由緒正しき鬼ですが、何か? (358さん)
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第一話 男は旅人である。

 あの事件以降、何時も眠りにつくと同じ夢を見た。
 森の中、燃える様な赤い刀身の刀で一人の女を斬り殺す夢だ。右肩から一線、女の肌を裂いた。溢れ出る血潮が体に掛かる。べっとりと粘着性のある液体を服の裾で拭う。
 女の長い黒髪は傷と同じ様に切れ、地面に落ちた。女はゆっくりこちらを振り向き笑みを浮かべる。他の女と違う所があるとするなら、その女の額に長い角が二本生えている事だろうか。先端に行くにつれ紅色が映える綺麗な角だった。
 時代錯誤も甚だしい十二単を着た女はゆっくりと倒れた。ゆっくりと広がって行く血の海に俺の視界がいつも歪む。それからいつも謝罪を口にするのだ。女はいつも約束を取り付ける。俺も約束を受け入れるのだ。

 俺は妻を斬り殺す夢を毎晩見ている。


 眩しい朝日が瞼の向うから瞳に光を見せる。いつもの時間だ。ゆっくりと目を開く。数回瞬きの後に薄く雲がかかった水色の空を見た。しばらく寝ぼけながらじっと空を眺めていた。

 

―――チリン。

 

 懐かしい鈴の音がした。いや、懐かしいかどうかは覚えていない。彼女が履いていた下駄はもう随分と前に燃やしてしまったから。そう言えば、もう直ぐ彼女の命日だ。とっとと終わらせよう。

 

「ん……。」

 

 もうすっかり木の枝で寝る事が慣れてしまった体をほぐし、大きく欠伸を一つ。落とさない様に抱えていた3尺3寸の製図用の筒を背負い直し、木の上から飛び降りた。丁寧に綺麗に整備された庭だ。芝生は青く、みずみずしい。季節では無いから花は咲いていないが、立派な桜の木のそばに池があった。

 随分長くなってしまった髪を一房摘む。水面に映る自身を見て手櫛で治す。

 

「あの……。」

 

 おずおずと一人の少女が話しかけてきた。2尺ほど離れた場所で彼女はこちらを窺っている。手には暖かそうに湯気のたった食事が乗っていた。

 

「大丈夫でしたか?」

 

 そう言葉足らずの質問を投げかけられた。恐らく部屋で寝ていなかった俺に対する質問だろう。

 

「大丈夫だよ、こちらの方が慣れているんだ。」

「そう、ですか。あの、朝食の準備が出来ています。何処に御持ちすれば?」

「そこの縁側の好きな所に置いてくれればそれでいいよ。」

 

 指を指した場所に彼女はお盆を置いた。それから小さく頭を下げて宿の中に戻って行った。俺は立ちながら箸を取り、一つほうれん草をつまんだ。その味はやはり店で出されている物でとても美味しい。もう一口食べた。数回咀嚼し、やはり美味しかった。昔からの習慣のせいか、どうにも肉は口に合わない。その事を少女に伝えておいたため、彼女は昨晩の夕食にも肉料理を出すことはなかった。

 全て食べ終わったころ、少女はひょっこりと顔を出した。そう言えば、受付にも彼女にしかいなかったな。

 

「ありがとう、とても美味しかったよ。」

「こちらもどうぞ。」

 

 少女は嬉しそうに笑みを浮かべてまんじゅうを置いて行った。俺は大きな溜息を付いた。そして仕方なくそのまんじゅうを食べた。一口食べて俺はやはりその甘さに顔を歪めた。しかし、善意で貰ったものだ。そして受け取ってしまった俺が悪い。

 

「小林が喜びそうな味だ。」

 

 俺は何とか二つのまんじゅうを完食し、小皿を持って厨房へ向かった。厨房の扉を叩くと女が出てきた。礼を言って皿を渡すと彼女は嬉しそうに微笑んだ。あと二日はあの宿に世話になる予定だ。今回のお土産は何が良いだろうか。街に出る前にそう思案しながら準備をしていた。

 

「おっと、悪いな。」

「嗚呼。」

 

 曲がり角で思わずぶつかりそうになった男は不愛想にそのまま行ってしまった。そんな男の後ろ姿を見て変な男だ、と思いながら部屋に戻った。しかし、顔に刺青をいれるなんて目立つことをするな、と思いながら無機質な部屋を見渡した。この宿には今の所、俺とあの少女と不愛想な男の3人が存在していた。

 宿屋は町から少し離れた小高い丘の上に立っていた。街を眺めるには丁度いいが街に行くには少し遠い立地だった。ただ街の全体を眺める事ができ、感慨深い物がある。

 商店街は賑わい、多くの人が行きかっていた。商店街に置かれている物を見るがあまり目新しい物はない。海外の物など喜ぶだろう、と思ったのだが。そう言ったものはないみたいだ。

 

「やはり、一番は東京か。横浜だな。」

 

 小林は神社の中から滅多に出て来ない変わった子であった。何時も本堂の中でゴロゴロしている。時々帰ってお土産を持って行くととても喜んだ。あまり日本の物は見飽きたらしい。神社の中に立てこもっていて見飽きたも何もない気がするが。

 ふと、家紋を掲げた家が目に入った。どうやらそこは宿屋をやっているようで庭先に咲いた花の匂いが微かにこちらまで漂って来ていた。何やら騒がしい声が聞こえて来るが、こんな昼間から宴会でも行っているのだろうか。

 

「楽しそうで何よりだ。」

 

 俺はそう零してその宿屋の前から立ち去った。街をぐるっと回ってみたが、やはり目新しい物はない。寧ろ古き良き日本らしさを残したとても良い街だったと俺は思う。都会の方じゃ人力車に変わって石畳で舗装された道に車って奴が走っているだとか。鉄道っていう物も首都から少しの区間開通して、人の足じゃ比べ物にならない位の速さで走っているとも聞いた事がある。

 世の中、すっかり変わってしまっている。徳川の治世のように長く平和が続いてくれれば良いが、とそう願わない日はない。

 しかし、最近はどこの街も行方不明者の言葉を聞く。

 

「山賊が出るらしいのよ。」

「その話、聞いてもいいかい?」

 

 井戸端会議をしている奥さん方に話しかけた。彼女達は軽快な色を見せながらこちらを向いた。

 

「アンタ、飯田さんところの宿に泊まってる客かい?」

「ん、飯田さん?」

「ほら、丘の上の。」

 

 どうやらあの少女の姓は飯田と言うらしい。

 

「嗚呼、東にある小高い丘の宿屋に泊まっている。」

「気をつけなよ、あの辺り山賊が出るらしいんだ。旅人が何人も丘の麓で死体で見つかってるんだよ。」

「死体に何か特徴は? 男とか、女とか。」

 

 彼女たちは首を横に振った。これはあの宿に帰るのが憂鬱になるな。すると一人の女性が俺の服の袖を引っ張った。

 

「アンタ、心配ならあそこの宿屋に泊まり。街の中だから、安全だよ。」

「……、考えておくよ。」

 

 あの宿に泊まることに異論はなかった。安全かどうかで言うなら絶対先ほどの家紋が掲げられた宿の方がいいだろう。ただ、1つ心残りがあるとしたらそんな危ない場所に少女一人残すのは心苦しい、という自分勝手な感情だった。

 結局、その後も奥さん方の井戸端会議にお邪魔しているとすっかり日が高く昇ってしまった。やはり一人の奥さんは俺を心配してくれているのか、はたまた丁度いい金蔓に見えたのか宿に泊まることを勧めてきた。

 

「いや、取り敢えず今日は戻るよ。」

「夜に出歩くと鬼に会うよ!」

「嗚呼、知ってるよ。」

 

 冗談じゃないんだからね、とそう叫ぶ声が聞こえる。彼女は鬼とやらにやたら警戒心を持っているようだったけれど、会ったことでもあるのだろうか。

 そんな事を考えながら街を出て坂道を登る。少し蛇行する道は、確かに血の匂いが漂っている。ただ、それもだいぶん薄い。少し鉄臭いかな、という程度だ。

 丘の上に到着した。後ろを振り返ると、やはり街の灯りが煌々と光っている。

 

「お客様?」

 

 ガラガラと玄関の扉を開けて中から少女が出てきた。

 

「君はいつもタイミングがいいね。何か、見えているのかい?」

 

 少女はピクリと体を動かした後、小さく首を振った。「偶々です」とか細い声で俺の質問に答えた。「そうかい」と頷き俺は宿屋の中に入っていった。

 

「なあ、お嬢ちゃん。」

「はい。」

 

 外に用事でもあるのかと思えば、宿屋の扉を閉めて俺の後ろをついてくる。五尺ほどの身長の少女は、視線を彷徨わせながら俺を見る。ついて来られているこちらとしては居心地が悪い。

 

「ここから見る景色は綺麗だな。」

「え? えぇ、はい。お父さんがここから見る景色が好きで……。」

「そのお父さんはいないのか? この宿じゃ、君以外見ていないんだが。」

「父は……、病を患い、今は離れでおやすみになられております。」

 

 「そうかい」と口から出た言葉に少女は小さく「はい」と返した。少女は不安げな表情で俯いてしまった。俺は立ち止まり思わず聞いてしまった。

 

「そんなに悪いのかい?」

 

 と。俺は医者じゃない。旅をしているから外傷に対する多少の知識はあれど病に対する知識はない。ただ、お金はあった。娘はもう手のかかる子供では無い。すると自然に金は懐に溜まる一方であった。行かず後家の娘であるが、あれはあれで一目惚れ体質をどうにかしようとしての結果だから何とも言い難い。

 

 妻と互いに一目惚れをして結婚した俺がどうこう言えた物では無いからな。

 

 などと自身の家庭環境を考えていると、娘はぽつりと零した。

 

「父はきっと、もう治らない。」

「そいつは、お気の毒だ。」

 

 駆ける言葉としてはこれ以上ないほど、最低なものになってしまった。少女は一切暗い顔をしていなかった。ただスコンと色の抜けた表情をしていた。

 

「お客様は、旅の方ですよね。」

「ん? そうだが。」

 

 というか、旅行客以外が宿に泊まる事ってあるのだろうか。

 

「お話、聞いても良いですか?」

「旅の?」

「それ以外にも、沢山。」

 

 少女は突然そう尋ねた。話題の転換が唐突過ぎて笑って良い物か、と考えながら笑みを浮かべたので恐らく変な顔になっていたのだろう。少女は俺の顔を見てクスクスと笑った。口元に手を当てて、上品に笑う少女だった。

 

「面白い話など、何一つないかもしれないぞ?」

「それはそれで構いません。私はこの村から出た事が無いからとっても気になっていたんです。」

 

 少女は俺の横をすり抜けて、俺に宛がわれた部屋の扉を開けた。少女は俺より先に部屋の中に入ると押し入れから丸机を出した。それから向かい合う様に座布団を敷き、その一つに彼女は座った。

 俺の話に余程興味があるらしい。彼女はこちらを見上げ、「どうぞ」と促すのだ。

 

「お客様は、何処の出身なのですか?」

「都だ。嗚呼、いや、もう違うか。」

「京の出身ですか?」

「いや、奈良だ。」

 

 少女は少し驚愕の表情を浮かべた。数回瞬きの後、またクスクスと笑い始めた。「随分と昔の話ですね」と言うので、「最近だろう」と言うとさらに少女は笑うのだ。納得がいかない。

 

「お客様は、」

「俺は、坂上俊宗(さかがみとしむね)だ。お嬢さんは?」

「これは、失礼しました。私は飯田鈴香(いいだみすずか)と申します。」

「すずか、ね。」

 

 名前を繰り返した事が余程不思議だったのだろう。目の前の彼女は首を傾げていた。懐かしい名前を散々頭の中で転がしてその懐かしさに不思議と笑みを零していた。

 私を不思議そうに見ていた彼女はそれから面白そうにクスクスと笑みを浮かべた。逆に俺には彼女の笑みが納得できず、今度は俺が首を傾げた。一人納得している少女―――飯田鈴香はやはり上品に笑っていた。それから日が沈むまで鈴香は私の事を尋ね続けた。その時、俺が若い頃の話もした。

 

「鬼を倒した事があるのですか?」

「上司に言われてな。仕方なくだ。」

 

 昔の上司の顔を思いだして酷い目に合ったと溜息を零した。父が仕えていたからと言う理由で、同じ人に使えたが実に酷い目に合った。当時、鬼神と呼ばれていた人ならざる者()を倒す羽目になったのだ。

 

「鬼はどうやったら死ぬのですか?」

「別に、切ったら死ぬさ。まぁ、昨今じゃ普通に斬っただけでは死なないのも出てきているからなぁ。」

「そうなのですか?」

「嗚呼、出自が全く異なる鬼だ。否、今もし本物の鬼がこの世にまだいるなら、あれと同類にされるのは御免だろう。」

 

 少女は矢鱈に鬼の話に喰いついた。この街の人間は鬼にでも興味があるのだろうか。それとも鬼に関する何か伝説が残っているのだろうか。俺の話をあまりにも真剣に聞く少女は、些か時代遅れのような気がした。今時鬼などの妖怪の話をすると笑い話になる物なのだがな。

 少女にせがまれて鬼を殺せる刀も見せてやった。短い物は1尺半。長いものは2尺半もある。

 

「鬼の目的は鬼たちが安全に暮らせる国を作る事、らしい。しかし、それを達成するのに鬼は徒党を組まない。鬼はその力に誇りを持っているからだ。こればっかりは納得がいかないがな。」

「随分と詳しいんですね。」

「現世を跋扈している鬼の事についてはさほど知らん。ただ、昔の鬼については詳しいぞ。」

 

 俺はそれから暫く昔の鬼について語った。妖怪について語った。彼らこそが俺の人生を色付けた者達だった。その話を鈴香は笑みを浮かべながら話を聞いていた。その時間は唐突に終わりを告げた。

 

「すずか……。」

 

 か細い声が聞こえた。呼ばれた彼女は素早く立ちあがった。それから俺に一礼すると部屋を出て行った。

 

「夜になったから出てきたか。さて、どう始末を付けたものかね。」

 

 俺は目を細めて、天井を見上げた。どうもこうもない。どうせ、鈴鹿()と同じ様に首を刎ねるだけだ。床にばらまいた刀を一つ持ち、赤い刀身をしっかりと見た。

 

人を喰う鬼(偽物)は、斬るべし。それにしても、酷く手癖の悪い子供だ。一番短い刀(小通連)をくすねて行きやがった。」

 

 俺は「困った。いやあ、困ったね」と苦笑いを浮かべた。



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第二話 人で無し

 私はあの人が嫌いだった。母を斬り殺したあの人が許せなかった。
 あの人の仕事に理解がないわけではない。あの人だって本当はやりたくなかった。そう、考えていた。
 違った。
 あの人は『切る』事に関して、鬼才の持ち主だった。
 あの人は母が鬼だからと『切り捨てた』んだ。
 あの人は仕事だからと『割り切った』んだ。

 私は、今でもあの人が許せない。


 朝方、怒号で目が覚めた。やはり木の上で眠っていた俺はその驚きから思わず木から落ちそうになった。何度も何度も聞こえて来る野太い男の声。それからずしんと数回の振動。木の枝から落ちない様にしがみ付いた。

 未だ寝ぼけた頭で、必死に辺りを観察した。そこで気が付いた。製図用の筒が地面に落ちていた。ふたは開き、中身が溢れている。地面に降り、筒をひっくり返した。

 

「嗚呼、斬れなかったのか、きめきれなかったのか。始末してくれると思ったんだがな。」

 

 「仕事は変わらずか」と呟き、俺は二本の刀を腰に差した。そして声の方へと走った。建物が軋む音がする。音はやはり離れの方から聞こえていた。開いていた離れの玄関の扉から中に入る。バタンッと大きな音の後、奥の廊下から、障子を突き破って鈴香が転がった。

 ついで出てきたのは人喰い鬼だ。昨日会った男だった。昼間とは違い、太い腕が少女に襲い掛かる。しかし、鈴香はそれをなんとか回避した。

 

「げほ。」

 

 鈴香は血を吐きだした。俺は眉を顰めた。もしかしたら肋骨が肺に刺さったのかもしれない。

 

「限界か。」

 

 俺は鈴香と鬼の間に無理矢理入り込んだ。鈴香を後ろ手に押し、下がらせる。ただ、鬼の攻撃は人間の腕一本で防げるほど甘くはない。

 

「下がれ、邪魔だ! 外に出てろ!」

 

 鈴香の目は、予想通り金色に光っていた。鈴香は少し思案を巡らしした後、言われた通りに下がった。

 

「ごめんなさい。首、硬くてきれなかったんです!」

 

 家の外から鈴香はそう叫んだ。

 

「町に藤の花の家紋を掲げた家がある。そこに行け。保護してくれる。それから、鬼殺隊がいるはずだ。」

「応援、呼んできます!」

 

 俺はそう行った後、家の扉を閉めた。そして刀を握り直した。しかし、あの娘は頭がいい。人食い鬼の弱点の一つが太陽光であると知っていたからだ。どれ程長く鬼と生活していたかは知らないが、よく観察したものだ。鬼に向き直ると彼は顔を顰める。それはそれは分かりやすく、不機嫌になった。

 

「ナンデだ、オマエは、同類だろ?」

 

 長く伸びた爪をこちらに向け、鬼はそう尋ねた。

 

「いや、俺は人は喰わん。」

「お前は、オニだろう。」

 

 男の言葉を俺は笑った。それは盛大に腹を抱えて、俺は笑った。「違うよ」と俺は彼の言葉を否定した。鬼は納得がいないのだろう。首を傾げてこちらを見降ろしていた。

 

「俺はただの人ならざる者(なり損ない)だ。」

 

 男の腕を刀でいなすが、どうにも刃の通りが悪い。固すぎる。下手な刀より硬いその皮膚に俺は眉を顰めた。

 

 

 

 

 

 

 坂上と言う旅行客に言われた通り、私は丘を下っていた。私では斬れなかった。私の力では斬り殺せなかった。父はそれだけでは死ななかった。その事で余計な迷惑をかけてしまった。上手くいくように小さな刀を選んだのに。

 

 

 昔の父は優しかった。とてもいい父親だった。しかし、途中から来た母は悪い人だった。良くない母親だった。何故結婚しようとしたのかわからない。私はそんな夫婦をいつも見ていた。他人事のように見ていた。そして気が付いた時、父は母を食べていた。今までの鬱憤がついに爆発でもしたのだろうか。そんな事を考えていた。

 でも違った。

 直前に泊まられたお客様のせいだった。私は次に喰われるのは私だろうか、と考えた。しかし、それは違った。日が登ってしまったからだ。父は怯えるように離れに隠れてしまった。それからと言う物、父はいつもこの宿に泊まったお客様を喰うようになった。それは決まって宿の外。丘のふもとで喰い散らかし、その後離れに戻って行った。

 父は決して私を食べなかった。お客様を食べる前に私に会っても、彼は決して私を食べる事は無かった。ただ、その事がやはり心苦しくもあった。私の家族が他人に迷惑をかけている。その事がどうしても我慢ならなかった。

 

 

 息を切らして坂を下る。途中足をとられそうになるもの転ばない様に何とか耐えた。肺が痛い。胸が痛い。

 しかし、父と相対してから本当に不思議だった。私は昔から鈍いと言われて育ってきた。だからこそ、こんなに体が軽く感じる事に違和感を覚えていた。

 それから藤の家紋を掲げた宿屋を目指した。街の中は買い物に良く行ったから知っている。夜中だから迷惑かもしれない。そんな事を思いながら私は家の扉を叩いた。ドンドンと力強く叩いた。微かに香る藤の花の匂いが少し懐かしく思えた。思わずにじみ出てきた涙を服の袖で拭う。

 

「女将様! 女将様! どうか、お願いです! 戸を開けて下さいませ!」

 

 数回扉を叩いたが反応はない。もう一度、叫ぼうと思った時二階の窓が開いた。顔を出したのは物優しげな男。こちらをギロリと睨みつけたが、しかし、私の姿を見るや否や二階から飛び降りてきた。

 

「ひっ。」

 

 小さな悲鳴が口から零れた。足など挫かないのだろうか、と心配しながら男を見上げた。坂上と名乗っていた男と同じ位の身長の男だ。

 

「あ、あの。ここに来れば保護してくれるって聞いてきました。」

「誰から聞いた?」

「た、旅の人です。父が、鬼で……。首を斬っても死ななくて、それで旅の方が今……。」

 

 男は眉を顰めて私を見下ろしていました。私は怖くなり鞘に納めた刀をぎゅっと握りしめました。

 

「その刀……。うん、わかった。それじゃあ、危ないからこの家から出てはいけないよ。」

 

 男はそう言うと何処かに消えてしまっていた。辺りを良く見まわしても、もうその男を見つける事は出来なかった。すぐに玄関が開き、女将様が顔を出した。もうすぐ米寿になる女将様は「早くお入り」と手招きをしていた。私は一度自分の家がある丘の方を見た。ここからでは建物が邪魔で家を見ることは出来ない。ただ、朝日で白む空を見て、とても胸が苦しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 鬼と対峙するのはいつ振りだろうか。恐らく娘と殺し合いに近い喧嘩をしたあの時以来だろう。父親とやらは大分人間を喰ったのだろう。彼の皮膚は大分固くなっていた。

 それでも特に焦ることはなかった。ただでさえ、空は白んできている。日が登れば、母屋と離れを燃やせばいいと俺は考えていたからだ。この近くに日光を遮る様なものは存在しない。

 その時点で勝ちは確定していた。後は刀が持ってくれればそれでいい。

 

 元々ここに人食い鬼がいる事は知っていた。俺が作った村がこの町の西にある山間にあるからだ。世間から孤立するような場所にある村だから行商人の存在はとても重要だった。ただ、最近その行商人が村に辿り着けなくなってきていた。やっとの思い出来た行商人はとても酷い怪我していた。彼の話を聞くとここで鬼が出るらしい。俺は最初から父親を殺しにきた。

 振り下ろした刀はギンと音をたて弾かれる。これはもはや皮膚ではなく被膜。肉ではなく金属。このまま打ち続けても刀が折れるだけだ。

 

「全く、お前何人喰ったんだ? 普通に切ったんじゃ固くて刃が通りゃしないじゃねえか。」

 

 父親の攻撃をただ、躱した。しかし、鬼は焦っていたらしい。相手の攻撃をいなし、自身は一切の攻撃をしない。それを相手は余裕と取ったのかもしれない。実際、タイムリミットがある分、余裕だったかもしれない。

 

「血鬼術、布箱乃籠。」

 

 足元から現れたのは大きな口だった。床は抜け、体は重力に従い口の中に落ちていく。

 

「くそ!」

「宝物は、宝箱の中に……。」

 

 鬼はそう言って笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 ハッと目を覚ますとそこは見覚えのある森の中だった。

 

「おまえ……。」

 

 零した言葉は震え、情けないものだった。二本の角、長く艶やかな黒髪。金色の目はまっすぐ俺を見ていた。思わず視界が歪む。あの頃と変わらず

 

「将軍様。」

 

 などと呼ぶから、思わず唇を噛み締めた。あの頃と変わらない三本の刀を腰から下げ、ゆっくりと微笑んだ。

 おまえを愛していた。たとえ鬼だろうと、愛していた。許しを得、二人静に暮らしていたあの頃を何度懐かしみ羨んだ事だろうか。なんと短い幸せだっただろうか。

 だけど、お前を殺して俺が手に入れた物を手放すつもりはないんだ。もう二度とお前に笑われる事が無いように。未来の話をお前と同じ様に出来るように。

 

「そのために、俺は……。鬼になる。いつか、絶対。お前と同じ存在になって、今度こそ笑って未来の話をしよう。」

 

 大きく息を吸いこんだ。妻の姿をした何かは刀に手をかけた俺の手をつかもうとしていた。

 昔、妻には軽く稽古をしたことがある。教えたはずだ。決して丸腰で間合いに入るな、と。刀を鞘に収めていても、決して油断してはならない、と。教えたはずだ。

 

「悪いな、二度も。」

 

 形だけの謝罪だった。姿が同じでも、俺はまた割り切れてしまった。刀と空気は火花を散らして炎を上げる。俺はそう呟いて妻の腕と腕を斬った。ぼとり、と土の上に落ちた妻の顔は驚愕していた。燃え上がる体はのたうち回り、木に何度も体を打ち付ける。

 

「な、何故。何故おまえは、大切な物を傷つけられる!?」

「俺が人でなしだからだろう。妻は所詮、他人だ。」

 

 俺は何度も妻の体に刀を突き刺した。かすかに漏れる外の光。傷口に手を入れ、俺は妻の体を引き裂いた。俺が鬼の中から出ると彼は消えた。

 

「すず、か……。」

 

 

 

 

 

 可愛い娘では無かった。物分かりが良く、我儘を言わない。手のかからない、娘だった。

 病弱な妻は鈴香を生んですぐに床に伏せた。孤児だった俺達だ。近くに頼れる親類はいない。何とかためたお金で古びた建物を譲り受けた。

 私達はこの丘の上から見る景色をとても気に入った。季節によって色どりが変わる街並み。それを少し外から眺める事が一番の癒しだった。ただ、その幸せも長くは続かなかった。娘が生まれて3年目。到頭、妻は死んでしまった。ただ、それについてさほど悲観した事は無い。こればっかりは分かっていた事だったから。

 それでも泣きじゃくる娘をどうあやしたものか、とそちらばかり考えていた事もあるのかもしれない。

 ただ、娘は一人で泣くのを止めた。気が付けば娘はいつも私より先に立っていた。達観している、女の事はこう言う物なのだろうか。そう、考えていた。娘は良く私を手伝った。料理も掃除も。本当によくできた娘だった。

 妻に似た少し垂れた目じりで笑う。私にとって一番の宝物だった。

 

 数年後、宝物が増えた。嫁いだ家でひどい仕打ちを受けたという女が宿屋に来た。珍しくもない話だ。その女はこの家に住み着いた。娘は彼女を拒絶しなかったので、私は彼女をそのまま家に置いていた。しかし、あるとき娘の腕に痣があるのを見つけた。何かあったのかと聞いても首を振るばかり。俺が父親であるからか、と思った。酷く情けない話だ。

 宝物につく傷が増える。俺は娘の動向を監視した。すると娘と女が一緒に買い物に出かけた。私はその様子をこっそりと覗いた。私は滅多に宿から出る事は無い。全てを娘と女に任せていた。後ろを付けていると女は娘を引っ張り家紋を掲げた家の中に入って行った。

 

「嗚呼、商売敵だったのか。」

 

 私はぽつりと零した。その家の扉を乱暴に開けた。慌てた老婆が私を止めようとしたが、私はそれを跳ね除けた。奥の扉を開けた。私は絶叫した。娘を押し倒す数人の男達を押し退け、ギョッとした顔をした娘を引っ張った。

 

「助けて。」

 

 そう言ったのは娘では無く、女の方だった。

 

「ダメだよ、お父さん。暴力だけはダメ。」

 

 娘の一声が、私を冷静にした。握り拳は行き場も無く、私は娘を引っ張って連れ帰った。もし、この時に娘の一声が無かったら、きっと私は鬼にならなかった。

 娘は正しかった。何をされるはずだったのか、理解しているのか知らないが。娘は正しく理性的であった。泣きついてくれもしない。本当に、可愛くない、可愛い娘だった。

 私は到頭、倫理の一線を超えることは出来なかった。そのせいで私の中に燻った火の粉は次第に私自身を燃やし始めた。

 

 あの男が私の前に現れたのは、そんな事が起って直ぐの事だった。男は私に力をくれた。倫理を飛び越える思考をくれた。私は女を食い殺していた。

 私は箱になった。外部からの攻撃から中身を守るための箱だ。中に入れたものを傷つけない為の、宝箱だ。

 それでも、何故だろうか。

 お前だけは、箱の中に入れられなかった。

 

 嗚呼、私は。お前が心配だよ。

 

 

 

 

 

 

「はは、ひっどいなぁ。」

 

 若い青年の声。恐らく殺した誰かから奪い取っただろうとある組織の服を着た男が立っていた。人食い鬼の体の中から這い出てきた為、服はただ真っ赤だ。それでも鬼の昇華とともにその血も消えていっている。

 

「お前、何やってんだ? 昔はもう少しスマートにできただろう。」

 

 爽やかな笑みを浮かべてこちらに手を振っている青年には見覚えがあった。よく娘の元に妻と喧嘩したと飛んでくるバカの友人だ。見た目通り左腕を切られ、取り戻したのに途中で落としたすっとこどっこいな性格をしている。

 

「茨木童子……。お前また殺したな。」

 

 5尺8寸ほどの身長の割に人懐っこさを感じさせる顔つきだ。昔、女にもて囃されたというのはあながち間違いではないのだろう。

 

「拾ったんだ、本当だよ? 趣味が悪いのは、否定できないけど。宿代がタダになるんだ。」

 

 「便利だ」と彼は開き直っていた。俺は額に手を当てて、「そうかい」と呆れた。見た目だけは好感が持てる好青年−−−茨木童子は、所属してもいない鬼殺隊の隊服を着ていた。いくら没収しても彼はどこからともなくそれを見つけてくる。

 

「あんまり乱用するなよ、産屋敷に説明するのが面倒だ。」

「君もよくやるよね、就任の時しか姿を見せないんだろ?」

 

 「人間に恩を売るなんて考えられない」と彼は爽やかに言ってのけた。俺が顔をしかめると茨木は「わかってるよ」とニコニコと笑みを浮かべながら彼は答えた。一体、何がわかっているのか、問い詰めたくなる。

 茨木童子は人に心を開かない。彼が鬼になってしまった理由が起因している。彼は人食い鬼と同じ元々人だった鬼だ。人の悪意を押し付けられた結果、鬼になった。彼は人を恨んでいる。人食い鬼を人が恨むように。

 

「あの子、どうするつもり?」

「取り敢えず、孤児院にでも預ける。」

「彼女はそれを望むかい?」

「欲しい、ということか?」

 

 茨木童子は人が喰える鬼だ。鬼の中には権現としての性質が強い為穢れを受け付けられない鬼もいる。小林なんかは血が皮膚についただけで発狂するだろう。今の俺の格好を見たら、きっと二度と神社の中には入れてくれない。しかし、茨木童子そうでは無い。

 

「いや、僕はもう少しグラマラスな方が好み。」

「ぐら、なんだって?」

「紅葉姉さんみたいな人ってこと。」

「人妻ってことか?」

 

 そういうと鬼は「違うよ」と言ってカラカラと笑った。




〜鬼たちの飲み会(不定期)〜
茨木「一番最初に登場しちゃったけど、よかったのかな?」
バカ「名前だけなら、ワタシやモミジ、ショウリンも出ていましたネ。というか、バカとしか出てこなかったからって、名前の部分どうにかならないのデスカ?」
茨木「だって君、身バレすると鬼殺隊に殺されちゃうかもしれないじゃん。ほら、君だけ主食人だから。」
バカ「ワタシ、人は食べてないんデスが。」
茨木「似たようなもんだと思うけどなあ。まあ、細かいことは気にしないで、お酒飲もうよ。見てよ、鬼殺しっての売ってたんだ。巫女さん、お酌してくれない?」
バカ「私、清酒はあまり好みではないデス。」
小林「ちょっと、神社(うち)は遊郭じゃないの。私の可愛い子供たちに指一本でも触れたら串刺しにするわ。」
バカ「聞いてくださいヨ、イバラキ。お酒は控えてくださいって、妻が怒るんデス。」
茨木「いつものことだねぇ。」


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第三話 半端者

 僕が坂上と会ったのは最近だった。江戸時代に入った直後だったと思う。
 黒い髪に黒い瞳。三本の刀を背負った青年だ。顔は僕ほどではないが、整っているほうだと思う。髪は短く、髷が当たり前だったあの時代では珍しい。

「俺の名前は―――。」

 あいつは長たらしい名前を名乗った。幸の薄そうな暗い瞳は、じっと僕と酒吞を見ていた。
 僕らは最初、彼の言い分を聞くことはなかった。それでも、彼は僕らを見捨てなかった。
 酒吞はいい。あいつは首を切られても死ぬことはない。
 でも、僕は死んでしまう。

 突如現れた鬼殺隊というやつらに殺されたかけた僕を庇ってくれたのは、確かに彼だった。


 私、飯田鈴香は鬼に家族を殺された。はれて私は何処にでもいる孤児となった。

 私が鬼殺隊に入ることを希望すると、坂上さんは「やめておけ」とそれだけ答えてくれた。しかし、何故やめておいたほうがいいのか、その事については一切教えてくれなかった。

 私はここから一番近い育手に預けられるらしい。家の近くの町にも藤の家はあったけれど、あそこは嫌だと私がごねたのだ。何か事情を知っているのか、坂上さんは何も言わずに町から離れてくれた。

 家は燃やした。また、誰かに取られそうになるのは嫌だったから。坂上さんはあまりオススメはしない、と言っていたが、やはり手伝ってくれた。

 

「もう二度と家に帰るつもりはないんです。」

 

 その言葉に坂上さんは眉を顰めた。それから面白くない顔をして家に火を付けた。茨木さんは燃える家に対してとても楽しそうに見ていた。

 

「燃えろよ、燃えろ!! 天高く、その灰で世界を汚せ!」

 

 と、とても楽しそうにしていた。面白くはなかったが、特に何か言うつもりはなかった。「ギャハハ」とおそらく彼の本性であろう笑い声を上げていた。坂上さんは呆れたように息を吐き出して、「本性出てるぞ」というと、彼は悪びれなく「演じてるんだよ」と答えていた。

 

 全く、よく回る口である。

 

「行くぞ。」

 

 丘の麓が騒がしいかなってきたからだろう。坂本さんは製図用の筒を背負い直し、町とは反対方向に丘を下って行った。私と茨木さんも彼の後に続いた。

 茨木さんは気さくな方で道すがらよく話しかけてくれた。博識で人から物をくすねる時の方法など悪事について教えてくれた。坂本さんからじっと睨まれていたけれど、茨木さんがその口を閉じることは無かった。

 

「悪事のやり方を知ってたら、やられた時に役立つでしょう?」

 

 なんて、茨木さんは言っていた。それが本心でないことはわかっていた。きっと茨木さんは私で遊びたかっただけなのだろう。

 

 

 夜になって私は初めて野宿をした。木の上で眠っている坂上さんを思い出して、慣れていると言うのはこう言うことだったのか、と一人納得していた。手早く火を起こす。何やら細く短い棒を箱にこすりつけた。すると火が起こるのだから驚きだ。

 

「うわぁ。」

「いつ見ても凄いよねぇ。酒吞が良く使ってるの見るよ。」

 

 私の口から漏れた声に茨木さんが返事をする。坂上さんはその光景に慣れているのか特に反応を示すことはなかった。途中の町で買ったお米を炊いている途中、突然坂上さんが話し始めた。

 

「鬼には二種類いる。太陽の下で活動できる者と、できない者だ。鬼殺隊が殺すのは、太陽の下で活動できない方だ。」

 

 ここから一番近い教え手に着くまで坂本さんは鬼について教えてくれるようだ。

 そして茨木さんは太陽の下で活動できる鬼だから、殺してはいけないそうだ。私は驚いた。こんな身近に鬼がいたなんて、と。茨木さんが気さくに手を振るものだから、物語で読み聞かされる乱暴者の鬼とは全然印象が違った。

 どうやら坂上さんが鬼が人間に対して悪事を働かない様に管理すると言う条件付きで鬼殺隊の人が昔約束したらしい。昔と言っても鬼殺隊という名前ができた直後の事らしい。

 

「話を戻す。人食い鬼は、その名の通り人を喰う。いつ頃から現れたかはわかっていないそうだ。どうやって生まれてくるかは、お前はわかっているか。」

「はい、宿泊には男の方がいらっしゃったので。」

「でも、本当になんで食べられなかったんだろうね? 君、もしかして人食い鬼なんじゃない?」

 

 そんなはずはない。私は太陽の下で生きていける。これまでだって私が買い物に出ていた。私は大きく首を振ると「なんでだろうねぇ」と不思議そうに茨木さんが首を傾げた。

 

「嗚呼、それともあれかな。鬼舞辻君に対して抗体でも持ってるのかな?」

「きぶつじ、くん?」

「人食い鬼の親玉の名前だ。鬼舞辻無惨と言うらしい。と言うか、お前。鬼舞辻より若いだろう、きっと。」

「人間にはらう敬意は持ち合わせてないんだ。」

 

 茨木さんは、きぶつじくんを小馬鹿にしたように手をヒラヒラと泳がせた。鬼の茨木さんにとって人食い鬼を作る事が出来るきぶつじくんは人間に入るらしい。彼の中で一体人間とは、どう言った条件なのだろうか。

 私は『きぶつじむざん』について想像してみた。人食い鬼ならば、やはりお父さんのように牙があるのだろうか。おおよそ、人につけるような名前ではないと思った。親がつけたのなら不謹慎だし、自分で名乗っているならまともではない。

 私の考えていることが分かったのか、茨木さんは笑い転げた。

 

「君、心の中で考えていることあんまり言葉に出さないけど、その方がいいよ。きっとあれだ。喋らなければ可愛いのに、って言われる子だね。」

「女性にそんなことを言うものじゃない。」

「よく言うよ。君、 女嫌いだろう。」

 

 その言葉に坂上さんは顔をしかめた。「こいつ、言いやがったよ」などと顔が訴えていた。私は俯いた。私はどうやら嫌われていたようだ。坂上さんは一つ舌打ちをしてこちらを向いた。

 

「その言葉には語弊がある。」

「そう? 僕はそんな風には思わないんだけどなあ。」

「少し黙ってろ。」

 

 弁明を悉く邪魔されるからか、坂上さんは苛立ち気にそう言った。言われた方の茨木さんは夜空を仰ぎ見た。それから会話は無くなった。坂上さんはパチパチと跳ねる木を見つめ、何かを考えているようだった。私は居心地が悪くなって地面をじっと見ていた。

 茨木さんは鬼だから、長生きをしているのだろう。坂上さんとの仲の良さを見る限り長い付き合いなのだろうか。でも、坂上さんは鬼として自分を紹介しなかった。つまり、違うという事なのだろうか。

 

「これでも感謝してるんだよ。本来、僕や紅葉姉さんは本当なら鬼に分類されるようなもんじゃない。特に僕なんて好き勝手やってるしさ。」

「自覚があるならもう少し大人しくしてくれるとありがたいんだがな。いい加減無くした腕を早く見つけろ。」

 

 改めてみると、確かに茨木さんの左腕はなかった。綺麗な顔立ちをしている彼に一体何があったのだろうか。

 

「あの……。」

 

 私の言葉にピタリと彼らは言葉を止めた。それからこちらを見た。「驚いた?」と聞いてくる茨木さんは、やはり人の考えている事が分かるのかもしれない。切り取られた方の服の裾をプラプラと揺らした。

 

「昔ね、悪い鬼狩りに腕を斬りた取られたんだ。腕を取り返したのはいいんだけど、途中で川に落としちゃって。」

 

 「見つからないだ」と困った顔で茨木さんは言った。私は切り離された腕は腐ったりしないのだろうか、と彼の腕をじっと見つめた。すると茨木さんが「そんなに見詰めないでよ」と恥ずかしがるので、居た堪れなくなり視線を外した。

 

「ただの阿保だ。同じ様にとられた橋姫は取り返せたのに。」

「橋姫さん、という方も腕を斬られたんですか? 一体誰に?」

 

 「鬼の間ではその話題はタブーだから気を付けておいた方が良いよ。」と、くぎを刺されたようだ。「タブーって言うのは、触れてはいけない暗黙の了解っていう意味だよ」と丁寧に教えてくれた。

 

「あのね、その当時鬼を殺していたのは源氏なんだ。だから、妖と称して平家の一般人も殺していたとか、いないとか。」

「珍しくもない。源氏も平家もお互いが鬼に見えた事だろうさ。」

 

 茨木さんは言葉を濁したが、やはり本当だったのだろう。そして鬼となってしまだ人がいるのだろう。妖退治で有名な人とは誰だろうか? 鬼を退治する事で有名なのは、桃太郎だ。その桃太郎もどちらかを鬼と例えた物なのだろうか?

 

「まあ、いまとなっては、昔の話なんだけどなぁ。あ、桃太郎の鬼は平家だって噂だよね。」

 

 茨木さんはしみじみと苦笑いを浮かべてそう言う。パチパチと木が音を立てているのをジッと聞いているようだった。ようやく話を戻せると思ったのか、坂上さんが大きなため息を吐き出した。

 

「鬼は自分の国を作ることが目的、と言ったな。」

「はい。」

「鬼は長年その場を守護し続けると、守神としての性質や元々その土地を守護していた守神に仕えるようになる奴がいる。そういうのは大抵神通力と言う物を持つ。すると人の心が読めたり、物を増やせたり色々できる。」

「だから、私の考えている事が分かるんですね。」

「心を読むことが出来ない奴もいるがな。出来る事、出来ない事があるのはやはり鬼でも同じ事だ。コイツも今でこそちゃらんぽらんな事をしているが、900年ほど前に守る物を持っていたから、今でも人の心を読めるのはその時の名残だ。」

 

 「もう大分聞こえないけどね」と苦笑いを浮かべながら茨木さんは頬を掻いた。彼はきちんと鬼らしい。茨木さんは坂上さんの方に向き直って「ちゃらんぽらんって酷いなぁ」とぷっくりと頬を膨らませた。

 

「坂上さんは?」

 

 私の言葉に坂上さんは微かに表情を硬くした。いけない事を聞いただろうか。途端に襲われる不安感を私は拭うことは出来なかった。それからピッタリと口を閉じ目をさらした。

 

「彼はね、鬼のなり損ないなんだ。」

「なり損ない、ですか?」

「……。」

 

 坂上さんは何も言わなかった。その眼光は鋭く今にも射殺されそうで、背筋にザッと冷たい物が駆け抜けていった。茨木さんの方を見ると彼はそんな事はどこ吹く風らしい。やはり鬼なんだろう。茨木さんはなんのその。1つも坂上さんの心情を鑑みない。

 

「いいじゃないか、別に。君はそのことに劣等感を持っているわけじゃないだろう。」

「あの、言いたくなければそれで構いません。無理を言ってすみません。」

 

 私の言葉に坂上さんはこれ以上ないほどに不機嫌そうな顔をした。私はただ俯くことしかできなかった。何を言ってもこの場の雰囲気が良くなることはないと思ったからだ。

 

「鬼は守神としての性質を持つ者がいる、と言っただろう。」

「……、はい。」

「俺の体は多くの鬼の血を浴びだ。それはつまり神の血を浴びたの同義。血は俺の体に馴染むが、神殺しの業も同時に受けている。その結果、大量の呪詛を体の中に取り込むことになる。すると、人から変質する。」

「彼はね、鬼になれず、人に戻れない。この世で一番忌み嫌われる()()()なんだ。」

 

 「僕らは大好きだよ」と茨木さんは言っていたが、坂上さんは鬱陶しそうな視線を送るだけだった。急に私の頭に重みが加わった。それから勝手に左右に揺れるものだから何故だろう、と視線だけ上げると腕が見えた。

 

「お前が心悩む必要はない。分かっていたことだ。」

「一体、どれほどの鬼を斬るとそうなってしまうのですか?」

「さあな、ただ、まあ。1000程は殺した。」

「きっと金平鹿の所で殺し過ぎたんだよ。獄卒も斬り殺したんでしょう?」

 

 「こんぺいか」と私は呟いた。そして桃太郎のような話だ、と思った。彼は上司の命令だと言っていた。志は違えどやったことは同じだ。彼はきっと多くの民の為に戦った英雄なのだろう。きっと鬼たちは悪いことを沢山したのだろう。

 

「でも……。」

 

 そのせいで坂上さんは呪を背負わされた。何が違ったのだろうか、と私は考え込んだ。

 

「俺はいい。人でなくなったことを後悔はしていない。」

「何故ですか? みんなから嫌われるんでしょう?」

「……。」

 

 「意固地だねぇ」と茨木さんが笑った。しかし、絶対に言うな、という様に睨みつけるので茨木さんは両手を上げて「降参」のポーズをとった。茨木さんはこれ以上は自分にとってよくないと思ったのか、木の上へと昇って行った。

 

 ご飯が炊けたので飯盒からご飯を取り出し、彼はどこから持ってきたのか、私の家のお椀にそれを盛り付け塩を振った。そしてそれをこちらに差し出した。

 

「味気ないよねぇ。」

「い、いえ。大丈夫です。」

「僕らはさ、食べ物で栄養補給しないからこういうのには疎くなるんだよね。」

 

 茨木さんは本当に坂上さんが好きというのは本当のようだ。茨木さんの言葉はいつも坂上さんの言葉を足す様に解説を付け加える。それを楽しんでいるのか、いつもニコニコと笑顔を浮かべている。苦とは、思っていないようだった。

 私が塩味のご飯を食べ終わると坂上さんは立ちあがった。おそらく眠るのだろう。家の庭で寝ていた時と同じように、木によじ登ろうとしていた。それからふと、動きを止めてからこちらを向いた。私はどうしたのか、と首を傾げて彼を見上げた。「木には登れるか?」と坂上さんは尋ねてきた。私は小さく首を横に振ると、「来い」と手を引かれた。私は立ちあがり、彼は私のひざ裏に腕を回した。唐突に訪れた浮遊感から思わず彼のインバネスを掴む。

 ふわりと内臓が浮かび上がる感覚を覚えた後、内臓が元の位置に戻りそれから恐る恐る目を開けるとそこは気の上だった。私を抱えたまま、木の上まで跳んだ。坂上さんは本当に、人間でないのかもしれない。

 

「え、ちょっと待って下さい!」

 

 私を木の上に下ろし、別な木へと坂上さんは跳んでいこうとしていた。とてもではないが、ここに置いて行かれるのは困る。私はここから降りられないし、寝られない。私は必死に彼の外套を引っ張った。

 

「普通の女の子は木の上なんかで寝たら落ちて死んじゃうよぉ。」

 

 茨木さんが起用に木の上で寝転がりながらそう言った。私は必至に頷いた。彼は面倒くさそうに頭を掻いた。坂上さんは木の幹に茣蓙をかき、私をその上に座らせた。彼は私を寝かせようとしているのか、頭を数回撫でている。慣れているのだろうか。その手はとても心地よかった。




お疲れ様です。
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第4話 恩讐の生き物

 あの男が憎い。
 私の首を切り落としたあの男が憎い。
 その男の一族が憎い。

「源頼光……!」

 人から転げ落ちたあの男が憎い。
 私もいつか首を切り落とすことを夢見る。

 私の内心などつゆ知らず、彼は私の前に現れた。


「かつて、ある男が言いました。『あなたのことを人が笑う。それが真実ならば、治せばいい。それが虚偽ならば、笑えばいい』。私は今、君を愛しています。鬼は恩讐の生き物だと、彼は言いました。しかし今ならば、私は彼の言葉を笑えるでしょう。」

 

 低く冷たい男の声が私の中で響く。16畳の部屋の中は一面赤く染まっている。壁一面に血が滴り、先程まで息をしていた人間は悉く壁のシミに成り下がった。濃厚な血の臭いは最早マヒした感覚では拾うことは出来ない。私はただ真っ直ぐに目の前の男を見上げていた。

 金色の髪に紅い瞳の長身の男。洋服を着た華奢な男が膝を付いて傅く様に私を見下ろしている。長く伸びた爪が私の首をなぞる。

 

「貴方様は、人間ですか?」

「否、私は、鬼です。人の血を何よりも好む、鬼です。」

「鬼、ですか……? 私も食べるのですか? 父や母がそうされた様に。」

 

 男は口元に手を当てて少し考えた。それから改めて私の方を見た。彼はゆっくりと首を振った。

 

「私達に栄養補給という概念はない。故に食事とうい行為自体に意味は無い。」

 

 「ただ」と男は続けた。

 

「私はあなたが欲しいだけです。」

 

 男はそう言って私の首筋に唇を這わす。背筋に嫌な汗が流れる。荒くなる呼吸を自分ではどうして良いのか分からず、ただ吸い込み続ける。

 

「これが恋ならば、私は君を切り捨てたでしょう。」

 

 男は独り言の様にうっとりとそう呟いた。「嗚呼、この胸の高ぶりを人は愛と呼ぶのですね」と。

 

 

 

 

 

 

 薬師の鬼女が信濃の国に住んでいる。その女は茨木と同じ様に人から人ならざる者に変貌した物だ。ただ、違いがあるとするならば、その女自身も望んで人では無いものとなった事だ。

 

 信濃の国には他の国と比べ山が多い国だ。

 いや、今はもう国とは言わないか。

 

 名前のわからない山の内の一つに、薬師の鬼女は住んでいた。酒吞童子や茨木童子とは違い、住処を動かさないから探すのに苦労しない。もう随分と歩きなれた山道を登る。微かに流れてくる冷ややかな空気をもはや機能などあってないような肺に吸い込みながら目指すべき頂上を見る。

 

「あ、坂上様に茨木様だ。」

 

 木の陰に隠れていた少女がこちらに気がついたらしい。山菜を取っていただろう。竹を編んだ籠を持って少女がそう話しかけてきた。パタパタとこちらに駆け寄る。3尺にもみたない小さな体でこちらに駆け寄ってきた。可愛らしい蝶の着物を着た少女は、確か弥生と名付けられていたはずだ。

 

「薬師様に会いに来たの?」

「嗚呼、そうだ。」

「白狐様もついさっきこちらに来たのよ。」

 

 子供はそれ以外にもここ最近の事を楽しげに話す。村に子供が増えたとか、老人が死んだから悲しいとか、そんな話をしていた。

 彼女の母親は薬師の鬼女だ。しかし、そこには当然血縁関係は無い。薬師の鬼女はその子供達に対して保母のような事を行っていた。無くしてしまった子供や夫に出来なかった分を与えているのだろう。

 

「大丈夫か?」

「は、はい……。」

 

 振り返り後ろからついてきている少女の生存確認を行う。なれない山道を必死についてくる鈴香は、こちらを見上げて大きく頷いた。

 俺の知る育手の所にはまだつかず、先に俺の用事を済ませる事にした。山奥に住む鬼女の名は紅葉。守神としては典型的な鬼だ。鬼無里村という村を守護している。

 

「呼吸が乱れたと思ったら立ち止まって整えろ。待つ。」

「はい!」

 

 一番小さな刀を抱えて鈴香は大きく頷いた。ただの町娘であった鈴香はあまりにも体力がなかった。そして鈴香は必死に俺の後をついてきた。

 

「鈴香ちゃん、頑張ってるね。」

「嗚呼。」

「嬉しくないの?」

「無いな。」

 

 「すずかって名前だから?」とこいつは無神経に聞いてくる。裏表がない、とは聞こえはいいが些か介入が過ぎる。俺はため息を吐いてまた山道を歩き出した。

 茨木童子は鈴鹿御前を見たことはない。彼が人として生まれた時にはもう彼女は俺に斬り殺されているからだ。彼が鈴鹿御前という女を想像の上で作り上げられるのは、ひとえに彼女の娘がいるからだ。俺と彼女との間に出来た鬼の人の合いの子。

 彼女と酒呑童子は仲がいい。というよりは、お互いを利用しているといった感じだ。それにつられて茨木童子もよくあの神社に出入りしているから娘についてはよく知っている事だろう。年に数度帰る俺よりもよっぽどだ。

 

「坂上様、あの女の子の着てる着物の家紋って……。」

 

 おずおずと弥生が尋ねた。俺はその問いに肯定した。

 

「嗚呼、気にかけていた娘だ。」

 

 話を聞いていたのか、茨木童子は「なになに?」と首を突っ込んできた。その相手をする事なく、「同じだろう」と弥生に返すと嬉しそうな顔で彼女はぴょんと一つ跳ねた。それから坂道を駆け上がり、こちらを振り向いた。

 

「私、紅葉様にお知らせしてきますね。」

 

 弥生は嬉しそうに「きっと御喜びになられます」と言って慣れた様子で山を登っていった。後ろから「すごい」と溢れた言葉に振り返り、鈴香を見た。

 

「アイツは歩き慣れているだけだ。体力は一朝一夕でつくものではない。」

「はい。あの、あの子は鬼なんですか?」

「いや、あれは人間だ。守神となった鬼の世話をする女たちの一人、あれは弥生という。」

「巫女、様ですか?」

 

 彼女の中の巫女とは赤い袴を着た巫女服姿の女性の事を指すだろう。だから彼女にとって弥生はどうにもその対象に含まれないようだ。

 神に仕える巫女に求められるのは、一種の慣れだ。守神の近くに長くいる事はあまりにも精神に負荷がかかる。なので巫女として選ばれた少女は幼い頃からずっと神の傍に置かれ、その耐性を備えなければならない。

 茨木や酒吞はそう言った神秘性を持たない為に隣にいても鈴香には何ら影響はない。だが、紅葉は違う。

 

「アイツは見習いだ。だから赤い袴を着ていない。」

「そう、なんですね。あの、薬師様と言うのは、この山に住む鬼なのですか?」

「そうだな。この先にある村の名は鬼無里村という。」

 

 「洒落てるでしょう?」と茨木童子が笑って言った。鬼が治めているのに、鬼がいないとはこれいかに、と言った感じだ。

 

「紅葉さんと言う方は、どんな鬼なんですか?」

「どんな鬼か。薬師をしているからそこら辺の知識はあるな。あとはまあ、性格は喧嘩っ早い奴だ。その性格のせいでアイツは鬼に堕ちた。」

「鬼に、堕ちる……。」

 

 そう、小さく鈴香は繰り返した。人はある意味で簡単に鬼になる事が出来る。正確には、変質することが出来る。人食い鬼が人喰い鬼の血を浴びる事で増えるように、人も人の血を、人ならざる者の血を浴びる事で変質する。紅葉も、また俺と同じ様に人を殺した人間だ。

 不安げな表情を浮かべる鈴鹿の頭に手を置き、また山頂に向けて歩き始めた。

 

 それから4半刻。ようやく見えてきた赤い鳥居に後ろで大きな溜息をが聞こえた。「大変だったね」と茨木童子が鈴香にそんな声をかけていた。鳥居の奥に立っているのは壮年の二人の巫女。それぞれが端で深く頭を下げていた。

 

「薬師様がお待ちです、茨木様もどうぞお越しください。」

「嗚呼。」

「あれ、僕も?」

「はい、どうやら酒吞童子様の事で何やら話があるそうで。」

 

 茨木童子は首を傾げて「酒吞の?」と再び尋ねた。同じ様に俺も態度には出さずとも疑問に思った。酒吞童子は昔こそ暴れ回っていたが、源氏に首を斬られ茨木童子がその首を持って逃走したあたりから大人しくしていたはずだ。それこそ人の中に紛れて生活しているほどに。第二の生を謳歌していたはずだ。

 

「分かった。鈴香の面倒を見てあげてくれ。コイツには耐性が無い。ここでは息をする事さえ苦しいだろう。」

「承知しました。この御影が責任を持ってお預かりします。」

 

 「嗚呼」と一つ返事をして社の奥へと向かった。「それじゃあ、大人しくしているんだよ」と茨木が鈴香に手を振り俺を追いかけるように小走りでこちらに向かってきた。それにしても、と思う。

 酒吞童子は別に乱暴者と言う訳では無い。ただ、彼には日本の常識が通じないだけだ。酒吞童子―――基、シュタイン・ドッジと言う男は、外つ国の出だ。確か、独逸という国だった。6尺半ととても高い身長に金色の髪に紅い瞳のとても目立つ容姿をした男だ。長らくの間、茨木童子が彼の生活の面倒を見ていた。

 茨木童子の顔を見ると、それは少し不安げだった。何かを行うならば、先頭に立つのは何時も酒吞童子だった。それでも茨木童子は心配なのだろう。

 

 ひときは冷たい空気が流れ出す襖の前に案内された。扉を開ける掛かりであろう巫女が深々と額を床に付けた。巫女が何かをいう前にスパンと襖が開いた。その顔は怒りに満ちている。思わず目を逸らした。十中八九面倒事である。般若の能面のごとき顔は、後ろにいた巫女の気配をピクリと揺らすほどだった。

 

「とっとと入りな! 貴方達は下がって良い。何かあれば呼ぶ。」

 

 巫女たちは返事をするとそそくさと廊下の奥へと消えていった。

 

「酒吞に何かあったの?」

 

 と、茨木童子が恐る恐る尋ねた。キッと俺の後ろに居る茨木童子に視線を向ける。

 

「取り敢えず、座らせてくれ。紅葉。」

 

 未だにこちらを睨み続ける紅葉はチリンと一つの鈴の音に後ろに居る白い狐に目を向けた。あからさまに舌打ちをされ、彼女は少し高くなっている畳の上にどかりと座った。相変わらず女っ気のない座り方だ。

 引き摺るほどに長く伸びた黒髪に一つの青い角。着崩した高級そうな黒留袖を着た鬼。薬師の鬼女・紅葉だ。平維茂と戦ったと人間たちの間ではされている。嫉妬に狂い鬼に堕ちた女。地上に残る鬼の中では若い方に入る。鬼は歳をとらないから、見た目では年齢を知ることはできない。

 予め誰が用意した座布団に腰を下ろした。俺の前の座布団にちょこんと座っている白狐が阿玖良王。昔、俺が殺し損ねた唯一の鬼だ。現在は守神に仕えており、元は巨大な鬼。今は75匹の白狐に分かれている。

 

「それで、どうしたんだ?」

「酒吞童子が、吉原で一悶着起こした。」

「えッ!?」

 

 引きつった声が聞こえてきた。俺達が茨木童子の顔を見るとその顔はどんどん青くなって行く。俺達は知っているのだ。茨木童子が江戸時代の頃夜な夜な酒吞童子をそう言った町に連れ回していたことを。

 吉原は今でこそ政府管轄から外れたものの、誘拐は大罪だ。ましてやあそこは女が商品。食い逃げもいいところだ。

 

「ぼ、僕は知らないよ! 確かに彼を吉原にだって連れて行ったけどさ。それは、彼がお酒好きだからだ。でも、あかわいん? が好きだからってあんまり乗り気じゃなかったし。」

「そのあかわいんってのが無いからって暴れ出したんじゃ無いだろうね?」

「まさか、彼は今人間の中に紛れて生きてるんだよ? 人の中で騒動を起こすのがどれほど悪手かなんて分かっているはずだ。」

「理由はなんだ、阿久良王?」

 

 と、狐に尋ねた。季節外れの白狐は尻尾を一つ揺らす。

 

「愛、らしい。」

 

 低い声で狐がそう答えた。その容姿から出た似合わない言葉に思わず吹き出しそうになった。

 

 しかし、信じられない。

 

 それはそこに居る誰もが同じだった。茨木童子でさえ、信じられないと驚嘆の表情をしているからだ。それが俺達にとって信じられない事だった。人として外れた道を歩む者達、それが鬼だ。今でこそ、神聖を身にまとっている者がいるとしても、元々は恩讐だけが残った陰のある怨霊のようなものだ。愛なんていうそんな人並みの感情はとうの昔に捨ててしまった。そのはずだ。

 

「本人から、聞いたのか?」

「そう話しているのが、聞こえたらしい。」

 

 阿玖良王はそう答えた。さて、どうしたものか、と誰もが口を噤んだ。

 

「兎も角、酒吞童子の所に行こうよ。彼から直接話を聞いた方が良いんじゃないかな。」

 

 茨木童子の言葉に大きなため息を吐き出した。予定が立て込んでいる。全く困った物だ。鈴香を早く送ってやりたいし、小林に報告にも行かなければならない。

 俺はきっと酒吞童子を責めることは出来ないだろう。俺は、妻の魂を奪う為に冥界にまで乗り込んだ。その行いに後悔はない。無いからこそ、俺には何も言えない。彼が行った事を心から悪事だと言えない。おそらく、穴が空いたのだろう。

 

「酒呑童子は今どこにいる?」

「東の都の山の中で休息を取っている。」

「だ、そうだ。疾く行け。また鬼殺隊だのなんだのに狙われる日々は妾は御免だぞ。」

 

 しっしっと紅葉は手を揺らす。

 

「嗚呼、分かっている。阿玖良王、飛ばせ。」

 

 その言葉でチリンと一つ鈴の音が聞こえた。すると目の前の景色は、何の変哲もない森が広がっていた。

 

「やあ、来ると思っていましたよ。」

 

 木の幹に寄り掛かるようにして地面に座っている酒呑童子を見て、俺は改めて溜息を吐いた。彼がいつも来ている光沢のある布の洋服は所々が裂け、血が滲んでいる。いつもの似非日本語はどうやら今日は話さないようだ。

 

「それで、どういうつもりだ? 迷惑をこうむるのはこちらなんだぞ。」

「ええ、わかっていますよ。だから、謝らせてください。ごめんなさい、どうしても我慢ならなかったのです。」

「俺に言うな。ともかく、その腕に抱えている女と一緒に紅葉のところに行く。」

 

 酒呑童子はゆっくりと体を起こした。先ほどから小さな寝息を立ててすやすやと眠る少女を起こさぬようにゆっくりと行動した。その様子からその少女が大切だということは伝わった。しかし、俺にはそれが一時の熱情でないと証明するすべはなかった。



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第五話 穴が空く

私の魂には、大きな穴が空いている。

「嗚呼、経基様。経基様!」

愛した彼はとうの昔に死んでしまった。
あの男の血を受け継ぐ貴方はきっと、その魂の在り方も影響を受けていたのでしょう。
けれど、どれ程求めても貴方はもう帰ってこない。
いっそ、あの男のように地獄に彼の魂を奪いに行こうか。

そんな事を考えて、やはり行くのを止めた。
私には地獄の鬼に対抗できるような力は無い。

ならばせめて彼が残していった子どもたちを愛しましょう。

嗚呼、本当に愛くるしい子どもたち。
嗚呼、苦しい。


 茨城さんに手を振り返し、慣れない場所に置いていかれた心細さが湧き上がってきた。

 

「では、飯田様。参りましょうか?」

 

 洗練された動きだと思う。やはり、巫女服を着た女性というのは、神様に扱えしている為か、指先一つにまで意識がいっているように見える。

 

「まずはそのお召し物を変えさせていただきます。」

 

 血と泥で汚れた着物を着たまま神社のような建物には入れないようだ。それにしても、ここに居る人たちの着ている服はどれも高級で着て歩くのを戸惑ってしまう。話に聞くと薬売りや生糸の生産で他の村よりも潤っているようだ。村の人達は皆生き生きしている。

 

「まずは体を清めます。」

 

 そう言われ、二人係で体を清めてもらった。それから用意された巫女服に袖を通した。

 茨木さんや坂上さんと別れてから御影さんという女性に案内されて通されたのは、とても高級な和室だった。旅館を経営していた身としては、これでも綺麗にしているつもりだった。それでもきっと元が違うのだろう。10畳の客間の畳は懐かしい匂いがする。

 数日だ。まだ、あの家を燃やして数日しかたっていないのに、とても懐かしく思う。

 

「あの……。」

 

 居た堪れなさから思わず出てしまった言葉に女性はスッと視線をこちらに向けた。

 

「何か、ございましたか?」

 

 部屋の端で正座をしていた彼女はゆっくりとこちらを見た。

 

「お名前を聞いても、良いですか?」

「御影と申します。飯田様。」

 

 「どうして、私の姓を?」と思わず声に出した。あまりの驚きだったのだ。旅館を経営していたとはいえ、そこまで有名であったつもりはない。それこそ山を越えた先にまで名をとどろかせるような物では無かったはずだ。口を少し開けてぽかんと御影さんを見詰めた。

 

「貴女は、その家紋がどのような意味を持つのかご存じないのですか?」

 

 私は左胸に描かれている家紋を見た。この家紋は母の家の家紋だ。元々父は山窩(さんか)の出だ。姓は持っていなかった。だから、飯田という姓は母親の物だそうだ。ただ、母は早くに亡くなってしまった。だから、私の家系について知る人間はいない。

 私はゆっくりと首を横に振った。

 

「丸に一の字。それは新田氏の流れを組む者が付ける家紋です。」

「新田氏ですか?」

「さようです。我が主、紅葉様は源経基の寵愛を受けておられました。そのため、彼の天皇の御子孫をとても大切になされています。新田氏もまた、清和源氏の流れを継ぐもの。そして新田氏から派生した飯田家は我々にとって特別な家系という事です。」

 

 自身の中に天皇の血がほんの少し流れているかもしれないと、御影さんは言うのだ。何より信じられないのは、自身が源氏だという事だ。確かに、昔起きた幾度かの争いの中で平家は悉く潰されたようだが、それでも士農工商の中で一番下の階級に属していた飯田家が、だ。

 

「で、でも。飯田さんなんて沢山いますよね。」

「我々は彼の陛下の家系図を一人も漏らさず作っております。我々の仕事は紅葉様の日頃のお手伝いと言うよりは、そちらの方が主な仕事です。故に、貴女様は確かに清和天皇の御子孫であらせられます。」

 

 断言されてしまった。悪徳商法にでも引っかかった気分だ。あまりにも呑み込めない状況に私は視線を彷徨わせた。

 

「申し訳ありません。少し、困らせてしまいましたね。紅葉様はどうにも行き過ぎた所があります。貴女様が嫌だと言えば、監視の様な事はもう行われないでしょう。」

 

 これが、鬼なのだと思った。自分勝手で、独善的。紅葉と言う鬼はきっと清和天皇を本当に愛していたのだろう。ただ、それがここまでくるとただの暇つぶしのように思えて仕方がない。理不尽な怒りなのかもしれない。観察をするだけで、父の事を助けてくれなかった。それはきっと父はその清和天皇の血筋でないからだろう。

 

「お茶が冷めてしまいます。どうぞ、お飲みください。」

 

 そう言われたから、湯気が見えなくなってしまったお茶を啜った。ただ、あまりにも気分が悪くて味が分からなかった。

 それから暫く私達の間に会話はなかった。御影さんはその表情からこう言った場になれているらしく、私一人が気まずい雰囲気の中じっと坂上さんや茨木さんが来るのを待っていた。一刻ほど経ってから漸く坂上さんが帰ってきた。

 

「お帰りなさい。」

 

 襖を開け、入ってきた坂上さんに私はそう言った。彼は少し驚いた表情で私を見下ろした。坂上さんの顔を見ると先程までの緊張が解けた。日常が顔を出したような、そんな気分だ。

 

「なんて格好している?」

 

 その言葉はぐさりと心に刺さった。そのままよろけ倒れてしまいそうになるが、そこはぐっとこらえた。ただ、その言葉で私は先ほどまでの嫌な事をすっかり忘れられていた。

 

「えっと……。着物があまりにも汚れていたので、御影さん達が用意して下さったんです。巫女様がたが今着られる物はこれ位しかないと。」

 

 服の袖を掴んで少し引っ張った。「似合いませんか?」とイタズラに尋ねてみると「ふつうだ」と言われた。当の本人は全く気にも留めていないようで、悪戯を仕掛けた私がばかを見た結果となった。

 

「あの、何を話し合われていたのか、聞いても良いですか?」

「気になるか?」

「はい。その、坂上さんが困らないのなら。」

 

 坂上さんは卓袱台を挟んで私の前に座った。それから置いてあった私の飲みかけのお茶を手に取り飲み干してしまった。「あ」と小さな声をを出した時には時すでに遅く、なんだ、と言わんばかりの視線を私に向けられた。

 

「それは飯田様にご用意したお茶でございます。」

 

 そう襖の前に座っていた御影がそう伝えた。その表情は少し不機嫌でじっと睨みつけているようだ。坂上さんは湯飲みを見た後、私の方に視線を向けた。

 

「だ、大丈夫です。でも、冷めて美味しくなかったでしょう。」

「いや、気にならなかった。」

「飯田様、新しい物をご用意いたします。少々お待ちください。」

 

 「お気遣い無く」と言う間もなく、スッと御影さんはいなくなってしまった。坂上さんは気にするような様子は無く、こちらをじっと見ていた。

 

「あの、何をお話になられていたのですか?」

「ああ、鬼の一匹がとち狂った事をしでかしてくれたんでな。その対策会議、というか今後についてだな。」

「何をなさったのですか?」

 

 私の言葉にたっぷりと間が空いた。坂上さんの表情は不機嫌そのもので、その苛立ちのはけ口が見つからないようだった。そしてようやくその口から出てきた言葉が

 

「食い逃げ。」

 

 だった。私はあまりにも意外な言葉に首を傾げてしまった。

 

 

 

 

 

 

 結論は予想はできていた。それは鬼という種族であることが人間に対して何よりも優位であることを示している。彼らにとって人間は考慮すべき問題では無いのだ。

 

「白蛇様がご到着なられました。」

 

 そう襖の奥で声がした。そして入ってきたのは一人の少女。5尺にも満たない身長。真っ白な2本の角に肩で切りそろえられた黒髪。赤い目をした少女は俺達を一瞥した後、誰も座っていない俺の隣にある座布団に座った。

 

「元気そうだな、小林(しょうりん)。」

「嗚呼、阿玖良王。其方も息災でなにより。」

 

 白蛇様と呼ばれている少女の名前は小林と言う。巫女たちは本物の鬼(守神)の魂を穢さない様に名前で呼ぶ事は無い。俺や茨木童子、守神としての側面を持たない酒吞童子の事は名前で呼ぶが、他の鬼の事は必ず濁して呼ぶ。

 

「妾が最後かと思っておったが、鬼童丸や橋姫の姿が見当たらないな。」

「鬼童丸は学校、橋姫は仕事だ。金平鹿は出てこないし、その配下達は当然出て来ない。八瀬童子も同じだ。祭りの準備やらで大忙し。」

頼光(らいこう)は?」

 

 と小林が口にした途端、バンッと大きな音を立てて紅葉が床を叩いた。小林が彼女の方に目を向けると、小さく溜息を零した。

 

「アイツも仕事だ。」

「そう、最近の鬼はおのれの国を作る事も無く、人に従属して過ごすなど。人間に飼いならされるなど……。全く嘆かわしい事だ。」

 

 そう愚痴を零した。それは特に彼女とは気の合わない橋姫に対しての言葉だろう。橋姫と小林は阿玖良王と同じ、生まれた時から鬼だ。小林が人間と鬼の間の子供だとしてもその本質は人間では無い。彼女にとって人間は飼う物である。共存では無く、飼育こそが人との接し方だと考えている。

 

「全員そろったのだ、はじめよう。」

 

 阿玖良王の言葉に小林は口を閉ざした。

 

「では、これよりシュタイン・ドッジの遊女誘拐事件(仕出かしてくれた事)に対する裁判を開始する。」

 

 集まったのは計6匹の鬼。床の間には紅葉。彼女の右手側には俺、小林。左手には茨木童子と阿玖良王。そして紅葉と向かい合うように座っているのは、酒吞童子と誘拐されてきた少女だ。全員では無いが、この人数が揃うのは、珍しい。

 それでも出て来る意見は決まっている。

 

「別にいいんじゃない?」

 

 追われることは面倒だが、その行為についてなんらお咎めを出そうとしない。それは彼らがやはり鬼だからだ。結局、連れてこられた娘のことなど眼中にない。俺はため息を吐き出した。巫女たちによって身を清められているであろうあの少女には同情する。4尺にも満たない身長の少女がいったい何を見せられたのか、考えるだけで当の昔に失くした穴の開いた心が幻肢痛の様に痛む。

 

「女の子とのことは酒呑童子と少女で話をつければいい。それよりも吉原のことはどうする。俺は態々呪われた男(産屋敷)のところに行くのは嫌だからな。」

 

 そう茨木童子が斬り捨てた。そして結局満場一致であの屋敷には行きたくないと皆が言うのだ。

 

「大丈夫、目撃者は居ないよ。見た人全員跡形もないから。」

 

 酒呑童子が言うのだからそうなのだろう。純粋な力比べで酒呑童子に勝つことは誰にも出来はしない。少なくとも人から鬼となった紅葉や茨木童子、俺では絶対に勝てない。阿久良王とて今の狐の姿では潰されるのがオチだ。それほどまでに本物の鬼とは、そこまで一線を画すものだ。

 

「一般人に手を出したのが問題なんだと自覚してくれ。」

「むう。」

 

 俺の言葉に不貞腐れたように唇を突き出した。それを見てげっと頬を引きつらせた紅葉が「可愛くない」と批判した。

 

「彼方さんから連絡が来るまで待ってみるのは?」

「誠実ではないな。」

「なら、阿久良王行ってきてよ。」

 

 提案にダメ出しをくらった茨木童子がビシッと阿久良王を指差した。

 

「大丈夫ですよ。」

「何がだよ。」

「あそこには鬼がいます。そいつがやった事にすればいいのです。」

 

 小林の言葉に全員が発言を止めた。どうせこういう事になるのだと思っていた。鬼にとって人など取るに足らない生物だ。特に生来の鬼である小林や酒吞童子、阿玖良王は人に対する認識が俺達、鬼擬きとは違う。結果、5対1でどこの誰だか知らん人食い鬼に罪をなすり付けることで会議は終了した。

 

「それで、酒吞童子。其方の馴れ初め。聞かせてもらうぞ。」

 

 と、焦りが見え隠れする表情で小林が尋ねた。

 

「ええ、勿論デス。」

 

 会議が終わった途端、いつもの話し方に口調を戻した酒吞童子が答えた。恐らく小林が態々鈴鹿の山から出てきたのはこれが目当てだろう。

 それから巻き起こったのは、所謂野暮な話しだ。紅葉や小林の女性陣はこの手の話が好きだ。参加しなかった橋姫も小林と仲が悪いながらも、そう言った話には首を突っ込みたがる。そしてその話はあの中で唯一所帯を持つ俺にも火の粉が飛んでくるのだ。

 

 

 

 

 

 

「それから産屋敷にその事を伝えて帰ってきたところだ。」

 

 唖然とした表情で鈴香は俺の方を見た。居心地の悪さに俺は顔を背けた。

 

「会議自体はとっとと終わった。長いのそこから始まる女の世間話だ。」

「えっと、ご苦労様です。その、連れて来られた女の子は、どうなるんですか。」

 

 鈴香は不安げな表情で尋ねてきた。。俺は大きなため息を吐き出した。もうこの娘は助からない。死んだ後さえ、酒呑童子の物だ。「手遅れだ」と俺は呟いた。鈴香は不安げな表情でこちらを伺う。

 

「どういう意味ですか?」

「吸血鬼には、魅了(チャーム)という特殊な力を持っている。」

「ちゃーむ……?」

「酒呑童子は吸血鬼という西洋生まれの鬼だ。曰く、彼らの家には招待されなければ決して辿り着けない。ただ、一度見つけてしまえば何度でも来ることができてしまう。」

 

 鈴香は俺の話を真剣な表情で聞いていた。一体、あの短時間で朔という少女と何を話したのか。

 

「吸血鬼はその内、人間が邪な考えを持たないような安全策を取ることができる。それが魅了(チャーム)だ。具体的にいうとその鬼のことが好きになる。」

「それは、凄いですね。解けないんですか?」

 

 首を傾げて彼女は尋ねてきた。

 

「不可能だ。彼らの愛は重い。」

「重い……?」

「嗚呼、人間の魂に穴が空くほどには、な。」

 

 「あ、穴!?」と彼女は驚愕した。思わず胸を抑える。その様子に俺は苦笑いを浮かべた。

 

「好みとは、その魂が持つ形だ。それが変わるということは、魂自体が変質するんだ。その愛の重さによっては、魂に穴が空く。と、鬼たち(あいつら)は表現している。」

 

 「アイツらには魂が見えるらしい。」と言うと鈴香は小さく息を吸った。それから何度も瞬きをした後、ちらりと御影の方を窺った。御影は少し間を開けて

 

「主神としての性質をお持ちの方は、見えるようですが。」

 

 と、彼女の知っている知識を鈴香に伝えた。鈴香は「すごい」と興奮気味に感想を零した。

 

「でも、どうして鬼が人を愛するんですか?」

「そんな事は知らん。俺はあいつらと違って擬きなんでな。ただ、そう言う風な生き物なのかもしれん。」

 

 何とも言えない、と言えば鈴香は妙に納得した顔つきで頷いた。

 俺は未だ夢の中にいる少女を思い浮かべた。平凡な少女だと思う。特別な事情など然程ないのだろう。ただ、言うならば運命だったと言う他ない。酒呑童子が彼女を愛すると決定していたのだ。双方とも逃れる術はなかっただろう。

 

 運命とは、いわば因果の逆転。結果ありきの原因だ。神が関わった物は、すべからくそう言う物だ。力ある物がその結果を望んだから、原因となる事柄が起こる。

 

 人の気配を感じ、閉じられた障子の方に目を向けた。線の細い女の人影が、障子には写っていた。

 

坂上(さかがみ)様。」

「嗚呼、わかった。」

 

 俺が立ち上がると鈴香は不安げにこちらを見た。

 

「紅葉がお前と話がしたいらしい。しばらく席を外す。」

「えっ!? わ、私……。」

「俺にも用事がある。今日は、ここに泊まるといい。明日はまた歩く事になる。」

 

 彼女の返事を聞くことなく、御影は襖を開けた。小さく息を飲む声が聞こえる。それから小さく、「お母さん?」と呟いた。

 

「戯け者め、親を間違うやつがあるか。」

 

 そう言って俺とすれ違い紅葉はスパンと襖を閉めた。俺は未だお辞儀をして体制を直さない巫女に話しかけた。

 

「阿久羅王はどこのいる?」

「白狐様は、鬼童丸様のお迎えに行っております。」

「そうか。鈴香の事、引き続き頼む。」

「承知いたしました。」

 

 俺は鬼童丸を出迎える為に村の入り口へと向かった。




~鬼たちの飲み会 IN 鬼無里村~
茨木「今回も沢山の鬼の名前が出てきたね。」
酒吞「そうデスね。」
紅葉「裁判に出席していなかったのは、橋姫、八瀬童子、金平鹿に鬼童丸。それから、あの人。」
小林「其方、相変わらず頼光の名を呼べんのか?」
紅葉「五月蠅いわよ。仕方がないじゃない。経基様の孫にあたるあの人はどうしても、面影が残っていて。緊張しちゃうの!」
茨木「紅葉姉さんは、相変わらず恋する乙女って感じだね。」
坂上「そのために元の夫を捨てたとんでもない女だけどな。」
小林「源経基の魂に穴をあける為に鬼になったとんでもない女だけどな。」
紅葉「五月蠅い!! もう、そこの親子貴方達と一緒に居るとイライラするわ。御影、御酌をなさい。」
茨木「でも、配偶者を捨てたのはアンタも一緒だろう?」
坂上「否定は出来んな。」
酒吞「そう考えると紅葉と貴方はとても似ていマス。」
坂上「ああ?」
酒吞「だって。」
小林「辞めておきなさい、酒吞童子。過去の恋愛を笑い話に出来ない奴の話など、酒のつまみにもなりはしない。」
坂上「……。」
茨木・酒吞・紅葉「(相変わらず、仲が悪いな。この親子。)」


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第六話 表情は雄弁である

 私は父親の顔を見たことがありません。

 母は私を孕んだ後、父の正室の暗殺を企てたと都を追われた身でした。
私を身篭ったそんな母にあの人が会いに来た。母はあの人から血液を採取し、それを使って惚れ薬を作りました。その性能を確かめるために、赤い液体を1人の少女に売りました。
 その結果、1人の鬼もどきが誕生してしまいました。それは惚れるのではなく、好みを変える(魂に穴を空ける)能力を持った鬼になれる薬でした。
 しかし、母にはそれで十分だったのです。母はその薬を飲みました。そして私は母の腹の中で鬼になってしまったのです。


 どんちゃん騒ぎが聞こえて来る。聞けば、宴会で騒ぐのは酒呑童子という鬼と茨城さんらしい。彼らは仲がいいから歯止めが効かなくなるらしい。御影さんも私の寝具を用意すると忙しそうに部屋を出て行った。

 私もすぐに寝ようと思った。でも、ここまで騒がしいと、楽しそうだと寝る気が起こらない。縁側に出て、柱に寄りかかるように座る。空を見上げると立派な月が雲から顔をのぞかせていた。季節柄なのか、それとも標高の高い山から見ているからなのか。あの家から見ているよりよっぽど大きく見えた。スッ、スッと着物を引き摺る音が聞こえて来た。そちらの方を見ると私は小さく息を吐きだした。

 

「其所な小娘。まだ寝ておらんのか?」

 

 それは可愛らしい声だった。幼さを残した少女の声。でも、言葉はやけに古臭かった。可愛らしい少女が立っていた。4尺ほどの身長の少女はおかっぱに赤い目をしていた。少女が人では無いと額から突き出た長く2本の白い角が雄弁に語っている。重そうな十二単を引き摺りながらこちらに近づいた。

 茨木さんや坂上さんのように見た目が鬼だとわかりづらい方ばかりだった為、正真正銘の鬼というものを改めて見ると息を飲む。何より、彼女の方から流れて来る凍えそうな身を竦めたくなる空気が彼女は鬼だ、神だと告げている。

 

「え、えっと。はい。」

「ふむ、鬼の宴に当てられたか? 特に茨木は楽しげに飲むからな。」

 

 少し年寄り臭い話し方をする少女は、私の隣に座る。私は柱と鬼に挟まれる形となり逃げ場がなくなった。

 

「わ、私は飯田鈴香と言います。」

「妾は坂上田村麻呂が娘、小林。父が其方に迷惑をかけたようじゃのう。」

 

 その言葉に私は首を横に振った。小林さんは手に持っていた瓢箪の栓を抜き、その中身を飲む。匂いからしてお酒だろう。

 

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)さんですか?」

「ん? お前さんは我が父の知り合いではなかったか? ここまで一緒に来たと聞いていたのだが。

坂上俊宗(さかがみとしむね)ってお名前じゃないんですか?」

 

 小林さんは瓢箪を傾けながら、こちらに視線を向けた。私の言葉を聞いてポンと手を叩く。

 

「それは渾名だ。今時、あんな長い名を使う人間はいないからな。」

 

 そうだ、そうだった、と小林さんは1人納得して頷いていた。小林さんは男のような話し方をする人だ。一人称こそ「(わらわ)」と謙った言い方をしているが、その態度はあまりにも尊大だ。神様とは、やはり神々しいものかと思っていた。そう言えば昼間、私に会いに来た紅葉さんも人間味溢れた方だった。

 

「そうなんですね。坂上田村麻呂……。確かに随分と長い名前です。」

 

 聞けば、随分と長生きをしているようで日本古来からあるものには飽き飽きしているらしい。だから外国人である酒呑童子という鬼とはよく飲み合うらしい。

 

「皆さんと飲まなくていいんですか?」

「良い、妾と父の折り合いはあまり良くなくてな。逃げてきた、と言った方が正しいのだ。」

 

 困った、とは思っていないようだ。小林さんの表情は諦めているように見えた。

 でも、と思う。坂上さんはなんやかんやで面倒見の良い人だ。私を見捨てなかった事もそうだが、茨木さんに対しても気に掛けている様子だった。

 

「なあ、小娘よ。我が父と一緒に過ごして何か思う事は無かったか?」

「え? えっと。」

 

 私はここに来るまでの坂上さんを思い返してみた。父を斬り殺して、孤児となった私の面倒を見てくれている。同情したのかもしれない。ただ、私にとってはありがたい事だった。

 私が数日の事を思い返していると、小林さんがぽつりとつぶやいた。

 

「あの男の魂には、穴が空いている。」

 

 穴が空く。それは恐らく昼間聞いた話の事だろう。しかし、私は私が思っている以上に変化の分からないものなのだな、と考えた。確かに多少察しが悪いと思うことはあるが、それはあくまでも個性の範囲だと思っていた。

 

「故にあの男が母以外の女を連れて歩いていると聞いた時、本当に驚いたのだ。何せ、アイツは娘である私さえ、連れ歩いたことなど無いからな。」

 

 小林さんは私と坂上さんとの間に何か特別な事柄があると思っているのだろうか。そんな事あるわけがない。私は人間で、彼は鬼だ。普通の恋愛など起こるはずがない。

 小林さんはぽつりと話し出した。

 

 坂上田村麻呂という男は、元々とある天皇に仕えていたらしい。彼の命令で鈴鹿の山に住み着いた立烏帽子という人を退治するように言われたらしい。その時、一目惚れしたのはお母さんの方。坂上田村麻呂は一目惚れしたお母さんによって魂に穴があけられてしまったそうだ。だからこそ、彼らの恋愛は成り立った。

 そしてとある鬼を殺そうとしたとき、小林さんのお母さんはその鬼に嫁いだそうだ。魂に穴の空いていた坂上田村麻呂はそのまま妻ごと鬼を斬り殺した。

 

 だから小林さんは私のことが心配らしい。まともではない坂上さんが私に何かするのは申し訳がない、という。

 

「私と坂上さんの間には何もありませんよ。」

「知っておる。そんな事を心配しておるのではないわ。」

 

 それから会話が続くことはなかった。私はどうしたものか、と月を見上げた。小林さんは「嘆かわしや」と呟いてから瓢箪の中のお酒を一気に飲み干した。その表情は悲しそうで苦しい。それが伝染したように私の心にも重くのし掛かった。

 何か言った方が良いのだろうか、とあれこれ考えながら私は俯いた。結局、言葉が出てくることはなかった。

 

「嗚呼、月があんなに高く登っておる。ほれ、小童は早う布団に入り。」

 

 促されるままに私は宛てがわれた部屋の襖を開けた。小林さんは私の部屋にまで入ってきて、私が寝ている布団の傍に座る。お酒の匂いが漂う中、私はじっと私を見下ろしてくる小林さんを見上げた。

 

「早う、目を瞑れ。それではいつまでも眠れんだろう。」

 

 なぜ私は、十歳程の少女に寝かしつけられているのだろう、と思いながら言われた通りに目を瞑った。頭の上を何度か行き来する重みを感じながら、意識はゆっくりと落ちていく。

 

「お休みなさい、−−−。」

 

 その言葉に私は「おや、す……。」と言葉は続かずに寝てしまった。

 

「全く儘ならぬ。何が悲しくて、妻殺しなどせねばならなくなったのか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、明朝。御影さんが私の部屋を訪ねてきた。寝ぼけながら彼女の言葉を聞いていた。前着ていた着物と同じ家紋が描かれた着物を用意してくれた。それを身に着けた後、私のもとに食事が運ばれた。私からしたらとても豪華な朝食を食べたころ、私のもとに坂上さんが訪ねてきた。いわれてみれば確かに、坂上さんと小林さんは似ている。昨日であった少女の姿を思いだしながら、目の前の少し不幸そうな顔つきをした彼を見た。

 

「これからいく場所には、前回歩いていった時は1ヶ月半は掛かった。」

「そうなのですね。」

 

 私の言葉に嗚呼、と答えた。そしてそれから昨日のことで御影さんに何か言われたのか自分で持ってきた茶を啜った。彼は本当は炎の呼吸というものが扱える人のもとへと連れていきたかったと私に告げた。

 

「頼光からは、最近良い話を聞かないからな。煉獄に預けるのはやめる事にした。」

「何故、煉獄さんが第一希望だったのですか?」

「お前に一番合う呼吸は炎だと思ったからだ。」

「呼吸、ですか?」

 

 坂上さんは是と答えた。鬼殺隊の皆さんは特殊な呼吸法を身に付ける事で運動能力の向上を図っているそうだ。その中にはいくつかの種類があり、炎の呼吸はその中の一つらしい。私はその話を頷きながら聞いていると茨木さんが乱入してきた。茨木さんはまだお酒を飲んでいるらしく、片手にはちゃぽんと音を立てる瓢箪があった。

 

「ほら、この子だよ。酒吞。」

「茨木、やめておいた方が良いと思いマスよ。大事なお話をしていたみたいデス。」

 

 茨木さんの後ろには背の高い外国人が立っていた。とても高級そうな背広はくたくたになり、きっちりと分けられていたであろう金色の御髪は乱れている。真っ赤な瞳の瞳孔は縦に細く、人間と言うよりは猫のようだ。

 

「何の用だ、茨木童子。」

「いやぁ~、実は鬼童丸が酒吞のお酒(赤ワイン)を持ってくる事になってねぇ~。ほら、随分会ってないから挨拶したいって鬼童丸がさぁ~。」

 

 妙に間延びした喋り方で「しゅてん」と言う人の肩に腕を乗せてそう話す。私は流石にここまで酔っ払った人を見た事が無く、大丈夫なのだろうかと心配しながら茨木さんを見上げているとどこからかハンカチを取り出して「僕の心配をしてくれるのは、鈴香ちゃんだけだよぉ~」と泣きついて来た。お酒は人を可笑しくすると言うが、どうやらそれは鬼にも当てはまっていたようだ。

 

「あの、鬼童丸さんって?」

「そこにいる酒吞童子の息子だ。」

 

 私は外国人さんを見上げた。「初めまして、オジョウサン。」と聞き慣れない強弱の付いた言葉に戸惑いながらも「初めまして」と小さくお辞儀をした。いや、茨木さんのせいでそれがお辞儀になっていたかどうかは怪しい。

 

「挨拶って、ここには阿玖良王が連れて来るんだろう? そう時間は掛からないだろう。」

「うーん、これからお酒買いに行くって言ってたからまだ時間は掛かるよ。ほら、洋物のお店って開くの遅いじゃん。」

 

 私は元々宿屋の手伝いをしていたから早起きには慣れているが、今の時刻は恐らく7時半ごろだ。洋物のお店でなくたって開店はしていないだろう。「待ってやる義理は無い」と坂上さんは冷たく一脚した。茨木さんは「愛されてるね」とニヤニヤしながら言う。坂上さんは大きな溜息を吐きだした。

 

「良いから出て行け、鬼童丸の件は了解した。これ以上邪魔をするな。」

 

 ピリッとした空気に変わる。先程まで笑みを浮かべていた茨木さんもピタリとやめ、じっと坂上さんを見下ろしている。酒吞さんは我関せず、と言った表情でその様子を楽しげに見ているだけだった。いや、細めた瞼の奥の瞳はとても冷たい。

 茨木さんは私の肩に回していた腕を下ろし、にっこりと笑みを浮かべた。

 

「君達一族が一体何を考えているのか分からないけどさ、言わないのはいいよ。別にそこまで興味あるわけじゃ無いからさ。」

 

 茨木さんは「でも」と続けた。

 

「僕は巻き込まないでよ。僕は君達一族の一員じゃないし。巻き込むなら全部説明してからにしてよ。僕、そういう裏切りは嫌いだから。」

 

 茨木さんは自分を鬼に分類されるような物じゃない、と言っていた。確かにそうなのだろう、と思ってしまう。私の中の印象が鬼の条件に当てはまっているのか分からないが、鬼とは恐ろしい物だと思っていた。でも、確かに茨木さんの表情は、人間の様だった。彼は苦しそうで何かを怖がっているような猫の様な威嚇を坂上さんにしているように見えた。何かが怖くてたまらない、とそう言っているように見えた。

 

「嗚呼、分かっている。お前に迷惑はかけない。」

 

 坂上さんはその威嚇に怯える様な素振りは無く、素っ気なく返事をした。苦々しい表情で「本当、」と何か言いかけて茨木さんは部屋から出て行き、ドタドタと大きな足音をたてて廊下を歩いて行った。置いて行かれてしまった酒吞さんはにっこりとこちらに愛想笑いを浮かべて「騒がしくして、ゴメンナサイね」と言って茨木さんの後を追う様に部屋から出て行った。気持ちを切り替えるように大きな溜息を付いた。

 

「さて、どこまで話したんだったか。」

「えっと、前回歩いて1ヶ月半掛かった場所を目指す、と聞きました。」

「嗚呼、そうだった。そこには桑島という男が住んでいる。桑島は雷の呼吸を使う男でな。まあ、見た目は無害な老人だ。良く習え。」

「はい。」

 

 私はそんなに遠くに行くのか、と少しだけワクワクしていた。

 

「茨木童子は着いて来ないだろう。お別れを言って来いよ。」

 

 茨木さんが何故あの町にいたのか分からないが、確かに付いて来る理由は無い。そして先程の様子ならば尚更ついてきたいとは思わないだろう。私は「はい」と答えて茨木さんの後を追いかけた。

 

「あの、茨木童子さんのお部屋ってどこにありますか?」

 

 部屋を出てから途中であった巫女さんに話を聞くと、茨木さんは漸く眠りについたらしい。起こさないでほしいと必死にお願いをされてしまった為、私は来た道を引き返そうと踵を返した。

 

「こんにちは。」

「え、っと。こんにちは。」

 

 私の背後に立っていたのは、女性とも男性とも区別のつかない人だった。5尺5寸ほどの男なら小柄で、女の人なら大柄。丹精な顔つきはいっその事、作りものだと言われた方が納得できるような人だった。黒い髪に赤みがかった瞳。長い髪を一つに結い上げている。

 

「角を落とされたんですか?」

 

 私の言葉にその人は一瞬首を傾げたが、すぐさま意味を理解したのか懐から取り出した扇子で口元を隠し乍らクスクスと笑っていた。ひとしきり笑ったのだろう。細めた目で私を見て「それ程似ていますか?」と尋ねてきた。私は「紅葉さんでは無いのですか?」と言うと、いっそう嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

「鬼女・紅葉は私の母親です。私は経若丸(つねわかまる)と言います。」

「経若丸さん。失礼しました、私は飯田鈴香です。」

「いえいえ。慣れています。私達だってよく似ていると思っていますから。」

 

 いっそ、角を隠した紅葉さんだと言われた方が納得がいくほど彼らはよく似ていた。父親の血は一体何をしているのだろうか? と、疑問符を浮かべたくなるほどだ。

 

「珍しく外から人が来たのだと、弥生が話していたので興味がありまして。今、よろしいですか?」

 

 経若丸さんは目を細めて、私にそう尋ねてきた。私はこくりと小さく頷いてしまった。すると本当に嬉しそうな顔をするものだから、私は彼の表情の意味をはかり知る事が出来なかった。




お疲れ様でした。
1ヶ月に1話しか更新できなくて楽しみにしてくださっている方がいるならば申し訳無いと思います。
資格試験が終わり、少しはペースアップできるかな? と思います。


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第7話 信じると馬鹿を見る

 復讐だったのだろうか。
 私は空を見上げ乍ら、ふと、そう考えてみた。
 私の母は、苛烈な人だ。
 ただ、多くの人が今の母しか知らないから誰も人間だった頃の母を知らない。

 よく言われる。君はお母さんに似ていないね、と。

 父親と言われる人の孫にあった事がある。
 その人と私は似ていない。
 その人は正義感の強い人だった。全然私とは違う。
 私達はいつだって仲間を探している。
 同じ傷を持っている誰かを探し続けている。
 そうでなければ、とても寂しいから。
 


 薄暗い部屋の中には3人の鬼が集まっていた。俺と小林と紅葉だ。昨日の会議とは違い、一段高くなっている場所に座っているのは俺だ。俺達には他の鬼にないつながりがあった。それはとある研究に関する事だった。

 

「それで、紅葉。この前のは何だ? 計画にない、あんな事を。」

 

 俺はそう尋ねた。紅葉は涼しげな表情で「再確認する機会を与えただけよ」と言う。紅葉のいう再確認というのは、おそらく俺が本当に妻である鈴鹿御前を殺すことができるのか、という事なのだろう。

 

「一度も二度も変わらん。余計な事をするな。」

「ごめんなさいね。」

 

 と、投げやりな謝罪を俺にしてきた紅葉。その様子を大きなため息を吐きながらその様子を見ていた。

 

「確認しておくが、茨木童子が藤の家にいたのはお前の差し金では無いだろうな。」

 

 俺の問いに、紅葉は少し間を開けて「違うわ」と答えた。その表情を観察するが、俺にはその言葉が嘘かどうかなどわかる筈もなかった。俺にはこの手の勘は備わっていなかったようだ。茨木童子のように心がわかるわけでもない。

 

「茨木童子の事は本当に私も知らなかったわ。貴方が町にある藤屋敷を確認した時はいなかったの?」

「嗚呼、いなかった。いればすぐに分かる。」

「つまり、疑われているという事じゃろう。仲間外れにされているのではないか、とな。」

 

 茨木童子と紅葉は少し特殊な立ち位置に立っている鬼だ。茨木童子は元々はただの人間の少年であった。当時は顔立ちが綺麗で、隣町の女の子までが彼に告白するなんて状況が普通に起こるほど人気があった。そんな人としての人生を生きていた。

 そんな彼の人生を狂わせた原因を作ったのは、俺達だ。だから、俺達は彼の扱いには気を使っている。

 

「だから、言ったであろう。仲間外れにした時が面倒だ、と。最初から教えてやればよかったのじゃ。」

「あれは、鬼になりきれない。身体の成長に心が付いて行けてない。」

「だから、同じ土俵に立たせない、か? 経験せねば得られぬものもあるだろうに。」

 

 俺は黙った。否、黙らされたと言った方が正しいのかもしれない。紅葉は俺を睨みつける。今更、誰に責任があるなどと、言い争いはしない。お互いに責任があり、茨木童子には一切の責任はない。こちらが巻き込んだのだから責任を持って彼の面倒を見ることは俺たちの共通認識であった。

 

「茨木童子については、これから何か対策をしなければならない。」

「酒呑童子に話すつもりはないのじゃろう?」

 

 紅葉の言葉に小林が確認を取ってくる。酒呑童子は悪戯好きだ。あれは悪鬼そのもので他人の足を引っ張ることを生き甲斐にしているようなものだ。長く生きていると生きているという実感を感じることが難しくなる。だからこそ、人助けに勤しむ阿久良王だったり、研究に没頭する紅葉であったりと何かに集中する鬼が現れる。何かに自分の持っている物を注げるだけの余裕が出て来るのだろう。

 それも所帯を持った事で少しは改善されるかもしれないが。

 

「あれは茨木童子のことを煽るだろう。」

 

 俺の言葉に二人は同意したようにため息を吐き出した。その様子がありありと思い浮かぶのか、どこか遠くを見詰めている。

 

「誰にあれのお守りを任せるか。」

 

 そう紅葉が呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニコニコと可愛らしい笑みを浮かべた経若丸さんは、私の事をよく聞いてきた。今までの生活について彼は興味があるらしい。

 

「私は生まれてこのかたこの里から出たことがありません。だからよく茨木童子さんにはお話を聞くんです。」

 

 「彼は色々な場所を旅していますから」と彼は楽しそうに私に教えてくれた。例えば、西には真っ赤に塗られた鳥居が並ぶ神社があるらしい。天皇陛下が住んでいたとても大きなお城はとても優美らしい。金色に輝く建物の事。冬になっても雪が降らない温かな土地。特に詳しく話してくれるのは、その土地のお酒の事を尋ねると嬉々として答えてくれるそうだ。

 

「そうなんですね。……、あの聞いてもいいですか?」

 

 私の言葉に彼は「ええ、勿論」と答えた。私は先ほど躊躇いながらも茨木さんの事を尋ねた。「茨木さんと坂上さんの関係を」と。経若丸さんは困った顔をして庭の方に目を向けた。

 

「茨木童子さんと坂上殿ですか?」

 

 彼は骨と皮しかないような手を顎に当てて考えだした。

 

「話によれば、茨木童子さんと坂上さんが出会ったのは江戸時代に差し掛かったころです。こうしてみると随分と最近のことですね。」

 

 彼はそう、ふむふむと数回頷く。その仕草が態とらしくて私は一体どんな表情をしたら良いのか、と彼を見上げるだけだった。顔は苦笑いを堪えようとして変な顔になっていることだろう。

 

 彼は茨木童子の出生を話し始めた。

 

 顔が良かった茨木の村に住む少年には、多くの恋文が届いた。茨木童子の母はそんな茨木童子を心配し、神社に預けるようになった。ある日、茨木童子が神社から家に帰った。その時、母が隠していた血染めの恋文を見つけてしまう。何を思ったのか、茨木童子はその赤い血を舐めてしまった。

 

「そしてその血の影響で鬼になってしまったんです。茨木童子です。」

「え、茨木さんは望んで鬼になった訳では無いんですか?」

「はい。そして彼は鬼になった。」

 

 それを舐めてしまったから茨木童子と言う鬼擬きは誕生した。鬼となるために神と契約した契約書の一部を体に宿した眷属の眷属が誕生した。それは当然、最初の者よりは精度が落ちる。

 

「その赤い液体がなんであったのか、私たちは知りません。しかし、母と坂上田村麻呂殿は何か察しているようです。」

 

 そう言えば、紅葉さんは薬師だった。鬼になれる薬を作ることができるのかもしれない。それはまるで、話に聞く鬼無辻無惨のようだった。

 

 経若丸さんは悲しそうな、何とも言い難い表情で俯いた。紅葉さんはそれから鈴鹿の山を出てこの地に流れ着いた。紅葉さんは都に戻る事はできず幾度となく悪事を働いた。その結果、薬の影響だけでなく悪鬼として存在が確立したそうだ。

 

「私には、母がいました。母の元には、外では生きていけない人が集まっていました。だから、孤独を感じた事は無かった。でも、茨木さんはそうじゃない。唐突に人では無くなり、人の世の中では生きて行けなくなった。」

「でも、見た目は人間のままです。」

 

 私は茨木さんを擁護する様にそう言った。その言葉は経若丸さんに対してでは無く、もう会うことは出来ない当時の人達へと向けられたものだった。

 

「そうですね。しかし、鬼は不死では無いが、不老ではある。老いない茨木童子を見て村人は恐ろしく思った。」

 

 私は息を飲んだ。「茨木童子は村八分にあった」と経若丸さんは続けた。私は同情した。可哀想だと思った。だって、彼は何も悪くない。神様の意地悪の様な偶然だった。

 

「そんな時、茨木童子は酒吞童子と出会いました。それから他の鬼も仲間に加わった。でも、彼の心が癒される事は無かった。」

「どうしてですか?」

「彼は、私達は、神の眷族でも神でも、況してや鬼でもありません。潔白()ではいられず、漆黒()にも成りきれない。人の中では傷つけられ、鬼の中では相容れない。だから彼は酒を好むのかもしれません。」

 

 彼が何故その赤い文字を舐めてしまったのかは分からない。しかし、どうして舐めてしまった彼が悪いと責められるだろうか。喉が押しつぶされたような感覚だった。息が辛く、どうしようもない嫌悪感が渦巻く。これは恐らく私の中の正義感が憤りを感じているのだと思う。

 

『馬鹿馬鹿しい』

 

 私の中で彼がそう吐き捨てた。

 

 何もかもを忘れる為にお酒を飲む。しかし、酔いがさめればいつもの苦痛は襲い掛かる。彼は鬼だから常に酔い続ける事は出来ない。どれ程飲んでも、何時かは酔いがさめて現実が彼を苦しめる。

 

「鬼を人間に戻す方法は、無いんですか?」

「坂上田村麻呂殿は元々地獄を訪れた際に、毘沙門天と契約した事で鬼になったと聞きます。善神たられる毘沙門天が坂上田村麻呂殿との契約を取り消せば、私達への影響も無くなるかもしれません。ただ、母がそれを良しとするかは分かりませんが。」

 

 そうだ、少なくとも紅葉さんは鬼になりたくて薬を作ったんだ。それならば、紅葉さんはその状況を良しとしないかもしれない。

 

「それに殺した数だけなら、母よりも茨木童子の方が多いでしょう。」

 

 それは恐らく、坂上さんが毘沙門天と契約を切ったとしても鬼であり続ける可能性の示唆であった。

 

「茨木さんは、人間に戻りたいでしょうか。」

 

 私は隣に座っている彼に答えられない質問をしてしまった。経若丸さんは困った顔で空を見上げた。一方で私は俯いた。敷き詰められた白い小石を眺めながら彼の言葉を待っていた。「少なくとも」と彼は前置きをして

 

「今の人生を気にいっているようには思えません。」

 

 私は彼にお別れを言う事が怖くなった。それはきっと私の我儘で、私の自分勝手な気遣いなのだろう。でも、私は人間でいつか彼をおいて死んでしまう。そんな人と仲良くしても彼が気を病むだけでは無いだろうか。などと自分が彼にとって特別な存在であるかのように考えてしまう。

 難しいと思う。私が考えている以上に人は他人に対して何も思おらず、何も考えていないのだろう。私だって見ず知らずの人間にここまで心を動かされる事は無かっただろう。彼だからこそ、私は心を痛めた。

 しかし、何故だろうか。父が死んだ時、私は悲しくなかった。苦しいとは思わなかったのだ。知っていたからだろうか。覚悟が出来ていたからだろうか。

 

「共に過ごしていた鬼たちも、源頼光に切り殺されてしまいました。」

源頼光(みなもとのよりみつ)さん。」

「はい、彼は時の天皇より酒吞童子一派の討伐を命じられました。」

 

 酒吞童子とは、先程であった金色の髪の青年の事だ。という事は源頼光は討伐を失敗したのだろうか。などと考えていると経若丸さんは、「結果的には討伐は失敗しました」と前置きした。

 

「源頼光は酒吞童子の首を斬り落とす事には成功しました。通常の鬼ならば、この時点で死んでいます。小林様だって、阿玖良王様だって首を斬り落とされれば死んでしまうでしょう。しかし、酒吞童子は死ななかった。」

 

 私は驚きのあまり、「え!?」と大きな声を出した。坂上さんから窺っている話では、普通の鬼は首を斬り落とせば死ぬという事だった。もしや、酒吞童子さんは鬼舞辻という男の鬼では無いのだろうか。などと考えていると「彼は鬼舞辻の鬼ではありません」と教えてくれた。私が場面を見ていないからそう思えるだけで、彼は日光の下を何ともなく歩く事が出来るそうだ。ただ、夜型の生活を送っている為、昼間は寝ている事が多いそうだ。

 

「茨木童子は隙を見て酒吞童子の首を持って逃げました。」

「良く逃げられましたね。」

「実際は、坂上田村麻呂殿が源頼光殿に茨木童子を殺さない様にと頼んでいたようですが。」

「そうなんですか?」

 

 一度も接触していない茨木童子の存在を坂上さんは一体どうやって知っていたのだろうか。その答えは経若丸さんも知らないようで首を横に振った。

 

「それから坂上田村麻呂殿と茨木童子が出会うのは、随分先で江戸時代に突入してからです。茨木童子が吉原で鬼殺隊に目を付けられるまで出会う事は無かった。彼はそれまで自身の身に起こっている事情を知る事が出来なかった。彼の言う裏切りとは、この事を伝えに来なかった事を言っているのかもしれませんね。」

 

 眷族として坂上さんは茨木さんの事を認知していたにもかかわらず、説明をする事は無かった。それは裏切りと言うか、坂上さんの落ち度しかない。

 

「私も一度も説明を受けた事はありません。ただ、母は自覚がありましたから。母伝えに事実を聞いた事があります。」

 

 体の成長は心の成長に追いつかず、随分苦労したらしい。それが当たり前ならば何も苦労する事は無かった。ただ周りと違うという事は本人に不安感を募らせるそうだ。それは心の中に化け物を飼うのと似ているらしい。どうしようもなく暴れ出す劣等感(化け物)との戦い。それを必死に抑え込んだところで、またいつかは暴れだす。

 

「茨木さんは、自分たちは鬼に分類されるような物じゃない、って言ってました。」

「鬼にも複数の定義があります。神に仕える者。神と呼ばれる者。恐ろしい者の総称。人が作り出した鬼の区分は多くあります。その中で我々が当てはまるのは、人ではない者位でしょう。人間の突然変異種(鬼舞辻無惨)とさして変わらないという事です。私達には彼のように眷族を作る力はありませんが。」

 

 それでも、と彼は続けた。

 

「私達は、生きていたいんです。死にたくないんです。だから、常に他人を信じる事など不可能だった。彼が裏切られた、と感じた事があるのなら。信じられる何かを見つけたのでしょう。」

 

 「羨ましいです」と経若丸さんは言う。私は、この里から一歩も出た事が無い彼に「いつか見つかりますよ」などと声をかけることは出来なかった。

 ただ、それは鬼に限った事では無く、私にもそんな人はいないと思い知らされた。



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第八話 これは、誓い。

ただ、生きていたかっただけだった。
朝を見る事が出来ず、誰からも「おはよう」と言ってもらえなくなっても。
生きていたいと思うことは、許されないことなのだろうか。
僕に刃を向けないで。
生きていたいから、殺さなくちゃ。
たくさん、たくさん、殺してきた。
そうしたら、アイツに会った。


 鬼童丸さんという()がこの村を尋ねてくるのにそう時間は掛からなかった。昼前に到着した鬼童丸さんは、すっかり散らかってしまった大広間を見て、巫女さんたちに土下座をしていた場面に私と経若丸さんは遭遇した。彼の父親である酒吞童子さんとはまた違った大きさのある人だった。身長は酒吞童子さんと同じくらいで、でも体はとても大きい。筋骨隆々とはまさに、彼の為のある様な言葉だと私は思った。

 

「こんにちは、鬼童丸。随分と急いだのですね。」

「ん? 嗚呼、経若丸か。まぁ、酒の事となるとどうにも父はせっかちになるからな。」

 

 とても低い声だ。落ち着いていて、聞き心地の良い声だった。しかし、彼は額を畳に擦りつけたままであった。巫女さんも困ったような顔をして視線が鬼童丸さんと経若丸さんを何度も往復している。12、3歳程の少女で紅い袴を履いていないからまだきちんとした巫女さんでは無いのだろう。

 

「鬼童丸、いい加減彼女に仕事をさせてあげて下さい。これでは片付く物も片付きません。」

「む、それもそうだ。では、片付けるのを手伝うとしよう。」

 

 そう言って立ち上がろうとした鬼童丸さんを巫女見習いさんは必至で止めた。彼女達にとって鬼童丸さんは神様である紅葉さんと同じくらいに存在するのだろう。私だって神様に皿洗いなどさせられない。畏敬の念を抱いている彼女達ならば、尚の事だろう。

 大広間から追い出され、ぴしゃりと閉められた襖の前で項垂れている鬼童丸さん(大男)の姿を見ているとなんだか可愛らしく思えた。くすっと少しだけ口元に手を当ててその愛らしい人を見ていると「む」と私の存在に気が付いた鬼童丸さんがこちらを向いた。

 「この人は鬼です」と言われれば、一番納得がいく、誰もが頭の中で一度は思い浮かべる鬼の顔。そんな風な強面の顔つきをした人だった。じっと彼の事を見上げていると、居心地が悪そうに今の時代では珍しい短い髪を乱暴に掻いた。

 

「経若丸、このお嬢さんは?」

 

 顔の彫の深さは似ているが、顔つきは酒吞童子さんと似ていないと思っていたけれど、初対面の私の事を「お嬢さん」と呼んだ。癖などは似ているのかもしれない。

 

「彼女は飯田鈴香さん。坂上田村麻呂殿の客人ですよ。飯田さん、こちらは鬼童丸です。酒吞童子さんにはお会いになりましたか? 彼の息子なのですが。」

「あ、はい。酒吞童子さんには、会いました。初めまして、鬼童丸さん。飯田鈴香です。」

「鬼童丸だ。宜しく頼む。」

 

 第一印象はとても良い人だその強面の顔でなければ、ただの好青年である。その顔はとても緊張しているように見えた。視線は色々な場所を彷徨い、落ち着かない様子だった。彼は私の前に右手を差し出してきた。何だろうとじっとその手を見ていると「外国の挨拶ですよ」と経若丸さんが私に教えてくれた。

 

「相手の手を握るそうです。」

「あ、いや。済まない。父の近くにいるとどうにもこうした癖が付いてしまってな。」

 

 私が彼の手を握り返す前に、彼は手を引っ込めてしまった。少しだけ動かした手が行き場を無くし、それを隠す様に胸元で軽く握った。少しだけ気恥ずかしく、そして目の前の男を恨めしく思ったのだ。襖の近くに置いてあった10本以上の一升瓶を鬼童丸さんは抱えた。

 

「酒吞童子殿の所にご案内しますよ。」

 

 茨木童子さんと酒吞童子さんは同じ部屋に居るだろう、と経若丸さんの言葉に私は大人しく彼について行く事にした。私は私の前を歩く鬼童丸さんを見上げた。そして彼が酒吞童子さんの息子であると言う事は、酒吞童子さんには前妻がいたのだろうか。そんな事を考えていた。新しい後妻として迎えられた朔さんこの事を知っているのだろうか。

 私ならば、あまりいい気はしない。好きな人がいる訳では無いのだが、それでも昔愛していた人がいたのなら少しだけ気になってしまう。どんな時間を過ごしたのか、私の知らないその横顔は何を見ていたのか。

 

―――気にした所で、何も分かりはしないのだがな。

 

 そうなのだ、分かりはしないのだ。そこにいるのはどうしようもない怪物。

 そう、例えば。坂上さんの奥さんはどんな人なのだろうか。鬼なのだろうか。それとも朔さんのようにただの人間なのだろうか。

 そこまで気にして、私は考えるのを止めた。別に私は坂上さんに恋心を抱いている訳では無い。助けてもらったから助けたいだけなのだ。お礼をしたいだけだから。父を解放してくれたお礼をしたいのだ。

 

「学校の方はどうですか?」

「まぁ、寺子屋とは違うな。亜米利加の言葉も習っている。日本にはない言葉の概念を習うのは楽しいな。学友たちとよくその話題で盛り上がる。」

「それはそれは、良いですね。何か喋ってくださいよ。」

 

 楽し気に話す二人は幼馴染の様であった。考え事をしていたせいで会話に入るタイミングを逃してしまったが、それでも小気味良い調子で流れる会話を聞いているだけで微笑ましい。足を運ぶたびにミシミシと木が悲鳴をあげる事を経若丸さんは楽しそうに揶揄っていた。

 外見では、その性質が全く真逆な二人だ。でも、気が合うのだろう。先程、私と話していた時とは違い鬼童丸さんはとても落ち着いており、会話を楽しむ余裕がある。何故彼が私に対してあそこまで固まってしまったのか分からないが、いずれ普通に話してくれるだろう。女嫌いの坂上さんも私とお話してくれるのだから。

 

「ここです。酒吞童子殿。鬼童丸を連れて来ましたよ。」

 

 乱雑に開けられていた襖から興味本位で覗いてみた。酒瓶を抱えた酒吞童子さんがひょっこりと顔を出した。

 

「いやァ、ありがとう鬼童丸。」

「酒癖の悪さは今に始まった事ではありませんから。代金は付けておきました。月末に請求が来ますよ。」

「了解、了解。」

 

 銘柄が違うらしい。鬼童丸さんの腕に抱えられた酒瓶を一つ一つ確認しながらどれを飲もうか迷っているようだった。

 

「おや、オジョウサン。アア、なるほど。茨木童子でしたラ、奥の部屋で一人で飲んでいマス。御酌してあげて下サイ。出発にはまだ時間があるのでショウ?」

 

 彼は奥の襖を指さした。そして私に一本瓶を押し付けた。そして私を急かすのだ。鬼童丸さんも経若丸さんもどうやら止めてはくれないようだ。私は仕方なく、酒瓶が転がった薄暗い部屋を抜けて奥の襖の前に立った。鼻をすする音が微かに聞こえてきており、何だか面倒な雰囲気が醸し出されている。

 深呼吸を一つ。

 覚悟を決めて襖をそっと開けた。中には明かりが無く、薄暗い部屋の中で布団に蹲った茨木童子さんを見つけた。酒のにおいが充満した部屋だった。

 

「あの、茨木さん。」

 

 そう声をかけると彼はゆっくりとこちらを向いた。そして小さく「行くの?」と彼は言った。私が頷いて「はい」と答えると彼は「そう」と苦し気に声を出した。彼は布団から起き上がり、こちらに手招きをした。充血して痛々しい瞳がじっと私を見詰めた。こうしてみるとやはり茨木童子さんは整った顔立ちをしている。

 

「座りなよ。」

 

 彼の言葉に私は従った。彼の前に座り、お酒を注ぐためのお猪口を探した。

 

「坂上田村麻呂はさ、一つの目的を持って今も生きてる。」

 

 茨木は、そう唐突に話しだした。

 

「僕は、あの一族が何を考えているのかさっぱりわからないけどさ。それでも、僕と坂上の中には同じ物が流れているから分かるんだ。」

「茨木さん……?」

「アイツは、自分の奥さんをもう一度蘇らせようとしている。」

 

 坂上さんの奥さんは亡くなっていた。しかし、無くなった人間を生き返らせることなんて出来るのだろうか。

 

「根の国……。まぁ、分かりやすく言うと黄泉から魂を回収して来れた。でも、何かがダメだった。詳しい事は分からないけど、小林が何かを失敗したらしい。それからアイツの奥さんの魂がどうなったのか誰も言わない。」

 

 茨木童子さんは私に「気を付けて」と言った。何に気を付ければ良いのか。話の流れから坂上さんに対してだろうか。それとも鬼の事だろうか。

 

「両方だよ。僕みたいなやつに気を許しちゃう君の事が僕は心配だよ。」

 

 彼はそう言って笑みを浮かべた。それから視線を落として私の肩に手を乗せた。

 

「君がこれから辿る人生は業苦な物だ。でも、ダメだよ。この世の生物全てが、他人ためでは無く自分の為に生きているんだ。君は、飯田鈴香は、坂上田村麻呂の為に生きるんじゃない。いや、君がそうしたいと思うならそれでも良いんだ。でも、気を付けて。あの男は何を考えているのか、分からないから。」

 

 私は何とか絞り出した声で「はい」と言った。とても悲しい事だと思った。鬼とはこういうものなのだろうか。こうして一人になっていくのだろうか。彼らは別に一人でいることを強いられている訳ではないだろうに。茨城童子さんは「行ってらっしゃい」と私を送り出してくれた。私は「行ってきます」とお別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 真っ赤なワインと称した飲み物を酒呑童子は呷りながら先ほどの少女のことを考えていた。普通の娘だ。日本人らしい黒い髪に黒い瞳の、特別目立つ容姿をしている訳でもない。

 

「それで、あの女は何者なんだ?」

 

 酒呑童子はいつものように茨城童子に尋ねた。あのふざけた口調ではない。800年近く日本で過ごしていれば、不便なく日本語を話すことくらいできる。いつもは愛嬌を振りまいているに過ぎない。

 先ほどまで泣きはらしていた茨城童子は酒のせいか笑みを浮かべながらこちらを向いた。酌をする鬼童丸も茨城童子の方に視線を向ける。

 

「さぁ、知らない。本当に知らない。今まであの町には何度か行ったことがあったけど、あの子のことは知らなかった。まぁ、町はずれに住んでいるから仕方ないといえば、仕方ないんだけど。」

 

 酒呑童子は清酒を煽りながら、「食べたいと思わなかったんだよね」と呟いた。その言葉に酒呑童子は同意した。しかし、人間を嗜好品としている彼らは選り好みもあれど人を喰う。食べたいと思わなかったというのも彼の好みに合わなかったといってしまえばそれまでだ。

 確かに酒呑童子自身も彼女のことを食べようとは思わなかった。しかし、それは彼女以上の嗜好品()を手に入れているからであり、彼女に興味が向かなかっただけかもしれない。

 

「確かに、考えさえしなかったな。」

 

 酒呑童子はポツリと呟いた。いつもならそんなことを気にすることもなかっただろう。しかし、そう。あの坂上田村麻呂が連れているという奇怪な状況を受け流せるほど、危機感がないわけではない。

 

「鬼童丸、お前はどう思った?」

 

 酒呑童子は息子である鬼童丸に尋ねた。鬼童丸は口元に手を当てて「ただの人間としか」と答えた。その答えに「そうか」とだけ答え、酒呑童子はワイングラスを鬼童丸のほうへと差し出した。鬼童丸はそこにワインを注いだ。

 

「あの、茨城童子。聞いてもいいですか?」

 

 鬼童丸がおずおずと茨城童子に伺いを立てた。「なぁに?」と茨城童子が笑みを浮かべて聞いてきたえ、鬼童丸が「小林殿は、何を失敗されたのですか?」と尋ねた。

 鬼童丸は小林のことをこの二人よりも知っていた。元々、酒呑童子が孕ませた人間の女性から生まれた鬼童丸は、酒呑童子の宿敵である源頼光のもとで育てられた。ただ鬼を親に持つということで、都で育てるわけにもいかず、小林が管理している常世で生活をしていた経験がある。そのため、鈴鹿の山の事情を、小林の気性をよく知っていた。完璧主義者な彼女が何かを失敗するなど考えられないのだ。

 

「知らないってさっき言った。本当に、何をしようとしていたのか知らないんだ。アイツが根の国に行ったのは、紅葉姉さんが生まれるよりも前の話だよ。当時から生きているのは、小林かアイツか阿久良王か金平鹿位しかいない。」

 

 金平鹿は基本的にあの親子に配下の者を殺されてから穴倉に引きこもって一歩も外に出ていないらしいから情報を持っているとは思えない。それに残りの3人はおしゃべり好きではない。話すことはないだろう。

 

「ただの人間という可能性もあるでしょう。」

 

 鬼童丸は決してあの人間を、飯田鈴香を庇おうと思っているわけではない。ただ、父やその友人があの少女をそこまで危険視しているのか理由がわからなかった。

 

「鬼童丸、覚えておくといい。坂上田村麻呂という男は普通じゃない。鈴鹿御前によって魂に穴が開けられている。彼は最早、鈴鹿御前が死んだあの日から前に進めない。鈴鹿御前を完璧に取り返すためならば現世を壊すことくらい平気でやるかもしれない。」

 

 父親の言葉に鬼童丸は困惑する。そのような思考を持った男にはどうしても思えなかった。鈴鹿の山で何度かであったことがあるあの男はただの無口な思いやりのある男であったからだ。

 

「鈴鹿御前を生き返らせるためにどんな障害があったのかわからない。しかし、あの少女が何らかのカギを握っていると思ったのかもしれない。もしや、依り代にされたのかもしれないぞ。」

 

 まさか、と笑い飛ばすことはできなかった。いくら人の中で育てられ、人の気質を持ち合わせている鬼童丸が若干苦手としている父親の言葉を蔑ろにできるほど彼は若くなかった。経験が知っている。父である酒呑童子は、鬼童丸を大切にしている。

 

 酒呑童子はもう一度あの少女のことを思い出す。凡骨な娘だった。

 今まで現世の管理人として偽物の鬼を殺してきただけの、あの男が到頭動き出した。人間側についてやる義理はない。それはあの男も同じ。ただ、源頼光は人間の側につくだろう。考えて置かなればならない。坂上田村麻呂は身内贔屓だ。その身内の中には、彼が望むまいと茨木童子も含まれる。

 

「何故、彼女にあんな事を言ったのですか? 彼女の人生が苦業となるかなど分からないだろう。」

「わかるよ。鬼なんかと関わるなんて碌な目に合わない。」

 

 彼のいう鬼がこちら側なのか、それとも鬼舞辻の側なのかどちらとしてもそうだろう。酒呑童子はあの少女がこれからどう生きていくのかに興味はない。ただ、あの少女がこちら側に害をなさなければそれでいい。

 

―――私はもう二度と、私のものを奪わせない。

 

 源頼光の時のような過ちは二度と犯すものか。

 

 酒呑童子はそう誓った。



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