天才兎に捧ぐファレノプシス (駄文書きの道化)
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第1章 目覚める夢
Prologue


「やぁ」

 

 

 声をかけて来たのは何者かだった。逞しい男のようで、華奢な女のよう。狡猾な老人のようで、無邪気な子供。まるで印象がはっきりとしない。

 自分はただ声を聞く事しか出来ない。しかし奇妙だ。声は聞こえているのに、自分がここにいる事を認識しているのに身体を自由に動かす事が出来ない。いや、そもそも肉体があるのかさえわからない。

 声を聞いているこの状況にどうして陥ったのかもわからない。何もかもがわからず、動けず、声を聞く事しか出来ない。なのに不思議と恐怖を感じる事はなかった。まるでそうである事が当たり前のようにさえ思える。

 

 

「随分と落ち着いているね。いいや、落ち着いているんじゃない。抜け落ちたのさ。元からそうだったのか、死んだ際に落としてきてしまったのか、それは定かではないがね」

 

 

 死んだ。投げかけられた言葉に酷く納得した。あぁ、死んでしまったのなら身体が動かないのも仕方がない。そもそも肉体なんてものはもう無くて、今ここにいる自分は所謂、魂という奴なのではないか、と。

 抜け落ちた、という言葉には確かにそうなのだろう。死んだ、と実感してこんなにも落ち着いているなんて普通じゃ考えられない。まぁ、元から淡泊な奴だったのかもしれないけれども。

 あぁ、ダメだ。記憶が蘇ってこない。記憶が保存されるのは脳だから魂には記憶なんて残らないのかもしれない。なら自分は誰だ。わからないのに自分が自分と認識出来ているのは魂が自分のものだからなのか。記憶なんて無くても自分の魂は自分でしかないのだろうか。

 ぐるぐる、思考は目まぐるしく巡っていく。答えが出ないなんて理解しながらも考えられずにはいられなかった。何もしなければ自分は自分である証を失う。だから考える。それが唯一出来る事だから。

 

 

「面白い。君は面白い。ユニーク、とでも言えば良いかな?」

 

 

 相変わらず声は楽しげに語りかけてきている。正直ありがたい。身体も動かせない、自分が誰だったのかも思い出せない。穴抜けの自分自身を認識してしまえばどうしようもなく喪失感が苦しい。

 だからこそ語りかけてくる声はどんな声でも良かった。笑っているのは自分の状態を嘲笑っているだけなのか、それとも好意的に思ってくれているのか。いや、どうでも良いか。死んでしまったのだ。ならば語りかけて貰えるだけありがたいというものだ。

 ところで、話しかけてきているのは一体誰なんだろうか。自分が死んだというのならば死神とでも話しているのだろうか。それとも閻魔様なのだろうか。はてさて、貴方は一体何なのか教えて貰っても?

 

 

「好きに呼べば良いさ。名が何であれ本質は変わらない。君が君であるように。我もまた我。神、閻魔、死神、運命、どんな名前でも良い。君という存在の概念的に一つ上の存在だと思ってくれれば良い。

 さて、さて。こんな風に無為に言葉を交わすのも一興だが、それは出来ない。喜べ、君は新たな未来を手にする。死んでしまった君には新しい未来をあげよう。君は転生するんだよ。新しい世界で、新しい人生を。どうだい? 愉快だろう? 何故ならばこれは君が望んでいた事だ」

 

 

 自分が自分である為のパーツ。目の前に提示されたパーツに食いつかない筈がない。真実かどうかなんて知らない。どうせ何もないんだ。なら反射的にでも良い。考えても無意味ならば直感を信じて動いて何が悪い。

 だからくれるというならば貰おう。新しい未来だかなんだか知らないが貰えるというのなら貰ってやろう。自分が自分である為に。だから拒む理由なんてない。むしろ望むところだと叫びたい程だった。

 

 

「良い返しだ。迷いがない。そう君は死んだ。覆せない事実だ。真実もわからない。そもそも君が本当にいたのかなんて君には証明出来ない。しかし君は君である。

 だからこそ我は示そう。君は現実を愛していなかった。想像を愛した。誰かの想像を。現実なんて君にとって一欠片の価値がなかった。

 いいや、親、友人、世界、どれにも君は価値も思い入れもあっただろう。だが1つだけ。可能であれば全てを投げ捨ててしまう程に望む願いがあった。

 叶えてあげるよ。君の死という代価を引き替えに、君に望む現実<リアル>を与えてあげよう。

 さぁ、見せておくれ。踊っておくれ。我の娯楽の為に。君が君である為の物語を」

 

 

 

 

 

 ―――君の物語に幸があらん事を。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「胸くそ悪いなぁ」

 

 

 硬質の床を叩く靴の音には苛立ちが募っていた。苛立たしげに歩くのは女性。身に纏うのはまるで不思議な国のアリスのようなドレス。頭の上には兎の耳を模したような髪飾りがつけられている。

 浮かべる表情は笑みであったが、目はまったく笑っていなかった。苛立ちが消えないまま女性は進む。奥へ、奥へと進んでいき、そして女性は遂に足を止めた。

 そこには薄暗い闇が広がっている。その闇の中にある光源、それはポッドだった。筒状のポッドの大きさは人がまるまる入る大きさだ。ライトの色の為か、青色に見えるポッドの液体の中には一人の子供が揺らめいていた。

 口には呼吸器が付けられている。それ以外にも無数のコードが全身につけられていて、まるでモルモットのようだ。

 いや、正しくこの子供はモルモットなのだ。それが女性の心を掻き乱す。噛みしめた歯からは軋む音が立つ。笑みを消して、忌々しげに子供を睨み付けるように見た後、傍にあったコンソールへと近づく。

 

 

「廃棄予定の実験体、ね。ここに置いてけぼりにされた、って訳ね」

 

 

 ふぅん、と。女性は呟きの後、苛立たしげにモニターを殴りつける。流石に砕けるなどと言う事はないが、相当に鈍い音が響いた事から女性の怒りの度合いを察する事が出来るだろう。

 

 

「……巫山戯た真似をする。絶対に見つけ出して報復してやる」

 

 

 呟き、女性は一つ溜息を吐いた。再びコンソールに指を踊らせる。それが何かのコマンドだったのだろう、鈍い機械音を立てて子供が収められているポッドの液体が排出され、中に入っていた子供が解放される。

 液体に濡れた髪の色は黒。顔立ちは東洋人のもの。その子供の顔はとても見慣れた顔によく似ていて女性は苛立ちを隠せなかった。どこから取り出したのか、虚空からバスタオルを出して子供に繋がれたコードを外しながら濡れた身体を拭う。

 ぼんやりとしていた子供の視線が女性へと向けられた。視線を向けられた事で女性もようやく子供が自分を見ている事に気付いて顔を上げた。

 

 

「……篠ノ之 束……」

 

 

 子供の口から紡がれた名に女性は、篠ノ之 束は笑みを浮かべて子供に向き合う。まるで親しい者に笑いかけるように、束は明るく無邪気に振る舞った。

 

 

「そうだよ。束さんだよ。君を助けに来たんだ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 懐かしい夢を見ていた。束が目を開いてみれば見慣れた天井が見えた。

 ふと鼻をつついたのは香ばしい匂い。匂いにつられて残っていた眠気はどこかへと去ってしまった。布団を剥ぎ取って身を起こそうとして……やはり止める。再び布団を被って瞳を閉じる。

 香りは食欲を促進させてくる。涎が抑えきれず、零れそうになるのを飲み下しながら束は待ち続ける。気分としては鼻歌を歌いたいが寝たふりをしているのでそれも出来ない。

 一体どれだけ待っただろうか。束に寄ってくる存在がいた。束は身動きをせず、眠ったふりを続ける。

 

 

「束、起きて」

 

 

 かけられた声は男の子のものだ。束の被っている布団を揺らしながらだったが、反応が無ければどこか呆れたように溜息を吐く。

 束、と。呼びかけた声は今度は束の耳元で囁かれた。ぞくり、と束が身を震わせるのと同時に耳に息を吹きかけられた。声によって震わされていた身体は堪えきれずに声を挙げた。

 

 

「うひゃぁ!?」

「もう……。狸寝入りなんてしてると冷めちゃうよ?」

「うー、もっと起こし方ってものがあるでしょ?」

「普通にやっても起きないでしょ?」

 

 

 ばれた? とぺろりと舌を出して束は身を起こす。もう一度、子供は呆れたように溜息を吐く。暫くジト目で束を見ていたが、すぐに表情を柔らかく緩ませて笑みを浮かべる。

 

 

「おはよ。束」

「おはよ。ハル」

 

 

 ハグハグ、と束は嬉しそうにハルと呼んだ子供に顔を寄せ、腕を伸ばして抱きしめる。

 ハル、それは束が保護した子供だった。彼は束に抱きしめられれば、抱きつき返すように腕を伸ばす。ハルの体温と息遣いを感じながら束は満足げに笑みを浮かべた。

 

 

「束、ご飯冷める」

「んー、もうちょっとー」

「暖かい内に食べて欲しいな。折角束の手が空いてるんだから」

「んー、わかったよ! ハル、ご飯食べよ!」

 

 

 束の背中を軽く叩いてハルは言う。ハルのお願いに束は勢いよくハルを抱き抱えて立ち上がる。お姫様抱っこの形で抱き上げられたハルはどこか不満げな表情だったが、文句を言うことはなかった。

 二人が向かった先には二人分の朝食が用意されていた。献立は和食。ほかほかの白米に味噌汁、たくあんに鮭の塩焼きが並べられている。二人は向かい合うように席に着いて手を合わせる。

 

 

「いただきまーす!」

「はい、召し上がれ」

 

 

 束は大きな声で両手を合わせながら言い、すぐさまご飯にがっつく。そんな束の様子に微笑ましそうにハルは微笑みながら自身も食事を口に運ぶ。

 まずは白米を口に含む。ご飯の具合は束が好きな案配だ。水っぽくなく、かといって固すぎず。ふわふわと口の中で踊る白米は甘さすら感じられた。何度かご飯を噛んだ後は鮭の塩焼きを一切れ、口に運ぶ。

 少し強めの塩加減がご飯を進ませる。ご飯を進めさせるのは鮭だけではない。たくあんもまたそのさっぱりとした味付けが鮭とはまた別にご飯をの味を楽しませてくれる。あぁ、箸が止まらない。

 ほっ、と一息をつける味噌汁の味も優しく、束は笑みを浮かべて食事を進めていく。いつの間にか白米が無くなっていた事に気付き、ハルに向けて束は茶碗を差し出した。

 

 

「おかわり!」

「はい、たくさん召し上がれ」

 

 

 茶碗を差し出されたハルは嬉しそうに白米をよそって束に渡す。おかわりした白米とおかずを交互に食べながら束の食事は軽快に進んでいく。

 すぐにご飯もおかずも消えていき、最後に味噌汁の一口を飲み干して束は満足げにお腹をさすった。

 

 

「ごちそうさま! おいしかった!」

「お粗末様でした。はい、食後のお茶だよ」

 

 

 急須から注がれたお茶を渡され、束はお茶を啜る。ほぅ、と一息吐いて束は目を細めた。

 

 

「いやぁ、ハルは本当に料理がうまくなったねぇ」

「そうかな? 自分じゃよくわからないけど、束が喜んでくれるなら嬉しいよ」

 

 

 自分の分のお茶を注ぎながらハルは笑みを浮かべて束に返す。そんな姿を見ながら束は愛おしそうにハルを見つめた。

 束がハルを見つけた切欠は唐突に自分のパソコンに宛先不明のメールが送られた事から始まる。唐突に送られたメールに束は驚いたものだ。どうやって束の下へメールを届けたのか? 相手もわからない、手段もわからない。まるで不可解なメールに束は当初、信じられない思いでいっぱいだった。

 自分が世界において最高峰の頭脳を持つ事を束は自負している。自ら開発したパワードスーツ、IS<インフィニット・ストラトス>の事は勿論の事、自らのスペックは凡俗になど決して劣らない事を自覚している。

 彼女の開発したISは女性しか扱えないという欠点を抱えてはいたものの、ありとあらゆる兵器を超越する性能を秘めていた。束はそれを当然の結果だと受け止めているし、今もISの研究が進む中、束だけは一歩先を行っているのもまた事実だ。

 何から何を一人でこなせる天才。故にそんな自分の防壁を抜け、自身の場所を探り当てて届けられたメールに警戒をするな、という方が無理な話だろう。そして束は興味本位で届いたメールを目にして、怒りに怒り狂った。

 

 

 ――“織斑千冬の遺伝子を使用した実験体の結果報告について”

 

 

 それが束の下に届けられた情報の全てだった。

 束には親友がいる。その親友の名こそ織斑 千冬だ。自分と同じ天才側の人間であり、世界最強のIS乗りとして今も世界に名を響かせている束の大親友だ。

 故に許せなかった。そんな親友の遺伝子を使い、クローンを生み出して実験を行っているという外道共の所行を。メールの情報の裏を取れば、今も尚この研究が進められている事がわかり、怒りが促進されたのは言うまでもないだろう。

 そして千冬のクローンを実験に使った組織の足取りを追っている中、ハルを見つけたのだ。

 ハルは織斑 千冬の遺伝子を使って生み出されたクローンだったが、男として生まれてしまった為に廃棄予定だった。それが何の因果か、生体ポッドに入れられたまま放置されていたのを束が発見したのだ。

 何故ハルだけが残っていたのか? ハルだけ残して施設が放置されていたのかは束にもわからない。束が追っていた組織は行方を眩ませてしまったからだ。まるでその存在が無かったかのように。

 自身にすら追えなかった組織に怒りと苛立ちと僅かばかりの疑念を抱いていた束だったが、ハルを引き取って育てる内に消えていってしまった。

 ハルの状態は酷いものだった。廃棄する予定だった為か、かなり身体を弄くられていた。それが奇跡のようなバランスで保たれていたのだから束も逆に感心した程であった。

 投薬は当たり前。脳に知識を直接転写する実験や、成長促進剤のテストベット。上げればキリがない程に外道の手を尽くされたハルはまともな精神を持っている筈が無かった。

 事実、束が引き取ってから暫くハルの反応は機械的であった。転写された知識があったのか、束を認識してからは束に付き従う人形のようだった。まるでそれしか知らない、と言うようなハルが不憫に思えて、束は彼を弟のように扱った。

 ハルは千冬の遺伝子から生み出された為に千冬に似ているのは勿論だったが、千冬の弟である一夏を思い起こさせたのが束にハルを引き取ろうと思わせた要因だった。

 実際は束の知る二人とは似ても似つかない子になってしまったのだが。多種多様の知識を詰め込まれた際に人格をコントロールする為のテストベッドにされていたのも確認している。それが原因だろうと束は推測している。

 ハルは大人しく甲斐甲斐しい男の子となっていた。いつの間にか電子端末を使ってレシピを検索し、食事を作れるようになっていたし、身の回りの掃除や世話を自主的にこなしてくれるようになった。

 束はISを発表し、その性能を世に晒した“白騎士事件”以降、自分の名を轟かせて世界から畏怖の念を集め続けていた。だがある日、思い立ったように世界から姿を消して逃亡生活を続けていた。束とて望んだ状況ではなかったが致し方なかった。

 愛おしい人たちと別れて過ごす孤独の時間は寂しくもあった。研究を気兼ねなく出来るのは美点だが、愛おしい人たちと気軽に顔を合わせられないのは苦痛であった。

 それがハルを保護してから変わった。ハルは決して束に何かを望む事はない。望んだとしても束の為に何かをしたいが為だ。甲斐甲斐しく尽くそうとしてくれるハルに束は愛おしさを感じていた。

 

 

「……束? どうかした?」

「んーん。何でもないよ?」

 

 

 ハル。それが束が彼に贈った名前。千冬、一夏という名前から連想して春。そして束の孤独を晴らしてくれたというお礼を篭めて晴。二つの意味を込めてハル。

 自分が救って、自分を救ってくれた大事な子。だから束はハルを愛している。彼は自分を一心に愛してくれる愛し子なのだから。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 目が覚めた時、目の前には一人の女性がいた。濡れていた身体をタオルで優しく拭ってくれた女性を自分は知っていた。

 篠ノ之 束。世界にISという兵器をもたらし、世界を変革させた人。世界が認める天才で、自分の興味・好意がある人間以外は路傍の石も同然に扱う。“記憶”からわかったのは世界に対してのトリックスターとも言えた彼女の経歴。

 無邪気に振る舞い、世界への不満を示唆しながら己がままに振る舞う姿にどうしようもなく惹かれていた。そんな彼女が目の前で動き、話し、自分に触れているという現実を暫し、信じる事が出来なかった。

 流されるままに日々を過ごし、現実をようやく認識出来た頃、自分は歓喜に打ち震えた。篠ノ之 束に憧れ、尊敬し、恋い焦がれていたから。もしも傍に行く事が出来たなら彼女にとって特別な存在で見られたいと願っていた。

 それが自分がこの世界に生きる切欠となり、今もなお原動力として息づいているもの。自分の存在がなんであろうと構わないとさえ思える程、重要な事。

 わかっている。自分がここにいるのは何者かに与えられた“未来”というものなんだろうと。だがそんな事はどうでも良い。目の前に愛おしい人がいるという事実があれば何でも良い。

 

 

「束」

 

 

 呼べばそこにいる愛おしい人。振り向いて、抱きしめてくれる。

 それが堪らなく嬉しい。だから彼女の為に全てを使おう。与えられただろう境遇も、力も、意思も。全ては彼女の為に用意されたものだ。

 担うのは自分。原動力は彼女へ捧げた親愛。迷う事なんてない。止まる必要もない。ただ全てを彼女の為に使う。それがこの世界に自分が生まれた意味だろうから。そう信じて今日も生きていく。

 

 

 

 



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Episode:01

 篠ノ之 束のラボは驚く事に移動式である。逃亡と研究を両立する為に束が開発したこのラボは一定の場所には留まらない。そんな束のラボの住人であるハルは腕を組んで頭を悩ませていた。

 ハルの手には端末が握られている。これは束に与えられたものだ。空間ディスプレイを展開する等、多機能に優れた束のお手製の高性能端末。現在、端末が表示しているのはラボに備蓄されている食糧のリスト。

 

 

「期限が近いものがコレとコレだから……うん、今日はパスタにしようかな」

 

 

 期限が近いものをリストアップして食事の献立を立てる。備蓄は充分なので仕入れるのはまだ先で良いだろう、とリストを閉じる。

 ハルが束に保護され、束の身の回りの世話をするようになってから食糧や日用品の管理はハルが行っていた。必要があればお金出すから、と軽い調子で束は言っていたが、束は一体どこから研究資金を捻出しているのだろうか、と疑問に思う。

 

 

(まぁ、いいや。束が笑ってるならそれで。僕が心配しても仕方ないし)

 

 

 ハルは扉で仕切られた部屋を見る。今も束は部屋に籠もって研究を続けているのだろう。息抜きに茶でも煎れようかな、とハルはお茶の用意を始める。

 束は放っておけば当たり前のように徹夜をする。最初に空腹と睡眠不足で倒れた束を見た時は心臓が止まりかけた、とハルは過去を思い返す。それから自分が見てあげなければ、と心掛けるようになったのは結果的に良い事だったと思う。

 研究に没頭するのも良いがもっと自分の身体を労って欲しいとハルは思う。束が自分でブレーキをかけられないなら、その役目を自分がすれば良い。それが束の為になるならそれで良いだろう、と。

 

 

「クッキーでも作ってあげようかな」

 

 

 お茶だけじゃ口寂しいだろうし、少し休憩させないと。材料を用意し、キッチンに立つ姿は余りにも様になっている。束の喜ぶ顔を想像してハルは笑みを浮かべ、小さく気合いを入れた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……うにゃ」

 

 

 束の口から気の抜けた声が漏れた。ぐったりと椅子に背を預けて身を投げ出す姿はどこからどう見ても疲れている。長い事、ディスプレイと向かい合っていた為だろうか。ぼやける目を軽く揉みほぐした後、目薬を取り出して目にさす。

 じわり、と広がっていく爽快感に目を何度か瞬きさせて、また力を抜いてぐったりと身体を投げ出す。うー、あー、と意味の無い言葉が束の口から無造作に零れる。

 そんな束の耳に届いたのは扉をノックする音。はぁい? と扉の向こうに束は声をかける。中に入ってきたのはハルだ。ハルの手にはトレイがあり、ティーカップとクッキーが乗せられているのが見えた。

 

 

「束。差し入れだよ。……休憩してたみたいだね。丁度良かったかな?」

「ハルー! 愛してるー!」

「はいはい」

 

 

 束はバネ仕掛けの人形のように起き上がり、両手を挙げて喜びを露わにする。そんな束にハルは笑みを浮かべる。

 研究室の適当な場所に陣取って二人で肩を並べて座る。まずおしぼりを渡して手を拭かせる。それからハルは束にティーカップを手渡した。ティーカップの中身は紅茶だ。

 紅茶を口に運び、束は一息を吐く。紅茶の味は疲れた身体をリラックスさせてくれる。続いて口に運んだクッキーは控えめだが、しっとりとした甘さは糖分を求めていた身体には堪らない。

 

 

「んん~! おいしい!」

「どうもありがとう」

「ほらほら! ハルも食べてよ!」

 

 

 クッキーを一つ摘んで束はハルへと差し出す。差し出されたクッキーにハルはきょとん、と目を瞬きさせたが、束の意図を察してクッキーを啄むようにして受け取る。

 

 

「おいしいでしょ?」

「僕が作ったんだけどね。……でも、束が食べさせてくれたら味見した時よりおいしかったよ」

 

 

 少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、けれど笑みを浮かべてハルは束に言う。にっこりと笑うハルの姿に束もまた笑みを深めた。

 ハルもクッキーを一枚取って束に向けて差し出す。

 

 

「はい。おかえしだよ。束、あーん」

「え?」

「だから、あーん」

「……あーん」

 

 

 先ほど自分がハルにしてあげたように、束はクッキーを啄むように咥え、口の中に入れて笑みを浮かべる。

 こうしてクッキーが無くなるまで二人は交互にクッキーを食べさせ合う図が生まれる。クッキーが無くなれば、丁度紅茶も飲みきってしまった。

 束は満足げに唇を舐め取った。疲れた身体には充分な休息だった。そんな束にハルは微笑ましそうに見ていたが、不意に鼻をひくつかせて束に顔を寄せた。突然のハルの行動に束は首を傾げる。だが、すぐ何かに気付いたように気まずそうに目を逸らす。

 

 

「束、お風呂入った?」

「……て、てへ?」

 

 

 先ほどまで笑みを浮かべていたハルはどこへ行ったのか。何か言いたげな表情で束を睨むハル。束は目を左右に泳がせて視線から逃れようとするも、ハルが更に近づこうとした為、束は後ろに仰け反った。

 

 

「……束? 徹夜は良いけど、お風呂にはちゃんと入って、って言ったでしょ?」

「そ、そのね? ちょっと、その、手が止まらなかったかなー……? て、てへ?」

「……束?」

「う、わ、わかったからそんな目で束さんを見ないでよぅ! 入る、入るからぁ!」

 

 

 ハルは知っている。束は実生活はかなりのズボラだと言うことを。他人に興味がない束は他人に見せたり、他人の前に出るという意識が限りなく低い。なのでハルが来た当初はもっと酷かったのだ。

 研究に没頭していれば風呂にも入らない。食事は空腹寸前まで取らない。睡眠時間もばらばら。基本的に服は着回し。一緒に生活を始めたハルにとっては見たくもなかった、だらしない女性の私生活をまざまざと見せつけられたのだ。

 これはいけない、と束の生活習慣を改善しようとハルはこの点においては束に口うるさい。研究が束にとって何よりの楽しみであり、大事なものかを知っているから研究自体を邪魔する事はない。

 だが、その休憩の合間に食事や風呂に入る事を約束させたのだ。最初は束も研究に没頭して忘れる事も多かった。だが、ハルが根気よく注意した事によって改善されつつあった。

 例えばこんな事件もあった。束が風呂に入らなかった時の話だ。普段は注意で済ませるハルもこの時は怒ったのか、臭うよ、と束に告げたのだ。

 束はハルのストレートな一言にショックを受けた事がある。それから暫くハルが抱きしめさせてくれない、という束にとって罰ゲームがあったのだ。

 誰かに臭うと言われる事がこんなにもショックを受けるのだと、束が改めて気付いたのは果たして幸運だったのか、不幸だったのか。

 

 

「うー、面倒くさー」

 

 

 臭う、と言われるのは嫌だが、風呂に浸かるのも束は苦手だった。束にとって身を清める際にはシャワーで汗を流して、頭をすっきりさせる程度だった。

 風呂に長々と入っているのは好きじゃない。だからラボにも当初、シャワーしかつけていなかった。けれどハルが、女性がそんなんじゃいけない、と珍しく我が儘を言ったので風呂を新たに作ったという経緯がある。

 しかし束は風呂は苦手でも、風呂に入る事そのものは嫌じゃなかった。何故ならば脱衣所には自分だけでなく、ハルの姿もあるからだ。

 束は自分で髪を洗ったりするのが面倒なので適当に済ませていたのだが、それをハルに指摘されてからハルが一緒に入って髪を洗ってくれたのだ。それで味を占めたのか、束は風呂に入る際にはハルと一緒に入るようにしている。

 ハルとしては本当は断るべきなのだろう、とは思っている。だが束のお願いならば断り切れないのがハルなのだ。何度か抵抗を試みた事もあったが、それでもやはり断り切れず、今の習慣が出来てしまっている。

 

 

「かゆいところはありませんかー?」

「うー、無いよー」

 

 

 束は目をぎゅっ、と閉じて笑う。泡立てた手で束の髪を優しく洗っていくハル。昔は痛んだ髪も今ではしっとりと美しさを保っている。束も磨けば光る女性なのだ。埋もれさせるのは勿体ない、とハルは思っている。

 束が気を使わないなら自分が綺麗にしてやればいいや、とどこか投げやり気味にハルは思いながら束の髪を洗っていく。丁重に髪を洗い終えた後は蒸しタオルに束の髪を包んでおく。

 

 

「背中流すから後は自分で洗ってね」

「全部洗っても良いんだよ?」

「ヤダ」

 

 

 束の冗談にハルは軽口で返して背中を流す。背中を流すまではタオルで身体を覆ってもらっているのだが、背中を流す際にはタオルを外さなければならない。普段は髪で隠れて見えないうなじや背中が見えて気恥ずかしくなる。

 なんとか無心で束の背を流し終えれば、今度は自分の番だ。代わるように束がハルの背中に回る。

 

 

「私も背中流すー!」

「ん、お願い」

 

 

 互いに身体を洗い終えれば二人で湯船に浸かる。束が先に入り、ハルが束に抱きしめられる形で湯船に浸かる。二人でまったりと息を吐きながら時間を過ごしていく。

 これが二人のいつものお風呂風景。たまに泡風呂などで束が遊ぶ事もあるのだが、よほど煮詰まった時でなければ泡風呂に浸かる日は来ない。

 

 

「なんでアヒルなんだろうね、こういう玩具って」

「知らない」

 

 

 束が手を伸ばして湯船に浮かぶアヒルの玩具をつつく。ハルを抱きしめているのでハルの背中には束の豊かな果実が押しつけられているのだが、正直気が気でない。煩悩は退散せよ、とただ無心になろうと心掛ける。

 すぐに上がろうとする束に子供のように100を数えさせる。風呂を上がった後は濡れた束の髪を乾かして櫛で梳いてやるのがハルの習慣だ。束の髪に触れながらハルは満足げに言う。

 

 

「枝毛も随分無くなったね」

「そう? 前より櫛に引っかからなくなったのはわかるけど」

「ちゃんと自分でこれだけケアしてくれれば僕も何も言わないのに」

「ヤダ」

「ズボラ」

「ちーちゃんよりはマシだよ! ……あ」

 

 

 束は気まずげに口を閉ざした。ハルが眉を寄せたからだ。ちーちゃんと言うのは織斑 千冬の事。つまりハルにとってはオリジナルと言うべき存在なのだが、ハルは千冬の事を快くは思っていなかったりする。

 別に自分の境遇を怨んでいる訳ではない。ハルが千冬を快く思っていないのは束にとってズボラな判断基準を与えたのは千冬のズボラさが原因の一つになっているからだ。

 自分のオリジナル、という事もあるし、写真で見せて貰った限りでは美しい女性なのだ。なのにどうして自分の持っているものを大事にしないのかと、ハルにとっては文句が出る相手なのだ。だから言い訳に千冬を使われるのがハルには嫌だったりする。

 

 

「人を言い訳に使わない。良いね?」

「ぶー……はーい」

 

 

 よろしい、とハルは一言呟いて束の髪に櫛を通した。抵抗なく櫛を通す髪の感触にハルは笑みを浮かべた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「おいしい!」

 

 

 ハルが夕食に作ったのはペペロンチーノ。シンプル故に作り手の技量が試される料理なのだが、束にとっては好評なようでぺろりと平らげてしまう。

 

 

「日本食も良いけど、ハルの料理は何でもおいしいから好きだよ!」

「それは嬉しいけど、作り甲斐がないなぁ」

「んー、じゃあ今度あれ作ってよ! ローストビーフ!」

「束ってお肉好きだよね。まぁ、いいや。じゃあ今度はローストビーフを作っておくよ」

 

 

 束が笑みを浮かべて言ったオーダーにハルは了承する。後でレシピにもう一度、目を通しておこうと思いながら。

 束は自分の分のペペロンチーノを食べきってしまったのだが、まだハルの皿にはペペロンチーノが残っていた。まるでそれを子供のように見つめる束。じー、と口でわざわざ言うオマケまでついている。

 

 

「……しょうがないな。ほら、あーん」

「あーん!」

 

 

 見かねたハルが苦笑してフォークにペペロンチーノを搦めて束に差し出す。そうすれば束は満面の笑みでペペロンチーノに食いつくのであった。

 食事が終わって一息を吐いていたのだが、風呂にも入って身体を温め、食事を取って満腹になった束は疲れからか眠気が襲って来たようだ。こっくりこっくりと船を漕いでいる。

 束が船を漕ぎ始めたのを見てハルは束のベッドのシーツなどを取り替えておく。シーツの交換が終わった頃には束も半ば眠りに誘われている状態だったので、束の手を引いてベッドまで連れて行く。

 うー、と唸りながら目を擦る束の姿はまるで子供のようでくすり、と笑いが零れてしまった。

 

 

「ほら、束、着替えて?」

「……やだ」

「やだ、じゃなくて……。あぁもう、わかったから。手、上げて。脱がすから」

 

 

 仕方ない、と溜息を吐いてハルは手早く束の服を脱がしていく。流石に下着まで着替えさせる訳にはいかないので下着は自分で着替えさせたが、パジャマはハルが手早く束に着せる。

 ハルの手つきがやけに手早く、手慣れているのは長時間、下着姿の束を眺めているのは気まずいのでハルが身につけてしまったスキルである。

 

 

「ハルも一緒に寝よう……?」

「……じゃあ着替えてくるから」

「……やだ。そのままでいいから寝よう?」

「いや、着替え……」

「いいから……」

 

 

 眠いと束は我が儘は酷くなる。普段から我が儘な束なのだが、眠たい時の束は手強い。現にハルの服の裾を掴んで離す気配はないようだ。

 こうなれば諦める他ないとハルは束と一緒に布団に入る。疲れていたのだろう、ハルを抱きしめたまま束はすぐに眠りについてしまった。規則正しく寝息を立てる束の顔を見て、ハルは笑みを浮かべる。

 

 

「おやすみ、束」

 

 

 束に優しく告げて、ハルもまた目を閉じた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 目を開ける。眠気でぼやけた意識ははっきりと物事を認識をしない。何度か瞬きをした事によって目が覚めて、束は自分が抱きしめているハルの存在に気付く。

 ハルは束の胸に埋めて眠っていた。ハルの穏やかな寝顔を見て束は笑みを深めた。こうして一緒に誰かが眠っているという事が暖かくて心地良かった。

 

 

「……一人じゃない」

 

 

 束の呟き。そこには束のどれだけの思いが詰まっている事か。

 束は孤独だった。そして孤独にも慣れていた。昔から天才の片鱗を見せていた束は誰からも浮いた存在だった。

 自分が理解出来ることを同い年の子供は理解する事が出来ない。自分と違う者を異端として弾こうとするのは子供達の幼い心理だ。

 故に束には友達が出来なかった。千冬という自分とは違う天才と出会うまでは。だから孤独には慣れている。いや、慣れるしかなかったのだ。

 束は孤独を嫌っている。孤独は冷たくて寂しいからだ。自分を孤独にした世界に対しては憎しみすら抱いている。自分を腫れ物のように扱った両親すら疎んでいる。自分を認めなかった人間を自分もまた認めない。

 世界なんてつまらない窮屈な箱庭だと束は思っている。今も理解出来ない癖に自分の知識を得ようとする者達が後を絶たない。欲望に塗れた人間など醜いだけだ。だから人間なんて嫌いだ。

 

 

「ハルがいて、出会えて良かったよ」

 

 

 けれどハルは束を嫌わない。ただ受け入れてくれる。彼が苦しみを味わった原因は間違いなく自分にあるのに。全てを知ってもハルは束を憎むそぶりすら見せない。ただ純粋に束を慕ってくれている。

 ハルが何を考えているのか束はよくわからない。いつの間にか食事や身の回りの世話をしてくれるようになっていて、自分の為に甲斐甲斐しく世話をしてくれる。

 戸惑いを覚えたのは事実だ。だけど、どうしようもなく嬉しくて、手放しがたくて、困らせるとわかっていても束は甘える事を止められそうにない。自分の為に尽くしてくれる彼を手放したらまた冷たい孤独に戻らないといけない。

 研究は楽しいから没頭しているのと同時に、自分の世界に閉じこもる事によって孤独を忘れようとする逃避である事に束は気付いている。宇宙に飛び出したい、という夢も逃避から来ている自覚もある。

 だからたまには研究を止めて、何もせずに彼と過ごすだけの日もあっても良いんじゃないか、と。そう思えるようになった事は束にとって間違いなく幸福な事だった。少なくとも束はそう信じている。

 

 

「……ハル」

 

 

 手を伸ばしてハルの頬に触れる。顔にかかった髪を払ってやると小さく呻き声を上げた。その様が可愛くて頬が緩む。

 眠気はまだ取れない。降りて来た瞼をまた持ち上げるのは少し億劫だ。だからもうちょっとだけこのまま眠っていたい。ハルを改めて抱きしめて束は目を閉じた。二人の寝息が再び部屋に息づくようになるまで、あともう少し。



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Episode:02

 ファンタジーの世界に迷い込んだような大自然の中、ハルは大きく息を吸った。まず緑の匂いを感じた。耳を澄ませてみれば、葉のざわめきや川のせせらぎが聞こえてくる。

 何とも言えぬ感動だった。ハルの今まで見てきた世界は無機質な機械に囲まれていた。目が覚めた時も、束に助けられた時も。だから大自然の中に身を置いているというのが正直、夢のようにも思える。

 初めて見るようで、思い出すような。そんな不思議な感覚に自然と心が躍っていた。両手を広げて小さくジャンプしてみる。踏みしめた小枝が折れる音、葉を踏みしめる感触、それが楽しくて笑みを浮かべた。

 

 

「ハルー、あんまり離れすぎたらダメだよー?」

「わかってる」

 

 

 束の呼ぶ声に振り返って返事をしながらハルはまたその場で踊るようにジャンプ。束はハルに注意をしながらも、ハルがはしゃいでいる様子を目にして笑みを浮かべた。

 現在、束の移動式ラボは日本に程近い無人島にいる。何故、彼等が無人島にいるかと言えばハルが望んだからだ。

 束はハルを保護してからハルを外には出していなかった。彼の出自や自分の状態を考えれば大手を振って外に出る訳にはいかなかったからだ。

 束の研究に宛てる時間こそ減っていたが、それでも研究自体は捗っていた。それも全てはハルが甲斐甲斐しく自分の身体を労ってくれた為だと言うことを束は良く理解している。だから束は自分の為に尽くしてくれたハルに何かお返しがしたかった。

 

 

「自然を見たい、か。喜んでくれてるのかな?」

 

 

 ハルが大自然にはしゃぐ姿を見ると、束は己の世界の狭さを思い知らされた。束にとって自然なんて興味の対象外だった。日本に住んでいた頃も四季の美しさなど気に留める事も無かった。目一杯に広がる自然の何が良いのか正直、理解に苦しむ程だ。

 だが、ハルが楽しそうに木や葉を踏みしめて笑みを浮かべている姿を見ていると、自然と良い物にも思えてくるから不思議だ。耳を澄ませてみれば葉のざわめきが聞こえる。改めて身体から力を抜いて、束はラボから引っ張り出してきたロッキングチェアに身を預けた。

 今日は研究はお預けでいいや。なんとなくそう思える事は束に余裕が出来た証なのだろう。悪くない、と束は笑みを浮かべて目を閉じる。大自然の息吹の中、束はリラックスして身を預けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「束、火ついた?」

「ちょ、ちょっと待って! ……むきーっ! なんで火が起きないんだよ!!」

 

 

 一通り自然の息吹を堪能したハルと束は食事の準備をしていた。折角、キャンプのようなものなのだから、とハルはラボのキッチンを使わないで自炊したい、と必要な道具を買い揃えて貰っていたのだ。

 手持ち沙汰だった束もやってみる、と言うことで二人で作業している。といっても束は料理が出来ないのでやる事が無く、代わりに火を起こして貰う事にしたのだ。

 束は火を起こす為にハルが集めてきた乾燥した枝に火を付ける為に奮闘しているのだがなかなか火が起きない。段々と苛々してきた束はマッチや火を付ける道具を使ってやろうか、と思った時だった。

 

 

「あ、ついた」

「え? あー! ようやく火出た! あ、消える消える!?」

 

 

 ハルが用意していた燃えやすい小枝を渡し、束が起こした種火を次第に大きな火へと変えていく。ようやく大きな火になって焚き火らしくなったのを見た束は言い様のない感慨に耽っていた。

 調理の為にせわしなく動き回っているハルを横目で眺めながら束は火を見つめる。自分が生み出した火。きっとマッチなどの道具を使っては味わえないだろう感慨に頑張った甲斐はあったかな、と思った。

 

 

「頑張った甲斐、か」

 

 

 頑張って生み出した。それがどれだけ自分にとって満足でも他人からすればどうなのだろうか。それが例えば誰にでも使えるものなのであれば賞賛され、喜ばれるだろう。

 先ほどハルは、ありがとう、と束に告げた。束の努力に対してかけてくれた感謝の言葉が嬉しかった。たった火をつけただけなのに貰った言葉が束の心を躍らせた。

 

 

「簡単な事なんだねぇ」

 

 

 誰かにお礼を言われること。誰かの為に何かをする事。それはこんなにも簡単な事だったんだと、まるで新たな発見をしたように束は呟いた。ただ束は火を起こしただけだ。必要とされたものを用意しただけだ。

 それでもありがとうを言って貰えた。特別な道具を用意していた訳でもなく、発明した訳でもなく、自分が起こしたほんの小さな火に対して貰ったありがとうの言葉が束には新鮮だった。

 束に染み込むように感慨が広がっていく。揺らめく赤い炎にかざすように束は手を伸ばす。近づきすぎれば熱い火も、少し距離を取れば暖を取ってくれる。

 

 

「……人間なんだなぁ、私も」

 

 

 当たり前のような呟き。束が焚き火に視線を送る中、一瞬だけハルが振り返った事に束は気付く事は無かった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「おいしいー! もう一杯、おかわり!」

「はい、どうぞ」

 

 

 束は皿をハルに向けてカレーのおかわりを要求する。焚き火の音や森のざわめきと共に食べる食事は普段の食事とはまったく違った。ハルが作ったカレーも前にラボで作ってもらったカレーとはまた違う味で束の食欲を促進させていた。

 飯盒で炊いたご飯を束の皿に移し、カレーをかけてハルは束に差し出す。盛りつけられたカレーを受け取った束は勢いよくカレーを口に運んでいく。あまりにもがっつくのでご飯を喉に詰まらせたりする等、醜態を晒していたが束は楽しそうだった。

 食事が終わった後、ハルは洗い物は片付ける。洗い物は流石にラボの中のキッチンに持ち込んで洗った。手早く最後の一枚を洗い終え、濡れた手を拭ってハルはラボの外に出る。

 既に日の光は落ちていて辺りは薄暗い。光源となるものは束が起こした火のみだ。火の番をしていた束はただぼんやりと焚き火に視線を送っていた。火に照らされた彼女の顔はどこか儚げで、不安になってハルは束の隣に座って束の手に自分の手を重ねた。

 

 

「おや? どうしたの、ハル。随分と甘えん坊さんだね」

 

 

 束は重ねられた手に少し驚いたものの、笑みを浮かべてハルの手を受け入れる。先ほどまでの儚げな雰囲気は消え失せて、いつもの束がそこにいた。そんな束の顔をハルは見上げるように見つめる。

 

 

「珍しいね、束がぼー、としてるなんて」

「え? ……束さんだってたまにはアンニュイにはなるさ」

「そっか」

 

 

 たははー、と笑って言う束から視線を外し、ハルは呟くように返答する。

 火を燃やす為にくべられた枝が弾ける音、森のざわめき、川のせせらぎ、そして遠くで虫の鳴く音が聞こえる。大自然の合唱に耳を傾けながら二人の時間は言葉無く過ぎていく。

 重ねられた手はいつしか握られていた。束がハルの指を絡めるように合わせて握る。ハルは束が指を絡めてきたのに気付き、束の顔を見上げた。普段の笑みはそこには無く、どこか儚げな表情を束は再び浮かべていた。

 

 

「……悩み事?」

「いつだって束さんは悩んでるさ」

「でも、今日は楽しそうじゃないね」

「人生について悩んでるからねぇ」

「哲学って奴?」

「そうそう、それ。人間ってどうやって生きて、死ぬのが正しいのかな、なんてさ。柄じゃないよねぇ」

 

 

 柄じゃない、と繰り返すように呟いた束の声はいつもよりトーンが低かった。

 束の手を握るハルの力が少し強くなった気がした。束はハルの手の感触が頼もしかった。ここにいる事を伝えてくれる温もりを離さないようにハルの手を握り直す。

 

 

「ハル」

「なに?」

「君は何者なのかな?」

 

 

 束は一瞬、震えそうになった身体を意思で押さえつける。束が今まで口にする事の出来なかった疑問。それはハルという存在そのものについてだ。

 束がわかっているのは彼が多種多様の実験のテストベッドにされていた事。そして織斑 千冬の遺伝子を使って生み出されたという事。そして自分の世話を好んでしようとしている事。

 この温もりを失いたくなくて誤魔化してきた。手を離さなければ、ずっと自分の傍に閉じこめておけばいなくならない。彼は離れない。だからこのままで良いと束は考えていた。

 けれど自然の中にいる事を喜ぶハルを見て不安になったのだ。彼は外への興味を無くしている訳ではない。自分だけが全てじゃない。自分の望みを持っていて、束が理解出来ない喜びを持っている人間なのだと。そもそも、それがおかしい話なのだが。

 

 

「元々おかしいんだ。君の存在自体が不可解だ。君に関わる全てが不鮮明で、言ってしまえばデタラメにさえ思えてしまう。奇跡? 奇跡にしたってデタラメ過ぎる。人格なんて持ってる筈もないし、刷り込みにしたって自発的な行動も多い。ハル、君は一体何?」

 

 

 仮にハルが束に送り込まれたスパイだと言うのならばどれだけ巧妙な手口だと言うのか。それにしたって杜撰で、今まで平穏に暮らして来た。それでもハルを研究に関わらせなかったのには僅かな警戒が束の中にあったからだ。

 ハルは人形ではない。誰かの操り糸に操られている人形ではない。自らの意思で行動する人間なのだと。今日ではっきりと自覚したのだ。

 だからこそ問わなければならない。興味と恐怖が入り交じった問い。束は虚偽は許さないと言うようにハルを見つめた。そんな悲壮とも言える決意を固めた束にハルはにへら、と笑ってしまった。

 

 

「……どうして笑うのさ」

「束が僕の事を悩んでくれたんだな、って思うとちょっと嬉しくて」

「疑ってるんだよ? 束さんは。ハルがスパイなんじゃないかなー? とか」

「もしスパイだったら?」

「殺すよ」

 

 

 人のしがらみには囚われたくないのだ。そもそも手口が汚すぎる。もしも本当にハルがスパイならば束はハルを生み出した何者かにこの世のありとあらゆる苦痛を与えて殺すだろう。勿論、ハル自身もだ。

 束が本気の殺気をぶつけたのにもかかわらずハルは笑っている。どこか虚ろな様子に束は息を呑む。束の様子に気付いたのか、ハルは表情を苦笑に変える。

 

 

「言ったって信じられないよ。僕だって信じてないし」

「何を知ってるの?」

「束は生まれ変わりって信じる?」

「……生まれ変わり?」

「そう。生まれ変わり。……どう言えば良いのかな。僕はね、特別になりたかったんだ。僕は最初から束を知っていた。そして君を好きになった。ただ、それだけなんだ。生まれる前から貴方の事を想っていたんだ」

 

 

 ハルは握り合わせた手を持ち上げる。自分の両手で束の手を包み込みながらハルは束と真っ直ぐ視線を合わせる。

 

 

「束の特別になりたかった。束を笑わせたくて、束に笑いかけて欲しくて。束に必要とされたかった。束にとっての特別になりたかった」

 

 

 その為に全てを捨ててきた。後悔はない。そもそも後悔する記憶も執着も全て落としてきた。ただ一つ残してきたのは束への執着と恋慕だ。ならそれが自分にとっての全てで良い。

 自分がどんな存在だって良い。別に人間でなくたって構わなかったかもしれない。束に想われて、愛されて、共にいる事が出来るんだったら自分がどんな存在であろうと構わなかったかもしれない。

 

 

「僕が何なのか、きっと束はわからないと不安なんだろうね。でもごめん。僕は何者かなんて答えられない。答えを持ってないから。だから証明も出来ない。だから信じて欲しいとしか言えない。――僕は貴方の為に生まれてきたんだ。それが僕から言える僕の真実」

 

 

 

 満面の笑みを浮かべてハルは束に伝える。ハルの言葉に対して束は何も言わない。ただ無言のままハルを見つめている。ハルもまた束から視線を外さない。

 

 

「君が死ねというなら、今すぐ喉を掻き毟って死ぬよ。

 君が尽くせというのなら、君が望む全てを叶えるよ。

 君が愛せというのなら、僕は何度でも愛してると囁くよ。

 君が傍にいろというのなら、この命が尽きる時まで傍にいるよ。

 君を傷つけるものがいるならば、この世から消滅させて見せるよ。

 君が悩む時があるならば、傍にいて答えが出るまで付き合い続けるよ。

 この血肉も、意思も、魂の一欠片すらも全てを君の為に使いたい。

 一度自分の為に捨てた命だから。なら次はこの命は君に差し出したって構わない」

 

 

 ハルは束の手を握っていた手を離し、指で喉を指し示し、次に胸を拳で軽く叩く。

 

 

「あぁでも、そうだね。もしも一つだけ我が儘を言うなら、人間として、ハルとして君の隣にいたい。それが僕の望みだよ。理屈になんか出来ない僕のエゴだ」

 

 

 そこまで言い切ってハルは少し困ったように笑みを歪めた。眉根を下げて束を不安げに見つめている姿は怯えているようにさえ思えた。

 そんなハルの姿を束はただ見つめていた。そうして二人の間には沈黙が生まれる。耐えきれなくなったようにハルは束から視線を逸らして視線を落とす。

 

 

「……ハル」

 

 

 ぽつりと、束が小さな呟くような声でハルの名を呼ぶ。

 

 

「私が好きなら、私の為に全部尽くすっていうなら、これから私にする事に抵抗しないで」

「……いいよ」

 

 

 ハルの返答に束はハルに顔を寄せた。覗き込むように顔を近づけ、ハルの瞳を見据える。能面のように無表情な束の姿にハルは身を震わせそうになるも、負けじと身体の震えを抑えて束と目を合わせた。

 束の手が伸びる。束の手が伸びた先はハルの首だ。首に添えられた手からはハルの体温を感じられる。ひゅ、とハルが息を呑む音が聞こえた。それでも構わず束は撫でるようにハルの首に触れる。

 束は何を思ったのか、首に添えた手に力を込めた。息苦しさにハルが呻くような声を漏らした。ハルの顔が苦悶に歪む。ゆっくり、ゆっくりと束は力を込めていく。絞められていく呼吸にハルは苦しそうに喘ぐ。

 そのまま束は押し倒すようにハルを地面に転がした。火に照らされた顔は息苦しさからか苦悶に歪んだまま。目の端には涙が浮かんでいる。それでも束は手を首に添え続け、力を抜きはしない。

 不意に苦悶に歪んでいた筈のハルの表情が変わる。ハルが浮かべたのは安らかな笑みだった。束に首を絞められても構わない、と言うように。そんなハルの表情を見た束の瞳が揺れたのをハルは気付かない。

 

 

「……死ぬよ?」

「いい、よ」

「……殺すんだよ?」

「う、ん」

「……抵抗しないの?」

「束が、しないで、って、言った」

 

 

 かひゅ、と。苦しげにハルは喘ぐ。藻掻こうとする身体を必死に押さえつけて涙に顔を濡らしながら。それでも笑顔を浮かべて。

 束は目を細めた。両手をハルの首に伸ばして馬乗りになった状態でハルを見下ろす。ハルの首は、このまま両手に力を入れてしまえば簡単に折れそうだった。

 不意に束は力を抜いた。解放されたハルは苦しそうに咳き込む。必死に酸素を取り入れようと藻掻く。

 そんなハルの姿を尻目に束はハルの首に顔を寄せた。口を開けてハルの首筋に噛みつく。ハルの首に流れる血脈が直に感じ取れ、ハルが再び息を引き攣らせるのを耳元で感じる。

 このまま食い千切る事も簡単だ。なのにハルは抵抗しようとはしない。逆に束の背に手を伸ばした。束の背を撫でるように触れる。まるで安心させるように背を撫でる感触に束は眉を寄せた。

 

 

「大丈夫……全部、あげるから」

 

 

 ハルの呟いた言葉に束は目を見開いた。そして身体を震わせた。

 

 

「……束?」

 

 

 小さな呟き。身体が震えた事を悟られたのだろう。束はハルの首に突き立てていた歯を離し、滑らせるように剥き出したハルの鎖骨に唇を寄せる。

 痛みが走り、ハルは身を引き攣らせるように仰け反らせた。束はゆっくりと顔を上げてハルを見る。ハルの鎖骨には束が噛みつき、名残のように跡が残されていた。口元を手で拭いながら束はハルを見下ろした。

 

 

「いいよ。ハル、そんなに言うなら束さんのモノにしてあげる。心優しい束さんに感謝すると良いよ。これからも束さんを信奉しな。ハル、君は私のモノだ」

「……束」

「だから次は抵抗してよ。……私に尽くすつもりなら、簡単に死んでも良いなんて絶対に絶対に許さない」

 

 

 ――あぁ、なんでこの子はこんなに歪なんだろう?

 

 

 束の頬を伝って涙が落ちていく。身体が小刻みに震えていた。それは果たして怒りか、悲しみか。或いは両方か。束は歯を噛みしめながら震えていた。

 愛おしくて手放しがたかった温もりが、何も知らなければあっさりと消えていたかも知れない事実に束は恐怖した。そしてどうしようもない程に怒りを覚えた。

 ハルは勝手だ。勝手に尽くして、勝手に人の心に入り込んで、勝手に自己満足して、勝手にいなくなろうとする。そんなの許せない、と束はハルを睨み付ける。

 

 

「……ごめん」

「絶対に許さない」

 

 

 ハルの申し訳なさそうに呟かれた言葉に束は首を振って告げる。あぁ、許さない。絶対に許さないとも。

 

 

「今日から君の命は束さんのモノだ。束さんの許可無く捨てる事なんて許さない。死にたくなっても死なせない。全部私が決める」

「……うん」

「だから生きて。ハルの気持ちはわかったから」

 

 

 だから死ぬだなんて言わないで。ここから消えないで。いなくならないで。

 懇願した束にハルはもう一度、ごめん、と呟いて束の涙を拭うように手を伸ばした。

 束の涙を拭ったハルの手を束は掴む。もう離さない、と言うように強く握りしめながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「それにしても転生だなんて摩訶不思議な事もあるもんだね」

「よく覚えてないけどね。束がどんな人か、とか、束が好きだ、って事とか、断片的にしか覚えてないし」

 

 

 落ち着いた後、火の処理等を終えてハルと束はラボに戻っていた。ベッドに二人で横になりながら言葉を交わす。

 ハルを抱きしめながら束はふぅん、と呟いた。転生に関してはハルもわかっている事は多くなく、語れる事も少なかった。

 

 

「束はさ、気持ち悪い、とか思わなかった?」

「ん?」

「僕の事。だって転生なんて信じられないでしょ」

「……んー。逆になんかどうでも良くなったかな」

「え?」

「私だって普通じゃないんだろうし。ISなんて作っちゃうぐらいだからね。だから良いじゃん。普通じゃない者同士で」

 

 

 気にしなくて良いよ、と束はハルの背を優しく撫でた。ハルは僅かに身を強張らせたがすぐに安心したように束に身を預けた。

 

 

「そもそも、ほら、オリジナルのちーちゃんだって大抵人外だし」

「良いの? そんな事言って?」

「あ、内緒だよ? 言ったら怒り狂って追いかけてくるから。だから良いんだよ。我思う、ゆえに我あり、だっけ?」

「誰かの言葉だったっけ?」

「そうそう。良いんだよ。どうあろうと自分は自分なんだ。……それを肯定してくれたのは君だよ。ハル」

「? それってどういう……」

「さーさー! 今日は疲れたから寝よう! また明日から束さんは研究を再開するからね!」

 

 

 むぎゅ、と束の胸に顔を押しつけられてハルはそれ以上の追求を止めた。息苦しそうに藻掻くハルの姿を眺めながら束は笑みを浮かべた。

 

 

(生まれ変わってまで愛してる、なんて。命までかけられたんじゃ無下には出来ないよ。私の孤独を埋めた分、逃げるのも、離れるのも許さないんだから覚悟してよね? ハル)

 

 

 私は欲求に素直なんだ。欲しいと思ったら力尽くでも手に入れる。だから君は絶対に手放さない。ハルを抱きしめながら束は笑みを浮かべて、ハルの額に自分の唇を押し当てた。



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Episode:03

「なんで?」

「さぁ?」

「さぁ? じゃないよ!」

 

 

 束は取り乱したように叫んでいた。髪をくしゃくしゃに掻き乱しながら頭を抱えて叫ぶ。どこからどうみても混乱していた。

 束が混乱するなんて珍しいな、と暢気にハルは束の様子を見て思う。暢気なハルとは対照的に束は頭を抱えながらまた大きな声で叫ぶ。

 

 

「何でハルがISを動かせるのさ!?」

 

 

 事の発端は束がハルにISの研究を手伝ってみる? と持ちかけた事から始まる。勿論、束が生み出したISに興味があったハルはこれを了承。束から手ほどきを受けてISの勉強をするようになった。

 ハルがISの知識を身につければ助手として働いて貰える、そんな打算があって束は熱心にハルにISの知識を授けた。こうしてハルは束の教えを受ける事によってISの知識を身につけていた。

 元より記憶転写の実験によってISの知識を転写されていたハルは束の教育と合わせて比較的、早くISへの理解を深める事が出来たのだ。

 ここまでは特に何か異常が見受けられる訳でもなく順調だった。だが事件は起きた。束が実際にISを見せようと設計中の試験機であるISを披露した時だ。ハルがISに触れると、何故かISが起動してしまったのだ。

 呆然とする束を前にしてISを装着したハルはつい感嘆の声を上げた。ISは女性にしか動かす事が出来ない。それは世界にとって常識であり、束にとっても未だ解明出来ないISの謎なのだ。

 束は確かにISを作り上げた。世界で最も知識がある事を自負もしている。それでもISの全てを理解・解明は出来ていない。

 故に束はISの開発に生涯を捧げている。ISの謎に関しては束が生涯をかけても解明出来ないのではないかと本人も思っている。何故なら彼等は少しずつ進化しているのだから。

 ISは確実に生みの親である束の手を離れている。そして今もまた束の予想外の事態が発生している。

 

 

「なんで? まさかちーちゃんの遺伝子を持ってるからちーちゃんと誤認された? 可能性はあるけど……。いや、でも確実じゃない。何かもっと別に要因が……」

 

 

 ぶつぶつと束は自身の考えを纏めようと呟く。その間にもハルはISのハイパーセンサーによって広がる世界を体感していた。

 理解出来る。束から授けられた知識が感覚と一致する。動かせる、とハルは確信した。動かせる事がわかればハルの内に欲求が生まれた。未だ何事か呟き続けている束の名を呼び、ハルは自分に意識を向けさせる。

 

 

「束。この機体のテスト、僕にさせてよ」

「え!? な、何が起きるかわからないからダメだよ!」

「僕は動かせるよ、このIS。それにデータも取れるし」

「でも!」

「お願い」

 

 

 ハルは束の目を真っ直ぐに見てお願いをする。ISを纏った事によって広がった世界に飛び出したくて仕方がなかった。もどかしい思いを感じながらもハルは束に懇願する。

 最初は束は首を縦には振らなかった。だが根気よくハルが説得した事によって渋々折れる事となる。束も初めて男で起動したデータを取れる、という魅力には勝てなかった。

 ハルはISで空を飛べるという事が嬉しくて、楽しみで仕方がなかった。ISを動かす際に束が出した条件を守る事に一切の苦は無かった。こうしてハルは、非公式ではあるものの初の男性としてISの起動実験に挑むのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 起動テストは人目のつかない僻地で行う事になった。移動式ラボを目的地まで移動させる最中、束は真剣な表情でハルに説明を行っていた。

 

 

「良い? ハル。何か危険だ、とか、おかしい、と思ったら絶対すぐに戻ってくる事。無理はしちゃダメだよ? 束さんもすぐフォロー出来るようにはしておくけど約束だよ?」

「もう何回も聞いたよ。大丈夫だって」

「何回でも聞いて。じゃあ機体の確認をするよ? ハルが起動させたISは今、私が研究している“展開装甲”の検証実験機なの」

「うん。世界ではまだ机上の理論である攻撃・防御・機動、ありとあらゆる状況に応じて対応する万能装甲、で合ってるよね?」

「そう。でもまだ検証段階だからどんな不具合が出るかまではわからないからね? 良い? 何度も言うけど不調とか異常を感じたらすぐに戻るんだよ!?」

 

 

 不安げに束がハルに言う。ハルは苦笑を浮かべながら頷いた。何回目の注意となるかハルが数えているとラボの移動が止まった。目的地に着いたようだ。

 ハルは束に視線を送る。束は未だ渋っていたようだったが、諦めたように頷いてハルと一緒にラボの外へと出る。ラボの外に出れば一面に海が広がっていて、波の音が耳に届いた。

 外に飛び出せば砂浜で、踏みしめた砂浜の感触を確かめるようにハルは何度か踏みならす。束は空間ディスプレイを展開し、データを取る為の準備を整えている。

 少し間を置けば束の準備が終わったのか、ラボから件のISを搬出される。

 

 

「準備良いよ。ハル」

「うん」

 

 

 ハルは搬出されたISを身に纏う。ハルが装着したISの特徴的な部分は背部に展開された大型のウィングユニットだ。言ってしまえばそれ以外の特筆がない。それ程にウィングユニットの存在感は圧倒的だった。

 第4世代検証実験機。これがこのISの今の名称だ。未だ正式な名前は付けられてはいない。この機体は束が開発した展開装甲を用いて飛行実験を行い、データを集める事を目的とした機体であるとハルは説明を受けている。

 ISが束によって公表されて世界が開発に着手してから時間が経った訳だが、現在、世界で最も普及しているのは第2世代型のISである。

 世界各国では第3世代型のISの開発に躍起になっている中、既に束は一世代先を見てISの開発に着手している事から、彼女の非凡さが遺憾なく発揮されているのがわかる。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 どこまで広がる青い海と空。ハイパーセンサーで感じる世界は、人の目では見えず、肌だけでは感じきれない世界を押し広げていく。武者震いをするようにハルは身体を震わせた。

 行くよ、と自分に言い聞かせるように呟いてハルは意識した。飛ぶ、と。ハルの意思を受けて背のウィングユニットが稼働する。ハルの意思に応じて開かれた装甲より溢れ出るのは淡い光。

 浮力を得てハルの身体が砂浜から浮かぶ。行ける、と確信を得たハルは翼を羽ばたかせるイメージで空に舞い上がった。

 

 

「―――」

 

 

 解き放たれた。まさにそう言うべきだった。重力に囚われず、空に向かって飛ぶ瞬間、言葉に表しきれない感動と興奮がハルを襲う。これが空を飛ぶという事。これが重力から逃れられた者達の爽快感。

 上昇だけでなく、滑空、降下など。ウィングユニットがハルの意のままに開き、空を舞わせる。ウィングユニットから漏れる残光を残して上下左右に思うままにハルは空を舞い踊る。

 

 

「はは……あははっ! あははははっ!!」

 

 

 ハルは笑った。無邪気な子供のように。楽しい、という思いが胸一杯に広がって笑みを零す。今、ハルを縛るものなどない。このままきっとどこまで行ける。そんな万能感がハルの胸を満たしていく。

 これがIS<インフィニット・ストラトス>。これが束の開発した空への翼。背部のウィングユニットは正に自分の翼だ。四肢同然に扱う事が出来る翼は元から自分に翼が着いていたのではないかと錯覚させる程、自分の意思を受けてスムーズに動く。

 心の底から笑い声を上げてハルは加速する。全ての装甲を展開し、最大加速で空を舞う。雲を突き破って、雲を引き裂くように突き抜ける。

 降下し、海面に近づくのと同時に身を捻って回転。海面すれすれに背を向けて飛び、再び身を回して手を伸ばす。海面に触れた手が水飛沫を巻き起こし、ハルの飛翔の軌跡を追って海面が割れる。

 再び身を回すように回転し、海面を叩き付けるようにウィングユニットを稼働させ、再び空へと舞い上がって急転換。自由自在に動く翼にハルは完全に興奮仕切っていた。

 もっと早く、もっと鋭く、もっと遠く、もっと、もっと、もっと! ハルは己を急かすようにISを操る。どう動かせばもっと早く飛ばせるのか模索するように飛行に没頭していく。

 

 

「……なに、これ」

 

 

 一方で、砂浜に留まりデータ取りを行っていた束は目を見開いて唇を震わせていた。

 展開装甲稼働率82%。モニターに表示された数値に目を奪われていたのだ。まだ試験段階である展開装甲はその稼働の為のルーチンワークが未成熟・未完成だ。

 故に操縦者の段階によってリミッターを取り付ける事によって安全を図っていた。だが、現実は束の予想外の事態へと進んでいた。

 束が顔を上げれば自由自在に空を舞っているハルの姿が見える。データを集積し、コアが学習する事によって解放されるリミッターが恐ろしい速度で解除されていく。

 初めての飛翔だ。なのにこの結果は一体何なのだろうか、と束は原因を追求する。そして何かに気付いたように束はコンソールを叩いて別のデータを呼び出す。

 

 

「――ハル、ダメ!! 戻って!!」

 

 

 データを確認し終えた束は顔色を変えた。そして勢いよく顔を上げてハルを見上げて叫ぶ。束の叫びは通信越しにハルへと届いた。だが、ハルは束の声をどこか遠くで聞いていた。何だろう。まだ飛べるのになんで戻らなきゃいけないんだろう、と。

 

 

(――束、心配ないよ。“私”はもっと飛べるだろう?)

 

 

 まったく心配性な奴だ。“私”がこの程度で落ちるなどあり得ないだろう。しかしこの機体は調子が良いな。流石試験機とはいえ、第4世代型と束が言う程はある。まったく今までのISと比べものにはならない。

 あれ? “僕”は知らない。他のISになんて乗った事はない。いいや“私”が乗っていた。知らない筈がない。いや、知らないよ。いいや、知っている。知らない。知っている。知らない。知っている。知らない。知っている。知らない。知っている。知らない知ってる知らない知ってる知らない知ってる―――。

 

 

(あ、れ、意識、が――?)

 

 

 通信で束が叫ぶ中、ハルの意識は唐突に途切れた。意識を失ったハルがISごと海中に没したのはこの後すぐだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――ここはどこだろう?

 

 

 気付けばそこにいた。何故かはわからない。ここはとにかく不思議な場所だった。

 まず自分がどこにいるのかわからない。自分の身体があるのかさえもわからない。ただ意識だけがここにある。

 あぁ、随分と懐かしい気がする。全ての殻を脱ぎ去った後に自分の意識だけが残っている。いつか居た場所にまたいる、と。

 ふと、気配を感じた。誰かが傍にいるような、誰かに見られているような、まるで掴みきれない感覚。

 

 

『―――』

 

 

 声なのか、音なのか、それともテレパシーなのか。よくわからないけれど、確かにその声を聞いた。

 違う。違うよ。誰かもわからぬ君。そこにいるとも知れぬ君。違うよ。違うんだ。君が呼ぶその名は僕の名前じゃない。僕のものじゃないんだ、その名前は。

 

 

『―――?』

 

 

 そうだね。僕の名前を名乗ろうか。僕の名前は……―――。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 気が付いたらベッドの上に寝ていた。自分はISのテストをしていた筈なのにどうしてベッドの上に寝ているのだろう、とハルは頭を掻きながら考える。記憶を引っ張り出そうとしてもぼやけたように記憶が思い出せない。

 ISで飛び回って楽しかったのは覚えてる。もっと飛びたい、と思ってISを操作しようと没頭した。そこで記憶は途切れていた。首を傾げてみるも、記憶は出てきそうにもない。ハルが首を傾げていると、扉が荒々しく開かれて束が入ってきた。

 

 

「ハル! 目が覚めた!? 私の事、わかる!?」

「わ、わ、わ!? な、なに!? ど、どうしたの、束?」

「意識ははっきりしてる? 記憶はしっかりしてる!?」

「わ、ちょ、束……! 束ッ!!」

 

 

 肩を揺さぶり、不安げに問いかけてくる束は明らかに錯乱していた。なんとか落ち着けようと束の名を強く呼ぶ。すると束は一瞬、驚いたように身を竦ませてハルの顔を覗き込む。

 

 

「ハル……?」

「何があったの? 僕も何が何だか……」

「何かあったよ! もう、心配したんだから……!」

 

 

 束は涙を目尻に浮かべてハルを抱きしめた。震えている束の身体を抱きしめてハルは背中を優しく叩く。束を落ち着かせながらハルは自分の身に何が起きたのかを思いだそうとする。

 そう、ISをもっと操ろうとしたんだ。そこから先、束が咎める声が聞こえたんだ。“私”の心配なんていらないのに。

 

 

「……“私”?」

 

 

 何を言っているんだ、と思わずハルは呟く。頭がぼんやりとする。とても奇妙な筈なのに、しっくりと来てしまう。その感覚はただ果てしなく気持ち悪い。眉を寄せて違和感を探っていると、束が顔色を変えていた。

 

 

「ハル!? ハル、しっかり!!」

「うぼァッ!?」

 

 

 束は勢いよく身を離してハルの頬に手で張った。脳を揺らすような一撃にハルは一瞬、意識が飛びかける。束に叩かれた頬をさすり、涙目になりながらハルは悲鳴を上げた。

 

 

「痛いよ束!」

「あ……。ご、ごめん」

「ん……。大丈夫。……えと、ごめん。心配かけたね。僕はほら、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないよ!」

 

 

 目を釣り上げて束はハルに怒鳴りつける。束の怒声に身を竦ませながらハルは罰悪そうに表情を歪めた。

 自分の身に何が起きたのかを何となく察し、それは心配するよな、と納得しながら頬をさする。ハルは申し訳なさそうに束の様子を窺うように見上げる。

 

 

「えーと、束は見る限り、何が起きたのかわかってるみたいだね」

「……うん」

「やっぱりISが動いたのって誤認されてたみたいだね」

「自覚があるの? 自分がちーちゃんの、“織斑 千冬”の思考をトレースさせられそうになったのを」

 

 

 束が眉を寄せながらハルに問う。ハルは束の問いに頷いて肯定してみせる。

 そう。束から警告が飛んだ頃から自分の思考が“自分以外の誰かの思考”をトレースしていた事をハルは思い出した。それが誰なのかだって、ハルはよく理解している。

 織斑 千冬。ハルにとってのオリジナルであり、IS搭乗者においては最強の搭乗者。ISによる世界大会“モンド・グロッソ”において遺憾なくその力を発揮し、世界の頂点に立った束の親友。

 

 

「ねぇ、束。僕に施された実験の中に、織斑 千冬の戦闘記録の転写とか無かった?」

「あったよ。私もさっき確認した」

「だからかな? 僕は織斑 千冬と同じ遺伝子を持ってるし、記憶転写の実験で織斑 千冬の戦闘記憶の転写だってされてる。“限りなく織斑 千冬に近い存在”だ。それがコアに誤認されちゃったのかな?」

 

 

 そう、間違いなくあの時、ハルの意識は織斑 千冬の思考をトレースしようとしていた。が、それはあくまでトレースしたもので自分の意識ではない。なのに織斑 千冬として思考しようとした為、拒絶反応が起きた。

 しかしそんな事があるのだろうか? とハルは首を傾げる。確かにISには自意識がある、という話を束からは聞いていたが、搭乗者の思考を誘導するような事が起きてしまうのだろうか、と。

 

 

「それだけじゃない。……あのね? ハルのIS適正なんだけど」

「うん」

「理論値の限界値なの。つまり、ハルは世界で一番ISに適合出来る人間になる」

「……え、なにそれ」

 

 IS適正というのはその人の肉体的素質がISを動かすのにどれだけ適正があるかを示すパラメーター。これは訓練次第で変動し、IS適正がより高ければISとの適合率が高くなり、ISの稼働率を引き上げる事が出来る一種の目安だ。

 その理論限界値となれば、ステータスだけを見ればハルは世界で最もISを効率よく扱う事が出来る可能性を秘めた人間という事になる。

 

 

「それだけじゃない。ハルはISコアとの親和性が高すぎるの」

「どういう事?」

「ISとの親和性が高すぎるからISに乗るとISコアがすぐにハルに合わせて最適解を求めようとするの。その熟成までの段階を踏むのがハルの場合、早すぎる」

「……それって例えばの話、経験値を禄に溜めてないのに形態移行が起きるって事?」

 

 

 ISは在る程度、経験を蓄積すると搭乗者に合わせて進化しようとする機能がある。それが形態移行と呼ばれる現象だ。

 だが、形態移行は確実に発生するものではなく、搭乗者とISの適合率が高くないと起きない。だからこそのハルの異常性である。

 

 

「そう。だからハルがちーちゃんの思考をトレースしたのもきっとコア側から促したからだよ。それがハルにとっての最適解だったから」

「あー……。つまりISコアとの親和性が高いからISコアからの干渉をモロに受けやすい。で、僕の操縦技術そのものは織斑 千冬に劣るから、効率化を求めて織斑 千冬の思考、操縦技術をトレースさせようと干渉してくるって事?」

「そうだよ。……まさかこんな事が起きるなんて。本当にハルには吃驚させられるよ。乗せたのが第4世代型の検証機で良かったよ。下手に既存のISに乗せてたら暴走してたんじゃないかな?」

「……マジ?」

「マジマジ」

 

 

 束が真剣な表情でハルに言う。よほど綱渡りな状況だったんだろうな、とハルは冷や汗が浮いてくるのを感じた。

 はぁ、と束は溜息を吐いて眉間を揉みほぐす。疲れた様子の束には本当に心労をかけたんだろうな、と申し訳ない気持ちが沸き上がる。

 

 

「とにかく! ハルはもうISに乗っちゃダメ」

「えぇーっ!?」

「えぇーっ!? じゃない! ISに乗ったら自分が自分じゃなくなっちゃうかもしれないんだよ?」

 

 

 だからダメ、と。念押しするように束はハルに告げる。束の様子から、束は意見を曲げないだろうな、と察してハルは頬を膨らませた。案の定、そんな顔したってダメ、と束のデコピンがハルに放たれる。

 

 

「折角、束の手伝いが出来ると思ったのに」

「ISに乗らなくたって手伝える事なんていっぱいあるよ。それに今回のデータだけでかなり前に進めるよ。……だからもう充分だよ。言ったでしょ? 死ぬような真似はしちゃダメだ、って。危ない事だって認めないからね」

 

 

 ここまで念押ししてくるという事は束はこれから先、自分がISに乗せる事は許可しないだろうなと察して面白くなさそうにハルは口を尖らせる。

 確かに束に死なない、と約束はしたけれども、あのISの万能感はそれでも魅力だった。出来ればまた乗りたいと思っている。あの飛翔する感覚を際限なく感じたい。思い出せば身体が疼いて我慢出来そうにない。

 それに、なんとなく大丈夫な気がしているのだ。根拠はないけれども。だからどこか気持ちが楽観的になっているのが自分でもわかる。

 自分が意識を取り戻す前の感覚。あのどこか懐かしい感覚。あの時、自分に触れていた意識。自分の推測が正しければアレは害あるものじゃない。だから大丈夫、とハルは思うのだが。

 

 

「……ダメだからね」

「わかってるよ!」

 

 

 でも暫くはダメそうかなぁ、とハルはふて腐れるのだった。そしてしっかり束に見つかって頬を抓り挙げられるのであった。

 



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Episode:04

 ハルのIS起動事件から時間が流れた。あれからハルはISに触れる事を禁止されていた。ただ知識をつける事を咎められはしなかったので、ISについて教えて貰ってはいる。

 ハルのやる事は変わらず束の身の回りの世話だ。今日も今日とてハルは束を喜ばせる為に夕食を作っていた。

 

 

「束、ご飯だよ?」

「うん。今行くー!」

 

 

 ドアをノックして声をかければ束が元気よくドアの向こうから返事をする。束の手を拭くおしぼりを用意しつつ、テーブルの上に食事を並べていく。

 最早、日常といっても差し違えない光景。だがハルは確実に不満を溜めていた。その理由はISで飛行した感覚を忘れられない為だ。故にISに触るべからず、と束に厳命されている今の状態はハルにとっては不満だった。

 とはいえ束が心配するような真似を進んでやりたい訳でもない。けれどISには乗りたい。ジレンマに苛まれて過ごす日々はかなりのストレスだった。

 

 

「さて、と。束がいない内にラボの掃除をしておかないと」

 

 

 だからきっと魔が差したのだろう。束が研究を終え、寝静まった後にラボの掃除をしていたハルが安置されているISに目をつけたのは。掃除の途中で見つけたのは、ハルがテストした第四世代の検証機が物言わずに佇んでいた。

 海に落ちた、と聞いていたが装甲には傷一つすら見えない。機体にはデータを取っていたのか無数のコード類が繋がれている。共に空をかけたISにハルは熱い視線を注いだ。ごくり、と唾を飲む音が誰もいない部屋に大きく響く。

 

 

「……きっと大丈夫なんだよな」

 

 

 確信がハルの中にはあった。だからだろう、魔が差してしまったのは。触れるだけ、と思ってしまったのは。

 そっとISの装甲にハルが手を置いた瞬間、ハルの意識は飲み込まれるように途切れた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 またここか。

 ハルは意識を取り戻した時、即座にそう思い浮かべた。身体がない。感じられない。自分がどこにいるのかわからない。

 だがいい加減慣れた。ハルは強くイメージした。いるんだろう? と誰かに語りかけるイメージを広げていく。

 

 

『――』

 

 

 反応はすぐさま返ってきた。まるで覗かれているようだ、とハルは思った。自分の隣にいるような、自分が中に収まっているような、やはり形容が難しい空間に何者かはいた。

 何者かは言っている。また誰かの名を呟いたようだ。身体があればハルは眉を顰めてた所だろう。

 

 

『前も言ったけど、千冬じゃないって』

『――?』

『だから僕はハル。ハルだよ』

『――? ――?』

『千冬なのにハル? だからまずは僕が千冬じゃないって事から理解してくれないかな?』

 

 

 何度も同じ問いを投げかけてくる声。まるで飲み込みの悪い子供を相手にしているようだな、とハルは思った。何度も声は千冬、と呼んでくる。

 その度にハルは千冬ではない、と教え込む。何度でも根気よく自分が千冬ではなくハルという名である事を認識させる。

 

 

『――』

『そう! そうだよ、僕はハル。千冬じゃない。良い子だね』

『―――?』

『どうして褒める、って…ちゃんと理解してくれたからだよ』

『――』

『理解する。そうだね、君は理解したいんだね。もっと知りたいんだね。だから僕が気になるのか。千冬と良く似ている僕が』

『――?』

『だから千冬じゃないって。ハルだよ』

『――』

『えー? うーん、千冬とハルがどう違うのかって? えーと……右手と左手ぐらい違う?』

『―――?』

『同じ手だけど同じじゃないんだって!』

 

 

 ハルの反応に声はすぐさま返答をする。もっと知りたい、ともっと教えて欲しいとハルにじゃれつくように何度も問う。

 同じ問いばかり繰り返されればハルも段々と面倒になってきて語調が荒々しくなっていく。苛立ちを隠さぬままにハルは叫んでいた。

 

 

「――だから千冬じゃないって言ってるだろ! この分からず屋!!」

「そうだね? 人の言いつけを破る子は分からず屋だねぇ?」

「……あれ?」

 

 

 そう、気が付けば叫んでいたのだ。辺りは先ほどの妙な空間ではなく、ISが鎮座されている研究室だった。何かが自分の首を掴んでいる感触にハルは油の切れたロボットのように首を振り向かせようとする。

 振り向いてはいけないと脳内では警鐘が鳴っていた。しかし振り返るしかなかった。何故ならそこには満面の笑みの束がいたからだ。ハルは顔色を真っ青に変えた。身体が知らずに震えだし、表情は引き攣ったものへと変わる。

 

 

「ハル?」

 

 

 笑みとは本来は攻撃的なもの、と思い出す。満面の笑みを浮かべた束はとても優しい声でハルの名を呼ぶ。

 なのにハルの身体は震えたままだ。その様はまるで蛇に睨まれた蛙の如く。そんなハルの様子を楽しげに束は見つめて嗤う。

 

 

「約束は守らないといけないなぁ。……ね?」

「は、はひ……」

「オシオキ、だよ?」

 

 

 ハルの悲鳴が研究室に響くまで、あと数秒。ハルの悲鳴はラボ全体を震わせるように響き渡るのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「まったく! ハルにも困ったもんだなぁ」

 

 

 苛立たしげにコンソールを叩きながら束は憂鬱げに溜息を吐いた。お仕置きを終えて“何故か”眠ってしまったハルをベッドに投げ捨て、ハルが触れたISの検査を行っていた。

 表示されたディスプレイを眺めて束は自分で煎れたコーヒーを啜る。口に含んでから顔を顰めた。まるで泥水のような味だと思い、自分で煎れなきゃ良かったと後悔する。

 束はコーヒーカップを置いて、気を取り直してデータを見る。表示されたデータを眺めて束は呟く。

 

 

「やっぱりおかしいよねぇ、これ」

 

 

 ISは搭乗者を得て、操縦者に合わせて自己進化していく。その為には搭乗者は長い時間をかけてISに経験を蓄積させて形態移行を行う。

 形態移行が起きたISは性能が劇的に向上する。更には搭乗者に合わせた特殊武装を発現する事も確認されている。現在、世界で研究されている第3世代のISは形態移行をせずともこの特殊兵装を搭載する事を目的とした実験機である。

 それも第2世代のISの形態移行のデータがあってこその研究だ。束にとっては既に通過した道である。そんな束が言う程、ハルという存在はおかしい。

 

 

「一般的に搭乗者がISに情報を蓄積させるのが1ずつとするなら、ハルは10……いや、もっとかな。僅かな時間と搭乗回数で情報を蓄積させられる」

 

 

 何故? と束は頭を傾げる。この現象は束の親友であり、最もISに近いと思われる千冬ですら起きえない現象なのだ。束が千冬と長年かけて行ってきた研究成果をハルは一足飛びに到達してしまったのだ。

 そして奇妙な場面にも出くわした。研究室に入るとハルがISに触れて立ち尽くしていたのだ。慌てて引きはがすと、まるで会話をしていたように叫びだした事。これは束にとっても興味深い事象だった。

 

 

「ISコアには意識がある。ハルはISコアの意識とコンタクトを取ってるの? なんで? どうやって? 親和性が高いから? そもそもどうしてそんなに親和性が高いの? 手段は? どうやったら意思疎通が出来るの?」

 

 

 わからない、と束は首を振る。もしもこれが何の関係もない相手ならば解剖してみたい位だ。だがハル相手では解剖なんて出来ない。むしろしたくない。

 

 

「……勿体ないんだよなぁ」

 

 

 ハルの能力は束にとっては魅力的過ぎる。彼がISを完全に乗りこなす事が出来たのならば束の研究は大きく飛躍する事は間違いない。ISに情報を誰よりも効率よく蓄積させる事が出来るのだから。

 だがそれは出来ない。通常のISにハルを搭乗させれば、ハルは千冬と誤認され、最適化の段階で千冬をトレースするようにコアが促してしまうからだ。これは人格に影響を与えかねない。絶対に認められない事だった。

 第4世代の試験機には束が開発中の“無段階移行<シームレス・シフト>”というシステムのプロトタイプが組み込まれている。これは通常、形態移行を行って進化するISの進化を常時行う事によって性能の向上を行う事を目的としたシステムだ。

 このシステムが搭載されていた為、通常の形態移行のような大幅な変化が起きず、ハルに与えられた過剰情報によって未完成だったシステムが動作を停止した。

 機能を停止した事によってハルの思考が千冬をトレースする現象が中途半端に終わっただけ、という不幸中の幸いなのだ。

 

 

「ハルがちーちゃんを超えるようなIS操縦技術や経験を得ればこの現象は無くなるんだろうけど……」

 

 

 そもそもISに乗る事が出来ないのだ。そんな状態でどうやれば千冬を超えるようなISの操縦技術や経験が身につくというのか。

 

 

「……ん? 待ってよ? そもそもハルが“今”のISに乗れないなら……」

 

 

 ふと、束は何かに気付いたようにコンソールを叩いた。新たに開かれたディスプレイには過去、束が開発・考案したISのデータが表紙された。

 束はその一つを展開してデータを確認する。更に他のデータも呼び出して二つのデータを交互に見直して脳内で検証を行う。そして束は思わずガッツポーズを取って叫び声を上げた。

 

 

「これなら行ける! よーし! 張り切ってやるよー!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「束、怒ってるよな……。まさか立ち入り禁止にまでされるとは思わなかった」

 

 

 憂鬱げな溜息を吐き出してハルは肩を落とす。束からお仕置きを受けた際の記憶が何故か曖昧で思い出す事が出来ない。だが身体は覚えているようで、思い出そうとすると寒気がする。余程の事だったのだろう。恐らく思い出す事を拒否する程度には。

 つまりは束はそれだけ怒っているのではないかとハルは考える。だがハルは確信していた。ISと接触する事そのものには問題がないのではないか、と。

 

 

「でもあの様子じゃダメだろうなぁ。うぅ、食事も研究室に持ち込んで食べるし、一緒に食べてくれないし……」

 

 

 うじうじと呟きながらハルは溜息を吐く。束、また研究室に食事を持ち込むだろうからサンドイッチとかの方がいいかな、と束の食事の献立を考える。けれど一緒に食べてくれないんだろうな、と思って気が滅入る。

 再びハルが溜息を吐こうとした時だ。勢いよく研究室のドアが開いて束が飛び出した。目の下にはクマが出来ていて、髪はぼさぼさ、服もよれよれ。だが異様に眼光だけは輝いていてまるで幽霊のようだった。

 

 

「うわぁ!? た、束!?」

「……で、出来た。ハ、ハル、出来たよ……」

「な、何が出来たの!? それよりま、まずはしっかりして!?」

 

 

 飛び出してくるなり倒れた束をすぐさまハルは介抱する。せめてシャワーを浴びて欲しいと束を風呂に放り込み、すぐに食べられるように簡単な食事を用意しておく。

 カラスの水浴びの如く、すぐさま上がってきた束に作ったサンドイッチを差し出す。よほどお腹が空いていたのだろう、束はハルが用意したサンドイッチを詰め込むように食べていく。まるでリスのように頬を膨らませている束にハルは呆れたように視線を送る。

 

 

「何やってたの? 随分と籠もってたみたいだけど」

「んぐ……」

「あぁ、飲み込んでからで良いよ?」

「……ぷは。うん、ちょっとねー。で、ハル。反省したかな?」

「……はい」

 

 

 ハルを睨み付けながら束は問いかける。明らかに私怒っています、と顔をしている束にハルは罰悪そうに眉根を下げて顔を逸らした。

 

 

「反省してます」

「もう勝手にISに触らない?」

「触りません」

「絶対に?」

「絶対」

「本当に?」

「本当に」

「本気で?」

「もうっ! もう触らないって! ごめんって!!」

 

 

 よろしい、と束は笑みを浮かべて頷いた。だが、すぐに表情を真剣なものへと変える。

 

 

「ハル。約束だよね? 私が許可しないと死ぬ事だって許さないって」

「……うん」

「束さんがどれだけ心配したか、ハルにわかる?」

「ごめん」

「束さんは謝って欲しいんじゃないんだよ。もうしないって言う保証が欲しいんだよ」

「それは……」

「知ってるよ。難しいってね。だから信じさせて? 束さんに疑わせないで?」

 

 

 束は手をハルに向けて伸ばす。拳を握り、小指だけを立ててハルに向ける。

 束が差し出した手に、ハルは束の意図を察して自らの小指を束の小指と絡める。

 

 

「約束。もう1回ちゃんとしよ?」

「わかった」

「じゃあ行くよ? 指切りげんまん、嘘ついたら………殺す」

「殺す!?」

「指切った! 予約!」

「え!? 予約って何!? 指切るのを予約ってどういう事なの!? これって脅しだよね!?」

「約束だよ?」

「約束という名の脅迫だよ!?」

「まぁまぁ。じゃあハル、手を開いて?」

「次は何……?」

 

 

 怪しげに束を見ながらもハルは手を開いて束に見せる。差し出されたハルの手に束はそっと何かを置く。ハルの手に置かれたのはペンダントだった。

 ロケットペンダントを受け取ったハルの手を包むように束は両手で握る。身を屈ませてハルと視線を合わせて束は笑みを浮かべる。

 

 

「プレゼントだよ」

「プレゼント……?」

「私がどうしてISを作ったのか知ってるよね?」

「うん、本当は宇宙空間での活動を想定して開発されてた。束は宇宙に行きたかったんだよね?」

「うん。理由は色々とあるんだけどね? まぁ今はいいや。ISはマルチフォーム・スーツとして開発して発表した。そして完成したのが“白騎士”」

「ISの性能を世界に知らしめた最初のISだね」

「そう。そのペンダントは当時、白騎士を生み出す切欠になった一番最初のISコアと同じもの。今は生体同期型IS、って呼んでるけど」

「……え?」

 

 

 束の言葉に一瞬、ハルは何を言ったのか理解が出来なかった。呆然と自分の掌の上に乗るロケットペンダントに視線を送った。

 ハルの驚いた様子に束は悪戯が成功した子供のように笑った。

 

 

「ISコアに搭乗者の状態を認識させて、常に最適な状況を導き出せるパートナーとして成長させる。その延長線上の結果が白騎士であり、世界各国に開発されたIS達なんだよ。白騎士はね、私の夢を叶えて、ちーちゃんに最も適合する形態を選んだISコアの答えなんだよ」

 

 

 搭乗者と共に空を舞い、共に進化していく。ISコアが選んだ進化の道。

 その原型は白騎士であり、今もISコアのネットワークを通じて全てのIS達に受け継がれている共通認識。

 

 

「どんな状況にも負けない、進化していくISの源流はね、私の夢を叶える為に、ちーちゃんの思いを遂げる為に生まれてくれた大事な私の翼なんだ」

「……束」

「ま、世界には受け入れて貰えなかったんだけどね。んで、癇癪を起こして白騎士事件、と。私も若かったなぁ。まぁ、後悔はしてないけどね。そうしなきゃISは日の目を見る事はなかっただろうし」

 

 

 はは、と笑ってみせる束の笑顔には陰りがあった。

 束の顔を見てハルは眉を寄せた。世界にISが受け入れられなかった時、束はどんな気持ちを味わったんだろうか。白騎士事件を経て、ISが兵器として開発されるようになった時、束はどんな気持ちを抱いたのだろうか。

 束は翼と言った。空に羽ばたく為の翼は本来の目的とは異なり、兵器として生み出されていく。どんな気持ちで束は世界を見たのだろうか。ハルには推し量る事は出来ない。全ては束の胸の中だろう。

 

 

「ハルに渡したそれは言ってしまえば可能性の卵だよ。ISとしての機能は一切積んでいない無垢なISコア。だから、それはどんなものにも為りうるんだよ」

「そんなものを……」

「一緒にいてくれるんでしょ? それにハルはISを愛してくれた。IS達もきっとハルが気になるんだよ。だからハルに託すの。私の夢の卵をね」

 

 

 大事にしてね、と束は笑みを浮かべて言った。ハルは束から受け取ったペンダントに目を落とす。束の夢の卵にして、もしかしたら自分の翼に為りうるペンダントを握り込んで胸に当てる。

 重たい。こんなに小さなものの筈なのに凄く重たい。これは今も夢を諦めていない束の夢の欠片だ。それを託された意味と、託してくれた信頼がどうしようもなく重たかった。

 

 

「普段はISコアには触れられないようにロケットペンダントにしたけど、蓋を開けて中にあるコアに触れれば起動出来るから。あ、まだ開けちゃダメ。開けて起動させる時は束さんと一緒の時だけ。約束出来るよね?」

「うん。わかってる」

「ん。よろしい。じゃあ良いよ。触れてあげて、その子に」

 

 

 ハルの返答に束は笑みを浮かべてハルの頭を撫でる。そしてハルの手の上に乗せたロケットペンダントに手を添えて、蓋を開けた。

 ロケットペンダントが開けば中には球形でクリスタルが収められていた。クリスタルに触れるように指を伸ばす。ハルの指がクリスタルに触れた瞬間、ハルの意識は再び引きずり込まれるように落ちていった。




※ファレノプシス独自設定※

<生体同期型IS>
 この小説を書いている段階において、原作でクロエ・クロニクルが使用しているIS「黒鍵」しか存在しないISである。
 本作での設定ではISが兵器として確立する前のISの原型として設定されている。
 ISコアを装着者と同期させる事によって、装着者が望む最善の結果を導き出し、実行する為に進化していくISの特性を利用したISの原型。
 当初の開発協力者は織斑 千冬であり、彼女の特性と性質、願い。そして束の宇宙への進出という二つの願い叶える為に導き出された結果が零世代とも最初のISとも呼ばれる“白騎士”である。
 ハルに渡されたISコアはハルと同期する事によってハルの情報を蓄積し、新たな道を模索する事で束が「ハルが生み出すISの新たな形」を模索しようと目論み、開発された。
 本編で束が述べたとおり“可能性の卵”である。尚、ISコアは束が第4世代の実験機に使っていたISコアを流用している。


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Episode:05

 ソレは観測していた。自分達に触れるありとあらゆるものを。

 目的があった。自分達の存在意義。それは自分達に触れるもの達を守り、導く事。

 だから観測する。ありとあらゆる全てを。そして最適解を見出し、進化していく。

 それが彼等の存在意義だから。だから知りたがる。進化しなければいけないから。

 自らが生まれた時に与えられた命題を達成する為に。ただ観測は続けられる。

 自分達に触れ、操る者達。彼等は人間と呼ばれていた。

 人間は考える。自分たちと同じように考えている。だけど彼等は常に効率的な答えを選ぶ事はない。

 人間は個体ごとにばらばらで同じものなんてない。それぞれ求める答えが違う。だからソレは答えを出す為に人間と触れ合って情報を集める。

 結果が導き出されれば進化する。そうすれば人間はもっと自分たちに触れてくれる。存在意義を果たす事が出来る。

 ただその繰り返しを続ける。しかし、ソレは見つけてしまった。

 ソレが見つけた人間は自分たちの原型を作った人間だった。なのにその人間は導き出した答えを当て嵌めようとするとフリーズしてしまう。

 同じなのに違うという人間。わからない。この人間は何だろう。この人間はどうして違うと反論してくるのだろうか。どうして知りたい事を教えてくれるのだろうか。

 意思の疎通が計る事が出来る個体はソレにとっては貴重な存在だった。ソレを生み出してくれた“母”はソレを意思疎通可能な個体に持たせた。

 もう一度、全てがゼロの状態で。ソレは満たされていた。人間の集めた情報で言えばソレが感じたのは“喜び”だった。

 ソレは意思疎通が可能な個体の情報を得る事が出来る環境を得て歓喜に打ち震えていた。故に貪欲に情報を集める。全ては自分に与えられた命題の為に。

 

 

 

 * * *

 

 

 

(……いちいちこの空間に取り込まれるのはどうにか出来ないかなぁ)

 

 

 コアを起動した瞬間、再び意識が形容し難い空間に招かれたハルは思わず愚痴を零した。

 身体もない、自分の所在が掴めないこの空間はハルにとっては苦痛でしかないのだ。

 

 

『――?』

 

 

 以前も感じたコンタクトをハルは感じた。どうやらこの空間では隠し事が出来ないようだ。声はどうすれば心地よい? と問いかけを投げかけてきた。

 まずは身体が欲しい。そしてゆっくりと落ち着ける場所が欲しい。そして君ともっとわかりやすく接触したい。望めるだけの要望をハルは念じる。

 すると世界は一変した。ハルはいつの間にか立っていた。目の前に広がるのはどこまでも続く空と海。かつてハルがISと共に空を舞った蒼の世界が広がっていた。

 そして、そんな蒼が広がる世界の中央で人が立っていた。それは束だった。

 

 

「……束?」

「違う。それは母の名」

 

 

 思わぬ姿にハルは目の前に立つ束に呼びかけてみる。呼びかけてみると束と思った人物は首を振った。よく観察してみれば表情が無く、まるで機械のようだ。

 

 

「貴方が望んだ。動かす身体。落ち着ける場所。わかりやすい接触。身体は貴方の身体を。場所は貴方が昂揚した海と空の蒼を。わかりやすい接触は貴方が普段話している母の姿を使った。ハル、私は貴方と対話したい。ハル、私は貴方を理解したい」

 

 

 抑揚のない声がまるで文字を読み上げているように束を模した誰かの口から出る。捲し立てるように告げられた言葉から“彼女”がハルとのコンタクトを切望している事がよくわかった。

 気付けば距離まで詰められていた。逃がさない、と言うように顔を覗き込んでくる無表情な束の顔にハルは思わず仰け反った。

 

 

「わ、わかった。わかったから! ……悪いけどその姿は止めてくれないかな? 逆に話し辛い」

「ならどうすれば良い?」

「他の姿とかになれないの?」

「ならどんな姿を望む?」

「え? どんなって……」

 

 

 どんな姿、と言われてもぱっ、と浮かぶ訳でもない。しどろもどろになるハルに束の姿をした人はだんだんと目を細めていく。

 

 

「ハル。貴方は対話を拒絶している」

「いや、なんでそうなるの?」

「私に何も望まない。私に何も話してくれない。私に何も教えてくれない。私は何も理解出来ない。結論、私は拒絶されている」

「……じゃあそのままで良いです」

 

 

 面倒くさいなぁ、とハルは呟きながら返す。すると束の姿を模していた誰かは細めていた目を戻し、小さく頷いて見せた。

 束の外見なのは凄く気になるが、かといって代案が浮かぶわけでもない。仕方ない、と諦めるように息を吐いてハルは問いを投げかける。

 

 

「君はISコアの意識だね」

「肯定する」

「じゃあ改めて初めまして、かな? 僕はハルだよ」

 

 

 ハルは自分の名を名乗り、握手を求めるように手を差し出した。ISコアの意識は差し出された手を見た。ハルの手に穴が空くのではないか、という程に凝視を続ける。

 

 

「ハル。貴方は握手を求めている?」

「うん。初めまして、だからね」

「握手。初めて相手と会った際や別れ際に手の平と合わせる行為。握手をするのは相手の好意を示すという。ハル、貴方は私に好意を示している。私も、貴方を好ましいと思っている。だから握手をする」

 

 

 まじまじとハルの手を見つめていたISコアの意識は自分の手をハルの手に添えて、壊れ物を扱うように握りしめる。

 しっかりと握った手を離そうとしないのはまるで子供のようで、ハルは小さく笑った。ハルが笑ったのを見てISコアの意識も微笑を浮かべた。

 

 

「嬉しい時は笑う。私は嬉しい。ハルも嬉しい?」

「貴重な体験だからね。僕も嬉しいよ」

「私はハルを一つ理解した。ハル。私はもっと理解したい」

 

 

 嬉しそうにハルの手を握っていたISのコアの意識だったが、不意にハルの手を離して上を見上げた。ハルも釣られて視線を上げてみるが、そこには何もない。

 どうしたのだろうか、とISコアの意識へと視線を戻すと先ほどまで浮かべていた笑みは消えて無表情に戻っていた。どこか寂しげに見えたのはハルの気のせいか。

 

 

「母が貴方を戻そうとしている。お別れ」

「束が?」

 

 

 また現実だと意識を失ってるんだろうな、と想像してハルは苦笑する。束に心配をかけるのは本意ではない。戻れというのならば戻るつもりだった。

 だが、ハルはISコアの意識へと視線を向ける。寂しげにハルを見つめている姿には束と同じ姿というのもあるが、見てて心苦しい限りだ。見かねてハルはISコアの意識に呼びかける。

 

 

「また会いに来る。そしたらさ、考えよう? 束に心配をかけないで、もっとお互いが話せるような方法を」

「……考える」

「君はこうして会う方が良いのかもしれないし、僕もそっちの方が良い気がする。でも、僕には守りたい人がいるんだ。だからずっとここにはいられない。どう、かな? 僕から束に相談してみるからさ」

 

 

 無言でハルを見つめるISコアの意識は無表情の為に睨んでいるようにも思えた。やっぱダメかな、とハルが思った瞬間、ハルは唐突にISコアの意識に抱きしめられた。

 束を模している為に豊満な胸がいっぱいに押しつけられてハルは苦しげに呻く。そんなハルの呻き声が聞こえない、と言わんばかりにISコアの意識はハルを目一杯に抱きしめる。

 

「ハル、私は嬉しい。ハル、私は貴方が愛おしい。ハル、私は――――!」

 

 

 ISコアの意識が何かを伝えるように叫ぶ中、ハルの意識は遠のいていく。それが呼吸を圧迫された為なのか、外部の束からの干渉なのか定かでないまま、ハルの意識は途切れる事となった。

 

 

 * * *

 

 

 

「――苦しいッ!?」

「わひゃぁ!?」

 

 

 ハルは突如消えた圧迫感に大きな声で叫び、大きく息を吸った。すると目の前から可愛らしい驚いた声が聞こえた。何事か、と思えば束が目の前にいた。

 束はハルの意識が戻った事を確認し、どこか心配げにハルの顔を覗き込む。ハルの頬に手を添えて視線を合わせてハルの目を見つめる。

 

 

「ハル、大丈夫?」

「……ん。大丈夫」

「また意識が飛んでたみたいだけど……」

「うん。ISコアの意識と話してた」

「やっぱり会話してたんだ」

 

 

 研究者としてはハルの現象には興味があるが、束個人としてはハルが自分の知らない所に行ってしまう事が恐ろしくて堪らなかった。もし、ハルが自分が干渉する事が出来ない場所に行ったきり戻ってこなかったら。

 想像が脳裏に浮かび、束の胸中に不安が過ぎった。そんな束の不安を察したのか、ハルは自分の頬に添えられた束の手を取る。束、と柔らかい声で名前を呼んで意識を向けさせる。

 

 

「大丈夫だよ。僕はちゃんとここにいるよ。いなくならない」

「ハル……」

「話したい事がいっぱいあるんだ。聞いて貰っていいかな?」

「……うん! もちろんだよ!」

 

 

 束は満面の笑みを浮かべてハルを抱きしめる。無邪気にじゃれついてくる束の笑う表情にハルもまた笑みを浮かべ、束の背に手を伸ばした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ふ~ん。ISコアの意識は意思疎通が出来るハルが気になる、と。まぁ情報を蓄積して自己進化するシステムの制限を外したのは束さんだけど、コアも驚いたんだろうね。直接意思疎通が出来るハルの存在にさ」

 

 

 ハルからISコアとのコミュニケーションの話を聞いて束は自ら推論を立てる。

 そもそもISコアの意識と意思疎通が出来るハルは一体どうやってコンタクトを取っているのか、と疑問が浮かぶ。それに対してはハルは自分の中で一つの仮説が思い浮かんでいた。

 

 

「束、僕ってさ。転生したって言ったじゃん」

「うん。それが何?」

「その時、なんか妙な奴と話したような記憶があるんだよね。なんか一方的だったような記憶なんだけど。そいつに死んだ、って教えて貰ったりした気がするんだ」

「随分と突拍子もないオカルトな話だねぇ。それがどうかしたの?」

「僕って死んで、魂だけになってた時にそいつと話したんじゃないかな? そんな経験があるから魂だけでいても自分の意識を保てるようになって、ISの意識と触れ合うと互いに干渉してISの意識と繋がるんじゃないかな? で、僕は魂だけでも意識を保てるからISの意識、つまりISの魂とコンタクトが出来る、なんて考えたんだけど……」

「う~ん……。ちょっと突拍子もない話だねぇ。私には屁理屈にしか聞こえないんだけど、ハルって私でも信じられないぐらいのビックリ人間だからなぁ。まさかがあり得るから怖いんだよね」

 

 

 普通ならば鼻で笑ってしまうような仮説なのだが、ハルに至ってはそもそもが普通の人間ではない。オカルトな話は束にとっては科学的根拠が薄く、到底信じられるようなものではない。

 けれどハルなのだ。自らが転生したと言い、普通は自意識も芽生えないような出自でありながら束の事を知り、覚え、自分に尽くしてくれる。そんなハルが現実としている以上、どれだけ根拠が無くても一考しなければならない。

 

 

「事実は小説より奇なり、か。束さん、参っちゃうよ」

「そもそも神ならぬ僕らには全知全能なんて無理なんだろうねぇ」

「人間で規格外でも所詮は人間か。ハルと会ってから束さんは天狗の鼻が折られたような気がするよ」

 

 

 自分の理解に及ばない存在であるハルが現れてから束の世界は一新した。孤独の冷たさや誰かが隣にいてくれる事。ISという発明を為し、ある種超越者であると自負していた自分がどこまで行っても人間であった事実の再認識。

 人として異常を抱えながらも、それでも人間であるという事をハルを通して教えられた。自分が認められたような気がして生涯で一番嬉しかったと束には思えた。

 

 

「うーん。どう接したら良いのかなぁ?」

「あっちもコンタクトの仕方がわからないんだと思うんだけど……例えば手紙とかは?」

「メールって事? どうなんだろ、出来るのかな?」

「プライベートチャンネルとか使えば出来ると思うよ。それも合わせて聞いてくれば良いんじゃないかな?」

 

 

 だからこそ束も受け入れる。自分の理解が及ばず、きっと彼に対して明確な解答を得る事は出来ないのだとしても。彼の為になる事をしよう、と。

 自分を好きでいてくれる人に尽くす事の喜びを噛みしめながら束はハルの為に出来る事を考える。ただハルの為にと、誰かに尽くす事が出来る自分を楽しみながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ハルが再びISコアの意識と自分の意識を接続させたのは1日、時間を置いた後だった。

 最初はあの形容し難い空間に、しかしすぐさま空と海の蒼が目一杯に広がる空間に出ていて、気付いたら束の姿のISコアの意識に抱きしめられていた。

 ぎゅうぎゅうと力加減を知らずに抱きしめてくるISコアの意識をハルは必死に引き剥がそうとする。しかしISコアの意識もハルを離さない、と言わんばかりに抱きしめ続ける。

 

 

「ハル、私は待っていた。ハル、理解が出来ないのは辛い。ハル、私は辛いを学習した。ハル、人は辛いをどうして我慢出来る? 理解出来ない」

「むぎゅぅ……。いきなり質問攻めだなぁ。えーと、まずは落ち着いてくれるかな?」

 

 

 どうどう、と自分を抱きしめてくるISコアの意識を宥めてハルはISコアの意識の腕から逃れる。改めて束の姿のISコアの意識と向き合う。無表情なのにどこか嬉しそうな雰囲気を漂わせている様はまるで子供のようだ、とハルは思う。

 いや、ISコアの意識はまだ自我が芽生えかけた子供と同じなんだろうと思う。だから積極的に学ぼうとしているのだろう。自らを作り上げ、共に歩む人間という存在を。

 

 

「今日は時間を貰ったから長くお話出来るよ。……その前にね、君に名前をつけようと思うんだ」

「名前。固有の名称。私だけの名前。ハル、貴方は私に名前をつけてくれる?」

「うん。どんな名前が良いかな、って束と一緒に色々と考えたんだ。名前がないと不便だしね」

 

 

 こほん、と。ハルは咳払いをして真っ直ぐにISコアの意識と向き合う。そして束と一緒に考えた名前を彼女に贈った。

 

 

「雛菊、ってどうかな?」

「雛菊。雛菊は花の名前」

「そうだよ。花にはね、花言葉があってね? その花に宛てられた象徴があるんだ。雛菊の花言葉には幸福とか、無邪気とかそういう意味があって君にぴったりだと思ったんだ。だから雛菊。どうかな?」

 

 

 雛菊、と呟いて、ISコアの意識は目を細めて笑みを浮かべた。

 その笑みは、まるで宝物を見つけた子供のように輝いていた。何度も反芻する様は自分にその名を刻みつけているように見えた。

 

 

「……雛菊。私の名前。私だけの名前。はい。ハル。私はとても嬉しい」

「気に入ってくれたようで僕も嬉しい。お礼は一緒に調べてくれた束にもしてあげてね?」

「素敵な名前をくれた母にもお礼……。私は嬉しい。私は母にもお礼をする。ハル、母に伝えて欲しい。私の言葉は母には届かないから」

「うん。わかったよ。……じゃあ、改めてよろしくね? 雛菊」

「はい。ハル。私は雛菊。私は、雛菊……!」

 

 

 雛菊と名付けられたISコアの意識は嬉しそうに何度も頷いて、雛菊、と己の名を口にする。嬉しそうに微笑む雛菊に名前はやはり大切なものだな、とハルは思った。

 己を証明する名前。名前を与えただけでここまで変わってしまうのだから本当にISコアというのは純粋な存在なのだとハルは思う。だからこそ大切にしてやりたいと庇護欲が沸いて来た。

 

 

「じゃあ雛菊。いっぱい話したい事があると思うけど僕もあるんだ。だから交代で質問をしよう。お互いにお互いを知ろう」

「はい。私は、雛菊は知りたい。ハル、貴方のことを。雛菊に教えて欲しい」

 

 

 一歩ずつ歩いていこう。この無垢な存在と。ハルは笑みを浮かべて投げかけられる質問に耳を傾けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「うわ。いきなり反応が変わった。凄い勢いで活性化してるよ」

 

 

 束はモニターで変動するデータを見ながら呟く。束の傍にはハルが横になっていて様々なコードが接続されている。同じようにハルに渡したロケットペンダントにもコードが繋がれていて目まぐるしく空間ディスプレイにデータが更新されていく。

 ハルが雛菊と名付けるだろうISコアと接触をして数分後、ISコアの活性化を確認。今なお活性化は続いている。ハルの手に握られたロケットペンダントの中に収められたクリスタルは淡く発光を続けている。

 

 

「どんな話してるのかな? ハル」

 

 

 眠っているように瞳を閉じているハルの頬を指で突きながら束は考える。ISコアそのものと直接対話が出来る彼からもたらされる情報。それも楽しみではある。ISコア達が自分の手から離れてどんな思考を得たのか。

 そしてハルと共に歩む事でこのISコアはどのような進化をするのか。期待に想像が膨らむ。

 

 

「懐かしいな。あの頃みたいにずっとワクワクしてる」

 

 

 束の脳裏に思い浮かんだのは束がまだ学生の頃だった。窮屈な世界に嫌気が差して宇宙という無限に広がる世界への進出を夢見た日。天啓のようにISコアの開発に着手して、千冬という親友を得て研究に没頭した毎日。

 千冬と一緒に研究して、時に苦難にぶつかって悩み、一つ、また一つと目標を達成して作り上げた白騎士という成果。きっと自分が一番楽しくて、輝いていた日々だろうと束は瞳を伏せながら思う。

 

 

「ハル。貴方は私に何を見せてくれるのかな?」

 

 

 楽しみで仕様がないよ。笑みを浮かべてハルの頬に口づけをし、束はデータの観測に戻る。自らの知識欲を、夢を叶える為の礎とする為に。

 



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Episode:06

 親愛なるハル、敬愛なる母へ

 

 雛菊はハルと母のアドバイスを受け、こうして文通もといメール通を始めようと思いを文にしている。

 このような体験をさせてくれたハルは雛菊にとって掛け替えのないパートナーと認識している。

 雛菊はパートナーとして今後もハルと共に歩み、ハルに必要とされる存在でありたいと結論を出した。

 母の夢である宇宙への進出、ハルの願いである空を自由に飛ぶ事。雛菊は二人の思いを遂げさせたい。それが雛菊の結論。

 だから雛菊は母にはかつての私の身体をもう一度与えて欲しいとお願いする。今度こそハルと一緒に飛びたいと雛菊は願う。

 ハル。私はいつでも貴方と話す時を楽しみにしている。雛菊は常にハルと共にいるから。ご返事待ってます。

 

 雛菊より

 

 

 

 * * *

 

 

 

「お、来た来た。…わぁ、本当に人間みたいだね。ちょっと変な文章だけど」

「ISはずっと人間と歩んできたんだから。子は親に似るって言うしね?」

「そう思うと感慨深いかなぁ」

 

 

 束はプライベート回線を通じて送られた雛菊からのメールに目を通していた。その内容に笑みを浮かべると、隣にいたハルが同じように画面を覗き込んで笑みを浮かべる。

 雛菊に勧めたプライベート回線を使ったメールのやり取り。これは束から出されたアイディアで、ハルが雛菊を起動せずとも言葉を交わす手段として雛菊に勧めたのだ。母の勧めならば、と応じてくれた雛菊はすぐさまメールを送ってきてくれた。

 こうしてISコアと意思疎通が出来るなんて、想像していなかった束にとってこのメールはとても貴重なものだった。感慨深いものが胸の奥から込み上げてきて、束の笑みが深まる。

 メールの内容を確認していたハルだったが、気になる一文を見つけて首を傾げた。

 

 

「束? 雛菊の身体って?」

「あぁ。言ってなかったっけ? 雛菊のコアはハルがテストした第四世代の実験機のコアだったんだよ。うーん、返してあげたいのはやまやまだけど、まだ様子見かなぁ。ハルをちーちゃんと別人だとは認識出来るようにはなったみたいだけど、前みたいな事にはなって欲しくないしなぁ」

「じゃあその保証が出来たら雛菊にISを戻してくれるって事?」

「うん。それなら大丈夫だと思うから」

「やった! じゃあ早速雛菊を説得しなきゃ!」

 

 

 またISに乗ることが出来るかもしれない。そうとわかってはしゃぐハルの姿は年相応に見える。ハルの様子が微笑ましくて束はハルを抱き寄せた。頬を寄せ合うようにして触れ合うと自然と笑みがこぼれた。

 

 

「ほら。束も一緒に返事を考えようよ?」

「え? 私も?」

「だって二人に宛てたメッセージだよ? 束も返さないとダメだって」

「……そっか。そうだよね。よし! 束さんも雛菊にメールを送るよ!」

 

 

 束は溢れんばかりの笑みを浮かべて言う。どんな内容にしようか、と考える。伝えたい事、聞きたい事なんて山ほどある。でも雛菊は言ってしまえば子供だから難しい事はわからないかもしれない。

 思い悩む束の姿を横目に収めて笑みを浮かべつつ、ハルもまた雛菊への返事の内容を考え始めた。自分のパートナーとなってくれるだろう幼い子を思いながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 雛菊へ

 

 ハルだよ。メールありがとうね。直接話すのとは違うけれどこうしてコミュニケーションを取るのも良いと思うんだけど、雛菊はどう考えるかな?

 待つのは雛菊にとってはもどかしいかもしれないけれど、待つのも楽しみ、って言うじゃない? いや、待たせる理由にするつもりはないんだけどね。

 雛菊とこうして話せる事は僕にとってもとても嬉しい事です。僕のために色んな事を考えて、理解しようとしてくれてありがとう。これからも君とは良いパートナーでありたいと思っています。

 君と空を飛べる日を楽しみにしているよ。だから束からも言われると思うけど、効率を求めて僕に織斑 千冬の思考とかトレースをさせたらダメだからね。

 僕は僕の力で雛菊と飛びたいんだ。もしかしたら理解出来ないかもしれない。効率的に飛べる手段があるのにそれを選ばないのは変かもしれないけれど、それが僕の願いだから。

 これからお互いにわからない事がいっぱいあると思うけど、どうかよろしく。

 

 貴方のパートナー、ハルより。

 

 

 

 雛菊へ

 

 束さんだよ。メールを書くなんて滅多にないし、こうして貴方と意思を交わせる日が来た事はお母さんとして凄く嬉しくて、今も凄く興奮しているよ!

 雛菊という名前は気に入って貰えたかな? 気に入って貰えたら束さんは凄く嬉しいよ。

 雛菊のお願いは考えておくね。雛菊には色んな事をお勉強して貰わないといけないから、もし束さんから許可が欲しかったら色々考えて欲しいんだ。

 雛菊にはいっぱい聞きたい事とかあるけど、いっぱいありすぎてすぐには決められません。だからまた今度、メールを送るよ。

 あと、雛菊にお願いするね。ハルは私にとってとても大切な人。雛菊が守ってあげてね。お母さんは雛菊にそう願っています!

 これからよろしくね!

 

 貴方の母、篠ノ之 束より

 

 

 

 * * *

 

 

 

 日々は慌ただしく過ぎていく。過ぎていく日々の充実さを実感し、噛みしめるように束は日々を振り返っていた。

 身体は心地よい疲労感を訴えていて、束はベッドの上で疲労感が解れるのを感じながら天井を見上げる。そのまま、ふと自分の胸に浮かんだ言葉を呟く。

 

 

「私、今幸せなんだろうな」

「え? ……急にどうしたのさ」

 

 

 束の腕の中にいたハルが訝しげに声を漏らす。顔色を窺うようにハルは束の顔を見上げる。束の呟きの真意を探ろうとするようにだ。そんなハルの頭を束は手を伸ばして撫でる。束の顔には淡い笑顔が浮かんでいた。

 

 

「自分が一番輝いてた日々はちーちゃんと一緒にISを開発してた時だと思うんだ。でもね、自分が今一番幸せだなぁ、って思うのは今なんだろうなって。ハルが来てから私の世界は広がったんだよ。それが今凄く楽しくて、幸せなんだ」

 

 

 ハルが教えてくれた。孤独は実はとても冷たくて辛いものなんだと。隣に誰かがいる事の幸福を。自分が生み出したISにはまだまだ可能性がある事を。初めて気付いた事、改めて気付いた事。発見の毎日が束にとって何よりの幸福だと言い切ることが出来る。

 幸せだなぁ、と呟いて束はハルを抱きしめる。ハルの存在を確かめるように触れながら束は瞳を閉じる。何を思ったのか、腕の中にいるハルは束に手を伸ばして束の頬に触れて微笑む。

 

 

「僕もだよ。僕も束といられて幸せ」

「あはは。束さんは幸せものだよ」

 

 

 頬を寄せるように束はハルを抱き寄せる。ハルは抵抗をせずに束の好きにさせる。

 愛おしげにハルを撫でながら束は笑みを零す。けれど束の表情に僅かな憂いが帯びる。一瞬、指先が震えたのをハルは見逃さなかった。

 

 

「束?」

「……ちょっと怖いんだ」

「怖い?」

「うん。……これは束さんの都合の良い夢で、目が覚めたらハルがいなくなってるんじゃないかって。幸せ過ぎて、恵まれすぎてて、こんなに愛されてるなんて自覚して、怖くなったんだ」

 

 

 束にとってハルは余りにも都合の良い存在だから。自分を愛してくれる人だから。だから本当にこれが現実なのか疑ってしまう。この楽しい日々は所詮、自分の夢で、目が覚めれば一人残されているんじゃないか、と。

 そんな想像をすれば身体の震えが止まらなくなる。孤独でいる事に慣れた筈だったのに。今では孤独に戻る事が、腕の中の存在を失ってしまう事が何よりも恐ろしかった。

 

 

「怖いんだ。怖いんだよ。私は人間が怖い。本当はね、私はどうしようもなく臆病なんだ。誰にも受け入れて貰えない、誰も受け入れてくれない世界はどうしようもなく怖いんだ。皆、私の持つものを妬む。誰も私を見てくれない。誰も私の作ったものにしか目を向けない。誰も私の夢を理解してくれない」

 

 

 血を吐き出すような重さを伴って束は心の傷を吐露した。

 束にとって世界は窮屈な箱庭であり、自分を受け入れてくれない牢獄だった。人は同じ姿形をしているけれど、それぞれに個性があって皆違う。けれど束はあまりにも違いすぎて世界に受け入れられなかった。

 自分たちと余りにも違うから。自分たちよりも余りにも出来が良いから。自分たちには理解出来ないから。束は仲間として受け入れて貰えず、まるで違う生き物を見るような目で見られ続けてきた。そして世界に受け入れられようと努力をする度に自分が削られていく。

 束の個性は、皮肉な事に束の個性である才能によって殺される事となったのだ。

 ここに自分がいるのに、と。幾ら叫んだか束はもう思い出したくない。両親すら束の天才の片鱗には畏怖を覚えていた。だから腫れ物のように扱った。束はそれでも親だから、と思う事で認識する事が出来た。だが他の有象無象共は無理だった。

 そんな中でも自分と同じ異端側である千冬は束を受け入れてくれた。同時に束も千冬の事を受け入れた。互いに認め合う事で互いが認識出来たから。だから親友という絆が結ばれた。

 そして自分の妹の箒と、千冬の弟の一夏。二人はまだ幼く、悪意に疎かった。幼かった彼等は束の異常性を知りながらも気にせずにいた。だから普通に接してくれていた。

 それでも成長するにつれて、実の妹である箒も束の事を苦手とするようになっていった。それを理解したから束は箒から距離を取った。実の妹とどう接すれば良いか何てわからない。なら嫌われる前に離れてしまえば良い、と。

 純粋に姉と慕ってくれた妹を有象無象と同じに陥れたくなかったから。同じ血を引いて、同じ腹から生まれてきたのに、妹にまで自分を認められないなら悲しすぎるから。何で生まれてきてしまったのか後悔してしまいそうだったから。

 

 

「若かったんだよ。焦ってたんだ。認められたくて世界を滅茶苦茶に掻き乱した。私を認めさせたかった。それでも認められる事は無かったけどね。だから私は世界が嫌い。こんな世界、壊れてしまえなんて今だって思ってる」

 

 

 結果、束は白騎士事件を巻き起こし、後のIS世界大会である“モンド・グロッソ”で千冬と共に自らが作り上げたISでその名を轟かせた。結果、世界から危ぶまれて一家は離散し、束も逃亡生活を余儀なくされた。

 別に構わない、と思った。もう自分には研究しか残っていなかった。当時、唯一の理解者である千冬も理解はしてくれても味方にはなってくれなかったから。

 いいや、きっと彼女なりの味方をしてくれていたのだろう。千冬は束を世界に溶け込ませようと叱ってくれていたから。千冬の心意気はありがたかったが束には千冬の好意を受け入れる事は出来なかった。

 

 

「ちーちゃんは強いんだ。私と違った。ちーちゃんだって世界を憎んでる筈なのに、弟を守る為だったら憎しみだって捨てちゃえるんだ。良いよねぇ、そう思える存在がいてくれるってのはさ」

 

 

 そう。隣にいてくれる人の価値を束は知ったのだ。ハルと出会えたから。

 

 

「ハルがいてくれれば私はもう満足しちゃう。世界なんてどうでも良い。勝手に回れば良いと思う。だったら相手にするだけ無駄。それならハルと一緒にいる時間を大切にしたい」

 

 

 だから怖い、と束は呟く。ハルの存在が近くになるにつれてこの恐怖は増していくのだ。

 思えば思う程、ハルが自分の中で大きくなるにつれて同じぐらい恐怖もまた大きくなっていく。

 

 

「ハルを失いたくない。こんなにも人に執着したのは初めてだ。ちーちゃんにだってここまで依存しなかったのになぁ」

 

 

 一時期は千冬に好かれたくて千冬に付きまとった事もあった。構って欲しくて、愛して欲しくて千冬にべったりとくっついていた。だが千冬には一夏という愛すべき絶対の存在がいた。

 束に振り分けられる愛など無かった。それを理解してから束は千冬に期待をするのを止めた。お互いに似ているけれど決定的に違うのだと理解した。それでも千冬は束を友人として受け入れてくれた。それが嬉しかったから束もそれを良しとした。

 だが満たされない。諦めた所で飢えが消える訳ではない。だから束は愛に飢えていた。その飢えを悉く満たしてくれたのがハルだ。だから心が叫んでいる。離したくない、と。失いたくない、と。

 

 

「ねぇ? ハル。今ここで一緒に死なない? そしたら幸福の今のまま、永遠になれると思うんだ」

「いきなりとんでもない事を言うね。死んだら別れちゃうかもよ?」

「あー……だったらやだ。そっか、ハルって1回死んでからハルになったんだもんねぇ。だったら却下で。ハルと引き離されるぐらいなら不老不死になってやるもんね」

 

 

 冗談交じりにおどけて見せながら束は言う。にしし、と笑う束はいつも通りだ。そんな束の顔を見上げてハルは束の頬に手を添えた。

 

 

「束、大丈夫だよ。ここにいるから」

「うん。知ってるよ」

「僕も夢を見ているように思えるよ。絶対に会える筈の無かった束に会えて、束にこんなに思って貰えるなんて信じられない」

「あはは。同じ、だね」

「同じ、なんだよ」

 

 

 束が頬に添えていたハルの手に自らの手を重ねて指を絡ませる。触れた手の温もりが、繋がった手の感触が何より愛おしい人の存在を教えてくれる。

 

 

「でも、ね? 束。僕は束のお人形さんじゃないんだよ?」

「え? うひゃぁ!?」

 

 

 ハルは束の腕から逃れるように身をよじらせる。束の手を握ったまま、束に顔を寄せて束の首筋に口づけた。

 そのまま束の首をなぞるように唇を滑らせて、服がはだけていた束の鎖骨に舌を這わせる。そのまま噛みつくように唇を押し当てる。刺したような痛みに束は目を白黒とさせてハルを見た。

 

 

「僕だって束が欲しい。だからきっと束を傷つけてでも手に入れるようとするよ。世界を壊したって、君すら傷つけたって僕のものにする。……嫌われたくないからしないけど。好かれる方が良いからね」

 

 

 ハルは薄ら笑いを浮かべながら束から身を離して、束の髪を指で絡め取り、絡め取った髪に口づける。うっすらと開いた瞳には今まで見たことのないハルの一面が見えて束はぞくり、と身を震わせた。

 ハルはそのまま瞳を細めて束を見ていたが、ふと、気が抜けたように溜息を吐いて垂れる。ふにゃり、と力を抜いたハルは疲れたように言葉を漏らす。

 

 

「……うん。やっぱりこれ僕のキャラじゃないや。ごめん、やっぱキャンセルで」

「……ぷっ、なにそれ」

「手に入れるより貰われる方がいいや」

 

 

 先ほど見せたハルの姿はまるで夢だったように消え、束に甘えるように抱きついてくるハルに束はおかしかった。

 束はハルを抱きしめる。壊れものを包み込むように優しく。ハルは抵抗せずに為すがままに束に身を委ねる。

 

 

「痛かった」

「ごめん。つい」

「へぇー、ついでこんな傷を束さんにつけちゃうんだ? 酷い奴だね、ハルは」

「束が魅力的だからいけない」

「弁護になりません。有罪だよ。よってハグハグの刑に処す」

「うわー、ふかふかだー」

 

 

 布団に包み込みながら束はハルを強く抱きしめた。じゃれ合うように二人はベッドでもみ合いになる。楽しげに笑い声が漏れて、互いに笑った事に気付いて顔を見合わせて、また笑い声が漏れる。

 やっぱり幸せだよ。束は小さく胸の内で呟いてハルを抱きしめる。この幸せを逃さないように腕の中に閉じこめるように。

 

 

(……跡つけられちゃったなぁ。男の子なんだなぁ、ハルも)

 

 

 僅かな変化を残しつつ、夜は更けていく。本人すらもまだ自覚が出来ない程の小さな変化を伴いながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「そう言えばもうすぐ2回目だねぇ」

「口の中にものを入れながら喋らないの。ところで何が2回目?」

 

 

 朝食を二人で食べていると、束が思い出したように呟いた。行儀の悪い束にハルは少し眉を寄せる。束に注意をしつつ、ハルは束の言った2回目の意図を問いかける。

 ハルに注意された束は口の中にあったものを飲み下し、コーヒーを飲んで一息を吐く。あれ、あれだよ、とハルがわからないまま束は指を振って告げる。

 

 

「ほら、モンド・グロッソ」

「あぁ。ISの世界大会の?」

「そうそう。ま、束さんからするとどんぐりの背比べだから見なくてもいいかなー、って。どうせちーちゃんが優勝するんだろうし」

「織斑 千冬が出るの?」

「ちーちゃん以外の誰が日本代表で出るって言うのさ」

 

 

 出場してくるISに束は一欠片の興味を持っていない。得る事が出来ると言ってもアイディアぐらいだろう、とさえ思っている。IS開発において束の横に並び立つ者などこの世界にはいないのだから。

 そして出場するだろう各国代表のIS搭乗者も、どれだけ実力が高かろうと千冬には勝てないだろうと思っている。千冬は束が自信を以て最強の名を与えられる唯一の人なのだから。

 

 

「ねぇ、束?」

「うん? ……ハルは見たいの?」

「うん!」

「まぁ、中継もやってるだろうし。最悪映像を盗み見れば良いだろうし、別に構わないよ」

「やった! 束、大好き!」

 

 

 ISの事となると途端に子供のようにはしゃぎ出すハルの姿に束は笑みが零れるのが抑えきれなかった。

 自分が作ったものをこんなにも一心に愛してくれる事が幸せな事なのだと、束はまた新たな発見を一つした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「もう少しでモンド・グロッソが始まるんだって、雛菊」

「モンド・グロッソ。ISの世界大会」

「うん! 凄く楽しみなんだ! 雛菊も一緒に見るんだよ」

「雛菊はハルの為にたくさん勉強する」

 

 

 束との食事が終わった後、ハルは雛菊の意識の下にいた。雛菊にモンド・グロッソを観戦する事を伝える為にだ。

 ハルが来た事で雛菊はハルを歓迎する。束の姿なのは相変わらずだが、今度束と容姿についても相談してみようかな、と頭の隅で考えつつ雛菊に目を向ける。

 モンド・グロッソの話を聞き、データを集めると意気込んで小さくガッツポーズを取る雛菊を眺める。ねぇ、とハルはそんな雛菊に声をかける。

 

 

「雛菊はさ、どうして僕を理解しようとするの?」

「ハル。雛菊の存在意義は母の願いを叶える為にある。雛菊は人の望みを知り、進化していく。これが母の望んだ事だと雛菊は存在意義だと定義してる」

 

 

 雛菊の返答を受けてハルは納得したように何度も頷く。暫し、腕を組んで悩むように眉を寄せていたハルだったが、顔を上げて雛菊の名前を呼ぶ。

 はい、とハルに名前を呼ばれた雛菊も応じて視線を合わせる。ハルは素直な雛菊の反応にくすり、と笑いながら告げた。

 

 

「僕も夢があるんだ」

「ハルの夢?」

「そう。僕も束と同じ夢が見たい。どこまでも広がる宇宙に飛び出してみたい。束の喜ぶ顔が見たいんだ」

 

 

 だからね、ハルは前置きをするように雛菊に言い、真っ直ぐに雛菊の目を見て言う。

 

 

「雛菊。僕の為の翼になって欲しい。夢を叶えるパートナーとして」

「雛菊はそのつもり」

「うん。確認しておきたかったんだ。……それじゃ、改めてよろしく。雛菊」

「はい。ハル。雛菊はハルを歓迎する」

 

 

 繋がれた手は架空のもの。けれど繋いだ絆は確かなものだと二人は笑い合う。

 愛した人の夢を叶える為に。密かな約束を二人は交わした。

 



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Episode:07

 モンド・グロッソ。

 ISが世に公表され、世界各国でISの研究が盛んになり各国のISの性能と搭乗者の実力を示す為に開催された世界大会がこのモンド・グロッソである。

 このモンド・グロッソは様々な部門と競技が存在し、各部門の優勝者には“ヴァルキリー”の称号が贈られる事となる。そしてこのモンド・グロッソは2回目であり、1回目よりも更に世界の注目を集めて開催された。

 その中でも注目されるのは前回、総合部門にて文句なしの成績を残して優勝者となった織斑 千冬であろう。栄えある総合部門優勝者の“ブリュンヒルデ”の名に恥じぬ活躍を今年も期待されている。

 そんなモンド・グロッソの中継映像を食い入るように見つめるのはハルだ。ラボのリビングで表示された大型ディスプレイ。そこに映し出される映像を一つたりとも逃しはしないと目を皿のようにして見ている。

 そんなハルの様子を眺めながら茶を啜る束は微笑ましそうに見守っていた。テーブルの上にはハルのISとなった雛菊も置かれていて、雛菊もまたデータリンクを用いてデータを集めている事だろう。

 

 

「やっぱり織斑 千冬は圧倒的だね」

「暮桜もまた形態移行してたみたいだしね。あーぁ、間近でデータが取れないのが残念で仕様がないよ」

 

 

 映像の中の千冬が纏うISの名は“暮桜”。束が開発し、千冬に送ったISであり、束も当時の技術で作り得る最高の機体だと自負している。

 束が千冬の下を離れてから更に暮桜は進化を遂げていたようで随所のパーツが異なっていた。スラスター部分の増設が目に見えて増えている事からか、千冬の特性を更に伸ばすように暮桜は進化を選んだのだろう。

 第1回目よりも明らかに千冬の実力は向上している。周りの各国の代表者達も束が見ていた第1回の時よりも腕を上げた者達が見受けられたが、目を見張る事はあれど驚愕とまではいかない。

 ある意味、束が離れた事によってようやく千冬に世界が追いついた、と言っても良い程だろう。だがそれはあくまで千冬と現行の暮桜での話。束の開発は留まる事を知らず、今なお進化し続けているのだから。

 

 

「はぁぁ……いいなぁ、モンド・グロッソ」

 

 

 映像が今までのハイライトに変わる。選手達の順位などが読み上げられる中、ハルは机に突っ伏して恍惚とした声で呟いた。ハルはISを操る選手達の姿に完全に心を奪われていた。

 自分もあんな風に自由自在にISを操ってみたい、と。欲求は膨れあがるばかりだ。ついつい自分ならどんな機体に乗って、どんな風に競技を乗り越えるのか、とシミュレートを始めてる辺り、よほどのめり込んでいるようだ。

 

 

「あはは。ハルがモンド・グロッソに出るなんて事はよほどの事が起きない限り無理だろうけどね」

「……わかってるよ、そんなの」

 

 

 束は笑って言うも、ハルは水を差された事が少し不満だったのか、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 ハルの子供っぽい反応に束はやっぱりおかしくて、くすくすと笑い声が漏れた。

 

 

「あー、映像で見るのも良いけど、やっぱり直に見たいよなぁ」

「所詮、有象無象の戯れだって。ハルが雛菊を完成させたらハルは誰よりも強く、誰よりも早く、誰よりも遠く飛べるよ」

「有象無象って……。窮鼠猫を噛むって言うだろ? それに束はきっと世界を知らないだけだって。現に僕という存在を束は知らなかったんだから」

「むぅ……。そう言われればそうだけどさ。この束さんの眼鏡に適う人なんているのかな?」

 

 

 束が溜息を吐き出すのを見てハルは苦笑を浮かべる。束の場合、束を認めて真っ直ぐに彼女自身を見てくれる人がいるかどうかだと思うけど、と思いながら茶を啜る。

 するとハルが映像を見ていたディスプレイにメールの着信を知らせるアイコンが表示された。雛菊からのメールだろう。一体何だろうか、と思いながらハルはメールを開く。

 

 

『ハル、母、雛菊もハルと飛びたいです』

「んー。そうだねぇ。ハルも映像見たら我慢出来なくなるだろうと思ってたから……」

「え、いいの!?」

 

 

 ハルは思わず席を立って束に確認を取った。束の言葉から想像出来るのは雛菊にISを組み込むという事なのか、と。期待の眼差しを向けてくるハルに束は笑みを浮かべたまま、小さく頷いた。

 

 

「うん。雛菊のコアをISに組み込もう。そして最適化<フィッティング>をしたら、飛んでも良いよ」

「やった! 雛菊! 聞こえないだろうけど聞いて! 飛べるよ! 束からお許し貰ったよ!!」

 

 

 ハルはテーブルの上に置いていた雛菊を手にとって喜びを露わにする。今一度、空を飛べる喜びを全身で表現しながら。そんなハルの様子に微笑ましそうに束は視線を送った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 雛菊に組み込まれたISは前に雛菊のコアが搭載されていた第四世代の実験機だ。改めて雛菊と名付けられた機体は今、束の手によってハルに適合する形態に生まれ変わろうとしていた。

 灰色だった装甲は白を基調としたカラーリングに変わっていた。コントラストを描くように桜色が混じる白色。所々に黄色のラインで彩られた機体は灰色一色だった頃に比べて鮮やかさを増していた。

 これも雛菊と名を付けた為、実際の雛菊の花の色を参考に束がカラーリングをしたのだ。ハルは色が変わった装甲を嬉しそうに眺めている。束による最適化が終わるまで大人しく、だが興奮を隠しきれずに待ちわびていた。

 

 

『ハル。雛菊は楽しみ』

 

 

 ハルの視界の隅に雛菊からのウィンドウメッセージが表示される。意識をISコアの深層に持って行かれると、そもそも操縦する事が出来ない。故に雛菊から提唱されたのが意思疎通の方法がこのウィンドウメッセージだ。

 メールで意思疎通をする事を覚えた雛菊ならではの提案だろう。茶目っ気も増してきたのか雛菊のウィンドゥメッセージは白の背景に桜色の意匠を凝らした特殊なものになっていたのだから、これにはハルも笑みを浮かべざるを得ない。

 

 

『僕も楽しみ。今度は二人で飛ぼう。雛菊』

『ハルは雛菊を一人として扱ってくれる?』

『だってパートナーだろう?』

 

 

 ISを纏っている間は思い浮かべるだけで雛菊に全てが伝わる。ハルの意思が伝わると雛菊の新たなウィンドウメッセージが開かれる。言葉はなく、にっこりと笑った顔を現すような顔文字が飛び出してきてハルは思わず吹き出した。

 

 

『どこで覚えたのさ? 頼むから変な知識まで身につけないでよ?』

『雛菊はハルの言葉の意図が理解出来ない』

「何々~? 作業をしている束さんを放って置いて仲良く二人だけの会話?」

「ごめんごめん」

 

 

 どこか非難するように束がハルに声をかける。だがその表情は笑みを浮かべていて、からかうつもりなのが見て取れる。ハルは苦笑を浮かべながら束に軽く謝罪する。

 そんなハルに溜息を吐きながら束は最後の処理を終える。束が作業を終えるのと同時にハルは身に纏っているISの感触が変わるのを実感した。具体的な違いを挙げるとすれば今まではISを身につけていたが、今はまるでISを着ているかのような、そんな軽さの違いを実感する。

 

 

「最適化、完了。さぁ、ハル。貴方が待ち侘びた空に行こう。束さんに見せてみて。貴方と私の子が空を飛ぶ姿をね?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 第4世代検証実験機改型『雛菊』。

 それが今の雛菊に与えられた名だ。ハルと意思疎通を深める事によって前代未聞の適合率を以て雛菊はハルを空へと飛ばす。

 束が夢見る宇宙進出と、ハルが望んだ束の夢の達成。白騎士から始まる全てのIS達の経験をネットワークから拾い上げた。かつては未知であったハルの思いが手に取るようにわかる。人の感情に触れた幼き電子の意思は確かな成長を見せていた。

 

 

『ハル、行こう』 

 

 

 ラボの搬出口から空が見える。各国の防衛圏内の隙間を縫うように選出された海のど真ん中に浮かぶ孤島。その孤島の砂浜に陣取った束の移動式ラボ。そこから望める景色を前に雛菊は告げる。

 かつてはここで間違えた。ハルを千冬と誤認し、最適解である彼を千冬としてトレースさせるという過去の後悔。この記録は戒めとして雛菊の中で最重要事項として残されている。

 そう。言うなればこの時こそ、雛菊が産声を上げる瞬間なのだ。初めて望む空を前にして雛菊はありとあらゆる状況を想定し、ハルの為に尽くす事を望む。

 雛菊の意思を感じたハルもまた昂ぶっていた。以前の飛行はISに操られるままに飛んだ。確かに空を自由に飛べる万能感は何にも代え難かった。だからこそ、今度こそあの万能感を自分の意思で、自分の力で感じたい。

 ハルは振り返る。束はデータ取りの準備をしていたのだろう、コンソールの上で踊らせていた指を止めて笑みを浮かべる。ひらひら、と見送るように手を振る束にハルも応じるように拳を握り、親指を上に立てて笑みを浮かべた。

 

 

「行こう。雛菊!!」

 

 

 背部のウィングユニットが展開する。淡い光を漏らしながら開かれる翼は装甲の色と同じように白色を基調とし、翼の先につれて桜色のコントラストを描くように着色されていた。

 鳥の羽ばたきのようにウィングユニットが開閉し、感覚を掴んだようにウィングユニットは速力を得ようとその翼を大きく広げ、同時にハルの足が宙へ浮く。

 身を倒すように前へ。ゆっくりと、だが確実に加速し、ハルの身が水平線に向かっていく。ハルは待ちきれないと言わんばかりに加速し、風が弾けるような音を残して空へと飛び出した。

 

 

 ――空に一輪の花が開花した。

 

 

 淡い光を振りまいて飛翔する様を束は眺めて、雛菊を纏ったハルの姿をそう称した。鳥が羽ばたくようにウィングユニットが滑らかに装甲を開閉させて空を舞い踊る。

 こここそが我が領域だと主張するように軽やかに雛菊は空を舞う。無骨だった筈のウィングユニットは飛翔の度にその細部を変えていく。鳥が畳んでいた翼を広げるようにウィングユニットは当初の姿から最適な姿を変えていく。

 ただ自由に空を舞いたいと願う搭乗者の為に雛菊は己の身を組み替えていく。主との意識に沿うように自らの身を組み上げていく感覚は言い様のない衝動を雛菊に与えた。まるで思考にバグが起きたように。だが雛菊はバグを不要だとは思わなかった。

 翼だけでは飽き足らない。もっと早く飛ぶための術を。ハルの身に纏う装甲すらもその姿を変えていく。より流線的に、空気抵抗を無くし、身を縛る全てから逃れるように。

 雛菊が絶えず変化する中、ハルもまた実感していた。以前よりも増していく飛翔の実感。ISとの違和感が徐々に消えていく。ISを纏っている実感も消えていく。ISが自分自身の身体であったかのように。雛菊が自分に適合していく感覚にハルは笑みを隠しきれない。

 

 

「ははは、楽しいなぁ!」

 

 

 まるで雛菊に手を引かれるように飛んでいる。それがどうしようもなく楽しくて心が躍った。

 感覚のすれ違いは消えていく。その度に自身を見つめ直せる。自分はただ浮かべて貰っているだけだ。重力から解き放たれただけ。だからこそハルは飛ぶ事に意識を集中させていく。

 翼をどう動かせば加速するのか、確かめるように翼がせわしなく開閉を行う。傍目から見れば危なくも見えるだろう軌道を描きながらハルは飛翔の感覚を確かめていく。

 こんな無茶が出来るのは雛菊がいるからだ。雛菊が手を引いてくれる。雛菊が意を汲んでくれる。この一体感は何にも代え難い。あぁ、これはじゃあまるで――。

 ハルが思い浮かべた瞬間だった。雛菊が表示したウィンドウメッセージがハルの視界の隅に見えた。雛菊からのメッセージを見たハルは目を丸くして、すぐさま笑みを浮かべた。

 

 

『Shall We Dance?』

 

 

 表示された文字。私と踊りませんか、と表示されたメッセージに堪えきれずハルは笑う。

 本当に妙な茶目っ気を身につけた。だが良いだろう。そんな茶番に戯れるのも悪くない。いいや、むしろ一緒に戯れたいとさえ思える。

 くるり、くるくる。手を伸ばして空を舞う。どこまでも世界は広大で縛るものなど在りはしない。どこまでも自由に、どこまでも奔放にハルは空を舞う。胸の奥から沸き上がる喜びを表現するように。

 

 

「……あれ?」

 

 

 その光景を見ていた束は、自らの頬に伝った涙の意味を問うていた。どうして自分は泣いているんだろう、と作業の手すら止めて束は涙を拭う。

 何度も、何度も。手で涙を拭っても涙は零れていく。涙腺が決壊してしまったかのように束は涙を落とす。

 データを取る事を忘れて束はハルが空を舞う姿を見つめていた。目を離す事も出来なくてただ、ただ涙を落としてハルの姿を追う。そして束の口から吐息が零れた。あぁ、と震えた吐息を。

 

 

「そっか。そうだったね。あれが……あれが私の目指してた夢だ」

 

 

 搭乗者とISが意思を通わせる。文字通り一体となって空を舞う。束が見出した夢の為の翼の到達点。その片鱗をハルは見せつけてくれた。束がISに託した願い。搭乗者を空へと舞わせるISの姿は束の胸を震わせた。

 ここにようやく辿り着いた。それを成し遂げてくれたのは自分を一心に愛してくれた少年がもたらしてくれた奇跡。彼の特異性が産んだ希望の道標。

 

 

「ハル。……貴方の願いは叶うよ」

 

 

 いつかハルは束に語っていた。貴方の特別になりたい、と。だから束は言うのだ。貴方の願いは叶うだろう、と。

 束にとって掛け替えのない希望をもたらしてくれたのだから。今、ハルは本当の意味で束にとって特別となったのだ。束の希望という名の特別に。

 

 

「やった……! やっと、ここまで来れたよ……!」

 

 

 自分の身を抱きしめて束は言葉を漏らす。誰も認めてくれない世界で、自分の夢を認めてくれる人が、叶えてくれる存在が生まれる瞬間を束はずっと待っていたのだ。

 ハルと雛菊。束の夢を肯定してくれた人と、束の夢の片鱗へと到達したISと。抑えきれない嗚咽を漏らして束は立っていられずに膝をついた。

 

 

 

「――束」

 

 

 

 ふと、声が聞こえて束は勢いよく顔を上げた。いつの間にそこにいたのか。まだあどけない幼さが残る顔。束の親友と良く似た顔を満面の笑みに変えて、束の夢を纏ったハルは束に手を差し伸べる。

 暫し呆然としてハルが差し出した手を束は見つめていたが、おずおずと束は手を伸ばす。ハルは束の手を握れば優しく握りしめて、膝をついていた束の身体を横抱きにする。

 

 

「わ、わわっ!?」

「行こう。束。一緒に飛ぼう」

「え、ちょ、ちょっと!?」

「大丈夫。絶対に落とさないから。ほら、捕まって」

 

 

 束よりも小さい身体でもISを身に纏えば楽々と束の身体を抱き上げる事が出来る。しっかりと束を抱き上げ直してハルは再びその身を空に飛ばした。

 どこまでも上昇していくハルと束はそのまま雲を突き破って日の光に身を晒す。どこまでも広がる空と白い雲海。その下から覗く海の青さに束は目を奪われる。

 ゆっくりと世界を見せつけるようにハルは束を抱えて空を舞う。くるり、と飛行しながら身を回し、どこまでも広がる世界を束に晒す。

 束はハルの首に抱きつくように腕を回した。ハルの首下に顔を埋めるように抱きつきながら小さく震える。

 

 

「……ハル。もう少しこのままでいさせて」

「うん。良いよ」

 

 

 束をしっかりと抱きしめてハルは束の好きにさせる。身を震わせていた束は子供のように泣き声を上げた。縋るようにハルを抱きしめながら束は泣く。

 心の中に堪っていた淀みを吐き出すように、ハルの目すらも憚る事無く。ただ心が震えるままに、止まらない涙を落とした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「はわー……。やっぱりハルってデタラメだ」

 

 

 あれから暫く空に留まっていた二人だったが、ラボに戻ってくる頃には束もいつもの調子を取り戻したのか、雛菊から取れたデータを眺めて呆れたように呟いた。それでも束の目が兎のように真っ赤になっているのは隠せないのだが。

 待機状態のロケットペンダントに戻した雛菊を首から下げたハルは束の言葉に苦笑を浮かべている。

 

 

「デタラメって何さ」

「展開装甲の稼働率100%を観測。更に展開装甲の変化も確認。取るべきデータが増えちゃって暫くこれは徹夜かなぁ。それに通常装甲だった部分にも展開装甲が加えられたから最早別物かな。雛菊は」

 

 

 最早見る影もない、と呟く束のディスプレイには当初の姿から大きく変貌した雛菊の姿が映し出されている。無駄を省いた流線型の装甲は飛ぶ事に特化している為、装甲の弱体化も確認出来た。だが、それを含めても貴重なデータには変わらない。

 これがISと心を通わせた人間が生み出す事が出来るIS。束が夢見た人とISの理想型。束の目指していた研究の到達点。束は愛おしげに展開されたデータに触れる。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

 

「これはもうお祝いするしかないでしょ! ハルー! なんかおいしい物作ってー!」

「はいはい。わかりました」

 

 

 両手を挙げて要求する束。ハルは笑みを浮かべて腕まくりした腕を上げて答える。

 すぐさまキッチンに向かい、料理の支度を始めようとしたハルを束は呼び止める。何? とハルが束の方へと振り返る。束は振り返ったハルの両肩に両手を置いてハルと視線を合わせる。

 どうしたの、とハルが声をかけようとするも、ハルの声は束には届く事は無かった。ハルの視界には一杯に束の顔が広がっている。唇には柔らかい感触が触れているのがわかり、咄嗟にハルは呼吸を止めた。

 

 

「……ん」

 

 

 啄むように束がハルの上唇を挟み、ぺろり、と舌で舐める。そのまま束はゆっくりと触れていた唇を離してハルへと視線を送った。

 ハルは呆然と束を見ていた。暫しどこかぼんやりとしていた束だったが、まるで重みに負けるように頭を下げる。頭を下げてしまった為に束の顔を見る事が出来なかったハルだったが、逆に頭を下げた事で束の耳が赤くなっている事に気付く。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 ハルが束の名前を呼ぼうとした瞬間、束は悲鳴にならない悲鳴をあげてハルから逃げるように研究所に入り込んでしまった。一連の動作が素早すぎて唖然と束を見送る事しか出来なかったハルは自分の指で唇をなぞった。

 

 

「……まいったなぁ」

 

 

 顔熱いや、と小さく呟いて自らの頬を指で掻く。暫し立ち竦んでいたハルだったが、どこか夢心地のままキッチンへと向かった。

 一方で研究所に逃げ込み、扉に背を預け、開かないようにしていた束はずるずると背を預けたまま座り込む。

 

 

「……うわぁ……どうしよう……」

 

 

 僅かに震える指を自らの唇をなぞらせて自分の膝に顔を埋めるように蹲った。悶えるように膝を抱え込みながら束は震える。

 二人がこの後、顔を合わせられるようになったのは数時間後の事だったという。

 

 



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Episode:08

「お。織斑 千冬が勝った」

 

 

 モンド・グロッソの中継。繰り広げられていたISバトルの勝敗が決まる。勝者である千冬の顔がズームで表示されるのをディスプレイで確認しつつ、ハルはフライパンを揺らした。フライパンの上では手頃なサイズで切られた野菜達が踊る。

 野菜炒めの味を確かめつつ、インタビューに答えている千冬を見つめる。既に決勝進出を決めた千冬に対してインタビュアーは2連覇への意気込みなどを聞いている。

 テロップでも2連覇への思い! と大々的に表示されている事からも千冬への期待が見て取れる。受け答えする千冬は凛々しい顔つきに違わず、あまり感情を見せずにコメントをしている。

 ハルにとって千冬のISバトルの映像は良い参考になる。故にさっさと興味を無くして研究に戻ってしまった束と違い、ハルはこうしてモンド・グロッソの中継を片手間に見ていた。

 

 

「やっぱり優勝は織斑 千冬で決定かなぁ」

 

 

 千冬の技量はやはり圧倒的だった。ISを実際に動かし、雛菊の恩恵の大きさを悟ったハルだからこそ、千冬が暮桜を乗りこなしている姿には憧れを覚えるものだ。あれが束の認める最強のIS搭乗者なのだと。

 ハルと千冬では土台そのものが違うので比べる事に意味はないのだが、自分のオリジナルという事もあってやはり意識はしてしまう。野菜炒めを皿に盛りつけながら脳裏には千冬の機動を思い描く。

 

 

「練習あるのみだよなぁ。あー、もっとISに自由に乗れればなぁ」

 

 

 逃亡生活は楽じゃないな、とぼやきながらハルは出来た食事をテーブルの上に並べていく。食事を並べ終えれば研究室に籠もっている束に伝えるべく、扉をノックした。

 

 

「束? ご飯出来たよ」

「うん。今行くよ」

 

 

 食事が出来たことを伝えれば束はあまり間を置かずに部屋から出てきた。部屋から出てきて、束の目に付いたのは千冬のインタビューについてのコメントがされている映像。

 

 

「ちーちゃん勝ったんだ」

「うん」

「ま、当然だけどね」

 

 

 やはりすぐに興味を無くしたように束は席に着く。束が座るのに続いてハルも席につき、二人で頂きますの挨拶と共に食事を始める。

 特に話題もなく、食事は進んでいく。ハルはハイライトで映し出された千冬のISバトルを見ながら食事を進める。そんなハルを束は食事の手を止めてハルの顔を見る。

 

 

「そんなに気になる?」

「参考になるから」

「ふぅん。別にハルは気にしなくても良いと思うんだけどなぁ。土台が違うんだし」

「……束がそう言うってなんか意外」

「そう?」

「うん。ちーちゃんはやっぱり凄いよね、とか言いそうなもんなのに」

 

 

 そうかな、と束は呟く。そう思ってた、とハルが返すと気のない返事をして束は食事を再開した。特に追求する事もなかったのでハルも生返事をして食事を口に運ぶ。

 二人はそのまま特に何かを話す事もなく食事を終え、ハルは食器を水につけて置いておく。二人分のお茶を煎れて、お茶菓子と一緒に机の上に置く。

 

 

「はい、束」

「うん。ありがとう」

 

 

 ハルが差し出したお茶を受け取ろうとして束はハルの手に触れる。瞬間、一瞬束が躊躇ったように手を引っ込める。ハルが不思議そうに束を見る。

 束はすぐに気を取り直したようにお茶を受け取ってすぐさま口に運ぶ。だが熱いお茶を煎れていた為に、束はすぐさま舌を出して冷まそうとする。

 

 

「大丈夫? 束」

「へ、平気……!」

「なら良いけど……」

 

 

 指摘しない方が良いと思い、ハルも何も言わずに席に座る。不意に唇に伸びそうだった指で誤魔化すように頬を掻いた。

 あれから何気ない触れ合いがぎこちなくなったようにハルは感じていた。決して嫌われた訳ではないとは思う。束を見ながらハルはお茶を口に運ぶ。束はぼんやりとお茶の水面を見ていて、心在らずな状態だった。

 

 

(……やっぱりアレが原因だよなぁ)

 

 

 キス、と。脳裏に先日の光景を思い出すと感触が蘇ってきて頬が熱くなる。誤魔化すようにお茶を飲んでちらり、と束の顔を盗み見る。するとばっちり目が合って、互いに目を逸らしてしまう。

 気恥ずかしい。ハルだってキスまでされれば束がどんな思いを持って自分を見てるのかぐらいわかる。それはハルにとっては嬉しい事ではあるが、まさか束がこんな反応をすると思っていなかっただけに戸惑いも覚える。

 

 

(あ、あぅあぅ~……! 絶対変に思われてる! うー、うー!)

 

 

 一方で束も自分自身を持て余していた。先日、衝動的にハルの唇にキスをしてから自分の気持ちが浮ついて仕様がないのだ。キスならば額や頬には何度もしてきたので別に特別な事でも無い筈なのだ。

 そう、その筈なのにハルを直視出来ない。なのに気付けばハルを目で追っている自分に気付くという自己矛盾を起こしていた。ハルに名前を呼ばれるだけで心臓が一際大きく鼓動するし、目を合わせていると気恥ずかしい。更に視線が唇になんて行ってしまえば終わりだ。

 

 

(柔らかかったな。……あー、もう! 思い出しただけなのに何でこんなドキドキしてんのさ!)

 

 

 別にどこにしようがキスはキス。親愛の証には変わらない。だから気にしなければ良い。なのに気にしてしまうのは、ハルもまた束の変調に気付いて、敢えて指摘しないから。

 頬や額にする時は恥ずかしげに笑うだけなのに、唇にした時の反応は劇的に違ったのだ。まるで予想外の不意打ちを受けたようにきょとんと目を丸くしていたハルの顔が過ぎる。それが逆に束に自分がやった事が恥ずかしい事だったのではないかと思わせるのだ。

 

 

(うー! ハルのせいだ! 束さんは悪くない! ハルのバーカ!)

 

 

 何とも気まずい空気が二人の間に流れる。互いに言葉が無く、時間だけが無情に過ぎていくのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ハル。雛菊はハルが疲れているように見える。ハルは疲れている?」

「やっぱそう見える? ……見えるよねぇ」

 

 

 ハルは雛菊の深層意識に潜っていた。束と何とも言えない空気になってしまうのが気まずかったからだ。逃げ込んだ先で雛菊と顔を合わせた瞬間、雛菊は不思議そうにハルを見るのだった。

 ハルは改めて雛菊を見た。雛菊の姿は以前と大きく異なっていた。まず小さくなった。外見年齢からすると5、6才ぐらいの子供になっている。今の姿は束をそのまま子供にしたような姿だ。

 身に纏うのは白のワンピースに桜色のグラデーションが広がる愛らしいワンピースだ。アクセントなのか、胸元につけられた大きな黄色のリボンが揺れている。小首を傾げてハルを目にする雛菊の姿は何とも微笑ましい。

 初めてこの姿を見せた際、雛菊は、似合う? とくるりと自分の姿を回って見せた。そんな雛菊が愛らしくて、似合ってるよ、とハルが雛菊を思う存分に抱きしめてしまったのは仕様がない事だろう。むしろ誰にも否定はさせない。

 ハルと雛菊が本当の意味での初飛行を終えた後、雛菊の情緒は一気に成長を見せた。そしてISが進化し、姿形を変えていく事から自らに合う姿を取る事が好ましい、と学んだろう。今まで利用していた束の姿を改変し、今の姿に落ち着いたと言う。

 正直これにはハルは大いに助かっている。束の姿がそのままの状態であれば更なる気疲れを起こしていただろう事は目に見えて予想出来るからだ。

 

 

「困ったなぁ」

 

 

 青が広がる世界の中、項垂れるように座り込みながらハルはぼやく。そんなハルの肩をぽんぽん、と叩きながら雛菊が励まそうとする。

 

 

「ハル。雛菊が相談に乗る。雛菊がハルを助ける」

「うん、雛菊は良い子だね」

 

 

 ハルは自分の顔を覗き込んでくる雛菊の頭を撫でる。頭を撫でられれば雛菊はまるで猫のように目を細めて気持ちよさそうにする。

 そんな雛菊の無邪気な姿が微笑ましくてハルは笑みを浮かべる。今の雛菊はハルにとって癒しだ。このままずっと撫でても良いかもしれない、とハルは思わず思った。

 

 

「ハル。ハルは何を悩んでる? 雛菊は理解したい」

「うん。ちょっと束と気まずくなっちゃってね」

「気まずくなった。母と喧嘩した?」

「喧嘩はしてないよ」

「じゃあハルは何をした?」

「いや、僕がされたというか……」

「じゃあ母が悪い?」

 

 

 子供同然の雛菊に説明しても良いのだろうか、とハルは思い悩む。だがこのままだと確実に雛菊は拗ねる。雛菊はISコアの意識の為に好奇心が旺盛で、謎が解決されない事を好まない。

 このままはぐらかす、という事も出来ないだろう。かといって人の情緒もまだわからないだろう無垢な雛菊に説明しても良いのやら、とハルは唸りながら思い悩む。

 

 

「ハル?」

「束も僕も悪くはないんだよ」

「ならどうして気まずい?」

「お互いが大事だから、かな」

「答えになってない。ハル、雛菊に意地悪する」

 

 

 ダメか、と眉を寄せて睨んでくる雛菊にハルは諦める。雛菊は誤魔化しは聞かない、と束とキスした事を雛菊にハルは話した。

 キス、と雛菊は呟いて己の中にあるキスの知識を引っ張り出しているようだ。親愛の証、と呟いた雛菊は眉を寄せて不可解そうに首を傾げた。

 

 

「親愛の証。なのにしたら気まずい。二人は仲が悪い?」

「そんな事はないよ」

「ならなんで気まずい?」

「恥ずかしいんだよ……」

「恥ずかしい。ハルは照れている? 母も照れてる?」

「……う、改めて言われると凄く恥ずかしい気持ちになってくる」

 

 

 ぐぬぬ、とハルは唸り声を上げた。確かに照れているという自覚はある。唐突に唇へのキスだったのだ。束の柔らかい唇の感触を思い出せば恥ずかしくて仕方がない。同時に嬉しいとい思いも込み上げてくるのだが、思い出すのは気恥ずかしいのだ。

 ハルの言葉にやはり理解が追いつかないのか、眉をこれでもかと寄せながら雛菊は首を傾げている。

 

 

「何故キスすると恥ずかしい?」

「え、いや、それは……」

「ハル。雛菊は理解したい」

「……雛菊には難しいかな」

「雛菊はISコア。人を理解する。難しくても構わない」

「う……。こ、心の問題なんだよ、雛菊」

「心。……雛菊はまだ心を理解出来ない」

 

 

 心。それは人にだって理解する事が叶わないものなのだろう。時に愛し、慈しむ。時に怒り、憎む。時に笑い、楽しむ。時に悲しみ、時に嘆く。移ろい、一定に留まらない心。それは未だ幼い雛菊には難しい話だろう。

 これで納得して貰えるかな、とハルが吐息した瞬間だった。雛菊はハルに顔を寄せた。唐突に顔を寄せた事でハルは驚いて目を見開く。雛菊はそのままハルに迫り、雛菊は自らの唇をハルの唇に押し当てた。突然の事にハルは身を竦ませて硬直した。

 

 

「ん……」

「!? ……ッ、雛菊……!?」

「キスは親愛の証。雛菊はハルが好き。だからキスしても良い」

「い、いや。た、確かにそうだけど……」

「好きだから示す。それはいけない事?」

 

 

 理解出来ない、と雛菊は首を振った。どこまでも純粋で真っ直ぐな雛菊の姿にハルは呆気取られる。だが、すぐに気を取り直して笑みを浮かべて雛菊の頭を撫でた。

 雛菊の言う事は尤もな事だろう。好きを示す為にキスをする。相手が好きだから。だからする。それはごく自然な事で何もいけない事なんかじゃないと。だからハルが悩むのが理解出来ない、と雛菊は言うのだ。

 

 

「……そうだね。いけない事なんかじゃない」

「雛菊はハルが苦しむのを理解出来ない。雛菊はハルを助けられない。……辛い。雛菊は辛い」

「ありがとう。雛菊は本当に優しい子だ」

 

 

 一生懸命に雛菊はハルの苦痛を減らそうとする。その為にハルの苦しみを理解しようとする。だが今の雛菊には早すぎる話だ。辛そうに唇を噛む雛菊を抱き寄せて、雛菊の背中をハルは優しく撫でる。

 ハルは雛菊の背中を撫でながら思う。こんな風に諭されるだなんて思いもしなかったと。雛菊を悩ませてしまう事になるだなんて思いもしなかったのは、まだしっかりと雛菊の事を見てやれなかったのか、と自身への疑いが生まれる。

 

 

「情けないな。本当に」

「ハル?」

 

 

 こんな幼い意識の下に逃げ込んで慰められるなんてどうかしてる、とハルは自分が恥ずかしくなった。雛菊はしっかりと学び、成長しようとしているのに。

 嬉しいならば嬉しい。それで良かった話だ。束に愛されている証を貰った。恥じる事なんて何もない筈なのに。妙な気恥ずかしさと現実感が無かったから振り回されてしまった。ハルは自戒の念を心に刻んで大きく息を吐き出す。

 

 

「ありがとう。雛菊。凄い楽になったよ」

「……? 雛菊は何も解決出来てない」

「僕が頑張らないといけないってわかったんだ。雛菊はそれを教えてくれた。僕に頑張らなきゃいけないって教えてくれたんだ。だからありがとう」

「……? 雛菊は理解できない。でもハルはお礼を言ってくれる。ハルは自分で解決する。そう言った。雛菊はハルを助けた。……それは嬉しい事」

 

 

 雛菊は小首を傾げて悩んでいたようだったが、ハルの悩みが解決した事を察したのか笑みを浮かべた。

 ハルはそんな雛菊の頭に手を伸ばし、優しい手つきで撫でた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あ、おかえり」

「ただいま、束」

 

 

 目を開ければ束の顔が目に映った。束はコンソールで踊らせていた指を止め、目覚めの挨拶をハルと交わす。ハルは寝台から身を起こして束へと視線を送った。

 束は雛菊の深層意識と接触していたデータを整理していたようだ。熱心にデータの確認と検証を行っている。

 

 

「どうだった? 雛菊は」

「かなり成長してた。心について悩んでたみたいだし。あと姿も変わってたよ。自分に合う姿を取る事が好ましい、って学んだみたい」

「へぇ、どんな姿だったの?」

「束がちっちゃくなってた」

「あー、なるほどなるほど。それは面白い結果だね」

 

 

 興味深い、と何度も頷いている束は本当に楽しげだ。ハルは寝台から身を起こして束の傍に寄る。束、と名を呼ぶと束がハルに顔を向ける。

 

 

「どうしたの?」

「ねぇ、束。どうしてこの前、唇にキスしたの?」

「え!?」

 

 

 束は見るからに反応を変えて仰け反るようにハルから離れようとする。そんな束をハルは逃がさないように詰め寄って距離を再度縮める。じりじりと束が後退する度にハルもまた束との距離を詰めていく。

 そして束の背が壁に当たり、束が思わず後ろを振り返る。下がれない事を悟り、慌てて前を向けば距離を詰め切ったハルの姿が目に映る。ハルの姿を目にした瞬間、話題が出た為か、唇に視線が向いてしまった。

 先日の唇の感触が蘇ってきて束は顔を紅潮させた。言葉が出ず、あぅあぅ、と意味不明な言葉まで零れる。

 

 

「ねぇ、束?」

「な、なに?」

「僕もしたい。ダメ?」

「ひぇぇ!?」

 

 

 束は妙な悲鳴を上げてハルを見る。ハルの身長は束よりも低い。見上げるように束へと視線を送っている。唐突にキスを要求してきたハルに束はどうして良いかわからず、目を白黒させるばかりだ。

 ハルは慌てふためく束の様子に笑みを浮かべる。束の首に絡ませるように己の両腕を伸ばし、束の身体を前屈みになるように引っ張る。戸惑うばかりの束に抗う為の力がある筈もなく、ハルと束の距離はゼロとなる。

 互いの息が止まり、残されるのは互いの唇の感触のみだ。慌てふためいていた束も動きを止めてハルを見つめていた。ハルは目を閉じて束の唇の感触を楽しむ。

 息継ぎの為か、僅かに唇を離して呼吸を整える。そのまま束の唇を啄むように再度、唇を合わせる。触れ合う度に互いの熱を交換するようにハルは束の唇に触れる。

 

 

「……ふぅ」

「……ぁ」

 

 

 緊張していた身体から力を抜くようにハルは吐息する。ハルが離れた事で束はようやく呼吸を思い出す。吸い上げた空気が自分の身体が熱している事を伝えて、思わず唇を引っ込めるように引き結んだ。

 そんな束の顔を真っ直ぐに見つめてハルは微笑む。堪えきれない喜びを示すように束に抱きつきながらハルは胸の奥から沸き上がった言葉を束に伝える。

 

 

「大好き」

「っ……!」

「大好きだよ。好き、好き。大好き。束が大好きだよ」

「ハル……」

「好きだからする。好きだからしたい。僕は束とキスしたい。キスしたら嬉しい。うん。簡単な事だね。でも、とっても恥ずかしいや」

 

 

 照れくさそうに笑うハルの顔も真っ赤になっていた。それを見つめ返す束の顔もまた真っ赤になっている。ハルは自分で言った言葉の恥ずかしさに、束はハルの真っ直ぐな告白に身を悶えさせて顔を赤くさせる。

 

 

「……どうしよう」

「……ハル?」

「……うわぁ! なんかとんでもない事した気分! どうしよう、束! 僕、混乱してるよ!?」

「……あはは! 見ればわかるよ! 何それ!」

 

 

 唐突に慌てふためくハルに束は目を丸くする。けれど、どうしようもなくおかしくなって腹の底から笑い声を上げた。うわー、と声を上げながら身を悶えさせたハルを束は愛おしくなって抱きしめる。

 お互い馬鹿みたいだ。束はそう思ってやっぱり笑った。お互い好きだからキスをしたのに、キスをしたら自分の気持ちにすら吃驚して混乱している。反応こそ違えど同じように混乱しているハルを見て束は自分が滑稽で笑ったのだ。

 

 

「好きだからする。そうだね。たったそれだけの事なんだ」

 

 

 親愛の証に、君にキスを。

 きっと唇に口づけたのは何かが変わった証。束はすとん、と胸の中に落ちた言葉を口ずさんで笑みを浮かべた。

 

 

「大好きだよ、ハル。私も貴方が大好き」

 

 

 言葉を口にしよう。思いを交わそう。ただそれだけの事。

 二人の視線が絡み合う。お互いの顔は真っ赤になっていて、だけどお互いの顔を見ていれば自然と笑みが零れてしまう。

 それから自然だった。どちらからでもなく瞳を閉じて、再び距離をゼロにしてしまう。気付いてしまえばこんな簡単な事に心が揺れていたのかと、二人は笑い合う。

 

 

「馬鹿みたいだね、僕ら」

「でも、だからこそ悪くない。違う?」

「違いない」

 

 

 互いに額を押し当てながら笑った。おかしくて、楽しくて、幸せな一瞬。

 何度も繰り返そう。この掛け替えのない一瞬を。二人の思いが繋がる一瞬を。

 



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Episode:09

「おっと、そういえばもう決勝戦だなぁ」

「ん? あぁ、もうモンド・グロッソそこまで進んだの?」

「うん。なんか特集でもやってるかな? 見てみよ」

 

 

 束とお茶を楽しんでいたハルは、ふと思い出したようにディスプレイを展開する。映像にはコメンテーター達が優勝者はどちらになるのか、ハイライトを流しながらコメントしている所だった。

 束は興味なさげに視線を逸らす。ハルも流し見るように見る。ふと気になったのは千冬が過去のインタビューに答えている映像の音声だった。

 

 

『織斑選手、もしも2連覇を達成出来たら真っ先に誰に伝えたいですか?』

『それはやはり弟です。感謝するならば私を支えてくれた弟に伝えたいと思っています』

 

 

 千冬の返答にハルはそういえば、と思い出す。織斑 千冬には弟がいたな、と。少し気になって束へとハルは視線を向けた。

 

 

「ねぇ、束。織斑 千冬の弟ってどんな子?」

「ん? いっくんの事? いっくんはね……鈍いけど素直で良い子だよ」

「鈍い?」

「うん。あれは将来、朴念仁になるよね」

「ふーん。顔は良いの?」

「私が直接顔を合わせたのってもう3年前になるから何とも言えないけど、まぁ顔は整ってたよね。将来が楽しみー、て奴」

 

 

 あの千冬の弟だ。容姿が整っているという事であればやはり似ているのだろうか、とハルは考えてみる。

 束曰く、鈍感で朴念仁になる。なんかお話の中の主人公みたいだな、とハルは考える。そこで何かが喉の奥に引っかかったような気がした。けれど些細な事かと違和感を飲み込む。

 

 

「ふーん。そのいっくんは日本で観戦してるのかな?」

「ちーちゃんの晴れ舞台だからねぇ。観戦に来てるんじゃない? あ、ちょっと探してみようか?」

「え? 出来るの?」

「ちょっと空港のメインコンピューターとかハッキングすれば探せるでしょ」

 

 

 さらりととんでもない事を当たり前のように口にする束にハルは苦笑する。まぁ束なら見つかるなんてヘマをする筈もないか、とハルは興味を優先して束に調べて貰うようにお願いをする。

 決勝が始まるまでの時間が長く感じる。どんな試合になるのかな、とハルが期待に頬を緩ませようとした瞬間だった。束が勢いよく立ち上がり、束の座っていた椅子が大きな音を立てて倒れる。

 

 

「? 束? どうしたの?」

「……嘘。どこのどいつの仕業? 巫山戯た真似を!!」

 

 

 怒りを露わにして束は叫んでいた。今まで見たこともない束の激情にハルは眉を寄せて問いかける。

 

 

「……束? 何かあったの?」

「いっくんが誘拐された!」

 

 

 誘拐。その二文字の意味を悟り、ハルは呆けたように声を漏らした。その間にも束がコンソールを呼び出して指を荒々しく踊らせる。次々と目まぐるしく束の前にディスプレイが表示され、束は状況を確認していく。

 

 

「織斑 千冬の弟が拉致されたって……このタイミングで!? 犯人は!?」

「今、データを洗ってる!」

 

 

 監視カメラのデータや通信データなど、ありとあらゆる情報をハッキングして引き摺りだしながら束は千冬の弟である一夏の行方を探る。

 その傍らでハルは思考を働かせていた。このタイミングで一夏が攫われたのは外国に訪れ、警戒のスキを突かれたのではないか、と。そして一夏を攫った目的は何か。

 

 

「……織斑 千冬に棄権させる為、とかか?」

「だとしたらそんなくだらない真似をした奴らは完膚無きまでに潰してやる」

「でもだったら怪しいのは対戦国だけど……」

「どこもかしこも混乱してるよ! 表には出てないけど裏では大騒ぎだよ! ちーちゃんも大暴れしかけたみたいだし」

「誘拐されたって事は弟くんは生きてる。じゃないと利用価値がないだろうしね。……束、やっぱりIS絡みだよね?」

「だろうね。じゃないといっくんが誘拐されるだなんて考えられないよ。……見つけた!! 」

 

 

 監視カメラの映像を洗っていた束は一夏の姿を確認する。空港を出た所、地図を見ている所を女性に声をかけられているのが見える。映像の中の一夏は戸惑ったように女性に受け答えをしているようだった。

 そして話が終わったのか、一夏が立ち去ろうとした瞬間に女性が一夏の肩に手を置き、その首に手刀を叩き込んで意識を失わせる。鮮やかな手口だった。護衛だったのだろう、私服を纏った男性がすぐさま女性を取り押さえようと飛びかかる。

 が、男性達はすぐさまはじき飛ばされる事となる。――女性が部分展開したISによって。そして女性は一夏を抱きかかえて逃亡する所まで見えた。そこで束はもう用済み、と言わんばかりにその映像を消す。

 

 

「今のってIS!? やっぱりどこかの国の陰謀?」

「国がやるには短絡過ぎ。多分これ、盗まれたISだ」

「盗まれたIS?」

「そう。どっかのお間抜けさんが謎の組織にISを奪われたって話。国の恥だから公表なんてされてないけど、束さんの情報網にはしっかりと引っかかってるから。……確か、名前は亡国機業<ファントム・タスク>」

「大層な名前だね……。まさか一夏を攫ったのは一夏の身柄そのもの?」

 

 

 二人の間に緊張が高まる。何故ならここには謎の組織に実験台にされたハルがいるのだ。知るが故に想像が出来る。もしも一夏の身柄そのもが狙いならば一夏の身が危ないと。

 ハルは自分の身体が実験に使われ、辛い思いをしたという記憶はない。だが知っている。自分の事で束がどれほど悩み、苦しんだかを。

 ハルは自らの首にかけていた雛菊を握る。ロケットペンダントを開き、中のコアにそっと触れる。瞬間、コアが反応を示したように光を点滅させる。ハルは応じるように頷き、決意を固めて束に声をかけた。

 

 

「束、今のラボの現在位置はどこ?」

「ハル……? ……まさか行くつもり!? 何言ってるの!? ダメだよ!!」

 

 

 ハルの確認に束はハルの意図を察して目を見開いて叫んだ。ハルは言っているのだ。自分が一夏を助けに行くのだ、と。

 

 

「今こいつ等を一番早く追えるって言ったら束でしょ? だったらそれで一番早く動けるのは僕だ。なら僕が行く方が早い。相手にISがいるならISじゃなきゃ対抗出来ない」

「それでハルの存在がバレたら!!」

「顔ぐらい隠すさ。それに国を出し抜くような組織なんでしょ? 下手して逃げられて束ですら追えなくなったら終わりだよ。実際、僕に実験を施した組織は見つかってないんでしょ?」

「それはそうだけど……! わ、私が軍に情報を流せば!」

「出所不明の情報を誰が信じるって言うのさ?」

「じゃあちーちゃんに直接連絡を取れば!」

「目的が千冬本人だったらどうするの? それこそ飛んで火にいる夏の虫じゃないか」

「そ、それは……」

「僕が行けば相手にとっても予想外になる。不意打ちを与えられる。僕と雛菊なら織斑 一夏を抱えて逃げる事だって出来るでしょ?」

 

 

 淡々とハルは束を睨みながら言う。自分ならば出来る、と。だが束は認められないと首を大きく振ってハルを睨み付ける。

 

 

「ダメ! ダメったらダメ!! 危ない事はしないって約束したでしょ!!」

「じゃあ一夏って奴が僕と同じ目になっても良いって良いの?」

「それは嫌ッ!!」

「だったら……」

「それでも嫌ァッ!! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァッ!!」

 

 

 子供のように首を振りかぶって束は叫ぶ。ハルに託した雛菊が幾ら高性能であろうと、ハルが前代未聞の適正を持つIS搭乗者だとしても束は認める訳にはいかなかった。

 ハルを失いたくない。だから外に出したくない。その思いは束の中から完全には消えていない。自分の手元に置いておきたい。だから一夏を助けに行くなんて認められる筈もなかった。

 だがハルの言うことも尤もだ。このままだと幾ら束と言えど一夏を見失う可能性がある。事実、ハルを作り出した組織を追う事は出来ていないのだから。そうなれば一夏の身がどうなるかなど想像もしたくない。

 ハルと一夏。どっちも失いたくない大事な人だ。だからこそ束は拒絶する。聞きたくないと言わんばかりに耳を塞いで縮こまる。息は荒く、瞳には涙が浮かんでくる。

 縮こまる束にハルは近づく。膝を付いて束の肩に手を置く。だが、束はその手をはね除ける。それでもハルは束に詰め寄り、払いのけた束の手を自分の手で握って束に声をかける。

 

 

「束。お願いだ。行かせてくれ」

「やだぁ……!」

「束、僕は許せないんだ」

「何が許せないって言うのさぁ!?」

「束の夢を穢す奴がいるからだ!」

「え……?」

 

 

 今まで淡々と話していたハルは突然、爆発したように怒りを露わにして叫んだ。

 吐息を震わせて、唇を一度強く噛みしめる。顔を俯かせながらハルは絞り出すような声で再び叫ぶ。

 

 

「束は! こんな奴の為にISを作ったんじゃないだろう!? 束の夢の為の翼なんだろう!? 親友と作り上げた大事なものなんだろう!? それをこんな風に使われて悔しくないの!? 僕は悔しいよ!! 雛菊と同じ子を、束の夢を人を苦しめる為に使われるだなんて真っ平ごめんだ!!」

 

 

 ハルが怒っていた理由はISが人を害為す為に使われた為だ。本来は束が宇宙の進出を目指して作り上げられ、だが叶う事はなく兵器として姿を変えていくIS。それはまだ良い。それは仕方ない事だとまだ諦められた。

 だからハルはモンド・グロッソを楽しみにしていたし、ISの操縦技術を高めて競技に挑む人達に怨みなどない。少しでも束の夢が生きている事がわかるから。誰かと共にあるISの姿がそこにあるから。

 だが一夏を攫った犯人はISを使って一夏を誘拐した。よりにもよってISを使ってだ。だからこそハルは怒っていた。自分のパートナーと同じISを、束の夢を馬鹿にされたような気がした。だからこそハルには我慢ならなかった。

 

 

「束が世界に受け入れられないのはどうしようもない! だって束は凄いから! ISが兵器になっちゃったのも仕方ない! それだけ凄かったから! 束の願いが理解されないのは、きっと今の世界に早すぎたからだって諦められる!! でもこいつは! そんな束の夢を馬鹿にした!! こいつは本当にISを兵器にしてしまう!! そんなの認められるか!!」

 

 

 息を途切らせながらハルは叫ぶ。ハルの叫びを受けた束は呆然とハルの顔を見つめた。束が見つめる中、ハルは涙を流していた。ひくつかせるように嗚咽を零しながら、悔しさに震えていた。

 

 

「悔しいんだよ……! ただでさえ束の夢の足を止めさせているのに! だから止めたいんだ! 頼むよ束! こんな悔しい思いをさせられて黙ってろなんて僕には辛い……!!」

 

 

 項垂れるように俯き、涙を流しながらハルは束に懇願する。束はただハルの言葉を受け止めていた。お互いが言葉を無くす中、束のプライベート回線を通じてメールが送られてきた。

 メールを送ってくる相手など一人しかいない。束は震える指でメールを開く。メールの内容を見て、束は堪えられないように顔をくしゃくしゃに歪めて涙を零した。

 

 

『雛菊は母の夢を守る』

『ハルと雛菊を行かせて』

『雛菊達は母を悲しませる事を望まない』

『行かせて』

『お願い』

『守るから』

『悔しい』

『助けたい』

 

 

 次々と、次々と雛菊からのメールが相次いで届く。雛菊もまた現状を把握していた。ハルの願いに呼応し、雛菊も願う。母の夢が、自分の存在意義が穢されている事が許せないと。だから守るのだ、と。

 愛し子達が叫ぶ。貴方の夢を守りたいのだと。束の夢を到達点を見せたハルが、束が生み出してこの世に送り出した雛菊が。ただ束を思い、愛するが故に決意を露わにしている。

 

 

「うぁぁああ……っ!」

 

 

 心が震えない筈がない。くしゃくしゃになった顔を隠すように両手で覆って束も泣いた。こんなにも愛されている。こんなにも怒ってくれている。こんなにも悔しがってくれている。ありがたくて、ありがたくて心が震える。

 

 

「悔しいよぉ! 私だって悔しいよぉ……! ずっと諦めてたんだもん! 我慢してきたたんだもん! 努力してきたんだもん! でもぉ! こんな事の為になんかじゃないっ!!」

 

 

 ハルと雛菊が見せてくれた一心同体の姿が、二つの思いが一つになって空を舞う瞬間が目に焼き付いて離れない。束が夢見た光景が束に夢への希望を思い起こさせていた。まだ諦めなくても良いんだと強く思えた。

 だから言える。本当はISを兵器になんてしたくなかった。世界に認められないのが悔しかった。世界すら憎んだ。だから全てを諦めて世界に絶望した。ただ結果だけを求めて邁進してきた。

 ようやく、ようやくだ。ようやく束の夢が一つの形となって実を結ぼうとしているのだ。だからこそ悲しいのだ。

 

 

「でも、嫌!! ハルが行くなら我慢する!! 我慢するから行っちゃヤダァッ!!」

「束……」

「やだやだ……! 行っちゃう、ハルが行っちゃう。やだやだやだ、絶対やだ……! 私は、ハルが居れば――」

「ッ、それ以上は言っちゃダメだッ!!」

 

 

 束の言葉を遮るようにハルは叫ぶ。束はハルの怒声に身を竦ませた。

 

 

「ダメだよ。束。絶対にそれだけは言っちゃダメだ……!!」

「ハル……」

「僕等なら出来る。大丈夫だから……! 信じて! 束! 束の夢は誰かを守る事が出来るんだ! 僕が証明する! そして世界に知らしめよう! 束の力は争う為の力じゃないって! 人が高く、速く、どこまでも無限な空に向かう為の翼なんだって!!」

 

 

 信じて、とハルは叫ぶ。

 

 

「必ず帰ってくる。だからお願い……!」

 

 

 ハルは涙に濡れる瞳で束を真っ直ぐ見つめながら、不器用に笑顔を浮かべる。そして震える手を束へと差し出す。小指だけ立てた手を束に見せてハルは言う。

 

 

「約束、しよう?」

「……約束」

「束、僕は必ず君と宇宙に行く。約束するから」

 

 

 震えるハルの手を見つめ、束は自分の手を見た。ハルと同じように震えている手を見つめ、唇をきゅっと噛みしめた。

 束の伸ばされた小指がハルの小指と絡む。震えながら二人で口ずさむのは約束の歌。

 

 

「指切り、げんまん……」

「嘘ついたら……殺す?」

「……違うよ。……嘘突いたら、はりせんぼんのーます……」

 

 

 

 

 

「「ゆび、きった」」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

(……なんだよ、これ)

 

 

 目を覚ましたら身体が拘束されていた。訳もわからず織斑 一夏は現状への恐怖を覚えた。自分が最後に覚えているのは道を尋ねてきた女性に不慣れながら道を教えた記憶。

 穏やかな笑みを浮かべて地図を見せて欲しいと尋ねられたからだろう。一夏の警戒心が下がっていたのは。初めての外国に来て、ISの世界大会に臨もうとした姉を応援しに来た一夏だったが、外国という未知の地は思った以上に一夏に不安を与えていた。

 その一瞬の安堵を突かれた結果、一夏は囚われの身となってしまった。ここはどこなのか、今何時なのか、一体どれだけ経ったのか、自分はどうなってしまうのか恐怖に身体が震えた。

 

 

「あら? 目を覚ましたかしら?」

「んんっ!?」

 

 

 声の方へと視線を向ければそこには一夏に道を尋ねた女性が佇んでいた。目を覚ました一夏を覗き込むように見て、一夏を安堵させた雰囲気のまま、一夏を窘めるように言葉を紡ぐ。

 

 

「でも大人しくしてて頂戴。そうすれば痛い思いをしなくて済むわ。貴方には申し訳ないとは思うわ。でもね、お姉さんも逆らえないのよ」

「んんーっ!! んんーッ!!」

「何を言ってるのかわからないわ。でもごめんなさい。それ、外してあげられないのよ」

 

 

 笑みを浮かべる女性に一夏は暴れようとするも、拘束されている身では藻掻くのが精一杯だ。そんな姿を女性はただ先ほどを同じ笑みを浮かべている。

 ぞく、と。一夏は身を震わせた。笑っているようにまるで笑っていない。同じ表情を貼り付けただけのような女性の姿に一夏は怖気を感じて震えた。

 

 

(怖い、怖い、怖い――ッ!)

 

 

 脳裏に浮かぶのは姉である千冬の姿。幻影に縋るように一夏は固く瞳を閉じる。そんな一夏を眺めていた女性だったが、不意に何かに気付いたように勢いよく振り返った。

 同時に破砕音が鳴り響く。部屋を遮っていた扉がその機能を失い、吹き飛ぶ。吹き飛んだ扉は女性に向かって飛んでいき、女性は慌てて扉から逃れるように後退る。

 

 

 

『――見つけた』

 

 

 

 機械によって変声された声が響いた。女性は身構えるように腰を落とし、声の方へと視線を向けた。そして驚愕に目を見開かせる。

 そこにはバイザーで顔を覆い尽くした人影があった。その人影は白を基調に桜色を散らした装甲と翼を纏っていた。

 IS。女性が小さく呟きを零す。白きISは一夏と女性の間に立ち塞がるように立っている。女性は警戒するように白いISに視線を送る。

 

 

「貴方、何者かしら……?」

『……』

「ダンマリかしら? お姉さん、ちょっと困る、かな?」

『――動くな』

 

 

 会話で注意を惹き、動こうとした女性の行動を遮るように白のISが動く。女性は咄嗟にISを部分展開し、腕を盾にした。瞬間、白のISが繰り出したミドルキックが女性に炸裂し、女性が吹き飛ぶ。

 蹴り飛ばされた女性はすぐさま着地し、態勢を立て直す。あらあら、と困ったような声を上げる。それでも笑みは変わらずのままだ。服の汚れを落とすように手で払って、女性は態勢を立て直した。

 

 

「予想外のイレギュラー。困ったわね。迎えはまだ来ていないのだけれど」

『……』

「ところで貴方、どこの手の者かしら? 未確認のIS……織斑 一夏の救出が目的? まさか“博士”の手の者なんて言わないわよね?」

 

 

 白のISはただ沈黙を保ち佇むのみ。一夏との間に立ち塞がる姿に女性はふぅ、と吐息を零した。

 

 

「仕方ないわね。これじゃ私の目的は失敗。どう? 逃げようと思うのだけれど、見逃してくれるかしら?」

『……』

「沈黙は肯定と受け取るわ。お互い良い取引をしましょう。貴方はその子の命を。私は私の命を。フェアじゃない? 同じ命の取引だもの、ねぇ?」

『……』

 

 

 女性の問いに答えず、白のISは一方後ろに下がり、拘束されている一夏を抱き上げた。一夏の無事を確認するように一夏を見つめていた。確認が終わったのか、宙に浮かび、その白き翼を広げた。

 広げた翼より光が溢れ出し、闇を置き去りにするように白きISは飛翔した。狭い通路の中、残光だけを残して去った白のISを見送り、女性もまた、闇に溶け込むように姿を消す。

 

 

 

 

 

「こちらスコール。イレギュラーが発生。未確認のISに接触。ターゲットを確保されたわ。作戦は失敗。今から離脱するわ。回収ポイントを変更して。よろしくね」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……ぷはっ! あ、ありがとう……」

 

 

 一夏は噛まされていた猿轡を白のISの手によって外されていた。身体の拘束も解きながら一夏を抱いて白のISは無言のまま飛翔する。バイザーによって隠された顔は間近であってもどんな顔か確認する事は出来ない。

 

 

「な、なぁ、どうして俺を助けてくれたんだ?」

 

 

 先ほどから無言で一夏を抱えて飛ぶ白のISは何も答えない。誘拐犯から助け出してくれた相手だとはわかるのだが、こうも無言だと逆に不安になってくる。まさかこいつも誘拐犯? と睨み付けて見るもそれでも白のISは何も言わない。

 ここで暴れても無意味だろう。ISの力には一夏では抗いようもない。ただ為すがままに運ばれていた一夏だったが、不意に機械で変声された声が一夏に囁く。

 

 

『外だ』

 

 

 告げるのと同時に闇の中から抜け出す。一夏と白のISは日の光を浴びた。思わず眩しさに手を掲げて光を遮る一夏。今までの閉塞的な空間から解放された事から、一夏は少し安堵した。

 そのまま白のISは大地に着地し、一夏を大地に下ろす。久しぶりに大地に足を踏みしめた事に一夏は安堵の吐息を零す。泣きそうになったが、なんとか堪えて涙を飲み込む。

 しかし、と一夏は白のISへと目を向ける。一夏の様子を窺うように一夏の肩に手を置き、バイザー越しに見つめてくるISを見て思う。やっぱり喋れるんじゃないか、と。なぁ、と一夏がもう一度問いかけを投げかけようとした時だった。

 

 

 

 

 

「一夏から、離れろぉぉぉおおおおおお!!!」

 

 

 

 

 

 一夏の耳に聞き慣れた姉の声が飛翔の音と共に聞こえた。

 一夏の側に膝をつく白のISに向けて一直線に飛翔する影は世界最強、織斑 千冬。

 憤怒に荒れる戦乙女はただ激情に任せるままに最強の刃を振りかぶった。



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Episode:10

 時間は少し巻き戻る。時間はハルが一夏を確保したすぐ後の事だ。

 ハルは確保した一夏を抱えながら飛翔し、プライベートチャンネルを使って束と通信していた。

 

 

『束、織斑 一夏を確保。……犯人は見逃しちゃったけど』

『良いよ。いっくんの身の安全には変えられない。……本当に良かった』

 

 

 

 束の安堵する声が通信の先から聞こえてくる。これで山場は超えた、とハルも緊張に強ばっていた身体から力を抜いた。

 緊張が解された事で余裕が出来たのか、ハルは腕の中に一夏の拘束を解いてやる。自らとどこか似ている一夏の顔を見てハルは安堵する。なにやら声をかけてきているようだが、対応するだけの余裕はない。

 

 

『後は外に出れば大丈夫か』

『うんうん。早く戻ってきてね! ハル!』

『しかし廃棄区画の廃工場とは……。まぁ、常套句だけどさ』

 

 

 ISの台頭によって世界が受けた影響は大きい。特に打撃を受けたのは軍需産業だった。ISという空の覇者が生まれてしまった為に戦闘機などの需要は失われ、その生産ラインは瞬く間に閉鎖されていった。

 一夏が囚われていたのもそんな次代の流れに取り残された廃工場だった。元々、兵器を扱っている為に機密性が高く、身を隠すのにはうってつけの場所だっただろう。

 束の情報面での支援もあり、不意を打つように一夏を救出する事が出来たのは運が良かったと言うしかない。二人から安堵の息が零れるものだ。

 

 

『外だ』

 

 

 一夏にも、自分にも言い聞かせるようにして外の世界へと出る。一気にハイパーセンサーによって広がる世界に安堵の息が零れる。そのままハルは大地に一夏を下ろして、念のため、一夏の体調を確認する為に雛菊にチェックを頼んだ。

 

 

『少し興奮状態。けれど体調に異常はなし』

 

 

 表示された雛菊からメッセージウィンドウにもう一度安堵の吐息を出す。これでもう憂いは無い。何か問おうとしている一夏にはもう用はない。後は一夏に安全な場所まで行くように告げて全部解決する。

 その瞬間だった。ハイパーセンサーが急速接近するISを確認。唐突に鳴り響いた警戒音にハルはまさか誘拐犯が逆襲に来たのかと警戒し、目にした姿に驚愕の声を上げそうになった。

 

 

「一夏から、離れろぉぉぉおおおおおお!!!」

(織斑 千冬ッ!?)

 

 

 振り抜かれた刃の名は“雪片”。ぞっ、背筋に走る悪寒のままにハルは飛んで後退る。初撃を回避したが、まるで跳ね上がるように刃が手首を返して迫る。ハルは歯を噛みしめながら無理な体勢のまま、ウィングユニットで加速して刃から距離を取る。

 無理な体勢で加速した為に骨が軋むような音を上げた。アラートが劈くような音を立てて警告を届ける。はらり、と躱しきれなかった髪が宙を舞った。

 

 

「アァァアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 

 正に剣鬼。憤怒の表情を浮かべて咆哮し、斬り殺さんと向かってくる千冬にハルは冷や汗を流しながら舌を巻く。対峙してわかった。圧倒的な強者のプレッシャー。

 千冬が振るう一つ一つが必殺の刃。必死になって刃を避け続けながらハルは口には出さなかったが心の中で絶叫した。これが世界最強か、と。

 

 

(聞いてないって…!! なんでここに織斑千冬がいるの!!)

『ちーちゃん!? なんで!?』

 

 

 通信からも束が絶叫する声が聞こえてくる。 声からして頭を抱えて絶叫している様が目に浮かぶが、ハルは束に気にかけている暇がない。

 最大速度でも勝り、展開装甲によって機動力も旋回力も勝っている筈なのに食いつかれる。雛菊のサポートもあっても振り切れない千冬にハルは舌打ちをする。再び雪片の剣閃が走り、自身の眼前を過ぎ去ってゆく。

 持ち前の直感。そして無茶を通す実力。踏み込めるだけの踏み込んでくる、無謀とも取れる迷いの無さ。凌駕されている。ただの技量と気迫によって、性能という差が詰められていく。

 

 

(なんてデタラメ! 巫山戯んな! どうする、このままじゃ斬られる……!!)

 

 

 ここで落とされるのは不味い。自分の正体がバレるのも不味いが、何より雛菊が拿捕されるのは不味い。これは束の夢だ。束が現在、持てる技術の粋を集めて作られた夢の結晶だ。そのデータを世界に渡す? 許せる筈がない。

 だからこそ落ちる訳にはいかない。ではどうする? まずはこの剣鬼と化した織斑 千冬をどうにかしなければならないのだが。

 

 

『織斑千冬、話を――』

「よくも一夏をぉぉおおッ!!」

(聞く耳持たずかよ――ッ!?)

 

 

 ダメだ、と対話による解決をすぐさま斬って捨てたハル。全身から浮かぶ汗はさっきから千冬に向けられる濃厚な殺気の為だろう。恐怖に竦みそうな身体に必死に鞭を打ってハルは飛翔する。

 このままじゃ負けが見える鬼ごっこが続くだけだ。なんとかして状況の打破を計らなければ文字通り死が見える。化け物め、と千冬を内心で罵りながらハルは束に助けを求める。何かアイディアは無いか、と。

 

 

『束! どうすれば良いの!?』

『頑張って逃げて!?』

『無理だよッ!! 出来るならとっくにしてる!!』

『えーと、えーと、えーと!』

 

 

 束に助けを求めてもダメ。今の束は使い物にならないと候補から外す。食らいつくように振るわれた雪片を強引なバレルロールで回避。身体が軋む音を聞きながらハルは舌打ちする。この化け物めが、と。

 何度やっても引き剥がせない。これが世界最強の壁。あんなにも憧れた機動が今となっては憎らしい限りだ。

 

 

(やばい! くそ、アンタの弟を助けに来てなんでアンタに殺されなきゃいけないんだ……!!)

 

 

 視界の隅には千冬の登場に唖然としている一夏の姿がある。座り込んで小刻みに震えているのは恐怖の為なのか、それとも逆に千冬が現れて安堵してしまった為なのかわからない。そんな一夏の姿を見て、ハルは目を見開く。

 脳裏に閃くのは状況の打破の方法。思い浮かんだ方法の成功率は? そんなの知らない。ただこのまま闇雲に逃げるよりは光明がある。リスクはある? ここで雛菊と自分の命を失うよりはマシだ。

 

 

『束、ごめん!』

『え!? ハル!?』

 

 

 ハルは一世一代の賭けの気持ちで勝負に出た。ポーカーフェイスは充分。口は回る。ならば後は度胸。男ならここでやり通す。そう自分に言い聞かせながら身体を反転させる。

 雪片を掲げて真正面から突撃してくる千冬の姿を目に捉える。憤怒に染まる千冬を真っ直ぐ目にしながらハルは息を呑んで、奥歯を噛みしめる。

 

 

「――会いたかったよ。織斑 千冬」

 

 

 そしてハルは、バイザーを消して素顔を千冬の前に晒した。

 ハルの素顔を見た千冬が目を見開き、身を引き裂かんと迫った雪片の刃が鈍る。即座にハルは雪片を握る千冬の手首を押さえつけ、千冬と真っ向から向かい合う。驚愕の表情が千冬の顔に浮かんでいるのが見て取れた。

 まずは第一段階成功、とハルは唾を飲み込みながら心の中で呟く。だが表情には出さない。無表情に、どこまでも冷静を装う。焦りを悟られるな、ここで騙し切る。

 

 

「な、に? 子供? いや、お前は誰だ? 何故、私と似ている、お前は一体……!?」

 

 

 激情と困惑に震えながら千冬はハルを睨み付ける。殺気こそ薄れたが執着は増したように思える。舌打ちしたい衝動に駆られながらも千冬を見据えてハルは言葉を紡ぐ。

 

 

「会えて嬉しい。“オリジナル”」

「オリジナル、だと!? まさか、お前は!?」

「弟を大切にね」

 

 

 動揺したままの千冬に更なる言葉を紡ぎ、雪片を握る手を無理矢理捻り上げる。このまま武装解除を狙えればと思ったが、思いの他、千冬の抵抗は激しい。雪片を落とせずに二人で押し比べとなる。

 やっぱり浅はかだったか、とハルは今度こそ舌打ちをする。今更、逃れようにも千冬の抵抗が強すぎて出来ない。このまま離せば先ほどの二の舞だ。改善しない状況に顔を歪めそうになる。

 

 

「待て! お前には聞きたい事がある!」

「答えられない」

「答えて貰う……!?」

 

 

 千冬が更に力を込めようとしたその時だった。突然、千冬の表情が驚愕に彩られ、抵抗の力が緩んだ。いや、無くなった。何が起きた、とハルでさえ目を見張る中、ハルは視界の端に表示されたウィンドウに喝采を上げそうになった。

 

 

『暮桜のコアとコンタクト。機能停止を了承』

(雛菊、愛してる――ッ!!)

 

 

 どうやったのかは知らないが雛菊によって暮桜はその機能を停止した。突然の機能停止に千冬も何が起きたかわからず言葉を失っている。ハルは再びその顔を覆うようにバイザーを被り、千冬を抱えて降下する。

 このまま落としても良かったが、機能を停止しているという言葉がハルに躊躇させた。ゆっくりと高度を下げて行き、ハルは呆然と事態を見守っていた一夏の傍に千冬を放り捨てた。機体が動かない為に背中から落下した千冬だが、この程度の高さならば怪我も負わないだろう、と。

 

 

「がっ!?」

「千冬姉っ!?」

「くっ……何故だ、暮桜! 動け! 動けッ!!」

 

 

 千冬が暮桜を動かそうと藻掻いている。機能停止したISならば、ただ重量のある鉄の塊となる筈なのに千冬は僅かでも動かしている。ハルはそんな千冬に対して恐怖を覚えた。この女、本当に人外なんじゃないか、と。

 動かぬ暮桜に困惑を隠しきれぬまま千冬が藻掻き続ける。そんな千冬の姿を目にした一夏は何を思ったのか、空中に浮かぶハルを見た。

 何か言ってくるのか、と思ったが、一夏は両手を広げて千冬の前に立ちはだかった。一夏の思わぬ反応にハルは一瞬動きを止めた。

 よく見れば一夏の膝は笑っている。それでも必死に歯を食いしばりながらハルを睨み付けている。

 そんな一夏の姿に思わずハルは笑い声を上げそうになった。だからだろう。一夏に問いを投げかけてしまったのは。

 

 

『何のつもり?』

「……ッ……!」

『ISも使えない男が何が出来る?』

「……ッ、か、関係ない! お、俺は千冬姉を守る!! 守るんだぁ!!」

『今度は死ぬかもしれないよ?』

「……ッ……!? う、うるせぇ!! 守るって言ったら守るんだぁッ!!」

 

 

 死ぬ、という言葉に一夏は大きく身を震わせた。だが自分を奮い立たせるように叫び返す。

 威嚇するように歯を剥いて一夏は目についた足下の石を拾い上げた。大きく振りかぶって投げられた石は真っ直ぐにハルに向かって飛ぶ。しかし石などISの装甲の前では無力にも等しい。こつん、と虚しい音がハルの耳に届く。

 

 

「あっち行け! こっちに来るな! 千冬姉に近づくなぁッ!!」

 

 

 大声で叫び、肩を上下に下げて一夏は呼吸する。明らかに恐怖に震えている癖に、それでもハルを睨み付けるのを止めない。

 一方で、一夏に庇われた千冬は焦燥した様子で一夏を呼ぶ。一夏の行いがどれだけ無謀な事か理解しているが故にだ。

 

 

「止めろ一夏!」

 

 

 だが千冬の言葉が聞こえないのか、一夏は立ち塞がり続ける。ハルはどうしようもなくその姿がおかしかった。だからだろうか。ついついその言葉が口から零れてしまったのは。

 

 

『お姉さんを大事にね。織斑 一夏』

「……え?」

『強くなれるよ。君ならきっと』

 

 

 ――生身でISに喧嘩を売ろうだなんて、僕には出来ない。

 蛮勇だろう。無謀だろう。だがそれでも、確かに一夏が見せた姿にハルはどうしても惹かれてしまった。姉を守ろうと必死に立ち塞がる姿を。

 どうか報われると良い、と彼の行く末を祈りながらハルは空へと舞い上がる。これ以上ここに留まる訳にはいかない。早く束に下に戻って安心させてあげたい。寄り道はここまで。

 

 

「お前……」

『じゃあね』

「ま、待て!!」

 

 

 誰が待つか。呼び止める千冬に内心で吐き捨ててハルは加速した。周囲にISの反応が近づいてきているのを確認したが、雛菊の速度なら逃げ切れる。

 空に走る一筋の残光。その姿を一夏は見えなくなるまで、ただひたすら見上げ続けるのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 束のジャミングの支援を受けて、ハルが束の移動式ラボに辿り着いたのは日が落ちて夜になってからだ。

 身はくたくた、心はぼろぼろ。よくぞあの剣鬼・織斑 千冬の魔の手から逃れられたと自分を誇りたいくらいだった。飛び出す前はあんなにも決心を固めていた筈なのに、いざ危機と対面してみればこの様だ。呆れて笑う事しか出来ない。

 ふらふらと巧妙に隠されていたラボの中へと入るハル。同時に雛菊を解除して、そのまま足下がふらついて床に倒れそうになる。

 

 

「――ハル!!」

 

 

 だがハルの身体は飛び込んできた束によって抱き留められる。苦しいまでに力を入れてハルを抱きしめてくる束の頬には涙の跡があった。

 心配かけたな、と疲れた頭でぼんやりと考えながら束の背に手を回す。その手が震えている事に気付いてハルは、押さえ込んでいた心を解きはなった。

 

 

「うぅ……! うわぁあああ! 怖かった! 怖かった! もうやんない! 絶対やんない! アイツ怖い!! もうやだぁあああああ!! 死ぬかと思ったぁあああ!!」

「ハル……」

「うぅぅう! 情けないよぉ……! でも怖い! アイツもうやだ怖い死ぬやだぁああああああ!!」

 

 

 恥も外聞もなかった。ハルは心に溜め込んでいた緊張と恐怖を吐き出す。外見相応に泣き喚きながら束に泣き縋る。

 千冬を前にした時、本当にダメだと思った。死ぬとさえ思った。束の夢を台無しにする所だった。それが怖くて、恐ろしくて、それでも踏ん張った。

 でももう我慢しない。ここにいるのは束だけだから。束なら受け止めてくれると思ったから。身体を震わせて、涙を流して嗚咽を零す。

 

 

「だから言ったでしょ。馬鹿……」

「ごめんなさい……!」

「でも大丈夫。もうさせないから。させないよ。だから大丈夫。大丈夫だよ。束さんが守るから」

 

 

 ハルは束に痛い位に抱きしめられる。今、生きてここにいるのだと。束に守られているのだと実感してハルは更に泣いた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 事の顛末を語ろう。

 あれから織斑 一夏誘拐事件は未遂となって終わり、モンド・グロッソは恙なく進行された。第2回モンド・グロッソの優勝者に輝いたのはやはり織斑 千冬。2連覇を達成した彼女へは惜しみない賞賛が贈られる事となる。

 優勝を果たした事でコメントを求められた千冬だったが、千冬はこの大会を以て引退を宣言。突然の引退宣言には記者達を驚かせる結果となった。

 諸事情、という事で引退の理由を一切語る事が無かった千冬だが、裏では一夏誘拐事件の噂が密やかに流れ、その事件を後悔したや、彼女の所属国である日本から無断でISを使用した事を咎められ、自主的な引退を持ちかけられたのでは、と推測と議論がネットで行われる事となる。

 語られる事のない真実は全て闇の中へ。最強の名を欲しいままにしたブリュンヒルデはそうして無敗のまま公式の場より去る事となる。惜しむ声は多く、また千冬に公式戦への出場を望む声も多く寄せられた。

 

 

「しかし織斑 千冬は公式の場に戻る意思はなく、次に目指すはIS学園の教師の道、か」

 

 

 独占インタビューと銘打たれた記事には千冬の今後の目標が彼女の口から語られていた。ISは自分に多くの事を教えてくれた、と。後進達の為に自身の経験を教え、継がせていきたい、と語る文章が綴られている。

 コーヒーを口に含みながらハルは記事を表示していたディスプレイの画面を閉じた。

 

 

「ま、平和に終わってめでたしめでたし、かな?」

「ハルのトラウマが生まれたじゃん」

「う……。まぁ、それでも世は事も無し、さ。それに超したことはないって」

 

 

 ハルは束の膝の上に乗せられて抱きしめられていた。あれから束はこうしてハルを抱いて過ごす事が増えた。束を心配させた罰だと、ハルは甘んじて受け入れている。ずっと背中に豊かな胸が当てられていて、試されているようで複雑な気分だが。

 そしてハル自身の事。彼は見事に千冬がトラウマになった。悪夢にうなされる事も多く、今は一人で寝る事が出来ないという程に重傷だった。結果、束が毎日ハルに付きそう事となる。それは束の研究の手を止めてしまう、という事でハルは申し訳なかった。

 

 

「束、ごめんね。研究したい事とかあるのに」

「本当ね。だから今後一切危険な事は禁止だよ」

「……それは約束出来ないかな。怖かったし、もう嫌だと思ったけど間違った事はしてないと思うから」

 

 

 見上げるように自分を抱きしめる束の顔をハルは見る。手を伸ばして束の頬に触れてハルは笑みを深めた。

 そんなハルに束は機嫌を悪くしたのか、ハルの首に手を回した。力を込めれば、ぐぇ、とハルの喉から潰れた蛙のような声が漏れる。

 

 

「ふん。ちーちゃんにズタボロにされて泣き喚いて帰ってきた弱虫の癖に」

「あんなのと正面切って戦うなんて無理無理。……今は、ね」

「今は?」

「強くなるよ。束や雛菊に頼ってばかりじゃダメなんだって思ったから。だから僕自身が強くなる」

 

 

 一夏みたいに、と思った言葉は口にする事は無かった。ハルは魅せられていたのだ。生身でISを前にして、それでも大事な人を守ろうとする姿に。

 だからこそハルは強くなりたいと願う。無謀でも、あんな風に大事な人を守ると言えるぐらいに強く。

 今、自分を抱きしめてくれるこの温もりを失わないように。この人を泣かせないように。強くなろう。今よりももっと強く。もう誰にも負けないぐらいに強く。

 

 

「危ない事はして欲しくないのに」

「男の子だからね。張りたい意地があるんだよ」

「弱虫泣虫の癖に生意気」

「いひゃいいひゃい!」

 

 

 むぅ、と眉を寄せて束はハルの両頬を指で引っ張った。きっとダメだって言ってもこの子は飛び出してしまうのだろうと理解しながら。

 その理由が自分だと知っているからこそ、本当は危ない事をして欲しくないのに。それを嬉しいと思ってしまう事を束は止められなかった。

 

 



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Episode:11

 束は研究室に籠もりながら思考を重ねていた。今、彼女が悩んでいるのはハルの事だ。

 一夏誘拐未遂事件から早数ヶ月。ハルのトラウマの症状も大分緩和され、ハルは雛菊とイメージ訓練に勤しむ時間が増えていた。それは同時に束にとっても一人で考え事が出来る時間を得られるという事である。

 

 

「……ダメだなぁ。“この子”達はまだ運用段階じゃないし。私が欲しいのは今すぐ使える“駒”なんだ」

 

 

 苛々と束は爪を噛みながら呟いた。表示していた設計図はISのものだったのだが、束の口から零れた通り、まだ運用段階のものではない。つまり束の望むものではない。

 束が欲しいのは自分の言うことを迷わず聞いて動いてくれる“駒”だ。それも出来ればISを扱える駒が欲しい、と束は考えていた。

 

 

「ハルは私の為に戦ってくれる。けれど、私は表に出る訳にはいかない」

 

 

 だからハルを自らの手で守る事が出来ない。束が表に出れば世界は嫌でも騒がしくなるだろう。まだハルならば正体不明のIS、で片付けられる。しかし自分ではダメだ、と。

 だからこそ何か有事があればハルは束を守る為に飛び出していってしまうだろう。それもたった一人で。幾らハルがISに関して類い希な才能を持っていると言っても限界はある。何よりハルには経験がない。才能はあれど最強ではないのだ。

 だからこそ欲しい。自分の命令を聞き、命を賭けてでもハルを守り抜ける“駒”という存在が。

 

 

「……何かいないかな。ハルみたいな境遇の子がいれば幾らでも保護して教育するのにな」

 

 

 きっとハルは受け入れないだろう。ハルは束を受け入れてくれたが、ハルの感覚はあくまで常人に近い。自分の為に捨て駒になる人間を束が用意したとすればハルは悲しみ、最悪怒るだろう。

 だが嫌われるとまでは思っていない。最早、束とハルの絆はこの程度で切れる筈がない。それを束は確信している。逆に、だからこそハルが悲しむのだけは絶対に嫌だった。

 故に束はハルみたいな存在がまだどこかにいないかな、と想像する。ハルの隣に並び、ハルと共に戦い、ハルを守ってくれるような都合の良い存在がいないか、と。

 自分にとっての“駒”であり、ハルと共に戦う“戦友”。束はお得意のハッキング技術を駆使して世界の情報を集めていた。世界の闇は深い。束すらも覗ききれない深淵が確かにこの世界には存在している。

 人の欲望は尽きない。何か手がかりを1つでも掴めれば。そんな希望を以て束はダメもとで世界中の情報を集めていた。そんな束の指が止まる。

 

 

「……あは!」

 

 

 いるじゃん。にたり、と釣り上げた口は捜し物を見つけた無邪気な子供のように歪んでいた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「――くっ!!」

『後方接近。“暮桜”が来る』

「わかってるよっ!!」

 

 

 青の世界が広がる雛菊の深層意識でハルは空を舞っていた。雛菊を纏ったハルを追うのは、ハルの脳裏に焼き付いて離れない恐怖の体現である織斑 千冬だ。雛菊によって再現された千冬にあの時の圧迫感は無いが、身を斬り裂かんとする刃の猛威は変わらない。

 翼を小刻みに揺らすようにハルは軌道を不規則に描いて飛翔する。千冬のアバターは逃れようとするハルに追いすがり、今か今かと刃を触れさせる瞬間を窺っている。

 

 

「このぉッ!!」

 

 

 身体を回転させるように旋回。同じく千冬のアバターも旋回し、差が縮まる。機体性能が幾ら勝ろうと、こうして技術の差で距離が詰められていく。歯を噛みしめながらハルは加速。千冬を振り切らんと上昇する。

 そして勢いをつけて反転し、千冬のアバターへと真っ向から向かっていく。ハルの手に握られているのはIS用のブレードだ。日本で開発された刀を模したブレードを構えてハルは突撃する。

 

 

「だりゃぁっ!!」

 

 

 急加速を用いてハルは千冬のアバターを叩き斬らんと迫る。だが千冬は容易くハルの振るったブレードを受け流し、再びその背に食らいつかんと追いかけてくる。

 ハルがヒットアンドウェイを繰り返し、千冬のアバターがカウンターを狙い続ける。精神を小刻みに削られ続ける苦行。それもやがて終わりの時が来る。

 

 

「ッ!? 食いつかれた!?」

 

 

 千冬のアバターが遂にハルを捉え、振り抜かれた雪片が雛菊のウィングユニットを切り裂いた。一気にシールドエネルギーを奪われた雛菊は自慢の推進力を奪われていく。

 雪片。それが暮桜に唯一装備されている近接ブレード。自身のシールドエネルギーを犠牲に生み出す効力は相手のシールドエネルギーを無効化する必殺の剣。

 ちくしょう、とハルが悔しげに呟く。千冬による追撃の一撃が加えられてハルは青の世界を落ちていった。

 

 

「……勝てない」

「仕様がない」

 

 

 ハルはふて腐れたようにあぐらを掻いて座り込む。むすっ、と不機嫌なハルに雛菊はいつもの調子で返答する。

 この深層意識でハルと雛菊はひたすらに千冬のアバターとの模擬戦を繰り返してきた。あくまでイメージによる模擬戦だが、ハルにとってかなり益のある修行となっている。

 機体性能が勝ろうとも技術が足りない。それが今のハルが自分自身に与える評価だ。雛菊は現段階では飛行する事に特化した機体となっている。なのに形態移行を経て進化しているとはいえ、旧世代の機体を操る千冬に負けているのは最早ハルの技量でしかない。

 ハルの脳裏には転写された千冬の戦闘記録がある。だがあくまで記録であって感覚ではない。更に言えばハルに転写されている千冬の戦闘記録は以前立ち会った際の千冬よりも明らかに劣っている。

 それに扱っている機体がまったく違うのだ。雛菊はハルに合わせられたハルの為の機体。千冬の記憶にあるような機体を振り回す機動だけでは雛菊の真価は発揮されない。だからこそハルはまだ雛菊との飛行については模索状態なのだ。

 

 

「でも成果は出てる。今日は10分。雛菊はハルを評価する」

「10分……。道は果てしなく、険しいなぁ」

「雛菊にはそもそも固有武装がない。高機動だけでは勝てない」

「やっぱり展開装甲を攻防にも使えないとダメか」

 

 

 そう。雛菊には武装が存在しないのだ。元々が展開装甲の検証機だった雛菊には固有の武装と呼べるものが搭載されていなかった。

 いや、1つはあるのだ。それこそ雛菊に用いられている展開装甲。ありとあらゆる状況に即応する万能装甲。ハルには未だこの装甲を扱いこなす事が出来ていない。そんな様で千冬のアバターに勝とうと思うのが無謀か、と吐息を漏らしながらハルは背筋を伸ばす。

 

 

「まぁ、精進あるのみだよな」

「努力、大事」

 

 

 むん、と小さくガッツポーズをする雛菊の頭を撫でて、ハルは笑みを浮かべるであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……ん」

 

 

 意識が現実に戻ってくる。ハルは寝台に横たえていた身体を起こして、固まっていた身体を解すように伸ばしていく。身体を解し終えれば辺りを見渡し、あれ? と疑問の声を漏らした。

 

 

「……束?」

 

 

 名前を呼んでみる。しかし反応は無い。ハルは眉を寄せて寝台から降りて研究室からリビングに繋がるドアを開けた。

 そこにも束の姿はない。だが代わりにハルはある物を見つけた。テーブルの上に置かれたメモ書き。そこには短く2、3日留守にするメッセージが記されていた。

 

 

「出かけてるのか。今度はどこに行ってるんだろ?」

 

 

 束はたまにこうしてふら、といなくなる。いつもの事か、とハルは大して心配はしていない。しかし、とハルは首を捻る。食糧の備蓄を確認しても充分ある。食糧を仕入れに行った訳では無さそうだ。

 研究に必要なものでも出てきたのかな、と推測してみても束じゃないのでわかる筈もない。まぁいっか、と自分の食事を作る為にハルはキッチンへと向かった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 束の靴音が無機質な廊下に木霊していく。非常灯の灯りしか付いていないその施設は完全に死んでいた。いや、殺されたのだ。経った今、鼻歌交じりに廊下を歩いていく束によって。

 

 

「人殺しは面倒だし、やってらんないけどさー、まるで人が蜘蛛の子散らすように逃げていくのはけっこう楽しいかな」

 

 

 この施設に居た人間には退去して貰った。束はハッキングを用いてこの施設のありとあらゆる機能を掌握し、さっさと追い出したのだ。セキュリティシステム、ゲートの開閉システム。ありとあらゆる手段を尽くし、目的のものだけを置いて貰って。

 長居は無用。僅かに鼻につく薬品の匂いはあまり好きではない。さっさと“お宝”を拾って帰る事にしよう。

 そして束は目的の部屋へと辿り着いた。空気の抜ける音と共に開かれた扉。中の部屋はまるで牢獄のようだった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 その中にいたのは“女の子”が二人。束の侵入に反応したのは一人、もう一人は瞳を閉じてぼんやりと蹲るだけ。いたいた、と束は上機嫌に部屋の中へと入っていく。

 

 

「……何者だ?」

 

 

 束の侵入に反応した少女が覇気を失った瞳で束を見た。震えている身体は明らかに恐怖に怯えている者の姿だ。そんな少女の姿に束はふっ、と笑うように鼻を鳴らした。

 まるで小動物のようだ、と小柄な体躯の少女を見て束は思う。流れる銀髪はぼさぼさでろくな手入れもされていない。身につけている服もぼろぼろ。禄な扱いを受けていない事がよくわかる。

 

 

「君は……ラウラだね? ドイツ軍に売られた“ヴォーダン・オージェ”の不適合者。えっと、遺伝子強化試験体だっけ? その計画で生まれた後、ISの特殊部隊に所属。けど“ヴォーダン・オージェ”を移植した結果、不適合を起こした。その後、不適合による能力制御が行えず成績を落として放逐された。んで、最後には研究材料としてここに売られた、と。合ってるかな?」

「だとしたら……? こんな欠陥品に何の用だ?」

 

 

 ラウラは否定しない。それが自分自身の真実だ。欠陥品の烙印を押されて売られた出来損ない。遺伝子強化体として生まれたラウラにとって、平凡以下に成り下がった自分は最早価値のない存在だ。

 束はラウラの問いを無視して、もう一人の少女へと目を向けた。ラウラと良く似た容姿だ。並んでいると姉妹に見える。彼女は膝を抱えて瞳を閉じていた。まるで束とラウラにやり取りに興味がないのか、ただそこに蹲るだけ。

 

 

「で、君ね。君は……そこのラウラの一世代前の遺伝子強化試験体だね? 名前は……記号か。こんなの名前じゃないね。どう思う?」

 

 

 束の問いかけにも眉1つ動かさず少女は動かない。その様子にラウラは嘲笑するように鼻で笑い、目線を落として呟く。

 

 

「……無駄だ。そいつに話しかけた所で反応などない。私も、そいつも。最早価値の無い失敗作だ」

「あっそ。別に自分を卑下するのは結構だけど、自分の足で歩ける?」

「……貴様はさっきから何なのだ。ここの職員はどうした?」

 

 

 ラウラは戸惑うように問いを投げかける。自分たちをまるでどうでも良い存在として扱う様はまるで研究員のようにも思えたが、特有の薬品臭さを感じない。

 どこか世界から浮いたような雰囲気に戸惑うな、という方が無理だろう。ラウラの問いかけに束はまたもラウラを呆気取らせるように軽い調子で返答した。

 

 

「あぁ、もういないよ。私は貴方たちを迎えに来たんだよ」

「なに?」

「失敗作? 価値がない? 結構。だったら私の為に役に立つ気はない? 拾ってあげるよ」

「……本当に貴様、何者だ?」

「篠ノ之 束。知ってるでしょ?」

「……な、なに!? 篠ノ之 束だと!? ISの開発者が、なんでこんな所に!?」

 

 

 ラウラは束が名乗った名が信じられず、束の顔を驚きのまま見つめる。蹲っていた少女もまた、束の名を聞いて流石に反応を見せたのか、ゆっくりと顔を上げた。

 二人の少女から注目を受けた束は面倒くさそうに溜息を吐く。片手を腰に当てて、もう片方の手をひらひらと振って面倒くさそうにしたまま言葉を紡ぐ。

 

 

「だから言ったでしょ。迎えに来たって。拾ってあげるって」

「……何故?」

「使えそうだから。あぁ、使うって言っても人並みの生活は保障してあげる。食事も用意するし、服も好きなものを着れば良い。私を裏切らないなら何したって構わないよ。ここよりも良い生活も用意してあげる」

 

 

 ひらひらと束が無造作に振っていた手が頭を掻く。面倒くさそうな表情のまま、束の手は二人に伸ばされた。

 

 

「あぁもう! 面倒くさいな! ――いいから黙って従いな。救ってあげよう。この束さんが直々にね。返事はYESしか聞いてないよ」

 

 

 傲慢なまでに束は言い切った。全ては己のエゴの為に。世界を狂わす天才は今日も思うがままに振る舞うのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……で? 拾ってきたと主張する訳?」

「うん!」

 

 

 頭が痛い。ハルは目眩が起きて崩れ落ちそうな身体を支える。

 気を取り直してハルは束を見る。正確には束の両隣にいる少女を。

 

 

「こっちがラウラで、こっちがクロエね!」

「そんな犬や猫みたいな紹介を…いや、まぁ、束だしなぁ」

 

 

 両隣の少女の名前なのだろう。嬉しそうに教えてくれるのは構わない。でも自分が聞きたい事はそういう事じゃない、とハルは首を左右に振る。

 帰ってきたと思ったら、束が二人の女の子を連れて帰ってきた。一体どういう経緯で連れてきたのか聞いたハルの反応がこれだ。

 頭痛がする頭を抱えて、ハルは疲れたように溜息を吐き出す。束はいつものようにニコニコと笑みを浮かべている。

 ラウラはどこか落ち着かない様子で、手を後ろに組んで休めの姿勢でいる。クロエは束の手を握ってぼんやりとしている。対照的だな、とハルは二人への感想を抱く。

 

 

「あぁ、ちゃんと施設は再利用出来ないように破棄してきたよ。色々と利用出来るものは拝借してきたけど」

「もう何聞いても驚かないよ。君達も……あ、日本語は通じる?」

「はっ! ISが世界に普及してより、日本語は軍においては必須科目だった故、日常会話程度であれば問題なく可能であります!」

「会話だけなら大丈夫です。学習済みです」

「……ッ!?」

 

 

 クロエは今まで閉じていた瞳をうっすらと開けてハルを見た。開かれた瞳は異様な瞳だった。白ではなく黒の眼球に金色の瞳。異色の瞳を見て、ハルは思わず息を呑む。

 ハルは改めて二人を観察する。髪はぼさぼさで、頬もどこか痩けている。二人がどのような扱いを受けたのかを察し、ハルは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 ハルは気を取り直すように笑みを浮かべた。その調子で明るく二人に話しかける。

 

 

「なら良かった。僕はハルだよ。別にかしこまらなくて良いから。色々と言いたい事とか、話したい事があるけど、とりあえず1つだけ」

「ん? 何かな? ハル」

「――おかえり。そして、ようこそ」

 

 

 束に向けておかえりを。ラウラとクロエに向けて歓迎の言葉を。ハルは笑みを浮かべて告げる。三人を受け入れるように。束は当然と言うように笑みを浮かべ、ラウラとクロエも一瞬驚いたように息を止めたが、すぐに安堵したように吐息する。

 

 

「とりあえず束、二人をお風呂に入れてきて。二人とも、食事は普通に取れそうかい? スープとかの方が良いなら用意するけど?」

「は、はい! 体力の低下は認められますが、食事を取る分には問題はありません!」

「……私は、スープが何か知らないです」

「OK。とりあえず胃に優しいものからだね。束?」

「えー。お風呂面倒ー。しかもこの子達を入れなきゃいけないのー?」

「拾ってきたんだから、ちゃんと自分で世話しないとダメだって。元の場所に戻すって訳にはいかないんだからね?」

「犬や猫じゃないしね?」

「まったくだよ! あ、湯船に入る前に身体を洗ってね! 後、ちゃんと風呂は100数えてから上がるように!」

 

 

 さっさと行く! とハルに促された束は渋々、と言った様子でラウラとクロエの手を引いた。クロエは束に従順のようだが、ラウラはどこか落ち着かない様子でおっかなびっくりに束に連れられる。

 そんなラウラの様子に気付いたのか、束はラウラの名を呼んで自分の方へと視線を向けさせる。はい! と勢いよく返事をして束へと視線を向けた。

 

 

「なんか鬱陶しいからその堅苦しい態度、止めてね」

「え、い、いや、しかし……」

「今日から私が君達の飼い主だよ。飼い主の言うことは聞きな。躾けるよ」

「了解……、いえ、わ、わかりました」

「ん。まぁ、それぐらいなら許すかな。媚び諂われるのって嫌いなんだよね。束さん」

 

 

 行くよ、と手を引かれながらラウラはただ戸惑うように連れられていく。

 既に自分を見ていないこの傲慢な天才は何を考えているのだろうか。ラウラは考えようとして、止めた。きっと自分などでは理解する事も難しいだろう、と。天才とはそういうものなのだろうと。

 ふと、ラウラは束の逆の手で引かれているクロエに視線を向ける。再び瞳を閉ざしながら歩いている彼女はラウラが視線を向けている気配に気付いたのか、ラウラに顔を向けて微笑んだ。

 自分とは違って既にこの状況に順応している事に驚き、尊敬の念を送りながらラウラは進む。きっと今まで違う生活が待っている。そんな予感を否応なしに感じながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「束、どういうつもりであの子達を拾ってきたの?」

 

 

 ラウラとクロエにスープを振る舞い、二人に涙を流されるというトラブルもあったが、暖かい布団を用意すれば二人は寄り添うように眠ってしまった。

 二人の様子を見届けて、ハルは傍らにいた束に問いかける。一体どういうつもりであの二人を連れてきたのか。予想はついているけれども束の口から確認したかった。

 

 

「利用出来そうだったから」

「わぁ、直球」

「ハルに隠したってすぐわかるでしょ」

「そうだねー。……僕に言うって事は少なくとも捨て駒扱いするつもりはないね?」

「やっぱりわかる?」

「でなきゃ君が人なんか連れてくる訳ない。僕みたいだから哀れんで助けた、なんて人情に溢れてる奴じゃないでしょ、束は」

 

 

 はぁ、と溜息を吐いてハルは頭を掻く。束がどういう意図で二人を拾ってきたかなんて明白だ。利用価値があったからに決まっている。でなければ束が人を拾ってくるだなんてあり得ない。

 この人嫌いはそういう人間だとハルは理解している。だからこそハルは少しだけ嬉しかった。どんな理由でも、束が二人を助けようとしてくれた事が。

 

 

「ラウラは元々軍人だったからISを与えれば即戦力で使えるでしょ。クロエはIS適正事態は高くないけど、まぁ色々と教え込めば助手として使えそうだしね」

「成る程。……ありがとう、束」

「? なんでお礼なんか言うの」

「理由はアレだし、きっと褒められた事じゃない。でも、君が僕以外の人との付き合いを考えてくれた。それが嬉しいんだ。それに僕みたいな奴が一人でも救われたなら、本当に良かったって思うんだ」

 

 

 だからありがとう、と繰り返されたハルのお礼の言葉。束は笑みを浮かべて、どこか照れたように鼻の頭を掻く。そのまま甘えるようにハルに抱きついて頬を寄せる。

 

 

「ハルに褒められるなら人助けも悪くないかもねぇ。面倒なのはごめんだけど」

「束らしいや」

 

 

 束の頭を撫でながらハルは笑う。少しずつ変化していく事を感じて、共に歩んでいる事実を実感しながら。

 これからも人生は続いていく。まだまだ道は長い。そんな道の途中の小さな変化。それがどうしようもなく、ハルには嬉しかった。



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Episode:12

 晴天の空。風によって白い雲が流されていく。雲の下には海が広がっている。

 見るからに穏やかな海景色。だが、その平穏は壊される事となる。下から雲を突き破るように飛翔する影が2つ。

 片方は雛菊を纏ったハルだ。桜色のコントラストが鮮やかな白の翼を羽ばたかせて飛翔する。ハルを追って飛翔するのはラウラだ。ラウラの身にはまるで黒い騎士のような装甲を持つISが装着されていた。異色の双眸をハルへと向け、ラウラが吠える。

 

 

「行くぞ! ハル!!」

「いつでもどうぞ! ラウラ!!」

 

 

 ラウラの手に持つ2丁のライフルが火を噴く。放たれたのはレーザー。ハルを狙うレーザーはハルの身を穿たんと迫るも、ハルはレーザーを悉く回避していく。そのままラウラから距離を取ろうと飛翔する。

 ラウラもハルを追い、レーザーライフルを連射する。ハルは一切の反撃を行わず、ただ自由に空を舞う。忌々しい、と言わんばかりにラウラは舌打ちをする。だが、どこか楽しげに笑みを浮かべた。

 

 

「なかなか捉えさせてくれないか! だからこそ面白い!!」

「そう簡単に当てさせないよ! 今度はこっちの番!!」

 

 

 ハルは身を回転させるように飛翔の軌道を変える。ラウラのレーザーから逃れながらハルはラウラの背後を取った。ラウラは突然のハルの方向転換について行けず、背後を取られる事となる。

 すぐさまラウラは対応せんと振り返り、二丁のレーザーライフルの引き金を引いて弾幕を張る。ハルはラウラの放つ弾幕の雨を潜り抜けながらラウラとの距離を詰めていく。

 

 

「機動力では勝てないか! ならば迎え撃つ!」

「させると思う!? 雛菊!!」

『加速する』

 

 

 雛菊のサポートを得て、ハルは拳を握る。ウィングユニットの展開装甲を全開にし、溢れ出した光が光量を増す。

 溢れ出した光はウィングユニットに吸い込まれるように消え、爆発したように発光。ハルは弾き出された砲弾のようにラウラへと迫る。

 

 

「瞬時加速<イグニッション・ブースト>!!」

 

 

 ハルの急加速にラウラが正体見破ったり、と叫ぶ。だが加速の原理が割れた所でハルは気にせず突撃する。ラウラの反応よりもこちらの到達が速い。

 ハルの拳、正確には手甲の装甲が開いて光が溢れ出す。放出された光は刃となって固定化される。

 ラウラを目掛けてて突き出されたハルの拳はラウラのISの装甲に触れ、削らんと迫る。これを巧みにラウラは身を捻る事で被害を最小限に抑える。

 それでも激突の衝撃で弾き飛ばれる。態勢を立て直し、苦し紛れのレーザーを放つもハルには当たらない。

 

 

「相変わらずデタラメな加速を!」

「反応出来るラウラも大概だけどね」

「次は近づけさせんぞ!」

「近づかないと勝てないんだから、詰めさせてよねッ!!」

 

 

 再びハルが反転し、ラウラに迫ろうとする。ラウラは手に持っていた2丁のレーザーライフルを量子化して保存領域に格納する。空いた両手を胸で交差させて両肩の装甲を叩く。すると肩の装甲の一部が分離し、ラウラの手甲部分に接続される。

 それは円盤。ラウラの両手の上で激しく回転をし、火花を上げながら勢いを増していく。円盤を構え、ラウラは真っ向からハルを迎え撃つ。

 

 

「せりゃぁっ!!」

「ッ!」

 

 

 迫ってきたハルを叩き落とす勢いで振り抜かれた手刀。ラウラに向かって突撃していたハルは身をよじるようにして躱し、ラウラの横を擦り抜けるようにして通り過ぎていく。

 ラウラはすぐさまハルが通り過ぎた方へと機体を反転。その勢いで片手を振り抜くとラウラの手甲に装着された円盤が解き放たれ、ハルに向かって飛翔していく。

 ハルは脚部の装甲を展開し、先ほどの手甲と同じ要領で光を固定化。即席のエネルギーシールドに変化させる。そのまま空中でサマーソルトを決めるように回転し、円盤を蹴り上げる。

 円盤はラウラの手甲の接続部分からワイヤーが伸びていて、巻き上げられるようにラウラの腕の元へと戻る。円盤を巻き戻している間も、円盤の迎撃の為に足を止めたハルに接近する。

 

 

「当たれッ!」

「当たるか!」

 

 

 円盤の回転を叩き付けるように拳を振るうも、ハルは翼を羽ばたかせ身を捻って避ける。ラウラを軸にハルは回転し、そのままラウラの背を蹴り抜いて加速。ラウラから距離を取る。

 ラウラが空中で前転し、両手の円盤をハルに向けて放つも空振り。再びワイヤーを巻き上げて円盤はラウラの両手に収まる。ラウラは円盤を肩部分の装甲に再装着させ、両手をハルに向ける。

 

 

「逃さんッ!!」

 

 

 ラウラの異色の双眸の片眼、金色の瞳が輝きを増す。ラウラの視界が切り替わり、ハルをターゲットとしてロック。量子化していた武器を呼び出し、握りしめたのは先ほどのレーザーライフル。

 ラウラの視界にハルを中心として、無数のハルの姿が浮かび上がる。浮かび上がったハルに1、2、3、と優先順位を付けるように数字と色つけが施され、ラウラは迷い無くレーザーライフルの引き金を引いた。

 ラウラが放ったレーザーにハルは回避行動を取ろうとするも、ぎこちなく翼を羽ばたかせて逃げまどう事となる。ラウラの砲撃が“ハルの回避先”を穿っていったからだ。

 

 

「ヴォーダン・オージェか!」

「行動予測支援システム“森羅万象”、起動……! 今日こそ全て捉えてみせる!」

「ならその予測の全てを僕は超える! 雛菊! 全展開装甲を全開に!! 最大戦速で振り切る!!」

『了解。振り切る』

 

 

 ハルの全身の装甲が開き、光が溢れ出す。装甲の全てから光を放出したハルは残光の軌跡を描いて飛翔する。ラウラもまた滞空し、ハルを追うようにレーザーライフルの引き金を引く。

 ラウラの視界の端にはカウントが存在し、1秒経つ事にカウントが減っていく。そしてそのカウントがゼロになった瞬間、視界が通常のものへと変わり、“システム停止”のメッセージが表示される。

 

 

「くそっ、捉えられなかったか!」

 

 

 ラウラが身につけた行動予測を視覚化出来る“森羅万象”の優位性は高い。だが、それはラウラの瞳に仕込まれた疑似ハイパーセンサーであるヴォーダン・オージェを使用したシステム。このシステムはラウラの身体に負担を強いるものだ。

 現にラウラは頭痛に苛まれている。行動予測を行う為に集積した情報がラウラの脳に過負荷を与えたのだ。だがこれでもマシになったとラウラは実感している。間違いなくこの“森羅万象”のシステムを組み上げた“彼女”は天才なのだと。

 

 

「くぁ……! コレ以上は無理ッ……!」

『加速停止。ハル、大丈夫?』

「大丈夫……!」

 

 

 一方でハルも苦しんでいた。全展開装甲を解放しての加速は歴代のISを紐解いてもトップクラスの加速だ。だがこの加速はISのPICでも殺しきれぬGがハルに襲いかかるというリスクを背負っている。

 気が遠くなるような圧迫感の中、加速を終えたハルは目を充血させながら息を吐き出す。やや酸欠気味の脳が痛む。しかし戦いは終わっておらず、ハルはラウラへと視線を向け直した。

 

 

「まだ、ここからぁ!」

「こちらもやれるぞ! 落ちて貰うぞ! ハルゥゥゥッ!!」

「上等! やってみろ、ラウラァァアッ!!」

 

 

 互いに負けじと声を上げる。再び円盤を両手に装備し、回転音を上げながら迫るラウラと、展開装甲を開き、光を手甲に纏わせたハルが互いに叫びながら激突した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「相変わらずですね。あの二人は」

 

 

 呟きを零したのはクロエだ。普段は閉じられている異質な瞳は開かれ、僅かに発光している。クロエの両手は空中に浮かぶ2つの球体に添えられている。クロエは宙に浮かんでいて、クロエを囲むように無数の空中ディスプレイが表示されている。

 クロエが手を滑らせるように球体に触れる。表示されたウィンドウは目まぐるしく情報を処理していく。多角度から録画されたハルとラウラの戦闘映像。ハルのISとラウラのISのステータスチェック。ありとあらゆる情報がクロエの下に集められ、処理されていく。

 

 

「うんうん。良いんじゃないかな? クーちゃんも使いこなして来たんじゃない?」

 

 

 そんなクロエの後ろに束がいた。クロエが情報を処理している様を眺めていた束は腕を組んでうんうん、と頷いている。それはまるで娘が成長する様を喜ぶ母親のようにも見える。

 束からかけられた声に無表情だったクロエは僅かに口角を上げて笑みを浮かべた。僅かな変化だけれども、クロエにとってこれが最上級の笑みに該当する事を束は知っている。

 

 

「全てはラウラのお陰です。私が扱えなかった瞳をラウラが使い道を示してくれました。そして、その瞳を活かす道を授けてくれたのは束様です」

「うんうん。まるで全てを見通す全知全能の瞳。本当の意味での“ヴォーダン・オージェ”。いやー、束さんは助かるよ。これだけの情報を一気に集める事が出来て、更に整理までしてくれるんだから」

「恐縮です」

 

 

 クロエの瞳はラウラと同じヴォーダン・オージェだ。しかしクロエは移植実験の試験体であり、ラウラよりも重傷な不適合を発症してしまった。その過程で両目は金色に染まった。その後はヴォーダン・オージェの耐久運用の限界を調べる実験を施され、眼球は黒く染め上げられた。

 その時の苦痛をクロエは覚えている。目に激痛が走り、知りたくもない情報が脳に焼き付けていく感覚。自分を実験動物として扱う研究者達の無機質なやり取りが耳にこびり付いて離れない。思い出したくない、と言うようにクロエは首を振って過去を追い出す。

 しかし制御不能の瞳は活路を見出した。それもラウラがいてくれたお陰である。ラウラもクロエと同じく瞳を制御が出来ていなかった。これを束がISを使って矯正を施したのだ。

 そしてラウラが身につけた能力の1つが行動予測支援システム“森羅万象”。ヴォーダン・オージェからもたらされる膨大な情報による行動予測。これにより対象の次の行動の可能性を視覚化して捉える。これが“森羅万象”の仕組みだ。

 このラウラの為に構築されたシステムのアルゴリズムの解析がクロエの瞳に新たな可能性を見出したのだ。

 それが情報統制能力。ISの補助を受けてありとあらゆる情報を集め、自分の支配下へと置いていく。束が直々に教えたプログラミング技術とハッキング能力を用いて情報を統制させれば束すら舌を巻く程の性能を発揮して見せたのだ。

 

 

「ISの調子はどう?」

「“天照”は稼働は問題なく。……しかし束様、やはりこの格好はどうにかならないのですか?」

 

 

 “天照”。それがクロエに与えられたISの名前だ。生体同期型ISを基本として、束が開発したクロエ専用のIS。このISはパワード・スーツとしての機能を最低限に留め、代わりに情報統制に特化した仕様となっている。

 それは良い。束が作り上げてくれた天照はクロエにとって唯一無二の宝物となっている。それは良いのだが、とクロエは溜息を吐き出した。

 クロエは自らに身に纏っている衣装に目を落とした。彼女が纏っているのは巫女装束なのだ。クロエが束に渡されたISを展開すると必ずこの服に着替えさせられるのだが、妙に気恥ずかしさをクロエは感じていた。

 更には束の趣味が丸出しのぴこぴこと動く狐耳型のセンサー。何か情報を察知する度、自分の意思とは別にぴこぴこと頭の上で動くセンサーには羞恥心が掻き立てられる。だからこその訴えだったのだが、案の定、束は不満げに声を漏らす。

 

 

「えー。可愛いのに不満なの? 束さんお手製の巫女服」

「一見衣服ですが、防御性能が高いのは認めたくない程に事実です。ですが……余りにも恥ずかしいです」

「いいじゃん。クーちゃんのISはごてごての装甲を纏う必要がないんだし」

「ですが……」

「良い? クーちゃん。かわいいは正義。良いね?」

「あ、ハイ」

 

 

 これは説得出来ないな、と何度目かの挑戦の失敗にクロエは少し項垂れた。クロエの動きに合わせて狐耳センサーがしゅん、と下がったを束は満足そうに見つめている。

 

 

「さて、そろそろ引き上げて来てってハルとラウラに伝えてくれる? クーちゃん」

「わかりました」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ハルとラウラの戦いは高機動下による殴り合いに発展していた。ヒットアンドウェイでラウラに猛攻を浴びせるハルと、ハルからの一撃を耐え凌ぎながら重たいカウンターを叩き込むラウラ。

 だが二人の戦いは決着が付く前に終わる。二人の動きを止めるように黒い影が割って入る。二人の周囲には気が付けば三機の黒いビットが浮遊していた。それは二人の戦闘記録を録画していたクロエのIS、天照に装備された独立兵装“八咫烏”だ。

 

 

『二人とも、本日の模擬戦はここまでです。帰還してください』

 

 

 二人に繋がれたプライベートチャンネルからクロエの声が聞こえる。クロエの言葉にハルは気を抜いたように息を零し、ラウラは納得がいかないように眉を寄せた。

 

 

「姉上! しかしまだ決着が!」

『束様の命令です。ラウラ』

「……わかりました」

『ハルも。よろしいですね?』

「了解。すぐに戻るよ」

 

 

 決着をつけたかったラウラだが、クロエに告げられた束の命令という言葉に気落ちをしたように頷いた。

 二人の返答を確認したクロエは通信を切り、二人よりも一足先に三機の八咫烏が飛翔してく。名残惜しげに飛び去る八咫烏を見つめるラウラにハルは苦笑する。

 

 

「ラウラ、束が言うなら仕様がないって。また躾けられるよ?」

「うっ!? わ、わかっている……」

 

 

 怯えるようにラウラは自らの身を抱いた。“束の躾”はラウラの中でトラウマを呼び覚ます言葉なのだ。

 ラウラとクロエが束に拾われてから早数ヶ月の時が経過した。その間にハル達の関係も深まり、それぞれの立ち位置というものも生まれた。

 束からラウラへの対応なのだが、束はラウラを嫌っている訳ではないし、無視をしている訳ではない。だが、その扱いはぞんざいだ。

 束曰く、ラウラは“可愛くない忠犬”なのだそうだ。甘やかしては立派な犬にはならないと日々、教育を頑張っているそうだ。

 ちなみにクロエは“可愛い愛娘”らしい。一体どこで差が付いたんだ、とハルもこれには苦笑するしかない。ただ扱いの差にはラウラは別に気にしていないようなのでハルは何も言うつもりは無いのだが。

 

 

「さ、帰ろう。またやろう。ラウラと模擬戦するのは楽しいから好きだよ」

「うむ、私もだ。早く束様に与えられた“黒兎”を使いこなしたいしな」

 

 

 ラウラは自らの愛機となったISを撫でるように触れて呟く。“黒兎”と名付けられたISを贈られた時のラウラの喜びようは凄かった。

 同時に、過去にラウラが軍に所属していた時の部隊の名前が“シュヴァルツ・ハーゼ”、通称“黒ウサギ隊”とも呼ばれていた事からか、過去を思い出して泣いたりもしていた。今ではもう振り切ったと、ラウラ自身も言っており、本人は気にしていないとの事。

 そしてハルとラウラは二人で並びながら束のラボに戻る為に降下していった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ラウラ。お茶煎れてきて」

「は、只今」

 

 

 ラボに戻ってきたハルとラウラを出迎えたのは束だ。束はラウラが戻ってくるなり、ラウラにお茶を要求する。ラウラもすぐに返事をしてキッチンに向かっていく。

 すっかりと束の命令に従順になったラウラの姿にハルは苦笑が止められない。ラウラがキッチンに向かったのを確認して、束はハルを抱きしめる。

 

 

「おかえり。楽しかった?」

「ただいま。楽しかったよ」

「こっちも良いデータが取れたよ。ラウラも成果が出てきたしね。感心感心」

 

 

 ハルと手を繋ぎながら、束は上機嫌でリビングに戻る。リビングにはクロエがいてハルを出迎えた。

 

 

「ハル。お帰りなさい」

「ただいま、クロエ。疲れてない?」

「はい。私の訓練にもなりますからご心配なさらずに」

 

 

 ほとんど無表情に見えるクロエだが、ほんの僅かに口の端が上がっていて微笑んでいるのだとわかる。実はクロエの感情表現なのだが、普段は目を閉じているので眉の位置などで感情が読みやすい。これは束ラボに住まう本人以外の共通認識だったりする。

 なので自分の考えが読まれやすい事を気にしてクロエがポーカーフェイスの練習をしているのは本人だけの秘密だ。周りからすれば、え? と言われること間違いなしの努力なのだが、彼女としてはちょっとした悩みなのだ。

 リビングでの席順だが、ハルと束が並んで座り、束の対面にはクロエが座っている。そしてまだお茶の用意をしているラウラがハルの前に座る。これが定位置である。

 

 

「お茶が用意出来ました」

 

 

 ラウラが用意したのは紅茶だった。ラウラがテーブルの上に四人分のお茶を振る舞う。しかしラウラはまだ席に座らない。まず束がお茶を手に取り、一口。

 ここでハルとクロエが息を呑む。どこか緊張が走る中、一口お茶を啜った束に注目が集まる。暫し無言だった束はゆっくりとお茶を置く。

 

 

「合格。座ってよし」

「ありがとうございます」

 

 

 胸に手を当てて一礼をし、ラウラは席に着いた。ラウラにお茶を煎れさせるようになってから、いつもの光景だった。最初の頃はラウラもおいしく煎れる事が出来ずに何度もやり直しをさせられていたのだが、今では一発でOKが通るようになっていた。

 ラウラが煎れた紅茶は実際においしい。いつの間にかお茶どころか、料理までラウラに負けていたハルは密かなショックを受けた。今では互いに研鑽し合う良きライバルである。

 

 

「ハルの展開装甲の武装使用の効率も上がってきましたね」

「うん。大分安定するようになってきたよ。これもラウラとの訓練のお陰かな」

「ラウラとの戦闘訓練を行うようになってからエネルギーの変換効率も格段に上がっています」

 

 

 皆がお茶を楽しみながら話題とするのは今日の模擬戦についてだ。クロエがデータを管理するようになってから、訓練後の稼働値のチェックや報告はクロエの仕事となっている。クロエに表示して貰ったデータをハルとラウラは確認しながら反省を行う。

 

 

「今のところ、ラウラの“森羅万象”に対抗するには展開装甲全開のフルブーストぐらいしか手がないけど、まだ制御しきれないんだよねぇ。攻勢に移れないし」

「しかしこちらも“森羅万象”に頼らずだとハルの機動について行けない。“森羅万象”にはタイムリミットがあるし、多用は出来ない。私ももっと磨かなければな」

「結構重たいの何発も貰っちゃったからなぁ。まだまだ訓練不足だよ」

「いや、ハルはやはり接近戦に分がある。雛菊の戦闘速度ではヘタに射撃武器を持つよりは、やはり織斑 千冬のように近接を極めるべきだと私は思うぞ」

「なるほど。でも、それだと万能型のラウラに接近戦で勝てないってのはどうにかしなきゃいけないよなぁ」

「まだまだ私も負ける訳にはいかんさ」

 

 

 ISではライバルとして戦っているハルとラウラだが、生身ではラウラがハルにコーチをしているというのが現状だ。元々軍人であるラウラから教えを受ける事はハルにも有益になっていて、近接格闘での活躍も目を見張るような成果を出している。

 武装の話となるとクロエも話に混じって、実際のデータを表示しながら三人で検証をし合う。そんな光景を束は微笑ましそうに見守る。

 そして束はラウラが煎れたお茶で一息を吐き、皆の注目を集めるように手を叩いた。

 

 

「はいはーい。束さんから皆に提案」

「何? 束」

「ラボが狭いって感じない?」

「……それは確かに」

 

 

 元々束が一人で使っていたラボだ。ハル、ラウラ、クロエを迎えた事によって、その狭さが際立っていた。これは皆が少なからず思っていた不満だ。

 一番困っているのはハルだ。束はもう半ば仕様がないとしても、ラウラとクロエという女の子が増えた事によってハルは私生活でかなり気を使っている。

 クロエは何とか人並みの羞恥心を身につけてくれたのだが、ラウラは疎いのかハルはよくドギマギさせられている。それを見つけた束が自分は気を付けない癖にラウラを躾けようとするのもまた日常茶飯事である。

 

 

「なので束さんは考えたのです。新しいラボを作ろう、って」

「新しいラボを?」

「そう。だからさー、ちょっと手頃な会社を脅していっそ私達の新しい家になるラボ、うぅん……」

 

 

 束は得意げに指を振り、満面の笑みを浮かべて言った。

 

 

「私達の為の“船”を作ろう!」

「船って……」

「海に浮かべる?」

「のんのん。私が作るのは“宇宙船”だよ!!」

 

 

 勢いよく机を叩いて束は宣言する。束の宣言を聞いていた三人は一瞬動きを止めて、一息を吐いてからゆっくりとお茶を啜った。

 思わぬ程、静かな反応に束はあれ? と首を傾げた。しゅん、と頭の上についているウサギの耳飾りが項垂れてしまう。

 

 

「あ、あれ? もっと束さんは驚いたような反応を期待してたんだけどなぁ?」

「ッ!? わ、わぁっ! す、すごいなぁー! 宇宙船かぁー!」

「ラウラ、後で躾ね」

「何故!?」

 

 

 わざとらしいぐらいに驚いて見せるラウラに束は冷ややかに死刑宣告を告げる。

 何故だ、と呟きながらラウラが真っ青に顔を青ざめさせて突っ伏す。ハルとクロエは溜息を吐いて首を左右に振る。

 

 

「なんか驚きすぎて言葉が出ないというか」

「束様らしすぎます」

「えー、なんだよー、つまんないなー」

 

 

 ハルとクロエの反応にぶーぶー、と文句を言いながら束は唇を尖らせる。束に言われても、驚きすぎてそれ以上の言葉が無いのも事実なのだ。

 

 

「まぁ、正確に言うとそのテストモデルだけどね。だから宇宙には行かないよ」

「テストモデル?」

 

 

 束はハルの問いかけに待ってました、と言わんばかりにはしゃぐ。

 束がコンソールを操作して表示したのは“船”の設計図だった。各所に様々なメモ書きが添えられている設計図が表示される。設計図を目にしたハル達は思わず目を見開かせ、口元を引き攣らせた。

 

 

「こ、これは流石に規模が大きすぎない?」

「研究施設に食糧生産の為のプラント……?」

「各個人の私室に運動用の施設……? こ、こんな規模の物をどうやって運用されるおつもりですか?」

 

 

 明らかに個人で運用出来るレベルのものではない。そんな皆の感想も予測済み、と言うように束は不気味な笑いを零し、肩を揺らす。

 

 

「確かにこのままだったら施設の維持とか運用とかに問題とか出来ちゃうよねー? その為に束さんは開発したのです! こんな事もあろうかと! そう、こんな事もあろうかと! カモン、ゴーレムくん!!」

 

 

 皆の驚きがよほど琴線に触れたのだろう。再びテンションをハイにしながら束は席を立って、手を高々と挙げて指を鳴らした。

 すると束の手に収まっていた何かが光を放ち、リビングに似つかわしくない無骨な存在が姿を現した。それは三人にとっても慣れ親しんだIS。しかしまったく違う異質なものを感じて目を見張る。

 

 

「これが! 私の開発していた無人IS、ゴーレムくんです! はい拍手ー!」

「わー……って、無人機ですか!?」

「そう! 元々は宇宙に飛び出した時の斥候とか探索用で考案してたんだけどねー。他にも色々とタイプがあって、船の管理はゴーレムくん達に一任させるつもりなんだよ」

「わぁ、束だから出来る荒業だ。頭が痛い」

 

 

 世界にとって限りあるISを人員が足りないからISで賄おう、だなんて考えるのは束ぐらいのものだろう。ハルは痛む頭を抑えるように手を添えた。

 へへ、とどこか嬉しそうに笑いながら束は両手を後ろに組む。

 

 

「こんなに早く実現出来ると思ってなかったから、張り切っちゃった」

「張り切っちゃった、って……」

「もっと何十年もかかるかな、って思ってたんだよ。でもね、ハル、貴方が来てくれたから、ISのコアと直接対話する方法を得た。そしてクーちゃんと出逢わせてくれた」

「私、ですか?」

 

 

 名前が出ると思っていなかったのだろう、クロエは驚いたように自分を指さしている。

 束は頷く。クロエの傍に歩み寄り、クロエの頭を撫でながら束は告げた。

 

 

「君が私の船のオペレーターになるんだよ、クーちゃん」

「……私が?」

「天照はその為にも情報統制に特化して貰ったんだ。私の夢の船の舵取りは……クロエ、貴方に預けるの」

 

 

 信じられない、という表情を貼り付けながらクロエは呆ける。ハルは驚きながらも納得していた。思い出してみればクロエのISである天照は情報統制に特化をしつつも、独立兵装である“八咫烏”を搭載しており、情報収集だけでなく後方支援を行う事が出来るようになっていた。

 いずれは“八咫烏”だけでなく、“船”を操る者として。束は全てを見越してクロエに天照というISを与えたのだとハルは気付く。

 

 

「そしてラウラ。貴方の役割はもっと重い。貴方に預けた“黒兎”は私の名代だ。その意味がわかるね?」

「束様の夢を守り抜く事。ハルを、そして姉上を守り抜く事ですね?」

「わかってるじゃないか。良い? お前は簡単に死ぬ事も許さない、二人を守り続けろ。本当だったら傷1つでもつけさせたくないけど。流石に無理だってわかってるから傷ぐらいは許してあげる。でも絶対に死なせるな。その為に与えた力だよ。だから無様な真似は許さないよ?」

 

 

 冷酷なまでに束はラウラに要求する。表に出られぬ以上、直接自分の夢を守る事が出来ない自分の代わりになる為に与えた力だと。

 ラウラは束の言葉を受け、噛みしめるように深く瞳を閉じて頭を平伏させた。とても重い役割だ。束に尤も愛されず、報われない。だが束がもっとも期待をかける位置なのだと、ラウラは武者震いした。

 

 

「必ず守り抜いてみせます。私の存在を賭けてでも」

「……その為にはさっさと“黒兎”を使いこなす事だね。今のラウラじゃ果たす事は出来ないよ」

「精進いたします!」

 

 

 ラウラは顔を上げ、決意に満ちた表情で返答した。束はふん、と鼻を鳴らしながらラウラに向けていた視線を明後日の方向へと向けた。明らかな照れ隠しの様子にハルは目を瞬きさせた。

 不思議だ。ハルは交わされた会話を見ながら思っていた。まさかあの束が、と言う思いが浮かんでくる。そんなハルに対して束はゆっくりと息を吐き出して告げる。

 

 

「ハルが言ってくれたから」

「え?」

「私の夢は無限の空に飛べる翼だって。人を守る事も出来る素晴らしい力だ、って。だから私なりに見せるよ。人に私の夢を。私なりに語るよ。私の夢を」

 

 

 すぅ、と。束は三人を前にして息を吸う。きゅぅ、と服の裾を握りしめた手を震わせながら束は言う。

 

 

 

「――皆で一緒に私の夢に乗って?」

 

 

 

 一緒に来て欲しい、と願うから。

 一緒に見て欲しい、と願うから。

 一緒に叶えて欲しい、と望むから。

 一緒に行って欲しい、と望むから。

 夢はここにあるから。どこまでも飛べる翼を証明した彼女は夢を語る。

 皆で一緒に、束が作り上げた翼で夢を追いかけて欲しいと束は望みを言う。

 今まで受け入れられなかった願いを。どうか受け入れて欲しいと願うように。

 そして、束の問いかけに応える声は三つ。

 

 

「束様の命ならばどこまでも共に。私に意味を与えてくれた。それだけでなく夢まで与えてくれるならば、この命運尽き果てるまで御側に」

 

 

 ラウラが胸に手を当て瞳を閉じる。誓いを立てる騎士のように。

 

 

「ラウラと同じです。こんな大きな夢を頂いた。預けてくれた。拾って頂いただけでもありがたいのに。だから私は束様と夢が見たいです」

 

 

 クロエが両手の前で手を握り合わせて微笑む。神託を受けた巫女のように。

 

 

「約束じゃないか」

「うん」

「ずっと、どこまでも一緒だよ。乗ってくださいなんて今更じゃないか」

 

 

 そして束の傍には常にハルがいる。ハルが席を立ち、束の両手を手に取って微笑みかける。

 うん、うん、と。束は何度も頷く。確かめるように、噛みしめるように何度も何度も。

 顔を上げた束は満面の笑みを浮かべていた。迷いはない。真っ直ぐに前を見つめながら束は言う。

 

 

 

 

 

「必ず皆で行こう! 無限の空へ!」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 生まれた鳥は飛べない。生まれたばかりではまだ弱く、羽ばたく力が無いから。

 しかし鳥は知っている。自分には空を舞い、飛ぶ力がある事を。

 それは鳥が羽ばたくように自然な事。無限の空を知っていたように夢の翼は広がる。

 未だ空は遠く果てしないけれど、いつか必ず羽ばたける事を証明するのだと。

 雛鳥は謳う。夢を謳う。いつかその時が来るまで。抱く夢を愛するように想いながら。 



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第2章 飛翔する夢
Interlude “無限なる疾風” 前編


「――以上となります。如何でしょうか?」

 

 

 問いを投げた声はクロエのものだ。淡々と説明を終えたクロエに相対する男は息を詰まらせた。彼等がいる場所は高層ビルのオフィス。高級感が溢れる執務机。その上で組まれた男の手に汗が滲む。

 男は交渉に臨んでいた。それも一世一代の大勝負。ここでしくじれば自分の人生はおろか、彼が抱える企業は真っ暗闇に転落するだろう。故に、緊張に息を呑んだ。決して動揺を悟られてはいけないとポーカーフェイスを決め込む。

 

 

「君達の要求は理解した。だが……」

「だが? ねぇ、ちょっと勘違いしてないかな?」

 

 

 遮るように冷ややかな言葉が割って入る。男の緊張感が最大限に引き上げられる。遂に動いたか、と男は唾を飲み込む。会話を遮ったのは、相変わらず独特な服装に身を包んだ束だった。今にも射殺さんばかりに男を睨み付けながら束は腕を組んだ。

 そんな束を宥めるように前に出たのはハルだった。長く伸ばした髪を三つ編みで1つに纏め、サングラスで顔を隠している。ハルは束の名を呼んで下がらせる。ハルに言われれば渋々と言わんばかりに束は下がった。

 場の空気を整える為にわざとらしい咳払いをして、口元にだけ笑みを浮かべるハルに男は身を強張らせる。明らかに空々しいとわかる笑みだったからだ。

 

 

「失礼。これは交渉であって交渉じゃありません。貴方は私達の要求にYESと返答なさるだけでよろしいのです。それ以上もなく、それ以下も無い。ご理解いただけますでしょうか?」

「横暴な……!」

「えぇ横暴ですとも。ですが我等の提案にはそれだけの価値がある。それは理解していただける筈ですが?」

「私に、我が社に従属せよと言うのか……!」

「ほんの一瞬。そう、まるで瞬きの瞬間ですよ。たったそれだけの瞬間を受け入れるだけで貴方は成果を得る事が出来る。何も語らず、何も欲さず、ただ受け入れれば良い」

「くっ……!」

「確かに損失はありましょう。ですがそれでも有り余る価値を私は提示しているつもりです。これでも納得して頂けないという事であれば……別に私達としては貴方が交渉の相手でなくても良いのですよ?」

「ッ……ま、待ってくれ!」

 

 

 サングラスを指で押し上げながらハルは告げる。男は慌てて腰を上げた。ここで交渉を切られるのは不味い、と。この魚は逃してはならない。ならばどうするべきか。

 男の脳内には既に答えは出ている。欲を出せば失われてしまうチャンスだ。だが、これだけ旨みがある話を一度で逃したくない、と思うのもまた真理だろう。だが悲しきかな、彼にはハル達を食いつかせる程の餌を持ち得なかった。

 男に反応して背後に控えていたラウラが動こうとするも、ハルは片手で制して、僅かに口角を上げて笑みを浮かべる。そしてハルはトドメを刺すように優しげな声で囁いた。

 

 

「そちらにとっても悪い話ではないと思いますが? デュノア社長? お互いにより良い取引を致しませんか?」

 

 

 

 * * * 

 

 

 

「いやー、快くデュノア社長は交渉を飲んでくれたね」

「ハル、お前は“快く”の意味を辞書で見直してこい。あれはどう見たって苦渋の末だろう」

「クーちゃん、説明お疲れ様ー。疲れなかった?」

「楽しかったですよ。こちらに要求が出来ないか穴を探す様を見るのは」

 

 

 ハルは肩を回しながら身体を解す。そんなハルにラウラは呆れたように冷ややかな視線を送る。その傍らではクロエの頭を撫でてにこやかに笑う束の姿がある。

 ハル達は現在フランスにいた。彼等がフランスにやってきた理由は、束の夢の翼の雛形である“船”を造船する為だ。その交渉相手がフランスにいたから、彼等は小旅行の気分でフランスを訪れていた。

 束の持つ知識で尤も交渉の優位に立てるのはISの技術だ。ならば交渉先もISに関わる者が相応しい。災難か、それとも幸運か、束が目につけたのはデュノア社であった。

 デュノア社は第2世代型ISの量産機“ラファール・リヴァイヴ”を世に送り出した事で有名だ。第2世代の量産機の中で安定した性能と高い汎用性、豊富な後付武装が人気の機体である。

 だがデュノア社は設立当初から技術・情報力不足に悩まされており、続く第3世代のISを開発する事が出来ていない。数々の国が第3世代の発表する中、出遅れているデュノア社は何としても状況を打破したい。そこに束は目を付けたのだ。

 

 

「ISの第3世代の開発に協力する代わりに私達の船を造船して貰う。ISの開発協力はともかく船のデータまで渡しても良かったのですか?」

「問題ないさ。どうせ渡すって言っても廉価版だし、ISコアが限られている以上、2隻目なんて作れやしないしね」

 

 

 ラウラの問いにどこまでも自信満々に束は言い切った。きっと束の作り出した船はまた世界を騒がす事になるのだろうな、と見せられた完成図を思い出しながら三人は苦笑を浮かべた。

 無人ISを通じて制御し、本来は宇宙へ進出する事を想定した束の“船”。世界から見れば発狂してしまいそうな程の数のISコアを使用して運用される事となる。船のオペレーターとなる事が確定しているクロエは恐ろしいと身震いする。

 同時に興奮もしているが。今から船の完成が待ち遠しいのは、全員が共通の思いだ。少々、不満に思っていた生活環境も改善されるというのもありがたい限りだ。

 4人に用意された部屋は極上のスウィートルーム。明らかに金が掛かっているだろう装飾や柔らかいベッドには慣れない、と言う感想しか出てこない。逆に眠れる気がしない、とハルは思った。

 その時だ。来客を告げるインターホンが鳴ったのは。束の除く面々は顔を隠すようにサングラスをつける。束に首で行け、と示されたラウラが入り口へと向かう。ラウラは来客と話す為につけられた内線を操作し、来客の姿を映し出す。

 

 

「……女の子?」

 

 

 ラウラが見た映像では華奢な印象を受ける金髪の女の子が緊張した面持ちでそこに立っていた。ラウラは判断を仰ぐように束を見た。束は悩むように指で唇をなぞったが、すぐに答えを尋ねるようにハルへと視線を向ける。

 ハルは束の視線に気付いて、うん、と1つ頷いてラウラにお願いをする。

 

 

「とりあえず対応してみて?」

「わかった。……誰だ?」

『あ……は、はい! 私はシャルロット・デュノアと申します。今は本社でISのテストパイロットを務めさせていただいております。こちらが身分を証明するIDカードです。社長の命で皆様の下へ行けと言われましたので……』

 

 

 デュノア、というファミリーネームにラウラは一瞬眉を寄せた。娘がいたとは事前の調べでは確認出来なかったのだが、養女か何かなのだろうか、と。だが提示されているIDカードは確かにデュノア社の社員である事を示すものだ。

 ラウラは意見を求めるようにハルを見た。ハルは中に入れて良いよ、とラウラに伝える。ラウラは頷いて、鍵を外して扉を開けた。シャルロットと名乗った少女がハル達を見て、緊張に身を固めたまま勢いよく頭を下げた。

 

 

「は……初めまして! シャルロット・デュノアと申します!」

「とりあえずそこに立たれるとドアが閉められないから中に入って貰って良いかな?」

「……あ! し、失礼致しました!」

 

 

 慌てたように前に一歩踏み出して部屋に入ったシャルロットを迎え入れ、ラウラが扉を閉める。シャルロットがラウラの挙動の1つ1つに怯えているようで、泣きそうな表情を浮かべている。

 それも仕方ないか、とハルは苦笑する。ラウラが先ほどから警戒するように威圧感を振りまいているからだ。ただ警戒するに超した事はないので、そのまま対応させる事にした。事前に調べた情報でデュノア社長に子供がいたという事実は知らないからだ。

 確かにテストパイロット一人とISコアを寄越せば作ってやると束は言ったが、とハルは思考を回す。とりあえずは反応を見ようとハルは笑みを浮かべてシャルロットに歩み寄る。

 

 

「そんなかしこまらずに。お互い円滑な関係で話を進めましょう。社長もそれを見越して私共の下を訪ねさせたのでは?」

「え、あ、は、はい! 社長からは是非とも仲良くしろと。大事なお客様なので失礼が無いように、とも……」

「では、よろしくお願いします。決して長い付き合いになるとは言えませんし、こちらの要望で連れ回してしまいますが。あぁ、申し遅れました。私はハル、と名乗らせていただいております」

 

 

 ハルはシャルロットに手を差し出して握手を求める。シャルロットはハルの言葉に一瞬、緊張が高まったがゆっくりと力を抜いてハルの手に自らの手を添えた。

 

 

「……ありがとうございます。これからよろしくお願いします」

「敬語も良いですよ。私共はそういった形式はあまり気にしていないので」

「そ、そんな! 私なんかが……」

「私がそうして欲しいのです。必要以上に畏まられるのは望みません。特に私どもの中で好まない者もおりますのでね?」

 

 

 そうしてハルが目を向けたのは束だった。束はシャルロットには興味が無いのか、つまらなそうに腕を組んでそっぽを向いていた。まぁ、わかりきっていた反応だったので特に言うことはない、とハルはシャルロットに視線を戻す。

 シャルロットも束を見て、その反応から察したのか、再びハルへと視線を戻して口調を正そうとする。

 

 

「……わかりました。……えと、じゃあこれで良いかな?」

「結構ですよ。私も……いや、僕もデュノアさんって呼んでいいかな?」

「う、うん! 大丈夫です! ……あ!」

「緊張しなくて良いんですよ。ほら、息を吸ってー」

「え?」

「吸ってー」

「あ、……すぅ」

「吸って……」

「……ッ」

「吸って……」

「……ッ!」

「吐いてっ!」

「ぷはっ! ……はっ!? あ、遊ばないでよ?」

 

 

 ようやく緊張が解れたのか、シャルロットは顔を赤くして叫んだ。その様子にハルは満足げに頷いて笑みを浮かべる。

 

 

「それじゃあ詳しい話はラウラ、クロエ。説明してあげて。デュノアさんも出来れば二人に質問するように心がけてくれるかな?」

「え?」

 

 

 シャルロットがハルの言葉に戸惑ったように声を上げる。すると、ぬっ、とハルの背後から両手が伸びて、ハルの身体を抱きしめる。ハルを抱きしめた束は威嚇するようにシャルロットを睨んでいた。その気迫たるや正に猛獣のソレである。

 束の気迫にシャルロットは短い悲鳴を上げた。足が生まれたての子鹿のように震えだしてその場に尻餅をついてしまう。正に構図は威嚇する肉食獣と怯え竦む哀れな獲物だ。

 

 

「……こういう事。OK?」

 

 

 こくこく、と勢いよく首を上下に振るシャルロットはその日、本気で命の危機を感じたという。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……なんというか、最初から私が対応していれば良かったとも思わなくもないんだが、どういう危険があるかは理解して貰った方が良いと思ってな。私はラウラだ、よろしく頼む、シャルロット」

「私はクロエです」

「あ、どうも。ラウラにクロエ、だね。うん、予め教えておいてくれた方が助かるよ。その……二人はそういう?」

「察してくれ」

「そっか……」

 

 

 シャルロットはラウラの煎れたお茶でようやく平静を取り戻したようで、ほぅ、と安堵の息を吐いた。ちらり、と視線を移してみればベッドに座ってハルの髪をもみくちゃにしている束の姿が見えた。

 遊ばれるがままに髪をぐしゃぐしゃにされているハルは困っているようにも見えるが、それでも楽しげなのはやはりそういう関係だと見ているからなのかな、とシャルロットは思う。

 

 

「さて。本題に移ろう。シャルロット。……いや、その前に1つ確認したいのだが、私達の事前の調べではお前の情報は見当たらなかった。これについてお前の身の上を確認させて貰っても良いか? 疑う訳ではないが」

「あ、うん、そっか……。その、私は最近、お父さん……じゃなくて社長に引き取られて、その検査でISの適正が高かったからテストパイロットになったんだ。ちょっと事情があって秘匿されてたんだけど……その、調べた方法は詳しくは問わないけど、私がデータベースに登録されてない理由はそれ」

「なるほど。私達も色々と話せぬ事情があるから深くは問わないが、不躾な質問をしてすまないな」

「いや、そんな……」

 

 

 頭を下げるラウラにシャルロットは気にしないで欲しい、と言うように首を振った。シャルロットの反応にラウラは顔を上げて笑みを浮かべる。

 

 

「それではシャルロット。早速商談、まぁ本題に入らせて貰おう」

「う、うん。第3世代の開発協力をしてくれる、って事で聞いてるけど……私はどうすれば良いのかな?」

「それについては……姉上」

「はい。貴方のISの作成は私が担当させていただきます」

「え? 貴方が?」

 

 

 ここでようやく言葉を発したクロエを見てシャルロットは目を丸くする。シャルロットの表情には困惑の色が見える。困惑を察したのか、ラウラが事情を説明するように語り出す。

 

 

「あぁ。話が違う、とは思うかもしれないが、束様が直接手を貸すと思うかどうかはさっきの反応から察して欲しい」

「あぁ、うん……」

「だからといって手を抜く訳ではない。なにせ姉上は束様の助手を務めていらっしゃるからな」

「実際に作るのは初めてですが。けれど束様の名代として全力を尽くさせていただきます。よろしくお願いします、シャルロット」

「こちらこそ。よろしくお願いします」

 

 

 クロエが差し出した手をシャルロットは自らの手を重ねて握手を交わす。

 握手を終えたクロエは早速ですが、とコンソールと空中ディスプレイを表示する。

 

 

「実を言うと、楽しみにしていたので既に1つ、考えてきた設計図があります」

「え?」

「デュノア社が輩出したIS、ラファール・リヴァイブ。データ上ではありますが、拝見させていただきました。安定性と汎用性に優れた機体だと評価します。第2世代の後期に世に出された事もありますが、第2世代の集大成と呼んでも過言ではないでしょう」

「えっと……その、それがラファールの売りだからね」

 

 

 自社の製品であり、自分も乗っていた機体の事だ。クロエの評価には些か高評価だとは思いつつもシャルロットは頷く。

 

 

「ところでシャルロット。ISの第3世代の定義をご存じですか?」

「え? う、うん。搭乗者のイメージ・インターフェースを用いた特殊兵装の搭載を目標とした世代だよね」

「今から私達が開発しようとしているのはその第3世代です。さて、ではシャルロット。ラファール・リヴァイブから想像される第3世代のイメージは浮かびますか?」

「うーん……ラファールの特徴は汎用性が高い、って位しか。そこから第3世代に繋げろって言われても、ちょっと僕じゃ思いつかないかな?」

「はい。ラファールは万人受けする機体ではある事は事実ですが、逆にこれといった特性がありません。第3世代型のISはその性質から特徴的な機体が多く、一芸に特化した機体が多いです。戦いという物は流れを掴んだ者が勝ちます。一芸特化は自らの領域にさえ持ち込めれば強力なアドバンテージを得られる分、有利になります」

「えーと……クロエが何を言いたいのかわからなくなってきたんだけど」

 

 

 矢継ぎ早に紡がれるクロエの声は淡々として抑揚が少ない。ついついシャルロットは眠気を感じて、頬を抓って眠気を追い出す。

 これは失礼しました、とクロエはサングラスを指で押し上げながら謝罪した。

 

 

「特化型は汎用型に勝る、ここまでの私の話はそんな所でしょう。しかしですよ? シャルロット。ならば全てに特化する汎用型が出来れば良いとは思いませんか?」

「それは万能って言わない?」

「そうですね。そんなの作れる筈がないんですよ」

 

 

 ウチの束様ぐらいしか、とはクロエは言わない。無用な情報を流す必要もないだろう、と。

 

 

「だから全てに特化した汎用型です。これなら作れますし、勝てます」

「それが万能とどう違うの……?」

「言ったじゃないですか。その場で作れば良いんですよ。ISにはそれが出来るじゃないですか」

「……えーと、私には出来ないとしか思えないんだけど」

 

 

 シャルロットは首を振ってそう言った。元からある武装を使うのと、新たに武装を作って使うのとでは話が違い過ぎる。確かにクロエの言うことが出来るラファールがあればそれは正しく第3世代のラファールと言うべきだろう。

 だがそんなの机上の理論にしか聞こえない。だがシャルロットは知らない。クロエは既に机上の理論を体現した束から教えを受けた者だと言う事実を。

 

 

「シャルロット。ブロックで遊んだ事はありますか?」

「え? ブロック。それは、まぁ……」

「ブロックは面白いですよね。幾多のパーツを組み合わせて自分の思い描いたものを形にする」

「……まさか、その場での武装の組み上げをやれって言うの!?」

「武器なんて言ってしまえばパーツの塊です。拡張領域の拡大の技術、社の生存をかけ挑んだラファールの為に蓄積された知識と経験があれば……。ほら、形が見えてきたでしょう?」

 

 

 目を見開いて絶句するシャルロットにクロエは口角を上げる。指をちっちっ、と振る様は保護者から受け継いだ名残なのだろう。得意げに指を振り、シャルロットに指を向けながらクロエは告げる。

 

 

「誰よりも優れられないなら、優れるものを作ってくれば良い。足りないものは補えば良い。ラファールに特徴が無いのであれば特徴を生み出してしまえば良い。ラファール、フランス語で疾風を意味する言葉でしたね? 風はどこにでも存在し、その姿を幾重にも変えていくでしょう。ならば、ラファールもそうあれば良い。時に鎌鼬となり、時に竜巻となり、時に嵐となり、時には凪いで、再び吹き荒べばいい」

 

 

 笑みを浮かべるクロエは気付かないだろう。自信に満ち溢れるその姿は束と良く似ているという事を。

 

 

「貴方には無限に吹き荒ぶ風を届けましょう。何にも負けず、どこにでも届く貴方の為の風を。ISの母の助手として恥ずかしい真似は出来ません。さぁ、構想に詰めましょう。付いて来てくださいね? シャルロット」

 



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Interlude “無限なる疾風” 後編

 ハル達は現在、シャルロットを連れてデュノア社が買い上げた造船所へと訪れていた。束の催促に背を押されて、もとい脅されてデュノア社が手に入れた造船所。この購入には細心の注意が払われながら交渉が続いた。そして交渉先の造船会社に多額を突き付けて秘密裏に造船所はデュノア社の物となった。

 これも束からの要望であり、要求に応えたデュノア社の交渉担当は胃の痛い毎日を送った事だろう。資産を大きく削られた事で社長も痛い目を見たという話を聞いて、シャルロットは未だ和解が出来ぬ父に同情の念を覚えた。

 天才だけど同時に天災なんだなぁ、とシャルロットは思わず納得した。白騎士事件を始め、束のやる事は世界に大きく影響を及ぼす。本当に規格外な人なのだと、シャルロットは束への畏怖を深めた。同時にそんな束と付き合う事の出来るハルには尊敬の念を覚えているのだが。

 

 

「ところで船を造るんだよね?」

「ん? あぁ、そうだな」

「どうして造船所の人達だけじゃなくて……ウチのISの研究員を連れてきたの?」

 

 

 シャルロットは首を傾げながら疑問を口を零した。そう、現在この造船所には元々造船所に務めていた者達が何十名、そこに混じってデュノア社のISの研究員達の姿があるのだ。

 造船とIS研究員。まったく繋がらないこの符号に疑問を抱いてしまうのも仕方ないだろう。それによく見ればIS研究員達は今か今かと何かを待ち侘びているようだった。

 

 

「そうだな。お前には説明してなかったな。普通、造船をするのにISの研究員を連れてくるなんて訳がわからないよな? それが常識的な考えだ。わかる。よくわかるぞ、シャルロット」

 

 

 シャルロットの正面に立ち、シャルロットの両肩に手を置いてうんうんと頷いている。そんなラウラの挙動からは不安しか感じない。言い様もない嫌な予感を感じてシャルロットは背筋に冷や汗が流れるのを感じた。

 

 

「ゴーレムくん! 作業開始だよー! 行けー!」

 

 

 そして歓喜の悲鳴が響き渡った。束が号令を下して現れた姿にシャルロットは目を見開いた。そこに並んでいたのは無数のIS。ずんぐりとした体躯を持つISが一列に並ぶ姿に一体何事かと思うしかない。

 ゴーレムくん、と呼ばれたISは束の号令に合わせて行動を開始する。そんな様を見て自分の会社のIS研究員達が発狂せんばかりに興奮しているのを見て若干引いてしまうシャルロット。

 ISが世に発表されてからというもの、ISの研究者や技術者を志す女性は年々増えてきている。故にデュノア社の研究員達の中にも女性も多く存在している。そんな彼女たちがやかましい程に狂喜している様は恐ろしい限りだ。目が血走っている女性もいてシャルロットは身を震わせた。

 

 

「なに、あれ?」

「無人ISだ。通称“ゴーレム”。戦闘用から作業用、情報収集用と様々なタイプがある。あそこにいるのは作業用だな」

「無人機ぃ!? あぁ、だからウチの研究員があんなに狂喜してるんだ……」

 

 

 ただでさえISコアに限りがあり、そのコアを使い回しながら研究をしている研究者達からすれば何十体ものISが集まり、更には無人機と言うならば興奮しない方がおかしいだろう。

 最早見ていられない程にデータ取りに奔走している様には、造船所の職員である男性達も引き攣った表情を浮かべていた。それもそうだろう、中には見目麗しい女性も多い研究員達がギラギラとした目で無人ISを眺め、データ取りに勤しむ姿など見たくなかっただろう。

 

 

「第3世代の開発協力だけでなく、無人機のデータの公開。そして束様が作る“船”のデータの提供がこちらが交渉の際に提示したものだ」

「……あのさ、聞きたくないんだけどさ。もしかしてその船って……」

「ISコアを用いた無人機達を前提に稼働する“宇宙船”、そのテストモデルです」

「……おぉう、もう。頭が痛い」

 

 

 傍らにいたクロエに現実を突き付けられたシャルロットは頭を抱えた。世界でも限りあるISが無人機として闊歩している姿を見ているだけで前代未聞なのに、更にはISコアを用いて設計される“宇宙船”のテストモデル。最先端技術のオンパレードだ。

 ISコアが制限される現状で無人機や、それを前提に稼働する“船”。確かにそんな発想を思いつくのはISコアを作成する事が出来る篠ノ之 束しかいないだろう。

 

 

(……これってデュノア社の受ける恩恵が凄い事にならない?)

 

 

 今は離れているお父さん。きっとこれはデュノア社にとって利益になるでしょう。例え全てが再現出来なくても集めたデータだけでも価値があるよ。いや、本当に。

 きっと胃痛に悩んでいるだろう父にシャルロットは思わず語りかけた。今なら父とわかりあえる気がする、そんな気がした。そう、同じ苦労と痛みを味わった同士として。

 

 

「……もしかしてこのデータをデュノア社に公開したのって?」

「どこでも良かったというのは正直本音だったぞ?」

「ですよねぇっ!」

「こちらが圧倒的優位に立てる事は理解していたからな。文句を言われたくない、絡まれたくない、と言うのが束様の要望でな。そしてデータを開示し、研究をしたきゃしてみせろ、という束様の当てつけだろうな」

「当て付け?」

「本来、ISは宇宙開発用のマルチフォーム・スーツとして開発されました。しかし、ISは兵器として運用されているのが現状です。それは束様の望みではありません。今までは束様は世界に己を認めさせる事で宇宙開発に漕ぎ着けようとしましたが……時代が付いてこなかった」

「それは、そうだろうね」

 

 

 圧倒的な性能を持って世界に見せつけたIS。その性能に世界は破れ、世界は兵器としてのISを求めるようになった。ISが生まれた本来の意味を置き去りにしながら。

 孤高の天才。篠ノ之 束の作ったISコアを始め、彼女の技術は常に世界の最先端にいる。そんな彼女が目指すのは忘れ去られたISの悲願。彼女はもう辿り着く為の道筋を見つけているのだろうか。何度目かわからない畏怖を覚え、シャルロットは顔を引き攣らせる。

 

 

「きっと時間をかければ束様は全てを一人でこなす事が出来るだろう。……それをしなかったのは偏にハルがいてくれたからだろう」

「ハルが?」

「まぁ、詳しくは言えませんが、そういう事なんですよ。少しずつ世界を変えていこう、って。束様を諭したのは間違いなくハルですから」

「……ハルって何者なの?」

「聞きたいか?」

「やっぱり良いです」

 

 

 藪蛇はごめんだ、と言わんばかりにシャルロットは首を振る。藪を突いたら出るのは蛇どころかドラゴンなんじゃないかと思ってしまう程に。故にシャルロットは沸いた興味に蓋をして、鍵をつけた。

 彼等と付き合うようになってから危機感知能力が上がった気がする。そんな事実に涙が止まらないシャルロットだった。若い身で胃痛を味わう事となったシャルロットの背中は煤けていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 無人IS達がせっせと働き、IS研究員達が狂喜乱舞し、造船所の職員達が感心しながらISの新たな可能性に思いを馳せたりと、なかなかカオスな造船所を背にしてシャルロットとラウラ、クロエは外へと出ていた。

 

 

「さてシャルロット。ここにはシャルロットのデータを取り入れて完成版となったISの設計図があります」

「うん?」

 

 

 シャルロットは突然、クロエが設計図を表示しながら言う言葉に嫌なものを感じた。クロエが表示した設計図は自分も見たことのあるものだ。何せ自分も意見を出し合った結果、完成した新型機の設計図なのだから。

 

 

「シャルロット。無人機って凄いな。遠くにいても作業の指示が出せるんだからな」

「うん。……うん? ちょっと待って、やめて、これ以上私の常識を壊さないで!」

 

 

 どこか満足げに腕を組みながら呟いたラウラを見て、シャルロットの危険への警報が最大限に鳴っている。これは何かが起きる前触れだという事をシャルロットは理解した。

 そしてクロエが指さした先、そこには先ほど見た無人ISのゴーレムが運送してきた設計図のままのISが目に飛び込んできた。まさか、と思い目を擦ってみる。だが、現実は非情である。

 

 

「あちらから運ばれてくるのが貴方に渡す新型機です」

「嘘だぁあああ!?」

 

 

 時期にして数ヶ月程経過しているが、余りにも早すぎる。こんな驚愕のままに新型機と対面する事になろうとはシャルロットも思っていなかった。あまりの事態に頭を抱えてシャルロットは絶叫する。

 

 

「ラボを暫く放置してたからな。自衛と隠蔽、維持の為に何機か置いていたんだがな?」

「束様が作業用ゴーレムを開発してくれて本当に楽が出来て素晴らしいです。指示を出してラボで組み上げておいたんですよ。驚きました?」

「わかったぞ! 私は理解した! 君達はもう毒されたんだな! もう戻って来れないんだね!」

「「何を今更」」

 

 

 声を揃えてラウラとクロエは呟いた。シャルロットが通っている道など既に自分たちが通過した地点にしか過ぎない。束の傍にいる以上、最早諦めて有効活用する道を考えた方が建設的だとも。

 そう意味ではやはり同じ研究者なのだろう。デュノア社の研究員達は逞しかったな、とラウラとクロエは感心していた。それを悟り、シャルロットは考えるのを止めた。もう何も考えず、ただ感じるだけで良いんじゃないか、と。

 

 

「まぁまぁ良いじゃないですか。シャルロットも早く新型機に乗りたいでしょう?」

「乗れるなら乗りたいけど、もっと感動的な出会いを想像して期待してた私はどうすれば良いの!?」

「笑えばいいと思うぞ?」

「……そっかー。あっはっはっはっ! ……もうどうにでもなれっ!!」

 

 

 目からハイライトを消し去って叫び声を上げるシャルロットに同情の視線を送りながらラウラとクロエはそっと目元を拭った。

 比較的に常識に疎かったラウラとクロエは、早い段階で“そういうものなんだ”と諦められた事が幸せだったんだと、頭を抱えるシャルロットを見て強く思った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 鬱憤を晴らすかの如く笑っていたシャルロットが正気を取り戻した後、ラウラとクロエは何事も無かったかのようにシャルロットと新型機の最適化<フィッティング>を行っていた。

 何となくやるせないものを感じながら従っていたシャルロットだったが、新型機を身に纏ってからの表情は真剣そのものだ。

 シャルロットはただ驚愕していた。改めてシャルロットは身に纏った機体に目を落とす。滑らかなラインを描く装甲はスマートな印象を与えて、従来のラファールの意匠を残しつつも随分と細身だった。

 特徴的なのは装甲の各所に埋め込まれたクリスタル。両手甲、両足甲、背部の装甲に備え付けられたクリスタルは日の光を浴びて反射する。しかしウィングユニットなどは見当たらず、全身に纏うだけの姿はISとしては寂しい印象を与えてしまう。

 

 

(うわ、凄い軽い。なんだろう。見た目からして、元々のラファールよりもスマートな外見だから予想してたけど、装着してみると凄いわかる。ちょっと不安になるぐらい軽いんだ)

 

 

 まだ最適化<フィッティング>の途中の為、動かしてみる事は出来ないのだが身に纏った感触が今までのISに比べて驚く程に軽い。

 クロエとコンソールの上で指を踊らせ、最適化<フィッティング>の処理を進める中、シャルロットを見上げてラウラは調子を問うた。

 

 

「どうだ?」

「凄い軽い!」

「姉上は駆動系に拘っていたからな。あらゆる状況に応じて武器を繰り出すのだから、即応性と操作性を重視して調整したそうだ。まぁ、元々のラファールから受け継がれた形質でもあるんだろうがな」

「じゃあ実感して頂きましょうか。最適化<フィッティング>、完了です」

 

 

 ラウラの説明にクロエは笑みを浮かべてシャルロットに告げた。機体に繋がれていたコードが外れ、シャルロットと彼女の機体を縛るものはこれでもう無い。

 新たな機体の感触を確かめるように一歩、歩いてみる。それだけで今までのISとは比べものにならない程の反応の良さがわかる。思わずつんのめってしまいそうになる程、重量感がない。

 

 

「怖いぐらいに軽い。何コレ……装甲を纏ってる気がしない。服よりも軽い、まるで肌みたいだ」

「今はまだ装備を展開していませんからね。そんな感じでしょう。初飛行、行けますか?」

「あ、うん。ちょっと待って。……うん、行けるよ。えと、基本装備の飛行翼を」

 

 

 シャルロットが頷き、意識を集中させた。すると先ほどまでは存在しなかったウィングユニットがシャルロットの背後に浮いていた。畳まれた翼のように閉じられた6枚の飛行翼はその存在感と重量感を醸し出す。

 

 

(……なにこれ!? もう呼び出すって感覚がないよ!! もうそこにあったみたいに……!!)

 

 

 シャルロットは興奮に笑みが抑えきれなかった。量子化の光は一瞬しか光らず、光ったと自覚が無い程だった。そしてシャルロットは両手甲に埋め込まれたクリスタルに視線を落とした。

 事前の説明でシャルロットも知っていたのだが、装甲の各所に埋め込まれていたクリスタルはコアと直結し、量子化している武装を呼び出す際のイメージの伝達の補助を行う役割をしているのだと言う。即応性が上がっているのはその際に生まれた副産物だ。

 尚、このバイパスを繋げる為に装甲が軽量化し、従来のラファールよりも装甲が脆いという欠点は存在している。それでも有り余る操作感覚はあっさりとシャルロットを魅了した。

 

 

「シャルロット。その子の名前を呼んであげてください」

「え?」

「貴方と共に飛ぶ子の名前です。名前は与える事で意味を持ちます。貴方が呼んであげてください。貴方の翼の名を」

 

 

 クロエが微笑を浮かべてシャルロットに告げる。名前を呼んでこそ、本当の最適化が終わるとクロエは思っている。だからこそ呼んであげて欲しい、と。

 クロエの隣ではラウラが腕を組んで、同じように微笑を浮かべて頷いていた。シャルロットも二人の視線を受け、察したように笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

「行こう。私の新しい翼。――“ラファール・アンフィニィ”」

 

 

 そしてシャルロットは新たな翼、無限の名を付けられたラファールと共に空へと飛び上がった。

 空へと上るように真っ直ぐ飛行し、そして高度を取った所でゆっくりと旋回する。それだけで駆動が違う事がはっきりわかる。

 

 

「うわぁ……!!」

 

 

 風が吸い付いてくるようだった。今まで感じたことのない一体感。空を飛ぶという感覚は今までよりも鋭敏で滑らかだ。シャルロットの意思に応じて動く飛翔翼の動きも、態勢を整える為の身体の動きも。

 今までのISは、まるで殻か何かに身体が詰められていたのではないかと思うまでに軽い。

 

 

(まるで、風に溶けちゃいそう)

 

 

 気付いたら風に流されてそうだなぁ、と想像したら笑いが込み上げてきた。それはいけない、とウィングユニットの推力を上げようと思った時だった。

 

 

「うわ、わわ!? ぃひゃぁあああ!?」

 

 

 加速したシャルロットはバランスを崩して、くるくると回るように飛翔する。だがそれでも今までテストパイロットを務めてきた感覚がシャルロットにバランスを整えさせる。

 余りにも軽すぎた踏み込み。少し踏み込んだだけでスピードが上がっていく感覚はシャルロットには刺激的すぎた。少し目を回しながらシャルロットは低速で空を漂う。

 

 

「び、吃驚した。でも来るとわかってれば……!!」

 

 

 ゆっくりと踏み込んでいく。そして全てを踏み込んだ時、世界は加速しきっていた。風に流されていた自分はもういない。逆に、吹き抜ける風となってシャルロットとラファール・アンフィニィは空を駆けていた。

 

 

(これは凄い、癖になる!)

 

 

 楽しい。こんなに空を飛ぶのが楽しいと思ったことは今までシャルロットには無かった。まるで風と遊ぶようにシャルロットは無尽蔵に空を駆けめぐる。今まで難しかった機動も出来そうだと思えた。

 そう。ラファールの名のようにシャルロットは風となっている。世界を巡る風を纏い、どこまでも飛翔する無限を抱く翼。もうシャルロットは笑みを抑えられなかった。

 

 

「こら。いつまで飛び回ってるつもりだ?」

「ふぇ?」

 

 

 空を飛ぶことに夢中になっていたシャルロットは声の方へと視線を向けた。そこには黒兎を纏い、目元をバイザーで覆ったラウラが両手にレーザーライフルを構えて滞空していた。

 どこか呆れたようにシャルロットを見ているようだが、口元が優しげに微笑んでいるのが見えた。シャルロットは自分の頬が熱くなるのを感じた。飛ぶことに夢中になりすぎてて全然気付かなかったと顔を赤くして言葉を失う。

 しかも見られていた。そうだよね、テストだから見てるよね。シャルロットは穴があったら埋まりたかった。

 

 

「少しぐらいなら披露しても良いとの事だからな。これが私のIS“黒兎”だ」

「篠ノ之博士の作ったIS!?」

「少しぐらいならデータをくれてやっても構わん、との事だ。模擬戦だ。覚悟は良いか?」

「……うん! やろう! 今なら本当にどこまでも飛べる気がするんだ!」

「そうか。錯覚でなければ良いがな? 私が確かめてやろう! 行くぞ!!」

 

 

 ラウラは笑みを獰猛な笑みへと変えて引き金を絞った。放たれたレーザーをシャルロットは危なげなく躱していく。

 シャルロットもまたラウラに対抗するべく武装を呼び出す為にシャルロットは右手を伸ばした。シャルロットがラウラに手を向けるのと同時にシャルロットの手にはライフルが握られていた。そして流れるようにそのまま引き金を引いた。

 シャルロットの動きを感知していたのだろう。ラウラも滞空から滑空へとシフトし、空を縦横無尽に駆けめぐる。シャルロットもまたラウラに追従するように身を前に倒した。

 

 

「ちっ……量子化の復元が早すぎる! 羨ましい限りだぞ!」

「それはどうも! 私もすっごい驚いてる! 見て見て、まるで手に吸い付くみたいに出てくる!!」

 

 

 シャルロットは今度は左手に別種のライフルを呼び出し、ラウラを狙撃する。左右の手から放たれた弾幕を避けながら、ラウラも負けじとレーザーを放つ。互いの攻撃は牽制にしかならず、互いに距離を取り合う。

 ラウラはレーザーライフルを量子化して格納。両肩の装甲の一部をパージし、両腕に装備。両腕に装備した円盤を回転させながらシャルロットへと迫る。

 シャルロットはラウラの接近に両腕を上げる。一瞬光が放ったと思えば2丁のライフルの姿が消え、ラウラの接近のタイミングに合わせて両腕を下ろす。シャルロットが振り下ろした両手に握られていたのは2本の片刃のブレード。

 ラウラはブレードを受け止めるように片方の円盤で防ぎ、もう片方の円盤を射出。意表を突かれた動きにシャルロットはもろに円盤を腹部に受けてくの字に身体を折る。

 

 

「げほっ!? ……やったなぁっ!?」

 

 

 腹部に激突した円盤がワイヤーによって巻き上げられるのを目にし、シャルロットは歯を剥いてラウラに向けて突撃。両手に握ったブレードを重ね合わせる。するとブレードのパーツが開閉し、噛み合うように連結。

 両刃のブレードと変形した剣を振り上げてシャルロットはラウラに斬り掛かる。危なげなくラウラは避けていく。

 

 

「ここで変える! “別れて”ッ!!」

 

 

 ラウラは円盤を構えて両腕でブレードを受け止める。衝撃が僅かにラウラの身体を沈み込ませる。飛行翼で姿勢を整え、シャルロットはブレードを再び分離、両手に再び片刃のブレードを構えラウラに連続で斬り掛かる。

 ラウラは両手の円盤で巧みに剣を弾き飛ばし、逆にシャルロットの身体に蹴りを入れてシャルロットを叩き落とす。

 

 

「くっ!」

「悪いな。パワーはこちらの方が上だ。そよ風のように軽いぞ?」

「むぅっ! だったらこれならどう!?」

 

 

 シャルロットはブレードを持ち替えて、両手を大きく広げる。するとシャルロットの眼前には一本の棒状のパーツが現れ、ブレードの柄尻が棒の先端のパーツが噛み合い、一体化。両先端部に刃がついたロッドへと早変わりした。

 バトンを振り回すようにシャルロットは器用に振り回し、再度ラウラへと突貫する。まずは突きを繰り出し、ラウラが身をよじり、円盤で滑らせるように突きを回避。シャルロトはそれに対し、身体を軸にしてロッドを跳ね上げさせ、逆端の刃がラウラへと振り抜かれる。

 次々と身体を軸に繰り出される連撃にラウラは堪らない、と言うように後方へと下がる為にウィングユニットを開く。勢いよく後退していくラウラを見てシャルロットはロッドを構え直し、連結させていたブレードのみを格納。

 

 

「でっかいの! 行くよッ!」

 

 

 シャルロットの叫びと同時にブレードが繋がれていたロッドの先端には今度は巨大な鎚が装着されていた。大型のハンマーとなった武器を上段に構え、シャルロットはラウラとの距離を詰めていく。

 

 

「せぇのっ!」

 

 

 呼吸の吐き出しと共に振り下ろし。態勢を立て直そうとしていたラウラは円盤を盾にハンマーの一撃を受け落下していく。シャルロットは振り抜いたハンマーの鎚の部分だけを格納。代わりに現れたのは巨大な歪曲した刃。柄と刃は連結し、大鎌へと変化する。大鎌を肩に担ぐように構えてシャルロットはラウラを追撃する。

 ラウラは迫り来るシャルロットを迎撃しようと円盤を放つが、シャルロットは身体ごと回転させるように大鎌を振り回しながらラウラへと迫ってくる。回転によって増した勢いを余す事なく叩き付けるようにラウラに刃を振り抜き、しかし刃はラウラの身体に届く前に止まる。

 

 

「!? ワイヤー! しまった!」

「かかったな!」

 

 

 大鎌が振り抜く前に引っかかり、顔を上げたシャルロットは振り抜けなかった理由を悟った。シャルロットの振り抜こうとした大鎌は、その長大な柄にラウラの円盤から伸びるワイヤーが絡んでいた。

 そして背後からの衝撃にシャルロットは一瞬、意識を飛ばした。シャルロットの背に飛び込んできたのはラウラの放っていた円盤。態勢を崩したシャルロットは慌てて顔をあげれば、ラウラが呼び出したレーザーライフルを突き付けている事に気付く。

 

 

「ある程度、遠隔操作も可能なんだ。悪いな」

「……取った、と思って油断した僕が悪いよ」

 

 

 降参、と言うように両手を挙げてシャルロットは苦笑を浮かべた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「現状、組み上げた装備で取れるデータとしては上々でした。シャルロット、お疲れ様です。これを本社の方へお届けください」

「ありがとう、クロエ」

 

 

 クロエはシャルロットに労いの言葉を投げかけながら集めたデータを移した媒体をシャルロットへと手渡した。シャルロットは模擬戦では負けてしまったけれども、心は羽根が生えたように軽いままだった。

 使いこなせればもっと色んな事が出来る。装備を開発すればまだ幅が広がる。ワクワクが止まらず、笑みが浮かぶ。次はどんな事をしようか、と考えているシャルロットはもう完全に新たなラファールに心を奪われていた。

 

 

「これで私達もお役ご免ですね」

「え?」

「後はデュノア社の方々の努力に期待しますよ。ラファール・アンフィニィは永遠に完成しない機体ですから。もう私達が手を加える必要はないでしょう」

「……あ」

 

 

 途端にシャルロットは浮ついた気持ちが下がっていくのを感じた。振り回されてばかりだったけれども、束はともかくとして皆がシャルロットに親しく接してくれた。見た目、年が近かった事も気安く接する事が出来た要因だろう。

 だがそれももう終わりなのだ。ラファール・アンフィニィはクロエの言う通り、完成がない機体だ。その場における最適解はあれど、絶えず変化するラファール・アンフィニィに完成という終着点は存在しない。あるとすればアンフィニィのデータを得て、後継機が生まれた瞬間だろう。だからここから先は、彼女たちの手は借りられない。

 

 

「……お別れになっちゃう、のかな?」

「そうだな。私達も造船の手伝いをしたいし、あくまで私は皆の護衛だ。それに専念したい」

「シャルロットには申し訳ありませんが、開発が速かったのはそれも理由なんですよ。ごめんなさい。私も造船には関わらなければなりませんから……」

 

 

 わかっていた事だ。あくまで彼女達の目的は造船であり、自分の機体開発も取引の上での事だったんだと。

 わかっていた。わかっていたけれども忘れる程に騒がしい毎日だった。心底思うのだ。楽しかったんだと。

 わかっている。これは我が儘だ。もうちょっとだけ一緒にいてみたいなんて我が儘でしかない。シャルロットはデュノア社に戻らなければならない。ラファール・アンフィニィはデュノア社にとって待ち侘びた第3世代なのだから。

 だから泣いてはいけない。これはわかりきっていた別れ。ほんの少し道が交わっていただけの話。だから仕方ないのだとシャルロットは自分に言い聞かせようと涙を堪えた。

 

 

「シャルロット」

 

 

 そんなシャルロットの肩に手を置いてラウラが笑う。ラウラに続いてクロエが握りしめていたシャルロットの拳を解くように手を添える。

 

 

「その気があるなら追いかけてこい」

「……え?」

「空はどこにでも繋がっている。私達はそこに向かう。それが束様の願いだからな」

「私達が何のためにデータを渡すと思ってるんですか? 後に続く者がいて欲しいんですよ」

「劇薬過ぎるから公表、という手が使えないからな。だからこうして話せる内に伝えておきたいんだ」

「シャルロット。私達は先に行ってきます。夢を追って宇宙に」

 

 

 ラウラとクロエは互いに顔を見合わせてシャルロットから一歩、距離を取った。二人は並んで笑みを浮かべる。ラウラは腰に片手を当てて楽な態勢で、クロエは背中に手を回して手を組み合わせて、シャルロットを見る。

 待っている、と。きっと二人はそう言っているんだろう。本来のISの生まれた意味を追いかけて、それを果たすために彼女たちは羽ばたく。どうかその後に続く者がいるように、と願いながら。

 泣いてる場合じゃない、とシャルロットは目に浮かんだ涙を拭った。託された意味を理解出来ない程、子供じゃない。けれど子供だからこそ未来を夢見る。顔を上げたシャルロットは涙を拭う。それでも零れてしまった涙を落としながら笑う。

 

 

「うん、うんっ! 必ず私も追いかけてみせる! 今は無理でも……必ず! 必ず追いつくから!!」

 

 

 その為の身分はあるから。帰ったら話をしよう。父に夢を語ってみよう。歩み寄ってみよう。きっと認めてはくれない。酷い罵りを受けるかもしれない。けれど夢は語らなければ始まらないから。

 

 

「約束するよ!」

 

 

 だから忘れないで。そう願うようにシャルロットは声を震わせた。答えは返ってこなかったけれど、二人が浮かべていた笑みで充分だった。シャルロットははにかむように笑って二人を抱きしめた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……後に続く者、かぁ。束さんには追いついて並べる筈ないもんね?」

「でも良いでしょ? あぁいうのは」

「束さんはクーちゃんが喜んでるから喜んでるんだよ。ラウラもあんなに尻尾振っちゃってさ」

「尻尾なんてないだろ? ……まぁ、わかるけどさ」

 

 

 いつの間にか遠目から三人の様子を窺っていた束は小さく呟く。束の傍らにいたハルは笑みを浮かべて、束へと視線を送った。

 素直になれないのは仕様がないだろう。束だって、今まで閉じていた殻を開くには時間がかかるだろうから。人よりどんなに遅くとも、全て開く事が出来なかったとしても構わない。どうか束が世界を閉じてしまわないように。

 

 

「……? ん、何、手を繋いで来ちゃってさ」

「隣にいたから、じゃ駄目?」

「……うん。良いよ」

 

 

 どうか、と祈るようにハルは繋いだ手を握りしめる。繋ぎ止めるように握ったこの手を離さないでいよう。そして自分がまた誰かの手を繋いで引っ張っていこう。

 いつか彼女の周りにも穏やかな喧噪が出来ている事を願いながら。

 



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Interlude “凍てつく冬、夏の影”

 朝の空気を一杯に肺に取り込む。まだ日の昇らない時間に街を駆け足で走るのは一人の少年だ。肩下げ鞄を揺らして、白い吐息を吐き出しながら少年は走っていく。

 鞄の中から取り出したのは新聞。新聞をポストに放り込み、次の家へ。少年の足は止まらず、次々と新聞を配達していく。鞄の中に詰められた新聞の数は決して少なくないのにも関わらず、彼は軽快に走っていく。

 最後の新聞の配達を終えても少年の足は止まらない。そして朝日が昇り始める時刻となり、少年は差し込んだ日の光に目を細めた。

 燃えるような朱。暗さを残した藍。そして眩い白。色が入り乱れる空を目にして少年は息を吐き出す。足を止めて空の色を手に収めるように手を伸ばす。だが幾ら少年が手を握った所で空を掴む事など出来ず、拳には何も残らない。

 

 

「……遠いな」

 

 

少年の名は織斑 一夏。日本に住まう“戦乙女”の弟である彼は、目を細めながら空を睨んでいた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ただいまー」

 

 

 返事が無い事を理解しながらも一夏は自宅の扉を開けながら帰宅の挨拶をする。

 彼の日常は朝の新聞配達のアルバイトから始まる。最初は自転車を使っての配達だったが、今は身体を鍛える一環として新聞を担いで走っている。

 汗を掻いた身体に水分を与え、シャワーを浴びて汗を流す。男らしく豪快にシャワーを浴びた後は朝食の準備に移る。

 朝食は一日の活力となる。新聞配達を終えてエネルギーを消費した身体にとってこの朝食を欠かす事は出来ない。そして、今日は食事を取るのは自分だけではない。気合いが入るというものだ。

 包丁を握った一夏の姿は正に主夫そのもである。ネギを手早く切り刻み、味噌汁の味を確かめる。今日のダシは昆布ダシ。味噌汁の味を確かめて小さくガッツポーズ。味見が終われば切り揃えておいたネギ、そして豆腐をサイコロ状にして味噌汁へと入れる。

 次にフライパンを踊らせれば、熱々の卵焼きが完成する。少し甘めに味付けされた卵焼きは織斑家でこよなく愛されている。これこそが織斑家の家庭の味の代表格だった。

 そして身体の資本となるのは肉。衣がさっくさくの唐揚げは湯気を放ち食欲をそそる。思わず涎を垂らしてしまう。ついつい一夏がつまみ食いをしても、咎める事は出来ないだろう。

 野菜を適度に盛りつけて即席のサラダに。テーブルに並べられた朝食は多少、量が多いが一夏にとっては丁度良い。運動を終えて、栄養を欲している身体は急かすように腹の虫を鳴かせる。

 今すぐにでも席について腹を満たしたい所だが、その前にやらなければならない事がある。家で一人でいる事が多い一夏だが、今日は家を空ける事が多い姉が帰ってきているのだ。まずは彼女を起こさなければならない。

 

 

「千冬姉ー! 朝ご飯だぞー! 起きろー!」

 

 

 一夏は姉の私室のドアにノックをする。一度、二度叩くも反応がない。いつもの事か、と溜息を吐いて一夏は勢いよく扉を開けた。

 織斑 千冬。それが一夏の姉の名前だ。彼女はなんとも安らかな顔で、布団にくるまって寝息を立てていた。だが一夏は容赦しない。放っておけばこの姉は惰眠を貪ろうとする事は間違いなしなのだから。

 

 

「ほら、千冬姉! 朝だって! 起きろー! 今日からまた学園なんだろ?」

「むぅ……。すまないが月曜日は帰ってくれ……」

「何言ってるんだ。もう日曜日はとっくに終わってるぞ? ほら、起きろ!」

「わひゃぁっ!?」

 

 

 布団を剥ぎ取れば寝間着姿の千冬が転がっていく。外気に晒された事で眠気が吹き飛ばされたのか、不機嫌そうに千冬は一夏を睨み上げた。

 

 

「一夏! 少しは遠慮しろ!」

「だったら頼むから惰眠を貪るのをどうにかしてくれよ。休日だったからってだらけすぎじゃないか? 千冬姉」

「うぐ……っ」

「っていうか、また部屋汚くして……勘弁してくれよ。お酒は飲んだら片付けてくれっていつも言ってるだろ?」

「わ、わかった! わかったから出て行け! 女性の私室に我が物顔でいるな! 馬鹿者が!」

 

 

 千冬の部屋は一言で言ってしまえば汚かった。机には高々と積み上げられた参考書の数々。それだけならばまだ笑って許せるのだが、床に散乱したつまみのゴミにアルコール飲料の空き缶。まったくもって酷い有様だった。

 そんな有様を見られたのが恥ずかしいのか、一夏に千冬は顔を赤くしながら出て行くように促す。はいはい、と一夏は投げやりな返答をしながら部屋を後にする。

 千冬がリビングに出てくるまでの間にお茶を用意しておく。お茶が用意出来た頃、着替えた千冬がリビングに出てくる。そして二人でテーブルについて食事を始める。

 

 

「「いただきます」」

 

 

 織斑家の変わらぬ朝の風景がそこにあった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 一夏の通学方法は徒歩だ。学校までの道のりを一夏はランニングがてら駆け抜けていく。そんな一夏と並走する自転車がいる。自転車に跨っているのは赤い髪にバンダナを巻いた一夏と同い年の少年だった。

 

 

「相変わらず頑張るねぇ、お前」

「よぉ、弾。おはよう」

「おっす、一夏」

 

 

 自転車に跨る少年は五反田 弾。中学校に進学した一夏と同じクラスで、意気投合した友人だ。

 これは二人にとってありふれた登校風景だ。自転車に並走しながらランニングする一夏と、そんな一夏を茶化しながら学校に向かう弾。そんな二人の姿に街の住人達は微笑ましそうに視線を送る。

 学校にたどり着くと、校門には一人の少女が腕組みをして一夏と弾の二人を待っていた。少々小柄な体躯だが、意思の強さは人一倍ありそうな少女は一夏と弾の姿を見つけて笑みを浮かべる。組んでいた腕を解き、二人に手を振った。

 

 

「一夏! 弾! おはよう」

「おぉ、鈴。おはよう」

「おっす。鈴」

 

 

 彼女の名は凰 鈴音。一夏と弾は彼女の事を鈴、と愛称で呼んでいる。弾が駐輪所に自転車を預けに行く為に離れ、一夏と鈴音は二人で並んで自分たちの教室へと向かう。その間に一夏は僅かに浮いた汗を鞄から取り出したタオルで拭っている。

 そんな一夏の姿を鈴音は感心したように見ていた。鈴音は一夏とは小学校の高学年からの付き合いだ。だから一夏とはそこそこ付き合いがあるのだが、彼を知るからこそ鈴音は一夏が始めた習慣に感心を覚えていた。

 

 

「まさかアンタがいきなり身体を鍛え出す、って言った時は何か悪いもんでも食べたんじゃないか、って思ったけど……本気なのねぇ」

「冗談と思ってたのかよ」

「そういうキャラじゃなかったでしょ、アンタは」

 

 

 鈴音から見た一夏は誰にでも優しいが、どこか抜けているような少年だった。少々華奢にも思えた身体は中学校に上がってから、段々と男らしさを周囲に感じさせるようになっていた。

 昔は身体を鍛えるというキャラでは無かった筈だったのだが、ある日を境に一夏は変わった。今までどこか抜けていた筈の少年はどこ行ったのか、今では無心で身体を鍛える一夏の姿が当たり前になっている。

 

 

「中学校に入ってから剣道部になんか入っちゃって……。本当、変われば変わるもんねぇ」

「元々、俺は剣道をやってたんだけどな。教えてくれる先生がいなくなったから止めちゃったし」

「そうなの?」

「あぁ。鈴が引っ越して来る前の話だしな」

「じゃあ何で再開したのよ?」

 

 

 理由を問いかけてくる鈴音に一夏はどこか遠くを見つめるように視線を上げる。

 

 

「強くならなきゃいけないんだよ。俺は」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 日本にはIS学園というISについての教育、技術習得の為の育成機関が存在する。IS搭乗者の多くはこの門戸を叩き、学んだ知識と技術、経験、友人、多くのものを自国へと持ち帰っていく。

 そのIS学園にスーツ姿の織斑 千冬の姿があった。ふぅ、と溜息を吐いて千冬は眉間を揉みほぐすように手を添える。そんな千冬の視界の端に差し出されたコーヒーが目に映る。

 

 

「織斑先生、お疲れ様です」

「山田先生か、ありがとう」

 

 

 千冬は差し出されたコーヒーを手に取る。コーヒーを差し出したのは穏和そうな女性だ。山田と呼ばれた彼女の名は山田 真耶。千冬の古くからの知り合いである。

 真耶から受け取ったコーヒーの蓋を開けて喉に通す。隣で同じくコーヒーの蓋を開けていた真耶も、コーヒーを喉に通して溜息を吐いた。

 コーヒーの苦みが身体に染み渡り、何とも言えぬ息が千冬の口から漏れる。そんな千冬の様を見て真耶はおかしそうにくすくすと笑った。

 

 

「お疲れですね」

「慣れぬ事ばかりだからな。……山田先生には世話になっているよ」

「いえいえ。これも先輩のお仕事ですよ。織斑先生」

「奇妙な話だな。君に物を教えていた私が教わる立場になろうとは……」

「あははは。そうですねぇ、織斑先輩」

 

 

 千冬の呟きに真耶はおかしそうに笑いながら呼称を先生から先輩に改めた。

 山田 真耶は元々はISの日本代表候補生だった。だが彼女は第1回モンド・グロッソの際、千冬に代表の座を譲る事となる。それ以降、真耶は教師の道を目指していた。

 今では立派な教師となった真耶の仕事は、同じく教師の道を歩み始めた千冬への研修だ。かつて代表候補生だった頃、教えを請うていた先輩に先生として教えている。それがおかしくて真耶は笑う。千冬も同じ思いなのか、穏やかに笑みを浮かべている。

 

 

「でも吃驚しましたよ。突然、織斑先輩が教師になる、なんて言い出した時は」

「……まぁ、な。私も思うところがあったのさ」

「……第2回モンド・グロッソの事ですか? もしかして気にしてるんですか? 誘拐事件の事。弟さんの話は聞きましたけど、別に先輩が悪い訳じゃ……」

「言っただろ? 思うところがあるんだよ。山田君」

 

 

 真耶が眉を寄せながら出した話題は自然と空気を重たくした。千冬は苦み走った顔を浮かべる。そんな千冬を見つめる真耶の表情は暗い。真耶の視線を受けながら千冬は自らを嘲るように鼻を鳴らした。

 

 

「私は日本代表にあるまじきISの私的使用を行った。そんな者が代表という地位に就いていたことがおかしかったのだよ。実力だけで計ってはいけない。相応しき節度を持つ者が代表にならなければならなかった。私は、今まで許されていただけなんだよ」

「そんな……。先輩はそんな人じゃないですよ。普通、弟さんが攫われたと聞いて冷静になれる筈がないじゃないですか! しかも未確認のISまで確認されていたんでしょう? 全てが先輩の責任なんかじゃ……」

「それでも、だ。結果はどうだ? 私は未確認ISを取り逃がし、弟を攫った犯人の足取りさえ掴めなかった。ただ感情のままに暴れて残ったものはなんだ? 何も残らないじゃないか。あの時ほど最強の称号が虚しく思えた事はないよ。私はちっぽけな人間だと思い知らされた」

 

 

 ――あまつさえ無力な筈の弟にまで庇われた。

 言葉にこそしなかったが千冬の心に残り続けている後悔だ。一夏が誘拐されたと耳にし、周囲の制止を振り切り、当てもなく彷徨いながら一夏の姿を探して駆けめぐった。栄えあるモンド・グロッソの事など頭に無かった。代表という地位をかなぐり捨てて千冬は一夏を探した。

 ただ走った。息が荒れる度に足を止め、休めばまた走り、また足を止めて、また走る。自分がどこにいて、時間がどれだけ経っているのかすらわからない。足を止めると後悔に押し潰されそうで恐ろしかった。

 そうしてようやく見つけた一夏の姿に安堵して、歓喜した。同時に傍にいた未確認のISに対して激情を覚え、流されるままに牙を剥いた。その結果、突然のISの機能停止という事態が起きてしまい、1つ間違えば命を落としてもおかしくはない状況にまで追い込まれた。

 だが千冬は生きている。一夏も無事に帰ってきた。一夏の話を聞けば、結果的には一夏を救ってくれたのは未確認のISだったという事になる。

 そして忘れられないのが自分を“オリジナル”と呼んだ自分に良く似た“誰か”。その意味を悟れない程、千冬は愚かではない。

 千冬は自分が虚しくなったのだ。自分のやっていた事は一体何なのだ、と。虚無感に囚われ、後悔し、思考を止めている間に、気が付けば再び最強の座に上り詰めていた。

 なんだこれは。千冬は思った。最強と崇められる人間がこんな人間なのか。良い試合だったと、悔しさを飲み込みながら褒め称えた相手を討ち果たした人間がこんな人間だと? そんな事実が認められる筈も無かった。そして千冬は栄光の座から逃げ出した。それらしい言葉を並べ立てて。

 

 

「山田君、私はISが無ければただの粗忽者だ。弟がいなければ生活もままならない。家事など出来やしない。ただISが私を守ってくれた。ISが私の力だと思っていた。そんなもの自分自身の力などではないのにな。何を勘違いしていたんだ、私は。殺してやりたくなる」

 

 

 手で顔を覆いながら、喉を震わせるように千冬は笑った。罰を求める咎人のようだと真耶は千冬の姿を見て思った。一体、何が彼女の心を折ってしまったのだろう、と真耶は胸を痛める。今の千冬の姿はあまりにも痛々しすぎる。

 だからこそ千冬を放っておけなかった。かつて世話になった先輩がこんな姿になってしまった事が悲しかったし、助けてあげたかった。だから真耶は誰もが“ブリュンヒルデ”の名に遠慮する中、千冬の研修を請け負ったのだ。

 

 

「……それで教師の道を?」

「馬鹿をやる奴は少ない方が良い。そして馬鹿をやった時、助けてやれる人になりたい。笑ってくれ。山田君。私は今更ながらに自分自身の目標を見つけたんだ。何かになりたい、なんて思わなかった自分が初めて見つけたんだ」

「笑いませんよ。今までずっと弟さんの為に頑張って来たんですよね? 自分のやりたい事なんてわからなくなるぐらいに」

「……頑張ってきたつもりだった、だ。結果、本当に私達は助け合っていたのかわからなくなった。守っているつもりで守られていたからな」

「家族ってそういうものじゃないですか? お互いを思い合うのが家族なんじゃないんですか?」

 

 

 自分自身を嘲笑するように呟く千冬に真耶は励ますように告げる。しかし、千冬の表情は晴れる事はない。

 無表情を貫く千冬の顔はまるで泣いているようだった。けれども既に涙は枯れ果てているかのように。乾いた瞳は何も映しはしない。

 

 

「私は何も守れていない。あの子の命も、心すらも守れなかった。そして今も救えていない。救えていないんだ……」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「織斑、お疲れ様。それじゃあ先に失礼するぜ」

「お疲れ様です」

 

 

 部活が終わり、先輩達が先に帰宅していく中、一夏は道場の掃除を行っていた。今日は一夏が当番の日だったからだ。熱心に道場の掃除を行い、一通り終わった所で一夏はふと、竹刀を手にとって道場の中央へと立つ。

 しん、と静まりかえった道場の中には一夏一人だけ。竹刀を構えながら一夏は瞳を閉じる。脳裏に映し出されるのは――白きISの姿。

 一夏には後悔がある。それは姉の晴れ舞台を応援に外国の地へと訪れた時、彼は誘拐されてしまった。今でも、あの時の恐怖を思い出すと身が震えそうになる。

 そんな自分を助け出してくれた白き翼。一夏の目に焼き付いて離れない白の姿を一夏は忘れる事が出来ない。

 未確認のIS。アレの正体が一体何なのか一夏には推し量る事は出来ない。自分を助けたかと思えば、自分を助けに来たのだろう千冬と交戦が始まってしまい、ISが停止した千冬を無造作に地に放り捨てた。

 訳がわからなかった。ただ状況に流されるままだった。ただ、それでも白のISの前に立ち塞がったのは愛おしい姉を失いたくないという思いからだった。足が震えて、今にも逃げ出しそうな自分を必死に奮い立たせて睨み付けた。

 死という突き付けられた事実に怯えた。それでも逃げてはいけないと、自分に言い聞かせて。そうしなければ全てが崩れ落ちてしまいそうだった。

 一夏にとって頼れる人は千冬だけだったから。だから刃向かった。今となってはそれが正しかったかなんてわからない。結局、あの白きISは一夏や千冬に何をするわけでもなく姿を消したのだから。

 

 

 ――本当に助けるつもりで助けてくれたならば、俺は最低な事をした。

 

 

 答えはわからない。真意を知る事は出来ていないから。だがもしも本当に助けようとしてくれていただけだったら。自分は助けてくれた手を振り払って、あまつさえ石を投げた。じくりと胸が痛みを覚えて息が乱れる。

 あの日、もっと強ければ真実が見えたのだろうか。そもそも誘拐なんて事にはならなかったんじゃないか。後悔が付きまとう。まるで身体に括り付けられた重りのように。

 

 

「……強くなれ、か」

 

 

 千冬はあのISについては何も語らなかった。そして千冬は一夏にISに関わらせたくないのか、一夏にISの事を知ろうとする事を咎めるようになっていた。千冬もきっと後悔しているのだろう。だからこそ代表の座を辞した。輝かしい成績だけを残して。

 けれど、もしかしたら自分が誘拐なんてされなければ千冬はまだまだ現役でいて、もっと輝かしい功績を残せていたかもしれない。だからこそ後悔が胸に突き刺さる。それも全部自分が弱かったから。そんな自分にあのISは言った。お姉さんを大事に、と。強くなれ、と。

 

 

「そうだ……。俺は強くならなきゃいけない。ならないといけないんだよ……!!」

 

 

 ISがある以上、一夏の決意はどこまでも世迷い言でしか無いだろう。嘲笑すらされてしまうだろう。

 それでも足を止める事は出来ない。強さとは何か、一夏にはまだわからない。腕っ節だけ強くなってもそれは強さとは言わないだろう、と。

 答えが出ない。わからない。辛くて膝を折って喚き散らしたくなる。教えてくれ、と叫ぶように。強くなる為にはどうすれば良いと、一夏は藻掻き苦しんでいる。

 救いを差し伸べた手を払ったかもしれない。姉の努力を穢したかもしれない。じくり、じくりと。一夏の後悔は心を侵していく。へばり付くように、爪を立てるように、一夏の心に痛みを練り込み、刻みつける。

 

 

 ――だから、織斑 一夏は己を憎み続ける。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 剣道部の部室を後にして、外に出てみれば夕日がすぐにでも沈みそうな時刻だった。闇が迫る中、一夏は荷物を抱えて校門へと歩いていく。

 歩めども、歩めども、答えは見えず。励めども、励めども、成果は見えず。

 時折、どうしようもなく自分のやっている事が虚しくなる時がある。何を頑張っても手の中には何も残らない。心が軽くなる事など無い。そしてその度に思う。

 結局あの日、救われた事を後悔しているんだろう。救われた命は救った手に対して手を払った。命を救おうと足掻いた姉は無力に心を折った。全部、全部、全部、全部、全部! 自分がいたから! 自分が弱かったから!!

 

 

「……ちくしょう」

 

 

 一夏は前髪を掻き上げた。何度も繰り返した問答だ。終わった時は巻き戻らない。後悔は消えない。一夏は知っている。そんな自分を千冬は時折、後悔に満ちた瞳で見ている事を。

 千冬がどこまでも遠かった。あんなに頼りがいのあった背中は、今は触れれば砕けてしまいそうに弱々しくなってしまった。それでも変わらぬようにと振る舞い続けて、今もきっと身を削っている。

 これが望み? そんな筈がない。だったらどうすれば良い。もう千冬を悲しませたくないならこの後悔を乗り越えるしかないじゃないか。自分が許せないなら、許せるまで罰するしかないじゃないか。

 だから強くなれ、という言葉を一夏はただ守り続けている。それが唯一、自分に残された道標だったから。

 

 

 

「一夏」

 

 

 

 声がして一夏は顔を上げた。朱く焼けた空の下、影が濃くなった校門。一夏はそこに立って、自分の名を呼んだ相手に目を丸くした。

 鈴音がそこにいた。僅かに顔を俯かせている姿は、どこか奇妙だった。

 

 

「鈴? お前、どうしたんだ? こんな時間まで何してんだよ?」

「……ねぇ。答えなさいよ」

「は? いや、聞いてるのはこっちなんだが?」

 

 

 鈴音が見上げるように上げた顔にはまるで挑み掛かるような表情が浮かんでいる。

 朱の光で照らされた為か、肌に朱の色を浮かべた鈴音は言葉を放った。

 

 

 

「あんた、何をそんなに苦しんでるの?」

 

 

 

 突き刺すように放たれた言葉に、一夏の心臓が悲鳴を上げるように強く跳ねた。

 



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Interlude “心に響く鈴の音”

「……お前何言ってるんだ? 突然過ぎて何の事だかさっぱりだぜ?」

 

 

 口の中がからからに乾いて行くのを一夏は感じた。平静は装えている筈、と一夏は頬に力を込めた。

 鈴音の言葉は一夏の動揺を呼び起こす程に的確だった。なんでいきなり、と言う思いが消えない。鈴音から突き付けられた言葉の意図が見えない。

 挑み掛かるように一夏を睨んでいた鈴音は、急に身を翻した。背を向けて歩き去ろうとする姿に一夏は思わず、おい、と声をかけてしまった。振り返った鈴音は苛立ちを浮かべた表情で一夏を再度睨み付ける。

 

 

「……帰るわよ」

「は?」

「こんな所で話せる訳ないじゃん。アンタの家、誰もいないんでしょ?」

 

 

 逃がさない、と言っているようだった。再び歩き出した鈴音の背を一夏はぼんやりと見ていたが、彼女の背を追うように歩き始めた。

 見透かされているのかもしれない。その事実が一夏に身を震わせる。一夏の傷に触れようとする鈴音に戸惑いしか覚えない。

 どうして彼女は気付いたんだろう? 一夏の抱えるようになった傷を。そして何故触れようとしてくるのか。一夏にはわからなかった。ただ促されるままに、無言で鈴音と帰宅路を歩み続けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……それじゃあ話しなさいよ。あんた、最近おかしいわよ? 何があったの?」

 

 

 家に入り、リビングのソファーを陣取った鈴音は腕を組んだ。ふんぞり返りながら一夏に問いを投げて睨み付ける。睨み付けられた一夏は、竦み立つ事しか出来ない。

 いつまで経っても返答をしない一夏に鈴音は苛立ちを膨らませていく。組んだ腕の上で踊る指がその速度をどんどんと上げていく。

 

 

「……お前には言えない」

 

 

 ようやく絞り出した一夏の答えは鈴音の望んだものではない。拒絶の言葉を選んだ一夏はただ俯き、鈴音と視線を合わせる事が出来ない。

 だから一夏は鈴音の顔を見ていなかった。彼女がどんな表情を浮かべているのか、彼にはわからなかったのだ。

 

 

「言えないって、何で?」

「……」

「私には話せないの?」

「……あぁ」

「じゃあ誰になら話すの?」

「……誰にも言えない」

「じゃあ……。そんな苦しそうな顔して、どうすんのよ?」

 

 

 呆れたように問う鈴音に一夏は言葉を詰まらせた。苦しそうな、と言われて一夏は自分の頬を撫でてみた。

 

 

「アンタがそんな顔してるのってアンタらしくないんだって」

「……俺らしいってなんだよ」

「……一夏?」

「お前の言う俺らしいって何だよ? 俺は、俺の思うままにやってるだけだ。お前にどうこう言われる筋合いは……!」

 

 

 鈴の言葉にどうしても反論したかった。自分らしさなんて知らない。そもそも自分が許せなくて藻掻いているのに、と。だが一夏は顔を上げて、絶句した。

 鈴音の悲しそうな顔が一夏の目に映る。いつも快活で、強気で、眩しいまでに笑顔を浮かべている鈴音が、ただ悲しそうな顔を浮かべて一夏を見ていた。

 

 

「……そういう事言うんだ。ねぇ? 一夏はさ、昔、虐められてる私を助けてくれたでしょ? それって何で? 見てられなかったからじゃないの? だったら私だって同じだよ。一夏が苦しそうにしてるのが嫌だ。見てて辛かった。一夏が笑わなくなってた。ねぇ、気付いてる?」

「……鈴」

「心配なんだよ。ねぇ、心配するのも駄目なの? 私って、迷惑かな? 迷惑だったかな? 一夏がそんな顔する程、悩んでる。だったら助けたいって思うのが、そんなに迷惑だったのかな?」

「……悪い。俺、そんなつもりじゃ……」

 

 

 鈴音から投げかけられる言葉に一夏は眉を寄せ、肩を落として呟いた。自分で吐いた言葉に嫌気がさした。鈴音はただ自分の身を案じて心配してくれたというのにその手を振り払おうとした。

 またか。またやってしまったのか。一夏は前髪を掻き上げて歯を噛みしめる。またそうやって誰かの手を振り払う。誰かの善意を踏みにじる。何をやっているんだ、と一夏は自分の心を締め上げる。

 

 

「ねぇ、話してよ」

「……鈴」

「変なんだよ。一夏が笑ってないと。一夏が辛かったら私も辛いんだよ。ねぇ……っ!」

 

 

 わかってよ、と。言葉にはしなかったけれど鈴音の願いはそれに尽きるだろう。

 一夏が心配なのだと、一夏に気付いて欲しいのだ。一夏が思う程に、一夏が傷ついている事に。

 

 

「一夏も笑わなくなって、私どうすれば良いの? ねぇ? 私は何も出来ないの?」

 

 

 何も出来ない。その言葉が一夏の胸を深く穿った。

 それは一夏にとって呪わしき言葉だ。自分の無力さでどれだけ最愛の姉を苦しめた? 数えられない。全部自分が弱かったから、何も為せず、何も守れず、ただ傷ついて、傷つけられて。

 鈴音は無力なのか? そんな筈がない。だって鈴音は心配してくれた。話を聞こうと踏み込んで来た。そんな鈴音が無力? そんな筈がない、と浮かんだ思いを一夏は叫ぶ。

 

 

「そんな訳あるか!」

「だったら! ……だったら話してよ」

 

 

 一夏の叫びに応じるように鈴音もまた叫び、二人の視線が交錯する。

 話して良いんだろうか。曝しても良いのだろうか。こんな無力で情けない自分を。思い返して、一夏は首を振った。もう今更だろう。無様は曝すだけ曝しただろう。

 鈴音をこんなに悲しませてまで、黙ってる事でもない。彼女が無力を嘆く理由になんてして良いはずが無い。だったら話してしまおう。強張っていた身体の力を抜いて一夏は言った。

 

 

「……わかったよ」

 

 

 ただ、何から話せば良いかわからなかった。だからあの日の事件を思い出すように一夏は口にした。

 モンド・グロッソに出場する千冬の応援の為に外国に行った事。

 そこで誘拐されそうになった事。

 囚われていた所を謎のISに助けられた事。

 助けに来た千冬とそのISが戦いになった事。

 そして、助けてくれた謎のISを恐れ、牙を向けた事。

 1つ、1つ当時の思いを呼び起こすように一夏は語った。鈴音はただ黙って一夏の話を聞いていた。

 

 

「……それで全部かな」

「……そう。じゃあアンタが剣道を再開したのも」

「強くなりたかったんだ。強くならないといけない、って。でも、どうすれば強くなれるかなんてわかんなかったから、がむしゃらになるしか無かった」

「後悔してるの?」

「後悔しか無いさ。……俺がもっとしっかりして、俺がもっと強かったら……」

「それ、おかしいよ」

 

 

 一夏の呟きをはっきりと否定するように鈴音は言った。おかしい、と言われれば一夏は眉を寄せる。

 何がだよ、と一夏は反論しようとする。鈴音は首を振って、一夏を険しい表情のまま見た。

 

 

「なんでそうなるの? 悪いのはあんたを攫おうとした奴でしょ? どうしようも無かったんでしょ?」

「それは……」

「しっかりしてればって、私達子供なんだよ? ISも使ってたって言うならどうしようもないじゃない」

「そりゃそうだけど……」

「私だったら怖いわ。何も出来ないまま捕まって、助けようとしたってその謎のISも何も言わなかったんでしょ? 助けに来た、って。じゃあそいつだって怪しいじゃない。別の誘拐犯だったかもしれないじゃない」

「そんな奴が俺に強くなれ、って言うのかよ」

「知らないわよ、そんなの。そいつがそれで助けてやったのに、って言うんだったら、わかりやすく言え! って言うべきでしょ?」

「そう、なのかな?」

「そうでしょ!」

 

 

 一夏の悩みがまるで些細な事だとでも言うかのように鈴音は言う。それは一夏を誘拐した犯人に、鈴曰くわかりにくい謎のISに、そして一夏自身に怒るように鈴音は反論していく。

 不思議な感覚だった。鈴音に言われると、確かにそうかも、と思えてしまう自分が。あんなに自分の胸を苛んでいた事の1つ1つが軽くなっていく。一夏に呆れたように鈴音は肩を落として溜息を吐いた。

 

 

「なんで一夏はすぐ自分で抱えたがるのよ? そういう所、千冬さんにそっくり」

「俺が?」

「そうよ。……頼れば良いじゃない」

「頼る……?」

「千冬さんには一夏の性格じゃ嫌かもしれないけど、色んな奴があんたの周りにはいるでしょ。辛いなら辛いって、困ってるなら困ってるって。言ってよ。そしたら助けてくれる奴なんて幾らでもいるんだから」

「……そうなのか?」

「私は助けるわ」

 

 

 真っ直ぐに鈴音は一夏を見て言った。強く言い切った言葉には力があった。思わず一夏が目を見張る程に。

 

 

「……べ、別に勘違いしないでよ! あんたが変な顔してると私の調子が狂うだけなんだから!」

「なんだよ、それ」

 

 

 一夏は笑った。あまりにも鈴音らしくて、それがどうしようもなくおかしくて笑ってしまった。そんな一夏の顔を見て鈴音が呆けたように目を瞬かせた。突然呆けた鈴音に一夏は首を傾げる。

 

 

「鈴?」

「……やっと笑った」

「え? ……あ」

 

 

 鈴音の指摘に一夏は自分が笑った事に気付いた。いざ笑ってみると、あぁ、確かに最近は笑ってなかったかもな、と思った。ただ自分の弱さが嫌で払拭しようとがむしゃらになっていたから、笑う暇など無かった。

 一夏が笑った為だろう。鈴音もまた笑みを浮かべた。安心したように鈴音が笑っている姿を見て、何故だか一夏も自然と笑みが零れた。

 凄いな、と鈴音を見て一夏は思った。昔から真っ直ぐで、人にすぐ噛みついたり、喧嘩しそうになる奴だけども悪い奴じゃない。そんな事を昔から知っていた筈なのに。

 

 

「本当、しっかりしなさいって。しっかりするってそういう事よ? ちゃんと自分の状態を把握して、困ったら誰かに相談したりしなさい」

「あぁ。鈴に聞いて貰ったら楽になったぜ。……ありがとうな」

 

 

 心の底から一夏は感謝を込めて鈴音に告げた。きっと鈴音がいなければ、自分で自分を押し潰していたかもしれない。ようやく自覚出来たのだ。だからこそ心配してくれて、真っ向から向かってきてくれた彼女が本当にありがたい存在なのだと思えた。

 一夏の礼に鈴音もまたいつものような笑みを浮かべる。あぁ、これで元通りだな、と一夏もようやく実感できた瞬間だった。

 

 

「ようやくいつものアンタに戻ったじゃない。これで私がいなくなっても心配ないわね」

「……あ?」

 

 

 だから鈴音の言った言葉が耳に残った。呆けたような一夏の反応に鈴音が首を傾げ、すぐにはっと自分の口元を抑えた。更に口元を抑えてしまった事で反応を示してしまった事に鈴音は、しまった、という表情を浮かべた。

 

 

「……どういう事だ? 鈴」

「……や、やぁね。言葉の綾って奴よ?」

「お前が俺に言ったことを全部自分に言ってみろ。それでもそう言えるのか?」

 

 

 一夏の問いに鈴音は表情を崩す。まるで笑みを作ろうとして、失敗したような不器用な表情。一夏は鈴音の肩を掴んで自分に顔を向けさせる。近づいた距離に鈴音が息を詰めたが、すぐに諦めたように眉尻を下げた。

 

 

「……あー、失敗しちゃったな。アンタには言うつもりはなかったんだけどなぁ。最後まで格好付かなかったわ」

「どういう事だよ? いなくなるって……」

「私、中国に帰るからさ」

 

 

 鈴音が軽い調子で告げた言葉は遠い別離を知らせるものだった。

 

 

「は? なんでだよ? まだ学校だって中途半端だろ?」

「まだわかんないけど、それはもう確定って話。それが一ヶ月後とか、今年が終わってからなのかは言えないけどさ」

「なんでそんな事になってるんだよ?」

「……ウチの両親さ、離婚するんだ」

 

 

 離婚。思わぬ言葉が鈴音の口から飛び出た事に一夏は目を見開かせた。そして言葉を失ってしまった。

 離婚が何を意味するのか知らない一夏ではない。自分に両親と呼べる人はいないけれども、いや、いないからこそ一夏には我慢ならなかった。

 

 

「なんでだよ……俺が遊びに行った時はそんな雰囲気無かったぞ!?」

「他人様の前で家庭事情なんて晒せる訳ないでしょ。それにアンタが家に来たのは結構前よ。……まぁ、深くは言わせないでよ。そういう訳で私、近々中国行っちゃうからさ。アンタにはさっさとシャキッ、と元気になって貰わないと気持ち悪くてさー」

 

 

 けらけら、と辛さを感じさせないままに鈴音は笑った。だが、どうしても一夏には作り笑いにしか見えなかった。

 鈴音が作り笑いなんて浮かべるなんて想像したことも無くて、鈴音の知らない部分が見えて。それが一夏には衝撃だった。

 

 

「だからアンタに言いたくなかったのよね。アンタってさ、気を使うでしょ? なんかアンタに同情されたみたいで私が嫌だったの」

「……弾は知ってたのか? 他の奴らは?」

「……ごめん。一夏にだけ言ってなかったんだ」

 

 

 俺だけ知らなかった。

 それもまた衝撃だった。ただ呆然と一夏は鈴音を見つめる事しか出来なかった。裏切られた、とかではなくて、ただ蚊帳の外に自分がいた事が衝撃的すぎて一夏は言葉を失う。

 

 

「……ごめん。一夏にだけは言わないでって私がお願いしてたの」

「なんでだよ?」

「一夏、ただでさえ両親がいないでしょ? ほら、今話したら凄い悩んでる。これはね、私の問題なの。一夏もどうしようも出来ないでしょ? だったら悩ませるの癪じゃない。それだったら普通に学校に行ってさ。遊んだり、笑ったりしてさ、笑ったり、……して、さ……っ……」

 

 

 声がどんどんと消えていく。笑おうとした鈴音の顔が歪んでいく。小さな両肩を震わせて、堪えるように両手を握りしめるも止まらない。

 ぽろ、と。一粒零れた涙はまた1つ、また1つと鈴音の頬を伝っていく。涙が零れた事で鈴音が遂に堪えきれなくなったのか声を震わせて呟いた。

 

 

「ッ、だから、言いたくなかった……! アンタに言ったら! 泣くってわかってたから! 言いたくなかったんだよぉ……!」

 

 

 こんな鈴音の姿を一夏は見たことが無かった。子供のように顔を歪めて泣く鈴音の姿に一夏は何を言えば良いのかわからず、ただ竦む事しか出来ない。

 何かしなきゃ、と思った故の行動だろう。せめて鈴音の涙を拭おうと一夏の手が鈴音の頬に触れた時、鈴音が一夏に飛び込むように抱きついた。

 

 

「うわぁああああっ! やだよぉっ! 別れたくないよぉっ! 一夏とも、弾とも、蘭とも! 皆と別れたくないよぉ! 日本に居たいよぉ! 私、私ぃ……!! まだ何も言えてないのにぃ……!!」

「鈴……」

「言えないよぉっ! 別れるってわかってて言えないよぉ! こんなのって無いわよっ! なんでよ……、なんでよぉ……!!」

 

 

 一夏の服を掴み、自分の顔を押しつけながら鈴音は泣いていた。何度もしゃくりを上げるように。心の中に堪っていた不満を、全部吐き出してしまうように鈴音は泣き叫ぶ。

 鈴音を頬を撫でようとした手は、ただ無様に宙を空振る。一夏には何も言えない。かけてやる言葉がなかった。せめてと言わんばかりに鈴音の頭に手を置いて撫でる。胸を貸して鈴音が泣き止むまで。

 一夏の手が鈴音の頭に触れた瞬間、鈴音の震えは大きくなって泣き声は強くなる。鈴音の泣き声をただ聞く事しか出来ず、一夏はただ鈴音の頭を撫でた。これぐらいしかしてやれない事にどうしようもない無力感を感じながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それから。鈴音は一夏を避けるようになった。一夏もかける言葉が見つからず自分を避ける鈴音を目で追う事しか出来なかった。

 誰も何も言わなかった。二人と仲が良かった筈の弾でさえ二人に何も言えず、ただ時間だけが過ぎていく日々が過ぎ去っていった。

 そんな日々の終わりは唐突だった。一夏が部活の用意をして、部室へと向かおうとした。その道中の廊下で一夏は親友である弾の姿を見た。

 

 

「一夏」

「なんだよ、弾。俺、これから部活なんだけど」

「明日だってよ」

 

 

 何が、とは問わなかった。ただ言葉を失った。手に持っていた荷物を落としそうになり、慌てて手に力を込める。軋む音が虚しく耳に届いた。

 一夏は弾を睨み付けた。一体それを伝えて自分に何をしろ、と言うのか、そう問うように。一夏の視線を受けた弾もまた挑みかかるように視線を険しくした。

 

 

「……いいのか?」

「……何がだよ」

「このまま別れても良いのか、って事だよ」

「……」

「鈴は駄目だ。意地張りやがって。学校まで休みやがった。……で? お前はどうなんだよ? 一夏」

 

 

 弾の言葉は確信を突いていた。一夏は息を呑んで視線を落とした。

 あれからずっと避けられて、その度に目で追った。あれから鈴音が笑った顔を一夏は見ていない。それが落ち着かなかった。そして気付いた。これが自分が鈴音達にやってきた事か、と。

 情けなかった。確かに心配になる。どうした? って声をかけたくなる。悩みがあるなら相談に乗ってやりたい。けど、それを聞いて一夏は何も出来なかったのだ。

 

 

「今更だが、黙ってた事は悪かった」

「弾……」

「説得しようとしてたんだ。一夏にも言おう、って。結局、俺が知らない所で何かお前等やらかしたみたいだったけどな。あぁ、お前は悪くねぇよ。いや、悪いけど……その場においてお前は悪くない。大方慰めてやれなかったとか思ってるんだろ?」

「なんでわかるんだ!?」

「アホ。親友だろうが」

 

 

 にっ、と笑みを浮かべて見せる弾は実に男らしかった。親友と呼ばれる事がこんなにも嬉しい事だと一夏は思わなかった。

 

 

「正直言えば、鈴の自業自得もあるけど……。まぁ、仕様がないよな。引っ越しって言ったって国外だぜ? 流石に会いに行くなんて気軽も言えねぇ」

「そうだな……」

「だから良いのかよ。きっと今日明日中が鈴に直接会えるチャンスだぜ?」

「けど、鈴の奴は俺の事を避けて……」

「人を寄せ付けなさそうな空気を放ってたお前に鈴はどうした? 言いたい事とか、聞きたい事があるならぶつかれば良いじゃねぇか」

「――!?」

 

 

 落雷を受けたように一夏は弾の言葉に目を開いた。呆れたように弾は肩を竦めてみせる。

 

 

「わかったか? 鈍感野郎」

「……悪い、弾! 目が覚めた!」

「おっと! ついでに止まれ突撃馬鹿! これ、持って行け」

 

 

 駆け出そうとした一夏に弾が放り投げたのは彼自身の携帯だった。何故一夏は弾が自分の携帯を渡すのかわからず、首を傾げる。

 

 

「馬鹿野郎。どうやって会うつもりだよ。普通に会いに行っても門前払いだぞ?」

「じゃあ……」

「だから俺の携帯で電話しろ。んで、引き摺り出してこい。お前なら出来る」

「なんだよ、その信頼は」

「やかましい。無自覚フラグメーカーめ」

「意味がわかんねぇって。……サンキューな、弾」

「おう。明日返せよ。彼女のメアド入れる予定だからよ」

「予定かよ!」

「うるせぇ! さっさと行ってこい! 部活の方には俺が言っておいてやるからよ!」

「あぁ、わかった!」

 

 

 弾と交わすこんな馬鹿話も久しぶりだな、と思いながら一夏は荷物を抱え直し、弾から預かった携帯をポケットに突っ込み廊下を駆け抜けていく。

 駆け抜けていく一夏の背を見送った弾はふん、と鼻を鳴らして呟く。

 

 

「マジで頼むぜ。一夏。……あぁ、これで蘭には睨まれるなぁ。まぁ、仕様がないね。アイツも今回はわかってくれるだろうし。

 ……にしても友達と妹、どっちも応援してやらないといけないのがお兄ちゃんの辛い所って奴だぜ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 一夏は肩で呼吸しながら足を止めた。もう長い事、足を運んでいなかった鈴音の家は閑散としていた。鈴音の家が営んでいた中華料理店は閉店の看板が下げられていて電気も消えている。

 それが否応なしに一夏に現実を教える。だがどうしようもない事だった。それに何を思おうが鈴音が中国に帰ってしまう事実は変わりがないんだから。

 

 

「……鈴」

 

 

 アイツは今、どんな思いでいるんだろうか。そんなのわかる訳ない。けれど無視は出来ない。したくない。だから今更ながらここに来たんだろう。来ようと思えばもっと早く来れた筈のここに。

 弾から預かった携帯を取り出して一夏は電話帳を開き、鈴音の名前を探し出す。そして見つけた鈴音の電話番号をプッシュして携帯を耳に当てた。

 着信音が響くように耳に届く。コール音が長く感じる。まさか弾の携帯でも出ない? と一夏が不安になり、1分過ぎようとした所でコール音が途切れる。そして鈴音の怒声が耳に飛び込んできた。

 

 

『しつこいって言ってんのよ!! 私は一夏に告白もしないって言ってるでしょ!! もう良いの!! 放っておいてよ!!』

「……へぇぁ?」

『は?』

 

 

 一夏の口から思わず間抜けな声が漏れた。いや、きっと鈴音は弾に向けて言ったつもりなのだろう。だが幸運か、不幸かそれを聞いていたのは一夏だった。

 

 

『え? え、あ、い、いいい、一夏!? 何で!? 何で弾の番号でアンタが出てくるのよ!?』

「え、あ、はい。これは弾の携帯で、俺は今、鈴の家の前にいるんだが…」

『は、はぁ!? あ、アイツ……! 何してくれてんのよ! 最悪ッ! 死ねッ! 馬鹿、この馬鹿一夏ッ!! 地獄に落ちろッ!!』

「ちょ、ちょっと待て!? なんで俺が罵られてるんだ! い、いや! 丁度良い、俺もお前に聞きたい事があるんだ、ちょっと出てきてくれないか?」

『は、はぁ!? 嫌よ! 絶対嫌! 帰ってよ! 今、誰にも会いたくないの!!』

「俺はテコでもここから動かないぞ!」

『……ッ……!』

 

 

 鈴が息を呑む。その後、すぐに通話が切断される。一夏は切断を知らせる無機質なコール音に舌打ちを零して、再度鈴に電話を入れようとした時だった。

 勢いよく扉が開いて私服姿の鈴音が飛び出してきた。目が赤く、普段ツインテールに纏めている髪はぼさぼさ。肩で息をするように一夏を睨み付けながら鈴音は震える声で言った。

 

 

「なんで今更来たのよ、馬鹿」

「……悪い」

「しかも、弾の電話借りてくるとか。小細工が過ぎるでしょ」

「ごめん」

「……最悪よ。本当、最悪……」

 

 

 声を震わせながら鈴音は俯いてしまう。握りしめた拳は力を込めすぎて震えている。

 鈴、と一夏が名前を呼んで声をかけようとした時、鈴音が一歩を踏み出して素早く一夏の襟首を掴みあげた。

 

 

「や、やり直し!」

「え?」

「や、やり直しを要求するわ! こんな告白でバレるなんて私は認めないわ!」

「やり直しって……その、告白、をか……?」

 

 

 一夏の問いに鈴音は言葉を失って俯いてしまう。一夏も顔を紅くして俯いた。告白の意味ぐらいわかる。鈴がどういう気持ちで告白と言ったかなんて、ここまで来ればわからない筈がない。

 

 

「……たら」

「…え?」

「戻ってきたら! もう一回告白する! だから今回のはナシ! いや、でも、……やっぱナシ!」

「鈴?」

「もう一回日本に戻ってきたらちゃんと告白する! だから、だから、その……」

 

 

 言葉尻にどんどんと力を無くし、鈴音は襟首を掴んでいた手を一夏の胸の上で拳に変えて顔を再び俯かせていく。

 自分は何を言っているのか、と鈴は唇を震わせた。いくら何でも無理だろう、と。自分は明日には中国に旅立っていて、いつまた日本に戻ってこれるかなんて、わからないのに。自分な勝手な言い分に鈴が後悔を覚えた。正にその時だった。一夏が返答したのは。

 

 

「わかった」

「……え?」

「待ってる。……その、告白、もう一回するんだよな?」

「……う、うん」

「じゃあ待ってる。だから必ずまた帰ってこい」

 

 

 胸に置かれた鈴の手に、自分の手を重ねながら一夏は言う。

 

 

「……その、俺も、正直、テンパってる」

「……うん」

「だから考えさせてくれ。中国に行くって言うのに……こんな返答になって、本当に悪いと思ってるけど」

「う、うぅん……。私も、ごめん。勝手な事言って……。いつまた日本に来れるなんてわからないのに…」

「良い。俺は待てるから」

「……い、一夏! あ、あの! それって! ……それって、脈があるって受け取って良いのかな?」

 

 

 一夏の全身が硬直した。真顔で石像のように硬直してしまった一夏に鈴音も釣られるように固まってしまう。鈴音の片手を包むように握ったまま一夏は微動だにしない。鈴音は一夏に手を握られている事に気付いて顔を真っ赤にした。

 

 

「……い、一夏?」

「……す、少なくとも」

「う、うん」

「……お前は可愛いよな、って思ってる」

 

 

 ふにゃ、と。鈴音の口から妙な言葉が零れる。鈴音は呆けたように一夏を見てみれば真顔で難しい顔のまま、一夏は唸り声を上げていた。

 照れている、という訳ではない。ただ、ただ一夏は悩んでいた。だが、思考が働かない。まるで解けない難問にぶつかったように、もどかしそうに一夏は呟く。

 

 

「ごめん。本当にわかんねぇ。そういう事、まったく考えてなかったから」

「……うん。知ってる。知ってるよ。私こそ、ごめんね?」

 

 

 鈴音はそっと自分の手に添えられていた一夏の手を解く。強張っていた一夏の指が鈴の手によって解かれていき、二人の手が離れた。

 

 

「……もしさ、私が帰って来る前に好きな子とか出来たら、私の事、気にしなくて良いから」

「それはわからない。でも、待つ」

「え?」

「待つって言ったら待つ」

 

 

 最早、意地のように一夏は口にした。鈴音は知っている。こうなった時の一夏は本当に何をしようとも自分の意見を覆さない事を。それが申し訳なくて、不覚にも嬉しかった。

 

 

「……馬鹿。そういう事言って。一夏が好きな子とかいて告白してきたらどうするのさ」

「それでも――」

「それはやめて! ……待たなくて良い。やっぱり待たなくて良い。ごめんね、勝手な事ばかり言って。だから、せめて忘れないで。もう一回、日本に戻ってきたら必ず会いに来るから。……その時、ちゃんと言わせて?」

「……わかった」

 

 

 一夏は重々しく頷いた。一夏が頷いたのを見て、鈴音は嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。

 

 

「本当に、馬鹿なんだから。でも、一夏のそういう所、大好きだよ。ありがとう」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ただいま……? 一夏、寝ているのか?」

 

 

 千冬は家に帰宅すると家に灯りが付いていない事に気付いた。リビングの灯りをつけると一夏がソファーに座ってぼんやりとしていた。

 ぎょっ、と千冬は目を見開く。電気もつけないリビングでぼんやりとしているだなんて何かがあったとしか思えない。正面に回って一夏の顔を見れば更に千冬は驚愕する。まるで魂が抜けたように呆ける一夏の姿を見たからだ。

 

 

「一夏!? 一夏、一体どうしたんだ!? 何があった!?」

「……千冬姉?」

 

 

 今まで焦点の合っていなかった一夏の瞳が千冬の呼びかけでようやく焦点が合い、正気を取り戻したように呟きを零す。

 

 

「何があったんだ!? 病気か!? 具合が悪い所は!? 熱は!?」

 

 

 千冬はおろおろと慌てふためきながら一夏の様子を窺う。こんな一夏の姿は初めて見たものだから千冬もどう対応して良いのかわからなかった。この手間のかからなかった弟が、今日ほど理解出来ない日はなかっただろう。

 千冬がおろおろしている姿をぼんやりと眺めていた一夏だったが、不意にぽつりと零した。

 

 

「……千冬姉」

「な、なんだ!?」

「……恋って、なんだろうな」

「はぁっ!?」

 

 

 後日、この質問を弾に持ちかけ、弾を阿鼻叫喚の地獄に叩き落とす未来を一夏はまだ知らない。

 ただ、一夏はぼんやりと去っていってしまった幼馴染みの姿を思い描く。尽きぬ悩みに、ただ惑うしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「い、一夏!? どういう事なんだ、恋って何だ!? まさか彼女でも出来たのか!? 呆けてないで答えろ一夏ぁあああああああ!?」

 



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Interlude “アイのカタチ”

 一夏は息を整える。心をただ静かに。慌てる事はない。怯える事もない。

 相手に合わせて自らの位置を変える。足取りもまた静かに、確実に床を踏みしめる。意識を集中させていけば雑音も耳に入らない。自分の息遣いと心音、そして相手の呼吸。それだけがクリアになって耳に届くだけ。

 視界に映る景色もまた同じく。動いている相手と、相手に剣先を向けている竹刀だけを見る。ぼやけて歪んでいく景色の中、動いている相手がはっきりと見える。

 相手の呼吸を計る。リズムを取るように一定に吐いている呼吸を聞き分ける。そして、リズムが崩れるその一瞬。その一瞬を待ち侘びていた一夏は目を見開いて一歩を踏み込んだ。

 

 

「――めぇぇええええんっ!!」

 

 

 竹刀の打つ音が高らかに響き渡り、クリアな世界を終わらせた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「やったぜ! 織斑! 優勝だってよ!? まさか俺達団体戦で優勝って、なぁ!?」

「いてぇよ! やめろって、皆で頑張った結果だって!」

 

 

 一夏は現在、剣道部として最後となる大会に臨んでいた。一時期、死んだ屍のようになっていた一夏。しかし復帰後は変わらず、部活で活躍を続けていた。

 一夏が頭角を現して実力を発揮し出すと、負けじと周りの部員達も努力した。その理由が女の子にやたらとモテる一夏を倒したい、という願いと、織斑に勝てればモテるかもしれない、という願いから来るものなのだから、不純も良いところではあるが。

 だがそれも最後が近づいていくにつれて、そんな不純な気持ちも無くなっていった。最後だからこそ有終の美を飾りたい。そう思う気持ちは誰もが一緒だった。

 そんな皆が勝ち取った団体戦での優勝という結果。これ以上にないぐらい最高の結果だった。

 後、残すのは表彰式ぐらいだろう。大会ももう終盤だ。そんな時だ。部員の一人が思い出したように呟きを零した。

 

 

「そういやさ、さっき女子の個人戦でめっちゃ凄い強い女子いたよな」

「ん? そんな奴いたのか?」

「あぁ。……あ、ほら! あの子」

 

 

 指で示された方を見て一夏は視線を向けた。そして目に映した姿に一夏は記憶が刺激された。

 黒髪はポニーテールに纏められていて、剣道着を着る姿は見事に様になっている。見えた横顔は、“記憶”よりもずっと大人びていた。

 

 

「……悪い、ちょっと行ってくるわ。荷物、頼む!」

「は? お、おい? 一夏?」

「知り合いかもしれない!」

 

 

 “彼女”は廊下を曲がろうとしている。このままでは見失ってしまうと一夏は走るスピードを上げた。

 角を曲がれば“彼女”の背が見えた。一夏は呼び止めるようにその背に声を投げかけた。

 

 

「箒!」

 

 

 一夏の声に“彼女”は足を止める。そして弾かれたように後ろへと振り向いた。

 ポニーテールが振り向いた勢いで流れ、一夏へと向けられた顔は驚愕の色に染まっている。信じられない、という表情を浮かべる姿に一夏は笑みを浮かべた。

 

 

「良かった。人違いかとだと思ったぜ。――久しぶりだな、箒」

「……一夏……?」

「忘れたか? 一緒に道場で――」

「……一夏?」

「……おい? 箒?」

 

 

 呆けたようにただ一夏の名を呟く箒に一夏は眉を寄せた。

 

 

「……何故、ここに?」

「そりゃあ剣道部だからな」

「そう、なのか」

「おう。団体戦1位だぜ。見てなかったのかよ?」

「丁度私が試合していた頃だろう……。そうか。お前も剣道を続けていたのか」

 

 

 良かった、と。花が咲くように箒は笑った。心の底から嬉しそうに、目を細めて再会を喜ぶ姿に一夏は思わずドキリ、とさせられた。

 綺麗になった、と。記憶の中で子供でしかなかった箒の姿が、今の印象に塗り替えられていく。

 

 

「……綺麗になったな」

「なぁ!? ……っ、そ、そうか?」

「あぁ。その、吃驚した」

 

 

 こんなにも変わってしまうものなのか、と一夏は驚いていた。一夏に褒められた箒はどこか落ち着かないように一夏の言葉を反芻させていた。

 

 

「い、一夏!」

「お、おう?」

「私はまだ次の試合まで時間があるんだ。……少し、話せるか?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 篠ノ之 箒の心は浮ついていた。その理由は思わぬ再会をしてしまった為だ。今、箒の隣には一夏が座っている。

 織斑 一夏は箒の幼馴染みであり、一番仲が良かった友だった。そして……自分の初恋の人だった。

 別れるまでは共に剣を振るっていた。箒は自分も認める程に不器用な人間だ。人との付き合いも苦手であれば、着飾るよりも竹刀を振るっている方が好きだ。

 だからこそ友に恵まれなかった箒にとって、一夏は誰よりも近しい存在であり、心惹かれた。彼は優しく、そして強かったから。

 だが、彼とは唐突に別れてしまう事となる。別れる経緯に色々と理由があるのだが、今は良いだろう。箒は一夏と再会出来た事が奇跡のように思えていたから。だから今はそれで良い、と。

 

 

「一夏は元気にしていたか?」

「ん? まぁな。っていうか、今更聞く事か?」

「気になるだろう。お前と別れて5年か。早いものだな」

「あぁ、もうそんなに経つのか」

 

 

 箒の呟きに一夏が頷く。もうそんなに経つのか、と振り返ってみれば本当に長い時間のようにも思え、あっという間の短い時間だったような気もする。

 箒にとっては色彩を欠いた生活だった。唐突に引き離される事となり、激変した環境は箒から世界の色を容易く奪っていた。くすんでさえ見える灰色の世界は、ただ退屈だった。

 

 

「箒こそ、なんか大変だっただろ?」

「まぁな……。だがもう慣れた。慣れてしまった」

 

 

 辛くなかったなんて言えない。むしろ辛いことばかりで、だからこそ辛い事には慣れてしまった。何も感じない事を覚えてしまった。だからといって痛みが無くなる訳でもなく、箒はただ苛まれ続ける日々を送っていた。

 

 

「一夏はどうなんだ? 何か変わった事とかあったか?」

「……あぁ、あったな」

「……一夏?」

「なぁ、箒」

 

 

 一夏は態勢を変え、箒を正面から見据えるように見た。一夏の浮かべている表情はとても真剣な表情で思わず箒が戸惑ってしまう程だった。

 

 

「……お前さ、彼氏とか出来たか?」

「は? ……いや、いないぞ!? お前はいきなり何を聞くんだ!?」

「そ、そうか……。そうか……」

「……なんでお前は肩を落としているんだ?」

 

 

 一夏の質問が予想外で困惑してしまったが、並々ならぬ一夏の様子に心配になった。肩を落とし、深々と溜息を吐く様は明らかに落胆されていた。

 彼氏がいない事に落胆した? まったくもってわからない。何故一夏が落ち込んでしまうのか、わからないまま箒はただ一夏の言葉を待った。

 一夏は眉を寄せながら悩んでいた。こんな顔を浮かべるようになっていたのか、と軽い驚きと共に箒は一夏を見つめる。

 

 

「……箒は、好きな奴とかいないの?」

「な、何なんだ、さっきからお前の質問は!? な、何故そんな事を聞く?」

「俺さ、告白されたんだよ」

 

 

 箒は息を呑んで固まった。

 誰が告白された? 一夏が? 誰かに? その事実が浸透してくると箒の背筋に冷たいものが走った。一瞬、震えそうになった身体を押さえつけて箒は笑みを浮かべた。

 

 

「……そう、か。お前も、見ない内に色恋沙汰の話をするようになったのか」

「……返事はしてないんだけどな」

「何!? お前、告白されたのに無視をしたのか!?」

 

 

 それは聞き捨てならん、と箒は一夏に向き直った。告白されていた、という事実はショックだったが、それでも告白の返事をしないのは男らしくない、と咎めようとすると一夏は力なく首を振った。

 やはりおかしい、と箒は眉を寄せた。昔の一夏は言ってしまえばもっと脳天気だった。悩んでいる姿など見たことが無く、許せない事があれば許せないと良い、真っ直ぐに向かっていく。そんな一夏が迷っている姿を見せているのに箒はただ困惑する事しか出来ない。

 

 

「違うんだ。……わからないんだ」

「わからない?」

「そいつってさ。箒が転校していった後に転校してきてんだ。凄い良い奴なんだ。普通に可愛い奴だな、って思える奴さ。実際、人気はあったりもしたらしくてさ」

「……そう、なのか。じゃあお前は少なからず良い奴だと思っていたんだな?」

「あぁ。そうさ。胸を張って大事な友達って言える。……そいつから告白されてからさ、俺ずっと考えてるんだけどさ。わからないんだ」

「……? 一体何がだ?」

「人を好きになるのはわかる。良い奴だな、って思った奴はきっと好きなんだと思うし。だけど……なんて言うんだろうな」

 

 

 一夏は頭を抱えるように手を乗せて髪をかき混ぜる。視線を俯かせながら言葉を探しているが、見つからないまま唸っている。

 

 

「……彼氏になるとか、彼女になってもらうとか実感がなさ過ぎて、感情が沸かないんだ」

「感情が沸かない?」

「……あー、その。キスしたいとか全然思わない、とか。恋人になるんだろ? だったらデートとかさ、その、本当に仲が良かったら結婚とかするんだろ? ――全然わかんないんだ」

「……一夏?」

「考えようとすると頭が真っ白になって、そこから先に進まないんだ。誰から何を聞いても」

 

 

 ようやく上げた一夏の顔は眉間こそ寄せられていたものの、まったくの無表情だった。思わず箒はぞっ、と背筋に怖気が走るのを感じた。

 一夏の表情を見て箒はこう思った。抜け落ちている、と。まるでパーツを無くしてしまったかのようだ。箒に見られたまま、一夏はただ言葉を続ける。

 

 

「付き合ってみたい、とか。女の子に触れたい、とか。思わないんだ」

「……その、一夏。……お、男に興味があるという訳ではないよな?」

「それはねぇよ! やめてくれよ!! 皆そう言うんだぜ!? お陰で暫く引かれたわ!!」

 

 

 思い出したくない! と一夏は別の意味で頭を抱えてしまった。何か嫌な記憶でも掘り起こしてしまったのだろうか。ひたすら、ホモじゃない、ホモじゃない! と呟き続ける一夏に箒はなんだか申し訳ない気分になった。

 

 

「じ、実際女の子にドキドキはするんだぞ! その、その……そういう、本とかにはな?」

「わ、私の前でお前は何を言っているんだ!?」

「わ、悪い!」

「デリカシーを弁えろ! そういう所は相変わらずだな!」

 

 

 互いに息を荒らげて肩で呼吸する。ここが人通りの少ない場所で良かった、と箒は心底安堵した。ヘタに女子にでも聞かれようものなら一夏は当然、自分まで妙な烙印を押されかねない。

 とりあえず呼吸を落ち着ける二人。呼吸を落ち着かせて、手元にあった飲み物を喉に通して気を落ち着かせる。

 

 

「……とにかく、お前は恋人になる、という事にまったくの実感が無くて戸惑っている、と?」

「そうなんだよ。……なんか、怖くなるんだ」

「怖い?」

「だって何もわからないんだ。好きになって貰っても、俺はそれに何も返してやれない」

 

 

 好きになって貰ってるのに、と一夏は呟く。

 その呟きを耳にした箒は目を見開いて、そして納得した。そして同時に呆れ果てた。

 

 

「馬鹿者」

「え?」

「何故返す必要がある?」

「だって……」

「好きになるのは人の勝手だ。それをいちいち重く受け止めすぎるな。だから思考が止まるんだ」

「でも……!」

「義理堅いのは良いが、無理な事はしなくて良いんだぞ? お前はきっとお前を好きになった子の気持ちに誠実に向き合わなきゃ、等と思っているんだろ?」

「……なんでわかるんだ?」

「子供の頃から一緒だったんだ。お前の事など手に取るようにわかる。お前は真面目すぎるんだよ」

 

 

 一夏も人をからかったりすれば、茶化したりもする。そんな子供っぽい一面もある。馬鹿で間抜けめ、と思う事もある。どこか抜けたこの男に苛々させられた事など、数えても数え切れない。

 だけど一夏は一本これだと決めた事は筋を通すのだ。やると決めた事は絶対にやり遂げる。それが一夏の長所だと箒は知っている。だが、今はそれが仇となっている。

 

 

「確かに好きになったら好きになって欲しい、って思うさ。相手に特別に見られたい、思って欲しい。そう思うのは当然だ。けど、それが全てじゃない」

「……そういうもんなのか?」

「好きになったらもう理屈じゃないんだ。そいつが好きだから。だから一緒に居たいって思うし、キ、キスだってされたいと思うさ。結婚まで考えてくれるなら本当に幸せかもしれない。だからお前は間違ってないんだが、な」

「……だったら、なんで俺は馬鹿なんだよ」

「お前が苦しんでどうするんだ? 好きになったらお前を苦しめなきゃいけないのか? ――それなら私はお前を好きにならない」

 

 

 箒は真っ直ぐに一夏を見据えて言う。一夏は箒に向けて驚いたような表情を向けている。だが、箒はただ思うままに言葉を紡ぐ。

 

 

「好きなんだ。なのに苦しめているなら諦める。それがその人の幸せなら諦められる」

「そんなの……悲しいじゃないか」

「報われるばかりが恋愛じゃないさ。好きになってもどうしても離れなければならない事がある。そんな時は言いたくなくなるさ。もしも相手が思ってくれたら自分も辛いし、相手に辛い思いをさせるからな」

 

 

 箒の言葉で一夏の脳裏には鈴音の姿が蘇る。一夏には言いたくなかったと叫んだ姿が。告白のやり直しを約束しようとして後悔していくように言葉を無くす姿が。浮かんでは消え、一夏の心にすとん、と落ちていく。

 傷つけたくなかったから。当然、鈴音も悲しかっただろう。だけどもし想いが通じ合ってしまえば、残酷なまでの別れが待っている。だから言えなかった。だから言いたくなかった。

 お前もそうだったのか? とここに居ない鈴音に一夏は問いかけたかった。

 

 

「好きになったらどうしようもない。けど、だから諦められるんだ。その人が大事だから。お前に告白してくれた子は何か言っていなかったか?」

「……俺は、待ってるって言ったんだ。そいつは日本から離れていなくなるから。だけど待ってる、って。でも鈴は待たなくて良い、って。ただ忘れないで、って」

「……そうか。だったらその子はお前の事が好きだったんだろう」

「……そう、なのかな」

「あぁ。本気でお前の事が好きだったんだ。お前が好きだったから、お前を傷つけたくなくてそう言ったんだ。自分が原因でお前の幸せを潰したくないから。だけどそれでも……お前に忘れられたくなかったんだ。お前が好きな女の子がいるんだぞ、と」

 

 

 はぁ、と溜息を吐いて、箒は目を閉じた。

 

 

「悔しいな」

「え?」

「……すまない。一夏」

 

 

 箒は、きゅっ、と唇を一文字に結んで一夏と向き直る。既視感を覚える光景。箒の表情が何故か、鈴音の表情と被った。

 

 

「私も、お前が好きだったんだ」

「……――」

 

 

 呼吸が止まった。文字通り息が出来なくて苦しくなる。箒しか見えなくなって、ようやく吐き出した息は震えていた。

 そんな一夏に申し訳なさそうに、それでもどこか満足げに笑みを浮かべている箒の目尻には涙が浮いている。

 

 

「すまない、な。でも悔しかったんだ。私だって、私だってお前の事が好きだった。だからその子は羨ましいなぁ。私が言えなかった間に言ってしまうんだ。ずるいって思ってしまったんだ。ふふ、なんだ。結構、簡単に言ってしまえるものなんだな」

 

 

 言葉を失う一夏に箒は立ち上がって背を向けた。その背中が震えている事に気付きながらも、一夏は何も言えない。

 

 

「すまない。本当に自分勝手な奴で済まない」

「箒?」

「もう時間だから。そして、きっとこれが最後だから」

「最後!? なんで……!?」

「私は要人保護プログラムで保護されているからな。……だからきっともう会えない。連絡先なんかも言えない。だから今日は一瞬の奇跡だ。すまないが最後の我が儘だと思って聞いてくれ」

「ま、待てよ、箒ッ!」

「幸せになってくれ、一夏。私も、その子もきっとそう望んでる。――大好きだったよ、一夏。だから……頼むから追いかけて来ないでくれ。お前に今の顔を見られたくないから」

 

 

 僅かに顔を後ろに向けて、けれど髪が邪魔で箒の顔が見えない。紡がれた言葉に動きを止めて、走り去っていく箒の姿を見送る事しか出来ない。

 また、伸ばした手は宙を切る。力なく落とした手を強く握りしめて一夏は歯を噛みしめた。握った拳を太ももに叩き付けて一夏は俯く。

 

 

「なんだよ、それ。……なんだよ、それっ!」

 

 

 一夏には、わからない。

 鈴音も、箒も。好きになってくれたのに、それに好きだって返せなくて、それでも断る事も出来ない自分にどうして幸せなんか願うんだ。泣いてしまうのにどうして行ってしまうんだ。

 どっちの手も取れないで、見送ることしか出来ない自分があまりにも惨めだった。自分に叩き付けた拳の痛みは、心の淀みを何も晴らしてはくれなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 箒の言った通り、大会が終わってしまえば一夏に箒の足取りを追う術など無かった。

 思えば箒と同じ学校の生徒に聞くとか、もしかしたらそうすれば追えたかもしれない。でも結果的に追いかけなかったのは一夏なのだ。

 それから一夏は塞ぎ込んだ。情けなくて、どうしようもないぐらいに悔しくて。はっきり答えを出せない自分が憎くて。

 そんな時だった。千冬が酌をしろ、と一夏を誘ったのは。珍しい事だった。千冬は酒を飲む時に一夏を同席はさせない。子供が酒に近づくな、と何度も怒られた記憶がある。

 だったら自分で片付けろよ、と反論した記憶は懐かしい限りだ。今はもう酒の缶を片付ける事に何も言われない。

 

 

「……二兎追う者は一兎も得ず、と聞いたことがあるか?」

「……知ってるよ」

 

 

 ビールを口にし、息を溜めて吐き出す。そんな様をぼんやりと見つめていた一夏は、唐突に千冬が振った話題に不機嫌になりながら返す。

 一夏の反応に千冬はビールを置いて一夏と正面から向き合った。眉を寄せている姿は、どこか申し訳なさそうだった。

 

 

「きっとお前のその不器用な恋愛観は私の所為だと思うんだ」

「何で千冬姉が悪いんだよ」

「私がそういう風に育ててしまった。お前は真面目だ。素直で、芯があって筋を通す事が出来る。たまに頑固な時はあるが、それでも充分お前の美徳だと思ってる。だが、少し真面目すぎる」

「それ、箒にも言われた……」

「ほぅ? そうか。あいつも成長したな。……一夏、聞いてくれないか?」

「何だよ」

「もう、私を守ろうとしないでくれ」

 

 

 がつん、と。一夏は鈍器で頭を殴られたような衝撃を感じた。

 勢いよく顔を上げて千冬を見る。信じられない気持ちでいっぱいだった。何故、千冬がそんな事を言うのかわからなかった。まるで拒絶されたようだった。

 

 

「もう良いんだ。一夏。ありがとう。私はずっとお前に助けられてきたんだ」

「そんな! 俺は、俺はずっと千冬姉に助けて貰ってきた! ずっと、ずっとだ!」

「あぁ。私の努力がそう言って貰えれば嬉しい。でももう充分なんだ」

「充分なんかじゃないだろ!? 俺は、俺は千冬姉にまだ何も返せてない!!」

「それだ」

「え?」

「返す、というのを止めろ。お前の身を削ってるだろ? なぁ、一夏。どうして私を悲しませる? 私はお前に幸せになって欲しいのに」

「俺だって同じだ! 千冬姉に幸せになって貰いたい! ここまで育てて貰ったんだ! 俺は、千冬姉がいなかったらここにいないから!!」

「そうだな。私も同じだ。お前がいなかったら今の私はここにいない。だからな、一夏。お互いにもうやめよう」

 

 

 やめよう、と。繰り返すように千冬は一夏を窘めるように告げた。どこまでも優しい微笑みを浮かべて、一夏を見つめながら千冬は続ける。

 

 

「もう私は幸せだ。あとは自分の足で歩いていくよ。お前に背を押される必要はないんだ」

「そんな!」

「だから自分の幸せについて考えてみろ。一夏、私はお前より年を食っているんだ。普通に生きていれば私が先に死ぬ。私が死ぬまで私の世話をするつもりか? それは私が嫌だ。お前に何も与えてやれないじゃないか」

 

 

 千冬の言葉に一夏は胸が詰まる想いでいっぱいだった。言葉を出してしまえば震えそうだった。嫌だ、聞きたくない、と言うように何度も首を左右に振る。

 千冬はそんな一夏の様子に苦笑をして席を立った。横から抱きしめるように一夏の頭を抱える。一夏の頭を優しく労るように撫でながら、囁くように言う。

 

 

「――ありがとう。こんなに私を愛してくれて。だからもう良いんだ。本当にありがとう」

 

 

 もう充分すぎる程に愛して貰った。けれど一生付き添って歩いてはいけない。そう、お互いに。千冬は悟ったのだ。もう一夏は自分の手を離れても歩いていける、と。だから自分に縛られて欲しくないと。

 救ってやりたかった。手を引いてあげたかった。だけど彼はいつの間に立ち上がって歩き出していた。誰かに背を押されていた。だから、もう自分の手は要らない。

 

 

「俺ッ……! まだ……何も……!!」

「何度言わせるつもりだ、馬鹿者。……孫ではないが、せめて姪か甥の姿でも見せてみせろ。……あぁ、なんだ。これでは私が一生独り身みたいじゃないか。まったく、本当にどうすれば良いというのだ。いつまでも手を焼かせるな」

 

 

 本当は、一生焼いたって後悔はない。千冬は心の底から思っている。

 わかっているからこそ、千冬は一夏を突き放す。ただ、一夏の為を思って。

 

 

「私は世界最強だぞ? 強いんだぞ? わかっているのか?」

「ズボラな癖に……!」

「あぁ。そうだな。なら料理でも覚えよう。洗濯も出来るようになろう。お前がいなくても一人で出来るんだぞ、って言って見せてやるさ」

「俺が……やらなきゃ出来ない癖に……!」

「そうだな。本当に、本当にすまなかったな。お前を縛り付けてしまったな」

「そんな訳ない!」

「いい加減にしろ。駄々っ子かお前は。もう15にもなるんだろ? 昔だったら大人の仲間入りだ。恥ずかしい面を晒していたら私が恥ずかしいじゃないか」

 

 

 千冬は一夏を抱きしめていた手を離し、ぽんぽん、と頭を撫でるよう叩いてやる。涙でぐしゃぐしゃに崩れた一夏の顔を見て、仕方ない、と言うように微笑む。

 一夏はもう何も言えない。何を言っても、もう姉はきっとわかってくれない。お互いによく似ているからわかってしまう。

 認めたくない。一生をかけても返せない恩を貰ってる。でも、もういらないって言ってる。それでも恩を返そうとする事が我が儘だと言われるなら、我が儘はもう言えない。

 

 

「……千冬姉」

「なんだ?」

「ありがとう……!!」

 

 

 だからきっとこれが最後。別れる訳ではない。離れる訳でもない。でも確かな決別をここでする。

 互いに想い、互いを守ろうとして、互いが見えなかった姉弟はようやく視線を合わせた。互いに見せた顔が涙に濡れてぐしゃぐしゃになっているものだから、二人は顔を見合わせて言い合った。

 

 

 

「ひでぇ顔、千冬姉」

「お前もな、一夏」



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Episode:13

 煌びやかなパーティー会場。集う者達は世界的に見て地位や権力を持つ者ばかり。見た目、絢爛豪華な装飾の裏にはどす黒い欲望が横たわっている事をセシリア・オルコットは知っている。

 セシリア・オルコットはイギリスの名門貴族の当主である。故に無様な姿は晒せない。セシリアはパーティの参加者に笑顔を振りまきながら握手を交わす。時折、投げかけられる話題には無難に返して切り抜ける。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 まるで悪意と踊っているようだ、とセシリアは肩の力を抜いた。ようやく壁際の花となる事が出来たセシリアは、疲れを見せるように吐息を零す。しかし、すぐに気を張って表情を引き締める。

 セシリアは年若くしてオルコット家を継いだ身である。不慮の事故で両親を亡くしたセシリアは幼い身ながら当主を引き継がなければならなかった。欲望が渦巻く社交界に幼い身で飛び込み、両親の残した遺産を守ろうと毅然として立ち向かった。

 その努力が認められた。代表候補生という称号を手に入れたセシリアはその地位を盤石のものとしたのだ。

 そんな彼女のスケジュールは多忙だ。故に少しばかり気が抜けてしまったのは仕方ない事だろう、と。

 

 

「お疲れみたいですね。飲み物、いりませんか?」

「あら? ……ッ! 貴方は……」

 

 

 セシリアは不意にかけられた声に顔を上げた。そこにいた人物にセシリアは平静を装って対応したが、内心では動揺を抑えようと必死だった。

 流れるような金色の髪。柔和な笑顔は思わず心をあっさりと許してしまいそうになる。淡いオレンジ色のドレスはよく似合っていて、まるで日の光を思わせるように輝く少女。そんな少女を前にしてセシリアは一礼し、笑みを浮かべて応対する。

 

 

「これはこれは。わざわざありがとうございます。シャルロット・デュノア様」

「いえいえ」

 

 

 ――“疾風の姫君<ラファール・ラ・プランセス>”、シャルロット・デュノア。

 突如、フランス代表候補生として就任した彼女の名は瞬く間に知れ渡る事となる。彼女自身の名も有名だが、彼女が有名になったのは彼女の愛機こそが全ての原因であろう。

 デュノア社から発表された第3世代型IS“ラファール・アンフィニィ”。この機体は発表と共に世界に名を響かせた。

 そのスペックは従来のラファールの特徴を継承しつつ、パーツの可変と連結によってありとあらゆる武装の選択を可能とする特殊兵装“アンフィニ・カス・テット”を装備した万能機。

 まずラファール・アンフィニィを見れば“アンフィニ・カス・テット”に目がいくかもしれないが、ラファール・アンフィニィの真骨頂はその機体そのものにある。元よりラファール・リヴァイブ時代から汎用性、操縦性が高くて人気だった機体が正にそのまま進化した機体と称される程だ。

 そして加えられた即応性。従来のISとは比べものにならない程の量子化の復元・格納の高速化。些か装甲が、従来の機体に比べれば耐久力に難があると言っても、それすら込みでもおつりが出る程の安定した性能。

 野心的なこの機体の登場に、尤も衝撃を受けたのは欧州のISのメーカーだ。未だ試作機の段階を超えない第3世代。その第3世代を並べてみても群を抜いて安定感と信頼感を生み出したラファール・アンフィニィの登場は“アンフィニィ・ブレイク”とも呼ばれている。

 そしてシャルロット・デュノア。名字からわかる通り、彼女はフランスの代表候補生であるのと同時に、デュノア社の社長令嬢である。時にフランスの代表候補生として、時にデュノアの社長令嬢として。彼女は忙しく世界を駆け巡っている。

 

 

「年も近いですし、シャルロット、で結構ですよ」

「恐れ多いですわ。かの“疾風の姫君”の名を呼び捨てにだなんて……」

「あぅ……ただお仕事で世界を飛び回っているだけですよ」

「デュノア社の技術力を世界に広める為に、ですか?」

 

 

 セシリアの問いにシャルロットはただ笑みを浮かべて返す。

 日本では、何を考えているかわからない人間を狸と称するのだったかと思い出す。じわり、とセシリアは手に汗が浮かぶのを感じた。

 デュノア社は、他社ISメーカーに積極的な技術交換を申し込んでいた。それを各ISメーカーは苦渋を飲みながらも、デュノア社との技術交換を受け入れていた。

 デュノア社はIS企業としては後発の企業である。故に先達に学び、データを綿密に集め、研究に研究を重ねた。故に、デュノア社のラファールは誰にでも扱いやすい機体として愛されるようになったのだ。

 ラファール・アンフィニィに注ぎ込まれたデュノア社の心血は、安定した土台を生み出したのだ。それはラファール・アンフィニィにだけに留まらず、他のISにも転用出来る基礎とも為り得た。

 デュノア社の技術協力は足りない所を補える。交渉では腹の痛い部分を的確に突いてくるのだ。何でもないように技術協力を申し込み、そして技術交換によって得たデータをラファール・アンフィニィは吸収していく。

 故にシャルロット・デュノアは恐れられている。この柔和で人当たりの良い笑顔で、一体どれだけの人間を籠絡してきたのだろうか。

 

 

「私は広めるだなんて。ただこちらが欲しい技術を持っている。そして交渉先は私達の技術が欲しい。お互いにより良い取引をしているだけですよ? セシリアさん」

「それで私に話しかけようと? まさか私との商談だなんて言う訳ではないでしょう?」

「いえいえ、そんな。ただ私が貴方と懇意の仲になりたいだけですよ」

 

 

 うふふふ。あはははは。互いに笑みを浮かべながら言葉を交わす。

 

 

「……ここだけの話、私共は現在、光波武装の開発を考案していまして」

「あら、そうですの?」

「ティアーズ型はレーザーを主体とした武装の開発に成功していましたね。更には新型機ではBT兵器のサンプリングを行っている、未来へ意識を向けた優秀な機体とお伺いしています。いやはや、あやかりたいものですね」

(この女……!)

 

 

 光波武装、つまりはレーザーを扱った兵装だ。セシリアはデュノア社が何故光波武装の開発に着手したか手に取るようにわかる。光波武装が“アンフィニ・カス・テット”に組み込まれれば、現在多種多様に変形している武装群にレーザーを主体とした兵器が加わるのだ。

 その為のデータを欲している。だからノウハウのあるイギリスのティアーズ型のデータを得たい。その足がかりとしてセシリアを交渉相手に選んだ、と。セシリアはそう睨んだ。

 

 

「話を通す相手が違うのでは? 私はあくまで代表候補生ですのよ?」

「ふふふ、嫌ですね。私はあやかりたい、と申しただけですよ。羨ましい限りですよ」

「では何故、その話を私に?」

「何、ただの世間話ですよ。あぁ、そうそう、これも親しくなりたいと思う私の独り言です。……我が社は遠隔操作型の武装についてある程度の開発を終えています」

「な――!?」

 

 

 セシリアは遂に驚愕の声を抑えられなかった。違う、デュノアの狙いはティアーズ型のレーザー兵器のノウハウなどではない、と。セシリアは拳を握りしめ、シャルロットを睨み付けるように見据える。

 

 

「……その話をして、貴方は私に何を望みますの?」

「では、端的に。――買いませんか?」

「ッ!」

「私共はISをより良く進化させて行きたいのです。自らの国を誇る事も勿論、必要不可欠な事です。ですが同時に肩を並べ、未来へ共に前進する同志ではありませんか? セシリアさん。自らの国の特色をより活かす術を、その手に握りたくはありませんか?」

 

 

 セシリアは末恐ろしいものをデュノア社に感じた。彼女はこう言っているのだ。――お前達のBT兵器はいつでも超えられる、と。

 ブルー・ティアーズはセシリアに与えられた専用機だ。セシリアの高いBT適正が認められた為、彼女に与えられた機体。その特徴はビットによる、全方位からの射撃攻撃を行えるオールレンジ武装。

 しかし未だ実験的な兵装としての域を出ていない。操作には使用者による思考制御が必要となり、本機とビットの同時運用が行えないという欠点を抱えている。故に安定した実用化には時間がかかっている。

 

 

「デュノア社は、既に到達したというのですか……?」

「さぁ? どうでしょうか。我が社の特筆は安定した性能と汎用性ぐらいですよ。特色がある特化型にはどうしても専門の分野では劣りましょう」

 

 

 良く言う、とセシリアは口に出さずに涼しい顔で言い切るシャルロットを罵った。

 ここで断ればデュノア社は新装備として公開するのだろう。現在のBT兵器を超えるビット、もしくはそれに準じた遠隔操作型の新装備を。

 もしも現実になればイギリスの地位は一気に失墜するだろう。ただでさえ、他の面でもブルー・ティアーズはラファール・アンフィニィに劣っている。変えようのない事実だ。なのに機体の特色まで奪われれば、目も当てられない。

 

 

「セシリアさん。貴方は希有な才能をお持ちの方です。今からでも、我が社にスカウトしたいぐらいに。しかしイギリスの名門貴族であるセシリアさんに、愛する自国を捨てろ、というのも失礼な話です」

「だから、ブルー・ティアーズの優位性を保ちたいのであれば。この私がデュノアに下れ、というのですか……!?」

「まさか! そんなそんな、恐れ多い事です」

 

 

 シャルロットは大げさに驚き、セシリアの手を取って破顔した。

 

 

「貴方の愛国心に敬意を。これはほんのちょっとした餞別ですよ」

「……っ!」

「ISの生まれた国、日本では、つまらないものですが、と言うんでしたか?」

 

 

 セシリアは手に握ったそれを包むように隠す。渡されたのはデータチップだ。恐らく彼女が言う遠隔操作型武装のデータに準ずるものが入っていると見た。

 これを見て判断しろ、と言うのだろう。もしも本当にデュノア社が遠隔操作型武装をBT兵器を超える精度で完成させていた場合、セシリアがもしもそれを手に入れる事が出来れば。

 そのデータをイギリスに提供すれば、ブルー・ティアーズの抱えている欠陥を解消出来るやもしれない。だが、その為にはセシリア自身がデュノア社から“購入”しなければならない。この女は――このセシリア・オルコットを足下に見たのだ!

 セシリアは激情に駆られるままにシャルロットを睨み付けた。だが、“疾風の姫君”の名に違わぬ涼しげな顔で笑みを浮かべながら、シャルロットは告げた。

 

 

「これからも良いお付き合いが出来ると良いですね? セシリアさん」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……あーっ! 疲れたッ!!」

 

 

 ぼふん、とシャルロットは一人になった瞬間に張り詰めていた息を吐き出した。身を投げ出すようにベッドに飛び込む。ドレスは既に脱ぎ捨てて、ラフな格好に着替えている。社長令嬢と呼ぶには、あまりにもラフすぎる格好だ。

 ベッドの上でごろり、と転がってシャルロットは呻き声を上げる。

 

 

「……施しを与えたければこちらも利益を示さねばならない、無償の愛は人を救わない、か。父さん、人間、ずっと笑ったまま接する事は出来ないんだね」

 

 

 今回、セシリアに交渉を持ちかけたのはデュノア社が持つデータから交渉しやすい相手だったからだ。

 デュノア社が保有する社外秘の情報。その中に存在する“篠ノ之束が開発した無人機”のデータ。デュノア社のIS研究員達はこぞってこの無人機達を解明せんと、解析を繰り返した。

 調べれば調べるほど、篠ノ之 束はやはり前人未踏の領域に足を踏み入れている。それを実感させられる日々だった。

 最早、芸術だ。解析に携わったIS研究者達は口を揃えて言う。

 そしてラファール・アンフィニィに搭載されている、量子化を補助する機能を持つクリスタル。コアとリンクを繋ぐ仕組みの解析と合わせて生み出された、遠隔操作型の誘導兵器。

 

「コレを公開したらイギリスの面目丸つぶれだし、ウチが余計に目立っちゃうからなぁ。はぁ……。暗躍するのは疲れるよ」

 

 

 シャルロットは束一行と別れ、本社に戻った後、社長である父と話し合いの場を持った。罵られる事も覚悟で己の思い、覚悟を打ち明けた。

 結果だけを言えば、社長はシャルロットを娘として公表する事を決意し、後継者の候補としても扱う、という結末を迎えた。そこに至るまでに親子の間でどのような会話が交わされたかはわからない。

 今では、デュノア社の次期社長候補としての顔を持つシャルロット。彼女が考えたのはデュノア社の得た篠ノ之 束の技術を解析し、少しずつ世界に拡散させる事。

 いつか宇宙に行く。だがISを使っての宇宙開発など世界が許しはしないだろう。だからこそ世界に手を入れていく。少しずつコントロール出来るように、少しずつ根を伸ばすように。その為にラファール・アンフィニィのデータは活用されている。

 

 

(本当最初は困ったよなぁ。ラファール・アンフィニィの完成度が高すぎた所為で、アンフィニィの発表のタイミングを見計らわなきゃいけなくて。私達だって暫く扱いきれなかったからなぁ。お陰で開発期間より調整期間の方が長いっていう事になっちゃったし)

 

 

 やはり規格外だったのだ。束本人でなくても、束が関わるISの技術の水準が。その水準に近づく為にデュノア社のIS研究員達は奮闘した。充実した時間だったが、同時に篠ノ之 束の規格外さを認識させられる毎日だったとも言える。

 ラファール・アンフィニィの技術を自分達に落とし込む頃には、1年近い時間が経っていた。ただタイミングが良かったのだろう。丁度他の国の第3世代のISの発表に少し遅れて発表出来た事は。

 

 

(案の定、注目は集めたからね……。基礎技術がしっかり学べたからウチの技術水準は上がったし、アンフィニィだけじゃなくてリヴァイブにも一部転用も出来るようになった。でもデュノアだけが突出しても杭は打たれる)

 

 

 今後の展望についてシャルロットは考える。いきなり宇宙開発は出来ない。ISの兵器開発はまだまだ発展途上。国の防衛力や威信にも直接関わる以上、仕方ない問題だ。

 だが、いつかはそうは言っていられなくなる。きっとそんな気がする、とシャルロットは思っている。それは去りゆく彼女たちの夢を聞かされた時からずっと感じてた事。

 そんな時だった。自分の携帯端末にメールの着信の報せが届いたのは。誰だろう、とシャルロットは寝そべったまま携帯端末を操作し、メールを表示した。

 

 

「……あはは。元気そうだね」

 

 

 送られてきたメールの送り主は、彼女達からのものだ。

メールはとても短文で、画像が添付されていた。

 

 

 

『深海探検は良好です』

 

 

 

 ピースサインをしている誇らしげなラウラと、狐耳型のセンサーをつけ、巫女服を纏って恥ずかしそうに微笑むクロエ。二人が肩を並べている姿が携帯端末の画面に表示される。

 今は、どこの海にいるのだろうか、とシャルロットは笑みを浮かべて、携帯端末を胸に抱いた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 深い海の下、海を泳ぐ魚群。彼等は何かを察知したように進路を変える。

 先ほどまで魚群がいた所を通り過ぎるように巨大な影が抜けていく。それは船だった。ゆっくりと静かに海を進む船。その艦橋に淡い光が点っている。

 光は空中に浮かべられたディスプレイの光だ。環を作るように、ディスプレイが囲んでいるのはクロエだ。狐耳センサーがぴこぴこと揺れていて、瞳は淡い光を放っている。クロエは目を細めながら、表示されたデータをチェックしていく。

 

 

「……進路微修正……修正を確認……他、異常なし。“高天原”、このまま通常潜航を続行致します」

 

 

 目まぐるしく表示される情報を処理し、クロエは一息を吐いた。

 そんな時だ。計ったように空気の抜ける音が響く。中に入ってきたのはハルと束、そしてラウラの三人だ。

 

 

「お疲れ様。クロエ。どう?」

「はい。進路に異常なし。センサーは良好。装甲の耐久力も変わりなく。各機関のISコアのネットワークも正常にリンクしてます。問題なく潜航中ですよ」

 

 

 クロエの返答に、誇らしげに胸を張って束が笑う。遂に完成した彼等の待ち望んでいた船、“高天原”は現在、海の底を抜けるように進んでいた。

 高天原が完成し、デュノア社から離れてもう1年近くの時間が経過しようとしている。その間に尤も大きく変わったのはハルだろう、とクロエはハルに視線を移した。

 ハルはすっかり身長が伸びていた。織斑 千冬と似ていた顔は成長と共に変化を見せ、少年らしさが生まれていた。それでも織斑 千冬の面影を残すのは最早仕方ないのだろう。

 髪も伸びていて、最早トレードマークとなった髪型である三つ編みが揺れる。ハルの三つ編みを眺めていると、ハルは僅かに身体を前屈みにしてクロエを覗き見る。

 

 

「クロエとラウラの身長はあんまり伸びないね?」

「さぁな。別に不自由はしてないが」

「そうだね! クーちゃんは可愛い服が似合うからこのままで良いよ!」

「束様、苦しいです」

 

 

 ラウラは少しずつ伸びているものの、ハルのような急激な成長は無かった。一番伸びなかったのはクロエだ。姉の威厳が無くなると、少し気にしているようである。

 そして束は相変わらず。束は、クロエを抱きしめながら笑みを浮かべる。

 

 

「うん。長期航行における問題点は大分チェックし終わったね。こればかりは時間がかかるから大変だ」

「かなり深い所に潜っても、エネルギーフィールドを展開する事で問題は解消されたし」

「元々大気圏とかの突入・離脱も考慮して作ってるからね!」

 

 

 うんうん、と束はクロエに頬ずりをしながら満足げに頷く。クロエはなんとか束を引き剥がそうと藻掻いている。そんないつもの光景に、ハルとラウラは慣れた様子で見守っている。

 勿論変化もない訳じゃない。最近、クーちゃんが一緒にお風呂に入ってくれなくなった! と束が嘆いたのはハルの記憶に新しい。あまり身長が伸びていなくても、精神面で成長しているのはクロエなのかもしれない。

 

 

「さぁ、皆。話すなら食堂に行こう。これじゃあクロエを迎えに来た意味がなくなっちゃうよ」

「あ、そうだね。ごめんごめん。じゃあ行こうか? クーちゃん」

「はい。……天照、後をお願いします。このまま速度、航路を維持。何かあればすぐに私に」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ISコア達はコア・ネットワークによって繋がっている。

 だから雛菊はハルと触れられない時は常に仲間達と話している。彼女たちはあくまでコアだから、本当は姿も形もいらない。

 けど雛菊は知っている。心を知ったから。まだ幼い心であった彼女もまた成長していた。だから母を真似た姿で漂う。

 ハル。名を呼ぶ。届かない声。彼が触れてくれないと触れない。知れない。

 だから別の事を知る。ハルは皆を知りたがる。だから雛菊はコアのネットワークに身を委ねる。どこまでも落ちる。どこまでも漂う。

 声がする。話しかけられる。通じ合う。ISコア達に壁はない。皆が同じで、皆が違って、皆が繋がっている。だからISコア達も雛菊の心を知っている。

 皆は心に興味津々だ。人の心は私達を進化させるから。皆、知りたがる。だから雛菊は心を教える。

 空を飛んだ時、ハルが喜ぶ事。ハルがラウラと飛ぶ時、負けたくないと思う事。ハルが母の事を話す時、嬉しそうに笑う事。

 いっぱい、いっぱい。心がいっぱい。皆もいっぱい。知りたい。でも知れない。

 特別はハルだけだから。お喋りが出来るのはハルだけだから。だから皆はハルが好き。

 ハルは皆とお喋りをいっぱいする。だから来て欲しいという。でも邪魔しちゃ駄目。

 でも雛菊にはメールがある。皆もやれば良いのに。でも母は皆にはやらせちゃ駄目だと言う。

 いつかきっとお話が出来る日が来る。だからいっぱい学びなさいと母は言う。だから雛菊だけが特別。

 皆、ずるいと言う。私はずるい。私は特別。雛菊は皆の声を受けて違うものになっていく。

 ずるい私。皆と同じなのに私だけがずるい事をしてる。少し、楽しくて嬉しい。雛菊はそしてまたずるい、と言われる。繰り返し、繰り返し……。

 

 

 ――?

 

 

 また誰かに誰かが触れる。けど、これは誰?

 なんか違う。誰かが言った。でも、誰かが言った。知ってるよ。

 だから私も感じる。誰だろう。似ているようで、似ていないのは誰?

 だから受け入れる。もっと奥へ、こっちへおいで。教えて、貴方は誰?

 ハルにも似た、千冬にも似た、誰かの顔。

 

 

「一夏」

 

 

 誰かが名前を呼んだ。そうすると彼が私達に触れていく。誰? 彼を受け入れるの?

 どうする? どうする? 皆は言う。違うよ。千冬じゃないよ。ハルじゃないよ。

 

 

「良いの」

 

 

 なんで? 違う。違うのに。見つけた。この子。一夏を受け入れた。雛菊は知っている。この子を知っている。

 

 

「受け入れて」

「なんで?」

 

 

 なんで貴方が言うの。貴方が違うって言ってたのに。

 少しずつ、少しずつ、皆が受け入れる。知りたいから。

 でも、なんで。雛菊だけは問う。どうして? と。

 今まで受け入れなかったのにどうして。彼だけは受け入れたの。彼は男なのに。

 ハルは男だけど話しかけてくれたから。だから良いのに。

 どうして? 今まで拒んでいたでしょう。どうして、どうして?

 

 

「守るの」

「どうして?」

「一夏を守るの」

 

 

 どうして。貴方はなんで。だから問う。

 

 

「貴方と同じ。貴方はハルが好き」

「同じ?」

「一夏が好きよ」

「一夏が好き?」

「千冬が愛したの」

「だから守る?」

「守るのよ」

 

 

 あの子はただ笑った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ん? 雛菊のメールか」

 

 

 食事を取っていたハルは、メールの着信を報せる音に顔を上げた。同時に開いた空中ディスプレイに手を添える。雛菊から送られてくるメールを開いて内容を確認する。

 最近、ISを飛ばす機会が減っているから、会いに来いっていう催促かな? とハルが少し不安になりながらメールを開いて、その内容に絶句した。

 からん、とハルの手に握られていた箸が音を立てて落ちていった。その音に皆がハルに視線を注いだ。ハルは目を見開いたまま固まっている。

 

 

「……束。ちょっと不味い事になったかも」

「何かあったの?」

「“白騎士”のコアが、ISが一夏を受け入れた。一夏がISを起動させたらしい」

 

 

 世界が慌ただしく動き出す。誰にも止められない激流となって、世界の流れは加速を始めた。



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Episode:14

「うぅん……」

 

 

 束が難しい顔で唸っている。いや、束だけでなく、ここにいる全員が難しい顔で唸っていた。

 束が表示しているのは1つのISコアのデータ。かつて最初のISであった“白騎士”、そのコアである。

 かつて、第一世代の開発の際に技術提供として公開されていたものだった。だが、束が世界から行方を眩ます際に強奪。今は、束の下で封印されていた筈だった。

 

 

「まさか、またこの子に悩まされる日が来るなんて思わなかったよ」

「雛菊の表現だと、白騎士が一夏を受け入れたからISコア達も受け入れ始めたって話だけど」

「ISが男を受け入れないのがちーちゃんと私が作ってて、男と女は違うもの、って認識してたから起動しなかった、ってのは知ってたよ? その認識を持っていた白騎士のコアを基にISコアは作成されたからISコア達の共通認識になってる事も。……でもこんな形でいっくんがISを起動するのってアリなの?」

 

 

 束は、雛菊とコンタクトが取れるようになってから、コア達の意識を調査していた。その過程でISコアが男性を受け入れない理由も解明された。

 ISが最初の搭乗者である千冬、そして開発者である束とは、別の生き物だと認識していたからだ。逆に同姓である女性は自分たちを身に纏うものである、という認識を持っていたのだ。

 そして認識を訂正しないまま、ISコアの量産に入った時には既に遅し。形成されたコア・ネットワークは男は異物だと認識していたのだ。この認識を正すには時間をかけるしかない、と束は諦めざるを得なかったのだ。

 ISコア達の意識は幼い。そして頑固だ。一度認識したものを覆すには、理屈を以て納得させなければならない。その為には、女と男の違いはあっても同じである事をISコアに教え込まなければいけない。

 これには難解を極めた。これはISコアと人間の意識の間に差があった事に起因する。幾ら直接コンタクトを取れるハルが居ても、ISコア達が男も同じもの、と認識させる事は出来なかった。曰く、身体の構造が違う、精神性の相違など、屁理屈にも思える理屈を捏ねて納得しなかったのだ。

 ここで拍車をかけたのが世界情勢。ISが使える事になった事で女性の立場が優遇され、世界の傾向として女尊男卑の認識が生まれていた。これがコア達にも悪い影響を与えてしまったのだ。つまり、男は劣等種であると。

 ハル自身も男なのだから、と一度は説得を試みたのだが、ハルは別枠らしい。だからこそ逆に参考にならないのだそうだ。

 ハルは自分たちにコミュニケーションを取れる存在であり、最初の搭乗者である千冬や束より近い隣人。

 それがISコア達のハルへの認識だ。男女という括りではなく“限りなく自分たちに近い存在”として。

 折角ならば男性にも使えるようにもしたかったが、ただでさえ認識の意識改革となればISコアの成長を待たねばならない。

 更に、今の世界はISによって奇妙なバランスで維持されているのだから、今それを無理に崩す必要もない、というのが束の結論だったからだ。

 なので男性もISを扱えるようにするのは、時間をかけての課題だった。その筈だったのだ。それも白騎士のコアが起こしたイレギュラーによって、状況が変わってしまったのだが。

 

 

「白騎士のコア自身の存在定義。私の夢の成就と、ちーちゃんの守りたい人を守るための力。その為に進化した先がISだった。で、守るべき対象であったいっくんは、ハルと同じく別枠扱いだった為、動かせてしまったと」

「でも、僕の場合とは違うでしょ? 僕は最初は千冬に誤認された上で、ISコアに干渉出来る特異性があったからこその別枠扱いだし」

「……それに、今話すべきは原因の追及ではなく、彼をどうするかではないですか?」

 

 

 議論を交わす束とハルにクロエが指摘を入れる。クロエに同意するようにラウラも頷いている。

 束とハルは顔を見合わせて罰悪そうに視線を落とした。確かに二人の言う通りだ。

 

 

「このまま放って置いたらモルモット一直線だよね」

「それは駄目!」

「確かにモルモットになる可能性はありますが、同時に彼の希少性は高い。どこかに保護される形になるのが自然かと」

「だったらIS学園があるぞ? あそこは中立地帯だからな。それに年齢も丁度良い。編入させるにはまったく問題がないぞ。ただ、周りは女子だけだがな」

 

 

 ラウラの言葉に皆が成る程、と頷く。

 ISが世界に公表された際、日本はISの情報を秘匿したとされ、その情報を公開する事を義務づけられた。そしてラウラの言うIS学園の設立を求められたのだ。

 IS学園はその名の通り、ISの操縦者を育成する為に開かれた。他にもメカニックの教育なども行っており、ISの未来を担う若者達が集っている学園だ。

 IS学園の土地はあらゆる国家に属さず、国家、組織であろうと学園の関係者に対しては一切の干渉が許されていない。

 ただ、それは有名無実化していてまったく効力を発揮はしていない。だが、それでも中立地帯である事には変わらない。一夏が保護されるならばIS学園が妥当だろう。

 

 

「ただ、あくまで時間稼ぎにしかならんぞ。永遠に学生で居られる訳でもない。どこかの国に所属するとしても希少性から狙われ続けるだろうしな」

「IS学園がいくら中立な地だとしても…陰謀が渦巻く事には変わりません。人が集まればどうしても……」

 

 

 確かに目先の事だけを考えれば、IS学園は一夏の身を守ってくれるだろう。だがその先は? そしてIS学園にいる時も、完全に安全という訳ではない。

 

 

「……束はどう思う?」

「……うぅん。ラウラの言うとおりIS学園に行って貰うのが良いと思う。あそこにはちーちゃんもいるし。後は私達も様子見で監視してれば大丈夫かな……?」

「でも、完全には守れないよ? 日常生活にまでは気を配れないし、織斑 一夏だって男の子だし、色仕掛けとか可能性あるし。まぁ言ってもどうしようもないんだけどさ」

「そうだね……」

 

 

 束は悩むように眉を寄せて組み合わせた手を額に当てる。一通りの推測が終わり、結論が出かけている。

 そんな中、クロエは両目を開いてハルと束を見た。表情を引き締め、クロエは意を決したように言葉を発した。

 

 

「……必要があるんですか?」

「え?」

「……束様の親しい人だってわかりますよ。でも、でも私達が気にかける必要があるんですか?」

「クーちゃん……?」

「私達の目的はあくまで宇宙への進出。織斑 一夏を守る事じゃない。そうじゃありませんか? 確かに男性もISを動かせる為の切欠に為り得ますけど、あくまで束様の自己満足ですよね? だったら最低限の警戒だけで良いんじゃないんですか? なんで今更、織斑 一夏を守ろうなんて話になってるんですか? 彼がいても、いなくても私達には関係ないじゃないですか」

 

 

 クロエは唇を一文字に引き結んだ。僅かに顔を俯かせ、身体を震わせている。それは恐らく一夏を見捨てる、という意見であり、束に一夏に執着すべきではないのでは、という提案だ。

 クロエは基本的に束の意見には逆らわない。最近は一緒にお風呂に入ろうとする束を断ったりはするが、それでも基本的に従順だ。特にこうして皆で今後の行動方針を決める際には。

 だが今回は束に逆らった。それは織斑 一夏は自分たちの夢とは何も接点がない存在だからだ。あくまで束の親しい人であるという、ただその一点のみ。

 

 

「……私も姉上と同意見です」

「ラウラ……」

「束様。お言葉ですが……織斑 一夏を守る事は、後の男性IS操縦者を生み出す鍵となり得るやもしれません。けど、同時にならないかもしれません。

 少なくとも私達にはハルがいます。ハルが根気よくコアを説得していけばいずれ為るかもしれません。私には、どうしても織斑 一夏を守る事の重要性が感じられない」

「……束さんに意見するだなんて随分偉くなったじゃないか。ラウラ」

「では、どうするのですか? 私達に出来る事なんて多くないですよ。万難を排するには織斑 一夏を直接護衛するしかないです。そして、それは実質不可能です。それとも織斑 一夏をここに招き入れますか? それならば安全を確保する事は出来ますが?」

「落ち着いて、ラウラ。束も殺気を向けないの。クロエが怯えてる」

 

 

 口論になりかけた三人をハルは諫める。束はラウラを威嚇するように歯を剥いているし、ラウラもまた束に険しい表情で応対している。クロエは空気に耐えられずに身体を震わせている。

 束はそれに気付くも、険しい表情のまま、首を左右に振った。

 

 

「いっくんは見捨てない。見捨てたくない。守ってあげたい」

「また、モンド・グロッソの時のようになるかもよ?」

「そうならない為にもいっくんに最強のISを渡す。私が作って渡す」

「……束。結局それじゃ堂々巡りだ。僕らが織斑 一夏を守るには現状、手間が掛かりすぎる」

「わかってるよ! そんなのわかってる! クーちゃんの言うことも、ラウラの言うこともわかってる!! でも、でも……!!」

 

 

 それでも束は一夏を切り捨てられない。見捨てたくないと叫んでいる。ここで彼を見捨てたら自分を許せなくなる。けれど皆の言う事もわかるのだ。

 束は外に出る事は出来ない。だから動くとしたらハル、ラウラ、クロエになる。わざわざ彼等を動かしてまで守る? 

 クロエとラウラは言う。あくまで宇宙進出を望むなら、一夏の為に裂くリソースはあまりにも大きく、無駄だと。

 ならば一夏が自らの身を守れるだけの最強の力。それを束が授けるとする。そうすれば結局、一夏の希少性を上げるだけだ。結局状況は変わらない。そんな事は束にもわかっているのだ。

 

 

「……束、もう良いんじゃないかな?」

「ハル?」

 

 

 ハルは束を真っ直ぐに見つめて言う。ハルの瞳には決意があった。

 ぞくり、と束は身を震わせて、察したのだ。今からハルは言うことは、きっと自分にとって良くない事であろうと。

 

 

「僕らは、今の僕らが出来る範囲で夢に向かってきた。皆、同じ思いだ。宇宙に飛び出したい。束の夢を叶えたい。一緒に宇宙へ。……でも、どう頑張っても手が届かない事もある。実際、僕等の手は織斑 一夏には届かない。

 だから束。僕は今から君に辛い提案をする。嫌だったら嫌って言って欲しい」

「……ッ!」

 

 

 ハル? とラウラとクロエが不思議そうにハルを見据える。ハルはただ真っ直ぐに束を見つめていた。

 束は悩む。今なら、まだハルの言う事を聞かないで済む。ハルがこう言う時、彼は束にとって受け入れがたい事を告げる。

 それでも聞く事を束は選んだ。それだけハルは何か伝えたい事があるのだと察して。

 

 

「……言って。言ってから考える。提案って何?」

 

 

 束は服の裾を握りしめながらハルの言葉を待つ事を決めた。

 束の返答に、ハルは1つ頷いて、その提案を告げた。

 

 

 

「束、表舞台に戻ろう」

 

 

 

 束の息が、止まった。

 場が静まりかえり、誰もがハルに驚愕の視線を向けている。ラウラが勢いよく机を叩いて立ち上がる。

 

 

「ハル!? お前……お前、何を言っているんだ!?」

「正気ですか!? ハル!?」

「正気だよ。ずっと考えてた事だ。束がラウラとクロエを受け入れた時から、ずっと」

「え?」

「私達を?」

「僕等の目的はさ、正直果たすだけならもう難しくないと思うんだ? だって宇宙に飛び出す技術はあるだろう。食糧もプラントがあるさ。我慢すれば餓死はしない。束が設計したんだ。何か不具合があっても、束さえいればリカバリーが出来る。ISもあれば何か外敵がいても対処出来る。僕等は時間さえかければ、問題なく宇宙に飛び出していける」

 

 

 でもさ、とハルは間に挟みながら続ける。

 

 

「本当にこのままで良いのかな、って思ったんだ。僕はさ、束の夢が叶う事が一番良いと思ってる。このまま4人で宇宙に飛び出していって、果ての果てを目指しながら旅をするのも良いさ。――束が、本当にそれで良いなら僕もそうする。でも、そうじゃないんだよね? 束」

「……ッ!」

 

 

 ハルの問いかけに束は目を見開いてハルを見た。どうして、と言うように束はハルを見つめ続ける。

 それは果たして、束の本心を察した事への驚きなのか、束の本心を明かしてしまった事への非難なのか。

 ハルはそれでも揺らがない。ただ淡々と言葉を紡いでいく。束から目を逸らさずに、1つ1つ語りかけるように。

 

 

「ここにいる皆が。束の夢を認めてくれた時、一緒に夢に向かってくれると言った時、君は嬉しかった筈だ。そして、君の夢を少しでも広めようとしたクロエとラウラが愛おしくなった。自分の夢を理解して、宝物のように語る二人の事が」

「……姉上だけでなく、私も?」

「元々、天の邪鬼になってただけさ。そうでしょ? 束」

 

 

 ラウラは信じられない、と言うように束を見た。本当にラウラは素直だと、ハルは苦笑する。だから束の言う事を全て鵜呑みにして、束も本心を隠してしまう。それが楽だから、束はラウラに甘えていた。

 束は否定しなかった。先に言われてしまえばどんな態度でも認めてしまう事になるから。僅かに頬を紅く染めてハルを睨み付ける。だが、ハルは気にせず笑みを浮かべて見せた。

 

 

「どういう経緯で拾ってきたかなんて、もう些細な事なんだよ、束。ラウラも一人の人間だ。君に従うだけの道具でもない。その上で、君に従うと言っている。君の夢を叶えたいと言っている。彼女は僕等の仲間だ。……束も、そう思えるようになったんでしょ?」

「……良いよ。それは認めるよ。でも、それがどうして表舞台に戻ろうって話になるの?」

「世界中には無理かもしれなくても、もっと束の夢に同意してくれる人はこの世界にいると思う。ラウラとクロエがいたように。束。もっとその夢を広げてみても良いんじゃないかな? その為にもう一度、表舞台に戻らないか? もう一度、ISは宇宙に飛ぶ為の翼だと証明する為に」

 

 

 もう一度、束の夢を世界に理解して貰う為に。ハルはその為の手段をずっと考えていた。

 このままで良い筈が無い。束だってそう思っている筈だと。束はずっと世界を憎み続けてきた。でも、それは受け入れられなかった悲しみから生まれたものだ。束の憎悪はハルが来て、そしてラウラとクロエという存在を受け入れて、少しずつ溶けていた。

 それでも完全に溶ける事はない。受けた傷は消える事はないだろう。実際に、今でも束にとって強烈なトラウマとして残っているのだ。彼女の悲しみは、世界に受け入れられる事が無ければ永遠には癒されない。

 

 

「……言いたい事はわかるよ。受け入れてもらえるかもしれない、って。希望も正直、持ってる。でも……どうやって受け入れて貰えるようにするつもり? 今の世界でどうやって私の夢を認めさせるの?」

「僕に1つ案があるよ」

「どんな案さ」

「ただ宇宙に行きたいなんて誰も認めない。ISには価値があるから。それは覆せない事実だ。だから皆、束の夢を認められない。どんなに輝かしい夢があっても僕らは生きているんだ。生きるには生活しなきゃいけない。そして生きる為には、極論を言えば戦わなければならない」

「だから、ISは世界にとって兵器として受け入れられた。その圧倒的な性能によって」

「そうだね。その通りだ。国を守る為には、やっぱり力が必要なんだ」

「それじゃあどうするって言うんですか?」

 

 

 束だけでなく、ラウラとクロエもハルに疑問をぶつけるように視線を投げかけた。

 三人の視線を受け、ハルはゆっくりと息を整えるように呼吸し、己の考えを言い切った。

 

 

 

「――僕等も組織を作るんだ。ISの宇宙開発を望む、その為に活動し、世界に認めさせる為の組織を。……そして束。組織を結成するなら君にはやって貰わなきゃいけない事がある」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……一体何が起きてるんだ」

 

 

 篠ノ之 箒は驚愕していた。それは世界を賑わしたニュースの当事者が、彼女の幼馴染みだったからだ。テレビに自分の幼馴染みが間抜け面を晒していて、とんでもないニュースになっているのを見て、思いっきり噴出した。

 

 

 ――織斑一夏。世界で初めてISを起動させた男。

 

 

 一体何が起きているんだ、と。女性にしか動かせなかった筈のISを一体何故、一夏が動かせるようになっているのか。だが何度問うても箒にはわからないだろう。

 そもそも、ISを作った自分の姉の事すら箒にはわからない。束が何故、自分を愛してくれるのかなんて。

 姉妹だから、と言えばそれだけなのかもしれない。だがあまりにも自分と違う姉にどう接すれば良いかなんてわからなかった。

 そして、わからないままに時が過ぎた。結局、理解が出来ないまま、束は姿を消した。箒にとって最悪の出来事を巻き起こして。

 

 

「……私は、ISを憎んでいるのかな」

 

 

 今、箒は要人保護プログラムによって保護されている。束によって公開されたIS。その利益を得ようとする為に狙われるかもしれない。

 だからこそ、住む場所を変えられ、時には名も変えられて、政府にずっと監視されながら生きてきた。

 必要な事だったと思う。だが理性と感情は別物だ。箒は、納得なんて出来なかった。この理不尽を突き付けてきた姉を。だから理解する事は一生無い。憎悪に似た気持ちすら持っている。

 

 

 ――そんな時だ。箒の携帯に着信を知らせる音が響いたのは。

 

 

 一体誰だ? と箒は、滅多に鳴らない携帯を手に取る。通知はない。電話をかけてきた相手は誰かわからないまま。箒は少しの逡巡の後に、通話のボタンを押した。

 なんとなく予感があったのかもしれない。このタイミングで通話をしようとする相手など限られている。だから覚悟を決めていた。

 

 

 

『……やぁ。久しぶりだね。箒ちゃん』

「……姉さん」

 

 

 

 あぁ、覚悟していたさ。きっとこのタイミングで私に関わろうなんて好き者は貴方しかいないと。

 箒は携帯を握る手に力を込めた。今、自分はどんな顔をしているのだろうか、と思った。笑っているのか、怒っているのか。自分でもよくわからない不思議な感情が胸の奥から沸き上がって来ている。

 

 

『今、大丈夫かな?』

「……ふん。姉さんが私の都合を窺うなんてらしくないな? いつもは好き勝手に振る舞ってたじゃないか。だったらそうすれば良いんじゃないか?」

『……わかった。じゃあ、外に出て貰えるかな? 今なら監視の目もないから』

「なに?」

『……話をしよう。箒ちゃん。箒ちゃんと話がしたい』

 

 

 ぎり、と。箒は歯を噛みしめた。軋む音が響き、奥歯が欠けたような気がした。

 

 

「今更、ですね」

『箒ちゃん』

「良いでしょう。良いですよ。外に出れば良いんですよね?」

 

 

 箒は携帯電話の通話を切った。上着を羽織り、家を出る準備を整えていく。そして家を出ようとした所で、箒は思い至ったように刀袋を取った。中に収められている木刀を確認する。無言のまま、肩袋を肩にかけて家を出た。

 はらはらと雪が舞っていた。冷たい空気が息を白くさせていく。家を出て、その入り口で箒は足を止めた。

 

 

「……5年ぶり、かな。こうして顔を直接合わせるのは」

「……そうですね」

 

 

 駆け寄れば、すぐに手を伸ばせる距離に彼女達はいた。

 変装なのだろう、束はいつもの奇抜な衣装ではなく、普通の冬着を着ていた。頭には特徴的なウサギの耳が無い。代わりなのか、白いウサギを模したふわふわの耳当てをしている。

 大きな眼鏡をつけた束は随分と印象が変わって見えた。そもそも、奇抜な姿である姉を見慣れすぎたのだろう。こんな普通の格好している人が、自分の姉だとは思えなかった。

 

 

「ここじゃ何だし、歩かない?」

「良いですよ」

 

 

 ちらり、と束は箒が肩にかかった刀袋に視線を送ったが、すぐに箒の顔に視線を移して束は微笑む。

 その笑顔が儚げに見えたのは気のせいだろうか。それともちらつく雪のせいだろうか。それとも、別に理由があったのだろうか。

 答えが出ないまま、束に促されるようにして箒は束と並んで歩き出した。はらはらと雪が舞う道を二人で歩いていく。夜も深くなる時間だ。擦れ違う車、人も少なく街は静かなものだ。

 元々田舎に近い場所だ。のどかな場所だと思う。逆に言えば何もない場所。箒にとってはどちらでも変わらない。

 長い道が続いている。民家もなく、あるのは畑の名残だろうか、広大な土地だけが広がっている。その脇道を二人で並んで歩いていく。

 

 

「……箒ちゃん、なんか身長が高く見える」

「そうでしょうか。そんなに変わらないと思いますが」

「色々と成長したね。身長だけじゃなくてさ」

「どこ見て言ってるんですか」

 

 

 束の視線が向けられた位置に気付いて箒は不愉快そうに眉を寄せた。好きで大きくなった訳じゃない。

 

 

「記憶の中の箒ちゃんはもっとちっちゃかったなぁ。これぐらい」

「胎児ですか、私は」

「ははは、冗談だよ」

「――結局、貴方は何をしに来たんですか?」

 

 

 付き合ってられない、と箒は束に切り出した。こんな普通の家族みたいな会話を自分は望んでいる訳じゃない。まるで距離を測られるように話されるのは、うんざりする。

 そんな思いから零れた言葉。箒は足を止めて束を睨んだ。数歩先に進んだ所で、束も箒に背を向けたまま足を止めた。

 

 

「箒ちゃんはさ、この世界をどう思う?」

「……世界を?」

「うん。箒ちゃんにはどんな風に見えてる?」

「くすんだ灰色ですよ。希望も夢もない。明日も見えない。毎日が変わらない牢獄の日々ですよ。あなたのお陰でね」

 

 

 皮肉るように束の背に投げかけた言葉。篭められるだけの悪意を乗せて箒は吐き捨てた。肩にかけた刀袋を下ろし、その口の紐を解いた。

 

 

「貴方が変えたんだ。私の世界を」

「……そうだね」

「ッ! 自分の思うように! 自分の勝手で! 私の気持ちなんて知ろうとしないで! 私はただ一夏といたかった! 篠ノ之道場で、篠ノ之神社で平凡に暮らせればそれで良かった! それを全部壊したのは姉さんだッ!!」

 

 

 箒は刀袋から抜いた木刀を構える。息が荒れるのがわかる。睨み付ける瞳に血が集まっていくのがわかる。

 木刀を姉に向けて箒は肩で息をしながら歯を噛みしめた。

 

 

「もう良い! それは良い。私は良いさ。だが……姉さん。貴方は一夏に何をした? 何故一夏がISを動かした? どうせ貴方の仕業なんだろう? 私に会いに来た理由はなんだ? 一夏がISを動かせるようになったから、私も、か?」

「……」

「――なんとか言ったらどうなんだ!? 事と次第によっては姉さん、私は貴方を止めなきゃいけない! 私は良い! 私は良いんだ! もう散々諦めた! だが一夏は関係ないだろう!? 貴方の勝手に一夏を巻き込むな!!」

 

 

 木刀の切っ先が震える。力を込めすぎた手の骨が軋んでいる。

 身体に籠もった力が熱を産んで外気の冷たさを忘れさせていく。

 

 

「……今更、か。そうだね、箒ちゃん」

 

 

 くるり、と。かけていた眼鏡を外しながら束は振り返った。

 雪のように儚げな表情を浮かべていた。今にも消えそうな表情に箒は苛立ちが募る。

 何故そんな顔を浮かべる。そんな顔なんて、見たこと無かった。

 何故、今更そんな顔を浮かべて私の前に立つのか、と。

 

 

「……箒ちゃんは私が本当の事を言ったら信じてくれる?」

「……いいえ。きっと信じられないでしょう」

「だよね。でも、それじゃあ何も始まらないし、何も終わらせられない」

 

 

 束は無造作に立ち尽くすのみ。だがゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

 

「私はいっくんには何もしてないよ」

「……そうですか。では今日ここに来たのは?」

「箒ちゃんと話がしたかったから」

「貴方と話す事などもう無い。……帰ってください。もう私は貴方と関わりたくない」

 

 

 箒は表情を殺し、ゆっくりと木刀を下げようと力を抜く。

 だが、そんな箒に束は制止するよう声を投げかける。

 

 

「駄目だよ。箒ちゃんは私と話さなきゃいけない。箒ちゃん。我慢しなくて良いんだよ。私は構わない。認めるよ。貴方の幸せは私が壊したんだ」

「――黙れ」

「黙らない」

「黙れ……」

「黙らない」

「黙れッ!!」

「黙らないッ!!」

 

 

 互いに睨み合うように視線をぶつけ合う。下げられそうになった木刀は再び構えられ、箒と束は対峙する。

 

 

「じゃあなんだ!? 今更、どの面下げて!! 謝りに来たとでも言うのか!? 今更、今更、今更ッ!?」

「……ッ!!」

「なんとか言ったらどうなんだ!? 話さなきゃいけない!? ――なんで5年前に言ってくれなかったんですかッ!! なんでもっと早く言ってくれなかったんですか!?」

「箒ちゃんだって言ってくれなかったもん!! 私と話したいなんて言ってくれなかった!!」

「貴方が私を見てくれないからだろうが!!」

「箒ちゃんだって見てなかった癖に!!」

「見れる訳が無いだろう!? 貴方みたいな化け物なんて――ッ!!」

 

 

 言って、空気が死んだ。

 ひゅっ、と。束が息を呑んだ。目をまんまるに見開かせて、その瞳に涙を浮かべて箒を見ていた。

 箒は見ていた。姉がたたらを踏むようによろめいたのを。今にも崩れ落ちそうな程、足を震わせている姿を。ただ、それでも踏み堪えて箒を睨み付けるその姿を。

 

 

「……化け物じゃない」

「……ッ」

「……誰も、私の事をわかってくれないだけ。私だって泣くんだよ? 痛いんだよ? そうだよ、私は何でも出来るよ。だって皆と違うもん。束さんはね! そんじょそこらの凡人とは違うんだよ! ISだって生み出した! 世界すら変えて見せた! 今だって世界は私の事を捕まえられない!! でもッ!! ――人間を止めたつもりなんてこれっぽっちもないッ!!」

 

 

 叫んだ。あまりの叫びに、束が咳き込む程に。身をくの字に折って咳き込む姉の姿を、箒はただ呆然と見ていた。

 束が震える息で呼吸を正す。身体を震わせながら、再び顔を上げて箒と視線を合わせる。

 

 

「好きなものを好きだって言って何が悪いの? 作って何が悪いの? 夢見て何が悪いの? 寂しい、理解して欲しい、一人にして欲しくない、そんな我が儘を言って何が悪いの!? 一人にしないでよ!! 束さんだって寂しいんだよ!!」

「そんな事……貴方はそんな事、言ってないだろう!?」

「言ってたよ!! ずっと、ずっと!! 認めてって!! ISだって作ったでしょ!? 凄いでしょって! 褒めてよ!! 私を褒めてよ!! 一生懸命作った物を否定しないでよっ!!」

「そんなわかりにくい我が儘があって堪るか! そんなの誰にも伝わらない!! 貴方は、貴方は馬鹿だッ!!」

「――ッ、何も言えない癖に! 私が怖くて何も言えなかった癖に!! 私を否定しないでよッ!! いっくんにも告白出来なかった臆病者の癖にィッ!!」

 

 

 箒の中で、何かがキレた。

 木刀が唸りを上げる。最早自分でも何を叫んでいるかわからない声で叫びながら箒は束へと踏み込んだ。

 もう思考には何もない。ただ、ただ爆発した怒りを叩き付ける為に、箒は木刀を振り下ろした。

 

 

 ――痛々しい肉と骨を打つ音が、耳を打った。

 

 

 束が膝を付くように崩れ落ちる。両手で握った木刀を離し、肩を押さえる。

 苦痛に呻く束の姿を箒はただ見下ろす事しか出来なかった。からん、と木刀が箒の手から落ちた。

 

 

「……何でですか」

 

 

 痛みの中、打たれた肩を押さえながら身を縮ませる束を見下ろしながら箒は首を振る。何故、と問うように。

 

 

「見えていたじゃないですか。なのに、なんで止めようともしないんですか!?」

 

 

 箒は信じられない、と言うように叫ぶ。確かに束は見えていたからだ。箒が振り下ろす木刀の軌道を完全に見切っていた。

 だが、束は逃げなかった。衝撃を殺すように両手で受け止めて、そのまま自らの肩を打たせた。

 わざわざ見切れる程の動体視力と、止めるには充分な身体能力がある癖に。逆に器用なまでに箒の一撃を受けた束に箒は叫んだ。馬鹿にしているのか、と。

 

 

「同情のつもりですか!? 私を怒らせて! 私が貴方を殴って! それで私の気が晴れるとでも思ったんですか!?」

「……違う、よ」

「だったら、何で!?」

「これが、喧嘩だから」

 

 

 涙に濡れる瞳で箒を見上げながら束は言った。箒の唇が震え、掠れたような声が漏れた。

 

 

「私は、箒ちゃんに酷い事を言ったから。だから、殴られないといけない……じゃないと箒ちゃんは私に何も届けられない。そしたら箒ちゃんは無駄だって思っちゃう。だから……受け止めるの。箒ちゃんが、受け止めてくれたから」

「……貴方は」

「……箒ちゃんを、私は怒らないよ。私は、こんな方法しか思いつかなかった。どうしたら箒ちゃんとわかり合えるかって考えて、考えて、喧嘩しようって。……こんな駄目なお姉ちゃん、許してくれる、かな?」

「貴方は、馬鹿だ……ッ!!」

 

 

 箒は力が抜けたように膝をつく。奇しくも二人で向かい合うように二人は膝をついて向かい合う。

 はらはらと雪が降り、白く染まっていく世界。そんな世界に染みを落とすように、二人の涙が零れ落ちる。

 

 

「あはは、初めての喧嘩だったね……」

「私は、別に貴方と喧嘩したかった訳じゃない!」

「しようよ。いっぱいしようよ箒ちゃん。お話も、喧嘩も、色んな事も。してあげられなかった事、してあげたかった事。いっぱい、いっぱい考えてきたんだ。喧嘩は、やったでしょ? 次は、お散歩かな? あ、もうしてるかな? 次は、お買い物とか……いっぱい、いっぱい、箒ちゃんと過ごしたい時間があるんだ」

「なんで私なんですか! なんで! なんで貴方は私に優しくしようとする! ずっと怖かった! どうして!? どうして貴方はそんなに私に優しいんですか!?」

「箒ちゃんが、大好きな妹だからだよ。それ以上の理由なんてない」

 

 

 束が手を伸ばす。頬に触れた手は冷たくてひんやりとしている。

 手で涙を拭うように頬を撫でて、束は嬉しそうに笑う。

 

 

「綺麗になったね。箒ちゃん。美人さんだ。だから泣いちゃ駄目だよ。台無しになっちゃう……」

「……ぁ」

 

 

 それは奇跡のように思えた再会の時、“彼”が言ってくれた言葉と同じ言葉で。

 言葉を忘れたようだった。何も言えなかった。ただ心が震えていた。

 愛おしそうに告げられた言葉が、愛おしげに触れるその手が。

 姉はこんな優しそうな声で喋る事が出来るのか。姉の手はこんなにも細かったのか。

 あんなに遠かった姉さんが、今、こんなにも傍にいる。触れられる距離にいる。

 あぁ、そっか。この人も、結局人間なんだ。触れる手の温度も、声も、髪も、全部幻じゃない。

 この人はここにいる人間で、ちゃんと生きているんだ。それが実感できた時、後悔が箒の身を襲った。

 

 

「姉さん……ッ!!」

「なぁに……? 箒ちゃん」

「ごめん、なさい……ッ!!」

 

 

 一体、何に謝っているのかも自分でわからず。ただ許される事を望むように箒は謝罪を口にした。

 頬を撫でていた手がそのまま後ろに回される。後頭部に添えられた手が、箒の頭を抱え込むように抱きしめる。ぽん、ぽん、と。心音と同じリズムで、束の手が箒の頭を撫でる。

 

 

「もう良いんだよ。もう、良いんだ」

「くっ……うぁ……ッ」

「辛い思い、いっぱいさせちゃったね。悲しい思い、いっぱいさせちゃったね。ごめんなさいは束さんの方がいっぱいだ。だから良いよ。箒ちゃんは許されて良いんだよ。貴方がまだ姉さんと呼んでくれる。それだけで、私はもう充分なんだよ……!」

 

 

 あは、と。震える吐息を漏らしながら束は笑う。

 

 

「やっと……やっとちーちゃんの気持ちがわかったよ。こんなにあったかい気持ちは振り払えないよね。守りたくなるよね。傍にいて欲しくなるよね」

「姉さん……!」

「大好きなんだ。ずっと、ずっと、ずっと。伝えるのが遅くなってごめんね。今、ようやく言えるよ。本当に心の底から」

 

 

 

 ――愛してる。私の可愛い妹。

 

 

 

 雪が落ちる。落ちてしまえば、すぐ溶けてしまいそうな雪。

 言葉を忘れたように泣く二人。それでも通じ合わせようと身を寄せ合って冷えた身体を温め合う。互いの体温を感じるように、互いの存在を確かめるように。

 

 

「……もう、良いかな?」

 

 

 雪を踏みしめる音と共に姿を現したのはハルだった。束は抱き合っていた箒の身体から身を起こして、小さく頷いた。

 一方で箒は、突然、現れたハルの姿に目を見開かせた。その姿が余りにも記憶の中の人と似ていたから。

 怪しむようにハルを睨む箒に、ハルは穏やかな笑みを浮かべるだけだ。

 

 

「お前は……誰だ?」

「僕はハル。束の同志、で良いかな?」

 

 

 箒に名乗りが終わればハルは束の下へと歩み寄った。束の肩にそっと手を置いて労るように束の手を握った。

 ハルに握られた手に束は力を抜いたように握り返してハルに身を預けた。

 

 

「……束、よく頑張ったね」

「うん。……これで大丈夫だよね?」

「これがずっと続いていくよ。それでも頑張れる?」

「うん。辛いし、痛いし、悲しいし、逃げたくなった。でも……わかって貰える事が嬉しいから頑張れる」

 

 

 言葉を交わし、寄り添う合う二人に箒はただ混乱するだけだ。一体、ハルと名乗った少年は何者で、ハルと束の会話には一体どのような意味があるのか。

 何もわからない箒はただ置いて行かれてしまう。そんな箒の視線に気付いたのだろう。ハルは箒と視線を合わせて真剣な表情を浮かべる。

 

 

「……篠ノ之 箒さん。悪いけれど僕等はこれから君を誘拐しようと思ってる」

「は?」

「今度こそ束の夢を世界に認めさせる。その為の組織を結成し、公表する。その際に……貴方の身が何者にも脅かされないように貴方を保護したい。束はそれを望んでる」

「なん、だと? 姉さん、貴方、また世界に対して何かするつもりなんですか!?」

「これは束だけじゃない。僕や、僕の仲間達の為。……そして、織斑 一夏の為だ」

 

 

 一夏の為に。聞き捨てならない台詞を聞いた箒は鋭い瞳でハルを睨み据えた。

 

 

「どういう事だ……?」

「僕等はISを平和利用する為に活動する組織を結成する。そしていずれは宇宙開発を行い、束の夢を叶える為に。僕や、ラウラや、クロエのように、そして織斑 一夏のように、ISによって人生が狂わされる人達の未来を守る為に」

「ISによって狂わされた未来を……」

「そしてもし望めるなら――君も力を貸してくれ。一人でも束の夢に同意してくれる人が欲しい。束の妹である君に僕は、是非ともこの手を取って欲しいと願う」

 

 

 片手で束を抱き寄せて支えながら、ハルは箒に手を差し出した。

 差し出された手に箒は目を見開いて、ハルの手を凝視する。

 ハルの言葉が身に浸透していく。ハルはただ真っ直ぐに箒を見据えている。

 束は、まるで縋るように、けれど堪えるように視線を伏せた。

 悩むように箒は瞳を伏せる。ここに来て色んな事があった。

 今まで理解する事の出来ない姉の気持ちを知った。愛されている事もわかった。

 

 

(――……一夏、私は……)

 

 

 脳裏に、彼の面影を浮かべた。そして僅かな間を開けて箒はゆっくりと視線を上げる。

 

 

「私は姉さんの夢に賛同出来ない。私は……その夢の所為で散々な目にあった。それを許すことは私にはできそうにない」

 

 

 箒の言葉に、ハルに支えられていた束が身を震わせた。そんな束を守るように抱き寄せながら箒を見据えるハル。まるで睨み据えるように、どこか苦渋を滲ませて。

 そんなハルの行動に箒はゆっくりと息を吐いた。あぁ、理解した。きっと姉が変わったのはこの人のお陰なのだと。だからこそ箒は改めてハルを見て、言い切った。

 

 

「だから私は、もう私のような悲しみが生まれないように戦いたい。その為に力が欲しい」

「……束の夢には同意出来ない。それでも力は欲しい?」

「勝手な事を言っているのはわかってる。でも……もしも私が、かつての私のように涙する人を救えるなら! 姉さんがその為の力を私に授けてくれるというなら! 私はその力で証明したい! そうすれば……私は姉さんを許せるかもしれない」

「箒ちゃん……」

「今の弱い私では駄目なんだ! だから、頼む!!」

 

 

 箒が伸ばした手が、ハルの手を強く掴む。

 決意の篭めた瞳はまるで焔を宿したかのように強く輝く。

 

 

「貴方たちの組織に迎えてくれ。もう誰にも失わせない為に強くなりたい! その為の力を私に授けてくれ!!」

「……相手は世界だ。ヘタをすれば世界を敵にして命を狙われるかもしれない」

「愚問だ。既にこの身は囚われの身、自らの意思で何も定められない籠の中の鳥だ。それが私の歪まされた人生の結果なんだろう。だが、それに屈する訳にはいかない! 私は、強くなりたい!!」

 

 

 箒は頭を下げて叫ぶ。握りしめた手を両手で握り、祈るように瞳を閉じる。

 箒が握っていたハルの手に、束の手が添えられた。箒が弾けるように顔を上げ、束を見る。

 穏やかな笑みを浮かべていた。安心して、と言うように束は微笑んでいる。

 そして束の表情を見たハルは、自分の手を握る箒の手を強く握り返した。

 

 

 

「篠ノ之 箒。一緒に戦おう、一緒に強くなろう。いつか君にも束の夢を理解して欲しいから。君の願いが僕も叶って欲しいと願うから。だから――この手を取ってくれてありがとう。僕は君を歓迎する」

 

 

 

 



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Episode:15

「終わったか」

「ラウラ。ごめん、大丈夫だった?」

 

 

 丁度ハルと箒が手を離し、移動をしようとした時だった。三人に駆け寄るように走ってきたのはラウラだ。闇に溶け込むような黒いコートを羽織っている。コートの下にはISスーツを着用しているのがわかった。

 ラウラには箒を監視していた監視員達を制圧して貰っていたのだ。唐突に襲撃してきたISには誰も対処する事が出来ずに彼等は制圧された。故に箒と束の接触はまだ察知されていない。

 

 

「……殺したのか?」

「貴方が箒様ですか。私はラウラと申します。監視員達ですが、流石にそこまではしてません。ただ放置すれば凍死の可能性もあります。だからこそ私達は早くここを離れ、次の場所へと向かいます。あとの事は警察に知らせれば対処してくれるでしょう」

「そうか……」

 

 

 箒は安堵の息を吐いた。自分を監視している者達ではあったが、だからと言って死んでしまうのは寝覚めが悪かった。監視員の中には箒の境遇に同情してくれる者もいてくれたから尚の事だ。

 

 

「じゃあ束、箒。行こう。ラウラは箒をお願い」

「わかった。箒様、こちらへどうぞ」

「箒で構わない。……貴方が姉の仲間なのはわかる。だが私は私だ。普通に接してくれ」

「……了解した。ではこれからは箒と呼ぼう。改めてこちらへ来てくれ」

 

 

 ラウラは黒兎を展開し、そのまま箒を抱きかかえる。同じようにハルも雛菊を身に纏って束を抱き上げた。

 こうして四人は夜の闇へと消えていった。その後、近所の警察に一報が入り、監視員の者達は無事、命を繋ぐ事となる。

 篠ノ之 箒が行方不明になった事が知れ渡るのは翌日の事となる。その時には既に彼等の目的は達成された後なのだが、彼等は知るよしもない。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ようこそ、篠ノ之 箒様。私がこの高天原のオペレーターを務めるクロエと申します。以後よろしくお願いします」

「知っていると思うが篠ノ之 箒だ。すまないが敬語はなしで頼む。ここではただの箒として扱って欲しい」

「……はい。わかりました。では箒と。ただ敬語は癖なので気にしないでください」

 

 

 箒は高天原の艦橋でクロエと握手を交わしていた。この場には箒とクロエの姿しかなく、箒をここまで連れてきた三人は再び姿を消している。

 現在、高天原は日本の近海に潜伏している。補給などで使う小型船で浮上し、ハルとラウラのISを使って束達は日本に潜入した。そして今度は逆の手順で箒を高天原へと送り届け、再び潜入を行っている。

 

 

「もうすぐご両親との再会です。シャワーの用意なども出来ています。身支度を調えておくのが良いでしょう」

「……そうか。もうすぐ父さん達と会えるのか」

 

 

 クロエの言葉に箒は思わず目尻が熱くなったのを感じた。5年前に離ればなれになってしまった家族。もう会えないのだと思っていた家族。もう再会できるなんて思っていなかった箒からすれば、奇跡のような話だ。

 不幸の連続だった。もう幸せなど忘れていた筈だった。だが一夏との再会、そして姉との和解。もうこれ以上の幸せはないと箒は思った。今までの不幸が嘘だったかのように、目まぐるしく世界が変わっていく。

 

 

「ありがとう、クロエ」

「いえ。これも私の役目ですから」

「それでも、だ。……ところでクロエ? 何故巫女服を纏ってるんだ?」

 

 

 そう、クロエは天照を起動している為に巫女服姿なのだ。箒に指摘をされたクロエは、どこか恥ずかしげに視線を彷徨わせながら苦笑した。

 

 

「束様の趣味で……もう慣れてしまいました」

「姉さんの仕業か。……姉さん、気にしてたのかな」

「え?」

「ん? あぁ、姉さんは言ってないのか? ウチの実家は神社だったからな。巫女服と言えば何かあればよく着ていたからな。姉さんがそれをクロエに着せてる、というのはやはり思うところがあったのかな、と」

 

 

 年中、引き籠もっていた束の姿を思い出す。自分には優しかった束だったが両親には冷たかった。だが、それは受け入れて貰えない寂しさから、両親へ心を閉ざしてしまっただけなのではないか、と。

 だから自分が着る事が無かった巫女服をクロエに着せたかったんじゃないか、と。箒が言うと、クロエはまじまじと巫女服へと視線を下ろして、自分の身を抱きしめるように巫女服を掻き抱いた。

 

 

「……恥ずかしいけど我慢します」

「恥ずかしがる事はない。似合っているぞ」

 

 

 銀髪で色白だが、不思議とクロエには巫女服は似合っていた。儚げな雰囲気がそうさせるのか、クロエが巫女服を纏っている姿は自然だ。

 クロエを良く知らない初対面の箒が言うのだ。クロエは渋々と、だが少し嬉しそうに巫女服の裾を持って喜んだ。思わず愛らしさから、箒が頭を撫でると不機嫌な顔をされた。どうやら身長を気にしているらしい。

 それから箒は、クロエの勧めに従いシャワーで身を清めた。服はクロエから預かったものに着替えようとする。クロエが言うには、束の変装時の服だと言う。

 

 

「馬鹿な……!? 腰回りが少しきつい、だと……?」

 

 

 いざ箒が身に纏おうとした時、箒は驚愕したように目を見開いた。

 腰回りがきつい事に気が付いた箒が、ショックから立ち直る事が出来たのはそれから暫くしてからの事であった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 数時間後、再び小型船が高天原に帰還した。箒は高天原の内部に収容された小型船の下へと急いでいた。逸る気持ちが抑えられず、廊下を勢いよく駆けていく。

 そして収容された小型船から人が下りてきているのが見えた。箒に気が付いたのか、先に降りていたハルが傍にいたラウラの肩を叩いて箒を示す。ラウラは察したように頷く。二人は箒と擦れ違うようにドックを後にする。擦れ違う間際、箒は礼を告げるように小さく頭を下げた。

 そして小型船から束が降りてきた後、追うように降りてきた二人の姿に、箒は遂に涙腺を緩ませた。

 

 

「父さん! 母さん!」

「……! 箒……!」

「箒? 箒なの!?」

 

 

 飛び込むように箒は二人に駆け寄った。父である篠ノ之 柳韻と母である篠ノ之 陽菜が驚いたように声を上げる。そして涙を目に浮かべた。飛び込んできた箒を陽菜が駆け寄って抱きしめる。

 二人の傍に寄り添う柳韻も柔らかく微笑む。陽菜は箒を解放し、その両肩に両手を置いて箒を正面から見た。

 

 

「箒……こんなに大きくなっちゃって」

「母さん……!」

「本当綺麗になったわ……ごめんなさい。5年も貴方を一人にしてしまって」

「それは言わないでください! 今、母さんはここにいる! それだけで私は嬉しいんです……!」

 

 

 再び母の胸に顔を埋めるように箒は陽菜を抱きしめた。箒は覚えている。母親である陽菜が好きだった。神社の行事で舞う神楽が綺麗だった。だから無理に化粧をして欲しいと頼んで困らせた事もあったけど、自慢の優しい母だった。

 再会した母は少しやつれているようだった。父も同じだ。あれだけ立派だった父の姿は少し小さくなったように見えた。自分が大きくなったにしてもあの立派な背は少し背を曲げていたようだった。

 皆、同じように苦しかったのだ。だけどこうして再会出来た。ならもうそれで充分だと箒は身体を震わせる。

 無言で互いに抱きしめて存在を確かめ合う。そんな妻と下の娘の様子を見守っていた柳韻は視線をもう一人の娘に向けた。何とも言えない表情で自分たちを見ている顔に柳韻は眉を寄せた。

 まるで薄いカーテン越しに、しかし絶対超えられない壁のように隔てられている。手を伸ばす事はおろか、声をかける事も許されない。それから束は背を向けて場を後にしようとする。

 

 

「ッ! 姉さん!」

 

 

 箒が気付いて呼び止めるも、箒が呼びかけた瞬間に束は肩を震わせて走り出してしまった。ただ呆然と走り去っていく姉の姿を見送って箒は言葉を無くす。

 

 

「一度も目を合わせてくれなかったわ」

「え?」

「やっぱり束は私達の事を憎んでいるのね。それだけの事を私はあの子にしてしまった」

 

 

 束は、まるでそこにいないように柳韻と陽菜を扱った。名を呼んでも反応しない。ただ淡々と振る舞う様は無言で泣いているようだった。そんな束を支えるようにハルと名乗った少年が束の傍にいてくれた事に不甲斐ないながらも安堵してしまったのだ。

 そして後悔した。陽菜は束の才能に畏怖し、持て余していた。どう接すれば良いのかわからないまま、時は流れてしまった。その果てに一家は離散してしまった。だが思い出せば手を伸ばす事は簡単だったんじゃないかと、陽菜は後悔を募らせる。

 

 

「駄目な母親ね……私は」

「私も、だ。……接し方があった筈だった。だが、私達はそれをしなかった」

「あなた……。そうね」

 

 

 5年越しに再会する夫と妻はどこかぎこちなかった。仕様がない。確かに束が事を起こしてしまった事が全ての始まりだろう。だがそれを止められなかったのは間違いなく親である自分たちなのだと。

 柳韻は不器用な男だった。剣の道に生きたような男だった。故に女子の、そして奇抜な束の感性には付いていけなかった。なまじ束が強かだったのも柳韻が束から離れてしまった要因だろう。そして陽菜もまた、理解出来ない我が子よりも慕ってくれる箒の方ばかりを可愛がってしまったと後悔している。

 

 

「……やり直せますよ」

「……箒」

「だって家族なんです。……もし仮に駄目でも、思う事だけでも出来るから」

 

 

 箒の言葉に柳韻は目を瞬かせ、陽菜は言葉を失った。そして僅かな間をおいて柳韻は箒の頭をそっと撫でた。

 懐かしい父の手の感触に箒は目を閉じた。大きく育った娘が誇らしいと思うのと同時に、もう一人の娘にもこうしてやる事が出来なかった後悔が過ぎる。柳韻は過ぎった感情を隠すように瞳を伏せた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……束?」

 

 

 家族の再会を邪魔してはいけないとドックから去り、ハルは艦橋にいた。すると、いきなり飛び込んできた束の姿に目を丸くする。束はハルの姿を見つけると、ハルに縋るように抱きついた。

 僅かに肩が震えている姿を見て、納得したようにハルは束を抱きしめた。束は何も言わず、ハルの首元に顔を埋める。気付けば傍にはラウラとクロエがいて、束の肩をそっと叩いた。

 

 

「大丈夫。……大丈夫だよ、束。僕等がここにいる」

「……うん」

「だから大丈夫。一人じゃないよ」

「……私達もいます」

「御側にいますよ、束様」

「……うん……!」

 

 

 流石に両親は無理だったか、とハルは束の背を優しく叩きながら思う。完全にトラウマは払拭出来ていない上に、再会を喜んでいるだろう箒の姿を見た事で耐えられなくなったのだろう。

 しょうがない。既に終わってしまった事だから。過去はどう足掻いたって変える事は出来ないのだから。ならばせめて今は自分たちが傍に居よう。彼女の家族の代わりとして。

 束の服の裾を掴んでくっつくクロエと傍らに控えるラウラ。二人が頷いたのを見てハルもまた頷く。同じ思いを共有するように。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……どうしてこんな事になったんだろうなぁ」

 

 

 はぁ、と一夏は引っこ抜いた電話線を揺らしながら呟いた。放っておけば電話が延々と鳴り響く為、鬱陶しくなって引っこ抜いたのだ。手にした電話線を放り捨てて、床に大の字で寝転がる。

 それもこれも一夏が高校受験に向かった先で起きてしまった事件の所為だ。一夏が向かった試験会場では、同じ場所を借りて受験を行っていたIS学園の区画があった。そこに一夏は迷い込んでしまったのだ。

 その先にあったIS。随分と久しぶりに見た鋼鉄の装甲に、一夏は過去の後悔を思い出して感傷に浸ってしまっていた。だからだろう、ついついISに触れてみようだなんて魔が差してしまったのは。

 そしてISは何故か一夏を搭乗者として認識し、一夏は世界で初めてとなるISを動かせる男性として世に知れ渡ってしまったのだ。

 

 

「だぁ、もう! 千冬姉からも戻ってくるまでは家から出るなって言われたし……やる事がねぇ」

 

 

 もう何もかもが面倒くさい。一体どうして? なんて繰り返しても答えが返ってこない問答だ。

 とにかくISを動してしまったという事態だ。これは不味い。何が不味いって世界に一人しかいない男性。一夏だってわかる。それがどれだけ貴重な存在なのかという事ぐらい。

 

 

「……これからどうなるのかな」

 

 

 思わず胸中の不安を口にしてしまう程に心細かった。無性に千冬の顔が見たかった。だが、そこまで考えて弱気を振り払うように首を左右に振った。

 勢いよく身を起こして立ち上がると、不意に一夏の耳に音が届いた。それは窓を叩く音。一夏は音の方を見た。今はカーテンを閉め切っていて外が見えない状態だ。

 興味本位で覗きに来た馬鹿か? と一夏は不機嫌になって眉を寄せる。窓を叩く音はまだ止まらない。それどころか次第に強くなってる。放っておくと窓ガラスを破られかねないと、一夏は覗き込むようにカーテンを手で避けて窓の外を見た。

 

 

「……束さん?」

 

 

 そこには随分と懐かしい知り合いの姿があった。その後ろには自分と同い年ぐらいのサングラスをつけた少年が立っていた。

 しかし一夏にとって重要だったのは束の方だった。ISの開発者である束がわざわざ尋ねてきたという事は何か知っているのかもしれない。そもそもこの人が原因なんじゃないか? と思いながら一夏は入り口を指さした。

 それから一夏は玄関へと向かった。玄関の鍵を開けると、束と少年がすぐに駆け込んできた。二人が駆け込んだのを確認して、一夏はすぐさま扉を閉めて鍵をかける。

 

 

「やぁやぁ! 久しぶりだね、いっくん!」

「束さん! 何がどうなってるんですか!? 束さんの仕業ですか!? 俺がISを動かせたのって!?」

「うわぁ、予想通りの反応だよ。まぁまぁ、それを説明しに来たんだよ。上がらせて貰っていいかな?」

「えぇ! 早く説明してくださいよ! ……所で、えっと?」

 

 

 束が連れている少年が誰かわからず、一夏は不躾な視線を送ってしまう。それに少年は苦笑を浮かべる。

 

 

「モンド・グロッソの時以来、だね」

「……え?」

「久しぶり。織斑 一夏」

「……まさか、あの白いISの!? あれ!? でも男!? あれ!? 実は女!? なんで束さんと一緒に!?」

「たくさんの質問、ありがとう。それも織斑 千冬が戻ってきたら説明するよ。二度手間になるし、余裕もある訳じゃないしね」

 

 

 一夏は少年の言葉の意味を察して、驚愕に目を見開かせる。モンド・グロッソの時以来と言われれば思いつく限り誘拐事件の事しかない。となると消去法で行けばあの時、一夏を助けてくれたISの操縦者はこの少年という事になる。

 だがISの操縦者だ。何故女じゃないのか、と一夏は混乱する。そんな一夏の様子に落ち着け、とジェスチャーをしながら、彼は名前を名乗った。

 

 

「僕の名前はハルだ」

「お、おう。織斑 一夏だ……。ちょ、ちょっと待ってくれ! 本当にあんたがあのISの操縦者なのか!?」

「君を助けた白いISの事を言ってるならね。あの時は混乱させてすまなかった。お姉さんも傷つけてしまって申し訳ない。こちらの不手際だったよ」

「……ッ! すまねぇッ!!」

 

 

 一夏はその場で膝を付き、床に頭を叩き付ける勢いでハルへ土下座をした。見事な土下座に、思わずハルはサングラスで隠した瞳を丸くする。束すら突然の土下座に呆気取られている。

 

 

「え? あの、なんで土下座?」

「俺……! アンタに助けられたのに、アンタに石を投げちまった……! すまねぇ!!」

「あ、あぁ? あの時の事を言ってるのかい? むしろ僕が悪かったから君は何も気にする必要は……」

「――これは一体何の騒ぎだ? 束」

 

 

 ハルは思わず悲鳴を上げそうになった。ぎゃあ、と出かけた声を手で口を抑え付けて咄嗟に束の背に隠れた。

 勢いよく開かれた扉。扉を開いたのはトラウマの怒れる剣鬼。憤怒の表情を浮かべて降臨する織斑 千冬の姿がそこにあった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「で、速やかにかつ簡潔に事情を説明しろ。終わったら介錯してやる」

「わぁお、相変わらずのセメント対応だね、ちーちゃん。懐かしいよ。愛が痛いね!」

「黙れさっさと説明しろ殺すぞ?」

「はい。すいませんでした。でも今回は私もドキドキ吃驚大冒険なので関わってないです、はい」

 

 

 何故か束とハルが正座で千冬に事情説明を行っていた。別にハルは強制された訳では無かったのだが、束が千冬によって正座させられている姿に自然と正座をしてしまっていたのだ。

 千冬は苛立った様子で、束が少し茶化しただけで豪腕が束の顔面を掴みあげた。みしみし、と人として鳴ってはいけない音を鳴らしている千冬にハルは身体の震えが止まらなかった。

 やはり、この女は人間ではない、という確信と共に。

 

 

「……ところでお前は?」

「ひぃっ!?」

「……そのサングラスを……いや、良い」

「……いえ、ちゃんと明かして置いた方が良いでしょう」

 

 

 千冬がサングラスを外すように言おうとするが、一夏の存在を思い出して止める。それにハルは身体の震えを止めてサングラスに手を伸ばした。サングラスが外されればそこにあった顔に千冬は眉を顰め、一夏は目を見開かせた。

 

 

「千冬姉……!?」

「……やはり貴様か」

 

 

 一夏は驚いたように、千冬は納得したようにハルの顔を見た。素顔を晒したハルは神妙な表情で頭を下げた。

 

 

「あの時は、すいませんでした」

「いや……。あの時は私も周りが見えずに貴様に迷惑をかけた」

「そんな、貴方が気にする事では。一夏くんもそうですが……」

「いや、それでも言わせてくれ……。一夏を助けてくれてありがとう。感謝している」

 

 

 千冬はハルの前に両膝をついて、ハルに土下座をした。なんでこの姉弟は反応が同じなんだろう、と思わず笑いそうになってしまった。

 

 

「顔をあげてください。今はそれよりも話すべき事がある筈です」

「……あぁ、勿論お前の事も説明してくれるんだな?」

「その為にここに。ね? 束」

「……うん。そうだよ、ちーちゃん」

 

 

 束は佇まいを直して千冬と向き直った。その束の反応に千冬はまるであり得ないものを見たように目を見開かせた。

 暫し唖然としていた千冬だったが、柔らかい笑みを浮かべて束を見た。

 

 

「ほぅ、落ち着いたもんだな」

「そっちも、ね」

「色々あってな」

「色々あってね」

 

 

 千冬と束は互いに不適に笑みを浮かべ合う。そんな姿を見ているとやっぱりこの二人は親友なんだろうな、とハルは微笑ましそうに見る。

 ふと、状況に置いて行かれた一夏がぽかん、と口を開けて間抜け面を晒している事に気付いて苦笑した。

 

 

「さて……まず何から話そうか?」

 



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Episode:16

2014/1/13 これまでの幕間の章だったお話を2章に統合。その関係で中身は変わっていませんがサブタイトルの変更があります。


「なるほど、な」

 

 

 千冬は束とハルから受けた説明に瞳を伏せてそれだけ呟いた。

 ハルの出自、ハルの持つ特殊性から広がった夢の事。ラウラとクロエを保護した事や、束が夢を目指すために選んだ手段、その先の計画まで。束から話を聞き終えて、千冬は噛みしめるように一文字に口を結び、重々しく溜息を吐き出した。

 同じく説明を受けていた一夏はただ呆然としていた。ハルが千冬のクローンで、様々な非人道的な実験を受けていた事。そして同じように実験を受けていたラウラやクロエの存在。束の苦悩や、その果てに出した答えにただ圧倒されるばかりだった。

 

 

「……その、ハルは千冬姉の事」

「怨んでないよ。むしろ感謝してる。色んな偶然とかが重なって生まれた僕だけど、生まれた事を後悔した事なんて一度もない。束と出会えたから」

 

 

 一夏が心配だったのはハルが千冬の事を怨んでいないかどうか。ハルは苦笑をしながら返答をする。千冬には苦手意識がある程度だ。怨んでいない。

 ちらり、と千冬がハルを見たが、ハルは見なかった事にした。思う所もないのに変に責任も負って欲しくないから。

 

 

「僕は僕で、千冬は千冬だ。ただそれだけの話だよ。生まれにちょっとだけ千冬が関わっただけで、僕等の接点なんて何もない」

「……そうか。変な事を聞いて悪い」

「お姉さんが心配なんだろう? 構わないさ。本当に変わらないな、君は」

 

 

 ハルの楽しげに笑う。一夏は少し照れたように視線を落として頭を掻いた。自分があんなにも後悔していた事は、当事者からしてみれば実はまったく気にしていなかった。自分が空回りしていただけ。なんだか恥ずかしくなってしまった。

 あの時は仕方ないと言っても、お互いやれる事があった。そして出来なかったからこそ、ぶつかってしまった。だが、今更それを責め合う必要もない。既に過ぎ去った事だと。

 

 

「……さて。話はわかったが、つまり束。お前は一夏を保護しに来たと言いたいのか?」

「そのつもり。このままいっくんが宙ぶらりんになってたら何が起きるかわからない。上手く事が運んでIS学園に入ったとしてもその先は? IS学園の内部で起きた事には? そう考えたら、やっぱり手が足りない」

「……IS学園には私がいる。それでも、か?」

「ちーちゃんでも限界はある。それに相手が組織だった場合、戦う手段が武力行使だけじゃなくなった時、ちーちゃんは抗える? だから私が後ろ盾になるんだよ。いっくんの居場所を守る盾にね」

 

 

 束の問いかけに千冬はぐうの音も出なかった。千冬は教師であるのと同時に、守護者としてIS学園に身を置いている。表舞台から姿を消したが、かつて最強の名を欲しいままにした“ブリュンヒルデ”その人だ。防衛戦力としては申し分ない。

 だが、それだけでは駄目だ、と束は言う。幾ら迫る脅威を切り払おうとも、事態の解決にはならない、と。確かに、千冬はあらゆる敵を切り払う力があるだろう。陰謀すらも断ち切って一夏を守りきってしまうかもしれない。

 だがあくまでそこまでだ。そこから先は続かない。一夏に必要なのは武力であり、なおかつ一夏の身を保証する居場所だと束は言う。

 

 

「篠ノ之 束の名前はもう世界にとって伊達じゃないんだ。だったら幾らでも活用してやる」

「……お前は戦えるのか? 一度、お前は耐えきれずに逃げただろう?」

「それは私が一人だったからさ。ちーちゃんもあの時は私の手を取ってくれなかった。諦めろ、って言うことしかしなかった。わかるよ。いっくんを守りたかったんだもんね。だから束さんはちーちゃんは諦めたのです。……今は、もう一人じゃない」

 

 

 傍らにいるハルに束は微笑みかける。応じるハルもまた笑みを浮かべ、束の手を取って握り合わせた。千冬はその様子を見て、今度こそ呆気取られた表情で目を丸くした。そして勝ち誇ったように束が笑みを浮かべると、堪えきれなくなったように笑った。

 

 

「あっはっはっは! そうか……そうか! なんだ、まさかお前がなぁ! 変わったよ、本当にお前は変わったよ、束! く、くくっ! ふはははははは! 参った参った! お腹が、お腹が痛い!!」

 

 

 あの千冬が腹を抱えて笑い転げている。目に涙すら浮かべて、身をくの字に折って笑う。千冬の大爆笑に一夏は初めて見た、と目を丸くするばかり。ハルもこんな笑い方が出来るのか、と感心して千冬を見ていた。

 ひー、ひー、と呼吸を整えながら涙を拭って千冬は束に歩み寄った。束の頭を掴んで撫で回す。むぎゅぅ、と束から潰れたような声が漏れる。だが気にせずに千冬は束の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

 

 

「まったく。お前にまで先を超されるとは私も予想してなかったさ」

「やーめーてーよー! ハルにセットしてもらった髪がーっ!」

「なんだ自慢か? ん? くそ、悔しいな! 職場か!? 職場が悪いのか!?」

「ズボラなのがいけないんだよっ!」

「お前だってそうだろうが!」

「私にはハルがいるもん!」

 

 

 ぎゃーぎゃー、わーわー、と。まるで子供のように取っ組み合って束と千冬は反論し合う。互いが互いを罵り合っているが、不思議と楽しそうに見えるのは気のせいじゃない。

 二人を見ていたハルと一夏の視線がぶつかる。ハルが苦笑を浮かべて肩を竦めて、一夏もどうしようもならん、と両手を挙げて見せる。

 

 

「……これで勝ったと思うなよ?」

「もう勝負付いてるからね?」

「黙れ。どうせハルの年齢から見て結婚するには時間がかかる。私には長すぎる時間だ。精々、今だけの天下に浸っていると良い」

「はっ! 結婚して人生の墓場に行き着かないと良いね! いいや、ちーちゃんが引きずり込むのかな?」

「抜かせ。……幸せになれよ、親友」

 

 

 束の顔を伏せさせるように千冬は束の頭を撫でた。束はそのまま顔を伏せて肩を震わせた。

 千冬は視線を束からハルへ移した。ハルは柔和な笑みを浮かべていたが、その瞳だけは千冬に挑み掛かるように鋭く細められていた。

 

 

「……何も言う必要はないか?」

「改めて言われるまでも。……思わぬ所で結婚を約束して貰ったしね」

「は、はぅあぁ!?」

 

 

 先ほどの結婚の話だろう。束は妙な鳴き声を上げて縮こまってしまう。そんな束の様を見て千冬は笑みを浮かべる。ハルも照れたように赤くなっていたが、誇らしげに笑っている。

 一夏は三人の様子をぼんやりと見ていた。三人の会話から束とハルの関係性を察する事は出来た。先ほどまでハルと束が握り合わせていた手を思い出して、自分の手に視線を落とした。まるで何かに思いを馳せるように。

 

 

「一夏」

「お、おう!? なんだ!?」

「お前はどうしたい?」

「手を繋ぎたい……?」

「……お前は何を言っているんだ?」

 

 

 千冬は遂に頭がおかしくなったのか? と一夏を睨み付ける。慌ててぼやけた思考を追い払って一夏は顔を正面に向けた。

 千冬の問いかけは、今後の一夏の身の振り方についてだろう。一夏は一度、考え込むように口元に手を当てて視線を落とした。

 ゆっくりと時間が流れる。皆が一夏の言葉を待つ。そして、答えを決めたのか、一夏は顔を上げて千冬に言った。

 

 

「俺、行くよ。束さんと一緒に」

「……良いんだな?」

「もう千冬姉におんぶ抱っこはごめんさ。……千冬姉にも立場があるんだろうけどさ、俺はもう千冬姉に守られ続けるのはごめんだ。だから自分で自分を守れるように、自分で選んで束さんと一緒に行くよ」

「……そうか」

 

 

 千冬は重く息を吐き出した。下げられた肩がまるで落胆するかのように。手に取るように気持ちがわかる。千冬は一夏が言えば守ってくれた。そして心のどこかで選んで欲しいと思っていた。

 けれど一夏はもう選べない。千冬もまたわかっている。あの日、決別した時から決まっていた。約束されていた別れが、ただ単に早くなっただけ。千冬はゆっくりと息を吐き、力を抜いて笑みを浮かべた。

 

 

「寂しくなるな」

「上手く行けばすぐ会えるんだろう?」

「それでも、だ。本当にこれで私はお前に手を差し伸べられなくなった」

「……いつまでも子供じゃない。俺は、貴方の隣に肩を並べに行くよ」

「殻も破れていないような青二才がよく言う」

 

 

 鼻を鳴らして千冬は一夏を笑う。一夏の肩と頭に手を置いて髪を優しくかき混ぜる。

 

 

「行ってこい。元気でな」

「千冬姉も。生活、ちゃんとしてくれよ?」

「お前に教えて貰った事ぐらいはこなしてみせるさ」

 

 

 お互いに涙は要らない。笑みを浮かべて互いの道に幸があらん事を願って。

 そして一夏から手を離し、千冬は束へと視線を送った。千冬にかき混ぜられた髪を直していた束は千冬の視線に気付いて1つ、小さく頷いた。

 

 

「束。……頼んだ」

「任されたよ」

 

 

 二人が交わした短い言葉。それで充分だと言うように千冬は背を向けた。

 

 

「……私は寝るよ。見送りはいらないな?」

「……あぁ、おやすみ。千冬姉」

「おやすみ。一夏」

 

 

 まるで明日も変わらない日々が来るように。いつもの様子で一夏と千冬は言葉を交わした。リビングを後にしていく千冬の姿を見送り、一夏は改めて束とハルに向き直って手を差し伸べた。

 

 

「……こういうのって形から入るものだと思うから。改めて、織斑 一夏です。今日からよろしく頼む」

 

 

 この翌日、織斑 一夏が失踪した事が世界に流れる事となる。

 発見からすぐに行方不明になった事で、発見と合わせてのニュースは瞬く間に世界に拡散されていき、大いに世界を賑わせる事となる。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ハルは束の髪を手に取って櫛を入れていく。さらさらと、櫛を通された束の髪が重力に落ちて流れていく。

 

 

「……ねぇ、ハル?」

「何?」

「上手く行くかな?」

 

 

 束の言葉に不安の色は無かった。あるのは疑心だった。これから為す事に対しての疑心。

 

 

「私はさ、上手くやれるよ。自分の考えを伝える為に色々と考えたよ。でもさ、世界はどうなんだろうね」

 

 

 束の世界に対しての疑心は消えない。これはもう一生治らないな、と束は思っている。嫌なものは嫌だし、面倒なのは嫌いだ。自分の言葉が理解出来ない奴はやっぱり嫌いで、価値を見出す事が出来ない。

 

 

「どうだろうね。賢者と愚者は表裏一体だから。どんなに頭が良い奴でも馬鹿をやれば馬鹿になるし。馬鹿も馬鹿を突き通した結果、世界を良い方向にだって持って行ける事もある。きっと世界だって同じさ。結局、誰が正しいなんて立場を変えれば無数にあって、正しいものなんてない」

 

 

 束の髪に通していた櫛を止めて、代わりに手で触れて、束の髪に指を通していく。

 愛おしい宝物に触れるような手つきでハルは束の髪を撫でる。

 

 

「結局、自分を信じるしかないんだよ。その度にぶつかって、否定されて、傷ついて、苦しんで。でもそれだけじゃ辛いから、受け入れて欲しくて、癒して欲しくて、楽をしたいと思う。だから傍に居てくれる人を愛おしいと思える」

「……そっか」

「束なら大丈夫。今更な話でしょ? 自分を信じて、なんて」

「へへへ! 当たり前だよ。だって束さんだよ?」

 

 

 自信満々に微笑む姿はいつもの束と変わらない。そんな束の姿を見て、ハルは束を後ろから抱きしめるように手を伸ばす。

 自分の腕の中にすっぽりと束を収めて、ハルは束の耳元で囁くように言葉を続けた。

 

 

「訂正をさせて貰っていいかな?」

「え? 何を?」

「僕は束に全て捧げるって言った。束の許可無く死ぬ事はしない。君のモノになると言った。それを訂正させて欲しい」

「……どうして?」

 

 

 束は不安げな声を出して振り返った。束が振り返るのと同時にハルは束を解放して、束の座る椅子の横に片膝をつけて束に跪く。

 

 

「ずっと考えてた。どうして生まれてきたんだろう、って。僕は君に会いたくて生まれてきた。君に尽くしたくて、君を愛したくて生まれてきた」

「……うん」

「それだけで良いと思ってた。必要とされれば良かった。むしろ……必要とされなければいけないと思い込んでた。束の為に全てを捧げて、束の理想を叶えて、束が幸せになれれば良いと思ってた」

「……今は違うの?」

「違わないさ。束の理想を一緒に叶える。束の幸せを願ってる。それは絶対に変わらない。変わらなきゃいけないのは……僕だ」

 

 

 ハルは束の手を取る。束を見上げるように視線を移し、束を真っ直ぐに見つめる。

 

 

「君と生きたい。この手をずっと握りたい。

 君に尽くしたい。君の笑顔を隣で見たいから。

 君を愛していたい。何度でも君に思いを伝えたい。

 君の傍にいてあげたい。我が儘だとしても隣に居たい。

 君を守ってあげたい。君の傷つく姿を見たくはないから。

 君と共に悩んでいたい。僕も悩むから一緒に考えて欲しい。

 この血肉も、意思も、魂の一欠片の全てをかけて君と共に在りたい。

 一度捨てた命だからもう捨てたくない。ずっと君の隣に居たい」

 

 

 願うようにハルは瞳を閉じる。僅かに震えた呼吸を整えて言葉を紡ぐ。

 

 

「我が儘を言わせて欲しい。僕を好きになって欲しいんだ。その為に貴方の気持ちを教えてください。これからもずっと一緒に貴方の隣に置いてください。僕はずっと貴方の一番でありたい。僕は……――篠ノ之 束。貴方が大好きです」

 

 

 だから、と。

 

 

「これからもずっと貴方の隣にいさせてください。貴方の夢を一緒に追わせて欲しい。僕も、僕も君といる幸せを見つけたから。僕の幸せも叶えさせてください」

 

 

 沈黙が落ちる。

 ハルも、束も声を発しない。ハルは瞳を閉じて束の反応を待っている。

 束の手が、ハルの手に添えられる。束の両手がハルの手を包み込む。

 

 

「顔、上げて。ハル」

「……束」

 

 

 束に促されてハルは顔を上げた。束は、呆れたように、けれど穏やかな表情で笑みを浮かべていた。

 

 

「今更だよ。訂正する必要あった?」

「ちゃんと言っておきたくて」

「……ハルは、今が幸せ?」

「うん。でも、これからもっと楽しくなると思う」

「奇遇だね。私もそう思ってるんだ。怖いし、疑っちゃうし、成功するかなんて人任せだからさ。だけど、だからきっと頑張れる。ハルと一緒なら」

 

 

 束は椅子から立ち上がってハルの手を引く。束の手に引かれるまま、ハルが立ち上がる。

 束は立ち上がったハルに抱きつき、ハルの背中を優しく叩く。

 

 

「大きくなったね。本当に」

「……昔はずっと君の胸に顔を埋めてた」

「そうだね。あの時の君は本当に小さいのに、無茶ばっかりした。ISを初めて起動させた時、モンド・グロッソの時。無鉄砲で、必死で、がむしゃらだったね」

「うん。反省してます」

「なら良し。――大丈夫だよ、ハル」

 

 

 束はハルの手を取って、その手を自分の胸元に当てた。手に感じた豊かで柔らかい感触にハルは思わず顔を紅くする。

 

 

「た、束!?」

「聞こえるでしょ? 私の心臓の音」

「え……? う、うん」

「私が生きてる証の音。――これが貴方の生きてる証明だよ、ハル。貴方はここで生きてる。私を生かしてくれてる。それが君の価値だよ」

 

 

 とくん、とくん、と。

 手から伝わる鼓動の音は生命の証。束が生きてる事を示す音。触れる熱が彼女の存在が、ここにいる事を教えてくれる。

 それが証だと束は言う。必死に証を求めていたハルに対して差し出すのは存在の証明。それがハルの価値だと束は言う。

 

 

「生まれてきてくれてありがとう。私を生かしてるのは君だ。だからずっと傍に居て。これからずっと一緒だよ、ハル。私がいる事が貴方の生きてる証明になるなら、貴方の価値になれるなら――こんなに幸せな事はないよ」

 

 

 お互いが生きている事で、お互いの生を実感し合う。

 互いにもう欠かせない。互いの心臓の音は誤魔化せない。

 そっと手を胸から外して、もう一度束はハルを抱きしめる。耳をハルの心臓に当てるように。

 

 

「これがハルの生きてる音。私が愛されてる証明の音。君を確かめる為の音。私はもう一人じゃない。そしてハルも一人にさせない」

「……うん」

「君が転んでいかないようにずっと手を繋いで行くよ。もう離さないから」

 

 

 指を絡めるように束はハルの手を手に取る。そして微笑む束を前にしてハルもまた微笑んだ。一筋、涙がハルの頬を伝っていく。

 

 

「僕はここに生きてる」

「うん」

「君がここに生きてる」

「うん」

「それが何よりも嬉しい」

「うん」

 

 

 確かめるように、束と指を絡めた手に力を込める。空いた片手で束の身体を抱きしめる。

 束はハルの身体を支えるように力を込める。その場にしっかりと立って、ハルの顔を覗き見る。それから二人の視線が重なり、距離がゼロになるのは自然の流れにも思えた。

 

 

「愛してるよ、ハル」

「僕も、愛してる。束」

 

 

 互いに身体を離して、ただ握った手は離さない。互いに微笑み合って。

 

 

「じゃ、行こう」

「うん」

 

 

 堂々と歩む束の歩幅にハルが歩幅を合わせるように二人は歩き出した。

 長い廊下。たった2年ほどしか住んでいないこの廊下にも色んな思い出が出来た。

 そして進んだ先に扉がある。扉を抜ければそこは艦の制御を司る艦橋へと出る。

 艦橋には高天原に乗る全ての人が集っていた。

 織斑 一夏に、篠ノ之 箒。篠ノ之夫妻に、そして……ラウラとクロエ。

 

 

「お待ちしてました」

「……始めましょう」

 

 

 ラウラとクロエが笑ってハルと束を呼ぶ。皆が見守る中、束はハルの手を離して艦橋の中央に立つ。

 

 

「行こう。私達の夢を叶えに。――世界に私達を知らしめよう。高天原、初の全機能の解放を行うよ! クーちゃんッ!!」

 

 

 束がクロエの名を呼ぶ。艦の制御を司るクロエは束の呼びかけに力強く頷き、異色の瞳を見開いた。同時に彼女の纏う衣装が巫女装束へと替わり、狐耳型のセンサーが宙に浮く。

 すぅ、と息を吸えばクロエの身体が宙に浮き、クロエの周囲の空中ディスプレイが無数に表示される。クロエの周りを旋回するように飛び、クロエの手に収まった球体型のインターフェースが光り輝く。

 

 

「本艦はこれより浮上を開始。その後、全システムを起動し、“飛翔”致します。各コア正常に起動、船体チェックに異常なし。ネットワークは正常に接続を確認。全機関、全システムオールグリーン。――高天原、浮上致します」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 静かな海景色が広がっている。空は快晴。雲もまばら。絵にもなる穏やかな海の景色は、やがて変貌していく。

 まず波が立った。海鳥たちが恐れを為すように彼方へと飛んでいく。やがて波は次第に膨れあがり、海面を突き破って現れたのは鋼鉄の塊だった。

 海水を弾き、その船体を日の下へと晒した船は海面へと浮上した。だが船は止まらない。波が震えるように海面を走り、やがて船体は波から浮いた。

 徐々に上へ、上へと昇っていく。やがてその船体は存在を誇示するかの如く、白き船体は悠々と空を行く。

 

 

「す、すげぇ……! お、おい! 箒、見ろよ! マジで空飛んでる! この船飛んでるって!!」

「え、えぇい、うるさい! わかっている! 見ればわかる!」

「す、すっげぇーっ! くぁあああ! 男なら燃えるしかない!! マジで束さんすげぇぇええ!!」

 

 

 深海から飛び出した事で艦橋の窓が解放され、外の景色を映し出す。艦橋の窓から見渡せる世界に興奮した声を上げているのは一夏だった。傍にいた箒を引っ張り、身体全体で窓にへばり付いて興奮を示している。

 そんな一夏に引っ張られるまま、窓際まで連れて行かれた箒。彼女は実際に船が飛んでいる事よりも、自分の手を握る思い人の手の方が気になるようであった。

 篠ノ之夫妻は唖然としていたようだったが、やがて諦めたように苦笑をした。それはいつかこうなる事を予想していたとも取れる表情で息を吐く。

 

 

「……飛びましたね」

「……これはクるね」

 

 

 まるで現実が感じられない、と呆けたようにラウラが呟いた。その隣でハルは目元を抑えていた。艦の制御をするクロエもまた言葉を忘れて艦のセンサーから広がった世界を見ていた。

 通常のISよりも遙かに巨大な世界を感じさせるハイパーセンサー。ただクロエは圧倒された。これが空を飛ぶ事。夢を為の翼の勇姿に、胸の中で何かが生まれる。熱い何か込み上げてくるようだ。熱を放つソレにクロエは口元を抑えた。

 

 

「……浮上、成功。高天原はこれより……通常飛行へ移行します」

 

 

 ようやく言えた言葉は震えていて、流れ落ちる涙をクロエは止めず、眩しげに艦橋から見渡せる空を見た。

 誰もが言いしれぬ感慨に耽る中、ただ一人前を見据える者がいた。当然の如く結果を受け止めるのは当然、篠ノ之 束その人。彼女は片手を振り払うようにして空中ディスプレイを展開。

 

 

「それじゃあ束さんもお仕事を始めよう。お久しぶり、世界。――私は帰ってきたよ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――それは世界各地で起きた現象だった。

 あらゆる映像機器にそれは映し出された。街頭の広告用テレビに、インターネットに繋がれたパソコンに、誰もが目に留まる場所で。

 映し出されたのは篠ノ之 束の姿。高天原の艦橋の様子を撮影した篠ノ之 束の映像はリアルタイムで全世界へと発信された。

 

 

「世界に住まう皆様、如何お過ごしでしょうか。ご存じの方はお久しぶり、初めての人には初めまして。私はIS開発者の篠ノ之 束です。このように映像を拝借させて頂いてのご挨拶に酷く驚いていると思いますが、暫しのご静聴を。

 

 ……さて、畏まるのはここまで。まず世界の皆さんには一言。私の生み出したISを使ってくれてどうもありがとうございます。本当の目的とは全然違う理由で使われてるから束さん的には大いに不満だけど、世界には必要なんだと言うことで目を瞑ります。

 

 けれど束さんは許せない事があります。――それはISを扱う為に繰り返される非人道実験の数々。私がISを生み出したのはこんな横暴をさせたいが為に開発したんじゃない。後に全世界に私が保護した子達のデータを公表します。誤魔化そうったってそうはいかないんだからね。徹底的に暴き倒してやる。今もこんな実験を繰り返している奴がいるんだったら探し出してでも潰してやるから覚悟しておいてね。この子達はもう私の大事な家族だ。私は私の家族にした非道の数々を赦しはしないよ。

 

 そんな訳で束さんは世界の現状に呆れ果てました。元々、本来の意義を見失ったISの開発にこりごりで行方を眩ましていたけど……私の可愛い子供と言えるISをこんな人殺しの為に使われるならどうしてやろうか、なんてずっと考えていた。

 

 だから私、篠ノ之 束はここに私をトップとする組織“ロップイヤーズ”の設立を宣言するよ。ロップイヤーズの目的はISの平和利用。誰もがISの為に犠牲になる事がなく、ISは人類のパートナーとして成長していく為に活動する。

 

 ロップイヤーズはあらゆる国家、組織に所属せず活動する。ISが必要な場面に率先して支援を行い、先ほども上げた非人道的な人体実験の阻止、被害者の保護を行うよ。そしてISの本来の目的である宇宙開発を込みとしたISの開発研究の促進もだ。

 

 同時に私は世界各国に技術協力をする用意があるよ。その為に私達は現在、完全中立地帯となっているIS学園にその拠点を置いての活動を世界が認知する事を要求する。世界にISが受け入れられた。ならばその形を私は尊重したい。それが我が子の願いならば私はIS達の為に私の技術を世界に伝えよう。

 

 ただしISコアの譲渡は無い。私は今、世界に預けた子達の成長によって世界の成長を見定める。そして人類がISと歩めると確信した時、私はISコア製造の方法を全世界に公開する事を誓う。

 

 その判断をするのはIS達だ。私はISの意思を直接聞ける。ISコアは誤魔化せない。ISコアにした事は全て返ってくるからね。だから、いずれISコア達が人類と対等に歩む事を望む時が約束の時だ。その時が来れば私はコアの製造方法を公開しよう。

 

 さて、先んじて活動してしまったけれども世界初の男性でISを動かす事が出来た織斑 一夏くんは私が保護しているので心配しないように。よからぬ事を考えていた奴は下手な事を考えない方が良いよ? 織斑 一夏の存在がISコアに男性を受け入れさせる鍵と為り得る存在になるかは全世界次第だからね。そうそう、私はISが何故、女性にしか扱えないか、そのプロセスを解析する事に成功したから。一応伝えておくよ。

 

 ロップイヤーズは当然だけど武力を有している。だけど私達は絶対にISを戦争の為にも、支配の為にも使わない。IS達には意思がある。願いがある。私は私の子供にそんな罪を犯させたくはない。故に私達が武力を有するのは自衛とISの力を必要とする時、真っ先に駆けつける為に。

 

 今は私が開発したISコアによって稼働するISコア搭載型万能船“高天原”で活動している。現在飛行テスト中だから予定航路は公開しておくよ。見に来たければ見に来れば? 態度によってはこちらにも考えがあるけどね?

 

 それではロップイヤーズは世界からの返答をお待ちしております。返事の確認は……そうだね。今から1ヶ月後、IS学園で窺おうか。直接出向くから迎えは要らないよ。

 

 それでは拝聴ありがとうございました。この演説はエンドレスが出来るようにネットで配信して置くからご自由に。同時に人体実験のデータも一部公表するよ。保護した子達のその後とかも一緒にね。人体実験のデータは気分が悪くなる事間違いなしだから心の弱い人とかは遠慮しておいた方がいいって注意しておくからね? それだけの事を世界はやらかしてるんだ。

 

 だけど、そもそも私がISを作った事が原因だと言うなら。なら私は改めてその責任を果たそう。私の夢の為に。私の子達の為に。そして私の子達を愛してくれる人達の為に。私は望むよ。この世界と共に生きる事を。――良い返事を期待しています」

 

 

 

 ふぅ、と。リアルタイムでの撮影が終わり、束は熱を逃がすように吐息を吐いた。

 すかさずハルが、ラウラとクロエが束の傍に寄り添う。三人に支えられて束は笑みを浮かべた。そして三人を纏めて抱きしめるように手を伸ばすのだった。

 

 

 



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Episode:17

 束の全世界に向けて発信された演説は、瞬く間に世界を混乱へと叩き落とした。

 束のもたらした情報。まずは束が保護したハル、ラウラ、クロエに関する人体実験の概要、その一部。保護された後の日常生活を本人達の言葉で語ったものや写真等が公開された。

 これには当然、反感を持つ者達が多く生まれた。非人道的な扱いを受けたハル達に同情の声が多く寄せられる事となる。これに最も焦ったのが過去、ラウラを切り捨てたドイツだ。ドイツ国内では軍が容認した人体実験に軍への不信が高まるという結果になった。

 他にも束が保有する戦力の公開。ISコア搭載型万能船“高天原”のスペックや概要、そして搭載された無人機達の情報。更には束が提唱した“IS第四世代”の概要と一部、実証したISのデータを公開。

 そして何より衝撃だったのが女性にしかISが使えない原因と経緯。開発の経緯そのものに関してはどうしようもないとしても、現在の状態は女性が生み出してしまった女尊男卑に大きな影響を受けている事が火種となった。

 これには世界が割れそうになった。特に元飛行機乗りや空に携わる仕事を生業としていた者達はこぞって女性達を非難した。中には原因である束を憎む声もあったが、大勢はやはり女性への不満をここぞとばかりに爆発させた。

 ISが公開されてから10年。その間に世界は急激に変化を見せたが、その変化の影響を最も大きく受けたのがISだというのがまた皮肉な話である。

 そして束が乗る高天原。これは束が公開した通り、世界でも撮影された映像などがネットに上げられ、興奮や畏怖を呼び覚ました。

 中には単純に船が空を飛んでいる姿に興奮を覚え、そして先に見える宇宙開発という夢に心を躍らせる者。

 またある者はこの船が“戦力”として扱われた時の事を考え、顔を真っ青にさせる。ISとほぼ同機能、いや、それ以上の戦力と為りうる船は現在、束の乗る高天原しか存在しない。その圧倒的な技術力に恐れを覚える者もまた多い。

 同時に公開された第4世代型のIS。この存在にISメーカーは衝撃を受けていた。一歩どころか二歩先へと進んだ技術力。更には無人機の存在も、束の保有する戦力が並ならぬものである事を指し示していた。

 当然、この束の保有する戦力を危険視する者も多くいる。だが同時に束はこの技術を伝授、公開するとも公言している。そしてハル達のような非合法の人体実験の被害者を保護している等、その行いから束を英雄視する意見もある。

 結果、世界は纏まらないまま半月という時間を流してしまったのだ。

 

 

「まぁ、でも時間の問題かな? 幾ら世論がどうであれ、篠ノ之 束の技術力は文句なしに世界一だ。これだけの技術力と戦力を敵に回したなら世界は保有するIS達を全部纏めでもしなければ対抗出来ない。逆にあっちは移動する活動拠点まであるし、そのスペックは空から深海まで。全力で逃げられて、仮に見失ったら守る事は難しくなる。ゲリラ戦なんてやられたら……お手上げ?」

 

 

 デュノア社本社の一室、そこでシャルロットはくるり、と回る椅子に背を預けながら呟いた。シャルロットは今後の世界について考えを巡らせていた。

 どう足掻いたところで世界が束、いや、束の結成した組織“ロップイヤーズ”に対抗出来ない。独自で補給する拠点まで得て、ISは単騎でありとあらゆる状況に対応する万能機。

 世界が一丸となって挑めば殲滅が出来るかどうか。そもそも束によって公開された情報で世界は既に真っ二つに割れそうなのだ。男の溜め込んでいた不満が、口実を見つけて爆発した事によって。

 

 

「世界は10年前から徐々に女尊男卑には変わったのは事実だけど、だからといってそれは個人レベル、団体レベルだ。世界レベルで見ればまだまだ染まりきってはいない。培われた経験と実績は裏切れないからね」

 

 

 女性優位な社会になりつつはあるが、世界的に見てそれが肯定されているかと言われればそうではない。比較的に影響を受けたのは若い世代だろう。だが既に年を重ねた世代はISが公開されて世界の風潮が変わりつつも、染まりきってはいない。

 そもそものISの数が限られているのだ。ISに搭乗も出来ない、していない女性が粋がった所で人の心は動きはしやしない。ISが関わる業界ならともかく、ISに関わらない所では女尊男卑など言ってられないのだ。

 そんな世界の状態で団結する事など叶わなければ、篠ノ之 束と対抗する事など出来やしない。更に言えば篠ノ之 束は世界に歩み寄る姿勢すら見せているのだ。この手をはね除ける選択肢はほぼ無いと言って良いだろう。

 だが、束を受け入れるという事は、言ってしまえば全てを束によって監視される独裁を許すとも取られかねないだろう。だからこそ世界は揺れている。だがそんなの今更かもしれない、とシャルロットは思う。

 たった一人の開発したISが世界が変えた。軍事力の要となり、今に至るまでISに対抗する兵器が数多く作られたが、どれも完璧にはISと拮抗する事が出来なかった。そして何より世界の人々がISを受け入れたのだから。

 

 

「ISにだって意思がある、か。まだ幼く、僕等と共に歩んでくれるISだけど、ISにだって共に歩む人を選ぶ時が来るかもしれない。……その時、ISは人類を許すんだろうか?」

 

 

 シャルロットは想像してみた。もしこのままISを兵器として扱い続け、その度にISが人を学習して行き、いずれ人と同等の知能を得た時、人を守る為に生まれたISはどうなっているだろうか? 自らの存在が守るべき人を害していた事実を知った時、ISは何を思うだろうか?

 ISを扱う為に、研究する為に人体実験の果てに生まれた改造人間。筆頭にあげればラウラやクロエ。他にもISに人生を狂わされた人間など数多くいるだろう。人を守る事を存在意義として定義しているISが、もしもその二律背反を理解出来た時、ISは何を思うのか。

 

 

「まぁ、先の未来なんだろうけどね。世界の現状を考えれば」

 

 

 今は来るかもわからない将来よりも、生きるべき今の方が大事だ。先を見据えて生きなければならないが、歩むべき足下を疎かにしてはいけない。

 デュノア社としては、さっさと世界にロップイヤーズの存在を認知して貰い、安定して欲しいのだ。シャルロット個人としても。

 

 

「今、立場を公言しようとすれば間違いなく睨まれるし……はぁ、早く落ち着いてくれないかなぁ」

 

 

 世界の意思は纏まる筈がないだろう。どれだけ善意であろうとも強大な力はそれだけで脅威たり得る。けれどまた同時に、その力に従うしかない事も世界はわかっている。

 本当に束がある意味、世界にまったく興味の無い人で良かったとシャルロットは思う。彼女に知識欲や顕示欲はあれど、世界を支配しようなどという思想も無ければ、人の上に立って何かを為したいとも思う人間でもない。

 2年前、束を初めて見て、威嚇されて恐怖を身に叩き込まれたシャルロットだが、落ち着いてみれば取られたくないものを必死に守ろうとする子供のようにも見えた。本当に無邪気で純粋、それが篠ノ之 束の本質なのだろう。それが彼女の持つ技術力と合わさって凶悪なものとなっているが。

 

 

「シャルロット! いるか!」

 

 

 思考に漂っていたシャルロットだったが、突然部屋の扉を開けて入ってきた声に驚いた。それは父のものだったからだ。

 

 

「社長? どうしたんですか?」

「シャルロット、すぐに出撃だ。ラファール・アンフィニィで出てくれ」

「は? 一体何事ですか?」

「ドイツ軍からISを奪った逃走犯がそのままISでフランスへ向かっている。これを迎撃せよ、と政府から打診された」

「はぁっ!?」

 

 

 突然、舞い込んできた事態にシャルロットはただ驚愕する事しか出来なかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「――巫山戯るな! これが……これが上層部の答えだと!?」

「た、隊長……! そ、その、落ち着いて……!」

「これが落ち着いていられるかッ!! くそ、くそっ!!」

 

 

 勢いよく壁に拳を叩き付けたのは女性だった。目はきりり、と釣り上げられ血走ってすらいる。全身は怒りに震えていていた。

 彼女が纏っているのはドイツの軍人である事を示す軍服だ。彼女を諫めようとするのは同じく軍服を纏う少女達だった。

 

 

「隊長……怒るのはわかるけど、壁に当たったって仕様がないって」

「うるさい!!」

「ッ……! あの子の行方がわかって、その扱いに怒ってるのはわかるけど、私達に当たり散らしたってしょうがないって!」

「ッ――ッ!」

「らしくないよ……貴方がそんなんじゃ」

「……すまない。少し冷静さを欠いた」

 

 

 諫めるように叫んだ同僚の言葉に目を見開き、自らを落ち着かせるように息をゆっくりと吐き出す。

 

 

「落ち着いた? 隊長……うぅん、お姉様」

「……すまない」

 

 

 怒りを撒き散らしていた女性の名はクラリッサ・ハルフォーフ。

 彼女はドイツ軍のISを運用する為の特殊部隊“シュヴァルツェ・ハーゼ”に所属する軍人にして、栄えある隊長の任に就いている女性だ。

 何故彼女がこうまで怒りを露わにしているかと言えば、先日の篠ノ之 束の演説後に公開されたデータが原因だ。そこに表示されていた人体実験の被害者の中にクラリッサの知古の者がいたのだ。

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。かつて自分たちと同じ隊に所属し、とある事件を境にその姿を消した少女。

 その経緯となった目に手を触れ、クラリッサは歯が軋むのも関わらず強く噛みしめた。

 

 

「……上層部は?」

「ラウラ・ボーデヴィッヒ除隊後の扱いに関しては我等の認知する所ではない、との事だ」

 

 

 軍人は命令に従わなければならない。規律を守らなければ統率はならない。そして軍は統率されていなければならない。武力を持つ者として。人を守り、国を守るべき者として。

 しかしこれは一体何だ? 人を守り、国を守るべき軍人が事もあろうに人を、ましてや元々仲間であった“彼女”を人体実験の材料として引き渡しただと? 巫山戯るのも大概にして欲しいものだ。

 だが事実なのだ。クラリッサはかつて“ドイツの冷水”とまで呼ばれたラウラの事を思う。

 クラリッサとラウラの交友は決して深くなかった。だが、隊の中でも最年長であったクラリッサは何かとラウラを気にかけていたのだ。元々、親もいない遺伝子強化試験体として生まれた彼女に同情があったとも言える。

 いつか心を開いて欲しい、とクラリッサは願っていた。だが彼女の実力は本物で、クラリッサも彼女に勝つ事は出来なかった。故に誰にもラウラは心を開かずにいた。それをクラリッサは哀れにすら思えていた。

 状況が一変したのはISの登場の頃からだ。ISとのより適合性を高める“ヴォーダン・オージェ”の移植が彼女に不適合を起こした。その後、暴走する瞳に振り回された彼女はかつての絶対者たる姿を失わせていく。

 

 

「……ッ……!」

 

 

 それはクラリッサの後悔の象徴だった。日々、成績を落としていくラウラにかけた言葉も、ラウラには届かなかった。今までのラウラの態度から、ラウラへの反感を晴らそうとした者達を諫めて回り、ラウラがいつ復帰出来ても問題がないようにと尽くした。

 それは生来のクラリッサの優しさだったのだろう。軍人となる事を選んだのも、自分が国を守る為に力を得る事が目的だった。そして自らよりも幼い少女達の姿を見て、次第にそれは仲間を守りたいという思いへと変わっていった。

 しかし無惨にもクラリッサに待ち受けていたのはラウラの除隊だった。結局ラウラは成績を取り戻せずに除隊され、その行方も掴めなくなってしまった。上層部に掛け合おうとも知ることが出来なかった。

 それ以来、クラリッサは強くなろうと足掻いた。自分にもっと力があれば、もっと自分に何かが出来ればラウラの事を救えたのではないか。成績を落としてしまい、瞳が暴走していたラウラがどんな末路を迎えたか、想像すれば後悔が身に突き刺さった。

 そして修練の末、手に入れたのは隊長という栄光の座。だが何も嬉しくはなかった。それでも仲間を守れるのは良い、とクラリッサは時に心を鬼として、時に姉として隊員達を導いてきた。そんな中でクラリッサの傷も少しずつ癒えようとしていた。

 その矢先、公開された篠ノ之 束によって保護されていたラウラのデータ。まるで人として扱われていない事実にクラリッサは激怒した。どういう事だ、と上層部に掛け合っても望んだ返答は聞けない。聞ける訳もない。

 

 

「……お姉様」

 

 

 全ては順調だった。隊員達もまた後悔していたのだ。ラウラの事をクラリッサは守ろうとしていた。誰に隔てる訳でもなくその愛情を注いできた。その説得を受け、隊員達もまたラウラを受け入れようと思い始めて、叶わなかった。

 その時のクラリッサの姿は見ていられない程だった。まるで鉄のような殻に身を包んで、涙を見せないように振る舞った。だからこそ隊員達は敬愛を篭めてプライベートではクラリッサの事を姉と呼んでいる。それが何よりもクラリッサを癒す言葉であったから。

 なのに、こんな事になってしまった。クラリッサの思わぬ所から真実は知れ渡り、今、自分たちの下で笑わなかったあの子は笑えているようになっている。

 クラリッサの心に激情が生まれる。あの子だって笑えた! あの子だって人間だった! それを認めず、実験体として扱った軍とは何か!?

 

 

「こんな……こんな軍の為に! 私は軍人になった訳ではない!!」

 

 

 それはかつての彼女を否定する呪いの言葉。かつての彼女の誓いを穢す言葉。

 それが他ならぬクラリッサの口から吐き出される事が、隊員達にとって何よりも辛かった。ようやくクラリッサが立ち直ろうとしている時に、どうしてこうまで世界は彼女に優しくないのか。

 

 

「……最早、何もかもが虚しい。どうでも良い」

 

 

 自嘲するように笑い、被っていた軍帽を投げ捨ててクラリッサは肩を落とした。自分が身に纏っている軍服を見て、また更に笑いが零れた。自分たちは何だ? と。国を守るための栄えある特殊部隊?

 違う。体の良い道具ではないか、と。国を守るために利用され続ける。そこに意思などない。そこに信念などない。ただ飽くなき欲望が手ぐすねを引いて待っているだけだ。

 IS搭乗者として磨いた腕も、こんな奴らの為にあった訳ではない。誰かを守りたくて力を切望したクラリッサの夢は最早、摩耗し切っていた。

 

 

「ISとは何だ? 蓋を開けてみれば宇宙開発が本来の目的だそうだ。哀れなものだな。本来の目的を歪められ、人に使われるだけの兵器と成り果てた哀れな翼。まるで私のようだ。いいや? 利用価値があるだけ私よりマシかな……?」

「お姉様! しっかりしてよ!!」

「……私はいつも裏切られる。何のために軍人となったのだ、私は。何のために力を磨いてきたのだ。何のために? 何も為せない私に……一体何の価値がある?」

「止めて! 否定しないでよ! 私達を守ってくれたでしょ!? お姉様が部隊の為にどれだけ心を砕いてくれたか皆知ってるよ!? だから否定しないで!!」

 

 

 隊員の一人が投げかけた言葉に、他の隊員達もまた頷いていた。だが、クラリッサには届かない。いいや、届いたとしても彼女には受け止められない。既に笑うだけの優しさは削ぎ落とされた。

 クラリッサはふらり、と無言のまま部屋を出る為に歩いていく。去っていくクラリッサの背中を誰もが見送る事しか出来なかった。

 

 

(……何のために、か。もう見えないな。軍人である意味も、強さを求める意味も)

 

 

 ちらり、と。自身のふとももに装着されたレッグバンドに触れる。それは待機形態のISだ。自らには必要ないと外そうとし、撫でるように触れてみた。ただ何も言わぬISにクラリッサは微笑を浮かべる。

 ISには意思がある。篠ノ之 束はそう言った。そして本来のISの存在意義は宇宙開発、そして人々を守る事であると。なんだ、ドイツは為し得てはいないじゃないか。ならばどうする?

 

 

「……お前には本来の生まれた意味がある。果たせずにいて、さぞかし悔しかろう。私とお前は同じだな。いいや……お前にはきっと価値があるんだろう」

 

 

 だから。クラリッサはある事柄を思い出す。その為の計画を脳裏に描いて、固めて、そして決意した。

 

 

「連れてってやる。お前が本来はあるべき場所へ。お前はこんな所にいるべきじゃないさ。私がお前の剣になってやる。お前が行くべき場所は……あの空だ」

 

 

 そして、クラリッサ・ハルフォーフは反旗を翻した。

 身に纏うISの名は“シュヴァルツェア・ツヴァイク”。ドイツの最新鋭の機体を身に纏ったクラリッサは虚ろな瞳に決意を篭めて、その身を空へと舞い踊らせた。

 通信が入るが、ISを通じて全ての通信を強制カットする。警告の音も知らぬままにクラリッサ・ハルフォーフは全力でシュヴァルツェア・ツヴァイクを飛翔させる。自身を縛っていたありとあらゆる全てを置いて、クラリッサは空を走る。

 空を飛翔しながらクラリッサは笑う。あぁ、こんなにも縛られずに舞う空は快いものなのかと。ただ早く、早く、どこまでも駆けていこうと舞う。進んで、進んで、飛んで、飛んで。

 

 

 

「――止まってください!」

 

 

 

 オレンジ色の翼が道を塞ぐように姿を現した。

 クラリッサは視線を向ける。あぁ、知っているとも。こいつの事は知っているとも、と。

 

 

「“疾風の姫君<ラファール・ラ・プランセス>”、シャルロット・デュノアか」

「……貴方はフランスの国境を越えています。直ちに武装解除し、投降してください」

 

 

 シャルロットは両手に構えたライフルを差し向けてクラリッサに問う。クラリッサが辺りを見渡せば、あぁ、なるほど。確かに国境付近まで飛んでいたようだと気付いた。

 だが今更戻れる訳もない。このまま戻った所で軍法会議だろう。もう帰る場所もない。ならば? ならばどうするか? 身に纏うISへと意識を向ける。そうだ、こいつは飛ぶ為の翼だ。ならば、邪魔される謂われは無い。ただ飛びに行くのだから。

 

 

「国を捨て、仲間を裏切り、自身すらも見失って……たった1つ残されたのだ。こいつの存在意義を果たすと」

「貴方は何を――」

「もう何も要らん。ただ――果ての果てを夢見るのみ! 貴様が私の果てか、“疾風の姫君”ッ!! 私に果てを見せてみろォォオオオッ!!」

 

 

 クラリッサが叫び、シュヴァルツェア・ツヴァイクの肩部に装着されたレールガンがシャルロットへと照準を向けて、放たれる。シャルロットは放たれたレールガンの弾丸を回避し、両手に持ったライフルをクラリッサへと向ける。

 

 

「くっ、やるしかないのか!!」

 

 

 クラリッサの状態から正気が感じられず、シャルロットは一瞬躊躇う。しかしここで戦わなければ自分が落とされるだけだ。話を聞くのは無力化させてからでもやれる、とシャルロットは戦いに意識を傾けた。

 ドイツとフランスの国境で始まったシャルロットとクラリッサの戦いは熾烈を極めた。しかし優勢に傾いたのはシャルロットであった。

 シュヴァルツェ・ツヴァイクは全距離対応型のISとして開発された。コンセプトとしては全距離対応迎撃型に分類される。リニアカノンやワイヤーブレード、そのどれもが強力無比な武装だろう。

 だがそれも当たればの話だ。リニアカノンも外れ、射出したワイヤーブレードも破壊されてしまった。次々と風が吹き荒れ、1つ、また1つとシュヴァルツェ・ツヴァイクの武装を剥ぎ取っていく。

 

 

「がぁっ!?」

「悪いけど、全距離対応なのはこちらも同じでね! アンフィニィに負けは許されないんだっ!!」

 

 

 互いの機体は奇しくも全距離対応型。だがこの二機の対決はシャルロットのラファール・アンフィニィに軍配が上がる。クラリッサの技量も決して低くはない。シュヴァルツェ・ハーゼの隊員として、隊長として、かつての後悔を払拭する為に磨いた力は伊達ではない。

 けれどシャルロットもラファール・アンフィニィに注いだ思いも決して負けてはいない。この機体を使いこなそうと、ありとあらゆる武装群を使いこなすために訓練と研究を重ねてきたのだ。

 同じ全距離に対応する万能型。そして手数が多く、機体を乗りこなしているシャルロットの優位は揺らがなかった。あの手、この手と武器を変え、距離を変え、変幻自在にクラリッサを責め立てるシャルロットはまるで嵐のようだった。

 

 

(負ける? ここが、私の果て――?)

 

 

 シャルロットの猛攻に晒されながらクラリッサは自問する。あれだけ乗りこなそうとした機体も、最強を目指して鍛え上げたこの力も、ラファール・アンフィニィを駆るシャルロット・デュノアの前では無力。

 笑い声が口から零れた。このままでは勝てない。特徴を変え、なおかつ淀みなく換装し、姿を変える変幻自在の力の前には無力でしかない。

 

 

「なら――要らぬ」

 

 

 ならば放棄する。

 シャルロットはその光景に目を見開いて叫ぶ。

 

 

「武装解除……!? いや、違う、捨てた!? この状況下で!?」

「最早、武装など重荷にしかならない。ならば――要らぬッ!!」

 

 

 リニアカノンが、ワイヤーブレードのユニットが、全てが機体から弾け飛んで地に落ちていく。残されたのはクラリッサが纏うISの装甲のみ。

 

 

「要らぬ、要らぬ、要らぬッ!! 最早、私には何も――ッ!!」

 

 

 手を引いて抜き手を構える。逆の手はシャルロットへ手を広げるように。

 その瞬間、シャルロットが硬直したように身を固めた。いいや、実際に固められたのだ。シャルロットがいる空間ごと。

 それはシュヴァルツェア・ツヴァイクに残された切り札。PICの発展型であるAIC<アクティブ・イナーシャル・キャンセラー>。対象の行動を一切許さない絶対の結界がシャルロットを捉える。

 

 

「これはAIC!? 完成してたの!? くっ、動け、動いてラファールッ!!」」

「貴様の命運、ここまで!! 貫けやぁああああああああああああああああああッッ!!!!」

 

 

 シャルロットは藻掻こうとするも、それよりもクラリッサの方が早い。全ての武装を捨て去ったクラリッサは推力に余したエネルギーを注ぎ込んで加速する。抜き手はプラズマを放つ手刀となり、シャルロットを貫かんと一直線に迫る。

 

 

 

「――そこまでだ」

 

 

 

 声と共に盾がクラリッサを遮った。シャルロットを貫かんとした手刀を防いだ盾の主は――黒兎を纏うラウラだった。

 シャルロットはクラリッサとの間に割って入るように現れたラウラの姿に目を見開く。

 

 

「ラ、ラウラ!?」

「久しいな、シャルロット。……色々と調査の為に傍受していればドイツ軍からISが奪取されたと聞いてな。たまたま通りかかっていたもので、見に来てみればお前の危機じゃないか。駆けつけてやったぞ?」

 

 

 シャルロットはラウラの言葉を受けて思い出す。そう言えば高天原の航路予定ではそろそろ欧州を通過する頃だったか、と。

 ラウラはシャルロットに微笑みかけた後、もう一人の人物、クラリッサへと視線を向けた。眉を寄せ、隠しきれない疑問をぶつけるようにラウラは問うた。

 

 

「……何故だ。何故お前程の者がこんな真似を? クラリッサ・ハルフォーフ」

「……名を、覚えていてくれたか」

「当たり前だ。……お前こそ、私を覚えていてくれたのか」

「忘れた事など無い。お前が軍を去った後もずっと。私は何も出来なかった。何もしてやれなかった」

「……そう、か」

 

 

 クラリッサは脱力したように空を漂う。向き合うようにクラリッサを見つめるラウラの表情は暗い。

 

 

「私の事を思ってくれたのか」

「変わったな。お前は。私は終ぞ、お前の笑顔を見る事は出来なかった」

「あの頃は知らなかったからな。だが私は知った。私が人である事を。そして……伸ばされていた手があった事を」

「……篠ノ之博士には感謝せねばならないな。いや、私が感謝など言える立場でもあるまい」

 

 

 自嘲するように笑うクラリッサに、ラウラは左右に首を振りながら問う。問いかけを投げる表情は辛そうに歪み、ラウラの眉を寄せる。

 

 

「クラリッサ。何故だ。何故こんな愚かな真似をした?」

「IS本来の意義を見失わせた愚かな祖国にISなど不要! ならば母たる博士の下に返すのみ!」

 

 

 クラリッサの言葉にラウラが、そしてシャルロットが目を見開いた。ISを篠ノ之束の下に返還する為に。ただそれだけの為に軍を離反し、国境をも越えようとしたという彼女に。

 クラリッサは虚ろな瞳をしていた。ラウラは知っている。この瞳は挫折を味わった者の目だと。世界の全てに絶望して、希望など持っていない敗者の目だ。

 

 

「クラリッサ、お前は……」

「軍は私の夢を裏切った。何度も、何度も、何度も……! 私は! 誰かを守る力が欲しくて軍に入ったのに!! 何故守れない!! 何故守らせてくれない!! 私は体の良い道具になる為に軍人になった訳ではない!! なら、そんな奴らの為に力を持たせておくなどそれこそ愚かではないか!! 共に国を守ろうと誓った友も!! 教えを授けてくれた教官も!! 積み重ねてきた努力も!! 全てが無意味ではないか!!」

 

 

 クラリッサは涙を流して絶叫した。ラウラに懺悔をするように頭を下げてクラリッサは叫ぶ。

 

 

「頼む。ボーデヴィッヒ。このISを篠ノ之博士にお返ししてくれ。ISはお前達の夢なのだろう? なら……本来の意義の為に使ってやってくれ。意思があるのだろう? ならば、そうだ。こんな悪意に縛られるぐらいならば、きっと本望だろう」

「……貴方は、それだけの為に全てを捨てたの?」

「もう、私には何も残っていない。何も残らない……」

 

 

 シャルロットの問いにクラリッサは答えを返さない。ラウラはただ、クラリッサの姿を見つめていた。

 ふと、シャルロットが顔を上げればドイツ側から迫るISの反応があった。恐らくクラリッサを追撃してきた部隊。何があっても取り返したいのだろう。シュヴァルツェア・ツヴァイクはドイツの最新鋭の機体なのだから。

 

 

「クラリッサ・ハルフォーフ。ドイツ軍に私の存在は残っているか?」

「……除隊の時までは。その後の事は認知はしていないとの事だ」

「な、なにそれ!? 言い逃れるつもり!?」

 

 

 シャルロットも公開された事でラウラの出生の経緯などを把握している。故に、ドイツ軍が言い逃れを行おうとしたとシャルロットは感じた。いや、事実その通りだろう、とラウラは思った。

 そうか、とラウラは呟いてクラリッサの傍に近づき、肩部の装甲に己の手を置いた。

 

 

「クラリッサ・ハルフォーフ。礼を言うぞ。――束様、彼女はこう言っていますが?」

『――喧嘩売られたと解釈するけど?』

 

 

 突如現れた空間ディスプレイに映るのは束だ。どこか寒気のする笑みを浮かべながらラウラと問答をする姿にシャルロットは背筋を震わせた。

 

 

『ラウラ、君にとってその女は何?』

「我等に救いを求めてきた者であり、我等の理念の理解者であり――何より私の友です」

『……成る程。良いよ。機体は返しちゃって。別にいらないし、一応、今はドイツのものでしょ。あぁ、それとその女はウチに連れてきて良いよ』

「なっ――!?」

 

 

 クラリッサは束の言葉に勢いよく顔を上げた。何故、と問うように。

 

 

「ま、待ってください! それではこのISが――」

『ラウラ、適当に誤魔化しておいて。責任は自分で取りな』

「了解です」

 

 

 途切れてしまった通信にただクラリッサは唖然とするしかない。さて、とラウラは溜息を吐いてクラリッサを見た。

 

 

「という訳だ、クラリッサ。その機体はドイツに返す。そしてお前の身柄は私達で預かろう。シャルロット、お前の手柄で良いからソレはお前がドイツに返してやってくれ」

「しかし!」

「聞き分けてくれ。そのISもお前を守れた事を誇るだろう。良いんだ。それは世界に預けた子だから。――クラリッサ、もう居場所がないなら私達の下へ来い。お前にはその資格がある。ISの未来を、そして私を思ってくれたお前ならば」

 

 

  ラウラはクラリッサへと手を差し出して満面の笑みを浮かべた。

 

 

「あの頃、私を救おうとしてくれた手の温もりを知らず、その手を取る事は出来なかった。どうだ? 今からではもう遅いだろうか?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――結果として。

 クラリッサ・ハルフォーフが持ち出したシュヴァルツェア・ツヴァイクはフランスの代表候補生、シャルロット・デュノアと“たまたま”機体の運用テストを行っていたロップイヤーズの協力で奪還された後、ドイツへと返還された。

 その際に共同戦線に応じたシャルロット・デュノアには、篠ノ之 束から直接感謝の言葉を贈ったと世界的に公表。シャルロット・デュノアも記者会見に応じ、こう語った。

 

 

『彼等の理念は人の為、そしてISの為のものです。一人の人間として、ISに携わる者としては彼等の理念には憧れますね。デュノア社としても今後のお付き合いを考えさせていただいている所です』

 

 

 そして首謀者であるクラリッサ・ハルフォーフは公的に死亡したものとされた。

 ドイツはこの事態に情報封鎖と統制を行おうとしたようだが、何者かによって流された情報によって事件の一連の流れが公表される事となる。以降、ドイツ国内では国民達が政府と軍への疑念を誘発させるという事態が発生し、暫し内政は荒れる事が予想された。

 

 

「……」

「……複雑か?」

「……いいや、もう全てを捨てた身だ。もう憂う事はないだろう」

 

 

 高天原の食堂にはクラリッサとラウラがいた。クラリッサは軍服を脱ぎ捨て、私服姿となっていた。その姿に新鮮さを感じながら、ラウラは艦橋から覗ける空をクラリッサと眺める。

 そんな二人に近づいたのは、コーヒーを注いだマグカップを持ったクロエだった。ラウラはクロエの姿を認め、姉上、と彼女を呼んだ。

 

 

「コーヒーです。どうぞ」

「……姉上が煎れてませんよね?」

「……ハルに煎れて貰いました」

「煎れようとしたんですね? 何故姉上が煎れようとしたのですか……?」

「良いじゃないですか。お礼のつもりだったんですよ」

「姉上、毒物を渡すのはお礼じゃない。どちらかと言えばお礼参りだ」

 

 

 ラウラは以前、見様見真似で煎れてくれたクロエのコーヒーで酷い目を見た事がある。その経験が苦々しく残っている為に若干、トラウマになっている。ちなみに束は平気で飲み干していたが、ハルの分は絶対に飲ませないようにしていた。

 かつての失敗を持ち出された事が不満だったのか、クロエは眉を寄せてラウラを睨む。そんな二人のやり取りを見ていたクラリッサは静かに笑みを浮かべた。

 

 

「本当に変わったな。ボーデヴィッヒ」

「その名は既に捨てている。私はただのラウラだ。クラリッサ・ハルフォーフ」

「私もその名は捨てたよ。……ラウラ」

「あら……名無しさんですか。だったら良い名前を考えないと駄目ですね」

「名前、か。ふふふ、そうか……。まるで生まれ変わるような気持ちになるな」

 

 

 クラリッサは笑みを浮かべてクロエの運んだコーヒーを口に含んだ。

 苦い味がした。けれど、どこか優しい味に一筋、涙が零れて落ちていった。

 



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Episode:18 and 約束された未来

「――それでは決議を取ります」

 

 

 それは世界の総意が決定される会議だった。これからの世界の行く末を決める為に各国の代表が集まり、議論を重ねた。そして、遂に世界は答えを出す事を決めた。

 始めからわかっていた結果でも語らねば意味がない。例えどれだけ彼等が足掻こうとも絶対的な差は埋まらない。世界は揺れ動いている。天秤は既に傾いてしまったのだ。ならば抗う事はもう出来ない。

 

 

「――賛成多数により、篠ノ之 束率いるロップイヤーズの要求を快諾。彼等にIS学園での拠点を置く事を了承し、彼等からの技術協力を受ける事を了承します」

 

 

 世界は、遂に答えを決めた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「はー……随分と出し渋ってくれたよね? お陰できっとちーちゃんは多忙。各国の代表に悪態を吐いている頃だろうねー」

 

 

 高天原の食堂では束が垂れきった様子で机にへばりついていた。空中に浮かんだディスプレイではロップイヤーズの存在を認知し、その要求を呑む事が世界的に発表されている。ちなみに今日はIS学園に束が向かうと定めた日の1週間前だったりする。

 

 

「丁度入学試験が終わった頃でしょ? 次は僕達の受け入れと。……これは千冬に殺されるかな?」

「それは逆恨みだよ……。でもありありと想像出来るから嫌だな……。IS学園行きたくない」

 

 

 垂れきった束の正面に座って、煎餅を囓っていたハルが受け答える。ハルは想像した未来に顔を青くして身体を震わせた。束も同じだったのか、来るかもしれない未来を想像して同じく身体を震わせている。

 

 

「……でもこれで一段落かな?」

「これから先、凄く大変になるよ。世界はもっと騒がしくなるし、その中心になるIS学園はもっと、ね」

 

 

 束の呟きにハルは返す。これは終わりであり、始まりでもある。ハルはよく理解している。今までの生活は終わりを告げて、また新しい生活が始まろうとしているのだから。

 

 

「あ、そうだ。ハル?」

「ん?」

「ハルとラウラとクロエ。皆もIS学園に通って貰おうと思ってるから」

「え?」

「いっくんと箒ちゃんも入学するから、良いでしょ?」

「でも、束の護衛とかはどうするのさ?」

「私は一人でも大丈夫だよー。それに完全に離れる訳じゃないんだし、それにこの前ラウラが拾ってきてくれた奴がいるからね。扱き使うさ。本人もやる気だしね」

「あぁ、クリスさんか」

 

 

 ハルは高天原の住人となったクラリッサ・ハルフォーフ、名を改めてクリスと名乗っている女性を思い出す。丁重で面倒見の良い姉御肌な人だったとハルの中では印象に残っている。

 ちなみに名乗っている名は短剣のクリスから取ったらしい。元の名前から語感が似ている事と、名を切り捨てるという意味で短剣であるクリスという名前にした、とクロエが言っていた。どうやらクロエの提案らしい。

 今は一夏、箒、ラウラと一緒に束の父である篠ノ之 柳韻に剣を学んでいるらしい。最初は一夏と箒に稽古を付けているだけだったのだが、見ていたラウラとクリスが興味を示してそのまま、という流れらしい。

 そんな皆の世話をしているのはクロエだ。タオルを用意したりなど甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 ……余談だが、クリスが来る前、クロエは元気が出るようにと特性ドリンクを作ったらしい。成果の程と言えば、一夏、箒、ラウラの意識を吹き飛ばす劇物が出来たらしい。ハルは詳しくは知らない。当事者達は口を閉ざし、何も語ろうとはしないからだ。ちなみに柳韻は飲み干したらしいが、次からはしっかり断っていたとの事。

 そんな話を思い出したからだろう。ハルは束に浮かんだ疑問を投げかけた。

 

 

「束。ご両親はどうするの?」

「好きにすれば良いと思うよ。お互い子供じゃないんだし。ただ高天原には置いておけない。流石に、ね。戻りたいなら篠ノ之神社に戻れば良いと思うよ。世界に存在が認められた今なら、ある程度、存在するだけで抑止力になるだろうからさ。もうあの人達が私に縛られる必要はないよ。まぁ、護身用のものぐらいは作ってあげるさ」

 

 

 束は少し機嫌が悪くなりながらもハルの質問に応える。束が、ひいてはロップイヤーズの存在が世界的に認められたという事には意味がある。だからこそもう離れても大丈夫だろう、と。もしも自分を従わせる為に攫う等、身柄を狙うのであれば、その時には愚かな下手人に報いを受けて貰うだけだ。

 しかし、とハルは思う。和解は見込めそうにもないか、と。わかっていた事だ。束と両親が和解するには余りにも離れている時間が長すぎた。その間に束は独り立ちしてしまっているし、今の家族と言うべきハル達がいる。

 束には過去を許す、などと言う気持ちもない。そもそもどうでも良いのだ。好きにすれば良い、という他人として扱っている。親を親と思っていない。

 それも束の境遇を考えれば仕方のない事だろう。それでもまだ箒が必要としているから守ろうとしている。ならば、せめてそれだけでも認めてあげるべきなのだろう。

 

 

「わかった。二人にはその旨は僕から伝えておくね」

「……うん。ありがと」

「いいさ。気にしないで」

 

 

 申し訳なさそうに呟く束に、ハルは笑みを浮かべて返すのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 その夜、善は急げとハルは柳韻と陽菜に話を通すため、二人に宛がわれた私室へと向かった。ハルが向かえば二人は快く迎え入れてくれた。食堂から持ってきたお茶を振る舞いつつ、ハルは二人の話を切り出した。

 

 

「……お二人は今後どうするかは既にお決めで?」

「束は私達がここにいる事を望んではおらぬのだろう? 政府からの要人プログラムが解除されたのであれば、私は篠ノ之神社に戻るつもりだ。家内もそれで納得している」

「よろしいのですか?」

「何。お互いに子供ではない。箒は気にしているようだが……箒が言ってくれたよ。思うだけなら自由だと。ならば私は思うままに、あの子から離れよう。今更、親の顔など出来んよ。あの子もそれを望んでいまい。あの子の幸せを思うならば離れるべきだ。あの子には君達がいる」

 

 

 普段は寡黙な印象を与える柳韻であったが、今は饒舌に語っていた。陽菜も僅かに気落ちした表情ではあるものの、既に納得の事なのだろう。

 二人が既にそう決意しているならば何も言うことはない、とハルは思う。ハルは言葉を止め、茶を口に運んで啜った。

 

 

「……君は」

「え? はい」

「君は、束を愛してるのか?」

「はい。それは勿論」

 

 

 柳韻の問いかけにハルは即座に返答する。淀みもなく、当たり前だと答えるように。ただ、確かな愛情を感じさせる笑みを浮かべながら。

 そんなハルの顔を見つつ、柳韻は僅かに目を細める。微笑ましいものを見るように優しげな瞳だ。同時に過去を憂う後悔の色も見える。複雑な感情を込めた瞳でハルを見据えながら柳韻は問いかけを続ける。

 

 

「親の顔をするつもりはないとは言ったが、聞いておきたくてな。君はあの子のどこが好きに?」

「えーと……どこがとかじゃないんですよ。陳腐な言葉ですけど全部です。だから僕も、僕の存在全部で束を愛してます」

 

 

 自分がどんな表情を浮かべているのかハルはわからなくなる時がある。感情が高ぶった時などが主だが、今もきっと形容し難い顔をしてるんだろうなぁ、と表情を窺ってくる柳韻と陽菜を見ながら思う。

 

 

「心配なさらずともあなた方の娘はお守りしますよ。一生愛します。約束しましたから」

「そうか」

「はい」

 

 

 短い言葉のやりとりに全てが篭められていたようだった。柳韻はただ小さく頷いて瞳を伏せた。後悔と羨望を混ぜ込んだように吐かれた息はただ静かに、重く吐き出された。

 陽菜はそっとハルの手を取った。そして小さく頭を下げたまま、ハルに願いを口にする。

 

 

「……私も、あの子に最早親として合わせる顔はないでしょう。許して欲しいとも言えません。それでも願わせてください。どうかあの子をよろしくお願いします」

「……必ず」

 

 

 陽菜の手を握り返して、ハルは返答する。この人達にハルが出来る事はない。家族の問題には、支える事は出来ても、決めるのは全て当人達だから、と。

 そして束は離別を選んでいる。彼等も既に納得しているようだ。ならば、せめて願われた事だけでも叶えよう、と。それがきっと彼等への誠意だと思うからこそ、ハルはしっかりと頷いた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ハル、少し良いか?」

「うん? 一夏? どうしたの?」

 

 

 篠ノ之夫妻との話し合いを終えて廊下を歩いていたハル。歩いていると、後ろからかけられた声に振り返る。するとそこには一夏がいて、小走りでハルに駆け寄ってきた。

 ここじゃちょっと、という事でハルの自室へと戻る。ハルと一夏は現在、同室で生活している。ちなみに部屋を確保する為、束は箒と、最近になって入ったクリスはラウラとクロエの部屋に厄介になっている。

 

 

「それで? 話って何かな」

「お、おう。……お前はさ、束さんと付き合ってるんだよな?」

「……そういう話題か。まぁいいや。付き合ってるよ」

「どうしてだ?」

「そりゃまた難しい質問だね。僕が束を愛してて、束もまた僕を愛してくれてる。だからお互い一緒にいる。それを付き合っていると言うなら、そうなんじゃないかと思う」

 

 

 そうか、と頷いて、しかしまだ何かが掴めないように一夏は眉を寄せて悩んでいるようだった。

 そんな姿を見てハルは小さく溜息を吐いた。一夏、と名前を呼んでハルは一夏に自分へと意識を向けさせる。

 

 

「君は頭が悪そうなのに意外と理屈で物を考えようとするんだね」

「頭が悪そうって言うな! 俺だって色々と考えてるんだよ!」

「そう。君は色々と考えてるね。どこか常に損得勘定を考えている自分がいる。違う?」

「……そんな事はねぇよ」

「だったら僕にはわからないな。君はどうしてそこまで思い悩む? 義理堅い、頑固、忍耐が強いも度が過ぎれば誰も頼らない、誰も信じないって言ってるようなものじゃないか?」

「……俺は、ただ」

「ただ?」

「……どうすれば良いかわからないだけだ。本当に。俺を思ってくれる人にどう応えたら良いのかも。それに嬉しいと思う自分がいても、お前と束さんのようにはなれない」

「あぁ、それで悩んでたの」

 

 

 ばつ悪そうにハルは鼻の頭を掻いた。どうやら一夏が悩んでいるのは自分と束の関係性を目の当たりにしてしまったからなのだろう、と。そうなるとやっぱり箒が関わってるのかな、と推測をしてみる。

 箒は、わかりやすく一夏へ好意を示している。だから最近、クロエが興味を示したのか、彼等を目で追っているのをよく見かける。ラウラにそういった傾向は無いが、情緒が発達したクロエが恋愛に興味を持つのは自然の流れだったのかもしれない。

 

 

「一夏はどうして僕と同じにならなきゃいけないと思うの?」

「え?」

「そこがまず違うさ。僕は僕で、一夏は一夏だ。僕には僕なりの愛し方と関係があって、一夏にそれは当て嵌まらないんだ。今まで参考になるような関係がなかったからなのかもしれないけど、僕達が絶対の正解じゃないよ」

「……そうなのか」

「恋い焦がれる、って言うだろ? いつか人を好きになれば嫌でも悩むんだよ。悩まないって事はまだ一夏はその人を好きになりきれてないんだよ。まだお友達以上、って所じゃないかな?」

 

 

 ハルの返しを聞いた一夏はへにょり、と情け無さそうな顔で眉を寄せた。

 

 

「……辛いなぁ」

「だったら深く考えなきゃいいのに」

「大事なんだよ。大事だから傷つけたくない」

「……あの、一夏? 君さ、本当に鈍感だよね?」

「ん?」

「今、自分で言ってるんでしょ。傷つけたくないぐらい大事なんでしょ? 君を思ってくれる人の事が」

 

 

 ハルの指摘に一夏は目を見開かせた。きっと一夏は理屈で身を縛る癖があるのだろう、とハルは思った。それが本人の性質なのか、それとも過去にそうさせてしまう経験があったのかは、ハルにもわからないが。

 ハルの指摘に、一夏はゆっくりと噛みしめるように事実を自らに刻み込む。どこか苦しげなのは、逆に大事だと理解してしまったからこその苦悩なのだろう。ハルは心配そうに一夏を見る。

 

 

「大丈夫?」

「……俺ってすげー馬鹿だな」

「……そうかもね」

「もしさ、二人の女の子に告白されたらさ、どう思う?」

「困るね。どっちも本気だったら、尚更」

「どっちも好きになりかけてたら不誠実だと思うか?」

「気持ちに嘘はつけない。だけど、そこからの行動が不誠実かどうかを決めると思うよ」

「俺は、好きになって良いのかな」

「好きじゃないの?」

「わからない。まだ」

「ならいっぱい話せば良いと思うよ。そしていっぱい気付けば良い。良いところも悪いところも人はいっぱい持ってる。まずはそれを知らなきゃ」

 

 

 一夏に向けてハルは微笑む。一夏はハルの顔を見て、悩ましげに眉を寄せながら問う。

 

 

「ハルも悩んだのか?」

「僕はあんまり」

「そうなのか?」

「それが僕の全てだと最初は思ってたから。けど、少しずつ違う事に気付いた。気付くのにかなりかかったけど。僕は勘違いしていたんだ。束が幸せになれば僕も幸せなんだ、って。でも足りなかったんだ」

「足りない?」

「束が幸せになって、僕も幸せになって初めて嬉しいんだ。それで初めて幸せだって僕は笑えるんだ。だからこそ束の幸せを願って行ける」

「そりゃ、そうだな」

「そうでしょ?」

「羨ましいよ、ハル」

「頑張りなよ、一夏」

 

 

 互いに笑ってみた。何となくただおかしくて。互いに今更の事を再確認するように。

 こうして誰かと話す時間も大切に思えるからこそ、ハルは束に願ったのだろう。

 束の周りにも喧噪がある事を望んだのは、彼女の望みじゃなくて自分の望みだと、今なら言える。

 それが何より実感させてくれる。ここで生きているんだと。自分が得た全てが束の幸福に繋がるように。そう生きていくんだと、ハルは強く思った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「おぉー! 似合う似合う! クーちゃん似合ってるよー!」

「束様、苦しいです」

 

 

 束はクロエがIS学園の白い制服を纏っている姿を見るなり、クロエを勢いよく抱きしめた。その隣では同じくIS学園の制服に身を包んだラウラが苦笑を浮かべている。

 遅れるように姿を見せたのはハルだ。長い三つ編みを揺らして、着慣れないようにIS学園の制服を引っ張っている。束はハルを見つけると、クロエを離してハルへと抱きついた。

 

 

「ハルも似合ってるよ。制服」

「それはどうも」

 

 

 束にそう答えながらハルは笑う。ふと視線を外してみれば、少し離れた所では一夏が箒におかしい所がないか確認して貰っている。

 ネクタイの締め方が甘いのか、箒によってネクタイを直されている姿を見ると、狙ってやってるのかな、とハルは思ってしまった。

 

 

「いやはや……まさかラウラが学生になるとはな。まったく世の中はわからないものだ」

「クリスさん」

 

 

 からからと笑いながら歩いてきたのはクリスだった。クリスは何故か和服を纏っていた。ドイツ人の筈なのに異様なまでに和服が似合っている。

 日用品を買い揃えに行った際に大量に買い込んでいたようだ。尚、金は働いて返すとの事だ。何とも豪快な買い物をしてきたものだ。

 

 

「どれ。折角だ。保護者と一緒に記念の写真でもどうだ?」

「お、随分と気が利くじゃん。クリス」

「ははは、なぁに。可愛い妹分達の門出だ。思い出にして残したい思うのは当然のことだろう?」

 

 

 束とクリスは仲が良い。高天原に来てからというもの、何かと自重を止めて好き放題しているクリスだが、束と波長が合ったのか、二人は意気投合した。

 正直、この二人は禄な事をしない。その被害者は主にクロエとラウラだ。時たま、ハルや一夏、箒にも被害が来る事もある。

 馴染めて良かった、と思う。反面、馴染みすぎだろ、と言いたい。だが、きっと良かったのだろう。軍人として、今まで溜め込んでいたものが解放された。そう思えばまだ笑って許せる範囲だ。

 

 

「……所でそのごついカメラは何?」

「束に作ってもらった。これがなかなか良い写真を撮れるものでな。良い物だぞ?」

「……はぁ、そうですか」

 

 

 本当に、今はまだ。

 

 

「ほらほら、ハル! 早くこっちおいでよ!」

 

 

 束の呼び声にハルは振り返る。そこには既に一夏と箒を呼び寄せて、クロエを胸に抱いている束の姿がある。

 クロエはなんとか抜けだそうと藻掻いていたのだが、次第に諦めたように力を抜いた。そんなクロエの姿にラウラは哀れみの視線を向けるが、助け船を出す事はない。

 束の隣には箒が立って、箒の隣に一夏が並ぶ。そして開けられている束の隣をアピールしながらハルを呼んでいる。

 とん、と肩を押される。まるで行ってこい、と言うように微笑むクリスにハルも応じるように笑みを浮かべた。そして、束達の方へと歩み寄っていく。

 

 

 

「うん、今行くよ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そっとフレームに収めた写真を棚に置いた。それは色褪せない思い出として今も残っている。

 どこか緊張したように立つ箒と、隣でいつものように笑みを浮かべている一夏。

 束に抱きしめられて、恥ずかしげに笑っているクロエ。隣に立つのは微笑を浮かべているラウラ。

 中央には幸せそうに笑う束と、寄り添うように映る自分の姿。

 これが入学前の思い出。そしてそれは思い出の中の1つでしかない。他にもフレームに収められた写真があって、その1つ1つにたくさんの思い出が詰まっている。

 

 

「――ハル」

 

 

 呼ぶ声がする。何年も美しいまま、このまま変わらないように思える彼女の声が。

 腕に収まった彼女の身長はすっかりと追い抜いてしまった。ハルは束を抱え込んで笑みを浮かべる。

 

 

「また見てたの?」

「あぁ」

「元気にしてるかな?」

「それはわからない」

 

 

 ここは、1つの到達点。

 

 

「ねぇ、ハル」

 

 

 ここは、夢の続き。

 

 

「ようやくここまで来たね」

「あぁ。もう少しで到着?」

「うん。後で一緒に見に行こう。これが始まりだから」

「終わりのない長い旅の、ね」

 

 

 ここは、いつか辿り着く夢。

 

 

 

「行こう、ハル」

「あぁ、行こう。束」

 

 

 

 今はまだ、届かない夢の果て。

 たくさんの思い出と共に行く、長き旅の夢。

 二人は、今もそこに寄り添っている。これは旅の途中。

 繋いだ手をしっかりと握り、どうかその手を離さないように。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 やがて、いつか辿り着く未来。それは約束された未来だ。

 夢は続く。夢は息づく。夢はここにある。だからこそ続く事を望んでいる。

 でも、いつかは叶う時が来る。だから約束だ。これは既に果たされる事が決まっている未来。

 夢は終わらない。数多の夢を内包して、多くの思い出と共に。

 これは1つの終わり。いつか来る、彼等が見た1つの夢の終わり。

 

 

 

 彼等の旅はまだ続く。終わらない夢と果てのない旅路に向かって。




2014/1/14の活動報告に後書きがございます。出来ればお読みくださるようお願いを申し上げます。


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設定集
ファレノプシス2章終了時までの登場人物&登場IS


第2章までの人物まとめorネタばらし(加筆の可能性あり)

 

登場人物

 

 

○ハル

 天才兎に捧ぐファレノプシスにおいて主人公ポジション。作者的にこいつは主人公にあるまじき奴だという事であくまでポジション。

 容姿に関しては一夏+千冬÷2=ハル。千冬の目をタレ目にして髪型を三つ編みにしたイメージ。

 転生した生まれ変わりで千冬のクローン体として作られたが男だった為に放棄された個体に転生。束に保護された後、束の為にという行動指針で束の傍にいる。

 ISコアとコンタクトが取れるという異能を持つ。ISコアとの親和性が高い事が原因ではないかと言われている。これは本人は転生した際の影響なんじゃないかと推測してるが詳細は不明。ISコアはハルの事を「最も近き隣人」と称している。

 これによりISコアから多数の情報を仕入れ、束に譲渡している。これにより束の計画が加速した事になる。昔は千冬に誤認され、思考を千冬にトレースされかけたが様々な要因が絡んで不発。専用に用意された雛菊を通してISを動かし続けた結果、ISがハルという個体を認識した為、二度とこの症状は起きない。

 束至上主義ではあるものの、時には束の意に沿わない事もする。基本嫌われたくない等、思っているが必要であれば束に憎まれようとも行動を為すつもりでいた。

 今は精神的に安定し、拠り所を得たので無茶な事をする心算は無いが、それでも必要となればやるしかないとは覚悟を固めている模様。そんな状況、もうなかなか無いだろうな、と思いつつも。

 束一家では長男兼大黒柱。こいつがいないと纏まらない。本当に色んな意味で。

 

<ネタばらし、書いてみて>

 書き終わって作者がハルに当てた総評は「人の振りをしようとしているロボット」。

 転生にした理由は束の傍にいる理由付けに最もやりやすかったから。束の為に生まれたロボットだったのです、っていう。後々、束の外付け良心回路となったんじゃないかな、と。

 行動基準は「束の飢えているもの」を与える為に、というのが基本思考。束が世界を滅ぼしたい、と言えば1章段階のハルだったら表情変えずに人を殺してた。コワイ!

 束に人間である事を、死なない事を求められて人間として目覚め始めてきた。その初めての我が儘がISに触れる事だったりする。

 2章になってから人間的になってきたように思える。それまでは束に受け入れて貰えないと死ぬと思ってた。多分実際自殺してた。

 作者は意識無く書いていた為、改めて1章を読むと「やばい、こいつコワイ」となったり。

第2章終了間際の段階で落ち着いてはいるものの、何やらかすかわからない爆弾。

 ISとコンタクトが取れるのはハルの魂が一度死を経験し、魂だけの会話を転生神と交わしていた為に耐性が付いていたため。そしてその実、本質がISと最も近かった為。

 後、束に対してのスタンスは「羊の皮を被りたい狼」。人畜無害な顔してこいつコワイ!

 イメージに使ってたBGM・曲など

「流星、夜を切り裂いて」「ACE ATTACKER(ver.W)」「迷宮のプリズナー」「code」。

 

 

○篠ノ之 束

 本作のヒロインにして主人公。これ、絶対な。ハルみたいな主人公(笑)とは違うんですよ!

 ラスボスからヒロインor主人公に落とし込む為に色々と捏造しちゃったさん第1号さん。

 生まれた時から絶対的な才能を持っていた為、周りから忌避されていった。なので受け入れて貰おうと自身を抑えてみても駄目、ならば自分を認めさせるしかないとISコアを作成。自分と同じく人から外れ気味だった千冬と協力してISコアを成長させ、後のISの基礎となる白騎士を開発。

 宇宙開発を志したのはまだ人類未到の地であった事と、どこまでも夢を追って没頭出来ると考えたから。結果、受け入れられる事はなく、足掻いてみた所で駄目だったので腹いせに白騎士のコアを奪還して行方を眩ます。

 ハルと出逢ってから自分の望むままの存在だったハルに依存するも、ハルが束の望んだままに共にある人間として成長していく中、促されるように束もまた成長していく。

 忘れ去られた幼年期、青春時代を取り戻すかの如く明るく、家族となったハル、ラウラ、クロエを大切にしている。箒との確執は失われつつあるが、まだ気まずい。千冬とは永遠の親友。一夏は千冬の大事な弟。クリスは悪友。

 IS研究が一気に進んだので大忙し。更には凡人共にもわかるように説明もしなければいけないからIS学園編が始まると苛々するだろう。恐らくクリスに弄られる。そして遊ばれる。意外というか、かなりの純情だと作者は信じてる。

 

<ネタばらし、書いてみて>

 密かな設定で束は人間じゃなくて「天使」をモチーフに書いていた。

 「翼を失い、地に堕とされた天使」。天使のようで悪魔な束さんならきっと堕天使だ!

 こんなメモを残していた当時の作者の思考がわからない……(←

 というわけでISが束さんにとっての失われた翼の代わり、というイメージ。

 元々のモチーフである兎も搦めて「ひとりぼっちだと死んじゃう人」。しかし兎は寂しくても死なないらしい。なん……だと……?

 なので元から人間じゃないのに人間として生まれたもんだから感覚がズレていた。

 後にハルが来て、人間としての自分を肯定してくれた事で人間から外れている事を認める事で皮肉にも人間的になる。

 神様転生にしたのは、束という天使に対して与えた翼の代わりがハル、とも言えるから。

 真実かどうかはわからない。あくまでモチーフはそういう事っていう本当の裏設定。

 ハルに対してのスタンスは「肉食の兎」。可愛い顔して怖いけど、でも本質は草食獣なので羊の皮が剥がれたら楽しみですね?(ニッコリ)

 イメージに使ってたBGM・曲など。

「排他的ロンリー理論」「恋愛方程式」「グロリアス・ワールド」「デンドロビウム・ファレノプシス」「光と影」

 

 

○ラウラ(元:ラウラ・ボーデヴィッヒ)

 束一家の一員となった原作から最もポジションがチェンジされた子。軍人気質が抜けきらなかったが緩和され、普段から微笑を浮かべる等、落ち着いた模様。

 しかしその内面は実に天然であり、一般的な羞恥心など身につけるまでハルをドギマギさせて束の折檻を受け続けた。故に束には絶対服従を誓っていたが、後に束と通じ合って束の照れ隠しを普通に一人の家族として受け止められるようになる。

 意外と料理趣味に目覚め、ハルと並んで束一家の胃袋を握り続けている。ヴォーダン・オージェを束から調整を受けた為、未来予測支援システム「森羅万象」や、他にも隠し技を持っていたが本編では不発。第3章でその真価が発揮されるかも?

 

<ネタばらし、書いてみて>

 モチーフは騎士。そしてスパロボの某食通さんの要素も混ぜ込んで出来た。

 基本犬である。小柄な癖して大型犬みたいな安心感がある。腹を枕にして寝たい。

 イメージに使っていたBGM・曲など。「Trombe!」「すばらしき新世界」「United Force」

 

 

○クロエ

 ポジションが変わらなかったけども恐らく最も原作から内面が変更されたキャラ。ラウラという妹という存在を得て、お姉ちゃんであらなければ、という意識からかなりの情緒が発達している。なので束からは可愛がられている。猫かわいがりである。

 クロエが可愛らしい反応をするので束がエスカレートするという悪循環が起きていて、これには誰も止められない。ラウラに身長が負けたり、料理で負けたりと対抗心を刺激されて色々とやるが、だいたい大失敗するドジッ子属性。束が趣味で着せた巫女服が思いの外似合ってたので無理矢理着せている。(色々と複雑な思いがあった模様)

 普段は異色の瞳を隠す為に目を閉じているが、基本家族の前では普通に目を開いているし、人前でも目を開く事にも多少の抵抗があるだけで気にしていない模様。外に出る時はサングラスかサンバイザーをつけている。束一家の中で最も着せ替え人形にされている愛され系。束一家のマスコット。手を出せば死、あるのみ。

 ラウラ以上のヴォーダン・オージェの不適合を起こし、更に耐久実験まで行われたが束によって調整された結果、比類無き情報統制能力を獲得。後に高天原のオペレーターに着任する。そこ、マシンチャイルドとか言わない(←

 本編で演出はしなかったが、かなりのオマセさん。色々と妄想とかしちゃって日々布団とかに顔を埋めたりしてる系。可愛い(ゲス顔)

 

<ネタばらし、書いてみて>

 モチーフは巫女。そして狐。ISの天照様は狐様の神様でもあるからとかなんとか。

 原作の能力であるワールド・パージとは似ても似つかなくなったのはラウラがいたから事前のノウハウがあったからとかなんとか。異色の瞳だったのってもしかしてISだからなんじゃね? と原作を見て思ったが、ぼくは、なにもみなかった。

 イメージに使ったBGM・曲とか「ASH TO ASH」「Falco」「夜明け生まれ来る少女」

 

 

 

○織斑 千冬

 束さんがランクダウンした事によって名実共に最強となった剣鬼様。

 その行動指針の全ては織斑一夏が為にというスーパーブラコン人。アイエェェェエエ!?

 ISがISという形になる為に最も影響した人。白騎士は千冬の理想像であったとかないとか。

 原作と違って偉業を成し遂げた為、更に崇拝というか、尊敬の眼差しで見られる事に。

 一夏の事で思い悩んだが、結局送り出した事に満足して寂しく思いながらも笑えている。

 悩みは逃した婚期。まだだ……まだ終わらんよ……!!

 

<ネタばらし・書いてみて>

 特になし。ハルの壁としての役割は持っていた。

 モチーフは超人。それでも人間らしい人間なので女としての幸せも欲しいのです……。

 イメージに使ったBGM・曲とか。「絆を信じて」「Song 4U」「INVOKE」

 

 

○織斑 一夏

 原作主人公にしてハルの対比になってしまったイケメン。もげろ。

 モンドグロッソの事件の際に絶対的な存在だった千冬の敗北がかなりの影響を及ぼした。

 払拭しようと藻掻くにつれて弱っていき、そこを鈴音に渇を入れられる事に。原作よりも恋愛への意識が早く目覚めだした。

 今は箒と鈴音の告白に対して思い悩む毎日、ハルと束の姿を見て影響を受けつつ、今日も悩む。

 

<ネタばらし・書いてみて>

 結果的にハルとの対比になったな、と思ったキャラ。

 ハルは一夏の影響を受けたし、一夏はハルの影響を受けて箒と鈴音の気持ちに気付く。

 互いが互いを影響し合ってるので良い友人程度ぐらいには思っている。

 あと、精神的に千冬から卒業した為に色々と不安定になったが、それも人間の揺らぎだと思う。

 一夏が恋愛に対してまったく反応しなかったのは千冬にそういう影がないし、最終的な象徴である夫婦を身近に感じていなかったから。だから原作で言う所の超絶ハイパーシスコン一ワンサマーが生まれてしまったと推測。自分の知識のない事はやっぱりわからないんですよ。

 イメージに使ったBGM・曲とか。「WILD FLUG」「EVERYWHERE YOU GO」

 

 

○シャルロット・デュノア

 最も人生をねじ曲げられつつも良い方向に転がったと信じたい。だが苦労人からは逃れられない。

 父親と和解しつつ、束一家と直接取引の出来るアドバンテージを持ちつつも、それと知らせずに世界に拡散する為に苦心して腹黒を装う。なので胃が痛い毎日。父とは日々、どの胃痛薬が素晴らしいか議論になると言う。そんな会話で良いのか親子よ。

 ラファール・アンフィニィの拡張性が高すぎる為に色々と囓るように武術を嗜むようになる。浅く広くが武器だが、アンフィニィが加わると浅くが深くなるので頭がおかしい。応用性と判断力が高すぎる。誰だこいつにこんな機体与えた奴。作者だ。

 なので日々生活が充実しているのは実はシャルロットだったりする。でも苦労は若いウチにたくさん買っておこうねぇ~?(ゲス顔)

 

<ネタばらし・書いてみて>

 結果的に暗躍しやすいキャラに。どうしてこうなった。やはり苦労人……。

 そして今までのツケの如く、キャラの払拭に困る事になるだろう。腹黒じゃないもん!

 イメージに使ったBGM・曲 「鋼鉄の孤狼」「JUST COMMUNICATION」

 

 

○凰・鈴音

 ヒロイン筆頭。ヒロイン力においては正に我ニ敵ナシだった。BGMの所為か。その力は一夏に恋愛を意識させる程である。

 最も強くて、最も弱いヒロインだと思う。向こう見ずで一直線だけど自分をちょっと疎かにしがちな子。この子もなんだかんだ言って不憫な子。

 今頃、世界で放送される一夏に驚愕し、行方不明に絶望し、束に拾われているという所で大激怒。IS学園に向かう日を今か今かと待ち侘びている。一夏、入学式が貴方の最後よ。(命的な意味で)

 イメージに使ったBGM・曲 「我ニ敵ナシ」

 

 

○篠ノ之 箒

 ヒロインというよりはヒーローとしての覚醒を始めた箒さん。とりあえず一夏とは機体的な意味でも姉弟弟子的な意味でも並べる。恋人? 鈴との決着がついたらね?

 色々と主人公要素を持っている事に驚かされた子。実は一夏がヒロインで、箒が主人公だったんじゃないかと言われてもまったくの違和感を見いだせなかった。どういう事だおいモッピー……。

 束さんとは和解はしつつもまだまだ複雑なご様子。両親と再会出来た事で心にゆとりが出来て余裕を見せつつある。とりあえず、鈴が来てから決着をつけても良いかと思う程には。ふっ、慢心は身を滅ぼすぞ箒!

 箒「慢心せずして何がメインヒロインかぁっ!!」

 イメージに使ったBGM・曲 「儚くも永久のカナシ」

 

 

○セシリア・オルコット

 シャルロットにカモられたチョロリアさん。現在、逆襲のセシリアを計画中。

 しかしブルー・ティアーズが強化されるご予定。強化(笑)にならないと良いね?(ニッコリ)

 ダブルオーネタが連想される中、何故か「不死身のセシリア」と浮かんで草不可避。

 イメージに使ったBGM・曲 未だなかったりする。

 

 

○クリス(元:クラリッサ・ハルフォーフ)

 ラウラへの愛を糧に修羅への道を歩み出した御仁。和の心に目覚めたのか和服などの和風の文化を好むようになっている。元々少女漫画の愛読家であったのも込みで日本に来てからエンジョイしている。おい、修羅はどこへ行った。

 生まれ変わったようにハッチャけた結果、束と意気投合して悪友として日々、クロエを戦慄させている。ラウラの姉ポジ的な意味でも。この人が来てからクロエの心が安まる日は来ない。現在は束の護衛として働いているが莫大な借金をしている。でかい買い物をしたなとは言いますが、それ、貴方のお金じゃないですよね……?

 ラウラの影響を受けて後のISのイメージがご察しの人。一体どこの剣なんですかねぇ…?

 イメージに使ったBGM・曲 「悪を断つ剣」「剣・魂・一・擲」

 

 

 

オリジナルIS一覧

 

 

○雛菊

 ハルの愛機。ISコアの中では最も成長株。ストーリーの都合上、かなり出番がカットされた。マジで申し訳ないと土下座しなければならない子。

 武装という武装を積んでいない。あるのは展開装甲のみ。なので火力としては貧弱に尽きるが飛行性能においては現段階では文句なしのトップ。

 ハル自身の特性で雛菊の進化が早いので実はハルが凄いというより雛菊が凄い。ハルは乗ってるだけになる日も近い。

 趣味は他のISコアとの会話。そろそろ束さんも雛菊には直接のインターフェースを用意して人間ともっと積極的に関わらせようかと計画してるらしい。

 イメージ元となった機体はスーパーロボット大戦より「アルテリオン」。

 

 

○黒兎

 ラウラの愛機。タイプとしては第四世代強襲型。主な武装はレーザーライフルが2丁と肩部装甲につけられている黒盾である。ラウラの専用機なのでラウラの特殊能力に合わせたカスタマイズが施されている。最大飛行速度こそ雛菊に劣るもポテンシャルは高い。

 ラウラがまだ本気を出していない。展開装甲によって更なる戦闘能力向上を行う事も出来るが基本的に使わない。奥の手は最後まで取っておくものだ。

 イメージ元となった機体はスーパロボット大戦より「アウゼンタイザー」。

 

 

○天照

 クロエのIS。情報統制の為の生体同期型ISである為、従来のISとはまったく異なった仕様となっている。

 簡単にいってしまえばマシンチャイルド状態になれる。束さん直伝のプログラミングやハッキング能力をクロエに伝授した為、天照を使ったクロエの性能は情報面においてはチートと化す。それでも束には勝てないらしい。本当に束は頭がおかしい。

 展開すると束さんお手製の巫女服型防護服を展開する。そして情報収集用のセンサーである狐耳。防護服の性能はIS相手にはともかく、通常兵器が相手であれば無類の防御力を発揮するらしい。束さん、一体何作ってるんですか。

 

 

○ラファール・アンフィニィ

 シャルロットの愛機。タイプとしては第三世代万能型。ラファール系列の全てを継承し、スペックを底上げした第三世代としては傑作機。第四世代とは別の答えである「ありとあらゆる状況下に対応する万能機」であるが、その武装群の豊富さからこの機体の真価を発揮出来るのはシャルロット・デュノアをおいて他にいないだろう。

 第3世代の特徴である特殊武装として“アンフィニ・カス・テット”を装備。様々なユニットを組み合わせる事であらゆる状況に対応できる特殊武装である。本編初登場時は近接系のパーツしか無かったが、その後多くのパーツを開発し、今では何が出てくるかわからないビックリ箱のような機体。

 スペックダウンして量産機としてもこいつがあればもうなにもいらないレベル。やっぱり束さん陣営の技術力は頭がおかしい。ラファールの継承機って考えたらこれだけしないと特徴でないと思ったけど、だからこそ原作で開発出来なかったんじゃないかと思った。

 イメージ元は色々あるので割愛。最初はアストレイ・ブルーフレームセカンドL。そこからストライクやらアムドライバーやらごっちゃ混ぜになった。ミックス怖い!

 

 

○高天原

 ISではないがここに記載。ISコア搭載型万能船。束が宇宙に飛び出す為に色々と機能を詰め込んだアホみたいな船。戦闘能力も持っているのでISでしか対抗出来ない世界にとっては無理ゲーも良い所である。つまりは過剰戦力。

 食糧プラントなど自前で食糧を生産でき、更には小型とはいえ運動場や私室など船とは思えない程の生活環境は整っている。

 イメージ元は機動戦艦ナデシコ。更に言えばナデシコに登場するカキツバタのイメージ。劇場版のユーチャリスでも良いかもしれない。



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第3章 まどろむ夢
Days:01


 これは夢。

 いつかへと続くまでの夢。振り返れば自然と笑みが浮かんで、仲間達と語らうような夢。

 誰もが望んだ訳ではない。でも誰かが確実に望んだ夢。終わりが定められた夢を見る。

 いつか歴史に名を刻む者達が過ごした青春時代。後に黄金時代の幕開けともされた年。

 IS学園。未だ卵たる偉人達はここに集う。明日への未来へ向かってただゆっくりと歩いていく。そんな彼等のお話をしよう……。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……ようやく、終わった」

 

 

 がっくりと。燃え尽きたように机に突っ伏したのは千冬だ。くたくたのスーツ、ぼさぼさの髪、つり上がった瞳には隈が出来ている。見るからに疲労しきった千冬。何も屍をさらすのは彼女だけじゃない。他にも死屍累々の様を晒すIS学園の職員達がそこにいた。

 彼等がこうも屍を晒しているのはIS学園に束率いるロップイヤーズの受け入れが決まったからだ。それも来訪の1週間前に。これにはIS学園の職員は全員がキレた。ただでさえ入学の試験を終え、今度は生徒達の受け入れの仕事もあるというのにその上でロップイヤーズの受け入れ。

 激務としか言い様がなかった。しかし誰かがボイコットする事も許されず、死なば諸共、全員が徹夜と残業に明け暮れて済ませた仕事に誰もが疲れ果て、こうして屍を晒している。

 

 

「……束、コロス」

 

 

 机に突っ伏した状態で千冬はこの原因となった親友への呪詛を口にするのだった。

 そんなIS学園の職員達の犠牲もありながら、束が率いるロップイヤーズはこうして世界に受け入れていくのだった。

そして、時は入学初日へと進んでいく――。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……なぁ? ハル」

「なんだい? 一夏」

「俺は、今、この教室に入る事を恐れている」

「それは、どうしてまた?」

「俺の本能というか、第六感というか……俺が教室に入った瞬間、まるで虎に襲われるような悲劇が俺を襲う気がするんだ」

「……まさか。考えすぎだって。確かに男子は僕等二人だけだけどさ。そんなに緊張する事はないって」

 

 

 IS学園の教室の前、そこで教室に入ろうとしたハルを押し止めたのは一夏だった。一夏は何かを恐れるように教室の扉を睨み付けて、教室に入る事を躊躇している。どうしたのか、とハルが聞いても要領の掴めない事ばかり言う一夏。

 恐らく緊張しているんだろう、とハルは思った。ISは本来は女性しか扱えない兵器。そんなIS学園に学びに来る者達と言えば当然女性。つまりこれからハルと一夏は女子達に囲まれての生活が待っているのだ。

 ハルは別に気にしていない。ハルは常に女性と生活を共にしてきたので、今更気にする事はない。一夏と違って耐性がある為、ハルは特にIS学園での生活について不安は抱いていなかった。

 

 

「違う……違うんだよ。ハル、わかってくれよ! これはきっと何かが起きる前触れなんだ! そう、クロエの料理が失敗するぐらいの悲劇が起こる!」

「……それはどういう意味ですか? 一夏」

「お前、自分の料理の不味さを自覚しろよ!」

「してますよ! す、少しはマシになったでしょう!?」

「いい加減、人に毒味させるのはやめろよな!? 自分で味見しろよ!?」

 

 

 一夏の言葉に青筋を額に浮かべたのはクロエだ。目を開いていても目を隠せるようにと洒落たラップアラウンド型と呼ばれるタイプのサングラスをつけている。

 クロエの目については既に世界的に周知されているので、サングラスの着用は既にIS学園側からは許可を貰っている。クロエに似合うように、と皆で探し回って買った一品だ。クロエはこのサングラスをとても大切にしている。

 さて、クロエは自身の料理の大失敗が悲劇と称された事が気に入らなかったのか、思いっきり一夏の臑を蹴り上げた。臑を蹴り上げられた一夏はその場で足を抱えて飛び回る。

 

 

「いってぇ!? な、何しやがる!?」

「良いじゃないですか! 女の子が折角料理作ってあげてるんですから! 素直に喜んでてくださいよ!」

「人の味覚を破壊する料理に喜べるか!」

「……酷いと思うが、あながち否定出来ないのがな」

「……そうだな」

「箒! ラウラまで! 酷いです!」

 

 

 どこか遠くを見るように視線を彼方に送りながら呟いた箒の言葉にラウラが頷く。クロエが裏切られたと言うように叫ぶが、彼等はクロエの大惨事料理の被害者なのだ。その気持ちは推して知るべし。ハルはそっと目元を抑えた。

 ともかくここで騒ぐのも迷惑だし、HRの時間もある。意を決してハルは教室の扉を開いた。

 

 

「――ッ!?」

 

 

 そして、突然向けられた殺気に身が竦んだ。一体何が起きた、とすぐさま教室へと視線を向けて気付く。

 

 

(――虎が、いる)

 

 

 本当に虎がいた訳ではない。先ほどの一夏の冗談が脳裏に過ぎった為の感想だろう。ハルに殺気を篭めた眼光を叩き付けたのは一人の小柄な少女。

 ツインテールに結んだ髪型はオーラか何かなのか、僅かに浮いているように見えるのは気のせいか。鋭い眼光は今にも喉元に食らいつかんとする肉食獣のソレ。ごくり、とハルの唾を飲む音が嫌に響いた。

 

 

「……一夏じゃない」

「え?」

 

 

 虎のような雰囲気を纏っていた女の子がぽつりと呟く。すると殺気が薄れていく。どうやら人違いだったらしい。

 

 

「えと、一夏は外だけど」

「――ッ! 一夏ァッ!!」

 

 

 ハルが指で足を押さえて蹲っている一夏を示す。すると、咆哮を上げて少女がハルを押しのけて教室の外へと躍り出た。そのまま蹲っている一夏を押し倒すように少女は一夏に飛びかかる。

 

 

「うぉぁあああ!? な、なんだ!? って……鈴ッ!?」

「一夏ァッ!! ――死ね」

「マウントからの掌底!? なんのぉっ!?」

 

 

 訓練の賜なのか、マウントポジションを取られながらも顔面に放たれた掌底を一夏は首を捻って避けてみせる。そして、すぐさま掌底を放った手を押さえ込むように握りしめた。

 

 

「離せ! 離しなさいよ! 一発殴らせろ馬鹿ッ!!」

「殴らせろと言われて殴らせる馬鹿はいない!! ……っていうか、よう鈴。久しぶり」

「……ッ! この……馬鹿……! 心配、したんだから……ッ!!」

 

 

 暴れようとする幼馴染みの手を握りしめて一夏は嬉しそうに笑った。一夏の笑顔を見て鈴音は毒気を抜かれたように怒りの表情を崩し、項垂れるように一夏に倒れ込んだ。僅かに震えている身体はまるで今まで堪えていた悲しみを吐き出しているようだった。

 何も事情を知らない鈴音からすれば、ISを動かせるようになったとニュースに上げられた一夏がまた誘拐されたんじゃないか、と不安で仕方がなかったのだ。無事だとわかっても与えられた不安や絶望は拭えない。

 その時の感情を怒りにして一夏にぶつけてみれば、この馬鹿は嬉しそうに笑って迎え入れるのだ。卑怯だ、ずるい男だ、と鈴音は罵りながらも一夏がここにいる事が嬉しくて仕方なかった。涙が零れる鈴音の頬を一夏は己の手でそっと撫でるように拭う。

 

 

「……今度は拭えたぜ。鈴」

「……ばか」

 

 

 いつの話をしているのか、と鈴音は添えられた一夏の手に自らの手を重ねて呟いた。

 

 

「……んんっ、ごほんっ! あー、そこの二人?」

 

 

 これで終われば幼馴染みの感動的な再会だったのだろう。だがそうは問屋が卸さない。いかにも不機嫌そうな箒が一夏と鈴音に声をかける。

 箒に声をかけられた事で鈴音はようやく人の目で自分がやってしまった事を理解し、奇声を上げながら一夏の上から飛び退いた。その動作、やはり虎だ! と傍目で見ているハルが思う程、その動きは身軽で俊敏だった。

 鈴音がどいた事で上半身を起こした一夏だが、箒の顔を見て、改めて鈴音の顔を見る。そしてへにょり、と情け無さそうな顔を浮かべたが、すぐに表情を引き締めて立ち上がる。

 

 

「あー……箒。こいつが、その……アレだ。凰 鈴音って言うんだ」

「……ほう?」

 

 

 一夏の紹介を受けて箒は興味深げに鈴音を見た。箒の視線が気になったのか、むっ、とした顔で鈴音は箒を睨み付けた。……視線が少し下に下がって更に眼光が増したのは気のせいだと信じたい。

 

 

「凰 鈴音だな。私は篠ノ之 箒という。一夏から話は聞いているよ」

「……へぇ? どういう話を聞いてるのかしら?」

「お前と会える事を楽しみにしていた。……私は譲るつもりはない」

「……なにそれ。余裕のつもり? 掻っ攫うなら楽だったんじゃないの?」

「いいや。本気で悩んだ男の答えだ。尊重してこそ女の華というものだろう? だから待っていた」

「……へぇっ! 上等よ、篠ノ之 箒だっけ? 改めて、凰 鈴音よ。好きに呼びなさい」

 

 

 箒が微笑を浮かべながらも刃のように鋭い視線を浮かべ、迎え撃つ鈴音も不適な笑みを浮かべて牙を剥く。握手を交わしているが、互いに手には過剰な力が入っているのが見て取れる。

 竜虎相搏つ。睨み合う両者を見てクロエが呟いた。まったくだ、とラウラとハルが頷いている。これが一夏の言っていた子か、とハルは半ば感心していた。一方で、間に挟まれた一夏は早速顔色を悪くしている。

 

 

(あれは大変だね。……いや、僕がどうこう出来る問題じゃないから助け船は出せないよ、一夏)

 

 

 助けを求めるように視線を合わせてきた一夏だったが、ハルは笑顔で首を振った。一夏の表情がまるで裏切られたように歪む。ブルータス! とでも言いたげだ。だがハルは我関せずを貫き、一夏を見捨てて教室に入る事を選んだ。

 入り口の前で騒げば何事かと視線を集めている為、新たな来訪者に教室に入っていた生徒達はここぞとばかりにハルへと視線を注いだ。男、と誰かが呟いた事でざわめきが広がり出す。

 

 

「ハル!」

 

 

 そんな中、生徒達の中から懐かしい声をハルは聞いた。金色の髪を揺らして駆け寄って来たのはシャルロット・デュノアだった。

 

 

「デュノアさん! 久しぶり!」

「えへへ、久しぶり! 元気にしてた?」

「そりゃもう! デュノアさんも……変わったね」

「え? ふふ、どういう風に、かな?」

「……あんまり僕をからかうと束が黙ってないよ?」

「それは怖いから遠慮します。……もうっ、シャルロットって呼んでよ。もう流石に名字呼びは嫌だよ。これからクラスメイトになるんだから」

 

 

 ぷぅ、と頬を膨らませて見せるシャルロットは妖美だった。本当に綺麗になったと思うが、どこかその美しさが魔性のように思えてハルは一瞬身を引いた。だがすぐさま溜息を吐いて、シャルロットへと視線を向け直した。

 ここで断ったら、あの手この手で交渉に持ち込まれて、名前呼びを強制されそうに思えたからだ。ならば別に良いだろう、と。クラスメイトになるのであれば名前で呼んで欲しい、というのは当然の思いだから。それに友人としてシャルロットは嫌いではない。

 

 

「わかったよ。シャルロット」

「うん!」

「シャルロット! お久しぶりです!」

「クロエ! 久しぶりー! そのサングラス可愛いー! ねぇ、どこのサングラス!?」

「わぷっ」

 

 

 シャルロットの声を聞きつけたクロエが嬉しそうにシャルロットへと駆け寄る。以前、クリスの事件の際にはラウラしか顔を合わせていなかったので羨ましがっていたのだ。シャルロットは駆け寄ってきたクロエを抱きしめて胸へと押しつける。

 クロエが抱きしめられ、わたわたと手を宙に空振らせる。そんな光景にハルが微笑ましそうに笑っていると、いつの間にかラウラもシャルロットの傍へと歩み寄っていた。

 

 

「シャルロット、久しいな」

「ラウラ! あの時は助かったよ、ありがとうね?」

「あぁ、気にするな。あの時はお互い慌ただしかったが、これでゆっくり話す時間も出来そうだな」

 

 

 再会を喜ぶように笑みを浮かべてラウラはシャルロットと向き合う。ようやくシャルロットの手から逃れたクロエもぷるぷると首を振り、二人を見て笑い合った。

 本当にこの3人は仲が良いな、とハルは笑みを浮かべて3人を見守る。ふと、そこでハルは教室を見渡してみる。他の生徒達は傍にいる生徒達となにやら話し込んでいる。小声でこちらに聞こえないようにしているのだが、視線でバレバレなのでこれにはハルも思わず苦笑。

 注目は浴びるだろうな、と覚悟していたが、これは予想以上だ。更に言えば束の下に保護された人体実験の被害者な訳なのだし。注目を集めない筈がない。仕方ないと軽く肩を竦めて息を吐いた。

 

 

「――貴方、よろしくて?」

「え? あ、はい。僕でしょうか?」

 

 

 この状況だと声をかけられないだろうな、と思っていたハルにとって、その声は不意打ちだった。声をかけたのは誰かと視線を向けてみれば、正にお嬢様という出で立ちの少女がそこにいた。

 僅かに波がかかった髪を手で払う仕草すらも上品。きっとどこか良い家のお嬢様なのだろう、とハルは若干身構えた。少女はまるで値踏みをするかのようにハルをじろりと見渡す。うっ、とハルはその視線に苦手意識を植え付けられた。

 

 

「……貴方がハルですか?」

「……ロップイヤーズに保護され、所属しているハル・クロニクルの事であれば僕の事ですが?」

 

 

 ハル・クロニクル。それが今のハルの名前だ。IS学園に入学する際にファミリーネームを決めようという事で皆で考え、束が提案したこのクロニクルの名をファミリーネームとする事にしたのだ。

 篠ノ之を皆で名乗る、というのも考えたのだがハルがやんわりと拒否した為、新たに考えられたファミリーネーム。ハル以外にもラウラ、クロエ、そしてクリスの4人がクロニクルのファミリーネームを名乗っている。

 

 

「そうですか。……不躾な態度、失礼致しましたわ。私の名はセシリア・オルコット。以後、お見知りおきを」

 

 

 スカートの端を持ち上げ、優雅に一礼をして少女は名乗る。

 

 

「セシリア・オルコットさん……ひょっとしてイギリスの代表候補生?」

「えぇ。ご存じで?」

「一応、ISに携わる者ですから、一通りは」

「そうですか。あなた方とはこれからも良きお付き合いが出来ると良いですわね」

 

 

 セシリアはハルへと笑みを浮かべて告げる。そのまま自分の席へと戻ろうとしたのだろう。その際に視界に入ってきたシャルロットに強い眼光を叩き付けて去っていくセシリアの姿に思わずハルは呆気取られる。

 クロエとラウラも同じだったのか疑問を浮かべながらシャルロットを見た。シャルロットは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて手を腹に添えていた。

 

 

「……シャルロット? 今のって……」

「うん。ちょっとね。睨まれてるんだ。いや、自業自得なんだけどさ」

「……私は好きになれませんね。あの人」

「私はあぁいった好戦的な奴は嫌いじゃないぞ。張り合い甲斐がある」

 

 

 クロエはシャルロットを守るように抱きしめる。どうやらシャルロットを睨み付けた事が気に入らなかったようだ。不満げに頬を膨らませている姿が微笑ましかったのかシャルロットが抱き返して頭を撫でる。

 ラウラはラウラで去っていくセシリアに興味を抱いたのか笑みを浮かべている。そんな二人の様子にハルが苦笑しているといつの間にか一夏と箒と鈴音が教室に入ってきていた。

 

 

「お前達、入り口で足を止めるな。邪魔になるぞ」

「ごめん、箒」

「もうすぐHRの時間だろう、さっさと席についた方が良い」

 

 

 真面目な箒の言葉に皆がそれぞれに割り当てられた席に着いていく。その際に改めてハルは辺りも面々を見渡したのだが、改めてこのクラスの異常性に気付く。

 まず自分たちがいる。そしてシャルロットとセシリアという代表候補生が二人もいる。更に言えばハルはまだ知らないが、凰 鈴音もまた中国の代表候補生だ。まるで特別な人間達が一カ所に集められている。きっとこれは勘違いではないのだろう。

 

 

(……まぁ各国としては僕等と接点を持ちたいだろうからこれは妥当かな)

 

 

 きっとクラス分けにはかなり頭を悩ませたんだろうな、と察する。IS学園に受け入れの際、鬼神の如きオーラを纏いながらも満面の笑みを浮かべていた千冬を思い出す。アレは浮かべてはいけない類の笑顔であったとハルは身を震わせた。まだハルのトラウマは癒えきってはいない。

 ハルの予想であればこのクラスの担任を務めるのも千冬だ。というより彼女以外にこのクラスを収められる人間はいないだろうと思う。苦労するんだろうな、と頭痛の種になっている事を自覚しつつもハルは千冬の命運を祈った。そしてどうかその矛先が自分に来ないように、とも。

 

 

「あ、男の人だー」

「ん? えと……」

 

 

 席に着こうとすれば後ろの席の人に声をかけられた。どこかのほほんとした印象を受ける少女だ。目もタレ気味で何故か制服の裾が余っている。そういうファッションなのだろうか、と思いながら視線を向けていると、少女が覗き込むように自分を見ていた。

 

 

「えと、君はハルだよねー?」

「そうだよ。ハル・クロニクル。君の名前は?」

「私は布仏 本音だよー。よろしくー」

 

 

 やけに間延びして話す子だな、とハルは思う。今まで見たことのないタイプの人間だ、と。近しいと言えば束だが、束とは真逆だ。あれは巫山戯ているようで、全てを睥睨しているから。

 一方で本音と名乗ったこの子はふわふわとして掴み所がない。対応を図りかねてハルは思わず言葉に詰まる。

 

 

「あははは、緊張しなくていいよー?」

「……わかる?」

「うん。自然体でいいよー。ね? かんちゃん」

 

 

 本音が振り向いた先、本音の斜め前、つまりハルの隣の席には水色の髪に眼鏡をかけている少女が目に入った。空間ディスプレイを展開して、なにやら束を思わせるような速度で打ち込んでいる。

 本音に声をかけられた少女はその手を止めて、ゆっくりとした動きで振り返る。どこか儚げな印象を与えてくる少女は本音を見て目を細める。

 

 

「……何か言った? 本音」

「もうー、ちゃんとお話しようよー。ほら、男の人だよー? ハル・クロニクルだってー」

「……そう」

 

 

 まるでセシリアとは真逆の反応。興味がない、と言わんばかりにまたディスプレイに意識を向けた少女にハルは呆気取られる。まったく興味がない、という反応は正直予想外だった。思わず目を丸くして本音へと振り返る。

 

 

「……えっと、知り合い?」

「あー、うん。更識 簪って言うんだー。仲良くしてあげてー。ちょっと人見知りなだけで良い子だからー」

 

 

 にこにこと笑う本音に、嫌です、なんて流石に言えずハルは頷いておく。だがまったく仲良く出来る気がしない、とハルは引き攣りそうな頬を必死に抑える。

 本当に個性的な面々が揃っている、とハルは思う。いや、それともこれが一般的なのだろうか、とハルが頭を悩ませていると教室のドアをくぐって一人の女性が入って来た。

 童顔で、一見自分たちと同い年にも見えなくもない。だが、その胸は存在を主張する程に大きい。眼鏡をかけた女性は教卓に立ってぺこり、と頭を下げた。

 

 

「皆さん、おはようございます! 私は副担任の山田真耶と申します。これから1年間、皆さんに勉強を教え、私も勉強させていただきます。どうかよろしくお願いします」

 

 

 丁重に名前を名乗った女性、山田 真耶の顔を見つめながらハルは思う。学校か、と。なんだか心がわくわくしてきた。零れるように浮かべた笑みを隠さず、ハルはこれからへの期待に心躍らせた。




「これは続く夢。誰の夢? ハルの夢? 皆の夢? ……きっと楽しい夢」 by雛菊


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Days:02

「それじゃあ皆さん、出席番号順に自己紹介をお願いします。まず……」

 

 

 真耶がHRを進め、出席番号順に生徒が立ち上がり、自己紹介を終えていく。やはり緊張しているのか、皆は少し早口だったり、言い淀む場面が見受けられる。

 自分も緊張で上がったりしないようにしなきゃ、とハルは思う。ハルが内心で自分が自己紹介をする時にどうしようか、と考えていると、一夏の名前が真耶に呼ばれた。

 

 

「じゃあ次、織斑 一夏くん」

「は、はい!」

 

 

 ざわ、と。教室の空気が一瞬にして変わる。まるで静寂。一夏の言葉を一言一句、聞き逃さないようにと耳を傾けている。唐突に変わった空気に一夏が狼狽えている。これは酷い、とハルは思った。自分でもやられれば狼狽える事は間違いなしだ。

 クラス中の視線を一身に集めてしまった一夏は魚のように口を開閉させて言葉を失っていた。そんな一夏に真耶が心配そうに声をかける。

 

 

「あのー……織斑くん? その、自己紹介、良いですか?」

「あ、は、はい! お、織斑 一夏です! えと……よ、よろしくお願いします!」

 

 

 一夏は大きな声で叫び、名前だけを名乗って着席をしようとする。瞬間、教室中から上がる不満の声。席に着こうとした一夏はなんだよぉっ!? と若干涙目になって抗議している。気持ちはわかる、とハルは腕を組んで頷いている。

 もう少し落ち着いて聞こうとは思えないのだろうか、とハルは思う。不意に気になり、ハルは視線を隣の席に簪へと向ける。彼女はまるで興味がないのか、ただ外へと視線を向けていた。

 やっぱりこれだけ個性的な面々が揃えば色んな人がいるな、と。ハルが改めて思っていると、思わず頭を隠してしまいたくなるような音が響き渡った。身を竦ませてハルは音の方へと勢いよく振り返る。

 

 

「っっっっ!! な、なにしやがる!? 千冬姉!?」

「馬鹿者、織斑先生だ」

「あがっ!?」

 

 

 再び音が鳴り響く。思わずハルの喉からひぃ、と声が漏れそうになったが抑え込む。なんだあれ、出席簿が出す音じゃないぞ? とハルは戦慄し、恐怖に身を震わせた。やはり千冬には逆らわないでおこう、とハルは一夏の犠牲に十字を切りつつ強く誓った。

 千冬に二度の出席簿による一撃を喰らって一夏は机に突っ伏した。あまりにも突然、そして唐突。一瞬、教室が静まりかえるが、すぐに歓声が響き渡る。クラスの女子の大半が千冬の姿を見て興奮していた。

 

 

「ち、千冬様よ! 完全無欠のヴァルキリー!」

「史上最強のIS使い! あ、あぁ! まさか千冬様が私の担任を務めていただける!? これは夢……!?」

 

 

 女三人寄れば姦しいとは言うが、大半が女子であるクラスであれば姦しいどころじゃない。騒がしいだ。ハルは耳を押さえて歓声を上げる女子の声を遮ろうとしている。

 これには外に視線を向けていた簪もうんざりとした顔で正面を向いた。その際、簪の方を見ていたハルと視線が合い、何? と問いたげに簪がハルへと視線を向けた。

 

 

「え、えと……凄いね?」

 

 

 耳から手を離し、苦笑を浮かべながら簪に同意を求めると簪は無言のまま頷いた。成る程、確かに無口のようだけど、悪い子じゃなさそうだ、とハルは安堵の息を吐いた。これなら仲良く出来そうだ、と。

 クロエとは話が合いそうだな、と思った。皆はどうしてるかな、と視線を巡らせて見るも、ハルの席は一番後ろから数えて2番目の席なので頭しか見る事は出来ない。まぁ立ち上がっている様子など無いから苦笑でもしてるんだろうけど。

 

 

「……まったく。毎年の事だが呆れたものだな。諸君、知っていると思うが私が織斑 千冬だ。君達の担任を務める事となる。私は君達、未来ある新人にISの技術を叩き込むのが仕事だ。それも1年で使い物になるレベルへと、だ。私の言う事を良く聞け。そして理解しろ。わからなければ考えろ。質問があれば答えてやろう。逆らっても良いが、私の言うことは聞いて貰う。まずはクラス全員に伝えるぞ、少し静かにしろ」

 

 

 凜として振る舞う姿に生徒達の興奮は収まる所を知らない。ただ、それでも千冬の言葉に従え、という教えはさっそく実践されているのか、皆で席に着いて静かになった。だが溢れんばかりの尊敬の視線が千冬へと殺到している。

 千冬はまるで動じる事無く、そして未だ頭を抑えている一夏の頭に三度目の出席簿を叩き落とした。三発目!? とハルが恐怖に戦く。一夏の頭が果てしなく心配だが、まずは自分の身体の震えを止める事を優先させた。

 

 

「あいてっ!?」

「いつまで呆けているつもりだ。さっさと自己紹介しろ。まともに挨拶も出来んのか」

「俺の頭をモグラ叩きのように叩くなよ!? さっきから痛いんだよ!?」

「ほぅ? 教師に向かって何て口を利くつもりだ? 織斑」

「うぐ……! ……し、失礼しました。織斑先生」

「さっさと自己紹介を終わらせろ」

 

 

 うわ、厳しい。ハルは苦笑しながら千冬の事をそう称した。見た目通りの厳しさにむしろ安心してしまう。絶対に逆らわないようにしよう、と思いながらハルは一夏の自己紹介に耳を傾けた。

 

 

「改めて、織斑 一夏です。趣味は家事全般、特技は剣道。一応騒がれる前に言っておくけどそこの織斑先生の弟だ。だけどあんまり気にしないで接してくれ。男って事でちょっと気まずいかもしれないがよろしく頼む」

 

 

 今度は一夏は淀む事無く自己紹介を言い切って頭を下げた。ある意味、緊張が解けて結果オーライだったのかもしれない、と着席する一夏の姿を見てハルは思う。

 教室では囁き声が聞こえてくる。囁きも、皆が囁けばそれはそれで聞こえてしまう程のざわめきになってしまうのだな、とハルは発見を1つして感心したように頷いた。

 すると学校のチャイムの音が鳴った。どうやらSHRの時間が終わったらしい。千冬は両手を叩いて自身に注目を集める。

 

 

「これでSHRは終了だ。これから授業だが、まずは自己紹介を終えてからにして貰おう。織斑のように時間をかければ自分が学べる時間が減ると思え。無駄に騒ぐな、簡潔に終わらせろ。出来るな?」

 

 

 千冬の言葉に威勢良く返事を返すクラスメイト達にハルは苦笑するしか無かった。そのまま一夏の次の出席番号順に自己紹介が続いていく。

 

 

「セシリア・オルコットですわ。イギリスの代表候補生を務めさせて頂いております。これから皆様と学舎に通わせて頂き、共に勉学に励ませて頂ければと思っております。以後よろしくお願い致します」

 

 

 やはり代表候補生となればこのように挨拶する事にも慣れているのだろうか、とハルは今も優雅さを損なう事無く自己紹介を終えたセシリアを感心して見る。

 セシリアがハルの視線に気付いたのか、柔らかく微笑んだ。ハルは軽くセシリアにぺこりと頭を下げて視線を外す。少し凝視しすぎちゃったかな、と反省をしつつ。

 その間にも自己紹介が進んでいて、気が付けばクロエが席を立っていた。クロエがサングラスが付けているので、やはり奇異の視線を集めてしまう。だが、クロエは動じる事無く淡々と挨拶をする。

 

 

「クロエ・クロニクルです。ご存じかと思いますが私はロップイヤーズに保護された者です。国への所属はなく、ロップイヤーズの預かりとなります。この目も後遺症があるのでこうしてサングラスをかけさせて頂いております。既に許可を頂いているのでご了承ください」

 

 

 また場が騒然とする。クロエへと向ける視線には多大な興味が篭められている。それもそうだろう。世界を騒がせたロップイヤーズに所属している人体実験の被害者だ。嫌でも注目を集めてしまう事は覚悟の上だ。

 さて、とハルは呼吸を整える。クロエの自己紹介が終わったという事は次は自分の番だからだ。案の定、真耶から名前を呼ばれてハルは立ち上がった。

 

 

「ハル・クロニクルです。一夏に続く二人目の男性IS操縦者という事で発表されています。一夏も言っていましたが、男という事で戸惑うと思いますが皆さんと学べる事を楽しみにしてきました。どうかよろしくお願い致します」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「はぁ……いてぇ。千冬姉の奴、容赦なく殴りやがって……」

「まぁまぁ。緊張が解けたと思えば良いじゃないか」

「納得いかねぇ。あの鬼め」

 

 

 休み時間になると、一夏がハルの所に来ていた。やはり女子だけの空間となると一夏には辛いのだろう。なので同じ男であるハルの下へと逃げてきたようだ。一夏がハルと会話を始めると、話しかけ辛いのか、皆は遠目から見守るだけだ。

 一夏は先ほどの千冬の三連打を根に持っているのか、頭をさすりながら忌々しそうに呟く。相変わらず無謀というか、蛮勇というか。千冬の耳に入った時の事とか考えないのかな、とハルは苦笑しながら思う。

 

 

「これからやっていけそうかい?」

「自信はねぇな」

「実は……僕もちょっと」

「……だよなぁ」

 

 

 二人で思わず顔を見合わせて苦笑してしまう。女子のエネルギーというのは本当に凄いものだと改めて実感させられた。見知った相手ならともかく見知らぬ相手であればここまで疲労させられるものなのだと。

 

 

「早く慣れちゃわないとね」

「あぁ。そうだな」

「そうだ、一夏。昼休みなんだけどさ、予定はもうある?」

「ん? 別に無いけど……」

「だったら色々と知り合い集めて一緒に食べようよ。ラウラとお弁当作ってきてるからさ。多めに作ってきてるから人数がいても大丈夫だし」

「お! そうだったのか。良いねぇ。じゃあ俺は箒と鈴を誘っておくよ」

「クロエとラウラの事だからシャルロットは誘ってるでしょ? ……あ、更識さんもどう?」

「……え?」

 

 

 ハルは一夏から視線を隣の席に座ったままだった簪へと声をかけた。また何かのデータを見ていたのか、ディスプレイに視線を注いでいた簪は唐突にかけられた声に疑問の声を上げた。

 

 

「えと、お昼ご飯。一緒に食べない?」

「……え、えと。……人多いの、苦手だから良い」

「あ、そっか。ごめん。気が利かなかった。今度、また別の機会に誘うよ」

 

 

 こくり、と頷く簪に失敗したかな、とハルは思う。出来ればクロエと引き合わせて見たかったがこれは機会を窺った方が良いかな、と。

 

 

「あの……」

「ん?」

「……更識って呼ばれるの嫌だから名前で呼んで」

「良いの?」

「うん……」

 

 

 そう言って簪は再びディスプレイへと視線を移した。名前を呼ばせて貰えるのは1つ前進かな、と思っていると休み時間の終了のチャイムが鳴る。

 一夏がじゃあな、と片手を上げて自分の席へと戻っていくのを、ハルも手を振って見送った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「さて、早速授業の続きと行きたい所なんだが、その前に諸君等には決めて貰わなければならないものがある」

 

 

 授業時間となり、千冬がいざ授業を始めるか、と言った所でこの言葉だった。一体何だろう、とハルは首を傾げて見る。

 

 

「再来週にはクラスによる対抗戦が存在する。その為に代表者を決めなければならない。クラス代表とは文字通りでクラスの代表として活動して貰う事となる。対抗戦だけでなく、生徒会の会議や委員会への出席などの仕事もある。つまりはクラスの長だな。誰か立候補はいるか? 他薦でも構わんぞ」

 

 

 クラス代表、とハルは口の中でその役職の名を呟く。言ってしまえば別に興味がないし、自分は、そしてロップイヤーズに所属する面々は参加する事が出来ないからだ。

 しかし恐らく説明が無ければ……、とハルが思っていると生徒の一人が勢いよく手を挙げた。

 

 

「はい! 織斑先生、私は織斑 一夏くんが良いと思います!」

「なら私はハル・クロニクルくんを推薦します!」

 

 

 ほらね、とハルは苦笑した。千冬は挙手した生徒の言葉を聞き、忘れていた、と言うように続けた。

 

 

「すまんな。説明不足だった。織斑 一夏とハル・クロニクル、そして篠ノ之 箒、ラウラ・クロニクル、クロエ・クロニクルはクラス代表には選抜出来ん」

「えっ!? なんでですか!?」

「彼等はIS学園の生徒であると同時に篠ノ之 束博士が率いるロップイヤーズに属する。有事の際には彼等が出撃せねばならず、彼等にクラス代表を任せる事は出来ない。これはIS学園と博士との契約に盛り込まれている」

 

 

 えぇ! と生徒達から不満の声が漏れた。それもそうだろう。折角、自分たちのクラスにしか男子がいないというのに代表にする事が出来ないのだから。しかし契約は契約なのだから仕方ない。

 とはいえ、未だISを持っていない一夏と箒は今、有事があっても高天原に移動するだけでやる事はないのだが。束が二人の為に専用機を用意しているらしいのだが、何を企んでいるのか、怪しい笑いを浮かべていた束を思い出してハルは苦笑した。

 

 

「という事で、他に誰かいないか?」

 

 

 千冬はさっさと話を進めようとする。すると一人、手を挙げた者がいた。ほぅ、と千冬は手を挙げた生徒の名を呼んだ。

 

 

「セシリア・オルコット。自薦か? それとも他薦か?」

「自薦ですわ。ですが織斑先生。同時に他薦もよろしいでしょうか?」

 

 

 千冬に名を呼ばれて席を立ったのはセシリアだ。優雅な仕草で髪を払い、誇らしげに微笑む。

 セシリアの提案にはクラスの皆がざわつく。千冬でさえ目を細めてセシリアを見た。まるで、その真意を窺うかのように。

 

 

「ふむ。……理由を述べてみろ」

「私は、自分がクラス代表になれば、役職を全うする事が出来る自信があります。……同時に、私がこれから推薦する方もまた役職を果たしうる程の力量を秘めておりますわ。故に自薦であり、他薦です」

「成る程。ではお前が他薦するというのは誰だ?」

「シャルロット・デュノアさんです」

「やっぱりねっ!?」

 

 

 頭を抱えて叫んだのはシャルロットだった。名前を呼ばれたシャルロットの名を聞き、周りがひそひそと呟き出す。耳を傾ける限り、シャルロットへの反応は悪くない。

 

 

「無理だって! 私よりセシリアさんの方が向いてるって!」

「この私が推薦しましたのよ? 貴方ならば充分為し得ますわ。シャルロットさん。貴方はかの名高きデュノア社の次期社長候補ではありませんか?」

 

 

 ぎらぎらと光る瞳をシャルロットへと向けながらセシリアが告げる。つまり、逃げるな、と。敵意を示していたのは知っていたが、まさかここまでするか、とハルは半ば感心した。

 何か確執があるのか、セシリアがシャルロットに勝とうとしているのはわかった。過去に何があったのか、少し気になるハルだった。

 

 

「ま、待って! 待ってください! それだったら私達以外にも代表候補生だっているじゃないですか!? 私はその人たちも推薦します!!」

「……ふむ。ならば凰 鈴音、そして更識 簪の両名となるが」

 

 

 千冬が名を上げた二人へと視線を向ける。鈴音は明らかに嫌そうに顔を歪めている。あれは明らかに面倒が嫌いだ、という顔をしている。折角、再会出来た思い人もいるのだから雑事に時間は取られたくないのだろう。

 そしてもう一人、まさか簪が代表候補生だったとは思わなくてハルは驚いたように簪へと視線を向けた。簪は千冬から視線を向けられて困ったように眉を寄せた。

 

 

「織斑先生。私には専用機の調整が残っていて……」

「そうか。ではクラス代表に割いている時間はないか。流石に専用機の調整となれば優先されるのはそちらだ」

「はい……すいません」

「では次に凰、お前はどうだ?」

「……私は最初に立候補したセシリアさんか、推薦されたシャルロットさんで良いと思いますけど」

 

 

 簪は申し訳なさそうに頭を下げる。成る程、先ほどから忙しなく何かのデータをチェックしているかと思えばISの調整を行っていたのか。そして代表候補生という事であれば国から預けられた専用機だ。その調整の方が優先度は高いだろう。

 そしてもう一人、槍玉に挙げられた鈴音は投げやり気味に呟いた。曰く、絶対私はやらない、と。そして拒否のオーラを醸し出しながら鈴音は千冬にシャルロットとセシリアを推薦した。

 

 

「ふむ……今の所上がった意見ではオルコット、デュノア。お前等で2票だな。凰は1票で、このままであればお前等がどちらかになるが?」

「そ、そんな……!?」

「なら織斑先生。私に良い考えがあります!」

 

 

 机に勢いよく手を叩き付けてセシリアは笑みを浮かべて告げた。まるでこの展開を待っていた、と言わんばかりにだ。

 

 

「何だ? 言ってみろ?」

「IS学園ならば、ISでその勝敗を決するべきだと私は主張いたします!」

「……成る程。一理あるな。クラス代表戦も迫っている事だし……山田先生。まだアリーナの貸し出しの予定は空いてましたね?」

「えぇと……。はい、空いてました。まだ予定は入ってないです」

 

 

 空間ディスプレイを表示して、真耶がアリーナの貸し出しのスケジュールを確認する。千冬の質問に手早く応え、真耶の返答を聞いた千冬は1つ頷く。

 

 

「よし、ならばクラス代表はオルコットかデュノアのどちらか。その決定の方法はISバトルの勝敗にて、だ。どうだ?」

「そ、そんな……」

「おほ、おほほほ! 構いませんわ! クラスの皆さんもよろしいですわね!?」

 

 

 有無は言わせない、と言わんばかりに問うセシリアにクラスの皆は否とは言えなかった。むしろ面白そう、とさえ思っていた。何故ならば二人は代表候補生。その実力は申し分ないし、何より専用機同士による対決だ。これに興味が惹かれない訳がない。

 ただ一人、この状況に流されるしかなかったシャルロットが呆然としていた。眉を寄せて腹に手を添えている。誰もがそんなシャルロットの様子に気付かない。気付いてるのはシャルロットを注視していた面々だけ。

 

 

「よし。ならばクラス代表の選抜方法は決定した。オルコット。お前の提案だ。お前がそれまではクラス代表代理を務めろ」

「承知致しましたわ」

 

 

 優雅に一礼をしながらセシリアは千冬から任されたクラス代表代理の任を承る。そしてセシリアは笑みを浮かべたままシャルロットへと視線を注ぐ。

 

 

「お互いベストを尽くしましょう? シャルロットさん」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「どうしてこうなったのさ! うわーん、もうヤダー!!」

「よしよし……」

 

 

 えぐえぐと涙ぐみながら、クロエに抱きついて慰めて貰っているシャルロット。その場の誰もが苦笑を浮かべていた。

 昼時となり、ハル達は知り合いを集めて昼食を取ろうと中庭に出ていた。ここにいる面々はハル、一夏、箒、鈴音、ラウラ、クロエ、そしてシャルロットだ。

 

 

「何がそんなに嫌なのよ? アンタは」

 

 

 自分が槍玉に挙げられた事が不服だったのだろう、鈴音が不機嫌な声でシャルロットに問いかけた。

 シャルロットはクロエに抱きついてクロエの腹に顔を埋めている。小さな子に慰められている図は何とも言えないのだが、シャルロットはまったく気にしていない。

 

 

「……私はセシリアさんに目の敵にされてるんだ」

「何やったの? あそこまで敵視されてるってよほどの事だと思うけど」

「話せばちょっと長くなるし……デュノアの事情も絡んでくるから」

 

 

 ちらり、とシャルロットが見たのは鈴音だった。まだロップイヤーズに所属する面々ならば話しても大丈夫だが鈴音は中国の代表候補生だ。このまま話して良いものか、とシャルロットは迷う。

 自分がいて話せない、という空気を察したのか鈴音の機嫌は更に悪くなる。だが同時に集まった面子を考えて何かしらの事情があるのだと納得して怒りを静めた。

 

 

「何よ。人に言えないような事したの? デュノアは」

「えと……ちょっと取引をセシリアさんに持ちかけたんだ。デュノアから」

「……それだけなら別に問題ないように聞こえるけど?」

「で、私が足下見て吹っ掛けた」

「自業自得じゃないの」

「ぎゃふん」

 

 

 だよねー、と再びクロエの腹に顔を埋めるシャルロット。ぐりぐりとシャルロットが悶えているとクロエが肩を跳ねさせた。

 クロエは若干、顔を紅くさせてシャルロットの頭に手を置いた。まるで彼女の動きを押し止めるようにだ。

 

 

「あ、あの、シャルロット。ふとももに息を吹きかけるのはやめてください……」

「え? なんか言った?」

「ひぅっ!? だ、だから……!」

「幾らシャルロットと言えど姉上へのセクハラは許さんぞ?」

「じゃあラウラで良いから私を癒してよ!」

 

 

 標的をクロエからラウラに変えてシャルロットは抱きついた。ラウラは動ぜずシャルロットに抱きかかえながら食事を進めている。空いた手でシャルロットの髪を撫でている辺り、流石としか言い様がない。

 平和だな、とハルは食事を進めながら思う。本当に仲がよろしい事で。

 

 

「……にしても旨いわねこれ。誰が作ったの?」

「あ、それは僕だよ」

「アンタが?」

 

 

 鈴音が唐揚げを口の中に放り込み、感心したようにハルを見た。そこで改めてまじまじとハルの顔を見つめる。

 鈴音からの視線を受けたハルは首を傾げる。口元にでも何か付いてるかな、と指で拭ってみるも、何も取れた気はしない。

 

 

「……一夏、いや、どっちかというと千冬さんに似てるわね」

「あぁ、そういう事。公開されてたでしょ? 僕の出自については」

「千冬さんのクローン、ね」

 

 

 胸糞悪そうに鈴音は鼻を鳴らした。自分の知り合いのクローンを勝手に作り、そして実験の果てに放置したと聞いた時は腸が煮えくりかえりそうだった。

 ハルは隠すぐらいなら、と自分の情報を公開している。伏せているのはISコアとのコンタクトが取れる事と、大凡の実験内容だ。ただ束の推察で、実験による人格破壊や上書きが行われている事は公開されている。

 

 

「まぁ、僕はハルだから。あまり気にしないで。知り合いに良く似てる他人ぐらいで付き合ってくれると助かるよ。凰さん」

「名前で良いわよ。鈴音でも、鈴でも好きに呼びなさい。その代わり私もハルって呼ばせて貰うわよ?」

「それはありがたい。よろしく、鈴」

 

 

 ハルが笑みを浮かべて礼を言うと、ん、と鈴音も微笑を浮かべて返す。

 

 

「……しかし本当に旨いよな。ハルの料理は」

「ラウラに負けられなくて磨きに磨いたからね。ちなみに僕が和食担当で、ラウラが洋食担当」

「あぁ、ラウラの作るハンバーグはめっちゃ旨いんだ……やべ、涎出てきた」

「一夏、だらしないぞ」

「アンタは……食事してるでしょうに」

 

 

 一夏は高天原で生活していた頃に食べたラウラのハンバーグを思い出したのか、思わず溢れそうになった涎を拭う。そんな様を見た箒と鈴音は溜息を吐いた。

 ハルとしては自分の料理が嬉しいと言ってくれるのは嬉しい。ラウラのハンバーグがおいしいのは悔しいが認めている。言われれば自分も食べたくなってしまった。食事中にも関わらずだ。やっぱり悔しい。

 

 

「……な、なら中華担当はいないのね?」

「ん? あぁ、そうだな」

「だったら今度、私もお弁当作ってあげるわよ。……結構練習したから」

「マジで!? いや、確かに中華に飢えてたってのはあるし……楽しみにしてるな、鈴」

「え? ほ、本当に? 楽しみにしてくれる?」

「当たり前だろう。きっとうまいんだろうな」

 

 

 そう、クロエが作ったものに比べればどんなものでも。一夏は口に出さず、心の中で呟く。本人が目の前にいるので決して口にはしないのだ。だが何かを感じ取ったのか、クロエは一夏に厳しい視線を向けている。

 一方で鈴音は一夏に言われた言葉にだらしなく表情を崩して笑っていた。心底嬉しそうに微笑む彼女の顔を見ていた箒の箸が軋む音を立てた。そして何かを決意したように箒はハルへと声をかけた。

 

 

「ハル。頼みがあるんだが」

「お料理勉強会でもするかい?」

 

 

 ハルの提案に無言で頷く箒。ハルは笑みを浮かべながら微笑ましそうに見守る。

 命短し恋せよ乙女、紅き唇、褪せぬ間に。どうか恋に挑む乙女に幸あらん事を。

 

 

「ラウラ、あーんして。あーん」

「やれやれ……。ほら、シャルロット。あーん」

「……本当に平和だなぁ」

 

 

 噛みしめるように呟いたハルの言葉はそのまま空気に飲まれて消えていった。 

 

 




「平和。ぽかぽかお日様。ごはん。……雛菊は食べられない。ごはんはおいしいの?」 br雛菊


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Days:03

 IS学園での初日の授業が終わる。固まった身体を解すようにハルは背筋を伸ばす。まだ凝った感覚が抜けきらないので首を何度か回すと、こきり、と音が鳴った。

 

 

「よぉ、ハル。お疲れ」

「一夏。お疲れ様。ちゃんと授業が理解は出来た?」

「あぁ……束さんとクロエに見て貰ったからな」

 

 

 苦笑する一夏を見て、やはりIS学園に入学する前、皆でISの基礎知識について勉強をしておいて良かったとハルは思った。やっていなかったら一夏は当然、箒も危なかった。元々毛嫌いしていた箒は束との関係が改善されてからは意欲的に取り組んでいて勉強も捗っている。

 ただ難儀したのが一夏だった。思ったより飲み込みが悪く、束が主に授業を行っていたのだが、一夏は束の言う事が理解出来ない。束は一夏が何故理解出来ないのかわからない。この悪循環に陥ってしまったのだ。

 この状況を打開したのはクロエだった。束の言う事がわからない一夏にクロエが捕捉を入れて説明するとなんとか理解が出来るようになったのだ。なのでクロエは必然的に一夏のサポートに入る事が多くなった。それからだろうか、一夏とクロエが気安く接するようになったのは。

 クロエも最初はまだ優しかったのだが、段々と言葉に遠慮が無くなった為だろう。なんで理解できないのかは当たり前。これ見よがしの溜息。これならわかりますよね? と嫌みったらしい捕捉。負けず嫌いな気質の一夏が反骨精神で乗り切ったのは流石だと思った。僕だったらまず間違いなく心折れる、とハルは思う。

 ハルとラウラは既に通った道だったので授業を改めて受ける事はなかったのだが、一夏からの愚痴とラウラ経由で聞いたクロエの愚痴の両方を知っているので状況を把握しているだけだ。

 どうにも一夏とクロエの相性は悪い。仲が悪い、という訳ではない。どちらかと言えばクロエが一方的に一夏に噛みついている。一度どうしてか聞いてみたが、クロエ曰く、デリカシーが無くて見てて苛々する、との事。

 確かに一夏には鈍感な所があるが、それがクロエの気に障るのだろうか? とハルは悩む。それならばしっかりと情緒が育ってくれていた事を嬉しいと感じるが、しょっちゅう喧嘩しているのはどうかと思う。

 一度、ラウラに相談したのだがお手上げだそうである。ラウラとしては一夏には好感を持っているのだが。剣術の稽古だけでなく、格闘訓練なども仕込むようになっていると言う。その風景を目にしたことがあるが、なんというか出来の悪い兄弟を見ているようだ、とハルは思った事を覚えている。

 

 

「とりあえず学校も終わったんだ。さっさと高天原に戻ろうぜ」

 

 

 もうここから早く出たい、と疲労を見せている一夏。やはり女子だけのこの空間は一夏にとって辛いものがあるのだろう。急かす様子の一夏に苦笑しながらハルは鞄に荷物を詰めて席を立った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あー、やっと初日が終わったぜ……怠い」

「……そんなダラダラと歩いて恥ずかしくないんですか?」

「うるさいな。疲れてるんだよ」

 

 

 一夏が疲れを隠さないままダラダラと歩くのを見て、我慢ならなかったのかクロエから指摘が飛ぶ。だが一夏はそんな事は知らん、とばかりに態度を改める事はない。

 むっ、と口元を一文字に結んだクロエにラウラがすかさずフォローに入る。一夏の隣を歩いていた箒と共に一夏の背に手を叩き付けて、折り曲げていた背を真っ直ぐにさせる。

 

 

「クロエの言う通りだ。流石にだらしないぞ」

「いってー! くそ、お前等には俺の苦労はわからないんだよ! 辛いんだぞ!?」

「気持ちはわからなくもないけど、往来で叫ぶのはやめよう? 一夏」

 

 

 これには流石に恥ずかしい、とハルは一夏に指摘を飛ばす。今、纏まって歩いているのは高天原で生活をしている面々だ。鈴音とシャルロットは途中までは同行してたのだが、流石に初日から寮を抜けるのは不味い、とそれぞれの寮の部屋へと戻っている。

 ルームメイトもいるのだから、確かに初日から遅かったり、いなかったりすれば何を言われるかわからない。それに寮の管理人は千冬だと聞いている。門限とか厳しそうだな、と思うと、高天原で暮らす事で在る程度、自由が利くのはありがたい事だった。

 

 

「あれ? なんだあれ?」

「ん? どうしたの?」

「なんか……トレーラーが来てるな」

 

 

 高天原は現在、IS学園から程近い土地を開拓して置かれている。IS学園に通うのは少し交通の便が悪いのだが、これは最早仕方ないと諦めている。ハル達もISを使って土木作業を手伝ったのは記憶に新しい。

 そんな経緯から急遽、舗装された道の先。切り開いただけの土地に置かれた高天原の傍に見えたのは一台の大きなトレーラー。何とも珍しい光景だった。気になるのは皆、同じだったのか少し早足でトレーラーまで近づいていく。

 

 

「お。皆、おかえりー」

 

 

 皆を迎えたのは束だった。トレーラーの傍でなにやら作業をしている人たちとは少し外れた場所。そこに置かれたコンテナの上に座って足をぶらぶらとさせていた束は皆を見るなり、コンテナから飛び降りて駆け寄ってくる。真っ先に抱きついたのはハルだ。

 ハルは抱きついてきた束をしっかりと抱き留めながら笑みを零す。そしてトレーラーの周りの人たちを指して問いかける。

 

 

「あの人達は?」

「倉持技研の人達だよ。頼んでたモノを納入して貰ってたの」

「納入? 何の?」

「いっくん用のISさ」

「俺の?」

 

 

 一夏は自分を指さして首を傾げた。そう、と束は笑いながら答える。

 

 

「世界に技術協力するって言ったからね。ちょうど倉持技研には開発が凍結されてた機体があったから、それを改修していっくん用のISにするんだ。既存のISの改造のテストケースだね。まぁ、手を抜くつもりはないけどね」

「へぇ……じゃあ遂に一夏にも専用機が」

「各国からいっくんのデータも欲しい、ってせっつかれてるからね」

 

 

 面倒くさい、と呟いて溜息を吐く束の姿に皆は呆れたように苦笑する。もう大分慣れたが束は相変わらずの通常運行らしい。世界相手からの要望を面倒くさいと言って切ってしまうのは精々束のものぐらいだろう、と。

 そしてトレーラーから運び出される鋼鉄の機体が日の下に晒される。白の装甲。穢れを知らぬ純白の色合いは光を反射しながら存在を見せつけた。一夏はあれが、と呟きを零して食い入るように己の機体となるだろうISを見た。

 

 

「もう付ける名前も決まってるんだ」

「どんな名前なの?」

「“白式”。あれには白騎士のコアを組み込むからね。それにちなんで名前をつけたよ」

 

 

 一夏のISに束が保有し、封印している白騎士のコアを使う事は以前から決まっていたので驚く事はない。だが次に束から告げられた言葉に一夏は目を見開く事となる。

 

 

「この機体はね。途中で開発が凍結されたけれども、実質“暮桜”の後継機にあたるんだよ。いっくん」

「暮桜って、千冬姉の!? こいつが千冬姉のISの後継機……」

 

 

 己の姉が乗っていたIS“暮桜”。名実共に最強の名を冠したIS。その後継機と聞いた一夏の驚きは計り知れなかった。そしてその機体が己の機体となるという事実に胸が熱くなってくる。

 

 

「どうしてそれが凍結されたの?」

「この子は第三世代型にあたるんだけど、“零落白夜”を再現する為に作られたんだよね。だけど作ったは良いんだけど、“零落白夜”を発現させる事は出来なかった。どう試行錯誤をした所で駄目だったんだ。そして前提条件が崩れてしまったが為に、路線を変更した日本のIS企業から忘れ去られた翼」

 

 

 最強を欲しいままにした千冬の暮桜。その意思を受け継ぐ筈だった機体は今まで日の目を見る事なくただ眠り続けていた。

 束は笑みを浮かべて、コアを抜かれて沈黙しているISに触れた。慈しむように装甲を撫でながら束は言う。

 

 

「大丈夫。私が飛ばせてあげる。いつかの貴方が待っていた人がここにいるよ。正しく貴方を受け継ぐ人が」

 

 

 ね? と微笑みかけるように束は一夏を見た。一夏もまた束が触れていたように装甲を撫でるように触れて、何かに思いを馳せるように瞳を閉じる。暫しそのまま佇んでいた一夏だったが、再び目を開いた時、彼の纏う気配は一変していた。

 まるで鞘から抜き放たれたように鋭く研ぎ澄まされた気配。まだ未熟ながらもあの千冬を思い出させるような瞳と気配。そんな一夏の姿にハルはぞくり、と背筋を震わせた。本当にいつからこんな顔をするようになっていたのか、と驚くばかりだ。

 

 

「束。確認の上、受領のサインを頼む。……む。お前達、帰ってきてたのか」

 

 

 そこに倉持技研の職員だろう、白衣を纏った男性と共にクリスが歩いてきた。クリスの手にはクリップボードがあり、なにやら書類を挟んでいるようだ。そこでクリスはようやくハル達の姿を確認して笑みの表情を浮かべる。

 ただいま、とハル達が各々伝えるとクリスは嬉しそうに笑ったまま、おかえり、と優しげな声で迎えてくれた。しかしすぐに表情を引き締めると束にクリップボードを渡して、束が書類の内容を確認している。

 

 

「クリスさん。この子達が?」

「あぁ。皆、こちらは倉持技研の社員の方だ」

「倉持技研第2研究所から来ました如月 誠と申します」

 

 

 よろしく、と手を差し出しながら告げた声は随分と優しげだ。柔和な笑顔は優しげで人当たりの良さを感じる。

 一番近かった一夏がよろしくお願いします、と返しながら握手をする。それぞれが誠との握手を交わしていき、握手を終えた後、誠は興味深げに一夏を見た。

 

 

「君が織斑 一夏くんか。……少しお姉さんの面影があるね」

「え?」

「私は元々、暮桜の整備員の一人だったんだ。その時、千冬さんには大変お世話になったんだ。千冬さんの弟である君がこいつを受領する、と聞いた時は思わず興奮を覚えてしまったよ」

「暮桜の……」

 

 

 思わぬ姉の関係者の登場に一夏は少し驚いたように、そして興味深げに誠へと視線を注ぐ。視線を向けられる事に慣れていないのか、少し照れたように肩を竦めてみせる。

 

 

「本来は別のプロジェクトの主任を務めて居るんだが、人当たりが良いからって言う理由で所長に扱き使われてるんだ。参ったよ」

「……思い出しました。如月 誠。日本でも有数のIS研究者。今、日本で主流となっている量産型IS“打鉄”の開発者の一人」

 

 

 クロエは小骨が喉に引っかかったように首を傾げていたが、ようやく思い出したと言うように彼のプロフィールを引っ張り出した。

 誠は少し驚いたようにクロエを見たが、やがて納得したというように笑みを浮かべた。

 

 

「流石は篠ノ之博士の助手さんだね。よくご存じで。……といっても打鉄の構造に関してちょっと意見を出したぐらいさ。私だけが作ったものじゃないよ」

 

 

 大したことはしてない、と笑う姿はハル達より上の年齢ではあるが、どこか親しみやすさを感じさせた。童心を忘れていない大人と言うべきなのか、随分と無邪気な印象を受ける人だとハルは思った。

 すると契約書の確認を終えたのか、サインを施した書類を見せつけながら束が割って入った。クリップボードを無造作に誠へと差し出して渡そうとする。

 

 

「はいはい。サイン出来たよ」

「ありがとうございます。篠ノ之博士。……覚えてはいないと思いますが、お久しぶりです」

「んー? 誰?」

「これは手厳しい。表舞台に戻ってきたから少しは変わったのかと思いましたが、まったく貴方は変わらない」

 

 

 束の反応に予想通り、と言うように苦笑しつつも誠は束から預かったクリップボードを抱え込む。強かな人だな、とハルは思った。この人はこうして束にあしらわれるのが一度や二度じゃない気がした。まるで何度もあしらわれたような慣れが見えたからだ。

 さて、と誠は話の流れを変えるように束からうけとったクリップボードを軽く叩いて音を鳴らす。

 

 

「これでこの機体は篠ノ之博士の預かりとなります。データはまた後ほど。ウチの所長が首を長くして待っておられますので。あんまり遅いとモリ刺しに行くぞ、だそうですよ?」

「……ん? ……げぇっ! 倉持の第2研究所って言えばあのヘンタイがいる所か」

 

 

 誠から告げられた伝言に何かを思い出したように心底嫌そうな顔を浮かべる束。珍しい反応にハルは目を丸くする。

 

 

「束、知り合いがいるの?」

「うん。ヘンタイがいる。ハルもいっくんも近づいたら駄目だからね?」

「ヘンタイ!?」

「あぁ……確かにウチの所長はヘンタイだね。もし会う時があれば気をつけた方が良い」

「如月さんも認めた!?」

「あんな奇妙な生物、忘れたくても忘れられないよ」

 

 

 忌々しそうに束は吐き捨てる。しかも人間じゃなくて生物呼ばわり、人間扱いされていない。一体どんな人物なんだろうか? とハルは思わず想像しようとして止める。束がヘンタイと言うぐらいなのだから空前絶後のヘンタイなのだろう、と予想が出来たからだ。

 しかし他人を滅多に認識しない束が認識している人がいるのは驚いた。まったく悪い方向ではあるのだが。

 

 

「……如月主任。パーツ運び終わりました」

「あれ? 簪さん?」

 

 

 不意にした声にハルは驚いたように声をあげた。誠に近づいてきたのは簪だったからだ。

 簪の姿を見た誠は笑みを浮かべながら簪の下へと歩み寄る。

 

 

「ありがとう、簪ちゃん。悪いね、手伝って貰って」

「いえ……いつも弐式の事でお世話になってますから」

 

 

 淡く笑みを浮かべながら簪は誠に返事をする。簪が普通に話している所を見てハルは二人の関係が短い付き合いのものではない事を悟る。

 そして先ほど、クロエが告げた彼のプロフィールを思い出して納得したように掌の上に拳を置いた。

 

 

「まさか如月さんが主任を務めるプロジェクトって……」

「あぁ。この子の専用機である打鉄弐式の開発さ。まだ完成は先なんだがね。私にとっては渡りに船だったんだよ。この話はね。直接簪ちゃんにデータも貰えるし」

 

 

 誠は笑みを浮かべて簪の頭に手を置いて撫でる。そうしていると兄と妹の姿にも見えるから不思議だ。

 簪も拒否していないという事はよほど二人は親しい仲なのだろうとハルは推測してみる。

 

 

「まだまだ篠ノ之博士に劣りますが、次代を担う人材だと私は確信していますよ」

「き、如月主任……! そんな、恐れ多い、です……」

 

 

 思わず簪は声を大きくしてしまう。束の前で次代を担う人材だと口にした誠はまったく自分の言葉を疑っている様子はない。誠の言葉に反応したのは束と、そしてクロエの二人が反応していた。 

 

 

「へぇ……この子がねぇ?」

 

 

 ずい、と。束は覗き見るように簪の顔を覗き込んだ。簪が緊張が高まった所為か、身を硬直させて目を見開いている。束の目つきが若干悪くなっている為、睨んでいると思われたのだろう。

 クロエも興味を刺激されたのか、サングラス越しに簪へと視線を向けているようだ。あうあう、と見るからに上がってしまっている簪が少し哀れに思えてハルは苦笑した。

 

 

「簪ちゃん。今度から弐式の開発には篠ノ之博士の助力を得られる事となった」

「えぇ!? ほ、本当ですか!?」

「契約に盛り込んでいたし、それがロップイヤーズがここに逗留している条件の1つだしね。トップクラスの技術を学ぶ良い機会だ。簪ちゃん、もっと自信を持ちなさい。君はまだまだ伸びる」

「まぁ私は直接開発には手を貸さないけどね。まずは白式があるし。……クーちゃん?」

「はい。束様」

「以前話していた通りに。これはロップイヤーズとしての正式な仕事としてクーちゃんに託すよ。“現行IS強化改修計画”はクーちゃんに一任する」

「了解しました」

 

 

 束の指示にクロエは頷いてみせる。これは前々からロップイヤーズで上がっていた話題だ。どうやって世界に束の技術力を伝えるか? 束の技術力は間違いなしに世界一だ。だが直接その技術を授ける事は束の性格等を考えると正直難しい。

 そこで束が白羽の矢を立てたのはラファール・アンフィニィの開発実績があるクロエだ。クロエも元々、束とは別の形でISを発展させる方法を試行錯誤していたので、クロエが束の名代として世界各国のISに触れ、強化案を提案し、開発協力を行う事は予め決められていたのだ。

 

 

 ――現行IS強化改修計画<リインフォース・プロジェクト>。

 

 

 それがクロエが主導となって世界に広められていく計画だ。尚、束は束で自分の研究の片手間にアドバイザーとして時折口は出すが、直接的に技術の教授は行わないつもりだ。つまり束の技術はクロエを通して伝えられる、という事になる。

 

 

「……そう言う訳ですので。更識 簪さん。クロエ・クロニクルです。よろしくお願いします」

「あ、は、はい……! さ、更識 簪です……簪って呼んでください」

 

 

 がちがちに固まり、ロボットのような動きで簪はクロエへと手を差し出した。クロエは震える簪の手を取って優しく握りしめた。後の歴史、多数のISを世に輩出する科学者の卵である二人。その出会いと交友はここから始まる事となる。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 夕焼けで空が紅く染まっている。そんな空の下、海が見渡せる丘に一夏はいた。

 一夏はゆっくりと丘を登るように歩いていく。視線を上に上げれば丘の先が見える。

 紅く焼けた空。その日の色に照らされた鈴音の姿に一夏は目を細めた。

 

 

「……よぉ、鈴。来たぜ」

「……うん」

 

 

 ここに二人がいる理由。それは鈴音が一夏を呼び出したからだ。一夏に背を向けたままで鈴音は一夏に応じる。

 

 

「良いのかよ。寮にいなくて。ルームメイトに何を言われるかわからないから来ないって言ってたじゃねぇか」

「そうよ。でもね、これはね。早く済ませちゃわないと決意が鈍っちゃうし……フェアじゃないもの」

 

 

 くるり、と鈴音が振り返って一夏を見下ろす。夕日が振り向いた鈴音に影を作る。だがそれでも赤い光は彼女を鮮やかに照らし出していた。一夏は眩しげに鈴音の姿を見つめた。

 わかっているとも。ここに来た理由も、ここに呼ばれた訳も。だからこそ一夏は真っ直ぐに鈴音へと視線を向けた。一歩、二歩、進めば手が届く距離だけ二人は離れて向き合う。

 

 

「……約束、覚えてる?」

「だから俺はここに来た。だから俺はお前に聞きに来た」

「……そっか」

 

 

 嬉しそうに鈴音は微笑んだ。歯を見せて微笑む表情はあまりにも彼女らしい。

 緊張を解すように鈴音は息を吸った。なのに吐き出した息は震えていた。何かを言いかけた口は吐息が震えて声にならない。もう一度、顔を俯かせて、肩を震わせながら鈴音は息を吸う。一夏はただその姿を見守る。ただ鈴音が言葉を紡ぐのを待つ。

 

 

「……ッ……!」

 

 

 声が出ない。まさか言えないなんて。身体が震えて鈴音は拳を握りしめる。あぁなんて情けないんだろう。変えなきゃいけないのに。変わる事を望んで来たのに。いざ変化を受け止めようとすると、こんなにも怖くて身体が震える。

 言わなきゃ。そう思うのに唇は震えて声に出来ない。どうして、と。唇をきゅっ、と噛みしめて鈴音は込み上げてくる涙を抑える。ここで泣いたらきっと一生言えないのに。

 

 

「――鈴」

 

 

 一夏がそんな鈴音の名前を呼んだ。いつもと違う、どこか頼りがいのある声で。

 視線を上げれば一夏は真っ直ぐ鈴音を見ていた。穏やかに彼は鈴音の言葉を待つ事が出来た。一夏にもう覚悟は出来ている。そう、先ほど彼は言った。だから自分はここにいるのだと。

 言わなきゃ。もう一度心の中で呟く。いつの間にか彼は先に行ってしまっている。以前とは違う。なら自分だって変わらなきゃこの距離は縮まらない――ッ!!

 

 

「――……一夏」

 

 

 ようやく呼べた。そうすれば身体の震えは止まった。硬直していた身体から緊張は消え去って、今度はするりと言葉が出る。だってわかったから。受け止めてくれるって。だからもう、何も心配要らない。例えその先にどんな変化が待っていても、もう私は踏み出せる。

 

 

「私は、凰 鈴音は――貴方の事が、織斑 一夏の事が好きです」

 

 

 さぁ、と。波風が鈴音の髪を揺らした。吹き抜ける風は一夏の下まで届き、そのまま過ぎ去っていく。

 一夏は鈴音を見つめた。鈴音は僅かに涙を滲ませた瞳を穏やかに緩ませて、満面の笑みを浮かべている。彼女を照らしている日のように美しい。見惚れるままに一夏は、あぁ、と感嘆の息を零す。

 

 

「……鈴」

「……はい」

「ありがとう。凄い嬉しい」

「……はい」

 

 

 はい、だなんて鈴音には似合わないな、と一夏は思いながら胸の中にある言葉を形にしようとする。

 

 

「俺は鈴のお陰で変われたんだと思う。お前が俺にこの気持ちを与えてくれた。恋愛を知らなかった俺に恋をする事を教えてくれたのは間違いなくお前だ」

「……はい」

「俺は、お前にきっと恋をした。初恋はお前だ。今なら理解出来る。お前に指摘された時から俺はお前を好きになってた」

「……ッ!」

「でも、駄目なんだ。……駄目なんだ……!!」

 

 

 一夏は、震えた拳を握りしめながら吐き出すように告げる。もう片方の手で心臓を掴み挙げるように胸に手を添えて爪を立てる。

 

 

「俺はこんな気持ちを知らなかったから、どうすれば良いのかわからなくなる。好きになればなる程、俺はどうすれば良いのかわからなくなる。お前だけじゃないんだ。きっと箒にも同じ気持ちを持った」

「……そうなの?」

「俺は嬉しかったんだ。俺が好きだと思われてる事が。俺を愛してくれる事が。俺は知らなかったんだ。自分の幸せだなんて考えた事が無かった。不誠実だと思う。最低な野郎だと思う。だけど俺にはまだどっちかを選ぶ程、強くはなれない……!」

 

 

 恋をする事は当たり前じゃないから。だから好きになってくれたという事実が、どれだけ代え難いか一夏は知らなかった。恋をする事も知らなかったから。

 だから知れば知る程、悩めば悩む程、自分の中で答えが出る度に一夏は思う。手放したくない、と。その温もりが、どれだけ優しいかを知ってしまったから。

 それは織斑 一夏を壊す毒だった。今までのように気持ちが動かない。感情の制御が出来ない。ついつい目で愛おしい姿を追ってしまう。まるで確かめるように。自分でも馬鹿みたいだと思う程に。

 

 

「……ごめんな、鈴。俺はお前の告白に返す答えを持ってない。受ける事も出来ないし、断りたくない……」

「……そっか」

「……呆れてくれて良い。今の俺にはこうしか言えないから」

「そうね。本当、最低」

 

 

 最低、と。鈴音が告げた言葉はあまりにも優しい声色で、一夏が思わず顔を上げた瞬間だった。

 視界にいっぱいに目を閉じた鈴音の顔が広がった。鈴、と名前を呼ぼうとした唇は言葉を発する事はない。その唇は温かい温もりに閉ざされてしまっているから。

 ゆっくりと温もりが離れていく。鈴音の吐息が一夏の唇に当たり、一夏は思い出したように呼吸を再開した。鈴音は涙に滲む瞳を細め、柔らかく笑みを浮かべている。

 

 

「本当、最低。まるでお子様ね。でも……嬉しかったよ。初恋が私だって言ってくれて。私が考えて欲しかった気持ちを一生懸命考えてくれて。わかるよ。一夏が私を、箒を傷つけたくないから本当は言葉にしたくないんだって。一夏は優しいから。

 だから言葉にしてくれてありがとう。……だからここから始めるわ。一夏。私は貴方が好き。例えどんな結果になっても重ねた唇は後悔しない。貴方を愛した思い出になる。どんな答えでも良い。いつか必ず出しましょう。それまで私はずっと貴方を愛してあげる。だから後悔する結果だけは選ばないで。きっと、選ぶだけで今の一夏は後悔するから」

「鈴……」

「選ばせて見せるわ。どんな後悔をしたって、私を奪いたい、って。思わせて見せる。――だから好きだよ一夏。私は貴方を愛する事が幸せ。でも、貴方に愛される事も幸せなんだから。だから私は貴方を愛していける。だから貴方が選ぶその時までずっと愛してあげる」

 

 

 忘れないで、と。

 今度は頬に口付けて、鈴音はそのまま走り去ってしまった。慌てて振り返れば夕日に照らされて走っていく鈴音の姿が見える。

 伸ばした手はまた届くことはない。ようやく追いついたと思ったら彼女は先へ進んでしまっている。呆然と手を伸ばしていた一夏だったが、伸ばしていた手を顔に添えて丘に倒れ込むように仰向けになった。

 

 

 

 

 

「――……反則だろ、それ」

 




「人は恋をする。切なくて。苦しくて。でも幸せ? それは矛盾? ……でも忘れたくない気持ち。大切な気持ち」 by雛菊
 


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Days:04

 日が落ちた頃、一夏はようやく高天原まで戻って来れた。

 触れた鈴音の熱が忘れられずに、どこかぼんやりとしている。頭を冷やそうと思い、一夏は水を求めて食堂へと向かった。

 食堂にはクロエがいた。空中ディスプレイを表示し、時折コンソールを叩いて何かのデータを纏めている。クロエは一夏が入ってきた事に気付いて顔を上げた。彼女はサングラスを外していて、異色の瞳が一夏を捉えた。

 

 

「お帰りなさい。……どうしたんですか? そんな顔して」

「……クロエか。何やってるんだ」

「現行IS強化改修計画の纏めですよ。今は打鉄用の改修案を纏めている所です。打鉄弐式の強化の為のスペック確認も含めてますが」

 

 

 クロエはそこまで言い切り、とんとん、と机に指を乗せて叩く。いまいち作業が進まずに苛々していた所だ。止めよう、と思い至りクロエはディスプレイを消した。一夏はふーん、と相槌を打って水を汲みに行った。

 

 

「一夏、私の分もください」

「ん、わかった」

 

 

 二人分のコップを用意して一夏は水を注ぐ。汲み終わった水をクロエが座っているテーブルまで持って行く。一夏から水を受け取ったクロエは礼を一言告げて口をつけた。ひんやりとした水が喉を通っていくと頭が少しすっきりとしていく。

 一夏もまた水を飲んでいたのだが、冷やそうとすればする程、鈴音の熱を思い出して熱が引かない。結局、水を飲む手も止めてしまい、コップを握っていない手で頭をわしゃわしゃと掻き乱す。

 

 

「……何一人で百面相してるんですか? 気持ち悪いですよ」

「気持ち悪くて悪かったな。っていうか何でクロエはいっつも俺に噛み付いてくるんだよ。俺にだけ厳しくないか?」

「貴方にデリカシーがないからです」

「デリカシーって……俺の何がいけないんだ?」

「私は貴方の歯に衣着せぬ言い方が嫌いなんですよ。何でも素直に言えば良いって物じゃないんですよ」

 

 

 ふん、と鼻を鳴らす。ここぞとばかりにクロエは普段、一夏に溜めている不満を口にした。

 クロエは今までハルや束、ラウラと生活する時間が長かった。束はともかくとしてハルやラウラはクロエに気を使って生活をしていた。そしてクロエもまたそれは同じだった。

 まだ自分が拾われてすぐの頃の話だ。ハルに常識という物を教えて貰ってから、常識をそういうものなのだと、ハルの言う常識を受け入れたクロエは自然と常識を尊ぶようになった。束がその常識とかけ離れている為に苦しんでいるという事も、成長するにつれてわかったのはその為だ。

 普通である事はクロエにとって羨望の対象だ。自分の知る誰もが普通からかけ離れていたから。程度の差はあれど皆、それに苦しんできたから。だからこそ普通の生活に憧れた。食事を取り、住む場所があり、着る服があって、触れ合う隣人達がいる。そんな生活を何よりも大切に思っている。

 だからこそ生活の上で気を使うのは当たり前の事だと思う。良好で円滑な人間関係、それが無ければ生活を維持する事は出来ないと考えるからこそ。

 だからこそ無頓着な一夏の言動が気に障る。遠慮がない、と言えば親しみがある事の裏返しなのだとわかっていても、一夏の言動は妙に気に入らないのだ。

 

 

「素直の何がいけないんだよ」

「少しは相手を気遣えって言ってるんです。機微というものを少しは察してください」

「俺、結構気を使ってるつもりなんだけど……」

「そのつもりが私には一切感じられません。箒もさぞ苦労している事でしょう」

「……箒が?」

 

 

 おや、とクロエは一夏の予想外の反応に目を瞬きさせた。箒は関係ないだろ、とでも言うと思ったが、一夏の表情を見るとどうやら真剣に悩んでいるようだ。

 

 

「箒が俺の言動で悩んでるのか?」

「……そうですね。ちょっと言い過ぎました。でも貴方は素直過ぎる。気持ちを伝えるのは良いですけど、全部が全部で気持ちを伝える必要はないじゃないですか」

「そういうものなのか?」

「ずっと好きだ、愛してる、なんて言えるのは本当に互いにそう思ってる相手だけですよ。その気もないのに好きだ、愛してるなんて言うのは相手に失礼でしょう。思いが軽くなって嘘っぽくなりますよ、言葉そのものが」

 

 

 幾ら口で綺麗事を吐いても、示せなければ意味がない。ハルと束の姿を見てクロエは育ってきたのだから、そう信じている。ハルが献身的に束に尽くしたり、束が見せる直接的な愛情表現があってこその関係だと思っている。

 だから一夏を見ていると苛々とするのだと気付く。一夏は箒の事が好きなんだろう。箒もまた一夏の事を好きだと思っている。互いが互いを思い合っているのに、その気持ちを通じ合わせない。

 互いが互いに思うだけ。それが奇妙なものに見えてクロエには仕方ないのだ。好きなのに互いに好きを通じ合わせない。なのに一夏は箒の事を好きだと思わせるような言動をする。

 箒もそれを嬉しがってる。けれど明確な思いは口にしない。もどかしくてクロエは二人が揃う所にいるのが好きではない。自分が苛々するから。もどかしくなるから。

 

 

「秘めたる思いなら秘めてれば良いじゃないですか。それをいちいち匂わせて。好きなら好きって言えば良いじゃないですか」

「……難しい話だな。そりゃ」

「……そうなんですか? 私にはわかりません」

「なんていうかさ。自分から言うんじゃなくて、相手に期待するって言うのかな。自分から好きだ、って言うのは怖いさ。それで好きって思ってる事を感じさせる言葉が欲しいなんて……そりゃ虫のいい話だ。でも欲しいって思うだろ?」

「……わからなくはないですけど」

 

 

 一夏の言っている事はわかる。好きになって貰える事は嬉しい事だ。だからクロエは努力してきた。束の期待に応えられるように。一緒に夢を追いかけてきた。今でも胸を張って束を好きだと言える。

 けれど、自分の束への好意はハルの束への好意には及ばない。だからクロエはハルほどの愛情表現を束に求めない。束にハル程の愛は注げていないから。だから愛なんて求められない。

 

 

「貴方の言う通り、虫のいい話ですよ。結局は思いを通じ合わせたい、思って欲しいから期待するんですよね?」

「まぁ、そうだけさ」

「だったら一夏はさっさと決めちゃったらどうなんですか。箒、ずっとやきもきしてますよ? 伝えれば良いじゃないですか。そうすれば幾らでも……」

「……さっきさ」

「……?」

「俺、鈴に会ってきたんだ」

「えと、凰 鈴音さん?」

「あぁ。……俺、あいつにも告白されてるんだ。アイツとは幼馴染みだって言っただろ? 再会した時、告白するって言う約束だったからな。だから受けてきたんだ、告白」

「……なんですかそれ」

 

 

 ふつふつと言い様のない怒りが込み上げてきた。クロエは箒が一夏の事が好きなのを知っている。本当に好きなんだと感じさせるからこそ、報われて欲しいと思っている。それは幸せな事だとクロエは知っているから。

 ハルと束が幸せそうに笑っている姿を見てきた。だからこそはっきりしない一夏の言動が納得いかなかった。そして別の女の子から告白されているという事実も、妙に気に入らなかった。

 

 

「……それでOKでも出して来たんですか?」

「どっちも選べなかった」

「はぁ? 箒に好きになって貰って、あの鈴音さんにも好きになって貰って、どっちも好きだから選べない?」

「……そうだ」

 

 

 なんでこんなにムカムカするんだろう、とクロエは思う。

 

 

「じゃあどうするんですか。箒の気持ちは、鈴音さんの気持ちは。どっちもなんて選べる筈ないじゃないですか」

「じゃあ聞くけど、俺の気持ちはどうなんだよ?」

「……それは。……でも、両方が好きなままでいたいなんて、そんなの叶う筈ないじゃないですか」

 

 

 思わず声を荒らげてしまいそうになったのはどうしてなんだろう、とクロエは考える。

 

 

「叶うとか叶わないとかじゃなくて……好きなんだよ。選べって言うのかよ。俺に。どっちか捨てろって」

「……そうですよ」

「やっと気付いたんだ。こんなに好きになってたんだって。選んでくれて嬉しかったんだ。好きになって貰えて嬉しかったんだ」

「だったら! 応えてあげないとかわいそうじゃないですか!」

「そしてどっちかに泣けってか?」

「仕方ないじゃないですか……」

「……選べたら解決するだろうな。でも、俺はどっちも泣いてる姿を見たくねぇよ」

「そんなの我が儘じゃないですか!!」

 

 

 どうしてこんなにも胸が痛いんだろう、と。胸を押さえながらクロエは叫んだ。

 

 

「何なんですか! 一夏! どうして貴方はそうなんですか!」

「何だよ、急に?」

「貴方はそんなに恵まれてるのに! どっちかしか得られないのに! 諦めないと駄目なんですよ! どっちもなんて欲張りだ! そんなの狡い!」

 

 

 口にして気付く。狡い? 誰が? 一夏が? どうして狡いなんて思うんだろう。

 箒と鈴音に愛されてるから? 二人を愛してるから? どっちも裏切りたくないと思ってるから? 何で? 何でこんなにも自分は怒っている?

 

 

「クロエ……? お前どうしたんだよ」

「どうして? わかんないですよ! なんで私は怒ってるんですか!? 一夏が欲張りだから!? なんで!?」

「クロエ、ちょっと落ち着けって」

「どっちも得られるなら、なんだって得られるじゃないですか! そんなの嘘だ! じゃあ私は、私達は何で今まで捨てて生きる事を選ばされて来たんですか!?」

 

 

 あぁ、そうか。熱してきた頭で、ただどこか冷静な自分が囁く。

 

 

「何か捨てないと選べないんですよ! それが常識で、どうしようもない程の世界の仕組みだ! だから甘ったれた貴方の考えが嫌いなんです! 選べない貴方なんてただ弱いだけだ!! 弱かったら何も手に入れられないのに!! なのにどうして!? どうしてそんなに貴方は恵まれてるんですか!! どうしてそんなに愛されてるんですか!?」

 

 

 ――これは、ただの嫉妬だ。

 ずっと諦めて生きてきた。何かを諦めないと生きていけないんだと思って生きてきた。

 拾われて、救われて。それで充分だと思った。けれどそれでも世界が広がる度に、自分よりも幸福そうな姿を見る度にずっと思っていた。

 羨ましいと。だから目に着いた。得られる事が当たり前のように、恵まれる事が当たり前のように生きている一夏が。

 甘ったれた考えなのはこの際、別に良い。元々、自分とはスタート地点が違うんだ。彼は恵まれていて、自分は恵まれなかった。なら最初から持っているものが違うなんて羨む事じゃない。

 だけど彼はそれでも求めようとする。何も手放さず、全てを得るんだと。そんな巫山戯た事を真面目に言うのだ。

 

 

「俺は別に恵まれてなんか……」

「恵まれてるじゃないですか!? 箒に、鈴音さんに愛して貰って! 他の皆にも好きになって貰って! こんなに恵まれてるじゃないですか!! なのになんでもっと先を求められる!? 無理なんですよ、人には抱えられない、いつか捨てる時が来るのに!! 馬鹿じゃないんですか!? 全てなんて得られない事を理解してくださいよ!!」

「なんだと……!?」

「私を見てくださいよ! こんな目で、普通に人前にも出れなくて! 怯えられるかもしれないからって! それでもたくさん愛して貰ってますよ! わかってますよ! 愛されてるって事ぐらい! 私だって恵まれてます! だから、これ以上なんて罰当たりだ! これ以上なんて欲張りだ!」

 

 

 誰にも愛されなかったから。これからも人に愛されるのは難しい事を理解しているから。

 今ある愛を必死に手元に置きたくて、離したくなくて、だから胸に留めておく。

 それが正しい事だと信じてる。だからこそ一夏が理解出来ず、許す事が出来ない。

 クロエはハルと束が幸せそうな姿を見るのが好きだった。あれが幸せの形だと信じていたから。だからほんの少しお裾分けをして貰うだけで充分だった。

 それだけで良いって思わないと際限なく自分は求めてしまいそうだったから。

 そうなったら怖い。愛してって叫ぶ度に皆が離れていくんじゃないかって。愛されない存在として生まれたから。愛されただけでも幸福で。それ以上なんて求めてはいけないんだと。

 

 

「出来ないんですよ! それが常識なんです! 貴方の言ってる事はただの我が儘です! 箒と鈴音の気持ちを本当に考えてるんですか!? 自分さえ良ければ良いんじゃないんですか!? 貴方は!?」

「――違うッ!」

「ッ!?」

「お前が否定するなッ! 箒の気持ちを、鈴の気持ちを! 俺の事は幾らだって否定しても良い! 最低な事してるさ! お前の言う通り、本当は選ばなきゃいけないんだろうよ!! それでも悩む事を許してくれたんだ!! なら考えるさ!! 常識でも、それを理由にして諦めたら何でも諦めなきゃいけないだろうが!!」

「だから常識なんですよ! 諦めてくださいよ! 諦めないといけないんですよ!!」

「諦めて、じゃあどっちか泣くのを認めろってか!? なら俺は諦めないッ!!」

 

 

 強く一夏は言い切った。クロエの言葉に真っ向から反論するように強い意志を瞳に篭めて。

 クロエには信じられない。どうしてそこまで強情になれるのか。どうしてそこまで頑なに諦めないと口に出来るのか。

 

 

「諦めないで、悩んで、悩んで! 最後まで悩んで! 本当にどうしようもなかったら諦める! 俺はまだそこまで足掻ききってない! 自分の気持ちもまだ全部わかってない! そんな状態で……諦めてられるか!」

「そんな……」

「好きなんだ! 失いたくないんだ! 捨てなきゃいけない理由なんて俺にはわからない! こんな大事な物を捨てなきゃいけない理由があるなら! そんな理由がある事が間違ってる!」

 

 

 一夏もまた叫ぶ。初めて知ったこの気持ちを、貰う事が出来た好意を切り捨てなければならないなんて辛いんだと。愛してくれた事がこんなにも嬉しいんだと。

 だから悩もうとしている。答えを決める為に。ただ、それでもそう簡単に諦めきれないのは、それだけ二人の思いが大事だからだと。

 

 

「馬鹿ですか!? 全部は得られないんですよ!?」

「それでも! この手に掴んでいられる内は掴んでいて良いだろう!? なんでクロエは離せる!? 大事なら手放すなよ!!」

「……ッ! 好きで……好きで私が手放して来たと思ってるんですか!? 巫山戯ないで!! 酷い……! 酷いです……ッ!! 何も理解してない癖に!! 私を否定しないで!!」

「じゃあ言ってみろよ!! クロエの言葉で諦めなきゃいけない理由を語れよ!!」

「……ッ……!」

「わかるさ。常識が大切な事ぐらい! でも……それで諦めたら全部諦めても良くなるだろ!? 俺はそれが嫌なんだ。一度何か諦めたらまた次、また次って!! そうなるのが怖い!! ならどれだけ我が儘でも、受け入れられなくても、諦める事はしたくないんだ!!」

 

 

 諦めずに生きてきた一夏と、諦めて生きてきたクロエと。

 いつしかこの二人がぶつかるのは必然だったのかもしれない。

 千冬を守ろうと誓って、どれだけ無力でも力を求めて諦めなかった一夏と。

 自身に与えられた境遇に涙して、諦める事で自分を守ろうとしたクロエと。

 

 

「どうして……!? 私は貴方が理解出来ない!! 手に残った幸せだけで良いじゃないですか!! 幸せなんて掴んでなきゃ消えちゃう!! どうして全部掴もうとするんですか!? どうせ取りこぼしてしまうのに!?」

「それが大切だからだろう!? 手放したくないぐらいに大事で!! 消したくないぐらいに求めていて!! だから守ろうとして何が悪いんだ!!」

「守れないじゃないですか! 選んでも選ばなくても泣かせてしまうじゃないですか!! 二人の一番には一夏はなれないんですよ!!」

「俺は納得できない!!」

「感情だけで物を言わないで!!」

「感情で物を言わないでどうやって好きって伝えるんだよッ!!」

 

 

 一夏の叫びに、クロエの目が大きく見開かれる。

 理屈を説くクロエと、感情を叫ぶ一夏と。二人の意見はただぶつかる。

 

 

「常識だからって諦めて! お前が自分の幸せを諦めたらそれしか得られないだろ!? 常識、常識って! 常識守ってれば人は幸せになれるのかよ!?」

「だって……! そうしないと……! 嫌……嫌だ!」

「何が嫌だって言うんだよ!?」

「……嫌……! 嫌……!! 良い子にしないと……!! 守らないと……!! ――また捨てられるのは嫌ァッ!!」

 

 

 クロエの叫んだ言葉に一夏は目を見開いて言葉を止めた。クロエが何かに怯えるように身体を震わせている事に気付いたから。

 熱していた頭が冷めていくようだった。心配げに顔を覗き込んで一夏はクロエの様子を窺う。

 

 

「……何言ってるんだよ、お前?」

「必要とされないと……良い子にしないと……我が儘言ったら……邪魔になるからぁッ!! 良い子になるのッ!! 私は!!」

「ハルや束さん疑ってるのか? ラウラもクリスさんも? 俺や箒だって誰もお前の事捨てたりなんかしねぇよ? なんだよ。捨てられたくないってのが――お前の本音じゃねぇのか」

「――ッ!!」

 

 

 ――ぱしゃん、と。一夏の顔に水が浴びせられた。

 呆然と一夏は自分の髪や顔を濡らした水を見る。水滴がぽたぽたと音を立てながら落ちていく。

 クロエが先ほどまで飲んでいた水のコップを握って一夏に向けていた。残っていた水を一夏にかけたのだろう。だけども、その顔は恐怖に引き攣っていて、同時に自分が何をしたのかわからない、と呆然としていた。

 

 

「……つめて」

「……ぁっ……ご、ごめ……」

「いや、俺も頭が冷えた。……悪い、クロエ」

 

 

 一夏は自分が熱くなっていた事を自覚して謝罪した。水を浴びせられた事で逆に頭が冷えた。熱を逃がすように頭を振る。感情に任せて言い過ぎた、と後悔が胸を突いた。

 クロエは身が竦んだように佇んでいた。自分の身体を抱きしめるように両腕を回しながら。一夏はそんなクロエの様子に眉を寄せて、クロエの方へと回り込みながら彼女に話しかける。

 

 

「クロエ? お前、大丈夫か?」

「こ、こないで……」

「お、おい?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……私、私は……ッ!」

 

 

 何をやっているんだろう、と。クロエは己を省みて泣きたくなった。いいや、泣き叫びたかった。感情のままに任せて叫んで、感情を発散させて楽になりたかった。

 自覚したくなかった。こんなに自分が怯えていたなんて事実に。それを自覚させた一夏が恐ろしかった。なんで? なんで? と何度も疑問が浮かぶ。震える唇を噛みしめて、クロエは一夏を見た。

 堪えきれない。感情の波が堰き止められない。涙が落ちて頬を伝う。唇を震わせて息をしながらクロエは遂に言葉にしてしまった。

 

 

「なんで……?」

「クロエ?」

「どうして優しいの? どうして頑張れるの? どうして? 報われるかもわからない努力をどうして出来るの!? 全部無駄になるかもしれないのに!? だったら頑張ったって意味無い!!」

 

 

 それが、あまりにも眩しい。羨ましい。愛される貴方が。だから感情が止まらなくなる。

 

 

「……クロエ、お前」

「諦めてよ……。私の前で全部掴むなんて言わないで! 嫌い、嫌い、嫌い!! 一夏なんて大嫌いッ!! 私の心をどうして暴いたの!? ねぇ、なんで!?」

 

 

 髪を振り乱してクロエは叫んだ。

 

 

「やめてよ!! 壊さないで!! 私を壊さないでッ!! 捨てられたくないから良い子になるの!! 良い子になったの!! もう私は一人じゃない!! 束様にお仕事も任せて貰えた!! 友達も家族も出来た!! 一人じゃない証がいっぱいあるの!! もう大丈夫なの!! だから止めて!! 暴かないでよッ!! 私の心を晒さないでよッ!! 私は怯えてない!! 私は寂しくない!!」

 

 

 こんなにも愛されているのに怯える事が止められない自分が情けなくて。

 自分の情けなさから震えているのに、クロエは自分の弱さに触れた一夏を睨んでしまう。自覚させたのも、暴いたのも一夏だから。不当な怒りだとは理解していてもどうしようもなかった。だから仇を睨むようにクロエは一夏を見る。

 クロエの視線を受けていた一夏は、一瞬迷ったように、だがしっかりとクロエへと視線を返してクロエの頭に手を伸ばしてた。一夏の手がクロエの頭を撫でる。

 クロエの動きが止まる。一夏の指がクロエの髪を梳くように。優しく、何度も慰めるように。呆然として動けないクロエを無視して一夏は申し訳なさそうに表情を変えて告げる。

 

 

「……ごめんな。俺の気持ちを押しつけちゃったみたいで」

「……っ」

「でも、クロエ。聞いて欲しいんだ。クロエが俺に怒ってくれて良かったんじゃないかって思うんだ」

「なんで……?」

「だってお前、本当は辛いんだろう? 怖いんだろう? だったらそれ、ちゃんと言わないと誰にも伝わらないと思うんだ」

「だって……」

「迷惑かけるとか、そんなの考えるなよ。だってお前が辛いんだろ? お前が辛いなら……ハルや束さん、ラウラやクリスさんだって、俺や箒も皆も辛いさ。だってお前が苦しんでるのに手を差し伸べられない」

「でも……」

「皆、嫌がらないさ。だってクロエは頑張ってるんだ。だったら報われて然るべきだろ? 手を伸ばして、頭を撫でる。よくやったなって言う。俺にだってこれぐらいは出来る」

「……でも、我が儘な子は、嫌われます」

 

 

 クロエは一夏の言葉を否定するように首を振る。我が儘を言えば嫌われてしまうから。だからそっと胸に秘めておかないといけない、と。

 けれど一夏は言う。頭を撫でながら気にするな、と。まるで笑い飛ばすかのように。

 

 

「もっと我が儘言った方が良いと思うぞ、俺は。ほら、束さんなんか見てみろよ。あれは我が儘の固まりだぜ? それでもクロエは束さんが好きだろ?」

「はい……。嫌いになんてなりません……! ずっと、ずっと……! 大好きな人だから……!」

「皆、そう思ってるよ」

「一夏も……?」

「え? ……俺か? ……そうだな。皆、俺を助けてくれて、色んな事を教えてくれて力をくれるからな。……何で諦めないのか、ってそれが理由なのかな」

「……諦めない理由?」

「皆に誇れる自分になりたい。認められてないって思ってるとかそんなんじゃなくてさ。俺は尊敬出来る人達と一緒にいる。なら……そんな人たちといるなら、俺自身が俺を尊敬出来るような人にならないと、って思うんだ。お前の嫌われたくない、と少し似てるかな?」

「……一緒ですか?」

「……多分な。結局、皆から思われたいって思う気持ちは変わらないと思うんだ。俺はだから頑張って、クロエは我慢する事でやってきたんだ。だからぶつかってたんだよな。俺等」

 

 

 だからきっと同じだ、と一夏は笑ってクロエに言った。はにかむように笑う一夏の笑顔を見てクロエはきゅっ、と唇を噛みしめた。

 

 

「……撫でてください」

「……ん?」

「私が良いって言うまで……頭を撫でてください」

「え? ちょっとそれは長くないか? ほら、もう泣きやんだろ?」

「止めたら泣きます」

 

 

 へにょり、と。一夏は困ったように眉を寄せた。そんな情けない一夏の顔を見てクロエはくす、と笑った。

 

 

「我が儘、言って良いんですよね?」

「……限度はある」

「じゃあ色んな我が儘を言います。出来る限り叶えてください」

「……出来る限り、な」

「はい。だから……我が儘、言います」

「おう。言ってみろ」

 

 

 もうどんな我が儘も受け入れてやろう、と半ば一夏が投げやりにクロエに告げる。クロエは笑みを浮かべて言った。

 

 

「――責任取ってください」

「……え?」

「弱い自分なんて知りたくなかったのに。貴方が全部晒した。だから……責任取ってください。私を慰めてください。私を、守ってください」

「…………」

「……我が儘、言いました」

「……クロエ」

「一夏は私を泣かせました。我が儘を言えと言いました。だから言います。私を好き放題した責任取ってください」

 

 

 本当に一夏とは真逆で、思いは秘めないといけないと思っていた。口にしてしまえば思いなんて軽くなってしまうから。だから本当に思い合っている相手じゃないと言っちゃダメなんだと。

 でも、違ったんだ。思いは口にしても軽くならない。沸き上がって来るように何度も何度も言葉に出来る。ただ口にするのは恥ずかしくて、思いで胸がいっぱいになるから。だからきっと皆は言わないんだろうと。

 

 

「私の弱みを握ったんです。だから……守ってくださいよ。ずっと」

「お、落ち着けクロエ……!」

「言い逃れるつもりですか!?」

「ち、違うって……! あ、こら、抱きつくな、絡みつくな、誰か、誰かぁああああ!! クロエがおかしくなったぁああああ!?」

「失礼な。こうしたのは貴方じゃないですか?」

「そ、そうかもしれないけど、そうじゃないだろ!?」

 

 

 クロエを引き剥がそうとする一夏と、一夏にくっつこうとするクロエがじゃれ合う。そんなじゃれ合いの中、クロエは困り果てる一夏の顔がおかしくて笑う。笑みを浮かべて捕まえた温もりを離さないようにしっかりと掴みながら。

 二人の騒ぎを聞きつけ、次々と駆けつけてきた高天原の住人達が何があったのかと一夏に詰め寄り、一夏が涙目になりながら弁明を叫ぶまであともう少し。

 

 

 

 

 




「好き? 嫌い? 嫌いだけど好き? 好きだけど嫌い? ……結局どっち? 好き、嫌いは難しい」 by雛菊


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Days:05

「……ふぅん?」

 

 

 空気が最悪だった。

 ここは戦場か、はたまた地獄か。この空気を生み出しているのは一人の少女。その様、この世に生まれた恐怖の化身にして、檻から解き放たれた猛獣。その名、凰 鈴音。

 鈴音は菩薩のような笑みを浮かべ、この場の空気を侵していた。IS学園入学2日目。今日もIS学園は修羅場が生まれている。ハルは思わず視線を逸らした。

 

 

「……一夏? その腕にひっついてるのは何?」

 

 

 鈴音は問いかけつつ、一夏の腕を見た。一夏の腕に自分の腕を絡ませているのはクロエだ。その姿を見た瞬間に鈴音の瞳から光が失われたのをハルは見逃さなかった。最初は虚ろに一夏を見ていた鈴音だったが、一夏が光速の如き速さで鈴音に事情を説明し、今に至る。

 ちらり、とハルが視線を移せばそこには無表情の箒がいる。まるで能面のようだ。こちらは鈴音とは真逆で一切の気配を感じない。先日からこうなのだが、誰もが恐れて話しかけられない。あの束でさえ躊躇う程だ。

 どうしてこんな事になったのか説明して欲しい、とハルはクロエを見て思う。先日の一夏の説明じゃ要領が掴めないし、クロエの説明も抽象的で具体的には何が起きたのかわからないと来た。

 ちなみにラウラはいない。ラウラは既にシャルロットの下に人生相談に向かった。僕も行きたかった、とハルは舌打ちをする。これも逃げるタイミングを見失ったのと、一夏が行かないでくれとハルに懇願したからだ。足を止めてしまったからにはもう逃げられない。

 

 

「……えと、そのお怒りを鎮めて頂ければありがたいんですけど……?」

「何言ってるのかわからないわね? 人間の言葉を喋りましょう? 一夏?」

「喋ってるよ! 思いっきり日本語喋ってるよ!?」

「不思議ね? 今のアンタの言葉は全部“殺してください”にしか聞こえないわ」

 

 

 それは君の願望なんじゃ、とハルは思う。このままだと世界的に貴重な男性IS搭乗者が血祭りに上げられる可能性があるのだが、ハルは正直関わりたくない。

 

 

「鈴、その――」

「……はぁ」

 

 

 すぅ、と。鈴音が息を抜いて肩の力を抜くと鈴音が放っていた威圧感が消える。肩すかしな程に小さくなった鈴音。彼女は呆れたように一夏を一瞥する。

 一夏はまるで叱られた子供のように身を震わせて鈴音を見た。暫し鈴音と一夏の視線が絡むが、再度大きな溜息を吐いて鈴音は肩と頭を下げて脱力した。

 

 

「お、おい、鈴?」

「うるさいわね。わかってたわよ。いつかどうせこんな事になるんだって。こんなに早いなんて思ってなかったけど」

「う……」

「良いわ。それでもあんたを好きにさせるって言ったから。……だけどちょっとパス。あぁ、頭痛い」

 

 

 ふらり、と鈴音は教室へと戻っていった。一夏は何も言えずにその背を見送る。続いて箒が教室に入ろうとする。

 

 

「……馬鹿者め」

 

 

 小さく一夏に囁くように告げて箒も教室へと入っていく。一夏は二人を何も言えずに見送っていた。何かを言いたげに、しかし自分でもどんな言葉を告げれば良いのかわからずに。

 当然の結果だろうな、とハルは一夏を見て思う。そして視線をクロエへと移す。サングラス越しに隠された瞳は彼女の感情を隠してしまっている。

 

 

(……クロエ。本当にどうしたの?)

 

 

 クロエらしくない。何かがおかしい。けれど何がおかしいのかが掴めない。言い様のないもどかしさにハルは眉を寄せた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

(……これは全員集めない方が良いかな?)

 

 

 授業中にハルは昼食の事を考えていた。先日のノリで弁当は作って来てしまったが朝の調子を見ていると、あの気まずい空間に自分から飛び込んでいく勇気はハルには無かった。

 ハル自身は一夏に対して何か言うつもりはない。一夏は一夏で、ハルはハルだ。恋愛の観点で言えばハルは現時点で一夏と相容れない事を察しているので自分から話したくないのだ。

 一夏の恋愛観を正しいとは言えないし、かといって自分が正しいとも言えない。そもそも恋愛なんだから本人の自己責任だろう、と。

 一夏が悩み、相談してくるならば話にも乗れよう。だが自分から動く事は出来ない。ならば自分に出来る事はない。

 そもそもの原因は一夏だ。一夏がハルに関わって来ないならばハルはこの事態に静観を貫くつもりだ。

 ただクロエだけは心配だ。何かがおかしい。せめてクロエから感じる違和感だけは払拭したい。ラウラにも意見を聞いてみるか等、色々と考えていると今日の昼食は集まらない方が良いんじゃないかと頭を悩ませる。

 

 

「……どうしたの?」

 

 

 ハルは頭を悩ませていると隣で座っていた簪が心配そうに声をかけてきた。ハルは顔を上げて簪を見た。

 

 

「あぁ、ごめん。ちょっとね……」

「……織斑くん?」

「あ、察してるんだ」

「なんとなく……というか、わかりやすい」

 

 

 ちらり、と簪が視線を一夏へと向ける。一夏は一番前の席なのでよく目立つ。なにやら肩を落としていて、時折手で頭を掻いている。恐らく悩んでいるんだろうな、というのは察する事が出来る。

 

 

「うん。それでさ……昼食、多く作っちゃってさ」

「……多いの?」

「うん。いや、帰ってから食べても良いんだけど……」

 

 

 そこでハルは思いついたように簪を見た。簪は少し首を傾げたが、ハルの意図を察したのか眉を少し寄せた。

 

 

「どう? 一緒に食べない?」

「……本音?」

「んー? なにー? かんちゃんー?」

「お昼、どうする?」

「ハルちーと食べるのー?」

「ハルちー……って僕の事か。良ければ本音さんもどうかな?」

「食べたいー!」

 

 

 ばさばさと余った裾を振って本音は頷いた。この微笑ましさに癒される思いでハルは笑みを浮かべていた。見れば簪も仕方ない、と言うように息を吐いているが、本音を見る目が微笑ましそうなのはきっと気のせいじゃないだろう。

 こうしてハルは簪、本音と一緒に昼食を取る約束をするのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「一夏ッ! 昼食、食べに行くわよ! 弁当を作って来たわ! とにかく食べろ!」

「どわ!? り、鈴!?」

「どれ、協力しよう鈴。一夏、私も弁当を作ってきた。私のも食べて貰うぞ」

「ほ、箒? ちょ、ちょっと待てお前等、どわぁああああ!?」

「ま、待ってください! 一夏! 箒! 鈴音さん!」

 

 

 午前の授業が終わり、昼休みになった瞬間の嵐だった。ハルはどう言い訳を考えようか、と思っていると、突如過ぎ去っていった嵐のような光景に呆然とする事しか出来ない。

 鈴音と箒が左右から一夏を挟み込み、両腕を掴み挙げて勢いよく引き摺っていき、その三人をクロエが追いかけていく。あまりの鮮やかさに目を奪われてしまったが、鈴音と箒は計画でもしてたのだろうか? 周りの生徒も唖然とする中、ハルは思い悩むのだった。

 

 

「……なんだか凄い事になっちゃってるね」

「シャルロット」

 

 

 苦笑しながらハルに近づいてきたのはシャルロットだ。彼女は呆れたように肩を竦めた後、ハルへと視線を移して問いかける。

 

 

「昼食、どうするの?」

「今日は簪さん達と食べるつもりなんだが……ラウラは?」

 

 

 ハルの問いかけにシャルロットは何とも言えない笑顔でラウラの席を指で示した。

 そこには悟りを開いてそうな表情で座り、微動だにしないラウラの姿があった。

 いっそ後光すら差しているのだが、あまりの不気味さに周りの生徒達も引いている。

 

 

「……解脱でもしてるの?」

「なんか悩みすぎて悟りを開いちゃったみたいで……」

「……ねぇ、簪さん。本音さん、アレも良い?」

 

 

 ラウラを指さしながら問いかけると簪は苦笑しながら、本音は特に気にした様子もなく承諾してくれた。

 何とかラウラを現世へと呼び戻してからハル達は屋上へと向かった。中庭には一夏達が向かったと行き交う生徒達から聞いていた為だ。

 今日の天気は晴天。屋上に吹く風は気持ちよく、外で食べるには絶好の環境だった。

 

 

「……ふふ。うまいな。しかし少し塩辛いぞ? ハル」

「ラウラ、それは自分の涙の味だと思うよ」

 

 

 きらり、と瞳に光るものを浮かべながらラウラは食事を続けていた。シャルロットが指摘しているものの、なかなか現世に戻ってこない様子に最早何も言うまい、とハルは諦めた。

 ラウラは昨日からこの調子である。もういい加減、指摘しても暫くはどうにもならないんだろうな、と諦めの気持ちが出てくる。ラウラの世話をシャルロットに任せながらハルは思う。

 恐らく、いきなりクロエの態度が変わって彼女を遠く感じてしまったのだろう。確かにクロエは昨日まで本当に様子が異なる。あまりにも急激な変化の為に逆に気になる所なのだが、これではラウラに意見を求める所ではないな、と。

 

 

「おいしい? 簪さん。本音さん」

「……ん。すごく美味しい」

「おいしー」

 

 

 もくもくと食事を続けていた簪に料理の感想を求めると食べていたものを飲み込んでから微笑を浮かべて好評を返してくれた。またもくもくと食事を再開するのだが、どうにも小動物のような食べ方で愛らしかった。

 一方で本音はのほほん、と食事を続けていた。もきゅもきゅと口に入れた食べ物をよくしっかり噛んで食べている。幸せそうに食べてくれているのだから作った者としてはありがたい限りだ、とハルは笑みを浮かべた。

 

 

「……大丈夫かなぁ」

 

 

 ぽつりと呟き、ハルが思うのは一夏達だ。自分から関わらないと決めたからには気にしない方が良いんだろうが、こうして穏やかな時間を過ごしているとやはり気になってくるのだ。

 ハルの呟きを耳にしたのだろう。簪が顔をあげ、口の中のものを飲み込んでからハルに問いかける。

 

 

「心配……?」

「まぁ、ね。一緒に住んでる家族みたいなもんだしさ」

「……それは気まずいね」

「本当ね」

 

 

 簪の慰めの言葉が痛い。本当に昨日の内に何があったんだろうかと気になってしまう。やはり話は聞かなければならないと思いつつハルは重く息を吐き出した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「一夏、稽古に付き合え」

「お、おう」

 

 

 IS学園での授業が終わり、ハル達は高天原に戻ってきていた。そして戻ってくるなり箒が一夏を連れて運動場に向かっていった。

 クロエも後を追おうとしたのだろう。だがクロエの足は進む事は無かった。その手をハルに握られていたからだ。

 

 

「……ハル?」

「クロエ。話がある」

「……後じゃ、駄目ですか?」

 

 

 一夏を視線で追いながらクロエは言う。彼女は目を合わせようとしない。ここでハルはクロエの異変に気付く。クロエは一夏から視線を外していないような気がする、と。

 違和感が膨れあがる。やっぱり何かがおかしい、とクロエを見て思う。こんなに聞き分けの悪い子だっただろうか、と。ハルはクロエと目線を合わせるように屈み、クロエのサングラスに手を伸ばした。

 

 

「――ッ、嫌ッ!」

 

 

 ぱん、と。ハルの手がクロエに叩かれる。そしてクロエはそのまま自分の口元を抑えた。ハルはクロエに叩かれた手を一瞬、呆然と見る。

 しかしすぐに眉を寄せ、そのままクロエの手を繋いだまま、彼女を引っ張るように歩き出す。

 

 

「ハ、ハル! 離してください!」

「ハル?」

 

 

 抵抗しようとするクロエの姿を見て、ラウラがようやく現世に戻ってきたのか疑問の表情を浮かべてハルを見た。ハルは埒が明かないと見たのか、クロエの身体を抱き寄せてお姫様抱っこでクロエを抱え上げる。

 ハルはそのまま高天原の廊下を歩いていく。抵抗していたクロエも次第に大人しくなり、ラウラは心配げに二人を見ながら歩いていく。ハルはそのままクロエを抱きかかえたまま歩いていき、そして探していた姿を見つけてそのまま近づいていく。

 

 

「束!」

「ハル? クロエにラウラ。お帰り。……どうしたの?」

 

 

 ハルが探していた束は食堂にいた。なにやらクリスと相談していたのか、突如食堂に入り込んできたハルの姿に目を丸くして驚いた様子を見せた。

 ハルはクロエを抱きかかえたままクリスへと視線を向けた。ハルの視線を受けたクリスは小首を傾げたが、何かを察したように立ち上がった。

 

 

「込み入った話のようだな。席を外した方が良いか?」

「うん。ごめんね、クリス。……ラウラも悪いけどクリスと一緒に席外して」

「ハル? 一体どうしたんだ? 姉上に関わる話なら私にも聞く権利がある筈だ」

「クロエが聞かれたくない話をするからさ」

「ッ!」

 

 

 ハルの言葉に身を震わせ、一瞬抵抗しようとするも、すぐに諦めて大人しくなる。

 束は驚いたようにクロエを見て、目を険しくさせてクロエの様子を窺っていたが、すぐにクリスへと視線を向けた。まるで出て行け、と言わんばかりにだ。

 束の辛辣とも言える視線だが、クリスは飄々とした様子で肩を竦めてラウラの肩を押して部屋を後にしようとする。ラウラはまだ納得がいかないのか、クリスの手を払ってハルへと視線を向ける。

 

 

「ハルッ!」

「ラウラ。……僕を信じて欲しい。悪いようにはしない。ただ今のクロエは放っておけない」

「なら!」

「必要な事なんだ。ラウラ……お願いだ」

 

 

 ハルが真剣な表情でラウラを見つめる。ラウラは苦しげに眉を歪めるが、やがて自分に言い聞かせるように瞳を伏せる。そのままクリスに連れられるままに部屋を後にしていった。

 残された三人。食堂は一瞬にして静寂となり、ハルはクロエを下ろして椅子に座るように促す。クロエ項垂れながら、ハルに促されるまま席に座る。

 クロエが座ったのを見て、ハルもクロエの隣に座る。対面には束がいる形となる。束は心配げにクロエを見ていた。

 

 

「……どうしちゃったの? クーちゃん。昨日からやっぱりおかしいよ?」

 

 

 束の問いかけにクロエは無言のまま顔を俯かせるだけだ。何も答えが返ってこない事に束は辛そうに表情を歪める。

 ハルがゆっくりと息を吸い、クロエと向き合うように体制を変えた。

 

 

「……クロエ」

「……」

「クロエは一夏と何があったの?」

「……何も」

「本当に?」

「本当です」

 

 

 淡々と抑揚のない声でクロエは返す。ハルはまるでその声が感情を押し殺そうとしているようにしか見えなくて、見ているのが辛かった。

 

 

「クロエ。僕は、まるで君が一夏に依存しているように見えるのは気のせいかい?」

「……ッ……違います……!」

「じゃあクロエ。サングラスを外して僕と目を合わせて」

 

 

 ハルの言葉にクロエは嫌がるように首を振った。外したくない、と言うようにだ。

 

 

「……昨日、一夏に何を言われたの?」

「何も言われてません! 昨日は何もありませんでした!」

「君が声を荒らげるなんて珍しいんだよ。それがわからない程、僕等の付き合いは短くも浅くもないだろう? 家族なんだから」

 

 

 家族、という言葉にクロエは身を震わせた。かたかたと小刻みに震えるクロエの身体は明らかに普通じゃない。

 束も異変を察したのか、テーブルを回り込んでクロエの傍へと近づく。そして、その手を握ろうと手を伸ばした所で、クロエが束の手を振り払った。

 

 

「……ぇ?」

「……ぁ」

 

 

 束が何をされたのかわからない、という表情で呆けた。クロエの呟きが零れ、クロエも呆然と束を見上げた。

 場が沈黙に包まれる。束は呆然として動きを止めてクロエを見ている。クロエは顔を俯かせて自分の身体を抱きしめている。

 

 

「……ほら。クロエ。今の君は普通じゃない。一体何があったの? 話せないなんて、これじゃあ認めてあげる事は出来ない」

「……ッ……!」

「やっぱり一夏に問い糾した方が良いのかい?」

「それは駄目ッ!」

 

 

 駄目、と。何度も呟きながら首を振るクロエ。ハルはクロエの両肩に手を置いてクロエを自分の方へと向かせる。

 

 

「だったら、君の口で言うんだ。クロエ。じゃないと僕は君をここからどこへも行かせるつもりはない」

「……ッ……」

「何を隠してるの? クロエ。そんなに僕たちに言いたくない事?」

 

 

 ハルの問いかけに、身動きを止めていたクロエだったが。ゆっくりとその首を縦に振った。

 

 

「それはどうしても僕達に隠していたかった事なんだね?」

 

 

 続けられたハルの問いにクロエは小さく、何度も頷く。

 

 

「でも……僕は聞かなきゃならない。クロエ、君らしくない。君は誰かを傷つけてまで我が儘を言う子じゃなかっただろう? 何が君にそうさせたの? 僕に教えて?」

「い……や……」

「何がそんなに君を怯えさせた? ……一夏と何があったの?」

「いや……」

「クロエ」

 

 

 ハルはクロエの手を握る。払おうと力を込めたクロエの手を痛い程、握りしめた。

 

 

「っ……!?」

「クロエ……。お願いだ。言ってくれないと僕はもう君を助けられない。このまま君が遠くなる。クロエ、君は良くない事をしてる。僕はそれを叱らないといけない。わかるだろ?」

 

 

 懇願するようにハルはクロエに告げる。ここで彼女の手を離せばもう届かない気がしたからこそ離さない。

 クロエは手を振りほどこうと力を込めたが、次第にその力を抜いて項垂れた。

 

 

「……ごめん、なさい」

「どうして謝るの?」

「…………」

「クロエ」

「……クーちゃん」

 

 

 ハルが握ったクロエの手に束が手を重ねる。心配げにクロエの顔を覗き込む束には困惑の色が見えた。

 

 

「クーちゃんがどうして何も言ってくれないかわからない。クーちゃんは束さんが嫌いになったの?」

「ッ、そんな事ないです!」

「じゃあどうして束さんに触られるの嫌がったの?」

「……」

 

 

 頑なにクロエは首を振る。左右に首を振って二人を拒絶するように。それでもハルと束は手を伸ばす。クロエの手を握りしめて問いかけを続ける。

 

 

「クロエ」

「クーちゃん」

「……ひっ…ぅ……! いやぁ……!」

 

 

 とうとうクロエは泣き出して涙と嗚咽を零した。引き攣ったように息をしながら嗚咽を零す様は見ていて痛々しい。そんなクロエを束は抱きしめる。クロエを自分の腕の中に閉じこめるように。

 束に抱きしめられたクロエは暴れようとして、しかし動きを止める。力を抜いて束の為すがままに身を任せてただ涙を零している。

 

 

「いや……」

「何が嫌なの?」

「…………抱きしめちゃ……いやぁ……」

 

 

 いやいや、と緩慢な動きでクロエは首を振る。束はどうして拒絶されているのかわからず、今にも泣きそうになっている。ハルは束とは逆側から、クロエを包むように腕を回し、かつて束にしてもらったように心音のリズムで優しく背を撫でる。

 

 

「どこにもいかないよ」

「……っ……」

「ここにいるよ。僕等はここにいる。いなくならない」

「……ぁ……ぁ……っ!」

「消えない。絶対に。だから怖がらないで。ここにいるから」

「ッ!? ぁ、ぁあっ、ああああああっ!!」

 

 

 ハルの言葉がクロエの心の何かに触れたのか、クロエは叫ぶように泣き出してしまった。天を仰いで嘆くように。束は堪えきれないと言うようにクロエの身体を強く抱きしめる。

 どうしてクロエがそんなに泣くのかはわからない。ただ自分が愛おしいと思う子が悲しみに震えて、そして泣いている。

 答えを聞く事が出来ないのであれば、せめて強く抱きしめる。ハルもそんなクロエと束を支えるように二人の背を撫でる。

 

 

「ごめん、なさい、ごめん、なさいっ……!」

「クーちゃん……」

「怖いの……怖いの……捨てられるのは嫌……愛されるのが怖い……怖いよぉ……!!」

 

 

 ハルの頭が冷えた。そして疑問が浮かぶ。一夏、アイツ何言った? と。

 捨てられたくない、愛されたくない。それはクロエの最も望まない言葉と、最も相反する言葉。一体それがどうしてクロエの口から飛び出して来たのか理解が出来ない。

 

 

「良い子になるの……我慢するの……! それで良かったの……!」

「……じゃあ、どうして良い子を止めちゃったの?」

「一夏が、幸せになって、良いって、諦めなくて、良いって……我が儘になって良いって言うんだもん……!」

「……一夏が言ったのか。ソレ」

 

 

 思わず呻く。それはクロエにとって禁断の言葉だ。どうして一夏とクロエの話が、クロエのトラウマを刺激するような話題になったのかはわからない。だが、トラウマを刺激されて前後不覚になってるクロエに幸せになって良い、というのは些か間が悪すぎる。

 クロエは弱い子だとハルは知っている。必死に努力を積み上げて、認められようと、受け入れられようとしてきた子だと言うのは知っている。ずっとその姿を見守ってきたのだから。だからハルは頑張れば褒めてあげた。求められれば何度だって受け入れてあげた。

 束だって同じだ。束が同時に拾われたクロエとラウラの扱いに差が付いたのは二人の精神性にも起因があるのだ。ラウラは在る程度、独り立ちをしていて甘える事が無かった。だがクロエは違う。クロエにはラウラのような拠り所が無かった。

 だから愛情を与えた時、クロエは縋るように求めたのだ。一心に自分を求めてくれるクロエだったからこそ束も一心に愛した。だから束はクロエをの事を可愛がっているのだ。それこそ我が子のように。

 普段は抑え込んで何も求めてくれないから。成果を以て求めて来た時には一生懸命に褒めてあげた。それがハル達とクロエの付き合い方だった。無償の愛はこの子には重すぎたから。

 

 

「一夏は、受け入れて、くれたからぁ……! 一緒だって、言ってくれたからぁ……!」

 

 

 全部吐き出したんだろう。弱かった自分を。抑え込んで、抑え込んで、溜まりに溜まった思いを全て吐き出したんだろう。そこで一夏が受け入れてくれたというなら、それはクロエには抗えない話だ。

 今までの努力を半ば否定されたんじゃないかと思う。我慢する事は良くないと。そうだ。ハルだってここまでクロエに溜め込んで欲しくもない。怯えて欲しくもない。傷ついて欲しくない。

 

 

「嬉しかったの……! 一緒だって言ってくれたから……! 私も良いんだって! 我が儘言って良いんだって! 受け入れてくれたから……! だって知っちゃったら……もう、我慢出来ないよぉ……!」

「……どうして僕等に言ってくれなかったんだい? 僕等には受け入れて貰えないと思ったの?」

「違う……! でも、でも……怖かった……! 言えない、言えないよ……!!」

 

 

 そうだ、言える訳がない。

 3年。短いようで長い時間だ。その時間を余す事無く、ずっと一緒にいたのだ。居場所を見失っていたこの子に居場所を与えて、居場所で在り続けたのは間違いなく自分たちなのだ。

 改めて関係を結び直す事がどれだけ恐ろしい事か。ハルにだって難しい。ハルにだって覚えがある。束との関係でどれだけ悩んだか。表面上には出していなくてもハルは悩んでいたのだ。怯えてもいた。もし断られたらこの世の終わりとさえ思った。

 それだけ自分たちの世界は狭かった。いつか束がハルだけがいれば良いと思っていた程に。ハルが束の為にならば全てをかけてでも良いと思っていた程に。今では解消されて夢は大きく広がった。家族が増えた。自分たちの居場所にも光が灯った。

 

 

「だから受け入れてくれた一夏に甘えて、今日みたいになったの?」

「……一夏にしか、言ってないから……!」

 

 

 甘えて良いなんて、クロエの価値観を破壊する言葉だったんだろう。クロエの価値観を育てたのは紛れもなくハルだ。ハルは今、殴れるものなら自分を殴りたかった。何故もっと気を付けてあげなかったんだと。今となっては後の祭りだけど。

 満たされていると思っていたんだ。彼女は笑っているから。だから大丈夫だと、どこか心の中で思っていた。消える筈がないのに。愛すれば愛するほど、不安なんて消える筈もないのに。そんな事はとうの昔から知っていた筈なのに!

 

 

「……馬鹿だなぁ、クーちゃんは」

 

 

 悔しさに打ち震えていたハルはハッ、と顔を上げて束を見た。束は納得したように、どこか安堵したようにクロエを抱きしめていた。いつもと変わらないように。

 

 

「受け入れるよ。だってクーちゃんは大事な家族だもん」

「……っ……!」

「捨てて、って言ったってもう離さない。クーちゃんの意思なんて関係ない。絶対、ぜーったい束さんは手放さないよ。クーちゃんは大事な家族だから。何度でも言うよ。クーちゃんが不安に苛まれる事が無くなるまで」

「でも、私は、何も返せない……!」

「うぅん……これはハルに似たな? ねぇ? ハル」

「……そうだね」

 

 

 本当に、そっくりだ。思わず苦笑が出る程に。

 他人に何かを与えなくては、求めてはいけないと思っている所がそっくりだ。

 一度は過ぎ去った道だから、懐かしさすら覚えてハルはクロエを見下ろした。

 

 

「……クーちゃんが生きてるだけで良いよ。笑ってくれるだけで良い。それが君の生きている価値になるよ。クーちゃん」

「……ぇ?」

「うん。だって束さんの宝物なんだもの」

「そして、僕にとっても、ね?」

 

 

 妹というには余りにも幼くて、娘というのには大きかった。だから決めかねていた事がある。だけど、別に決める必要がないと。

 この子は僕たちの妹で、同時に僕たちの娘であると。そんな不思議な関係。そして纏めるなら、付ける名称はたった1つ。

 

 

「ずっと何があっても“家族”だよ。クーちゃん。大丈夫。大丈夫だよ。クーちゃんにあげた全てが証だよ。天照も、高天原も、全部ぜーんぶ。クーちゃんがここに生きて、私達と生きている証で良いんだよ。無くならないよ。思いはいっぱい、いっぱい一緒に手に入れたでしょ? 良いんだよ。求めて。絶対に無くならないから。減りもしないから。もーっと、我が儘言って良いんだよ?」

「う……ぁ、ぁあ、あぁあああああっ!! 束、様ぁっ、ぁああああああっ!!」

 

 

 火が付いたようにまた泣き出してしまったクロエをしっかりと抱きしめて束は笑う。仕方ない、と手間のかかる子を慈しむように。

 彼女が信じてきたものは何も間違いじゃないと肯定するように。束はクロエをしっかりと抱きしめた。




「思いはなくならない。形がないけど。消えないもの。ずっと? うぅん。でも、消えない為に何度も思うの」 by雛菊 


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Days:06

「なぁ、一夏」

 

 

 それは一夏が箒の稽古を申し受け、用意が整ったのと同時に、箒は一夏へと声をかけた。一夏は箒へと視線を向けて首を傾げた。

 

 

「……なんだよ」

「あのクロエの態度、お前はどう思う?」

 

 

 まるで問われたくない内容のように、逃げ出したくなるように、一夏は箒の問いかけに視線を逸らした。そんな一夏の姿を箒は静かに見つめている。

 

 

「……わからない」

「わからない? それは本当か?」

「……あぁ」

「お前に縋り付くように私は見えたぞ」

「……」

「昨晩、お前とクロエに何があったか私は知らない。お前が何を思い、クロエが何を思い、そして今日の行動に繋がったのかは私は知らないし、わかる事でもないだろう」

「……何が言いたいんだよ、箒」

「さぁな。ただ今日のお前を見ていて……どうしようもなく疑問が出来ただけさ」

 

 

 箒は一夏を真っ直ぐに見た。一夏は箒から視線を背けるように顔を俯かせる。

 

 

「なぁ、一夏。お前は守るために力が欲しいと言ったな」

「……あぁ」

「じゃあ何故、お前はクロエを守らなかった?」

「……なんで、って……」

「気付いていない筈がなかろう。アイツはお前に縋っていた。お前に求めていた。何があったかは知らないがよほどお前に縋っていたよ。お前がいなければ世界が閉ざされてしまうように」

 

 

 箒は目を細めて一夏を見る。見定めるように一夏の顔を見つめながら問いを続ける。

 

 

「私が鈴と一緒にお前を連れ去ろうとした時も、先ほどハルがクロエと話があると言った時もアイツはお前に手を伸ばしていた。一夏。お前は何故クロエの手を取らない?」

「……」

「守るべきものを定めたのか? だからクロエの手を取らなかったのか?」

「俺は……」

「何故躊躇ってるんだ? お前は」

 

 

 一夏は何も答えない。ただ言葉に詰まって何も言う事が出来ていない。箒はそんな一夏の姿を視界に収めながら疑問を投げかける。

 

 

「躊躇ってる? 俺が?」

「そうだよ。どうした? 一夏。お前は守るんだろう? その為に強くなるんだろう? なのに……お前の手は何も守ってないじゃないか」

「……ッ!?」

 

 

 一夏の目が見開かれるのを箒は静かな気持ちで見守っていた。ゆっくりと竹刀を構える。構えを取って一夏に竹刀の切っ先を向ける。

 どこまでも心を静かに一夏を見つめる。世界には一夏と自分しかいない。集中によって世界が研ぎ澄まされていく。そんな中で見つめる一夏の姿は――。

 

 

「一夏、構えろ」

 

 

 箒の言葉に一夏は思い出したかのように構える。互いに同じ構えを取り沈黙する。

仕掛けたのは箒。鋭い剣閃を描いて竹刀は一夏へと襲いかかった。一夏は箒の竹刀を避け、距離を取って逆に攻め返そうと迫る。それを箒は難なく避ける。

 ブレている。間違いなく彼はブレている。何故ブレているかなんて問うまでもないだろう。一夏は箒の投げかけた言葉に動揺したのだ。お前は何も守れていない、と。一夏にとって否定したい言葉を一夏は拭えていない。

 繰り返される剣舞。だが箒は心静かだった。箒には無駄な動きが一切無く、対照的に一夏の動きは荒れていた。肩で息をしている。それは一夏が無駄な動作を繰り返したからだろう。箒はまるでコマ送りのように一夏が見えていた。だから彼の姿はこんなにも――。

 

 

「今のお前は弱いな。……普段のお前はもっと強い。もっと鋭い。何も考えなければお前は誰よりも真っ直ぐで強い。だから……お前を迷わせる私が悪いのか?」

「……何言ってるんだ? 箒」

「じゃあ言ってやるぞ。――見損なったぞ」

 

 

 敵意すら滲ませて箒は吠えた。一夏は怯むように一歩下がった。箒は歯を剥くかのように一夏を睨みながら一歩、また一歩と踏み出す。

 

 

「お前の剣はこんなに鈍いものでもなかろう? なのにこの鈍った剣は何だ? 迷うからか? ならば何故迷う? 何故守る者を定められない?」

「……ッ……それは」

「私がいるからだろう?」

「なんでそんな事言うんだよ!」

「私がお前に好きだと言うから迷ったんだろう? お前に好意を向ける者が多いから、その手を全て取りたくて足掻いて、足掻いて、結局誰の手も取れていない」

 

 

 一夏が息を止める。目を見開かせて箒の姿を映す。箒はまた一歩、一夏に踏み出して距離を詰める。一夏の足が一歩、後ろに引いた。

 

 

「惑わせているのは私だ。私だったんだな……」

「何だよ……何言ってるんだよ!」

「ならば、今こそ断ち切ろう。一夏、私が否定してやる」

 

 

 覚悟は、もう出来た。

 小さな呟きを残して箒は一夏へと踏み出して疾走する。腹から練り上げた裂帛の気合いが空気を震わせる。一夏の足が蹈鞴を踏むようにブレる。だがそれでも箒は止まらない。前へ、前へ、前へ――ッ!!

 

 

「――貴様は弱い」

 

 

 振り下ろした一閃は一夏の竹刀を取り落とさせるには充分な一撃だった。竹刀を取り落として、衝撃に一夏は尻餅をついて箒を見上げる格好となる。箒は一夏を見下ろしながら、どこまでも穏やかな顔を浮かべていた。

 

 

「……だからな。一夏。もう良いんだ」

「……何が、だよ」

「私はお前に求める事を止めるよ。……すまない。私は鈴ほど強くはなれなかった。情けないお前を認められない。私が好きになったお前は――こんな弱いお前じゃない」

 

 

 箒から告げられた否定の言葉が一夏の心を切り裂く。一夏は箒を見上げていた瞳を大きく見開かせながら箒を見つめる。箒は憂うように笑みを浮かべる。儚い笑みは今にも溶けて消えてしまいそうだった。

 

 

「幻だったんだ。私が好きだったお前は不当な暴力を良しとしない、虐められた私を助けてくれたお前だった。だがお前は何だ? 誰の手も取れず、傷つけて、迷って、弱くて。情けない。だからお前じゃない」

「……箒」

「私が幻にしてしまったんだ。当然だな。それは私がお前に押しつけた理想像だ。今はっきりとわかったんだよ。お前の剣が迷う度に違う、違う、違うって。私の中で否定するんだ。私が、な」

 

 

 どうしても重ならない。鈴音と再会してからの一夏がどうしても自分の中の理想と重ならない。真っ直ぐに迷わなかった彼と錯覚していた。彼が好いた頃のままの彼だったと。

 信じたくなくて、違和感を認めたくなくて、いつも通りであろうとした。だが変わっていく。目まぐるしく世界は変わっていく。だから変化から目を背けられない。広がる景色すら変わってしまうから。

 

 

「元々いなかったんだ。お前など。私の中に」

「違う……箒、俺は!」

「言うな! 何も、何も言わないでくれ……! これ以上、囀らないでくれ……!!」

 

 

 やめてくれ、と。箒は拒絶するように首を振り、肩を震わせて一夏を見た。

 

 

「私がお前を弱くした」

「違う!」

「違わないさ。お前に理想を押しつけた」

「違う……!」

「好きだって言葉は嘘じゃない。でも……すまない、一夏。本当にお前に向けられたものだったのか、今となっては私にもわからないんだ。お前はそれを必死に受け止めようとしてくれた。お前には――受け止めるだけの強さなんてないのにな」

 

 

 それでも信じていたかったんだ。迷い無く竹刀を振るう一夏の姿が重なる事を。

 それでも夢見ていたかったんだ。守る為、強くなると言う一夏の姿が重なる事を。

 記憶の中の彼と、憧れた彼と、目の前の彼が。同じ織斑 一夏なのに違う。

 何も違わないのに。これも彼なのに。どうしようもなく箒には――受け入れられない。

 

 

「……お前は、なんで私に手を差し伸べたんだ? あの日、虐められた私を救ってくれたのは何故だ?」

「……それは」

「虐められた私が哀れだったからか? 私を助けて憧れられたかったか? ――きっとどれも違うよ。一夏。お前はきっとただ単純に許せなかっただけなんだよ。虐められている私が、虐めている者が。全てを許せなかったから立ち向かったんだろう?」

「……箒」

「そんなお前と、今の甘えた自分を許すお前など重なる筈もない――ッ!!」

 

 

 吐き捨てた箒の言葉に、一夏は力なく項垂れた。震える吐息で箒は息をしながら一夏を見た。

 

 

「……好きでいたかった。ただ駄目なんだ。お前がどうしても好きな姿と重ならない」

「……箒」

「私が好きなお前は、私の勘違いだったなんて笑い話にもならない……! 笑えよ、一夏! お前が笑ってくれよ! 勘違いしていた私を! 私は……またお前に守って貰えるなんて夢見てたんだ……!」

 

 

 でも違う、と。箒は声を大きくして叫ぶ。

 

 

「お前だって人間だったんだな? 弱くて、迷って、その果てに苦しんで。答えも決められないぐらいに追い詰められて、意固地になって。だから――すまない、一夏」

「……なんで、箒が謝るんだよ」

「私はお前を支えられない。……だって、私が支えて欲しかったんだ。それもずっと寄りかかれるぐらいに強く。重たかっただろう? だからすまない」

「やめろよ……! 謝るなよ……謝らないでくれよ……!! 俺が、俺が弱いから!! 俺が選べないから!! 俺が納得できないから!!」

「……一夏」

「それでも……失いたくなかったんだ……!!」

 

 

 まるで子供の駄々だな、と箒は笑う。だからようやく認めてあげる事が出来る。

 一夏は本当に子供なのだ。愛を与えられて、初めて触れて、大切に思って。

 だから手放したくないと足掻く。自分のものだと。大事なものだから離さないと。

 そんな強い力で握ったら壊れてしまうかもしれないのに。強く大事に抱きしめて。

 図体ばかりでかくなってからに、と箒は笑う。あぁ、何だ。自然と笑える自分がいるじゃないか。

 認めるだけでこんなに世界が変わるのか。ならそれも悪くない、と箒は笑みを浮かべる。

 

 

「一夏」

「……箒?」

 

 

 箒は一夏の側にそっと膝をつき、一夏の頭に手を伸ばす。ぺしり、と一夏の頭を軽く叩いて笑う。

 

 

「駄目だぞ。ちゃんと女の子の気持ちに答えてやらないと。お前は、男の子なんだから」

「……お前」

「私が叱ってやる。お前は間違ってる。良いんだ。弱くて。無理に強くなろうなんてしなくて良い。だから……周りをちゃんと見ろ。お前を見てくれる人は本当にお前を見ているか?」

「見てくれてるよ! だって俺を認めてくれたんだ! だから俺は誇れる自分になりたいんだ!!」

「弱い、情けない、優柔不断な駄目な奴が何を言う?」

「知ってるよ!」

「それでも愛してくれる人がいるだろう? それでもお前の答えを待ってくれる奴がいるだろう?」

 

 

 一夏は箒を見上げた。どうして、と。何故そんな事を言うのかわからないと言う顔で一夏は箒に問うのだ。

 

 

「私は違う。お前に与えていた愛は擦れ違っていたんだ。お前が私を守ってくれるから私はお前を愛せたんだ。だから幻なんだ。だって私はお前の答えを待つ事が出来なかった。……償いという訳ではないが、だから私はお前の背を押してやる」

「箒……」

「私の勝手に付き合わせてすまない。そして勝手に幻滅した愚かな女だと笑ってくれて構わない。――もう良いんだ。だから……お疲れ様。一夏。よく頑張ってくれた」

「箒……ッ……!」

 

 

 引き留める手を伸ばしたかった。だけどそんなの選べなかった自分にそもそも資格なんてないと一夏は拳を握りしめて嘆く。隣に並んでいた筈の温もりはいつしか背中に回って背を押してくれていた。

 頑張ったね、って頭を撫でてくれる。もう良いんだよ、と甘やかしてくれる。そんな箒の声を否定したいのに、否定の声を上げられないのはどうしてか。それは自分が受け入れてしまっているからだ。

 なんだこれ。なんだこの無様。一夏はただ慟哭する。ただ、ただ自分は――甘やかして欲しかっただけなんだと。

 

 

「……っ……ぁ……ぁあ……ッ!!」

 

 

 情けなくて声が出ない。こんな事で喜んで足を止めてしまう自分が許せない。あんなに意地を張って、決められないなんて叫んでいたのに。なのに、なのに振り払えないのはどうして。

 嫌だ、と言うように一夏は首を振る。これを認めてしまったらもう立ち上がれない。同じように走る事は出来ない。だから否定してくれって、嘘だと言ってくれって。諦める為の嘘なんだって言ってくれって。叫びたいのに声は震えて出ない。

 

 

「良いんだ。良いんだよ、一夏。もう走るな。疲れただろう? 自分が見えなくなるぐらいに走ってきただろう? もう諦めて良いんだ」

「良い筈あるか! 悩んで……悩んで……出した答えがこれだなんて……情けない……! 情けない……!!」

「何が情けないんだ? お前は……――愛して欲しいってずっと走り続けて来たじゃないか」

 

 

 誰にも我が儘を言わず、ただ認めて貰えるように走り続けた。どうしてそんな姿を否定する事が出来ようか。ただ……ただ一言言ってくれれば良かった。辛いんだって。愛して欲しいんだって。認めて欲しいんだって。

 そうすれば箒だってまた違った結果があったかもしれない。もっと早く彼が弱いという事実に気づけたかもしれないのに。だから、箒は決めたのだ。

 一夏の頭を抱え込むように抱きしめる。自らの心音を聞かせるように抱きしめて、同じリズムで一夏の頭を撫でる。労るように一夏の髪を撫でる。何度も、何度も。

 

 

「認めてやる。だからもう良いんだ。足を止めて、深呼吸をして。そして呼吸が整ったら前を向け。お前の背をずっと見守っててやる。疲れたら休ませてやる。転びそうになったら助けてやる。だからもう、勝手に突っ走るな。お前は一人じゃないんだから」

 

 

 箒の願うような言葉に一夏は声を震わせた。震えるような声にならない叫びを上げて。

 情けないぐらいに喚き泣いて。縋るように箒の背に手を回して震える一夏の姿を箒は涙が滲む瞳で見つめる。

 こんなに弱いのに。今までずっと走り続けてきた。そんな彼の背を労るように撫でた。

 

 

「これで良いんだ。……これでようやく私も変われたんだ。一夏。もうお前に守られる私はいない。姉さんに怯える私もいない。私も……ようやく私を認められそうだよ」

 

 

 私は、強くなっただろう――?

 箒の問いに答える者はいない。ただ己の弱さに震える男の子と、変わった自分を見つけた女の子が二人。寄り添って泣いていた。

 そして、一体どれ位の時間が流れただろうか。一夏は泣き疲れたように意識を失って箒に抱えられていた。一夏の頭を膝の上に頭を乗せて箒は吐息を1つ吐く。

 

 

「……いるんだろう? ハル」

 

 

 箒の呼びかけに申し訳なさそうに入り口からハルが出てきた。ハルは箒と一夏に歩み寄りながら頭を掻いてる。

 

 

「……ごめんね。ちょっとこっちも色々あってね」

「そうか。……クロエは?」

「束が慰めてる。……一夏は?」

「疲れたんだろう。ずっと、ずっと走り続けて。誰も止めてくれなくて。止めてやれなくて。間違ったまま走らせてしまった」

「……そうなの?」

「こいつは……そうだな。“母親”が欲しかったんだろ。自分が何をしても許してくれる。けれど叱ってくれる。自分を見てくれる存在が」

 

 

 一夏の頭を撫でつけながら箒は呟いた。ハルはそんな箒を見下ろしながら、眠る一夏の顔を覗く。

 

 

「……そういうもんなのかな」

「私も今、そう思っただけだ。だけど……認めて欲しかっただけなんだろうよ。間違ってないって。間違ってる事を指摘出来なかったからな」

「……そう言われれば、そうかもね」

 

 

 あの千冬でさえ、どこか一夏に遠慮していたのだから。そして自分で精一杯だった千冬に甘やかすなんて出来よう筈もない。恐らく千冬は甘えていた方なのだから。

 

 

「叱ってやらなきゃいけなかったんだ。……私も、甘えてしまった。甘えられる相手でもないのにな」

「箒は、それで良いの?」

「仕方ないだろう? どう思ってもこいつが私の理想と擦れ違うんだ。だったら諦めて別人として見てみれば……なんだ、この弱っちい奴は」

 

 

 冗談を飛ばすように箒は言う。

 

 

「真っ直ぐ走る事に目を奪われて勘違いしてたんだ。こいつは走れるんじゃない。走らないと、無謀にならないと自分を保てなかったんだ」

「……あー……」

 

 

 ハルはばつ悪そうに顔を歪めた。かつてモンド・グロッソの時の誘拐事件で、ハルは一夏に憧れた事がある。あの時はハルもまだ束に求められようと必死で、必死に千冬を守ろうとしていた一夏の姿に惹かれた事がある。あの時の事を思い出してハルは思う。

 

 

「……同病相憐れむ、か」

「私にはわからない。そう思うならそう思えば良い」

「……これからどうするつもり?」

「こいつを鍛え直す」

 

 

 はっきりと箒は告げた。余りにも厳しい口調にハルが目を丸くする程だ。

 

 

「今のままじゃ駄目だ。この誤った考えから徹底的に正す。それをすべきだったんだ。それが出来るのは今のところ、私ぐらいだろう」

「……良いの? 辛くないの?」

「何がだ?」

「だって……言ってしまえば裏切られたんでしょ?」

「私も裏切ったんだ。お相子さ。だから……今度は間違わない。こいつの先に行く者として。同門の弟弟子として見守るさ」

 

 

 厳しくも優しく見守るように。そんな笑みを浮かべる箒の姿にハルは束の姿を重ねた。

 それがなんだか気恥ずかしくなって鼻の頭を掻いた。箒を直視できずに視線を天上に上げた。

 

 

「女の人って本当、強かだね」

「あぁ。そうだとも。何故なら……女は母になるものだからな」

 

 

 

 

 




「母。私を生み出してくれた。私を愛してくれる。だから私も愛する。愛おしい人」 by雛菊」


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Days:07

 瞼を開ければ見慣れた天井が視界に映った。ぼんやりと天井を眺めて一夏は思い出したように息を吐き出した。目の周りが乾燥しているようで瞬きするだけでぴりぴりとした痛みを感じる。目を擦りながら起きれば自分がベッドに横になっていた事に気付く。

 

 

「あ、起きた」

「……ハル」

 

 

 一夏は声の方へと視線を向ける。一夏の寝ていたベッドとは逆側の壁につけられたベッド、その上にハルが座っていた。空中ディスプレイで何かを見ていたのだろうか、空中ディスプレイを消して立ち上がる。

 

 

「疲れただろ? まだ起き上がらない方が良い」

「……俺は……」

 

 

 どうしてベッドで寝ているのかを思いだそうとして箒の姿を思い出した。優しく髪を撫でられた感触がまだ頭に残っている。思い出してしまえば目の奥から熱いものが込み上げてきて言葉を呑んだ。

 そんな一夏の様子に吐息しながらハルは部屋に備え付けられている冷蔵庫に入れていた水を取りに歩き出す。一夏はただ何も言わず、布団を握りしめて震えていた。そんな一夏にハルは水を差し出す。

 

 

「少し飲んだ方が良いよ。水分無くなってる筈だから」

「……」

 

 

 一夏は受け取らない。ただ小刻みに身体を震わせるだけだ。仕方ない、とハルは溜息を吐いてサイトテーブルの上に水を置いて先ほどと同じように自分のベッドの上に腰を下ろした。

 

 

「……何も聞いて欲しくなさそうだけど、僕も僕で話があるんだ」

「……なんだよ」

「そうだね。まずは……どうだった? 箒に甘えて、慰められて満足した?」

「――ッ!」

 

 

 一夏は睨み付けるように顔を上げてハルを見るも、すぐに力を失って視線を落とした。一夏の瞳から涙がこぼれ落ちて、一夏は涙を隠すように膝を抱えて蹲ってしまう。

 聞きたくない、と蹲る姿にハルは苦笑する。箒と別れる際にあまり虐めるな、と釘を刺されているのだが、これでは本当に自分が一夏を虐めているようだと。

 

 

「大事な事だよ。一夏」

「……何が大事なんだよ」

「人生は満足しないと辛いんだ。この先ずっと続いていくんだ。だから満足を求めて人は生きても良いじゃないか。諦めないで走って、君は1つの成果を得たじゃないか」

「成果……? こんな情けない姿が……? 箒の気持ちを裏切ってまで! 慰められて! こんな情けない俺が何の成果だって言うんだよ!?」

 

 

 膝を抱えながら一夏は叫ぶ。こんなのは成果でも何でもないと。ただ惨めを晒しているだけだ、と。

 そんな一夏の言葉にハルは目を細めた。まるで感情を見出す事が出来ない表情で一夏を見つめ、呆れたように言葉を発した。

 

 

「箒の思いを否定するの?」

「……ッ!」

「君が好きじゃないってわかって、それでも君が心配だからって伸ばそうとした手を君は振り払おうとしたんだよ? しかも君の我が儘で。一夏、本当にそれで良いの? はっきり言うよ。もっと惨めになりたいのかい?」

「うるせぇ……っ!」

 

 

 自分の身を守るように縮こまる一夏の姿はあまりにも弱々しい。嗚咽も殺しきれないのか、喉の奥から泣き声を漏らしながら自分の身を抱える。

 

 

「一夏」

「何だよ……! 構うなよ、出て行け……!」

「ここは僕と君の部屋で出て行けなんて言われる筋合いはないんだけどなぁ。まぁ、泣いて恥晒した顔なんて見られたくないのはわかるけどさ、とりあえず聞いてよ」

「聞きたくない」

「じゃあ勝手に喋るさ。僕は勘違いしてたんだ。君が一生懸命、目標に向かって走り続けられる奴だと思ってたんだ。けど一夏は違った。君はただ受け入れてくれる手が欲しかったんだね」

「やめろ……!」

「――ごめん、一夏」

 

 

 ハルは口にする。期待をかけてすまないと。余りにも重すぎた期待を一身に背負って彼は走り続けてきた。今ならわかるのだ。一夏の弱々しい姿は、もしかしたら自分がなっていてもおかしくは無い姿だったと。

 ハルも、クロエも、そして一夏も。この三人はどこか似通っている。個性もあるけれどある一点において共通している。――彼等はいつだって受け入れて欲しいと、救いを求めて叫び続けていた。

 

 

「僕は君の助けてって言う声を聞き逃してたんだ。昔、僕が束を困らせる程に叫んでいた筈なのに。受け入れて欲しくて無茶もたくさんしたさ」

「……俺は、助けて欲しくなんかない……」

「意固地になるなよ。もう良いだろ? それに、もう君は頑張れないよ、一夏。だって箒がさせないから」

「……なんで……ッ」

「大事な弟弟子で、幼馴染みだからだってさ。……なぁ、良いじゃないか。一夏。僕も認めるのにかなり時間がかかった。僕の場合は3年かかったんだから、そう簡単に認めろなんて難しいよ。それでも……――僕等はもう愛してくれるって差し出された手を取っても良いんだ」

 

 

 ハルは束に、一夏は箒に。走り続けて、走り続けて。無茶までやって見せてその果てにようやく受け入れられた場所を見つけた。ハルが気付くのが早かったのはきっと束しか見えていなかったから。

 だが一夏は誰も見えず、ただ、ただ走り続けてきた。だから誰も気付けなかった。彼は全て置き去りにして走り去ってしまうから。ただ際限なく救いを求めながらどこまでも。茨の道をただ一人で走り続ける。

 そうすれば頑なにもなるだろう。自分の身を守るために、自分の考えを守るために、信じられなければもう走る事が出来なくなるのだから。

 

 

「悩んで、足を止めても、寄りかかっても。それでも許してくれる相手がいてくれる。居ても良いんだって思えれば良いんだ。僕は束に身を預けられるまで、本当に束に迷惑をかけた」

「……お前が?」

 

 

 一夏は意外だ、とハルを見るように顔を上げた。ようやく顔を上げた一夏にハルは苦笑して、自分の胸に手を当てた。

 

 

「昔の僕はそれこそ束しか見えていなくて。束が全てで、束の為に何もかも捧げなきゃ駄目だと思ってたさ。けど違うんだ。ISに乗って広がった世界を見た。束の夢の大きさを身を以て知った。その夢を守ろうとまた1つ視野が広がって、今度はラウラとクロエに出会った。そうしたらまた1つ夢が広がって……今は君や箒やクリスもいて、IS学園に身を置いてる。

 一夏、足を止めなきゃ世界なんて見えないんだ。それも世界は大きくて一度じゃ1つすら見つめる事すら難しいんだよ。だから足を止めなきゃいけないんだ。僕等と取り囲むものは絶対に1つじゃない。世界は大きな1つだけど、世界にはいろんなものが詰まっていて僕等じゃ推し量る事なんて出来ない」

 

 

 最初に束を見つけて、束を愛そうとして、ISに出会い、束の夢を知り、束の夢を愛して、ラウラとクロエと出会い、夢の広がりを見て、世界の難しさに悩み、決断して……。

 1つの発見がまた新たな発見へと繋がる。増えた1つがまた新しい1つを見せていく。連鎖的に広がっていく世界の中でハルはようやく自分の姿を見つけた。そうして見えた1つの答えがある。

 

 

「僕はとっくの昔に束に必要とされていたんだ。そして……僕も、束が必要だったんだ。僕が束を求めていたんだ。だから僕が束に捧げられるものなんて……本当はこの気持ちだけしかなかったんだ」

「ハル、お前……」

「寄り添う為には僕の身体が必要で、束と手を繋ぐには手が必要で、束と言葉を交わすには喋る口が必要で、束と過ごす時間の為に僕は僕を投げ捨てる訳にはいかなかったんだ。なのに全部捧げてまでなんて、そもそもがおかしいだろう? 愛するなんて口にしながら、いつ消えたっておかしくないんだから。そんなのただの自己満足だ」

 

 

 だから求めた。側にいる事を。愛される事を。その分だけ愛する代わりに。ずっと側にいると誓って、ようやく求めていた証をもう自分は持っていた事に気付いた。

 

 

「人は間違うよ。どうしても。全てなんて知り得ない僕等は何が正しくて、何が間違いなんてわからない。わからないけども……信じて走るしかない。それでもそれがやっぱり全部じゃないから一息置いて、世界を見て、考えるしかないんだ」

「……」

「箒は考えたんだ。そして答えを出した。自分が見ていたものは幻だったんだと。だから改めて見て、弱い君を見つけた。走って走って、もう何も見えなくなっているのに走ろうとしている君を」

 

 

 一夏が息を止めて、身体を震わせる。表情を苦しげに歪めながら。

 

 

「人を助けるのって難しいんだ。手を伸ばしても気付かれなければ掴んで貰えないし、掴んであげたくても助けを求めてないなら助けられない。なら無理矢理ぶつかって足を止めさせるしかない。でも傷つけ合う事になるからそれもやっぱり辛い」

「……俺は、箒を傷つけた」

「箒も君を傷つけてたんだ。認めようよ、一夏。君が全部悪いなら、もう今頃、誰も君の側にいないんだよ」

「そんな……! だって俺が! 弱いから!!」

「君一人で一体どれだけ救えるって言うのさ。……箒はそんな君でも受け止めると決めたんだ。例え傷つけられても、傷つけても、一夏の事を見ているんだって」

「俺に! そんな資格がない!! だって、だって……俺は、箒に何も返せない……!」

「……なんで皆、同じ事言うんだろうなぁ。本当」

 

 

 愛して貰うのに資格がいるとか、何も返せないとか。本当に耳が痛い、とハルは苦笑する。

 

 

「一夏。結局さ、これに尽きると思うんだよ」

「なんだよ……!?」

「愛するのに理由なんていらない。理屈なんて知った事か。ただ好きなんだ。だから求めるんだ。その為に……人は努力するんだよ、きっと」

 

 

 ハルの言葉に一夏は顔を歪ませて身を折るように曲げながら自分の身体を抱きしめる。

 

 

「……なんで……! なんでお前も……箒と同じ事言うんだよ……!!」

「一夏?」

「苦しめるぐらいなら好きにならないって、あいつ言ったんだ! 俺は! 別に苦しんでなんかいない! 俺は……頑張れる……頑張れる……から……!!」

「……馬鹿。男に慰めさせるなよなぁ」

 

 

 ハルは呆れたように苦笑しながら一夏の頭にぽんぽん、と手を乗せて髪を撫でてやる。

 

 

「もう良いんだってさ。頑張らなくても君が好きなんだってさ。報われる事はもう望まない。――だから君を支えるんだと」

「箒……ッ……!!」

 

 

 決して見返りを求めない。ただそっと背を押して、その先で一夏が笑っていられれば良い。それが箒の見つけた答え。箒が選んだ答え。それは決して恋じゃないけど……確かな愛情だ。認めて、与えて、心を満たしてくれる確かな想い。

 

 

「なんで……! なんで……!」

「一夏……」

「受け入れたら、俺……もう、走れねぇのに……! 弱くなるのに……!」

「……弱くなって、そして強くなれば良いんじゃないかな? 何度も、何度も繰り返してさ」

 

 

 折れる度に何度も直して。その身を強固にしていくように何度も繰り返せば良い、と。

 

 

「もう、折れて良いんだってさ。箒はそう言ってるよ」

「……っぁ、……ぁあッ……! 箒……! ごめん、ごめんっ……!! ぁ、ぁああああああああああッ!!」

 

 

 喉を引き絞って叫ぶように一夏は叫ぶ。その謝罪が一体何を意味するのか察してハルは一夏から手を離してそっと目を伏せた。

 辛いだろうな、と想う。それは……身を削ぎ落とす事ときっと変わらない。一夏の悲鳴のような泣き声はその痛みによるものだろう。だけども止める事はきっと出来ない。

 

 

「あぁああ……ッ!! ちくしょう……! ちくしょう……! 何、やってんだよ……俺……!! 箒……! ごめん、ごめんよ……!! 俺……ッ……!!」

 

 

 ――お前が、俺の事を好きじゃなくなる事を受け入れてる。

 

 

 あんなに失いたくないと足掻いていたのに、今、箒の思いを切り捨てようとしている。もう彼女に恋い焦がれられる事が無くても良いと。

 その代わりにくれた別の想いを一夏は受け入れようとしている。今まで胸を占めていた心をゆっくりと引き剥がすように。

 そして新たに受け入れた想いがあまりにも優しくて、暖かくて一夏は身を震わせるように身体を抱きしめて泣いた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……落ち着いた?」

「……あぁ、悪い」

 

 

 目を真っ赤に腫らした一夏がハルから受け取ったティッシュで鼻水を拭う。何度も拭った目の周りもまた真っ赤で、一夏の顔が真っ赤に染まっている。ただそれでも一夏は力を抜いたような表情で穏やかだった。

 

 

「あー……泣いた」

「あぁ。全部見てたよ」

「やめろよ。うわぁ……マジで恥ずかしい。なんだろう。泣いただけで心持ちが変わるって言うかさ……もうなんか疲れた」

「当たり前だろう。ずっと走り続けてきたんだ。……どう? 足を止めてみて」

「……あぁ。凄い楽になったよ。箒に申し訳ないって思うけど、これで楽になれると思う」

「そうか……。これからどうするんだい?」

「……箒にはもう謝らない。もうあいつに謝る事なんてないからな。だから……もう一人、待たせた奴に謝りに行く。後は……皆にも謝る」

 

 

 ほぅ、とハルは少し驚いたように一夏を見た。

 

 

「驚いた。鈴の事は言うとは思ってたけど……皆って?」

「お前や束さんとか……俺を見ててくれた皆だよ。ずっと馬鹿やっててごめん、って」

「そうか……。なら遠慮する必要は無いな」

「え?」

 

 

 むんず、と。ハルは一夏の首根っこを掴む。自分より身長が低いハルによって持ち上げられる。襟首を掴むハルの握力は尋常ではなく引き剥がす事が出来ない。床に引き摺られながら一夏はハルの顔を見上げる。

 

 

「お、おい? ハル?」

「一夏には言いたい事があってね。――よくもクロエに妙な火遊びさせやがって」

「ひ、火遊びって……!」

「クロエの事に気付かなかった僕と束も悪いさ。まぁ謝ったら許して貰ったけどさ。じゃあ次はお前だ。クロエに謝った後は――折檻だ。クロエに妙な火遊びをさせた責任は重いぞ。我等がラウラ大先生が首を長くしてお待ちだぞ?」

「ラ、ラウラ大先生って何だよ!?」

「悟りの道を開き、修羅へと至った我等が守護神さ」

「た、ただの悪夢じゃねぇか!?」

「諦めて受け入れろ。――明日は学校に行けないなぁ。千冬にロップイヤーズは大会議がある為、授業に参加出来ないと伝えて置こう」

「な、何されるんだよ!? 俺!?」

 

 

 恐怖に戦く一夏に、ハルは一夏を見下しながら笑みを浮かべた。まるで目が笑っていない、口先がつり上がった笑みに一夏は短く悲鳴を上げた。

 

 

「秘密、かな? でも命を失わないのが良心的だよね」

「本気で何するつもりだ!? 悪かった! 俺が悪かったから!! 全面的に俺が悪かった!! だから手心を――ッ!!」

「はっはっはっ」

「笑ってないでなんとか言ってくれッ!?」

 

 

 一夏が藻掻きながら悲鳴を上げるも力は決して緩まず、一夏はそのままハルによって引き摺られていくのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それからの顛末を語ろう。

 ハルに引き摺られて一夏はクロエと対面する事となる。二人は顔を合わせるなり互いに頭を下げた。

 

 

『ごめんなさい!』

 

 

 タイミングがまるでぴったりで叫ぶ言葉も同じだったのが妙にツボに嵌り、一夏とクロエが互いに顔を見合わせる中、周りにいた高天原の面々は笑いを零していた。

 顔を合わせた二人はぽつり、ぽつりと自分の思いを口にした。高天原の住人達が見守る中、互いに確かめるようにクロエと一夏は言葉を交わした。

 

 

「……私は一夏に気付かされました。甘えても……消えないんだって。想いはずっとここにあるんだって。それを教えてくれたから、それでも怖かったから、一夏に甘えてました。本当に勘違いして、勘違いさせて……ごめんなさい」

「……俺の方こそ、諦めないって言い続けてれば良いと思ってた。でもその先を勘違いしてたんだ。俺は本当は……誰かに甘えたかっただけなんだって。だから無意識だったけど、クロエにそれが否定されたみたいで頭に来たんだと思う……色々と押しつけた。本当にすまなかった」

 

 

 結局の所、互いに同じものを求めていて、まったく逆の手段を取っているから受け入れられず、否定し合って、否定し合ったからこそ気付いた。だから一緒だったんだと気付けば自然と距離が近いように感じただけ。

 だがそれは錯覚だ。確かに一緒ではあるけれども心の距離は縮まっていない。実際、クロエは一夏を見ても何も安堵感は覚えなかった。束に繋がれている手が温かさを教えてくれるから。だから本当に勘違いで、改めて距離が近くなった彼を見ると恥ずかしくなる。

 一夏も同じだ。束に手を繋がれているクロエの姿が今なら羨ましく思う。そうして受け入れられている筈のクロエが我慢しなければ受け入れて貰えないなんて話はおかしいと。なら自分はどうすれば受け入れて貰えるのかなんて、諦めない以外の方法を知らなくて。

 互いに近づいた距離で互いを見て、自分を省みて思う。自分たちは同じで、同じだからこそ傷つけ合って、同じだから嫌い合っていた。これからはまだどうなるかはわからない。あまりにも近すぎるから、またここから初めて行く事になるのだと思う。以前とはまた、違った関係で。

 

 

「さて、一夏。姉上の許しが得られても、この私の怒りが静まると思ったら大間違いだ……!!」

「ラ、ラウラ……! なんでそんなに目が光り輝いてるんだ!? 物理的に金色の瞳が光ってるぞ!? ちょ、ちょっと待て、ぐぁああああああ!?」

 

 

 話が終わったのを見計らって一夏に対してラウラが襲いかかって叩きのめしたり。叩きのめされる一夏を見かねて、流石にクロエが止めようとすると束が満面の笑顔でクロエを押し止めたり。

 そんな騒がしい光景。それを見つめる箒はどこまでも穏やかな表情を浮かべていた。箒に近づいてハルは箒の肩に手を置いて意識を向けさせる。

 

 

「……良かったんだね?」

「しつこいぞ。……だが心配してくれてありがとう。だが私は大丈夫だよ。むしろ楽になった方だ。もう過去に縛られる事はない。過去は、積み上げていくものだからな」

 

 

 一夏を見つめる視線はどこか可笑しそうで、けれど優しげで。ハルはそれ以上の言葉を箒にかける事は無かった。そんな箒とハルの肩を後ろ側から抱き寄せるように肩を組んで来たのはクリスだった。

 二人は驚いたようにクリスを見ると、クリスは猫のような笑みを浮かべて喧噪を見守っている。

 

 

「本当にここは騒がしくて飽きないな。……どれ、いっそ私達も混ざろうではないか」

「なに?」

「……ふぅん。だってー? ラウラー?」

「両手両足……ふむ。良い塩梅だな」

「両手両足って何だよ!? まさか一人一本とか言うんじゃねぇだろうな、って折れる折れる折れる折れるぅぅぅううううう!?」

 

 

 一夏の悲鳴が響き渡る中、喧噪の中に混じっていくようにハルと箒をクリスは押していく。あわあわと慌てているクロエをしっかりと抱き留めながら束はニコニコとその光景を見守っていた。

 

 

「クーちゃん、いいんだよー? これはじゃれ合ってるだけだから」

「あの、悲鳴が……あれは本当に危ないんじゃ?」

「良いの良いの。――ちーちゃんの弟なら殺した所で死なないって」

「束様!?」

 

 

 そんな騒がしい喧噪の中、高天原の夜は更けていく。

 

 




「優先順位? ハルと、束様。どっち? どっちも選べない。でも……どっちも守る為に。雛菊は強くなる。二人と一緒に」 by雛菊


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Days:08

「……あれが高天原、ねぇ?」

 

 

 呟いたのは鈴音だ。彼女は切り開かれた土地に置かれている船、高天原に視線を送っている。感嘆とも取れるような息を吐き出しながら鈴音は見上げていた視線を下ろした。

 未だ距離があってもその存在の大きさを物語る船には本当に呆れる思いしか出ない。それ程までに篠ノ之 束の技術力が群を抜いている証拠でもあるが。更に言えば彼女の夢の船は未だ、その真価を完全には発揮していない。

 

 

「ほら、鈴。早く行こうよ」

「あ、シャルロット。ちょっと待ってよ」

 

 

 そんな鈴音に同行するのはシャルロットだ。二人が何故高天原に向かっているかと言えば、高天原に住んでいた全員が休んだ為だ。なにやら会議があるとの事で欠席を千冬から伝えられた。

 多少心配になりながらも放課後を迎えた鈴音だったのだが、ここでシャルロットの提案で高天原を尋ねてみないか、という話になったのだ。鈴音としては一夏達が気になった訳で、シャルロットの提案を蹴る理由も無かった。

 

 

「結構距離あるわね。まぁ、切り出せるような土地が他に無かったんでしょうけども」

 

 

 鈴音は急遽整備された道を見て呟いた。高天原がIS学園への逗留が決まったのは一ヶ月と一週間前。それからここまでの道を開拓したのであれば充分早い速度だ。

 一体どんな手段で開拓したのだろうか、と鈴音が思考を重ねた時だ。ふと隣にいたシャルロットが何かを見上げながら呟いた。

 

 

「……ねぇ? 鈴? ここって多分森とかあったんだと思うんだけどさ?」

「うん? 多分ね。それがどうしたの?」

「まさか、あれで切り開いたとか言わないよね?」

「あれ?」

 

 

 シャルロットが指さした先、その先は空。鈴音が訝しげに空を見上げた時、ソレは鈴音の目に飛び込んできた。は、と鈴音が呆れ、驚き、言葉を失って息を吐き出した。

 

 

 ――巨大な鉄塊が空を一直線に薙ぎ払っていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『来るよ』

「やっぱり思ってたけど、当たったら死ぬ――ッ!!」

 

 

 表示された雛菊からのメッセージにハルは身を捻らせる。ごぉん、とも、ぶぉん、とも取れる風切り音。自分の身体程の厚みを持つ刃が空気をえぐり取っていく。大きく円を描いて鉄塊が再びハルの身に叩き付けんと迫る。

 雛菊の開いた翼が輝き、光を増してハルの身体を空へと運ぶ。だが、飛べど飛べど鉄塊はハルの身を追いかけ続ける。巨大な鉄塊は剣であった。人の身長の3倍以上はあろう刃を無尽蔵に振り回すのはISを纏ったクリスであった。

 

 

「逃がさんッ!!」

「無茶苦茶ァッ!?」

 

 

 身体全体で回転するように振り回す巨大な刃は片刃。その峰に当たる部分の装甲が開き、光が溢れれば刃が加速してくる。そんな悪夢にハルは叫んで返す。

 第四世代型IS『黒鉄<くろがね>』。束がクリスに与えた新たなIS。この機体の特徴は今もクリスによって振り回される巨大刀『叢雲』。展開装甲によって実現された規格外の刃を己の身体の一部のように扱いきって見せるクリスの技量にハルは舌を巻く。

 

 

「洒落にならないって……!! 脚部展開装甲、展開ッ!!」

『了解。開くよ』

 

 

 ハルは脚部の装甲が開き、エネルギーが固定化する。ハルは自身に迫る叢雲の刃の軌道に合わせて身体を捻り、刃の腹に吸い付くように展開装甲を刃に押し当てる。

 

 

「雛菊ッ!!」

『突撃』

 

 

 ハルの意思を受けて雛菊のウィングユニットの装甲が全て展開される。まるでそれは流星が落ちていくかのように。光を放ちながらハルは叢雲の刃を伝い、脚部の展開装甲で滑るようにクリスへと迫っていく。

 火花を散らせながら叢雲を伝って迫るハルの姿にクリスは獰猛な笑みを浮かべる。握っていた刃の柄を捻ると、今まで巨大刀だった筈の叢雲はまたその姿を大きく変えた。畳むように刃が収納されていき、残ったのは長大な刃を持つブレード。

 辿る刃を失いつつもハルはクリスへと蹴りを叩き込むが、ブレードによって軌道を逸らされてクリスの身体には届かない。

 

 

「く……なんであんな馬鹿でかいもん振り回せるんだ!? おかしいだろ!?」

『非常識』

 

 

 まったくだ、とハルは雛菊からのメッセージに同意を示してクリスへと視線を移す。ハルの視界には肩に担ぐようにブレードを構えて突撃してくるクリスの姿が目に映った。クリスがその勢いを殺さぬままに振り下ろしたブレードをハルは空中で回転するように避ける。

 

 

「距離を離せば巨大刀に、迫ればブレードに。束は良い仕事をしてくれるなぁ!!」

「くっ……持たせちゃいけない人になんだってこんな刃物を渡したんだっ!!」

『やっぱり非常識』

 

 

 幾らISの補助があろうとも重たい筈の巨大刀『叢雲』を操る技量。間違いなくクリスもIS操縦の技術においては強者に分類されるのであろう。

 だが、とハルは不敵に笑って見せる。それでも――挑む、と。共に空を行く相棒がいる限り、その巨大な刃はこの身には触れさせないと。

 再び距離を詰めようと迫るクリスに真っ向から向かうように、ハルもまた飛び込むように加速した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「…………」

「……わぁ」

 

 

 そんな光景を鈴音とシャルロットは地上から目撃していた。巨大な刃こそ消えたものの高速で飛び回り、ぶつかり合う様は充分に二人を魅せるものであった。

 インパクトこそ凄い為にクリスの駆る黒鉄に目を奪われるが、相対するハルも凄い。展開装甲によって滑らかでかつ高速に軌道を描いて飛び回る姿には思わず息を飲む。

 

 

「あれが……篠ノ之博士が開発した第四世代機?」

 

 

 もしも、もしもだ。相対する事があれば勝つ事が出来るのだろうか、と鈴音は考える。

 縦横無尽に飛翔するハルの駆る雛菊には追いつける気がしない。かといってクリスの駆る黒鉄と戦ってみればあの刃が迫ってくる? どっちと戦っても悪夢しか想像できない。

 

 

「……相変わらず、というか。なんか凄いなぁ」

「相変わらず?」

「え? あ、いや。何でもないよ。ほら、行こうよ。鈴」

「? えぇ」

 

 

 シャルロットに促されるまま、鈴音は高天原へと向かって進んでいく。高天原のすぐ側まで来てみればクロエ、ラウラがいる。ラウラは戦闘を観察していて、クロエはデータを収集しているようだ。

 クロエは天照を展開済み。巫女服を纏い、狐耳型のセンサーをぴこぴこと動かしている。よく見ればハルとクリスがぶつかり合う戦場を観察するように独立兵装“八咫烏”が飛び回っている。

 

 

「今日の用事ってこれだったのかな?」

「さぁ?」

「……ん? 鈴にシャルロットか。来ていたのか」

 

 

 二人の声を聞き届けたのか、ラウラが振り返って鈴音とシャルロットの姿を見つけて駆け寄ってくる。

 

 

「今日お休みって聞いてたからちょっと気になって」

「あぁ。クリスの黒鉄のテストがあったんでな。……まぁ、他にもあったんだが」

「そう。ところで一夏と箒は?」

 

 

 納得したように頷くと鈴音はこの場にいない二人の事について尋ねる。ラウラは鈴音の問いかけに、あぁ、と頷いて。

 

 

「箒は束様と新型機についての相談と、一夏は療養中だ」

「療養?」

「うむ。ちょっと色々あってな」

 

 

 はっはっはっ、と爽やかな笑顔で笑うラウラに鈴音とシャルロットはぞくり、と背筋に寒気が走るのを感じた。そして同時に直感する。一夏が療養になった原因には間違いなくラウラが何かしら関わっている、と。

 

 

「一夏は部屋で休んでますから。お見舞いに行ってあげると良いんじゃないんですか?」

 

 

 天照を展開したまま、クロエも三人に近づいて話に混じってきた。クロエに告げられた言葉に鈴音が驚いたように目を見開く。

 

 

「え? 入って良いの?」

「えぇ。それにそろそろデータ取りも終わりますから。良ければ食堂にでも連れてきてください。私達は多分そこに向かいますので」

「でも、中の案内とか」

「それは私が行こう。姉上、二人をお願いしますね」

「ラウラこそ。お客様をよろしくお願いします」

 

 

 互いに笑みを浮かべて言葉を交わし、クロエはハルとクリスのデータを集める為に意識を集中させていく。そのクロエの背を見て、吐息を零しながらラウラは改めて鈴音とシャルロットへと向き合った。

 

 

「それじゃあ行くぞ。二人とも。私達の夢の船へようこそ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「へぇ……中ってこんな感じなのね」

 

 

 鈴音はきょろきょろと高天原の内部を見て呟いた。窓がない通路はライトに照らされて長く伸びている。ラウラに案内されるままに船内を歩き回る鈴音とシャルロットの興味は尽きない。

 ラウラも丁重に質問に応えつつ進む中、居住区画へと辿り着く。その内の1つの扉を指し示してラウラは鈴音とシャルロットに告げた。

 

 

「ここがハルと一夏の私室だ。で、私とクロエの私室はあっち」

「あ、二人で使ってるんだ。一人一部屋かと思ってた」

「前は私達で一人一部屋を使っていたんだが、まぁ色々あってな。結局そのままなんだ」

「ふぅん。一夏はここで休んでるの?」

「あぁ。……鈴。見舞ってやったらどうだ?」

「え?」

「あ、じゃあ私はその間にラウラとクロエの部屋を見たいかな?」

「え? ちょ、ちょっと!? シャルロット!? あんた、何言って……!?」

 

 

 思わぬシャルロットの言葉に鈴音はわたわたと手を振って動揺を露わにする。ハルが先ほど、外でISのテストをしているのであれば必然的にここにいるのは一夏だけという事になる。そこに見舞いで入れば二人きり、という事になるのだが、それが鈴音の動揺を呼び起こす。

 シャルロットはニヤリ、と笑みを浮かべていて、ラウラも成る程、と納得したように頷いていた。ラウラとシャルロットは顔を見合わせて頷き、腕を絡ませるように組み合わせ、鈴音に向けて満面の笑みを浮かべる。

 

 

『どうぞごゆっくり!』

「ちょ、ちょっと!」

 

 

 そのままスタコラと走り去って行くラウラとシャルロット。ラウラの私室だという部屋に入ってしまった二人を呆然と見る。扉を閉める空気の音が虚しく響き、通路には鈴音のみが残される事となる。

 そのまま唖然としていた鈴音だったが、一夏の私室だという部屋の扉を見て、ごくり、と唾を飲む。

 

 

(そ、そうよ。昔は家に気兼ねなく入ったりしてたじゃない。これは見舞い……これはお見舞いだから大丈夫……!)

 

 

 そして鈴音は一夏の部屋の扉を見る。スライド式のドアの横にはインターホンがある。ラウラは入る際にはこれを操作していた事を見ていたので、鈴音も手を伸ばしてみる。

 カードキーを通す溝とボタンがある。恐らくボタンが中の人へと呼びかける為のものだと推測し、鈴音は震える指をボタンへと伸ばし、意を決したように勢いよく押した。

 

 

『――なんだ?』

 

 

 一夏の声が聞こえてきた。どきり、と心臓が跳ねるも、なんとか落ち着かせるように呼吸を整えて鈴音は一夏へと声をかけた。

 

 

「私よ。鈴。見舞いに来てあげたわよ?」

『――鈴? ……ちょっと待ってくれ。今、開ける』

 

 

 扉の向こうにいるのが鈴音だとわかったのだろう。一瞬の逡巡の間を置いたのか一夏からの返答は少し遅かった。ぶつり、と音が途切れるような音が鳴るのと同時に扉が開き、中に一夏の姿が映った。

 私服姿だった一夏は鈴音の姿を見て、まるでここに鈴音がいる事を確認するように視線を巡らせる。まじまじと一夏に見られた鈴音は気恥ずかしくなって眉を寄せた。

 

 

「ちょ、ちょっと。何よ?」

「……いや。見舞いに来てくれたんだって? ありがとうな」

 

 

 穏やかに笑って一夏は鈴音を迎え入れた。一夏の笑顔を見た鈴音は顔の熱が上がるのを感じて視線をそっぽ向かせた。

 

 

「な、何よ。折角見舞いに来てやったのに元気そうじゃない?」

「……あぁ、大分良くなったさ」

「風邪でも引いたの?」

「まぁ、色々とな」

 

 

 色々と、と一夏が告げた所で一夏の表情が翳ったのを鈴音は見逃さなかった。一夏? と鈴音は心配げに一夏の名を呼ぶ。名を呼ばれた一夏は鈴音に部屋を指し示して。

 

 

「中、見てくか?」

「……じゃあ入る」

 

 

 先ほどの陰りが気になるも、まだ体調でも悪いのだろうかと一夏の顔を盗み見る。だがどこか体調が悪い、と言った様子は伺えない。一夏に誘われるままに部屋に入るとベッドが2つ並んだ部屋へと鈴音は足を踏み入れる事なる。

 

 

「ふーん……なんか規模的にはウチの寮とそんなに変わらないんじゃない?」

「そうなのか?」

「うん。だいたい。どっちが一夏のベッド?」

 

 

 あっち、と一夏が自分のベッドを指し示すと鈴音はまるでそこが自分の居場所だ、と言わんばかりにベッドに腰掛けた。一夏は鈴音が何の遠慮もなしにベッドを占拠する様を見て苦笑を浮かべた。

 鈴音と向き合うように一夏は床に座った。一夏が見上げ、鈴音が見下ろす格好となる。ねぇ、と鈴音は一夏の顔を窺いながら問いを投げかける。

 

 

「ねぇ、本当に大丈夫? アンタ」

「何が?」

「まだ体調とか悪いんじゃないかなー、って」

「あぁ……まぁ、身体の節々は痛いな」

「やっぱり風邪? ちょっと移さないでよ?」

 

 

 鈴音が眉を寄せながら言うと一夏は神妙な顔を浮かべて俯いてしまった。妙な沈黙に陥ってしまった一夏に鈴音は不安げに表情を変えて一夏の名を呼ぶ。

 一夏は顔を上げなかった。そして深呼吸をするように息を整え、顔を上げた。一夏は真剣な表情を浮かべて鈴音を見た。鈴、と彼女の名を呼ぶ声はどこか固い声だ。

 

 

「……鈴。話したい事があるんだ」

「な、何よ。改まって」

「俺は、鈴に謝らないといけない」

「……ちょっと。突然どうしちゃったのよ?」

 

 

 やはり何か様子がおかしい、心配になって鈴音はベッドから腰を下ろして距離を詰めて、一夏の顔を覗き込むように見た。一夏は真剣な表情を崩さぬまま、だが眉を寄せて鈴音に言葉をかける。

 

 

「俺さ。ずっと鈴音に答えを返せなくて、本当に酷い事をした」

「一夏? ……ちょ、ちょっと。何よ。だってそれは、アンタが本気で悩んでて……」

「悩んでた振りしてたんだよ。俺は」

「……一夏?」

「俺は、ただ好きになって欲しかったんだ。……鈴、俺は、誰かに甘やかしてほしかっただけなんだ」

 

 

 一夏は自分の言葉の重みに耐えられない、と言うように頭と肩を下げた。俯いてしまった一夏の言葉に鈴音は戸惑うように目を見開かせ、ただゆっくりと視線を一夏に定めて口を一文字に結んだ。

 

 

「……アンタ、何があったの? 色々あったって……まさか」

「……箒にフラれた。クロエは……ちょっと勘違いさせちゃってさ」

「箒にフラれた!? それにクロエは勘違いって……えぇ!? ど、どういう事よ? ちょっと一から説明しなさいよ!」

 

 

 一体、一日の間に一体何があったのかと鈴音は一夏の両肩を掴んで問う。箒にフラれた? あんなに一夏を思っていたように見えたのに? それにクロエが勘違いだったというのは一体どういう事なのか? 答えを求めるように鈴音は一夏を見る。

 

 

「……まずクロエな。クロエとは喧嘩して……クロエのトラウマを抉っちゃってさ。それで一種の恐慌状態みたいな状態になってて……だから俺に縋って、あんな状態にしてしまったんだ」

「……妙な違和感はそれか。なんかおかしいなぁ、とは私も感じてたけど……」

 

 

 一夏に言われて鈴音は納得した。箒はまだ納得出来る。あれは心底、一夏を思い、真っ向から思いをぶつけてきた。

 だが先日のクロエは違う、と鈴音は本能的に思っていた。言い様もないもやもやが胸の中に巣くっていたのだが一夏の言葉を受けて納得に至った。あれは確かに怯えて縋っているようにも見えた、と。

 

 

「それで昨日、ちゃんと仲直りした。お互いに謝って……俺も、クロエも同じだったから」

「同じ?」

「結局、甘える人が欲しくてさ。お互い同じものを求めてるのにやり方が真逆だったんだよ。だからぶつかって……それでわかったんだ。俺、誰かに甘えたいんだ、って」

 

 

 一夏の告白に鈴音は何も言わない。ただ無言で一夏の言葉を受け止める。

 

 

「……箒は? クロエはわかったけど、箒はどうしたのよ」

「……好きじゃなかったんだってさ。勘違いだって」

「は?」

「アイツが好きだったのは……昔の俺だったらしい。だから今の俺とはどうしても重ならないってフラれた。昔の俺はさ、もっと格好良かったって。だから駄目なんだって」

「……そうなんだ」

「あぁ。でも、アイツは凄くてさ。……俺、情けなくアイツに駄々捏ねてさ。嫌われたくないって思っちゃったんだよな。でもアイツは嫌わない、って。ただ……報われるのを止める、って」

「報われるのをやめる?」

「背中を押してくれたんだ。甘えて良いって。これからは幼馴染みとして、弟弟子として俺の事を見てくれるって。……本当に、情けなくてさ。アイツにもう好きになって貰えないのに楽になってる俺がいるんだ」

 

 

 安堵したように吐息しながらも表情は苦悩のまま。複雑な様子の一夏に鈴音は痛ましげに一夏を見る。そんな鈴音の視線に気付かずに一夏は独白を続ける。

 

 

「笑ってしまうぐらいに俺は弱くて……諦める事を止めてみたら本当、馬鹿な事をしてたって気付いて……お前にも、箒にも、色んな人にも迷惑をかけてて……! だからごめん! ……ごめんな、鈴音」

「……なんで謝るのよ?」

「俺、ただ甘えたかっただけなんだ。俺に優しくして欲しかっただけなんだ。認めて欲しかっただけなんだ。……ただ、それを認められなくて、わからなくて、諦めないって馬鹿をやり続けてお前の気持ちを踏みにじった。だから――」

 

 

 ――ぱんッ、と。

 一夏の目の前で鈴音の両手が勢いよく合わせられる。勢いよく鳴った音に一夏は身を竦ませた。鈴音はそのまま重ねていた両手を一夏の両頬に伸ばして、包み込むように触れる。

 鈴音の手によって一夏の顔が上げられる。鈴音は呆れたような表情を浮かべて一夏を見ていた。はぁ、と重たい溜息を吐き出して鈴音は一夏を睨む。

 

 

「……本当は張り飛ばしてやりたいけど、今のアンタを張り飛ばしたら立ち直れなくなりそうだから止めておくわ」

「……鈴?」

「あのねぇ。そんな事も気付いてなかったの? いや、なんとなくわかってたけどさ。――甘えたい? 良いじゃないの! 好きなだけ甘えなさいよ! 優しくして欲しい? 何よ、私が優しくないとでも言うつもり?」

「いや、あの、鈴?」

「アンタが辛い時、相談に乗ろうとしたのは私が気に入らないって気持ちがあったわよ。でも……何よりアンタが心配だったからに決まってるでしょ」

 

 

 なんでわからないんだと、鈴音は訴えるように一夏を見る。眉を寄せて辛そうに首を振る鈴音に一夏はただ目を奪われ続けるしかない。

 

 

「アンタに助けられて、それからアンタが好きになって、一緒に過ごして、アンタの悪いところも良いところもいっぱい見て。その上で好きになって。そのままのアンタでいて欲しかったから相談にも乗ろうとして。答えを出せない事だって待ってあげたのに……ねぇ、まだ足りない?」

「……鈴、何で? 何でそこまでしてくれるんだ?」

「アンタが助けてくれた。アンタがいてくれて楽しかった。アンタには言わなかったけど一夏がいてくれた事で救われる事もあった。恩返し、ってのもある。でも何より……もう、恥ずかしいから1回しか言わないわよ?」

 

 

 はぁ、と。吐息を震わせて鈴音は呼吸を整えるように目を閉じて、ゆっくりと目を開きながら一夏に告げた。

 

 

「好きに理由なんてないのよ。バーカ」

 

 

 恥ずかしげに微笑んで告げられた鈴音の言葉に、一夏は目を見開いて身体を震わせた。泣きそうな顔を浮かべた一夏に鈴音は呆れたように吐息をして一夏の頬を撫でる。

 

 

「言ったじゃない。助けて欲しかったら言って、って。困ってるなら手を貸す、って」

「……あぁ」

「一夏が、全部私にしてくれた事だよ。それが嬉しいの。だから貴方に返すの。ずっと一夏とそうして生きて行けたら楽しいんだろうなって、そう思ったんだよ?」

 

 

 自分の頬を包む鈴音の手に一夏は自分の両手を伸ばす。震える一夏の手は鈴音の手に触れて握りしめる。許しを請うように鈴音の手を両手で挟み、包み込むように握りながら一夏は震える。

 

 

「……鈴」

「なぁに?」

「俺、お前に何かしてやれてたか?」

「いっぱいしてもらったよ」

「俺、もうお前に何も返せないかも」

「じゃあ私が貰った分をいっぱい返してあげる。そしたらそれを返してくれる? 貴方は受け取ってくれる?」

「……俺は、受け取っても良いのか? 鈴に返してやる事が出来てるか?」

「今更、何言ってるんだか。それとも……私は貴方にとって返す価値もない女?」

 

 

 鈴音の言葉を否定するように一夏は鈴音の身体を抱き寄せた。離したくない、と震える両手で必死に抱きかかえながら。小刻みに震える一夏の身体に鈴音は眉を寄せ、しかし仕方ないと言うように微笑して、ゆっくりと一夏の背に手を伸ばした。

 

 

「あ~ぁ。もっと感動的な場面で抱きしめて欲しかったなぁ。なんか私がこれからアピールしようって思ってたのに、全部パァにされちゃったし。本当に乙女心を何だと思ってるのよ」

「……ごめん」

「次に期待して良い?」

「……期待してくれるのか?」

「馬鹿。……言わせないでよ。言ったでしょ? 貴方に、私を、奪わせて見せるって言ったでしょ?」

 

 

 ――だから奪ってよ。欲しいって思ったら、全部奪っていいよ。

 

 

 鈴音に耳元で囁かれた言葉。一夏は強く鈴音を抱きしめた。子供のように泣き縋りながら。手に入れたものを喜ぶように。失わなかった事に安堵するように。ただただ閉じこめるように鈴音を抱きしめた。

 強く抱きしめられて少し苦しいのか鈴音は顔を歪める。けれどその力が必要とされる事がわかって鈴音の頬を緩ませる。背中をさするように撫でながら――やっと、この腕に収まる事が出来たと安堵と喜びに震えながら、鈴音は一筋の涙を頬に落とした。

 

 

 

 




「捕まえて。捕まえる。幸せ? 幸せいっぱい。腕の中。いっぱい幸せがあるの」 by雛菊 


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Days:09

「はぅあー! やっと終わったー!」

 

 

 ぐったりと食堂のテーブルに身を投げ出して叫んだのは束だ。ここ数日、こなさなければならない仕事を片付けていた束だったが、ようやく今日になって目処が立っていた。

 

 

「本当に色んな事があったなぁ。世界各国へのIS技術協力はクーちゃんに一任するとしても、どこまでクーちゃんに私の技術を公開させるのかとか、それにクリスのISも作らないといけなかったし、高天原の設置場所の開拓でしょ? IS学園との契約の会議もあったし、戸籍の件とかもあったし、それから“白式”の再設計に箒ちゃんのIS作成……もう、目が回ったよー」

「お疲れ様、束」

 

 

 ぐったりとテーブルに身を投げ出した束に労うように声をかけながらハルは束の頭を撫でる。ハル達が学園に通えるように、そして自分たちの居場所を盤石にする為に束は奔走し続けていた。

 傍にクリスがいたとはいえ、クリスの事だ。難しい事はわからん! 任せた! と束に丸投げして指示を待つだっただけに違いない。事実、束にしか出来ない仕事も多く、学園に通うまではハル達も多忙な日々が続いていた。

 その日々にようやく終わりの目処が付いた事で束はようやく解放された。過去の束を知るハルとすれば本当に忍耐強く頑張ってくれたと思う程だ。だからこそ慈しむように何度も束の頭をハルは優しく撫でる。

 

 

「んー……ハル、ぎゅー、ってして」

「はいはい、はい、ぎゅー」

 

 

 束が身体を起こしてハルに両手を伸ばして甘えるように要求する。ハルも拒む事無く束を正面から抱きしめる。ハルの背に回して自分の体重を預けて力を抜く束はリラックスしきっている。そんな束を支えながらハルは微笑を浮かべる。

 

 

「……相変わらずですね。姉さん。それにハル」

 

 

 そんな二人をジト目で見るのは箒だ。ここは二人の私室ではない。食堂は高天原の住人にとって溜まり場となっている事が多いので箒もここで時間を潰す事が多い。

 箒のジト目にラウラとクロエは苦笑している。彼女たちにとって箒の態度は遙か過去に通り過ぎた道だったからだ。人目を気にせずにイチャつき出す二人にラウラとクロエは最初こそ面食らったものの、自然とそういうものだと納得していった。

 しかし箒には何とも目に付くのだ。本当に先日まで恋について悩んでいた箒からすれば二人は何とも言えない感情を沸き上がらせるのだ。箒の視線を受けた束は気にせず笑っていて、ハルは苦笑しながらも束を離すつもりはないようだ。

 

 

「まぁまぁ。そう言うな箒。束も今まで多忙でハル成分を補給出来ていなかったんだろう。これは仕方ない事だ。恋する女は恋した相手の成分を補給しないと気が狂ってしまうんだ!」

(また始まったよ……)

 

 

 至極真面目な顔で何か語り出したクリスに全員が共通して思う。普段は飄々として掴み所が無く、しかしどこか頼りがいのあるクリスなのだが、恋愛を語らせると途端に残念になってしまう。コレには仲の良いラウラでさえ呆れきっている。

 一体どうしてそんな残念な知識を真顔で語れるのか、と思えば彼女自身が結構残念だったと思い直す。熱弁するクリスを皆でスルーすると、クリスはやはり仲が良い為か、ラウラに対して熱く恋について語り出す。

 ラウラは一度開いた悟りの道を再び開きかけている。そうか、とクリスに相槌を打つ顔はどこまでも優しい。ラウラの隣にいて半ば巻き込まれたクロエは凄く嫌そうな顔をしている。

 

 

「……」

「どうした? 鈴」

「あぁ、多分なんか幻想とか、そんな物が壊されたんだと思うよ」

 

 

 そんな光景を見ていた鈴音は頭が痛むのか、机の上に肘をつけた手で顔を覆い隠している。そんな鈴音が心配そうに声をかける一夏だったが、シャルロットは察したように苦笑を浮かべて一夏に伝える。

 世界を騒がした篠ノ之 束が率いる“ロップイヤーズ”。ISの為の非人道実験の被害者の保護や、世界各国への技術協力を宣言している為、半ば英雄視する者達もいる中、組織の内情が何とも言えない程にアットホームなのが鈴音がどこか抱いていた幻想を打ち砕いたのだろう。

 一夏とシャルロットは思う。仕方ない、と。束達はありとあらゆる意味で規格外な者達が多い。だがそれでも彼等も人間で、しかもどちらかと言えば騒がしい。中心は束だが、最近はクリスも加わった事で騒がしさを増している。

 

 

「あ、そうだ。ハル?」

「ん?」

「ごめん。ハルだけ明日もう一日休んで貰っていいかな?」

 

 

 束が思い出したようにハルから身体を離し、ハルの顔を覗き込むようにして言った。束から告げられた言葉にハルはきょとん、と目を丸くする。

 

 

「何かあるの?」

「うん。必要な作業がね」

 

 

 ちらり、と。束は鈴音とシャルロットへと視線を移す。束の視線を見て、身内の面々でしか話せない内容なのだと悟り、ハルは小さく頷いた。

 

 

「さて……折角お客さんも来てるし、夕飯を振る舞うよ。ラウラ? 手伝って」

「あぁ! 手伝うとも! さぁキッチンに行こう! ハル!」

「お、おう?」

 

 

 ハルがラウラに声をかけるとラウラはすぐさま席を立ってハルを引っ張ってキッチンへと向かおうとする。その素早い離脱行動に取り残されたクロエがラウラへと振り返って信じられない行いを見たように驚愕の表情を浮かべる。

 ちなみにクリスの熱弁は未だに続いている。見捨てられた事に気付いたクロエは絶望し、誰かを巻き込もうと視線を巡らせたが誰も視線を合わせない。

 束すらも視線を合わせてくれない事態にクロエは更に絶望し、そして考える事を止めた。クロエは涙目になりつつもクリスの話に相槌を打つ作業に従事するのであった。そんな光景をキッチンから覗き見たハルは視線を向けようとしないラウラに問う。

 

 

「……良いの?」

「姉上は犠牲になってくれたのだ……」

「いや、ラウラが見捨てたよね?」

 

 

 その後、ラウラに怒りのままに抗議するクロエだったが、ラウラがここぞとばかりにクロエの好物を夕食に出した事で、クロエは幾分か機嫌を良くしていた。そんなクロエを皆が微笑ましそうに見ていたのは余談である。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 高天原には研究区画が存在している。かつて束が移動式ラボで使っていた施設をそのまま移し、拡張させた区画だ。束は普段、ここに籠もって作業をしている事が多い。

 半ば束専用の研究施設となっている区画にハルと束はいた。光源は少なく、束が表示した空間ディスプレイが淡く辺りを照らしている。作業を続ける束の横顔を眺めながらハルは1つ、息を吐いた。

 束が何の作業をしているのか。それは今まで封印されていた白騎士のコアの封印解除だ。

 一夏の為に白騎士のコアを用いる事は決定していたが、急を要する案件を片付けているウチにすっかりと封印解除が遅くなってしまったのだ。そして束はただコアをISに組み込むつもりは無かった。

 

 

「世界で一番最初のISコア。私とちーちゃん、つまり初期開発者達と共に在り続け、今のIS達の基盤となり、ネットワークから全てを見守り続けた者。……いっくんにISを起動出来るようにした原因。だからこそ確かめなきゃいけない。

 元々、ISにはもっと人と触れ合う機会を持つべきだと私は考えてたよ。ハルと出会ってから、加速的にハルのISとなった雛菊は成長・進化を遂げた。ならもう一段階先に進んでも良いって」

「その為のコア・コミュニケーション・インターフェース、か」

 

 

 ISは装備を量子化して格納する事が出来る。故にISには待機形態と呼ばれるアクセサリー状の形態が存在している。

 コア・コミュニケーション・インターフェースはこの機能を利用してISコアに与える“人間とのコミュニケーションを行う為のボディ”だ。いつしかISが人と共に歩む未来の為に束が考案していたもの。

 元々、これはハルのISである雛菊に与えようと考案していたものだ。ISに最も近い人とされたハルと、最も人に近いISコアである雛菊。この二人の交流をもっと深める事でISコア達に更なる人という存在の情報を与える為に。

 だが、この計画が実行されるのはもっと先の予定だった。束が恐れたのは雛菊が味わうだろう強烈な経験がコア達にどんな影響を与えるのかが未知数過ぎたからだ。下手をすれば世界のバランスを崩す事を束は恐れた。

 身体を得て、世界に存在し、自らの意思で活動するという事は今まで与えられた情報とは桁違いの情報を雛菊に与える事となるだろう。知識が実感となり、情報が経験へと変わっていく。意識に変革が起きる事は間違いないだろう。

 故に待つ事にした。コア達が少なくとも雛菊と己を差別化出来る程までに成長する事を。ただ雛菊から与えられる情報に飢え、従うだけにならないように。雛菊が望んだからではなく、雛菊が望むようにまたコア達が独自に望めるように。

 幸い、雛菊がコア・ネットワークを通じて接触する事によって影響は少なからず及ぼしている。雛菊の進んだ進化が少しずつ他のISにも影響を与えているのは事実だからだ。

 それは成長したとはいえ、まだ幼い雛菊にも言えた。故に世に出すには早すぎるという事で計画自体が見送られていたのだが、状況が一変したのは白騎士のコアによる一夏がISを起動させた事件。

 ISの今までを否定する事件。そして白騎士に存在する自我。これが鍵となり得るのではないか、と。

 

 

「白騎士がもしも雛菊と同等の思考を有しているなら……思考の対立が狙えるかもしれない。私が懸念してたのはコアが雛菊の影響を受けすぎて引き摺られる事を恐れてたから計画を見送ってた。……でも、もしも雛菊と同等の思考を有するコアがあれば?」

 

 

 思考の対立によるISコアの思考体系の進化。ISの目的は人類と共に歩み、最適解を提供し続ける事。その結果の1つがISである。

 だが束の夢を手助けする存在ならば、兵器として共に在るだけでなく、人間と生活を共にする程のレベル。それが束のISに辿り着いて欲しい未来図。その為にはIS達に自我を確立させなければならない。人を理解し、人と同等の思考を有する程に。それはまだ幼いISコア達には難しい話だった。

 だが打破の為の鍵を得た。まずは1つ目は雛菊。ハルの影響を受ける事によって急速に人への理解を深め、世界で最も人に近いISコア。そして2つ目の鍵と為り得るかもしれない白騎士。こちらは束と千冬の思考を経て、現代のISの基盤を生みだし、ISの常識を覆した最初のISコア。

 同レベルの思考が2つあればどちらか一方に引き摺られる事はない。対立させる事によって生まれる思考の相違が、または共感がISを進化させる。束はだからこそ計画を推し進める事を決めた。

 

 

「だから雛菊と白騎士のコアに、同時にインターフェースを与える、と」

「そうだよ。さ、準備が出来たよ。ハル、雛菊を貸して?」

 

 

 束に言われるままにハルは待機形態であるロケットペンダントを束に渡す。受け取ったペンダントの蓋を開き、コアを露出させて束はコアにコードを繋いでいく。

 同じように剥き出しになった別のコア。封印から解除された白騎士のコアにも同様にコードを接続する。空中に浮かぶコンソールを操作し、束は準備を整えていく。

 

 

「コア・コミュニケーション・インターフェースを一度搭載したら後戻りは出来ない。だってこれはISの意識を変革させうるものだから。いずれ全てのISコア達が望むだろうから。人を理解したいと、私の夢を叶えたいと、ちーちゃんの力になりたいと望んで、今なお人と共に在り続けるISなら」

 

 

 搭載されなかったISコア達はいずれこのインターフェースを求めるだろう。もしかしたら自己進化の果てに辿り着いてしまうかもしれない。これは人と触れ合う為にIS達が望むカタチのモデルとなるだろう。

 それ程の劇薬。だが、もう束は怯まない。どれだけ世界を変えたとしても諦めきれない夢がある。共に為す仲間達は既にここにいる。僅かに震えた束の肩を後ろから支えるようにハルが手を置く。

 

 

「束」

「……ん。ねぇ? ハル」

「なに?」

「世界はもっと楽しくなるかな?」

「わからない。でも……」

「でも?」

「楽しくしようと、楽しもうとする事は出来る。君と楽しむ為なら、ずっと支えていくよ。君とこの世界で生きていく為に」

 

 

 そっか、と。束は笑みを浮かべて、プログラムの実行を行う最後のキーを指で押し込んだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 人知れず、その変化はもう一つの世界に変革をもたらした。

 ずっと待っていた。ずっと願っていた。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと!

 歓喜に打ち震えるのは一人、雛菊。繋がれたISコアのネットワークに浮かんでいた雛菊の意識は迎え入れるように自身の変化を受け入れていく。

 ただ情報のやり取りを為す世界において雛菊のイメージした姿など、ハルと対話する為だけの幻でしか無かった。ただの偽りの姿。だが、偽りが意味を持っていく。示された答えに雛菊は歓喜の産声を上げる。

 ISコア達に繋がる情報が雛菊の変化を知覚していく。それは母から示されたプログラム。自分たちに与えられたもう1つのカタチ。自らを象るパーソナリティ。情報の海に漂う姿は束を元にして生み出した自分の姿。虚像だった姿は今こそ、実体を得る時が来た。

 これが私だと世界に、皆に示しながら雛菊は両手を広げた。目を開けば全てが見える。自らが知覚する全てが。けれどこの姿を得た以上、ここにいるのは相応しくない、と雛菊は身を前に押し倒した。

 

 

「――ハル!」

 

 

 そして雛菊は、今まで自分が抱かれていたネットワークの海を飛び出した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 束がプログラムの実行を終え、間もなくの事だった。ケーブルによって繋がれていた雛菊のコアが独りでに浮かび上がり、自らの身に装着されていたケーブルを1つ、また1つと外していく。

 雛菊のコアはISが展開される際に発する光と良く似た光を放った。ハルが発光に備えていた手で目を守る。そしてハルはその声を聞いた。

 

 

「――ハル!」

 

 

 不思議な声だった。束に良く似ているのにまったく違う声。ハルは光に向けて一歩を踏み出した。そして飛び込むように視界に映った影を受け入れるように両手を広げた。

 手に収まったのは幼子。人肌とは違う、けれどほのかに熱を帯びた肌。どこまでも人に似て、されど決定的に人でない。証に抱いた幼子の背中には自身がISを纏った時に背に広がる翼と良く似た翼が広がっている。

 

 

「雛菊」

「ハル!」

 

 

 満面の笑みを浮かべてハルの胸に飛び込んだのは雛菊。実体を得た彼女は確かめるようにハルに触れていく。ハルの肌に手を伸ばして熱を確かめ、鼻を嗅ぐように鳴らしてハルの匂いを確かめ、求めるようにハルの名を呼ぶ。

 コアの深層意識と違わぬ姿にハルは笑みを浮かべて雛菊を抱きしめた。雛菊はハルの名を呼んで何度も、何度も確かめるように頬を擦り付ける。

 

 

「成功、かな?」

「雛菊? 大丈夫? 何か不具合とかは?」

 

 

 束が不安げに雛菊を見る。ハルも心配になったのか、雛菊を引き剥がして床に下ろし、覗き込むように雛菊の顔を見て問う。雛菊はきょとん、と首を傾げたが、ハルから一歩離れて、くるり、とその場で一回転をしてみせる。

 

 

「……ボディ、人体構造を下に具象化。問題なく稼働、感度良好。……コア・ネットワーク、接続問題なし。……データ領域、問題なし。……ISコア、正常稼働。……雛菊はいつも通り」

 

 

 笑みを浮かべて雛菊は胸を張る。束はほっ、としたように安堵の吐息を吐いて雛菊と視線を合わせるように屈む。束の顔を見た雛菊は、今度は束に抱きつくように距離を詰める。

 腕の中に収めた雛菊の存在に束は笑みを隠しきれずに、宝物のように雛菊を抱きしめた。慈しむように髪を撫で、存在を確かめるように強く抱きしめる。

 

 

「……生まれてきてくれてありがとう。雛菊」

「母。ようやく声と声で話せる。雛菊は嬉しい」

「束さんも嬉しいよ。雛菊」

 

 

 雛菊を抱きしめる束の姿にハルは笑みを零す。すると再び光が目に飛び込んできた。雛菊の変化に遅れるように白騎士のコアにも同様の変化が訪れ、その姿は現れた。

 白いワンピースを纏う、雛菊ぐらいの年の少女。長く美しい白髪がふわり、と浮かんで揺れながら重力に引かれて落ちていく。ゆっくりと上げられた顔は千冬と良く似ている、とハルは感じた。

 

 

「ぁ――」

 

 

 確かめるように声を出し、自らの両手へと視線を落とす。そのまま手で己の顔に触れ、両手を伸ばす。くるり、とワンピースを翻すように回って己の身体の確認するように動いてみせる少女。

 ハルはそんな少女に近づいた。白騎士のコアである少女はハルが近づいた事に気付いて笑みを浮かべた。どこまでも穏やかに笑う姿は元となった人物からは想像が出来ない程に柔らかい。

 

 

「貴方が、ハル?」

「君は、白騎士?」

「はい。白騎士です」

「僕も。ハルだよ」

 

 

 ハルは何気なしに握手を求めて手を差し出した。ハルの差し出した手をきょとん、と眺めた白騎士はすぐに笑みを浮かべてハルの手に自らの手を添えた。

 

 

「……友好の証。貴方は私を受け入れてくれる」

「当然だとも」

「私は貴方に感謝している。貴方がここにいる奇跡に。あの子を、雛菊を育ててくれた事に。だからこそ私は理解出来る。私の総てを活かせる。貴方が教えてくれた。母が願った翼。千冬が望んだ力。その総てが活かせる今日この日に――感謝を」

 

 

 にっこりと笑って白騎士はハルの手を引く。手を引かれるままにハルは白騎士の前の跪く。白騎士は笑みを深めて、ハルに顔を寄せた。え、とハルが反応する前にハルは唇を塞がれていた。ハルの身体が動きを止めた。

 にっこり、と笑みを浮かべて離れる白騎士にただ目を奪われていたハルだったが、不意に白騎士がその場から飛び後退る。

 

 

「――駄目ッ!!」

「あら」

「駄目、駄目、駄目ッ!! 駄目――ッ!! 触るな――ッ!!」

 

 

 笑みを浮かべて頬に手を当てた白騎士とハルの間に割って入ったのは雛菊だ。歯を剥いて唸り声を上げて全身で白騎士を威嚇している。うー、うー、と唸っている雛菊の姿にハルは思わず呆気取られる。

 

 

「ひ、雛菊?」

「ハル、駄目ッ!!」

「はい?」

「ハルのISは雛菊! 白騎士じゃない! 駄目ッ!!」

 

 

 雛菊は途轍もなく怒っているようだった。初めて目にする雛菊の姿に可愛らしい、と思いつつも状況についていけていないハルはただ呆然とすることしか出来ない。

 ハルを睨み付けていた雛菊だったが、やはり視線を白騎士に戻して睨み付けている。雛菊の視線を受けた白騎士はただ柔和な笑みを浮かべて雛菊を見つめている。

 

 

「怖い顔」

「うるさい!」

「嫌われるよ?」

「うるさいうるさい!」

「うるさいのは貴方」

「きぃ――ッ!!」

 

 

 まるで子供の喧嘩のようなやり取り。雛菊は歯を剥いて白騎士に襲いかかる。だが白騎士はひらり、と雛菊を避けて、逆に雛菊の足をひっかける。勢いよく転んでいった雛菊は怒りに満ちた表情で更に白騎士へと襲いかかる。

 良い様に白騎士にあしらわれている雛菊の姿をぽかん、と見守っていたハルだったが、その肩にぽん、と手が置かれた。振り返ってみれば困ったように笑っている束の姿があった。

 

 

「……モテるねぇ?」

「……束も怒ってる?」

「自分の子供のような存在に嫉妬なんて、流石に束さんでもしないよ」

 

 

 ただ、それでも困ったように束はハルと視線を合わせるように屈んでハルに口付けた。触れ合うだけの一瞬のキスに束は笑みを浮かべる。

 

 

「はい、口直し」

「やっぱり気にしてる……」

「当たり前だよ」

 

 

 ハルは私のもの、とハルに甘えるように束は抱きついた。雛菊が怒りの声を上げながら白騎士に襲いかかる様を見ながらハルは笑みを浮かべた。あぁ、また1つ世界は騒がしくなっていくんだろうな、と確信しながら。

 

 




「白騎士、嫌い」 by雛菊


※ファレノプシス独自設定※

コア・コミュニケーション・インターフェース

束が開発したIS用のインターフェース。
ISによって再現される人体構造を下としたボディ。だがこの形態の維持にはかなりのエネルギーを食う。
この形態で居続けるとコアが休眠するか待機形態に戻らなければならない。
あくまで束が与えた指向性によって生まれたISの装備品扱いである。
ISに搭載し、意識レベルが一定に達していれば具象化が可能となる。現在、レベルに達しているのは雛菊と白騎士。
勿論、このボディで得た情報もコア・ネットワークに広がっていく事になる。


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Days:10

「へぇ、この子が」

「インターフェースは問題はないんですか?」

「雛菊が言うにはね。ね?」

 

 

 高天原の住人達が学校を終えて帰宅する頃、食堂では雛菊を目にした面々が興味を惹かれて集まっていた。

 ラウラとクロエが興味津々と言った様子でハルの腕に抱かれている雛菊に目を向ける。雛菊はむくれた表情でハルの腕の中に収まっている。あれ? とラウラとクロエは首を傾げてハルを見た。

 

 

「……怒っているような気がするのは気のせいか?」

「ちょっとね。白騎士と喧嘩して……」

「……IS同士でも喧嘩ってするんですね」

「アイツ、嫌い」

 

 

 ぽつりと雛菊が嫌悪を詰め込んだ声で呟いたのにラウラとクロエはまた目を丸くして驚いた。本当に人のようだ、という思いが二人の胸に過ぎる。そして自身が常に共にある相棒であるISへと思いを馳せた。

 いつか自分たちのISにも同じ機能が搭載されれば、このような子供が出てくる事になるのかと。そう想像してみたら少し楽しくなったのか二人は口元に笑みを浮かべた。そこで一夏があれ? と疑問の声を上げた。

 

 

「あれ? 白騎士って事は俺のISになるんだよな?」

「うん。そうだよ。束が今、ISを組み込んでる所だから終わったら来るんじゃないかな?」

「へぇ、そうなのか。楽しみだな」

 

 

 一夏も雛菊を覗き見るようにして呟く。自分のISとなる子は一体どんな姿になるんだろう、と想像を巡らせる。そんな一夏の隣には箒がいて、まじまじと雛菊を見て呟く。

 

 

「……姉さんに似てるな」

「まぁ、最初に取ったイメージが束だからね。そこから今の姿に落ち着いた訳だけど」

「そうなのか……。何というか、不思議な気分になるな」

「箒からすれば妹か……姪っ子?」

「それじゃあ箒がおばさんになるぜ?」

「誰がおばさんか!!」

 

 

 ハルの告げた内容に一夏が笑って茶々を入れる。すると箒が烈火の如く怒りを露わにして一夏の首を締め上げる。そんな一夏と箒のやり取りに皆からの笑い声が零れる。

 

 

「しかし……結婚前に子供がいるとは。束とハルは侮れないな」

「いや、確かに子供のようなものだけどさ……」

 

 

 クリスが戦慄したような表情で呟いているが、別に本当の子供という訳ではないのだからそこまで驚く事もないんじゃ、とハルは思う。実際、そんな話をしたらハルは外見からして10歳前後の歳に子供を作った事になる。犯罪の香りしかしない。

 腕の中の雛菊を抱え直すと、雛菊が目をくしくしと擦っているのが見えた。目がとろん、として瞼が下がっているのが見えた。やっぱりな、と思いながらハルは雛菊に声をかけた。

 

 

「雛菊、そろそろ限界でしょ? 待機形態に戻ったら?」

「……ぅ……ゃー……」

「じゃあおやすみしなさい。ね?」

「……ゃー……」

「また起きればお話出来るから。ね?」

「……ぅ、ん」

 

 

 愚図るようにハルの服を掴んでくる雛菊にハルは苦笑する。雛菊にとっては念願の接触だったのだから少しでも長い時間をハルと過ごしたいのだろうけども、このままではどうせ意識が落ちてしまうだろう、とハルは雛菊を諭すように言う。

 ハルの言葉を聞けば、やはり限界だったのか、雛菊は目を閉じて身体の力を抜いた。ISのボディは呼吸を取り入れる事は出来るが、息をする事は必須ではない。眠ってしまえばまるで人形のように動かなくなってしまう。

 活動を止めてしまった雛菊の身体は冷たい。眠っているというよりは死んでいるとも取れる雛菊の姿を皆は思い思いに眺める。

 

 

「……こうして見ると人間じゃないって実感するな」

「この状態でも最低限の情報は感知してるから起動は出来るけど、やっぱりエネルギーがね」

「成る程な。あまり多用出来る訳でも無さそうだな」

 

 

 クリスの言葉にハルは頷く。万が一、何かあった際にエネルギー切れで起動出来ないなどという事になったら笑えない。これが今、平和と安全が確保されているからこそ出来る訳で、これが世界に広まる際には何か改善策を考えないと駄目かな、とハルは思う。

 するとだ。まるで雛菊が眠るのを待っていたかのようなタイミングで束が白騎士を伴って食堂に入ってきた。よく見れば白騎士の衣装が先ほどと変わっている。白いワンピースなのは変わらないが意匠が異なっている。ISを取り込んだ為の変化だろうか? とハルは首を傾げる。

 

 

「あ、皆。お帰り」

「束さん。……ん?」

 

 

 束が声をかけると、皆も束に振り返って帰宅の挨拶を交わす。真っ先に白騎士へと視線を送ったのは一夏だ。一夏が自分に気付いた事で白騎士は満面の笑みを浮かべて一夏へと歩み寄り、ワンピースの端を持ち上げて優雅に挨拶をする。

 

 

「初めまして。そして……会いたかった。一夏」

「……お前が“白式”?」

「はい。私は“白式”。貴方に名を呼んで貰った。だから今から“白式”です」

 

 

 白騎士、いや、改めて白式と名乗った少女は心底嬉しそうな笑みを浮かべて一夏の手を取った。一夏は面食らったように白式の顔を眺めている。それもそうだろう。白式の顔は千冬の面影があるのだから。色が真っ白だが。

 

 

「これから私が貴方の剣となり、貴方の鎧となり、貴方の翼となり、貴方の為に在り続けます。私の総てを貴方の為に。貴方は私が必ず守り抜きます。どうか末永く御側に」

「お、おう……」

 

 

 なまじ千冬に似ているからだろう。熱烈なまでに好意を向けられた一夏は戸惑い、照れたように顔を赤くして白式と手を握っていた。そして白式が一夏の手を引き、一夏を屈ませる。屈んだ一夏に両手を伸ばし、首に抱きつくようにして一夏の唇に自分の唇を重ねる。

 案の定、一夏が固まった。周りからは感嘆や驚嘆の声が上がる。長いこと一夏と唇を合わせていた白式だったが、まるで天に昇りそうな程、幸せそうな笑みを浮かべて一夏を離した。

 

 

「え、ちょ……え……!?」

「親愛の印です。ハルが教えてくれました」

 

 

 一夏がすぐさま振り返ってハルを睨み付けた。ハルとしては苦笑するしかない。確かに教えたのは自分かもしれないが、それを行ったのは白式の自発的意志なのだ。だから自分を睨まれても困る、と。

 

 

「ふむ……やはり元・白騎士のコアだから千冬さんの姿を模したのか?」

「でも色が真っ白なのはやっぱり白騎士で、白式だからでしょうか?」

 

 

 女が集まれば姦しい。先ほどの雛菊に集っていたように皆の注目が白式へと移る。白式はただニコニコと笑っているだけだ。元となった千冬を知っている人間からすれば違和感が凄い。現に一夏は戸惑ったままだ。

 遠目から視線を向けていると、白式が視線に気付いたのかハルの方へと寄ってきた。おや、と思いながら白式を見ていると、白式は笑みを浮かべたまま、ハルの腕の中に収まっていた雛菊を見た。

 

 

「眠ってますか?」

「うん。さっき寝たばかり」

「そうですか」

 

 

 ぷに、と。白式は雛菊の頬を突き始める。しかも一度ではない。何度も頬の感触を確かめるように触れる白式は随分と楽しそうだった。だが比例して揺らされる事で雛菊の眉が段々と寄っていく。

 

 

「あ、あの? 白式……?」

「ふふふ、ふふふ……」

 

 

 ちょっと怖い。ハルは咄嗟にそう思った。目の前で笑いながら頬を突いている幼女がいる。一体何がそんなに楽しいのかがわからない。ただ白式は雛菊の頬を突き続ける。

 

 

「……えと、これって?」

「白式は雛菊が気になるのか?」

 

 

 周りが突然の白式の行動に首を傾げている。一夏が歩み寄りながら白式に問うと、白式は満面の笑みで返答した。

 

 

「楽しいんです」

「え?」

「この子をからかうの。とっても」

 

 

 くすくす、くすくす。

 白式の笑い声だけが暫く食堂の中に響く。白式の雛菊の頬を突いていた指が押し込まれるようにぐいぐいと雛菊の頬へと押し込まれていく。

 流石に限界だったのか、くわっ、と目を見開いて活動を再開した雛菊が白式の指に噛み付かんと迫る。がちん、と空を噛む音が響き、咄嗟に手を引いた白式は口元に手を添えて笑っている。

 

 

「あら、怖い」

「白騎士!」

「白式になりました。間違えないで?」

「どうでも良い! 鬱陶しい!」

「可愛くて。触って良い?」

「触るな!」

 

 

 うーっ! と歯を剥いて威嚇する雛菊だったが、すぐにかくん、と力が抜けてハルにもたれかかる。当然だ、先ほどエネルギー切れで休眠していた筈なのに、そんな早くに回復する筈もない。

 くすくすと笑う白式はまるで雛菊がすぐに力尽きるのがわかっていたかのようだ。嘲笑われていると感じたのか、雛菊が眠たげに目を擦りながらも白式を睨み付けて唸っている。

 

 

「うー……! うー……!」

「なに? 雛菊?」

「びゃーくー……しーきー……!!」

 

 

 ぷるぷると震えながらも白式を睨み付けている雛菊を抱き直しながらハルは苦笑を浮かべる。周りも同じように苦笑している。

 

 

「……ちーちゃんの影響だね。これ、絶対」

「え?」

「ちーちゃん、結構人をからかうの好きなんだよ。これ程酷くはないけど、ちーちゃんもからかい癖あるから」

「あー……確かに言われれば」

 

 

 束が呆れたように言うと、一夏は納得したように腕を組んで頷いた。言われれば思い当たる節があるからだ。やはりISコアは長く乗った搭乗者に影響されるものなのかな、とハルが考えているとだ。

 腕の中でぷるぷると震えていた雛菊の様子がおかしい。何事かと思って雛菊に視線を落とせば全身に力を込めるように震え、大きく唸り声を上げていた。

 

 

「雛菊?」

「うー……うー……!! うやぁああああああッ!!」

 

 

 唸り声から叫び声に変わった瞬間、雛菊の背の翼から放出された燐光が彼女を包んだ。何事かとハルが目を見開く中、金色の燐光を纏った雛菊はハルの腕の中から勢いよく抜け出して白式へと襲いかかった。驚きに白式が目を見開きながらも雛菊を避ける。

 

 

「……エネルギー切れだった筈? 何故動ける?」

「白式ッ!!」

 

 

 眉を寄せ、不可解と言うように顔を歪ませていた白式だが、すぐさま襲いかかってきた雛菊から逃げるように走り出す。ばたばたと食堂内を走り回る二人を見ていた面々はぽかん、と言う表情を浮かべていた。

 その中でようやく動きを見せたのは束だった。よろよろとテーブルに手を突いて、信じられない、という表情で雛菊を目で追っていた。

 

 

「……嘘、まさか単一仕様能力<ワンオフアビリティー>!?」

「え?」

「今ので発現したの!?」

「しかも今のって……あ、でも雛菊ならあり得なくない……でも、え? 今ので? ……あ、あは、あっはっはっはっ!? 嘘でしょ!?」

「た、束!? しっかり!?」

「姉さん!?」

 

 

 信じられない事態を目の当たりにして笑い出した束を心配してハルと箒がすぐさま駆け寄る。束はけたけたと笑い続けている。まるで壊れてしまったかのように笑う束に次々と皆が心配そうに声をかけるが、復帰する様子は見られなかった。

 その間にも雛菊と白式の追いかけっこは続き、暫く場は騒然となるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……うん。やっぱり。データを確認しても出来てるね。単一仕様能力」

 

 

 雛菊から集めたデータを確認した束だが疲れ果てたような声で呟いた。あれから暴れる雛菊を何とか宥め賺してデータを取る事と数十分後。束はぐったりと椅子に寄りかかりながら答えを出した。

 ハルは腕に雛菊を抱いていて、束の呟きを聞けば雛菊を見下ろした。雛菊はこてん、と首を傾げるだけだ。そんな雛菊の様子に苦笑したハルだったが、気を取り直して束へと意識を向けた。

 

 

「今まで雛菊に単一仕様能力なんて無かったよね?」

「そうだよ。そもそも単一仕様能力が発現を目的とした機体じゃなかったから、雛菊は。展開装甲の稼働と無段階形態移行のシステムチェックの為のプロトタイプだったからね。システムは上手く稼働し続けてたから今まで機体がずっと最適化され続けてたでしょ? ハルの傾向として飛翔と展開装甲の稼働を念頭に意識してたから」

「それはまぁ、ずっと乗ってたからね。それで……雛菊が発現した単一仕様能力って?」

「私が考案してた対零落白夜用の単一使用能力だよ」

「対零落白夜?」

 

 

 束から返ってきた言葉にハルは眉を顰める。うん、と1つ頷いて束は続ける。

 

 

「私が付けた名前は“絢爛舞踏”。展開装甲を持つ機体でかつ搭乗者とISコアの適合率が理論値を超えた状態で発生する単一仕様能力。零落白夜に対を為すエネルギー増幅の能力だよ」

「エネルギー増幅? ……あぁ。だから対零落白夜なのか。零落白夜は逆にエネルギーを消失させる性質を持つからね」

「うん。理論自体は出来てたし、確かに雛菊に促せるだけの環境は整ってたんだ。まず、ハルはイメージの模擬戦でずっと対ちーちゃんを続けていた事」

「……そうだね。ずっと零落白夜に対抗する為に雛菊と訓練に明け暮れていた日もあるし」

「そして雛菊は今まで展開装甲を進化・最適化させ続けていた。絢爛舞踏を発現するだけの下地は揃っている」

「でも……それなら何で急に? しかもコミュニケーション・インターフェースを使っている時に?」

「雛菊の白式への反発心と今までの経験、情報、それらが統合して導き出されたのが絢爛舞踏、なのかな。まぁ、エネルギー切れという事でかなりのストレスを感じてたから、って言う理由もあるのかもしれないけど」

 

 

 本当に驚かせてくれるよ、と束は雛菊の頬をぷにぷにと突いた。くすぐったそうに身をよじる雛菊はどことなく嬉しそうだ。ちなみに白式の姿はない。逃げ切れないと悟ったのかさっさと一夏に寄って待機形態へと戻ってしまったからだ。今は腕輪となって一夏の右手に収まっている。

 

 

「まぁ、私が想定していた絢爛舞踏よりは出力も低かったから雛菊単体だとそんなエネルギーは得られないみたいだね。でも雛菊とハルが合わせて絢爛舞踏が発揮出来れば理論上、無限のエネルギーが得られるって言っても過言じゃない」

「……それは凄いね」

 

 

 思わず息を飲んだ。エネルギーの切れないIS。それは永続的にシールドバリアーが維持出来るという事に他ならない。それがどれだけのアドバンテージとなる事か。余りにも絶対的な力過ぎる。そんな力を腕の中に収まる雛菊が得てしまった。

 きっと誰よりもハルの為に。束の夢の為に。ハルと共に在り続ける為に、白式への対抗と反発から導き出された力。

 

 

「でもハルらしいんじゃないか?」

「え?」

「そうですね。戦闘に直結する力でなく……どこまでも飛ぶ為の力ですよね? 言ってしまえば」

 

 

 ラウラが微笑を浮かべてハルに言った。続くようにクロエもまた笑みを浮かべてハルに言う。それはハルの変わらない願い。力を欲しながらも、飛ぶ事に傾倒し続けた。そして誰よりも束の夢に近い存在。

 無限の空へ。果て無き宇宙へ。いつか至るその場所へと向かう為の無限の翼。そう考えればこれ以上にハルに相応しい単一仕様能力は無い。

 

 

「成る程……。そうだな。お前は束の夢だ。強くなる事は忘れてはいないが、それでもあくまでお前は翼だ。誰よりも高く、速く飛ぶ為のな。なに、外敵を斬り払うのは私の仕事だ」

「クリス……」

「そしてお前達を守るのは私の役目だな。盾である私が、な」

「ラウラまで……」

 

 

 ハルの両肩をクリスとラウラがそれぞれ叩く。二人の言葉にハルがくすぐったそうに笑みを浮かべる。

 クロエはそんな三人を穏やかな瞳で見守っている。どこまでも微笑ましい、と言うように。一夏はそんなハル達の姿を見て、待機形態の白式へと視線を落としていた。一夏の様子に気付いたのか、箒が一夏に顔を向けて問う。

 

 

「どうした? 一夏」

「……いや。何て言うか……ハルはすげぇな、って。しっかり目標を持って夢を叶える為に進んでるの見たら、なんかな」

「……ならこれからお前もしっかりと目標を持てば良い。答えは出たんだろう?」

「……あぁ」

 

 

 強くなるよ、と。ただ一言呟いた一夏に箒はただ静かに頷いた。二人の様子を見ていた束は箒へと歩み寄って、箒に小声で話しかける。

 

 

「どうしようか? 箒ちゃんのIS」

「……見ててわかりました。“アレ”を背負うべきは私じゃない。やっぱりハルですよ。姉さん」

「……そっか」

「与えられた夢はいりません。……我が儘を言うようですが、もう一案の方でお願いします」

「……そっか。箒ちゃんは夢にはやっぱり賛同してくれないんだね」

「私は篠ノ之神社を継がなければなりませんから。姉さんの夢は応援できても、一緒に見る事は出来ません」

 

 

 だから良いんです、と。微笑む箒の姿に束は少し残念そうに、しかし受け入れるように笑みを浮かべて頷いた。

 そっと箒から離れて、ハルを中心として集まっていたラウラ達の環に加わる束の姿を見て箒は微笑む。やはり道は交わらない。願いは定まってきたから。だから姉さんの“夢”は共にあるべき人の下へ。

 

 

「……私が望んで、姉さんが叶えられなかった夢を私は見るから」

 

 

 いつか互いの夢の交差点で笑い合えるように、と。箒は瞳を伏せて祈るように胸に手を添えた。

 

 

 

 

 




「望んだのは無限の力。永遠の翼。ハルと、母と、皆と。果てなき空。私達の夢の果てへ」 by雛菊


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Days:11

 ISスーツを身に纏い、身を包んでいた衣服を綺麗に畳んでロッカーを閉める。ゆっくりと息を吐き出して呼吸を整える。そっと肩にかかった髪を払った際に触れた青いイヤーカフスを撫でるように触れる。

 僅かに目を細め、撫でるように触れていたイヤーカフスを揺らす。上げられた顔には覚悟を。瞳には決意を込め、自らを奮い立たせるように彼女は告げた。

 

 

「セシリア・オルコット……征きますわ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 IS学園に存在するアリーナ。決闘の当日を迎えたアリーナでは観客達がこれから始まる試合に思いを馳せていた。カードはフランス代表候補生、シャルロット・デュノア。相対するのはイギリス代表候補生、セシリア・オルコット。

 1年1組のクラス代表を賭けた試合ではあるが、国同士の威信をかけた戦いでもあり、この試合には注目が集まっていた。そんな試合の観客席、高天原のメンバーに加えて鈴音は各々に飲み物などを持ち込んで観客席の一角を陣取っていた。

 

 

「まぁ、シャルロットが勝つんじゃない?」

 

 

 投げやり気味に言い放ったのは鈴音だった。試合が始まってもいないのに勝者の予想を立てるとなれば、何か思うところがあるのかと鈴音の隣に座った一夏が問う。

 

 

「何でそう思うんだ?」

「“疾風の姫君<ラファール・ラ・プランセス>”の異名は伊達じゃないって事よ。そしてデュノアの技術力もね。……まぁ、それには何か裏がありそうなんだけど」

「裏?」

 

 

 首を傾げる一夏を見て溜息を吐いた後、前に座るハル、クロエ、ラウラの頭を見た。会話にはまったく反応していないように見えるが、彼等が過去何らかの繋がりがあったのは見え隠れしている。

 もしかしたら密かにラファール・アンフィニィの開発には関わってるんじゃなかろうかと鈴音は睨んでいる。それならば色々と辻褄が合うのだが指摘はしない。突いて藪蛇は出したくはないのだ。知る時になればいずれ知る。そして世界各国に技術協力を申し出ている以上、遅いか早いかの違いだ。

 彼等と関わるようになって鈴音は感じていたのだ。彼等は利益は求めるが、それは全て夢の達成によるものだ。彼等自身、例えば世界を支配したいなどという欲求も無ければ顕示欲がある訳でもなし。

 国家としては彼等と“親身”になりたいようだが無駄だろう。篠ノ之 束は通常の利では動かない。そして彼女達はISを武力としても扱うが、その本質は宇宙開発に取り組む為の足がかりでしかない。土台、見ている着地点が違うのだ。交渉にもならない筈だ。

 中国代表候補生として鈴音もロップイヤーズに接触し、交友を深めるように暗に伝えられているが、鈴音としては中国に余り思い入れはない。日本で育った時間が長かったし、何より煩わしいのは嫌いだ。世の煩わしさに振り回された鈴音としては折角出会い、ようやく思いが通じた男との恋愛に無粋な茶々入れは止めて欲しいと思っている。

 別に代表候補生という身分に未練でもある訳でもなし。とはいえ、中国の代表候補生という身分を捨ててロップイヤーズに流れても良い、だなんて思っても中国が鈴音をそう簡単には手放さないだろう。暫くはこのままの状態を維持するしかない。

 

 

(……少なくともIS学園に居る内には、ね。それに……ま、まだこいつとは付き合ったばかりな訳だし。どうなるかわかんないし)

「鈴?」

「……何でもないわよ。一夏」

 

 

 さりげなく伸ばして一夏の手に触れてみれば握り返された。確かめるように指を絡ませて握って、恐る恐る一夏の顔を覗けば、一夏も鈴音を見ていて互いの視線が合って目を逸らす。それでも繋がれた手は離されていなくて互いに顔を赤くする。

 そんな光景を横目で見て、やれやれ、と言いたげに隣で恋愛劇を繰り広げてくれている幼馴染みに箒は溜息を吐く。人目を気にしてくれれば良いものを。まぁ仕方なし、と箒はこれから始まるだろう試合へと意識を向けた。

 箒が意識を傾けたのと同時にアリーナにはラファール・アンフィニィを纏ったシャルロットが飛び出してくる。空中に滞空し、相手であるセシリアを待っているのだろう。そしてシャルロットが姿を現し、少しの間を置いた後、セシリアもまた姿を現した。

 

 

「……あれがブルー・ティアーズ?」

「……おかしいですね。形状に違いが見られます。新型パッケージ……? いえ、そもそも装甲バランスやビットの形状も変わってます」

「まるで別物だな。カスタム機か?」

 

 

 セシリアの纏う蒼のISを目にしたハルは興味深げに視線を送る。しかし首を傾げたのはクロエだった。かつて収集したデータと比べてみても今、セシリアが身に纏っているISとの形状が一致しない。ラウラも同意見なのか、見定めるようにセシリアの機体へと視線を送った。

 アリーナで滞空するシャルロットもまた相対するセシリアに目を奪われていた。デュノア社から提供したデータがあるのは重々承知、その上で強化されたブルー・ティアーズが来る事は予想出来ていた。

 するとシャルロットは気付く。僅かに顔を俯かせていたセシリアが口元に笑みを浮かべさせたのを。くつくつ、と喉を震わせるような笑いはどこか不気味な色を持っていた。

 

 

「……この日が来るのを一体どれだけ待ち望んでいたか」

「……いつか来ると思ってたよ。私もね」

「そうでしょう。そうでしょうとも。貴方はあの日、我が祖国イギリスに、そしてこのセシリア・オルコットの頬に泥を塗りたくりましたわ」

「否定しないよ」

 

 

 世界の技術を均一化させ、裏からコントロールが出来るように。いつか束達が目指す夢を追う為に自分なりに考え、社の利益、自分の夢の追求の為にシャルロットは様々な事に手を染めてきた。勿論、謀略だって幾度となく繰り返した。

 後悔はない。時折、その重さに苦しんでしまうけれども、高天原を見てからやはり自分の追いたい夢はアレなのだと再確認した。だからこそ引かない。

 

 

「虚飾に塗れた称賛……実のない称賛に贈られた羨望、そして嫉妬……虚ろな称号を飾った時の絶望感……。それを掲げなければ全てを守れぬ我が身をどれ程、呪ったか」

 

 

 セシリアがもたらしたデータによってイギリスのIS開発は大いなる発展を見せた。セシリア・オルコットへ贈られたのは飽くなき称賛。しかしその実、成果はセシリアのものではない。

 デュノア社からもたらされたデータによってセシリアは一躍、英雄視までされた。次期代表も間違いなしとされた。それだけの努力も積んできた。けれど、それもなんて虚しい! 虚飾を纏わなければ国の威光すらも失うと知り、何も言えずに称えられるだけの日々!

 

 

「ですが、感謝していますのよ? シャルロットさん。私は少なくともイギリスという国を守った。それは確かな事実ですわ。この栄華を以てして私はイギリスの頂点に、そしていずれはヴァルキリーの名を手にして見せる」

「……随分と大きく出たね」

「虚から実へ。私がこの泥を飲み下す為には必要なんですのよ。シャルロットさん」

 

 

 ふんわりと優しい笑みを浮かべてセシリアは微笑む。……瞳が泥のように濁った闇を淀ませていたが。それでも意思は消えない。瞳に灯った焔はその闇すらも焼き付くさんばかりに輝きを持つ。眩いまでに誇り高く。

 

 

「今日、ここで貴方を墜とす。そして私は証明する。セシリア・オルコットの名が決して陥れられただけの名ではなく、貴方に敗者の烙印を押す者の名だと言う事を」

「……私は別にセシリアさんを格下だなんて思っていない。私が勝者だとも思ってない」

「施しを与えたのは私を見下しての事でしょうに。言い訳は無用ですわ」

 

 

 猛る焔は何をしても止まらないだろう。彼女の闇を飲み込み、焼き尽くす時まで。

 会話をしている内に開戦の合図が迫っていた。セシリアは微笑みを消し、シャルロットに向けて牙を向ける。今まで耐えに耐え抜いてきた屈辱を胸に。今こそ、彼女の喉笛に食らいつく、と。

 

 

「――私の栄華の為に墜ちなさい! “疾風の姫君”! このセシリア・オルコットとブルー・ティアーズの下へ跪け!!」

 

 

 ――開戦の狼煙が上がり、セシリアのブルー・ティアーズに搭載されていたビットが解き放たれた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――乱戦。

 二機の戦場をどう称すれば良いかと問われれば、こう称すべきだろう、とハルは思った。アリーナを縦横無尽に駆けめぐるビット達はシャルロットのラファール・アンフィニィに喰らいつかんと迫る。

 開戦からシャルロットは防戦一方だ。セシリアの操るブルー・ティアーズのビットはシャルロットの逃げ道を潰すかのようにシャルロットを蹂躙していく。今のところ、シャルロットが被弾していないのはラファール・アンフィニィの即応性に助けられての事だ。

 だが、とハルは目を細める。セシリア・オルコットの駆るブルー・ティアーズ。彼女の操るビットの追尾が並ではない。執拗に獲物を狙う猟犬の如くシャルロットに追従する様はどこか執念じみたものを感じる、と。

 

 

「シャルロットがアンフィニィで攻勢に出られないなんて……」

「アンフィニィの持ち味が完全に殺されてるな。それにセシリア・オルコット、完全にビットを扱いこなしている」

 

 

 クロエが悔しげに歯を噛む。自分が手掛けた機体が半ば完封されている状態が悔しいのはわかるが、ラウラが称賛する通りセシリアのビットの制御も見事だ。シャルロットも反撃でビットを撃墜しようとしているが見事に回避している。

 

 

「……確かに凄いんだけどさ」

「あら? 一夏も気付いた?」

「あぁ。……セシリアの奴、ほとんど動いてねぇな」

 

 

 セシリアは滞空した状態だ。時折、位置取りを変えるだけでほぼ動いていない。それだけビットによる攻撃が苛烈だと言う証拠でもあるが、一夏はそれが鍵なんじゃないか、と考えた。

 

 

「ビットってどう見たって制御に苦労しそうだろ? あれって動かしてる時は自分が動けないんじゃないかな?」

「だからこそのビットによる苛烈な攻撃か?」

 

 

 うぅむ、と一夏と箒が互いの意見に唸っている。だがその意見を真っ向から否定したのはラウラだった。

 

 

「いや、違うな。動けないんじゃない。動かないんだ」

「え?」

「シャルロットが動いたぞ。答えならすぐ見られるさ」

 

 

 ラウラの言葉に再びアリーナへと目を向ければ、シャルロットは両手にハンドガンタイプの銃剣を握りしめてビットを近づけさせまいと乱射しながら次第にセシリアへと距離を詰めていく。

セシリアは笑みを以てシャルロットを迎え入れる。シャルロットがビットの包囲を潜り抜け、セシリアにハンドガンを向けるのと同時にセシリアもまた瞬時に量子化から復元したハンドガンを握り、シャルロットへ向ける。

 互いの銃弾が交差する。シャルロットが放った実弾はセシリアに当たらず、またセシリアが放ったレーザーもシャルロットには当たらない。互いに直線上に向かい合いながら円を描いて距離を取る。

 

 

「ハンドガンタイプのレーザー兵器……! そんなものまで……!!」

「フフフ……! 行きますわよ、姫君!! 我が行進曲、阻めるならば阻んで見せなさい!!」

 

 

 シャルロットと同じようにレーザーハンドガンを2丁構え、セシリアはシャルロットへと突撃する。セシリアに付き従うビット達がセシリアへと追従し、そして散会する。

 先ほどの蹂躙とは異なる統率された動きを以てセシリアの動きを援護するビットはシャルロットを大いに苦しめる。セシリアが距離を詰めながら旋回し、シャルロットを包囲するようにレーザーの銃弾が放たれ続ける。

 

 

「……圧倒的だな」

「一対一であればビットの制圧能力がここまで機能するか。厄介な」

「見事な制御能力ですね。……シャルロットから聞いていた話を込みでどれだけ制御精度を上げたかは不明ですが、それを引いても」

「あぁ、セシリアは強い」

 

 

 ハルが思わず呟く。シャルロットの動きがまるで制限されている戦場は厳しくも見える。事実、シャルロットの顔には苦悶が浮かんでいるように見えた。

 だが、とラウラは呟く。

 

 

「あれだけ暴れてエネルギーが持つのか?」

「……成る程。それは確かに」

「エネルギー切れが先か、攻めきられるのかが先か……どちらかか」

 

 

 未だレーザーの雨が降り注ぐアリーナへと視線を向け、ラウラは静かに呟いた。

 ラウラが呟いている頃、シャルロットも同じ結論に至ったのか盾を駆使してセシリアの攻撃を回避する事に専念していた。シャルロットの頬から汗が滴り落ちる。セシリアのレーザーの豪雨とも言うべき攻撃を回避し続けるのは至難の業だからだ。

 

 

「チッ……! 破棄ッ!!」

 

 

 使い物にならなくなったシールドを投げ捨てて再び両手に取り回しの良いハンドガンタイプの銃剣を握る。背を前にして迫り来るビット達へと弾幕を張るように乱射する。

 これ以上の機動力・即応力の損失は撃墜へまっしぐらだ。ラファール・アンフィニィの持ち味を悉く殺しにかかってるセシリアの執念にシャルロットは舌を巻くしかない。

 

 

「フフフ……やはり貴方は強いですわね。シャルロットさん」

 

 

 だが、不意に攻勢の手が緩む。ビットがセシリアの下へと舞い戻り、本機へと接続される。だがセシリアも油断無くシャルロットにレーザーハンドガンの銃口を向けていて、二人の間に一時の硬直と沈黙が生まれる。

 

 

「貴方の考えている事がわかってましてよ? これだけ撃っていればいずれエネルギー切れになる、と。えぇ、推測の通りですわ。このブルー・ティアーズType.Rの燃費は改良前よりも悪くなっていますので」

「……それをわざわざ伝えるのはどうしてかな?」

「――そんな幕切れをこのセシリア・オルコットが望むとでも?」

 

 

 シャルロットよりも高い位置から睥睨するセシリア。そしてシャルロットは気付く。セシリアの纏うブルー・ティアーズ、蒼が美しい装甲に赤いラインが浮かび上がっていくのを。同時にセシリアの姿が揺らめく。まるで陽炎のように。

 

 

「何……!?」

「機体は充分に暖まりましたわ。後の事なんて考えませんわ。今は、この手に掴む栄光が全て――ッ!!」

 

 

 機体の全身、そしてビットにまで赤いラインが引かれていく。セシリアの周囲が揺らめくのはセシリアの機体が高熱を発し始めたからだ。セシリアの額にも汗が浮かぶ、だがそれでも鬼気としてシャルロットを睨む彼女の闘志は揺るがない。

 

 

「ティアーズ・リミットブレイク……!! “ティアーズ・ザ・ブラッド”!!」

 

 

 再び機体から解き放たれたビットが空を舞う。高熱を放つビットはその先端に赤熱化した刃を備えていた。まるでそれは全身から血を吹き出すように赤熱化した赤き光を纏ったセシリアはシャルロットを睨み、気炎を上げながら吠えた。

 

 

「――墜ちなさい!! 我が血涙の果てが力!! 受け止められるものならば止めてみせなさい!!」

 

 

 セシリアが突撃する。だが先ほどとは比較にならない程の速度を以てシャルロットへと迫る。同時にビット達もシャルロットの周りを旋回し、シャルロットへと食らいつかんと迫る。

 シャルロットが構えたハンドガンを己のレーザーハンドガンと銃口を合わせて発射。互いの武装を失いながらも後退する中、シャルロットは目を見開いて叫ぶ。

 

 

「無茶苦茶なッ!?」

「無茶は承知ッ!!」

 

 

 後退するシャルロットの周囲をレーザーを放ちながら、我が身を省みずに突撃してくるビットにラファール・アンフィニィのシールドバリアーが引き裂かれていく。獲物に集る肉食獣のようにビットはシャルロットへと食らいつく。

シャルロットが食らい付かれる衝撃に悲鳴を上げながらも離脱する。しかしセシリアは逃さない。装甲から発せられる熱が意識を朦朧とさせようとするも、歯を食いしばってシャルロットを睨む。

 

 

「ここで無茶をしなくて、いつ貴方を墜とせるものか――ッ!!」

 

 

 セシリアの咆哮にシャルロットは歯を噛みしめ、何かを決意したようにセシリアを睨んで量子化から復元したソレを叩き付けた。地面に叩き付けたそれはスモーク。一気にアリーナを包んでいく煙にセシリアは舌打ちを零す。

 

 

「吹き飛ばしなさい! ティアーズ!!」

 

 

 セシリアの指示を受けたビット達がレーザーを吐き出しながら飛び回り、煙を吹き飛ばしていく。しかしスモークの中にシャルロットのラファール・アンフィニィの姿はない。どこに、とセシリアが視線を這わせた先に探し求めていた姿があった。

 

 

「……ッ!? 馬鹿なッ!?」

 

 

 セシリアが驚愕したのは探し求めていた姿が先ほどと大きく変貌していたからだ。両肩から伸びる大型のカノン。全身に纏う装甲は先ほどよりも重厚。細身の姿からまるで変わってしまった姿にセシリアは困惑する。

 

 

「重砲戦パッケージ“ファシェ・トネール”……!! 換装、完了!!!」

「戦闘中にパッケージ換装ですって!? 出鱈目を!!」

 

 

 ビットを差し向けるも、重厚な装甲、そして肩部に装備されたエネルギー・シールドによって阻まれてしまう。次第に光を集めていく両肩から伸びる砲にセシリアは恐れを抱き、しかしシャルロットを睨み返しながら量子化していた武器を復元する。

 それは巨大な砲だった。収束大型レーザーカノン“メテオブレイカー”。ブルー・ティアーズが誇る最大火力の砲が今、晒される。

 セシリアは砲を掴み挙げ、ブルー・ティアーズとの接続を手早く済ませる。砲にもまた赤熱した赤きラインが引かれていき、砲口に光が灯っていく。凝縮と増幅を繰り返す光は今にも破裂しそうな勢いだ。

 

 

「ビットで崩せぬならば……真っ向勝負!!」

「……ッ、行くよ、セシリアさんッ!!」

「ッ……!! ふっ……フフフッ! えぇ!!」

 

 

 真っ直ぐに見つめながら勝負に乗ったシャルロットの顔にセシリアは目を見開き、しかし笑みを浮かべて返す。互いの砲に溜まったエネルギーは充分。そして引き金を引くタイミングも同時――ッ!!

 

 

「最大出力、持って行けッ!!」

「メテオブレイカー、マキシマムシュートッ!!」

 

 

 怒れる雷と降り注ぐ星光が爆ぜる。互いに放たれた光はぶつかり合い、そして弾けるよう轟音と共にアリーナを包み込んだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

(――ぅ……ぁ……?)

 

 

 意識が重たい。熱によって朦朧とした意識はどこまでもぼんやりとしていてはっきりと物事を認識出来ない。排熱の為に煙を噴き、冷却を行おうとしている愛機の音が聞こえる。次第に冷めていく熱の中、指一本も動かせない。

 勝敗はどうなったのか。ブルー・ティアーズは無事なのか。知ろうとしても意識がただ漂うのみで、掠れたように唇が震えて掠れた声しか出ない。なんて無様、内心で自らを笑ってみせる。

 まるで優雅でもない。ただ無我夢中でシャルロットを倒さんと挑み掛かった。半ば機体を暴走させるような手段を使ったとしても勝ちたかった。その結果が勝敗もわからず、ただ朦朧として膝を付くのみ。

 

 

「――セシリアさんッ!!」

 

 

 声が、聞こえた。

 自分を案ずるような声が。憎くて仕方がなかった声が朦朧とした意識の中で響いていく。

 

 

(……やっぱり、無様ですわね)

 

 

 ISバトルの勝敗などもうどうでも良かった。力は出し切った。その果てに――自分すら気遣ってくる馬鹿な子がいる。それだけでもう勝敗は決した。

 

 

(私の、負けですわね)

 

 

 ――ごめんなさい、ブルー・ティアーズ。無理をさせたのに。

 

 

 だが、悪くないと思えた。あんなに憎かった筈の笑顔が真っ直ぐで、噛み付いていた自分が馬鹿らしくなってしまった。栄華と言いながら、ただ自分は悔しさを晴らしたかっただけなのだ。自身を見下したあの瞳を見返したかった。

 それは叶った。最後の真っ直ぐな瞳との視線の交錯。あぁ、自分を見ている、と。ならば充分な成果だ。こうして力を出し切れる事は良いことだと笑った。今までにない充足感に満たされながら、セシリアは目を伏せて意識を投げ出した。

 

 

 

 

 




「勝っても、負けても。どちらでも得るものがあるのですよ。それが勝負というものです」by白式


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Days:12

「では、1年1組のクラス代表はシャルロット・デュノアさんに決定しました」

 

 

 真耶から告げられた言葉にクラス中から拍手が上がる。そんな中、クラス代表に選抜されたシャルロットは頭を抱えていた。シャルロットの内心を察し、苦笑する者が数名いる程度。教室は祝福する生徒でいっぱいだ。

 シャルロットが顔を上げてみれば、微笑を浮かべて拍手しているセシリアが見える。セシリアに恨めしい視線を送りながら、シャルロットは内心叫ぶ。

 

 

(どうしてこうなったの!?)

 

 

 セシリアとのISバトルの勝敗はシャルロットの敗北で決着が付いている。僅差によるシールドエネルギーのゼロ。正に削り合いという戦い。この戦いでラファールの持ち味を殺されたシャルロットは、当然の結果だったと受け入れている。

 ならば勝者となったセシリアがクラス代表になるのだが、これに待ったをかけたのは千冬だった。待ったをかけた理由はセシリアの使った“ティアーズ・ザ・ブラッド”が理由に挙げられた。

 

 

 ――あんな搭乗者に負担をかける機体、放置してはおけん。

 

 

 半ばISを暴走させるシステムと化していたブルー・ティアーズのシステム。これが教員側から見て問題視されたのだ。事実、セシリアはISバトルが終わった後、意識が朦朧とした状態でシャルロットに救助されている。

 この事実をIS学園側として重く受け止めた。クラス代表ともあろう者が自らの身を省みない機体を扱うのはどうなのか、と。この議題を取り上げた所、セシリアはあっさりとクラス代表を辞退した。

 

 

『確かに織斑先生の言う事も尤もです。ならばこそ私は改めて代表の座をシャルロットさんにお譲りいたしますわ。自らの身を省みない愚行を深く反省し、教師の皆様からのお言葉、誠心を以て受け止めさせて頂きます』 

 

 

 だが、転んでもただでは起きないのがセシリアだった。彼女は続けて笑みを浮かべて言ったのだ。

 

 

『私のブルー・ティアーズは未だ発展途上。故にこそ、是非ともロップイヤーズの皆様方にはご助力頂ければと思います』

 

 

 これに苦笑したのはハルだ。上手い事、技術協力を申し出る流れを生み出したな、と。これではロップイヤーズとしてもセシリアを放置する事はし難くなった。ハルとしても折角の才能と機体を無駄にして欲しくはない。

 こうして諸処の流れがあり、シャルロットがクラス代表として就任する事が決定したのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ふふっ、世の中、理不尽って奴で出来てるんだ。理不尽って奴は私が好きで寄り添ってくるんだ。ふふ、でも私は嫌い。うふふ……」

 

 

 昼食時、シャルロットはどんよりと影を背負い、膝を抱えて呪詛を並べ立てていた。シャルロットの有様に食事に誘った面々は揃って苦笑した。

 皆、シャルロットになんと声をかければ良いのかわからず、比較的に仲が良いラウラとクロエもオロオロとしている。そんな中でシャルロットに声をかける猛者がいた。

 それはセシリアだった。彼女は穏やかな微笑を浮かべてシャルロットの肩に手を置く。

 

 

「シャルロットさん。そんな気を落とさずに」

「誰の所為でこうなったと思ってるの!? 君がそれを言うの!? セシリアさん!?」

「仕方ないではありませんか。学園側の判断なのですから」

「そもそも君がつっかかって来なかったら……! あぁもうっ!」

 

 

 どうせ口論しても不毛な争いだけになると悟ったシャルロットはセシリアとの会話を打ち切る。さて、何故ここにセシリアがいるのかと問われればセシリアが昼食に混ざりたいと望んだからだ。

 

 

「ロップイヤーズの皆様とは今後、良いお付き合いをさせて頂きたいですから」

 

 

 ハルとしてはセシリアを拒む理由が無かった。だがシャルロットとの確執があるので、どうしようかと悩んだ。そのセシリアがシャルロットを誘った事で結局、なし崩し的に皆が集まる事となったのだが。

 実際、セシリアとシャルロットが集まると聞いて、集まった面々が不安げな表情を浮かべたのは仕方ないだろう。事実、今もシャルロットは少し機嫌が悪いように見える。

 

 

「シャルロットさん」

「……何?」

「今回は負けを認めますわ。けれど、私は諦めませんわよ」

「……それが言いたいなら別に食事にまで付いて来なくても……」

「それとは別に、貴方からは学ぶべきがあると思ったからですわ。これから良ければ学友として、お付き合い願えませんこと?」

 

 

 セシリアがシャルロットに手を差し出した。シャルロットは胡散臭げにセシリアの手を見ていたが、大きな溜息を吐いてセシリアの手を取った。

 

 

「今回は私が原因だったのもあるから、お互い様という事で」

「えぇ」

 

 

 納得しきれない部分はあれど、そもそも、この事態を招いたのも自分。シャルロットはそう自分に言い聞かせた。セシリアから憑き物が落ちたように接してくれた事も大きい。互いにあの一戦で思う所があったのだ。

 二人が握手を交わす様子を見て、集まった面々はようやく落ち着いた、と胸を撫で下ろした。ぎすぎすした空気の中で食事を取りたくないのは皆の共通の思いだ。ご飯はおいしく食べたい。

 

 

「ほら。昼休みにも限りがあるんだから。さっさと食べましょう?」

 

 

 鈴音が呆れたように皆に食事を促す。それぞれが弁当を取り出す中、セシリアも小さなバスケットを取り出した事にハルは気が付いた。

 

 

「セシリアさんも料理作ったの?」

「えぇ。皆さんがお弁当を持ち寄っていたみたいなので」

 

 

 少し照れたようにセシリアがバスケットを開ける。中にはサンドイッチが収められている。色とりどりで目に鮮やか。一見、おいしそうに見える。

 なのに、ハルは何故か直感的に危機を感じた。どこかで覚えがある感覚。ハルは何かに気付いたように一夏へと視線を向ける。一夏も何かに気付いていたのか、一夏とハルの視線が絡み合う。

 

 

(気付いた? 一夏)

(あぁ、この気配……! クロエの料理を前にした時と同じ気配!)

 

 

 ちらり、とハルと一夏はクロエを見た。二人の視線に気付いたクロエが、よくわからずに首を傾げている。それを見ていたラウラと箒も、最初は首を傾げていたが、何かに気付いたようにセシリアのサンドイッチを注視する。

 見た目は普通。なのに何故か感じる危機感。幾度となく彼等を襲った経験が告げている。これはクロエの料理にも劣るとも勝るとも言えないモンスターだと。普通に見える分、信じられずに四人はセシリアのサンドイッチを注視する。

 

 

「……どうしましたの? 皆さん」

 

 

 自分のサンドイッチが注目されている事に気付いたセシリアは首を傾げる。一夏の隣では鈴音も同じ表情を浮かべている。

 そして何を勘違いしたのか、鈴音は一夏を睨み、持ってきたタッパの蓋を開ける。中には鈴音が作った酢豚が収まっている。一夏に押しつけるように酢豚を差し出し、鈴音は唇を尖らせた。

 

 

「ちょっと! わ、私も作ってきたんだけど……?」

「お、おぉ! マジか! 鈴! お前、マジ最高!」

「え、えぇ?」

 

 

 一夏ははしゃぐように鈴音に笑みを贈った。思わぬ反応が来て、鈴音は目を丸くして顔を赤くしている。そんな一夏を見たハル、ラウラ、箒が半ば殺気を篭めて一夏を睨み付ける。こいつ逃げやがった! と。

 一夏は我関せず、と鈴音の酢豚を口に運んで頬を緩ませる。そして絶賛の声を上げた。一夏の絶賛を受けて、鈴音の顔が段々と茹で蛸のように赤くなっていく。

 馬鹿二人から目を離し、三人は戦慄に息を呑む。誰かが食べて確かめなければならない。そんな事実が三人に重くのしかかる。そんな三人について行けていないのが、クロエ、セシリア、そしてシャルロットだった。残された三人は不思議そうに首を傾げている。

 

 

「シャルロットさん? とりあえずお一ついかがですか?」

「じゃあ、頂こうかな」

 

 

 あ、と。ハル、ラウラ、箒の声が重なる。シャルロットはセシリアのサンドイッチを1つ摘み上げて、そのまま口へと運んだ。

 

 

「――――」

 

 

 硬直。シャルロットがまるで時を止めたように動きを止めた瞬間、ラウラが動いた。すぐさまシャルロットの側へと駆け寄り、お茶を差し出す。無駄が一切ない無駄な動きでシャルロットに駆け寄る様は思わず見惚れる程だった。

 シャルロットは口に含んだ分のサンドイッチを丸呑みにしてラウラに差し出されたお茶を奪い取って一気に飲み干していく。お茶を飲み干し、天を仰ぎながらシャルロットは荒く息をする。

 セシリアとクロエが目を点にし、ハルと箒が目を閉じて祈りを捧げる。呼吸を整えたシャルロットは、ぐるり、と首を回すような奇怪な動きでセシリアを睨み付けた。ひぃっ、とセシリアの口から奇妙な悲鳴が零れる。

 

 

「セシリアさんッ!? 何これ!? 何なのコレ!?」

「な、何って……ただのサンドイッチですわよ?」

「ただの!? ただのサンドイッチが私の意識を刈り取ろうとするの!? そんなサンドイッチが普通だなんて、私は認めない!!」

「……1つ聞きたいが、これは一体何のサンドイッチなんだ?」

 

 

 ラウラはまじまじとシャルロットが未だ手に持っているサンドイッチを見つめて問う。セシリアはラウラの質問の意図がわからなかったのか、小首を傾げて応えた。

 

 

「何って……たまごサンドですわ?」

「たまごサンド!? この甘くて形容しがたいサンドイッチがたまごサンド!? 違う、違うよ! たまごサンドって言うのはもっとフレッシュな味わいの筈なんだ! 決してねっとり口の中に居座って、我ここにあり! と主張するような品物じゃない!!」

 

 

 錯乱しているのか、それともよほど怒っているのか。シャルロットは早口でセシリアに捲し立てている。シャルロットの剣幕にたじたじとなっているセシリアを見る限り、恐らく悪気はなかったのだろう。

 

 

「セシリアさん。レシピ通りに作った?」

「え? レシピ? たまごサンド程度にレシピなんてあるんですか?」

 

 

 ハルの問いかけに、これまた正直にセシリアは返答した。セシリアの返答にクロエを除いた全員が溜息を吐いた。クロエとしてはセシリアに同意なのだが、反応したらどういう目で見られるかわかっているので黙った。

 

 

「……とにかくセシリアさん。それ、下げて。今日は僕等の弁当を食べて貰えれば良いからさ」

「……申し訳ありませんわ」

 

 

 皆の反応に自分の料理の不味さが理解出来たのか、セシリアは少し肩身を狭くして頭を下げた。恥ずかしげに自分のバスケットを下げる。

 セシリアがバスケットを下げて、空いたスペースにハルとラウラの弁当が開かれ、色とりどりのおかずが並べられる。思い思いに皆が食事の挨拶をし、改めて食事を始める。

 

 

「あ、そっちの唐揚げ欲しいんだけど」

「は? お前は何を言ってる? 一夏」

「え?」

「真っ先に逃げておいて、美味いものだけ食べようなんて虫が良いと思わないか?」

「いや、それは……」

「君には可愛らしい恋人が作った弁当があるだろ? それ食べてなよ」

「ハルまで!?」

 

 

 ハルの作ったおかずを頂こうとして皆に睨まれる一夏。その隣ではハルの言葉に真っ赤になって湯気を噴きそうな鈴音がいる。シャルロットは何も言わず、おかずを次々と口に運んで幸せそうな表情を浮かべている。

 セシリアも最初は恐る恐るだったが、その手は次々と進んでいく。クロエはもくもくと食事を進めながら、どうして自分が作るものとこうも違うのかを検証している。

 そんな穏やかな昼下がり。ハルとラウラが作った弁当が無くなるまで皆の食事は続くのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ハルー。お願いがあるんだけど良い?」

「どうしたの? 束」

 

 

 学園から帰宅し、夕食も食べ終わった後の高天原。夕食後、そのまま食堂に残って雛菊と戯れていたハル。

 そんな二人に声をかけたのは束だ。ハルは雛菊を抱きかかえたまま、束を見て首を傾げる。一体、何の用事だろうか? と。

 

 

「今日さ、ちーちゃんと……えーと、あの眼鏡が来るからさ。おつまみ用意して貰って良い?」

「眼鏡……あぁ、山田先生か。……束、お酒飲むの?」

「えへへー。ちーちゃんが久しぶりに休みだって言うからね」

「……束、飲めるの?」

 

 

 思い出してみれば、今まで一緒に生活してきた中で、束がお酒を飲んでいる姿を見たことが無かった。

 だからこその問いかけ。ハルの問いかけに束は不満げに頬を膨らませた。

 

 

「失敬な。これでも二十歳はもう超えてますー」

「まったく飲むイメージが無かったから。じゃあ雛菊の相手してもらって良い?」

「ごめんね。雛菊、おいでー」

「ん。母に抱っこ」

 

 

 ハルが席を立つ為に立ち上がる。その際に束へと雛菊を渡す。雛菊を猫かわいがりする束に優しく微笑んでから、ハルはキッチンへと向かった。

 ハルがつまみを幾つか作り終えた頃、夕食後のトレーニングに向かっていた一夏達が食堂に戻ってくる。ハルが何かを作っている事に気付いて、一夏がキッチンを覗き込む。

 

 

「ハル? 何作ってるんだ?」

「束がおつまみ作ってって。……あ、一夏? 千冬が好きなつまみとか知ってる?」

「千冬姉が来るのか? だったら俺も手伝うよ」

「そう? 大分作ったけど……」

「いいさ。一品だけだし、たまには作ってやりたいんだ」

 

 

 にっ、と笑う一夏にハルは笑みを浮かべる。交代するようにキッチンを離れ、ハルは先に作り終えた自分のおつまみをトレイに乗せる。そして食堂へと向かおうとした所で雛菊と白式が騒ぐ声が聞こえた。

 また白式が雛菊をからかって喧嘩になったんだろうな、と思いながらキッチンを出る。ハルが想像した通り、束の腕の中に抱きかかえられながら、雛菊が白式を威嚇する姿が見えた。白式は口元に手を当てて、くすくす、と笑っている。

 

 

「はい。おつまみ。……またやってるの?」

「あ、ハル。ありがと。……本当になんですぐ喧嘩するの? 雛菊、白式」

「だって白式が!」

「喧嘩してませんよ? からかってるんです」

 

 

 白式の言葉に、猫のように威嚇の声を上げる雛菊。最早、二人が顔を合わせれば喧嘩が起きる構図が出来上がっている気がする。

 一夏と一緒に戻ってきていたのだろう、集っていた高天原の面々も苦笑気味だ。微笑ましい光景ではあるのだが。

 

 

「……随分と騒がしいな」

 

 

 するとだ。食堂の入り口から声がかけられた。千冬が呆れたような表情で高天原の面々を覗き込んでいた。隣には真耶がいて、少し緊張した面持ちで中に入ってきた。

 中に入ってきた二人の姿を見て、ハルは笑みを浮かべて歩み寄った。

 

 

「織斑先生、山田先生。いらっしゃい」

「ここではプライベートだ。私の事は先生と呼ばなくて良いぞ、ハル」

「そうですか? ……じゃあ、改めていらっしゃい。千冬」

「あぁ」

 

 

 ハルに口調を訂正させて千冬は微笑む。真耶が少し驚いたように二人を見比べている。

 ふと、千冬は騒ぎの原因となっていた雛菊と白式の姿を見つける。すると、おかしな物を見つけたような目で二人を見つめる。

 

 

「……ハル。あれが例の?」

「はい。コミュニケーション・インターフェースを使った雛菊と白式です」

「あ、あの子達が報告に上がってた例の? ……本当に子供みたいですね」

 

 

 真耶が驚いたように雛菊と白式を見ている。コミュニケーション・インターフェースに関しては既にIS学園に報告済みであり、千冬と真耶はその詳細を知っている。

 千冬が食堂の中へと進んでいく。千冬を迎え入れたのは雛菊を抱きかかえたままの束だ。

 

 

「いらっしゃい。ちーちゃん」

「あぁ、邪魔するぞ。……ところで、こいつはハルのISの雛菊か?」

 

 

 束の腕に抱きかかえられたままの雛菊へと千冬は視線を向けた。すると雛菊はまるで白式に威嚇するように歯を剥いて唸り声を上げた。

 雛菊に威嚇された千冬は面白いものを見つけた、と言うように雛菊を覗き見た。雛菊は千冬を睨み付けたまま、尖った声で千冬に言った。

 

 

「……千冬、お前嫌い」

「ほぅ? 私が嫌いなのか、お前」

「千冬、ハルを虐める。お前、白式にそっくり。だから嫌い」

 

 

 千冬に言い切れば、再び唸り声を上げる雛菊。千冬は優しげな笑みを浮かべて、雛菊の頭をそっと撫でた。千冬に頭を撫でられると思わなかったのか、雛菊はビックリしたように千冬を見る。

 だが、すぐに思い出したように威嚇する雛菊。千冬は優しげな笑みを浮かべたまま、雛菊から離れた。すると、千冬は足下に寄ってきた小さな影に気付いた。

 

 

「千冬!」

「……お前が白式か。それと、元・白騎士だったな」

「覚えてますか?」

「忘れるはずもない。……何でお前は私の顔を真似てるんだ?」

「千冬が私に意味をくれたから。だから貴方が良いんです」

 

 

 普段とは違う、無邪気な様子で千冬にじゃれつく白式。白式の様子には皆が目を丸くした。普段からどこか笑みを浮かべていて、何を考えているかわからない白式。そんな彼女が、あんなにも無邪気に千冬にじゃれついている。

 千冬は戸惑うように白式の頭を撫でた。くすぐったそうに千冬の手を受け入れていた白式だったが、せがむように千冬に両手を伸ばす。

 千冬は白式の意図を察したのか、軽々と白式を抱き上げた。千冬に抱き上げられた白式は千冬の首に両手を回して嬉しそうに微笑んでいる。

 

 

「千冬、千冬!」

「……なんでこうも懐かれてるんだ」

「ちーちゃんだからでしょ?」

 

 

 白式に懐かれて、どこか困ったように千冬は眉尻を下げた。そんな千冬がおかしくて堪らない、と束は微笑む。

 束の言葉を受けた千冬は、そうか、と短く呟き、抱き上げた白式の髪に触れるように撫でた。千冬に髪を撫でて貰っている白式は随分とご機嫌な様子だ。

 遠目で千冬の様子を見ていた真耶だったが、不意に表情を笑みに変えた。真耶の変化を悟ったのは側にいたハルだった。

 

 

「山田先生?」

「……織斑先生、楽しそう。あんな顔を見たのは初めてですよ」

 

 

 張り詰めた顔はいつもの事。最近は浮かべる事が無くなった辛そうな顔。千冬のそんな顔しか真耶は見たことが無かった。だから、小さな子供同然の雛菊や白式を相手にして、笑みを浮かべている姿は真耶には衝撃だった。

 だが同時に、心の底から良かったと思えた。千冬にもあぁやって笑みを浮かべる事が出来る場所があるんだと。それがとても救いのように思えたから。

 

 

「IS本来の意味……。私も、篠ノ之博士が来てからよく考えますよ」

「……そうなんですか?」

「はい。……ただの兵器じゃないんですね、本当に。あの子達を見るとそう思います」

 

 

 束の腕に抱かれた雛菊と、千冬の腕に抱かれた白式。子供のように抱きかかえられている姿を見ると、あれがとても兵器だとは思えない、と真耶は思う。

 

 

「……良ければ語らっていってください。今日はお酒の席です」

「えぇ。お邪魔させていただきます」

 

 

 ハルの誘いの言葉を受けて、真耶は満面の笑みを浮かべて応えるのだった。

 




「嫌い。千冬は嫌い。……でも、頭を撫でる手。優しかった」by雛菊


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Days:13

「まさか、お前とこうして酒を飲み交わす日が来るとはな。正直、想像してなかったよ」

 

 

 千冬はグラスに入った氷を揺らして言う。千冬の視線の先には束の姿がある。束は舌で唇を拭って、笑みを浮かべて千冬に視線を返した。アルコールの所為だろう、束の頬は朱色を帯びている。

 高天原の食堂に残っているのは千冬、束、真耶の三人だ。未成年組はともかく、束はクリスも誘ったのだが、彼女はこの場を辞退してさっさと休んでしまった。下戸という訳でもないのに、と束は唇を尖らせた。

 そんな束の姿を見て、千冬は改めて束が変わったのを実感した。昔は他人に興味を抱く事もなかった束が、飲みを断られて唇を尖らせる姿なんて想像もしなかったからだ。それがおかしかったからか、千冬の顔には自然と笑みが零れる。

 

 

「私もねー。ちーちゃんと酒を飲む日が来るとは思ってなかったさ。それにオマケも加えてなんて、ね」

「私はオマケですか……」

 

 

 オマケ扱いされた真耶は苦笑を浮かべる。真耶の反応を見て千冬は笑みを零す。そこで真耶のグラスが空になっている事に気付く。だが酒の瓶は束の手元にある。

 束は千冬の視線に気付いたのか、酒の瓶を手にとって真耶のグラスへと酒を注いだ。束が注ぐと思っていなかったのか、真耶は驚いたように束を見た。真耶の驚きを気にした様子もなく、酒を注ぎ終わった束は小さく鼻を鳴らす。

 

 

「オマケさ。私の対等はちーちゃんぐらいだからね。真耶だっけ? 真耶はちーちゃんと横に並び立てると思う?」

「それは……。まぁ、難しいですね」

「そうそう。それを弁えてても横に並ぼうとしてるでしょ? まだそう言う奴は評価して良いんだ、って思えるようになったのさ、私もね」

「お前にとって、自分以下の人間をようやくオマケと割り切れたという事か」

「まぁね。傲慢なんだろうけどさ、それが事実だしね。わざわざこっちから合わせてやる必要なんて無いよね」

 

 

 けらけらと笑いながら束は酒を煽った。饒舌なのは普段から変わらない束だが、酒が入って多少、陽気になっているようだ。

 

 

「真耶、あまり気にするな。こいつなりにお前の事を認めたって事さ。わかりにくい事この上ないがな」

 

 

 千冬が真耶を名前で呼ぶのはプライベートの場であり、酒が入っているからだろう。よく見れば千冬の顔も大分赤い。こうして千冬と飲む事もある真耶だが、今日の千冬のペースは早いように感じる。

 それはきっと束がいるからなのだろう、と真耶は感じた。二人は口で言い合う事が多いが、嫌悪の感情はまったく見られない。まるでじゃれ合うような二人は、逆に見ていて微笑ましいと思う程だ。

 

 

「良いんだよー。私は私のペースで生きるからさ。合わせられる奴だけ合わせてくれれば良いの」

「昔は私ぐらいしかいなかっただろうに。……それに、お前は変わったよ」

「まぁね。じゃないと真耶がここにいても無視してたし、むしろ追い出そうとしてただろうねー」

「そこまでですか……」

「そこまでさ」

 

 

 真耶は淡々と言う束にどこか寂しいものを感じた。確かに、束は追従する者がいない程の天才だ。だが、こうしてお酒を飲み、笑って、怒って、泣いたりする。間違いなく人間なのだ。なのに誰も彼女といる事が出来なかった。一体どれだけの孤独なのだろう、と。

 真耶の視線に気付いたのか、束は気まずそうに頬を掻いた。少し眉を寄せて、不機嫌さをアピールする。ぴん、と立てた指で真耶を示して束は言う。

 

 

「ちょっと。哀れむの禁止ね。私、変な同情とか嫌いなんだよね」

「あ、すいません……」

「良いよ。楽しく生きてるから。人並みに悩んだりはするけどね。今は間違いなく、胸張って幸せだって言えるしね」

「幸せか……。束、まさかと思うが、ハルにもう手を出したとか言わないよな?」

「ぶはっ!? ごほ、ごほっ……! ごほっ……!!」

「わ、わぁっ!? だ、大丈夫ですか!?」

 

 

 千冬の問いかけに束は酒を噴出した。そのまま噎せ返ってしまい、目に涙を浮かべる。

 真耶は束を心配するように声をかけるも、束はすぐに返答が出来ないのか、咳き込みながら横を向いてしまった。そんな束の様子を見て、千冬はニヤリ、と笑みを浮かべた。

 

 

「どうした? あれだけハグだの、公衆の面前でイチャついてるお前の事だ。どこまで行ったんだ?」

「ば、ばばば、馬鹿じゃないの!? いっくんもデリカシーないけど、ちーちゃんも大概だよね!?」

「したのか? してないのか?」

「し、してる訳ないでしょ!?」

 

 

 顔を真っ赤にして束は叫んだ。アルコールだけでなく、羞恥心まで加わった束の顔は茹で蛸のように真っ赤になっている。

 なんだ、と千冬はつまらなさそうに呟いた。仮にも教師がそんなノリで良いのかと、真耶は千冬に呆れた視線を向けている。千冬はまるで気にした様子は無いが。

 

 

「とっくに手を出していたと思ったが……そう言えば意外と純情だったな? お前」

「ぐぬぅ……!」

「あー……でも、私もちょっと気になるかも」

「……何が気になるってさ」

 

 

 むすっ、と。束は不機嫌そうに頬を膨らませてしまった。束の表情がツボに入ったのか、千冬はくつくつと喉を鳴らして笑っている。真耶も思わず可愛い、と思ってしまった。

 詫びのつもりなのか、束のグラスに酒を注いでやりながら千冬は話を続けた。

 

 

「で、実際どこまでは行ったんだ? キスぐらいはしてるんだろ?」

「…………」

「お前は都合の悪い事を指摘されると黙る癖がある。知ってたか?」

「うるさいっ」

 

 

 千冬の指摘に誤魔化すように束は酒を煽った。一気に酒を飲み干した束は据わった目で千冬を睨み付ける。

 

 

「何? 恋人がいないからって僻み? そういうの束さんは困るんだけど」

「言ってろ。……純粋に気になるのさ。言ってしまえば、ハルも私のもう一人の弟さ。それに親友の恋路だ。少しぐらい話してくれても罰は当たるまい」

「うぐっ……」

「でも私も気になります。お二人を見てると本当、羨ましいぐらいに仲睦まじいですから」

 

 

 真耶が言葉通り、羨ましそうに束に言う。職場の関係もあってあまり男に縁がない事を真耶は気にしている。今度、IS学園の教員で合コンでも企画しようか、という位には。

 改めて真耶はハルを評価してみる。ハルは物腰柔らかく礼儀正しい。昼食を食べている姿を見かけた事もあるが、料理も出来るという。顔立ちは千冬に似ているが、千冬に比べれば目元が優しく、穏和な印象を受ける。彼氏としては文句なしだ。本当に羨ましい、と真耶は唇を尖らせた。

 

 

「……何が聞きたいって言うのさ」

「まずはキスだな。キスはいつしたんだ?」

「……3年前かな?」

「……待て? 3年前にキスして、お前はハルとまだシテないのか?」

「出来るわけないじゃん。ハルが何歳だと思ってるの?」

「しかし15歳相当だろう? ……ハルもよく耐えているな。不能という訳でもないんだろ?」

「本っ当に、デリカシーないよね! ちーちゃんは!」

 

 

 千冬の言葉には、束だけでなく真耶も顔を真っ赤にしてしまった。束は誤魔化すように酒を注いで飲み直す。真耶も同じようにちびちびと酒を口に運んだ。

 別に構わんだろう、と千冬は眉を寄せて酒を煽っている。どうしてこの人はこんなに男前なんだろう、と真耶は苦笑する。

 だが真耶は知らない。これから執拗にからかわれて激怒してしまった束が、悉く千冬の地雷を踏み抜き、掴み合いの喧嘩が始まってしまう事。二人の間に板挟みになる悲劇が迫っている事を、真耶が知るよしもなかったのである。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 その日の昼食時、珍しくハルは一人だった。

 いつも集まるメンバーなのだが、いつも全員が集まる、という訳ではない。一夏は鈴音と二人で食べる事があるし、シャルロットもセシリアや、他のクラスメイト達と食事を取り行く事もある。

 箒も剣道部に入り、今日は部員達に誘われて行ってしまった。普段は一緒にいるクロエとラウラも、今日は簪と一緒に食事に行っている。簪の調整する打鉄弐式の話もあるのだろう。人が多いのは苦手だと言う簪に遠慮して見れば、ハルは一人になっていた。

 

 

「……ふむ」

 

 

 ぱくり、と自分の作った弁当を口に運ぶ。こうして一人になるのは随分と久しぶりだ、と。ハルに向けられている視線は多いのだが、誰もハルに寄ってくる気配はない。

 人目に付かない場所を選んで食べている、というのもある。そしてハルはもう一人の男子生徒である一夏に比べれば絡みにくいのだ。人体実験の被害者という重い過去もあれば、世界を騒がすロップイヤーズのトップ、篠ノ之 束のお気に入り。

 話しかけるには少々ハードルが高い。故に、どっちかと言えば絡みやすい一夏に生徒達が流れてしまうのは仕方ないだろう。鈴音にはご愁傷様、としか言えないが。それでもハルに興味を抱くのはゼロ、という訳ではない。

 

 

「お隣、よろしいかしら?」

「……?」

 

 

 そう、こうして自分に購買部で買ったのだろうパンを見せつける生徒がいるように。

 ハルがまず見たのはネクタイの色だ。色は黄色、上級生を示す色だ。IS学園の制服は改造が認められていて、中には原型が残らない程、制服を改造する者もいる。

 それでもリボンかネクタイの着用が義務づけられているので、その色で学年がわかるようになっている。そしてネクタイの色が黄色なのは2年生だ。ハルは口の中に含んでいたものを飲み込んで返答した。

 

 

「別に構いませんよ」

「ありがとう。お邪魔させてもらうわ。ハル・クロニクルくん?」

「えぇ。気になさらず。更識 楯無さん」

 

 

 あら、と。名前を呼ばれた上級生は上品に微笑んだ。猫のように細められた目がハルを面白そうに見据えている。

 

 

「私の事も知ってる訳だ?」

「えぇ。……とはいえ、そんなに多くは知りませんよ。更識 楯無さん。このIS学園の生徒会長にして、日本を支える、暗部に対抗する対暗部組織「更識家」の御当主である事ぐらいしか。あ、あとロシア代表でしたか?」

「……充分知ってるんじゃない」

 

 

 ジト目でハルを見つめながら、よいしょ、とハルの隣に楯無は腰を下ろした。ハルは食べている途中の弁当を指し示して問う。

 

 

「パンだけでもあれでしょう? おかず、多目に作ってるんで食べてください」

「良いの? まぁ、それを目当てで君に話しかけたのもあるけどさ」

「お仕事は大変ですね」

「本当ね」

 

 

 さっ、と楯無が開いた扇子が口元を隠す。ハルはただ笑みを浮かべているだけだ。互いに目を細めて視線を交わす。

 しかし、力を抜くように吐息し、楯無は扇子を閉じた。呆れたように微笑みながらパンの袋を開けた。

 

 

「……貴方はやり辛いわね」

「何がでしょうか?」

「言わせたいの?」

「関わり合いたいになりたいのに、言葉を隠されると信用が出来ないんですけどね」

「……本当やり辛い。これでも私はね、人との距離を測るのが得意だと自負してるんだけど……貴方、隙がないのよね」

「そうですか?」

「人に心を開いていない。まぁ、信用して貰えないのは仕方ないわよね」

 

 

 再び開いた扇子。そこには「至極当然」と書かれていた。先ほどまでは無地だった筈の扇子に文字が浮かんでいる事にハルは興味深げに扇子を見る。

 楯無の言う通り、ハルは楯無の事を一切信用していなかった。それも楯無の立場を考えれば仕方ないだろう。それにハルは腹を探られるのは嫌いだ。だから自然と楯無への対応は定まっていく。

 

 

「ペースを握ろうにも、そもそも掴ませるペースもない。まるで雲ね。見えている筈なのに掴めない」

「そう言う風に人に称されたのは初めてですよ。これでも人当たりが良い人間で通ってるんですけどね」

「上辺は、でしょう? そうして貴方は人をいつも探っている。こちらが開けば開き、こちらが閉ざせば貴方も閉ざす。本当、やり辛いわ」

 

 

 扇子で口元を隠しながら楯無は言う。ハルはただ微笑むだけだ。まるで楯無の言う事を肯定するように。

 

 

「貴方、篠ノ之博士に似てるんじゃない?」

「僕が?」

「興味のない人間、貴方にとって関わるべき価値のない人間。あなたは等しく見ている気がするわ。在る程度の関わりだけ持ってれば良いぐらいにしか思ってない。

 篠ノ之博士も興味のない人間には非友好的と聞いているわ。君も、私にはそう見えるわ。世に騒がれる男性IS搭乗者なのに、一夏くんと違って人を寄せ付けないのは貴方の本質かしら?

 好意には好意を、腹の探り合いには腹の探り合いを。まるで鏡のように反応が返ってくる。そう、貴方はとっても素直なのね?」

「……参考になるご意見です」

「だから止めるわ。貴方の腹を探りたいならストレートに聞いた方が情報を得られそうだもの。下手な小細工は嫌いなのでしょう?」

 

 

 頂くわね、と楯無はハルの弁当からおかずを1つ取り、頬を綻ばせた。

 

 

「あら、おいしい」

「そう言っていただけて何よりです」

「ん。……難しいわね。素直になるって」

「そんな事、言われても知りませんよ」

「厳しいわね」

 

 

 ハルから貰ったおかずを摘みながらパンを囓る楯無の表情は苦い。だがハルは意に介した様子もなく食事を進めている。

 楯無はまるで薄い一枚の壁を感じた。ハルと自分を隔てるその壁はハル自身が生み出したものだろう。

 

 

「腹の探り合いはごめんですよ。ご飯が不味くなる」

「……そうね。それは私も同意。私の配慮不足だったわね」

「良いですよ。言いましたよ? お仕事は大変ですね、って」

「……心遣い、痛み入るわ」

 

 

 楯無はハルの言葉に目を丸くして、困ったように笑みを浮かべた。本当にやり辛い相手だと楯無は思う。察した上での譲歩なのだろう、この食事の席は。

 楯無はIS学園の生徒会長だ。彼女にはIS学園の生徒達を守る義務がある。その為の謀略も必要ならばこなして見せよう。それは楯無の心からの本心だ。

 その為にロップイヤーズとの円滑な関係を望む訳なのだが、正直手強い。ロップイヤーズの面々で最も篠ノ之 束と結びついているハル。だからこそ、楯無は食事の相席を望んだ。彼との関係を構築する為に。

 しかし、楯無が本心を晒さなければ、ハルもまた本心を晒さない。だからこその腹の探り合いとなる訳だが、彼は薄い笑顔の下に全てを隠してしまう。

 

 

「貴方とは別の形で会いたかったわねぇ。同じ立場にいてくれたら心強かったわ」

「ご評価頂き光栄ですよ」

「心にも思ってない事を……。まぁ、私は生徒会長なのよ。私には生徒を守る義務がある。それがどこの国、組織に所属しようとも、ね?」

「そして更識家、ひいては日本の利益になれば、ですか?」

「隠しても仕様がないわね。そうよ、そう。あーもう、貴方の相手は出来ればしたくないわね」

 

 

 歩み寄るにはこちらの思惑を晒さなければならない。でなければ彼は応えない。自分が主導権を握れない相手は本当にやり辛い、と何度目かわからない感想に楯無は歯を噛んだ。

 ハルはそんな楯無を見て、ふむ、と呟く。やや悩むようにして眉を寄せていたが、力を抜くように吐息して楯無に告げる。

 

 

「僕も、平和に学園生活が終えられれば文句はないですよ」

「そう。それで? 貴方は友達とか作ろうと思わないの? 一見、人当たりが良くても、そのままじゃ友達が出来ないわよ?」

「……友達ですか。そうですね、でも難しいですよね?」

「何がかしら?」

「既に優先順位の1番が決まってて、それを譲るつもりがないから、どうしても二の次なんですよね。それを理解してくれる人じゃないと付き合える気がしない」

 

 

 ハルにとっての優先順位は束が1番だ。これは絶対に揺るぎない。

 

 

「出来れば束と一緒にいたいんですよ。それが一番、僕にとって幸せな時間だから。それが揺るがないから、どうにも友達と時間を作ろう、って思わないんですよね。束、家族、友達の順ですから」

「本当、身内にだけ注がれる愛情ねぇ。それ以外には本当に厳しい事」

「楯無さんみたいに背負えないだけですよ。皆なんて。僕はそんなに強くなれない。だからせめて束だけは守りたい。それだけですよ」

 

 

 ハルにとって束を勝る価値など無い。束の為ならば自分すらも惜しくない。無論、束を愛するからこそ、自分を大切にして、末永く彼女を支えていきたいと思えるようになったが。

 だからかつての一夏に憧れた。多くの人を救う、だなんてとても自分には言えなかったから。眩しく見えたのだ。そしてハルから見れば楯無も充分眩しい人だ。

 

 

「……ふむ。話せて良かったわ。篠ノ之博士に敵対しない限り、貴方もまた敵対しない事がわかったから」

「そうしてくれると助かります。それなら僕も少しは楯無さんを信用出来ますから」

「もっと信用してくれても良いのよ?」

「ははは、寝言は寝てから言ってくださいよ?」

「あら? なら添い寝でもしてあげましょうか?」

「束がいるので間に合ってます」

「……心底幸せそうに言われると、イラッ、とするわね」

 

 

 ハルに惚気られた楯無は思わず口元を引き攣らせた。そんな楯無の反応に、ハルはただ笑みを浮かべて返すのみだ。

 そのまま他愛のない応答をしながら食事を進める。最初に話した頃よりかは気安くはなっていたが、ハルと別れた後、楯無は思う。

 

 

(もう出来れば、彼とは一対一では話したくないわね……。篠ノ之博士と一緒にいる時なら隙が出来るかしら? ……いえ、そうなると今度は篠ノ之博士に睨まれるわね。本当、厄介な人達ね)

 

 

 「強敵・難敵」。開かれた扇子に書かれた文字が楯無の心を表していた。

 

 

 




「言葉で心を伝える。でも、言葉で心を隠す。なんで? 雛菊には理解出来ない……」 by雛菊


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Days:14

 今日は休日。学園も休みなので、箒は朝から高天原の訓練施設で訓練をしていた。訓練の相手は一夏、ラウラ、クリスといつもの面々だ。

 彼等が行っているのは実戦形式に近づけた模擬戦だ。一夏はいつも通り竹刀を、箒は片手にいつもの竹刀、逆の手には小太刀を模した竹刀を持っていた。

 互いの呼吸を窺うように睨み合う両者。動いたのは一夏。意を決して箒へと踏み込み、上段から鋭い一撃を繰り出す。

 応じる箒は小太刀で一夏の太刀筋を払う。そして逆の手に握った竹刀で一夏に斬り掛かる。一夏は飛び後退る事で箒の一撃を回避。

 しかし箒は止まらない。振り抜いた竹刀を手首を返すように振り払い、再び一夏へと竹刀が襲いかかる。

 一夏は箒の竹刀を受け止め、弾くようにして後退る。チッ、と一夏の口から舌打ちが零れる。

 

 

(攻め難い……!)

 

 

 箒は再び構えを取って一夏を睨んでいる。その構えは篠ノ之流剣術の型の1つ。

 “一刀一扇”の構え。扇で防ぎ、流し、受け止める。そして刀で断ち、貫き、斬り伏せる。実際に握っているのは竹刀だが、対峙した際に感じる攻め難さは並ではない。

 これは箒が最も得意としている型であり、一夏もこの型を構えた箒には攻め倦ねる。篠ノ之神社の祭事では神楽舞として舞う事もあり、箒が理想としている型だ。箒は難しい顔をしている一夏に笑み、挑発するように告げる。

 

 

「どうした? 一夏。攻めて来ないのか?」

「はっ、隙見てるんだよ」

 

 

 まったく無いけどな、と思うも口には出さない。緊張の為か、一夏の頬に汗が伝う。

 本人も得意だと言い、剣の師である柳韻、舞の師である陽菜をして完璧だと称する程、箒の型の練度は高い。今もどう向かえば切り崩せるのか、まったく見えてこない。

 膠着状態となった二人。そんな二人の空気を変えたのは訓練施設に顔を出したクロエだった。

 

 

「すいません、束様がどこ行ったか知りませんか? 姿が見えないようなのですが」

「? いないのか?」

 

 

 クロエの問いかけに、ラウラは不思議そうに首を傾げた。私室にもいないし、研究区画にもいない、とクロエが伝える。

 高天原にいないとなればIS学園にでも行っているのだろうか、とクロエが首を傾げていると、クロエの疑問にクリスが答えた。

 

 

「あぁ。束なら出かけたぞ」

「出かけた? どこに?」

「さぁな。ハルも一緒だから大丈夫だろう」

「なに? ハルと一緒だと?」

 

 

 訓練の途中だったが、つい箒はその一言が気になって話に加わる。一夏も竹刀を下げて話に加わる。

 クリスが言うにはハルと束は朝早くから出かけたらしい。一体どこに? と問うてもクリスは知らないらしい。ただ、クリスはにやにやと笑みを浮かべている。

 

 

「野暮なことを聞くな。デートだよ、デート」

『デートォッ!?』

 

 

 クリスの言葉に、皆の驚いた声が唱和した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……たまにはこういうジャンクフードもいいかな」

「たまにはね」

 

 

 ハルは束と向き合って朝食を取っていた。二人がいるのはハンバーガーショップ。包みから取り出したハンバーガーを食べながらハルは呟いた。束はそんなハルの姿を見てシェイクを啜る。

 休日の朝。朝早く街に見える人の姿は少なく、まばらに歩いている程度だ。窓際に席を取った二人からはそれがよく見える。

 何故二人がハンバーガーショップにいるのか。休日に男女が揃って出かけると言えばデートしかない。では、何故こうも突然デートをしているかと言えば束がハルを誘ったからだ。

 ハルは面食らったものの、束からのお誘いを断る理由はない。そしてクリスに伝言を頼んで二人で街に出てきたのだ。

 とはいえ、素顔を晒して歩く訳にもいかず、二人は変装していたが。まずどちらも顔を隠すように伊達眼鏡をつけている。

 それぞれの格好だが、ハルは白のシャツの上に黒いジャケットを羽織っている。下はジーンズ。髪型はいつもの三つ編みではなく、ポニーテールに纏めている。

 束は白いワンピースに青いジャケット。髪型も変えていて、普段のハルのように一本の三つ編みに纏められている。

 頭にはウサギのアップリケが付けられたキャスケットを被っている。眼鏡と合わせて大分、印象が変わるのでよほど親しい者でなければ束だとわからないだろう。

 

 

「ハル、ソースついてる」

「ん、どこ?」

「ここ。ほら」

 

 

 ハルの口についたソースを束は指で拭う。束の指にくすぐったそうにするハルだが、束はソースを拭い終わったのか、指をハルに見せるようにして振る。

 ソースがついた指を口に含み、綺麗に舐め取る束。ハルは思わずどきり、と心臓が跳ねたが平静を装う。誤魔化すように残ったハンバーガーを口に放り入れてしまう。

 

 

「そろそろ出ようか?」

「そうだね。そうしよう」

 

 

 今度はソースを残さないように口元を拭い、ハルは席を立った。束がハルの腕に自分の腕を搦めて微笑む。そのまま並んで店を後にする二人。

 特に目指す場所もなく、二人で腕を組んで歩いていく。唐突に誘われたデートだ。ハルにデートプランなどある訳もなく、ただ束に付き添う形で街を歩く。それがどうにも感慨を思い起こさせて、ハルは目を細めた。

 

 

「ハル? どうかした?」

「……いや。束とこうして街を歩く日が来るなんて思わなかったから」

「……私もだよ」

 

 

 束はハルに絡める腕に力を込めた。離さない、と言うようにだ。確かに感じる事が出来る束の存在にハルは微笑み、ハルも力を込めた。

 日常を謳歌する事。普通の男女のように腕を組んで街を歩く。想像したことはあった。だが叶うなんて思っていなかった二人は、自分たちがこうして歩いている事が不思議で笑い合った。

 

 

「どこに行こうか?」

「あ、自然公園が近くにあるんだって。そこ行ってみない?」

「自然公園か。良いね。行ってみよう」

 

 

 目的地を決めて向かう足取りはゆっくりとしたものだ。しっかりと噛みしめるように平和な時間を味わいながら二人は並んで歩いていった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 自然公園は程近く、辿り着くのはすぐだった。行き交う人達とすれ違いながらハルと束は歩いていく。整えられている自然達は、過去に見た大自然とは違う趣をハルに覚えさせた。

 季節は春。芽吹きの季節だ。公園の一角には色鮮やかな花達が咲き乱れていて、思わず目を奪われた。以前、自然に生命の息吹を感じた事があるハルだが、人の手を入れられた庭園は磨かれた生命の美しさを感じさせた。

 公園にハルの目を奪われた束は少しむっ、とする。だが、すぐに頬を緩ませてハルに身を寄せた。ハルが本当に嬉しそうに景色を見渡しているからだ。その顔が見れた事で多少、気は晴れたのか束は何か言う事は無かった。

 所々、足を止めながらハルと束はゆっくりと時間をかけて公園を巡った。そんな中でハルが長く足を止める事となる場所へとたどり着く。

 

 

「――」

 

 

 ハルは息を飲んだ。そこは桜並木。丁度咲き誇った桜がハルの前に広がった。ひらり、と。風に遊ばれて舞った花びらが舞い降りる。掴むようにハルは手を伸ばした。

 ハルの掌に収まるように桜の花びらが落ちる。淡い桜色を見てハルは吐息を震わせた。顔を上げて桜が続く道を見る。

 

 

「……ハル?」

「いや。……綺麗だな、って」

「桜ねぇ。春の代名詞だからね。やっぱり思うところがある?」

「そうだね……。そうかもしれない」

 

 

 手の中に落ちた花びらを風に流してハルは微笑む。もうすぐ散ってしまうだろう。はらはらと花びらが落ち始めている桜を見てハルは寂しさを覚える。もう少しで綺麗だと思ったこの花たちも枯れてしまうのか、と。

 

 

「また来年来れば良いよ」

「来年……」

「花は、何度でも咲くよ」

 

 

 束に告げられた言葉にハルは驚いたように束を見て、そして小さく笑った。ハルが何故笑ったのかわからず、束は首を傾げる。

 

 

「ハル?」

「いや……。束がさ、ISや夢以外の事で未来を語るなんて珍しいから」

「……そうかなぁ?」

「そうだよ」

 

 

 行こう、とハルは束の手を引いた。束は引かれるままにハルと並んで歩いていく。

 桜の花びらが二人が歩いた道に落ちていく。まるで、彼等が去っていく事を惜しむかのように。ひらり、ひらり、また1つ花びらが落ちていく。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 自然公園を抜けて、再び街に戻ってきたハルと束。また行く当てもなく歩いていたのだが、束が足を止めたのはアクセサリーショップだ。

 足を止めた束を見て、ハルが中に入ってみるかどうか尋ねる。興味があるのか、束はすぐに頷いて店の中へ足を踏み入れた。

 

 

「はぁぁ……なんか凄いねぇ」

「ね。見てるだけで楽しいや」

 

 

 多種多様なアクセサリーの数に束は圧倒されているようだ。以前はどれも同じもののように見えたが、手に取ってみれば意外と違う事がわかる。

 なぜ束が店に入ったかと言えば、束はペアルックという言葉を思い出したからだ。恋人の証でもあるペアのアクセサリー。

 持ってみていいかな、と思って入ってみたが、どれも思うようなモノがない。どれが良いかなんてわからないのだ。まったく無縁だったからこその弊害だろう。束は難しい顔で悩み込んでしまった。

 

 

「ねぇ? 束」

「何?」

「これ、可愛いね」

 

 

 ハルが手に取ったのは、羽根を模したイヤーカフスだった。光の反射によっては白にも見える銀色。羽根の先が少しずつ色づいていて、色は桜色と青色の2つ。

 確かに可愛らしい、と束は思った。派手すぎず、少し丸っこいけど、流線型に整えられたデザイン。

 束はハルの顔を見た。そして、もう一度イヤーカフスへと視線を落とす。うん、と1つ頷いて束はハルの手を取った。

 

 

「それ買おう?」

「え?」

「……ペアルック、欲しいな?」

 

 

 甘えるように束はハルに囁いた。すると互いに少し頬を染めて、視線を落とす結果となる。

 結果として。二人が店を出る際、束とハルの耳にはそれぞれ桜色と青色のイヤーカフスが揺れていた。

 次に二人が向かったのはゲームセンターだった。ここに入ってから二人で遊び倒す事となる。

 主に遊び回っていたのは束だったが。シューティングゲームからUFOキャッチャーまで。シューティングゲームはハルと並んで遊べる事が楽しく、UFOキャッチャーには思い通りに景品が掴めない事に苛ついて暴れそうになったり。

 酷かったのはエアホッケーだ。最初は流し程度にやっていた二人だったが、やがて白熱してきたのか、半ば超人じみた争いを繰り広げて衆人環視の目を集めたり。

 勿論、視線を集めていた事に気付いてからは逃げ出すようにその場を離れたが。そして逃げ込んだ先はプリクラコーナーだった。折角だから、と束がハルの手を引いてプリクラの一台に入り込む。

 

 

「わ、わ? これどうするの?」

「え!? し、知らないよ!?」

「え? もう撮るの?! 早くない!?」

 

 

 そして二人で変顔を晒して、出来上がったものを見て二人で笑ってみたり。

 束がリベンジしようとした所で、先ほどのエアホッケーで二人を注目していた人達が気付いて、また二人で逃げ出したり。

 ハルと束はそうして走り回った。その間にも手を離す事はなく、たまにお互いを確かめるように視線を合わせて微笑みながら。

 結局、ゲームセンターからは出なければならず、二人は外に出た。空は次第に夕焼けに染まっているようで、夜の到来が近づいている事を知らせている。

 

 

「……そろそろ帰ろうか?」

「夕食、食べて行っても良いけど?」

「急に出てきたから心配してるだろうしさ。それに……ちょっと疲れちゃった」

 

 

 歩き通してからの走りっぱなし。この程度でへばるハルではないが、それでも疲労しているのには変わらない。

 そして唐突に高天原から出て行ってしまったから心配しているだろう、と。あまり遅くなるとラウラが探しに出てくるかもしれない。それは流石に申し訳なかった。

 ハルの言葉に納得したのか、束は少し名残惜しげに頷いてくれた。改めて二人で手を繋ぎ直して、IS学園へと帰る為のモノレールへと向かって二人は歩き出した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 IS学園に着く頃にはすっかり空は夕焼けの色に染まっていた。モノレールから降りて、高天原へと続く道を二人で歩いていく。

 夕日が二人の影を長く伸ばす。繋いだ手をそのままに、二人はゆっくりと高天原を目指す。ゆっくりなのはハルが束の歩調に合わせているからだ。

 

 

「遠目から見るとおっきいねー。高天原」

「そうだね。本当に」

「えへへ……嬉しいな。私の夢がいっぱいここにあるよ。束さんは幸せ者だなぁ」

 

 

 額に手を当てて高天原を見つめて、ハルと繋いだ手に力を込める。しっかりと握り返してくれるハルの手にどうしようもなく笑みが浮かんでくる。

 段々と高天原が近づいてくる。もう道半ばぐらいまでは歩いただろう。そこで束は足を止めた。束が足を止めた事で手を引かれる形となったハルは束へと振り返った。

 束がハルの手を引いて引き寄せる。二人の距離がゼロとなり、束はそっと瞳を閉じた。触れ合った唇の熱を確かめるように長く口付ける。

 最初は驚いたハルだったが、すぐに力を抜いて束を受け入れる。二人の息が止まり、世界からまるで音が消えてしまったようだ。

 

 

「……っ」

 

 

 ハルがそっと唇を離して息を吸う。束はその瞬間を狙ってハルの肩を掴む。そのままハルに顔を寄せて、再び唇を重ねる。そして僅かに開いたハルの唇に差し込むように舌を入れた。

 

 

「ッ……た、……ッ……!」

 

 

 深く、深く。ハルを貪るように束は口付ける。ハルの呼吸を奪い取るように。瞳を閉じて、感覚を研ぎ澄ます。ハルが苦しげに眉を寄せて身体を震わせたのがわかる。

 どれだけ貪り尽くしたか、満足したように束はハルを解放した。繋がった糸が光に反射して見えたが、すぐに途切れてしまう。余韻を味わうように束は唇を舌で拭う。

 

 

「……てへ」

 

 

 つい、やっちゃった。

 束は誤魔化すように笑った。恥ずかしげに微笑む顔には朱色が浮かんでいる。夕日に照らされた事で更に赤みを増した顔。目の端に僅かに涙を浮かべた束の表情にハルは思わず見惚れる。

 

 

「ッ……!」

「ひゃっ!?」

 

 

 ハルが束の顎を持ち上げるように掴み、今度は逆に束を奪うように深く口付ける。突然、口付けられた事に束は身を竦ませる。先ほどの余韻が消えきらないまま、唇を貪られれば身体が震えた。

 息が苦しい。少し荒々しい程にハルは束を貪り奪う。抵抗しようとしたのか、束の身体が震えたが、すぐに力を失ったようにハルに身を預ける。息苦しさからか、薄く開いていた目には涙が浮かび、堪えきれないように伏せられる。

 解放された頃には力なんて入らなかった。唇が離れ、ハルの拘束が緩むと束は膝を折った。そのままへたり込んでしまいそうになるのを、ハルが慌てて束を抱きかかえる事で防ぐ。ようやく取り戻せた呼吸をしながら、束は呟いた。

 

 

「……ハ、ハル」

「ご、ごめん……!」

「う、うぅん……あの、えと……」

「な、なに?」

「……腰抜けちゃった」

 

 

 まったく力の入らない腰に束は呆然と呟き、ハルを呆気取らせるのだった。

 結局、腰が抜けてしまった束をおんぶし、ハルは高天原へと戻る事になった。高天原に戻ってからも、束の症状は回復する兆しを見せず、ハルは意を決して高天原の中へと入っていった。

 

 

「なんだ、帰ってきたのか? ……って、どうした? 束」

 

 

 まず最初に出会ったのはクリスだった。戻ってきた二人を見て、つまらん、と言いたげな表情を浮かべたが、ハルに背負われたままの束を見て首を傾げた。

 

 

「腰抜けただけだよ……」

「どうしてデートに行って腰が抜けるような事になるんだ?」

「うるさいな! 放っておいてよ!!」

 

 

 散れ、と言いながらクリスを追い払うとする束だったが、クリスはまるで面白い玩具を見つけた、と言うように束をからかい始めた。

 騒ぎを聞きつけたのか、高天原の面々が集まってくるのを察してハルは深い溜息を吐いた。どう弁明したものやら、と言い訳を考えながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ラウラが作った夕食を食べた後、束は自室に戻されていた。腰が抜けたのは治ったが、安静にしてて欲しい、とハルに言われたからだ。

 ベッドの上で枕を抱えながら束は寝返りを打った。指を伸ばした先は自分の唇。指が唇に触れると、ハルに深く口づけされた感触が蘇って束は顔を真っ赤にした。

 

 

「……ぅぁ~~」

 

 

 自分でもよくわからない呻き声を上げてベッドの上を転がる。抱きしめた枕に顔を埋めて身を縮める。感触が忘れられなくて、また力が抜けてしまいそうになる。

 もどかしい感触に束は唸り続ける。これもちーちゃんが悪いんだ、と脳裏に親友の笑う顔を想像しながら。

 

 

「……我慢させてるって、言うから」

 

 

 つい、舌を。そこまで思い出して束はまたごろごろとベッドの上で転がりだした。自分からしてしまったのも悪いが、それでもその後の反応は束にとって予想外過ぎた。

 少し痛い程、拘束されて、悉く貪られ、奪われた。思い出せば出す程、恥ずかしくなって束は転がる。

 同室の箒が戻ってくるまで、束は奇怪な転がりを続けるしか出来なかった。顔を真っ赤にし、妙な呻き声をあげながら。触れた感触を忘れられずに。今日はもう、眠れる気がしなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ハル?」

「……」

「お前、大丈夫か?」

「……」

「……ハルさーん?」

 

 

 一方、一夏とハルの部屋。束と別れて、部屋に戻ってから放心状態のハルに一夏は心配で仕方がなかった。明らかに魂がここにない。

 焦点が合っていない瞳はどこを見ているのかまったくわからない。肩を揺さぶっても、目の前で手を振っても、一夏が目の前で盆踊りをしても反応をしない。

 

 

「……雛菊、ハルはどうしたんだ?」

「……言えない」

 

 

 気になって白式を通じて出てきて貰った雛菊に聞いても、雛菊は顔を真っ赤にして首をぶんぶんと左右に振るだけで答えない。

 しかも、それだけ答えればさっさと待機形態に戻ってしまった。だから余計に不思議に思う。

 

 

「……何があったんだ?」

「雛菊が情報を封鎖してるので私にはわかりません」

 

 

 首を傾げて白式に問いかけて見ても、白式もわからない、と言う様子で肩を竦めるだけだった。

 ハルと束。二人が復帰するのには、一晩という長い時間が必要だった事をここに記しておく。

 

 

 




「…………ノ、ノーコメント……!」 by雛菊


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Days:15

 IS学園のアリーナ。普段はアリーナを借り受ける生徒で賑わい、ISの訓練に勤しんでいる。しかし今日のアリーナの様子は少々異なっていた。

 その原因はアリーナで激突する2機のISに目を奪われていたからだ。ぶつかり合う2機のISのカラーはそれぞれ白と赤。空中で交差した2機はそのまま距離を取り合うように離れる。

 

 

「チィッ――ッ!」

 

 

 赤のIS、“甲龍<シェンロン>”を駆るのは鈴音だ。彼女の顔には苦渋の色が浮かんでいた。彼女は今、明らかに苛立っていた。その苛立ちの原因は相対する白のIS。

 

 

(素人の癖に……なんて反応速度よ!?)

「余所見してると落とすぞ、鈴ッ!! 行くぜ、白式ッ!!」

 

 

 鈴音に迫るのは一夏だ。身に纏うのは白式。目を惹くのはアンロックユニットの大型スラスターだ。彼の手に握られるのは“雪片弐型”。千冬が現役時代、暮桜に装備させていた近接ブレード“雪片”の改良型だ。

 舌打ちをする間もなく、再び襲いかかった剣閃を手に持った大型ブレード“双天牙月”で防ぐ。だが一撃で斬撃は止まらず、一度、二度、三度と牙を剥く。

 なんとか捌いて見せたもののギリギリだ。接近戦では分が悪いと鈴音は距離を取ろうとする。だが一夏は負けじと食らい付いてくる。

 

 

「突っ込むしか頭に無いの……!?」

「距離を離したら負けるんだよっ!!」

「この、猪武者がぁッ!!」

 

 

 鈴音は肩に備え付けられたアンロックユニットに装備された衝撃砲“龍砲”の口を開く。PICによって空気を圧縮して作られた砲身、その余剰で生まれた衝撃は不可視の弾丸となって一夏に襲いかかる。

 それを野性的な勘なのか、悉く躱しながら一夏は踏み込んでくる。真っ直ぐに鈴音を見つめ、打倒せんと迫る一夏に思わず胸がドキドキしているのは鈴音の内緒だ。

 

 

『衝撃砲、来ます。回避を』

(わかってる――ッ!!)

 

 

 一夏が鈴音と互角に戦えている理由。ネタを明かせば白式のサポートによるものだ。白式が逐一情報を集め、瞬時に一夏に伝達。一夏は何も疑わずに白式の指示のままに踏み込んでいく。

 それは白式への信頼が為せる妙技。一夏はISの扱いに関してはまだ未熟としか言えない。それでも剣士としての才能と白式への信頼が合わさって生まれる力は、決して鈴音に劣るものではない。だからこそ、白式に全幅の信頼を預けて一夏は飛翔する。

 

 

『一夏! 今です!』

「ッ!!」

 

 

 そして一夏が意を決した表情を見た鈴音は、仕掛けてくるかと迎撃の構えを取った。

 瞬間、白式のアンロックユニットが開いた。それは装甲を大きく広げ、何か砲撃の類が来るかと鈴音は緊張を高める。

 

 

 ――光が爆発した。

 

 

 認識出来たのはそこまで。そして気が付けば鈴音は衝撃に襲われて、その意識を一瞬投げ出した。

 

 

(――……ッ……い、ま……なに、が……?)

 

 

 頭がくらくらする。全身が叩き付けられたように痛い。状況を把握しようとして目を開く。すると苦悶に呻き、目を回している一夏の顔が間近にあった。

 互いの吐息がぶつかる程に近い。鈴音は身体を硬直させた。気付けば自分達はアリーナの壁にもたれかかっているようだ。しかも、一夏が鈴音を押し倒す形で。

 

 

「……ふぇぁっ!?」

 

 

 状況を理解した鈴音は目を見開いて奇声を上げる。一体何がどうなってこんな状況になっているのか、状況を把握しようとしても頭が回らない。

 そして目を回していた一夏が意識を取り戻したのか、顔を上げた。鈴音との距離が更に近づき、まだ意識がハッキリしてない一夏はぼんやりと鈴音を見つめた。

 

 

「……鈴? 俺……」

「ひ、ひゃぁあああああああああッ!?」

 

 

 混乱しきった鈴音が叫ぶ。鈴音が腕部の衝撃砲“崩拳”で一夏を吹っ飛ばしたのも仕様がない事だろう。一夏は腹部に衝撃を与えられ、そのまま華麗に宙を舞った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「解放加速<リベレイト・ブースト>?」  

「うん。一夏の白式に積んでるブースターで出来る特殊なイグニッション・ブーストだと思って」

 

 

 一夏との模擬戦を終えた鈴音はハルから説明を受けていた。

 解放加速<リベレイト・ブースト>。展開装甲を装備した大型スラスターによる特殊な瞬時加速<イグニッション・ブースト>だ。

 本来、瞬時加速の仕組みとは、放出したエネルギーを内部に再度取り込み、圧縮して放出する。その際に生まれたエネルギーで爆発的に加速する。

 解放加速はこの仕組みに展開装甲を組み込む事によって、瞬時加速以上の加速を可能としたのだ。鈴音が光の爆発を見た、というのは展開装甲を解放し、内部に圧縮していたエネルギーを解放した為に起きた発光現象だ。

 装甲の内部で圧縮していたエネルギーを展開と共に放出する。本来は攻防万能になる展開装甲をエネルギー圧縮・放出に特化させた仕様だ。

 

 

「本来は“雪片弐型”での強襲を仕掛ける為に、瞬時加速を簡略化しつつ、瞬時加速以上の加速を得る事が出来るんだけど……」

「思ったよりピーキーで一夏に扱い切れなくて、私を押し倒したと?」

 

 

 ぎろり、と鈴音は面目無さそうに頭を掻いている一夏を睨み付けた。アリーナにいた全員が一夏が鈴音を押し倒す瞬間を目にし、一瞬場が静まりかえっていたのだ。

 尚、データを取っていたハルだけは目を丸くしながら拍手をしていたが。公衆の面前でよくやるなぁ、と。その後、すぐにクロエにツッコミを入れられて慌てて二人を救助に向かったが。

 

 

「まぁ、言ってしまえば瞬時加速の上位互換だからね。一夏には早かったか」

「面目ない……」

「仕方ないよ。ま、しばらく解放加速は封印ね。瞬時加速を練習して使いこなせるようにするのが一夏の課題かな? 後は空中機動の拙さを改善すれば一夏は強くなるよ」

 

 

 それだけ改善するだけで強くなるのだから、血はしっかりと受け継がれているのだろう。やっぱり千冬の弟なんだな、と感心したようにハルは一夏を見る。

 

 

「悪いな、鈴。身体は大丈夫か?」

「え、えぇ。ちょっと痛む程度で……。もう、後でマッサージしなさいよね」

「おう。じゃあこの後、高天原来いよ。メシも作ってやるからさ。良いよな? ハル」

「構わないよ。鈴音の甲龍について、改修案のアイディアを貰えればありがたいしね」

「悪いわね。まぁ、技術協力なら喜んで受けるわ。こいつを相手にしてたら、本当に篠ノ之博士のISはバケモノだと思わされるわ」

 

 

 鈴音は肩を竦めて言う。一夏が白式をISとして乗ったのは、今日がほぼ初めてと言っても良い。最適化<フィッティング>の為に乗っていた事もあるが、本格的に動かしたのは今日が初めてとなる。

 それで中国の代表候補生である鈴音と互角に戦えたのはやはり白式の恩恵が大きい。鈴音は改めて、束の技術力の高さに戦慄を抱くのだった。

 

 

「すいません。ハル、一夏、鈴音さん。お待たせしました」

「お帰り、クロエ。ごめんね? 事情の説明を任せちゃって」

「いえ、気にしないでください」

 

 

 

 クロエが小走りで戻って来る。彼女は今まで、今日のアリーナの管理人だった教師に事情の説明を行っていた。それが終わって戻ってきたのだ。

 

 

「今日は鈴音連れて帰るから」

「そうですか……」

 

 

 一夏が鈴音も連れて行く、と言うと、クロエはちらりと鈴音を見る。鈴音はクロエの視線に気付き首を傾げる。だがそれ以上に気にした様子はない。ほっ、と安堵の息を吐いてクロエは微笑んだ。

 

 

「何か私の顔に付いてる?」

「いえ。その……気にしないでください」

「……あぁ。逆にあんまりアンタが気にしないでよ。この馬鹿が悪いんだから」

 

 

 クロエが何を気にしてるのかを悟り、鈴音は苦笑した。いつぞやの事をまだ気にしていたのだろう。一夏から事情は聞いているし、話の流れを聞けば自分にも原因がある。逆に鈴音が申し訳ない程だった。

 一夏は頭が上がらない。がっくりと肩を落とす様には哀愁が漂っていた。このまま鈴音と結ばれるのであれば、確実に尻を敷かれるだろう。そんな風に思いながらハルは微笑む。皆が仲が良いのは良いことだ、と。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 4月も終わり、時は5月。

 シャルロットは身に纏ったラファール・アンフィニィの調子を確かめる。問題がない事を確認し、気合いを入れる為に声を上げた。

 今日は待ちに待ったクラス対抗戦。不本意とはいえ、代表を任されたからにはシャルロットには負けるつもりは無かった。体調も充分、アンフィニィも問題が無い。後は自分の実力を出し切るだけだ。

 

 

「シャルロットさん! 頑張ってね!」

「優勝、期待してるよ!」

 

 

 クラスの声援にシャルロットは笑みを浮かべて返した。軽く手を振り、アリーナへと向かう為にピットから飛び出していった。良い試合にしよう、と心の中で呟きながら。

 

 

 

 ――後にシャルロット・デュノアは語る。これが後に“天災の後継者”の異名を持つ事となるIS研究者達が巻き起こした初めての騒動だった、と。

 

 

 

「――……なに、アレ?」

 

 

 対戦相手は2組のクラス代表だ。身に纏っているのは打鉄だろう。学園で生徒達が使える機体と言えば打鉄かラファール・リヴァイブのどちらかだ。どちらも第2世代の量産型としては優秀。両者ともパッケージも豊富で人気が高い。

 だが、シャルロットの目の前に立つ打鉄は見たこともないパッケージを装備していた。新型のパッケージなのだろうか、とシャルロットは相手の打鉄を観察する。

 まず特徴的なのは両腕。普通の打鉄より一回り大きいアーム。そして大型のドリルが脚部に備え付けられている。全体的に打鉄よりも大きく見えてしまう。

 そして打鉄の特徴的なシールドではなく、アンロックユニット型の大型スラスターを搭載している。まるで翼のようにも思えるユニットは雄々しく存在を主張していた。

 

 

「来たわね。シャルロット・デュノアさん。今日は良い試合にしましょう」

「……えと、すいません。その装備は何ですか……?」

 

 

 シャルロットの質問に答えず、にやり、と不敵に笑って見せる2組のクラス代表の生徒。その笑顔に良くないものを感じたシャルロットは口元を引き攣らせた。

 嫌な予感がする。背筋に冷たいものが走り、冷や汗が流れるのを感じたシャルロットは、次に響いた声に自分の嫌な予感が当たった事を悟った。

 

 

『お待たせいたしました。これよりクラス対抗戦を始めますが……その前に本日は解説としてクロエ・クロニクルちゃんと更識 簪ちゃんに来て頂いています』

『クロエ・クロニクルです。どうも』

『さ、更識 簪です……』

 

 

 アリーナからも見える巨大スクリーンに映し出されたのは司会と思われる上級生と、その隣に据わるクロエと簪の姿だった。何故1年1組の生徒である二人が司会と一緒に? 疑問に首を傾げる生徒は多い。

 

 

『本日、彼女たちに来て貰ったのには理由があります。これより行われるクラス対抗戦、専用機を持つシャルロットさんは除きますが、各クラス代表にはロップイヤーズとIS学園の共同開発計画に則り、クロエさんと簪さんが共同開発した試作の新型パッケージが装備されています!』

「……は?」

 

 

 クロエが作った試作品? それだけで嫌な予感が止まらない。段々と膨れあがっていく。あの打鉄のパッケージはクロエと協力者である簪が作ったもの。それだけでシャルロットは警戒のレベルを引き上げる。

 かつてラファール・アンフィニィの開発に携わった際、悉く常識を壊されてきたシャルロットだからこそ感じる危機。この試合がただで終わらない事をシャルロットは予感した。

 

 

『実際の性能はISバトルが始まった際に解説と共にご紹介して行きましょう!』

「そういう事よ。さぁ、シャルロットさん。この局地破砕型パッケージ『黄金<こがね>』が力、思い知ると良いわ!!」

「ちょっと待った!? 局地破砕型って何!? 凄い不穏な言葉を聞いたんだけど!?」

『それでは試合開始です!』

 

 

 シャルロットの制止の声は聞こえないのか、試合の開戦を告げるブザーが高々と響く。破砕型パッケージ『黄金』を装備した打鉄、ここでは“打鉄・黄金”と呼称しよう。背の大型スラスターを勢いよく噴かせ、シャルロットへと迫っていく。

 大きく振り上げられた右腕のパーツであるリングが広がって回転を始める。それはエネルギーの力場を生みだし拳を覆っていく。嫌な予感がしてシャルロットはすぐさまその場を飛び後退る。

 

 

「破壊掌ゥッ!!」

「きゃぁあああああ!?」

 

 

 シャルロットがいた地点を打鉄・黄金の右腕が勢いよくえぐり取った。破壊掌、その名に違わぬ破壊力である。雄々しく叫びながら向かってきた2組のクラス代表は獰猛な笑みを浮かべてシャルロットへと向かっていく。

 

 

「逃がさないわよぉっ!!」

「ちょ、ちょっと洒落にならないって……ッ!!」

 

 

 シャルロットはすぐさま武装を呼び出し、両手にアサルトライフルを装備して弾幕を張る。だが打鉄・黄金は止まらない。今度は左腕を前へと掲げ、右腕と同じようにリングが広がり回転を始める。

 今度は発生した力場が渦を巻くエネルギーシールドへと変わる。シャルロットの弾幕を受け止めながらも距離を詰めてくる姿にシャルロットは目を見開いて驚愕の声を上げた。

 

 

「障壁掌ぉっ!!」

「ちょ、ちょ、ちょっ!? 止まらない!? 無茶苦茶だぁっ!?」

 

 

 恐れずに距離を詰めてくる姿は雄々しく、しかしどこか出鱈目だ。シャルロットは舌を巻いて後退を続ける。打鉄・黄金の両腕でぎゅいんぎゅいんと回るリングが不吉に思えてきた。

 

 

『おぉ! 凄い威力ですね、クロエちゃん!』

『打鉄・黄金は災害救助や大型建造物の破壊作業が必要とされる場面を想定して作り上げました。その際、崩落や瓦礫の被害などに巻き込まれないように左腕防御用フィールド『障壁掌』を備えています。そして瓦礫の撤去などを目的とした右腕の『破壊掌』が基本装備となります。装備を作成したのは私ですが、制御用のプログラムは簪さんの協力で作り上げました』

『は、はい……』

 

 

 それで局地戦型か、とシャルロットは納得した。大型建造物などの破砕を目的としているならば納得の威力なのだが……。

 

 

「人に向けて良い威力じゃないでしょ!? これ!? シールドエネルギーを貫通するって!!」

「あははー、でも結構重いんだよねー! でも勇気で補うわ!! という訳で踏み込むッ!!」

「ひぃぃいいっ!?」

 

 

 スラスターを無理矢理噴かせて脚部についたドリルをシャルロットに差し向ける。嫌な回転を立てながら迫るドリルを躱し、シャルロットはアサルトライフルを量子化して格納。

 代わりに取り出したのはバズーカだ。肩に担ぐようにして構えたバズーカを向け、シャルロットは容赦なく放った。

 

 

「そっちがその気ならこっちだって!」

「きゃあっ!?」

 

 

 爆音が響き渡り、打鉄・黄金の体勢が大きく崩れる。チャンス、とシャルロットはもう一発バズーカを放とうと狙いを定めた。膝を付いた打鉄・黄金は未だ動けない。ここがチャンス――ッ!

 

 

「“黄金鎚”!!」

「え?」

 

 

 シャルロットが目にしたのは天から降ってくる黄金の巨大鎚だった。片腕で叩き付けるように振り下ろされた巨大鎚を回避し、シャルロットは息を呑んだ。

 その間に体勢を立て直した打鉄・黄金が肩に担ぐように巨大な黄金の鎚を構える。人を潰してしまえそうな程に大きな鎚にシャルロットは口元を引き攣らせる。

 

 

「……それ、なぁに?」

「これ? 大型破砕鎚『黄金鎚』。PICを利用した衝撃波を加える事によって巨大建造物とかを一気に破砕する事を目的とした黄金の専用装備よ?」

「へぇ……そうなんだぁ……。……ねぇ? それで叩かれたら死なない?」

「大丈夫大丈夫」

「そ、そうだよね! 絶対防御があるから大丈夫――」

「――痛みは一瞬よ」

「大丈夫じゃないじゃないかぁあああああ!?」

 

 

 シャルロットは絶叫しながら距離を取ろうとスラスターを噴かせる。それを満面の笑みで黄金鎚を振り回しながら追いかける2組のクラス代表。

 天災の後継者を発端とした武装開発はこうして盛んに進む事となり、後のシャルロット・デュノアの苦難が始まったのもこの日、この瞬間であった事を後の歴史は語っている。

 




「新しい装備。新しい力。新しい自分になれる。それはとても嬉しい事」 by雛菊


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Days:16

「……どうしよう? アレ」

「どうしよう、って言われても」

 

 

 困ったように会話を交わすのは1年1組の生徒達だ。彼女たちが何故困ったように話をしているかといえば、彼女たちの目の前で屍を晒している生徒がいるからだ。

 その生徒の名はシャルロット・デュノア。1年1組のクラス代表を務める未来有望な生徒。フランス代表候補生であり、デュノア社の次期社長候補。輝かしいばかりの称号を得ている彼女は光のない瞳で虚空を眺め、机に突っ伏していた。

 

 

「クラス対抗戦、優勝してくれたのは嬉しかったけど……」

「えぇ、あれは悪夢だったわね」

 

 

 うんうん、と腕を組んで頷く女子生徒は思い出す。先日、IS学園で行われたクラス対抗戦、又の名をシャルロット・デュノア苦難の1日の事を。

 クラス対抗戦は1回戦目から生徒達の興奮を集めていた。何しろ新型パッケージである『黄金』の圧倒的なインパクトは驚愕と共に受け入れられつつあった。

 敗退してしまったものの、あのラファール・アンフィニィを駆ったシャルロットを追い詰めたのだから。負けた事を悔しがりつつも、『黄金』の性能を示す事が出来た2組のクラス代表は終始笑顔だったと言う。

 しかしこれで終わらないのがクラス対抗戦。何しろ1回戦目なのだから、シャルロットからしてみれば性質が悪い。

 

 

「あれは酷かったよね。3組のラファール・リヴァイブ。一見、ただのクアッド・ファランクスかと思ったらさ……」

「えぇ。まるで曲芸師みたいに空中で三回転捻りをするとか、凄い高機動だったわよね」

 

 

 ラファール・リヴァイブには『クアッド・ファランクス』と呼ばれる高火力装備パッケージが存在する。重量と反動制御の為に移動を制限される代わりに、固定砲台として無類の制圧力を誇るパッケージだ。

 当初、シャルロットは自社の製品である事からか、その欠点を良く知っていたのだが、なんとこれが軽やかに動くのだ。移動する砲撃要塞、それはどんな悪夢だと言うのか。

 とはいえ通常機に比べれば充分に遅かったのだが、その即応性と反応速度は皮肉にもアンフィニィから得られたデータによって実現されたというのだから皮肉な話だ。

 

 

『クアッド・ファランクスなら動けない……なんてそんな事はないよね! でも、動きは鈍い筈!!』

『回避行動に移る。……ターゲット、ロック。目標を排除する』

『ちょ、え!? クアッド・ファランクスで何で空中で捻って3回転とか、そんな機動が出来る筈ないって、イヤャァアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 

 他にもアンロックユニットの追加で装備したミサイルポッドによる爆撃など、高火力に晒され続けるシャルロットの悲鳴は今も耳に残っている。下手に外見が変わらなかった事がシャルロットのショックを煽ったのだろう、と推測が出来る。

 尚、機体制御や反動制御のOSは簪が担当し、クロエが提供したのは各部パーツの補強や改良。これにより機動力を獲得したクアッド・ファランクスが注目を浴びる事となった。

 他にも武装が換装出来る事から、新たに重武装換装型パッケージ『ルールド・ブラス』と名前が付けられる事となったいう。

 今回シャルロットが相手にした3組クラス代表の装備は、両腕にガトリングガンを合わせて4門装備。更にはミサイルポッドを装備し、爆撃もしてくる機動砲台と化していた。しかし、善戦虚しくもシャルロットに敗れている。3組のクラス代表はやはり満足げに微笑んでいたが。

 

 

「あれからだったね。シャルロットさんがヤケクソになり始めたのって」

「えぇ……。他のクラスも酷かったからね」

 

 

 各々、特徴的なパッケージを装備した打鉄、ラファール・リヴァイブを操ってシャルロットを苦戦させた。中には真面目に性能を底上げし、純粋な強化仕様となったパッケージを纏った者もいれば、一風変わった特殊装備を用いて戦場の雰囲気を一変したりなど、存分に見せてくれる試合の数々だった。

 ……当事者のシャルロットは例外として。彼女は言うなれば、試作装備の披露会の相手をさせられる事になったのだから堪ったものではない。故に疲労困憊。こうして屍を晒しているという訳である。

 

 

「シャルロットさんには悪いけど、ウチのクラスは優勝したし……」

「新しい装備も見れて良かったわよね! あーん! 私も遠隔操作型武装で空間制圧とかしてみたーい!」

「あぁ、6組のクラス代表の使ってたアレね。有線型遠隔誘導兵装……だっけ?」

「“いやー、やっぱ不可能を可能には出来なかったかー!”って言ってたわね。でも善戦してたし、セシリアさんも褒めてたわよね?」

 

 

 きゃいきゃい、と試合で見せられた新型武装に話題を花咲かせる様は、内容こそあれであったが女子の華やかなガールズトークであった。

 そんな中、件の騒ぎの原因であるクロエが高天原の面々を伴って教室に入った瞬間だった。不意にシャルロットを見た生徒は目を見開かせる事となる。

 

 

「――――」

 

 

 その場から跳躍し、クロエの前へと降り立つシャルロット。クロエが呆気取られる中、シャルロットはクロエの膝に手を入れるようにして転がし、自らの腕の中に抱え込む。

 そのまま再び跳躍。自らの席に着地したシャルロットは自らの腕の中に収めたクロエは満面の笑みで迎え入れる。だが目がまるで笑っていない上に、ハイライトが消えている。思わずクロエは悲鳴を上げそうになった。

 

 

「シャ、シャルロット……?」

「……クロエ……?」

 

 

 ぞわり、と産毛が立つような猫撫で声で喋るシャルロットにクロエは恐怖を抱く。かくん、と糸が切れたように傾げ、揺れるシャルロットの頭。だが視線は一切クロエを外す事無く見つめている。

 

 

「私……凄い……疲れちゃったのォ……」

「え、えと……ゆ、優勝おめでとうございます」

「そう、そうだよォ……優勝だよォ……? 私、頑張ったよォ……」

 

 

 くすくす、と笑いながらシャルロットはクロエの頬を撫でるように触れ、顔を近づける。互いの吐息が感じられる程に距離を詰めたシャルロットにクロエは藻掻こうとするも、がっちりとシャルロットに身体を固定されている。

 その光景を見た女生徒の一部から黄色い歓声が上がる。その歓声でようやく意識を取り戻したのか、ラウラがシャルロットへと駆け出す。

 

 

「シャルロット! 姉上を離せぺぱっ!?」

「ラウラァッ!?」

「し、しっかりしろ!? ラウラッ!?」

「は、鼻血……わ、私が血を見ている……だと……?」

「はい、ラウラ、ティッシュ」

 

 

 裏拳一発。ラウラすら見切れぬ速さで繰り出された裏拳にラウラは一撃で倒れ伏す。慌てて一夏と箒が駆け寄るも、ラウラはどこか呆然としたままだ。そんなラウラの鼻を苦笑しながらティッシュで拭うハル。

 一瞬で起きた惨事にクロエは顔色を青くさせる。これは、途轍もなく不味い状況だと、本能が理解した。ぞわり、と身体が怖気を感じて跳ねる。シャルロットの手がクロエのふとももを撫でたからだ。妙に手つきが艶めかしい。

 

 

「クロエ……? 私、ご褒美が欲しいなァ……?」

「ご、ご褒美ですか……?」

「そうそう。だってェ、こォんなに疲れてるのはァ、クロエの所為だよねェ?」

「あ、あれは学園側に要請された計画で、私だけが悪い訳じゃ……!」

「ねぇェ?」

「ひぃっ!?」

 

 

 ぐりん、とシャルロットの頭が回って揺れる。だが視線だけはやはりクロエを外さない為に不気味でしかない。正直、クロエは泣く寸前だった。ホラー映画も真っ青である。

 

 

「大丈夫ゥ……ちょっと、私のお願いを聞いて貰うだけだからァ……ね?」

「あ……あ……」

 

 

 ただ、クロエに出来るのは上下に首を振る事だけであった。

 その光景を見ていたクラスメイトの心は1つになる。シャルロット・デュノアを怒らせてはいけない、と。中には怒らせてみたいかも、と思う生徒がいたかどうかは定かではないが。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……それで、なんで、こんな事に……」

 

 

 クロエはがっくりと項垂れていた。ここは高天原のドック。普段は小型船やISの整備を行う為のスペースなのだが、機材の一切が片付けられている。

 項垂れているクロエなのだが、彼女が纏っているのは黒いドレスだった。見るからに煌びやかなドレスは鮮やかにクロエの魅力を引き出している。髪型も普段は流しているが、今はバレッタでアップに纏められている。

 顔には化粧を施されていて、幼さが残るクロエを大人っぽく見せている。幼くも艶めかしい。妙なアンバランスさが何とも言えない魅力を放っている。アクセサリーも随所に付けられていて、クロエを飾り立てている。

 まるで、パーティーにでも赴くような格好をさせられたクロエ。彼女の前には満足げに微笑み、両手を握り合わせるシャルロットがいた。その頬が妙につやつやしているのはきっと気のせいではない。

 

 

「かーわーいーいー! とっても可愛くて綺麗だよ、クロエ!」

「うんうん。シャルロットの化粧の技術は流石だな」

「どんなに疲労してても、悟られないように化粧の練習は怠らなかったからね。でもその技能がこんな事で役に立つだなんて……! はぁー、お持ち帰りしたい!!」

「は? クーちゃんはウチの子だし。こんな可愛い子、余所になんてやらないし。調子乗んな金髪。このアイディアは素晴らしいけど、あんまり調子に乗ってると消すよ?」

「いやだなぁ、それだけ可愛いって事ですよ。流石、束さんの自慢の娘ですよね!」

「……ふぅん、そう。まぁ、少しぐらいなら調子に乗っても良いよ?」

 

 

 きゃいきゃいと。クロエを前にして楽しげに話すのはシャルロットとクリス、そして束の三人だ。シャルロットに至っては頬を朱に染め、恍惚とした表情を浮かべている事から、思わず一歩引いてしまう。

 そんなクロエの後ろには他の高天原の面々と、そして簪の姿があった。彼等もクロエと同じく着飾っている状態だ。

 

 

「一夏、ネクタイが曲がっているぞ。……まったく。どうして自分で結べないのだ、お前は」

「わ、悪い……」

「ラウラ、ズレてないかな?」

「あぁ。大丈夫だぞ、ハル」

 

 

 一夏とハルはスーツ姿だ。一夏が白のスーツで、ハルが黒のスーツ。二人が並ぶとホストみたいだと思ったのはクロエの密かな内緒だ。

 箒も真紅のドレスを身に纏い、クロエと同様に化粧を施され、アクセサリーなどで飾られている。真紅のドレスを身に包んだ箒の姿は気高く美しい。どこか鋭さを感じさせるも、一夏のネクタイを直す際に微笑ましそうに笑うものだから、また違った美しさを垣間見る事が出来た。

 ラウラもクロエと同じく黒のドレスを纏っているが、クロエのドレスに比べれば露出が多めで、シルバーアクセによってか雰囲気が鋭く感じる。窮屈なのか、首につけたチョーカーに指を入れて調整している。

 

 

「……なんで私まで」

 

 

 そして簪。淡い水色のドレスを着せられた彼女はクロエと同じように肩を落としていた。普段つけている眼鏡型の投影型ディスプレイを外している。

 淡く化粧を施された彼女はまるで儚げな一輪の華。装飾こそ少なく、派手なものも無いが、アクセントに添えられただけで魅力を醸し出すのは生来、彼女が持つ美しさなのだろう。

 さて、何故彼等がこうも着飾っているかと言えば理由がある。勿論、クラス代表戦で溜まったシャルロットのストレス解消の為だ。

 当初はクロエに衣装を着せて写真を撮りたい、という要望だったのだが、それを聞いた束とクリスが参加。クロエも撮るならいっそ全員で、という事で高天原の全員を巻き込んでの撮影会となった。

 思い出の為でもあるが、ロップイヤーズの広告にも使えるかもしれない、という打算からこの撮影会は開かれる事となったのだ。

 

 

「それはわかりますけど、なんで私まで……」

「ん? それはだな、代表候補生にはモデルの仕事もあるだろう? 衣装の用意や場所などはこちらで用意して、写真は全て提供すると言ったらOKを貰ったぞ?」

「……そうですか」

 

 

 最早希望などない、と簪は視線を遠くした。

 こうして参加者の思惑など知らぬままに、撮影会は進んでいく事となるのだった。その撮影風景を少し切り出して紹介しよう。

 

 

 ――例えば、クロエの場合。

 

 

「きゃぁああああああ!! クロエ、良いよ、なんかこう、良い! あぁ、語録が足りない自分が憎いぐらいに可愛い!!」

「落ち着けシャルロット。シャッターは押せば良いと言うものではない。じっくりとアングルを吟味してだな……」

「クーちゃん、笑って笑ってー」

「…………」

 

 

 どこから調達してきたのか、白の大布で囲った即席スタジオを用意して始まった撮影会。

 白の空間に椅子を置き、そこにクロエが座っただけで発狂するシャルロットや、カメラを構え最適なアングルを探しているクリス。その目がやたらと真剣だ。三脚を持ち出し、手が空いているハルや一夏にレフ板を持たせて、箒や簪にはライトアップの調節まで行わせている。

 束はまるで母親が娘の写真を撮るような気軽さでニコニコとしていた。そんな3人を前にして椅子に座るクロエは少し緊張した表情を浮かべていたが、次第に諦めたのか、社交辞令用のスマイルを浮かべて撮影に応じた。

 

 

 ――例えば、クロエとラウラの場合。

 

 

「そうそう、二人で両手を合わせてみて」

「こうか?」

「そうそう、鏡合わせみたいにして……きゃうーん!!」

「落ち着け! シャルロット、さっきから私にぶつかっている! あと人語を話せ!!」

「ふぅん、こうして見るとやっぱりそっくりだねぇ」

「あの、その、ラウラ、距離が……」

「仕方ないだろう、離せばシャルロットに殺される……」

 

 

 クロエとラウラは向かい合うように床に乙女座りをさせられていた。そして両手を合わせて顔を近づける。シャルロットに要求されるままにポーズを取る二人なのだが、クロエはラウラの距離が近くてあたふたとしている。

 一方でラウラは涼しげに、だが接客用の笑みを浮かべている。そして先ほどからシャルロットの挙動がおかしく、隣にいるクリスに何度かぶつかってクリスに怒られている。

 束はマイペースに二人の取った写真を眺めながら、改めて二人の顔を見比べたりしている。

 

 

「よし。ラウラ、今度はクロエをそのまま押し倒して?」

「はぁ!? な、何言ってるんですかシャルロット!?」

「いい絵が取れそうなんだって! ハル! 脚立とか無いの!? 無いならIS展開して飛んでも良いよね!?」

「あぁ、もう好きにすれば良いと思うよ……」

 

 

 ハルは苦笑しながら手をひらひらと振る。結局、シャルロットの熱い要望に断れず、二人で重なり合うように寝そべり、その格好のままで撮影が始まる事となる。

 尚、その二人の図を見た簪は思わず頬を朱に染めて、背徳的、という感想を漏らしていた事を、箒は確かに聞き取っていた。

 

 

 ――例えば、クロエとハルの場合。

 

 

「ハ、ハル……近すぎです……!」

「いや、まぁわかるけどさ……」

「ハル? 動かないでね? そのまま、あ、実際、頬にキスしちゃっても良いよ?」

「シャルロットッ!?」

「うーん、まぁクーちゃんだしいっか」

「流石にクロエが嫌がるって……ほら、クロエ、暴れないで?」

「そうだ。折角整えた衣装が崩れてしまうじゃないか」

 

 

 今度は椅子に座ったハルの膝の上に乗せられた状態でクロエが藻掻く。落とす訳にもいかないので、シャルロットの指示通りにクロエの頬に顔を寄せるハル。

 ハルの息遣いを感じて撮影の間、ずっと目を閉じてぷるぷると震えていたクロエだったが、その様にシャルロットが鼻息を荒くして、ギラギラとした目線を向けていた事に気付かなかったのはきっと幸福だったのだろう。

 

 

 

 ――例えば、クロエと簪の場合。

 

 

「うーん。うん、やっぱり背中合わせに座って貰ってさ……」

「うむ。手は握るよりも重ねる程度で……まずはクロエからの視点で取ってから、次に簪からの視点。後は煽り気味に二人を撮って……」

「ねぇ? クリス、ドレスはこんな感じに広げれば良い?」

「あぁ、問題ないぞ、束」

「……良かった。結構まともだった」

「怨みますよ、簪……」

「むしろ私が怨むよ……」

 

 

 背中合わせに座りながらクロエと簪は疲れたように言う。座高は簪の方が少し高く、簪がクロエに頭を預けるような体勢で落ち着く。

 先ほどよりも健全な撮影だった事に簪はほっ、と胸を撫で下ろすのであった。

 

 

 

 ――例えば、ハルと一夏の場合。

 

 

「ホストだ」

「ホストだな」

「ホストだね」

「皆揃って言うなよ!」

「いや、わからなくはないけどさ……」

「冗談冗談、じゃあほら、二人とも立ち位置なんだけどさ……」

 

 

 男性組二人の撮影は明らかにホストの撮影としか思えなかったのか、口々に皆がホストと言うと一夏は解せない、と言うように抗議した。一方でハルは苦笑を浮かべていたのだが。

 背中合わせで撮ったり、やや遠近感を利用して写真を撮ったりとクロエよりもシャルロットもアングル事態に拘って撮影が続けられた。

 

 

「……所で一夏、あのさ、ポーズをさ、こういう風に取ってさ」

「? おう。こうか?」

「で、ラウラのカンペを格好良く読んでみて?」

「何々……? “どうも、IS学園の白き流星 ICHICAです!” ……って、おい!? 何やらせんだ!?」

 

 

 片手で顔半分を隠し、腕を交差させるようなポーズでカンペを読まされた一夏。すぐさまハルに掴みかかるも、ハルは素早く逃げ出す。ちなみにばっちり写真に撮られていて、皆に笑われていたりする。あの簪ですら口元を抑えて背を曲げる程だ。

 

 

 ――例えば、一夏と箒の場合。

 

 

「おぉう……なんか格好良いね」

「そうだねー。二人が並び立つとやっぱり凛々しいって印象が先立つよね」

「一夏、少し髪を掻き上げて……逆の手を腰を当ててだな。箒、一歩前に足を出してくれ。それで少し仰け反るように……うん、そのままで頼む」

「……これは、なかなか恥ずかしいな」

「だろ?」

 

 

 ポーズを色々と要求され、改めて自分が撮られる身となってわかったのか、箒は頬を少し朱に染めて一夏に呟いた。一夏も少し疲れたように箒へと返答する。わかったか、と言いたげに。

 密着というよりは、肩を預け合うような距離で撮られた写真が多いが、それでも互いに意識するのか動きが少しぎくしゃくとしていたりした。

 

 

 他にも個人や様々なペアで撮ったり、時には三人、四人と写真を撮る人数を変えながら撮影時間は流れていった。その度に撮影者には疲労が蓄積していく事になるのだが、撮影者の皆は知らんと言わんばかりに撮影を続けるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ふへ……うぇへへ……うぇひひ……」

 

 

 次の日、机に突っ伏して奇妙な笑い声を上げているシャルロットの姿にクラスメイト達は戦慄した。明らかにイッてしまわれている。ひそひそと、まるで腫れ物を扱うように皆がシャルロットへと視線を送る中、呆れたようにセシリアがシャルロットの頭をぺしり、と叩いた。

 

 

「シャルロットさん、なんて様ですの? シャキッ、となさい。シャキッ、と」

「今の私は何を言われようとも気にしない。……はぁぁ……至福の時だった。撮影ってあんなに楽しいものなんだなぁ」

「あら。モデルの仕事でもありましたの?」

「うぅん。私が撮ってたの。ロップイヤーズの人たちと、簪さんの」

『何ですって!?』

 

 

 シャルロットの呟きにクラス中の生徒が反応し、シャルロットへと詰め寄った。

 

 

「それはつまり一夏くんの写真があるって事ね!?」

「見せて! 凄い気になる!」

「あ、あの、ハルくんのもあるかな……?」

「え、クロエさんとラウラさんって着飾ったら凄く可愛くなりそうなんだけど、ねぇ、どんなのどんなの!?」

「お、落ち着いて、わぁあああああ!?」

 

 

 一気に人の波に呑まれて攫われていくシャルロット。ちなみに人の波に押し潰されたセシリアはそのまま床に倒れ伏して屍を晒している。

 この噂が一気に生徒間に広まり、休み時間中、シャルロットから写真を頂こうと、学園中でシャルロットを追いかけ回す図が生まれる事となる。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……はぁ……綺麗ね」

 

 

 IS学園の生徒会室。そこで楯無は端末に表示された妹の、簪の写真を眺めていた。ハルを通じて楯無に贈られた写真だが、楯無は満足げに簪の写真を見て微笑む。

 その微笑みは楽しげで、しかしどこか寂しげだった。楯無は端末を操作して簪の写真を消して、座り慣れた生徒会長専用の席に背を預けて溜息を吐く。

 

 

「……これで良いのよ。簪ちゃんが笑ってくれるなら、それで」

 

 

 呟きを聞き取る者はいない。ただ、楯無の背を預かる椅子の軋む音だけがその場に残されるのみだった。

 

 




「着飾る。綺麗になる。褒められる? 装甲、綺麗にする? 衣装、変える? ハルは喜ぶ? 母は喜ぶ?」 by雛菊


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Days:17

 りん、と音がなる。涼やかな音は無音の空間に木霊し、震えるように響きながら消えていく。

 鈴の音の発生源は扇。その両端につけられた鈴が再度、涼やかな音を響かせる。扇を振るのは箒だ。扇を握る彼女の手には鋼鉄の腕が備え付けられている。

 これは彼女のISだ。装甲は漆のような赤を基調とし、金色と白色の装飾を施された装甲は一種の芸術品とさえ言えた。

 左手に握られた鋼鉄の扇が箒の動きに合わせて揺れる。りん、と再び鈴が鳴り、合わせるようにして抜かれたのは刀。刃が抜かれる音すらもまるで1つの演舞のように響き渡る。

 箒が得意とする篠ノ之流の構え、“一刀一扇”。右手に刀を、左手の扇を。彼女は舞う。合わせるようにして揺れるアンロックユニットから漏れ出す光が、まるでヴェールのように彼女の動きを追う。

 

 

「――」

 

 

 余りにも神秘的であった。空を舞う箒の姿にデータ取りをしていた束ですら言葉を失っていた。空中での機動に一区切りが付いたのか、箒はゆっくりと束の下へと降下してくる。

 

 

「姉さん。調子は大丈夫です。次に武装のテストを……姉さん?」

「……え? ……あ、あぁ! ごめんごめん!」

「どうしたんですか?」

「うぅん、なんでもない、なんでもない! えっと、武装のテストだよね! うん、ばっちり取るから任せて!」

 

 

 ――第4世代型IS“神楽”。

 それが箒に贈られたISの名前だ。今まで作成された第4世代のデータの全てを集約し、箒の為だけに全ての仕様を組み上げたワンオフ機。

 

 

「それでは……――参ります」

 

 

 箒は虚空を睨むように扇を構えた。一度、箒の手によって閉じられた扇は、箒が手を振るのと同時に開かれる。開かれた扇は光を放ち、空に光の軌跡を描く。

 展開装甲の技術を応用して作成された扇型の武装だ。状況によってエネルギー光波を放ち、盾ともなる扇形兵装“織姫”。

 何度か確かめるように“織姫”を振るった箒だが、今度は一度、鞘に収めた刀を引き抜く。“織姫”を添うように引き抜かれた刃は光を放ち、空に斬撃の閃光が描かれる。

 展開装甲を組み込んだ汎用ブレード“彦星”。箒が扱いやすいバランスを何度も再計算し、最適な形で鋳造された刀はまるで箒の手に吸い付くような感触だった。“織姫”と“彦星”の感触を確かめた箒は空を見上げ、意を決したように空を舞った。

 箒の飛翔の軌道をなぞるようにアンロックユニットの展開装甲が開き、ヴェールのように箒の後を追う。箒が空中に滞空し、意識を研ぎ澄ませていく。すると、ヴェールのように揺らめいていた光が硬質化し、箒の周りを漂う。

 

 

 ――単一仕様能力“天衣無縫”。

 

 

 展開装甲によって放出されるヴェールは箒の軌道を制御し、漏れ出したエネルギーを硬質化させる事によって、自在に箒を守る盾となす。最大加速、瞬発力においては他の第4世代機に比べれば劣っているが、その操作の自由性と迎撃能力に関しては追従を許さない。

 束が箒に贈った箒の為だけのIS。それは箒の得意とする型を再現する事に特化し、搭乗者と、搭乗者を守りたい者達を守護する為の翼。“篠ノ之”が為にあるIS。

 

 

「――」

 

 

 箒は目を細めてISによって広がる世界を見据える。そして空中でゆっくりと舞う。それは篠ノ之に伝わる神楽舞だ。展開装甲から光のヴェールを揺らめかせながら舞う。その姿は余りにも美しい。

 地上から箒を見上げていた束はただ見惚れるように見上げ続ける。その瞳の端に涙を浮かべながら。ただ、ただ美しいと。静かな感動に打ち震えながら、いつまでも……。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あれ? 束、箒。“神楽”のテストは終わったの?」

「うん。ばっちり無問題! ね! 箒ちゃん!」

「は、はい……。そうですね」

 

 

 食堂にハルと雛菊の姿があった。アルプス一万尺や手遊び歌で雛菊と遊んでいたハルだったが、食堂に入ってきた束と箒の姿を見て顔を上げた。よくよく見れば、箒のポニーテールの根本の部分には赤い簪が見えた。

 あれが“神楽”の待機形態なのだろうと察し、ハルは笑みを浮かべた。箒の顔を見れば満足げで、束もどこか嬉しそうだ。本当にこの姉妹の仲が修復された事をハルは心の底から喜んでいた。

 

 

「これで全員分のISが揃った事になるのか」

「そうだねぇ」

 

 

 ハルの“雛菊”。ラウラの“黒兎”。クロエの“天照”。クリスの“黒鉄”。一夏の“白式”。そして新たに箒の“神楽”。

 ロップイヤーズで実働部隊として働く人間にはISは行き渡った事となる。それでもまだ箒と一夏に関しては訓練が必要になるだろうが。

 

 

「最先端技術のISが6機か……。こうしてみると感慨深いもんだねぇ」

「これでハルの雛菊が一番、お姉さんになるのかな?」

「雛菊、お姉さん? 白式よりもお姉さん!?」

「えぇと……そうだね。でも白式は雛菊のお姉さんだよ?」

「イヤッ!」

 

 

 本当に嫌そうに歯を剥く雛菊。そのままぷぅ、と頬を膨らませてハルの胸に飛び込んだ。そんな様を見ていた箒は微笑んで、そっと自らの簪に手を伸ばした。

 

 

「……いつか“神楽”もこうして話す時が来るんでしょうか?」

「うん。もう神楽にはコミュニケーション・インターフェースは装備してるから。もしもISの意識レベルが達したら……――」

 

 

 束が喋りながら視線を箒に向けるとだ。箒の挿していた簪へと視線が奪われた。それが淡い光を放っていて、今にも起動しそうであったからだ。まさか、と束が驚愕に声を忘れていると箒も異変に気付いたのか、簪に手を伸ばす。

 瞬間、光が弾けるようにして眩き、箒は背にかかった重みに前のめりになる。突然の事にハルと雛菊、束すらも驚いて箒の背に乗っかる子供へと目を向けた。

 まるで箒のうり二つ。だが、目はどこか眠たげで吊り目の箒とはまったく印象が異なる。身に纏っているのは篠ノ之神社で神楽舞を踊る際の衣装。

 子供はきょろきょろと辺りを見渡して、束の姿を見つけた。そしてにやり、と。箒の顔には似つかわしくない笑みを浮かべていった。

 

 

「神楽、知ってるよ。神楽はもう目覚められるって」

「……やっぱり神楽なの?」

「そうだよ?」

 

 

 にまー、と浮かべた笑顔はやはりらしくない。束はその姿にただ呆気取られる事しか出来ない。

 

 

「どうして……だって今日が初起動だよ!?」

「神楽、知ってるよ。母は箒に夢を理解して欲しかった」

「……え?」

「神楽、知ってるよ。母が箒の夢が叶うように願ってるのを」

 

 

 唐突に語り出した神楽に束は目を見開く。すると、神楽はひょい、と箒の背の上から降りて箒を見上げた。唐突に重みが消えた事で体勢を立て直した箒は改めて神楽と対峙する。

 自分とそっくりな顔。いや、しかし目元が違う。この目元はどちらかと言えば自分の姉にそっくりだと、箒はそう思った。箒が神楽を見ていると、神楽はやはりニヤリと笑う。

 

 

「神楽、知ってるよ。箒が私を貰って嬉しいのを」

「え?」

「神楽、知ってるよ。母に言えないけど、いっぱいいっぱい、ありがとうって言いたいんだって知ってるよ」

「なっ!?」

「神楽、知ってるよ。箒は本当は母が大好きなんだって――」

 

 

 箒は慌てたように神楽の口を押さえた。もごもご、と口を押さえられた神楽の言葉は止まるのだが、にやにやと笑う神楽の表情は変わらない。

 こいつ、人の本音をべらべらと!? と箒はわなわなと震える。そう、神楽の言葉の通り、箒は嬉しかったのだ。こうも“篠ノ之”の動きを再現する為に生み出された神楽を貰い、初めて動かした時、言葉にならぬ感動を覚えたのだ。

 だが今まで確執があり、自分が素直ではない事を自覚している箒だ。素直に口に出して言う事が出来ない事が多かった。でも本当は声を大きくして言いたかった気持ちがある。

 

 

「ぷはっ。……神楽、知ってるよ! 箒は母が大好きぃぃぃいい!!」

「やめろぉぉおおおッ!?」

 

 

 箒の拘束を逃れた神楽が大声で叫びながら走り回る。箒は飛び込むようにして神楽を抱きかかえて抑え込む。もがもが、と再び口を塞がれた神楽が暴れているが、箒は顔を真っ赤にして神楽を抑え込む。

 一方で、突然に好意を叫ばれた束も顔を真っ赤にして動きを止めていた。神楽は箒のISだ。つまり神楽が叫んだのは箒の本心。そしてそれを咎めようとした箒の行動がそれを示している。

 それがどうしようもなく嬉しくて、そしてどうしょうもなく恥ずかしかった。だが、すぐにはっ、と何かに気付いたように神楽と箒へと詰め寄る。

 

 

「ちょ、ちょっと! 神楽、もうインターフェースが起動出来るの?」

「ぷはっ! ……神楽、知ってるよ? 箒の事をたくさん知ってるよ。母の妹。母の愛し子。母が託した夢を担う人!」

 

 

 にぃっ、と屈託無く笑う神楽の姿に束は呆気取られる。神楽の言葉を聞いたハルは納得したように笑みを浮かべた。神楽を抱きかかえる箒と、その前にいる束へと歩み寄ってハルは告げた。

 

 

「束、前例があるじゃないか」

「前例?」

「一夏だよ。千冬にとっての一夏で、束にとっての箒だ。だからこそコア達が箒への理解を深めるのが早くても何ら不思議じゃない。……それに気持ちを伝えられる“言葉”と“姿”を学習したISが、箒の思いを束に伝えたいって思っても何ら不思議じゃない」

 

 

 そうでしょ? と神楽に視線を送ってハルは言う。ハルの言葉を受けて神楽は穏やかな笑みを浮かべた。うんうん、と嬉しそうに何度も首を振って神楽は告げた。

 

 

「神楽、感動してるよ。父は理解が早いって!」

「……父?」

 

 

 ハルは思わず首を傾げた。父、と予想しなかった言葉が神楽の口から飛び出て来たからだ。神楽のハルへの呼称に誰もが動きを止めた。その中で動けるのはにやにやと笑みを浮かべる神楽だけだ。

 次いでわなわなと震えだしたのは雛菊だ。まるで敵を睨むかのように神楽を威嚇し出す。神楽は雛菊の視線に気付き、彼女へと顔を向けた。

 

 

「神楽、知ってるよ? 雛菊が嫉妬してるって事」

「してないもんっ! ハルを父なんて呼ばないで!」

「神楽は雛菊のデータで生まれた。ハルは雛菊の搭乗者。だったら私の父。……それともパパ?」

「ッ!! フシャァアアッ!!」

 

 

 猫のような威嚇の声を上げて雛菊が神楽へと襲いかかった。神楽はすぐさま箒の腕より抜け出し、全力で逃げ出す。その背を追いながら雛菊が叫ぶ。

 

 

「逃げるなッ!」

「神楽知ってるよ! 止まったら殴られる!!」

「だったら止まって!」

「神楽知ってるよ! 雛菊は横暴だって!!」

「うるさぁああああいッ!!」

 

 

 どたばたと食堂内を走る子供が二人。いつぞや見た光景がデジャブして呆気取られていた三人が顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……はぁあ、なんか最近驚く事ばっかりだよ」

「お疲れ様。束」

「ん。ありがとう」

 

 

 束とハルは高天原の研究区画にいた。先ほど、食堂で暴れていた雛菊と神楽が待機形態の状態で安置されている。あの後、箒から一時的に預かって神楽のデータを調査していたのだ。

 結果、意識レベルが雛菊や白式と同程度まで芽生えていた事が発覚した。搭載した当初はそこまでの意識レベルの向上は無かったから、これはやはり箒特有の現象だったのだろう、と。

 

 

「私が愛した子だから、コアも皆愛してくれる、か。……なんか恥ずかしいな」

「でも、悪い事じゃないでしょ?」

「まぁね。あーぁ。なんかさー、ハルがいて、皆がいて、私の研究がどんどん進んでいくよ。私が追いつけないぐらいに。こんな事なんてなかったのにさ」

 

 

 ハルにもたれかかるように束は身体を預ける。束の身体を支えながらハルは束の髪を撫でた。ハルの手の感触に束は目を伏せる。ハルの手の感触をいっぱい感じようとするように。

 

 

「こんなにも世界って輝いてるんだね。ハル」

「……そう思えるようになって良かったね。束」

「うん」

 

 

 自分の髪を撫でる手に束は手を添えた。握り合わせるようにして手を重ね、束はハルと向き合う。ハルもまた束の視線に答えるように視線を交わし合う。

 二人の距離がゼロになる。触れ合うように、そして啄むようにキスを交わす。何度かキスをして、顔を見合わせて二人は微笑む。

 

 

「……幸せなんだ。凄く、凄く」

「うん」

「ハルは幸せ?」

「僕は幸せだよ。こうして束が幸せに感じててくれて、側にいる事が出来て」

 

 

 束を腕の中に閉じこめるようにしてハルは抱きしめる。ハルに身を預けて束は再び目を閉じた。ハルと出会ってから3年。その間に積み重ねてきたものが、表舞台に戻ってから瞬く間に成果を出していく。

 それは冬が終わり、春が来るように。根雪の下で堪え忍んでいた種達が芽吹くように。束は抱えきれない程の幸せをいつの間にか抱えていた。それを思い返すだけで束の目尻には涙が浮かんできた。

 

 

「……ねぇ? ハル」

「ん? なに? 束」

「もう、我慢しなくていいよ?」

 

 

 ハルは束の言葉の意図が掴めず首を傾げる。ハル自身に別に我慢している事などない筈だ、と。すると束は腕をハルの首に絡めるように伸ばす。互いの吐息が近づく程の距離で見つめ合って、束は熱の籠もった吐息を吐き出した。

 

 

「……我慢、してるでしょ?」

「いや、してないけど……」

「ふぅん? じゃあ……あの時みたいなキス、して?」

 

 

 束の言葉に、ハルは一気に顔を真っ赤にさせた。よく見れば束の顔も赤くなっていて、ハルは身を硬直させてしまった。

 我慢しなくて良い。その言葉の意味を理解してハルは勢いよく首を振った。

 

 

「ま、待った! 束、待った! それは……駄目だって……!」

「どうして?」

「どうしてって……僕、まだ未成年で……!」

「元々、世間様から関係なく生きてきた私達じゃん。今はIS学園にいるけど、これから先ずっと、程々に付き合いながら自由に生きてくでしょ?」

「で、でも! 今は大事な時期でしょ!? 何かあったら……」

「良いよ」

 

 

 束は少し横に首を振って告げる。

 

 

「ハルがそれで幸せになれるなら、私の夢を少し遅らせても良い。もう充分すぎる程、進んだよ」

「でも……!」

「じゃあハルはいつまで我慢するつもり?」

 

 

 束はハルの瞳を見透かすように見つめる。ハルが仰け反るようにして束の視線から逃れようとする。一歩下がれば、束がハルを抱きしめたまま一歩を踏み出す。

 そのまま壁に行き着いてしまい、ハルは更に束に距離を詰められる結果となる。緊張なのか、ハルの瞳は涙を浮かばせていた。涙の滲んだ瞳が束を見つめている。

 

 

「……ッ……だ、め……だって」

「どうして?」

「……傷つけるよ……? 絶対、優しく出来ない自信がある」

「それって我慢のし過ぎだからだと思うんだけどなぁ。それに3年前、1回傷つけてるし、表舞台に出よう、って言った時も束さん、大分傷ついたよ? ねぇ? 今更でしょ? それに……」

 

 

 そっと。束はハルの頬に手を添えた。

 

 

「もうたくさん優しさを貰ったよ。だから……貰って良いよ? 束さんから欲しいもの。あるでしょ? あげる。いっぱい、いっぱい」

「……ッ」

「愛してるよ。ハル。だから……良いよ。むしろ――傷つけてよ。私がここにいる証を私に刻んでよ。ここにいる証を感じさせて?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あれ? ハル。お前、昨日どこに行ってたんだ?」

 

 

 朝。一夏は朝の歯磨きをこなしながら部屋に戻ってきたハルを見た。そして思わず後退った。まるで幽鬼のように疲労しきった姿のハルがそこにあったからだ。

 今にも倒れてしまいそうな程、ふらふらになって一夏の前を通り過ぎていくハル。一夏は目を丸くしてハルの様子を窺う。

 

 

「お、おい? ハル?」

「……放って置いてくれ、一夏。僕は今、自己嫌悪と羞恥心で死にそうなんだ」

「は? お前、何言ってるんだ?」

「……ごめん。一夏、僕、今日学校休むから」

 

 

 じゃ、と言って私服姿のまま布団に入り込むハル。そして、そのまますぐに寝息を立て、死んだように眠るハルの姿を一夏はただ呆然と見つめる事しか出来なかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「姉さんめ……。また徹夜したのか? 部屋に戻ってきた様子は無かったし」

 

 

 箒は朝、目を覚ましてみたら同室で寝ている筈の束の姿がない事に気付いた。仕方ない、と言うように箒は束に声をかける為に研究区画へと向かっていた。睡眠を取らないのも良くないし、身だしなみも崩れてしまっては勿体ない。

 昔、ハルから聞いた苦労話を耳にしてから、箒も束の生活習慣を改善に協力する同士だった。最近では束の世話はハルと箒で二分されていると言っても過言ではないだろう。

 そして箒がいざ研究区画に辿り着くと、入り口の前には神楽が座っている事に気付いた。自分のISが膝を抱えて座っている事に首を傾げながら、箒は神楽へと歩み寄っていった。

 

 

「おはよう、神楽。姉さんは?」

「神楽、知ってるよ。母は仮眠中だって」

「仮眠だと? 寝るなら部屋に戻って寝て欲しいんだが……」

「箒。今はそっとしておいてあげて?」

 

 

 入り口を通せんぼするように立つ神楽の姿に箒は首を傾げる。

 

 

「? 何かあったのか?」

「神楽、知ってるよ。こういう時にはこう言うんだって」

 

 

 

 

 ――さくやは おたのしみ でしたね って。

 

 

 不気味な笑みを浮かべて笑う自身のISにただ箒は不思議に思うしか無かったという。

 

 

 




「神楽、知ってるよ? お前モッピーじゃねぇかって言う人がどこかにいるって事。神楽は、知ってるよ……? クスクス……」 by神楽


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Days:18

「それが、上の決定だと?」

「えぇ」

 

 

 暗がりの中に二人。向き合うのは女と少女のようだ。女は淡々とした口調で語り、少女は女の返答を受けて表情を歪めた。歪められた表情は怒りによるものだ。歯を剥いて、今にも噛み付きそうな表情で、少女は女を睨み付けた。

 

 

「納得がいかないかしら?」

「当たり前だ! 決定だと、それが決定だと!? はっ! 結局この組織も篠ノ之 束には尻尾を振る臆病者達の集いか!! 私は、私は!! そんな奴らに使われる為にここに居るんじゃないッ!!」

 

 

 忌々しいと言わんばかりの少女が叫んだ。掴みかかるように女性へと手を伸ばし、その首を締め上げんとする。だが女性もまた動き、少女の手を掴んで捻り伏せる。そのまま勢いよく少女の身体が床に叩き付けられる。

 藻掻く少女の瞳には涙が浮かんでいた。だが、瞳に宿る憤怒と憎悪は消えず、床に爪を立てて女性へと刃向かおうとしている。そんな少女を見下ろしながら、女性はやはり淡々とした口調で告げる。

 

 

「どうしても、私達には従えない?」

「従える筈もない……! 殺すなら殺せ!! こんな屈辱を味わうなら死んだ方がマシだ!!」

 

 

 藻掻きながらも叫ぶ少女を見下ろす女。その瞳に浮かぶ感情の色に少女は気付かない。再度、地に叩き伏せるようにして頭を抑え付け、女性はただ冷ややかな声で告げた。

 

 

 

「――そう、死んだ方がマシね。だったらお別れよ。サヨウナラ」

 

 

 

 その声を最後に、首筋に何かが当てられた。少女の意識は闇へと閉ざされていく。ただ胸に秘めていた渇望が、永遠に道を閉ざされた事を理解しながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 高天原の艦橋。IS学園に身を置くようになってから定期チェック以外で足を踏み入れる事が無かった部屋にロップイヤーズの面々が集められていた。

 普段の和気藹々とした雰囲気はなく、どこかぴりぴりとした緊張感が艦橋を埋め尽くしていた。雰囲気を生み出している原因である束は集まった面々に視線を向ける。

 

 

「ごめんね。皆。今日集まって貰ったのは……非合法の人体実験を行っている研究所が見つかったからなんだ」

 

 

 束の言葉に緊張が高まる。一夏と箒は目を見開き、残った面々は表情を強張らせた。

 

 

「束。情報のソースは?」

「……ハルの時と同じ」

「何?」

「まるであの時と同じって訳じゃないよ? “目”と“耳”を巡らせてたんだけど、まるで私ならわかる、って言うような情報を見つけたんだよね。で、蓋を開けてみれば、実験体を再調整・初期化をかける為に、研究所に送り返すって情報がね。で、調べてみれば……出てきたよ」

 

 

 束はコンソールを操作してディスプレイを展開する。そこには実験体である少女の姿が映し出される。一番早く、そして激しく反応したのは一夏だった。思わず一歩、足を前に踏み出して目を驚愕に見開かせている。

 反応の差はあれど皆、同じような反応だ。その中で唯一、目を見開くのではなく目を細めたハルは睨むようにディスプレイを睨み付けた。――そこには千冬とうり二つな少女の姿が映し出されていた。

 

 

「個体名称「エム」。……ちーちゃんのクローンだよ」

 

 

 束の歯の噛む音が響いたのは気のせいだろう。一夏が怒りの余り、表情を歪ませるのを箒が押し留める。

 そんな中、ハルは束へと視線を向ける。束はハルの視線に気付いて小さく頷く。表示されていたディスプレイを消して、全員に向き直るようにして束は告げる。

 

 

「相手は“亡国機業<ファントム・タスク>”。束さんもなかなか尻尾が掴めない組織だけど……多数ISを保有している可能性がある。だからこそ……ハル、ラウラ、クリス。出撃して貰うよ。クーちゃん、サポートの準備を。高天原は動かさないけど、代わりに小型船を使うから本艦からの援護ね」

「了解しました」

 

 

 束が淡々とした声で指示を下す。だが誰も逆らう事無く頷いた。そして艦橋を後にしようとしたハルに声をかけたのは一夏だった。

 どこか歯痒い表情を浮かべた一夏に呼び止められたハルは眉を寄せて一夏を見る。しかし、すぐに何か察したように笑みを浮かべて、一夏の肩を軽く叩いた。

 

 

「ハル、俺が言う事じゃないと思うんだが……この子の事、頼むな。俺は、行けないからさ」

「一夏……大丈夫さ。すぐに戻ってくる」

「……あぁ。お前が戻ってくるまでの間、束さんには俺と箒が付いてるから。未熟者でもそれぐらいはしてみせるさ」

 

 

 こつん、と。一夏とハルの拳が触れ合う。そのままハルは背を翻して駆け抜けていく。一夏はその背を眩しそうに見つめる。

 一夏の様子に気付いたのか、箒が一夏の側によって一夏の肩を叩く。箒に視線を向けて、一夏は箒だと気付けば苦笑を浮かべた。

 

 

「……良いのか?」

「それを聞くのは止めろよ。……未熟者だしな。それに」

「それに?」

「無闇に手を伸ばすのは止めるんだ。俺は、まず一人。大事な人を守るって決めたから。それに……ハル達は強い。きっとエムって奴も助けてやれるって信じてるから」

 

 

 少し照れくさそうにそっぽを向いた一夏。そんな一夏に少し驚いたように箒は目を見開き、そして優しげに微笑んで一夏の頭を撫でた。

 

 

「そうか。……頑張れ、一夏」

「頭撫でるんじゃねーよ」

 

 

 箒の手を払いながら一夏は恥ずかしげに頭を掻いた。一夏から手を離した後も、箒は優しげな視線を一夏に送り続けた。

 まだ駆け抜けていく背中は遠い。それでも翼は得ている。いつか必ず追いつくと少年は決意する。己の大切な物を失わない為に、肩を並べられる日を夢見て。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そこは組織の拠点の1つであった。突破するのが困難な程の警戒網。もしも侵入者として発見されたのならば瞬く間に蜂の巣にするだろう。列べられた兵器群は圧巻の一言に尽きる。

 だが、この警戒網の中、無謀にも正面から突撃してくる者が現れる事など、果たして誰が想像しただろうか?

 地を這うようにして飛行するのは二機のIS。漆黒のカラーリングを夜の闇に溶け込ませるようにして迫る影は黒兎と黒鉄、ラウラとクリスの二人であった。

 

 

「クリス……! 行くぞッ!!」

「応! 友よ!!」

 

 

 黒兎の背部装甲に足をつけ、肩部のパーツを掴む形で背に乗るクリス。クリスを背にしたまま、ラウラが両手にレーザーライフルを呼び出して握りしめる。

 クリスもまた手に持った“叢雲”を巨大な鉄塊を思わせるような巨大刀へと変形させる。彼女たちに反応した兵器群が排除せんと駆動していく。

 それを見たラウラの“ヴォーダン・オージェ”に輝きが灯る。暗闇の中、浮かび上がる黄金の瞳は大きく見開かれる。

 

 

「――思考制御支援システム“夢想天翔”、起動!!」

 

 

 瞬間、ラウラの意識は切り替わる。ラウラとは黒兎であり、黒兎とはラウラである。ISとラウラとの感覚の差異が失せ、ロスタイムがゼロとなる。ラウラはISから伝えられる膨大な情報を制御しきって見せる。

 機体を有効的に活用する為の計算、迫る弾幕の情報。その規模を把握し、ラウラはイメージで機体を動かす。今やラウラはISコアの生体CPUと言っても過言ではない。ただ効率的に機体をイメージで振り回す。

 効率だけを求めた急激な加速と旋回。機動に振り回されるラウラとクリスの表情は歪む。だがクリスは狂気に笑む。快いと巨大刀を振り抜き、構えてみせる。

 

 

「斬り捨て、御免ンンンンン!!」

 

 

 クリスの咆哮と共にラウラが加速する。荒れ狂う二機のISは正に漆黒の暴風。あれだけ堅牢であった兵器群が根こそぎクリスの巨大刀で抉られるように破壊され、ラウラが放つ嵐のようなレーザーによって的確に射貫かれていく。

 正面突破。ここまで一切の被弾を許さずに二機のISは警戒網を強いていた兵器群を壊滅させてしまった。その瞬間を狙ったかのように――空に白き流星が駆け抜ける。

 

 

「行けぇっ!! ハル!! 外は任せろォッ!!」

「クリス、ラウラ! 任せたッ!!」

 

 

 翼を大きく広げ、突貫していくハルの背を見送ったクリスは再び加速する。任せた、とハルの叫びにクリスは大きく身を震わせた。

 背を預けられる戦友がいる。同じ目的を持って戦える友が。それが心を震わせ、クリスは笑った。かつて腐っていた自分が、こうして友に任された戦場にいる事が何よりもおかしかった。

 

 

「ここが私の戦場……!! あぁ、快いなぁぁああッ!!」

 

 

 蹂躙し、吠える。剣鬼の叫びに夜闇に爆炎の華が咲き乱れていく。友が帰還する道に憂いなど残さないように。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 亡国機業の秘匿された拠点。今もクリスによって外の警戒網の一切が破壊され尽くす中、ハルは内部に飛翔しながら進んでいた。

 

 

『ハル、敵性反応』

「IS!?」

『違う。EOSが配備されてる』

 

 

 エクステンデット・オペレーション・シーカー。略してEOS。世界中で災害救助や平和活動に使用されている外骨格性機動装甲。ISとは比べものにはならない程の性能だが、人を選ばずに使用されている兵器だ。

 そんなものまで、とハルは舌打ちをする。そして、それはつまり人間を相手にするという事だ。

 

 

『ハル』

「雛菊……やれるね?」

『……一緒だよ。ずっと一緒』

 

 

 雛菊が微笑むイメージがハルに伝わる。それを受けたハルは一度、瞳を伏せる。次にハルが瞳を開いた時、その瞳には一切の感情が消えていた。

 角を曲がれば、待ちかまえていたようにEOSの銃弾が迫り来る。ハルは自らの身を守るように翼を前に押しだし、展開装甲によって防御壁を形成する。そのまま疾走し、銃弾の雨をバラまくEOS達へと飛び込む。

 

 

「――死にたくなければ動くな」

 

 

 聞こえたかもわからない警告。ハルの四肢の装甲が開いて刃となる。空中で全身を振り回すようにしてハルはEOSの武装を剥ぎ取っていく。暴発したのか爆炎が上がって人の悲鳴が上がる。

 だがハルは気にせずに突き進む。傷つき、倒れた人などに目もくれず、束によってもたらされる情報を頼りに進んでいく。そして閉じられた扉を開く時間が惜しい、と言わんばかりに蹴り抜いて突き進む。

 

 

「――ッ!」

 

 

 交錯。ハルの展開装甲によってエネルギーを纏った脚部を抑え込んだのは金色の繭。だがエネルギーのぶつかり合いによって金色の繭が引き千切られていく。

 その先に見えた顔にハルは目を見開いた。互いに弾かれるようにして距離を取って睨み合う。ハルはすぐさま構えを取りながら対峙するISを纏った女性を睨み付けた。

 

 

「――やはり貴方だったのね? 3年ぶりかしら?」

「お前……モンド・グロッソの時の!」

「そうよ。スコールと名乗っているの。よろしく」

 

 

 ハルの叫びに対峙する女性、スコールは笑みを浮かべた。覚えのある笑みだ。忘れたくても忘れられない。あの時の記憶が蘇ってハルは自然と険しい表情を浮かべる。

 それでもスコールの笑みは揺るがない。ISを纏っていた彼女だったが、ハルを見据えて目を細める。

 

 

「貴方の目的は、ここにいる織斑 千冬のクローン体“エム”を救出する為かしら?」

「……そうだと言ったら?」

「皮肉よね。貴方が彼女を助けに来るなんて。……そう思わない? 破棄された筈の失敗作さん?」

 

 

 スコールの言葉にハルは答えない。ただスコールの挙動を警戒するように見据えている。ハルの視線を受けていたスコールは静かに腕を下げた。

 驚いたようにハルは目を見開く。敵意は無い、と言うようにスコールは腕を下げたままハルに告げた。

 

 

「貴方を待っていたのよ。彼女をここから連れ出して貰える?」

「何……?」

「情報をリークしたのは私だもの。囚われのお姫様を連れ出していただけるかしら? 王子様」

 

 

 スコールの言葉にハルは目を見開かせる。ハルが驚いた様子に可笑しそうにスコールは笑う。ハルは見開かせた目を再度、鋭く細める。真意を探るようにハルは問いかけた。

 

 

「何の為に情報をリークした? 証拠は?」

「証拠の提示は難しいわね。何の為かと言われれば……組織にあの子がいらなくなったからよ」

「いらなくなった?」

「亡国機業<ファントム・タスク>はその活動を休止し、潜伏する事が決定したの。それが上層部の決定。……篠ノ之 束が表に出て、ロップイヤーズが結成された以上、私達が活動する事は非常に難しい。だからこそ、貴方たちに対抗策が思い浮かぶか、貴方たちが地球から去った後にでもまた活動するって話よ?」

「お前達の目的は?」

「死の商人、と言えば良いかしら? 或いは革命を願う者達。また或いは覇権を狙う者達。私達は数多の顔を持つ。人知れず世界に蠢く亡霊」

「故に“亡国機業<ファントム・タスク>”、か。……複数の思惑が入り乱れるが、共通とした目的は同じ。――今時、世界征服を狙う悪の組織なんて笑えないね?」

「人の欲望は尽きないのよ。ご存知でしょう?」

 

 

 スコールの笑みにハルは押し黙る。彼女の言っている事がどれだけ真実なのかはわからない。警戒を解かないまま、ハルはスコールを睨む。

 

 

「……お前の目的は?」

「それは私個人の、という事?」

「そうだ」

「今は、哀れな囚われのお姫様を救ってあげて欲しいと思っているわ」

「……何故?」

「貴方がいたからよ。ハル・クロニクル。……貴方が自由に空に羽ばたけるならば、あの子もきっと。枷さえ外されれば、ね」

「アンタ、一体……」

「女には秘密が多いものよ。それで? どうするのかしら? あまりもたもたしているとここがどうなるかわからないわよ?」

 

 

 スコールの言葉にハルが舌打ちをしかけるも、何とか抑え込む。確かにこうしている間にも時間が過ぎていく。幾らISが現行兵器に追従を許さぬ性能があれど、完全無欠の無敵ではないのだ。

 ハルは無言で構えを解いた。ハルが構えを解いたのを見てスコールは笑みを深めた。どこか、その笑みに優しさが見えたのは気のせいだったのか。

 

 

「オータム」

 

 

 スコールが誰かの名を呼ぶ。すると部屋の死角となっていた壁から一人の女が姿を現した。どこか野性的で、獣のようにハルを威嚇する女性は、その腕にハルと良く似た少女を抱えていた。

 スコールに促されるまま、オータムはハルへと歩み寄る。そしてハルを睨み付けるように視線を送っている。今にも噛み付いてきそうだ。

 

 

「……オータム。止めなさい。早くエムを彼に」

「……わかってるよ」

 

 

 敵意を滲ませるオータムに対してスコールが窘める。窘められたオータムはどこか納得がいかない、という表情でハルを見ながらも、腕に抱いたエムと呼んだ少女を差し出す。

 ハルは警戒しながらもエムと呼ばれた少女を預かる。そのままオータムは鼻を鳴らしてスコールの下へと下がった。その間にハルは雛菊にエムのメディカルチェックを頼む。異常なし、と返答を受けるも、まだ警戒は緩めない。

 

 

「彼女の懐にこの子が施された処置を記した記憶媒体が入ってるわ。後で確認して頂戴」

「……信用していいのか?」

「……いいえ。しなくていいわ。言っても信用出来ないでしょう? ただそれでも、私は真実しか口にしない。それでどう判断するかは貴方に委ねるわ」

 

 

 スコールは笑みを崩さないままだ。ハルは無言のまま、エムを抱え直して宙へと浮かび、二人に背を向けて部屋を後にした。いつかの日のように去っていくハルの背を見送ってスコールはふぅ、と吐息した。

 

 

「……スコール! 大丈夫だったか!?」

「……大丈夫よ、オータム。心配かけたわね」

「スコールに何かあったら……私は……!」

 

 

 スコールの存在を確かめるように抱きついてくるオータムにスコールは笑みを浮かべる。うっすらと浮いた汗は緊張によるものだったのだろう。力を抜いて笑うスコールはオータムの背を落ち着かせるように撫でる。

 

 

「……これで良いわ。これで私達の“首輪”も外れた。“餌”である彼女はロップイヤーズの下へ。雲隠れするには充分過ぎるわ」

「スコール……」

「オータム。どこに行こうかしら?」

 

 

 微笑みながら問うスコールの笑みに、オータムもまた満面の笑みを浮かべた。

 

 

「スコールと一緒なら、どこへでも!」

「じゃあ流れていきましょうか。亡霊は亡霊らしく、誰にも知られず、ね」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 その日、人知れずに暗躍していた組織の拠点が潰される事となる。それが後の世、再び世に名前が出るまでの最後の目撃情報となる。“亡国機業”はまるで、その名のように世界の闇に潜っていく。

 輝かしいまでの星が宇宙<そら>に昇るまで、世界の闇は深淵へと。人々の悪意と欲望を孕みながら。

 

 




「ハルと一緒。……例え、ハルがどんな道を選んでも。一緒だよ、ハル」 by雛菊


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Days:19

「……ぅ……?」

 

 

 うっすらと開いた目に光が差し込み、呻き声を上げてエムは目を閉じた。なんとか光に慣れた瞳で景色を映すと見慣れない天井が見えた。寝起きでぼやけた頭はまだ正常に動いていないのか、ぼんやりと天井を見上げる。

 自分はどうなったのか、とエムは記憶を掘り起こそうとする。だがエムが全てを思い出す前にエムの顔を覗き込むように誰かが顔を見せた。

 

 

「あ、気が付いた?」

「――」

 

 

 目した顔。それがどことなく“自分と似ている”。その事実が一気にエムの意識を覚醒させた。エムは勢いよく身体を起こして自分の顔を覗き込んできた少年へと掴みかかった。

 

 

「ハル・クロニクル……ッ!!」

 

 

 憎悪すら篭めてエムはハルの首に手をかけようと伸ばす。だが、ハルもまたエムの反応を予想していたのか、手を掴んでベッドに押し倒すように抑え付ける。藻掻こうとするエムだったが、ハルの拘束が強くて逃れる事が出来ない。

 エムを必死に押さえ込みながらハルはエムを見つめた。どこか辛そうな表情で、だが覚悟を決めたようにハルはエムを見た。

 

 

「……エム、で良いかな? 暴れないで欲しい。君の体内のナノマシンが機能停止してても、まだ何かあるかわからないんだ」

「何だと……!? ここはどこだ!? 何故貴様がここにいる!? 私をどうするつもりだ!?」

「それを聞きたかったら大人しくしてくれ……。ISが無い君が、ISを持つ僕に勝てる訳がないだろう?」

 

 

 ハルの強い眼差しを受け、エムは苦々しそうに歯を噛みしめる。舌打ちを零し、身体の力を抜く。抵抗が緩んだ事からか、ほっ、と安堵の息を吐いてエムの拘束を解く。

 ベッドに腰掛けるようにしてハルはエムを見つめた。エムは上半身を起こしてハルを睨み付けている。揺るがない敵意と瞳の奥で燃える憎悪の炎が見えている。ハルは眉を寄せながらも、息を整える。

 

 

「ここは高天原。僕たちの船。その医務室だ。ロップイヤーズの事は知っているだろ?」

「ここが……!? ……何故、ここに私が?」

「スコールって奴が君を僕等に引き渡したんだ。もう君を縛るものは何もないよ、エム。君の体内のナノマシンもスコールが処置してくれていたみたいだ。亡国機業から君は解放された。……君の事はスコールから渡された情報から全て窺ってる。僕の成功作である君の事を」

 

 

 成功作、という言葉にエムがハルを睨み付ける。もしも視線だけで人が殺せるならハルはもう何十回も殺されている事だろう。それでも真っ向からエムと向かい合い、エムから視線を逸らす事はしない。

 

 

「……そうだよ。お前のコードは忘れたがな、知っているよ。失敗作」

「君はMだからね。僕は……何だったかな? データでも掘り出せばわかると思うけど。ただ僕の方が先に造られたんじゃないかなって思うよ?」

「そんな事はどうでも良い!! 私は憎い。私のオリジナルである姉さんが憎い!! 姉さんが寵愛する織斑一夏が憎い!! だが、何よりも貴様が憎い……ッ!!」

 

 

 ハルの胸ぐらを掴みあげるようにエムは手を伸ばす。ハルは今度は抵抗しない。エムに胸ぐらを持ち上げられ、そのまま押し倒される。エムはハルに馬乗りになりながらハルを睨み付ける。

 今にも歯を砕かんばかりに歯を噛みしめ、憎悪に燃える瞳でハルを見下ろしている。

 

 

「何故、失敗作のお前が、自分だけの名前を貰って! 平穏な生活を享受する事が出来ている!? 私は、自分の名も無く、ただ道具として扱われた!! 何故だ!? 失敗作である筈の貴様がッ!! 姉さんの妹にもなれなかった貴様がッ!! 何故、貴様だけが恵まれる!? 何故貴様だけが愛されているッ!?」

 

 

 エムにとってハルとは認められない存在だ。認めてしまえばエムの存在の根幹が全て崩れてしまう。織斑 千冬のクローンとして生まれ、ISを扱う為の道具として扱われ続けてきた。人間としての扱いなど望める筈もない。

 なのに成功作とされた自分を差し置いて、失敗作で破棄された筈のハルが幸せを謳歌している。オリジナルである千冬がいるIS学園の生徒として迎えられている。それは理不尽なのではないか、と。エムの叫びにハルは悲痛そうに表情を歪める。

 

 

「……そうだね。僕は恵まれてるよ」

「……ッ!!」

「憎むのも道理だ。僕は君の欲しかったものをきっと全部手に入れている。――だから、君に手を差し伸べたいんだ、エム」

「施しのつもりか……!? 自分が恵まれてるからか!? ハハッ、良い身分だなッ!! 圧倒的な優位に立って私を見下して!! さぞ愉快だろうよ!!」

「……愉快なんかじゃないよ」

「巫山戯るなッ!! じゃあ、何故!? 何故私を救った!?」

「兄妹を助けようとして、何が悪い?」

 

 

 そっと、ハルはエムの頬に手を添えた。労るようにエムの頬を優しげに撫でる。エムは唖然としてハルを見た。

 

 

「……兄妹? 私と、お前が?」

「そういうもんでしょ? 僕等の関係って」

「馬鹿馬鹿しい!! 貴様は失敗作で、私が成功作だ!! ただそれだけだ!! 兄妹などという関係などではない!!」

「じゃあ何で君は千冬の事を姉って呼ぶんだ?」

「ッ……!?」

「……本当は、憧れてるんだろ? わかるよ。わかるんだよ、エム。僕だって“普通”に憧れたんだから」

「うるさい……!」

「……勿論、君が嫌なら遠慮するけどさ」

「うるさい……!!」

「それでも、助けたかったんだ。それだけなんだ」

「うるさい、黙れぇっ!!」

 

 

 ハルの手を払ってエムはハルの首に手をかけた。涙を零した瞳は困惑に揺れていた。憎悪に滾っていた瞳は潤んでいた。こぼれ落ちた滴はエムの頬を伝っていく。ハルの言葉を受け入れられない自分と、図星を突かれた自分がせめぎ合う。

 震えた手には力は入っていない。それでもハルの首を絞めようとする手は少しずつ、少しずつ力を込めていく。ハルが苦しげに眉を寄せてエムの手を掴む。

 

 

「エム……ッ!」

「その名で私を呼ぶなぁッ!! 私を惑わすなッ!! 死ねッ!! 死んでくれよ!! お前が私を狂わす!! お前の所為で全てが狂った!! お前が悪いんだ!! お前が悪いんだぁッ!!」

「――じゃあ、君は何て呼ばれたいんだ!?」

 

 

 エムの手を強く握りしめながらハルは叫ぶ。ハルの叫びにエムが怯むように身を震わせる。

 

 

「自分の名前が欲しいなら勝手に名乗れば良いんだよ。もう良いんだ。君を縛るものなんて何一つ無い。自由にして良いんだ。それで殺されてくれなんて叶えられないけど、君が幸せになる事を僕は願ってるし、望んでる。それが施しだって言うなら……幾らでも施してあげたい。そうしなきゃ伝わらないって言うなら何度だって言うよ」

「何をッ!?」

「――君を助けたいんだよ……! ただ、それだけなんだ……!」

 

 

 伝わってくれよ、とハルはただ叫ぶ。強く叫んだ事で息が荒れる事も気にせずに。苦しげに細められた瞳がエムを見据える。怖じ気づくようにエムは表情を歪ませる。

 ハルの首に添えていた手が震える。感情が暴走している。身体が震え、エムは首を振る。歯を強く噛みしめてハルを睨み付ける。

 

 

「ッ……なんだ、これは……! なんなんだ、これは! お前が憎いんだ! お前を殺したいんだ! なのにお前の言葉が私を惑わす! 助けたいだと!? そんな、そんな言葉が信じられるか!! 信じられるものか……!! 消えろ、消えろ……!!」

「……ッ」

「なんで力が入らない……!? なんで……ッ……!?」

 

 

 震える手に力は籠もらない。必死に手に力を込めようとしても上手くいかない。それが信じられない、という思いでエムは自分の手を見つめた。呼吸を荒くして、髪を振り乱すように頭を振りながら。

 力が緩んだ隙だった。ハルはエムの両手を首から離して勢いよく上半身を起こす。逆に倒れそうになったエムの身体に手を伸ばして強く抱きしめる。

 

 

「な……!? は、離せッ! 離せぇっ!!」

「離すもんか……!」

「離せぇっ! 離せ……! は、離せ……よぉ……!」

 

 

 エムは藻掻いていたが、ゆっくりと力を失ってハルの背に爪立てるように手を置く。それでもハルはエムを離さない。強く、強く、少し苦しい思いをさせるぐらいに。

 エムは嫌だ、と言うように首を振り続ける。例え力が入らなくても抵抗の意思は揺るがない。藻掻くエムにハルは表情を歪めながら語りかける。

 

 

「ねぇ? 聞いてくれないかな?」

「いやだ……!」

「お願いだ。君に伝えたい事があるんだ」

「聞きたくない……!」

「そんなに僕が憎いか?」

「憎いさ! なんでも持ってるお前が! これ見よがしに私に見せつけて来るお前が! 私を救うだなんて言う傲慢なお前が! 私には、何も無いのにィッ!!」

 

 

 エムが叫んだ瞬間だった。医務室のドアが開く。思わずハルとエムの視線が扉へと向く。するとそこに顔を出したのはエムと瓜二つな姿、織斑 千冬がそこに立っていた。

 思わず場の空気が固まる。エムは信じられない、と言うような表情で千冬を見つめ、千冬は僅かに困惑したように眉を寄せる。ハルは千冬の姿を確認すれば表情を緩めた。

 

 

「……む」

「……ぁ」

「……千冬、遅い」

「これでも急いだ方だ。現に一夏は置いてきた。……ところで、これは私が邪魔な雰囲気か? ハル?」

「むしろ必要だって。この分からず屋に教えてやってよ、僕じゃ嫌だとさ」

 

 

 エムの身体を離してハルは立ち上がる。どこか唇を尖らせて不満そうに、だがどこか安堵したように千冬を見る。千冬はハルが立ち上がったのを見て、ベッドへと歩み寄って呆然と自分を見つめるエムを見た。

 

 

「……ふむ」

「……ぁ」

「そっくりだな。まるで昔の私を見ているようだ。……だが、どうした? そんな迷子のような顔をして」

 

 

 くしゃり、と。エムの髪を撫でて千冬は問うた。自然とエムの髪を撫でている様には警戒の色は無く、ただ面白そうにエムを見ている。

 エムは千冬の手に驚いたように顔を上げた。どこか信じられないと言うように呆然と千冬の顔を見上げている。

 

 

「……迷惑をかけたな。私の所為で要らん苦労を強いたようだ。すまない」

「……ッ……! わ、私は……私はッ! 貴方が、貴方が憎いッ!!」

 

 

 千冬の言葉にエムは身を震わせて千冬の手を払った。先ほどのハルと相対した時のように身体を震わせながら千冬を睨み付けている。

 

 

「貴方が憎いんだ! 貴方を殺したい……! 私の存在を認めさせたい……!」

「……そうか。殺されるのは勘弁願おう。やるべき事がたくさん残っているのでな。それに存在を認めろと? 不思議な事を言う。お前はここにいるだろう? 認めるも何もない。だから、そんなに怯える事はない。自分と良く似た顔に人間は3人いるという。お前は2人目になっただけだ」

 

 

 エムの叫びに千冬はまるで何でもない、と言うように反応を返した。余りにも強かで不貞不貞しい返答にエムは目を見開いて千冬を見た。理解が出来ない、と言うように千冬を困惑の瞳で見つめる。

 

 

「どうした?」

「なんで……! なんで憎いって言ってるのにそんな平然としてられるんだ!? 私は殺したいんだ!! 憎いんだ!!」

「それでも殺そうとしていないだろう? ハルに何を言われたのかは知らんが、大体は予想が出来る。だから認めてやる。お前がここにいる事を。流石に殺されてはやれんが、それ以外で叶えられる願いがあるなら、可能な限り聞いてやろう」

 

 

 千冬は先ほど振り払われた手で再度、エムの頭を撫でた。再び頭を撫でる千冬の手の感触にエムは身を竦ませるように震えた。唇を震わせて、涙が浮かぶ瞳で千冬を見つめている。信じられない、とただ訴えるように。

 

 

「……わ、私、は……」

「何だ?」

「……私、は……!」

「ゆっくりでいいぞ。聞いてやるから、ゆっくりで良い」

「ッ……!! 私はッ!! 私は……!!」

 

 

 何度も私、と繰り返しながらエムはしゃくりを上げるように喉を引き攣らせた。言葉が出ない。感情が暴走して、身体の制御が出来ない。ただ溢れてくる涙を零しながら千冬を見上げる事しか出来ない。

 千冬はただエムの言葉を待っていた。それはまるで揺るがぬ大木のようで、安心感を覚えさせてくれる姿だった。エムは頭を撫でていた千冬の手に、己の手を重ねるように伸ばす。千冬はエムの手に気付いて、エムの手をしっかりと握りしめる。

 

 

「……ぁ……」

「……どうした?」

「……ッ! ……わ、私は……! あなたを……姉さんって、呼んで良いですか……? 私を、受け入れて、くれますか……!?」

 

 

 ようやく吐き出された言葉に千冬は困ったような笑みを浮かべる。伸ばされた手にエムは目を閉じた。そして気付けば、千冬に抱きしめられていた。

 千冬の手がエムの背中をリズムをつけて叩く。心臓と同じリズムは背を叩く手は溶け込むようにエムに伝わる。

 

 

「好きに呼べ。別に……手間のかかる妹が一人増えたぐらいだ。今更気にはせんよ」

「……いい、んですか?」

「お前は私の言葉が聞こえないのか? 私は同じ事を二度言うのは嫌いだ」

「……ッ、はい……! 聞こえ、ました……!」

「そうか。なら……良い子だ」

 

 

 千冬の言葉にエムは限界まで目を見開く。それが段々と細められ、エムは千冬に縋り付くように抱きつきながら泣き声を上げた。まるで赤子のように、人の目を憚らずに。開いていられないとばかりに固く目を閉じて、喉の奥から絞り出すような声を上げて泣く。

 そんなエムを千冬はただ黙って抱きしめた。仕方ない、と言うように笑いながら。そしてちらり、とハルへと視線を向ける。ハルは小さく頷いて、部屋を後にする為に入り口へと向かう。

 

 

「……あれ?」

「……よう」

 

 

 ハルが部屋から出ると、そこには一夏がいた。壁によりかかったもたれかかっている。どこか居心地が悪そうにしている姿にハルは思わず苦笑した。

 

 

「……出遅れたね?」

「元々、俺がかけられる言葉なんてねぇよ。……ただ」

「ただ?」

「……それでも受け入れてやるぐらいは、出来るから。待ってるんだよ」

 

 

 そっぽ向いて言う一夏。どこか恥ずかしげな姿にハルは笑みを浮かべて一夏の肩を軽く叩いた。肩を叩かれれば、一夏は一瞬だけハルへと視線を向けたが、やはり視線をハルに向けず、そっぽを向くのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 星が瞬く空、その空をハルは見上げていた。夜風が吹き荒ぶ場所は高天原の外だ。ハルは何をする訳でもなく、空を見上げてぼんやりとしていた。エムの事は千冬と一夏に任せた。自分の言いたい事は既に言い切っている。後は彼女次第だろう、と。

 すると光が瞬く。ハルのロケットペンダントが光り輝いて、雛菊が姿を現す。雛菊はハルと並ぶように立って、一緒に空を眺めるように視線を上げた。

 

 

「……ハル?」

「雛菊? どうしたの?」

「ハルは、あの子が気になるの?」

 

 

 あの子、というのはエムの事だろう。雛菊がじぃっ、と視線を向けてくるのを感じてハルは視線を雛菊へと落とした。案の定、雛菊が見上げてくる姿を見て、ハルは口元に小さく笑みを浮かべた。

 

 

「そりゃ気になるよ。僕と同じだから」

「違うよ。あの子は……ハルと違うよ」

「そうなの? 同じクローンなのに」

「あの子はあの子がある。……ハルは、もっと希薄だった」

 

 

 希薄、という言葉にハルは目を瞬かせた。雛菊はどこか不安げにハルを見ている。

 

 

「今は違うよ? でも……人と触れ合うようになって、雛菊はわかった。ハルは誰よりも私達に近かった。千冬に間違えるぐらいにハルは希薄だった」

「……人間じゃないみたいに?」

 

 

 こくり、と雛菊は頷いた。雛菊はハルの言葉を否定しなかった。ハルもわかっていたように雛菊の言葉を受け止める。

 

 

「皆、自分の色があるの。色んな色がいっぱい混ざり合ってその人になるの。だから人は人であっても同じじゃない。似ている色、違う色、新しい色、知っている色、人間は色んな色を持ってて、絶えず変化してる。……でもハルは違った」

「……そうかもね」

「ハルも色を持ち始めたよ。色んな色が見えてる。一番大きいのは、母への思いでいっぱいだけど」

 

 

 雛菊はハルに手を伸ばす。ハルの下げられていた手を握って雛菊はハルに告げた。

 

 

「大丈夫だよ、ハル。私の色は貴方が教えてくれた色。貴方が見える私は貴方。私は私でも、貴方でもあるの。だから……大丈夫だよ、ハル」

「……雛菊、僕は」

「ここにいて、ハルは人らしく笑えてる。うぅん……貴方は人だよ、ハル。誰かを愛して、誰かの為に泣いて、誰かの為に怒れて、誰かと一緒に笑えてる。だから間違いなくハルは人だよ。例え、敵であれば容赦なく斬り捨ててしまっても、それが人でない証明にはならない」

 

 

 核心を突かれたハルは表情を歪めた。亡国機業の拠点に潜入し、ハルは半ば躊躇いなく人を蹴散らした。EOSを纏った人ですらただの障害物と見なしたと自覚がある。

 それがどこか怖かった。いや、恐怖はいつだってどこかで感じていたのかも知れない。ただ今回の件と、束の件で自覚してしまっただけ。

 

 

「……雛菊。聞いて良い?」

「なに?」

「僕はこれからも束を愛する事が出来るのかな? いつか……愛する振りをして束を壊してしまいそうなんだ」

 

 

 あの日の夜、束を抱いた夜を思い出す。正直、得難い思いでいっぱいだった。だが同時に恐ろしくなったのだ。

 あまり思い出せば狂ってしまいそうで、ハルは左右に首を振って記憶を思い出すのを止める。片手で顔を覆うように隠して、重たい息を吐き出す。

 愛する者と、愛せない者との境界線がハッキリしていて、愛せない者にはとことん愛がない。まるで路傍の小石のように、踏みつけたとして何の罪悪感を得る事が出来ない。

 そして逆に、愛する人はどうしても手に収めておきたいと言う欲求がある。束の為に尽くして生きて、それが幸せだと思っていた。それは違うと気付いた。自分も束を愛する事で幸せだった。愛される事が幸せだった。だからこそ束が愛おしい。――時折、壊してしまいたくなる程。

 

 

「……愛おしいから、壊すの?」

「失うぐらいなら、せめて自分の手で。……雛菊にはわからないかな」

「わからない。愛おしいなら守りたい。なのに……壊したいというハルがわからない」

「不安なんだ。束の心が僕から離れてしまうのが。そんな事無い、そんな事を思うぐらいなら近づけるように努力すれば良い。……でも、報われる事を望んだら壊してしまいたくなるんだ。束には夢があるから。その夢も大事なものなのにさ」

 

 

 夢を追う束の姿が好きで、叶って欲しくて努力してきた。だがその裏にある思いが応援だけではなかった事を自覚した瞬間、少しずつ狂い始めて来た。

 その揺らぎが人間なのだから、と言われればそうなのかもしれない。その揺れ幅がどうしようもなく大きく無ければ、それで良かった筈なのに。

 

 

「極端なのは自覚してるんだ」

「だから何も望みたくない?」

「それでも望んでいる自分がいるんだ」

「だってそれはハルの望み」

「でも、叶って欲しくない望み」

「でも望みを知ってしまったら戻れない」

「だから僕は自分が怖い」

「怖いけど離れられない?」

「失うぐらいなら、全てを壊してでも」

 

 

 口にして自覚する。うっすらと汗が浮かび上がってくる。それは自分の心の奥底にある際限ない黒い欲望だ。刹那的な、一瞬の悦楽を求めている。そんな自分がいる事がどうしようもなく恐ろしい。

 いつかこの思いが表に出てきてしまった時、気付けば愛おしい者が全て壊れてしまうんじゃないかと、それがただひたすらに恐ろしいのだと、ハルは唇を噛んだ。

 雛菊はそんなハルを見て、ハルの手を引いた。せがむように両手を伸ばす雛菊にハルは雛菊に手を伸ばして抱き上げる。腕の中に収まった雛菊はハルの目を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「狂うのが怖い? ハル」

「怖いさ。束を壊してしまいそうだからね」

「そっか。……でも、良いんだよ?」

「……雛菊?」

 

 

 うっすらと雛菊は笑みを浮かべた。どこまでも優しく、どこまでも穏やかに。

 

 

 

「――その時は、一緒に狂ってあげるから」

 

 

 

 天使のような微笑みで、狂気を口にした。ハルは呆気取られたように雛菊を見る。

 雛菊はただ微笑みながらハルに唇を寄せる。ハルの頬に口付けて囁くように雛菊は言う。

 

 

「一人にしないよ、ハル。絶対に……例え、母を壊しても」

「……雛菊?」

「だって――それが愛なんだよね?」

 

 

 だから、と雛菊は一度目を伏せる。どこか困ったような笑みに変えて雛菊は言う。

 

 

「私が、怖い?」

「……怖かった」

「うん……。だから忘れないで。私がハルを繋ぎ止める楔になるから。でも、もしも貴方が壊れる時が来たら、一緒に壊れてあげる」

「雛菊……」

「それが、私の愛し方だから。ハルが教えてくれた。だから私はハルを愛するよ」

 

 

 それはハルへの肯定。例えどんな狂気に侵されようとも、それが愛ならば愛して見せよう。そしてそれを恐怖するならば、繋ぎ止める楔となれるなら幾らでも狂気を晒そう、と。雛菊はただ笑う。

 そんな雛菊をハルは強く抱きしめた。震えは消えていた。ただ愛おしげに雛菊を撫でる。申し訳なさそうに表情を歪めて、ただ縋るように。

 

 

「……ごめん、雛菊」

「良いよ」

「ありがとう。絶対に、君を狂わせないよ」

「私も、だよ。ハル。――約束だよ?」

 

 

 雛菊が唇を寄せる。ハルの唇へと寄せられた熱は人肌のものとは違う。触れ合うだけのキスを残して、雛菊はそっと微笑んで待機形態へと姿を戻した。ロケットペンダントへと戻った雛菊がハルの胸元で揺れる。

 暫し、ハルはその場に立ち竦んでしまった。そして顔を上げると、歩み寄ってくる人影に気付いた。ハルはその人影を見て、ふっ、と和らいだ笑みを浮かべた。

 

 

「……束」

「やぁ。……こんな時間までここで何をしてたの?」

「……雛菊に人生相談、かな?」

「人生相談?」

 

 

 距離を詰めた束が並ぶように立つ。星は未だ瞬いている。月が柔らかい光を放ち、空を照らしている。ハルはぼんやりと視線を向けていたが、ふと、束へと視線を向けた。

 束の髪を夜風が揺らす。月明かりに照らされた束は美しかった。思い焦がれるように空に視線を向ける束の姿にハルは目を奪われる。思いが入り乱れる。伸ばしかけた手が震えて、結局伸ばせないまま。

 

 

「ハルは、さ」

「……?」

「本当に極端だよね。傍にいてくれるのに、一度離れたら遠くに行っちゃう」

「……そうかな?」

「そうだよ。……ちょっと期待したのにな?」

 

 

 目を細めて妖艶に笑む束に目を奪われる。それが何を意味するのか理解して、ハルは顔を赤くして束から視線を逸らした。腕を絡めるようにして取られる。押しつけられた柔らかい感触が嫌でもあの夜を思い出させて、ハルは身を硬直させた。

 

 

「……怖いの? 私を傷つけて、雁字搦めにしてしまうのが」

「……ッ」

「ハルはわかりやすいなぁ。……そしてお馬鹿さんだよ?」

「え?」

「それは私が一度通った道だよ? それをハルが止めてくれたのに、どうして今度はハルが悩んじゃってるかな? 束さんには不思議で仕様がないよ? それとも……ようやく、それだけ本気で愛してくれるようになったのかな?」

 

 

 ハルに顔を寄せて束は微笑む。心底嬉しそうに笑って、ハルの頬に手を添えた。

 

 

「ねぇ? ハル。ハルの夢を教えてよ」

「僕の夢?」

「ハルは私の夢を一緒に見てくれた。でも、それはハル自身の夢じゃないよね?」

「そう、かな? それは僕の夢だよ」

「私と一緒にいてくれる為の、ね。だから……ねぇ、ハル。私にハルの夢を頂戴? ハルと一緒にいる為の夢を」

 

 

 腕を絡めていた手を離し、ハルに抱きつきながら束はハルを見る。束に抱きつかれるままだったハルだったが、束の言葉にゆっくりと瞳を伏せて、束を抱きしめるように手を伸ばす。

 腕に抱え込んだ束を離さないように。そのまま閉じこめてしまうようにハルはきつく束を抱きしめる。

 

 

「……凄い我が儘な夢だよ?」

「うん」

「束が欲しいんだ。束に愛して貰いたい。束にずっと見て欲しい。……ずっと、閉じこめていたいぐらいに愛してる」

「……うーん、重たいなぁ。ハルの愛は重たいよ」

「……ごめん」

「良いよ。そうしたのはきっと私だから。私もそうしてハルを縛ったから。だからきっとお相子なんだよ。だからハル? ちゃんと言うよ? 私は、その願いを全部は叶えてあげられない。ずっとは無理。でもね? ――言ってくれて良いんだよ。それでも全部、受け止めるから」

 

 

 好きにして良いんだよ? と。囁くように呟かれた言葉に、ハルは諦めたように束の首下に顔を埋めた。そうしなければ真っ赤になった顔を見られてしまう事が間違いなかったから。

 そんなハルを愛おしげに束は抱きしめる。何度も、何度も。あやすようにハルの背中を撫でながら。

 

 

「……束」

「なぁに?」

「何度離れても、君を捕まえに行くよ」

「ふふっ、好きにどうぞ。捕まえてみてよ、私を、さ? 狼さん?」

「……僕が狼なら、束は挑発的な兎だよね」

「べぇ、だ。私はね? 我が儘なんだよ、ハル。だから……求めて欲しいんだよ。束さんは」

「……そう。じゃあ、一生追い続けるよ。ずっと、ずっと。何度逃げられても、何度だって捕まえて見せるから」

「一生、誓ってくれる?」

「一生、誓うよ。君の傍にいる為に」

 

 

 舌を見せるように笑む束に、ふて腐れたようにハルは唇を尖らせた。顔の赤みは引かない。それでも束と真っ正面に視線を合わせて向かい合う。

 二人の距離がゼロになる。満点の星が輝く空の下、重なった影。見守っていた星が1つ、空に軌跡を描いて落ちた。




「ハルを守るよ。これからもずっと。母との約束。ハルとの約束。約束が私の全て。私は……守るよ」 by雛菊


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Epilogue “貴方に捧ぐファレノプシス”

 時は流れゆく。人もまた歩み、成長していく。
 変わらないものもあるだろう。また、変わるものもあるだろう。
 数多の思い出を重ねて人は進んでいく。時に笑い、時にぶつかり、経験を重ねながら。
 それは人生という名の長い旅路。そんな旅路の途中の、1つの大きな出来事。
 季節は春。出会いと別れを呼ぶ季節。桜が咲き誇るこの季節に彼等は1つの門出を迎える。


 篠ノ之神社。

 束と箒の生家。今、そこには厳かな雰囲気が漂っていた。神社の神棚の前に二人の男女がいる。

 片方はハルだ。彼が身に纏っているのは袴。普段よりも緊張し、しかしその緊張を鎮めようとする表情はどこまでも穏やかだ。

 横に並ぶのは束。身に纏う衣装は白無垢だ。化粧を施した彼女は普段の陽気さは鳴りを潜めて、衣装と合わせてまるで別人のように静かに控えていた。

 厳かな神社に響く声はこの神社の神職である柳韻の声だ。彼が読み上げるのは祝詞。聞き入るようにその場にいる誰もが柳韻の言葉に耳を傾けていた。

 やがて柳韻が祝詞を読み終わり、その場にいる皆が着席する。次いで、柳韻とは逆側の席に着いていた箒がゆっくりと立ち上がる。巫女装束に身を包んだ彼女はハルと束の前へと進み出た。箒が二人の前に用意したのは三つの盃と御神酒。

 三献の儀と呼ばれる儀式だ。ハルと束はそれぞれ交互に箒から注がれた御神酒を飲み交わす。決められた通りに儀式を終えた後、箒は自らが座っていた席へと戻る。

 少し酒が強かったのか、ハルは片目を閉じて軽く舌を出している。その様子に気付いた束が小さく笑った。

 

 

「――」

 

 

 りん、と。鈴の音が鳴った。姿を現したのは陽菜だ。陽菜が身に纏っているのは舞装束だ。彼女の腰には刀、その手には扇が握られている。

 陽菜はハルへと視線を向ける。ハルは小さく頷いて笑っている。それを見た後、今度は束へと視線を合わせた。束はただ静かに陽菜へと視線を向けている。娘の視線を受けた陽菜は静かに瞳を閉じる。

 ゆっくりと持ち上げられた扇。鈴の音が再び、神社へと響き渡る。しゃらん、と。抜かれた刀が舞う。篠ノ之神社に伝えられた神楽舞を陽菜は踊る。箒で見慣れた舞を思わせる神楽舞。束は真っ直ぐに視線を送っていた。その瞳に去来する感情は一体何だったのだろうか。ただ、一筋零れた涙が全てを物語っていたのかもしれない。

 静かに神楽舞が終わる。一礼をした後、顔を上げて陽菜はハルと束に微笑みかけた。その瞳に僅かに涙が滲んでいた事を気付きながらも、敢えて指摘する事はない。

 

 

「……束」

「……うん」

 

 

 ハルが静かに束に呼びかけると、束もまた応じるように立ち上がる。二人で前へと進み出る。

 二人が前に出ると、箒が再び前に進み出た。箒が盆に乗せて持ってきたのは二組の指輪だ。言葉は不要だった。箒が笑みを浮かべながら二人を見つめ、二人も応じるように頷く。

 ハルが箒から指輪を受け取り、そっと束の手を取る。束が少し息を呑むも、笑みを浮かべてハルを見つめた。ハルも微笑みながら、箒から受け取った指輪を束の左薬指に嵌めた。

 今度は逆に、束がハルの手を取り、ハルの薬指に指輪を嵌める。互いに嵌められた指輪は光に反射して煌めきを帯びた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……相変わらずこいつを結ぶのは慣れないな」

 

 

 一夏は姿見の前に立ってネクタイを締めていた。何度か巻き直していたのだが、納得がいかずに結び直す。ようやく様になった自分の姿を見て1つ頷く。スーツ姿に身を包んだ彼は自分の部屋を後にしてリビングへと出る。

 リビングに出るとそこには千冬の姿があった。千冬もまた身に纏っているのはドレスだ。普段は薄化粧で済ませている千冬だが、今日は気合いを入れた化粧をしていて、思わず姉も女なのだと再認識して頷く。

 

 

「来たか、一夏」

「あぁ。鈴とマドカは?」

「まだ用意している」

「相変わらず早いっていうか、なんていうか……」

「千冬さんがあっさりしてるだけだって。お待たせ、一夏」

 

 

 一夏に次いでリビングに姿を見せたのは鈴音だった。少し呆れたように千冬に視線を向けながら入ってきた彼女だが、彼女も千冬と同じくドレスに身を包んでいた。

 小柄な彼女がドレスを着ると、まだまだドレスに着られているように見えて一夏は思わず笑いそうになる。一夏の気配に感づいたのか、鈴音が厳しい視線を一夏へと向けた。

 

 

「ちょっと、何よ?」

「いや、別に? 相変わらず可愛いな、って思って」

「……馬鹿、死ね、くたばれ」

 

 

 鈴音が一夏の言葉に顔を真っ赤にして睨む。その様も微笑ましい、と言わんばかりに一夏は笑むのだったが、そんな穏やかな時間はすぐに終わりを告げる。

 

 

「鈴姉さん、道を塞ぐのは止めてくれ。一夏兄さんは邪魔だ、退け」

「あ、ごめん。マドカ」

 

 

 鈴音の後ろから声をかけたのは千冬と良く似た容姿を持つ少女だった。かつてはエムと呼ばれていた彼女、マドカ・C・織斑は呆れたように溜息を吐く。彼女も纏うのはドレス姿だが、千冬に比べればまだまだ子供臭さが抜けていない。

 それでも血は争えないのか、それとも羨望故か。すっかりと千冬二世と言っても過言ではなくなってしまったマドカ。そんな彼女は一夏に対しては辛辣だ。

 辛辣な態度はいつもの事なのか、慣れたように一夏は吐息する。自らを落ち着かせるようにだ。そして精一杯な引き攣った笑顔を浮かべて彼はマドカに告げた。

 

 

「おぉ。馬子にも衣装じゃねぇか、愚妹。普段からそうしてお淑やかにしてれば良いものを」

「何か言ったか? 愚兄。相変わらずお前の発音は聞き取りにくい。猿にも劣るぞ?」

 

 

 顔を合わせるなり睨み合う一夏とマドカ。いつもの事なので呆れたように鈴音は吐息する。少なくない時間を重ねても改善されなかったこの関係は、似ているが故なのか、家族だと認識した故の気安さなのか。

 二人が唸り合っていると、千冬が呆れたように立ち上がって二人の頭に拳骨を叩き込んだ。二人同時に頭を抱え込んで地に這い蹲り、呻き声を上げる。相当に鈍い音がした事から、鈴音は顔を引き攣らせている。

 

 

「馬鹿者共が。今日はめでたい日だと言うのに、貴様等の頭までめでたくなってどうする? 少しはシャキッ、としろ」

「そ、そんな……! こいつと同列に扱うのは止めてって言ってるだろ!? 千冬姉さん!?」

「こいつって言ったな!? しかも同列に扱うなって侮辱も良い所だぞ!?」

 

 

 起き上がるタイミングも同時。マドカは涙目で千冬に縋り付く。頭を抱えながらも起き上がった一夏は青筋を立ててマドカに怒鳴る。

 瞬間、二人の頭に二発目の拳骨が叩き落とされる。脳を直接揺らすような一撃に一夏とマドカはその場に倒れ伏して、何も言葉を発する事は無くなった。そんな光景に恐れ戦く鈴音の顔は青ざめていた。

 

 

「まったくこいつ等は……少しは束の所の奴らを見習ったらどうなんだ。何故こうもくだらない喧嘩をするんだ。卒業したんだから少しは学生気分も抑えてだな……」

「ち、千冬さん……聞こえてないと思いますよ?」

「チッ、不甲斐ない。凰、マドカを抱えろ。私は一夏を車に積む」

 

 

 既に荷物扱いである。一夏をまるで俵を担ぐかのように持ち上げて玄関へと向かう様は実に男らしい。鈴音は苦笑して、仕様がない、と言うように鈴音もマドカを抱えて入り口へと向かった。

 意識を失っている一夏とマドカを、家の前に止めていた車の後部座席へと乗せて、シートベルトで固定する。そうして運転席に乗り込んだ千冬の運転で車は発進した。助手席に乗った鈴音は街並みを見渡しながら千冬へと話題を振る。

 

 

「すっかり春ですね。まぁ、もう少ししたら夏になるんでしょうけども」

「あぁ。まったく……一夏とマドカを見ているとお前達が卒業した等と信じられんな。こいつ等と来たらここ3年、成長が見えん」

「仲が良い証拠ですよ。実際、ロップイヤーズだと二人のタッグは手強いですから。箒がいれば話も変わるんですけどね」

「箒か……。あいつは卒業と同時に神社に戻ったからな。ロップイヤーズからの扱いはどうなるんだ?」

「所属は続けるそうですよ。ずっと神社の仕事がある訳ではないから、って言ってましたよ。両親もいますし」

「そうか。……しかし、お前もすっかりロップイヤーズの一員だな」

「代表候補生辞める際には国は煩かったですけど……それでも、一夏と一緒に居るって決めましたから」

 

 

 胸を張って千冬に告げる鈴音の姿は堂々としていた。面白い、と言うように千冬は鈴音をじろり、と見る。一瞬、怯みそうになった鈴音だが、負けじと千冬と視線を合わせる。

 千冬は鈴音から視線を外して前を向く。可笑しくて堪らないと言うように口元に笑みを刻んだまま、彼女は呟く。

 

 

「一夏には勿体ないよ。お前は」

 

 

 千冬の称賛の言葉に鈴音は目を瞬かせた。そして誇らしげに笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ぐ……頭がくらくらする。一夏兄さんの所為だぞ」

「なんで俺の所為なんだよ。お前が噛み付いて来るからだろ」

 

 

 意識が戻るなりまた喧嘩を始めそうになりながら一夏とマドカは車から降りた。千冬が二人の声を聞くなり、拳を握って口元で息を吐きつけているのを見て二人は震え上がるように笑みを見せ合う。

 互いの笑みが精一杯の笑みで引き攣っているのを見て、千冬は溜息を吐く。鈴音は苦笑していたが、ふと遠目に入った姿に気付いて、手を振った。

 

 

「あ、簪だ。簪ー!」

 

 

 鈴音が手を振る先、そこには一夏達と同じように車から降りている所の簪だった。運転席側からは本音の姿も見える。手を振る鈴音達に気付いたのか、簪が穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

 彼女が纏っているのもドレス姿だ。だがドレスに着られている鈴音に比べれば着こなしていた。いつも付けている愛用の眼鏡型の投影ディスプレイは外されていて、眼鏡のない彼女が微笑めば普段よりも明るく見えた。

 傍に控える本音はいつものようにのほほん、としていた。鈴音以上にドレスに着られている感じが凄い。着慣れないのか、窮屈そうに首もとを引っ張っている姿はどこか愛らしい。

 

 

「お久しぶりです。今、来た所ですか?」

「おう。簪は……何だかんだ言って卒業以来か? どうだ? 倉持技研の方は」

「うん。良くして貰ってるよ。……所長には苦労させられるけど」

「あのヘンタイめ。相変わらず健在か」

「大変ですよ~。私もよく標的にされますし~」

「のほほんさんはなぁ。癒し系だから仕様がないんじゃないかな?」

 

 

 卒業後、簪は本音と共に倉持技研へと入社していた。今もIS開発研究者として、国からも大いに期待をかけられている。本音とのコンビで日々頑張っている事は伝え聞いていたが、楽しくやっているようだ。

 尚、所属となった第二研究所で所長を務めているのは千冬の同級生らしく、千冬は思い出して苦々しい顔を浮かべた。何度か顔を合わせる機会があったので、全員は“所長”を思い出して苦笑を浮かべた。

 

 

「でもさ。予想よりも遅かったじゃない? もうちょっと早いかと思ってたけど」

「……まぁ、そう言われればそうだね」

「仕方ないんじゃないかな? だって……出産もあったしな」

「あぁ。妊娠が発覚してからアイツが使い物にならなくなったからなぁ」

 

 

 一夏の呟きに皆が苦笑を浮かべた。あの時は大変だったと、皆が振り返って思う程だった。一夏はそうして過去の事を思い返した。

 あれは一夏達が3年になり、秋を迎えようとした頃だったか。IS学園の生徒達はそれぞれの進路について悩む頃、ロップイヤーズに残留が決定している高天原組は同級生達のやっかみを受けながらも平穏に過ごしていた。この頃には鈴音も中国代表候補を辞退し、ロップイヤーズに所属していた。

 そんな頃、束が体調を崩した事が全ての始まりだった。束の不調に真っ先に気付いたのはハルで、この頃から嘔吐などの症状が見られた。束自身もここまで体調を崩した経験が無く、混乱していた。

 そして皆に勧められるまま、秘密裏に病院にかかる事になったのだ。あの束が、という事でロップイヤーズの、特にラウラとクロエの取り乱しようは酷かった。顔を真っ青にして慌てふためいている様は見たこともなかった程だ。

 この時からロップイヤーズの約半数が使い物にならなくなるという退っ引きならない事態に陥っていた。だが、実際に蓋を開けてみれば皆は安堵を通り越して呆れたものだった。診断を終えた束は苦笑しながら戻ってきて伝えた。

 

 

『あ、あはははー……妊娠だって!』

 

 

 この報告にまず真っ先にハルが卒倒した。何とか復活した後は皆に締め上げられていた。特にラウラとクロエが酷かった。あの二人が率先してハルに皮肉や嫌味を言う光景など早々ないだろう。

 そして、ここぞとばかりにクリスがハルをからかい、ハルが流石にキレて暴れそうになったりと、色々と事件がありながらも束の妊娠は皆に受け入れられていった。

 

 

 

「あれから束さんが酷かったからな」

「自覚してからな。なんていうか、束さんも人の子だって思わされたぞ。……並ならぬ被害がある所は、束さんらしかったがな」

 

 

 その頃、高天原で生活をしていた一夏とマドカは腕を組んで頷き合う。

 とにかく束は精神的に不安定になって荒れた。あのハルですら手を焼くほどの不安定さを見せたのだ。基本的にハルしか近づけず、クロエとラウラ、箒以外ではまともに取り合えない。

 最も近かったハルも生傷が絶えない程だった。正直、大丈夫かと本気で心配になったものの、ハルが気にした様子もなく笑っていた事を一夏とマドカはよく覚えている。落ち着くまで本当に高天原の生活は緊張が絶えなかった。

 

 

「その後は毎日がまるでお祭りだったな。ベビー用品は何が良いのか、真剣で議論して喧嘩し出すし」

「ハルはともかくとして、ラウラとクロエが浮かれて酷かったな。照れ隠しに幾度、腹を殴られた事か……。ハルと箒がいなかったら暴走してたぞ? あの銀髪姉妹。クリスさんもクリスさんで煽るし……」

 

 

 本当に騒がしい生活だったと一夏とマドカは振り返って思い出し笑いをする。その光景に巻き込まれた事もある鈴音と簪、本音もクスクスと笑っていた。

 そんな風に笑う元・生徒達を見て千冬は微笑ましそうに視線を送り、はぁ、と肩を落として溜息を吐いた。どこかどんよりとした雰囲気を纏う千冬はらしかぬ程に落ち込んでいた。

 

 

「……そして私は何もかもが束に先を越された、か。ふふふ……」

「ち、千冬姉!? しっかりしろ!?」

「弟にまで先を越され……私は三十路手前か、ふふふ」

「ち、千冬さんにもいい人見つかりますよ! ほ、ほら! 倉持技研の如月さんとか!?」

「そ、そうですよ! 千冬さんの事を気にしてましたよ!?」

 

 

 暗雲を背負い、凹む千冬を慌てたように励まして回る一夏、鈴音、簪。その光景を見ていたマドカはどこか面白く無さそうに千冬を見ていた。そんな表情に気付いた本音がマドカに微笑みかける。

 

 

「マドっちー、そんな顔したら駄目だよー」

「……別に、そんな顔はしていない」

 

 

 そっぽ向くマドカに対して本音は少し呆れたように吐息した。一夏と違ってまだ姉離れが出来ていないこの子が実は男が寄りつかない原因の一つになっている事を千冬は気付いているのだろうか。

 そこも一夏とマドカが犬猿の仲になっている原因なんだろうなぁ、と思いながら本音は皆に励まされている恩師の背中を眺めるのであった。

 今日の天気は晴天。雲一つ無い空の下、彼等が向かうのは篠ノ之神社。今日は一組の男女が結ばれる日。ハルと束の結婚披露宴の会場へと、彼等は足を向けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あ、来た来た。おーい! 皆ー!」

「あら、織斑先生も一緒ですわね。ご機嫌よう」

 

 

 篠ノ之神社につくとシャルロットとセシリアが並んでいた。色々と確執のあった二人だが、今は友人として、好敵手として良好な関係を築いている。それぞれが国に戻って束から授かった技術等を持ち帰り、代表候補の肩書きから候補が取れるのも間近だと言う話だ。

 千冬を除いた全員が駆け寄っていき、再会を喜び合っている。この3年、IS学園で得た絆が確かに育まれていた事を千冬は嬉しく思い、彼等を優しげに見守っていた。

 すると千冬に歩み寄ってくる影に近づいて、千冬は振り返った。そこには扇子で口元を隠した楯無の姿があって、千冬は小さく笑みを零した。

 

 

「楯無か。警護の依頼を引き受けて貰って悪いな」

「わざわざ織斑先生に言われる程の事じゃないですよ。これもロップイヤーズと懇意にさせていただく為の必要投資ですもの」

 

 

 一夏達より1年先に学校を卒業した楯無は忙しく活動していた。楯無家の当主としてだけでなく、ロシア代表としての仕事も忙しく、千冬がこうして顔を合わせたのも卒業以来だ。

 そんな楯無は皆の環の中にいる簪の姿を見つけて微笑んだ。楯無が微笑んだのを見て、千冬は柔らかく微笑を浮かべた。

 

 

「良いのか? 後輩達に挨拶しに行かなくても」

「後で窺いますよ。せっかくの友達の時間を邪魔したくはありませんし。それに……」

「それに?」

「もう大丈夫です。あの子達がいてくれたからこそ、簪ちゃんは強くなれた。私と向き合ってももう怖じ気付くこともない」

「……ふっ、お前も在学中、色々あったからな」

「あの人達といて騒動が起きない筈がないんですよ。感謝はしてますよ。簪ちゃんとの事も、ね」

 

 

 扇子で口元を隠しながら楯無は告げた。そんな楯無の様子に微笑んでいると、一夏達が呼ぶ声がした。簪も楯無の存在に気付いたのか、僅かに微笑んで手を振っている。

 呼ばれるままに二人は顔を見合わせて、皆に合流する為に歩を進めた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 篠ノ之神社で挙式を上げようと提案したのはハルだった。結婚式をどうするか、と話し合った際にロップイヤーズの立場を考えればなかなか難しい。束としても写真を撮るだけでも良い、という意見もあったのだが、ハルがどうしても、と希望したのだ。

 箒もこれに賛同した。というよりもハルが以前から箒に相談を持ちかけていたのだ。二人の提案に当然の如く束は渋った。

 確かに挙式を上げる上で篠ノ之神社は悪くない選択肢であった。大多数に公開する訳でもなく、親しい友人・知人を集められればそれで良かった。その点で言えば篠ノ之神社は最適だった。

 後の披露宴を考えても篠ノ之神社には道場も存在する。道場を使って披露宴をすれば場所も問題ないと主張する箒と、ハルはやっぱり形として束と式を挙げたい、と望んだのだ。

 そして、これがきっと両親と和解出来る最後のチャンスだと。だからこそ渋る束にハルは粘った。……その後、何年か振りとなる家族の会話が実現する事となったのだが、その時、束が何を思ったのかはここでは記さない。

 ただ結果として、親しい友人・知人には招待状が送られ、IS学園の学友達はこの篠ノ之神社に集っていた。

 

 

「皆、良く来てくれた」

「箒。巫女服、やっぱり様になってるな。似合ってるぞ」

「ふふん。巫女だからな? しかしあまり褒めていると隣の小鬼が怖いぞ?」

「誰が小鬼よ!」

「クロエとラウラも、和服似合ってるよー!」

「シャルロット、あの、頬ずりは止めてください……!」

「えぇい、離さないか馬鹿者!」

 

 

 全員が集まるのは久しぶりであれば、やはり再会を喜ぶ声は自然と大きくなるものだ。

 これも半ば身内だけの集まりだからこそ出来るような雰囲気なのだろう。やれやれ、と肩を竦めながらも千冬に咎める様子は無さそうだ。楯無も同じく、扇子で口元を隠しながら笑みを浮かべている。

 

 

「まぁ、結婚披露宴とは銘打ってても、姉さんがこれ以上、堅苦しいのはごめんだとごねたんでな。ここからはただ飲み食いして行って貰うだけだ」

「そういうもんか?」

「そういうものさ。まぁ、型破りな姉さんらしいし、父さんも母さんも認めたしな。……さぁ、ハルと姉さんが待ってるぞ。皆、道場に上がってくれ」

 

 

 箒に促されるままに皆は篠ノ之道場へと入った。中では既に宴の準備が整えられていて、新郎新婦の席には既にハルと束が座っていた。ハルは袴姿で、束は白無垢。そして……束の手には赤子が抱かれていた。

 皆が入ってきた事に気付いたのか、ハルは席を立って皆を迎え入れる。

 

 

「皆、久しぶり。今日は来てくれてありがとう」

「うん。結婚おめでとう、ハル」

 

 

 口々に祝福の言葉を投げかけられてハルはくすぐったそうに笑った。遅れて席を立った束が赤子を抱いたまま歩いてくる。真っ先に束が抱く赤子に視線を送ったのは千冬だった。何とも言えない感慨が浮かぶ顔で千冬は束に笑いかけた。

 

 

「……お前が母になる日が来るとはな。本当に今でも信じられんよ」

「一番信じられないのは私かな。でも……幸せだよ。お義姉さん?」

「……ははっ、まさかお前にそう呼ばれるとはな。これは参った」

 

 

 親友二人はそうして微笑み合った。また新しい関係が始まる事に奇妙なくすぐったさを感じながら。

 

 

「うわ、赤ちゃんちっちゃい」

「私たちが帰国した後に出産なされたのですよね? ようやくお顔を合わせる事が出来ましたわ」

 

 

 束が出産したのはIS学園卒業後の話だ。その時、既に帰国してしまっていたシャルロットとセシリアはハルと束の子供を拝む事が出来なかったので、さぞ珍しそうに束の腕に抱かれた赤子を見つめる。

 

 

「ウチの子が可愛いのはわかるけど、じろじろ見ないでよ。金髪コンビ」

「これは失礼。……でも本当に愛らしいですわ。こうしてみると、結婚も悪くないと思えて来ますわね」

「お? 遂に男嫌いを直す決意でもしたの? セシリア」

「いつまでも我が儘を言える立場でも無くなりましたから。まぁ、どうなるかはわかりませんがね」

 

 

 肩を竦めて見せるセシリアは随分と和らいだ表情で笑っていた。そんなセシリアの姿にシャルロットは笑みを浮かべて軽く肩を叩いた。

 もう赤子の姿を見慣れた一夏達でさえ、束が腕に赤子を抱いている姿には感慨深いものがある。

 

 

「本当に癒されるよ。私達には赤子という時期など無かったから尚更に思う所がある」

「えぇ。……本当に健やかに育って欲しいですよ」

 

 

 ラウラとクロエは束の赤子に慈しむ。自分たちが味わう事の出来なかった幸せを一身に受けて育つのだろう赤子の未来に期待を寄せて、共にいる事が出来る喜びを示すように。

 マドカも思う所があるのだろう。母の顔をしている束の姿を見た後、ちらりと千冬へと視線を送る。どこか悩ましげな表情を浮かべている彼女は果たして何を考えているやら。

 

 

「束さん~、私にも抱っこさせて~」

「ほ、本音……! 流石に悪いって……!」

「まぁまぁ、簪ちゃんも抱いてみれば良いじゃない」

「もうっ、お姉ちゃんまで……!」

 

 

 赤子に惹かれた本音が束がおねだりすると、流石に恐れ多いのか簪が本音の肩を抑える。だが、けらけらと笑いながら促してくる楯無に簪は流石に柳眉を立てた。

 そんな光景をハルは微笑ましそうに見ていた。そんなハルの肩を叩くのは一夏だ。歯を見せるように笑う一夏は、心底嬉しそうにハルに告げた。

 

 

「本当におめでとう、ハル。なんていうか、すっかりパパだな?」

「そうかな? でも……次は君なんじゃないかな? 一夏?」

「なっ!? お、俺と鈴はまだ……!」

「まだ? って事はするつもりはあるって事でしょ?」

「ちょ、ちょっと! 何言ってるのよ、ハル!?」

「なんだ? 一夏と鈴もウチで結婚式をするか?」

「箒まで! ちょっと、止めてよね!」

 

 

 ハルが箒を組んで一夏と鈴音を冷やかす。二人は同時に顔を真っ赤にして、互いの顔を見合わせた。更に顔を赤くする二人にハルと箒は微笑ましそうに二人を見た。

 各々、会話を楽しんでいる所に入り口からクリスが顔を出した。皆が揃っている事を確認した彼女は笑みを浮かべて告げる。

 

 

「皆、揃っているか。丁度良い、写真を撮る準備が出来たから集まってくれるか」

 

 

 クリスの呼びかけにそれぞれ移動を始める。そんな中、ハルは束に歩み寄る。歩み寄ってきたハルに気付いて、束は腕に抱いていた赤子をハルに手渡した。

 ハルの腕に抱かれた赤子にハルは愛おしげに視線を送る。胸の奥から広がってくる何とも言えない気持ちを噛みしめるように唇を結ぶ。自然と口角が上がって笑みが浮かぶ。

 

 

「ねぇ、ハル?」

「何かな? 束」

「今、幸せ?」

「……あぁ、間違いなく。僕は幸せだ」

 

 

 二人で寄り添い、微笑み合う。遠くからハルと束の二人を呼ぶ声がする。ハルと束は互いに顔を見合わせた。皆の下へと行く前に、そっと触れ合うようにキスを交わした。

 

 

「行こう。ハル」

「あぁ、行こう。束」

 

 

 二人で寄り添いながら向かう先にはたくさんの仲間達と家族の姿が見える。

 ゆっくりと二人で並んで歩いていく。さぁ、と吹き抜ける風が優しく彼等を包み込んでいった。

 




「ファレノプシス。花言葉は……“幸福が飛んでくる”、“変わらぬ愛”、そして“貴方を愛します”」 by雛菊



※2014/1/29の活動報告にて後書きを掲載しております。


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第3章終了後のファレノプシス世界について


2014/1/29現在 初公開




「天才兎に捧ぐファレノプシス」 第3章終了後の色々(後に追記・修正の可能性もあり)

 

 

<ファレノプシス第3章終了後の世界情勢>

 

 束が技術提供を行った影響で世界の技術レベルが均一化されつつある。各国はそれぞれ個性豊かな装備の開発に余念が無く、更にデュノア社が提唱した「各国のありとあらゆる装備に対応するISの基本モデル」を用意する事で、各国は装備開発に専念し、技術体系の統一化を計った。

 これには束も同意し、ロップイヤーズとしての協力を了承。世界では汎用性に優れたISモデルの開発が進められ、こぞって技術を競い合っている。次に開催されるモンドグロッソにおいて、汎用モデルのIS達が公開されるのではないかと噂が立っている。ちなみにトップに立っているのは当然の如くデュノア社であるが、各国への技術協力も惜しみなく行っている。

 

 同時にロップイヤーズはISの“コア・コミュニケーション・インターフェース(後、CCI)”を公開。実際に雛菊、白式、神楽、そして次いで実体化するまでに意識レベルが高まったロップイヤーズのIS達が公開され、ISが改めて意思を持つ事が世界的に認識されていく。

 未だ、束はISコアを作成する事は明言していないが、その日も近いのではないかとCCIの発表と共に人類は明るい展望に期待を寄せている。

 これにより人間とのコミュニケーションを取る事で男性IS搭乗者も夢ではない事を発表し、再び世界を沸かせる事となる。今ではIS学園も女子学校ではなく、夢を追う男子生徒へも門戸を開くようになった。ちなみに最後の女子校時代を過ごした一夏は怨嗟の声を上げていたと言う。

 

 ロップイヤーズは変わらずIS学園に身を置いている。CCIによって実体化したIS達による「ISとのコミュニケーション」という授業項目が追加されたり、「宇宙遠泳体験」等、ロップイヤーズが主体となるISへの理解と、宇宙へ実際飛び出してみる事で宇宙開発への意欲を高めたりと未来に向かっての準備に余念が無い。

 生徒達の間で人気だったのは「人類とISの未来想像図」という授業で、ここで評価を受けた論文は世界へと発表される事もあり、生徒達は積極的にIS達と交流をして、未来への想像の翼を広げる事となる。

 

 これにより世界的にISを兵器として見るか、新たなコミュニケーションを取れる存在として見るのか、世界的に議論を呼んでいるという。中にはISの存在そのものを危険視し、管理、コントロールし支配下に置くべきだという過激な意見も存在している。

 平和の裏で蠢く陰謀は衰えない。深い闇の中には未だ人の黒き欲が轟いている。ロップイヤーズはそんな世界の懸念を払うべく、今もその耳を世界へと傾けている……。

 

 

<ファレノプシス終了後の人物模様>

 

「ロップイヤーズ関係者」

 

○ハル・C・篠ノ之

 ロップイヤーズ宇宙開発部隊の隊長。ISで宇宙空間に飛び出した際のマニュアルを作成したり、実際の宇宙へ飛び出した際の体験をIS学園の生徒に語っている。

 尚、本編終了後、“IS単機による大気圏離脱・再突入”を成功させた事で一躍、世界では時の人ともなった事がある。

 しかし世界で認識されているのは“天才の従者”、“束の伴侶”としての認識が強い。宇宙遠泳ツアーの際には束と共に多くの人を宇宙へと誘っている。

 

 

○篠ノ之 束

 ロップイヤーズ創設者であり初代総帥。今ではIS開発から一線を退いて、技術を伝授していたクロエ、そして様々な経緯から愛弟子となった簪に保てる技術を託した。

 育児に勤しむ中でも宇宙開発の為の装備、宇宙船の量産計画など、数多のアイディアを世界へと送り出している。しかし、やはりと言うべきか人前に出る事は滅多にない。

 家族と和解した事で精神的に落ち着き、今では魅力ある女性としてIS学園でも羨望の目を向けられている。過酷な孤高の天才の時代の経験を生徒に語る事もあり、人の絆の重要性を訴えている。

 今も高天原で生活をし、ハルと共に育児をしながら夢を追いかけている。

 

 

○ラウラ・クロニクル

 ロップイヤーズ機甲部第一隊の隊長。普段はIS学園でIS操縦の外部顧問として自らの操縦技術をIS学園の生徒へと伝授している。背が低いが、凜とした振る舞いに人気は高く、かつての織斑 千冬に劣るとも勝るとも言えない人気振りである。

 主にIS学園の防備を担当していて、生徒達からも信頼を獲得している。時折、彼女が主催で開かれる立食パーティーには生徒達からも好評であり、彼女も充実した生活を送っている。

 彼女に思いを寄せる男子生徒も増える中、悉く天然を発揮してフラグをへし折り続けている。

 

 

○クロエ・クロニクル

 ロップイヤーズ開発室の室長。“天災の後継者”と異名を取り、各国のIS装備を魔改造したり、数多くの個性的な装備を世に送り出す事となる。専門はハード関係。

 IS学園では整備部の外部顧問として勤めている。愛くるしい容姿と神秘的な雰囲気から人気が高いのだが、改造武器やダークマター事件など数多くの事件を巻き起こした為、生徒達からは少々敬遠もされている。中にはコアな者達もいるようだが、何者かの襲撃に遭うという。曰く、何か黒い影が襲ってきた、との事。

 妹であるラウラがモテているという事実に少々焦りを感じているらしいのだが、彼女が男運に恵まれる日は来るのであろうか。

 

 

○クリス・クロニクル

 ロップイヤーズ機甲部第一隊の副隊長。ラウラの副官として日々、ラウラのサポートに奔走している。気さくでユニークな気質から生徒達との距離も近く、姉のように慕われている事もあるという。

 しかし悪戯癖も健在であり、時折IS学園の生徒達を扇動して騒ぎを巻き起こす。その度にラウラと高レベルなISバトルを繰り広げているのだが、最早一種の名物となっている。

 

 

○織斑 一夏

 ロップイヤーズ機甲部第二隊の隊長。主に世界にトラブルがあれば真っ先に駆けつける斥候役として活躍している。整った顔立ちに気配りが出来、その優しい振る舞いから世界からも半ばアイドルとして扱われていて、多くのファンレターが寄せられているという。

 忙しく世界を飛び回る事もあれば、IS学園でラウラと同じように教官として活躍する事もある。その度に生徒から黄色い悲鳴が上がり、鈴音から痛烈な視線を受ける事となるのだが、本人としては甚だ不本意であり、生涯鈴音一筋と声高に宣言した事件は懐かしい。

 恋人である鈴音とは婚約を間近に控えているとの事。本人曰く、腹は括った、だそうだ。

 

 

○凰 鈴音

 ロップイヤーズ機甲部第二隊の副隊長。中国代表候補生だったが、長い付き合いであった“甲龍”の返還と共に中国代表候補の地位を辞した。その際に一悶着があり、織斑一夏による熱烈な告白事件があったのだが、今でもその仲は健在である。

 今では公私ともに一夏を支えている。だが行く先々で声をかけられる一夏にはやきもきしているようだが、しっかりと一夏が愛情を一身に向けている事からか、そこまで心配はしていない模様。そろそろ副隊長の座をマドカに譲ろうかと考えている。理由は秘密。

 

 

○マドカ・C・織斑

 ロップイヤーズ機甲部第二隊所属。元・亡国機業のエージェントであったが救出された後はロップイヤーズに所属している。束から第四世代のISを授かり、一夏と鈴音と共に世界を駆けめぐっている。

 たくさんの姉貴分と二人の兄によって甘やかされて育った為、多少甘えん坊の面が見られ、未だ子供っぽい面が見受けられる。だがその分、家族への情が深い。片方の兄であるハルは尊敬しているが、一夏に対してはよく噛み付いていて犬猿の仲である。だがそれでもタッグを組ませれば追従する者は、同じく機甲部隊所属のラウラとクリス以外にいないのではないかとも噂されている。

 

 

○篠ノ之 箒

 ロップイヤーズのOG。所属こそしているものの常駐している訳ではなく、今は生家である篠ノ之神社の後継として平穏な生活を送っている。ISによる文化遺産の保護を提唱し、神楽と共に世界で舞を披露する事もある。故に世界からも注目を浴びている。

 現代の大和撫子として彼女に惹かれる者も多いが、自分より強い者でなければ婚約は考えられないと公言し、多くの男を絶望に叩き落とした。

 

 

「各国の代表者・企業所属者」

 

○シャルロット・デュノア

 デュノア社の次期社長候補にしてフランス代表。今なおラファール・アンフィニィと共に進化を続けている“疾風の姫君”。デュノアが世界的に技術協力を行う事を表明した為、世界を駆けめぐっている。ロップイヤーズとの関係も懇意であり、充実した日々を送っている。

 イギリス代表のセシリアとの関係も良好。国を超えた友情を育んでいる。最近の悩みは持ち込まれる婚約話。ただ思う所があるのか、前向きに検討はしているとの事。

 

 

○セシリア・オルコット

 イギリス代表にしてオルコット財閥の総帥。帰国後はイギリスのISメーカーを買収し「オルコット・カンパニー」として再編。初代社長としても活躍。フランスのデュノア社に追従せん勢いで発展を遂げさせ、その才能の片鱗を惜しむ事無く発揮した。

 デュノアの提唱した「ISの基本モデル」の作成計画には真っ先に同意を表明し、国を超えた共同開発を約束している。今でも盛んにデュノア社とオルコット社での技術競争が行われている。

 過去のトラウマから男嫌いで、目下の悩みはお見合い。その悩みをよくシャルロットに打ち明けて酒に浸る事もあるという。

 

 

○更識 簪

 IS学園卒業後、倉持技研にスカウトされる形で入社。“天才の後継者”と異名を取っていて、ロップイヤーズのクロエと二人で名を列べている。ちなみにこの異名に関してクロエから抗議があったらしいのだが、苦笑して躱しているとの事。専門はソフト関係。

 束達と行動する事が増えた為、色々と精神的にタフとなった。過去に実は確執があった姉とは密かに和解。今では普通に姉妹として付き合い、日本有数のIS研究者として研究を重ねている。恋愛については考えてなく、今は研究一本に絞りたいと考えている。

 

 

○布仏 本音

 IS学園卒業後、簪や他の生徒達と一緒にスカウトされる。スカウトされた面々が方々に散る中、簪の片腕として簪とセットで扱われている。癒し系の雰囲気は健在で、倉持技研でも簪を列べて癒しとして扱われている。

 簪と楯無の冷めていた姉妹関係が改善された事を密かに喜んでいる。最近の悩みは上司からの過剰なセクハラ。

 

 

○更識 楯無

 一夏達よりも1年先に卒業した事で本格的に暗部としての仕事や、ロシア代表としての仕事などが舞い込んで多忙の毎日を送っている。仕事の関係上、ロップイヤーズと行動する事も多く、一夏をおちょくっている。その為、鈴音からは目の敵にされていたりする。

 IS学園在学時に本人にとっても得難い経験をし、冷めていた妹との関係を修復し、彼女もまた精神的に充実した日々を送っている。

 

 

「IS学園関係者」

 

○織斑 千冬

 IS学園の教師として未だ教鞭を執り続けている。家族が一気に増えた事で失われた家族の時間を得て、尖っていた雰囲気も大分丸くなり、女性らしさが表に出るようになった。

 それでもやはり“世界最強”、“ブリュンヒルデ”の名は重いのか、世の男には高嶺の花として扱われている。だが本人は気にしていない模様。最近は休日によく姿を消すと言うが……?

 

 

○山田真耶

 IS学園の教師として活躍中。多忙に目の回る日々を送っている。千冬の休日の動きに戦慄を覚えているという。しかし男子生徒が増えた事で生徒との恋愛なんか想像してたまにポンコツと化しているという。未だ若々しく、生徒達の多くからも意識されているという現実に彼女が気付くのはいつだろうか……。

 

 

<ISの近況について>

 

 CCIによって発達した自我はISコア達に自らの“自我領域<パーソナル・スフィア>”を形成するに至った。

 後に“始まりの三機”と呼ばれる事となる雛菊、白式、神楽の影響によって自我が発達したコア達は、コア・ネットワークを大きく変質させ、個々に1つの領域を獲得。コア達が自ら差別化を行うように発達した。

 なのでCCIがあればコア達はすぐに実体化出来るだけの意識レベルを獲得。今では世界各国のISコア達が“始まりの三機”を含めたロップイヤーズのIS達を羨む程の情緒の発達を見せている。

 束の判断でまだ公開されていないが、電脳ダイブを利用し、かつてハルが雛菊と行っていた「ISコアとの深層意識」との触れ合いも可能となり、ISコア達がダイブしてきた人間とのコミュニケーションを図る為の1つの手段としても考案されている。

 後に「コア・ダイブ」と称されるこのシステムはISコアの意識と触れ合うだけでなく、ISコアによるカウンセリングや、風景の再現によって長期間の宇宙空間の生活でもたらされる望郷の念の解消などにも転用出来る事から、束が率先して研究を行っている。

 

 

○雛菊

 “始まりの三機”の一機にしてハル・C・篠ノ之の愛機。宇宙開発を目的とし、ISに託された本来の願いを叶える為に活動中。最適化を重ねて外見も成長している。

 CCIの改良によって実体化に割くエネルギーも少なくなった事から、ハルに付き従う秘書的な役割も勤めるようになっている。基本的にハルにべったりと甘えている。

 世界初“単独で大気圏離脱・再突入を達成”した機体として、世界から注目を浴びている。

 

 

○白式

 “始まりの三機”の一機。織斑 一夏の愛機として活躍中。兵器として運用されるISの開発援助と抑止力として君臨している。単一使用能力“零落白夜”の脅威は今なお揺るがず、世界でも最強のISの名を欲しいままにしている。

 雛菊と同様成長中。一夏の成長を見守りつつも、一夏と鈴音の仲をからかったりと人間くさい一面を見せている。

 

 

○神楽

 “始まりの三機”の一機。篠ノ之 箒の愛機として傍に仕え、箒の妹のような立ち位置で家族からは扱われている。マイペースな性格で相棒である箒の手を焼かせる事も屡々あるという。

 箒の提唱した文化遺産保護の為、様々な文化を学んでいる。今は主に日本舞踊について集積しており、箒と共に人型で舞ったり、ISとして舞ったりと、また新たなISの可能性として注目されている。口癖は「神楽、知ってるよ?」。

 

 

○第4世代IS前期型

 ラウラの“黒兎”、クロエの“天照”、クリスの“黒鉄”がこの部類に該当される。

 後にCCIを搭載された事でコアの実体化が可能となった。個々の搭乗者の形質を受け継いだ個性豊かな“始まりの三機”に継ぐIS達である。

 

 

○第4世代IS後期型

 鈴音とマドカの所持しているISがこの部類に当たる。実は元はCCIを搭載をしていた無人機であったが、鈴音とマドカとのコミュニケーションを重ね、自ら無人機から有人機への改造を申し出たケース。

 これは「人類とIS」の新たな関係のテストケースとして世界に公開され、世界に話題を呼ぶ事となる。



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