なので書きました。長くてごめんなさい。
吸い込んだ息をゆっくりと、しかし力強く吐き出す。冬の凍てつく空気の中、吐息は白く浮かび上がった。息を吸い込み、吐き出す。この簡単
「呼吸は常に一定――」
十分間息を吸ったなら、十分間吐き続ける。決して呼吸のリズムを崩すな、と最初に師匠に言われた。十分間ってのはさすがに極例だと思うけど。
「水に波紋を起こす様に『肉体』に波紋を起こす」
コォオオオ、と一際大きな呼吸をすると、俺の体は淡く山吹色に光り出した。
これこそが『波紋の呼吸』。師匠が教えてくれた、鬼を滅するための『特別』な呼吸法である。
○
師匠は鬼を斬る剣士を育てる『育手』であり、俺が9つの頃から厳しい修行を課せてきた。
やれ呼吸を矯正するためと言い横隔膜を小指で突かれたり、やれ一日中『波紋の呼吸』を保てと、寝てる時でさえ呼吸を忘れれば叩き起される。
そんな毎日を送っていれば、自ずと修行の成果は出てくるもので。開始から2年目が終わる頃には、波紋のスパークで師匠の右腕のうぶ毛を全部抜くくらいに成長していた。
そして3年目、初めて刀を渡される。
曰く、鬼を倒す方法は二つ。
一つは太陽の光。日光に照らされた鬼はたちまち灰となり、崩れ去ってしまうそうだ。『波紋の呼吸』が作り出すエネルギーも同じ性質を持つらしく、波紋を流された鬼はたちまち灰と化すらしい。
もう一つの方法は日輪刀――特別な鋼で造られた刀――で鬼の頸を断つこと。腕や脚では意味がなく、頸を斬り落とした時のみ骨も残らず鬼を殺せるらしい。
波紋法さえあれば生身でも鬼を倒すことは可能だが、基本的に日輪刀を用いて戦えと言われた。
理由は刀の方が広く間合いを取れるということ、そしてなによりも、日輪刀の原料である『猩々緋砂鉄』と『猩々緋鉱石』は陽の光を吸収する特殊な鉄であり、波紋の力を倍増させるらしいのだ。
それから一年は手に真っ赤な剣ダコを作りながら、刀の扱い方を叩き込まれた。刀を自分の手足と思え、自在に波紋を流せるようにしろ、と手だけではなく耳にもタコができそうなほど聞かされる。
そして四年目には型を覚え、かなり精密な波紋の操作ができるようになった。ぎこちなかった剣術も、ようやく様になってきたと思う。
明けて五年目――ついに師匠に、わしに一太刀でも入れれば最終選別に行くことを許可する、と言われる。だが師匠、明らかに強すぎた。来る日も来る日も師匠に挑むが、語るまでもなく叩きのめされる。
それから俺が何をどう改善しようとて、師匠には届くことはなかった。
師匠――
「よく五年もの間こんな荒行を耐え抜いた……」
師匠はさも嬉しそうに目を細める。頬に薄く刻まれた線から、すっと紅い雫が落ちた。その傷が、俺の五年間の成果だった。
「最終選別に行くことを許可する。必ず生きて戻れ」
鬼殺隊――鬼狩りが集まる組織――に入るには最終選別の突破が必要。そこで命を落とす子供も少なくはない。
いつになく真剣な顔付きの師匠に、勿論です、と俺は答えた。
○
最終選別が行われる『藤重山』――。
藤の花が咲き乱れる石階段を登れば、俺と同じように
中でも、狐の面をした少女に目を引かれた。か細い体をしていて、失礼なことだが、あんなに小さな子も受けるのか、と考えてしまう。
しばらくして、二つの人影が現れた。二人とも小さな子どもだ。しかし、奇妙なほど瓜二つの外見を有しており、少しの薄気味悪ささえ覚える。唯一の違いは、髪色が白か黒かってくらい。
その二人は鬼殺隊の関係者なのか、最終選別の説明をし始める。
なんでもこの藤重山には、
その中で7日間生き抜く。それが最終選別の合格条件であった。
一通り話し終えた双子が、最後に言葉を重ねて言う。
「では、行ってらっしゃいませ」
〇
山の中に入ると、空気は一変した。
空気が淀んでいる。それに、風が仄かに鉄の臭いを運んでくるのだ。曖昧な嫌な気配を感じ、本能が危険だと警笛を鳴らしている。
最終選別……。想像よりも、厳しい戦いになりそうだ。
藤重山の地理に理解があるわけもなく、山勘で適当な方向へ歩を進めてからほんのちょっと経ったときだ。修行の成果は意外とすぐに出た。
(これは……ッ!)
生命の振動が地面を伝わり、足を伝わり、体に伝わる。
師匠の下で修行をしていた頃は気づかなかったが、俺の体はすでに、生命探知機となっていた! そしてこの振動の正体はッ!
「キヒヒーーッ! 久しぶりの人肉だせェーーーッ!」
近くの草むらから、そいつはだらしなくヨダレを垂らして飛び出してきた。まるで知能がないように血走った目に、肉を裂くための鋭い牙と爪。それは間違いなく、『鬼』であった。
初めて目にする鬼の姿に、少なからず恐怖があった。だが怯む己を一喝し、俺は深呼吸を挟む。勇気を持て、俺!
「『勇気』とは『怖さ』を知ること。『恐怖』を我が物とすること……ッ!」
思い出すのは師匠の口癖。それを反復動作のように唱える事によって、俺の感覚は一気に開く。
「脳ミソを指ですくい取ってやるぜェーッ!」
下衆な笑みを浮かべて襲い掛かってくる鬼に、もう恐怖はない。俺は素早く日輪刀に薄い波紋を流し、抜刀術の動きで迫りくる腕を切断した。
驚愕の色に顔を染める鬼を尻目に、淀みない動きで刀を上段に持っていき、息継ぎを挟んだ。
こォオオオ、とドでかい呼吸音が辺りに鳴り響く。日輪刀が太陽のような輝きに包まれた。
〝 波紋の呼吸 日ノ型、山吹色の波紋疾走〟
振り下ろされる刀に慈悲はなく、鬼は真っ二つに袈裟斬りにされる。地面に転がった鬼は、なお驚愕していた。
「い、
波紋は切断面から完璧に鬼へ通った。体の崩壊は止まらず、瞬く間に鬼は消え去った。
今回の独自設定
・日輪刀で波紋倍増
日輪刀を使いたいがための理由付けです。許してください、なんでも(略
・生命探知機
ワインはどうした、ワインはァ〜ッ!
大正コソコソ噂話
主人公の名前は
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手鬼
闘う気はなかった。いや、正確に言うなら、勝てる気がしなかった。
あれから鬼を数匹、危なげなく斬った後。一際大きい生命反応を追ってみれば、手がいっぱいある鬼がいた。
だが、確かにそいつは強い。これまで斬ってきたヤツとはまるで迫力や気配が違う。何十人もの人間を喰らってきたのだろう、吐き気を催す、鼻を塞ぎたくなるような腐臭が漂っている。
本当に、闘う気はなかったというのに――。
そんな鬼と戦っている少女がいたのだ。狐の面を付けた、花柄の服の少女。たしか最終選別の前に見かけたのを覚えている。
それ自体は問題なく、問題なのはそれまで素早い動きで鬼を翻弄していた少女の動きが、突然悪くなった事だった。
鬼が何かを
体が勝手に動いた。
〝 波紋の呼吸 風ノ型、生命磁気への波紋疾走〟
そのまま俺は少女の前へと躍り出て、横方向へ刀を一閃。同時に日輪刀に吸い寄せられた落ち葉を一気に解放した。
風の型は、生命が微量ながら持っている磁気を波紋で強化する。今回は落ち葉にそれを流し、金属である刀にくっつけたのである。
生命磁気を元に戻し、磁気を失った木の葉は俺の前方へと舞い上がる。ただの木の葉では、鬼の攻撃など防ぎようがない。しかしこれは波紋が通った木の葉。前方に舞い上がった木の葉たちは最早、即席の対鬼用壁だった!
「お、おれの腕が溶けていくゥ! GUAHHHH!」
少女の隙をつき攻撃してきた鬼の腕は木の葉にぶち当たり、無残に溶け落ちていく。流石にこれくらいの弱い波紋じゃ消滅してくれないようだが。
「ここは俺に任せて、君はそこに倒れてる少年を連れて逃げろ」
俺は木の傍で血を流し倒れている少年を
「誰だお前はァ! そしてこの燃えるように痛みはなんだッ!」
手鬼――手がたくさん生えているから――の喚きを、答える必要はないなと吐き捨てると、狐面の少女が一歩前へ出た。よく見れば、構える刀は小さく震えている。恐怖の震えではなく、怒りの震えだ。
「この鬼は――私に斬らせて」
少女は静かに言い放った。ふと、鬼が何かを囁いてから彼女の動きが悪くなったのを思い出す。察するに、この鬼と少女には何かしらの因縁があるのだろう。
「分かった。なら俺は――」
〝波紋の呼吸 雷ノ型、仙道波紋疾走 〟
なんの前触れもなく、俺は刀の
「ドギャーッ! 何故この攻撃が分かったッ!?」
生命の振動を感じ取れる俺に、地面からの攻撃は効かない。そしてこの鬼の頸は少女が断つというのなら――。
「俺が道を斬り開く」
それを合図に、俺は一気に手鬼へ肉薄する。波紋の痛みを思い起こした鬼が、ひどく顔を歪めた。
「く、来るなッ! 来るなッ!」
さっきから同じ攻撃しかして来ないところから、どうやらこの鬼の攻撃方法は腕を伸ばすことだけらしい。接近してくる数多の腕を、波紋を込めた刃で順々に斬り落とす。手鬼が短い悲鳴をあげた。
「今だッ!」
一通り腕を斬り飛ばして、叫んだ。瞬間、少女は素早く肘から先がない鬼の腕を登り、すぐに自分の間合いに頸を捉えた。
少女が両腕を交差させる。ヒュゥゥゥという風が逆巻くような音が響いて――型が繰り出される。
〝 水の呼吸 壱ノ型、水面斬り〟
水平に振るわれたその水色の日輪刀の軌跡に、俺は波を幻視した。まるで手鬼の頸へ吸い込まれるように、刀は一直線に進む。師匠が呼吸は他にもたくさんあると言っていたが、これが『水の呼吸』……。
その直後、ガギィインッという甲高い音が周囲に響き渡った。
「嘘……。この鬼の頸、硬すぎる……っ!」
単純に力が足りなかったのか、刃が、首の皮一枚のところで止まっている。あれでは並外れた生命力を持つ鬼は死なない。
「私じゃ…斬れない」
少女の水色の瞳から、涙が零れ落ちた。悔し涙だった。みんなの仇を取れなかった、と。鱗滝さんを
「いや、斬れたよ」
俺の日輪刀の切っ先が、少女の日輪刀の
「君が斬ったんだ」
そう言うと、少女はまた泣いた。勝ったよ、もう安心していいよ、と誰かに語りかけるように。この山に他にも鬼がいるということさえ忘れ、安心しきった表情で、泣いた。
今回の独自設定
・生命磁気への波紋疾走
手から落ち葉へ、が刀から落ち葉へに変わっております。主人公が刀を手足と思えと教え込まれたのはそのためです。
・銀色の波紋疾走
手から金属へ、が刀から金属へに変わっております。主人公が刀を(略
・仙道波紋疾走
手から壁へ、が刀から水と金属以外の物に変わっております。主人公(略
大正コソコソ噂話
手鬼の声はDIOとそっくりなんだって! WRYYYYYY!
後書き
真菰と錆兎、どちらかと同期にさせたいなーと考え、真菰が可愛いからという理由で即決しました。真菰と錆兎はどっちが先に最終選別を受けたのかな?
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色変わりの刀
大型の異形は完全に灰となり、風に散った。少女の
手鬼にやられたのか、血を流し地面に倒れている少年の傷を波紋で治癒していると、泣き止んだ少女が近寄ってくる。その目は随分と腫れて赤くなっていた。
「もう大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫。さっきはありがとう」
少女はそう言い、にっこりと笑った。戦闘時と印象がかけ離れているが、どちらかと言うとこっちが少女の素なのだろう。その笑みは驚くほど自然で、狐の面に
「そこで提案なんだけど」
唐突に少女が話を切り出した。数瞬の間のあと、笑顔で少女は
「せっかくだから協力しない?」
と申した。そっちの方が生存率も高いと思うの、と。
ほー、へー、ふーん。え? それってありなの?
だが確かに、と思う。確かに、あの双子からは団体行動が禁止などとは伝えられていないのだ。この場において、禁止されていない全ては許可されていると同義だった。
かくして、俺と少女、そしてぶっ倒れていた少年は共に最終選別を突破することとなる。
そして七日目、早朝――。
朝焼けの姿を拝み待機場所に行けば、そこには俺たちを含めたった4人しかいなかった。最初は確かに20人近くいたはずなのに、あまりにも生存率が低過ぎる。最終選別の過酷さを痛感した。
「お帰りなさいませ」
双子が祝いの言葉を、全く感情の込められていないような声色で告げる。生気が感じ取れないあの瞳は、何度見ても不気味に思う。
それから双子は、鬼殺隊に関する説明を行った。隊服の支給や階級について、日輪刀を造る玉鋼を選んでもらうなどだ。
「さらに今からは、
双子がそう言うと、カーッ、カァァとやかましい鳴き声をあげながら、真っ黒な鴉が飛んできて、それぞれ4人の傍に寄ってくる。
そう、真っ黒な鴉が――って、これ鴉じゃなくね? 毛なんて黒じゃなくて灰色っぽいし。つーか思いっきり
他の3人の肩には通常の鴉が乗っているというのに、なぜだか一羽だけ色違いで大きいやつが俺のところに飛んで来た。こんなに大きいの肩に乗せられないでしょ……。
「ケケケケックァ~~ギャギャギャックワァ~」
ほら、この特徴的な
「ヨロシク! オネガイ!」
上機嫌そうに
「ではあちらから、刀を造る鋼を選んでくださいませ」
双子が指差す先には、こぶし大の石ころのような物が並んでいた。あれが日輪刀の原料なのだろうか……?
「鬼を滅殺し、己の身を守る刀の鋼は御自身で選ぶのです」
その言葉に、ゴクリと喉を鳴らす。そんなことを言われても、どう選べばいいのか分からない。暫く動けずにいると、少女――
「どれも同じに見えるから、どれでもいいかなって」
次に、細身の少年――この7日間行動を共にした
そして最終選別を突破したもう一人、全身の筋肉が凄い大漢が無言で端の方にあった玉鋼を掴む。この人怖い。
最後に、余った数個の玉鋼を眺めて俺は頭を悩ませる。皆、自分の勘を頼りに取ったらしいが、やっぱり命を預ける物は慎重に選びたいのだ。うんうんと唸っていると、良いことを思いついた。
波紋と一番相性がいいのにすればいいんだ、と。
○
最終選別から、十五日ほどが経った日。その男は、風鈴の音と共にやって来た。袋に包まれた刀を背負った、
「俺の名は
その男は、少し風変わりな性格をしていた。
「日輪刀はな、別名『色変わりの刀』と言って、持ち主によって色が変わるんだ。正直、理由とかは刀鍛冶の俺にもわからねえがな」
背負っていた刀を下ろし、鉄仙が言う。
「俺の打った刀が、どんな色に染まるのか見るのが楽しみでなぁ。さあさあ速く刀を抜いてみてくれ」
受け取った刀を、鉄仙に急かされ抜き放つ。するとすぐに変化が訪れた。
なんとも不思議な光景だった。元は鋼色だった刀身が、
「これは……ッ!」
その場にいた師匠が驚愕の声を漏らす。俺は呆気に取られ、鉄仙は恍惚とした表情でその刀身を眺めていた。
「なんとも美しい山吹色! まさしく太陽の色じゃッ!」
今回の独自設定
・鎹鴉が鷺
善逸の鎹鴉が雀だったので、主人公にもなにか他の鳥を採用しようと思って付けました。なぜ鷺なのかは作者の書いている他の小説に鷺が出てくるからです。
大正コソコソ噂話
同期の男二人のどちらかの名前は山田にするよ! 馴鹿と山田、トナカイとサンタ……。
後書き
真菰の苗字って鱗滝でいいんでしょうかね?
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海坊主
だからというわけではないですが、今回はいつもの2倍くらい長い戦闘回です。
バサッと大きな羽音と共に、その鳥は開け放たれた窓から侵入してきた。この鳥の名は『
鶴のような美しい容貌をしたそいつは、俺を見るなりさぞ楽しそうに「カカカカ」と不快な音を鳴らす。
こいつが来るってことは……、と嫌な予感が過ぎり、顔が引き攣るのがわかる。
「馴鹿五巳! 初任務! 初任務!」
やっぱりー!
〇
神奈川、鎌倉――。
その町では毎夜毎夜、魚を捕りに出た漁師が姿を
漁夫はすっかり怖がっちまって昼しか仕事ができねえ、というのが
さすがは古くは幕府が置かれた場所ともあり、昼間の町は人通りも多く、かなり賑わっていた。江之電なる路面電車も走っており、見たこともない光景にはしゃいでしまったのはご愛嬌。
兎角して日が暮れる。夜、場所は打って変わって舟を漕いで相模湾の沖へ。
早くも俺は、生命の振動を感じていた。
――だがしかし、困ったことに正確な位置が分からないのだ。
ここは海、当然下はすべてが水で出来ている。生命の波紋が広がり過ぎて、正確な位置が捉えにくい。
そして何より、俺が立っているのが舟の上だという事。波で揺れるこの舟の上、とても海坊主の場所を特定することなどできそうにない。
つまり俺はヤツが近くにいることしか分からず、どこから襲ってくるのか見当もつかないわけだ。
夜の海は静かで、聞こえるのは
そいつは海の中から、突然姿を現す。一直線に、がむしゃらに迫ってくるその姿に、俺は内心ホッとしていた。
わざわざ海に潜んで人を襲うというので、いっときはどんな狡猾な鬼かと心配していたが、俺に向かって単純に突っ込んでくるこの動き。意外と頭がないんじゃあないか? と。
だがそれは、俺の早とちりであったと知る。
なんとその鬼は、俺に攻撃を仕掛けるわけではなく、スライダー気味に降下して海の中へと戻っていったのだ。一瞬、呆気に取られる。
(なんだ? 姿を見せておいて、一体何がしたかったんだ?)
頭の中が疑問符で埋め尽くされる中、答えはすぐに分かった。
「な、何ィーッ!」
船底を突き破り、鬼の腕が生えてきたのだ。予想だにしない下からの攻撃に、俺はすべてを理解した。
この鬼が最初に姿を見せたのは、私はこうやって攻撃するんです、と俺に思わせるため。本命は周囲を警戒している俺の不意をつく、この下からの奇襲だったのだ。
拙いと思った時には既に遅い。刀を抜いていない今、この不意打ちを防ぐ手立てはない。
「うぉぉおおおーーーッ!」
瞬間、鬼の鋭い鉤爪が振り抜かれる。咄嗟に後ろに跳ぶも、間に合うはずもなく足に焼けるような痛みが走った。
痛みが、この鬼に対する恐怖が、徐々に呼吸を乱していく。
拙い、本当に拙い。足の傷は幸い致命傷ではないらしいが、波紋の呼吸が維持できなくなればどの道俺はコイツに喰われる。
「『勇気』とは『怖さ』を知ること。『恐怖』を我が物とすること……ッ!」
そうだ、その通りだ。恐怖なんかに呑まれるな、俺……!
自身を鼓舞し、冷静を取り繕う。こォオオオ、という呼吸から生まれる音が静かな海に響いた。
この鬼はまさに縦横無尽。どこから攻撃が飛んでくるか察知することはできない。ならばと俺は山吹色の剣を抜き放ち、中段に構えた。
さあ来い、海坊主ッ!
「うっしゃああアアーーッ!」
大きな水飛沫と共に、そいつは攻撃を仕掛けてきた。場所はやはり後方。俺の隙をつく気だろうと予想が出来ていた分、先程よりも数段速く反応できた。
〝波紋の呼吸 日ノ型、山吹色の波紋疾走〟
刀に込めるは太陽の波紋。日輪刀が眩い光を纏い、振り向き際、遠心力を利用した右薙を喰らわせる――ッ!
「な――ッ!」
刹那、その鬼の狡猾さを思い出す。果たして賢い鬼は攻撃の瞬間、大きな雄叫びを上げ、大きな水しぶきを立てるだろうか?
そう、つまりコイツはわざと、自分の位置を知らせた。
その鬼は突然、口に含んでいた何かを吹き出した。俺がそいつを視界に入れた瞬間、タイミングはばっちしだったと言える。
血気術――鬼がもつ不死性や怪力とは別に、各個に発現するいわゆる『異能力』があると、師匠が教えてくれた。その能力は多種多様、気をつけてかかれ、と。
咄嗟に防ごうとしてしまった。その透明な液体を、鬼の血気術と思い込んで技を止めてしまった。
それこそが鬼の狙いと気づかずに、まんまと策にはまってしまった。
夜空に鮮血が舞う。遅れて痛みがやってきて、それが自分の血だと気づいた。先程よりも深く、胸を切り裂かれている。
「ケケケ……! ただの海水に気を取られやがったぜ、コイツ!」
舟に乗り上げたその鬼は、倒れ込んだ俺を嘲笑う。
頬に冷や汗が伝った。間違いない、コイツ……闘い慣れている。
固よりこのだだっ広い大海原に置いて、ポツリと浮かぶ舟は鬼にとって格好の的であった。その点、海を闘いの場とするこの鬼の『やり方』は、狡猾さの表れと言えよう。
となれば……。
舟から降りるしかないッ!
「ハッ、そうすると思ったぜッ!」
舟の上から逃げる俺に、鬼はそう言い切る。
おそらくだが、この鬼は既に水の呼吸の使い手に出会っていたのだろう。水の呼吸には水中でこそ本領を発揮する型がある、と真菰が言っていた。
しかしそんな闘い慣れした鬼でさえ、水面に立つ男は初めて出会った!
「お、お前、なんだそれは!」
刀を使って水面におこした波紋エネルギーと体内の波紋エネルギーは、あたかも磁石の同極どうしのように反発し合う。
俺はそれを利用し、水面の上に立っていた。
「海の上は却って見通しがいいぞ! 海坊主ッ!」
盲点であったが、水は透明。近づいてくる鬼は容易に視認が可能である。遮蔽物のない海は、俺にとって絶好の戦場であった。
「か、勝った気でいやがって〜ッ! これでも喰らえェいッ!」
予想の遥か上を行かれたのはこれで何度目だろうか。その鬼の機転の良さはもはや、敵ながらあっぱれであった。
そいつは信じられない事に、舟を持ち上げたのだ。
「ぶっつぶれよォォッ」
誰が舟が落ちてくるなど思うだろうか。それを避ける術はもはやただ一つ、海中を潜る事しか残されていなかった。
俺はせめてもと大きく息を吸い込んで波紋を解く。当然身体は海に沈み、景色が変わる。
直後、視界一面が泡に覆われた。
舟の攻撃でダメージを受けなかった事はでかい。しかし、それ以上に、海の中へ引き摺りこまれてしまった。
此処はまさにヤツの独壇場。
鉤爪を使った攻撃の瞬間、俺は見た。ヤツの指と指の間には水掻きがあったのだ。アレと鬼特有の怪力を駆使して、水中でも高速に移動することが出来るのだろう。
俺の瞳が海中を動く影を捉える。
流氷上のアザラシを狙う
ヤツは確実に俺を仕留める気だ。俺も、腹を括るしかない。
攻撃の瞬間、ヤツが最も俺に接近した時、体内に残された波紋を全て一気に放出するッ!
勝負は一瞬。来るか来るかと五感を研ぎ澄ます。
そしてついに、ゴボッと一層大きな泡と共に、矢の如き勢いで影が来る。
〝波紋の呼吸 水ノ型、青緑波紋疾走〟
体中の血液に残された酸素を燃やし、波紋のひとつひとつを練り上げる。刃を走る波紋エネルギーは淡く海色をしていた。
(たやすいぞッ! 波紋が水中を伝わるのは!!)
生まれ出た波紋は刀を一振りすると同時に水中を伝わる。このまま進めば鬼の身体は真っ二つになるだろう。
――だがしかしッ!
水の抵抗により、少なからず剣速は鈍る。その一瞬が、鬼に回避の隙を与えた。
「うおおおおおおッ!」
鬼はその秀でた危機察知能力を存分に使い、水中を伝わる『波紋』と同じ早さで一瞬早く水上へ泳ぎ逃れたのだ。
波紋疾走は少しかすっただけに終わった。
しかし、このまま逃がしはしない!
「逃がすかァァァーーッ!」
遅れて俺も水上へ飛び上がり、水面を蹴って跳躍する。その時足の傷に痛みが走り、顔を顰めた。
それが悪かった。足に上手く力が入らず、思ったより跳べていない。あと僅かなのに、鬼を間合いに捉えきれなかった。
「俺は生きる! 何がなんでも生きるッ!」
「届けェェーーッ!」
腹の奥から響くようなコォオオオという呼吸音が木霊する。日輪刀が太陽の光を纏った。
〝波紋の呼吸 日ノ型、山吹色の波紋疾走・伸〟
渾身の力で振り抜いた刀は、やはり僅かに鬼には届かない。しかし、その瞬間、俺の腕が手元でぐんと伸びた。
紙一重で触れた刃はそのまま鬼の頸を断ち切り、頭が
(こ、コイツ、関節を外しやがった……ッ!)
鬼の身体が水中へと落ち、水しぶきと波紋を作る。
夜の海に、ささやかな静寂が戻ってきた。
今回の独自設定
・生命探知、舟の上じゃ弱い
主人公をピンチに陥らせたかったんです……。
・青緑波紋疾走
手から水(略
・山吹色の波紋疾走・伸
伸びちゃった。痛みは波紋で和らげるため、刃に走る波紋力?は弱くなります。
大正コソコソ噂話
舟をぶっ壊された五巳はこの後歩いて帰ったよ! 足を怪我してるのにね……。
後書き
なんだか今回漁師を怖がらせちゃいましたが、作者は鎌倉大好きです。あの道の狭さが堪らなくベネ!
一旦鬼殺を挟んだところで、次回からは何かストーリーでも考えてみます。
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