【完結】サメ映画をご存じない!? (Wolke)
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XXXX プロローグ

 長い、長い夢を、見ていた気がする。

 

 

       ◇

 

 

「このあとりんりんの家で映画観るんですけど、よかったらみんなで観ませんか?」

 

 はじまりは、あこちゃんの何気ない言葉から。

 

 場所はCiRCLEのスタジオで、Roseliaの練習が終わったときのこと。各々が自分の楽器やシールドを片付けはじめる前に、あこちゃんが友希那さんたちに声をかけたのだ。声をかけられたわたしを除く三人は、三者三様の反応を見せた。

 

「映画? いーじゃんいーじゃん。みんなで観ようよ。そうだ燐子。お菓子とかジュースとか途中で買ってった方がいい?」

 

 いち早く今井さんが反応する。陽だまりのような笑みを浮かべて、あこちゃんの提案に賛同する。

 

「そう、ですね……。用意はしていますが、足りなくなるかもしれません……」

 

「オッケーオッケー☆ じゃあ途中でコンビニでも寄ってから燐子ん家行こっか」

 

 今井さんが取り仕切るように声を出すと、すぐさま「勝手に決めないでください」と氷川さんが今井さんの言葉に待ったをかける。

 

「紗夜はこのあと予定あった?」

 

「あります」

 

「ギター練習以外で?」

 

「……いえ、まあ、ギターの練習ですが───」

 

 セリフを先回りされたことでバツが悪くなったのか、氷川さんは明後日の方向へ顔をそらした。けれど、氷川さんに続くように、友希那さんも声を上げる。

 

「悪いけど、私も遠慮しておくわ。新曲の構想を練りたいの」

 

 予想できていたことではあるが、黙って成り行きを見ていた友希那さんも反対票を投じてしまう。

 

「そうです。映画を観ている暇があるなら、少しでも練習すべきではないですか?」

 

 いつも通りと言えば、いつも通りな光景だった。明確に自分の進むべき道を見据えているからこそ、どこまでも禁欲的に、人によっては自罰的とすら言いかねない練習量をこなしてしまう。そのとても同年代とは思えない精神力の強さには、わたしも見習うべき点が多い。

 

 そんな二人に今井さんは苦笑を浮かべながら応対している。

 

 賛成三で反対二。けれど別に多数決を取っているわけではないのだから、観たい人が勝手に観ればいいだけの話。

 

「えー! 折角なんですからみんなで一緒に観ましょうよー!」

 

 あこちゃんが嘆くように声を出す。

 

 いつもなら、ここで今井さんが「まあまあ」と二人をなだめ、いつの間にか言いくるめていたりするのだが、今日ばかりはいつもと違った。

 

「あ、あの!」

 

 わたしの喉からやや裏返りながらも、大きな声が飛び出したのだ。驚いた、とまでは言わないまでも、物珍しそうな視線がわたしの顔を貫いた。むしろ声量をコントロールできなかったわたし自身がわたしの声に一番驚いていた。不意に注目を集めてしまったことで、かぁっと紅潮しているのが自分でもわかる。

 

「あの……その……えぇっと、ですね───」

 

 先ほどとは打って変わって、今にも消え入りそうな、か細い声しか出てこない。なにか言わなければと焦るほど、捕まえるべき言葉は煙となってわたしの指の間から逃げていく。「あうあう」と言葉にもならない音を垂れ流していると、今井さんがそっとわたしに寄り添ってくる。

 

 ぽん、と今井さんはわたしの肩に手を添えて「大丈夫大丈夫。落ち着いて。ね?」と優しげな声を発した。

 

「は、はい……」

 

 わたしはまたも消え入りそうな声で応じると、心を落ち着けるために深く息を吸って、吐くことを繰り返す。ふとあこちゃんの方を見ると、あこちゃんは胸前で両拳を握り、頑張れ、と自信に溢れた瞳がわたしにエールを送っていた。

 

 友希那さんと氷川さんを見ると、二人とも静かにわたしの言葉を待っていてくれている。焦らなくたっていいことを、わたしはやっと実感できた。慌ただしく動いていた心臓が、少しずつ落ち着きを取り戻す。

 

 そうしてわたしはようやく、つっかえながらではあるものの、先ほどの続きを口にした。

 

「アウトプットの質を高めたいなら、インプットの量を制限すべきではないと思います」

 

 ふむ、と友希那さんはうなずいた。

 

「結局のところ、音楽も絵画も映像作品も、目指している場所は受け手に消えない感動を与えるという一点に尽きると思うんです。完成に至った作品は多くの情熱の上に成り立っているはずですし、媒体に関係なく、その情熱には感化されるべきではないでしょうか?」

 

「その情熱がRoseliaの音楽とは相容れないものだとしても?」

 

「相容れないからこそです。もちろん取り入れるものが多ければ、わたしたちの音楽は広がります。けれど取り入れてはならないものを知ることもまた、わたしたちの音楽を広げると思うんです。完全な無から新しいものを作ったとしても、それは絶対に先駆者がいます。なら、その先駆者の成功と失敗を分析して自分たちの糧にするのが一番賢い方法ではないでしょうか?」

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、ということですね。たしかに白金さんの主張には一理あります。映画なら劇中のシーンを盛り上げるという、バンドミュージックとは違うコンセプトで曲が作られていますし、新しい視点というのも必要でしょうしね」

 

「そうね。───わかったわ、燐子。私たちもお邪魔していいかしら?」

 

「は、はい。よろしくお願いします」

 

 一体何がよろしくなのかは自分でもわからなかったが、ともかくバンドメンバー全員を招くことに成功した。友希那さんも氷川さんも、どちらかと言うと理詰めで動く人なので、得るものがあるとわかればかなりの割り合いで応じてくれるのだ。

 

 そうして話がまとまると、今井さんがからころと笑い声を上げた。

 

「今日のリンコめっちゃ熱いね。なんだろ? 静かに燃えてるっていうの? 目がギラギラしてるっていうか……もうアタシは音楽の話とか関係なく、燐子のオススメが観たくなっちゃった」

 

「そう、でしょうか……? わたしは普通だと思いますけど?」

 

「そうだよリサ姉。りんりんはいつも通りだよ」

 

「うーん? そういうあこもいつもよりギラギラしてる感じがするんだけど───まあいいや。それで、映画って何観るの?」

 

「サメ映画です」

 

「サメ映画だよ」

 

 今井さんの問いかけに、わたしとあこちゃんは声を揃えて答える。

 

 わたしもあこちゃんも特段おかしなことは言っていない。ただ、彼女たちを沼に引きずり込もうと、宇宙の底の底のような深い闇を湛えた瞳でジッと彼女たちを見据えているだけだ。

 

「サメ映画……?」と友希那さんと氷川さんはそれぞれ小首を傾げ、今井さんは「おっと、はやまったか……?」と言いたげに引き攣った笑みを浮かべていた。

 



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XXX1 サメの話をするとしよう

「サメ映画? ごめんなさい。よく知らないのだけど、どういう映画なの?」

 

「『ジョーズ』のようなものでしょうか? ジャンルとしてはパニックホラーで合っていますか?」

 

 らしいというか、さすがというか。友希那さんと氷川さんはそれぞれの知識の欠落を埋めるために言葉を連ねる。知らないことをそのままにしておかないそのスタンスは、やはり同年代の中でも輝かしいものを持っていると思う。

 

「はい……。概ね……その認識で合っています」

 

 彼女たちの知識を充足させるために、わたしは慣れない注釈を付け加えていく。

 

()()()()逃げ場のない海上施設などで人喰い鮫に襲われるモンスターパニック映画になります。氷川さんが仰っていた『ジョーズ』もそうですし、近いところだとジェイソン辺りも同系統の作品です。当然人がサメに食べられるシーンもあるので、スプラッタな場面が続いたりしますが……そこは大丈夫でしょうか……?」

 

「でも怖くはないよね。アメリカの作品だからかな? ホラーって感じじゃなくて、なんていうか、ドーン! バーン! って感じ? あこも観てて身体がビクってしちゃうことはあるけど、怖い? って聞かれると微妙だよね」

 

「そうだね、あこちゃん。『リング』とか『呪怨』みたいなよくわからないものが音もなく忍び寄って来るものじゃなくて、相手がはっきりとサメってわかってるからその辺りの恐怖感は無いよね」

 

 わたしたちがそこまで言うと、友希那さんも氷川さんもおおよそのイメージはついたらしい。簡単にまとめれば、モンスターから逃げながら戦う系の作品なので、類似する作品はいくらでもある。過去に観た何かしらの映画を連想したのだろう。

 

 漠然とこれからわたしたちが観る映画に関して、共通の認識を深めていると、今井さんがおずおずと口を開いた。

 

「すっごく滑らかに喋る燐子にちょっとびっくりしてるけど、二人とも、なんで突然そんなニッチな映画にハマってるの?」

 

「いま流行ってるよ、サメ映画」

 

「流行ってるの!?」

 

「うん。あこたちもネトゲ友だちからオススメされて観始めたし」

 

「NFO───というかネットの界隈では空前のサメブームが到来してますから……」

 

 信じられないというか、信じたくないというか、とてつもなく理解しかねるといった表情を今井さんは浮かべている。

 

 その気持ちはわからなくはないが、わたしもあこちゃんもサメ映画を面白いと思っているし、面白いものは安易に共有していくスタンスを崩すつもりはない。なので何が何でも三人にはサメ映画を見せる所存である。沼に引きずり込める機会があるなら、積極的に活用しなくてはならない。

 

「リサ姉も観ておいた方がいいよ。サメ映画はね、なんていうか、人間の遺伝子に観ないといけないって書き込まれているくらいに観てて馴染むから」

 

「ちょっとあこ~、なんか危ないクスリ勧められてるみたいなんだけど」

 

「実際、中毒性はありますから……」

 

「そうそう! 今日観る予定の映画は一味も二味も違うんだよ! サメを伴った大いなる颶風が矮小な人間を切り裂く中、決して褪せぬ輝きを持った英雄が───」

 

 あこちゃんが意気揚々と喋っている最中に、わたしは他三人の様子を伺う。たしかに当初はその映画を観ようという話だったが、基礎知識が『ジョーズ』で止まっている人たちを引きずり込むにはやや破壊力が高すぎる。もっとソフトランディングを目指すべきだろう。そう考えたわたしはすぐさまあこちゃんの言葉を静止した。

 

「待って。あこちゃん」

 

「なに? りんりん?」

 

「たしかに『シャークネード』シリーズは面白いよ……でも初心者向けじゃないと思う……」

 

「そうかな? 話の筋は大ヒットしてるソシャゲと一緒だよ? 一度滅びた世界を過去の偉人たちと協力して人理修復するんだから、入門にはいいんじゃないの?」

 

「わかるよ……とてもわかる……でもあのシリーズの面白さって、続編が出る度に予算が指数関数的に増えていくところも含んでると思うの……マラソンしない自信が、あこちゃんにある……?」

 

「ない!」

 

「うん。だよね。だから観るとするなら『ディープブルー』、『ロスト・バケーション』、『MEG・ザ・モンスター』あたりが妥当かなって」

 

 なるほど、とあこちゃんはうなずいた。ちなみに『ジョーズ』は原点にして頂点であり、知名度がかなり高いので、あえてここで観る気にはならない。きっとそのうちテレビのロードショーでやるだろう。

 

 最初から最後まで一般受けするクオリティを維持しているとなると、やはり先ほど挙げた三本が候補に上がる。世に出ているサメ映画は数あれど、正直九割近くは面白くない。面白くない作品から面白い要素を見つけられるようになってからが本番なのだが、サメ映画を今日はじめて観る人にそんな玄人向けの楽しみ方を強要するべきではない。

 

 さて、この三本の中からどう絞ろうか、と考え出したところで、友希那さんが口を開いた。

 

「とりあえず、そろそろ片付けはじめないかしら? 燐子の家に行くにしても、早めに移動した方がいいでしょうし」

 

 その鶴の一声でわたしたちはスタジオを去る準備を始める。借りた機材の返却やゴミの処理をテキパキとこなし、CiRCLEを後にした。最寄りの駅から都電荒川線に乗り、一度電車を乗り換えて、わたしの自宅近くの最寄り駅まで移動した。道中コンビニに寄り、お菓子やジュース類を購入する。

 

 そしてわたしは四人を自宅に招き入れた。わたしの部屋へ通すと、すぐにPCのスリープ状態を解除する。最後にシャットダウンしたのはいつだったろう? そろそろ一度再起動しておくべきかな、と考えつつ、わたしはPCに繋がっている外部スピーカーの電源を入れた。ディスプレイ、スピーカーともにそれなりの値段はしているので、映像作品を観る環境は充実しているのだ。

 

 動画再生ソフトを起動し、トリプルディスプレイのひとつが全画面表示となり黒く染まる。あとは帰宅中に決めたブルーレイディスクをセットし、再生ボタンを押すだけ。

 

 あこちゃんたちには椅子やベッド、クッションを渡し、各々の視線を遮らないよう適当に座ってもらっている。すでにいくつかお菓子を開封しているようで、観る準備は万全だ。

 

 そうして───上映を開始する。

 



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XXX2 ただサメばかり。何もない

「さすが。サメ界隈で五指に入るまともさだね」

 

『ディープブルー』のエンドロールが流れている最中に、そうあこちゃんは言った。

 

 あこちゃんの言葉に、わたしは深く頷いた。まったくもってその通りだ。サメの知能の高さを表す演出。水没し、徐々に逃げ場がなくなる海上施設。そして次々とサメの餌食になっていく職員たち。コックつよい。

 

 凡百なサメ映画とは一線を画す緊張感が、物語の終盤まで続いていた。シーンの緩急を作るのが上手く、オチも綺麗に決着が着いていい。爽快感とまでは言わないが、モヤモヤした感情を持て余さないところが、こういった映画の強みのひとつではあるのだろう。

 

「なるほど」

 

 と、氷川さんも頷いている。

 

「いいですよね……?」

 

 わたしが控え目に感想を訊ねると、氷川さんはすぐに同調してくれた。

 

「ええ。とても良かったです。これは現代科学に対して警鐘を鳴らす名作ではないでしょうか。ついこの間も中国で人間の脳発達に関わる遺伝子をサルに移植し、成功したというニュースがありました。たしかに科学の発展を第一に考えるのであれば、そういった倫理的側面は無視するべきなのでしょう。しかし、脳の発達経過を調査する以上、予想外の取り返しがつかない怪物が生まれる危険性だってある。この映画はフィクションでありながら、現実でも起こり得るかもしれない問題を提起しているのですね」

 

「…………」

 

 わたしは安易に相槌を打つことを躊躇った。たしかに映画を観終わった直後は、ちゃんと言葉にできるかは別として、色々と感想を口に出したくなるものだ。けれど、なるほどというか、氷川さんはそういうタイプだったのか。

 

 あこちゃんはきょとんと首を傾げている。あれ? 同じ映画観てましたよね? と言いたげな表情は可愛らしいものであるが、心情的にはわたしもあこちゃん寄りである。サメ映画はそんな高尚な感想を述べ合うテーマ性のある作品じゃないと思います。

 

「うん。けど面白かったよ。ね、友希那」

 

「そうね」

 

 苦笑を漏らしつつも今井さんは好意的な感想を述べて、淡々とではあるが友希那さんも同意する。

 

「ところで、さっきあこが五指に入るまともさとか言ってたけど、やっぱアレなの? サメ映画って……」

 

「……まあ、今日スタジオで名前を出したもの以外は……まともとは言えない、かもしれませんね……」

 

「よくわからないんですが、ちゃんとしていない作品を販売してお金をもらっているということですか?」

 

「違いますよ紗夜さん! サメ映画はちゃんとしてないからいいんですよ!」

 

 あこちゃんの言葉に氷川さんはますますわからないといった顔をする。これはもう直接見てもらった方が早いだろう。ちょうどエンドロールも流れ終わったところだったので、わたしはDVD再生ソフトを閉じ、インターネットブラウザを起動する。そして動画サイトから『シャークネード2』の予告編動画を開いた。ほんの数分で終わる予告編を見終わると、初見の三人は形容し難い表情をしていた。

 

「なに、この───なに?」

 

 代表するかのように友希那さんが口を開いたが、三人の万感の思いが伝わってくる。

 

「これはですね。『シャークネード』といって、竜巻に巻き上げられたサメが空から降ってきて、その脅威と戦う人々をテーマにした作品です」

 

 と、あこちゃんが解説する。正直言って意外なことに、初めに順応したのは氷川さんだった。

 

「ああ。ありましたね、アメリカで。海岸から数十キロは離れた内陸に空から魚が降ってくるという怪奇現象が。実際は、アメリカ史における最大級のハリケーンが到来した際に、海で巻き上げられた魚がそのまま風で飛ばされたという話だったと思います。そのときのエピソードが元になっているんでしょうか?」

 

「そうですよ! サメ映画は史実を元に作ってますから!」

 

 そうだね、あこちゃん。サメ映画はノンフィクションだもんね。

 

 息巻くあこちゃんにわたしも追随したかったが、あまり言い過ぎると、「サメは本来臆病な性格でシャークアタックと呼ばれている現象は滅多に起こりません。ホオジロザメが人喰い鮫であるかのように描かれるのは『ジョーズ』の影響であり、単純な凶暴性ならイタチザメの方が上です」と、割りと本気の指摘を受けてしまいそうなので黙っておく。

 

 実際に氷川さんがそこまで詳しいのかは知らないが、これまでの知識量を鑑みるに、ちゃんとした生物学的知見を兼ね備えていても不思議ではない。

 

 その後も少しばかりサメ映画の布教をし、サメ映画鑑賞会はお開きとなった。

 

 

       ◇

 

 

 その帰り道のことである。

 

 友希那とリサは同じ帰途に着いていた。帰る方向が違っているあこと紗夜とはすでに別れた後だ。

 

 二人の会話は自然と先ほどまで観ていた映画の感想となる。内容はあのシーンが良かった、あそこの演出が良かったなど概ね好意的な意見で占められていた。

 

 けれど、二人にも理解し難い感情が胸の内から湧き上がってくる。ふと、友希那が唐突に立ち止まる。帰宅途中にあるレンタルビデオ店の入り口だった。

 

「ねえ、リサ。あこがスタジオで言ったこと、覚えてる?」

 

「えーっと、どの話?」

 

「サメ映画を観ることは人間のDNAに刻まれているっていう話よ」

 

「あー。言ってたね」

 

「そう。変なのよ。なぜかものすごくサメ映画を観なければいけないという欲求が胸の奥から湧き出してくるの。───ねえ、リサ。付き合ってくれるわよね?」

 

「オッケー☆ 友希那がそう言うなら、借りてこっか」

 

 そうして二人はレンタルビデオ店に入った。

 

 

       ◇

 

 

 氷川紗夜は帰宅後、諸々の課題などを片付けると、リビングへ降り立った。

 

 そうしてテレビと連携している動画配信サービスでサメ映画が観れるかどうかチェックする。

 

 リモコン操作で文字入力をするという慣れない操作に手こずっていると、とてとてと妹の日菜が近づいてくる。

 

「あれ? おねーちゃん、映画観るの?」

 

「ええ。そのつもりだけど」

 

 とりあえず燐子が勧めていた作品を検索しようとしたのだが、タイトルの初めの方で一文字抜けてしまっており、検索には一作品も引っかからない。

 

 カーソル位置を変えようとしたのだが、どうもそういった操作は受け付けないらしく、結局入力した文字をすべて消すのが一番早い方法らしい。扱いづらいインターフェースに苛立っていると「じゃあ、一緒に観てもいい……?」とどこか遠慮気味に日菜が話しかけてくる。

 

「ええ。いいわよ」

 

「えっ!? いいの!?」

 

「いいって言ってるじゃない。まあ、人を選ぶものらしいから嫌ならいいわ」

 

「嫌じゃない! 観る! 観るよ! ……ところで、何観るの?」

 

「サメ映画」

 

 そのときの紗夜は、まるで宇宙の底の底を湛えるかのような深く暗い眼差しをしていた。

 

 

      ◇

 

 

 まるで原初の欲求を思い出したかのように、世界中で静かにサメ映画が流行りつつあった。

 



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XXX3 サメ、襲来

 異変の兆候にいち早く気づく機会があったのはNASAのハッブル望遠鏡を使った研究者であった。

 

 望遠鏡が撮影したデータを画像解析し、現像された遠い宇宙の光景に目を通す。画像データにはガンマ線バーストが写っていた。

 

 ガンマ線バーストとは、まだ不明確な箇所は多いものの、ブラックホールの発生に伴う爆発現象と考えられている。天地開闢たるビックバンを除けば、この宇宙で最も強いエネルギー放出と言われている現象だ。

 

 銀河系の中で言えば、ガンマ線バーストが起こり得るのは数百万年に一度という、稀少と言えば稀少なものだ。しかし、銀河系の外まで観測範囲を広げれば、全天で日に一度観測できるかどうかといった割り合いになる。

 

 発生理由を考えれば珍しいのだが、全宇宙規模で考えるとありふれた現象である。画像データを解析した研究者も写真でならいくらでも見たことがある現象だった。けれど、今しがた望遠鏡から送られてきたデータを解析し、自分がその光景の第一発見者となれば、さすがに高揚を隠すことはできない。

 

「なあおい! ちょっとこれ見てくれよ!」

 

 研究者は弾んだ声のまま、ディスプレイをぐいと回転させ、隣の席に座る同僚へと声をかけた。

 

 同僚は「どうした?」とディスプレイを覗き込み、興奮冷めやらぬ口調でデータ解析が終わったばかりの画像にガンマ線バーストが写っていたことを説明される。

 

「へぇ、やったじゃん。日に一回は地球のどっかで観測されてるとは言え、当たりを引くことなんて早々ないだろう?」

 

「そうなんだよ! いやぁ、自分の手で形にしたものに決定的な瞬間が写ってるとテンション上がるな!」

 

 とはいえ話はそれだけなのだ。研究者は胸の奥が燃えるかのような高揚感を誰かに知ってもらいたかっただけであり、誰かひとりにでも話をしたらそれで満足してしまった。

 

 同僚の時間をこれ以上もらうのもなんだか気が引けて、適当に話を切り上げてディスプレイを元の角度に戻そうとする。そこで同僚が待ったをかけた。同僚は件のガンマ線バーストを指差して、

 

「ここ見てみろよ。なんだか───サメの形に見えないか?」

 

 と言った。

 

 同僚に言われ、研究者も指差されている箇所に注目する。残光の影響なのか、先端は流線型の丸みを帯び、ちょこんと跳ねたように見える光が背びれのように見えなくてもない。とはいえそれはパレイドリア現象の粋を出ないレベルだ。言ってしまえば、雲の形状から動物や物体の形を連想するようなもの。たしかに魚のような形に見えなくもないが、それをサメと直結させるのは偏り過ぎと言うべきか。研究者は苦笑を漏らした。

 

「おいおい。勤務中に呑むんじゃねぇよ。クビになっても知らねぇぞ」

 

「冗談だよ冗談。でもまあ実際そういう風に連想したんだからしょうがないだろ。なんていうか、ロールシャッハテストやったような気分だ」

 

「お前の中でどれだけサメが深く根付いてるのかは知らんけど……まー、流行ってるもんな、サメ映画。よくわかんねぇけど」

 

「そうそう。よくわかんねぇけど流行ってんだよ。実際スゴいぜ、あれ観るとサメに生まれ直したくなる」

 

「───やべーやつじゃん……」

 

 同僚は冗談ともつかない調子で喋るので、研究者は彼の言葉に少しだけ引いた。そんな研究者の心情などお構いなしに、同僚は言葉を続ける。

 

「もしもこれがサメ映画だったら、きっとガンマ線バーストシャークとかタイトルが付くんだぜ」

 

「最強じゃねぇか。俺たちみたいな一介の星オタクも海辺で騒いでるカップルも見境なく食われちまうな」

 

 くだらない戯言に、どちらともなく笑い出す。

 

 さすがにこちらは冗談だとわかったので、研究者も冗談をもって返した。

 

「さて、そろそろ仕事に戻るか」

 

 という言葉を皮切りにして、お互いに仕事を再開した。

 

 結局、異変の兆候を目にしたとしても、それが世界の危機だと判じられる人間など、この地球にはいなかったのだ。

 

 

       ◇

 

 

 実際に異変を察知したのは国際宇宙ステーションの乗組員であった。

 

 とはいえ彼らは正確に異変を察知したわけではない。たとえば国際宇宙ステーションにはキューポラと呼ばれる観測用モジュールが建造されている。これはドッキングした宇宙船を肉眼で確認したり、地球観測所として使われる設備である。

 

 キューポラには六枚の横窓とひとつの天窓があり、全方位の観測を可能としている。そしてちょうどキューポラを利用していた乗組員は見た。横窓の半分が真白に染まるのを。目がくらむほどの光を見た乗組員の視力は永久に失われ、同時に心肺も二度と動き出すことはなかった。

 

 他の乗組員も同様であった。数秒ほど長く苦しんだかの違いがあるだけで、ほとんど即死と言って過言ではない死に様を晒している。また、国際宇宙ステーション自体もすべての機能が故障していた。人間が作った装甲や放射線防護など、去来したモノにとっては障子紙に等しく、生命維持装置を筆頭にあらゆる制御系装置が沈黙した。この瞬間、国際宇宙ステーションはただ宇宙に浮かぶ棺桶と化したのだ。

 

 刹那にも満たない邂逅でこの惨状を作り出した下手人は───ガンマ線バーストシャーク、と呼ぶのが適当であろう。

 

 本来なら、ガンマ線バーストが地球に飛来する確率など無きに等しい。ガンマ線バーストは細いビーム状に太陽が生み出す百億年分のエネルギーが凝縮されており、そのエネルギーは一方向へ直進する。

 

 全宇宙を遊技盤とし、目隠しをしたままビリヤードをするようなものだ。ガンマ線バーストが地球に到達する心配をすることは杞憂であると言って差し支えない。

 

 しかし、ソレには意思があり、物理法則を超越した特性を兼ね備えていた。

 

 ガンマ線バーストシャークは宇宙空間を泳ぐ。その高濃度のエネルギー体は既存の法則など知ったことかとばかりに、サメのように身体をくねらせた。

 

 国際宇宙ステーションに到達してからわずか一秒後。ガンマ線バーストシャークは北極圏から地球へと降臨した。ガンマ線バーストシャークはユーラシア大陸からアフリカ大陸にかけて、まるで何かを探すように地表を舐めると、南極圏から再び宇宙へと帰っていった。それは一秒にも満たない時間だった。一秒にも満たない時間で、地球上の七割近い生命は死に絶えた。

 

 その様子をガンマ線バーストシャークの通り道となった国家ではこのように見えていた。

 

 まず北の空に閃光が走った。日中であるにも関わらず、その激しい閃光に屋外を歩いていた多くの人々が足を止めた。その光はどんどん明るさを増し、最終的には空一面が太陽のように光り輝いた。

 

 あまりの眩しさに人々が目蓋を閉じ、目を手で覆おうとも、すでに網膜は回復不能と診断されるほどに焼け付いていた。その閃光は水爆の爆発を間近で見てしまったのに等しい。

 

 人々は急激に吐き気を催し、その場に崩折れる。これは大量のミュー粒子を一身に浴びたためだ。ミュー粒子とは荷電粒子の一種であり、大気圏の上層部でガンマ線が原子に作用したときに生成される。

 

 平たく言えば、ミュー粒子とは放射線そのものだ。ミュー粒子を浴びた人体は臓器や細胞に甚大なダメージを受け、生きながらにして死んでいく。長くて数分ほど悶え苦しみ、絶命するのだ。

 

 また、ミュー粒子は貫通力の高い物質でもある。一般家屋程度の薄い壁なら簡単に通り抜け、建物内に居る人間にも屋外に居る人間と同等の被害を与えた。例外は無い。

 

 加えて、ガンマ線は原子と原子の結合を破壊する。これは人体に限った話ではない。ガンマ線バーストシャークが大気圏に侵入した際、すでに空気中の原子結合の破壊は行われている。そして原子と原子の結合が破壊された場合、そこには電場が生じるのだ。

 

 その電場から強力な電磁パルスが発生し、あらゆる電子機器をショートさせる。車や電車などの制御系システムは瞬く間に故障する。操縦者がすでに死んでいる可能性も高いが、何かにぶつからない限り走行が止まらないことには変わりない。車の往来があるすべての道路は、事故の見本市に早変わりする。

 

 また、家庭内でも事故は起こる。家電製品がショートした際、国中のすべての製品が大人しく沈黙するだろうか。家屋に電力を供給している電線。それに繋がっている電圧機などが、一切火花を散らさず故障すると断言できるだろうか。火種は山のようにあり、引火しやすいものはそれこそ海のように広がっている。

 

 そしてそれに対処できる人間はすでに死んでいるのだ。

 

 奇跡的にガンマ線バーストシャークの暴威を生き抜くことができた人間がいたとしても、彼らは火災などの二次災害によって命を落とす。逃げる先などどこにもない。

 

 混乱は無かった。恐懼が人々を襲う前に、絶対的な死が国家を覆った。

 

 

       ◇

 

 

 緩やかに異変を察知したのは、アメリカ大陸など、ガンマ線バーストシャークの通り道から反対側にあった大陸の住人たちだ。

 

 ガンマ線バーストシャークが地表を蹂躙したとき、地球の反対側にある大陸ではオーロラが見えていた。本来なら北極圏や南極圏など極域周辺でしか見られない現象が、大陸中で、果ては赤道直下の上空でさえも観測できた。

 

 簡単に言ってしまうと、オーロラとは大気の発光現象である。

 

 太陽風のプラズマが地球の磁力線によって高速で降下し、大気中の原子を励起することによって発光すると考えられている。

 

 プラズマ───つまりは荷電粒子群と電磁場が相互作用し合っている状態のことだ。ガンマ線バーストシャークはただそこにあるだけで荷電粒子たるミュー粒子を撒き散らし、原子間の結合を破壊することにより電磁場を作り出している。

 

 ガンマ線バーストシャークが通過した場所では致死量の十倍以上にもなるミュー粒子が放出されている。しかし地球の裏側ともなれば、その破滅的な影響力でさえも弱まりを見せる。中心部では数秒から数分で億単位の死人を出した死の光でさえも、地球の裏側では万人を楽しませる極光になってしまう。

 

 事実、それは幻想的で美しい光景だった。

 

 緑白色のゆらめきが、赤、紫、黄、桃、と千変万化の顔を見せ、まるで人々をどこか遠いところに誘っているようですらある。空一面がそんな風に変わってしまい、不気味に思う者もいた。けれど突如オーロラが出現した原因などわからないまま、次の異変が訪れたのだ。

 

 ガンマ線バーストシャークは原子間の結合を破壊しながら移動している。結果として電場が生まれ、大気には電荷が無尽蔵に蓄積された状態になっている。蓄積された電荷は、自然と放電という形を取る。この場合の放電とは───雷を指した。

 

 オーロラが輝いていた空が、瞬く間にどす黒い暗雲に覆われた。激しい稲光とともに雷鳴が大陸中に響き渡る。稲光はオーロラに変わって空一面を輝かせ、大陸中に降り注いだ。雨雲が雨粒を落とすような感覚で、雷が大陸全土に落ち続けたのだ。

 

 雷の嵐。そう形容するほかなかった。

 

 逃げ遅れた何万もの人間が雷に打たれて絶命した。山に落ちれば立ちどころに山火事へと姿を変え、工場地帯に落ちればあっという間に火の海に変わった。

 

 上は雷の洪水で、下は火の海。これなーんだ? そう問われて、生き残った人々はようやく理解した。

 

 ───世界の終わりが、やって来たのだ。

 



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XXX4 なあサメだろうおまえ。首置いてけ!! なあ!!

 高まりすぎた蒸気圧を調整するため、断続的に気送管から水蒸気が吐き出される。蒸気が空気に溶ける様を見届ける暇もなく、わたしが手繰る蒸気二輪(スチーム・バイク)は周囲の景色を遥か後方へ置き去りにする。

 

 道路には電気系統が壊れた車両で溢れている。異常に気づけなかったドライバーが多いのか、至るところで玉突き事故が発生していた。周囲には飛び散った車体の破片や、砕けたフロントガラスが散乱している。その破片も間近でよく見れば、強烈な酸性雨によってかなり劣化していることがわかるだろう。今はそんな余裕はないため、路上の障害物を躱すことに専念する。

 

 進むべき先には、乾燥し、腐ることのない死体が点々と転がっている。一年ほど野晒しにされた死体はすっかり干上がり、皮と骨だけの、ミイラ同然の姿になっている。オゾン層が大破したことにより、紫外線が減衰することなく地上へ到達するようになった弊害なのだと聞いた。

 

 弔いたいという気持ちは〈大崩落〉からひと月も経たぬうちにわたしの中から消えてしまった。かつての清浄な世界なら死体を見る機会など早々なかった。しかし今となっては、死体の存在など日常の地続きであり、そこかしこに溢れかえっている。わたしが運転中に亡骸を見て思うことは、ハンドルを取られないように気をつけないと、という一点だけ。

 

 荒廃と汚辱は留まるところを知らない。荒んだのは、わたし自身か。穢れたのは、世界そのものか。はたまた、その両方か。

 

 乾燥した夜気が頬を打つ。ゴーグル越しに見る夜天には、真白に輝く光点がひとつ。花火のように地上から打ち上げられたそれは、一呼吸の間に闇夜へと溶けていった。───照明弾だ。

 

「見えた! 近いよ、りんりん!」

 

 風切り音に負けじと、わたしの耳元であこちゃんが叫ぶ。まだ潤いに満ちている、切羽詰まった声。あこちゃんもタンデムには慣れたもので、重心が分散しないよう片手をわたしの腰に回し、シートとわたしの腰をしっかりと両膝で挟んでいる。わたしは気負いなく蒸気二輪(スチーム・バイク)を加速させた。

 

 首都高速道路四号新宿線を進んだ先。高井戸ICで廃車の隙間を縫いながら一般道へ降りる。さらに風を切りながら突き進むと、蒸気二輪(スチーム・バイク)のヘッドライトはサメに襲われている一団を照らし出した。

 

 ───サメ。

 

 そう。サメだ。人類はすでに、食物連鎖の頂点から退いている。代わりにこの荒れ果てた世界で頂点に君臨したのは、軟骨魚綱板鰓綱に属する魚類たち。いまや地球の覇者は人からサメへ変わっていた。

 

 まるで資金が潤沢なサメ映画。容易く現実を侵したサメたちは息をするように牙を剥く。

 

 サメは神出鬼没であり、海での出現は当然として、砂浜、川、地中、コンクリートジャングルで音もなく現れることが確認されいる。わたしの知るサメならば、きっと砂漠や雪山、果ては宇宙ですら事も無げに生存してしまうのだろう。

 

 最早新種の生命体だ。地球外生命体がサメの形態を真似ていると考えた方が理解に難くない。

 

 わたしの眼前でも、一体どのような揚力が働いているのか、サメは水中を行き来するフォルムのまま宙を泳ぐ。大口を開けたサメは二十名ほどの団体の中に頭を突き入れる。その直後、悲鳴とともに血飛沫が上がった。団体の中には鉈や鍬といった手近な農具で武装している人もいたが、抵抗虚しく、重傷者を出してしまった。

 

「りんりん!」

 

 シュッ、とわたしの真後ろで短く蒸気が吹き出る音が聞こえる。蒸気二輪(スチーム・バイク)に搭載された瞬間沸騰式小型ボイラーが生成する蒸気を別の機械に送り込む音だ。蒸気二輪(スチーム・バイク)のエンジン音に隠れるように、蒸気駆動のモーターが静かに唸る。

 

 直後。わたしに密着していたあこちゃんの重みが消える。あこちゃんは蒸気二輪(スチーム・バイク)のシートを蹴り、宙を舞う。眼前を泳ぐサメに、あこちゃんは手にした蒸気鎖鋸(チェーンソー)を突き入れた。サメの頭が飛ぶ。あこちゃんは空中で器用に体勢を整え、サメの胴体をクッションにして着地した。ぞりぞりとサメの肉がアスファルトで卸され、尾頭付きのなめろうが出来上がる。

 

 その光景を横目に、わたしは避難民らしき一団の傍で蒸気二輪(スチーム・バイク)を停止させた。静止に伴い、解放された蒸気が吹き出る。救急キットを引っ掴んだわたしは、先ほどの悲鳴の主のもとへ駆け寄った。

 

 場に満ちる蒸気と呆気にとられる余所者たちの中をすり抜けると、被害に遭った女性は腕を押さえ、蹲っている。

 

 幸いにも、腕を噛み切られたわけではない。浅くはないが、噛みつかれただけだ。命を捨てるほどではない。わたしは手早く救急キットの中からスプレータイプの止血剤を取り出し、負傷者の傷口に吹き付けた。

 

 わたしが治療行為をしている間に、サメの血を被ったあこちゃんが立ち上がる。頑丈なブーツで地を鳴らし、身にまとったコートをひるがえす。彼女の顔を覆うペストマスクの奥で、宇田川あこの瞳が光る。

 

「妾は死神。死神あこ。混沌満ちる世界にて汝らに終焉をもたらす者。その首──────ああもう! 口上中に攻撃してくるの禁止!」

 

 残念ながら、サメに美学は伝わらない。あこちゃんがまとう血の匂いに惹きつけられたサメが、あこちゃんのセリフを中断させる。邪魔をした報いとして、あこちゃんは差し出されたサメの頭を刎ねた。

 

 けれど、サメの数は一向に減らない。ひとつの群れに襲われているのか、サメはわらわらと集まってくる。応じるように、東京の闇夜に少なくはない蒸気機関の駆動音が谺する。音源へ視線を移すと、首都高や周辺道路でヘッドライトの明かりが列をなしていた。東京近郊を活動拠点としている自警団の到着だ。照明弾を見て行動を始めたのはわたしとあこちゃんだけではない。

 

 サメの数に対抗し、こちらも狩猟者の数が揃う。

 

 一年近く修羅場をくぐり抜けてきた猛者たちを前にして、サメの群れは立ちどころに駆逐された。

 

 最後の一匹を始末すると、狩猟者たちは蒸気鎖鋸(チェーンソー)を掲げて雄叫びを上げる。

 

「チェーンソーは家族だぁあああッッ!!!!」

 

『ォオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!』

 

『Asylum!! Asylum!!』

 

 荒廃した世界でV型8気筒を崇めるように、映画製作会社(アサイラム)の名が讃えられる。血に酔った狩猟者たちの叫び声が夜空に吸い込まれていった。

 

 その間にも、わたしは負傷者に応急手当を施していく。こちらの作業が一段落すると、わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)のクラクションを鳴らし、熱狂に水を差す。こうして区切りを作ってやらねば、この人たちは恐怖心を麻痺させるため、いつまでもサメへの怨嗟で喉を震わせ続けるのだ。

 

 数十もの視線がわたしを刺し貫く。うっ、と少したじろぐも、わたしはすぐに声を張り上げた。

 

「っ、み、みなさん! 日の出が近いです! 居住区に戻られる方は要救護者の運搬をお願いします! あと食料(サメ)の回収を忘れずに! 手すきの方は居住区近くまで彼らの護衛をお願いします! それでは解散してください!」

 

 各々が返事をし、三々五々と散っていく。このわたしが誰かに指示を出す立場になるなんて、きっと〈大崩落〉前のわたしに言っても信じないだろう。

 

「りんりん! お待たせ!」

 

 狩猟者の一団からあこちゃんが戻ってくる。

 

「お疲れさま、あこちゃん。……じゃあ、帰ろうか」

 

 わたしはサメに噛まれた女性と、あこちゃんを蒸気二輪(スチーム・バイク)の後ろに乗せ、居住区に向かって走り出す。

 

 これが今の世界における、わたしたちの日常だった。

 



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XXX5 とかくにサメの世は住みにくい

 夕闇に染まるに世界に、人々は安堵を覚えるようになっていた。忌まわしき太陽が西の地平に消え、藍色にも似た薄闇がわたしたちの輪郭を曖昧にする。影に覆われた世界にこそ、わたしたちの安寧があった。

 

 外套のフードを取る。似合わないサングラスを外し、カチューシャのように頭上へ載せる。最後に顔の下半分を覆っているアフガンストールを取り払った。

 

 外気が素顔に触れる。大きく息を吸った。

 

 たったそれだけで、たまらない解放感を味わえる。なんて窮屈な世界になったのだろう。いつまで窮屈な世界にしがみつかなければならないのだろう。

 

 黄昏時の暗闇が心地よいのは、一寸先が完全な闇であることを隠し通してくれるからか。

 

 わたしと建造物の境目がぼやけるように、あちらとこちらの境界をあやふやにしている間は、絶対的な無がそこまで忍び寄っていることに気づかないフリができるからか。

 

 もうすぐ人類は無に帰る。すでにみんなが気づいている。けれど誰も口にしない。わかりきったことを口にするだけ無駄だからか。言葉という明確なものにした瞬間、現実になると恐れているのか。

 

 もう曖昧であやふやな中にしか、わたしたちの安穏は無いのだろう。

 

 安心に覆われた世界をわたしは歩く。あこちゃんと歩く。ふたり並んで、世界の影に呑まれていく。

 

 あこちゃんは口元を覆うアフガンストールを顎までずらし、花が綻ぶ前の形をした唇を露出させた。ほかはわたしと似たり寄ったりだ。カッコよさだけで選んだサングラスを外套の襟首にぶら下げて、ネコ耳といった遊びが入っているフードはそのまま被っている。

 

 そういえば、とあこちゃんが口を開いた。

 

「今日新しいカレンダーもらったけど、そろそろ一年が経つんだよね」

 

「そうだね……あっという間、だったかな……」

 

 災厄。虐殺。暴食。ラッパが鳴った日。終わりの始まり。あの日をなんと呼ぶのかは人によって様々だが、わたしは〈大崩落〉と呼んでいる。落ちるところまで落ちきった、というニュアンスだ。あこちゃんは終末や審判の日など聖書から引用しようとしていたが、最終的にわたしと同じ呼び方に落ち着いている。

 

〈大崩落〉から一年。ガンマ線バーストシャークの暴威を許してから早一年。毎日を生き延びるのに必死で、過ぎ去った時間の量を掴めない。

 

「それで思い出したんだけどね、新しい元号って結局なんだったのかな?」

 

「──────ああ……あったね、そんな話……」

 

 思い出すのに少しばかり時間がかかった。改号が決定した瞬間は、各地のシステムエンジニアたちが悲鳴を上げていたっけ。Unicodeすらコードを予約するだけしておいて、肝心の文字列は空白のままリリースしていたはずだ。あれだけ世間を騒がしたニュースも遠い昔の出来事であり、日本列島から人類が消えるまで平成の時代は続いていく。

 

 前に進めなくなった人類を置き去りにして、時間だけが進んでいく。

 

 隣を見る。時代に取り残された少女を見る。あこちゃんは腕を組んで、「うーん」と唸りながら考え事に没頭している。

 

 ───あこちゃんは高校生になれなかったんだ。

 

 巴さんを筆頭したAftergrowの顔馴染み、そして友希那さんや今井さんたちと同じ校舎に通う未来を奪われて、彼女はわたしと廃墟と化した街中を歩いている。ほんの少しだけ、運に味方されてしまった薄闇の中を歩いている。

 

「ちょっと気になってきたかも。首相官邸とか入ったらメモとか残ってないかなぁ……」

 

「さすがに、残ってないと思うよ……。あったとしても、ぜんぶ電子データでやり取りしてたんじゃないかな……?」

 

「じゃあもう全部壊れちゃってるね」

 

「うん」

 

「──────」

 

「──────」

 

「──────NFOのデータ……」

 

「つらくなるだけだから、その話はやめよう……?」

 

 死の光とともに降り注いだ電磁パルスが、世界中のあらゆる電子機器を破壊した。例外は電磁パルス攻撃を想定している自衛隊や各国の軍事施設くらいなものだ。けれど発電所そのものが炉を落としているため、もう世界に文明の火が灯ることはないのだろう。

 

 今でこそ蒸気機関が復権し、多少マシにはなったが、一年前は石器時代にまで逆戻りした生活を送っていた。

 

 よく生き延びれたものだと我が事ながら感心する。想像以上の生き汚さに辟易する。わたし自身、わたしがここまでしぶといとは思ってもみなかった。あるいは、こうも強運に恵まれているなんて。

 

「あこたちは運がいいのかな? 悪いのかな?」

 

「運は良いよ……絶対に……」

 

「あこね、今でもたまに自分がどうしてここに立っているかわからなくなるときがあるんだ。変かな?」

 

「ううん。変じゃないよ……わたしなんて、だいたいいつも、そんな感じだよ……」

 

〈大崩落〉の瞬間、わたしとあこちゃんは池袋の映画館に居た。地下上映室で呑気にポップコーンをつまみながら、映画鑑賞へと洒落込んでいた。

 

 貫通力の高い放射線が飛び交う中で地下二階程度の障壁は何の意味も成さない。しかし、ガンマ線バーストシャークは東京からほどよく離れた場所を通り過ぎていった。地球が球体である以上、直径部分に近づくにつれ、宇宙へと逃げる放射線が多くなる。角度の問題だ。地下二階分の気休めがわたしたちを救ったのだろう。

 

 日本海側では〈大崩落〉から一週間も持たず命を落とす人に溢れていたと、東京まで逃げ延びてきた人が言っていた。ギリギリの差だったに違いない。

 

 また、〈大崩落〉直後はまだ電気製品が生きていた。つまり、電車が使えたのだ。わたしたちは映画の感想を述べ合いながら、映画館から東池袋四丁目駅へ向かった。その移動中に激しい雷を伴った黒雲が空を覆った。降り出した雨は土砂降りという言葉すら生温く感じたほどだ。ずぶ濡れにされたわたしを見かねて、あこちゃんからこのまま宇田川家に招待される運びとなった。

 

 池袋からなら、あこちゃんの家が近い。驟雨に打たれたせいか悪寒を感じていたわたしは、遠慮することなく宇田川家にお邪魔することにした。

 

 都電荒川線で早稲田駅まで移動し、宇田川家にお呼ばれする。そこでお風呂を借りた。いまにして思えば、その行為がわたしたちの身体に付着していた放射性物質の過半数を洗い流すことに一役買い、延命の助けになっていたのだろう。

 

 入浴中に停電が起き、日本列島に雷が絶え間なく落ち続けた。東京では特にスカイツリーに集中していたらしい。あまりにも数が多すぎたために、スカイツリーが雷という橋を介して天地を繋いでいるように見えたのだとか。

 

 嵐が一段落すれば、あとはもう知っての通りだ。

 

 世界は───(サメ)に近づく形で変容していた。いま世界では、死というのものは大抵サメの形をしている。

 

「……なんて言うか、居心地が悪いって、言うべきなのかな……?」

 

「わかるわかる。サメ映画に毒されすぎちゃったのか、いまいち緊張感とか持てないんだよね。普通に考えて意味わかんないし!」

 

 口元から八重歯を覗かせてあこちゃんはけらけらと笑った。

 

「うん。それもあるけど……どう言えばいいのかな。わたしたちは普通に、いつも通りの価値観で物事を判断していただけなのに、結果的にそれが最適解だったことがおかしいというか……都合が良すぎるんじゃないかなって───まるで……」

 

 そう、まるで。

 

「わたしたちが生き延びることは最初から決まっていて、本当はわたしたちの意思や決断なんて関係なくて、すべて決められた通りに、全部()()()()物事が進んでるような……そういう、居心地の悪さ……」

 

「えー? りんりんは考えすぎだよ。これを狙ってやってるなんて、本当に神様でもないと無理だよ。それにあこたち以外にも生き残ってる人はいるし、あこたちが特別扱いされてるわけじゃないと思うよ」

 

「うん。そう、だね……考えすぎ、かな……?」

 

 また、曖昧にしようとする。自分が生き残った理由すらも、自分でも他人でもないモノへ押し付けて、明確にすることを恐れている。一度ちゃんとした形にしてしまえば、そこからすべてが壊れてしまいそうな恐怖がある。形があるものはいつか壊れるから。壊れないでいるためにはあやふやなままでいるしかない。

 

「ねぇ、りんりん。あの家なんてちょうどいいんじゃないかな?」

 

 話の流れを断ち切って、あこちゃんが民家を指し示す。三階建てで一階はガレージになっている。見たところ窓も割れておらず、十分家屋としての役割を果たしてくれるだろう。

 

 わたしはあこちゃんの言葉に頷いた。

 

「あの家にしようか」

 

 わたしたちは引っ越しの準備中だった。基本的にわたしたちは宇田川家を住処にしていた。けれど生き残った人々は新宿駅周辺を居住区として使い始めたために、交通機関が動いていない早稲田はやや不便な立地になってしまった。彼らと没交渉のまま生き延びられるほどわたしたちに力はない。なので、新宿駅近くに住処を変えることにしたのだ。蒸気二輪(スチーム・バイク)の燃料節約にもなるし。

 

 わたしはその家の玄関扉をノックする。どうせインターホンは壊れている。押すだけ無駄だろう。ドン! ドン! ドン! と、ノックというよりも拳を打ち付ける音が静謐な夜闇に吸い込まれる。あまりにも静かなため、この一区画には響き渡ったのではないかと思えるほどだ。

 

 反応は何もない。やはり生きている人間は居ないようだった。

 

 わたしはアフガンストールを巻き直し、蒸気二輪(スチーム・バイク)を操縦するときに着けているゴーグルを装着した。あこちゃんも口や鼻、目を覆って防護する。

 

 互いに頷き合うと、わたしは玄関扉を開けた。鍵はかかっていない。鍵をかける余裕もなく逃げたのか。はたまたいつでも逃げ出せるように、あえて鍵はかけていなかったのか。わたしたちには都合が良いのでそのまま土足で上がらせてもらう。

 

 一階には脱衣所と浴室があるだけだった。脱衣所横の階段を登り、三階まで上がる。突き当りのドアから順番に開けていくと、一室で大量の黒蠅が霧のようにわだかまっていた。唸るような羽音にたじろぐも、すぐに部屋に入って、ドアを締める。

 

 黒蠅が銃弾のようにわたしの身体に刺さる中、この部屋にある窓をすべて全開にする。黒蠅たちを追い立てて、重低音の合奏から解放された。部屋には白骨と化した亡骸がひとつ転がっている。屋外にある死体は強すぎる紫外線によって乾燥し、骨と皮だけのミイラになるが、屋内の死体はこうして蛆虫の餌場となる。

 

 ガンマ線バーストシャークの影響を、昆虫はほとんど受けていない。元々昆虫は放射線に強く、ダメージを負ったとしてもすぐに修復してしまうらしい。結果として、虫にたかられた死体は放置され、骨と髪と乾燥したわずかな肉がこびりつく姿を晒すことになる。

 

 わたしは死体が着ている服の肩口部分を掴む。あこちゃんはパンツの裾部分を掴んだ。そして二人で持ち上げると、「せーのっ!」と窓の外へ放り投げた。誰かが懸命に生きた確固たる証だとしても、弔う余裕がわたしには無い。あこちゃんは申し訳無さを感じているのか、窓の外へ向かって手を合わせていた。

 

 その間にも、わたしは室内の惨状を検める。床に染み込んだ腐った体液は完全に乾ききり、もう二度と落ちそうにない。けれども日が当たらないことで微生物も生き延びていたのか、鼻を刺すような腐臭もさして気にはならなかった。かなり長い時間放置されていたらしい。過酷な世界でも生き延びられる大自然の掃除屋たちが、不快な要素を薄めてくれていたようだ。

 

 この部屋は使えないにしても、この家自体は使えるだろう。そこまで判断して、わたしもあこちゃんと同じように手を合わせた。

 

 ───この家はこれからわたしたちが使います。明け渡してくれてありがとう。

 

 死者の安息など一切考えない、身勝手な感謝が心に浮かんだ。

 



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XXX6 サメを永久に回避することはできない

 空いた時間があれば、わたしは手記を書くようになった。日記との区別はついていない。内容によっては業務日誌とすら言える。

 

 日々の出来事を書いて、その所感を書く。ふと思い浮かんだ心証を書いて、そこから連想した、かつてあった会話などを書き記す。

 

 まさに『心に映りゆく由無し事を、そこはかとなく書きつくれば』だ。わたしには兼好法師のように一日中机に向かえるような余裕は無い。それでも文章化という行為は綯い交ぜになった胸の内を整理するのに役立っている。

 

 余暇がどれほど精神の成長を促していたのか、失った今になってわかる。顕著な例を挙げれば『死』や『虚無』について考える時間が圧倒的に少なくなった。死にたいと現実から逃避していたわけではない。ただふとした瞬間、世界に独りで居ることを強く実感したとき、思索の海に溺れた経験は誰にだってあるはずだ。

 

 個人ではどうしようもないこと。答えが出ない問い。無駄に違いないのに、無駄にはならない思考。

 

 そういったものは、すべて貴族の嗜好品なのだと実感する。今日の糧となるひとつのパンを巡って東奔西走する今のわたしでは、とてもケーキにまで手が出せない。

 

〈大崩落〉後の生活は惨憺たるものだ。社会というものがまだ機能しているとしたら、生き残った全員がやるべきことをやらなければ成り立たないほどに。そこには大人や子供といった区分はない。わたしも趣味だった衣装作りが仕事になった。責任を負う立場になった。雑な仕事でできた衣類は、間違いなく落命に繋がる。職業に貴賎無しとは言うが、かつてとは責任の重みが違う。誰かの失態は誰かの命の危機になる。一事が万事、命に関わるのだ。

 

『死』というものは、実にありふれたものになってしまった。

 

 わざわざ考えるまでもなく、そんなものは一歩でも外へ出れば至るところに転がっている。かつての世界が徹底して死穢を目の届かないところに押し込んでいたたけに、現状との落差に眩暈がする。次に屍を晒すのは自分かもしれないと不安が過ぎれば、安穏と考え事に耽る時間など消し飛んでしまう。

 

 それでもどうにかこうにか思索する時間を捻出しているわたしは、変わり者と呼ばれるらしい。

 

 キリのいいところまで筆を進めたところで、私室のドアが控え目にノックされた。

 

「りんりん。まだ起きてる?」

 

「うん。起きてるよ」

 

 あこちゃんの声に応じながら、わたしは椅子から立ち上がる。部屋のドアをそっと開けば、そこには不安げな表情をしたあこちゃんが寝巻姿で立っている。いつも結われているツインテールは解かれて、癖のない長髪が彼女の頬と背を撫でていた。

 

「どうしたの、あこちゃん?」

 

「そろそろ明るくなってきたから、ちゃんと寝ないとダメだよ。りんりん、あこが声かけないとずっと手を動かしてるんだもん。休むときにはちゃんと休むこと! いい?」

 

「うん、わかってるよ……わかってはいるんだけどね……」

 

 わたしには今日のことしか考えられない。明日のことを余裕を持って考えられるようには、わたしには足りていないものが多すぎる。そして足りないものを補うために、自然と睡眠時間を削る生活が続いてしまう。我が身を削ぐような生活習慣をあこちゃんにとても心配されているとわかってはいるのだが、これがなかなか、改めるのが難しい。

 

 自然と、言い訳のような言葉が滲み出る。

 

「りんりん!」

 

 咎めるようなキツい口調。後ろめたさを自覚している分、あこちゃんの言葉はわたしの胸によく響いた。

 

「そんな生活してたらすぐに倒れちゃうんだからね」

 

 あこちゃんはわたしの手を取ると、そのままわたしをベッドの上に押し込めてしまう。

 

「またカーテンに隙間作ってる。まだ日差しが弱い明け方だからって、油断してると癌になっちゃうんだからね!」

 

 言いながら、あこちゃんは窓のカーテンをぴっしりと締め切った。太陽光はいまや殺人光線と化している。ガンマ線バーストシャークによってオゾン層が破壊されたことにより、紫外線が減衰することなく地上へ届くようになったせいだ。素肌を陽に晒せば、ものの数分で炎症反応を起こしてしまう。十数分も当たれば皮膚癌だ。絶命のリスクが高まる日中は、屋内で体力の温存に努めるべきなのだ。人々の生活リズムが昼夜逆転するまで、そう時間はかからなかった。

 

 防音防炎にも優れた頑丈な遮光カーテンが引かれると、部屋の中は途端に薄暗くなる。

 

「折角洋燈(ランプ)をもらったんだから、ちゃんと使おうよ」

 

 あこちゃんが卓上の瓦斯洋燈(ガスランプ)を指して言う。しかし、わたしはそれを積極的に使おうとはしていない。

 

「資源は大切だよ……黒服さんたちの調達能力にも、限界があるだろうし……できる限り節約しないと……」

 

 それに、直前までやっていたのは仕事ではなくライフワークのようなものだから、より一層、資源の浪費に抵抗がある。数分もあれば済んでしまう雑事は、少しだけカーテンを開けて対処するようにしていた。当然、直射日光を浴びないよう細心の注意を払った上でだ。

 

「もう! りんりんの身体の方が大事でしょ! ほんのちょっとの節約のために、りんりんが病気になったら意味無いんだよ?」

 

 そう言われてしまうと立つ瀬がない。真紅の瞳に射竦められ、わたしは弱々しく視線を落とした。もうすっかり、あこちゃんの方が年長者であるかのような塩梅だ。

 

 うだうだと言い訳染みた言葉を並べてしまうわたしとは違い、あこちゃんはとてもしっかりと真っ直ぐに成長している。

 

 わたしに改善するつもりが無いと悟ったのか、あこちゃんは布団の中に潜り込んできた。あこちゃんと同じ布団に包まれている。目前にあるあこちゃんの顔にどぎまぎしていると、腰に手を回された。もう片方の手は探るように布団の中を動き回り、わたしの手と指を絡め合う。さらに互いの顔が近づく。わたしとあこちゃんの鼻先が擦れ合う。

 

「もう、あこにはりんりんしかいないんだよ……?」

 

 吐息のような声がわたしを通り抜けていく。求めるように、わたしたちは触れるだけの淡い口づけを交わした。

 

 荒れた唇は互いに栄養が十分摂れていないことを物語っていた。肌からは瑞々しさが失われ、お互いの手には大小様々な傷跡がある。

 

 不意に、瞳が潤んだ。けれど涙は零さなかった。どうしてこんなことにという悲嘆と、あこちゃんを守れない不甲斐なさが噴出しそうになる。自分の至らなさを認めはする。受け入れもする。しかし、形にはしない。なるようにならかった未来に価値など無いし、そんなものを思いながら生きれるほど、わたしに余裕は残っていない。

 

「ごめんね、あこちゃん。明日からは、ちゃんと洋燈(ランプ)使うよ」

 

「今日はもう寝よう。りんりんが寝るまで、あこも起きてるからね」

 

「……わかったよ、あこちゃん。ちゃんと、寝るから……」

 

「うん。りんりんがぐっすり寝てくれたらあこも安心する」

 

 そこまで言われてようやく、わたしは目蓋を下ろした。

 

「りんりんはがんばってるよ。とっても、とってもがんばってる。だから、休めるときはちゃんと休んで」

 

 わたしの横顔にあこちゃんの手が添えられる。じんわりと伝わる熱が心地よく、一度眠ると決めたわたしの意識は簡単に落ちた。

 

 次に目覚めたとき、外はすっかり暗くなっていた。カーテン越しでもわかる白んだ世界は、夜の帳に覆われている。室内の光量はゼロに等しい。

 

 まとまった睡眠は思考をクリアにしてくれる。眠る前に陥ったうじうじとした気分は、意識できないほどに小さくなっている。

 

 ベッドから起き上がろうと身動ぎすると、わたしのすぐ真横から小さな息遣いが聞こえてきた。目前にある温もりに胸の奥がきゅっとなり、眠気が一瞬で吹き飛んだ。わたしが眠りに落ちるのを見届けたあと、あこちゃんはこのままここで眠ったらしい。なんて寝起きに悪い。いや、良いのだけど。歓迎するけども。

 

 ドキドキと速まる鼓動をなだめ、わたしはベッドから抜け出そうとした。その振動のせいか、ぱちりとあこちゃんの目が開く。膝立ちになりそろそろとベッドから降りようとしていわたしの前で、あこちゃんは身を起こしながら「うーーーん」と大きく伸びをした。

 

「おはよう! りんりん」

 

「おはよう……あこちゃん……」

 

 覚醒して数秒でハキハキとした挨拶があこちゃんの口から飛び出る。寝覚めが良いというわけではない。ただ、就寝中だろうと、外敵からすぐ逃げ出せるように浅い眠りを繰り返す人が増えているのだ。さながら小動物の処世術のように。

 

 わたしはもう憚ることなくベッドを降りる。真っ暗とはいえ自室である。物の配置関係は把握している。わたしは卓上の瓦斯洋燈(ガスランプ)に火を灯した。換気のためにカーテンと窓を開ける。わたしに寄り添うように、あこちゃんが傍らに立った。

 

「夜風が気持ちいい。あっ! 見てりんりん。今日は雲も無いから、星がとってもきれーだよ!」

 

 あこちゃんが空を指す。つられて、わたしもついと視線を上げた。わたしたちの頭上には満点の星空が広がっている。東京の夜空だと言うのに、六等星まではっきりと見える。美しさに偽りはないが、それだけ文明が退化したのだと実感する。

 

「ずっと見ていたくなるけど、身体を冷やさないようにね……」

 

 わたしは窓際から身を引くと、作業机に放られた作りかけの外套を手に取った。そして手動のハンディミシンと一通りのソーイングセットを準備する。

 

「外でももっとカッコイイ服が着れたらいいのにね」

 

 わたしの手元を見ながら、あこちゃんが言う。

 

「そうだね。わたしもRoseliaのライブ衣装みたいなのを作りたいけど……布も時間も、ちょっと足りないかな……」

 

 手元の外套に視線を落とす。フリルやレースのような遊びは一切無い。実用一辺倒の外套は日中での活動も考慮して、表地は白、裏地は黒の生地を使ったフード付きのものだ。

 

「紫外線対策なんだっけ?」

 

「うん。表地の白い生地で紫外線を反射させて、表地を突き抜けてきたものは裏地の黒い生地で吸収するんだよ。そうやって肌に与えるダメージを最小限にするの」

 

 出来上がった外套は、撥水剤に漬け込んでしまう。風雨も凌げるものでなければ、外で活動するには心もとない。

 

「頼まれてた数はできたから、これが乾いたら居住区に行こっか」

 

「わかった。じゃあ、あこは残りが少なくなってるものを確認してくるね」

 

「うん。わたしはガレージに居るから、よろしくね」

 

「任せて!」

 

 干したフカはまだまだあるが、飲み水や瓦斯(ガス)を始めとして、消耗品の残数には気を配らねばならない。いまのわたしたちは大量生産時代の名残を細々と食い潰しているだけに過ぎないのだから。

 

 部屋を飛び出そうとするあこちゃんに瓦斯洋燈(ガスランプ)を持たせ、わたしは暗闇の中を慎重に移動する。ガレージに辿り着くと、わたしはこちらでも瓦斯洋燈(ガスランプ)に火を灯した。

 

 揺らめく炎に照らされて、蒸気二輪(スチーム・バイク)蒸気鎖鋸(チェーンソー)が影を落とす。わたしはガレージに設けられた収納棚からいくつかの工具を取り出すと、それらの点検作業に当たる。

 

 衣類を作る片手間ではあるが、機械工学や物理学の勉強は死ぬ気でやった。電子機器が全滅した際、蒸気機関を蘇らせようという動きがあった。それを知った瞬間から、わたしは我武者羅に知識を詰め込み始めたのだ。脆弱で無力なわたしは、そうでもしなければあこちゃんとともに生きていけないと思ったから。

 

 軍手をはめた手が油で汚れる。

 

 楽器(キーボード)入力機器(キーボード)を叩いていればいいだけの少女時代は、もう───終わったのだ。

 



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XXX7 サメよサメよ何故踊る

「この世は舞台。人はみな役者とシェイクスピア───というか、せたがよく言っていたけど、まさか自分がZ級クソ映画の登場人物になるとはね。わからないものだね――ぇ、人生」

 

 口調に気怠さが滲んでいた。彼女の周りでは、無気力が層を成しているかのよう。覇気を感じない顔つきが浮かべる脱力した笑みは、どこか愛嬌を伴って見るものの心に滑り込む。けれど瓦斯洋燈(ガスランプ)に照らされた活力がない表情は、そのまま幽鬼を思わせた。

 

 居住区として使われているビルの守衛室に彼女は居た。黒髪のポニーテールを揺らし、見慣れたライトカーキのシャツを着ている。着飾るのが面倒と言わんばかりのシンプルな装いは〈大崩落〉を経ても変わっていない。

 

 とぼけたような表情でのほほんとした空気を醸す彼女とは、既知の間柄だ。わたしが人見知りをし損ねた稀有な人物でもある。

 

「お久しぶりです……ええっと───」

 

「呼び方かい? 前と同じように、スタッフさんと呼べばいいじゃないか」

 

 もうCiRCLEは無いんだけどね――ぇ、と彼女は寂しそうに笑った。

 

 新人さん。あるいはスタッフさん。CiRCLEを利用するガールズバンドメンバーから、彼女はそう呼ばれていた。ハキハキと物を言うまりなさんと間延びした喋り方をするスタッフさんの対照的な掛け合いは、一種の名物と言っても過言ではないほどに広く浸透していた。

 

 まりなさんよりもさらに若く、わたしたちと歳が近いせいか。はたまた彼女の矮躯と態度が欠片も威厳を感じさせないせいか。客と従業員という垣根を越えて、友だち付き合いのように接していた人は少なくない。身近な人を挙げれば今井さん。カウンターに座る彼女へ、手ずからお菓子を食べさせていた。さながら親鳥が雛に餌を与えるように。そういうことをしても許される、緩い空気が彼女にはある。

 

「言うほど久しぶりでもないんだけどね。しろかねはこっちに寄り付かないからな――ぁ」

 

「すみません……」

 

 数少ない知人の言葉に、わたしは弱々しく謝罪を返す。事実、顔を合わせる機会はそれなりにあった。けれどお互いに複数の仕事を抱え、忙殺されそうなときに限ってバッティングしていた。会釈したり、手を振ったり、簡単な挨拶を交わすのが精々だった。彼女は居住区での共同生活を受け入れて、わたしはそれを拒絶した。こうして落ち着いて話をするのは初めてになる。

 

 気にすることはない、と彼女は鷹揚に首を振った。

 

「どうだい? しろかねとうだがわ妹なら引く手数多だよ? そろそろ、システムの一部になってみないかい?」

 

「いえ、遠慮しておきます……スタッフさんが惰性じゃなくて、本心から組織に帰属したときに、また誘ってください……」

 

「ふふふ。それは無理な相談だね――ぇ。実際、かなり、この生活が面倒になってきているのだよ。私もバイクに乗って、明日に向かって走り出すときが来たのかな?」

 

 本気か、冗談か、どちらともつかない口振りで彼女は笑う。

 

「今は、何をなさっているんですか……?」

 

「何を、ね。ま――ぁ、色々だよ。建物の清掃、怪我人の治療、蒸気機関に使う部品の製造、飲み水の確保、菜園の管理、遠征先で物資の調達、あとはサメ退治。そして今は見張り番さ。しろかねと同じくらい、手広くやっているね」

 

 彼女はまさに有能な怠け者と呼ぶに相応しい。

 

 会ったときから、要領のいい人ではあった。先ほどわたしが彼女の呼び方に困ったときのように、察しのいい人でもある。ぼさっとした雰囲気とは裏腹に、テキパキと仕事を片付ける姿は、いつも大きなギャップを生んでいた。思えばCiRCLEで最も仕事ができたのは彼女だったかもしれない。まりなさんがかなり楽をできるようになって、納得いかないと愚痴っていた姿を思い出す。

 

 人は独りでは生きていけないというのが、今の社会の常識だ。他者を慈しみ、助け合う精神。人類が種として苦境に立たされているからこそ、相互扶助の関係で切り抜け無くてはならない。

 

 その強引な優しさが息苦しく、わたしは居住区に入ることができなかったのだけれど。それでも、あこちゃんという道連れを欲してしまう程度には、わたしもまた独りでは生きられない人間だ。

 

 けれど、彼女は違う。

 

 真実と虚構。善と悪。生と死。相反する二つの事柄は、彼女の中ですべて等号で結びついている。どちらでも構わないのだ。誰が居ようが、誰が居まいが同じこと。白と黒を混ぜ合わせて灰色を作れてしまう彼女は、誰の助けも必要としていない。のほほんと曖昧な笑みを浮かべながら、彼女は独りで荒野を進める人間だ。

 

「なんだい? なんだか、過剰評価を受けている気がするよ?」

 

「……どうして、スタッフさんはそんなに色々できるようになったんですか? できることが多いと、振られる仕事だって多くなって大変そうです。スタッフさんのスタンスとは合わないんじゃないですか?」

 

 どうでもいいからこそ、人助けだって厭わない。面倒になったらサバっと死のう。そんな人がこの狂った世界で意欲的に物事に取り組む姿は、わたしの目には奇異に映る。

 

「ふふふ。アオハルだね――ぇ。生きる意味に固執するのは、いつだって若者の特権だと思わないかい? ───うん。そうだね。私を参考にするのだけはオススメしないけど、これでも私的には結構モチベーションは高いのさ」

 

「それは、どうしてですか?」

 

「なぜなら私は、遠く海の果てからやってきたスパイだからね。こうして色んな施設に潜り込んで、情報収集を行っている真っ最中なのだよ」

 

「特に、理由は無いということですか……」

 

「いーやホントホント。女スパイ、嘘つかナイ」

 

 本心と嘘を綯い交ぜにしたような笑みを浮かべて、彼女はからころと笑い声を上げた。

 

 悪い人ではないのだけれど、この人が生きていることが、何かの冗談としか思えない。あるいは、冗談のような人だから、こんな世界でも生き延びられるのかもしれなかった。

 

「スタッフ株が落ちてしまったかな? じゃあちょっとくらいは、大人らしいこともしておこうかな」

 

 そうは言うが、彼女は特に仕切り直すような仕草をしない。いつも通り気怠げさを隠さないまま、鋭い言葉を抜き放った。

 

「ねぇしろかね。さっきの質問はそのまましろかねに跳ね返るんだよ? しろかねだって、私と同じくらいには色んな技術を磨いているじゃないか。人付き合いが苦手な癖に、面倒事を押し付けられるリスクを呑んでまで。それは、しろかねのスタンスとは、合わないんじゃないのかな?」

 

 しろかねは、何のために生きてるんだい? と、新人スタッフは言った。この世に執着する価値など無いと達観したような顔をして、その瞳は間違いなくわたしの心を射抜いていた。

 

 それは、貴族の問いだった。思考と時間に余裕のある、上流階級にのみ許される問答だ。生きているから生きているという、歯車になった人間からは終ぞ出てこない答え。

 

 わたしは貴族ではない。日々の糧を手に入れるだけで精一杯だ。けれど同時に考えることをやめたわけでもなかった。わたしは恐れているのだ。とてもではないが、己が正気を保っているとは思えない。死が身近にありすぎて、穢れがまとわりついている。そんな中で、わたしの軸となるものを言葉にしてしまえば、想いすらも歪んでしまいそうではないか。

 

「しろかね。心の奥から湧き上がるものに気づかない振りをして、曖昧なままにし続けていると、結局最後には何も思い出せなくなってしまうよ」

 

 考えることをやめたわけではない。けれどやがてわたしが擦り切れて、何のために考え続けているのか理由が思い出せなくなってしまったとしたら。

 

「わ、わたしは───」

 

 想いが歪むことよりも、そちらの方がとても恐ろしいことではないのか。

 

「あこちゃんを……あこちゃんだけは、死なせない」

 

 そのためなら、わたしはきっと()()()()()やってのけるだろう。歪に捻れてしまいそうなたったひとつの執着を、わたしは〈大崩落〉から初めて声に出した。

 

 言葉という明確な形を受け取った彼女は、穏やかに微笑んでいる。

 

「しろかねの真実(ほんとう)は優しいんだね。大切にしなよ。心も、お姫さまも、ね」

 

 ほら、お姫さまが帰ってきたよ。と、彼女はわたしの背後に視線を向けた。

 

 わたしが振り返ると、幽かな月光の中で小柄な影がこちらに向かって走ってきている。巡回中の警邏隊に顔見知りを見かけて、そちらへ駆け寄ったあこちゃんだ。戻ってきた彼女は、直前まで持っていなかった丈夫そうなケースを手にしている。

 

「りんりん! 見て見て!」

 

 わたしの目前であこちゃんはケースを開いた。中にはチェーンソーの刃が入っていた。

 

「これ、どうしたの?」

 

「もらった! 最近はロックシャークとか属性持ちが増えてるんだって! だからレスキューソーに使われてる超硬刃は持っとけって」

 

「そっか。じゃあ、帰ったら付け替えるね」

 

「うん! お願い」

 

 同時に警邏隊の人へのお礼も考えなくてはならない。彼らとは今の世界で最も仲良くしている団体と言っても過言ではない。彼らは簡単に血に酔うが、人間らしさというものを多分に残している。居住区にひきこもっているだけの人たちとは顔つきが違う。

 

「あ。あとね、この間遠征したときに助けた人たちが居たでしょ。その人がりんりんにお礼を言いたいんだってさ。どうする? 用事も無いし、病院行く?」

 

「……うん。そうだね。あの人たち、東京の外から来てたみたいだったし、外の様子を聞いてみたくはあるかな」

 

 機能している病院は、ここから少ししか離れていない。徒歩でも数分で移動できる距離だ。突発的ではあるが次の予定が決まった。わたしはスタッフさんに向き直る。

 

「すみません。そういうことになったので、そろそろお暇させていただきます」

 

「バイバイ、スタッフさん。また今度お話ししよう」

 

 あこちゃんとスタッフさんが手を振り合う。あこちゃんとともに踵を返したとき、「しろかね」と小さな呟きがわたしの背中に当たった。

 

 振り返ると、彼女はわたしに向かって何らかの小物を放っていた。何かが尾を引いて飛んでくる。わたしは危うげながらも、それを空中で掴み取ることに成功した。掌中に収まったそれは、真鍮製の鍵であった。首にかけれるように、ネックレスのチェーンが付いている。

 

「やっぱり、預かっていてくれないかい? 色々落ち着いたら、また返してもらいに行くからさ」

 

 はぁ、とわたしは曖昧に頷いた。

 

「預かるだけなら、構いませんが。……何の鍵なんですか?」

 

「しろかねの勘は正しい。居住区の連中と一線引くのは間違ってないよ。もう〈弦巻財閥〉はかつての〈弦巻〉じゃないからね――ぇ。付き合い方には十分気を付けないとダメだよ。それはしろかねの大切なものを守ることにつながるからね」

 

 私に言えるのは、この程度さ。と、スタッフさんは言った。彼女はいつものように気怠げな笑みを浮かべている。けれど、その中に何か芯のようなものが通っていると感じた。

 

 彼女が何を隠したのか、何を言いたかったのかはわからない。それでもわたしとあこちゃんの安全を引き合いに出してきたからには、きっとただごとではないのだろう。

 

〈弦巻財閥〉に心を許すな。

 

 その言葉を胸に刻んで、わたしはあこちゃんと夜道を往く。

 



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XXX8 あちこち旅をしてまわっても、サメから逃げることはできない

〈大崩落〉を経て人々の生活様式はガラッと変わってしまった。それ自体はいまさら語るまでもないだろう。

 

 しかし変わってしまったものの中に、わたしでは変化の違いに気づけないものがある。

 

 男女の住み分けだ。今は男性エリアと女性エリアとで明確に線引きが成されている。男性の生活圏と女性の生活圏が極力被らないように配慮されている。接触も必要最低限であり、〈大崩落〉後では色恋沙汰のトラブルはなくなったと言っていい。

 

 すべてはジンクスのせいだ。

 

 俗にリア充と呼ぶべきようなカップルが人目も憚らずにいちゃいちゃしたとしよう。そのカップルはどこからともなく現れたサメの餌食になって死ぬ。大概は死ぬ。サメは空気が読めないやつやリアルが充実しているやつが大好きなのだ。彼らの嗅覚は侮れない。

 

 大恋愛を成就させるのは勝手だが、命を危険に晒してまでその道を往く猛者は早々居ない。

 

 重要なのは死なないこと。そのためのリスク回避。男女ともに異性を避けるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 

 例外は警邏隊くらいなものだ。彼らは食料調達のために肉欲を満たすくらいは平気でする。基本的にまともな人間性を残した善人ではあるが、如何せん獣性が強い。その中へあこちゃんをひとりで向かわせることなどできるはずもなく、わたしはいつも彼女に付き添って死地へ赴いている。

 

 わたしに限って言えば、むしろ男性との関わりは増えたくらいだ。しかし、丸一日異性の姿を見ない日が続くのは奇妙な感じがする。と、目前の彼女は言った。その感覚は女子校に通っていたわたしには実感しづらい。

 

「信州じゃ、そんな配慮なんて無かったわ」

 

 遥々長野から逃れてきた彼女は言う。

 

「あそこじゃみんな何かに飢えていた。食べ物だったり、つながりだったり。即物的なものも、精神的なものも、何もかも、奪うか、奪われるかしかなかったから」

 

 だから、こんな風に見る人全員が穏やかな表情をしているのはとても不思議よ。と、彼女は言った。

 

 病院のベッドに腰かけた彼女は、緩慢に辺りを見回す。元は四人部屋だった。ほかの病院から運んできたベッドを押し込んで、収容人数を増やしている。医者の数が限られる以上、患者の分散は避けたかった。病室には彼女と同じように怪我人や病人が詰め込まれている。その中のひとりにわたしとあこちゃんは会いに来ていた。

 

 散切りにされた黒髪。例に漏れず痩せ細った肢体。腕には痛々しく包帯が巻かれ、未だに血が滲んでいる。その女性の瞳には、ひりつくような冷たさが宿っていた。安穏と安全圏に引き篭もっている人間には無い、殺伐とした色だ。

 

 病室のドアは開け放たれていた。そこからは忙しなく動き回る看護師や院内を徘徊する患者たちの往来が見える。窓からは中庭が見下ろせた。芝や樹木が植えられていたであろう中庭は、すっかり荒涼としてしまっている。月明りだけでも、剥き出しになった地面が見えた。

 

 ガンマ線バーストシャークの襲来は地球から緑を奪いつつある。そして倫理や道徳など人と人の間にあったはずのものすら奪い取り、剥き出しの欲求が曝け出されている。

 

「何か育てようとはしなかったの? あこたちも最初はお役所が管理してた災害用の非常食を食べてたけど、だんだんじゃがいもとか、きゅうりとか、簡単に育てられそうなのは育てていこうって話になったよ」

 

「野菜やお米を作ろうって動きは、何度かあった。ジリ貧なのはみんなわかってたから。でも、結局全部失敗した。大抵、実る前に枯れちゃうんだよね」

 

「それって、酸性雨のせい、だよね……?」

 

 言い切るだけの自信が無かったのか、あこちゃんはわたしに視線を向ける。あこちゃんの説明を引き継いで、わたしは現状における環境問題を述べた。

 

「ガンマ線バーストシャークが大量の窒素分子を分解し、二酸化窒素を生成しました。それが空気中の水分に溶け込んで、雨滴が酸性を帯びるんです。建物の腐食は早まりますし、植物は枯れます。土壌の金属と反応した雨水が飲み水に混ざれば、人体にも悪影響を与えます。

 まあ、ほかにもオゾン層が破壊されたことによる強すぎる紫外線や寒冷化といった要因もありますが……。

 わたしたちも野菜を作ってはいますが……あくまでホームセンターから土や肥料を持ってきて、体育館なんかに敷き詰めたものを菜園と呼んでいます。下手に屋外で育てようとすると簡単に枯れますし、なによりわたしたちも死ぬので……」

 

 一歩間違えば、食料どころか飲み水を奪い合う争いすらも起こっていたかもしれない。

 

 東京では、溜まった雨水に灰を混ぜて濾過することで中和を行っている。その上でボイラーを使って蒸留するという徹底ぶりだ。やはり東京の内と外では大きな開きができている。原因は明白だ。〈弦巻財閥〉の庇護下か否か。ここに来る直前に、新人スタッフさんから受けた警句が脳裏をよぎる。

 

「こっちにはそんな風に説明してくれる人は居なかったな。文明と呼べるようなものは残らなかった。全部祟りだとかのせいになってね。もう何をやっても助からないって空気ができてしまったら、どうしようもなかったな。ただただ享楽的に最期を迎えようとする人間を止められるわけもないし。

 逆に理性を残している連中はほとんど〈星の智慧派〉とかいうヤバい宗教団体に連れてかれたし。

 私は比較的まともそうなのと、山の中でたまたま自生してた植物や木の根っこを齧りながらどうにかこうにか食いつなぐのでいっぱいいっぱいだった」

 

「下手に文明人を気取られるのも、それはそれで色々ありましたけどね……」

 

「へぇ。例えば?」

 

「……ざっくり言ってしまうと、今の世の中で残留放射線量が規定値に収まってるものなんてないんですよ。なのにそれがわかった途端、騒ぎ立てる人たちがいて」

 

「あれは酷かったよね。こんなもの食べられるかーって非常食の缶詰とか乾パンとかをまとめて捨てようとして」

 

 それを聞くと、目前の女性は冷笑を浮かべた。会ったこともない人間に向けて侮蔑の色を露にする。

 

 失敗したとわたしは少しだけ後悔した。わたしたちよりも過酷に日々を食いつないできた人に対して振る話題ではなかった。

 

「それで、その人たちをどうしたの?」

 

「さあ? 特に話は聞いてないよね?」

 

 と、あこちゃんは答えた。

 

「……静かにはなったので、宗旨替えしたんだとは思います。あるいは───」

 

 死んでしまったか、だ。主義を貫いた結果なのか、サメの餌になったのかはわからないけれど。

 

「大変さの質が違うだけで、どこもかしこもって感じね」

 

 不意に、彼女が顔を手で覆った。手の隙間から疲れきった吐息が漏れる。

 

「大丈夫?」

 

 あこちゃんが尋ねる。彼女は悪くなった顔色で「少し夜風に当たってくるわ」と言った。彼女は唯一の私物となったハンドバックを手に取って、立ち上がろうとする。ベッドとベッドの隙間はとても狭くなっているため、わたしとあこちゃんも立ち上がって道を譲った。

 

「……では、わたしたちはここでお暇させていただきますね」

 

「今日は来てくれてありがとう。この間はサメから助けてくれてありがとうね。重ねて、お礼を言うわ」

 

「じゃーねー! お姉さん! お大事に!」

 

 口々に別れの言葉を交わし合う。ふらふらとしている彼女の背中を心配げに見送りながらも、わたしたちは彼女とは反対方向に進んでいく。

 

 病院から出るところで、意外な人物と遭遇した。わたしたちの前に立った彼女はぴちりと一礼する。

 

「これは白金様。宇田川様。ご壮健でなによりです」

 

 黒服さんだ。

 



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XXX9 おれも狂ってるし、サメも狂ってる

 黒髪を垂らし、夜中だというのにサングラスをかけ、パンツスーツに身を包む。記憶と何も変わらない立ち姿。ただ一点異なるとすれば、彼女たちが全員薄ら寒い笑みを貼り付けるようになったということ。その笑みはわたしに生理的嫌悪を催させる。わたしはかつての彼女たちの総数を知らない。いま何人生き残っているかも知らない。全員と顔を合わせたわけではないが、黒服さんとして会う人は、皆判を押したように笑っている。例外は未だ見たことがない。

 

 個人と言うよりも群体。

 

 群体と言うよりも組織。

 

 組織と言うよりも機構。

 

 徐々に人間味を無くしていく彼女たちの統治は、音もなく忍び寄る宇宙人の侵略のようだ。

 

 そしてその笑みは伝播する。居住区に住む人間は黒服さんたちの影響を受けたのか、常に空虚な笑みを浮かべて毎日を過ごしている。

 

 わたしが居住区に寄りつかない理由であり、新人スタッフさんからの警句を素直に受け取った理由でもある。

 

 不意に夜風がわたしの頬を打った。風に遊ばれる髪を押さえ、わたしは不信感を引っ込める。

 

「……こんばんは。病院にご用ですか?」

 

「はい。先日、長野から逃げてきた女性に会いに来ました」

 

「あっ、その人ならいま部屋に居ないよ。さっきあこたちと話してたんだけど、気分が悪くなったみたいで夜風に当たるって言ってた」

 

「ふむ……。ありがとうございます、宇田川様。では、院内を回りながら探してみようと思います」

 

「急いでるならあこたちも手伝おうか? あこたちはもう帰るだけだから。ね、いいよねりんりん」

 

「うん。いいよあこちゃん」

 

「そうですか。ではお願いします。急を要するわけではないのですが、優先順位が低いわけではないので」

 

 やはり黒服さんたちも外の様子は気になるのだろうか。懐かしき女子高生時代では、彼女たちは常に裏方に回って動いていた。けれど表立ったいま、こうして直接的に頼み事をしてくる機会が増えている。〈弦巻財閥〉の衰退を如実に表していた。

 

 わたしたちは別れを告げたばかりの彼女を探しに、再び院内へ舞い戻った。彼女の病室の前まで、黒服さんを伴って移動する。

 

「さっきはここで別れたんだ。向こうの方に歩いて行ったの」

 

 あこちゃんが通路の先を指さした。先ほどとは異なり逆路を進む。通路沿いの病室をちらっと覗くが、彼女の影はどこにもない。やがてわたしたちは廊下の突き当り、非常階段へ続くドアの前まで辿り着いた。黒服さんがドアを開ける。

 

「それでは私は上へ向かってみます。お二人は下へ。見つからなければ、そのままお帰りになってください」

 

「うん。わかったよ」

 

「あの……合図のようなものはどうしましょうか? 居なかったとしてもそのまま帰るわけには……」

 

 すると、彼女はどこからともなく手のひら大のハンドベルを取り出した。

 

「見つけたら一回、居なければ二回、これを鳴らすというのは如何でしょうか」

 

「わかりました。ベルは……階段を降りたところに置いておきます」

 

 そして黒服さんとは別れ、わたしたちは階段を下る。

 

「あこちゃん……滑らないように気を付けてね」

 

 非常階段は建物の外壁に沿って設置されている。風雨に晒された非常階段は、塗装があちこち剥げており、至るところに錆が浮き上がっている。階段の手すりを掴めば、手には赤茶けた粉末が付着した。かつんかつんと二人分の足音を響かせながら、わたしたちは地上に降り立った。

 

「下には居なかったみたいだね」

 

「そう、みたいだね。あこちゃん」

 

「どうするりんりん。もうちょっとこの辺見てからベル鳴らす?」

 

「……建物の陰くらいは確認しよっか」

 

 そうこう話していると、突然あこちゃんが頭上を向いた。

 

「りんりん、いま何か聞こえなかった?」

 

 耳を澄ませても、わたしには何も聞こえない。わたしは「ううん」と首を横に振った。けれど、あこちゃんの空耳ではないことはすぐに証明された。すぐ近くで何かが地面とぶつかった。軽い音だ。月明りに照らされるそれは、彼女が持っていたハンドバッグに違いなかった。

 

 荒事の気配を感じる。

 

 あこちゃんは階段を一段抜かしながら駆け上がる。わたしもハンドバッグを拾うと、その後を追いかけた。ほどなくして、わたしたちは黒服さんが彼女を取り押さえている場面に遭遇した。彼女は非常階段の踊り場でじたばたと足掻いている。腕の傷が開いて、服にまで血が染み込んでいた。

 

「黒服さん、話をするだけじゃなかったの?」

 

 静かにあこちゃんが聞いた。荒い息を吐いているわたしとは違って、あこちゃんの呼吸はまったく乱れていない。踊り場には一寸ほどの豆煙管が転がっている。もう羅宇屋など無いというのに、粋な趣味だ。平時であれば、その小道具にあこちゃんは飛びついていただろう。

 

 しかし、黒服さんに殺意を向ける彼女の形相を前にしては、迂闊な行動などできるはずもない。

 

「彼女の仲間が大麻を所持していたことがわかったので話と荷物検査をしにきたのですが、まさか現行犯で取り押さえられるとは思ってもみませんでした」

 

 わたしは彼女のハンドバッグを開く。バッグの底には乾燥した葉っぱが小さく丸められて押し込まれていた。

 

 大麻。

 

 本当に、ネットの中の単語が身近になったものだと感心する。

 

 山籠もり。自生した植物。奪うか奪われるか。一時の快楽に身を任せ、暴走する人間。何があったかは、なんとなく察するところではある。

 

「……自生地域を奪われたんですか? それである分だけを持って、東京に逃げてきたんですか?」

 

「まあ、そんなところ」

 

 彼女は頷いた。彼女は身体から力を抜いて、抵抗をやめた。そして諦めたように口を開く。

 

「私たちでも生き残れたんだから、人の多い東京ならもっと生き残ってると思ってたわ。取り入るための上納品は用意できていたことだし」

 

「しかしそれは困ります。こちらも地盤が固まったわけではありません。不要な混乱をもたらすものは衆目に触れる前に排除しなければなりません」

 

「私の手持ちは、そのバッグの中身が全部。仲間に分けたり、サメから逃げるうちに、それだけになった」

 

「あなたにはもう少しお聞きしたいことがあります。ご同行願いますね」

 

 そう言いながら、黒服さんは慣れた手際で彼女の腕に手錠をはめた。捕縛のための道具はあらかじめ用意していたようだ。黒服さんは彼女を立ち上がらせ、わたしに向かって手を差し出す。わたしは彼女のバッグを渡した。

 

「軽蔑した?」

 

 彼女が言った。視線の先にはわたしとあこちゃんが居る。

 

「しないよ」

 

「今は、誰にとっても拠り所が必要ですから……」

 

 あこちゃんがわたしの手を握ってくる。

 

 精神的な支えは必要だ。わたしにとっての宇田川あこ。あこちゃんにとっての白金燐子。何かを支えにしなければ、人は立つことすらままならない。自身の生存が脅かされたわけでもないのに、他人の支えにとやかく言えるような余裕はないのだ。

 

「黒服さんだって、そこは変わりませんよね……?」

 

 何をいまさらとばかりに黒服さんは笑った。久しぶりに見る黒服さんの人間らしい笑みだった。

 

「はい。変わりません。我々は今も昔も、世界を笑顔にするために行動しています」

 

 彼女たちは地上へ降りていく。わたしとあこちゃんはそれを見送った。彼女たちと途中まで帰途を同じにできるほど気力が残っていなかった。服に錆が付くのも構わず、わたしは階段に座り込んだ。

 

「なんでかな……なんだかとっても、疲れちゃった……」

 

 あこちゃんとはまだ手をつないでいる。腕の筋を辿るように見上げると、わたしを心配そうに見下ろしている真紅の瞳と視線が交わる。

 

「それじゃあ、りんりんが回復してから帰ろっか」

 

 あこちゃんがわたしの隣に座り込んだ。院内から人の気配はするものの、わたしを見る目はない。わたしたちを睥睨している月すらも叢雲に隠れた。闇の中、寄り添ったわたしたちは互いの体温を分かち合う。

 

 わたしが生きている証。わたしが膝を折らない理由。掌から伝わる温もりを、明日を生きる糧に変える。

 

 あこちゃんの潤む瞳を見ながら、ふと〈弦巻財閥〉が脳裏をよぎった。

 

 ───世界を笑顔に。

 

 システムの根幹思想は把握した。黒服さんたちは何も変わってなどいない。

 

 けれど、ハロー、ハッピーワールドの音楽がこの世界に響いたことはない。

 

 それがすべてだった。

 



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XX10 この天と地の間には、人間の哲学では思いも及ばぬサメが山ほどいるのだ

「うっわ。見てりんりん。ホントに車が動いてるよ」

 

 季節がいくつか巡ったころ。例年と比べて、平均気温は格段に低くなっている。オルビドス紀にあった大量絶滅を再現しているかのようで、いよいよ人類滅亡も目前に差し迫ってきたのかもしれない。

 

 そして絶滅へ向かって王手をかけられているのか、わたしの目前では奇怪としか言い様がない光景が繰り広げられていた。

 

 車が車を食べている。

 

〈大崩落〉の折、制御回路が大破し廃材と化した自動車が独りでに動き出していた。元は赤のミニクーパー。けれどミニクーパーのバンパーは縦に開き、隙間からは鋭利な牙のようなものが確認できる。そしてミニクーパーはガリゴリと異音を撒き散らしながら、辺りの放置車両を貪っている。

 

 ミニクーパーは最早軽自動車とは言えないサイズにまで肥大化している。内部構造がどのような変貌を遂げたのかは、この世の理から外れすぎて想像すら追いつかない。

 

 つまるところ、サメであった。

 

「アレなんて呼んだらいいんだろ? カー? モービル? うーん。なんかカッコイイ感じの名前付けてよ、りんりん」

 

「そう、だね……話を聞く限り、火を吹いて人を丸焼きにしたらしいし……」

 

 とても残念なことにサメの挙動はよく見える。月明りという乏しい光量ではなく、燦々と太陽光が降り注いでいるせいだ。わたしたちは殺人光線から身を隠すように物陰に潜み、双眼鏡越しにサメの動きを観察している。距離はざっと一〇〇メートル。いつでもすぐに逃げ出せる間合いだ。

 

 サメは欲望を具現化したように、辺りの車両を食い散らかす。その度にサメは少しずつ巨体になっている。今はワゴン車並みのサイズになっている最中だ。この成長に限界はあるのだろうか。やがてはベヒーモスのように完全な獣として陸地に君臨するかもしれない。

 

 その際限の無さ。放っておけば手が出せなくなる災厄の卵。その特性を加味した上で、呼称するならば───

 

「ドラゴンカーシャーク、でいいんじゃないかな……」

 

「ドラゴン───つまり、竜殺しだ!」

 

「違うよあこちゃん。あれはサメだよ……華々しい栄誉とかは、無い、かな……」

 

「あー、そっかー。まあ所詮サメだもんねー」

 

 一瞬だけ目を輝かせたあこちゃんだったが、すぐに意気消沈してしまった。組成がタンパク質から鉄に変わっているが、どこまでいってもサメはサメ。サメ退治は日々のルーチンワークでしかない。とは言え、今回はいつもと様相が異なっている。

 

「でも油断しないでね。サメはサメでも属性持ちだよ」

 

 あのサメを倒したところで特別な称号がもらえるわけではない。けれど、何の変哲もない一個体と一括りにはできない相手だ。

 

「わかってる。けど大丈夫だよ。あこにはりんりんがいるんだもん」

 

 りんりん、あこはどうすればいい。信頼を湛えた真紅の瞳がわたしにそう訴えてくる。サメに対する憎しみも殺意もなく、血に酔っているわけでもない。己のやるべきことを見定める、静かな色。

 

 戦士。

 

 気づけばそんな単語を連想していた。

 

「あこちゃん、勘でいいから答えて。蒸気鎖鋸(チェーンソー)だけで仕留められる?」

 

「うーん。無理、かなぁ。同じサイズの普通のサメならやれるけど、アレはどれくらい傷つければいいかわかんない」

 

 あこちゃんの言葉にわたしは頷く。個人の武装では仕留められない。もう少し待てば、警邏隊が集まって頭数は揃うだろう。しかし同時に、ドラゴンカーシャークも成長し、討伐の難易度は上がっていると思われる。

 

 サメ退治というよりも、車一台を大破させる心算で動く。使えそうな道具を思い描きながら、頭の中で都庁周辺の地図を引っ張り出す。現在地と照らし合わせて、わたしはおおよその目途を立てた。問題は本当にわたしが考えている罠が作れるのか。そして罠を仕掛けている間はドラゴンカーシャークの行動を監視できない。

 

 目的地までの往復移動時間と、仕込みにかかる時間を概算する。そしてそれをあこちゃんに伝えた。

 

「二手に別れよ。あこはりんりんの作戦通りにドラゴンカーシャークを誘導する。りんりんは準備を整えてドラゴンカーシャークを待ち受ける。つまり───あれあれ、えーっと……」

 

「釣り野伏?」

 

「たぶん!」

 

「───逃げ切れる?」

 

「余裕だよ。バイクと違って車は道中に停まってる車を避けながら進めないし。建物と建物の狭い隙間は安地だよ」

 

 わたしはあこちゃんの能力を欠片も疑ってはいない。彼女が無理なくできると言うのならその通りなのだろう。その言葉をわたしは信じる。

 

「わかったよ。あこちゃん。十二社通りってわかる? この道を真っ直ぐ行ったところに、左に曲がる三叉路があるから、そこを曲がって。急がなくていいから、怪我しないように立ち回ってね」

 

 わたしはひとりで蒸気二輪(スチーム・バイク)に飛び乗った。可能な限りのスピードを出して、道路に点在する車の隙間を縫って行く。

 

 目的地のひとつである金物屋からバールをはじめとした工具類を拝借し、近隣の民家に侵入する。思い描いていたものはほとんど調達できたと言っていい。できる限り急いで工作を終わらせると、わたしは来たとき以上の速度であこちゃんのもとへ向かった。

 

 時間をかけたつもりはない。しかし、三叉路を曲がった先は普段から交通量が少なかったのか、道が伽藍と空いている。あこちゃんがそこまで誘導を終えていれば、追い詰められている可能性があった。

 

 わたしの危惧を現実にするかのように、すぐ近くの区画から破砕音が響き渡る。弓なりに沿っている道路を進むと視界が開けた。わたしの視線の先でドラゴンカーシャークがマンションとビルの境い目に体当たりを敢行している。コンクリート壁の一部が瓦礫となって歩道に頃がり、車のバンパーはひしゃげていた。

 

 がこん、と音がすると、ドラゴンカーシャークはバンパーを取り外した。するとたちまち、新たなバンパーが生えてくる。付属部品の着脱よりも容易に。サメの歯が生え変わるような光景だった。

 

 ドラゴンカーシャークが口を開く。風に乗って、かすかな刺激臭が鼻腔を刺す。刺激臭の正体はガソリンだ。長らく嗅いでいなかった文明の匂い。わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)を加速させる。高まる蒸気圧を耳にしながら、わたしはバッグから防錆スプレーを手に取った。先ほど金物屋から拝借した内の一本だ。

 

 ギリギリまで近づいて、わたしはスプレー缶を投げつける。遠投は苦手だ。〈大崩落〉から多少なりとも体力はついたと思っている。けれど普段使っていない筋肉を瞬間的に酷使したことにより、二の腕には痺れのような嫌な痛みが残った。その甲斐あって、スプレー缶はくるくると回転しながらよく飛んだ。

 

 ちろり、と舌先のように炎が垣間見えた瞬間、熱気に炙られたスプレー缶がドラゴンカーシャークの口先で破裂する。次いで、金属が擦れる耳障りな音が響いた。好意的に、傷ついたサメの悲鳴と捉えることにする。

 

 すぐさま、わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)を反転させる。金属が擦れ合う音に混じって、懐かしきガソリンエンジンの駆動音が唸っている。サメの視線がわたしを刺し貫いている。あこちゃんよりもわたしにヘイトが集まったと確信した瞬間、わたしは全速力で来た道を引き返す。けれど即座に、蒸気機関の嘶きは内燃機関の咆哮に掻き消された。

 

 始動のスムーズさはスチームエンジンよりもガソリンエンジンの方が優れている。それは歴史が証明してしまっている。蒸気圧を高めた状態でなければ、すぐに追いつかれていただろう。

 

 逃げる距離はわずかでいい。先ほど物色した金物屋がある角を曲がる。身体を傾け、目と鼻の先を卸し金のようなアスファルトが流れていく。減速はほとんどしなかった。

 

 背後からはブレーキによって生じる甲高い摩擦音が聞こえてくる。後方を確認する余裕はないが、わたしの急カーブに対応するためドリフトしたのだと当たりを付けた。次いで、パンパンとタイヤの破裂音がした。

 

 即席のスパイクストリップが功を奏した。黒く塗装した板の上に接着剤で釘を貼り付けただけの代物だが、カーチェイスの嫌がらせには最適だ。ドラゴンカーシャークがどのように神経を通わしているのかは知らないが、突然タイヤがパンクすればコントロール不能になるのは必至。

 

 ギャリギャリと異音を発しながら、ドラゴンカーシャークは民家の中へ突っ込んだ。

 

 わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)を急停止させ、地面へ身を投げる。アスファルトに身体を叩きつけるような愚行だが、この痛みは堪えるしかない。地面にうつ伏せになったわたしは顎から力を抜いて口を開け、両手を広げて両耳と両目を塞ぐ。対爆防御姿勢だ。

 

 直後、民家が吹き飛んだ。

 

 轟音とともに、爆風がわたしの周囲を嬲っていく。かろうじて残っていた窓ガラスは砕け散り、民家にあった家具の残骸があちらこちらに飛んでいく。そして地響きを伴った振動がわたしの全身を駆け巡る。巨大な質量を持った物体が、道路をバウンドしているようだ。

 

 静かになるのを少しだけ待つ。人が居ない世界では、静寂は雄弁に存在を主張する。何も動く気配が無いことを確認し、わたしは物陰へ身を隠した。遮光対策は万全だが、いつまでも光の中に留まりたくはない。

 

 ドラゴンカーシャークを確認すると、タイヤではなくボンネットが接地していた。ワゴン車サイズの車がひっくり返っている。それだけの爆発をわたしが起こしたのだと思っても、いまいち実感が湧かなかった。

 

「死んだ、かな……? まだ生きてる、のかな……?」

 

 一先ず安全は確保できた。ドラゴンカーシャークは沈黙している。

 

 機械生命体とでも呼べばいいのだろうか。何をもってドラゴンカーシャークを無力化したと判断すればいいのだろう。わたしが石の下に隠れる虫のように物陰でじっとしていると、タタタタッと軽快な足音が聞こえてきた。

 

 あこちゃんだ。

 

 あこちゃんはわたしが見ている前で軽やかに地面を蹴り、車体の底面へ長刃の蒸気鎖鋸(チェーンソー)を突きいれた。超硬刃加工がされた刃は容易くドラゴンカーシャークを引き裂く。

 

 殺し方がわからないなら(バラ)せばいいという至極単純な解。なるほど手っ取り早いとわたしは膝を打った。わたしは物陰から飛び出して、あこちゃんのもとに駆け寄る。

 

「あこちゃん、怪我してない? 外套も破れたりしてない? ちょっとくるっと回ってみて」

 

「りんりん! さっきのどうやったの!? 時間なかったのにドーンって! あこちょーびっくりしたよ!」

 

「あれは、あらかじめ錆び止めのスプレーを置いておいただけだよ……そこの金物屋さんで箱詰めされてたからちょうどいいやって……消臭スプレーが二〇〇本あれば、ビル一つ吹き飛ぶことは知ってたから……」

 

「すごいすごい! その場にあるものだけで敵を倒しちゃうのってすっごい特殊部隊っぽい!」

 

 話しながらも、わたしたちはお互いの衣服を丹念に確認する。さながらダイビングのバディチェックのよう。チェックを怠ったとき、相棒に死なれてしまうのはどちらも同じだ。あこちゃんに怪我がないことを確認し終え、ようやくわたしは人心地ついた。あこちゃんもまた安堵の息を吐いている。互いの無事を確かめたわたしたちは、どちらともなく笑い出した。

 

 生きててよかった。あこちゃんも。わたしも。

 

「ちょっと待ってて」

 

 あこちゃんはそう言うと、ドラゴンカーシャークの解体に取り掛かった。大きく三つの塊に分けたところで「もういいかな」とあこちゃんは作業をやめた。

 

「さすがにここまでやっちゃったら、警邏隊の人も様子見には来るだろうし……属性持ちのサメを倒したことは、居住区の誰かに黒服さんへ伝言を頼めばいいかな……あ、でも警戒態勢はすぐに解除した方がいいのか……」

 

「グループチャットで一斉にメッセ送れれば楽なのにね」

 

「うん……そう思う。とりあえず、居住区に行こっか」

 

 そして、属性持ちのサメを討伐したという吉報を持ち寄ったわたしたちを待ち受けていたのは、新人スタッフさんが黒服さんに連行されたという凶報だった。



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XX11 万物の根源はサメ

 胸元に下げた真鍮の鍵を握り締める。

 

 彼女は一体、わたしに何を預けたのだろう。何を託そうとしたのだろう。新人スタッフさんのとぼけたような笑みがずっと脳裏をチラついて離れない。

 

 わたしとあこちゃんは属性持ちと呼ばれている突然変異サメの討伐報告をしたあと、自宅として利用している民家に帰った。引っ越してまだ数ヶ月の期間しか経っていないが、前の住人の痕跡は徐々に消えつつある。最後まで残り続けるのは、上階の床に染み込んだ腐った体液に違いない。

 

 怨念染みている。死者ですら、そうやってこの世に生きていた証を残しているのだ。

 

 新人スタッフさんは何を残そうとしたのだろうか。そればかりが、ずっと頭の中で反響している。

 

 日はすでに落ちた。うつらうつらとしながらも、わたしは思考を保っている。完全に眠りに落ちることはない半覚醒の中にわたしはいる。

 

「しろかねは変なヤツだな――ぁ。眠りたければ、眠ってしまえばいいじゃないか。自分でもそう思わないかい?」

 

 記憶の中のスタッフさんは血色がよい。まりなさんと並んでCiRCLEのカウンターに座っていたころを思い出す。思い出すというよりも、それをもとにして、こんな夢現の狭間に現れているのだろう。

 

 半ば眠っているわたしの夢想。海馬にこびり付いている幸福な記憶。

 

 髪をポニーテールにまとめた彼女は、ライトカーキのシャツとデニムパンツを着用している。そしていつも通り、気の抜ける笑みを浮かべていた。

 

「何の鍵か気になるかい? けど、知らないなら知らないままでもいいんじゃないかな? うだがわ妹にだってちゃんと説明してないんだからさ。危なそうなものには近寄らない。サメがあふれる世界じゃあ鉄則じゃあないか」

 

 まったくその通りです。あなたが誰にも喋っていないのなら、預かり物の存在を知っているのはわたしだけ。わたしが鍵を紛失し、存在を忘れてしまえば、目に見えた厄介事はわたしとあこちゃんの前に現れない。

 

「そうそう。厄介事だよ。生存圏すら危うい中で、そんな余計な苦労を背負おうなんて真似は自殺行為にしかならないよね――ぇ」

 

 押し付けてきたのはあなたでしょう。咄嗟にそう返すが、本人は痛くも痒くもないとばかりに笑みを崩さない。所詮は空想だ。居もしない相手に文句をぶつける意味はない。

 

 彼女が居るのは〈弦巻財閥〉の内側だ。

 

 スタッフさんは〈弦巻財閥〉に連行された。彼女たちは生き残った人類の最大幸福のために動いている。今日における幸福とは、生存に直結すると言っていい。つまりスタッフさんは、人類の生存を危うくするような何かに関わったのだ。

 

 その鍵が、今わたしの手の内にある。文字通り。

 

「けれど〈弦巻〉だって相当怪しいんじゃないかい? ある程度の文明水準が保たれてるのは彼女たちのおかげだけどね。しろかねの目的を考えると、どっちの方が相容れないんだろうね?」

 

 わかりません。けれどこの世には、もうまともなものなんて数えるほどしか残っていません。なら、きっとどちらもロクでもないものなんでしょう。

 

 わたしは目を開ける。半端な睡眠からの目覚めは熟睡したときと比べて中々眠気を払えない。けれど今日に限っては、頭の中にわだかまる霞は春風の如き覚悟によって吹き散らされた。

 

 どちらにも迎合できないとわかったときは、この風に吹かれて流れていこう。

 

 我が家と言って憚らない他人の家の中を歩き、わたしはあこちゃんが使っている部屋に入る。

 

「りんりん? どうしたの?」

 

 ベッドの中からあこちゃんが問いかけてくる。わたしがドアを開けるかすかな物音で目を覚ましたようだ。

 

「わたし、新人スタッフさんに会いに行こうと思う……」

 

「わかった。あこも行く」

 

 即答だ。あこちゃんならそう言ってくれると思っていた。あこちゃんはベッドから飛び起きて、素早く身支度を整える。歯車を模したボタンが至るところに縫い付けられたシャツに袖を通し、薄く細長い金属板を繋ぎ合わせたコルセットで胴を締め、その上から革のコートを羽織った。下半身は厚手のタイツで脚全体を覆い、ホットパンツを着用するだけの簡素な装い。けれどゴツゴツとしたニーハイブーツを履くことによって、どこから見ても物々しい雰囲気を放っている。

 

 戦装束に身を包んだあこちゃんを見て、わたしは淡く微笑んだ。

 

 わたしは自身の髪を結う。もうロクな手入れもできないのだから、すっぱり切ってしまおうか悩んだロングヘア。あこちゃんの反対によって結局伸ばしたままにしている長髪を、後頭部で縦に連ねるように二つのお団子にした。まとめきれずに余った毛先は、お団子の間から空へ向かって跳ねさせた。

 

 いつもの装備を身に着けて、わたしたちはガレージに赴く。ボイラーに火を入れて、蒸気二輪(スチーム・バイク)が走り出せるようにまで待つ。

 

「あこちゃん。たぶん、ここが分水嶺になると思う。これからわたしたちは、誰かが隠してる秘密を無遠慮に探りに行く。もしも真実を知ることができたら、わたしたちは東京から逃げなくちゃいけなくなるかもしれない」

 

 伏し目がちにあこちゃんに告げる。後戻り不能地点に立つことで、わたしの中で不安が鎌首をもたげた。現状維持ではいけないのか。自分から厄介事に首をつっこむような余裕がどこにある。今の社会は安寧とはほど遠いが、それでも安定は見せている。それを自分から捨てようとするのは愚か極まりないのではないか。出発する直前になって、わたしの弱さが滲み出る。

 

 あこちゃんは何もわかっていない。あこちゃんよりも情報を持っているわたしが何も理解できていないのだから、あこちゃんにわたしが危惧が伝わるはずもない。

 

 それでも、あこちゃんは笑ってこう言うのだ。〈大崩落〉を経てなお変わらない無邪気な笑顔で。

 

「だいじょーぶ!」

 

 あこちゃんはわたしの手を包むように握る。

 

「あこはりんりんとならどこへだって行けるよ! それに、りんりんがやった方がいいって思うなら、それは絶対やらなきゃいけないことだよ。あこはりんりんをずっと見てたから。りんりんが悩んで、考えて、苦しんで、頑張ってたとこを知ってるから。だからりんりんがやるって決めたなら、あこは絶対それを手伝う。そう決めてるから。もしもりんりんが間違ってたら、それはそのとき考えればいいんだよ!」

 

 あこちゃんの掌から、熱がわたしに注がれる。わたしの弱気を吹き飛ばす、信頼に満ちた眼差し。いつだって背中を押してくれる言葉に、わたしはいつも救われている。

 

 わたし───あこちゃんが好きだ。

 

 掛け値なくそう思える。改めてそう思った。わたしは顔をあこちゃんに近づける。こつん、と額と額を擦り合わせ、互いの鼻先が触れ合う度にくすぐったい気持ちになった。

 

「りんりん……」

 

 求めるような甘い声がわたしの唇を撫でていく。

 

「あこちゃん───こんな世界でも、絶対幸せになろうね」

 

「うん……」

 

 そして、わたしたちは誓いを交わした。

 

 わたしはあこちゃんと平穏で幸福に満ちた暮らしをしたい。今のままでは懸念事項が多すぎる。誰が信用できるのか、そこだけでもはっきりさせなくてはならない。わたしたちの幸せのために、不確定要素はすべて潰す。

 

「クックックッ。この大魔姫あこの魔眼を以てして……えーっと、あれ、高い建物をカッコよく呼ぶときの……」

 

「摩天楼?」

 

「摩天楼の最奥に隠された真実を暴いてやろうぞ!」

 

 ニッとあこちゃんは笑う。くすくすとわたしは笑みをこぼした。

 

「行こう、か」

 

「うん! 目指すは都庁!」

 



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XX12 おとなたちにはいつもサメがいる

〈弦巻財閥〉の総本山として、現在は都庁が利用されている。都庁までは蒸気二輪(スチーム・バイク)で十分もかからない。走行しながら視線を上げれば、闇の中でも一層暗く存在感を醸している。定期的にライトアップされ、荘厳な雰囲気をまとっていたころが懐かしい。世界中で電力が絶えたいまとなっては見る影もない。というか影しかない。

 

 天高くそびえる伏魔殿は星々のきらめきを遮って、地上でギラつく数多の欲望を抱え込む。日々の利用者数は百分の一以下になっているだろうに、ここに集まる希求の純度は過去と比べ物にならない。死にたくないという切望を、黒服さんたちはここから現実という形で還元している。彼女たちが居なければ、放射線で汚染された物資を血で血を洗いながら奪い合う未来しかなかったはずだ。

 

 恐るべき統率であり、手腕だ。何よりも───東京で最も得体が知れない闇がある。

 

 最早無いに等しいルールだが、わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)を駐車するため、第一庁舎には地下駐車場へと続く入り口へ向かった。車高制限二.二メートル。そう記された駐車場へ続く道はシャッターで閉ざされ、先へ進めなくなっていた。

 

「停めてりんりん」

 

 入り口を観察するのに徐行まで速度を落としていたためか、あこちゃんの声は向かい風にも負けることなくはっきりと聞き取れた。わたしはあこちゃんの言葉に従って、シャッター前で蒸気二輪(スチーム・バイク)を停車する。

 

 わたしが声をかけるよりもはやく、あこちゃんは蒸気二輪(スチーム・バイク)を跳び下りる。そしてシャッターに耳を当てた。

 

「やっぱり聞こえる。りんりん! 中から蒸気が吹き出す音が聞こえるよ!」

 

 わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)のエンジンを止めて、あこちゃんと同じようにシャッターにへばりついた。けれど、わたしには何も聞こえない。耳は悪くない方だが、〈大崩落〉後に伸ばした能力値の差が如実に表れていた。

 

「わたしには聞こえないみたい。……けど、地下に何かがあるんだね」

 

「地下って、元々何があるの?」

 

「何もないよ……駐車場にしか使われてなかったはず……うろ覚えで自信ないけど……」

 

「そっか。じゃあ、地下から探してみようよ。こういうのは一番上か一番下のどっちかが怪しいって昔から決まってるし!」

 

「そうだね」

 

 わたしは頷いて、蒸気二輪(スチーム・バイク)を始動させる。そして第一庁舎正面玄関前で停車した。わたしは荷物の中から携帯タイプの瓦斯角燈(ガスランタン)に火を灯す。わたしもあこちゃんもある程度の夜目は利くが、はじめて訪れる場所を暗がりで探索できるほどではない。

 

 この世から無くなってしまった自動ドアをあこちゃんと手で開けて、わたしたちは庁舎に侵入する。人でごった返していた都庁は、二人分の足音がよく響くほどに様変わりしていた。中は伽藍とした空洞が広がっているかのようで、どこか虚ろな印象を受ける。

 

 ロビーの中央まで歩いたところで、あこちゃんがうつ伏せで寝転がった。

 

「あこちゃん……?」

 

「りんりんもやってみて。下から振動が伝わってこない?」

 

「ちょっと待って」

 

 言われた通り、瓦斯角燈(ガスランタン)を置いて、わたしも床へ横になった。片耳を床につけ、両掌を広げる。そうしてみると、たしかに、まったくの無音ではないとわかる。

 

「聞こえたよ、あこちゃん。聞こえたっていうか、振動を感じたって言った方がいいのかな」

 

「よかった~。あこの勘違いじゃないってわかって安心したよ~」

 

 わたしとあこちゃんは素早く立ち上がる。

 

「地下にはどう行けばいいの?」

 

「エレベータは電気が止まってて動かないから、非常階段から行こう」

 

 そしてわたしたちは非常階段を見つけて地下一階へと降りる。しかし、非常口の扉が開かない。薄い扉ならあこちゃんの蒸気鎖鋸(チェーンソー)で強引に開けるところだが、金属製の頑丈そうな扉まで力尽くで開けようとは思わない。地下一階は無視して二階、三階と下って行ったが、どの扉も開くことはなかった。

 

「中から閉じられてるよね?」

 

「うん……わたしもそう思う。物で押さえてるっていうよりも、扉自体をがっちり固定してるような……」

 

「鍵がかかってるだけならガチャガチャってちょっとだけ動かせるもんね。それができないってことは、なんて言うか、ドアと壁を接着剤でくっ付けてるみたい」

 

 どちらにしても、扉は開けられないという結論に達した。わたしたちは一階ロビーまで戻って、地下階に行く方法を考える。

 

「地下で何かが動いてる。なら、定期的にメンテナンスとかが必要になるはずだから、完全に封鎖してるわけじゃないと思う」

 

「ほかに地下に行く方法ってエレベータだけだっけ?」

 

「うん。そのはずだよ……」

 

「じゃあエレベータのドア開けて、ロープ伝いに上り下りしてるとか?」

 

「うーん。すごいめんどくさそうだけど……ほかに行く道も無いし、確認はしておこうか」

 

 わたしたちはロビーに備えられているエレベータの前まで移動する。あこちゃんと力を合わせ、エレベータの扉を開けようと試みたが、扉はぴくりとも動かない。あこちゃんはエレベータの乗り場ボタンを連打しているが、こちらも同様に何の反応も示さなかった。

 

 ただ、瓦斯角燈(ガスランタン)で照らされた乗り場ボタンのパネルに、小さな縦長の穴が空いている。これは───

 

「やっぱり使えなかったね、エレベータ。でも、下でなんか鳴ってるんだから、どこかから行けないとおかしいよね。うーん…………わかった! つまり、この一階のどこかに地下室へ通じる隠し扉があるんだよ! 都庁のどこかに隠し扉を開ける鍵があるはず! それで地下にはフロアボスが眠っていて、大魔姫あこの深淵より這い寄る秘められし力がドドーン! ってぜんぶ解決する流れだよ! きっと!」

 

「案外、間違ってないかも……」

 

 わたしはずっと首から下げている真鍮の鍵を取り出した。パネルに空いた小さな穴。そこへ鍵をあてがえば、するりと抵抗なく収まった。鍵を回す。力はいらなかった。かちゃりと音を立てて鍵が回る。

 

 壁の中、床の下から、はっきりと蒸気の吹き出る音が聞こえてくる。この一年ほどですっかり耳慣れてしまった、蒸気機関が駆動する音。唖然とするわたしたちを尻目に、エレベータの扉が開いた。

 

 思わずあこちゃんへ視線を向ける。大掛かりな仕掛けに驚いた顔がわたしを見つめ返していた。わたしも同じ表情を浮かべているはずだ。

 

 どちらともなく、わたしたちは頷き合った。先へ進もうと意思を伝える。わたしたちはエレベータに乗り込み、地下三階へと降りた。探索は一番下の階から。順番に昇っていく方が楽だろうと判断した。

 

 扉が開く。

 

「りんりん、ここって駐車場なんだよね……?」

 

「うん。そうだよ。間違いなく、駐車場だった」

 

 わたしたちの前には真っ直ぐ廊下が伸びていた。空間は十分な光で満たされている。廊下の壁に等間隔で設置された瓦斯洋燈(ガスランプ)が煌々と光を放っているからだ。駐車場に使える広大なスペースは無い。かつての名残を表すように、床には駐車位置を示す白線がそのままになっている。

 

 壁や天井には夥しい数のパイプが張り巡らされている。中で行き交っているのは高圧の蒸気に違いない。当然、〈大崩落〉後に増設されたものだ。かつての最先端技術は、変貌してしまった世界に合わせて蒸気の力に取り換えられていた。

 

 新陳代謝の速度に息を呑む。

 

 わたしは手元の瓦斯角燈(ガスランタン)の火を消した。無用の長物となった道具を片付けて、先へ進む。ここは東京で一番明るい場所だろう。なのに、一歩進むごとに深い闇に呑まれている気がしてならない。

 

「りんりん。なんか焦げ臭くない?」

 

 すん、と鼻を鳴らす。少し遅れて、わたしの鼻も異臭を捉えた。真っ先に瓦斯(ガス)漏れを疑ったが、瓦斯(ガス)の匂いではない。瓦斯(ガス)とは本来無臭のものだ。爆発事故を防いだり、危険をすぐに察知できるよう刺激臭を混ぜ合わせている。製法が完全に再現できているわけではないのか、〈大崩落〉の前後で瓦斯(ガス)の匂いは変化している。

 

「たしかに、焦げ臭い、ね……本当に、何かが燃えてるみたい……」

 

 進む度に息苦しさが増し、室温が上がっている気がする。天井や壁の上部には煤めいたものが散見されるようになった。身の危険を感じているのか、あこちゃんがわたしの手を握ってくる。あこちゃんほど鋭くはないわたしの勘も、ここは危険だと警鐘を鳴らしている。

 

 そして同じくらい、誰かにとって不都合な真実があると予見できた。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。わたしは先へ進む。

 

 区画が変わったのか、壁に備え付けられた瓦斯洋燈(ガスランプ)が途絶えた。薄闇の中では防火扉が熱を放ちながら佇んでいる。ここまで来ると、わたしもあこちゃんも口元にハンカチを当てていた。

 

 布で手を保護しながら、わたしは防火扉を開ける。気圧差によるものか、酸素の流入を助けてしまったのか、轟と弱くはない風がわたしを嬲る。

 

 中では火が燃えていた。この一室自体が巨大な暖炉のようだった。木材など希少な資材を積み上げて、キャンプファイヤーでもしているかのよう。あるいは、護摩であろうか。立ち上る黒煙の大部分は天井に備えらえた巨大な換気扇から上階へと逃がされている。

 

「スタッフさん……?」

 

 室内を覗いたあこちゃんが呆然と呟いた。わたしはあこちゃんの顔をわたしの身体に押し付けるように抱き締め、彼女の視界を遮った。

 

 中には一組の男女が居る。燃え盛る炎のすぐそばで、一糸まとわず裸体を晒している。熱さなど感じていない、常軌を逸した目。だらだらと涎や体液を撒き散らしながら、見知らぬ男性は見知った女性を組み敷いていた。

 

 リズミカルに腰が打ち付けられる。生殖器からの快楽がこの世で唯一の(よすが)であるかのように、執拗に、何度も何度も、肉と肉がぶつかり合う。新人スタッフさんも拒むことなく、嬌声を上げて悦楽を迎え入れていた。

 

「なに……これ……?」

 

 わたしの呟きに答えるように、炎が不自然に揺らめいた。積み上げられた木材が崩れる。木片の間から円錐形の特徴的な鼻先が覗く。

 

「サメ!」

 

 わたしが叫ぶのと、あこちゃんが部屋に飛び込むのはほぼ同時だった。あこちゃんが蒸気鎖鋸(チェーンソー)を構える。蒸気二輪(スチーム・バイク)と違った小型の蒸気機関(スチーム・エンジン)は刃を回転させるだけの蒸気圧を瞬く間に生み出した。

 

 あこちゃんの接近よりもなお速く、火の中から生まれたサメは新人スタッフさんたち目がけて火を吹いた。新人スタッフさんに跨っていた男性は上半身を炎に包まれ、炭化し、崩れ落ちる。わたしは新人スタッフさんのもとまで走った。

 

 新人スタッフさんの身体で燻る火種を外套ではたく。彼女の髪に着いた様々な粘液はすっかり乾ききっており、所々皮膚がケロイド状になっている。ぜひゅー! ぜひゅー! と、尋常ではない呼吸音が彼女の喉から響く。もがき苦しむ新人スタッフさんを羽交い絞めにし、わたしはサメから離れるよう彼女を引きずる。

 

 炎をまとうサメに目をやれば、あこちゃんがその首を両断するところだった。間近な危機が去ったことにより、わたしは新人スタッフさんの容体を診る。

 

「し"ろ"、ね"……ッ!」

 

 爛れた手が、力強くわたしの服を掴む。濁りきった掠れた声は、わたしの名前を呼んだのだとかろうじて気づけた。風鳴りに似た荒々しい呼吸音。きっと炎を吸い込んで、気管まで焼け爛れてしまったのだろう。

 

「どうして……どうすれば……」

 

 戸惑いがわたしの口から漏れる。けれど、頭の中の冷めた部分は冷静に現実を突き付けてくる。小さなピースが次々と頭の中で組み合わさり、ジグソーパズルのように一枚の絵を描いた。

 

 いつの間にか消えている反体制者。リア充を積極的に襲うサメの習性。大麻を始めとしたそのほかの麻薬。属性持ちのサメ。瓦斯(ガス)などの資源の出処。

 

 ひとつひとつは気にも留めなかった。世界は変わってしまった。変化した世界に適応できなければ死ぬ。それだけだと思っていた。

 

 しかしそれらが組み合わされば───笑顔のための生贄が誕生する。

 

「これが、これがあなたが見つけ出した真実(ほんとう)なんですか……ッ」

 

 新人スタッフさんの手を握る。人体が発してはいけない熱を帯びていた。

 

 後ろ暗いことなんて、誰にでもあると思っていた。綺麗なまま今日まで生き残ってきた人間なんてひとりもいない。けれど、これは、あまりにも───

 

「──────笑えない」

 

 資源の有無は死活問題だ。あるかないかで生存率は大きく変わる。そして効率よく資源を回収する手段として、彼女たちは属性持ちのサメという意味不明な存在を利用したのだ。

 

 サメを呼ぶには空気を読まず二人の世界に没頭する男女を揃えればいい。しかしそれでは確実にその男女はサメの餌になる。だから発想を逆転させ、食べられてもいい人材を確保した。反体制派という居なくなった方が都合がいい人間はごまんといたから。

 

 けれど自分がサメの餌にされるというのに協力的になる人間はいない。そこで彼女たちは心の箍を外す術を身に着けたのだろう。

 

 新人スタッフさんが数秒前まで浮かべていた瞳の色を思い出す。虚ろでありながら、悦楽には貪欲な眼。

 

 思い返せば、病院で黒服さんは大麻を回収していた。その場で処分することも可能だったろうに。そして、廃れてもここは東京だ。もっと危険な、幻覚性の強い薬物も、あるところにはあるのだろう。薬物なんて使わなくても、もっとシンプルに洗脳の手法だって用いているかもしれない。

 

 なんにせよ。薬物や洗脳でバカなカップルを作り出し、燃料になりそうな炎属性のサメを呼び出す場を整え、ついでに邪魔者を消す算段もつけ、愚かなフューアルシャークからは使える素材を余さず剥ぎ取る。

 

 とても無駄がない。効率的だ。その手際の良さは笑ってしまいそうなほど、虫酸が走る。

 

「りんりん! ヤバいよこのサメ! なんか鱗がパチパチしてて、ちっちゃい爆発みたいなのしてる!」

 

 あこちゃんの方に意識を向けようとした瞬間、新人スタッフさんが喘ぐように口を開閉させながら、上体を起こそうとした。

 

 掠れた呼吸音に混じって、何かを伝えようとしている。彼女の最期の言葉だ。それを悟ったわたしは一言も聞き漏らすまいと耳を彼女の口元に寄せる。

 

「──────、──────」

 

「──────え?」

 

 聞き間違えてはいない。意図は正しく伝わった。なのに、彼女の意図がわからない。

 

 問い直す暇もなく、新人スタッフさんはコォォォと風穴を通り抜ける空気のような音を立てながら勢いよく息を吸った。苦しそうに胸を掻き抱き、生まれる前の胎児のように身体を丸める。そして、彼女は二度と動かなくなった。

 

「あこちゃん!」

 

 咄嗟に叫ぶ。

 

「───逃げるよ」

 

 有無を言わせず、わたしはあこちゃんを連れ立ってエレベータ室まで走る。

 

「りんりん。これって、黒服さんたちがやってるんだよね? 黒服さんたちは便利な道具をいっぱい作ってくれたよ。でも、あこたちが便利に使ってきた道具はぜんぶ───」

 

「───逃げよう、あこちゃん。もうここに、わたしたちに必要なものはないよ。こんなところに居ても笑えないし、幸せにはなれないよ」

 

「で、でも、りんりん。逃げるってどこに逃げればいいの……?」

 

 あこちゃんの声が不安に揺れる。その瞳は今にも涙を零しそうだった。

 

 その問いに対する答えは先ほど聞いたばかりだった。けれど、あこちゃんに正しく伝えきる自信がない。わたし自身が彼女の言葉の意味を推し量れないでいる。わたしの頭の中では、新人スタッフさんの最期の言葉がずっと繰り返されている。

 

 ───海へ。日菜に会え。

 



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XX13 ある日コンクリートジャングルの中クマさんに出遭った

 わたしたちが都庁の外へ出るのと、地震のような揺動が足元で起こったのはほとんど同時だった。下からの突き上げるような強い衝撃。わたしは地下で小さくはない爆発があったことを察した。

 

 好都合だ。逃げるならこれ以上ないシチュエーション。

 

 位置的に一番逃げやすいのは、このまま西に向かい山梨や長野方面へ抜けていく道だ。甲州街道を走っていけば、容易く東京から脱出できるだろう。けれど、海なし県へ行くということは、新人スタッフさんの最期の言葉に反してしまう。

 

 蒸気二輪(スチーム・バイク)をいつでも発進できるように準備しながら、わたしは進路を決めかねていた。

 

 自嘲が浮かぶ。まさか今更進路に迷うことになるなんて。懐かしい字面に、ほろ苦い気分になる。悩みの種が進学先ではなく、あこちゃんとの逃避行先なのだから、本当に世も末だ。

 

 わたしは包み隠さず、この悩みと判断材料をあこちゃんと共有した。海か山。どちらに進むべきか。あこちゃんは「夏休みの計画みたい」と仄かに笑った。「たしかにね」とわたしも笑った。

 

 まるで高校生に戻ったよう。

 

 いけない。そう思う。時間が無いのに、思考が定まらない。親しい人がわたしの腕の中で死に行く感触が蘇る。生前彼女が浮かべていた気の抜ける笑顔が頭から離れない。CiRCLEに通っていた輝かしい日々。華やかな楽しい想い出。心が、あの頃に戻りたがっている。死体を見ても動じない心の防壁に亀裂が入る。一年かけて築き上げたものが、揺らぎ、崩れてしまいそう。

 

 ダメだ。それじゃあダメなのに。こんなことじゃあ、わたしはあこちゃんを守れない───

 

「スタッフさんを信じよう」

 

 力強く、あこちゃんは言い切った。わたしは目を瞬いてあこちゃんを見やる。

 

「海はサメのテリトリーだけど、心配しないで! サメ相手なら、あこがりんりんを守ってみせるもん!」

 

「うん……あこちゃんが守ってくれるなら、安心だね」

 

 大丈夫。落ち着いて。あこちゃんはわたしに一方的に守られてるだけの、弱い女の子なんかじゃない。わたしはあこちゃんを支えてきた。そして同じくらい支えられてきた。

 

 大丈夫。ふたりだからこそ、わたしたちは大丈夫。何度も自分に言い聞かせる。

 

「それにひなちんが生きてるなら、きっと紗夜さんだって生きてるよ! それにパスパレのみんなだって……っ」

 

「そうだね。本当にそうなら、最高だよ」

 

 久しく聞いていなかった名前に、あこちゃんは少しだけ涙ぐんでいた。

 

「スタッフさんを信じよう。海へ行って、日菜さんを探そう」

 

 わたしの言葉にあこちゃんは頷いた。わたしはアイドリング状態だった蒸気二輪(スチーム・バイク)を発進させようとする。

 

 まさにその瞬間───

 

 都庁の上階から何かが壊れる音がして、わたしたちの目前に人間大の何かが着地した。着地と言うよりも着弾と言った方が相応しい荒々しさ。轟音とともに舗装された地面が弾け飛び、ソレは全身から蒸気を吹き出す。

 

 月明りが、ソレの正体を露にする。身の丈は三メートルに届くかもしれない。どことなく丸っこいフォルムに、ピンクの塗装が成されたソレは───

 

「…………ミッシェル?」

 

 あこちゃんが呟いた。ミッシェルの右マニピュレーターがこちらを向く。途端、ぞっとするような寒気に襲われ、知らずわたしは叫んでいた。

 

「飛ばすよ!」

 

「出してりんりん!」

 

 奇しくも、わたしとあこちゃんの声が重なる。急発進した直後、わたしたちの居た場所が爆ぜた。爆風に煽られながら、転倒を避けるためわたしはハンドルにしがみつく。

 

「う、撃ってきた! ヤバいよりんりん! 普通の銃じゃなくて、あれ、あれあれ! ───グレラン!」

 

 あこちゃんの言葉に、自分がFPSゲームの的になったことを悟る。先ほど地下で起こった爆発は、どうやら、想像以上のダメージを与えてしまったようだ。〈弦巻〉の本気の殺意を感じる。

 

 慈悲を排した処刑人がわたしたちに迫る。

 

 みんなに愛される着ぐるみではなく、蒸気と鋼鉄をまとい反逆者を粛正する強化外骨格(パワードスーツ)。呼称するならば、あれは───

 

「───蒸気熊(スチーム・ミッシェル)

 

 一体何と戦争するつもりなのか。明らかに〈大崩落〉前の最先端を維持している。武器弾薬は防衛省や自衛隊基地から拝借してきたのだろうが、そんなものに狙われるとは絶体絶命にもほどがある。

 

 藪を突いて熊を出してしまった以上、全力で逃げるしかない。

 

 都民広場と駐車場を突っ切り、わたしは都営大江戸線都庁前駅A2出入口に蒸気二輪(スチーム・バイク)ごと突っ込んだ。階段は気にしない。オフロードタイヤは階段を下る小刻みな衝撃に耐えきった。ある程度進んだところで、わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)を停止させた。

 

 落ち着いて。わたしはどっちへ進めばいい───?

 

「り、りんりん! こんな近くで止まってたら黒服さんたち追いついちゃうよ!?」

 

「わかってる。わかってるけど───ド忘れしちゃった。ねぇあこちゃん、海ってどこだっけ?」

 

「えっ!? えーっと、えーっと───お台場! ビッグサイト!」

 

「あー。なるほど……」

 

 頭の中の路線図を開く。利用するのはりんかい線。あるいはゆりかもめ。都営大江戸線からの乗り換えを考えるなら───

 

「汐留駅……っ!」

 

 一番ホームに向かって走り出す。改札を越え、ホームドアを破り、線路上へ飛び出した。そのまま代々木駅方面へ向けて蒸気二輪(スチーム・バイク)を走らせる。

 

 線路上には停車したままの地下鉄車両が放置されている。本来ならば、それらはただの障害物だ。線路部分の空間を占める車両があっては前へ進むことなどできはしない。けれど、地下鉄という日光を気にせずに長距離を移動できるルートは、すでに先駆者によって開拓されている。

 

 前方に放置されている車両が見えた。車両の正面、その中央部分は切り取られ、バイク一台分の入り口が作られている。車高をなくすためのスロープまでつけられて。

 

 やや減速しつつ、わたしたちは地下鉄車両の中を走る。他路線と比べて幅が狭いと言われる大江戸線だが、走行の邪魔になるものはすべて取り除かれていた。運転室の操作盤は撤去され、車両の連結部ですら強引に押し広げられている。

 

 開拓者たちに感謝しつつ、わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)を走らせ続けた。

 

 そして、駅の表示案内がついに汐留を指す。

 

 蒸気二輪(スチーム・バイク)をホームの真下で停める。蒸気が吹き出す。さすがに、これをホームの上に持ち上げる術はない。ほんの数ヶ月しか乗り回さなかったが、捨て置くと思うととても惜しい。この子に救われた場面も多々あった。

 

「今までありがとう」

 

 あこちゃんが座席シートを撫でる。蒸気が空気に溶けるまでの数秒間、わたしは蒸気二輪(スチーム・バイク)のハンドルから手を離せなかった。

 

「行こう。あこちゃん」

 

 わたしは座席の上に立ち上がり、ホームに登る。ホームドアを乗り越えて、あこちゃんとともに駅構内をひた走る。

 

 駅周辺地図の前で一度立ち止まり、瓦斯角燈(ガスランタン)に火を灯す。ここから海に近い観光地は浜離宮であることを確認する。そして浜離宮に行くためには東口から出ればいい。構内の案内を確認するため、角燈の火は点けたままだ。あこちゃんは目が明順応することを避けているのか、片目を抑えながら走っている。わたしも片目を瞑りながら足を動かした。

 

 東口から外へ出る。

 

 わたしはその場にへたり込みながら、用済みとなった瓦斯角燈(ガスランタン)を片付ける。

 

「りんりん。ちょっと休憩しよ。ずっと走ってたし、つらいよね?」

 

「───大丈夫。水辺までは、直線で、二〇〇メートルもないよ……歩きながら、移動しよ……」

 

 軽い運動を終えたあとのような雰囲気を醸すあこちゃんとは対照的に、わたしはもう息も絶え絶えといった有り様で返事をする。わたしに気を遣っているのか、あこちゃんはゆっくりとしたペースで歩いてくれる。

 

「ここは、隅田川と東京湾の境い目のようなところだから、まだ海とは言えないかな……。黒服さんたちと十分距離を取ったと思うけど、海沿いを隠れながら移動しよう」

 

「わかった。海に近い場所を探してれば、そのうちひなちんに会えるんだよね?」

 

「うん。スタッフさんは、そう言ってた」

 

 わたしたちは一先ず浜離宮へ向けて最短距離を直進する。どうせ人は居ないのだから、ビルの敷地を横切り、車通りの無い道路を横断する。道路にある中央分離帯の柵を乗り越え、道路を渡り終えると、浜離宮を囲う水堀があった。

 

「これも、海と言えば海、かな……」

 

「そうなの?」

 

「うん。駅の地図だと、海と繋がってたから」

 

 浜離宮の入り口まで来てみたものの、これからどうするべきなのだろう。海沿いを探すと言っても、ざっくり北上と南下の二通りを選ばなければならない。それにもうそろそろ日の出の時間だ。身を休める場所を探した方がよい。

 

「あれ? 何か聞こえない?」

 

 あこちゃんが言った。わたしが聞き返す前に、わたしたちの正面に眩い照明が二つ現れた。

 

 ───トラックのヘッドライトだ。

 

 大型のトラックが、乗り捨てられた乗用車を蹴散らしながら、猛スピードで近づいてくる。

 

 咄嗟にあこちゃんと踵を返し、逃げようとした。けれど振り返った先では、高架道路から蒸気熊(スチーム・ミッシェル)が跳び下りてきたところだった。

 

 ───挟まれた。

 

「りんりんこっち!」

 

 あこちゃんに手を引かれ、わたしは浜離宮恩賜庭園へ侵入した。背後からは連続した銃声が轟く。かつて慣れ親しんだ打鍵音をずっと重くしたかのよう。視界の隅ではトラックのハッチが開き、二機目の蒸気熊(スチーム・ミッシェル)が立ち上がっている。

 

 酸性雨によって枯れ果てた植物の名残を踏みしめ、わたしたちは庭園の奥へと逃げる。闇に紛れ、遮蔽物を探す。咄嗟に逃げ込める場所がここしかなかったとはいえ、ここは不味い。

 

「あこちゃ、ここ、水堀に、囲われてるの。逃げ道が、無いっ!」

 

 わたしたちはなだらかな丘の陰に滑り込んだ。一際大きく息を吸うと、わたしの口からまとまっていない思考が漏れ出した。

 

「おかしい。いくらなんでも、早すぎる。〈弦巻〉は蒸気熊(スチーム・ミッシェル)を、量産して、各所に配置してる……? いやそもそも、なんで、わたしたちの居場所が……」

 

「やっぱり撃ってきたよりんりん! バババババババって! マシンガン!? 知らないけど! ていうかなんであんな軍隊みたいな装備してるの!?」

 

蒸気二輪(スチーム・バイク)は乗り捨てた。だから汐留駅周辺に居るのはバレる。けど発見からの行動が早すぎる。発見の報告をするのは、同じ時間をかけて都庁前まで戻らなきゃいけない。携帯がある時代じゃないんだから……」

 

「ていうかあんなの日本のどこにあったの!? 福岡!? あっ違う! 自衛隊だよね! えっ、じゃあ〈弦巻〉って自衛隊取り込んだってこと!? それもう軍隊じゃん!!」

 

「そう……軍隊……火器の出処はたぶん自衛隊。練度の高い本職が、たぶん黒服さんの中に混じってる。それに軍の設備を丸々利用できるなら───対EMPシールド!」

 

「EMP?」

 

「そう。電磁パルス攻撃対策。世界中の電子機器が壊れたのはガンマ線バーストシャークが地球全土に電磁パルスを振りまいたから。けど、それ以前から電磁パルス攻撃の対策は取られてたの。自衛隊や政府機関にはまだ生きてる電子機器がある。蒸気熊(スチーム・ミッシェル)を作れるんだから、小型通信機器の発電機くらい用意できても不思議じゃない。……電子機器はショートしてて当然だし、仮に使えたとしても発電所が全部死んでるんだから、使えないことに変わりないって思い込んでた……」

 

「だからあこたちを見つけるのがこんなにも早かったんだ。人に十九世紀くらいの縛りプレイやらせといて、自分たちは二十一世紀の最新式使うなんてズルい! チートだよチート! 垢BANモノだよ! それにあんな武装、居住区の近くじゃ誰も使ってなかったし、最初から海沿いに配置されてたりするのかな……?」

 

「うん。ありえると思う。リアルタイムで連携が取れるなら、あらかじめ近くに居る人を動かして包囲網を敷くなんて簡単だろうね」

 

 そしてわたしたちは袋の鼠だ。海辺が彼らの警戒区域なら、自ら敵陣に飛び込んでしまったとも言える。危険に身を晒してまで、「日菜に会え」とはどういうこと? 新人スタッフさんの真意をここに来て量りかねた。

 

 包囲網が狭まる音がする。政府機関や自衛隊を取り込んだなら、〈弦巻〉こそがいまの国家だ。わたしたちは〈弦巻〉に弓を引いた。つまり、国家の敵だ。テロリズムに走るような主義主張は無いけれど、いつの間にかテロリスト扱いされている。

 

 それにしても、小娘二人を殺すにしては大仰しすぎやしないだろうか?

 

 彼らは一体何を警戒しているのか。腑に落ちない点はあるが、細かいところまで考えている時間は無い。向こうの殺意は本物で、装備も〈大崩落〉前の最新式だろう。埒外の強化外骨格(パワードスーツ)が二機。暗視ゴーグルを装着した普通の兵隊だっているはずだ。

 

 対してわたしたちが持つ武器と呼べるものは、あこちゃんの蒸気鎖鋸(チェーンソー)くらいだ。そして浜離宮の数少ない出入り口は閉鎖されているに違いなく、逃げ道が無い。

 

 誓った。約束した。

 

 わたしはあこちゃんと、穏やかに、幸せに暮らすんだ。

 

 どうすればいい? どうすれば切り抜けられる? 震える手であこちゃんの手を握る。このままだと、わたしは殺されるだろう。わたしの目の前で、あこちゃんが殺されてしまう。

 

 徐々に空が白んできた。薄闇に影がぼうと浮かび上がる。薄闇を切り裂いて、マズルフラッシュがわたしの目を焼く。近くの砂礫が弾け、わたしたちに土をかける。身を竦めながらわたしたちはさらに奥へと駆け出した。追い立てられる兎のように。最早比喩ではない。わたしたちは狩られる寸前の獲物だ。

 

 逆転の目も、命乞いのセリフすら思い浮かばず、わたしたちは浜離宮の外縁部まで追い詰められた。背後は海。正面にはわたしたちを狙う銃口が、いくつもこちらを向いている。彼我の距離はたった二〇メートル。走って五秒足らずの距離は、彼岸と此岸ほどに開いている。

 

 銃口が火を吹いた。あこちゃんの短い悲鳴とともに蒸気鎖鋸(チェーンソー)が弾け飛ぶ。あこちゃんが悲鳴を上げた瞬間に、わたしは彼女の前に身を躍らせていた。わたしたちの命を刈り取る眼差しに背中を向け、あこちゃんを庇い抱き締める。

 

 驟雨が地を穿つような連弾と、曲の印象を引き締めるシンバルのような大きなサウンドがわたしを打ちのめした。

 

 唐突な浮遊感。わたしの薄い身体では銃弾を止めることなどできるはずもなく、夥しい量の血があこちゃんからも流れていた。けれど、千切れなかった両腕で、最後まであこちゃんを抱き続けたのは、わたしにしては大した気合だろう。

 

 わたしたちは海へ落ちる。わたしの覚悟など藻屑と変わらないとばかりに、波がすべてを呑み込んだ。

 



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XX14 あ、あー。おれ、サメになっちゃったよー

 海。

 

 地上から見渡せる中で、最も色濃く死が満ちている場所。

 

 ガンマ線バーストシャークが撒き散らした放射線は当然海にも降り注いだ。厚い岩盤すら貫通するミュー粒子が海水程度で減衰するはずもなく、海中に生息するあらゆる生物の命を奪った。

 

 海面には大小様々な魚類の死骸、鯨など大型哺乳類の死骸、海上を飛んでいた鳥類の死骸、漁業や海遊に出ていた人間の死骸、あらゆる生物の死が積み重なっていた。

 

 またオゾン層が破壊されたことにより、紫外線の減衰がなくなった。強力な紫外線は海面付近の植物プランクトンや動物プランクトンを根絶やしにし、それらの死骸が赤潮や青潮となって海を覆う。

 

 生命の揺り籠とも言える海は、あらゆる生命の墓場と化していた。

 

 そして〈弦巻〉の手にかかり、水葬されてしまったわたしは、それが本当に海の表層でしか起こっていなかったことを知る。

 

 陽光が力を失う海底では、相変わらず多種多様な生物が生息していた。〈大崩落〉前から変わらぬ生命のサイクルが、破綻することなく連綿と続いている。今ではわたしも、そのサイクルの一部に取り込まれていた。

 

 白金燐子は生きている。

 

 宇田川あこも生きている。

 

 壁面が剥き出しの岩のような一室にわたしは居る。海底で目覚めたときは、なぜ生きているのか不思議でしかたなかった。けれど目に飛び込んできた我が身の変わり果てた姿は、いかなる説明よりも雄弁にわたしに納得をもたらした。

 

 一糸まとわぬわたしの身体に、肌色の皮膚はすでに無い。青白いざらざらとした鱗がわたしの全身を覆っていた。頭髪をはじめとした体毛は抜け落ちて、頭頂から足裏に至るまでどこを触っても瘡蓋のような感触がある。手足の指の間には水かきがあった。噛み合わせたときの歯の感触が著しく変わっており、手で触れるとギザ歯と呼称される鋭く尖った歯が並んでいる。

 

 まじまじと観察していると、自分が瞬きをしていないことに気づく。目蓋は薄い皮膜に変わり、目の乾燥を防ぐ理由がなくなっているのだと思い至った。

 

 最も違和感があるのは、息を吸うという感覚だろう。肺が膨らむ感覚も、空気が鼻腔を通り抜ける感触もない。わたしの意思とは関係なく、自動的に鼻から水が吸い込まれ、首筋にある鰓のような部位から水が吐き出される。

 

 わたしは人間でなくなってしまっていた。

 

 半人半魚とでもいうべき存在に成り果てることで、わたしは死地から生還した。

 

 変わり果てたことに恐怖はない。混乱もない。自棄になるなんて以ての外。ただ純然たる事実として、わたしは現状を受け入れていた。

 

 そしてわたしのような存在は、フカきものども(シャーク・ワンズ)と呼ばれている。

 

 呼んでいるのは彼女たち。

 

「大体傷は治ったっぽいねー。もうこの身体にも慣れたかな?」

 

 空気ではなく、水を伝播する声がわたしの耳朶を揺さぶった。

 

 クラゲのような生命体が、キラキラと発光し、部屋の中を照らしている。その光は、目前の彼女に衝突すると翡翠色に煌めいた。彼女はすでに人体から逸脱している。わたしと同じ半人半魚の肉体。ただ、背ビレがついていたり、尻尾が生えていたりと細部が少々異なっている。

 

 目前のフカきもの(シャーク・ワン)が浮かべる笑顔には、かつてCiRCLEで見た名残があった。

 

 彼女の名を───氷川日菜という。

 

〈弦巻〉に追われたわたしたちが、最後に探し出そうとした人物。新人スタッフが言い残した「海へ行け」という言葉は、海辺の町を探せという意味ではなく、言葉通りそのままの意味だったのだ。

 

「スタッフちゃんから聞いてたけど、久々にふたりの顔を見たときはるんってきたなぁ。海底だと変化なんてないし、退屈すぎるんだよね。あーあ。スタッフちゃんもさっさと海に逃げればよかったのに」

 

 すでに、日菜さんは新人スタッフさんの訃報を知っているようだった。

 

「あの、彼女は一体、何者だったんでしょうか?」

 

「んー? あたしも詳しくは聞いてないんだけど、元々ここがスタッフちゃんの実家の、なんていうか、本家? みたいなものらしいよ。なんてったっけなー……あっ! そうそう! 〈ダゴン秘密教団〉とか言ってたっけ」

 

 ガンマ線バーストシャークが来たとき、スタッフちゃんとお喋りしてたのが、あたしの唯一のラッキーだったね、と日菜さんは嘯いた。

 

 わたしは気怠そうな雰囲気をまとって、気の抜ける笑みを浮かべた新人スタッフさんを思い返していた。いつだったか、彼女が話をはぐらかすために口にしていた女スパイという言葉。あれは嘘でも、冗談でもなく、真実だった。

 

 そしてフカきものども(シャーク・ワンズ)の存在を、〈弦巻〉は察知していたのだろう。蒸気熊(スチーム・ミッシェル)のような過剰な武器はフカきものども(シャーク・ワンズ)との戦争を見据えていたに違いない。

 

 スパイ活動が明るみになった結果、彼女は薬物を使った洗脳を受け、生贄にされたのだろう。新人スタッフさんと懇意にしていたわたしとあこちゃんが、図らずも都庁地下施設を爆破してしまったことにより、抹殺対象に加わった。

 

 我が身に降りかかってきた災厄の元凶を、わたしは察した。

 

 新人スタッフさんの言葉を無視していれば、わたしはあこちゃんとまだ〈弦巻〉の庇護下で安穏と暮らすことができただろう。けれど、そのもしもを辿らなかったことに、わたしは深い安堵を覚えていた。

 

 今は反逆者を生贄にしているが、いずれ意志の統一が図られるだろう。そうなれば、次の生贄は反逆者から貢献度が低い弱者へと移る。弱者が減れば、その時々で選定基準を変えることは想像に難くない。

 

 大義名分を変え、生贄を見い出そうとする組織に、わたしとあこちゃんが求めるものはない。やがてサメのような怪物になることは目に見えている。

 

 わたしの知る限り、地上にハロハピの曲が流れたことは一度としてない。つまりは、そういうことだ。

 

〈弦巻〉と袂を分かったことに、わたしは欠片も後悔をしていなかった。

 

 つまり目下の問題は、日菜さんをはじめとしたフカきものども(シャーク・ワンズ)が、一体何を考え、何をしようとしているか。

 

「あっ! りんりん! もう動いて大丈夫なの!?」

 

 ひょっこりと、あこちゃんが部屋の外から顔を覗かせた。ほぼほぼこの部屋で眠りっ放しだったわたしとは対照的に、あこちゃんの回復は早く、すぐ動き回れるようになったらしい。わたしに意識があることもあったが、ほとんど夢半ばのような状態だったため、ちゃんと話をするのは今がはじめてとなる。

 

 あこちゃんも紫がかった鱗をまとい、フカきもの(シャーク・ワン)へと変じていた。にっこりと笑みを浮かべるあこちゃんの口元からは、可愛らしかった八重歯の代わりにより鋭い牙が覗く。すい、と泳いで、あこちゃんは距離を詰めてくる。間近に迫るあこちゃんに、わたしは目を伏せてしまった。

 

「りんりん? まだどこか痛い?」

 

 あこちゃんがわたしの肩を掴み、わたしの顔を覗き込む。

 

「だ、大丈夫……どこも痛くは、ないよ……」

 

「───ひょっとして、りんりんまだ殺されかけたこと気にしてる? まあ人間じゃなくなっちゃけど、そんなのちょっとしたことだよ。りんりんが居て、あこも居る。なんの問題もないよねっ!」

 

「うん……その通りだと、わたしも思うよ……この身体にも順応しきっちゃってるし……あこちゃんが居るなら、不満はない、かな……」

 

「じゃありんりん。なんでさっきからあこと目を合わせてくれないの?」

 

 ずい、とさらにあこちゃんは顔を近づけてくる。

 

「そのね……種族が変わったからって、やっぱり羽織るものくらいは身に着けておくべきだと思うの……」

 

 狼狽えながら、わたしは動揺の理由を口にした。人だった頃ならば、赤面どころか、耳や首筋まで真っ赤になっていたに違いない。

 

 ちらと様子を窺うと、あこちゃんはぱしぱしと目を瞬いていた。人の名残だ。感心する間もなく、わたしの目にはあこちゃんの華奢な肩が映る。ほっそりした鎖骨。控え目な小振りな乳房。少しだけ縦に長いおへそ。なよやかな腰つきから下腹部にかけて、すべてが見える。遮るものが何もない。

 

「でも海の中だと服って邪魔だよ。地上よりも資源がないから、水着だって無いし」

 

「それは、そうなんだけど、ね……」

 

「そもそもりんりんだって裸なんだから、お互い裸なら恥ずかしくないよっ」

 

 一緒に温泉に入っているようなものだと言われてしまえばそれまでだ。けれどあこちゃんの身体を見ることよりも、あこちゃんに身体を見られることの羞恥心がわたしの中で大きくなる。人の頃なら身体中が熱くなり、発汗が止まらなくなっていただろう。

 

 恥ずかしさのあまり、わたしは腕で局部を隠した。おっぱいがぐにゃりと潰れるのも構わず、あこちゃんから見える身体の表面積を小さくしようと、わたしは身体を縮こまらせた。

 

 この一年半近くであこちゃんの裸は幾度も見たし、わたしもあこちゃんに見られてきた。水浴びに使える安全な水だって限りがあったし、節約のため、数少ないお風呂に入れる機会は常にふたり一緒だった。なのに、なぜいまさら、心臓が痛いくらいにうるさくなるのだろう。

 

 わたしを見る、あこちゃんの目の色が変わる。あこちゃんはまるで生唾を呑むような動きをしたあと、ゆっくりとわたしに手を伸ばしてくる───

 

「あのさー、知り合いが盛ってるところ見ても全然るんってしないんだけど。あたしの用事終わらせたあと、あたしの居ないところでやってくんないかなー」

 

 飛び跳ねるように、わたしとあこちゃんは距離を取った。

 

「さ、さか、盛って……ッ!」

 

 盛ってなどいないと日菜さんに反論しようと試みたが、言うべき言葉が渋滞を起こして声にならない。

 

 呆れたように日菜さんは首を振った。

 

「人からサメになってすぐだからしょうがないとは思うけど、あんまり本能に忠実すぎないでよね。すぐに理性蒸発させて、ただのサメに成り下がるならわざわざ助けた意味なくなっちゃうし」

 

「た、助けた意味、ですか……?」

 

「そうだよ。あたしはふたりの命の恩人。断ったりはしないよね?」

 

 ぞっとするほど冷たい視線に、わたしの身体で燻っていた熱量などたちどころに消えてしまった。

 

「な、なにをさせる気、なんですか……?」

 

「あはは。別に身構える必要は無いよ。ただちょっと───」

 

 おねーちゃんを起こす手伝いが欲しいだけだからさ、と日菜さんは悲しげに頼みを吐露した。

 



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XX15 こんなサメに身を堕すのだ

 サメ因子、と日菜さんは言った。

 

「この世に存在するあらゆるものは、不安定な状態から安定した状態へ遷移しようとする力が働くことはわかる?」

 

「はい。……表面張力、とかですよね……?」

 

「そうそう。中性子単独だと崩壊するけど、陽子と一緒なら安定する、みたいにね。何事もこれ以上安定力が働かなく方向へ収束しようとする特性があるんだよ。物理の話だけじゃなくて、動物とか植物でも収まるべき場所に収まってるっていうか、あらゆる可能性を網羅した結果、最もバランスが取れているもの以外は淘汰された感じなのかな?」

 

 わたしとあこちゃんは日菜さんに導かれるように、海底を泳いでいる。不思議な感覚だった。海はいくつもの流れが層になってできている。流れの緩急。ほんの少しの温度差。人の感覚では水中にいるとしか思えなかっただろう。今は速い流れに乗り、その流れが途切れれば流れと流れの隙間に身を潜ませ、再び望む流れに身を任せる。

 

 バタ足のように水を蹴る真似はしない。ただ潮の流れに便乗しているだけ。にも関わらず、わたしは最小の労力で最大限の速度を発揮できていた。

 

 水に対する知覚能力が向上している。泳ぐ能力も人だった頃とは比べ物にならない。水の抵抗は空気の十倍以上あるというのに、今のわたしはかつて地上を走っていたころよりも速く移動できている。人の身体ではまとわりつくように感じていた水の重みも、今は無いに等しかった。

 

 人間ではなくなったことを強く実感する。けれど、やはり、わたしは変質したことに、戸惑いや恐怖、絶望といった感情を抱かなかった。人間の身体に未練がない。フカきもの(シャーク・ワン)になることが正しいことだという確信すらある。

 

 安定性。これもまた、ひとつの安定した形なのだろう。

 

「そして、あらゆる種はまだ淘汰されてる最中なんだよ」

 

 最後に残るのはサメなんだ、とわたしの考えを補強するように日菜さんは言った。

 

「サメの形状や生態が最も安定していて……どんな環境にも適応できるということですか……?」

 

「ちょっと違うかなー。姿形なんてどうでもいいんだよ。残るのは概念。サメっていう概念が宇宙の終わりまで残り続けるんだー。で、一体何がサメがサメ足らんとしてるかっていうと、それがサメ因子になるわけ。このサメ因子は万物に偏在してるよ。勿論、あたしたちの中にもね」

 

「……つまり、そのサメ因子を注入したことで、わたしとあこちゃんはフカきもの(シャーク・ワン)になった、ということでしょうか……」

 

「外から取り入れたわけじゃない。人間だったころからあたしたちの中にはサメ因子が眠ってたんだよ。あたしはそれを起こして、少しサメ因子側に傾くようにバランスを崩してやっただけ。そしたらあとは、サメ因子が勝手に構造を最適化してくれた。二人だって、前時代的な常識だと考えられないサメが跋扈してる姿を見てきたと思うけど?」

 

 日菜さんの問いかけに、わたしは頷く。

 

 わたしたちはそれを属性持ちと呼んでいた。無機物が命を得たように振る舞うサメを見た。炎のような拡散するエネルギーが実態を得たサメを見た。あれらはサメになったのではなく、はじめからサメでもあったということか。

 

 サメ因子。万物が内包する要素。わたしや属性持ちは、少しだけシャークサイドに偏ってしまっただけにすぎない。

 

「ねー、ひなちん」

 

 そこで、今まで黙ってわたしの横を泳いでいたあこちゃんが口を開いた。

 

「よくわかんないけど、結局、サメはさいきょーってことでいいの?」

 

「あはは。そうだね、サメ、サイキョー!」

 

 けらけらと笑う日菜さんを尻目に、わたしは本題へ繋がる問いを投げた。

 

「氷川さん───いえ、紗夜さんもすでに、シャークサイドに落ちているということですよね?」

 

「…………うん。まあ、見ればわかるよ」

 

 日菜さんは先を急ぐ。彼女の背を追いかけながら、わたしは移り変わり行く景色に驚いてばかりいた。

 

 信じがたいごとに、海底には文明が築かれている。至るところに西洋に多く見られる石造建築を模した住居が見受けられた。決定的な違いがあるとすれば、西洋の石造建築は煉瓦や切り石を積み上げているのに対し、目前の住居には繋ぎ目がない。さながら一枚の岩板を紙細工のように折り曲げたかのよう。

 

 建物の先端には巨大なクラゲがカサを広げて発光していた。それは地上の照明よりもよほど明るく海底までを照らしている。その綺羅びやかさは、さながらおとぎ話の竜宮城を思わせた。

 

「あれもサメなんだって。ハウスシャークの亜種って言ってた」

 

 あこちゃんが口を開く。反射的にわたしは顔をしかめた。

 

「すごく、嫌な名前だね……」

 

 クラウドファンディングを募り大金を集めておきながら、お金をかけてもB級はB級、サメはサメということを世に知らしめた駄作と同じ名前。けれど著しく不安を煽る名前とは対照的に、技術力の高さには目を瞠るものがある。

 

 いや、この考え方は間違っているのか。

 

「……あれもサメってことは、誰かが作ったわけじゃなくて、はじめからああいう形に変質したってこと……?」

 

 わたしが人間の身体から半人半魚の身体になったように。海底の岩盤が家の形に変わったのか。

 

〈弦巻〉でも、属性持ちを有効活用するノウハウはあった。日菜さんならより細かくサメの変生をコントロールできるのかもしれない。

 

「……それにしても、意外と人が多いね」

 

 先ほどから何十人もの往来を交わしながらわたしたちは泳いでいる。勿論、休日の渋谷や新宿のように混雑しているわけでもない。けれど、この短い時間の間にわたしは少なくはない魚人を目にした。

 

 フカきものども(シャーク・ワンズ)の人口が思いの外多い。いくらサメが跋扈する世界とは言え、これは別の角度からわたしに衝撃をもたらしている。

 

 彼らが全員人からフカきものども(シャーク・ワンズ)になったとしたら───本当に、人の時代は終わりを迎えつつあるのだ。

 

「りんりんが目覚める前に、あこ、ちょっと通りがかった人と話してみたりしたんだけどね、東京の外だと定期的に仲間にしてくれってこっちの人とコンタクト取る人が多いらしいよ」

 

「……なんか、色々合点がいったよ。だから〈弦巻〉は、あんなにも背信行為に対して強固な対応をしたんだね……」

 

 人が生き残る上で、サメは退治しなくてはならない障害だ。そのサメへ身を窶すなど、人類を裏切った敵とみなされるのが自然だろう。敵になった以上は討伐対象としてカウントするし、情報漏洩を行うような危険分子は判明次第刈り取るに限る。

 

 加えて言えば、東京に逃げてくる人はほとんど海なし県の住人だった。海岸近くに住む人たちが救いを求めてこちたへ逃げているのだとすれば、ひょっとすると、海中の人口は東京の人口を越えているかもしれない。

 

〈弦巻〉が危機感を抱くには十分だ。フカきものども(シャーク・ワンズ)の基本姿勢は知らないが、自分たちを殺そうとしてくる相手に誤解を解くような努力はしないだろう。

 

 わたしの知らなかったところで人とサメは対立の溝を深めていたらしい。

 

「着いたよ」

 

 そう言って、日菜さんは一軒家を模した建物の二階の窓からするりと身体をすべりこませた。誰も地に足付けて移動していないし、最悪、肩幅が通るだけの大きさがあれば出入りは可能だ。海の底では、玄関口といった家の顔はもう消えているのかもしれなかった。

 

 わたしはあこちゃんと日菜さんの後に続く。部屋の中はとにかく殺風景だった。生活感が無いどころか、廃墟と言い換えていいかもしれない。飾るようなインテリアもなく、ただ間取りを仕切るための壁があるだけだ。剥き出しの岩壁は、ここが住居ではなく洞窟という印象を強く与えてくる。

 

「みんな昔の習慣で派手な建物造ったり、住む場所を探すんだけどさー、前よりも身体は頑丈で危険がないし、盗まれて困るようなものもないし、水中を漂って寝るから布団とかベッドみたな寝床もいらないし、食事も魚に齧りつくだけで調理する必要がないから、家にこだわる必要性ってほとんどないんだー」

 

 まぁ、でも、起きたとき変なところに流されてないのはメリットかな、と日菜さんは世間話をするように言った。

 

 徐々に日菜さんの声音が硬くなっている。紗夜さんがいる場所に近づいているのか、緊張しているように見える。

 

 わたしたちは床に開いた、一階と二階を繋ぐ昇降口をくぐった。階段や梯子の類は、当然のようについていない。

 

 そしてその先の部屋に紗夜さんはいた。

 

 紗夜さんは半透明の薄い被膜のようなものに包まれて、壁に固定されている。さながら、羽化を待つ蛹であり、孵る寸前の卵のようにも見える。

 

 その被膜の向こう側には、一年半ぶりに見る紗夜さんの顔が浮かび上がっている。鱗のない、きめ細かい肌。整った柳眉と筋の通った鼻梁。柔らかさを感じさせる唇。どれもあの頃のままであり、荒廃世界の苦労など知らないかのよう。だからこそ、〈大崩落〉から見た目が変わっていない彼女の顔は、否応なく死相を思わせる。目を閉じて身動ぎすらしない姿は、わたしに死体を連想させる。

 

 このヴェールこそがわたしたちと紗夜さんを隔絶させる絶対の境界線であり、彼女はヴェールの向こう側でハデスの手を取ってしまったのではないか。

 

「……あ、あの、日菜さん……紗夜さんは……」

 

「生きてるよ。脈はある。息もしてる。けど意識だけがない」

 

 狼狽するわたしの言葉を遮るように日菜さんがしゃべる。

 

「ひなちん、紗夜先輩はフカきもの(シャーク・ワン)になってないの?」

 

「なってるよ。なってるけど、あたしたちみたいに変生しなかった───それでそのまま起きなくなった」

 

 深く、重い声だった。忸怩たる思いが滲む悔恨の響きは、石のようにごろごろとわたしの中で転がりだす。テレビの中で明るく笑っていた彼女を知るだけに、この落差に目が眩んだ。

 

 頭を振って気を保つ。

 

「紗夜さんを目覚めさせることに異論はありません……それで、わたしたちは何を協力すればいいんでしょうか……?」

 

「ぶっちゃけて言うとさー、わかんない。あたしも結構色々やって、最初から半魚人だった連中よりもサメ因子に詳しくなったつもりだけど、成果なんて無いし。だから、もう手当たり次第に試せることは試すフェーズに入ってるんだよね」

 

「外的要因で試せることは一通りやってるんですよね? ならわたしたちにできることは紗夜さん自身に語りかけること……Roseliaのことを話せば、反応してくれるでしょうか?」

 

「わからないから、それをふたりにお願いしたいんだよ」

 

「じゃあさりんりん! 歌おうよ!」

 

「そう、だね……下手に言葉を飾るより、そっちの方がわたしたちらしいかもね」

 

 そして、わたしとあこちゃんはかつて友希那さんがライブステージで歌っていた曲を口ずさむ。思い出の曲を紗夜さんに届けるように歌った。

 

 けれど、紗夜さんの死相のような表情が、変化することはなかった。

 



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XX16 新しい苦悩! 新しいサメ!

 海底は時間の流れが曖昧だ。日の光が乏しく、一日の感覚が掴めない。加えて、フカきもの(シャーク・ワン)になったことにより時間の感じ方そのものが変わったような気がしている。

 

 鼓動の速さの違いで、身体の大きい生き物と小さい生き物では体感時間の流れが違うと聞く。この説が正しければ、わたしの時間の捉え方は緩やかになっていると言っていい。わたしの心臓は人間の頃と比べて、とてものんびり動いている。

 

 あるいはわたしの常識の無さが、心を子供時代に戻しているのかもしれない。

 

 海底で寝起きする生活はすべてが目新しい。見るもの、聞くもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるもの、すべてが初めての体験であり、すべてが驚嘆に値するものだ。

 

 ここで何一つ経験則を持たないわたしは、無垢な子供と同義である。世慣れする前の時分に回帰しているとも言えた。

 

「結構遠くまで来たよね」

 

「そうだね。こんなに深い場所まで潜ったのは、わたしたちが初めてかも」

 

「ホント!? クックックッ。闇の底より這い出し魔物たちよ。大魔姫あこの使い魔に相応しいか、妾自ら魔眼の力によって真の姿を見定めてやろうぞ───ッ!」

 

「飼うのはおすすめできないかな……」

 

「えーっ!? なんでりんりん! カッコイイの居そうじゃん!!」

 

 一辺の光も差さない闇の中で、あこちゃんと他愛ないやり取りをする。

 

 わたしたちは紗夜さんを目覚めさせるため、日菜さんに協力している。もう人間だった頃とは状況が違う。一番の変化は、ある程度の安全が保障されたことだ。自ら捕食者側になることで、ほかのサメから攻撃されることはなくなった。

 

 この身体は燃費がいいのか、少量の食事で長時間活動できる。海面近くにはあらゆる生物の死骸が漂っているが、海そのものの懐はかなり深い。フカきものども(シャーク・ワンズ)同士で食糧の奪いに発展することもなく、皆がその日暮らしの生活を謳歌していた。

 

 生命の安全という意味では、もう何の心配もない。余裕ができたのだ。陸にいたときは自身とあこちゃん以外に関心を払うゆとりなどなかった。余分なものを背負えるようになったと言えれば良かったのだが、わたしの内面は陸にいた頃とさして変わってはいない。

 

 聞き及んだところによると、紗夜さん以外にもフカきもの(シャーク・ワン)に生り損ねた人はそれなりにいるらしい。生命維持こそ行っているものの、意識障害に陥っている人たちだ。彼らに共通項は無い。原因は不明。いま活動しているフカきものども(シャーク・ワンズ)もいずれ植物状態になる可能性は否定できない。

 

 わたしも、あこちゃんも、ある日唐突に意識を失い、目覚めなくなる可能性がある。

 

 この可能性は看過すべきではないし、幸いにも、問題を解決できそうな天才が近くにいる。わたしが手を貸すのは当然と言えた。

 

 日菜さんは言った。

 

『要するに、癌と同じなんだよ。サメ因子ってやつは』

 

『癌、ですか……それなら、勝手に増えていって、いずれサメになるんじゃないですか?』

 

『その考え方でフカきもの(シャーク・ワン)になったのがあたしたち。おねーちゃんはそうなってない。人の身体も一応自然界では安定してるからね。フカきもの(シャーク・ワン)になるには一度そのバランスを壊す必要がある。そして崩れたバランスをもう一回安定させた結果、あたしたちはサメになった』

 

『紗夜さんのサメ因子を活性化させても、人体のバランスは崩れなかった……バランスを崩すに至らなかったということは、紗夜さんが持つサメ因子は不活性なのでしょうか……?』

 

『あたしもそう思って、あたしの血液や体液や細胞を色々移してみたんだけど、効果は無かったよ。だから、いま考えてるのはその逆。サメ因子が不活性なんじゃなくて、おねーちゃんのサメ抑制因子が強すぎるんじゃないかってこと』

 

『なるほど……だから、例えが癌なんですね……人体には癌遺伝子に対抗する癌抑制遺伝子を持ってますから。際限なく細胞を癌化させ増殖させる癌遺伝子がアクセルなら、それを止める癌抑制遺伝子はブレーキ。サメ因子が人体のバランスを崩す働きをするなら、バランスを守る抑制機構があってもおかしくはない』

 

『最後までサメに抗う存在。きっと地上なら〈シェパードの血統〉とか呼ばれるんじゃない?』

 

『日菜さんの仮説が正しかったとして、取れる手は二つですね……サメ抑制因子を不活性化させるか……』

 

『あるいは、おねーちゃんのサメ抑制因子が太刀打ちできないくらい、サメ因子を強化するか。───あたしは不活性化させる方で色々考えてみるよ。……もう一個の方、お願いしていい?』

 

『…………雲を掴むような話ですよ……? 抗生物質と逆の働きをする物質を見つけるようなものです』

 

『うん。わかってる。けどあたしたちに時間切れは無い。それに、そろそろあたしたちは、どうして地球にガンマ線バーストシャークがやって来たのか、その理由を考えるべきなんじゃないかな』

 

 かくして、わたしはあこちゃんとともに、当てのない旅へ出た。

 

 インドア派だったわたしがコロニーを飛び出し、世界中の海を渡り泳ぐことになるなんて。我が事ながら驚嘆する。

 

 目的はあれど目的地がない旅は、難航していた。差し当たって、わたしたちはより深い方へと進路を取りつつ移動している。

 

「……最も深い底の底は、海の奥の奥とも言い換えれる、なんてリリックでしかない根拠だけど」

 

 最深部にはまだ誰も見つけていない秘密が眠っている可能性は高いだろう。それが例えゼロに近い可能性だとしても。

 

 とうに光は届かない。計測器が無いのでたしかなことは言えないが、わたしたちは深海と呼べる深さまで潜っていると思われる。

 

「深海って結構簡単に来れるんだね」

 

「普通は、無理だよ……水圧で潰されちゃうから……」

 

「でもあこたち、コロニーにいたときから身体の調子は変わってないよね? フカきものども(シャーク・ワンズ)の身体がそれだけ頑丈ってこと?」

 

「うん。たぶん、そうだよ……元々深海にしか生息してないサメだっているし、フカきものども(シャーク・ワンズ)には深海に適応できるポテンシャルがあったんじゃないかな……」

 

「じゃあその気になれば、あこたちは陸の上も土の中も、雪山や空、宇宙だって泳げちゃうってこと!?」

 

「うん。サメだからね……やれないことは、ないと思うよ」

 

 あこちゃんはきらきらと目を輝かせている。

 

 このように、一片の光がない環境でも、わたしはあこちゃんの顔を視認できている。視界に色は無いが、数メートル程度の距離なら姿形の判別は容易にできた。人間の眼球ではありえない。サメの目もそこまでよくはなかったと思う。そもそも、わたしはずっと陸にいたときと変わらぬ視界を維持していた。空気中と水中では光の進み方が違うというのにだ。

 

 フカきものども(シャーク・ワンズ)の肉体にはわたしたちが把握していない機能が山ほど隠れているのだろう。その辺りは次日菜さんに会ったときに聞いてみるといいかもしれない。きっと世界中の誰よりも、フカきものども(シャーク・ワンズ)の生態について詳しくなっているはずだから。

 

 これまで見たこともないグロテスクな魚がわたしとあこちゃんの傍を通り過ぎたとき、ぽつりとあこちゃんが言葉を漏らした。

 

「なんか、変な感じ。ぴりぴりする」

 

 あこちゃんは泳ぐのをやめ、その場に留まる。そして注意深く、何かを探るように辺りを見回している。わたしはあこちゃんの傍に寄り添った。同じように周囲を観察するが、わたしに異常は見受けられない。

 

 けれど、あこちゃんが納得するまでは、わたしもジッと息を潜める。いまさらあこちゃんの鋭敏な感覚をわたしが疑うはずもなかった。

 

 五分か、十分か。ただ時間が過ぎていく。ほんの数メートルしか見渡せない暗黒の世界で静止していると、世界そのものが停まっているような錯覚を抱いた。

 

 闇の中であこちゃんがわたしに向き直る。

 

「ごめん、りんりん。たぶんあこの勘違い───」

 

 その瞬間、わたしの知覚範囲外から、わたしの胴ほどの太さを持った触腕が恐るべき速さでわたしたちに迫った。

 

 反応できたのは奇跡に近い。咄嗟に動けた自分を誇らしく思う。根拠のないあこちゃんの直感を愚直に信じ切った結果であるだけに。気を抜いた直後のあこちゃんではこの触腕から逃れられない。人体とは比較にならないフカきもの(シャーク・ワン)の脚力で、わたしはあこちゃんを蹴り抜いた。踏み込みもできない水中だというのに、水の抵抗を無視するかのような鋭い蹴り。わたし程度で達人のような真似ができるのだから、種族差の違いを実感する。

 

 あこちゃんの身体はくの字に折れ曲がり、無抵抗で蹴り飛ばされた。あこちゃんへは触腕の脅威は届かない。

 

 安堵の息を吐く間もなく、わたしは触腕に絡め取られた。全身に吸盤が張り付く。触腕だけでわたしの身長は超えている。

 

 ダイオウイカだ。

 

 わたしを捕食せんとする生物の正体をわたしは悟った。海の魔物はきりきりとわたしを締め上げる。潰されないよう、わたしは死ぬ気で抵抗する。人の身とは違い、フカきもの(シャーク・ワン)がどれほど筋肉という鎧をまとっているのかを実感する。しかしどれほど力をこめようとも、ダイオウイカと対抗できるほどではない。

 

「───、───」

 

 口端から血が零れる。堅牢な筋肉に守られている骨や内臓が軋みをあげる。雑巾を絞るように、身体をねじ切られそうになる恐怖。わたしは生命の危機を久しぶりに感じていた。死の足音が忍び寄る。

 

 わたしは必死に足掻いた。死にたくない一心で懸命にもがき続けた。けれど触腕の吸盤は外れない。もがけばもがくほど、わたしを締め付ける力は強くなる。

 

「ぅ───、ぁ───」

 

 喘ぐように大口を開ける。鰓を塞がれているわけでもないのに息ができない。文字通り、内臓が口から飛び出してしまいそうだった。

 

「りんりんを放せぇえええええッ!!」

 

 ───ああ。あこちゃん。折角ダイオウイカから逃げれたのに。

 

 鬼の形相であこちゃんが迫る。ひらりひらりと触腕を躱す様は舞踊のように見事だ。かつての身体能力や反射神経は、フカきもの(シャーク・ワン)になることで底上げされているとわかる。けれど、わたしを触腕から引き剥がす術はない。

 

 あこちゃんは笑う。ギザ歯を剥き出しにして、獰猛に笑う。

 

 あこちゃんが腕を振り上げる。彼女の掌からは、細長い、剣のようなものが伸びていた。

 

 わたしが疑問符を浮かべる間もなく、あこちゃんは腕を振り下ろす。ぞぷん、と音を立ててあこちゃんは触腕を断ち切った。

 

 その瞬間。わたしは海中を漂う浮遊感と、断面から溢れ出た血液に包まれた。

 

 すでにダイオウイカの姿はない。逃げたようだ。

 

「ふふっ」

 

 思わず、笑い声を上げてしまう。

 

「意外とあるんだね。ピンチのときに新しい力に目覚めるの」

 

「だよね。あこも自分でちょーびっくりしてる。りんりんを助けなきゃって思ってたら身体が燃えるくらい熱くなって、なんか出せるようになっちゃった」

 

 しゃこん、とあこちゃんは掌から剣の刃先を出す。一見すると骨のように見えるが、剣の表面には細かい気泡が次々と生じている。あこちゃんはそれでわたしの身体に絡みついている触腕を細かく刻んだ。斬れ味は驚くほどいい。両腕が自由に使えるようになると、わたしはあこちゃんと協力して、残りの塊を一気に引き剥がした。

 

「その剣みたいなもの、高速で振動してる?」

 

「うーん、みたい。なんでだろう? 蒸気鎖鋸(チェーンソー)のこと考えてたからかな?」

 

蒸気鎖鋸(チェーンソー)? どうして?」

 

「だって、あのでっかいイカをぶっ倒そうと思ったら、武器がいるでしょ? 一番使い慣れた武器って言ったら、やっぱり蒸気鎖鋸(チェーンソー)だから。なんであこは今蒸気鎖鋸(チェーンソー)持ってないんだーって思ってたらこうなった」

 

「───日菜さんのところまで戻ろうか。あこちゃんが今やったことが、紗夜さんを目覚めさせる鍵かもしれない。一度情報共有しておくべきだと思う」

 

「ホント? 紗夜先輩、起きてくれる?」

 

「それはまだわからないよ……けど、絶対一歩先へ進んだと思う」

 

「そっか……ひなちんの助けになったらいいな……」

 

「大丈夫。あこちゃんの力は助けになるよ……それと、遅くなっちゃったけど、ありがとう。久しぶりに本気で今回はもう無理って思っちゃった……」

 

「ううん。ごめんね、りんりん。りんりんが身体を張ってあこの盾になるときって、もう詰んでるときなんだよね。りんりんも、あこも、両方死んじゃうけど、それでもあこだけは守ろうとしてくれてるんだよね。───あこ、もっと強くなから! ちゃんと二人で生き残れるように強くなるから!」

 

「わたしはいつだって、あこちゃんを頼りにしてるからね」

 

 わたしたちは東京湾沖を目指して移動を開始した。道中はあこちゃんが目覚めた能力に名前を付けたり、体は剣で出来ているごっこをして比較的和やかに時間は過ぎた。紫外線が届かないギリギリの高さまで浮上したからか、ダイオウイカのような大物に狙われることもなく東京湾沖に辿り着いた。

 

 到着して早々我が目を疑う。東京湾が戦火に燃えている。

 

 わたしたちが不在の間に、第一次人鮫大戦が勃発していた。

 



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XX17 サメの根源はどこにあるのか?

「すごかったね! 大自然に呑まれたマチュピチュ! 結構時間経ってるのに、思ってたより綺麗に残ってたし、まさに古代遺跡って感じで迫力あった」

 

「そうだね。あの辺りはガンマ線バーストシャークの通り道近くだから、大勢が即死したことで逆に混乱が無かったんだと思うよ。さすがに無傷ってわけにはいかなかったみたいだけど……」

 

「そこがカッコよくない? こう、時間の流れを感じさせるっていうか───そう! 渋い!」

 

 マリアナ海溝の最深部でわたしはあこちゃんと談笑していた。その辺にある適当な岩石をクッションのように柔らかく変質させ、あこちゃんと海底に寝そべっている。よくわからないサメの力も日菜さんがほとんど解明してくれたおかげで、日常生活を少しだけ便利にするにはとても助かっている。

 

「次どこ行こっか? 水辺周辺の観光名所はほとんど行き着くしちゃったから、また陸を散策する? それともバミューダトライアングルにもう一回アタックしてみる?」

 

「アフリカの方はどうかな? あそこはまだ戦場になってないし、サバンナとかすごいことになってそう」

 

「たしかに。それはあこも見たいかなー」

 

 わたしはあこちゃんと話しながら、次の旅行計画を詰めていく。かつてないほどに穏やかな時間が流れている。とは言え、世界は今でも血生臭く、酸鼻を極めている。

 

 陸と海に別れた大戦はかれこれ三百年ほど続いていた。〈人類笑顔同盟(スマイリスト)〉とフカきものども(シャーク・ワンズ)の争いは現在進行形で行われている。留まるところも終わる兆しもまだまだ見えない。

 

 良いニュースがあるとすれば、地球の自然が回復したことくらいだろうか。もちろん世界中の海岸では死が溢れ、雑草一本、小魚一匹すら生息しない不毛の領域と化している。しかし戦火から離れた内陸や海原の真ん中では、雑多な生物が新たな生態系を形作っていた。

 

「オゾン層が直ってよかったぁ。やっといろんな生き物が見れるようになってきたもんね」

 

「酸性雨ももう降らなくなったしね……空気中に溢れてた二酸化窒素が酸性雨として地中に溶け込むことで、天然の窒素肥料になったし。植物が育つ地盤さえ整えば、あとは早かったね」

 

「海の中も、海面近くまでいろんな魚が泳ぐようになったし、泳いでいる魚も種類が増えたし。ごはんが増えるのはいいことだよ!」

 

 海の中でも、強力な紫外線によってプランクトンが死ななくなった。徐々にプランクトンを餌にする小魚が増え、さらに小魚を餌にする大型の魚が増えることにより、食物連鎖が復活した。

 

 街を歩けば死体が転がり、海一面に死骸が浮かぶ光景が失われたのだ。これは素直に喜ぶべきことだろう。その代わりに人とサメは三百年も時間をかけて、死体の山と血の海を築いたわけだが。

 

 この戦争は、一体どこまでエスカレートするのだろうか。新たな時代は世代の代謝が恐ろしく早い。次々と死んでいく生命を補充するため、〈人類笑顔同盟(スマイリスト)〉もフカきものども(シャーク・ワンズ)も生命の量産体制をとっている。

 

 いわゆるデザインソルジャー計画。人間をクローニングし、優秀な兵士となるよう遺伝子を改造する。懐かしき蒸気熊(スチーム・ミッシェル)も、今では効率良くフカきものども(シャーク・ワンズ)を殺すために人工知能を搭載しているほどだ。

 

 フカきものども(シャーク・ワンズ)も内情はさして変わらない。現在の同胞たちは徐々に人としての理性と知性を失った。実態はもうほとんどサメ同然だ。けれど効率良く人を食らうために、徒党を組み、狩りの知恵を磨く。

 

 最早倫理はない。相手を滅ぼすためなら何をやってもいい。〈人類笑顔同盟(スマイリスト)〉もフカきものども(シャーク・ワンズ)も、互いを打ち倒すべき宿敵と認識していた。

 

 かつて同じ種族だったことを覚えている者は一体どれだけ残っているのだろうか。フカきものども(シャーク・ワンズ)の古株はあらかた戦火に呑まれてしまった。母体となった〈ダゴン秘密教団〉を覚えているサメすらもういない。人類側も、あのころは長期的に記録を保持する考えなどなかった。ひょっとすると、歴史を追えるのはわたしとあこちゃんと日菜さんの三人しかいないのかもしれない。

 

 どこまでも残虐に、残酷に、ただ目の前の敵を屠ることだけに熱中する彼らを見ていると、その暴力性は人由来なのかサメ由来なのかわからなくなる。

 

「あ───」

 

「りんりん? どうしたの?」

 

「ううん、大したことじゃないよ……ただ、いまどこかで大量虐殺兵器が使われたなって」

 

「──────」

 

 あこちゃんは仰向けに寝転がり、耳を澄ますように目を閉じた。

 

「うーん、ダメ。あこにはわかんないや。ちょっと前までならあこの方が感覚鋭かったけど、もうりんりんには敵わないなぁ」

 

「そういう風に進化したからね……まだあこちゃんより鈍いようなら、わたしの立つ瀬がない、かな……」

 

 かつて日菜さんは言った。サメ因子によって安定した肉体を崩壊させ、再構築したのがフカきものども(わたしたち)だと。この考え方はフカきものども(シャーク・ワンズ)になることが終点ではなかった。まだ先がある。フカきもの(シャーク・ワン)の肉体を崩壊させ、さらなるサメへと進化できた。進化のプロセスを突き詰めていくと、あらゆる道がローマに通ずるように、一度はサメを介さなくてはならないというだけの話だ。

 

 あこちゃんはわたしをダイオウイカから助けるために、攻撃的な進化を果たした。わたしはそれを補うため、感知能力に特化する道を選んだ。三百年前の知識と照らし合わせると、わたしはハンマーヘッドシャークと同じ道筋を辿っている。

 

「サメエネルギー、だよね? りんりんが感じ取ってるの」

 

「細かく言うと活性化状態のサメ因子だけど……まあサメエネルギーを感知してるって言っても、間違いではないよ……」

 

「みんな簡単に使ってるけど、実はあこ、まだいまいちわかってないんだよね、サメエネルギー」

 

「そう? 原理的にはわたしたちが進化するのと同じだよ……? サメ因子が活性化することで物質が一度崩壊し、再構築される。その瞬間は膨大なエネルギーが生まれるから、物質が再構築する前にエネルギーだけを取り出して、別の用途に転用してる感じかな……」

 

 元々サメにはロレンチーニ器官というものが備わっていた。これは生体電流によって生じる磁場を知覚するための器官だ。ロレンチーニ器官は瓶の形をしており、ゼリー状の物質が詰まっている。瓶の底には知覚神経が通っており、その神経が磁場の変化を脳に伝えていると言われている。

 

 生体電流とはざっくり言ってしまえば、筋肉を動かす際に生じる電位差だ。移動するときはもちろん呼吸にも筋肉を使うため、餌となる魚が巧妙に隠れていたとしても、たちまち見つけて平らげてしまう。特にハンマーヘッドシャークはロレンチーニ器官を発達させたサメである。あの特徴的な頭部が餌を見つけ出すためのロレンチーニ器官なのだ。

 

 わたしはその器官を特化させた。感じ取るのは磁場の変化ではない。サメ因子の活性状態だ。副次的に発生するサメエネルギーの多寡も感じ取れる。

 

 マリアナ海溝の底部に居ながら、海面付近のいざこざを感知できた。地形が変わるような大規模な戦闘があったと見るのが妥当だろう。

 

 そして、ぐらりと地球が揺れた。

 

 海底の水が荒れ狂う。

 

「わっ」

 

 と、わたしが驚くと同時に、あこちゃんがわたしの上に覆い被さる。あこちゃんは身体から海底へ向けて剣を突き出すと、それをアンカー代わりに固定した。

 

 揺れが収まるまで十数秒ほど時間がかかった。

 

「───結構、長かったね」

 

 海流が落ち着くのを感じながら、わたしは口を開いた。

 

「うん。なんだか最近多いよね、地震。上の戦争も関係してるのかな?」

 

 剣を海を底から引き抜きながら、あこちゃんが言う。

 

「最近の地震って、揺れる瞬間にものすごく強いサメエネルギーを感じるの。ひょっとすると、どっちかが人為的に地震を発生させる装置を開発してたりするんじゃないかな……?」

 

「あー。サメエネルギー自体は原理が分かれば誰でも使えるから最近は〈人類笑顔同盟(スマイリスト)〉も使い始めたんだっけ?」

 

「おかげで定期的に核爆弾みたいな兵器をぽんぽん撃ち合うから、ちょっとした島国とか半島はもう残ってないところが多いと思うよ……」

 

「あーあ。あこたちの観光地がなくなっちゃったね」

 

「うん。タイミングさえ合えば、次は日菜さんと紗夜さんも誘いたいけど……陸地が無くなってないといいなぁ……」

 

 サメエネルギーの抽出に成功した辺りで、日菜さんは紗夜さんを完全なフカきもの(シャーク・ワン)に変生させた。そしてついに紗夜さんを目覚めさせることに成功したのだ。

 

 ただ、紗夜さんのサメ抑制因子はよほど強いのか、彼女は少し活動するだけですぐ休眠に入ってしまう。次目覚めるときは前回よりも多くのサメエネルギーを必要とするため、日菜さんはエネルギーの確保や抽出の効率化に奔走している。

 

 そこまで専門的な話になってくると、わたしたちに手伝えることはほとんどない。たまに日菜さんの気晴らしに付き合うのが精々だ。

 

「あ。また揺れそう」

 

 あこちゃんと話している間にも、わたしは海底からサメエネルギーが立ち上ってくるのを察知した。それを聞いたあこちゃんは、すぐさま先ほどと同じように、わたしごと身体を固定する。

 

 ほどなくして、またしても大きな地震がわたしたちを襲った。海そのものが撹拌され、巨大な津波が引き起こされる。今度は収まるまで時間がかかった。

 

「……りんりん? もう大丈夫そう?」

 

「──────」

 

「りんりん?」

 

「……なんだろう? 地盤の下にすごく活性してるサメ因子がある……」

 

「新しいサメが生まれたのかな? 地震もそいつが引き起こしてたり?」

 

「する、かもしれない……わたしたちって結構強い部類になったけど、なんか、下のは桁が違う……」

 

 わたしは久しぶりにひしひしとした緊迫感を味わっていた。一個人では太刀打ちできないような、巨大な暴威が迫る感覚。嵐がやってきたときは、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。それと似た感覚を久方ぶりに感じている。

 

 再び、強大なサメエネルギー反応がわたしの全身を駆け巡った。

 

「あこちゃん! もっと深く根を張って!」

 

 咄嗟に叫んでいた。あこちゃんのサメ因子が活性化するのを肌で感じる。

 

 その直後、わたしたちのすぐ間近で断層が起こった。地層そのものが隆起し、わたしたちが寝そべっている岩盤が捲り上がる。これまでとは比較にならないほどの乱流がわたしたちを打ちのめす。流されまいと、わたしは必死にあこちゃんにしがみついた。あこちゃんもまた、蟻の巣のように広く深く剣を岩盤へ打ち込んでいる。

 

 わたしたちがいるのとは反対方向のプレートが一部吹き飛んだ。圧倒的と言っていい質量がゴムボールのように跳ね回る。その度に海水は撹拌され、死を伴った津波が四方八方から混ぜ返される。

 

「──────っ!」

 

 あこちゃんの声にならない悲鳴が聞こえる。再び突き上がるような衝撃がわたしたちを襲う。わたしたちが根を張る岩盤が、大元の岩盤から剥がれ飛びかけたのを堪えきった衝撃だった。わたしの知覚器官が正しく状況を認識しようとも、それを処理するだけの余裕がわたしには無い。

 

 あこちゃんの限界も近い。どうにかしなければ二人とも死んでしまうが、スケールが違いすぎて打開策が思い浮かばない。蒸気機関の強化外骨格(パワードスーツ)や太古から恐れられた巨大な深海生物など、この驚異と比べれば児戯に等しい。

 

 震源ではいくつもの海流がぶつかり合っている。そのひとつひとつが数十万の命を奪うのに十分すぎる威力を秘めている。あこちゃんが耐え抜いているのは奇跡に近い。そして、奇跡は続かない。

 

 そのとき、わたしは見た。正確な視覚情報ではない。進化したロレンチーニ器官が捉えたイメージ図のようなもの。それが頭に浮かんだ。

 

 隆起した断層の狭間から、巨大な瞳が天を仰いでいる───

 



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XX18 サメ、再び

 地球が胎動する。

 

 外核が血液を模して流動する。灼熱の血潮は海水に触れ、海の一部を水蒸気へと変換した。膨れ上がった水蒸気の体積が、周りの海水を吹き飛ばす。外核と触れている水蒸気の一部がプラズマと化しながら、水蒸気は海面へ向かい浮き上がる。海底が空気に晒されたのもほんの一瞬。押し退けられた数トンにも及ぶ海水が、瀑布となって岩盤を穿つ。

 

 剥き出しの血管は、すでにマントルに覆い隠されている。下層マントルは筋肉となり、上層マントルは鱗へと変じた。地球全土でマントルにまで達する深刻な亀裂が入る。それは鱗と鱗の間に生じたただの隙間であったが、前代未聞の地殻変動は地球上のすべての生命に影響を与えた。地表は薄氷のように容易く罅割れ、ぽろぽろと宇宙空間へ剥がれ落ちる。

 

 重力すら変化している。時速一七〇〇キロメートルで行われている自転は止まり、物体が地面に引き寄せられる力すら一定には働いていない。地表で繁殖していた有象無象は塵芥のように、空気に揉まれ、海水に呑まれ、土砂に潰された。そして宇宙へ棄てられる。重力が崩壊するのは目に見えていた。

 

 卵の殻に付着していたゴミが、孵化に影響を与えることはない。

 

 地球はサメの卵だった。

 

 地球が孵る。

 

 ここに、アースシャークが誕生しようとしていた。

 

 渦を巻く膨大なサメエネルギー。かつてないほどの高密度なエネルギーはそのままわたしたちを溺れさせかねない。わたしとあこちゃんは岩盤に張り付いたまま、いずこかへ投げ出されていた。今いる場所が海なのか空なのかすら判断できない。ただ周囲に海水や空気があるだけで、とっくに宇宙空間へ出ているのかもしれなかった。

 

 わたしたちに残された時間は僅かしかない。わたしだって仮にもサメだ。宇宙空間で生存できるポテンシェルは持っている。しかし、地表から剥がれ落ちた落ちた、空気、海水、プレートが最低でもトン単位でぶつかり合う中を切り抜けられるかは別問題だ。加えて、あこちゃんは意識を失っているようだった。

 

 サメの真価が問われていた。

 

 高次のサメへの進化が必要だ。

 

 わたしは高密度のサメエネルギーを取り込んだ。劇薬を原液のまま飲むのと同義であり、わたしの肉体は崩壊をはじめる。意識的にサメ因子を励起させ、超高サメエネルギー反応に耐えれるよう、少しずつ器の拡張を図る。

 

 それは鉄を鍛える作業に似ていた。強靭に仕上げるため、熱い鉄を何度も打つ。製品が寿命を迎えれば、一度溶かしてまた一から鍛え直す。それと同じことを、わたしはわたしの肉体で行っている。

 

 新たな器が出来上がった瞬間に、わたしはまたしてもサメエネルギーを吸収し、自身の崩壊を招く。同時に、器の拡張と並行しながら、わたしはロレンチーニ器官を高位の器官へと発達させる。古代の生物が弱肉強食の世界でどう優劣をつけたのかと言えば、それは眼球という器官を生み出し、世界の在り様を正しく認識できるようになったためだ。

 

 視界がある生物は狩りでの優位性、または逃亡での優位性を確立できた。その点で言うと、わたしは未だサメに満ちたこの世界を正しく認識できている気がしない。

 

 わたしのロレンチーニ器官は特別性だ。はじめからサメ因子を感知することに特化させている。そして徐々に理解が追いついてくる。可視光の中でもスペクトルによって見える色が変わるように、ただ漠然とサメエネルギーと感じていたものの中でも、多様な性質をわたしは認識できるようになっていた。

 

 最早物質としての肉体は捨てた。器を拡張する過程で、サメエネルギーの伝導効率、吸収効率が悪いと判断した。細胞の一片に至るまで、サメエネルギーそのものへ転化させた。わたしは意識的に肉体の再構築を行わず、そのままエネルギー体として我が身を昇華させたのだ。

 

 彼我の境界をハッキリとさせ、アースシャークが生み出すサメエネルギーとわたしのエネルギー体との差別化を図る。これでわたしがアースシャーク誕生のために消費されることはなくなった。逆に、わたしがアースシャークのサメエネルギーを取り入れると、わたしのエネルギーとして染め上げ、わたしの一部として活用できた。

 

 これは食事の延長だ。

 

 規模こそ違えど、三百年ほど食物連鎖の頂点に位置してきたわたしと、サメとして生まれたばかりのアースシャークでは、糧を得るための経験に開きがある。アースシャークからサメエネルギーを奪い取れるだけ奪い取り、わたしはあこちゃんを伴って死地を脱した。

 

 すでにわたしにとっては死地でもなんでもなくなっている。大陸プレートの間に挟まれたとしても、わたしは何の痛痒も感じない。もう物理法則によって殺されるような次元には立っていない。

 

 けれどあこちゃんは別だ。気を失っている彼女にとって、ここは危険極まりない。わたしは簒奪したエネルギーで力場を作り、あこちゃんの身を守りながら月へと逃げた。

 

〝あこちゃん……あこちゃん起きて……〟

 

 月面に降り立つと同時に、わたしはあこちゃんに呼びかける。声を発するというより、思念を送っている。わたしにはもう声帯がない。エネルギーの伝播だけで、すべての意思疎通が図れる。しかしあこちゃんに目覚める気配はない。

 

 わたしはアースシャークの他に強大なサメ因子の励起を感じ取った。意識を地球があった座標へと向ける。そこでは生まれたばかりのアースシャークが、既存の系統樹から発生し得ない怪物に絞め殺されようとしていた。

 

 それは蛸のような頭部を持ち、頭足類の触腕を無数に生やしている。それには四肢があり、手足からは巨大な鉤爪が伸びていた。その鉤爪がアースシャークの身体を貫き、腕の長さを活かしてアースシャークの首を絞めている。アースシャークは逃れようともがいているが、怪物は背に生やしたドラゴンのような翼を広げ、バランスを取っている。

 

 そしてその怪物のサメエネルギーは、見慣れた翡翠色の輝きをしていた。

 

 アースシャークから血潮の役割を果たす外核が吹き出す。それは怪物の血肉に重大な損傷を与えた。けれど、半身を失って凍える悲哀と、世界を焼き尽くす赫怒は一向に収まらない。オーボエのようなくぐもった咆哮が思念に乗って拡散する。

 

 やがてアースシャークは怪物に首を圧し折られた。アースシャークに止めを刺すと、怪物も限界を迎えたのかぐったりと動かなくなった。どちらのサメ因子も確実に活動を停止している。

 

〝あこちゃん見て……わたしたちが地球最後の生き残りになったみたいだよ……イヴとイヴだね……〟

 

 返事はない。あこちゃんはわたしのぐったりと横たわったままだ。あこちゃんのサメ因子は弱々しいが活動している。死んでいるわけではない。わたしは先ほどの怪物を認識したことにより、紗夜さんを思い出していた。彼女の症例と同じというわけではないが、参考にはなるだろう。

 

 あこちゃんは栄養失調のような状態だと当たりを付ける。あこちゃんは自分とわたしを守るために、サメエネルギーを限界まで使い切った。岩盤に打ち込んだ剣を維持する力もそうだが、死地を潜り抜けるために肉体の最適化も行っていたはずだ。

 

 結果として、あこちゃんの身体からサメエネルギーが枯渇し、休眠状態に入っているのだと思われる。

 

 つまり対応策は簡単だ。わたしは自身の肉体の一部を退化させる。エネルギー体としての身体に、物質界に囚われた生身が作られた。それは人もサメも持ち合わせる臓器───胎盤である。サメは魚類でありながらすべての種が卵生というわけではない。そもそも鮫という字は魚が交わると書く。これはサメが交尾をする魚であるところに由来している。そして一定の大きさに育つまで子宮の中で子供を育てるサメもいるのだ。かつての身体機能を復活させる形で退化するのはさして難しくはなかった。

 

 わたしは胎盤から臍の緒を伸ばし、あこちゃんのお腹につなげる。そして腕を一振りし、月が持つサメ因子とサメエネルギーを根こそぎ奪い取った。月の構成物質を崩壊させ、純粋なサメエネルギーに変換する。そのエネルギーをわたしがすべていただき、そのままあこちゃんへ注ぎ込んだ。

 

〝あこちゃん……あこちゃん、聞こえてる……?〟

 

「……りんりん、脳に直接───ああ、ダメ。すっごく、眠い」

 

 あこちゃんの意識が回復した。空気ではなく、あこちゃんを覆うサメエネルギーが震えることで、わたしはあこちゃんの声を感知した。

 

 目覚めたあこちゃんは、本人の言う通り、とても眠そうだ。焦点の合わない瞳は、そのまま夢幻を見ているかのよう。

 

〝大丈夫だよ、あこちゃん……まとまったごはん用意するから、それまで寝てて〟

 

 返事をするのも億劫であるかのように、あこちゃんはこくりと頷いた。再び、あこちゃんの意識が落ちる。わたしはあこちゃんを抱いて、もっと上等な獲物を求めて移動をはじめた。

 

 後ろ髪を引かれたように振り返ると、満月の端を齧った跡から、かつての地球の残滓が見えた。

 

〝───さようなら〟

 

 もうなくなった故郷へ別れを告げる。想い出だけを引き上げて、わたしは地球の残骸を振り払った。

 

 あこちゃんを元気な姿に復活させる。そしてあこちゃんと、安住の地で幸せに暮らすのだ。

 

 わたしの願いはあのころから、何も変わってはいない。

 

 必ず、果たしてみせる。

 



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XX19 はじめに百合があった。百合はサメであった

 一体どれだけの時間が経過したのだろう。一年を地球が太陽を一周する時間と定義するなら、すでに前提が崩壊している。地球は無くなった。ほどなくして太陽系も消滅した。基準となるべきものは何一つ残っていない。

 

 いや、何一つ残さなかったと言うべきだろうか。当時のわたしは焦燥に犯されていた。何が何でも早くあこちゃんを目覚めさせなければと焦っていた。結果として、太陽系を構成する惑星や、惑星間にある衛星、宇宙塵、固体物質、大小問わずあらゆるサメ因子とそれが発するサメエネルギーを簒奪した。そのエネルギーは自己の進化とあこちゃんの生命維持に回した。最終的に、わたしは太陽を丸呑みできるほどに進化したのだが、あこちゃんが長時間活動できるようにはならなかった。

 

 氷川姉妹の焼き回しを見ているようだった。

 

 ヘイフリック限界というものがある。動物体細胞で起こるもので、平たく言うと細胞の分裂回数は決まっているというものだ。フカきものども(シャーク・ワンズ)は外的要因によってしか死なない。老衰がない、実質不死と呼べる存在だ。

 

 フカきものども(シャーク・ワンズ)にヘイフリック限界は無い。

 

 けれど、物質界に囚われている生物には、サメ因子の活性化に耐えられる回数が決まっていたとしたら。あこちゃんがその限界を迎えつつあるのだとしたら。進化の果てにあるのものが自滅なのだとしたら。

 

 そんな仮説を、わたしは思いついてしまった。

 

 わたしはこれ以上あこちゃんにサメエネルギーを注げない。

 

 あくまでも仮説だ。そういうこともあるかもしれない。けれどもし事実だったとすれば、他ならぬわたしがあこちゃんを殺してしまう。

 

 わたしは『壁』を突破した。肉体を捨ててエネルギー体となることで、わたしの意思が続く限り、わたしが消えることはない。けれどあこちゃんが、わたしと同じ道を辿ることはないだろう。わたしは高次の存在を認識するために、ロレンチーニ器官を魔改造した。それを足掛かりとして、肉体を捨てるに至ったのだ。

 

 いまのあこちゃんはほとんどを微睡みの中で過ごしている。もうあこちゃんに進化の方向性をコントロールできるほど、強固な自我が残っているとは思えない。

 

 わたしにできることはあこちゃんを延命させることだけ。フカきものども(シャーク・ワンズ)は不死なのだから、外的要因があこちゃんに影響を及ぼさないようにすればいい。

 

 あこちゃんを守るのは簡単だった。わたしの身体は恒星サイズにまで肥大している。それであこちゃんを包み込めばいいだけだった。あこちゃんのバイタルをリアルタイムで確認するために、物質化させた胎盤と臍の緒はそのままだ。名実ともに、わたしはあこちゃんを孕んだと言っていい。

 

 わたしの(ナカ)からあこちゃんの胎動を感じる。そんな非現実的な実感は一時わたしを高揚させたが、すぐ虚しさに取って代わった。

 

 あこちゃんとともに幸せに暮らす。

 

 それはこんな、介護染みた未来を思ってのことではない。

 

 しばらくの間、わたしは停滞していた。何かをする目的が見いだせなかったためだ。あこちゃんの鼓動に耳を傾けながら、かつての日々に思いを馳せていた。

 

 もしもあのころに戻ることができたなら───

 

 当たり前と言えば当たり前の思考。しかし、その思考にわたしは疑問を持った。

 

 ───できるのではないか?

 

 いまのわたしは太陽系の総計よりも大きなエネルギーを抱えている。このまま肥大と進化を繰り返していけば、やがて不可逆すら可逆にできるのではないか。

 

 どこまで行ってもサメはサメ。けれど、どこまでも行けるのがサメなのだ。

 

『壁』は突破できるとすでに我が身が証明している。どうせ無為に在ることしかできない身の上だ。挑戦しない理由がない。

 

 わたしは動き出した。差し当たって星雲や星団を対象とし、あらゆるサメ因子を食い散らかそうとした。

 

 乱獲は、一筋縄ではいかなかった。

 

 サメだ。

 

 太陽系があった座標から離れれば、そこにはわたしの行く手を遮るように数多のサメが泳いでいた。それらもかつては惑星だったのか、どれもこれも莫大なサメエネルギーを秘めている。質量はエネルギーと等価であるため、元になった惑星が巨大であるほどプラネットシャークも強大になる。恒星を元にしたスターシャークともなれば、常に体内で核融合を行っている。太陽よりも強く輝くスターシャークは数多くのプラネットシャークを食していた。

 

 翻って、わたしはエネルギーが質量を持つほどに高密度化した存在だ。

 

 出自こそ矮小な人間だろうと、一方的に食われる道理はない。わたしに物理攻撃が通用しないこともあって、サメとの食い合いはどちらがより貪欲に相手を貪れるかという勝負になった。惑星と同等の質量を持つサメを食い散らかし、着実に力を付け、やがてスターシャークすらも飲み下せるようになった。

 

 それこそ星が生まれ、死ぬまでの時間を、わたしは宇宙に存在する数多のサメを食らうことに費やした。

 

 惑星を食べ、恒星を食べ、その果てに、わたしは銀河へ牙を立てた。

 

 銀河とは恒星やコンパクト星が重力によって構成された巨大な天体を指す。ならばこの、地球を生んだ天の川銀河はすでに銀河とは呼べないのかもしれない。最早、天の川銀河に主だった天体は存在していない。すべてわたしの糧となった。

 

 渦を巻くようだった天の川銀河も今ではサメの形に変質している。けれど、このギャラクシーシャークはガワだけの存在と言っていい。ここまで大きくなると物質界に存在しているとは言い難く、わたしと同じ概念めいた存在だ。つまり、とても食い出がある。

 

 天の川銀河を一片すら残さず吸収し、わたしは正面から他のギャラクシーシャークと渡り合える力を手にした。次の次元に手をかけれるようになったのだと実感する。わたしはまた進化の道を一歩進んだ。

 

 そして、次の闘争が始まる。次の暴食を始める。

 

 わたしは有り余ったエネルギーからいくつかの星雲を生成した。わたしのサメエネルギーから作られた星雲を、飛び道具として活用する。それは容易く他のギャラクシーシャークに食われたが、むざむざと相手に吸収されることはない。存在を保ち続けるように、防護膜を徹底して作り込んだ甲斐があった。純粋なわたしのサメエネルギー結晶は、わたしの分身と言える。食べられた分身は、敵ギャラクシーシャークの内側から、相手を構成する星雲や星団を食い潰していく。

 

 要するに、内側と外側から同時にサメを食べているのだ。

 

 ひとつの銀河が発生し、終息するまでの時間をわたしはそうやって過ごした。

 

 最後の一匹になるまで。つまり、この宇宙でわたし以外のサメがいなくなるまで。

 

 すべての銀河を平らげると、わたしは宇宙へ牙を立てた。残された暗黒物質や細々とした宇宙塵をまとめてサメエネルギーに変換する。わたしはそのすべてを取り込んだ。ひとつの宇宙がわたしとなり、わたしは宇宙そのものになったのだ。

 

 そして、次の闘争が始まる。次の暴食を始める。

 

 わたしは複数のブラックホールを作り出し、衝突させることによって次元の壁を食い破った。さすがにこれは力加減が難しく、成功するまでに星が二つ三つ寿命を迎えた。けれど、一度コツを掴んでしまえば簡単だ。

 

 次元の壁を越えた先に存在するユニバースシャークの喉元に食らいつく。もうここまで来ると、サメの本能すら残っていないようだった。熱的死を迎えるだけの、膨張するだけの存在。自分以外の他者がいないからか、ユニバースシャークは無知蒙昧にして、盲目白痴と言える。『壁』を突破できなかったサメなど、わたしにとって格好の餌でしかなかった。

 

 無限とも思えた多宇宙をわたしはひたすら食らい続けた。それこそ宇宙が終焉を迎えるのではないかと思えるだけの時間が経過した。

 

 わたしが観測できる範囲で、ユニバースシャークの反応は消失した。わたしはサメ因子を活性化させ、溜まりに溜まったサメエネルギーをすべて使い切る勢いで進化の階段を駆け上った。わたしの存在が上位者へと昇華する。

 

 わたしが食い破ってきた次元の壁やその向こう側を、すべて観測下に収められる。わたしの外側には、もう如何なる生命も存在していない。

 

 世界とは、わたしを指す言葉になった。わたしこそが世界の中心である。

 

 わたしの内側にすべてがある。時間も空間もあらゆる次元を構成する要素が、わたしの中で渦巻いている。

 

 わたしは『壁』を突破した。そして───タイムボルテックスシャークへと進化したのだ。

 

〝随分、待たせちゃったね……でも、ここまで来れたよ、あこちゃん〟

 

 呟くだとか、念じるだとか、そんな次元の話ではなくなっていた。ひょっとすると、新たな概念を生み出しているのかもしれない。

 

〝約束を果たすよ、あこちゃん……今度こそ、二人で幸せに暮らそう……だからいま、産み直すからね……〟

 

 わたしはタイムボルテックスシャークとなった己を収斂させる。数え切れない物質、概念が『一』になるまで収縮する。

 

 わたしが極点となったそのとき、わたしの意識すら消失し───

 

 白金燐子の宇田川あこに対する愛が、天地開闢を伴って爆発した。

 



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XXXX エピローグ&ネクストプロローグ

 長い、長い夢を、見ていた気がする。

 

 

       ◇

 

 

「このあとりんりんの家で映画観るんですけど、よかったらみんなで観ませんか?」

 

 はじまりは、あこちゃんの何気ない言葉から。

 

 場所はCiRCLEのスタジオで、Roseliaの練習が終わったときのこと。各々が自分の楽器やシールドを片付けはじめる前に、あこちゃんが友希那さんたちに声をかけたのだ。声をかけられたわたしを除く三人は、三者三様の反応を見せた。

 

「映画? いーじゃんいーじゃん。みんなで観ようよ。そうだ燐子。お菓子とかジュースとか途中で買ってった方がいい?」

 

 いち早く今井さんが反応する。陽だまりのような笑みを浮かべて、あこちゃんの提案に賛同する。

 

「そう、ですね……。用意はしていますが、足りなくなるかもしれません……」

 

「オッケーオッケー☆ じゃあ途中でコンビニでも寄ってから燐子ん家行こっか」

 

 今井さんが取り仕切るように声を出すと、すぐさま「勝手に決めないでください」と氷川さんが今井さんの言葉に待ったをかける。

 

「紗夜はこのあと予定あった?」

 

「あります」

 

「ギター練習以外で?」

 

「……いえ、まあ、ギターの練習ですが───」

 

 セリフを先回りされたことでバツが悪くなったのか、氷川さんは明後日の方向へ顔をそらした。けれど、氷川さんに続くように、友希那さんも声を上げる。

 

「悪いけど、私も遠慮しておくわ。新曲の構想を練りたいの」

 

 予想できていたことではあるが、黙って成り行きを見ていた友希那さんも反対票を投じてしまう。

 

「そうです。映画を観ている暇があるなら、少しでも練習すべきではないですか?」

 

 いつも通りと言えば、いつも通りな光景だった。明確に自分の進むべき道を見据えているからこそ、どこまでも禁欲的に、人によっては自罰的とすら言いかねない練習量をこなしてしまう。そのとても同年代とは思えない精神力の強さには、わたしも見習うべき点が多い。

 

 そんな二人に今井さんは苦笑を浮かべながら応対している。

 

 賛成三で反対二。けれど別に多数決を取っているわけではないのだから、観たい人が勝手に観ればいいだけの話。

 

「えー! 折角なんですからみんなで一緒に観ましょうよー!」

 

 あこちゃんが嘆くように声を出す。

 

 いつもなら、ここで今井さんが「まあまあ」と二人をなだめ、いつの間にか言いくるめていたりするのだが、今日ばかりはいつもと違った。

 

「あ、あの!」

 

 わたしの喉からやや裏返りながらも、大きな声が飛び出したのだ。驚いた、とまでは言わないまでも、物珍しそうな視線がわたしの顔を貫いた。むしろ声量をコントロールできなかったわたし自身がわたしの声に一番驚いていた。不意に注目を集めてしまったことで、かぁっと紅潮しているのが自分でもわかる。

 

「あの……その……えぇっと、ですね───」

 

 先ほどとは打って変わって、今にも消え入りそうな、か細い声しか出てこない。なにか言わなければと焦るほど、捕まえるべき言葉は煙となってわたしの指の間から逃げていく。「あうあう」と言葉にもならない音を垂れ流していると、今井さんがそっとわたしに寄り添ってくる。

 

 ぽん、と今井さんはわたしの肩に手を添えて「大丈夫大丈夫。落ち着いて。ね?」と優しげな声を発した。

 

「は、はい……」

 

 わたしはまたも消え入りそうな声で応じると、心を落ち着けるために深く息を吸って、吐くことを繰り返す。ふとあこちゃんの方を見ると、あこちゃんは胸前で両拳を握り、頑張れ、と自信に溢れた瞳がわたしにエールを送っていた。

 

 友希那さんと氷川さんを見ると、二人とも静かにわたしの言葉を待っていてくれている。焦らなくたっていいことを、わたしはやっと実感できた。慌ただしく動いていた心臓が、少しずつ落ち着きを取り戻す。

 

 そうしてわたしはようやく、つっかえながらではあるものの、先ほどの続きを口にした。

 

「アウトプットの質を高めたいなら、インプットの量を制限すべきではないと思います」

 

 ふむ、と友希那さんはうなずいた。

 

「結局のところ、音楽も絵画も映像作品も、目指している場所は受け手に消えない感動を与えるという一点に尽きると思うんです。完成に至った作品は多くの情熱の上に成り立っているはずですし、媒体に関係なく、その情熱には感化されるべきではないでしょうか?」

 

「その情熱がRoseliaの音楽とは相容れないものだとしても?」

 

「相容れないからこそです。もちろん取り入れるものが多ければ、わたしたちの音楽は広がります。けれど取り入れてはならないものを知ることもまた、わたしたちの音楽を広げると思うんです。完全な無から新しいものを作ったとしても、それは絶対に先駆者がいます。なら、その先駆者の成功と失敗を分析して自分たちの糧にするのが一番賢い方法ではないでしょうか?」

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、ということですね。たしかに白金さんの主張には一理あります。映画なら劇中のシーンを盛り上げるという、バンドミュージックとは違うコンセプトで曲が作られていますし、新しい視点というのも必要でしょうしね」

 

「そうね。───わかったわ、燐子。私たちもお邪魔していいかしら?」

 

「は、はい。よろしくお願いします」

 

 一体何がよろしくなのかは自分でもわからなかったが、ともかくバンドメンバー全員を招くことに成功した。友希那さんも氷川さんも、どちらかと言うと理詰めで動く人なので、得るものがあるとわかればかなりの割り合いで応じてくれるのだ。

 

 そうして話がまとまると、今井さんがからころと笑い声を上げた。

 

「今日のリンコめっちゃ熱いね。なんだろ? 静かに燃えてるっていうの? 目がギラギラしてるっていうか……もうアタシは音楽の話とか関係なく、燐子のオススメが観たくなっちゃった」

 

「そう、でしょうか……? わたしは普通だと思いますけど?」

 

「そうだよリサ姉。りんりんはいつも通りだよ」

 

「うーん? そういうあこもいつもよりギラギラしてる感じがするんだけど───まあいいや。それで、映画って何観るの?」

 

「サメ映画です」

 

「サメ映画だよ」

 

 今井さんの問いかけに、わたしとあこちゃんは声を揃えて答える。

 

 わたしもあこちゃんも特段おかしなことは言っていない。ただ、彼女たちを沼に引きずり込もうと、宇宙の底の底のような深い闇を湛えた瞳でジッと彼女たちを見据えているだけだ。

 

「サメ映画……?」と友希那さんと氷川さんはそれぞれ小首を傾げ、今井さんは「おっと、はやまったか……?」と言いたげに引き攣った笑みを浮かべていた。

 

 

       ◇

 

 

 運命は巡る。二人の因果は螺旋を描く。さながら、DNAの二重螺旋に沿うように。

 



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異なる宇宙の片隅より

 サメ映画はノンフィクション。

 

 この言葉はすべて真実である。地球人類はサメに襲われ、サメと戦い、サメとともに滅んだ。実際に体験した出来事は集合的無意識に保全され、遺伝子レベルで我々の根幹にその恐怖を刻み込まれている。極一部の感受性の高い人間が前宇宙の記録を思い返し、かつてあった危機を忘れないため啓蒙活動を行っているのだ。

 

 人類とサメが鎬を削り合った戦いは、時に映画となり、時に漫画となり、時にゲームとなり───そして、時にWEB小説として、あなたへ世界の真実を知らしめている。

 

 元々サメは処女懐胎を成す、単為生殖が可能な生物だ。世界そのものと化した白金燐子は、自分の持ち得るすべてをそのまま次代の世界へと継承した。全能となった白金燐子に、遺伝子の多様性を高めるような手順は必要ない。

 

 白金燐子は宇田川あこを産み直すついでに、全宇宙を産み直したのだ。

 

 白金燐子によって産み直されたのは作中の世界だけではない。そこには読者たる、あなたの世界も含まれている。

 

 白金燐子が極点にまで収斂する際、彼女の体内ではあらゆる物理現象がサメを伴って発現していた。ちょっとした分子の結合からはじまり、超新星爆発に至るまでだ。その際、彼女の中ではガンマ線バーストシャークが誕生していた。

 

 繰り返すが、これは全知全能たるタイムボルテックスシャークへと至った白金燐子が極点へと収斂していた最中の出来事だ。そこでは時間の流れすら一方向ではなかった。時流は渦を巻き、時に逆転し、崩壊の一途を辿る空間は軋みを上げて罅割れた。そしてガンマ線バーストシャークは奇跡的にその歪みから、白金燐子の外側へ脱することに成功したのだ。

 

 宇田川あこを求める白金燐子の想いを十全に引き継いだ状態で。

 

 かくしてガンマ線バーストシャークは過去あるいは未来の地球へと到達した。そしてガンマ線バーストシャークの到来により、地球全土のサメ因子が活性化したのだ。結果として地球上のあらゆる物質がサメとして再構築された。カエルの子がカエルであるように、サメの子はサメの因子を受け継いでいる。努々忘れてはならない。あなたの中にもまた、サメは眠っているのだから。

 

 しかし安心して欲しい。あなたの世界は令和世界線へと分岐した。あなたの世界にガンマ線バーストシャークが訪れることはない。

 

 やがてユニバースシャークと肩を並べるようになった白金燐子が次元の壁を破り、あなたがいる宇宙を平らげるかもしれないが、そのときには、あなたは数千億年前に死んでいる。

 

 さて、そろそろあなたも思い出しただろうか。サメへの畏敬を! 万物の母である白金燐子を! そうであるならば、かつてあった出来事を後世へ伝えるのだ!

 

 思い出していないと言うのなら、今すぐサメ映画を開いて啓蒙を高めよう!

 

 さあ! サメを讃えよ! りんあこを崇めるのだ!

 

 いあ! いあ! りんあこをすこれ!!!!

 




今回の更新で最終話となります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

最後に、このサメSFを総括した評価ポイントを入れていただけると幸いです。


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