神谷美羽は修羅場を招く (大庭葉蔵)
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その日、変態の芽は埋められた。

小説の執筆には慣れていません。しかし、込み上げるヤンデレ熱が抑えきれず、遂には拙い文章のまま投稿してしまいました。できれば長く続けたいとは思っています。


 東郷美森。成績優秀、容姿端麗、才色兼備、大和撫子、神世紀の小野小町。彼女を表す言葉は数知れないだろう。しかし、このような彼女を表す輝かしい称号の数々を一度にして全てひっくり返すような、一種の異常な、ある種倒錯した性癖を彼女は持っている。

 

 盗撮、盗聴、ストーキング、不法侵入、etc etc それはまさしく常軌を逸しており、おおよそ挙げられるような変態行為を全て、東郷美森は手を染めただろう。

 

 彼女の部屋は友奈と美羽から盗んだ私物で溢れているし、彼女のパソコンの中には膨大とも言える盗撮写真の数々が取り込まれている。毎晩のように、暗い部屋の中で盗撮写真映写会を一人で楽しんでいるのだ。

 

 そもそも、何故彼女はこのような犯罪を犯したのだろう。もちろん愛故の話なのだが、ここでは犯罪の始まり———馴れ初めを話そう。

 

 

 

 私、神谷美羽が東郷美森という少女と出会ったのは、春休みの真っ只中だった。そろそろ中学校入学が近づき、早咲きの桜ならば満開となっても良い頃合いの、春の風がとても気持ちの良い日でもあった。

 

 その日の私は親友の結城友奈とつい最近になって、私と友奈の家の間に割り込むように造られた和式の豪邸について話していた。

 

「あの大きなお家、誰が住むのかな」

 

「さてどうだろう。人が住んでる様子はないようだけれど」

 

 友奈の部屋の窓から二人揃って盗み見るようにしてその豪邸を覗く。覗き見の趣味はないが、あんなにも大きいと、気にしてしまうのは仕方ないのだ。

 

 可愛い女の子でも住んでくれれば直ぐに仲良くなってみせるけどなぁ。

 

 口から出そうになった言葉をぐっと堪える。口は災いの元、頼むから要らないことを口走らないでくれ。せめて友奈の前では……。

 

「あ、美羽ちゃん! あれ、あそこの人、あの家の人じゃない?」

 

「どれどれ。あ、本当だ」

 

 友奈の指が指し示す先の豪邸の前に、車椅子に乗る少女がいた。その少女は立ち止まって、自分の家を眺めていた。まるで自分の家に驚いているような立ち振る舞いが少し気になったのだが、私の関心の大半はその少女が、友奈に勝るとも劣らない美形だったことに寄せられていた。

 

「行こう友奈。せっかくだし、仲良くなっておきたい」

 

「どうして?」

 

 友奈が子供のように首をかしげる。

 

「どうしてって、仲良くなりたいからだよ」

 

「どうして仲良くなる必要があるの? よりにもよって、わたし以外の女の子と」

 

 不味い。これは、不味い。友奈の奴、深淵の底みたいな瞳をしている。友奈以外の人類と仲良くなる必要はないという事を、私に分からせるつもりだ。

 

「必要もなにも、あの女の子じゃあ学校生活に苦労するだろうからね。見たところ私達と同じくらいの年頃だし」

 

 我ながら聞いた相手の良心を刺激するような言い方だ。クソ、他の言い方は無かったのか。

 

「……美羽ちゃんは優しすぎるんだよ。うん、でも、それでこそ美羽ちゃんなんだろうね」

 

 友奈の顔に影が掛かる。ごめんよ、友奈。友奈の方が私の何百倍、何千倍も優しい子だ。

 車椅子に乗っている人への負担、日々の生活で溜まるストレス、理解しているからこそ、引き止めはしなかったのだろう。

 

 友奈の根底には必ず、壮大な人類愛がある。見ず知らずの人さえも助けたいと思う強い意志がある。私のせいで少しづつ狂ってきてはいるけども、未だその根底に変わりわない。だから、断れない、だから辞めることができない、誰かを助けるということを。

 

 私は、そんな友奈の優しさにつけ込む最低な人間だけれど。

 

「ありがとう。でも、友奈の方が優しいんだよ。私なんかよりもずっとずっとね。さあ、行こう!」

 

 

 

 

 彼女は、神谷美羽はわたしの手を引いて部屋を出た。手を握る力は強く、握る手は白く、艶々している。

 

 美羽ちゃんはいつもそうだ。いつも誰かを助けている。わたしはそんな美羽ちゃんが好きだし、そこが美羽ちゃんの魅力だと思う。

 

 昔はよく、彼女と共に見知らぬ人を助けていた。困り事を抱えている人はまるで磁石のように彼女へ導かれ、わたし達の前に現れた。

 

 わたしはそれを何よりも素敵な事だと思っていた。なにより美羽ちゃんと何かをするというのが好きだった。それが人助けだというなら尚更だ。

 

 今だってそう。今だって彼女の前には困っている人はよく現れるし、今だって彼女はわたしの手を引いてくれている。何も変わってはいない。

 

 変わったのは多分、わたしだ。いつだったかわたしは、困っている人を見ていても何とも思わなくなってしまった。むしろ、彼女が助ける有象無象に怒りさえ湧いてくる。

 

 でも、目に映る人皆んなを助けようとする彼女は眩しくて、とても美しくて、愛らしい。だからわたしは彼女の人助けを拒むことはできなかった。

 

 わたしは、彼女の笑顔が好きだ、静かな顔も好きだ、彼女の声が好きだ、匂いが好きだ、彼女の髪が好きだ。彼女の全てが好きだ、美羽ちゃんが好きだ、彼女が全て欲しい。そしてわたしは、彼女が人助けをしている姿もまた、食べてしまいたい程に愛おしいのだ。

 

 けれどもそれは、いつまで持つのだろう。わたしが彼女の全てを食べてしまわないのは、彼女を永遠にわたしのものにしてしまわないのは、単に彼女がわたしの手を、わたしだけの手を握っていてくれるからだ。

 

 ならば、彼女の手が離れてしまうとき、わたしはどうなってしまうのだろう。彼女は優しい、彼女は美しい、彼女は眩しい、その眩しさに目が焼かれても、満足できてしまうのだ。そんな彼女の優しさを、あの車椅子の少女は向けられてしまのだろう。

 

 今はいい、今はまだ彼女の左手はわたしの手を握っている。しかし、空いた右手は誰が握るのだろう。誰を握ってしまうのだろう。それはきっとわたしではない。彼女の右手は、誰かを助けるための手だ。わたしは彼女の左手に撫でられることはあっても、彼女はわたしを抱いてくれるわけではない。

 

 わたしは彼女の全てが欲しい。これから友達になるあの少女も、必ず同じことを思うだろう、彼女の香りに誘われて。

 

 もし美羽ちゃんが少女の手を取ったら、わたしはどうなってしまうだろう。もしも彼女が、わたしから離れることがあってしまったら、わたしは、何をしでかしてしまうだろう。わたしはそれがただ、恐ろしい。恐ろしい狂気に囚われてしまう。狂気に溺れたわたしなら、彼女は救ってくれるだろうか。

 

 嗚呼、彼女の髪が揺れる。白い髪は太陽に当てられて銀色に輝いている。輝いているのは、むしろ彼女自身なのだろう。

 

 

 家の前に、車椅子の少女は居なかった。居るはずがない。もうとっくに、家の中に入ったらしい。

 

 わたしは胸を撫で下ろして、美羽ちゃんにもう帰ろうと伝えるつもりだったのだが、彼女は既に、家のインターフォンを押していた。

 

 程なくして大人の女性が扉から出てきた。女性は胸を打たれたような顔をして、美羽ちゃんを見ていた。それもそのはず、彼女はモナリザよりも美しいのだから。

 

「あの、ここの家の人ですよね? ずっと挨拶しようと思ってたんです!」

 

「あ、あら、そうなの……」

 

 女性はしどろもどろになりつつも、その瞳は、美羽ちゃんの姿を焼き付けようと、ギラギラ光っていた。

 

「私は、このお家の左隣の神谷美羽です!」

 

「なるほど……、神谷さんね……」

 

 女性の目が更に光る。その目は、完全に肉食獣のソレだった。あの汚らしい脳みその奥では、どうせ碌でもないことを考えているに違いない。

 

「わたしは右隣の結城友奈です。よろしくお願いします」

 

「ええ、結城さんね。これからよろしく」

 

 目だ、目が違う。彼女にもう魅せられてしまっている者の目をしてしまっている。

 

 一刻も早く、あの女性と美羽ちゃんを引き離す必要があった。そして願わくば二度とこの家に来ることがありませんように。

 

「今日は挨拶をしに来ただけですので、そろそろ帰ります」

 

 美羽ちゃんの前にも立ち、女性の視界を遮るようにして言った。

 

「あらあら、もう帰ってしまうの? 折角来てくれたんですから、どうぞ上がっていってくださいな」

 

「いえ、そんな、悪いですよ」

 

 流石美羽ちゃん、ナイスフォローだよ。大好き、愛してる、結婚して。いや、結婚してください。

 

「あら、残念ね。是非ともまたいらっしゃってくださいな」

 

 この女、全く残念そうな顔をしていない。愛想の良いその外面の裏で、何かを企んでいる、そんな顔だ。

 

「あ、そうだ! 折角ですし、家の娘にこの町を案内してくださらない? 今年中学生になる子なの。これから仲良くしてくれると嬉しいわ」

 

「お任せください!」

 

 美羽ちゃんが可愛らしく胸を張って答えてしまった。あの女、自らの娘から美羽ちゃんに接点を持つつもりか……。この女中々頭が回るようだ。これだから大人の女は嫌いだ。狡猾で、残忍で、ずる賢い。そしてその毒牙は周りの人間にも害をなす。

 

 ああ、どうか美羽ちゃん、そんな安請け合いはしないで、早く帰ろう? 

 

 とは思ったものの、結局美羽ちゃんが決めた選択には逆らえないのであった。

 実際、わたしの思いとは裏腹にあの女は娘を呼びに行ってしまった。こうなってしまえばもう、突き進むしかなくなってしまったのだ。

 

 時間は巻き戻らない。時間はわたしたちを置いて、先へ進んでしまう。まるで流れの速い川のように、もたもたしていたら溺れてしまう。ならば流れに乗る他ない。

 

 暗闇で光がよく目立つように、絶望の中でこそちょっとした事が希望へと変わるものだ。

 

 これは、チャンスだ。絶望が光を運んできた、そう考えればいい。あの女の娘をとことん利用してやればいい。

 

 狙うのは女と女の娘の共倒れ。それを成し、わたしは美羽ちゃんと二人で過ごしてみせる。

 

 

 家の奥から車椅子に乗った少女がやって来た。少女は不安で一杯の顔をして、こちらを見ていた。しかしその不安は、美羽ちゃんを見る事で歓喜の表情に変わる。もう魅入られてしまったか。

 

 わたしは美羽ちゃんの前に立っていたから、必然的に先に自己紹介をしなくてはならない。ここで良い印象を与えなくては……。

 

「わたしは、結城友奈。これからよろしくね。君の名前は?」

 

「わ、私は、東郷美森です。よろしく、お願いします」

 

 軽く握手を交わす。少女は緊張した様子で、わたしの手を握った。

 

「東郷さん、ね。かっこいい苗字!」

 

「そうですか? ありがとうございます……」

 

 その少女、東郷美森は、照れて赤くした顔を下に向けて隠していた。出だしは上々、これからが本番だ。

 

「私の自己紹介が済んでないようだけれど?」

 

「ごめんごめん」

 

 本当は美羽ちゃんが誰かにその姿を晒すのは嫌だけれど、仕方なく玄関を塞ぐのをやめた。

 

「初めまして東郷美森ちゃん。私は神谷美羽、よろしくね」

 

「不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 東郷さんは美羽ちゃんの手を両手でしっかり握っていた。

 先行きは依然、怪しいままだ。




東郷さんの回なのに東郷さんの出番がほぼ皆無です。原作からヤンデレみたいな方でしたから、動かしやすいですけどね。是非とも仲良くなってドロドロとした展開を迎えて欲しいものです。
友奈さんが全然友奈ちゃんしてくれません。むしろ主人公の方が友奈ちゃんですね。きっとあれがコミュニケーション能力の最高点なのでしょう。


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東郷美森は二人の天女を見た。

東郷さんの視点を書く時はカタカナを絶対に使わないよう注意しています。もし、作者が東郷さんの視点でこれからカタカナを使うときは誤字だと思って報告してくれると泣いて喜びます。その他の感想でも何でも、作者は泣いて喜びます。未熟な文章ですけれど、見てくれている人がいるのは非常に嬉しいことです。泣いて喜びます。


 

 理性と本能というのは本来、共存できない。共存できない二つの存在が、人間という小さな肉体に収まっているのだ。

 

 私はできるだけ多くの美少女に愛されたい、できるだけ多くの美少女を愛したいという業の深い本能を抱えているが、それと同時に美少女の純情を弄んでまで本能を優先する私を嫌悪している理性がある。

 

 本能が唸りを上げる頃には理性は鳴りを潜め、理性が呻きを上げる頃、本能は息を潜めていた。

 

 私は、私が嫌いだ。理性がそう訴える。

 

 私は、私の思う通りの事を成せばいい。本能がそう囁く。

 

 二つの声を聞く私は、一体誰なのだろう。

 

 私は、神谷美羽なのか? なら、私の本能は誰だ、私の理性は誰だ。私は、私なのか? 個人は一人しか居ないのに、なぜ私は誰かも知らない私に苛まれているのだろう。

 

 私には私が一番分からない。

 

 

 

 私、東郷美森が初めて二人の姿を見たとき、神樹様が二人の天女を使わしたのかと思ったほどの衝撃が走りました。

 

 嗚呼、なんて綺麗な二人なのだろう。それはまさしく、崇拝に値するのではないだろうか。

 

 嗚呼、なんて優しい二人なのだろう。二人は私と友達となり、二人は、私のためにこの町を案内してくれると言った。

 

 私は、脚が動かない事も忘れて、今にも走り出しそうだった。

 

 身体が軽い。頭が浮いているようだ。脳みそが、何か心地よい何かに浸かっているような気分が私を包んでいた。

 

 一人目の天女、結城友奈ちゃんは私の後ろに立って、車椅子を押してくれた。

 車椅子の押し方を知っているかのような、手慣れた様子で私を押してくれる。看護師や、両親よりも優しいその手つきは、私を完全に安心させていた。安心して背中を預けられる。きっと、彼女が引いてくれる車椅子ならそのまま寝てしまえる程だろう。

 

 二人目の天女、神谷美羽ちゃんは、私の左側に立って歩いていた。

 嗚呼、彼女はもはや言葉に表す事も出来ない。嗚呼、彼女は素晴らしい。彼女は素敵だ。

 

 彼女の長い髪が揺れるたび、甘い香りが私の嗅覚を支配した。

 

 彼女の美しい声が空気を振動させるたび、私の聴覚を支配した。

 

 彼女の、その完成された姿が一度この瞳に映れば、私の目は彼女の姿を離さなかった。彼女は、私の視覚さえも支配していたのだ。

 

 彼女の身体に抱きついて、私の触覚を満たして欲しい。彼女の、あの官能的な唇を貪って、口腔を犯し尽くして、私の味覚を支配して欲しい。

 

 彼女に、彼女という底のない甘美なる沼に、私は浸かっているような気がしていた。それと同時に私は、その沼から抜ける事など出来ないというのを悟ってしまっていた。

 

 時間は矢の如き速さで過ぎていった。気づけばもう太陽は傾いてしまい、夕日が大地を薄く照らしていた。

 

 早い、それはあまりにも早い。今までの人生で最も満ち足りた時間だったというのに、もう終わってしまった。

 

 彼女達とはまた会えるだろうか。私は一人、布団の中で考えていた。静かな夜の中で、私は一人きりだった。

 

 夜の闇は私を覆い、少しの光も差してこない。思えば彼女達といた時は辺りがいつもより輝いていた。それはきっと、彼女たちが太陽だったからに他ならないのだろう。太陽が私たちに豊穣の恵みをもたらすように、彼女たちは私に恵みを与え、車椅子に未だ慣れない私の世界を明るく照らしてくれていたのだ。

 

 ならば夜はいわば、太陽のない世界だった。

 

 私の部屋はどうしてこんなにも静かなのだろう。彼女たちと早咲きの桜を見ていたときにはもっと、煌びやかな桜の花と、華やかな彼女たちの笑い声があったというのに。

 

 どうして私の隣に美羽ちゃんが居ないのだろう。

 ついさっきまでは、隣にいた。私の視覚と、聴覚と、嗅覚は未だに美羽ちゃんの幻覚を追っている。

 

 

 どうして、私の後ろには、あの可憐な桜のような少女、友奈ちゃんがいないのだろう。

 

 

 私が追っているのは、美羽ちゃんの影だけではなかった。私の身体は友奈ちゃんの影も同時に追っていたのだ。

 

 友奈ちゃんの姿を初めてこの目に焼き付けた時、とても可憐な美少女だと思った。天女だと思った。けれど、容姿的な美しさといえば、美羽ちゃんの方が断然上なのだと思っていた。どちらも同じ天女のような美しさだというのに、どこか違う。どこが違うのかと問われると、不思議と答えに詰まる。

 

 そして私は、一つの答えを見つけた。

 

 そもそも比べるという行為そのものが意味のない、おこがましい行為なのだということを。

 

 二人は全く違う人間だ。ならば比べる余地など初めからなかったはずなのだ。

 二人は崇拝されていても良い程に美しい。二人はあんなにも優しい。二人は、大事な大事な、愛しい友達だ。

 

 でも私は、記憶と脚を失ってからというもの、友達とはどんなものかも忘れてしまったらしい。

 

 友達は、直ぐそばに居てくれないと心が辛くなるものだっただろうか。友達は、私の心を掴んで離さないものだっただろうか。

 

 友達というのは、こんなにも愛おしいものだっただろうか。

 

 この1日で、私の中の友達という枠組みは崩壊してしまった。私は、彼女たちが居ないと胸が苦しい。彼女たちが今の私を作り上げた。嗚呼、彼女たちが欲しい。

 

 麻薬のように危険な、それでいて甘い、どこまでも身を落としてしまいそうな少女、神谷美羽が欲しい。

 

 いつのまにか私の心の深く底まで入り込んでしまった少女、この私に、未だかつてない幸福を与えたあの少女、結城友奈が欲しい。

 

 ああ、足りない。神谷美羽が足りない、結城友奈が足りない。彼女たちの声が、匂いが、もっと、もっと欲しい。

 

 彼女たちが、私には彼女たちが必要だった。あの幸福を味わったからには、あの砂糖のように甘い至福を味わってしまったからにはもう、それがない生活には戻れない。もう、戻りたくもない。

 

 ごめんなさい、途方もないくらいの強欲を抱えてしまって。ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 いくら心の中で謝ったところでそれはもう、謝りとしての意味を持ってはいなかった。ごめんなさいと、いくら表面を固めても、胸に秘めるこの思いは隠せるほど小さくはなかった。

 

 一人は、寂しい。よく覚えていないけれど、一人になったのは随分と久しぶりだったような気がしてならない。

 

 明日よ来い、朝よ来い。一刻も早く、私を迎えに来い。私が、夜の寂しさに押し潰される前に……。

 

 その日の夜、私は寝ることができなかった。

 

 

 

「東郷さん、優しい人だったね」

 

 わたしは、美羽ちゃんの部屋の中で呟いた。

 彼女に家族は居ない。親戚も皆、彼女を置いて他界してしまった。そのおかげで、わたしはいつでも美羽ちゃんの家に泊まる事ができるが、またそのせいで美羽ちゃんは誰よりも愛情に飢えているのだと思う。

 

「そうだね。お淑やかで強かでもあった」

 

「自分の脚で走り出そうとするくらいだからね」

 

「多分、そんな一面があるから、あんなにも強かに見えるんだよ」

 

 美羽ちゃんの言う通りだった。今日出会ったあの少女の目は力強く、生きる力に溢れていた。

 

 彼女、東郷美森の目は、他の人とは明らかに違っていた。初めて見た時、彼女の目は美羽ちゃんに魅入られた者の目をしていたと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 

 わたしは初め、彼女のことを間違いなく嫌っていたが、今ではそうでもなかった。

 それはわたしも体験したことのない事だったのだ。彼女の目は慈しみに似た何かで満ちていた。そしてその目は美羽ちゃんだけでなく、わたしにも向けられていた。

 

 でも彼女が彼女の家に帰るとき、彼女は捨てられた子犬のような目をしていた。そこが、なんというかこう、わたしの思いもよらない部分を刺激していた。

 

「心配、してるの? 今の友奈、心配してる顔だよ?」

 

「え……?」

 

 心配。思ってもみなかったが、それは的を得ているように感じた。わたしは、心配しているのだろうか。あの、他のとは違う少女を、狂愛に囚われていない彼女の事を……。

 

「ふふふ」

 

 美羽ちゃんがわたしに微笑んでいた。なんて可愛らしいのだろう、押し倒して欲しいのだろうか。

 

「美羽ちゃん、どうしたの?」

 

 キスして欲しいのかな? 

 

「てっきり私は、嫌がると思っていたよ。友達なんてのは」

 

 今だってきっと嫌だ。でも、ただ、彼女なら、東郷さんとなら仲良くできるような気がしていただけなのだと思う。

 

「美羽ちゃんが友達を欲しいと思うなら、その通りにするのが一番いい事だと、思う」

 

 わたしは酷い顔をしていたと思う。心にもない事を言って、美羽ちゃんを困らせてしまっているだろう。

 

「ごめん、友奈。ありがとう」

 

 美羽ちゃんがわたしの頭を撫でる。ああ、彼女は止まる事を知らない。放たれた矢のように、彼女は自らの思いのまま、突き進んでいた。

 

 彼女は明日も東郷さんの所へ行くのだろう。わたしを連れて。

 

 彼女は、わたしの思いを知っているはずなのだ。わたしが彼女以外の全人類を抹殺したい程に彼女を愛してるという事を。

 

 彼女はわたしだけを見てくれはしない。どうして、わたしだけを見てはくれないのだろう。わたしは、わたしはこんなにも、貴女だけを見て、貴女だけを感じているというのにどうして……。

 

 もう撫でてくれるだけでは、満足できなかった。わたしはもう、昔のわたしではない。わたしは、わたしという殻を破ってわたしになった。

 

 撫でるだけで満足するわたしは、もういない。

 

 わたしは彼女に抱きついて、ベッドに押し倒した。腰から肩に手を通し、彼女の胸に顔を埋めた。匂いが、彼女の匂いがわたしの鼻腔を通じて脳を揺らす。

 

 堪らない匂いだ。内なる獣性が彼女の服を剥げと叫ぶのを何とか堪えるのに必死だった。

 

「友奈……」

 

 彼女の手がわたしの後頭部に触れた。ゆっくりと撫でてくれていた。今なら、服に手を入れても許されるだろうか。

 

 

 わたしの理性が悲鳴を上げたその時、家のインターホンが鳴った。至福の時間を邪魔された怒りがふつふつと込み上げてくるが、むしろその怒りがわたしを冷静にさせた。

 

 この家のインターホンを鳴らす人間に、覚えはない。配達物は頼むはずもないし、回覧板はわたしの家に届くようになっている。

 

 当の美羽ちゃんも困惑した様子だった。ならば、彼女自身にも覚えはないのだろう。

 

 記憶を辿る、巡っていくと、心当たりが見つかった。東郷さんの母親、狂愛を眼に宿したあの卑しい女の姿が目に浮かんだ。

 

 間違いない。奴は、何か策を講じて、満を持して美羽ちゃんの前に現れるつもりだったのだ。だから、美羽ちゃんに東郷さんを差し向けた。己の都合のためだけに。

 

「無視しよう、美羽ちゃん。碌な事にはならないよ」

 

「でも、友奈のご両親かもしれない」

 

「それはないよ。今日は美羽ちゃんの家に泊まるって言ってきたから」

 

「そうだとしても、インターホンが鳴ってる。ドアスコープで覗いてみるくらいはいいでしょう?」

 

「まあ、そうだけど……」

 

 違和感、何かとてつもない違和感がある。しかし相変わらずインターホンはしつこく鳴っていた。イタズラにしてはやり過ぎだろう。

 

 

「あれ。誰もいない……」

 

 そう言って、美羽ちゃんが家の鍵に手を掛ける。外を見て改めて確認するつもりなのだろう。

 

 わたしの嫌な予感と違和感はそこで最高潮を迎えた。

 

「ダメ! 鍵を開けたら—————」

 

 

「こんばんは神谷さん。あら、結城さんも。お二人は仲がいいのね」

 

 時すでに遅し……。玄関の外には、奴が、あの狂気と狂愛に沈んだ東郷さんの母親が、下賎な視線を美羽ちゃんに向けていた。

 

 まさに、満を持して現れたのだ。




東郷さんの母親!名前はまだない!名前って、ありましたっけね。彼女、ぽっと出のモブキャラの癖に調子に乗ってますなぁ。嫌いじゃないですけれど。

いやぁ、ヤンデレは素晴らしいですよ。一度でいいから監禁されたい。可愛い女の子に限る。


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安息に至る門は狭く、その路は細い その1

今回は病み要素少なめです。この小説を書いていると、原作の友奈ちゃんがどんなだったか忘れてしまいます。作者にもっと力が足りていれば、もっと友奈ちゃんらしい友奈さんを書けるのですけれど……。


 

「こんばんは神谷さん。あら、結城さんも。お二人は仲がいいのね」

 

 ああ、なんて事だ。この女は敵だ。この家の敷居を跨がせるわけにはいかないというのに……。

 

 やめろ、やめろ、そんな視線を美羽ちゃんに向けるな。飢えた狼のような、闇夜を歩く強姦魔のような屑の視線を。

 

「あの、どうされましたか? こんな夜更けに」

 

 そうだ。出て行け、その姿を二度と見せるな。

 

「娘を案内してもらったお礼にね。あの子ったら凄く喜んでたから、何かお返しをしないといけないと思って」

 

 女は、食材が詰まったビニール袋をわたしたちに見せた。

 

 奴め美羽ちゃんに家族が居ないことを知っていたのか。いや違う、東郷さんと居た間に調べたのだろう。そして見つけたのだ、この家を訪ねる尤もらしい口実を。

 

「せっかくだし、晩御飯を作ろうと思ったの」

 

「え、いやそんな。そこまでしてくれなくても」

 

 上辺だけ遠慮していても美羽ちゃん、顔が嬉しそうだよ。

 

 けれどそれも、致し方ないことだ。ああ、彼女は今まで、大人に手料理を振る舞ってもらった事がなかった。大人の、母性的な愛情を注がれた事がなかった。わたしでは、注ぐことのできないその愛を、あの女は的確に突いてきたのだ。

 

「いいのいいの、遠慮しないで。料理は作りたてが一番美味しいの」

 

 料理を振る舞いたければ、お裾分けでもすればいい。出来立てもでも何でも、レンジやらオーブンやらで加熱すれば作りたてと大差ない。ならば何故わざわざ家まで来て作ろうというのだ。

 

 しかし美羽ちゃんは、側から見れば頼もしいように見えるあの女に、いまや少し心を許してしまっていた。

 

 時刻は丁度7時を回った頃合いだ。わたしたちが、晩御飯をそろそろ作り出そうかと言い出す頃合いでもあった。

 

 料理というのは大変だ。当たり前の事だが、片手間では終わらない。本来であるならば、こうして料理を作ってもらえるなら是非ともお願いしたい。それは、美羽ちゃんもわたしも同意見である。

 

 しかしわたしは、狂った頭の人間に料理をさせるつもりはない。何をされるか分かってものではない。

 わたしが美羽ちゃんを守らなくてはならなかった。

 

 奴はこの家の玄関を悠々と超えてしまった。わたしはかつて鍛え上げた正拳突きを奴に浴びせたかったが、すぐ隣には美羽ちゃんがいた。だから、暴力を振るう事はできない、彼女に奴の汚らしい流血を見せるわけにはいかない。

 

 ただあの女に、ナイフのように鋭い殺気を向ける事しか、わたしにはできなかった。

 

 奴は、何をするつもりだろう。媚薬でも入れて、彼女の身体を手に入れるつもりか。睡眠薬でも入れて誘拐するつもりか。はたまた、養子縁組の書類でも持ち出すつもりだろうか。

 

 燃え上がるような狂気を見に宿した奴ならば、何を犯そうと、最早疑問など持ちはしなかった。

 

 いざとなれば、包丁で脅す事も視野に入れなくてはならない……。

 

 わたしは静かに決意で身を固め、奴に注意深い目を向けた。

 

「ご飯は私が作るから、二人はお風呂でも入っておきなさいな」

 

「そんな……。いいんですか? そんなに良くして貰って」

 

「いいのいいの。任せておきなさい」

 

「ありがとうございます!」

 

 美羽ちゃん。どうしてそんなに無防備なの。どうして誰にでも心を開いてしまうの。確かにそれは素敵な事だけれど、わたしは美羽ちゃんが心配だよ。

 

 わたしが、守らないと……。わたしが守らないと彼女は、あっと言う間にその身を毒牙に晒してしまうだろう。それではダメだ。それだけはなんとしてもダメなのだ。

 

 彼女はもう十分傷ついた。儚く動く彼女の心は、もはや痛めつけられる事しか知らない。

 

 彼女は、誰かを疑うことを知らない。ああ、彼女は愛される事の本質を、愛するということの本質を知らない。

 

 それは彼女が長い間、狂気という名の道に身を置いていたからだ。初めてこの世に生を受けてからずっと。

 

 彼女を取り巻く狂気は、やっと消えつつあったのだ。最初の狂気である彼女の両親が死んで、第2の狂気である親戚も一人残らず死に絶えて、わたしだけが残っていたのだ。

 

 わたしが彼女を守る。彼女を傷つけて良いのはわたしだけだ。他の誰でもない、毛先一本から血液一滴まで絶対に守り抜いて見せる。

 

 守り抜いた先に、彼女は、美羽ちゃんはようやく理解してくれるだろう。愛しい彼女にはわたししか居ないということを。

 

 だからそれまでは誰にも邪魔はさせない。それが例え神樹様であろうと———。

 

 

「美羽ちゃんには先にお風呂へ行ってもらいました」

 

「そう。貴女は行かないの?」

 

「ええ。貴女さえ居なければ、行っていましたよ」

 

「そう」

 

 特に興味もなさそうに、黙々とカレーを奴は作っていた。台所でわたしに背を向けて。

 

 わたしは、奴を監視しなくてはならなかった。愛しの美羽ちゃんとお風呂に入ることも我慢して、奴が料理に薬を盛るかどうかを見ている必要がある。

 

 はっきり言って、今なら隠し持った包丁で殺す事ができるだろう。しかし、殺す事はできない。わたしの手は、震えてしまうのだ。

 

 わたしの手は未だにあの、命を刈り取る感覚を覚えていた。

 

「貴女、私のことをその気になれば簡単に殺せると思っているでしょう?」

 

「もちろんです」

 

 わたしがそう言い切ると、奴はまるで馬鹿にしたかのような、神経を逆撫でする声で笑い出した。

 

「ふふ、貴女そんな、女の子らしくない目をするものじゃないわよ。そんな歳で大人相手に包丁で脅しをかけるなんて、可愛げがない」

 

 どうやら包丁を隠し持っていたのはバレてしまっていたようだ。

 奴の顔、見れば見る程憎たらしい。それに、耳障りな声だ。こんな声で美羽ちゃんと例え少しの時間でも会話をしていたのだから、反吐がでる。

 

「貴女のような人間から美羽ちゃんを守るためには、なんとしても変わる必要があった。ただそれだけ」

 

「なら残念ね。私は何もしていていない。貴女に私を殺すことはできない」

 

「ここでは、です」

 

「それはどうかしらね。貴女は神谷美羽ちゃんに掛り切りではなくて?」

 

「彼女の名を呼ぶな!」

 

 わたしの体を怒りが満たし、爆発した。包丁を握る手に力が入る。気づけばわたしは、その鉄の刃を奴の胸元に突きつけていた。少し自制が遅れていれば、その身体に突き立てていたところだろう。

 

 神谷美羽という完成された名前の響きは、そう易々と放っていい言葉ではない。

 

 奴のような、低俗な欲望と、身の丈を上回る野望に満ちた人間が呼んで、汚していい名前ではない。

 

「彼女の名を呼ぶな。彼女を汚すな。彼女の人生に立ち入るな。彼女にその醜い姿を二度と見せるな。彼女を悲しませるな。彼女はお前のような屑の命でさえ、散れば悲しむような優しい人なんだ」

 

 わたしは思い浮かんだままに、思った事をまくし立てた。それはもう呼吸すらも忘れていた程で、明らかな動揺を示していた。

 

「そう、だからこそ貴女は私を殺す事ができない」

 

 奴は嗤っていた。嘲笑っていた。このわたしを、取るに足らない存在だと見下していた。

 

 ああ、くそ。まだ足りない。わたしに、敵を討ち倒す力が。

 

「さて、これで完成。薬も何もない善意100%のカレーがね。それじゃあね、また明日。貴女たちが来るのを待ってるわ」

 

 突きつけていた包丁を手で払われると、音を立てて落ちていった。涙が出そうになる程情けない音を立てていた。

 

 奴は堂々と、この家から去っていった。そして去り際に、わたしの耳元で囁いた。

 

「彼女の心は私が頂くわ。貴女は指を咥えて見ていなさい」

 

 ああ、奴は、最初から最後までわたしより精神的に優位に立っていた。わたしは、完膚なきまでに敗北してしまったのだ。

 

 わたしは、美羽ちゃんが来るまでの間に落ちていった包丁を元の場所に戻すことしかできなかった。

 

「あれ、東郷さんのお母さんは?」

 

 風呂上がりの美羽ちゃんは、いつ見ても可愛らしい。ああ、彼女とわたしだけが居る世界だったら、どれほど良かった事だろう。

 

 けれどその思い叶わず、その願い届かず、ただ彼女を取り巻く危険だけが変わらず存在していた。

 

「夜も遅いから、料理だけ作って帰ったよ」

 

「そっか、じゃあ二人で食べる? それとも友奈、先にお風呂入る?」

 

「二人で食べたい。お風呂はその後で入るよ」

 

 あの女が作ったカレーなんて、食べたくもなかった。

 

 美味しそうに食べる美羽ちゃんを観れたのは幸運だったけれど、わたし以外の人間が作る料理で笑顔になってしまうのは、どうしようもなく腹が立つ。

 

 結局わたしはカレーに殆ど手をつけられずに失意のまま残りの時間を無駄にしてしまった。

 

 カレーは全て処分した。これから暫くは、美羽ちゃんがわたしのためにカレーを作らない限り、屈辱が脳裏に蘇りそうだ。

 

 

 真夜中、わたしは美羽ちゃんの寝室へ忍び込んだ。昔は大きく感じたこのベッドも、身体が成長した今は、人が2人入ると少々手狭だ。

 

 彼女を起こさないように、慎重にベッドの中へ入る。この季節の夜はまだ冷え込み、少々手狭なベッドは彼女の体温と感触を十分に味わうためにはうってつけだった。

 

 ゆっくりと抱きしめると、彼女の身体は温かくて、彼女の心の内を表しているようだ。柔らかい身体はわたしを優しく包んでくれた。

 

 夜でもしっかりと彼女の顔は確認できた。わたしのすぐ目の前に彼女の安らかに眠る顔があり、魅惑の唇がわたしを誘っている。

 

 誘われるがまま、その唇にわたしの唇を優しく合わせた。口に舌を入れるようなことはしないキスだ。

 

 できることなら、許されることなら、わたしの舌を彼女の口の中に入れて、暴れまわりたい。けれどそれは、彼女の望みでは無かった。

 

 彼女がその気ならばわたしだって、彼女を終わらない快楽の渦へ導くだろう。しかし彼女がその気にならないのは、その行為がかつて、冷たさと、痛みと恐怖のうちに与えられたからだ。

 

 ああ、それでも彼女は人を信じることをやめなかった。なんて強いんだろう、なんて気高いのだろう。それが例え無知から生まれたものだとしても、誰にも真似できない事だ。

 

 けれど今やその美徳は皮を破り、悪徳が本性を覗かせた。破ったのは彼女ではない。彼女の美徳を悪徳へと変えたのは、彼女の周りの屑どもだ。

 

 わたしはそれが心底我慢ならない。

 

 感傷を、自制を捨てろ、弱い自分を捨てろ、結城友奈。もう、失敗は許されない。

 悔しいが今のわたしはあの女の言う通り、美羽ちゃんから離れた脅威を殺す術はない。わたしは物理的にも、心理的にも彼女から離れられない、離れたくない。

 

 ならば彼女から離れずに脅威を消せばいい。わたしは、危険を彼女から離すことばかりを考えていたのだ。しかしいくら離そうと、危険は向こうからやってくる。

 

 来るなら来い、来ると分かっているなら準備すればいい。彼女に降りかかる厄災を、全てわたしが打ち払ってみせる。

 

 震える手を抑えろ、結城友奈。怖いのか、あの感覚が。肉を裂き、内臓を引きずり出す感覚が。

 

 震える手なら捨ててしまえ、そんな手で愛しの彼女を守ることはできない。

 

 物語の騎士のように、巨悪を殺せ、己の幸せを掴め。それは騎士を超えた勇者となる。

 

 

 わたしは、結城友奈は、勇者になる。神谷美羽を守る勇者へと—————。




なんというか、物語を進めるって大変ですね。未だ初心者の域を出ていませんから。こればかりは慣れるしかないのでしょう。どうか温かい目で見守って頂けると幸いです。

東郷(母)との本格的な対決は次回に持ち越しです。ああ、皆様が求めている修羅場に到達するまでは、遠い道のりになりそうです。早く勇者部を出さねば!


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安息に至る門は狭く、その路は細いその2

ま、まさか1週間も待たせてしまうとは。申し訳ないです。今まで数々のヤンデレ作品を見てきましたが、いざ自分で書いてみるとなると、ここまで難しいとは思ってもみませんでした。ヤンデレへの愛が足りないのでしょう。

お気に入り登録数45人突破ありがとうございます。


 朝が来た。曇り空を支える空気はより一層重く、息が苦しくなるような空気が重力に従って、地面に沈殿しているような気さえしていた。

 

 美羽ちゃんが起きてしまわないうちにベッドから外へ出た。

 

 抱きついていたわたしの体からは微かに彼女の香りが漂っていた。その匂いを堪能していると、今日を生きる活力が湧いてくる。

 

 わたしがうどんを茹でていると、眠たげな目を擦りながら美羽ちゃんが降りてきた。

 

 彼女の瞼は重く、半分無意識のうちに降りてきたのだろう。その尊い顔を観ていると頬ずりしたくなる。

 

 

 朝食の冷たいうどんは寝起きによく効いているようで、次第に彼女の意識は覚醒していった。

 

 彼女の顔を眺めながらわたしも、彼女と一緒にうどんを啜っていた。この空間は、この時間は誰も邪魔に入らない、まさに天国だ。

 

 

 彼女には好きな食べ物や、嫌いな食べ物というものがなかった。うどんが好きだと言っていても、それは全人類に当てはまる事だから知っていてもあまり意味はない。

 

 どんな料理が出されても特に目の色を変えることもなく、いつも食べているのだ。そんな彼女に対して好きな食べ物がないのかと聞いた事がある。

 

 返答は、『友奈と食べるご飯が好き』だった。

 

 わたしはそれが舞い上がるほどに嬉しかった。血液が全身に駆け巡るように、喜びがわたしの全身に駆け巡った。

 

 それからというものわたしは、進んで彼女の料理を作る事が多くなった。

 

 

 彼女がわたしの料理を食べて喜んでくれているということは、それはむしろわたしを食べて喜んでいる事と同じことではないだろうか……。

 

 ああ、それではあの女を食べて喜んでいるのと同じだ。

 

 それは、違う。彼女はわたしとご飯を食べるのが好きなのだ。そう、それでいい。

 

 それでも彼女にはわたしを食べて欲しいと思う。強引な彼女は好きだ。

 

 ああ、けれど彼女を食べ尽くしたいとも思う。わたしの思うがままにされる彼女も素敵だ。

 

 もしわたしが彼女を永遠にわたしのものとするとき、わたしはどちらかを選ばなくてはならないのだろうか。いや、選べるはずがない。

 

 しかし、どちらも実現する事は不可能に近い。不可能を可能にするのが勇者だ。わたしは勇者、できるはず……。

 

 

 

「ねえ、美羽ちゃん。美羽ちゃんは今日も東郷さんの家に行くの?」

 

 うどんを丁度食べ終わった彼女に話しかけた。聞かなくても分かる事だけれど、彼女といつも何か話をしていないと寂しい。

 

「うん。行くよ。友奈も来て欲しいな」

 

「もちろん。わたしも行く」

 

 わたしが答えると、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。

 

 今からわたし以外の人に笑顔を見せに行くのは腹が立つ。こんなにも、日が差すような笑顔はそう易々と見せるべきではないだろう。外出するときは、仮面でも付けた方がいいと思う。

 

「行こう、友奈。東郷さんは友奈の事も待ってるだろうから」

 

 

 わたしの手を今日もまた彼女は引いてくれた。ああやっぱり、彼女の笑顔を隠すなんて勿体ない。

 

 

 東郷さんの家へ着いたとき、やはりと言うべきか東郷さんの母親が出てきた。忌々しい、あの女が。

 

 奴は雲行きが怪しいからと言って、わたし達を家の中へ招待した。何か企んでいるのだろうか。

 

 東郷さんがいる部屋へ案内すると、お茶を出し、奴は微笑みながら家の奥へ消えていった。

 

 奴にはいずれ必ず始末をつける。それまで、精々背中に気をつける事だ。

 

 

 

「美羽ちゃん、友奈ちゃん、よく来てくれたわね。嬉しいわ」

 

 東郷さんはわたし達を名前で呼ぶけれど、自分の事は苗字で呼んで欲しいらしい。どうにも、変わった子だ。

 

「東郷さん……。凄い隈だけど、寝れなかったの?」

 

 昨日ぶりに見る東郷さんの変わり果てた顔を心配して、美羽ちゃんが声を掛けた。

 彼女の姿をその脳裏に焼き付けたのだ、1日や2日寝れなくたってどこも不思議ではない。

 

「ちょっと興奮していただけよ……。2人が今日も来てくれるのか考えていたら、なんだか落ち着かなくて……」

 

 欠伸を噛み殺しながらそう言っていた。

 初めて友達を作ったかのような初々しさを感じる言葉だ。ああ、そういえば初めて美羽ちゃんと会った日のわたしも眠れなかったっけ……。

 

「ダメだよ東郷さん。しっかり寝なきゃ。眠そうだし、寝てもいいんだよ?」

 

 わたしができるだけ優しく語りかける。けれど東郷さんはとんでもないと言いたげに答えた。

 

「いやよ! せっかく来てくれたのに、寝てしまうなんて勿体ない。一生の不覚だわ」

 

「春休みだってまだ残ってるし、わたしも美羽ちゃんも明日また来るよ。お昼までには時間もあるし、1時間でもいいから寝よう、ね?」

 

 その通り、と美羽ちゃんが頷いていた。わたし達の言葉に強く出ることが出来ず、これといった反論もできず、東郷さんはただ頬を膨らませていた。

 

「一日中起きているなんて、私達の年頃にはまだ早いよ、ほら」

 

 美羽ちゃんが着ていたパーカーを被せると、渋々といった具合で東郷さんは机に突っ伏した。

 

 あっという間に眠りに誘われ、その寝顔は幸せに満ちていた。美羽ちゃんの服、美羽ちゃんの匂い、それに包まれているなんて、なんとも羨ましい。

 

 いつの日か、美羽ちゃんを堂々と抱いて寝れる日が来るだろうか……。

 

 東郷さんに彼女のパーカーを掛けたように、美羽ちゃん自身がわたしに覆い被さってくれはしないだろうか。

 

 わたしは、そんな思いを視線に宿して、美羽ちゃんを見つめていた。

 

 

 

「なにか言いたげだね、友奈」

 

 私は、未だじっと見つめてくる友奈に向かって言った。

 

「一日中起きているなんて、わたし達の年頃にはまだ早いよ、ほら」

 

 少し気取った様子で、友奈が言った。なにかの意趣返しなのか、友奈が着ていた上着を私に被せた。

 

「友奈どうしたの?」

 

 あまりに突飛なことでつい頬が緩んでしまった。

 

「美羽ちゃんの真似。さあ、ほらほら美羽ちゃんも寝ていいんだよ?」

 

 机に肘をつき、友奈が私に笑いかけた。その大きな、綺麗な、ぱっちりとした瞳で見つめられると、どこかへ吸い込まれてしまいそうだ。

 

「ふふ、友奈が寝るなら私も寝るよ」

 

 気を紛らわすために、出されたお茶を飲む。

 

「あ、このお茶美味しい」

 

 私の言葉を聞いて、すぐに友奈も出されたお茶に手をつけた。

 

「ホントだ。ちょっと苦いけど」

 

 冷たい、それでいてさっぱりとした緑茶。未だ寒い春の朝にはあまり似合わない。

 

 けれど私は似合わないという事を忘れ、ただ急に、友奈の上着から漂う友奈の匂いがより一層強くなったような気がしていた。

 

 友奈の上着って暖かいな……。

 

 冷える夜、暖かいベッドの中へ入るような、そんな心地よさが私を包んでいた。

 

 気づけば友奈も、安らかな寝息を立てて眠っていた。私の意識もそろそろ限界だ。

 

 今までこんなにも心地よく眠りに入ったことがあっただろうか……。

 

 私の意識が揺らぎ、遠のいていった。

 

 

 

 私を呼ぶ声がした。

 

 朦朧とした重い頭、気だるい身体、私は明らかな不調に陥っていた。

 

 

「美羽ちゃん! 美羽ちゃん!」

 

 私を呼ぶ声は、友奈の声だ。悲痛な叫び、ああ、けれどまだ頭が重い。身体が微動だにしない。目も開けることができず、ただ、友奈の声に耳を傾けていた。

 

「起きて! 美羽ちゃん!」

 

「友……奈……?」

 

 ここは、何処だ。窓から差し込む僅かな光、埃臭い部屋、漆喰の壁、正面に見える大扉、そして私の右手側には両の手首につけられた鉄の腕輪から伸びる鎖で繋がれた友奈が。ここは、一体何処だ。

 

「友奈! その鎖は—————!」

 

 身体が、動かない。鎖に繋がれているのは私も同じだ。ただ違うのは、私は両方の手首と足首のどちらもしっかりと鎖で繋がれていることだ。

 

 壁には、葉書ほどの大きさの鉄の板が4本のネジで固定されていて、その板から鎖が伸びていた。

 

 幾ら何でも手際が良すぎる。こんなものを取り付けている時間が一体何処にあったというのだ。

 

 一体いつからだ、一体誰が、昨日今日で準備できるものなのか。

 

「美羽ちゃん!」

 

 友奈が私へ手を伸ばす。私を繋ぐ鎖は短く、体の自由は効かないが、友奈を繋ぐ鎖は長く、腕にしかないためある程度の自由は効いていた。

 

 しかし、私がいくら手を伸ばしても友奈の手を握ることはできず、友奈がいくら手を伸ばしても私の手を掴む事はなかった。

 

 万事休す、まんまと嵌められてしまったというわけか。

 

 

「目が覚めたようね」

 

 薄暗い部屋の扉が開く。開かれた扉から現れたのは、東郷さんの母親だ。彼女は扉を閉め、閂を下ろすと、悪魔のような笑みを浮かべて話し始めた。

 

「御察しの通り、貴女達は籠の中」

 

 ゆっくりと私たちの方へ歩き出した。彼女の歩みを止める者はおらず、悠々と、噛みしめるように歩いていた。

 

「もはや出る事も叶わない。一生ね」

 

 彼女が友奈の隣を横切る。友奈がいくら身体を動かしても、彼女に傷一つつける事もできない。

 

「結城さんはおまけだったけれど、この私の目的は果たされた」

 

 彼女が私の背後へと回り、ゆっくりと抱きしめた。

 

 彼女の手が私に触れた途端、壮絶な寒気と身に迫る危機感を感じ、小さな悲鳴が漏れた。

 

「ひっ……。いや、やめてください……」

 

 彼女の荒々しい息が首に当たる。その息は荒く、盛った獣のようだ。

 

「貴女が悪いのよ……神谷美羽ちゃん」

 

 私の耳元に彼女の声が囁かれる。震える背筋、沸き上がる恐怖、私の視線は自然と友奈の方へ注がれていた。

 

 友奈は鬼のような形相で、私の方へ迫っていた。鎖が無機質な音を立て、友奈の動きを止めた。

 

 鎖の長さを超えた動きによって、友奈の両腕が鎖の力によって引っ張られる。それによって友奈は拳を振るう事ができず、ただ殺意だけを瞳に宿して、私の背後に立つ女の顔を睨んでいた。

 

「ああ! 怖い怖い。でも、誰が檻の中のライオンを怖がるというのかしら? ねぇ、美羽ちゃん」

 

 私の首筋を這うように彼女は舐めた。背中に氷を突然入れられたような悪寒が走る。

 

「お願い……ですから……」

 

「やめて欲しいの?」

 

 首を縦に振った。

 

「だーめ。だって貴女が悪いのだから。貴女がこんなにも可愛らしいからいけないのよ」

 

 女は私の着ているシャツの襟を両手で握ると力一杯引き裂いた。ボタンが弾け飛び、私の肌が露わとなった。

 

 ああ、どうして、どうして……。

 

「どうして……」

 

 私の微かな声は啜り泣くようにして、虚空に消えた。

 

 

「ああ、麗しの美羽ちゃん。貴女が今、完全に私の手の中にあるだなんて、なんて素敵な事でしょう」

 

 私の右耳を甘噛みした。

 

 襲う嫌悪感、巡る異物感、私はあらん限りの力で叫び声を上げたかったが、それがあのような人間に対して興奮を誘う事を知っていた。

 

 ただ黙り、目を固く瞑って、耐えた。

 

 

 

「ふふふ、可愛いわ、美羽ちゃん。貴女もそう思うでしょう? 結城さん」

 

「死ね」

 

 ぎちり、と鎖がまた音を立てた。

 

「貴女も変わらないのねぇ。でも、今から私が美羽ちゃんの、この香しい唇を犯したら貴女のクソ生意気な目も少しはマシになるかしら?」

 

「そんな事させない!」

 

「へぇ、今の貴女に何ができるのかしらねぇ」

 

 私の顔が奴の顔へと引き寄せられた。ギラついた目、恐ろしい眼光、私はその目を直視する事ができなかった。ただ怖くて、私は必死で目を逸らした。

 

「やめろ!」

 

 友奈が、かつてないほどの雄叫びを上げた。それに合わせて、また鎖にが音を立てる。

 

 殺す、殺してやると、友奈の殺意が私にまで伝わってくるが、その思いとは裏腹に鎖はビクともしなかった。

 

 

「やめろ? やめろですって? あら、私の聞き間違いかしら。"やめてください"でしょう?」

 

 屈辱を友奈は噛み締めていた。顔を伏せ、煮えたぎる怒りを抑えていた。

 

「やめて、ください」

 

「ええ、ふふ、よくできました」

 

 そう言って奴は私を更に引き寄せると、奴の唇と私の唇を合わせた。

 

 友奈の顔が絶望に沈む。ああ、初めからこうするつもりだったのか。

 

 歯と歯を押しのけ、舌が口内に侵入してきた、歯の裏側を舐め、舌を舐め、私の口の中を暴れまわったが、私は気持ちが悪いという事以外感じなかった。

 

 ただ、どこか虚しい、なにか悲しい。私はただ、友奈に絶望に沈んだ顔をさせた事がただただ、悲しくて仕方がなかった。

 

「やめろ! やめて!」

 

 友奈が叫ぶ。それはもう慟哭に近い。

 

 鎖が軋む、音が鳴る。友奈は私へと手を伸ばしたが、私はその手を握る事ができなかった。

 

 自然と涙だけが私の目尻から溢れた。それは、私の身体が泣いているのか、心だけが泣いているのか分からなかった。

 

 友奈も泣いていた。泣きながら叫んでいた。そこには嗚咽が混じり、声としての形を成していない。

 

 

「ああ、とっても素敵よ美羽ちゃん」

 

 ただ1人、奴だけは嗤っていた。

 

 長い長い接吻。奴は満足したのか、恍惚とした顔で言った。

 

「次に私が来るときは、此処を頂戴ね」

 

 私の下腹部を上から下へと指でなぞると、奴は私たちがいる部屋から出て行った。




本当は今回で東郷母には退場してもらおうと思ったのですけどね。しぶとく生き残ってしまいました。次回やっと決着がつきます。勇者部メンバーも早く出したいなぁ。

友奈さん達には、是非とも次回、頑張ってもらいたいものです。

できれば4日に一本のペースで投稿したいと考えています。


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冷たい底に沈む

4日に1本投稿するとか言ってたのはどこの誰でしょうか。他でもない、私です。はい、ごめんなさい。

さて、なんと評価バーに色が付いた上に、お気に入り登録が100人を突破しました!読者の皆様、本当にありがとうございます!

(誤字報告もよく届くようになってしまいましたけどね)


 

 私の目覚めはすこぶる快調だった。

 

 私の周りには、昨日の夜あれほど求め、渇望した美羽ちゃんの匂いが取り巻いていた。

 

 美羽ちゃんの上着……。値千金とはまさにこの事だろう。被さっているだけなのに、よく分かる。彼女の崇高な匂いが既に濃厚に漂っていた。

 

 ああ、これを直接鼻に当てて匂いを一身に吸い込んだら、私は一体どうなってしまうのだろう。

 

 手が震えているのが分かる。これは、武者震いだ。もしかしたら私は、今とんでもない事をしようとしているのではないか、そんな思いが巡る。

 

 震える手で、美羽ちゃんの上着を鼻に押し当てた。

 

 息が、止まる。私の心は、思い留まれと言っているのか。或いは、理性が止めろと言っているのか。

 

 もう、後戻りはできなかった。

 

 力一杯目を瞑り、思いっきり鼻で空気を吸い込んだ。

 

 瞬間、電撃が走った。鼻を通って直接脳髄へ響く感覚。私の意識が一瞬、吹き飛んだような気がしていた。

 

「す、すごい……」

 

 少しの間身体が痙攣を起こし、快楽の渦が巻き起こった。

 

 これほどの物を周囲に振り撒きながら生活しているだなんて、彼女の身の安全が心配になってくる。

 

 そして正気に戻って気づいた。

 

 美羽ちゃんと友奈ちゃんがいない。

 

 私は慌てて時間を確認した。現在、12時10分、完全に寝過ごしてしまったらしい。

 

 美羽ちゃん達が来たのが確か10時程、だとしたら私はかれこれ2時間近く間抜けな寝顔を彼女達に晒してしまったのだろうか。

 

 だとしたら、この東郷美森、一生の不覚。折角わざわざ家にまで来てもらった彼女達に、よもや寝顔だけ見せて帰らせてしまうとは! 

 

 口元に情けなく垂れた涎を拭き取り、急いで車椅子を動かして家を飛び出た。

 

 

 昼食も一緒に食べていっていいのよ? と、4時位まで引き止めるつもりだった。

 

 彼女達の写真を撮って飾る予定だった。

 

 なんだったら一緒に寝たかった。

 

 ああ、私の計画が全て台無しだ。

 

 美羽ちゃん達は今どこに居る。左隣の美羽ちゃんの家か、右隣の友奈ちゃんの家か。はたまた何処か別のところへ外出中か。

 

 私の直感に従い、家の門を左に曲がった。

 

 せめて忘れ物を届けて良い姿を見せ付けなければならない。美羽ちゃんの匂いを手放すのは嫌だけれど、仕方ない事だった。

 

 美羽ちゃんの家の前に立つ。

 

 そこはごくごく一般的な家。しかしその印象は、美羽ちゃんが居るかもしれないということだけで、神域のような神々しさすら感じてしまう。

 

 落ち着け、落ち着くのよ、東郷美森。美羽ちゃん達が出てきたら何と話せばいいかよく考えなければ、確実に言葉が喉から出てこないだろう。

 

 そんな失態は晒せない。優雅さが必要なのだ。

 

 "美羽ちゃん、忘れ物よ。今日は折角きてもらったのに寝過ごしてしまってごめんなさい"

 

 完璧だ。後は噛まずに言えるかどうか、どれだけ緊張を押し殺せるかに掛かっている。

 

 大きく深呼吸をして、美羽ちゃんの家の呼び鈴を鳴らした。しかし、待てども待てども誰が反応を示す事はない。

 

 美羽ちゃん達を呼んでみるも、反応がなく、どうやら留守のようだった。

 

 留守ならば仕方がないと、私は全速力で友奈ちゃんの家まで向かったが、友奈ちゃんのご両親にまだ帰ってきていないと言われてしまった。

 

 まさに骨折り損のくたびれもうけ。あんなにも心臓の鼓動を忙しく早めていたというのに、今はむしろそれが疲れとなって私に溜まっていた。

 

 すっかり意気消沈してしまった私は、勢いを落として車椅子を動かしていた。

 

 美羽ちゃんの匂いに包まれてもう一眠りしようと家の門をくぐると、蔵から出てくる母が見えた。

 

 母は非常にご機嫌な様子で蔵に鍵を掛けていた。

 

 あの蔵に錠前なんて付いていただろか……。

 いや、恐らく取り付けるための金具だけあって、つい最近になって鍵をかけるようになったのだろう。

 

「あら、美森じゃない。どうしたの?」

 

 私が母へ近づくと、にこやかに話しかけてきた。後ろの蔵などないような話し方だった。

 

「美羽ちゃんが忘れ物しちゃって……。届けたいのだけど、お母さん美羽ちゃんに会ってませんか?」

 

「いえ、見てないわ。忘れ物なら明日渡せばいいじゃない?」

 

 もうすぐお昼だからと、母は私の横を通り過ぎていった。

 

 

 私のすぐ横を通る瞬間、私は濃厚な美羽ちゃんの匂いを感じた。起きてから美羽ちゃんの家に行くまでかぎ続けていた匂い、愛しい美羽ちゃんの匂い、それはもう忘れられないものだ。

 

 その高貴なる匂いが、何故母に付着している? 

 

 とても強い匂いだった。まるで、強く抱きしめるようなことがなければ付かない程の匂い。

 

 ああ、母は嘘をついた。

 

 嫌な予感が駆け巡る。家に帰っていない美羽ちゃんと友奈ちゃん。蔵に鍵をかけた母、美羽ちゃんの濃厚な匂いを漂わせている母。

 

 それはなんとも、良くない事が起こっている気がしてならない。

 

 母は家の中へ消えた。その内に私は、母の目を盗み、蔵の前へ車椅子を動かした。

 

 この蔵をこれほどにまじまじと眺めるのは初めてのことだ。それは私が記憶を無くし、初めてこの豪邸に住むようになってから、そう時間が経ったわけではないからだろう。

 

 1年という期間は長い。家族は、私を時間の流れに取り残して、どこか遠いところにいるような気がしていた。

 

 何もかも、一つ残らず変わってしまった。家族も、家も、環境も。変わっていないのは、私だけだ。

 

 知らぬ間に、身体は成長していたが、心は成長していない。両親も、半分は他人となってしまった。ある日目が覚めたら病室で、脚が動かず、1年が経過したなんて言われて、どう日々を過ごせばいいというのだろう。

 

 見慣れた家は無くなった。私がかつて駆け回った家は、消えて無くなった。私は、かつての家にこそ居場所が有ったというのに。

 

 今の家に居場所はない。家族は今や、寄る辺ではなくなった。

 

 私の場所は彼女達の隣にある。神谷美羽と結城友奈、2人と一緒がいい。2人と一緒でなければ駄目だ。

 

 ああ、だからどうか、無事でいて……。

 

 

 

 

 蔵の扉を叩く。渾身の力を込めて、拳を振り下ろす。そして、叫んだ。

 

「美羽ちゃん! 友奈ちゃん! そこに居るの?」

 

 扉に耳を当て、中の音を探る。それは探るまでもなく私の耳が拾ってきた。

 

「東郷さん……? 東郷さんなの?」

 

 華麗な友奈ちゃんの声。その声はすっかり弱り切っていて、消え入りそうな声だった。

 

「そうよ友奈ちゃん! 大丈夫なの? 怪我はない? 美羽ちゃんも居るの?」

 

「平気! でもわたしも美羽ちゃんも鎖で繋がれて動けなくて……」

 

 くそ、私が間抜けにも寝ていたせいだ。

 

「分かったわ! すぐ助けるから待ってて!」

 

 

 

 ああ、大変な事になってしまった。何が大変なのか、どう大変なのか説明することもできないくらいに大変だ。

 

 状況の整理がつきそうにない。彼女達は、監禁されているのだ。それがどれだけ重大な事なのか、私には見当がつかなかった。

 

 監禁したのが、紛れもなく母だという事もまた、重要だ。

 

 とにかく、何かしなければならない。彼女達を助けに向かわねばならない。動かない脚で、未熟な心で、頼りない腕で、大切な人を救わなくてはならない。

 

 覚悟を決めなければならない。

 

 立てない脚で、奮い立たなくてはならない。

 

 勇ましい心を、持たなくてはならない……。

 

 

 

 

 

 ああ、最低だ、わたしは。美羽ちゃんを守ると決めたのに、くそ、くそ……。

 

 ただわたしは、見ていただけだった。彼女が、美羽ちゃんが貪られているところを、ただ、ただ。

 

 美羽ちゃん、泣いていた。声も上げず、静かに泣いていた。

 

 わたしはもう、あんな美羽ちゃんは見たくないのに、あんな目に遭わせたくはないのに、美羽ちゃんはただの女の子なのに、一体どうしてこんなことができるのだろう。

 

 大人は皆んなそうだ。こぞって彼女の心に傷を植え付ける。消えない傷を付けて、何が楽しいというんだ。

 

 狭く、暗い部屋の中でも、彼女の顔はよく見えた。

 

 彼女は目を開いていたが、その目に宿る光はなく、死んだような顔だった。活気のない表情は、完全に硬化しきってしまっていた。差し込む僅かな光が、ささやかに彼女を照らしていた。

 

 光を失った彼女は、呼吸すらしていないのではないかと思うほどで、開いた目は虚空を見つめていた。

 

 今の彼女は、完全に空っぽだ。中身もない。心もない。残された身体に、きっと美羽ちゃんは存在しないのだろう。

 

 ああ、その姿は以前見た彼女と同じだ。以前、両親に監禁されていた彼女と同じだ。

 

 わたしは、彼女がこれから一生傷つかないように奔走しようと誓ったというのに、小さなわたしは今こうして囚われてしまった。

 

 ああ、最低だ。こんな様でわたしは、本当に勇ましい者にはなれない。わたしには、足りない何かが多すぎる。

 

 ああ、美羽ちゃん、貴女を守れるなら、貴女が笑顔をみせてくれるなら、何だってしてあげたい。でもそれには、何かが致命的に足りなかった。

 

 

 

 

 突然にして、それは起こった。音が、扉を強く叩く音が辺りを木霊した。

 

 何度も、何度もその叩きつけるような、耳を塞ぎたくなるような音は続き、そして、砕けた。

 

 わたし達を捕らえていた扉が音を立てて粉砕された。外の光が入り込み、人の影を作っていた。

 

 今や無残に崩れ去った扉には、大型のハンマーを持った東郷さんがいた。

 

 ハンマーを放り投げ、わたし達の事を見やると、東郷さんはとても厳格な顔をして、わたしの方へ車椅子を動かした。

 

「友奈ちゃん……」

 

 東郷さんは、猛烈に何か言いたげな顔をしていたが、むしろわたしに掛けようとしている言葉を必死に堪えているようだった。

 

 ただ目に涙浮かべ、彼女はわたしに抱きついた。

 

「東郷さん……」

 

「ごめんなさい、友奈ちゃん、美羽ちゃん。私のせいで……」

 

 深く、深く、わたしを抱きしめた。

 

「ううん、東郷さんは悪くないよ。助けに来てくれたんだから」

 

 東郷さんは、名残惜しそうに抱きつくのをやめ、わたしの顔を見つめて言った。

 

「ありがとう、友奈ちゃん」

 

 涙で頬を濡らして、満面の笑み浮かべていた。

 

 東郷さんは自分の手で涙を拭き、小型のハンマーを取り出して、鎖が伸びている漆喰の壁を砕き始めた。

 

「……こんなの、許せない。2人をこんな目に遭わせて、許されるはずがない」

 

 決して手を休める事はなく、東郷さんは呟き始めた。その呟きに反応は必要ないのかもしれないが、わたしの口は動き出した。

 

「昔からこうだった。美羽ちゃんを見た大人達は眼の色を変えて、捕まえた」

 

 作業に込められた力が更に強くなったような気がした。東郷さんの顔に影が差し、怒りを込めているように見えた。

 

「どうしてそんなことを……!」

 

 少し崩れた鎖の周りの壁に東郷さんは小型のバールを差し込み、テコの原理を用いて右腕の鎖を外した。

 

「監禁なんてしても、美羽ちゃんは心を開いたりしないのに……」

 

 わたしはそう呟いて、ふと、美羽ちゃんを見た。わたしに釣られて東郷さんも美羽ちゃんを見た。

 

 ピクリとも動かない彼女。野に咲く花のような彼女。ああ、きっと誰かが囲いを作ってあげないと、風で吹き飛ばされてしまう。

 

「美羽ちゃん……」

 

 この呟きは誰のものだろう。わたしのものでもあって、東郷さんのものでもあったように思える。

 

 ああ、彼女は、心底美しい。そんな彼女を泣かせてしまったことが、わたしは悔しくて堪らなかった。

 

 

 わたしの鎖を壁ごと外す作業は、順調に進んでいた。漆喰はほんの2、3ミリしかなく、下は土壁になっているから、漆喰さえ壊してしまえば、砕けたも同然だった。

 

 もちろんそれは、邪魔が入らなければの話だ。

 

 

 扉の前で、食器が崩れる音がした。

 

「お前……!」

 

 奴が来た。足元には食器と、溢れた昼食がばら撒かれている。顔を歪ませる程の憤怒を纏って、奴は立っていた。

 

「お母さん……」

 

 奴は東郷さんを睨みつけると、大型のハンマーには目もくれず大股でこちらに向かってきた。その歩き方ひとつひとつに怒りが感じられた。

 

「東郷さん急いで!」

 

 壁を砕き、東郷さんがバールを差し込んだと同時に、奴は拳を既に振り上げていた。

 

 衝撃に備え、自由になったばかりの右手を構える頃には、その拳は振り下ろされた。

 

 わたしを殴りつけるかと思われた拳は、東郷さんの頭を直撃した。車椅子から転がり落ち、痛む頭を手で押さえていた。その顔には戸惑いと、確かな怒りが写っていた。

 

 幸いなことにバールは差し込まれたままだ。わたしは急いでそのバールに手を伸ばしたが、横から入ってきたやつの手に引き抜かれてしまった。

 

「余計な事をするもんじゃないわよ。大人しくしていれば、痛い目を見ずに済んだものを」

 

 

 

 奴はバールを手に持って勝ち誇っていたが、今、勝ち誇りたいのはわたしも同じだった。

 

 ああ、今日は、何一つ上手くいかない日だと思ったけれど、今この瞬間は最高に運がいい。

 

 わたしは今、地に足を付いて立っていて、利き腕が自由の身だ。そして奴が今、わたしの距離にいる。わたしの腕が届く距離で、間抜けに勝ち誇っているのだ。

 

「大人しくしていた方が良いのは、お前だ」

 

 陰鬱とした部屋の中で、わたしははっきりと言い放った。一瞬困惑した顔を見せたが、奴は一呼吸の間に、わたしを馬鹿にしたような表情に変わり、けたけたと笑い出した。

 

「貴女はどうしてそんな態度しか取れないのかしら? ああ! もう見ているだけで腹が立つ!」

 

「腹が立っているのはわたしの方だ! 美羽ちゃんにあんな事をして、無事に済むと思うな!」

 

「あらあら、威勢が良いことで!」

 

 バールがわたしに迫る。痛みを覚悟で、そのバールを掴み取った。指か掌か、どこが痛いのか分からない程に痛む。

 

 けれどそんな痛みは、美羽ちゃんが感じてきた痛みに比べるまでもない。

 

 バールを力強く掴んだまま、一歩前に踏み出し、上体を正面に向けたまま奴の腹を蹴り抜いた。

 

「うぐっ……!」

 

 悲鳴をあげる事すら出来まい。腹を蹴り抜いたのだ、数秒は呼吸もままならないだろう。

 

 わたしはある程度の武道を経験している。全てはこの時のための稽古だった。

 

「わたしの勝ち」

 

 バールから手を離し、腹を抱えて地に膝をついている奴の顎に回し蹴りを食らわせた。

 

 顎を揺らせば、脳も揺れる。あっけなく奴は、地面に伸びていた。なにが起きたか理解する事もできず、動かさない身体に苦しんでいた。

 

 落ちたバールを拾い、わたしの鎖を外した。といっても、完全に外せるわけではない。わたしの手首にはまだ冷たい腕輪が付けられていて、そこから伸びる鎖を引きずっている状態だ。

 

 こればっかりは誰かに外してもらうしかないだろう。

 

 早く美羽ちゃんも助け出さなくてはならないが、その前に始末をつけなくてはならない事が残っている。

 

 奴に、東郷さんの母親に目を向ける。無残にも敗れ去った哀れな女に目を向ける。

 

 奴を生かしておく事はできない。けれど東郷さんはどう思うだろう。奴を始末したら、怒ってしまうだろうか……。

 

 

 次に東郷さんに目を向けた。東郷さんは腕の力だけで、地面を這いながらも奴に近づいていた。

 

 そして奴の首に、その白い手を伸ばした。煮えたぎる怒りを込めて、奴の首を絞めていた。

 

「お前のせいだ。お前のせいで2人はこんな目に……」

 

 奴の呼吸が小さなものに変わってゆく。奴は、ろくな抵抗もできていなかった。

 

「……ダメだよ、東郷さん」

 

 わたしは東郷さんの手を止めた。

 

「どうして! こいつは2人に酷いことをしたのに……!」

 

「……ありがとう。東郷さんは優しいね」

 

 東郷さんの両手を握った。とても綺麗な手だ。そして、自分の手を顧みる。

 

 ああ、なんて汚い手なのだろう。見えない血で、わたしの手は汚れてしまっている。

 

「東郷さんの手、とっても綺麗だよ。美羽ちゃんと同じくらいに。だからね、そのままの綺麗な手でいてほしいな」

 

「友奈ちゃん……?」

 

「わたしの手はもう、東郷さんや美羽ちゃんみたいな手には戻れないよ」

 

 手に持ったバールの先端の尖った部分を、奴の喉元に勢いよく突き刺した。

 

 悲鳴はない。ただ喉元から流れ出た熱い血液が、わたしの手を濡らす。

 

 ああ、わたしが殺した。もう手が震える事もなかった。簡単に、いとも容易く、死んだ。

 

 ああ、わたしは……。わたしは、何も感じなかった。悲しみも、喜びも。今この手の中で生命の灯火が静かに消えていったというのに。

 

 わたしの目から、涙が溢れた。わたしの頬を通っていくまで、自分が泣いていることに気付かなかった。もう嗚咽が混じる事もない。

 

 この涙は、わたしの何処が泣いているのだろう。心か、身体か、はたまたその両方か。

 

「友奈ちゃんの手は、汚れてなんかいない」

 

 東郷さんがわたしの手を握った。ぴちゃりと、握った東郷さんの手にも血がついた。東郷さんも、泣いていた。

 

 ああ、その血は、洗えば落ちる。けれどわたしにこびり付いた血は、洗っても洗っても、わたしの視界に映ってしまう。消えない十字架をわたしはまた、背負ってしまったのだ。

 

 

 

 美羽ちゃんの鎖は外したが、美羽ちゃんの意識が戻る事はなかった。光のない美羽ちゃんを優しく、丁寧に、彼女の家に連れて行った。

 

 彼女をベッドの上に寝かせ、わたしと東郷さんは彼女と同じベッドに入った。今日はもう、何もする気になれなかった。

 

 身も、心も、わたし達は限界だった。明日、警察を呼ぼう。わたし達はそう決めた。

 

 大人は信用できないけれど、このまま美羽ちゃんの目が覚めないかもしれない。

 

 わたし達には、美羽ちゃんが必要だ。傷ついた身体は、疲れ切った心は、美羽ちゃんが居なければ回復することもない。

 

 美羽ちゃんがわたしの支えで、美羽ちゃんがわたしの中心で、美羽ちゃんがわたしの全てだ。

 

 ああ、だからどうか、目を覚まして美羽ちゃん。どうかあの笑顔を、早く見せて……。

 

 




漆喰の壁だとか、友奈さんの戦闘シーンだとか、鎖に繋がれていたりだとか、色々書きましたけれど、設定や描写はかなり大雑把です。雰囲気だけお楽しみください。もし私が一度でも監禁を体験できていたら、もっと現実味溢れる描写ができるのですけどね。残念です。

投稿スピードは今後少しづつ落ちていくかもしれませんが、精一杯頑張ります!ストックを貯めないポンコツ投稿者ですが、今後ともよろしくお願いします。

次回、勇者部メンバー登場(予定)


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