虚構彷徨ネプテューヌ (宇宮 祐樹)
しおりを挟む

01 俺が女神でネプテューヌ

 

 ある日の朝。

 俺は目を醒ますと、自分がネプテューヌになっていることに気が付いた。

 

「…………は?」

 

 ネプテューヌ。ネプ子。プラネテューヌの女神。ねぷっち。ねぷねぷ。Neptunia。

 とにかく、朝焼けの光が差し込む窓に映っているのは、紫色のツンツン髪の女の子で。

 俺が右手を顔の方へ近づけると、目の前の彼女も同じように。

 それはつまり、そういうことらしかった。

 なんでだろう。明日も仕事だと早寝をしたのが間違いだったんだろうか。

 気が付いたら体が妙に縮んでいて、そんでもって声もなんか変な感じで。

 よくよく考えればピンク一面のいかにも女の子~、みたいな部屋に立っていて。

 つまるところ俺は、ネプテューヌになっていて。

 憑依……なんだろうな。転生ではないと思う。とにかく普通の状況じゃない。

 しかし、まあ、その、何だ。

 ……いや。

 深く考えても仕方ない。

 とりあえず俺は見たところネプテューヌになっている。

 何が何でも、それを受け入れるしかなかった。

 ……にしても、なんでネプテューヌに?

 

 ネプテューヌ。数多あるネプテューヌシリーズにおける、主人公オブ主人公。

 ドがつくほどの能天気で、いわゆる元気系ロリっ子。

 いや、ロリなのか? この体、どっちかというと中学生っぽいし。

 確か公式の身体年齢は14歳だったような? でも女神だから実年齢五百とかいう噂も。

 とにかく、少女。今目の前に映っていたのは、紛れもないネプテューヌという少女だった。

 あとは、ええと。

 ……ネプテューヌは、プラネテューヌの女神。人々から信仰される存在。

 法治国家とかそこら辺はよく分かんないけど、プラネテューヌという国を治めている。

 とはいっても本編とかだとイストワールとか、ネプギアとかが仕事やってるイメージだけど。

 ネプテューヌはマジで仕事しない。これは共通認識だと思う。

 それでも、何だかんだ国民の平和を一番に願ってる。

 きっとそれが、プラネテューヌの女神という在り方なんだろうなあ。

 こんな小さい体で……って思ったけど、女神化すると割と大人になるのか。

 って、あれ? もしかして俺、女神化できるのか?

 

 何気なしに腕をぶんぶんと振るけれど、違和感は思考のうちにどこかへ消えていた。

 魂と体との順応が早いのか。はたまた、そんなもの最初から存在しなかったのか。

 とにかく俺の魂というやつは、このネプテューヌという体に慣れてしまったらしい。

 体を二、三回ほどひねって、ぴょん、ぴょんと小さく跳躍。

 さながらカンガルーのように! カンガルーのように!

 ……パンツ見えそうだった。

 さすがにそこまでの勇気はなかった。ジャンプは極力控えるようにしよう。

 今気が付いたけど、服装はジャージワンピだった。

 Vとかアニメとかの、裾の短い上着にワンピースの、あれ。

 あれ、ってことはこの次元はVとかアニメとかの次元なのか?

 

 ネプテューヌシリーズってのはなんというか、各作品ごとに世界線が違う。

 本筋は無印からVⅡまでの四作品で、それらは全てリメイクされてるのが特徴で。

 他にはアイドルする世界線だったり、他の女神とオンゲする世界線だったり、ゾンビと戦ったり、バイクになってる世界線もあったような気がする。バイクってなんだ。

 んで、今俺が着てる服装から考えるに、この世界は三作品目のVかアニメか。

 ワンチャンPPだったらどうしよう。アイドルなんて、出来る気もしないけど。

 

 閑話休題。

 

 とにかく、女神化ができるかどうか。そのためにまた、体を動かしながら思考の整理。

 女神化。国民の信仰心たるシェアエネルギーを使って、国民を守る守護女神へと変身すること。

 ネプテューヌの場合はパープルハート。黒と紫を基調としたプロセッサユニットを身に纏う。

 あと性格がメチャクチャ変わる。プラネテューヌの女神は変身すると性格が変わりがち。

 なんだかんだそれも好きなんだけど。

 さて、女神化……女神化か……女神化……。

 いや、女神化ってどうやるんだ?

 憑依特有の記憶とかもないし。そもそもシェアエネルギーとか感じられないし。

 作中だと「ふん!」みたいな感じで変身してたけど、そんな軽いノリで変身できるのか?

 アニメだとポーズ取った後、謎に全裸になってからプロセッサユニットが出てきたけど。

 ……てか、あれ? 全裸になるの?

 そ、それはそれで遠慮するっていうか……仮にも他人の体だし……。

 

 これは他人の体。ネプテューヌという存在を、何の因果か俺が乗っ取ってしまったもの。

 つまり今の俺は、ネプテューヌという役割(ロール)を果たさなければならない、ということになる。

 訳が分からなかった、で済ませていいのだろうか。

 でも、ネプテューヌにはこの国を治めるという、他に代えられない役割がある。

 プラネテューヌという国を守り、その国民を導かなければならないのに。

 たぶん、責任があるんだと思う。俺は、償わなければいけないんだと思う。

 訳も分からないとはいえ彼女を殺してしまったのに、その役割まで放棄するなんて。

 俺自身が許せなかった。逃げたいと思ってしまった自分が。

 ならば、その役割を継がねばならないんだって、思う。

 ネプテューヌとして。プラネテューヌの女神として、在らねばならない。

 だから。

 

 女神にならなければ。

 それが、ネプテューヌという少女にできる、唯一の償いなのだ。

 だから何としても、俺は女神化しなければいけない。

 民草を守る存在に。人々を導く存在に。

 なりたい……んだけどなあ。

 

 うおおお、と全身に力を込めても、何かが起きるはずもなく。

 窓には、無駄な動きをしまくったせいで、ぜえはあと肩で息をするネプテューヌが映っていた。

 どうすれば女神化できるんだろう? やっぱり専用のポーズとか必要なのか?

 でもさっきからそれらしいポーズしてるけど、何かが起きるはずもないし。

 変身。変身……変身だよ、ネプテューヌ。

 両手を腹の下部へと当てて、そのまま右手を左前方へ。

 左手を握ったまま、腰のあたりに置くのを忘れずに。

 そのままゆっくりと右腕を横に動かして、右前方へ達したときに、勢いよく――!

 

「変身!」

 

 左腰のボタンを押して変身! 両手を広げ、プロセッサユニットが装着するイメージ!

 

 …………。

 

 なるわけないか。

 古代の力も何もないのに、変身できるわけもなかった。

 いやまあ、他のに変身できるわけでもないけど。あ、でも装着系とかだったらいけそうかも? ネプギアとかに会ったら、頼んでみようかな。そもそも存在するかどうかすら怪しいけど。

 なんて馬鹿みたいなことを考えつつ、はたと一息。

 

 今ここにいる場所は、プラネタワーにあるネプテューヌの部屋らしい。

 アニメとかで見たのとそっくりだった。メチャクチャ散らかってるけど、不思議じゃない。

 とりあえず、イストワールとかそこら辺に正直に説明して、状況を確認してもらおう。

 あの人なら何かわかりそうだし。若干のメタも理解してくれそうだし。

 なんて、希望を持って振り向いた。

 その瞬間だった。

 

「……あれ?」

 

 果たして俺の視界に映ったのは、これまた一人の少女だった。

 紫色のツンツン髪に、特徴的な十字キーを模した脳波コントローラ。

 まんまるに開かれた瞳はうすい紫色で、それは夜明けとか宵闇とかを閉じ込めたみたいで。

 着ているのは白を基調としたパーカータイプのワンピース……いわゆるパーカーワンピ。

 おそらくこの国のハードなんだろう。十字を模したゲーム機を片手に抱えている。

 その、名は。

 

「あれ……? 私……?」

 

 ネプ子。プラネテューヌの女神。ねぷっち。ねぷねぷ。Neptunia。

 それは紛れもなく……ネプテューヌという、この国の女神だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02 プラネテューヌの女神

 

「……えと」

 

 意味がわからなかった。より、この現状を受け入れ難くなった。

 何というか、その、頭がぐちゃぐちゃにかき回されたような気分で。

 俺はネプテューヌになってしまって。それで、目の前にいるのはネプテューヌで。

 俺はプラネテューヌの女神で。でも、目の前の彼女もプラネテューヌの女神で。

 思考の奔流に流される。直面した現実は洪水のようになって、意識すらも流していく。

 なんだ、これ。どうなってるんだ? 

 

「えーと……だいじょーぶ?」

 

 困惑する俺に、ネプテューヌはそう問いかけながら、こてんと首を傾げていた。

 

「かわいっ」

「?」

 

 いや、それは正しいけどそうではなくて。

 思わず口元を抑えながら、改めて彼女を見つめる。

 ……あ、服装はパーカーワンピなんだな。

 ちょっと大きめの白いパーカーを着ている以外は、俺と何も変わらないようだった。

 背丈はほぼ同じくらいだし、目の色も同じだし。肉のつき方どころか、髪の質まで。

 するとネプテューヌは恥ずかしくなってきたのか、えへへ、と誤魔化すような笑みを浮かべて、

 

「そんなに見つめられると、いくら私でも照れちゃうな」

 

 どういう意味だろう。ネプテューヌでも人に見つめられると照れるのか。

 それとも、ネプテューヌという自分に見つめられるのが慣れないのか。

 いかん、混乱しすぎてそんなどうでも良いことにまで思考が回ってしまう。

 ええと、あーっと、その。

 

「なま、え」

「……なまえ?」

 

 口から出てきたのは、ネプテューヌと瓜二つの声だった。

 そしてそれは、思うように出すことのできない声でもあった。

 

 だってネプテューヌだぞ

 ネプテューヌ。

 お前、おまえっ。

 これがどんなことか分かってるのか。

 何を隠そう、俺はネプテューヌのことが好きなのだ。それも、いわゆる限界オタク的な感じで。

 そんでもって何が言いたいかというと、要するに俺はメチャクチャ緊張していた。

 だってこんな、ネプテューヌと話す日が来るなんて思ってもいなかったもん。

 若干解釈違いな気もしたけど、生のネプテューヌを見ればそんなことはどうでもよかった。

 今すぐに抱きしめて、頭を撫でてやりたい気分だった。

 こんなに小さいのに、あんなに頑張っている姿を見れば、それは必然のことだった。

 と。

 

「名前……あー、名前ね!」

 

 何も言わない俺の意思を汲み取ったのか、ネプテューヌはぽん、と手を叩いて。

 

「私の名前はネプテューヌ。この国、プラネテューヌの女神なんだ」

 

 いつも通り、そんな自己紹介をしてくれた

 思いっきりファンサービスだった。三千円くらいでいいですか?

 あ、追加ボイスも購入するんで料金だけ教えてもらえれば……。

 

「それで、あなたの名前は?」

 

 限界オタめいた思考は、そんな会話のパスで一瞬にして吹き飛んでしまう。

 名前? 名前……名前、名前は。

 

「お、おなじ……」

「オナジ? 珍しい名前だね」

 

 いや、そうではなくて。

 ええと。その、なんだ。

 ……いや、もう考えるのはやめた。

 

「ネプテューヌ」

「……え?」

「私の名前は、ネプテューヌ」

 

 しっかりと、はっきり伝えると、ネプテューヌはきょとんとした目で俺のことを見つめた。

 

「ネプテューヌ?」

「そう。同じ」

「ああ~、オナジってそういう意味だったんだ~ってええええええ!?」

 

 いきなり叫び始めたネプテューヌに、思わず俺も驚いてしまう。

 

「わ、私とおんなじ名前!? しかも顔とか背まで一緒の!? どゆこと!? もしかしてあなたもプラネテューヌの女神!? それとも実はドッペルゲンガーとか!?」

 

 ずい、と顔を近づけて、ネプテューヌがそう立て続けに聞いてくる。

 ちッ、近ッ。あっ、その、やめて……無理……かわいい……。

 きっとこれがガチ恋距離っていう奴なんだろうな。マジで心が奪われそうになった。

 いや、だからそうではなく。

 

「……わからない」

「ねぷ?」

「何も、わからない」

 

 ごめんなさい。つまんない返し方で。

 でも事実なんだ。

 よく分からないままネプテューヌになり、よく分からないままネプテューヌと会話してる。

 おそらく文面にしてもわけわからんだろう。俺が一番分かってないもん。

 

「……記憶喪失なの?」

 

 そうじゃない。ふるふると首を振る。

 不思議と、記憶は確かにある。おそらく前世と言えるであろう俺の名前に、昨日の晩飯まで。

 だから、そういう問題じゃないとは思う。

 でもその答えは余計に謎を深めてしまったようで、彼女はうんうんと首を傾げていた。

 多分、珍しい光景なんだろうな。レアだ。あの、これいくら払えばいいですか?

 そして少しの間も経たずに、彼女はぱっと顔を上げて、わかんない! と元気に叫んだ。

 そうか。二人ともわけわかんないんだな。

 

「もー考えるのも飽きちゃったしー、ゲームでもしよーよー」

 

 なんてことを言いながら、ネプテューヌが俺の手を引いてくる。

 あまり納得はできなかった。このままの状況でいいのだろうか。

 もしかしたら俺とネプテューヌがいるのは、良くないことかもしれないのに。

 なんてことを伝えてみると、ネプテューヌは、だいじょーぶだって、と気楽に答えた。

 

「なんたって、あなたは私なんだし。主人公なんだから、悪いことはないって!」

 

 それに私ならゲームも得意でしょ、なんて。

 本当に気楽にそんなことを言うものだから、思わず笑みが溢れてしまって。

 あ、ようやく笑った、なんてことを言われてしまう。

 

「やっぱり私は笑ってる方がいいね!」

 

 ネプテューヌはそう、まるで友達に語りかけるかのような口調で、俺の手を引いていった。

 

 

「ふーん、つまり憑依モノの主人公ってところなんだね」

 

 かちゃかちゃとコントローラーを動かしながら、ネプテューヌは俺の話をそう纏めた。

 話が早くて助かる。こういうサブカルに通じてるの、ネプテューヌって感じだ。

 ちなみに今やってるゲームは思いっきりスマブラだった。ニテールとかスニークとかが思いっきり戦ってた。これ本編に出てたら確実に怒られてたと思う。ネプテューヌシリーズは割とギリギリを攻めることで有名だった。

 

「いやー、にしてもさすが私! 憑依した先でも主人公するなんて! やっぱり主人公の運命からは逃れられないんですなぁ」

 

 うーん、どうなんだろう。

 この場合、俺ってもう一人の自分みたいな感じで敵に回りそうな感じだけど。

 まあ、そうなっても何とかなるか。最悪俺が自害すりゃいいんだし。

 ネプテューヌといると気分が明るくなって、そんな楽観的な考えをしてしまう。

 もし最後にネプテューヌと戦う時、棺に死者蘇生を入れられないようにしておかないと。

 

 でもまあ、なっちゃったもんは仕方ないしね、なんてネプテューヌが声をかける。

 そうだよなあ。今更どうこうできるわけでもない。何一つ分かることがないんだから。

 だからあれこれ考えるよりも、これからどうするかを考えた方がいいのかもな。

 

 会話をいくらか交わしていると、そろそろゲームの決着もつきそうだった。

 3ストック制の終着駅みたいなステージ。アイテムはなし。

 試合については主観的にも客観的にも互角だった。お互いにラストの一機。

 緊張感のままだんだん言葉数も少なくなって、コントローラーを操作するだけの音が響く。

 ま、勝つのはネプテューヌなんだけどね。これネタバレだけど。

 それが決まっていれば、何も恐れることはない。

 そのまま俺は、自分のキャラを操作し、宙に浮かぶ虹色の球体を割り──。

 

「やったー! 勝ったー!」

 

 果たして勝ったのは、ネプテューヌだった。俺じゃなかった。ちくしょう。

 

「それにしても、ゲーム上手いね」

 

 うん。正直、俺もネプテューヌの互角の勝負ができるとは思わなかったし。

 仮にもゲイムギョウ界の守護女神。実際に戦ってみるとやはり強かった。

 けれどなんだろうな。俺もどうしてかそれに追随できたというか。体が勝手に動いたというか。

 ……ああ、もしかしてお約束の経験値引き継? 

 

「うそ!? なにそのチート! 私の血の滲むような練習は一体……!」

 

 うごごご、と頭を抱えるネプテューヌに、なんて声をかければ分からなくて。

 ……いや、ちょっと待て。

 経験値引き継ぎがあるとなると、つまりこの体は経験があるってことだよね?

 つまり、もともとこの次元にはネプテューヌが二人いたってことになるんじゃないの? 

 

「でも私、自分以外の私なんて見たことないよ?」

 

 すごい哲学的なことを言っているようだったが、当たり前のことだった。

 そりゃそうだ。ドッペルゲンガーでもあるまいし、世界に二人もネプテューヌがいるなんて。

 ……いや。ネプテューヌの場合だとあり得るな。

 こことは違う次元。つまり、別次元というのが、ネプテューヌシリーズには存在する。

 シリーズに多く存在するパロディゲームもその中の一つという設定があって、さっき言ってたアイドルやってる次元やバイクになってる次元もおそらくそれに当たる。

 つまりまあ、マルチバース。多次元宇宙論ってわけ。

 その次元の中でも、ネプテューヌシリーズの本編に深く関わる次元が一つ、存在する。

 それが神次元。プラネテューヌの女神がネプテューヌではなく、プルルートという女神の次元。

 つまり、ネプテューヌが女神にならなかった次元だ。

 それなら俺がここにいるのも、多少の辻褄が会う。

 おそらく神次元のネプテューヌが何らの因果によってこの次元へ来てしまい、その際に俺の魂が憑依してしまったと。もはや妄想の領域に達しているかもしれないが、考えられるのはそれ以外になかった。

 

「私が女神にならなかった次元かぁ」

 

 かいつまんで説明すると、ネプテューヌはそんな想いを馳せるように呟いた。

 ……ん? もしかして、神次元とかは知らない? 

 

「知らないよ? プルルート、って人も、別の次元があるのも今初めて知ったかな」

 

 ちょっと待て、ここどの世界線なんだ? 

 え、アイドルとかはやった? バイクは? ゾンビと戦ったことはある? オンゲで遊んだ? 

 

「そ、そんなネプネーターみたいに質問されても……」

 

 え、アキネーターあるのこの世界!? 

 まじで怒られなくてよかったな! 

 

 ……とにかく。

 どうやらここは、俺の知るネプテューヌの世界ではないらしい。

 アニメでもゲームでもない、オリジナルとは明確に違う、一つの可能性の世界。

 まあ、何というか、いたって普通のゲイムギョウ界らしかった。

 そうなると、俺の存在はより謎になっていくんだけど。

 

「まーまー、深く考えても仕方ないって。気楽にいこーよ、気楽に」

 

 背中をぽんぽん、と叩きながら、ネプテューヌがそうやって声をかけてくれる。

 ありがと、と頑張って声を出そうと思った、その時だった。

 

「お姉ちゃん? またお仕事サボってるの?」

 

 女性らしさの強い、けど確かな柔らかさがある声色。

 開かれたドアの先に立っていたのは、桃色にも似た紫の髪を背中まで伸ばした、一人の少女。

 白を基調としたワンピースに、頭にはネプテューヌと同じような脳波コントーローラーが一個。

 ネプギア。ぎあっち。ネプギャー。ぎあちゃん。Nepgear。

 プラネテューヌの女神候補生にして、ネプテューヌの真の妹であるのが、彼女だった。

 

「あー、ネプギア。お茶淹れてきてくれたの?」

「そうじゃないよ……いーすんさんに言われて、様子を見に来ただけだよ」

 

 疲れ切ったようにため息を吐いて、ネプギアが続ける。

 

「もう、いーすんさんカンカンだったよ? 『ここ最近また調子に乗ってるから、お説教が必要みたいですね』みたいなこと言ってたし。はやく戻った方がいいと思うんだけどなぁ」

「いやー、私だってそうしたかったんだけどね? 別の問題が出てきてさ」

「別の問題って……お姉ちゃん、ただ対戦型のゲームやってるだけ……じゃ……」

 

 そして、おそらく初めて、ネプギアは俺の方へと視線を向けて。

 

「…………お、お、お、お姉ちゃん!?」

 

 なんともまあ、百点満点のリアクションを見せてくれた。

 

「おおー、さすがネプギア! いいリアクションだね!」

「そ、そんなこと言ってる場合じゃないよ! って、あれ? え? どっちがお姉ちゃん!?」

「どっちもに決まってるじゃん。だって私もこの子も、同じネプテューヌなんだからさ」

「どっちも……わ、私にお姉ちゃんが二人……?」

 

 え、ネプギアが俺の妹に……? 

 なんて冗談を言ってみるけど、本人からすればたまったもんじゃないだろうな、これ。

 ええと、とりあえず初対面だから、挨拶はした方がいいのか。

 初めまして。ネプテューヌって言います。

 

「……はい? え? は、はじめまして? おねえちゃん?」

 

 余計に混乱してしまったらしい。それはそうか。

 

「んもー、ネプギアったらさすがに驚きすぎだって。私だってネプギアと初めて会った時、いきなり妹ですだなんて言われたんだよ?」

「そ、それはそうだけど……」

「だから、いきなり姉が増えても問題なし! これからはお姉ちゃんが二人になるから、慣れるよーに!」

 

 ……そろそろ収拾つけたほうがいいと思うんだけどな。

 

「えー、面白いのにー」

 

 でもネプテューヌはしぶしぶと言った様子で俺のことをネプギアに説明してくれた。

 

「なんていうか、転生してきたみたい? あれ、憑依だったっけ? ま、いいや。とりあえず、危険な人じゃないから安心していいよ。なんてったって(ネプテューヌ)だもん」

「そっか……見た目も声もほとんどお姉ちゃんと一緒だもんね。それなら大丈夫かな」

 

 いや、そんな軽い説明でいいの? ネプギアそれで納得できるの?

 改めてユルい雰囲氣に疑問符を浮かべていると、ネプギアがでも、と口元に手を当てて、

 

「これだけ見た目もそっくりだと、どっちがどっちかわからなくなっちゃうね」

「確かにそうかもね。あ、そうだ! それなら……」

 

 何か思いついたように、ネプテューヌが部屋の隅にあるタンスの中をあさり始める。

 そうしてしばらくした後、取り出してきたのは、黒い二つの物体で。

 

「はい、色違いの脳波コントローラ! もう一人の私はこれつけてよ!」

 

 言われるがまま、ぱぱっと頭の十字キーを外されて、代わりに黒くなったそれを取り付けられる。

 

「ほら、これなら一目でわかるでしょ?」

「あ、ほんとだ。これならすぐに判断できるかも」

 

 座ったままの俺のことを見下ろしながら、二人がそう言葉を交わした。

 まあ確かに、区別とか必要だろうな。でも黒い方を持っていてよかった。

 粗品リボンとかだったら目も当てられなかったからな。てか何なん粗品リボンて。

 

「区別できたはいいけど、でもこれってやっぱりいーすんさんに報告したほうがいいんじゃ?」

「そうだよね。まあ考えるのも退屈だし、いーすんのところいこっか」

 

 トントン話が進んでいく。でもまあ、そうするしかないのか。

 俺って今のところ正体不明の存在だし。イストワールなら何かわかるかもしれないし。

 ……それにしても。

 ネプギアもイストワールもいるってことは、本当にプラネテューヌに来ちゃったんだなあ、俺。

 ふと目を向けた大きな窓には、プラネテューヌの未来的な街並みが広がっている。

 

「あれ、どうしたの? なんか変なものでもあった?」

 

 そうじゃないけど、なんていうか……本当に来たんだなって。

 夢っていうか、一度どんなものなのか、この目で見たいという欲はあった。

 こうして会話をするたびに、その実感が増していく。

 

「あはは、なにそれ」

 

 それに。

 こうやってネプテューヌと話していると、彼女という存在の重さが、改めて伝わってくる。

 そして、その姿と同一である、俺という存在への疑問も。

 感じるのは、得体の知れない恐怖。

 今すぐにでも首がはねられてしまいそうな、存在を否定されてしまいそうな、そんな昏い感覚。

 ……これから、どうなっちまうんだろうな、俺。

 

「お姉ちゃんたち、行かないの?」

 

 ネプギアのそんな声かけで、ようやく俺は我を取り戻すことができた。

 

「あー、今いくよ! ほら、あなたも」

 

 伸ばされた彼女の手を取って、俺はネプテューヌと一緒にネプギアの後を追った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03 ふたりのネプテューヌ

 

「……なるほど。別の世界から、ですか」

 

 小さな腕を組みながら、イストワールはそう告げた。

 イストワール。プラネテューヌの教祖。いーすん。Historie。

 イストワールにも二種類いるけれど、どうやらこちらは超次元の方。

 つまりいつものイストワールらしい。

 

「まったく、ネプテューヌさんはいつも面倒ごとを持って来ますね」

「今回は違うよ? だって、あの子のほうから勝手にやってきたんだもん」

 

 うーん、俺としても勝手にこっちへ連れてこられたもんだからな。

 少なくとも確かなのは、ここにいる全員がその原因ではないということ。

 それは彼女も理解しているようで、はぁ、とため息をひとつ。

 それから、ふわりと宙を舞って、俺の目の前へやってきた。

 

「さて……では、ネプテューヌさん」

「はい! なになに?」

「そちらのネプテューヌさんではなく!」

 

 実際紛らわしいしなぁ。うむ、どうしたものか。

 ……でも、この体でネプテューヌ以外の名前を名乗るのも、なんか違う気がする。

 違う、気がする。

 

「……なら、暫定的に黒ネプテューヌさんと呼びますね」

「うっわ、ネーミングセンスひどいねいーすん」

「お姉ちゃん、そろそろやめといた方がいいよ……」

 

 そんな会話を無視しながら、イストワールはこほんと息を吐いて。

 

「あなたは、このプラネテューヌに害を成す存在ですか?」

 

 害? (ネプテューヌ)が? このプラネテューヌに?

 そんなこと……ああ、いや。そういうことか。

 つまり、まだ信用されてないわけだ。

 そりゃ普通は、国の女神と瓜二つの存在がいたら警戒するに決まってるよな。

 ネプテューヌとネプギアの受け入れ方がおかしかっただけで。少し考えれば分かることだ。

 だったら返答としてはもちろん、そんなことあるはずないと答えるべきなんだろうけど。

 普通に言っても信用してくれないよなぁ。イストワール、そういうキャラではないっぽいし。

 うーん。どうするか。

 ……考えるだけ無駄な気がする。

 ここは正直に言うしかないか。

 

「俺は……」

「俺?」

「あ、いや、えっと……私は……」

 

 私、って言うの、精神的にキツいと思ったから、つい。

 でもなんだか、その一人称を受け入れるのに時間はかからなかった。

 

「……私は、ネプテューヌ。この国の女神と同じ名を持つ存在」

「それが?」

「それだから……私は、この国に対して敵対するつもりはない。むしろ、この国を守るための力になりたい。それが、ネプテューヌという名を冠する責任なのだと思う。ここにいる意味なのだとも、思う。何もわからないけれど……これだけは、確か」

 

 噛まずに言えた。よかった。

 言葉を探しながらだから、少しおぼつかない口調だったけど、最低限のことは伝えられたはず。

 なんて頭の中で反省会をしていると、三人がきょとんとした顔でこちらを見つめていた。

 え、何? なんか変なこと言ったかな、俺。

 

「す……すごい喋ったね、黒い私」

 

 そんな、喋らない人みたいに言われても。

 いや、確かに緊張してたからあんま喋ってなかったな。

 

「黒い私、すっごく無口だったからさ! 何考えてるのかわかんなくて!」

「そうだよね。正直、こんなお姉ちゃんも新鮮かも」

「ちょっと二人とも、話はまだ……って、全然聞いていませんね」

 

 うん。でもまあ、分かってくれたのかな。どうなんだろう。

 

「……ネプテューヌさんたちがこうした反応ならば、疑う必要はないでしょう。仮にもこの国を守る女神なのですから。もし危険な存在だったのであれば、早急にあなたと敵対するはずですから」

「ちょっといーすん、仮にもって何? 私ってば、正真正銘プラネテューヌの女神だからね?」

「あんなに仕事を溜める女神がどこにいるんですか!」

 

 少なくともイストワールの前に二人……?

 なんてくだらないことを考えていると、とにかく、とイストワールがこちらへ向き直って。

 

「しばらくの間はこの教会に留まってもらいます。いきなり外に出てもらって、プラネテューヌの女神が二人いる、なんてことが発覚したら国民が混乱するかもしれませんから」

「私たちも行き場のない人を勝手に追い出すほど鬼じゃないし。遠慮せずゆっくりしていってよ」

 

 纏めると、いろいろ都合がいいから教会に置いてくれるらしい。

 なんともご都合主義というか。でも理にかなってはいるのか。

 

「お姉ちゃんが二人ってことは……寝る場所も用意しないとだよね?」

「えー? 別にあのベッド、二人は余裕で寝れるよ? 一緒に寝ちゃえばへーきへーき」

 

 …………。

 

「別々でお願いしていいですか?」

「えっ」

「ねぷっ」

 

 考えるより先に口が動いていた。

 

「そ、そんな……そんなに私と一緒が嫌なんて……」

 

 いや、嫌というかそういうわけではなく、何というか。

 何か駄目な気がする。分からないけど、心の中の俺が猛烈に拒否してる。

 

「もう、お姉ちゃん。一人で寝たいって人もいるんだよ? だったら配慮してあげなきゃ」

「そうですよ。それに、もし寝込みを襲われたらどうするんですか」

「私に限ってそんなことはないと思うけどなぁ……」

「というわけで、部屋はネプギアさんとで用意しますから。黒ネプテューヌさんは、そこからあまり出ないようにしておいてください。むろん、教会の中だったら自由に歩き回ってもらってもいいのですが……」

 

 ……えーと?

 つまり、なんだ。

 思いっきり監禁されるってことか、俺。

 

「そういう面もありますが、国民へ説明するタイミングを見計らうためでもあります。急にこの国に女神が二人となると内部での分裂や、最悪の場合他の国との関係にも関わりかねませんからね。不満はあると思いますが……」

 

 ああいや、それなら仕方ないよな。うん。国民のことが第一だよね。

 それに、説明とか信頼を得られた後なら、好きに街を歩いてもいいってことみたいだよね?

 なら、それまでの辛抱だ。待つのは嫌いじゃないし。

 

「あ、そういえば黒い方の私ってさ、女神化できるの?」

 

 そろそろ退屈になってきたのか、ネプテューヌが欠伸交じりにそんなことを聞いてきた。

 

「確かにそうだね。私もずっと気になってたんだ」

「自分がネプテューヌだ、と言うくらいですから出来て当然だとは思いますが……そこら辺はどうなんですか? 黒ネプテューヌさん」

 

 そ、そんな期待するような言い方をされても……困るっちゅーの。

 一度やってみたけど、できなかったし。

 そもそもやり方も分かんないし、出来るかどうかも分からない、って感じかなあ。

 

「なら実演してあげるよ! それっ、変身――」

 

 なんて、急にネプテューヌが声を張り上げたかと思うと、視界が眩い光に包まれる。

 朝日のように白いその光が張れると、果たしてそこに立っていたのは、

 

「――こんな感じ、かしら?」

 

 紫の女神、パープルハート。

 全身を包む黒と紫のスーツに、背中には透明の翼。

 電源マークを模した、煌めく瞳が俺のことを覗いていた。

 

「ちょっとネプテューヌさん、いきなり変身しないでください!」

「ごめんなさい。でも、こうした方が早いと思って……」

「こうした、って言っても今のじゃあんまり分からないと思うけど……」

 

 ほ-う、ふむふむ、なるほど。

 …………。

 

「ふんッ」

「えっ、ちょっと黒い方のお姉ちゃん!?」

「いきなり光りましたよ!? 大丈夫ですか!?」

「いいえ、これは……」

 

 そうそう。そうだよ。変身だよネプギア。

 よく言うシェアエネルギーってのは何となく理解できた。

 あとはこう……何だろうな。どっかから湧いてくるそれを集める感じ。

 手の先から、全身にかけて纏わせるように。

 果たして、光が晴れた後。俺の体は――。

 

「……あれ」

 

 身長も声も何も変わってない。ついでに胸も。デカくなるんじゃないのか。

 

「変身……してないけど」

「おかしいわね、今のは確かに、シェアエネルギーの光だったはず……」

 

 なんでだろうね。完全に俺もいけると思ってたんだけど。

 そうやって、うーんと腕を組もうとしたとき。

 

「あ、女神化してるじゃないですか。よかったですね」

 

 うん? イストワール? 何言ってるんだ?

 全然、どこも女神化なんて……

 

「…………本当ね、してるわ。ほら、その手」

 

 ネプテューヌに言われ、ふと見下ろした手のひらが、黒く染まっていた。

 そこから先、おおよそ肘まで届かないくらいまでだけど。

 パープルハートと同じようなプロセッサユニットが接続されていた。

 これが、女神化。

 女神化? 

 ……なのか?

 

「しょぼ……」

「そういう問題なの!? っていうか、それどうやったの!?」

「落ち着きなさい、ネプギア。あれは(ネプテューヌ)なのよ? 女神化できたって不思議なことじゃないわ」

「十分不思議だとは思いますが……」

 

 呆れたような声で、イストワールがそうため息を吐いた。

 

「でも、ネプテューヌさんの言う事もあながち間違いではないかもしれませんね」

「え? それってどういうことですか?」

「つまり、あちらの黒ネプテューヌさんへもシェアエネルギーが流れている、ということかもしれません。同じネプテューヌという存在だからなのか、そこは良く分かりませんけど。でもプラネテューヌのシェアエネルギーはネプテューヌさんとネプギアさんに使われてましたから、今、黒ネプテューヌさんが使えるのはその残り、ということなのでしょうね。憶測に過ぎませんが……」

 

 なるほど、だから腕だけしか女神化できなかった、と。

 完全に変身するにはシェアをもっと集めないといけないのかな。

 ルウィーとかは三人女神化するし、割とその説が有効かもしれない。

 でも、今の俺じゃあシェアなんて集められないし。

 それに、うーん。右手だけってのも……。

 いや、ちょっと待て。もともと全身に纏うものなんだし、右手だけなわけがないだろ。

 するするする~、となんかこう、エネルギーをそのまま移動させる感じで。

 ……あ。

 

「いけた」

「いけたって……あれ? 女神化してるのってそっちの手でしたっけ?」

 

 いや、違う。今移動させた。

 えっ何それ、って驚くネプギアをよそに、左腕に纏うシェアエネルギーを右足の方へ。

 足だとふくらはぎまでっぽいな。左足に移動させてもそんな感じ。

 別にパープルハートみたいに足が伸びたり、なんてことはないらしい。

 たぶん完全に女神化できるようになったら、ちゃんとネプテューヌみたいに大人になるのかな。

 ……そうだ、両手にするとどうなるんだろ。

 

「なんだか、私たちよりエネルギーの使い方が上手い気がするわ」

「あんな風に変身することなんてなかったもんね……」

 

 ああ、両手だと手首から先だけになるのか。え? これ握力強くなったりする? 

 ネプギア、ちょっと握手しよ?

 

「え? あ、うん、別にいいよって痛い痛い痛い痛い痛い!」

 

 やっぱり強くなってるらしい。いやまあ、だから何って話になるんだが。

 なんで私が……なんて涙目になるネプギアの頭を、女神化したままの手で撫でる。

 

「そういう自由奔放なところは似てるんですね」

「私、あんなに脈略のない動きするかしら……?」

 

 疲れたようにネプテューヌが言って、そのまま再び体から光を放つ。

 

「あー、疲れた! 女神化するのも楽じゃないよー、まったく」

「勝手に変身したのはネプテューヌさんの方でしょう」

「そうしないと後輩に示しがつかないでしょ? それに、私のお陰で女神化もできたんだし」

 

 ちょっと足りないところもあるけど、なんてネプテューヌは俺へ視線を向ける。

 まあ、いろいろ足りない。0.2パープルハートくらいかな。0.2ph。ぺーはー。

 

「でも……女神化できるってことは、本当にお姉ちゃんと同じなんだ」

 

 同じ、なのだろうか。もしくは……対極か。

 そんなことは今考えても、分かるはずもなくて。

 とにかく、女神化できることが分かった今、するべきことは。

 

「部屋どこ?」

「部屋……あっ、今日のお部屋ですね? ええと、それでは来客室の方に……」

「あ、それなら私が案内します。ついでに教会の中も」

「それなら私も一緒に行くよ。人は多い方がいいでしょ?」

「ネプテューヌさんは溜まってる仕事を消化してください!」

 

 なんて、わちゃわちゃ言いつつもイストワールがいる部屋――あとでネプギアから聞いたけど、謁見の間という部屋らしい――から抜け出して。

 流れるように教会、っていうかプラネタワーの中身をまるまる案内されて。

 最上階に着いた頃にはすでに夕日が沈んでいて、そのまま泊まる部屋に案内されて。

 風呂なんて備え付けであるもんだから、そのまま一人で入ったりして。

 上がった時にちょうどネプテューヌとネプギアが二人で話してて。

 夕食までゲームしよ、なんて言うもんだから、今朝にやったゲームを三人で遊んだりして。

 なんやかんや夕食もその部屋で食べて、歯磨きもして、そのままベッドに。

 ちゃんとネプテューヌは自分の部屋に寝に行ってくれた。ネプギアも。

 一緒に寝たいー、なんて最後までわがままを言っていたけど。

 まあ、その……もっと慣れた時にお願いしようかな。

 

 とにかく。

 平凡だった。何かあるわけでもなく、適当に過ごして適当に一日が終わっていく。

 真新しい景色のはずなのに、新鮮さも特別さも、どうしてか感じられなかった。

 いやまあ、どちらかというと流されるっていうか、巻き込まれているっていうか。

 ネプテューヌを含めた全員が、俺についてそこまで問題意識を持っていなかったような気もする。

 

 ……そんなこんなで。

 俺のプラネテューヌ生活一日目は、幕を閉じるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04 邂逅、ノワール

書き貯めぜんぜんない


 

 それは、俺がプラネテューヌにやってきた、次の日のことだった。

 

 監視される、なんて言われてもすることなんてなんもなくて。

 ネプテューヌの世界で仕事って言えばクエストだから、ギルドいってもいい? ってイストワールに聞いたら、なんで昨日言ったことをすぐに忘れるんですかあなたはそういうところはネプテューヌさんに云々、なんてぐちぐち言われてしまって。

 でも何もしないのもヒマ、って言ったら、じゃあ教会の掃除でもしてください、って言われて。

 言われるがまま、箒とちりとりを持って教会の講堂? みたいなところを掃除することに。

 教会の職員さんには既に話が通っているみたいだった。

 ああ黒い方のネプテューヌ様ですね、話は聞いてますよー、なんて言われて。

 ヤギか。

 何かあるたびに祝いそうな呼び方しやがって。

 そんでもって事情を話すと、ぜひお願いしますと言われたから、結構やる気が湧いてきて。

 さっさっさー、なんてご機嫌に箒を掃いてたりして。

 そして、その声が聞こえてきたのは、俺が教会の掃除をしてから数十分が経ったころのこと。

 

「……ネプテューヌ?」

 

 突如として俺の目の前に現れたノワールは、俺を見てすぐに困惑したような声を上げた。

 なに? どうしたの、ノワール。どうしたノワール。

 

「ちょっとネプテューヌ! あんた一体何してるの!?」

 

 いや、何って掃除だけど……うん、どう見ても掃除だよな、これは。

 もしかしてゲイムギョウ界における掃除ってもっとアグレッシブなの?

 

「そういうことじゃなくて……!」

 

 と。

 俺の顔を覗き込むノワールは、そこで何かに気がついたかと思うと、すぐに後ろへ後ずさった。

 

「……あなた、ネプテューヌじゃないわね?」

 

 はて。いきなりそんなことを聞かれても。

 うーん、どう見てもネプテューヌのはずなんだけどな。

 磨いた大理石の床に映ってるのも、限りなくネプテューヌだし。

 ……まあ、ここは正直に行くか。

 ネプテューヌです。プラネテューヌの女神やってます。

 

「嘘ね。私には分かるのよ」

 

 あ、あれ……? なんで……ってか、ものすごいピリピリしてる?

 睨む彼女の瞳からは、明確な敵意が見えた。嫌悪するような、歪なものを見るような視線。

 嘘は言ってないんだけどなあ。え? まじでどうしたの?

 

「まさか、こんな事になってるなんて」

 

 ……って、あ。

 そりゃそうか。ノワールは俺の事情をまるで知らないんだ。

 ネプテューヌたちの受け入れ方がスルっと行き過ぎて、すっかりその前提で話を進めてた。

 そら、プラネテューヌに来て俺を見たらこんな反応になるわけだ。

 よく考えれば分かることのはずなのに。いかんいかん、反省しないと。

 ……ネプテューヌたちのユルさにあてられた、ってことにしちゃダメ?

 あ、ダメですか。はい。

 

「あなた、何者?」

 

 対面するノワールは、俺へ敵意を叩きつけながら、そう問いかけてきた。

 そしてその右手には――漆黒のショートソード。銀の刃がぎらりと煌めているのが見える。

 やや、そこまで行くか。俺としては敵対する気はさらさらないってのに。

 それよりも、この場を収拾をどうつけるかだ。

 何て言えばノワールは納得してくれるだろう?

 ネプテューヌ……はさっきの問答で地雷だったから駄目。パープルハートなんてものは論外。

 神次元のネプテューヌだと思います、って言っても、話は通じないか。

 じゃあもう正直に、転生しまして……いかん、逆に地雷だ。殺られる。

 ええと、あーっと、うーんと。

 と、とにかくノワールがマジでやる気なのかを確かめないと。

 あの、ノワールさん? そのですね……

 

「…………やる気?」

 

 圧された殺気でうまく声が出なくて、それだけが言葉になって伝わってしまって。

 やったねこれ。終わったわ。うわもうやる気満々じゃんノワール。

 どうしようかな。もう言葉では分かり合えないみたいだし。悲しい。

 とにかく、攻撃されても耐えられるように女神化でもしておくか。

 手の先へ力を込めると、少しの淡い光を見せた後、右手にプロセッサユニットが装着される。

 いや、装着ってよりは浸食に似てるのかな、これ。

 だんだん体が女神になっていく、みたいな。思ったけどデメリットあるの? これ。

 得物は……箒でいいや、もう。

 あまりにも軽いその箒を持ち直すと、ノワールがぎり、と歯を食い縛った。

 そして次の瞬間――その紅の瞳が、眼前へと迫る。

 

 衝突。銀の刀身と箒の柄が、俺とノワールの間でぶつかった。

 なんで箒で防げてるんだ、みたいなことを考えてる暇はなかった。

 瞬時に蹴りが腹に入って、体が後ろへ吹き飛ばされる。

 すぐさま足の方にプロセッサユニットを移して、その脚で強く着地。

 眼を見開きながらもこちらへ突っ込んでくるノワールへ、再び箒を正面に。

 そうして真っ直ぐ刺突されたその剣を、プロセッサユニットを移した左手でそのまま受け止める。

 金属の擦れる音と、左腕にかかる重い痛み。けれど、捕まえることはできた。

 

「…………どういう、ことよ」

 

 色々含みのある発言だった。でも、言葉を交わしてくれたのは確か。

 どういうって……うーん。

 

「俺が、ネプテューヌだから?」

「ふざけないでよッ!」

 

 再び横腹へ回し蹴り。左腕にシェアエネルギーを回したままだから、そのまま受けてしまう。

 掃除したばかりの地面をごろごろと転がりながら、受け身。全身に鈍い痛み。

 起き上がろうとした時、喉元に剣先が突き付けられた。

 いやあ、まあ無理だったか。

 あっちは本物の女神ってこともあるし、なんたってこっちは箒だったし。

 

「……ネプテューヌをどこにやったの?」

 

 頭の中で反省してると、そんなことを聞かれてしまう。

 

「あなたがネプテューヌのはずがないわ。同じ女神である私には分かるのよ。それに、ネプテューヌはこんなに弱くない。あなたみたいな奴がネプテューヌを騙っているのは……癪に障るわ」

 

 濃厚すぎるネプノワを見せつけられています、今。

 薄い本が厚くなる、とか甘えた考えは、顎元に当てられた刃で遮られた。

 ともあれ、女神であるってことは俺のシェアエネルギーについても理解してるみたい。

 それで、俺のシェアエネルギーから見るに、俺がプラネテューヌの女神ではない、と。

 ……あれ? 俺のシェアエネルギーって、ネプテューヌと半々になってるんじゃ?

 でも、ノワールが言うには違いがあるらしい。どうなってんだ、ほんとに。

 にしても本物のネプテューヌか。

 ……たぶん、イストワールに言われて仕事してると思うけど。

 あれ? ってことは俺のこの状況、マジで詰んでないか。

 だから――、とノワールがゆっくりと握った剣を振り上げる。

 アア、オワッタ……絶対死んだなこれ……。

 

「まあいいわ。あなたを始末したあとで、ゆっくり探すことにするから」

 

 せめて観光くらいはしたかったな。何ならネプステーションくらいは見たかった。

 なんてことを考えていると、ふとノワールが「……あれ?」なんて腑抜けた声を上げていた。

 彼女の視線を追うようにして首を動かすと、そこに居るのは。

 

「の、のののノワール!? 何してんのさ!!」

 

 どたばたと慌てながらこちらへと駆け寄ってくる、ネプテューヌの姿だった。

 

「ネプテューヌ!? え? うそ!? あれ!? なんで!?」

「とりあえず武器しまって! 黒い方の私も怖がってるじゃんか!」

「黒い方って何よ!? ヤギか何かなの!? あーもう、意味わかんないわよ!」

 

 いやまあ、だからといって本人が意味わかってるわけでもないんだけどさ。

 とにかくまあ……なんやかんや、俺は助かったらしい。

 

 

「ええと、改めて……初めまして、でいいのかしら」

 

 ところは変わって、ネプテューヌの部屋で。

 対面して座るノワールは、そう言いながら頭を下げた。

 ノワール。重厚なる黒の大地、ラステイションを収める女神。のわっち。Noire。

 クリアドレスを身に着けているあたり、このノワールはいつものノワールらしかった。

 

「まったくもう、ノワールったらせっかちなんだから」

「仕方ないでしょ……というより、こんなの誰でも間違うに決まってるじゃないの」

 

 ノワールの言う事ももっともだと思う。

 全く同じ存在なんだもんな、(ネプテューヌ)とネプテューヌ。

 

「でもでも、いきなり戦い出すのもどうかと思うよ? しかも割とマジだったでしょ」

「……箒ひとつで私と戦えるその子もその子だと思うけどね」

 

 そういえばあの箒どうなったんだろう。教会の備品とかなのかな。

 もし壊れたらラステイションに請求してやろう。幸い一番偉い人が目の前にいるし。

 

「変なこと考えてるでしょ。まったく、そういうところは似てるのね」

 

 俺の思考を見透かしたノワールが、呆れたようにため息を吐いた。

 

「でもまあ、ごめんなさい。悪いヤツじゃないんでしょ? それなのに疑って悪かったわ」

「そうだよ? なにせそっくりそのまま私なんだから! 悪くないに決まってるよ!」

「それを聞くとかなりまずい状況になった気がするけど……ネプテューヌが二人って……」

 

 なんだが胃が痛そうだ。顔を覆いながら、ノワールがまた重たい息を吐く。

 

「そういえばノワールはなんでここ来たの? もしかして寂しくなっちゃったとか?」

「そんなわけないでしょ。プラネテューヌの方で変なシェアエネルギーの変動があったから、興味と偵察がてら覗きに来ただけよ」

「シェアエネルギーの変動って……ああ、もしかして」

「そ。目の前で見せつけられたわ」

 

 何か納得した様子で、二人が俺のことを見つめてくる。

 …………ああ!

 

「これのこと?」

「そう。そんな使い方見たことないわ。ネプテューヌ、あなた知ってた?」

「それが私も初めて見たんだよねー。っていうか、出す速度早くなってない?」

 

 何というか、さっきの戦闘で感覚は掴めたかな。

 瞬間的にプロセッサユニットが装着できるようになったり。女神化する部分も移動できたり。

 割と簡単だな、これ。どっかの社長のナノテクスーツみたいだ。

 しゅるしゅるー、と左腕に移動して、そのまま脇腹を通って足の方に。

 両足だと手と同じで足首までっぽいな。でもこれどうなるの? 足首強くなるの?

 うーん、よくわからん。外見だけで言えば、テクスチャを張り替えてるみたいな感じだし。

 もしも全身にまで行きわたってるようになら、俺もパープルハートになれるのかな。

 …………あ、そうだ。

 

「うわいきなりおっぱいでっかくなった! え!? 何してんの!?」

「いや、こういい感じに……」

「いい感じも何もないでしょ! シェアエネルギーをそんなことに使うんじゃないわよ!」

 

 ノワールにガチギレされた。悲しい。

 使えそうだと思ったんだけどなー、って呟くと、何に使うつもりなの……とネプテューヌ。

 

「とにかく、このネプテューヌはネプテューヌの分身……ってことでいいのよね?」

「うん、まあ説明するのが面倒だからそれでいいよ」

「そこは面倒だからで流していいところじゃないと思うけど……」

「いーのいーの。どうせ考えてもあんまり分かんないんだし」

 

 ねー、と俺に向けて言うネプテューヌに、同じように首を縦に振る。

 あんたら、それでいいの……? なんてノワールが言うけれど、それでいいんだと思う。

 特にまあ、困っていることもないし。生活もできるっぽいし。

 

「そういう気楽なところも同じなのね……」

 

 うんざりするような調子で、ノワールがそう言った。

 そこからしばらく談笑していると、部屋のドアがとんとん、と叩かれて。

 

「皆さん、お茶が入りましたよ」

「あ、ネプギアありがとー! お茶請けは?」

「この前ルウィーに行ったときに貰ったお饅頭にしたよ」

「さっすがネプギア! 気が利くぅ!」

 

 そこからはネプギアも加わって、何やらいろんな話をしていた。

 シェアエネルギーがどうとか、女神化がどうとか、

 シェアクリスタルの調子はどうとか。あんた女神なんだから管理はしっかりしなさい、とか。

 六割くらいはネプテューヌが怒られていたような気もする。 

 唸るネプテューヌを見ながらお茶をすすっていると、それで、とノワールが前置きを入れて、

 

「あなたの国民には、この子のことどう説明するつもりなの?」

「えー? 適当でいいよたぶん。なんか増えちゃいましたー、みたいな感じでさ」

「よくないに決まってるでしょ!? どうしてあんたはそうなのよ!」

 

 あ、また怒られてる。ノワールもマジで大変だな。

 そういやルウィーで貰った饅頭あるとか言ってたな。口も寂しいし食べてみよ。

 当然のことだけど、ルウィーがあるってことはブランもいるってことだよな。

 ってことはベールもか。今日来たのはノワールだけだけど、二人は何してるんだろ?

 できれば二人にも会ってみたいな。折角ゲイムギョウ界に来たんだし。

 でも簡単に会ってくれるんだろうか。でもノワールみたいなエンカウントはごめんだな。

 今日は運よくネプテューヌが助けてくれたからいいけど、次はどうなるか分かんないもんね。

 俺一人じゃ女神に太刀打ちなんでできるはずないし。

 この実力差もシェアが増えたら解決するのかなー、なんて考えていると。

 目の前にブランが表れた。

 ……いや、正確にはブランの顔だけが。

 

「あれ、黒いお姉ちゃん? どうしたの?」

 

 いや、ブランまんじゅうってマジであったんだなって思って。

 

「この前行ったときに貰った試作品なんだけど、知ってるんだ?」

 

 確か食べるとHP全快するんだよな。しかもTEC上がる効果もあるし。

 うわ、そう考えると食べるの勿体なくなってきた。どうしよこれ。

 でも出されたモンは食わないといけないし、何より包装もはがしちゃったし。

 心なしか、焼印されたブランの眼が訴えるように俺の方へ向いている気がする。

 ごめんなブラン……今から俺、君のこと食べちゃうんだ……。

 

「ちょっと黒い方の! 今の話聞いてた!?」

 

 はい! え? なに? 全然聞いてなかった。ブランに夢中で。

 

「なんで聴いてないのよ! 今思いっきりあなたのこと話してたじゃない!」

「まーまー、あっちもまだノワールに慣れてないんだよ。ノワールって性格キツいとこあるからさ」

「キツくしてるのはどこのどいつよ……!」

 

 これマジなキレ方だな。ごめんなさい、全然聞いてませんでした。

 

「なんていうか、あなたの情報は女神全体で共有しておこう、ってことらしいよ。まあプラネテューヌの女神が三人になったわけだしね。おいおい、ブランとかベールとかとも顔合わせすることになるかも」

 

 なるほど。それは願ったり叶ったりって感じだな。

 二人への挨拶、用意しとかないと。

 

「まあ、あっちの都合がついたらの話だけどね。そこは私がしておいてあげるから」

「別にそんなことしなくても大丈夫だよ。向こうから勝手に来るでしょ」

「ネプテューヌ、あなた本当に今回の事態を軽く捉えすぎよ。ふつう自分が二人に増えるなんて考えられないでしょ? ましてや、あなたは女神なんだからそのことを重く受け入れるべきよ」

「うーん、ノワールの考えすぎだと思うんだけどなー……」

「考えすぎって、そういう問題じゃ」

「それにさ」

 

 と、ネプテューヌが俺の方へと向き直って。

 

「どっちが本当のネプテューヌか、プラネテューヌの女神なのか、ノワールには分かるの?」

 

 それは……。

 

「……あなたでしょ。自分でも分かってるんじゃないの?」

「そりゃ、自分はそうだよ。自分のことを疑うことなんてしないもん。でも国民のみんなは? プラネテューヌは、今までのネプテューヌかこっちのネプテューヌ、どちらを女神に選ぶと思う?」

「それってまさか、あなた……!」

「うん。多分、そうなんだろうね」

 

「この国の女神が代わる時が、来たのかもしれない」

 

 沈黙。絶句によるそれは、ひどく長く続いたようにも見えた。

 何も言う事ができなかった。俺も、ノワールも、ネプギアでさえも。

 驚いているんだろう。ネプテューヌがそこまで考えていることを。

 そして、それを何の躊躇いもなく受け入れていることを。

 怖かった。曖昧な彼女の笑みの裏には、とても大きな何かが潜んでいるような気がした。

 そしてそのまま、ネプテューヌは再び口を開いて、

 

「なーんてね! ま、私が変身できなくなったわけじゃないし! あくまで仮定の話だよ」

「……全然笑えないわよ、それ」

「まあまあ……っていうか、私の代わりにはネプギアいるし。心配しなくていいよ」

「そ、そうだよね……いきなり飛ばされるなんてこと、ないよね……?」

「それに、万が一の時は双子キャラに路線変更すればだいじょーぶだいじょーぶ! あ、今の内にユニット名とか考えとく? ツインクロス・ネプテューヌとかどう?」

 

 あ、なんかかっこいい。それ気に入ったかも。

 

「はあ……何よもう。心配して損したわ」

「でも心配はしてくれたんだ? やっぱりノワールも私がいないと寂しくなっちゃう?」

「そういうわけじゃないわよ! 全くもう!」

 

 だん、と机を叩いて、ノワールがそのまま立ち上がる。

 

「ちょちょ、ノワール? どこ行くのさ」

「帰るに決まってるでしょ? 用事はもう済んだんだし。あ、ネプギア、お茶ありがとうね」

「あ、はい。それじゃあお気をつけてー」

「えー、遊んでかないの? もうちょっとゆっくりしてきなよー」

「私はあなたと違って仕事が山積みなのよ!」

 

 なんて叫ぶノワールに、ネプテューヌがついていって、そのまま。

 ネプギアの片づけを手伝って、その日はそれで終わった。何事もなく、一日は終わった。

 けれど、あのネプテューヌの発言だけは、その日以降もずっと、心に張り付いている気がした。

 

 

 ちなみにブランまんじゅう、もったいなくて一個だけ部屋に置いておくことにした。

 これ日持ちするヤツなんかな。まあ、何とかなるだろ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

05 Pの残滓/少女の願い

ランキング乗ると自分の原作知識ガバってないか心配になる


 

 プラネテューヌに来て、俺がネプテューヌになってから、四日が経った。

 特に何もない平穏な日常が続いている。三日目にコンパとアイエフと会ったけど、それだけ。

 なんてのも適当に挨拶してから五分くらいでどっか行っちゃった。取り付く島もないって感じ。

 相変わらず、監禁……っていうか教会での居候生活は続いている。

 朝になったらネプギアかイストワールに起こされて、昼まで適当に掃除とかして、午後は図書館で文献を読んだり、ネプギアとかイストワールの手伝いなんかしてる。主に書類整理とかだけど。

 それで、夜になったらネプテューヌとゲーム。

 マジで毎日ゲームしてる。狂った機械みたいにゲームしてる。いや、楽しいんだけどさ。

 すごい怠惰な生活を送っている気がする。とはいえ、何ができるってわけでもないが。

 今日も朝に起きて、そのまま掃除へ。

 初めて来た頃に比べたら、だいぶ綺麗にはなった気がする。

 達成感。女神たるもの、自分の教会くらい自分で掃除しないとな。

 でも、プラネテューヌの女神ってのはそういうものを求められてない感じはするけど。

 きっとプラネテューヌの国民は、ネプテューヌみたいな在り方そのものを求めてるんだよな。

 決してネプテューヌは、そうした国民の欲求に応えているわけじゃないと思う。

 ネプテューヌという少女の在り方が、プラネテューヌの女神に相応しいっていうか。

 けど、それって簡単なことじゃない。もっと複雑で、重いものだと思う。

 ……ついこの前、あんな話があったから、つい考えてしまう。

 かといって、俺がプラネテューヌを背負えるわけではないんだけどさ。

 

 なんてことを考えつつ、ふらふら~と掃除をしていると、何やら教会の入口に人影が見えた。

 信者の人かな。こんな朝早くに来るのは珍しかった。

 大抵は午後とかだからなあ。だから午前中に俺が掃除できるわけだし。

 ……あれ? これってもしかして隠れといたほうがいいやつ?

 いやでも、せっかくやってきたのに居留守を使うのは申し訳ない気がする。

 それにイストワールにも教会から出るな、って言われてるだけだし。

 うん、大丈夫だろ。

 どうせ国民のみんなには説明することになるんだし。

 

「こ~んに~ちは~」

 

 なんて自分を納得させていると、聴こえてきたのはそんな声。

 子供だった。薄い紫の髪を背中まで伸ばした、十一か二くらいの少女。

 瞳の色は鬼灯の色というか、柔らかい緋色。髪の色は淡い水色だった。

 着ているのは……パジャマ? 何というか、ものすごくゆったりした衣装。

 そういえばプラネテューヌの国民、未だに見たことないけど全部あんな服なのかな。

 いやでも、アニメとかだとちゃんとした服着てたし。この子だけ?

 

「あ~、めがみさま~」

 

 彼女は俺に気づいたかと思うと、そんなのんびりした声を上げながらとてとてと近寄ってきた。

 ネプテューヌの俺の体でも、腹か胸かそれくらいの高さ。

 ガチキッズだ。プラネテューヌガチキッズ。

 体感的には小学校の低学年くらいな気もする。

 

「めがみさま~、ね~、めがみさま~」

 

 いや……実は女神じゃないんだ、俺。

 ノワールの件で学んだ。みんなの言う女神ってのは俺じゃなくてネプテューヌのこと。

  理由は分からないが、自分のことをそう認識してしまうらしい。

 気を付けないとまた、変な誤解を招くし痛い目も見ることになるから、ちゃんと説明しないと。

 ちがうよー、めがみさまは今……何してるんだろうね。ゲームとかか?

 

「え~、でもめがみさまだよ~? ほらぁ~」

 

 ん、と俺に見せてきたのは手のひらサイズのぬいぐるみ。

 紫の髪をしたそれは、どうやら俺……つまり、ネプテューヌを模しているようだった。

 同じでしょ~、と少女。いやまあ、確かに同じなんだけど……ううん、子供には難しいな。

 

「それでね~、めがみさまにお願いがあるの~」

 

 お願いか。いや、叶えられるか分かんないけど。そもそも聴いていいのかさえも。

 戸惑っている最中にも、彼女はええとね~、なんて続けていて。

 

「わたしね~、クエストいきたいんだ~」

 

 え、クエスト? 

 基準がどんなもんか分からんけど、まだ早いんじゃないかな。

 ってか、クエストに行きたいってことは、つまり仕事がしたいってこと?

 

「ううん、ちがうの~。お姉ちゃんを探してるんだ~」

 

 お姉ちゃんを探しにって……ああ、お姉ちゃんが仕事に出てるのか。

 

「わたしじゃクエストうけられないから~、めがみさまに頼もうかなって~」

 

 なるほど。同じクエストを受けて、お姉ちゃんを探してほしいと。

 にしてもなんで? 何か用事でもあるの?

 

「お姉ちゃん、今日は休みでいっぱい遊んでくれるって言ったのに~」

 

 そういうことか。

 

「だから~、お姉ちゃんのクエストを手伝ってほしいの~」

 

 うんうん、まあ道理に叶ってる。至極当然な欲求だ。

 じゃあ、ネプテューヌに頼んでみるね。何だかんだ仕事中断して手伝ってくれそうだし。

 

「なんで~? めがみさま、手伝ってくれないの~?」

 

 いや、だから女神のネプテューヌに頼みに……。

 

「だ~か~ら~、めがみさまはここにいるでしょ~?」

 

 それはそうだけど、うーん……。

 困ったな。この調子だと俺が行くことになりそうだぞ。まだ外出許可も出てないのに。

 それに勝手に行ったらネプテューヌたちも心配するだろうし。どうするかなー。

 誰か止めてくれる人いないかなー。コンパとアイエフはいつも通り仕事でいないし、ネプギアはラステイションに用があるって今日は夜まで帰ってこないし。ネプテューヌとイストワールは今日は一日中お仕事って言ってたから夕方まで執務室から出てこないだろうし。

 ……あれ? もしかして誰も見てない?

 

「ね~え~、はやく~」

 

 というかよく考えてほしい。

 この幼気な少女の頼みを、どうして女神である俺が断ることができようか?

 いや、出来るわけがない。教会にわざわざ頼みに来てくれたんだぞ。やるしかねえだろ。

 それに、こうして信者の願いを聞いてやれば信頼も得られるかもしれないし。

 シェアも上がるかもわからん。とにかく、やった方がメリットが多いのだ。

 よし、行くか! クエスト! 今すぐに!

 

「うん、わかった~! じゃあいこっか~」

 

 なんて手を引かれて、俺は教会から抜け出した。

 ちょっと罪悪感。でも子供を見放すわけにはいかないし。

 仮にこれで怒られたとしても、この子のそばに居ることに後悔はなかった。

 だってさ、どれだけ小さな願いでも、見捨てることなんてできないしさ。

 ……あ、そういえば。

 

「え~、私のなまえ~?」

 

 そう。名前。聞いておいた方がいいと思って。

 

「ええとね~、私のなまえね~、わたしのなまえ~……」

 

 

「私ね、プルルートっていうんだぁ~」

 

 

 

 プルルート。ぷるるん。ぷるると。ぷるーん。Plutia。

 又の名を、もう一つのプラネテューヌの女神。

 プルルートのいる次元――つまり神次元は、ネプテューヌが女神にならなかった次元。

 代わりにこのプルルートが、女神アイリスハートとしてプラネテューヌを治めている。

 長い紫の髪を後ろで大きな三つ編みにしている、寝間着とパジャマの少女。

 マイペースな性格と、伸びきった言葉遣いが印象深く残っている。

 しかしながら。

 

「なあに~、めがみさま~」

 

 今俺の目の前にいるのは、俺よりも小さな子供なわけで。

 

「……めがみさまって呼ばなくても、いい」

「え~? じゃあ、ネプ……ね、……ねぷ……?」

「言いにくいなら、呼びやすいようでいいよ」

「じゃあ、ねぷちゃにする! ねぷちゃ~! ね~ぷちゃ~!」

 

 けれどこの間延びした言葉遣いとずぼらな容姿は、間違いなくプルルートのものだった。

 つまりあれか。子供のプルルートってとこか。もともと小さいのにさらにロリ化しちまった。

 でもまあ、ピーシェよりは大きいくらいかな? わからん、微妙なところかも。

 ただ、三つ編みにされていない髪型が、すごく印象的だった。

 

「ん~? ねぷちゃ~、どうしたの~?」

 

 いやあ、小さいなあって思って。

 

「こどもだもん~、まだきゅうさいだよ~」 

 

 九歳。神次元のプルルートと比べると……五、六歳くらい開いてるのかな?

 にしても、子供のプルルートかぁ……子供ぷるるん……。

 Vをプレイした身としては、とても新鮮な気持ちだった。

 

 簡潔に俺の考えを述べるなら、彼女はこの次元のプルルート、なんだと思う。

 超次元と神次元はかなり酷似しているらしく、そこに住んでいる住人も瓜二つなんだとか。

 だから神次元にはノワールもブランもベールも、アイエフもコンパもいる。

 もちろん女神にならなかったネプテューヌも。

 つまりその神次元が『ネプテューヌが女神にならなかった次元』とするなら、今俺がいる次元は『プルルートが女神にならなかった次元』ということになるらしい。

 推測ではあるが、それくらいしか俺には考えられなかった。

 ……あっちも最初はアイエフとコンパは子供だったし。つまりそういうことなのかな。

 

 街のギルドには、教会から歩いて五分のところにあった。コンビニか。

 でもクエストの感覚がアルバイトみたいなものだから、割とそれが正解なのかもしれない。

 自動ドアをくぐると、大きなクエストカウンターに出る。形的には銀行に似てるのかな。

 陳列されたATMみたいなのでクエストを受けて、そのまま郊外へー、みたいな感じ。

 というのも、全部プルルートが教えてくれたんだけど。

 

「ねぷちゃ~、こっちこっち~」

 

 プルルートに言われるがまま、ギルドの中へと入っていく。

 時間帯が時間帯なのかギルド内は空いていて、すぐにカウンターに入ることが出来た。

 受付のお姉さんも別に不思議がってなかったし。多分大丈夫だな、この調子だと。

 カウンターの前に立って、電子画面を操作する。

 ええと……何選べばいいんだ、これ。

 

「う~んとね~……お姉ちゃんは、エンシェントドラゴン? って言ってた~」

 

 ああ、エンシェントドラゴン。あれね。おーけーおーけー。理解した。

 ……エンシェントドラゴン、ゲーム内では強敵扱いされてるんだけど。

 それを一人で狩るお姉ちゃん、一体何者なんだ。

 そもそも、今の俺で勝てるのか? レベルとかどうなってるんだろう。

 というより武器は? アイテムとか、防具とか足りないものが多すぎる。

 いや、一応ブランまんじゅうは懐に忍ばせてあるけど、TEC上昇しても意味な……。

 

「ねぷちゃ~? いかないの~?」

 

 …………うん、まあ。

 何とかなるだろ。たぶん。

 

 

 どうやら、現時点でエンシェントドラゴンを対象としたクエストは一つしかないらしい。

 俺とプルルートはそのクエストに途中から合流する、という形になった。報酬は減るけど。

 しかしまあ、お金なんてどうでもいい。大切なのは、プルルートが言う姉と会うことだ。

 一つ不安なのは、その姉に心当たりがないこと。

 神次元におけるプルルートには、姉なんていなかったはずだけど。

 でもまあ、ここは神次元じゃなくて超次元だし。姉がいてもおかしくないんだろうな。

 そこら辺は割と適当なゲームだった。

 

 そんなこんなでプラネテューヌを抜け出して、バーチャフォレストに。

 森だった。割とガチめの森。どこがバーチャルなんだろう。ただのリアルな森だ。

 一応道は整備されていて、草木の開いたところをプルルートと一緒に歩く。

 

「おねちゃん~、どこ~?」

 

 なんて姉を呼びながら進んでいくけれど、そんな簡単に帰ってくるはずもなく。

 あてもなくうろうろと森の中をさまよう事、十分と少し。

 

「ぬら」

 

 なんて男の声が聞こえてきたかと思うと、俺たちの目の前に出てきたのは、スライヌだった。

 うん、スライヌ。青色の雫みたいな形に犬の耳と尻尾が生えた生命体。スライムではない。

 出てきたのは一匹だけで、どうやらそれは群れとはぐれたような様子だった。

 でも自分で気づいているわけではないらしい。哀れな。

 とりあえずこちらへ飛び掛かってきたスライヌを、両手でひしと捕まえる。

 

「ぬらー」

 

 あ、すっごい柔らかい。なんだこれ。こういう感触の和菓子とかありそう。

 みょーんと引っ張ったり、逆に軽く潰してみると、ぬら~、なんて声を上げて目をつむる。

 なんだ、結構かわいいじゃんか。声はアレだけど。

 でもネプテューヌたち、これを倒すんだよな。ゲームの性質上仕方ないことではあるが。

 そろそろ可哀そうになってきたので、地面において観察。

 実際にこうして見てみると、なんかこう、愛着が湧くというか……

 

「え~い! ふんじゃえ~~!」

 

 ぐちゃ。

 

「あああああああああああああ!!!!!」

 

 うわあああああああああああ!!!!! スライヌうううう!!!

 

「な……何を……」

「え~? だって~、止めてくれてたから~」

 

 足の裏についたスライヌのかけらを地面で擦り落としながら、プルルートがそう答えた。

 そっ……そういう意味じゃないのに……! ただ俺は、この小さな命を守ろうと……!

 ダメだ。この世界、殺伐としすぎている。

 俺はこれに慣れないといけないのか。現実はいつだって残酷なんだな、本当に。

 

「はやくいこ~、ねぷちゃ~」

 

 ああ……そうだ。行こう、プルルート。

 俺たちはこれから、このゲイムギョウ界で生きなければならないんだ。

 進むことしか、できないんだから。

 

「えい~~! えい~~~~!!」

 

 ああああ! そろそろやめてやれって! マジで!

 

 

 バーチャフォレストの中に入ってから、おおよそ一時間を過ぎたころ。

 

「つかれた~ねぷちゃ~、おんぶ~」

 

 ぐだぐだと歩いているプルルートは、ぬいぐるみを引きずりながらそんなことを言ってきた。

 うーん、おんぶしたままだと万が一のときすぐに戦えないしなぁ。

 今までエンカウントした敵が、全部スライヌだけだったからいいものの。

 これから先はさすがに、スライヌしかいないってわけでもないでしょ。

 ちなみに出会ったスライヌは全部プルルートが潰していった。

 ……もしかしてこの頃からアイリスハートの兆候はあったのかな。

 

「ねぷちゃ~、ね~え~」

 

 うーん。なら、おんぶするんじゃなくていったん休憩にしようか。

 適当にいい感じの木陰を見つけて、そこに二人で座り込む。

 つかれた~、なんて言いながら、プルルートは俺にもたれかかってきた。

 一時間は歩きっぱなしだったからな。それにそんな歩きにくい恰好じゃ疲れるのも当然だ。

 よしよーし、なんて頭を撫でると、プルルートが頬を緩ませる。

 あ、そうだ。

 

「ほえ? お姉ちゃんのこと~?」

 

 そうそう。特徴だけでもどんなのか教えてくれると助かる。

 

「えっとね~、お姉ちゃんはね~、黄色くて~」

 

 ふむふむ。

 

「あと~、髪の毛がながくて~、赤いぽんぽんつけてて~」

 

 はあはあ。

 

「いっつもツンツンしてるけど~、本当はとても優しくて~」

 

 ほうほう。

 

「あとね~、お胸がとーっても大きいの~」

 

 なるほどね。完全に理解した。

 とにかく金髪巨乳のツンデレ娘を探せばいいんだな。

 そんなキャラ原作でもアニメでも見たことないけど、そんだけ特徴あるなら何とか分かるだろ。

 それで大事なことなんだけど、名前は何て?

 

「えっとね~、お姉ちゃんのなまえは――」

 

 そう、プルルートが姉の名を口にしようとした瞬間。

 腹の底に響くような、森全体を揺らすほどの地鳴りが、彼女の言葉を遮った。

 地面がぐらぐらと振動を起こして、森の木々が葉を擦る。

 揺らめく木漏れ日のなかで、プルルートは飛び起きながら、俺の方へと縋るようによってきた。

 なんだこれ、どういうことだ? 何が起こってる?

 

「ね、ねぷちゃ……?」

 

 震えるプルルートの肩を、強く抱きしめる。

 大丈夫。何があったとしても、プルルートだけは守る。

 聴こえてくるのはどたどたとした、何か多くのものが押し寄せてくるような音。

 俺たちを挟み込むようにして姿を現したのは、スライヌの大群だった。

 

「ちょっ」

 

 けれどそれらは俺たちに目もくれず、すぐに向こうへと過ぎ去ってしまう。

 今のは……?

 

「ねぷちゃ!」

 

 俺がプルルートを抱えて駆けだしたのは、彼女が叫んだと同時だった。

 寄りかかっていた樹が横方向へと吹き飛ばされて、その風圧で体が吹き飛ばされる。

 すぐさまプルルートを強く抱きしめると、背中に強い衝撃が走る。

 肺が押しつぶされるような感覚。痛みが全身へ伝わってきた。

 げほげほ、と突っかかった息を吐き出しながら、目の前のそれへと視線を向ける。

 焦げた赤銅色の外皮に、地面を踏みしめる強靭な脚。

 背中には身を包むほどに大きな翼と、頭の上には巨大な二本の角。

 こちらへと顎を向けるその姿は、間違いなくエンシェントドラゴンのもの。

 

 そしてもう一つ、その龍と対面するのはひとりの少女。

 吹き飛んだその衝撃を地面につけた足で無理やり抑え込む。

 そのままの発条で大地を蹴り上げ、向き合う龍の上空へと高く舞い上がり――

 

「ぱーんちっ!」

 

 振りかざした拳が、エンシェントドラゴンの頭を、地面へとめり込ませた。

 柔道の投げ技かなんかみたいに、その巨体がぐるん、と回転。

 そして彼女は着地と同時、起き上がろうとするエンシェントドラゴンに向けて、

 

「きーっく!」

 

 勢いよく振りぬいた足が、竜の巨躯を吹き飛ばした。

 ……いや。

 なんだアレ。

 

「はい、おーわりっ! あーもう、疲れたー……」

 

 額の汗を拭いながら、ふぅ、と一息。

 太陽のような、金色の髪を持つ少女だった。

 着ているのは黄色と黒でデザインされた、パーカーとワンピースを組み合わせたような衣装。

 腰あたりから伸びる尻尾が、蜂のようにも見える。

 年は十五とか六くらいだろうか。手足がすらりと長くて、けれどちょっと細い感じ。

 なんだかどこかで見たことあるような、そうでもないような。

 

「……あれ?」

 

 そうして彼女がこちらへと振り向いて、その青色の瞳と目が合っ――

 

「おっぱいでっか!」

「え、え!?」

 

 着痩せしてるんだろうけどそれでも十分でけえぞ! なんだあれは!

 思わず叫んだ俺とは違って、プルルートは慣れた様子で彼女の方へと近づいていく。

 

「おねえちゃん~」

「ぷ、プルルート!? なんでここにいるの!?」

「えっとね~、めがみさまが連れてきてくれたの~」

「めがみさまって……あれが? 本当に?」

 

 何か失礼な疑われ方をされている気がする。いやまあ、本当は違うんだけどさ。

 

「だからって、ここに来ちゃダメって何度も言ったでしょ? 約束したよね?」

「……お姉ちゃんも、約束やぶった~。今日、一緒に遊ぶっていったのに~」

「あっ、いや、それは……」

 

 プリプリ怒るプルルートに、少女もばつが悪そうに眼をそらす。

 やがて観念したのか、少女はため息をひとつ吐いて、プルルートの頭を撫でた。

 

「ごめんね、プルルート。これが終わったら、一緒にぬいぐるみ買いにいこっか」

「いいの~? やったぁ~!」

「うん、好きなの一個買っていいから。それまであの女神さんと一緒にいてくれる?」

「うん~わかった~!」

 

 ほら、と手をつないで、プルルートと彼女がこちらへと歩いてくる。

 親子……ってわけでもないな。本当に姉妹って感じの年齢差。

 ねぷちゃ~、なんて寄ってくるプルルートの頭をわしゃわしゃ撫でる。

 かわいいなこの。小動物感出しやがって

 すると彼女から、ちょっと、なんて声をかけられた。

 

「女神が、こんなところで何してるの?」

 

 うーん。

 良くも悪くも、頼まれたから来てるだけって感じだけど。

 

「プルルートが? あなたに?」

 

 そうだよ、と首肯すると、彼女は口をつぐんで深く考え込んでしまった。

 なんだろうな、本当にどこかで見た気がするんだけど……あれー? どこだったっけ? 

 しかもこの既視感も微妙にズレてるっていうか……謎だろう。

 ドラゴンを屠る謎の少女。そんなの、ネプテューヌの世界に居なかった気がするけど。

 お姉ちゃん強かったねー、なんてプルルートに話すと、いつもあんなかんじ~、と返された。

 いつもあんなんなの? プラネテューヌの国民って戦闘民族なの?

 

「……まあ、いいや。クエスト終わるまで、プルルートのこと頼んだ」

 

 うん、おっけー。あー……と、えー、と。

 そういえば結局、名前聞き忘れてたな。

 

「え? あたしの名前? プルルートから聞いてないの?」

 

 

「あたし、ピーシェって言うんだ」

 

 

 ピーシェ。ピー子。ぴぃちゃん。Peashy。

 神次元の住人であり、またある複雑な事情によって女神にもなった存在である。

 本来は五歳くらいの幼女で、プルルートとネプテューヌに育てられている。

 キャラクターとしては、いつも元気いっぱいで、どこにでもいるようなわんぱく少女。

 ただフィジカルというか、格闘センスが素で高い。なんでなんだろうね、ほんとに。

 と、俺の知っているピーシェのイメージをできるだけ挙げてみたわけだが。

 

「……なに? あたしの顔になんかついてる?」

 

 きょとんとした様子で、ピーシェは首を傾げるだけだった。

 何と言うか……感慨深いというか、非常に心が落ち着くというか。

 大きくなったなあ、なんて。

 

「あたし、女神に育ててもらった覚えないよ?」

 

 う。いや、まあそうだよな。

 つまるところ、彼女はプルルートと同じみたいで。

 女神にならなかった次元のピーシェ、ということらしい。

 

「それよりも、ちゃんとプルルートのこと見ててよ。今、この森って危険なんだから」

 

 ピーシェの言葉にうなずく。

 

「理由は分からないけど、昨日か一昨日くらいかな、モンスターがいつもよりも多く出現するようになったの。それも、ラステイションとか他の大陸にいるはずのモンスターも。それで緊急事態っていう理由で、あたしもギルドに呼び出されたんだ」

 

 そうなんだ。それで約束が守れなくなっちゃったと。

 まあ仕方ないよな。ピーシェの口ぶりからするに、割と緊急の案件っぽいし。

 

「……女神なら、なんか原因とか思いつかないの?」

 

 申し訳ないけれど、それが全然。

 なんてったって俺、みんなの言う女神じゃないしな。

 

「え? どういうこと?」

 

 いろいろ事情があって。あとで本物のネプテューヌから説明とかあると思うけど。

 今は適当に、記憶喪失の女神って感じで認識してくれれば。

 

「……別にいいけど」

 

 何やら不満はあったらしいけど、ピーシェはそれ以上を聴かないでくれた。

 

 エンシェントドラゴンを倒してからしばらくして。

 俺たちは再び、バーチャフォレストの中をふらふらと歩いていた。

 なんでも、あと一体エンシェントドラゴンを狩らないとノルマに到達しないんだとか。

 

「たぶん、この洞窟の中だと思うんだけど……」

 

 なんて指差しながら示したのは、森の中にある横穴。

 割と明るさのあるその中へ入っていくと、プルルートが俺の服の裾をぎゅ、と掴んだ。

 小さな手を握り返す。

 

「……いた」

 

 ほどなくしてピーシェが身を隠し、俺も同じようにして体をちぢこめる。

 曲がり角の向こうにあるのは巨大な空間で、その中心にはエンシェントドラゴンが一匹。

 彷徨っているような様子だった。何か見えないものに釣られるような、そんな不安定な印象。

 それは同時に、油断しているようでもあった。

 

「今のうちにやっつけちゃおう。女神、プルルートのことみててね」

 

 任せとけ。命に代えても。いやそこまでは……。とにかく行った行った!

 締まらない会話ののちに、ピーシェが音もなく地面を蹴って、上空へと舞い上がる。

 

「でやーっ! ぱーんち!」

 

 腹にずどんと響くような打撃音。

 空間に反響するようなそれは、エンシェントドラゴンの態勢を大きく崩す。

 そのままピーシェが懐へ潜り込み、すぐさま尻尾の方から駆けあがる

 そして角を両手で掴んだあと、くるりと身を翻し、角を掴んだままで勢いよくドラゴンの前へ。

 

「うーっ……よいしょおー!」

 

 ()()()、と。

 まるで柔道の技か何かのように、エンシェントドラゴンの体が宙を舞った。

 

「わあ~! おねえちゃん、すご~い」

 

 激しい地鳴りと空気の振動に臆することもなく、プルルートが両手をぱちぱち叩く。

 いや、すごいって言うか、明らかに人間じゃないような……。

 けど原作でも謎にフィジカルは高かったし、真っ当に成長してたらこうなってたってことか。

 どうなってんだこの国。

 ……って、あ!

 

「ふぃー、おわったおわったー!」

 

 まだ終わってない! ピー子、うしろ! うしろ!

 

「え? なんて――」

 

 ごぶぁー、なんてマヌケな声を上げて。

 まだ倒れていないエンシェントドラゴンの横凪に、ピーシェが蝿みたいに吹っ飛んだ。

 人がそうやって、何度も地面に叩きつけられながらに吹き飛ぶのを、初めて見た。

 

「ピー子っ!」

 

 思わずそう叫ぶけれど、返ってくるのはうめき声だけ。

 生きてはいる。ただすぐに立ち上がらないのを見ると、ダメージも深刻らしい。

 ほっと安堵の息を吐いたのもつかの間、俺の叫び声を聞いたのか、初めから気づいていたのかは知らないけれど、エンシェントドラゴンはその双眸をこちらへと向けた。

 ずしん、ずしんと一歩づつ、その巨体が近づいてくる。

 

「女神! プルルートを連れて、早く!」

 

 でもそれだとピー子が!

 

「私のことなんていいから! プルルートだけは連れてってよ!」

 

 そんなこと――

 

「そんなこと、できるはずないだろ!」

 

 目の前の人間を見捨てるなんて、プラネテューヌの国民を見捨てるなんて。

 俺はプラネテューヌの女神なんだ。偽りだとしても、真似てるだけだとしても。

 偶然であっても必然であっても。それが望まれるものだとしても。

 女神として、ネプテューヌとして、みんなを守らなくちゃいけないんだ。

 だから。

 

「ね、ねぷちゃ!?」

 

 確かな力を感じたのは、その時だった。

 右腕にプロセッサユニットが接続されて、そこからさらに形が変わっていく。

 かちゃかちゃと組み立てられていくそれは――盾、だった。

 身の丈ほどに届く、巨大な盾。色は、光すらも呑み込みそうなほどに暗い、黒。

 手に伝う感覚は重く、けれどそれは心を寄せられるもので。

 これなら――!

 

 鉄と鉄が擦れる音のように、ぎりぎりとした金属音が鳴り響く。

 足の裏へと力を入れると、自分の足元が少しだけ沈んでいるのが分かった。

 けれど、戦えないわけじゃない。

 押さえつけてくるドラゴンの爪を受け流し 足へプロセッサユニットを移して跳躍。

 背中を向けるドラゴンの背中にのって、再び右手に盾を。

 渾身の力を込めて、その盾を首元へと叩きつける。

 手応え。悲鳴と共に、エンシェントドラゴンが姿勢を崩す。

 その瞬間、瞳がこちらを睨んだのが見えた。

 今の攻撃で完全にヘイトが俺に向いたみたいだ。これなら安心して戦える。

 

「ね、ねぷちゃ……? 私……」

 

 大丈夫。

 声は出せなかったけれど、プルルートと瞳を合わせると、彼女は静かに頷いてくれた。

 ……さて。こんなことを言ったからには勝たないとな。

 

「女神って、そんなのだったっけ?」

 

 分からない。けれど、みんなを守れるのなら、これでも。

 それ以外は何も望まない。ただ、今だけでもプラネテューヌの女神として在れるのなら。

 隣に立つピーシェと対になるように、俺も盾を正面に。

 

「たぁーっ!」

 

 勢いよく地面を走るピーシェの後ろについて、俺も地面を蹴る。

 先行するピーシェは弾丸みたいな速さになって、そのままエンシェントドラゴンの懐へ一撃。

 その反動で翻りながら攻撃を躱し、地面に反射するようにして、顎を蹴り上げた。

 エンシェントドラゴンが大きくよろめくが、そのまま体を横に回転させる。

 ピーシェの横に迫るのは、その体の三倍はある太い尻尾で。

 それが届く前に彼女の隣へ滑り込み、盾を構えて地面に足を強く。

 肺から空気が全部出ていくような、体の芯にひびが走っていくような、そんな感覚。

 けれど、倒れるわけにはいかなかった。

 受け流すのは……上!

 

「女神っ!」

 

 尻尾が通り過ぎ、掲げた盾にそのままピーシェが飛び乗った。

 なるほど。それなら、もっと力を込めて、足をぐぐっと強く曲げて――

 

「――行ってこい、ピー子!」

 

 爆発音。周囲の地面が完全に砕けると同時、ピーシェがエンシェントドラゴン目掛けて飛んでいく。

 くるくる回転を加えたかと思うと、右脚をまっすぐ正面へと突き出して。

 

「うおお! 女神キーック!」

 

 だせえ! もっと他になかったのか!

 

 ずどん、と龍の巨大な体が地面へと倒れ込む。

 しばらく様子を伺ってみたけど、動く気配はないみたい。

 ふぅ、と詰まっていた息を吐くと、ピーシェがとてとて駆け寄ってきた。

 うわ、ぼろぼろじゃないか。足とか擦っちゃってるし、顔もどろどろに汚れてるし。

 ハンカチとかあったっけ。一応、ネプギアが渡してくれたのはあるけど……。

 

「ありがと」

 

 なんて服をごそごそ漁ってると、ピーシェがそう笑いかける。

 い、いきなりどうしたの? まだハンカチ出してないけど? 置き感謝ってやつ?

 

「私のこと、見捨てずにいてくれたんでしょ」

 

 そりゃそうだよ。

 だって俺は、プラネテューヌの女神なんだから。

 不思議なことを言うもんだな、なんて思いながら、ハンカチを手渡す。

 

「……そっか」

 

 少しだけ曖昧な笑みを浮かべながら、ピーシェがそれだけ呟いた。

 

「そういえばプルルートは?」

 

 俺たちが居たところから、あんまり動いていないはず。きっと大丈夫。

 でも一人で怖がってるかもしれないから、早く行ってあげよう。

 なんて二人してとことこ戻って、プルルート~、なんて声をかけると。

 

「あ~、お姉ちゃん~、ねぷちゃ~!」

 

 少しだけ離れたところにいたプルルートが、俺たちに気づいて駆け寄ってきた。

 その手の中に持っているのは、前から持っていた(ネプテューヌ)のぬいぐるみと。

 

「……プルルート? なにそれ」

 

 ピーシェも俺と同じ疑問を持ったのか、それに指をさして問いかけた。

 

「え~? わかんない~。ぴかぴかしてたから~、ひろったの~」

「もー、わかんないもの勝手に拾っちゃダメだよ」

「でもぉ~、これきれいだし~、きっとお宝なんだよ~? ほらぁ~」

 

 なんて掲げたそれは、手のひらほどの大きさの宝石のようで。

 その中心には、まるで電源マークを模したような、小さな物体が輝いている。

 …………それ。もしかして。

 

 なんて吐き出そうとした言葉が、地面の振動によって遮られる。

 後ろを振り向けば、そこには三度起き上がろうとしているエンシェントドラゴンが。

 

「な、ま、まだ戦えるの!? なんで!?」

「おねえちゃん~、なんかこの石ひかってる~! とってもきれい~」

「プルルート、いまそんなこと気にしてる場合じゃないよ!」

「ええ~? でもぉ~」

 

 いや、たぶんそれのせいだと思う。

 その結晶から出てる力がエンシェントドラゴンに伝わってるんじゃないかな。

 推測でしかないけど、何となくそんな気がした。

 

「そ、それじゃあどうするの!? もっかい戦わないとダメ!?」

 

 力の伝わるものをあのドラゴンじゃなくて、別の何かに移すことができたら、あるいは。

 

「どうやってやるの、そんなの! ああもう、あたしそろそろ限界だよ!?」

「ね~え~、お姉ちゃん~。これ売れば、わたしたちのおうち買える~?」

「あー、もう! プルルートうるさい! 今それどころじゃないのっ!」

「……え?」

 

 ぴしゃり、と水を打ったような静寂。

 それと同時に、彼女の抱く結晶が微かに光った、ような気がした。

 

「……わたしぃ~、お姉ちゃんが助かるとおもったのにぃ~」

「あっそう! なら今のこの状況を助けてほしかった!」

「……いま、助けたらお姉ちゃん、いっぱい褒めてくれる~?」

「褒めるよ! ぬいぐるみもいっぱい買う! どうせ無理だろうけど!」

「ふぅ~ん…………!」

 

 そしてプルルートは光を放つ結晶――シェアクリスタルを、その手に掲げて。

 

「ならぁ、わたしがおねえちゃんを、たすけてあげる――!」

 

 閃光。眩く輝くそれは、ネプテューヌが変身したときと同じもの。

 月光のようなそれにプルルートの体が包まれて、その影が大きく変わってゆく。

 長い髪は濃い藍色へと色を変えて、全身は体のラインが見えるようなプロセッサユニット。

 その背中へと背負うのは、まるで花を模したかのような、四対に分かれる翼。

 紅の瞳の奥には、結晶の中で輝いていた電源マーク。

 手に持った蛇腹剣をぴしゃりと地面へ叩きつけると、纏う光が霧散する。

 

「さあ……じっくりと楽しみましょうか!」

 

 そして、俺の目の前へ姿を現したのは。

 もう一つのプラネテューヌの女神、アイリスハートだった。

 

「ぷ、プルルート……?」

「待っててねぇ。すぐ帰ってくるから、お姉ちゃん……いえ、この姿だとピーシェちゃん、って言ったほうがそれっぽいかしらぁ?」

「ぴっ、ぴぴぴピーシェちゃん!? なによそれ!」

「あはは、照れちゃってかわいいわねぇ。ピーシェちゃんのそういうウブな反応、もっと見てみたい気もするけど……でも、今はまず――」

 

 そう後ろから襲い来るエンシェントドラゴンの腕へ、アイリスハートが剣を振るう。

 

「あいつをブッ倒さないとねぇ!」

 

 いくつにも分かれた刃は龍の腕へと絡まって、その肉をバラバラに引き裂いた。

 エンシェントドラゴンの絶叫が響き渡ると同時、アイリスハートはその真上へと舞い上がる。

 そして、剣の形に戻ったそれを眼下の龍へと突き付けた。

 対峙。もがき苦しむその龍に、アイリスハートはひどく冷め切った目を向けていて。

 

「……やっぱり、言葉が話せるヤツじゃないと楽しめないわね」

 

 つまらなさそうに呟いた。

 そしてばちばちと体に雷を纏いながら、エンシェントドラゴンへと突っ込んでいく。

 足掻くように振られた尻尾も翼もひらりと避けて。その巨体の中心へと剣を突き立てた。

 かと思うと、アイリスハートが剣はそのままに上空へと再び舞い上がる。

 出来上がったのは、鮮血を噴き上げる、歪なドラゴンのオブジェクトだった。

 

「あははは、面白いわねぇ! あーんな恰好になっちゃって、絶頂したみたいになって!」

 

 な、なんつー……。

 

「ねえ、ピーシェちゃんもそう思わない?」

「あ、あたし? いや、ええと……その……」

「んもう、つれないわねぇ。あら、もしかしてピーシェちゃんはあれよりもっと凄い事になっちゃうのかしら? それだったら私、とっても見てみたいかもぉ……」

「そんなことない! ぜったいやだ!」

 

 顔を真っ赤にしながら、ピーシェがアイリスハートに叫んだ。

 

 ……まあ。

 いろんなことがありすぎて、どこから収拾をつけていいか分からなくなってきたが。

 一応、事実としてピーシェのクエストは終わったということになる。

 とりあえずこの森から抜けよう。話はそれからだよ。

 そう言いつつ、洞窟に入ってきた方向へと足を勧めていると。

 

「ね、ねえ女神……プルルート、元に戻るよね……」

 

 もちろんちゃんと戻る。まあ、今度からもこうなるけど。

 そんなー、なんて涙目になるピーシェの後ろから、どうしたの、とアイリスハート。

 ひぇぅとビビるピーシェに、アイリスハートは訳も分からず首を傾げていた。

 ……謎は色々ある。

 なぜ、シェアクリスタルがあんなところにあったのか。

 なぜ、プルルートが変身できるようになったのか。

 なぜ、子供プルルートが変身しても、大人のアイリスハートになれたのか。

 ごちゃごちゃした頭を整理していると、ふと前方から足音が。

 気が付いて顔をあげた、俺の視界に映っていたのは。

 

「……あれ? 黒ネプ子?」

 

 きょとんとした顔で俺の名前をよんだ、アイエフの姿だった。

 

 ……あッ、やべえ! バレた!!

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06 Pの残滓/この国に女神の導きを

 

 バーチャフォレストの洞窟から帰ってきてすぐ。プラネタワーの俺の部屋。

 

「あれだけ外に出るなって言われてたはずよね!? それなのになんでアンタは出て行っちゃったのよ! もし騒ぎになったらどうするつもりだったの!? 責任とれるの!?」

 

 俺はアイエフにめちゃくちゃ叱られていた。

 床に座してコンパに包帯やらなにやらを塗られながら、すげえ勢いで怒られてた。

 当然のことなんだけど、それにしても圧がすごかった。

 でもでも、プルルートを放っておくわけにもいかなかったし。

 それにネプテューヌとも連絡が取れる状況じゃなかったから、仕方ないと思うんですよ。

 

「あのねえ、あれだけイストワール様に言われたなら分かるでしょ! いまの自分の立ち位置がどんなものか分かってるの!? 勝手なことして困るのはこっちなのよ?」

 

 そ、そうは言われても……

 

「遠坂……」

「だからトーサカって誰なの!? ちゃんと名前くらい覚えなさいよね!」

 

 だってガンド撃ちそうな声帯してるじゃん……アイエフ。魔法も使うし。

 なんて漏らすとまたガミガミ怒るアイエフに、コンパがまあまあ、と俺の治療を進めながら、

 

「黒ねぷねぷが無事でよかったじゃないですか。それに、大ごとにもならなかったですし」

「それはそうだけど……」

「それに、あの二人も守ったのも黒ねぷねぷですよ? 約束を破ったのは悪い事ですけど」

 

 あの二人。

 そう言って彼目を向けたのは、ソファに座るピーシェと、その膝で寝息を立てるプルルート。

 寝ているプルルートは別として、ピーシェはどうにも落ち着かないらしい。

 そういえばピーシェの傷はどうなんだろう。見たところ俺よりも酷かったと思うけど。

 

「ピーシェちゃんは見た目よりも浅いから大丈夫ですよ。というより、黒ねぷねぷの方が重症です。あちこち骨に小さなヒビが入ってたり、打撲とかしてたりしますからね?」

 

 いや、骨にヒビって薬や包帯でどうにかなる話じゃ……。

 なんて言う暇もなく、俺の服を脱がすコンパが慣れた手つきで包帯をぐるぐる撒いていく。

 その下に塗られた薬がぬるぬるして気持ち悪かった。

 ……寒気がすごい。

 ネプビタンとかと同じ成分なのかな。それで回復できるみたいな。

 

「はい、これで終わりです。しばらくは安静にしてくださいね?」

 

 最後に鼻の頭へ絆創膏を張って、コンパが俺の頭を撫でる。

 ジャンプの主人公かよ。

 

「……さて、治療も終わったことだし、説明できることから説明してほしいんだけど?」

 

 俺の前から立ち去るコンパと入れ替わるように、アイエフがそんなことを聞いてきた。

 説明できることか。実は俺もそこまでないんだな、これが。

 そりゃあ、プルルートとピーシェのことはたぶんアイエフたちより知ってるけど。

 なんでここに居るのかとか、そういのは一切わからない。

 

「困ったわね……あんたが知らないんじゃ、本当に手のつけようがないわ」

 

 ごめんね。力になれなくて。

 

「いいわよ、別に。仕方ないことでしょ」

 

 肩を落とすと、アイエフはピーシェたちの方へと寄っていって、

 

「いろいろ遅くなって悪かったわね。私はアイエフ。プラネテューヌの諜報員をやってるの。あなたは?」

「……ピーシェ。こっちは、プルルート」

「そう。お互いによろしく」

 

 戸惑いながら答えるピーシェに、アイエフは頷いて微笑んだ。

 

「プルルート……ね。この子、私が見た時には女神になってたけど」

 

 幸せそうな寝顔を浮かべるプルルートの頭を撫でながら、アイエフが呟く。

 アイリスハート。神次元におけるプラネテューヌの女神。

 それはわずかな時間だったけど、確かに俺たちの前へと姿を現していた。

 

「どうして女神化したのか、何か心当たりはない?」

「えっと……何か、宝石みたいなのを持ってた。結晶みたいな、中に変な石のある」

「結晶、ね……」

 

 ちらり、とこちらを見るアイエフに、こくりと首を縦に振る。

 プルルートが洞窟で見つけた、アレ。

 それはおそらく、というか確実にシェアクリスタルだった。

 シェアクリスタル。女神の力の源である、国民の信仰が結晶になったもの。

 これがあるから、各国の女神たちは守護女神として変身し、敵と戦うことができる。

 そのため、シェアクリスタルっていうのは各国にひとつずつしかないはずなんだけど。

 

「シェアクリスタルが自然発生したってこと?」

 

 どうなんだろ? そもそも自然発生するものだったっけ?

 溢れたシェアが何らかの形で結晶化した、とか。ありえそうな話ではあるけど。

 困り顔になったアイエフに並んで、俺も首を傾げながらプルルートのことを見つめる。

 

「……ネプ子も相当だけど、こんな子があんな姿になるなんて驚きよね」

 

 そうだよな。こんな子があんなのになるんだもん。シェアエネルギーの力、恐るべし。

 にしてもなぁ、まさかアイリスハートをこの目で見ることになろうとは。

 ますますこのゲイムギョウ界に何が起こってるのか、さっぱりわからなくなってきたぞ。

 なんて一人でうんうん唸ってる俺をよそに、アイエフがピーシェへ言葉をかける。

 

「とりあえず、いろいろ調べて何か分かるまでここにいてもらうけど……」

「し、調べるって……プルルートに何かするの?」

「何か、っていうより経過観察みたいなものよ。どちらにせよ、女神になったのなら同じ女神がいるところに居た方が気が楽でしょ? 大体はそこの黒ネプ子と同じ。まったく、ついこの間二人に増えたっていうのに、三人目なんて聞いてないわよ……」

 

 本気で疲れたように、アイエフがため息をひとつ。

 

「でもまあ、ネプ子と全く同じってわけでもないし、外出とかの都合もつくから安心していいわ」

「そっか……それなら、よかった」

 

 ほっとピーシェが安心したように、その胸を撫で下ろす。

 

「……ん?……んぅ?」

 

 なんてことを話していると、ちょうどプルルートがそんな声を上げる。

 

「あ、プルルートちゃん起きたみたいですよ?」

「ほんとだ。おはよ、プルルート」

「んぁ~? おねえちゃん、おはよ~……」

 

 くぁ、と小さなあくびを噛み締めながら、彼女はこてん、と首を傾げた。

 

「……おねえちゃん、このひとたち、だあれ?」

「私はアイエフ。お姉ちゃんの仕事のお友達よ」

「わたしはコンパって言うです。お医者さんなんですよ」

「アイエフちゃんに~、コンパちゃん~?」

 

 不安そうに二人の名前を口にしながら、プルルートがピーシェの服を掴む。

 

「大丈夫だよ、プルルート。今日からあたしたち、ここで住むことになったんだ」

「ほえ? なんで?」

「プルルートが女神になったから。それを調べるためなんだって」

「なら、今日からもうお外で寝なくていいの?」

 

 ……外?

 

「どういうこと?」

「えっとね~、わたしたち、おうちなかったから~……」

 

 そうじゃなくて。

 

「……あたしとプルルート、本当の姉妹じゃないんだ。あたしはもともと捨て子でさ。何とかしていままで一人で暮らしてきたの。それで、四年前くらいだったかな。路地裏に捨てられてるプルルートのこと見つけて、それで……見捨てられなくて」

「二人で過ごすようになったんですか?」

「同じだったんだよ。でも、誰もが同じになれるわけじゃない。あたしは運がよかったのかもしれないけど、プルルートがこの先、あたしと同じように生き延びられるか不安で、仕方なくて。気がついたら」

「……いいじゃない。立派よ、誰にでもできることじゃないわ」

 

 ピーシェ……。

 

「立派になって……! この子ったら……!」

「……前から思ってたんだけど、あたし女神と面識あったっけ?」

「黒ネプ子ならなおさらあるわけないでしょ。ほら、いい話してるんだからそんなにふざけるんじゃないわよ! 離れなさいよ!」

 

 でもでも、頭とか撫でさせてくれよぅ、嬉しいんだよう。

 ヴッ゙……オ゙エ゙ッ゙……!!

 

「まあ、アレは置いといて。とにかく、ここにいる間は設備とか自由に使ってもらっていいから。何かわからないことがあれば、私たちや職員に聞いて」

「は~い!」

「……ありがと」

 

 そんなこんなで、プラネタワーにまた新たな住人が増えたのでした。

 よかったよかった。

 

「良くないわよ。問題は何一つ解決してないんだから」

 

 いえーい、とハイタッチをキメようと思ったら、すぐにアイエフにそんなことを言われた。

 

「とりあえずはイストワール様に報告ね。ああ……考えただけで胃が……」

「あいちゃん、いつもの胃薬用意しとくです?」

「うん、お願い。イストワール様の分も――」

 

「その必要はありませんよ」

 

 二人の会話を遮るように、そんな声が聞こえてきた。

 開かれたドアの前に浮いて居たのはぷんすか怒ってるようなイストワール。

 それに控えるように、ネプテューヌとネプギアも。

 

「あれ~? ねぷちゃがふたり~? もしかして……おねえさん?」

「おお、これが例の子だねー……って、姉妹って……まあ、そう見えるのかな?」

 

 ……どっちだろう? 普通に考えたらネプテューヌの方が姉に当たるのかな。

 そしたら俺が妹になるわけか。ネプギアとキャラ被りするけど大丈夫かな、それは。

 

「わ、私妹キャラまで取られちゃうの!? それだと本当に影が……」

「すいません、その話は後に回してもらってもよろしいですか?」

「そんな!」

 

 ついにオイオイ泣き始めたネプギアを宥めながら、イストワールに向き直る。

 どうしたんだろ、もしかして説教追加なのかな。

 

「それもそうですが、その前に黒ネプテューヌさんに行ってもらう場所があります。同じく、今回の事態の中心でもあるプルルートさんとピーシェさんにも」

 

 プルルートとピーシェも一緒に? なんだろう。

 もしかして新歓? 一発芸とか何も考えてないけど大丈夫?

 

「どうしてこんな時にそんな能天気な考えができるのよ……」

「まあ、お姉ちゃんらしいって言えばお姉ちゃんらしいけどね」

「そうかなー……私ってあんなんなのかなー………」

 

 うーん、なんて微妙な顔をしながら、ネプテューヌがそう漏らす。

 どうなんだろうね。俺も自分自身のことだけど、あんまり分かんないや。

 

「それで、その……行ってもらう場所ってどこ?」

「ルウィーだよ。ブランのところ」

 

 ピーシェの問いかけに、ネプテューヌが応えた。

 ルウィー。女神ホワイトハートが収める、夢見る白の大地。

 この次元のルウィーはいつも通り、メルヘンチックな雪国らしい。

 にしても……なんでいきなりルウィー?

 

「ブランに黒い私と、ついでにプルルートのことを見てもらうんだ。なんだかんだルウィーは長いからね。ブランなら何か知ってるかもしれないし」

 

 なるほど確かに、ブランはそういうことに詳しそうだ。

 ってことは、ついにブランと会うってことになるのか。

 うわ、そう考えると緊張してきた。何か見繕ったほうがいいかな。

 言ってもブランまんじゅうしか出せるものないけど。

 

「とにかく、黒いネプテューヌさんとプルルートさん、ピーシェさんは明日の朝にルウィーに向かってもらいますから。今晩中に準備をしておいてくださいね」

 

 はーい、分かりました。といってもすることなんてほとんどないけど。

 そのあとも色々、主にピーシェを中心にモンスターの異常についてのことを話してた。

 そこら辺は分からないから、会話に入ることはできなかったけど。悲しい。

 でも、今起こってる問題については何となく分かった。

 モンスターの異常は、俺がここに来てから同時期に起きたこと。

 数日間にわたって起こっていた異常は、けれど今は収束状態にあること。

 そして、その収束と同時にプルルートが女神になったこと。

 …………。

 

「どう考えても黒ネプ子たちが影響してるわね」

 

 そうだね。俺もそう思う。理由は分かんないけど。

 シェアクリスタルがモンスターに影響を与えてたってのは見た。

 でも、それがどうしてかは、やっぱり分からない。

 それに、シェアクリスタルが自然に発生していたことも。

 不穏というか、何というか。得体の知れない違和感がある。

 

「まー、今考えても分かんないもんは分かんないよ。とにかく、考えるのは明日ブランに会って、いろいろ聞いてからでも遅くはないんじゃない?」 

 

 モンスターの異常も解決はしてるし、確かにそれでいいんだろう。

 ネプテューヌの言葉にみんなも納得したみたいで、このまま解散する流れに。

 アイエフとコンパはそれぞれの仕事にもどって、イストワールも今日の総括に行くらしい。

 いつもだったらご飯食べてそのままネプテューヌとゲームする時間なんだけどね。

 今日は何するんだろ。ルウィーの話出たしルウィースポーツやりてえな、俺。

 

「じゃあ、みんな集まってることだしさ、一緒にお風呂でも入ろうよ」

 

 …………うん?

 なんて?

 

 

 所は変わって、プラネタワーの大浴場。

 

「いやっほー! いっちばーん!!!」

「あっ、ちょっとお姉ちゃん! ちゃんと体流してからじゃないと!」

 

 ……プラネタワーに大浴場なんてあったんだ。

 いや、初日にネプギアに言われてはいたけど、実際に入るのは初めてだったから。

 他にも図書館とかキッズルームとか、ボウリング場とかもあったし。

 マジでなんなんだろうね、この建造物。

 

「お姉ちゃ~ん、背中流し合いっこしよ~」

「うん、いいよ。じゃあこっちおいで」

 

 あ、じゃあ俺も俺も。プルルートの髪洗いたい。

 ピーシェの後を追うと、「……別にいいけど」なんて少し微妙な顔をしながら答えてくれた。

 本当にいいのかどうか分かんないね、その反応。

 え、なに? もしかして俺のこと嫌い?

 

「嫌いってわけじゃないけど……距離感がつかめないっていうか」

 

 プルルートを銭湯でよく見るあの椅子に座らせながら、ピーシェがそう言った。

 

「あたしは女神に世話になった覚えもないのに、女神はあたしのことを知ったように言ってくるし。悪いってわけじゃないけど。でもなんだか、見透かされてる感じがする」

 

 あー……そうか。そりゃそうだよな。

 俺はピーシェのことを知ってるけど、ピーシェが俺のことを知ってるわけじゃないし。

 そこのズレが、ピーシェの感じる違和感になってるんだな、多分。

 

「実のところ、あたしはあんまり女神のことを信仰してないんだよ」

 

 え。

 

「なんていうか……生きてるうちに、女神に祈るなんてことしなかったからさ。だから、女神にそんな世話にされるっていうか……優しくされるっていうの? それが、分かんなくて」

 

 ああ、まあそうなるよな。

 でもさ、そんなこと。

 

「たとえ女神を信仰してなくても、ピーシェもプルルートも、プラネテューヌの国民だから」

「それだけで?」

「うん。あなたたちを守るための、充分な理由になる」

 

 なんてったって、それがプラネテューヌの女神の役割だもん。

 信仰してるとかどうとか、そこら辺はあんまり関係ないんじゃないかな。

 少なくとも、皆の女神ではない方の(ネプテューヌ)にとって、それは見捨てる理由にならない。

 でも、本物のネプテューヌも、そこら辺はあんまり気にしてないと思うけど。

 

「……やっぱり、あんたも女神なんだ。偽物なんかじゃなくて」

 

 どうなんだろうね。(ネプテューヌ)はプラネテューヌの女神になり得るのかな。

 そこら辺は、これから分かっていくことなんだと思う。

 でも、今は女神ってより……ピーシェの友達になりたいって感じかな、俺は。

 

「友達? あたしと女神が?」

 

 どっちかってと戦友なのかな。いや、プルルートを見守る会みたいな。

 ……とにかく。

 

「女神って呼ばれ方、あんまり慣れてないから」

「ああ、そういうこと……なら、どうやって呼べばいい?」

「なんでもいいよ。好きに呼んでくれれば」

 

 ちょっと無責任な返答になっちゃったけど、ピーシェはうんうんと考えてくれて、

 

「ねぷて……ねぷ、てゅ……ねぷちっ……あ、あれ? 言いづらいな……」

 

 …………。

 

「ねぷてぬ、って呼んでもいい?」

 

 そッ……その呼び方は……!

 

「ピー子……!」

「うわっ、なんで!? ダメだった!?」

「駄目じゃない……ダメじゃないよ……!」

「お姉ちゃ~ん、お話してるの~?」

「え? ああ、ごめんごめん。すぐに洗ってあげるからね」

 

 頬を膨らませるプルルートに、ピーシェが慌てて俺を振り払い、背中を流す。

 それからボディソープをとってー、泡立ててー、なんてやって。

 こうしてみてるとほんとの姉妹みたいだな。前見た時はプルルートが姉だったんだけど。

 ……俺も隣で、頭でも流しちゃおっかな。

 

「ん~、お姉ちゃんの体、おおきい~……」

 

 しばらくすると洗う方を交替したらしく、プルルートがそんな声を上げていた。

 

「あはは、いいよいいよ。出来るところだけやってくれればいいから」

「でもぉ~、お姉ちゃんはちゃんとやってくれたから~」

「お姉ちゃんは大丈夫。プルルートは早くお風呂はいってきたら?」

「むぅ~…………あ~、そうだ~」

 

 なんて急に何かを閃いたと思ったら、プルルートが急に光りだして。

 

「この方が洗いやすいかしら、ピーシェちゃん?」

「ちょっ……プルルート!?」

 

 うわああああ! 急に変身するな!!

 

「ええ? だって、小さい私じゃ届かないところもあるもの」

「だからって、そんな……」

「さあピーシェちゃん、今から隅々まで洗ってあげるからね? あんなところや、こんなところまで……ふふふ……!」

 

 そういうところだよオイ! 女神化をそんなことに使ってるんじゃないよ全く!

 ……いやまあ、胸がデカくなったのは応用的なアレもあるし。ノーカンでお願いします。

 

「痒い所とかはない?」

「いや……ないけど」

 

 ……あれ。以外とちゃんとやってる。

 もっと過激な流し方とかすると思ったんだけどな。具体的に何するかは分かんないけど。

 にしても、そんな軽い感じで変身できるのか。

 そう考えると、プルルートの女神化が本当に謎になってきたぞ。

 ……どっからシェアエネルギー吸ってるんだ?

 

「うわあああ! なんか女神化してるぅぅ!!」

 

 なんて考えてると、湯舟から上がってきたネプテューヌがアイリスハートを見てそう叫んだ。

 

「ぷ、プルルートちゃん……いや、さん……? どうして女神に……」

「だって、こうしないとちゃんとピーシェちゃんの体が洗えなかったもの」

「うわぁ……ノワールが見たらまたプリプリ怒りそうなことを……」

 

 確かにノワール、ガチギレしそう。そんでもって返り討ちに遭いそう。

 今のプルルートがどれくらいの強さの位置にいるのかは分からないけど。

 でもエンシェントドラゴンを倒したくらいだから、相応の力はあると思うけど。

 

「あれ? そういや黒い方の私、まだ湯舟浸かってないよね?」

 

 頭を流している俺を見て、ネプテューヌがそんなことを聞いてきた。

 いや、そうだけど。それがどうかした?

 

「お風呂入るならバスタオル取ってからにしてね。入った時からずっと巻いてたからさ。分かってるとは思うけど気になって」

 

 あーその、うん。これはね、いや、いろいろあって……なんていうか……その。

 ……まだ覚悟が足りてないんですよ。はい。

 一人で風呂とか入るなら何とかなるけど、他人の眼があるとそれはそれで。

 

「ダメよぉ、ねぷちゃん。みんな脱いでるのに、あなただけ恥ずかしいなんて言ってちゃ」

 

 うわ、よりにもよって一番面倒くさいところからパスが飛んできた!

 やめッ……やめろ! 普通に力強いのやめろ! かくなる上は俺も女神化するしか! 

 

「すごい……! あのバスタオルに、二人の女神の力が……!」

「テキストだけみると神聖なバスタオルになるけど、実際やってるのは綱引きだからね? 別にエンチャントとかそういうのないからね?」

「がんばってー! プルルート!」

 

 頑張ってじゃねえよオイ! おめえも頑張んだよ! 助けて!

 いやまって、これマジで持たないって、待って、ちょっと――――あ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

07 激突、ホワイトハート

 

 翌日の朝、プラネテューヌの教会前。

 

「およめにいけない」

「お、お姉ちゃん……行く予定あるの……?」

 

 あるかもしれないだろ! 希望を捨てるんじゃねえ!

 とはいっても、実際どうなんだろう。精神っていうか性格的には男のままだけど、体は女だし。

 そりゃ、かわいい子には興味あるけど、カッコいい男への興味は……分かんないや。

 今までそういう人見たことないし。いても気に掛けないと思うし。

 でも結婚するならネプギアがいいな。いいお嫁さんになりそうだし。

 

「私が? お姉ちゃんと結婚?」

 

 いや、ネプテューヌはあんなだし。

 プルルートに至っては……アレだし……。

 ピーシェは結婚、っていうよりも養いたいって感じだしなあ。

 

「消去法なんだ……それで選ばれるんだ、私……」

 

 別に悪い意味じゃないからね。ネプギア、いい子だし。

 ぐすぐす落ち込みだしたネプギアの頭をなでると、ぱぁ、と明るい笑みを浮かべた。

 かわいいなぁ、ネプギアは。子犬みたい。犬耳つけてみない?

 首輪……は変なプレイみたいになるからやめとくか。

 

「ちょっとー!? 何勝手に人の妹を手懐けようとしてるの!?」

 

 あっやべ、本物の姉が来た。逃げろ逃げろ。

 でもネプギアって(ネプテューヌ)の妹でもあるわけだし結婚しても問題ないのでは?

 なーんだいいじゃん。式場どこにする? プラネタワーでいっか。

 

「妹と結婚するのは問題ないんだ……」

「ありまくりだよ! ネプギアは渡さないんだからね!」

 

 俺とネプギアの前に立って、ネプテューヌがそう告げる。

 ほう、俺とネプギアの仲を裂こうというのか。面白い。

 ならネプテューヌ、お前も俺の物にしてやるよ。

 

「ねぷっ!? そ、そんなダイタンな……!」

 

 いいさ。お前も愛してやるよ。

 始まりの男に、俺はなってみせる。

 

「……いかないの~?」

 

 なんて適当にふざけていると、しびれを切らしたプルルートがそう言った。

 いや、なんだか結構ノっちゃって。引くに引けなくなったというか。

 

「ふざけてないで、早く行こうよ」

 

 う、ピーシェにまで言われるなんて……ごめんなさい……。

 

「今回は私、本当に何もしてないんだけどなー」

「そうだね。全部あっちのお姉ちゃんがボケ担当したっていうか……」

「最近キャラ取られてる気がするよ。いやまあ、どっちも同じネプテューヌっていうキャラなんだけどさ? もうちょっと差別化してほしいっていうか」

 

 そんなこと言われてもなあ。ボケてる意識はないんだけど。

 やがて愚痴り終えたネプテューヌは「じゃあ出発しよっか」なんて口にしてから、

 

「変身っ!」

 

 急に光を放ち始め、パープルハートへと姿を変えた。

 その隣ネプギアも同じようにして、パープルシスターへと変身。

 なんだかんだネプギアのは初めて見たな。もう変身できる世界線だったんだ。

 にしてもなんで急に変身を?

 

「ルウィーまでは飛んでいくことにしたの。あなた達も運ばないといけないし。それに、最低でも一人を運ぶのに二人はいないと、安全に飛べないもの」

 

 あー、そっか。遠いもんね、ルウィー。

 それに俺もまだ飛べないし。いつかは飛べるようになりたいな。

 まあ今日は、ネプテューヌとネプギアのお世話になるしか……

 

「じゃあピーシェちゃん、こっちに来てもらっていい?」

 

 あれ? なんで?

 

「だってピーシェは普通の人間だもの。あなたのことはぷるるんが運んでくれるから、安心しなさい」

「ってことでぇ、ねぷちゃん? こっちに来てもらえるかしら?」

 

 うお、もう変身しとる! いつの間に!?

 ってか、あれ? 二人で運ばないと危険って話では……

 

「あなた、私と同じで女神なんだから、最悪落ちても何とかなるでしょ」

 

 いや、理由が適当すぎ……っておい待てプルルート! やめろ!

 まだ心の準備が―――あああああああああ!!!

 

 

「……それで、ここまで連れてきたと」

 

 なんて俺へと目を向けながら、ブランがそう告げた。

 ブラン。ブランちゃん。Blanc。

 ……名前が言いやすいから、あだ名とかそんなにないんだな。

 とにかく、ルウィーの女神である彼女が、俺の前に立っていて。

 向ける視線に俺が返したのは、

 

「うっ、うぷっ…………おェっ……」

「……もしかして、ケンカを売られてるのかしら」

「ダメよぉ、ねぷちゃん。こんなのでバテてるなんて」

 

 こッ……どの口が言って……!

 

「ずいぶんと愉快な仲間を連れてきたのね、ネプテューヌ」

「愉快って言うか、なんていうか……個性が強いっていうのかな」

「お姉ちゃんがそれ言う……? 否定はできないかもけど」

「……とりあえず、もう一人のネプテューヌはダメみたいだから、そっちの新しい女神の方から見てみようかしら」

 

 なんて、俺とピーシェを押しのけてから、ブランがアイリスハートのことを見上げた。

 

「初めまして、でいいのかしら」

「ええ。私は知ってたけどね、ブランちゃん。アイリスハートよ」

「先輩にそんな口を利くなんて、中々面白いじゃない」

 

 あれ? ブランってそんなにイケイケな性格だったっけ。

 ……いや、内心キレてんだなこれ。頬がヒクヒクしてるわ。

 特に視線が胸に行ってる当たり、そういうことなんだろう。

 別にいいと思うけどな、貧乳。かわいいし。

 

「とりあえず、変身を解いてくれるかしら? あなたも疲れるでしょう」

「別にいいけど……」

 

 アイリスハートがつまらなさそうに言ってから、光を放つ。

 そうして現れたプルルートに対して、ブランが驚いたように目を見開いた。

 

「……子供だったの?」

「そうだよぉ~。プルルート、っていうんだぁ~」

「子供なのに……変身したらあんなになるのね」

 

 アイリスハート、結構デカいしな。プルルートはそこまでなのに。

 プラネテューヌの女神、変身すると胸がデカくなる傾向がある。

 俺もデカくなるのは確認済みだしな。

 

「……なんで私は変わらないのかしら」

 

 なんでだろうね。ルウィーの国民がそう願ってるからだと思うけど。

 ルウィーはやっぱりガチなんだな。そこはどの次元でも変わらないみたいだ。

 

「もっと大人になってから女神化すればよかった……」

 

 なんて呟きながら、ブランがプルルートの体へ触れる。

 さわさわ~、なんて頭を撫でたりして、背中をさすったりして。

 そして胸元へと指が触れると、ブランは何か気が付いたように手を止めて。

 

「……この歳でこれってことは……私よりも大きくなる……!」

 

 えっマジで!? プルルート巨乳になるの!? うそだろ!?

 かッ、解釈違いで死にそう……。

 

「それで、プルルートのことは何か分かったの?」

 

 固まるブランにしびれをきらして、ピーシェがそう問いかける。

 

「まだ正確に言えることじゃないけど」

 

 なんて前置きをしながら、ブランがピーシェの方へと向き直って。

 

「この子は、確かに女神。私と同じ……まあ、プラネテューヌのだけど。シェアエネルギーによって変身してる。重要なのは、その源になるシェアクリスタルが体の中にあるってことかしら」

 

 ……シェアクリスタルが体の中に?

 

「ブランさん、それって……」

「そのままの意味よ。ふつう、シェアクリスタルっていうのはそれぞれの教会で管理しているはず。私の教会もそうだし、あなたたちのだってそうしてるはず」

 

 ああ、アニメとかでやってたもんな。あの空間マジで謎だけど。

 つまり、普通のシェアクリスタルは教会で管理されている、ってことか。

 けれどプルルートの場合、そのシェアクリスタルが体の中にあるってこと。

 臓器とか内臓とかそういうの関係なしに、概念的なものだけど、とブランが付け足した。

 

「シェアクリスタルが自然発生した、っていうのは聞いたけど……こんな性質も持ってるなんてね。もしかするとこれは、私たちの知るシェアクリスタルではないのかもしれないわ」

「ブランでもお手上げかー。そうなったら、手の付けようがなくなっちゃうよ」

「でも、根本的なところは同じ。変身するプロセスも。だから、全く意味不明というわけではないわ。しばらく観察を続けていれば、何か分かるかもしれない」

「……取り出せないの? その、シェアクリスタルってやつ」

 

 ネプテューヌとブランに割り込むように、ピーシェがそう問いかけた。

 

「……難しいわね。方法がまず分からないし。それに、彼女からシェアクリスタルを取り出したら、何らかの影響があるかもしれない。それが分かるまでは、迂闊に手を出さない方がいいわ」

「そっか……そうだよね。ごめん」

「謝る必要はないわ。あなた、この子の姉なんでしょ? 気持ちは分かるもの」

 

 柔らかな笑みを浮かべながら、ブランがプルルートの頭を撫でた。

 ……二人いるもんな、妹。ブランが言うと、言葉の重みが違う。

 

「とにかくプルルートに関しては、経過の観察ってところね」

「今の話を聞く限り、それしかないもんね。何か分かったら連絡するよ」

「……そうね。国家全体で共有することかもしれないから、お願いするわ」

 

 なんて話をまとめたブランが、くるりとこちらへ視線を向ける。

 次は俺の番か。うう、緊張するなぁ。まじまじと見られると思うと、ちょっと。

 ……って、あれ? ブランさん? なんか睨まれてる気がするんだけど……?

 

「次は、黒いネプテューヌの方だけど」

 

 す、と指をこちらへ向けて。

 

「アレは、私たちとは明確に違う存在よ」

 

 完全な嫌悪の表情を浮かべながら、ブランはそう告げた。

 

「違う? 私と黒い私が? 見た目は全く同じだけど……」

「在り方が違う。あれはネプテューヌのまがい物。ただの、虚構の存在よ」

 

 ブランの言う通りだ。俺はネプテューヌじゃない。ネプテューヌの偽物なんだ。

 でもそれだけだったら、ブランがあんなに敵視してくる理由が分からないけど……?

 

「確かに、そのネプテューヌへシェアエネルギーが集まっているのは感じる。けれどそれとは全然違う、全く別のエネルギーが集まってるのも、感じる」

「別のエネルギー? そんなの感じないけど……ネプギアは?」

「私も特に……お姉ちゃんと変わったところはないと思うけど」

「……本人というか、プラネテューヌの国民が認識できないところが一番厄介ね」

 

 はあ、と呆れ切ったようなため息を吐いて。

 

「あなたも分かってるんでしょう? 自分が、ネプテューヌとは違う存在だということ」

 

 ……それは、どうなんだろう。

 正直、わからない。自分が何者なのかも。どうして、此処にいるのかも。

 でも確かに言えるのは……俺は、ネプテューヌを騙っている、虚構の存在なんだろう。

 それはとても――

 

「……歪ね。見ていられないわ」

 

 そう言って、ブランがその右手に大きなハンマーを握る。

 ……アニメとかでも思ったけど、どっから出してるんだろうな、アレ。

 って、そうじゃなくて。完全に敵対されたな、これは。

 右腕にプロセッサユニットを装着して、そのまま盾を展開する。

 

「ブランちょっと!? 何してるのさ!?」

「ネプテューヌ、あなたはどいてなさい。彼女は完全に異質な存在よ」

「待ってください! もっと話し合うとか、できないんですか!?」

「……ああッ! うるせえよ!」

 

 制止するネプテューヌとネプギアを振り払って、ブランがハンマーを持ち上げる。

 そしてそのまま、彼女の体が光に包まれて――

 

「お前らがそんなだから、あたしがやろうって言ってんだよ!」

 

 現れたのは、ホワイトハート。白き女神。ルウィーの神格。

 手に握る戦斧を空に掲げたまま、彼女は俺の方へと向かってきた。

 ……ここに来てからノワールといいドラゴンといい、強敵としか戦ってない気がするな。

 

「おらァ!」

 

 振り下ろされた斧を盾で受け止める。

 けれど、その勢いが殺せなくて、そのまま後ろに。

 ごろごろと地面を転がりながら、足の方へプロセッサユニットを移動。

 追撃するホワイトハートの攻撃を跳んで避けると、いつの間にか教会の外にいた。

 ……教会ってか城っぽいな。お姫様が攫われてそうな、そんな感じの。

 その前に立つホワイトハートは、次に斧を横に構えてから、また俺の方へと向かってくる。

 単純な力じゃ勝てる気がしないな。それに確か、ブランって物理防御が一番高いんだっけ。

 うーん、若干武器っていうか、役割が被っちゃった気もするな。

 なんてことを考えつつ、再び右腕に盾を構えて、ブランの攻撃を受け流す。

 鈍い衝撃。足に痛みが走って、地面が少しめり込んだ。

 左側へと斧を振り切ったブランは、そのまま再び斧を真上に構えて、俺へ向けて振り下ろす。

 ごぅ、と風を切った戦斧は、俺の盾――ではなく、俺の目の前の地面を打ち砕いた。

 ――――まずい!

 

「くたばりやがれ!」

 

 突き上げられるような感覚で、気が付けば俺は大地から浮かび上がっていて。

 がら空きになった俺の横腹に、ホワイトハートが渾身の力を込めて、その斧を振るっていた。

 ずどん、なんて、ヒトの体から出ちゃいけない音がして。

 景色がぐるぐる回転したかと思うと、体のあちこちから鈍い痛みが伝わってきた。

 ……動けはする、けれど。

 やっぱり強いなあ、女神って。

 

「げッ……ほ」

 

 立ち上がろうとすると、喉の奥から鉄の匂い。

 ああー……服、汚れちゃった。イストワールに怒られちゃうかな。

 怒られるのは嫌だな。説教聞くの、面倒だし。

 

「ボサっと突っ立ってんじゃねえぞ!」

 

 ホワイトハートの声にはたと我を取り戻して、そのまま盾で斧を受け止める。

 足から何かが切れる音。刺すような痛みと共に、力が抜けていく。

 片足で膝をついて、それでも斧を受け止めたまま、ブランのことを睨む。

 

「……お前、何なんだよ」

 

 そんなこと、俺にも分からないよ。

 ネプテューヌ。プラネテューヌの女神。それを騙るだけの、虚構の存在。

 

「じゃあ、お前は! ()()()()は、何なんだよ!」

 

 俺、自身? つまり……俺そのものってこと?

 ネプテューヌでもなく、プラネテューヌの女神でもない、俺そのもの。

 ……分からない。そんなもの、俺自身にも分かるわけがない。

 でも、唯一つ、たしかに言えるのは。

 

「……私はネプテューヌ。プラネテューヌの、女神」

 

 確かに俺はネプテューヌとは違う。

 彼女のように在れないし、在ることすらもできないのだと、思う。

 それは確かだ。そういう意味なら、俺はネプテューヌではないと言える。

 けれど、(ネプテューヌ)(ネプテューヌ)だ。まがい物だとしても、プラネテューヌの女神なんだ。

 だから俺は、(ネプテューヌ)としての在り方を、全うしようと思う。

 たとえそれが偽りであっても。騙るだけの、否定されるべき存在だとしても。

 

「それで誰かを助けることができるのなら……私は、虚構を受け入れる」 

 

 告げたとき、ブランの瞳が、少しだけ緩んだような気がした。

 

「お前……それは――」

 

 光が迸ったのは、その時だった。

 三つの閃光が駆け巡って、ホワイトハートを吹き飛ばす。

 そうして俺の前に舞い降りたのは、透色の翼を持つ三人の女神。

 偽りでない、本当の女神だった。

 

「……これ以上は看過できないわ、ブラン」

 

 両手で剣を構えながら、ネプテューヌ――パープルハートが、その剣を構える。

 

「わ、私も……お姉ちゃんが傷つくのは、見たくないですから……!」

「私もよ。ねぷちゃんがいじめられるのは何か嫌なのよねぇ……特に、私以外にいじめられてるのは、見ててイライラしてくるわ」

 

 ネプギア……プルルート……いやプルルートは何か違うなアレ……ブレねえな……。

 

「ねぷてぬ、大丈夫!?」

 

 うん、大丈夫だよピーシェ。なんとか生きてるって感じだけど。

 ピーシェに肩を借りながら、ふらふらと立ち上がる。

 

「お前……自分の偽物なんだぞ? 一緒にいて気持ち悪くないのか?」

「確かに複雑よ。でも、彼女は私と同じプラネテューヌの女神なの」

「はん、じゃあお前じゃなくて、あいつが本物の女神になってもいいのかよ。同じ女神なら、その可能性だって否定できねえだろ」

「それがプラネテューヌの国民の望みならね。みんなが選んだなら、それでいいのかも」

「……ネプテューヌ、お前」

「でも、彼女から女神になりたいって話はないわ。今のところ、私と彼女は敵対してないし。何かを企てようっていう気もないみたいだから、排除する必要もない」

「……そういう甘い所が、お前の嫌いなところだよ」

 

 そう吐き捨てながら、ブランが女神化を解いていつもの姿に。

 まあ、三対一になるしな。ブランも自分が不利だって思ったんだろう。

 

「分かったわ。私はこれ以上、そのネプテューヌに手を出さない。これでいい?」

「……ありがとう、ブラン」

「礼を言われる筋合いはないわ。自分の身の安全のためよ」

 

 何とか事態は収束したみたいだな。よかったよかった。

 みんなも戦わずに済んだみたいだし、これで……あ。

 やばいなこれ。安心してたら、なんだか力が――――

 

 ばたん、なんて音と共に、視界が真っ黒になって。

 

「ねぷてぬ!? ねぷてぬ、しっかりして! ねぷてぬ! ねぷてぬ――」

 

 ピーシェの叫びを最後に、意識が黒く、暗く染まっていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

08 誘拐、リーンボックス

 

 次に俺が目を醒ましたのは、翌日の昼になってからのことだった。

 ホワイトハートと戦って気絶した俺は、プラネテューヌへと運ばれたらしい。

 結構な重症だったけど命に別状はないみたいで、治療をしてから今に至る、と。

 起きてからしばらくして、俺の様子を見に来たコンパがそう教えてくれた。

 ……女神って本当に丈夫なんだな。あんなに酷い目にあったのに、一日で回復するなんて。

 いや、だからといって無茶していいわけでもないけど。

 

「大事にはなりませんでしたが……それでも、安静にしておくですよ? お外に出るなんてもってのほかです。絶対に教会から出ちゃダメですからね? いいですか?」

 

 腕とか首とかの包帯を巻き替えながら、コンパが釘を刺すようにそう言った。

 いやあ、この前のは不可抗力だし。仕方ないって。

 

「でも、黒ねぷねぷはねぷねぷと同じでお人よしですから。それはすごくいい事だと思うですけど、自分を大切にすることも大事です。まあ、そういうとこもねぷねぷと同じですけど……」

 

 なんてことを呆れながら呟いて、コンパが俺の鼻の頭に絆創膏を張りつける。

 少年漫画の主人公か。実際に怪我してるから仕方ないんだけど。

 

「じゃあ、私はこれで仕事に戻るです。あんまり動いちゃダメですからね?」

 

 それだけ残して、コンパは部屋から出て行った。

 うーん、また一人になっちゃった。寂しくはないんだけど、つまんないんだよなぁ。

 じっとしてろって言われたけど、あんまりそういうのは性に合わないし。

 ……とりあえず、目覚まし代わりに教会の中でも歩いてみるか。

 それくらいはいいよね、別に。

 

 

 ネプテューヌとネプギアは、今日も真面目に仕事らしい。

 俺が来てから仕事が増えた~、みたいなことを言われたけれど、そこはなんとも。

 俺だって何にも分からないままだし……ごめんね、としか言えないんだよね。

 さすがのネプテューヌも、そこは理解していると思うけど。

 ピーシェもプルルートを連れてクエストに行ってるみたい。

 いいよな、プルルートは外に出られて。同じ女神なのにこの扱いの差はなんなんだ。

 差別だぞ、差別。人権団体に訴えてやる。

 まあ、仕方のないことだとは分かってるんだけどさ。

 アイエフも……仕事だろうなあ。諜報員って聞くだけで忙しそうだ。

 何を諜報しているのかは分からないし、多分教えてくれることもないだろうけど。

 

 ……あれ?

 プラネテューヌの人間、めちゃくちゃ仕事してない?

 何もしてないの俺だけじゃないか。途端に悲しくなってきたぞ。

 そりゃ病人なんだから安静にはするけどさ。でも、何もしないって辛いんだぞ。

 うう、なんでゲイムギョウ界に来てニート生活を送らなきゃならんのだ。

 だめだ、なんか涙出てきた。もう考えるのはやめよう。

 

 そうしてふらふら教会の中を歩いていると、いつの間にか講堂へと着いていた。

 今は朝か昼か判別のつかない微妙な時間なのか、訪れる人は見当たらない。

 誰もいないプラネテューヌの教会っていうのは、なんだかとても神聖な場所に思えた。

 ……やっぱり、動かないと落ち着かないし。いつもみたいに掃除でもするか。

 なんてったって、俺にはこれくらいしかできないからな。

 職員さんに用具を借りに行くと「ボロボロですけど大丈夫ですか!?」なんて驚かれた。

 別に動きづらいとか痛むとかないし、掃除するくらいなら問題なし。

 説得してもらった箒とちりとりで、普段通りさっさっさー、なんて掃除して。

 大方綺麗にした後、今度は窓でも拭いちゃおうかな、と。

 声が聞こえてきたのは、その時だった。

 

「ネプテューヌ?」

 

 俺の名前を呼ぶ声の、その先に立っていたのは。

 差し込む日差しに金髪を輝かせながら、俺を見つめるベールだった。

 

「あなたが自分の教会を掃除するなんて、どういう風の吹き回しですの?」

 

 どういうも何も……いつもやってるけど。

 素で驚いているのか、俺が応えると、ベールは口元を手で覆った。

 

「あなたがそんな事を言うなんて……立派になりましたわね」

 

 どこ目線の言葉なんだ、それ。親か何かなのか。

 でもいきなり来るなんてどうしたんだろう。何か用でもあるのかな。

 

「いえ、前にネプギアちゃんへ話したゲームを届けに来たのですが……」

 

 そうやって俺へ近づくと、ベールは俺の両頬をむぎゅ、と挟み込んで。

 

「あなた……ネプテューヌではありませんね?」

 

 うわ、バレるの早いな。やっぱり女神には看破されるのか。

 今まで俺を見た女神、全部敵対してきたから、ちょっと言うのを躊躇ってたんだけど。

 あーでも、こうしてエンカウントしてる時点で終わってたな。仕方ないわ。

 しかし、どうするかなぁ。

 言葉で説明するのも難しいし、したとしても結局戦う事になりそうだし。

 またネプテューヌが助けに来てくれないかなぁ。それに俺、病み上がりだし。

 ノワールの時みたいに耐えられるかも難しいぞ。考えれば考えるほど詰んでる気がする。

 ……痛いの、もう嫌なんだけどなぁ。

 

「確かにネプテューヌとは違いますが……害があるとも思えませんわね」

 

 ……あれ? なんだか今までとは違う反応だぞ?

 もしかしてベール、割と話が通じるタイプ?

 

「けれど知りませんでしたわ。まさかプラネテューヌがこんなクローン技術に手を出していたなんて。ネプテューヌもああ見えて、抜け目がないですわね」

 

 いや、その話の跳び方はおかしいだろ。なんだクローンって。

 

「でも、クローンだからってこんな雑用を任せるのは酷いことですわ。それに見たところ、かなり怪我をしているようですし……散々な扱いを受けていたのでしょうね。かわいそうに……」

 

 そ、それは……ブランにやられただけだし。

 雑用っていうか、自分にできることをしていただけだし。

 っていうか、いい加減離してくれないかな。これじゃあ誤解を解くこともできない。

 

「もごもっごもご」

「うんうん、辛かったんですわね。あなたの気持ち、痛いほど分かりますわ」

 

 そうじゃなくて! ダメだ、ベールも話聞かないタイプの女神だ!

 ……あれ? もしかして女神ってマトモに話できないやつしかいない?

 

「ネプテューヌもこうして静かにしていれば可愛いものですわね。新鮮な気分ですわ」

 

 俺の頬を引き延ばしたりしながら、ベールがそんなことを言っていた。

 いやでも、俺は元気な方が好きかな。あの方がネプテューヌ! って感じだし。

 なんて言う事も出来ないのが悲しいんだよな。いやほんとに、なんでこんなことに。

 

「……クローンなんだから、一匹くらい貰ってもバレませんわよね?」

 

 バレるだろ。何考えてんだ。

 というか今「匹」っつったな?

 

「決めましたわ! あなた、今日から(わたくし)のところおいでなさいな! こんなところではなく、リーンボックスで大切にお世話してさしあげます!」

 

 ……はい? なんて?

 

「さあ、そうと決まれば早速リーンボックスへ行きますわよ! ほら、こっちに来てくださいな」

 

 ようやく離した手で俺の腕を引きながら、ベールがウキウキになって教会の外へ歩き出す。

 いや、それはちょっとマズいんじゃないかな。戻った方がいいよ。

 どうせ説教されるの俺なんだし。俺のためにも頼むから。

 

「心配いりませんわ。何かあったら、あなたの味方になりますから」

 

 そういう意味じゃないんだが!?

 

「はいはい。お話は後でたっぷり聞いてあげますから。今はとにかく――」

 

 なんて言うと、ベールが体に光を纏い始めて。

 

「――私の治めるリーンボックスへ、連れて行って差し上げます」

 

 そして現れたグリーンハートが、俺の体をひょい、と持ち上げた。

 いやあのだから、一人で運ぶの危険じゃないの? 女神間での共通認識じゃないの?

 それに心の準備――――おああああああああ!!!

 

 

 ベール。べるべる。べるーん。Vert。

 雄大なる緑の大地、リーンボックスの女神。箱360とか箱〇とかがモデル。

 プリンセスドレスを着ているということは、やっぱりいつものベールらしい。

 また、重度のオンゲ中毒だったり、BL好きだったり。

 あとは……

 

「では、次はこっちを着てくださる? きっとあなたに似合いますわ」

 

 重度の妹好き。いや、正確には年下好き、って言えばいいのかな。

 箱シリーズっていうか、当時あの会社には携帯ゲーム機がなかった。

 だから、リーンボックスにはネプギアやユニみたいな女神候補生がいない。

 ベールはそれが寂しくて、妹をずっと欲しがっていたんだよね。

 基本的にはネプギアがその対象っていうか、餌食になってたりしてる。

 教会でも言ってた通り、この次元でもそうなっているみたい……なんだけど。

 

「うん、やっぱり似合ってますわ。どうですか?」

 

 姿見をこちらへ向けながら、ベールはそうやって喜んでいた。

 どう……って言われてもなあ。こんなフリフリな服、あっちでもこっちも着たことないし。

 メイド服とお姫様が着るドレスを、足して二で割ったような感じ。

 どの階級の人間が着る服なんだろう。よくわかんないな。

 

「四女神オンラインのコスプレですわ。一ファンとして購入したはいいものの、着る機会があまりなくて。それならネプギアちゃんに着せようと思っていたのですが……」

 

 なるほどね。それで、ちょうどサイズが近い俺が居たから着せたと。

 意味がわからんが?

 

「でもいいですわね。元々、ネプテューヌにはこういう服が似合うと思ってましたの」

 

 今の反応を見るに、どうやら俺はそういう対象になってしまったらしい。

 気分が悪い、ってわけじゃないけど、なんだかなぁ。

 俺で着せ替えするんなら、ネプテューヌに頼めばよかったんじゃないの?

 

「それでは意味がありませんもの。静かなネプテューヌだからこそ、良いものがあるんですわ」

 

 よくわからん。

 それに変な肯定をされると、なんか、つっかかるものがある。

 

「それにしても、静かなネプテューヌがこんなにも可愛らしいなんて……そうですわね、あなたの事は黒ネプちゃん、と呼ぶことにしますわ」

 

 どんな呼び方だ。逆にこっちが恥ずかしくなってきたぞ。

 なんて、俺の視線にベールが気づいてくれるはずもなく。

 どんどん色んな服を持ってきて、俺に着るよう差し出してくる。

 着せ替え人形ってこういうことを言うんだな。

 恥ずかしいっていうか、退屈による疲労の方が大きいぞ、これ。

 

「いいですわ、いいですわね! かなり似合ってますわよ!」

 

 でもまあ、本人が嬉しそうにしてるならいいのかな……?

 着る服がどんどん薄くなっていくのはちょっと恥ずかしいけど。

 ……いや、かなり恥ずかしいな、これ。ほとんど布一枚じゃないか。

 最近ようやくスカートに慣れてきたってのに。段階を刻んでくれ、段階を。

 こんな歩いたらパンツ見えそうな恰好してんの、ノワールくらいだろマジで。

 あの人ほんとに自覚あるんかな。今度スカートめくってみよ。

 

「じゃあ次はこの、水着スキンをきてくださいますか?」

 

 …………みずぎ?

 いや、それはちょっと……水着じゃなくて、紐じゃん。それ。

 そりゃゲーム内ならいいかもしれないけど、現実だと全部丸見えなデザインじゃん、それ。

 

「心配ありませんわ。たとえ見えたとしても、この部屋には私しかいませんから」

 

 だからそういう意味じゃねえ! 絶対着ねえからな!

 

「ああっ、待ってくださいな! そんな恰好をチカに見られたら、何と言われるか……!」

 

 知らないよ! チカさんも大変だな!

 とにかく、何とかしてこの部屋から――って、おお!?

 

「……ふふ、リーンボックスの女神である私から、逃げられるとお思いでしたの?」

 

 へ、変身するの!? そこで!?

 シェアエネルギーを何だと思ってやがる!

 

「大丈夫です。私も着替えるのを手伝ってあげますから……じっとしていてくださいませ」

 

 ああ、おわったこれ。満足するまで終わらないやつだ。

 俺の両腕を片手で強く抑えたまま、彼女は俺の服へと手を伸ばす。

 しゅるしゅる、なんて簡単に脱がされると、とたんに顔が熱くなってきて。

 いや……待って、お願いだから。本当に。冗談とかじゃなくて、まじ。

 だって……だって、なんか……

 

「うぅ…………」

 

 お、お願いだから、やめて――

 

「……あら? プラネテューヌから通信ですわ」

 

 はッ! あぶねえ! タイミング神すぎるだろ!

 

「心配いりませんわ。私がネプテューヌにガツンと言って差し上げますから」

 

 なにを?

 ガツンと言いたいのはどっちかってっとこっちの方なのに。

 剥ぎ取られた服を急いで集めながら、その中へ体を隠す。

 あ、あれ? これどうやって着るんだ? 半裸のままとか嫌なんだけど。

 

「もしもし? ネプテューヌ? あなた、いくら自分のクローンを作ったからって、それに雑用をさせるのは酷くありませんこと? あなたがそこまでズボラというか、面倒くさがりだったなんて、さすがに軽蔑してしまいますわ」

 

 クローンに対するこの認識の軽さ、なに?

 ゲイムギョウ界、あらゆる概念に対する認識が軽いところがあるね。

 

「はい? クローンなんて知らない? まったく、とぼけないでくださいまし。現に今、私の部屋に、あなたのクローンが…………え? それはクローンじゃない? いや、だってこんなに似て……ええ……べ、別人?」

 

 ちらり、とこちらへ少し視線を投げて。

 

「今から来る? こちらにですか? いや、あの、ちょっと待って。私の方から責任をもって、プラネテューヌに送り届けますわ。ええ、心配いりません。何も問題はありませんから。ほんとですわよ? ですから、後でちゃんと……は?」

 

 うん?

 

「着せ替え人形……? いやまさか、そんなことするはずが……」

 

 してます! めちゃくちゃされてます! 助けてネプテューヌ!

 

「……きっ、切られた……そんな……」

 

 かちゃり、と静かに受話器を置くと、ベールはゆらりとこちらへ顔を向けて。

 

「急いで全部脱いでくださいまし」

 

 …………はい?

 

「今すぐ脱いで元の服に着替えてくださいな! ネプテューヌがこちらへ来るって……! あなたで遊んでいたことがバレたら、何を言われるか分かりませんわ! さあさあ、あなたの服はこちらですから! すぐにそのコスプレを脱いで……」

「ベール? いるかしら」

「は、え、早ッ……!? 女神化したとしても恐ろしい速さですわ!? いやあの、ネプテューヌ? ちょっと待ってくださいまし! お願いですから、ドアを無理やり開けるのは……ああ、あああああ!!」

 

 

「まったくもう! いくら何でも私を着せ替えて遊ぶのはどうかと思うよ、ベール!」

「だ、だって嫌がりませんでしたもの……だからこっちも乗ってしまって……」

「だからじゃないよだからじゃ! ペットじゃないんだからね!?」

「うう……申し訳ありませんでしたわ……」

「私もそうだけど、謝るならもう一人の私にだよ! 見てよ、あの状況!」

 

「大丈夫だった? 黒いお姉ちゃん」

「ねぷぎゃ……ぷぎゃ……ぷぎゃすき……」

「よしよし、もう心配しなくていいからね。もう誰も遊んだりしないから」

「ぷぎゃ……ありがとう……ぷぎゃ……」

 

「ネプギアに膝枕されながらよしよしされてるんだよ!? どう思う!?」

「ネプギアちゃんの膝で寝れて羨ましいとしか……」

「全然反省してないね!? というかこの状況、私がどう反応していいか困るんだよね!」

「それは私もですわ! 一体何者なんですの、あの黒ネプちゃんは!」

「うわわ、今めっちゃ背中ゾワってした! ベール黒い私のことどんな名前で呼んでんの!?」

 

 いや、それはイストワールとかアイエフとかも大概なんだけどさ。

 

「うわ!? 急に正気に戻らないでよ、黒いお姉ちゃん!」

「その変わり身の早さはネプテューヌそっくりですわね……」

「私あんなんなの? ねえ、本当にあんなんなの?」

 

 どうだろうね。でも変わり身っていうか、ノリツッコミは得意な方じゃない?

 とにかく、今はベールへの説明が先みたい。ネプテューヌとネプギアも来てくれたし。

 ブランみたいに、急に戦闘になるっていうのはやめて欲しいけど……ベールなら大丈夫かな。

 なんだかんだ優しいし。ちゃんと線引きすれば。

 

「なるほど……本当にもう一人のネプテューヌ、というわけですわね」

 

 三人でトントン説明すると、ベールはすんなり納得してくれた。

 まあ、現に俺は目の前にいるわけだし。

 ベールも、それを否定するような強情な人柄じゃないだろうし。

 

「そうそう。そういうわけで、黒い私のこともこれからよろしくしてあげてね」

「分かりましたわ。ネプギアちゃん共々、黒ネプちゃんも可愛がってさしあげます」

「ぜ、全然分かってない気がするけど……」

 

 ワンチャン四女神の中でいちばん話通じない気がするね、これ。

 

「冗談ですわ。さすがにあんな状況を見せられたら、こちらも少しは遠慮しますもの」

「本当かなぁ……黒い私、リーンボックスに行くときは、必ずネプギアとかあいちゃんやコンパを連れて行くんだよ? いいね?」

 

 それはまあ、自分のためにもそうするけど。

 でも……行く機会、あるのかな。

 別にベールが嫌い、ってわけではないけど、その、自分の今の状況的に。

 

「あー、そっか。それなら、ベールと出会ったのは丁度いいタイミングだったのかもね」

 

 というと。

 

「黒いお姉ちゃんのことを、ようやく皆に伝えられそうなの。まだ正確なことは分かってないけど、ブランさんやノワールさんも協力してくれたし。一応は大丈夫かな、って」

「その二人には声をかけたのに、私のことは呼んでくれなかったのですね……?」

「元々ベールのとこに挨拶してからにしようと思ったんだよ? でもこんな事になるなんて」

「う……それだったら、申し訳ありませんでしたわ」

 

 本当だよ。マジでこんな事になるなんて思ってなかったからな。

 でも、そうか。これで本当に、俺はプラネテューヌの皆に知られることになるのか。

 ようやく女神を正式に名乗れる、とかそういうわけではないけど。

 表を歩けるようになるのは、正直に嬉しい。色々観光できるってわけだしな。

 あ、でも今の部屋とかはどうなるんだろう。ちゃんと家賃支払わないといけない?

 

「そこら辺はさすがに大丈夫だと思うけど……」

「とにかく、早くプラネテューヌに戻って皆に知らせちゃおうよ。話はそれから!」

 

 なんて言って、ネプテューヌとネプギアが光を纏い、女神へと変身する。

 

「だからベール、ここでお別れね。もしもまた、黒い方の私で勝手に遊んだら……」

「ええ、心に誓いましたわ。でも、友人として会いに行くのは構いませんわよね?」

「勿論、その時は歓迎するわ」

 

 そう答えながら、ネプギアとネプテューヌが俺のことを持ち上げた。

 

「じゃあベールさん、さようなら」

「ええ、さようなら。黒ネプちゃんも、よかったらまた遊びに来てくださいね」

 

 あー……着せ替えとかなかったらね。うん。

 テラスから飛び立つと、すぐにリーンボックスが小さくなっていく。

 そうか、あそこ島国だから、行くなら飛べるようになるか船とか乗らないといけないんだ。

 うーん、次に遊びに行くのはかなり先になりそうかも。

 それにこれからは、結構忙しくなるかもだし。主に俺自身のことで。

 ……そういえば、皆に知らせるって言っても、どうやってやるの?

 

「ええと、それを今決めようと思ってたんだけど……」

「私たちに任せてくれればいいわ。あなたは原稿を読み上げてくれればいいから」

 

 原稿? それに読み上げって……え、なに? マジでどういうことなん?

 頭の上に疑問符を浮かべていると、ネプテューヌが思い出したようにして、

 

「ところであなた、テレビに出るのは大丈夫よね?」

 

 …………なんて?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

09 ネプステーション!

 

『新感覚情報番組! 特に意味の無い話題を提供するネプステーションの時間だよ!』

 

 おお。

 おおお!

 

「おおおお!! うおおおおお!! うおあおあああああ!!!!」

「く、黒いお姉ちゃん!? 近い、近いよ! 目が悪くなっちゃう!」

 

 馬鹿野郎、あのネプステーションだぞ!? 見逃したらどうするんだ!

 これから流れる映像をワンフレーム単位で眼球に焼き付けないと!

 

「そんなに食いつくところなの!? これ、お姉ちゃんが思いつきで始めた適当な番組なんだけど……しかも放送も不定期だし……」

 

 そこがいいんだよ! プラネテューヌっぽいし!

 いけない、感情が高まって涙が出てきた……ネプステーション、好きだ。

 

「うーん……この番組がここまで続いてるの、そういう理由なのかなぁ……」

 

 ネプステーション。ネプテューヌシリーズにかなりの頻度で登場する謎のコーナー。曰く「シナリオと独立したメタい番組だから、そこのところよろしくね!」とのこと。

 内容としてはマジにシナリオ関係ない話で、プラネテューヌの長さの単位がネプテューヌの身長基準になったとか、そんなノリのニュースばっかりやってる。

 さらにPP(アイドルやってる次元)の話になると、ノワールステーションとかブランステーションとかベールステーションとか、色々な派生があるのがまたミソなんだよな。

 ちなみに俺が一番好きなのは、アニメでプルルートが司会をした回なんだけど……

 

『今回はプラネテューヌのみんなに大事なお知らせです!』

 

 いや、いや。俺の話はどうでもいい。語るべき時ではない。

 重要なのは、ネプステーションという番組が実際に放映されていること。

 虚構の存在であったネプステーションが実在するこの展開、かなりアツい。

 そして何よりも、俺が今回のネプステーションを楽しみにしていた理由が。

 

『なんとなんと! このプラネテューヌに、さらに二人の女神が産まれました!』

「うおおおおおおおお!! マジかよオイ!!」

「自分のことだよね!? というか黒いお姉ちゃん、ほんとにテレビから離れたほうがいいよ! 液晶が壊れちゃう!」

 

 おっ……やめ……やめろ! 放せネプギア!

 俺はこの歴史的瞬間をこの眼に焼きつけたいだけなんだよ! 分かってくれ!

 

「それならそこのソファに座っててもできるよね!? お願いだから落ち着いて!」

 

 …………それもそうか。

 そうだよな、いくらアガったからって暴れていいわけじゃないし。

 それに壊れたら弁償しなきゃいけないし。そんなにお金あるわけじゃないもんな。

 言われた通りにソファへ座ると、「きゅ、急に落ち着いた……」なんて言葉を漏らしたネプギアが、俺の隣へと腰を下ろした。

 

『今回はそのお二人からそれぞれメッセージをもらってます! 順番に流していくから、テレビの前のみんなはよく聞いてあげてね!』

「はい!!」

「なんでそんないい返事なの!?」

『それじゃあまずは一人目の女神、プルルートから! VTR、どうぞ!』

 

 驚くネプギアをよそに画面がぱっと切り替わる。

 そこに映し出されたのは、机の上に置かれているプルルートの生首だった。

 

『みんな〜、こんにちはぁ~』

「ほあああああ!?」

「うわああああ!?」

『ちょ、ちょっとプルルート! まだ! まだ喋っちゃダメ!』

 

 なんて叫びと共に画面外からピーシェが飛び出して、プルルートの体を抱え上げる。

 ああ、身長足りなかったのね……それにしてもびっくりした。急に喋るもんな。

 そうしてピーシェに抱えられたプルルートが、両手に持った原稿を読み上げた。

 

『えっとぉ~、新しい女神の、プルルートっていいま~す。こっちはぁ~、私のお姉ちゃんの、ピーシェお姉ちゃんで~す』

『私のことは言わなくていいから! 続き! 続きよんで!』

『は~い。えっと~、それで~……?』

 

 原稿としばらくにらめっこをしていたプルルートは、ふいに頭を上げて、

 

『読めないぃ~…………』

『え? ええっと、それなら読めるところだけでいいから!』

 

 ……まだ十一歳だもんな。仕方ないよな。

 それじゃあ~、なんてのんきな声を上げながら、プルルートが続けて、

 

『りっぱな女神さまになれるようがんばるから、よろしくね~』

 

 そこでまた画面が切り替わって、再びネプテューヌが画面に映る。

 

『はい、ということでプルルートさんからのメッセージでした! いやー、あんな子供が女神になったんだから、びっくりしたよね。ブランよりも年下なんじゃないかな?』

 

 ……まあ、ピーシェよりはマシだよな。経緯とかも含めて。

 そういえば女神になったら成長って止まるんだったっけ。そこら辺の設定、作品ごとに曖昧だからなぁ。国民が望むまでは成長する、みたいなのもあった気がするし。

 だとしたら、ゆくゆくは元のプルルートみたいになってくれるのかな。

 それだったら、ちょっと嬉しいかも。

 

「次だね、黒いお姉ちゃんの番。撮影はどうだったの?」

 

 なんてネプギアの声で、ふたたび画面へと目を向ける。

 あー、撮影……正直覚えてないんだよね。実は結構緊張しちゃって。

 でもまあ、喋ることは喋ったから。大丈夫だとは思うよ。

 

「そうなんだ。上手く映ってるといいね」

『それじゃあお次は二人目の女神! これはみんなも驚くと思うよ? なにより、私が一番驚いたんだからね! ではVTR、どうぞ!』

 

 ネプテューヌの言葉と共に、再び画面が切り替わる。

 そして姿を現したのは、(ネプテューヌ)だった。

 

『……………………』

 

 …………あれ?

 喋らねえぞコイツ。どうなってやがる。

 

『あ、もう喋って大丈夫だよ。カメラ回ってるし』

『えっ……あ、はい……ええと、あの、その』

 

 とてつもなく挙動不審な動きを見せながら、俺が原稿へと目を通す。

 

『こっ、この度、新しく女神になった、ネプテューヌ……です。元の女神のネプテューヌとは、名前と姿が同じなだけで……別人、です。紛らわしいかもしれませんが、そこのところは、よろしくお願いします……』

「…………黒いお姉ちゃん?」

 

 知らない。

 いや、マジで知らないっすね。

 

『おれっ……いや、私のことは、黒ネプテューヌって呼んでくれると、助かります。まだまだ知らないことは多いですけれど、これから一人前の女神を目指して、頑張ります…………ね、ねえ。大丈夫? こんな感じで良』

 

 そこでぶつんと映像が途切れて、ネプテューヌの方へと画面が戻る。

 

『はい! というわけでなんと! 私と同姓同名、姿かたちも全く同じのネプテューヌが二人目の女神だよ! 間違えないで上げてね! でも黒い方の私は私よりもおとなしいし、無口だから見ればすぐにわかると思うよ! みんなも仲良くしてあげてね!』

 

 ………………。

 

『そんなわけで、ネプステーションでした! またみてね!』

 

 CMに入ると同時に、テレビの電源を無理やり落とす。

 そこでふと思い立って、ネプギアへと問いかけた。

 

「なんだあの陰キャは」

「い、陰キャって……黒いお姉ちゃんだよ? ちょっとっていうか、ものすごく緊張してたけど……あ、でも伝えたいことは伝わってたから、そこは大丈夫だよ!」

 

 全然大丈夫じゃねえ! なんだあれは! え!? 俺あんなんだったの!?

 しかも何が恥ずかしいって、これがプラネテューヌの全国民に見られてることだよ!

 これ別の意味で表歩けなくなったな! 完全にやらかした!

 

「ああああああああああああ」

「黒いお姉ちゃん、今日はいつにも増して元気だね……」

 

 こうでもしないとガチ凹みするからな! 空元気だよ!

 ……はあ。

 とにかくこれで、俺はプラネテューヌの皆に認識された。されちまった。

 今度は気兼ねなく表を歩けるけど……国民には会いたくないなぁ。あんな醜態を晒した後で、街を歩けるほど俺の皮は厚くないし。しばらくは様子見だなこれ。

 うう、それにしてもあんな事態になってたなんて。そらあんな様子じゃ覚えてるわけないよなぁ。意外とクるものがあるぞ、これ

 もしかするとネプステーション史に残るクソ回を生み出してしまったかもしれない。

 何よりも悲しいのはそれだよ。あんなに大好きな番組なのに。

 

 ……ま、過ぎたことは仕方ないよな。大事なのはこれからだよ。

 最初の失敗なんて気にしないくらいの成功を収めればいいんだ。立派な女神になれば、俺にも自信がつくと思うし。これからは意識を変えないと。

 で、でも……国民のみんなに会うのとかは、明日からでいいよね?

 

「あ、そういえば黒いお姉ちゃん、午後からピーシェちゃんが呼んでたよ?」 

 

 ピーシェが? 珍しいな、どうしたんだろう。

 

「えっと、確か……プルルートちゃんと一緒に買い物、って言ってたかな?」

 

 …………ええー。

 

 

 それからしばらくして、教会の前で。

 

「……なにそのサングラス」

 

 待ち合わせていたピーシェとプルルートと合流すると、開口一番にそう聞かれた。

 いや、ファッションって言うか。夏だしさ。カッコいいっしょ。

 

「あれ~? ねぷちゃ、風邪ひいてるの~?」

 

 そうなんだよね。マスクが手放せなくて。

 うつっちゃうかもしれないから、プルルートはちょっと離れててね。

 

「帽子……TOP NEPって何?」

 

 これはマジで謎だね。なんで俺の部屋にあったんだこれ。

 

「ねぷちゃ~……なんだか、ふしんしゃさん? みたい~」

「……顔、全然見えないんだけど、大丈夫?」

 

 見えないなら大丈夫。むしろそっちの方が助かるっていうか。

 とにかく今日はこれで行くから。誰が何と言おうと絶対に行くから。

 

「………………」

「………………」

 

 ………………。

 

「ンぐえっ!?」

「さっさと脱げー! プルルートの教育に悪くなる!」

「ねぷちゃ~、お顔みせてよ~。さみしいよ~」

 

 分かった、分かったから! 同時に引っ張るのだけはやめて! 体が裂ける!

 なんて抵抗しているうちに、マスクもサングラスも取り上げられて、顔面を晒してしまうことに。帽子だけは何とか許してくれたけど、それだけじゃ何も隠せない。

 うう、出来るだけ隠れたかったのに。なんでこんなことに……。

 

「もしかして、あのテレビのこと気にしてるの?」

 

 そりゃそうだよ。思い出すから話題にしてほしくなかったけど。

 ああダメだ、また記憶が蘇ってきた。羞恥心がすごい。

 だから今日は落ち着くまで教会で大人しくしようと思ってたのに。

 

「別に誰も気にしてないって。プルルートだってこんなんだし」

「ほえ~? どうかしたの~?」

 

 そりゃプルルートは子供だから……仕方ないこともあるけどさ。

 俺も一応大人なわけだし、体裁というか、なんというか……。

 

「おとなとか~、子どもとか~、関係ないよ~」

 

 それは……どういう?

 

「だって~、ねぷちゃもわたしも、女神になるのは初めてなんだよ~? だから~、失敗しちゃう時だってあるし~、分からないことだってあるはずだよ~」

 

 それはそうだ。俺もプルルートも、立ち位置は同じ。この国の女神。

 だからこそ失敗は許されないし、女神という在り方を全うしなければならない。 

 

「でもぉ~、そうやって失敗とかしないと分からないことも、あると思うんだ~」

 

 ……ああ。そっか。そうなのかも。うん、そんな気がしてきた。

 誰でも、初めてのことを完璧に出来るわけじゃない。何回も考えたり、失敗したりして成長するんだ。ネプテューヌだってそうだった。そうだったよ。

 つまり、失敗を受け入れるのが大事ってこと。

 プルルートは、それを本当の意味で理解してたんだ。

 

「……ありがと」

「ほえ~? ねぷちゃ、いきなりどうしたの~?」

 

 いや……やっぱり、プルルートも女神なんだなって。

 迷っている俺を導いてくれるというか、答えを授けてくれるというか。

 それに失敗を受け入れるっていうのは、誰にでもできることじゃない。確かな強さと信念があるからこそ、人はそうした負の面もちゃんと受け止められるんだ。

 そう考えると、やっぱりプルルートは成るべくして女神に成ったんだと思う。

 

「なんだかよく分かんないけど~、ねぷちゃに褒められるとうれしいの~」

 

 にぱー、と笑顔を浮かべながら、プルルートはそうやって俺のことを見上げた。

 可愛いやつめ。うりうり。今日は一日付き合ってやるからな。

 ……って、そういえば。買い物ってどこに行くつもりだったの?

 

「ぬいぐるみ屋さん。結局この前、行けなかったからさ」

 

 ピーシェの言葉にああ、と首を縦に振る。

 約束だったもんね。ピーシェと一緒に遊ぶって。

 でも……今更になるけど、俺が居てもいいの? 

 

「いいの~。というか、ねぷちゃもいっしょがいいの~」

「……そういうわけだから。どうせねぷてぬもヒマでしょ?」

 

 う、否定できないのが悲しいな。確かに引きこもる予定だったから。

 

「それじゃあ、しゅっぱ~つ!」

 

 なんて片腕を上げるプルルートを挟みながら、ピーシェと共に足を踏み出した。

 

 

 昼下がりのプラネテューヌの街は、たくさんの人で賑わっていた。

 ゲームの中だと背景しか見たことなかったから、こうして人が行き交っているのを見るのは新鮮な気分だった。そのせいでいろいろ目移りしちゃって、二人に遅れてしまうこともしばしば。はぐれるほどの人込みじゃないから、そこは大丈夫。

 何よりも問題なのが、やっぱり。

 

「あ、新しい女神の……黒い方のネプテューヌ様って呼べばいいのかな?」

「えっと……そう、です」

「あら新しい方のねぷちゃんじゃないの。どっか遊びに行くの?」

「はい……その、プルルートと」

「黒い方のネプテューヌ様だ! ねえねえ、テレビ見たよ!」

「そ、そう……ありがと……」

「すげー、ほんとにねぷ姉ちゃんと同じなんだな! なんで帽子かぶってんの?」

「……落ち着くから?」

 

 こうなるわけなんだ。うう、覚悟はしてたけど、やっぱり辛いなこれ。

 興味を持ってくれるのは女神として嬉しいことなんだろうけど、こんなにたくさんの人と関わるなんて。みんなの期待というか、珍しいものを見る視線が少しだけキツい。

 でもネプテューヌは、こういうことも経験したんだよな。その上で、国民の一人一人とちゃんと向き合ってる。すごいな、やっぱり。俺には到底できないことだ。

 ……やっぱり、ネプテューヌも女神なんだなあ。

 いや、そんな感傷に浸ってる場合じゃないぞ。ピーシェたちと合流しないと。

 

「ま、待ってる人がいるから、いかないと!」

 

 みんなごめんね、今はちょっと待っててくれ。俺が立派な女神になるまでは。

 人込みをかき分けて外へと抜け出した俺に、みんなはそれ以上を聞かないでくれた。 みんな優しいな。あとでちゃんと、各々とお話しておかないと。

 

「……あ~。ねぷちゃ、やっときた~」

 

 道のすぐ先、数人の国民に囲まれているプルルートが、俺に気づいて声を上げた。

 

「おそいよ~」

「ごめん……やっぱりみんな、いろいろ知りたいみたいで」

「そこは仕方ないよね。プルルートも同じだもん」

 

 ばいば~い、とみんなに手を振る彼女を見て、ピーシェがそう呟いた。

 

「じゃあ行こ~。ぬいぐるみ屋さん、もうすぐそこだから~」

 

 あとは道路を跨げば目的地はすぐそこ。心なしか、プルルートが嬉しそうに見える。

 しかし、ぬいぐるみ屋さんとな。やっぱりプルルートはぬいぐるみが好きなんだ。

 

「うん~。いつかね~、自分で作れるようになりたいんだ~」

 

 自分で。それは……すごいね。うん。

 神次元のプルルートも裁縫が趣味だったし、ゆくゆくは、って感じだな。

 なんてことを話していると、着いたぬいぐるみ屋さんの自動ドアがういーんと開く。

 うおお、一面ぬいぐるみ。いや、そういう店なんだから当然なんだけどさ。

 奥には綿や糸とか布とか、ぬいぐるみを造るための道具が揃っているみたい。

 店に入るや否や、プルルートは最初から決めていたように、中を進んでいった。

 

「プルルート、何が欲しいの?」

「ええとね~、ねぷちゃのぬいぐるみ~」

 

 問いかけたピーシェに、プルルートが歩きながら答える。

 (ネプテューヌ)の? それ、もう持ってなかったっけ? 会った時に見たけど。

 

「そうじゃなくて~、ねぷちゃの、ぬいぐるみだよ~」

 

 ねぷちゃのって……もしかして、俺の事を言ってるのか?

 うーん、ないんじゃないかな。残念だけど俺、今日女神になったばかりだし。そういうグッズの方はなんていうか、事務所(イストワール)を通してから……

 

「だから~、じぶんでつくるの~」

 

 並んでいるネプテューヌのぬいぐるみを一つ取って、プルルートがそう言った。

 ああ、そういうことか。それに自分でつくる練習してるって言ってたもんな。

 

「うーんと~……お洋服の布もあるし~、綿もあったはずだし~」

 

 俺とぬいぐるみへ交互に視線を向けながら、ぶつぶつとプルルートが呟く。

 かと思うと、あ~! なんて何かを思いついたようにしながら、また足を動かして。

 

「これ~、お姉ちゃん、これとねぷちゃのぬいぐるみ、ほしい~」

 

 そう言いながらピーシェへと差し出したのは、一枚の黒い布だった。

 あ、そっか。脳波コン白いもんな。そこも自作しないといけないのか。

 ちゃんと見てるんだな。なんだかちょっとだけ、嬉しい。

 

「うん、分かった。他に欲しいものとかない?」

「わたしはないよ~、ねぷちゃは~?」

 

 え、俺? いや別に、欲しいものとかないし、あったとしても自分で買うよ。

 

「お金ないんじゃないの?」

 

 だって働けるようになったもん。

 これからは自分で稼がないと、女神としての示しがつかない。

 それにここで俺もおねだりしたら、ピーシェの負担にもなっちゃうし。

 そういうの、俺はあんまり―――ん?

 

「ねぷちゃ~? なんかあったの~?」

 

 ネプギア……。

 

「ネプギア? ネプギアはいないよ?」

 

 いや、あそこにネプギアンダムが……。

 

「は? 何それ……って、本当に何あれ? え? どういうこと?」

「わぁ~、ネプギアちゃんだぁ~!」

 

 ネプテューヌの隣に並んでいるネプギアのぬいぐるみの中、一つだけ四角い頭と明らかにヤバイ顔をしたロボットのぬいぐるみ。それが、俺の示す者だった。

 彼の者の名をネプギアンダム。ネプギアを元にして造られた、プラネテューヌの科学力の結晶。それは全体攻撃スキルとして、確かな強さを持っている。

 ちなみにこのネプギアンダム、制作においてネプギアの許可は全く取ってないぞ!

 

「ほしい」

「え、これ……? よりによってこれなの? 他のだったらまあ、考えたけど」

「ほしい」

「じ、自分で稼ぐって言ったじゃん……やだよ、私。これ持ってレジ行くの」

「利子はつける。トイチで」

「プルルートの前でそんなこと言うな!」

 

 叫びながら、ピーシェが俺の手からネプギアンダムを奪う。

 

「あーもー、買えばいいのね!? 分かった! 買ってくる!」

「ありがとう~」

「ありがとう…………!」

 

 頬を膨らませながらレジへとずんずん歩くピーシェに、二人で手を合わせたりして。

 レジから帰ってきたピーシェに、思いっきりぬいぐるみを投げつけられた。

 …………フィジカルが強いと、ぬいぐるみでも武器になるんだな。

 

 

「あー……なんか疲れた」

「お姉ちゃん、だいじょうぶ~?」

「ありがと、大丈夫だよ。ねぷてぬのせいで疲れただけだから」

 

 そ、そこまでなのか……なんかごめんな……。

 

「別にいいよ。欲しかったんでしょ? それに、ちゃんとお金返してくれるなら」

 

 そこはマジで返す。少なくとも十日以内には必ず。

 

「だから、そこまで気にしなくていいって。返せるときに返してくれれば」

「お姉ちゃん、わたしも~」

「プルルートはいいよ。そんなこと気にせずに、ぬいぐるみ作り、頑張ってね」

「……うん~! わかった~!」

 

 なんて談笑しながら、三人で歩く帰り道。太陽はそろそろ沈み始めていて、西の空が赤くなってくるころ。伸びる三つの影を見つめながら、プルルートが笑っていた。

 ……どうしたんだろう。やっぱり、嬉しかった?

 

「うん~。ぬいぐるみも買ってもらえて~、ねぷちゃといっしょにお出かけできたから~」

 

 俺と? そんなに楽しかった?

 

「……プルルート、ねぷてぬのこと好きなんだよ。そうだよね?」

「そうだよ~。ねぷちゃのこと、だ~いすき!」

 

 そ、そんなにド直球で言われると照れるな。めちゃくちゃ嬉しいし。

 

「なんだか~、かぞくがふえた気がして~。うれしいんだ、わたし~」

 

 ……そっか。それなら、よかった。

 じゃあ、これからもずっと一緒に居てくれるかな。

 

「うん~! お姉ちゃんも、ねぷちゃも、ずっといっしょ~!」

 

 夕日に照らされるプルルートの笑顔は、とても眩しいものだった。

 これからずっと一緒か。いられるよな。俺だって、二人と離れたくないし。

 

「……プルルートのこと、あまり悲しませないであげてね」

 

 もちろん。それに、ピーシェだって。

 いなくなったらプルルートも、俺も悲しくなるから。

 だからプルルートと一緒に。今までも、これからも。

 

「そっか……そう、なんだ」

 

 曖昧な表情だったけれど、ピーシェはそうやって笑ってくれた。

 

 と。

 

「…………あれ?」

 

 路地裏の影に何かが走っていくのが見えて、思わず足を止める。

 ネズミ……なのかな? 尻尾が生えてて、黒かった。あと妙にデカい。

 なんなんだろう……何か引っかかるような……?

 

「……ねぷちゃ~?」

「ねぷてぬ? どうかしたの?」

 

 いや……ごめん、先に行ってて。ぬいぐるみも持って。

 

「え? それって、どういう……」

 

 いいからいいから。すぐに教会に戻るから、心配しないで。

 そう言うと、しばらく俺のことを見つめていたピーシェは、プルルートの手を引いて先に行ってくれた。ありがと、ピーシェ。色々察してくれて。

 心配そうな視線を送るプルルートを見送った後、手のひらにプロセッサユニットを接続。手首から先だけを女神化しながら、何かが入っていった路地裏へと入っていく。

 

「……はできなかったっちゅ。やっぱり、あの女神の夢はデカすぎるっちゅ」

 

 途切れ途切れに聞こえてきたのは子供のような声。

 誰かと話しているようで、曲がり角から様子を伺うと、そこには二つの影があった。

 

「やっぱり、あの女神は手に余るっちゅ。他の女神に手を付けてから、最後に回すべきだったっちゅよ。こればっかりはどうしようもないっちゅねぇ」

 

 一つは灰色をしたネズミ。

 そして、相対するもう一つの影は。

 

「……ならば、また始めなければならんな」

 

 マジェっち。ナスの人。マザコング。洞窟マニア。

 あるいは、はじめの女神。全ての元凶。

 その名を。 

 

「女神たちの夢を、叶えてやろうではないか」

 

 マジェコンヌ――――

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10 パラダイス・ネフィリム・ロスト

Apexから逃げられなかったので更新遅れました


 

 マジェコンヌ。

 ネプテューヌシリーズにおける悪役代表っていうか、皆勤賞っていうか、そんな感じの人。たまに人じゃないときがあるけど……まあ、とりあえずいつもの元凶。

 一作目ではラスボスを務めていたけど、二作目ではなんか組織名として扱われてたり、かとおもえば三作目では最終的にナス農家になってたな。あれは仕方ないっていうか、一番落ち着くところに落ち着いた、って感じだけど。

 とにかくまあ、悪役。わるいひと。名前からして違法だもんな、マジコン。

 だから、見るからに悪だくみしてる今、倒さなければいけないんだけど――

 

「にしても、女神の夢を叶えるって……また妙な事を思いついたっちゅね」

 

 呆れたように肩(?)をすくめ、マジェコンヌの足元にいるネズミが言った。

 ワレチュー。マジェコンヌと肩を並べる、ネプテューヌの敵役。基本的にあの二人はコンビで活動してたっけな。でもワレチューの方がまだ改心の余地はあったり。

 いや、そうじゃない。この際彼女らの詳細についてはどうでもいい。

 問題は、彼女が何を考えてるのか、ってことだ。

 

「でも最初は失敗したっちゅよ? 次はどこから攻めるっちゅか?」

「明確な夢のある女神からだな。さしあたり、ルウィーかリーンボックスか……まあ、このプラネテューヌ以外だったらどこでもいい。ここは最後に攻めるからな」

 

 なんだ? 明確な望みって……それに、女神の夢?

 わからない。記憶を探っても、そんな単語に聞き覚えはなかった。

 

「ま、今は充電期間だ。周到に準備する必要があるから、お前もしっかり働けよ」

「うう、相変わらずネズミ使いが荒いオバハンっちゅ……」

 

 なんてぶつぶつ呟きながら、ワレチューが路地裏の奥へと消えていく。

 うーん、なんにも情報が得られなかったな。たまたまとはいえ、明確な悪者に出会ったわけだし、いろいろ聞いておきたかったんだけど。

 とにかく今は、ここから逃げてネプテューヌに――

 

「それで? さっきからそこで盗み聞きしている奴は誰だ?」

 

 ――まずい!

 

「…………っ、あ!」

 

 声が聞こえると同時、紫色の閃光が視界を埋める。次に感じたのは、全身が叩きつけられるような衝撃。吹き飛んだ俺の体は、地面を何度か転がってから止まった。

 見上げたその先には、黄昏の空に浮かぶマジェコンヌの姿。俺を一瞥すると、彼女はすこしイラついたように、その唇を動かした。

 

「……出来損ない? まさか、こんなところで出くわすとは……」

 

 出来損ない? 何の? 俺は、何になれなかったんだ?

 いや、そもそも……どうしてマジェコンヌは、俺のことを知ってるんだ?

 

「まあいい、貴様はここで消えろっ!」

 

 叫ぶと同時に杖を掲げ、マジェコンヌが魔力をこちらへ飛ばす。

 一撃目は俺の足元。跳ねるように体を起こし、駆けながら態勢を立て直すと、二撃目が右側の壁に直撃。爆ぜる破片が、俺の体へいくつも突き刺さった。

 頭に鈍い衝撃。右半分の視界が血で潰れる。

 

「っく……げほ、ッ!」

 

 まずい。まずいまずいまずい、まずい!

 そもそもアレって()()マジェコンヌだ!? 確か一作目だと四女神の親とか先祖とかそんな感じで、三作目だと犯罪神とかになってたりしたな!? VⅡだと確か夢とかだった気がして、それから、それから……ああっ、もう!

 とにかくわかってるのは、今の俺じゃ太刀打ちできないってこと。

 つまり、絶体絶命なわけで――

 

「ぐぅっ!?」

 

 腹の横を打たれるような感覚で、体が壁へと打ち付けられる。地面に倒れ込み、仰向けになった俺の胸元に、マジェコンヌがヒールを打ち付けた。

 肺の中が全部押し出されるような感覚。同時に、呼吸が無理やり止められる。

 

「が、は……!」

「それにしても、体が無事とは思わなかったぞ。クリスタルの方はどこかに落ちていても不思議ではなかったが……つまり今のお前は抜け殻ということになるのか」

 

 抜け殻……? それに、クリスタルって……?

 駄目だ、情報が少なすぎる。マジェコンヌの考えていることが分からない。

 それに、このままだと……

 

「……く、そっ!」

「なんだ、私に歯向かおうというのか? その出来損ないの体で」

 

 苦し紛れに女神化した手で足を掴むけれど、それで何かができるはずもなくて。

 そのまま体を蹴り飛ばされると、視界がぐるぐる回る。そして地面にずたぼろに転がった俺の体を、マジェコンヌが片腕だけで持ち上げた。

 

「非力だな。けどその勇気は認めてやる。だから、一つ教えてやろう」

 

 ぐい、と俺の体を引き寄せて、彼女が告げる。

 

「私の名はマジェコンヌ。いずれ、このゲイムギョウ界を支配する者だ」

 

 そんなこと。

 

「……しってる」

「なに?」

「しってるし、そんなこと、させない!」

 

 右脚にプロセッサユニットを展開。そのままマジェコンヌの体を蹴りつけて、同時に左腕へシェアエネルギーを移動させる。マジェコンヌの腕を掴み、俺の腕から引き剥がした。

 

「なに!? 貴様まだ、シェアエネルギーが……」

 

 やっぱり、女神化は効くのか。これなら、まだ――

 

「……だが、私に適うはずがない!」

 

 鳩尾に強い衝撃。体を吹き飛ばされるのは何度目だったか。体は既に感覚が鈍っていて、もう一度立ち上がるのに時間はあまりいらなかった。頭から流れていく血が、地面へと跳ね落ちる。視界はすでにぼんやりとしていて、彼女の顔色すらも見えないほどだった。

 けれど、戦えないわけじゃない。

 

「まだやるのか、貴様。それほど死にたいのか?」

 

 そんなわけない。死ぬのは怖いし、痛いのももう嫌だ。

 でも、それ以上に。

 

「……みんなを、守らないと」

 

 俺のその声に呼応するように、右腕に盾が現れる。守るべき人々の信仰によって作り出された、黒鉄の盾。それは確かな重みをもって、俺の腕へと装着された。

 ざん、と盾を地面に突き立てて、正面に体を構える。

 

「哀れだな、偽りの女神よ」

「偽りでもいい。それでも、この国を守ることができれば」

 

 それに、たとえ俺が倒れても第二、第三のネプテューヌが……

 いや、第二しかいないのか。それでも、彼女を倒すのには充分だけど。

 

「ふん、女神に頼るか。やはり、それしかできないのだな」

「……どういう、こと?」

「貴様らが女神ありきの存在だということだ。女神がないと何もできない。ただ守られるだけのもの。それが、女神の枷になっているとなぜ気が付かない?」

 

 枷。

 俺たちのことを……プラネテューヌの民のことを、彼女はそう呼んだ。

 

「だから、私が女神の救いになってやるのだ。その内に秘められ、抑圧された彼女らの夢を私が実現させる。そしてその果てに……私が、新たな女神としてこのゲイムギョウ界に君臨するのだ」

 

 理解ができなかった。女神の夢ということも、彼女が新たな女神になるということも。確かに分かったのは、彼女を止めないと危険なことになるということ。

 けれど、それを透かされたように、彼女はあざ笑うような声色でつづけた。

 

「私を止めようとしても無駄だぞ? 私は女神の夢を叶える者。つまり私を止めるということは、彼女らに自らの手で夢を壊させることと同義なのさ。それが何を意味するか、お前なら分かるだろう」

 

 それは……!

 

「果たして、女神を信仰するお前にそれができるのか?」

「そんな、こと……」

「できるはずがないなよなぁ? それが貴様らの招いた結果さ」

 

 女神の夢なんてわかるはずもないけど、それはとても大切なことだと思う。

 失われてはいけないということも。そして、叶えられるべきことだとも。

 だから。

 

「……私が、あなたを止める」

 

 彼女たちの夢なんて壊させないし、マジェコンヌの計画も止める。

 たった一人でもいい。女神たちが苦しまないのなら、何度だって立ち上がってやる。

 だって、守ることしか、俺にはできないから。

 

「ふん、蛮勇だな。やはりお前は勇気がある。だが、それだけだ」

 

 そう握りしめた杖の先から、紫色の光を走らせる。

 閃光は視界を全て埋め尽くし、力が解き放たれると同時、マジェコンヌが叫んだ。

 

「せいぜい、あの世で私の英姿を眺めておくことだな!」

 

 そして、次に感じたのは――急激な浮遊感。

 持ち上げられるようなそれは、また急に消えて、俺の体が地面へと落ちていく。

 

「ねぷてぬっ!」

 

 訳の分からない俺の耳に届いたのは、ピーシェの呼ぶ声で。

 気が付けば彼女に抱きかかえられていて、俺とマジェコンヌとの間には、パープルハートとアイリスハートの、二人の女神が並んでいた。

 

「何か騒がしいと思ってきてみたら……どういうことよ、これは」

「あらやだ、ねぷちゃんったらまたボロボロになって。そんなにイジメられるのが好きなのぉ?」

 

 す、好きでいじめられてるわけじゃないんだけどな。

 なんていうか、相手が悪いっていうか……そんなところ。

 

「勇気があるのはいいことだけど、勇敢と無謀を履き違えないでもらいたいわね」

「あら、私は好きよ? 自分なら出来ると思って果敢に立ち向かうねぷちゃん、とってもかわいいもの」

「あなたの趣味は関係ないでしょ。それよりも今は……」

 

 手にそれぞれの得物を握り、ネプテューヌ達がマジェコンヌと対峙する。

 

「女神が二人……なるほど、核はそちらに移行したということか」

「なぁに? この状況でひとりごと? なら私から先に行かせてもらおうかしら!」

「ちょ、ちょっとぷるるん! 勝手に手を出さないで!」

 

 ネプテューヌの制止などなんのその、プルルートが蛇腹剣を鞭のように地面へ叩きつけたあと、その刃を伸ばす。飛来するいくつもの刀身を杖で受け止めながら、マジェコンヌは大きく後ろへと跳んだ。

 それに続くのはパープルハートで、空中にいる彼女へと剣を振り下ろすと、そのまま地面へと叩きつける。けれどマジェコンヌもそれをうまく受け流し、地面を転がりながらも体勢を立て直した。

 そのまま、三人が睨み合う。片方は女神二人を前にして。そしてもう片方は、女神二人の攻撃を受け流した、彼女に対して。張り詰めた糸のような緊張が、あたりを支配していた。

 

「……やめだ、やめ。今ここで争ってもどうにもならん」

 

 やがて静寂を破ったのは、マジェコンヌの方からだった。

 

「私だって貴様ら二人を相手にしているほど暇ではない。計画の準備をしなければならないからな」

「計画……? 何のこと?」

「さあな。聞きたければそこにいるもう一人にでも聞いたらどうだ」

 

 にやり、と厭らしい笑みを浮かべる彼女に、アイリスハートが無言で剣を振りかざす。

 蛇腹剣の伸びによる刺突は、けれど彼女の残像を歪ませるだけ。煙のように消えるマジェコンヌの像に、アイリスハートは舌打ちを残して、元のプルルートの姿へと戻った。

 

「にがしちゃったよぉ~」

「大丈夫よ、ぷるるん。どうせ今やり合っていても、どこかで逃げられていたでしょうし。それよりも」

 

 と、パープルハートはいつものネプテューヌの姿に戻って、こちらの方へと振り返る。

 

「ピー子、もう一人の私は!?」

「怪我がひどくて……! さっきから動こうとしないし……!」

 

 そうなんだよな。三人が助けに来てくれてからずっと、ピーシェに支えられっぱなし。いや、意識はあるんだけど体がいうことを聞かないって言うか、意識もそろそろ飛びそうっていうか。

 肩を掴んで揺らしてくるネプテューヌに、微かに開いた口で返す。

 

「ぁ…………」

「大丈夫だからね! すぐに教会まで運んであげるから、それまでの辛抱だから!」

「ちが、う」

 

 違う。そうじゃない。俺の事なんて、どうでもいい。

 だから。

 

「ゆ、め……」

「……え?」

「ネプテューヌの、夢って…………な、に?」

 

 最後に見えたのは、困惑するプラネテューヌの女神の表情で。

 答えの代わりに、まどろみにも似た暗闇が訪れた。

 

 

「あ、起きた?」

 

 ぱちりと目を醒ますと、聞こえてきたのは俺と同じ声。

 視線だけを右に動かすと、そこには椅子に座って俺のことを眺めているネプテューヌの姿があった。いつも通りの明るい笑顔はけれど茜色の夕日に照らされていて、どこか郷愁にも似た雰囲気を感じさせる。

 ……やっぱり美人さんだなあ。可愛いってより、将来は絶対美人になるっていうような、そんな秀麗さ。

 同じ顔のはずなのに、まったく違う雰囲気を纏っているというか。彼女のように在ることなんて不可能に近いというか。身近なように感じて、実は手が届くはずのない、どこか遠くにいるような、そんな存在。

 おそらくそこが(ネプテューヌ)とネプテューヌの、虚構と本物の違いなんだろうな。

 

「えーっと……私の顔になんかついてる?」

 

 あっ、いや、ちがいます。

 見惚れてました、なんて正直に口に出せるわけもなくて、そんなしどろもどろに答えてしまう。

 そんな俺の姿を見て、ネプテューヌはおかしそうにくすりと笑うだけだった。

 

「んもー、のんきだなぁ。昨日まで生きてるか死んでるかもわからなかったのに」

 

 あはは、面目な……ん? まて、昨日?

 何気なく溢したネプテューヌの言葉に、思わず体を動かそうとして、

 

「おゥ」

「あー、まだダメだよ。治るまでにはまだ時間がかかるみたいだから、じっとしててね?」

 

 全身にビキビキと走る痛みに固まってしまって、大人しく彼女に寝かしつけられた。

 うう、素で忘れてた。だってネプテューヌの顔がいいから……顔が良いと全ての概念を忘れてしまう。

 改めて視線をきょろきょろと動かすと、どうやらここは教会の俺の部屋みたいだった。おそらく、落ちた俺をここまで運んできてくれたんだろう。思ったけど俺、ゲイムギョウ界に来てから運ばれてもらってしかないな。なんだか申し訳ないって言うか、早く飛べるようになりたいって言うか。

 まあ、少なくともこんな体じゃ、ここ数日は飛ぶどころか歩くことすらままならないだろうけど。

 

「にしてもあいつは何? もう一人の私が戦ってたってことは、知ってるってこと?」

 

 知ってるって……ああ、そういうことか。

 つまりこの世界ネプテューヌは、まだマジェコンヌと出会ってないみたいだ。

 となるとあれがどのマジェコンヌかも未だに謎だし、情報も掴めないみたい。パープルハートとアイリスハートの二人と戦えるあたり、相当な実力の持ち主みたいだけど。

 

「やっぱり知ってるんだね? じゃあ、あいつの言ってた計画って?」

 

 計画……って、それは……

 

「知らない」

「え? でもあいつは、あなたなら知ってるって言ってたけど」

「……知らない。知っては、いけない」

 

 それは、ネプテューヌの夢を壊すことになってしまうから。もしマジェコンヌの計画を壊そうとするのなら、彼女は彼女自身の手で自らの夢を壊すことになってしまうから。

 それがどういうことかは分からないけど、少なくともネプテューヌは何かを失ってしまうんだと思う。

 それは俺も、きっとネプテューヌも望まないことだった。

 

「……そっか」

 

 拙い言葉での答えになってしまったけど、彼女はそれだけ呟くだけだった。

 ……聞かないの? いや、聞かれても困るし、たぶん答えられないと思うけど。

 

「答えたくなかったら、答えなくてもいいよ。それに」

 

 顔には何か悟ったような笑み。

 けれどそれは悲しみというよりも、どこか託すような笑みで、

 

「あなたは(ネプテューヌ)だから。うまく言えないけど、信じてるよ」

 

 俺の瞳を見つめながら、彼女はそう告げた。

 

「信じる、って」

「きっとまた何か一人でやろうと思ってるんでしょ? だったら、私はそれを止めないよ。きっと私が逆の立場だったら、止めてほしくないって思うもん。だから、これ以上は聞かない。あなたを信じる」

 

 ……そう、か。信じてくれるんだ。

 こんな虚構の女神でも、成り損ないの女神でも、彼女は信じてくれるんだ。

 ならきっと、それに応えるのが俺の使命なんだろう。俺の果たすべき、役割なんだろう。

 

「ありがとう」

 

 気が付けば俺は、潤んだ瞳でそんなことを呟いていた。

 救われたような気持ちだった。手を差し伸べられるような、祝福されるような、そんな。

 俺の言葉に、彼女は一瞬ぽかんとしたけど、すぐにまたいつものような、明るい笑みを浮かべた。

 

「うん! 私も、あなたに会えてよかったよ!」

 

 彼女がそんな言葉を発したと同時。

 俺の右腕が、急に紫の光を放ち始めた。

 

「うわああああ!?」

「ねぷぅううう!?」

 

 さっきまでのいい雰囲気はどこへやら、二人してそんなマヌケな叫び声を上げる。けれど光はすぐに収まって、体を動かすことのできない俺の代わりに、ネプテューヌが恐る恐る布団をめくる。

 果たして、視界に映った俺の右腕には。

 

「あれ……? 女神化してるよ?」

 

 どういうわけか、プロセッサユニットが接続されていた。

 しかもその色は抜け落ちていて、パープルハートのものを白黒にさせたような、そんな味気ないもの。見た限りではノワールのものと同じようにも見える。

 そして何よりも大きな変化が、それまで肘の先までしかなかったのが、腕全体までに及んでること。

 肩までに及んでるそれは、まさしく女神の右腕だった。

 

「……なにこれ?」

「いや、私もわかんないよ」

 

 二人して同じように首を傾げるけれど、それで何とかなるはずもなく。

 

「なんかパワーアップのフラグでも踏んだんじゃない? あ、あの戦闘実は負けイベだったとか?」

「勝てそうで勝てない負けイベほんときらい」

「わかるー! 無駄に体力消費しちゃうっていうかー、すごく気力いるんだよね、ああいうの!」

 

 まあ一番嫌いなのは負けイベかと思ったら普通に勝利しないといけないイベントだったりするけど。

 なんてことを気楽に話せるくらいには、この変化は些事みたいだった。いや、小さくはないんだけど、女神化できる範囲が広がったなー、くらい。理由は分からないけど、純粋に助かる。

 ……と、そんなこんなで。

 

「あ、そろそろみんなに起きたって伝えてくるね? あとお夕飯も運んできてあげる!」

 

 うーん、申し訳ない。元はと言えば自分が無謀にも突っ込んでいったせいだから、より申し訳なさが。

 ……って、あ。そういえば――

 

「夢」

「……うん? どうかしたの?」

「夢を、きいてなくて」

 

 ネプテューヌの夢。守らなければいけないもの。叶えなければならないもの。

 少し考えたようにすると、彼女は普段通りの様子で、

 

 

「プラネテューヌの国民が、いつも通り平和に暮らせることかなっ!」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11 夢の追い人

 

 あれから二年が経った。

 ……しょうがないだろ。本当にこの二年間、何もなかったんだもん。

 それに本編だと章を跨いだら十年経ってたことがあるんだぞ。二年なんてゲイムギョウ界じゃ誤差だ、誤差。気にしてたらシェアに体の半分を持っていかれて死ぬぞ。

 

 とにかく、この二年間はずっとピーシェと一緒にクエストをこなしたり、ネプテューヌと一緒にゲームしたり、たまにイストワールから回される女神の仕事を、プルルートと一緒にこなしたり。つまりはまあ、何の変哲もない平和な日常を過ごしていた。

 何だかんだで友達も増えた。各国の女神候補生とも顔を合わせたし、女神として仕事をする関係で前よりも他国へ行く機会が増えた。もっとも、まだ俺は飛べないから女神化できる誰かに運んでもらわないといけないけれど。

 その時にアイリスハートとよく組まされるのはなんでだろうね。新人だから二人で頑張れってことなのかな。ふざけんな……!

 

 そうやって仕事をしていると、俺も女神として信仰されるようになったらしい。

 らしい、って言うのは俺がシェアエネルギーの上昇を感じられていないってのと、展開できるプロセッサユニットの範囲が一向に増えないから。女神化のできる部位は、この前ネプテューヌと話したとき以来、何一つ変わっていない。でも国民の反応を見るに、ちゃんと俺も信仰自体はされてるらしい。うーん、なんでだろうね。

 信仰されてるってことは国民のみんなとも話す機会が増えてきた。というよりは、ネプテューヌと俺との区別がついてきた、って感じかな。

 びっくりされることはほとんどなくなった。代わりに自分で言うのも何だけど、結構かわいがられてるというか、学校に迷い込んだ猫みたいな扱いを受けるようになった。

 たぶん外見がネプテューヌと同じだから、みんなもそうした接し方の方が慣れてるんだろうけど、やっぱり微妙な気持ちになる。でもこうした国民との関わりと通して、やっぱりネプテューヌはみんなに大切にされているのがひしひしと実感できた。

 

 それと、ほんのちょっとだけど、俺自身のことも見てほしいな、なんて思ったり。

 ……所詮はなりそこないっていうか虚構なんだから、そういう在り方はダメなんだろうけど。

 

 一方で、マジェコンヌについての情報は何も得られていない。

 あの一件以来、各国の女神にも事情を話して協力してもらっているけれど、彼女はプラネテューヌどころか他の大陸でも姿を現していないみたいだ。四人の女神の監視を二年間もすり抜けるなんて相当だけど、彼女たちが目を光らせているお陰で目立った被害がないのも事実。

 でも、いつマジェコンヌが動くかなんてわからないし、やっぱりまだ危険だというのが現状。

 

 それに、彼女が言っていた夢の話もある。

 俺も個人的な聞き込みは続けているけれど、結果は何も出ず。原作にもそんな展開なかったから、アテになるものも何もない。正直なところ、手詰まりって感じだ。

 ……でも、ネプテューヌにあんなことを言った手前、頑張らなくちゃいけないし。こんなところで諦めて、彼女たちの夢を失わせるわけにはいかないし。

 もう少し、頑張らないとなぁ。

 

 

「……あなたも、働き者になったものね」

 

 仕事のために訪れたルウィーの教会で、ブランにそんなことを言われた。

 

「働き者?」

「少なくとも、あちらのネプテューヌよりは」

 

 ああ、まあ……うん、そうだね。確かに言われればそうだ。

 ネプテューヌ、仕事に関してはほんとにサボり気味だからなぁ。ネプギアもネプギアで甘やかしすぎる傾向にあるし。そのせいでまたネプテューヌのサボり度合いが深くなっちゃって、手が付けられないっていうのが現状かな。

 ……ブランが言うってことは俺が来る前からああだったのか。プラネテューヌという国、本当に大丈夫なのか? いや大丈夫じゃねえな。主にイストワールの胃が。

 

「初めて会った時は、いけすかない奴だと思っていたけど」

 

 いけすかないって……でも、そうなんだろうな。

 当時の俺は何も分かってなくて、ただ目の前の状況を受け入れることしかできなかったから。特にブランとはそのせいで一戦してしまったわけだし。そう言われるのも仕方ないか。

 

「でも、今は違う。あなたはきちんと、女神としての役割を果たしている」

 

 そ、そんな手放しに褒められても。俺は俺にできることをしてるだけだし。

 女神としての役割ってやつも、未だに曖昧だし……

 

「……そういう誠実さを、あちらのネプテューヌには見習ってほしいものね」

 

 あー…………

 でも、ネプテューヌはあれでいいんじゃないかな?

 だって急に彼女が大人しくなったら、国民のみんなもびっくりするし。何より、みんな寂しくなると思うんだよね。ああいうおちゃらけたっていうか、底なしの元気さがネプテューヌの長所でもあるわけだし、そこは大事にしてほしいな。

 まあ、彼女は落ち着くことも大事だとは思うけど。

 

「……あなたも、だいぶ毒されてるわね」

 

 毒って……いや、確かにそうだな。

 この二年間、ネプテューヌがいない生活なんて、あまり考えられなかったし。

 

「私も別にネプテューヌが嫌いというわけではないわ。彼女の活発な様は癪に障るときもあるけど、見ていて飽きないし。ただ私が言いたいのは、あなたとネプテューヌは本質的に違うということだけ。それだけの話よ」

 

 …………うーん、と? なんだろう、よく分かんない。

 そりゃ、(ネプテューヌ)とネプテューヌは違う存在なわけだし、それを理解した上で国民も信仰してくれているわけだし。そういった違いは受け入れているつもりだ。

 ブランの話って面白いんだけど、たまにすごく難しい時がある。

 

「きっと、それを理解したとき、あなたは初めてあなたになれるのでしょうね」

 

 俺が、俺に?

 ……やっぱり、分からないや。

 

「無理に理解しなくてもいいわ。それはそれであなたらしいもの」

「……いじわるしてる?」

「そうね、いじわるかも。あなたは弄んでいて楽しいから」

「むぅ」

 

 くすりと笑うブランに、なんだかむっとしてしまう。

 でもあれ? これってつまりブランに言葉責めされてるってわけでは? めちゃくちゃ貴重な体験だぞおい。今すぐこの感覚を全身に覚えさせなければ。

 まあブランみたいなこども女神にいじめられて喜ぶとか、そんなことないけど。

 

「うふぇへへ」

「……あなた、また何か変なこと考えてるでしょ」

 

 へ、変じゃないし……ゲイムギョウ界に住まう者として普通の感情だし……。

 

「まあ、その話は今は置いておくわ。それよりも今は――」

「おねえちゃーーーん!」

 

 ばん、と扉を開くと共に、そんな声が響き渡る。

 振り向いたその先に居たのは、ルウィーの女神候補生の一人、ラムで。

 

「……ちょっと、ラム。今は大事な話をして……」

「つかまえたーーっ!」

「ふぐっ!?」

 

 静かに言いつけようとしたブランの鳩尾に、彼女は物凄い勢いで突っ込んでいった。そのままどんがらがっしゃん、なんてめちゃくちゃな音を立てて、二人が地面へと寝転がる。さっき渡した書類が空中へぶちまけられて、ひらひらと舞っていた。

 …………。

 

「どゆこと?」

「あ~、ねぷちゃ~」

 

 思わず呟いた言葉に返ってきたのは、プルルートの間延びした声で。

 その彼女が手を引いているのは、ルウィーのもう一人の女神候補生の、ロムだった。

 どうやら三人で遊んでいたらしい。何となくそれは分かるが、しかしどうしてあんなことに。

 

「えっとね、さっきまでみんなで鬼ごっこしてたの」

「たのしかったねぇ~」

「そうしたら、ラムちゃんがお姉ちゃんと黒いネプテューヌさんも誘おうって」

「みんなであそぶとたのしいもんねぇ~」

 

 なるほどねぇ~。

 

「なるほどねぇ~じゃねえんだよッ!」

「あはは、お姉ちゃんが怒った! 次はお姉ちゃんが鬼だからね!」

「待てラムっ! ロムも一緒に逃げてんじゃねぇ!」

 

 どたばたと逃げ出すロムとラムに、ブランが目を赤く光らせて、声を上げた。

 そう、二年間の付き合いで気づいたんだけど、ブランって怒るとマジで目が紅くなるんだよ。どうなってるんだろうね。俺も最初はびっくりしたけどもう慣れた。ゲイムギョウ界、慣れるという感覚が非常に重要だ。

 って、そんなこと考えてる場合じゃなくて。

 

「仕事はこれで大丈夫?」

「ああ、報告ありがとな。お陰で二人に説教する時間ができた」

 

 それならよかった。これで胸を張ってプラネテューヌに帰れるな。

 あーでも、もうちょっと聞きたいことが……いやでも、ブランは今忙しそうだし……それに個人的な用事だから、引き留めるのもなぁ。でも、割かし重要なことだし、後に伸ばすのも……。

 うーん、うーん……。

 

「……言いたいことがあるならさっさとしろよ! ウジウジしてんじゃねえ!」

「ごめんなさい!」

 

 ガチギレされた。まじでごめん。

 それじゃあ、えっと……

 

「――ブランの夢って、なに?」

 

 そう問いかけると、なんだか急に周りが静かになったように思えて。

 さっきまでプリプリ怒っていたブランも、急に冷めたような表情になってしまった。

 え、なんだろうこの空気。もしかして聞いちゃダメなこと聞いちゃった感じなのか?

 助けを求めるようにプルルートの方を見るけれど、彼女もわけが分からないようにこてん、と首を傾げるだけ。それは俺と同じ感情なのか、それとも俺に対する感情なのか。

 うう、なんかダメっぽい。聞くんじゃなかったかも。

 

「呆れた。まさか、そんなこと聞いてくるなんて」

 

 はぁ、とため息を吐いてからの、ブランの言葉。

 

「私は女神よ。だから私にとって夢は持つものではなく、与えるものなの。だから夢を見ることなんてない。そんなものを持たなくてもいいような、そんな存在でなければいけない」

 

 女神は夢を見ない。夢を見るということは、自分が不完全だということを表しているから。そんな不完全な存在は、女神になれない。女神は、完全な存在でなくてはならない。

 

「だから、私には夢がないの」

 

 ……ちがう。嘘だ。

 本当は、夢を見たい自分を抑え込んでるだけ。女神という立場に縛られてるだけ。

 そんなことは、ブランの悲しそうな、耐えきれないような表情を見れば嫌でも理解できた。

 

「……じゃあさ、ブランはどんな女神になりたいの?」

 

 聞き方を変えると、ブランはまた面倒くさそうに頭を押さえた。

 

「あなた、今までの話を聞いていたの?」

「聞いてた。それでも、ブランのことが聴きたい」

 

 すると彼女は、一度だけこちらを睨みつけながら、  

 

「今よりもっと変わりたい。優秀な女神になりたい。私にあるのはそれだけよ」

 

 そう、言い切った。

 

「情けない話になったけれど、これで満足かしら」

 

 うーん、今の自分に何か不満があるのかな。別に女神としてはちゃんとしてるし、国民からの信頼も厚いし。二人の妹ともちゃんと向き合ってるし、いい女神だと思うんだけど。

 ……あ。

 

「もしかして、胸とか」

「……あなたは、そういう話をしない人だと思ってたけど」

 

 うう、ごめんなさい。でもそれしか思いつかなかったんだもん。

 

「でも正直に言えばそうなるわ。とにかく、今よりも良い女神になりたい。それは国のためでもあるし、妹のためでもあるし、そして私のためでもある。今の自分から変わること……もしかしたらこれが、私が掲げる夢なのかもしれないわ」

 

 欠点を埋めるんじゃなくて、より高みを目指すってことか。それならさっきのブランの話とも矛盾しないし、納得できる。やっぱり意識が高いなぁ、ブランは。

 

「それで、いきなりこんな話をしたのはどういうこと?」

「え? あっ、えっと、それは……」

 

 あーっと、えーっと、その。

 

「ち、力になれたらいいかな、って……」

「…………そう」

「ブランは一人で大変そうだし、これからもっと仲良くしたい、し……」

「…………ふぅん」

「それで、その…………なんていうか……」

「…………」

 

 うわあ、ダメだ! もっと練習しとくんだった! 絶対に怪しまれてる! ってかバレバレすぎて失望してる感じの視線だし! 「マジかこいつ……?」みたいに引いてるし、ブラン!

 た、頼むから見逃して……おねがい……。

 

「……まあ、あなたには何を言っても無駄だから、必要以上には言わないけど」

「へ?」

「どうしても一人で背負えなくなったら、私たちは必ずあなたの力になるわ」

 

 見透かされてるのか、同情されてるのか。

 たぶん、俺が一人で何かしようってことはバレちゃったんだろうな。そしてその上で、そんな言葉をかけてくれてる。そういうところだぞ、ブラン。やっぱりルウィーなんだよな。

 

「……話は終わりでいいかしら? 私、ロムとラムの説教をしないといけないんだけど」

「ああ……頑張って……」

 

 ぶるぶると震えながら部屋を出ていくブランに、そんな声を送って見送った。

 ブランも大変だなぁ。妹が二人って、考えるだけで忙しそうだ。

 なんてことを考えていると、今まで退屈そうにしていたプルルートが、俺のことを見上げて問いかけた。

 

「ねぷちゃ~、次はどっちにいくの~?」

 

 次は……そうだなぁ。同じ陸続きだし、ラステイションで。

 それにリーンボックスに行くには、ちょっと覚悟が必要だし。

 

「うん、わかった~! それじゃあ~、へんし~ん!」

 

 にぱ、と微笑んだまま、プルルートは眩い光に包まれて。

 

「それじゃあ、一緒にイきましょうねぇ、ねぷちゃん」

 

 ……ほんとに何とかならねえかな、これ!

 

 

「……その、どうしたんですか、黒ネプテューヌさん?」

 

 いや、まあ、その……プルルートが、うん。

 

「プルルート? プルルートちゃんが何か?」

 

 ああそっか、ユニはまだ知らないんだっけ。ってことは幸せなんだね。でも覚悟しとけよ。絶対にセクハラされるからな。その幸福は永遠ではない。絶望によって終焉を迎えるのだから。

 

「どういうことですか……」

「ねぷちゃ~、何のおはなししてるの~?」

 

 全てのものに終焉は必ず訪れるっていう話だよ。

 

「はあ……よく分かりませんけど、とりあえず報告書の方を受け取りますね」

 

 そうだそうだ、忘れてた。別にユニに哲学めいた話をするためだけにラステイションに来たわけじゃないんだ。いやまあ、そのためだけに来てもいいんだけどね。

 

「普通に迷惑ですからやめてくださいね」

 

 なんてにっこりした笑顔を浮かべながら、ユニは俺の差し出した書類を受け取ってくれた。

 ユニ。ユニちゃん。ゆにっち。Uni。うに。いや、うにじゃないわ。

 ラステイションの女神、ノワールの妹。女神になった際の名前はブラックシスター。

 あと特徴なのは……変身すると胸が小さくなるとか? マジでなんでだろうね。かわいそう。

 

「……あの、何を考えてるんですか?」

 

 あっいや、違うんです。別に胸が意外とデカいなとか、そういうのじゃなくて。

 そうだよなプルルート! あれ、いねえ!? どっか行っちゃった!

 

「はぁ……プルルートさんは今さっき、ピーシェさんを迎えに行きましたよ」

 

 え? 何でピーシェが……って、そう言えば用事でラステイションに行ってるとか言ってたな。なんの用事かは知らないけど。

 それにしたってだよ。やっぱりプルルートはピーシェの方が好きなのかなぁ。いや別に、嫉妬してるとかそういうわけじゃないけど、なんというかこう……寂しいな、って。

 

「……やっぱり、慣れないなぁ」

 

 ……え?

 

「えっ、あ、口に出て……? ご、ごめんなさい!」

 

 そ、そんな急に頭を下げなくても……えっマジで何だ!? どういうこと!? もしかして俺、メチャクチャ怖がられてるとかそういうのか!? やめてやめて! 怖くないから!

 

「いえ、その……やっぱりまだ、黒いネプテューヌさんが慣れなくて……」

 

 慣れないって……ああ、もしかしてネプテューヌと同じ姿だから、ってことか。

 二年って長いように見えて、実はそうでもないからなぁ。うちの国でも未だにどっちか分かんないっていう人もいるし。自分では結構違うと思うけど、やっぱり判別がつかない人はつかない。

 それにユニとは特別頻繁に顔を合わせるってわけじゃないし。ロムとラムもそんな感じだったかな。女神候補生、絡む機会があんまりない。別の部活の後輩みたいなポジションなんだよな。

 だからまあ、そう思われるのも仕方ないっちゃ仕方ない。

 

「……ネプテューヌさんはいつも活発で、たまにうるさいくらいに元気なんですけど、黒ネプテューヌさんは物静かで……えっと、別にその貶してるわけじゃなくて、何って言うか……」

 

 別にそこまで落ち込むことではないと思うけどなぁ。俺が勝手にネプテューヌに似ちゃったんだし。いやほんと、なんでだろうね。バグで生成されたのかな? パッチ当てられたら死にそう。

 

「ごめんなさい……しかも私、本人の前でこんな話……」

 

 うーん、だからそんなにしょんぼりしなくても……でも、慣れってこっちが言ってどうにかなるもんじゃないしなあ。だから、これはユニ自身で解決してもらわないと。

 俺も出来る限りの努力はもちろんするし、こっちからも頑張って近づいていくけど。

 自分のペースでやるのが一番だよ、そういうの。

 

「……ありがとうございます」

 

 ……なんか説教って言うか、すごい上から目線になった気がするな。めちゃくちゃ偉そう。いや女神だから偉いのか? だとしてもユニにそんな態度なんて取りたくないし。

 と、とにかく俺はいつでも大丈夫だから! 何が!? いや知らないけど!

 

「は、はい! 私も頑張りますから!」

 

 よし、この話やめよっか! 終わりだ終わり! 

 あ、そういえばノワールはどこ? また仕事でどっか行ってんの?

 

「お姉ちゃんは……はい、そうです。マジェコンヌに関係してる件は、全て私が」

 

 やっぱりそっか。

 ノワールはこの件にあんまり関わっていなくて、主な管理はユニに任せているらしい。でも報告書とかには目を通してくれているし、それがノワールのやり方ならいいのかな。

 でも、ユニ自身はちょっと納得がいっていないようで。

 

「……私、信頼されてないんでしょうか」

 

 それは絶対に違うと思う。仕事の一つを任されているんだし、信頼がないなんてことはない。

 でもまあ、言いたいことは何となくわかるな。正直この仕事、マジェコンヌが現れないせいで定期報告みたいになってるし。こういうと怒られるかもしれないけど、雑用みたいな感じだし。

 

「私じゃなくてもいいんじゃないかな、って思うんです。私はお姉ちゃんみたいになりたいのに、国をちゃんと治められる女神になりたいのに……」

 

 憧れと呼ぶにはひどく昏い。その虚ろな瞳は、羨望のものと呼ぶにはあまりにも黒く、沈んだもの。指先であとを一つ押せば、ぐちゃぐちゃになってしまいそうな、そんな感情だった。

 

「……って、ごめんなさい。私また一人で話しちゃいましたね」

 

 すぐにぱっとした明るい表情で、ユニはそう言った。

 

「じゃあ報告書、ちゃんと受け取りましたから。ありがとうございました」

 

 ぺこりと綺麗なお辞儀をしてから、ふと気になって彼女に問いかける。

 

「そういえば、ピーシェはどこ?」

「ピーシェさん……おそらくギルドの方にいるんじゃないでしょうか?」

 

 あーなるほど、ギルドね……ラステイションのギルド……そうね……。

 ………………。

 

「……送っていきましょうか?」

「おねがいします」

 

 

 そんなこんなで、ユニに見送られてたどり着いた、ラステイションのギルドにて。

 

「あ、ねぷちゃ~!」

 

 真っ先に俺に気づいてくれたプルルートの呼び声で、その近くで話をしている二人もこちらへ視線を向ける。片方はクエストを終わらせたらしいピーシェで、もう一人は……

 

「……ノワール?」

「なんでそこで疑問符を浮かべるのよ。私の国なんだから居てもいいでしょ」

 

 思わず首を傾げると、ノワールはプリプリ怒りながらそんなことを言ってきた。

 いやちょっと、珍しい組み合わせだったから……って、ほんとに珍しいね。どうしたの?

 

「ねぷてぬがここに来てから、モンスターが異常発生したことがあったでしょ? 最近はめっきりなくなったけど。でもまた再発するかもしれないし、その調査をこの国の女神から依頼されてたんだ」

「ピーシェは当事者というか、かなり特殊な例を経験した人間だし。同じような事態になっても、何とかなると思って。それにいざとなれば黒い方のネプテューヌにも連絡できるし、そういった意味も含めて彼女には個人的に依頼してるの」

 

 ああなるほど、そういうことね。だいたい分かった。

 でも、その時の原因って結局何だったんだろう。たぶん俺が関係はしてるんだろうけど、どんな感じで関係してるのかは不明なままだし。でも俺が関係してるってことは、少なからずマジェコンヌも関係してると思うんだよな。ってことは、やっぱりまだ分からないわけで。

 うーん、全ての出来事が彼女に集束してる。そして彼女は未だに姿を表さないまま。

 なるほど、やっぱりよく考えてる。そりゃ迂闊に姿を出せないわけだ。

 

「それについては今まで通り、待つ姿勢を取るしかないわね。それにいつ彼女が現れてもいいよう、この件はユニに任せてあるし。あの子ならきっと、どんな事態にも対応してくれるだろうから」

 

 ……やっぱり信頼してるじゃん。

 

「それはそうよ。私の自慢の妹なんだから。こんなことあの子にしか頼めないわ」

 

 アツいな……ナチュラルに関係性の強さを増している……。やっぱりノワユニなんだよね。

 たぶんネプテューヌという作品の中で一番重いカップリングだと思う。

 

「またどうせ変なことを……とにかく、あなた達はもう帰るんでしょ?」

 

 あ、でもせっかくノワールに会えたのなら、一つ聞きたいことが。

 

「聞きたいこと? ……何よ、そんな改まって」

 

 うーん別に、結構自然体に考えて答えてもらっていんだけど、

 

「ノワールの夢って、なに?」

 

 なんてブランと同じ質問を投げてみると、また同じような静寂。うう、やっぱり女神に対しては変な質問だったのかな。でもマジェコンヌの目的がそれだから、何かしらの手がかりというか、彼女が狙う何かがあるはずだけど。

 でもノワールはしばらく考えたあと、やっぱり肩をすくめて答えた。

 

「ごめんなさい、思いつかないわ。眠ってる時の夢は勿論見るけど、あなたの言いたいことはそうではないんでしょ? だったらそうね、私……っていうか、女神に夢っていうのはないのかも」

 

 ……やっぱりか。ブランもそう言ってたな。

 じゃあ、ノワールはどんな女神になりたいの?

 

「それは、今よりもより良い女神になりたいけど……実は、今でも割と満足しているのかもしれないわ。私は私に出来ることをしているだけ。それだけで充分なのかも」

 

 そこはブランとは違うんだ。今のままの自分を受け入れられる。それって簡単そうに見えて、とても難しいことだと思う。やっぱり、女神っていうのはみんなすごいんだなぁ。

 

「もしかすると私の夢は、女神を辞めた時に初めて見つかるのかもね」

 

 ……それって、もしかして。

 

「あれ、でんわ~?」

 

 ぴこん、と鳴り響くのは三つの通知音。それに気づいて携帯を取り出すと、プルルートとノワールも同じように、それぞれの携帯を取り出した。

 

「ほんとだ、女神の連絡網に何か来てるわね」

 

 女神の連絡網。言っちゃえば各国の女神全員が要れている無料通話アプリのチャット機能。ゲームをするときにすごい便利な感じのアレだ。俺もこれを知ってからは、何度かお世話になっている。いやほんとこれすごいよ、携帯でもPCでもどっちでも使えるもん。

 今更だけど参加者全員が女神のサーバー、やばいな。運営もこんな鯖立てられるなんて思っても無かったろうに。でもチャットしてるのネプテューヌだけなんだよな。基本みんなROM専だし。

 それで、一体何だろう。大抵こういう時って、ネプテューヌが何か変なこと書いてるんだけど。

 

「……ベールさんからだよ」

 

 プルルートと一緒に画面を眺めているピーシェが、そう言った。

 ああ、ベールか。ベールも割と自分からチャットする方なんだよな。それでネプテューヌが反応して、って感じで。ブランとノワールがそれに突っ込む、みたいなのがこのサーバーの流れかな。

 

「またどうせ、くだらないことでも書いてるんでしょ」

 

 それにいつも返すノワールもノワールだけど、言ったら絶対キレるから言わないでおこう。

 それで、ベールさんはなんて…………うん? うん!?

 

 

『聞いてくださいな皆様! ついに、私の夢であった、妹ができましたの!』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12 なぜベールに妹が産まれたのか

大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。今月にあと一話投稿できたらいいな
あとタイトルをちょっと改修したのと、プルルートとピーシェに関連した話を三話から二話にまとめました 急な変更になってしまって申し訳ありません。
次回はなるべく早く……できれば年末に更新したいなって思います。


『聞いてくださいな皆さま! ついに私の夢であった、妹ができましたの!』

『ねぷぅ!? それほんと!?』

『何言ってんのよ』

『あなた、胸に栄養を吸われすぎておかしくなった?』

『ちょっと! ネプテューヌはともかく、どうして二人はそこまで辛辣ですの!?』

『だってベール、あなたに妹って……攫ってきたとかじゃないでしょうね』

『そんなことはありませんわ! 朝起きたらそこにいたんですもの!』

『どんな湧きだよ』

『敵対Mobではありません! れっきとした私の妹です! だって、あの子が自分でそう言ったんですもの!』

『まあまあ二人とも……それで、その妹、っていうのはどんな子なの?』

『ちゃんと話してくれるのはネプテューヌだけですわ……ええと、二人おりますの』

『二人? ってことは双子ってこと?』

『……あり得ない、とは言えないわね。私自身がそうなんだし』

『双子、というには少し歳が離れているような気がしますわ』

『ロムとラムとは違うのね。で、どんな子なのよ』

『文章では説明が難しいですわね……』

『おめでとう、べーるさん』

『誰……ってプルルートか』

『やっぱり子供だからレス遅いね。これからは通話にしたほうがいいかな』

『今する話じゃないでしょ。それで、ベール?』

『そうですわね。では皆さま、一度リーンボックスへ来てくださる?』

『今からなの?』

『私は難しいわ。ロムとラムの世話もあるし、別の日に回してもらっていいかしら』

『こっちはいつでもオッケーだよ! ネプギアも連れて今から向かうね!』

『私たちは……ユニはまだ仕事の処理があるみたい。でも妹っていうことは、新しい女神候補生になるってことよね? だったら私だけでも行って、その確認だけさせてもらうわ』

『プルルートたちは?』

『プルルートとピーシェはルウィーに用があるみたいなので、俺がノワールと一緒に向かいます』

『黒い私、報告ありがとう。向こうで待ってるわ』

『変身するとチャットの口調が変わるのはどういうことなの……』

『私が知る訳ないじゃない。とにかく、私も黒いネプテューヌと一緒に行くから』

『分かりました。それでは、お待ちしておりますね』

 

 かくして。

 

 

 リーンボックスの境界、その正門前にて。

 

「皆さま、ようこそおいでくださいましたわ!」

 

 辿り着いた俺達を迎えたのは、どこか満足そうな笑みを浮かべる、ベールだった。

 他に人影は居ない。それを訝しんだのか、初めにノワールが口を開く。

 

「……言っておくけど、くだらない冗談だったら私、本気で怒るからね」

「私がそんなつまらないことをすると思いまして?」

 

 どうなんだろうね。ネプテューヌの次に茶目っ気はあると思うけどな。割とマジで。

 でも、わざわざ他人の時間を使うような、そういうふざけ方はしないよね。

 

「そういったさりげないフォローをしてくださるのもかわいいですわ、黒ネプちゃん」

「うーん、私の前でそういうやり取りされるの、すごい複雑な気分だな……」

「大丈夫だよ、お姉ちゃん。私も同じ気持ちだから……」

 

 何なら俺もすげえ違和感あるからね。今は表面に出してないだけで。

 でもベール本人に悪気はないみたいだし、やりたいなら俺は止めないけどさ。

 

「とにかくベール、その例の妹って言うのを紹介してくれない?」

「そうですわね。少しここでお待ちになってくださる? 今、呼んできますわ」

 

 なんて断りを入れて、ベールは再び教会の中へ入っていった。

 それにしたって、ベールに妹ができるなんてどういう事態なんだろう。リーンボックスの元になった会社には携帯ゲームは勿論無いし、これから出すって予定も聞いてない。

 それに、女神候補生になるってことは、新しくシェアエネルギーを必要とするってこと。つまり、シェアクリスタルが最低限必要になるはず。イストワールの話だとシェアクリスタルが自然発生したって話は聞いてないし、そこのところを突き詰めれば、プルルートの女神化について、何か分かるかもしれない。

 あれ。でも女神候補生はまだ女神じゃないから、クリスタルは要らないんだっけ?

 いやでも、変身するときはシェアエネルギーを使うはずだし、それだったら……。

 駄目だ、頭がこんがらがってきた。知恵熱が出そうな気がする。

 

 でも、確かなのは、やっぱりここが俺の知ってるゲイムギョウ界じゃないってこと。

 だからベールの妹みたいな、新しいものが産まれることは何もおかしくない。

 それと同時に、俺の知っている何かがこの世界から消えることだって。

 

「お待たせいたしました、皆様」

 

 思考の渦から俺を救ってくれたのは、そんなベールの声で。

 視線を向けた、その先に見えたのは。

 

「み、みなさまはじめまして。私は、ベールと申します。ええと、その……」

「落ち着いてくださいな、ベール。私の真似をしてくだされば大丈夫ですわ。皆さま、はじめまして。ベールと申します。以後お見知りおきを……」

「い、いご、おみしりおきを、ですっ」

 

 …………は。

 

「なんだこいつら」

「おお、黒い私が真っ先にツッコんだ! 相当びっくりしてるね!?」

 

 いや、相当もなにもおかしいだろこれは! なんでベールがそのまま増えてんだよ!

 これこそクローンとかそういう話じゃねえか! リーンボックス怖すぎだろ!

 ああ駄目だ、何か変な熱が出てきた。すげえ違和感。それと妙な既視感。

 とにかく理解が追い付かない。頭の中を、あらゆる情報がぐるぐる回っている。

 

「とりあえず、この子たちがベールの妹……リーンボックスの女神候補生ってことでいいのよね?」

「はい、その認識で問題ありませんわ」

 

 問題しかないけどな。

 

「でも、よかったですねベールさん。前から欲しかった妹ができて」

「ええ、本当ですわ。でも、だからと言ってネプギアちゃんを蔑ろにすることなんてしませんから、安心してくださいな」

「あ……そうなんですか……」

 

 いやまあ、捨てられるよりはいいんじゃない? 大変そうなのは分かるけども。

 まあ実妹フラグは折れたし大丈夫でしょ。これでネプギアを盗られる心配も無くなったな……。

 

「いや、私の妹だからね? 黒い私も私だけどさ……」

「複雑ですのねえ。大変そうですわ」

「あなたのところよりは、まだマシだと思うけど」

 

 そうだぞ、自分のクローンを妹と呼称するよりはマシだぞ。

 というか本当にクローンなの? 今はまだ冗談で言ってるだけだけど、これがマジだったらガチで引くんだけど。完全にイカれてる奴になっちゃう。

 

「クローンではありませんわ。チャットで申し上げた通り、朝起きたらそこにいたんですの。本当は私も驚いてはいるのですよ? それより妹が出来た喜びの方が強いだけで」

「……そこだけは、私たちと同じなのね」

「でも、ベールそのものが産まれるのは不思議だなあ。何か変なものでも食べた?」

「この前、賞味期限が少し切れているブランまんじゅうなら」

「なんでそんなもの食べたんですか……」

 

 たぶん原因それだろ。そうであってくれ。

 

「とにかく、今日からこの子たちがリーンボックスの女神候補生ですの」

「ええ、そうです。ベールお姉さまを継げるよう、精いっぱい努力いたしますわ」

「わ、わたくしもがんばりますっ! お姉さま、よろしくお願いします!」

「ああ……二人とも、イイ! イイですわ! 私がしっかり、姉として二人のお世話をいたします! そして、立派な女神候補生にしてさしあげますわ!」

 

 ひし、と小さいベールと中くらいのベールを強く抱きしめて、一番デカいベールがそう言い放つ。傍から見ればかなり奇妙な光景だったが、当人はかなり真剣なようだった。

 ……まあ、ベールがいいならそれでいいのかな。俺だって最初は色々言われたし、疑われたりしたけど、こうしてこの世界にいられるわけだしなあ。

 目の前にいるのなら、否定しちゃいけないんだと思う。

 少なくとも、俺が否定しては、いけないものなんだと思う。

 

「……それで、話は終わり? 用がなければ私は帰るけど」

「ああ、お待ちになって。これから顔合わせのために、お茶にでもしませんこと?」

「悪いけど、そこまで暇じゃないの。それにユニもいないしね」

「じゃあ私とネプギアは頂いちゃおっかな。ネプギアもそれでいいよね?」

「うん、大丈夫だよ。今日の仕事はほとんど終わらせてるから」

「……みたいだけど、あなたはどうするの?」

 

 え、俺? 俺かあ……。

 正直ベールたちの話は聞きたいけど、プルルートとピーシェの様子が気になるし。

 なんだかちょっと忙しそうだったから、できることなら力になってあげたい。

 

「なら私がルウィーまで送ってあげるわよ。その代わり、このことをブランに伝えておいて頂戴。ブランが顔合わせに行くようなら、私もユニを連れてもう一度来るから」

「なら、ノワールと黒ネプちゃんとのお茶会はまた今度、ということになりますわね」

 

 うーん、なんか申し訳ないなあ。でも今はブランたちルウィー勢も、ユニも居ないし。

 でも仕方ないよなあ。うん、また今度。次に会えるのなら、それでいっか。

 

「では、ネプテューヌとネプギアちゃんは先に教会の中に入ってくださいな。ベールたちは二人の案内をしてくださる?」

「分かりましたわ、ベールお姉さま」

「はい、がんばります!」

「……そういえば、ベールの妹の二人は何て呼べばいいの?」

「こ、小ベールと中ベールとか?」

 

 いくらなんでもそのまますぎじゃないかな、ネプギア。

 まあそれくらいしか思いつかないのもわかるけど。

 

「ほら、何してるの。さっさとしないと置いてくわよ」

 

 ……プルルートじゃない安心感、すごい。

 

 

 あれからノワールに運ばれた、ルウィーの教会にて。

 

「というわけで、ベールの妹である小ベールと中ベールが産まれました」

「は?」

 

 ピーシェたちと合流したのち、事の顛末をブランへと話し終えて、初めて返ってきた言葉がそれだった。

 いや、俺も意味わかんないんだって。だからそんな怒んないで……。

 

「……ねぷてぬ、疲れてるとかじゃない?」

「かえったらいっしょに寝ようねえ~」

 

 違う! 見たもん! 小さいベールと中くらいのベールいたんだもん!

 

「……最近、あなたはそういう冗談を言うようになったから、全て鵜呑みにするわけにはいかないけど」

 

 え、マジで? ブランもそんなこと言っちゃうの? ガチで泣きそう。

 でも冗談は冗談として受け取ってくれてるわけだよね。それなら仲良くなれた証拠かもしれない。

 というかそうやって考えないと普通にツラいからね。泣いてやるからな。

 

「ベールにベールを模った妹が出来たのなら、それは妹ではないでしょう」

 

 その言葉に俺もピーシェも、プルルートも首を傾げた。

 

「例えばネプテューヌの妹はネプギアだし、ノワールの妹はユニでしょ。それに私の妹はロムとラムしかいないし、ピーシェとプルルートだってお互いを姉妹だと認識してる。血の繋がりは関係なく、ね」

 

 ……なるほど、そういうことか。

 

「でも、ベールの妹がベールそのものなのは、明らかにおかしい。そうなると、黒いネプテューヌ。あなたはネプテューヌの妹、もしくは姉ということになってしまう」

「そっか。ねぷてぬは自分のこと、女神の妹って言ってないもんね」

「ねぷちゃは~ねぷちゃだよ~」

 

 うん、そうだ。俺も俺。ネプテューヌじゃなくて、(ネプテューヌ)

 それが正しい在り方なのかは分からないけど、今はそれを受け入れるしかない。

 

「そして更に妙なのは、その二人のベールが自分のことを妹と称していることよ」

「……ああ、そうだね。ねぷてぬと違うところはそこか」

 

 確かに、俺と全く同じ存在ではないと思うけど、それもおかしいもんなあ。

 そう考えるとますます謎だ。ベールの妹がベールになる。一見すれば冗談というか、なんじゃそりゃ、ってなる内容だけど、改めて考えると結構おかしいことかも。

 それにしても、なんでベールに妹が産まれたんだろう。予兆とかそんなものもなかったし。

 ……あ。

 

「夢」

 

 ぼそりと呟いた言葉に、三人が一斉にこちらを向いた。

 いや、あの、別にそこまで重要じゃないっていうか、割とこじつけっぽいんだけど。

 

「いいから話してみなさい。この状況では誰も何も言わないから」

 

 うーん、ほんとはそんなに自信ないんだけどなあ……。

 

「ベールは妹ができたことを、私の夢であった、って言ってた」

 

 そして、マジェコンヌは女神の夢を叶えよう、みたいなことを言っていた。

 それが関係している証拠は何もない。けれど全くの無関係、って飲み込むこともできないし。

 とにかく、気づいた瞬間になんだか嫌な感じがした。ただそれだけ。

 だからそんなに沈黙しないでほしいな。悪かったから。やっぱり言わなきゃよかったっ!

 

「……まあ、理に適っているとは思うわ」

 

 え?

 

「ベールの妹が欲しいっていう願望は前々からみんな知っていたことだし。あなたの証言が正しいのなら、マジェコンヌがそこを狙う可能性も否定できない」

 

 ……つまり、そういうことなのかな。

 

「推測の域を出ないけど、そう考えていいのかもしれないわね」

 

 ベールには内緒にしておいた方がいいのかな。でも、明かすのも酷だと思う。

 だって、あの笑顔は本当に夢がかなったときの笑顔だったから。

 せっかく叶えられた夢を、もう一度手放させることなんて。

 

「とにかく、次は私達もリーンボックスに行くとするわ。会わない限り、どうにも話は進まなさそうだし」

「なら、あたしとプルルートも一緒に行くよ。何かあった時は力になれると思うし」

 

 それなら心強いかな。ピーシェがいてくれると安心するし、プルルートがいてくれたら割とどうにかなるし。被害がこっちにも及ぶこと以外は、割と万能だからな……。

 

「都合のいい日程は追って連絡するわ。それからネプテューヌ、少し話が……」

「ただいまー!」

 

 なんて、ブランの話を遮るように、謁見の前の扉が勢いよく開かれる。驚いて視線を向けたその先には、明らかに扉を蹴り飛ばしたラムと、その後ろでこちらの様子をうかがっているロムの姿があった。

 

「……扉は丁寧に開けなさい、っていつも言ってるでしょ」

「でも、急いでたんだもん! ほらこれ、お姉ちゃんの言ってたお仕事の紙、持ってきてあげたわ!」

「ラムちゃんといっしょに集めたの。これで大丈夫だよね……?」

「……ええ、問題ないわ。ありがとう、二人とも」

 

 二人の頭へそれぞれ優しく手を置きながら、ブランがラムの持ってる書類を受け取った。

 

「あ、プルちゃんとピーちゃんいるじゃない! いっしょに遊びましょうよ!」

「この前、あたらしい本を買ってもらったから……みんなでよも?」

「うん、わかった~! おねえちゃんも、ほら~!」

「えっと、ごめんプルルート、ラムちゃん、ロムちゃん。今日は三人だけで遊んできて?」

 

 なんてピーシェの言葉に、三人が少し残念そうな顔をしたけど、すぐに笑顔でどこかへ遊びに行った。

 ……子供の扱い方、上手いな。俺には見向きもしてくれなかったのに。

 いや、なつかれにくい性格っていうか、立ち位置なのはわかるけどね。やっぱりこう、ちょっと悲しい。

 

「あの子たちもあなたの事は嫌いではないから、あなたから歩み寄れば仲良くなってくれるわよ」

 

 そうなのかなあ。でも……いや、次からはちゃんと仲良くできるように頑張ってみる。

 

「それよりも、あなたに確認したいことがあったの」

 

 え、俺に? 別にブランには何も隠し事とか……いや、ない。ブランにはないはず。てか隠し事してもふつうにバレそうだし。

 

「とりあえずあれこれ考えずに、まずはこれを見て頂戴」

 

 なんてうんうん悩んでいると、ブランはさっきラムからもらった書類を俺に見せてきた。

 なんだろう、これ。ルウィー全体の地図みたいだけど。

 ……まさか、このどこかに宝が眠ってるとか? 

 うわ、どうしよう。俺:八、ブラン:一、ピーシェ:一くらいで手打っとく?

 

「……本当にあなた、毒されてきてるわね」

 

 すいませんでした……でもやっぱりそういうことって思うじゃん……。

 

「あたしがこの二年間ルウィーを調査したとき、変な力の溜まり場みたいな場所をいくつか見つけたんだ。この地図は、その力の溜まり場に印を打ったものなんだけど」

 

 ピーシェに言われるように、俺もその地図を覗き込む。

 ふむふむ、なるほど。プラネテューヌの近くにもあって、ラステイションの近くにもあって、対面の海の方にもいくつかあって、ルウィーの都市の内部にもちょくちょくあって……。

 

「どう思う?」

「……囲われてる?」

 

 見るからに、というか。明らかに包囲されてる感じだった。

 

「これもマジェコンヌの画策なのかしら」

「あたしが気づいたときにはもうこの状況だったから。気を付けないと」

「それくらいは私も解ってるわ。でも、何が来るかの予想すらつかない状況だから」

 

 そうだよなあ。あの人、何してくるか分かったもんじゃないし。

 この世界がゲーム通りではないことも解っている以上、本当に未知の敵になるかも。

 ……でも、なんでこれを俺に? もっと他の女神に相談したほうがいいんじゃ?

 

「確かにそうね。でもこれを私が確認したとき、あなたと話をすると決めていたの」

 

 そう言うと、ブランは改めて俺の眼を見つめながら。

 

「この力はあなたの持つ、シェアエネルギーとは異なる力に似ている」

 

 ……それって。

 

「別に今からあなたの事を敵視するわけではないわ。だからと言って、完全に信用するわけでもない。それにこれは、今すぐ答えを求めるものでもない。けれど、私があなたを信じるため。そして何より、未だにこの世界を彷徨い続けている、あなた自身のために聞いておくわ」

 

 

 

「あなたは、いったい何なの?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13 女神の真実はどこにあるのか

 

 小ベールと中ベール(結局名前はこれで決定みたい)の騒動から、数日後。

 

「……それで、なんであんたは私の国にいるわけ?」

 

 うーん、なんでだろうね?

 じとっとした視線と共に飛んできた質問に、少し考え込んでしまう。

 ネプテューヌは遊んでばっかりだけど、今日はネプギアもオフみたいらしくて、俺が来てから久々の姉妹水入らずの日らしい。その中に入るのもどうかと思って、少し出てくるー、なんてプラネテューヌを後にしたのが数時間前だったかな。

 プルルートとピーシェは、この前の調査の続きでルウィーに行ってるみたい。だからブランも一緒で、今は少し忙しいだろうから、邪魔するのも悪いかなと思って。

 ベールは女神候補生の育成があるし、何より俺が一人で行けないからなあ。

 となると、俺が行けるとこなんて一か所くらいしかなくて。

 

「つまり、暇つぶしに来たってこと?」

 

 あ、ちょっと怒ってる? いや怒るわなそりゃ。俺が悪かった。

 でも邪魔とかしに来たわけじゃないし、何かあったら力になるから!

 

「……そうやって、意欲だけ見せてくれるところはネプテューヌよりマシかもね」

 

 なんて、重たいため息から察するに、ネプテューヌは割とノワールのところに入り浸ってるらしい。ラステイション、割と近いしな。少し行くくらいならアリかも。

 

「そういえば、明日だったかしら。ブランがベールの妹たちと顔を合わせるのは」

 

 ああ、うん。そうそう。これで改めて四女神みんなと顔合わせって感じかな。

 俺の時は一人一人がバラバラだったからいろんな問題が起きちゃったけど、これなら問題ないかもね。いや、問題は別のところにあるんだけどさ。

 ……思ったけど、これって言ったほうがいいのかな。

 

「そういえば、あの二人は変身できるのかしら。まだその姿を見てないから、女神候補生っていう感じがしないのよね。本当に、ベールが増えただけみたいで」

 

 そういえばそうだ。確かに、女神候補生なら変身できてもおかしくない。

 何より、ここに来たばかりの俺だってできたんだし。

 

「……思うんだけど、あなたも結構似たようなものよね」

 

 う。

 それは……否定、できないんだよなあ。

 ベールにおける妹ってのと同じで、俺もネプテューヌと瓜二つの姿をした存在っていう、明らかな異常なんだ。ここに居て、こうして話せるから受け入れられてるんだけど、本当は存在しちゃいけない、ありえない虚構の存在なんだから。

 しばらくの沈黙。見定めるというか、改めて敵意を向けられるような、そんな。

 

 ……ネプテューヌが自由を体現した女神なら、ノワールは絶対を体現した女神なんだろうな。女神として在らなければならない、っていう気持ちが一番強いんだろうし、女神の中で一番、普通の少女として生きたいとも思ってる。

 そして何より、俺みたいな異常の存在を許せないんだと思う。

 初めて会ったとき、俺がネプテューヌじゃないって見抜いたのも、俺のような存在がネプテューヌになれないって理解してたのも、ノワールだからこそなのかな。

 強く、硬い。けれど、一つ崩れれば全てが壊れそうな、そんな脆さを感じる。

 ……もしくは、誰かに崩してほしいのかも?

 

「……なによ、そんなに見つめられても何か出てくるわけじゃないわよ」

 

 え?

 いや、だってノワールが……あ、これ俺が話す番だったの!?

 いけない、コミュ障が発症してしまった。会話のテンポ、とくに女神たちの前に立つと緊張しちゃって掴めないんだよ! みんなめちゃくちゃ顔いいもん!

 ……はあ。

 

「何もしなくても落ち着いてくれるあたり、あなたは疲れなくていいわね」

 

 それでも、その間に何も反応ないのはそれはそれで悲しいの!

 

「まあいいわ。そんだけ元気で暇なら、仕事の一つでも頼もうかしら」

 

 仕事? ああ、全然いいよ。むしろそれくらいないと怠けちゃうからね。

 それにこうやって借りを作れば、ノワールがいつか助けてくれるかもしれないし。

 

「そんなに甘くはないわよ。今の段階だと……そうね、元のネプテューヌと一緒に川でおぼれてたら、こっちの方がマシって理由で助けてあげるかも」

 

 あ、それ解釈違いです……俺は一人で死ぬので、どうかネプテューヌを助けてあげてください……そうしてくれないと生きる意味がなくなるので……。

 

「なんで急に素に戻ってんのよ!」

 

 だっ……だって仕方ないじゃん!

 

「ああもう! とにかく仕事あげるから行ってきてちょうだい! 内容はプラネテューヌとの間の洞窟にあるモンスターの駆除! それが終わって連絡してくれれば、その足でプラネテューヌに帰っていいから!」

 

 え、そんなざっくりでいいの? もっとこう、細かい指示とか……。

 

「いいからとにかく行ってきなさい! いいわね!?」

 

 かくして。

 

 

「そぉ――れっ!」

 

 掛け声と同時に、左手の盾を振り下ろす。鈍い手応えと同時にぐらりと地面が揺れて、ようやくエンシェントドラゴンが倒れてくれた。

 うん、やっぱ頭ブン殴るのが正解だな。特に俺は遠距離できないし、飛べるわけでもないから、近づいて急所を殴るのが一番効率いい。というかそれしかできない。

 やっぱり暴力……暴力は全てを解決してくれる……!

 筋肉最強! 力こそパワー!

 ………………。

 

「はあ」

 

 暗がりに響く俺自身の声に、何だか虚しくなって、息が漏れる。

 やっぱり一人は寂しいよ。皆を知ったから、ってのもあるけどさ。

 そう考えると、一人でも笑顔で居られるネプテューヌって、本当にすごいと思う。

 ……やっぱり、一番近くにいるようで、一番遠くにいるようにも、思える。

 それこそ本当に、天から微笑みを浮かべるだけの、女神のような。

 

「……それにしても」

 

 なんてひとりごちながら、ふと周囲へと視線を向ける。

 洞窟の中に散らばってるのはモンスターの死骸っていうか……ドロップ品って言えばいいのかな。それ自体は別に、何も変なことじゃないんだけど。

 

「こんなにいるのはおかしいよなぁ」

 

 とんでもない量だった。ドロップ量増加で遊んでたらオブジェクト過多でゲームがクソ重くなるくらいの、そういう感じ。インベントリに収まり切らないくらいの。

 つまり、それだけ敵の数が異常だったってこと。一体一体はそこまで強くなかったから疲労とかは全然ないけど、かなりの量が居たことは覚えてる。

 それに極めつけは、この最深部に居たエンシェントドラゴンで。

 

「うーん」

 

 そもそも、こんな大きなドラゴンがこんな洞窟に入ることなんてあるのかな。

 いや、巣なら巣でいいんだけど、だったら他のモンスターを攻撃しててもおかしくないよなあ。モンスター同士で仲がいいなんて聞いたことないし。

 こんなに縄張りを荒らされてたら、普通はもっとキレてると思う。でも俺が来たときは別に他のモンスターと喧嘩なんかしてなかったし、むしろ仲良く、って言うか一緒にいたからなあ。

 こっちを見て真っ先に攻撃してきたあたり、そんな温厚な個体でもなかったし。

 どういうことなんだろう。考えるたびに違和感が。

 

「あれ?」

 

 なんて考え事をしていると、ふと洞窟の奥から何かを感じた。

 見えてるわけじゃない。音もなければ香りもないし、風とかが吹いたわけでも。

 この先に何かある。得体の知れない、けれど俺が感じることのできる何かが。

 気が付けば歩いていた。引き寄せられるというか、そんな感じ。

 ……もしかして、洞窟にいたモンスターも、こうやって釣られてたのかな?

 

「これか」

 

 やがてたどり着いた先にあったのは、小さい結晶だった。

 大きさは親指より少し小さいくらいかな。シェアクリスタルみたいに菱形をしてるけど、表面が曇ってて先が透き通ってるわけでもない。

 そんな奇妙な物体が、地面に突き刺さっていた。そしてその周囲には、その結晶から吐き出されているであろう、黒い靄みたいなものが充満している。

 ……爆発するとかじゃないよね? さすがの女神でもそれは死ぬかも。

 というか本当に何なんだろうこれ。ゲームの中でも見たことないけど。

 なんて、自分でも迂闊だと思うけど、それを拾い上げようとした瞬間。

 

「うぉ!?」

 

 視界が一瞬で暗くなる。それが周囲の黒い霧によるものだと気づいた時には、既に体全体が覆われていた。ああ、ヤバい奴かもこれ。ワンチャン死ぬかも。いや、それはさすがにまずいな。

 でも、痛みとかそういうのはない。むしろ、なんだか心地いいような……?

 

「……あら?」

 

 なんてどうしようかと考えていると、急に視界が晴れた。

 え、なんだこれ。どういうこと? 単純にドッキリみたいなやつ? 個人的な感想になるけど分かりにくいドッキリってマジでダルいからやめてほしいんだけど。

 というより、黒い霧は? さっきまであんなだったのに、今はどこにもない。

 困惑したまま足元へと視線を落とすと、透き通った結晶が一つ。

 …………。

 

「吸い取った?」

 

 その表現が正しいのかは分からないけど、そういうことなんだと思う。

 どういうわけかあの黒い靄が、俺の体の中に入っちまった。やばい、どうしよう。コンパに言ったら治してくれるかな。でもその前に死んじゃうかも。

 あ、そう考えるとめちゃくちゃ怖くなってきた。こういう時に一人なの、寂しくなるな。

 

 ……けど、今のところは大丈夫みたい。むしろちょっと調子がいいくらいだ。

 いや、それもおかしくないか? なんだアレ吸ったら調子がよくなるって。

 あーでも、なんだかいい感じするかも。気持ちいいとかじゃなくて、なんか。

 この状態が永遠に続ければ、俺は本当の俺でいられるような。

 

「……もしかすると、これって」

 

 俺の力そのもの、なのか?

 ブランの言っていた、シェアエネルギーとは異なる力。今、ルウィーの全域において確認されている、未確認のエネルギー。おそらくこれが、そうなんだと思う。

 ここは別にルウィーに近いってわけじゃない。プラネテューヌとラステイションの間にある山の洞窟だから、ルウィーとは全く無関係の場所だ。

 でも、ここに俺の力があるってことは、つまり。

 

「ゲイムギョウ界、全体の問題ってこと?」

 

 

 俺の小さな呟きだけが、洞窟の中に響いていた。

 誰も、答えてくれることは、なかった。

 

 

 翌日。

 

「……ほんとにベールなのね…………」

 

 例の光景を目の当たりにしたブランは、改めて呆れたような表情で、そう告げた。

 まあ最初は誰でもそうなるよな。妹とか言ってるけど外見めっちゃベールだもん。突っ込まずにいられない方がおかしいよな。俺もそう思う。

 でも悲しいかな、現実は非情なり。

 

「すごいすごーい! ほんとにベールさんそっくりだわ!」

「眼の色も、髪の色もほとんどいっしょ……」

「あ、あの、お二人ともっ……その、そんなに見つめられると、わたくし……!」

 

 ロムとラムに挟まれて、小ベールがそんな感じでちぢこまる。

 こっちはまだ子供っていうか、人見知りが激しいんだな。昔のベールがこういう風だったのか、はたまたこの個体だけが持つ個性なのかは分からないけど。

 

「こっちは私達と同じくらい? 大人、ってわけでもないわね」

「そうですわね。でも、体の度合いで言えば私が一番かもしれませんわ」

「あ、あはは……確かにベールさんだ……」

 

 ネプギアとユニに対して、中ベールがむん、と胸を張ってそう言った。

 ……確かにあるな。あの年でアレって相当だ。いやべつに、うらやましいとかそういうわけじゃなく。

 中ベールは割と成熟してるっていうか、自分に自信がつき始めたころなのかな。生意気って言ったらアレだけど、冗談が先走ってるっていうか。こっからもう少し成長して、今の落ち着いたベールになるんだろうなあ。

 

「微笑ましいですわね。ネプギアちゃんたちも、妹と仲良くしてくださってるみたいですし。これからもああやって、手を取り合ってくれることを願いますわ」

 

 ……まあ、今のところは、って感じだなあ。どうなるか分からないけど。

 なんて心の中だけで呟いて、机の上に置かれたカップを傾ける。

 うん、すごい美味しい。やっぱりベールの淹れる紅茶が一番かもなあ。

 

「そう言ってくださって嬉しいですわ。ささ、お菓子も食べてあげてくださいな」

 

 ずい、と押し出されてきた大皿には、クッキーが山ほど。

 

「うわ、すっごい量! こんなに焼いたの?」

「ええ。本日はお客様が大勢いますから」

「……確かにそうね。女神全員と、その候補生も勢ぞろいだもの」

「マジェコンヌの問題も解決してないっていうのに」

「その件ですが」

 

 なんて、大皿を囲んで、ベールたちの四人が真剣な表情になって話し始めた。

 うーん、会話に乗り遅れた感じあるなあ。

 

「お姉ちゃん~、それとって~」

「ん。ほらプルルート、あーん」

「あ~ん」

 

 ぱくり。

 

「ん~、おいし~」

「そうだね、本当に美味しい。私ももうちょっと頂いちゃおっかな」

「わたしも~」

 

 プルルート、プルルート。

 

「ん~? ねぷちゃ~?」

 

 ほら、あーん。

 

「あ~ん」

 

 ぱくり。

 

「おいしい?」

「うん~おいしい~」

 

 守護(まも)らねば…………。

 

「……ねぷてぬ、すごい顔してるよ?」

「抑えきれないもん」

「いや、だとしても相当だったけど……」

 

 そんなにか。いや、だからといって俺は止まらんけどね。

 何があっても守護ってやるからな……俺が傍にいてやるから。

 

「ちょっと、黒い方! 今の話聞いてたの?」

 

 え? ノワール? 今の話? いや全然聞いてなかったけど。

 てか俺関係あったのか。難しいし無知だったから入らないようにしてた。

 

「今ね、ルウィーで発生しているエネルギーの発生源について話してたんだ」

「少なくとも、あなたが関係ないという訳ではないから、大人しく聞いてなさい」

 

 あ、それなんだけどさ。

 昨日ノワールにモンスター退治しろって言われたじゃんか。

 

「ええ、そうだけど……」

 

 あそこに一つあったよ。そのエネルギーの発生源。

 

「はあ!?」

 

 そんで俺が触れたら、なんか無くなっちゃった。

 

「……アレに触ったの? 迂闊にも程があると思うけど」

 

 いや俺も触れるとは思ってなくてさ、まさかこんなことになるなんて。

 あ、そうだ。多分あそこだけじゃなくて、ラステイション付近にも一杯あると思うから。もう少し調査進めといたほうがいいと思うよ。

 

「それで、そのままウチに帰ってきたの?」

「うん」

「なんで私にそれを報告しなかったのよ!」

 

 だ、だって帰っていいって言ったじゃん……!

 それに、今日言えばいいかなって思ってたし、実際伝えられたし。

 

「遅いわよ! その間に何かあったらどうするつもりなの!?」

「……やっぱり、毒されてる」

「普通に何食わぬ顔で帰ってきたから、私も分からなかったよ……」

 

 え、え? そんなに変なのか? いや、確かに面倒だと思ったのは悪かったけど。

 これからはちゃんと報告するようにするから。反省します。

 

「ならクッキーを食べる手を止めたらどうなのよっ! あんた喰いすぎ!」

 

 だ、だってハチャメチャに美味しいもん……ほらプルルート、あーん……。

 

「駄目だよ、プルルート。虫歯になっちゃうし、餌付けされちゃう」

「えづけ~?」

「……子供相手に、恥ずかしくないの」

 

 だって……だって……!

 でも本当に旨いんだよね、このクッキー。紅茶にも合うし。

 ベールって割と何でもできるよね。何だかんだ女子力高いしさ。

 

「いえ、それはあの子たちが焼いてくれたものですの」

 

 そう言って、ベールが小さいベールと中くらいのベールの方へと視線を向ける。

 すると彼女たちはこちらの視線に気が付いたのか、とことこと歩いて寄ってきた。

 

「え、ええと、皆様のお口に合いましたでしょうか?」

「まあ、この私にかかれば当然ですわ。皆さま、ごゆっくりどうぞ」

 

 うん、本当に美味しいんだよな。さすがはベールの妹。

 

「そうでしょう、そうでしょう? もっと褒めてあげてくださいな」

「随分と可愛がってるね。でもまあ、ベールに妹が出来た、って考えれば当然か」

「……年下だったら、誰でも良かったんだ。私じゃなくても……」

 

 ほらネプギア。こっちおいで。

 ……最近は俺の胸で泣くの、躊躇わなくなったよな。いやまあ、そうやって俺に預けてくれるってことは、ある程度信頼されてるってことだから、嬉しいんだけど。

 オイオイエンエン泣き始めたネプギアの頭を撫でてると、ベールは紅茶を喉に下しながら、改めて口を開いて。

 

「本当に、妹が出来て心強いですわ。私の教えたこともすぐに身に着けますし、女神としての振る舞いもちゃんとできていますし。国民の皆もこの子たちを受け入れてくれたようで、本当に……本当に」

 

 かちゃり、とカップの擦れる音がした。

 

「もう、私一人ではありませんのね、この国は」

 

 ……それは、つまり。

 

「そうですわ、お姉さま。もう一人で頑張らなくても大丈夫です」

 

 誰よりも先に、中くらいのベールがそうやって、ベールへと声をかけた。

 

「べ、ベールお姉さまは今まで頑張ってきたんです。ですから、これからは私たちのことも、いっぱい頼ってくださいね? この国のためにも……」

「ええ、そうさせていただきますわ。ありがとうございます」

 

 小ベールの頭を撫でながら、ベールが柔らかく笑う。

 ……なんだか、それが儚いような、弱々しいものに見えたのは、気のせいかな。

 いや。きっと気のせいじゃない。ようやく、ああやって笑えたんだ。

 ずっと一人だった。跡継ぎもいないまま、たった一人で国を背負ってた。

 だから、妹が欲しいっていうことは、そういうことだったんだと思う。

 ……心の許せる場所が、欲しかったんだ。ベールは。女神として在らなくてもいいような、ずっと安らげるような、そんな。一人ではない安寧が、必要だったんだ。

 もしかすると、それがベールの女神としての夢だったのかも。妹が欲しいっていう夢の裏に隠れた、本当の夢。一人でいるからこそ明かせなかった、心に秘めた夢。

 そして今、その夢が叶えられて――いや。

 

 夢が、叶う?

 

「もう大丈夫ですわ、ベールお姉さま。これからは私たちがいますもの」

「そうです、ベールお姉さまの妹として、ちゃんと役目を全う致しますから」

 

 ぞわり、とした。

 なんだろう。言葉は正しいのに、ちゃんとベールを思いやってるはずなのに、どうしてかそれ以外が違和感だらけだった。分からない。これの違和感が何を意味してるのかは分からないけど、このままでいることは、絶対に駄目だと思った。

 

 少なくともただ一つ、これだけは確実に言える。

 あれは、ベールの妹なんかじゃない。

 

「ですから、お姉さまはもう大丈夫ですの。ゆっくり、ゆっくりお休みになって」

「その分は私たちが精一杯頑張ります。ベールお姉さまがしていたように、女神としてこの国を導いてさしあげますから」

 

 ――まずい、のかも。

 右手にプロセッサユニットを接続、そのまま盾を展開。残ったエネルギーは足首に回して、すぐに動けるように。間に合うかは分からないけど、やるしかない。

 だって、そうじゃないと、ベールの夢が――叶ってしまう、から。

 

「私たちは女神候補生。女神を継ぎ、新たな女神となるもの」

 

 ベールへと向き直っている中ベールは、右手を上に掲げながら。

 

「ですから、お姉さま?」

 

 

 

「もう、この国にあなたは要りませんわ」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14 彼女の最後の夢とはなにか

 

 ――気が付けば、体が地面に叩きつけられていた。

 

 ……なんで? いや、何があった?

 確かベールが中ベールに襲われそうだったから、急いで助けに行こうとしたのは覚えてる。盾もちゃんと展開して、プロセッサユニットも装着して、万全の態勢で迎撃したはず。それなのに。

 結論から言えば、間に合ったんだと思う。ベールを後ろへと突き飛ばして、変わりに俺が中ベールの攻撃を受けたんだ。盾に伝わる衝撃も、金属がぶつかり合う音も、ちゃんと覚えてる。

 じゃあ、なんで俺は倒れてるんだ?

 ……もしかして、単純に力で押し負けたって、こと?

 

「っ!」

 

 すぐさま仰向けに体を向けて、盾を正面に。

 次の瞬間、中ベールの振り下ろす槍が盾を貫通して、俺の頬を切り裂いた。

 ……え、この盾って壊れるの!? そんなの聞いてないんだけど!

 いや、壊れない保証なんてどこにもなかったけどさ! それにしてもだよ!

 でも。

 

「捕まえたっ!」

 

 血の付いた切っ先を盾とは反対の手で掴み、そのまま両足にプロセッサユニットを接続。地面を勢いよく蹴りつけて、中ベールの背面へ回り込むように跳び上がる。

 これで、何とか足止めを――

 

「甘いですわ」

 

 ぼそり、と呟いたかと思うと、中ベールが盾に突き刺さったままの槍を、強引に自分の方へと引き寄せた。それに釣られて俺の体も持っていかれて、もう一度地面へと叩きつけられる。

 頭に衝撃、それに次いで全身に重い痛み。受け身すら取れなかった。

 槍も無理やり引き抜かれたし。ああくそ、力の差が出すぎだよこれ。弄ばれてる。

 立ち上がるのも難しい。けれど、なんとかして体を持ち上げようとしたその時、何かが俺の真上をひらりと舞った。

 ……まずい!

 

「まったく、中くらいのお姉さまはせっかちなんですから」

 

 宙を跳ぶ小ベールが、中ベールと同じように右手へ黄金の槍を握る。

 その切っ先が向かうのは、彼女を見上げる本物のベールで。

 

「逃げてッ!」

「はあ……」

 

 え、そこで生返事!? 生命(いのち)の危機が来てるのに!?

 頼むよマジで! 紅茶の飲みすぎで頭緩くなったんか!?

 

「お別れですわ、お姉さま」

 

 駄目だ、今からじゃ間に合わない。それ以前に、体が言う事を聞いてくれない。

 頼むベール、お願いだから、逃げて――

 

「逃げる必要が、どこにあるのでしょうか」

 

 がぎん、と。

 身動き一つせず、虚空から取り出したベールの槍が、小ベールの槍を受け止めた。

 ……え、どゆこと?

 

「二人とも、反抗期には少し早すぎませんこと?」

 

 ため息をひとつ、そのままベールが小ベールを吹き飛ばす。小ベールも一瞬だけ驚いたような声を上げたけど、ちゃんと体勢を立て直して、地面に着地。それが丁度、中ベールのいる位置だった。

 二人のベールと一人のベールが睨み合う。片方は完全にやる気の眼だけど、対するベールはどこか平坦な、冷め切った眼をしていた。

 そうしてもう一度ため息を吐いてから、ベールが呆れたように口を開く。

 

「まず一つ。二人とも、敵意を隠すのが下手すぎですわ。どれくらいかというと、ここに来てからずっと私のことを狙っているのが丸わかりなほど。バレバレすぎて、こっちが恥ずかしかったですわよ」

 

 ……は?

 そんなこと、一言も聞いてないんだけど? え、なに? ドッキリなの?

 皆も何も言わないし。もしかして分かってなかったのって、俺だけ?

 つ、次からはちゃんと見るようにしよう……恥ずかしくなってきた……。

 

「そして二つ。攻撃を仕掛けてくるタイミングが迂闊すぎますわ。どうしてこれだけの女神が揃っている場面で実行しようとしたんですの? 確かに隙を晒したかもしれませんが、それにしたって無謀すぎますわ」

 

 ほら、とベールが手で示した先には、既に戦闘態勢に入っている皆の姿が。

 女神化はしてないっぽいけど、それぞれ武器を持って、小ベールと中ベールのことを囲んでいる。

 

「……やっぱり、何かやらかす気がしたのよ。こんなに早いとは思わなかったけど」

「起きたものは仕方ないでしょ。ユニ、もしどっちかが逃げ出したら足止めは頼むわ」

「うん、任せてお姉ちゃん」

「じゃあ私はユニちゃんの護衛するね。近距離戦は任せて!」

「おお、やる気だねネプギア! って、あれ? これだと私ボッチにならない?」

「じゃあネプちゃんの護衛は私達がやるー!」

「死んじゃっても、生き返らせてあげるからね……?」

「いや、死にたくはないかな……まあ、こんだけいれば大丈夫だと思うけどね」

 

 え、なに? もしかして何も準備できてないの、マジで俺だけ?

 いや確かにブランが怪しいって言ってから警戒はしてたけどさ、そこまで用意する?

 でも悲しいかな、準備をしてないから俺はこんだけやられてるわけで。

 ……次からはちゃんと迎撃できるようにしておきます、はい。

 なんて一人反省会をしていると、ベールは俺の前へ槍の先を差し出して。

 

「皆さま、手出しは無用ですわ。これは私の国の問題ですもの」

 

 え。

 

「でも、逃げられたら……」

「私を倒さずしてこの国の女神になれるとは、あちらも思っていませんでしょう」

 

 ……もしかして、怒ってる?

 

「かもしれませんわね。どうやら、私が一人で国を治められない軟弱女神と見られたようで」

 

 ああ、それは俺もキレるわ。ベールはな、このリーンボックスの女神なんだぞ。女神候補生がいないからってなんだよ。逆に女神候補生がいたらちゃんとした女神なのか? 妹に仕事全部押し付ける女神だっているんだぞ。あまりナメるなよ?

 

「ん? 今馬鹿にした? ねえ黒い私、今心の中で私のこと馬鹿にしなかった?」

「いや全然そんなことないですけど」

「めっちゃ早口じゃん! そういう時の黒い私って図星だからね!」

 

 だ、だって……。

 

「……でも、一人で辛かったのは、本当のことではありませんの?」

 

 敵意はなかった。含みのない純粋な疑問が、中ベールから投げられる。

 

「私たちには分かりますのよ、お姉さま。誰かに縋ることもできず、誰かに褒められもせず、一人で全てを背負うしかなかったあなたの苦しみが。あなたの本当の望みが」

「……寄り添って、ほしかったんですよね? 心を許せる誰かが、お姉さまの悲しみを受け止めてくれる誰かが、必要だったんですわ。だから、私たちはここにいますの」

「ですからお姉さま、もうお休みになってくださいな」

「あなたが女神である必要は、一人である必要は、どこにも――」

 

「違うよ」

 

 ……それだけは、違うんだ。間違ってる。意味がないんだよ。

 

「黒ネプちゃん? あなた、怪我は……」

 

 ううん、大丈夫。そんなこと、今は関係ないよ。

 厚かましいかもしれないし、俺が言えることじゃないかもしれない。

 でもね、勘違いしてる輩にははっきり言ってやらないと。

 

「……ベールは、君たちが思ってるよりも強いひとだよ」

 

 もしかするとそれは、俺の想像を遥かに超えてしまうくらいに。

 

「確かに妹も跡継ぎもいない。でも、だからこそ女神としての在り方を全うしてる。一人だけっていう不安なんて吹き飛ばして、国のみんなを導ける。それだけの力が彼女にはある」

 

 ……ネプテューヌが自由、ノワールが絶対なら、ベールは唯一なんだと思う。

 でも、それは寂しいって意味じゃない。たった一人でも、このリーンボックスの女神としていられるっていう、強い意味。

 

「それは誰にでもできることじゃない。少なくとも、君たちにできることじゃない。これは、ベールがベールっていう女神だからこそ、できることなんだと思う」

 

 結局さ、何が言いたいかってのは。

 

「例えその不安や寂しさを預けられる人ができたとしても、ベールが女神を止めることなんて、絶対にあり得ないよ」

 

 ええっと、あとは、うーんと。

 

「……黒ネプちゃん、もうよしてくださいな。聞いててこっちが恥ずかしくなってしまいますわ」

 

 なんて苦笑を浮かべながらのベールの声に、そこで初めて自分が熱弁していることに気が付いた。

 あ、ごめん! もしかして喋りすぎた!? 元々がオタクだからその、話を始めると長くなっちゃって! 何事も全力プレゼンっていうか、話しすぎちゃうって言うか!

 

「問題ありませんわ。黒ネプちゃんの言ってくれたことは、全て本当のことですもの」

 

 そうなの? よかった、解釈一致です。

 一人で胸を撫で下ろす俺の隣で、ベールは改めて二人のベールへ向き直って。

 

「言い忘れましたが、三つ。確かに私は一人ですわ。何度も不安になったり、寂しくなったこともありました。でも、だからと言って退くわけにはゆきませんの。なんて言ったって、このリーンボックスの女神は――」

 

 光。淡い緑の輝きと共に、俺の目の前に現れたのは。

 

「このグリーンハート、ただ一人しかいませんもの」

 

 ……綺麗、だった。

 完成された女体美って言えばいいのかな。豊かさを象徴するようなその体を包むのは、純白に染まるプロセッサユニット。背負うのは薄い桃色に染まった三対の翼で。その中央に尾を引くように、纏められた緑の髪が揺れている。

 佇まいは雄大というか、優しく包み込むような、悠然としたさま。

 それこそ、女神のような。全てを包み込むような、慈愛に満ちた在り方だった。

 

「さ、黒ネプちゃん。あなたも一緒に」

 

 ……え、あ、はい! 分かりました!

 いけない、こんな状況で見惚れてたなんて、口が裂けても言えない。

 でもいいのかな。これはベールの国の問題って言ってたけど、俺が割り込んでも。

 

「あれだけ言ってくれたんですもの。その覚悟はお在りですわよね」

 

 そ、それはそうだけど……。

 ちらり。

 

「いけー、黒い私! ぶっ飛ばしちゃえー!」

「黒いお姉ちゃん、私も応援するから! 頑張ってね!」

 

 え、そんな応援ムードなの? プロレスとかそういうノリなのか、これ。

 他の皆も黙ってるけど、なんか俺に任せるみたいな感じだし。

 ……でも、それなら。ベールがそうやって言ってくれるなら。

 

「いいよ」

 

 ――プロセッサユニット、再接続。

 シェアエネルギーも充填完了。シールドの損傷部分も修復して、準備万端。

 ……よかった、エネルギー回せば直るんだ。ぶっつけ本番で成功してよかった。

 さて。

 

「行きますわよ!」

 

 そうやって飛んでいくベールの後に続いて、地面を蹴った。

 最初にベールと中ベールが衝突、そのまま二人が上空へと舞い上がる。

 となると小ベールは俺か。どうやら本格的に全部を任せてくれるらしい。

 そのまま正面から盾で殴りつけると、小ベールはすぐさま槍を構え、俺の攻撃を受け止めた。

 

「……どうして、ですの?」

 

 それは、何が?

 

「どうしてお姉さまは分かってくれませんの!? お姉さまの寂しさは本当のはず! 否定できるはずがありませんわ! だって、私たちはそれを誰よりも一番、理解できますもの! 私たちは、そういう存在なのですから!」

 

 押し返される。そのまま突き出された槍を間一髪で回避。肩が少し切り裂かれた気もするけど、それに構ってる暇はない。

 ……やっぱり、戦力差はあるなあ。でも、得物が得物だ。

 懐に入り、構えた盾で体を撃つ。そのまま吹き飛ばそうとしたけれど、すぐさま体勢を立て直されて、振りぬいた右腕を再び槍で受け止められた。

 

「私たちはお姉さまの夢の具現! お姉さまが望んだはずの、妹なんですのよ!? なのにどうして、お姉さまは私たちのことを受け入れてくださらないの!? 私たちが救ってあげるのに! 夢がやっと叶うのに! お姉さまを助けられるのは、私たちだけしかいないのに! どうして! どうして――」

 

 それはね。

 

「君たちが、夢だからだよ」

「……え?」

 

 そもそも、ベールの妹はベールじゃない。ベール以外の誰かにしかなれないんだ。

 だけど、君たちはベールの夢が具現化したものとして、彼女の前に現れた。

 

「夢は、夢なんだよ。それを、ベールは分かってるんだ」

「……それ、は」

「確かにベールは一人でいるのが寂しかったから、妹が欲しいって願ったのかも。でも、それだけ。ベールが見てるのは、妹たちに囲まれている夢じゃなくて、たった一人の女神でいる現在(いま)なんだ」

 

 たとえ、悲しみに暮れたとしても。寂しさに包まれたとしても。

 

「だから夢である君たちの言うことなんてこれっぽっちも受け入れないし、これからもベールは一人で、リーンボックスの女神として過ごすんだと思う」

 

 それは、その寂しさも悲しみも、全てを背負っていくということ。

 残酷だと思う。それでもベールはそれを選んだ。だから女神になったんだと思う。

 ……夢は、夢だからこそ、美しいのかもしれない。

 

「あ、あ……そう、でしたの? 私達では、お姉さまを救えない……?」

 

 それも違うよ。救えないんじゃない。

 ベールは最初から、救ってもらう必要なんて、なかったんだ。

 

「……そう、でしたの。私たちの勘違いでしたのね」

 

 敵意は既に消えていた。全てを悟ったようにして、小ベールが空を見上げる。

 その視線の先にあるのは、矛を振るいながら一人で戦い続ける、グリーンハートで。

 

「やっぱり、私のお姉さまは素晴らしいお方ですわ……」

 

 ふわり、と。

 そよ風に舞い上がる木の葉のように。小ベールの体が一瞬にして、静かに黒い煙へと変わる。

 何かを告げることすら、できなかった。それこそ、淡い夢のようで。

 

「あ」

 

 手を翳したその瞬間、小ベールだった黒い煙が、俺の体へと吸い込まれていく。

 そして、()()()()()()()()が、俺の体へと宿ったような気がした。

 ……んー? なんだ、これ。前はこんなのなかったのに。

 すごくもやもやしてる。でも、何か一つのきっかけがあれば、すぐに分かりそうなもの。

 駄目だ、すごい違和感。今は考えないようにして――

 

「くっ!」

 

 ずどん、なんて音が背後から聞こえてきて、思わずそちらへと体を向ける。

 土煙の中に居たのは、膝をつきながら、上空を仰ぐグリーンハートだった。

 

「その程度でしたの? この国の女神の力というのは」

 

 声のする方へと視線を向けると、そこに居たのは俺達を見降ろす中ベールで。

 ……え、なに? もしかしてベールも圧し負けてる感じ?

 

「認めたくはないですけど、そうらしいですわ。妙にこちらと相性が悪いといいますか……」

「それはそうですわ。だって、私はお姉さまの夢ですもの」

 

 中ベールの言葉に、マジェコンヌとの会話が頭をよぎる。

 

「私はお姉さまの夢の具現。お姉さまがその夢を諦めない限り、私を倒すことはできませんわよ」

 

 ――夢を自らの手で諦めさせる。それが何を意味するのか。

 

「本当に、戦いにくい相手ですわね」

「もういいではないですか、お姉さま。ゆっくりと、お休みになってくださいな」

「そういう訳にもいきませんわ。あなたのような者に、この国を任せるわけにはいきませんもの」

 

 吐き捨てて、グリーンハートが再び矛を構える。

 それに対する中ベールは、手に持った金の槍を天へと掲げて。

 

「仕方ありませんわね……本当は、このような野蛮な手は使いたくなかったのですが」

 

 ――はじめは、星空が煌めいたのかと思った。

 中ベールを中心として、リーンボックスの上空にいくつもの輝きが現れる。遠くからでも視認できるほどの、黄金の光。それが星などではなく、虚空より現れた無数の槍だと気が付いたとき、既にその数は数百、下手したら数千本までに達していた。

 

「うわ、さすがにアレはヤバくない!? AoEにも程があるでしょ!」

「っ、全員固まれ! ベールもだ! 女神化して全部叩き落すぞ!」

 

 ブランたちが慌ててるあたり、相当な技らしい。いやまあ、そうだよな。あれだけの数になると、なんだか逆に落ち着いちゃうよね。

 でもまずい状況には変わりないしなあ。どうするよ、ベール。

 

「……あれを撃たれる前に、何とかして防御をしなければ」

「あら、そんな必要はありませんわよ? だって、標的は皆様ではありませんもの」

 

 すると中ベールは、柔らかな笑みを浮かべて。

 

「治める国がなくなれば、お姉さまも女神である必要はなくなりますわよね?」

「っ……あなた、まさか!」

 

 ……もしかして、()()()

 

「お姉さま一人で、守り切れますかしら」

 

 まずい、まずいまずいまずい!

 いくらなんでも、そんな方法取ってくるなんて思わないだろ! 確かに国がなくなれば女神は要らなくなるけど! さすがに最終手段すぎないかな、それは!

 ……いや、本当にそうなんだ。これ以上の戦いは中ベールにとっても不毛なんだ。だからあえて、勝負を決めるために最後まで取っておいたんだ。絶対にベールを女神の座から下ろすために。

 だから、あの攻撃さえ無力化すれば、この戦いはベールが勝ったようなもの。

 でも。

 

「くっ……いくらなんでも、あれだけの数は……!」

 

 たとえこの場にいる全員で迎撃しても、絶対に防ぎきれない。

 何かないのか。アレだ、飛び道具とかで中ベールの注意を逸らすとかでもいい。

 とにかくあの攻撃を撃たせないようにしないと、勝ち目がなくなっちゃう。

 でも、そんなこと。

 

 ……ああ、もうっ! 何もできないのかよ! こんな時に限って、俺はっ!

 女神としてもちゃんとできない! 女神化すらロクにできない! 空も満足に飛べやしない!

 分かってるよ、分かってる! 俺がただ、女神の真似事をしてる空っぽの存在なんて! どうしたって女神になれない、成り損ないだなんて、俺が一番分かってるんだ!

 でも、決めたんだよ! あの日、約束したんだ! ネプテューヌは信じてくれたんだ!

 それに応えたいんだよ! 女神の真似をする俺じゃなくて、女神である俺として!

 

 だから、せめて!

 誰かの夢くらい、守らせてくれよっ!

 

「っ……!?」

 

 どくん、と。

 一瞬だったけど、何かが俺の中で蠢いた気がした。

 それが、小ベールを取り込んだ時に感じた違和感だと理解するのに、そこまで時間はかからなかった。俺ではない何か。俺の意思に応えてくれようとした、何か。

 ……正直、無謀だと思う。こんな得体の知れない力に身を預けるなんて。ネプテューヌに履き違えるな、なんて言われたのに、またやっちゃったかもしれない。

 でも、それで誰か夢を守れるなら。

 

「ベールっ! その武器、貸してっ!」

 

 たぶん、きっかけはそれなんだと思う。誰かの想いを、シェアエネルギーを継ぐこと。

 あの日、ネプテューヌが信じてくれた時から、何となく分かってた気がする。

 

「黒ネプちゃん? どういうことですの?」

「いいから、ベール!」

 

 俺も上手く言えないんだ。それでも、絶対に守って見せる。

 このリーンボックスを。そして、ベールの夢を。 

 だから、さ。

 

「信じてっ!」

 

 ……放たれた槍は、ちょうど俺の目の前の地面に突き刺さった。

 シェアエネルギーによって形作られた、白と緑の矛。俺の体よりも大きなそれを左手で引き抜いた。直後、体に大きな力が流れ込んでくる。温かくて優しい、柔らかな力。

 これなら、いける。ベールが俺を信じてくれたんだ、それにちゃんと応えないと。

 ――さあ!

 

「変身っ!」

 

 張り上げた声と共に、左腕が光を放ち始める。その輝きはだんだんと収束していって、俺の腕を包む白いプロセッサユニットへと形を変えた。

 背中にはベールのものを模した、けれど片方だけの翼。結局飛べないのは、やっぱり俺が真似事をしてるだけだからなのかな。

 髪も左半分だけが緑色に染まり始めて、ベールと同じように後ろで纏められる。

 最後に左の瞳を緑色に光らせてから、変身完了。

 ちょっと不格好かもしれないけど、これくらいがちょうどいいのかな。

 

「……どういう、こと?」

 

 聞こえてきたブランの声に、少しだけ考える。

 うーん。

 

「フォームチェンジ?」

 

 ネプテューヌ、ベールフォームみたいな。

 合体ってよりは、半分だけ浸食されてるみたいな感じだけど。

 

「なにそれずるい! かっこいい! 私もやりたい!」

 

 いや、ネプテューヌは基本フォームだから……最終回が一番映えるから……。

 

「……それで? 一発芸は終わりですの?」

 

 いや、まだ。大事なことが残ってる。

 ベールの夢を守るっていう、俺がやらなきゃいけないことが。

 

「そんな小さな盾で? 私の攻撃を防げると、本気で思ってらっしゃるの?」

 

 うん。

 

「ベールが信じてくれたから」

 

 がこん、と。

 右手で構えた盾が中央から二つに別れ、Vの字を描くように展開。

 そして別れた両端を結ぶように、シェアエネルギーの弦が張られていく。

 ベールから借りた槍を番えると、ぐぐぐ、と確実な手応えが伝わってきて。

 ……いける。

 これなら、()()()

 

「そんな……あなた! もう一人の私を、取り込んだというの!?」

 

 頭上の槍が一斉にこちらを向いた。そして、ベールが腕を振り下ろす。

 だけど、もう――

 

「遅いっ!」

 

 閃光と共に、衝撃。地面に足がめり込んで、ひどい痛みを放ち始めた。

 迫りくる無数の槍に対するのは、俺の放った唯一の矛。こうして見るとかなり心もとないな。盾が弓になるのも驚いたけど、こんなに戦力差があったなんて。

 それでも。

 

「届けえぇぇええっ!」

 

 降り注ぐ黄金の雨をすり抜けて、緑色の矢が空を駆ける。

 そしてその切っ先は――中ベールの肩を、掠っただけだった。

 

「……残念でしたわね。所詮はただの子供騙し。やはりあなたは、出来損ないですわ」

 

 その通り。俺が中ベールを倒せるなんて、これっぽっちも思ってない。

 でも、ベールならきっと。

 

「――まさか!」

 

 驚いた中ベールの、その背後。

 太陽を背に佇むのは、三対の翼を背負う女神で。

 

「ええ、そうですわね。信じられたのなら――私が、女神として応えなければ!」

 

 俺の放った矛を受け止めて、ベールが空を駆ける。

 そして。

 

「……そん、な」

 

 掠れた、消え入ってしまいそうな声が、中ベールの口から紡がれる。

 貫かれたその体からは、薄暗い靄が噴き出していた。

 

「これなら、お姉さまに勝てると思ったのですが……やはり、姉に勝る妹はいないということですのね」

 

 零れ落ちる砂のように、中ベールの体が崩れてゆく。

 それと同時、もはや俺の眼前にまで迫っていた無数の槍も、徐々に塵となって消えていった。

 差し出した手のひらに舞い落ちた塵は、まるで雪が解けるようにして、俺の体の中へ。

 ――また、別の何かが入ってきた。けどそれは、既に俺の中にあるもの。

 それはおそらく、中ベールの残した、ベールを救うための力だったのかもしれない。

 

「……お姉さま、私には分かりますわ。あなたが本当に寂しかったことも、誰かに寄り添ってほしかったということも……そして私たちが、お姉さまを救いたいと思っていたのも、本当のことですの……」

 

 ほとんど崩れかけている中ベールの右手が、グリーンハートの頬に伸びる。

 触れそうになった指先は、風に攫われて、リーンボックスの空へと消えていった。

 

「でも……もう、私たちは必要ありませんわよね?」

 

 すると中ベールは、どうしてか俺の方へと視線を向けた。

 ……なんでだろう? その瞳は、何を意味してるんだろう。

 

「あなたの妹になれて、幸せでしたわ。お姉さま、どうかお幸せに――」

 

 柔らかな笑みを浮かべたまま、塵となって、消えた。

 

 

 こうして、ベールの妹が起こした事件は、静かに幕を閉じた。

 実際リーンボックスに直接的な被害はなかったし、あまり大きな騒ぎにはならなかったみたい。でもベールの妹がいなくなったことに、国民のみんなは少し残念に思ってたとか。

 ベールもベールでちゃんとけじめはつけてるらしくて、あれ以来変わらずに振る舞っている。前よりも少し考え事をするような姿を見ることが増えたのは、たぶん俺の気のせいなんだろう。

 ……そう、ただの気のせいだ。

 

 とにもかくにも、またいつも通りのゲイムギョウ界に戻ったわけだ。

 ネプテューヌは仕事をサボるし、ネプギアはネプテューヌを甘やかしすぎるし。プルルートとピーシェは、この前から言ってたルウィーの異変について調査してる。

 あ、俺はなんかベールの妹の件もあって、危険だからあえて近づくなって言われた。ほんとは二人と一緒に仕事したいんだけど、そう言われたなら仕方ない。

 ノワールはいつも通り仕事に追われてて、俺が遊びにいくとなんでこんな忙しい時に、ってうんたらかんたら怒りながら、この前みたいに簡単な仕事を任せてくれる。一応、それだけの信頼は得られてるってことなのかな。うん、そういうことにしておこう。

 ブランはさっきの通り、そもそも俺がルウィーに近づくのを禁止してるから、しばらく遊びに行ってない。でも当然仲が悪くなったとかでもないし、みんなで集まった時は普通に話をしたりするよ。

 そして、ベールはというと。

 

「ほら、黒ネプちゃん? あーん、ですわ」

 

 言われて、呆けたように開かれた口の中に、ショートケーキが詰め込まれた。

 いや一口が多いのよ。お陰で口の周りクリームついちゃったし。

 

「あら、それはいけませんわね……少し、こちらを向いてくださいな」

 

 はいはいなんですか、なんて顔をベールの方へと向けると、彼女は指先で俺の頬に触れて。

 

「ん」

 

 ……いや、普通に拭いてくれればいいのに。

 わざわざそんな、安っぽいラブコメみたいな。

 

「安っぽいとは失礼ですわね。これも、妹への可愛がりの一環として受け止めてほしいですわ」

 

 妹。

 そう。ベールは確かに、俺の事をそう呼んだ。

 もちろんそれが本気じゃないことは、ベール自身が一番分かってる。

 だからこれは、俺とベールとの遊びなんだ。言い方がちょっとアレだったけど、まあそういうこと。

 それで、どうしてこんなことになったかというと。

 

『そういえば黒ネプちゃん、あの時、私のプロセッサユニットを装備していましたわよね』

 

 だよね。俺もびっくりした。言い出したのは俺だけど、まさかあんなことになるなんて。

 詳しい事情はブランやイストワールでもよく分かってないっぽい。ということは、想いの力がどうとかの限定フォームみたいなものなのかな。まあ普通にあんなことができたら変だしな。

 

『ですわよね。でも黒ネプちゃん、もう一回試してくれませんこと?』

 

 え、なんで?

 

『いえ、ただの興味ですわ。それに私は当事者なのですから、頼んでもよろしくいのではなくて?』

 

 まあいいけどさ。でもあんまり期待しないでね。

 そんな簡単に他の女神のプロセッサユニットが装着できるなんて、明らかにおかしいし。

 でもとりあえずやってみるか。いつもの調子で変身を――

 

『あ』

『あら』

 

 …………。

 

『できちゃった』

『できちゃいましたわね』

 

 え、できんの!? これ限定フォームじゃなくて恒常のフォームなのかよ!

 それにちゃっかり矛も生み出せてるし! これアレだ、ベールに借りなくても弓使えるわ!

 

『詳しいことはよく分かりませんが……あの子たちを吸収したから、なのでしょうか』

 

 ……多分、そうなんだと思う。ベールの夢を守る力が、俺に備わったって言うか。

 シェアエネルギーとか、そういうのはあんまり関係してない気がする。

 

『でもこれで、黒ネプちゃんがいつでも私のプロセッサユニットを装備できることが証明されましたわ』

 

 うん。

 

『ということは、黒ネプちゃんは私の妹であることも、同時に証明されましたわね』

 

 ……うん?

 

『さあ、ということで存分に可愛がってさしあげますわ! とりあえずまずはリーンボックスに来てくださいな! 美味しい紅茶とケーキでたっぷりもてなして差し上げますから! さあ、さあ!』

 

 なんて強引にリーンボックスへと連行されたのが、一ヵ月前くらいの出来事で。

 それからたびたび、俺はベールの妹をさせられることになった。なっちゃった。なってしまった。週四くらいで。本当、どうしてだろうね。今思い返しても、何も分かんないや。

 

「あら、難しい顔をしてどうしましたの? 黒ネプちゃん」

 

 なんでもないよ。今の自分の境遇について考えてただけ。

 もっと正確に言うなら、考えた果てに諦めに辿り着いたというか。

 

「……嫌、でしたの? 私の妹というのは、やっぱり」

 

 いや、そういうことじゃないよ。

 どっちかっていうとさ。

 

「俺でいいの?」

 

 なんていうか、その、アレだ。

 ……俺みたいな奴より、もっと可愛がりのある人がいると思うんだよ。例えば、ネプギアとかさ。

 それなのに、どうしてベールは俺を選んだんだろう。確かにベールのプロセッサユニットを継いではいるけど、言ってしまえばそれだけなんだし。俺なんかを可愛がっても、意味ないと思うんだけどなあ。

 

「なるほど、確かに黒ネプちゃんからすればそう思えるのかもしれませんわね」

 

 ……ってことは、ベールはそう思ってないってこと?

 

「もちろんですわ。ですから、これは私なりのお礼として受け取ってくださいな」

 

 お礼?

 

「ええ。あなたが居なければこのリーンボックスは消えて、私は女神を続けられませんでしたもの」

 

 それは……そうなのかなあ。

 俺がやったことなんて、ベールの覚悟に比べれば本当にちっちゃなことだと思うけど。

 

「……思うに、黒ネプちゃんは控えめすぎませんこと?」

 

 え、控えめ? 何の話? もしかして胸とかの話してる?

 いやだって仕方ないじゃん。ネプテューヌがアレなんだし。あ、でも変身したらデカくなるよ。

 

「そういうことではありませんが……まあ、黒ネプちゃんらしいといえば、そうですわね」

 

 ……よく、分からない。なんだろう、俺には一生分からないような気がする。

 もしくはそれを理解したら、俺は俺でなくなってしまうというか。

 

「ただ一つ言えるとすれば……もう、私は一人ではない、ということですわ」

 

 結局それを理解することはできなかったけど、それ以上は考えないことにした。

 

「はい、黒ネプちゃん、あーん」

 

 幸せそうなベールを見ることができれば、それだけでよかった。

 ……やっぱり、一口がデカいんだって! 

 

 




年内更新はこれで終了です
よいお年を


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15 新世界/もう一人のブラン

 

 事の始まりは、ルウィーとの国交の断絶だった。

 ベールの事件からしばらくの時が過ぎた、ある日のこと。突如としてブランとの通信が途絶え、その直後にルウィーそのものとの連絡が取れなくなったのだ。

 その規模は徹底的なもので、国家間による通信から始まり、企業間の貿易や個人的な連絡も不可能に。また、ルウィー側からの連絡も今のところは無し。

 これを見てプラネテューヌをはじめとした三国は、国民のルウィーへの渡航を全面的に禁止。ルウィー近辺に住んでいた国民にも国の内部へと避難するよう呼び掛けて、一時的な警戒態勢を敷くことに。

 いきなりブランがそんなことをするなんて思えないけど、万が一に備えて各国家による戦力の収集も集まってる。アイエフが普段より忙しそうにしているのを見て、本当にまずい事態になっちゃうのかな、なんて思ってた。

 何よりも心配なのは、プルルートとピーシェのこと。

 二人とも、事件の起こる少し前からルウィーで調査をしてたから、今も連絡がついていない。元よりルウィーでの仕事は多かったけど、まさかこんな悪いタイミングで巻き込まれるなんて。

 でもそれで分かったのは、連絡が取れないのはルウィーの国民じゃなくて、ルウィーの国土に居る人間だということ。EMPとかそういう電子ジャック的な機器が働いているのかも? もしそうだったとしても、何らかの通信手段は生き残ってるはずだけど。

 でもプルルートもピーシェも強いから、よほどのことが無い限り大丈夫だって信じてる。けどやっぱり、どこか得体の知れない不安も少し。心配性なのかなって思うけど、いずれにせよ早く会いたいのは本当のこと。

 そして少し時間が経って、ブランと連絡がつかなくなってから二日後のこと。

 

『こちらネプテューヌ! ネプギアと一緒に指定の位置に到着したよ!』

 

 耳につけたネプギア特製の通信器から、そんな声が聞こえてきた。

 

『こっちもユニと一緒に到着したわ。ベールは?』

「ええ、こちらも問題ありませんわ。黒ネプちゃんと一緒にいますわよ」

 

 ノワールの声に、俺を抱えてルウィーの上空を飛ぶベール――グリーンハートが答えた。

 三手に別れてルウィーの動向を調査、異変の原因を解明する、三国家共同の作戦だった。発案者はまさかの俺。皆でどうするああする云々会議してると疲れてきちゃって、もうみんなで一回カチコミいったらどう? みたいなこと冗談で言ったらまさかの採用。

 侵略行為になるんじゃないか、とか疑問あったけど、こんな事態だし仕方ないと思う。それにブランは話せばわかってくれる人だって信じてるから俺。

 

「それにしても、私と黒ネプちゃんを組ませてくれたネプテューヌには、感謝しないといけませんわね」

『基本的に二人一組で動いたほうがいいからね。黒い私がいてくれてよかったよ』

 

 それ、言い方変えれば余りものってことだよね。

 いやまあ、別にいいんだけどね。ベールも喜んでくれてるみたいだしさ。

 ちなみに今は、俺とベールでルウィーを上空から偵察して、侵入経路を発見する段階。ネプテューヌとネプギア、ノワールとユニはそれぞれプラネテューヌ方面、ラステイション方面で待機してるから、それぞれが安全に侵入できるル―トを確保しないといけない。

 手元の端末(これもネプギア特製)で地図を確認しながら、眼下に広がるルウィーの街並みを望むけど、基本的に建物とか地形は変わってない。至って普通のルウィーだ。

 ただ、明らかな異常は。

 

「誰もいませんわね」

『どういうことですか?』

「ですから、国の中に人影が見当たりませんの」

 

 歩いている人はおろか、建物の中にも誰もいないっぽい?

 あるのは、空っぽになったルウィーの風景だけ。

 

「この調子でしたら、どこからでも侵入してもらって構いませんわ」

『にしても変だよね。新しく変な宗教でも始めたのかな?』

 

 いや、そういうのやる人じゃないと思うけど……でもあの人、巨乳になるっつったら何でもしそうな雰囲気はするな……けどさすがに国民を巻き込んだりはしないと思うし……。

 

『確かに、完全に消えたとは考えにくいわね。もしかすると、どこか一ヶ所に集められているとか?』

『ネプギア、この前開発してた熱源探査のシステムとか持ってきてないの?』

『あ、そういえば積んでたかも。黒いお姉ちゃん、端末の中にそれっぽいのない?』

 

 たまにそういう微妙な無茶言うよね、ネプギア。でもそういうところ、嫌いじゃないよ。

 つっても俺はソフトもハードも知らないし、かといって適当に弄って壊すわけにも。

 なんてことを考えながら、慎重かつ大胆にあーだこーだとを繰り返していると、ふと画面が真っ暗に。あ、やべ。もしかして壊した? いやでもなんか、レーダーっぽいグリッドは出てるけど。

 

「あ、たぶんそれだよ。射程二百キロの高精度熱源探査センサー!」

 

 バカじゃないの?

 

『ひ、ひどいよ黒いお姉ちゃん! せっかく作ったのに!』

『凄いとは思うけど射程二百キロは過剰すぎると思うな。FPSだったら確実にチートだよ』

『……技術云々は置いといて。黒い方、ルウィーの国民がどこに行ったか探せる?』

 

 ああうん、今やってる。多分カメラ通せば熱源拾えるんだよね?

 

『うん、それに建物越しにも感知できるようにしたから、ぐるっと回せば見つかるかも。あ、それとモードを心拍探査に切り替えたほうがいいかも。射程は変わらないけど、ただの熱源だとそこら辺の野良猫とかの熱も拾っちゃうから』

『……置いておくって言った手前聞きづらいけど、どうやって感知してるのよ、それ』

『それは……国家機密でいいですか?』

『私の知らないうちに私でも理解できない国家機密が増えていくの、何とも言えない気持ちだなあ』

 

 多分ネプギアの技術力ってマトモに使えば、普通に戦争に勝てると思うんだよな。でもそんなことする理由も無いし、第一ネプギア本人がそうした闘争とか競争とかを望んでないから叶ってないだけで。

 

「どうです、黒ネプちゃん? 何か見えまして?」

 

 あー……うん、見えた。ブワーッて集まってるところが、一ヶ所。

 ええと、この反応と方角からして、ここからの距離を計算すると……。

 

「……教会?」

『え?』

「たぶん、ルウィーの教会に国民が集められてる?」

 

 数からみてもそうみたい。不自然なくらいに反応が集中してる。

 たぶん、みんながここに集まってるせいでルウィーの誰とも連絡が取れなくなったのかな。教会で何が行われているかは知らないけど、嫌な予感がする。

 ……もしかして、この中にプルルートとピーシェも?

 

『とにかく、そういうことなら早く教会に向かいましょう』

『そうね。何が動かれる前に手を打たないと』

「では私たちも地上に降りますわ。黒ネプちゃん、降下地点を探して下さる?」

 

 ほいほい、ちょっと待ってて……って、あれ?

 

「どうかしましたの?」

 

 いや、なんか変なところに反応があって……故障かな?

 ルウィーの国民は教会にいるはずなのに、街の外れの方に、ひとつだけ。

 

『何回もテストはしたから、不具合はないと思うけど……』

 

 だとしたら、今のルウィーについて何か知ってる人なのかな。

 もしそうじゃなくても、この事件の手がかりが見つかるかもしれない。

 いずれにせよ接触するべきだと思うけど、どうしよう。

 

『私は賛成よ。あなた達なら何かあっても対応はできると思うし』

『私も! 回収できるイベントはできるだけ回収したほうがいいしね!』

 

 信頼してくれるのは嬉しいけど、なんかちょっとむずがゆいな。

 まあ、危なかったらすぐにみんなを呼ぶから、大丈夫かな。

 

「では黒ネプちゃん、ルートの指示をしてくださる?」

 

 かくして。

 

 

「このあたり、かな」

 

 ルウィーの都市部の外れ、薄暗い路地裏にて。

 華やかな中心部とは違って陽の光も届きにくい、黒く冷たい場所だった。建物の壁によって造られた小道は迷路のように入り組んでいて、広さは俺とベールがギリギリ並んで通れるほど。

 ゲームではいわゆる普通っていうか、ルウィーっていう街の一面しか見られなかったから、わざわざこういう場所に来ることもなくて、どこか新鮮さを感じていた。

 

「本当にこんな場所に誰かいますの?」

 

 反応は確かにある。だから、このまままっすぐ行けば誰かに会うはず。

 そこで、今のルウィーについて何か聞ければいいけど。

 

「こういう場合、ラスボスとの初エンカウントが定石ではなくて?」

 

 あ、むちゃくちゃ分かる。負けイベになるやつね。

 最近は冗長だって理解してくれたのか、そういう負けイベって少なくなってきた気がするけど。でも、ラスボスの魅力を引き立てるのに負けイベって必要だとも思う。

 アレだよ、むやみやたらに勝てそうな雰囲気とか作らずに、二ターンくらいでこっちを全滅させてくるくらいの強さが丁度いいって言うか。

 

「でも、それではゲーム上で目指す強さの基準が高くなりすぎではなくて?」

 

 そっか、その全滅に耐えられるくらいには強くならないといけないのか。そうした指標の意味もあるんだ。全く考えたことなかったなあ、それは。

 さすがベール。よく考えてる。

 

「当然ですわ。守護女神たるもの、ゲームについての理解は深くなければ……」

 

 ぎゅむ、と。

 得意げに語るベールの脚が、何か生々しいものを踏みつけたのは、その時だった。

 

「……黒ネプちゃん、反応の確認をしてくださる?」

 

 あ、そういえば全くしてなかった。えっと、どれどれ……?

 反応を見る限り、距離は…………ゼロ、っていうか、俺達の真下?

 

「………………」

「………………」

 

 一度だけ互いに目を合わせて、恐る恐る地面へ視線を向ける。

 そこに居たのは、ぼろぼろになった布で体を纏う、一人の少女だった。髪は栗色で、瞳の色は空色。身長は俺と同じくらいかな、雰囲気はどこか物静かな感じ。

 ってか滅茶苦茶ブランに似てるな。服さえそろえればブランじゃない? てかさ、ルウィーにも女神に激似の一般人って居たんだ。これならセンシティブなファンアート貰っても大丈夫だね。

 

「いえ、黒ネプちゃん……多分、これ」

 

 え? なに? 

 

「……気づいたなら、さっさとその足をどけやがれ!」

 

 うわあ、ご本人だった! 激似の一般人とかコスプレイヤーじゃなかった!

 

「こんなに似た奴がいてたまるか! あとなんだセンシティブなファンアートって! つーか仮に似たような一般人がいたとしても、そいつに迷惑がかかるだろうが!」

「本当にすいませんでした」

「申し訳ありませんわ、ブラン。あまりにも小さいから気づかなくて……」

「んだと!? この状況で煽るとはいい度胸じゃねえか! ええ、やるか!?」

「私達としては、あなたがこんな場所で寝ているこの状況に説明が欲しいですわ」

 

 呆れたように言うベールに、ブランはすんと怒りを収めると、よろよろとした様子で体を起こす。そうして、一旦立ち上がったかと思うと、すぐにふらついて、俺の方へと体を預けてしまった。

 ええと、割と大丈夫じゃなさそう? もしかしてベールのアレがとどめになったりした? あの人ヒールだもんね。ヒールって踏まれるとガチで痛いもんな。

 

「別にあいつに足蹴にされたことは関係ねえよ……」

 

 って、ことは。

 

「……教会から追い出されたの」

「どういうことですの?」

 

 ゆっくり壁際に腰を下ろすブランへ、間髪入れずにベールが問いかける。

 

「だから、そのままの意味。教会から追い出されて、ここまで逃げてきたの」

「そんなはずがありませんわ。教会から女神であるあなたを追い出す事ができるなんて、たとえ教祖であってもできませんわよ? それこそ、急に新たなルウィーの女神が表れるくらいでないと、あなたが追い出されることなんて……」

 

 そこで、はたと気づいたように、ベールが言葉を止めた。

 

「……まさか」

「そういうことよ。自分で言うのが癪だから、理解してくれて助かるわ」

「転換期はまだ先ですわよね? そんな、急に新たな女神が表れるなんてこと……」

「あなた、この前自分の身に起こったことを覚えてないの?」

 

 そこで初めて、ブランが俺の方へと視線を向ける。

 

「念のために聞いておくけど、あなたは何も知らないのね?」

 

 うん、ぜんぜん知らなかった。

 予測できてたなら、すぐプルルートとピーシェに帰るように連絡するし、第一ブランに伝えるし。

 

「とにかく、ネプテューヌ達に連絡しないことには始まりませんわね」

「そこのところ、詳しく話してくれる? 今、ルウィーの外はどうなってるの?」

 

 通信機で連絡するベールの代わりに、ブランに説明してから、しばらく。

 

「……教会に国民が? どういうこと?」

 

 あれ、そこは知らなかったんだ。

 

「知らないわ。私が理解できてるのは、この国に新たな女神が起こったということだけ」

 

 ……そういえば、ロムとラムは? 追い出されたっていうなら、一緒に……

 

「あの子たちは新しい女神側に着いたわ。まるで私のことなんて忘れてるみたいに。いえ……本当に忘れたんでしょうね。あの子たちは、この国の女神の妹だから。女神でない私なんて気に掛けないのも当然」

「そうやってすぐ卑屈になるの、あなたの悪い癖ですわよ」

 

 いつの間に用意していたのか、ブラン用の通信器を投げ渡しながら、ベールが告げた。

 

「どこの馬の骨とも知らない女神に国を乗っ取られても、何もしないつもりですの?」

「国民が、そうした変容を望んでるのなら。私は居座るべきではない」

「……私の知るブランは、もう少し強情で、生意気な女神だったはずですわ」

 

 するとベールは急に変身して、ふわりと俺達の上空に浮かび上がって。

 

「一度、黒ネプちゃんと話して頭を冷やしたほうがよろしくてよ」

 

 ……え?

 いや、急に俺に振られても……え、ガチで言ってる? ほんとに行っちゃうの?

 今はそういうことしてる場合じゃないっていうか、割と緊急事態だし余裕もないはずっていうか………

 あーっ! ほんとに行きやがったあの人! マジかよ! うそだろ!?

 ゲイムギョウ界、無茶振ってくる奴多すぎだろ! 俺みたいな陰気な奴には過酷すぎるんだよ!

 

「……ごめんなさい、あなたまで巻き込んでしまって」

 

 ほんとにね。でもまあ責める気はないって言うか、責められる状況じゃないっていうか。

 ぼろぼろの布をフードみたいに頭にかぶりなおして、ブランが立ち上がる。

 

「あなたは、どうするつもり?」

 

 んー、とりあえずベールと同じように、ネプテューヌと合流しなくちゃなあ。

 そういえば教会の様子はどうだった? なんか魔物とか、そういうので警備固めたりとかしてた?

 

「いいえ、あそこにいるのは新しい女神と、ロムとラムだけだと思うわ」

 

 そっか。ならまあ、何とかなるかもね。

 じゃあ早く、ベールたちに追い付かないと。

 

「一人で行って。私は、ここに残る」

 

 え。

 でも、それだと……。

 

「……ああ、ごめんなさい。私はもう女神化できないの。だからもう空も飛べないし、あなたを運ぶこともできない」

 

 いや、そういうことじゃなくて……ええっと。

 ……うん、そうだ。

 

「ならさ、一緒に歩こっか」

 

 

 誰も居ないルウィーの街は、とても寂しかった。

 ここ最近はご無沙汰してたけど、前はもっと活気があったっていうか、ほんわかしてたはず。街の人はみんなとっても優しくて、そうした空気に呑まれつつ、心行くまでのんびりできるところだった。

 けど、今はそんな人は誰も居なくて、抜け殻になった建物が立ち並ぶだけ。あのメルヘンっていうか、いい意味で気の抜けた雰囲気なんてどこかに行ってしまって、静けさだけが街を支配していた。

 ……変わっちゃったなあ、ほんとに。

 

「夢、を」

 

 唐突に切り出したブランに、そちらの方へと視線を向ける。

 

「この前のあなたの質問、自分を変えたい、って答えたはずだけど」

 

 そうだね、いい女神になりたい、って言ってた。

 国のため、妹のため、そして自分のために変わること……それが、ブランの掲げていた、夢。

 でも。

 

「……こんなこと、私は望んでなかった」

 

 フードの下、光を失った瞳で街並みを眺めながら、ブランは噛みしめるように呟いた。

 ……そりゃそうだよな。こんなに寂しいルウィーなんて、俺も見たくなかった。

 この景色が、ブランの夢であるはずがない。そんなことは、分かり切ってる。

 でも。

 

「新しい女神が起こったっていうことは、そういうこと。国民は私ではなく、あちらを択んだ」

 

 それはつまり、国民が変容を望んだっていうこと。

 でも、本当にルウィーの国民は、こんなことを望んだのかな?

 

「……どういうこと?」

 

 根拠はないし、証拠なんてあるはずもない。

 けど俺は、この街の人々が、こんな景色を択んだとは思えない。

 

「だから、まだ終わってないんだよ」

 

 新しい女神が産まれたから、今まで女神だったブランはもうさようなら、なんて。

 そんなに簡単に終わっていい話じゃないと思う。いや、終わらせちゃダメなんだ。絶対に。

 本当にルウィーの国民は新しい女神を望んだの? 俺はそいつがどんな奴かも知らないけど、少なくともそんな簡単に国を乗っ取って、ブランに感謝もせずに教会から追い出す奴なんて、ロクな奴じゃないよ!

 ブランも、自分を追っ払った奴の言いなりになって満足なの? そんな奴に、国を任せられるの?

 

「……あなた」

 

 ……あ。な、なんかめっちゃ説教っぽくなっちゃった。

 いや違うんだよ、俺は別に説教垂れようとか叱ろうとか全然思ってなくて、ただ元気づけたいだけっていうか、ブランが落ち込んでたから激励になればいいかな、って思ってて。それにブランが女神を止めるのは本当に嫌だから、そのために応援したくて。

 だから、その、つまり。

 

「私を、信じて」

 

 確かに国民は、新たな女神を願ったのかもしれない。

 でも、俺は――ブランがいい。この国の女神は、ブランでなくてはならないと、思ってるから。

 独りよがりの我儘かもしれないけど……ブランは、応えてくれる?

 

「……そう、そうよ。そうだったわ。何を腑抜けていたのかしら、私は」

 

 空色の瞳には、既に光が戻っていて。

 

「あなたのお陰で目が醒めたわ。ありがとう」

 

 いや、お礼なんて。ちょっと出すぎた真似をしちゃっただけで。

 勿体ないって言うか、それこそベールとかにそういう言葉はかけてあげたほうがいいっていうか。

 それに結構無責任なこと言っちゃってるし、うう、どんどん悪い事してる気がしてきたぞ。

 ……いや、でも。信じてくれなんて言った手前、引けるわけないよなあ。

 なら、ブランと一緒にとことんやってやる。行くとこまで、いかないと。

 それに、プルルートとピーシェ二人も助けないとだしね。

 

「あ、おーい! 二人ともおそいよー!」

 

 それから歩くことまたしばらく、遠くからそんな声と共に、ネプテューヌがこちらへ手を振っているのが見えた。その隣には心配そうな顔をしているネプギアとユニ、腕を組んで少し怒った様子のノワール。

 その後ろでベールは、俺の隣のブランへ目をやったかと思うと、溜息をひとつ吐いた。

 

「まったく、びっくりしたよ。帰ってきたと思ったらベール一人だけだったもん」

「黒いお姉ちゃん、大丈夫だった? ブランさんも……」

「平気よ。ありがとね、ネプギア」

 

 薄く笑って返すブランに、ネプギアもほっと胸を撫で下ろした。

 

「で、新しい女神がどうのって聞いたけど、本当なの?」

「ええ。ルウィーに新しい女神が起こった。だから、街もこんな有様になってる」

「じゃあブランさん、女神化もできなくなって……?」

「そうよ。でも、私が私なことは変わらないわ」

 

 声をかけたノワールとユニの間を通り抜けて、ブランが進む。

 

「……やっぱり、黒ネプちゃんに任せて正解でしたわね」

「かもしれないわね。それとベール、あなたにも礼を言っておくわ」

 

 一瞬だけきょとんと眼を丸くしたけど、ベールはおかしそうに、小さく笑みを溢していた。

 そんな彼女にブランも少しだけむっ、としたけど、すぐに崩れた笑顔を見せる。

 ……………………。

 

「アツいな……」

「え、ルウィーだから寒くない? てか黒い私、半袖スカートで大丈夫なの?」

 

 いや、ネプテューヌだけには言われたくないかな……。

 というか聞きそびれたけど、今ってどういう状況なの?

 

「ずっと黒いお姉ちゃん達を待ってたんだよ。その間も教会内で何か動きがあった様子はなかったけど」

「でも、どうやって侵入するかはまだ考えてないんです」

「仕方ないでしょ。この街に一番詳しい人が遅れてきたんだから、作戦も立てようがないわ」

 

 あー、それは……まあ、仕方ないって言うか、しょうがないよね。

 ってことは、目の前に見えるのがルウィーの教会なんだ。何回か来たことはあるけど、正門が閉じてるのは初めて見たから、全然気づかなかった。てか無茶苦茶デカいな正門。俺の三倍はあるぞこれ。

 そもそも、ルウィーの教会ってデカいんだよね。教会っていうか城。姫が毎回攫われそうなデザインの。

 

「緊急事態に備えて、国民が全員避難できるようにしてあるの。広いのはそういう意味もあるのよ」

 

 なるほど。確かに女神の傍に駆け込めれば、いくらかの危険は避けられるしね。

 でも今回は逆手に取られたっていうか、利用されてるのかな? 

 

「けど、結局どうするの? 肝心のブランが女神化できないんじゃ、作戦も何も……」

「……んなもん、必要ねえよ」

 

 ばさり、と。

 身に着けた布を、宙に放り投げて。

 

「私はブラン! この国、ルウィーの女神であるホワイトハートだぞ!」

 

 びりびりと空気が震えるほどの声量で、ブランが叫ぶ。

 それと同時、彼女の掲げた手のひらへ、光と共に巨大な白いハンマーが表れた。

 

「その私を教会から追い出すなんて、どういう了見してやがる!」

 

 一度地面に叩きつけたそれを、片手で持ち直して背中の方へ。

 がりがりと、ブランが歩くたびにハンマーの頭が地面を削るけど、そんなのお構いなしだった。

 そして、ブランは閉ざされた正門の前に立ち、勢いよく息を吸い込んで――

 

「ここはなぁ、お前だけの国じゃねえんだぞッ!」

 

 轟音。

 振りぬいた巨大な槌が、教会の正門どころか、門そのものを吹き飛ばした。

 そうして、おまけとでも言わんばかりに、もう一度地面にハンマーを叩きつけて。

 

「……行くぞ、お前ら」

 

 かッ……カッコよ……!

 いけない、惚れそうだった。いや多分惚れてもいいんだけど、そこはカップリングの問題というか、そもそも俺がブランに惚れていいのかどうかだって怪しいのに、でもあれめっちゃカッコよかったな……ブランってそういうところほんとズルいよな……女たらし……。

 

「黒いお姉ちゃん? 何してるの、早く行こうよ」

 

 あっ、はい。すいませんでした。すぐに向かいます、はい。ごめん。

 

 

「さっむ! なにこれ!? ブラン、この寒さどういうこと!?」

 

 いやこれほんとに寒いな! これはさすがにちょっと説明ほしいね!

 

「どうして教会の領地だけこんなに気温が低いのよ……」

「何かの魔法なのかな。それにしたって、この寒さは……」

「少し、異常だよね……うう、指先の感覚がなくなってきた……」

「大丈夫ですわ! ネプギアちゃんとユニちゃんは、私があっためて差し上げますから!」

「あっ、ずるいそれ! ノワール、私たちもアレやろ!」

「勝手に……って聞いたならせめて人の話を聞きなさいよ! ああ鬱陶しい!」

 

 ……一気に雰囲気は緩くなったけど、この寒さは割とマジで馬鹿にならないんだよな。

 雪が降りそうってわけでもないし、となると魔法くらいしか心当たりはないけど、こんなに広範囲で、しかも強力な魔法なんて見たことないし。本当、どういうことなんだろうね。

 ブラン、そこのところ、何か思いつくものとかあるの?

 

「…………な、に」

 

 いや、だからこの寒さの原因を……。

 

「しっ、ししし、しら、しらない……けど、っ、どどどどど」

「みんなやべえっ! ブランがメチャクチャ震えてる! 何か着るモンない!!??」

 

 あっダメだ、こいつら全員露出度高いから羽織るモンとかいう概念ない! いや俺もそうなんだけどさ! いやもう全員で囲め囲め! 人肌であっためるしかねえぞ! なんかエロい妄想とかしとけ!

 なんて、わたわたしながらブランを囲んであっためること、しばらく。

 

「どういうことだよ、この寒さは……!」

「そのくだり、私が一回やったよね? てかブランが知らないならみんな知らないと思うよ……」

「とにかく、原因を突きとめるまでは何も分かりませんわ。すぐに教会の中に入らないと」

「そ、そうですね……じゃあこのまま……」

 

 このまま……このままか……締まらないな……いやでもこれくらいユルい方が安心するな……。

 集団でもぞもぞと動きながら、ようやく教会の扉の前へ。震えた手のブランが、扉をゆっくりと開くと、そこには。

 

「…………は」

 

 教会の謁見の間、そこを埋め尽くしているのは、氷の塊だった。

 部屋そのものが凍り付いているというわけじゃない。いくつにも積まれた氷塊が、四方の壁を覆ってるって言う感じ。例えるなら氷の洞窟――ってよりは、なんていうか、肉を保存するところっていうか……。

 

「ひっ!」

「ゆ、ユニちゃん!? どうしたの、そんな声……出し、て」

 

 ネプギアの悲鳴が響き渡った、その直後。

 ふと近づいた一つの氷塊の中の、うつろな()と、目が合った。合ってしまった。

 

「まさか……これ、全部……」

 

 ……人、だ。

 これ全部、氷漬けにされた人なんだ。

 

「二人とも、こちらへ。私の影に隠れていてくださいな」

「……冗談にならないわよ、これ」

「寒さの原因もこれみたいだね。でも、なんでこんなこと……」

 

 ……そういえば、プルルートと、ピーシェ、は?

 まさか、この中に……っ!

 

「いずれにせよ、本人に聞くしかねえだろ」

 

 そう、ブランが見上げた、その先。

 凍てついた空間の中心漂うのは、一人の女性だった。

 髪の色はブランの瞳と同じような、透き通る空色。違うのは、それが背中までに伸びるほどに長いこと。身に纏うのは少しの青みがかかったプロセッサユニットで、背中には四角い透明の翼。手に持つのは杖とも斧とも取れるような、白い武器。

 そして、その両脇に、控える様に飛んでいるのは。

 

「お姉ちゃん、新しい人が来たよ?」

「どうする? やっちゃう? やっていいでしょ、ねえ?」

「ロム……ラム……!」

 

 今にもこちらへ襲い掛からんとする彼女たちを、その人は片手で制した。

 そして、ブランの前へふわりと舞い降りると、彼女はゆっくりと頭を下げて。

 

「ごきげんよう、過去の女神」

 

 ……誰?

 

「私? 私は……女神」

 

 

 

「このルウィーの守護女神――ホワイトハートよ」

 

 

 




渋海さん(@shibuminigai)から画を頂きました ウレシイ


【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16 フィナーレ/ルウィーを継ぐ者

 

「ホワイトハート……だと?」

 

 こちらを見降ろす彼女は、確かにそう口にした。

 熟れた鬼灯のような朱色の瞳に、斧と杖を足して二で割ったような奇妙な武器。白いプロセッサユニットに身を包み、背中には透き通る水色の翼。

 そして何よりも目を惹いたのは、腰までに届く空色の髪で。

 ……言われてみれば、ブラン、というかホワイトハートが順当に成長したようにも、見える。

 

「スタイルもいいよね。変身した私とまではいかにけど、大人っぽい感じ?」

「胸もあっちの方が断然大きいけど」

「お尻もあちらの方が魅力的ですわ」

 

 何なら性格まで大人しめだよね。ブランほどあれてなさそうっていうか、お淑やかっていうか。あれが大人の余裕ってやつなんかな。

 

「先にテメーらからブッ飛ばしてやろうか?」

 

 すいませんでした。

 

「……やっぱり、私の方が女神にふさわしいと思うけど?」

「そんなこと誰も言ってないでしょう? 自意識過剰にも程があるわ」

「あなたが自覚できてないだけでしょうに。かわいそうね、そんな頭もないなんて」

「言ってなさい。無駄口を叩いてる間に潰してあげるから」

 

 言葉を投げつけ合いながら、ブランとホワイトハートが睨み合う。

 いつ戦闘が始まってもおかしくないほどの緊迫感だった。それはネプテューヌ達も感じ取っているようで、それぞれ自分の獲物を構えながら、ホワイトハートのことを見上げている。

 そしてブランは、構えていたハンマーをホワイトハートへ――向けず、地面へと突き立てた。重たい音が、氷に包まれたルウィーの教会に響く。

 

「一つだけ、聞いておきたいのだけど」

 

 するとブランは、一度だけ周囲へと目を配りながら、

 

「どうして彼らにこんなことをしたの?」

 

 見渡す限りの氷塊。その中に閉じ込められているのは、氷漬けにされたルウィーの――彼女の、国民たち。

 確かにブランの言う通り、新しく女神になったとはいえ、国民を氷漬けにする必要なんてどこにもない。なのにどうしてそんな無意味なことを、それもここまで徹底的にやったんだろう。

 するとホワイトハートは、一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたかと思うと、ああ、と思い出したように手を叩いて。

 

「あなたが望んだからよ」

 

 何でもないように、そう言い放った。

 

「……は?」

「だってあなた、言ってたじゃない。今の自分を変えたい、国をもっと良くしたいって。だからね、私がこの国を一から変えてあげようと思ったの」

 

 怒気を含んだブランの返答に、彼女は淡々と答え続ける。

 

「まずは女神を。次に、国民たちを生まれ変わらせるの。ああ、別に殺してはいないから安心して? ただ、ちょっと氷の中で眠らせて、記憶を書き換えるだけだから。この国の女神は私だっていうことにね」

 

 ……とりあえず、全員が殺された、っていうことではないみたい。そりゃまあ、国民がいなくなったらシェアもなくなるし、殺さないのは当然か。

 でも、記憶を書き換えるなんて、そんなこと。

 

「できるのよ。それが、私の力だから」

 

 すると、広げた両手をロムとラムの二人の頭へ乗せて。

 

「この二人にもそうしてあげたの。この国の本当の女神は誰か、この国を良くするにはどうすればいいのか。そうしたらこの子たち、喜んで国民たちを氷漬けにしてくれたわ。本当にいい子たちよね」

「――ッ、てめえ!」

 

 地面に突き立てたハンマーを蹴り上げて、ブランが跳躍。そのままホワイトハートへ向けて、構えた両腕を振り下ろす。ホワイトハートへと迫るハンマーは、交錯する二本の杖によって阻まれた。

 鈍い金属音。同時に、ブランの叫び声。

 

「お前らっ、何して……!」

 

 続く言葉は、二人の魔法の発動によって阻まれた。水色の光、おそらく氷の魔法。

 吹き飛ばされたブランをかろうじて受け止めると、体が冷たくなっていることに気が付いた。頬には白い結晶のようなものがついていて、それを袖で無理矢理落としながら、再びブランが頭上の三人を睨む。

 

「お姉ちゃんの邪魔をするやつなんて、何がなんでも許さないんだから!」

「……いますぐ、ここから消えてくれる?」

 

 駄目だ、本当に記憶そのものが書き換えられてるっぽい。

 

「っ、くそ……勝手に人の妹に手出ししやがって……!」

「あなたの妹じゃない。この子たちは、女神の妹でしょう? だから、今の姉は私なのよ」

 

 ……記憶を弄ったくせに、よくそこまで好き勝手言えるよね、ほんと。

 じゃあ聞くけどさ、あなたはその二人とどれだけ一緒の時を過ごしてきたの?

 

「残念ね。記憶を書き換えたんだから、この二人は私のことを、そこの元女神と同じくらいに……」

 

 違う。

 あなたはその二人のことを、どれくらい知ってるの?

 

「……私、が?」

 

 ロムはちょっと内気で控えめって言うか、大人しめなんだけど、やるときはきちんとやる子。

 ラムは活発で悪戯好きで、少しだけ生意気だけど、絶対に諦めない子。

 この長いゲイムギョウ界の生活の中で、俺は二人のことをこれくらいしか知らない。だから普段からちょっと距離を置かれているっていうか、関わりづらそうなのは仕方ない。

 それなのに、あなたは新しく女神になったからって、二人のことを妹って言えるの?

 

「あなた、一体何を……」

 

 妹のことだけじゃない。あなたは、ルウィーという国をどこまで知ってるの?

 他の国よりもとても寒くて、なんだか変なオブジェとかが多くて、教会がものすごく広くって、でも街の雰囲気はとっても緩やかで落ち着いて、国民はみんな優しくて、とってもあったかい心の持ち主で。

 それが、今は変わっちゃった。街には誰も居ないし、教会も氷のせいでいつもより狭くなってるし、国民はみんな氷漬けにされて冷たくなってる。

 つまりさ、何が言いたいかっていうと。

 

「みんなの知ってるルウィーを、勝手に変えないでよ」

 

 ロムとラムは国民を凍らせるなんて、そんなこと絶対にしない。

 街もあんなに寂しくない。ルウィーの人たちも、こんなところで寝てるはずがない。

 そして何より、ルウィーの女神はあなたじゃなくて、ブランなんだ。

 

「……ああ、そうだ。よく言ってくれたよ、黒い方」

 

 ぼそりと呟きながら、ブランが俺の肩を掴んだ。

 

「確かにそうだ、私は変わりたいって思ったよ。もっと国を豊かにしたい、国民を幸せにしたい、より良い女神になりたいって……情けない考えかもしれないけど、今の自分よりもっと良い自分があるはずだって。皆が本当に求めてる女神に変わりたいって、思ったんだよ」

 

 でも。

 

「それはな、私の夢なんだ! ルウィーの皆が望んでることじゃない! 今のルウィーが好きな人だっているし、今のままの私を認めてくれる奴もいる! だからなあ、私の大好きなルウィーを、勝手に好き勝手変えてんじゃねえぞ!」

 

 ネプテューヌは自由。ノワールは絶対。ベールは唯一。

 だったら、ブランは不変なんだ。

 変わらない者。変わらないことを択んだもの。ありのままのルウィーを継ぐ者。

 それが、ブラン――ホワイトハートという女神の、在り方なんだと、思う。

 

「……なあ黒い方。あいつ、この前のベールみたいにできるか?」

 

 この前の? ベールみたいに?

 ……ああ、そういうことか。それは分からないけど、できないって決まったわけじゃない。

 

「なら一緒に行くぞ。狙うのは、あの真ん中の野郎一人だ」

「でも、ロムとラムの二人は……」

「ちょっとー、さすがに私達のこと忘れてるとかないよねー?」

 

 …………あ。

 

「その顔、本気でやってたわね」

「まあ今のシーンの主役はブランでしたものね。口を出せなかったのも事実ですわ」

 

 そうなんだよな、正直俺も思わず口出しちゃってこれやべー、って思ったし。

 うわ今になってめっちゃ気になってきた。ブラン、怒ってないよね?

 

「……お前ら、緊張感とかないのかよ」

「何言ってるの? シリアスブレイカーの私の前で、鬱展開なんて許さないんだから!」

 

 いや、今のはシリアスブレイカーっていうか、雰囲気そのものを滅茶苦茶にしたっていうか。

 ……まあ、そうだよな。こんなシリアス、みんな望んでないよな。

 もっとユルくいこうよ、ユルく。ふわっとした感じでロムとラムを正気にさせて、ふわっとした感じであいつをぶっ飛ばして、いつものふわっとしたルウィーに戻そうよ。

 それが、このゲイムギョウ界における、変わらない日常なんだからさ。

 

「ベールの時みたいに、こいつは私の国の問題だって言いたいが……」

 

 相手は三人だし、それにロムとラムに乱暴なことはできないし。

 

「ロムの相手は私とネプギアが!」

「ラムも私達が足止めしておくわ!」

 

 そっか、それなら。

 

「じゃあ私はハブられちゃったし、ここに入っちゃおっかな!」

「そういうのはノワールの特権だと思ってたけど」

「分かってないなー、ノワールはボッチになってもこうやって自分で入ってこないんだよ」

 

 言い方がアレだけどすごい理解できるのが悲しいな。

 あ、やめてノワール、睨まないで。俺は何も悪くないから……やるならネプテューヌの方を。

 

「女神でもないあなたが、私に勝てるとでも?」

「そうだな、確かに今の私は女神じゃない」

 

 けどな、とハンマーを勢いよく蹴り上げて――

 

「私はブランだ。それは、何も変わらない」

 

 その言葉と同時に、戦闘が始まった。

 

 

 地面を蹴って跳び上がり、ホワイトハートの目の前へ。すぐさま斧だか杖だか、結局よく分かんない得物を右側から振りぬかれて、それを盾で受け止める。予想以上に勢いが強くて、腕が腹にめり込んだけれど、これで隙は作れたはず。

 落ちる最中に見えたのは、俺に続いてハンマーを振り下ろそうとするブランと、更にその上から女神化したと同時に、剣を構えるパープルハート。二人の同時攻撃に、けれどホワイトハートは一瞥するだけ。

 そして、放たれた二人の攻撃が――見えない何かによって、妨げられた。

 

「なっ……!」

 

 ブランの驚くような声が、氷の魔法によってかき消される。

 猛吹雪を一点に集中した、レーザーみたいな凍結魔法。瞬間的にハンマーの柄で防御はできたらしく、ブランの体が再び凍ることはなかった。けれど勢いは殺せなくて、そのまま地面に落ちてくる。

 既に着地を終え、軋む足を動かしながら、ブランをすんでのところで受け止めた。

 

「……っ、くそ! 何なんだよあいつ! 変な魔法使ってきやがって!」

 

 ちょっ、それ俺! 台パンするな! いや、確かにアレはうざいけどさ!

 地面に落ちた俺達にホワイトハートは目を向けることすらせずに、宙を跳ぶネプテューヌへと先程のレーザーを放つ。数は、四。射出点はホワイトハートの頭上にひとつと、足元に三角形を描くように三つ。

 避けるのはあまり苦戦してないけど、その魔法のせいで距離を置くしかないみたい。厄介な魔法だ。

 それに、何か変な防御魔法も使ってた気がする。二人の攻撃が当たった瞬間、一瞬だけその輪郭が見えたけど、あれはホワイトハートを包む球体状になってる。だから、裏に回っても駄目。

 つまり、なんとかしてあの防壁を正面から壊さないといけないけど、レーザーがそれを邪魔してくる。

 ……最近のRPGのラスボスでも、もうちょっと優しいと思うんだけどなあ。

 

「愚痴ってる暇あるなら、早く立てよ……」

 

 そうだ、まだ無理って決まったわけじゃない。試行錯誤を重ねるのも、RPGの定石。

 プロセッサユニットを接続。左腕にシェアエネルギーを纏わせて、背中には三枚の片翼。

 そういえば、この形態の正式名称、まだ決めてなかったな。ここは安直だけどベールフォームでいっか。

 足首を女神化させてしっかりと踏み込んでから、盾を弓へと変形させる。そうして、シェアエネルギーの弦に槍を番えて、勢いよく引き絞ってから、まずは一発目。

 衝撃波を纏いながら飛んでいった槍は、ホワイトハートの眼前まで迫り――

 

「ふん」

 

 ばいん、と。

 情けない音を立てて、障壁に阻まれてしまった。

 これ駄目なのかあ。前のステージで手に入れた新要素は次のボスで有効だって思ったんだけど、現実はそんなに緩くないか。というより俺、これ封じられるともう遠距離攻撃できる手段持ってないんだよね。

 さてどうするか、なんてゆっくり思考できる時間なんて、与えてくれる訳もなくて。

 放たれたレーザーを見て、俺とブランがそれぞれ左右に逃げる。

 

「おいネプテューヌ、なんかないのかよ!」

「あったら使ってるわよ! 私だって、好きで逃げ回ってるわけじゃないの!」

 

 ごもっとも。

 ならどうするか……球体だから弱点っていうか、ウィークポイントもないだろうし。せめてブランのハンマーで思いっきり叩けたらいいんだけど、それはレーザーが邪魔してくる。

 …………詰んでないか、これ。

 

「ようやく分かったの? 私に抵抗しようだなんて、無駄なことだって」

 

 呆れたようにため息を吐きながら、ホワイトハートが片手にエネルギーを集め始める。

 

「さて、そろそろ国民の記憶も書き換えましょうか。あなた達に構ってるほど私もヒマじゃないの」

 

 え、今ここで!? さすがにナメてるだろ!

 ……いや、ほんとにナメてるんだろうな。実際、俺達は手も足も出せないし。

 

「あなたが望んだことよ。変わりゆくルウィーの景色を、黙って見てなさい、ブラン」

 

 ――させない!

 地面を蹴って、同時にプロセッサユニットを両足の膝まで纏わせる。そこで初めて、女神化できる部分が増えていることに気が付いた。いや、それはどうでもいいっていうか、僥倖。このまま突っ切る。

 もう一度、今度は両足で地面を踏み抜いて、上空へ跳躍。女神化できる部分が増えたせいで、いつもよりも勢いも高さも、上。そうしてホワイトハートの頭上へ舞い上がると、全身に広げていたシェアエネルギーを、盾に全て集束させる。

 もっと大きく、硬く、あとは分厚く、それに、ええっと……鋭く?

 ああもう、何でもいいから一発! 一発、ブチ込めるような何かを!

 

「とりゃあああっ!」

 

 落下と同時、両手で振り上げた盾を、球体状の防壁へ。

 そして――確かな手応え。同時に、ぱりん、と薄いガラスが弾けるような音。

 

「なっ……!?」

 

 やった? やった! 理屈はよくわからんが、通ったっぽい!

 驚いたままの表情で固まるホワイトハート、その額へと手を伸ばす。

 ベールの時と同じなら、触れれば吸収できるはず。だから、この手さえ届けば――。

 

「っ、させない!」

 

 叫び声と共に、全身に焼けるような熱さ。そして次の瞬間に、感覚が消し飛んでいく。

 それが、四方から放たれたレーザーによるものだということに気づいたとき、すでに自由落下が始まっていた。身動きが取れなくなった俺に、ホワイトハートが振り上げた斧から、渾身の一撃を放つ。

 そりゃもう、こんな小さな女の子の体から出ちゃいけないような、生々しい音が体の奥から響いてきて。

 周囲の景色が、ぎゅん、と引っ張られる。四肢が千切れそうなほどの、痛み。

 なんとか受け身を取ろうと、吹き飛ばされた方向へと顔を向けて――

 ――いや、まずいっ!

 プロセッサユニットを両手首と両足首に展開して、できるだけ威力を殺して、その人とぶつかった。

 地面を何度も転がる。体がばらばらになりそうだったけど、抱きしめたその人を手放さないように、無理やり耐えた。そうして、壁に撃ち付けられたところで、ようやく体が止まってくれる。

 ……五体満足で生きてるのが奇跡だよな、ほんと。腕も足も、心もぼろぼろだよ。

 って、違う! そうじゃなくて……

 

「だい、じょうぶ?」

「…………え?」

 

 掠れた声で腕の中のロムに聞くと、きょとんとした顔で返された。

 ……うん、まあ大丈夫ということにしておこう。問いかけが出来ればOKってどっかで読んだし。

 しっかしあのホワイトハート、吹っ飛ばした先にロムが居るとか関係なかったな。下手したら俺がロムを巻き込んで、そのまま大怪我だったのかもしれないのに。

 でも、結果的に無事でよかった。

 

「黒いお姉ちゃん、大丈夫!?」

「早くそこから離れてください! まだ、ロムは私達のことを……!」

 

 そうなんだよね、だからすぐに離れたいんだけど……いや、どうも体が言う事を聞いてくれない。

 ずるりずるりとロムが俺の腕から抜けて、駆け寄ってきたネプギアとユニを一瞥してから、もう一度俺へと視線を下ろす。あー、これ人質とかにされるのかな。それはちょっと、勘弁してほしいっていうか……。

 

「黒い、ネプテューヌさん?」

 

 ……お?

 

「どうしたの、すごい怪我……って、わたし、なんで変身してるの?」

 

 ……これは、()()()

 

「ロム、あなた、私たちのこと分かる!?」

「う、うん……ユニちゃんに、ネプギアちゃん……」

「よかった、本当に戻ったんだ……でも、どうして……」

 

 なんでだろうね、って口を挟もうとした瞬間、頭が痛む。

 別の何かが、体の中に入ってくる感覚。でもそれは、ベールの時ほどの重たさじゃなくて、ほんのりと香る程度っていうか、うっすらとしか感じられない程度。けれど、それは確かに俺の中へと入っていった。

 ……もしかすると、ロムの記憶を改変していた力が、入ってきた?

 

「とにかく、黒いネプテューヌさん、かいふくしないと……!」

 

 当てられたロムの手が、ぽわ、と緑に光る。すぐさま暖かい、緩やかな力が流れてきて、全身の痛みが引いていく。すごいな回復魔法、なんだかんだ初めて受けたけど、こんな感じなんだ。

 でも、まだ本調子にはなれない、って感じかな。まあ受けたダメージが多いし、それは仕方ないのか。

 ふらつきながらも立ち上がると、ロムが俺の手を握ってくれた。

 

「……わたしが、やったの?」

 

 違う。ロムも、ラムも何も関係ない。いや、この怪我は本当にマジで関係ないけどさ。

 でも教えない方が、いいよね。うーん、これもエゴなのかな。だとしても、俺は自分を信じる。

 それで、この後の行動なんだけど――

 

「っ、黒いお姉ちゃん、ロムちゃん!」

 

 地面を這って向かってくるレーザーに、ロムがそのまま俺の手を引いて上空へと浮かび上がる。

 

「あなた、()()()()()()もできるの!? 本当に滅茶苦茶ね!」

 

 何に憤っているのかは知らないけど、でも今の行為があっちにとってマズいのは分かった。

 

「あのひと、だれ? ちょっとだけ、お姉ちゃんに似てるけど……」

 

 偽物だよ。あれはブランじゃない。ブランは、その下で戦ってる。

 あ、今ネプギアとユニが加勢にいった。この調子だと、ホワイトハートのことは任せられそう。

 

「ほんとだ……じゃあ、あそこで戦ってるのは、ラムちゃん……?」

 

 うん。ロムみたいに、記憶を書き換えられてる。

 変身してることも、俺も、ブランのことすらも忘れてるんだ。あのブランの偽物のせいで。

 

「……どうすれば、お姉ちゃんたちを助けられるの?」

 

 多分、ラムもロムと同じように記憶を取り戻せば、勝機が見えてくるはず。

 だから、まず俺をラムのところまで連れて行ってほしいかな。それから、あの偽物をブッ飛ばせばいい。

 

「うん、わかった。早く、あの偽物を、ぶっとばす!」

 

 ……ロムにこんなこと言わせて、後でブランに怒られないかな? 

 いや、非常事態だし仕方ないでしょ。それに、今はそんなことに気なんて使ってられないし。大丈夫……だよな? ブラン、怒るとマジで怖いからな……。

 なんて関係ないことを考えていると、すぐにラムとの戦闘の場に運ばれる。ノワールもベールも、傷つけないっていうか、ラムの相手には余裕があるみたいだけど、戦闘が長引いているせいで疲労してるみたい。

 よし、ならちょっと様子見しつつ、隙が出来たらラムのところへ……

 

「がんばって、黒いネプテューヌさん!」

 

 は? 

 いやちょっと、俺の話――――ああああっ、もう!

 

「何よ今の……って、黒い方!? 何やってるのよあなた!」

「さすがに受け止める余裕はありませんわよ! 自分で何とかしてくださいな!」

 

 いや俺だってまさかロムがやるとは思わなかったよ!

 ああこれ焦らせた!? 俺のせいなん!? ごめん、ごめんて!

 ……いや、もうやるしかない! 無理やりにでもラムの方に!

 

「なによあいつ、ただのマトじゃない! 撃ち落としてあげる!」

 

 その言葉にすぐさま盾を展開、自分の前に。

 次々と飛んでくる氷の破片を受け止めながら、だんだんとラムの方へ。

 いける、多分いけるはず。ここでいけなかったら、勇気を出してくれたロムに顔が立たない。

 だから――何としてでも届かせる!

 

「ちょっと、止まってよ! そうじゃないと、ぶつかっちゃうわよ!?」

 

 なんて叫ぶラムの頭に、ぽん、と。

 手を触れたその瞬間、また体の中に何かが入り込んでくる。それはロムの時と同じように、少しだけ薄いものだけど、歪な感覚。体というか心の中でくすぶるそれは、やがて俺に馴染んでくれた。

 ……いける。ベールの時で分かったけど、これくらいの量なら、たぶん。

 

「いたた……あれ? 黒いネプテューヌちゃん? どうして?」

 

 ああ、いやちょっとね。頭にいらないものがついてたから、払ってあげたっていうか。

 

「ふーん、って、ええ?! 私、なんで変身してるの!?」

「ラムちゃん!」

 

 驚くラムの元へ、上からロムが降りてくる。

 

「あれ、ロムちゃんも変身してる? どういうこと?」

「わかんない……でも、お姉ちゃんが大変なの!」

「お姉ちゃんが? じゃあ、助けに行かないと! いくよ、ロムちゃん!」

 

 は、話がポンポン進んでいく……いや、ありがたいことなんだけどさ。

 なんて飛んでいく二人を思わず眺めていると、後ろからぐい、と足を押し付けられた。

 

「……あなたね、そういうのはもっと早くやりなさいよ」

 

 いや、ごめんて……知らなかったもん……。

 というか足が出てるってことは多分、ガチで怒ってるよね? ほんとすいません……。

 

「私たちは少し疲れましたわ。こういった戦い方には慣れていませんですし」

「それに、あとはブランと、あなたの問題でしょ。だったら私達は何も手出ししないわよ」

 

 そっか。なら、頑張ってくる。出来る限りでやってみるよ。

 ……見送ってくれてる、って解釈でいいんだよね?

 

「気にしてるくらいだったらさっさと行きなさい!」

 

 はい、行ってきます! 今すぐに!

 

 

 地面を蹴り上げて、一度空中に跳び出すと、眼下にホワイトハートとブランの対峙が見えた。

 一応、障壁は割ったはずだよね? だから何かしら攻撃が通ってもいいはずだけど……駄目だ、ピンピンしとるわあいつ、もしかして素で防御力高いとか? 何も、そこまで再現しなくても。

 いや、いや。考えてる場合じゃない。早くあいつを倒さないと。

 重力に従うと同時、右手に構えた盾を地面へ向けて、膝立ちのままで着地。

 ……ほんとにヒザに悪いな、これ。次からはやめておこう。

 

「黒いの……! それに、ロムとラムも!」

「もう大丈夫よ、お姉ちゃん!」

「あんな偽物、はやくぶっとばしちゃお……!」

 

 ……違うんすよ……咄嗟に俺が口走っちゃって……だからそんなに睨まないで……。

 いやこの際、後でお叱りでもなんでも受けるから、今はそうじゃなくて。

 

「……お姉ちゃんも、変身しよ?」

「そうよ! 変身すれば、あんな偽物すぐにやっつけちゃうでしょ?」

「それは……」

 

 そうだよ、変身すればいいじゃん。

 

「……ロムとラムは知らないだろうけど、今の私は変身できなくて」

 

 どうして? だって、ロムとラムの記憶が戻ったんでしょ?

 つまり女神であるブランを知っているルウィーの国民が、この世界に戻ってきたってワケで。

 それなら、たぶん。

 

「シェアエネルギーが回復してる……? これなら……!」

 

 さあ、一緒に声を重ねて!

 

『変身!』

 

 放たれた光は白いプロセッサユニットへと形を変えて、俺の右半身へと収束していく。背中にはブランの物と同じ、四角い透明の片翼。髪の色も右半分が空色になって、右の瞳が赤色に染まる。

 得物はブランと同じ大きなハルバード。ずしんと重たい音を立てながら、地面に突き立てた。

 隣にはいつも通りに変身したブランの姿。そして俺達が対峙するのは、偽りのホワイトハート。

 そして、ここには俺が居て。

 

「ホワイトハートが三人。粋な計らいでしょ?」

 

 ………………あれ。

 な、なんで二人ともそんな目で見てくるのさ。たまにはいいじゃん、通りすがりの真似したってさ。

 

「前々から思ってたけどよ、お前ってほんとにキャラがブレブレだよな」

 

 やめろッ! 微妙に気にしてることピンポイントで指摘しないでっ!

 ……いや、もうブレるのがデフォのキャラで行こうかな。その方が面白そうだし。

 

「よく分からないけど、変身したところで私に勝てると思ってるの?」

 

 うん、思ってる。

 もしかすると、君ってこういうのに弱いでしょ。

 

「なに……?」

 

 訝しむホワイトハートに見せつけるように、大きな斧を掲げる。それと同時に、左手に盾を。

 すると俺の持っていた盾は、ひとりでにふわりと浮かび始めて、中央から二つに割れた。まるで弧を描くように変形したその盾は、ハルバードの刃が着いてないほうに、がちゃり、と合体。

 大鎌、でいいのかな。ぶんぶんと振り回すと、重さのバランスが合い始めたのか、割と手に馴染む。

 ……重要なのは、刃の部分に盾が使われてること。さっきの障壁を壊したこともあって、多分俺のシェアエネルギーは、あのホワイトハートに何らかの影響を与えるんだと、思う。

 だから俺が道を切り拓いて、トドメはブランが。

 

「……ああ、いいぜ。乗ってやるよ」

 

 ブランと顔を合わせて頷いた次の瞬間、目の前に吹雪が迫る。

 さっきまで放たれていた細いレーザーとは全然違う、津波みたいな光線。

 でも、きっと、()()()

 地面から這うように、大鎌を掬い上げると、放たれた斬撃が吹雪を真っ二つに割った。

 開いた道をそのまま駆けて、続いて襲い来る細いレーザーを鎌の刃で防ぐ。二撃、三撃目は左右に移動することで回避。四撃目を跳躍して躱し、そのままホワイトハートの前に。これで、三度目。

 すぐさま彼女が手を翳すと、そのままホワイトハートを包み込むように、透明な障壁が築かれる。

 

「だりゃああああっ!」

 

 ぶん! と勢いよく鎌を振りかざすと、その刃が障壁へと突き刺さり――ホワイトハートの目と鼻の先で、止まる。にやりとした彼女の笑み。すぐさま、レーザーの銃口がこちらへ向けられた。

 ……届かない? いや、違う――

 

「届かせるんだよッ!」

 

 上空から響く声に、ホワイトハートが目を見開いた。

 そのまま上から降ってくるブランが、握った斧を勢いよく振り下ろす。その先にあるのは、障壁に突き刺さったままの、俺の大鎌。がぎん、という音と共に、ブランの斧が、俺の鎌を上から圧しつける。

 体が吹き飛ばされそうになるほどの、衝撃。それと同時に響き渡るのは、薄いガラスの割れる音。

 そして。

 

「…………どう、して」

 

 ブランの放った斬撃が、ホワイトハートの体を、薙いだ。

 左肩から右の腰にかけての袈裟斬り。傷口から黒い粒子をまき散らしながら、地面へと落ちた。

 

「変わりたいって願ったのは、あなたじゃない……今の自分を嫌っているのも、本当のことなのに。だから私は、あなたを救おうとして……あなたの夢を。叶えてあげたかっただけなのに……」

 

 縋るように手を伸ばす彼女の傍で、変身を解きながら、ブランが一言。

 

「私の夢は、私だけのものよ。勝手に叶えないでくれる?」

 

 言い放った言葉に、ホワイトハートが目を見開いた。

 

「……それでは、あなたはその夢を叶えたまま、一生変わらないでいるつもりなの?」

「それが皆の望むことならね。わざわざ、皆の好きなルウィーを変える必要なんて、どこにもないもの」

「でも、それは縛られているということではないの? もっと、自由に生きたいとは思わないの?」

「さあね。少なくとも、私は縛られているとは思っていないわ。だって」

 

 するとブランは、笑顔で駆け寄ってくるロムとラムの二人を見つめながら、

 

「あの子たちみたいに、私に笑顔を向けてくれる人がたくさんいるもの。だったら、私は皆が笑ってくれる今を変えたくはない。変わることのない平穏な日常を守りたいって、そう思えるの」

 

 柔らかな笑みを浮かべて、そう答えた。

 

「……そう。あなたは、夢を夢として抱ける人だったのね」

 

 四肢はもうほとんど崩れ落ちている。黒い粒子に包まれながら、ホワイトハートは呟いた。

 夢を夢として抱く。それはとても残酷な選択だけど、変わらない今を守るために必要なこと。

 ……やっぱり、夢は夢だからこそ美しいのかも、しれない。

 

「さようなら、ルウィーの女神様。どうか、変わることのない、静かで平穏な日々を」

 

 その言葉を残して、ホワイトハートは黒い粒子となって、消えた。

 それと同時、体の中にさっきよりも濃い力が流れてくる。

 心の中で違和感と共に暴れていたそれは、しばらくすれば馴染んでくれた。

 

「お姉ちゃん、かっこよかったわ!」

「ありがとう」

「やっぱり、お姉ちゃんが偽物をぶっとばしてくれた……!」

「……黒いの、後でちょっと話をしましょうか」

 

 え、いや、この流れでですか……まあ、ああいった手前、逃げるわけにもいかないけどさ。

 

「そういえば、この凍らされた人たちはどうするの?」

「ロムとラムがやったんだから、元通りにもできるでしょ」

「みたいですわね。でも、さすがにこの量をあの子たちに任せるのは酷ではなくて?」

「見たところ凍らされているっていうより、氷で包まれてるって感じです。時間をかけて周囲の氷を砕けば、私達でも助けられるかもしれません」

「なら早く手伝いましょ。いつ手遅れになるかも分かんないんだし」

 

 そうだね、じゃあ手分けして、みたいな話の流れの中で、ふと何かを忘れていることを思い出す。

 とても大事なことだと思う。忘れちゃいけない何か。そうした思考が頭の中を過ぎった瞬間、急に心の中にもやもやとした感情が湧いてくる。不安や焦燥というよりは、明らかな違和感。

 そうして、心の靄が晴れたその瞬間、俺は思わず口を開いて。

 

「そういえば、ピーシェとプルルートは――」

 

 続く言葉をかき消したのは、教会を揺るがすほどの轟音だった。

 天井が割れて、その先から何かが落ちてくる。人影だったと思う。そして、あの高さから落ちてもその人影はなお、すぐに立ち上がる。煙が晴れた先に立っていたのは、淡い紫の髪を揺らす、その人で。

 

「プルルート!」

 

 名前を呼ぶと、プルルート――否、アイリスハートは、その瞳を俺へと向けた。

 

「あら、ねぷちゃん。久しぶりねえ」

「久しぶりっていうか、今までどこに……」

「ずっとルウィーにいたわよ? それで、あいつと遊んでたのよ」

 

 あいつ? と首を傾げると、プルルートが握る剣の先を、穴の開いた天井へと向ける。

 指し示された方へと目を向けたその瞬間――俺は、言葉を失った。

 

「……う、そ」

 

 ルウィーの空に浮かんでいるのは、一人の女性だった。

 髪の色は太陽を閉じ込めたかのような、輝く黄金。身に纏うのは、虎の爪のような手甲が特徴のプロセッサユニット。目を惹くのはとんでもなく大きな胸で、いや、それよりも、橙色の瞳の中央、その瞳孔が明らかに、電源マークを模した女神の、もので。それは、彼女が女神であることを確かに示していて。

 どうして? いや、なんで? プルルートと同じ? でも、シェアクリスタルはどうやって?

 疑問の渦に巻き込まれる。溺れる俺を救い上げたのは、アイリスハートの言葉だった。

 

「よければ名前を聞かせてくれるかしら? これだけヤり合えたの、あなたが初めてだもの」

 

 ……駄目、だ。聞きたくない。聞いちゃいけない。だってそれ聞いたら、彼女が女神になってしまったことを、認めることになっちゃうから。

 それでも、宙に浮かぶ彼女は、とても純粋に目を輝かせて、こくりと頷いてから。

 

「私はイエローハート! 新しい女神だよっ!」

 

 声を高らかに、イエローハート――ピーシェは、そう答えた。

 

 

 




運命は、変わらない。変えられない。変わることは、決してない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17 ファンファーレ/女神の目覚め

月一更新滑り込みセーフ
いろいろ忙しかったから許して……


 

「イエロー……ハート……?」

 

 困惑したネプテューヌの声に、はたと我を取り戻す。

 イエローハート。幻想の中に消えていった、理想郷(エディン)の女神。人の手によって造り上げられた、ある可能性のうちのひとつ。とある少女の末路だった。

 ……どうして? この次元にエディンは存在しないし、アネノデスもいないはず。

 そもそもイエローハートが産まれる理由が、新たな女神を擁立する必要がないのに。

 けれど、あの黄金を彷彿とさせる佇まいは、イエローハートのもので。

 

「あれ、みんないる……そっか、みんなも私と遊んでくれるんだ!」

 

 無邪気な笑みを浮かべたかと思うと、彼女は宙を蹴ってこちらへ飛んでくる。

 ……まずい!

 

「ブラン!」

 

 呼びかけた時、既にブランはイエローハートの攻撃を受け止めていた。けれどその威力を殺しきれなくて、体が後方へと吹き飛ばされる。なんとか着地はできたみたいだけど、見開かれたその双眸が、彼女の異常さを物語っていた。

 

「いきなり何なのよこいつ! ロムちゃん、やっちゃお!」

「うん、ラムちゃんと一緒なら――」

「駄目だ、二人とも! 全力で避けろ!」

 

 直前に響いたブランの叫び声に、二人が構えていた武器を下ろし、左右へ跳躍。

 そして次の瞬間、イエローハートの放った拳が、大地を撃ち砕いた。

 

「なぁっ……!?」

 

 かッ、火力! 火力やばい! そりゃブランが吹き飛ばされるわけだ!

 めくれ上がった地面がまるで波のように膨れ上がって、上空から破片を降り注いでくる。大きな塊は無理やり避けて、小さな破片は盾で受け止めて。

 皆の事なんて考えてられなかった。立ち上がる砂煙を手で払いつつ、互いの距離を確認。ロムとラムはブランの処に退いてて、他のみんなもイエローハートとの距離は取れてる。

 だから今、彼女と一番近くに居るのは――

 

「もーらった!」

 

 声が聞こえると同時、足首を女神化させて後方へと跳躍。振りぬいたイエローハートの拳が、俺の頬を掠めた。どろりとした生ぬるい感触が、顔の右半分を埋め尽くす。

 ……普通こういうのって、つー、みたいに血が流れるはずなんだけど。

 どろっ、ってなんだよ。これ、切られたってより抉られたって感じだ。

 

「むぅ、しっぱい! じゃあもういっかい!」

 

 なんて俺の愚痴なんて知る由もなく、イエローハートはもう一度俺へと向かってくる。

 ……受け止めるのは止めたほうが良い。また避けないと。

 でも、どこにどうやって? 何をしてくるのかも分からないし、確実に避けられる保証もない。

 そうやって後手に回るよりは、イチかバチか盾に賭けてみたほうが……

 

「あ!」

 

 なんて、盾を構えようとしていたその瞬間、イエローハートがその足を止める。そしてその直後、眼前に迫っていた緑色の光弾を、右脚で打ち上げた。

 瞬きすら許されないほどの、刹那の光景だった。跳ね返された弾が天井を突き抜ける。ぱらぱらと、破片が落ちる音が聞こえるほどの静寂が、あたりに響いていた。

 

「そんな……嘘でしょ? どんな反応速度してんのよ……!」

 

 震えるユニの呟きに、彼女がくるりと首を回す。

 

「……先にあっちからやろーっと! いくよー!」

「っ!」

「させませんわよ!」

 

 そうやって駆けだしたイエローハートに、ベールが上空から切りかかる。

 

「む、やめてよおねーさん! おねーさんからやっちゃうよ!」

「構いませんわよ、やれるものならですけど! ノワール!」

「ああもう、あなたってこういう時は無茶するわよね、ほんとに!」

 

 なんて叫びを上げながら、槍で手甲を弾くベールの後ろからノワールが滑り込み、握った剣を振るう。両手を無効にされたイエローハートに対する逆袈裟。さすがのイエローハートもこれは予想できなかったらしく、朱に染まった目を見開いていた。

 いける、これなら――

 

「まだまだーっ!」

 

 がいん、と。

 体を翻しながら放ったイエローハートの蹴撃が、ノワールの剣を吹き飛ばした。

 

「な……っ、足癖悪いわよ、あなた!」

「言ってる場合ではありませんわよ! 今すぐこちらへ退いて……!」

「逃がさないよっ!」

 

 着地と同時、地面が爆ぜる。同時にイエローハートの体が、ノワールの眼前へ。

 既に拳は振り上げられていた。逃げ場はない。介入の余地も。ここからじゃ誰も間に合わない。とすれば、俺が盾を投げるか。いや、それも駄目。届く前にやられる。

 まずい。このままじゃ、ノワールがやられ――

 

「ちょっと」

 

 放たれた拳は、ノワールの眼と鼻の先でぴたりと止まる。

 腕に絡みつく剣によるものだった。昏い紫を携えた、漆黒の蛇腹剣。不思議そうにそれを見つめるイエローハートが目で追った先、対面するように立っていたのは。

 

「最初に相手をしてたのは私のはずよねぇ?」

 

 不機嫌そうに彼女を睨む、アイリスハートだった。

 

「あ、最初のおねーさん! わすれてた!」

「勝手に他の女に乗り換えられるの、気分がよくないわぁ」

 

 なんてため息と共に呟きながら、イエローハートの腕に絡まっていた剣を元に戻す。彼女も彼女で相手をすり替えたらしく、困惑とともに後ずさるノワールのことは、眼中にないようだった。

 

「私、他人で遊ぶのは好きだけど、遊ばれるのは嫌いなのよ」

「ぴぃはすきだよ! あそんでくれるひと、みんなだいすき!」

「そうなの……だったら、完全にイっちゃうまで付き合ってあげる!」

 

 ぴしゃん、と蛇腹剣を地面に叩きつけた次の瞬間、二人が衝突した。

 まず飛んできたイエローハートの拳を、アイリスハートが回避。そのまま後ろを取って、真上から剣を振り下ろす。遅れてやってきた斬撃をイエローハートが受け止めるけど、その間にもう二度、三度アイリスハートが剣を振るう。それらを全部防ぎきってから、イエローハートの放つ蹴りを、これも紙一重で回避。

 余裕って感じじゃない。けれど、そこまで突き詰めているわけでもない。

 実力はほぼ互角。それはつまり、それだけ傷つけ合う時間が増えるわけで。

 ……駄目だ。

 

「ちょっと、何やってるのよ黒い私!」

 

 パープルハートの制止も振り切って、激突する二人の間へと駆け出した。

 

「……っ、ねぷちゃん! 勝手に割り込まないでくれる!?」

 

 本気で苛立ったようなアイリスハートの声も、今は無視。

 ちょうど二人が距離を取ったところで、盾を構えつつイエローハートと対峙する。

 

「おねーさん、だれ?」

 

 ――覚えてないのか、やっぱり。

 でも、ここまでは想定内。原作でもそうだったから、驚くようなことじゃない。

 ……それでも悲しいのは事実、だけど。

 

「邪魔するなら、先におねーさんからやっちゃうよ!」

 

 それでもいい。プルルートと傷つけ合わないのなら、それで構わない。

 プルルートが、それもこの次元のプルルートが彼女と傷つけ合うなんて、それはあまりにも。彼女たちは、そのためにこの世界に生きているわけじゃない。家族として生きてるんだ。

 だから。

 

「ピーシェ」

 

 少女の名を。偶像と化す前の名を。女神でも何もない、ただの彼女の名を。

 正直なところ、何か作戦があるわけでもない。ぶっつけ本番、行き当たりばったりで彼女の前に立っている。無謀だと思う。ああ、また間違えちゃった。ネプテューヌも今回はさすがにガチギレするのかな。

 ……でもまあ、それくらいなら、いっか。

 

「……ピーシェ?」

「そう。君は、ピーシェ」

「私が……?」

「……家族だったんだよ、私達は」

 

 こてん、と首を傾げながら、ピーシェは興味を示したようで、ふわりと俺の前へ降りてきた。

 

「私とおねーさんが、家族?」

「……そう。嘘みたいな話だけどさ。でも、君は認めてくれた」

 

 ちょっと傲慢が入るかもしれないけれど、それでも俺はそう思ってる。

 だから今、俺はプルルートとの間に立って、こうやって向かい合ってる。

 

「俺はプルルートを悲しませたくない。それは、君も同じ。同じだった、はず」

「ぷるるー、と?」

「これからずっと一緒に居られるって、離れ離れになんかならないって」

 

 ぶらんと垂れるイエローハート手を、両手で優しく包み込んで。

 

「……だから、もう帰ろう?」

 

 そうやって、ぎこちないだろうけど、精いっぱいの笑みを浮かべた俺に。

 イエローハート――否、ピーシェは、にかりと太陽のような笑みを浮かべて。

 

「やーだっ!」

 

 ――衝撃が訪れたのは、彼女の声が聞こえたのと同時だった。

 閃光にも似た白い景色は、耳鳴りと共に訪れた。晴れた視界に見えてくるのは、横たわった世界と、そこに立つイエローハートの姿。軋む体を立たせると、ずるり、という変な音が左腕から聞こえてくる。同時に体が揺れるような、奇妙な違和感。けれどその正体を突きとめるのは、ピーシェが許してくれなかった。

 

「ぴぃに帰るところなんてないもん! ぴぃはずっと、遊んでたいの!」

 

 …………っ、この!

 

「この、わからずやっ!」

 

 向かってくる彼女に盾を構えようとして、そこで初めて、違和感の正体に気が付いた。

 伸ばした左腕の先、そこからは夥しいほどの血が流れていて――

 

「……あれ?」

 

 腕が、ない。

 そこにあるのは強引に破られた皮膚と、引き千切られた肉と血管で。

 

「あ……っ、うそ……!?」

 

 それを認識して、ようやく悶えるほどの痛みが襲ってきた。思わず声を上げそうになるけど、必死で耐えて、もう一度イエローハートの方を見据える。

 多分さっきので捥がれたんだろう。それはもうしょうがない。それで腕がないとなると、盾も吹き飛ばされたはずだから、回避をしなくちゃいけないわけで、となるとまず体勢を――

 

「つかまえたっ!」

 

 思考を重ねている瞬間に、飛びついてきたイエローハートに、右脚を掴まれる。そのまま彼女は俺の脚を掴んでを頭上へ持ち上げると、勢いよく俺の体を地面へと叩きつけた。

 肺が潰れるような感覚。頭がぐらぐらと揺らされて、朦朧とする意識の中、二度目の地面との激突。既に視界の半分は潰されていて、彼女の立っている床は、俺の血で赤く染まっていた。

 けれど、イエローハートが止まることはなかった。そのまま何度も何度も、何度も何度も何度も何度も地面へ叩きつけられる。意識が途切れ途切れになってきて、次にはっきりと覚醒したのは、背中に鈍い痛みを感じた時だった。

 

「あぐ」

 

 浮遊感は既に消えていて、全身に走る痛みが生きていることを証明してくれた。

 ……解放された? なら追撃が、くる。とりあえず、体勢を立て直して――

 

「あれ?」

 

 壁に手をつきながら立ち上がろうとして、気づけばもう一度地面に伏せていた。それが不思議で、もう一度立ち上がろうとしても、すぐに膝をついてしまう。同時に右脚から違和感。どうやらそれが原因らしい。

 

「なーんだ。もうこわれちゃったの?」

 

 なんて、つまらなさそうに言うイエローハートが、びゅん、と何かをこちらに投げてくる。

 果たして、俺の目の前に投げつけられたそれは、乱暴に引き千切られたような、誰かの脚で。

 

「い……っ!?」

 

 痛み。どくどくと右脚から流れ出す血を、必死に抑えつける。けれど出血は収まりそうにもなくて、左腕からも血が流れているせいで、だんだんと意識が朦朧としてきた。ふわふわとした感覚は、夢にも似ていた。

 ……いやあ、まさかここまで持っていかれるとは。さすがイエローハート、って感じ。

 原作でも強かったもんな。それに比べて俺は出来損ないだし、そりゃこういう結果になるか。

 段々と思考が落ち着いてくる。なんでだろう? 死ぬ覚悟が出来たからなのかな。

 ……落ち着きというより、諦め、なのかもしれない。

 

「随分と好き勝手やっているようだな、イエローハート」

 

 ほぼ失われていく視界の中、そんな声が聞こえる。

 

「あ、おそかったね、おばさん!」

「いいか? 次にその呼び方をしたら私も容赦しないからな?」

「えー? でもおばさん、おばさんじゃん!」

「こっ……このガキ……!」

 

 あれは……マジェコンヌかな。やっぱりあいつが関わってたのか。

 というより、今のうちに確保しないと。ようやく姿を見せたんだ。今ここで仕留めておかないと、絶対に大変なことになるし。それに何より、ブランやベールのような事件を、もう二度と……

 

「駄目だよ黒いお姉ちゃん! 動いたらまた血が……!」

「ロムは右脚の止血! ラムはそのままヒール続けて! ネプギア、しっかり黒いネプテューヌさんのこと見てなさいよ! 次に意識が飛んだら、そこで終わりと思いなさい!」

 

 ……そっか。そうだよな。俺がこんなんだから、みんなに手間かけさせちゃってるのか。

 ごめんな、何の役にも立てなくて。それどころか、迷惑までかけちゃって。

 

「無様だな、出来損ない」

 

 何も言い返せない。感情的にも、身体的にも。

 

「……あなたがマジェコンヌね? 私の国に何の用?」

「別に用も何もないさ。ただ、実験するのに丁度よかっただけ」

「実験……? じゃあやっぱり、あなたが今回の主犯ってことでいいのよね?」

「おい、なんだその言い方は。私は貴様らを解放してやろうとしただけだぞ?」

 

 ノワールの言葉に、マジェコンヌが睨みながら返す。

 

「まったく、気分が悪い。帰るぞ」

「えー? まだみんなと遊んでないよ?」

「元より今日はただの顔見せだ。それにお前も少しばかり消耗してるようだしな」

「もしかして、このまま帰れるとお思いですの?」

 

 槍を構えつつ、振り返ったマジェコンヌにベールが問いかける。その隣から回り込むように、ブラン。ノワールはベールと挟み込むようになって、最後にパープルハートが上空からブランの対面へ。

 ……人数有利では、ある。上手くいけば、ここで仕留められるかも。

 

「仕方ない。貴重なサンプルを手放すのは少々惜しいが……」

 

 するとマジェコンヌは、イエローハートの方へと振り返って、

 

「自爆しろ、イエローハート。そして私を逃がせ」

「うん、わかった!」

 

 ――――っ!?

 

「だめ!」

「ちょっ、ちょっと黒いお姉ちゃん! 動かないでっ!」

「いいから止めて! 私のことはどうでもいい! あいつを止めて! お願いだから!」

「落ち着いてください黒いネプテューヌさん! それ以上暴れると、血が!」

「そんなもんどうでもいい! 私よりも、イエローハートを! ピーシェを――」

 

 そうやって、押さえつけてくるユニとネプギアを押しのけて、立ち上がろうとしたとき。

 今までこの状況を静観していたアイリスハートが、急に俺のところにやってきて、俺の体を踏みつけた。

 空気が口から漏れる。見上げた彼女の表情は、呆れ切ったような、疲れたようなもので。

 

「怪我人は黙ってなさい」

 

 言い放たれた彼女の言葉に、何を返すこともできなかった。

 

「……なるほど。そいつは賢いな、他の女神どもと違って」

「どういうこと?」

「貴様らのような無謀さを持ち合わせていない、ということだ」

 

 それだけ残してから、マジェコンヌがふわりと空に浮かび上がる。

 

「じゃあな、出来損ない。次に会う時は、せいぜい無様な姿を見せてくれるなよ」

 

 そのまま立ち去る彼女の後を、イエローハートが、ピーシェが追っていくのが、見えた。

 ……なんで行っちゃうんだよ。そんなヤツについてっちゃうんだよ。

 ほんとは止めたいのに、体は動いてくれない。指の一本も動かせないし、何よりもう、一人で立つことすら叶わない。

 ……俺が、出来損ないだから?

 誰かの力を借りることしかできない、一人では何もできないヤツだから?

 今だってそうだ。俺は地面に寝たきりで、彼女は空に飛んでいくばかり。俺一人ではどうにもできない。一人で空を飛ぶことも、そして彼女に思いを伝えることも、何もできない。

 

 ……せめて、空を飛ぶことができるなら。

 どこまででも届く、この世界を駆る翼があるのなら、俺はきっと――

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………これ、生きてますの?」

「ちゃんと生きてますわよ。ほら、息を吸って吐いてる」

「でも腕が一本ありませんわ。それに、足も片方」

「それでも。彼女には生きる意志がある。だから、まだ終わりではありません」

「……さっきから、何の話をしてるのかしら?」

「あら、忘れてましたわ。ごきげんよう、新入り」

「ごきげんよう、偽物のルウィーの女神様」

「あなた達だってそうじゃないの?」

「ええ。同じく、本物に負けたことも」

「残念ですが仕方ありませんわ。夢は、現在(いま)を生きる意志には勝てませんもの」

 

 声が、聞こえる。

 

「……で? ここは結局どこなのよ」

「あら、それはあなたも何となく理解しているのではなくて?」

「それとも、あなたが聞きたいのはここに存在する意味ではありませんの?」

「意味なんてあるのかしら、私に」

「さあ。本当は無いのかもしれませんわ。もしくは、これから見つけるか」

「少なくとも今の私達にできることは、彼女の抱いた夢を終わらせないこと」

「この子に夢なんてあるの?」

「ええ。たった今、ここに産まれましたわ」

 

 どこかで聞いたことのある、声だ。

 

「私たちにできることは、手を貸す事だと思いますわ」

「ええ。同じ夢を追う偽物として、彼女の夢を叶えて差し上げましょう」

「……どうして、そこまで彼女に肩入れするの?」

「強いて言えば、気に入ったから、ですわね」

「ええ。そうですわ。それに、夢は夢だからこそ、美しい」

「であるならば、私達の存在する理由は、それを証明することだと思いますの」

「なるほど。まあ、そうね。悪くないわ」

 

 ……うるさいなあ。

 せっかく人が気持ちよく寝てるのに。ぺらぺら喋りやがって。

 

「あら、そろそろお目覚めの時間ですわ」

「でも、もうすぐ終わりますから」

「……いいわ。私も見届けたくなってきた。あなた達の言う事が正しいのかどうか」

 

 だから、誰なんだよ。俺の中でぶつぶつ話してるのは。

 

「ごめんなさいね、うるさくしてしまって」

 

「でも大丈夫です。後は私達にお任せになって?」

 

「さあ、夢から醒める刻ですわ」

 

 

「――――っ!?」

 

 今のは? 誰? いや、確かに聞きおぼえのある声だった。決して夢じゃないはず。

 どういうことだ? というか今のは何の意味がある? 誰かが俺に何かを残そうとした?

 分からない。いつもこの世界は疑問だらけだ。それでいて、誰も何も教えてくれない。

 

「あ、黒ねぷねぷ! 目が醒めたですか!」

 

 混乱と苛立ちの中、そんなコンパの声が聞こえてきて、我に返る。

 プラネタワーの自室だった。いつものベッドに寝かされていて、今回は包帯とかだけじゃなくて、点滴も打たれているらしい。右腕を持ち上げようとして、肘の内側がちくりと痛んだ。

 ええと、どうなったんだっけ。確かルウィーに行ってからホワイトハートを倒して。

 それからイエローハートと戦うことになって……それ、から。

 

「酷い怪我だったわよ。生きてるのが不思議なくらい」

 

 聞こえてきたのはアイエフの声だった。姿はベッドから離れた扉の傍。

 

「女神が頑丈っていうのは知ってるけど、まさかここまでとはね」

「私もびっくりしたです。こんな大怪我を治療するの、初めてだったんですよ?」

 

 それは……ありがと。感謝してもしきれないな。

 

「でも……やっぱり、無くなったものはダメだったです」

「お手上げらしいわよ。ネプ子は勿論、他の女神様もなんとか手を尽くそうとしたけど」

 

 何の話か分からなくて、首を傾げていると、アイエフがため息と共に答えてくれた。

 

「腕。それに足も。覚えてないの?」

「頭にもいくつか傷害があったですから。どうですか、黒ねぷねぷ? 思い出せるです?」

 

 あー……そういえばなんか、持っていかれたような。うん。思いっきりやられてたわ。

 その時は別のことで必死だったから、忘れてた。いや、自分でもびっくりしてる。普通、腕と足が無くなったこと忘れないよな。でもまあ、あの時は……やっぱり、別のショックの方が大きかったし。あれがああなったときは、本当にびっくりしたよね。

 でもそっか、腕と足、なくなっちゃったのか。それはちょっと残念だな。

 

「ごめんなさいです。元に戻す方法も、何も見つからなくて」

 

 そりゃまあ、仕方ないよ。

 元々、俺が勝手にやったことなんだし。簡単に戻るものとは思ってない。

 けど、やっぱり物悲しいって言うか、これからどうしよう、って言う不安はある。

 義足とか用意してくれるのかな。そうでなくても、杖とか用意してくれれば歩けるはずだけど。

 腕はまあ……他人に任せっきりになっちゃうかも。このままだと、服も一人で脱げやしないし。

 

 ……駄目だなあ。いつまでたっても、他人に頼りっぱなしだ。情けない。

 ピーシェを連れ戻すこともできなかったし、その後を追うこともできなかった。

 俺が出来損ないだから? 役に立たないから?

 一人で空も飛べない、偽りの女神だから?

 

「ちょっと、黒ネプ子……」

 

 どうして、俺は何もできないんだろう。どうして俺は、何者にもなれないんだろう。

 俺のせいでみんなが迷惑してる。いらない心配も、かけさせてる。

 それなのに、俺はただただやられるばっかりで。

 虚しいなあ。それに、とても悲しい。今すぐここからいなくなりたい。

 でも、そんなこと許されない。だからといって、何かができるわけでもない。

 ……いっそのこと、俺の命と引き換えに、全てが元通りになってくれたらなあ。

 

「黒ねぷねぷ、落ち着くです。今は安静にするですよ」

 

 そうやって休んでいたら、ピーシェは戻ってきてくれるのかな?

 

「それは……」

「黒ネプ子、いい加減にしなさい。今あなたが出来るのは、ちゃんと休むことよ」

 

 分かってる。分かってる、けど。それで何かが解決するわけないじゃないか。

 それとも俺は、プルルートとピーシェが傷つけ合うのを、黙って見ることしかできないの?

 だったら、やっぱり俺は何もできないんだ。二人に関わることすらできない。どれだけ手を伸ばしても届かない。この手であの二人を繋ぎ留めることなんて、叶わない。

 ……なんで。なんで、俺は。

 

「なんで俺は、何にもできないんだよっ!」

 

 そうやって、勢いよく振り下ろしたのは――あるはずのない、左腕だった。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 ………………は?

 

「黒ねぷねぷ? それ……何ですか?」

 

 いや、俺に聞かれても……。 

 え? まじでなに?

 知らん……怖……

 

「コンパ、黒ネプ子の左腕は欠損した、って聞いたけど」

「はい。確かにさっきまでは無かったです。十分前にも確認したですよ?」

 

 それじゃあ、これはどういうわけなんだろう。

 普通の腕じゃなかった。白いプロセッサユニットで形作られた腕。全体にかけて緑色のラインが入っていて、それは俺の知る限り、ベールの――グリーンハートのものを模ったように見えた。

 それこそまるで、グリーンハートの左腕をそのまま取ってつけたような、そんな。

 ……まさか!

 

「……どういうことよ、それ」

 

 めくった毛布の下には、引き千切られたはずの右足。それも腕と同じ、白いプロセッサユニットで形成されたもの。違うのは全体に走る光の筋が青色をしていることで、それはブランの――女神ホワイトハートのものを、模ったようで。

 

「わ、私、ねぷねぷたちを呼んでくるです!」

「うん、お願い! 黒ネプ子、あんたはそのまま寝てて……」

 

 これ立てるかな? お、いけそう。ちょっと違和感あるけど楽勝だな。

 腕も簡単に動かせる。義手ってよりは本当に腕が生えてきた感じ。あ、でもプロセッサユニットってつまり、シェアエネルギーで形成したもんだから、実質的には身体の延長とかになるのか?

 とにかくこれで日常生活に支障はないな。あー、よかった。

 ……いやでも、ネプギアにあーんとかされてみたかったよな、正直。

 だって合法じゃん。腕がないんだもん。

 都合よく着脱できるとかないかな? いっちょ引っ張ってみるか。せーの、

 

「やめなさいったら!」

 

 思いっきり引き抜こうとした直前で、アイエフに頭を強く叩かれる。

 そ、そんな勢いよくぶたなくても……

 

「遠坂……」

「だからトーサカって誰なのよっ! 最近気になって眠る前とかに思い出すからやめてくれる!?」

 

 そんなにか。いや、確かにちょっとクマできてるな。ごめんなアイエフ。

 これからはちゃんと呼ぶから。

 

「……本当、意味わかんないわよ。さっきまで沈みかけてたと思ったら、急に腕と足が生えて、元気になるんだもの。あなた、ネプ子並みについていけなくなったわよ」

 

 それはまあ、そうかも。最近自分でもそう思う。

 ……もしかして、ネプテューヌに引っ張られてるのかな? それとも。

 

「にしても、まあ良かったじゃない。しばらく経過を観察して異常がなかったら、復帰できそうで」

 

 そうだね。何より、これできっと――

 

「……ねぷちゃん?」

 

 続けようとした言葉は、そんな問いかけによって遮られる。

 

「プルルート?」

 

 果たして、彼女は開かれた扉の前で、じっと俺の事を見つめていた。そのまま俺と視線を交わすことしばらく、とことことこちらへと歩いてくると、俺のベッドの上へと身を乗り上げてきた。

 う、なんだ。若干太ももとか踏みつけてるから、ちょっと痛いんだけどな。

 

「おけが、ない~?」

 

 怪我……まあ、あったけどなんとかなったよ。

 それにほら、腕も足も元通り……ってわけじゃないけど。カッコよくなったでしょ。

 

「でも~、痛かったでしょ~」

 

 そりゃ、まあ。正直、泣きたいくらい痛かったよ。でも、もう大丈夫。

 これならもう一度ピーシェが来ても、プルルートじゃなくて俺がなんとか……

 

「ねぷちゃんも、私の家族だよ?」

 

 ……え?

 

「お姉ちゃんもねぷちゃんも、みんなも同じ家族なの。だから、ねぷちゃんだけが傷つくのはおかしいよ。だったら、わたしも一緒にがんばる。がんばって、お姉ちゃんを取り戻すから」

「プルルート……」

 

 ……そっか、そうだよな。よく考えれば分かることだよ。

 俺はプルルートには傷ついてほしくない。それと同じで、プルルートも俺に傷ついてほしくなかったんだ。それだけ、プルルートは俺の事を大切な存在だと思ってた。なのに俺は、勝手に俺だけで背負ってて。

 信じてなかったんだ。プルルートのことを。プルルートが寄せてくれた信頼を。

 ……ああ、もう。どんだけ馬鹿なんだろうな、俺は。

 

「プルルート」

「うん」

「一緒に、お姉ちゃんを……ピーシェを、迎えに行こう」

「……うん! いっしょに、ね!」

 

 頷くと、プルルートはにっこりと、朗らかな笑みを浮かべてくれた。

 ……そうだよ。こうやって、また三人で笑える日が来るはず。

 弱音を吐いてる暇なんてない。プルルートを、それに自分を信じて、前に進まないと。

 

「ちょっとー? できれば私たちも仲間に入れてほしいんだけどー?」

 

 なんて茶化すような声と共に、現れたのはネプテューヌとネプギア、それにイストワールで。

 

「私たちも、ぷるるんやピー子と一緒に暮らしてきた仲なんだから! 二人だけにいいカッコさせないよ! 特に黒い私とか、また無茶して今度は両手両足無くしてきそうだからね!」

「そういえば、もう大丈夫なの? コンパさんがすごい顔で呼んできたけど……」

 

 ああ、それね。なんか生えてきてさ。ほら見て。

 

「うおおー! なにそれめっちゃカッコいい! ズルいズルい!」

「……あなたは、本当に何でもアリですね」

「いーすん、私もあれできないかな!? ラステイションのシェアとかちょっと借りてさ!」

「ネプテューヌさんは今ので我慢しててください!」

 

 でも分かるぞネプテューヌの気持ち。これ自分でもカッコいいって思うもん。

 変身できない代わりになんかこう、その場しのぎの急ごしらえモードっていうか、切羽詰まった状況感が出ていいよね。男の子はそういうのに憧れるから。

 

「お姉ちゃんたちのツボ、たまにわからなくなるんだけど……」

「いいのよ、ネプギア。勝手にやらせておきなさい」

 

 困惑するネプギアに、アイエフがそうやってため息をひとつ。

 

「とにかく、今後の計画を練らないといけません。黒ネプテューヌさん、歩けますね?」

 

 余裕。今ならフルマラソンも完走できそう。

 

「なら場所を変えましょう。お二人とも、こちらへ着いてきてください」

 

 

 果たして、イエローハートの襲撃の後、俺は三日間ほど寝たきりだったらしい。 

 その間にルウィーの国勢は順調に回復。影響も多少は残っているが、おおむね解決に向かっているらしい。だけど未だマジェコンヌ、並びにイエローハートへの警戒態勢は健在。大きな事件は過ぎ去ったが、未だ気が抜けない状況になっている。

 イエローハートについての情報は、今のところ不明となっている。

 なっている、っていうのは変身者がピーシェであるということを、国民には伏せているということ。ピーシェはネプテューヌやプルルート、俺と違って一般の市井の人間なのだ。それが単純に操られるどころか、女神化して暴走させられるとなると、国民に不安を煽ることになってしまう。だから今、イエローハートがピーシェだということを知っているのは、あの場に居た全員と、そしてここにいるコンパとアイエフ、イストワールだけ。

 まあ、正直それは些細な問題だ。もっと大きな課題となること、それは。

 

「マジェコンヌとイエローハート、それぞれが同時に別の場所で現れることですね」

 

 モニターに映ったゲイムギョウ界の地図を眺めながら、イストワールがそう告げた。

 視聴覚室あるんだな、プラネタワー。まあボウリング場もあるしおかしくはないか。

 

「正直、マジェコンヌへの対策ってまだ無いもんね」

「それにイエローハート……いや、ピーシェちゃんを元に戻す方法も分からないし……」

 

 ネプテューヌとネプギアも同じようにため息を吐いていた。

 こういう仕草のタイミングが同じなところ、結構姉妹って感じがするな。

 

「どこかにおびき出せないですか? 何か餌になるものを用意すれば」

「なにが餌になるか、よね。そこもまだ分からないし、正直あいつらの目的もよく分かってないもの」

 

 アイエフとコンパも顔を見合わせながら、そうやって話を続けていた。

 手詰まりって感じがするな。正直、打つ手が……

 

「ねぷちゃんは~? どうおもうの~?」

 

 ……一個だけ、ある、のかなあ?

 

「黒い私? 何かいい考え、あるの?」

 

 考え、っていうかほとんど勘っていうか、もしかすると、って感じなんだけど。

 

「いいわ、話して。この際、推測でもなんでもいいから」

 

 まず、この事件はリーンボックスから始まったでしょ?

 リーンボックスでベールの妹、つまりベールの偽物が表れた。それが解決すると次は、ルウィーにホワイトハートを騙る女神、ブランの偽物が表れた。その事件もついこの間に解決した。

 ここまでは正直みんなも解ってると思うんだよ。自分で言ってアレだけど、分かりやすいし。

 

「問題は、次に襲われるのはラステイションかプラネテューヌのどちらか、ってことだよね?」

 

 ネプギアの言う通り。おそらく次に襲われるのは、その二国だと俺も思う。

 そんでもっておそらく、次に襲われる国もほとんど決まってる。

 

「どうやってそう判断したんですか?」

 

 たぶんこの順番に法則ってないと思うんだ。最初に事件が起きるのがルウィーだったかもしれないし。次がラステイションで、最後がリーンボックスとプラネテューヌの二択になってもおかしくはない。その逆でもいい。最初と二番目はあんまり重要じゃないんだ。

 

「……ん? どうしてプラネテューヌだけは最後の二択に入ってるの?」

 

 そう、そこだよ。プラネテューヌだけは、多分最後の二択に入ってくる。

 今までの事件を整理すると、それぞれの国家に、それぞれの女神を騙る偽物が出てきたんだ。それでその偽物をやっつけると、また次の国家に女神の偽物が出てくる。次もおそらく同じ。そして、最後も。

 ……こうなってくると、もうほとんど答えを言ってるみたいなもんだけどさ。

 

「プラネテューヌには、俺が居る」

 

 つまり、もうパープルハートの偽物は表れてるってわけ。

 でも俺が表れたのは、最初のベールの事件が起きる前。その間にプラネテューヌで大きな事件が起こることはなかったし、多分これからも起らない。だって俺、起こす気ないもん。

 となってくると、今まで女神の偽物がひとつも出てない国があって。

 

「そうだね。ということは……」

 

 地図の上、皆の視線が集まったその先は。

 

 

「ラステイション――きっと、そこが最終決戦の場所だよ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18 警告:ノワール暴走中

 18 警告:ノワール暴走中

 

 ノワールは、誰よりも女神らしい女神だと、俺は思う。

 別に他の三人が女神らしくない、ってわけじゃない。いや、それもちょっと語弊があるな。ブランはまだしも、ベールとネプテューヌは……うん、これ以上は怒られそうだしやめよう。

 彼女にとって、女神とは在り方ではなく使命なんだろう。ネプテューヌのような生まれついての女神ではなく、自分は女神である、という信念を確かに持っているということ。女神というものを与えられたものではなく、選ばれたもの、と捉えられるのが、ノワールという少女の強さなんだ。

 それは他の女神に比べて劣っているっていうわけじゃない。むしろ、凄いことだ。自分が何者であるかをしっかり理解して、その役割に殉じること。それは誰にでもできることじゃない。

 だからこそ、ノワールは女神として在り続けているのだと思う。

 同時に、誰よりも女神という役割(ロール)に囚われている女神だとも、思う。

 女神とは人々の導きとなる者、国をその一身に背負う者。後ろを振り返ることはできず、ただ自分を信じて前に進むしかない、そんな在り方を定められた者。共に並び立つ者はなく、孤独を宿命づけられた、この世界の機能(システム)として存在する者。

 ノワールに充てられた役割(ロール)とは、そういうものだ。投げ出すことなど許されない。逃げることも、誰かに擦り付けることも。それは呪いと呼ぶに相応しいものかもしれない。

 けれどノワールは、それを受け入れた。女神であり続けることを択んだ。自らの国を守るため、迷える人々を導くため、そしてこの世界の均衡を保つために、ノワールは自身を捨て去ったんだ。

 きっと本当は、誰よりも普通の少女に憧れていたんだと思う。女神としてではなく、ただの少女としての在り方に焦がれていたんだとも、思う。でもそれは叶わない。ノワールという少女は女神だから。女神としてでしか在れない少女、それこそがノワールという存在なのだから。

 何色にも染まらぬ黒い心。名は体を表す、っていうわけじゃないけど、ノワールにはそうした強さがある。残酷な役割(ロール)から逃げ出す弱さも、叶わない少女への憧れにも揺れ動かない、確たる意思。たとえどんな障害が立ちはだかろうと、使命と誇りを胸に前へ突き進む。そうして切り拓かれた道に人々が集い、ラステイションという国は造り上げられたんだ。

 だから、ノワールはこれからも女神であり続ける。どんな苦難が降りかかろうと、そこに女神としての使命がある限り、ラステイションという国があり続ける限り。

 

 そう、俺は何の根拠もなく、思っていた。

 

『本日はゲイムギョウ界に住まう皆様に、大事な報告があります』

 

 携帯の小さな画面だった。ゲイムギョウ界全土へ向けてのライブ配信。珍しく敬語で喋っているノワールの姿に、俺はそれとない違和感を覚えていた。同時に、一抹の不安が脳裏を過ぎる。傍で同じようにそれを聴いているアイリスハートも、同じような感覚を覚えていたのだろう。

 ……違う。ノワールがそんな事を言うはずがない。俺はノワールのことを全て知ってるわけじゃないけど、それだけは確実に言える。彼女の背負う苦しみも辛さも何も知らないけど、その強さだけは知っている。これはひと時の夢、ブランやベールと同じような、一握の憧れなんだ。

 けれど、俺のそんな身勝手な願いなんて、届くはずもなくて。

 

『私、ノワールは本日をもって、女神を引退することをここに宣言します』

 

 小さな画面に映るノワールは、何事もなかったかのように淡々と、そう告げたのだった。

 

 

 事の発端は、ノワールより言い渡されたラステイション近辺の調査からだった。

 ノワール本人からの頼みだった。次の標的がラステイションである可能性が高いこと、それに居なくなってしまったピーシェの代わりを引き継いでほしいということ。断る理由はなかった。

 プルルートとの二人での行動になった。元より組まされることが多かったし、今のところ自由に動けるのが俺と彼女しかいないし。そして何より一人にしてあげないでほしい、ということだった。ピーシェの代わりというのは、そういう意味もあった。

 内容は以前から確認されていたエネルギーの発生源の調査報告、並びに経過観察。リーンボックスの事件が起きる前に調査した時のアレだ。モンスターが異常発生した原因になってて、俺がそれを報告しなかったらノワールに怒られたやつ。ここまで言えばわかってくれるかな。

 前回確認したときはルウィーとラステイションの国境周辺だけだったけど、調査を進めていくうちに、その発生源はラステイションの深部にまで及んでいることが明らかになった。

 今回はちゃんと逐一報告している。ただ、その発生条件は不明のままで、いくら俺がそれを吸収できるといっても全てを処理するのは難しいことから、不用意に手を出さないよう指示されている。

 だから俺達がやってるのは、日に日に増えていく発生源を発見しつつ、地図に書き記してからノワールへ報告するといった単純な作業。別に嫌気がさしているというわけでもないけど、すぐに動けないもどかしさも感じていた。もっと言えば、イライラしてた、って言っても間違いじゃないと思う。

 そんな、どこへも向けられない感情を抱えながら、地図を片手に今日もラステイションへ。

 この作業を振られてから二週間、ルウィーの事件からは三週間。

 つまりピーシェがいなくなってから、実に一月が経っていた。

 

「ねぷちゃん~、だいじょうぶ~?」

 

 プルルートの呼びかけに、どうしてか言葉を返すのが躊躇われた。

 大丈夫……ってわけでもないんだろうな、今の俺は。すごく不安だし、怖い。

 そりゃ、前向きに考えたいとは思ってる。何とかしてピーシェを取り戻してから、マジェコンヌをブッ飛ばして大団円、みたいな結末を望んでるさ。けれど、そんな簡単にいく訳がない。本当にピーシェはピーシェのまま帰ってきてくれるのか、マジェコンヌを倒す事なんてできるのか、そんな考えがいつも頭を過ぎっている。

 ……こんな考えに至ってる時点で、大丈夫じゃないよな。

 

「心配ないよ~。お姉ちゃんは、ぜったい戻ってくるから~」

 

 どうして……どうして、プルルートはそう言えるのかな。

 プルルートにとって、ピーシェは唯一の家族じゃなかったの?

 絶対に離れちゃいけない、この世界で二人といないお姉ちゃんじゃないの?

 そんな大切な人がいなくなったのに、どうしてプルルートはいつも通りでいられるの?

 どうして君は、俺みたいに悩んだり、怖がったりしてないの?

 

「……私も、心配だよ? お姉ちゃんがいなくなっちゃうかも、って思ってる」

 

 じゃあ。

 

「でもね。私、信じてるんだ~。お姉ちゃんのことも~、ねぷちゃんのことも~」

 

 ……俺のこと、も?

 どうして? 俺は一人じゃなんもできない、出来損ないだぞ?それこそプルルートに頼らないと、空も満足に飛べやしないダメ女神なのに。ピーシェを必ず取り戻すって、そんな保証もできないのに。

 それなのに、どうして俺の事を信じられるの?

 

「でも、ねぷちゃんはお姉ちゃんを助けること、諦めてないんでしょ~?」

 

 それは、そうだけど。

 

「だったら、私は信じてるよ、ねぷちゃんのこと」

 

 ……そう、か。そうだよな。

 ピーシェのことを諦めたわけじゃない。諦めるわけがない。どんなことがあっても必ず助けるって、そう誓ったんだ。それならもう、自分自身を信じるしかないよな。

 プルルートはもうそれを理解してたんだ。だから不安も恐怖も感じるはずないんだ。

 ……情けないなあ、俺。そんなことも分かんなかったなんて。

 

「ありがと、プルルート」

 

 恥ずかしくなって、小さな呟きになってしまった俺の言葉に、けれどプルルートは満面の笑みで返してくれた。それだけでどこか、救われたような気がした。

 やがて俺達が辿り着いたのは、ラステイションの中心部から少し離れた、小さな洞窟だった。

 不思議とモンスターはいなかった。普通ならこういう洞窟にはモンスターが少なからず生息しているはずだが、スライヌの一匹たりともいない、というのはかなり珍しかった。

 万が一に備えて盾を展開してから、洞窟の奥へと進んでいく。ここはまだ調査が及んでいない場所だった。果たして鬼が出るか蛇が出るか、それとも――

 

「ねぷちゃん、あれ~」

 

 プルルートの呼びかけと同時に、俺もその姿を捉えた。

 

「やっぱりここにもあったね~」

 

 地表から湧き出ている黒い靄のようなもの。間違いない、エネルギーの発生源だ。

 ……そろそろ名称とか決めたほうがいいんじゃないかなあ、これ。

 

「もやもやとかでいいんじゃないの~?」

 

 それだと曖昧すぎるしなあ……シェアエネルギーの反対でアナザーエネルギーとか。

 

「あんちょく~」

 

 そッ、そんな……。割といいセンいってると思ったのに……。

 予想外の言葉に落ち込みつつも、とりあえず地図へちゃんと印を入れる。

 アナザーエネルギーの発生源の総数は既に百を超えていた。それはルウィーとラステイションどころか、プラネテューヌにも浸食している。海を挟んだリーンボックスには、あまり確認されてないみたいだけど。でも安全っていう保証にはならないよなあ。

 ……いちばん悲しいのは、この現状に対して何も動けないってことなんだよな。

 仕方ないってことは分かり切ってるけど、それでも。虚しくなるっていうか。

 

「でも、今やるべきことをやらないと、また同じことがおこっちゃうかもしれないし」

 

 ……そうだね。頑張るのは後にとっておけばいい。今はとにかくやるべきことをやらないと。そうでないとまた、皆に心配させちゃうしな。皆を不安にさせるのは、嫌だし。

 なら、今できることをもっと頑張らないとな。ありがとう、元気が出てきた。

 

「うん、元気なねぷちゃんのほうが、私もすきだから~」

 

 よし、じゃあ気を取り直して次のポイントの確認、行こっか。

 ここから少し離れてるから、またプルルートにお願いして空路で……

 

「……ん?」

 

 違和感があった。ざわざわという、得体の知れない何かが迫るようなもの。

 プルルートもそれは感じていたようで、俺と同時に背後へと振り返る。

 

「ねぷちゃん、なにあれ?」

 

 黒い陰だった。周囲のアナザーエネルギーが集まって形成された、人の影。それは女性の形を模しているようで、何よりも目を惹いたのは、その背後に背負っている三対の翼で。

 漆黒に色がついていく。髪は白。全身に纏うプロセッサユニットは、黒。

 そして開かれた瞼の下には、碧色の瞳と、電源マークを模した瞳孔があって。

 

「……ブラックハート?」

 

 そう言葉を漏らした瞬間、彼女は髪を振り払いながら、にやりと笑う。

 

「あら、出来損ないじゃない」

 

 ……なるほど。

 

「聞き飽きた」

「そう。いくら頑張っても、何も変わってないってことね」

 

 別に構わない。俺は、俺にできることをするだけだから。

 

「でも幸運だったわ。こんなに早く、あなた達に遭えるなんて」

 

 それはこっちも同じだよ。

 君がノワールの偽物なら、ここで潰せばぜんぶ終わらせられる。

 

「いい度胸じゃない。なら、さっさとやられて――」

 

 言葉は続かなかった。俺の背後から放たれた刺突によって、ブラックハートが大きく吹き飛ばされる。蛇のように撓る刃だった。それは宙を泳ぐように動き、やがて一振りの剣へと戻っていく。

 

「つれないわねぇ……そんなこと言わずに、もっとじっくり楽しみましょうよ」

 

 い、いつの間に変身を……。

 

「へぇ? そっちのはやる気満々じゃない」

「このところ、ご無沙汰で溜まってるのよねぇ……あなたで発散しようかしら?」

「上等よ! 満足するまで付き合ってやるわ!」

「いいわ、存分にイかせてあげる!」

 

 やっぱりストレス溜まってたのかな。心なしかいつもより怒ってる気がする。

 向かってくるブラックハートに対して、アイリスハートが再び蛇腹剣を展開。等間隔に分断された刃が渦のようになって、彼女の周囲を巡り始める。そこへブラックハートの斬撃。一撃、二撃目は漂う刃で返したけど、三撃目の刺突に対してはアイリスハートが剣を振るった。

 鞭のように跳ねる剣が、向かってくるブラックハートの剣へ絡みつく。そのまま数秒の硬直。そしてアイリスハートがにやりと笑うと、二人で密着したまま天井へと跳び上がった。

 ……いや、その勢いだと頭ぶつけるんじゃ――

 

「そぉ、れっ!」

 

 なんて活きの良い掛け声とともに、アイリスハートがくるん、と身体を翻す。

 

「ちょっ」

 

 ブラックハートのそんな声が聞こえたと同時、アイリスハートは彼女を天井へと叩きつけた。更にそのまま滑空を続け、ブラックハートの身体を天井で引き摺り回していく。悲鳴はなかったけれど、柔らかい何かがずるずると削れていくような、痛々しい音が響いていた。

 ひとしきり、おおよそ五分ほどそんな行為を続けたのち、唐突にアイリスハートがブラックハートを、今度は床へと投げつける。既に意識は無いようだった。自由落下を続ける彼女に向かって、アイリスハートは天井を蹴りつけた。

 轟音と砂煙。それが止んだころに立っていたのは、ブラックハートをヒールの下敷きにしながら、非常に不満げな表情を浮かべているアイリスハートだった。

 

「足りないわねぇ」

 

 これでか?

 

「言う割にはそこまでだったもの。これじゃあ一人でヤってる方がマシね」

 

 ……まあ、確かに予想より遥かに早く決着がついたけど。

 そのせいでアイリスハートが強いのか、このブラックハートが大したことなかったのか、よくわかんなかったな。いやまあ、アイリスハートが勝ってくれたからなんでもいいんだけど。

 

「でもやっぱりイき足りないわぁ……ねぷちゃん、続けて相手してくれる?」

「やだ」

「んもぅ、そんなこと言っちゃ嫌よ」

 

 いや……だって絶対無事で済まないじゃん。今の見た? スタボロじゃんか。

 痛いのは嫌だし。それに、プルルートとは極力戦いたくないっていうか。

 

「ほら、一回だけでいいから。ね? お願い、ねぷちゃん」

「や」

「……無理やりが好みなのかしら?」

「だから嫌って言ってるでしょ!?」

 

 エロ漫画とかでよく見るそういう曲解するやつ初めて見たわ! どんだけ欲求不満なんだよ!

 

「呑気なもんね、あなたたちは……」

 

 なんてわちゃわちゃプルルートと話していると、下敷きにされているブラックハートから、そんな声が聞こえてきた。というか生きてることに驚きだった。

 

「あら、くたばってないのね。どうする? もう一回やっちゃう?」

「勘弁してちょうだい。あなたみたいな乱暴な奴、二度とごめんよ」

「弱いからいけないのよ」

 

 吐き捨てたアイリスハートの言葉を無視して、ブラックハートが続ける。

 

「それにあなた達、これで終わりって本当に思ってるの?」

 

 ……どういうこと?

 

「今頃、外は大変なことになってるでしょうね。いい気味だわ」

「答えなさい。もっと痛くされたいの?」

「そう焦らなくても大丈夫よ。じきに分かるから」

 

 ネプテューヌからの連絡が来たのは、その瞬間だった。

 ひりついた空気には合わない間抜けな着信音だった。けれどこのタイミングで来たということがどうも不安で、連絡に答えるのに少しだけ勇気が要った。やがてプルルートに目配りをすると、彼女はさっさとしろ、と言わんばかりに顎で返すだけ。

 

『もしもし!? 黒い私、今どこにいるの!?』

 

 果たして、電話の向こうから聞こえたネプテューヌの声は、かなり動揺しているらしかった。

 

「ラステイションの近くの洞窟。プルルートも一緒だけど……」

『そんなところに!? えー……っと、あーどうしよう! かなりマズい状況だよ!』

 

 ……こんなに焦ってるネプテューヌ、初めてだ。

 とりあえず落ち着いて、何があったのかだけ話してもらえる?

 

『そうだ、そうだよね。とりあえず今送ったの見てくれる?』

 

 そうして送られてきたのは、一分ほどの小さな動画のファイルだった。

 一応スピーカーフォンにして、と。

 

『本日はゲイムギョウ界にお住まいの皆様へ、大事なご報告があります』

 

 果たして、携帯の小さな画面に映ったのは、ノワールの姿だった。場所はラステイションの教会。改まって丁寧な口調になっていることが、無性に怖かった。後ろにある時計は今よりちょっと前を示して、それはおそらく、偽物のブラックハートが出現すると同時だった。

 そうやって思考しているうちに、ノワールは続く言葉を口にして――

 

『私、ノワールは本日をもって、女神を引退することをここに宣言します』

 

 ……は、い?

 

『それに伴って、このラステイションも本日をもって解体することに決定しました。この教会も、女神ブラックハートも、そしてラステイションの国民も全て、なかったことになります』 

 

 待て。

 いや、おかしい。

 いくらなんでもそんな、急に女神をやめるなんて。

 

『それでは、さようなら』

 

 なんて言葉を最後にして、画面には何も映らなくなった。

 ……どういうことだよ。一体、何が起きてる? 

 ノワールがいきなりあんなこと言い出すはずない。だってノワールは女神で、人々を導くための存在で、そんな彼女がいきなり国を捨てるなんて、ついてきてくれた皆を見捨てるなんて。

 

「やっぱり、枷じゃないの」

 

 吐き捨てたブラックハートの言葉に、ゆっくりと振り返る。

 

「あなた達があの子を縛り付けていたのよ。本人がどれだけ重責を背負っているのかも知らないで、勝手に女神だの国の象徴だのと崇め奉って。言いかえれば、そうね、あなた達があの子をいじめたせいで、あの子は拗ねて女神をやめちゃった、ってわけよ」

「お前に何が分かる」

「分かるわよ。私は、あの子の夢なんだから」

 

 ……嘘だ。

 

「嘘じゃないわ。ルウィーの時も、リーンボックスの時も、私達が女神たちの気持ちに嘘を吐いたことがある? 彼女らの夢を真正面から裏切ったことは、一度でもあった?」

 

 それ、は。

 

「それとも、あなた達にとって、夢が叶うことは間違ってることなのかしら?」

『間違ってるよ』

 

 ……ネプテューヌ?

 

『君がどこの誰かは知らないけれど、それは間違いだよ。確かにこれはノワールの夢なのかもしれない。女神の仕事も本当は面倒だし、何もかも全部投げ捨てて自由になりたい、っていうノワールを私は否定しないよ。ノワールがそうしたいって言うなら、そうすればいいって思う』

「なら」

『でもね、ノワールはそれを望んでないんだ。絶対に女神っていう役割から逃げ出したりなんかしない。どれだけ辛くっても、悲しくなっても、ノワールが女神を辞めるなんて望むはずないんだ。だから、その夢が叶うはずもない。叶えられちゃ、いけないんだ』

 

 そうだ。そうだよ。

 叶っていないからこそ、叶えられないからこそ――

 

『叶わないからこそ、夢は夢でいられるんだよ』

 

 ……動揺してた俺が馬鹿みたいだ。

 ノワールが女神をやめるなんてあり得るはずがない。それこそゲイムギョウ界がまるごとひっくり返ったってないことなのに、俺はそれを信じてしまった。彼女の強さを信じられなかった。

 駄目だなあ。皆に信じてほしいって言ってるのに、皆を信じられないなんて。

 

『とにかく、私達もすぐにそっちに行くから! また後でね!』

 

 それを最後にして、ネプテューヌの声が聞こえなくなる。

 

「……おかしいわよ。それがあの子を縛り付けてってることを、まだ分かってないの?」

 

 分かってるよ。でも、ノワールはそれを覚悟したうえで、女神として在ろうとしてる。

 それを邪魔することは、たとえ本当の想いを知っている君でも、いけないことなんだと思う。

 

「知らないわよ、どうなっても」

 

 いいよ。それに、いざとなったら君にも協力してもらうから。

 

「はぁ? あなた、何言って――」

 

 口答えをしようとしたところで、アイリスハートが再びブラックハートのことを踏みつける。

 

「ねぷちゃん、いいわよ」

「ありがと」

「ちょっ……ちょっと待ちなさいよ! 何するつもり!?」

 

 いやあ、実際三回目ともなると、割と攻略法が分かってきたというか。お決まりのパターンができたっていうか、なんだろうね。俺の前にノコノコやってきた君が悪いって言うか。

 

「なッ、ちょ……やめ……ちょっとおぉぉぉおおお!」

 

 下敷きにされたままのブラックハートへと手を触れると、彼女は黒い粒子となって、俺の手の中へと入っていった。いつもの感触。自分の中にまた、別の何かが入ってくる。

 そして展開。右腕が黒いプロセッサユニットに覆われて、黒い剣が右手の中に現れる。

 ……割と、普通だな。髪の色とかも変わってないし、翼とかも生えてない。

 それとも、足りてないってことなのかな?

 

「それでねぷちゃん、これからどうするの?」

 

 そんなの、決まってるよ。

 

「ラステイションに行って、ノワールを助け出そう」

 

 

 なんて啖呵を切ったはいいけど、実のところ細かい所は何も分かってなくて。

 あれも偽物のノワールなのかな。それとも何かによって操られているとか? それとも本物が何者かによって脅されてるとかも考えられるし、その他もいろいろ。

 とにかく、このラステイションの解体がノワールの意思でないということだけは分かってる。

 だったら俺達が今するべきことは。

 

「首謀者を見つけて、ぶっつぶす」

「ねぷちゃん、いつもより張り切ってるわね?」

 

 ん、まあ戒めみたいなものでもあるのかな。

 ネプテューヌに言われるまで、俺はノワールを信じられなかったんだ。だからその分頑張るっていうか、償わなきゃいけないっていうか。自分でそう思ってるだけだけど。

 そうやって、アイリスハートに吊られながら辿り着いた、ラステイションにて。

 眼下に広がる光景に、俺は目を疑った。

 

「あら、随分派手にやってるじゃない」

 

 ラステイションが、燃えてる。

 国のあちこちでは黒い煙が立ち上っていて、その周囲を蝿のように跳んでいるのは、ブラックハートに似た何か。街は瓦礫の山になっていて、所々で銃声が鳴り響いている。

 ……思ったよりもまずいな、これ。

 

「国家の解体、ってそういうことね。いいじゃない、楽しそうで」

 

 い、言ってる場合じゃないでしょ!

 ノワールの詳細を突きとめるのは後にして、とにかく今は人命救助を優先しないと!

 

「なら、あそこは?」

 

 俺の言葉にアイリスハートが示したのは、ラステイションのギルドだった。よく見ると民間人はそこに避難しているっぽくて、入り口はラステイションの軍が防衛線を張ってるみたい。

 そして、そこで指揮を執っているのは、ブラックシスターに変身したユニだった。

 

「民間人の避難はこれで全部!?」

「報告にあったものは全て完了してます!」

「なら引き続き捜索隊を派遣して! ここは私がなんとかするから!」

「了解しました!」

 

 彼女の命令に従って、数人が入り口から街の中へと離れていく。

 それを見計らったようにして、空から幾つかのブラックハートが向かっていった。

 

「ユニ様、来ます!」

「ああもう、全然休ませてくれないわね!」

 

 って、見てる場合じゃない! 俺達も加勢しないと!

 早く早く! 手遅れになる前に!

 

「んもぅ、ねぷちゃんはせっかちなんだから」

 

 なんて言葉と共に、アイリスハートが俺の体をぐい、と背負う。

 ……ちょっと待て。何しようとしてるの?

 

「思いっきり投げてあげるから。イっちゃダメよ?」

 

 なんで? どうしてそう変な方向に思い切りがいいの?

 あ、でもそっか、早く行かないと間に合わないのか。けどだからといって……。

 いや、もういい! 全部任せた!

 

 

 ……あー、でもやっぱちょっと、心の準備っていうか――

 

「そぉ、れぇっ!」

 

 もおおおぉぉぉぉおおおおおおおおっ! 話聞けよおおおおぉぉぉおおおっ!

 

「ユニ様、上空からまた何か来ます!」

「今度は何……って、黒いネプテューヌさん?!」

 

 風を切る音に紛れて、そんなユニの困惑した声が聞こえてくる。

 とりあえず誤射は避けられるみたい。だったらもう、一気にやるしかないか。

 

「らああぁああっ!」

 

 右腕に黒い剣を精製、そのまま宙を漂っているブラックハートの背中へと思いっきり突き立てる。その瞬間、ブラックハートの身体が黒い靄になって、俺の中へと吸収されていった。

 ……やっぱりそうだ。今までで何となく分かってたけど。

 女神には女神の力で対抗できる。ホワイトハートの盾を破った、あの時みたいに。

 だから、このブラックハートの剣なら!

 

「黒いネプテューヌさん、後ろ!」

 

 ユニの声に振り向いたと同時、握った剣を横に振る。その剣先は、ブラックハートの脚を掠っただけだけど、その体を黒い靄へと変えた。再び違和感。体の中へ力が溜まっていく。

 ……触れただけで倒せるのは、楽だな。これならなんとかなるかも。

 次に真下を飛んでいたブラックハートの背中に飛び乗って、そのまま隣を浮遊する個体へ跳躍。その際に下敷きにしていた方に剣を掠らせて、正面に捉えたブラックハートへ向けて、一閃。

 そこでようやく地面が見えてきたから、脚を女神化して着地。

 真上から降りてくる靄は、すぐに俺の中へ入っていった。

 

「……だいじょうぶ?」

「助かりました。でも、どうして……」

「近くにいたから。それより、今はどうなってるの?」

「民間人の避難はほとんど完了してます。逃げ遅れたり報告のない国民も捜索隊を派遣していますが……今はここを守るので精一杯で、現状はどうにも」

 

 そっか。みんなで頑張ってくれたんだ。

 ここからは俺達も手を貸すから、好きなように使ってよ。

 

「あ……ありがとうございます!」

「それで、おしゃべりはそれで終わり?」

 

 だん、と地面へブラックハートを叩きつけながら、アイリスハートが聴いてくる。

 

「増援みたいよ。それも、さっきより多めに」

「……とにかく、今はここを守ることを優先します」

「ノワールはどうしてるの?」

「今は分かってません。私としても心配だから早く探しに行きたいんですけど」

 

 でも、とユニは雑念を払うように、首を横に振って。

 

「きっとお姉ちゃんなら、みんなを守ることを優先すると思いますから」

 

 ……うん、そうだ。ノワールならきっと、そうやって言ってくる。

 自分がどれだけ大変なことになっても、絶対に国民を見捨てるはずがない。

 ユニはそれを誰よりも分かってる。妹として、一人の女神候補生として。

 

「行きましょう、二人とも!」

 

 強く響いたユニの声に、頷いて剣を構える。

 ……けど、さ。

 

「さすがに多すぎじゃない?」

「そうねえ。いくらなんでも、これだけ相手するのは疲れちゃうわ」

「さっきの威勢はどうしたんですか!?」

 

 いや、だって……見上げただけでざっと百は超えてるみたいだしさ。

 いくらこっちの武器が強くても、あれだけ数が多いと、守り切るのは難しいって言うか。

 

「ま、やるだけやってみるわよ。ねぷちゃん、地面に逃がしたのはよろしくね」

「私はプルルートさんの援護に回ります」

「あらそう? 別に構わないけど、あんまりおイタしちゃダメよ?」

「き、気を付けますから……」

 

 そんな会話をしつつ、二人が上空へ昇っていく。

 ……やっぱり、飛べないと不便だな。こういう時、加勢ができないし。

 いや、今はよそう。弱音を吐いたって、なんも変わんないんだし――

 

「ねぷちゃん、行ったわよ!」

 

 は、え、もう!? ああはいはい、やるよ!

 ギルドを目掛けて飛んでくるブラックハートに、こちらも足を女神化しながら跳びつつ、切り伏せる。続いて横から飛来してきたブラックハートと一回剣を交わせてから、刺突でその体を靄へと変えた。

 そこで一旦、地面に着地。それからもう一度宙に浮かび上がって、三人目を身体で受け止める。肺から空気が押し出される感覚。それに耐えつつ、剣を無理やり振りかざして、ブラックハートの翼へ掠めた。

 二度目の着地。荒くなった息を、無理やり肩で整える。

 ………………。

 

「逃がしすぎじゃない?」

「無茶言わないでくださいよ! これだけの量は捌ききれないんです!」

「……めんどくさいわねえ」

「さ、さっきまでの威勢はどうしたんだよ……!」

 

 なんて愚痴を言ってる間に、また新たなブラックハートが向かってくる。

 今度は同時に二体。先に来てる方を一気に片付けてから、後続のをさっさと――

 

「う”!?」

 

 突然の横からの衝撃。視界がぐるぐると転がって、空を見上げたところで止まる。

 どうやら俺の死角をついて、三人目が横から来ていたらしい。今にも俺を踏みつぶしそうなそいつに剣を突き立ててから、痛む体を無理やり起き上がらせる。

 ……まずい、ちょっと距離を離された。ここからじゃ追い付かない。

 

「ねぷちゃん!」

 

 足を女神化、それもダメ。なら二人に増援……も、一人で迎撃ができなくなって、数で押されるから詰み。かといって中に侵入させたらそれこそ終わり。一般人じゃ女神に適うはずがない。

 どうする、どうすればいい。ええと、ああもう、何も思いつかないよ!

 

「ちくしょう!」

 

 渦巻く思考を無理やりかき消して、剣を大きく振りかぶる。

 

「どうにかなれっ!」

 

 そして勢いのままに、思いっきり手にした剣を投げつけた。

 ブーメランみたいに飛んでいったそれは、奇跡的に先行するブラックハートの頬を掠めて、その体を吹き飛ばす。けれど後続は未だに飛行を続けたまま、剣も都合よく戻ってくることなく、遠くの地面で転がって、止まってしまう。

 

「ユニちゃん、こっちはなんとかするから、アレの狙撃して!」

「駄目です、動きが速すぎて……ギルドの方にも被害が!」

 

 ……駄目だ。明らかにこちらの数が足りてない。

 せめてもう一人、誰でもいいから味方が来てくれれば――

 

「とぉーっ!」

 

 ――バイクのエンジン音があたりに鳴り響いたのは、その時だった。

 視界に広がるのは、灰色のオーロラ。それはきっと、世界にかかる橋だったんだろう。

 水面のように揺らめくそこから姿を表したのは、紫のバイクにまたがった、一人の少女。

 髪は紫。黒いパーカーの一枚に身を包み、頭には俺と同じような、黒い脳波コントローラー。

 突如として空中から現れたその少女は、ギルドへ突撃しようとするブラックハートをバイクで轢き捨てながら、地面へと着地した。それから、しばらくの沈黙。

 やがて言葉を放ち始めたのは、彼女からだった。

 

「……や、やばいよクロちゃん! 適当に出たらなんか轢いちゃった! これって事故だよね? 私悪くないよね? だって向こうが勝手に入って来たんだもん。ね? そうだよね?」

「いやお前、今のを避けろっていう方が無理じゃねーか? 証人もこんなにいるんだし」

「そんなぁ! あー、えっと、ごめんね! これは不可抗力っていうか、こういうことは前にも結構あったんだけど、なんていうかその、言っちゃえばマジな事故っていうか! 私は轢くつもりとか一切なかったっていうか! そこだけは分かってほしいなー、なんて!」

 

 ……まじで?

 

「あなた……」

「あ、もしかしてあなたがこの国の女神? こういうこと言うと怒られるかもしれないけど、どことなく悪役感ある見た目してるね! で、こっちが妹さんなのかな? それにしてはちょっと似てない……? ん、いやそういう次元もあるってことなの? どう? クロちゃん」

「俺がわかるわけねーだろ、そんなこと。それよりもさ、なんだか放っておけないって顔してるぜ、奴ら」

「ああそっか、いけないいけない! 自己紹介はちゃんとしないとね!」

 

 そうして彼女は俺達の方へ向き直ると、胸をむん、と張ってから。

 

「私の名前はネプテューヌ! 通りすがりの、次元の旅人だよっ!」

 

 高らかに、そう告げたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19 ラステイション大戦・序章

最近月一更新になりつつある
もう少し早くしたいですね


 

 ▼ ラステイション大戦・序章

 

 

「……ネプテューヌ?」

「うん! ネプテューヌ!」

 

 アイリスハートの訝し気な視線に、彼女(ネプテューヌ)はにっこりと笑いながら、そう答えた。

 ……ネプテューヌ(大人)。

 デカい方のネプ子。次元の旅人。でっかいねぷっち。Adult Neptunia。

 同じネプテューヌはネプテューヌでも、こっちは女神じゃない方のネプテューヌ。言い換えるならプルルートが女神として存在している次元における、人間としてのネプテューヌ。

 クロワールっていうイストワールがグレたような奴を引き連れていて、彼女の能力で様々な次元を渡り歩く、旅人。性格は大人になったからマシとかは全然なくて、むしろ色々な次元を旅しているせいで常識がログアウトしているっていうか、でもそこが良い所っていうか。

 にしてもまさか、こんなところにまで通りすがるなんて思ってもなかったけど。

 それよりも、彼女はどの時間軸の大ネプなんだ? 本編以前? それとも本編とは全く関係ナシの感じ? いや、でもそれだと神次元のクロワールも複数存在することになるし。

 でも「大ネプは複数存在します!」って言われたら「まあ大ネプだしな……」ってなる。

 ……とにかく。

 

「ねぷちゃんの知り合い?」

「違います」

 

 説明するの面倒だし、とりあえず無関係を装っておくか。

 なんて責任を押し付けると、それに気が付いたのかネプテューヌはこちらを振り向いてから、思いっきり目を見開いて。

 

「……ん? あれ? あれれ?」

 

 ちょっ。

 

「すごい! この子、子どもの頃の私とそっくり! ねえ、名前はなんていうの?」

 

 なるほど、本編とかそういうの全く関係ない感じね。言っちゃえば野良の大ネプか。いや何言ってんだろ俺。そもそもネプテューヌって野良では?

 というより、そろそろ抱き着くのをやめてもらえると……。

 

「……その子の名前は、ネプテューヌ」

 

 呟いたアイリスハートの一言に、ネプテューヌが振り向いた。

 

「ネプテューヌ? それって……」

「そう。あなたと同じ名前」

「同じなんだ! すごい偶然! これはもう、運命を感じざるを得ないね!」

 

 なんてことを言い始めた彼女へ、アイリスハートは剣の切っ先を向けながら。

 

「あなた、何者?」

 

 ……あれ? これ、やばいかも?

 俺が説明を放棄した故に、とんでもないことになってきたぞ。

 くそ、責任を分散しようとしたら倍になって返ってきやがった。でもいきなり通りすがってきたネプテューヌにも問題はあるよね? おいどうなんだそこんところ。

 いや、んなこと言ってる場合じゃないな。何とかして止めないと。

 つっても、なんて説明したら……。

 

「私? だから、私はネプテューヌだよ。それ以上でもそれ以下でもないったら」

 

 そこでようやく、ネプテューヌは俺の体を地面に下ろして。

 

「少なくとも、私はあなた達の敵にはならないし、助けを求めてる人の力になりたい、って思ってるよ。きっとそれが、私がここに辿り着いた意味になるって、信じてるから」

「俺はそう思ってねーけどな。面白けりゃなんでもいいし」

「あーもう、せっかく決めたんだから口出ししちゃダメだよ、クロちゃん」

 

 なんて、あーだこーだと言い合いしてる二人から、アイリスハートが剣を下ろす。

 敵意はもうなかった。鬼灯色の瞳にはどこか懐かしむような色が灯っている。

 

「あ、この子はクロちゃん。ほんとはクロワールっていうんだけど、長いから私はクロちゃんって呼んでるの。ほら、クロちゃんも自己紹介して」

「うるせーな、いいだろんなもん。どうせすぐに行っちまうんだから」

「そういうことじゃなくて。挨拶って以外と大事なんだよ?」

 

 あの……だから、そういう話をしている場合じゃなくてですね。

 えーと、その……プルルートさん? あなたからもその、何か言ってもらっても?

 

「同じね」

 

 はい?

 

「もういいわ。敵じゃないって言うなら、味方としてキビキビ働いてもらうから」

「ありがとう、分かってもらえて嬉しいよ! えっと、あなたの名前は……」

「アイリスハート」

「……アイリス? あれ? どっかで聞いたことあるような?」

 

 んー? なんて言いながら考え込むけれど、結局思い当たる節は見当たらなかったらしい。まあいっか! なんて気持ちよく割り切りながら、次に彼女は空を仰いだ。

 

「それで? 私はどうすればいいのかな?」

 

 広がるラステイションの青空では、多数のブラックハートが俺達のことを見降ろしていた。でも、それだけ。攻撃も逃亡もしない。それは、何か指示を待っているようにも見えた。

 ……個体ごとに動けるってわけじゃないのかな。でも、さっき取り込んだブラックハートは抵抗してきたけど。じゃあ、ある程度の自己防衛機能はある感じ? うーん、わからん。

 いずれにしても不審な彼女たちと睨み合ってると、ふと間の抜けた電子音が響き始める。

 

「あれ? 誰かケータイ鳴ってるよ?」

「……俺だ」

「あ、キミ俺っ娘なんだ! 今時珍しいね~。やっぱりカッコいいものとか好きなの?」

 

 着信はネプテューヌからだった。ずいずい詰め寄ってきながら、妙なことを言ってくる大ネプを無視して、通話へ顔を出す。

 

「ネプテューヌ?」

「なーに?」

「そうじゃなくて」

 

 ……早くなんとかしないと面倒なことになりそうだな、これ。

 

『黒い私? どうしたの?』

「ごめん、なんでもない。大丈夫」

 

 正確には大丈夫ではないが、もうどうしようもないので割愛。

 

「そっちはどう?」

『ちょうどラステイションに着いたところよ。ごめんなさい、ノワールの偽物……にせもノワールを倒してたら、時間がかかって』

 

 今の言い直す必要あった?

 

『とにかく、これからネプギアと合流するわ。場所を教えてくれる?』

「ギルド。民間人を避難させて、ユニと一緒に護衛してる」

『ありがとう。すぐに向かうわ』

 

 そこで通話を切ると、すぐさまアイリスハートがこちらへ口を開いて。

 

「ねぷちゃん達は、ノワールちゃんを探して来たら?」

「え?」

「私達?」

 

 なんでまた。

 

「ねぷちゃん達が来てくれるなら、それで十分よ。だからノワールちゃんが無事かどうかの確認に手を回した方がいいわ。ユニちゃんもそう思うでしょ?」

「え? あ……はい。個人的にも、お姉ちゃんのことは気になるし……」

 

 少しだけ顔を曇らせながら、ユニはそう答えた。

 確かにそうだ。いずれにせよこの事件を解決するには、ノワールがいないと意味がない。今までがそうだったように、夢を見る本人がこの夢を否定しないといけないんだ。

 ……ほんとに残酷だよな。自分の理想を、自分で否定しないといけないなんて。

 

「よく分かんないけど、人探しだね! 任せてよ!」

「ちょっ」

 

 なんて言うと、大ネプは俺の体をひょいと持ち上げて、バイクの後方へ。

 

「じゃ、行ってきまーす! おゆはんまでには帰ってくるねー!」

 

 なんて緊張感のない掛け声とともに、ネプテューヌがバイクを走らせる。

 遠ざかっていくプルルートとユニは、ぽかんとした表情で俺達のことを見送っていた。

 

 

 次の会話があったのは、数分が経ったころだった。

 

「それにしてもあの二人、なんであんな顔してたんだろうね?」

「物分かりが良すぎるからじゃないかな」

 

 すごかったよな。指示されてから行動まで一分もかからなかったもん。さすがのプルルートもこれには驚きでしょ。あんな顔のアイリスハート、原作でも見たことなかったもん。

 いやまあ、行動に移すのが早いって言うのは、すごいありがたいことなんだけどさ。

 

「それで? どこから探せばいいのかな?」

「分かってないのに走り始めたのか……」

 

 思わず吐いた悪態は風の中に消えて、彼女の耳に届くことはなかった。

 

「とりあえず、教会に行けば何か分かるかも」

「教会? 教会って?」

「あそこの、一番大きいところ」

「あ、あれだね? よーし、じゃあ飛ばしちゃうよ!」

 

 そう言って再び、ネプテューヌがバイクの音を鳴り響かせる。

 ……それにしても。

 

「なーんも攻撃とかしてこないね、あの人たち」

 

 空に浮かぶブラックハートたちを眺めながら、ネプテューヌがそう言葉を漏らす。

 完全によそ見運転なのは、置いておくことにして。

 

「やっぱり、何かに従って動いてるのかも」

「命令してるリーダー格みたいな奴がいるってこと?」

 

 まあ、多分そうなんだろう。本体、って言えば分かりやすいのかな。

 つまりそいつを何とかすれば、この事件も集束するはず。

 

「そう簡単に行けばいいけどな」

 

 俺の思考にそうやって口を挟んだのは、クロワールだった。

 ……クロワール。

 諸悪の根源。歴史の編纂者。イストワールの成れ涯。くろっち。

 かつて女神であった、キセイジョウ・レイに力を与えた張本人で、Vの黒幕。そんでもって神次元のネプテューヌに捕まえられたあと、VⅡで大ネプと一緒に登場したけれど、やっぱり敵役みたいな感じ。物語めちゃくちゃにしたけど、結局はまた大ネプに捕まえられたんだっけ。

 つまるところ、こいつがいると必ずよくないことが起こる訳で。

 

「……おい、なんだよその目。俺、今回はなにもしてねーぞ?」

 

 ってことは、前科があるってわけだ。

 

「だから、なんでそんな疑り深いんだよ! この世界ではまだ何もしてねーっての!」

「本当?」

「本当だって! ったく、初対面のヤツにそんなこと言われるなんて、心外だぜ」

 

 どうだかなあ。

 ……正直、半信半疑っていうか。これから何かやらかすかも分からないし。

 そういう意味では悪いけど、ネプテューヌには表れてほしくなかったっていうか。

 

「大丈夫だよ。クロちゃんは確かに色々やんちゃなことするけど、今回は本当に何もしてないみたいだし。それに私も、ついさっきこの次元に来たばっかりだもん」

「うん。だから、クロちゃんと仲良くしてくれると嬉しいな。だって友達少ないんだもん」

「それはお前がひとつの場所に留まらねーからだろ」

 

 クロワールの言葉に「それもそっか」なんて笑いながら、ネプテューヌは返した。

 

「とにかく、俺はまだ何もしてねーからな! 証拠もねーのに疑うなよ!」

 

 んまあ、そう、ネプテューヌが言ってるならいいのかな……。

 じゃあさ。

 

「仮にクロワールが敵側に回ったとしたら、どう動く?」

 

 俺の問いかけに、クロワールは少しの時間を置いてから、答えてくれた。

 

「ま、正直なところあんまり状況が掴めてねーけどよ。とりあえず、こいつらのリーダーっていうか、親玉みたいなのが居るのは確定なんだろ?」

「みたいだね。親玉、っていうよりは母体みたいな感じかもしれないけど」

「だったら俺は、そいつがやられちまわねーように動くと思うぜ。簡単に邪魔はさせないように、たとえば近くにモンスターを配置させておくとか、そんな感じだな」

 

 なるほどなるほど。

 

「で? それを聞いて何になるってんだよ」

「同じ悪役の思考だから、参考になるかなって」

「お前、存外失礼なヤツだな……」

 

 でもまあ、そうか。ノワールを見つけてハイ終わり、なんて簡単にいくわけないよな。

 

「てか、敵にいねーのかよ。しつこい奴っていうか、一筋縄ではいかない面倒なやつ。俺だったら絶対、そいつに時間稼ぎさせるぜ? そこんとこ、どうなんだよ」

「んなこと言われたって、あっちの事情なんて分かるわけ……」

 

 …………あ。

 

「いたわ」

 

 おあつらえ向きっていうか、時間稼ぎにはもってこいな子が、一人。

 

「そいつに勝ったことは?」

「ない。てか、誰も勝てないかもしれない」

「それってほんとに大丈夫? 一度、帰って作戦とか立てたほうが……」

「大丈夫。次こそは、必ず」

 

 もう、迷わない。怖気づいたりも、甘やかすことも、しない。

 ただまっすぐ、彼女と向き合うから。

 

「行こう」

「……うん、分かったよ!」

 

 それ以上俺に何も聞かずに、ネプテューヌは強く頷いてくれた。

 ……やるしかないんだ。俺が。

 プルルートはああ言ってたけど、やっぱり二人が傷つくのは見てられない。我儘、なのかもしれない。それでも普段はいい子にしてたんだから、これくらい許してくれないかな。

 時間が解決してくれるわけでもない。かといって、他の誰かに頼むことなんて。

 これはきっと、俺にしかできないことなんだ。だから――。

 

「意気込んでるとこ悪いけどよ、後ろのアレはどうすんだ?」

「後ろ」

 

 って、――あ。

 

「ネプテューヌ、もっと速度出せる!?」

「え? 今でも結構出てると思うけど……」

「それじゃ足りないかも!」

 

 俺の叫び声に、思わずネプテューヌが振り向いた、その先には。

 こちらへ向かって空を駆ける、無数のブラックハートの姿があった。

 

「うわうわうわ! さっきまでじっとしてたじゃん、あの人たち!」

「ちょっ……おい! よそ見運転するな! ちゃんと走ってくれマジで!」

 

 慌て始めたネプテューヌの首を、無理やり前へと向かせる。

 

「すげーな、さっきまであんなに大人しかったのに、急に動き始めたぜ」

「ってことは、やっぱり教会にそのノワールちゃんが居るってことじゃないかな?」

 

 ああ、なるほど。そりゃ助かるな。これ以上ノワールを探さなくてもいいし。

 

「でもよ、あの量をどうにかできるのかよ?」

「…………どうしようね」

 

 俺の返答と同時に、背後の地面が爆ぜる。ブラックハートの攻撃によるものだった。

 

「ちょっと、案外マズいかも! このままじゃやられちゃうよ!」

 

 ネプテューヌ、なんとかならないの? アタックライドとかで。

 

「無理だよ! 私、AoEのスキルとか持ってないし! クロちゃん!」

「俺だってそんな都合のいいスキル持ってるわけねーだろ。面倒だしな」

「面倒で片付けていいレベルじゃないよ!」

 

 なんて会話をしてる間も、俺達の周囲がぽんぽん爆発していく。

 確かにこのままじゃヤバいかも。確実に攻撃の精度が上がってるし、あと割とネプテューヌの運転が荒いからすぐにコケてそのまま全滅みたいなのもあり得るし。

 ……そういや、免許とか持ってんのかな。取るにしたってどこで……。

 

「そ、そんなことは今よくない!? あんまりツッコまないでほしいんだけど!」

 

 え、マジで無免なの?

 

「それよりもまず、この状況をどうにかする方法を考えたほうがいいと思うんだけど!?」

 

 そりゃそうだ。んん、ちょっと不安だけど、一応案はあるっていうか。

 ネプテューヌと背中合わせになる感じで体を動かしつつ、左腕を空へ。白と緑に彩られたその腕は、俺の期待に応えるように、淡い光を放っていた。

 ……あの子は、どうやってたんだっけ? えーと、確か。

 そうだ、槍が要るんだった。

 

「来て」

 

 言葉が必要かどうかは分からないけど、呟いた俺の手のひらに、黄金の槍が表れた。

 その真ん中の部分を握りしめて、切っ先を天高くへと突き立てる。

 次の瞬間、ラステイションの空に、かつてのリーンボックスのような星が、瞬いた。

 

「おお! お前、なかなか派手なことするじゃねーか!」

 

 掲げた槍の切っ先を中心として、青空へいくつもの槍が表れる。

 

「おりゃっ」

 

 ゆっくりと腕を振り下ろす。それと同時、黄金の槍が雨のように放たれた。

 降り注ぐ黄金の嵐が、偽物のブラックハート達を襲う。後に残るのは、雲一つないラステイションの青空だけ。さっきまでの慌てようが嘘のように、二人は口を閉ざしてしまった。

 ……………………。

 

「なんとかなったね」

「お前、そんなことできるなら最初からやれよな」

「そうだよ! 私もこんなに焦る必要なかったのに!」

 

 いや、俺だってまさか、ここまで再現できるとは思わなくて。

 ヤバいなこれ。その気になればあの時のベールみたいに、簡単に国の一つも滅ぼせるんじゃないの? うわ、急に怖くなってきた。誰か俺を封印してくれ。

 ……まあでも、モノも力も使いよう、ってどこかの誰かが言ってた気がするし。

 少なくともこういう自覚があるってことは、大丈夫なはず。

 ……さて。

 

「行こう」

 

 俺の言葉にネプテューヌは無言で頷いて、バイクを走らせてくれた。

 

 

 やがて辿り着いたラステイションの教会、正面玄関の前にて。

 

「とっ」

 

 振り下ろした剣がブラックハートへ触れると、一瞬にして彼女の体が塵へと返る。続く後方からの攻撃を体を伏せることで回避して、刺突。零れ落ちてくる黒い砂を振り払いながら、横に一閃。地面に広がった塵を振り払いながら、すぐさまネプテューヌの援護に向かう。

 

「うわ、やばいやばい! あ、これ死んじゃ――」

 

 叫ぶ彼女へ覆いかぶさるブラックハートの背中へ、剣を突き立てる。

 掲げられた剣はさらさらと崩れ落ちて、ネプテューヌの髪へと降りかかった。

 

「……大丈夫?」

「あ、ありがとー……もう少しでやられちゃうとこだったよ」

 

 服に着いた汚れを叩き落としながら、ネプテューヌが地面に落とした双剣を拾い上げた。

 あ、俺も今のうちにアナザーエネルギー回収しとこう。後で役立つかもしれないし。

 

「にしてもやっぱ、一筋縄ではいかないね」

 

 そりゃまあ、本丸を丸裸にするわけがないよな。

 でも、これだけ警備が厚いってことは、つまり。

 

「この先に、お前らの探してる奴がいる、ってことだろ?」

 

 囮だとか誘導作戦とか、そういうことは考えたくないけど。

 とにかく、進むしかない。

 ……けど、さ。

 

「三人でこれって、ちょっと厳しくないかな!」

 

 すぐさま補充されてくるブラックハートへ向けて、ネプテューヌが両手の剣を構える。

 なんたってこのブラックハート、無限湧きみたいだからなあ。切っても切ってもキリがない。あれだ、もう少しで拠点が制圧できそうなのに、敵のリス地がめちゃくちゃ近い感じ。

 ……打開差っていうか、奥の手はあるんだけど、まだ出すべきじゃないだろうしなあ。

 さてどうしようか、なんて思案しているうちに、次の攻撃が迫ってくる。襲い掛かる刃を左腕の義手で防ぎつつ、ブラックハートをそのまま切り伏せる。すぐさまネプテューヌの元へと跳んで、一閃。そのまま背中合わせになりつつ、再び言葉を交わす。

 

「私、ちょっと足手まといかな!?」

「……ノーコメントで」

 

 仕方ないっていうか、逆にやられてないだけマシっていうか。

 切り払ったブラックハート達からちょこちょこアナザーエネルギーを回収しつつ、ネプテューヌを手を取った。

 

「そもそも数が足りてねーんだよ。割と無謀だぜ、お前らであいつらに挑むの」

 

 だよなあ。やるしかない、って言ったはいいけど、何事にも限界はあるっていうか。

 

「せめて、ここで足止めしてくれる人がいてくれればいいのにね!」

 

 や、無理じゃないかな、それは。

 いくらなんでも、そんな都合のいいこと、ネプテューヌじゃあるまいし。

 ……あれ?

 

「ちょっと私、なんかまたケータイ鳴ってない!?」

「ああもう、なんでこんな時に!」

 

 横から飛んでくるブラックハートを薙ぎながら、片手で携帯を手に取った。

 

「もしもし!? 今ちょっと忙しいんで後にしてもらえますか!?」

「あら、随分と大変なご様子ですわね」

 

 なんて、緊張感のない声で返してきたのは。

 

「……ベール?」

「ええ」

 

 少し得意げな声色になって、ベールはそう答えた。

 

「今、どこにいますの?」

「えっと……ラステイションの教会前だけど」

「らしいですわよ、ブラン」

 

 それだけ告げて、ぷつり、と通話が切れる。

 大地を揺るがすほどの轟音が鳴り響いたのは、その直後だった。

 

「うわわっ、今度は何!?」

「っ、ネプテューヌ、伏せて!」

 

 困惑するネプテューヌの前に立って、右腕へ盾を展開。数歩先すらも見えないほどの砂煙が巻き上がり、そしてそれを振り払うのは、一振りの巨大な斧で。

 

「……無事か?」

 

 気だるそうに戦斧を担ぎなおしたブラン――ホワイトハートが、俺達へそう呟いた。

 

「ブラン、どうして」

「プルルートに言われてな。万が一の時に、お前たちの護衛をしてやれって」

 

 そう答えたホワイトハートの両隣へ、二つの人影が舞い降りる。

 

「私達もいるよ!」

「ここはまかせて、黒いねぷちゃん!」

 

 ロム、ラム。

 そっか、二人も来てくれたんだ。頼もしいな。

 

「……やっぱり、女神様には祈ってみるもんだね」

 

 ぽつりと呟いたネプテューヌに、ブランが視線を送る。

 

「話は少し聞いたが、本当に似てるんだな」

「え? 私?」

 

 それに答えることはせず、ブランが身の丈以上ある得物を、構え直す。

 

「貸し借りで勘定する気はないけどよ、お前には色々世話になったからな」

「そんなこと」

「だから、行ってこい。ここは私達が食い止める」

「……ありがとう!」

 

 言葉でしか伝えられないのが、もどかしかった。

 今度また、遊びに行くから。その時はまた、よろしくね。

 

「さあ来い、偽物ども! ここから先は誰ひとり通らせねえぞ!」

 

 そんな彼女の叫びを背中に受けて、俺達は教会の中へと足を踏み入れた。

 

 

 教会の中は不気味なほどに静かで、どこか空虚な雰囲気が漂っていた。

 いつも働いていた職員さんたちもどこかに消えてしまっていて、空っぽのまま。そういえばついぞケイさんに会うことはなかったけど、あの人はいまどうしてるんだろう。ちゃんと他の人と一緒に避難してるのかな。それとも、いつも通り仕事を探して、偶然ラステイションにいなかったりして。いやそれ教祖としてどうなんだ。ノワールもガチで困ってたけど。

 ……まあ、こんな話は全部が終わった後、二人で話し合ってもらうことにして。

 そのためにもまずは、ノワールを助け出さなくちゃ。

 

「たのもー!」

「たのもーっ!」

 

 なんて、ネプテューヌと一緒に声を上げながら、謁見の間の扉を開く。

 果たして、というかやっぱりその先には、ブラックハートの姿と。

 

「ぢゅっ!? やばいっちゅ、もうあいつらきたっちゅよ!?」

 

 焦りながらこちらへ視線を送る、ワレチューの姿があった。

 ……そういやいたな、こいつ。今まで何してたかはさっぱりだけど。

 少なくとも、いつも通りマジェコンヌの手伝いはしてたらしい。

 ここに居るのが、何よりの証拠だった。

 

「遅かったじゃない」

 

 慌て始めるワレチューをよそに、ブラックハートが俺達へ向けて告げる。

 あれは ……本物? 偽物?

 

「さあ? でも、私のこの思いも、彼女の望みも本物よ」

「そういうこと言うのって、大抵偽物の方だよね」

 

 偽物やろなあ。

 

「とっととノワールを出せ」

「あら、ちゃんとここにいるじゃない」

「……どういうこと?」

「ん? ああなるほど、そういうことかよ。考えたな、お前も」

 

 困惑している俺達をよそに、クロワールだけがそうやって手を叩く。

 

「クロワール」

「あれ、重なってるぜ」

 

 聞き返す前に、なんとなく意味は理解できた。

 つまり。

 

「乗っ取られてる、ってこと?」

「みてーだな。女神の真核って言えばいいのか? あいつ、ありえないくらい重なってるぜ。いや、むしろあいつの中から核が増え続けてるって感じだな。おー、気持ちわりー」

 

 後半は何言ってるか分からなかったけど、とにかく本物のノワールと偽物のノワールが一緒になってる、っていうのは分かった。分かっただけで、解決方法はまだないけど。

 すると、会話を続ける俺達へ向けて、ブラックハートはふわりと浮かび上がって。

 

「目障りね、その羽虫」

 

 ずるり、ずるりという音を立てながら――って、うわうわうわうわ!

 

「キモ!」

「え、キモっ!」

「な? 気持ちわりーだろ?」

 

 なんていうか、細かく形容したら怒られるというか、色んなところから叱られを受けそうというか。とにかく、割とグロテスクな方法を取りながら、ブラックハートはどんどん分裂を続けていく。そうして俺達をぐるっと取り囲んだところで、もう一回彼女が口を開いた。

 

「ねえ、私いますごい機嫌が悪いんだけど。あいつら、始末してもいいわよね」

「まだ待つっちゅよ。あんた、まだ完成形じゃないっちゅからね!?」

「構わないわよ! あんな出来損ないと人間くらい、なんてことないわ!」

「あーダメっちゅ! 頼むから言う事聞くっちゅよ!」

 

 ……なんだかあっちもあっちで大変そうだな。

 なんて呑気なことを考えつつ、右手に剣、左手に盾を展開。向かってきたブラックハートの剣を受け止めつつ、背後から強襲してくるもう一体を剣で相殺。そのまま跳躍して回避しようとすると、ブラックハートの背中から、もう一人のブラックハートが()()()()()

 ……やっぱそれ、キモいな。

 ブラックハートの体で、ノワールの形でそんな気味悪いこと、しないでほしい。

 

「よッ」

 

 追加されたブラックハートを切り伏せると、既に本体は遠くへ離れていた。彼我の距離は二十メートルほど。その間には隙間を埋め尽くすほどのブラックハート達がこちらへ剣を構えていた。おまけにあっちは空、こっちは陸。うーん、位置的有利取られたな、これ。

 

「どうするの、あれ」

 

 向かってくるブラックハート達を拳銃で牽制しながら、ネプテューヌが聞いてきた。

 でも今見た感じ、本体以外のブラックハート達は分裂しないみたいだ。

 だからつまり、本体さえ倒してしまえば、あとは消化試合になるはず。

 

「だからその、本体を倒す手段はどうするんだよ」

 

 んー、まあ。

 

「ゴリ押しで」

 

 答えると同時、変形させた盾を右手の剣と合体させる。

 ベールの場合は弓。ブランの場合は鎌。

 そして、ノワールの場合は――杖?

 

「ふむ」

 

 棒状に展開した盾の先に、ナギナタみたいにノワールの剣が付いただけ。くるくると試しに回してみると、重さはあまり感じられなかった。それと同時に、頼りなさも少し。

 ……前の二人にくらべると、ちょっとしょうもなくない?

 案外楽しみにしてたのに。もうちょっと格好よくならなかったのかな。

 どうやって決めてるのか分かんないけど、もう少し想像力働かせてくれよ、俺。

 

「行け」

 

 その一言と同時に、周囲のブラックハートが襲い掛かってくる。

 とりあえず一番近いところから処理していくために、手にした杖を振り抜こうとして。

 

「お」

 

 ゔん、と。

 宙を駆ける剣閃は、いくつにも分裂して、ブラックハート達を切り裂いていった。

 

「なっ……!」

 

 舞い落ちる塵の向こう、困惑する彼女の表情すらも、今の俺には関係なくて。

 あ…………。

 

「あ?」

 

 アタックライドだ!

 

「は?」

 

 え、これって大ネプだから? ここでそれ回収するんだ! はー、すっごいね! やっぱやるな、俺! ここでそれ絡めてくるのは流石だわ! 信じられるのは自分だけだなもう!

 まあ、使い方は――大体、わかった。

 

「……っ、なんなのよ、それっ!」

 

 余裕なくなってるな。そりゃそうか。これ、割とチートだもんな。

 振った時に出てくる剣閃にもブラックハートの剣の特性が付与されてるらしくて、一回振るだけで面白いようにブラックハートたちが消えていく。

 そりゃもう、ゴリ押しどころかブンブン適当にぶん回すだけで簡単に道が開けていって。

 

「使いやすいな、これ」

 

 そんな呟きをひとつ、すぐさまブラックハートの目の前へと跳躍。

 

「嘘――」

 

 ――遅い!

 

「うおりゃあっ!」

 

 振りかぶった杖を、縦に一閃。

 次の瞬間、いくつもの剣閃がブラックハートに降り注いだ。

 そのまま墜落する彼女へ馬乗りになって、再び杖を構え直す。地面へ叩きつけられた衝撃の跡、ブラックハートは俺を睨みつけながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「また、縛り付けるつもりなの?」

 

 ……何、を。

 

「あの子のことなんて何も知らないで! 勝手に女神だって祀り上げて、夢を潰すつもりなんでしょ!? あの子は、普通に生きたかっただけなのに!」

「違う!」

「違わないわよ! 私が、あの子の事を一番分かってるの! あの子の望みを叶えてあげられる、たった一つの存在なの! あの子を救うのはあなた達じゃない! 私だけなのよ!」

「救われることなんて、ノワールは望んでない!」

 

 そうじゃない。そうじゃ、ないんだよ。

 

「辛いって思うだろうさ! 逃げたいって何度も考えたに決まってる! こんな使命や意思から目を背けて、ただの一人の女の子として生きたいって、そう望んでる!」

「だったら……!」

「でも、ノワールは逃げたりなんかしない! みんなを置いていったりしない! ノワールは今までもこれからもずっと、この国の女神なんだ!」

「どうして……どうしてそこまで言えるのよ! あなたなんて、あの子のことこれっぽっちも知らないのに! あの子の辛さなんて、なんにも知らないくせに!」

 

 そうかもしれない。俺の抱いているノワールへの感情は、押し付けかもしれない。

 でも。

 

「俺は、ノワールを信じてるから!」

 

 今の俺を突き動かしているのは、その心だけだった。 

 

「そんなの……そんなの、あなたが勝手に言ってるだけじゃない! あの子は私を信じるはず! だって、こんなにもあの子を理解してるんだから! 裏切るはずなんてないわよ!」

 

 まだ言うか、この……っ!

 

「じゃあ、本人に聞いてみるか!?」

 

 え、と困惑するブラックハートの、その胸に。

 握りしめた杖を、渾身の力で突き立てた。

 

「ちょっ……! あんた、何して……!」

 

 ……痛みはないのか。それでも、手応えはある。

 クロワールは、重なってるって言った。それがどのくらいの深さなのか、どれくらい絡み合ってるかは知らないけど、でもきっと、切り離すことはできるはず。

 力に任せたまま、杖をノワールの体へと差し込んでいく。途中でブラックハートの体が解けて、辺りが黒い泥で覆われたけど、そんなことを気にしている余裕なんて、なかった。

 やがて。

 

「見えた」

 

 微かな光だった。夜空に瞬く一つの星のような、指先で潰せてしまいそうな、儚いもの。

 漆黒の中で輝くそれに、思いっきり手を伸ばして。

 

「掴まって、ノワール!」

 

 俺の叫び答えるかのように、手のひらへ温もりが、伝わってきた。

 ……さあ、あとは引き上げるだけ。足にいっぱいの力を込めて、一気に!

 

「せー、のっ!」

 

 ぬるん、と。

 なんとも間抜けな音を立てながら、俺の体が後ろの方へと跳んでいく。

 仰向けになった俺の視界を埋め尽くしたのは、誰かの背中で。

 

「うげ」

「きゃん!」

 

 ……なんだろう。もう少し、可愛げのある悲鳴とか、練習したほうがいいのかな。

 いや、やめとこ。中身が男って知ってる人からしたら、キモがられるだろうし。

 

「いったた……あれ? 黒いの? どうして私の下に寝てるのよ」

 

 こっ、こいつ……! いつもネプテューヌにキレてるくせに……!

 

「助けたのに」

「え? ああ、あいつ!」

 

 そこでようやく状況を理解したのか、俺の上から立ち上がったノワールが、しゅるしゅると音を立てながら戻っていくブラックハートへ向かっていく。するとブラックハートは、目の前へやってきた彼女へ向けて、ゆっくりと手を伸ばして。

 

「ごめんなさいね、邪魔が入ったみたい――」

「このっ」

 

 あっ、殴った。グーだ。

 

「痛っ……え? は? いきなり何よ!」

「それはこっちのセリフよ! いきなり何てことしてくれたのよあなたは! 私を助けてくれるって言うから、少し話を聴いてあげたら、まさかこんなことするなんて!」

「で、でもあなた、確かに女神をやめたいって……そう、夢に見たはずじゃない!」

「かもしれないわね。でもね、私がそんなこと望むはずないでしょ!?」

 

 するとノワールは、ブラックハートの首を掴んでから、思いっきり引き寄せて。

 

「私はね、女神なの! 女神にしかなれないのよ! 確かに女神なんて辞めたいって思ったり、どこかへ逃げたいって思ったことは何度もあるわよ! でもね、そんなことできるはずないでしょ!? この国には、私についてきてくれる人が何千、何万人もいるんだから!」

「でも、彼らはあなたを縛り付けて……」

「それなら、好きなだけやればいいじゃない! それだけ私の助けが必要ってことなんでしょ!? だったら私は女神として、国民を助けるだけ! それが、私の使命なんだから!」

 

 ……やっぱり、ノワールは強い。

 普通の人なら逃げ出してしまいそうな使命や役割を、その身一つで受け止めるんだから。

 

「……いつ壊れても、知らないわよ?」

「壊れる? 馬鹿ね、こんな程度で壊れてちゃ、女神なんてやってられないわよ!」

 

 そして、ノワールはその右手に虚空から取り出した剣を握って。

 

「これで――終わりよっ!」

 

 大気を揺るがすほどの轟音が鳴り響いたのは、その瞬間だった。

 

「どっかーーーーん!」

 

 唐突に響き渡ったのは、そんな無邪気な彼女の叫びで。

 直後、ノワールが大きく吹き飛ばされる。急いで両足を女神化させて、すんでのところでその体を受け止めた。背中が壁に叩きつけられたけど、まあこれで済めばマシなのかな。

 

「ぴぃ、さんじょーうっ!」

「遅いっちゅよ! 何してたんっちゅか!」

「だって道わかんなかったもん! おばさんも何も言ってくれなかったし!」

 

 ……来た、のか。

 イエローハート――いや、ピーシェ。

 

「二人とも大丈夫!? 結構すごい勢いでやられてたけど!?」

「……アレか。お前が言ってた、勝てる見込みがないってヤツ」

「え? あなた誰? ネプテュー……え? ちょっと黒いの? 説明してほしいんだけど?」

 

 あー……とりあえず説明は後でいい?

 多分、それよりも優先するべきことがあるはずだし。

 

「お前もお前でなにしてるっちゅか! こいつが来るまで無茶はやめろっていったっちゅよね!? ああもう、なんで誰もオイラの話聞いてくれないんっちゅか!」

「あんたみたいなネズミに指示されるなんて御免よ」

「ぢゅーっ! それが今までコテンパンにされてた奴のセリフっちゅか!」

 

 それ以上ワレチューの言葉に答えようとせず、ブラックハートがこちらへ向き直る。それに釣られてか、真似なのかは分からないけど、イエローハートも俺の方を向いて、あ、と何かに気づいたような声を上げた。

 

「この前私に負けたおねーさん?」

 

 ……言い方、キツいな。事実だけどさ。

 

「その手と足、どうしたの? ツギハギだね!」

「……もう一度会いに来たんだ。連れ戻すために」

「だから! ぴぃに帰るところなんてないもん! おねーさんのわからずや!」

 

 ……どっちが。

 

「そっちは任せるわよ、黒いの。私と、あと大きいネプテューヌ? あなたはこっちね」

「分かったよ! 正直話とか全く分かんないけど、頑張ってみる!」

 

 いいの?

 

「私がやるより、あなたがやった方がいいみたいだし。何より、あなた自身がそうしたいんでしょ? なら、別に止めないわ」

「でも、先にそっちを片付けないと、ラステイションが」

「そういう気遣いするくらいなら、早く決着つけてきなさい」

 

 続けようとした俺の会話を断つように、ノワールが剣を振り払う。

 

「行くわよ、大きいの!」

「うん、ノワールちゃん!」

「のわっ……ノワールちゃん!?」

 

 なんてちょっと抜けた会話をしながら、二人はブラックハートの元へと向かっていった。

 ……さて。

 

 

「ツギハギのおねーさん、また私と遊んでくれるの?」

 

 うん。そのためにここに来たんだ。

 

「ほんと!? やったぁ! 私と遊んでくれるの、おねーさんくらいしかいないもん!」

 

 そうなんだ。喜んでくれて、嬉しいな。

 

「でも、心配だなあ。おねーさん、私に勝てないでしょ? その腕と足、またバラバラにしちゃうかもよ? 今度は逆の腕と足も千切って、イモムシみたいにしちゃうかも!」

 

 また生えてくるから大丈夫だよ。多分。

 

「……怖く、ないの?」

 

 ぜんぜん。

 君を失う方のことが、怖い。

 

「何やってるっちゅか! あんな奴、とっとと――」

「黙れ」

 

 左腕に槍を精製、それを弓に変形した盾で打ち出した。

 放たれた矢は宙を駆って、ワレチューの額のすぐ上を通り抜ける。

 ……頼むから、二人だけで話を。

 

「……遊んでくれるのは、俺だけなの?」

「うん、そうだよ。おばさんもネズミさんも、ぜんぜん遊んでくれないの」

 

 だから、と。

 

「お姉さん、ぴぃと沢山あそんでねっ!」

 

 言葉と同時、ピーシェは地面を蹴って俺の方へと襲い掛かってきた。

 ――右脚のプロセッサユニットを展開。出現したホワイトハート斧を蹴り上げて、ピーシェの攻撃を受け止める。けれど衝撃を殺しきることはできなくて、体が後方へと吹き飛んだ。

 なんとか両足で着地すると、すぐに彼女の顔が目の前へやってきて。

 

「っ!」

 

 とっさに構えた盾へ、ピーシェが黄金色の爪を突き立てる。

 鉄が破れる音。そして、腕から血が流れ始めた。

 

「あ、またこわしちゃった!」

 

 ……ほんっと、物持ち悪いよな。力が強すぎるっていうか。

 でも、ようやくこれで――捕まえた。

 

「ピーシェ」

 

 語り掛けると、彼女はまっすぐ俺の瞳を見つめてくれる。

 

「寂しくないの?」

 

 橙色の奥にあるのは、疑問の色だった。

 

「さみしい? どうして?」

「……さっきさ。遊んでくれる人、俺しか居ないって言ってたじゃないか」

「それは、そうだけど」

 

 少し困ったような顔で、ピーシェが答える。

 

「マジェコンヌ……おばさんは、遊んでくれないの?」

「おばさんは、いつも忙しいって言ってるから。ほんとは遊びたいんだけどね」

「あのネズミも?」

「うん。みんな、ぴぃとあそんでくれない……」

 

 がっかりするように、眉を顰めながらピーシェが呟く。

 でも、そりゃそうだよな。彼女にとっての遊びは、闘争なんだ。どちらかが壊れるまで続くもの。この前にあったみたいに、残るのは片方だけ。だから彼女は、ずっと一人で。

 

「……これって、さみしいっていうの?」

「そうかもね」

 

 でも。

 

「俺なら、君を悲しませない」

 

 月並みな言葉かもしれないけど、それでも。俺の、心からの言葉だった。

 

「お姉さんは、ずっとぴぃと遊んでくれるってこと?」

「うん」

「でも、また壊れちゃうかもしれないよ?」

「それでも。ピーシェが満足するまで。寂しくならないまで、ずっと」

 

 だからさ。

 

「もうそろそろ、終わりにしよう」

 

 洗脳されてるのか、それとも別の何かかなんて、そんなこと知らない。

 でも、確かに言えるのは、彼女には帰る場所があること。

 ピーシェの帰りを待っている人が、必ずいるってこと。

 それを伝えない限り、彼女は帰ってこないんだと思う。帰ってこられないんだとも、思う。

 

「みんなが、待ってるから」

 

 そうして伸ばした指先が、彼女の頬に触れた、その瞬間。

 ばちん、という衝撃と共に、裂けるような痛みが伝わってきた。

 

「いたっ!?」

 

 ……今の、何だ? 

 分からない。何かが弾けたような、拒絶にも似たような、そんな感触。

 それと、一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ、イエローハートの姿がブレて、ピーシェの影が見えた気がした。

 

「……わかんない……わかんないよっ!」

 

 吹っ切れるように、イエローハートが吠える。痛みに叫んでいるのか、それとも俺の言葉にうんざりしているのか、もしくはどちらも。

 

「ぴぃに帰る場所なんてないのに! どうしてツギハギのおねーさん、そういうこと言うの!? ぴぃ、帰りたくないよ! ずっと遊んでたいもん! お姉さんと、ずっと!」

 

 慟哭と共に、衝撃波が吹き荒れる。イエローハートの背後からだった。

 

「ちょっ……何してるっちゅか! 早くそいつをブッ倒して……」

「うるさいっ! いつも遊んでくれないくせに!」

 

 ……ここまでくると不憫に思えてくるな、ワレチュー。

 でも、それ相応の悪事はやってきてるわけだし。仕方ないよな。

 

「もういい! 私、どこにも帰らないよ!」

 

 彼女の激情に応えるように、黄金の翼が輝きを増していく。

 そしてイエローハートは、謁見の間の壁を打ち破って、そのまま外へと飛んで行ってしまった。

 ……まあ、当然俺も一緒に、上空へ放り出されるわけで。

 

「お姉さん、一緒にどっかに行こう! そこで、ずっと、ずーっとぴぃと一緒に遊ぶの!」

 

 そんなことを言われながら、あっという間にラステイションの上空まで連れて行かれて。

 太陽は沈みかけていた。西の空は茜の色に染まっていて、東からは夜が迫ってくる。

 遠くには青みが掛かったプラネタワーと、反対側にはルウィーの雪国が見えた。その真ん中にある島はリーンボックスかな。改めて見てみると、結構各国家の距離って近かったりするんだな。

 こんな状況で言うのもなんだけど、初めてこうしてゲイムギョウ界を見渡せた、気がする。

 

「もう、ぴぃはどこにも帰らない! お姉さんと一緒にいるもんね!」

 

 それは、できないよ。俺もピーシェも、帰らなくちゃいけない。

 

「どうして? 私は遊んでたいだけのに……お姉さんと、ずっと……」

 

 それは分かるよ。俺だってずっと遊んでいたい。楽しい事は、ずっと続いてほしいもん。

 でも、君には帰りを待つ人がいる。その人は、俺の帰りも待ってくれてる。俺達二人が、仲良く帰ってくるって信じてるんだ。だからその人を、その人の願いを無視して遊び続けるなんて、できるはずがない。

 ……門限はとっくに過ぎてる。もう、日が暮れた。だから、夜が来る前に。

 

「もう帰ろうよ、ピーシェ」

 

 ぱきん、と。

 指先で額に触れると、彼女の奥底から何が割れる音が、聞こえた。

 それと同時に、内臓が浮かび上がるような感覚。

 頬に乱暴にぶつかる風が、急降下していることを教えてくれた。

 

「あ…………」

 

 呟いたイエローハートの像が、だんだんと形を変えていく。プロセッサユニットは剥がれ落ちて行って、翼も空に溶けるように、光の粒子となって消えていく。頭の後ろで纏めていた髪は解けて行って、瞳の奥にあった電源マークも、ゆっくりと消えていく。

 そうして、元の蒼色になった瞳は、ゆっくりと俺の方へと向けられて。

 

「……おかえり、ピーシェ」

 

 その言葉に、ピーシェは両腕で俺の体を抱きしめてから、答えてくれた。

 

「ねぷてぬ……ねぷてぬっ!」

「うん」

 

 やっぱり、そう呼ばれる方が良いな。お姉さん、ってのはちょっと恥ずかしかったし。

 

「ごめんね、ねぷてぬ……! 私、ねぷてぬにあんなことして……!」

「……大丈夫だよ」

「でも」

「ピーシェが無事に帰ってきてくれれば、俺はそれでいいから」

 

 ……少し、カッコつけすぎたかな。でも、それは本当のこと。

 それに。

 

「女神になった時の事、覚えてるの?」

 

 どっちかって言うと、そっちの驚きの方が強い。

 原作ではどうだったっけ。いや、まあ今その話はどうでもいいか。

 

「うん。マジェコンヌに変なのを植え付けられてから、ずっと」

「……やっぱり、あいつのせいか」

 

 そりゃ、知ってたけど。でも、どうやって?

 ……もしかすると、マジェコンヌにはシェアクリスタルを生み出せる力があるとか?

 でないと、各国の女神の偽物なんてもの、生み出せないし。プルルートがアイリスハートになったのも、そう考えると辻褄が合う気がする。あれ、もしかして俺、けっこういいセン行ってるのでは?

 

「ね、ねぷてぬっ! それ考えるのはいいけどさ! 下、下っ!」

 

 ……あ、そっか。

 

「もう一回、イエローハートになれたりしない?」

「たぶん無理! 戻り方とか分かんないし、探してるうちに死んじゃうって!」

 

 うーん、そっか。なら割と詰んでるんだよなあ。

 いくら女神だからといって、この高さからだと潰れちゃいそうだし。

 ピーシェだけでも、と思うけど、それも難しそうだ。

 ……でも、せっかく助けられたのに、一緒に帰れるのに。

 ここで終わるなんて、そんなの嫌だ。

 

「ピーシェ」

「な、ななな何っ!?」

 

 何かアテがある訳でもない。もしかすると、俺の最期の我儘になるかもしれない。

 それでも。

 

「俺を、信じて」

 

 そうすれば、きっと。

 こんな出来損ないの女神でも、奇跡の一つや二つ、起こしてみせるから。

 

「――ねぷてぬっ!」

 

 ピーシェの叫び声が、聞こえる。 

 

 そして。

 闇が、俺を呑み込んだ。

 

 




クラゾミさん(@KURAZOMI)から画を頂きました うれしす


【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20 Fly_High_!

『君の隣に、いられるのなら』


 

 ▼ Fly_High_!

 

 

 ――感じていた浮遊感は消え、次には地に足を付けていた。

 暗闇の中に浮かぶ、透明な円形状の足場だった。大きさは俺一人分しかなくて、厚みもそこまでない。例えるなら、俺のためだけに用意されている、ガラスの足場みたいな、そんな。

 周囲に広がるのは、漆黒。よく見るとそれは闇ではなく、虚無のようだった。伸ばした手の先が、闇に蝕まれることもない。ただ、そこには俺だけが存在しているような、そんな曖昧な感触を覚えていた。

 伸ばした左腕には、白いプロセッサユニットと、緑色の光があって。そうやってもう一方に目をやって、初めて右腕がずたぼろに引き千切られていることに気が付いた。

 ……ああ、ようやく思い出したぞ。

 確か、ピーシェにかかっていた洗脳を解いて、地面に落ちて行って。

 その間中、ずっと右腕に爪が突き刺さったままだったんだ。そりゃまあ、こうなるか。

 もう使い物にならなさそうだなあ。ま、左腕がやられてないだけマシか。

 俺、右利きだけど……そこはまあ、練習するしかないよな。

 ……いや、それよりも。

 

「ここ、どこ?」

 

 口走った瞬間、目の前にぼう、と人影が浮かび上がる。

 

「ごきげんよう」

 

 果たして現れたのは、ぺこりとお辞儀をする小ベールだった。

 そうして顔をあげると、あら、なんていうように、口元を手で覆う。

 

「もう片っぽも、なくしてしまわれたのですね」

 

 ……ああ、右腕のこと?

 仕方ないよ。それに、ピーシェが戻ってきてくれたから、その代わりと思えば。

 

「とにかく、みなさまがあなたのことをお待ちしておりますの」

 

 彼女が告げると同時、俺を取り囲むように、今度は三つの人影が姿を表した。

 

「お久しぶりですわ」

 

 恭しく頭を下げるのは、女神化した中ベール。

 

「退屈だったのよ? ほら、あなたの中って狭いから」

 

 ため息と共に言ってきたのは、偽物のホワイトハート。

 

「私はそれほど待ってないけど。というより、まだあなたに負けたって認めてないからね!? 私が負けたのは、あのうさん臭いクソ女神だから! そこんところ、勘違いしないでよね!」

 

 なんて、無駄に多い口を叩いてきたのが、偽物のうちの一つのブラックハートで。

 ……ええと。

 

「どういうこと?」

「ですから、ずっとお待ちしておりましたの。あなたに敗れた時から、この今まで」

 

 やっぱり言葉の意味が分からなくて、首を傾げてしまう。

 

「ここは……そうね、あなたの夢の中、とでも思ってもらえればいいわ」

 

 俺の考えを汲み取ってくれたのか、ホワイトハートがそう言った。

 夢、か。なるほど。

 だったら、さっきから感じてる違和感も、どこか現実味のない感覚にも辻褄が合う。

 

「私達はずっと、あなたの事をここから見てましたの」

「退屈はしなかったわ。存外、面白かったからね」

 

 ちょっと待て。

 

「プライバシーは」

「にしても、またボロボロになってるじゃない。よくそんなやり方で、ここまでやってきたものね」

 

 俺の意見を無視して、ホワイトハート。

 いやまあ、俺って何かをどうこうする力があんまりないから。

 どうしてもこういうやり方になっちゃうっていうか。

 

「危なっかしくて見てられないわよ」

 

 ブラックハートが溢した瞬間、千切れた右腕の断面から黒い光が走り始めた。

 眩く、けれど昏い光。やがてそれは静かに収束し、思わず閉じていた瞼をゆっくりと開く。

 そこには。

 

「ほら、これで何とかしなさい」

 

 面倒くさそうに言う彼女のものと同じ、黒い輝きを携えた右腕があった。

 

「これでいい?」

「ええ。上出来ですわ」

「もう替えはないから気を付けてよ?」

 

 なんだかいろいろ言われてる気がするけど、その意図を理解することは終ぞできなくて。

 

「さて、では本題に戻りますわ」

 

 俺一人を置いてけぼりにしたまま、小ベールが続けていく。

 

「よくぞ、ここまで戦い抜きました。あなたの夢を守る意思は、確かなものです」

 

 どうやら褒めてくれているらしい。そんなことをした自覚はないんだけどなあ。

 

「だから、私たちからあなたに、ご褒美をあげますわ」

 

 ごほうび。

 ………………。

 

「俺、そういう趣味はないんだけど……」

「なに卑猥なこと考えてんのよ!」

 

 男のままだったら喜んで受けたんだろうけど。なにぶんネプテューヌの体だからなあ、これ。

 本人が別に居るとはいえ、できるだけ大事にしたいし。そういうのはよくないと思う。

 いや……でも……食わず嫌いはよくないしな。据え膳喰わぬはなんとやら。

 第一、そういうことをするにあたって、ネプテューヌに許可を取るのも馬鹿らしいし。

 あっ、その……じゃあまず、一人ずつ順番に脱いでもらって……。

 

「自分で提案して言うのも何ですが、取り下げたくなってきましたわ」

「なんで私達、こんな奴に負けたのかしら」

 

 そりゃまあ、なんていうか……然るべき結末っていうか。

 きっと、俺達が偽物でしかないからだと思う。

 

「……とにかく。私たちは、あなたに力を貸す事に決めましたの」

 

 若干の沈黙を置いてから、中ベールがそうやって話を切り出した。

 でも力を貸すって、一体どういう?

 

「察しの良いあなたなら、分かると思ったのですが」

 

 そして中ベールが、まっすぐと俺の瞳を見つめてから。

 

「あなたにとっての夢は、何ですか?」

 

 ――夢。

 俺にとっての、夢?

 

「私たちは、女神の夢を叶える存在。それ以上でも、それ以下でもありませんわ」

「だから私達にできることは、誰かの夢を叶えることだけ。それが、どんな夢であっても」

 

 あ、そう。

 つまりあれか、今までブランたちにやって来たことを、俺にやってやろうってことか。

 でも、それって意味あるの? 別に中ベールたちが解放されるとか、そういうわけでもないはずなのに。

 

「さあね。そんなこと、私達が知る訳ないじゃない」

「もしかすると、無駄なのかもしれませんわ。徒労に終わるだけかも」

 

 じゃあ、どうして。

 

「では、皆の夢を守るために戦うあなたの夢は、誰かが叶えてくださるのですか?」

 

 ……それは。

 

「けじめみたいなものですわ。私達、今になって自由になろうとは思ってませんの。だったら私達は私達らしく、役割を果たそうと思いまして。だってほら。敗者にできることは、勝者を称えることだけですもの」

「私は負けたなんて思ってないけどね。でも、こいつらがやるって言うから仕方なく……」

「あら、『こういう役回りも悪くないわね!』なんてワクワクしてたのは、どこの誰だったかしら?」

 

 うるさいわね、なんてブラックハートが叫んでから、皆がごたごた騒ぎ始めた。

 それを傍目に眺めながら、ふと思考する。

 夢、かあ。改めて問いかけられると、パッと思いつかないな。他の人に聴くことはいっぱいあったけど……ああ、そうか。皆が少しだけ答えづらそうにしてたのって、こういうことなんだ。

 ……でも、やっぱり、俺にとって一番大切なことは。

 

「プラネテューヌの皆が、平和に暮らせること」

「それは、ネプテューヌという女神の夢ではありませんこと?」

 

 答えると、すぐに中ベールが言葉を被せてきた。

 ……確かに、そうだ。これは俺の夢じゃない。ネプテューヌという女神が抱いている、夢。

 俺もそれを願っているのは事実だけど、俺にとっての夢かっていうと、そうじゃない。

 

「じゃあ、もう一度聴いてあげる。あなたにとって、夢って何?」

 

 ブラックハートの言葉に、靄が晴れた。

 俺の、夢。ネプテューヌとしてではなく、偽物である(ネプテューヌ)の夢。

 そう考えると、自然と手のひらへ目が行った。

 

 ……俺は、一人じゃ何もできない。ここ最近、そうひしひしと感じている。

 ネプテューヌや皆みたいに、誰かを守ることもできない。

 こいつらみたいに、誰かの夢を叶えるといった、明確な役割(ロール)がある存在でもない。

 出来損ない、っていうのはあながち間違いじゃないんだと思う。

 ネプテューヌはこんな小さな手でも、誰かを助けることができるのに。

 この偽物の手では、誰も助けられない。何も、救うことなんてできない。

 

 ……でも、さ。

 本当にそれでいいのかな。

 俺のこの手が届かないから諦めるなんて。助けられない事実から、目を背けるなんて。

 そんなこと俺にはできない。ネプテューヌの姿を借りている身で、できるはずがない。

 無謀ってことは分かってる。身の程に合わない願いだってことも。

 でも、それでまた大事な人を失うなんて、そんなことはもう二度としたくない。

 だから。

 

「俺の、夢は」

 

 プラネテューヌのみんなだけじゃない。

 ゲイムギョウ界に生きる、全ての人を救うため。

 助けを求める人に、この手を届かせるため。

 誰かの夢を、夢で美しく終わらせるため。

 大切な人を二度と失わないため。

 この手で、守り抜くため。

 俺、は――

 

「空を、飛びたい」

 

 虚構は晴れ、世界に色彩が戻り始める。

 

 夢から醒める刻が来た。

 

 

 はじめに見えたのは、透き通るような空の色だった。

 

「……あれ?」

 

 感じるのは内臓が浮かび上がるような感覚。強い風が、俺と、ピーシェの頬を撫でていた。空色の瞳と目を合わせる。それは一度だけ地面へと向けられた後、またこちらへ。

 

「ねぷてぬ?」

「なに」

「……落ちてるんだけど?」

 

 …………。

 

「うわあああああああああ!?」

「ちょっとおおおお!!!」

 

 何が力を貸すだバーカ! 現状、どうにもなってねえじゃねえかこれ!

 アレか?「力が欲しいか?」「欲しい!」「アンケートにご協力頂きありがとうございました」みたなノリなのか!? そこそこ古いから知ってる奴少ないだろ絶対!

 なんで心の中で叫んでも、それを聴く奴なんて誰もいるはずなくて。

 

「ねぷてぬ、やばいやばいやばい! そろそろ潰れちゃうって!」

 

 迫ってくる地面に、ピーシェが叫んだ。

 ……落ち着け。さっきのは走馬灯なんかじゃない。幻想でもない。

 あれは確かに、俺が見た夢なんだ。俺の中に居るあいつらが見せてくれた、夢。

 その証拠に右腕には、ブラックハートがくれた黒い腕がある。

 それなら。

 

「……ねぷてぬっ!」

 

 小さな、震える声のピーシェを抱きしめる。

 守らないと。二度と離れ離れにならないって、一緒に帰ろうって誓ったんだ。

 だったら、どうすればいい? どうすれば、大切な人を守ることができる?

 

 ……ネプテューヌは。

 彼女はどうして、この世界を、大切な人たちを守れるんだろう。

 どうやって、こんな小さな手でみんなを救ってるんだろう。

 どうすれば――彼女みたいに、この空を自由に飛べるんだろう。

 そう考えれば、すぐに答えは見つかった。

 

 ああ、なんだ。

 そんなに簡単なことだったんだ。

 だとすれば、俺が口にする言葉は、ただ一つ。

 

「――変身っ!」

 

 体の中に、二つの力の本流を感じる。片方はシェアエネルギー。もう片方は……アナザーエネルギー、なのかな。その白い力と黒い力はぐるぐると混ざり合って、俺の中心に集束したあと、一気に解き放たれた。

 全身が作り替えられていく感覚。小さな少女の体から、女神の体へ。全身に纏うのは、光すら呑み込む暗闇みたいなプロセッサユニット。……ちょっと悪役っぽい気がするけど、言ってられないか。

 そして、背中には――六枚の、黒鉄(くろがね)の翼。

 鋼鉄によって形作られた、天使のような、それでいて荒々しい羽。鈍い光を携えたそれは、それぞれが意思を持ったかのように動いている。その中央には、光。上から紫と菖蒲、黒と金、白と緑の結晶が、それぞれの翼の中央で輝いていた。

 三対の翼が風を切る、ふわり、と浮かび上がるような感覚。そうして彼女の体を抱えてから、ゆっくりとラステイションの教会の屋上へと降り立った。

 ……意外と、素直に言うこと聴いてくれたな。あいつらが送ってきた物だから、もっとこう、乱暴というか、手心があると思ってたけど。

 

「ねぷてぬ? それって……」

 

 呟いたピーシェの瞳を、まっすぐと見据えながら。

 

「君を守りたかったから」

 

 それはきっと、どこまでも遠くへ飛べる、世界を、皆を救う翼。

 助けを求める人に、この小さな手を届かせるため。

 誰かの夢を、夢のままで美しく終わらせるため。

 そして、大切な人を二度と失わせないために。

 

「飛べるようになったんだ、俺」

 

 ピーシェを守るためなら。君が、隣にいてくれるのなら。

 どこまでだって高く、飛んでみせる。 

 

「怪我、ない? 大丈夫?」

「……だ、大丈夫。ありがと」

 

 すると、ピーシェは少しだけ俯きがちになって、小さく言葉を漏らす。

 …………。

 

「もしかして、照れてんの?」

「なっ!? いや……だったらどうしたのさ! 照れて悪い!?」

「ううん。可愛いな、って思った」

「はぁ?!」

 

 うわっ。

 

「あ、あんま暴れんなよ! 落っことしちゃうから!」

「なら急に変なこと言わないでよ! ねぷてぬのくせに生意気!」

「悪かったって! 普段も可愛いって思ってるから!」

「はぁ~~~!?!?」

 

 なんッ……ちょ、蹴るな! 蹴るなって! 痛い痛い痛い!

 

「本当に何なの……女神のねぷてぬもプルルートも、変身したら性格変わるし」

「……もしかして、今の俺もそんな感じ?」

 

 自覚はない。ただ、変身する前よりかはだいぶ気分というか、調子が良い気がする。

 浮かれてる、って言えばいいのかな。今なら何でもできそうな、そんな全能感。

 

「でもさ、女神化しても考えてることは変わんないって聞いたけど」

「ねぷてぬ、いつもそんなこと考えてたの……?」

 

 え。

 

「俺、ほんとになにかマズいこと言ったの?」

「……ねぷてぬがいいって思うなら、それでいいと思う」

「何その言い方……ちょっ、こっち向け! 俺の眼を見て言えよ! おい!」

「きっと他の女の子にもそういうこと言ってるんだ」

「だから何を!?」

 

 駄目だ、本当に何を言ったかの自覚がない。考えてることがそのまま口に出てる感じ。下手すると愚痴とか失言とか平気で口にしちゃうな、これ。どうにか制御する方法ってないのか。

 

「とにかく、早くここから降りようよ」

「……うん」

 

 再び背中の羽を広げて、空へ。

 ずどん、と腹の底に響くような爆音が響き渡ったのは、その直後だった。

 

「今の……」

「ねぷてぬ、下っ!」

 

 言葉が紡がれるよりも先に、俺達の周囲を黒い陰が取り囲む。

 ……いや、違う。これは。

 

「掴まれ!」

「うん!」

 

 頷いたピーシェと視線を交わしてから、上空へと一気に舞い上がる。

 俺達が居た場所に無数の剣閃が迸ったのは、その数瞬後だった。

 

「あれ……もしかして、全部?」

「そう」

 

 ブラックハートの分身体。それも、さっき戦っていた数より遥かに多い。

 ……どうして? 乗っ取られていたノワールは隔離したから、そこまで力は残っていないはず。

 そうして思考していると、ブラックハートの一人がこちらへ飛んでくるのに気がついた。

 すぐに右手に剣を展開。ピーシェを抱えつつ、向かい来る彼女へ腕を振り上げて――。

 

「ちょっと! 私よ私! 本物だから!」

 

 なんて言葉をかけられたのと、大ネプとワレチューを吊り下げているところを見て、すんでのところで剣を収めた。ああ、本物か。今回、小さかったり大きかったりがないから区別しづらいんだよね。

 

「しょうがないよ。私も何回か本物のノワールちゃん攻撃しそうになっちゃったし」

「しっかりしてよね。というよりあなた、その姿……」

 

 ……まあ、それは後でゆっくり話すとして。

 

「どうしてこいつを連れてきた?」

「ちょっ、やめるっちゅ! お前、オイラに当たりキツくないっちゅか!?」

 

 いや、そりゃだって。

 

「敵だし……」

「でも、かわいそうだったから連れてきちゃった。それにあの偽物のノワールちゃんたち、このネズミさんも攻撃しそうだったの。だから、放っておけなくて」

「……どういうこと?」

 

 剣の先で何回かつっつくと、ワレチューはすぐに口を開いた。 

 

「そもそもオイラ、あのオバハンに言われて手伝ってるだけっちゅよ……だから見逃して」

「んなこと今聞いてねーんだよボケ」

「はいっちゅ!」

 

 それで。

 

「あのブラックハートの狙いはイエローハート……っていうか、今お前が抱えてるそいつっちゅ」

「あたし?」

 

 こてん、とピーシェが首を傾げる。そこでようやく、納得がいった。

 

「実験してたんだ、ピーシェで」

「そうっちゅ」

「でも、壊しちゃった」

「え」

「いや、何か触ったら壊れちゃって。何もしてないのに」

「何てことしてくれるんっちゅか! あれ一つ作るのがどんなに大変か知らないんっちゅか!?」

「知るわけねーだろ」

「……話が見えてこないんだけど?」

 

 少し苛立ったような様子のノワールに向けて、説明。

 

「つまり、マジェコンヌはイエローハートを使って、人工的に女神を生み出す実験をしてたんだと思う」

「……なにそれ。私達にケンカ売ってる?」

 

 青筋を立てながら言うノワールに、ワレチューはばつが悪そうに視線を逸らしていた。

 

「だって……全部、あいつがやれっていうっちゅから……」

「話は後で聞く」

 

 だから、まずは。

 

「あいつらを何とかしないと」

「そうね」

 

 眼下のブラックハートは、未だに増殖を続けているようで、それは蠢く影にも見えた。

 

「あああああああ!」

 

 最早、言葉すらもなかった。獣のような慟哭を挙げながら、黒い陰がこちらへ迫ってくる。

 狙いは、俺――否、腕の中のピーシェ。

 

「奴の狙いはピーシェだから、俺が引き付ける」

「え?」

「だから、ノワールは二人を下ろしてから、構えてて」

「ちょっと……ああもう! どうなっても知らないからね!」

 

 大丈夫。きっと、ノワールなら。君なら、自分の夢を絶ち切れる。

 ノワールにはその強さがある。その黒い心は、こんなもので砕けるはずがない。

 

「翔ぶよ、ピーシェ!」

「うん!」

 

 暗闇から逃れるように。雲すらも突き抜けて、太陽の真下まで。

 もっと高く、果てしなく。君と一緒に――空へ!

 

 ――そして。

 

「わあ……」

 

 眼下に広がる光景に、ピーシェは目をきらきら輝かせながら、そんな声を漏らしていた。

 太陽は未だ遠く、しかし地面も遥かな距離に。それはきっと、深海に似ていた。どちらに落ちてもおかしくないような、けれど心が透き通るような解放感を感じる、そんな光景。ピーシェを抱えたまま、その場でくるりと一回転すると、世界そのものがぐるりと回るような、そんな錯覚を覚えていた。

 これこそが、女神の見てる光景なんだ。世界を守るために空を駆ける、守護者の視線。

 

「すごい……すごいよ、ねぷてぬ!」

「うん」

 

 髪をさかさまに垂らしながら、ピーシェはそうやって俺に笑いかけた。

 

「……ごめんね、ピーシェ」

「ねぷてぬ?」

「今まで、君に何もできなかった。諦めるしかなかったんだ。俺は一人じゃ何もできないから。こんな小さな手じゃ、君を守ることなんてできなかった。ずっと、君を一人にしてた」

 

 でも、今は違う。

 俺のこの背中には、大切な人を守るための翼がある。

 

「もう一人になんかさせない。寂しい思いも、させたくない」

「うん。私も信じてるよ、ねぷてぬのこと」

 

 その言葉をくれるだけで。そうやって、笑顔を浮かべてくれるだけで。

 

「……ありがとう!」

 

 直後に聞こえたのは、頭の上から鳴り響く慟哭だった。

 

「ああああっ! 返せっ! 私たちの……みんなの、夢を!」

 

 体の所々から分裂体を生み出しながら、ブラックハートがこちらへ手を伸ばしてくる。いや、もう手なのかも分からない。指はいくつも生えてるし、肘もめちゃくちゃについてる。偽物どころの話じゃない。

 あれはもう女神の偽物でも、夢を叶えるための装置でもない。ただの怪物。夢の残骸。

 確かなのは、絶ち切らなくてはならないもの、ということだけ。

 

「ピーシェ、行くよ」

「うん!」

 

 ぎゅっ、と強く抱きしめられる。彼女の息遣いが、鼓動が、体に直に伝わってくる。

 ピーシェが傍に居てくれることが、俺に確かな強さを、絶ち切るための勇気をくれた。 

 ……いける。これなら、きっと!

 

「はあああっ!」

 

 右腕にブラックハートの剣を展開、そのまま盾と接続、アナザーエネルギーの剣を展開。

 思ったよりも刀身が大きくなって驚いたけど、むしろ好都合。このまま、一気に!

 

「いっけええええ!」

 

 漆黒の刃が暗闇を切り裂いていく。隙間から覗くのは、青空。

 そうして突き抜けた先、目を見開いた彼女の胸へもう一度、ブラックハートの剣を突き立てた。

 落ちていく。頬を撫でる風は強く、女神化によって伸びた髪はびゅうびゅうとはためいている。流れ星になったようだった。黒い羽を広げ、暗黒の尾を引いていく。昏く落ちていく俺の、その先には。

 

「ノワール!」

 

 俺と同じ剣を構えているブラックハートが、こちらへ舞い上がっている姿が見えた。

 二人は安全な場所へ避難させたらしい。それなら。

 

「もっと……もっと、速く!」

 

 俺の言葉に応えるように、六枚の翼が羽ばたき、漆黒が輝きを増していく。

 

「合わせて!」

 

 うん!

 

「インフィニットスラッシュ!」

 

 あ、技!? うわっ、やばい! 必殺技とかなんも考えてなかった!

 あーっと、えーと――

 

「――アナザースラッシュ!」

 

 剣閃。俺とノワールの影は重なって、二つの光がブラックハートを切り裂いた。

 その瞬間、俺達の周囲を覆っていた陰が、ぼろぼろと崩れていく。それは、零れ落ちていく砂のようだった。どれだけ大事に掬っても、手のひらの隙間から垂れていくような、そんな儚さがどこかにあった。

 それはきっと、夢の残骸。決して届くことのない、ノワールの望んだ理想。

 

「どうして……あなたたちは……」

 

 消えゆく最中、ブラックハートがぽつりと言葉を漏らす。

 

「私はただ、あなたを救おうと……」

「救うだなんて、勝手なこと言ってるんじゃないわよ!」

 

 ぴしゃりと、強くノワールが言い放った。

 

「ここは私の国! 私の全てなのよ! それなのに、あなたはこの国をめちゃくちゃにして……! 私を信じてくれる人を、裏切ろうとするなんて! そんなこと、私は望んでない! だって……だって……!」

 

 そこでふと、ノワールは静まって。

 

「信じてくれる人がいるからこそ、私は女神でいられるのよ」

 

 ――呪いなのかもしれない。それはノワールを縛り付ける枷。一人の少女を殺す信仰心。

 でも、その信頼があるからこそ、ノワールはノワールで、ラステイションの女神でいられるんだ。

 

「……そう。あなたは……強い、女神ね」

「当たり前よ。そうじゃないと、国民を守れないからね」

 

 剣を構える。その切っ先は、消えゆくブラックハートの額へと構えられて。

 

「さよなら。私の夢」

 

 言葉と同時、静かな剣閃がブラックハートを――彼女の夢を、絶った。

 黒いアナザーエネルギーの粒子が、空へと舞い上がる。それは一度宙を漂ったあとに、俺の方へと集まってきた。また、あの感覚。俺ではない何かが、心の中へと入っていく。もう、怖くはなかった。

 

「これで、終わりね」

「うん」

「……あなた達には世話になったわ。この埋め合わせは、どこかで」

「別にいいよ」

 

 ノワールが無事でいてくれれば。今も変わらず、この国の女神でいてくれれば。

 

「何よそれ」

「俺も、ノワールを信じてるってこと」

「……あっそ。移民はいつでも歓迎してるから」

 

 言葉の強さとは裏腹に、ノワールは確かに笑ってくれた。

 ……さて。

 

「帰ろうか、ピーシェ」

「うん」

 

 ピーシェが頷いた、その瞬間。

 景色がぐいん、と上に引きずられていくのが、見えた。

 

「ちょっ」

「うわっ!?」

 

 風を切る感覚。頬に当たる風は、今まで感じたどれよりも強い。

 やばい、気が抜けてたかな。えっと、翼……翼……。

 あれ。

 

「ピーシェ? 今の俺ってどう見える?」

「え? いつものねぷてぬだけど……」

 

 なるほど。つまり、変身が解けたっていうことか。

 ………………。

 

「なんでええええええええ!?」

「たすけてえええええっ!」

 

 あっ、声がちょっと遅れて聞こえてくる! めっちゃ早く落ちながら叫ぶとこうなるんか!

 いやそんな気づきを得てる場合じゃないわ! ノワール! ノワール助けて!

 

「ちょっと……! 駄目、追い付かないわ! なんでいきなり変身解除してんのよ!」

 

 いや知らんて! 知らんてーッ!

 

「ねぷてぬ、もっかい変身! 変身して!」

 

 あっ、そっか! それでいいじゃん!

 じゃ早速……

 

「変身!」

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

「ダメでした」

「なんで!?」

「俺が聞きたいよおおおっ!」

 

 え、何なのまじで!? 時間制限アリ!? なら最初にそう言えや!

 ……あれ? これ本当に詰んでない? ノワールも追い付けなさそうだし。

 そんな。ここまできて、そんなことって。

 

「ピーシェ、掴まってて」

「ねぷてぬ!?」

「できるか分かんないけど」

 

 両足を女神化、体勢を整え直して、ピーシェをしっかり抱きしめる。

 

「ねぷてぬ!? ダメだよ! そんなことしたら、ねぷてぬがしんじゃう!」

「でも、ピーシェを守れなかったら何も意味ないんだよ!」

 

 叫ぶと、ピーシェは驚いたように、すんと黙り込んでしまった。

 ……ああ、そういえばピーシェの前で叫ぶのって初めてだったかな。

 ごめんね、怖い思いさせて。別に怒ってるわけじゃないんだよ。

 それだけは、最後に伝えて――

 

「ちょっと」

 

 なんて声が聞こえたのは、俺が口を開くのと同時で。

 

「プルルート!」

「早すぎるわよ、諦めるの。私達のこと、忘れてたわけじゃないでしょうね」

 

 なんて面倒くさそうに言うと、俺の手からピーシェを受け取ってくれた。

 

「プルルート……」

「ピーシェちゃん、無事だったのね。やっぱりねぷちゃんに任せて正解だったわ」

 

 なんていう二人の会話は、すぐに聞こえなくなっていく。

 ………………。

 

「俺は!?!?!?!?!??」

「大丈夫ですわ、黒ネプちゃん。私がいますから」

 

 なんて、急に表れたグリーンハートが俺のパーカーをつかみ取った。

 

「ぐえ」

「あら」

「ちょっ……もうちょい優しく」

「ごめんなさい。でも、無事でよかったですわね」

 

 そりゃまあ、そうだけど。

 なんて返すと、俺の意思を汲み取ってくれたのか、ベールは俺を二人の傍へと近づけてくれた。

 

「プルルート、ねぷてぬ……」

 

 空色の瞳が潤む。零れ落ちそうになった涙を、ピーシェがぐっ、と堪えて。

 

「ただいま!」

 

 陽だまりのような笑顔を浮かべる彼女に、俺とプルルートは。

 

 

『おかえり、ピーシェ!』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21 終わらない夢物語

 

 ……それで。

 

「どういうこと?」

 

 いつか見た、暗闇の世界の中で。

 あの時と同じように俺を取り囲む四人へと、そう問いかける。

 けれど彼女たちは俺の言葉に疑問があるらしく、互いに顔を見合わせていた。

 しばらくの沈黙。そして、最初に口を開いたのは小ベールで。

 

「ええと……どういうこと、とは」

「いろいろ」

 

 あの黒い翼のこと。そして、それが泡沫のように消えてしまったこと。

 やがて話を始めたのは、ホワイトハートだった。

 

「私達がどういう存在かっていうのは、あなたも知ってるわよね?」

「……女神の偽物。夢を叶えるためだけに産まれた、存在」

「そう。でも、私達がどこまであの子たちを偽っているのかは、知ってる?」

 

 と、いうと。

 

「私達はね、偽物であっても女神には変わりないのよ」

 

 すると、彼女が俺の方へ手のひらを差し出した。

 そこに現れたのは、雪のような白さを持つ一つの結晶。その中央には、電源マークをもした構造体がぼんやりとした輝きを放っている。

 

「シェアクリスタル……」

「元々、私達はオリジナルである彼女たちと入れ替わる予定だったんですもの」

「ですから偽物である私達も当然、女神の神格(シェアクリスタル)を備えている必要があった」

 

 語る中小ベールの手のひらにはそれぞれ、半分に割られたシェアクリスタルが漂っている。中の構造体も縦線のものと円形のものとに、丁寧に分割されていた。

 

「あなたにも、その神格が備わっていたはずなのよ。なのに、あなたはいつまでたっても変身できなかった。出来損ないっていうのは、そういう意味」

 

 灰色のクリスタルを指先で弄びながら、ブラックハートがこちらを向いて。

 

「でもね、今のあなたは違う。ここには三つの神格が存在している」

 

 そう言うと、彼女の持っているシェアクリスタルがゆっくりと宙に浮かび上がり、俺の体へと向かってきた。思わず手で塞ごうとすると、それはするりと腕をすり抜けて、俺の体の中へと吸い込まれてゆく。

 何ビビってんのよ、と呆れるブラックハート。どう返そうかと悩んでいるうち、同じようにホワイトハートと中小ベールのクリスタルも、俺の方へ。

 

「それに、あなたはみんなから信頼されてるでしょう?」

 

 そう……なのかな。でも、そうだよね。

 みんなが俺の事を信じてくれたから、俺は空を飛べたんだ。

 きっとそれは、この世界で言う信仰なんだと思う。

 みんなの信じる心が、俺にこの翼をくれた。

 ……そうか、それってつまり。

 

「俺は、女神になったってこと?」

「いいえ。()()、ですわ」

 

 問いかけると、中ベールがそう答えた。

 

「あなたはまだ、全ての女神の力を継承したわけではありませんから」

 

 …………。

 

「誰かの女神の力が、どっかから盗んできたヤツだったとか」

「いえ、そうではなく」

「やっぱ全部揃ったら仏像みたいな感じになるの?」

「だから違うと」

 

 ダサいかダサくないかでいうと結構ダサいからな、アレ。

 せっかく変身できるようになったのに、アレになるのはちょっと勇気が……。

 

「単純に、数が足りてないのよ」

 

 ホワイトハートの声に、余計な考えを捨てて耳を傾ける。

 

「翼、出してみなさい」

 

 え。

 いや、そんな急に言われても……出そうと思えば出せるモンなの? それ。

 でも言われたからにはやってみるか……ええと……。

 

「オラ!!」

「そんなに力込めなくても大丈夫だから」

 

 確かに。念じればすんなり出てきてくれるっぽい。お見苦しいところを……。

 背後に現れたのは、漆黒に染まった三対の翼。

 改めて見ても、やっぱりこれ見た目が敵キャラなんだよな。

 女神だからもっとこう、ガラスみたいな透明な翼を予想してたんだけど。

 なにか解放条件とか、スキン変更とかないのかな?

 

「どれだけ足掻いても、あなたは女神の偽物なんだから。我慢しなさい」

 

 ……それも、そっか。

 

「これはそれぞれのシェアエネルギーの収集器の役割も果たしてるの。例えば、右の一番下の白い結晶は、ブランからのもの。その反対にある緑色は、ベールの」

「どちらかと言うと、翼と言うよりそちらの役割の方が大きいかもしれませんわね。あなたを無理やり女神にさせるための装置であって、飛ぶのは副次的な役割で」

「翼の中にある結晶から集めたエネルギーを真ん中に集めて……私達の神格に接続してる、と。こんなところかしら。でもまさか、こんな形になるなんて思わなかったわ」

 

 つまり、なんだ。

 それは空を飛ぶための翼じゃなくて、俺を女神にするための翼ってことか。

 でもまあ、何となく納得は出来る。

 女神っていうのは、空を自由に駆けるものなんだし。

 それよりも、その翼が勝手に消えたのが疑問なんだけど。

 

「だから、神格が足りてないのよ」

 

 背中の中央、翼の付け根のあたりをつついて、ブラックハートが答える。

 

「シェアエネルギーを受け止めるのに三つじゃ不安定なの。四つじゃないと」

「四つ? あと一つだけ?」

「ええ」

「……なんで? なんであと一つだけって分かるの?」

「なんで、って」

 

 そこでみんなは、きょとん、と顔を見合わせて。

 

『あなたの分』

 

 ……あ、そっか。

 

「本来なら、あなたにも神格は備わっていたはずなのよ。でも、あなたの精製にはバグがあった。そのせいで、あなたの体は一度崩壊してしまった」

「器と神格は無事だったけど、人格は完全に消滅したのよ。だから別の人格をどこから引っ張ってこよう、って。四つの神格を利用して、別の世界から適当なヤツを」

「でも、それは正常に動くことはありませんでしたの。まあ、もっともですわね。赤の他人に何も伝えず協力させるなんて、出来るはずがありませんもの」

「結果として、あなたは神格を持たないネプテューヌの模倣品としてプラネテューヌに設置されたんですわ。プラネテューヌの支配は計画の初期段階でしたの。でも、その要であるあなたが壊れてしまったせいで、この計画の大半が狂ってしまって……」

「ちょっ、ちょっと! 一旦ストップ!」

 

 口々に話し始める四人に、思わず手を挙げて制止をかける。

 情報が多すぎる。え、なに? もしかして今、メチャクチャ重要なこと喋ってない?

 というか、俺を引っ張ってきたって、どういうこと?

 つまりこの四人は俺の素性を知ってるって、もしかしてそれって。

 

「……俺を転生させたのって、お前ら?」

 

 こくり、と。なんの悪びれもなく、まるで俺が今まで気づいていなかったことがおかしいくらいに、彼女らは簡単に首を縦に振った。

 その軽すぎる肯定に違和感を覚えたのは、この場で俺ただ一人だけだった。

 ……いや、方法に疑問があるわけじゃない。

 実際、PP(アイドル次元)では四女神の力を結集させて人間を一人呼んでたわけだし。

 おかしな話じゃない、っていうのは分かる。

 でも。

 

「どうして、俺だったの?」

 

 問いかけに、中ベールは。

 

「偶然ですわ」

 

 ぽつりと、ただそれだけで、答えた。

 ……偶然、か。別に何か理由があるわけじゃなくて、本当にただの偶然。

 それ以上の言葉が四人からないのは、つまりそういうことだった。

 

「……申し訳ありません。こちらも、あなたを選んだわけではないのです」

 

 やがて、恭しく頭を下げながら、小ベールが俺に言ってくる。

 

「恨むなら好きなだけ恨んでくれて構わないわ」

「ま、それで何が変わるってわけでもないけどね」

 

 ホワイトハートとブラックハートの言葉に、いいよ、と短く返す。

 そりゃまあ、そうだ。

 俺だって、それくらいは理解してる。今更文句を言ったって、何も。

 でも……そっか、そういうことだったんだ。

 

「元の世界へ戻る方法はあるの?」

「分かりませんわ。可能かもしれませんし、不可能かも」

「少なくとも、神格が揃っていない今では無理ね。もう一つが揃えば、あるいは」

 

 あー……そうか。まだ、俺の神格がどこにあるのかって分かんないもんな。

 ならまあ、いいや。別に。急ぐことじゃない。

 それに俺、仮に今すぐ神格が揃ったとしても、すぐに帰る気はないし。

 

「……帰りたくない、ということですの?」

 

 んー、いや、そういうわけじゃないけど。

 

「きっと俺は、この物語を終わらせないといけないんだと、思う」

 

 運命、って言ったら陳腐かもしれないけど。でも、俺がこの世界にやってきて、ネプテューヌの偽物の形をしてるのなら、それはつまりそういうことなんだ。

 だってそれは、ネプテューヌの偽物である俺にしかできないことだから。だったら、先に一人で元の世界へ帰るなんて、そんなことできるはずがない。

 きっとそれが、俺に与えられた役割(ロール)なんだ。

 だったら、それを果たさなきゃいけないんだと、思う。

 

「元の世界へ戻るよりも、あの子の夢を守ることを択ぶのですか?」

「うん」

「……戻れなくなるかもしれないわよ?」

「それでネプテューヌが助かるなら」

 

 少なくともそういう結末になりそうなのは、今までの流れから何となくわかってる。俺自身がやってきたことだしね。それくらいの覚悟は、できてる。

 その上で俺は、この役割を果たしたいって思ってる。

 彼女に、夢を諦めさせたくないから。

 それは必ず、俺一人の犠牲よりも大事で、かけがえのないものだから。

 

「呆れた。前々から思ってたけど、あなた、ネプテューヌの為なら死にそうよね」

 

 肩をすくめていうブラックハートに、確かに死ねるな、なんてことを考えていた。

 だって、ネプテューヌのためなら、なあ。

 それでこの物語が終わって、みんなが幸せになれるのなら。

 それも悪くないかな、って思えるんだ。

 

「……おそらくそれが、あなたが選ばれた理由なのかもしれませんわね」

 

 どういうこと、と聴こうとして、声が出ないことに気が付いた。

 暗闇は薄れ、だんだんと光が輝きを増していく。

 

「時間ね。今日のところはこれではおしまいよ」

 

 その言葉を残し、ブラックハートが消える。

 

「せっかくあの子たちと会えたんですもの」

「私達よりも、あの子たちに構ってあげたほうがいいですわ」

 

 二人で言葉を紡ぎながら、中小ベールが消える。

 

「さ、分かったらさっさと起きなさい。夢なんて、いつまでも見てるものじゃないわ」

 

 とん、と背中を押されて、ガラスの足場から落ちていく。

 

 夢から醒める刻が来た。

 

 

「遅いわよ、黒ネプ子」

 

 扉を開くと、そんなアイエフの声が帰ってきた。

 

「ごめん」

「構わないわ。そっちも疲れてるだろうし、時間はたっぷりあるもの」

「ありがとう……遠坂……」

「次言ったら本当に殴るわよ」

 

 いやマジでごめんて。でも、声を聞いたら言わずにはいられなくて……。

 

「状況は?」

「これから話してもらうところです」

 

 プラネタワーのどことも言えない、小さな部屋の中だった。棚にいくつかの機材が並べられているところを見るあたり、何かしらの倉庫ではあるらしい。

 その中にいるのはアイエフとネプギア、そしてネプテューヌと、俺。

 そして。

 

「……なんだ、出来損ないっちゅか」

 

 恨めしそうに俺のことを見つめる、ワレチューの姿があった。

 

「本当はこんなことしたくないけど、事態は一刻を争うんです。だから……」

「オラオラー! さっさとゲロらないとあんなことやこんなことしちゃうぞー!」

 

 そうだぞオイオイ! おメーよぉウチのネプテューヌ様に手ェかけさせんじゃねえぞコラ! オイ! 大丈夫っスネプテューヌ様、自分いつでもイケますんで! ゴーサインでたらすぐイケるんで! 任せてください! 確実に仕留めますんで! オラオラやっちゃうぞコラ! 雑魚が調子乗ってんじゃねえぞオイ! テメエ二度と俺たちに逆らうんじゃねえぞマジで! あ!? なに!? やるか!? お前そろそろ

 

「いいから」

「っス…………」 

「だからそういう態度はいいから!」

 

 ワレチューの胸倉(胸?)を掴もうとしたところで、アイエフに止められた。

 

「……と、とにかく。知ってることを全て私に話してください。正直に話してくれれば、手荒な真似はしませんから。私達も、そういう手段は取りたくありませんし……」

 

 優しく声をかけるネプギアに対して、けれどワレチューはため息を一つついてから。

 

「オイラも本当のことは知らないっちゅよ。あのオバハンに言われたことをやったまでっちゅ」

「あんた、ここまできてまだそんな口を……」

「尋問でも拷問でも好きにやればいいっちゅ。時間の無駄ってことが分かるはずっちゅよ」

「……なんだか、本当に知らないみたいだね」

 

 怪しさは拭えない。

 でも、諦めにも似たワレチューの表情が、それを確かなものにしていた。

 

「何も知らない、ってわけでもないでしょ。手伝ってる手前、何かしらの情報は知ってるはずよ。この際、どんな小さなことでもいいから教えてくれない? 生憎、こっちは情報不足でね」

「知らないもんは知らないっちゅ」

「あ、そう」

 

 冷たく言い放つと、アイエフが一歩後ろに下がる。

 その背後では、どこからか取り出した刀を構えているネプテューヌがいて。

 

「お、お姉ちゃん? 本当にやっちゃうの?」

「当たり前だよ! プラネテューヌ流のやり方、見せてあげる! 刮目せよ!」

「そんな……こんなのノワールさんたちに見られたらどうすれば……」

「だいじょーぶ! 最悪コンクリに詰めて海に流しちゃえばバレないバレない!」

 

 ……いや。

 

「ダメでしょ」

「え? なんで?」

「な、なんかこう……ブランドイメージが……」

「……そうだよ! もしバレたら、お姉ちゃんのシェアが下がっちゃうかもしれないし! もっと安全な方法を探そうよ! ね? 黒いお姉ちゃんも言ってることだしさ!」

「えー。私、拷問とか一度やってみたかったんだけどなー。女王様とお呼び! って」

 

 それ別のプレイってかプルルートの……いや、よそう。

 

「じゃあどうするの? 何か策でも?」

「……ちょっと、二人だけにさせて」

 

 するとアイエフは、二人とそれぞれ一度ずつ顔を見合わせてから。

 

「何かあったらすぐに呼びなさいよ」

 

 そう言って、部屋を後にしてくれた。

 ……さて。

 

「ワレチュー」

「……そういえば、そうっちゅね。お前は元々、オイラの名前も知ってるんっちゅね」

「他にも、色々」

 

 まあ、俺もそれほど知ってるわけじゃないけど。

 

「脅されてる?」

「どうっちゅかね」

「大切な人を人質に取られてる。たとえば、白いネズミのお姉さんとか」

「何を」

「俺が知ってるのは、君が真に悪役ってわけじゃない、ということ」

 

 まあ、なんていうかアレなんだよ。

 ワレチュー、毎回改心の余地はあったりするんだよな。ちょっとイタズラ好きなだけっていうか、小物って言えばそれまでだけど、まあそんな感じで。

 だから、この次元の彼もそうなのかもしれない。マジェコンヌに利用されてるだけで。本当は、こんなことしたくない、って思ってるのかもしれないし。

 ……考えが甘い、のかな。

 でも、それくらいの優しさはいつも心に持ち合わせていたい。

 

「何から話してくれる?」

「……逆に、お前らはどこまで知ってるっちゅか?」

 

 口を開いてくれたワレチューは、そう俺へと問い返してきた。

 

「女神の夢を叶えようとしていること。女神を女神じゃなくて、ただの人に成り下げようとしていること。その果てに、マジェコンヌがこの世界を乗っ取ろうとしていること」

「まあ、及第点っちゅね」

「そっか」

 とにかく、マジェコンヌがこの世界を支配しようとしていることだけは、はっきりしている。夢を叶えさせようとしているのは、あくまで過程。邪魔なネプテューヌ達を排除するために取った手段に過ぎない。

 まあ、それがとても厄介なんだけど。

 

「次はここ?」

「その予定だったっちゅ」

 

 予定?

 

「だって、ここにはお前がいるじゃないっちゅか」

 

 ……ああ、そうか。

 

「でも、お前はバグっちゃったんっちゅよ。元がアレだったっちゅから」

「元がって……ネプテューヌが?」

「オイラ達には、女神どもの夢を覗き見る方法があったんっちゅけど」

「どういう技術で」

「知らないっちゅ。あのオバハンの能力っちゅよ」

「……そっか」

 

 素で答えているあたり、本当のことらしいけど。

 

「それで、ネプテューヌの夢を覗いてみたんっちゅけど」

 

 ふむふむ。

 

「あの女神、夢がなかったんっちゅよ」

 

 …………なに?

 

「どういうこと」

「そのままの意味っちゅ」

 

 それが分からないって言ってるのに。

 

「だからお前もバグったんっちゅよ。お前らはあいつらの夢から作られた存在なんっちゅ。でも、あの女神には夢がなかった。だから、お前もおかしくなった。出来損ないってのは、そういう意味っちゅ」

「そんな」

「予定だった、っていうのもそういう意味っちゅ。最初はここから始める予定だったんちゅけど、お前がバグったからリーンボックスから始めたんっちゅ。でも結局、お前のバグは治らなかった。だからオイラも、今後の展開は何も聞かされてないっちゅ。オイラは本当に、これからのことは何も知らないっちゅよ」

「じゃあ、何を……」

「でも、たった一つ分かることは」

 

 するとワレチューは、もう一度俺の瞳を見つめて。

 

「あの女神が夢を見ることは、決してないってことっちゅ」

 

 夢を見ない。

 それはつまり、変わることを望んでいないということ。

 変容を拒んでいるということ。衰退を待つだけの、不変の存在になるということ。

 それは……ネプテューヌらしく、ない。絶対にそんなこと、しないはずなのに。

 でも俺がここにいるっていうことは、それが正しいことの証明であって。

 

「そんな、はず……」

 

 続けようとした言葉は、どこかへ消えてしまって。

 やがて、しびれを切らしたアイエフが扉を開くまで、俺はずっと立ちすくんでいた。

 

 夢を見ないということは、マジェコンヌの策略に陥らないってこと。

 その証拠が俺だ。俺みたいな出来損ないがいるから、プラネテューヌは無事なんだ。

 でも、本当にそれでいいのかな。

 ネプテューヌが、このプラネテューヌの女神に夢が存在しないなんて、そんな。

 そんな、こと。

 

 

「ねぷちゃん~! はやく、こっちだよ~!」

 

 プルルートの呼ぶ声で、はたと我に返る。

 プラネタワーの頂上にて。ピーシェに背中を押され、止めていた一歩を踏み出した。

 

「ほら、早く行くよ! プルルートが待ってる!」

「ごめんって」

 

 だから、押さなくても大丈夫。心配しないで。

 

「……何か、考えてたの?」

「どうして?」

「さっきからずっと、変な顔してる」

 

 いや、そんなことは……そんな、こと……ない、はず、だけどなあ?

 思ったことが顔に出るって自覚は無いけど、どうなんだろ。

 

「そうだよ~? ねぷちゃん、さっきからへんなかお~」

 

 う、そうなのか。

 自分で言うのもアレだけど、感情とか面に出さないようにしてたのに。

 

「この際だから言うけど、結構出てるよ」

「まじすか」

「いや、普段からあんま喋んないから、顔見るくらいしか判断できなくて」

 

 そうなのか。じゃあもっと喋ったほうがいいのかな。

 いや、絶対いいよな。無口なメリットってそんなにないし。

 でも……うーん。

 

「はずかしいの~? おしゃべりするの~」

 

 そういうわけじゃない、けど。

 

「俺が、そんなに喋ってていいのかな、って」

 

 ただでさえネプテューヌの姿を借りている存在なのに。

 言動や行動まで俺にしちゃうと、なんていうか。

 ネプテューヌに対して失礼じゃないのかな、って思ったりするんだよね。

 俺は結局、偽物なんだから。存在してることさえ、厚かましいことなのに。

 だからせめて、ネプテューヌの姿に恥じない在り方をしなきゃ、って思う。

 ……この世界に来てから、ずっとそう思ってる。

 誰にも話したことなんてない。話せるはずがないから、ね。

 

「……ねぷてぬ」

「…………」

 

 そうやって話し終えると、プルルートがこてん、と首を傾げて。

 

「そんなこと、きにしてたの~?」

 

 そんなこと、って。

 

「どんなことがあっても、ねぷてぬはねぷてぬだよ」

「そうだよ~。ねぷちゃんは、わたしたちのねぷちゃん~!」

 

 ……………………。

 いや、どういうこと?

 

「偽物とか~、本物とか~、そんなの関係ないよ~」

「そうだよ。本物に失礼だとか、そんなこと考えなくていい、ってこと」

 

 するとピーシェは、戸惑う俺の手を取って。

 

「だってねぷてぬは、私を助けてくれたんだもん」

「……うん」

「だから、私もいまここにいる。プルルートとねぷてぬ、二人と一緒にいられる」

「そう、だけど」

「確かにさ、ねぷてぬは女神のねぷてぬからしたら偽物かもしれない。でもね、ねぷてぬは私を助けてくれた。私のことを家族だって、大切な人だって思ってくれた。その気持ちは本物のねぷてぬにはない、ねぷてぬだけの本当の気持ちでしょ?」

 

 問いかけながら、ピーシェは俺の方を向いて、笑ってくれて。

 

「ねぷてぬは、私達にとっての女神だよ」

 

 ……そっか。

 この二人は、俺の事を信じてくれてるんだ。心の底から。

 体の奥から力が湧いてくるのを感じる。今までのものとは違う、輝かしいもの。

 これが女神になることなんだって、直感的に理解できた。

 確かに俺はネプテューヌじゃない。プラネテューヌの女神じゃない。

 偽物の女神だ。出来損ないの、存在。本物には決してなれない。

 それでも、この二人の前だけでは、本物の女神になれる気がした。

 

「ほら~、ねぷちゃん、こっちこっち~」

 プルルートに呼ばれ、ピーシェと共に彼女の傍へ。

 ……そういや、なんで俺達ここにいるの?

 いや、ピーシェとプルルートの二人に呼ばれたってのは分かるけど。

 

「分かんない。プルルートが 来たいって言ってたから」 

「確か今日は一日フリーだったんじゃないの?」

「うん。だからプルルートと出かけようと思ったんだけど、ここがいいって言ったから」

 

 すると、話を投げられたプルルートが、こちらへ振り向いて。

 

「わたしたち、またかえってこれたんだな、って」

 

 ……ああ。

 

「お姉ちゃんがいなくなって、寂しかったもん~」

「それは……ごめんね。後ろからいきなりやられちゃったから、油断してたよ」

「……でも、帰ってきてくれたからいい。ねぷちゃんも、わたしのお願い、きいてくれたもんね」

「お願いって……ああ、ピーシェを助けてくれる、ってこと?」

「うん。ねぷちゃんが連れ戻してくれたおかげで、また家族が元通りになったから」

 

 俺とピーシェ、それぞれの手を両手で繋いでから。

 

「これからも、ずーっと一緒だよ」

 

 プラネテューヌの街並みを背後に、プルルートは笑っていた。

 

 




次回から最終章 プラネテューヌ決戦編
七月中には更新したいですね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22 ミッシング・プラネテューヌ

 

 女神は夢を見ない。

 それは、変容を望んでいるから。自らが不完全だと認めてしまうから。

 夢を見ること。つまりそれは、現在の自分を否定してしまうということ。

 人々の信仰を糧とする彼女らにとって、それは裏切りにも近い行いだ。

 だから女神は夢を見ない。夢見ることを、許されていない。

 夢から目を背け続ける存在。自らの憧れを殺し、人々の導きとなり得る者。

 それが、彼女たちだ。

 

 たとえばベールは自分の妹が欲しかった。一人であることを怖れていた。

 でも、それは許されない。リーンボックスの女神は、唯一でなければならない。

 だからベールは夢を見ない。

 全てから切り離されたリーンボックスで、たった一人の女神としてあり続ける。

 

 ブランは変わりたいと願った。皆の求める、本当の女神になりたかった。

 でも、それは許されない。ルウィーの女神は、不変でなければならない。

 だからブランは夢を見ない。

 変わりゆくルウィーで、変わらない女神としてあり続ける。

 

 そしてノワールは平穏を望んだ。女神でない少女としての生き方に憧れていた。

 でも、それは許されない。ラステイションの女神は、絶対でなければならない。

 だから、ノワールは夢を見ない。

 皆が平和に暮らすラステイションで、その平穏を守る女神としてあり続ける。

 

 じゃあ、ネプテューヌは?

 彼女にとっての夢、って何なんだろう?

 あるいは、彼女にとっての現在(いま)って、何を犠牲にして得たものなんだろう?

 ……もしかすると。

 彼女にとって、夢か現在(いま)かなんて、まったく意味のないものなのかもしれない。

 彼女にとっての夢は現在(いま)で、現在(いま)が彼女の夢見なんだ。

 だから、ネプテューヌは本当の意味で夢を見ない。

 革新を続けるこのプラネテューヌで、いつまでも女神(ネプテューヌ)としてあり続ける。

 

 そう、俺は信じていた。

 いつまでも馬鹿みたいに、信じ続けていた。

 

 

 夜のプラネテューヌは、冷たい雨が降っていた。

 

「はぁ、っ……くそ……!」

 

 昼間の呆けたような活気なんてどこかへ消えてしまって、残ったのは寂れた雨音だけ。

 レインコートのフードを被りなおすのも忘れて、俺は彼女の手を引きながら、プラネテューヌの裏路地を走り続けていた。そうすることしか、今はできなかった。

 ……なにが女神だ。なにが、大切な人を守るための翼だ。

 そんなもの、何の役にも立たないじゃないか。

 

「ちくしょう……ちくしょう、ちくしょうッ! どうすりゃいいんだよ!」

 

 絞り出した叫び声は、雨音にかき消される。誰も、答えてはくれなかった。

 行く宛はない。かといって、足を止めるわけにもいかない。その先に何が待っているかなんて、分かり切っているから。俺はその結末を、絶対に望んではいないから。

 やがて。

 

「――っ!」

 

 がぃん、と。

 突如として飛んできた一本の槍が、俺達の目の前へと突き立てられる。たまらず足を止める俺と、わぷ、と俺の体にぶつかってくる彼女。どうしたの? と問いかけながら、俺と同じように空を見上げた彼女が、息を呑んだのが分かった。

 

「いい加減、観念したほうがよろしいですわよ」

 

 降りしきる雨の中、グリーンハートがそう告げながら、俺達の前へと舞い降りる。

 

「嫌だ」

「……あなたの行動はいつも突飛ですけど、さすがに今回は理解ができませんわ」

 

 うるさいな。

 俺からしたら、そっちが理解不能だってのに。

 

「それに、あなたが嫌かどうかなんて、関係ないのよ」

 

 その言葉と同時、俺の背後へとブラックハートが表れた。

 彼女をこちらへと抱き寄せる。夜雨の先にいる彼女は、呆れたような顔をしていた。

 

「まだ庇うつもり? いい加減、意味がないって気づいてほしいんだけど」

「……意味があるかどうかは、こっちが決めること」

「あっそ。それが無駄だって言ってるんだけど、馬鹿には分かんないみたいね」

 

 溜め息交じりに呟いてから、ブラックハートがその手へ剣を握る。

 左手に盾を生成。そして、背後には六枚の翼を。

 どこまで粘れるか分からないけど、なんとかやるしか……

 

「――もうやめようよ、お姉ちゃん」

 

 失望の籠もったその声に、全身が凍り付く。

 この先へと視線を向けると、そこには俺を見降ろすホワイトハートと。

 

「ネプギア」

「……どうして? お姉ちゃん、どうしてこんなことするの?」

 

 どうして、って。

 

「この世界を、正しい形に戻すためだよ」

「正しい? 正しい形って、何? 私達が間違ってるの?」

 

 間違ってるよ。絶対に。こんな世界はおかしい。

 だって。

 ネプギアが、俺の事を「お姉ちゃん」だなんて呼ぶはずないじゃないか。

 

「……そんな……お姉ちゃん!」

「呼ぶなって言ってるだろ!」

 

 叫ぶ。それに呼応するように、黒鉄の翼が旋風を巻き起こした。

 

「こんなでたらめな翼を見ても、まだ俺のことをそう呼ぶのか!?」

 

 力の奔流が、全身へと伝わっていく。アナザーエネルギーの解放。

 それは降り注ぐ雨粒を全て吹き飛ばし、彼女の顔を覆っていたフードを翻す。

 

「どうして……どうしてそんな偽物なんて庇うの!? お姉ちゃん!」

 

 泣き叫ぶネプギアの、その空色をした瞳の先には。

 ぼろぼろになったネプテューヌの姿が、映っていた。

 

 

 ▼ _ ミッシング・プラネテューヌ

 

 

「起きてよお姉ちゃん、もうお昼だよ」

 

 体を揺さぶられる感覚と、そんなネプギアの呼びかけでゆっくりと目を醒ます。

 ぼやけた視界の中、はじめに見えたのは十二時を指そうとしている時計。その後にすぐ、こちらを覗き込むネプギアの顔で目の前が埋め尽くされる。

 

「また夜中までゲームしてたの?」

「…………え?」

「やっぱり。お昼ご飯用意しておくから、顔洗ってきた方がいいよ」

 

 いや……え? なに? なんだって?

 訳が分からない。疑問が多すぎて、逆に目が醒めてきたくらいに。

 どういうことだ? 一体、何が起こってる?

 

「ネプギア?」

「ん? どうしたの、お姉ちゃん」

 

 そうじゃなくて。

 

「なんで俺の事、お姉ちゃんって呼んでるの?」

 

 するとネプギアは、まるで俺がおかしくなったかのように、首をこてんと傾げて。

 

「なんで、って……お姉ちゃんは、お姉ちゃんだよ?」

 

 ……は。

 

「そんなこと」

「もう、まだ寝ぼけてるの? ちゃんと寝ないとダメだよ」

「いやだから、そうじゃなくって……」

「とにかく! まずは顔を洗って歯磨きしてから! じゃ、行ってくるね」

 

 なんて、有無を言わさずにネプギアは部屋を去っていく。

 そこで初めて、俺の眠っていたこの部屋が、いつもの部屋とは違うことに気が付いた。

 ピンク一色の、女の子らしいというか、女児らしい部屋。ゲームや雑貨などいろんなものが床に散らばっている、なんとも生活感の溢れてる部屋。俺は自室をこんな趣味にした覚えも、物を散らかした覚えもないっていうのに。

 それよりも。

 

「ネプテューヌ?」

 

 本来のこの部屋の主である彼女の名を呼んでも、帰ってくるのは静寂だけ。

 それがどこか寂しく感じたのは、気のせいではないようだった。

 

「どうなってるんだよ、一体……」

 

 困惑しながらも、窓の外を眺める。

 その向こうに見えたのは、いつも通りと変わらないプラネテューヌの街並みと。

 そんな景色を呆けたように眺める、プラネテューヌの女神が薄く反射して映っていた。

 

 

 かちゃかちゃと食材を取り分ける音だけが、食卓に響く。

 

「……なんか、静かだね」

「そうかな? いつも通りだと思うけど……」

 

 取り分けてくれたサラダをこちらへ渡しながら、ネプギアが俺の言葉に首を傾げた。

 その様子を見るに、彼女はこの状況に何の疑問も抱いていないらしい。

 俺が黒い脳波コントローラーの場所が分からず、白い脳波コンを付けているのに。

 

「あの二人は?」

「二人って?」

「……ピーシェと、プルルート」

 

 するとまた、ネプギアは不思議そうに俺の顔を見つめて。

 

「誰? その人たち」

 

 は?

 

「……ネプギア?」

「どうしたの?」

「本当に、忘れちゃったの?」

 

 気が付けば机に身を乗り出して、ネプギアの肩を掴んでいて。

 

「忘れるはずないよね? だって、あんなに一緒に過ごしてたじゃん!」

「ちょっ……お姉ちゃん!?」

「……うそだよね? これ、何かのドッキリ? だとしたらすぐに止めて。いくらなんでも趣味が悪すぎるよ……いくらなんでも、俺だって嫌なことは、嫌だし……だから!」

「おっ、お姉ちゃんっ!」

「俺をそう呼ぶな!」

 

 叫ぶ。頭に血が上るという感覚が、はっきりと感じ取れた。

 

「二人はどこ?」

「わ、わかんないよ……」

「そんなはずないでしょ? お願いだよネプギア、こんなこともう……!」

 

 もう一度肩を揺さぶろうとして、その手が強く弾かれる。

 見上げるネプギアの瞳には、恐怖の色が滲んでいて。

 

「お姉ちゃん……怖い、よ……」

 

 肩を震わせながら、ネプギアはそんな声を俺へ向けて絞り出す。

 困惑によってぐちゃぐちゃになった彼女の顔には、明らかな拒絶の色が浮かび上がっていた。

 ……どういうこと?

 ネプギアがあの二人を忘れるはずがない。彼女に限ってそんなこと、あるはずがない。

 じゃあ俺? おかしくなったのは、ネプギアじゃなくて俺だったってこと?

 俺の中にある戦いの記憶も、あの二人との絆もぜんぶ、ただの俺の夢だったの?

 本当の俺は、私はネプテューヌで、得体の知れない誰かの記憶を植え付けられていただけで。

 ……いや、違う。そんなわけがない。

 だって。

 彼女に弾かれた俺の手は、確かにブラックハートのものなんだから。 

 

「……ネプギア」

「な、なに……?」

 

 そこで逃げ出しそうになったネプギアの手を、強く握りしめて。

 

「ごめん!」

「……はい?」

「なんか()ったら寝ぼけてたみたいでさ! さっきまでのネプギアの会話、ずっと夢の続きだと思ってたんだよね! いや~、びっくりした!」

 

 できるだけ陽気に、どことなく傍若無人に。

 曖昧な感情のままで言葉を並べていく。それが正しいのかも分からずに。

 すると彼女は、一度だけ泣きそうな顔になったあと、すぐに頬を膨らませてから。

 

「び、びっくりしたのはこっちだよ! お姉ちゃん、急に変なこと言い出すから……!」

「ごめんってば! 怖がらせちゃったよね、ネプギア。でも大丈夫だから」

 

 優しく声をかけながら、その頬へと手を添える。

 

「私はちゃーんと、ネプギアのお姉ちゃんだよ」

 

 ……嘘だ。

 こんなこと、許されるはずがない。

 あまつさえ俺は、本物のネプテューヌを偽った存在なのに。

 その形を模った上で、ネプテューヌの役割(ロール)を奪おうとしている。

 俺はネプギアの姉なんかじゃないのに。本当なら、彼女に恨まれるような存在なのに。

 でも。

 今この時だけは、そうすることしかできなかった。

 

「うん、そうだよね……お姉ちゃんはお姉ちゃんだよね!」

 

 吐き気がする。頭の中がぐちゃぐちゃになって、全身が粟立つような感覚。

 できることなら今、この舌を噛み切ってこの世界からいなくなりたくなった。

 けれどそんなことは、できない。できるわけがない。

 このおかしくなった世界をどうにかするまで、ネプテューヌが戻ってくるまでは。

 

「……ご飯を食べたら、いーすんのところに行ってくるよ」

「いーすんさんの?」

「うん。ちょっと用事があって。あ、ネプギアは大丈夫だからね」

 

 そう言い聞かせて、椅子へと深く腰を下ろす。

 

「さ、早くご飯たべちゃおっか、ネプギア!」

「そうだね、お姉ちゃん」

 

 いただきまーす、なんて俺とネプギアの声が、食卓に響く。

 喉を通る食事の味なんて、分かるはずもなかった。

 

 

「それで、話っていうのは?」

 

 謁見の間、対面するイストワールの問いかけに答える。

 

「ちょっと、今までのゲイムギョウ界の記録を見せてほしくて」

「今までの……というのは?」

「んーと、ここ二年くらいかな? ざっくりでいいから、そういう記録ってない?」

「べつに構いませんが……」

 

 するとイストワールは、自分の座っていた本を地面において、ぱらぱらと捲り始めた。

 あ、そこに記録されてんの? 今初めて知ったわ。でもそれ不便じゃない?

 なんてことは心の内に仕舞い込んで、ネプテューヌとして振舞いを続けていく。

 

「それにしても、急にどうしたんですか? 記録が見たいだなんて」

「いやあ、ちょっと気になっただけだよ」

 

 後ろ手で頭を掻きながら、曖昧にそう答える。

 

「気になるとかそういう以前に、もっとそういうことを心掛けてほしいものですが」

「うーん、なにも言い返せないな~……」

「これを機にですね、ネプテューヌさんはもっと女神としての自覚を……」

 

 あーはいはい、分かったから。大丈夫だって。

 全部元に戻ったら、俺からちゃんと言っておくよ。

 

「それで、どんな感じなの?」

 

 イストワールの説教を遮りながら問いかける。

 

「ネプテューヌさんもご存知だとは思いますが、この二年間で目立った事件はありませんよ?」

 

 大丈夫。これくらいは、予想の範疇だ。

 だから動揺なんてしなくていい。状況の確認が優先だ。落ち着け。

 ……落ち着けって言ってるだろ。

 

「本当に? ついこの間、ラステイションとかで何かなかった?」

「だから、何もなかったじゃないですか。記録も残っていませんし」

「リーンボックスとか、ルウィーとかで……女神の偽物とかが出てきた、とか」

「……ないものはない、としか言えません」

 

 うんざりするようなイストワールの言葉に、納得することしかできなかった。

 歴史を管理するイストワールでさえ、ついこの前にあった事件のことを、すっかり忘れている。

 いや、正確には記録そのものが書き換えられてる? 過去改変、っていうのが一番近いのかな。

 とにかく。

 プラネテューヌ以外の三国で発生した、例の事件がなかったことになってるのは確定してる。

 そして、そのことを覚えているのは、この世界で俺だけだということも。

 

 ……駄目だ、これだけじゃ手がかりが少なすぎる。

 何をすれば解決なのかが、明確に見えてこない。

 正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、問題なのかもしれない。

 

「……そっか。なら、もういいや」

「ネプテューヌさん?」

「大丈夫だよ。ってゆーか、よく考えてみたらそこまで重要なことじゃなかったし!」

「そうだったらいいのですが……」

 

 なんて、どこか訝しむイストワールの言葉に続いたのは、扉の開く音で。

 

「ネプ子? 何よ、急に呼び出したりして」

「あ、あいちゃん!」

 

 俺の呼ぶ声に、アイエフがはいはい、なんて呆れながら手を上げる。

 ……やっぱりアイエフも、俺の事をそう呼ぶんだ。

 

「イストワール様も一緒ということは……何か、事件でもあったんですか?」

「いえ、私は特になにも聞いていませんが……」

「そう! これからあいちゃんには、とある重要な任務を行ってもらう!」

 

 声を上げると、イストワールとアイエフの視線が、同時にこちらを向いた。

 

「重要な、任務……?」

「私に話を通さずに……?」

「ふふふ……あいちゃん、これは大仕事だよ? なんたってプラネテューヌの女神から直々に渡される任務なんだから。こういうの、私とあいちゃんとであんまやったことないでしょ?」

「まあ、確かにそうだけど……」

「さあみんなそろそろ気になってる頃だよね! 今回のあいちゃんの任務、その内容とは!」

 

 心なしか不安げなアイエフへと指を向けながら、もう一度大きく息を吸って。

 

「あいちゃんには、私のそっくりさんを探してもらう!」

 

 ………………。

 

「帰りますね」

「あ、お疲れ様でーす」

「ああちょっとちょっと! 帰んないでよあいちゃん! お願いだから!」

 

 一瞬で白けた顔になったアイエフの腕を掴みながら、ずるずると引き留める。

 

「何よ、こっちは忙しいの! あんたの暇つぶしに付き合ってられないんだから!」

「そうじゃない! ほんとに! ちゃんと考えてるから行かないでぇー!」

 

 なんて、俺を引き剥がそうとするアイエフになんとか食らいつくこと、数分。

 ぜえはあと息を整えながら、ようやく彼女は俺の話に耳を傾けてくれた。

 

「……それで? ネプ子、あんたの考えってのは?」

「えっとね……」

 

 床で大の字になりつつ、荒ぶる呼吸を落ち着かせながら答える。

 

「私も常日頃考えてるんだよね。どうすれば、プラネテューヌのシェアを稼げるかって」

「とてもそうは思えませんが……」

「そこで今朝、私は一つの答えに辿り着いたんだよ。シェアっていうのはプラネテューヌの人たちの信仰心、一人一人の力はささやかなものかもしれないけど、集まれば大きな力になる――」

「まあ、それはそう……」

「――つまり、投げ銭みたいなものだって!」

 

 ぴょん、とその場に立ち上がって、その指を天井へ向けて突き立てる。

 

「だから私、アイドルやってみるよ! それでたんまり投げ銭もシェアも稼いでくる!」

 

 ………………。

 

「今すぐ信者のみんなに土下座してきなさい」

「え!? なんで!?」

「当たり前じゃない! そんなことしたって、プラネテューヌのシェアが上がるわけ……」

「でも、リーンボックスでは実際にシェアが上昇したって、ベールが言ってたよ?」

 

 間髪入れずに答えると、アイエフが少しだけ言葉を詰まらせた。

 ……別に嘘は言ってない。だってゲーム内でそういうシーンあったじゃんね。

 というか、PPのシステム上、女神が歌って踊ればシェアなんて上がってくんだよ。

 だって実際、俺の前でネプテューヌが踊ってたらキュン死するか、一生この身を捧げるって誓うかのどっちかだもん。俺がそうなら絶対みんなそうだって。

 

「だからって……どうするんですか、イストワール様」

 

 話を振られると、イストワールは顎に手を当てながら。

 

「日頃の信者へ対する謝礼ということなら、一定のシェアは保たれるでしょうね」

「ほ、本当に言ってるんですか?」

「さっすがいーすん! 分かってるぅ!」

 

 マジで? なんでイストワールそこで納得したの?

 個人的に彼女が強敵だと思ってたけど……納得してくれるんなら、別にいいか。

 

「でも、だからってなんで私がネプ子のそっくりさんまで探さなきゃいけないのよ」

 

 それは……

 

「アイドルといったらやっぱりユニットでしょ! それに最近、双子ユニットがトレンドだし!」

「またそんな単純な考え……」

「名前ももう考えてるんだよ? 今はツインクロスネプテューヌかダブルクロスネプテューヌ、どっちかで迷っててさー。あいちゃんはどっちがいいと思う? 私はダブルクロス・ネプテューヌの方がいいと思うんだけど」

「知らない知らない知らない! どうでもいいわよそんなこと!」

 

 両耳を塞ぎながら、アイエフがそうやって叫んだ。

 

「アイドルとして活動することは止めません。それがネプテューヌさんがやりたいことなら、できる限りの支援をしますよ。それにこの際、シェアが上昇するならなんでもいいです」

「たぶんそっちが本音だよね、いーすん」

 

 そこまで追い込まれているということがよく分かる、呆れた声だった。

 

「でもネプテューヌさん。あなたにそっくりな方なんて、本当にいるんですか?」

「いるよ。絶対に」

 

 訝しむようなイストワールの視線に、そうやって言い放つ。

 この世界がどれだけ狂っていたとしても。自分の存在が忘れ去られたとしても。

 ネプテューヌは必ず、ここにいる。このプラネテューヌのことを、見守っているはず。

 だって彼女は、誰よりもこの国を愛してるんだから。

 たとえ女神でなくなったとしても、彼女がこの国を立ち去るなんて、あり得ない。

 

「……分かりました。ではアイエフさん、よろしくお願いしますね。こちらでも何か協力できることがあれば、遠慮せずにお伝えください。」

「はあ……了解です……」

 

 もう全てを諦めたといったような表情で、アイエフが答える。

 

「じゃあよろしくね、あいちゃん! 私も何か手伝うから!」

「いらないわよ。あんたが手伝ったら、また面倒なことになるでしょ、絶対」

 

 う。

 いや、そんなことは決して……ある……ありそうだなあ……。

 でも自分で言った手前、任せっきりっていうのもなんだか。

 

「別に、あんたに振り回されるのは慣れてるから」

 

 その言葉に、全身の熱がさっと引いていくのが分かった。

 

「じゃ、行ってくるから。いつもみたいに仕事サボるんじゃないわよ、ネプ子」

 

 そうやって去っていくアイエフに、何か言おうとして、でも口が動かなくて。

 ……嘘を吐いている。決して許されない、命を絶つことでしか償えないほどの。

 でも、それを今言って何になる? ネプテューヌは帰ってくるのか?

 そう考えると、俺は二度と口を開けない気がした。

 

「ネプテューヌさん?」

 

 心配そうにこちらを覗き込むイストワールの視線ですら、厭になって。

 

「ごめんね、振り回して」

 

 そこから会話はなかった。

 俺は逃げ出すように、謁見の間を後にした。

 

 

 アイエフにネプテューヌの捜査を依頼してから、四日が経ったころ。

 

「おッ……おエ……! げほッ、かッ……ぁ……!」

 

 洗面台から流れる水音に混ざって、聞くに堪えない俺の声が鳴り響いていく。

 幸い、吐いてはいなかった。吐くものが胃の中になかったから。

 

「はぁ……ッ、くそ……! やめろ……やめろ、やめろ……!」

 

 鏡を見るのが怖くなって、それに背を向けながら、ゆっくりとその場へ腰を下ろした。

 顔を覆う手が、震えているのが分かる。感覚も朧げで、頭もくらくらと揺れていた。

 曖昧な意識のままで壁に掛かった時計へと目を向けると、時刻は朝の五時を指している。

 今日も、眠れなかった。

 

 限界を迎えていたんだと、思う。

 ネプテューヌがいない毎日に。ネプテューヌを偽らないといけない毎日に。

 俺だけが狂っていると知っている。でも、この世界は何事もなく続いていく。

 こんな世界はおかしいはずなのに。正さないといけないはずなのに。

 みんなはいつも通り、平穏な日常を送っている。 

 こんな異常な世界の中で、いつもと変わらない笑顔を浮かべている。

 そんな乖離に、耐えることができなかった。

 

 でも、だからといって、この現状を見過ごせるわけがない。

 アイエフからはまだ、これといった結果は得られていなかった。別に、身を隠しているとかそういうわけではないはず。だって、そもそもそんなことをする意味が無いし。

 となると、どこかに捕まってるって考えたほうがいいのか?

 ネプテューヌの実力から考えて、現実的にはありえないかもしれない。

 でも、世界がこんなに狂ってしまっている以上、何が起こってもおかしくないのも事実で。

 ……となると、どこに拘束されてる?

 四日間、プラネテューヌの警備なんかをすり抜け……

 いや、そもそも事件として認識されてないんだ。

 だって、俺がここにいるんだから。ネプテューヌがいなくなった、その認識があるわけない。

 じゃあどうすれば、ネプテューヌを助け出せる?

 ……いや。

 そもそも、俺がここにいる理由はなんだ?

 ヤツは――マジェコンヌはどうして、俺を女神へさせたんだ?

 

「……お姉ちゃん?」

 

 思考の奔流に呑み込まれそうなところを、ネプギアのそんな声で引き戻された。

 

「あ、ネプギアおはよー。今日も早いね!」

「……早いのはお姉ちゃんの方だよ」

 

 なんてことを言いながら、ネプギアが俺の肩へと手を置いた。

 

「最近のお姉ちゃん、変だよ」

「変? どこが?」

「ここ最近、眠れてないでしょ。目の下のクマ、ひどいよ」

「それは……」

 

 ……鏡を見てなかったのが仇になったかな。

 だって、ネプテューヌの姿をしている俺なんて、見られなかったもん。

 

「ここ最近、積んでたゲームの消化が忙しくてさー。今日もまた徹夜しちゃって」

「じゃあ、ご飯を食べてくれないのはどうして?」

「それは……体調が悪くて、でも最低限は食べてるから大丈夫……」

「……じゃあ、なんで毎朝ここにいるの?」

 

 う。

 バレてたのか。気づいてないと思ってたのに。

 

「お姉ちゃん、何があったの?」

「……ネプギアには関係ないよ。だから、大丈夫」

「そんなわけないよ。お願いだから、話してよ」

「いいよいいよ。ネプギアは何も心配しなくてもいいの」

「駄目だよ。これ以上放っておいたら、お姉ちゃんが……」

「だから、大丈夫だって!」

 

 何度も詰め寄ってくるネプギアが鬱陶しくて、置かれたその手を払いのける。

 それが思いのほか強くなってしまって。言い放った言葉は、拒絶にも近くて。

 気が付けばネプギアは、俺の事を怯えるように見つめていた。

 それでも。

 

「……私じゃ力不足なの?」

 

 こちらへ歩み寄ってこようとする彼女に、俺は。

 

「うん」

 

 そうやって頷くことしか、できなかった。

 

「……ごめんね」

「そんな」

「これは他の誰にもできない。()にしかできないことなんだ」

 

 あ。

 思わず俺って言っちゃった。やばいな、偽ることにすら疲れてるのかもしれない。

 ……まあ、でもいいか。

 きっとネプギアも、半分くらいは気づいてるんだろうし。

 

「……分かったよ」

 

 目を閉じて、一度だけ頷くと、ネプギアは俺に背を向ける。

 

「どうしても力が必要になったら、遠慮なく言ってね」

「うん」

「私はいつまでも、どんなことがあっても、お姉ちゃんの味方だから」

 

 そこで会話は途切れた。

 朝日が、窓の外から照り始めた。

 

 

 まともな仕事なんて、手につくはずもなかった。

 

「……ふぅ」

 

 プラネテューヌの教会、その謁見の間にて。

 一通り拭き終えた窓を眺めてながら、溜息をひとつ。

 元より、ネプテューヌが仕事をしていないお陰で、俺がこんな状態でも教会の運営は難なく続いていた。本当はダメなことなんだろうけど、ここはネプテューヌに感謝するべきことなんだろう。

 それに、今までのネプテューヌの仕事は、俺がこの世界にきたことによって起こったものだ。

 その認識すらもなくなった今では、俺に回される仕事なんてほとんどなかった。

 あと、やっぱりネプギアに距離を置かれているような、そんな気もする。

 ……まあ、無理もないよな。

 あんな態度を取った手前、面と向かって話ができるなんて、とても。

 でも、こっちを気遣ってくれるだけ、本当にネプギアは優しい人なんだなって思う。

 それに比べて、俺は……。

 ……いや。

 

「こんなんじゃ、駄目だ」

 

 頬を両手で強く叩く。確かな痛みと共に、もやもやとした感情が消えていった。

 この事件を解決できるのは俺しかいないんだ。だから、俺が頑張らないと。

 弱気になんてなってられない。何が何でも、みんなを助けないと、いけない。

 それで、仮に俺の存在が無くなったとしても。

 ……本当は怖い。死にたくなんて、ない。

 でも、プラネテューヌのために、ゲイムギョウ界のために。

 そして何より、ネプテューヌのために、成し遂げなくちゃいけないことなんだから。

 

「……怖がってなんて、いられない」

 

 呟きながら、窓に映る自分の像へと言い聞かせる。

 だって、俺の知るネプテューヌは怖がりなんてしないから。

 いつだって物語の主人公らしく、勇気と愛を持って、この物語を――。

 

「よぉ、ずいぶん気ぃ詰めてるじゃねえか!」

 

 なんて、こちらを少し小馬鹿にしたような声が響いたのは、突然のことで。

 振り向いたそこに立っていたのは。

 

「おはよ、小っちゃい(ネプテューヌ)!」

 

 彼女と同じような笑顔を浮かべながら、手を振っているネプテューヌだった。

 

「いや~、結構久しぶりだね! ひと月くらい? 最後に会ったのがラステイションだから……うん、ひと月ぶりだ! 色々大変だったけど、また会えてよかったよ!」

「どっかでくたばってると思ったけど、結構ピンピンしてるじゃねえか」

「もー、クロちゃんったら、それはないよ。この子は小っちゃいけど、仮にも私なんだから! そんなヤワに育てた覚え、お母さんはありません!」

「お前はどこ視点からモノ言ってんだよ……」

 

 そんな、二人のいつも通りの会話なんて、耳に入ってくるはずもなくて。

 気が付けば。

 

「……あれ?」

「お?」

 

 ……あ、れ。 

 

「ちょちょっ、なんで泣いてるの!? え!? そんなに私と会うのイヤだった!?」

「そんな……わけ……」

「あーっはっはっは! こりゃ傑作だな! おいネプテューヌ、こいつ、お前と会いたくなかったらしいぜ! まあそうだよな、お前みたいな自分勝手で傍若無人なヤツに会いたくなんて……」

「黙ってろ」

 

 手に持った雑巾を、クロワールへ向けて投げつけた。

 

「うえ、ばっちぃ! おいお前! いきなり何すんだよ!」

「いやー……今のはクロちゃん、雰囲気台無しだよ……」

「うるせえよ! そもそもこいつが急に泣き出したのが悪いんだろうが!」

 

 そりゃ、そうだけどさ。

 でも。

 俺の事ネプテューヌじゃなくて、偽物として見てくれる人なんて、今まで一人もいなくて。

 どうしようもないからネプテューヌを演じてるけど、そうしてるうちに疲れてきて。

 嘘を吐いてるのが辛くて、みんなの笑顔が俺を責めてるみたいに感じて、怖くなって。

 それでも俺はネプテューヌじゃないといけないから、何が何でも演じ続けてたのに。

 なのに突然、俺の事を知ってくれる人が、急に目の前に現れたら。

 そりゃ、もう。

 

「うぅ…………ひっ、ぐ……えぅ……!」

「ああほら、大丈夫だから! 私達、あなたのこと忘れてないよ!」

「よく分かんねえなぁ……勝手に一人芝居してただけじゃねえのか?」

「クロちゃん、今はお口チャック!」

 

 気が付けば、泣き崩れている俺の事を、ネプテューヌは優しく抱きしめてくれて。

 こんなことじゃ駄目だ。こんなの、ネプテューヌらしくない。

 ネプテューヌはこんなことで泣かないのに。こんな惨めな姿なんて、晒すはずがないのに。

 そう心の中で何度も言い聞かせても、涙が止まってくれることはなくて。

 必死に堪えようとする俺の頭を、ネプテューヌが撫でてくれた。

 

「ごめんね、一人にさせて」

「ネプ、テューヌ」

「もう大丈夫。私達がいるからね」

 

 一度きりの、強い抱擁。その後に、ネプテューヌが離れていく。

 もう少しだけ、なんて我儘を口にすることはできなかった。

 ……いや、できなかった、じゃない。

 そんな情けない姿、もう見せられないから。

 

「うん、いつも通りだね、小っちゃい私!」

 

 そうやって親指を立てるネプテューヌに、いつも通りの笑みで、返した。

 ……さて。

 

「一体、どうなってるの?」

 

 色々含めた質問だった。

 今のこの次元の現状について。ネプテューヌについて。マジェコンヌについて。

 問いかけを投げると、ネプテューヌはその前に、と前置きをしてから。

 

「会わせたい人がいるんだ。小っちゃい私に」

「……俺に?」

「おう。つーか、お前とこいつを会わせねえと話が進まねえ気がするからな」

 

 誰だろう。全く思い当たらないのが、悲しいところだけど。

 でも、ネプテューヌじゃなくて、俺に会わせたいって、どういうことなんだ?

 なんて色々と疑問を抱えていると、ネプテューヌが入り口の方へ振り返って。

 

「いいよー! 入ってきてー!」

 

 そして。

 

「は~い!」

 

 響いたのは、聞き覚えのある間延びした、呆けたような声。

 菖蒲の色をした薄い紫の髪と、ほおずきみたいな優しい赤の瞳。

 服装はパジャマみたいな、ゆったりとしたふわふわのもので。

 この国の女神を模ったぬいぐるみを抱いているその子供は、紛れもなく。

 

「プルルー、ト?」

 

 名前を呼ぶと、彼女はちょっとだけ驚いたような顔をしたあとに。

 

「はじめまして、めがみさま~」

 

 にっこり笑いながら、ぺこりと頭を下げたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23 バック・トゥ・プルルート

 

「つまりなー、()()()()()()っつーことだよ」

 

 そうやって指を回すクロワールに、プルルートだけが首を傾げていた。

 

「正確には特定の時間軸を疑似再現した、ってところか? この世界の時間そのものはそのまま進んでるんだけどな、それ以外の全ての事象がその時間軸と同じ状況になってる、って感じだな」

「私達にその影響がなかったのは、この世界の住人じゃなかったからってことだよね?」

「ま、そういうことだな。逆に言えば、俺達以外の全部はその影響を受けてるってことだ」

 

 なんて言いながら、クロワールがプルルートの頭を小突いて、

 

「こいつもお前のことなんて覚えちゃいねえ。あれだけ必死に戦って、姉を取り戻したことも覚えちゃいねえ。それどころか女神になったことすらも、今この時では無かったことになってんだよ」

「……だから、『はじめまして』だったの?」

「そういうことだよ。残念だったな」

 

 つまり、あれか。

 ネプギアとイストワールが、ピーシェとプルルートを覚えてないことも。

 ついこの間まで戦っていた記録が、全て無くなっていたことも。

 プルルートが、俺のことを全く覚えてないことも。

 全部時間が巻き戻ったから、無かったことになってるってことなのか。

 

「めがみさま~? かお、こわいよ~?」

 

 不思議そうにこちらを見上げるプルルートに、俺は何も返せなかった。

 怒っている、のかな。悲しさもある。正直なところ、自分でもよく分かってない。

 だってそうじゃん。いきなり時間が巻き戻ったなんて言われて、納得できる方がどうかしてる。

 今は他に疑うものがないから、無理矢理その事実を受け入れるしかないけど。

 ……でも。

 二人で過ごした時間も、戦ってきた歴史も、重ねてきた思いも全部なかったことになるなんて。

 そんなのは、嫌だ。

 

「……どうすれば、元通りになる?」

 

 所詮は、俺の我儘かもしれないけど。

 それでも、あの日常を取り戻さなくちゃ、って思うから。

 

「黒幕をブッ倒せば、全部元通りになるだろうけどよ」

「でも、できることは限られてるよね。そもそも私達、時間軸がどの時点まで戻ってるか、ってのも分からないし。黒幕が誰なのか、どこにいるのかも知らないんだよ?」

「それに何より、これはお前一人の戦いだ。なんたって他の奴らは戦う意味すら見出せねーんだからな。それでも本当にできんのかよ、お前だけで」

 

 そんなこと。

 

「やるしかないよ。この国の女神は、俺しかいないから」

 

 味方がいないことなんて知ってる。誰の手も借りれないことも、理解してる。

 でも、だから戦えないだなんて、逃げ出すなんて、そんなこと許されない。

 一人きりだなんて分かってる。だからこそ、俺が戦わなくちゃいけないんだ。

 それがきっと、俺に与えられた役割だから。

 

「……ま、そうだよな。お前ならそう言うと思ったよ」

「あ~、クロちゃん負け惜しみ~? そんなこと言うのカッコ悪いよ~?」

「うるせえよ! ったく、手伝えばいいんだろ!?」

 

 ……もしかして、賭けてた?

 

「言っちまえば、お前らの事情なんてこっちには関係ねーからな。俺としてはこの次元なんて興味ねーし、もう別の次元に行っちまいたかったんだが、こいつがどうしても、ってな」

「だって、困ってる人を放っておけないもん! クロちゃんだって本当はそうじゃないの?」

「前々から思ってたけどよ、お前、旅人向いてねーぜ」

 

 そういうところ、ネプテューヌらしいって俺は思うけどなあ。

 

「というわけで、私達も手伝うよ。君を一人にさせない、って言ったもんね」

「だからってコキ使うのは勘弁してくれよ。」

「……ありがとう」

「いいんだよ、私達が好き勝手にやってることだから!」

「本当にな」

 

 満面の笑みを浮かべて、ネプテューヌはそう俺へ告げてくれた。

 

「で? たった一人の女神サマはこれからどうするつもりなんだよ」

「それは……」

「むぅ~~~~!!!」

 

 なんて、言い淀む俺の前に、頬を膨らませたプルルートが割り込んできた。

 

「めがみさまも、たびびとさんも、さっきからなんのおはなししてるの~?」

「ご、ごめんね? 今、女神様と大事なお話してて……」

「めがみさまに用があるの、私なのに~! じゅんばん、まもってよ~!」

「順番もクソもねーだろ、おまえみたいなガキに構ってるヒマねーんだから」

「ハエさんはだまってて~!」

「あ!? おいこらテメー、今なんつった!?」

 

 そうやって叫ぶクロワールなど気にもかけず、プルルートが俺の方へと向き直る。

 

「めがみさま~、わたしね~、クエストいきたいんだ~」

「クエスト? なんで?」

「おねえちゃんのこと、さがしたいの~」

 

 ……え?

 

「プルルート?」

「ん~? どうしたの~?」

「もしかしてお姉ちゃんと一緒に遊ぶ予定だった?」

「そうなの~。今日はぁ、お姉ちゃんがお休みだから~……」

「……ぬいぐるみ屋さん?」

「うん~! って……あれ~? めがみさま、どうして私の考えてることわかったの~?」

 

 なんでって……そりゃあ。

 

「私は女神様だからね」

 

 そう言ってから、プルルートの頭を軽く叩くと、彼女は不思議そうに首を傾げていた。

 ……あれ? もしかしてスベってる? 個人的に良い感じに誤魔化せたと思うんだけど。

 だってそうじゃん、こういう時って当事者とかにバレちゃいけないだろうし。

 え? 対応として合ってるよね? そうだよね? おい!

 

「女神だからってなんでも知ってるわけじゃねーだろ」

「私はいいと思うよ! そういう新しい方向性!」

 

 ……と、とにかく!

 

「どこまで巻き戻ってるかは、なんとなく分かった」

「ほんと!? やっぱりこの子についてきてよかったね!」

「で、具体的にはどこまでなんだよ」

 

 えっと、多分この時間軸は、プルルートが女神になる直前の時間軸なんだと思う。

 そしてプルルートと一緒にピーシェを迎えに行って、その時にプルルートが落ちているシェアクリスタルを拾って、アイリスハートになる……っていうのが、この後の正しい流れ。

 だからプルルートを女神に戻すにはまず、そのシェアクリスタルを早く回収して……。

 ……って、あれ?

 もしかして今、誰のものでもないシェアクリスタルが一つ、この世界に存在してるのか?

 んでもって俺の中にある神格は、偽物たちの三つで、でもそれだと一つ足りなくて。

 ……つまり。

 

「アイリスハートが持っていた神格は、元々俺のものだったってこと?」

 

 その言葉に、一番に反応したのはクロワールだった。

 

「なるほどな、このガキの神格が外付けだったのはそういうことか。それで、その神格が揃えばお前は晴れて女神になれる、ってわけだ。よかったじゃねえか」

「……分かってたの? 俺の事も、プルルートのことも」

「最後のピースだけが欠けてるパズルなんて、バカでも解けるっつーの」

 

 ……それも、そうか。

 でも、これでハッキリした。俺達がやるべきことも、マジェコンヌの目的も。

 この戦いの全ては、そのシェアクリスタルにかかってるって言ってもいい。

 

「めがみさま~? なんのおはなししてるの~?」

「ガキは関係ねー話だよ。言っとくけどお前、もう用なしだからな?」

「……おくちのわるいハエさんも、いてもいみないとおもうけど~?」

「んだとコラ!」

「なあに~!?」

「はいはい、二人とも仲良くしようね? 同じパーティメンバーなんだから」

 

 そうやっていがみ合う二人の間に入ってから、ネプテューヌが俺の方を向いて、

 

「さ、そうと決まればさっそく出発しよう!」

「……うん」

 

 ようやくだ。ようやく俺は、俺としての役割を果たすことが出来る。

 踏みとどまっていたのかもしれない。一人だったから。心細かったから。

 言い訳、って言えばそうなんだと思う。ネプテューヌを偽っていたことも、ぜんぶ。

 だけど、今は違う。ネプテューヌもクロワールも、プルルートも一緒にいてくれる。

 ……世界を救いに、と言えば少しだけ陳腐かもしれないけれど。

 

「みんな、行くよ!」 

 

 声を上げて、踏みとどまっていた一歩を踏み出した。

 目指すは始まりの場所――バーチャフォレストへ!

 

 

「とりゃあーっ!」

 

 掛け声を上げるネプテューヌと合わせて、握りしめた斧を振り下ろす。

 土煙。それが晴れると同時、エンシェントドラゴンの体が地面へと倒れ込んだ。

 ……これで、何匹目?

 

「あ? めんどくさくて数えてねーよ」

「十……あれ、いくつだっけ? プルルートちゃんは覚えてる?」

「ん~? んぅ~……」

「ダメだこいつ、ほっといたら寝そうだぜ」

 

 ぜ、前途多難……。

 いや、そもそもそんなこと気にしたって意味ないか。

 出てくる敵は何が何でも全部倒す、それくらいの気概でいないと。

 

「それにしたって雑魚が多いな。おい、前もこうだったのか?」

「うん。シェアクリスタルのエネルギーに寄せられてるみたい」

「なるほどなあ。ってことは、こいつらを倒していけばクリスタルの場所へは辿り着けるわけだ」

「でも、この調子じゃいつになるか分かんないよ?」

 

 瞼を擦るプルルートを背負いながら、ネプテューヌがそう口を挟んできた。

 確かにそうだ。早くしないと、マジェコンヌに先を越されちゃうかもしれない。

 

「分かってんなら無駄口叩いてねーで戦えよ」

「……クロワールは戦ってくれないの?」

「お前バカだろ。俺があんな奴らとやり合えるようなカッコに見えるか?」

 

 でもイストワールとかプレイアブルで出てきたじゃん……。

 

「意味分かんねーこと言ってんじゃねーよ。それよりほら、出てきたぞ」

 

 くい、とクロワールが顎で指した先には、また同じくらいのモンスターの群が。

 えーと、ドラゴナイトにセントホエールに……ああもう、面倒くさい!

 

「一気に行くよ!」

 

 ブラックハートの剣を右手に生成。背後には、グリーンハートの槍を。

 左手に握ったホワイトハート斧を投げつけてから、一気に地面を蹴った。

 初撃はドラゴナイトに受け止められる。弾かれたその斧を足場に、もう一度空中で加速。

 そのまま正面に突っ込みながら、縦に一閃。確かな手応え。

 真っ二つになった死体をそのまま呑み込むように、セントホエールがこっちに突っ込んできた。

 大きく後ろへ跳んでそれを回避。同時に槍を左手に握って、再び前方へ。

 エネルギーなのか水流なのかよく分からない、ブレスを剣で切り裂きつつ、隙を見てから槍を投げつける。腹部へ命中。けれど皮が厚いのか、そこまでダメージにはなっていないみたい。

 だったら――

 

「小っちゃい私、左!」

 

 更に前へ進もうとしたとき、そんなネプテューヌの声が後ろから聞こえてきた。

 言われた通りに左へ顔を向けると、そこには既に龍の尻尾が、目の前に迫っていて。

 

「どっから湧いたんお前!?」

 

 叫んだ次の瞬間には、世界が横たわって見えていた。

 

「なっ……何!? なんなんマジで!」

「ちょっと、大丈夫!?」

「大丈夫だけどさあ! こういうのだけはほんっとに止めてほしいんだけど!」

 

 割と今ノってたのに! ノリを阻害されるのが一番腹立つんだよ!

 ふらつく頭を無理やり起こし、剣を右手に握る。一応、盾も左腕に展開。

 ……攻撃、ってわけじゃなかった。ほんとに意識外から飛んできたっていうか、なんていうか。

 混乱する頭に、クロワールの声が入ってくる。

 

「おーすげ、なかなかやるじゃねーか、あの嬢ちゃん」

「……嬢ちゃん?」

 

 不思議に思って見上げた、そこに立っていたのは。

 

「どりゃあーーっ!」

 

 自身よりも遥かに巨大な龍の体を、強引に投げつける、一人の少女の姿だった。

 

「あ~! おねえちゃんだ~! お~い、おねえちゃ~ん!」

 

 するとこちらの会話が聞こえたのか、彼女はくるりとこちらへ振り返って。

 

「え、女神? それにプルルート!? なんでここにいるの!?」

「めがみさまにつれてきてもらったの~!」

「なんで!? ここは危ないって言ったでしょ!? それに女神も分かってるのにどうして……」

「んなこと言ってる場合かよ? 奴さん、まだやる気みたいだぜ?」

「うわ、なにこのハエ!?」

「妹が妹なら姉も姉だなおめーら!」

 

 ……とにかく!

 

「話は後でするから、今は集中して」

「……わかった」

 

 少しだけ驚いた顔で、ピーシェが頷いた。

 ……そっか。俺がこんな口調だからか。

 

「さっさと終わらせろよ。そろそろ退屈になってきたからよ」

「じゃあ手伝う気くらい見せてよ!」

 

 クロワールにそうやって吐き捨てつつ、姿勢を低く前進。

 向かうエンシェントドラゴンが炎を吐いてきたけど、速度を上げてセントホエールの方へと潜り込む。そのまま腹部に突き刺さった槍を回収しつつ、剣で追撃。血か体液かよく分からない何かを浴びつつ、急いで体を翻す。直後、横から向かってくる鯨の尻尾に合わせて、剣を振る。

 びたん、なんて生々しい音と共に、紫色の尻尾が目の前へ落ちてきた。

 

「おりゃあ!」

 

 苦痛に悶えるセントホエールへ、ピーシェが叫びながら、蹴りを一発。

 直後、その巨躯がサッカーボールみたいに、地面を転がりながら飛んでいった。

 ……相変わらず、とんでもない火力してるなあ。

 

「危ない! 後ろ!」

 

 ネプテューヌの声を受けると共に、前へ跳躍。直後、さっきまで立っていた地面が炎に包まれた。

 着地。同時に盾を展開、横から来る爪を受け止める。鍔迫り合い。足に力を込めて、耐える。

 ……以前の俺なら、このまま吹き飛ばされてたんだろうけど。

 でも、今は違う。

 

「おらっ!」

 

 掛け声と共に盾を打ち上げて、エンシェントドラゴンの体制を崩す。

 そのまま後ろに下がりつつ、背後で構えているピーシェへ向けて、

 

「――行ってこい、ピー子!」

 

 そんな俺の言葉に、彼女はこくりと頷いてから駆けだした。

 跳躍。そして俺の掲げた盾の上に着地した彼女が、再びその両足へと力を込める。

 爆発音。砕け散る地面を背に、ピーシェは回転と同時に右脚を正面へと突き出して。

 

「でりゃああ! 女神キーック!」

 

 やっぱだせえ! もっと他にあっただろ!

 

「おねえちゃ~ん!」

「プルルート!」

 

 いつの間にか、ネプテューヌの背から降りていたプルルートが、ピーシェの方へと駆け寄った。

 

「なんでここにいるの! 何度も注意したよね!? 危ないからダメだって!」

「でも~」

「でもじゃないよ! ケガしてからじゃ遅いんだよ!? それなのに……」

「……おねえちゃんだって、やくそくまもってくれなかったのに~」

「あ……え、いや、それは……」

「きょうはぬいぐるみやさん、いくっていったよね~?」

 

 ああ、どっかで見た流れだ。

 プリプリ怒るプルルートも、ばつが悪そうに眼を逸らすピーシェも。

 ……どうしてかここで、本当に時間が巻き戻ってるんだということを、改めて理解した。

 そうでもしないと、気味が悪くなったから。

 

「じゃあ、あとでお姉ちゃんにぬいぐるみ屋さん、一緒に連れてってもらおっか?」

「うん~!」

「お姉ちゃんも、連れてってあげられるよね?」

「えっと……あなたは?」

「私? 私の名前はネプテューヌ! こっちの小っちゃいのがクロちゃん! よろしくね!」

「……どういうこと?」

「この国の女神にならなかった世界線のネプテューヌ、ってこと」

 

 時間がないから、詳しい説明している余裕もないけど。

 とりあえず、彼女が味方だっていうことだけは伝えておこう。

 

「クロワール」

「すぐそこだぜ。あの洞窟」

 

 そこは同じなんだ。いや、そりゃそうか。

 

「ピー子……いや、ごめん。ピーシェ?」

「……なに?」

「プルルートを連れて、すぐ教会に行ってあげて。ネプギアかイストワールに事情を話せば、部屋の一つや二つくらいは用意できるはず。いつか自分たちの場所が見つかるまでは、そこにいて」

 

 ……これも、究極的には俺の我儘なんだろうけどさ。

 事情を知っておいて、みすみす放っておくことなんて、やっぱりできるはずないし。

 

「どうして私達のこと、知ってるの」

「女神様だからね」

 

 それに。

 

「たった()()の家族なんだから」

 

 今の俺は、そこにいられない。

 だからせめて、出来る限りのことは。

 

「……うん、ありがと」

 

 告げられた言葉は、それだけだった。足音が遠ざかっていく。

 振り向くことはしなかった。そうしても、意味がない事は分かっていたから。

 

「よかったの?」

「言っても仕方ないよ。二人を困らせるだけ」

「……それもそっか」

 

 二人は悪くない。忘れてるだけ。この狂った世界に取り込まれただけなんだから。

 ……ちくしょう。

 

「さっさと行くぞ」

「……うん」

 

 クロワールの言葉に、うなずく。

 踏み出した足が軽かったのは、どうしてだろう?

 

 ……ああ、そっか。

 今の俺には、何もないからか。

 

 

「ほら、お目当てのブツだぜ」

 

 なんて言うクロワールの横を通り過ぎながら、その輝きの前に立つ。

 手のひらに収まりそうなほどの、透き通るような結晶体。内側には、電源マークを模した構造体が光を放ち続けている。間違いない。いつかの時に見た、あのシェアクリスタルだ。

 ……にしても、やけに簡単に見つかったな。

 

「罠だったりするのかな? それとも、ニセモノだったり?」

「いずれにせよ、正面からブッ潰す以外ねーだろ」

「……そうだね」

 

 何が来ようと関係ない。俺は、やるべきことをやるだけだから。

 

「行くよ」

 

 なんて、自分で自分に声をかけながら、シェアクリスタルを手に取った。

 その瞬間、全身が光に包み込まれる。でも、不思議と眩しさは感じなかった。

 世界が白く染まる。まるで白い部屋の中に立っているようだった。

 色も形も、陰もない。そんな純白の世界の中で、俺だけがいるような、そんな感覚。

 ……なにこれ。

 

『全て、揃ったのですね』

「うおッ」

 

 急に中ベールの声が聞こえてきたから、思わずそんな声が出た。

 

『なるほど、あの子が持っていたのですか。それは盲点でしたわ』

「……ってことは、これが本当に俺の神格だってこと?」

『そういうことよ』

 

 ホワイトハートが応えてくれる。そっか。罠じゃなくてよかった。

 

『で? これからどうするつもり?』

「……どうしよう?」

『私に聞くんじゃないわよ!?』

 

 俺の曖昧な返答に、ブラックハートが叫んで返した。

 いや、違うんだって。やるべきことは分かってる。倒さなくちゃならないってことも。

 ただその……なんだろう。どうしてか、申し訳なさがあるっていうか。

 

『構いませんわ。いずれ私たちは、消えゆく運命でしたもの』

 

 それ、は。

 

『あなたには感謝してるのよ。ここから見る景色は、嫌いじゃなかった』

『だから、ってわけじゃないけど。何もしないのも落ち着かないから』

『救われた、と言えばそうなのかもしれませんわね』

 

 ……そっか。無粋だったかな。今更そんなこと気にするなんて。

 

『それに、この運命はいずれあなたも辿ることになるのですよ?』

 

 ああ、それくらい分かってるよ。

 いつかその時は来るんだって、それくらいの覚悟はできてるって前にも話したし。

 ……ネプテューヌのためなら、彼女の夢を守るためなら。

 だったら。

 

「戦うよ。最後まで、女神として」

 

 それがきっと、俺に与えられた、最初で最後の役割だから。

 

『お付き合い致しますわ』

『ここまで来たんだもの。どうせなら最後まで、ね』

『何言ったって無駄なんでしょ。だったらやってやるわ』

 

 ……ありがとう。

 

『ではまた、近いうちに会いましょう』

 

 中ベールの言葉と共に、白い世界が崩れていく。

 体の感覚が元に戻っていく感じ。もっと端的に表すのなら、夢から醒めるような。

 

『……ま、楽しませてもらうことにするわ』

『せいぜい足掻いて見せなさいよ。そうじゃないと面白くないもの』

『頑張ってくださいね。あなたなら、きっと成し遂げられますから』

 

 声が遠くなっていく。世界に色が戻っていく。

 

『この物語の主人公は、あなたなのですから』

 

 

「――っ」

 

 ふらついた体を支えてくれたのは、ネプテューヌだった。

 

「ちょっと、大丈夫!?」

「え? ああ……うん」

「あの一瞬で何があったんだよお前」

 

 一瞬? え、ああ、そういう感じのイベントだったんだ、今の。

 

「……何があったかはわかんねーけど、上手くいったみたいだな」

「良かったね、小っちゃい私!」

「ありがと」

 

 これで神格も揃った。戦う準備も整った。

 あとは……。

 

「あ、ケータイ鳴ってるよ? 小っちゃい私」

 

 このタイミングで? これから決戦みたいな今この時に?

 ……いや、向こうには向こうの事情があるか。しょーがない。

 って……あれ?

 

「あいちゃん? どうしたの?」

 

 通話に出ると、返ってきたのは呆れたようなアイエフの声だった。

 

『どうしたのって……あんたが言ってたことじゃない』

「言ってた……?」

『だから、あんたのそっくりさんを探してほしい、って話!』

 

 それは……!

 

「どこにいるの!? 見つけたってこと!? 今すぐ場所を――」

『だーっ、落ち着きなさい! そういう情報があった、ってだけだから!』

「情報……?」

 

 どういうことだろう。どっかで目撃した、ってことなのかな。

 でもそれだったら、ネプテューヌが戻ってこない理由が分からないし。

 

『何かね……少し怪しいんだけど、あんた一人になら情報を渡してもいい、って奴がいるのよ』

「私に?」

『そ。日付が変わるころに、指定した廃ビルへ女神一人で来い、って。まったく、仮にもネプ子とはいえ女神に対する要求じゃないでしょ……それに、こういうのってロクでもないことしか起こらないからね。いい? 絶対に行くんじゃないわよ。面倒ごとにしかならないから』

『……一応、その人の名前とかって分かる?』

『名前? えーっと……』

 

 そうして、アイエフの口から放たれたのは。

 

『マジェコンヌ……だって。変な名前ね』

 

 

「誘われてんな」

 

 錆びついた非常階段を上がっていると、クロワールがそんな声をかけてきた。

 

「だろうね」

「いいのかよ、そんなホイホイ乗っかって」

 

 構わない。むしろ、探す手間が省けたって考えれば。

 

「ま、どうなろうが俺は知ったこっちゃねーけどよ」

 

 そう言って、光の蝶になったクロワールが先導してくれる。

 月明かりはなかった。新月。宙を舞う彼女の光だけが、俺の道を照らしていた。

 

「にしても大丈夫なのか? 俺がついてきても」

「妖精を連れてくるな、なんてことは言われてなかったし」

「さすがに無理がねーか、それ」

 

 それを言うなら、向こうがネプテューヌを連れて待ってる確証もないし。

 というか、こういう状況で向こうの条件を鵜呑みにする方が危険じゃないかな。

 ……それよりも。

 

向こう(教会)はネプテューヌに任せておいて大丈夫なの?」

 

 正直なところ、クロワールを貸してくれるなんて思ってもなかったけど。

 ほら、ネプテューヌの能力っていうか次元の横断ってクロワールありきだしさ。

 信頼してない……ってわけじゃないけど、二人を引き離すのはかなり厳しいんじゃないの?

 

「まー、なんとかなるだろ。あいつだって馬鹿じゃねーし」

「そうなの?」

「これくらいで何かあるようなヤツだったら、今頃あいつはこの世にいねーよ」

 

 それもそうか。

 ……なんだかんだ、そういう信頼はあるんだな。

 

「そんなんじゃねーよ。俺としてはさっさとくたばってほしいって思ってるぜ? あの妙なノートから解放されて自由になれるし、あいつの変な正義感に振り回されることもなくなるんだしよ」

「でも、いなくなったら寂しいでしょ」

「……だいぶ毒されてるのかもしれねーな、俺も」

 

 顔は見えないけど、やつれたクロワールの表情が、頭に浮かんできた。

 

「……っと、そろそろだぜ。何するかわかんねーけど、しっかりやれよ」

「うん、ありがと」

 

 その言葉を最後に、光の蝶が霧散する。

 

 やがて、階段を昇り切った先に待っていたのは、一人の女性だった。

 夜闇よりも黒い三角帽と、青白い肌。髪の隙間から覗く瞳はネプテューヌのものとは違う、浅黒い紫。漆黒のマフラーを夜風に靡かせながら、そいつは握った杖で地面をかつん、と叩いた。

 

「……マジェコンヌ」

「よく来たな、プラネテューヌの女神よ」

 

 うるさいな。

 そんな風に呼ばないでよ。

 

「何故だ? 喜ばしいことじゃないか、偽物から本物になれたんだから」

「本物になんてなれなくていい」

「やはり貴様のことは理解できん。今回に限っては、ありがたいが……」

 

 ……そんな無駄な話をしにきたわけじゃないでしょ?

 

「ネプテューヌはどこ?」

「ここだ」

 

 マジェコンヌが指を弾くと同時、彼女の隣に魔法陣が開かれる。

 

「ねぷっ!? いったーい! んもー、もうちょっと少し優しく扱ってよ!」

 

 吐き出されるように出てきたネプテューヌは、そんないつものような口調で言った後に俺の方へ向くと、まるで信じられないものを見たような目で、俺の事を見つめていて。

 

「……どうして君が、ここにいるの?」

 

 …………は?

 

「どうやら、私の予想通りみたいだな」

「なんで……!」

「言っただろ? こいつは必ず貴様を助けに来る。自分がプラネテューヌの女神になることに耐えられないから、貴様に押し付けに来るとな」

 

 なんで? これがマジェコンヌの予想通り、って。

 ……もしかして、ネプテューヌは俺に助けに来て欲しくなかったってこと?

 

「ネプテューヌ?」

「……ごめんね、黒い私」

 

 謝ってほしいわけじゃない。悲しい顔をしてほしいわけじゃない。

 だってそんなの、ネプテューヌらしくないじゃないか。

 

「ネプテューヌはこのままでいいの? 女神でなくなって……俺が、代わりにプラネテューヌの女神になって……誰も、そのことに気付いてないのに。ネプテューヌがいなくなったことなんて、みんな知らないのに! それでいいの!? 自分が消えてもいいっていうの!?」

 

 気づけば、そうやって叫んでいた。心の内から湧き上がる感情を、抑えられなかった。

 でも。

 

「ごめんね」

「どうして!? どうしてそんなこと言うんだよ!」

 

 そうやって叫んだ俺の言葉に答えたのは、ネプテューヌではなく。

 

「逆に聞くが、こいつが消えて悲しんでいる奴はいるのか?」

 

 ……え?

 

「こいつが消えて、その代わりにお前が女神になって。誰か悲しむ奴はいたか? 誰か疑問に思ったやつはいたか? 誰か、お前のことを否定したやつはいたのか?」

「それは……」

「いないだろ? お前が女神になっても、この国はなにも変わらない。退屈な平和が続いているだけだ。こいつの望みどおりにな」

 

 否定したかった。けれど、できなかった。できるはずがなかった。

 だってそれは、俺が痛いほどに、苦しいほどに実感した、事実だったから。

 

「私はね、この国が好きだよ。ネプギアも、いーすんも、あいちゃんもコンパも、みんな大好き」

「だったら……!」

「でもね、みんなが無事でいてくれたら、私はそこに居なくてもいいのかな、って思う。みんなの平和が守られるのなら、あの退屈な日常を過ごしてくれるのなら、私はそれだけでいいから」

 

 それだけ、って……駄目だよ、そんなこと。

 確かにみんな、平和に過ごしてたよ。気味が悪いくらいに、呑気に平穏を謳歌してた。

 ……そう考えれば、俺だけが異常だったのかもしれない。

 無責任に、何も考えずに、あの平穏に浸っていれば、幸せだったのかもしれない。

 でも。

 そんなこと、できるはずないじゃないか。

 だって、それはネプテューヌが作り上げたものなんじゃないの?

 あの退屈な日々こそが、ネプテューヌの夢なんじゃないの?

 それなのに、そこにネプテューヌがいないなんて。

 そんな悲しいこと、あっちゃいけないに決まってる。

 

「だ、そうだが」

「…………」

 

 ネプテューヌは何も答えない。

 いつもの雰囲気が嘘みたいに、沈黙を貫いていた。

 

「ま、話はこのくらいにして、取引でもしようじゃないか」

「……取引?」

「簡単な話さ。私の望むものを引き渡せば、こいつを貴様の手に渡してやろう」

 

 悪い予感しかしない。けど。

 ネプテューヌを返してくれるなら、この命の一つくらい。

 

「望みは?」

「貴様の国を頂こう」

 

 ……なに?

 

「駄目だよ、黒い私! そんなことしたら……!」

「拒否すれば、私はこいつを殺すだけだ。こいつを生かしておく理由もないのだからな」

 

 握った杖をネプテューヌの顎に当てながら、マジェコンヌが笑う。

 

「いいじゃないか。貴様は女神の責任から逃れられるし、こいつを手元に置くことができる。私はあの国を支配することによって、更なる力を手に入れられる。素晴らしいと思わないか?」

 

 つらつらと続ける彼女の言葉に、何も言い返すことができなくて。

 

「……そんなことをしたら、君のことを一生恨み続けるからね」

 

 そんな、見たこともない表情と声色で呟くネプテューヌを前にして。

 俺は。

 

「いやだ」

「……ほう?」

 

 あれはネプテューヌの夢だ。

 あの退屈な平穏こそが、彼女の作り上げた夢なんだと思う。

 それなら。

 その夢を守ることが、俺の役目だから。

 

「皮肉だな。夢を守ることを択び、その本人を殺そうとしてるんだからな」

「……それも、違う」

「なに?」

 

 ――渦巻く力の奔流を、体の奥底から解き放つ。

 旋風が巻き上がり、それと同時に全身を淡い光が纏ってゆく。

 シェアエネルギーとアナザーエネルギー。その両方が、俺の体に流れていった。

 

「俺にも、夢がある」

 

 それはネプテューヌに比べたら、とても小っちゃくて、大したことないかもしれないけど。

 

「ネプテューヌには、笑っていてほしいんだ。いつもみたいに明るい笑顔のまま、あの退屈な平穏の中で……自分の手で作り上げた夢の中で、幸せに過ごしてほしい。それだけ」

「……それだけ?」

「そう。でも、そんな小っちゃな夢さえも、消えちゃいそうになってる」

 

 だったら。

 

「その消えそうな夢を守ることもきっと、俺の役目だと思う」

 

 ……これはきっと、そのための力なんだ!

 

「変身!」

 

 腕を高く天に掲げ、それと同時に強く叫ぶ。

 全身が作り替えられる。少女の形から、女神の形へ。

 纏うのは夜闇よりも暗い、漆黒のプロセッサユニット。

 そして背中には――六枚の、黒鉄の翼を。

 

「まさか……揃えたのか、貴様!」

 

 そうだ。

 もう俺は、出来損ないなんかじゃない。

 誰かの夢を守る、守護女神として。

 そして、本物になることのない、もう一人の女神として。

 

「――アナザーハート、ここに見参!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24 「アナザーハート」

 

 本物になんか、なれなくなっていい。

 結局、どうしたって俺はネプテューヌにはなれないんだから。

 同じ姿をしても。同じように振る舞っても。同じように女神になっても。

 俺は彼女のようにはなれない。プラネテューヌの女神として在っては、いけない。

 だってそうだろ。

 あのプラネテューヌの平和な日常も、皆の幸せな笑顔も、ぜんぶ彼女が描いた夢なんだから。

 その中で生きるべきなのは、ネプテューヌであって、俺じゃない。

 自らが創り上げた夢の中で、幸せに生きること。それが正しいって、俺は思う。

 だから俺は、偽物で構わない。夢の中で生きる彼女を、遠くから眺めているだけでいい。

 ……ネプテューヌは、あの国が好きだって言った。

 その平和が守られるなら、皆が平凡な日々を過ごしてくれるなら。

 自分はそこに居なくてもいいって、そう言ってた。

 だったらそれは、俺も同じなんだ。

 いつも浮かべるあの明るい笑顔が。ちょっと冗長になっちゃうような、あの口調が。何事にも全力で立ち向かう、その姿が。対価も報酬も何も求めずに、皆を守ろうとするその在り方が。

 俺はそんな彼女を、遠くから見ているだけでよかった。

 その透明の翼の輝きを、紫の軌跡を望むだけで、よかった。

 そして、その夢を守るためなら、俺の全てを賭けても惜しくないと、心の底から断言できた。

 

 やっぱり俺は、ただの偽物だ。プラネテューヌの女神になんて、なれるはずがない。

 ……でも。

 誰かの描いた夢を守るためなら。その笑顔をもう一度、取り戻すためなら。

 存在するはずのない、もう一人の虚構の女神として。

 俺は。

 

「戦うさ。きっとそれが、俺の役割(ロール)だから」

 

 ――アナザーハート。

 ちょっと陳腐かもしれないけど、それが女神としての、俺の名だ。

 

 軽く腕を振るうと同時、足元から鈍色の光が広がっていく。

 そこに現れるのは、地面に突き刺さったパープルハートの担う太刀。それだけじゃない。ブラックハートの剣やホワイトハートの斧、グリーンハートの槍。無数の武器が地面に乱立していく。

 その中の一つ、紫の太刀を握り、鞘に納めるように右腕の盾に接続。

 展開したそれは、俺の体よりも長い刃を生成して、一本の巨大な剣になった。

 ……なるほど。そういう感じなんだ。

 

「行くぞ!」

 

 叫ぶと同時に地面を強く蹴る。背後から聞こえた爆発音は、すぐさま遠くなって。

 次の瞬間には、マジェコンヌの姿が目の前にあって、思いっきり腕を振り下ろした。

 

「なッ……!」

 

 杖を盾にされて、耐えられる。でも、力の感覚からしてこちらが有利なはず。

 翼を大きく広げると、それぞれの羽からアナザーエネルギーが噴射された。

 力を込める。マジェコンヌの立っている地面が割れて、ビルが大きく揺れた。

 

「この……」

 

 小さく呟くと同時、黒い煙と共に彼女の姿が消える。

 

「そこッ!」

 

 背後の気配に向けて、盾から抜き放った太刀を投げ放った。

 その切っ先は、ただ彼女の帽子を落としただけ。マジェコンヌの見開いた眼が俺を睨む。

 ……惜しかった、でも!

 

「まだ!」

 

 突き刺さっていた槍を抜き放つと同時、盾を弓の形態へと変形。

 それを空に向かって放ち、すぐさま地面を駆けながら、傍にあった斧へと手を伸ばす。

 放たれた槍はマジェコンヌの上空で分裂、無数の槍となって降り注ぐ。

 それが全部躱されている間に、盾と斧を接続しながら接近。

 降ってきた槍の一つも、ついでに片腕に握りながら、勢いよく切りかかった。

 

「な……!」

 

 鎌は杖で受け止められる。槍も寸前で回避される。

 でも、まだ。

 両手に握っていた武器を離すと同時、すぐさま両手にブラックハートの剣を生成。

 ……片腕は塞がってる。あの妙な黒い霧も、もう間に合わない、はず!

 

「おらぁ!」

 

 斬撃。確かな手応えと、生々しい苦悶の声。

 ……入った! それなら!

 

「ネプテューヌっ!」

 

 両手に持った剣も放り捨てて、彼女の名前を叫ぶ。

 困惑したままの彼女は、けれど瞳を交わすと、伸ばした俺の手をしっかり握ってくれた。

 

「この……貴様ァ!」

「ババアは大人しく寝てろッ!」

 

 翼を展開。大きく広げてから羽ばたかせると、旋風が周囲に巻き起こった。

 その風に乗って、大きく後ろへ。両手でネプテューヌを抱きかかえながら、その顔を覗く。

 

「大丈夫?」

「……うん、でも」

 

 どういうこと、って続けようとしたのかな。けれどネプテューヌは、それ以上を語らなかった。

 ただ口を噤んだまま、じっと俺の事を見上げている。

 ……えっと。

 

「どうしたの?」

「いや、その……本当に、そっくりだなあ、って」

 

 あー……まあ、そうかもね。それは俺も改めて思った。

 恰好としては、パープルハートの色変えみたいなもんだし。髪型まで一緒だからなあ。

 ……変えたほうがいいのかな。まあ、ビジュアル的にダダ被りだしな。今更って感じだけど。

 とはいえこんな長い髪、以前はもちろん、こっちに来てからも弄ったことないし。

 うーん。

 

「ま、いっか」

「え?」

 

 背後に浮かせた太刀を浮かばせて、それを一気に真下へ振り下げる。

 少し頭が軽くなる。同時に、足元でぱさぱさと軽い音が鳴った。

 

「ちょ、ちょっと!? そういう意味で言ったつもりはないんだけど!?」

「でもキャラ被ってるし……」

「それは本当に今更じゃない!?」

 

 まあまあ。

 俺としては短い方が楽だから、別に気にしてないし。

 確かに長い方が見栄えはいいし、女の命とか言うけど……そもそも俺、微妙なとこだしなあ。

 ……とにかく。

 

「戦える?」

「……いけるよ!」

 

 強く頷いたネプテューヌを、地面へ下ろす。

 マジェコンヌの声が聞こえたのは、俺達が二人で向き直った、その直後だった。

 

「何故だ……! 何故、貴様がその神格を手にしている!?」

 

 何故、って。そりゃ。

 巻き戻ったっつったんだから、当然回収はするでしょ。

 

「どこで間違った? 本来ならば、貴様の神格は機能するはずがないのに……!」

 

 何を言ってるんだろう。マジェコンヌの言葉が、少しだけ引っかかる。

 でも、俺は今こうして変身してるんだし。思惑通りじゃなかった、というのは分かる。

 ……ま、気にしたって仕方ないか。

 

「行こう、ネプテューヌ」

「うん!」

 

 俺の声に、彼女はこくりと首肯して、右手を天に。

 

「変身――」

「させんぞ!」

 

 その瞬間、マジェコンヌの手から、紫色の光が迸る。

 急いでネプテューヌの体を突き飛ばした。

 けれど、その光はぐいん、なんて強引に曲がって、ネプテューヌの方へと向かっていく。

 ――駄目だ、間に合わない!

 

「ネプテューヌ!」

 

 思わず叫んで、その体を抱えると。

 

「……あれ?」

 

 ん?

 

「何ともないよ?」

 

 ……えーと。

 気を取り直して。

 

「行くよ、ネプテューヌ!」

「う、うん!」

 

 再度、強く応えてくれたネプテューヌが、同じように腕を掲げる。

 

「変身っ!」

 

 ……別に、隙をついて逃げたってわけじゃない。マジェコンヌは未だに俺達を睨んでいる。

 じゃあ何? あの光は何の意味があったの?

 苦し紛れに放った攻撃にしては、何の効果もなかったみたいだし。

 遅延行為なんかな。バッドマナーとか言ってる場合じゃないけど気分悪くなってきた。

 まあ、そういうことしそうな性格ではあるしな。おかしくも何ともない。

 V2の扱いを見ると少しだけ不憫に感じるけど、本質的に邪悪なんだよな、こいつは。

 何としてでも倒さないと。俺のできる全てを賭けてでも、止めなくちゃならない。

 それにはきっと、俺の力だけじゃない。ネプテューヌの力もなければ、成しえないだ。

 だから、えーっと、その……うん。倒さないと。

 ……あの。

 

「ネプテューヌ?」

「ご、ごめん! ちょっと待ってね? あれ? おかしいな……」

 

 変身するの待ってたんだけど、光も音もなかったから、思わず口にしてしまった。

 

「も、もう一度……変身!」

 

 再びそうやって叫びを上げるけど、何も起こらない。

 

「どうして!? へ、変身! チェンジ! アクセス! うおぉぉおお! アマゾン!!」

 

 なんだか違う掛け声まで引っ張って来たけど、やっぱり何かが起こる気配はない。

 ……もしかして。

 

「さっきの光?」

『みてーだな』

 

 クロワールの声が頭の中に響く。

 

『えげつねーぜ、あいつ。あの女神の中にあるシェアエネルギーを、消滅させやがった』

「……喧しい羽虫を連れてきたみたいだな」

 

 鬱陶しそうに髪をかき上げながら、マジェコンヌが呟く。

 

『局所的な時間の巻き戻し、ってところか? ま、ここまで領域を限定するとなると、さすがに負荷もかかるみてーだけどな。』

「黙れ……黙れっ!」

 

 振り払うような声だった。そのまま、彼女の体が煙に巻かれて消える。

 次に彼女が表れたのは、俺とネプテューヌの背後だった。

 

「ネプテューヌ、下がって!」

「う、うわ、うわわわわわっ!」

 

 パーカーのフードを引っ張りながら、振り下ろしてきた杖を盾で受け止めた。

 そのまま右手に太刀を作成。盾に接続しながら、刃を放出させる。

 ……まずいな。

 

「貴様の神格もそうだ! そうなるべきだった!」

「っ……どういう……!」

「だが、そうはならなかった! あろうことか、貴様は神格をその身一つに揃えたのだ!」

 

 いまいち何を言っているのかは分からない。

 けれど、マジェコンヌが俺の事を憎んでいるということだけは、理解できた。

 

「初めからそうだった! 貴様はただのバグ! 何の力ももたない、ただの世界のゴミだったはずなのに! それが、どうして……どうして、ここまで生きている!? 何を以て、貴様は私の前に居る!?」

「そんな、こと……」

「貴様は……貴様は、どこまで私の邪魔をするつもりだ!?」

「……そんなことッ!」

 

 決まってるだろ!

 

「この世界が元通りになって、ネプテューヌがいつもみたいに笑って過ごせるまでだよ!」

 

 翼が開く。それぞれの羽から放たれた六つの光が収束し、暗い光となって握る大剣へと宿る。

 体の芯から力が湧き上がる感触。全身が軽くなって、感覚が研ぎ澄まされてゆく。

 ……これなら。

 

「おらッ!」

 

 腕の力だけでマジェコンヌを押し返し、そのまま体を蹴りつける。

 すぐさま地面を蹴って突撃。鈍色の輝きを放つ刀身を、マジェコンヌへ向けて振り下ろした。

 咄嗟に受け止められる。けれど、力はこっちの方が勝ってる。勢いだって負けてない。

 ……いける。このまま、押し切れる!

 

「何故だ!? 何故、貴様のような出来損ないが……!」

『おばさん、いいコト教えてやるぜ』

 

 交錯するマジェコンヌとの視線の間を、紫色の蝶が舞っていた。

 

『あんた、時間を巻き戻すことはできるけど、本質の書き換えまではできなかったみてーだな』

「なに……?」

『こいつの中の神格は、もうこいつだけのモンじゃねーってことだよ、おばさん。どうせこいつが集めたシェアエネルギーごと巻き戻して、この神格をお釈迦にしようって魂胆だったんだろ?』

「貴様、どうしてそれを……!」

『けど残念だったなー、おばさん。パープルハートへのシェアエネルギーなら、そのまま本人のとこへ巻き戻せたんだろうけどよ。アイリスハートなんて女神は、本来この次元にはいねーからな。つまり、()()()()()()()()()ってことだ』

 

 ……そっか。

 本当ならこの神格は俺のものだったから、パープルハートと同じように扱われてた。

 だから巻き戻った時、集めてたシェアエネルギーもネプテューヌのとこへ行くことになる。

 でも、実際にこの神格を手にしたのはプルルートだった。

 だからこの中にはアイリスハートへのシェアエネルギーしかなくて、それは巻き戻らない。

 クロワールが言った通り、巻き戻る先が存在しないから。

 

「……あ、の、女アアアァアアアアア!!」

 

 ちょっ……な、この……!

 

『おーおー、ブチギレてるぜアイツ』

「んなこと見たら分かるわ!」

 

 それよりもこいつ、急に力が……!

 

「許さんぞ……許さんぞ貴様らァ!」

「くっそ……こいつ……!」

「全て終わらせてやる! 貴様らの無駄な足掻きも、反吐が出るようなその夢語りも、全て! そして再び、私が世界を作り変える! 貴様らのような者が存在しない、私だけの世界に!」

 

 覆いかぶさっていたはずの体が押し返されて、体が宙へ浮き始める。

 いや……まずいな、これ。あの状況で、どこにそんな力が残ってたんだ。

 

「おおぉおおぉおおおおお!」

 

 獣のような叫び声だった。それと同時に俺もマジェコンヌから離れて、ネプテューヌの前に。

 すぐさま展開した翼を前に回して防御。 その間にネプテューヌを抱きかかえて、真上へ。

 その瞬間、さっきまで俺達の立っていたところを、紫の衝撃波が駆け抜けていった。

 

「逃がさんぞ!」

 

 叫びながらこちらへ突撃してくるマジェコンヌを、身を翻すことで回避。

 同時に槍を周囲へ展開。後ろを向いた彼女へ放つけど、全て素手で撃ち落とされた。

 再び突撃。今度はそれを、翼を前に構えることで正面から受け止める。

 激突。直後に彼女の頭上へ斧を生成。視線が一瞬だけ真上へと向けられる。

 その隙に彼女の腹を蹴り飛ばし、後退。ネプテューヌを抱きしめながら、大きく距離を取る。

 振り下ろされた斧はけれどマジェコンヌに受け止められ、こちらへと投擲された。

 刃が頬を掠める。手の甲で流れた血を拭いながら、次の行動を思考しようとして。

 

『キツそうだな』

 

 視界の端を跳ぶ光の蝶から、そんな声が聞こえてきた。

 

『アイツ、中々しぶといぜ? このままやっても泥仕合になるだけだぞ』

 

 そりゃ、そうだけど。

 ここで逃がしたら、次に何が起こるか分かんないし。

 だから泥仕合でもなんでもいいから、決着をつけないと。

 

『いけんのかよ? そいつを守りながら』

 

 言葉に、抱えたままのネプテューヌと視線を交わす。

 

「私のことはいいから! どっか適当なビルに置いて、あとで回収してくれれば!」

『バカ、そんなことしたら狙われるだろ。お前、自分が変身できねーの忘れたのか?』

「う、そ、それはそうだけど……でも……!」

 

 ……まあ、クロワールの言うとおりかも。

 とりあえず、ネプテューヌを取り戻せただけでも十分だし。

 今はとにかく、ネプテューヌを安全な場所まで運んだほうが賢い気がする。

 マジェコンヌを倒すのはその後でもいい。何をしでかすか分からない、って不安はあるけど。

 

『決まりだな』

 

 ぱちん、と指を弾く音。

 

「何をコソコソと……」

『尻尾巻いて逃げようっつー作戦立ててたんだよ、おばさん』

「あっ、何で言ったんお前!」

「なんだと……!?」

 

 自分からバラす奴がいるか! この!

 

「許さん! 許さんぞぉおぉおぉおおお!!」

 

 叫びながら、マジェコンヌが空中を蹴ってこちらへと突撃してくる。

 そして、伸ばした彼女の腕が俺の首元へ届こうとした、その瞬間。

 

『じゃーな、おばさん』

 

 マジェコンヌの姿がだんだんと透明になって、やがて溶けるように消えていった。

 ……なに、今の。

 

『ここから少しだけズレた次元に飛ばしたんだよ。これで奴はこっちに干渉できねーぜ』

 

 な、なんだそのズルい技……。

 そんなことできたなら、最初から使ってくれればよかったのに。

 

『バカ、向こうから干渉できねーってことは、こっちからも干渉できねーってことだよ。それに次元に飛ばした、っつってもそこまで遠い次元じゃねーからな。あいつくらいの力があれば、自力で戻って来れるぜ』

「……それって、どれくらい?」

「ま、少なくとも夜が明けるまでは止められるんじゃねーか?」

 

 なるほど。

 でも、これで時間は作れたわけだ。

 

「とにかく、一旦教会に戻って……」

 

 ……あれ?

 

「あ」

 

 何かに気づいたように、ネプテューヌが手のひらを空へ差し出した。

 そこには、ぽつりぽつりと、小さな水滴が降っていて。

 

「雨だ」

 

 

「それにしても、あそこから助かるなんて思わなかったよ」

 

 雨除けに近くのコンビニへ入って、ネプテューヌのための食料とかを買って、それから。

 もそもそと栄養食を口に運ぶ彼女は、そんなことを俺に向かって行ってきた。

 

「ネプテューヌはどうしてたの?」

「どうもできなかったんだ。気が付いたら、真っ暗な空間にいて……マジェコンヌがお前も女神じゃないー、なんてこと言ってきたの。君が新しいプラネテューヌの女神に成り代わったから、もう助けに来ない、ってことも言ってた だから、ああそうなんだ、って思って」

 

 でもね、とネプテューヌは呟いてから、

 

「裏切られたとか、怒ってるとか、そういうわけじゃないよ? ただ……それを聴いて安心したんだ。プラネテューヌを守ってくれるんだって。だから、君が来てくれた時はびっくりしちゃってさ。あんなこと言っちゃった」

「……俺じゃ、駄目だ。プラネテューヌの女神は、ネプテューヌじゃないと」

「ま、私はそれでもよかったんだけどね。もし私がプラネテューヌの女神じゃなくなっても、君になら安心して任せられるからさ。その時は……」

 

 …………。

 

「二度と」

「え?」

「二度と、そんなこと言わないで」

 

 俺にその役割(ロール)は、相応しくない。

 結局、俺は偽物でしかないんだから。本物の女神に成り代わるなんて、許されるはずがない。

 ……我儘、なのかな。ネプテューヌ本人は、それでいいって言ってくれてるけど。

 でも、やっぱりこれだけは譲れない。

 誰が何と言おうと、俺の知るプラネテューヌの女神は、ネプテューヌしかいないんだから。

 

「……私は、君のこと信じてるよ?」

「俺もだよ」

 

 ずっと信じてる。いつだって信じてる。馬鹿みたいに、信じ続けている。

 何か対価を求めているわけじゃない。救ってほしいってわけでもない。

 ただ、ネプテューヌが幸せでいてくれれば、俺は十分なんだ。それだけでいいんだよ。

 

「だからこそ、そんなこと二度と言わないで」

 

 俺の信じるプラネテューヌの女神を、失わせないでくれ。

 そのためなら俺は、命でもなんでも賭けてやれるから。

 

「……ごめんね」

 

 別に、そんなに怒ってるわけじゃないのに。

 ネプテューヌはばつが悪そうに、もごもごと口動かすだけだった。

 やがて、しばらくの沈黙。雨音だけが、俺と彼女の間で響いている。

 

「行こう」

「うん」

 

 呼びかけると、ネプテューヌは俺の手を取って立ち上がった。

 

「これ」

「あ、さっき一緒に買ったヤツ? ありがと」

 

 彼女は笑って、俺が渡したレインコートを広げた。

 俺も同じように。少し大きいけど、それだけ濡れないからいいか。

 

「でも、なんでわざわざこっちにしたの? 傘だったら一つで済むじゃん」

 

 それは……確かに、そうかもしれないけど。

 

「……相合傘になるので」

「は?」

「だから、その場合は相合傘になるから、その……」

 

 すると彼女は、耐えきれなくなったように口元を手で押さえながら、

 

「あはは、なにそれ! もしかして恥ずかしいの?」

「……うるさい」

「いや~、そんな恥ずかしがんなくてもいいのに! むしろ私は全然オッケーだよ? こんなに付き合い長いんだからさ、別に何とも思わないって! 大丈夫だよ!」

「うるさい!!!」

 

 にやにや笑う彼女のフードを、無理やり下ろす。

 

「あわばっ!? ちょっ、急にやめてよ! 前見えないんだけど!?」

「早く行くよ」

「もー、待ってよ! ちょっと冗談言っただけじゃん!」

 

 フードを深く被る。ぱたぱたと、雨粒の当たる音が頭上から聞こえ始めた。

 ネプテューヌが隣に来てから足を踏み出すと、目の前にクロワールが表れる。

 

「茶番は済んだか?」

「うるせえぞ! どいつもこいつも!」

 

 いいじゃん別に! 恥ずかしいモンは恥ずかしいモンなんだよ!

 悪いかよこの野郎! あ!? なに!? やるか!? やっちゃいますよ!?

 

「それはどうでもいいけどよ、これからどうすんだよ」

「まず、ネプテューヌのシェアをなんとかしないと」

「一晩でどうにかなるモンなのか? 厳しいと思うけどよ」

「策はある。後で伝える」

「ほぉ」

 

 上手くいくかどうかは分からないけど、理論的には不可能じゃないはず。

 その上で、マジェコンヌと戦えるかどうかは、少しだけ疑問だけど。

 

「私のシェアは任せるとして……マジェコンヌはどうやって倒すつもりなの?」

 

 それも、大体はなんとかなるはず。

 一度戦ってみて分かったけど、到底かなわない、っていうような相手じゃなかった。

 ネプテューヌと俺、他の人たちの協力もあれば十分倒せるくらいのもの。

 まあ、そりゃ時間はかかるだろうし、かなりの苦戦にはなりそうだけど。

 言い方を変えれば、特に変なイベントを踏む必要はなさそう、っていうか。

 とにかく、諦めるような戦いじゃない。それだけは絶対に言える。

 ……問題は、その後かな。

 

「その後、って?」

 

 別にネプテューヌには関係ないことだよ。

 ただ。

 

「どうやったら、俺はこの世界からいなくなれるかな、って」

 

 ――雨が吹き飛んだのは、そう告げた直後だった。

 旋風。咄嗟にネプテューヌの前へ立ちふさがって翼を展開。風を受け止めた。

 一瞬の静寂が訪れる。その後にまた、思い出したように雨音が鳴り始めて。

 そして、降りしきる雨に打たれながら、静かに立っていたのは。

 

「……ネプギア?」

 

 困惑するネプテューヌの声に、女神化した彼女はどうしてか、ひどく冷たい視線を送っていた。

 

「あなたですね? この国のシェアを奪っていったのは」

「……は?」

「え? なに? どういうこと?」

「とぼけたって無駄ですよ」

 

 言い放つと同時、ネプギアが手にした剣をこちらへ向ける。

 その切っ先には光が収束を始めていて、彼女の顔を淡い紫色に照らしていた。

 

「ノワールさんたちにも連絡はついています。直に到着するでしょう」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 黒い私は何もしてないよ!? なのに、どうして……」

「……偽物が何を言っても無駄です。観念してください」

「そんな、ひどいよネプギア! お姉ちゃん、妹をそんな風に育てた覚えはないよ!?」

「私だって、あなたに育ててもらった覚えはありませんよ」

 

 ――まずい!

 

「ネプテューヌ!」

 

 言葉の意味に気づくと同時、ネプテューヌの体を勢いよく突き飛ばす。

 その瞬間、さっきまで彼女が居た空間を、紫紺の閃光が焼き尽した。

 

「……どうして」

 

 やっぱりだ。

 今のは明らかに、ネプテューヌを狙った攻撃だった。

 ……まさか。

 

「どうして私の邪魔をするの!? ()()()()()!」

 

 その言葉は、俺の瞳をしっかりと見据えながら叫ばれたものだった。

 答えることはできなかった。そんなもの、持ち合わせているわけがなかった。

 ネプテューヌの手を強く握る。そのまま、ネプギアに背を向けて走り出した。

 

「ちょっと、いったい何がどうなってるの!?」

「見りゃ分かるだろ。あいつ、お前の方を偽物だって思ってるんだよ。ついでにプラネテューヌのシェアが巻き戻ったのもお前のせいになってるぜ。まさかあいつ、こうなることまで計算に入れてたのか?」

「……教会に帰るのは難しいかな」

 

 こっちは時間がほとんどないっていうのに。こんなことしてくれるなんて。

 ……どうする? どこに行けば、ネプギアを振り払える?

 教会にはもちろん逃げられない。かといって、他の国に逃げてるような時間もない。

 かといって、プラネテューヌに居続けてもどうせネプギアに追われるだけだし。

 その上、ネプテューヌのシェアエネルギーも復元しないといけない。

 いや、駄目だ。今はネプギアを撒くことだけを考えて――

 

「あっ、前! 前! 黒い私、ストップ!」

 

 詰まりかけた思考が、ネプテューヌの声によって遮られる。

 咄嗟に盾を展開。地面へそれを突き立てた直後、爆風が辺りを包み込んだ。

 煙が晴れる。見上げたそこには、こちらを見下ろすブラックハートの姿があった。

 

「ネプギアに言われてきてみたはいいものの……何してるのよ、あなた」

「ノワール……」

 

 名前を口にしたネプテューヌを、彼女は鋭い視線で睨みつける。

 

「……癪に障るわね。そのとぼけたような顔まで、そっくりなんて」

「そんな」

「あなたが何を考えてるかなんて知らないわ。でもね、あなたは一人で十分なのよ!」

 

 剣が振り下ろされる。それを真正面から受け止めて、もう片方の手に太刀を生成。

 盾と太刀を接続、同時に刃を展開。鈍色の光が雨に乱反射を始めた。

 そのまま思いっきり振りぬくけれど、彼女はひらりと間一髪で俺の攻撃を躱して、

 

「ブラン!」

「おう!」

 

 声が聞こえたのは、背後のずっと遠くからだった。

 

「面倒くせえから二人とも吹っ飛ばしてやる! 耐えたほうが本物だ!」

「いやそれ、根本的な解決になってな――」

 

 そんなネプテューヌの声を遮ったのは、腹に響くほどの轟音で。

 地面を砕きながら迫りくるのは、通り過ぎた全てを氷に変えるほどの、強力な冷気だった。

 ……何だその技!? 見た事ねえぞ!?

 

「ちょっと、やばいってアレ!」

「下がって!」

 

 翼を展開。同時にエネルギ―を放出。足元から光が広がってゆく。

 

「ネプテューヌ!? あなた、何よそれ!」

 

 困惑するノワールの言葉を無視しつつ、意識を体の奥、心の底へと集中させる。

 理論的には不可能じゃないはず。さっきは武器が出てきたんだ。だったら、今度は――

 

「危ない!」

 

 閃光。直後に爆発音。今度は爆風じゃなく、冷気が後ろへと駆け抜けて行く。

 白い煙は夜空へと上がっていって、降り注ぐ雨粒を氷の結晶へと変えた。

 そしてきらきらと光るその中で、地面にへたり込む俺と、ネプテューヌの前に立っていたのは。

 

「……よくもまあ、こんな天気の日に呼び出してくれたわね」

 

 ため息をつきながら、呆れた顔でこちらを見つめるホワイトハートだった。

 しかも、例の面倒くさいバリア付きで。衝撃波もこれで防いでくれたらしい。

 ……頼んでないのに自分でやってくれるのは、ありがたいな。

 

「何よこいつ。ブラン、あなたの知り合い?」

「知るわけねーだろ、こんな奴」

「あら、悲しいわ。もう忘れられるなんて。でも、夢ってそういうものよね」

 

 なんてことを言いながら、ホワイトハートがちらり、と俺に視線を送る。

 

「……何分稼げる?」

「向こうが飽きるまで」

 

 そりゃなんとも。

 

「任せたよ!」

 

 翼を広げてネプテューヌを抱きかかえる。そのまま、地面を強く蹴って上空へ。

 しばらくして、背後から戦闘音が聞こえ始めた。

 すぐに止まない辺り、本当に飽きるまでは戦ってくれるらしい。

 ……女神二人を相手に戦えるって、割と頭おかしい性能してるよな。

 それにしたって。

 

「時間が戻ったわけじゃない、ってことか……」

 

 俺の言葉に返ってきたのは、クロワールの言葉でも、ネプテューヌの頷きでもなく。

 背後から飛んでくる、一本の槍だった。

 

「うおッ」

 

 すんでのところで体をひねって回避。けれど、視界には既に二撃目の槍が。

 前進するのをやめて、ビルの壁に沿うようにして真下へ急降下。

 かかかか、と俺の軌道を追うようにして、壁に何本もの槍が突き立てられていく。

 ……空中を移動するのは、止めといたほうがいいな。

 

「走るよ!」

「うん!」

 

 翼をしまって、ネプテューヌと一緒に路地裏へ。空は曇っていて何も見えなかった。

 フードを深く被る。少しでもバレないように。ネプテューヌも同じようにしてくれた。

 逃げる当てはない。けれど、足を止めるわけにもいかない。

 ……ちくしょう。

 

「はぁ、っ……くそ……!」

 

 声が漏れる。そうしても意味なんてないことは、分かり切っているのに。

 

「ちくしょう……ちくちょう、ちくしょうッ! どうすりゃいいんだよ!」

 

 叫んだ言葉は、誰にも届くことはなく、雨の中へと消えていく。

 どうすることもできなかった。ただ、彼女を連れて逃げることしか。

 けれど、それも終わり。そんなことすらも、できなくなってしまう。

 

「わぷ」

 

 なんて、背中にぶつかってきたネプテューヌが、そんな声を上げる。

 

「ちょっと、いきなり止まるなんて、どうしたの……」

 

 見開かれた彼女の瞳には、俺の目の前に突き刺さっている、緑色の槍が映っていた。

 

「いい加減、観念したほうがよろしいですわよ」

 

 降りしきる雨の中、グリーンハートがそう告げながら、俺達の前へと舞い降りる。

 

「嫌だ」

「……あなたの行動はいつも突飛ですけど、さすがに今回は理解ができませんわ」

 

 うるさいな。

 俺からしたら、そっちが理解不能だっての。

 

「それに、あなたが嫌かどうかなんて関係ないの」

 

 言いながら、ブラックハートが背後に現れる。

 ……飽きられたのか。いや、ここまで保ってくれただけ、マシか。

 ぽわ、と心の中で何かが光る。ああ、負けたらちゃんと戻ってくるのね。

 

「まだ庇うつもり? いい加減、意味がないって気づいてほしいんだけど」

「……意味があるかどうかは、こっちが決めること」

「あっそ。それが無駄だって言ってるんだけど、馬鹿には分かんないみたいね」

 

 ため息交じりに呟いてから、再びブラックハートが俺へ向けて剣を構えた。

 翼を広げる。盾に力を込めて、背後には六つの光を。

 そして――

 

「――もう止めようよ、お姉ちゃん」

 

 その声に、全身の力が抜けていく。

 見上げた上空には、俺を見降ろすホワイトハートと。

 

「ネプギア」

「……どうして? お姉ちゃん、どうしてこんなことするの?」

 

 どうして、って。

 

「この世界を、正しい形に戻すためだよ」

「正しい? 正しい形って、何? 私達が間違ってるの?」

 

 間違ってるよ。絶対に。こんな世界はおかしい。

 だってネプギアが、俺の事を「お姉ちゃん」だなんて呼ぶはずないじゃないか。

 

「……そんな……お姉ちゃん、どうして――」

「呼ぶなって言ってるだろ!」

 

 俺の叫びに呼応するように、黒鉄の翼が旋風を巻き起こす。

 もう、どうなってもいい。間違ってるのはこの世界の方なんだ。

 だったら俺がなんとかするしかないんだよ。

 

「こんなでたらめな翼を見ても、まだ俺のことをそう呼ぶのか!?」

 

 力の奔流が、全身へと伝わっていく。アナザーエネルギーの解放。

 それは降り注ぐ雨粒を全て吹き飛ばし、ネプテューヌの顔を覆っていたフードを翻す。

 

「どうして……どうしてそんな偽物なんて庇うの!? お姉ちゃん!」

「うるさい!」

 

 地面から生成された槍を、そのままネプギアの方へと撃ち出した。

 躱される。それはいい。今のうちに盾を展開、パープルハートの盾と接続させる。

 ……やるしかない。

 

「来い」

「……お姉ちゃん」

「ッ、来いって言ってるだろ! 全員、俺が相手してやる!」

 

 足元からは鈍色の光を。そして、周囲には無数の武器を。

 迷いはない。というより、迷っている暇もない。

 やるしかないんだ。もう後に退いてる余裕はない。戦って、やり過ごすしか。

 …………なあ。

 

「来ないのか?」

「そんな……だって!」

「だったら俺から行くぞ!」

 

 地面を蹴る。そのまま、エネルギーブレイドをネプギアへと振り下ろした。

 鍔迫り合いと同時、背後にホワイトハートとグリーンハートが回り込むのを捉えた。

 ネプギアに蹴撃を飛ばして距離を取る。振り向きつつ、再び意識を集中。

 

「行け!」

 

 叫ぶと、鈍色の光と共に、中ベールと小ベールが表れて、二人の攻撃を受け止めた。

 

「乱暴ですわ」

「後がないのですね」

 

 うるさい。

 

「このっ!」

 

 真上から聞こえたブラックハートを、そのまま剣で防御。

 引く様子を見せなかったので、翼で刺突。初撃と二撃目は防がれる。

 三撃目に生成した剣での攻撃を挟んで、体勢を崩す。そのまま四と五。

 耐えきれなくなったところを、思いっきり振りぬいたエネルギーブレイドで吹き飛ばす。

 後は――。

 

「お姉ちゃん」

 

 ……だから!

 

「その名で、俺を――」

「ごめん」

 

 振り向いた目の前には、ネプギアの持つMPBLの銃口があって。

 視界が紫に染まる。一瞬の出来事だった。全身が撃ち付けられるような感覚。

 朦朧とする意識の中、気が付けば俺は瓦礫の中にいて。

 そこで初めて、ビルの下敷きになっていたことを、何となく理解した。

 

「マジかよ……!」

 

 ここまで派手にやられるとは思わなかった。付近の住民の避難とか済んでんのか。

 ……いや、ネプギアのことだ。こうなることを想定して、ちゃんと勧告は出してるはず。

 無理やり翼を開く。アナザーエネルギーを解放すると、瓦礫は遠くへ吹き飛んでいった。

 ネプテューヌは無事かな。こんな戦いになってくると、守りきれなく……。

 ……違う。俺と彼女を引き離すためか。ここまでブッ飛んだことをするのは。

 小癪な……!

 

「ネプギアあぁぁああッ!!」

 

 飛べばすぐに彼女のところまで行けた。そのまま剣を振りかざし、一閃。

 防御される。けれどこれで足は止められた。すぐさまネプテューヌを探し、その傍へ。

 

「だ、大丈夫? さっきえげつない飛ばされ方してたけど……」

「正直びっくりした」

 

 でも、それだけ。ビビっただけで何ともない。

 ……あっちも攻めあぐねてるんだろうな。俺がネプテューヌ本人に見えるから。

 けれどそれは、俺にも言えることなのかもしれない。

 

「埒が明きませんわね」

 

 いつの間にか中ベールと小ベールも戻って来たし。

 さて、ここはどうするか……。

 

「ちょっと待ったぁーーっ!」

 

 高らかなバイクのエンジン音が聞こえたのは、そんな叫び声と共にだった。

 オーロラ。揺らめく自由の向こうには、バイクにまたがる一人の少女。

 その人は地面に着地したあと、タイヤと足で三本の土煙を描きながら、目の前で止まる。

 ……あれ? この展開二度目じゃない?

 

「あぶねー。なんとか間に合ったな」

「ナイスタイミング、って感じ? ささ、女神様のほう、預かるよ!」

「え? なに? ちょっと、どういう……」

「頼んだ」

 

 よく分からないままの彼女をひょいと持ち上げて、後部座席に座らせる。

 

「クロちゃん、私の座標の逆算はできるよね?」

「おーおー。後で合流しろってことだな?」

「話が早くて助かるよ! それじゃ、またね!」

 

 なんて短い会話ののちに、すぐさまネプテューヌがオーロラの中へと消えていく。

 便利だねアレ。今のはクロワールが彼女を呼び寄せたって感じなのかな。

 

「ちょっと、何よアレ! またネプテューヌ?」

「今度は大きくなってきましたわね……ネプギアちゃん、あの方も?」

「分かりません! あんな人、私も見たこと……」

「余計な事考えるな! とにかく、全員潰せばいい話だろ!」

 

 ……させない!

 

「全員、行ってこい!」

 

 鈍色の光。それと同時に、四人の偽物が俺の周囲へ表れる。

 

「また働かせるつもりなの?」

「ほんとに乱暴ですわね」

「まったく、女神使いの荒いことで」

「もう少し労わってくれたっていいのに」

 

 ええい、うるさいぞ! 文句あるんだったら少しでも多く時間を稼いで来い!

 四人が飛び立つのに合わせて、俺も地面を蹴る。向かう先はネプギア。

 戦闘は起こらなかった。ただ彼女は悲しそうに、俺の事を見つめていて。

 

「お姉ちゃん」

 

 ……だから、そう呼ぶなって。

 

「どうしてなの? あんな偽物、庇っても何もならないのに」

 

 じゃあ、聴くけどさ。

 

「偽物がいちゃいけない理由って、なに?」

「それは……」

「本物の存在が脅かされるから? それとも、単純に瓜二つの存在がいるのが気味悪いから?」

「……あの人が、プラネテューヌのシェアを奪ったから」

「それも違うって言ったら、ネプギアはどうする?」

 

 剣が構えられる。でも、そこまでだった。ネプギアが動くことは、なかった。

 

「……私にはもう、何も分からないよ」

「うん」

「お姉ちゃんは――ううん、あなたは世界が間違ってるって言ってた。正しくないって」

「そうだ」

「じゃあ、正しい世界ってなに?」

 

 それは。

 

「ネプテューヌが、幸せでいられる世界だよ」

 

 それ以外には何もない。俺は、それだけを望んでる。

 

「思うに」

「……え?」

「俺はきっと、鏡なんだ」

 

 ネプテューヌを映す鏡。プラネテューヌの女神という在り方を映す、鏡。

 

「彼女がいなければ、俺もいなかった。それは逆にはならないけど、俺がネプテューヌになることは、出来る。本物がいなくても、その鏡の向こうに俺がいれば。ネプテューヌ、っていう……プラネテューヌの女神っていう像は、ずっとそこに在り続ける。つまり、そういうことなんだと、思う」

 

 やろうと思えば成り代わることもできた。俺はしなかったけど。

 まあ、つまり、その、なんだ。何が言いたいかと言うと。

 

「……それが、偽物の役割、ってことですか?」

「俺はそう思ってる」

 

 本物が失われた時に、その在り方を見失わないために。

 世界が狂ってしまったとしても、何が正しいのかを見据えるために。

 俺はネプテューヌの像を取り続ける。そして、世界を正しくするために戦い続ける。

 そのために俺は今、鏡を抜け出してこの世界を彷徨い続けてるんだ。

 ……さて。

 

「そろそろいいかな?」

「みてーだな」

「っ……!?」

 

 時間稼ぎ、って言っちゃアレだし、言葉にしたことも全て本心だけど。

 クロワールに聞くと、準備は整ったらしい。

 

「ネプギア」

「……何ですか?」

「頼むから、ネプテューヌのこと、信じてあげてね」

 

 するとネプギアは、一瞬だけ呆けたような顔を浮かべて。

 

「私はいつだって、お姉ちゃんのことを信じてますから」

「……そっか。そうだよな」

 

 じゃあ、安心だ。

 翼が消える。それと同時に、浮遊感。自由落下が始まる。

 

「――っ、お姉ちゃん!」

 

 ああ、もう。

 あれだけ話をしたのに、まだそうやって俺の事を呼ぶのか。

 俺はネプテューヌじゃないって、途中から分かってたはずなのに。

 それなのに、そんなに悲しそうな顔をするなんて。

 本気で心配するような、手を伸ばすようなこともするなんて。

 ほんとに……

 

「……大丈夫だよ、ネプギア」

 

 そんな俺の声は、彼女に届くことはなくて。

 やがて、揺らめくオーロラの光が、俺の体を呑み込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25 未来からのRe:solve

先日ランキング入りしてたみたいです
ありがとうございます


 

 オーロラを超えた先は、薄暗い部屋だった。

 

「いてっ」

 

 ぶつけたお尻を抑えつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 家具も照明も何もない。こじんまりとした、寂しい部屋だった。

 ただ、床には何かのコードとか、点灯してない液晶なんかが落ちていて、それで何かの作業室なのかな、っていう予想はついた。どういう作業をしていたのかは分からないけど。

 無機質なコンクリートの壁と床が、妙な閉鎖感を感じさせる。

 もう後には戻れない、みたいな、そんな圧迫感をどうしてか覚えていた。

 ……それで。

 

「どこ、ここ」

 

 逃げ道は確保した、って聞いたけど。

 

「私の友達の家だよ」

 

 そんな俺の問いかけに返ってきたのは、ドアの開く音と共に聴こえた、大ネプの声だった。

 

「よかった。無事みたいだね」

「……うん」

 

 表情は見えなかった。背後から差す白い光が、彼女の顔に影を作っていたから。

 その眩しさに目を覆っていると、俺の影からクロワールが姿を表した。

 

「ほんとにバレねーんだろうな、こんな場所」

「大丈夫だって。実績もある、って言ってたし」

「でもよぉ……あいつを信用できんのかよ。いろいろやらかしてるんじゃねーのか?」

「お互い様だよ。クロちゃんだって、人には言えないようなこといっぱいしてるでしょ?」

 

 なにおう、なんて言葉を交わす二人の後を追って、開かれた扉をくぐる。

 その先はまた。作業室みたいなところだった。さっきよりもずっと大きな空間に、中央には大きな長机が置かれている。その周囲にはさっきと同じようなコードや液晶と、設計図や機械の部品なんかが、所々に散らばっている。

 天井に吊るされた作業灯は、軋む音を立てながら、白い光を放ち続けている。

 そうして揺れる影の一つに、壁際にうずくまっているネプテューヌのものがあった。

 

「あ」

 

 そこで彼女は初めて俺に気づいたらしく、急に立ち上がると、俺の方へと駆け寄ってきて。

 

「大丈夫!?」

「うお」

「どこか怪我とかしてない!? まっすぐ歩ける!? 実はどこかまた、もげたりして……」

 

 だッ、大丈夫! 大丈夫だから!

 

「……ほんとに?」

「うん。ほら、ピンピンしてる」

「そっか……よかったよ。だって君、よく一人で無茶するからさ」

 

 あー……そういえば、始めてマジェコンヌと戦った時にも言われたな。

 でも、心配いらないよ。あの時よりも強くなってるし。そうそう無茶はしないって。

 それよりも、そっちは?

 

「私は無事だよ。大きい私のお陰でね」

「……あれからずっと、ここにいるの?」

「そうだよ。後も追われてないみたい」

「ここは一体?」

「大きい私は、友達の家って言ってたけど……」

 

 またそれか。

 一体、誰の家なんだろう。

 

「おーい! 二人とも連れてきたよー!」

 

 なんて、考え込む俺たちなんて露も知らず、大ネプがそんな声を上げる。

 誰かを呼ぶ声だった。おそらくは、ここの家主なんだろうけど。

 しばらくして、奥にある扉から姿を表したのは。

 

「うるさいっちゅね。そんなデカい声じゃなくても、すぐ聞こえるっちゅよ」

「……ワレチュー?」

 

 疑問を覚えると同時、すぐに右手に盾を展開。

 

「お前……! どうしてここに!」

「わわ、ストップストップ! 今は味方だから! みーかーた!」

 

 ……なに?

 

「どういうこと?」

「ほら、昨日の敵は今日の友って言うでしょ?」

「………………………………」

「え、何その顔……私、そんな変なこと言ったかな? え? ちょっと!?」

「お前はいつも変なことしか言ってないっちゅよ」

 

 彼女の言葉に呆れていると、その後ろからワレチューが言葉を投げてくる。

 

「相変わらず血の気が多いっちゅね、お前は」

「……覚えてるのか、俺のこと」

「当たり前っちゅよ。オイラは元々、オバハンの味方っちゅからね」

 

 それは……そうか。おかしい話じゃない。

 でも、それなら。

 

「どうして俺たちに協力してる?」

「この前も言ったはずっちゅけどね」

「何を」

「オイラが聞かされてるのは、ラステイションに関することまで、ってヤツっちゅ」

 

 確かに、そう言ってたけど。

 

「だから、あのオバハンとの協力関係もそこまでってことっちゅ。後のことは何も知らない。オイラが手を貸すこともない、ってことっちゅ」

「……だったら、猶更どうして」

「それに」

 

 と。

 ワレチューは俺のことをまっすぐ見つめながら、

 

「黙ってコキ使われるのにも、そろそろ飽きてきたころっちゅからね」

 

 ……なるほど。

 でも、いいの。確か白いネズミの……そうだ、チューコを人質に取られてるんじゃ?

 

「脅されてるだけっちゅ。別に、捕まってるわけじゃないっちゅよ」

「そうか……よかった」

「それに助けたところでこの国が滅びても、アイツは困るだろうっちゅからね」

 

 喚かれるのも困るっちゅ、なんて、肩をすくめながら、ワレチューが言った。

 ……なんだ。

 ちゃんとカッコいいとこ、あるじゃん。

 

「それよりも、早く状況を教えろっちゅ」

 

 先を促す彼に、最初に口を開いたのはクロワールだった。

 

「奴は俺の能力で別次元に留めてる。夜明けまでなら閉じ込めてられるぜ」

「それまでに、ネプテューヌのシェアをどうにかしたい」

「できればマジェコンヌへの対策もしたほうがいいよね? 何か知ってることがあれば」

「なるほどっちゅ。大体は把握したっちゅよ」

 

 そうすると、ワレチューは作業台へとよじ登りながら、

 

「まず、この世界を取り巻く事象について説明する必要がありそうっちゅね」

「事象?」

「時間軸の巻き戻り、って言えば分かるっちゅか?」

 

 机の上にある一本のコードを手にして、説明が続いていく。

 

「ようは、綱引きって考えればいいっちゅ」

「綱引き? あの、えいえいおー! とか声出してやる、あれだよね?」

「そうっちゅ。試合のカードは、あのオバハンとこの世界全て、ってところっちゅか」

「な、なんだかものすごいスケールになってるけど……」

「実際、デカいスケールになってるっちゅよ」

 

 ネプテューヌに答えながら、ワレチューがコードを両手でぴん、と引き延ばす。

 

「あいつはこの世界に存在する全ての事物の時間軸を、特定の時間軸まで()()()()()()てわけっちゅ。さっきの綱引きの例えで言えば、オバハンが優勢ってわけっちゅね」

「じゃあ、私達が反対側から綱を引けば、時間軸も戻っていくってこと?」

「それができれば、の話っちゅけどね」

 

 まあ、そうだよな。

 世界を相手に綱引きをする奴に、勝てる気がしないし。

 そもそも俺たちは、その綱を引く方法すらも知らないもん。

 

「じゃあどーすんだよ。このままじゃ、全部アイツに綱を引かれて終わりじゃねーか」

「別に、わざわざ綱を引きに行く必要はないっちゅよ?」

 

 ……ああ、そうか。

 

「綱に切れ込みを入れれば、反動で元へ戻っていく」

「そういうこと、っちゅ」

 

 片方の手を離すと、コードはもう片方の手へ。

 

「なるほどな。馬鹿正直に勝負を挑む必要はないってことか」

「じゃあ、問題はその切れ込みをどうやって入れるか、だよね?」

 

 となると、課題はその綱をどうやって視認できるようにするか、ってところ?

 

「そうなるっちゅね」

「でも、どうしようもなくねーか? だってよ、ここにいる奴ら全員、誰も巻き戻ってねーんだぜ? さっきの綱引きの話で言えば、誰も()()()()()()()()、ってわけだろ?」

「私のシェアはどう? 手がかりになる?」

「難しいっちゅね。ネプテューヌの記憶が戻ってないってことは、おそらく本人には縄が繋がってないっちゅ。まったく、何をどう引っ張ったのか分からないのが厄介っちゅね」

 

 じゃあ、どうすれば……。

 

「あ、そうだ! あの二人は?」

「……ああ、そう言えば」

 

 なんて、大ネプとワレチューが、納得したように顔を見合わせる。

 

「二人?」

「ちょうど行ったっちゅよ。あいつに思いっきり引っ張られてる奴が、二人」

 

 そんな都合のいい人が。

 

「今、買い出しに行ってくれてて……どこまで行ってるんだっけ?」

「近くの自販機だからそこまで遠くないっちゅ。そろそろ帰ってくるんじゃないっちゅか?」

 

 なんて会話をしてると丁度、俺の背後にあったドアが開かれる。

 振り返った俺の視線のその先、夜闇の中に立っていたのは。

 

「ただいまぁ~」

「ただいまー、って……あ」

「ああ~! めがみさまだ~!」

 

 ……え?

 

「プルルート、それに……ピーシェ?」

「またあえたね~、めがみさま~」

「えと……飲み物、いる?」

 

 あ、いいの? じゃあそのコーヒー貰っても?

 ……いや、そうじゃなくて!

 

「なんで二人がこんなところにいるんだよ!」

「私たちが呼んだんだよ」

 

 その声に、二人の方へと振り向いた。

 

「どうして」

「人手は多い方がいいっちゅからね」

「それに二人も納得してくれたよ? だよねー?」

「うん~! めがみさまの、おてつだい~!」

「だからって、こんな場所へ来ることないだろ!」

 

 そうやって、思わず声を張り上げてしまって、急いで口を塞ぐ。

 でも、遅かった。静寂が冷たく、肩にのしかかってくるようだった。

 

「く、黒い私? そんな、そこまで怒らなくても……」

「でも、守り切れないかもしれない。もしまた、二人が……ああ、もう!」

 

 なんで! どうしてこうなるんだよ!

 もう二度と、こんなことには関わらせないようにしたのに!

 

「もしかして~……じゃまだった~……?」

「そうじゃない!」

 

 ……そうじゃない、けどさ。

 

「気持ちは嬉しいよ。ほんとに。ありがとう」

「だったら」

「でも、二人を危険に晒したくない。それだけ」

 

 繕いも何もない、本心からの言葉だった。

 だってただでさえ、この世界では女神にならなくて済んだんだ。

 もう戦わなくていい。使命もない。傷つく必要なんてどこにもないんだから。

 それなのに。

 

「……私、聞いたよ。大きい方の女神から」

「何を」

「ぜんぶ。私たち二人が女神だったこと、あなたが本当の女神でないこと……私を命がけで助けてくれたこと。それに、私たちが家族だったことも」

 

 ………………。

 

「だ、だってそうでもしないと納得してくれなさそうだったし!」

「お前、そういうとこあるよなー」

 

 ……だとしても、だ。

 

「その話、信じてるの?」

「うん」

 

 自分用なんだろう、オレンジジュースの缶を開けながら、ピーシェが答えた。

 

「正直、実感はない。話を聞かされてるだけだし」

「そりゃそうだよ」

「でもね、あなたのことは信じられる」

 

 どうして。

 

「私たちのこと、知ってたから」

 

 ……あ。

 

「助けてくれた。私達のことを家族だって、言ってくれた」

「それは……」

「初めてだよ。そう言ってくれたの。女神なんだな、って。そう思った」

「……違う。女神じゃない。聞いた通り、俺は……」

「でも、私たちにとっての女神は、きっとあなたなんだよ」

 

 そんな、こと。

 

「それにあなた、一つだけウソついてたよね?」

 

 するとピーシェは、俺の手を取ってから、

 

「もう、二人だけの家族じゃないよ」

 

 なんて。

 柔らかな笑みを浮かべて、そう言ってくれた。

 

「そうだよ~! かぞくなんだから、たすけあわないと~!」

「……うん、そう。それが、私たちが今ここにいる理由」

 

 どうかな、なんて曖昧に笑いながら、首を傾げられても。

 頷く以外にできることなんて、なくて。

 ……ずるいよなあ、そんなの。

 

「話はまとまったっちゅか?」

「うん」

 

 いつの間にか別の部屋から戻ってきたワレチューに、ピーシェがそう答える。

 大ネプが俺の事を心配そうに見つめていたけど、頷いて返した。

 

「作戦はこうっちゅ。あいつの影響を受けてる二人を手がかりにして、縄の収縮点を見つけ次第、そこに切れ込みを入れる。そうすれば他の女神も味方についてくれるっちゅからね」

「そこから先は?」

「正直、五分五分ってところっちゅ。オイラもある程度はサポートするっちゅけど」

 

 言いながら、別の部屋から持ってきた箱を、ワレチューが作業台の上へ乗せる。

 

「縄はオイラがどうにか見えるようにするっちゅ」

「できるの?」

「ある程度の仕組みなら分かるっちゅから。でも、距離制限がつくっちゅけど」

 

 距離制限?

 

「何メートルまでかは見える、ってこと?」

「そうっちゅ。今ここにある資源で考えると……大体、二十メートルってところっちゅかね」

「それだけかよ」

「視認できるだけマシって思ってほしいっちゅよ」

 

 でも、それって。

 

「二人が、その距離までマジェコンヌへ近づかなきゃいけないってこと?」

「そうっちゅね」

 

 ……いや。

 

「無茶だ」

 

 どう考えたって、そうだろ。

 今の二人をマジェコンヌに近づけさせるなんて、無茶にも程がある。

 

「危険すぎる。そんなことさせられない」

「まあ、こいつらが人間のままだったら、オイラもそう言ってたっちゅよ」

 

 ……まさか。

 

「これならどうっちゅか?」

 

 そう言って、彼が箱から取り出したのは。

 

「シェアクリスタル……?」

 

 何色にも染まっていない、透明な輝きを放つ結晶。

 中央には電源マークを模した構造体が、ゆっくりと回転を続けていた。

 

「四つ、あるっちゅ。元々は計画の予備用だったものっちゅけど」

「……これで、どうするの?」

「そんなもん、お前らをもう一回、女神にするに決まってるっちゅ」

 

 シェアクリスタルを一つずつ取り出しながら、ワレチューが続ける。

 

「チューニングはしてないっちゅけど、お前らは一度女神になってるからっちゅね」

「神格さえあれば、女神になれるってことか?」

「シェアはこの中に保存されてるっちゅ。バッテリー、って考えれば分かりやすいっちゅか?」

 

 ……もしかして、変身できる時間も限られるってこと?

 

「十五分。それに戦闘で消費すれば、それだけ減るっちゅよ」

「でも、これがあれば一緒に戦えるんだよね?」

 

 ピーシェの言葉に、ワレチューが無言で頷いた。

 

「やるよ、私にできるなら」

「わたしも~」

 

 正直、一緒に戦ってほしい、て言ったら嘘になるかもしれない。

 もう二人が戦うのなんて、傷つくのなんて、二度と見たくないから。

 ……でも、君たちがそう言ってくれるなら。

 

「お前が渡したほうが、いいんじゃないっちゅか?」

「ありがと」

 

 二人に託す、そういう意味も込めて。

 シェクリスタルをそれぞれ、ピーシェとプルルートの手へ。

 

「頼んだよ」

「うん」

「がんばるよ~!」

 

 そう溢すと、二人は俺の方を見て、強く頷いてくれた。

 同時にそれぞれのクリスタルが淡い輝きを放ち、菖蒲色と金色へ染まっていく。

 ……なるほど、そうなるんだ。

 

「これでもうできるの?」

「あいつみたいに、変身って言えばできるんじゃないっちゅか?」

 

 そして、そのままワレチューはネプテューヌの方へと視線を向けて、

 

「お前もこれ使えば女神になれるっちゅよ」

「そうなの?」

「本来のモノより出力は落ちるし、さっき言ったみたいに時間制限もあるっちゅけど」

「でもないよりはマシだよ。ありがとね」

 

 ありがとね、なんて言ってネプテューヌが受け取ると、クリスタルがまた淡く輝く。

 染まる色は紫。それを見てネプテューヌは、何かを確信するように首を縦に振った。

 

「それで、最後のヤツっちゅけど」

 

 残った透明のクリスタルを手にして、ワレチューが俺へと言葉を投げる。

 

「俺の?」

「いや、お前は全部揃ってるじゃないっちゅか」

 

 それはまあ、そうだけどさ。

 もう一つ取り込めば強化できるとか、そういうの、ないの?

 

「死ぬっちゅよ」

「え?」

「お前のそんな体じゃ、保たないってことっちゅ」

 

 ……どういうこと?

 

「ただでさえ、お前の体は四つの神格で無理矢理バランスを取ってるんっちゅよ? それなのに、これ以上神格を追加したらどうなるかなんて、お前でも分かるっちゅよね」

「……俺の体って、そんなにまずい状況なの?」

「見てるこっちがヒヤヒヤするくらいには」

 

 そうなんだ。でも、まあ、いいや。

 最終的に勝てるなら、なんでもいい。命でもなんでも賭けてやる。

 それに、どうせ最後は。

 ……いや。今、そんな話はいいか。

 

「一応、お前に渡しておくっちゅ。何があるか分かんないっちゅからね」

 

 手渡されたそれが光らず、透き通ったまま。

 月の明かりに翳してみても、淡い光がそこから照らすだけだった。

 ……揃ってるから、か。

 

「他の誰かを女神にもできるってこと?」

「オススメはしないっちゅけど」

 

 でも、できるってことか。

 ……誰かがネプテューヌと同じ状況になったら使う、ってのが一番現実的なのかな。

 あるいは、どうしようもなくなった時に、俺が。

 

「ま、賢く使うことっちゅね」

 

 肩をすくめたワレチューが、作業台から降りる。

 

「オイラは綱の解析に取り掛かるっちゅ。お前らも準備、しとけっちゅよ」

「手伝うことは?」

「ないっちゅ」

 

 短く返してから、ワレチューは奥の部屋へと消えていった。

 

「二人は明日に備えて少しでも寝ておきなよ。特に、プルルートちゃんはね」

「でも、みんなは……」

「心配すんなよ。お前らよりずっと、こういう状況には慣れてるからな」

「ありがと~、ハエさん~」

「お前、その呼び方ほんとにやめろよな!」

 

 なんてクロワールの叫びが聞こえたかは分からないけど、二人も別の部屋へ。

 

「大きい私はどうするの?」

「見張りでもしとくよ。クロちゃんと一番連絡取りやすいの、私だしね」

「お前らも休んでな。特に黒い方、お前はついさっきまで戦ってたんだし」

 

 ……確かに、疲れてないと言えば嘘になるけど。

 でも、眠れるほど呑気になれない、っていうのもある。

 

「ま、準備だけはしとけよな」

「じゃ、私たちは向こうにいるから。何かあったら呼んでね」

 

 そう言って、クロワールと大ネプもまた、別の部屋へと消えていった。

 

「……二人に、なっちゃったね」

「うん」

 

 するとネプテューヌは、ひょこ、と俺の顔を覗き込んで。

 

「少し、話さない?」

 

 

「いつぶりだろうね、こうやって話すの」

 

 外に出てからすぐ、近くにある自販機のそばで。

 会話は、缶コーヒーを傾けるネプテューヌの、そんな呟きから始まった。

 

「……そこまで久しぶりでもない、気がするけど」

「そうじゃなくて、こうやって二人で話すのが」

「ネプギアとかイストワールとかもいない所で?」

「うん」

 

 それは……確かに、久しぶりかもしれないけど。

 

「懐かしいよ。君が初めてここに着たの、つい二年前なのに」

「色々あったから」

「本当にね。色んなことが起こりすぎて……正直、私もこの先どうなるのかわかんない」

 

 不安、って言ったらそうなんだろう。彼女もきっと、それは分かってるはず。

 それでもネプテューヌは、少し遠慮がちな、明るい笑みを浮かべていた。

 

「でも、楽しかったよ、私」

「……楽しかった?」

「うん」

 

 大変だった、じゃなくて?

 

「かもしれない。でも、君と過ごす時間はそれ以上に、かけがえのないものだったから」

「そんなこと……」

「あるよ」

 

 そうして彼女は、俺の瞳をじっと覗き込んで。

 

「私は、この時間がもっとずっと、これからも永遠に続いて欲しい、って思う」

 

 ………………。

 

「囚われてる」

「かもね。でも、私はずっとそうだよ」

 

 愚かだと言えば、そうなのかもしれない。

 でも、ネプテューヌらしいと言えば、確かにそうだった。

 

「みんなが手を繋いで、幸せに暮らせるような、そんな世界を作りたいって。戦い合うことも失うこともない、平凡な日常が続く世界を夢に見てた」

「もしかして、それがプラネテューヌ?」

「うん」

 

 やっぱり、そうだ。

 ネプテューヌは夢を見ない。でも、それは決して悲しいことじゃない。

 だって彼女の夢は、ここにある現在(いま)なんだから。

 

「誰もが仲良く暮らせる世界。ありきたりな平穏が続く、退屈だけど安らかな国」

 

 そしてネプテューヌは、優しい笑みを浮かべて、

 

「どうか君にも、この国にずっといてほしいな」

 

 …………。

 

「できないよ」

「……どうして?」

 

 そんなの、ネプテューヌが一番わかってるんじゃないの?

 

「プラネテューヌにネプテューヌは二人もいらない」

 

 これまでだって、そうだったじゃん。

 リーンボックスもルウィーも、ラステイションも。

 女神は、一人しか存在できない。女神の偽物なんて、存在しちゃいけないんだ。

 

「今までがおかしかったんだよ。俺は本来、消えるべき存在だった」

「そんな……」

「いつまでも、偽物が彷徨い続けるわけにもいかないでしょ?」

 

 たとえ女神になっても、皆から信じられても、空を飛ぶことができても。

 結局、俺は君の偽物でしかいられないんだ。

 だから。

 

「……いやだ」

「ネプテューヌ」

「いやだよ!」

 

 叫び声が、青みのかかる夜空へと木霊した。

 

「ここまでずっと、一緒に戦ってきたじゃん……なのに、どうして……」

「……ごめんね」

 

 うずくまるネプテューヌの肩へ、手を添える。

 それくらいしか、今の俺はできなかった。

 ……ほかでもない、ネプテューヌの頼みなのに。それを受け入れられないなんて。

 でも、こればっかりは仕方ないよなあ。

 

「この戦いが終われば、俺の役割も終わる」

「……うん」

「だから、その時まで一緒に俺と戦ってくれる?」

 

 何が正しいのかを見据えるために。自分を取り戻すために。

 それが、鏡である俺の、偽物であるネプテューヌとして与えられた、役割だから。

 

「……もしも」

「うん?」

「もしも君が、私の偽物でもない、別の存在になってくれたら」

 

 そんなこと、起こりうるはずがないと思うけど。

 

「私と、これからもずっと一緒にいてくれる?」

 

 そんな未来は、永遠に来ないんだよ。

 トゥルーエンドはおろか、バッドエンドとしても、あり得ない。

 ……でも、そうだね。

 もしも万に一つ、運命を超えた先に、その未来(トゥルーエンド)があったとしたなら。

 その時は。

 

「よろしくね」

「うん!」

 

 答えると、ネプテューヌはとても嬉しそうに、明るい笑みを浮かべてくれて。

 きっと俺の見るネプテューヌの笑顔は、これが最後なんだろうな、なんて。

 そんなことを思っていた。

 

 

 朝焼けの光が、夜空の向こうからやってくる。

 空間がどす黒く歪んでいた。マジェコンヌを封じた、あの位置だ。

 その正面に立ちながら、頭の中で考えを整理する。

 まずはピーシェとプルルートに先行させて、綱の位置を特定。

 そこからは俺とネプテューヌ達で、その綱へ切れ込みを入れる。

 やることは単純。余計なことは考えなくていい。

 ……よし。

 

「来るぞ、奴さん」

 

 クロワールの声に合わせて、左腕に盾を構える。

 同時に翼を広げ、周囲へ武器を展開。

 そして右腕にはネプテューヌのものと同じ、黒い剣を。

 

「みんな、準備は?」

「ばっちり~!」

「行けるよ!」

 

 大ネプの言葉に、ピーシェとプルルートが強く応えた。

 

「ネプテューヌ」

「……うん!」

 

 互いの瞳を見据えて、しっかりと頷きを。

 もう、迷いはない。

 

「行くよ!」

 

 太陽の光と共に、ガラスの割れるような、そんな甲高い音が鳴り響いた。

 旋風が巻き起こる。吹き飛ばされないように足へ力を入れながら、前を見据える。

 そこには、やぶれた空間の中に佇む、マジェコンヌの姿があった。

 

「貴様ら、この私をどこまでもコケにしおって……!」

 

 ……開口一番が、それか。

 

「許さん……許さんぞおおぉぉぉおおお!」

 

 それはこっちも同じだよ。

 ネプテューヌの描いた夢を、こんなぐちゃぐちゃにするなんて。

 絶対に――許さない!

 

『変身!』

 

 声が重なって、光が迸る。視界が一瞬で純白に染まり、そして世界へ色が戻ってゆく。

 二つのエネルギーが全身に行き渡り、力が体の奥から湧き上がってくる。

 地面を軽く蹴って、浮遊。そのまま地面から太刀を抜き取って、構え。

 ……さあ。

 

「行くよ!」

 

 叫ぶと同時、空中を蹴ってマジェコンヌへ接近。

 両腕を勢いよく、覆いかぶさるように振り下ろすけど、すぐさま杖で防御される。

 でも構わない。そのまま、翼にエネルギーを回して、推進力へ。

 

「うおおぉぉおおおお!」

 

 時間を稼ぐ必要がある。

 マジェコンヌと正面切って戦えるのは、今のところ俺しかいない。

 他の三人は変身したけど、その時間は限られてる。まともに戦ってもシェアを消費するだけ。

 だから――。

 

「プルルート! ピーシェ!」

「うん!」

「分かってるわよ!」

 

 叫ぶと、俺の後方から飛んできた二人が、左右からマジェコンヌを挟み込んだ。

 単に近づくだけじゃダメだ。仮に綱が見えたとしても、引っ張られてることしか分からない。

 正確に綱の収縮点を見据えるには、百八十度挟み込んだ上で、その距離を保たないと。

 でも、それを移動し続けるマジェコンヌにやるのは難しい。

 だから、俺がなんとかするしかないんだけど。

 

「っ、見えた!」

 

 マジェコンヌへと繋がる白い棒状の光。なるほど、これが綱か。

 予想よりも早く見えた! これなら!

 

「ネプテューヌっ!」

「ええ!」

 

 俺の進行方向、マジェコンヌの背後に回っていたネプテューヌが剣を構える。

 激突。轟音と共に、衝撃波が周囲へと広がっていく。同時に、得物に手ごたえ。

 これで、少しでもダメージが入ってれば!

 

「小癪なマネを……!」

 

 呟こうとしたマジェコンヌの真上へ移動、そのまま太刀から両手を離す。

 ダメージの確認は二の次。最優先するべきは、マジェコンヌの行動の阻害。

 次に生成したのは、ホワイトハートの戦斧。

 空中で体を一回転させて、それをマジェコンヌの頭上へ振り下ろした。

 

「がッ」

 

 なんて声を上げながら、マジェコンヌが地面へと叩き落とされる。

 すぐさま追撃。それと同時に、光の線を追う。

 ……体の中央じゃない。移動してる? いや、そういう動きでもない。

 だったら、どこに……!

 

「こ、の……私が、貴様ら如きにッ!」

 

 眼光をこちらへ向けると同時に、マジェコンヌが手にした杖を上空へ掲げる。

 それと同時に、二人から伸びた光の筋も、同じように上へ動いていく。

 ……まさか!

 

「杖――」

 

 叫ぼうとしたその瞬間、腹に衝撃が走り、真上へと吹き飛ばされる。

 すぐに体勢を立て直して二撃目を回避。背後からくる三撃目は剣で受け流す。

 黒い触手だった。あの黒い靄を凝固させたような、そんな感じの。

 それがマジェコンヌを取り囲むように展開して、それぞれ攻撃してくる。

 

「わわ、わわわっ!」

「ピーシェちゃん、後ろ!」

 

 ……まずいな。

 

「どうするの!? これじゃ思うように近づけないわよ!」

 

 間合いに入ろうにも、あの触手に邪魔される。多方向から攻めてもそれぞれ対応される。

 うかつに動いても三人のシェアエネルギーを消費させるだけ。慎重に、確実な選択をしないと。

 ……どうすればいい?

 

「ねえ、女神サマ?」

「……あ、俺?」

「あの杖を折っちゃえば、みんな元通りになるのよねえ?」

 

 それは、多分そうだけど。

 

「じゃあ私、行ってくるから」

 

 は?

 いや、ちょっと! 待って!

 行ってくるって、どういう――

 

「馬鹿め! お前一人で何が出来る!」

 

 マジェコンヌが杖を振るうと、周囲に展開していた触手を一転に集中していく。

 それはあっという間にプルルートを取り囲み、彼女へと向かって――

 

「馬鹿はどっちかしらねえ!」

 

 ざん! と。

 肝が冷え上がるような叫び声と共に、彼女の周りの触手が一瞬で、消えた。 

 ……今、何した?

 

「……斬った」

「え?」

「あの子、今の一振りで全部、斬っちゃった……」

 

 何だそれ!?

 

「何だお前!?」

 

 いや、でも好都合!

 このまま一気に畳みかける!

 

「もっとよぉ! もっと私を楽しませなさいよ!」

 

 突撃してくる無数の触手を、それはもう面白いくらいに、アイリスハートがずばずば切り刻む。

 よく見れば蛇腹剣を長い鞭みたいに展開して、斬撃を周囲へ飛ばしているようだった。

 いや、ほんとにとんでもないな……どうやって制御してるんだ、アレ。

 

「このッ……! クソガキが……!」

 

 一番おかしいのは、この状況で押し勝てそうなところなんだよな。

 でもまだ距離は遠い。アイリスハートの傍に近づいて、ちょうど綱が視認できるくらい。

 それに、この状況も長くは続かない。下手すれば、一分も保たないだろう。

 ……きっと、プルルートもそれを理解してる。だから、ああやって俺に聞いたんだ。

 だったら。

 

「ピーシェ!」

 

 それに、応えないと!

 

「合わせて!」

「うん!」

 

 頷きを確認してから、右手にアイリスハートと同じ蛇腹剣を精製。

 それと盾を接続すると、一つの巨大な錨へと姿を変える。

 

「おらあぁああっ!」

 

 全力で振りかぶり、先端のアンカーを投擲。

 まっすぐと飛翔するそれはマジェコンヌの元へと向かい、彼女の持つ杖を絡め捕った。

 ……いった! いったぞ!

 

「な……っ、だが……!」

 

 体がそのまま持っていかれそうになって、なんとか翼を広げて踏ん張った。

 力がえげつない。一瞬でも気を緩めれば、アイリスハートの間合いから外れる。

 やっぱり俺じゃ、マジェコンヌとの力勝負には敵わない。一度戦ったから、痛いほどに分かる。

 ……でも!

 

「ピーシェ!」

 

 彼女なら!

 

「とりゃああああっ!」

 

 どごん、と。

 遠く離れたここからでも分かる、衝撃。握った剣からも、その重さが伝わってきた。

 よし、これで……

 

「あ」

「え?」

 

 なに? は!? 今の『あ』は何の『あ』!?

 

「そろそろ限界みたいねえ」

「うそ!?」

 

 なんて叫び声で何か起こるはずもなくて、アイリスハートの体が光に包まれる。

 いや、でも十分! 触手の足止めはなくなったけど、こっちも杖は手に入れた!

 

「たのんだよ~!」

「分かった!」

 

 落ちていくプルルートに頷いて、叫ぶ。

 

「ネプテューヌ!」

「ええ!」

 

 背後から沈むように体を回転させて、絡め捕った杖を引き上げる。

 逆さまになった視界には、剣を構えたパープルハートの姿があって。

 

「これで……終わりよ!」

 

 右手を離し、彼女のものと同じ太刀を精製。

 そのままネプテューヌと視線を交わして――

 

「いっけえぇえええ!」

 

 ――感触は、存外に軽いものだった。

 中心から両断された杖は、まるで灰になったみたいになって、ぼろぼろと崩れ落ちる。

 始めは何ともなかった。杖が折れた、という事実だけがそこにあった。

 俺も、ネプテューヌも、マジェコンヌでさえも、その光景をぼうっと眺めていたと思う。

 そして。

 

「うおッ!?」

 

 ぐるん、と。

 体の中が、思いっきり振り回されるような感覚。同時に、世界の全てが廻り始める。

 眩暈を何百倍にも強烈にさせたような、そんな衝撃が急激に襲ってきた。

 ――綱に切れ込みを入れれば、反動で全て元に戻っていく。

 これが、そうなんだ。世界が全て、正しい形へと書き換えられていく。

 いや、でも……さすがに、これはちょっと――。

 

「あ」

 

 ふらついた体が、誰かに支えられる。

 おぼろげな意識のまま、顔を上げたそこには。

 

「ねぷちゃん、大丈夫?」

 

 俺の瞳を覗き込む、アイリスハートだった。

 

「……戻っ、た?」

「ええ。全部、思い出したわ」

 

 じゃあ、ピーシェも――

 

「ねぷてぬー!」

「うおっ」

 

 待て待て待て! もう少し優しく! お願いだから加減して!

 

「ねぷてぬ、ねぷてぬねぷてぬねぷてぬっ!」

「分かった分かった! 俺も思い出してくれて嬉しいから!」

「……よかった。これで、元通りね」

 

 ああ。後は――って、

 

「後ろ!」

「っ」

 

 向かってきた黒い光弾を、展開した盾で防ぐ。

 霧散する闇の先、俺たちのことを血走った目で睨んでいたのは。

 

「貴様ら、どこまでも私の邪魔を……!」

 

 全身に黒いオーラを纏う、マジェコンヌだった。

 

「もう、いい」

「……なに?」

「この国も、何もいらん。この次元を全て、破壊しつくしてやる!」

 

 そんなこと。

 

「させない、絶対に!」

 

 ここで終わらせる!

 お前の計画も! そして、俺の役割(ロール)も! 全て!

 

「おおぉぉぉおおおお!」

 

 急にマジェコンヌが叫んだかと思うと、彼女を包み込むように黒いオーラが広がっていく。

 それは人型を作っているようだった。言うなればそう、巨大化みたいな。

 でもそれ負けフラグだからな! 自分から踏みに行ったぞアイツ! 勝てる!

 なんて心の中で喜んでいるうちにも、その黒いエネルギーは肥大化を続けて行って。

 既におおよそビル一個ぶん。いや、それよりも少し高くなってる?

 というより、まだまだ大きくなって……。

 ………………。

 ……いや。

 いや、いやちょっと!

 

「デカすぎるだろ!」

 

 そんな叫びをかき消すように、巨大な腕がこちらへ振りかぶられる。

 

「散れ! 散れって早く!」

「分かってるわよ!」

 

 ネプテューヌは真上、ピーシェは真左で、プルルートはその真逆。

 後は俺が下へ逃げれば――

 

「……うそ」

 

 眼前に迫る拳に、そんな声が口から漏れた。

 なんなん? なんでそんな俺のことピンポイントで狙うの?

 いや、そういえば心当たりしかない! あいつのヘイト集めてる気しかしてないぞ!

 まずい、まずいまずいまずい! 避け切れないって! 受け止めるしか!

 

「う、ぬぅうっぉぉぉおおおおおお!」

 

 全身がばらばらになりそうで、思わず腹の底からそんな声が漏れた。

 勢いを止めることなんて当然できるわけもなくて、地面へと叩きつけられる。

 さっきはビル一つくらいの大きさだったのに、今では腕がその大きさになってる。

 ……まさか、こんなことになるなんて。

 

「ブラックハート!」

「分かってるっての!」

 

 呼び出したブラックハートが腕の方へ回り込み、手首からそれを両断。

 すぐさま後方へと跳躍、続いて叩きつけられた腕を回避。同時にブラックハートを回収。

 舞い上がる土煙をかき分けながら、上空へ。

 そして。

 

「……なんだよ、アレ」

 

 目の前に立ちはだかるそれを見て、思わずそんな呟きが、漏れた。

 見上げるほどの巨躯に、全身に纏うのはプロセッサユニットに似た何か。

 背後には黒く染まった、六枚の翼。広げたそれは、青空を覆いつくすほどに、大きい。

 その姿は、まるで。

 

「……ダークメガミ?」

 

 俺の言葉に応えるかのように、それは大地を揺るがすほどの勢いで、吠えた。

 視認できるほどの衝撃波が巻き起こる。耳鳴りと同時に、とてつもない風圧。

 咄嗟に展開した盾で受け止め、すぐさま直上へ回避行動。

 直後、さっきまで俺がいた空間が、紫の光線によって焼き尽された。

 

「な……何よこれ! あなた、知ってるの!?」

「知ってるけど知らない!」

「じゃあ知らないって言いなさいよ!」

 

 おそらく形が同じだけ。本質は全く別物なんだ。

 それに、あれはきっと俺を模倣したものだ。

 背中の六枚の翼が、それを教えてくれる。

 ……はは。

 

「結局、お前も偽物じゃないか」

 

 出来損ないはどっちだよ。

 

「来い!」

 

 翼を展開。

 エネルギーを解放すると同時に、神格を召喚。

 

「あら、これはまた……」

「楽しそうですわね。私、こういうのは大好物ですわ」

「分かったからさっさと行け!」

 

 とにかく、探りを入れないことには始まらない。

 なんとかして、戦い方を考えないと。

 盾と同時に太刀を精製、そのまま接続して一本の大剣へ。

 先を行く中ベールと小ベールの後を追いつつ、それを肩へ構える。

 

「ふん」

 

 腕の薙ぎ払い。体が大きい分、予備動作も。

 でも、それ以上に攻撃範囲が大きすぎる。

 構えを解いて、真下へ潜り込む。地面すれすれを飛翔しながら振り払いを回避。

 刈り取られたように崩れるビルの瓦礫が、がらがらと崩れていった。

 そのまま足元へ密着。蹴り飛ばそうとして足を振り上げるけど、もう遅い。

 いったん地面へと着地、直後に上空へ飛翔。胴体を駆け抜けて、頭部へ。

 いける。まずは試しに一撃――

 

「…………あ?」

 

 ぐん、と。

 どうしてか地面に引っ張られている気がして、構えていた姿勢が崩れていく。

 

「ねぷてぬ! 変身! 変身して!」

 

 ……何、言ってんだ?

 変身して、って俺は……さっきまで、変身して……。

 

()()()()っ!」

 

 なんて。

 ピーシェの言葉の意味に気づいた時には。

 既に振りぬかれた足が目の前に迫っていて――

 

「あ」

 

 暗転。

 しばらくして、飛び散った意識が、なんとかぼんやりと戻ってくる。

 気づけば俺は、刈り取られたビルの屋上で空を仰いでいた。

 ……どれくらい気絶してた? 一瞬? それとも五分?

 

「あ、起きた! 起きたよ、みんな!」

 

 焦ったような大ネプの声が、頭にがんがんと響いてくる。

 

「……何時間?」

「一分も経ってねーよ。むしろ、なんで死んでねえんだお前」

 

 なら、よかった。寝てる間に全滅なんて、考え得る限りで最悪のパターンだし。

 

『黒い私! よかった、無事だったのね!』

「なんとか。そっちは?」

『なにも。だってこいつ、面倒だもん』

『つまんないよ! 近づいたら、ねぷてぬみたいに変身、解けちゃうもん!』

 

 ……どういうこと?

 

『シェアエネルギーの供給が阻害されてるの。原因、そっちは分かる?』

「なんとも言えねーな。大方、アナザーエネルギーが関係してそうだけどよ」

「どちらにしろ、様子見しつつ解決法を考えるしかないよ」

『それまで私たちで耐えないといけないってことね……』

 

 パープルハートの声には、既に疲れが見えていた。それもそうだ。

 まさか、こんなことになるなんて思いもしなかったもん。

 

『それにこいつ、少しずつだけど動いてるわよ』

「動いてる? どこに?」

『えーと、ここからだと……教会? かな?』

 

 ……全部ぶっ壊すって、そういうことかよ。

 

「やらせない」

「ちょっと、ダメだよ! まだ傷が完全に回復してるわけじゃ……」

 

 でも、ここで黙って見てる訳にもいかないよ!

 もう少しなんだ。あと少し、あいつさえ倒せば、全部終わるんだから!

 守らないと。何が何でも、何を賭しても、ネプテューヌの夢を。

 

「だから、待ってって!」

「でも!」

「もう少しで、みんなが来るから!」

 

 みんな、って。

 

「おい、今の会話でバレたぞ! お前、盾! 盾早くしろ!」

「え?」

 

 クロワールの慌てるような声に、思わずマジェコンヌの方へと視線を向ける。

 一瞬の光が見えた。そして轟音と共に、熱波が襲ってくる。

 紫色の光線。それも、俺たち三人なんて、簡単に消し炭にできるほどの、大きさの。

 具体的に言うと、民家一軒分くらいかな。すごいデカい。

 ………………。

 

「お前、アレ受け止めろって言ってんのか!?」

「やれよ早く!」

「無茶言うなよ! 避けろ避けろ! 飛び降りるしかねえだろ!」

 

 なんてわちゃわちゃ言ってるうちに、レーザーはほとんど正面までやってきていて。

 ……間に合わない。盾の展開も、回避も、何も。

 

「あ、うわ、ちょっ、ちょっと待っ――」

 

 そして。

 聞こえたのは、俺の体が消し飛ぶ音でも、構えた盾がそれを受け止める音でもなく。

 オーロラを超えて、俺の肩越しに構えられた、M.P.B.Lの音だった。

 

「M.P.B.L、最大出力!」

 

 紫の光が、視界を埋め尽くす。

 

「いっけええええ!」

 

 轟音。放たれたその光は向かい来る黒い光を打ち破り、霧散させていく。

 光が雪の様になって舞い落ちる。その輝きを背負いながら、くるりと俺の方へ振り向いたのは。

 

「なんとか間に合いましたね!」

「ネプギア!」

 

 呼ぶと、彼女は遠慮がちな、でも心強い笑みを浮かべてくれた。

 

「……思い出しましたよ、ぜんぶ」

「そっか」

「その……ごめんなさい。知らなかったとはいえ、私、黒いお姉ちゃんにあんなこと……」

 

 いい。いいんだよ。むしろ、それが正しいんだ。

 ネプギアは何も悪くない。悪いのは全部、マジェコンヌなんだから。

 謝るくらいなら、一緒にあいつをブッ飛ばしてくれた方が、俺は嬉しいよ。

 

「……はい! 分かりました!」

 

 さて。

 

「他の皆は?」

「当然! ほら!」

 

 そうして彼女が示した先には、マジェコンヌを取り囲むように生み出されたオーロラがあって。

 

『おい、なんだよコイツ! こんなデカブツ見たことねーぞ!?』

『そもそも近接するのも難しいですし……これじゃあ埒が明きませんわ』

『ユニ、そっちはどう?』

『ダメよ、全然効いてないわ! こいつ、何したらダメージ通るのよ……!』

『魔法もぜんぜん効いてないし! なんなのよー、もう!』

『……っ、ラムちゃん! あぶない!』

 

 ロムが手を引いた瞬間、ラムの頬を光線が掠る。

 みんな、来てくれたんだ。全部、元に戻った。

 ……でも。

 

『依然として、状況が良くなったってわけじゃないみたいね』

『でもぉ、足取りは少し遅くなった気がするわよ?』

 

 確かに、完全に止まってる。さすがにあの人数を無視はできないか。

 

『ねぷてぬ、何かないの!?』

 

 何か、ってそんなこと言われても。

 あんな奴と戦う方法なんて、あるわけないよ。

 近づいたらシェアエネルギーが阻害される。ダメージもまともに通らない。

 そもそも俺は、あんな奴と戦ったことなんて――。

 

「あ」

 

 ……ある。

 

「あんのかよ!?」

 

 いや、違う。

 正しくはその、この世界での話じゃなくて。

 

「何でもいいよ! それで、勝てるの!?」

 

 勝てるっちゃそりゃ、勝てるだろうけど。

 でも、その方法がない。そもそも、この次元には()()がいないんだ。

 だから、どうしたって無理なんだよ。試しようがないんだ。

 それこそ、別の次元から喚べるってなら話は別だけど……

 

『できますわよ』

 

 心の中から、そんな声が返ってきた。

 

「……どういうこと?」

『だって、ここにはあなたがいますもの』

『覚えてないの? あなたを呼んだのは誰か』

『そしてここにはその神格が揃ってる。後はもう、おわかりですわよね?』

 

 ……ああ、そうか。それなら話は早い。

 

「行ってくる」

「い、行ってくるって……どこへ?」

 

 どこ、って。

 

「空へ」

 

 ここで呼んでも、また狙われるかもしれないし。できるだけ安全な場所でやりたいから。

 ネプテューヌたちも足止めしてくれてるみたいだし、やるなら今しかない。

 それに何より。

 喚ぶならやっぱり、空からじゃないと。

 

「おい、それってどういう意味――」

 

 クロワールの声を置き去りにして、翼を展開。地面を強く蹴って、空へと舞い上がる。

 もっと、もっとだ。マジェコンヌにも感知されないよう、高く。

 いつの間にか雲を突き抜けて、見渡す限りの青空の世界へ。

 そこにはただ一つ、オレンジ色をした太陽が輝いていて。

 

「……お願い」

 

 透明なシェアクリスタルを両手で握って、力をそこへ集中させる。

 かちゃ、と何かの鍵が開く音。体の奥底から、不思議なエネルギーが湧いてくる。

 そして――。

 

「来てっ!」

 

 オレンジ色の光と共に、彼女が姿を表した。

 

「うぉああああああ!? なんだなんだ!? 何がどうなってんだ!?」

 

 あー、えっと、なんだ。

 まずは、その……いきなりでごめんね?

 

「誰だお前!? つーか、マジでどうなってんだこれ!? おい!」

 

 俺が喚んだんだ。力を貸してほしくて。

 君しかいない。君にしか、頼めないことだったから。

 

「よく分かんねえけど、俺が必要ってことか!?」

 

 首肯する。すると彼女は、白い歯を見せながら、快く笑ってくれて。

 

「いいぜ! いくらでも力になってやる!」

 

 ……ごめんね。

 君にはもう、二度と戦ってほしくなかった。平穏に生きてほしかった。

 それなのに俺は、また君に戦ってほしい、って思ってる。

 

「気にすんなよ、そんなこと!」

 

 え?

 

「助けを求める声が聞こえたら、俺は必ずそこへ駆けつける! それが俺のやり方だ!」

 

 ……そうか。

 やっぱり君も、女神なんだ。

 

「なんだそれ……って、見えてきた! アレか!」

 

 そう。君も見覚えはあるはず。もしかすると、もう勝ってるかもしれないけど。

 

「なるほど、確かに俺じゃないと厳しいかもな! アレを相手にするのは!」

 

 ……頼んだよ! プラネテューヌを守るために!

 

「おうよ! でも一ついいか?」

「……なに?」

「どうしてこんなところで呼んだんだよお前!」

 

 えー。

 

「ダメだった?」

「ダメじゃねえけどよ! もっと他にあったろ!」

「君を呼ぶなら、(こ こ)が一番いいかと思って」

「どうしてそんな結論になるんだよ!」

 

 どうして、って、そりゃ。

 

「君が、プラネテューヌの女神だからだよ」

「なんだそれ! 意味分かんねえっての!」

 

 だって君は、かつてのプラネテューヌの女神。

 想いをカタチにする、とある世界の救世主。

 

「うおりゃあぁああああっ!」

「ちょっ……今度は何!? 新手!?」

「勘弁してよ! これ以上なんて相手してられないわよ!」

「苦しいですが、ここは二手に分かれて……」

「あー! あのひと、なんか手に持ってる! あれって……」

「……シェアクリスタル?」

 

 それに、なんてったって。

 プラネテューヌの女神は――

 

「天王星うずめ! ここに参上っ!」

 

 ――いつでも、空からやってくる!

 

 




ファンアートをまた渋海さんからいただきました(@shibuminigai)
ありがとうございました 感謝ます

【挿絵表示】


また水没さんが黒ネプ書いてくれました(@96_under)
ありがとうございました 感謝しモス

【挿絵表示】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26 ふたりのネプテューヌ

 

「天王星……うずめ?」

 

 空から降り立ったその少女に、ネプテューヌがぽつりと呟いた。

 天王星うずめ。又の名を、女神オレンジハート。

 ……英語名もそのまんまだから、あだ名とかないよなあ。

 というより、彼女だけ普通に苗字と名前だし。

 あ、でも教祖のみんなもそうか。イストワールは違うけど。

 ……昔はそれが普通で、教祖とかはそうした風習を継いでるとか?

 本編でもあんま言及なかったから、細かい所はよく分からない。

 なんてことを考えていると、きょろきょろとあたりを見回していたうずめが、ふと。

 

「こいつら、誰だ?」

 

 ……あれ。

 

「知らないの?」

「おう、全員新顔だな。どういうメンツだ?」

 

 ……彼女たちは、今代の守護女神。

 君がこの大陸から去った後に興った、人々を守る存在だよ。

 

「あー……えっと、つまり?」

 

 つまり、君の後輩ってこと。

 

「おお、なるほど! じゃあ先輩としていいトコ見せねえとな!」

 

 ぱしん、と手を叩いてうずめがにかりと白い歯を見せる。

 ……というより、このうずめは()()()()()うずめなんだ?

 ダークメガミには見覚えがあるみたいだから、本編終了時だとは思うけど。

 でも、だったらネプテューヌ達のことは知ってるはずだし。

 うーん。

 

「おい、何ボーっとしてんだお前!」

「うお」

 

 腕を引く強い力と、うずめのそんな掛け声で思考から戻される。

 次の瞬間、俺の目の前を巨大な拳が通り過ぎて行った。

 

「危ねえな! もう少しで潰されるとこだったぞ!」

「ごめんごめん、ちょっと考え事を」

「しっかりしてくれよ……」

 

 そうやって呆れられつつも、手頃なビルの屋上へ下ろされる。

 五階か六階建てのビルだった。それでも、ダークメガミの膝にすら及ばない。

 明らかに本編よりも大きいよなあ、アイツ。

 

「なーに、心配すんな。俺ならやれる」

 

 本当に?

 

「ああ。何より、俺ならできるって信じてくれたから、お前は俺を呼んでくれたんだろ?」

 

 ……ああ、そうだ。そうだったよ。

 君なら力になってくれる。だから、呼んだんだ。

 俺が気弱になってどうする。しっかりしろよ。

 頬をぱんぱんと叩くと、遠くからブラックハートの声が聞こえてきて。

 

「ちょっと黒いの! その変なの、結局味方なの!?」

「おーう、バッチリ味方だぜ後輩たちよ! 俺が来たからには安心しろよな!」

「……いきなり現れて先輩ヅラしてますけど、本当にどなたですの?」

「知るか! とにかく、先輩だったら何とかしてくれよ!」

 

 とのことですが。

 

「任せとけ! ちゃんとついて来いよ、お前ら!」

 

 気持ちの良いほどの答えと同時、うずめがビルから飛び降りる。

 

「変身っ!」

 

 高らかな叫びと共に、自由落下する彼女の体が、オレンジの光に包まれた。

 太陽が地上に現れたかのような、強い輝きだった。やがて光は彼女の体に纏わるように収束していき、プロセッサユニットへと姿を変える。それは夕焼けの景色を閉じ込めたかのような、茜の装甲。そして、背負う翼は夜明けのように煌めく、東雲に染まっている。

 沈む夕陽と昇る朝陽、その二つを体に宿した太古の女神。

 それが――

 

「オレンジハート、ここに参上っ!」

 

 ぱちんとウインクを決めてから、顔の横にピースサイン。

 ただ、その決めポーズを遮るように、ダークメガミの拳が飛んでくる。

 

「ふふん、力比べだね? 負けないよー!」

 

 ぶんぶんと腕を振って、大きく勢いをつけてから、オレンジハートが拳を放つ。

 轟音。空気が震え、遠く離れたここまで衝撃波が飛んでくる。

 小細工無しの正面衝突。身の丈の何倍もある拳と、彼女の小さな拳の鬩ぎ合い。

 でも、こういうやり方の方がやっぱり、うずめらしい。

 

「でりゃあああぁぁあああっ!」

 

 拳を振り切り、オレンジハートが叫ぶ。

 その瞬間、ダークメガミの巨躯が後方へと()()()()()

 大地が削れ、ビル群をいくつかなぎ倒して、ようやく止まる。半身は崩れ落ちたビルの中に埋められていて、すぐに動き出すような様子もなかった。

 その顛末を見届けたオレンジハートが、ふふん、と胸を張って、

 

「これでどう?」

 

 自慢げなその呟きに、返ってくる言葉はなかった。

 

「あれれ? みんな、どうしちゃったの?」

「……あなた、何者なの?」

「だーかーら、言ってるでしょ? 私はオレンジハート! プラネテューヌの女神だよ!」

「はぁ? また増えたわけ?」

 

 じろり、とブラックハートが俺の事を睨んでくる。

 だ、だってしょうがないじゃん……状況が状況なんだし……。

 

「どうすんだよ、これ。今はいいけど、後々になって収拾つかねーだろ」

「いっそのこと、一人くらいこちらに回してくれても構いませんのよ? ネプギアちゃんでもプルルートちゃんでも、黒ネプちゃんでも私はぜんぜん構いませんけど……」

「……後でいいでしょ、そういう話は」

 

 若干の苛つきを含めた口調で、パープルハートが会話を終わらせる。

 そうだぞ。今ラスボス戦なんだし。さすがに真面目にやらないと。

 ……ちょっと待って? 俺がリーンボックスに行くこと、否定されてなくない?

 俺、嫌だよ? だって向こう行っても着せ替え人形になる未来しかないし。

 ネプテューヌ? ねえ? おい、聴いてんのか?

 

「あなたが一番切り替えできてないじゃない!」

「だって……」

「だってじゃないでしょ! 今のことだけ考えなさい!」

 

 ……まあ、そっか。

 俺がこの後どうなるかなんて、考えても意味のないことだ。

 だから今は、マジェコンヌを倒す事だけに集中しなきゃ。

 

「おはなしは終わった?」

 

 あ、すいません。はい、大丈夫です、はい。

 

「ええ。いつでもいけるわ」

「よーし、じゃあさっさと終わらせちゃおっか!」

 

 ふわりと上空へ舞い上がると、オレンジハートが左手の小さな盾を構える。

 シェアエネルギーの収束が感じ取れた。段々と勢いを増していくそれは、やがて目に見えるくらいの濃度になっていって、淡いオレンジ色の輝きを放ち始める。

 ダークメガミが動き出すのは、同時だった。すぐに体勢を立て直したそれは、その巨体からは考えられないようなスピードでこちらへと向かってくる。

 正直、まだ動きが早くなることに驚いた。でも、オレンジハートを脅威と見なした証拠。つまり、彼女ならダークメガミをなんとかできる。

 再びダークメガミが接近、宙に浮かぶオレンジハートへ拳を、先程よりも早い速度で振り抜く。

 けど、もう遅い。

 

「シェアリングフィールド、展開!」

 

 暗転。内蔵が持ち上げられるような浮遊感と共に、世界が宇宙色に塗り替えられる。

 ――シェアリングフィールド。

 シェアエネルギーを媒介として生成される、固有結界。展開には膨大なエネルギーが必要になるけど、その分オレンジハートをはじめとした女神たちに協力無比な力を与え、且つ相手を弱体化させる、ダークメガミへの切り札。

 本編もこれがないと、ダークメガミは倒せなかったっけ。

 実際、フィールドが展開されてから調子が良い。四肢を巡るエネルギーもより強く感じられるようになったし、体もどこか軽くなった。

 これなら。

 

「うわわわわ!? ちょっと、なにこれぇー!?」

 

 ……え?

 

「ネプテューヌ?」

「あ、黒い方の私! ごめん、助けてくれる!?」

 

 すぐさま落ちていく彼女の方へ向かって、手を掴む。

 宙づりになったまま、互いにふぅ、安堵の息。

 そっか、大ネプも巻き込まれてたのか。危ない危ない。

 近くの浮いている足場まで飛んで、そこに彼女を降ろす。

 

「どうなってるの、これ……」

「……あの女神が作った異空間。これなら有利に戦える」

「そりゃまた、とんでもねーヤツ連れてきたな、お前」

 

 あ、クロワール視点でもけっこう評価高いんだ、うずめ。

 でもよく考えたらそうか。こういうことができる人、他にいないもんね。

 やっぱりうずめって結構特殊なんだ。現実改変能力とかあるしなあ。

 歴代の女神の中でもかなり格上だよね、彼女。

 下手したらプルルートより上なのかも。

 

「誰が私より上ですって?」

「うお」

 

 急に出てくるなよ! びっくりするだろ!

 

「でも、そうねえ……あの子、私よりも強そうだから。いろいろと楽しめそうだわあ……」

「ぴいも! あの子とあそんでみたい!」

「戦闘狂ども……」

 

 なんでネプテューヌも他の女神も、変身すると好戦的になるんだろ。

 ……まあでも、ちょっとうずめと手合わせしたい気持ちもある。どれくらいの強さなのかなー、とか。どの程度俺の力が通用するのかな、とか。気になるし。

 いやでも、その程度だから。みんなとは違うから。

 ……ふう。

 

「そういえば、二人はどうしてここに?」

「あの子から頼まれたのよ。ねぷちゃんを見つけてきて、って」

「俺を?」

 

 どういうことだろう。何かやらかしたかな、俺。

 

「あ、おーい! ねぷてぬ見つけてきたよー!」

 

 ぶんぶんと手を振るイエローハートの視線の先には、こちらへ向かってくるオレンジハートと、パープルハートの姿。二人ともふわりと俺の前に舞い降りると、オレンジハートから先に口を開いた。

 

「時間もないから、簡単にいくよ? まず、アレはこの子と君の二人じゃないと絶対に倒せない」

「どうして分かるの?」

「それは先輩のカン! ……ってわけじゃないんだけど、いま戦ってる子たちもその二人も含めて、他のみんなにはダークメガミを倒せる力がないんだ。感覚というか、そのためのエネルギー? がないっていうか、そんな感じ」

 

 ……なんだそりゃ。知らなかったぞ、そんなの。

 

「覚えてない? 私たちも今までそうだったじゃない」

「でも、今まではみんなが――」

 

 言いかけたところで、ようやくその真意に気づく。

 グリーンハートを倒したのは、同じグリーンハート。

 ホワイトハートを倒したのは、同じホワイトハート。

 ブラックハートを倒したのは、同じブラックハート。

 ……ああ、そうか。そうだったよ。

 やっぱり、夢は自分の手で夢として終わらせなくちゃいけない。

 だったら、俺の偽物(ダークメガミ)を倒すには。

 (ネプテューヌ)と、ネプテューヌ、ふたりのネプテューヌの力が必要なんだ。

 

「分かってくれた? 私の言ってる意味」

 

 オレンジハートは最初から、それを見据えてたのかな。

 分からない。でも、きっとそうなんだと思う。

 

「みんなには、足止めをしてもらってるの」

「でも、時間はそこまでないからね。違う次元のせいなのか、シェアリングフィールドもだんだん()()()()()()し。無くなる前に、さっさと終わらせちゃおう」

 

 パープルハートの背後では、ダークメガミを中心とした戦いが繰り広げられている最中だった。膠着と言うほどでもないし、俺たちの介入がなくても勝てそうだけど、決定打には至らない感じ。

 きっと、その欠けたピースが俺たちなんだ。

 

「……これが最後よ」

 

 うん、そうだね。これが本当の最終決戦だ。

 何が何でも終わらせる。プラネテューヌを取り戻すんだ。

 ……ああ、でも。

 これが最後って言うのは、間違いかもね。

 

「……え?」

 

 行こう。

 

「よーっし! みんな、とつげきーっ!」

 

 オレンジハートの掛け声と共に、両足で大地を蹴った。

 彼我との距離はそれほど遠くない。けど、向こうは俺たちの接近には気づいてないみたい。

 流れ弾を躱しつつ、ダークメガミの上空へと回り込む。オレンジハートが指示を出してくれているのか、みんなできるだけ多方向から攻撃してくれていて、奴も思うように動けないみたい。

 ネプテューヌと並ぶ。そして互いに頷き合って、急降下。

 狙う場所は――

 

「胸だよ! きっとそこに、本体もいるはず!」

 

 オレンジハートの声に従って、ネプテューヌと同じ太刀を握る。

 そのままタイミングを合わせて、腕を振りかぶる。

 斬りつける直前でダークメガミが気づかれた。

 眉間にエネルギーが収束していく。たぶん、迎撃行動。

 けど、もう遅い!

 

「おりゃあ!」

「たああっ!」

 

 斬撃が交錯する。手応えも確かにあった。

 けど――

 

「っ、硬い!」

 

 傷はついたけど、それだけ。本体にダメージが通っていない。

 多分、分厚いガラス玉みたいな構造なんだ。本体というよりは、ダークメガミが動くエネルギーがあそこに収納されていて、そのエネルギーが同時に防壁の役割も担ってる、ってところ。

 でも、あそこが重要な部分なのは確実。そこさえ落とせれば、だな。

 初撃でそこまでは把握できた。問題はその構造をどうやって打破するかだ。

 考えろ。次の一手を早く――

 

「あぶねえッ!」

 

 ホワイトハートの声を受けて、直上へ回避行動。

 次の瞬間、ダークメガミの振り抜いた腕が俺の真下を過ぎ去っていった。

 安堵するのも束の間、奴の体から無数のレーザーが飛んでくる。

 すぐさま体を回転。なんとか被弾は避けたけど、運がいいだけ。

 急いで体制を立て直そうとして、視界に影ができていることに気づく。

 見上げたその先には、ダークメガミの背負う翼がこちらへ迫ってきていて。

 

「あ」

 

 やべ、間に合わ――

 

「そお、れっ!」

 

 ばしゅん、と。

 紫の稲妻が、暗闇に迸る。

 開けた視界に映ったのは、宇宙色に輝く空と。

 俺の事を見下ろす、アイリスハートの姿だった。

 

「だいじょうぶ?」

「……ありがと」

 

 なんて、俺の言葉をかき消したのは、ダークメガミの咆哮で。

 それはおそらく、片翼が切り落とされた苦悶によるものだった。

 

「斬っ……たの?」

「だってえ、鬱陶しかったんだもん」

 

 面倒くさそうな呟きに、何も返せなかった。

 一体どこまで滅茶苦茶なんだ。もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな、を地で行くなよ。

 

「また来るわよ、ねぷちゃん!」

 

 アイリスハートと同時に後方へ飛翔、迫る拳をすんでのところで躱す。

 ずお、と空気が震える音。びりびりとした衝撃が肌に伝わってくる。

 ……こいつ、まだ早くなってる? 

 

「どんだけ暴れるつもりだよ、こいつ! これじゃ埒が明かねえぞ!」

「大丈夫です! お姉ちゃんたちが、なんとかしてくれるはず……」

「それなら早くしてくださいませんこと!? こっちの体力ももちませんわよ!」

 

 まずい、結構限界近いんだ、みんな。

 早く打開策を考えないと。ええと、どこまで分かったんだっけ!?

 ……ダークメガミの原動力は、マジェコンヌのものと同じ。

 だったら、アナザーエネルギーを動力にしてるはず。

 さっき攻撃が弾かれたのも、高濃度のアナザーエネルギーが本体を守っている可能性が高い。

 それじゃあ、アナザーエネルギーはどうやれば消滅させられる?

 ……考えてみれば、アナザーエネルギーを消滅させたこと、なくないか?

 ベールの時も、ブランとノワールの時も、俺がぜんぶ吸収した。

 その理屈で言うなら、さっきの一撃でアナザーエネルギーは吸収できたはず。

 でも、できなかった。つまり、今までと何かが違った。

 考えろ。何が足りない? どうすれば――

 

「あ」

 

 ――ネプテューヌ! 

 

「何!? 何か分かったの!?」

「いいから、こっち来て! 早く!」

 

 こっちからも向かおうとするけど、ダークメガミが行く手を遮った。

 

「このっ……!」

 

 皆の攻撃を防ぐより、阻害を優先してきた。

 多分こいつも勘づいてるんだろうな。俺だけを確実に止めようとしてる。

 攻撃は回避できてる。でも、頻度が尋常じゃない。避けるので精一杯。

 さっきまでは皆に分散してたヘイトが、一気にこっちに向いてるんだ。

 どうするか、と思考した瞬間、ダークメガミの全身に光が収束するのが見えた。

 

「うお」

 

 放たれたのは、無数の光弾だった。

 無差別の範囲攻撃。幸い、弾速があるお陰で避けれはするけど。

 このままじゃ、いつまで経ってもネプテューヌと合流できないぞ。

 行く手をどんどん遮られる。逃げ道を、逃げ道を探して――

 

「あ」

 

 駄目だ。封じ込められた。一瞬、完全に俺の動きが止まった。

 それでよかったんだ。向こうからすれば、一瞬でも十分隙になる。

 回避は手遅れ。奴の拳がすぐ目の前まで迫っている。

 体が強張る。盾の展開も間に合わない。

 まずい、このままじゃ――

 

「やらせない!」

「ねぷてぬ!」

 

 激突の瞬間、イエローハートとオレンジハートが俺の前に割り込んだ。

 

「いくよ、合わせて!」

「うん、センパイ!」

 

 そして、二人がそれぞれの拳を大きく振りかぶる。

 

「たりゃあぁぁあっ!」

「はああぁああああ!」

 

 ずどん、と。

 雷鳴にも似た轟音と共に、ダークメガミが遥か彼方へと吹き飛ばされた。

 そりゃもう、ずっと遠くまで。ぽかんと呆けられる余裕ができるくらいには。

 ……徒手空拳コンビ、えげつないな。ほんとに。

 

「やった! センパイ、すごいすごい!」

「君もなかなかセンスあるねー! うんうん、いい後輩に恵まれたなあ、私!」

 

 めっちゃ増長してるじゃん。そんなに先輩ポジション気に入ったんか。

 

「とにかく、時間ができたから今のうちに!」

 

 ああ、そうだ。ええと。

 とりあえず右腕に盾を生成して、それをそのまま取り外す。

 あれ? このまま接続モードにできるんだっけ?

 なんて思考したらすぐに、盾が中央からがしゃん、と割れて鞘みたいになる。

 ……よし。

 

「ネプテューヌ」

 

 首肯した彼女が、俺の盾に太刀を繋げる。

 ……足りないのは俺の盾だ。

 この接続システム、何気なく使ってたけど、アナザーエネルギーへの特攻なんだ。

 他の三人の時も、盾を介した攻撃が決め手になってる。

 微量だったり、そもそも本体じゃない奴は、俺一人で吸収できた。

 けど、今みたいに本体を倒す時にはやっぱり、盾が必要になってくる。

 それぞれの武器と繋がって、別の武器になるのもそういう意味なんだと思う。

 だから。

 

「今度こそ、一緒に」

「ええ」

 

 (ネプテューヌ)の盾と、ネプテューヌの剣。

 この二つが一つになれば、あるいは。

 

「おおおぉぉぉぉぉおおおおおおお!」

 

 震えあがるような咆哮。向こうも、これで決めるつもりだ。

 まあ、俺を倒せば終わりだしな。でも、それはこっちも同じ。

 ……ああ、そうだ。終わらせよう。

 お前の夢も、俺の物語も、全て!

 

「行くわよ!」

「うん!」

 

 共に握った刀を構え、飛翔。同時に再び、無数の光弾が雨のように飛来する。

 回避は難しくなかった。というより、タイミングも方向も、全くネプテューヌと一緒だった。

 ……偽物。ネプテューヌを模った、紛い物。

 でも、そうじゃなきゃ俺はここにいない。ネプテューヌの隣にいない。

 この物語を、終わらせられない。

 

「上ッ!」

「分かってる!」

 

 放たれた巨大なレーザーを直上へ回避、そのまま同時に剣を真上へ構える。

 いつもなら黒色で生成される刃が、今だけは眩い紫の輝きを放っていた。

 ……いける! これなら!

 

「うおおぉぉぉおおおお!」

「はあああぁぁああああ!」

 

 (ネプテューヌ)とネプテューヌが放つ、最初で最後の一撃。

 その名も――

 

『ツインクロス・ネプテューヌ!』

 

 ――そして。

 

 

「…………あれ?」

 

 突如として失われた浮遊感に、ピーシェがそんな言葉を漏らす。

 そこは、プラネテューヌの遥か上空だった。

 

「なにこれ……どう、なって……!」

 

 ふと背後を振り返ると、そこには宇宙色をした球体が浮かんでいる。 

 ただ、それはだんだんと収束していっているようにも見えた。いきなり現れたあの先輩女神の話から察するに、どうやらあれ自体があの奇妙な異空間、ということらしい。

 

「……終わったの?」

 

 返答はなく、ただ風を切る音が返ってくるのみ。

 

「っ、ねぷてぬ! ねぷてぬは!?」

 

 記憶があるのは、ふたりのネプテューヌが一撃を入れたところまで。

 そこから先は、眩い光によって視認できず、気が付けば自由落下を始めていた。

 衝撃波で投げ出されたのか、あるいはあの先輩女神によって放り出されたのか。

 真意は謎のままだが、ピーシェはそこで初めて、自分の現状に気が付いた。

 

「だめっ、まずは変身……!」

 

 目を瞑り、いつものようにシェアエネルギーを巡らせる。

 しかし、そこから光が放たれることは、なかった。

 

「……うそ、なんで?」

 

 呟いたのも束の間、ピーシェが再びあの宇宙色の球体へと振り返る。

 

 

「まさか、ぜんぶ使っちゃったってこと!?」

 話によれば、あれは莫大なシェアエネルギーを消費することによって生成された異空間。

 中にいたから分かるが、殆どシェアエネルギーで埋め尽くされているような感覚だった。

 それこそ、一国のシェアエネルギーがまるまる、あの空間に詰め込まれたかのように。

 

「そんな、どうすれば……」

「あ~、あれだよ~! お~い、おねえちゃ~ん!」

「なるほど、お前が黄色いのか! なるほど、確かに黄色いもんな!」

「その声……プルルート、それに……!」

 

 安堵の息を吐くと共に、声のする方へと振り返る。

 そこにはピーシェと同様、絶賛落下中のうずめとプルルートの姿があった。

 

「なんであんたも落ちてんの!?」

「いやー、まさかここまで使うとは思わなくてさ。張り切りすぎたみてえだな」

「張り切りすぎにも限度があるでしょ! どうすんのよこれ!」

「どうしようね~」

「そうだなあ……なんかこう、ギャグ時空っぽくして生き延びるか。ほら、あの髪の形まで地面に穴が空く奴。アレだったら最悪、全身打撲程度で済みそうだしな」

「それ言った時点で無理でしょ!」

「じゃあ~、とりさんにつかまえてもらう、ってのはどう~?」

「いや無理! 大体、鳥なんてどこにも……」

「あれ~? じゃああそこにいるの、とりさんじゃないの~?」

「あん?」

 

 プルルートの言葉に、二人が同時に空を見上げる。

 

「いました! ピーシェさんとプルルートさん、それにうずめさんも!」

「……ネプギア!」

 

 ブラックシスターの肩に掴まりながら、ネプギアが叫ぶ。

 どうやら、変身が解けたのはプラネテューヌの女神のみらしい。

 

「お姉ちゃん! 皆さん、お願い!」

「ああもう、どうしてプラネテューヌの女神って迷惑しかかけないのよ!」

「いつものことだろ!」

「では、私はプルルートちゃんを!」

 

 真っ先に飛んできたグリーンハートが、プルルートの体を抱える。

 

「ほら、あんたも! 後輩に迷惑かけてんじゃないわよ!」

「サンキュー! 助かったぜ!」

 

 悪態を吐きながらも、ブラックハートがうずめの腕を掴む。

 

「ピーシェ!」

 

 伸ばしたピーシェの手を、ホワイトハートがしっかりと握った。

 間もなくして減速したのち、ピーシェがゆっくりと地面へ足を付ける。どうやら、割とギリギリで助けられたらしい。思わず力が抜けて、へたりと地面へ倒れ込む。そんな彼女の様子を見て、ホワイトハートがもう一度、彼女の手を引いた。

 

「おい、しっかりしろよ」

「……ありがと」

「気にすんな。お前にはいろいろ貸しがあるからな」

「え? それって、どういう……」

「こっちの話だ。忘れてるんなら、それでもいい」

 

 彼女の物言いに疑問符を浮かべているうち、うずめとプルルート、それにネプギアたちも同じところへ降りてくる。顔ぶれと様子を見るに、なんとか全員無傷で地上に降りられたらしい。

 ほっとするのも束の間、何かに気づいたようにブラックハートが首を傾げて、

 

「あれ? 大きい方のネプテューヌは?」

「ここにいるよ!」

 

 待ってました、と言わんばかりに、崩れた瓦礫の裏からネプテューヌが姿を表した。

 

「おおきいねぷちゃ~、ぶじだったんだね~」

「私にはクロちゃんがいるからね! よっぽどのことがない限りへっちゃらだよ!」

「別にお前だけ置いてきてもよかったんだぜ?」

「ウソウソ! ごめんねクロちゃん、ほんと助かったよ~!」

 

 両手を合わせてネプテューヌが頭を下げるが、クロワールは明後日の方を向いたまま。

 一瞬だけ和らいだ空気も束の間、すぐに強張ってゆく。

 

「……お姉ちゃんは?」

「ねぷてぬ! ねぷてぬは!?」

 

 重なったその声に、うずめが空へと指を立てて。

 

「まだ、あの中だ」

 

 二人が見上げた先では、宇宙色の球体が未だに収縮を続けていた。

 

 




次で最終話になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

End 『プラネテューヌの女神』

 

 宇宙色の空間を、ゆっくりと落ちていく。

 平衡感覚は残っていた。かろうじて残っていた小さな足場を見つけ、そこにふわりと着地。

 立ち上がって周囲を見回すと、そこで初めて、水を打ったような静寂に襲われた。

 

 ……いったい、あれからどれくらいの時間が経ったんだろう?

 瞬きにも満たない短い時間かもしれないし、何千、何万年に達する長い時間かもしれない。

 マジェコンヌを倒したと思ったら、光が溢れ出して、それから……

 それからのことは、よく覚えていない。記憶がすっぽり、抜け落ちている。

 いつの間にか変身も解けていた。きっと、あの一撃で全てを使い果たしたんだ。

 そう考えると、途端にとてつもない無気力感に襲われて、そのまま地面に座り込んだ。

 

「ふぅ」

 

 終わっているということは、既に理解していた。この静寂が、何よりの証拠だった。

 これで、俺の役割(ロール)も終わる。ようやくこの物語は完成する。

 ……ネプテューヌは、どうしてるんだろう?

 それだけが唯一の気がかりだった。彼女が無事でなかったら、何の意味もないから。

 でもきっと大丈夫。ネプテューヌなら、もうここから脱出してるはず。

 孤独を感じさせる静寂が、そんな安心をくれた。

 

「……消えるのかな、俺」

 

 前々から覚悟はできていた。でも、いざその瞬間になると、やっぱりちょっとだけ、怖い。

 あんなにカッコつけておいて情けないけど、それでも、ちょっと。

 いや、そんなの分かり切ってたことだろ。元より俺は、消えるべき存在なんだから。

 残りたいだなんて。みんなともっと一緒にいたかった、なんて。

 ……やめろ。

 

「やめろ!」

 

 ――全身から力が抜けていく。震えていた手のひらが、落ち着きを取り戻す。

 気づけば、ぼんやりと空を眺めていた。青と紫の奔流が入り乱れる、宇宙色の空。

 綺麗だった。星々の瞬きこそないけれど、全てを包み込んでくれるような、柔らかな光。

 ……ああ、そうだ。どこかで見たことあると思ったら、ネプテューヌが変身する時の光だ。

 プラネテューヌのシェア、ってことなのかな。それだったら、納得がいく。

 だってこんなにも綺麗で、あたたかくて、優しい感じがするんだから。

 それなら、ここで消えるのも悪くない。

 ネプテューヌが、プラネテューヌのみんなが見守ってくれるのなら、俺は――

 

「……あれ?」

 

 一筋の煌めき。紫の流星が、ずっと遠くで瞬いた。

 ……星なんてなかった、よね? だったら、あれは?

 なんて疑問を浮かべているうちに、その流星はだんだんとこっちへ迫ってくる。

 そして。

 

「やっと、見つけた……!」

 

 ――プラネテューヌの女神は、いつでも宇宙(そら)からやってくる。

 

「どう、して」

 

 俺の目の前に舞い降りたパープルハートに、初めて口にした言葉は、それだった。

 一瞬だけ彼女がすごく悲しい顔をしたけど、すぐに何かに気づいたように、くすりと笑う。

 

「助けに来てほしくなかった?」

 

 もちろんそうに決まってる。このままだと、ネプテューヌも危険だ。

 だから早く、みんなのところに戻ってあげて。俺の事はもういいから。

 

「やっぱり、あの時の私と同じね」

「……あの時?」

「ええ。あなたには来てほしくなかった。そうすれば、全て上手くいくと思ってたもの」

 

 ああ、マジェコンヌから助けた時のことを言ってるのか。

 そりゃそうだ。だって俺は、もうほとんどネプテューヌなんだから。

 考えや行動、立ち振る舞いまでそっくりそのまま、全て真似できるようになった。

 実際、ネプテューヌがいない間も、俺がネプテューヌに成り代われたんだから。

 変な話、どちらが本物かなんてもう、誰にも分からないんじゃないかな。

 でも、そんなヤツがいたら気味が悪いでしょ?

 だから俺はここに残る。それが一番、綺麗な終わり方なんだよ。

 

「それでも、私はあなたを助けるわ。あなたが私にしてくれたように」

 

 ……そうやって言うことも、分かってたよ。

 

「だったら、観念して私と一緒に来なさい。それで全て終わるんだから」

「終わる? 何が?」

「マジェコンヌも倒した。そして私もあなたも残ってる。あなたの帰りを待つ人もいる。だから、私があなたを連れて、みんなのところへ帰る……これ以上の終わりが、どこにあるっていうの?」

 

 違う。

 

「まだ、終わりじゃない」

 

 ベールの時もそうだった。ブランの時も、ノワールの時も。

 それなのに、俺だけが違うなんて、そんなこと許されるはずがない。

 忌々しい夢はまだ続いている。けど、ようやくそこから醒める時が来た。

 

「これが、最後だよ」

 

 立ち上がり、右手に剣と、左手に盾をそれぞれ作り出す。

 接続。鞘となった盾がエネルギーを纏い、漆黒の刃が空を切った。

 

「そんな……」

 

 別に、知らなかったわけじゃないだろ。だから、そんな悲しい顔しないでくれよ。

 

「……どうにか、ならないの?」

「ならない」

 

 たとえ女神であっても、これだけは覆せない。夢を見続けることなんて、許されない。

 これは、そういう物語だ。そしてネプテューヌ、君はその主人公なんだから。

 

「君が終わらせないといけないんだ」

 

 それでようやく、みんなが幸せになれる結末が訪れるんだから。

 

「……認めない」

「え?」

「こんな結末、私は絶対に認めない」

 

 言い放つと同時、ネプテューヌが剣を取る。

 

「私が望んでるのは、みんなが幸せになれる結末よ」

「そんなの、俺も同じさ。いつだってそれを望んでる。今でもそうだ。だから……」

「……違う」

 

 違う? どうして?

 

「あなたの望む結末に、あなたはいない」

「そりゃそうさ。俺が生きていたら、いつまでもハッピーエンドは迎えられない」

「私の望みは、あなたが笑っている結末なの」

 

 ……そんなの、最低のバッドエンドだろ。

 いい加減、諦めてよ。これ以外の終わりなんてない。俺が救われるエンドなんて、ないんだよ。

 それこそ世界がひっくり返るような、とんでもない奇跡でも起こらないと――

 

「起きるわ、きっと」

「……どうしてそう思うの?」

「だって私は、プラネテューヌの女神だから」

 

 ああ、もう。

 これからどちらかが倒れるまで、戦い続けなきゃいけないのに。

 いっぱい傷つけ合って、したくもない別れをしなきゃいけないのに。

 なのになんで君は、そんな希望に満ち溢れた、眩しい顔ができるんだよ。

 

「……なら、起こしてみなよ」

 

 剣を構える。それと同時に全身へ力が戻っていく。

 理由は分からない。けれど、これが最後なんだと理解できた。

 体が作り変えられる感触。視点が高くなって、背中には六枚の翼を。

 そうか。この姿で、アナザーハートとして消えるのが、俺の最後の役割(ロール)か。

 だったらそう振る舞おう。この物語がそういう筋書きなら、俺はそれに従おう。

 その先の結末のために。ネプテューヌ達が迎える、ハッピーエンドのために。

 

「俺の名は、アナザーハート」

 

 それは虚構の中より産まれた、存在しないはずのもの。

 物語を彷徨い続ける、忌々しい夢の残骸。

 そして。

 

「君が倒すべき、最後の敵だ」

 

 ――夢から醒めよう、ネプテューヌ。

 

 

 鏡映しになった剣戟が、金属音を鳴らしていく。

 一撃目は右肩からの袈裟。弾かれた二撃目は少し角度を変えた水平斬り。

 衝撃を利用して互いに間合いを取って、三撃目の突きが同時に放たれる。

 激突。寸分の互いもなく、互いに握った剣の切っ先が衝突した。

 同じように体勢が崩れる。そしてまた同じように、その隙をついて追撃。

 交差する刀身を挟んで、ネプテューヌと向き合った。

 

「……同じね」

「うん」

 

 だって、俺はネプテューヌの偽物なんだから。

 動きの模倣なんて、もう自然にできる。思考もほとんど一緒。

 ……きっと、マジェコンヌを倒したあの一撃で、混ざり合ったんだと思う。

 

「勝ち目はないよ」

「それはあなたも同じじゃないの?」

「かもね」

 

 でも、それはこのままだったら、の話だ。

 

「っ!?」

 

 何かに勘づいたパープルハートが、鍔迫り合いの姿勢を解いて回避。

 直後、地面から放たれたグリーンハートの槍が、虚空を貫いた。

 ……ほんと、そういう所は鋭いよな。

 

「俺にはコレがある」

 

 剣の構えを解いて、エネルギーを翼の方へと巡らせる。

 放たれた光は収束し、四人の女神を俺の周囲へと顕現させた。

 疑似神格召喚。俺にあって、ネプテューヌにないものは、それだ。

 

「でもこうやって手下に攻撃させるの、悪役っぽいですわよ」

「愚策ってところですわね」

「というより、一人じゃ勝てないって認めていいのかしら」

「なっさけないわねえ」

 

 ええいうるさい! いちいち一言残さないといけないルールでもあんのかお前ら!

 

「いいから行ってこい!」

 

 俺の叫びと同時に神格たちが飛び立って、パープルハートを囲む。

 これで五対一。さすがのネプテューヌでも、かなり厳しくなるはず。

 けれど彼女は周囲を舞う女神たちを一瞥すると、呆れたように目を伏せる。

 

「……この程度の力で、私に敵うと思ったの?」

 

 言葉が終わるよりも早く、中ベールと小ベールの二人が向かっていく。

 それに続くように背後からホワイトハート、その真上からブラックハートが剣を振り下ろす。

 三方向からの同時攻撃。これなら、あるいは――

 

「邪魔っ!」

 

 衝突の瞬間、振り抜いたパープルハートの一太刀が、四人の女神を薙ぎ払った。

 咄嗟に右腕へ展開した盾を、正面に構える。その裏で、グリーンハートの槍を左手に生成。

 直後、剣戟の衝撃波が体を襲う。びりびりと肌が小刻みに震える感覚。

 ――やっぱ、ダメか。

 そもそも、本物の女神が三人がかりでようやく倒せる相手なんだ。

 あいつらがマトモにやりあって敵うわけがない。

 でも、一瞬だけ隙は出来た。それで充分。

 

「な……っ!」

 

 弓へと可変させた盾に槍を番え、それを引き絞って、放つ。

 飛んでいく槍は途中で無数に分裂し、拡散しながらパープルハートを襲う。

 回避されるのは予測済み。何度か後方に跳躍する彼女に向って、地面を蹴った。

 

「おらぁっ!」

 

 虚空より生成したホワイトハートの斧に、宙に放った盾を変形させながら接続。

 巨大な鎌の刃が、地面を抉る。避けられた。この場合は――上!

 

「はああぁあっ!」

 

 振り下ろされた刃を、斧の柄で防ぐ。

 衝突の瞬間、俺たちを中心に地面が割れ、その断片が宙へと浮かび上がった。

 

「……あんなこと言ってたわりに、負けたくなさそうね、あなた!」

「負けても死ねないからな! ネプテューヌならそれくらい朝飯前だろ!?」

「よく分かってるじゃない、っ!」

 

 だから、負けられない。負けることは許されない。

 ネプテューヌにそれ以上の本気を出させるか、俺が勝つ以外、道はないんだ。

 だから。

 

「おおおぉぉおおおおっ!」

 

 翼からアナザーエネルギーを放出、

 

 そのまま後退するネプテューヌへ、接続解除した斧を投げつける。

 彼女は瓦礫に身を隠すことでそれ回避。その直後、回転する斧が瓦礫を粉々に砕く

 ……いない? いったい、どこに――

 

「そこっ!」

 

 背後から迫る風を切る音に、一瞬だけ遅れてしまう。

 振り向いた先に居たのは、こちらへ剣を構えながら向かってくるパープルハート。

 そのままの勢いで放たれた突きは、間一髪で俺の頬を掠め、空を穿つ。

 あぶない、なんとか躱し――

 

「っ!?」

 

 ぐらり、と視界が揺れる。その後で、頭の中に鈍い音が響き渡る。

 ――まずい、峰打ち!?

 

「終わりよ!」

 

 ふらついた俺の体に、ネプテューヌが再び剣を振り下ろす。

 肩に直撃。全身の力が抜けていき、地面へ膝をつく。

 なんとかして次……いや、駄目だ、もう立てない。このままじゃ……

 

「観念しなさい。もう勝負はついたの」

 

 そうやって、ネプテューヌが俺の前に座り込んで、肩を抱く。

 

「頑張った方よ。正直、ここまで保つとは思わなかったもの」

「……何様のつもり、だよ」

「女神様よ。それだけ反発できる元気があるなら、大丈夫みたいね」

 

 腕を持ち上げられて、そのまま無理やり立たされる。

 

「……やっぱり、起きたでしょ?」

「なに、が……」

「奇跡よ。あなたに勝って、二人でみんなのところに帰る。ね?」

 

 ……違うよ。ネプテューヌ。

 これは必然だ。奇跡でもなんでもない。

 

「え?」

 

 首を傾げた彼女の腹部に、こつん、と左拳をつける。

 同時に左腕へ盾を展開、更にパープルハートの太刀を生成、そのまま接続。

 

「な――」

 

 続けようとしたネプテューヌの声は、溢れ出す光によってかき消されていく。

 零距離でのアナザーエネルギーの放出。今の俺にできるのは、これくらいしかない。

 だから、この一撃に全てを賭ける。俺の中に残っているアナザーエネルギーを、全て!

 

「――――っ、は!」

 

 底を尽きたのはすぐだった。おそらく二秒も保ってない。

 指先すらも動かすことができず、そのまま地面に真正面から倒れ込む。

 霞む視界に見えたのは、直線状に抉れた地面と、その先でうずくまる一人の影で。

 

「はぁ……っ、げほ……! うっ……」

 

 ……まだ、倒れてないのか。今までで一番、火力は出たはずなんだけど、な。

 でも、変身は解けてる。それならまだ、俺の方に分が……

 

「っ……」

 

 ああ、そうか。俺の変身も解けたのか。

 さっき、俺の中のアナザーエネルギーは使い果たしたんだ。そりゃ、そうか。

 ……いや、今しかない。ネプテューヌがダウンしてる、今しか。

 動け。立ち上がれ。

 這いずってでも、彼女の傍へ!

 

「はぁ、っ……!」

 

 痛みはなかった。全身の感覚も。それはまるで、夢の中にいるような感触で。

 転がった剣を手に取り、一歩ずつネプテューヌの元へと歩いて行く。

 彼女の方も、なんとか立ち上がろうとしているところだった。

 

「……まいったな。あんな隠し技があるなんて、思ってなかったよ」

 

 笑みには余裕がなかった。彼女もギリギリなんだろう。

 後に下がることもできないようだった。背後には終わりの見えない宇宙が広がっている。

 でも、得物はしっかり握っていた。瞳の中にもまだ光は残ってる。

 ……それでいい。

 

「でも、君は私を倒せない」

「どうして、そう思う?」

「だってそれは、君が望んでいることじゃないから」

 

 ああ、そうだ。そんなこと一切望んじゃいない。

 

「でも、仕方ないよ」

「……え?」

「ここまできたら、道は一つしかないんだ」

 

 ゆっくりと、剣を振り上げる。

 

「俺ももう、限界なんだよ。このままじゃ、俺もいずれ消える」

「……まさか」

 

 掲げた剣は、その自重で落ちていく。でも、それで十分だった。

 気づいたネプテューヌが剣を構えるけど、もう遅い。

 

「これで、終わり!」

「……っ!」

 

 ――――そして。

 

「あ……」

 

 からん、と。

 俺の握っていた剣は、そんな無機質な音を立てて、地面へ落ちる。

 ……うまく、いったの、かな。もう、考えることすらもままならない、けど。

 視線をゆっくりと下ろすと、彼女の剣は深くしっかりと、俺の腹を貫いていた。

 

「どう、して……」

 

 どうして、って今更、そんなこと。

 最初から言ってたじゃん。この道しか、ないって。

 

「そんな……駄目! 駄目だよ! こんなのって……私は望んでないのに!」

 

 そうだ。ネプテューヌはこんなこと望まないって、俺は知ってる。

 だからこれは、俺の望み。俺の結末。彷徨を続けた、夢の末路なんだ。

 これでようやく解放される。俺の最後の役割(ロール)が、果たされる。

 

「ありがとう」

「……え?」

「楽しかったよ。ネプテューヌと、みんなと出会えて、よかった」

 

 思い残すことは、何もない。後に遺すことも、伝えることも。

 終わり、かな。俺という存在が、ネプテューヌの紡いだ物語が、終わる。

 ――虚構の中より産まれ、虚構の中へ消えていく。

 

「いやだ……! これで君とさよならなんて、いやだよっ!」

 

 もう、夢見は終わり。みんな、君が起きるのを待ってる。

 ……さあ。

 

「目を醒まして、ネプテューヌ」

 

 とん、と。

 彼女の胸へ手を触れる。

 

「……ぁ」

 

 遠く、深く、宇宙の中へ落ちていく。

 彼女の残した涙が、星みたいに宇宙の中で煌めいて、やがて消えた。

 

 ……終わりなんだ。これで。

 俺の物語が、長きに渡る虚構の彷徨が、終わりを迎える。

 

 ああ、そうだ。

 これでようやく、眠れるよ。

 

 

「――いました、あそこ!」

 

 ネプギアの放った叫びに、ピーシェとプルルートが同時に空を仰ぐ。

 

「ねぷてぬ……? いや、違う、あれってどっち!?」

「どっちにしても、すごくとおいよ~!」

「ああもう! しっかり掴まってろよ!」

「ユニちゃん、私も!」

「分かってる!」

 

 同時に飛び立った黒い女神たちが、空へ軌跡を残す。

 彼我の距離は未だ遠い。おおよその目測でも、間に合うかどうかの寸前である。

 

「もっとスピード出せないの!?」

「これが限界よ! 文句言うならあんたが飛びなさいよ!」

「ユニちゃんは!?」

「アタシも、もう限界……!」

 

 言葉を交わすうちにも、ネプテューヌの影はどんどん地面へ近づいていく。

 間に合わないということが、そこで理解できた。あと少し。ほんの一寸だけでも。

 ネプギアとピーシェの表情が、緊張の色に染まっていく。

 張り詰める緊迫の中で、ノワールが少しだけ考えて、

 

「……ユニ。あなた、()()()()?」

「え? いや、それはできるけど……でも、そんなことしたら」

「この状況じゃ、それしかないでしょ!」

 

 ノワールの叫び声に、ネプギアとピーシェも同時に彼女を見上げた。

 

「あなたたちもタダじゃ済まないかもしれないけど、覚悟しときなさいよ!」

「ねぷてぬが助かるんだったら、なんでもするよ!」

「お姉ちゃんのためなら、どんなことでも!」

「よし! じゃあ行くわよ、ユニ!」

「あーっ、もう! どうなっても知らないからね、二人とも!」

 

 互いに頷き、ノワールとユニが同時に手を離す。

 

「――ねぷてぬっ!」

「――お姉ちゃんっ!」

 

 ずどん、という腹に響くような衝撃。

 舞い上がった土煙の後には、二人に抱えられたネプテューヌの姿があった。

 そして、ネプギアとピーシェの視線が向かう先は、頭の上の脳波コントローラで。

 

「……白い」

 

 震えた声で、ピーシェがそう呟いた。

 

「……あ、れ?」

 

 それに応えるように、ネプテューヌがゆっくりと瞼を開く。

 

「お姉、ちゃん?」

 

 問いかけはネプギアのものだった。うっすらと開いた瞳が、彼女の泣きそうな顔を映す。

 

「ネプギア……」

「お姉ちゃん! お姉ちゃん、無事だったんだ! よかった!」

 

 抱擁の中、ネプテューヌが傍に立つもう一人の人影へと目を向ける。

 そこにいたのは、打ちひしがれるように立ち竦むピーシェだった。

 

「よかった……」

 

 口元に笑みを浮かべながら、ピーシェもそう告げる。

 けれど、その瞳の奥には昏い影が残っていた。

 二人の間で、奇妙な沈黙が流れる。次第に、彼女の浮かべていた笑みも消えた。

 静寂の中でネプギアがようやく顔を上げ、そこで初めて彼女も沈黙の意味を知った。

 やがて。

 

「ねぷてぬは?」

 

 重たい口を開き、ピーシェが問いかける。

 その後ろに広がる空はいつも通り、突き抜けるような青さを示している。

 

「……ごめん」

「そんな」

「助けられなかった……」

 

 言葉はそれだけだった。ネプギアも、ネプテューヌも、沈黙を貫くのみ。

 

「ねぷ、てぬ」

 

 一粒の涙が、ピーシェの頬を伝う。

 

 

「ねぷてぬっ!」

 

 その叫びは、もう誰にも届くことは――

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 声、が。

 

 声が、聞こえる。

 俺を呼ぶ声なのか? 誰かが俺の事を呼んでる?

 そんなはずはない。俺はもう、終わった存在なんだから。

 俺を呼んでくれる奴なんか、もうこの物語には誰も……。

 

 いや、ちょっと待て。

 今、こうやって考えてる俺は、何だ?

 俺の役割(ロール)は終わったはず。だったら、消えるんじゃないのか?

 確かにネプテューヌに腹を刺された。それが、俺の望んだ結末だから。

 でも、こんなことは望んでない。残り続けるなんて、そんなの。

 

 ……明るい、な。

 まるで、太陽の下で寝ているみたいだ。暖かさがすごく気持ちいい。

 それに頭の下に何か、柔らかいものが……なんだろ、これ。

 いい匂いもする。太陽の柔らかい匂いと、これは……。

 ……ネプ、テューヌ?

 

「ネプテューヌ!」

 

 瞼が開く。その瞬間、太陽の白い輝きが視界を埋め尽くす。

 その明るさに思わず目が眩む。けれど、確かにその明るさは感じられた。

 ……生き、てる。

 

「おはよう。いい夢、見れた?」

 

 そうやって声をかけてきたのは、逆さまになって俺の顔を覗き込む、ネプテューヌだった。

 

「ここ、は……」

「さあな。テキトーに運んできたから、どこかも分かんねーよ」

 

 ギリギリだったんだよ? なんてネプテューヌの声も、どこか遠くに聞こえていて。

 ただ俺は、自分の手のひらをじっと見つめることしかできなかった。

 ……どういう、こと? どうして俺が生きてるの?

 だって俺はネプテューヌに刺されて、みんなと同じような終わりを迎えたはずなのに。

 でも、生きてる。俺はまだ、ここにいる。

 

「奇跡……」

「かもな」

 

 俺の呟きに答えたのは、うずめだった。

 

「危なかったんだぜ? 生きるか死ぬかの五分五分、ってところだったからな」

「……俺が生きてるのは、どうして?」

「だから、それが奇跡だって」

 

 理屈も理論も、何も説明してくれない。きっと、うずめすらも分からないんだろう。

 ……でも、奇跡ってそういうものか。

 

「私たちも、そろそろ行こっか?」

「もうここに残っても、あんまりおもしれーもんも見れなさそうだしな」

 

 なんて二人の会話に、振り返る。

 

「行っちゃうの?」

「うん。だって、私は旅人だから」

 

 ……そっか。

 

「おめーもそこそこ面白かったぜ。ま、結局は何にも起こんなかったけどよ」

 

 そこそこって……それに、何かを起こすつもりもなかったし。失礼なやつめ。

 でも、それがクロワールなりの別れの言葉なのかな。だったら、少しだけ嬉しい。

 

「じゃあね。私も楽しかったよ」

 

 その言葉と共に、クロワールが次元の扉を開く。

 …………。

 

「待って!」

「え?」

 

 こんなところで引き留めるなんて、すごく情けないけど、それでも。

 どうしてもネプテューヌに、その名前を持つ君に聴きたくて。

 

「……これから、どうすればいいの?」

 

 役割は終えた。物語も、俺の望むものではないけど、結末を迎えた。

 だったら、次は? これから俺は、何を成せばいいの?

 問いかけに、ネプテューヌは少しだけ考える素振りを見せてから、

 

「どんな物語にも必ず、終わりはある」

 

 ……うん。

 

「でも、どんな物語にも必ず、始まりもあるんだよ」

 

 始まり?

 

「確かに君の物語は終わったよ。今の君は何者でもない。でもね、今の君なら何者にもなれる! ラスボスでも、サブキャラでも――主人公にだって、なれるんだ!」

 

 だから、と。

 

「君の物語は、ここから始まる」

 

 笑顔と共にそんな言葉を残して、ネプテューヌが消えていく。

 後に残ったのは、俺とうずめだけ。ぽすん、と地面に腰を下ろすと、彼女も俺の隣に座る。

 ……始まり、か。

 今まで終わることしか考えていなかった。終わりが来れば、それでよかった。

 思えば俺は、誰かに与えられた役割(ロール)しか果たしてこなかった。

 けれど、今は違う。ネプテューヌの言った通り、俺は何者にもなれるんだ。

 そうやって考えると、少しだけ救われたような、満たされたような気持ちになった。

 

「で? 結局、どうすんだよ」

 

 うずめの問いかけに、俺は。

 

 

「探しに行くよ。俺の果たすべき役割(ロール)を」

 

 

 きっとそれが、この物語の始まりなんだ。

 

 




ごめんね。
もう少しだけ、続くんだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

 トゥルーエンド・プレイヤー

エピローグ、あるいはプロローグ


 

 ▽ _ トゥルーエンド・プレイヤー

 

 

 時間というのは、いつだって残酷だ。

 別れを告げられなかった。手を繋ぐことも、涙を流すことさえ許されなかった。

 感傷に浸る暇などない。喜びも悲しみも、思い出までもが過ぎ去ってゆく。

 それが色褪せることはないけれど、もう二度と新しく彩られることもなかった。

 完結してしまった物語に、新たな一節を綴れないのと同じだ。

 もう誰も筆を執ることはない。彼女の物語はそこで終わったのだから――

 

「――さん、ピーシェさん!」

 

 強く呼びかけるイストワールの声に、ピーシェがはたと我に返る。

 

「あ、うん……」

「どうされたんですか、さっきからボーっとして。どこか体調でも悪いんですか?」

「いや、そうじゃなくって……ええと」

 

 何と答えたものか。そう言葉を探していると、遠慮がちに手を引かれる。

 振り向いた視線の先には、心配そうにこちらを見上げるプルルートの姿があった。

 

「おねえちゃん、だいじょうぶ~?」

 

 自責の念が募る。頭を掻きむしりたくなる衝動を、ぐっと堪えた。

 過去に思いを馳せても意味がないことなど、とっくの昔に理解している。

 ただ、そうだとしても忘れられるはずがない。偲ぶことを止められない。

 震えていた手は、いつしか落ち着きを取り戻す。

 その手でピーシェは、プルルートのことを優しく撫でながら、

 

「ありがと、プルルート。もう大丈夫だから」

 

 掠れ切った笑みに、プルルートはただ頷くことしかできなかった。

 

「では、もう一度お話しますね?」

 

 首肯。イストワールの言葉へと耳を傾ける。

 

「ゲイムギョウ界の各地に残留したアナザーエネルギーですが、その殆どは既に回収が完了しています。ラステイション、ルウィー、またリーンボックスの三国からも報告は上がっているので、このままのペースであれば来月には全ての工程が完了するでしょう」

「でも~、このままじゃいけないんだよね~?」

「はい。初期の方にピーシェさんが行ってくれたアナザーエネルギーの調査結果と、今回の回収作業の結果を比較しているのですが、どうしてもその量が合わないみたいで」

 

 困りましたね、なんて頬に手を当てるイストワールに、ピーシェがすぐに口を開けた。

 

「別に、あれからいろいろあったでしょ? 偽物もいっぱい出てきたし、そのせいじゃない?」

「その線も考えたのですが、どうやら違うみたいです」

「っていうと?」

「各国別に見たアナザーエネルギーの調査結果と回収結果は、ほとんど変わっていないんですよ。つまり、このプラネテューヌだけ調査結果と回収結果にズレが生じています」

 

 イストワールの言葉に、ピーシェが思考を巡らせる。

 

「……プラネテューヌの誰かが、勝手にアナザーエネルギーを回収してる?」

「その可能性が非常に高いです」

 

 始めに浮かんだのは、疑問だった。

 

「どうして、そんなことするんだろうね~?」

「分かりません。こちらに協力しているのか、あるいは何かに利用するつもりなのか……」

「あのネズミは? マジェコンヌと繋がってたから、エネルギーの使い方も分かるはず」

「ワレチューさんは現在こちらの管理下にあります。アイエフさんとコンパさんの報告からしても、彼が行動している線は薄いでしょう」

 

 やはり外部の何物かによる行動と仮定したほうがいいらしい。

 そこで、と一度、イストワールが言葉を区切って、

 

「まだ、回収作業が完了してない区域がプラネテューヌにあるのはご存知ですよね?」

「マジェコンヌと最後に戦った場所だっけ? 確か、修復作業の方を優先したって……」

「もうほとんど、もとどおりだよ~」

「避難していた住民もほぼ全員、居住できるくらいには復興が進んでいます。だからお二人には、その周辺のアナザーエネルギーの回収をお願いしようとしていたのですが……」

「そいつの手がかりも見つけろ、ってこと?」

「話が早くて助かります」

 

 ただ、ピーシェはどうも、首を縦に振ることはできなかった。

 

「そういうことなら、ネプの方が適任でしょ。私より強いんだから」

「ネプテューヌさんには周囲の警戒に当たってもらいます。万が一の場合も想定して」

「だから、その万が一が起きる前に、ネプに行ってもらった方がいいんじゃないの、って」

 

 言葉の端々には苛立ちが感じ取れる。隣のプルルートも、どこか沈んだ表情のまま。

 けれど、その理由をイストワールが知らないわけではなかった。

 

「あそこは、あなた達が生まれ育った場所ですよね?」

 

 驚いたように、二人が同時に顔を上げる。

 

「……どこまで、しってたの~?」

「出身だけですよ。ですから、あなた達の両親は存じ上げていません」

「なるほどね。土地勘のある方が使える、って思ったの?」

「使う、とまでは言いません。あなた達に任せるべきだと私が判断しました。それに」

 

 すると、どこからかイストワールが小さなメモを取り出して。

 

「お二人のお知り合いから、連絡を預かっています」

「お知り合い?」

「はい。アイエフさんが事前調査を行った際に、情報を提供してくれたそうで。なんでも、今回のことに協力してくれるらしいですよ」

 

 互いに顔を見合わせるが、思い当たる人物はいない。

 疑問を抱えたままピーシェがイストワールからメモを受け取ると、そこには喫茶店の店名らしきものが綴られていた。どうやら、待ち合わせ場所ということらしい。

 

「お二人の事情は分かります。ですが、事情も事情ですから」

「……いいよ。また面倒なことになるのはゴメンだし。行こう、プルルート」

「うん~……」

 

 憤りは既に通り越していた。呆れにも似た錆びついた感情が、ピーシェの心にはあった。

 どうせ、過去に拘っても仕方がない。さっき気づいたばかりじゃないか。

 だから今は、せめて女神としての役割を果たそう。そうでなければ――

 

「ピーシェさん」

 

 唐突に引き留められて、ゆっくりと彼女が振り返る。

 

「その、こんなことを言うのもなんですが……あまり、無理はしないでくださいね」

「無理って、そんな」

「先程も何か考え事をしていたようですし。その、私たちでよければ力になりますから」

「……何か、ってわけじゃないけど。ただ」

 

 そうしてピーシェは、窓の向こうの青空を見上げながら、

 

「あれからもう、一年なんだなって」

 

 もう一人のプラネテューヌの女神は、未だに降りてこなかった。

 

 

「おねえちゃん~、これってほんとにいるの~?」

 

 小さな花束を抱えながら、プルルートが疲れたような声をあげる。

 

「一応ね。何もしないってのも変でしょ?」

「ぜったいに、いらないとおもうんだけど~……」

「こら、そんなこと言っちゃダメだよ。ほら、早く行こう?」

 

 そうやってピーシェが背中を押すけれど、彼女は頬を膨らせたまま。

 認めたくないのだろう。彼女が居なくなってしまったこと。もう二度と、戻ってはこないこと。それを受け入れたくないのだ。受け入れてしまえば、そこで何もかも終わってしまうのだから。

 ただ、その気持ちはピーシェも同じだった。

 

「……私だって、こんなことしたくないよ」

 

 握りしめた花束に目を落としながら、小さくピーシェが呟いた。

 やがて二人が辿り着いたのは、小さな路地裏の入り口だった。先日に降った雨がまだ乾いていないような、影の深い寂れた小道。濁った水溜まりに映る影を見ながら、プルルートがうええ、なんて情けない声を上げる。

 

「こんなところ、いきたくないよ~」

「私もだよ。でも、行かないと」

「うう~……じめじめしてて、きもちわるい~」

 

 ぱしゃ、と水溜まりを強く踏みつけて、ピーシェが奥へと進んでいく。

 こんな所へ入りたくないのは、ピーシェも同じだった。

 本来ならばもっと華々しいところで、きちんとしたものを建ててやりたかった。

 空の見える静かな場所で、安らかに過ごせるようにしてやりたかった。

 だが、それを公にすることはできない。人々を混乱させないために。

 おかしな話だが、きっと本人が生きていても、そうすることを望んだだろう。

 であれば、それに従うしかない。そうすることが、せめてもの彼女への報いであると。

 ピーシェが考えを付けた、その時だった。

 

「……あ」

「わぷっ!」

 

 唐突に足を止めるピーシェの背に、プルルートが顔を埋める。

 

「ちょっと~、おねえちゃん~! なんでこんなところで……」

「あら、プルルートちゃん」

 

 聞こえてきたその声に、プルルートがひょこ、と顔を出す。

 その先に立っていたのは声の主のベールと、同じように並ぶノワールとブランの三人だった。

 

「みんな、来たんだ」

「ええ。ちょうど一年だから」

 

 答えながら、ブランが足元へと目を落とす。

 視線の先にあるのは小さな墓標と、そこに添えられた花束だった。

 それを一瞥して、溜息を吐きながらノワールが続ける。

 

「あの子も大概よね。何も言わずいなくなっちゃうなんて」

「でも、黒ネプちゃんらしいといえばそうかもしれませんわ」

「いちいち言葉が足りないのよ、彼女は」

 

 会話というよりは、言葉を並べているだけのように聞こえた。

 浮かべていた静かな笑みも、やがて続かなくなった言葉と共に消える。

 痛々しくて見ていられなかった。花束を握る力が、強くなる。

 

「そういえば、ネプテューヌは?」

 

 ブランの問いかけに、ピーシェは首を横に振った。

 

「まだ来てない。来るって話も、ない」

「……また? それは忙しいから? それとも……」

「どうせ面倒だからでしょ。ほんっと、あの子ったら」

「そうだったら、まだマシなのですけど」

 

 ベールの言葉に、ピーシェが視線を逸らす。

 上手く答えることができなかった。彼女が今、どういう感情なのか。心に何を抱えているのか。

 いつも通り浮かべるあの笑顔の裏には、いったい何が蠢いているのか。

 分からない。それはこの場にいる三人も、おそらくネプギアにさえも理解できないのだろう。

 唯一、それを理解できるであろう彼女は、もうここにはいない。

 

「……私たちは、そろそろ行きますわ」

「そうね」

 

 短く言葉を残し、ベールとノワールがその場を後にする。

 

「ネプテューヌに、よろしく伝えておいて」

「うん」

「それと、あなた達も頑張ってね。何かあれば、私たちが力になるから」

「……ありがと」

 

 小さくピーシェが答えると、ブランは微笑みを浮かべていた。

 やがて彼女も去ってゆき、路地裏に残ったのはプルルートとピーシェの二人だけ。

 

「私たちも、お供えしよっか?」

「……うん」

 

 どこか不服そうな彼女の手を引いて、ピーシェが花束を墓標へと添える。

 プルルートもしばらくすると、同じようにして花を置いた。

 

「これくらいしか、今の私たちにはできないからさ」

「うん」

「でも、今できることをやらないと、絶対に後悔する」

「……うん」

 

 どんな些細なことでも、記憶に刻まなければならない。

 いなくなってからでは遅い。振り返った時に何も残っていないなんて。

 そんな悲しい気持ちになるのは、これ以上――

 

「あれ?」

 

 沈んでいた感情が、その声によって再び浮かび上がる。

 聞き覚えのある声だった。もう二度と、聴くはずのない声だった。

 微かな期待を込めて、ピーシェが振り返る。

 果たして薄暗い路地裏の、その影から姿を表したのは。

 

「……ネプ、か」

 

 不思議そうにこちらのことを見つめる、ネプテューヌだった。

 

「あはは、黒い方の私だと思った?」

「……まさか」

「仕方ないよ。声も顔も同じなんだからさ」

 

 両手を頭の後ろへ回しながら、彼女がこちらへ近づいてくる。

 

「知り合いとはもう会ったの?」

「ううん。先にこっちに寄ろうかな、って思って」

「ふぅん」

 

 返事に感情はこもっていない。視線もどこか冷たいまま。

 するとネプテューヌは、墓標の前に添えられた花束をおもむろに取り上げて、

 

「あー、やっぱりか。まだみんな、こんなことしてたんだ」

「……え」

「意味なんてないのにね。そうだぷるるん、このお花あげるよ」

 

 淡々と語るネプテューヌに、ピーシェは固まったまま動けなかった。

 感情が追い付かない。憤ればいいのか、悲しむべきなのか、それすらも判別がつかない。

 ただ、異質だった。もしかすると、目の前の彼女はネプテューヌではないのかもしれない。

 そんな飛躍した妄想が浮かぶほどに、ピーシェは困惑していた。

 

「いいの~?」

「だいじょーぶだよ。私が片付けといた、って話しておくからさ」

「やった~! じゃあ、おへやにかざる~!」

「うん、その方がいいよ。こんなところに置いておくよりは」

 

 ほら、とネプテューヌがプルルートへ向けて、花束を差し渡す。

 

「ありがと~、ねぷちゃ~……」

「だめ」

 

 受け取ろうとしたプルルートの腕を、ピーシェが遮った。

 

「受け取れない」

「……え?」

「受け取れないよ、そんなの」

 

 言葉には怒りが籠っていた。それが正しいものなのかも、今のピーシェには分からないが。

 

「ピー子が決めることじゃないよね?」

「でも、ネプが決めることでもない」

「……そう」

「ねえ、どういうつもりなの?」

「何が」

「……分かんないよ。ネプの考えてること、なんにも」

 

 絞り出すような、震えた声だった。今にも泣き出してしまいそうな、そんな。

 その様子に彼女は少しだけ考える素振りを見せてから、はっきりと。

 

「奇跡は起きるよ」

「え?」

「私は女神だから。奇跡を起こす。起こして見せる。だから、こんなのはいらない」

 

 言い放つと同時、ネプテューヌが手にしていた花束を空へ投げる。

 舞い落ちる花びらの先には、こちらを睨みつけるピーシェの姿があった。

 限界だった。これ以上の言葉は必要ない。交わしたところで、分かり合えるはずもない。

 

「行こう、プルルート」

「え?」

 

 困惑する彼女を置いて、ピーシェが歩き出す。

 来ないのならそれでもいい。互いの道はここで分かたれたという、ただそれだけのこと。

 やがてプルルートは、ネプテューヌの顔とピーシェの背中を交互に見まわしてから、

 

「まってよ~、おねえちゃん~!」

 

 足音が去ってゆく。静寂。取り残された孤独感が、ネプテューヌを襲う。

 地面に落ちた色とりどりの花びらを踏みつけながら、墓標の前へ。

 そして、建物の隙間から覗く空を見上げながら、ネプテューヌが口を開く。

 

「……言ったよね、君。みんなが幸せになれる結末を望んでる、って」

 

 宇宙色に染まる世界の中で、確かに彼女はそう言っていた。

 

「けどさ、みんな悲しんでるよ。君がいなくなっちゃったから。幸せだって思ってる人なんか、笑顔でいるひとなんか、誰もいない。みんな……君が帰ってくることを、望んでたんだ」

 

 そうしてしばらくの時間が経ってから、ネプテューヌがぽつりと。

 

「本当にこれが、君の望んだ結末なの?」

 

 青色の空は、何も答えてくれなかった。

 

 

 乾いたベルの音と共に、静かに扉が閉じる。

 こじんまりとした雰囲気の、よく言えば落ち着いた、悪く言えば寂れた印象の喫茶店であった。立ち込める珈琲の香りは深く、それをかき分けるようにしてピーシェとプルルートが進んでいく。

 カウンターに立っているのは、一人の女性だった。眩い銀の髪に黒地のスーツと、その上から水色のエプロンを羽織っている。せっせとグラスを吹いている様子は、一見すれば知的にも見えるが、どこか頼りなさそうな雰囲気も醸し出している。

 そしてそれは、ピーシェにとって見知ったものでもあった。

 

「あれ~? レイさんだ~」

「え、あ、プルルートちゃん! それに、ピーシェちゃんも!」

 

 そこで初めて彼女はこちらへ気づいたらしく、綻ぶような笑みを見せた。

 キセイジョウ・レイ。気弱と臆病を足してそのまま擬人化したような性格をしたプラネテューヌの一般市民であり、またプルルートとピーシェの知己でもあった。

 驚きと同時に様々な疑問が脳裏を過ぎる。そんなこちらの困惑などつゆ知らず、レイは慌ただしく口を動かすのだった。

 

「来てくださったんですね、お二人とも。来なかったらどうしようかと……」

「うん」

「いーすんにいわれたからね~」

「そうですか、それはよかった……ささ、どうぞお掛けになってください。あ、お飲み物はどうされますか? 今日は私が奢るのでご心配なく!」

「じゃあ、オレンジジュース~!」

「……私はレイさんと同じのでいいよ」

 

 そう答えながら、二人がカウンター席へと腰を下ろす。

 

「覚えていてくれて嬉しいです。もう、忘れられているものかと」

「クエストの受注方法とか教えてくれたし。今でも感謝してるよ」

「レイさんがいなかったら~、わたしたちなにもできなかったもん~」

「ありがとうございます。でも、私もびっくりしたんですよ? お二人が女神になった、って聞いて。あんなに小さかったのに、今ではもうこんなに立派になって……」

「わたしは~あんまりかわってないけどね~」

「私も別に、背とかはあんまり伸びてないかな」

「そういう意味じゃなくて……何と言いますか、雰囲気が大人になった、なんて」

 

 見違えましたね、なんて笑いながら、レイがオレンジジュースを注ぐ。

 

「レイさんは~、ここではたらいてるの~?」

「はい。小さいですけど、オーナーをやってるんです。まだまだ修行中ですけど」

「あれ? じゃあ、前までやってた市民団体っていうのは……」

「そこにもまだ所属してますよ。というより、ここはその集会所みたいな感じでして」

 

 しみじみと当時を懐かしみながら、レイが語る。

 悪い気分ではなかった。ある程度育ててくれた恩もあるし、二人にとって友人とも言える、数少ない人物でもある。できることなら、もう少し昔話に花を咲かせていたかった。

 だが、現実はそうもいかない。彼女が運んだ珈琲を口に含んでから、ピーシェが問いかける。

 

「それで? 私たちに協力って、どういう意味?」

「ええと、そうですね……どこから話しましょうか」

 

 顎に手を当てて、一度間を置いてから、彼女は再び語り始めた。

 

「お二人……というより、各国の女神が一年前の戦いの後から、謎のエネルギーの回収をしているのは前々から知っていました。戦闘の中心部となったこの地域が後回しにされている、ということも」

「一部の民間団体にも協力を仰いだ、って話は聞いてるけど」

「その一部には私の所属している団体も含まれていた、ということですね。そしてこの一年間、エネルギーの回収運動に協力していました。実はその時、お二人のことは何度か見かけたんですけど、話しかけるタイミングも、そもそも私のことを覚えているのかどうかも分からず……」

「いそがしかったし~、しかたないよ~」

「ありがとうございます」

 

 深々とレイが頭を下げる。

 

「で、それと今回の話にどういう関係があるの?」

「実は、その運動に協力してくださるという二人の方が現れたんです」

「ふたり?」

 

 尻尾を掴んだ。その核心が、ピーシェの中にはあった。

 

「なんでも、誰よりもこのエネルギーの使い方を分かってる、とおっしゃる方たちでして……最初は私たちも警戒していたんですけど、基本的には団体にも国にも協力的でした。ですが……」

「何か問題でもあったの?」

「はい。彼女たちは、集めたエネルギーは自分たちの元に集めてほしい、と言ってきたんです」

「……おねえちゃん~?」

「うん。怪しいね」

 

 ここまで来れば後は間違いないだろう。既に肩の荷が降りたような気楽さを感じていた。

 

「当然、エネルギーは渡してないんだよね?」

「勿論ですよ! あんなものを国の承諾もなしにできるわけないじゃないですか!」

「じゃあ、あとはそのふたりをさがすだけだね~?」

「あ、いえ。実はそのお二人にも話をしていて、ここに来てもらう予定なんです。もちろん、ピーシェちゃんとプルルートちゃんのことは内緒です。エネルギーの引き渡しについての会議、という建前でして」

 

 昔からこういう所は要領がよかった。逆に言えばそれ以外が、という話でもあるが。

 

「ありがとう、助かるよ」

「これくらいしか、今のお二人を助けることはできませんから」

「そんなことないよ~。わたしたち、レイさんにおせわになってばっかりだから~」

「だよね。むしろこっちが恩返ししたいくらいだもん」

「お二人とも……本当に大きくなりましたね……!」

 

 うっうっ、なんて大袈裟に目元を抑える彼女に、二人が笑う。

 

「……あ、そろそろ時間です。おそらくもう、お店の前には……」

 

 思い出したようレイの言葉を遮るように、乾いたベルの音が鳴り響く。

 足音は二つ。それが聞こえると同時、ピーシェが店の入り口へと視線を向ける。

 

「しっかし、急に話なんて何なんだろうな? 俺たち、何かしたか?」

「怒られるようなことはしてない……と、思う。多分」

 

 そうして広がるその光景に、ピーシェは目を疑った。

 一人は赤い髪をした少女だった。年齢はピーシェと同じくらいで、妙に露出の多い見た目からして、勝気な性格が伺えた。そして何より、ピーシェは過去に彼女を目にしたことがあったが、この際それは問題ではなかった。それよりも大きな問題が、隣を我が物顔で歩いていた。

 もう一人は、その赤髪の彼女よりも少し幼い少女だった。膝までに届く黒いコートに身を包み、よほど素肌を晒したくないのか、少し見える手や足もグローブやパンツで覆っている。全体的に黒い印象を与える少女だったが、その髪だけは明るい紫の――それこそ、この国の女神(ネプテューヌ)と同じような色のものを、首の後ろで纏めていた。

 

「……もしかしてエリっち、何かやらかしたのか?」

「この前、進入禁止区域にちょっと……」

「おい、嫌だぞ俺! レイさん、怒るとこえーんだからな!」

「そんなの知ってるって! でも、あれは仕方なく……」

「あ、お二人とも! こちらですよー!」

「え」

「やべ」

 

 レイの一声に、二人がすごすごとこちらへ歩み寄ってくる。

 こちらの姿はまだ見えていないようで、赤い髪の方が最初に切り出した。

 

「それで? 話ってなんだよ、レイさん」

「私の古い友人にお二人を紹介したくて、お時間を取らせて申し訳ありません」

「古い友人?」

 

 そこで初めて、紫の方も赤い方もピーシェの方へと視線を向けて。

 

「ご紹介しますね。こちらが先程お話した、私たちの協力者の――」

「……あ、ちょっと、レイさん? いや、待って、あの」

 

「――天王星うずめさんと、エリスさんです!」

 

 

「……………………」

「……………………」

「………………いや」

「……………………」

「その……はい……」

「……………………」

 

 沈黙。そろそろ十五分にもなろうかという、長いものだった。

 主にピーシェと、紫の少女――エリスによるものだった。片方が睨みつけて、もう片方が非常に申し訳なさそうに、できれば逃げ出したいかのように目を逸らし続けている。

 ピーシェの放つ気迫に圧された三人は席から離れ、立ったままその光景を見届けていた。

 やがて、その空気に耐えかねたレイがカウンター越しにうずめへと小さく問いかける。

 

「その、エリスさんとピーシェちゃんは知り合いなんですか?」

「知り合いっつーか……元同僚、って言ったほうがいいのか」

「というより~、ふたりともめがみさまだよ~?」

「え、そうなんですか? そんなこと、エリスさんもうずめさんも一度も……」

「エリっちに内緒にしておいたほうがいい、って言われてさ」

「…………だ、そうだけど」

「はいッ」

 

 びくっ、と肩を震わせながら、エリスが答える。

 

「全くその……おっしゃる通りでございます」

「なんで?」

「そっちの方が動きやすいと……思いまして……」

「動きやすい? それってどういう意味?」

「ってのは……ええと……目立たない、ってことで……」

「どうして目立たない方がよかったの?」

「いや、だからそれは……その……」

 

 言い淀む彼女に、ピーシェは一度、大きく息を吐いてから、

 

「どうして、帰ってきてくれなかったの?」

 

 重たく響くその言葉に、エリスの口が再び閉ざされる。

 本来ならば喜ぶべきなのだろうが、積み重なった悲しみがそれを許してくれない。

 きっと、理由が欲しかったのだろう。空白の一年を埋めるための理由が。

 やがて彼女は、噤んでいた口を開くと、

 

「その……あんなことを言った手前、どんな顔で帰ればいいのか分からず……」

「………………」

「気づいたらその……こんなことになっちゃった。てへ」

 

 がたっ。

 

「そんなっ! そんなくだらない理由で!? ふざけるのも大概にしてよ!」

「あばばばばばば」

「とっとと帰って来ればいいじゃん! まっすぐ会いに来てくれればよかったのに!」

「ちょっと! ピーシェちゃん、落ち着いて!」

「今はどこに住んでるの!? ちゃんと寝てる!? ご飯はどうしてるの!?」

「メシは大体カップ麺だな」

「うずめ、ちょっと黙っ……」

「大体、エリスってなんなのさ!? どういうつもり!? ねえ!」

「ええっと、エリスってのは冥王星よりも向こうにある惑星の名前でして……」

「そういうことを聴いてるんじゃないっ!」

 

 叫ぶピーシェを見かねて、うずめがその肩を掴む。

 

「まあ落ち着けよ、後輩。誰にでもあるだろ? タイミングを見失うってのは」

「だからって、落ち着けるわけ……!」

「そうか? 妹の方はだいぶ落ち着いてるみたいだけどな」

 

 頷くプルルートは、いつも通りのんびりとした笑みを浮かべていた。

 

「おはな、いらなかったでしょ~?」

「……もしかして、知ってたの?」

「ううん~? でも、ねぷちゃならかえってくるって、しんじてたから~」

 

 その言葉に顔を上げたのは、エリスだった。

 

「……やっぱり、プルルートにはぜんぶお見通しか」

「どういうこと?」

「別に。ただ、ピーシェが居なくなった時と同じだな、って」

 

 言葉の真意は終ぞ掴めなかったが、どうしてか彼女は満足そうだった。

 癪に障る気持ちを抑えながら、ピーシェが再び問いかける。

 

「この一年間、二人は何をしてたの?」

「基本的にはレイさんの仕事を手伝ってたよ」

「俺も帰るアテがなかったしな。エリっちと一緒に行動してたぜ」

 

 そのあたりはレイが話していた通りらしい。

 

「じゃあ、アナザーエネルギーを集めておきたい、ってのは?」

「単純に、他の人に渡すより俺たちの方が安全だったから。扱い方も心得てるし、何より他の人に渡して悪用されたら元も子もない。それくらいなら、俺とうずめで管理したほうがいいと思って」

「それに、一般市民を危険に晒したくない、ってのもあるな。万が一の場合でも、俺とエリっちなら大抵の敵は返り討ちにできる。な? 意外と理に適ってるだろ」

 

 確かに、話を聞く限りでは納得できる。生半可な組織に預けるよりは数倍マシだろう。

 だが、今回はそうもいかない。

 

「私たちが来たのは、アナザーエネルギーを秘密裏に回収している誰かを見つけるため」

「っていうと?」

「以前に調査したエネルギーの量と、現在回収済みのエネルギーの量にズレがあるの」

「……なるほど。後輩はその誰かが俺たち、って思ってるんだな?」

「それなら特に咎める必要はないし、イストワール達にも話しやすい」

「でも、そんなに上手くはいかないんだよね」

 

 エリスの言葉に、ピーシェが視線を投げる。

 

「俺たちは、レイさんに相談しただけ。そうだよね?」

「はい。まだエネルギーは受け渡していませんし、その相談でお二人を呼んだので……」

「エネルギーを集め始めたのも、レイさんと合流してからだな。だから俺たちが集めたエネルギーは全部、レイさんの手元に行って、そこから国の回収量として計算されてるはずだ」

 

 となると。

 

「二人の他にも、アナザーエネルギーを集めている人物がいる?」

 

 ピーシェの呟きに、その場の全員が首を縦に振った。

 そうして全員の顔を見回したあと、うずめが拳を強く合わせて、

 

「いよっし! そうと決まれば、とっとと捕まえるか!」

「次にどこのエネルギーを回収するとか、そういう目途はついてるの?」

「大方だけど。まだエネルギーが回収されてないから、この付近かも、って」

「じゃあ~、いくしかないね~!」

 

 プルルートの掛け声を合図に、エリスとピーシェが立ち上がる。

 

「も、もう行かれるんですか? いくらなんでも、もっとこう対策とか……」

「いつ手遅れになるか分かんねえからな。それに対策なら俺とエリっちがいる」

「レイさんはいつも通り回収作業をお願い。もし何かあったら、こっちから連絡するから」

「……わかりました。みなさん、お気をつけてくださいね」

 

 そうやって見送られながら、エリスとうずめが喫茶店の扉を開ける。

 

「プルルートちゃん、ピーシェちゃん」

 

 ベルが鳴っている中、レイが意を決したように二人を引き留めて。

 

「な~に?」

「その、時間があったらまた、お茶でもしませんか? お二人のお話、聞きたくて」

「いいよ。これが終わったらまた、ここで」

「……はい! 私、ずっとここで待ってますから!」

 

 満ち足りたようなレイの笑みを最後に、ピーシェが扉を閉める。

 乾いたベルの音が、閑散とした店の中に響き渡り、やがて消えていった。

 

 

「最初はレイさんが怪しいと思ってたんだよね」

 

 森の中を歩きながら、ふとエリスが漏らした言葉だった。

 

「どうして?」

「前にそういうことがあったから。でも、実際は違った。ちゃんと国に協力してたし、女神にも否定的じゃなかった。本来ならあっち側でもおかしくなかったんだけど、……ああ、そっか。クロワールがいないからか。それだけの力もなかったみたいだし、本当に今回は……」

 

 ぶつぶつと並べられる言葉を、ピーシェが理解することはなかった。

 元より彼女はそうだった。時たま、というよりそこそこの頻度でネプテューヌやイストワールにすら理解できないことを口走ることがある。思えばかなり奇妙な行動ではあったが、今となってはそれも懐かしく思える。

 気づけばピーシェの口元には呆れたような、安心したような笑みが浮かんでいた。

 

「……どうしたの?」

「別に。前とあんまり変わってないな、って」

「何それ」

 

 返ってきたその言葉に、エリスもおかしそうに笑う。

 

「でも、やっぱり俺は変わったよ」

「どこがさ」

「今の俺はネプテューヌの偽物じゃない。エリス、っていう一人の人間なんだ」

 

 意図があまり掴めない。不思議そうにピーシェが首を傾げる。

 

「つまり、ピーシェが言うネプテューヌは、一年前に役割(ロール)を終えて死んだ、ってこと」

「……でも、ねぷてぬは生きてるよ?」

「ううん。エリスとして生まれ変わったの」

 

 だから、と彼女はピーシェへ指を立てて、

 

「俺の事はこれから、エリスって呼んでよ」

「……意味あるの? それ」

「さあね。俺もそれを探してる」

 

 少し気取ったように、頬をにやりと吊りながら、エリスが告げた。

 

「じゃあ~、こんどからエリスちゃん、ってよぶね~?」

「うん、それでいいよ。プルルートはちゃんと言うこと聞いてくれて偉いな」

「だって、そうすればエリスちゃんはかえってくるんでしょ~?」

 

 そこで、頭を撫でようとしていたエリスの手が止まる。

 

「……かえってきてくれないの?」

「それは……」

「みんな待ってるんだよ? ネプもネプギアも、他の国のみんなも」

「………………」

 

 沈黙が破られたのは、しばらくの時間が経ってからだった。

 

「……やっぱり、このままじゃ帰れない。俺は、エリスとしての役割(ロール)を見つけないと」

「そんな……」

「でも、そのやるべきことが、みんなのところへ帰るってことなら、その時は――」

「――っと、良い感じのところ悪いな。見つけたぞ」

 

 続くエリスの言葉を遮るように、うずめがこちらへ語り掛ける。

 

「ほんと?」

「ああ。この先に居る。まだこっちには気づいてないみたいだな」

「静かにね。逃げられないように」

「こっそり~、こっそりね~」

 

 ゆっくりと進むプルルートに続いて、三人が足音を消しながら進んでいく。

 茂みの向こうに見えたのは、一人の少女だった。灰色のパーカーを着込み、フードの端からは短く切った緑の髪が覗いている。肌はひどく青ざめていて、肩には一本のピッケルを担いでいた。

 ピーシェはそのピッケルを見て、エリスはその風貌を見て確信に至る。

 

「あいつだ」

「そういえばいたな、あんなヤツ」

「で、どうすんだ? このまま一気に捕まえるか?」

「おはなしすれば、わたしてくれるかもよ~?」

「それはないよ。絶対」

「なんで~?」

「俺のカン」

 

 プルルートが口を尖らせるが、それ以上の言及はしなかった。

 昔から彼女の勘は当たる。ピーシェもプルルートも、それを理解していた。

 

「とりあえず拘束しよう。話はそれから」

「でも、どうやって……」

「こうするの」

 

 エリスが手を翳した途端、彼女の背後に無数の槍が姿を表した。

 そのまま放たれた槍は少女を囲むようにして、地面へと突き刺さっていく。

 

「な、ななな、なんスかこれ! おい! どうなってるんっスか!」

「……なるほど」

「行くよ。何されるか分かんないから」

 

 ブラックハートの剣を生成しつつ、エリスが茂みをかき分ける。

 

「これ、あんたたちがやったんスか!? いきなりなんなんスか、ほんとに!」

「黙れ」

 

 叫ぶ少女の首元へ、エリスが握った剣を突き付けた。

 

「ひえ……」

「面倒だから直接聞くけど、エネルギーを無断で集めてたの、お前だろ」

「な、何の話っスかね……?」

「とぼけるな」

 

 冷たく言い放つと同時、首に当てた剣を静かに引いていく。

 少女の青白い肌に、うっすらと赤い筋が走っていった。

 

「……だいぶ手荒じゃない?」

「ま、これくらいやっとかないと再犯するからな」

「いいなあ~、わたしもああいうのやりた~い」

 

 なんて会話を交わす三人へ、少女が視線を向ける。

 

「プラネテューヌの女神ども……なるほど、もうバレてるってわけっスか」

「大人しく投降しろ。そうすれば危害は加えない」

「はいはい、分かったっスよ。降参、降参……」

 

 観念したように、少女が両手を挙げて呟く。

 そして、そのままゆっくりと、地面へ手のひらを付けて――

 

「なんて、まんまと引き下がれるわけないじゃないッスか!」

 

 少女の叫びへ応えるように、突如として地面が大きく揺れた。

 瞬時にエリスが翼を展開、そのまま後方への回避を試みる。

 しかしながら、大地を割って出現した巨大な腕が、彼女の右脚へと伸びる。

 視界はそこで土煙に覆われた。その向こうに見えるのは、巨大な何かの影で。

 

「……っ、変身!」

 

 眩い光に包まれながら、ピーシェが上空へと舞い上がる。

 煙を抜けたのは彼女が最後だった。既に変身した二人は、眼下の様子を伺っている。

 

「センパイ、どうなってるの!?」

「わかんないよ! 何か腕っぽいのは見えたけど……」

「じゃあ、はっきりさせましょうか」

 

 言い合う二人を黙らせるように、アイリスハートが剣を振るう。

 果たして、土煙の晴れたその先に鎮座していたのは、

 

「ダークメガミ……!」

 

 一年前に打ち倒したはずの黒い巨人、その半身であった。

 

「エネルギーが足りなくて、頭と右腕だけしか()()()()()()()()っスけどね。お陰でこんな不格好なザマっスけど、それでも今のあんた達には厳しいんじゃないっスか?」

「……あなた、何者よ」

「そうっスねえ……マジェコンヌを継ぐ者、とかどうっスか?」

「ふざけるな!」

 

 巨大な斧を生成したエリスが、それを大きく振るう。

 手応えは殆どなかった。泥を拭うような感触で、ダークメガミの腕が落ちる。

 違和感を覚えながらも、エリスが後方へと飛翔。同時に盾を生成しながら様子を伺う。

 切り落とされた切断面からは、既に黒い霧による再生が始まっていた。

 

「……あの調子じゃ、何やってもムダだな」

「方法はないの?」

「あるにはある、けど」

 

 返す声に、力は入っていなかった。

 

「とにかく、俺だけで何とかする」

「何とかって……」

「きっと、アレを何とかするのが、俺の最後の役割(ロール)だから」

 

 言葉を待たずして、エリスの体が光に包まれる。

 現れたのは、プラネテューヌの女神を模した、もう一人の黒き女神。

 その背中に携えるのは、透色の翼ではなく、黒鉄に染まる六枚の――

 

「――七枚?」

 

 腰から尾のように生える新たなその翼に、イエローハートが呟いた。

 埋め込まれた結晶は、夕焼けの光を閉じ込めたかのような、紅に染まっている。

 

「イグニッション!」

 

 叫びと同時、新たな翼が一瞬にして赤熱を始めた。

 周囲の空気が歪み、心臓の鼓動のように熱波が放出されていく。

 虚空から取り出したのは、オレンジハートのものと同じ、巨大なメガホン。

 逆手に持ったそれに盾を接続すると、それはパイルバンカーへと姿を変えた。

 

「はああぁぁああああ!」

 

 解放。衝撃波を放ちながら、アナザーハートが空を駆ける。

 直後に轟音が鳴り響き、びりびりと肌を焼くような振動が辺りへと伝わっていった。

 白煙が立ち込める。赤熱した翼が急速に冷却されたことによるものだった。

 そして煙が晴れた先、広がっていた光景は――

 

「残念だったっスね、女神サマ」

 

 崩れ落ちた頭部の再生を始める、ダークメガミだった。

 

「……ま、そりゃそうなるか」

「負け惜しみっスか? ダサいっスよ」

 

 右腕を振り上げたダークメガミに、すぐさまエリスが体を翻す。

 盾の接続を解除。メガホンを手放し、次に生成したのはイエローハートの戦爪だった。

 

「ほらほらほら! 次は何見せてくれるんっスか!?」

 

 繰り出される攻撃を回避しながら、アナザーハートが盾を展開。

 宙を舞う複数のパーツだった。それに混じるようにして、戦爪も彼女の周囲に浮かぶ。

 そうしてアナザーハートが拳を振りかぶり、突き出そうとした、その瞬間。

 空中を漂っていた盾と戦爪が彼女の右腕へと集結し、巨大な装甲へと姿を変えた。

 

「おらッ!」

 

 空を駆ける衝撃が、ダークメガミの胸を貫く。

 すぐさま装甲が分解し、再びアナザーハートの周囲で待機する。

 それと同時にダークメガミの胸も、瞬時に再生を始めていた。

 

「次!」

 

 振り抜く直前の左脚に、再び装甲が形作られる。

 一閃。脚撃が大気を貫き、ダークメガミの首を切り落とした。

 直後にまた、首の再生が開始。黒い霧がダークメガミの体を包む。

 それを見越したアナザーハートが宙へと逆さまになって浮かび上がる。

 

「――最後ッ!」

 

 ばらばらになった装甲は三度、彼女の右脚へ纏わりついてゆく。

 そのまま踵落とし。虚空を走る衝撃波が、ダークメガミを大地ごと両断した。

 地面に着地。パージした戦爪と盾が、そのまま消えていく。

 

「やっぱ三回が限度だな、これ……」

 

 吐き捨てたエリスがすぐに真横へ跳躍。直後、振り抜かれた拳が空を切った。

 ふらふらと覚束なく上昇するアナザーハートを守るように、三人が前へ出る。

 それを見上げるのは、ゆっくりと再生を始めているダークメガミだった。

 

「もう終わりっスか? 女神サマも大したことないっスね」

「…………」

 

 呆れたような少女の言葉に、エリスは何も答えない。

 その沈黙を破るように、ダークメガミの頭部から無数のレーザーが放たれた。

 

「センパイ! あれ、なんとかならないの!?」

「ならないっていうか、今のうずめたちじゃ何ともできないっていうか……」

「はっきり無理って言ったらどうなの?」

「うわーん、後輩いじわる! うずめ、そんな風に育てた覚えないのに!」

「育てられた覚えもないんだけど!?」

 

 なんて、ダークメガミの周囲を飛びながら言葉を交わす程度の余裕はあった。

 だが、未だに決定打は見つからない。故に持久戦になってもこちらが不利になる。

 心配そうにピーシェがエリスへと視線を投げるが、彼女は黙って目を逸らすだけ。

 

「手詰まりみたいっスねえ?」

 

 こちらの意図を理解したのか、少女が口元をにやりと歪ませる。

 

「だったらもうあんた達に用はないっス。大人しくここでくたばるっスよ!」

「……っ!」

 

 ダークメガミが天を仰ぐ。それと同時に、光がその頭部へと収束を始めた。

 肥大化する光球は既に本体を優に超える大きさとなって、巨大な影を作り出す。

 

「ちょっと、アレどうするの!? あんなの喰らったらやられちゃうよ!」

「そうねえ……ここはやっぱり、先輩の意見を聞くってのはどう?」

「……気合で耐えろ!」

「ムチャいうな!」

 

 そうやって言い合う三人の前で、エリスが盾を展開しながら翼を大きく広げた。

 

「……やっぱり、耐えるしかないな」

「だから、それはムチャだって!」

「俺だけの話だ」

 

 短く答えると、エリスが周囲へとアナザーエネルギーを解き放つ。

 薄い硝子のようだった。球体状となった紫の障壁が、三人を包み込む。

 

「俺だけって……どういうこと! ねえ!」

「……分かってるでしょ。ピーシェだって、そこまで馬鹿じゃないはずだ」

「だから、説明してよ! どうする気なの!? エリスっ!」

「説明したって、どうせ聴いてくれないだろうし」

「そんな……!」

 

 震えるようなピーシェの声に、エリスが振り向いて。

 

「後は、頼んだ」

 

 口にしたその言葉に、エリスはどこか体が軽くなるような、そんな感触を覚えていた。

 言い残せた。伝えることができた。それだけで、彼女にとっては充分だった。

 それが最後の役割なのだと、そうやって確信できるほどには、晴れやかな気分であった。

 たとえこの身が朽ちようと、後悔はない。もう思い残すことは、本当に何も――

 

「この、バカっ!」

 

 ぱりん、と。

 思考を遮ったのは、イエローハートの叫びと、何かが割れるような音だった。

 

「あ」

「え?」

「な……!」

 

 驚くエリスの胸倉を掴み上げながら、ピーシェが叫ぶ。

 

「ほんっと変わってないよね、そういうとこ! ぴぃたちが居ない一年間もそうやってたの!?」

「べ、別にそういう訳じゃ……ってか、せっかく張ったシールドなんで壊すんだよ!」

「エリスが一人になるんなら、あんなの無いほうがマシだよ!」

「お前……っ、何言ってるんだよ! このままじゃ全滅するぞ!」

「気合で耐えろってセンパイも言ってたでしょ!」

「それを無茶って言ったのがお前だろ!」

 

 取り留めのない言い合いが交わされる。その間に、光球が肥大しているにも関わらず。

 かといって介入する余地もない。珍しくオレンジハートが肩を落としながら、息を吐いた。

 

「みんな~……? そんなことやってる場合じゃないと思うんだけど……」

「でもいいじゃない、面白くて」

「そういう問題じゃないと思うんだけどな、先輩としては!」

 

 少しの怒気を混ぜながら、オレンジハートが言い返す。 

 

「……というより、君は何してるの?」

「待ってるの。きっと、あと少しだから」

「待ってる、って……いったい、何を……」

 

 疑問に思いながら、うずめがアイリスハートと同じように空を見上げる。

 そして、同じ空色の瞳に映ったのは、紫色の煌めきで。

 

「……流星?」

 

 呟いた瞬間、それは機動を急激に変え、こちらへと向かってくる。

 音はなかった。静寂と共に、一筋の剣閃。それはダークメガミの頭上の光球を両断した。

 

「は? 何っスか、これ――」

 

 次いで轟音。吹きすさぶ衝撃波と、空気を轟かす爆音が五感を埋め尽くす。

 唯一、微動だにしなかったアイリスハートの、その視線の先に佇むのは。

 

「――ごめんなさい、遅れたわね」

 

 透色の翼を輝かせる、パープルハートだった。

 

「ネプ! やっと来た!」

「これは……ダークメガミ? 一年前に倒したはずじゃないの?」

「肩に乗ってるちっこいのがアナザーエネルギーを集めてたの!」

「……天王星、うずめ? なんであなたがここに……」

「その言葉、こっちの子にも言ってあげたら?」

「あ、やめろ! おい!」

「こっち?」

 

 そこで彼女が、大きく目を見開いて。

 

「あなた……? どうして……」

「……あーもうっ! 今その話は後で! ほら、ネプテューヌ!」

 

 手を伸ばしたその先に、エリスが盾を展開する。

 言葉は要らなかった。パープルハートが握った剣を、変形した鞘へと納める。

 そして二人が巨大な剣を掲げると、天上へと向かう光の柱が表れた。

 

「行くよ!」

「ええ!」

 

 顔を見合わせ、互いに頷き、二人の女神が空を駆ける。

 最早、止められる術はなかった。ダークメガミが咆哮を放ちながら右腕を振り上げる。

 そして――

 

『――ツインクロス・ネプテューヌ!』

 

 

『とりあえず、こちらの確認作業も終わりました。いつでも帰ってきていいですよ』

「うん、わかった。ありがと」

 

 イストワールの言葉にそう返しながら、ピーシェが端末の電源を落とす。

 結局、アナザーエネルギーの回収を行っていたのは彼女で確定らしい。

 その目的も単純で、ダークメガミを再現してプラネテューヌを落とそうというものだった。

 ひどく突飛で嘘くさい動機ではあるが、本人が早くに諦め自白したので、そういうことらしい。

 なんとも迷惑な話である。肩を落とすと、想像以上に深い溜息が出た。

 

「でも、今後も警戒しておいた方がいいよ。馬鹿って言うのはどこからともなく表れるからね」

「ほんとにね」

 

 エリスの言葉に、ピーシェが冷たい視線で返す。

 

「ってわけで、俺たちはここで」

「は?」

「ネプテューヌも忙しいだろうから、よろしく伝えておいて」

「いや、ちょっと……」

「じゃあな、ピーシェ! ちゃんと風呂入れよ! 歯ァ磨けよ! 九時前には寝ろよ!」

「それは早すぎだと思うんだけど!」

 

 などというピーシェの言葉も聞かず、エリスが走ってその場を後にする。

 追いかけようとした彼女の真横を通り過ぎたのは、アイリスハートの蛇腹剣だった。

 

「おぶっ!?」

「エリスちゃん? どこ行こうとしてるのぉ?」

「なんで変身……いや、だから、外せない用事があるって……」

「そんなもの、今のエリスちゃんにはないでしょ?」

「友達いないって言いたいのかお前! それくらいの知り合いはおるわ!」

「先輩に聞いたけど、そんなものないって言ってたわよ?」

「うずめ!? お前、裏切ったな!?」

 

 遠くから聞こえる悲痛な叫び声に、うずめが頬を掻きながら笑う。

 

「いやー、さすがに観念したほうがいいんじゃねえか、エリっち?」

「なッ……! どうして諦めるんだよ! 俺の知ってるうずめはそんなこと絶対に言わないぞ!」

「むしろこの一年、ねぷっちたちに見つからなかった方が奇跡じゃねーのか?」

「だから、その奇跡をこれからも起こしていこうって……」

「……カップ麺、飽きたんだよな」

「最近のおいしいヤツ多いじゃんッ!」

 

 そういう問題ではない。思わずうずめが頭を抱える。

 

「クソっ……早く逃げないと、手遅れに……!」

「……ねえ」

「はひっ」

 

 背後から優しくかけられた言葉に、エリスがびくりと肩を震わせる。

 恐る恐る振り向いた先に立っていたのは、菩薩のような笑顔を浮かべるネプテューヌだった。 

 

「あ…………」

「久しぶりだね」

「いや、その……そう、ですね……?」

 

 慎重に反応を伺いながら、エリスがしどろもどろになって返す。

 

「……私の言った通りだったでしょ?」

「え?」

「君も私も生き残って、二人でここにいる。これって、奇跡じゃないのかな?」

「……は、は」

 

 気が付けば、口から笑みが零れていた。上手く続かない、乾いたものだったけど。

 仰向けになって見上げた空には、逆さまになったネプテューヌが映っていて。

 そんな彼女の浮かべる笑みは、太陽のように明るかった。

 

「やっぱり敵わないな、ネプテューヌには」

「そりゃそうだよ。なんてったって私は、プラネテューヌの女神なんだから!」

 

 笑い合う二人の元へ、ピーシェとプルルートが駆け付ける。

 

「エリスちゃん~、やっぱり帰ってくるの~?」

「エリス? 君、今はエリスって名前なの?」

「うん。みんなもそっちの方が呼びやすいでしょ」

 

 一度、ネプテューヌの問いかけに返してから、ふむ、と考える。

 

「……まだ、分からない」

「分かんないって……ダークメガミも倒すのが役割、って言ってたじゃん」

「それももうたおしたから、ぜんぶおわったんじゃないの~?」

「だと思ってた。でも、まだやるべきことがあるかもしれない。それを探さないと」

「そんなの、もう決まってるじゃん」

 

 ネプテューヌの言葉に、三人が不思議そうに視線を向ける。

 

「私も君も、みんなも笑えるトゥルーエンドを、一緒に迎えようよ」

 

 ああ、そうだ。そうだった。

 記憶が蘇る。来るはずのないと思っていた未来が、すぐそこまで来ている。

 ハッピーエンドでも、バッドエンドでもなく。

 皆で笑い合える、本当の結末が。

 

「……ただいま」

 

 短く告げたその言葉に、三人が笑い合う。

 そして。

 

 

『おかえり、エリス!』

 

 

 ――さて。

 

 これにて虚構による彷徨は終焉を迎え、また新たな物語が紡がれる。

 果たしてそれは新たな彷徨か、あるいは平穏で退屈な日常か。

 その物語の結末を知る者は、誰もいない。

 ただ一つだけ、確かなことは。

 

 エリスの物語は、ここから始まる――

 

 

 『虚構彷徨ネプテューヌ』 結

 




活動報告にてあとがきと電子版についてのお知らせを掲載していますので、ぜひご覧ください


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。