鎮守府現代転移録 (うみねこ06)
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プロローグ 初日、鎮守府『島』にて

やらかしちゃった後始末のお話


 薄ぼんやりとした明かりに促され、意識が徐々に徐々にと覚醒していく。

 

 

 「ぅ……ぁ……」

 

 

 薄目を開けても濁る視界に対して、仮にもパイロットが情けない声を上げて、と自覚した意識の方はよっぽど正常である。お陰様で、どうにも自分の身体がよろしくない状態にあることはすぐに理解できた。なにせ視界はそんな塩梅だったし、全身がずきずきと痛むのであるから。

 

 痛みに記憶が刺激されたのか、その原因にはすぐに思い当たったものの、それはそれとして現状は疑問符をつけざるを得ないものだった。意識回復と同時にベッドで寝れるような贅沢は味わえないはずだったのに、次第にはっきりとしてきた視線の先には白色の天井があった。古典的名作からのお約束に基づけば知らない何とやらというべきだったかもしれないが、生憎と痛みとともに感じるベッドか布団としか理解できない感触と、規則正しい電子音のお蔭でそうも言えない。病院か、少なくともそれに類する施設に違いない。

 

 しかし、だとすればやはり疑問のある現状だった。確かに激痛の中、RF-4Jの緊急脱出レバーを辛くも引いた覚えはあったが、その後の記憶がなにもない。まぁ、恐らくは救助されたのだろうが、着水だか着地――たぶん前者だと思う――の記憶すら無い。いや、キャリアのこのかた、幸運にも墜落といった現象には無縁で居たから、そんなものなのだろうか? だが、意識不明で着水して、おそらく確実に時間がかかったであろう救助まで、よく呼吸が妨げられなかったものだ――。

 

 そこまで思考が回ったところで、彼はふと人影に気づいた。おそらく自分が寝かされているであろう寝具の脇、そこから女性――いや、少女が覗き込んでいるのに気づいたのである。

 

 短めの黒髪に、黒色のはちまき(何か文字が描いてあるが、まだ視界が滲んで読み取れない)をしたその少女は、どうやら驚きに身を固めているようである。と観察したところで、慌てたようにボタンを押す。ナースコールか何かだろうか。

 

 

 「あ、あのっ!」少女が口を開いた。幸いにして聴覚に異常はなかった。「だ、大丈夫ですかっ!? どこか痛いところはっ!? というか、喋れますかぁっ!!?」

 

 「な、んとか」

 

 

 どうやら自分よりもよほど混乱しているらしい少女をつぶさに観察しながら、彼は力を振り絞ってそう答えた。一体誰なんだろうか、と必死に考えている。未婚者の彼に、こんな子供は居ない。さりとて彼は一人っ子だったから姉か妹という線も消える。ついでに言えば、今は恋人すら居ないし、元カノもこんな容姿――というか、こんな幼くもなかった。もしかすると、実は記憶が混濁していて、新しい恋人だか婚約者だかのことを忘れている、という都合の良い展開もなくはないのかもしれないが、少なくとも今の所身に覚えはまったくない。

 

 

 「よ、よかったぁ」

 

 

 少女の身体から力が抜けた。どうにも、心底安堵しているようである。やはり、恋人か何かの存在を忘れてしまっているのだろうか。

 

 

 「あ、あの」

 

 

 しかし、それも一瞬のこと。少女が、すぐに居住まいを正した。声音も、真剣というか、落ち込んでいると言うか、ともかくそういった調子になっている。そして、混乱する彼の前で、少女が深々と頭を下げ、大きな声で意味のわからないことを言った。

 

 

 「げ、撃墜してしまって、本当に、ほんっとうに! 申し訳ありませんでしたぁっ!」

 

 「…………は、い?」

 

 

 

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 

 

 「司令官さん。何かお飲み物は?」

 

 「コーヒーにしてくれ、羽黒。……貴官も如何です?」

 

 「……残念ながら、医者に止められていますので」

 

 

 先程、彼を混乱の坩堝に叩き落としたのとは別の少女――黒髪をボブにした、穏やかそうな女性が、『司令官さん』と彼女が呼んだ目の前の青年に頷くと、病室から静かに出ていった。所作が落ち着いていると言うか、こんな状況でなければ好感を抱くべき態度であるはずだが、残念ながら現状では意味がなさそうである。

 

 

 「彼女、は」

 

 「うちのヒショカン――あぁ、副官のようなものです」青年が朗らかな笑みを浮かべた。「私の信頼する右腕でして。恥を晒すようですが、少しでも難しい案件には付き添ってもらっているのです」

 

 

 はは、と笑い声を上げる。ヒショカンとは秘書官の意味だろうが、ともかくその彼女と同じく、人を不快にさせない不思議な笑みである。もし、これが普通の顔合わせであれば、やはり違和感や不愉快さを覚えることなどは微塵もなかっただろう。さすがの彼にもそれはわかった。問題は。

 

 

 「難しい、というか、問題はシンプルに、思えるのですが」

 

 

 自分の声に抑えきれない毒が含まれているのに気づいて内心冷や汗をかきつつ、それでも栄えある航空自衛隊のパイロットとして、彼は泰然自若を装いつつ青年を見つめ続ける。

 

 

 「貴官にとってはまさに」青年が頷いた。「我々は所属不明の武装勢力であり、貴官は――乗機を撃墜された上、虜囚の身となった。そういうご認識であることは理解しております」

 

 

 あのあと。駆け込んできた看護師と医者によって、あの少女にあれ以上を問いただすことは出来なかったが、もしあの言葉が事実だと仮定すれば、自分が置かれた状況は彼にとっては自明の――青年が説明した通りのことであった。

 

 事態は、本日未明にまで遡る。

 

 始まりは、自衛隊は一切関係のないところであった。相模湾沿岸の各自治体、警察、管轄する海上保安庁に対し、沿岸住民や漁船、航行船舶から相次いで通報が寄せられたのである。曰く、対岸が出来ている。曰く、海図にない島がある。曰く、接近を試みたところ、軍艦と思われる船舶多数が存在し、砲を向けられたため慌てて逃げ帰った。

 

 第一報こそ、あまりに荒唐無稽な内容を一笑に付した担当者たちは、第二報で首を傾げ、第三報に泡を食い、通報が二桁に達する頃には、少なくともなにか異常な集団幻覚か、極めて特異な蜃気楼が発生したことは確実と評価せざるを得なくなっていた。

 

 混乱は、そんな有様の各組織が横の連絡を取ろうとし、連絡をとった組織も混乱していることが判明した結果更に大きくなった。各自治体は県へ、警察は県警へ、海保は国交省へ、把握できた事態を緊急報として連絡し、始めそれらの報告の正気を疑った上位組織たちが、精査と確認の結果自らの正気を疑い始める頃には、混乱はついに首相官邸にまで届いていた。

 

 彼――小林三等空尉が上官が操るRF-4Jに搭乗し、該当地域の偵察飛行へ出撃したのは、そのような経緯の末、事態の情報収集を防衛省が望んだ結果であった。新島出現はともかく、軍艦らしき船舶の存在は、南西諸島問題で緊張を高めていた防衛省にとっては無視できない問題であるからだ。

 

 そうして百里基地を飛び立った彼らは、通報の通り『新島』を発見し唖然とした様子でそれを防衛省に報告することとなる。払暁の薄明かりの中浮かび上がった『新島』は、あからさまに異常なものであったからだ。島の北側は断崖絶壁で覆われ、その間近まで建物が迫っている。どうやら都市が存在する、というか都市島とでも言うべき建物の密度で、それは港へ向かえば向かうほどまばらになっていく。そうして、港には、通報にあったとおり、多数の軍艦のようなものが――。

 

 小林の記憶はそこから曖昧になる。機体が強い衝撃を受けたからだ。最後に覚えているのは失速警報、レーダー照射警報、その他アラーム、そして上官の脱出しろの声。その次は、頭を下げるあの少女の声だ。

 

 

 「秋月――貴官が目覚めた時に居た、あの少女からは詳しいことは?」

 

 「何も。すぐに医者と看護婦に囲まれましたからね」今度は慎重に声音を抑えつつ、小林が青年へと答えた。何しろ、自分の想像が正しくかつ最悪の場合、生殺与奪は目の前のこの青年が握っている。

 

 「そうでしたか」青年が深々とため息を吐いた。

 

 

 小林にとって緊張感の有る沈黙が病室を支配した。何しろ、この青年の対応次第で、自分の命が危ないのだ。いや、自分どころか、最悪の場合、一緒に脱出したであろう上官の命まで危なくなる。

 

 

 「コーヒー、お持ちしました」

 

 

 沈黙を破ったのは、青年の秘書官?であった。言葉の通り、お盆にコーヒーを1つ淹れている。喉が鳴った。医者云々は嘘であり、実際は毒やら自白剤やらを警戒して断ったのだが、先程来の緊張で喉が干からび始めていた。

 

 

 「ありがとう」

 

 

 それを美味そうに啜ってから、青年がさて、と声をだす。小林が気を引き締めた。何を言われることやら。

 

 

 「まず、貴官と貴隊に対し謝罪申し上げる」青年と秘書官が頭を下げた。「口先だけで信じてもらえないことは重々承知ですが、撃墜は本意ではありませんでした」

 

 「の、割に、警告射撃もなかったようですが」小林が眉をひそめながら答えた。

 

 「……これも信じていただけないかと思いますが、警告射撃は行ったのです」青年が頭を上げた。「貴機を撃墜に至らしめてしまった射撃も、威嚇射撃でした」

 

 「…………」

 

 

 小林の脳裏に、一撃で機体の胴体が引きちぎられたらしく、キャノピーの真上を飛翔していく機体後部が思い浮かんだ。青年が、はぁ、と小さくため息を吐いた。

 

 

 「貴官の身の安全は、当然保障します」青年が続けた。「目下、当鎮守府――いえ、我が国と、貴国との間に国交が存在しないため、帰還には時間が掛かるでしょうが、もうひとりのパイロット共々確実に戻れるように――」

 

 「やはり、仰木一尉も収容されていましたか」

 

 

 苦虫を噛み潰したような小林の声に、青年が羽黒、と秘書官を呼んだ。困り顔の秘書官が立ち上がると、失礼します、と部屋を立ち去っていく。

 

 

 「重ね重ね不手際をお許し願いたい」青年が再び頭を下げた。「秋月から話をされているとばかり。仰木いちい(イントネーションに苦労して発音していた)もこの病院に入院していただいています。尤も、軽症でしたので念の為の検査入院といった具合でして。すぐに貴官とお会いできるように取り計らいます」

 

 「それはありがたいです」小林が能面を貼り付けたまま言った。防大で受けた教育を必死に思い出しつつ、続ける。「……ご厚意に甘えて、一つお聞きしてもよろしいですか?」

 

 「なんなりと――と申したいところですが、軍機にふれる部分は」

 

 「わかっています。――ここはどこで、貴方は何者なのですか?」小林が、苦労して上体を持ち上げた。「司令官、と呼ばれていましたが、いくら木っ端士官でも自衛隊内であんたほど若い将官が居ないことはわかります。それに、先程『我が国』と言われましたが、私には日本人に――少なくとも日系人にしか見えない。なのに、その階級章も、自衛隊のものとはまるで違う」

 

 「……そうですね」青年が、柔和な笑みを崩さずに応えた。コーヒーカップを手慰みのように振ってから、小林を見つめる。「仰木いちいにも信じて貰えなかった説明でよろしければ」

 

 「お願いします」警戒しつつも小林が頷いた。ともかく、この状況への説明が欲しかったのだった。

 

 「で、あれば」青年が頷いた。「我々は――」

 

 「失礼しますっ!」

 

 

 病室の扉が開け放たれた。先程から羽黒と呼ばれていた秘書官なる女性だ。だが、先程までの穏やかな表情は一変し、血相を変えたというか、張り詰めた表情になっている。

 

 

 「どうした」青年が初めて眉をひそめた。駆け寄った秘書官が耳打ちしようとし、小林が不快げに顔を歪めたからだった。「誤解されるような真似は――」

 

 

 だが、叱責の言葉はそこで止まった。青年の顔もまた、みるみるうちに険しくなっていったからである。

 

 

 「馬鹿な」青年がうめいた。「この世界には、居ないんじゃ無かったのか」

 

 「正確には、いませんでした。過去形に変わりましたが」秘書官が青い顔で応えた。「私の権限で、鎮守府には甲種警戒体勢を発令しています。当直艦隊の出師準備、5分後に完了を予定」

 

 「そこが早いのだけが救いか、畜生」

 

 

 青年が立ち上がった。小林へと申し訳なさそうに頭を下げる。

 

 

 「申し訳ないが、緊急事態につき失礼します。場合によっては地下壕へ移ってもらう可能性もありますので予めご了承頂きたい」

 

 「ま、待ってくれ! 何が何だか」ついにたまりかねたのか、敬語も忘れて小林が引き止めた。

 

 「安心してください。万一に備えて秋月たちが――先ほど貴機を撃墜してしまった娘たちの艦隊が当地域の防空任務に就きます。異論有るとは思いますが、当面は我々に従って動いていただくのが、貴官の安全にも繋がります」

 

 

 ではこれで、と青年が足早に立ち去った。反論を許さぬ、将官としか言えない声音であった。申し訳なさそうに一礼して出ていく秘書官の後ろで、大慌ての医師と看護師たちの姿が見える。

 

 結局、小林は、外から空襲警報と思しきサイレン音が聞こえる中、病室にぽつねんと取り残されてしまうのであった。残念ながら彼の疑問が氷解するのは、現状最も鎮守府――横須賀鎮守府に近づいている日本人という立場を鑑みれば、よほど後になってからのことであった。

 

 

 

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 

 

 状況は、と口を開こうとした提督が口を閉じた。明石が苦労して『こちら』の電波を受信するように調整したテレビの映像が全てだった。

 

 

 「ニューヨークだそうです」疲れた顔つきの少女――大淀が言った。「このニュース番組によれば、1時間前の映像と」

 

 

 提督が黙って頷いた。かつて、資料映像で見たことがあるニューヨークの町並みが、画面いっぱいに映っている。それだけならば、この世界が――国連海軍横須賀鎮守府が突如孤島化した上に、飛ばされてきた――いわゆる異世界転移としか言いようがない現象によって移動してきたこの世界が、まったくの平和状態である証拠として好ましいはずである。その町並みが、大炎上し――思い切り、深海棲艦らしき存在が映ってさえいなければ、だが。

 

 

 「この他、先程夕張さんが接続したインターネット回線によると、よ、ようつべ、ですか? にロンドン、上海、シドニー、サンフランシスコなどが炎上している動画がアップロードされています」

 

 

大淀が更に凶報を付け加え、メモ用紙を差し出してくる。一瞥した提督が目をつむった。脳内の記憶を漁らなくともすぐにイメージできる大都市の名前が十数個記載されていたのだった。

 

 

 「この世界に深海棲艦は存在しないという結論は早計だったか」提督が軍帽を苛立たしげに脱いだ。顔を思い切りしかめる。

 

 「現状では何とも言えませんよ、司令官」艦隊最先任軍艦――すなわち初期艦である吹雪が、宥めるように言った。「私たちと同時に転移したか、そもそもこの世界にも実は深海棲艦が存在していて、タイミング悪く攻撃が今になったのか。考えてみれば、深海棲艦の初出現に関しては未だに議論がありましたから」

 

 「哨戒に出した部隊には、事態の連絡と即座の帰投を命じています」大淀が頷いた。「偶発戦闘を嫌って軽武装を重視しすぎましたから、戦闘は危険です。それに、ここが襲撃される可能性も捨てきれません」

 

 

 提督が顎を手でもんだ。深夜1時――横須賀市役所から、市境から向こう側が海になっているという緊急連絡を受けて以来起き続けたせいで生えてきた無精ひげがじょりじょりと鳴る。忌々しい雑音だった。

 

 

 「今出せる、重装備の哨戒部隊を全部出す」提督が鋭い声を作った。「編成が終わっていると羽黒から報告は受けている。大淀、細かい哨戒範囲の設定は任せる」

 

 「承知しました」

 

 「吹雪、悪いが青葉と明石、それから夕張をすぐに呼び出してくれ」大淀の敬礼を見た提督が初期艦に向き直した。「差し当たって情報収集を強化する。ハードなスケジュールになるが、受信できる電波情報は全て把握したい」

 

 「了解」

 

 

 命令一下、弾けるように大淀と吹雪が動き出した。提督と同じく、現地時間で朝8時だというのに既に四半日以上働いているとは思えない鋭い動きだった。

 

 とりあえず最優先の命令を発した提督が、執務椅子に腰を下ろした。無造作に放り投げられていたメモ書きを取り出し、冷静に、現状の情報を再検討していく。

 

 横須賀市及び横須賀鎮守府――今やどう見ても相模湾っぽい地形にぽつんと浮かんでいる孤島になってしまったここは、行政区分上の市境がそのまま断崖絶壁と化すなど不安定に見えるが、地質学的には安定しているし、市警が出張って管制しているから問題はない。あらゆるネットワークから切り離されたため断絶しているライフラインは、水など市内に独立して存在していたシステムはそのまま生きているし、電気は鎮守府の全力で発電中であるから、長期的には問題でも今はなんとかなる。艦隊戦力は、転移による影響は一切なし。備蓄資源や基地航空隊を始めとする各種装備についても同様だ。

 

 ネックは、未だにこの世界との交流が出来ておらず――よりにもよって偵察機と思われる軍用機を撃ち落としたこと。つい先程までならば、時間を掛けて信頼醸成という選択肢一択であったのだが、深海棲艦の出現によってそうも言っていられない。援軍派遣や情報提供の遅れは百歩譲って許せるとして、まかり間違って敵扱いにされ、三つ巴で戦争に至っては地獄絵図だ。そこまで考えてから、ふと何かに気づいた様子の提督が秘書艦を――羽黒を呼んだ。

 

 

 「頼みが有る」はい、と応じた秘書艦に、提督が言った。「資料室から、深海棲艦の侵攻記録を引っ張り出してきて欲しい。日別――いや、できればもっと詳しく載っている戦史が良い」

 

 「はい」羽黒が意図を測りかねたのか、小首をかしげるように応答して、一拍置いて表情を真剣なものへ変えた。「まさか、我々の世界と同じ攻撃スケジュールになる、と?」

 

 「皆目わからん」提督が苦虫を噛み潰したように続けた。「だが、仮にそうであれば一刻も早く気づく必要がある。君たちが現れてくれる前、大東洋を分断されたのがあそこまでの苦境に陥った一因だからな」

 

 「仮に阻止できればそれ以上のことはない、ですか」大淀があとを引き継いだ。

 

 「もちろん、端から決めつけて空振りは最も愚かなことだが」提督が頷いた。「気が早いが、せめて長距離派遣部隊の準備は進めておくべきだろう。異議は?」

 

 

 大淀も羽黒も首を横に振った。ならば直ちに掛かれ、と提督が告げ、二人が駆けるように動き出した。執務室の電話機ががなり立てたのはちょうどそんなタイミングだった。

 

 

 「はい、執務室」唯一机の側に居た吹雪が呼び出しの連絡でふさがっているのを認めた提督が、受話器をとった。電話越しの相手が捲し立ててくるのを聞き取る。相手が落ち着いた頃には、提督の顔に深いシワが刻み込まれていた。

 

 

 「わかった。触接を継続してくれ。あぁ。そうだ」

 

 

 険しい声で命じてから、提督が受話器を置いた。何事か、と視線が提督に集まる。流石に、親しい面子に感づかれない話題ではなかった。

 

 

 「大淀」自分でも思っても見ないほどの低い声を出しながら、提督が口を開いた。「哨戒部隊出撃は取りやめ。待機している主力艦隊を緊急出撃させる」

 

 「了解」大淀が応じ、小声で続けた。「敵、ですか」

 

 「哨戒に出ていた基地空の陸攻が見つけた。確定情報だ」提督が執務室、その窓の外を見た。突貫でプロッティングさせた鎮守府の現在位置から考えれば、その先には。

 

 

 「戦艦4、空母2、その他艦艇6からなる深海棲艦が確認された。進路は――東京湾だ」

 




なお混乱する小林三尉の元に申し訳無さそうな秋月が再び出没し、
さらなる混乱に突き落とした模様


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第1話 鎮守府近海空戦マス 

ヒーローは遅れた頃にやってくる


 状況がよろしくないことは重々わかっていた。少なくともそのつもりであった。

 

 何しろ、相模湾沖に謎の新島が出現したと思ったならば、それによって空自の偵察機が撃墜されてしまい、三自衛隊が揃ってパニックになる中、今度は同盟国・敵対国を問わず世界中の主要都市が次々に襲撃を受け、炎上を開始したのである。

 

 常識的に考えて、関連がないわけがなかった。いや、相模湾沖の新島に巣食う未確認武装勢力こそ、東京を既に摩天楼が大火災で融解しつつあるNYのような惨状に変える手先と考えて違いなかった。

 

 それは、労働者、一般市民、富裕層、公務員、官憲、政治家、そして自衛隊が、この国にしては珍しく一致させた見解であった。政府は、いつも通りスムーズとは行かなかったものの、見てくれは不格好でも全力で対応に動いていた。相模湾沿岸の地方自治体は狂ったように避難指示を出し、平素を考えれば異常とも言えるレベルで協力的な警察の支援のもと、とにかく沿岸から逃れる人の動きが活発化していた。そして自衛隊は、神奈川・静岡両県から発された災害派遣要請を名目に、既に近隣の駐屯地から陸自部隊の出撃が始まっており、準備が整い次第、対艦ミサイル部隊などの派遣も続く予定であった。空自も、撃墜された偵察機の捜索救助作戦並びに第二次偵察、及び空爆作戦の立案にてんてこ舞いである。そして、海上自衛隊も。

 

 彼、深町二等海佐率いる潜水艦<おうりゅう>が三浦半島沖合にて迷走していたのは、特に最後の点と関連があるのだった。

 

 既に進水から10年選手と化していた彼女は、本日の深夜0時頃、すなわち異変が起きたと目される時間帯、ちょうど東京湾沖を航行中であり、すなわち異常現象を観測できるステルス艦――レーダー反応を低減させるという意味ではなく、単純に発見が困難な艦艇という意味においてのそれとしては、最もその海域に近かった。

 

 午前五時ころ、異変の概況と、進路を当該新島にとれ、という程度だった命令は、偵察機撃墜事件の後、攻撃を警戒しつつ可能な限りの速度で、とアップデートされた。更に状況が変わったのは、眉をひそめた深町が潜行開始と決定した海域の直前である。自衛隊に、世界各地の主要都市炎上の報告が入ったのだった。

 

 

 「パッシブソナー探知、未だ継続中です」水測長である南波海曹長が感嘆したように報告した。「こいつは凄いですぜ。大型艦クラスが6、護衛艦クラスが6。堂々たる大艦隊です」

 

 「詳細な艦種はわからないか」

 

 「はぁ、何せ音紋がデータベースにある既存艦艇と全く一致しません。何なら、機関がガスタービン推進でない可能性もある。とにかく、本来なら遠慮したい大型艦が混じっているという以上、確たることは何にも」

 

 

 わかった、と深町が応じた。顔を不機嫌そうに歪めながらでなければ、字義通りに解釈してもらえる可能性はあったかもしれなかった。

 

 

 「厄介ですね。そして危険です」速水三等海佐が、艦長に劣らずな声音で深々とため息を吐いた。「敵の戦力が全くわからない」

 

 「本来なら、やってられるか馬鹿野郎、そんな任務なのは同意見だよ、副長」深町が応じた。

 

 「だが、そうも言っていられん。こいつらが東京を、いやその他の沿岸、それこそ我が国以外を焼くことですら許容できんからな」

 

 「完全なる無差別攻撃」

 

 

 副長が、嫌悪感を隠さぬ声で読み上げた。深町の顔が更に歪む。すぐに潜航したため、それ以上の情報受信は行えなかったが、逆に言えばそれだけでも自身が受けた命令の正当性を確保するには十分なレベルであった。『進行する未確認艦隊を発見した場合、これを撃沈せよ』

 

 

 「南波海曹長、くどいようだがもう一度聞く。民間船と誤認している可能性は」

 

 「ありえません。護衛艦クラスの方は万が一がありえなくもないですが、大型艦クラスは速度など考えて間違いなく民間船ではありません。何せ連中、40ノットを超えていやがる」

 

 

 深町が頷いた。タンカーとの比較は極端にすぎるとは言え、コンテナ船でも30ノットは無いか、有ってもごく稀という世界に、40ノット超えだ。いや、下手をすると軍艦ですら40ノットというのは滅多なことでは見ない数字である。そして、それらが船団行動を取っているとすれば、答えは一つだ。

 

 

 「合戦準備」深町が命令を発した。「ハープーン発射用意」

 

 「いささか近すぎのようにも感じますが」復唱し、命令を伝達したあと、速水が小声で尋ねた。

 

 「やむを得まい。敵速力は40ノット超。こっちの魚雷はそれよりは早いが、そこまで差はつかない。万一の場合、避けられるぞ」

 

 「まさか……」

 

 「ありえない、と言えるか? 突如新島として出現し、お仲間は世界各地で民間人を焼いている代物だぞ? はっきり言えば、ハリウッドの侵略エイリアンのご同類だ」

 

 「エイリアンが海に現れますかね」

 

 「例えだ、例え。それに、そういう映画もあったさ」

 

 「測敵よし、魚雷発射管注水はじめ」

 

 

 深町が手を振り、下らない話を止めた。金属質の抑えられた音が、それでも十分な音を響かせて開き、内部が海水で満たされていく。

 

 

 「航海、射撃後即座に深度潜行用意。ずらかるぞ」

 

 「アイ、キャプテン」

 

 「注水終わった」

 

 「は――」

 

 「海面に着水音っ!」

 

 

 艦長の声が遮られた。南波の声だった。切羽詰まった続きが、しんと静まり返っていた<おうりゅう>の発令所に響き渡った。「スクリュー音及びアクティブソナー音2! 接近してくる!」

 

 「攻撃中止! 急速潜航! 魚雷防御システム起動!」

 

 「急速潜航! 手隙のものは前部魚雷魚雷室へ! 急げ!」

 

 

 命じた瞬間、床が前傾し、慌ててバランスを取った。かたかた、と極力音を立てない、潜水艦乗り特有の走る音が聞こえてくる。

 

 

 「クソ、気づかれたのか」深町が歯ぎしりした。艦と乗員に迂闊にも道化を演じさせてしまったことを悔いてから、すぐに気を切り替える。「水測、魚雷の推定速度は!?」

 

 「…………」

 

 「南波海曹長、どうした!」

 

 「はっ」深町が目を丸くした。海曹長の声が震えていたのに気づいたのだった。「雷速、推定、100ノットです……触雷まで残り10秒」

 

 

 発令所が静まり返った。カン、という音が急速に近づいてくる。潜水艦乗りならば間違えようのない音が、頭の悪い中学生が考えた冗談のような報告、その正気を保証していた。アクティブソナー誘導型の魚雷が、100ノット。

 

 

 「馬鹿な」速水が呻いた。「その速度では、まともな誘導なんて」

 

 「艦長より総員! 対衝撃姿勢、急げッ――」

 

 

 10秒という時間は、それらすべてを行うには、あまりにも短い時間に過ぎた。

 

 轟音とともに艦が大きく揺さぶられた。明滅する赤色灯を最後に、深町の意識は途切れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ホワイトベースより要撃任務中の全機へ……、先行した米軍機は全機ロストした、繰り返す、全機ロストした……』

 

 『ゴブリン接敵! 恐ろしく早い奴だ! 注意を――』

 

 『ゴブリン1が食われた! 敵機の旋回性能が良すぎる! ミサイルが追随できない!』

 

 

 無線機から流れ込んでくる情報の――それも、絶望的と言っていい情報の奔流に、安室二尉がF-15J改の操縦桿を固く握りしめた。無論、空自が史上初めて経験している実戦に緊張しているというのも有ったが、コールサイン<モビルス2>を与えられた彼が向かうその実戦とやらが、どうやら常軌を逸した状況に繋がりつつあるのもその理由であった。

 

 深町率いる<おうりゅう>が交戦を開始したその頃。空自レーダーサイトは、小笠原方面から空路を進撃してくる未確認飛行物体多数――総数200機にも上るそれらを探知した。

 

 レーダーの故障という線は、第一報から数分と立たずに顧みられすらしなくなった。未確認飛行物体の針路上を飛行していた民間機が、国籍・機体の大きさ・貨客の区別なく、次々に消息を絶っていったからであった。この時点ですでに推定行方不明者数は四桁の大台に上る一大事であり――何をどう考えても、炎上するNYや上海と言った諸都市と関連するとしか思われなかった。

 

 この情報を把握した瞬間、最初に飛び立っていったのは米軍機であった。これは自衛隊や日本の対応云々の前に、本国ですでに100万単位の死者が発生しているという不愉快かつ確実な推定をしていた在日米軍の士気の高さに由来していたものだった。もちろん、すでに本国から非公式に戦争状態突入との通知を受けていたこともその要因であったが、少なくとも太平洋を横断してサンフランシスコを救援に向かう準備すら始めていた彼らにとって、すでに戦時の重要根拠地と化していた日本への攻撃は、同盟の信義云々以前の問題であった。

 

 もちろん、空自がそれを指を咥えて眺めていたわけではない。日本型組織の限界を突破する勢いで、即時待機命令が出されていた要撃機が関東一円の各基地から次々と出撃していった。この数時間、可能性ではなく確実であると議論されてきた首都攻撃に対し、政府と自衛隊は期待以上の働きをしていたと言っていい。

 

 そして、空自は、そのことで生じた数分間の猶予を、心の底から安堵することになる。

 

 同盟国及び空自要撃部隊を管制するために飛び立ったAWACSがレーダー画面で見たものは、未確認飛行物体に絡まれ、次々にレーダー上の輝点を失っていく米軍機の光景であった。地上のレーダーサイトでのダブルチェックにより、それが機器の故障などという生易しい原因によらないと気づいたとき、作戦指揮所の反応ははっきり言えばパニックとしかいいようのないものであった。十分共同作戦を行えるはずが、蓋を開けてみればただ各個撃破の愚を犯したようなものだったからだ。最も、それは在日米空軍の茫然自失状態に比べれば、まだマシだったとも言えるが。

 

 

 『ホワイトベースより要撃作戦中の全機!』無線がAWACSの声を伝えた。『作戦空域を東京湾上空へ変更する。高射部隊の支援を受けつつ迎撃作戦を実施せよ。繰り返す……』

 

 「そううまくいく物か?」

 

 『行かせるしかないぞ、モビルス2』

 

 

 安室のつぶやきに、編隊長の立圃一尉が苦い声で言った。『我々が食い止められなければ、東京ないし日本のどこかが火の海になる』

 

 

 安室が了解、と負けず劣らずの苦い声で応じる。だが、機体を翻しつつも疑念は収まるところを知らない。果たして、あの米軍機部隊――F-22を主装備とする要撃部隊をものの一瞬で全滅させた敵部隊に、地上部隊や海上部隊の対空ミサイル射撃が加わった程度でどうにかなるものなのか?

 

 

 『注意しろ、横須賀の海自部隊が対空ミサイルを発射、敵に接近中――』

 

 

 結論から言えば、安室の疑念は、あまりにも甘い想定に過ぎた。

 

 

 『て、敵機急速に接近中! 前衛部隊全滅! 東京湾へ避退中の部隊、接敵まで1分を切った! 反転し迎撃せよ!』

 

 『くそったれ!』モビルス1が悪態をついた。ガラではなかった。『モビウス2、再反転する! 目玉と射手で行く。お前さんが攻撃だ!』

 

 「ラジャー!」

 

 

 機体が再び敵機の方向へ向く。HUDの表示をレーダーに切り替えた安室は目を疑った。明らかに先程までの情報と速度が違う。瞬間的にマッハ10でも出ていたのではないか……。

 

 

 『なるほど、戦闘と巡航速度は違うのか』モビルス1が言った。『落ち着けよ、モビルス2。敵の速度が落ちてる。戦闘中にあの速度は出ない』

 

 

 安室が弾かれたようにミサイル発射手順を進めていった。囮役を引き受けつつも自分を落ち着かせようと努力している編隊長に、情けなさで一杯になるが、こういうものは戦働きで挽回するものだと古より相場は決まっている。

 

 

 「モビルス2、FOX1!」

 

 

 安室の宣言と同時に、ロケットモーターの腹の底から響くような燃焼音が聞こえてきた。セミアクティブ型の中距離誘導弾、AAM-4の発射音響だった。続いてもう一発。

 

 

 『よし』モビルス1が、今日始めて満足そうに言った。『敵機がミサイルを撃ってくるぞ! お前さんもビーム機動の用意を』

 

 『警告!』AWACSの悲鳴のような声が無線に響いたのはその瞬間だった。『敵機再び異常加速! モビルス! 君たちにまっすぐ突っ込んでくる! 各隊モビルスを援護せよ!』

 

 『ブレイク!』編隊長の判断は早かった。『ブレイク! モビルス、ブレイク!』

 

 

 安室が無我夢中で操縦桿を傾ける。未だレーダー表示のままであるHUD上で、敵機を示すドットがこれまでのどんな訓練よりも異常なスピードで彼らに近づいてきていた。

 

 安室がGの影響に耐えつつ、顔をなんとか持ち上げた。風防越しに、本来では気持ちのよい青空が広がって――芥子粒のような黒点が、一瞬で飛行物体とわかるほどに近づき、彼らの直ぐ側を通り抜けていった。

 

 安室が操縦桿を抑えた。必死にラダーを操作する。機体が大きく揺さぶられていたのだった。安室が座学で受けた知識によれば、後方乱気流に――いやただの乱気流に似た現象だった。確かに、それが今真横を通っていった敵機によってもたらされたと考えなければままある状況だった。

 

 驚愕のまま、安室の視線が敵機を追う。そのまま、凍りついてしまった。

 

 敵機は、おそらく減速しているらしい。おそらくと言うのは、どちらにせよ速度が異常に早く、周りを取り巻く空気の渦でしかそれが確認できなかったからだ。そして、それもすぐに不可能になる。減速とは別種の乱流が敵機を取り巻いていた。急旋回である。

 

 未だにマッハ4は出ていそうな速度で敵機はぐいと急上昇を始めると、そのまま背面飛行に移り、またこちらに近づいてきた。早い話が反転してきたわけだが、安室にはわけがわからなかった。旋回半径が短すぎたのだった。あれではパイロットが――いや、パイロットどころか、機体すら持つわけがない。そのくらいの旋回だった。

 

 

 『モビルス2! ボケッとするな! ケツに付かれたぞ! 振り切れ!』

 

 

 モビルス1の怒鳴り声が聞こえてくる。安室が慌てて機体を滑らせた。が、すぐにその必要がなかったことに気づく。大声で警告した。

 

 

 「違う! モビルス1! 貴方に2機がかりです!」

 

 『ッ!?』

 

 

 安室の警告が早かったのか、自分で気づいたのが早かったのか。モビルス1が航空力学の限界まで機体を揺れ動かす。敵機が光り輝く何かを、鞭を撓らせるように発射したのはその瞬間だった。

 

 「機銃曳光弾!? チグハグな……」

 

 

 安室が呻く。常識外の機体に搭載されているにしては、あまりにも旧態依然とした装備であり……であるにも関わらず、あまりにも効果的だった。

 

 

 『モビルス2! 後退し、他部隊の援護を』

 

 

 爆発音とともに、無線はそこまでで切れた。計8条の機銃線、その尽くがモビルス2に直撃したのがよく見えた。瞬時に機体が爆散していく。安室の決して豊富とはいえない飛行経験でも、あそこから脱出するのは不可能だとすぐに察しがついた。

 

 

 「立圃さ――くっ!」

 

 

 しかし、いくら世話になった編隊長が目の前で戦死――そう、戦死しようと、安室には大人しく感傷に浸っている暇がなかった。モビルス1を撃破し、モビルス2をフライオーバーした敵機は再度旋回を開始し、現実離れした機動性と速度でこちらに迫ってきていたのだから。

 

 回避しきれない。操縦桿を傾けつつも、安室が絶望的な判断をした。こちらはすでに旋回等々で空戦エネルギー――運動エネルギーと位置エネルギーの総和を使いすぎていた。にも関わらず、敵は空戦エネルギーは無尽蔵そのものだった。

 

 食われる。旋回しきった敵機が安室を向く。ヘッドオンのような体勢になった。せめてもの悪あがきとして、機銃の発射レバーに手が伸びる。だが、ターゲットを照準内に合わせるどころか、発射すらできそうにもない。何しろ、不格好な、それこそエイリアンと言われても驚かないような敵機の面構えがよく見えるのだ。安室の呼吸数が激しく乱れ――次の瞬間、敵機が視界から消えた。

 

 警告音と心拍音、それから呼吸音がF-15Jのコックピットを支配する。慌ててHUDを見る。彼のレーダーではすでに補足できなくなっていた。

 

 

 『ホワイトベースより全機』呆然としたAWACSの声が聞こえてきた。『新たなボギーが出現。総数約200機。こいつらが先に戦闘した敵機と交戦状態に入っている。繰り返す、新たなボギーが今までの敵機と交戦状態に入った』

 

 『モビルス2、安室。生きてるか』

 

 

 同じく、その報告を呆然と聞いていた安室が、聞き馴染みのある声に慌てて反応した。

 

 

 「その声、甲斐か?」

 

 『あぁ、今はキャノン2だ。もっとも、俺が編隊長になっちまったが』

 

 

 防大同期の声だった。といっても、極端に親しかったわけでもなく、別基地に配属されてからはそれなりの付き合い、程度の男であった。

 

 

 「こっちも似たようなもんだよ」

 

 『そう落ち込みなさんな。今戦ってた連中は全員似たようなもんさ。お互い、大変な同期会になっちまったよな。それより』

 

 「ああ」

 

 

 安室が風防越しに遠くを見た。AWACSが混乱そのものと言った状況で警告を発し続けている方向だった。すなわち、200機同士の大空戦である。

 

 

 『少なくとも、どっちかの機体は落ち続けてるよな』キャノン2がつぶやくように言った。

 

 「ああ、相変わらず無茶苦茶な機動している」

 

 『同士討ちってやつかな』キャノン2が本気の声音で言った。『敵機、見たろう? ありゃ絶対にエイリアンだぜ。で、あれがエイリアン同士の内紛』

 

 「だと良いんだが」

 

 『部隊を再編する』ホワイトベースがひっきりなしに無線を飛ばした。安室に呼びかける。『モビルス2、近くのキャノン2が僚機を失っている。エレメントを組み直し、君が編隊長だ』

 

 「了解」

 

 『チェッ、短い天下だったぜ』

 

 『警告』安室が何か言い返そうとし、ホワイトベースが例の切羽詰った声を上げた。『敵とボギーの集団から複数機がそちらに向かってきている』

 

 『ホワイトベース、そいつはどちらだ? 敵機か、それとも新たに現れたボギーか?』

 

 『不明。レーダー上で判別できない。ともかくガンズフリーが出ている。また、米空軍の第二陣も接近中だ。ここで食い止める。迎撃せよ、繰り返す、迎撃せよ』

 

 『ちきしょう! お前らの戦争ごっこにこっちを巻き込むなよ!』

 

 「キャノン2、ぐだぐだ言う隙がないぞ! 着いて来てくれ!」

 

 『くそったれめ! 了解!』

 

 

 臨時編隊が敵機に向かい始めた。周囲やレーダーを見れば、他の編隊も同じく動き始めている。先程に比べれば状況が意味不明ながらも好転したように思えるだろうからか。モラルブレイクは起きていない。

 

 再び、敵機の異常な加速が見えた。芥子粒が、また飛行物体に変わる。

 

 

 「見えた!」安室が言った。「さっきの奴だ。それから――」

 

 『なんだよ、ありゃあ』

 

 

 無線が静まり返った。他機も絶句している。ホワイトベースだけが状況を問いただそうと遮二無二無線を繰り返しているが、応答する余力がなかった。

 

 

 「プロペラ機だ」安室が呻くように言った。「プロペラ戦闘機が、さっきの敵機を追いかけてる……」

 

 敵機とプロペラ戦闘機は、安室たちなど眼中にないと言わんばかりに空戦機動を繰り返した。無線を悲鳴が揺るがす。余波を受け、機体が揺さぶられたやつがいるらしい。

 

 

 『ッ! どうやら、呆然としてる暇もないらしいぞ、モビルス2!』

 

 「ブレイク! モビルス2、エンゲージ!」

 

 

 安室が機体を駆って、プロペラ機に追尾されている敵機へなんとか齧りつこうと努力する。だが、彼我の距離は一向に狭まらない。

 

 

 「連中、なんて速度だ」

 

 『各機へ告ぐ。状況を正確に報告せよ。プロペラ機は音速を超えない。繰り返す、プロペラ機は――』

 

 『超えてるんだよ! プロペラ機が! 音速を! 現実見やがれ!』

 

 

 無線はいよいよ混沌とし始め、安室が意識を目に見える敵機とプロペラ機に向けた。そちらのほうが、少しは役に立つと思ってのことだったのだが、現実は厳しいものだった。プロペラ機から放たれた機銃弾により、敵機はものの見事に爆砕してしまったのである。プロペラ機に追随するという選択肢もとれなかった。旋回性能も、敵機と同じであったのだった。

 

 

 『モビルス2!』キャノン2が叫んだ。『真横だ! 右真横を見ろ!』

 

 

 反射的に言われたとおりにする。安室が目を見開いた。格闘戦の結果か、今度はプロペラ機が敵機に襲われているのであった。だが――速度も機動も、そこまで激しいものではない。故障だろうか、と安室が一瞬だけ考え、すぐに頭を振った。いますべきことはそれではない。そのことを思い出したのだった。

 

 安室が機体を滑らせる。敵機の後ろをとった。訓練でも出したことのないような手際の良さでロックオンする。叫んだ。

 

 

 「モビルス2! FOX2!」

 

 

 赤外線誘導弾が2発、発射される。敵機は回避機動を取らない。意固地になってプロペラ機を撃墜しようとしている。が、故障しているにしては妙な機動でプロペラ機は回避を続け、敵機の機銃は当たらない。敵機が断念した頃には、すべてが遅かった。

 

 爆発音がする。安室が慌てて目の前に生じた黒煙を凝視した。黒い敵機が黒煙の塊、その下部から突き出てきた。煙をたなびかせながら、それは下降を続け――ついには、海面へと墜落した。

 

 

 『モビルス2、敵機撃墜! 繰り返す! 敵機を撃墜した!』

 

 

 ホワイトベースが歓喜の報告をすると同時に、隊内無線が歓声に満ちた。疑う余地がない。全自衛隊で、いやひょっとすると全世界で、これが初めての戦果であった。あらゆる戦闘機乗りが、後方支援要員が雄叫びを上げる。これが反撃の狼煙――誰もがそう確信していた。ただ一人、安室を除いて。

 

 安室がプロペラ機を凝視した。銀翼が太陽の光を反射する。更にまばゆいものが見えた。安室が呆けた顔でそれをみつめた。赤い丸――自衛隊機にも継承された、日本軍機を表す国籍表示だった。

 

 呆然とする安室の前で、ミートボールが揺れた。プロペラ機が両翼を上げ下げ――バンクを振っていたのだった。そうして、意思表示は終わったとばかりに、プロペラ機は急旋回し、速度を勢い良く上げた。安室がすべてを理解した。故障などしていなかったのだった。

 

 

 『よお、撃墜王』キャノン2が陽気な声で安室を呼んだ。『なんだ、こんな戦果じゃ不十分か』

 

 「違うよ」安室がひどく冷静な声で言った。「共同撃墜だ。あの機体との」

 

 『……何言ってやがる』

 

 「撃たせたんだ、僕に。わざわざこの機体が追随できる程度の回避運動しかしないで」

 

 『米軍機到着! 騎兵隊のお出ましだ! 勝てるぞ!』

 

 

 AWACSの声に、更なる歓声が上がった。モニターに友軍機の情報が出た。ミサイルが複数発向かっていくのもわかる――プロペラ機に向かって。

 

 

 「いけない」安室が呻いた。「あれは味方だ。撃っちゃいけない」

 

 『証拠がないぜ』キャノン2が言った。『味方と断じるのは早計だろ。いや、敵じゃないという証拠すらない』

 

 『米軍機に機影が多数接近! 援護せよ!』

 

 

 言われる前に、安室は機体を最大加速させ米軍機の方へと向かっていた。キャノン2が慌ててそれに従う。

 

 駆けつけてみれば、先程の自衛隊部隊の二の舞いが目の前に居た。長中距離ミサイルを発射している隙に距離を詰められ、格闘戦に持ち込まれている。すでに複数機が撃墜されていた。だが、先程までと少し違うのは――敵機はやはり、プロペラ機を最優先に攻撃していることだった。

 

 米軍のF-22が、サイドワインダーと思しきミサイルをプロペラ機に発射する。敵機に翻弄され、若干速度と機動が鈍っている機体を目ざとく見つけたらしい。だが、プロペラ機はすぐに、あの超人的な機動で回避を断行する。標的を見失ったサイドワインダーが、虚しく迷走を始める。

 

 だが、母機にそれを悔しがる余裕はなかった。先程までそのプロペラ機に追尾されていた敵機が、今度はそのF-22に着いたのだった。米軍最新鋭機が、大慌てで回避行動を行う。が、それで回避できれば先程の戦闘で米軍は勝利していた。

 

 万事休すか。そう思われたとき、2条の機銃が敵機を撃ち抜いた。爆砕、とまでは行かなかったものの、速度を失った敵機がみるみるうちに墜落していく。全く別のプロペラ機が射撃を行ったのだった。援護射撃、そう呼ばざるをえない射撃を。

 

 呆然とするラプターの鼻っ面に、急旋回したその機体がぴたと着ける。そして、バンクを振ってから、すぐに別の敵機へと向かっていった。

 

 周りを見渡せば、いや、見渡す必要すらなかった。英語で、日本語で。無線が徐々に、謎のプロペラ機に援護されたという内容で埋まっていった。

 

 

「一体、何がどうなってるんだ……」

 

 

安室のつぶやきは決して大きなものではなく、無線を占めることはなかった。だが、その必要はない。何しろ、この戦闘に携わるありとあらゆる軍人が抱いた共通認識なのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 

 

 

 「なぁ、副長」深町二佐が心ここにあらずと言った様子で呟いた。「俺は夢でも見ているのか?」

 

 「いいえ、艦長」速水三佐が疲れたように言った。「付け加えれば、頭部負傷による幻覚でもありえません。もしそうならば集団幻覚ですから、自衛隊病院行きは硬いですよ」

 

 

 頭に巻いた包帯へ血をにじませながら、深町がゆっくりとうなずき、再びセイルから目の前の光景を眺めた。まだ朝日と言って良い光の中、戦艦が三隻、悠々とその身を浮かべていたのであった。

 

 あのあと、深町が目覚めたのは、浮上する<おうりゅう>の発令所であった。重傷者の移送と応急修理でてんてこ舞いで、失神しただけの深町にまで手が回らなかったらしい。

 

 軽度の負傷で済んだために指揮権を発動していた速水三佐によれば、魚雷は<おうりゅう>の直上で爆発した。初めは過早爆発を疑った彼だったが、おそらく水中通話装置と思われる音響で、一分以内に浮上に転じない場合は撃沈するという警告が行われ、急速浮上を速水が判断。その途上で深町が起きたのだった。

 

 速水から指揮権を受け取りつつも、他に手がないことを認めた深町は速水の判断を追認。そうして、海面上に到達後、何が出るやらと戦々恐々しながらセイルに出てきた深町らの目の前に現れたのが、問題の情景であった。

 

 

 「何者なのでしょうか」速水が珍しく不安げな声で尋ねた。

 

 「わからん。が、少なくとも会話はしようって相手だ」深町が応じた。「信頼するには早すぎるが、世界各地で無差別攻撃している輩とは根本的に何かが違うぞ、こいつは」

 

 「艦長、目の前の戦艦ですが」一緒にセイルまで着いてきた渡瀬航海長が深町に耳打ちした。「どうも、アイオワ級に見えます」

 

 「……つまり全ては米軍の陰謀か? 一部が喜びそうな話だな、おい」

 

 「にしては明瞭な日本語でしたが」と速水。

 

 「いえ」渡瀬が困惑しきりに言った。「目の前の戦艦はアイオワ級に見えるんです。ですが――遠くの二隻は、その、なんと申し上げますか」

 

 「はっきり言え。こんな状態だ。よっぽどのことじゃない限り信じるぞ」

 

 「大和型に見えます」

 

 

 深町が押し黙った。速水が、よっぽどのことだったみたいですネ、とため息を付いた。

 

 

 「大和は三連装砲だった。だが、あれは連装砲塔だぞ」深町が呻いた。

 

 「ですが、艦型が、その、差異はあるのですが、大和に酷似しています」

 

 「つまり、大和ではないかもしれないということですか」

 

 「いえ、そう言うにはあまりにも全体が似過ぎとりまして」

 

 「結論を急ぐのはやめとこう」深町が反論しそうだった速水を抑えた。「どうせ、これからたっぷりと時間があるだろうさ」

 

 「艦長!」

 

 

 艦内への入り口が開いた。通信担当士官が困惑した表情で駆け上がってきた。

 

 

 「どうした。幽霊でも出たような顔をして」

 

 「目の前の艦隊から通信が入りました。入ったのですが」通信士官が、苦労して口を開いた。「日本語で、横須賀鎮守府所属、第一艦隊旗艦<大和>と名乗っています」

 

 

 深町が唖然としたま無線機を受け取った。顔をしかめる速水と、信じられないようなものを見る渡瀬が居た。

 

 

 「ご苦労だった」慇懃な顔を作った深町が通信士官の肩をたたいた。「実に正直な顔だった。戻ってよろしい」

 

 「は? はっ」

 

 「確かに、結論を急ぐ必要はありませんでしたね」

 

 「いささか想定外過ぎますがね、副長」

 

 

 目の前の、些か現実逃避気味な部下のことは努めて考えないようにして、深町がヘッドフォンをし、無線を口元に当てた。すぅ、と息を吸う。声を発した。

 

 

 「こちら日本国海上自衛隊、横須賀地方隊所属の潜水艦<おうりゅう>、艦長の深町二佐だ」

 

 『横須賀鎮守府所属、第一艦隊旗艦<大和>です』

 

 

 女性の声が聞こえてきて、深町が目をむいた。てっきり厳しい男の声が聞こえるとばかり信じていたからだ。それは傍らの部下二人も変わりない。固定概念の敗北だった。

 

 

 「艦名は了解した」慌てたように声を作り直した深町が応じた。奇襲で気圧されるのは避けるべきことだった。「貴官の官姓名をお聞きしたい。我が国に鎮守府はもう存在しない」

 

 『官姓名』凛としているが、どこか幼さが感じ取れる声がオウム返しにした。柔らかな笑い声さえ含まれていた。『お答えできません』

 

 「人様の軍艦に攻撃を加えておいて、所属は明らかにできないと」深町が強気の声を出した。艦長、と諌める速水に頷く。ブラフだ。「どこに出しても恥ずかしくない、明確な背信行為ですな」

 

 『威嚇射撃です。貴艦が魚雷発射管に注水した音はこちらでも探知しました。先に戦闘行為を仕掛けようとしたのはそちらでは?』

 

 「ここは我が国の領海内だ。先に領海侵犯したのはそちらではないか」深町が切り返した。やはり最初から探知されていたか、と相手の能力を上方修正する。

 

 『国際法によれば、あらゆる船舶は無害通航権を認められているはずですが』

 

 「通常時は、仰るとおりだ」深町が同意した。だが、と続ける。「我が国を攻撃することが明確な存在に対しては話が別だ」

 

 

 無線先の声が押し黙った。速水と渡瀬が息を呑んで会話の成り行きを見守っている。気まずい沈黙がセイル上を支配した。

 

 

 『やはり、不幸な行き違いがあったようです』無線越しの声が言った。演技か否か、深い憂慮の色が滲んでいた。

 

 「行き違い。ニューヨークが炎上したことは、貴官らの集団内では行き違いと呼称するのか」深町が探るように非難した。

 

 『その通りです』女性が同意した。なぜならば、と続ける。『ニューヨークを炎上させた勢力と我々は、敵対関係にありますから』

 

 

 今度は深町が押し黙る番だった。可能性は高い、と思っていたが、まだ確証には至っていない。だが、これは間違いなく<おうりゅう>と彼の命を危険にさらしても続けるべき情報収集であった。

 

 

 「貴官の官姓名を明らかにされたい」深町が強い調子で尋ねた。「所属が不明では貴官の発言を信じる信じない以前の状況だ」

 

 『お答えできません』女性が申し訳なさそうに告げ、深町が反駁する前に、続きを言った。『答えたくないのではなく、答えられないのです。官姓名はありませんから』

 

 「どういうことだ。いくら旧軍の艦船名を自称しているとは言え、まさか幽霊というわけではないだろう」

 

 『いえ、その通りなのです』女性の声が心なしか明るくなり、深町が呆然と黙りこくった。まさか、肯定されるとは思わなかったのだった。

 

 『こちらは戦艦<大和>、その艦娘――別の言い方でいえば、船霊、というのが近い存在でしょうか』対深海棲艦緊急派遣艦隊旗艦<大和>が我が意を得たりとばかりに言った。『深町艦長。私たちはあなた方の友軍ですし――今からそれを証明しに向かうところなのです。差し支えなければ、ご同行いただけませんでしょうか?』

 




空戦中の無線、現実にはここまでやかましくないとは思うけど、これだと話が進みやすい。
エスコン方式ってやっぱり偉大だわ


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第2話 道中1戦ルート

未知との遭遇ぱーと1


 「――結果、未確認飛行物体群は反転を開始。同0914時を持って中部作戦指揮所は敵対勢力の撃退を確認し、状況終了を宣言しました。以上です」

 

 

 顔を真っ青どころか、どす黒く変色させた空幕長が崩れ落ちるように座った。傍らの空自幹部に支えられ、なんとか座っているという惨状である。それを笑う気に、中央指揮所――事実上自衛隊軍令の中心であるこの場に出席している他の自衛官は誰もなれなかった。いや、なる余裕がなかった。誰も彼も、顔色というものが存在しないほど真っ白だった。

 

 

 「被害が甚大すぎる……」

 

 

 矢島統幕副長が他人とあまり変化のない顔色でつぶやくように絞り出した。彼の出身である陸自は目下のところ損害らしい損害はなかったが、空の犠牲は対岸の火事とするにはあまりにも犠牲が多すぎた。

 

 

 「確かなのか、その報告は」陸幕長が尋ねた。「我が国保有のF-15、その1割がものの十数分で失われたというのは……」

 

 「確かだ。残念ながら」辛うじて、といった具合で空幕長が口を開いた。「何度も確認させたが――被撃墜だけで24機。作戦後の喪失も含めれば、計28機……」

 

 「米軍が付いていながら――いや、米軍の損害はどうなのだ?」

 

 「我が国を上回ることだけは確実だ。どんなに少なくとも、首都圏の防空網は麻痺状態と言って良い」

 

 「なんということだ……」陸幕長が押し黙った。

 

 「犠牲もですが、問題は戦果もです」海幕長が手を上げた。顔がこわばっているのは空自の損害だけが原因ではない。「撃墜確実5機というのは、いったい……」

 

 「正確には、共同撃墜、だ。恥を晒すようで悪いが……」空幕長が呻くように言った。「うちのパイロットに聞いたところ、例の『プロペラ機』が明らかにこちらを援護するように行動した結果、やっと撃墜できたと。米軍も似た状態だったそうだ」

 

 「それで、日米合わせて総撃墜数は二十どころか十を少し超えただけ、か」陸幕長がうなだれた。「ほとんどがその『プロペラ機』の戦果らしいが――その出処は、現状どうなったのだ?」

 

 

 陸幕長の言葉に、視線が海上自衛官に集中した。海幕長が立ち上がった。

 

 

 「知っての通り、ニューヨーク炎上の一報が入った時点で、我々は付近を航行中だった<おうりゅう>を相模湾沖の新島に急行させ、場合によっては未確認艦艇の撃沈を許可した」海幕長が言った。「艦長は深町二佐。この間のリムパックで米空母<カール・ビンソン>を仕留めたあの男だ。だが、現時点で定時連絡はなく、あらゆる偵察情報が<おうりゅう>伏在海域で戦闘が行われている証拠はないと示している」

 

 「ある意味、幸運でしたな」陸幕長が憮然と言った。「下手にこちらが撃沈してしまえば、その方が問題だった」

 

 

 海幕長が力なく頷いた。空自に続く喪失――<おうりゅう>の轟沈、正確に言えばその疑いは、必要な犠牲と言うには大きすぎた。だが、仮に例の『プロペラ機』が友軍か、最低でも敵でなかった場合、<おうりゅう>の生存は問題でも有ったのだった。現状、空自には彼らを打ち破るすべがない。海自と陸自は分からないが――それはあくまでもまだ直接戦闘を行っていないからであって、そこに楽観を差し挟むほど陸海自衛隊はお気楽な集団ではなかった。

 

 

 「ともかく、情報を収集する必要がある」矢島がパンと手を叩いた。「東京湾沖は依然として膠着状態――この表現への異議は聞き受けない――として、他はどうなっているのか」

 

 「ご報告します」

 

 

 若く、泰然とした痩身の男が立ち上がった。舌禍癖があり、名ばかりの対外調整部署に飛ばされていた男だった。陸将補の階級章をつけている。

 

 

 「まずは我が国に関わりの深い地域から。米国ですが、ニューヨーク、サンフランシスコ両都市の救援作戦が失敗、作戦が無期限延期されたという情報が在日米軍経由で入りました」

 

 出席者からうめき声が漏れ出した。俄には信じがたい報告のはずであった。が、東京沖の空中戦でたった今地獄を見た男たちには、それを現実であると受け止められてしまっていた。本来ならば、油断と慢心を回避しているとも言えるのだが、現実が現実だけに全く慰めになっていない。

 

 

 「米軍の損害は」矢島が苛立たしげに訊ねた。

 

 「情報が錯綜し、在日米軍も詳細をつかめていないようです。複数の規模の異なる被害情報が入り、箝口令も敷けていないようですが……最低でも、米第2艦隊に現在所属していた艦艇は半壊したようです」

 

 「馬鹿な……」海幕長が背もたれに力なく寄りかかった。誰よりも米海軍の実力を知っていた男だった。

 

 「詳細情報は不明ですが、ノーフォークを緊急出港した艦艇がやられたとも、ノーフォーク軍港が直接攻撃を受けたとも。情報が錯綜しており確かなことは」

 

 「第3艦隊は。サンフランシスコの方はまだ情報がないのか」

 

 「直接サンフランシスコに関わる情報は」陸将補が含みのある言い方をした。怪訝そうな視線が集中してから、続ける。「ただ、第3艦隊司令部――ハワイとの通信が途絶しています」

 

 

 事前に軽くとは言え報告を受けていた矢島を除き、全員が絶句した。いや、その矢島にしても、顔色はすこぶる悪い。平常心を保っていられたのは、報告した陸将補くらいであった。

 

 

 「攻撃を受けたというのか。だが、そんな情報は」

 

 「ありません。ただ、米軍のネットワークに応答がなく、ハワイ側からの何らかの発信も傍受できません。また、これは非公式な情報ですが、外務省が在ホノルルの総領事館との連絡が取れていないと」

 

 「ここまであからさまでは、一連の現象と切り離して考えるのも困難、か」

 

 「引き続き部署横断で情報収集に当たります。何しろ、横紙破りは得意ですので」

 

 

 陸幕長が殺意すら籠もった瞳で陸将補を見つめ、その後諦めたように好きにしろとばかりに頭を振った。矢島がため息を吐いた。若く、有能な男なのだが、こういうところが問題なのだった。

 

 

 「東方の情勢はわかった」些か精神的な余裕を取り戻し始めた空幕長が口を開いた。「西――上海はどうだ? 今の所、那覇のCAP任務部隊や在沖米軍から交戦の報告はないが」

 

 「こちらも外務省筋になりますが、上海総領事館は犠牲者多数を出しながらも上海からの脱出に成功しました」陸将補が応じた。「上空では多数の戦闘機が撃ち落とされているのが見えたと。中国当局が、市民からあらゆる撮影可能機材の回収を始めたとのことですから、状況はこちらとあまり変わらないでしょう」

 

 「であれば問題は針路だ」海幕長が頭を振った。「北進を開始すれば、沖縄が危ない」

 

 「こちらも今のところは何とも。ただし、台湾空軍が未確認武装勢力と思われる偵察機らしき機体と交戦を開始したとの情報があります。精査を続けますが、今のところは南下の可能性が高いかと」

 

 「わかった。ありがとう陸将補。我々の常識が、ものの3時間で崩壊したことがよくわかったよ」矢島がしみじみと言った。「君の特殊戦略作戦室には、これからも最優先で情報を洗ってもらう。こうなった以上、人材は惜しい」

 

 「承知しております」陸将補が顔色一つ変えずに気をつけの姿勢をとった。「そうでなくては、何のために特佐などというよくわからない階級を捨てたかわかりませんから」

 

 「その意気で頼むよ、黒木陸将補」矢島が苦笑いをした。

 

 「さて、周辺情勢は理解してもらったと思う。以上を踏まえて、戦力の移動と反攻作戦の準備を――」

 

 「失礼します」

 

 

 指揮所の扉が静かに開いた。海将補の階級章を付けた壮年の男性が入ってくる。訝しげな視線を浴びつつ海幕長の側に近寄り、耳打ちした。

 

 

 「…………それは、本当なのだな? 立花海将補」

 

 「何度も確認させ、深町二佐とは私が直接話しました」立花が言った。「少なくとも、例の艦隊の中央付近から無線連絡してきたことだけは確かです。現在は再び通信が途絶しておりますが」

 

 「……わかった」

 

 「何事ですか、北野さん」

 

 

 矢島が海幕長を呼んだ。何度か口を開くのを躊躇してから、意を決したように喋りだす。

 

 

 「つい今しがた、<おうりゅう>艦長の深町二佐から連絡が入ったようです」

 

 

 海幕長の言葉が徐々に指揮所の中へ広がっていき、ざわめきという形で変換されていく。涼しい顔なのは、黒木陸将補くらいのものであった。

 

 

 「無事だったのか、<おうりゅう>は」陸幕長が驚きを隠す気も無く訊ねた。

 

 「ああ、多少は被害を受けたようだが、航行に支障はないし、死者も居ない」

 

 「先程までとは別の意味で信じられんな……何があった」

 

 「それが――」

 

 

 海幕長の説明が終わると同時に、今度はざわめきが消え去った。今度こそ、誰もが驚愕か緊張、そのどちらかの表情に変わっていた。

 

 

 「――官邸に、財前統幕長に連絡」矢島が重い声で命じた。

 

 「花森大臣に……いや、総理に伝える」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よろしかったんですか? 返事も待たずに乗り込んでしまって」

 

 「よろしいさ。何しろ俺は報告したんであって、許可を求めたわけじゃない」

 

 「そんな、今時子供でもしないような言い訳を……」

 

 

 呆れ果てたような速水の物言いに、<おうりゅう>の真横へ展開されたゴムボートに乗り込みながら、深町がニヤリと笑った。

 

 

 「何だ、お菓子の家に潜り込めなかったのがそんなに残念か」

 

 「そりゃ、魅力的なんですがネ」

 

 

 速水がため息を吐いた。そのまま、視線を彼の上官から動かす。ある一点で焦点があった。

 

 

 「確かにお菓子の家ですよ、あれは。迷い込んだら逃げるのには苦労しそうです」

 

 

 速水がそう評し、深町がまったく同意見と頷いた軍艦がそこにあった。はっきりといって『異形』、そう表現して構わない艦である。

 

 まず、大きい。確かに、タンカー等々、より大きな船舶はあれ以外にも確かに存在するし、それが極端に稀というわけではない。しかしながら、旭日旗をたなびかせる軍艦としてはやはり大きかった。少なくとも、未だ護衛艦隊最大の船舶である改いずも型や、現在建造中の次期DDH――ひょっとすると隊史上初めてCVL表記になるんじゃないかと噂のそれよりも遥かに大きい。目測で4万トンか、下手するとそれ以上なのではないか、というのが深町や速水の見解だった。

 

 そして、更に特筆すべきなのは、艦の前方に備え付けられた巨砲である。具体的な口径は不明だが、全世界で間違いなくここ半世紀は製造されていない大きさの、文字通り戦艦サイズそのものの主砲が、三連装二基6門。この時点で、この艦が明らかに現代建艦思想から外れたところに位置しているのがわかる。

 

 だが、それだけならば、裏を返せば『時代遅れ』というだけのシルエットを、更に独特というか理解不能にしているのは、主砲の後ろの艦型だった。

 

 まず、一言で言ってまっ平らであった。全通甲板、と呼ぶには主砲が中心軸線上に存在しているからまた違うのだろうが、ともかくそのようなものが備えられている。その理由はともかく、意図は明確であった。何しろ、その平らな、まるで飛行甲板のような場所では、えらく型落ちしているように感じられるプロペラ機らしきものがタキシングしているのだ。つまり、まるで、どころかそのものである。

 

 

 「航空戦艦? 戦艦空母? ともかく、船乗りとしては興味深いですね。恒常的に乗りたくなるかは別として」

 

 「安心しろ。お前らの分までたっぷりと毒味してきてやる。欲しけりゃ乗っ取って帰ってくるさ」

 

 「お土産、期待していますよ」

 

 

 深町の冗談に軽く笑ってから、速水が表情を引き締めた。

 

 

 「……随員の件、今からでも考え直していただけませんか」

 

 「くどいぞ副長。もし相手が敵ならば、そのど真ん中に飛び込んでいくんだ。一人や二人増えたところで、犬死が増えるだけだ。それに」深町が、速水に応じるように顔を真剣なものに変えた。「そいつを引き合いに、絶望的な負け戦されちゃかなわん」

 

 

 速水が押し黙った。深町から事前に厳命を受けた、仮に敵対的行動がなされた場合、深町を置いて直ちに現海域を離脱、いかなる手段を用いても横須賀に帰投せよ、との命令が原因だった。

 

 戦艦大和を名乗る女性に同行を切り出され、混乱する深町たちに最低限の説明がなされた後。深町がひねり出した返答は、以下のようなものだった。

 

 1,艦に危険が及ぶ可能性があるため、艦長である自分がそちらの任意の軍艦に乗船する形で同行を行いたい。

 

 2,<おうりゅう>に関しては、そちらへの攻撃を行わない限りにおいて、如何なる行動も許容されたい

 

 3,以上について、本艦の独断では承諾しかねるから、然るべき上級司令部に報告と指示を仰ぐ時間的猶予を与えて欲しい。

 

 実際には、3,に関しては深町なりの海自への義理立てと時間稼ぎであったから(でなければ返答もろくに聞かずにゴムボートを出したりはしない)、1,と2,が交渉の争点、と深町は踏んでいたのだったが――拍子抜けするほどすんなりと、女性の二つ返事で決まってしまった。

 

 そうと決まれば、深町は行動の人であった。横須賀に一報を入れ、混乱している立花海将補に半ば一方的にこちらの行動を伝え、その押し問答の最中に電波状況の悪化から通信が途絶えると、ほうれんそうは尽くしたと称してゴムボートを出させたのである。どこかの陸将補とは別ベクトルで胃に優しくない人間であった。

 

 とは言え、深町も何も蛮勇と好奇心だけでこの挙に及んだわけではない。

 

 交渉不能な勢力と交渉可能な勢力が、あからさまにいがみ合っているのであれば、とりあえず交渉可能な方とパイプを繋ぐべきだ、という常識的な考えもそうであったし、それはそれとして、果たして本当に信の置ける勢力かどうかの見極めも兼ねていた。いくら深町が猪突猛進型の指揮官といえども、我々は異世界からやってきましたと開口一番に説明してくるような手合を盲信するかと言われればそうではないのだ。それに、通信の途絶と言えば聞こえは良いが、連絡をとりあうのを嫌った自称幽霊艦隊がジャミングを始めたという線も捨てきれない。つまり、現状では自称友軍艦隊とは自称に他ならなかったのである。何時でも逃げられる位置とは言え、<おうりゅう>も艦隊へ追随すると言って聞かない速水に、ならばもし自分に何かあったようなら、可能ならば魚雷を全門斉射して遁走しろ、と命令を発したのはそのためである。

 

 しばし、速水と深町が視線を交わす。速水が息を大きく吸い込み、目をつむった。どうやら、先に根負けしたのは彼だったらしい。

 

 

 「お考えが硬いのは了解しました」諦めたように息をつき、速水が微笑みながら敬礼した。「ただ、彼女の、戦艦大和の自己申告が正しければ、彼女らが例え味方であったとしても、行先は冗談抜きの伏魔殿です。お気をつけください。それから――自分はまだ艦長にはなりたくありませんので。ご武運を、艦長」

 

 「おぅ」深町が答礼した。「俺も、貴様にはまだ早いと思ってたんだ。安心しろ、副長」

 

 

 深町の指示で、急遽ゴムボートの操縦士となっていた一士がエンジンを吹かした。<おうりゅう>と、何時までも敬礼をやめない速水が急速に遠ざかっていく。その反面、先程までは常識的な大きさを保っていた軍艦――先程来話題に上がっていた、深町が乗船すべしと先方から連絡のあった艦艇が、代わりとばかりに近づいてきた。見れば、舷梯が降ろされている。出迎える準備は万端。そういうことだろう。

 

 ボートの針路を舷梯の先端へ向けさせる。逸る深町の気分を代弁してくれているのか、軍艦の異形が見えなくなり、ただただ大質量物の一部分しか視界に収まらなくなるのに、さしたる時間はかからなかった。

 

 深町が、舷梯の上から慣れた様子で駆け下りてくる人影を認めたのは、速度が抑えられていたとは言え大型艦のウェーキに苦労して、やっと舷梯にたどり着いた時だった。警戒し後ろ髪引かれたように残ろうとする部下を宥めすかし、<おうりゅう>に戻らせた頃には、会話に多少の難がある、程度の距離まで近づいていた。

 

 深町の眉が顰められた。速水の忠告を、どこか本気で聞いていなかったことに気づいたのだった。

 

 異形の船から出てきたのは、また異形――というと失礼だろうが、少なくとも軍艦から出てくるべき人影ではなかった。女性であることが、そうと感じた理由ではない。自衛隊を始め、軍事面でも世界的に女性の社会進出が進んでいるわけだし、そもそも大和を名乗る声も女性だったのだから、ある意味では想定の範囲内と言っていい。

 

 問題はその出で立ちであった。先に受けた説明から、てっきり海軍軍服か、そうでなくとも迷彩服を着た人間が出てくるかと思いきや、現実は想像の斜め上を行き、軍艦どころかおおよそ船乗りにはふさわしくない出で立ち――和服である。詳しくはないが、巫女服と呼んでも良い服装なのかもしれない。丈の短く、スカートのような下半身の衣装を袴と呼んで良いならば、と但書がつくが。

 

 いや、百歩譲ってそれは常識の範疇としよう。その手に弓を持ち、腰に軍刀らしきものを挿しているのも、古い時代にはままあったことだと理解できる。だが、左肩に担がれた、明らかに戦艦の主砲を模したと思われる謎の装飾具は一体なんなのか。

 

 

 「深町中佐ですね」

 

 

 深町が困惑仕切りに眺めている間に、女性はと言えばついに舷梯を降りきってしまっていた。深町の視線を怪訝そうにしつつも、見事な海自式の、いや海軍式と言うべきか、そんな敬礼をしていた。

 

 

 「戦闘航空母艦<伊勢>です。貴官の乗船を許可します」

 

 「潜水艦<おうりゅう>艦長、深町二佐です」深町が階級を強調しながら色気のある答礼をした。「何というか、この数秒間でお互いの価値観の違いがよく理解できた気がしますよ」

 

 「あはは、まぁ、否定できませんね」困ったように、軍艦<伊勢>であるらしい少女が笑った。「とは言え、それを少しでも埋めるための招待である、と大和から言付かっています。どうぞ、こちらへ」

 

 

 深町が頷いた。いざ目の辺りにしてしまうと、伏魔殿へ幽霊に導かれるというのは何とも不安極まりないな、と思っている。

 

 伏魔殿――戦闘航空母艦<伊勢>とやらの内部を進むのは、けれどもそんな事前の不安とは打って変わって、すんなりとしたものであった。艦橋は低めですから、という伊勢の言葉の通り、上下移動は殆どなかったし、それに何より、人とすれ違うということがない。

 

 

 「軍機でなければお教えいただきたいのだが」いい加減、不信感を高めた深町が訊ねた。「この艦に乗組員は何名いるのですか?」

 

 「いませんよ」伊勢が応え、半ば予期していたとは言え、深町の顔が険しいものとなった。「まぁ、私を数えれば定数1名、ということになりますけど」

 

 「つまり、これだけの巨艦を貴方が一人で?」

 

 「正確には違いますが、のようなものです」

 

 「コンピューター制御が発達しているんですな」深町がつぶやき、頭を振った。彼女たちの自称を思い出したのだった。「それか、霊力とか妖力とか魔力とか、その類か」

 

 「あえて名前をつけるんであれば、そうですかね」伊勢が本気で考え込んだように、口元に人差し指を当てんーと唸った。「自分自身を動かしてるだけだからなぁ……前の世界で、もうちょっと艦娘研究の論文でも読んでればよかったんですが」

 

 

 深町が首をすくめた。少なくとも、本人たちは幽霊だの何だのというのを本気で信じているらしい。煙に巻いていると思いたいのだが、残念ながらそんな様子は一切ない。こりゃ、骨が折れるぞ、と深町が微苦笑した。

 

 

 「ここが艦橋です」伊勢が、徐に扉を開いた。「といっても、そこまで広いものではありませんが」

 

 

 失礼します、と口に出しながら、深町が伊勢に続いて艦橋に入った。感嘆する。確かに、これほどの大型艦にしては狭いと言って良い艦橋であった。だが、そこから見通せる風景――プロペラ機が駐機している航空甲板に、前方の主砲二基というのは、結構な迫力がある。

 

 

 「航海艦橋兼戦闘指揮所兼航空艦橋です」伊勢が説明した。「空母のアイランドに主砲管制機能も付けたような場所ですね」

 

 「豪勢ですな」深町が率直な感想を言った。「混乱しそうなものですが」

 

 「結局、指揮するのは全部私ですから」何でもないように伊勢が言った。「むしろ、複数箇所を動くよりもやりやすかったりするんですよね」

 

 

 また聞き捨てならない言葉が聞こえ、深町がため息を吐いた。自身の能力云々によらず理解できない話というのは、ひどく疲れるものなんだなとげんなりしている。できれば知りたくない現実だった。

 

 

 「それで、ですが」伊勢が改まって口を開いた。「改めまして、戦闘航空母艦<伊勢>へようこそ。大和からも聞いたとは思いますが、本艦から我が艦隊の戦闘をご覧になられ、我々に敵意の無いことを理解頂ければ幸いです」

 

 「それは結果によるでしょうな」深町が白々しく言った。「ただし、現状最大限の便宜を図っていただいたことには感謝しています、あー」

 

 「伊勢、で結構ですよ」

 

 「……失礼ですが、階級をお聞きしても?」

 

 「大尉相当として扱われていますが、正式には無位無官ですよ。軍艦なので」

 

 「……では伊勢大尉と」

 

 「……まぁ、この状況でいきなり階級無しで呼ぶのも難しいですよね」

 

 

 伊勢が何度目かの苦笑いを浮かべたタイミングで、無線の呼び出し音声らしきものがなった。伊勢が何食わぬ様子でレシーバーを取る。退出は求められなかったので、深町が堂々と聞き耳を立てた。求められていないことまでする義理はまだないし、仮に出て行かせたいのであれば一言言うべきだった、と思っている。それで何事かあれば、そこまでの相手だったというわけだ。

 

 尤も、現実はそこまで劇的には進まない。どうも前者で済んだようである。深町を認めつつも、伊勢が会話を始めた。

 

 

 「あ、やまっちゃん、どしたー?」

 

 

 はっきり言って思わずずっこけそうになる。あんまりにも場にそぐわない緩い調子で伊勢が言った。

 

 

 『ど、どしたー、ではなく!』無線機越しに聞こえた声に深町は覚えがあった。自称<大和>である。『深町にさは、搭乗されたのですか?』

 

 「や、乗り込んだらこっちから連絡するって手はずだったじゃん。いくら提督に怒られたからって気をもみすぎだからね?」

 

 『しょ、しょうがないじゃないですかっ! あの時はいい案だと思ったんですからっ!』

 

 「やまちゃん、やまちゃん」

 

 『なんですか?』

 

 「ここ、私の艦橋。深町中佐もここ」

 

 

 無線機越しに悲鳴が聞こえてきた。こほん、と深町が咳払いをした。

 

 

 「すみません、身内の恥を晒したようで」全く言葉とは違う口調で、伊勢がにぃと笑った。

 

 『伊勢さんっ!?』

 

 「いや、仲がよろしいことは良きことかなと」深町が言った。それ以外どう言えと思っている。「ところで、提督、というのは」

 

 「えぇ。説明にあったとおり、我々の指揮官です」伊勢が言った。「そして現在、ニホン政府の最上位意思決定者でもあります」

 

 「小官も是非、お話してみたいものですな」深町が、打算半分興味半分と言った様子で申し出た。

 

 「残念ながら」伊勢が首を横に振った。「先程から敵――深海棲艦の影響圏に突入しました。近距離通信はともかく、本艦隊と鎮守府の通信は途絶しているのです」

 

 「確かに、それは残念だ」

 

 

 うなずきながら、深町が伊勢の様子を伺った。少なくとも、狸か狐であることは間違いない、と断じる。自分たちがジャミングを発していることに関する辻褄合わせ、と考えるのは、可能どころかむしろそうすべきだった。

 

 

 『<大和>より全艦隊へ』無線機が、おそらく全体への通達と思われる声を流した。やけにしょげかえっていた。『これより、敵艦隊へ突入します。各艦隊は第四警戒航行序列で進出。対空並びに対潜警戒厳となせ』

 

 『<武蔵>了解』

 

 『<アイオワ>ラジャー!』

 

 

 軍艦の名前の後に、それぞれ了解の応答が入った。深町がこめかみをもんだ。

 

 

 「全員女性なのですか」

 

 「そりゃあ、まぁ」伊勢が何とも答えづらそうに苦笑いした。「艦娘ですから」

 

 『<伊勢>さん、CAP機発艦初めてください』大和がいくらか気を取り直したような口調で命じてきた。『<飛鷹>直掩隊は収容開始。第二次攻撃の準備を』

 

 『了解!』

 

 「了解。<伊勢>艦上機隊、発艦初めます」

 

 

 伊勢が言い終わるのと、飛行甲板で動きが見え始めたのは同時であった。

 

 まず、エンジンだけ動いていた緑塗装のプロペラ機が、ゆっくりと飛行甲板の前方へ動いていく。なにやら一本、線が引かれたようになっている。深町が食い入るようにそこを見つめた。白い湯気が噴き出すその構造物に見覚えがあったのだった。

 

 

 「蒸気式カタパルト」深町がつぶやいた。「しかし、確か旧軍空母にカタパルトは」

 

 「えぇ、開発に失敗しましたから」伊勢があっけらかんと答えた。「艦娘になってからも開発は難航して、アイオワさんとかトレピちゃん、あぁ、<イントレピッド>の協力でやっと形になって、私もおこぼれに預かった感じですね」

 

 

 深町が唖然としている間にも、プロペラ機がカタパルトに近づいていき、ついにその上へと完全に載った。機首の下で、よく見えないが何かが動いている。カタパルトへと何かで固定しているらしいが、動き回る整備員は愚か、パイロットの姿すら見えないのでは、何が起きているか深町には全く理解できない。わかったのは、その時間を利用して、恐らく遮風柵らしきものがひとりでに起立したことくらいである。

 

 その瞬間、プロペラ機のエンジン音が一気に高まった。と深町が感じ取るやいなや、機体が前方へと飛び出すように進み始める。湯気が――蒸気が甲板から漏れ出し、一瞬後には、機体が飛行甲板から飛び立っていく。重力加速度に従い、危なっかしく二番砲塔すれすれくらいまで接近してから、機体の生み出す揚力がようやく働き始めたらしく、その後は順調に高度を稼いでいく。

 

 

 「本当に、空母機能があるんですな」次の機体が先のものと同じように動くのを見ながら、深町が感嘆した。

 

 「色物に近いことは認めますよ」伊勢が苦笑した。「実際、飛び立つ時のあれで二番砲塔に接触するんじゃないかって冷や冷や物らしくて……よっぽどじゃないと、爆装機積ませてくれないんですよね」

 

 

 せっかくえあしーばとる出来るのにとぼやく伊勢に、さもありなんと深町が頷いた。確かに大丈夫なのだろうが、万一を考えると積極的に取りたいリスクではないのもまた確かだった。

 

 ともあれ、蒸気力の化身によって緑色の機体たちは虚空へと次々に放り出されていき、気づけば最後の一機が飛び立っていった。これで発艦は終了したらしい。遮風柵が倒れるのと同時に、飛行甲板は平常を取り戻し始めた。上空では、二機編隊を組んだプロペラ機があたりを旋回している。

 

 

 「うちの烈風隊です」伊勢がちょっとタイミングが遅かったですが、と紹介してくれた。「私から飛び立たせるのには難がありますが、良い機体ですよ」

 

 「無人機というわけか」深町がつぶやいた。レシプロ戦闘機を無人改修とは何ともチグハグだな、とこの先あらゆる人間が思う感想を抱いている。

 

 「あー、いやー」伊勢が困ったように呻いた。「正確にはそうでもないと言いますか……これ、言っちゃって良いのかなぁ……」

 

 

 深町が眉をひそめた。言葉を濁された不信感によるものではない。何やらまたぞろ頭痛の種を聞かされそうな予感がしたのである。

 

 尤も、そんな細事に惑わされていたのも、深町の体に急激な力が働くまでのことだった。辛うじて立っていられるかくらいの横向きの力のことを、深町は慣性力と読んでいる。気づけば、床が右に傾いていた。取舵をとっているらしい。

 

 

 「発艦が終わりましたので、これより先行した艦隊へ向かいます」伊勢が説明したが、その体は身じろぎ一つ無い。深町が初めて、幽霊説を信じ始めた。「最大戦速を出しますから、そこの支えに捕まって頂ければと」

 

 

 深町が無言で掴まった。海自隊員として、いや船乗りとしての矜持はあったが、今の旋回速度や、<おうりゅう>に向かってきた魚雷の雷速を思い出し、何かを察したらしかった。頭の片隅で、どうせ無意味になるなら、<おうりゅう>は横須賀にとんぼ返りさせていればよかった、と思っている。

 

 次の瞬間、<伊勢>が急激な加速を開始した。深町から思わずうめき声が漏れる。はっきりと言えば、軍艦の加速ではない。どころか、その他多種多様な乗り物に比較することすら難しかった。仮に出来る人間がいるとすれば、それは宇宙飛行士くらいだろうか。

 

 

 「あ、あぁ、これは、どのくらい速度が出ているんです?」

 

 「120ノットです」伊勢がさらりととんでもない速度を答えた。「最大戦速ですから」

 

 

 深町ががくがくと頷いた。恐怖心ではなく、強烈な加速度についていけなかったのである。これでさっきの旋回をされたら吹き飛ばされるな、と深町が身震いをした。

 

 

 「私が深町中佐の搭乗艦に指定されたのはそのあたりが理由でして」伊勢が説明を続けた。「やまちゃ――<大和>や<アイオワ>みたいな肉弾戦ばりばりの戦艦ですと回避運動で人体が持ちませんし、かと言って<飛鷹>や<隼鷹>、つまり空母ですと後方待機ですから。観戦には私が適任なんですよ」

 

 

 黙したまま深町が頷いた。肉弾戦、という三文字に何やらとてつもなく嫌な予感を感じている。たまらず、艦橋の窓から外を眺める。

 

 深町の視界の先で、艦首が波濤を砕き、飛沫が上がっていた。深町が生唾を飲み込む。振る舞いにはおくびにも出さなかったが、緊張していたのだった。なにしろ、その先に、先行している<大和>たちが居るはずなのだ。それから、敵――深海棲艦、とやらも。

 

 

 「予定接敵時刻は、おおよそ30分後」伊勢が言った。「我が航空部隊による第一撃の後、砲雷撃戦に移る手はずとなっています。本艦は比較的安全な海域で戦闘する予定ですが、いざという場合は」

 

 「お手を煩わせるつもりはありませんよ。これでも船乗りだ」

 

 

 伊勢が楽しそうに笑った。とても好ましいものを見た、というふうに顔がほころんでいる。とは言え、深町にもそれを指摘する余裕は無い。慣れてきたとは言え、ちょっと意味がわからないレベルのスピードには未だに気が抜けなかったし、観客扱いだとは言え、何しろこれから戦闘なのだ。

 

 さて、お手並み拝見。深町が、水平線の向こう側を睨みつけながら思った。

 




ノリノリで書いてたら長くなりすぎたので分割。

次回、ボスマス突入。


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第3話 チュートリアル海域ボスマス

冷静に考えると、シン・ゴジラ世界の小笠原諸島って、東京の混乱を考えると酷いことになってそう


 この日、東京都に属する離島、八丈島は控えめに言ってパニック状態にあった。

 

 異変が起きたのは朝の八時過ぎだから、今からちょうど2時間くらいは前になるだろうか。上空を、雲霞の如く多数の飛行物体が北上していくのが、島のあちらこちらで確認されたのである。

 

 異音を轟かせ、存在を誇示しながらの飛行であったから、見間違いでは済まされなかった。あまりにもくっきりと、総計7000人を超える島民たちと総数不明の観光客たちが、ある者は散歩の途中、ある者は通勤通学の途上で、ある者は異音に驚いて家の窓を開けて眺めたものだから、『未確認』飛行物体とは到底呼べない代物である。尤も、かと言って何かと断定できるものも居なかったから、八丈島警察署には原義を失ったユーフォーの目撃情報が多数寄せられ、この時点でちょっとしたパニックに陥ることとなる。ごく一部、先の戦争中の空襲を直接的間接的問わず覚えていた連中が(総じてジジババだった)これは米軍の空襲であると騒いだが、当然のことながら顧みられることはなかった。

 

 状況が悪い方に進展するのは、それから30分は経とうとするころ。混乱の中、普段ならば八丈島空港に着陸するはずの航空機が未だ到着していないことに、空港職員やその出迎え客、観光業者が気づいたのだった。尤も、それは八丈島空港の離着陸を管制する東京FSCや、小笠原空域の管制も担当する東京航空交通管制部に言わせればあまりにも呑気な感想であった。この時間、後に東京湾沖で米軍及び空自機を壊滅させる未確認飛行機隊は進路上のあらゆる飛行機を遮二無二撃ち落としており――その中には羽田発八丈島行きの全日空1891便も含まれていたのであった。

 

 狭くはないが、さりとて広くもない島の中を、戦慄が駆け抜けていった。謎の未確認飛行物体、飛行機の遅延に加え、テレビでやっている――いややっていた、炎上する海外諸都市の映像と相模湾沖の新島のニュース。これらを結びつけるなと言う方が出来ない相談であった。テレビとラジオの情報が過去形に変わったこと――つまり、突如として電波を受信できなくなったことも、これを助長していた。固定のインターネット回線だけは未だに踏ん張っていたが、良いニュースなどどこにもなかったために、あまり有意義な存在には成れなかった。

 

 かくして、八丈島を本物のパニックが襲った。浮世離れした死の予感に、誰も彼もが浮足立ったのだった。なんとしてでもこの恐怖から逃れなければ。それが全員の一致した見解であった。

 

 だが、問題はどうやって逃れるか、というところにあった。航空機は、そもそも往復便の往路で失われた以上ないものねだりであったし、仮にあったとしても上空を例の未確認飛行物体が闊歩している以上、有効な手段かは甚だ怪しかった。漁船もロジックとしては航空機と同じく怪しげなものだったが、こちらは数があったことから一定数の人間がすがり――港から少し沖合に行ったところで、するすると降りてきた例のUFOに沈められて、不備を自ら証明していた。以降、船どころか港や海岸線にすら、誰も近づいていない。

 

 こうなると島内のパニックはますますひどくなった。未だに島自体に攻撃がないことだけが奇跡なだけで、単純に時間の問題であると誰もが確信した。が、逃げ場がない。数少ない地下室持ちの建物は次々に埋まっていったが、数が足りなすぎたし、そもそも地下室程度で耐えられるかもわからなかった。悪くすれば伝えられたニューヨーク地下鉄のように人間の蒸し焼きの完成だ。

 

 テンパった高齢者たちが、旧軍の防空壕に逃げるんだとわめき始めた時、周りの人間は初めそれを馬鹿にしようとし、一瞬立ち止まって考え込み、次の瞬間には言い出しっぺを引っ掴んで防空壕へと走り出した。

 

 島内に多数存在する戦時中の防空壕は、戦争遺跡としての最低限の整備もされていないものも多く、大半は朽ちていくのに任されていた。であるから、正直言って頼りになるかはわからなかったし、そもそも環境が悪すぎた。にもかかわらず、多くの人間がそこへと逃れたのは、コンクリや岩をくり抜き重ねて作られたそれが、旧態然とした力強さを有していたせいでもあり――そして単純に、その名前のせいだったのかもしれない。何しろそれらは『戦時中の防空壕』なのだ。逃げ惑う人々は、今やまさにそれを欲していた。

 

 

 「何か見えたか?」

 

 

 巡査の階級章を付けた彼が、藪の中から太平洋を見つめている最中に声をかけられたのは、そうした混乱のもたらした一つの帰結であった。

 

 巡査が声の方に振り返る。警察帽から木の葉がはらはらと振り落とされた。日射病を予防しつつ、目立つ青色を気休め程度でも隠蔽するための悪あがきであったが、正直効果があるのか本人にもわからなかった。

 

 

 「なんにもですよ。時折、例のUFOが見えるくらいで」巡査が肩を竦めた。

 

 「ほんとか? 何か撃退されたとか聞いたが」

 

 「どこ情報っすか。それ?」

 

 「警察署で頑張ってる連中から全体無線でな」巡査長の階級章を揺らしながら、彼が巡査の横にどっさりと腰を下ろした。「インターネット回線自体はまだ通じてる。相当重たいらしいが」

 

 「無線、未だに島内だけでは通じるんですよね。島外とは全くなのに」

 

 「わからん。距離の問題なんだろうとは思うがな。ネットにもその辺何にも。というか、無線がちょっとでもおかしくなるなんて情報出てないらしいぞ」

 

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。じゃあ、うちらが島に閉じ込められてるのって」

 

 「メールは送り、町のHPにも窮状は乗っけたよ。お偉いさん方が――警視総監どのとか、国家公安委員会どのとかが気づいてくれて、かつ対処してくれる事を祈るよ」

 

 巡査長が偉く投げやりな声でいった「じゃなきゃ、分散した島のあちらこちらで餓死だ。当面は持つはずだが、誰かが全食料品を配給じみた方法で配らないと、そのうち干上がる」

 

 

 残念ながら、巡査長の現状認識は正鵠を射ていた。

 

 島中あちこちに分散した地下施設、防空壕への避難は、当然のことながら行政が主導した行動ではない。おまけに、平常の避難場所はむしろ危険ということで顧みられても居なかった。結果何が起こったかと言えば、避難民の極度の分散である。

 

 そのことにやっと気づいた町役場は、最近立て続いた災害への対策として各自治会に配られていた、災害時用トランシーバーなど用いて連絡を取り合い、最低限の体勢を構築しつつはあったのだが、全島民・観光客の避難場所を確認できたかと言われればそうではない。むしろ、電波の入りづらい防空壕などに入り込まれた以上、取りこぼしのほうが多いはずだった。また、そもそも避難自体していない人間も、これまでの経験上多数に上るはずだった。

 

 座り込んだ巡査長の額に汗が見え隠れしていたのはそういう理由であった。警察・消防・役所で手分けして逃げおくれや妙な場所に避難している人間が捜索しているのである。なお、成果がないわけではなかったが、確認作業に終わりが見えないのも事実であった。

 

 

 「ドローンとか、突破できないっすかね?」悪い未来予想図を振り払うように巡査が言った。「あれだけ小さけりゃ、手紙持たせて近くの島まで」

 

 「船と同じだったらしいぞ」巡査長が答え、ぎょっとしている巡査に対して続けた。「どっかの観光業者が思いついて試したらしいが、撃ち落とされたと。まぁ、仮に大丈夫だったとしても航続距離の問題も有るし、小笠原はどこもうちと同じだろうしなぁ」

 

 

 どこか達観したような巡査長のボヤキに、巡査が大きくため息を吐いた。しみじみと呟く。

 

 

 「餓死は嫌だなぁ……」

 

 「俺だって嫌さ。だが、痛い思いして死ぬのはもっと嫌だ」巡査長が巡査をぽんぽんと叩いた。「だから見張りを頼むぞ。後で差し入れ持ってくっから」

 

 「了解。まぁ、俺が見つけたからって何になるかって話っすけど」

 

 「それは言わないお約束だよ」

 

 

 巡査長が立ち上がった。巡査が持たされた双眼鏡で太平洋を覗いた。爆音が微かに聞き取れたのはその瞬間だった。

 

 

 「おい……」

 

 

 なにか聞こえないか、と巡査長が巡査を見て、同じことを聞こうとしていたらしい巡査と目があった。巡査長が慌てて倒れ込んだ。

 

 

 「これ、これ使ってくださいっ」巡査が近くにあった木の葉の山を手繰り寄せた。「さっき暇つぶしにむしっといた奴」

 

 「気休めをありがとうよ」言いながらも、巡査長が必死に木の葉を掴み、頭からかぶった。「見えるか?」

 

 「空っすよね。なんにも」

 

 「こっちもだ。だが、音はするんだよな」

 

 

 巡査が双眼鏡のままそらのあちらこちらを見回す。が、何も発見できなかったらしい。そちらはどうか、と聞こうとして、双眼鏡を目から離す。水平線上に違和感を感じ、慌てて双眼鏡を再び顔へと押し付けた。違和感が形になり、目があらん限りに押し広げられた。

 

 

 「おい、あっちは本土だぞ」どうやらまだ上を見回していたらしい巡査長が震える声でいった。「何だこれ。プロペラ音か? 本土の方から近づいてる」

 

 

 おい、と巡査長が巡査を揺すった。だが、巡査の声はしない。おい、としびれを切らしたように巡査に向いた巡査長が、怪訝そうに固まった。それから、食い入るように巡査が見ている方向へと視線を持っていき、目を凝らす。視力には自身がある巡査長の目が、巡査と同じ違和感を感じ取った。

 

 

 「何が見えるんだ」乾いた声で巡査長が言った。

 

 「戦艦、っぽいっす」巡査が呻いた。「デカイのからちまいのまで。なんかワラワラって……先輩、なんか音がデカくなってないですか?」

 

 「ああ、近づいてきてるらしいんだが、木が邪魔で見えな――」

 

 

 そこまで言った瞬間、急に爆音がクリアになったように、巡査長には思われた。呆然と真上を見上げる。山のような点々が、急速に彼らの上を通り過ぎていった。

 

 

 「あ、戦艦から何か出ました!」巡査が興奮しきって叫んだ。「小さいからよく見えないっすけど、UFOっぽい気が――こっち向かってきてます!」

 

 「いや、向かってるのはここにじゃない」巡査長がうめき、ようやく自分たちの立場と仕事を思い出したように、巡査に言った。「署に緊急連絡入れろ。多分、これからUFOが大挙して出てくるだろうから、移動は極力避けろって。俺も署まで伝令しに戻る」

 

 「了解」巡査が無線機を取り出しながら愚痴った。「畜生、ついに燃やしにくるつもりっすか」

 

 「いや、違うな」巡査長がつぶやいた。「多分、連中の目的は――」

 

 

 最後まで口にする必要はなかった。

 

 飛行機雲を作りながら急上昇した黒点――UFOが、プロペラ機に撃ち落とされる瞬間を、巡査ともどもきっちりと目撃したのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『敵艦隊上空、航空優勢を確保。現時点キルレシオは3:1で我が方有利』

 

 『敵戦闘機は味方制空隊が抑えた。現在、艦爆部隊の攻撃終了。艦攻隊が突入中。なお、現時点での戦果、乙巡2、駆逐2撃沈。大巡1、空母1中破相当。戦艦2、大巡1小破』

 

 「こちら伊勢。CAPに引っかかる部隊は極めて小。艦隊防空は現時点で問題なし。上は任せてもらっていいよ」

 

 『了解。大和より全艦隊。突入序列を維持。艦攻隊の攻撃終了と共に突入開始を――』

 

 「凄いものですな」

 

 

 心からの言葉として、深町が深い溜め息と共に絞り出した。視界の先には、<大和>以下、<武蔵><アイオワ>、それから随伴艦隊が見えている。ちょうど水平線のあたり、その上空にぽつぽつと黒煙が見て取れた。

 

 

 「これからもっと凄くなりますよ」

 

 

 ニヤリと笑いながら伊勢が言う。乗り込んでからせいぜい一時間経つか経たないかの付き合いだが、深町としては軍艦とはこんなに人当たりが良いのかと驚くばかりである。心の底ではまだ信じきれては居ないのだが、裏を返せば油断すると信じたくなるほどであった。

 

 それほどまでに、伊勢を始め、無線から聞こえてくる声は冷静で、場馴れしたものであった。もちろん、都合いい時だけ無線の電源が入っている、といことも有るのだろうが、それにしても大したものであった。正直言って、実戦経験、という四文字で言えば、自衛官である深町としては脱帽する他ない。やっつけたように取り付けられた、艦橋の多目的モニターに映し出された戦場の光景を見ればなおさらであった。

 

 

 「今、艦攻隊が攻撃に入りました」伊勢が敵艦隊の映像を指さしながら解説した。瑞雲、という機体(偵察機だと深町は理解していた)が送ってきているリアルタイム映像とのことだ。プロペラ機の飛び交う下に、燃える敵艦隊が存在していた。「艦爆で中破にした艦は問題なく沈められそうです。戦艦は少し怪しいですから――全力の砲撃戦になります」

 

 

 深町が食い入るようにモニターを見た。

 

 <大和>たち同様、第二次大戦をもしたと思われる艦艇たちが狂ったように対空砲火をあげている。思われる、というのは、場合によっては上部構造物が見当たらなかったり、逆に明らかに先進的な――イージス艦の構造体のような外観まで見受けられるからだ。駆逐艦や軽巡洋艦とみられる小型艦に至っては、軍艦どころか、まるでエイリアンそのもののような外見である。正直な話、この映像がCGで、伊勢を始めとする全員が映像に合わせて寸分無く芝居をしていると考えたほうがまだ気が楽であった。

 

 

 「お手並み拝見、というわけですか」深町がどちらの、と指定せずに感慨深くため息を吐いた。

 

 「まぁ、見せるのは私じゃありませんけどね」

 

 

 伊勢の言葉に、深町が頷いた。少し残念、と思っては居るが、<おうりゅう>での戦闘からこの方、悪い冗談のようなスペックを見せつけられてきた身としては、そのぐらいが返ってちょうどいい、と冷静に判断していた。

 

 

 『<妙高>以下、第二艦隊突撃準備完了』周りの艦の様子を注意深く見つめ、深町がこれからの展開を見定めていると、几帳面そうな声で無線が告げた。『何時でも命令をどうぞ』

 

 『<大和>了解。飛鷹さん?』

 

 『艦攻隊、攻撃終了。現在彩雲隊が戦果判定中』

 

 

 航空母艦に乗っているらしい女性の言葉が一瞬途切れ、すぐに続けられた。

 

 

 『最終戦果、撃沈は空母2、大巡1、軽巡2、駆逐艦2。大破相当は戦艦1。他は無傷』

 

 『十二分です』大和が朗らかな声を出した。『航空部隊撤収。雪風さん、時雨さんは手はず通り航空戦隊の援護を』

 

 

 了解、とまるで子供のような女性の声が重なる。深町が艦隊後部を見やった。なるほど、駆逐艦が二隻、その後方に陣取っている空母二隻に向かっている。

 

 

 『全艦隊、これより突撃へ』大和が、力強く言った。『この世界に来て初めての砲撃戦です。勝ちきりますよ!』

 

 『応!』

 

 

 士気が上々であることを雄弁に語る応答の後、深町の視線の中で、艦隊の速度が目に見えてあがった。いや、それは他人事ではない。<伊勢>もあからさまに増速しそうだったからだ。速力通信機がひとりでに甲高い音を立てるやいなや、深町が手すりを握りしめた。

 

 深町が想像通り襲ってきた加速度を凌ぐ一方で、前に見える艨艟たちが取り舵を掛けているのが見える。宣言通り、一気に距離を詰めてしまうらしい。<大和>を筆頭に、戦艦が、そして重巡以下の艦艇群が。敵艦隊への方へ向かっていく。深町が身震いした。確かに、あの中にいては、命がいくつあっても足りそうになかった。

 

 

 「主砲、照準開始」

 

 

 深町が慌てて視界を動かした。伊勢がボソリと呟くの聞き逃さなかったからだ。見れば、飛行甲板の前、艦首に聳える二基の主砲が、緩やかに左に旋回し始める。深町が息を呑んだ。自分でもこんな反応になるのが驚きであった。だが、何しろ、事前の説明が正しければ、あれは――。

 

 

 「測敵良し。砲戦距離50000メートル。目標、敵先頭艦。弾着観測準備よし。弾種徹甲弾。斉発で」

 

 

 伊勢の言葉が一つ、また一つと加えられるごとに、主砲の動きが追加されていった。砲塔基部の回転が止まった代わりに、主砲一本一本に仰角が付けられていく。一分経たないうちに、全てが完了したようである。鋼鉄の暴力機構は、もはや微動だにしていない。

 

 

 「<伊勢>射撃準備完了。何時でも打てます」伊勢が報告した。

 

 『了解』大和が応じた。『こちらも予定のポイントを通過しました! 撃ち方初めてください!』

 

 「了解。撃ち方初め」伊勢が敵艦隊の方を見つめた。「戦闘航空母艦<伊勢>、第一斉発。撃ぇっ!」

 

 

 ブザー音がほんの数秒だけ流れた一瞬後、大音響が艦橋に響き渡った。

 

 耳が高鳴りする。確かに身構えてはいたが、どうやらあまりにも過小評価しすぎていたようだ、と深町が苦笑いする。だが、現実が想像を上回っても、深町に負の感情はなかった。それ以上の興奮に満たされていたからだ。何しろ深町は、自衛隊創設以来初めて発射された18インチ砲をこの目で眺める栄誉を賜ったのだから。

 

 

 「これが46cm砲」深町がつぶやき、すぐに身をすくめた。次なる衝撃が襲いかかってきたからだった。深町が慌てて己の腕時計、そのストップウォッチを見やる。第一射から10秒程度しか経っていない。

 

 「正確には、その改造型です」伊勢が解説した。「一分間に5.6発射撃可能な自動装填装置が――」

 

 

 轟音。伊勢の言葉尻が聞き取れない。弾着を見ようとモニターに固定していたはずの視線が揺れに揺れる。が、気にした様子もなく、伊勢が話し続けた。

 

 

 「で、大和ちゃんたちが51サンチ積むことになって、私が代わりにって形で。正直取り回しは厳しいんですが、でもこんな風に超長距離砲戦――」

 

 

 また轟音。深町が慌てて口を開いた。

 

 

 「申し訳ない。ヘッドセットか何かありませんか? 砲撃音で言葉がかき消されてしまう」

 

 

 伊勢がきょとんと深町を見た。あっ、と口が開く。轟音がした。振動が収まる頃には、伊勢が備品が乱雑に突っ込まれているらしい――モニタの出処もそこだった――箱を大慌てで漁っていた。

 

 

 「あ、あった」轟音が3回ほど轟いてから、伊勢が投げるように深町へヘッドセットを渡した。「すいません、人間の方、聴覚が繊細なのをうっかり……」

 

 

 深町が苦笑いしながらヘッドセットを受け取った。伊勢が自分も装着しながら申し訳なさそうにしている。そろそろ、伊勢たちが人間ではないという確信が持て始めた。

 

 

 「あなた方の提督は実際には乗らんのですか」深町が訊ねた。

 

 「提督も人間ですから。戦艦には多分乗ったこと無いんじゃないかなぁ。ブッキ……<吹雪>という駆逐艦に乗ったことはあるそうなんですが」

 

 

 当たり障りのないうめき声で伊勢に答えながら、深町が後方の空母の方へ視線をやった。護衛に急行していた駆逐艦が、速度はそのままに急回頭しているのがよく見えた。それは本当に人間なのか、と深町が訝しんだ。

 

 

 「敵戦艦轟沈。庇われたんで二番艦でしたけど」駆逐艦の機動を気分悪そうに見ていた深町を尻目に、伊勢がヘッドセットを抑えながら言った。「第八斉発……脆いな。やっぱり初期型か」

 

 「敵は戦艦級や空母級が居るとは聞いていましたが、その中でも分かれるんですか?」

 

 「えぇ。艦種によりますが、複数種類に割れます。艦型から違うもの、同じ型の能力向上型。一口では説明しきれませんが」

 

 

 伊勢がすらすらと答えた。なるほど、と頷きながら、深町が今の情報を脳裏に刻印していく。少なくとも、深海棲艦とやらの情報に関しては情報共有にグレーゾーンは無いか、よほど致命的なところにしか掛かっていないらしい。

 

 

 『敵艦隊発砲』大和の声が伝えた。『伊勢さんに向かってます!』

 

 「<伊勢>、回避運動開始」伊勢が叫んだ。「深町中佐。ちょっと揺れますよ」

 

 

 深町がこくりと頷いた瞬間、強烈な横Gが掛かった。思わずうめき声をあげながら、深町が必死に手すりに縋る。これでちょっとか?と深町が目をむいたが、衝撃は収まらない。何しろ、爆音と振動までそれに加わり始めたのだから。恐る恐る外を見ると、巨大な水柱が上がっていた。敵の砲撃だ。

 

 

 「このまま、回避しつつ敵との距離を詰めます」そんな横揺れと衝撃に微動だにせず、伊勢が説明した。どうやら人間ではないらしい、という確信が深まる。

 

 「正直、ここまで乗ってくれるとは思わなかったんですけどね」

 

 「パターンB、でしたか」深町が気力で答えた。「する、と」

 

 「ええ」伊勢がにぃっと笑った。「おめでとうございます。特等席で観戦できますよ?」

 

 

 深町が苦笑いしながらうなずき返している間にも、後に公式呼称第一次小笠原沖海戦、あるいはマスメディアから東京沖海戦と少し無理のある名前で呼ばれることになる海戦は、そうにしてはあまりにも高速に進み続けた。

 

 運動目的を攻撃から回避に切り替えた<伊勢>が、深町を揺さぶりつつ敵弾を避け続けている間、猛進していた主力戦艦部隊は、ついに<伊勢>からギリギリ水平線上に確認できる程度まで一旦離れた。伊勢が解説してくれるところによれば、どうやらちょうど<伊勢>と敵艦隊の中間地点くらいらしい。

 

 深町が、縦一列に並び、水平線と平行に突き進む戦艦たちを眺めた。未だ東の上空に見える太陽が影をつくり、特徴的な姿かたちが黒く塗りつぶされてわかりやすい。気を利かせて例の備品入れから取り出してくれた双眼鏡を受け取る頃には、<伊勢>への攻撃は一旦取りやめとなっていたようである。当たり前だ。それ以上に優先すべきものを発見したのだから。

 

 深町が構えた双眼鏡の視界の中。戦艦部隊の雄姿が突然水柱によってかき消された。阻止砲撃ということらしい。深町が水柱の中に黒煙と赤色を見つけた。どうやら被弾したようだ。煙突以外から煙がたなびいて――。

 

 次の瞬間、今度は双眼鏡が明るい赤色で満たされた。51cm連装砲と46cm三連装砲、3隻合わせて計10基24門の一斉射であった。壮観。図らずして観戦武官のような立場になってしまった現実さえ無ければ、手放しで称賛していいくらいの情景であった。具体的な脅威度の算出のため以外に、深町はこの光景に拙い自分の語彙を駆使する必要を見いだせなかった。映像の中で、敵艦に突き刺さる水しぶきと火炎を見せつけられてはなおさらだ。

 

 

 「敵艦隊に命中4発。大破艦艇1隻。やっぱり最悪の想定より脆いな……」伊勢がつぶやいてから、深町の視線に気づいた。「あぁ、攻撃は順調です。51サンチは再装填に15秒ほどかかりますが、直に敵艦隊は撃退できます」

 

 「最悪の想定、というのは」深町が単刀直入に聞いた。

 

 「えぇ。深海棲艦、てっきり先程お話した能力向上型を繰り出してくると思ったんですが、どうやら初期型しか居ないようで」伊勢が答えた。

 

 「それはそんなに妙なことなので?」

 

 「最近は初期型のみで構成された敵艦隊は妙でしたから。すると、やはり」

 

 「やはり?」

 

 

 オウム返しに聞き返した深町に、伊勢がにっこりと笑った。先程までの笑みに比べると、どこか余所行きの面影を深町は感じた。

 

 

 「いえ、この戦争、勝ち目が見えてきたかな、と」

 

 『大和第十斉発終了』

 

 

 無線が、その意図は無かったにせよ割り込むように伝えてきた。『累計戦果、戦艦2を撃沈。残りは戦艦2隻と駆逐艦1隻――』

 

 『緊急。敵イ級、こちらへ突っ込んでくる』先程<妙高>を名乗った声が大和にかぶせるように伝えた。

 

 『第二艦隊で迎撃お願いします。破れかぶれです』大和が間髪入れずに命じた。妙高の復唱が続く中、続ける。『伊勢さん、今どのあたりですか?』

 

 「そっちの10km後ろだよ。何なら、支援攻撃第二陣しようか?」

 

 『いえ、大丈夫です。予定通り、私たちを盾にする形で5km後方を維持してください』

 

 「了解。伊勢、遊覧船モードに入りまーす」

 

 『……もうっ』

 

 

 拗ねたような大和の声とともに通信が終わる。深町の双眼鏡では、大和たちの向こう側で黒煙が上がるのが見えた。第二艦隊と戦闘が始まったらしい。

 

 と、戦艦たちの隙間から、何やら黒っぽい船の影が見えた。深町が手すりを強く握りしめた。流線型のような形状。正面についた目玉のような構造。下部に広がる口のような形状。おおよそ軍艦とは思えないような物体が突進してきたのを目の当たりにしたからだった。

 

 

 「ご安心ください」深町の行動を勘違いしたらしい伊勢が慌てて口を開いた。「駆逐イ級の一隻や二隻、妙高ちゃ――<妙高>以下第二艦隊が見逃すわけがありませんから」

 

 

 伊勢の言葉は正しかった。

 

 戦艦よりはいくらか小さな艦艇――もっとも、海自保有艦艇と比較すれば十二分に大型艦だったが――を筆頭に、戦艦たちの前へと陣取っていた艦隊が一斉に火を噴いた。それなり以上の口径と思われる主砲が西側速射砲並の速度で次々と放たれていき――異形の駆逐艦を水柱で包み込んだ。水柱が消える頃には速射が終わる。深町の視線と駆逐艦の目のような部分が刹那の間だけ絡み合い、そのことに気づいても居ないだろう敵駆逐艦は一瞬で海中へと消え去っていく。

 

 その後ろに、大きな艦影が2つ見えた。遠近法に基づいているはずなのに、イ級とか言う艦艇とは比べ物にならないほど大きい。間違いなく、先程からモニターで確認していた戦艦クラスだった。

 

 

 「鎮守府呼称、戦艦ル級量産型(ノーマル)です」伊勢が言った。「イ級を隠れ蓑にして接近するつもりだったんでしょうが……」

 

 「多勢に無勢が過ぎますな。敵――あぁ、深海棲艦ですか。連中は、撤退を考えないのですか?」

 

 「残念ながら、無謀な突撃を繰り返してくるほど楽じゃありませんよ」伊勢がどこか自嘲したように答えた。ただ、と続ける。「今回は、逃れられないのがわかっているはずですから」

 

 『妙高さん?』

 

 『第二艦隊各艦、目標敵大破した戦艦。弾種、徹甲。各個に撃ち方始めっ』

 

 

 思わず背筋を震わせたくなるような殺意の声に呼応するかのように、攻撃命令が無線を駆け抜け、恐らく<妙高>らしい大型艦がまっさきに射撃を行う。プチ戦艦、と言っても納得が得られそうな彼女のはなった射撃が、煙を上げる敵戦艦に突き刺さり、直後大爆発を生じせしめた。小型艦も一瞬遅れて射撃に加わったが、もはや大勢に影響はないだろう。

 

 

 『戦艦部隊、目標敵先頭艦』

 

 

 その間に照準を完了していたらしい。大和の凛とした声が無線に響き渡った。それと同時に、敵ル級が爆発によらない火炎を放った。最後の悪あがきらしい。

 

 <大和>に射撃が集中する。深町があ、と口を開きかけた。砲戦距離が近づいていたこともあり、複数発が大和に直撃したのである。だが、爆炎はさほど上がらない。つまり。

 

 

 「弾いた……」

 

 『射撃同調装置オールグリーン! ヤマト、何時でも行けるわ!』

 

 『了解。大和、第十一斉発、撃てっ!』

 

 

 水柱が完全に落ち着く前の号令に、戦艦3隻はよく応じたようであった。人間には知覚できない程度の誤差しか発生させず、最低でも18インチを超える巨弾が一斉に射出された。戦列艦時代から、一部の例外を除いて軍艦最大のキルゾーンである舷側から発射されたそれらは、ほぼ一瞬と言って良い刹那の時間で未だ発砲を続ける敵戦艦に殺到していく。そして、双眼鏡がに閃光が発生した。

 

 深町が反射的に双眼鏡から目を離し、敵艦隊を見やる。閃光はすでに収束し、火球が上昇しつつ巨大な煙になっていた。敵艦が居たと思われる海域には何もなく、ただただ上空の火球、いやすでに完全に煙の塊と化したそれから続く尾のような煙が伸びているだけである。キノコ雲。典型的な爆沈だ。

 

 

 『敵艦隊全滅』大和が告げた。『状況終了。艦隊を第二警戒序列に組み換え。妙高さんは水偵の発艦を用意してください』

 

 

 それから、粛々と動き出す艦隊を見守るように一旦間を置いて、優しく言った。

 

 

 『お疲れ様でした。ひとまずは我々の勝利です』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ひとまずは我々の敗北です。それは間違いありません」

 

 「言ってくれるな、黒木よ」

 

 

 苦笑いしつつも、どこか面白がるように応接用のソファに座り込む一等陸佐の階級章をつけた男に、当然とばかりに冷静な顔を崩さず黒木特佐、もとい陸将補が続けた。

 

 

 「首都圏防空網は未だ復旧の目処が立たず、同盟国は現時点での敗退が確定。台湾空軍は空自・米軍・中国空軍の二の舞いとなり混乱中。経済的に見ても、関東一円から地方に向けて避難民が殺到し道路交通・鉄道交通ともに完全な麻痺状態。空路は無期限封鎖。海路も関東圏と南西諸島にかけて規制。おまけに例の件だってあります。1945年とまでは言いませんが、1944年の暮れレベルにまで悪化しつつある。これで負けでなければ何だというのですか」

 

 

 畳み掛けるような事実の羅列に一佐が違いない、と頷いた。全力稼働を始めた官庁街はともかくとして、関東、特に沿岸部の混乱は酷いものがあった。曲がりなりにも敵の撃退に成功したという事実もそこまで役に立っていない。稼ぎ出された猶予で逃げるべきだと考える人間が一定数発生したからだ。そして、3000万人都市圏における一定数とはあまりにも膨大な数であった。

 

 

 「名付けるなら6時間戦争ってとこだな。核戦争よりも早く蹴りがつきそうだ」一佐が茶化すように言った。

 

 「いえ、そうはなりませんよ」黒木が頭を振った。「何しろ降伏を伝える手段がない。戦争終結が敵の一存であり、海外諸都市がどうなっているかを考えれば、我々がどうなるかは自明です」

 

 

 一佐が肩をすくめた。机の上のお茶を一瞬眺めてから、一気に飲み干す。で、と煙草を取り出しながら聞いた。

 

 

 「で、俺はその絶望的な状況で、特殊戦略作戦室さんで何をすればいいんですかね? 陸将補閣下」

 

 「情報収集です」

 

 「こいつは面白い。スパイの真似事ってわけか」

 

 「否定しません」

 

 

 一佐がついに口笛を吹いた。どうやら、肯定されるとは思っていなかったらしい。

 

 

 「例の、新島から出現した艦隊に同乗した海自隊員が居た、という噂は聞いていますか?」

 

 「あぁ、詳細は知らんが。何か動きが?」

 

 「先程、横須賀に帰ってきました。私も話を聞きました」

 

 「――一応聞いといてやるが、どういう命令系統を根拠としてだ?」

 

 「私の仕事は敵に勝つか負けるかであって、細かな規則をあらゆる場面で遵守することではありません」

 

 「上出来だ」一佐が大笑いした。「で?」

 

 「上は箝口令を敷いていますが、彼が乗艦したのは戦艦大和を含む旧軍の艦艇だそうで、再三に渡り我々と共闘したいという意思表明を受けたとのことです」

 

 

 一佐が絶句した。顎に手を当て、そこを揉みほぐしている。徐に口を開いた。

 

 

 「その報告者は確かな人間なのか?」

 

 「私の正気は疑われないのですね」

 

 「お前さん冗談が下手だからな」

 

 「報告者は深町二佐。<おうりゅう>艦長です。貴方と気が合うと思いますよ。何しろ独断専行でその『旧軍艦』に上がり込んだ強者ですから」

 

 「見込みがありそうな野郎だ、とは言っておく」

 

 「海自の海江田くんに確認したところ、同じ見解でした。自分の同期だと。猪突猛進な行動に似合わず、情報分析能力は正確な男だそうです」

 

 「あのいけ好かねえ野郎が言うんなら間違いなさそうだな」一佐が笑みを浮かべた。「つまり、あれか。子孫の危機に英霊が馳せ参じたとかそういう奴か。感動的で参っちまうね」

 

 「ところがそうでもないらしいのです。そこで、一佐の出番というわけでして」

 

 「ほう?」

 

 

 一佐が煙草を灰皿に押し付けた。そのまま半分以上残っていた煙草を惜しげもなく捨ててしまうと、手を組んで黒木を見つめる。

 

 

 「まず第一に、彼らが純粋な旧軍艦艇ではありえないという点。少なくとも、敵艦隊――新島の『友軍』が呼ぶところに従えば深海棲艦というらしい存在と対等か、圧倒するほどの性能を誇っているそうです。この点は深町二佐だけではなく、<おうりゅう>乗組員からも同意を得ています」

 

 「面白そうだな。どんなびっくりドッキリメカが仕込まれてることやら」

 

 「完全無線で自律的に潜水艦を発見してホーミングする航空『爆雷』とか、10秒で100ノット超えまで加速するのにソナーマンが探知に苦労する排水量四万トン超の軍艦だそうです」

 

 

 黒木の言葉が終わるに連れ、一佐が真顔になった。話を変えよう、と決心している。黒木にしては珍しく少し投げやりな声を聞くに、話の本筋とは関係ないらしいし、どうも頭痛の種の予感がひしひしと感じられた。

 

 

 「で、第二点は」

 

 「彼らが我々の指揮下に入ることではなく、あくまでも共闘を望んでいる点です」

 

 

 一佐の顔が真剣なものに変わった。組んだ手を鼻っ面に当てたせいで、野趣を感じさせるそこが歪む。

 

 

 「旧軍なのであれば、ぜひ大人しく我々に吸収されて欲しいものだがね」

 

 「問題がそこで。彼らの代表者と海戦後に話した深町二佐によれば、その代表者とやらと新島に居住している民間人は旧軍とは全く無関係だそうなのです」

 

 「……わからん話ですな。船は旧日本海軍の軍艦なんだろう?」

 

 「えぇ。ですが彼らの方は、流れついてきた軍艦たちと共闘し指揮する存在だったと。故に、未だ組織としてそれが残っている以上、一概に我々や日本政府の指揮下に入るのではなく、あくまで独立国としての立場を要求しているそうです」

 

 「もったいぶるな。結局その彼らってのは何なんだ」

 

 「大ニホン国軍人」

 

 「はぁ?」

 

 「大二本国という、我が国の平行世界的存在から突如として我々の世界へ飛ばされた異世界人を自称しています」

 

 

 一佐が笑い飛ばそうとし、黒木の真顔を見て失敗した。こほん、と咳払いする。あまりに荒唐無稽な話に、もはや正気かどうか確認する気も失せていた。

 

 

 「先回りして言っておきますが、この際彼らの主張はどうでも宜しい」黒木が続けた。「彼らが異世界人だろうと、極端な話この混乱に乗じて我が国からの独立を画策する何らかの集団であろうと大した違いはないのです。彼らが、我々が手も足も出なかった存在を撃退できるだけの武力を有している以上」

 

 

 一佐がやっと居住まいを正した。黒木の言わんとする事を理解したのだった。

 

 

 「首都圏の防衛能力が著しく低下し、挙句その余波で経済的・政治的な混乱が予想される中、首都近郊での二正面作戦はどうあがいても不可能、というわけか」

 

 「最良で同盟。最低でも相互不可侵条約。我々は敵に勝つか負けるかが仕事です。が、誰が敵であるかを選ぶ余地があるのであれば、それを最大限活かすべきです」

 

 「わからんな。なら、なおさら俺の絡む話じゃなさそうだが。むしろ外務省マターだろうが」

 

 「無論彼らは彼らで動いています。内閣も、矢口さんからの情報ですが、総理がようやく重い腰を上げるそうです」

 

 

 黒木が内閣副官房長官の名前を上げた。はみ出し者同士で馬が合ったらしく、友人づきあいをしていると一佐は聞いたことが合った。

 

 

 「重い腰?」

 

 「新島に使節団を出します。表向きはすっかり忘れられつつある例の偵察機撃墜『事故』、そのパイロットの返還協議になりますが」

 

 「事故。事件じゃなく事故ね。覚えるのが大変そうだ」

 

 「えぇ、ぜひとも覚えてもらいます。本質は同盟に向けた予備交渉です。同盟の実働は相当先でしょうが、少なくとも足並みを合わせるくらいはできる」

 

 「で? ますます俺の専門から離れそうですが」

 

 「やってもらいたいのは2つ。1つは彼らの真意。今は無意味とは言え、異世界人ということを本気で言っているのか確認したい」黒木が言った。「この情報だけは信頼する人物に確認してもらわないと今後に触る。随員としてねじ込みますから、是非探ってきて頂きたい。権藤一佐、貴方にしか頼めないんです」

 

 

 「お前さんが目が覚める美女だったらなと今ほど思ったことはないよ」権藤一佐が笑った。「頼まれよう。で、もう一つは?」

 

 「こちらはまだ決まったわけじゃないのですが」

 

 

 黒木が書類束を引っ張り出すと、権藤に渡した。表紙を眺めてから、興味深そうにパラパラとめくる。

 

 

 「こいつは面白いですな。例の件か。財前さんか矢島さん、それか藤堂のご兄弟には?」

 

 「まだです。ですが、通します」

 

 「心強いね、全く」権藤が笑った。「こいつを頭に叩き込んで、異世界人とやらを納得させるのが俺の役目ってわけか」

 

 「ええ、我々は一度負けましたので」黒木が顔つきも声音も全く変えず、しかしとてつもなく力強く言った。権藤は黒木のこういう青臭さを買っているのだ。「二度目はありません」

 

 

 権藤が書類を整えた。何しろこれからこいつをよく読まなければならないのだ。『小笠原諸島からの住民脱出作戦における同盟国活用についての少考』と表紙に刻まれた書類束が、権藤のカバンへと滑り落ちた。

 




権藤一佐、統幕長どころか総理大臣だの国賓だの相手でもこの口調を貫きそうで困る……


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