ふたりぼっちのかみさま (きせのん。)
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ぷろろーぐ

 

 

 

 しかし、《それら》は動いていた。

 

──話が違う。

彼女はあわてた。

 

 長きにわたって彼女の内に巣食い、苦しめてきた《それら》 を封じる術。そんじょそこらの妖が扱うようなものではない。かの大賢者らが編み出し、霊験あらたかと謳われる代物である。決まった手順さえ踏めば、《それら》を完全に沈黙せしめる──はずだった。

 体外に追い出すことには成功したものの、《それら》は動きを止める様子を見せない。まるで彼女を嘲笑うかのごとく、身体を小刻みに揺するのだった。

 のこされた書物を読み込み、準備に準備を重ねた上で実行に至った。それなのになぜ──?いったいどこに不備があるというのだろう。

 

 そんな疑問が脳裏を埋めつくしたのも束の間。答えをだす前に、彼女の思考は恐怖で上塗りされる。《それら》のうち、一番大きな個体が襲いかかろうと近づいてきたのである。

 

──やめて!来るな!

 

 考えもなしに、手元にあった薬瓶を投げつけた。傍から見れば決して良い判断とは言い難い。むしろ逃げた方が賢明とも言えよう。彼女と対峙する《それ》は、もはや手に負えないほど凄まじい力を持つ存在なのだから。本来ならこの程度の足掻きなど、なんの足しにもならない。

 ただ、今の彼女にはそんな考えはなかった。

 

──もうここで終わらせなければならない。

 

 とどめを刺せなかった焦りと、一刻も早く目の前の敵を消すという意思。それだけだ。

 派手な音とともに中身が飛び散り、甘ったるい匂いが部屋を満たしたが、気にもとめなかった。

 

 幸運にも、例の術によって弱まったであろう《それ》には効果があったようだ。一瞬怯んだ隙を、彼女は見逃さなかった。

 

──こんなモノは、あってはいけない。

 

 彼女は《それ》に更なる術をかけた。指先から紡がれる術式は、連なり繋がり鎖となった。逃れようと暴れるそいつを、固く絡めて縛ってゆく。《それ》が二度と現れないように。誰とも接触しないように。

 

──もう見たくない。

 

・・・・・・こわかったのだ。突然湧き出て、わたしだけでなく、大切な人まで傷つけてしまう■■■■が。

 

 気づけば手に石を握っていた。あの術に使った霊石の一つだ。本来は戦いに使うものではないが、構わない。その切っ先を《それ》へと向ける。そして、やるべき事は一つ。

 

──さよなら。

 

 まるで楔を打ち込むように。ありったけの力をこめて、彼女は石を《それ》の中心に突き刺した。

 

 泣き叫ぶような断末魔が噴き出す。黒く濁った液体が、脈を打つようにあふれ出た。両者とも次第に弱まっていき、今度こそ《それ》は押し黙った。

 

 そして、何も聞こえなくなる。

 

 

 

 

 もう動かない《それ》を拾い上げ、すでに事切れている他のモノとまとめて、空へと放った。《それ》らは幾筋もの光となり、彼方に散っていく。限りなく穢れた存在であるはずなのに、最期はどこか美しいとさえ思える光景であった。

 

 事が全て終わるまで見届けたのち、彼女はぐにゃりと倒れ込んだ。安心からではなかった。

 なぜか、体が動かない。手足に力が入らない。疑問に思い、自身を眺めた。

 

 そこで今更、彼女は気づいた。

 

 ――己の胸に、大穴が穿たれている。

 

 今の今まで立てていたのが不思議だ。どうして今の今まで立てていたのだろうか。痛みはなかったのだろうか。

 力なく座り込んだ彼女の胸からは、とくとくと命が流れ出てゆく。ぽっかりできた空洞から漏れ出す錆びた赤。衣と、辺りを濡らしていくそれを、もはやどうすることもできない。

 術の代償は、それだけ大きかった。

 あとは、眠りの時を待つほかない。早い段階で分かっていれば、手を打つこともできただろうが。

 仕方ない、と彼女は思った。望んだ形ではないものの、これも彼女が『望んだ』結果。甘んじて受け入れるのが筋だろう。

 

 

 ――次に目覚めたときは、きっといい日が待っているから。

 

 

 少し笑って、彼女は目を閉じた。

 




初投稿です。よろしくお願いします!


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Ⅰ 青空
かみさま、おうちをなくす。


 どれだけ手を伸ばしたって、どれだけ高く跳んだって、届かない。

 でも、見上げたらどんな時もそこにある。その広い体で、自分を包みこんでくれる気がする。

 そんな空が、好きだった。


 心地よい鳥の声と風に揺れる草の音で、あたしは目を覚ます。草の中で身を起こすと、徐々に空腹感を覚えた。だいぶ昼寝してしまったらしい。太陽はすでに南西の方に移っていた。

 

 とりあえず帰って食べよう。今朝採った栗の入った籠を持って立ち上がる。

 

 ――っと、何か固いものを踏んづけた。足元の草の中にキラリと光るものがある。危ない危ない、(ハサミ)を忘れていた。地面に立てたら腰まである、でかくて重いこいつ。ずっと昔から一緒の、頼もしい相棒だ。これを使って木の幹に印を刻んだり、身を守ったり。山で暮らしていくには欠かせない。

 

 鋏を拾い上げ、大きく伸びをする。そして、家に向かって歩きだした。

 

 

 

 

 格子戸と屋根のついた、薄汚れた箱。高さはちょうど背丈くらい。これがあたしの家だ。

 

 扉を大きく開けて身を乗り出す。一瞬、頭から何かに吸い寄せられる感覚。次の瞬間には、薄暗い空間に着地していた。手足をめいいっぱい伸ばして転がりまくれる程度の広さはある。雨風をしのげるし、夜もさほど寒くない。朽ちた木の臭いを気にしなければ、寝泊まりするにはもってこいの場所だ。初めてここを見つけたときは、本当に驚いたものだった。

 

 大きめの鍋を出し、水をたっぷり入れて火にかける。その中に昨日から水に浸しておいた栗を入れる。しばらく待てば美味しいゆで栗の完成だ。

 その間、特にやることもない。気がつけば懐に入った丸く小さな板をいじくっていた。大分汚れてはいるものの、山の木々や石にはない、白く独特な光沢を持っている。これは〈オカネ〉と言うらしく、先日突然現れた〈人間〉と呼ばれる生物のものだった。

 

 確か、日差しの暖かい昼だった。うちでうたた寝していると、彼らが四体ほどやってきた。同類なのか、山で見る他の動物より姿かたちがあたしに近く、発する声の意味もいくぶん理解できた。少し興味が沸いたが、何をされるかはっきりしない以上、中から様子をうかがうだけにとどめておいた。

 彼らは家の前に立ち、仲間内でひとしきり話をした。

 話の大半は、山で採れる動植物についてだとか、麓に住む仲間のことや、自身の生活に関する内容だった。それによれば彼らは〈人間〉という種族で、山の下に群れで暮らしているそうだ。この四人は、家族や仲間のために、狩りに来ているらしかった。

 そして、少しではあるがこの家についても触れていた。要約すれば、

 

──この箱は、〈ほこら〉と呼ばれる特別な箱で、〈かみさま〉というものが住んでいる。

 

 ・・・・・・なんてことを言っていた気がする。

 

 この話を聞き、一つ疑問が生じた。

 自分は果たして〈かみさま〉なのか。

 残念ながら、あたしは誰にも会わず、ずっと一人で暮らしている。〈かみさま〉というものを見たことがない。それが何なのか、どんなことをするものなのか・・・・・・よくわからない。

 

  帰り際に、彼らは片手ほどもある木の実やら、この〈オカネ〉やらを置いて帰っていった。

 結局うちに何をしに来たのかは分からずじまいだった。が、少なくともあたしに対して敵意はない、という印象を抱いた。あれから木の実を食してみたが、毒はなかった。それどころかお世辞抜きに美味いのだった。〈オカネ〉は食べ物ではなかったものの、人間社会において価値のある物らしい。

 

 

 

 

 そんなことを考えながら、時折鍋をかきまぜたり火の調整をしているうちに、いい匂いがただよってきた。ゆで上がった栗を水で冷やしてから、栗の座から先端に向かって切っていくと・・・・・・香ばしい湯気と一緒に、見事な黄色い中身が現れる。一口かじってみた。

 ――ん!

持っている分を口に放り込み、知らぬ間に手を二つ目の栗に伸ばしていた。

 今日のは特にほくほくで甘い。

 あっという間に栗は腹の中へ消えていった。

 

 

 

 

 異変に気づいたのは、食事が終わって横になろうとしたときだった。棚にしまってある皿がカタカタ音をたてて小刻みに揺れはじめたのだ。

 

 何だろう?

 耳をすますと遠くの方からかすかにずん、ずん、という音がする。少しずつそれは大きくなっていく。皿の音もまるで何かを警告するようにガタガタ……ガチャガチャと激しいものに変わる。

 何か……こちらに近づいてくる。

 

 家を飛び出し、辺りを見回す。音は、ここからいくぶんか離れた茂みから―――その茂みが大きく揺れたと思うと、中から一頭の生き物が現れた。

 

 黒く大きな体に、太くて短い肢。たしか人間が〈熊〉と呼んでいたやつだ。力は強いが木の実を食べ人間はめったに襲わないとは聞いた。けれど、果たしてそうだろうか。全身に、特に口とかぎ爪あたりに赤黒いものがこびりついている。そこから生き物の死骸のものによく似た臭いを放っていた。

 

 ――こいつは危ない。

 

 本能的にそう感じた。

 

 熊のぎらつく目があたしをとらえる。家まで一目散に逃げ帰りたい衝動にかられたが、思いとどまった。下手に刺激してはいけない。怒らせてしまったら一瞬で八つ裂きにされるか、頭から食われるかのどちらかだろう。熊から目を離さずにゆっくりと移動する。とりあえずこの場を離れたほうがいいと思った。数十歩隔たった所にある木の陰に身をひそめた。

 

 よかった、幸運なことに熊は追ってこなかった。そのかわり先程出てきた茂みの方をやたら気にしている。

 何かいるのだろうか?

 

 熊が茂みにうなりはじめた。あの熊が警戒するとは、向こう側にいったい何があるのだろう。見つからないように体を木の幹に押しつけ、縮こまった。

 

 ―――来た!

茂みから赤いものが飛び出す。そして、熊の目の前に降り立った。

 

 そこにいたのは、紅白の衣をまとった人間。それも、かなり若そうな個体だったのだ。

 な、何なんだこいつは。あんな猛獣の前に堂々と立ちはだかるなんて。

 彼女が危ないことはわかる。でも助けない。そんなことできる力はない。逆にこっちがやられるだけだ。そもそも彼女は自分から熊の前に出てきた。襲われたら自業自得、あたしは関係ない。

 だけど、誰かが殺されるところは、見ていてけっして気持ちいいものではない。早く逃げないかな、と思いながら様子を見ていた。熊が向こうに行ってくれないことには、家に帰れないのだ。

 

 しかし彼女は動かない。それどころか勝ち誇ったような顔で、

 

「やっと見つけたわよ、覚悟なさい」

 

戦闘の体制に入った。熊のうなり声が一段と大きくなる。

 

 いやいやいや、怒らせてどうするの・・・・・・。どうかしている。

 

 熊は彼女の背丈の倍は余裕である。その真っ赤なかぎ爪は人の首も刈り取れそうだ。一方彼女が持っているのは四角い飾りのついた棒と数枚の紙。どう見ても彼女が勝てるわけがない。

 

 熊が後ろ足で立ち、吠えた。そしてかぎ爪が彼女に降り下ろされる―――!

 

 

 彼女のほうが早かった。左手の棒でかぎ爪を押さえ、残った右手の紙を投げつける。紙は熊に当たった瞬間爆発し、熊の体に焦げ目をたくさん作った。

 

 熊は目を血走らせながら立ち上がり彼女めがけて突進していく。彼女はとっさに飛びのき棒をさっと横に振るう。いくつもの光る弾が空中から現れた。

 

 速く動くものは、急に止まれない。それは熊だって同じ。勢いよくその中に突っ込んだ。

 

 大きな爆発。熊はそこら辺の木々をなぎ倒しながら吹っ飛び地面に落ちて動かなくなった。

 

 

 

 

 

 爆発でたった砂ぼこりで思いきりむせた。そこで口が半開きになっていたことに気づく。鋏を持つ手も汗で濡れていた。揺れがおさまり、熊がもう起き上がらないのを確認して、あたしはおそるおそる家の方に戻る。あの強すぎる人の子もそのうちいなくなるはずだ。

 

 ・・・・・・おかしいな。

 家があるはずの場所に何もない。少し離れたところに横たわる熊と、それをじっと見つめる人の子がいるだけだ。そのすぐ横の地面は深く削りとられていた。熊との戦いでできたものだろう。飛び散る土にまじって角ばった木片があちこちに見える。

 暫し考えたのち、ようやく理解した。

 

 

 

 家、壊された。

 

 

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。

 

 うわああああ何してくれたんだよ!

 

 、と怒鳴りたいができない。ある程度人の言葉はわかるものの、なんせ他人と話したことがないのだ。声が出せるかすら怪しい。それに、あんな人を怒らせたら何をされるやら・・・・・・。だからその場に立ち尽くすしかなかった。

 

 困ったなぁ。せっかく集めた食べ物はパーになったし、山の夜はとても冷えるのだ。また森の中で震えながら過ごさないといけないのか・・・・・・はぁ。

 

 そんなあたしに構うことなく、彼女はのんきに倒れた熊を観察していた。体の傷を棒でつついたり、紙をペタペタはってみたり。

 

 不意に熊から茶色の気が立ちのぼる。ゆらり、と揺らいだかと思うとそれは濃縮しながら熊の体を離れ、そのままあたしの方、あたしの目の中に―――

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・っ!」

 

 

──声が、聞こえる。

 

 

 「・・・・・・っと!」

 

 そっと目を開ける。

手が汗でびっしょりだ。いつの間にか地べたに寝転んでいた。一瞬気を失ってしまったのだろうか?

 

 「ちょっと!あんた!」

 

 すぐ前に、人の子が立っていた。機嫌が悪そうだ。

 

 「さっきの石!返しなさいよ!」

 

 は?石?石なんか取ってないよ。首飾りの宝石ならあるけれどこれは元から持ってるものだし。

 

 「あの茶色いやつよ。持ってるでしょ」

 

 肩を揺さぶってくる。

 さっきあたしの目に入ってきたのだろうか。でもあれは霧だ。石では決してなかったはず。首を横に振った。これが人間の〈否定〉を表す身振りだ。

 

 「嘘でしょう?私見たわ。あんたの方に飛んでくの」

 

 そう言われても、石じゃないんだってば。

 

 しばらく無視していたらさすがにあきらめたのか、彼女は大きくため息をついて手を放した。 

 

「もういい。じゃあ私帰るから。さよなら――って、何よ?泣きそうな顔して」

 

 『何よ』じゃないよ。ひとの家を壊しておいて、謝りもせずに自分だけ帰るなんて。ひどいよ。

 あたしは鋏の先っちょを家の破片に向けた。

 

 「あのボロ箱がどうかしたの?ボロ箱くらい壊したっていいじゃない。なんでそんな自分の家が壊されたみたいな顔してんn・・・・・・まさかあれがあんたの家?」

 

 ぼっ・・・・・・ボロ箱で悪かったね!でもあれがあたしの大事な家なんだよ、なんとかしてよ!

 首を大きく縦に振った。こちらは〈肯定〉の合図である。

 

「悪いけど、今オカネがないのよ。自分でなんとかしてちょうだい」

 

 オカネというのは、色々なものと交換できるという人間の道具らしい。前に会った人間によれば、オカネをたくさん渡すほど良いものが受け取れるそうだ。多く貯めれば家も手に入ると聞いた。

 彼女の服は、山で見た人間のそれより鮮やかで、美しい色をしていた。

 こいつ嘘ついてるな。オカネいっぱい持ってるけど使いたくないんだ。このケチめ。

 

 「・・・・・・」

 

 にらんでやった。

 彼女はまたため息をつき

 

「わ、わかったわよ・・・・・・」

 

 あたしの目つきは相当悪いらしい。彼女の顔が少しひきつっていた。よっぽど怖かったんだな。半分脅しみたいになってしまったけど、仕方ないか。悪いのはむこうなんだから。

 

 

 

 

 彼女はこう提案した。

 彼女は〈妖怪〉という恐ろしい生き物の退治を仕事とする〈ハクレイのミコ〉だという。先程の熊も〈妖獣〉と言って、妖怪の一種だそうだ。そりゃ強いわけだ。一度仕事をしただけで大金が手に入るらしい。必要なオカネを集めあたしの新居が建つまでの間、家に泊めてもいいとのことだった。

 

 これは予想外だった。本当にオカネを持っていないようだった。

 巨大な熊を楽々倒した彼女だ。オカネがないなら、そこらの木を切ってきて、この場で小屋でも建ててくれるとてっきり思っていた。

 むしろそうしてほしかった。あたしはこの場所が好きだ。この景色が好きだ。空気は美味しいし、草木をかき分け探検するのが楽しい。山の頂上へ行けば、次々と表情を変える空がある。この山を離れること、この生活をやめることは嫌だったのだ。

 

 でも、最近山でとれる食料は明らかに減っている。それに外の気温もどんどん下がっている。食べ物もすぐ手に入るし、暖かいすみかを提供してもらえるのも悪くない。

 

 少し考えてから、彼女の言葉に甘えることにした。人間と一緒に暮らすといっても、住む場所が同じになるだけだ。別に仲良くならないといけないわけではないだろう。一人でのんびりすればいい。それに新生活も永遠ではない。家が建ったら、その時点でおさらばだ。ちょっとの辛抱である。

 

 

 

 こうして、あたしと〈ハクレイのミコ〉の同居生活が始まったのだった。

 




◇この作品においては、

「祠」の中には、神様しか入れない居住スペースがある

というオリジナル設定がございます。ご了承下さい。



格子戸
……格子〔細い木材や竹などを縦横にすき間をあけて組んだもの〕を組み込んである戸

栗の座
……栗のお尻のザラザラしたところ


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かみさま、おつかいに行く。

寒くて動けません


 あたしの手に黒い箱が渡される。箱といっても木でできておらず固い。箱の一面からは黒い筒が飛び出し、その先端には硝子がはられている。小さな両手で持つと、ずしりと重かった。見上げるとあたしよりずっと背の高い女の人が立っている。

 

 ──ありがとう、おかあさん!

 

 あたしの口が勝手に動き、元気な声が発せられる。

 

 ──大事に使うんやで

 

 〈おかあさん〉と呼ばれたその人は、優しく笑ってあたしの頭を撫でた。

 女の人の髪は白銀色で長く、かろうじて着物を着ていることしかわからない。全体的に姿がぼやけている。

 

 ──うん!

 

 あたしは大きくうなずいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気がつくと真っ暗な部屋の隅に座っていた。隣で、ハクレイのミコが布団に潜り気持ち良さそうに寝息をたてている。外からは秋の虫の涼しげな声が聞こえてくる。まだ真夜中なんだろう。

 

 ──あぁ、またこれか。

 

 ずっと前から変な夢を見ることがある。同じ内容の夢を、何度も繰り返し見ている。夢の中ではなぜか自分の体が思い通りに動かない。誰かに操られたみたいに、ひとりでに動いてしまう。夢の主人公はあたしのはずなのに、自分事として感じられない。

 

 でも、その時の感触は妙になまなましく覚えている。さっき女の人に撫でられた感覚もそうだ。

 胸の中にあたたかくふわっとしたものが入ってきて、ゆっくり流れ出てゆく。そしてあとにはほのかに胸を締め付けるような痛みが残る。夢から覚めるといつもこうなるのだが、この感覚をなんと呼べばいいのかわからない。別にわからなくてもいいけど。所詮夢なんだから。

 

 だんだん瞼が重くなってくる。腕に顔をうずめているうちに、やがて眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 〈辞典〉という便利な書物がある。新しい家〈ハクレイじんじゃ〉の蔵で見つけたものなのだが、この書物にはさまざまな言葉とその意味が同じ場所に書かれている。つまり、知らない言葉があればこれで調べられるというわけだ。分厚く重さもかなりあるけれど、役に立つ本だと思う。まだまだわからない言葉が多いので、ここで人間と暮らす以上たくさん知っておかなければならない。

 

 ハクレイのミコに簡単に字を教わってから、手始めに〈かみさま〉と引いてみた。線が複雑に入り組みわけのわからない字(カンジというらしい)が混じっていたので、彼女に読み上げてもらった。

 

 『神(かみ)・・・・・・信仰の対象として尊崇、畏怖されるもの。』

 

 うーん。いまいちピンとこないが、何か〈すごいもの〉というのはわかった。こう見えて、あたしは案外「すごい奴」なのかもしれない。

 ついでに〈じんじゃ〉〈みこ〉も調べてみた。

(『ハクレイ』はなぜか載っていなかった)

 

 『神社(じんじゃ)・・・・・・神をまつるための施設。』

 『巫女(みこ)・・・・・・神に仕える女性。』

 

 へぇ、彼女はあたしの召し使い的存在らしい。あんなにケチそうなのに、昨日しぶしぶながら泊めてくれたのも納得できる。

 

 

 辞典をぱらぱらめくっていると、彼女がこちらを振り返った。なにかしてくれるのかな?

 

「ねぇ、縁側の落ち葉すごいから掃いといて。あと草むしりも」

 

 

 

 

 

 ──ったく、なんであたしが神社の掃除なんか・・・・・・。

 竹箒で乱暴に落ち葉を掃きながら、心の中で毒づいていた。ここが神社だって言うからいろいろ世話してもらえる、なんて期待してしまった自分が馬鹿だった。

 

 縁側の開け放たれた戸から、ごろ寝しているケチ巫女が目に入った。美味しそうな食べ物の写真つきの本を読んでいる。

 箒を持つ手に力が入る。神のあたしに仕事を押しつけサボっている彼女が許せない。

 しかし残念なことに、あたしは彼女にどうこう口を出せる立場ではない。不満ならどこか別の場所に行ってくれ、と一蹴されて終わりだろう。

 悔しいのは山々だが、このことについてくよくよ考えたところで事態が変わるわけではない。今やるべきことは与えられた仕事である。早く終わらせよう。

 

 

 

 

 

 腹いせに蹴った石は、すぐ横を流れる小川に落ちていった。

 今あたしは神社を出て人里に向かっている。道の脇には、青空と対をなすように桃色の花がたくさん咲いていた。でもそんなものを眺める気分にはなれない。

 

 掃除を終え、畳で休もうとすると人間の里で野菜を買うように言われ、地図と小銭、覚え書きを渡されたのだった。覚え書きを確認すると、[大根、人参、ごぼう]の字と、細長い実のような物体が三つ描かれてある。

 「今日の夕食にするから」とケチ巫女は言うが、どれも山で目にしたことなどない。あたしはこんなもの食べない。全てこの人間が食べるものだ。もう完全にあたしが召使いである。

 

 あたしを家に置いてくれた彼女には、もちろん感謝している。神社も山の中にあり、思ったより静かでいい。だけど巫女にこき使われるのはごめんだ。他人にあれこれ指図されるのは好きでないし、神として恥ずかしい。

 どうにかしてお金をかせいで、とっととこんな所出ていこうと思った。そのほうがお互いのためになるだろう。彼女にとっては厄介者がいなくなるわけだし、あたしもまた山でのんびりできる。

 

 

 

 

 

 しばらく歩いていくと視界が開け、壁に囲まれた里が見えてきた。色々な店が軒をつらねており、あちこちから威勢のいい売り子の声が飛び交う。山暮らしのあたしにはうるさく感じる。

 

 さっきから道行く人間に見られている気がする。周りが見たこともないものばかりでキョロキョロ見渡していたために、ぶつかってしまったのもある。でも、一番の理由はあたしの服装が他の人と明らかに違うからだと思う。神しかこういう服装をしないのかもしれない。長い袖とすそのついた厚めの布を体にまとっている人が大半だ。靴も素足の下に板をしいたようなもので、板の先の方にある紐に爪先を通している。悪くないけどなんだか動きにくそうだ。

 

 目的の店に行くのに思ったより時間を食ってしまった。人間の栽培する植物──野菜を買うんだから〈野菜屋〉という看板をさがして歩いたのだが、見つからない。何度も同じ場所を往復していると魚屋のおやじさんに声をかけられた。覚え書きを見せると、それは〈八百屋(やおや)〉で売っていると教えてくれた。そしてようやく到着できたのだった。

 

 

 

 

 

 お金を渡して大根とにんじん、かぼちゃを受けとる。たったこれだけの作業。会話しなくていいので楽チンだ。持ってきた買い物袋につめて店を出た。山にはない食べ物がたくさんあり、しばらく留まりたい気持ちもあったがやめにした。嫌でもここにはまた来ることになるだろう。

 

 来た道を引き返す途中、一軒の店に目がとまった。飾り物の店らしい。台の上には金具のついた小さな花や、先がふさふさの紐がたくさん置かれてある。隣の女の人が鏡の前でそれらを一つずつ髪につけていた。人間は体にいろいろくっつけるのが好きなようだ。

 あたしも一つためしてみようか。目の前の花飾りを手にとった。黒髪に鮮やかな赤がよく目立つ。たしかに、何もないより自分が映えて見える気がする。鏡の中の口元が少しほころんだ。

 

 「ねぇ、あのキラキラ買って!」

 

 後ろで甲高い声がして思わず振り向いた。小さな女の子が横のおばさんにだだをこねている。

 

 「こら、静かにしなさい」

 

 女の子が指さしているのは、透明な石のついた指輪だった。明かりに照らされきれいに輝いている。値札に書かれた金額は他の品物と比べてずばぬけて高い。

 そのときなんの前触れもなく、頭の中にある考えがポッと現れた。我ながら名案だ、と思わずほくそ笑む。

 

──自分の首飾りは、高く売れる。

 

 そう思うと、いてもたってもいられなくなる。半ば駆けるようにして神社に戻った。

 

 

 

 

 

 神社の階段のところでケチ巫女とすれちがった。どこか心配そうな顔つきである。

 

「遅かったじゃない!道に迷ったの?」

 

 道草を食ったのもあるが、せいぜい数分。八百屋を探していた時間の方が長い。『八百屋に行け』って書いといてほしかった。

 

「ま、ちゃんと帰ってこれたからいいけど」

 

 二人一緒に帰宅した。

 

 ケチ巫女が野菜を持って奥にひっこむのを見届けて、蔵へ急いだ。宝石を入れる箱を探すためだ。見栄えがいいほうが人間も買う気になってくれるだろう。ケチ巫女はあまり出入りしていないのか、ここはホコリで充満している。床にうっすら足跡が見えるほどだ。今朝もここに入ったけれど、大量にホコリを吸ってしまった。だから手っ取り早く見つけたい。四半刻ほどガザゴソして小さな白い箱を発見した。

 

 居間に帰って、まず濡らしたちり紙で箱と宝石を拭いた。あとはこの首飾りを入れるだけ。暗い場所で不思議な色に光るので気に入ってたけど、家を買うためだ。しょうがない。

 首から外そうとするが取れない。紐が短すぎて頭を通らないのだ。紐に金具がついているか見たがそれも見あたらない。

 いったい最初どうやってつけたんだろ?

 

 仕方がないので、紐を切って宝石だけ売ることにした。宝石の方に価値があるのであって、紐はおまけのようなものだから大丈夫だろう。あたしの鋏じゃでかすぎるので、机上にある小さいのを使わせてもらった。紐が固いのか、鋏の切れ味が悪いのか・・・・・・。何度も切ってみるけど、手応えなし。力を入れてやってみても同じだった。紐は全くの無傷、むしろこのまま続ければ、先に鋏の方がダメになりそうだ。

 

 早く帰れると思ったのに・・・・・・。やる気がなくなり、畳に大の字になる。なんだかお腹も減ってきた。多分ケチ巫女は自分のごはんしか作らないんだろうなぁ。というかこの調子だと、あたしが作らされるのだろう。悔しい。

 

 

 

 

 

 (ふすま)が開いて、奥からケチ巫女が顔を出した。食欲をそそる匂いが流れてくる。

 

「お待たせ、ご飯よ~」

 

耳を疑う。あたしの分まで用意したとでも言うのか。

 

「何をそんなに驚いてるのよ?ほら、並べるの手伝って」

 

 ケチ巫女について隣の台所に行くと、食事の乗ったお膳が二つ置かれてある。

 片方のお膳を指さし、自分を指さした。

 

 「そう、それがあんたの」

 

 ケチ巫女が答える。ちゃんと作ってくれてたんだ。

 お盆の中に、あたしが買ってきた大根を刻んだ料理を見つけた。刻み大根だけでなく、全体的に野菜を使った料理が多い。山暮らしだったあたしのことを考えてくれたのだろう。

 食卓に湯気のたつ夕食を全部並べて、あたしたちは向かいあって座った。ひとと一緒に食べるなんて初めてだから緊張する。

 

 

「いただきます」

 

 彼女にならって手を合わせ、食べはじめる。まず小皿に入った植物の種に手をつけた。豆という名前らしい。

 汁を一口飲んで、ケチ巫女が口を開いた。

 

「思ったんだけど、貴方って〈外の世界〉から来たの?」

 

〈そとのせかい〉?あたしからすれば、〈外の世界〉はこの神社も含め、住んでいた山の外を指している。

 正確な意味はわからないので首をかしげておく。

 

 

 ここは〈幻想郷〉と呼ばれる場所で、人間以外にも妖怪や妖精、鬼などいろんな種族が住んでいるらしい。〈幻想郷〉は山に囲まれていて、山の向こう側の世界のことを〈外の世界〉というそうだ。普段は幻想郷と外の世界を行き来できないが、何らかの理由で外からこっちに来る人がいるんだって。

 

 〈すまふぉ〉、〈じどうしゃ〉、〈とーきょー〉

──彼女が羅列したこれらの言葉。全て外の世界にあるものらしいが、あたしにはさっぱりわからない。

 

「だってその格好、どう見ても外の世界のじゃない。少し前に、あんたがいた山辺りから〈幻想入り〉してきた人がいるのよ──ってあんた、何も知らないのね・・・・・・」

 

 食器と一緒におかれている二本の棒を一緒に握って豆を刺していると、ケチ巫女の手が伸びてきた。

 

「〈お箸〉はね、こうやって持つの」

 

 親指、人差し指、中指で片方をはさみ、もう一本は残りの指の上に置かせた。そして自分ので器用に豆を一粒つまんでみせた。あたしも真似してやってみるけれど、力加減がなかなか難しい。はさめたと思ったとたんに豆はつるんと宙を舞い、盆の上に落ちてしまった。

 

「ちょっとずつ慣れてけばいいわ」

 

 彼女が微笑む。

 

 「それで、さっきチョキチョキ音がしてたけど何切ってたの?」

 

 首飾りの石を見せてから親指と人差し指で輪を作った。

 

「宝石・・・・・・お金?売りたかったのね。あんたはお金の心配しなくていいわ。私の責任だから。それは持っときなさい」

 

 ケチ巫女はおもむろに立ち上がると居間を出ていき、大きめの瓶を持って戻ってきた。その中には片手ほどある結晶が入っていた。

 

「これは〈霊石〉っていって、強いエネルギーが秘められているらしいの。最近妖獣が暴れまわる事件が何度か起きたんだけど、その妖獣たちがこの欠片を持ってたの。欠片どうし一緒に置いとくと、くっついて力も強くなるみたい。レア物だって聞いたから、もっと大きくすればきっとものすごい値段で売れるはずよ!そしたらあんたに良い祠を買ってあげるわ」

 

 結晶について語る彼女は楽しそうだった。それだけでは飽きたらないようで「ほら、きれいでしょ?」と言って瓶を渡してきた。さすがレア物、思わず見とれるほど美しくも妖しい輝きを放っている。あたしの首飾りがすごくショボく見える。外側は曇りなく透き通っているけれど、よく見ると内側にいくにつれ濁ってゆく。この濁りが石の力なのかもしれない。

 

 ──ジリジリッ・・・・・・!

 

 瓶を落としそうになった。

 何もしてないのに結晶が動いたように感じたからだ。

 怖くなって瓶を返した。ケチ巫女が受け取ってからもう一度見てみたが、ぴくりとも動かなかった。気のせいか。

 

 

 「話が長くなっちゃったわね。さあ、冷えないうちに食べましょ」

 

 箸をとり、あたしはまた豆と格闘するのだった。



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