さすがはアインズさま (みつむら)
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第1話 アルベド、推理小説を書く

 モモンとして泊まっている宿の一室で、アインズは本来の姿に戻り、ベッドに座って考え事をしていた。しばらくしてふと立ち上がり何気なく下を見たとき、布団が骨の形にへこんでいるのを発見し、流れないはずの冷や汗がとめどなく流れるような恐怖に襲われた。名探偵はこういうささいなところから真相にたどりつくのだ。この世界に名探偵がいるかどうか知らないが。

 

 アインズがこの話をナザリックでしたところ、シモベたちは推理小説とは何なのかが分かっていないことが判明。アインズが説明がてら、かつて推理小説を楽しんだことがあると言ったのがきっかけで、シモベたちの間に推理小説ブームが起こったのだった。

 

 そんなある日、アルベドが自分でも書けそうな気がすると言い出した。確かにアルベドの優秀な頭脳をもってすればそうかもしれない。しかしアルベドが下手に全力を出した場合、難解な数学的トリックに満ちた作品が出来上がってくる可能性がある。そんなものの感想を求められたら困るので、アインズは釘を刺しておいた。

 

「アルベドよ。言うまでもないが、賢い者も愚かな者も、共に楽しませるような小説を書くのが作家の腕の見せ所だ。難解すぎるトリックで、一部の優れた者だけが楽しめても娯楽としては失格だぞ?」

 

「承知いたしております。きっと、シャルティアでも分かるような作品を仕上げてごらんにいれます」

 

 そして作品は完成した。モモンとして忙しかったアインズと、牧場につめていたデミウルゴスより先に他の守護者とプレアデスたちが読んだが、誰も真相を見破ることができなかった。

 

 一同がそろったところで、まずアインズは、デミウルゴスに先に読むことを命じた。デミウルゴスの反応を見てからでなければ、うかつに自分の感想を言えないと思ったからである。

 

「ではまず私が読ませていただきます」

 

 そう断ると、デミウルゴスはアインズが引くほどのものすごいスピードでページをめくる。そして残りページもわずかになったところで、その手がぴたりと止まる。一分、二分。そのまま五分が過ぎようかというとき、デミウルゴスはつぶやいた。

 

「分かりませんね……」

 

 そしてまた、残りのページをめくりだす。するとデミウルゴスの目は驚きに見開かれ、その口から予想外の言葉が漏れ出た。

 

「なんと背徳的な……」

 

 あのデミウルゴスが背徳的と表現するとは、アルベドはいったいどんなものすごいものを書いたのか。アインズが不思議がっているうちに、デミウルゴスは読み終わりきっぱりと言った。

 

「傑作です」

 

 アインズはこれを聞いて、実に気楽になった。これなら真相が見破れなくても主人として恥ではない。素直に読んで、普通にほめればいいだけだ。

 

 アインズはうきうきと読み始めた。おお、密室殺人か。……ん?

 

 デミウルゴスとアルベドはいぶかしんでいた。アインズが不自然な個所で考え込んでいるからである。アインズが開けているページは、だいたい第一の殺人のあたりである。まだ密室の状況が説明されただけで、推理の材料はほとんど出ていない。それはこの後の聞き込みのシーンで出てくるのだ。

 

 しかしアインズは動かない。偉大なる支配者の感情はシモベごときには読み取りがたいが、困惑しているように二人には思われた。

 

「まさか」

 

デミウルゴスとアルベドは、ある予感に胸を震わせる。そしてそれは的中した。

 

「あー……このトリックなんだが……ひょっとして……」

 

 アインズはトリックの核を、いとも簡単に言い当てたのだった。デミウルゴスをはじめ、誰もが見破れなかったものを、いとも簡単に。その端倪すべからざる叡智に触れた一同は、歓喜の涙とともに、至高の頭脳をたたえたのであった。

 

 アインズは例によって困惑していた。

 

(いやいやいや! ギルドの旗を踏んづけないと部屋に出入りできないから実質的に密室だとか言われても! そんなもん普通に出入りできるだろ!)

 

 なお、ベッドに骨の跡がつく問題については、クッションを使用することで解決した。といっても、ユグドラシル産のクッションは見るからに高級すぎて人目を引いてしまうので却下した。実はシモベたちは最近実験的に現地の材料でいろいろなものを作っているのだが、その一つとしてクッションがあったのだ。座ってみるとなかなか快適で、ユグドラシル産のものに迫る品質である。何より、腰を上げるとすぐにへこんだ跡が消えるのがいい。アインズは宿の一室でこのクッションに座りながら、これで名探偵に家探しされても平気だな、と喜んでいた。

 

 ちなみにクッションの中身は羊の骨粉である。さらさらしていて座り心地がいいが、名探偵に見つかったら一発アウトである。

 

 



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第2話 長髪ジルクニフ

ジルクニフの毛根が死ぬ話は多数あるので、私は毛根が復活する話を書いてみました。


 魔導国の属国となったものの、とりあえずひどい目に合わされる心配はなさそうである。肩の荷が下りたジルクニフの毛根は復活した。もうハゲに悩まされることはなくなった。

 

 人は失って初めてそのものの価値に気づくというが、ジルクニフは髪の毛の価値に改めて気づいた。いままで髪のセットは御付きの者に任せていたが、自ら時間をかけて髪型を工夫するようになった。手入れに時間を取られたくないので短髪にしていたが、試しに長髪にしてみることにした。復活の反動なのか、勢いよく伸びた髪は胸に達する長さとなった。整髪料・洗髪剤もいろいろ取り寄せた。

 

 ところで、この状況は周囲の目にはどう映っただろうか。

 

 

1 大きなストレスを抱えていた。

2 髪の毛を他人に触らせなくなった。

3 髪形を工夫するようになった。

4 短髪をやめて伸ばしはじめた。

5 整髪料・洗髪剤に興味を示すようになった。

 

 

 いつしか帝国の民の間では、ジルクニフが伸ばした髪をうまくやりくりしてハゲを隠していることが定説となった。あの豊かな髪がひとたび乱れれば、そこには大きなハゲがあるのだろうと誰もが疑わなかった。

 

 

 

 

 

 ンフィーレアのもとに招待状が届いた。

 

 ジルクニフ主催の、学者など文化人の交流会である。ジルクニフは今の自分でもできることを考えた結果、有意義な文化的事業に力を入れることにしたのだ。アインズの了解も得て、ンフィーレアは帝都に足を延ばすことにした。

 

 そうなると問題なのが、ンフィーレアの全身に染みついた薬草の異臭である。エンリが気合を入れて洗いに洗ったのだが、どうにも落ち切らない。鼻のいいルプスレギナによれば、髪の毛に染みついているという。なるほどというわけで、夫の髪形にこだわりがあるわけではない若妻は、さっさとカミソリでつるつるの丸坊主にしてしまった。

 

 

 

 

 

 交流会は盛況だった。ジルクニフは交流会自体には姿を現さなかったが、会の後は、ンフィーレアを含む三人の特に優秀な若者がジルクニフと夕食をともにすることになっていた。

 

その裏でニンブルは頭を抱えていた。純粋に業績だけで選んだ三人の若者が、顔を見てみたら丸坊主とM字ハゲと頭頂部ハゲだったからである。まじめなニンブルはジルクニフの心を傷つけることを恐れた。ただでさえ、皇帝の周りに仕える者たちは注意深く髪の話題を避けているというのに。せめて一人にはカツラをかぶってもらわなければ。

 

 ニンブルが三人に話を聞いてみると、丸坊主は単に散髪の結果。M字はハゲに悩んでいたが、皇帝もハゲだと聞いてテンションが上がり、研究に打ち込んだ結果優れた業績を上げたとのこと。そして頭頂部はハゲに悩んでいたが、皇帝もハゲだと聞いて肩の力が抜けた結果、いいアイディアが沸々と湧いてきて優れた業績につながったのだという。

 

 精神状態が改善したら毛根ではなく業績の方に反映されるあたりが文化人として一流の証なのだろうなあ、それにしても優れた皇帝はその存在だけで民に恩恵を与えるのだなあ、などとしばらく現実逃避していたニンブルだったが、気を取り直してンフィーレア用のカツラを手配した。多少ぶかぶかだが急ぎなので仕方がない。そして髪形にこだわりがあるわけでもないンフィーレアはあっさり了承してカツラをかぶってくれた。

 

 その一方で、知り合ったばかりのM字と頭頂部は、どちらのハゲ方がつらいのかという論争を始めた。論争はヒートアップし、少々の個人攻撃と自虐ネタの応酬を経て、ハゲのつらさを表す方程式を追究する学術的議論に発展していた。帝城へ向かう馬車の中でも議論は白熱した。素人のニンブルが聞いてもなかなか面白い議論だった。

 

 

 

 

 

 食事会はとどこおりなく進んでいた。そしてその様子を、例によって覗き見ていたアインズは思った。

 

(昔のヨーロッパの貴族もあんな感じだったし、やっぱりこの世界でも、髪がもさもさしてる方が王様らしいのかなあ)

 

 そしてあることを思いついたアインズは、さっそくそれをシモベに命じたのだった。

 

 

 

 

 

 食事会の最中であったが、ジルクニフのもとに秘書官が知らせを持ってきた。魔導国からの連絡だからである。食事会を中断するほどの内容ではなくとも、魔導国関連のことであれば念のために即座に伝える決まりになっている。

 

 アインズが近いうちに帝国に視察に行きたいので日程を調整してほしいということだったので、ジルクニフは早速その場で調整を始めた。嫌なことはさっさと片付けてしまうに限る。

 

 ジルクニフと秘書官が小声で何やら話し始めたので、ンフィーレアたちは手持無沙汰に黙り込んでいた。するとM字が余計なことを言いだした。

 

「先ほどの方程式なのですが、変数を一つ増やしてみたらどうでしょう。つまり――」

 

 ニンブルとンフィーレアはあせった。この表面的には数学用語で語られているのは、ハゲのつらさを表す方程式である。たちの悪いことに、学問としてけっこう面白い。空気が読めないタイプの天才であるM字と頭頂部は、夢中で議論にのめりこんでしまった。皇帝がこちらに気が付く前に、早く話題を反らさなければ。ンフィーレアは二人に声をかけたり肩を叩いたりしたが、学問の神に魂を売った二人は聞く耳を持たない。それどころか邪魔するンフィーレアをうるさい蠅か何かのように振り払おうとして、腕を勢いよく振るった。

 

 その腕が命中し、ンフィーレアの頭からカツラが落ちた。さすがのM字と頭頂部もはっとして黙った。部屋にいた全員が凍りついた。

 

 沈黙の中、ジルクニフは静かに立ち上がるとンフィーレアに近づき、なんと皇帝みずからカツラを拾いあげた。そして優しく語りかけた。ハゲを隠す必要はないということ、しかし隠したければそうする権利があるということ、ストレスこそ髪の大敵であるということ――。

 

 ジルクニフは、かつての自分と同じ悩みを抱えるであろう者に対して限りない愛をもって接した。一同は深く感じ入った。人類の代表にふさわしい慈悲の心の持ち主であると確信した。ついでに「やっぱりハゲてるんだ」とも確信した。

 

 

 

 

 

 後日、アインズが帝国を訪れた。その頭には、ジルクニフそっくりの美しい金髪のカツラがとってつけたように乗っていた。シュールすぎて反射的に笑ってしまう面白い外見だが、アインズに他意はない。むしろ人間に近い外見になったのだから親しみをもたれるんじゃないかとさえ思っていた。このカツラに対する反応が見たくて視察に来たのである。というか視察はついでで、メインの目的はカツラのお披露目である。

 

 帝国の民はみな必死に笑いをこらえた。バジウッドは顔中の筋肉を硬直させて笑いをおさえこんだ。レイナースは営業スマイルだとギリギリ言い逃れできる笑い方でごまかした。ニンブルは貴族として鍛えたスルースキルを全力展開して無表情を貫き切った。ジルクニフはわけもなく腹が立って仕方がなかった。

 

 視察を終えたアインズは、

 

「反応がいまいちだったな。ああ、そうか。上司がいきなりカツラかぶってきたみたいな空気になっちゃったのかな?」

 

と能天気なことを考えつつ帰っていった。その姿を見た帝国の民は、誰もが避けて通っているところに平気で踏み込み踏み潰すことのできる魔導王の圧倒的な権力を思い知らされた。

 

 なんだかいらいらしてきたジルクニフは短髪に戻した。それを見た国民は、「魔導国のすごい薬で毛が生えた派」と「魔導国のすごいカツラをかぶっている派」に分かれて論争を繰り返した。後者がやや優勢であったのには二つの理由がある。魔導王があのとき似合わないカツラをかぶってきたのが、ジルクニフへの売り込みだったという解釈にそれなりの説得力があったというのが一つ。ンフィーレアとM字と頭頂部が、皇帝のハゲは相当深刻で不治のはずだと証言したのがもう一つである。

 

 

 

 



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第3話 リュラリュース迷子

 リュラリュースは新たな配下として正式にアインズに挨拶するため、初めてナザリック地下大墳墓を訪れた。出迎えのハムスケの後に従い、とりとめのない話をしつつ第一階層を行くリュラリュースは、ひどく緊張していた。その上半身には、普段は使わない秘蔵の鎧をまとっていた。

 

「心配は無用でござる。ここはもうそれがしの庭も同然。大船に乗った気持ちでついてくればいいでござるよ」

 

 多数のモンスターとすれちがいながら、リュラリュースは無意識に鎧を手でなでた。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の体から作られた、あらゆる魔法をはねのける、と信じていた鎧である。アインズの強さを知ってしまった今となっては、ただの古ぼけた鎧にすぎなかったが、今のリュラリュースはこんな気休めにもすがりたい気分であった。

 

「さて、ここまでくれば一安心でござる。今までのところにはあちこちに転移の罠があって、慣れないうちはうっかり引っかかって苦労したものでござるよ。ここからしばらくは、罠はないのでのんびり行けるでござる」

 

「本当に罠はないのじゃな?」

 

「数えきれないほど歩いたのに、一度も引っかかったことがないから確実でござる」

 

「ふむ。それはありがたい」

 

 ハムスケは若干調子に乗っていた。今までは気分的にナザリックの新入りだったが、リュラリュースの加入によって先輩の地位を手に入れたからである。要するに、ちょっと先輩風を吹かせてみたくなったわけである。

 

「分からないことがあったら、何でもそれがしに聞けばよいでござる」

 

 そういうとハムスケは、後足で立ち上がって前足を胸で組みふんぞり返った。この場所でそんな姿勢をとったのは、当たり前だが初めてだった。するとハムスケの頭が何かの結界をかすめた。とたんにハムスケの足元に魔方陣が展開され、まるで沈没するタイタニック号のようにハムスケは床に沈んでいった。

 

「しまったでござるーっ!」

 

 ハムスケは床に飲み込まれて、消えた。リュラリュースは取り残されて呆然とするほかなかった。ナザリック地下大墳墓のトラップは空中にもぬかりなく存在するのだ。

 

 

 

 

 

 迷子が守るべき鉄則は、その場を動かないことである。

 

 リュラリュースはその場で待ち続けた。ときどきモンスターが通り過ぎるが、そもそも話が通じるのかも分からない。最悪、話しかけたら機嫌を損ねていきなり攻撃してくるかもしれない。しかしあまり長い間、偉大なる御方をお待たせしてもよくない。やはり危険を承知で話しかけてみるべきか、と悩んでいたところ、メイドが歩いてきた。

 

 やれやれ助かった、とリュラリュースは安堵した。来客の応対はメイドの仕事である。話しかけられていきなり攻撃してくるメイドなどいるはずがない。そもそもメイドに攻撃能力などない。

 

「あー、そこのメイドよ。ちと物を尋ねたいのじゃが。わしはリュラリュース・スペニア・アイ・インダルンと申す」

 

 

 

 

 

 ナーベラルはいらいらしていた。約束の時間になってもハムスケが来ないのである。今日の仕事は、なんとかというウジムシとハムスケをアインズ様のところまで送り届けることである。そしてアインズ様はきっと「ご苦労」とおっしゃってくださる。運が良ければ名前を呼んでくださる可能性もある。なんと素晴らしい。

 

 それなのにハムスケが来ないのである。だいたいあのハムスケ、忠誠心はそこそこのものなので大目に見てはいるが、やや無能ではないかとナーベラルは疑っている。アインズ様の方針によって、この栄光あるナザリック地下大墳墓に、最近は外部の虫けらが出入りし始めている。偉大なる御方のお決めになったことゆえ異論はないが、不満に思ってしまうのは不敬であろうか。せめて優れた能力の持ち主のみを迎え入れたいものだが。

 

 さて、とうとう第一階層まで来てしまったが、まだハムスケが見つからない。いらだつナーベラルに、間の抜けたゴミムシが話しかけてきた。

 

「あー、そこのメイドよ。ちと物を尋ねたいのじゃが。わしはリュラリュース・スペニア・アイ・インダルンと申す」

 

 ガガンボごときが対等な態度で名前など名乗っているが、なんたる傲慢であることか。日頃は美姫ナーベとしてゲジゲジどもにも友好的に振る舞うストレスに耐えているが、幸いここはナザリック地下大墳墓。身の程を知らぬダニには教育を施さねばなるまい。

 

「黙りなさい。ベニコメツキの分際で」

 

 第3位階魔法、雷撃(ライトニング)が放たれた。一から十まで理解できないことばかりのリュラリュースは、まともに反応することすらできなかった。しかし秘蔵の鎧が見事に効果を発揮したので無傷であった。

 

 リュラリュースは笑った。ただし嘲笑でもなければ、余裕の笑みでもない。あえて言うなら媚びに近い。――が、もちろんそんな機微を解するナーベラルではない。激怒のままに放った第7位階魔法、連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)によって、リュラリュースの鎧ははじけ飛び、気絶した。

 

 ナーベラルはとどめを刺さずに立ち去った。アインズ様が許可してナザリックに入れたのだろうから、何かしらの利用価値があるに違いないので、殺すべきではないと考えたのである。ナーベラルは、我ながら冷静な判断を下したものだと、内心得意であった。

 

 

 

 

 

 たまたま通りがかったセバスが倒れているリュラリュースを見つけた。

 

 治療して、紳士的に事情を尋ねるセバス。やっと話が通じる者に出会えたと、思わず神に感謝しようとしたリュラリュースだったが、よく考えたらこんな悪魔の城がある時点で神などいないに決まっているのでやめておいた。

 

 セバスの案内でアインズのもとへ向かう道中、リュラリュースは慎重に、怒らせないように気をつけながらセバスからできるかぎりの情報を引き出そうと会話を試みた。圧倒的強者でありながら温厚なセバスとのやりとりはスムーズに進み、様々な役立つ知識が得られた。そして分かっていたことではあるが、アインズ・ウール・ゴウンが絶対的な支配者であり、その意志に逆らうことはあってはならないのだと再確認できた。

 

 そのまま第九階層まで連れてこられたリュラリュース。そこでは人間の幼児ほどの背のエクレアと名乗るバードマンが、多数の使用人たちをしきって掃除をさせていた。エクレアも使用人たちも決して強そうには見えないが、リュラリュースはもう自分の目が全く信用できなくなっていたので、相手が強大な力の持ち主だと仮定してとにかく礼儀正しく接することを心掛けた。

 

 セバスは使用人の中にいたツアレという名のメイドに何やら話しかけている。リュラリュースは、二人が恋仲、それもかなり初々しい関係だと察した。ふと辺りを見渡せば、荘厳にして華麗な内装、まじめに掃除する使用人たち、そして初々しい恋人。リュラリュースはこの地を訪れて初めて、わずかに心が安らぐのを感じた。

 

「しかし、見事に掃除が行き届いていますな。エクレア様の指示の素晴らしさ、感服いたしますぞ」

 

 とりあえずお世辞を言っておくリュラリュース。それにエクレアは胸を張って答える。

 

「当然です。このナザリック地下大墳墓は、いずれ私が支配するのですから」

 

 

 

 

 

 ――今、このバードマンは何と言った?

 

 リュラリュースは耳を疑った。先ほどのセバスとの会話で確信したが、このナザリックでアインズに反旗をひるがえすことなどありえないはずだ。

 

「エクレア様は、アインズ・ウール・ゴウン様のお血筋の方でいらっしゃるのですか」

 

「? いいえ。……ああ、そういうことですか。あなたは誤解なさっている。私はいずれ支配者の地位を簒奪するのですよ」

 

 リュラリュースは混乱した。そして周囲の異常な状況にも気がついた。当然この会話が聞こえているはずの皆が、セバスも含めてノーリアクションなのである。これはいったいどういうことか。

 

 ――精神操作系の魔法。我々の会話が知覚できていないか、とるに足らない内容のものだと思い込まされているのかのどちらかじゃろうな。

 

 リュラリュースは目の前のバードマンが超越的な魔法の使い手であると認識を改めた。使用人たちはともかく、セバスは間違いなく圧倒的強者である。そのセバスにいとも簡単に魔法をかけるとは、なるほどナザリックの支配を狙うだけの実力があるのだろう。

 

 しかしそんな超越者が、なぜ自分ごときに秘密を明かすのか。

 

「どうです、今のうちに私の部下になって、ともに『掃除』に取り組みませんか。私がこのナザリック地下大墳墓を掌握した暁には、もちろん相応の見返りを用意しましょう」

 

 リュラリュースは目まいがして、思わず片手を床に突いた。とんでもないことに巻き込まれてしまった。ここで道を誤れば命が危うい。

 

 リュラリュースは必死に考えた。エクレアの魔法の力がどれほどなのかは知らないが、おそらく単身でクーデターを成功させられるほどではない。ゆえに部下を必要としている。自分はアインズの力に屈服して臣従したばかりだから、客観的に見て裏切る可能性が高いのも事実である。自分ごときの力でも、使いっ走りぐらいには役立ちそうだと思ったのだろう。いざとなったら抹殺しても後腐れがなさそうな現地人だというのもあるかもしれない。

 

 断ったらどうなるのだろうか。最も楽観的に予測すれば、この交渉の記憶を消されて解放されるのだろう。しかしそう都合よくはいくはずがない。事故や病気に見せかけて抹殺されるのだろうか。それとて即死で済めば運がいいのかもしれない。あるいはこうしている間にも、知らず知らず魔法をかけられて利用されてしまうのかもしれない。

 

 頭が真っ白になったリュラリュースは、エクレアにろくに返事もできなかった。エクレアはさして気に留める風でもなく、

 

「では、ゆっくり考えておいてください」

 

と、さわやかに言い放ち掃除へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 リュラリュースは玉座の間でアインズに謁見していた。型通りの挨拶をしながらも、リュラリュースは迷いに迷っていた。今ここでエクレアの計画を暴露したらどうなるのか。当然エクレアもその可能性を考慮していたはずである。暴露しようとすると魔法が発動するのだろうか。口がきけなくなったり、即死したりするのだろうか。

 

 だからといって、エクレアの計画を秘匿するのも恐ろしい。それは自分がエクレア派についたことを意味してしまう。つまりはあのアインズ・ウール・ゴウンと敵対することになる。

 

 リュラリュースは覚悟を決めた。かすれた声で絶叫した。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様! わしは、私は、アインズ様に対する反乱の計画をしているものを知っております!」

 

「なに?」

 

「執事助手のエクレア・エクレール・エイクレアーなるものが、反乱を企てておりますう!」

 

 

 

 

 

 リュラリュースは釈然としない思いで第一階層を歩いていた。横には見送り役のまともな一般メイドがいる。謁見がなぜか無事に終わっての帰り道である。

 

 エクレアの名を告げたとき、あの絶対的支配者から、らしくない雰囲気が漂った。それは困惑、迷い、羞恥といった感情がこもっているようだった。

 

「ああ……その、なんだ……きちんと報告してくれたことには感謝しよう。だが、なにも心配はいらないのだ。皆このことは知っているのだ。だから忘れてくれると助かる。私の身にもお前の身にも、この件に関して危険が及ぶようなことは一切ないから、安心して欲しい」

 

 その後、妙に愛想がよくなったアインズから、ナーベラルの蛮行について謝罪までされた上に、いずれはそれなりの役職につけることまで確約されたのだった。

 

「メイド殿、よろしければわしの質問に答えてはいただけまいか。なにゆえにアインズ様も他の皆さまも、あの反乱計画を野放しにしておいでなのか」

 

「私は、創造主たる餡ころもっちもち様が、エクレア様を生み出す現場に立ち会っておりました。そして他の至高の方々が、なぜ反乱など企てさせたのかとお尋ねになりました。すると餡ころもっちもち様はこうおっしゃいました。『その方が面白くない?』と。するとアインズ様が答えておっしゃいました。『確かに面白いですね』と」

 

 リュラリュースは絶句した。遊びなのだ。ただの遊びで、反乱者を泳がせているのだ。絶対的な自信に満ち溢れた支配者にしか許されない、至高の遊戯なのだ。リュラリュースはそのスケールの大きさに、ただただ恐れ入るしかなかった。

 

 

 

 

 

 入り口付近でハムスケとナーベラルが待っていた。

 

 ハムスケはごく軽い調子で謝罪した。それを聞いたナーベラルが

 

「もとはと言えば……」

 

と殺気を放ち、ハムスケは震えあがって腹を見せた。するとそこでアインズからのお叱りの伝言(メッセージ)がナーベラルに届いた。ずっと見ていたらしい。

 

 ナーベラルはこの世の終わりのような顔でリュラリュースに謝罪すると、第7位階魔法まで防げるという鎧を差し出した。その謝罪にはリュラリュースへの誠意は全くこもっておらず、アインズに対する申し訳なさだけで構成されていたが、色々考えるのに疲れたリュラリュースは素直に鎧を受け取ってナザリックを後にしたのだった。

 



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第4話 続・長髪ジルクニフ ~ロウネ先輩と頭頂部ハゲの後輩~

 このシリーズの第二話だけアクセス数が多い。なぜだ。アイディアの切れ味なら第一話が勝り、多彩なキャラクターの魅力なら第三話が勝るのに。徒然草の方なんか、ハーメルンで唯一無二の“原作:徒然草”で、テスト対策にも最適だというのに。みんなそんなにジルクニフが好きなのか、それともハゲが好きなのか。

 それはともかく第二話の続編です。読んでない方は第二話を先にどうぞ。




 筆頭書記官であるロウネ・ヴァミリネンの下に、新人秘書官が配置された。先日開かれた文化人交流会の参加者の中でもひときわ優秀だった若者の一人、頭頂部ハゲの男である。ロウネは、秘書官としてもハゲとしても後輩のこの男を、どう指導していけばいいものかと思案していた。

 

 この頭頂部ハゲの男は、元来が浮世離れした学者気質のところがある。それゆえに、仕官の話を断って研究生活を続けることも十分あり得た。ではなぜ宮仕えを決意したのかといえば、ロウネの推察によれば、ジルクニフのハゲの秘密を探るためである。

 

 ジルクニフに接近する機会があると、この頭頂部はジルクニフの頭を鷲のような鋭い視線で観察しているのである。ジルクニフや周囲の人間に気づかれずに凝視するその器用さは大したもので、スパイの才能があるのかもしれない。ただし、さすがにロウネの目はごまかせなかった。ハゲは他人の視線に敏感なのである。

 

 頭頂部の観察力なら、ジルクニフがカツラでないことには気づいているはずである。したがって、彼はなんとかして魔導国の毛生え薬を手に入れようとしているに違いない。そして筆頭書記官であるロウネの惨状を踏まえれば、毛生え薬の入手は困難を極めるという結論には達しているだろう。おそらく今は、これといった打開策も思いつかないまま、当座の仕事を真面目にこなしつつチャンスをうかがっているはずだ。

 

 困ったものだ、とロウネは思う。皇帝陛下はハゲてはいないし、毛生え薬は存在しないのだから。頭頂部に真実を告げるのは簡単だが、それで仕事をやめられても困る。優秀な若者なのは間違いないのだから。

 

 そういえば、頭頂部には一つ欠点がある。根が学者気質のためか、重要だと分かる仕事には大変な集中力で取り組めるのだが、そうでない仕事にはどうにも気乗りがしない様子なのだ。

 

たとえば、社交界の人々のプロフィールを暗記するという仕事。有力貴族はもちろん、無名貴族だのもう死んだ人間だのまで片っ端から頭に叩き込まねばならない。頭頂部はもともと暗記力には優れているのだが、どうやらそれを暗記する意義が分からないらしい。そのあたりの心構えも教育しなければならないな、とロウネは思った。

 

 

 

 

 

 非民主主義的な社会体制だからといって、庶民の不満をないがしろにしていては国はうまく回らない。だから皇帝にとって、庶民の本音を知ることは極めて重要だ。その意味で、政府を批判する落書きや風刺画の類は貴重である。むろんそれを罰する法律はあるが、ジルクニフはあえて犯人の逮捕に力を入れず、情報源として活用することにしていた。

 

 いま、帝都で話題沸騰中の風刺画がある。

 

 アインズと四人のアンデッドが食卓についている。出されているパイはバハルス帝国の領土の形をしており、東西南北の地と帝都アーウィンタールの五つに切り分けられている。四人のアンデッドは片手で持った東西南北のパイにかじりつき、もう片方の手には空になった瓶を持っている。

 

 ジルクニフは帝都アーウィンタールの形のパイをアインズに差し出している。アインズは片手でそれを受け取りつつ、もう片方の手には毛生え薬の入った瓶を持ち、ジルクニフの頭に振りかけようとしている。ジルクニフの豊かな金髪の頭には、帝都の形のハゲがある。

 

 ジルクニフがハゲを治してもらうのと等価交換で帝国領土を売り渡しているという風刺画である。なお、絵の隅にはうらやましそうな顔のロウネと頭頂部の二人が描かれている。

 

 頭頂部はこれまでの人生で――親戚が一堂に会した集まりで、幼い自分が悲しい運命から逃れられないことを悟ったあの日から――あらゆるハゲネタの冗談を忌み嫌ってきた。そんな自分のハゲが帝都中で知れ渡っている。何たる屈辱であることか。

 

 ロウネはのんびりと言った。

 

「私たちも有名になったものですな」

 

 しかし、領主でもないただの官僚であるロウネと頭頂部が、皇帝の側近とはいえなぜ有名になったのか。それは帝国民の間のとある噂が原因であった。

 

 曰く、「ハゲ優遇説」――。

 

 以前の文化人の交流会で、皇帝との食事会に参加できた三人はいずれもハゲていた。その席では皇帝自ら落し物を拾い上げ、対処法を助言するなどのありえない厚遇がなされた。それだけではなく一人が側近にまで取り立てられた。

 

 また、左遷されていたロウネが復職して書記官の筆頭となる一方、長命であるにもかかわらず長髪のフールーダが閑職に回されている。

 

 さらに、過去に粛清した王族貴族にはハゲていないものが多数含まれていた。

 

 というわけで、ジルクニフは明らかにハゲを贔屓しているということが国民の間では信じられており、その象徴としてのロウネと頭頂部の存在がクローズアップされているのだ。言うまでもないが、粛清した王族貴族とハゲの関係は偶然である。

 

「ロウネ様、悔しくはないのですか。恥ずかしくはないのですか」

 

 落ち着き払っているロウネに、頭頂部は思わず声を荒らげてしまった。しかし自分でもこれはやつあたりだと分かっていた。聞くところによればロウネは、かの魔導王の城に単身で住み込み、世にも恐ろしい悪魔たちと渡り合ってきたのだという。そんなロウネからすれば、この程度のこと気に留める価値もないのであろう。

 

 ロウネはとがめだてするでもなく、穏やかに笑った。

 

「ものは考えようです。次の舞踏会、いいものを見せましょう」

 

 頭頂部は納得がいかないながらも引き下がった。独りになったロウネは誰に言うでもなくつぶやいた。

 

「――しかしあの絵は、薬を振りかけてもらう前の皇帝陛下が丸ハゲだったと想定しているのでしょうか。ならば、最初に丸ハゲの皇帝陛下が帝国の北部を一体のアンデッドに差し出して、代わりに一瓶を振りかけてもらったときは、丸ハゲに前髪だけが豊かに生えていたという解釈でいいのでしょうか」

 

 

 

 

 

 魔導国の属国になったとはいえ、貴族が集まっての舞踏会の光景は今も昔も変わらない。こういう場に不慣れな頭頂部は、ロウネの後ろにひとまず付き従っていた。

 

「学問の世界とは違って、虚飾に満ちた軽薄な場だと思っているんでしょう?」

 

 ロウネの言葉に、頭頂部は無言で賛同の意を示す。

 

「ところがそうとも言い切れません。陛下を御覧なさい」

 

 ジルクニフは中年の婦人と話し込んでいる。ロウネは説明を続ける。

 

「あの御婦人の御令息は、騎士として例の大虐殺を目の当たりにして、少しおかしくなって療養中です」

 

「それはお気の毒に」

 

「あの御婦人はそこにつけこんで、御令嬢を陛下の側室にねじこもうと画策しています」

 

「なんと、我が子に対する愛情はないのですか」

 

「ありますよ。それとこれとは話が別だというだけのことです。さて、陛下が困っていますが、そろそろ助けが来るはずです」

 

 そこへタイミングよく初老の男性が現れた。

 

「あちらの男性は代々の貴族。かつては陛下と敵対しかけたこともありましたが、時流を的確に読んで難を逃れました。とはいえ微妙な緊張関係があることも事実で、これまでであればここで陛下に助け船を出すような方ではないのですが」

 

 初老の男性は会話の流れを巧みに操り、婦人の邪魔をする。

 

「ロウネ様。あの男性は、なぜ今回は陛下の味方に回ったのですか」

 

「男性の髪形を御覧なさい。あなたならピンとくるでしょう」

 

 男性の髪形は、両耳の少し上、頭の端の方に分け目を作り、髪全体を双方から中央へ流すというものだった。

 

「あれは……頭頂部ハゲの隠蔽……?」

 

「あの男性はお父上を大変に尊敬なさっておいでで、髪形も服装も武具も馬も、お父上にそっくりなもので揃えていらっしゃいました。ところがあるとき、髪形だけを真ん中分けから変えたのです。そして、お父上は豊かな髪の持ち主ですが、今は亡きお爺様は頭頂部ハゲでいらっしゃいました。才はときに、父から子ではなく、祖父から孫へと受け継がれるのはご存知ですね? ですから間違いありません。あれは隠蔽です。彼は毛生え薬が欲しくて、陛下に媚を売っているのです。そして陛下はこの全てを予測して、あの御婦人に対抗させるためにあの男性を招待した。舞踏会は空しい社交の場ではありません。形を変えた戦争だとお心得なさい」

 

 頭頂部は愕然とした。今は亡き人物の肖像画まで暗記させられるのには内心閉口していたが、それがこのように役に立つとは。

 

 驚いている頭頂部にロウネは微笑みかけてこう言った。

 

「先日、あの風刺画の件について魔導国の使者の方と話し合ったのですがね。魔導王陛下からは『アンデッドは食事を必要としないという知識は正確に国民に伝えておくように』という、なんともとぼけたお返事をいただきました。つまり、皇帝陛下の名誉が傷つくような風刺画を取り締まる必要はないという仰せです」

 

 頭頂部は足元の地面が急に形を失ったかのような不安を感じた。浮世離れした研究者であった彼は、今までは帝国の危機をどこか他人事のように感じていた。しかし今や、自分の周囲に戦場が展開されていることににわかに気がついた。

 

 それを見たロウネは言う。

 

「さあ、分かったでしょう。私たちはすでに戦場にいるのです。戦わなければなりません。国のため、ひいては人類のために」

 

「私に何ができるのでしょうか」

 

「では戦いにおいて、敵を無防備にさせるもっとも基本的な方法を伝授しましょう」

 

 

 

 

 

 ロウネも頭頂部も、この舞踏会で知らぬ人のない有名人である。そんな二人が少し動けば、周りに人が集まってくる。

 

(周りに人が自然と集まってくる。これは私たちの大きなアドバンテージです)

 

 頭頂部は先ほどロウネから言われたことを思い出す。確かに、これだけの貴族たちを通常の方法で意図的に集めるのは、非常に困難だろう。

 

(私が自然な流れで皆さんの愚痴を聞き出してみせます。会話の流れに気を付けていてください)

 

 ロウネの話術は見事としか言いようがなかった。事前に聞かされていなければ、人々が勝手に愚痴をこぼしているようにしか思えなかっただろう。とはいえ中には、口が堅い者もいる。

 

(では、その時が来たら打ち合わせ通りに。大丈夫、絶対にうまくいきます)

 

 ロウネはちらりと頭頂部を見た。「その時」である。

 

「私も有名になったのはいいのですが、ときどき彼と間違われることがありまして困りものです」

 

「全くです。私もよくロウネ様に間違われるので困っています」

 

「どこも似ていないと思うのですが」

 

「全くです」

 

 人々は困惑して、わきあがる笑いを抑えた。本気か冗談か分かりにくいトーンだったからである。ロウネと頭頂部がじっと見つめ合う。そしてロウネが右手で髪をなでつけ、頭頂部が左手で髪をなでつけながら、二人で同時に言った。

 

「「おや、こんなところに鏡が」」

 

 一同は爆笑した。頭頂部本人もおおいに笑った。羞恥心で顔とてっぺんが真っ赤になりながらも、奇妙な充実感を覚えていた。その後にロウネが、口の堅かった者に少し問いかけると、彼らは抵抗できずに愚痴を吐き出してしまった。笑いによって心が無防備にされてしまったのである。

 

 

 

 

 

 舞踏会の客たちも帰った深夜、ロウネと頭頂部はバルコニーで夜空を見上げていた。

 

「どうです、この仕事も悪くないとは思いませんか」

 

「ええ。悪くない。悪くありません。今日はとても不思議な体験をしました」

 

「それはよかった」

 

 満足げな頭頂部を見ながら、ロウネは思った。この分なら、彼は意外と早く真実にたどり着けるかもしれない。秘書官の仕事もやりがいがあるということ、毛生え薬などないということ、そして、ハゲも悪くはないということ。

 

 天上には無数の星々がきらめいていた。そして地上には、二つの頭頂部が輝いていた。

 

 



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第5話 カルネ村観光地化計画

 アインズが割と適当に作った死の支配者(オーバーロード)が、偶然にもアインズに瓜二つだった。

 

 アインズはこのそっくりさんの有効活用法を考えた。レベルの低さは一目でわかるので影武者には使えない。まあ、一般人なら見破れないかもしれないが……と考えたとき、アインズの脳裏にアイディアがひらめいた。これはいける! 魔導国のいい宣伝になる。

 

 

 

 

 

 カルネ村に旅の劇団がやってきた。エ・ランテルで大人気で、このたび初の巡業に出たということであった。いかにも魔導国らしいことに、劇団員は人間・亜人・アンデッドの混合編成だという。

 

 なかでも一番の人気演目は、魔導王陛下そっくりの死の支配者(オーバーロード)が主演の、若き日の陛下の冒険譚である。ほとんどの人間には骸骨の顔の区別はつかないとか、骸骨に若き日という概念があるのはどうなんだとか、そんなのは魔導国の民にとってはささいなことなので誰も気にしていない。

 

 この劇団の特色は、舞台上で本当にモンスターが討伐されるところである。完全にコントロールしている上に代わりはいくらでも用意できるので問題ないらしい。最前列の席にはときたま肉片が飛んでくるので度胸試しの若者が陣取るのが常である。

 

 それだけではなく、モンスターにさらわれたり攻撃したりする役として、観客が舞台に参加できるというサービスもある。強大なモンスターと間近で接し、攻撃までできるという貴重な機会に、人々は熱狂した。

 

 さて、村長たるエンリのもとに劇団員一同が挨拶に来た。こういうところで現地の有力者をおだてあげるのが旅芸人の処世術である。ましてやエンリはそこらの村長とは格が違い、多数のゴブリンやオーガを従える猛将なのであるから、いっそう丁寧にもてなさねばならない。

 

 そこでエンリには、アインズを助けて戦う美人修行僧(モンク)という役柄で舞台に上がってほしいと依頼した。それを聞いたエンリは不機嫌に断り、劇団員たちをあわてさせ、最終的には『モンスターに襲われてアインズに助けられる村娘』の役に落ち着いた。エンリの自己イメージは未だにそれであり、自分がそこからどんどん離れていくことにあせっていたのだ。ついでに修行僧(モンク)あつかいにも怒っていた。せめて剣士とかじゃないのかと。

 

 そんなこともあったが準備はおおむね順調に進み、いよいよ公演が始まった。この世界の、しかも辺境に住む村人がどれほど娯楽に飢えていることか。会場は熱気に満ち満ちていた。さあ、エンリの出番である。ゾンビにとらえられたエンリは、必死に振り払おうと体をひねり、

 

 ……その勢いでゾンビは投げ飛ばされた。地面にたたきつけられたゾンビは二度と動かなかった。

 

 劇団の座長は、女傑と名高いエンリがなにゆえに村娘の役などやりたがるのか怪しんでいた。しかしたった今、その疑問は晴れた。この調子で台本を無視してモンスターをなぎ倒し、自らの力を誇示し、劇団員のうろたえるさまを見て楽しもうということだ。腕力ひとつでなりあがった権力者によくいるタイプだ。しかしこちらも役者生活五十年、この程度のアクシデントなら何度となく乗り越えてきたのだ。見事に切り抜けて見せようではないか!

 

 予定を早めて舞台にアインズ役が登場。敵も次々と現れるなか、自然な流れでエンリと共闘。エンリに見せ場をたっぷり作りつつ、アインズ役も主役らしい派手な立ち回りを存分に繰り広げる。役者生活五十年の経験から生み出される座長の的確な指示に、団員たちも生き生きと合わせていく。観客の興奮は頂点に達し、失神する者さえいたという。

 

 やけになったエンリは苦笑いをうかべつつ骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を殴りつけた。その様子は伝言ゲーム的に脚色されて聖王国に伝わり、巨大な絵画となってネイアの家に飾られた。

 

 

 

 

 

 はるばる聖王国から目つきが悪くて優しい人が聖地巡礼にやってきた。

 

 なにやら感激の面持ちで手を握ってくるネイアからエンリがいろいろ聞き出したところ、カルネ村が聖地と認識されているのはいいとして、エンリの噂がそれはもうひどいことになって国外にまで広まっていると分かった。

 

 エンリは開き直った。愛する夫がいて、妹がいて、大切な村の人たちがいる。自分は幸福だ。村の外で何を言われようと知ったことではない。妙な噂があるのなら、逆手にとって村の利益を増やせばいいだけのこと。

 

 エンリは自らが客寄せになってのカルネ村の観光地化を決意した。となれば、まずは魔導王陛下の豪華な像の新造は必須であろう。ルプスレギナに相談すると、ナザリックに報告するから待っているように言われた。

 

 その報告を受けた守護者たちの話し合いは紛糾した。まずアルベドが出した案は、降臨したアインズと側に控えるアルベドの像だった。しかし実際には降臨の瞬間にアルベドは間に合っていなかったので、あえなく一同に却下される。

 

 次にセバスが、エンリとネムをかばって立つアインズという、三人一組の像を提案する。対してデミウルゴスが、二人の騎士を打ち倒すアインズという、こちらも三人一組の像を提言。村民を守る正義のアインズを強調するセバスと、苛烈な支配者の面を重視するデミウルゴスの論戦は平行線をたどる。うんざりしたアウラが、いっそ両方まとめて五人一組の像はどうかと発言し、あきらめていなかったアルベドが、それなら自分も入れれば到着したばかりの自分との躍動感ある対比が描けていいはずだと言い出し、あきれたシャルティアが文句をつけ、コキュートスはいらだちマーレはおびえ、議論は泥沼化の様相を呈した。そして結局、埒が明かないのでアインズに決断をゆだねることになった。

 

 アインズはこちらの世界に来て以降、書類仕事の経験を重ねたので、だんだん手の抜き方が分かってきた。自ら判断を下すのは重要な問題のみに留め、それ以外は優秀なシモベに丸投げしてしまえばよい。カルネ村観光地化計画の報告書も、そんな調子でざっくりと目を通すだけにした。はっきり言って、成功しようが失敗しようがナザリックに影響がない事業だ。わざわざ自分が頭を悩ます必要もない。

 

 アルベドは守護者たちから出された案を全て、手のひらに乗るほどのミニチュアの見本にしてアインズに見せた。しかしアインズはざっくりとしか計画を把握していなかったため、これをフィギュアとして売店で売る計画なのだと勘違いした。だとすると少し小さいのではないかと思った。

 

「売店……アルベド、これで悪いとは言わないが、少し小さいな」

 

 アルベドは雷に打たれたような衝撃を受けた。そして退室後ただちに守護者たちを集めて、アインズの偉大な真意を伝えたのだった。

 

 

 

 

 

 ネイアは演説する。

 

「聖地カルネ村を目指すのに、地図は必要ありません。国外からも見える、雲にも届く魔導王陛下の巨像を目指せば迷いようがないからです。その眼は赤く光り、夜空に月より明るく輝き、闇の中でも人々を導きます。これは魔導王陛下こそが万民の道しるべであることを示しています! この像は中に入って、目の部分の窓から外を見ることができますが、そうやって見下ろした世界で、人は豆つぶよりも小さく見えます。つまり魔導王陛下の目に映る世界を比喩的に体感できるのです。だからこそこの巨像は、初めて陛下がこの地の人間をご覧になった場所、すなわち降臨の地カルネ村にこそふさわしいとは思いませんか? 巨像づくりに乗り気でなかった陛下が許可なさったのはこのためなのです!」

 

 

 

 

 

 久しぶりに村に行ったらできあがっていた巨大像を見て内心ドン引きしたアインズだったが、仕方ないのであきらめてシモベたちをねぎらっておいた。像の中に売店があったのでサイン色紙を寄贈し、覇王炎莉印の干し肉と賢王まんじゅうを買って帰りハムスケに与えた。ちなみに賢王はゆるキャラ化されている。

 

 

 

 



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第6話 必要最小限の原作改変でアルシェを助けてみる

ほぼ出落ち。


「……新たな性癖に目覚めたんですよ……」

 

 ペロロンチーノがいつになく重々しい口調で言ったので、モモンガはいぶかしんだ。何を今さら。ちらりと横に目をやれば、その性癖の集大成ともいえるシャルティアがたたずんでいる。彼が業の深い変態なのは周知の事実である。これ以上はばかることなど何があるというのか。

 

「ゲロを吐いてる女の子って、いいと思いませんか」

 

「うわ……」

 

 予想の斜め下を行く告白に、さすがのモモンガもドン引きである。

 

「いや、誰でもいいわけじゃなくて! かわいい女の子限定ですよ? ゲロインっていう言葉もあるくらいで! それに、ゲロ自体をなめたいとかじゃなくて、そのくらい深刻なダメージを受けてる女の子がいいって話ですよ?」

 

「それが言い訳として機能してると思ってるんですか」

 

「ゲロを吐いてる女の子に優しくしてあげたい気持ちが高まってきてるんです。だからシャルティアにゲロイン属性を追加しようかと思って」

 

「やめてください。ギルマス権限使ってでも止めますよ」

 

「……じゃあせめて、ゲロイン好きという属性だけでも追加」

 

「……まあ、それなら。……これ、『ドア・イン・ザ・フェイス』じゃないですか?」

 

「はっはっは、ジャパニーズ営業テクニックを使いこなすのが、自分だけだと思っていたんですか?」

 

 

 

 

 

 アルシェは疲れ果てていた。

 

 このナザリック地下大墳墓に侵入したあの日。アインズの圧倒的な魔力に恐怖のあまり嘔吐したあのとき、上の方から「ああっ❤」というシャルティアのなまめかしい声が聞こえた。とたんにアインズの殺意が薄れ、気が抜けたような空気が漂った。

 

 闘技場に舞い降りたシャルティアを見て、アインズはやや困惑したように尋ねた。

 

「……優しく、したいのか?」

 

「アインズ様のお許しがあれば」

 

「……そうだな、お前はそのように作られたのだからな」

 

 さっぱり状況が分からないまま戦いが始まり、終わった。ヘッケランとイミーナとロバーデイクは氷漬けにされ、アルシェの働き次第では助けると伝えられた。ナザリック基準では破格の優しい扱いと言える。

 

 で、アルシェは日々、シャルティアに優しくされている。怖い。ヤクザの親分に肩を組まれてディナーをおごられているような気分である。まだ何事もないが、貞操も危ういと思われる。話に聞くペロロンチーノ様とやらに、感謝していいやら恨んでいいやらである。

 

 たまにはシャルティアに連れられ、各方面にあいさつまわりもさせられる。恐怖公だの餓食狐蟲王だのニューロニストだの、あまりのおぞましさに嘔吐すると、シャルティアはいつにもまして優しくなる。

 

 アルシェは自ら、ナザリックのメイドとなることを申し出た。シャルティアにお客様扱いされる恐ろしさに耐えきれなかったのである。仕事をしていれば気もまぎれるし、その間はシャルティアに連れまわされなくてすむというのもある。

 

 アルシェはツアレから指導を受けることになった。休憩時間に二人で話しているうちに、アルシェはなぜだか涙が出てきた。ひさしぶりに人間と会話できて気が緩んだのだろう。

 

 アルシェの見るところ、ツアレはひどい目に遭うこともなく日々過ごしているようである。やはりセバスの庇護下にあることが大きいのだろう。アルシェは深い考えもなく、思ったことをそのまま口に出してしまった。

 

「セバス様の愛人になりたい」

 

 アルシェには相手の魔力を看破する生まれながらの異能(タレント)があるのだが、むろん一般人であるツアレに魔力などない。ないのだが、そのときアルシェは確かにツアレから燃え上がる地獄の炎を感じた。恋の奇跡はか弱い乙女を悪鬼羅刹に変えた。ツアレの鋭い眼光が氷の矢のようにアルシェを射抜いた。炎と言ったり氷と言ったり、どっちなんだと聞かれそうだが、恋に矛盾はつきものなので仕方ない。

 

 アルシェはあせった。別に取り繕うのがうまい方でもなければ、恋愛の機微に通じているわけでもない。そして焦燥に駆られて口に出した言葉が、運悪くさらなる地雷を踏み抜いた。

 

「う、嘘です、あんなおじいちゃんが恋愛対象なはずがない」

 

 ツアレの拳がアルシェの顔面にめりこんだ。恋の力は乙女の細腕を鋼鉄に変え、レベルの差も戦闘経験の差も凌駕した。セバスから護身のために一つだけ教わった技、「正拳突き」である。もとより近接戦闘は魔法詠唱者に不利である。アルシェはマウントポジションからの連撃になすすべなく失神した。途中でタップはしていたのだが無視された。

 

 気が済んだツアレがポーションを飲ませたので、アルシェは息を吹き返した。人工的なほほえみを浮かべるツアレに、アルシェはただ震えて黙りこむことしかできなかった。安住の地などどこにもないと痛感した。

 

 

 

 

 

 ツアレに伴われたリュラリュースは上機嫌に第一階層の廊下を進んでいた。今回リュラリュースは、訪問の手土産としてトブの大森林の魔獣の毛で作った布を持参した。これがたまたま、取引先にタオルを持って挨拶しに行ったことがあるアインズのジャパニーズ営業マン魂に響いた。その結果、妙に気前のいいアインズから極上の美酒美食を振る舞われた帰り道なのである。最初は恐ろしさしか感じていなかったこの大墳墓だが、配下として付き従う分には案外悪くないかもしれないと感じていた。

 

 リュラリュースがふと廊下の奥の突き当たりを見ると、右からシャルティアが、左からメイド服のアルシェがやってきて出くわした。アルシェは即座にひざまずいて礼をした。

 

「ツアレ殿。階層守護者の方にメイドがひざまずいているところは、わしは初めて見るのじゃが、よくあることなのですかな」

 

「いえ、あのアルシェというメイドは、畏れ多くもこのナザリック地下大墳墓に侵入した賊の一味であったのですが、シャルティア様の特別の御慈悲によって生きながらえているので、メイドである以前にシャルティア様の所有物なのです」

 

 柔和な印象のツアレから穏やかならぬ言葉が出てきたことに違和感を覚えつつも、ナザリックの基準では驚くほどのことではないとリュラリュースは納得した。

 

 見るとシャルティアが何か話しかけ、アルシェが顔を引きつらせて断っている様子である。

 

「あれは何じゃろうか」

 

「よく分かりませんが、近づくのはやめてしばらく様子を見ましょう。守護者の皆さまは強大な力をお持ちですから、巻き込まれてはいけません」

 

 どうやら交渉が決裂したらしく、シャルティアがアルシェ目がけて突進していく。アルシェは魔法を連発してそれを食い止める。

 

「ツアレ殿、あのアルシェなるメイド、人間でありながらあの若さで第三位階魔法を使いこなしているようじゃが……」

 

「魔法のことはよく存じませんが、第三位階というのはすごいのですか?」

 

「…………すごいのか? いや、ああ……すごいはずなんじゃ」

 

 奮闘むなしくアルシェは捕まった。そしてシャルティアによる腹への膝蹴り。アルシェは嘔吐した。そんなアルシェにシャルティアは惜しげもなくポーションを与え、優しく頭を撫でた。アルシェは死んだ目でシャルティアの膝の上に座っていた。

 

「さっぱり分からん。ツアレ殿、これはいったい」

 

「私にも分かりませんが、彼女は殺されるはずだったのに不思議にも命を助けられたのです。でしたら膝蹴りの後に不思議にも頭をなでられるぐらいのことはあってもいいはずです」

 

 不思議すぎるだろ、と思わずツッコミを入れそうになったリュラリュースだったが、ツアレの人工的なほほえみを目にして思いとどまった。このナザリック地下大墳墓はやはり自分の理解を超えた恐ろしい魔窟にほかならず、目の前の穏やかな人間のメイドもまたその住人であることを悟ったからである。

 

 解放されたアルシェがふらふらとこちらに歩いてきた。そしてツアレの前に来るとひざまずいて礼をした。リュラリュースは改めて気を引き締めると同時に、自分と同様にまだ魔窟の住人になりきれていないアルシェの今後の人生にひそかに同情するのであった。




(宣伝)『走れメロスと仁和寺にある法師』連載化しました。第2話は仁和寺にある法師・邪知暴虐の王・大造じいさん・残雪の四者によるコメディーです。よろしくお願いします。


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第7話 ヘロヘロと有給休暇と料理長

関係ないけど「激走戦隊カーレンジャー」の無料公式配信が始まったので見てください。あれは傑作です。


 アインズはシモベたちに有給休暇という概念を説明したが、案の定まったくの不評であった。ナザリックのシモベたちは一人残らずワーカホリックであり、至高の御方たるアインズに尽くすのが最上の喜びだといって、普通の休日すら持て余しているのである。ともかくも形式的なルールとしては有休制度を整えたのだが、この分では活用する者が現れそうにない。

 

「ヘロヘロさん、俺、頑張ってナザリックに有休を広めます」

 

 アインズは脳裏に浮かぶ疲れ切った友人に語りかけ、決意を新たにするのであった。

 

 

◆◆◆

 

 

 冒険者モモンの名声が高まるのは喜ばしいが、会食の機会が増えるのは困りものである。

 

 言うまでもなくアインズの体は骨であり、食事はできない。飲み込んだものは骨の隙間からこぼれ落ちる。しかし人間を装っている以上、あまり会食を断ってばかりでは周囲の印象が悪くなってしまいかねない。

 

 というわけで、今日は執務室で食事の練習である。口から胃にかけて細長い袋をセットし、顔は幻術で作る。正面には鏡を置き、練習相手としてアルベドが同席し、会話しつつ食事する。横には料理長と一般メイドたちが控えている。

 

 結論を言えば失敗であった。どう頑張ってもにじみ出る不自然さを隠すことはできず、会食の機会はあらゆる手段を尽くして避けるしかないということがはっきりした。

 

 だがそれはそれとして、アインズは奇妙な満足感を覚えていた。

 

 味覚の無いアインズだが、においや歯ざわりは感じる。そして袋を通じて、のどごしや胃のあたりに温かいものが貯まる感覚も分かった。擬似的ではあるが、食事の快感を久しぶりに得ることができたのだ。

 

 ましてや、この料理を作ったのは超一流の料理人として創造されたナザリックの料理長である。こんな形ではあるがアインズのために初めて腕を振るえるとあって、その腕はいつにも増して冴えわたっていた。

 

「アインズ様、袋をお取り外しいたします」

 

「ああ、すまないなアルベド」

 

 ふわりと温かいものが自分の中からなくなり、アインズはちょっとさびしく思った。アインズは自分自身の感情に戸惑いながら、皿をのせたワゴンを押して退室しようとする一般メイドと、それに続いて大事そうに袋を抱えていくアルベドをぼんやりと見送った。

 

 ……そこでアインズは二つの事に気がついた。自分は「もっと食事がしたい」と思っていることに。そしてアルベドの息が荒くなっていることに。

 

「アルベド、その袋をどうするつもりだ」

 

 袋の中身は噛み砕かれた料理の残骸である。唾液も胃液も出ないので、清潔と言えば清潔なものではある。

 

 振り返ったアルベドは微笑んでいた。しかしそれは穏やかな好意を示すものではなく、感情を隠した、無表情の同類としての微笑みであった。

 

 数秒、二人は見つめ合った。アルベドはつぶやくように言った。

 

「お許しください」

 

 そしてアルベドは袋の口を自分の口に突っ込むと、(注・袋の口「に」自分の口を突っ込んだのではない)天井を見上げるようにして袋を真上に持ち上げ、掃除機のように中身を吸引し始めた。

 

 アルベドの目は血走りながら妖しく輝いていた。アインズは驚きのあまり行動が取れなかった。なんだかものすごくニッチな需要のあるR-15な行為がおこなわれているような、そうでないような気がした。

 

 重ねて言うが、袋の中身は医学的には清潔であり、郷土料理だと言われて出されたらそういうものかと信じてしまう程度には食べ物である。

 

 一分と経たずに全てを飲み干したアルベドは、爽やかな笑顔で料理長をねぎらった。

 

「腕を上げたわね」

 

 アインズは、ここは叱責するべきタイミングだと理性では判断したが、あまりの妙な状況に怒りの感情がわいてこなかったので、意図的に絶望のオーラを出して支配者らしい演技を心掛けながら言った。

 

「アルベド、謹慎1日」

 

 アルベドは恍惚の表情のまま牢獄へと向かった。

 

 

◆◆◆

 

 

 料理長は歓喜に震えていた。まさかアインズ様に料理を食べて頂ける日が来ようとは。もちろん擬似的な食事であることは承知しているが、これが最初で最後の可能性が高い。ならばこの身の全てをもって料理を作らねばならない。

 

 そして守護者統括が連行され、料理長にとっての生涯最高の至福の時間が幕を閉じようとしていたそのときであった。

 

「料理長よ」

 

「はっ」

 

 アインズの言葉に、料理長は片膝をつき応じた。

 

「すばらしい料理であった」

 

「もったいないお言葉、感激の極みにございます」

 

 しかし言葉通りであるなら、なぜこのような恐ろしい威圧感をお止めにならないのか、自分は何か不敬を働いてしまったのではないかと料理長は不安がっていた。智謀の王たる主君が、よもや単に絶望のオーラを切り忘れているだけだとは料理長の思いもよらぬところであった。

 

「私は味覚を持たないが、料理の見た目はもちろん、香り、食感、のどごし、温度は分かる。その上で言おう。お前の料理は最高のものであった。食べる喜びを感じることができた」

 

「ありがたき幸せでございます」

 

「明日もまた食事がしたい。用意せよ」

 

 料理長は思った。これは単に料理を作れという命令ではない。この恐ろしいオーラと共に命じられたということに、何か特別の意味があるはずだ。至高の御方の指示はときに分かりにくく、遠回しにシモベの知恵や忠義を試すと聞いている。

 

 必死に考えた料理長は、やがて答えに到達した。自らの主人が何を要求しているのかを理解し、その課題の困難さを自分への期待の表れだと解釈して奮い立った。

 

「ははあっ! 必ずや、至高の料理をおささげ致します!」

 

 アインズがその場を去った後、料理長はとある守護者に協力を依頼した。究極の料理を作るために。

 

 

◆◆◆

 

 

 あれから丸一日。アインズが料理を待つ執務室に、料理長はともかくなぜかパンドラズ・アクターも一緒にやってきた。

 

 聞けば料理を手伝ったらしい。料理の得意な誰かに変身したのだろうか。このとき料理に気を取られていたアインズは、メイドが一人も部屋におらず、代わりにパンドラズ・アクターが給仕を手伝っているという異常事態の意味に気づいていなかった。

 

「担担麺、麻婆豆腐、エビチリソースでございます」

 

 料理長が出してきたのは四川料理の代表的な品々であった。痺れるような辛さを意味する「麻辣(マーラー)」がその特徴である。

 

 アインズはまず担担麺を一口すする。ゴマの豊かな香りと、無い舌が痺れるかのような辛さは、アインズをとりこにした。

 

「うまい!」

 

 麺ののどごし、ひき肉の香り、エビの食感……そして全てを貫きまとめる、不快感の無い極上の辛味。アインズは心ゆくまで食事を楽しんだ。

 

「素晴らしい料理だった」

 

「お褒めにあずかり光栄でございます」

 

「それでだ。少々、支配者としての威厳に欠けるかもしれんがな……おかわりをもらえるだろうか」

 

「かしこまりました! ただちに」

 

「――アインズ様!」

 

 不意にパンドラズ・アクターが会話に割って入った。戸惑うアインズをよそに、全て承知した様子の料理長が確固たる意志を感じさせる声で言った。

 

「いいのです、パンドラズ・アクター様。ナザリックのシモベとして、至高の御方のために働く以上の幸福があるでしょうか」

 

「――分かりました」

 

 なんかよくあるよなあこんなやりとり、みんな丁寧に説明してくれればいいのに、などとアインズが考えていると、謹慎1日を終えたばかりのアルベドがノックもせずに駆け込んできた。

 

「アインズ様、御無事ですか!?」

 

「どうしたアルベド、私は何ともないぞ」

 

「廊下にメイドたちが倒れております。気を失っている者が多数」

 

「なんだと?」

 

 アインズが廊下に飛び出すと、一般メイドたちがいつもの持ち場で倒れこんでいた。一番近くにいたものの抱き起こし、必死に呼びかける。

 

「どうした!? 何があった!?」

 

「アインズ様、申し訳ございません、私がしっかりしていないばかりに御心労を……」

 

「質問に答えよ! 何があった!?」

 

「アインズ様、アルベド様、ご心配なく。彼女たちの命に別状はございません。しばらく安静にしていれば回復いたしますし、彼女たちもそれを知らされています」

 

 そういう料理長自身、よく見ると体調がおかしいらしく、細かい震えが止まらない様子だった。

 

「料理長として説明させていただきます。アルベド様はご存じないことですが、昨日の食事の後、アインズ様が新たな食事の用意を御命じになったのです。しかしアインズ様は、単なる食事をお望みではありませんでした。アインズ様は、まがまがしくも美しい、支配者としての威厳あるオーラをお出しになったまま命じられたのです。これが意味するところは一つ」

 

「なるほど、分かったわ。味覚と言えば一般的には、甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の五種類。これはアインズ様の感じることができないもの。でもアインズ様でも感じることのできる『味覚』がある。それが『辛味』だと言いたいのね」

 

「おっしゃる通りです。『辛味』は味覚あつかいされていますが、実のところその本質は味覚ではなく、痛覚。『辛い』とは『口の中が痛い』という刺激をあたかも味の一種であるかのように感じているということです。

 

 そしてアインズ様は態度でお示しになったのです。『お前の料理には、私でも感じることのできる辛さという要素が欠けている。次の食事ではそれを示せ。そして私は偉大なる支配者として、無効化特殊能力を切るつもりはない。そんな私に辛味を、すなわち痛みを感じさせることができるか?』と」

 

(いやいや、そんなこと全然考えてないって! ……試しに無効化切ってみるか……うわ、痛! 痛い痛い痛い! 何だこれ! 普通にダメージ入るぞ! もう食べ終わってんのに口中痛いぞこれ!)

 

「アインズ様に痛みを感じて頂くにはどうすればいいか。辛い料理と言えば四川料理。その特徴は痺れるような辛さ。すなわち、麻痺毒でございます!」

 

(ん?)

 

「そこで私は、パンドラズ・アクター様にご協力いただき、ヘロヘロ様の姿に変身していただきました。そして召喚していただいた高位のスライムが分泌する麻痺毒を、食材として活用して料理を仕上げたのです。残念ながらある程度の瘴気がもれるのはやむをえない仕儀でございまして、レベル1の一般メイドの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。避難するよう申し上げたのですが、仕事の最中に持ち場を離れるなどもってのほかだと、皆さま口をそろえて仰せになりました。この室内にたちこめる瘴気にはさすがに耐えられなくとも、せめて廊下には立っていたいとおっしゃるのです」

 

(ええー…………)

 

 この世界に来て何度目かのドン引きをしているアインズが改めて確認すると、確かに室内に立ち込める瘴気はレベル1では耐え難いであろうものだった。ふと先ほどのことが気になった。

 

「話を戻すが、おかわりと……」

 

「はっ! ただちに」

 

「いや、そうではなくて、おかわりのとき何か話そうとしていたな、パンドラズ・アクターよ?」

 

「はい。料理長の体がもたないと思われますので、ここは止めるべきかと言おうとしました。すでに料理長の体には調理中に吸い込んだ毒が回り、全身麻痺で立っているのがやっとのはずです」

 

「私は構いません! 料理こそ私の存在意義! 私が倒れた後は副料理長たちが立派に跡を継いでくれることでしょう」

 

 軽い気持ちで口に出した言葉が波紋どころか大波になって広がってしまったのを悟ったアインズは、どうにかこの場をごまかすために料理長に歩み寄ると、その肩に手を置いて語りかけた。いままでの経験上、ボディータッチをするとシモベたちは冷静な判断力を失い言いなりになる傾向があると分かっていたからだ。智謀の王というよりは錦糸町の女王のテクニックである。

 

「見事な忠義である! おかわりがほしいと言ったのは嘘だ。お前の忠誠心を試したのだ。そしてお前は私の期待に応えて見せた」

 

「……アインズ様……もったいないお言葉、感謝のしようもございません……」

 

 至近距離で二人は見つめ合った。アインズの口から吐息が漏れた。その吐息には高濃度の瘴気が含まれていた。料理長は最初は感激で震え、次に瘴気で震えて倒れた。

 

 アインズは慌てて袋を取り外し、アルベドとパンドラズ・アクターに救護活動を命じた。二人の的確な指示で、料理長と一般メイドは速やかに担架で運ばれていった。

 

 負傷者が全員担架に乗せられたのち、遅れて一つの担架がやってきた。

 

「ん? これは何だ?」

 

「私が自分で呼びました、アインズ様」

 

 そういうとアルベドは、さっきまでアインズの体に納まっていた袋を手に持ち――また飲み干した。そして痙攣して恍惚の顔で昏倒したので、よりR-15っぽさが加わった。

 

「腕を上げたわね」

 

「ありがとうございます」

 

 アルベドと料理長は並んで運ばれていった。

 

 

◆◆◆

 

 

 料理長も一般メイドも、体調不良で仕事ができないことに悔し涙を流していた。至高の御方にお仕えできない申し訳なさでいっぱいだった。

 

 しかしそんな彼らに、ナザリック初の有給休暇が適用されることになった。

 

 休んでいるのに給料が出る、すなわち、今回のこれは休まず仕えているものと見なすので気にするなという、至高の御方の想像を絶する寛大さに皆は感動した。

 

 一般メイドたちがユグドラシル時代の至高の41人の言動をもとに話し合ったところ、この「有給休暇」という斬新な制度を最初に発案し口に出したのは、一般メイドの創造主の一人、ヘロヘロであるという結論が出た。

 

 レベル1の一般メイドであれば、今回のように不測の事態で休まざるを得ないこともありうる。休むことはシモベにとって大きな苦痛に他ならない。その心労をやわらげるためには、形式上であれ「休んでいない」ということにすればよい。こうしてヘロヘロは有給休暇という制度を考案したのであろう、と皆は考えた。創造主の偉大な愛に触れた思いがして、メイドたちは嬉し涙にむせんだ。

 

 ヘロヘロの考えを、アインズが実現した。去ってしまった至高の御方々との間に確かなつながりを感じて深く心を動かされ、ともかくもナザリックのシモベたちは有給休暇制度の意義を彼らなりに理解した。



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