでいく。

モンスターがシグレを認識し、一斉に襲い掛かる。

記憶の中では人に、そして、今はモンスターに。

襲い掛かってくるものの違いはあれど、その状況は、シグレにとっては同じ。

 

 

「『うああぁぁぁぁっ!!』」

 

 

モンスターの群れに、シグレは刀一本で立ち向かう。

シグレを知る者からすれば、普段の冷静さなど全くない、まるで別人のような出で立ち。

 

 

…未だ、過去に苛まれ続けるシグレ。

かつて、本当に守りたいものを守れなかったという、自分に科し続ける罪は、未だに癒えない。

 

 

「…奴を、殺すまでは……!」

 

 

父を殺した、文字通りの親の仇。

あの時と同じようなフードを被り、肉切り包丁を持った男。

この世界で会うとは思っていなかった。

別に再会をしたかったわけではない。

ただ、再会をした今、過去の後悔、そして憎悪が呼び起こされる。

 

 

敵を討つことが、罪滅ぼしになるのか。

…それは未だ、誰にも。

シグレ自身にさえも、分からない。

それでも、それ以外の方法を知らないシグレにとっては、進み続けるしかないのだった。



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第28話:影は嗤う - I

そうして、数分の戦いの後。

 

 

「…」

 

 

シグレは刀を納める。

もうその場に、モンスターはいなくなっていた。

 

 

「…行くか」

 

 

石畳の床を進み、扉に向かう。

シグレのHPは殆ど減っていなかった。

 

 

 

そうして、建物の外に出て、中庭のような場所に出る。

次の瞬間。

 

 

「っ……」

 

 

入ってきたというべきか、出てきた扉が結界のようなもので閉じられる。

しかし、辺りは静かで、草木がさらさらと揺れるのみ。

とはいえ、閉じ込められた以上、何かが起こる。

そう考え、刀の柄を握ったまま、警戒は解かない。

 

 

…次の瞬間、自分の影が突然大きくなっていく。

その影は毒々しい何かを吹き出す。

 

 

「…ちっ」

 

 

刀を抜き、その場から飛び退く。

しかし、それが若干遅かったのか。

 

 

「くっ…」

 

 

毒の状態異常を受けてしまう。

初めは道具を持っていたのだが、攻略の中で使い果たしてしまっていた為、毒の回復はできなかった。

つまりは、一定のダメージを受け続けながら、自分のHPが尽きる前に。

 

 

「…これを、倒せということか」

 

 

先ほどまで自分がいた場所に現れた、四本足の漆黒の魔物。

形は大きさを除けば狼のような獣に近いが、顎はどちらかというと鰐に近く見える。

所々に宝石のような物質が生えている様子が、非現実な存在であることを余計に強調する。

全身に鎖のようなものが巻かれ、動きを阻害しているようだが、それでもこの場を縦横無尽に駆け回るには十分なようだった。

 

 

「……一人できて、正解だったようだな」

 

 

大きな咆哮を上げる魔物を、HPを少しずつ減らしながら刀を構えるシグレ。

シグレが単独行動を主とする理由。

それは、人に合わせた戦い方が苦手というのがあるのは事実だった。

しかし、それ以上に考えるのは、組んだ相手の、万が一の事態。

手の届きそうな場所にありながら、救えなかったら、という仮定。

シグレは、それを現実にしてしまったことがあった。

だからこそ、そんな思いは、もう、したくない。

それが、シグレを突き動かす、衝動。

だからこそ、シグレは一人であろうと。

自分の命の危機ともいえる状況であろうと、戦い続ける。

それこそが、守ることだと、シグレは思い続けてきた。

 

 

「……俺には、こういう戦い方しか、出来ない」

 

 

刀を構える。

仮にここで死んでも、後に繋がれば、それでいい。

キリトに、自分が死ねば悲しむ者がいる、と言われたことを思い出す。

そんな相手を守るには、どうすればいいかを、シグレは知らない。

 

 

「…それほど、時間がない…か」

 

 

仮にここでボスを倒しても、毒がその身を蝕み、やがて自分は消える。

安全エリアへの進入が許されないその身は、いずれ滅びるのかもしれない。

或いは、自然に毒が癒えるのが先か。

それでも、ここでこの敵を倒し、それが誰かを守ることに繋がるのなら、やるだけ。

何をしたわけでもないのに、HPはじわりじわりと減っていく。

相手の速度は速いが、シグレには追えないほどではない。

ならば。

 

 

「…距離を詰めて戦えばいいだけのこと」

 

 

言いながら、シグレは地を蹴る。

シグレの命のタイムリミットがある戦いが、始まる。



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第29話:影は嗤う - II

シグレは即座に敵…シャドウファンタズムに距離を詰め、刀を振るう。

しかし、相手の素早い動きに、決定打を与えられずにいた。

 

 

「ちっ…」

 

 

その間も、じわりじわりとHPは減り続ける。

毒の効果が続いていたのもあるが、敵に接近する以上、流石に無傷というわけにはいかなかった。

これまでであれば、それほど強大とはいえない敵で、攻撃を凌ぐのも容易であった。

しかし、今のようなボス相当の敵相手ではそうもいかなかった。

 

 

「ガアァァァッ!!」

 

 

咆哮を上げながら、前足を叩きつけてくる。

シグレはそれを見切り、回避するために動く。

 

 

「っ…!」

 

 

後ろではなく、前に。

シグレは懐に飛び込み、下からボスの下腹部に斬撃を入れる。

しかし、隙をついても結局は通常攻撃の範疇。

相手の体力を削りこそすれ、決定打にはならない。

更に言えば。

 

 

「ちっ…」

 

 

シグレ自身のHPの減少が止まらない。

相手のHPゲージはようやく3本中1本を削り取った程度。

しかし、自分のHPは半分を切っていた。

このままでは、先に力尽きるのはシグレだということが火を見るより明らかだった。

 

 

「……っ!」

 

 

しかし、シグレは止まらない。

どちらかが倒れなければここからはいずれにしても出られない。

ならば戦う以外の選択肢はない。

何より、自分が守ると決めたものを、守れないかもしれない。

シグレは何より、それが許せない。

だからこそ、シグレは再度刀を手に相手に突撃する。

 

 

「そう簡単に…落とせると思うな」

 

 

シグレは近づき、一閃。

決して決定打にはなりえない斬撃。

 

 

「ガアアァァッ!!」

 

 

しかし、相手もやられっぱなしではなく、鎖に拘束されたその身を翻しながら、シグレに反撃をしていく。

 

 

「ちっ…」

 

 

即座に後ろに飛んで回避するが、それでも体格差があり、無傷では躱せなかった。

それが幾度となく繰り返されている。

シグレがボスに与えるダメージは刀による斬撃のみ。

一方、シグレが受けるダメージは毒と、ボスの攻撃。

どちらが不利かは言うまでもない。

ましてや、ボスはHPゲージ3本、シグレは1本。

その差を埋めることは容易ではなかった。

 

 

「…あと、半分か……!」

 

 

ボスのHPゲージの2本目が半分に近くなる。

全体の半分を削る頃、シグレのHPは1/4近く。

事態の好転など見込めるはずもなく、シグレの不利が変わるわけではない。

しかしそれでも、シグレは止まらず。

 

 

「っ…!」

 

 

シグレはボスとの距離を詰める。

そうして、スキルに頼らない、普通の斬撃。

もう、どれだけそれを繰り返したか分からない。

やがて、2本目のHPゲージがもう少しで削り切れそうという頃。

 

 

…突然、ボスがその場で咆哮を上げる。

 

 

「っ…!?」

 

 

今までと違う行動に、シグレは一度距離を取ろうとする。

しかし、懐に潜り込んでいたシグレは間に合わず。

 

 

「ガアアァァァァァッ!!!」

 

 

一際大きな雄叫びを間近で聞き、次の瞬間、ボスを縛っていた鎖が弾けるほどの衝撃が辺りを襲う。

それほどの衝撃を、シグレは回避しきれず、直撃してしまい。

 

 

「がっ…!?」

 

 

吹き飛ばされ、崩れた柱のような残骸に背中から直撃してしまう。

シグレはその衝撃に耐えきれず、その残骸の近くに崩れ落ち。

 

 

「ぁ……ぐ…!」

 

 

立ち上がろうにも、仮に痛覚が遮断されているとしても、体が言うことを聞かない。

俯せになった身体を、自分の腕で起こそうとするが、腕に力が入らずに崩れ落ちてしまう。

シグレに残ったHPは数ドットとでもいうべき量で、当然ながらレッドゾーン。

あと一撃を食らえば、死であることを直感的に理解するシグレ。

しかし身体は言うことを聞かず、一方でボスは鎖が外れ、先ほどより悠然とした動きでシグレに近づく。

 

 

「ちっ…!」

 

 

舌打ちをしながら、腕を振り上げるボスを見上げ、睨みつける。

鎖から解放され、不気味に避けた口元は、どこか愉悦が浮かんでいるようにも見える。

そんな怪物の前足が振り上げられ、シグレを捉える。

 

 

…シグレはそんな最後の一撃を受ける覚悟と共に、目を閉じる。



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第30話:芽生える想いと共に / Philia

*** Side Philia ***

 

 

 

シグレを残し、ストレアに武器の強化をお願いして、私は一人、管理区で待つ。

壁というべきか、画面というべきか分からないが、おそらくこのホロウ・エリアの地図を見ながら。

とはいっても、することがあるわけでもないから、美術館の絵画を見るような感覚に近い。

 

 

「……ちゃんと待ってるかな、あいつ」

 

 

武器の強化を依頼して、アインクラッドに転移したストレアについてはそれほど心配していない。

むしろ心配すべきは、シグレの方だ。

少し前に、一人で探索をしていて、探すのに手間取ったという事実がある。

今回もまた、無茶をしてなければいいのだけど、と信じるしかない。

追いかけようにも、武器を預け、丸腰になった自分に何ができるでもない。

ただ、ストレアが少しでも早く戻ってくることを信じて、待つしかない。

 

 

「…シグレ、か」

 

 

暇だったからか、ぼんやりと、これまでの事を思い返す。

とはいっても、ほんの数日の事。

昔馴染みというわけでもないから、思い返すことはそれほど多くない。

とはいえ、その戦いぶりは目を見張るものがあった。

いくら凄腕のゲーマーだからって、あそこまで戦えるのだろうか。

思えばキリトもそうだろう。

けれど…何故だろう。

シグレは、そうじゃない気がする。

 

 

「…」

 

 

少し見てて分かったのは、シグレはこの世界を、おそらく楽しんでるわけじゃない。

命を懸けているとはいえ、結局はゲームの世界。

キリトのように、未知のエリアに対する好奇心が湧くというなら、なんとなく分かる。

私も、こんなことにならなければきっと、楽しんでいた。

だからこそ、トレジャーハンターを名乗ってるわけだし。

……自称だけど。

 

 

…だけど、あいつは。

シグレは、とてもそうは見えない。

ここまで一緒にいただけでも分かった。

あいつの、ゲームプレイヤーとしての異常性、とでも言おうか。

いくら私でもさすがに分かる。

あいつは…ゲームを、楽しんでない。

だとしたら、どうして、ここに。

SAOというゲームの世界に、いるのだろう。

 

 

……そして、キリトに聞かれ、シグレが答えた事実。

どこまで現実なのかは分からないけど。

シグレは、人を殺したことがある。

このSAOの中だけでなく、現実でも。

確かに、そう言っていた。

詮索するつもりはないが、怖いもの見たさだろうか、なんとなくシグレが言ったことも気になる。

その経験があるから、今この世界で、こうして強くあれるのだろう、と。

 

 

「……」

 

 

現実で会ったら、きっと私は、シグレを怖いと、避けていただろう。

けれど、この世界で、仮想とはいえ生き死にを何度も見ていたから感覚が麻痺したのか、シグレをそれほど怖いとは思わなかった。

それどころか、シグレに対する興味の方が強かった。

だからこそ、ストレアの言う事が、なんとなく理解できたのかもしれない。

シグレの、心の脆さ。

一歩踏み違えてしまえば、簡単に足元が崩れかねない、薄氷の上を歩き続けているような危うさ。

少し、周りから衝撃を与えれば、簡単に全てを崩してしまいそうに思う。

それほどの危うさを感じさせながら、それを誰にも悟らせないシグレ。

彼はきっと、本当の意味では誰にも心を許していない。

 

 

…そう、それはまるで、この世界に来た頃の私のように。

もしくは、それ以上に。

シグレはきっと、誰も心の底からは信頼していない。

けれど、私は、ここまで、彼に助けられてきた。

そういう意味では、きっと私だけじゃない。

ストレアも…きっと、彼に助けられたんだろう。

だからこそ、一途にシグレを想い続けてる。

 

 

…私はあいつと会ったばかりで、何も知らないけど。

シグレの支えになれるかどうかは、分からないけど。

それでもせめて、一緒にいる間くらいは、支えたい……なんて。

いつの間にか、そんな事を考えていた。

 

 

 

*** Side Philia End ***



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第31話:武器の強化、溢れる想い / Strea

*** Side Strea ***

 

 

 

アインクラッド、第76層。

アークソフィア。

今、アタシはホロウ・エリアから、一人で戻ってきていた。

理由は、武器の強化。

とはいっても、アタシの剣じゃないけど。

そうして尋ねる心当たりは。

 

 

「…あら、ストレアじゃない。どうしたの一人で」

「こんにちは、リズベット」

 

 

シグレの刀を作ってくれた、リズベットの所。

あれだけの刀を打てる人なら、万が一はないだろう、という判断だった。

 

 

「武器の強化、してほしいんだ」

「…え?いいけど、両手剣よね?」

「ううん、違うよ?」

 

 

会話をして、フィリアから預かった短剣と、素材を渡す。

 

 

「ね、ねぇストレア、この素材って…!」

「うん?それが何?」

「…結構なレア素材じゃない!?それもこんなに…」

 

 

リズベットは驚いたように言う。

けれど、シグレがモンスター倒したら簡単に手に入ってたような…

 

 

「結構簡単に手に入ってたよ?」

「何ですって!?…ホロウ・エリア……侮れないわ」

 

 

何かをぶつぶつ言いながら考えるリズベット。

 

 

「あのー、強化お願いしたいんですけどー?」

「あ、あぁごめん。すぐやるから、ちょっと待ってて」

 

 

全くもう。

早く戻りたいんだから。

またシグレがどこかに行っちゃいそうだったし、その前に。

 

 

…リズベットが奥の工房に入っていく。

少し時間はかかるだろう。

 

 

「んー…」

 

 

一人、店の中を見回す。

そういえば、マスターした鍛冶スキルがリセットされたとか言ってたような。

鍛冶のスキル上げの残骸って言っていいのかな。

いろんな武器が乱雑に転がってる。

その大半が店売りの武器と同じような感じだった。

 

 

「…あれ?」

 

 

そんな中、一本だけ異彩を放つ刀武器が目に入る。

妙に赤黒い刀身を持った、少しだけ不気味な刀。

アタシは何となく、それを拾い上げてみた。

 

 

「うっ…!?」

 

 

次の瞬間、アタシは妙な感覚に襲われる。

アタシは刀を持っていられず、その場に落とす。

 

 

「何、これ…?」

 

 

自分のステータスを見る。

すると、自分のSPが、僅かながらに減っていた。

一方で、刀の方は靄のようなものを纏っている。

 

 

「ちょっと、どうし…大丈夫!?」

 

 

音が聞こえたからか、リズベットが工房から出てくる。

 

 

「あんた、その刀…触っちゃったの?」

「う、うん…まずかった?」

「別にそういうわけじゃないけど…」

 

 

なんか言いにくそうにするリズベットに。

 

 

「ねぇ、この刀って…」

「失敗作よ。鍛冶スキルを戻すためにいろいろやってたらたまたま出来たんだけど…」

 

 

言いながら、リズベットが説明してくれた。

刀は『無銘・徒花』

それ自体の性能は、店売りのものとそれほど大差がない。

問題は、この装備が持つ効果。

装備者のSPを吸収し、それを武器の性能に転換し、装備者に還元する。

吸収率はプレイヤーの能力依存で、レベルが高いほどSPを多く吸収し、その分性能上昇も大きくなる。

要は、SPを減らす代わりに能力アップのバフがかかる、といった能力らしい。

一見、メリットのように見えるが、欠点もある。

装備者のSPの量が、要求される吸収量を下回ると、装備者に能力低下のデバフがかかる。

つまり、SPを使わず、かつ速攻で相手を倒すことを要求される、ということ。

 

 

「武器の性能自体はそこそこだけど、能力が酷すぎる。これじゃまともにソードスキルすら使えないもの」

 

 

クラインにすらいらないって言われたのは屈辱だった、とリズベットは悔しそうに言う。

まぁ、実際スキル封印されるようなものだしねぇ…

通常攻撃だけで相手を倒せる人じゃないと。

……あれ?

 

 

「あの、ひょっとして…これ、シグレなら使えるんじゃない?」

 

 

そう、思いつく。

シグレは滅多にソードスキルを使わない。

考えてみれば、シグレのSPが減っているのを殆ど見たことがない。

だとすれば、シグレなら。

 

 

「あー…そうかもしれないけど、さすがにこれは……」

 

 

アタシの言葉に、リズベットは少し躊躇うように考える。

もう、じれったいなぁ。

 

 

「でも、ここに置いておいて埋もれさせるのも勿体ないかなって。ダメ?」

「…あーもう、分かったわよ。どうなっても知らないからね?」

「ありがと」

 

 

頭を掻きながら折れてくれたリズベットにお礼を一つ言い、刀を受け取る。

装備しなければ、大丈夫らしく、鞘に入れた状態だとSPの吸収効果は発動しなかった。

 

 

「全く、すぐにシグレのことが出てくるあたり…どれだけあいつのことで頭がいっぱいなのよ」

「うーん…最近ずっとシグレのことばっかり、かな?だって…」

「?」

「…シグレのこと考えると、なんかあったかい気持ちになるから」

 

 

口ではどういっても、一緒にいてくれるシグレが好き。

アタシが消えそうになった時、助けてくれたシグレが好き。

AIだって言っても、軽んじることなく接してくれるシグレが、好き。

好きだから、つい考えちゃう。

好きだから、守りたいって、そう思う。

そう、リズベットに言うと、リズベットは恥ずかしげに俯いた。

アタシの方が恥ずかしいのに、なんでリズベットが恥ずかしそうにするかなぁ。

 

 

「あんた、どれだけシグレのこと好きなのよ…ホントに。聞いてるこっちが恥ずかしいわ」

「えへへー」

 

 

もう笑って誤魔化すしかないじゃん。

でも、嘘じゃないもんね。

アタシは嘘なんてつけないし。

 

 

「ほら、これ頼まれてた短剣。とっととホロウ・エリアに戻って、あんたの大事な人を連れて帰ってきなさいよ」

「うん、ありがとう、リズベット!」

 

 

フィリアの短剣を受け取り、店を後にする。

 

 

…そういえば、キリトいないとホロウ・エリアに戻れないんだった。

とりあえずメッセージ飛ばそっと。

 

 

 

*** Side Strea End ***



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第32話:影を打ち破るために

最期を予感し、それでも抗いもしないシグレ。

実際のところ、受けた衝撃のせいで立ち上がるのも困難で、どうしようもなくなっていた。

奴の爪は、どんな感触で自分に突き刺さるのか。

そんな事を考えていたのだが。

 

 

「やああぁぁぁぁっ!!!」

 

 

聞き覚えのある声が自分の前から聞こえ、同時に金属音が辺りに響く。

 

 

「…?」

 

 

ふと、見上げれば、見覚えのある影。

その体躯に似合わぬ大振りな両手剣を自在に操るその姿は、シグレには見覚えがありすぎる姿だった。

 

 

「っヒール!」

 

 

そちらに気を取られていると、脇からそんな声が聞こえ、考える間もなくシグレのHPが回復する。

それに合わせて体が軽くなり、立ち上がるのも容易だった。

毒も解除されたのだろうと、直感的に理解するシグレ。

敵が退いている間に、刀を構えなおし、立ち上がる。

 

 

「……」

 

 

自分を救ったストレア、フィリアより前へ。

シグレの根底にある信念は、ただ一つ。

ただ、戦い続けて、先に進むため。

その先に、『奴』がいるのだと信じて。

ただ、仇を討つために。

 

 

「…どいてろ」

 

 

ただ、前に進む。

それが、シグレがこの世界で漸く見つけた、為すべき事。

進み続けているようで、過去に捕らわれ続けるシグレ。

そんな彼を止めたのは。

 

 

「…駄目だよ。一人では、行かせない」

 

 

ストレアだった。

だが、彼女だけでなく。

 

 

「あんた…一人で戦って死にかけたのよ?自分がどれだけ無茶をしたか分かってないの?」

 

 

溜息交じりに、フィリアもシグレを止める。

シグレとて、二人が何を言いたいかが分からないわけではない。

二人は、共闘してボスを倒す事を提案しているのだろうということは察していた。

 

 

「っ……」

 

 

しかし、シグレは首を縦には振らない。

そんなシグレが思い出すのは、未だに鮮明に焼き付いた、父の最期。

自分の手が届くか届かないかの距離で、背中を切られ、それが致命傷となり、自分の目の前に、自らの血の海に沈んだ。

シグレにとっては、ここが仮想世界であることなど、関係ない。

この世界のAIであろうが、関係ない。

ただ、繋がりを持った人間が、目の前で殺される姿を、見たくなかった。

だからこそ。

 

 

「…どいてろ、と言ったはずだ」

 

 

立ち塞がる二人に、シグレは告げる。

しかし。

 

 

「駄目って、アタシは言ったよ?」

 

 

物怖じする事なく、ストレアは返す。

 

 

「…もう、言い争ってる時間はないわよ?」

 

 

フィリアが振り返り、敵の方を見る。

敵は体勢を立て直し、こちらに襲い掛かろうとしていた。

その様子に、シグレは舌打ちを一つ。

 

 

「…奴の動きは速い。俺が奴の攻撃を受けて動きを止める…お前達は隙をついて攻撃しろ」

 

 

二人は頷く。

それにシグレは頷き、すぐに敵に向き直り。

 

 

「……何があっても、死ぬな」

 

 

それだけ言い残し、シグレは前に出る。

それに遅れないように、ストレアとフィリアも側面に出る。

 

 

「それは、お互い様でしょ。全く…」

 

 

フィリアは誰にも聞こえぬ程度に、呟いた。

それが誰かに聞こえていたかは、定かではない。



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第33話:伝えたい思い、伝わらない思い

3対1の戦いというだけあって、ボスのHPの削れ方はシグレ一人の場合とは段違いだった。

 

 

「っ…!」

 

 

ボスの攻撃を刀で防ぎ、それが困難な場合はすぐに躱す。

その反応速度は、相当なものだった。

更に言えば、ストレアかフィリアに攻撃が行きそうな場合はすぐに助けに入る。

その事もあり、シグレのHPが1/2近くになりそう程であっても、二人のHPは1/4も減っていない。

かといって、シグレ自身も攻撃をしないわけではなく、怯んだ瞬間に斬撃を加えるといった行動はとっている。

 

 

「シグレ!そのやり方じゃシグレが…!」

「…俺はいい。お前たちは敵に集中していろ」

「でも…」

 

 

ストレアがシグレを心配する。

少し前、シグレが自分の死をこの世界に求めていることを知ったからこそ、余計に。

しかし、シグレはそれ以上の問答をしなかった。

 

 

「だったら…!」

 

 

その前に、倒すしかない。

ボスのHPは最後の一本の半分に迫っている。

敵の攻撃も激しくなるだろうが、一気に攻めれば削り切れないこともない程度。

ストレアはそう結論付ける。

 

 

「フィリア!」

「分かってる。一気に決めるよ!」

 

 

フィリアもそれが分かっていたのか、ストレアの声に反応する。

二人は頷き。

 

 

「「やあああぁぁぁぁっ!!」」

 

 

二人がソードスキルを連携して発動する。

ストレアの大剣の大振りな攻撃と、フィリアの短剣を用いたスピード重視な攻撃。

絡み合わなそうなそれは絶妙なタイミングで斬撃を与えていき、ボスのHPを大幅に削っていく。

やがて、ボスのHPは残り僅か。

あと一撃加えれば、撃破できるであろうというタイミング。

 

 

「しまっ…!」

 

 

追撃をかけようとしたフィリアが、攻撃をかけるが、短剣の短いリーチ、ここまでの戦闘での疲れ、そしてここにきてのボスの素早い動きが相まって、攻撃を外してしまう。

 

 

「フィリア!」

 

 

ストレアがフィリアの名を呼ぶ。

攻撃後の硬直もあり、一瞬動きを止めるフィリア。

ボスもその隙を逃さず、両の足を振り下ろそうとする。

…その刹那、目の前を、一筋の斬撃が通過する。

それが何なのかは言うまでもなく。

 

 

「……」

 

 

シグレの一閃。

それはボスのHPを完全に削り取り、その巨体を光の粒に変える。

それを見届け、シグレは軽く目を伏せ、刀を鞘に納める。

 

 

「…シグレ。その……」

 

 

フィリアがシグレに声をかける。

ただ一言。

助けてくれて、ありがとう、と。

それだけの言葉を言おうとした、次の瞬間。

 

 

『高位プレイヤー承認フェイズを終了。対象プレイヤーの管理区への進入が許可されました』

 

 

そんな、無機質なアナウンスが流れる。

それは、シグレ、キリトがここに来たばかりの頃に流れたアナウンスと同じ声だった。

 

 

「……どうした」

 

 

けれど、シグレは意に介さず、フィリアに先を促す。

虚を突かれ、タイミングを逃し、言いにくくなってしまったこともあってか。

 

 

「…ううん、何でもない。管理区に戻ろ?」

「いや、俺は…」

「さっきのアナウンス。ひょっとしたらシグレが管理区に入れるようになったってことじゃない?」

 

 

聞きようにとっては、そう取れる。

進入が許可された、ということは、これまで許可されていなかったプレイヤーが許可された、という意味ではその通りだから。

 

 

「…行こっか、シグレ?」

 

 

ストレアに腕を引っ張られる。

向かう先は、入ってきた場所。

管理区へ向かう、というのだろうが、シグレは異を唱えられなかった。

というのも。

 

 

「…目が笑ってないよ、ストレア……」

 

 

フィリアがストレアに言う。

彼女の言う通り、ストレアはいつも通りの笑顔にぱっと見は見えるのだが、目が笑っていない。

問答無用、と言わんばかりのストレアの雰囲気に、シグレも一瞬言葉を失う。

戦闘直後で疲れがある今のシグレには、溜息を吐くことしかできなかった。



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第34話:どれだけ歩み寄ろうとも、壁は厚く

ボスを倒し、半ば満身創痍な三人は管理区を目指す。

結論から言えば、シグレも管理区への進入が可能になっていた。

先ほどのアナウンスに対する推測は正しかったということになる。

 

 

「……」

 

 

シグレは辺りを見回す。

その理由は、主に宙に浮くように表示された情報。

とはいっても、殆どが内部情報のようで、一プレイヤーであるシグレが理解できるものはそう多くない。

その中で、理解ができるのが、アインクラッドの外観の表示。

層が上がるにつれ、先細りになっていく城。

 

 

「なるほど、管理…か」

 

 

シグレは一人納得する。

理解こそできないが、表示されている大半がアインクラッドの情報を文字通り『管理』しているのだとしたら、管理区という名前にも納得がいく。

だとすれば、早急に調査すべきは、とシグレが歩き回っていると。

 

 

「……シグレ」

「っ…?」

 

 

ストレアに名を呼ばれ、がし、と左の腕を掴まれ、動きを止める。

どうしたのだろうかとストレアに視線を返すと、真剣な表情だったからか、シグレも立ち止まる。

 

 

「…答えて、シグレ」

「何をだ」

「何で…あんな事をしたの」

 

 

あんな事。

ボスに単独で挑んだ事、だろうかとシグレは考え。

 

 

「…先に進む為だ。アインクラッドも攻略が進んでいるだろう…こちらが遅れるわけにもいかない」

 

 

そう、感情を乱すことなく返す。

それは半分本心だった。

残りの半分は、憎悪や殺意といった、負の感情。

それらが、シグレを突き動かしている。

それは、シグレ自身、自覚があった。

しかし、それを伝える必要はない。

それ以上に、これ以上付き合わせるわけにはいかない。

 

 

「……違うよ。今のシグレ…なんか変」

「変…?」

 

 

ストレアの言葉に、フィリアは訝しげにシグレを見る。

真剣な表情のストレアに、シグレはしっかりと向き直る。

 

 

「…二人で攻略をしてた時。皆で一緒に過ごした時のシグレと違うもん」

「……知った口を利くな。お前に何が分かる」

 

 

ストレアの言葉をシグレは否定する。

いつも通りの、溜息交じりの対応。

一見、いつも通りの反応。

現に、フィリアにはそう見えていた。

しかし。

 

 

「分かるに決まってるよ!」

 

 

ストレアははっきりと、声を上げる。

肩を震わせ、シグレを睨むようなストレアの目尻には光るものがある。

 

 

「アタシは、ずっとシグレを見てた。出会った時から…ずっと。だから、シグレが皆を守るためにどれだけ頑張ってたか…知ってる」

 

 

でも、と続けながら、シグレの胸倉を掴んで引き寄せるストレア。

互いの視線が交じり合う距離。

それでもシグレは抵抗しない。

表情一つ、崩さない。

 

 

「だから…分かるの。今のシグレは…アタシが思ってる、あの時のシグレとは、違うって」

「……」

 

 

ストレアの言葉を、シグレは肯定も否定もしない。

というより、肯定が本来の返事だった。

 

 

「……お願いだから、いつもの…アタシが知ってるシグレに戻ってよ。もう、どこかに行っちゃやだよ、シグレ…!」

 

 

シグレの胸元に、自分の顔を押し付けるストレア。

その必死の訴えに、シグレは何も返さない。

確かに、それが出来れば、幾分か気が楽になるのだろう。

この想いという名の枷を忘れ、この仮想世界で皆と共に過ごせたのなら。

あるいは現実に戻っても、そんな存在と知り合えたのなら。

しかし、それでも。

 

 

「…シグレ……?」

 

 

シグレはストレアの両肩を両手で押し、自分から離れさせる。

不安げに名を呼ぶストレアに、シグレは答えない。



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第35話:それでも、伝えるために

シグレはストレアから一歩離れる。

 

 

「……すまないが、それは無理だ。これは俺が…ずっと望んできたことだ。漸く得られた機会を…逃すわけにはいかない」

 

 

10年もの間、シグレの胸の内で燻り続けた想い。

どれだけの人を守ろうと。

どれだけの敵を討とうと、決して満たされない。

それでも、シグレは戦い続ける。

一時は、死に場所を求めるために。

そして今は、父親の仇を討つために。

 

 

「…俺の事は、もう忘れろ。俺にはこういう生き方しか…分からない」

 

 

だから、シグレは距離をとる。

それが私怨だと分かっているからこそ、踏み込ませるわけにはいかない。

一人で、決着をつけなければ。

 

 

「っ……」

 

 

シグレの拒絶に、その場に膝をつき、座り込んでしまうストレア。

シグレはそんな彼女に、背を向けた。

それ以上の問答をする気はないという、シグレの拒絶。

それを悟り、とうとうストレアの目尻から涙が溢れた。

 

 

「っ…!」

 

 

その様子を見ていたフィリアだったが、ストレアの涙に、こみ上げるのは怒りだった。

シグレが生きてさえいてくれればいい。

ただ傍で、支えられれば、それだけで十分。

ストレアがそう言っていたことを、フィリアは知っている。

それが、いかに純粋な思いなのか。

直接聞いたからこそ、フィリアにはそれが分かっていた。

シグレは、その事を知らないだろう。

しかし、それがどうした。

 

 

「っ…ふざけんな、シグレ!」

 

 

今度はフィリアがシグレの胸倉を掴む。

怒りに任せて、思い切り。

 

 

「ストレアの思いも知らないで、自分勝手な事ばっかり言わないで!」

 

 

シグレには知りえぬ事ではあったが、それでも。

フィリアには、ストレアの想いが全く報われないどころか、それ以上に残酷な結果になっていることが許せなかった。

 

 

「…ちゃんと、ストレアを見て」

 

 

フィリアは手を放し、少し離れる。

シグレは振り返り、ストレアを見る。

頬を伝った涙を拭いもせず、泣き続けていた。

いつも、笑っていた、そんな表情しか思い出せなかったストレアが。

 

 

「あんたのしたい事ってのは…ストレアにこんな思いをさせてでも、成し遂げなきゃいけない事なの…?」

 

 

フィリアに言われ、シグレはストレアを見下ろす。

 

 

「…シグレ?」

 

 

普段の笑顔が嘘でないかと思わせるほど儚げで、涙が伝う表情をシグレに向ける。

シグレには、それには思うところがあった。

色々あったが、こんな顔をさせたかった訳ではなかった。

ただ、守れれば、それでよかった。

そのはずなのに。

 

 

「…ストレア」

 

 

シグレは一度目を伏せ、また開く。

一度深く息を吐き。

 

 

「俺は…お前の言ういつもの俺が、よく思い出せない」

「……うん」

「……必要以上に時間を要するだろう。それでも…待てるか?」

「え…?」

 

 

ストレアは言われた言葉を頭の中で整理する。

そして、ストレアなりに、シグレの言葉を解釈し。

 

 

「うん…うん!アタシ、待つから…ずっと、シグレの傍で…!」

 

 

弱々しく、手を伸ばす。

その手を取ろうと、シグレもまた、手を伸ばす。

その様子に、フィリアも一つ、安堵の溜息を吐いた。

とりあえず、きつく言ったことを謝らないと、なんて考えていた。

 

 

…しかし、ストレアの手は、シグレに届かなかった。

 

…シグレの手は、横に逸れ、バランスを崩す彼の体に引っ張られていく。

 

…その様子を、ストレアとフィリアは、まるでスローモーションでも見ているかのように、ただ見ることしかできず。

 

…足場があるかどうかよく分からないその地面に、シグレは無情にも叩きつけられた。

 

 

「…シグレ…?」

 

 

ストレアが名前を呼び、膝をついたまま、左腕を支えにしながら右腕で彼の体を揺する。

しかし、気を失ったのか、シグレは目を閉じ、反応しない。

 

 

「シグレ…?ねぇ、シグレ…!?」

 

 

眠るにしてはあまりに突発的で、あまりに不自然。

その様子がフィリアにも分かったのか。

 

 

「ちょ、ちょっとシグレ…!?」

 

 

フィリアも慌てて駆け寄る。

二人で呼びかけても反応がない。

 

 

…これが、ただの疲れによるものなら、それでいい。

けれど、そうではないという不穏な確信が、二人の心を占めていた。



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第36話:招かれざる客

それから数分後。

 

 

「ぅ……」

 

 

シグレは呻くように声を漏らし、意識を覚醒する。

仮想世界にいるのに覚醒、というのも言いえて妙ではあるが。

 

 

「…?」

 

 

ふと、シグレは違和感を感じていた。

突然目の前が闇に染まり、成す術もなく身体が倒れた。

その時感じた感触は、硬い感触だった。

少なくとも、歩けば足音が立つ程度には。

しかし、今はといえば、柔らかさを感じていた。

温かさを感じる、その柔らかさ。

 

 

「…シグレ?」

 

 

目の前、というべきか、仰向けで横になっているから上というべきか。

聞こえてくる声は、ストレアのもの。

シグレを気遣って、シグレの顔を覗き込む。

それに伴い、ストレアの女性特有の双房がシグレの頬に触れる。

 

 

「…状況は」

「あっ…」

 

 

気恥ずかしさからストレアから離れ、短く尋ねる。

どこか残念そうなストレアはさておいて。

 

 

「…どうも、してないわ」

「そうか」

 

 

フィリアとシグレのそんなやり取り。

シグレは問答不要とばかりに立ち上がる。

その様子は、とても突然倒れた、とは思わせないものだった。

 

 

「…シグレ」

「?」

「さっきは、その…ゴメン」

 

 

フィリアがシグレに謝罪の意を述べる。

胸倉を掴んで、言いたいことを言ってしまった。

…間違ったことを言ったとは思わないが、それでも。

シグレはそれに気づいてか気づかずか。

 

 

「……お前は俺に、何か謝るようなことをしたのか?」

 

 

そう、尋ねる。

その表情からは何も読み取れない、無表情。

いつも通りの、シグレ。

そんなシグレに、フィリアもまたいつも通りに。

 

 

「……してない」

 

 

そう、一言だけ返す。

それに対し。

 

 

「なら…謝るな。無意味だ」

「全くね」

 

 

シグレはやはり一言。

それに、フィリアは苦笑で答えた。

 

 

「…ねぇ、シグレ」

 

 

ストレアが呼びかける。

真剣な表情。

シグレは何となく察していた。

ストレアがこういう表情をするときは、何か真面目な話があるとき。

普段は天真爛漫で裏表のない明るい性格だが、空気を読まない、というほどでもないのだろうと思っていた。

…だからこそ。

 

 

「聞きたいことがあるのだろうが……」

 

 

シグレは刀を抜き、二人とは逆の方向に視線を向ける。

ストレアとフィリアもそちらを見て、見えた人影に構える。

 

 

「…まずは、来客対応からだ」

 

 

目の前に現れたフードを被ったプレイヤーに意識を向ける。

そこにいたのは。

 

 

「おーいおい、俺ぁ一人で丸腰だぜ?三人で武器を構えなくてもいいだろ……ブルって、ちびっちまいそうだぜェ…」

 

 

おどけたように言う、その声は。

…少なくともシグレとストレアは知っている声。

 

 

殺人ギルド、笑う棺桶のリーダー、PoHがそこにいた。



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第37話:自分を罰する理由

突然の来客とはいえ、武器を構えて冷静に構える三人。

 

 

「…よく言う。戦場で生き残れる人間が、この程度で怯むものか」

 

 

シグレが、刀を握る手に少しだけ力を込めて言う。

その言葉に、ストレアとフィリアは、このVR世界の事を指して言っているのだと考えていた。

 

 

「いやぁ、もう10年も前のことだからなぁ。すっかり勘も鈍っちまってるんだよ」

「ちっ…」

 

 

ニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら飄々と返すPoH。

その口ぶりに、シグレは吐き捨てるように舌打ちをする。

武器を構える三人を相手に武器を構えすらしないのは、余裕からか、圏内だからか。

 

 

「…そう焦んな。今日は挨拶と…そっちの二人に警告に来ただけだ」

「どういう意味?」

 

 

PoHの言葉にフィリアが尋ね返す。

その口調には警戒がありありと聞いて取れる。

 

 

「何、簡単なことさ。そいつと一緒にいたら…いつかは殺されちまうかもしれないぜ、ってな」

「……」

 

 

PoHの言葉に、シグレは返さない。

 

 

「それは、貴方のギルドの仲間を殺したっていう事?それなら…」

「…NoNo。違うぜ、お嬢さん」

 

 

シグレが笑う棺桶の討伐に乗り込んだ際に同行していたストレアが言えば、PoHは否定する。

話を遮り、PoHは一層笑みを浮かべ。

 

 

「…ちっちゃいBoyだったそいつは、文字通り、人を殺したのさ。俺が知ってる限りでも…あー、10人近くは殺してたなぁ?」

「っ……」

「お前も、俺となんも変わらねぇ。人殺しだろ?」

 

 

このSAOではない、現実で人を殺した。

それにはさすがにストレアも、この世界で人を殺したといったフィリアも息を呑む。

否定してほしいと思いながら、シグレを見る。

 

 

「……否定する理由はない。俺は確かに、人を殺した…何人殺したかまでは、覚えていないがな」

 

 

シグレは否定をしなかった。

 

 

「こっちでも人は殺せるが、物足りねぇ。血の匂い、肉を切り裂く感触…その何もかもがない。お前もそう思うだろ?」

「……別にだからどうだと言うつもりはないがな」

 

 

そうかそうか、と嗤うPoH。

内容が内容じゃなければ、友人同士の会話にもとれるが。

 

 

「ま、今日は挨拶までだ。また会おうや…真の意味でのオレンジプレイヤー同士、仲良くしようや」

「……消えろ」

 

 

おぉ怖い怖い、と最後までおどけながら去っていくPoH。

姿が完全に消えたのを見届け、シグレは刀を納める。

けれど、シグレはストレアとフィリアの方には振り返らない。

 

 

「…ねぇ、シグレ」

 

 

フィリアが声をかける。

その問いかけに、振り返らず、また答えることもなく。

 

 

「奴が言ったことは、事実だ。俺はこの世界の中ではなく…現実で人を斬った」

「でもそれは…!」

 

 

何か理由があったのでは、とストレアが反論しようとする。

しかし、いかなる理由であれ人を殺す事が許されるはずがない。

AIとしてプログラムされたその認識が、それ以上の反論を許さなかった。

 

 

「…何か、理由があったんじゃないの?」

 

 

フィリアがその意を引き継ぐように、尋ねる。

それに対し。

 

 

「理由があれば…人殺しは許されるのか」

「っ…」

 

 

シグレは背を向けたまま問い返す。

フィリアは、その質問に対する答えを返すことが出来なかった。



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第38話:諦めずに、ただ背を追いかけて

それから、シグレは一人歩きだす。

 

 

「…ストレア」

 

 

シグレがストレアの名を呼ぶ。

ストレアはハッとしてシグレを見るが、シグレは背を向けたままだった。

 

 

「……俺が人を助けた、なんて幻想は捨てろ。仮想でも人を殺し、現実でも人を殺した」

 

 

それが俺だ、とシグレは言う。

垣間見える、シグレが抱える闇。

いかなる理由であれ、それは許されることではない。

それはシグレ自身が一番理解しているであろう事。

 

 

「っ…」

 

 

そんなシグレにかけるべき言葉が、ストレアも、フィリアも思いつかない。

何かを言おうとしても、思い止まってしまう。

やがて、シグレは歩き出す。

その先には、転移用のコンソール。

 

 

「…ストレア。お前は…アインクラッドに戻るといい。攻略を続けるなら…キリトに助力すればいいだろう」

「シグレ…?」

 

 

片手でコンソールを操作しながら、シグレは言葉を続ける。

ストレアが名を呼ぶが、それには答えない。

 

 

「フィリア、お前は今後は…キリトを頼れ。あのお人好しの事だ…お前の力になってくれるだろう」

「っあんた…」

 

 

フィリアにも一言告げる。

何かを言おうにも、フィリアは言葉にならなかった。

 

 

「……今までいた場所は、温かかった」

 

 

シグレは手を止め、振り返ることなく、呟くように言う。

その口調は、どこか優しく。

 

 

「…ずっと忘れていた、何かを思い出せるかと思った。何かを……掴めるかとも考えた」

 

 

シグレが言う、何か。

それはきっと、フィリアやストレアにとっては、ごく当たり前の事。

ただ、仲の良い友人と触れ合いながら過ごす、何気ない日常。

当たり前すぎて、つまらなさすら感じられる程の、ありふれた日常。

 

 

「……だが、俺なんかがそれを享受できるはずはなかった。出来ると思うことすら烏滸がましい…ということか」

 

 

シグレは軽く笑う。

それは、自嘲の笑み。

しかし。

 

 

「っそんなことない!」

 

 

ストレアは本気で否定する。

それほどであっても、シグレはコンソールに目を向けたまま、振り返りもしない。

 

 

「シグレは、アタシを助けてくれた!だからこうして今ここにいられるんだよ!」

 

 

それは、ストレアにとっては絶対不変な事実だった。

シグレがいなければ、カーディナルによる初期化で、今の自我はなかったかもしれない。

 

 

「アタシだけじゃない。フィリアだって…皆だって…!だから、シグレがいうその温かさは、シグレが守ったものなんだよ!そこにシグレがいられないなんて…おかしいよ!」

 

 

ストレアの必死の訴え。

彼女らしいといえば彼女らしい、と、シグレは笑みを一つ零し。

 

 

「…お前が言うのなら、そうなのだろう。だが…だからこそ、だ」

 

 

だからこそ、これ以上、共にはいられない。

それが、シグレの答えだった。

 

 

「……これ以上、俺達の側に近づくな」

 

 

シグレの拒絶、それが何のためか。

それは、それなりに付き合いの長いストレアだけでなく、出会って数日のフィリアですら分かっていた。

シグレが刀を手に、戦う理由。

そこには、誰かを守る、という確かな意思があった。

だからこそ、危険があると思えば遠ざける。

だからこそ、危険な場所に近づくときは矢面に立つ。

 

 

「………転移」

 

 

そんなシグレは一言呟き、光に包まれ、どこかに転移をしていく。

もう、その場にシグレの姿はなかった。

 

 

「シグレ…」

 

 

どれだけ必死に伝えても、伝わらない。

それほどまでに厚い、シグレの心の壁。

ストレアは、その場にいないシグレの名を呼ぶ。

当然ながら、答えは返ってこない。

 

 

「…行こう、ストレア。シグレを追いかけよう?」

 

 

呆然とした様子のストレアに、フィリアは言葉を続ける。

 

 

「私だって…アイツに助けられた。それこそ、何度も……だから、言ってやるんだ。シグレは、あんな人殺しとは違うって、ね」

 

 

シグレは、俺達、と言っていた。

シグレ自身が、PoHと同類だと自分を捉えているからこそだろう、とフィリアは思っていた。

だから、ちゃんと伝えなきゃならない。

人を殺した事は許されることではない。

それでも、少なくとも貴方は私を…私達を助けてくれた。

だから、誰がシグレを人殺しと非難したとしても、シグレがシグレ自身を赦さなかったとしても。

 

 

「私は…シグレにとっての安らげる場所でありたいって……そう、思うかな」

 

 

フィリアはそう、結論付ける。

シグレを追う理由。

それは少なくともフィリアにとっては、十分な理由だった。

 

 

「…アタシも、おんなじ。シグレの助けになりたい」

「だったら…さっさと追いかけないと」

 

 

追いかけても待ってくれている保証もない。

どこに転移したかもわからない。

だとすれば、彼女らに出来るのは、この広いホロウ・エリアを虱潰しに探す事だけ。

それでも。

 

 

「…待ってなさい、シグレ。あんたが守ったものが何なのか、ちゃんと教えてあげるから」

 

 

二人の表情は自信に満ちていた。

まるで、追いつかない道理がない、と言っているかのように。



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第39話:現実の罰

*** Side ??? ***

 

 

 

全国で、SAOに捕らわれた患者が各病院に入院してから、早二年。

未だ帰還の兆しが見えない中の、とある一室。

実際には脳の信号を遮断して眠っており、植物状態に近い。

 

 

「…先生」

 

 

そんな病院で、ある医師の下に、看護師の一人が声をかける。

 

 

「SAO未帰還者のチェック、終了しました」

「…ありがとう」

 

 

胸元に『倉橋』という名札を付けた医師は、看護師に礼を一言。

SAO未帰還者は捕らわれたままだが、最低限の健康チェックは行われていた。

とはいえ、依頼をした相手は新人看護師。

その理由は大きく三つ。

一つは、新人看護師の経験を積むため。

一つは、健康を害して入院してきたわけではなく、急変のリスクが少ないと考えたため。

一つは、医師も看護師も空きが少なく、そちらに人員を割く余裕がなかったため。

新人看護師からカルテを受け取り、軽く流すように内容をチェック。

全員、問題なし、経過観察。

 

 

「…ふぅ」

 

 

一息つき、椅子の背もたれに背を預ける医師。

午後にも患者の診察が控えているための、軽い休息だった。

しかし、この一連で、医師は翌日、後悔の二文字に捉われることになる。

 

 

 

…翌日。

 

 

「どうしました、一体何が……!?」

 

 

ある病室。

個室となっているその病室では、モニターが患者の危険を電子音で必死に知らせていた。

皮肉にも、数日前までは毎日のように見舞い患者が訪れていたが、この日に限っていない。

気づいたのは、病室の前を通りかかった別の患者によるナースコールだった。

 

 

「喀血…?」

 

 

ナーヴギアを被ったその患者の口の端からは血液が溢れ、入院着、そしてベッドのシーツを赤黒く染める。

どれだけの血を流したのか、シーツの赤黒い染みは軽く血溜まりになっていた。

 

 

「くっ…!」

 

 

普通なら、緊急手術に踏み切る事もできただろう。

しかし今は、ナーヴギアに捉われており、下手に動けない。

強制解除によって命を落とす例が数百件発生している事実がある。

実質、ここから動かせないと考えていた。

更に言えば、仮に手術を行うとしても、麻酔が必要になる。

この状態の患者に麻酔を用いて、ナーヴギアが妙な挙動を示すことはないだろうか?

前例がない為、確証を得られず実行に移せない。

更に言えば、このままでは事前検査が何もできない。

その為、この患者の病が確定できない。

 

 

「っ…」

 

 

その為、場当たり的な治療しかできない。

治療ができる病気かどうかもわからないが、今、こうして手を拱いている理由は、頭を覆う機械以外の何物でもない。

それを考えると。

 

 

「…頼む。早く…戻ってきてくれ…!」

 

 

医師として、患者を救うために。

一刻も早い、患者の帰還を祈るのみだった。

医師は、この状況で何もできない事実に、我が身を呪うことしかできなかった。

 

 

 

…ベッドに記された、患者の名は『華月 時雨』。

 

 

…ホロウ・エリアで彼がPoHと邂逅した日のことだった。

 

 

 

出来ることが少ない中で知識を掘り返しながら、何とか一命をとりとめた後。

 

 

「…さて、この患者について、問題なし、経過観察、とした理由を聞かせてもらえるかな」

 

 

倉橋は件の新人看護師を呼び出し、事情を聞いていた。

口調こそ穏やかなものの、一歩間違えれば患者が死んでいたという事実に、多少は口調もきつくなる。

新人看護師は自分の報告が原因で患者が死にかけたという事実に、顔が真っ青になっていた。

 

 

「そ、その…」

「…今回は助かったから、これ以上は咎めない。だが一歩間違えれば人が一人死んでいた。君のやり方が間違っていたのならそれを指導しなくてはならない」

 

 

怯え、言葉が言葉にならない看護師に、倉橋は諭すように促す。

看護師は一つ頷き、ぽつりぽつり、と呟くように話し出す。

人数が多かった為、一人一人のチェックが雑になってしまった事。

これまで前例を見たことがなかった為、軽くのチェックで大丈夫だろうと思った事。

そのため、モニターの情報を見て終わりにする、という事を繰り返した事。

例の患者についても、血圧値が若干おかしいとは思ったが、一般的な血圧の正常範囲内だった為、誤差の範囲内だろうと考え、それ以上は追及しなかった事。

 

 

「…事情は分かった。だが、少しでもおかしいと思ったら、その事は逐一報告しなさい。口頭では数が多くても、カルテがあるんだ。そこに記載することは可能だろう?」

「は、はい…すみませんでした」

「謝るのは、私相手ではないだろう」

 

 

尤も、患者は眠り続けているから、謝罪も届かないだろうが。

そう考えながら、倉橋は看護師に戻っていい、と伝え、退室させた。

 

 

…現在は、患者の血液を採取し、血液検査に回している。

制限された中で、できる検査をしていくしかない。

予断を許す状況ではないが、一つ一つ、可能性を探っていくしかない。

それが今、担当医である彼に出来ることだった。

 

 

 

*** Side ??? End ***



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第40話:最悪の未来を潰すために / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

アインクラッド76層。

これまでホロウ・エリアにかかりっきりだったが、そろそろ攻略を進めないと。

 

 

「…とはいっても」

 

 

いくらストレアとフィリアがいるといっても、あのシグレだしなぁ。

面倒なことになってなければいいけど、と思う。

攻略を進めようにも、このフロアのボスの情報がまだ少なすぎる為、攻略会議すら開けない状態だった。

それを含め、明日はフィールドに出て情報収集に出ることになっている。

 

 

「……パパ?」

 

 

ふと、呼びかけてくる声。

俺のことをこう呼ぶのは、この世界…というよりどこを探しても一人しかいない。

 

 

「ユイ…どうしたんだ?」

「いえ…何か難しい顔をしてたので。何か…あったんですか?」

「…いや、何でもないよ」

 

 

心配させないように笑顔を作って返す。

けれど、娘とはいえ、AIであり、MHCPであるユイには通じず。

 

 

「…シグレさんの事、ですか?」

「っ…バレちゃってたか」

「いえ、今のはこれまでのパパの言動その他からの推測…パパの言葉を借りるなら、何となく、です」

「そっか」

 

 

とはいえ、ユイなら、分かるかもしれない。

シグレに生じていた、異変の欠片。

それを解決する、何かを。

そう思い、これまでにあった事をユイに話すことにした。

 

…時折、頭痛に襲われている様子を見せていたこと。

 

…頭痛に襲われると、周りのことすら見えなくなるようだったこと。

 

それ以上の事は分からないが、知ってる限りを話す。

話し終えたところで、ユイは少しだけ考え、真剣な表情で。

 

 

「……パパ、可能な限り早く、SAOをクリアしてください」

「ユイ?」

 

 

突然の言葉に驚く。

クリアはするつもりだが、どうして急に…

 

 

「さっき、シグレさんが酷い頭痛に襲われていた…って言ってましたよね」

「あ、あぁ…」

「…可能性ですが、現実のシグレさんは今、危険な状態にあるかもしれません」

「危険…?」

 

 

鸚鵡返しな俺の言葉にユイは、はい、と頷く。

 

 

「ここにいる皆さんが着けているナーヴギアは、脳から発せられる信号を受け取ってアバターを動かしていますが……発せられる信号がナーヴギアで十分に読み取れなかった可能性があります」

「…そんなこと、あるのか?だってあいつは問題なく攻略を続けただろ?」

「だからこそ、です。ゲーム開始時からであれば機械の初期不良の可能性もあります。ですがシグレさんは、この二年はパパの言う通り、問題なく攻略を続けてきました」

 

 

シグレの脳から発せられる信号が、ナーヴギアで読み取れない。

機械の初期不良、または故障で読み取れなかったか、ナーヴギアで読み取れるだけの信号が発せられなかったか。

 

 

「…シグレさんの意識が弱り、ナーヴギアで読み取れなかった。それはつまり……」

「何らかの理由でシグレは意識を失って、アバターを動かすのに十分な信号が読み取れず、それが頭痛という形で現れた…」

「……はい。杞憂であればいいのですが、現実のシグレさんが何らかの病で意識を失ったのだとしたら…」

「意識を失って信号が読み取れなくなったら、強制解除と判断されて…っまさか!」

 

 

強制的に解除しようとしたら、プレイヤーの脳はナーヴギアによって発せられる高出力のマイクロウェーブによって脳が破壊される。

茅場昌彦が、ゲーム初日に全プレイヤーに告げた事実。

 

 

「可能性の話ではありますが…パパの話から、度々その症状を起こしているとなると、可能性は高いと思います。通常のゲームであれば危険だと判断されれば強制ログアウトされますが、このSAOは……」

「くそ…!」

 

 

おそらく、そうなった場合の結末は、脳の破壊。

そんな事をさせるわけにはいかない。

 

 

「…とりあえず、ホロウ・エリアに行く。三人にこの事実を伝えて、攻略を加速させるしかない」

 

 

今日はもう夜も遅いが、少なくともシグレ達にはすぐに伝えて、こっちの皆には明日の朝にでも伝えよう。

さすがに夜に皆を起こして話すのは気が引けるし、時間の使い方としてはそれが妥当だろう。

 

 

…守るのは、お前だけの専売特許じゃない。

俺も…俺達も、お前を守る。

 

 

……死ぬなよ。

 

 

 

*** Side Kirito End ***



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第41話:最悪でない終わりを掴むために

その頃。

 

 

「ちっ……」

 

 

森の中、シグレは一人刀を振るう。

VRだからか、刃こぼれ、という見た目の変化こそないものの、耐久値の警告が出ていた。

それほどしないうちに、この刀は折れる。

そうなれば、丸腰になる。

しかし、ここに来るまでに培った気配感知のスキルが、敵はまだまだ蔓延っている事を伝えてくる。

おそらく、武器はもたないだろう、という推測が容易にできた。

しかし。

 

 

「また、か…っ!」

 

 

その場で頭を押さえて一瞬ふらつく。

刹那、シグレの体が一瞬だけ光のエフェクトともに消えかける。

その度に現れる、システムのメッセージ。

 

『Disconnected. Retry connection...』

 

―接続失敗。再接続を試行―

 

『Connection established successfully.』

 

―接続成功―

 

このホロウ・エリアに来て少し。

管理区に入れるようになってから、頻繁に見るようになったメッセージ。

今のシグレの身に生じている異変と、この文言から、シグレ自身も察しがついていた。

…そう、長くは持たないことを。

頻繁に生じるこの現象が、どういった要因で起きているのかは、シグレ自身にも分からない。

それでも、頻度が上がっている事から、この仮想空間以外、すなわち現実で何かが起きている。

だとすれば、いずれは再接続に失敗する可能性もある。

その瞬間に、自分は脳を焼かれ、死ぬだろう。

このSAOの、絶対不変のルール。

 

 

「……そこを…退け」

 

 

けれど、異常など感じさせぬ気迫のまま、シグレは敵を刀で光の粒に変えていく。

シグレは止まらず、戦い続ける。

仮に、もう長くないとしても。

せめて、この心残りに、決着をつけるために。

 

 

「……っ」

 

 

仮初の世界であろうと、構わない。

後悔を。

未練を、断ち切るために。

どうあっても、戻って来ないものだとしても。

自分の生が、どれだけ血に汚れていようとも。

 

 

「奴だけは、必ず……」

 

 

父を喪い、その後悔と共に生きてきた十数年。

その後悔を晴らす好機が、仮想にはある。

 

 

…手が届く距離に、守りたいものは確かにあった。

 

…その間際に、それは、奪われた。

 

…あの、男によって。

 

…自分が、未熟だったから。

 

 

だからこそ、刀を振るう。

かつては奪われたものを、この世界で取り戻し、ただ、戦い続けてきた。

そうして、奴に出会う。

 

 

…俯せに、血の海に伏す、自分の父親。

 

…背中の、抉られた傷。

 

…血は、止まらず噴き出し続ける。

 

…傷口を起点とした赤黒い染みはやがて服を染め上げる。

 

…時折勢いよく噴き出し、それは服を、肌を伝って地面を濡らす。

 

…そんな地に付す父を見下ろす、男。

 

…その手には、包丁とも短刀とも取れる刃物を持っていた。

 

…その切っ先からは、赤黒いものが滴り、地面を濡らす。

 

…返り血か、その頬を赤黒く染めながら。

 

…その男の表情には、笑みが浮かんでいた。

 

 

「……」

 

 

そこから先は、覚えていない。

ただ覚えているのは、必死に未熟な剣を振り続けた事。

今の今まで、剣を振り続け、ただ一つの安寧を得る事もなく。

それで、全てが終わるというのなら、せめてその前に。

この刀が折れ、この身が朽ちる、その前に。

 

 

「っ…!」

 

 

誰の為でもなく、自分自身の為に。

全てが狂う元凶となったあの男を、殺す。

 

 

その体にノイズを走らせ、今にも消滅してしまいそうになりながらも歩き続けるシグレ。

…そんなシグレの目からは、かつて手に入れかけた優しさは失せていた。



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第42話:ただ、追い続けて

シグレが一人、森を駆ける頃。

 

 

「っあー、もう!どこまで行ったのよあいつ!?」

 

 

走りながら、愚痴るようにフィリアが吐き捨てる。

一番は心配なのだろうが、半ば怒りのようなものすら見て取れる。

その一方。

 

 

「シグレ……!」

 

 

ストレアは純粋に、余計な感情を漏らすことなくシグレを追い続ける。

追い続けるとはいっても、自分たちがシグレと距離を詰めているという保証はない。

下手をすれば全く逆方向の可能性すらある。

それでも今は、信じて進むしかなかった。

ホロウ・エリア攻略のためではなく、ただ一人を助けるために。

 

 

「…とりあえず、私はシグレを見つけたら、一発引っ叩くわ」

「え?」

「散々人に心配かけた迷惑料ってやつ」

 

 

それで、とフィリアは続ける。

そんなフィリアの表情は、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

 

「その後は、シグレの傍で、支えていこうと思う」

 

 

ほぼ偶然といってもいい、シグレとフィリアの出会い。

その中で、シグレに助けられ、興味を持った。

シグレという、存在。

ストレアが言うところの、強くも脆い存在。

ホロウ・エリアで一人で戦ってきた経験があっても動けなくなるほどの威圧感を放つシグレ。

そんなシグレに対する興味は尽きるどころか、増していた。

その感情が何なのかが分かったわけではない。

 

 

「…あいつが進む先が、人として進んではいけない道だとしても」

 

 

もう、迷わない。

もう、放すつもりはない。

どれだけ、突き放されようとも。

どれだけ、拒絶されようとも、伝えたい事がある。

 

 

「私は…シグレの味方になる」

 

 

シグレには、味方はいる。

そう、フィリアは伝えたいと思っていた。

そんな風に考えていると。

 

 

「…そっか」

 

 

ストレアが笑顔で。

 

 

「フィリアも、シグレの事、好きなんだね!」

 

 

そんな風にフィリアに言う。

好き、には色々な捉え方があるとはいえ、シグレに対するストレアの想いを目の当たりにしていたこともあってか。

 

 

「んなっ!?」

 

 

顔を真っ赤にして、フィリアが声を漏らす。

フィリアは顔が熱くなるのを感じながらも。

 

 

「ち、違…私は別にそんなんじゃ…!」

「…違うの?」

 

 

恥ずかしさが先に立ち咄嗟に、否定する。

ストレアがきょとんとした感じで尋ね返す。

フィリアはそれには返さなかった。

それでストレアも納得したかは分からないが、それ以上は尋ねなかった。

 

 

「……」

 

 

言葉としては返さずとも、考えは止まらなかった。

よく小説とかで、本当に好きなら、そうだと認めると心がスッキリするというのを読んだことがある。

正直なところ、VRでも現実でも、恋愛経験はそれほど多くない。

だから、小説のそういう部分は、空想なのではないかと思っていたくらいだ。

 

 

「………好き、なのかなぁ」

 

 

小声で、呟いてみる。

小声だった事に加え、地面に生える草を踏みしめる音の大きさで掻き消えたか、ストレアには聞こえていないようだった。

言葉に出したからか、いろいろと考えていたことがその言葉で染め上げられていく。

そして、それにフィリアは何一つ違和感を感じなかった。

それどころか、シグレに対する考えの一つ一つに確かな理由が当てはめられたかのようだった。

 

 

「…そっか。そうだったんだ」

 

 

フィリアは顔だけでなく、胸に感じる温かさを意識しながら納得せざるを得なかった。

小説のその表現は、空想でもなんでもなく、事実なのだと。

 

 

「…ストレア。さっきの言葉、取り消すから」

「え?」

 

 

ストレアにフィリアは声をかける。

ストレアは何の話なのかの理解が一瞬追い付いていないようだったが、フィリアはそれを待つ事無く。

 

 

「私は、あいつが……シグレが、好き。だから追いかけて、シグレの隣で歩んでいきたい」

「…そっか。じゃあ…アタシとはライバルかぁ…手強いね」

「私からすればストレアの方が手強いと思うけど…」

 

 

笑顔で返され、フィリアは突っ込むように返す。

しかし。

 

 

「…今に見てなさい。そんな笑顔でいられる余裕、今に奪ってあげるから」

「宣戦布告?…でも、そういう事なら、アタシだって負けないから」

「……私だって、トレジャーハンターである以上、狙った獲物は、逃すつもりはないけどね」

 

 

互いに、不敵な笑みで視線を交わす。

シグレを巡った、女の戦いの火蓋。

とはいえ、彼女らが仲が悪いというわけでもなく。

 

 

「…ならまずは、あいつを見つけないと」

「だね!」

 

 

二人は肩を並べ、一つ頷きながら地を駆ける。

そんな二人の走りは、好敵手どころか、阿吽の呼吸。

 

 

「でも、アインクラッドにはまだいるよ?」

「やっぱりあいつ…女誑しなんじゃ」

「…でも、アタシは負けないよ」

「私だって…そう簡単には諦めない」

 

 

フィリアは、惚れた弱味というものに一つ溜息を吐いた。



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第43話:罪人の邂逅

あれから、どれくらい敵を倒し。

どれくらい、この地を駆け回っただろうか。

途中、大型の敵も何度か見た。

 

 

「ちっ…」

 

 

武器の刀は刃零れを起こし、そう長くは持たないであろう事を予測させる。

このまま進めば、いずれ武器を失い、戦う術を失えば、待っているのは死。

それは容易に想像できる。

しかし、シグレに戻る、という選択肢はなかった。

 

 

「…」

 

 

もしそうすれば、今直面している危険からは逃れられるだろう。

けれど、そうすれば、いずれあの二人を巻き込んでしまう。

シグレは自分の死よりも、その事を懸念していた。

人ですらない、人格プログラム、AI。

この世界で人を殺したと語る、オレンジカーソル。

何も知らない者からすれば、二人の命は、通常のプレイヤーのそれより軽んじられる者かもしれない。

しかし、シグレからすれば、そんな事は些細なことだった。

一度守ると決めたものを、最期まで守り通す。

一度、失敗してしまった。

だからこそ、もう失敗をしないために。

 

 

「…俺は、間違っていない」

 

 

何も、間違っていない。

あの二人も、ここにはいない、皆も。

俺と同じ世界に来るべきじゃない。

 

 

「……」

 

 

すっかりガタガタになった刀の柄を握り締め、一歩、また一歩と歩を進める。

その瞬間。

 

 

「くっ…」

 

 

シグレの目の前の視界が霞む。

そして、もはや見慣れたシステムのメッセージ。

 

『Disconnected. Retry connection...』

 

―接続失敗。再接続を試行―

 

『Connection established successfully.』

 

―接続成功―

 

徐々に頻度が上がってきているとは思いつつ。

 

 

「ガアァァァッ!!」

「っ…!」

 

 

背後から襲ってくる魔物に間一髪で反応し、刀を振るう。

ギリギリで間に合い、魔物を光の粒に変える。

今回は間に合ったから、いい。

…しかし、もし気を失った瞬間に魔物に襲われたら。

 

 

「…考えても無駄か」

 

 

軽く額に手をやり、溜息。

何かが変わるわけでもない。

それでも、少し落ち着いただけでも、意味がないわけではなかった。

そうして、また歩き出そうとした瞬間。

 

 

「…そうそう。考えたって無駄なんだからよォ…愉しもうぜ?」

「っ!!」

 

 

突然背後から聞こえた声に反応し、刀を抜いて振り返る。

 

 

「シッ!」

「…くっ」

 

 

振り下ろされた包丁を、刀で受け止める。

勢いよく振り下ろされた武器と、それを受け止める武器。

重力の助けがある分、包丁の方に分があり、シグレは若干押される。

そうでなくとも。

 

 

「おいおい、随分ボロボロじゃねえか…そんなんで戦う気か?この俺と」

「……そうだ。俺はその為にここまで来たんだからな」

 

 

ニヤリと笑みを浮かべるPoHに、シグレは面白くなさそうに返す。

それでも、何もしないよりは、とシグレは空いている方の手で、近くの草を数本毟り、それをPoHめがけて投げつける。

いくらダメージを受けないとはいえ、目の前を舞えばさすがに鬱陶しかったのか。

 

 

「ちっ…」

 

 

包丁を振り下ろす力が一瞬緩む。

シグレはその隙を見て、後ろに反射的に飛び、距離をとる。

 

 

「賢しい真似してくれるじゃねェか?HAHAHA」

「っ……」

 

 

笑いながら言うPoHに、シグレはすぐに距離を詰め、今度はシグレが刀を横薙ぎに振るう。

しかし。

 

 

「…っと。危ねェな」

 

 

PoHはあっさりとそれを自分の武器で受け止める。

その瞬間。

 

 

「っ……!」

 

 

シグレの刀が、根元から折れてしまい、光の粒になってしまう。

限界が来てしまっていた。

完全に丸腰の状態になってしまったシグレ。

しかも相手はそこらの魔物ではなく、プレイヤーを殺す事に長けたPK専門のプレイヤー。

PoHの口元が、歪む。

 

 

「…終わったな」

 

 

振り下ろされる、包丁。

万事休す、という言葉がシグレの脳裏に浮かぶ。



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第44話:新たな力と、守る者たち

次の瞬間。

 

 

「っさせないよ!」

 

 

シグレとPoHの間に割って入る影。

シグレからすれば、見慣れた後ろ姿。

その身なりからは想像もつかない大振りの剣を軽々と操る、その姿は。

 

 

「……ストレア、か」

 

 

シグレがぼんやりと名を呼ぶ。

助かったのは事実だが、何故ここにいるのか。

それを尋ねようとしたシグレだったが。

 

 

「…やっと追いついた。回復薬は…大丈夫そうね」

「……フィリア」

 

 

シグレはフィリアに声を掛けられ、名前を呼んで返す。

フィリアはシグレを見て軽く笑みを浮かべて、PoHに向き直り。

 

 

「とりあえず、言いたいことはいろいろあるけど…まずはあいつね」

「……」

 

 

短剣を構えるフィリア。

とはいえ、シグレには武器がなく、出来ることがない。

 

 

「シグレ、これ!」

 

 

PoHと距離を空けたストレアが一振りの刀をシグレに手渡す。

 

 

「…!」

 

 

シグレはそれを受け取り、鞘から抜き放つ。

次の瞬間、妙に体が軽くなるのを感じる。

同時に、何かを抜き取られるような感覚。

その感覚と、ステータスから、シグレは感覚で悟り。

 

 

「……とんでもない武器を持ってきたな」

「文句はリズベットに、自分で言ってね?」

 

 

ストレアの言葉に、シグレは一つ笑みを零し。

 

 

「…話す時間も惜しい。本気で行く…ついてこられないなら休んでろ」

 

 

すぐに視線をPoHに戻す。

次の瞬間。

 

 

…シグレが一陣の風をその場に起こし、その場から消えた。

 

 

「っ!?」

 

 

ストレアとフィリアが見失った瞬間、シグレは既にPoHの背後に回り込んでいた。

互いの武器が届かない程度には離れていたはずなのに、ほんの一瞬。

しかも、PoHに悟られることなく背後に回り込む、その速度に、誰も。

PoHですら、ついていけていなかった。

 

 

「…ちィ!」

 

 

PoHは振り返り、刀を包丁で受け止める。

さっきとは立場が逆になっていた。

 

 

「…やるじゃねェか」

 

 

それでもどこか楽しそうなPoH。

 

 

「お前は、殺す…今ここで」

 

 

表情を変えることなく、刀で鍔迫り合いをするシグレ。

PoHの腕が、シグレの刀を受け止め、震えていた。

力でもシグレが圧倒している証拠だった。

一対一でこの状況ではあるが。

 

 

「せやああぁぁぁっ!!」

「っ!」

 

 

PoHの背後からストレアが大剣で迫る。

PoHは重心を落とし、その斬撃を避け、合わせてシグレから離れる。

しかし、その先には。

 

 

「まだよ!」

「…っ!」

 

 

短剣を構えたフィリアが距離を詰め、僅かな隙を捉える。

さすがに体勢が整っていない状態では躱し切れず、フィリアの攻撃を受けてしまう。

それでも致命傷にはならなかったが。

 

 

「……」

 

 

PoHの眼前に迫ったシグレが刀を振り下ろす。

それでもPoHは致命傷を避けようと体をずらすが。

 

 

「が、ぁっ!」

 

 

PoHの片腕を肩から切り飛ばし、光の粒に変える。

武器を持っている方の腕ではなかったが、致命傷である事は変わりない。

痛みで蹲るPoHにシグレは刀を再度構える。

今度の狙いは、首元。

 

 

「…終わりだ」

 

 

そうして振り抜こうとした瞬間。

 

 

…突然、体から力が抜け、刀を地面に突き刺して蹲る。

 

 

「シグレ!?」

 

 

突然のことにフィリアが駆け寄る。

その原因に察しがついていたストレアは。

 

 

「…シグレ、武器を納めて!でやぁっ!!」

 

 

シグレにそう言いながら、間に入りPoHを遠ざける。

片腕を失ったPoHはストレアの攻撃を掠りながらも避け。

 

 

「…いやぁ、危ねェ危ねェ。少しは楽しかったぜ?」

「っ…くそ……!」

「また会おうや。その武器を使いこなしたお前との殺し合いは、震えそうだ」

 

 

笑いながら、PoHはその場から姿を消した。

フィリアが蹲るシグレを支え、ストレアは武器を構えて警戒を続ける。

しかし、どれだけ待っても、もうPoHは現れなかった。



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第45話:心の距離

やがて、三人は落ち着いたところで武器を納める。

その空気の中で一番に口を開いたのは。

 

 

「…何故、ここに来た」

 

 

シグレだった。

その口調はいつものように静かなものだったが、微かに苛立ちめいたものをストレアとフィリアは感じていた。

 

 

「俺は言ったはずだ。俺の側に近づくな、と」

 

 

近づかなければ、関わらなければ。

そうすれば、こんな戦いに関わることもなかった。

少なくとも、身の安全は保たれるはず。

シグレはそう、考えていた。

だからこそ、余計に理解できなかった。

 

 

「……どうして、そこまで俺に関わろうとする。大した得もない事は分かっているだろう」

 

 

少なくとも、彼女らを危険な目に遭わせるつもりがないが故の行動。

 

 

「……うん、シグレの言いたいことは、ちゃんと分かってるよ。アタシ達を遠ざけて、守ろうとしてくれた事も」

 

 

ストレアはシグレにそう返す。

シグレはそんなストレアに視線を返す。

ならば何故、と、シグレの視線は物語っているかのように、何も言わずに。

 

 

「でもね。そのやり方じゃ、ダメなんだよシグレ」

「…何?」

 

 

ストレアの言葉にシグレは反射的に返す。

シグレはストレアに視線を向け、ストレアもまたシグレを真剣に見る。

 

 

「…少なくとも、アタシはそれじゃダメ。何でだと思う?」

「……」

 

 

ストレアの問いかけに、シグレは言葉に詰まる。

単に、答えが分からなかったから答えられなかった、というだけである。

ストレアはそんなシグレに、ふふ、と笑みを浮かべ。

 

 

「…うん、答え…教えてあげる。というより…答えを知っててほしいから…シグレ、ちょっとだけ、目を閉じて?」

「?」

 

 

突然俯きながら、少しだけ小さな声で言うストレア。

そんなストレアに疑問符を浮かべながら、言われた通りに目を閉じるシグレ。

 

 

「…動いちゃ、ダメだよ?」

 

 

そんな言葉を聞きながら、何が何やらと考えて、結局答えが出ないシグレ。

 

 

「っ…」

 

 

すると、ふわり、という擬音が似合う感じで温かい何かが包むように。

仮想世界でも感じられる温かさ。

シグレは少なからず、その温かさを知っていた。

その温かさが、口元に触れてくる。

それが何を意味するかが分からないほど、鈍感ではないシグレ。

 

 

「ん……」

 

 

今まで共にいた時間の中で、最も近い距離で聞くストレアの声。

少しして、口元の温かさこそ消えるが、間近に感じられる温かさ。

シグレが目を開けば、目の前には頬を真っ赤に染めるストレア。

その様子に、シグレとて平常心を保てるはずもなく。

 

 

「な…」

「あ、あはは…シグレ、顔真っ赤…」

 

 

動揺から、声を漏らす。

ストレアが揶揄うように言おうとするが、ストレア自身も同じ状況なので強くは言えなかった。

 

 

「…アタシはAIだけど、それでもこれは…確かに、アタシの気持ちなんだって、思ってるよ」

 

 

アスナに言われ、自覚したシグレへの感情。

それは弱まることなく、強くなり続けている。

シグレと話ができないだけで、落ち込むほどに、シグレに依存してしまっている。

それは、純粋な想いとは違うのかもしれない。

その答えは、感情を知って間もないストレアには分からない事。

 

 

「……アタシはね」

 

 

リズベットの店で、聞かれた時。

シグレの事を想いながら、出てくる言葉は、嘘偽りない気持ち。

最初は、ただ傍にいられれば、それだけでいいと思っていた。

けれど、どれだけ傍にいても、どうしてか遠くに感じられた、その理由。

…心の距離が、離れすぎていたからだと。

 

 

「アタシは…シグレの事が……」

 

 

そうだと分かれば、どう解決すればいいか。

問題解決は、ストレアにとっては専門分野。

離れていることが問題だというなら、近づけばいい。

なら、近づくためにはどうすればいいか。

その方法も、ストレアは分かっていた。

 

 

「……好き、なんだ」

 

 

ただ、その想いを伝えればいい。

もし拒絶されたらと思うと、伝えることに対する怖さはある。

それでも、ストレアはただ、伝える。

その伝え方が、効率的な方法ではないとしても。

 

 

「好きだよ、シグレ。大好きなんだよ……!」

 

 

必死に伝えるストレアに対し、シグレはどうしたらいいのか分からなかった。

ストレアが必死に伝えようとする、その大きな想いに気づかないほど鈍感ではなかった。

しかし、どう答えればいいのかが分からなかった。

どうすべきか迷った挙句、ストレアの頭に手を乗せ、撫でるように髪を梳く。

 

 

「……言いたいことは、分かった…だから少し落ち着け」

「うん…」

 

 

女性の髪にそう簡単に触れるものではない、とどこかで聞いた気がする。

けれど、どこか上ずったような声で肩を震わすストレアにシグレが出来ることは、それしかなかった。

 

 

…それ以外の方法を、知らなかった。



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第46話:タイムリミット

そんな会話の後。

 

 

「……」

 

 

シグレの膝を枕にストレアは眠ってしまう。

安全地帯というわけでもないのに、不用心な、と思うが、起こすに起こせなかった。

 

 

「…安心したのかしら」

「だとしたら…まるで子供だな」

 

 

笑いながらストレアの髪を撫でるフィリア。

その様子に、何をするでもなく、けれど膝を占領され動けないシグレ。

 

 

「……」

 

 

シグレからしてフィリアとストレアの様子は親子、あるいは姉妹のようにも見えた。

そこに自分がいていいものかどうかは、つい考えてしまう。

こうして、ここにいるのが自分でなければ。

ストレアが、想いを寄せる相手が、自分でなければ。

この場にいるのが、自分でなければ。

 

 

「…あんたじゃないと、ダメなんだよ。シグレ」

「……」

 

 

フィリアに言われ、シグレはフィリアを見る。

 

 

「ストレアがこうして幸せそうにしていられるのは、シグレだからだよ。それに…」

「…?」

「私も…ストレアと、同じ」

 

 

フィリアは言いながら、シグレの頬に顔を寄せ、軽く触れる。

何が触れたか、等と考えるまでもないが、シグレはそれ以上は考えなかった。

 

 

「私も…好き、だから」

「……」

 

 

何の冗談、と言いかけ、言葉を止めるシグレ。

目の前で俯きながらも頬を真っ赤にされて、それでもそう言えるほど無頓着ではなかった。

流石に視線を逸らしたいと思いつつも、ストレアに膝を占領され、身を捩ることすら許されないこの状況では逃げられなかった。

……どうしてこうなった、と考えることだけしかできなかった。

 

 

「ん……ぅ…?」

 

 

やがて、ぼんやりとストレアが目を覚まし。

 

 

「…あれ、おはよ。シグレ」

 

 

どこか呑気にそう挨拶をするストレア。

シグレもその様子に毒気を抜かれ、ただ溜息を一つ吐き。

 

 

「……起きたのなら行くぞ」

「えー、もうちょっとこうしてたいな?」

「ならせめて安全圏内に移動してからにしろ」

「はーい」

 

 

シグレとストレアのやりとりにクスクスと笑みを浮かべるフィリア。

渋々といった様子で、ストレアが立ち上がり、それを見てからシグレも立ち上がる。

 

 

「…どうする?管理区に戻るの?」

「あぁ」

 

 

フィリアの問いにシグレは頷く。

その答えに、ストレアやフィリアは少しばかり意外に感じていた。

これまでの事を考えれば、突き進んでいくものだと考えていたから。

しかし、その問いに対する答えは。

 

 

「……俺が何故あいつを狙っているか。ついてくるつもりなら、その説明は必要だろう」

「一緒に行ってもいいの?」

「…突き放してもついてくるのなら、初めから傍に置いていたほうが世話がないからな」

「それもそうだねー」

 

 

ストレアの言葉に、シグレの溜息が聞こえた。

おそらく、お前が言うな、といった意味を含んでいるのだろうと、フィリアは思う。

だからといって、シグレから離れる選択肢はなかったが。

 

 

「……」

 

 

少しばかり歩いたところで、シグレが立ち止まり。

 

 

「?」

「シグレ?」

 

 

どうしたのかとストレアとフィリアがシグレの様子を窺う。

しかし、返事はなく。

 

 

「ぐ……っ!」

 

 

体にノイズが走り、シグレは頭を押さえ、その場に蹲る。

その瞬間に見えたのは。

 

『Disconnected. Retry connection...』

 

―接続失敗。再接続を試行―

 

見慣れたメッセージ。

いつもなら、このあたりで頭痛が治まるのだが、今回はそうはならず。

 

 

「……グレ、しっ……!」

「っ…!」

 

 

頭痛と、頭に響くノイズが誰かが呼びかける声を聞き取る邪魔をする。

 

『Disconnected. Retry connection...』

 

―接続失敗。再接続を試行―

 

再度、同じメッセージが表示される。

こうして、再接続に連続で失敗するのは、初めてだった。

 

 

「ちょっ………レ!だい……ぶ…!?」

 

 

誰かの声よりも、システムの警告音がいやに耳につく。

 

『Disconnected. Retry connection...』

 

―接続失敗。再接続を試行―

 

それでも、再接続の試行は続く。

これが何度も続くとは考えにくい。

何故なら、接続ができないということは、それが強制解除と認識される可能性があるから。

このSAOでは、そうなればナーヴギアが脳を焼き、生命活動を停止させるようプログラムされている。

しかし。

 

『Connection established.』

 

―接続成功―

 

そのメッセージが表示され、シグレの呻きや、体のノイズが停止して安定する。

それを見て、フィリアは一息。

 

 

「…大丈夫、みたいね。全く……」

 

 

シグレに触れながら、安心したように言うフィリア。

しかし、ストレアは険しい表情のまま。

 

 

「……」

 

 

シグレに対して表示されたメッセージをじっと見つめていた。

その先には、接続成功、のメッセージ。

しかし、それには続きがあった。

 

 

『Warning: Failed to connect decision making module of player.』

―警告:プレイヤーの意思決定モジュールへの接続に失敗

 

『Use alternate/backup module to continue gameplay.』

―ゲームプレイ続行のため、代替モジュールを使用します。

 

 

表記は英語のみだが、AIであるストレアが理解できないはずもなく。

一方でフィリアもある程度の英語の知識があったため、内容を理解することは出来ていた。

 

 

「ちょ、ちょっと…これって」

「…意思決定モジュールは、その人がこういうときはどうする、っていう、文字通り、意思決定をする思考回路のこと。それが読み取れなかったっていうことは…」

「現実のシグレに何かが起こってる?」

「……うん。しかもナーヴギアの強制解除じゃない。シグレ自身に何かが」

 

 

でも、とストレアは続ける。

 

 

「これがないと、プレイヤーは植物状態になっちゃうでしょ?だから代わりの意思決定を行う回路…それを代替モジュールって呼んでるんだけど、それを割り当てて、とりあえず人のように振舞うようにしたっていうこと」

「……つまり、シグレは目が覚めたら別人みたいになるっていうこと?」

「ううん。基本的にはそのプレイヤーのバックアップデータを割り当てるから変わらないと思う。ただ…」

 

 

ストレアは曇った表情のまま、メッセージの最後の文に目を向ける。

つられてフィリアもそこを見ると、目を見開く内容が記されていた。

 

 

『Expiration: 19day 23hour 58min 12sec.』

―使用期限:19日23時間58分12秒。

 

 

表示を見れば、1秒ずつカウントは進み続ける。

それを見ながら。

 

 

「代替モジュールは20日までしか使用が認められてない。つまり…」

「…ゲームクリアをしないと、これが0になったら…」

 

 

ストレアの言葉にフィリアが否定して欲しい推測を述べる。

しかし、ストレアはただ目を伏せるのみで、否定も肯定もしなかった。

つまり。

 

 

「これが…シグレのタイムリミット」

 

 

ストレアは、そう結論付けた。



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第47話:厄介な仲間 / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

ユイと話をしてからというもの、シグレ達とは会っていない。

理由は大きく二つ。

一つは、こちらの攻略が本格的に進み始め、ホロウ・エリアに行く時間が減っていること。

もう一つは、ホロウ・エリアに行ってもシグレ達がいなかったこと。

皆の余計な心配を減らすため、シグレの事は皆には伝えていない。

その為、シグレを探すのは基本的に一人だった。

その事もあり、管理区から外に出る危険を考えると、管理区で遭遇できなかった場合は諦めるのが妥当だと考えていた。

 

 

「……ふぅ」

 

 

あれから攻略はそれなりに順調で、現在は86層まで攻略が進んでいた。

幸運なことに、被害者は今のところ出ていない。

しかし攻略自体が楽なわけではなく、危ないことも何度もあった。

 

 

「…戻るか」

 

 

街中で一つ息を吐き、エギルの店に戻ることにした。

 

 

 

そうして、戻ってみると、耳に入るのは。

 

 

「だから、彼は私達の敵ではないと!」

「…っなら75層で奴はあんたに剣を向けた!あんたがあいつを殺してなかったら、敵を増やしていたことになるだろ!」

「くっ…」

 

 

言い争いの声だった。

聞き覚えのある女性の声と、聞き覚えのない男性の声。

聞き覚えのある声はアスナで、両方とも攻略組であることは分かっていた。

 

 

「…なぁ」

「ん?」

「なんで言い争ってるんだ、あいつら…」

 

 

近場にいたケイタに尋ねると。

 

 

「…あぁ、ここでちょっとシグレの話題が出てて。75層の事であいつを敵だと思ってる人が言いがかりをつけてる…ってところかな」

「なるほど」

 

 

やれやれ、といった感じのケイタだが、やや視線は厳しい。

 

 

「…もういい。もしあいつが入るのなら俺…いや、うちのギルドは抜けさせてもらう。余計な面倒ごとは、ごめんだからな」

「っ……」

 

 

相手の方も、そこそこに名が通る実力者。

それが故に、ポリシーのようなものがあるのだろう。

それ自体はどうこう言うつもりはない。

けど、今戦力が削られるのは痛いな…

 

 

「…お前は確か、『月夜の黒猫団』…だったか」

「どうも」

「お前達も、俺達に協力する気はないか?あんな敵をあてにせずとも我々なら攻略を進められるだろう」

 

 

ケイタを見ると、少し悩んだ素振りを見せていた。

現実として、月夜の黒猫団は少人数ギルドながら、ここにきてかなり実力を上げており、それが攻略組の目に留まっていることも知っていた。

 

 

「……悪いけど、遠慮するよ。攻略を貴方達で進めるなら、貴方達だけでやってくれ」

「何?」

 

 

ケイタの言葉に、相手は少しだけ顰め面をする。

返事が気に入らなかったのだろう。

けれど、ケイタもそれに怯むことなく。

 

 

「…理由を聞いても?」

「簡単さ。貴方が、ともに戦う仲間すら信頼できない人だから」

 

 

はっきりと返していた。

 

 

「こうして攻略組に加わる事は確かに目的だった。けど俺にとっては…一番は仲間の安全だ」

「それは私達だってそうだ。だからこそ敵になりうる存在を遠ざけるために…」

「……なら貴方は、彼の何を知ってると?」

「奴が何であろうと、75層で我々の前に立ち塞がった。それこそが全てだろう」

 

 

お互い平行線の言い合いだった。

 

 

「…確かにシグレはあの時は敵だったかもしれない。けど、シグレがいなかったら、今ここに『月夜の黒猫団』はなかった」

 

 

ケイタが言っているのは、27層の迷宮区のトラップの話だろう。

あの時、俺達が突入した時、あいつは本当に死ぬ寸前だった。

まさに、命を懸けてこのギルドを守ったシグレ。

それはケイタもちゃんと理解していた。

 

 

「…それにシグレは、俺達のギルドのメンバーなんだ。うちのメンバーを貶すような事はやめてもらいたいね」

「……どうやら、相容れぬようだな」

「そのようで」

 

 

それを最後に、ケイタと言い争っていた男は店を出て行った。

 

 

「…あそこまではっきり言いきるとは、思わなかったな」

「いや、攻略組としてはまずかったとは思ってるんだけど…ごめん。仲間を貶されて頭に血が上っちゃって」

 

 

ごめんごめん、といった感じのケイタに思わず笑みが零れた。

ギルドのメンバーを、仲間を本当に大切に思うケイタ。

そしてその仲間の中に、周りから敵だと思われる奴がいたとしても見捨てない。

それどころか仲間の為に、自分から敵になる。

 

 

「全く…あいつが戻ってきたら、少し首輪でもつけておこうかな?」

「その時は何かアイテムを見繕っておくよ。厄介なメンバーを持つと苦労するな?」

「全くだ」

 

 

ケイタと笑いながらそんな会話を交わす。

お前を仲間だとはっきり言いきって、信じてる人がいるってこと。

 

 

…まさか、気づいてるよな?

 

 

 

*** Side Kirito End ***



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第48話:終わりへ向けて

気を失ったシグレを支えながら、ストレアとフィリアは管理区に戻る。

 

 

「っ…!」

 

 

シグレに提示された制限時間が、自ずと彼女らを焦らせ、それが疲れという形で還元される。

その焦りに気づかずか、シグレは少しの間眠り続けていた。

 

 

「…ちゃんと起きる…よね?」

「ん…」

 

 

心配するフィリアと、自信なさげに頷くストレア。

その後少しして。

 

 

「…ここは」

「管理区だよ。シグレは…大丈夫?」

「あぁ…それより、このカウントダウンは…」

 

 

シグレが目を覚ましてから、ストレアとフィリアが説明をする。

内容は無論、タイムリミットについて。

普通なら、慌てるかもしれない。

人によっては自棄にだってなりうる。

しかし。

 

 

「……そうか」

 

 

シグレは至極自然だった。

まるで、カウントダウンの意味が分かったので、それで十分と言わんばかりに。

シグレは一つ、息を吐く。

 

 

「…一応聞くが、カウントが0になった場合、どうなる?」

 

 

シグレはストレアに尋ねる。

碌なことにはならないだろう、とシグレは思っていたが。

 

 

「まず、アバターは消滅する。それはつまり、この世界でのシグレが死んで…」

「……現実のシグレも?」

「…HPが0になったプレイヤーと同じに、なる」

 

 

ストレアの説明をフィリアが質問の形で引き継ぎ、ストレアはその質問に頷く。

それはつまり。

 

 

「……状況は把握した」

 

 

シグレはそこで会話を打ち切り立ち上がる。

 

 

「俺がこの場所で果たすべき目的はあと2つだ」

 

 

その手には、しっかりと刀が握られている。

背を向けていたシグレの表情は、二人からは窺えなかったが、見るまでもなかった。

 

 

「…1つ。お前達をアインクラッドに送り返す」

 

 

はっきりと、言い切るシグレ。

 

 

「……無理だよ、だって私は…」

「…その事なんだけど、ユイに聞いてみない?」

「ユイ…?」

 

 

フィリアに対するストレアの提案の中に出てきた聞き覚えのない名前に、フィリアは尋ね返す。

フィリアの問いにストレアは答えず。

 

 

「大丈夫だよ、フィリア」

 

 

それだけ、告げる。

何も心配はいらない、といわんばかりだった。

 

 

「…だって、シグレだもん」

「ストレアのその言葉の根拠がよくわからないけど…」

 

 

何故か、大丈夫かも、と思ってしまったフィリアはそれ以上言葉が続かなかった。

ストレアが思い出すのは、かつてシグレが救ってくれたという事実。

詳しいことを知らないフィリアからすれば疑うのもある意味当然といえば当然だった。

 

 

「…それで、もう一つは?」

 

 

話を先に進めようと、フィリアがシグレに尋ねる。

 

 

「……あの男を。PoHをこの手で殺す」

 

 

それで、全てを終わりにする。

そう、シグレは言い切った。

その口調は、さっきまでとはまるで違う、本気の殺意を感じさせる声色。

ただの一言なのに、二人は軽く背筋に嫌な汗が流れる。

相変わらず、シグレの表情は窺えない。

けれど、窺わなくても。

窺うまでもなく、シグレの言葉は、明らかな殺意に満ち満ちていた。

 

 

「…シグレ」

 

 

その恐怖をものともしないかのように。

あるいは抑え込みながらか、ストレアはシグレの名を呼ぶ。

 

 

「何だ」

 

 

シグレは先を促しながら、振り返る。

その口調は、先ほどまでの威圧感が消えていた。

 

 

「話してくれるって…言ってたよね」

「……」

 

 

シグレとて、うろ覚えではあったがそれを忘れたわけではない。

しかし、今となって思うのは。

 

 

「…聞く意味があるのか」

 

 

それだけだった。

どうせ、この世界のどこかで、限界がきて自分は消える。

そんな奴の過去を知って、どういう意味があるのか。

たとえ好いていようと、知る必要のないことを知り、無駄に負担をかけるだけなら知る意味はない。

そう、シグレは考えていた。

しかし。

 

 

「……あるよ」

 

 

答えたのは、フィリアだった。

自分の胸に手を当て、思い返すように目を伏せながら。

 

 

「たとえシグレがもうすぐ消えるとしても、ここで何もしないで見送ったら、私は…ううん、私たちは絶対一生後悔する」

 

 

そう、言葉を紡ぐ。

不思議と、その言葉には迷いはなかった。

 

 

「…シグレが私を助けてくれたように、私もシグレの力になりたい。ただそれだけの事なんだ」

「余計な負担を背負うことになってもか」

 

 

はっきりと、シグレの目を見据えて話すフィリアにシグレが質問で返す。

その問いかけに、フィリアは揺らがなかった。

 

 

「アタシもそうなんだよ?シグレが助けてくれたから、こうしていられるんだもん。シグレの為だったら何だってするつもりだよ?」

「……」

 

 

フィリアとストレアに言われ、結局折れたのはシグレだった。

2対1で敵う術はなく。

 

 

「……お人好しだな」

「類は友を呼ぶ、って知ってる?」

 

 

溜息交じりのシグレの言葉に、フィリアが切り返す。

それに対する返しを思いつかなかった時点で、シグレの負けだった。



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第49話:皆を、ただ護るために / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

あれから数日。

俺は、ある一つの決心をする。

 

 

「…シノン、ちょっといいか」

「?」

 

 

今、いるのは89層のフィールド。

ここで、俺達はモンスターの狩りを続けていた。

シノンのレベル上げを手伝う形ではあるが、今ではシノンも十分に実力をつけていた。

レベルは層と同じ89。

少し不安こそ残るが、弓という特殊な武器をすっかり使いこなしていて、今では積極的に手伝うことは少なくなっていた。

 

 

「…どうしたのよ、真剣な顔して。相談なら街に戻ったほうがいいんじゃないの?」

「そう…だな。狩りはもういいのか?」

「えぇ。回復アイテムも尽きそうだし、丁度いいわ」

 

 

そんな感じで、アイテムの補充も兼ねて、一度街に戻る事にした。

 

 

 

そして、そこで俺はユイとした話をシノンにも伝える。

憶測ばかり、しかも当たってほしくない憶測の話だが、可能性がある以上。

そして、シノンがここに来た目的である以上、話さないわけにはいかなかった。

 

 

「…それってつまり、現実の先輩は…」

 

 

シノンはそこで言葉を切る。

よく見ると、少し顔色が悪いような…気がする。

VRでそんなことが起こりうるのかは微妙なところだが。

おそらくその先に続くのは最悪の想像だろう。

本当なら否定したいが、俺もその可能性を否定する理由がない。

安心させるために嘘を言うべきなのかもしれない。

けど、シグレのことに関して、シノンに嘘を言いたくなかった。

詳しく聞いたわけじゃないけど、只管に、2年あいつの事を純粋に待ち続けたシノンには。

 

 

「……シグレほどじゃないかもしれないが、現実の俺たちも危険なことに変わりはない。だからこそ俺達も攻略を加速させなきゃならない」

 

 

だからこそ、俺は否定もせず話を続ける。

それを察したのか、シノンも何も言わない。

 

 

「でもそれは、あいつの方も同じだ。けどこっちは人数がいる。だけどあいつらは…三人しかいない」

 

 

圧倒的な戦力差。

それを埋めるためには、一番早いのはシグレ側の戦力増強。

言うのは簡単だが、攻略に対して俺たちがいる側のリスクが増えるのは言うまでもない。

けど。

 

 

「…だから、頼む。俺もあいつを…守りたいと思ってるけど、手が足りない。だから…俺の分まであいつを助けてやってくれないか」

 

 

俺はシノンに頭を下げる。

別にシグレだけに限った話じゃない。

ストレアも、フィリアも、過ごした時間が長くないとしても、守りたい。

その思いが通じたか、あるいは言うまでもなかったのか。

 

 

「分かった。先輩達は……私が助ける」

「…ありがとう」

「私はそもそも、そのためにこの世界に来たんだもの…言うまでもないわ」

 

 

どうやら後者だったらしい。

 

 

「…なら、準備ができたら言ってくれ。向こうにはアイテムショップもない。それに向こうで戦うとなると少しレベルも不安だからな、気を付けてくれ」

「分かってる。3分で支度をするわ」

 

 

準備を促すと、シノンはすっと歩き出して人混みに紛れていく。

おそらくアイテム補充だろう。

3分とは言ってたけど、さすがに3分じゃ戻らないだろう。

 

 

 

…と思ってたら。

 

 

「…戻ったわ」

「早いな…」

「3分って言ったじゃない」

 

 

まぁ正確に測っちゃいないが、体感的には2分くらいだった気がするぞ。

そんなに問題でもないけども、それはそれとして。

 

 

「じゃあ、行こうか…シグレのところへ」

「えぇ…」

 

 

シノンを連れて、ホロウ・エリアへ。

 

 

「…やっと。先輩…」

 

 

後ろを歩く、シノンの声が聞こえた。

でもきっと、聞こえないふりをした方がいいのだろう。

そう思い、俺は振り返ることもなく、転移門を目指した。

 

 

 

*** Side Kirito End ***



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第50話:望み続けた再会 - I

ホロウ・エリア。

その中で数少ない安全地帯、管理区。

 

 

「……」

 

 

話す、とはいったものの、余計な負担をかけまいとするシグレなりの気遣い。

それと、どこから話すべきか、といった現実的な問題。

それが、シグレがなかなか話し始めない理由だった。

そんな事を悩んでいると。

 

 

「…シグレ」

 

 

転移門から聞き覚えのある声がシグレを呼ぶ。

その声の主は。

 

 

「…キリト。と……」

 

 

キリトとシノン。

尤も、シノンに関してはシグレは気付かなかった。

 

 

「…覚えてないのか?」

 

 

キリトが尋ねるが、シグレは疑問符。

 

 

「まぁ、そうよね…」

 

 

シノンは溜息を一つ。

覚えてくれていなかった事は残念と思いながらも、一方で仕方がない事とどこかで諦めていたのだろう。

改めてシグレに向き直り、キリトより少し前に出て。

 

 

「私にとっては違うけれど、貴方にとっては…初めまして、でいいのかしら?」

「…さて、な」

 

 

シノンの挨拶に、シグレは彼女をじっと見る。

その視線は、暗に何者かを探るかのような疑いを含んでいるように見えた。

それが、シノンには懐かしく見えた。

…あの時と、彼は変わっていないのだろう、と。

 

 

「…私は、シノン。あの時……郵便局で、初めて会ったのだけど…覚えているかしら」

「……」

 

 

そこまで言われ、ふとシグレは思い返す。

郵便局での事は、忘れようもない。

シグレが拠り所の一つを失う理由となった、強盗事件。

結果的には、その犯人を自分が撃ち殺し、事件そのものは終息した。

あの場で、会った、という表現が当てはまるのは、シグレの中には一人しか覚えがない。

 

 

「……あの場で会った、とすると…俺に礼を言ってきた…」

「っ…覚えていて、くれたのね…」

 

 

シグレが呟くと、シノンはシグレに笑顔を向ける。

男性なら誰でも見惚れてしまいそうなそれではあるが、そこで動じないシグレだったが。

 

 

「…SAOをプレイしていたか……」

 

 

世間は狭いな、等と考えるシグレだったが。

 

 

「いや…そういうわけじゃないんだ」

「…?」

 

 

キリトの否定に、シグレはキリトを見る。

 

 

「…彼女は…シノンは、途中からログインしてきたんだ」

「途中から…?」

「あぁ。実際、ログインしたのは一月前くらいだ」

 

 

キリトの言葉に、シグレはますます疑問だった。

一ヶ月前ともなれば、さすがにこのSAOが普通のゲームではないと認知されているだろうと、ゲームの中にても察しがつく。

実際、このゲームがデスゲームであることを突き付けられた初日ですら、200人前後は死んでいた。

だとすれば、このゲームをプレイすれば現実に死ぬ危険があることを分かっていながら、ここに来た、という事になる。

 

 

「…俺はずっとこの世界にいるが、外ではSAOが普通ではないことは広まっていただろう」

「えぇ…それはもう。未だにこのゲームに関する報道は続いてる……さすがに開始直後ほど騒いではいないけど」

 

 

シグレの問いに、シノンは耳にタコができそうになった、と軽く苦笑する。

しかし、それに同調することもなく。

 

 

「…何の為に」

「……先輩を、この世界から、救う為に」

 

 

シグレが尋ねる事に、シノンは迷うことなく、一言一言を確実に告げる。

先輩、という単語に引っ掛かりを覚えたシグレだったが、それは話を続けるシノンによって質問を遮られた。

 

 

「このゲームのサービスが始まってから、私は毎日…は無理だったけど、少なくとも二、三日に一回はお見舞いに行ってた」

 

 

いつか、目を覚ましてくれると信じて。

いつか、無事に戻ってきてくれると信じて。

無事に戻ってきてくれたら、改めて自己紹介ができると信じて。

それを、二年。

 

 

「…二年待ち続けても、戻ってこなくて…諦めかけた時に、キリトの妹さんに話を聞いて…ここに来たのよ」

「何故そこまでする…」

 

 

シグレが溜息を吐きながら疑問を口にする。



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第51話:望み続けた再会 - II

シグレの疑問にシノンは迷いなく。

 

 

「…今、私がこうして生きていられるのは、先輩がいたからだと思ってる」

 

 

別にそんなことはないだろう、と思うシグレだが、シノンの言葉が続く。

 

 

「あの時の事は忘れなさいって、周りに何度も言われたわ。でも…あの時、私を含めた皆を守ってくれた貴方を忘れることは……私にはできなかった」

「……言いたいことは分かった。だがそれは、命を懸ける理由にはなるまい」

 

 

シグレにも、シノンの感謝の意は伝わっていた。

しかし、それは自分が命を懸ける理由にはならない。

助かったのなら、平穏に暮らせば良かったのではないか。

そう、シグレは考えたのだが。

 

 

「なるわ。少なくとも私にとっては…ね」

 

 

そう、シノンは言い切った。

 

 

「私は…先輩に救われたから、今こうして、生きていられるんだって…思ってる。だから、私の人生全てを先輩に捧げるつもり」

 

 

胸に手を当て、目を閉じて紡がれるシノンの言葉が、シグレは少しだけ重く感じたが、言葉にはしなかった。

どう言葉にすべきか思いつかなかった、ともいう。

 

 

「…でもね。だからといって先輩に何かをしてほしい、なんて思ってないの。ただ、貴方の傍で、貴方と同じ景色を見ていられれば、それだけで」

 

 

シノンは目を開き、シグレをじっと見る。

シグレからすればどこまで本気で言っているかは半信半疑だったが。

 

 

「私にとって…先輩は今の私の全て。貴方が信じる人は、私も信じる。貴方の敵は…私の敵。貴方が殺す相手は…私にとっても殺す対象」

 

 

そこまで言われれば、さすがに信じざるを得なかった。

 

 

「…幻滅しても、責任は持てないが」

「私が、先輩に?ありえないわ。責任だったら…もっと別の意味でとってくれたら嬉しいけど」

「……深く詮索はしないでおく」

 

 

シグレは内心、大丈夫なのかこれは、と思っていたが、真顔で言ってのけるシノンに眉間を押さえた。

よくよく考えれば、命の危険があることを分かっていながらこのゲームに途中参戦するほど。

今、ここにいる時点でシノンがいかに本気であるかを察するべきだった。

これ以上何かを聞くと、現実でいうところの胃が痛くなるのでは、と懸念し、シグレはそれ以上は何も言わなかった。

 

 

「…ここでは、シノン、と名乗ってるわ。よろしく…先輩」

「……シグレだ」

「現実と同じなのね」

「まぁ…な」

 

 

シノンの苦笑に、シグレは返す言葉もなかったが。

 

 

「…それより、気になっていたが…その『先輩』というのは何だ?」

「仕方ないじゃない。名前を知らなかったんだもの…本当はあの時名前を聞きたかったけれど、すぐに警察に行っちゃったじゃない」

 

 

それで、とりあえず、といった感じなのだろうと察する。

 

 

「それは名乗らなかった俺が悪いのか…?」

「…ど、どうだろう…な」

 

 

シグレがキリトに尋ねれば、キリトも詰まりながら反応する。

兎にも角にも。

 

 

「…今はまだまだ未熟かもしれないけど、いつかは先輩の隣に立って、貴方を支えられるように頑張るから。よろしく、先輩」

「………あぁ」

 

 

そうして、二人は握手を交わす。

その近い距離に。

 

 

「…強敵?」

「……かも、ね」

 

 

ストレアとフィリアもそんな反応をする。

割って入れない何かを感じ、ただ見ているだけしかできなかったが、ジッと二人の様子を見ていた。

そんな中。

 

 

「…ところで、シグレは大丈夫か?何だかんだ、調子悪そうなことあったろ?」

「……」

 

 

転換された話題にシグレは少し考え、ストレアとフィリアを見やる。

その視線に気づいてか、ストレアは頷く。

シグレはそれに何か反応を返すこともなくキリトに向き直り。

 

 

「…少し、話しておきたいことがある。時間はあるか?」

「あぁ、まぁ大丈夫だ。攻略会議があるから長居はしないけど…」

「…問題ない。こちらもそんなに長話をする暇がないからな」

「どういうことだ?」

 

 

キリトがシグレの言い方に疑問を感じながら先を促す。

ストレアの補足を交えながら、シグレはキリトとシノンに告げた。

シグレ自身に課せられた、時間制限の話。

その時間の中で、これからどうするかという話を。



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第52話:先に待つ絶望 - I

話し始めるのは、シグレからだった。

 

 

「…まず先に言うが、シノン」

「何?」

「お前の目的が俺にあるのだとしたら…もう、手遅れだ」

 

 

表情一つ変えずに言うシグレ。

シノンは少しばかり訝しげな視線をシグレに向ける。

シグレはそれに気づいてか気づかずか、メニューの操作をする。

少しして、シグレの傍に表示されたのは。

 

 

『Expiration: 15day 12hour 01min 32sec.』

 

 

赤いウィンドウと、何かを表す時間。

それは1秒毎に減っていっている。

それが何かを知っているストレアとフィリアは辛そうに見るが、知らないキリトとシノンは疑問だった。

 

 

「…それ、何だ?そんな表示初めて見たぞ」

 

 

システム操作で表示されたのだとして、これまでSAOでずっと過ごしたキリトですら知らない機能。

その疑問を投げかけると、シグレはただ、表情一つ変えずに。

 

 

「これは…俺に残された時間、だそうだ。このカウントが0になった瞬間、HPが0になろうがなるまいが、俺のアバターは消滅するらしい」

 

 

ストレアから聞いた話だが、と補足しながら淡々と述べる。

その言葉に、キリトは勘づく。

 

 

「…ちょっと待て、もしそうなったら」

「あぁ」

 

 

このSAOでは、HPが全損すると、アバターが永久消滅する。

そして、同時にナーヴギアがプレイヤーの脳を焼く。

HPが残っていようとアバターが消滅するとしたら。

…最悪の可能性に至るまで、時間はかからなかった。

キリトは勿論、ここに来てそれほど時間が経っていないシノンですらも至った、最悪の可能性。

 

 

「ちょ、ちょっと待って。どうしてそんな事に…!」

 

 

シノンが慌てたように問いかける。

 

 

「…プレイヤーとナーヴギアの接続は2方向の見方があるんだ」

 

 

それに続いたのは、シグレではなく、ストレアだった。

いつもの明るい表情はどこへやら、真剣な面持ちだった。

 

 

「まず一つは、ナーヴギアからプレイヤーの脳へのアウトプット。HPが0になったら、っていうのはこれだよね」

 

 

指を一本立てながら、ストレアは話す。

HPが0になったらナーヴギアが高出力マイクロウェーブを発するように命令を出す、SAOのゲームプログラム。

SAOのゲームプログラムからナーヴギアへ、ナーヴギアからプレイヤーへ。

アウトプット…出力方向。

 

 

「そしてもう一つは…インプット」

 

 

更に一本指を立て、ストレアは続ける。

従来は手で持つコントローラによって、プレイヤーはゲームの操作をしていた。

しかしそれは結局、脳からの指示で手が動き、その操作をゲームプログラムが解釈する。

ナーヴギアという機械は操作を脳、つまり思考によって行うが根本は変わらない。

つまり、プレイヤーからナーヴギアへ、ナーヴギアからSAOのゲームプログラムへ。

インプット…入力方向。

 

 

「…このカウントダウンは、インプットが不安定になったときに起こるの。つまり…何らかの原因で、シグレの脳からの信号を読み取れなかった」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。読み取れないってことはナーヴギアが強制解除されたって事か?そんな事が…」

 

 

あるはずがない、とキリトは言いかける。

言いかけて、気付いた。

そう、あるはずがないのである。

もしそうすれば、アバターが消滅し、即座に脳を焼いてしまうから。

それは初日に茅場が言ったことであり、200人以上のプレイヤーが消滅する原因にもなった。

忘れるはずがない。

 

 

「…そうだよ、キリト。そういう事じゃない」

 

 

ストレアはただ、淡々と事実を述べる。

 

 

「シグレはナーヴギアと接続をしていながら、脳からの信号を読み取れない状態っていうこと」

「……でも、それなら今ここにいる先輩は何なのよ?そこに問題が起きたら、すぐに脳が焼かれるんでしょ?」

 

 

ストレアの言葉に、シノンが疑問を投げる。

けれど、そこはさすがにSAOで活動をするAIだけあって、迷うことはなかった。

 

 

「普通ならね…けど、この状況は、シグレ自身の問題なのか、ナーヴギアの問題なのか分からない」

 

 

だから、特例として20日間の猶予が与えられる。

そう、ストレアは続けるだけだった。



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第53話:先に待つ絶望 - II

それに異を唱えたのは、シノン。

 

 

「ちょっと待って。私は入院してる先輩のお見舞いをしていたけど…体に異常があるようには見えなかったわよ?」

「…ここに来るまでは、な」

 

 

そんなシノンの言葉を拾ったのは、シグレ自身。

シノンが見ていた間は、問題がなかったとしても、その後に何かあったかどうかは分からない。

 

 

「その後でナーヴギアに問題が生じたか、あるいは俺自身に何かが起きたか…誰にも分からない」

 

 

ただ、分かっているのは、シグレに時間制限が課せられているということ。

それだけは、紛れもない事実だった。

 

 

「…いずれにしても、このカウントが0になった瞬間、俺が消滅することは避けられないようだ」

「暇がないっていうのは、そういう事だったのか…」

 

 

シグレの言葉にキリトは頷きながらも納得がいかないのか、吐き捨てるように言う。

 

 

「…ストレアさん、だっけ…聞いてもいいかしら」

「ストレアでいいよ。何?」

 

 

シノンがストレアに問いかける。

その内容は。

 

 

「…先輩を助けるには、どうしたらいいのか教えて」

 

 

キリトからすれば、どこかで案の定、といえるものだった。

それは、キリト自身も思っていたから、といえるのかもしれないが。

 

 

「……方法は、シグレのカウントが0になる前に、SAOをクリアする事。そうすればカウントダウンどうこうの問題なく、ナーヴギアは解除されるから」

 

 

ストレアの答えは至極単純。

しかし、それは決して簡単なことではない。

それは、この場にいる全員がわかっていたこと。

 

 

「だったら、攻略を進めれば…!」

「…あと15日半」

「っ…!」

 

 

キリトが言うが、シグレが告げる時間制限に言葉が詰まる。

あと半月で、100層のボスを撃破。

それがいかに大変か分からないキリトではなかった。

皆が言葉に詰まる中、シグレは息を一つ吐き。

 

 

「……どうにもならないものを無理をして、無駄に死人を増やす必要はあるまい」

 

 

それは、俺一人で十分だ。

シグレはそう告げる。

 

 

「…それにこれが、今までの罪の清算だというのなら、俺は受けなければならない」

「罪って…?」

 

 

シグレの言葉に疑問を続けたのはフィリアだった。

その問いに対し。

 

 

「…お前は知っているだろう」

 

 

シグレはフィリアではなく、シノンに言葉を投げかける。

 

 

「…あの事件で俺が何をしたかを、見たお前なら」

「っ…」

 

 

あの事件。

それは、シノンがシグレを意識するきっかけとなった事件。

その場で、シグレが何をしたか。

シグレの過去の話を聞いたキリトとストレアも、気づいてしまった。

その様子を確認し、唯一知らないフィリアに対し。

 

 

「俺は、現実でも人を殺した」

「……え?」

 

 

シグレの言葉に、フィリアは思わず尋ね返す。

いきなり何を、とフィリアは思うが。

 

 

「事実よ。5年前の郵便局の強盗事件で…先輩は犯人が持っていた銃を奪って、迷いなく犯人を撃ち抜いた」

「っ…」

「…っけどあの時先輩がああしていなかったら、犠牲者が出ていたかもしれない」

 

 

突然の事実にフィリアは言葉を失う。

これまで、行動を共にして、何度も助けてくれたシグレが。

仮想でも、現実でも…人を殺したという事実。

その事実が呑み込めず、その後のシノンの言葉が、どこか遠くに聞こえていた。



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第54話:決意 - I

シノンの言葉を打ち消すように。

 

 

「…それだけではないとしても、か?」

「え…?」

 

 

シグレの言葉に、今度はシノンが言葉を止める。

その反応に、一つ溜息を吐き。

 

 

「……俺が人を殺したのは、あれが初めてではない」

 

 

シグレは言いながら、シノンから視線を外す。

外した先は。

 

 

「…お前たちには話しただろう」

 

 

キリトとフィリア。

その事実をかつて二人は聞いていたが、心のどこかで、誇張していたのだと思っていた。

しかし、今この状況で言われると、本当にそうなのかと疑ってしまっていた。

 

 

「俺は仮想でも現実でも、何度も人を殺している」

「なん、で…」

 

 

何とか声にしたのはフィリア。

そんなフィリアの様子を気に留めることもなく。

 

 

「……それが、俺が…いや、俺達が為すべき事、だったからだ」

 

 

シグレは淡々と続ける。

その視線は誰にも向いておらず、宙に向けられていた。

 

 

「俺の家は、殺しの家系……どちらかといえば傭兵に近いが、様々な依頼を受け、秘密裏に殺しをやる家系だった」

「…嘘だろ。そんな漫画みたいな…」

「誰がどう思おうと勝手だが…事実だ。実際、俺も家を継ぐための訓練という形で…何度も人を殺した」

 

 

キリトの言葉を、シグレはあっさりと否定する。

 

 

「…物心がつく頃には、父が人を殺すのを見ていた。その頃には小刀を持っていたのも覚えている」

 

 

自分の手を見やるシグレ。

物心がつく頃には。

シグレ以外の皆は、友達と泥に塗れて遊んでいたころには、シグレは血に塗れていた。

 

 

「死体を相手に、効率的な殺しの練習の名目で、刀を入れて肉を切ったこともある」

 

 

初めの数ヶ月は、苦痛だった。

シグレは淡々と語る。

そんなシグレが見下ろす掌には、当然ながら何もない。

 

 

「…数か月後には、人を殺した。首を落としたこともある。詳しくは言わないが……嘔吐が続いて眠れない日も何度もあった」

「っ…」

 

 

どれだけのものを見たのかは、誰も聞けなかった。

架空の世界のような、現実。

 

 

「……それでも、これは人が平和な生活をするために必要な、大事な『仕事』なのだと、何度も言い聞かされてきた」

「っ…だから、先輩はあの時……」

 

 

かつて、シノンが現実で見た、警察との諍いを思い出す。

平和な世を目指す警察の頑張りを、夢物語と一蹴したシグレ。

あの時には、もう。

 

 

「いつからか…人を殺す事に何も感じなくなった。それが俺にとっての『普通』になっていた」

 

 

そうして、シグレは心を壊してしまった。

人の命を、踏み躙れるようになってしまっていた。

 

 

「…そうなってから数ヶ月後、俺は父と、ある紛争地域での応援に、ある国へ飛んだ」

 

 

荒廃した土地。

乾いた土に、血が染み込んだ、生臭さと硝煙の臭いが鼻をつく世界。

まるで、異界だった。

 

 

「そこで、俺も、父も……何人も殺した」

 

 

殺さなければ、殺される世界で。

銃弾すら飛び交う世界を掠め、自分の血すら流しながら。

 

 

「数日に及んだ紛争の後のある日…俺が見たのは地に伏した父親だった」

 

 

背中から、あまりに多くの血を流す父親が伏した姿。

服は赤黒く染まっていて、服の布地が吸いきれなかった血が、地面を濡らしていた。

重要な血管を傷つけてしまったのか、血が強く噴き出し続けていた。

その傍らには、同じく刀を持った、フード付きのコートを羽織った人物。

フードのせいで顔は見えなかったが、男であることだけは判断できた。

刀の先から滴り落ちる血が、全ての状況を教えてくれていた。

 

 

「たとえ苦痛を強いられたとしても、俺にとっては生き方を教えてくれた、大切な存在だった。だからこそ…俺はその場で仇を討とうとした、が……できなかった。力の差は歴然だった」

 

 

手も足も出ず、父の亡骸を残し、帰ることしかできなかったシグレ。

戻った先で母の不幸を知り、全てを失った。

その事実があっても、泣くことができない程に、シグレは壊れていた。

 

 

「俺があの時、もっと強ければ…仇を討てたかもしれない」

 

 

シグレは拳を握り締める。

下手をすれば、自分の爪で傷をつけ、血を流しそうなほどに、強く。

 

 

「……だが、ここに来て。このSAOで…俺は奴と再会した」

 

 

その視線は、前を見据えていた。

誰でもない、視線の先には誰もいない。

しかし、そこには明らかな殺気。

 

 

「っ…!」

 

 

その静かな威圧感に、その場の誰もが息を呑む。

 

 

「……PoH。笑う棺桶のリーダー…奴は、当事者しか知りえない事を知っていた」

 

 

だから、とシグレは続ける。

殺気という言葉では収まりきらないほどの何か。

狂気、あるいは憎悪というべきだろうか。

その場にいる誰も、表現の仕方が分からなかった。

 

 

「俺は…必ず、奴を殺す。俺は今まで…その為に、生きてきた」

 

 

シグレの、あまりに歪んだその決意。

シグレが抱える、闇。

 

 

…空想のような世界を生きたシグレに、すぐに諭す言葉を投げかけられるものは、いなかった。



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第55話:決意 - II

今のシグレが放つ雰囲気は、まるで別人のようで。

昔を知っているシノンですら、一瞬声をかけるのを躊躇ってしまう。

それほどまでに、シグレが内に秘めたものが大きく見えていた。

 

 

「…それでも」

 

 

ストレアは一歩、シグレに近づき。

また一歩、近づく。

コツ、コツと足音が静かに響く。

 

 

「たとえどうであっても、アタシはシグレの味方であり続けるよ。あいつがシグレの敵なら、アタシにとっても敵」

 

 

シグレが殺すつもりなら、アタシも殺すつもりで。

そう、ストレアは迷わずに言う。

シグレは毒気が抜かれ、いつのまにか隣にいたストレアに視線を向ける。

 

 

「………」

「…あれー?なんでそんな意外そうかな」

 

 

いかに自分の価値観がずれているかは分かっている。

それでもこういう風にしかする方法が分からない。

だからこそ、シグレは一人で戦おうとしたのだが、隣にいる彼女には意図が伝わらなかったのか。

一方のストレアは、シグレの表情に疑問符。

 

 

「…さすがに、今のシグレが正しい、とは思わない。けど、それでも…アタシはシグレの味方であり続けたい」

 

 

今のシグレを否定しつつも、味方である。

つまり、ストレアはシグレと共に、誤った道に落ちると、そう宣言していることになる。

 

 

「……馬鹿か」

「あ、ひっどい」

 

 

溜息交じりのシグレに、ストレアはむぅ、と頬を膨らます。

けれど、すぐに戻し。

 

 

「たとえどんなに間違った道でも、その先に希望があるかどうかなんてわからなくても…いいの」

 

 

それほどまでに、シグレに依存しているって、分かってるから。

アタシを助けてくれた、守ってくれたあの日から。

その思いは、ずっと変わらない。

…変えられない。

たとえここが仮想で、シグレが現実に戻って共にいられないとしても。

せめてこの世界にいる間は、シグレとの思い出を作って、最後には思い出と共に消えていきたい。

それがたとえどれだけ歪んでいたとしても、そこにシグレがいれば、きっと最後には素敵な思い出になるから。

もう、シグレがいない世界、というのが考えられなくなっていたから。

 

 

「…だから、どんな結末が待っていたとしても、アタシはシグレの隣にいたい」

「いずれ来るタイムリミットで俺は死に、やがてお前は一人になる。それでもか」

「聞かなくても、分かるでしょ?」

 

 

シグレの確認するような問いに、当然といわんばかりに返すストレア。

これまでの付き合いからか、ストレアの答えに察しがついてしまうシグレ。

 

 

「たとえそうだとしても、アタシは最期まで、シグレの傍にいたい…一人になんて、させてあげないよ?」

 

 

いい笑顔のストレアに、シグレはいよいよ反論を諦める。

聞く人によっては、あまりに歪んだ、あまりに純粋すぎる想い。

 

 

「…ううん、違う」

 

 

独り言のように、何かを否定しながらシグレの正面に向かい合うストレア。

そのまま距離を詰め。

 

 

「…シグレを一人にさせたくない。それもあるけど、それよりも…アタシが、一人はもう…嫌なの……!」

 

 

縋るように、倒れこむようにシグレに身を寄せる。

今までに何度かあった事を、思い出しているのかもしれない。

ストレアを置いて、一人で攻略をしようとした事。

74層のボスに体を貫かれ、意識不明に陥った事。

75層で、アスナに貫かれ、死んだと思われていた事。

その一つ一つが、ストレアという少女の心に深い傷を残していた。

喪うことに対する、恐怖に似た感情。

それがストレアのシグレに対する想いと複雑に絡み合っていた。

 

 

「……」

 

 

縋ってくるストレアに対し、シグレは何もしない。

それほどの想いを向ける先が、自分でさえなければ、ストレアにこれほどの思いをさせることもきっとなかったのだろう。

そう、シグレは思う。

しかし。

 

 

「…過去は変えられない、か」

 

 

どれだけ過去を憂いだところで、何も変わらない。

そして、そのきっかけを作ったのは、他でもないシグレ自身。

かつて、現実で人を殺したことも。

結果的にとはいえストレアを救ったことも。

だとすれば。

 

 

「……分かった」

 

 

シグレが折れるのは、ある意味では必然だった。



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第56話:決意 - III

それ以上はないと思っていたシグレ。

そして、これ以上の問答も、全てが不要だと言わんばかりに。

 

 

「……これが最後の通告だ」

 

 

シグレはそう、言葉を続ける。

その視線は殺気こそ抜けているが、冗談などない口調で。

 

 

「…俺は奴を殺すつもりでここにいる。邪魔をするつもりなら…たとえお前たちだろうと、俺は容赦なく切り捨てる。それが嫌なら、ついて来ないことを勧める」

 

 

シグレは容赦なく言い放つ。

ストレアは、何も言わない。

シグレが本気だと察したのか、それとも別の理由か。

それはストレア自身にしか分からないことだが。

 

 

「……」

 

 

シグレはそもそも大所帯にするつもりもなく、離れるならむしろそちらの方がいいと思っていた。

これまで、シグレは一人だったからこそ。

誰かと肩を並べて戦うことを知らない。

だからこそ、とシグレは考えていた。

 

 

「…何、それ」

 

 

それに反応したのは、フィリア。

その口調からは、少しばかり怒りが汲み取れる。

それを隠すつもりもないのか、シグレに勢いよく歩み寄り。

 

 

「っあんたは…なんで、なんでそうなのよ!?」

 

 

勢いよくシグレの胸倉を掴む。

突然の行動にシグレも反応しきれずに言葉を失う。

 

 

「そりゃ私も驚いたわよ!あんたは私を守ってくれた、助けてくれた…けど!」

 

 

一瞬言葉が詰まるフィリア。

シグレは何も言わず、フィリアに視線をやる。

しかし、少しばかり俯いており、表情は窺えない。

 

 

「今は…シグレっていう存在が、よく分からないよ」

 

 

フィリアの中で、いつの間にか少しだけ大きくなっていた、シグレという存在。

自分を危険から救ってくれたことは紛れもない事実。

その一方で、人を殺したことがあるという伝え聞いた事実。

フィリアには真逆な側面を併せ持つように見えていた。

だからこそ、どちらが本当のシグレなのか。

 

 

「…ねぇ、教えてよ。私を助けてくれたシグレ。人を何人も殺したシグレ……どっちが本当のシグレなの」

 

 

縋るようなフィリアの問い。

シグレはただフィリアを見る。

いつの間にかフィリアの視線はシグレに向けられていた。

 

 

「俺は…」

「……いい、やっぱり言わないで」

 

 

しかし、フィリアは自分で投げかけた問いに対する答えを遮る。

 

 

「どうせ、あんたの事だから。助けたことは全力で否定すると思ってる」

「……」

 

 

シグレは押し黙る。

やっぱり、とフィリアは呆れ半分、苦笑半分といった様子だったが。

 

 

「どうせシグレの事だから。そうやって私たちを遠ざけようとすることぐらい、いくら付き合いが短くても分かるよ」

 

 

今までそうやって振り回されてたんだから。

そう、フィリアは続ける。

その表情はどこか吹っ切れていたというべきか、あるいは悟っていたというべきか。

 

 

「……それにね。私は、あんたが人殺しだとしても、それを信じる理由がない」

 

 

この世界に限っていえば、私だって同じことをした。

そう、自分のカーソルを指しながらフィリアは言う。

 

 

「だから…見極めたい。あんたが本当に狂った殺人鬼なのか、そうじゃないのか」

「……」

「…だから、私はあんたと一緒に進む。進んで…真実を見つける」

 

 

ただ、見極めるために。

シグレの本当を見つけるために。

 

 

「…それに、ストレアに負けてばっかりはいられないしね」

「言うねぇフィリア。アタシだって負けないよ?」

 

 

シグレから視線を外し、そんな会話を交わすフィリアとストレア。

さっきまでの雰囲気はどこへ行ったのか。

シグレはまた一つ、溜息を吐いた。



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第57話:決意 - IV

少しの静寂の後。

 

 

「なら、私は…アインクラッドに、戻る」

「…いいのか?シグレと一緒じゃなくても」

 

 

そう、告げたのはシノンだった。

その発言に、キリトは少なからず驚いたようにシノンを見る。

無理もない反応だった。

何故なら、半ば自棄ともいえるペースで自分を強化したのは、シグレに会うため。

そう、本人が言ったのだから間違いはない。

そのシノンが、シグレから離れるという選択をしたのだ。

多少は驚きもするというもの。

 

 

「…言っておくけど、ちゃんと考えてるわよ?」

 

 

キリトの視線に心外、と言わんばかりのジト目を向けながら、シノンは続ける。

 

 

「さっきの話が本当なら、今先輩は危険な状態、ということでしょう?なら少しでも早く終わらせるために、キリトに協力したほうがいいと判断しただけ」

「そうか。そうだな…」

 

 

シノンの言葉にキリトも頷く。

そんな二人に、シグレをはじめ、ストレアもフィリアも、何も言わない。

シグレの事を置いても、ゲーム攻略は実力ある攻略組にとっては最優先事項。

実力をつけるために活動する中で、シノンもその域に至ったのか、とキリトも内心驚いていた。

 

 

「…それに」

 

 

シノンに思うところはまだあるらしく、言葉が続く。

 

 

「今ここで先輩に甘えてもいいけど、どうせなら現実に戻ってからの方がいいから。その方が時間が沢山とれそうじゃない?」

「……?」

 

 

少し空気が変わった感じに、シグレはシノンを少しばかり訝しげに見る。

その視線に気づいてか。

 

 

「…先輩以外の男なら私の矢の餌食にするけど、先輩ならむしろどんどん見てほしいわね」

「……」

 

 

シノンの言葉に、シグレは一つ溜息。

どうにも、締まらないというか、何というか。

 

 

「呆れてる先輩も、素敵……」

 

 

割と本気に言っているように見えるシノン。

 

 

「そ、それはともかく…シノン。現実に戻ったらっていっても、シグレと住んでるところ近いかどうかも分からないんじゃ…」

 

 

キリトが持ち直し、シノンに尋ねるが、シノンはといえば何も問題がないといわんばかりに。

 

 

「大丈夫よ。だって、同じ場所だもの」

「……は?」

「もう、これは運命といってもいいかもしれないわ。きっとそう」

 

 

シグレの反応もどこ吹く風といった感じで、どこか自分の世界に入っているシノン。

どこか宙を見上げるシノンの目には何が映っているのだろうか。

少なくともシグレは思考を放棄することにしていた。

とはいえ、放置するわけにもいかず。

 

 

「…シノン」

 

 

シグレがそう声をかけると、シノンはそれに反応し。

 

 

「あ…先輩。子供は何人がいいかしら」

「……」

 

 

その瞬間、声をかけなければよかった、とシグレは一瞬思う。

キリトに視線を向けるシグレだが、あっさりと視線を逸らされてしまう。

ストレアとフィリアに至っても、ほぼ同じ反応で。

 

 

「……その話は後にしろ。とりあえず、戻って攻略をするなら戻ったらどうだ」

「…えぇ」

 

 

シグレに諭され、ようやく現実に戻った感じのシノンに、シグレは一息をつく。

 

 

「…とりあえず、戻るから。またな、シグレ」

「とにかく…無茶は程々にしてよね、先輩」

「……」

 

 

またな、というキリトの挨拶。

それは、再会を前提とした挨拶。

それにシグレは返さない。

シノンの言葉にも、シグレは返さない。

それに対し、キリトは呆れるような苦笑で。

シノンは心配そうな表情で、シグレを見ながら、転移をしようと転移門に近づく。

 

 

「…キリト」

「?」

「あいつらに伝えておけ。俺のことは忘れろ…とな」

 

 

シグレの言う、あいつら。

それがキリトには大体想像はついていた。

だからこそ。

 

 

「お断りだ。伝えたいことがあるなら、ちゃんと生き残って…自分で伝えろ」

 

 

キリトはそう返す。

やれやれ、と何もかもを見透かしたようなキリトのその視線に。

 

 

「……」

 

 

シグレはそれ以上は何も言わず、キリトに背を向ける。

それにキリトはもう一つ苦笑をしながら、シノンと共にアインクラッドへと戻っていくのだった。

暫く無言のシグレ。

 

 

「……」

 

 

目を閉じ、何かを考えているようにストレアとフィリアには見えた。

何を考えているかまでは分からない。

ただでさえ考えを表に出さないシグレだから尚更ではあった。

そんなシグレに何か声をかける間もなく。

 

 

「…行くぞ」

 

 

誰に言ったでもなく、まるで自分自身に言うようにシグレは呟きながら、転移門へと歩いていく。

それに少し遅れながら二人もついていく。

直後、転移門から三つの光が発し、その場からは誰もいなくなった。

 

 

「…」

 

 

直後に管理区に響く足音。

その音を聞いた者は、誰もいない。



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第58話:本当の戦い - I

管理区から出て、どれくらい歩いただろうか。

 

 

「…ねぇ、どこまで行くの?」

 

 

敵を軽く倒しながら進むシグレ。

ただ無心に歩き続けるシグレに、フィリアが声をかける。

シグレは答えるでもなく、また少し歩き。

 

 

「……」

 

 

答えることなく立ち止まる。

 

 

「…?」

 

 

ストレアとフィリアもつられて立ち止まり、シグレを見る。

シグレは、一点に集中し、いつでも戦闘に入れるようにか、刀に手をかける。

それを見て反応するようにシグレの視線の先を追うが、二人には何も見えない。

 

 

「…さすがにあんたにゃ気付かれるか」

「よく言う。隠す気もなかったのだろう」

「HAHAHA」

 

 

やれやれ、といった感じで警戒もせずに物陰から現れるPoH。

素性を知らなければ友好的にすら見えるPoHにシグレは警戒を解かない。

 

 

「さぁて…こうしてまた会えたからには、早速…始めるか?」

 

 

PoHは楽しそうに、実に楽しそうに武器を構える。

何度か見た、包丁の形をした武器。

その形は、シグレが知る、過去を思い出させる形でもあった。

 

 

「……そうだな。俺はその為に来た」

 

 

一方で、シグレは武器を抜かない。

その代わりに。

 

 

「だが…何事にも準備は必要だ」

「ほう?」

 

 

言いながら、シグレは二振りの短剣を構え、それを放つ。

放った先は。

 

 

「えっ…」

「…な、んで……」

 

 

ストレアとフィリアだった。

短剣自体はそれほど強い武器でもなく、それほど投擲を極めていたわけでもないシグレ。

致命傷どころか、かすり傷もいいところ。

まして、彼女らの防具で、一桁のダメージになっていれば十分といったところだった。

けれど、二人はその場に蹲る。

その理由は。

 

 

「麻、痺…?」

 

 

ストレアが呟くように言う。

二人は蹲り、やがて耐え切れず俯せに倒れてしまう。

シグレはそんな二人に視線を向けることもなく。

 

 

「……ここからは、本当の意味での殺し合いだ。余計な手出しは邪魔になる」

「っ…」

 

 

シグレの言葉に、ストレアもフィリアも言い返せない。

ストレアは多少事情が違うとはいえ、二人とも元を正せばSAOというゲームのプレイヤー。

それ以前は平和に暮らしていた、一般市民。

一方で、シグレは自らの手で、自らの意思で人を殺したことがある、犯罪者の罪を背負い続けている。

だからこそ、せめて自分を想う者くらいは、守る。

その思いが、シグレの行動の根本だった。

 

 

「What a crazy! HAHAHA!!」

 

 

一方でPoHはシグレの行動を、笑いながら称賛する。

なんて狂っている、と。

揶揄する笑いに、シグレは冷静さを崩さない。

 

 

「…いいぜ。お前のその狂いっぷりに、これをやるよ」

「……?」

 

 

PoHが放り投げる袋を、シグレは受け取る。

中には、見慣れた回復薬。

 

 

「…情けのつもりか?」

「No、そんなわけないだろ?」

 

 

視線を強めるシグレにPoHは笑う。

 

 

「お前さんのその刀。SPを喰われるんだろ?ならそいつを使って、少しでも長く楽しめるようにしてくれや…安心しろ、毒なんか入っちゃいねぇよ」

「……」

 

 

PoHの言葉に一瞬疑う。

しかし、楽しむチャンスを自ら不意にするような男だろうか、とシグレは考え。

 

 

「…ふん」

 

 

精々、後悔しないことだ、と想いを込め、シグレは刀を抜き放つ。

妖しく輝く刀を構える。

 

 

「…It's time to go to hell together!」

 

 

PoHが言い切った瞬間。

PoHとシグレがいた場所には軽く砂煙が上がる。

その場には、二人の姿はなく。

 

 

「HAHAHAHA!!」

「……」

 

 

ストレアとフィリアが目で追い切れない速度のPoHの斬撃を、シグレは刀であっさりと受け止める。

シグレにとって、自らを壊しながらも、ただ願い続けた復讐の時。

本当の意味でのシグレにとっての戦いが始まった。



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第59話:本当の戦い - II

このSAOにおけるプレイヤー間の不文律。

すなわち、暗黙のルール。

何があっても、相手のHP全損だけはさせない。

そうなれば、現実でも本当に死んでしまうから。

 

 

「そんなんで死神なんてよく名乗れるなァ!?」

「ちっ……」

 

 

PoHは嗤いながら包丁を振るう。

人という素材を料理するのを愉しむかのように。

振り下ろされた包丁はシグレのHPを少しずつ削っていく。

 

 

「…っ」

 

 

それでも、冷静にシグレもPoHを捉え、着実にHPを削っていく。

ひゅう、と口笛を吹きながら致命傷を避けるPoHに決定打こそ与えられないが、それでも互角に振舞っていた。

 

 

「それとも何か?そこで麻痺ってるgirlsを守ろうってか?お前が?」

「……ほざけ。俺はお前を殺すために、こうしているだけだ」

「OKOK。ま、お前を殺した後は、あの二人も苦しませずに殺すからよ。すぐに向こうで会えるから、安心しろや、HAHAHA!」

 

 

互いの切っ先は、相手を傷つけることを厭わず、HPを削り続けていく。

けれど、二人の勢いは止まることはない。

静かな場に響く音は。

金属がぶつかり合う音、布を切り裂く音、傷をつける音。

血こそ流れないが、現実なら互いに血塗れであろう事は容易に想像がついた。

一瞬の瞬きですら許されないほどの緊迫感の中、二人は戦い続ける。

その先にいずれかの死があったとしても、止まらない。

 

 

…麻痺で動きを封じられ、ただ二人の戦いを見ることになった二人は。

 

 

「っ…シグ、レ……!」

 

 

何とか、立ち上がろうと力を入れているのか、途切れ途切れにシグレの名を呼ぶストレア。

しかし、システムの力は大きく、彼女自身の体は僅かにも動かない。

システムに抗うことがいかに大変な事かは、この中ではある意味ストレアが最も理解している。

しかし、それでも。

 

 

「う、ごいてよ…助けなきゃ、シグレ……っ!」

「ストレア…」

 

 

近くで倒れていたフィリアからは、いかにストレアが力を入れているかが表情から見て取れた。

それだけやっても、指一本すら動かないというシステムの制約はあまりに強かった。

それでも諦めないストレアに、フィリアは辛そうに彼女の名を呼ぶ。

 

 

「無茶だよ、ストレア…この世界の麻痺は、そう簡単には…!」

「…っそれでも!…もう、嫌なの!」

「っ…」

 

 

フィリアの制止すら撥ねつけるように、ストレアは泣きそうな声で反論する。

あまりの強さに、フィリアは一瞬言葉を詰まらせる。

その驚いた様子を気にも留めず、ストレアは続ける。

 

 

「もう、嫌なんだよ…シグレが死んじゃうような目に遭うのも…!シグレがいない世界で辛い思いをするのも……!」

 

 

やがて、限界が来たのか、力を入れるのをその場に伏すストレア。

代わりに、彼女の双眸からは涙が溢れ始めていた。

 

 

「…アタシは、守るって、決めたのに…!アタシを助けてくれたシグレを…この命に代えても守るって、決めたのに……!!」

 

 

目の前で戦うシグレを助けられない。

ただ見ていることしかできない。

それがストレアにはあまりに歯痒く、あまりに苦痛で。

 

 

「なんで、アタシじゃ助けられないの…!?」

 

 

そんな悲痛なストレアの声が届いていたかどうか。

少なくとも今は、確認のしようがなかった。



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第60話:本当の戦い - III

そんなストレアの必死さを見ていたからか。

 

 

「多分…そんなストレアだから、じゃないかな」

 

 

フィリアは少しばかり、冷静に状況を見ていた。

戦いの場から離れたところで、動くことができない状況でも。

それでも二人を見ながら。

 

 

「きっと、ストレアだったらそう考えるって…あいつは分かってたんじゃないかな」

「……」

「私はシグレじゃないから、はっきりは分からないけど…」

 

 

これまで平和なんてほとんどない、このホロウ・エリアで共に行動してきて。

その中で、自分がどれだけシグレの背中を見ていたか。

どれだけ、戦いの矢面にシグレが立っていたかを見ていたからこそ、そう思う。

 

 

「あいつは、邪魔だから、って言ってたけど…きっと、それは違う」

 

 

シグレという一人の人の事は分からないことが多いけど、こと戦いに関しては、無知じゃない。

共に戦ってきたからこそ。

 

 

「きっと、あいつは…ストレアを守りたかったんだと思う。だからきつい事を言って、麻痺までさせて…この戦いに参加させなかった」

 

 

その言葉に、ストレアは思う。

考えてみれば、シグレはいつもそうだった。

75層で、アスナと戦った時も。

74層で、ボスに体を貫かれた時も。

かつて笑う棺桶のアジトに二人で向かった時も。

初めて会ったとき、雪の中でフィールドボスに一度は殺された時も。

シグレは、いつも、誰かと肩を並べていなかった。

あるいは、それよりもずっと前から。

 

 

「…そっか、そうかも。アタシ…ずっと、シグレに守られてたんだ…」

 

 

危険から遠ざけさせ、いざ危険が迫ったら、全力で助けようとする。

システムに消されそうになった時も、無茶苦茶な方法とはいえ助けてくれた。

だからこそ、今ここに、こうして生きていられる。

ストレアは、そう思う。

 

 

「あいつ…馬鹿だよね。本当に馬鹿。誰かを守る事ばっかなくせに、人の気持ちなんてちっとも考えやしない」

 

 

馬鹿というか、勝手というか。

そういう事に、いくら何でも疎すぎやしないだろうか。

そう、フィリアは思う。

 

 

「でも…きっと、フィリアの言う通りだと思うよ」

「ストレアが言うなら、間違いないかな?」

「うん。それと、シグレはフィリアも守ろうとしてるんだね」

 

 

アタシとおんなじだもんね、とストレアは少しだけ辛そうに笑う。

 

 

「…そう、かな」

 

 

ストレアの言葉に、少し恥ずかしげに返すフィリア。

だとすれば、どれだけ素直じゃないのだろう。

でも、どれだけ素直じゃないとしても、全力で誰かを守る優しさを持ってるシグレだからこそ。

 

 

「何が、人殺しよ…」

 

 

シグレが人殺しである事は事実なのだろう。

少なくとも、シノンが言っていたことは間違いではないはず。

だとしても、それも結局、彼女を含めた、その場にいる人を守るためにやった事。

それが正しい、とは口が裂けても言えないけど、それで守られた人がいるのも事実。

だからこそ。

 

 

「…ただ、不器用なだけじゃない……」

 

 

今回のことを含めても、もう少しやり方があったんじゃないかとフィリアは思う。

そのやり方は分からないとしても、これだけの戦いができるくせに。

それだけの力があるくせに、それを自分の為に使わない、そのやり方が。

 

 

「本当に、もう…!」

 

 

怒りのようなものがこみ上げる。

けれど、何とか奴に勝って、生き残ってほしいと思う。

 

 

「バカ、なんだから…」

 

 

生き残って。

もう一度話をして、文句を言わせて。

今のやり方じゃ、少なくとも私の…私達の心は瀕死の重傷だと。

もう少し、考えて、と。

それがいかに勝手な事なのかは、分かっている。

けれど、そう、言ってやりたいと思うのは、悪いことだろうか。

…依然、麻痺は解けそうにない。

自分のステータスを表示する箇所に表示される、麻痺を表す雷のマークが鬱陶しい。

それを歯痒く思っていると。

 

 

「…随分、あいつのこと見てるじゃねェか」

 

 

背後から聞こえる、どこかで聞いたような声。

そして、歩み寄ってくる、足音。

 

 

「あのFool Guyに言いたいこと言ってやりな。Crazy Girls?」

 

 

そして、次の瞬間、鬱陶しい雷のマークが消え、体が軽くなる。

フィリアがストレアを見れば、ストレアも同じなのか、体が動いていた。

いったい誰が。

そう思い、声のした方を見て。

 

 

「え…?」

「なんで……!?」

 

 

驚きと警戒を露に、二人は声の主を見る。

そこにいたのは、今シグレが戦っているはずの。

 

 

 

…笑う棺桶のリーダーであり、シグレが討とうとしている、PoH本人だったから。



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第61話:本当の戦い - IV

一方で、ソードスキルの一つもない、言ってしまえば泥臭い戦い。

それでも、二人は止まらず、互いに刃を向けるのを止めない。

 

 

「HAッ!」

「っ…」

 

 

それでも、若干PoHが押しているだろうか。

シグレは刀の効果でステータスを底上げしているが、PoHはそんな様子がない。

つまり、シグレの底上げされた力よりも、PoHの方が上手ということになる。

その状況が数十分は続いただろうか。

 

 

「ぐっ…!」

 

 

シグレのSPが尽きたのか、動きが止まる。

体が重くなる感覚。

立っているのもやっとになり、刀を地面に突き刺して体を支える。

 

 

「おいおい、俺からのpresentは使わねぇのか?」

「……誰が貴様の物なぞ」

 

 

PoHの言葉に、シグレは吐き捨てるように言いながら、半ば押し付けられた回復薬を地面に放る。

回復薬は光の粒となって消える。

 

 

「別にそりゃいいが…その有様じゃ、殺されるしかねェな?」

「……もとより、そういう戦い…だろう」

 

 

PoHの言葉に、刀で体を支えながらその場に膝をつき、肩で息をするシグレ。

刀でステータス強化した戦い方で無理をしすぎたのだろうか。

ゲームなのにそんな事もあるのか、等と今更ながらに考える。

 

 

「んじゃま…死ねや」

 

 

武器が風を切る音が、シグレの耳に届く。

終わりか。

何故か冷静にそんなことを考えながら、目を閉じる。

 

 

 

…しかし。

 

 

「…残念ながら、そういうわけには、いかねェんだよなぁ?」

 

 

さっきまで殺しあっていた男とまったく同じ声で。

同じようなフード付きの外套をつけた男が、シグレに背を向けて。

シグレにとどめを刺そうとする一撃を、自らの武器で受け止めていた。

 

 

「……?」

 

 

その状況には、さすがにシグレも疑問符が浮かぶ。

目の前には、自分が殺そうとしていた男が、『二人』いたのだから。

 

 

「どういう、ことだ…?」

「…答えてやるつもりはねェな。まぁ、とりあえず…テメェはさっさと行け」

 

 

シグレは状況が掴み切れず、目の前のPoHに疑問をぶつけようとしたが。

 

 

「行くよ、シグレ!」

「な…!?」

 

 

フィリアに手を引かれ、ストレアに刀を奪われ。

シグレは体に力が入らなかったことと、麻痺が解けているとは思わなかったという油断から、なすがままに引っ張られていった。

 

 

 

そうして、シグレ達が去った後。

 

 

「…おいおい、『俺』がなんで楽しいParty timeを邪魔するんだ?」

「あ?…『俺』なら分かるだろうがよ。あいつは『俺』の獲物だからだ」

 

 

二人のPoHはそんな言葉を交わす。

鍔迫り合いから互いを弾いて距離を置いたところで。

 

 

「随分腑抜けたもんだなぁ?『俺』はただの殺し屋だろ?」

「……」

 

 

揶揄するような言葉に、答えない。

口元から笑みは消えていた。

 

 

「あぁ…さすが『俺』だ。まったくもってその通りだが…」

 

 

そう、言いながら斬りかかる。

当然、当たり前のように受け止められ、刃は届かないが。

 

 

「ここであいつが殺されたら……約束を果たせなくなっちまうだろうが」

 

 

PoHの言う約束というのが何なのか。

それはPoH自身にしか分からない。

 

 

「だから俺は『俺』らしく…てめぇを殺すことにする」

 

 

フードの隙間から覗く眼光。

それは、どこかシグレに似て、けれど、恐怖で寒気を感じさせる程の何かを秘めていた。

それほどの何かにも関わらず、PoHは楽しそうに口笛を吹きながら。

 

 

「OK、俺もお前が邪魔だと思ってたところだ。丁度いい!」

「…ここからが本当のParty timeだ。アンコールはなしで行こうぜ?」

 

 

狂気で歪んだ笑みを口元に浮かべながら。

再び、金属音が響き渡る。

…戦いは役者を変え、尚も続く。



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第62話:誓い

モチベーション維持に繋がるので、よければ感想、評価等お願い致します。


戦いが始まる頃。

 

 

「はぁ、はぁ…」

「…ここまで来れば、大丈夫だよね」

 

 

少しの間全力疾走したせいか、息を切らすストレアとフィリア。

そんな二人に。

 

 

「…どういうつもりだ」

 

 

シグレは詰め寄る。

 

 

「俺は言ったはずだ。邪魔をすれば殺す…と」

 

 

覚悟は出来ているのだろうな。

シグレの目はそう語っていた。

けれど、もはや二人はそんなシグレの勢いに怯むこともなく。

 

 

「…出来ないよ。シグレにアタシ達は…殺せない」

「……」

 

 

真剣な目でストレアがシグレを見返す。

 

 

「…知ったような口を。お前が俺の何を知ったつもりだ」

「……わかんないよ。シグレは何も話してくれないから…なんにも分かんない」

 

 

でもね、とストレアは続ける。

 

 

「それでも…ずっと、傍にいて、ずっと見てたから。だから…分かることもあるんだよ」

「……表の面なぞ、いくらでも作れる。仮に分かっていたとしても、それが真実である保証は、どこにもない」

 

 

シグレは言いながら、フィリアに視線を向ける。

 

 

「お前なら、分かるだろう。俺が過去にした事を聞いて…それでも印象は同じだったか?」

「っ…」

 

 

シグレに問われ、フィリアは答えに詰まる。

それこそが何よりの答えだった。

そんなフィリアを見てから視線をストレアに戻し。

 

 

「…こういうことだ。お前が俺にどういう印象を持っているかは知らないが…俺を信じたところで、碌なことにはなるまい」

「……たとえそうだとしても。アタシはシグレを…信じるよ」

 

 

ストレアに対し突き放す物言いを続けるシグレだが、ストレアも怯まない。

 

 

「たとえ本当のシグレが残虐で極悪非道な悪党だったとしても、アタシはいいんだ」

 

 

そこまで言い、ストレアは少しだけ表情を崩し、笑みを浮かべる。

 

 

「だって…シグレは、何度だって助けてくれた。時には自分を犠牲にして、助けてくれた…これは、シグレがどれだけ否定しても、変わらないよ」

 

 

事実だもん、とストレアは笑う。

 

 

「…だから、アタシは信じてるんだ。シグレがどんな人であったとしても、誰かを思う、優しい心を持ってるって」

「……」

 

 

あまりに自信満々に言われ、虚を突かれたように言葉を失うシグレ。

 

 

「ストレアだけじゃないわよ。私もそう…あんたの過去の話を聞いて、確かに印象は変わったわ」

 

 

フィリアも怯まない。

 

 

「…でもね。このホロウ・エリアで…私は確かに、シグレに守られてたよ」

「……」

「ずっと…前に立って、戦ってくれたから、こうして今も一緒にいられる。自分がそんなにか弱いなんて思わないけど…それでも、ありがとう」

 

 

お礼を言いながらも、けど、と続ける。

 

 

「だけど、私も、ストレアも…守られるだけのか弱いお姫様じゃない。私達だって…シグレを、守りたい」

 

 

その視線は真剣にシグレを見据えてこそいるが、どこか儚さを感じさせる表情。

その表情は、今にも泣きそうであったが。

 

 

「…守りたいんだよ、シグレ…貴方を…!」

 

 

フィリアの必死の訴えに、シグレは何も返さない。

…返せない。

フィリアから視線を逸らし。

 

 

「………俺には、何も守れない。自分の親すら、守れなかった……その仇すら、討てなかった」

 

 

自分には何の力もない。

だから、自分の傍にいれば、いつかは傷つく時が来る。

だから、遠ざけたかったというのに。

 

 

「ちっ…」

 

 

何故、こうなってしまったのか。

いつから、こうなってしまったのか。

二年の時をかけた全ての結果が、今は恨めしい。

しかし。

 

 

「…どれだけ憂いでも、過去は変わらない…か」

 

 

シグレはゆっくり溜息を吐いた。

言いながら、シグレは二人に向き直り。

 

 

「だからといって…未来に希望を持てるほど。誰かを信じられるほど、俺は出来た人間じゃないが…な」

 

 

この先どう生きればいいかなど、分からない。

多数の死を目の当たりにしたせいか、己の死というものに対する恐怖も感じない。

だから、この世界で死のうと、どうでもよかった。

しかし、そんな自分を助けるなどという物好きが現れてしまったのなら。

 

 

「…いいだろう。なら俺は、お前達を…俺を仲間だと思う者全員を、この世界から脱出させる」

 

 

この理不尽な仮想世界から、本来生きるべき世界へ。

たとえ、自分がどうなろうと。



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第63話:生を阻む物

シグレは言うが、ストレアとフィリアからは表情は窺えなかった。

どんな表情をしているのかは興味があったが。

 

 

「…シグレ、一応言うけど」

「何だ」

「シグレも脱出する『全員』の中に入ってるよね?」

 

 

ストレアが念を押すように言う。

それにシグレは少し考え。

 

 

「…俺はどうせ、この制限がある」

 

 

自らに表示された時間制限を指す。

時間制限は、無情にも止まることなく時間を刻んでいた。

 

 

「こいつが0になれば、少なくともこの世界の俺は消える。現実の方は…こんな表示が出るくらいだ。生存の期待は持てまい」

「っ……」

 

 

シグレの言葉に、ストレアもフィリアも返せない。

突きつけられたそれは、明らかな現実。

 

 

「…どれだけ望んでも、叶わない現実はある」

 

 

二人に背を向けたまま、シグレは宙を見上げ、呟くように続ける。

その視線の先には、何があるのだろうか。

 

 

「どれだけ想いが強かったとしても、抗えない現実。消えない後悔…俺はずっと、それに振り回されっぱなしだ」

 

 

おそらく、最期まで。

 

 

「…そして、挙句の果てには、俺を助けると言ったお前たちに同じ傷を負わせようとしている」

 

 

すまない、と自嘲しながら言う。

結局、守るべき存在を守ることすらできず、自分すらまともに守れず。

父親の言う強さを身につけることすらできず。

シグレは、そんな自らの弱さに自嘲する。

 

 

「っ…なら、諦めないで生きようとして!」

 

 

そんなシグレを叱咤するように、フィリアが言う。

 

 

「まだ間に合うよ……ううん、私達が間に合わせるから!」

「そうだよ。それにシグレを助けたいのは…アタシ達だけじゃない。その位はもう…分かってるでしょ?」

「……」

 

 

ストレアの問いかけに、シグレは何人かの顔が浮かぶ。

それは勿論、この仮想世界における、ではあるが。

 

 

「……容赦のない奴らだ。どいつもこいつも」

 

 

溜息を一つ吐きながら、シグレは二人に振り返る。

 

 

「…しかしそうしなければ、お前達を傷つけることになるのなら…やるしかない、か」

 

 

その表情は、いつもと変わらない、シグレのもの。

それでもどこか、憑き物が落ちたような。

そんな風に、二人の目には映っていた。

 

 

「……吹っ切れた?」

「………ふん」

 

 

笑みを浮かべて尋ねてくるストレアに、シグレは視線を逸らす形で答える。

絆された事に対する気恥ずかしさ、なのだろう。

それを察し。

 

 

「かわいい反応だね、シグレー。うりうり~」

「っ…」

 

 

頬を突いて揶揄うストレアに、シグレは言い返せない。

その空気を断ち切るように。

 

 

「…そんな事より、だ。この後はどうする」

 

 

シグレがそう、フィリアに問いかける。

そこには若干の逃げがあったが、それに言及することなく。

 

 

「あ、うん…さっき、あいつに聞いた話なんだけど…」

 

 

フィリアが、先の戦いから逃げる直前に、信頼はできない相手から聞いた情報を思い出す。

そしてそれを告げようとして。

 

 

「…シグレ?」

 

 

言葉を止め、シグレの名を呼ぶ。

というのも。

 

 

「っ…ぅ……」

「シグレ…しっかりして!」

 

 

苦しそうに頭を押さえながらふらつき、なんとか倒れずに耐えていたから。

ストレアもそんなシグレには気づいていて、なんとか倒れないように支えていた。

 

 

「これ、は…」

 

 

シグレは痛みに耐えながら、ふと思い出す。

その痛みは、この時間制限が始まった時と同じ。

あの時のものだったから。

 

 

「っ……」

 

 

シグレは再び襲われたそれに抗えず、再度気を失い倒れる。

 

 

「シグレ!?」

「しっかりしてよ、シグレ!」

 

 

フィリアが、ストレアが必死に名を呼び、シグレを揺するが反応はなく。

その代わりといわんばかりに。

 

 

『Expiration: 9day 23hour 59min 45sec.』

―使用期限:9日23時間59分45秒。

 

 

『Using rate of alternate/backup module reached 50%.』

―代替モジュールの使用率が50%に達しました。

 

 

『Status restriction is migrated to phase 2 (Player ID: Sigure)』

―プレイヤー:シグレのステータス制限をフェーズ2に移行します。

 

 

『Part of battle skill/ability is restricted.』

―戦闘における一部の能力/スキルが制限されます。

 

 

『Unrecoverable bad status is granted.』

―スキルによる治療不可能なバッドステータスが付与されます。

 

 

まるで、シグレが生を望むことを許さないかのように。

システムは淡々と、メッセージを表示するのだった。



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第64話:焦りと贖罪 / Sinon

*** Side Sinon ***

 

 

 

76層から始まって、気が付けば今は95層。

私のプレイヤーとしてのレベルは131。

 

 

「っ次!」

 

 

私はこの層のフィールドで、狩りを続けていた。

一人ではなく、キリト、アスナも交えた三人。

 

 

「シノン…ちょっと飛ばしすぎだ。そんなんじゃ持たないぞ!」

 

 

キリトに注意されるが、私は耳を貸さない。

少しだけ、三人を見る。

息を切らしているように見える。

でも、それは私だって同じ。

だけど。

 

 

「このままじゃ、先輩が……!」

 

 

以前、ホロウ・エリアで聞いた事。

あの時聞いたことが事実なら、あと10日以内にSAOをクリアしなければ先輩は。

 

 

「っ…」

 

 

私は弓を構える。

狙う先は、遠くにいるゴブリンの弓使い。

まだ、相手は気づいてない。

 

 

「…今!」

 

 

矢を放つ。

私が放った矢はゴブリンの胸を打ち貫き、一撃で光の粒に変える。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

肩で息をする。

疲れが溜まっているのは、自分でも分かっている。

 

 

「シノのん、少し休んだほうがいいよ…ここのところ毎日じゃない。このままじゃクリアする前に貴女が…」

「っ…でも!もう時間がない…!」

 

 

そう、時間はもう10日程度。

10日しか、ない。

それが、先輩にとってのタイムリミット。

もし、この間にクリアをできなければ先輩は死んでしまうかもしれない。

そうなったら、私がここに来た意味がなくなってしまう。

 

 

「このままじゃ、先輩が…!」

 

 

今もきっと、先輩は戦い続けてる。

私はそんな先輩の支えになるためにここに来た。

なのに、そのたった一つの願いすら、叶えられなくなるかもしれない。

 

 

「…っ」

 

 

私は体に鞭打って、立ち上がる。

体は、少しだけだるい。

けれど、休んではいられない。

 

 

「シノン!」

 

 

キリトが呼んでくる。

言いたい事は分かってる。

だけど。

 

 

「……ここまでありがと。ここからは一人で行くから…」

 

 

もう、戻ってもいい。

実際のところ、こうして毎日狩りに出ているのは、私の我儘でしかない。

そんなことは分かっている。

でも。

 

 

「もっと、前へ…!」

 

 

早く、クリアしなくちゃ。

95層を含めれば、あと、6層。

10日以内に、クリアするなら、1日すら無駄にできない。

立ち上がり、歩き出す。

 

 

「っ…え……?」

 

 

地面は普通のはずだったのに、突然何かに足を取られたかのようによろけてしまい、そのままバランスを崩しそうになる。

けれど、突然の事に反応しきれず、私は地面に体を叩きつけてしまう。

倒れた、という事を自覚するのに、それほど時間はかからなかった。

 

 

「シノのん、大丈夫…!…!?」

 

 

土が冷たくて、少しだけ心地よい。

アスナが駆け寄ってきたのか声が近くなり、地面の心地よさを邪魔するかのように体を揺すられる。

それだけは分かったが、途中からアスナの言葉が聞こえなくなった。

ぼんやりする意識の中、私は先輩の事を思い出す。

 

 

…私は貴方に助けられてから、ずっと貴方を心の支えにして、こうして過ごせてる。

 

…だから、なんて言わないけれど、いつか貴方の支えになりたいと思っていた。

 

…けれど、いざその状況になってみれば、私には、何もできない。

 

…私なんかが貴方の助けになれる、なんて、烏滸がましかったかもしれない。

 

…自分の無力さが、不甲斐なさが、悔しい。

 

…泣きたくなるくらいに、悔しいけど、そんな暇は、ないから。

 

…貴方を助けるために、頑張るから。

 

 

 

…だから、ほんの少しだけ、貴方と一緒にいられる夢を見ることを、許してください。

 

 

 

*** Side Sinon End ***



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第65話:あいつが守れていないもの / Kirito

*** Side Kirito ***

 

 

 

狩りの途中、シノンが倒れ、急遽95層の街、セイレスに戻る。

街までは俺がおぶって帰り、看病はアスナをはじめとした女性陣に任せることにした。

 

 

「…で、大丈夫なのかよ?」

「あぁ、一応今は落ち着いてるみたいだ。熱があるみたいで、疲れだろう、ってさ」

 

 

クラインに聞かれ、俺はアスナから伝え聞いたことを答える。

その答えと、シノンが無茶をしていた事実を知っていた事があり、クラインはやや大げさに溜息を吐く。

 

 

「ったく…無茶しすぎだろ」

「…気持ちは分からないでもない、けどな」

 

 

クラインの呆れに、俺は少しだけフォローを入れる。

シノンにとっては、それだけあいつが大切なのだろう。

 

 

「…なぁキリト」

「何だよ」

「とりあえずあいつ戻ってきたら、一発ぶん殴ったほうがよくね?」

「それについては異論はない」

 

 

クラインの言葉に俺は大きく頷いた。

あいつは、なにかと突っ走りすぎだ。

あいつは確かに、皆を守ろうとしたのだろう。

75層の時も、わざと討たれてSAOを終わらせようとしていた。

結果としてそれは失敗に終わったが、今も、自分の犠牲を顧みずに戦っている。

傍から見れば美談かもしれないし、実際それで救われた人もいるだろう。

けど、あいつは自分が死んだら、という事を何も考えてない。

その辺りのことを、もっと自覚すべきだと思う。

 

 

「…サチ?」

「あ…キリト」

 

 

そんなことを話していたら、部屋からサチが出てきた。

手に桶を持っているあたり、水を取り替えに行くのだろう。

 

 

「シノンの様子は…どうだ?」

「うん…まだ熱が下がってなくて、少し魘されてる」

「そうか…」

 

 

心配そうなサチの表情。

そんなサチを励ます言葉が、分からなかった。

 

 

「ずっと…うわ言のように呟いてるの。『先輩、ごめんなさい』…って」

「…シノンが気に病むことじゃないのにな」

「うん…でも、気持ちは分かるかな、私」

 

 

サチの何かを思い出すような言葉に、言葉を止める。

 

 

「…キリト、覚えてる?私達が初めて会った時」

「あぁ。仲間を助けてくれって…声をかけてきたんだったよな」

 

 

俺が答えると、サチはうん、と頷く。

 

 

「本当は、私一人でも、助けたかった。だけど私だけじゃどうにもならないって…分かってた。だから…辛かったの」

 

 

思い出す事も辛そうに、サチは続ける。

 

 

「みんなを助けたくても、私は力も心も弱くて、一人じゃ何にもできなくて。キリト達がいてくれたから助かったけど…もしいなかったらって思うと、今でも夢に出るくらい…怖いの」

 

 

夢の中で、どれだけ手を伸ばしても届かなくて。

届きそうになったところで、バラバラに砕け散ってしまう。

暗闇の中に、一人取り残される夢。

 

 

「今だって…不安なんだ。未知の場所に放り出されて、大丈夫なのかな…って。でもね、シグレなら大丈夫って思っちゃう私もいるんだ」

 

 

なんか矛盾してるね、なんて言いながら、サチは少し悲しげに笑う。

アスナにも、サチにも、シノンにもこんなに想われて。

こんなに悲しませておいて、お前は一体、何をやってるんだよ。

早く戻ってきて、彼女たちを守ってやれよ。

 

 

「…とりあえず、戻ってきたらビンタ一発して、抱きついて泣いてやるんだから」

「そりゃ大変だ」

 

 

サチの言葉に、思わず笑みが零れる。

アスナも泣くだろうし、リズは間違いなく制裁の一つや二つは加えるだろう。

シノンは…どうなるかな。

いずれにしても、お前が犯した罪の清算は、大変な事になりそうだけど、そこは助けないからな?

 

 

 

*** Side Kirito End ***



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第66話:今の私に、できること / Asuna

*** Side Asuna ***

 

 

 

サチさんに水を取り替えに行ってもらって、今この部屋には私と、眠っているシノのんだけ。

熱のせいなのだろう、さっきから魘されてる。

 

 

「……」

 

 

いくら疲れているとはいっても、SAOという仮想世界。

ここでこんなに魘されるほどおかしくなることというのは本当にあるのだろうか。

…そうじゃない。

わかってる。

たとえ仮想世界でも、心は本物だから。

 

 

「…せん、ぱ…い……」

 

 

ここに来てから。

それとも、シグレ君と再会してから。

どこからなのかは、私には分からないけど、きっと、焦ってた。

シグレ君を助けるために強くなりたくて。

でも、思ったように強くなれなくて。

 

 

「……ごめ、なさい…っ」

 

 

うわ言のように、シグレ君に対して謝り続けている。

きっと彼に差し出そうとしている、縋ろうとしているその手を、握ってあげることしか、私にはできなかった。

 

 

「…私も、なんだよ。シノのん…」

 

 

私だって、シグレ君がいなかったら今頃どうなってたか、分からない。

第1層で絶望して、自害してたかもしれない。

そうでなくてもこうして、攻略組にすらいなかったかもしれない。

 

 

「私も、シグレ君に助けられて、何も返せてない…」

 

 

それどころか、彼の思いも知らず、自分の剣で貫いてしまった。

あの時の感触が、未だに手に残ってる。

あの時の事を謝ることも、出来てない。

 

 

「……一人で頑張りすぎないで」

 

 

手を握って、起こさないように小声で、けれど訴えるように。

眠っているからきっと聞こえていないとは思うけど。

どうか、無茶をしないで。

 

 

「シグレ君…」

 

 

もう、全部貴方のせいな気がしてるよ。

貴方がもう少しだけ、私の…私達の事を見てくれていたら、こんなに辛い思いはしなかったんじゃないかって。

でも、貴方のことが全然分からないわけじゃない…と思う。

何故なら…第1層で会った時、貴方は私を助けてくれた。

フィールドでモンスターに襲われた時も、デスゲームの告知がされた後も。

きっと、貴方にとっては何気ない事だったのかもしれない。

 

 

「…」

 

 

シノのんも、きっと私と同じなのだろう。

貴方にとっての何気ない事で救われて。

でも、そのまま…助けられたままで終わりというのが嫌で。

貴方を助けたいと思っても、助けられないことが歯痒い。

貴方に何も返せないことが、悔しい。

だから、強くなりたいと思って、攻略に力を入れて、今でこそ最前線で戦えるようになったけど、それでも届かない。

 

 

「…どうか、無事で……戻ってきて」

 

 

今は、ただそれだけを想う。

どうか、死なないで。

時間制限の事はキリト君やシノのん経由で聞いてる。

よくない事が起きてることも、分かってる。

本当なら、貴方のもとに駆け付けて、助けたい。

だけど、今は。

 

 

「…私は、私にできることを」

 

 

アインクラッドの攻略を、皆と一緒に、確実に。

それが、最善だと思うから。

 

 

…貴方は、こんなところで死なないって、信じてるから。

 

 

「…だから」

 

 

一緒にちゃんと、帰ったら……

 

 

その先は、今は考えないつもりでいるけれど。

…まずは、ちゃんと友達から…始められるかな。

 

 

 

*** Side Asuna End ***



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第67話:私の想いは燻り続ける / Sinon

*** Side Sinon ***

 

 

 

……ぼんやりと、目を覚ます。

 

 

「……」

 

 

右手が温かい。

何だろうと思い、見てみるとアスナに握られていた。

当のアスナは眠っている。

 

 

「…」

 

 

見回せば、窓から見える景色は暗い。

夜になっていたのだと察するのに時間はかからなかった。

何があったのかを考える。

確か私はフィールドで、何かに足を掬われて、地面に伏して。

…違う。

倒れたんだ…私。

 

 

「っ…」

 

 

あの人を助ける、なんて意気込んで、周りの制止も振り切って。

その結果はどうだ。

私の事を気遣ってくれた人に迷惑をかけただけで、結局何もできてない。

 

 

「……」

 

 

悔しさに、泣きそうになる。

誰かに、所詮お前の強さはその程度、と言われているようで。

お前に助けられるわけがない、と言われているようで。

 

 

…今は、貴方の隣に並べなくてもいいから。

 

…いつか、いつかは必ず、貴方と共に戦えるくらいに強くなるから。

 

…だから、どうか。

 

 

「……先輩…!」

 

 

…どうか、死なないで。

 

…無事に、向こうに戻って、向こうでちゃんと、話をしたい。

 

…話したいことは、沢山ある。

 

…話さなければならないことも、沢山、ある。

 

 

「…まだ、私……貴方に、お礼の一つも言えてない…!」

 

 

貴方と、まだちゃんと何も話せていない。

お礼の一つもできていない。

助けられた時からずっと告げたいと、秘め続けてきた、たった一つの言葉すら、届けられていない。

 

 

…私は、貴方のおかげでこうして生きてこられたと、思っている。

 

…ずっと貴方が私にとっての心の支えで。

 

…いつからか、私の心の中には、貴方という存在が大半を占めていた。

 

…貴方が人殺しとなる場面を見ていたけれど。

 

…たとえ、貴方が犯罪者として誰からも蔑まれようとも。

 

…少なくとも、私は、私だけは貴方の味方であり続ける。

 

…だから。

 

 

「…どうか……!」

 

 

負けないで。

私のために、なんて烏滸がましい事は言わないから。

せめて、先輩自身の為に、生きて欲しい。

 

 

「……アスナ」

 

 

ふと、ベッドに突っ伏すように眠る栗色の髪の女性が目に入る。

それがアスナだと気づくのに時間はかからなかった。

そっと、髪に触れる。

羨ましいくらいにふわふわだった。

 

 

「駄目ね…私」

 

 

フィールドではあれだけ心配をかけて、結局ここまで迷惑をかけてしまっている。

あの時、ちゃんと話を聞いて無理をしていなければ、こんな事にはならなかったはずなのに。

 

 

「…ごめんね。ありがとう」

「ん…ぅ……」

 

 

そっとアスナの髪を撫でると、寝言だろうか声を漏らす。

その様子が少し可愛く見え、私は笑みが零れた。

女の私ですら、そんな風に思えるのだ。

男性なら、こんなアスナを見たら、ころっと落ちてしまうだろう。

…ひょっとしたら、先輩も。

だけど。

 

 

「…でも、先輩の事だけは、絶対に負けないから」

 

 

アスナの想いも分かっているからこその、宣戦布告。

これだけは、他の誰にも、譲れない。

たとえSAOが終わっても、私の、女としての戦いは、終わらない。

 

 

 

*** Side Sinon End ***



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第68話:余命幾許もなくとも

ホロウ・エリアにて。

 

 

「っ…ぅ……」

 

 

数分とも、数時間ともとれる時間の後、シグレが呻き声と共に目を覚ます。

そのまま立ち上がり、辺りを見回すシグレ。

ストレアとフィリアはそんなシグレをどこか不安げに見る。

不安げなのは言うまでもなく、システムメッセージ。

治療不可なバッドステータスがどんなものなのかが不安だった。

 

 

「……?」

 

 

一方のシグレも異変に気付いたのか、自分の手を見たり、何かを確認しているようだった。

 

 

「…大丈夫?」

「?…あぁ」

 

 

とはいえ、事情を知らないシグレはストレアに聞かれても何も言わない。

それが余計に二人の不安を煽っていることも、シグレは気づいていなかった。

 

 

「…行くぞ。時間はもう…そう多くない」

 

 

シグレは自身に残された時間を確認し、先に進むように言う。

そこで、シグレは思い出したように。

 

 

「…そういえば、お前はあの時、奴と話を…」

 

 

していたな、と言いかけた所で、シグレは不意に言葉を止める。

その刹那、シグレは口元に手をやり、激しく咳き込む。

 

 

「が、は……」

 

 

ただの咳だけなら、まだよかったといえるのだろうが。

必死に耐えながら何度も咳をするシグレ。

やがて、意識が朦朧とし始めたのか、立ち上がったシグレの身体は再度膝をついてしまう。

 

 

「シグレ!」

 

 

ストレアが駆け寄り、シグレの背をさする。

フィリアは突然のそれに、動けずに立ったまま不安げにその様子を見るだけで精一杯だった。

やがて、少し落ち着いたのか。

 

 

「は…っ……」

 

 

目を閉じ、深呼吸をして息を整えるシグレ。

そんなシグレの額には汗が浮かんでおり、それがいかに辛い咳であったかを思わせる。

 

 

「大丈夫…シグレ?」

「…問題ない」

 

 

フィリアも膝をつき、シグレに視線を合わせて尋ねる。

その答えに、とてもそうは見えない、と言いかけて、フィリアは言葉を止める。

シグレは弱音を吐くような人じゃない。

そう思っていたから、問い詰めても意味がない。

そう察したから。

 

 

「…そう、よかった」

 

 

そう返すだけに留めた。

 

 

「でも…さっき、システムメッセージが出たの。解除不可能なバッドステータスが付加される…って」

「……そうか」

 

 

代わりにフィリアは事実を伝え、シグレもそれを受け入れる。

やがてシグレは自身のステータスを確認する。

すると、状態異常に加え、スキルが一つ追加されていた。

 

 

 

『衰弱 (System)』

・全ステータス20%DOWN

・ソードスキル威力50%DOWN

・その他、発熱、咳等の症状を発することがある

 

 

『最後の灯』

・スキルを発動すると、1時間のみ『衰弱 (System)』を解除する (重ね掛け不可)。

・スキル発動時、モジュールの使用可能時間が12時間減少する。これによって残り時間が0になる場合、スキルの効果が消えた時点でアバターが消滅する。

 

 

 

その情報を、ストレアとフィリアにも展開するシグレ。

 

 

「…ということだそうだ」

 

 

溜息交じりなシグレ。

この状況でも平静さを崩さないのはさすがというべきか、何というべきか、と思う二人だったが。

 

 

「…シグレ。このスキルは…絶対に使わないで」

 

 

フィリアが真剣にそう訴える。

その思いはストレアも同じだったようで軽く頷き、同じく真剣にシグレを見ていた。

 

 

「……理由は何だ」

「シグレの命を削るからだよ…!」

 

 

フィリアは最悪の結末、すなわちシグレの消滅を想像してか、少し泣きそうな声で訴える。

その様子に、シグレはまた一つ溜息を吐きながら、フィリアに近づき、彼女の頭を撫でる。

それは少しでも落ち着かせよう、という意図だろうか。

 

 

「確約はできないな。必要とあれば…迷わず使う」

「…何で」

 

 

フィリアの問いに、シグレはいつもの口調で。

 

 

「……まだ、やる事があるからだ」

 

 

全員を、この世界から脱出させる。

シグレが自らに立てた誓い。

 

 

「…話が逸れたな。この先どうするか…奴から話は聞いたのだろう」

 

 

余命幾許もない身であっても。

否、だからこそ、貫き通す覚悟を決めたシグレ。

そんなシグレを、相変わらずだと思うストレアとフィリア。

しかしその一方で、彼女たちもまた、シグレを守ってみせると、秘かに誓いを立てるのだった。



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第69話:虚ろなる最後の戦い

そんなこんなで、三人は管理区に戻る。

このホロウ・エリア唯一の安全地帯。

 

 

「…」

 

 

あれから、PoHから話を聞いたストレア、フィリアの先導でこの場所に来ていた。

ここからどこかに転移するのかとシグレは思っていたのだが、コンソールに用があるようでもなく、どうするのかと疑問に思っていた。

その間にも、刻々とカウントダウンは進んでいた。

女性陣に伝えてこそいないもの、そのカウントダウンは常にシグレの視界の端に写っていた。

 

 

「…それで、ここからどうすればいい」

「……こっち」

 

 

それを少しも意に介さずに先を促すシグレに、フィリアは不安を感じながらも先導する。

向かった場所は何もない…ようにこそ見えたが。

 

 

「…これは」

 

 

地面に文様が浮かんでおり、近づくと管理区地下への転移を行うかどうかを尋ねるシステムメッセージが表示される。

 

 

「…地下、か」

 

 

シグレがその転移先を読み上げると、フィリアは頷いた。

なんでも、この先にある中央管理コンソールを目指せばいい、との事らしい。

情報源が情報源だけに疑わしい部分があったが、他に手掛かりがないため、従うより他なかったとも言える。

それよりも気になるのは。

 

 

「……なぜ奴は、俺達に情報を流す真似をした。これで奴に何の得がある」

 

 

転移を了解しながら、シグレが疑問を口にする。

それは、アインクラッドで共に行動したストレアも、同じくアインクラッドで攻略をしていたフィリアも同意見だった。

彼らにとって、PoHは犯罪者ギルドのリーダーで、殺人者。

その彼らが、生きるための手がかりを残した理由。

 

 

「…アタシ、あの場から離れるとき、ちらっと聞こえたんだ」

「?」

「……ここであいつが殺されたら、約束が果たせなくなる…って」

 

 

ストレアの言葉に、シグレもフィリアも疑問符が浮かぶ。

いくら普段がどうであれ、周りの雰囲気を明るくする事が得意であれ、この状況でこういう冗談を言う性格ではない。

そう思っていた二人は、その言葉を嘘とは思わなかった。

思わなかったのだが。

 

 

「…何の事だ」

「さぁ…」

 

 

シグレも、フィリアも、心当たりがなかった。

あるとすればシグレなのだが、彼にとっては父の仇でしかなく、それ以上の事は分からない。

何かを見落としているのか。

一瞬そう考えこそしたが。

 

 

「……だが、考えるのは後だ」

 

 

言いながら、シグレは刀を抜く。

転移した先は、魔法陣のようなもので遮られてこそいるものの、奥にはモンスターがひしめく部屋がいくつもある。

そんな考え事をする余裕はない。

シグレの言わんとすることを理解したのか、ストレアも両手剣を、フィリアも短剣を抜き、体勢を整える。

 

 

「シグレ」

 

 

ストレアがシグレの隣に並び、分かってるよね、と言わんばかりにシグレを見る。

フィリアにも似たような視線を向けられ、二対一では勝ち目もなく、シグレは溜息を一つ吐き。

 

 

「…分かっている。あれを使うな、ということだろう」

「……それを含めて、無理は禁止って事だよ?」

 

 

フィリアの念押しに、シグレは分かっている、と返す。

 

 

「だが…枷をかけられた状態でどの程度動けるかを知るには丁度いい機会だ」

 

 

言いながら、シグレは幾つかある魔法陣のうちの一つに近づく。

シグレに続くように、ストレアもフィリアも魔法陣に近づき。

 

 

「……行くぞ」

 

 

魔法陣を開き、部屋の中へ突入する。

中にいたモンスターがそれに気付き、三人に迫る。

このホロウ・エリアでの最後のダンジョン。

 

 

…その戦いが、火蓋を切る。



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第70話:剣を振るう理由 / Strea

*** Side Strea ***

 

 

 

「でやあぁぁっ!!」

 

 

部屋に入り、もう何度剣を振るっただろうか。

アタシの剣は特性的に攻撃範囲が広い。

だから必然的に狙う敵も多くなる。

けれど、ここまでくるとそう簡単に倒せるわけでもないので、結果的に狙われやすくなる。

 

 

「っ…!」

 

 

それだけなら、まだいい。

驕る気はないけれど、集中すれば対処は十分にできていた。

けれど、それを許さない要因がある。

 

 

「…シグレ!」

 

 

それは言うまでもなく、シグレ。

今までだったら、そうでもなかったかもしれない。

けど、今はシステム的に弱体化させられている。

現に、アタシですらそこまで手こずらない相手に苦戦していた。

 

 

「っ…どけえぇぇっ!!!」

 

 

両手剣を半ば乱暴に振り回し、近くの敵を薙いで道を作りシグレの元に駆け寄り。

 

 

「はああぁっ!!」

 

 

シグレを狙う敵に両手剣で袈裟型に斬り込む。

その一撃でモンスターは光の粒になる。

 

 

「…シグレ、大丈夫?」

 

 

剣を下ろし、シグレに声をかける。

けれど、シグレはアタシの言葉には答えず、険しい視線を向ける。

その視線の先は、アタシ…じゃない。

 

 

「…っどけ!」

 

 

シグレは言いながら、刀で構え、アタシの背後へと駆ける。

驚いたが、そっちを見るとシグレが刀で倒したのか、数体のモンスターを光の粒にしていた。

それは言うまでもなく、さっきまでアタシが相手をしていたモンスターだった。

 

 

「はぁ、はぁっ……!」

 

 

一方でシグレ数体を相手にしただけで、息を切らしていた。

 

 

「シグレ…!」

「…俺に構って隙を見せるくらいなら、俺のことは捨て置け」

 

 

シグレに声をかけるが、シグレはアタシを見ずにそう、言い放った。

 

 

「…どうせ、あと10日も持たない命だ。精々自分の生のために利用して見せろ」

「……」

 

 

そんな事を言われても、無理だよ。

でも、きっと…シグレは止まらない。

分かってる。

アタシじゃ、届かない。

それくらい、シグレの心は曲がらない。

でも…好きな人には、生きてほしいよ。

だから、アタシは諦めない。

 

 

「…じゃあ、10日以内にSAOをクリアすればいいってこと、だよね?」

 

 

つまりはそういうことだ。

そうすれば、少なくともシグレの命の望みは繋がる。

その後の事は、アタシじゃどうにもならない。

シグレ達の現実にはアタシは行けないから。

でも、それまでは、絶対に守る。

…もう、迷わないよ。

 

 

「……ふん」

 

 

アタシの言葉に、シグレは何も返さない。

アタシだって言われっぱなしじゃ終わらない。

 

 

「有言実行、いくよっ!!」

 

 

だから、アタシは剣を振るう。

 

 

…シグレの為になら、いつだって、何度でも!

 

 

 

*** Side Strea End ***



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第71話:少しでも、強く / Philia

*** Side Philia ***

 

 

 

「はぁっ!!」

 

 

短剣を振るい、私は一体ずつ敵を倒していく。

使っている武器の特性上、ストレアのような広範囲な攻撃はできないし、シグレのような立ち回りが出来るほど戦いというものに慣れているわけでもない。

きっと、この中では私が一番不利なのだろう。

だけど、それがどうした。

 

 

「っ…甘い!」

 

 

背後から迫るモンスターの攻撃を躱す。

 

 

…私以上に、シグレは酷い状態のはずなのに、戦い続けてる。

 

 

「はぁぁっ!!」

 

 

モンスターが武器を再度振り上げる隙をついて懐に潜り込み、脚を狙う。

 

 

…一番辛いはずのシグレが戦っているのに、不利だからって諦めるほど、私は弱くない!

 

 

モンスターはよろけ、隙が大きくなる。

この瞬間…逃さない!

 

 

「…っせやああぁぁぁっ!!」

 

 

一気に攻勢に出て、ダメージを与える。

ここで…倒す!

 

 

「…っ次!」

 

 

振り抜いた短剣は相手のHPを削り切り、モンスターを光の粒に変える。

けれど、まだ止まれない。

敵は…まだいる。

 

 

「……」

 

 

敵が多い中で偶然シグレと居合わせ、背合わせになり辺りの様子を窺う。

まだ、敵は多い。

 

 

「……少し飛ばしすぎだな」

 

 

私が息が上がっているのを見抜かれ、シグレにそんな事を言われる。

そんなの、当たり前でしょう。

だって。

 

 

「…私達が苦戦したら、あんた迷わず『アレ』使うでしょ」

 

 

アレとは言うまでもないだろう。

私の言葉に、シグレは答えない。

無言は肯定と受け取らざるを得ない。

 

 

「気にする必要があるか?」

「…大いに気にするわよ。だって…」

 

 

こんな所で、シグレを死なせたくない。

理由は私にとっては、言うまでもない。

けれど、こいつは言ってやらなきゃ、絶対に伝わらない。

言ったって、伝わるか分からないんだから。

 

 

「…好きな人一人守れないで、恋する乙女は名乗れないでしょうが!」

 

 

私は駆け出す。

狙いを定めて、モンスターに駆け寄る。

けれど、それ以上に恥ずかしくてシグレにくっついていられなかった。

なんか、とんでもなく恥ずかしい事を言った気がする。

けれど、事実だ。

だから言った事に後悔はない。

 

 

「……馬鹿を言う余裕はあるようだな」

 

 

何か言われたような気がするけど、聞こえなかったことにする。

馬鹿でもいい。

本気だから。

 

 

「っ…せやあぁっ!!」

 

 

私は、現実にいても、ずっとシグレと一緒にいたいと思ってる。

たとえ、現実で後ろ指を差されるような人だとしても、一緒に後ろ指を差されてもいい。

知らないうちに、それほどまでに好きになってた。

自分の変化に、驚きながら、けれど全然嫌じゃなくて。

ストレアの話だと、ライバルは多いらしいけど、知ったことか。

 

 

…私は、負けない!

 

 

 

*** Side Philia End ***



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第72話:諸刃の剣

あれから、戦い、先に進み、どれだけ進んだだろうか。

 

 

「……」

 

 

門を開けば大量のモンスター。

進んだ先に転移門。

それが延々と繰り返される。

皆が皆、息を切らしながら進んでいく。

 

 

「…平気か?」

 

 

刀を持ち、魔法陣の奥に警戒をしたままシグレが尋ねる。

 

 

「…平気」

「私も。こんなところでへばってられないでしょ…」

 

 

ストレアもフィリアも肩で息をしながら返す。

多少の疲れこそ見せているが、彼女たちとてここまで攻略をしてきた実力者であることに変わりはない。

シグレもそれを分かっているからこそ、それ以上の追及はしない。

 

 

「シグレは…平気?」

「…あぁ」

 

 

ストレアの問いに、シグレは短く返す。

いつも通りといえばいつも通り。

しかし。

 

 

 

『Expiration: 8day 22hour 34min 11sec.』

―使用期限:8日22時間34分11秒。

 

 

 

表示されたシステムのメッセージが現実を突きつける。

戦い続けて進み続け、もう1日経っている。

あと、9日を切っている。

 

 

「…行こう」

 

 

フィリアが歩き出す。

ストレアも続く。

シグレはそんな彼女らに背を押されるように歩き出す。

 

 

「……」

 

 

誰が見ても二人が疲労困憊なのは見ればわかるだろう。

その状態で、決して弱くはないモンスターの群れの中に飛び込むことがいかに危険かも。

誰でも分かること。

まして、こと戦いのことに関して、シグレが気付かないはずもなく。

 

 

「…」

 

 

シグレは魔法陣の展開と共に。

 

 

「……休んでいろ」

 

 

先陣を切って、シグレはその群れの中に飛び込む。

次の瞬間、シグレの体がライトエフェクトに包まれる。

 

 

「っシグレ!」

「駄目!」

 

 

ストレアとフィリアの制止を聞かず、シグレはスキルを発動していた。

 

 

『Expiration: 8day 10hour 25min 33sec.』

―使用期限:8日10時間25分33秒。

 

『Skill Effect Limit: 59min 59sec.』

―スキル効果時間:59分59秒。

 

 

自らの12時間と引き換えに、シグレはモンスターの群れの中に飛び込んでいく。

その動きは、先程までの制限された動きとは見違えるほどだった。

その立ち回りは見慣れていたはずの二人だったが、戦いの疲労もあって、今のシグレに合わせる余裕がなかった。

 

 

「……」

 

 

シグレがその一帯のモンスターの群れを一掃するのに、それほど時間はかからなかった。

けれど、シグレは二人のもとに戻るでもなく、奥へと駆けていく。

そんなシグレに続くかのように、ストレアとフィリアも駆け出した。

 

 

 

そうして、どの位三人は駆けたか。

シグレは休むことなく駆け抜け、やがて次の層に続く転移石を発見し。

 

 

「…ここで最後か」

 

 

『Expiration: 8day 9hour 31min 11sec.』

―使用期限:8日9時間31分11秒。

 

『Skill Effect Limit:5min 37sec.』

―スキル効果時間:5分37秒。

 

 

どうにか間に合った、といった様子でシグレが再度駆け出す。

とはいえ、あまりに短い時間。

それでもシグレは止まらなかった。

 

 

 

 

 

…それから数分。

 

 

「……」

 

 

最後のモンスターを薙ぎ、辺りは静かに収まる。

 

 

『Expiration: 8day 9hour 25min 48sec.』

―使用期限:8日9時間25分48秒。

 

『Skill Effect Limit:14sec.』

―スキル効果時間:14秒。

 

 

僅かな残り時間の中で息を吐きながら刀を納めるシグレ。

あとは転移門に入るのみ。

 

 

「……平気か」

「…平気」

「というかシグレ…速すぎ」

 

 

シグレの心配にストレアとフィリアは返す。

それを見て。

 

 

「…いずれまた敵は出るだろう。その前に先に」

 

 

進む、と言いかけたところで。

 

 

『Skill Effect Limit:0sec.』

―スキル効果時間:0秒。

 

 

効果時間が終了し、シグレを包んでいたライトエフェクトが消える。

それとほぼ同時に。

 

 

「っ!?」

 

 

シグレの体が突然その場に崩れ落ちる。

その様子は、さながら糸を切られた操り人形のようで、抗いきれずに倒れこむ。

 

 

「っ…が、は…!」

 

 

どうにか立ち上がろうとしたシグレが突然咳き込む。

苦しいのか胸元を握り締めるように押さえながら、それでもなかなか治まらず、苦しげに呻く。

 

 

「っ…シグレ!」

 

 

ストレアが駆け寄り、背中を摩る。

苦しくも徐々に改善していき、咳が治まっていく。

フィリアが気遣うようにシグレに手を貸す。

 

 

「……はぁ…」

 

 

大きく深呼吸をするシグレ。

やがて落ち着いたのか、ややふらつきながら立ち上がり。

 

 

「…もういい。行くぞ」

 

 

どこか急ぐように先を促すシグレ。

そんな彼に、二人も続いたのだった。



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第73話:彼が望む結末

その後転移門を抜けると、そこは今までの連戦が嘘のような静かな通路。

通路の先には、また転移門がある。

 

 

「…あれが、最後か」

 

 

額の脂汗を拭いもせず、息も絶え絶えなシグレ。

けれど、先程の疲れも癒えぬままに、シグレは前に進む。

ストレアとフィリアは、自らを省みずに焦る様子のシグレに心配の二文字が常に付き纏う。

 

 

「シグレ、少し休も…?」

 

 

ストレアがそう提案するが。

 

 

「…必要ない、と言ったはずだ」

 

 

シグレは簡単に突っぱねる。

もうこのやり取りを何度繰り返したか分からない。

一歩、また一歩先へ。

ゆっくりでこそあるが、三人の足は止まらない。

 

 

「……ねぇ、なんでよ」

 

 

フィリアが止める。

今までと違うやり取りに、シグレは足を止める。

前を歩いていたシグレは振り返らない。

後ろにいるフィリアに背を向けたまま。

 

 

「なんで…そこまでするの?自分が死んじゃうかもしれないのに…なんで、自分の命を削って…」

 

 

フィリアの問いに、シグレは一瞬無言だった。

答えを考えている、のだろうか。

そして、その一瞬の静寂の後。

 

 

「……もう、それしかないからだ」

 

 

シグレはそう答える。

 

 

「…俺は、本当に護るべきものを喪った。その後悔はおそらく…どうやっても消えないだろう」

 

 

自分の掌を見ながら言うシグレ。

少し俯き気味に言いながら、両親の事を思い出しながら。

 

 

「……俺自身、何度も命を奪った。現実で血を浴びたことも、何度もある」

 

 

言いながら、シグレは眺めていた手を握る。

 

 

「何かを奪うことしか、誰かを殺すことしか…俺には出来ない。だが…」

 

 

それでも。

 

 

「…そんな俺を、仲間だという奴がいる。好きだという奴がいる…本当に、物好きな馬鹿だとは思うが…」

 

 

それでも。

 

 

「……そんな奴らに絆されたかは知らないが…思うところはある」

 

 

苦笑するシグレ。

その表情が見えないのが、少し残念な二人だったが。

 

 

「…俺にはもうすぐ、何も…お前達の前に立つことすら、できなくなるだろう」

 

 

それは、諦め。

けれど、シグレの口調からは、なぜか絶望は感じられなかった。

 

 

「……だからせめて、返せるうちに返せることはする。たとえここで尽きようと…」

 

 

どれだけ、命を削られようと。

 

 

「…今、お前たちを護り通す助けになるなら、それでいい」

 

 

無暗に命を奪うことは、世間の目で見れば、悪である。

それはシグレとて分かっている。

しかし。

 

 

「俺にできることは……それしかない」

 

 

そうする事で、守れるのなら。

せめてもの恩返しになるのなら。

父のように、誰かを護って散っていけるのなら。

 

 

「……それが、俺にとってのSAOのシナリオだ」

 

 

仮想世界でこそあれど、戦いの中で、誰かを護り、散っていく。

かつてシグレが憧れた、強い者の最期。

その者と同じ強さを以って散る、という結末。

シグレにとって、自身が生きることは必ずしもハッピーエンドではなかった。

 

 

「…シグレは、それで…いいの?」

 

 

ストレアの問いに。

 

 

「何も問題はない」

 

 

シグレは淡々と返す。

普通、自らの死というものは恐ろしく、発狂するものすらいる。

だからこそ、SAO開始直後に自殺が相次いだ。

言い方がどうあれ、その精神はある意味では正常である。

 

 

…そういう意味では、シグレの精神は、壊れていた。

それがいつからなのか、この世界で初めて会った彼女らには分からない。

恐らく、このSAOにいる中で一番彼と早く知り合ったシノンにも分からないだろう。

 

 

…何故なら、シグレ本人ですら、それは気付いていないだろうから。

その壊れた精神と共に生き続けてきた彼にとっては、それは異常ですらなかった。

だからこそ、死に直面しても、強くあれる。

…だからこそ、どれだけ回りが心配しても、シグレにそれが届かない。

 

 

……遠すぎるよ。

 

 

ストレアとフィリアは、そう感じずにはいられなかった。

どれだけ踏み込んでも、どれだけ手を伸ばしても常に一歩先にいる。

そんな感覚に、囚われていた。

そんな二人の様子を感じ取ってか。

 

 

「……それでいい」

 

 

シグレは転移門へと歩き出す。

その距離感が、シグレにとっては慣れた感覚。

差し伸べられた手を取る方法を知らないシグレには、そうするしかなかった。

 

 

「…」

 

 

二人も、手を伸ばさない。

否、伸ばせない。

ただ、ついていくだけで精一杯だった。

シグレも、そんな二人に声をかけることなく、ただ後に続くのだった。



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第74話:戦い、思い

僅かな蟠りを残したまま、転移した先は。

 

 

「……」

 

 

空間の中に、円形の足場があるのみの、孤立した空間だった。

 

 

「コンソールなんて…ない…!?」

 

 

フィリアが慌てたように言う。

恐らくPoHの話から、最深部に何かがあると聞いていたのだろう。

しかし、実際はコンソールはおろか、転移してきた場所すらない。

進むことも、退くことも許されない空間だった。

 

 

「…落ち着いて、フィリア。多分…来る」

 

 

そんなフィリアを落ち着かせるように、ストレアが言う。

次の瞬間。

 

 

「っ…!」

 

 

突然地響きが起こる。

シグレが刀を抜き、それに合わせるようにストレアとフィリアも武器を構える。

次の瞬間、空から突き抜けるように急降下していき、すぐに浮き上がり姿を見せる、異形のモンスター。

 

 

「……」

 

 

―ガアアァァァァァッ

 

 

シグレ達が立っているその足場だけでなく、空間全体を震わせるような咆哮と共に、背に魔法陣のようなものを背負い、明らかに臨戦態勢になる。

 

 

「…」

 

 

シグレはただ、相手の出方を窺う。

すると、相手は突撃してくるでもなく、後退すると、シグレ達が立つ地面の下に潜り込む。

 

 

「…ちっ」

 

 

次の瞬間、足場の中央辺りに自らの尾のようなものを突き出し、衝撃波を放つ。

シグレは反応し、ストレアとフィリアも少し遅れて反応する。

 

 

「……」

 

 

相手が元居た場所に戻り、攻撃の隙と見たところで、シグレは再度スキルを発動しようとする。

それは、二人の様子を見て、というところもある。

今の状態の二人は、戦うのが厳しいと、そう思っていた。

 

 

 

…しかし。

 

 

「「やああぁぁぁっ!!!」」

 

 

シグレの両脇からほぼ同時に前に出て、息の合った連携というべきか、ソードスキルでの攻撃を行う二人。

その連携にさしものボスも一度後退する。

 

 

「…アタシ達だって、護られるだけじゃないよ、シグレ」

「そういう事。私達も…シグレを護る。あんたが言う結末は…認めない。必ず変える」

 

 

そう言いながら振り返る二人の目に、迷いはない。

そんな彼女らに少しばかり驚きながら、けれどすぐに苦笑でそれを隠し。

 

 

「……出来るものなら、やってみろ。だが今は…」

 

 

言いながら、シグレは刀を構える。

その視線の先は、ストレアでもフィリアでもない。

 

 

「…うん、分かってるよ」

「まずは…あいつから、だね」

 

 

そんなシグレの意図に気づいたように二人も武器を構える。

三人の視線の先には、自らが戦うべき、異形の姿。

 

 

「…行くぞ」

 

 

シグレが先陣を切り、ストレアとフィリアも続く。

皆が皆、それぞれの思いを抱えながら、戦う。



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第75話:暗闇の中の、一筋の光明

とある、病室。

 

 

「……」

 

 

一人の医師が、患者を診ていた。

診ていた、というのは若干語弊がある。

目を閉じ、悔しそうに強く拳を握る。

 

 

「…間に、合わなかった…か」

 

 

間に合わなかった。

彼がそう呟いた、その病室の主は、華月時雨。

彼に繋がれた機械は、断続的に命の鼓動を知らせることなく、連続的に単調な音を出していた。

彼の頭に装着されたナーヴギアは、稼働を続けているのか、電源を示すライトが光り続けている。

 

 

「っ…」

 

 

願わくば、戻ってきて欲しかった。

医師として、救えるものなら、救いたかった。

彼が血を吐いた、あの時から、こうなるという予感はなかったわけではない。

しかし、検査が出来なければ、処置などできようはずもない。

症状が確定できなければ、どう処置すればいいかなど、分からない。

 

 

「……」

 

 

なんと、無力か。

どれだけ、救おうと学んでも、知識を得ても、患者一人救えない。

いつからだろうか。

その悔しさに、耐えられるようになってしまったのは。

 

 

「…」

 

 

とはいえ、このままにするわけにはいかない。

もはやナーヴギアを強制解除しない理由もない。

そう思い、ナーヴギアを外そうと、手を伸ばす。

 

 

「…あ、先生!」

「?」

 

 

その瞬間、看護師が病室に入ってくる。

探していたのだろうか。

 

 

「…どうしました?」

「あの…これを、受付で受け取りまして。写真の患者の担当医師に渡してくれ、と。それって…この人ですよね?」

 

 

看護師から受け取ったのは、一枚の写真と、封筒に入った手紙。

写真に写っていたのは、ゲームの中だろうか、服装が異なる一人の青年。

その顔立ちは、痩せこけた部分や、伸びた髪のことを除けば瓜二つだった。

 

 

「君。これを誰から…?」

「そ、それが…名前を聞く前に帰られてしまって。女性の方、ではあったのですが…」

 

 

失礼します、と看護師は去っていく。

そうして機械音を除いて静かになった病室で、封書を開ける。

 

 

「……!」

 

 

医師はそこに書かれた言葉に、一瞬驚く。

けれど、驚いている暇はない、と手紙を読み進める。

事は一刻を争う。

 

 

「…先ず」

 

 

読みながら、医師はナーヴギアに手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

…それから、どれだけ時間が経っただろうか。

手紙に書かれた解除コードの入力、ナーヴギア内部の機械特有な複雑な配線の処理。

ドラマで偶に見る、爆発物処理のような、緻密な作業を経て。

 

 

「…成功、なのか……?」

 

 

目の前には、変わらず患者が横たわっている。

…ただ一つ、違うのは。

 

 

……ナーヴギアが彼の頭から外されている事だった。

この解除で、彼の脳が焼かれてしまったかどうかは、現状ではわからない。

外す前から単調な音を出し続けていた機械は変わらず単調な音を出し続けている。

整えられておらず、ナーヴギアの中で変に癖のついた長い髪が彼の顔を隠している。

 

 

「…とりあえず、検査だ…誰か!」

 

 

病室の外に声が届くように、医師は声を張る。

それを聞いた看護士が駆け寄り、部屋の中の状態に驚く。

 

 

「どうして、ナーヴギアが…」

「話は後だ。まずは患者をすぐに検査に回す…手伝ってくれ」

「は…はい!」

 

 

医師の指示に従い、看護師が準備をする。

それほど悠長に事を構える時間はない。

 

 

「…そう簡単には、諦めませんよ」

 

 

医師として、患者を救うために。

看護師によって運び出される患者についていくように、医師も診察室を後にした。



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第76話:最期の望み

その頃。

 

 

「…」

「あいつ、ずるい…!」

 

 

皆が息を切らしながら応戦する相手。

こちらは宙に浮いた円形の足場の上から攻撃するのみ。

それに対し。

 

 

「っ危ない!」

 

 

フィリアの一声で皆が下からの攻撃を回避する。

相手はシグレ達の足場の下からも攻撃をかけていた。

当然といえば当然だが、シグレ側はそんな事はできない。

どちらが不利か、言うまでもなかった。

 

 

「ちっ…」

 

 

更に言えば、シグレはステータスに制限がかかった状態。

実際、ストレアやフィリアのような立ち回りをするには力不足だった。

とはいえ。

 

 

「…ダメだよ、シグレ」

 

 

件のスキルを発動しようとすれば、止められる。

 

 

「……分かっているのか。この状況では長引くほど危険だ」

「分かってる。分かってるけど!」

 

 

シグレが諭すように言うが、それでも。

 

 

「…怖いんだよ、シグレ。死んじゃうつもりなんじゃないか…って」

「……」

 

 

不安を隠そうともしないストレア。

おそらくこのSAOという世界で共にいた時間が最も長いからこその、推測、あるいは直感。

シグレは少し考える。

 

 

「…」

 

 

何かを言いかけたシグレだったが、敵がそんな状況を待つはずもなく。

 

 

『ガアァァァァァアアァァァ!!』

 

 

地面が震えるほどの咆哮。

そして、何か強い力を溜め始める。

 

 

「……」

 

 

刀を構え、シグレは警戒する。

 

 

「…とりあえず…話は、奴を倒してからだ」

「っ…!」

 

 

シグレに続くようにストレアとフィリアも警戒する。

とはいえ、いくら警戒したところで、溜められる力は際限がないようにも見える。

このままでは。

 

 

「ちっ…!」

 

 

そう考えたシグレは、前に出る。

例のスキルを、発動して。

二人が止めるよりも、早く。

 

 

「シグレ!?」

「駄目、戻って!!」

 

 

ストレアとフィリアの制止も聞かず、シグレは駆ける。

これまで戦い続けてきたからこそ培われた勘が、目の前の攻撃がいかに危険かを伝えてくる。

だからこそ、止まるわけにはいかなかった。

 

 

「………っ」

 

 

足場の端からシグレは飛び、敵に向けて刀を突きたてる。

武器の使い方として誤っているとしても、今はそんなことを構う余裕はない。

 

 

「……せめて、最期くらいは…!」

 

 

放たれる攻撃をその身に受けながらも、飛び込んだ勢いのままに敵を貫くシグレ。

多数の命を奪い、それでも守りたかったものを守れなかった。

その過去は変えられない事はシグレも分かっていた。

 

 

…決して長くはない、けれど現実離れした人生を送ってきたシグレ。

 

…言われるがままに、奪い続けてきた人生。

 

…自分には、何かを守る力はない。

 

…それでも、せめて、かつて自分を守ってくれた父のように。

 

…この仮想世界で出会った、大切にしたいと思える存在くらいは。

 

 

「守る力を……!」

 

 

そんなシグレの思いは、敵の攻撃の爆音に掻き消され。

爆散する光と共に、モンスターとシグレの姿は消えていた。

 

 

 

…静かな空間に、ストレアとフィリア、二人の人影が残る。

 

そんな二人の傍に、一振りの刀が落ちる。

 

地面が土であれば、突き刺さっていたかもしれない。

 

けれど地面は固く、突き刺さることがなかった。

 

その代わりに持ち主を失った刀は、甲高い金属音を立てて地面に落ちた。



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第77話:遺された者達 - I

モンスターが消え、シグレが消え、静寂が戻った空間。

そんな中で。

 

 

「シグレ…?」

 

 

虚空を、シグレが飛び込んだ方を見上げながら、茫然とストレアは呟くように、問いかけるように彼の名を呼ぶ。

けれど、答えは返ってこない。

呆れるような溜息すらも、何も。

 

 

「っ…」

 

 

自らの短剣を握りしめ、悔しそうに目を伏せるフィリア。

光に包まれた瞬間に起こった出来事を見ていたわけではない。

直視がまともにできない程の光の中での出来事であったから、見えなかった、という方が正しい。

しかしそれでも。

 

 

「…馬鹿……!」

 

 

何が起こったのかを理解するのは容易だった。

それは、これまで行動を共にしていたから。

シグレという人物があの状況でどう動くかが分かる程度には、知っていたから。

だからこそ、察してしまった。

 

 

「……」

 

 

一方のストレアはといえば、両手剣を持ったその手をだらんと垂らし、力なく宙を見上げている。

そこに広がるのは、静寂を取り戻した空間が広がるのみ。

 

 

「シグレ……どこ、いったの…?」

 

 

震えるような声を出すストレア。

その問いに答える声は、彼女が望む答えを持つ者は、その場にはいない。

否、どこにもいない。

 

 

「…シグレ…」

 

 

ふらふらと、歩き出す。

シグレが飛び込んでいった方向へ。

当然、その先に足場があるわけがなく。

 

 

「っストレア!」

 

 

そのまま進めば、転落する。

そう感じたフィリアが慌ててストレアを後ろから抱きしめ、止めさせる。

 

 

「…離して、フィリア。シグレを…迎えに行かなくちゃ…」

「そっちに行っちゃダメだよストレア…分かってるんでしょ?シグレは…」

「…嫌、やめてよフィリア!聞きたくない!」

 

 

フィリアが告げようとしたことを、大声で遮るストレア。

ストレア自身、頭では理解していた。

何が起こったのかを。

まして、AIという、演算能力に長けた存在なら猶更である。

けれど、それを受け入れることができるかは全くの別問題。

 

 

「……嫌だよ、シグレ…戻って来てよ…!」

 

 

やがて、肩を震わせるストレアは、脚の力が入らないのか、その場にへたり込む。

フィリアもつられながらも、何とかストレアを支えながら一緒にその場にしゃがむ。

 

 

「…ねぇ、アタシ…何か、シグレを怒らせるようなこと…しちゃったかな?…あはは…ダメだ、心当たりありすぎるよ…」

 

 

声を震わせ、自嘲するようなストレアの言葉に、フィリアはただ抱きしめることしかできない。

彼女が、どれだけシグレを想っていたのかを、間近で見ていたから。

何を言っても、上っ面の慰めになってしまうと思ったから。

だから、少しでも落ち着けるように、抱きしめることしかできない。

 

 

「ごめんね、いっぱい、いっぱい…謝るから…許さなくていいからぁ……!」

 

 

ストレアの言う、怒らせるようなこと、というのはおそらく彼女にしか分からない。

その罪を許すことができる者がいないとしても。

 

 

「…シグレ……お願いだから、戻ってきてよ…シグレ……!!」

 

 

涙を隠さぬ声で、只管に名を呼び続ける。

それが決して届かないとわかっていても。

ストレアの涙を止めることは、誰にも出来なかった。

 

 

「ああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 

ストレアの悲痛な叫びは、仮想世界の虚空へと吸い込まれるように、消えていく。



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第78話:遺された者達 - II

それから、どれほど時間が経ったか。

涙を流すストレアを、フィリアはずっと、抱きしめ続けていた。

ストレアを安心させるため、という大義名分こそあるが、それはフィリア自身のためでもあった。

今、誰の温もりに触れることも出来なければ、どうにかなってしまいそうで。

 

 

「っ…!」

 

 

ストレアに縋ることで、なんとか自分を保っていた、ともいえる。

フィリア自身、それは分かっていた。

けれど今は、何かに縋りたかった。

 

 

「う、うぅ…っ!」

 

 

なおも涙に震えるストレアを、ただ抱きしめる。

 

 

「……本当に、馬鹿…!」

 

 

守るって、言ったくせに。

…私達の『心』を、こんなにズタズタにして。

 

生きて帰るって、言ったくせに。

…簡単に自分の命を捨てて。

 

 

「こんなことが…アンタがやりたかった『守る』ってことなの…?だとしたら最低だよ…!」

 

 

結果的に、自分達の命が救われたのだとしても、あんまりだ。

…なんて、悪態をつくことも、出来ないけど。

 

 

「う、ぅ…!」

 

 

フィリアも堪え切れず、声を涙で震わせる。

本当なら、ストレアのように、全てを吐き出したい。

けれど、フィリアの中に残った理性が、それを限界まで押し留める。

それでも、目の前の現実に、抑えきれないものが溢れ出してきていた。

 

 

「何でよ、シグレ…!」

 

 

何で、簡単に命を捨てたの。

何で、私たちを守ってくれたの。

何で、私たちの気持ちを、分かってくれなかったの。

何で、何で、なんで。

 

 

答えの帰ってこない疑問で、フィリアの頭の中が満たされる。

 

 

「…」

 

 

一緒に、この世界を脱出出来たら。

現実世界で出会い、また仲良く出来たら。

そんな淡い期待も、フィリアの中ではこの世界で生きる希望の一つだった。

けれど、その一つを失った今、フィリア自身も僅かに揺らいでいた。

それでも。

 

 

「…ねぇ、フィリア」

「何…ストレア?」

 

 

少しばかり落ち着いたのか、ストレアがフィリアの名を呼ぶ。

いつの間にか、ストレアの震えは止まっていた。

 

 

「アタシ……これから、どうしたらいいんだろ」

「…ストレア」

「シグレの傍に、ずっと一緒にいたかった。この世界が終わるまでの間だけでも、ただシグレの傍で、助けられれば良かった」

 

 

なのに、もう、シグレはいない。

 

 

「…でも、もうシグレはいない…これじゃ、生きてる理由がないよ……」

 

 

力ない言葉に込められた、絶望の色。

けれど、それでも。

 

 

「…それでも、最後まで生きなきゃ駄目だよ、ストレア」

「え…?」

 

 

フィリアは諭すように言う。

 

 

「……私だって、ストレアの辛さの全部とは言わないけど、半分くらいは分かってるつもり。でも…私達は生きなきゃ」

「なんで…」

 

 

シグレはもう、いないのに。

何を希望に、この先生きればいいのか。

そんな疑問に答えるように。

 

 

「…だって、シグレがそう望んで、命懸けで守ってくれたから」

 

 

ここで命を捨てたら、それこそシグレに何言われるか分からないよ。

そう、フィリアは辛さを混ぜ込んだ笑みを浮かべる。

ストレアはそんなフィリアの表情の意味を理解できたからこそ。

 

 

「だから…一緒に頑張ろ?」

「…」

 

 

フィリアの言葉に、ストレアはすぐには答えない。

そう簡単に割り切れるものではない事は、フィリアにも分かっている。

実際、フィリア自身も割り切ったわけではない。

けれど、それでも前を向く事を、シグレは望んでいるだろうと思っていたから。

 

 

「…うん」

 

 

そして、ストレアも、前を向く強さを持っていると、信じていたから。

ストレアの返事は、たった一言の短い返事。

けれど、そこには辛さこそ残っているが、前を見ようとする強さを含んでいるように感じられた。



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第79話:新たな一歩

少しして、落ち着いたところで。

 

 

「…行こう」

 

 

意外といえば意外か、先に立ち直ったのはストレアだった。

彼女得意の両手剣と、シグレが得意だった刀を携えて立ち上がり、前を見る姿は、ほんの少しだけシグレらしさがあった。

 

 

「……うん、そうだね」

 

 

フィリアはそんなストレアの姿を見ながら、立ち上がる。

彼女が言った事とはいえ、完全に吹っ切れたわけではない。

人は、多少なりとも縁がある相手の死を簡単に受け入れられるほど、簡単ではない。

けれど、そこで立ち止まるわけにはいかない。

 

 

「…強いね、ストレアは」

「アタシじゃ、ないよ」

 

 

フィリアがストレアに言うが、ストレアはあっさりと否定する。

そんなストレアの視線は、どこか遠くにあった。

 

 

「…シグレだよ。アタシ一人だったら…多分ここで自分の首を斬ったかもしれない。でも…」

 

 

言いかけたところで、ストレアはフィリアの方に振り返る。

そんな彼女の表情は、いつもと変わらない、彼女らしい表情。

けれど、その頬には、何かが伝った跡があった。

それが何かなど、言うまでもない。

 

 

「…でも、ね。シグレが…前に進むチャンスをくれたから。アタシがアタシとして、最後まで生きるチャンスを」

 

 

だから、最後まで。

このゲームがクリアされて、世界が終わるまで、ちゃんと見届ける。

 

 

「それが、助けてくれた事への恩返しかなって」

 

 

そう、先を見るストレアが、フィリアにはカッコよく見えた。

 

 

「…うん、そうだね」

 

 

それが、虚勢だとしても。

明確な理由があって、そう思ったわけではない。

ただ、ストレアの背が、なんとなく悲しそうに見えた、なんて理由。

もちろん、本当にそうか、なんて分からない。

けれど、それをわざわざ指摘する理由もない。

前を向こうとしているのを邪魔する権利なんて、ない。

そう思ったからこそ。

 

 

「…行こう。それで…終わらせよう。この世界を」

 

 

フィリアはストレアの隣に並び、そう言葉にする。

ストレアはそんなフィリアの言葉に頷き。

 

 

「うん」

 

 

しっかりと、そう頷いて、歩き出す。

その向かう先は、言うまでもなく中央コンソール。

 

 

「…ありがとね、フィリア」

「え…?」

 

 

ストレアの突然のお礼に、言われた方のフィリアは疑問符で返す。

見れば、ストレアはどこか辛そうに笑いながら。

 

 

「何も…聞かないでくれて」

「…何のこと?」

 

 

シラを切ろうとするが、ストレアはふふ、と軽く笑う。

 

 

「…なんとなく、気づかれてるんじゃないかって、思ってたよ。アタシが…辛そうに見えるんじゃないかって」

 

 

言い返せないフィリアに、ストレアは笑う。

 

 

「本当はね。フィリアに胸を借りて思いっきり泣きたいって…少し思ってるんだ」

「…貸してほしい?」

「ううん…我慢する」

 

 

そういって、ありがと、というストレアがあまりに辛そうに映り。

フィリアは本当に衝動的に。

 

 

「…むぐ?」

 

 

ストレアを抱きしめていた。

突然の事に変な声を出すストレアだったが、抵抗はしなかった。

 

 

「…泣いちゃいなよ」

 

 

フィリアはそう、告げる。

我慢する必要は、ない、と。

強がる必要はないのだと。

 

 

「……泣きたいときは、泣いた方がいいよ」

「でも…」

「あれだけシグレ好きだったストレアが、我慢できる辛さじゃないでしょ。私だって…辛いくらいだし」

 

 

今なら、誰も聞いてないよ。

そのフィリアの言葉と、彼女の温かさに絆されてか。

 

 

「う…っ……」

 

 

ついには、堪えきれず。

 

 

「うあああぁぁぁぁっ!!…シグレぇっ、ごめ…なさい…!守ってあげられなくて……ごめんなさぁい…!!」

 

 

フィリアの胸の内で、抑えつけていた感情を吐き出すストレア。

自らを守ってくれたように、守りたかった。

 

 

「……」

 

 

初めは、ただの興味本位であり、システムの指示。

それでも、自分が、この世界で今も生きていられるのは、間違いなく、彼のおかげ。

誰が何と言おうと、それがストレアにとっての真実。

そんな彼が危険な状態になっても、助けられなかった。

その事実が、ストレアに後悔として残る。

 

 

「…ごめん、なさい…助けられなくて、ごめんなさい…!」

 

 

彼女の謝罪は、フィリアにとっても同じ。

だから、下手に慰める言葉をかける事ができない。

 

 

「…」

 

 

フィリアはストレアを抱きしめ続ける。

慰める側のフィリアは、今はストレアに顔を見られたくなかった。

自分が慰められる側の顔になってしまっている気がして。

恥ずかしさと気まずさで、顔を見られないように抱きしめることしか。

それしか、出来なかった。

 

 

………

 

……

 

 

 

それから、どれだけ時間が経っただろうか。

数分とも、数十分とも、下手をすれば数時間ともとれる時間の後。

 

 

「…大丈夫?」

「うん…ありがとね、フィリア。アタシはもう…大丈夫だよ」

 

 

フィリアの問いに答えながら、ストレアが彼女から離れる。

頬に涙が伝った跡が残ってこそいるが、少しだけ、辛さが和らいだような笑みを見て、フィリアも笑う。

 

 

「行こ、フィリア」

「…うん」

 

 

ストレアの言葉に、フィリアは頷く。

心の奥底の辛さを押し込めたまま、これから先の戦いに気を引き締めるかのように。

二人は、歩き出す。

向かう先は、最深部のコンソール。

それが、未来へと繋がる、彼女たちの第一歩。




二人が、コンソールに向かった、その遠く後ろ。


「……」


フードを被った、影。
その手には、肉切り包丁のような形の武器が握られている。
その人影は、二人が気付かない位置から、二人の姿を一瞥し。


「チッ……」


小さな、本当に小さな舌打ちをし、誰に気付かれる事もなく、その影はどこかへと立ち去って行った。


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第80話:最後の一歩

そこには、何もない。

四方、八方、どこを見ても、暗闇。

足元にも、上空にも明かりの一つもない。

自分の身体すら、見えないほどの、闇。

 

 

「……」

 

 

目を、閉じているのか、開いているのか。

自分が起きているのか、眠っているのか。

何も、分からない。

先ほどまで手に持っていた武器の感触すら、ない。

手に何か触れているのか、そうでないのかすら分からない。

自分の足が地についているのか、それすら分からないほどの浮遊感。

ただ、自分の思考のみが、自分の存在を認識させる。

 

 

「……そうか」

 

 

回り始めた思考は、過去を呼び覚ます。

『俺』を仲間だと言う、あいつらを守りたかった。

相打ちでも良かった。

今となっては、それが叶ったかは、分からないが。

 

 

「……」

 

 

結局、何も、守れなかった。

何も知らなかった頃、自分を守ってくれた父のように、なりたいと思った。

父を喪って、母を喪って。

孤独になったからこそ、せめて身の回りの大切なものくらいは。

しかし、そう上手くはいかなかった。

 

 

「…」

 

 

ここが何なのか、分からない。

死後の世界なのか。

だとすれば、結局。

 

 

「…何だったんだろうな」

 

 

何かを成すこともなく。

ただ、命を奪い続けることしかせず。

本当に守りたかったものは、何も守れなかった。

 

 

「…」

 

 

本当は、分かっていた。

あの世界で、人と関わって、本当に守られていたのは、自分の方だった。

何かを返す、力すらなかった。

そんな事は、分かっていたはずだった。

自分に出来るのは、奪う事だけだと。

 

 

…こんなことなら、拒絶するべきだった。

 

…何もかもを。

 

…自分を仲間だと思う奴らを皆、初めから拒絶すべきだった。

 

…そうすれば、ここまで思うこともなかったはずなのに。

 

 

いつからだっただろうか。

一人で過ごさなくなったのは。

もう一年近く経っていて、若干記憶が曖昧だった。

五人で、半ば監視じみたパーティを作ってからか。

ストレアに助けられてからか。

月夜の黒猫団に出会ってからか。

あるいは、最初の層で。

キリトと出会ってからか。

アスナと出会ってからか。

その全てが、なかったのなら。

俺は気兼ねすることなく、ただ、奴を追いかけ続けていられただろうか。

 

 

「…」

 

 

父を討った、仇。

奴は、強い。

現実でも、仮想でも、一人では勝てないだろう。

現に、仮想では、少なくとも一度負けている。

だから、強くなりたかった。

強くなって、仇を討ちたかった。

 

 

「……」

 

 

けれど同時に分かっていた。

それが、いかに無意味であるかを。

仮に、仇を討ったところで、何かが変わるわけでもない。

それどころか、その後に残るのが、虚無感であることも、分かっていた。

だからこそ、意味がない。

誰の為にもならず、ましてや自分の為にもならず。

 

 

「…俺は、何の為に」

 

 

何の為に、戦い続けていたのか。

何の為に、刀を振るっていたのか。

何の為に、命を奪い続けてきたのか。

 

 

「……もう、疲れた」

 

 

自分の口から洩れる弱音に、思わず嘲りの笑みが漏れる。

けれど、そのすぐ後に訪れる眠気。

それに従えば、もう目を覚ませないかもしれない。

 

 

…けれど、もうどうでもよかった。

今はただ、少し、あるいは永遠であっても、休息をしたかった。

 

 

 

…どうせ、それを惜しむ人間はもう、この世にはいないのだから。



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第81話:招かれざる客 - I

アインクラッド、第76層。

エギルの店。

そこに、ホロウ・エリアを脱出したストレアとフィリアはいた。

ストレアがエギルの店に行き、エギル経由で皆に連絡を取ってもらい、合流をするに至った。

そこで、ストレアとフィリアは経緯を説明する。

これまで、何があったのか。

そもそも何故、ホロウ・エリアに閉じ込められるに至ったか。

何故、そこにシグレがいないのか。

その全てを、余すことなく。

 

 

「……そうか」

 

 

その説明に、一番最初に頷いたのはキリトだった。

それでも悔しさがあるのか、目を伏せていた。

付き合いの長さに差はあれど、皆、辛さを孕んだ感情を抱いていた。

その中でも。

 

 

「…どういう、ことよ」

 

 

ふらり、と覚束ない感じで、二人に歩み寄るシノン。

やがてストレアに近づき、凭れ掛かるように彼女の正面から縋るように身を寄せ。

 

 

「なんで…なんで先輩が…死ななきゃいけないの……!」

 

 

シノンがなぜこの世界に来たのか、その理由を知る皆は、彼女を宥める術を知らない。

 

 

「…う、ぅ……ねぇ、嘘だって言ってよ、ストレア…!」

「っ…」

「……そんなわけないって、否定してよ…!」

 

 

嗚咽交じりの懇願に、ストレアは返せない。

というより、誰も何も言えない。

否定する術がないから、当然といえば当然だった。

 

 

 

…そんな雰囲気を打ち破るように。

 

 

「おぉおぉ、随分しんみりしてるじゃねぇか、黒の剣士一行様よォ?」

 

 

聞き覚えのある、声。

とはいっても、味方のそれではない。

皆が驚くように店の入り口側に視線を向ければ。

 

 

「…何しに来た、PoH」

 

 

キリトが敵意剥き出しに、皆を守るように前に出る。

けれど、声の主、PoHはそんなキリトを嗤いながら。

 

 

「あいつが守ろうとしたやつ、ってのを見に来ただけさ」

 

 

PoHのいうあいつ。

それは、今この場がこの雰囲気になっている原因を作った、あいつのことであろうと、誰もが察した。

ここが圏外なら、今にも剣を抜いて、斬りかかりそうなキリトを笑うだけの余裕を見せるPoH。

 

 

「…尤も、今にも死にそうな奴も混じってるな。これじゃあ、あいつも無駄死にか!」

 

 

HAHAHA、と面白そうに笑うPoH。

 

 

「…黙れ」

「……あ?」

「お前に…お前に、あいつの何がわかる!」

 

 

キリトがそう、言葉をぶつける。

 

 

「あの人は…シグレ君は、人殺しの貴女なんかとは違うわ。彼がいなければ…私はここには、いなかったかもしれない」

「…私だって、みんなだってそう。シグレがいたから、ここまで生きてこれたんだもの」

「そうだな。シグレがいなかったら、俺達は27層で、壊滅してた」

 

 

アスナが、サチが、ケイタが思い思いに言う。

 

 

「…あんた達だけじゃないわ。シノンだって…あいつがいたから、今ここにいる。そうなんでしょ?」

 

 

リズベットの言葉に、シノンは頷く。

 

 

「……あの人は…シグレ君は、いつだって誰かを守るために剣を振るってた。貴方なんかとは…違うわ」

 

 

アスナがはっきりと、そう告げる。

 

 

「違わねェよ。あいつも俺と同じ、人殺しだ」

 

 

しかし、PoHはあっさりと否定する。

言い返そうにも、なぜか言い返せない、そんな雰囲気に息を呑む。

 

 

「…守るだ何だって言うが、お前ら…戦場でのあいつを見たことあんのか?」

「あ、当たり前でしょう!私だって、みんなだって…!」

「…よせ、アスナ」

「キリト君…?」

 

 

PoHの言葉に言い返そうとしたアスナだが、キリトが止める。

 

 

「あいつが言ってるのは…恐らくそういうことじゃない」

「…よく分かってるじゃねェか、黒の剣士サマ?」

 

 

キリトの言葉に愉快に笑う。

 

 

「あいつはなかなか愉快な子供だったなぁ…もう10年くらい経つか。表情もなく大の大人を鮮やかに殺す手際には俺もまぁ震えたぜ。HAHAHA」

 

 

この中では、PoHしか知らない事。

だからこそ、言い返すことができない。

 

 

「…ま、本題はそれじゃねェんだがな?」

 

 

言いながら、PoHは片手に持っていた『それ』を雑に放る。

ずしゃ、と音を立てて放られたのは、物ではなく。

 

 

「う、うぐ、ぅ……」

 

 

プレイヤーだった。

ただその見た目は、キリト達には見覚えのあるものだった。

 

 

「…アルベリヒ!?」

 

 

苦痛に呻く、豪華な装備で身を固めたプレイヤー。

キリトは彼の名を呼ぶが、苦痛に呻いたまま、答えない。

 

 

「あ、ぅ…!」

 

 

そんな彼の両手両足は、切断されていた。

 

 

「いやー、静かになるのに少し時間がかかってな。思わず切り落としちまった」

「ひっ!?」

 

 

笑いながら言うPoHに、声を聞いただけで震えるアルベリヒ。

 

 

「…な、何でだよ…なんでお前みたいなやつに、この僕が……!」

「まだ言ってんのか……」

 

 

その声を苛立たしげに返しながら、PoHは肉切り包丁をアルベリヒの顔の脇すれすれに突き立てる。

包丁はアルベリヒの頬を軽く掠める。

 

 

「ひいいぃぃぃっ!?だ、誰か助けろ…!」

「…おいおい、見てただろ?お前のお仲間はこいつで掻っ捌いただろうが」

「ひ、ぁ…!」

 

 

目の前で繰り広げられる一方的な蹂躙に、皆動けずにいた。

 

 

「…悪ぃ、もうちょっとで終わるから待っててくれや」

 

 

その様子を笑いながら、PoHは包丁を引き抜き、振り上げる。

 

 

「ひ、あ、あ…嫌だ、嫌だっ!こんなところで…!」

 

 

その様子を恐怖に震えながら、見ることしかできないアルベリヒ。

両手両足を切り落とされているのだから、抵抗のしようがない、ともいえる。

 

 

「嫌だあああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

目の端から涙を流しながら、叫ぶアルベリヒに。

 

 

「やかましい」

 

 

一つの慈悲すらなくPoHの武器は振り下ろされ、アルベリヒは光の粒に変えられた。



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第82話:招かれざる客 - II

突如目の前で繰り広げられた惨劇に、皆が皆言葉を失う。

 

 

「……俺が、あいつの何を知っているか。そう聞いたな、黒の剣士?」

 

 

PoHはキリトに向き直り、言葉を続ける。

 

 

「俺からも聞かせてもらうが…お前らこそあいつの何を知ってるつもりだ?俺"達"の世界を知らない、甘ちゃんが」

「っ…」

 

 

キリトも、他の誰も、その言葉には返せない。

PoHの言う世界は、今の常識からはあまりに掛け離れた世界。

普通に暮らしていれば、精々テレビで知る程度。

 

 

「昔がどうだったとか…そんなの、関係ない」

「あ?」

 

 

そんな中、フィリアが呟くように言う。

それに、PoHは面白くなさそうに反応する。

 

 

「…シグレもそんな事言ってたから、知ってはいるわ。実際、シグレがどうだったかまでは知らないけど」

 

 

だけど、と強くPoHを見返しながら。

 

 

「…それでもシグレが必死だったことを、私は知ってる。ホロウ・エリアでの事もそう。あいつは自分の命がかかっても、私達を護ってくれた」

 

 

対抗するように、否定するようにフィリアは言葉をぶつける。

 

 

「シグレにとっては、あんたの言う過去の贖罪だったのかもしれない。それでも私は…シグレを信じる」

 

 

もう、二度と会えないとしても。

助けられた以上、生きて脱出しなければ、という義務感。

 

 

「……あんたには助けられた恩もあるけど…敢えて言わせてもらうわ」

 

 

その視線は、強く。

 

 

「あんたこそ…"今"のシグレの何を知ってるのよ」

「……」

 

 

迷いがない、フィリアの言葉。

そんな彼女を。

 

 

「HAHAHA!」

 

 

PoHはただ、笑う。

楽しそうに、笑う。

 

 

「…まぁ、いずれにしても、もうあいつはいないがな」

「っ…」

 

 

PoHの言葉に、フィリアは言葉に詰まる。

シグレがここにいない。

それは事実だと、頭では理解していたから。

 

 

「……わざわざそんな事を言うために、ここまで来たのか?」

「あ?あぁ…」

 

 

場所は、エギルの店。

その店主であるエギルが言葉を投げると、PoHは思い出したように。

 

 

「一つはそうだな」

「…一つ?」

 

 

PoHの言葉に、ストレアが返す。

けれどPoHは答えず、言葉を続ける。

 

 

「もう一つは、俺があいつを殺した理由を教えてやろうと思ってな」

「…興味ないな。どうせ快楽的なものとか、誰かに依頼されたとかその程度だろ」

 

 

キリトが暗にそれ以上の問答を打ち切ろうとする。

これ以上話をする理由はない、といわんばかりだった。

 

 

「…いい勘してるぜ。そう、俺はあいつを殺す依頼を受けた」

「やっぱりな。だったらもう…」

 

 

これ以上は興味ない、といわんばかりに剣を抜こうとするキリト。

しかし。

 

 

「…その依頼者が、あいつの父親だったとしても、か?」

 

 

PoHの言葉に、キリトは手を止める。

 

 

「適当な事を…!」

「……お前らが疑うのは勝手だが、嘘じゃねぇんだなこれが」

 

 

立ち直ったシノンが言い返すが、PoHはさらりとかわし。

 

 

「…何故なら、奴は現実で、あいつの母親を殺したわけだしな」

 

 

そう、言ってのける。

皆、一瞬言葉に詰まる。

シグレ自身から、考えてみれば母親の事は聞いたことがなかった。

意図的に避けているのかと思い、誰も追及こそしなかったが。

 

 

「それって…」

「言葉通りってこった。奴がのうのうと暮らしてたのは…今回みてぇに誰かに依頼したか、金を積んで出てきたか」

 

 

言いながら、PoHは入口の方に振り返り。

 

 

「さて、と。依頼完了…邪魔したな」

 

 

その手に転移結晶を用意する。

 

 

「…っ逃がすか!」

 

 

キリトがいち早く反応する。

レッドギルドのボスが目の前にいる、この状況。

あと数層とはいえ、憂いを断つために、捕えるために。

しかし。

 

 

「っ…くそ!」

 

 

間に合わなかった。

その事実に、キリトは悔しさで拳を壁にぶつける。

 

 

「……おい、店を壊すなよ?」

 

 

エギルが年長者の余裕からか、そんな風に苦笑交じりに言う。

そんなエギルは店内を見回し。

 

 

「お前ら…皆少し休んでけ。コーヒー出してやるから」

 

 

悔しさに震える者。

悲しみに暮れる者。

状況が掴めず、混乱する者。

今の状態では、到底この先の攻略など不可能であろう。

年長者であり、攻略の厳しさを知るエギルだからこそ、今どうすべきか。

 

 

「…クラインの奢りでな」

「なんでだよ!?俺も奢られる側だろ!」

 

 

そんな冗談を交えながら、皆が落ち着く場を提供すること。

それが今出来る事なのだと、エギルは分かっていた。



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第83話:前に進む決意

PoHが去った後の店内。

皆が皆、思い思いの場所に腰掛け、皆の前には一杯のホットコーヒーが置かれている。

エギルの気遣いからか、店としては営業を終了しており、顔見知り以外はその場にはいない。

 

 

「っくそ…!」

 

 

シグレが死に、アルベルヒが目の前で殺され、その犯人を取り逃がす。

何もかもが上手くいかない現実に、キリトは悔しそうに声を漏らす。

無論、彼とて攻略組として前線を駆け抜けてきた以上、全てが全て失敗なはずなどないのだが。

 

 

「先輩…」

 

 

苛立つキリトとは対照的に、この世の終わりとばかりに落ち込むシノン。

大げさな表現なようだが、シノンにとっては強ち間違いではない表現だった。

椅子に座り、コーヒーを眺める彼女は普段の凛々しさはどこへやら、いつ自殺してもおかしくない雰囲気だった。

 

 

「…」

 

 

皆、そんな二人の雰囲気に当てられてか、無言だった。

そんな空気がどれだけ続いたか、その後で。

 

 

「…なんつーか、さ。とりあえずコーヒーでも飲めよ皆」

 

 

クラインがそんな風に、皆に声が届くように言う。

 

 

「俺の奢りなんだからさ。なっ?」

 

 

少しでも空気を明るくしようと、明るい感じで言う。

 

 

「クライン…」

 

 

ストレアがそんなクラインの意図を察して彼の名を呼ぶ。

彼女とて、MHCPとしてプレイヤーの相談役の役割があったからこそ気付けたのだろう。

とはいえ、この状況で、そんな彼の意図を察せないものは、まずいない。

 

 

「…この状況で明るくって……ふざけてるの?」

 

 

とはいえ、理解できるのと、それを納得できることの間には大きな隔たりがある。

シノンもまた、そんな隔たりの間にいた。

彼女は苛立たし気にクラインに視線を向ける。

 

 

「し、シノン…!」

 

 

近くにいたサチがそんなシノンを止めようとする。

しかし、苛立ちに身を任せたシノンを止めることはできず。

 

 

「あんたに……あんたなんかに、何が分かるのよ野武士面ぁ!!」

 

 

シノンはクラインの胸倉を掴み、感情をぶつける。

こんなことをしても意味がないと分かっている、理解している。

けれど、この感情を溜め込んでなかった事に出来るほど、シノンは大人ではなかった。

 

 

「……私にとって生きる意味だった人を喪った。あんたなんかに…分かるわけ……!う、うぅ…!!」

 

 

感情が溢れ出したか、そのまましゃがみ込んでしまう。

その声に嗚咽が混ざっていたあたり、泣いていたのかもしれない。

それを知るのは、クラインだけだが。

 

 

「…あぁ、分からねぇ」

 

 

クラインは静かに、そう呟くように返す。

 

 

「俺はシグレって奴のことを殆ど知らねぇ。74層のボスのとこで死にかけてたのを見たくらいだ。話したことなんかほぼないに等しいさ」

 

 

クラインは言葉を紡ぐ。

その雰囲気は、さっきまでの明るい雰囲気などではない。

淡々と、事実を述べるだけ。

 

 

「それに…あんたがどれだけ慕ってて、どれほどあんたの心を占めてたのかも、知らねぇ」

 

 

でもな、と続ける。

 

 

「何も知らなくても、これだけは言える。そいつは…あんたにそんな顔をさせるために、あんたを助けたわけじゃねぇ」

「…なんで、そんな…」

 

 

そんな事が分かるのか。

暗にそんな意味を含ませながら、シノンはクラインを見る。

 

 

「…それが、『守る』って事だからだよ」

 

 

クラインはそう、返す。

 

 

「あんたらの話を聞いててつくづく思う。あいつは…身の回りのもの、少しでも親しくなったもの何もかもを守ろうと自棄になってやがったんだ」

 

 

シノンから視線を外し、どこか明後日の方向を見る。

室内なので空があるわけでもなく、そこには天井がある。

あるいはその先を見ているのだろうか。

 

 

「……自分という存在の大きさをこれっぽっちも理解してないくせに、な」

 

 

タバコでもあれば様になっていたのかもしれない。

そんな雰囲気で、室内を見回す。

 

 

「ったく。これだけの奴らをこんな雰囲気にさせておいて…ひでぇ奴だよな?」

「うぅ…」

 

 

見回しながら言い、言葉をシノンに投げかけながら、彼女の頭を撫でる。

 

 

「……でも、だからこそだろ。ここにいる奴らは、少なくともシグレが生きた証ってやつなんだ。だったら…シグレがあんたらにどうしてほしくて助けたのか。それを考えて実行する義務が、あると思うがね」

 

 

違うか?と、クラインは問いかける。

その様子に。

 

 

「…そうだね。私も、そう思う」

 

 

フィリアが同調する。

 

 

「多分…ここにいる誰よりも、シグレとの付き合いは短いと思う。だからシグレが何を思って助けてくれたかは…確信はない、けど」

 

 

それでも、とフィリアは続ける。

その目は、先ほどまでの雰囲気はどこへやら、何かを決意した様子で。

 

 

「…私は、このゲームをクリアして、生きて脱出する」

 

 

それが、私の決意。

そう、フィリアは言い切る。

 

 

「……私は。ううん…きっと、今回のきっかけを作ったのは…私だけど、それでも」

 

 

次に言葉を発したのはアスナ。

75層で彼を刺した後悔は、未だに彼女を苛んでいる。

それが、もう癒える事のない心の傷だとしても。

 

 

「それでも…このゲームをクリアして、未来を取り戻す」

 

 

そう、決意を表す。

 

 

「…私だって、そのつもり」

 

 

続いたのはサチ。

 

 

「シグレがいなかったら…きっと、今ここに私は…いなかった。シグレは私に…未来をくれた。ほんの少しだけ…強さをくれた。私は…それを無駄にはしたくない。だから…私も最後まで戦う」

 

 

戦って、このゲームを脱出する、と。

かつての気弱な彼女からは想像もつかない心の強さを持っていた。

 

 

「アタシも…」

 

 

ストレアも、立ち上がる。

おそらくこの中では最も一緒にいた時間が長い彼女だからこそ。

 

 

「…アタシも、戦うよ。皆のゲームクリアを最後まで、見届ける。それが…シグレの望みだったはずだから」

 

 

彼女の手には、鞘に入ったシグレの刀が握られていた。

彼女の身なりに不釣り合いなほどの両手剣を振り回していた姿からすれば違和感を感じるほどの細身の武器。

けれど、シグレと一緒にいて、シグレを見ていたからだろうか、どこか様になっているようにも見えていた。

 

 

「シグレのようには上手くできないかもしれないけど…アタシの全力で、最後まで、戦うから」

 

 

そんな彼女の決意を聞いてか。

 

 

「……そんなの聞いたら、私だけ塞ぎ込んでるわけには…いかない」

 

 

シノンも立ち上がる。

頬に僅かに涙跡を残してはいたが、もう辛そうな表情は、そこにはない。

 

 

「…もう、先輩はいないなんて…本気では信じてない。先輩がそう簡単に死ぬはずがない」

 

 

それは、現実からの逃避なのか、それとも。

 

 

「…けどいつかは受け入れなきゃいけない時は必ず来る。そうなっても歩き続ける強さを求めるために…私も、戦う」

 

 

そう、シノンも立ち上がる。

その様子を見て、キリトは一つ笑みを零しながら。

 

 

「…クライン。お前…」

「んだよ」

「……一応、大人だったんだな」

「一応ってなんだよ一応って!?」

「なんだよ、褒めてるんだから喜べよ」

 

 

そう、冗談を零すとクラインはそれに乗る。

そういう切り替えができるところは見習わないといけないな、などと考える。

…決して本人に言うつもりはないが。

 

 

「…よし。皆でゲームクリアを目指そう。もう少しだ!」

 

 

キリトが発破をかけると、皆が皆、それぞれの返事を返す。

…全員、肯定の返事。

皆が間違いなく、先に進むことを決意した、迷いない団結だった。



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第84話:僅かな懸念と

そんな風に、決意新たに皆が湧くのを尻目に。

 

 

「…エギル」

 

 

キリトは真剣な表情で、エギルに話しかける。

 

 

「どうした?」

「…少し、引っかかることがあって、な」

 

 

そう、言葉を続ける。

前向きになって、いい雰囲気で盛り上がっている邪魔をしたくないというキリトの気遣いから、エギルに話しかけていた。

 

 

「…あんまり穏やかじゃない話か?」

「というより…奇妙な話だな」

「奇妙?」

 

 

いよいよわからない、と言わんばかりにキリトに問い返すエギル。

エギルに対しキリトは頷き。

 

 

「PoHの行動だよ。ホロウ・エリアでの話といい、さっきのアルベリヒの件といい、まるで…」

 

 

そこでいったん言葉を切る。

その先は、キリトが思うPoHのイメージとはあまりにかけ離れていたから。

 

 

「…シグレに協力、あるいは助けていたように思える…か」

 

 

エギルの言葉にキリトは頷く。

とはいえ、先ほどのアルベリヒの件に関しては、PoHの話が真実だと仮定しての話、である。

今となっては真実の確かめようもないが。

その真偽が微妙だとしても、ホロウ・エリアでの話は、ストレアとフィリア二人から聞いた話。

彼女たちがPoHと親しい様子には見えず、だからこそ口裏合わせもないはずで、だからこそ信憑性がある。

 

 

「…」

 

 

それにはエギルも異を唱えない。

信じたのではなく、反論する理由がない。

 

 

「仲間だと思ってたけど、シグレのこと…何も知らなかったんだな、俺」

「…それは当たり前だろ」

「え?」

「人は自分じゃない。何十年付き合ったって、そいつの全てを知れるわけじゃない。だから知りたいと思ったら、知るために歩み寄る」

 

 

そういうもんじゃねぇのか?と、エギルは諭すように言う。

 

 

「…まぁ、シグレはその辺りの壁が、とんでもなく厚かったようだがな」

「だな…」

 

 

エギルの苦笑に、キリトもつられて笑う。

 

 

「PoHの事は、あいつらには言うのか?」

「…少なくとも今は話すつもりはないよ。俺の思い過ごしならそれでいいし、余計な不安を煽る事もないだろ」

「……そうか」

「この推測が確信に変わったら、俺から話す」

 

 

もう皆気づいてるかもしれないけどな、とキリトは呟く。

 

 

「…あるいは、気づいた上で、ああいう感じなのかもしれないぜ?」

 

 

女ってのは、強いぞ、とエギルは言う。

それにはキリトは笑み一つのみで、言葉は何も返さなかった。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

あれから、何日経った頃だろうか。

 

 

「……」

 

 

とある病院の、とある一室にて、自らの手を見る。

デスゲームとして世界を騒がせたSAOの世界から現実に帰還して、すっかりやつれた自分の手を、伸びた前髪に遮られながら見る。

病室にいては、手入れのしようもない前髪を少しだけ鬱陶しくも感じながら、それを払いもしない。

肘のあたりには点滴の管がつながれている。

 

 

「っ…」

 

 

手を握っても、うまく力が入らない。

そんな事を思いながら、無機質な機械音を聞きながら、ただぼんやりと過ごしていた。

すると。

 

 

「……」

 

 

ふ、と顔を上げる。

その視線の先は、扉。

あるいはその先か。

 

 

「やぁ、お加減はいかがかな?」

「……?」

 

 

そう言いながら入ってきたのは、白衣を纏った医師ではなく、スーツ姿の見覚えのない男だった。

誰なのか分からなかったが、ただ、怪訝な視線を投げかける。

 

 

「お見舞いの定番だろう?フルーツ盛り合わせ」

 

 

言いながら、それなりに良さげな見舞い品を近くに置き、近くの椅子に遠慮なく腰掛ける。

眼鏡越しの柔和な笑み。

けれど、その笑みの裏側に何か含みがある事を、直感的に感じたからこそ疑わずにはいられない。

 

 

「…さすがに一言も発してくれないのは寂しいなぁ」

 

 

おどけたように言う相手に、一つ溜息を吐く。

 

 

「……お前は、何だ?」

「あぁ、そうだったね。僕は総務省総合通信基盤…」

「長い」

「……失礼、通称『仮想課』の菊岡誠二郎」

 

 

名刺を出すでもなく、簡単に挨拶をしながら。

 

 

「…初めまして、華月時雨君?」

 

 

そう、名を呼んでくる。

病室に入ってきた以上、名を知っているのは当然だが、こうして見知らぬ相手が訪ねてくることは、父の陰でよく見ていた。

それが自分相手に来る可能性などあったかどうか。

 

 

「君の事は、君の父親の代に見たことがあったから知っているよ。将来『有望』だということも…ね」

「……」

 

 

笑みを崩さずに紡がれる言葉に、溜息を漏らす。

 

 

「…もう一度聞くぞ。お前は何者だ」

「言っただろう、僕は仮想課の…」

「『ただの』役人が俺を知っている時点で妙だと言っている」

 

 

相変わらずおどけた様子の菊岡に、疑い、探るような視線を向ける時雨。

互いに無言な時間が続く。

 

 

「…今日は、君に仕事の依頼があって来たんだ」

「今の俺に、出来ると思うか?」

「出来るさ。むしろ今の君だからこそ、こうして依頼している。人を殺すことを知り、VRでの身の振りに慣れ、いなくなっても足がつきそうにない君だからこそ…ね」

「……」

 

 

柔和な笑みこそ浮かべているが、拒否権を与えない物言いであることは直感的に理解していた。

だからこそ、時雨は断らない。

否、断れない。

 

 

「……話を聞く前に、一つだけ言っておく」

「伺おうか」

「俺が何故、SAOが終了して、リハビリを開始する奴がいる中で、俺は未だに開始していないか…だ。その上で俺を使うかどうか…判断することを勧める」

 

 

菊岡は無言で時雨の言葉を待つ。

その様子に、時雨は一つ溜息を吐き。

 

 

「…俺は今、病に侵されいてる」

「……その病名は?」

 

 

問われた時雨は一つ間を置き。

 

 

「…急性骨髄性白血病。医師の話では…半年持てばいい方だそうだ」

 

 

はっきりと、自らの病を告げる。

そんな彼の掌には、僅かに鮮血が溜まっていた。

 

 

 

To be continued to next chapter...



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Chapter-3:Interlude
第1話:終わりへと導く者


時雨の病室。

そこには二人の人影。

 

 

「……」

「……」

 

 

しかし、談笑をするでもなく、ただ無言。

時雨は無表情、しかしどこか訝しげに。

もう一人、菊岡は笑顔で、その裏に何かを含ませながら。

ただ、無機質な機械音のみが、部屋に響いていた。

 

 

「…もう用が済んだのなら帰ったらどうだ。それとも…俺が思っている以上に役人は暇なのか?」

 

 

静寂を先に破ったのは時雨。

溜息を吐きながら、その相手に毒づく。

 

 

「いやいや、これは僕にとっては大切な仕事のオファーなんだ。時間を割く価値は十二分にある」

 

 

だからこそ、しっかり話を詰めておきたい、と菊岡は続ける。

時雨の病名を知って尚、誘うつもりでいた。

 

 

「…それに、過程はどうあれ、君は他のSAOプレイヤーよりも少し早くログアウトをしている。これが知れれば、君はかの茅場晶彦の協力者だと疑われても仕方がないと思うがね」

「俺を脅すか…」

「とんでもない。僕だって流石に命は惜しい」

 

 

病の進行のせいか、SAOの頃のような覇気のない時雨。

尤も、目の前の男がその違いを知る由もないが。

 

 

「…心配せずとも、お前に対する殺しの依頼はない」

「そうか。それは何よりだ」

 

 

安心して依頼の話ができそうだ、と菊岡は言う。

 

 

「まぁ…話はいずれ、場所を変えて行うよ。今は養生してくれたまえよ」

 

 

言いながら、立ち上がる菊岡。

時雨はそれを特に疑問には思わなかった。

 

 

「…懸命だな。この場では、誰が聞いているか分からない。場所は変えるべきだろう」

「僕の意図を読み取ってくれて感謝するよ…さすがはあの人の息子、といったところか」

「……」

 

 

物言いに、時雨はこの男が何を知っているのか、疑いの視線を向ける。

しかし、男…菊岡は振り返りもせず。

 

 

「…これ以上の問答はやめておこう。君も…随分辛そうだ」

 

 

それだけ言い残し、病室の外に出ていく。

どこまで見抜いていたのか、底が知れない。

そう、時雨は思うが、それ以上の事を考えることは出来なかった。

何故なら。

 

 

「………っ…ごふっ…」

 

 

手で押さえる余裕もなく、重たい咳をする。

それに押し出されるように、時雨の口から鮮血が吐き出され、病室のシーツを赤く汚す。

次の瞬間、先ほどまで無機質で単調なリズムを刻んでいた機械は、けたたましく警報音を鳴らす。

 

 

「っ…く……!」

 

 

次の瞬間、時雨は目の前が暗くなり、そのままベッドに身を落とす。

倒れこんだ時雨の口の端は吐き出されたものか、赤い雫が伝っていた。

 

 

「……」

 

 

言葉を発さない、否、発する余裕のない時雨。

 

 

 

…そんな病室の外では。

 

 

「…さて、ここで死んでしまうならそれまで。だが、もし乗り越えたのなら、その時は……」

 

 

菊岡にとっては、どちらでもいいのか、心配する様子もなく、変わらず柔和な笑みを浮かべる。

 

 

「すみません、失礼します!」

 

 

病室内の異常の通知を受けたのか、菊岡には目もくれず、看護師と医者が駆け込んでいく。

扉の奥からの警報音が、医者が扉を開けたことで少し大きくなる。

その音を聞きながら、菊岡は病室から歩き去っていく。

 

 

「…華月、時雨君。君は…いや、君の家系は…もう誰からも必要とされない。必要としたのが僕達だというのなら…それを不要と切り捨てるのも僕達の役目だ」

 

 

そうだろう?

そう、誰が返すこともない問いを投げながら、菊岡は歩き去っていった。



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第2話:取り戻した平穏の中で / Kirito

とある、民家。

広めの敷地に佇む、古風さを感じさせるその家の庭で。

 

 

「はっ、やっ、せやっ!!」

 

 

一人の少女が、竹刀を振るう。

早朝の自主的な素振り。

その堂に入った素振りは、美しさすら感じさせるものがあった。

 

 

「……ふぅ」

 

 

朝、何本の素振りを行っていたか。

それを知るのは、おそらく彼女のみだろう。

目標の本数に達したのか、素振りをやめ、息を整える。

 

 

「朝から精が出るな、スグ」

「ひゃあっ!?」

 

 

突然軒先からした声に驚く、スグと呼ばれた少女。

本名、桐ヶ谷直葉。

SAOではリーファ、と名乗っていた。

声をかけた主は、驚きように少し笑いながら。

 

 

「…おはよう」

「え、あ、お、おはよう…お兄ちゃん」

 

 

笑われたことか、あるいは驚いてしまったことに対してか。

直葉の言葉は尻すぼみになり、最後の方はほとんど聞こえなくなっていた。

 

 

「…っもう、そんなに笑わないでよ!」

「いや悪い悪い、つい、な」

「むぅ…」

 

 

朝、流れる、兄妹の穏やかな時間。

兄、と呼ばれた、どこか中性的な顔立ちの男性…桐ヶ谷和人。

SAOではキリトと呼ばれていた、トッププレイヤーの一人。

 

 

「…そんなことより」

「ん?」

「大丈夫なの…?体、まだ本調子じゃないんでしょ?」

 

 

直葉は和人を気遣う。

そうなるのも無理はない。

彼女は、自らSAOに入ったとはいえ、その期間は精々数ヵ月。

一方、兄の方は二年以上。

その期間の差で、回復にかかる時間が変わるのは当然といえば当然で、直葉よりも和人の方が体力の回復は遅れていた。

 

 

「あぁ…大丈夫だよ」

「無理しちゃヤダよ?これ以上、お兄ちゃんに何かあったら…」

「大丈夫だって。心配性だなぁ」

 

 

とはいえ、病院から退院し、少しずつ体力が回復しているのも事実。

実際、日常生活を送る分には問題ない程度までは体力が戻っていた。

軒先に座って見てくる和人の隣に、腰かける直葉。

 

 

「ん?素振り…終わったのか?」

「うん。ちょうどキリがよかったし…」

「そっか」

 

 

男女とはいえ、気恥ずかしさよりも安らぎが感じられる、そんな時間。

その少しの間を置いて。

 

 

「…何か考え事?」

「ん?」

「なんか…少し、難しい顔してる」

 

 

そうか?と尋ね返せば、そうだよ、と返される。

そんなやり取りの後。

 

 

「……シグレの事だよ」

「シグレさん?」

「あぁ…」

 

 

SAOの中で死んだと聞かされた、共に戦っていたという男性。

直葉はそこまで面識があるわけではなかったが、仲間の死を悼んでいるのだろうか、と思う。

 

 

「……何か引っかかるんだ」

「え?」

 

 

直葉の問い返しに、和人は彼女の顔を見て。

 

 

「あいつは…本当に死んだのか?」

 

 

そう、疑問を口にした。



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第3話:深まる疑問 / Kirito

少しの間を置いて。

 

 

「え…ちょ、だって…そうなんじゃないの?フィリアさんとストレアさんが言ってたじゃない。シグレさんは…」

「…そう、そこなんだよ」

 

 

直葉の反論に和人は切り込む。

何を馬鹿な、といった感じの直葉に和人は至って真剣に。

 

 

「俺達は聞いただけだ。本当にシグレが死んだところを見たわけじゃない。当の二人だって、光に包まれて消滅したって言ってたけど、シグレが死ぬときのエフェクトを見たわけじゃない」

「…それは、そうかもしれないけど。でも…それを言ったら、どうとでも言えちゃうんじゃない?」

「それだけなら、な」

 

 

けど、と和人は続ける。

 

 

「…俺が一番引っかかってるのは、ストレアの事なんだよ」

「ストレアさん?」

 

 

ストレアの名を挙げる和人に疑問符を浮かべる直葉。

 

 

「…少し話したろ?あいつはAIで、いろいろあって、自分をオブジェクト化してシグレのナーヴギアに保存されたって」

「う、うん…」

「もしシグレが死んだのなら、キャラクターデータが消えて、当然所持していたアイテムも消える」

 

 

そこまで言われて、直葉はハッとする。

 

 

「シグレさんが死んで、オブジェクト化したストレアさんが消えたのなら…!」

「…ストレアも、消えてたはずなんだ。シグレと一緒に。けど…ストレアは最後まで俺たちと一緒に戦った」

 

 

つまり。

 

 

「シグレさんのキャラクターデータは消去されていない」

「…そう、つまり、SAOの仕様上、死んでないはずなんだ」

 

 

死んだのなら、削除される。

削除されていないのなら、死んでいない。

簡単な数学論理。

もともと理系に強い和人は、容易にそれに気づいた。

勿論、それだけでシグレが死んだと断定はできない。

 

 

「そのこと…他の人には?」

「…言ってないよ。そもそも確証がない話だ。皆に話して希望を持たせて、本当に死んでいたら…なんてことはしたくない」

 

 

余計に辛い思いをさせちゃうかもしれないしな。

そう言いながら、和人はゆっくりと立ち上がる。

 

 

「でも…どうするの?」

「…リハビリついでに、シグレの事を少し追ってみるよ」

 

 

直葉の問いに、右肩をぐるぐると回しながら、居間の方へと戻っていく和人。

 

 

「ちょ、ちょっと…もう!」

 

 

手がかりもないのに、どうやって。

もう少し問い詰めてやろう。

そんな事を思いながら、道着のままで和人を追い、直葉も居間に上がる。

 

 

「お兄ちゃんってば!」

「ん?」

「追いかけるって言っても…どうするの?シグレさんが住んでたところとか入院してた病院とか、知ってるの?」

「俺は知らないさ。でも、知ってる奴がいるだろ?」

 

 

スグだって知ってるだろ?

そう言われ。

 

 

「あ…詩乃さん!」

「そういうこと」

 

 

ハッとしてこの場にいない人物の名を呼ぶ直葉。

その答えに、和人は笑みを浮かべて返す。

 

 

「…そこで、スグに頼みがあるんだが」

「私に話したの、確信犯でしょ。全くもう……とりあえず着替えるから、その後でいい?」

「あぁ、悪いな」

 

 

最後の最後で締まらない和人に、やれやれといった感じで着替えに向かう直葉。

 

 

「…それと」

「?」

「シグレさんの件、私も手伝うから。いいよね?」

「…分かった」

 

 

有無を言わせない直葉にやれやれ、と思う和人だった。



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第4話:共有 / Kirito

直葉から詩乃に連絡を取ってもらい、数日後。

和人、直葉、詩乃の三人は、詩乃が住んでいるアパート近くのファミレスに来ていた。

とりあえず、ドリンクバーを注文する三人。

 

 

「…何か食うか?」

「いらないわ。それより…直葉から聞いたのだけど、どういう話?先輩のことって…」

「まぁまぁ、落ち着いてくれよ。ちゃんと話すから…」

 

 

少し苛立った様子の詩乃に、和人が宥めるように言う。

詩乃からすれば、何年も思い続けてきた人の死を受け入れるのに必死なのだということは容易に想像がついた。

そこに、不意に想い人の話題を出されれば、自分達だって詩乃と同じ反応をするかもしれない。

 

 

「…ただ、先に言っておくが、これは俺の推測なんだ。だから…」

「間違ってても文句言うな、ってところでしょ?分かってるわよ」

 

 

保険をかけるような和人の前置きに、被せてくる詩乃。

乱暴に言えば、御託はいいからとっとと話せ、ということなのだろう。

じっと探るような視線を和人に向ける詩乃に、和人も直葉もそう感じた。

 

 

「それもあるけど、もし間違ってたら君の心の傷を余計に抉ることになるかもしれない。だから…」

「…それはつまり、何かしら希望があるってことでしょ?」

 

 

和人の心配に、最終的には溜息を吐く詩乃。

その反応は、どこか彼女の想い人に似ている気がした二人。

 

 

「…だったら、それだけでも十分に聞く価値があるわ。というより…話してくれなかったら、逆に恨んでたわよ」

「そりゃ何より」

 

 

詩乃の言葉に、和人は苦笑しながら返す。

とはいえ、ここからの話題は、人の、あるいは目の前の彼女にとっては大切な人の生死に関わる話題。

だからといえばだからだろうか。

少しばかり、真剣に。

 

 

………

 

……

 

 

 

そうして話し始めた和人。

和人はSAOに知識がありすぎることもあってか、説明足らずになってしまうところを直葉が補足しながら。

詩乃はそんな二人の話を一言一句聞き逃すまいと耳を傾け、また、分からないところは二人に質問を投げかけながら。

そうして、数十分は話しただろうか。

 

 

「…なるほど。話だけなら確かに…あんたが言うことを否定する理由はないわね」

 

 

もともと本を読むのが趣味だったからか、即座の理解が難しそうな情報量であってもなんとか理解をする詩乃。

とはいえ、さすがに情報量が多かったか、ふぅ、と溜息を一つ。

 

 

「でも、その推測…強ち間違いとも言い切れないわ」

「…どういうことだ?」

 

 

詩乃の言葉に、今度は和人が聞き返す。

 

 

「それは…」

 

 

詩乃が話し始めようとした瞬間。

 

 

「お待たせいたしましたー。フライドポテトになりますー」

 

 

突然の店員に、詩乃は驚いて店員を見る。

直葉も気付いていなかったのか、少し慌てて店員を見る。

見れば店員は営業スマイルを浮かべており、毒気を抜かれる二人。

 

 

「ごゆっくりどうぞー」

 

 

中央にフライドポテトの山盛り。

その脇に取り皿三枚。

 

 

「……」

「……」

 

 

視線の先を失った二人は和人へと視線を向ける。

文句があるわけではない。

ないのだが、いつの間に注文したのか。

というか、なんと間が悪い。

 

 

「…なんか、ごめん」

 

 

蛇に睨まれた蛙の如く、なんとか言葉にする和人に。

 

 

「でもファミレスで何も頼まないでいるのも悪いなと思って、さ…」

「…まぁ私はいいけどさ。ちょっとお腹空いてたし」

「……少し、休憩にしましょうか。飲み物とってくるわ」

 

 

溜息交じりに、少し休息を挟むことを提案する直葉と詩乃だった。



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第5話:信じて、進む / Kirito

気を取り直して。

 

 

「…話を再開してもいいかしら?」

 

 

詩乃の問いに、和人はあぁ、と若干の冷や汗を流しながら答える。

直葉も横目で兄を見る。

二人の視線は語っていた。

空気を読め、と。

 

 

「……私は復帰して、数日は復帰後の検査やらで行けなかったけど、その後に先輩が入院していた病室に行ったのよ」

 

 

そうしたら。

 

 

「先輩の病室は、空になっていた」

「…それって」

 

 

詩乃の言葉に直葉が続く。

 

 

「時雨さんは、誰かによって退院か転院の手続きをした?」

「もし、先輩が生きているのなら、だけど」

 

 

詩乃は直葉の推測を肯定する。

 

 

「それと、先輩…私と同じアパートに住んでたんだけど、退院した後すぐにそこに行ったら、完全に引き払われていたわ」

「…それは、妙だな」

 

 

次の言葉には、和人が考える。

 

 

「もし死んだのだとしたら、あいつの家族とかがそういう手続きをするはずだろ?でも…あいつには家族はいない」

「…それって」

「誰かが手回しをしたって考えるのが、妥当な線じゃないか?」

 

 

和人は多少なりとも身の上話を聞いていたからこそ、そんな推測をする。

そのことも含め二人に話したとはいえ、さすがに情報の整理が追い付いていなかったようで、直葉と詩乃は和人の言葉に納得する。

 

 

「…つまり、先輩が生きていると仮定してだけど…その場合、先輩の転院の手続きやら何やらをして、その場にいなかったように見せてるって…そういう事?」

「あぁ…恐らく」

 

 

だとすれば、誰が。

その疑問が三人の中に浮かぶ。

 

 

「…ちなみに、この事他の誰かには話したの?」

「いや、まだ。本当に生きてるって確証が持てるまでは話さない方がいいかと思ったんだ。そもそも連絡先知らないけどな…」

「そう…」

 

 

何か手掛かりがあれば、それを頼ることもできるだろうが、なければ人海戦術になる。

しかし、現状ではそれも厳しい。

 

 

「…そうだ。ALOの中で皆に話してみたら?」

「とはいってもなぁ…」

 

 

直葉の言葉に和人は考える。

その理由は言うまでもない。

もしシグレが本当に死んでいたら、意味なく余計な希望を与えることになりかねない。

しかし。

 

 

「…大丈夫よ。私が言うのも何だけど…そこまで弱くないわよ、皆」

「うん。私もそう思うよ。だからさ、お兄ちゃん」

 

 

詩乃と直葉に諭すように言われ、少し考えて。

 

 

「…そう、だな。分かった、皆に話してみるよ…スグも手伝ってくれるか?」

「もちろん」

 

 

そう、和人は意思を決め、直葉も迷わずに兄を手伝うことにする。

 

 

「ま、ここまで私達を焚きつけておいて、何を今更…な気もするけどね」

「うぐ」

 

 

和人の反応に満足したのか、軽く笑みを浮かべ。

 

 

「じゃ…ALOの方は任せるわよ。お二人さん?」

「うん、任せて…ね、お兄ちゃん?」

「あぁ…そっちはどうするんだ?」

 

 

そう言葉を交わし、軽く拳を突き合わせる。

和人の問いに詩乃は考えることなく。

 

 

「私は病院の方をあたってみるわ。ずっとお見舞いに行ってたからある程度顔は利くと思うし」

「なるほど…」

 

 

とにもかくにも情報収集。

こうして三人は動き出していく。



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第6話:新たな出会いと繋がり / Sinon

もうこの病院に来るのは何度目だろうと、不意に考える。

あれ以来、毎日…とはいかずとも、かなり頻繁に訪れていた。

そのせいか、どこか懐かしさすら感じていた。

 

 

「……」

 

 

まずは受付へと向かう。

ある程度勝手知ったる、とはいえ自分の家ではない。

 

 

「…すみません、少しお伺いしたいのですが」

「はい。何でしょうか?」

「先ぱ…じゃなかった。華月時雨さんについてですが…」

「…あぁ、貴女はいつもの。分かりました、少々お待ちください」

 

 

どうやら顔を覚えられていたようで、予想以上に早く話が進む。

それならそれでいい。

受付の人がコンピュータの操作を開始し、何も言わずに待つ。

 

 

「…お待たせ致しました。華月さんは二日前に退院されていますね」

「……そうですか。ちなみにその後については何かありませんか?」

「すみませんが、そこまで家族でない方にお話しすることは…」

「そうですよね…ありがとうございます」

 

 

やっぱり無理か、と諦める。

そうなると、完全に手詰まりになってしまう。

彼が住んでいたはずの部屋は完全に引き払われている。

 

 

「……」

 

 

溜息一つ。

家族ならその後の話も聞けたのかもしれないが、所詮は他人なのだから仕方がない。

諦めて帰ろうとした、その時。

 

 

「お願いします、教えてください!」

 

 

私と同じくらいの年だろうか、そんな声が聞こえてくる。

病院の受付のホールで話すにしては大きい声に、思わず視線を向ける。

 

 

「そう言われましても、ご家族の方でないと…」

「…うぅ、でも…でも…ボクは…どうしても、あの人に…会わなきゃ…!」

「あ、あの…」

 

 

よほど訳ありなのだろう。

受付の人は、詰め寄られ、宥めるので精一杯といった様子。

受付の人には悪いが、頑張ってください、と心の中で思いながら帰ろうとする。

 

 

「…お願いです。どうしても、あの人に…華月さんに会わなくちゃいけないんです!」

「っ…!」

 

 

しかし、次の言葉に私は足を止めた。

今、あの子は何と言った?

それ以上の言葉を続ける前に。

 

 

「……あの」

 

 

私の足は、そっちに向いていた。

私の…違う、私達の目的は、きっと同じなのだ。

だったら、形振りなんて構っていられない。

 

 

「…?」

 

 

声をかけると、女性がこちらに振り替える。

少し訝しげに視線を返される。

無理もない反応だと思う。

私だって同じ反応をするだろうし。

 

 

「急にごめんなさい。実は…」

 

 

だから、かいつまんで事情を説明する。

具体的には、同じ人を探しているのでは、ということ。

あとはSAOに彼がいて、私も同じくその場にいたということ。

SAOの中で何があったかは軽く濁しておいた。

話すには時間がかかりすぎるし、話すメリットをそれほど感じない。

 

 

「…そう、なんですね」

 

 

そんな継ぎ接ぎのような説明でも、真剣に聞いてくれた。

大体の事情は説明できただろう。

 

 

「…聞いてもいい?」

「何を…ですか?」

「貴方が…どうしてその人を探しているのか」

 

 

無理にとは言わないけど、と付け加えて尋ねると、俯いてしまう。

これはさすがに聞いちゃまずかったかな、なんて思う。

 

 

「…ごめんなさい。そう簡単に言えることじゃないわよね」

「いえ…いいんです。形振りを構っていられないのは…ボクも、同じですから」

「…」

 

 

どこか悲痛な感じが漂う笑顔を向けられ、胸が痛くなる。

なんて私は無神経だったのだろう。

数分前に無神経な質問をした自分を引っ叩いてやりたくなる。

そんな事、できないのだけれど。

 

 

「……ボクは、紺野木綿季っていいます。ボクはあの人に…決して許されないことを、してしまったんです」

 

 

そう、彼女…紺野さんは話し始めてくれた。



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第7話:新たな依頼と過去

その頃。

 

 

「……」

「……」

 

 

都内某所、とある会社の会議室。

そこで、二人の男性が無言で向かい合っていた。

とはいってもただ互いを見ているわけでもなく、どちらかといえば一方が睨み、他方はそれを意にも介さずお茶を啜る。

 

 

「…それで?」

「ん?」

「俺の退院やら部屋の引き払いやらを徹底して進めてまで連れてきた理由を聞いている」

 

 

向かい合って席に着いてからもう何分経つだろうか。

睨んでいる方…時雨は問いかけるが、他方…菊岡は答えない。

 

 

「…まぁ、落ち着くといい。お茶、冷めるよ?」

 

 

それどころか、そんな事を言う。

何のために連れて来られたのか、疑問に思う時雨だったが。

 

 

「っ…!」

 

 

手元に口をやり、軽く咳を一つ。

その掌を見て。

 

 

「…そんな悠長な事を言っていると、お前の依頼をこなす体力が失われかねないようだがな」

「それならそれで、世の中は平和になるかもしれないね」

「……それに関しては、俺も同意見だがな」

 

 

そう、時雨は返す。

彼の掌には、血。

見慣れた時雨にとっては、驚くほどのものでもなかった。

菊岡は菊岡で皮肉で返し、時雨もそれに乗る。

 

 

「ま、冗談はさておき。君には依頼がある…が、まずはリハビリも兼ねて、これをやってもらおうかな」

「……?」

 

 

菊岡が取り出したのは、一本のゲームソフト。

 

 

「…ガンゲイル・オンライン…?」

「知ってるかい?」

「興味ない」

 

 

切り捨てる時雨と、やれやれといった様子の菊岡。

 

 

「GGO…巷で、最も過酷だと言われているVRMMOだそうだ。銃がメインだそうだが…銃の扱いは?」

「…撃ったことはある」

 

 

菊岡の質問に答えながら。

 

 

「……ゲームが依頼とは、な」

「ゲームというよりは、VR…仮想空間がメインだがね」

 

 

言いながら、菊岡は一度仕切り直し。

 

 

「…改めて依頼だ。君にはこのGGOをプレイして仮想空間に慣れる事、および戦いの勘を取り戻してほしい」

「それはいいが…場所はどうする気だ」

「それは問題ない。この会社の医務室を使っていい。専任の医師及び看護師もつける。普段の寝食を行う部屋も用意しよう」

 

 

そこまで聞き、時雨は有難さを通り越し、気味悪くすら感じた。

本来の依頼を聞いたわけでもないとはいえ、依頼はただゲームをしろ。

その代わりに衣食住は保障する。

依頼に対する保障があまりに大きく感じていた。

 

 

「……分かった」

 

 

とはいえ、時雨には断る、という選択肢がない。

それは、断ったら路頭に迷うから、というわけでもない。

時雨にとって、依頼を断る理由がない。

ただそれだけだった。

 

 

「…普通に過ごせばいい、と?」

「あぁ。君にとって『普通』に過ごしてくれれば構わない」

「普通…ね」

 

 

一つ息を吐きながら、時雨はお茶を飲む。

少しだけ、鉄の味を感じた。

自らの血の味だろうか。

 

 

「…それで、実際にはいつからだ」

「今日からでも構わない。楽しんでくれたまえ」

 

 

時雨は会議室を出る。

廊下には医務室までの案内があり、迷うことはなさそうだった。

 

 

「……」

 

 

何を考えているのか。

時雨には分からない。

だが、それはどうでもいい事だった。

仮にそれが自分という存在を滅しようとしているのだとしても、構わない。

 

 

「……Ein Traum wird wahr…か」

 

 

なんとなく、零れた言葉。

独語で、夢は叶う。

そんな言葉を思い出しながら。

 

 

―ich bring dich um...!!

 

―Wenn du kannst...

 

 

少しだけ、過去を思い出しながら。

時雨は医務室へと向かうのだった。



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第8話:新たな世界と、新たな目的 / Kirito

その頃。

リーファの勧めでキリト達はALOを拠点に集まるようになっていた。

今集まっているメンバーは、キリト、リーファに加え、アスナ、シリカ、リズベット、サチ、フィリア。

SAOの頃からすると、いくらか人数が減っているが、そこには各々の事情があった。

サチを除く黒猫団のメンバーは一時的にVRMMOを離れているらしい。

それが本人の意思なのか、周りに止められたのかは分からないが、いずれ戻る意思があるらしく、後者なのだろうとのこと。

クラインとエギルについては社会人ということもあって頻繁にはログインできず、今はこの場にいない。

ストレアについてはシグレのナーヴギアのローカルストレージに保存されていたこともあり、シグレがログインしていないため、ここにはいない。

そのこともあり、一時的にキリトのアミュスフィア…ナーヴギアの後継ハードのストレージに移動するよう、ユイが協力して作業中。

ユイの話だと、シグレのストレージから離れることにやや抵抗を示しているらしく、その説得にも時間を要しているらしい。

シノンについては、リーファが誘っていたのだが、ALOではない、別のVRMMORPGに行くとのこと。

それは、VRMMOの中で最も過酷と名高い、ガンゲイル・オンライン…通称GGO。

彼女曰く、シグレと肩を並べて戦える位の強さが欲しい、とのことだが、たまにはALOにも顔を出す、とのこと。

シノンの想いを知っていた事もあるが、別にそれを止める理由もなかったので、皆は応援するに留めていた。

 

 

そんな訳で、SAOの頃の皆が全員揃っているわけではないが、この場にいる皆に説明するように。

 

 

「…というわけなんだけど」

 

 

キリトとリーファが二人、皆に事情を説明する。

 

 

「確かに言ってる事は分からなくもないけど…」

 

 

実際にシグレの最期を見ていたフィリアはキリトの推測を疑いつつも、否定しきれなかった。

実際、彼女とて目の前でシグレが消滅するのを見たとはいえ、プレイヤーがHP全損した時のような光の粒を見ていたわけではない。

とはいえ、キリトの説明で全ての疑いがなくなるかといえば、そういうわけではない。

 

 

「……いいわ。キリトの話に賭けてみる」

「信じてくれるのか?」

 

 

言い出しっぺとはいえ、無茶苦茶な理論であることは間違いないと分かっていたからか、キリトはフィリアに尋ね返す。

それにフィリアは苦笑し。

 

 

「…正直、半信半疑よ。でも…心のどこかで、シグレがあの程度で死ぬはずがないって…信じてる部分がある。だから…可能性に賭けてみる」

 

 

それだけ、とフィリアは言葉を切る。

それ以上、言うことはない、と言わんばかりに。

 

 

「そうね…フィリアさんの言う通りかも」

 

 

それに続いたのはアスナだった。

 

 

「…彼にはいろいろと言わなきゃいけない事があるから。先に行かせなんてしない…勝手にどこかに行くなら、地の果てまでだって追いかけるわ」

 

 

SAOでフロアボスに対峙する時の気迫すら感じさせるアスナに。

 

 

「ひっ…」

「……こりゃあいつ、一回死ぬわ」

 

 

シリカが軽く悲鳴のような声を漏らし、リズベットが溜息交じりに言葉を漏らす。

 

 

「俺は知らないぞ…」

 

 

キリトも一言、そう言葉にする。

しかし、それ以上に。

 

 

「……」

 

 

SAOでも得意の獲物だった槍を手にしながら、一言も発せず、どこか俯き加減のサチが不気味さも相まって恐怖を掻き立てる。

 

 

「…あ、あの…サチ、さん……?」

 

 

そんな彼女に、恐る恐るリーファが声をかける。

すると僅かに視線をリーファに向け。

 

 

「……何?」

「ひぃっ!?」

 

 

虚ろな目の中に、どこか殺意すら感じさせる眼光が見え、リーファですら悲鳴を上げてしまうほどの恐ろしさを孕んでいた。

その悲鳴に我に返ってか。

 

 

「あ、あの…ごめんリーファ。ちょっと考え事しちゃって…」

「あ、あは…そ、そうですか…」

 

 

サチがリーファに咄嗟に謝る。

その様子はいつも通りのサチで、リーファもなんとか普通に対応していたが、どこか声が震えていた。

 

 

「……私もあいつに何か言ってやろうかって思ってたけど、やめとくわ」

 

 

アスナやサチの様子を見て、フィリアはそう溜息を吐いた。

 

 

「…それで、具体的にはどうするのよ」

「シノンがシグレが入院してた病院を知ってるらしくてな。シノンの報告待ちなんだ」

「そう…」

 

 

キリトの言葉に、なるほど、と頷くフィリア。

 

 

「……早くストレアも来ればいいのに」

 

 

彼女は最後に一つ、誰に聞こえるでもなく、呟いた。

 

 

「ん?…何か言ったか?」

「何でもないっ」

 

 

キリトがよく聞こえなかったのかフィリアに尋ね返すが、フィリアは笑顔で独り言を隠すのだった。



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第9話:銃の世界で / Sinon

その頃。

 

 

「えぇと…武器は本当にそれでいいの?」

「はい、ALOでは剣が得意だったのでっ」

「ならALOの方に行けばよかったのに」

 

 

水色の髪の女性―シノンが、紺色の長髪の女性―ユウキに確認するように尋ねていた。

今二人がいるのは、どこか近未来的な雰囲気漂う武器屋。

そこは、GGOの中だった。

 

 

(なんでこうなったのかしら…)

 

 

GGOでは使用者が殆どいない武器、光剣を手に喜ぶユウキに見えないように、シノンは少しだけ溜息を吐いた。

別にユウキが嫌いだとか、嫌悪感を抱いているわけではない。

ただ、人付き合いがそこまで得意ではないシノンにとっては、誰かと行動するのは想定外だった、ともいえる。

途中参加で実力が劣っていたSAOならいざ知らず。

 

 

「……剣が得意とはいっても、ハンドガンの一つくらいは持ってたほうがいいと思うけど、どうする?」

「えぇと…何かおすすめとか…あったりします?」

「そうね…」

 

 

そうして、シノンは成り行きとはいえ、ユウキの面倒を見るようになっていた。

それほど社交的でなくともそうしようと思ったのは、女性プレイヤーが少ないと思っていたこともある。

現実側で知り合ったこともある。

とはいえ、半分はシノンにとっては気紛れだった部分もある。

それでも、偶にはいいかと、そう思わされる何かがあった。

 

 

 

そんなこんなで。

 

 

「…どう?」

「うん、いい感じかも」

 

 

シノンが見繕ったハンドガンを手に答えるユウキ。

実際、撃ってみないと、という部分はあるだろうが、手には馴染んでいるらしく、片手で構える様子がそれなりに様になっていた。

 

 

「…じゃ、会計しましょうか」

「え?お金ならボクが自分で…」

「貴女、コンバートしたばかりでしょ」

 

 

ALOにいたことは聞いているが、コンバートとはいえ所持金を引き継いでいるわけではない。

ユウキはメニューを確認し。

 

 

「…あ、あはは」

 

 

乾いた笑いしか出なかった。

それにシノンは一つ溜息。

 

 

「お世話になります…」

「…いいわよ。この借りは、きっちり返してもらうから」

 

 

前衛はよろしくね、と笑顔で言うシノン。

ユウキは笑顔が若干引き攣っていた。

 

 

「まぁ冗談はさておいて。一回試し撃ちしてみた方がいいんじゃない?」

「フィールドに出るんですか!?」

「え?あ、えぇ……」

 

 

シノンとしては、射撃練習場を勧めようとしたのだが、ユウキがあまりに楽しそうに言うので。

 

 

「…そうね。出てみましょうか」

 

 

どこかやれやれ、といった感じでそう答え、ユウキが先導する形でフィールドへと向かうことにした。

そうして、転移門に近づいたところで。

 

 

「…じゃ、行きましょうか」

「はい!」

 

 

二人はフィールドに転移する。

 

 

 

…その直後、誰が落としたのか、近くに一枚のビラが落ちた。

ひどく痛んでおり、それでも辛うじて読めた表題には。

 

 

『賞金首討伐依頼:謎のニュービー「Sigure」の討伐』

 

 

そう、書かれていた。



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第10話:賞金首

そんなことはいざ知らず、フィールドに出たシノンとユウキ。

初めてのGGOともなれば、そう最初からうまく立ち回るのは難しいだろうと、シノンは考えていたが。

 

 

「せやぁっ!」

 

 

手近なモンスターを一薙ぎで倒し。

 

 

「せぇいっ!」

 

 

背後から迫るモンスターにも敏感に反応し、振り返って見えない速度での乱れ突き。

この辺りのモンスターでは、まるでユウキの相手になっていない。

ALOで剣が得意と言っていたが、これは相当ではなかろうか、とシノンは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 

 

「…やるわね、ユウキ」

「えへへ…」

 

 

はにかむユウキだが、やっていることは相当の手練れである。

この分なら、と。

 

 

「もう少し先に行ってみましょうか」

「はいっ!」

 

 

シノンの言葉に、ユウキは剣を持ったまま、どこか楽しげに戦場を駆けるのだった。

 

 

 

 

そうして、どれだけ戦っただろうか。

大分街から離れてしまい、弾薬も尽きかけるほどに戦い。

 

 

「一度、戻りましょうか。そろそろ弾薬を補充しないと…」

「え?あぁ…そうですね」

 

 

ユウキは殆ど光剣で戦っていたため、それほど弾薬の意識はないが、シノンはスナイパーの為そうはいかない。

ユウキもそれを察し、シノンに同意する。

そうして、踵を返そうとしたが。

 

 

「…あれ?」

 

 

ユウキが何かに気づき、駆けていく。

 

 

「ちょ、ちょっとユウキ!?」

 

 

シノンも慌ててユウキを追う。

シノンからすればユウキの移動は予想以上に速く、若干遅れながらついていく。

そうして、二人が駆けた先では。

 

 

 

 

シノンからしても予想外な光景が広がっていた。

 

 

「う、ぅ…」

「…嘘、だろ……!」

 

 

そこには、軽く20を超えるプレイヤーが、ダメージを負って倒れていた。

皆が皆、部位欠損をしており、動けるが銃を握れない者、足を欠損し動けない者と様々だった。

ただ皆に共通しているのは、皆が戦意喪失をしていることだった。

 

 

「…何があったの?」

 

 

その中の一人、倒れてこそいないが蹲っているプレイヤーにシノンが話しかける。

その話し声に反応するように。

 

 

「…なんてこたぁねぇよ。賞金首討伐クエストさ」

 

 

それだけなら、このGGOでは珍しいことではない。

実際、シノン自身もそういった事をしたりされたり、ということはあった。

とはいえ、この人数である。

 

 

「……何、仲間割れでも起こしたの?」

 

 

シノンは訝しげにそう尋ねる。

しかし、そのプレイヤーは。

 

 

「っ違う…俺達は全員で、一人のプレイヤーを狙ってたんだ」

「この人数で!?」

 

 

いくら何でもやりすぎではなかろうか、と考え、シノンは次の瞬間、一瞬背筋を冷やす。

ここにいる全員が一人のプレイヤーを狙って、結果的に全員倒れている。

ということは。

 

 

「まさか…この人数全員が一人に倒されたとでも?」

「っ…あぁ、その通りだ。あんな奴がニュービーなんて…嘘だろ……!」

 

 

シノンの予想は当たっていたが、それ以上に。

ニュービー…すなわち、新人プレイヤーが、少なくともそれなりにGGOをプレイしているプレイヤー全員をここまで痛めつけた、ということになる。

 

 

「…あんた、無駄に絶望したくなけりゃ早く離れたほうがいい。下手すりゃまだ近くにいるだろうからな」

「忠告どうも」

 

 

そのプレイヤーの忠告を軽く流しながら、辺りを見回す。

シノンはゲームを楽しむというより、強くあるためにここにいる、という部分がある。

だからこそ、逃げるという選択肢はなかった。

しかし、一つだけ懸念が。

 

 

「…ユウキ?」

 

 

シノンが見回すが、辺りには倒れ伏すプレイヤーばかり。

その中に、ユウキの姿はない。



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第11話:襲い来る影

しかし、そのすぐ後。

 

 

「うわぁっ!?」

「!?」

 

 

声がした方を見れば、光剣を構えてこそいるが、自分から後ろに飛んだとは思えない不自然な体勢で後ろに飛んでいる。

そんなユウキの前から、光剣を構えてユウキに一気に距離を詰めるプレイヤー。

その切っ先は、空中で受け身すら取れないユウキを捉えていた。

 

 

「っ!」

 

 

シノンは咄嗟に自らの愛銃、ヘカートIIを構え、狙い撃つ。

倒すのが目的ではなく、ユウキを安全な場所に逃がすための牽制。

足元を狙ったからか、銃声音と共に銃弾が地面を穿ち、大きく砂埃があがる。

命中したかどうかも分からない。

先ほどの在り様を考えれば、避けられた可能性が高いだろう、とシノンは思う。

しかし、今はそれは重要ではなかった。

 

 

「ユウキ!」

 

 

シノンはユウキが吹き飛ばされた方に駆ける。

 

 

「ちょっと、大丈夫?」

「あ、あはは…失敗失敗」

 

 

シノンが心配して声をかければ、ユウキは気まずそうに笑う。

HPが若干減少こそしているが問題はなさそうだった。

その様子に、シノンは安堵の息を漏らす。

 

 

「…立てる?」

「あ、はい…」

 

 

シノンが支えながらユウキが立ち上がる。

 

 

「…それで、何があったの?」

「えっと、ですね…」

 

 

ユウキの話によると。

シノンが話を聞いている間も、ユウキは近くを調べていたという。

その先で、銃声が聞こえ、戦っている事に気づき、様子を窺っっていた。

1対4くらいで、ユウキ曰くなんか凄そうな銃とかバズーカみたいのとか、で一人のプレイヤーを集中的に狙っていた。

一人の方を助けた方がいいのか、どうなのか、等と考えている間に砲撃の嵐が一人を襲い、土煙が凄いことになった。

普通なら、一人の方がやられてしまうだろう。

…しかし、いざ土煙が晴れてみれば。

 

 

「……狙った四人全員が倒れてた?」

 

 

とのこと、だった。

それで、止めを刺される前に助けようと剣を構えてそのプレイヤーに戦いを挑んで、あとはシノンが知っての通り、とのこと。

 

 

「……」

 

 

シノンは考える。

もしそれが本当なら、その実力はニュービーどころかトッププレイヤーのそれといえる。

まして、20人以上を相手にできるとすれば、分が悪すぎる。

本当なら体制を立て直す意味で、一度退くべきだろう。

けれど。

 

 

「ユウキ」

「?」

「…まだやれる?」

 

 

シノンは銃を構える。

その視線の先は、ユウキを捉えていない。

ユウキがつられてシノンの視線の先を追い。

 

 

「…はい、もちろん」

 

 

ユウキも光剣を構えた。

 

 

 

…そこには、二十余人を戦闘不能にまで追い込んだプレイヤー。

光剣を構え、ユウキと相手が地を蹴る。

 

 

「せやあぁっ!」

「……」

 

 

ユウキの一気呵成な連続突き。

しかし、それらは無言で全て光剣で弾かれる。

 

 

「くっ…」

 

 

弾かれ、次の攻撃に移ろうと地面を踏み込んだ、ほんの一瞬。

その一瞬ですら。

 

 

「な…!」

 

 

隙だとみなされてしまう。

ユウキが踏み込み、相手に視線を向けた瞬間には、既に懐に潜り込まれていた。

ユウキに狙いを定める、髪の間から覗くその視線は、獲物を狩る獣のようで。

 

 

「っ…」

 

 

恐怖すら覚えたユウキはバックステップで距離をとる。

否、とろうとした。

 

 

「……」

 

 

相手はやはり無言で、後退するユウキの隙を逃さない、と言わんばかりに距離を詰める。

 

 

「く、うぅっ!!」

 

 

とはいえ、ユウキとてALOで剣の扱いに長けたプレイヤーである。

バックステップで交代しながら自らの光剣をやや乱暴に振るう。

相手もそれに対応するように光剣を振るい、剣がぶつかった衝撃で、ユウキと相手は僅かに後退する。

 

 

「…今!」

 

 

場所取りを完了していたシノンはその隙を逃さない。

狙いを定め、銃撃を放つ。

その銃撃に、相手は動かない。

シノンは、獲った、と確信した。

ここから銃弾が届くまで、せいぜい1秒程度。

まして、その銃弾を目視すらしていない。

避けられるはずがない。

そう、シノンは考えていた。



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第12話:非現実 / Sinon

しかし、そんなシノンの思惑を裏切るように。

 

 

「……」

 

 

相手は光剣を一振り。

たった一振りで、銃弾を反らす。

見られてすらいないのに、躱されてしまう。

それがまるで自分が未熟だと突きつけられるようで、シノンは若干冷静さを失い。

 

 

「っこの…!」

 

 

銃弾を確認し、再度スコープで狙いを定める。

その先には、こちらに目をくれず、けれどハンドガンの銃口を向ける相手の姿。

それはまるで、見なくてもお前くらい狙える、と、そう言われているようで。

 

 

「っ馬鹿に……!」

 

 

シノンは苛立ちを隠しもせずにトリガーに指をかけ。

 

 

「……しないでよ!!」

 

 

容赦なく発砲し、それに合わせて相手も発砲する。

シノンが放った銃弾は、真っすぐに相手に向かう。

一方で、相手の銃弾は若干シノンから見て右側に逸れていた。

 

 

「っ…よし……!」

 

 

この逸れ具合なら、避ける必要はない。

逆に、こちらの弾は、このままいければ、当たる。

剣も構えていなければ、さっきのように弾かれることもない。

そう、半ば確信していた。

しかし、次の瞬間。

 

 

「がっ……!?」

 

 

銃弾が、肩を貫く。

シノンの、肩を。

 

 

「な、んで…!」

 

 

撃ち抜かれた肩を空いた手で押さえながら、相手を見る。

相手は動いていない。

にも拘らず、被弾した様子がない。

強いて言うなら、相手の、シノンから見て右側の地面から土煙が上がっていた。

それが、余計にシノンを混乱させる。

弾道予測線も、実弾の弾道も、完全に捉えていたはず。

ここまで逸れるはずがない。

なら、どうしてこうなっている。

何が、起こった。

 

 

「…………っまさか、でもそんなのありえない…!」

 

 

ありえないことを、シノンは考える。

しかし、何故自分の銃弾が逸れたか。

何故、逸れていた相手の銃弾が命中したか。

 

 

「まさか…私の銃弾に命中させて、弾道を曲げた…!?」

 

 

初めから、シノンを狙っていたわけではなかった。

シノンが撃った銃弾が自らに被弾することを見越して。

自らの銃弾を命中させ、かつシノンの銃弾を逸らすために。

へカートIIから放たれた銃弾に自らの弾丸を命中させ、そこを起点に反射させることで、シノンに銃弾を命中。

合わせて、シノンの銃弾に側面から命中させることで、軌道を自分から強制的にずらす。

ありえないことだが、そうでもなければ説明がつかない。

しかし、もしそれが本当だとしたら。

 

 

「っ……」

 

 

勝てない。

そう、悟ってしまった。

銃弾も残っている、HPが全損したわけでもなし。

しかし、相手が放った銃弾は、シノンの戦意を明らかに貫いていた。



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第13話:伸ばした手は、届かない / Yuuki

ユウキは剣を構え。

 

 

「やあぁぁぁっ!!」

 

 

再度、斬りかかる。

それに反応するように銃をしまい、再度剣を構え。

 

 

「……」

 

 

言葉を発することなく、ユウキに斬りかかる。

その速度は、どちらが勝るとも劣らず。

 

 

「くっ…」

 

 

けれど、今度はユウキは退かず、剣での突きを繰り出す。

 

 

「…」

 

 

たとえ、どれだけ止められたとしても、必ず隙が生じると信じて、ユウキは攻撃を続ける。

一方の相手は、ユウキの攻撃を受け止める。

とはいっても、致命的なものを確実に止められてはいるが、掠る程度の攻撃は命中していた。

状況だけ見れば、ユウキが優勢だった。

しかし。

 

 

「…はぁ、はぁ……!」

「……」

 

 

手数の多い攻撃と、最低限の防御、どちらが体力の消耗が激しいか。

その差が、現れ始めていた。

 

 

「っ…!」

「…」

 

 

徐々にユウキの息が乱れ、それに合わせるように攻撃に乱れが現れ始める。

それに合わせるように、相手に対し攻撃が当たらなくなっていた。

 

 

「……」

 

 

それを察したのか、相手が徐々に攻撃を始める。

 

 

「うっ…!?」

 

 

疲労が現れ始めたところに突然の斬撃。

さすがのユウキも一瞬怯んでしまう。

 

 

「……」

 

 

その一瞬の怯んだ瞬間を見逃さないかのように、けれど意表を突くかのように。

 

 

「え…?」

 

 

相手はユウキに足払いを仕掛ける。

全く意識がなかったのか、バランスを崩し、背中から地面に落ちる。

それでも剣を手放さなかったのは偶然か。

 

 

「…うぅ」

 

 

負けた悔しさに呻きながら、ユウキは相手を見上げる。

相手はユウキの首筋に剣の切っ先をあてる。

 

 

「っ…」

 

 

それに臆することなく、ユウキは相手を見上げる。

いつか、リベンジをするために、顔と名前くらいは覚えたい。

そう思ってのことだった。

 

 

「……」

 

 

揺れる前髪の隙間から覗く、ユウキを見下ろす視線は、冷たさを感じる。

もう少しだけ視線をずらし、相手の名前を見るユウキ。

それを見て。

 

 

「え……?」

 

 

表示された名前を見て、ユウキは目を見開く。

リアルとVRで同じ名前であるとは限らない。

たまたま、目の前の相手が、自分が探している相手の名前と同じ。

それだけ、のはずなのに。

相手の容姿すら、知らないはずなのに。

 

 

「しぐ、れ…さん……?」

 

 

少し、泣きそうな声でユウキがその名前を呼ぶ。

 

 

「……」

 

 

その名前を聞いたからか、それとも別の理由か、シグレ、という名の戦っていた相手は剣を納め、メニューを操作する。

転移の光に包まれていた。

GGOには転移はないとのことだから、ログアウトだろうと察する。

 

 

「ま、待って……!」

 

 

ユウキは縋るように呼び掛けるが、少しだけ遅く。

無意識に伸ばされた手が、力なく地に落ちた。



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第14話:孤独な決意

都内某所にて。

 

 

「……」

 

 

時雨は現実にて目を覚ます。

 

 

「やぁ、お帰り。なかなかの活躍だったようじゃないか」

 

 

そんな時雨を迎えたのは、どこか飄々とした男の声。

それが誰なのかは、誰に言うまでもない。

 

 

「…暇なのか?」

「まさか。僕にも仕事はあるよ…そのうちの一つが、君の管理、というのもあるがね」

「管理…ね」

 

 

菊岡の言葉に、時雨は一つ溜息を吐く。

管理、という言葉の意味を察しての溜息。

 

 

「モニター上でわかるだけでも、30人以上のプレイヤーを戦意喪失…実に素晴らしい」

 

 

大袈裟な賛辞に、白々しさすら感じつつ、時雨は無言。

それに気づいてか気づかずか。

 

 

「…それはそうと、最後に戦った二人だが」

 

 

話を切り替える。

それに思うところがあったか、時雨は視線を菊岡に向ける。

 

 

「彼女たちは、君が戦った中でも特に強そうな印象を受けたようだけど?」

「……そうだな」

 

 

菊岡の言葉に時雨は同意する。

というのも。

 

 

「まさか、SAOと同じ名だとは…な」

 

 

シノン。

時雨とて、自分を追いかけてきた、という相手の名前を忘れるほど野暮ではない。

それが本人かどうかは確かめようがないが、戦い方を見て、確信こそないが時雨は気づいていた。

敵を射抜かんとする、戦いにおける鋭い眼光。

SAOにおいて時雨が知る彼女と、同じだった。

 

 

「……」

 

 

だからこそ、時雨は本気で相手をした。

自分らしく過ごす、というのが任務だったから。

自分がいかに、狂っているのかを、知っていたから。

知り合いだから、等というのは言い訳にすらならない。

だからこそ。

 

 

「…俺は、誰かの手を取ることはない」

 

 

時雨にとっては、あまりに汚れた自らの手。

その右手で作った握り拳を見ながら、呟くように時雨は呟く。

それは、孤独への決意。

 

 

「……僕としてはどちらでもいいんだがね。まぁ、君がそうしたいのなら、それでいいだろう」

 

 

モニターで見た戦いぶりに納得したのか、菊岡はそこで話を打ち切る。

 

 

「さて、検診の時間だろう…次は3日後になるかな」

「…そうか」

 

 

VR用の機器を外しながら時雨は軽く返す。

 

 

「…どうする?知り合いがいるのがやり辛いのなら、別のVRを用意するが?」

「……構わない」

「ほう?」

 

 

菊岡の探るような視線を一瞥して、時雨は答える。

 

 

「…知り合いだから殺せない。その程度ではお前の要求に応えられないだろう」

「そう言ってもらえてよかったよ。否定的な意見だったら、僕は君を追い出さねばならなかっただろうからね」

 

 

菊岡の笑えない冗談に時雨は一つ溜息を吐く。

そんな中で、時雨も一つ気になっていることがある。

それは。

 

 

「……それと、最後に戦った剣士は君の事を知っているようだったが、彼女も知り合いかい?」

「…」

 

 

 

―――しぐ、れ…さん……?

 

 

 

確かに、そう呼ばれた。

あの後すぐにログアウトした為、話をしてはいない。

おそらく、彼女は知っているのだろうが。

 

 

「…さて、な。そこまで報告の義務はないと思うが」

「まぁ、その通りだがね」

 

 

時雨は答えをはぐらかす。

菊岡も、それ以上の追及はしなかった。



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第15話:為すべきこと

医務室にて。

 

 

「…それで、彼の容体はどのような感じかな?」

「……」

 

 

菊岡が、時雨の担当医に声をかける。

それに、医師は軽く言葉を詰まらせながら。

 

 

「……このまま何も手を打たなければ、半年……持てばいい方でしょう」

 

 

言いづらそうに、けれど確実に告げる。

それに菊岡は軽く片眉を吊り上げるも。

 

 

「…そうか」

 

 

とだけ返す。

 

 

「この状況を打開するとすれば……」

「…移植、かな?」

 

 

医師の言葉を遮るように、菊岡が尋ね返せば、医師は頷く。

とはいえ、それには当然のように付き纏う問題がある。

 

 

「…ドナーがいないがね」

「っ…」

 

 

菊岡の言葉に、医師は言葉を詰まらせる。

けれど、焦る様子は見せない菊岡に。

 

 

「……思い違いなら申し訳ないのですが」

「何かな?」

「貴方は……彼を助ける気は、ないのですか?」

 

 

医師のあまりに不躾な質問。

それでも菊岡は柔和な笑みを崩さない。

それが医師には不気味にすら感じた。

それに気づいてか気づかずか、菊岡は窓の方に振り返り、医師に背を向ける。

 

 

「……少し、御伽噺をしようか」

「は…?」

 

 

突然の言葉に、医師は疑問符を浮かべる。

それに構わず、菊岡は背を向けたまま、話を続ける。

 

 

「…かつて…遠い昔には、色々な仕事があった。その中には当然……今となってはあり得ない職業もあった」

「…」

「それがなぜ存在したかといえば…需要があるから。だからこそ、仕事になる…それは私のような役人も、君のような医師も例外ではない」

 

 

医師からすれば、話の意図が見えない。

 

 

「そうして時代に必要とされ、仕事は引き継がれてきている。なかには淘汰されたものもあるが…ね」

「……」

「…表沙汰にはなっていないが…それは殺しすら、例外ではない」

 

 

淡々と述べる菊岡に、医師は言葉を詰まらせる。

けれど冗談では済まされないその雰囲気に、反論すらできない。

 

 

「誰にでもできることではないからこそ、仕事として成立する……それがたとえ、反社会的であっても、ね。そして僕の仕事は、社会をよりよくする事。そこには、この社会に不要なものを排除することも、含まれているんだよ」

「……彼は、貴方の言う社会に不要な存在、だと?」

 

 

医師の言葉に、菊岡は答えず。

 

 

「…かつては、殺しの仕事の需要も一定数存在し……それは今も続いているそうだ」

「……」

「物心がつく頃に握っていたのが刀と人の生首なんて…どれだけ狂えばできるのだろうね?」

 

 

それだけ言い残し、菊岡は歩き出す。

進む先は、医務室の出口。

 

 

「半年…だったね?なら余裕を見て、三ヵ月後にはこちらの仕事に入ってもらうようにしよう。延命処置は…しっかり頼んだよ」

 

 

それだけ言い残し、菊岡は今度こそ去っていく。

パタン、と閉まるドアの音とともに、部屋の中には無機質な機械音のみが支配する。

 

 

「……君は、一体」

 

 

何者なんだ、と医師は心の中で問いかける。

当然、誰にも伝わらない問いに答える者はいない。

 

 

「…そうではないな。私は…医師だ」

 

 

患者が何者であろうと、命の危機に瀕しているのなら救うために全力を尽くすのみ。

その思いを胸に、医師は電話を取る。

 

 

「……もしもし。あぁ…私だ。すまないが…」

 

 

自らの携帯電話でどこかに電話をする。

そんな彼の服には、彼の名を示す札がかけられている。

彼の名は『倉橋』。

 

 

「…あぁ、そうだ。華月時雨君の事だ……」

 

 

その連絡先がどこなのかは、彼のみぞ知るところ。



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第16話:剣士として

その頃、ALOにて。

 

 

「…シグレらしき相手と戦った?」

 

 

シノン、そして彼女の紹介でユウキがALOでキリト達と合流。

シノンが中心になり、GGOで先日対峙した相手の事を話す。

 

 

「まぁ…確証は得られなかったけど」

 

 

そう前置きをしながら、GGOでの対峙を振り返るように話す。

フィールドにて、20人を軽く超えるプレイヤーを一人で処理した事。

その方法が、誰一人死に戻りさせずに戦意喪失させるものだった事。

そんな彼に自分たちも打倒された事。

手も足も出なかった事。

 

 

「……それが事実だとしたら、まるで化け物、ね」

「…うん。倒された他のプレイヤーの実力は知らないけど、それでも20人相手に一人でって…」

「それじゃ、確かめるなんてとても…」

 

 

フィリア、リーファ、サチが、そう言葉にする。

彼女らの意見には、最前線で戦った皆は概ね同意していた。

 

 

「……仮にそれが事実なら、少なくとも私には無理だわ」

「私も…ちょっと」

 

 

最前線での戦いに慣れていないリズベットとシリカは半分白旗を上げる。

シノン達が会った人物は本当にシグレなのか。

それを確かめる術が、見当たらない。

 

 

「……ところで」

 

 

アスナがシノンから若干視線を逸らしながら話を変える。

その視線の先には。

 

 

「さっきからずっと気になってたんだけど…その人は?」

 

 

ユウキ。

GGOでの状況を話すときに僅かに話には加わっていたが、まだ自己紹介をしていなかった。

とはいえ、紹介をしようにも、一緒に行動をしていたシノンとて詳しい事情を知っているわけでもないので、何も言えなかった。

 

 

「……えっと、ですね」

 

 

話を振られ、おずおずと前に出ながら。

 

 

「その…ユウキっていいます」

 

 

人数がそれなりにいる中、ましてや知り合いでもない人の視線に晒されながら前に出るのに若干の抵抗を見せつつ。

 

 

「ボクはその…シグレさんに会って、どうしても…謝らなきゃいけないことが…あるんです」

 

 

そう、はっきりと告げた。

その言葉の意味するところは、この場にいる誰にもわからない。

けれど、彼女がいかに本気なのか。

それはユウキの話し方、そして彼女の視線で、なんとなく感じ取れるものだった。

 

 

「…そうか」

 

 

そんな彼女に最初に歩み寄ったのは、キリトだった。

そんな彼の表情も、どこか真剣なもので、ユウキは何か突っ込んだことを聞かれるのかと覚悟していた。

 

 

「……ところで、ユウキは剣が得意なのか?」

「………え?あ、まぁ…」

 

 

しかし、そんなユウキの予想を裏切る質問に、どこか抜けた返事を返す。

そんなユウキの動揺をよそに。

 

 

「よし、じゃあ決闘しようぜ!」

「え?はい?…えぇ!?」

 

 

突然の話の流れに置いてけぼりになりながら、話に応じるユウキ。

流されるように剣を抜き、対峙する二人。

 

 

「ちょ…ちょっとキリト!?何をいきなり…」

 

 

見かねて、リズベットが制止をかけようとするが。

 

 

「…俺、シグレとはSAOで少しの間、一緒に行動してたんだ。決闘も何回かやった」

 

 

キリトは聞かず、ユウキに話しかける。

その間もカウントダウンは続いている。

 

 

「戦績は、大体勝率5割位だったんだ。GGOの方がどうなのかは知らないが…少なくとも俺に勝てなくちゃ、剣の腕については話にならないかもな?」

「…」

 

 

どこか挑発ともとれるキリトの言葉。

その言葉に、ユウキは苛立つこともなく、むしろ笑みを浮かべて。

 

 

「じゃあ、キリトさんに勝てなくちゃ…」

「キリトでいいよ」

「……キリトに勝てなくちゃ、お話にならない、ってことだよね?」

 

 

ユウキも剣を構える。

キリトが望んだのは、力比べというよりも、対話。

剣士キリトとしての、剣士ユウキとの対話だった。

 

 

「…言うまでもないが」

「本気だよ?」

 

 

互いに笑みを一つ。

やがて、カウントが0になる。



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第17話:彼の望み - I

その頃。

 

 

「……」

 

 

時雨は一人、ベッドの上に寝かされていた。

そんな彼の体には、様々な医療用機材のコードがつながれている。

 

 

「…」

 

 

GGOでも現実は寝たきり。

そして、現実に戻ってきても治療のために寝たきり。

まともに起きている時間は、かなり少なくなっていた。

だからといって、時雨に起き上がる気力はなかった。

 

 

「っ……」

 

 

なけなしの力を籠め、利き腕を持ち上げる。

SAOで二年以上寝たきりであったことに加えて、碌にリハビリをしていない体ではある意味当然だった。

そうして、自らの腕を自分の目の前に持ってくる。

点滴の針が刺さり、他にも機材の繋がれたその腕は、不健康に痩せ細っていた。

これで刀を振るっていたなど、誰が信じるだろうか。

 

 

「くっ……」

 

 

やがて、自らの力で腕を支えきれなくなり、力なくベッドに腕を落とす。

深い溜息を吐き、目を閉じる。

快適なはずの部屋は、少しだけ暑く感じた。

 

 

「…失礼するよ」

 

 

そうして入ってきたのは、担当の医師だった。

場所が変わっても、担当の医師が変わらないのは何故か、時雨にはよく分かっていない。

 

 

「調子はどうですか、時雨君?」

「…想像に任せる」

 

 

医師の言葉に、時雨は目を開くことなく答える。

 

 

「…私も君が治せるよう、最善を尽くすつもりです。だから君にも…頑張ってほしい」

「……?」

 

 

突然語り出す医師に、時雨は少し目を開き、軽く視線を向ける。

 

 

「だが、私がどれだけ頑張ったとしても。最善の治療が出来たとしても…助かるかは君次第です」

「何が言いたい」

「…病院で君が目覚めてからずっと思っていました。というより、気になっていたことがあります」

 

 

虚ろな視線を向ける時雨に、医師は責める雰囲気を孕んだ視線を向ける。

 

 

「どうにも…君からは、生きたい、という意思が感じられない。私とて医師です。患者は何人も見てきました。中には重病で生を諦める者もいました」

 

 

それでも、死の恐怖に怯えない者はいなかった。

そう、医師は続けた。

 

 

「生きたい。或いは、死にたくない。その願望が、ある意味では回復に一番重要だと思っています」

「……俺にはそれがない、と?」

「えぇ」

 

 

医師が断言したところで、会話が止まる。

機械音だけが響く静かな部屋。

その静寂を破ったのは、時雨の溜息。

 

 

「なら聞くが…お前は何故俺の治療を続けている?」

「っ…それが私の仕事だからですよ」

「成程。だが、助かる見込みが薄い、本人の意思がない。そこまで言うのなら、無駄に薬や機材を消費して何故こんな治療を続けている」

 

 

今度は、時雨が医師に責める視線を向ける。

本調子ではないといっても、その強い眼光は医師にとっては軽く竦んでしまうものだった。

それに構わず。

 

 

「……なら、トリアージをすればいい。助かる見込みなしとすれば、俺の優先度は低いはずだ」

 

 

トリアージ。

主に救急医療等で、患者数が極端に多い場合に、治療の優先順位をつけることで一人でも多くの患者を救うことを試みる手法。

医師である倉橋は、当然ながら知っていた。

 

 

「やがて、俺は死に……そうだな、例えば、治療はしたが、患者は死亡したと報告。それで全て丸く収まるだろう」

 

 

時雨は言い終わり、再度目を閉じる。

言いたいことは言った、と言わんばかりに。

 

 

「…そうだね。君の言う通りかもしれません」

 

 

そう言った医師の表情は、目を閉じている時雨には分からなかった。



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第18話:彼の望み - II

医師は言葉を続ける。

 

 

「…そうだとしても、私は君を助けるために全力を尽くします」

「……」

 

 

医師の言葉に時雨は答えない。

単に答える気がないのか、答える気力がないのか。

それは時雨自身にしか分からない。

 

 

「これは、君の為ではありません。担当患者を救えなかった、という傷を作りたくない私の我儘です」

 

 

苦笑する医師、倉橋。

そんな彼に時雨は表情一つ変えず、目を閉じたまま。

 

 

「…それに、それだけではないのですよ。君を救いたい理由というのは」

 

 

なおも、話を続ける。

それを時雨が聞いているかは気にしていないのか。

ただ、聞かせたいだけのようにも見える。

 

 

「私は…ある一人の少女を診ました。病名は…後天性免疫不全症候群」

 

 

発症を遅らせる事、可能な限り治療を行う事。

あらゆる手を尽くしたものの、発症を止めることも適わず、衰弱していく患者を救えなかった。

 

 

「……」

 

 

時雨は目を開き、医師に視線を向ける。

彼は俯いていた。

それは、自らの無力さに対する苛立ちか。

もしそうだとしたら、それは時雨がよく知る感情だった。

 

 

「…ですが、少女は……助かった」

 

 

彼女の両親がどこから手に入れたのか大量の資金。

それをもって、海外に渡っての治療。

それにより、最先端の治療を受けることにより、免疫の回復に成功。

今では、経過観察の為に通院こそ続けているが、日常生活に支障がない程になっている。

そう、思い出すように告げる。

 

 

「それがどうした」

 

 

時雨は溜息交じりに尋ねる。

助かる助からないは、助かったのならそれでいいのではないか。

それを、話す理由が何なのか。

それが、時雨には分からなかった。

 

 

「この話は、続きがあるんですよ」

「…俺が聞く理由があるのか?」

「君だからこそ、聞く理由があると思っています」

「……」

 

 

倉橋の頑なともいえる話し方に時雨が折れた。

溜息交じりに視線で先を促す。

 

 

「……君は、気になりませんか?」

「大量の資金の出どころ…か」

「そうです。海外に渡っての治療など、そう簡単ではない…それこそ、数百、数千円の話ではないのですから」

 

 

妙にもったいぶった言い方をする倉橋。

そんな彼に、時雨は何も言わない。

 

 

「…後に聞いたのですが、彼女の両親は、親を失ったある少年を表向きに引き取り、その少年が住んでいた家を売却して資金を得たそうです」

「……」

「その後、その両親は亡くなったそうです。自殺…とのことですが」

 

 

理由は想像はできますが、確証はありません。

そう、倉橋は続ける。

 

 

「……その後、遺された少女はその事実を知ってしまった。そして…一人の少年を犠牲にして自分が助かってしまった、という自責の念に駆られるようになってしまった」

 

 

その時から、少女が心から笑うことはなくなってしまった。

決して許されないと思い込んだ罪に捕らわれてしまった。

 

 

「聞いた話では、今もその少年を探し続けている、と聞いています。ですが少女が真実を知ったのは今から2年程度前…そしてその相手がSAOに捕らわれていて、未だに話もできていないそうです」

「……」

「ですが、SAOの事もあり、VRの世界でなら、相見える機会があるかもしれないと…藁にも縋る思いで様々なVRゲームをプレイしていると」

 

 

そこまで言って、医師は言葉を切る。

その視線は、知らないとは言わせない、と暗に物語っていた。

おそらく、この医師は初めから知っていたのだろう、と時雨は推測し、反論を諦めた。

 

 

「…これは君たちの問題です。だから…君に少女のことを許してほしいとか、そんな事を言うつもりは一切ありません。憎んでいるのなら、それでもいいでしょう。ですが…」

「……」

「もし少しでも彼女の事を気にかけてくれるのなら…せめて、話を聞いてあげて欲しい」

 

 

少女がその心の重荷で変わってしまったことを知っているからか。

倉橋は懇願するように、そう時雨に頭を下げた。

 

 

「……話は終わりでいいか?」

「時雨君…」

 

 

時雨はベッドに身を落とし、倉橋に背を向けて横になる。

その様子に、倉橋は伝わらなかったか、と諦めるように一つ溜息を吐く。

仕方ない、と立ち上がり、部屋を後にしようと時雨から目を離した瞬間。

 

 

「っ!?」

 

 

医療機械が突然けたたましい警告音を鳴らす。

振り返り、機械を見れば警告灯が点滅していた。

すぐに時雨に視線を向けると。

 

 

「ごほっ…が………っ!」

 

 

敷布団の白いシーツ。

そのうち、掛布団の下が真っ赤に染まっており、蹲る体勢になっていたせいか、時雨の服の胸元も真っ赤になっていた。

 

 

「っ…!」

 

 

直感的にまずいと察した倉橋は、連絡用の子機をとり。

 

 

「急変だ、すぐに看護師を寄こしてくれ!ASAP!」

 

 

叫ぶように要請しながら、緊急の治療に当たるのだった。



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第19話:強さ

ALOにて。

 

 

「いやー、強いなぁユウキ」

「それを言ったらキリトこそ。ボクも結構危なかったよ?」

 

 

互いの健闘を称えるキリトとユウキ。

肩で息をしてこそいるが二人とも笑顔で、まだまだいける、と言わんばかりの余裕を残しているようにも見えた。

ちなみに戦績はというと、互角でこそあったが、若干ユウキが勝ち越していた。

 

 

「…改めて、キリトだ。よろしく、ユウキ」

「こちらこそ、キリト」

 

 

剣を納め、握手を交わす。

 

 

「…もしかして、ユウキって今噂になってる『絶剣』?」

「「ぜっ……けん?」」

 

 

様子を見ていたリズベットがユウキに尋ねると、ユウキ本人と、それを知らなかったのかアスナから鸚鵡返しに尋ね返す。

あまりに息の合った所作に。

 

 

「息ぴったり…」

 

 

フィリアが微笑ましさ半分、可笑しさ半分にそういうと、二人して少し恥ずかし気に俯いてしまう。

その様子がフィリアから周りに感染するように皆が笑みを零すのだが、当の本人は気づいていない。

 

 

「……あの、ぜっ…けん?って…?」

 

 

ユウキが慌ててどっちを向いていいか分からなくなりながらもシノンを見て尋ねる。

しかし。

 

 

「…知らないわよ。そもそも私はALOにコンバートしてきたのは今日初めてよ?」

「あ……そっか」

 

 

溜息交じりのシノンにユウキはまた俯いてしまうのだった。

 

 

「いつからか、誰が言い始めたかまでは知らないが……絶対無敵の剣士だから『絶剣』…てな」

「へー…」

「…君だろ?OSSを賭けての決闘で挑んでくるプレイヤーを千切っては投げ千切っては投げ…」

「……あ、あはは…千切っても投げてもいないかなぁ…」

 

 

キリトの誇張にユウキは苦笑しつつ、静かに訂正する。

すべてを否定しないあたり、それは認めていることになるのだが、果たして気付いているかどうか。

それは当人のみぞ知るところ。

 

 

「……さて、それじゃ行こうか」

「へ?…何処に?」

「何処にって…GGOでしょ。何でここに来たのか思い出しなさい」

 

 

キリトの言葉にユウキが尋ね返せば、溜息交じりにシノンに指摘される。

その指摘に、あ、と一言漏らすユウキ。

 

 

「…決闘が楽しくて、忘れてた」

 

 

恥ずかしげに言うユウキに一行から笑いと溜息が溢れる。

溜息は言うまでもなくシノンのものだが。

 

 

「なんか…シグレみたい」

「?」

「…あ、その…何ていうか。シグレだったらそんな反応かなぁっていうか…」

 

 

サチがシノンにそう、声をかける。

するとシノンは彼女から視線を逸らし。

 

 

「…それは、私にとっては最高の誉め言葉ね」

「え?」

 

 

シノンの言葉に、サチは彼女を見る。

隣から見たシノンの横顔は、性別こそ違えど、シグレとよく似た雰囲気に見えた。

簡単に話を聞いてこそいたが、彼女の中で彼の存在がどれほど大きいか。

彼女にとって、彼がいかに大切な存在なのか。

それを間近に見せられている気がしていた。

 

 

「あの人がいなければ、今の私はここにはいない。たとえあの人の手が血で赤く染まっていようと、私は先輩の隣で、先輩を支えられるくらいに強くなりたい…それが、今、私が生きる意味。GGOっていう世界で戦ってる意味なのよ」

 

 

その先に見つめているのは、何なのだろうか、とサチは思う。

けれど、きっと尋ねても答えは返ってこないだろうと思い、自らの推測に留める。

 

 

「…強い、ね。シノン」

「強いのは私じゃない…先輩よ」

「…ううん、シノンも十分強いと思う。私なんてキリトやユウキみたいな戦う強さも、シノンみたいな心の強さっていうのかな。そういうのもないから…」

 

 

憧れちゃうな、とどこか自虐的に笑うサチにシノンは彼女を見る。

その視線に感情は特に見えなかったが。

 

 

「……私からすれば、貴女だって十分強いと思うけど」

「え?」

 

 

シノンの言葉にサチは意外そうに彼女を見る。

 

 

「あの人が死んだっていう話になっても、貴女はずっと生きてたって信じてたんでしょ?だからこうしてここにいる。その信じ続ける強さを持った人を『強い』と言わないで、なんて言うのか…逆に教えてほしいのだけど」

 

 

少なくとも、私にはなかった強さだから。

そう、シノンは告げ、サチから視線を逸らす。

 

 

「……謙遜するなとは言わないけど、もう少し自分に自信を持っても…いいんじゃないかしら。その調子だと、GGOじゃカモにされるわよ」

 

 

じゃ、また後でね。

言いながら、シノンはログアウトの処理をしたのか、光に包まれて姿を消した。

その様子を見送った後。

 

 

「…ありがとう」

 

 

誰にも届かないお礼を告げ、サチも光に包まれてログアウトを終えた。



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第20話:姉妹の心

その頃。

どのVRゲームともつかない、ホロウ・エリアを彷彿とさせる空間。

その部屋というべきか、わからない場所の片隅で。

 

 

「……」

 

 

一人の少女が蹲っていた。

そんな彼女の腕の中には、鞘に収められた、一本の刀。

大人の女性と言われても遜色ない女性は、まるで子供のように、その刀に縋るように蹲っていた。

そんな彼女に近づく、一人の影。

 

 

「…ストレア」

 

 

静かに近づく、一人の少女。

10代になるかならないかの、子供と言われても遜色ない少女が、どこか大人びた様子で、静かに近づく。

 

 

「…ユイ」

 

 

名を呼ばれた女性―ストレアは、聞き覚えのある声に反応し、相手の名を呼びながら顔を上げた。

どれだけこの場所でこうしていたのか、どこか虚ろな様子のストレア。

 

 

「…ねぇ、なんで…こうなっちゃったのかな」

「……」

「ずっと考えてるのに…まだ、分からないんだ」

 

 

自らの思考の渦に呑まれ、その奥底から抜け出すことができていない。

無理もない、といえばそうなのだろう。

 

 

「…アタシは、シグレが生きてさえくれれば、あの世界で消えちゃってもよかったのに。シグレがアタシを助けてくれたように、助けてあげられれば、それだけでよかったのに…」

 

 

それだけのことすら、出来なかった。

ストレアの中に渦巻く、後悔。

 

 

「…命を懸けてでも、シグレを守りたかった。けど…出来なかった。なのに、アタシは…」

 

 

所謂、サバイバーズギルト。

それがストレアの心を蝕んでいた。

 

 

「……もっと強ければ、シグレを守れたのかなって。もっと強ければ…こんなに、辛く、なかったのかなって…っ」

「ストレア…」

 

 

今にも泣きだしそうな、あるいはもう感極まっているのかもしれないストレアの言葉に、ユイは何も言わずに。

 

 

「…そんなに自分を責めちゃ駄目」

「でも…!」

「私はあの人じゃないから分からないけど、きっと…シグレさんは、ストレアにそんな思いはしてほしくなかったんじゃないかな」

 

 

ユイはそれほどシグレと話をしたことがあるわけでもない。

そのため、シグレが考えていることが分かる、というわけでもない。

それでも、ストレアに告げた言葉は間違いない、という不確かな確信があった。

 

 

「そう…かな」

「分からない。でも、そう信じられる」

「なんで…」

 

 

その不確かな確信がどこから来るか、ストレアには分からなかった。

けれど、ユイは迷うことなく。

 

 

「…分かるよ。だって…ストレアが好きになった人だから」

「っ…」

 

 

ストレアは言葉にこそしないが内心、そんなことで、と思う。

けれど、言ったところで目の前の姉は意見を変えないだろう、とも思う。

 

 

「なんだか、AIとは思えない理由付けだよ」

「……信じられない?」

 

 

ストレアは苦笑する。

自分たちらしからぬ思考、そして理由付け。

高度なプログラムの演算で導いた結果とは到底思えない。

それは、プログラムという決まりきった枠組みに確かに芽生えた、彼女たちの心なのだろう。

妹を想い、信じる姉の心。

命の恩人ともいえる相手を思い続ける、一人の女性の心。

本来、そういったものが芽生えるはずがないと彼女たち自身が分かっていたからこそ、それを何よりも尊く感じていた。

だからこそ。

 

 

「信じないわけ…ないじゃん」

 

 

ストレアはどこかぎこちない笑顔で、そう答えた。

けれどそれは、ユイが見たいと思っていた、紛れもないストレアの笑顔だった。

その様子にほっとするユイ。

 

 

「……実は、そのシグレさんの事で、話があるの」

「…?」

 

 

話を切り替え、ユイは話し始める。

キリト達と話した事、あるいはその場にいなくても、後に教えてもらった事。

シグレは、生きているかもしれないという事。

シグレと思わしき人物がGGOで、対人戦でかなり強力なプレイヤーとして認識され始めている事。

シノン達が実際に交戦し、歯が立たなかった事。

とはいっても、実際に話したわけではないので、確証がない事。

 

 

「……GGO、だよね?」

「行くの?」

「当然!」

 

 

ストレアは確認をし、立ち上がる。

その手には、シグレがSAOで用いていた、二振りの刀。

GGOという銃の世界に持ち込めるか、保証はない。

下手をすれば、失われる可能性もあるだろう。

だとしても。

 

 

「たとえどこであっても、シグレがいる可能性が少しでもあるのなら…アタシは行くよ」

「…ストレア」

「?」

「頑張れ」

 

 

ユイの応援に、ストレアは笑顔で返し、光に包まれていった。

向かった先がどこなのかは、言うまでもないだろう。

ユイも追うように、光に包まれていった。



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第21話:終わりという名の

その頃。

 

 

「………ん…」

 

 

時雨はとある一室で、微かに呻くような声を漏らしながら目を開ける。

相変わらず感じる気怠さが、自分の容体が殆ど変わっていないという事実を告げる。

仰向けになっていたからか、部屋の照明の眩しさを強く感じていた。

 

 

「…気が付きましたか」

「……あんたか」

 

 

少しして、話しかける、時雨にとっては聞き飽きたほど聞いた声。

担当医師の倉橋によるものだった。

その声に、力なく答える時雨。

 

 

「……そうか」

「?」

 

 

ここに倉橋がいる事実に、時雨は軽く思考を巡らせ、一つの結論に辿り着く。

その溜息に、倉橋は疑問符を浮かべるが。

 

 

「……俺は後どのくらい、生きていればいい?」

「っ…」

 

 

時雨の質問に、倉橋は言葉を詰まらせる。

質問に、というよりは聞き方に、というべきかもしれない。

普通なら、後どのくらい生きられる、というような聞き方。

しかし、時雨は違っていた。

いっそ、早く終わらせろと言わんばかりの語感を含んでいた。

 

 

「…このままでいれば、半年持てばいい方でしょう」

 

 

その事には気づかない振りをして、倉橋は答える。

倉橋の答えに時雨は取り乱すこともなく。

 

 

「そうか」

 

 

一言だけ、答える。

そして、時雨は目を閉じ。

 

 

「あと半年で…漸く終わるか」

 

 

溜息交じりに、そう、言い放つ。

誰に向けるでもなく、ただ、宙に向けて。

 

 

「……ですが今、君に適合するドナーを探しています。見つかれば移植手術で助かる見込みもあるでしょう」

 

 

そんな時雨に倉橋は言い返すように希望を告げる。

そんな倉橋に。

 

 

「…その対象は、少なくとも俺ではないべきだと思うが」

「患者を助けるために全力を尽くす。それだけですよ…君がどう思おうと、ね」

「それを本人が望まないとしても、か」

 

 

時雨の問いに、倉橋は少し考える。

 

 

「…確かに、手術を伴う治療である場合、医師の独断で治療は行えません。家族の同意で治療することは可能ですが…君の家族への連絡手段もない」

「それは当然だ。俺にとって家族と呼べる存在は、数年前に喪ったのだから」

「……ですがそれでも、君の生を望む者がいる。君と会うことを望む者がいる」

 

 

時雨はそれを否定しなかった。

なぜなら、その存在を倉橋自身から聞いていたから。

 

 

「だとすれば、たとえ君自身の為でなくとも、その誰かの為に君を助ける。そこに君の願望は含まれない」

「……」

「どうして…君はそこまで生を望まず、終わりを望むのですか?」

 

 

倉橋の問いに、時雨が何かを答えようとしたところで、部屋の扉がノックされ。

 

 

「……失礼します。倉橋さんにお電話が」

「…どこからですか?」

「病院からです。急ぎの用事だと…」

「分かりました。今行きます……話の続きは、また今度」

 

 

入ってきたスタッフの連絡を受け、倉橋は足早に去っていく。

それを軽く見送り、時雨はベッドに潜り込んだ。

 

 

「何故……か」

 

 

時雨は一人、思い返す。

生を望まず、終わりを望む理由。

 

 

「……そう思うやつが、いるからだ」

 

 

―ich bring dich um...!!

―殺す。お前は私が殺す…!!

 

―Wenn du kannst...

―出来るのなら…やってみろ

 

 

それは、まだ父と共に『仕事』をしていた頃の記憶。

特に和解することもなかった以上、恨まれ続けているだろうし、或いはその思いは強くなっているかもしれない。

生きるためとはいえ、仕事を続けてきた以上、自分をそう思う人間は星の数ほどいるだろう。

仮に、医師の言う通り、自分が会うべき相手がいるのだとしても。

 

 

「それでも、俺は…」

 

 

すっかり力の入らなくなった手を握り、目を閉じる。

自分がこうして生き続けている理由すら、時雨自身には分からない。

物心がつく頃には既に刀を手に握り、人の斬り方を知っていた。

その意味を考えることなく。

 

 

「…」

 

 

だからだろうか。

SAOで、誰かを守ろうとしたのは。

そうすることで、やり直したかったのだろうか。

自覚した罪から、逃れたかったのだろうか。

それが、逃げ、だとしても。

 

 

…その答えは、未だ、誰にも分からない。



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第22話:戦いの場へ

GGO主要都市、SBCグロッケン。

シノン、ユウキを先頭に、キリト達が集合していた。

 

 

「ここがGGO…」

「SAOとかALOとは全然違うね…周りはなんかいかつい感じの人が多いし」

 

 

フィリアとサチが思い思いに言う。

今までファンタジー系のMMORPGが中心だったからこその感想なのかもしれない。

尤も、そういったタイプが大半で、GGOのようなタイプはそう多くはないのかもしれないが。

 

 

「……というかキリトといいユウキといい先輩といい…なんで銃の世界でメインウエポンを剣にするのよ」

 

 

頭を抱えるシノン。

言われた当人はというと。

 

 

「あはは…まぁそう言うなって」

「…これが一番しっくりくるっていうか…さ」

 

 

苦笑するキリトとユウキ。

実際のところ、言い返すに言い返せないのだろう。

とはいえ。

 

 

「でも…実際のところ、俺達が持ってる光剣より…さ」

 

 

キリトがちらり、とストレアを見る。

 

 

「…何?アタシの顔に何かついてる?」

 

 

きょとんとした様子のストレア。

そんな彼女は二本の刀を装備していた。

『妖刀・緋月』と『無銘・徒花』

いずれもSAOでシグレが装備していた武器。

 

 

「……ストレアは刀って使えたのか?」

「シグレみたいにはいかないかもだけどね。それでも一人で練習してたんだ」

 

 

腰に下げた刀の鞘に手を触れ、目を閉じる。

 

 

「…もう、それしか、シグレとの繋がりがないって…思ってたから」

「ストレアさん…」

「でも…不思議なんだ。刀を握ってると、シグレが一緒にいてくれてる気がして」

 

 

そんなはずないのにね、と笑うストレアに、アスナがどこか辛そうに彼女を見る。

アスナの感情の機微を悟ったか、ストレアは大丈夫、と声をかける。

 

 

「…ここにシグレがいるかもしれない。だったら……今度はアタシが出来ることをする」

 

 

もう、迷わない。

そう感じさせる力強さが、感じ取れる雰囲気だった。

 

 

「…強いわよ?」

「それはアタシもよく知ってるよ」

 

 

シノンの言葉に、何を今更、といった感じの返事をするストレア。

でも、とストレアはキリト達に振り返り。

 

 

「アタシ一人じゃ届かないかもしれないけど…皆がいるでしょ?」

 

 

そう、問いかける。

そんなストレアの問いに、キリトを含めた皆は笑顔で返す。

 

 

「あぁ。皆であいつを止める……あいつには色々言ってやりたいこととかあるからな」

「うん…突っ走った挙句心配かけた事はそう簡単には許せないかな」

「サチさんに同じく」

 

 

キリトの言葉にサチとアスナがやや黒い笑みを浮かべながら頷く。

その様子に、他の皆は若干乾いた笑みを浮かべる。

 

 

「…あいつ、もう一回は確実に死にそうね」

 

 

フィリアがやれやれ、といった感じに一つ息を吐いた。

そんな皆の様子に、一番疲れた様子なのはシノンだったが。

 

 

「それで?どういう戦術でいくつもり?…前戦った限りだと近接戦闘も遠距離の射撃も相当な腕よ?」

 

 

キリトと互角かそれ以上の剣の腕を見せつけたユウキを打ち負かす剣術。

加えて、打ち出された銃弾に自らの狙撃を命中させる銃の腕。

シノンは事前の戦略を立てるべきと思い提案する。

 

 

「…だとしても、コンバートしたばっかりの俺たちが銃を使って出来ることなんてたかが知れてるだろ。だから、射撃はシノンに任せる」

 

 

俺たちは全員で突っ込んで、戦うしかないからさ。

キリトがいうと、ユウキを含めた皆が頷く。

結局のところ、遠距離射撃はシノンの専売特許となっていた。

 

 

「…ったく。あんた達、GGOをなんだと思ってるのよ…」

 

 

世界が変わっても何も変わらない皆に、シノンも絆されて苦笑するのだった。



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第23話:再会の狼煙

仮想の中に広がる、荒野の世界。

そんな世界をただ一人。

 

 

「……」

 

 

無言で歩く。

その手には、あまりに現実離れした武器。

光剣、と呼ばれる、この世界の剣。

荒れ果てた様子や、そこを歩く足音は無駄にリアルな癖に、妙な所で現実離れしている。

それが、彼が抱いた感想。

 

 

「…」

 

 

ふとしたところで、立ち止まる。

俯き加減な彼の様子は、恐らく彼にしか分からない。

ほんの一瞬の静寂。

 

 

「…」

 

 

彼は、目を開く。

その視線は、流し目で後ろを見ていた。

そして、そんな彼の口元には。

 

 

「……く、くく…」

 

 

…楽しそうな、本当に愉しそうな笑みが、浮かんでいた。

 

 

……その次の瞬間。

 

 

「もらったぁ!!」

 

 

彼の視線の方向から、一人の男性プレイヤーが飛び出し、銃の連射による射撃を浴びせる。

腕が立つのか、それとも使い慣れた武器なのか。

放たれた銃弾は一直線に男の背後へと吸い込まれるように向かう。

やがて放たれた銃弾が着弾し、硝煙が立ち上がり、様子が見えなくなる。

反撃がなかったからか、討ち取ったと確信する。

 

 

「賞金はもらったな…!」

 

 

PvPギルドから発表された謎が多い賞金首プレイヤー。

何十人が束になっても勝てなかったということが、彼には信じられない。

こうも簡単に打ち取れてしまったから。

 

 

「……は?」

 

 

打ち取れた、と思い込んでしまったから。

自分の腹部から生える、光の刃がなんなのかが、一瞬分からなかった。

気づけば、満タンに近かったはずの自分のHPが、ごく僅か。

あと一撃でも貰えば、戦闘不能になり、街に戻される。

 

 

「…な、んで……!」

 

 

首だけでなんとか振り返れば、そこには自分が打ち取ったはずの相手。

距離を開けて、背後から銃弾を撃ち込んだはず。

自分の背後にいるはずがないのに、何故そこにいるのか。

もう、そんな言葉にする余裕すらなかったが、そう訴えるように視線を向ける。

 

 

「……滑稽だな」

 

 

彼の話し声とともに、ずぶ、と音がする。

貫いた光剣が、男の腹を抉る。

男は苦しさから嗚咽を漏らす。

 

 

「全く隠れていない気配で居場所を晒しておきながら、俺の背後をとったと、本気で思っていたとは、な」

 

 

わざと、彼は背を晒していた。

男はそれを聞き、悔しさを滲ませて呻く。

 

 

「…それに気づいていようがいまいが、あそこまで派手な銃撃で無駄に硝煙を立ち上げれば、煙の中でこちらはどうとでも動ける」

「が、ぁ…」

 

 

男は苦しさに気を失いそうになるが、彼はそれを許さないかのように剣で男の体内を抉る。

その痛みで、強制的に覚醒させられる。

それは、拷問さながら、だった。

 

 

「……その程度で、俺を打ち取ったと思っていたとは、な」

「ぎゃあああぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

彼は、男の腹を貫いていた剣を振り上げる。

男は断末魔の叫びをあげながら、その場に俯せに倒れる。

そんな男は、腹部を起点に右肩までが完全に断裂させられていた。

 

 

「…この切れ味は、さすがに現実では難しい、か」

「何を、言って…」

 

 

剣の光を見ながら呟く彼に、男は尋ね返す。

もはや虫の息の男。

完全に戦意喪失しており、武器を手放していた。

彼は、そんな相手であっても容赦なく。

 

 

「…黙っていろ」

「ぎゃああああぁぁぁっ!!!」

 

 

切り裂かれた傷口に抉り込むように男の切り裂かれた肩を踏みつける。

伝わる痛みの感覚が強すぎるのか、断末魔が強くなる。

 

 

「ゆる、して…」

 

 

彼が足を上げると、涙を流し、涎を垂らしながら男は懇願する。

自分は何という相手に喧嘩を売ってしまったのか。

余計なことをしたせいで、楽しいはずの仮想世界で苦痛を味わっている。

もう、どれだけ醜くてもいい。

この苦痛から、解放されたい。

それだけが、男の思考を占めていた。

 

 

「……」

 

 

彼は歩き出し、男から離れる。

助かった。

安堵と、彼に対する感謝すら浮かんでいた。

しかし。

 

 

「う…!」

 

 

脇腹を蹴り上げられ、転がされ、仰向けにされる。

先ほどまで視界は地面が占めていたが、突然視界に入る日光の眩しさに目を閉じる。

けれど、そんな日光は、一つの影に遮られる。

 

 

「……?」

 

 

目を開けば、眼前には見覚えのある銃口。

それは、男が持っていた銃。

安全装置は、解除されていた。

 

 

「っ……!」

 

 

逃げたい。

少しでも体をずらせば、逃れられるかもしれない。

けれど、動けなかった。

自分を見下ろす、彼の視線。

そこに、憎悪や憎しみといった感情があったわけではない。

ましてやゲームを楽しんでいるような感情が見て取れたわけでもない。

 

 

「…」

 

 

…何も、なかった。

それが一層、男の恐怖を煽る。

仮想世界とはいえ、淡々と、さも当たり前のように引き金を引く。

GGOという仮想世界は、銃に興味を持って、銃を楽しむ世界。

男もまた、そんな一人。

男の周りのプレイヤーも、普段持つことはあり得ない銃というものを楽しんでいるプレイヤーばかり。

必死に自らを研鑽するプレイヤーもいる。

ただ、楽しむプレイヤーもいる。

それはあくまで、これがゲームだから。

 

 

「っ…」

 

 

そんな認識があったからこそ、男は気づいてしまった。

目の前にいる彼は、ゲームを楽しんでいるわけではない、と。

彼は息をするのと同じくらい当たり前のように、誰かに銃の引き金を引くのだと。

気づいてしまったからこそ、恐怖に身が震えた。

もう、目の前の銃に撃ち抜かれて、死ぬ以外の未来がない。

 

 

「…Auf Wiedersehen」

 

 

彼は返事を待たず、引き金を引く。

一発撃った直後、男は光となって消えた。

 

 

「……」

 

 

安全装置が戻った手元の銃を見る。

彼は一つ息を吐き、それを放り投げ。

 

 

「…ふん」

 

 

自らの剣で、それを破壊した。

光の粒となって霧散した銃を見ながら、ぼんやりと宙を見る。

 

 

「……」

 

 

しかし、そんなぼんやりとした時間は長く続かず。

 

 

「…」

 

 

やれやれ、といった感じで、突っ込んできた相手を躱す。

長い黒髪の、見慣れない相手。

相手は踵を返し、自分とは色違いの光剣を構えて突っ込んでくる。

 

 

「うおおおぉぉぉっ!!」

「っ…」

 

 

その勢いに僅かに気圧されながら斬撃を受け止める。

また、か。

そう思いながら、対応しようとした時。

 

 

「……久しぶりだな、シグレ」

 

 

そう、黒髪の相手は確かに言った。

それを受けて、彼…シグレは記憶を辿る。

 

 

「………キリト、か」

 

 

SAOでの見た目とは性別を疑うレベルで異なる容姿の相手に、確認するように名を呼ぶ。

名を呼ばれた相手…キリトはにやり、と笑みを浮かべた。



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第24話:再会の剣

キリトの光剣による斬撃を、シグレは自らの光剣で受け止める。

互いに片手で光剣を握っていたが、純粋な力ではキリトに軍配が上がる。

現に、拮抗していた鍔迫り合いも徐々にシグレが押され始める。

とはいえ。

 

 

「っ…」

 

 

シグレがそのままなわけもなく、空いている手で銃を取り出し、キリトに向ける。

しかし、それはキリトも分かっていたのか、自らの腰に手をやり、武器を手に取る。

手に取ったのは、二本目の光剣。

それを躊躇なく振るう。

 

 

「おおぉぉっ!」

 

 

シグレはそれを後ろに飛んで避ける。

結果として、キリトの剣は宙を斬る。

 

 

「っ…!」

 

 

着地したところで、シグレはキリトとは別の方向を見る。

向かってくる、別の影。

 

 

「はああぁぁっ!」

 

 

光剣を構え向かってくるのは、アスナ。

その速度は、先ほどのキリトとは比べ物にならない速度。

それでいて正確にシグレを捉え、連続での剣突。

 

 

「ちっ…」

 

 

突きは斬りと違い、範囲こそ狭いが、それは逆に言えば受け止めるのが難しい。

さすがにシグレも無傷とはいかず、僅かに攻撃を受けながらそれを受け止めつつ後退する。

 

 

「そこっ!!」

「…!」

 

 

そんなシグレの背後から、それを隙と捉えたフィリアの銃撃。

そのままでは捌ききれないと踏んだシグレは、横に躱し、アスナとフィリアを正面に捉え、対峙する。

そのほんの一瞬。

 

 

「…取った!」

 

 

そこにシグレが来ることをまるで予測していたかのように、シノンの放つ銃撃が襲い掛かる。

以前は、銃弾を銃弾で弾くという技を見せつけられたが、今はシグレはシノンに背を向けている。

躱しようがない。

 

 

「……」

 

 

はずだった。

しかし。

 

 

「な…!」

 

 

シグレは左手に持った自らの銃を、右脇の下から背後に向け、一発だけ放つ。

それが、シノンの銃弾を捉える。

その銃弾は、あの時と同じように、シノンの銃弾の弾道を逸らす。

それは、シグレの数十センチ右隣に着弾する。

その銃弾の勢いは生きており、更に言えば地形のせいか、砂塵が舞い上がる。

 

 

「……」

 

 

シグレは更に、自分の左隣数十センチに銃弾を数発撃ちこみ、砂塵を舞い上げる。

すると、やがて砂塵はシグレを覆い、その姿はシノンはおろか、直近に対峙していたアスナやフィリアでも捉えられない。

けれど、そうなればシグレからも見えていないはず。

そう思い、目の前の砂塵が晴れるのを待つ。

その瞬間、いかにシグレより早く反応するか。

その瞬間を狙い、二人は集中する。

やがて砂塵が晴れ、二人の意識が一層前方に集中する。

その瞬間。

 

 

「……二人とも、後ろ!」

 

 

どこからか聞こえる、叫ぶようなユウキの声。

その声にいち早くアスナが、僅かに遅れてフィリアが振り返る。

そこには。

 

 

「なっ…!」

 

 

こちらに駆け、自らの剣を振るう構えのシグレ。

そんなシグレの目は、SAOの時に見ていたシグレの目とは別人と思えるほどの、殺意を感じさせた。

本気で向けられる怒りなど比べ物にならないほどの、畏怖を与える何か。

いくらSAOで戦い続けたといえど。

 

 

「ひっ…!」

「っ…!」

 

 

アスナもフィリアも怯む。

躊躇のない、殺意。

SAOでのシグレしか知らない彼女らにとって、今のシグレは恐ろしさの象徴だった。

 

 

「……」

 

 

そんな彼女らに対し、シグレは容赦なく剣を振るい、アスナの光剣を弾き飛ばす。

弾き飛ばされた光剣は故障したのか、微かな電気音とともに刀身が消えてしまった。

シグレは次の瞬間すぐにフィリアに向き直り、銃弾を放つ。

その銃弾はフィリアの銃を捉え、それを破壊し、無効化する。

それを見届け、二人を背に駆け出す。

その先は。

 

 

「……くっ!」

 

 

ユウキの元だった。

シグレの斬撃をユウキは自らの光剣で受け止める。

シグレはすぐに後退し、銃をユウキに向ける。

合わせるようにユウキもシグレに銃を向ける。

わずかな膠着。

その後、二つの銃撃音が響く。

互い違いに放たれた銃弾は、互いの銃を捉え、それを破壊する。

 

 

「っ…!」

 

 

ユウキはすぐに壊れた銃をしまい、自らの光剣を構える。

一方でシグレは銃をしまわないまま、光剣を構える。

次の瞬間。

 

 

「な…っ!?」

 

 

シグレは壊れた銃をユウキに投げつける。

予想外でこそあったが、その程度なら、とユウキはそれを光剣で防ぐ。

しかし、その僅かな動作は、シグレにとっては十分な隙。

 

 

「……」

 

 

アスナの時と同じように、ユウキの光剣を自らの光剣で弾く。

互いに銃を失い、もう光剣に頼るのみ、となった状態でのシグレの一撃は、戦いを決定づけていた。

しかし、それでも終わらないのは。

 

 

「…今だよ、ストレア!」

 

 

そんなシグレの隙を突き、ユウキのフォローをする存在がいたから。

その声は、シグレも覚えていた。

SAOで最も長く共にいた、特徴的な紫髪。

 

 

「やああぁぁぁっ!!」

「っ…」

 

 

そんな彼女の『刀』を、シグレは受け止める。

このGGOでは存在するはずのない、SAOで自らが振るっていた刀。

それが何故ここにあるのか、という疑問が過る。

しかし、シグレはそんな考えを振り払い。

 

 

「っ…」

 

 

鍔迫り合いでは不利と判断し、後退する。

ストレアは構えを崩しこそしないが、追撃をせず。

 

 

「……久しぶり、シグレ。会いたかったよ」

 

 

まるで、SAOからの続きであるかのように、ストレアは声をかける。

シグレは光剣を構えたまま、ストレアを見据える。

 

 

「シグレを見倣って、刀の練習してみたんだけど…どう?」

「……余裕だな、敵を相手に教えを請おうとするか」

 

 

シグレの言葉に、ストレアは首を横に振る。

 

 

「ううん、敵じゃない」

「…これだけの事をされても、か?」

「でも……今は誰も、倒されてない。それはシグレが、そうしたくないって、そう思ったからでしょ?」

 

 

シグレはストレアの言葉に一度目を閉じる。

そして一つ息を吐いて、ストレアを見据え。

 

 

「……俺を揺さぶるつもりか」

「違う。アタシが言いたいのはそうじゃない」

 

 

光剣を構えるシグレに、ストレアは刀を構える。

その構えはまるで、シグレのそれだった。

 

 

「……たとえそれが無意識だとしても…自分に、嘘をつかないで」

 

 

届くかどうかわからない、ストレアの言葉。

そうして、動き出そうとした瞬間。

 

 

「っ…!ダメです!」

 

 

誰かが叫ぶ。

それは、ストレアも、シグレも知っていた声。

 

 

「ユイ…?」

 

 

振り返れば、ストレアの姉にあたる少女。

普段は戦場に出ることのないその少女は、必死に訴えていた。

あまりに必死そうな声に、さすがのストレアも振り返る。

…その一瞬、目を離した隙に。

 

 

「…このままでは……本当に、死んでしまいます!」

「っ!?…何を」

 

 

言っているの、とストレアは聞き返そうとしたが、それ以上は続かなかった。

 

 

「え…?」

 

 

視線を戻せば、先の戦いで無傷、あるいはせいぜい掠り傷程度だったはずのシグレが。

 

 

「っ…シグレ!?」

 

 

仮想世界の中とはいえ、その手から光剣を手放し、地に伏せていた。

ストレアが呼びかけるが、反応がない。

 

 

「…とりあえず、街まで運ぼう!俺がシグレを背負うから、道中頼む!」

 

 

いち早く反応したキリトがシグレを背負い、皆に指示を飛ばす。

それに反論する者は、その中にはいなかった。



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第25話:終わりの足音

そこから、グロッケンに戻るまでの道中で、特段問題は生じなかった。

モンスターこそ現れたが、SAOを攻略した実力者が揃っていた事が大きいといえるだろう。

その後、一行はシグレを背負い、キリトのマイホームのベッドでシグレを横にさせる。

目を閉じたシグレは目を覚ます気配がなかったので、大勢でいてもうるさくなると考え部屋を後にする。

その中で、ストレアだけはシグレに付き添うことになった。

目的は二つで、一つは言うまでもなく看病。

もう一つは、下手に逃げ出したりしないようにするための見張りを兼ねている。

 

 

「…とはいっても、ログアウトされたらどうしようもないけどな」

 

 

キリトが笑う。

仮想世界、ゲームの中だから無理もない。

SAOでは出来てほしかったことが、今は少しだけ、出来ないでほしいと思ってしまう。

そんな矛盾に対する笑いだった。

 

 

「……それで、ユイ」

「はい」

「さっきのは一体…?」

 

 

このままでは、死んでしまう。

そう、確かにユイは言った。

それがどういう意味なのか。

 

 

「……言葉通り、です」

「それって、ゲームの中でHPが0になるっていうこと?でもそれなら…」

 

 

街に戻されるだけ。

そう思い、リーファが尋ねるが、ユイは首を横に振る。

 

 

「…違います。私は先ほど皆さんが戦っている間も、皆さんの状態をモニターしていました」

 

 

それくらいしか出来ることがありませんでしたから。

そう、ユイは続ける。

 

 

「モニター?」

「はい。皆さんの精神状態はもちろん、心拍、脈拍、体の健康状態も。これらに異常が出た際にアミュスフィアは自動カットオフを行い、皆さんの健康状態の維持を促します」

 

 

それは、ここにいる誰もが知るアミュスフィアの機能。

安全性が強化されたとはいえ、一時的に脳の機能を遮断する、なんてことをやってのけるのだから、ある意味当然といえば当然である。

 

 

「…ここにいる皆さんは、少なくとも身体的な問題は見受けられません。精神状態も良好…心身ともに健康といってもよいでしょう」

 

 

ですが、とユイは続け、一瞬言葉を止める。

それがある意味では答えだった。

 

 

「先輩は…違ったの?」

「…はい」

 

 

シノンの答えにユイは頷く。

 

 

「シグレさんの状態は……正直、カットオフされないのが不思議なくらいでした。複数の項目で異常値を出していて、正直どうして意識を保って戦えているのか不思議なくらい…」

「ずっと戦っていて疲れてた…とか?」

 

 

ユイの言葉にアスナが推測を述べる。

どれほどこのGGOの世界にいたのかは知らないが、それでもこれだけ戦えるのなら相当だろう、と思ってのことだった。

 

 

「それでも確かに異常は発生するでしょう。ですが、この値はそれだけで片付けるには極端な値です。つまり…」

「アミュスフィアを装着したシグレ自身に何かしら問題が発生している…?」

「…そう考えるのが自然です」

 

 

フィリアの推測を、ユイは肯定した。

しかし。

 

 

「でも、それっておかしくない?シグレさんのアミュスフィアがカットオフをしていないっていうことは…故障……?」

 

 

ユウキが疑問を口にする。

それは、アミュスフィアを持つ皆が一斉に抱いた疑問だった。

 

 

「その通りです。通常ならカットオフをしますが、それが起こらなかった。ということは…」

「……まさか、ナーヴギアか!」

 

 

キリトの言葉に、ユイは頷く。

 

 

「または、それに相当する、カットオフ機能を持たないデバイスでログインしている可能性が非常に高いと思われます」

「そ、そんなはずないでしょ!だってナーヴギアは完全に回収されたはずじゃ…!」

「確かに回収は進んでいますが、100%とはいえません。故に、ナーヴギアではない、と結論付けることは出来ないのが現状なんです」

 

 

ユイの言葉をリズベットが否定するが、しきれない。

どういうことなのか。

一体、シグレの周りで何が起こっているのか。

誰もがそんな疑問を思い浮かべ、押し黙ったところに。

 

 

「……話は終わったか」

 

 

ドアが開き、シグレが奥から出てくる。

先ほどまで気を失っていたのが嘘のようにも見える。

 

 

「シグレ、駄目だよ休まないと…!」

 

 

ストレアがシグレの腕を引き、止めようとするが従う様子がなかった。

 

 

「話は、聞いていたんですね?」

「…全部ではないがな」

「なら、答えてください。今、現実の貴方の体に、健康面での異常は発生していませんか?」

 

 

ユイの問いに、シグレは答えない。

けれど、ユイも真剣な表情をシグレから逸らさない。

やがて、シグレが根負けし、部屋を見回す。

 

 

「……それにしても、随分大所帯だな」

「お前を探して来たんだよ、シグレ」

「…どういう事だ」

 

 

キリトの言葉に、シグレは疑問で返す。

そんなシグレの問いに答えず、代わりに。

 

 

「…その、シグレ…さん」

「……?」

 

 

おずおずと、ユウキが前に出る。

シグレはユウキに視線を向けるが、いまいち合点がいっていないのか、疑問符が消えない。

 

 

「先輩に、会って話したいことがあるんだそうよ?」

「……?」

 

 

シノンに言われ、シグレは更に疑問。

顔見知りならいざ知らず、知らない相手にそう言われても、意味が分からない。

 

 

「あの……その、ですね。ボクはその、ユウキって…いいます」

 

 

たどたどしくも、言葉を続けるユウキに、シグレはただ無言で続きを待つ。

よほど言いにくいことなのか、と一つ息を吐きながら。

 

 

「……その、ボクの苗字…紺野、っていうんですけど……覚えてますか?」

「ひとつ聞きたいが……会ったことがあったか?」

「あ、いえ!ボク自身は初めて会うんですけど……ボクはどうしても、貴方に会って、謝りたいことが…」

 

 

それで余計にシグレは訳が分からなくなる。

会ったことがないのなら、なぜ謝ることがあるのか。

何をされたわけでもないのに。

とはいえ。

 

 

「……よく分からないが、気にしなくていい。どうせ、もうすぐ気にならなくなる」

「え…?」

 

 

シグレの言葉に、ユウキは疑問符を浮かべて尋ね返す。

ユウキに向けていた視線をユイへと逸らし。

 

 

「……さっきの質問に答えておく。俺はSAOから抜けた後、ある一つの病名を告げられた」

 

 

ユイは推測通り、という部分もあり、他の皆もそうなのか、といった程度。

話を聞いていなかったのか、ストレアが心配げにシグレを見る。

 

 

「…何の病気?そんなに、重くはない、よね…?死なないよね……?」

 

 

縋るようなストレアの手を振り払うかのように。

 

 

「急性骨髄性白血病。どの程度進行しているかは知らんが…かなり進行しているとは聞いた」

 

 

以前、余命宣告を受けた。

そう、あまりにいつも通りに。

シグレは淡々と、事実を告げた。



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第26話:対峙

あまりに淡々と告げるシグレに、皆は一瞬言葉を失う。

 

 

「…それ、大丈夫なのかよ。こんな所にいて…」

 

 

医学にそれほど詳しくなくても重篤だと分かってしまう病名。

キリトが尋ねるが、シグレはいつものように、一つ溜息を吐き。

 

 

「まぁ、そう長くはないだろうな」

 

 

まるで他人事のように淡々と、そう告げる。

 

 

「そう考えるとSAOでの事も色々と合点がいく。ホロウ・エリアでの突然の制約、あの時におそらく発症していたのだろうな」

「…そう、なのかもしれないけど……!」

 

 

シグレの言葉に、ホロウ・エリアで最も長く一緒にいたフィリアが肯定しつつも言葉を詰まらせる。

本当に気にすべきところは、そんなことではないはずだ、と言いたかったのだが、何故か言葉にならない。

 

 

「…もういいか」

 

 

周りの様子を気に留める様子もなく、歩き出すシグレ。

 

 

「どこに行く気なの、シグレ」

「…お前には関係ない」

 

 

引き留めるストレアに止められながらも、シグレは止まろうとしない。

そんなシグレに対し。

 

 

「なくない!だって、アタシは…アタシ、は……!」

 

 

本当なら、止めたい。

止めて、病気なら治療をしてもらって。

少しでも、永く生きてほしい。

現実に対して何もできないとしても、かつて助けてくれたように、助けたい。

それだけなのに、その思いが、伝わらない。

 

 

「っ……!」

 

 

俯いて、それでも放さないストレアに一つ溜息を吐くシグレ。

振り払おうとしたシグレの前に。

 

 

「……何だ」

 

 

皆が、まるで入り口を塞ぐかのように。

 

 

「だいたい分かるだろ?話の流れで…さ」

 

 

キリトが。

 

 

「…そうね。どうやら、引っ叩いてでも、それこそ、斬ってでも止めなきゃいけないみたいだから」

 

 

アスナが。

 

 

「ホロウ・エリアで私とストレアが言ったこと、なんにも伝わってないみたいだから…力ずくででも、ってことね」

 

 

フィリアが。

 

 

「…先輩の敵になるのは不本意だけど、そうしないとならないっていうのなら…」

 

 

シノンが。

 

 

「ボクだって…まだ何も伝えられてない。まだ…終われない!」

 

 

ユウキが。

 

 

「……このままだと、シグレが死んじゃうっていうなら…アタシは全力で、シグレを止めるよ」

 

 

ストレアが。

皆が皆、シグレに立ちはだかる。

一瞬呆気にとられつつも、状況を理解し。

 

 

「………」

 

 

目を閉じ、一つ息を吐く。

そんなシグレに。

 

 

「どうする?どうやら、ここにいる誰もがお前のやることを止めようとするみたいだけど」

 

 

キリトが尋ねる。

そこには、数の理があるからか、あるいはSAOを生き抜くだけの実力者の集まりという事実があるからか。

勝ちを確信したような力強さのある言い方だった。

やれやれ、といった様子のシグレ。

 

 

「……まぁ、いいだろう。これ以上、障害になっても面倒だ」

 

 

言いながら、皆に視線を向ける。

その視線は、いつも通り。

いつも通りのはずなのに、本当に戦って、勝って、止められるのだろうかと疑問に思ってしまう。

 

 

「…もう少しくらいなら、付き合ってやる」

 

 

それでも、ここで止めなければ、取り返しのつかないことになる。

その確信は、シグレを除く誰もが持っていた。



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第27話:折れない心

そうして、PvP戦闘用の簡易施設。

そこで、シグレと、彼を除く皆が対峙する。

普通に考えれば、それは一方的ないじめといえるレベル。

しかし、それでも。

 

 

「……」

 

 

シグレは退かない。

それどころか、まるでそれを愉しんでいるかのように、シグレの口元には笑みが浮かぶ。

この状況で見せるその表情に、皆は一瞬背筋が震える。

しかし、それでも、皆は武器を手に取り、戦う。

もはや、言葉もない。

静寂が包む空間。

そんな中に、微かに響く足音。

それが戦いの始まりの合図だった。

 

 

 

…それから数分。

 

 

 

「…」

 

 

すっかり使い慣れた光剣を手に、佇むシグレ。

今、この戦場で、シグレだけが、立っていた。

キリトをはじめとした皆は、地に伏していた。

 

 

「……もう、終わりだな」

 

 

シグレは辺りを見回し、やがて光剣をしまう。

皆のHPは完全にレッドゾーンで、あと一撃でも喰らえば、死に戻りしてしまうだろうという程度。

シグレはとどめを刺さずに、その場を後にしようと出口に向かう。

 

 

「……シグレ!」

 

 

そんな彼の背後から。

 

 

「アタシは、諦めないから…このままにしたらシグレが死んじゃうなら、絶対に…止めてみせるから……!」

 

 

ストレアが決意を表明するかのように、あるいはこの場の皆の意思を代弁するかのように叫ぶように言う。

 

 

「…」

 

 

それでも、シグレは言葉はおろか、振り返りもせずに、背を向けたまま。

今のシグレの表情は、誰にも窺えない。

 

 

「……勘違いのないように、一つ言っておくが」

 

 

持っていた光剣をしまいながら、倒れ伏す皆に背を向けたまま。

 

 

「俺はお前達の友達でもなければ、仲間になったつもりもない……SAOでは、ただ利害が一致したから行動を共にしただけだ」

 

 

友達ごっこは、お前たちだけで勝手にやっていろ。

それだけ言い残し、シグレはその場を後にした。

打ち伏せた、彼女らの表情を一度も見ることなく。

 

 

 

…だからこそ、気付かなかった。

 

 

「…っ…やれやれ。そんな程度で突き放せるほど、弱くはないぜ、俺達は」

 

 

キリトも。

 

 

「全くね…私たちもSAO生還者だって、忘れてるのかしら」

 

 

アスナも。

 

 

「…ま、戦いに関しちゃ負けるかもしれないけど、いくらなんでもね。一発引っ叩いてやる」

 

 

フィリアも。

 

 

「さすが先輩、というべきかもしれないけど…そう簡単に私は離れないわよ。どれだけ私が想い続けてきたか…思い知らせてあげるから」

 

 

シノンも。

 

 

「ボクも…まだ何も始まってもいないから。ちゃんと伝えるために…ここまで来たんだから…!」

 

 

ユウキも。

 

 

「アタシだって…シグレが助けてくれたように、シグレを助けたい。この想いは…シグレにだって否定させない。それがシグレのためなら、アタシは…」

 

 

ストレアも。

シグレと深く関わった者は、誰一人として。

 

 

「…さて、どうするシグレ。誰一人、お前の思い通りにはなってないようだぞ?」

 

 

キリトが言う通り、諦めていなかった。



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第28話:拒絶と決意

キリト達が決意新たにしていた頃。

 

 

「……」

 

 

溜息交じりに現実に戻るシグレ。

 

 

「やぁ、お疲れ様」

「……モニタしていたのか」

「あぁ。君がどれだけ『使える』のかを知る、いい機会だからね」

「…」

 

 

シグレに話しかける、どこか裏がある、けれどそれを悟らせない笑みを眼鏡越しに浮かべる男。

それが誰かは、言うまでもなく。

 

 

「……それで、結果は」

「…あぁ、合格だとも。あれだけ戦える相手をあの人数相手に完封できるほどだ。見事、の一言に尽きるね」

 

 

拍手をしながらの菊岡。

 

 

「これなら、彼らに依頼せずとも、プロジェクトは進められるかもしれないね」

「…」

「もっと喜べばいいだろう。君が力を示したことで、僕は彼らに依頼をすることなく事を進められる…君のおかげで、彼らは平穏な生活を送れるのだからね」

 

 

君が望んだことだろう?

そう、菊岡は続ける。

 

 

「…よく言う。貴様があいつらを人質にしただけのことだろう」

「人質とは人聞きの悪い。別に命の危険があるわけでもないんだがね」

 

 

いずれ詳細は告げる。

それまで、少しでも体調がよくなるように療養してくれ。

それだけ告げ、菊岡は部屋を出ていく。

 

 

「……」

 

 

一人となった室内で、時雨は一人、自らの手に視線を落とす。

SAOを始める前から比べると、やつれた手。

軽く拳を握ってみるが、力の入りはそれほど良くなかった。

それでも。

 

 

「……俺があいつらに返せる事はもう、これくらいしかない」

 

 

いくらVR慣れしているからといっても。

得体の知れないものに、巻き込むわけにはいかないと思っていたから。

自分なんかを仲間だと呼ぶお人好しを、巻き込みたくないという、時雨なりの贖罪。

それを完遂するためにも。

 

 

「…これが終わるまで持てば十分だ」

 

 

そうなれば、たとえ自分の命が尽きたとしても、どうでもいい。

それで、彼らが平穏に、時にゲームを楽しみながら生きられるのなら。

そう思いながら、時雨は立ち上がり、部屋を後にする。

 

 

「余計な気を、起こしてくれるなよ…?」

 

 

そう、願いながら、診察室へと向かう。

自分が置かれた病名についても告げた。

突き放す言葉もぶつけた。

ここまですれば、いくらあいつらでも、もう関わってこないだろう、と思いながら。

 

 

「……紺野、か」

 

 

ふと、ユウキと名乗る少女から告げられた苗字。

時雨にとっては、懐かしい苗字だった。

だからこそ、ユウキが何を言おうとしていたかも、おおよそ察しはついていた。

謝りたいこと、と言っていた。

 

 

「……」

 

 

どうせもう少しで、その罪悪感を感じる相手はいなくなる。

この身体に限界が来れば。

そうなれば、きっと彼女は救われる。

そう、時雨は確信めいた何かを持っていた。

 

 

「…」

 

 

自分の事など風化させてしまえばいい。

自分のような人間など、誰かに仲間と言ってもらえる筋合いなどない。

ああいう奴らが歩く光の下を、自分は歩けない。

自らの罪は、それを許さない。

 

 

 

…だからこそ、彼らの仲間と言うことは、時雨にはできない。



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第29話:できる限りのこと

シグレとの戦いの後、キリトをはじめとした皆は、キリトのプライベートルームに来ていた。

 

 

「…ユイ」

「はい、パパ!」

 

 

キリトが名前を呼ぶと、ユイが答える。

戦いの前に何かを打ち合わせていたのか。

 

 

「皆さんも、一緒に聞いてください…シグレさんについてです」

 

 

ユイの言葉に、皆が黙り、彼女を見る。

その注目に動じることなく、ユイは宙にスクリーンを表示させ、話を続ける。

 

 

「先ほどの皆さんの決闘の間に、シグレさんがどこから接続を行っているのかを検索しました」

 

 

逆探知に近いもの、でしょうか。

ユイはそう続けた。

 

 

「それで…場所は分かったの?」

「はい。座標は…ここです」

 

 

シノンの問いに、ユイが答えると、ユイが指し示す先に赤い×の印がつく。

その場所は。

 

 

「…ここ、私が住んでるマンション?」

「はい。正確な部屋の位置までは分かりませんでしたが、間違いないと思います」

「だとしたら、ここに行けば…」

 

 

ユイの言葉にアスナが皆を促そうとするが。

 

 

「…ちょっと待って」

「フィリア?」

「それって変じゃない?シグレは自分が白血病だとか言ってたじゃない。なんで自宅からインしてるのよ」

 

 

フィリアの言葉にユイが頷く。

 

 

「シノンさん。ここは病院では…ないですよね」

「…流石に違うわ」

「先ほどのモニターからも、シグレさんが重篤な病に冒されている可能性は非常に高いです。であれば、このような場所からのログインは不自然です」

「…それがあるから、SAOでの事が説明がついちゃってるからね」

 

 

誰もが、シグレが正常ではない、という事は疑っていない。

だからこそ、これは。

 

 

「……おそらくだけど、ここは多分先輩が住んでた部屋」

「だとすると、本当に自宅からログインしているか…」

「…偽装しているか、です。シグレさんの状況を鑑みるに、偽装の可能性が非常に高いと思いますが…」

 

 

確証がないのか、言い切らないユイ。

その様子を見て。

 

 

「…なら私が、先輩の部屋に行ってみる。同じマンションだもの、私が一番近いわ」

「……頼む」

 

 

シノンが立候補する。

皆も異論がないのか反論はせず、キリトが代弁するように言うと、シノンは頷いた。

 

 

「でも、もし偽装だとしたら…追いようがないんじゃ」

 

 

そんな皆のやる気を削ぎかねない不安要素。

それをリーファが口にする。

誰もが考えていたことではあるが。

 

 

「…そっちは、アタシが調べるよ」

「ストレア?」

「忘れたの?アタシだってAIだよ。ユイみたいには上手くいかないかもだけど、やれるだけのことはしたいから」

 

 

ストレアの言葉にフィリアが名を呼ぶと、苦笑しながら答える。

フィリアはそういえば、と思い直すように言う。

 

 

「…なら、私は一足先にログアウトするわ。ユウキはどうする?」

「あ、ボクも行く!」

「そう……そういうことだから、お先に」

 

 

言いながら、シノンとユウキが先にログアウトしていく。

それを見送りながら。

 

 

「じゃあストレア。私たちも行こ?」

「あ、うん。じゃあ皆、またねー」

 

 

ログアウト、という言い方は違うかもしれないが、ユイとストレアがその場から消えるのだった。

 

 

「…皆はどうする?俺はもう少しGGOの中で情報収集しようと思ってるけど」

「私は、お兄ちゃんと一緒に行こうかな」

 

 

キリトとリーファがそう言葉にする。

 

 

「…って言ってるけど、半分はレベリングとかじゃないの?」

「バレたか」

「全くもう…まぁいいわ。現実に戻ってもシグレ君の事は分からないし、ここで調べるのが妥当かもしれないわ」

 

 

悪びれる様子のないキリトにアスナが溜息を吐く。

それは今この場に残っている皆が同じようだった。



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第30話:復讐者

それから街に出て。

 

 

「とはいったものの…」

 

 

出だしてすぐに頭を掻くキリト。

 

 

「…どうしたもんか」

「お兄ちゃんの考えなし」

「うぐっ…」

 

 

リーファにジト目で言われ、まるで心臓を銃で打ち抜かれたかのように胸元を押さえるキリト。

 

 

「…ま、まぁシグレは良くも悪くも有名みたいだし、聞き込みでもしてみる?」

「それがいいと思うわ。フィールドであれだけシグレ君を狙う人がいたんだもの。何かしらの情報はあると思う」

「……フォローもなくスルーするなよフィリア、アスナ…」

 

 

フィリア、アスナにスルーされ、がっくりとするキリト。

 

 

「あ、あはは…」

 

 

フォローができないのか、それともする気がなかったのか、リーファは愛想笑いのみだった。

 

 

「まぁ、いいや。じゃあ聞き込みの線で…」

 

 

言いながら、キリトが立ち直って歩き出そうとした、その時。

 

 

 

…前方から、ものすごい勢いで駆けてくる人影が目に入る。

 

 

「うわっ!!」

「なっ!?」

「何、何なのよ!?」

 

 

皆が思い思いに人影を避けると、人影は彼らの背後、キリトの私室があるマンションへと駆けていき。

 

 

「…へぶっ!?」

 

 

勢いを緩めることなく、壁に激突するのだった。

ガン、と実に痛そうな音を伴って、人影はそのまま地面に伏した。

 

 

「…あ、あの…大丈夫、ですか?」

 

 

リーファが恐る恐る声をかけると、人影は立ち上がる。

SAOでのアスナほど長くはないが、背中に届くセミロングの銀髪を靡かせ、立ち上がるその姿は女性のようで。

 

 

「……」

 

 

激突した際に打ったのか、鼻を摩りながら立ち上がる。

どこか釣り目で、近寄りがたい雰囲気を醸す彼女の目尻にはうっすら涙が浮かんでいた。

そんな状態で。

 

 

「……平気。ありがと」

 

 

そう、言葉にする。

彼女以外の誰もが、そうは思えなかったのだが、敢えて言わないことにするのだった。

 

 

「なんだって壁に激突するようなことを…」

「VRの操作方法がよく分からないだけ」

「……もしかして、VRMMOはこれが初めて?」

「?…えぇ」

 

 

痛みが引いたのか、会話に応じる女性。

手が離れたことで露わになる、どこか日本人離れした綺麗な顔立ちは、子供と大人の中間のようにも見えた。

笑顔を見せれば男性は落ちそうなものだが、無表情を崩さない。

その表情の中に、僅かに警戒心が見て取れた、というのもあるが。

 

 

「…もういい?」

「あ、えぇ。ごめんなさい引き留めて」

「……ん」

 

 

言いながら、歩き出す女性。

 

 

「あ、そうだ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「……何?」

 

 

そんな彼女を呼び止め、思い出したように言うフィリアに女性は止まる。

聞き込みというのなら、聞かない理由がなかったから。

 

 

「貴女、シグレっていう人の事、何か知らない?」

「……シグ、レ?」

 

 

フィリアが出したシグレという名前に反応する女性。

その様子に何かを知ってるのか、と察したフィリア。

 

 

「何か知ってたら教えてほし……ひっ!?」

 

 

教えてほしい、というフィリアの言葉は最後まで続かなかった。

そんな彼女の首筋に、女性が光剣を抜いていたから。

フィリアの耳元に響く光剣独特の電子音が彼女を硬直させる。

 

 

「何を…!?」

 

 

アスナが反応しようとしたが、それより先にアスナにハンドガンの銃口を向ける。

その反応の速さは素人のそれではなかった。

 

 

「……漸く道を見つけた」

 

 

そういう彼女の目は、皆をきつく睨みつける。

 

 

「道って…どういうことだ!」

「……復讐の道」

 

 

キリトの怒声に近い声に動じることも、視線を返すこともなく答える。

 

 

「関わるつもりはなかったけど、あいつの知り合いなら話は別。シグレについて、教えてもらう」

 

 

断れば、斬る。

細められた視線は、如実にそう語っていた。

日本人離れした蒼い瞳には、憎悪に近い何かすら感じ取れる。

 

 

「……私はヴェンデルガルト。かつてシグレに……家族を殺された復讐をするために、ここに来た」

 

 

力強く、女性…ヴェンデルガルトは迷いなく言い放った。

その言葉に、一行は動けなくなる。

 

 

…それが、ヴェンデルガルトが抱えるものか、それともシグレに垣間見えた過去のどちらが理由かは分からないが。

 

 

 

To be continued to next chapter...



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Chapter-4 : Murderers' Past
第1話:変わらぬ事実


突然刃を向けるヴェンデルガルト。

 

 

「家族を…殺された?」

 

 

そんな彼女に、キリトが鸚鵡返しで尋ねる。

 

 

「…あいつは、私の両親を、殺した。私は忘れない…あいつの足元で血を流す家族の姿を。あいつの刀から滴り落ちる、家族の血を…!」

「シグレが…か」

「あれから私は、剣を学んだ。あいつが家族を殺したのと同じ…それ以上の方法であいつを殺すために」

 

 

家族の仇討ち、ということなのだろうと彼女以外の皆は察する。

 

 

「…憎しみは憎しみしか生まないって、知ってるか?」

「そうね。だからあいつは私という復讐者を生んだ…けど、だからどうした。あいつは人を殺す事しかできないような奴だ」

 

 

殺したところで、それ以上の憎しみなんて生まない。

ヴェンデルガルトはそう言い切る。

 

 

「…残念ながら、そうはならないだろうな」

「……?」

「分からないか?あいつがお前に殺されれば、今度は俺たちが憎しみの刃を向けることになるだろうからさ」

「な…」

 

 

信じられない、といった表情のヴェンデルガルトに、キリトは言葉を続ける。

 

 

「俺たちは昔のあいつを知らない。だから、平気で人を殺すような奴だったといわれても、それを否定することはできないさ」

「だったら……!」

「…けど、あんたは…今のあいつの何を知ってるんだ?」

 

 

キリトの言葉にヴェンデルガルトは押し黙る。

 

 

「……そうね。確かに私が知っているのは昔のあいつだけ。それは認める」

「だったら…!」

「それでも、あいつは私の家族を殺した。それは紛れもない事実……だから、私は復讐の為に、あいつを殺す」

 

 

それが、私が今生きる意味だから。

言いながら、ヴェンデルガルトは武器を収める。

それを見て、アスナも剣を収める事で、緊迫した空気は収まる。

 

 

「……」

 

 

しかし、先ほどのような会話を交わせる雰囲気ではなくなっていた。

その空気からか。

 

 

「…」

 

 

ヴェンデルガルトは踵を返し、建物の中へと入っていった。

その様子を見送りつつ、後は追わない。

 

 

「……危なかったね」

「あぁ…リーファも、そう思ったか」

「うん…」

 

 

キリトとリーファが言葉を交わす。

神妙な様子の二人に。

 

 

「危ないって…さっきの人が?まだMMOに慣れてないように見えたけど…」

 

 

剣を向けられる前の派手な転倒のことを言っているのだろう。

アスナの言葉に。

 

 

「…あぁ。多分MMOを始めて間もないとは思う」

「だったら…」

「けど…慣れてないからこそ、助かった、というべきかもしれないな」

 

 

キリトはそう言葉を返す。

それは言い換えれば、彼女がもし、MMOでの身のこなしに慣れていたら。

 

 

「……さっきの気迫というか威圧感というか…どこかシグレに似てた、気がする」

 

 

剣を直接つきつけられたフィリアもそんな風に言葉にする。

実際戦ったらどうなのかが分かるわけではないが。

 

 

「出来れば、相手にはしたくない…かな」

 

 

ゲームとしてのただの力比べならいいが、それで済むかどうかと思ったキリトは、そう言葉を漏らす。

それについては異論がなかったのか、誰も何も言わない。

 

 

「……見覚えのある顔を見つけたからついてきてみりゃ、また懐かしい顔ぶれだなぁ?」

 

 

そんなキリト達の背後からかけられる声。

振り返り、その場にいた4人は息を呑む。

 

 

「なんで…」

 

 

キリトが何とか言葉を紡ぐ。

 

 

「…なんでお前がここにいるんだ」

 

 

息が詰まるような表情は徐々に警戒心に変わる。

無理もない。

そこにいたのは、かつてSAOを混乱に招いたギルド『笑う棺桶』のリーダー。

 

 

「…PoH!」

 

 

キリトが名を呼ぶ。

 

 

「随分見た目が変わったが、黒の剣士か。覚えててくれて嬉しいぜ?HAHAHA…!」

 

 

4人を目の前にしても飄々とした、あるいは余裕なのか。

PoHはフードで目を隠したまま、ただ、嗤う。



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第2話:見上げた先

ここにいる4人は、本意ではないにせよ顔見知り。

だからこそ、警戒していた。

 

 

「……」

 

 

警戒心を剥き出しにする4人に対し、フードを被ってこそいるが警戒をする様子もない。

それどころか口元には笑みすら浮かんでおり、いかに余裕を見せているかが窺える。

早い話が舐められているのだろう、と誰もが思っていた。

 

 

「随分警戒してくれるなぁ…ここは圏内だろ?それにSAOじゃねぇんだ。別に死にゃしねぇし、殺す気もねぇよ」

 

 

両手を上げ降参のポーズをしながらPoHは嗤う。

 

 

「…何か俺たちに用か」

「おぉ怖い怖い。まずはその殺気を収めてくれなきゃ、ブルっちまって何も喋れねぇよ」

 

 

キリトの言葉にPoHはおどけて返すが、それには舌打ちを返すキリト。

 

 

「…よく言うぜ。これっぽっちもビビってない癖にな」

「HAHAHA…そりゃそうだろ。お前らみたいなぬるま湯の中で生きてきたガキ共の殺気なんぞ児戯と変わらねぇよ」

「な…!?」

 

 

PoHの返しにフィリアがカチンと来たのか声を漏らすが、それでも手を出したりはしない。

 

 

「SAOで殺しに慣れたっていう奴もいるだろうが…俺から言わせりゃ、あれだってただのゲームだ。本物とは程遠い」

「…自分は殺しを知ってる、っていう自慢か?」

「いや?」

 

 

何を言っているんだ、と言わんばかりの否定。

 

 

「お前らがお熱なシグレ君だって、俺と同じ……殺しを知ってる人間だ。お前らがママゴトをしてる頃に他人の血を浴びてたくらいには、な」

「っ…」

「SAOにはなかった、人の肉を斬る感触を知ってる人間に、お前らはなんて言葉をかける?」

 

 

お前らの薄っぺらい言葉じゃ、届きゃしねぇだろうがな。

そう、PoHは言い放つ。

 

 

「…仮にそうだったとしても、今はどうしてもシグレ君に会わなきゃならないのよ」

「会ってどうするんだ、閃光?」

「っ…貴方には関係ない!」

 

 

アスナの剣幕におぉ怖い怖い、とおどけるPoH。

 

 

「ま、お前らがどうしようが知ったこっちゃねぇがな」

「……だったらそこをどいてくれ。急いでるんだ」

 

 

キリトが歩き出し、PoHから離れていく。

キリトが行こう、と声をかけ、4人が離れても、PoHが彼らの後を追うことはなかった。

皆からは、PoHがどんな表情をして見送っていたのかは分からないが、それ以上は考えなかった。

 

 

………

……

 

 

キリト達もいなくなり、一人佇むPoH。

フードに隠された視線は未だ、キリト達が去った方向を向いていた。

 

 

「……」

 

 

その口元からは、おどけた笑みは消えていた。

表情を変えず、宙を見上げながら。

 

 

「…どうやら、アンタの依頼は、完遂ってことになりそうだ」

 

 

俺はお役御免だな。

言いながら、笑みを浮かべるPoH。

その視線の先には。

 

 

「……ゲントウ」

 

 

ぽつり、と呟いた名前。

その呟いた名は。

 

 

 

…華月玄冬。時雨の父親の名だった。



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第3話:罪人の生きる意味 - I

その頃。

 

 

「……」

 

 

時雨は一人、目を覚ます。

部屋には自分しかいないのか、自分に繋がれた医療機器の電子音が小さく響いている。

 

 

「っ…」

 

 

そこそこ長い時間だったからか、軽く頭痛が走るが、それを手で押さえながら上半身を起こす。

相変わらず体は重いが、既に慣れつつあった。

上半身を起こし、辺りを見回す。

特段変わった何かがあるわけでもないが。

 

 

「…?」

 

 

ふと、外から話し声が聞こえる。

 

 

「…っ…!」

「…、………」

 

 

痺れを切らしたような声と、それをあしらう声。

声はどちらも聞き覚えのあるものだった。

何を言い争っているのか、それほど興味はなかった。

 

 

「……」

 

 

正確には興味がなかったのだが、戸が薄いのか、うっすら聞こえていた。

時雨は一人溜息を吐き、ベッドから降りる。

その際に繋がれた医療機器を外したせいで、エラー音が響くが、時雨は気にも留めない。

それよりも。

 

 

「…煩いんだが」

 

 

戸を開け、言い争っていた二人…倉橋と菊岡に声をかける。

 

 

「ほら、騒ぐから時雨君から文句が来たじゃないか」

「な…!私だって騒ぐつもりはありませんでしたよ!」

 

 

どれほど熱が上がっていたのか、収まる様子のない言い争いに時雨は一つ溜息を吐く。

 

 

「…言っておくが、話は聞こえていたからな」

「う…」

 

 

時雨の言葉に、倉橋が一瞬言葉に詰まる。

 

 

「…聞こえていたのなら話が早いです。華月君、今すぐ病院に向かいましょう…君の脊髄に適合するドナーが現れたのですから」

 

 

もう一刻の猶予もない事は君も分かっているはず。

倉橋はそう続ける。

一方で。

 

 

「だから、移植とやらをここでやればいいのでは?と僕は提案をしたんだがね」

「より確実に成功させるためには病院での検査や治療が必要だと…!」

 

 

菊岡の溜息交じりの言葉に倉橋が反論する。

つまりはそういう言い争いなのだ。

 

 

「第一、彼の雇い主は僕だ。その際に機密保持の為原則として外出は禁止だという事は伝えていたはずだが?」

「…このままでは、彼の命が危険だとしてもその原則は覆らないと?」

「彼がもし一般人であれば人命優先だろうがね。君にも話しただろう?…彼がどういう人間なのか」

 

 

菊岡の言葉に倉橋は押し黙る。

その様子から、ある程度の事情は知っているのだろう、と察する。

 

 

「どうやら納得いただけたようで何よりだ」

 

 

にこり、と微笑み、菊岡は背を向けて歩き出す。

何か用があるのか、こちらに振り返りもせずに通路の奥へと歩き去っていった。

 

 

「……どうせ俺はここに縛られた身だ。適合したドナーの脊髄は、待っている奴に回すように手配すればいい。医師ならそれくらいはできるだろう」

 

 

言いながら、部屋の戸を開ける。

 

 

「…君は、生きたいとは思わないのですか?」

「………」

「君の事情はある程度は伝え聞いています。そのうえで聞かせてほしい…君自身は、生きたいとは思っていないのですか?」

 

 

倉橋の問いに、時雨は一つ溜息を吐く。

何度目か分からない問いに、疲れたといわんばかりに。



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第4話:罪人の生きる意味 - II

やがて、観念したかのように語りだす。

 

 

「……子供の頃は」

 

 

その表情は、倉橋からは窺えない。

 

 

「…人を殺す事に躊躇いも、何もなかった。そうする事が普通だと、教え込まれてきた。何度も殺しているうちに、いつからかそれを苦にも思わなくなった」

 

 

時雨の言葉を、倉橋はただ黙って聞く。

 

 

「何か大切なものを守るための剣。父はそう言っていたからな……だから俺は、父や母を守ろうと子供ながらに思った」

 

 

自然に握られる時雨の拳。

その拳は、病気のせいか力がない。

 

 

「だが…父は殺され、母も死んだ。守りたいと思うもの、全てを失った……俺に残ったのは、殺しの技術だけ」

 

 

それで生き残っていくしかなかった。

そうして生きていくのが普通だと信じて。

 

 

「だがそうして生きていくうちに…世間に触れ、自分の異常さを叩きつけられた。やがて自分が大罪人として裁かれてもおかしくないのだと、悟った」

 

 

そう気づいた頃には、果たしてどれほどの命を奪っていたか。

それはもはや、時雨にすらわからない。

 

 

「……確かに、君は多くの命を奪ったのかもしれない。それは決して許される事じゃないだろう」

 

 

時雨の話を聞いてか、倉橋が話し出す。

 

 

「それが仮に君に罪の意識がなかったとしても、それは罪……償うべき時は、いずれ来るかもしれない」

 

 

だが、と続ける。

それに対し、時雨が倉橋に視線を送る。

 

 

「…だが、君のやろうとしている償い方は正しいとは思わない」

「何が言いたい…?」

 

 

倉橋の言葉に目を細める。

微かな殺気のようなものを感じる倉橋だが、彼は止まらず。

 

 

「少なくとも…君が死ぬことを良しとしない人達がいることを私は知っているからだ。君にも心当たりがあるだろう」

「……」

 

 

倉橋の言葉を、時雨は否定できない。

心当たりがあったから、というのは間違いではない。

しかし。

 

 

「…そうかもしれないな」

「だったら…!」

「だが、仮にそうだとしても……それは生きる者のエゴだと、俺は思っている。仮に俺が死んだところで、いずれは時間が辛さを消すだろう」

 

 

そのほんの僅かな時を乗り切るだけでいい。

そうすれば、いずれ普通に暮らせるようになる。

 

 

「……そんな時の流れを、何度も見てきた。医師であるのなら、分かるだろう」

「っ…」

 

 

だからこそ、自分が死のうが、別にそれはそれでどうでもいい。

だから、治療は望まない。

 

 

「……依頼を完遂するまでの延命措置は頼むが、それ以上は望まない」

 

 

余計なことはしてくれるな。

それだけ言い残し、時雨は部屋へと消えていく。

 

 

 

廊下に残された倉橋はただ一人。

 

 

「……私には、誰よりも君が一番、喪う辛さに苛まれ続けているように見えますよ。華月君…」

 

 

それだけ言い残し、倉橋も歩き出す。

懐から携帯電話を取り出しながら。

 

 

「君は生きるべき、等という高説を垂れるつもりはありませんが…私とて医師であり、君の担当医だ。その責務は、果たさせてもらいますよ」

 

 

番号を入力し、耳に当てる。

その通話の先は。

 

 

「……あぁ、私だ。予定通りに進める。人員を確保しておいてくれ……それと、もし華月君を訪ねてくる例の子達が来たら伝えて欲しいことが……」

 

 

それは、倉橋のみが知る部分だった。



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第5話:戦う意味

その頃、PvP用のフィールドにて。

 

 

「やああぁぁぁっ!!」

「っ…くっ!」

 

 

リーファの光剣をキリトが光剣で受け止める。

その背後から。

 

 

「そこっ!」

 

 

フィリアがキリトの背後から銃撃。

更に。

 

 

「せやあぁぁっ!!」

 

 

アスナが銃弾の背後から持ち前の速度を活かして近づき、追撃をする。

 

 

「くそ、っ…!」

 

 

いくらSAO生還者のキリトとはいえ、同じく生還者であるリーファ、フィリア、アスナを同時に相手にするのは厳しいらしく。

 

 

「っまたやられた…さすがにきついな、これは…!」

 

 

その場に大の字に倒れて負けを認めるキリト。

 

 

「やっぱり1対3はきついんじゃ…」

 

 

リーファが困ったように言う。

 

 

「…はは、そうかもな…」

 

 

それにはキリトも笑って返す。

その反応にリーファは一つ溜息を吐いた。

現在、4人はキリト対他、というチーム型のPvPを行っていた。

当然ながら、リーファ、アスナ、フィリアの攻撃は互いには当たり判定がない。

その為、キリトは3人の攻撃を全て捌ききらなければ勝てない。

 

 

「……でもさ。この状況で勝てるくらいじゃなきゃ、あいつには勝てないだろ?」

 

 

キリトは立ち上がりながら、そう答える。

彼の言いたい事は、三人も理解していた。

シグレとの戦い。

あの時は、シグレに対し、自分たち四人に加え、ストレア、シノン、ユウキもいた。

その状況であっても。

 

 

「全然、敵わなかったからね…」

 

 

アスナがそう、続ける。

彼女が言う通り、7人がかりでも、シグレには勝てなかった。

それが、惜しくも敗北、ならまだいい。

 

 

「……全然、歯が立たなかった。正直…あそこまで強いとは思ってなかったわ」

 

 

フィリアが思い出すように言う。

シグレ以外が地を這う中、シグレは殆ど息を乱さずに立っていた。

 

 

「ねぇ、お兄ちゃん。ずっと気になってたんだけど…」

「ここではその呼び方は…ってのは野暮か。なんだよリーファ」

 

 

リーファがふと、キリトに問いかける。

 

 

「……お兄ちゃんが、そこまでしてシグレさんを追いかける理由って…何なの?」

「え…?」

 

 

何を言っているんだ、と言いたそうなキリトに慌ててリーファが取り繕うように。

 

 

「も、もちろんあの人がSAOで仲間だったっていうのは知ってるよ?でも、今は…」

 

 

リーファにとっては、シグレが完全に敵に見えているのだろうとキリトは悟った。

同時に無理もない、とキリトは思っていた。

リーファとしてSAOにログインしたのは、シグレがホロウ・エリアに入り込んだ後。

その後、シグレはアインクラッドに戻ることなく終わった。

つまり、会話をしたことすらまるでない。

そこに、今回の対峙である。

敵だと思うな、という方が無理だとキリトは思う。

 

 

「……今のあいつを見たら、そう思っても仕方ないかもね」

 

 

キリトが何かを言おうかとする前に、フィリアが答える。

 

 

「私だって、今のシグレしか知らなかったら、貴女と同じだと思う。けど…それでもね」

 

 

どれだけ自分が苦しい状況になっても、私達を助けてくれた。

そう、フィリアは続ける。

彼女とて、そう付き合いが長いかと言われれば、そういうわけではない。

それでも、シグレが共に戦ってくれた、その時を知っているから。

だからこそ。

 

 

「私は、シグレの力になりたいって思える理由があるから」

 

 

だから、私は私にできることをやる。

そう、フィリアははっきりと告げた。

それに続くように。

 

 

「…私も」

 

 

アスナが言葉を続ける。

 

 

「シグレ君には謝らなくちゃいけないから。彼は私を助けて、導いてくれたのに…私は、自分の剣で、あの人を…」

 

 

アスナが思い出すように、苦い顔をしながら自分の利き手を見る。

その意味をこの中で理解しているのはキリトのみだったが。

 

 

「……だからこそ」

 

 

あの人を、救いたい。

想い人をその手で、傷つけてしまった過去は、どうあがいても消えない。

だとしても。

否、だからこそ。

 

 

「…助けたいの。彼を」

 

 

アスナも、はっきりと告げる。

何からか、なんて分からないけれど。

 

 

「まぁ…俺もさ。二人とはちょっと違うかもしれないけど…あいつとは勝率半々でさ。このままじゃ終われないってのもあってな」

「…ふぅん」

 

 

最後のキリトの言葉に、なんとなく、といった感じで頷くリーファ。

 

 

「だからまぁ、無理にこっちに付き合わなくても…」

「……何言ってるの、お兄ちゃん。私もちゃんと最後まで、付き合うよ」

 

 

キリトの提案に苦笑するリーファ。

 

 

「だって…ここで私が抜けたら悪者みたいじゃない」

 

 

そんな風に笑うリーファに、三人もつられて笑うのだった。



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第6話:銀の刃

奴の知り合いと別れてから。

一人、街の中を歩く。

 

 

「……」

 

 

ヴェンデルガルト。

彼女の銀髪は、この荒廃した世界では良くも悪くも目立っていた。

そんな彼女が持っている装備は、初期装備とほぼ変わらないもので、それだけ見れば、それほど実力が無いようにも見えてしまう。

それが理由で。

 

 

「おう、嬢ちゃん一人でどこ行くんだい?」

「外に行くなら俺たちが護衛してやろうか?へへっ…」

 

 

下卑た笑みを浮かべて近寄ってくる屈強な男二人組。

世界観もあり、どうあっても治安が悪いこのMMOの中では、それほど珍しくない。

そのせいか、ショップで人目があるにも関わらず、こうして近寄ってくるものも多い。

 

 

「……」

 

 

ふと、周りを見渡せば、こちらに興味津々なのか、好奇の目を目を向けてくる輩が多い。

そう、彼女は感じていた。

そんな彼女が最初に思うのは。

 

 

「……邪魔」

 

 

それだけだった。

やれやれ、と溜息を吐いて、男達の脇を通り過ぎる。

それが、男達にとっては苛立たしかったのか。

 

 

「っ…舐めてんじゃねぇぞ女ぁ!俺達が誰なのかわかって…!」

 

 

その中の一人が、通り過ぎた彼女の肩に掴みかかる。

 

 

「…」

 

 

しかし、それは適わなかった。

何故なら。

 

 

「が……!?」

 

 

いつの間にか彼女が逆手に持った光剣が男の腹部を貫いていたから。

無残にも光剣が男の腹を貫き、背中に突き出していた。

 

 

「……」

 

 

振り返りざまに光剣を引き抜くと、男は力を失いその場に倒れこむ。

 

 

「…本当に舐めていたのは」

 

 

ヴェンデルガルトは男の傷口を容赦なく抉るように踏みつけながら、男に顔を寄せる。

声をかけた相手の異性が自分に顔を寄せてくれる状況。

彼女の目の前の男にとっては、願ったりな状況かもしれない。

しかし。

 

 

「……どっち?」

 

 

目の前に武器が突き付けられているわけでもない。

力を入れて振り払えば、おそらく簡単に形勢逆転できるだろう。

それでも、そうする気力が起きない。

それほどまでに、男は目の前の彼女に畏怖していた。

彼女が特別表情を作っていたわけではない。

それどころか、どんな感情なのかすら見えない。

それがより一層、男の恐怖を煽っていた。

 

 

「…」

 

 

やがて、彼女は顔を離し、刃をしまった光剣の出力部分を男の口の中に突っ込む。

もしここで刃を出されれば、喉奥が焼かれてしまうだろう。

その恐怖に、男は惨めにも目尻に涙を溜める。

 

 

「んー、んーっ…!!」

 

 

首を横に振り、何とか逃れようとするも、逃れられるわけもなく。

男に許しを請うことすら、彼女は許さない。

そんな男に、情が湧くどころか、感情一つ乱さず。

 

 

「…」

 

 

ブン、という光剣特有な音と共に、男は動きを止めた。

男の動きが止まったのを確認し、彼女は立ち上がり。

 

 

「……」

 

 

引き抜いた光剣の鞘についた男の唾液だろうか、それが気になったのか。

光剣を持ったまま、もう一人の男に視線を向ける。

 

 

「ひっ…わ、悪かった…許し……!」

 

 

後ずさりしようとしながら許しを請おうとする男に。

 

 

「…あげる」

 

 

光剣を投擲する。

その光剣は男の胸を貫き、その場に倒れた。

現実であれば、そこは肺か心臓がある位置。

そんな事が出来るのは、ここが仮想世界だから。

だから、彼女は表情一つ崩さずこんなことができるのだ、と。

そう、周りは思い込む事にした。

現実でこんなことができるわけがない。

出来るのだとしたら、狂っている。

 

 

「……武器、買わなくちゃ」

 

 

ショップに向けて歩き出す彼女を、今度は誰も邪魔しない。

それどころか、邪魔にならないように道を開ける。

彼女はそれを気に留めることもなく、買い物を終えてショップを去っていった。



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第7話:束の間の日溜り - I

出会ったのは、もう五年近く前になるだろうか。

私が住んでいた国、ドイツに突然、彼はやってきた。

 

 

「いらっしゃい、君がシグレか。話は聞いているよ。さぁ入って入って」

「日本の方には寒いでしょう。中で暖まっていって」

 

 

近々、ホームステイをする日本人が来る。

その受け入れ先に、私の両親は立候補していた。

私の両親は、彼を快く迎え入れていた。

 

 

「……」

 

 

そうして迎え入れられる彼…シグレを、その時は両親の陰から見ていた。

それもあって、シグレの表情をよく見ていたわけではない。

それでも、誰に聞いても人が好いと評判の両親に育てられたからだろうか。

シグレがその心の奥底に抱えるもの、その片鱗が垣間見えたような。

そんな気がした。

 

 

 

あまりに静かすぎる出会い。

 

…それが、私…ヴェンデルガルト・リヒテンベルクとシグレ・カゲツの出会いだった。

 

 

 

出会った当初はというと。

朝、まだ街に活気が出る前の早朝には。

 

 

「…出かけます」

 

 

どこか不慣れなドイツ語でシグレはそう両親に告げ、すぐに出かけてしまう。

そんな彼を。

 

 

「そうか…大変なんだな。気を付けて」

「…朝食、貴方の分も用意しておくから、ちゃんと戻ってきてね」

 

 

両親は変わらず笑顔で送り出す。

 

 

「……」

 

 

シグレはそれには答えず、出かけてしまう。

笑顔で送り出してこそいるが、シグレが外に出た後に閉まる扉を見て寂しそうにしていた両親の表情は、今でもよく覚えている。

 

 

「おぉ、おはようヴェンデ。さ、ご飯にしようか」

「さぁ、座って座って。冷めちゃうからっ」

 

 

私には、そんな素振りは微塵も見せてくれなかったけれど。

それでも私は、こんな我が家の雰囲気が、大好きだった。

 

 

 

…ある日の夜。

 

 

「…ねぇ」

 

 

夜遅くに帰ってきたシグレに私は問いかける。

両親も寝静まっており、明かりもない家の廊下。

月明りこそ入ってくるが、シグレの表情は見えない。

呼びかけても、シグレは振り返りすらしなかった。

 

 

「…まだ起きていたのか」

 

 

シグレは、そう小声で話してくる。

考えてみれば、彼に話しかけたのは、これが初めて、だった気がする。

 

 

「いつも…どこに出かけてるの」

 

 

そう、勇気を振り絞り、なんとか言葉にする。

共に暮らし始めて何日も経つのに、まるで初対面のような感覚が抜けない。

 

 

「……野暮用だ。気にするな」

 

 

答える気はない、と言わんばかりのシグレ。

深入りするのを拒絶されるような、壁のようなものを感じるが、それでも。

 

 

「それは出来ない」

「何故」

「…ホームステイでも、うちで一緒に暮らしている以上は…家族だから」

 

 

家族の心配をするのが悪いこと?

そう、問いかけるが、答えは返ってこない。

軽く一瞥され、少しばかり無言の静寂が廊下を包む。

 

 

「……明日は、朝食に参加してから出かけるようにする」

 

 

静寂を打ち破り、それだけ言い残して、部屋へと入っていく。

一瞬何を言われたのか理解できずにぼんやりと彼の背中を見送り。

 

 

「……約束」

 

 

やがてその意味を飲み込み、彼がいなくなった廊下で呟きながら、私も部屋へと戻った。



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第8話:束の間の日溜り - II

面倒な事になった。

それがまず第一に思った事だった。

 

 

「……」

 

 

部屋に戻り、扉に背を預けて一つ息を吐く。

この家の娘だと紹介されたヴェンデルガルト。

家族にはヴェンデ、と呼ばれているようだが、どうでもいい。

溜息を吐きながら、窓から見える月を覗く。

気候の差か、日本のそれとは若干違って見える。

静かな夜。

 

 

「…」

 

 

今回ここに来たのは表向きはホームステイとなっているが、実際は違う。

この地域で近頃発生している連続殺人。

地域が限定されることや、手口が共通しているから同一犯という事らしいが、操作を行う警察官ですら被害に遭っている。

このままにはできない為、これ以上の被害を抑える目的で、処理を依頼され、海を越えてくることになった。

それだけ聞けば、国の間での協力関係が成り立っているように聞こえる。

だが実際のところは、そうではない。

外国にいい顔をしたい、そうして後ろ盾を得て成りあがりたい、という醜い欲望の中で、捨て駒にされた、という方が正しい。

要は、警察が情報を得るための捨て駒となり、犠牲になれ、と言われているのと同じ。

 

 

「……」

 

 

法で人権やらなにやらの保障はあれど、そんなものはお構いなし。

むしろ法を遵守するために必要な犠牲。

いいように使われているだけだった。

とはいえ、俺や、父が今までやってきた事の揉み消しという対価を得ている以上、断るという選択肢はない。

それは、父が殺された今となっても、何も変わらない。

そして、それはこれから一生、変わることはない。

 

 

「…」

 

 

そんなだから、なのかもしれない。

この家族を、眩しいと感じてしまうのは。

温かいと、感じてしまうのは。

しかし、それが許されるわけではない。

許されてはいけない世界に、自分はいる。

その時には、そう認識できる程度にはなっていた。

 

 

「っ…」

 

 

頭をガシガシと掻き、溜息を吐く。

明日からどうするか。

先ほどあぁは言ったものの、どうしたらいいのか分からない。

父を喪い、母を喪い。

頼れる親戚や友人もなく、一人の時間が長すぎたせいだろうか。

どのように振舞えばいいのかが、分からない。

 

 

「…」

 

 

いっそ、明日の早朝に、外に出てしまおうか。

そうすれば、今までと変わらずだろう。

しかしそれでも、少なくとも今までは一言言って外に出ていた。

それが急になくなれば、不審に思われるかもしれない。

そうなれば、例えばどこかに連絡されるなど、調査に不都合が生じる行動を起こされる可能性もある。

それを考えると、得策ではない。

 

 

「…」

 

 

いっそ、事情を話して協力を仰ぐか。

地元の人間だからこそ分かる事情があるかもしれない。

…しかし、その考えはすぐに捨てる。

数日、更にほんの限られた時間とはいえ、共に過ごして分かったことは、この家族は『こちら側』ではない。

人間の醜い部分を見せつけられてきたからこそ、この家族がそういった部分がないことは分かっていた。

だからこそ、巻き込むべきではない。

 

 

「…寝るか」

 

 

結局のところ、提案を受け入れつつ、必要以上に悟られないようにするしかない、という結論に至る。

この家族がここまで温かいものでなければ、ここまで悩むことはなかったのかもしれない。

しかし、温かさを知ってしまった以上。

まして、自分なんかを受け入れてくれた以上は、守らねばならない。

かつて、自分を守ってくれた、父のように。

 

 

「……父さん」

 

 

まだ、未熟ではあるけど。

そんな俺を受け入れてくれた家族を守る力を、貸して下さい。



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第9話:束の間の日溜り - III

翌朝。

 

 

「……」

 

 

ここに来て、初めて皆揃っての朝食。

 

 

「…美味しい?嫌いなものとかない?大丈夫?」

「……はい」

「日本の食事は食べたことはないが、ここの食事も美味しいだろう?」

「…はい」

 

 

両親が今まで会話がなかったのを取り戻すかのように矢継ぎ早に話しかけている。

一方のシグレはといえば、分かっていたことだが慣れない会話に既に疲れ気味だった。

慣れないというのは言語の壁、というのもあるがそれだけではなく、おそらく彼自身が会話が得意ではない。

それは何となく察しがついていた。

 

 

「……」

 

 

というより、話しているせいか、両親もシグレも食事が進んでいない。

仕事とか、大丈夫なのかと心配になったが。

 

 

「…あ、あなた、時間!」

「っ…まずい、急いで食べ…ごほっ」

「あぁ、もう…落ち着いて!」

 

 

…大丈夫じゃなかった。

それから少しばかりドタバタした後。

 

 

「じゃ、じゃあ私たちは出かけるから」

「ゆっくりしててね。ヴェンデ…あと宜しくねっ!」

 

 

母の言葉に頷く。

私も学校こそあるが、両親より遅く出て余裕で間に合う。

そもそも、今日は休みなのだが。

ふと、横を見れば。

 

 

「……」

 

 

シグレが机に突っ伏していた。

 

 

「…平気?」

「……そう見えるのなら眼科に行け」

 

 

心配で尋ねれば悪態が返ってくる。

せっかく心配したのになんて対応。

まぁ、この様子を見てると怒りよりも微笑ましさが出てくるのだけど。

 

 

「…なんか、ごめん」

「なぜ謝る」

「迷惑、だったかなって…」

 

 

顔を上げるシグレに謝る。

約束してくれたとはいえ、半ば強引にこんな事をさせているわけで、罪悪感がないわけでもない。

 

 

「こういう食事は、初めてだったからな…どうしたらいいか、わからなかっただけだ」

「……初めてって…これくらい普通じゃない?」

 

 

私の問いに、シグレはすぐには答えない。

私にとっては当たり前の事で、それが普通だと思っていた。

それが、家族というものなのだ、と。

 

 

「…これが普通だというのなら、俺の家は普通の家族ではなかった…ということなのだろうな」

 

 

呟くように言いながら、シグレは立ち上がる。

 

 

「……出かける」

 

 

私が何かを聞くより前に、歩き出す。

 

 

「昨日も聞いたけど、どこに……」

「…朝食に相席するという約束は果たしたはずだ」

 

 

私の質問には答えず、シグレは家を出ていく。

一人残された家の中で、彼が出た玄関の扉を見る。

 

 

「…」

 

 

初めは、何とも思わなかった。

それ以上に、下手に近づくことに対する恐怖のようなものがあった。

けれど、今は。

 

 

「…行こう」

 

 

もう少し、彼のことを知りたい。

そう思い、彼を追いかけることにした。

今日は休みだしちょうどいい。

 

 

…そう思い、私は戸締りをして、彼がどこへ向かったのかを探しながら、追いかけることにした。



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第10話:束の間の日溜り - IV

シグレは、どこに行ったのか。

最初の頃は日本人らしい、というか、少なくともちょっと変わった服装に見えていたが、今は周りに馴染んでおり、なかなか見つからない。

 

 

「…」

 

 

なんとなく歩き出したはいいが、そもそもこっちに来たという保証も無かった。

そうなると、いよいよ探すのは無理があるかもしれない。

もしもう少し探して見つからなかったら帰った方がいいのかもしれない。

 

 

「…なんで私、こんなことしてるんだろ」

 

 

ふと思う。

考えてみれば、何だかんだで彼はちゃんと夜には帰ってきていた。

皆が寝静まるくらい遅くではあったが。

私は平日は学校に通っている。

シグレもホームステイなら通えばいいのに、とも思うが、通っていない。

何のためのホームステイなのだろう。

その綻びが広がるように、シグレに対する興味と疑問が出てきていた。

だから今日、こうしてシグレを尾けてみようと考えたのだが。

 

 

「……だめ、か」

 

 

家を出てどのくらい経つだろうか。

そこそこ人の多い通りなら、人混みに紛れたシグレが見つかる確率が高いかと思ったが、そう上手くはいかなかった。

帰ろうか。

そう思い、来た方向へと戻ろうと振り返ろうとしたとき。

 

 

 

――きゃああぁぁぁぁぁぁっ!!!

 

 

 

女性の悲鳴。

声がした方を見れば、人だかりが出来ていた。

ざわざわ、と皆が何かを言い合っている。

よくは聞き取れないが、顔色を見ると、驚いている人、青ざめている人、口を押えている人と様々だった。

何だろう。

そう思い、人だかりに近づき、隙間を通してもらいながら、中心に近づく。

 

 

「っ…見ちゃだめだ!」

 

 

近くにいた見知らぬ男性が必死に私に呼びかける。

しかし、それは、ほんの少しだけ遅かった。

 

 

「っ…う……!?」

 

 

目の前には、胸のあたりを真っ赤に染めた男性が、建物を背にして事切れた姿。

それほど時間が経っていないのか、服を濡らす赤いそれは、まるで小さな噴水のように服を揺らしながら溢れだし続け、赤い染みを大きくしていく。

突然だったのか、男性の目は大きく見開かれ、口はだらしなく開いていた。

私とて、死を理解できないほど子供ではない。

とはいえ、こんなものを見たことは今までにあるわけもない。

私にはあまりにも、刺激が強すぎた。

何か、嫌なものがこみあげてきて、吐き出しそうになるのを何とか両手で押さえる。

頭が、痛い。

体に力が入らない。

 

 

「……ぅ…?」

 

 

その場に崩れ落ちそうになるが、誰かに腕を支えられ、何とか踏みとどまる。

後ろにいた大人の人が支えてくれたのだろうかと思ったが。

 

 

「…平気か」

「シ、グレ……?」

 

 

ぼんやりと、声がした方を見れば、シグレが私を支えていた。

視界が霞み、表情はよく見えなかったが。

 

 

「……目を閉じて、楽にしていい。家まで連れていく」

「う、ん……ごめ、ん、私……」

 

 

謝らなくていい。

シグレはそう言ってくれた。

けれど、いつも夜遅くまで何かをしているシグレの邪魔をしてしまった。

私の好奇心という、自分勝手な理由で。

 

 

「……気にしなくていい。今日の用事は済んだ」

「そ、っか……」

「…そんなことを気にするくらいなら、お前の親が戻るまでに調子を戻しておけ。心配をかけたくはないだろう」

「ん……」

 

 

その言葉を最後に、私は意識を手放した。

その時は、私は疑問に思っていたはずの事を、聞くことができなかった。

 

 

 

…どうして、シグレは普通にしていられるの。



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第11話:束の間の日溜り - V

あの翌日。

 

 

「……」

 

 

シグレは私とは会話をしなくなった。

彼なりの気遣いなのかもしれない。

たった一度。

されど一度。

見てしまったあの姿は、強烈な印象を私の心に刻み付けた。

 

 

「…では」

 

 

シグレは食事を終え、軽く挨拶をして外へと出かけた。

どこへ行ったのかは分からない。

けれど、もう追いかけようという気は起きなかった。

それは、あれを見てしまったからではない。

あんなことは、そうそうある事ではないはず。

それよりも、それでシグレの迷惑になるようなことはしたくなかった。

 

 

「じゃあ、私たちも出かけるから」

「ヴェンデも学校、遅れないようにな?」

 

 

両親も出かけ、私は家に一人。

とはいえ、すぐに私も出かけるけれど。

 

 

「…」

 

 

あれを思い出さないように深呼吸をする。

目を閉じると、未だに鮮明に思い出せてしまう。

深呼吸で吐き気を押さえながら、少しずつ慣らすようにする。

 

 

「行こう…」

 

 

それでも、昨日のように体の力が抜けたりはしない。

父にも母にも心配されなかったあたり、上手く誤魔化せていたのだろうか。

あるいは気遣って聞かれなかっただけか。

私には分からない。

それでも、私は歩き出す。

 

 

「…遅刻なんてしたら、心配かけちゃう」

 

 

両親はもちろん、学校の友達にも。

シグレにも。

 

 

 

………

 

……

 

 

 

 

通学路。

 

 

「おはよ、ヴェンデ!」

「…おはよう」

 

 

通学路で声を掛けられ、挨拶で答える。

家を出て、いつも通りの通学路。

そこを歩く頃には、昨日の事は記憶から大分薄れていた。

友達と談笑しながら歩く通学路。

それは、何も変わらない毎日。

 

 

「ヴェンデ…大丈夫?なんか、気分悪そうだけど」

 

 

突然そんな問いを掛けられ、一瞬慌てる。

まさか昨日のことを話すわけにもいかず。

 

 

「…大丈夫、行こう。遅れるから」

「あ…うん、そうだね」

 

 

半ば強引に打ち切り、早足で歩きだす。

もう、昨日の事は忘れよう。

 

 

「あ、ちょっと…!」

 

 

無意識に早足になってしまったのか、声を掛けられハッとする。

 

 

「もー、突然スピード上げないでよ。びっくりするじゃん」

「…ごめん」

「はいはい。許してあげますよ…その代わり、数学の宿題見せて!」

「……」

 

 

やれやれ、と思いながらも笑みが零れる。

楽しい日常。

きっと、私は大丈夫。

ちゃんとやっていける。

それもこれも、周りの人のおかげ。

周りのみんなのおかげで、私は笑っていられるのだと、そう思う。

友達も、家族も。

…時間は短いけど、シグレだって、そう。

口には出さないけど、皆が、私は大切。

だからこそ。

 

 

「自分でやらなきゃ、だめ」

「ケチー!」

 

 

だからこそ、甘やかすようなことはしないのだけれど。

 

 

 

…それからは特に問題なく一日を終える。

 

 

 

今日もいつも通りの一日が終わる。

 

 

 

……そう、思っていた。



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第12話:束の間の日溜り - VI ※鬱展開注意

放課後。

何事もなく一日を終え、帰路につき。

 

 

「…ただいま」

 

 

家の扉を開ける。

いつも通りの帰宅。

 

 

「……?」

 

 

けれど、何かがおかしい。

直感的に私はそう察した。

いつもなら、母がおかえり、と返してくれる。

母が夕食を作る音や香りが感じられる。

けれど、そのどちらも感じられない。

 

 

「?…お母さん……?」

 

 

リビングの扉を開ける。

いつもの生活感を微塵も感じない部屋の中。

 

 

「……シグレ?」

 

 

一人、シグレが立ち、床を見下ろしていた。

見れば、外出するときの服装だった。

どうして着替えもせず、こんなところでじっと立っているのか気になった。

私が声をかけると、シグレはこちらを見る。

シグレに近づき、シグレが見ていた場所を見れば。

 

 

「っ!?…おかあ、さ……ん……?」

 

 

床に伏す、母の姿があった。

その隣には。

 

 

「おと、う…さ、ん……?」

 

 

まるで身を寄せ合うように、父も倒れていた。

二人が流す血が、床で混ざり、文字通りの血溜り。

私はそこに、服が血で濡れる事も分からないままに膝をつく。

小さな水音とともに血が跳ねる。

 

 

「ね、ぇ…起きて……帰ってきたのに、なんでおかえりって…言ってくれないの……?」

 

 

私は両親の頬に手を伸ばす。

反応はない。

それだけならまだよかった。

両親の体は、冷たかった。

子供の頃から私に与えてくれた温もりは、そこにはない。

 

 

「や、だ…やだよ…おとぅ、さん…おかぁ、さん……お腹、空いたよ…今日のご飯、なに……ねぇ…っ?」

 

 

呼びかけても。

体をどれだけ揺すっても。

二人は起きない。

 

 

「あ、ぁ…っ」

 

 

もう、どれだけ望んでも。

どれだけ求めても。

あの温もりは。

暖かい家族は、もう、どこにも、ない。

 

 

「…ぁ……っ」

 

 

混乱した私の頭が、徐々に理解する。

嫌だ。

理解しないでよ。

こんなの、嘘だ。

そう必死に自分に言い聞かせる。

そう思っている時点で、理解はしてしまっているなんて、思いたくない。

 

 

「ぁあ…!」

 

 

嫌だ。

嘘だ。

嫌だ嘘だ。

嫌だ嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ嘘だイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダイヤダウソダ。

 

 

「あああぁぁああぁぁあああぁぁーーーー!!!!!!」

 

 

冷たい、からだ。

その少しのあたたかさでもいいから、かんじさせて。

おねがい、だから…!

 

 

「っぁああああぁぁーーーー!」

 

 

かみさま。

わたしは、なにかそんなにわるいことをしましたか。

もしそうなら、たくさん、あやまりますから。

たくさん、おいのりします、から。

おとうさんを。

おかあさんを。

どうか、かえしてください……!

 

 

「うっ、うぅ……」

 

 

ほんとうは、分かっている。

どれだけ願っても、どれだけ祈っても、もう、私の願いは、叶わないのだと。

頭でだけは、分かっている。

そんなぐしゃぐしゃになった心は、なかなか落ち着かない。

すると。

 

 

「……?」

 

 

携帯電話の呼び出しか、バイブレーションの音が小さく響く。

私のでは、ない。

だとすれば。

 

 

「……俺だ」

 

 

振り返れば、シグレが私に背を向けて、電話をしていた。

相手は、分からない。

日本語…みたいだ。

私には、分からない。

 

 

「………数日調査したが、ターゲットはロスト。これ以上この場での調査は意味なしと判断、移動の必要あり」

 

 

何を言っているのか、分からないけど。

少しだけ、分かった。

target lost。

目標、消失。

失う。

 

 

「……」

 

 

理解した言葉と、頭の中を占める事実が混じりあう。

ターゲット……私の、両親。

ロスト…死亡。

事実と、シグレの言葉が簡単に結びつく。

実際には違う可能性もある。

けれど、この状況の理由を求める私には、そういう思考しか出来なかった。

 

 

「……了解。これより次の目的地に移動する」

 

 

そんな私など関係ないかのようにシグレは電話の相手に淡々と告げる。

私には、その言葉は分からない。

日本語を学ぶ機会などなかったし、教えてもらったこともない。

けれど、そんなことはもう、どうでもいい。

 

 

「…」

 

 

溜息を吐くシグレ。

そんなシグレを、今までのようには見れなかった。

 

 

「……どうして?」

 

 

私の言葉に、シグレは私に視線を向ける。

けれど、シグレは何も答えない。

 

 

「っ…どうして……!!」

 

 

どれだけ強く尋ねようと、シグレは表情一つ変えない。

私の、怒りを超えたこの気持ちすら、シグレには届かない。

 

 

「……」

 

 

シグレは何も言わず、私に背を向けたまま、歩き出す。

今の私は、どうやっても奴には届かないだろう。

だとしても。

 

 

「……す」

 

 

こんな言葉、思い浮かぶなんて、思っていなかった。

一生、思い浮かべることもないと、思っていたけど。

奪ったのなら。

奪い返してやる。

 

 

Ich bring dich um(お前は私が、殺してやるから)!!」

 

 

私の言葉に、奴は振り返る。

その視線は、冷たい。

今まで見たことのない、その冷たさは、私と同年代だとは、とても思えないほどの、冷たい視線。

無表情の、奴の顔は、物語でしか見たことのない、殺しを生業とする存在に見えた。

その視線に、私は震えそうになるが、その震えを必死に殺しながら睨みつける。

そんな私に。

 

 

「…wenn du kannst(できるものなら、やってみろ)

 

 

流暢な話し方で、そう一言だけ残し、奴は家を出て行った。

……私は、必ず、やってやる。

私から全てを奪ったお前を。

 

 

 

私は、絶対に、許さない。

 

…許すことなんて、出来ない。

 

……許すとしたら、その時は、私が死ぬ時だ。



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第13話:彼という存在

シグレとの戦いの後。

 

 

「こんばんは、木綿季」

「あ…こんばんは詩乃さん」

 

 

知り合った病院近くのコンビニで挨拶を交わす二人。

シノン、改め朝田詩乃。

ユウキ、改め紺野木綿季。

GGOで共に戦った仲とはいえ、現実ではそれほど会ったわけでもないせいか、若干距離がある二人。

それでも、下の名前で呼ぶのがしっくりくる、といったこともあり、そう呼び合っている。

 

 

「じゃ、行きましょうか」

「は、はい…」

 

 

年上年下を気にしているのか、それとも別の理由か。

妙に大人しい木綿季に詩乃もどう接すればよいのか悩みながら、二人はマンションへと向かう。

GGOの中で一緒に行動する約束をしていた為の待ち合わせだった。

 

 

「……なんというか」

「?」

「向こうと違って、随分静かなのね」

「あ、えと…あんまり話したら迷惑かなって」

 

 

木綿季の言葉に詩乃は苦笑する。

 

 

「急に調子を変えられたら、そっちの方が私としてはどうしたらいいのか分からないのだけど?」

「あ、すみません…」

 

 

謝ってほしいわけではないのだけど、と苦笑。

 

 

「…なら、私から聞いてもいいかしら?」

「?」

「興味本位でごめんなさい。ただ、気になるのだけど…木綿季、あなた先輩と何があったの?謝らないといけない事って…」

 

 

詩乃の言葉に木綿季は一瞬考え。

 

 

「……皆がいるところで、ちゃんと話します。でも、ボクはあの人を犠牲にして、今こうして生きてしまってるんです」

「犠牲…?」

 

 

木綿季は頷きながら。

 

 

「もし時雨さんがボクに死ねというのなら、現実で刃を向けられたとしても……受け入れる。その覚悟を持って、時雨さんに話をしに来たんです」

「……」

 

 

事情こそ知らないが、強い覚悟を感じる。

けれど、それでも。

直接話をしたことはそれほど多くなかったとしても、自らが先輩と慕う彼ならば。

 

 

「……あの人は…先輩は、そんな事を言う人じゃないと思うわ」

「それは…ボクがやったことを、知らないから…」

 

 

詩乃は木綿季の言葉に溜息を一つ吐きながら。

 

 

「だとしてもよ。確かにあの人はいざとなれば人を殺してしまうかもしれない。実際にそれを見たから」

「っ…」

「それは許されないこと。だけど…やり方はどうあれ、あの人は結果として沢山の人を守ったわ」

 

 

あの場に先輩がいなかったら、あの場で手を汚していたのは、自分かもしれない。

あるいは、こうして今ここにいることも、出来なかったかもしれない。

そう、詩乃は続ける。

 

 

「……先輩は、誰かを守るために自分を犠牲にしてしまう人。それほどの人が、軽々しく貴女に死ね、なんていうとは到底思えないわ」

「そう、だといいな…」

「…いざとなったら、私も一緒に謝ってあげるわよ」

 

 

詩乃の言葉に木綿季はありがとう、とお礼を言いながら笑う。

その笑顔に、詩乃もまた笑顔で返す。

 

 

「…なんというか」

「?」

「詩乃さんって…どこか時雨さんに似てる気がします」

 

 

どこが、というわけでもない。

まして、ほとんど話したことがあるわけでもない。

それでも、なんとなく話した雰囲気が似ているような。

 

 

「……それは、すごく嬉しいことだわ」

 

 

木綿季の言葉に、詩乃は笑顔で返す。

同姓である木綿季ですら一瞬見惚れるほどの。

 

 

「私にとって、先輩は全て。あの人がいたから、私は今こうして生きている」

 

 

そんな憧れの存在に、手が届かないとしても。

せめて少しでも近づきたい。

その思いを、ずっと。

彼女の人生の半分以上もの間、胸の内に秘めて。

 

 

「……あの人が死ぬのなら、私も死んでも構わない。でも…叶うのならば、生きていてほしいから」

 

 

だから、私は行動する。

詩乃ははっきりと、そう言い切る。

 

 

「……詩乃さんは」

 

 

詩乃の言葉に、木綿季は詩乃を見て。

 

 

「時雨さんのこと…好きなの?」

 

 

なんとなく帰ってくる言葉を予想はしていたが、敢えて尋ねる。

それを知ってか知らずか。

 

 

「えぇ。私は…朝田詩乃は、華月時雨という人を…愛しているわ。たとえこの想いが届かないとしても、決してそれは変わらない」

 

 

そう、迷うこともなく、はっきりと答える。

 

 

 

…やがて、マンションは目の前だった。



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第14話:似た者同士

マンションの一室の前で二人は立ち止まる。

詩乃に案内されてきたその場所は、時雨が住んでいたであろう部屋。

表札は外されているのか、もとから無かったのか、ついていない。

 

 

「…無駄だとは思うけど」

 

 

言いながら、詩乃は呼び鈴を鳴らす。

…が、案の定というべきか、応答はなかった。

こうなってくると、彼女らには打つ手がなかった。

 

 

「やっぱりダメ、か」

「個々の管理人さんに頼んで開けてもらう、とか?」

「…こう暗いと、訪ねるのもちょっとね」

 

 

木綿季の提案を詩乃は棄却する。

GGOでの戦いの後、その日のうちだったこともあり、夜も更けていた。

 

 

「それに、私達は先輩と近しい間柄というわけでもない。事情がどうあれ、流石に厳しいと思うわ」

「そっか…そう、ですね」

 

 

詩乃の言葉に木綿季は頷く。

 

 

「……なら、明日、病院に行ってみましょう」

「でも、それこそ家族でもないとダメなんじゃ…」

「その時はその時で考えるしかないわ。いずれにしても、他に当てがないもの」

 

 

やれやれ、といった感じの詩乃。

 

 

「……今日は解散かしら」

「あ、はい…そう、ですね」

 

 

それじゃ、また、と歩き出そうとする木綿季。

 

 

「あ…ちょっと待って」

「?」

「…よければ、泊ってかない?明日も行動するのだし…それに、色々と、話してみたい事もあるの」

 

 

突然の詩乃の提案に木綿季は一瞬戸惑うが。

 

 

「あ、はい…」

 

 

断る理由もなかったので応じることにしたのだった。

 

 

 

………

 

……

 

 

 

 

そうして、歩いて数歩、訪ねた部屋の隣の詩乃の部屋にて。

 

 

「…隣に住んでたんですね」

「えぇ。偶然を通り越して運命じみたものを感じたわね」

 

 

詩乃の苦笑に木綿季も笑顔で返す。

反応に困った、ともいえるのかもしれないが。

 

 

「…あんまりいいお茶は出せないけど」

「あ、いえ、お構いなく」

「構うわよ。私が無理して呼んだんだから」

 

 

借りてきた猫のように小さくなる木綿季に。

 

 

「……気になってたんだけど、聞いてもいいかしら」

「あ、はい」

 

 

話しかける詩乃に木綿季は続きを待つ。

そんな木綿季に。

 

 

「木綿季はどうして、先輩を追いかけてるの?」

「え…?」

「言い方はあれかもしれないけど、変な話…先輩に関わらなければ、謝りたい事っていうのも知らぬ存ぜぬで普通に暮らせてたんじゃない?面識もないんでしょ?」

 

 

詩乃の探るような視線に、木綿季は一瞬言葉が途切れる。

確かにその通りで、否定はできない。

 

 

「……そう、かもしれません」

 

 

でも、と木綿季は続ける。

 

 

「でも…このままじゃ、ダメだって、そう思うから。たとえ迷惑だと思われてもいい。恨み言を言われたっていい」

 

 

何を言われたって、受け止めなくちゃいけない。

そう、はっきりと言葉にする木綿季の瞳は力強さすら感じられた。

 

 

「…強いのね」

「え?」

 

 

ぽつり、と呟くような詩乃の言葉に、木綿季は聞き取れなかったのか問い返す。

 

 

「木綿季が先輩との間に何があったのかは知らない。だけど…それほどの後ろめたさを持って、逃げるチャンスがあるのなら…多分私じゃ逃げてしまうから」

 

 

それをしなかった木綿季は凄い。

そう、苦笑とも自嘲ともとれる笑みを浮かべながら詩乃は言った。

 

 

「……でも、ボクは詩乃さんが羨ましいです」

「私が?」

 

 

木綿季の返しに、今度は詩乃が疑問符を浮かべる。

それに木綿季は頷きながら。

 

 

「たった一度会っただけの人をずっと…何年も想い続けられる強さが、羨ましい。ボクは…目を背け続けてしまったから」

 

 

詩乃さんには敵わないです、と笑う。

それに詩乃は手元の湯飲みに視線を落としながら。

 

 

「…なんか、似てるわね。私たち」

「……そうですね」

 

 

そう、二人は笑いあいながら、夜は更けていく。



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第15話:想いを胸に

シノンとユウキがログアウトした後のGGOにて。

 

 

「じゃあ…いくよっ!」

 

 

リーファが先陣を切り、アスナ、フィリアが後に続き、キリトに襲い掛かる。

 

 

「あぁ…!」

 

 

そんな三人を迎え撃つキリト。

片手には光剣、片手にはハンドガン。

GGOでの、彼なりの二刀流スタイル。

 

 

「やああぁぁぁっ!」

 

 

リーファが光剣を構え、キリトに襲い掛かる。

現実で剣道をしていることもあってか、両手で剣を構える。

普段彼女が振るう竹刀よりも軽いのか、動きは速い。

 

 

「っ…!」

 

 

キリトはリーファの剣を自らの銃口で止める。

 

 

「っ…よし!」

 

 

それを好機と捉え、一発放つ。

放たれた銃弾は剣をリーファが想定しなかった方向へと弾き。

 

 

「うっ!?」

 

 

一瞬よろける。

けれどキリトは追撃をしない。

なぜなら。

 

 

「せいっ!」

 

 

その隙を突くような、フィリアの弾丸。

しかし、キリトは既にその銃弾を捉えており。

 

 

「はぁっ!!!」

 

 

自らの光剣を振るい、フィリアの銃弾を斬る。

斬られた銃弾は双方向に割れ、キリトの両サイドに着弾する。

ここはPvP用のフィールドということもあり、外のように砂塵は上がらないが。

 

 

「そこっ!」

 

 

剣を振り抜いた隙を突くように懐に潜り込み、SAOで培った速度の連撃を放つアスナ。

 

 

「く、ぅ…っ!!」

 

 

懐に入られ、両手に持った武器のどちらも生かしきれずにキリトはいよいよHPを0にする。

こうして、もう二桁を数えるほどのPvPが終了したのだった。

 

 

………

 

……

 

 

 

「あーっ、負けた負けた!」

 

 

仰向けになりながら、そう悔しそうに言うキリト。

そんなキリトに。

 

 

「やっぱりいくら何でも1対3は無茶だって、お兄ちゃん…」

 

 

溜息交じりなリーファ。

無意識なのか、他にプレイヤーがいないという確信からか、リアルでの呼び方が出ていたが。

 

 

「…かもな。並のプレイヤー相手ならいざ知らず、だ」

 

 

キリトはリーファを咎めることもなく言葉を続ける。

キリトが言う通り、相手にしているのはSAOで最後まで戦い続けた、文字通りの仲間達。

実力はほぼ拮抗しているといえよう。

そんな相手3人に1人で立ち回れるかといえば、それはかなりの難易度なわけで。

 

 

「でも…それでも、あいつには…届かなかった」

 

 

思い返すように、宙に向かって手を伸ばしながらキリトは呟く。

思い返すのは、先のシグレとの戦い。

一人に対し、皆が全力でかかったのに。

 

 

「っ……正直、あそこまで、とは思ってなかった」

 

 

フィリアが悔しそうに言う。

自分たちが全力でかかったにも拘らず、打ち負かすどころか、シグレは息一つ乱していなかった。

それはつまり、自分たちはシグレの相手にすらなっていなかった、ということだから。

SAOで共に戦い、多少なりとも理解したと思っていたのに、底が知れない。

そう思っていた皆だったが。

 

 

「…でも、シグレ君は、スキルをほとんど使ってない」

 

 

一人、アスナは、そんな風に指摘をする。

そんなアスナの分析に、キリトはニッと笑みを浮かべながら立ち上がり。

 

 

「そうだな。あいつは確かに立ち回りやら武器の扱いは凄いと思う……けど、ここは現実じゃなくてゲームだ。そこに隙があると思ってる」

 

 

キリトはそう、はっきり言い切る。

そこに、諦めやら何やらの色はない。

 

 

「…この世界のソードスキル。現実では無理な動きだってある。けど、それを極めて、自分でそれを完全にコントロールできれば…!」

 

 

よし、と気合を入れるキリト。

その傍らで。

 

 

「…勝てるかな」

「?」

「私たちで…シグレに」

 

 

フィリアの疑問にアスナは微笑みながら。

 

 

「大丈夫だよ。私達なら…勝てる。私達だけじゃない。皆もいるから」

 

 

そう、はっきりと言い切る。

 

 

「……それに、私は怒ってるから」

「え?」

「私を人殺しにさせた挙句、それを無かったかのように一人で好き放題して、心配ばっかりかける彼に」

 

 

アスナがフィリアに貴女もでしょ、と尋ねれば、フィリアもまぁ、と返す。

 

 

「……多分。何となくでしかないんだけど、シグレ君は、一人で戦い続けてる」

「それは…まぁ、私達とは戦ったけど…多分そういうことじゃ、ないよね」

「うん。何かとても大きな何かと戦っていて……私たちを関わらせないために」

 

 

間違ってたら恥ずかしいけどね、と笑うアスナ。

実際のところは分からない。

彼は私達のことを何とも思っていないかもしれない。

けれど、SAOの時だって。

彼が一人で危険を背負う事は何度もあった。

それにはいつも後から駆けつけてばかり。

 

 

「……」

 

 

アスナの言葉を、フィリアは否定できない。

彼はいつも前に出て、危険な役を買って出ていた。

常に安全、とは言わずとも、一人の時より安全に行動できることが多かった。

 

 

「…だから、ちゃんと…シグレ君と話をしたいの」

 

 

意気込むキリトの背を見ながら、どこか遠くを見るアスナは、まるで戦いに赴く騎士のようで、気高くも美しくもフィリアには見えた。

 

 

「貴方が一人で抱え込まなくていい。守るばかりじゃなくて大丈夫だから、貴方の隣で戦わせてほしい…って」

「…そっか」

 

 

アスナの決意に、フィリアは軽い返事を返すことしかできなかった。

フィリアは、今、自分の隣にいるアスナという存在が、とてつもなく大きく見えた。

彼女の隣にありながら、自分は何ができるのだろう、と思わされるほど。

フィリアとて、何の決意もなくこの場にいるわけではない。

彼女と同じくらいの決意はあるつもりだった。

なのに、何故か自分のそれは、アスナに大きく劣っているような、そんな錯覚にとらわれる。

 

 

「…だから、一緒に頑張ろ?」

「え?あ…うん」

 

 

そんな思考に捉われていたからか、アスナの問いかけに空返事で返すフィリア。

 

 

「きっと皆同じ気持ちだから。皆でぶつかれば……きっと届くよ」

「……うん」

 

 

返事をしながら、フィリアは苦笑を浮かべる。

本当に敵わない。

だとしても、ここで手を拱いているわけにはいかない。

 

 

「…私だって、あいつには言ってやりたいこと、沢山あるんだから…!」

 

 

劣っていようが、何だろうが、どうだっていい。

あの馬鹿に、全力でぶつかって、届かせる。

 

 

…そう、フィリアもまた決意するのだった。



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第16話:普通を拒む者

とある部屋のベッドの上で。

 

 

「……」

 

 

時雨は一人、目を覚ます。

装着されたアミュスフィアを取り外し、一つ息を吐く。

すっかり衰弱した時雨にとって、それすら重労働だった。

 

 

「…お疲れ様。さすがだね」

「……」

 

 

声がした方に視線だけ向ければ、そこにはもはや見慣れた依頼主の姿。

相変わらずの柔和な笑みに、時雨はもう何の反応もしない。

 

 

「モニターはさせてもらったが、かつての経験に加え、SAOとGGOでのVR経験。それらが合わさって、実に見事だ」

「……世辞はいい。用件を言え」

「つれないなぁ。ま、世間話に応じる余裕がないか」

 

 

ふむ、と頷きながら。

 

 

「結果の通知だよ。合格だ…君には引き続き、僕達のプロジェクトに参加してもらおう、とね」

「……そうか。開始は」

「それは君の担当医次第かな」

「何…?」

 

 

何のことだと問い返す時雨に、依頼主…菊岡は話を続ける。

 

 

「近々、君の担当医を中心にチームが集められ、手術を行うそうだ。場所はこの建物内で行うことを条件に許可した」

「……使い捨ての駒である俺に随分な対応だな」

 

 

自らを駒とはっきり言いきる時雨に、菊岡は、いやいや、と返す。

 

 

「僕だってさすがに人の情くらいは持ち合わせているつもりだ。君が何者であろうと、見殺しにできるほど割り切ることはできない」

「……そうか」

「まぁ、いずれにしても、よかったじゃないか」

 

 

菊岡は笑みを浮かべたまま。

 

 

「君の頑張りのおかげで、僕はSAOでの君の仲間たちに声をかけることなく事を運べているのだから」

「……」

 

 

そう、言葉を続けた。

その言葉に時雨は無言で目を閉じ。

 

 

「お前が何を考えているかはいずれ分かるのだろうが…いずれにせよ、そう甘い話でもないのだろう」

「それはそうだ。だからこそ、足がつきにくいであろう君にオファーしたのだから。その意味を考えればわかるだろう」

「…あいつらは腕こそ立つが、所詮ゲーマーだ」

 

 

思い返すように言う時雨。

今、時雨の脳裏には誰の姿が浮かんでいるのか。

 

 

「一度でもはみ出せば…戻れなくなる」

「君のように、かな?」

「……さぁな」

 

 

時雨の言う、はみ出す。

それは、何からか。

それを察したかのように菊岡は問うが、時雨は答えを濁す。

 

 

「あいつらみたいなお人好しは、こんな世界に来させるわけにいくまい」

「ふむ…」

 

 

その言葉に菊岡は面白そうに笑う。

 

 

「…可笑しいか。俺がこういうことを言うのが」

「そうかもしれないね。君を、先代から知っているからこそ…君に、そんな人を思いやる気持ちが残っていた事に対する驚きもあるかな」

「笑わせるな」

 

 

そんな菊岡の言葉を時雨は即座に否定する。

 

 

「……これは、父の教えに対する執着でしかない。誰かを思いやる感情は…とうの昔に捨てた」

「まぁ、そういう事にしておこうか」

 

 

時雨の様子に菊岡は溜息を一つ。

 

 

「君の思惑はどうあれ、君のおかげで彼らは僕のプロジェクトに誘うことなく、普通のゲーマーとして過ごせるんだ。喜べばいいだろう」

「……喜ぶ理由が分からないな」

「やれやれ。まぁ…そういうわけだ。暫くはGGOの事も忘れていい。治療に専念したまえ」

 

 

菊岡の言葉に今度は時雨は返さない。

とはいえ、菊岡としてもこれ以上の問答は時雨の負担になると考えたか言い返すこともなく部屋を出ていく。

 

 

「……」

 

 

一人になった部屋の中で。

 

 

「……これで、あいつらは普通の生活が続く…か」

 

 

時雨は一人、呟く。

守る、なんて大層なことが出来ないとしても。

せめて、突き放す事で、危険から遠ざける事が出来るのなら、いくらでも突き放す。

自らの孤立など、些細な事。

 

 

「…きっと、あれが」

 

 

一般的、あるいは普通の人生なのだろう。

そう時雨は思う。

けれど、それはあまりにも。

 

 

 

…眩しすぎる。



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第17話:嵐の前の交錯 - I

それから数日。

GGOで最大級のイベントともいえるであろう、Bullet of Bullets。

通称、BoB。

通算3回目となる大会の、予選の前日。

 

 

「……」

 

 

受付を締め切り、既に出場メンバーは確定していた。

キリト達はGGO内で集まり、そのメンバーリストを確認していた。

その場に集まったのは、参加者としてはアスナ、サチ、リズベット、リーファ、シノン、ユウキ、ストレア、クライン。

店の都合でこの場にはいないが、エギルも参加者として登録していた。

シリカは恐怖心が先立ってしまってか、今回は参加を見送っていた。

ちなみに、ユイも非参加である。

初めは参加も考えたようだが、キリトの心配からくる親心で止められたとか、そうでないとか。

その真偽はさておき。

 

 

「…先輩は、いない…か」

 

 

シノンが息を吐きながら、呟くように言う。

彼女にとっては、自らの強さを求める事と同じくらい、あるいはそれ以上にシグレを気にしていたこともあり、無理もない。

とはいえ、それ以上に気になっているのは。

 

 

「病気…悪化したんじゃ……」

 

 

サチが不安げに呟く。

それが皆の懸念だった。

 

 

「…病気って…あいつ、どっか悪いのか…?」

 

 

クラインがサチの言葉に、そう疑問を投げかける。

それに対し。

 

 

「……シグレさん自身の話だと、急性骨髄性白血病…との事です」

「お、おい…それって、やべぇんじゃ…」

 

 

ユイが答える。

さすがに聞かされた病名に狼狽えるクライン。

それに追い打ちをかけるように。

 

 

「パパ達がシグレさんと戦っている際のモニターを行っていましたが、命に関わるレベルでの障害が出ている可能性が高い…と思います」

 

 

ユイが掻い摘んだ説明をする。

クラインはその意味を理解できてしまった。

 

 

「…おまけに、どこにいるか。どこからGGOに接続していたのかすら分からない状態なの」

「だから、助けるとか以前に、お見舞いに行くことすら…出来ない」

 

 

アスナとサチが続き。

 

 

「……最悪の場合、先輩は…もう」

 

 

シノンが、最悪の結末を言いかけ、止める。

その先を、彼女とて言いたいわけではない。

だからこそ。

 

 

「…そんなわけ、ないわね。先輩だもの」

 

 

それでも、自らに言い聞かせるようにシノンは続ける。

それに続くように。

 

 

「今、あの人とボク達を繋ぐのは、このGGOしかないから」

 

 

だから、戦うしかないんだ。

ユウキもまた、そう決意を口にする。

 

 

「…それに、シグレはそんな病気なんかに負けるような人じゃないよ」

 

 

ストレアもまた、はっきりとそう告げる。

そんな彼女の目に、迷いはない。

 

 

「この大会で、シグレに会えるかなんて分からない。だけど…必ず見つける」

 

 

もう、迷わない。諦めない。

そう、ストレアの目は物語っていた。

 

 

「……強いな、女ってのは」

「全くだ」

 

 

クラインの言葉にキリトが同意する。

 

 

「……とはいえ、明日は戦うんだ。負けてられないな」

 

 

キリトもまた、静かに闘志を燃やす。

…が。

 

 

「っつってもキリの字よぉ。俺ぁその時いなかったから知らねぇけど、戦って勝てなかったんだろ?…次の勝算はあるのかよ」

「…」

「おいコラ、さてはおめぇ何の考えもねぇな?」

 

 

視線を逸らすキリトに、追及するクライン。

その様子に。

 

 

「なんか、お兄ちゃんらしいといえばらしい、かな」

 

 

リーファが微笑ましげに言うのを皮切りに、皆が笑う。

そんな、束の間の平穏の場に。

 

 

「……随分、余裕ね」

「っ…あ、あんた……」

 

 

突如現れた女性の声に、リズベットが警戒しながら声の主に向き直る。



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第18話:嵐の前の交錯 - II

そうして向き直った先にいたのは、印象的な銀髪。

 

 

「……」

 

 

リズベットの真剣な表情に、皆も息を呑む。

そんなリズベットは対峙し、声を詰まらせながら。

 

 

「…えーと」

「……?」

 

 

言葉を続けないリズベットに訝しげな表情を浮かべる。

やがて、その無言に耐えかねてか。

 

 

「……誰だっけ?」

 

 

そのリズベットの一言に、言われた本人を含めた皆が呆気にとられる。

 

 

「ぷっ…ふふ……っ!」

 

 

堪えきれなかったアスナが噴き出し、それを皮切りに。

 

 

「そりゃないだろリズベットさん?…く、くく……」

「わ、笑っちゃ駄目だよおにいちゃ…ん…!」

 

 

そんな兄妹のやりとりに皆が笑い。

 

 

「……はぁ」

 

 

シノンは頭を押さえて溜息を吐く。

 

 

「自殺願望があると見ていいの…?」

 

 

わなわな、と震えながら光剣の柄をとる女性、改めヴェンデルガルト。

若干俯いた表情は窺えないが、なんとなくどんな表情なのかは想像できていた。

 

 

「わ、忘れてたわけじゃなくて!その、結構長い名前じゃない?だから、なんというかその…ね」

 

 

慌てて弁解するリズベットに、ヴェンデルガルトは一つ息を吐き。

 

 

「…貴女は」

「え…?」

「出るの?」

 

 

ヴェンデルガルトの声色が落ち着いた事に安心しながら、リズベットは頷く。

 

 

「…え、えぇ」

「そう」

 

 

ヴェンデルガルトはリズベットを睨みながら。

 

 

「…予選だろうと、本戦だろうと……見つけたら真っ先にあんたは殺す」

「だからごめんってば!」

 

 

半泣き状態のリズベットから視線を逸らし。

 

 

「……それはそれでいいとして、聞きたいことがある」

「何だ?」

「あいつは…出る?」

 

 

ヴェンデルガルトはキリトに問いかける。

あいつ、が誰を指しているをわからない人物は、ここにはいない。

 

 

「…聞いて、どうするの?」

 

 

一歩前に出て、ストレアが尋ね返す。

その視線は、真剣なものだった。

 

 

「……」

 

 

少しの視線の交錯の後に、ヴェンデルガルトが先に視線を逸らす。

 

 

「…知れたこと。私は復讐の為にずっと奴を追い続けてる。それが仮想世界だろうと、何も変わらない」

「アタシは……守るために、追い続けてる。それが仮想世界でも、ね」

 

 

そんなやり取りをする。

 

 

「違うよストレア」

「え?」

「私たち、でしょ?」

 

 

ストレアにフィリアがそんな訂正をしながら笑いかける。

そんなフィリアに、そっか、と彼女も笑う。

 

 

「……まずは、貴女達を倒さなくちゃならないということだけは、理解した」

 

 

二人の様子に、ヴェンデルガルトは溜息を吐く。

やれやれ、といった様子で。

 

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

 

踵を返し、歩き出そうとするヴェンデルガルトをユウキが止める。

 

 

「…何」

「あの…その、ですね」

 

 

振り返らず、肩越しにユウキに視線を向けるヴェンデルガルト。

ユウキはそんな彼女に若干威圧感を受けながら。

 

 

「……ボクには、どうしても信じられないんです。あの人が…平気で人を殺す、なんて」

「信じる信じないは貴女の勝手。けど…あいつは、私の両親を殺した」

 

 

どうあっても、その事実は消えない。

どうあっても、許すことはできない。

そう、ヴェンデルガルトの眼は物語っている。

 

 

「でも、あの人は……どうあっても許されないことをしたはずなのに、ボクの命を救ってくれた」

 

 

たとえ本意ではなかったとしても、生かしてくれた。

たとえあの人が、人を殺すことができる人だとしても、最後まで信じる。

そう、ユウキの目は物語っている。

 

 

「………そう信じるのなら、信じればいい。別に私はそれを否定しない」

 

 

ユウキにとっては意外に感じたヴェンデルガルトの言葉。

ユウキの驚きに構わず、ただ、と言葉を続ける。

 

 

「どちらかが真実だとしても……その事実を見せるのは、私でも貴女でもない、あいつ自身」

 

 

その真実を知るために、私は追い続けている。

そう、はっきりと言い切る。

 

 

「…その真実を知った時、貴女はどうする?」

「……」

「私は、真実がどうであろうと…敵討ちの為に、奴を殺す。私はその為にこれまで生きてきた」

 

 

止められるものなら、止めてみればいい。

それを言い放ち、今度こそ視線をユウキから逸らした。

 

 

「……また明日。運が良ければ会いましょう」

 

 

それだけ言い残し、ヴェンデルガルトは歩き出した。

 

………

 

……

 

 

「…そこのピンク頭だけは、何があろうと必ず殺すけど」

「ひいぃ!?」

 

 

 

…そんな置き土産を残して。



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第19話:決勝に向けて - I

翌日。

BoB参加メンバー待合所にて。

 

 

「……」

 

 

シグレは一人、誰と会話するでもなく、一人中継モニタに目を向けていた。

決勝に至るまでに何度か行われ、参加者を振るいにかける予選。

試合をいち早く終え、一足先に待合室に戻っていた。

その佇まいは、疲れを一切感じさせないものだった。

 

 

「…」

 

 

周りで観戦しているプレイヤー達は誰も彼も、そんな彼に声をかけようとはしない。

BoBを勝ち抜く強者ともなれば有名人になることが多く、必然的に声をかけられることも多くなっていく。

しかし、シグレの場合は、賞金首として何人ものプレイヤーを手にかけてきたという事実があり、それは大きく広まっていた。

そのため、ある者にとっては、畏怖の対象。

ある者にとっては、復讐の標的。

いずれにせよ、友好的に彼らに接しようというものは、その場にはいなかった。

 

 

「やっほ、シグレー!」

「……」

 

 

…一部を除いて。

予選を勝ち抜いたのか、ストレアが待合室に戻り、シグレの姿を見つけ、名前を呼びながら駆け寄る。

そんな彼女を一瞥し、シグレは溜息一つと共にストレアに背を向けて歩き出す。

 

 

「あ、ちょ…聞こえてないのかな。シグレー!シーグーレー!!」

「……」

 

 

良くも悪くもストレアは空気を読まず、シグレの名を呼びながら駆け寄る。

その様子に、まさかあの賞金首に彼女が!?といった様子でざわつく周囲。

次の予選がある手前ログアウトもできず、かといってこれ以上目立つのも本意でなかったシグレ。

そんな彼が次にとった行動は。

 

 

「……人違いです」

 

 

他人の空似。

しかし。

 

 

「あー…それ、アタシにやる?よりによって?」

 

 

人のような振る舞いであっても、彼女はAI。

プレイヤーネームやら、システム上の情報から本人確認を取るのは、彼女にとっては容易い事。

結局、今のシグレに彼女から逃れる術はなく。

 

 

「……何の用だ」

「何って、お話ししたいな、って」

「今更、何を話す必要がある」

 

 

彼女を含めた、SAOの頃に行動を共にした皆に、剣を向けた。

結果として、シグレがその時は勝利を収めたが。

 

 

「話すこと、一杯あるよ」

「自分を害した敵相手に、か」

 

 

自らを嘲りながらのシグレの言葉に、ストレアは首を横に振る。

 

 

「……違うよ。シグレは、敵じゃない」

「…」

 

 

どこか真剣な口調のストレアに、シグレもまた表情を消す。

そんなシグレに臆せず、ストレアは言葉を続ける。

 

 

「……なんでかな。アタシには、無理やり孤立しようとしてるように見えるんだ」

「随分と知った口を利く……俺の何を知った」

「分からないよ?」

 

 

シグレの問いに、ストレアは何言ってるの、とばかりに彼の予想外の答えを返す。

シグレは言葉を失う。

 

 

「……だから、知りたいんだ。どうしてこんな風に、アタシ達を突き放すのか。だから…話がしたいんだよ」

「…」

「それはやっぱり…病気のせい?」

 

 

ストレアの質問責めに、シグレはどうしたものかと目の前のストレアを見るが、どうやら逃がしてくれそうにはないと悟り。

 

 

「……それもなくはない」

「ってことは、他にもあるんだ?」

 

 

曖昧に濁そうとするシグレに、ストレアは鋭く切り返す。

その切れ味は、かつて彼女が振るっていた大剣での戦い方とは真逆の、相手の急所を突く一撃のように。

しかし、その会話は。

 

 

「おーおー、仲がいいことで?HAHAHA…」

 

 

招かれざる客によって、少なくともストレアにとっては不本意な終わり方をするのだった。



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第20話:決勝に向けて - II

SAOの時とは違い、フードを外したその顔を、シグレは忘れていない。

忘れようがない。

 

 

「…PoH」

 

 

ストレアがSAOでの彼の名を呼ぶ。

SAOにおける人殺しギルド、笑う棺桶のリーダー。

その悪名は、SAOが終わった今でも、VRMMOプレイヤーの中で、史上最悪の名前として知れ渡っていた。

そんなPoHと、GGOで悪くも目立つシグレの対峙に周りも息を呑む。

 

 

「……違うな」

 

 

シグレがストレアが呼んだ彼の名を否定する。

 

 

「ここはSAOじゃない。PoHの名でいる理由もない……そうだろう、ヴァサゴ」

「くく……SAOのおかげでその名で呼ばれるのも久しぶりだ。お前みたいに実名でやりゃよかったなぁ、シグレ君?」

「……」

 

 

相変わらずの話し方に、シグレは言葉を返さない。

いくらシグレとて、ヴァサゴとは雑談をするような間柄ではない。

 

 

「…この後も予選がある。用件は何だ」

「あ?あぁ、さっきの会話が少し聞こえてな……病気がどうとか」

「……お前には関係ないことだ」

 

 

ヴァサゴの言葉に答えず、シグレはその場から去ろうと背を向ける。

 

 

「……まさかとは思うが、AMLか?」

「っ…」

 

 

AML、すなわち急性骨髄性白血病。

シグレは病名をピタリと言い当てられ、歩みを止める。

ヴァサゴからすれば、それは肯定の返事で。

 

 

「HAHAHA、まさかとは思ったが本当にAMLだとはな。こうも親子ってのは似るもんかね。HAHAHAHA!!」

「……どういう事だ」

 

 

面白そうに嗤うヴァサゴにシグレは向き直り、静かに尋ねる。

静かなのだが、内に押さえ込んでいるであろう殺気のような何かが抑えきれていなかった。

現に、その手は光剣の柄にかかっていた。

 

 

「……あ?なんだ、知らなかったのか。こりゃうっかり口が滑ったか」

「御託はいい。さっきのは…」

 

 

シグレが問い詰めようと言葉を続けたが。

 

 

『…それでは、次の予選を開始するため、対象者を転送します』

 

 

それを遮るように行われたアナウンスとともに、シグレは光に包まれた。

 

 

「…水を差されちまったな」

 

 

舌打ちしながらヴァサゴは去っていく。

 

 

「勝ち上がったらあいつに伝えといてくれや……決勝で話の続きでもしようや、ってな」

「まっ…!」

 

 

去っていくヴァサゴを止めようとするストレアだったが、ヴァサゴは応じなかった。

 

 

「お前らと決勝で会うのを…楽しみにしてるぜ?」

 

 

その代わりに、そんな一言を残して。

 

 

 

 

ヴァサゴが立ち去った後、ストレアは一人、中継モニタに目を向ける。

 

 

「……」

 

 

そこには、戦い、敵対プレイヤーを確実に葬っていくシグレの姿。

対戦相手のレベルも高いはずなのに、シグレを相手にしている彼らの銃の扱いが、まるで児戯のように見えてしまっていた。

 

 

「……」

 

 

ストレアは無意識に拳を握る。

ヴァサゴの事は今は置いておくとしても。

シグレと戦って勝ちたいわけではないとしても。

それでも、戦って、勝たなければ、きっと届かない。

だから、負けない。

 

 

「…どんな理由があったとしても」

 

 

少なくとも、それはアタシを突き放す理由にはならない。

そして、そんな想いを抱いているのは、きっとアタシだけじゃないけれど。



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第21話:決勝に向けて - III

予選が終わり、時は経ち。

BoB決勝戦当日。

 

 

「凄いな、これは…」

「本線はいつもこんな感じって聞いてるわ」

 

 

皆が揃う中、キリトの言葉にシノンが反応する。

 

 

「っ…」

「…何、アスナ、緊張してるの?」

「ち、違…!」

 

 

息を呑むアスナにリズベットが茶化すように尋ねる。

それに対しアスナは否定しようとはするが、嘘がつけない性格なのか、途中で言葉を切ってしまう。

それで察したのか、リズベットはくすくすと笑いながら。

 

 

「大丈夫よ、ここはSAOじゃない。仮に負けたって死ぬわけじゃないんだから気楽にいきましょ」

「でも…」

「…それに、そんな緊張したら実力出せないわよ。アスナなら分かるでしょ?」

「う…」

 

 

そんな雑談を交わしている一方。

 

 

「…ユウキ、何それ?」

「へ?あ、これ?さっきそこで売ってたんだ。1000クレジットは地味に手痛い出費だけど、決勝進出選手の極秘情報満載、だっていうからつい…」

「へぇ。どんなこと書いてあるの?」

「えーっと、リーファはね……あっ」

「ユウキ?」

「あー………うん、知らないほうがいいことってあるよね!」

「え、ちょ、何が書いてあったの!?」

 

 

じゃれあう者もいれば。

 

 

「もうすっかり大丈夫そうね、ストレア?」

「あ、フィリア。うん、ご心配おかけしました!」

「全くよ。あなたに元気がないと調子が狂うからやめてよね」

「ん…ありがと」

「ちなみに」

「?」

「決勝で当たったら、容赦しないから。全力でいくわよ」

「当然っ」

 

 

拳を突き合わせる者たちもいたりと、皆それぞれが本戦に思いを馳せる。

そんな一行の元に。

 

 

「っあ、みなさーん!」

 

 

元気な声で呼びかけ、近づいてくる影。

 

 

「なんだシリカじゃない。あんた本戦出るんだっけ?」

「いえ、予選にも出てないので見学です。皆さん本戦に出るって聞いたので応援です。それと…私だけじゃないですよ?」

「え?」

 

 

シリカの言葉に話していたリズベットではなく、近くにいたアスナが気付く。

 

 

「サチさん!貴女も本戦に?」

「ううん、私は参加してないけど……」

 

 

アスナの言葉に答えながら、サチは辺りを見回す。

少しばかり見回して。

 

 

「シグレは…一緒じゃないんだね」

「…うん。多分…というよりほぼ確実に戦うことになると思う」

「なんとなくは、分かってた。だから、貴女に…ううん、貴女達にお願いすることにする。シグレを…ちゃんと連れ戻してきて」

「…任せて。もとよりそのつもりだから」

 

 

そんな言葉を交わすアスナとサチの背後には鬼気迫る何かが見えるような気がしていた。

 

 

「まぁ…緊張はほぐれただろうけど」

「ありゃこっちが油断できなそうだな」

 

 

キリトとリズベットが苦笑し。

 

 

「全く…初参戦であの余裕、ある意味羨ましいわ」

「でも、シノンだって同じでしょ?シグレさんと当たったら…」

「どうかしら」

 

 

シノンの言葉にユウキがお、と少し驚くように返す。

出会ってそれほど期間が経ってないとはいえ、シノンの行動基準がシグレ中心になっていることはユウキも気づいていた。

だからこそ、アスナやサチのようにはっきりしないのは珍しく感じていた。

…のだが。

 

 

「私は先輩とGGOでトッププレイヤーになって、現実では子供を授かってるところまでは考えてるけど」

「うわーぉ」

 

 

シノンの返しにユウキはただ驚くだけだった。

 

 

「冗談よ」

「…分かりにくいですよ」

 

 

シノンの苦笑交じりの言葉に、ユウキは溜息一つ。

 

 

「ねぇ、ユウキは知ってる?」

「…?」

「嘘を嘘と思わせないためには、いくらかでも真実を混ぜ込むのがコツなのよ」

「…え?」

 

 

どこからどこまで?

そう、ユウキは気になったが、答えが怖くて聞き返せなかった。

そんな様子を見ながら。

 

 

「貴女はどうなの?ユウキ」

「え?」

 

 

シノンがユウキに尋ねる。

そこにはさっきまでの冗談交じりの雰囲気はない。

 

 

「詳しくは分からないけど、ユウキが先輩に謝りたいことがある、っていうのは知ってる」

「…はい」

「勘違いしないでほしいけど、別に詮索しているわけでも、教えてくれないことを責めてるわけでもないの。ただ…」

 

 

シノンは一旦言葉を切り、少し言葉を考えたのか、間をおいて。

 

 

「…その後、ユウキは先輩と、どういう関係になりたいのかなって」

「どう、って…?」

「直感で言ってるだけだから、間違ってたら申し訳ないけど…このままの関係でいいのなら、先輩の前に現れる必要もなかったし、知らぬ存ぜぬで暮らしていれば何もなかったわけでしょ?」

 

 

ユウキの問いに、質問で返すようにシノンは答える。

その質問に、ユウキは一瞬言葉に詰まる。

 

 

「ということはつまり、先輩との関係をこのままにしたくないから行動して…結果的に私たちに出会っているっていう事かなって」

「えっと、それは…」

 

 

突然で答えられないのか、あるいは答えたくないのか、ユウキは答えない。

その様子にシノンは溜息を吐き。

 

 

「……ごめんなさい、突然だったわよね」

「あ、いえ…」

「もうすぐ本戦だから……こんな質問をした私が言えた義理じゃないけど、少し精神統一したほうがいいかもしれないわよ」

 

 

シノンはそれだけ言い残し、ユウキから離れていった。

 

 

「ほんと、どうしたいんだろ…」

 

 

誰に聞くわけでもなく、ユウキは一人呟く。

その問いに答えるものは、誰もいなかった。



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第22話:決勝に向けて - IV

 

決勝前、出場する選手が緊張、あるいは精神統一で静かにしていたり。

予選落ちした出場者や観客が応援やら賭けで盛り上がる総督府。

その傍らで、一部が異様な雰囲気に包まれていた。

 

 

「……」

 

 

そこには、フードで顔半分を隠し、性別すら見て取れない人物。

そしてそんな人物に、フィールドでもないのに光剣の切っ先を突き付ける人物。

 

 

「おいおい、決勝はまだだろ。お楽しみにはちっと早ぇんじゃねェか?」

「…ここで失格になろうが、別に俺はどうでもいい」

 

 

やれやれ、といった感じで怯える様子すらなく、降参と言わんばかりに両手を上げるフードの男。

 

 

「……そんな事より、さっきの話についてだが」

「まさか素直に答えると思ったか?この俺が?HAHAHA」

 

 

剣を突き付ける人物…シグレの問いを、フードの人物…ヴァサゴは軽く躱す。

予想こそしていたか、シグレは舌打ち一つで追及をやめる。

 

 

「……これ以上の押し問答は、時間の無駄か」

「よく分かってんじゃねぇか。俺達の話の仕方は、もう言うまでもねぇよなぁ?」

 

 

お前は、俺と同類なんだからよ。

そう、ヴァサゴはシグレに言う。

ヴァサゴの人となりを知っていれば、普通であれば、それは動揺を誘う一言。

しかし、シグレは動じない。

それが意味するところは、誰が言うまでもない。

雰囲気だけ見れば、そんな中に割って入ることが出来ない。

固唾を呑んで様子を見るプレイヤーが何人かいる中。

 

 

「…ようやく見つけた」

 

 

そう言いながら、光剣をシグレに突きつける、銀髪の女性。

シグレは首筋まで数ミリのところに突き付けられた光剣に触れないよう、視線だけ声の主に向ける。

 

 

「……」

「私の事……忘れたとは言わせない」

 

 

VRMMOの世界ということもあり、容姿が異なることも多々ある。

まして、今のヴェンデルガルトを知らないシグレにとって、彼女は未知の女性だったのだが。

 

 

「…ヴェンデか。暫く見ない間に変わったな」

 

 

表情を崩すことなく、シグレはそう、ヴェンデルガルトに声をかける。

かつて、彼女自身が親しい人にはそう呼ばれる、と伝えた愛称で。

 

 

「気安く呼ぶな…シグレ」

「…」

「私は…私の両親を殺した貴様を殺すために。仇を討つために今まで生きてきた……現実で殺せないのは残念だが、今こそ果たさせてもらう」

 

 

そんなヴェンデの言葉に反応したのは。

 

 

「おいおい、いきなり現れて随分勝手言ってくれるじゃねぇか?」

 

 

シグレではなくヴァサゴ。

邪魔されたことに気が立ったか、ヴァサゴは自らの光剣をヴェンデに突き付ける。

シグレはヴァサゴを。

ヴァサゴはヴェンデを。

ヴェンデはシグレを。

 

 

『……』

 

 

一触即発、という言葉が非常に合う雰囲気。

そんな空気を打ち破ったのは。

 

 

『まもなくBoB決勝戦を開始します。出場プレイヤーの皆さんは…』

 

 

システムアナウンスだった。

その声を聴いてまず刃を下げたのは。

 

 

「どうやら、お楽しみの始まりか?まぁ楽しもうや。HAHAHA…」

 

 

ヴァサゴだった。

決勝ステージへの転送が始まったのか、ヴァサゴの体が光に包まれて消えた。

次に光に包まれたのは。

 

 

「……精々、首を洗って待てばいい。お前は私が必ず、殺すから」

 

 

ヴェンデ。

揺れる銀髪の前髪の隙間からシグレを睨みつけるその瞳には、憎悪の炎が宿っていた。

 

 

「……」

 

 

シグレは静かに、言葉を発せずにヴェンデがいた方に視線をやる。

けれど何を思うでもなく、正面に向き直り、無言で転送されていった。



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第23話:決勝開始 - I

そして始まった決勝戦。

 

 

「……」

 

 

隠れる場所が少ない荒野のような場所に一人立ち、歩き出すシグレ。

その手に、武器を構えずに。

荒野という土地の性質上か、足音が響く。

同時に吹き荒れる荒野の風が、その音を掻き消す。

参加者は二桁いたはずだが、近くにはまだ誰もいないようだった。

 

 

「…」

 

 

先ほどのやり取りを思い出す。

決勝で戦いあう以上、必ず生き残って戦うことになるという保証はない。

とはいえ、ヴァサゴは生き残るだろう。

父とのことがあって、現実での奴を知っていて。

SAOでのことで、仮想世界での奴を知っている。

だからこそ、そう簡単に奴は落ちない。

そう、考えていた。

 

 

「…」

 

 

しかし、その一方で、ヴェンデに関しては分からない。

あの時、別れて以来、連絡の一つもとっていなかったのだから、分かるはずもない。

とはいえ、決勝には残っている。

それが実力か、運なのかも分からないが。

 

 

「……」

 

 

一つ、溜息を吐きながら、シグレは光剣を抜く。

その次の瞬間。

 

 

「っもらったぁ!」

 

 

シグレから少し離れた岩陰から飛び出し、距離を詰めながら銃の連射で攻撃をする。

銃の射撃はシグレを捉え、いくつかの銃弾が砂塵を巻き起こす。

 

 

「……っと、弾切れか」

 

 

舌打ちをしながら銃を下ろし、リロードを行う。

先の銃撃で、何十発撃ち込んだだろう、その数を撃ち込まれて、HPが残っているはずがない。

そう考えての余裕だが。

 

 

「………は?」

 

 

次の瞬間、光剣を振るった瞬間の特有の電子音が彼の耳をつく。

 

 

「…え?」

 

 

その次の瞬間、ガシャ、と音を立てて何かが地面に落ちる。

それは、彼が持っていた銃だった。

リロードをするために、手に持っていたはずのものが、そこに落ちていた。

手が滑ったのか、と考えるが。

 

 

「………なんで、俺の…腕が……」

 

 

その銃には、誰かの手の指が、絡みつくように、ついていた。

その腕は、紛れもなく、彼自身のものだった。

何が起こったのか分からず、狼狽えていた。

 

 

「……どうせ、痛覚はない。ならせめて、冷静に判断すべき…だな」

 

 

彼が倒した、相手のプレイヤー。

倒したはずと考えていた、その相手の声が、背後から聞こえたかと思うと。

再度、電子音と共に。

 

 

「あ、ぁ…!」

 

 

相手プレイヤー…シグレの光剣の切っ先が自分の胸元から突き出していた。

現実であれば、心臓の位置から。

 

 

「…所詮ゲームか。こうしたところで、すぐには終わらない」

 

 

シグレはそう、呟く。

シグレが確認したのは、相手のHPのゲージが徐々に減っていく様子。

現実であれば、直ぐに事切れる事を、シグレは知っていた。

とはいえ、仕方がない。

そう思いながら、HPが0になるのを見届け。

 

 

「……」

 

 

光剣を引き抜き、相手にDEADの表示が出ることを確認し、剣を納める。

そんなシグレの視線の先には、相手が使っていた銃。

その銃身をを踏み抜き、破壊する。

 

 

「…」

 

 

動かなくなった相手を一瞥し、シグレは背を向けて歩き出した。

 

 

まだ、決勝戦は始まったばかり。



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