コンプレックス・ラブ (シママシタ)
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第1話

同人誌にするか迷っている作品ですが、取り敢えず最初の数話を投稿して、気分が乗らなかったらこのままネットで連載する予定です


 初夏の太陽が内浦をジリジリと照らす。今さっき冷房の効いた家から出たばかりなのに既に額から汗が流れ、制服が汗で張り付く。

 眼下に広がる駿河湾の青い海は太陽の光が反射してまるで宝石のように光る。今年も沢山の人がこの綺麗な海に遊びに来るだろう。そして、海を目前に佇む私の家もとい旅館十千万に宿泊するお客様で賑わう。そうなれば私も手伝いを強要される。少し億劫だけど、お小遣いも出るから苦ではない。

 

「そろそろ……来るのかな?」

 

 私、高海千歌は十千万の前である人を待っていた。

 すると、遠くから聞き馴染みのあるエンジンの唸り声が段々と近づいてくる。

 現れたのは青とエメラルドグリーンのツートンに染められたバイクが私の前に停まる。

 そして、夏には不釣り合いの黒い学ラン姿の彼はエメラルドグリーンのフルフェイスのヘルメットを外し、端正な顔を顕にする。

 

「千歌、おはよう」

 

「おはよう、果南ちゃん」

 

 果南ちゃんは初夏の太陽に負けないくらい眩しい笑みを浮かべる。

 果南ちゃんは淡島に住む私の大切な幼馴染だ。

 私を妹にように大切にしてくれて、守ってくれる私のかっこいいヒーロー。

 同年代と比べて高い身長に、モデル顔負けのスラリと伸びた脚。制服の上からわかりづらいがまるでプロボクサーのような筋肉が引き締まった体つきをしている。家がダイビングショップを営んでいるということで果南ちゃんもよく手伝いをしていて、私は曜ちゃんとよく遊びに行くのだけれど、水着姿は本当に凄い。

 そして、特に目を引く珍しい青髪。後ろ髪はポニーテールで纏めている。果南ちゃん曰く、髪を切るのが面倒くさいから伸ばしているとのこと。

 顔つきも正直かなりハンサムで女子から絶大な人気を誇っている。バレンタインデーの時なんか下駄箱が溢れかえるくらいのチョコレートを貰うくらいだ。

 また果南ちゃんのかっこよさは女子だけでなく、男性にも光る物があるらしい。

 去年の修学旅行で表参道を歩いていたらたくさんのスカウトマンに声をかけられたらしい。果南ちゃんは芸能に全く興味がなかったから全て断ったと聞いた。

 そんな人気者の果南ちゃんにはもう一つの仮面がある。それは所謂、不良という立場であるということ。

 不良と言っても飲酒やタバコを嗜んだり、盗みを働いたりと犯罪に手を染めているわけじゃない。少しばかり学校をサボったり、いけない物を持ってきたり、斎より喧嘩を買ってしまうことがあるくらいだ。

 不良でも果南ちゃんは人気があって慕われていて誰にとっても「特別」な人だ。一方で私は何もない「普通」な人だ。本当なら釣り合うことのない二人だろう。学校でもクラスメートから果南ちゃんによく一緒にいることに意外と言われることが多い。

 本来なら果南ちゃんは私の手の届かない場所にいる人。でも、幼馴染という唯一の糸のおかげで私は果南ちゃんと繋がりを持つことができている。

 傍から見ればまるで恋愛ドラマのヒロインみたいな立ち位置。だけど、私は彼女達のように「特別」な何かを持ち合わせてはいない。

 

「しっかし今日は暑いな。ちゃんと水分補給しとけよ」

 

「う、うん!」

 

 果南ちゃんはその大きな手で私のみかん色の髪をクシャクシャと撫でる。少しごつごつしているけど撫でるその手が私は好きだ。

 

「さて、遅刻する前に行くか」

 

「うん」

 

 私の髪からそっと手を放し、果南ちゃんは椅子の下からみかん色のフルフェイスヘルメットを取り出し、手渡す。私は両手で抱えるように受け取り、頭に被る。

 そして、果南ちゃんの後ろに座り、腰に腕を回して、離れないよう大きな背中に体を密着させる。

 

「うっ」

 

 果南ちゃんは小さく呻き声をあげる。

 いつも私が体を密着させる度に呻き声をあげている。私は不思議に思ってどうしたのと理由を聞いても果南ちゃんはただ気まずそうに目を逸すだけ。

 ものすごくもやもやするけど、果南ちゃんの体調が悪いというわけでもなさそうだから最近は気にしないようにすている。

 

「……よし。エンジンかけるからしっかり掴まってろよ」

 

 エンジンをかけると、バイクは勢いよく走り出す。

 風の中を切って走るバイク。

 太陽の熱が反射するアスファルトの上をもろともせずに前に進む。

 右側から吹く駿河湾の潮風が気持ちいい。

 密着する果南ちゃんから仄かに香る汗と制汗剤の匂い。そして、大きく、少し火照った背中は何だか安心する。

 幼い頃、足を怪我をして歩けなくなった時や小学生の時に男子にからかわれて、泣きじゃくった時はいつも果南ちゃんにおんぶしてもらって、家まで送ってもらっていた。

 何回、果南ちゃんの背中を涙で濡らしたことだろう。迷惑をかけたに違いない。それでも果南ちゃんは泣きじゃくる私を背中越しに慰めてくれたことは今でも鮮明に覚えている。

 私はぎゅっと抱き締める力を強める。脈打つ鼓動が速くなる。

 でも、果南ちゃんは運転に集中していて私の変化に気づくかない。



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第2話

 風になびかれていること十数分。私達は母校、浦の星学院に到着した。

 元々は「浦の星女学院」という女子高だったけど少子化によって生徒数が減少。経営の存続が危ぶまれたものの、共学化したことで何とか廃校は免れた。

 私はこの学校にずっと通いたいと思っていた。大好きな内浦にある唯一の学校だし、美澄姉と志満姉が通った高校だから。例え、女子校じゃなくなってもその思いは変わらなかった。

 

「果南先輩! おはようございます!」

 

 ヘルメットを仕舞い、校内に入ろうとするとグランド側から坊主の二人組と金髪ロン毛のいかにも素行が良くなさそうな男子生徒が現れては帽子をとって果南ちゃんに挨拶をする。

 

「おはよう。朝練なんて感心だな」

 

 土で汚れたユニフォームに脇にグローブを抱えた彼らは野球部の部員達だ。

 共学化した年に早速設立した部活であり、無論甲子園出場、さらには優勝を目指し、日々練習に励んでいる。しかし、創立して間もないことから部員が少なく、去年までは僅か八人しか在籍してなかった。その為、果南ちゃんは一昨年と去年、助っ人として野球部に所属し、彼らの夢を叶えるために力を貸した。そのおかげで野球部の人達からは大事な仲間として果南ちゃんはかなり信頼を置かれている。

 

「お前も頑張ってるようだな」

 

「う、うるさい!」

 

 彼は私と同じクラス男子生徒。その身なりの通り、去年の暮れまでは非行に走り、何度も警察にお世話になっていた。そんな彼は学校では問題児扱いで、あわよくば退学一歩手前まで追い込まれていた。

 しかし、そんな彼は成り行きは不明だけどこの内浦……いや静岡でも最強と言われる果南ちゃんに喧嘩を売った。結果は果南ちゃんの圧勝で彼はかなり痛い目を見たらしい。

 その喧嘩の最中、果南ちゃんは彼の非行を繰り返す理由が変わらない日常に退屈していて、刺激を求めているからと見抜いた。きっと本気になれる何かを見つければ彼の素行は良くなると果南ちゃんは言っていた。

 そして、喧嘩で披露した鉄パイプの振り方とナイフ投げが妙に上手かったらしく、もしかしたら野球ができるのではと踏んだ果南ちゃんは彼を野球部に入部させた。すると、彼の野球の才能が開花。それから非行に走ることもなく、毎日練習に励み、今では浦の星野球部を代表する名選手になっている。

 

「おい! 挨拶も肝心だが、グランドの整備をサボっていい理由にはならんぞ!」

 

 彼らの背後からグラウンド整備用のブラシを肩に担いだまるでゴリラのような体格をした三年生が三人に注意をする。

 坊主頭の二人は「今すぐ戻ります」と足早にグラウンドに戻っていく。金髪の男子生徒は果南ちゃんを一瞥すると、他の二人と同様にグラウンドに戻っていった。

 

「あいつもすっかり丸くなったな」

 

 果南ちゃんはしみじみと金髪の彼の背中を眺める。

 確かに果南ちゃんは喧嘩は良くするし、学校もサボることが多いから世間的には不良と見られても仕方がない。でも、不良でありながらも筋の取った行動と言動。喧嘩を売ってきて相手でも救ってしまう器量の大きさや仲間思いなところが果南ちゃんのいいところであり、みんなから慕われる要因の一つだ。

 私も例に漏れず、果南ちゃんを尊敬している。

 

「千歌ちゃん! 果南ちゃん! おはようでございます!」

 

 果南ちゃんの大きな背中を眺めていると背後から重い衝撃がのしかかる。

 私は思わず前のめりになって倒れそうになるが、何とか踏ん張って耐える。

 

「曜ちゃん! びっくりした!」

 

「えへへ。ごめんごめん」

 

 私はゆっくり背後に視線をやる。私の背中に抱きついているのは私のもう一人の幼馴染の曜ちゃん。

 元気溌剌で天真爛漫。誰にでも等しく気楽に、優しく接し、少女のような可憐さと少年のようなかっこよさを兼ね備えた爽やかな顔立ち。そして、跳び込みの特別強化選手に選抜された果南ちゃんと同じ学校の人気者だ。

 

「あっ、梨子もいるじゃないか。おはよう」

 

 私と曜ちゃんが戯れている間、果南ちゃんは私達の後ろにいる梨子ちゃんに気さくに手を上げて、挨拶する。

 

「お、おはよう、ございます……」

 

 果南ちゃんに声をかけられた梨子ちゃんはまるで蒸れた林檎のように顔を真っ赤にしてそっぽを向く。

 梨子ちゃんはこの春、東京の音乃木坂から転校してきた。

 お淑やかで礼儀正しく大人しい。少し、内気な部分もあるけれど、それすらも梨子ちゃんの可愛らしさの一つだろう。そして、ピアノが上手で将来を期待される演奏家でもある。

 

「なぁ、千歌。俺って梨子に嫌われているのか?」

 

 冷めた反応された果南ちゃんは私に不安そうに耳打ちをする。

 素っ気ない態度を取る梨子ちゃんだが、それは愛情の裏返しというもの。実際のところ、梨子ちゃんは果南ちゃんに恋をしている。

 優しく、力持ちな果南ちゃんはか弱い梨子ちゃんのことをよく助けている。内気な上に女子校育ちの梨子ちゃんは今まで男の子と密接に関わったことがなかったそう。

 だからこそ、「特別」な果南ちゃんがとても刺激的で惚れたのだ。

 男前でかっこいい果南ちゃんと乙女で愛らしい梨子ちゃん。少女漫画でよく見るカップリングで正直お似合いだと思う。私なんかよりもずっと……。

 

「そんなことないよ。まだ男の子と話すに慣れていないだけだよ」

 

「それならいいが」

 

 果南ちゃんは頭を掻いて不安そうに梨子に視線を向ける。

 まるで付き合いたてのカップルのようでみかんのような甘酸っぱさを感じる。

 梨子ちゃんの立ち位置が私だったらきっと味わえない味。「特別」な梨子ちゃんだからこそで出せる味で「普通」な私では出せない。

 ちょっぴり悲しいけれど、二人が幸せになれるというなら喜んで身を引ける。それが私の……幸せだから。

 



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第3話

 心は廊下の窓から望める青空と正反対にどんよりとした雲が覆っていた。

 今日は何というかツイていない。朝のニュース番組の星座占いのコーナーでは獅子座の順位は三位とそこまで悪くなかったはずなのに。

 一つ大きな溜息を吐く。

 どうしてこんな気持ちが落ちているのかというと理由は二つある。一つ目は朝から果南ちゃんと梨子ちゃんのお似合いの姿を見て、私が入り込めるスペースが全くないことを悟ったこと。二つ目は秋に行われる文化祭に必要なポスターやら掲示物などの様々な物が入った段ボールを運ばされていることだ。

 特にこの段ボールは大して重くはないけれど両手で抱えるようにしなければ持てないような大きさに加えて、さらに棒状に巻かれたポスターの所為で前も足元も見づらく、歩きずらい。

 これを四階から二階の教室に持っていかなければならないのだが、階段を降りるときは踏み外したり、何かにつまずいたりしないかと何度も冷や汗を掻いた。

 

「後少し……」

 

 でも、この大変な作業ももうすぐ終わる。

 私は既に二回に到着して、後は教室まで真っ直ぐ続く廊下を歩くだけだった。

 しかし、この油断がいけなかった。

 

「うわっ!」

 

 緊張が解けたせいで足元に落ちていた紙に気づくことができず、私はその紙を踏んでしまい、滑ってしまう。

 ゆっくりと後ろに倒れていく。段ボールの中のポスターや紙が宙を舞う。

 咄嗟に受け身を取ろうするも段ボールを両手で抱えているせいですぐに取ることができない。

 脳裏に最悪なヴィジョンは映し出される。思い切り後頭部を堅い廊下にぶつけ、ピクリと動かない私。打ち付けた部分から真っ赤な血がゆっくりと木製の床に広がっていく。

 段々と怖くなってきて、思わず目を瞑る。そして、来るであろう衝撃に備えて覚悟を決める。

 しかし、痛みの伴う衝撃が来ることはなかった。代わりに来たのは柔らかな衝撃。

 

「お怪我はありませんか?」

 

 私は何が起きたのかとそっと目を開き、背後に視線をやる。そこには私の肩を抱いて、心配そうに顔を覗き込む美青年がいた。

 何だろうと染まることのないと思えるくらい黒い髪。エメラルドの釣り目は思わず溜息が出る程凛々しく、引き込まれる魅力があった。

 さらなる特徴の口元の黒子は大人の色気が感じさせる。

 そして、きっちりと着こなした皺ひとつない学ラン。

 

「は、はい!」

 

 まさかの登場人物に助けられ、目と鼻と先にいたことに驚いてしまい、声が上ずってしまう。

 彼は黒澤ダイヤ。この浦の星学院の現生徒会長であり、初めての男子の生徒会長だ。

 まさに生徒会長に相応しい真面目で模範的な生徒。それでいて、成績優秀。文武両道。才色兼備で性格も良しとまさに完璧を擬人化したような人だ。

 その為、女子生徒達から憧れの的となっていて果南ちゃんと同様、絶大な人気を誇っている。

 そんな手の届かない位置にいる「特別」な黒澤先輩が今、私の肩を抱いている。

 恥ずかしさと緊張でさっきから鼓動が狂ったように脈を打って息苦しい。

 

「あ……あの……」

 

「あぁ。失礼しました。偶然、通りかかったらあなたが倒れそうになっていたので」

 

 挙動不審な私を見て、察した黒澤先輩はそっと離れる。

 肩に黒澤先輩の堅い手の感触がまだ残っている。

 

「こんな大きな物を一人で持っていたなんて……」

 

 離れた黒澤先輩はスッと立ち上がると廊下に散らばったポスターや紙を拾い集め、段ボールの中に仕舞う。

 そんなに沢山の物でもなかったため、片付けはあっという間に終わる。

 そして、黒澤先輩は段ボールの箱を両手で抱えて、持ち上げる。

 

「あなたの教室はどこですか? 持っていきますよ」

 

「そ、そんな! 私は大丈夫ですから!」

 

「ですが、またつまずいたら危ないですし。それに結構、力に自信があるので」

 

 助けてもらった挙げ句に荷物まで持ってもらうなんて、流石にそこまでの迷惑はかけられないと私は遠慮する。

 しかし、黒澤先輩は意志は名に恥じないほど固く、段ボールの箱を下ろす気は全くないよう。 

 

「えっと……二年一組です」

 

 結局、私は折れてしまう。

 黒澤先輩は爽やかな笑みを浮かべて歩き始める。私は段ボールの代わりに後ろめたさを抱きながらその後についていく。

 後ろめたさの方がダンボールよりも重い気がする。

 ただ、転んだ場所から私の教室までは大体教室二つ分くらい。そして、黒澤先輩の歩行速度が私の倍近くあるため、教室に着くまでそう時間はかからなかった。

 

「その……ありがとうございます。黒澤先輩」

 

「お気になさらず。生徒の力になる。それが僕の仕事ですから」

 

 教室の前に着くと私は深々と礼を言い、頭を下げる。

 黒澤先輩は段ボールを下ろすと、嫌な顔一つせず、寧ろ柑橘類のような爽やかな笑みを浮かべる。

 女子生徒達に人気がある理由がわかった気がする。

 

「最後に一ついいですか?」

 

「何ですか?」

 

 教室に入ろうとした時、黒澤先輩に呼び止められる。

 何だろう。忘れ物でもしたのかと振り返る。

 

「名前を教えて頂いてもよろしいですか?」

 

「え?」

 

 素頓狂な声が漏れる。

 どうして私の名前なんて知る必要があるのだろうと考えた。

 

「あなたは僕のことを知っている。でも、僕はあなたの名前すら知らない。それって気持ち悪いことだと思いません?」

 

「あぁ。何かわかる気が……する」

 

「僕も生徒会長という大役を任せている身ですから仕方ない部分はありますが……。ただ、そういうのはなるべく無くしていきたいので」

 

 確かに私が知らない人が急に私の噂をしていたり、知らない人に名前を呼ばれたら気味が悪いと思う。

 特に学院という狭い世界で名の知れた存在として生活しているならよくあることなのだろう。

 「普通」な私ではわからない、「特別」な黒澤先輩だからこそ抱く悩みの種なんだろう。

 

「えっと……私は高海千歌です」

 

「高海千歌さんですか……いい名前ですね」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 息を吐くように褒め言葉を吐ける黒澤先輩は何というか人への慣れがひしひしと感じられる。

 きっと色んな人にも今のように褒めたり、喜ぶような言葉をその甘いルックスで投げては女子生徒達の心を奪っているのだろう。

 完璧であるが故に罪作りな人という矛盾した存在なんだろうと私は思った。

 

「では、高海さん。文化祭の準備、頑張ってください」

 

「はい! 黒澤先輩もその……生徒会の仕事、頑張ってください!」

 

 別れ際にエールを送り合うと黒澤先輩は笑みを浮かべる。そして、ゆっくりと廊下を歩いて去っていく。

 私はその黒い背中を見送る。

 

「何か……かっこよかったなぁ……」

 

 それにしても黒澤先輩は噂通りの素敵な人だ。

 こんな私でも助けてくれる優しくかっこいい人だと思った。さらに、愛想もいいなんて本当に弱点が見えてこない。

 人気が出るのも頷ける。

 黒澤先輩に魅力に気づいたところで私は段ボールの箱を抱えて、教室の中へ入り、クラスの皆と文化祭に準備に取り掛かるのであった。



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第4話

 窓の外からは夏の訪れを知らせるセミの騒ぎ声。廊下から少年少女達が文化祭の準備の最中、笑い混じりの騒ぎ声が響く。そんな喧騒をBGMに僕……黒澤ダイヤは生徒会室で一人で淡々と仕事に励んでいた。

 他の生徒会の方々は全員、自分のクラスの準備に励んでいる。

 文化祭は学生にとって青春というパズルを完成させる大きなピースでメインイベントだ。だから、正直なこと言うと生徒会の仕事よりも何倍も大事なことだ。

 クラスメイトと共に汗を流し、思い出を作る。大人に成長してしまったら二度と経験することができないとても大切な時間。だから、他の生徒会のメンバーには僕の手伝いよりも自分のクラスを手伝いするべきと指示した結果、僕はこの冷房二七度の快適な生徒会室に一人で黙々と仕事をしている。

 

「そういえば、高海さん……大丈夫だったかな?」

 

 ふと、ペンを止め、数十分前に偶然出会った高海千歌さんのことを思い出した。

 華奢な体でありながら、重い荷物を一人で持ち運んでいた彼女は廊下を歩いている最中、落ちていた紙を踏んで、転んでしまいそうになっていた。

 あの時は本当に焦った。と言うもの、高海さんが踏んだ紙は僕が落とした書類だったのだ。

 職員室で山積みの書類を生徒会室に運んでいた。生徒会室に着いてから書類を確認すると一枚だけ足りないことに気づき、どこかに落としたのだろうと来た道を引き返していたところ、高海さんの事故現場に偶然目撃したのだ。

 僕が咄嗟に助けに入ったおかげか彼女は目立った怪我をせずに済んだ。でも、実は足をくじいてしまっていたりしていないだろうか。僕が荷物を持とうとしても、遠慮したところを見ると彼女は恐らく気遣いのできる優しい人だ。怪我をしても、きっと心配をかけまいと強がるだろう。それが初対面の人なら尚更。

 

「……考えすぎだ。普通に歩けてたからきっと怪我はしていない」

 

 僕はヒートアップした頭を一旦、落ち着かせる為、深呼吸する。肺に冷たい空気が染み渡る。

 冷静になって僕は一つの違和感に気づく。僕自身が疑問に思うのもおかしいがどうも高海さんのことが異常に気になってしまう。今回の心配具合も血の繋がった妹のルビィと同じくらいかもしれない。

 それにあの一本一本が綺麗に靡くオレンジ色の髪。

 女性特有の甘い匂い。

 張りのある白い肌。

 耳がとろけるような甘い声。

 高校生にしては幼い顔つきに宝石のような赤い瞳で上目遣いしてくる彼女の姿が眼に焼き付いて、今でも鮮明に思い出せる。

 

「綺麗な……人だったな」

 

 彼女の可憐な姿を思い出していると、誰かが生徒会室のドアをノックする。

 僕は慌てて「どうぞ」と言うと「失礼するわ」と綺麗なソプラノボイスと共に彼女が生徒会室に入ってくる。

 

「小原さん。何の御用で?」

 

 まるでシルクのようなきめ細かで美しい金髪。イタリアと日本のハーフということで少し日本人離れした顔立ち。雪のような白い肌はとても美しい。

 彼女は小原鞠莉。彼女はこの学院を買収した小原家の一人娘。そして、学生という立場でありながらこの浦の星学院も理事長も務める異色の存在。

 

「生徒会に目を通してほしい資料があるのよ」

 

 そう言うと鞠莉さんは一枚の紙を僕の前に差し出す。

 彼女はいつもは外国特有の掴みどころのないテンションで振り回す人だが、こういった仕事上の関わりの時は一転して真面目な人になる。

 そういったオンとオフのスイッチに切り替えができるあたり、鞠莉さんもやはり小原家の娘なんだと思う。

 

「なるほど」

 

 僕は紙を適当に流し読む。

 紙には生徒や教員、経営陣からの要望と今年の文化祭から新しく追加された規則や後夜祭についての諸々が記載されていた。

 特に後夜祭の件は個人的にかなり重要なことだ。今年は例年とは違い、キャンプファイヤーを初めて行われる予定だ。しかし、火を取り扱うということで細心の注意を払わなければならない。特に不良と呼ばれる輩が多いため、一人でも危険な真似をすれば馬鹿がその後に続いて、収集が付かなくなり、大事故が起きる可能性も捨てられない。

 この紙には万が一の事を考慮して、薪の量を少なめにしたり、キャンプファイヤーそのものをなるべく短くするといった、安全に行う為に様々な案が書かれている。

 個人的にはこの案は全て飲み込みたいところだが、生徒の中ではもう少し火の量を強くして欲しいと思ったり、個人的なイベントをしたいから長めに行って欲しい人もいる。

 その匙加減を調節するために一度、生徒の代表である僕達生徒会で話し合う必要がある。

 

「わかりました。明日に会議が開いて、他のメンバーと話し合ってみます」

 

「仕事がスピーディーで助かるわ」

 

 そう言うと鞠莉さんは満足そうな笑みを浮かべる。

 そんな彼女を他所に机に置かれたノートパソコンを起動し、早速明日の会議の為の書類の作成に取り掛かる。

 しかし、用が済んだにも関わらず、生徒会室に居座る鞠莉さんが気になって、仕事に手がつかない。

 

「どうしたのですか? 御用が他にもあるのですか?」

 

「いいえ。ただ、今日のあなた……嬉しそうだから」

 

「そう……ですか?」

 

 鞠莉さんは不思議そうな表情を浮かべながら僕の顔を凝視する。

 そんなに変な表情をしていたのか。僕は手元に置いてあったスマホを手に取り、カメラアプリを起動し、内部カメラで自分の表情を確認する。

 確かにいつもに比べれば柔らかい感じはする。

 

「何かいいことでもあったの?」

 

 鞠莉さんはニヤニヤと笑いながら聞いてくる。

 自然と瞳に千歌さんの姿が映る。

 あぁ。確かに高海さんに出会えたことはいいことに違いない。

 鼓動がいつもより速く打つ。

 

「……そうですね。ご想像にお任せします」

 

 はっきりとは言わず、含みを持たせた言葉を聞いた鞠莉さんは笑みを浮かべながら「そう」と一言だけ残して、生徒会室を後にする。

 

「僕も……単純な男だな」

 

 再び、一人になったところでポツリと呟く。

 ずっと頭と瞳の中に居座る高海さんとこの鼓動で僕は気づいた。

 黒澤ダイヤという男は高海千歌という女性に一目惚れしたのだと。

 彼女の可愛らしさとその性格、何より彼女の「特別」な魅力に心を奪われたのだ。



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第5話

 時計の短い針がそろそろ五を指す頃。日は段々と地平線に隠れていき、内浦は茜色に染まる。

 私は正門に寄りかかり、続々と学院から出ていく生徒を横目に果南ちゃんを待っている。

 いくら熱の入る文化祭準備とは言え、そんなに遅くまで残る生徒は殆どいない。というもの内浦は沼津に比べて田舎であるためバスの本数が極端に少ない。その為、一度でも逃すと短くて三十分、長い時は一時間近く待たなければならなくなる。

 だから、バス通学の生徒は乗り遅れないように足早に帰宅していく。

 時より、果南ちゃんと一緒に帰れない時はこの集団に混じって、梨子ちゃんと曜ちゃんと一緒に帰る時がある。

 

「千歌、お待たせ」

 

「果南ちゃん」

 

 でも、今日はその日じゃない。

 後ろから大好きな声が聞こえてきて、私はステップを踏むように振り返る。

 そこには果南ちゃんがバイクを押しながらこちらに向かって来た。

 

「んじゃ、帰るか」

 

 私の前でピタリと止まると果南ちゃんは柔らかな笑みを浮かべ、馴染みのみかん色のヘルメットを手渡し、自身もエメラルドグリーンのヘルメットを被り、バイクに跨る。

 私も果南ちゃんと同じようにヘルメットを被り、バイクの後ろに跨って、果南ちゃんの腰に手を回す。

 

「しっかり掴まってろよ」

 

 準備が整うと果南ちゃんはバイクのエンジンをかけ、勢いよく走りだす。

 果南ちゃんと私を乗せたバイクは唸りを上げながら先程まで私の横を通り過ぎていた生徒達を抜き去り、緩やか下り坂を下っていく。

 

「綺麗な夕陽……」

 

 下り坂を終え、沼津土肥線に出ると目に映るのは紅に輝く夕陽とその夕陽に照らされて輝く駿河湾。

 波に揺れる海面に反射した夕陽はまるで光でできた道のように海岸まで伸びている。

 見慣れている筈の景色だけど飽きることのない美しい景色。

 この景色を写真や絵にして、部屋に飾りたいくらいだ。

 

「……なぁ、覚えているか?」

 

「え?」

 

 美しい景色を眺めてセンチメンタルな気分に浸っていると果南ちゃんが前を向きながら声をかけてきた。

 

「幼い頃、夕陽を見て大きな蜜柑だって言ったこと」

 

「そんなこと言ったっけ?」

 

 私はうーんと唸って記憶の海から引っ張り出そうとする。確かにそんなことを何となく言ったような気がするけど多分、かなり昔の話だから詳しく思い出せない。

 

「確か俺が小学校に入学した年だから……千歌は六歳か」

 

「果南ちゃん。よく覚えているね」

 

「そりゃあ、印象深かったからさ。いやぁ、あの時は腹抱えて笑った」

 

 果南ちゃんは豪快に笑う。

 いくら面白いことだったにしろそんな十年も前のことをよく覚えているなと私は驚いた。

 

「でも、今は綺麗に見えるんだろ? 成長したんだなって幼馴染として感慨深いよ」

 

「……千歌のこと馬鹿にしてない?」

 

 私は頬を膨らませ、ジト目で果南ちゃんの背中を見る。

 

「そんなことねぇよ」

 

「本当?」

 

「俺が千歌に嘘ついたことあるか?」

 

「……昔、コーラにメントス入れたら美味しくなるって言ってたよね」

 

「な、何でその話は覚えてんだよ……」

 

 果南ちゃんはの顔は全く見えないけど、その声色でどれだけ慌てていることがわかる。

 露骨なその慌てように私はクスクスと笑う。

 何の変哲もない普通の会話。でも、私にはそんな何気ない果南ちゃんとの日常がとても幸せな時間。ずっと、こんな幸せな時間がずっと続けばいいのにと思う。

 でも、時間とは無情で幸せであればあるほどあっという間に過ぎ去っていく。

 

「着いたぞ」

 

 体を傾けると、右斜め前に私の家、「十千万」が視界に映る。この幸せな時間が終わるともうすぐ終わると思うと少しだけ気が滅入る。

 しかし、時間は私の我儘を全く聞いてくれることはない。私達を乗せたバイクは減速しながら敷地内に入り、入り口前で停まる。

 私達はほぼ同じタイミングでヘルメットを外す。私は額に流れる汗を拭い、バイクから降りると果南ちゃんにヘルメットを手渡す。

 すると果南ちゃんは「サンキューな」と言って、収納スペースに私のヘルメットを仕舞う。

 

「いつも送ってくれてありがとう」

 

「今更何だよ。俺とお前の仲だろ」

 

 私は礼を言うと、果南ちゃんは私の頭をくしゃくしゃと撫でる。

 相変わらず心地よい感触で思わずうっとりとしてしまう。

 果南ちゃんはニコっと微笑むと私の頭から手を放す。

 

「じゃあね、果南ちゃん。また明日」

 

 別れ際に私は大きく手を振ると果南ちゃんは小さく手を振り返してくれる。

 そして、果南ちゃんに背を向け、家に帰ろうと一歩踏み出そうとした時だ。

 

「……千歌!」

 

 果南ちゃんが私を呼ぶ。

 私は何だろう? 忘れ物でもしたのかと足を止め、振り返る。

 視線の先には果南ちゃんは何か言いたそうに口を開いている。けど、「あぁ」と短く声を出すと何かを呑み込んだように口を閉じる。

 

「……いや何でもない。ちゃんと宿題やっとけよ。じゃあな」

 

 わざわざ呼び止めて悪いなと言いたそう表情を隠すように果南ちゃんはヘルメットを被り直し、再びバイクのエンジンをかける。

 

「ちょっと、待って!」

 

 私の静止の呼びかけは騒々しいバイクのエンジン音にかき消され、果南ちゃんは止まることなくまるで逃げるように去っていった。

 私は段々と小さくなる果南ちゃんの背中を黙って見送ることしかできなかった。

 バイクの騒々しいエンジン音が聞こえなくなり潮風の囁きが私の周りを取り巻く。

 本当は何を言いたかったのだろうか。当然、果南ちゃんがわざわざ呼び止めてまで宿題の心配するほど、心配性でもお節介でもない。寧ろ、時より宿題なんてさせず、遊びに連れて行くような人だ。

 だから、他に言いたいことがあったはず。でも、私には全く見当がつかない。

 

「果南ちゃん……」

 

 幼い頃から私はよく果南ちゃんに相談事をしていた。進路の事や、交友関係のこと。相談をするたびに果南ちゃんは真摯に向き合ってくれた。時には私が果南ちゃんから相談を受けることもあった。

 私と果南ちゃんの間には隔たりというものは今まではなかった。隠し事なんてせず、互いに胸の内をさらけ出せる仲だと思っていた。

 でも、いつの間にか果南ちゃんとの隔たり、隙間ができていた。

 それがとても悲しく、不安だ。

 今までずっと近くにいた果南ちゃんが遠くに行ってしまった。そして、空いてしまった私と果南ちゃんの間に私以外の人がいたらと思うと行き場のない苦しみで胸が締め付けられる。

 別に私が果南ちゃんの隣にいることが必然でも運命でもない。果南ちゃんが私以外の人を置いても仕方のないことだし、受け入れなければいけない。寧ろ、私なんかよりも他の人……梨子ちゃんとかのほうがお似合いで相応しいかもしれない。

 それでも、なるべくでいいから果南ちゃんの隣にいたい。結ばれなくてもいいから大好きな果南ちゃんを感じながら少しでもこの日々を謳歌したい。 

 それが私の切実な思い。

 

「私の思いに……気づいてよ」

 

 あまりの心苦しさに思わず本音が零れてしまう。唇を噛み、スカートをぎゅっと握り締める。いつもよりも視界が滲んで見える。

 いつの間にか夕陽は沈みかけ、辺りは暗くなっていき次第に夜が目を覚ます。

 冷たい夜風が慰めるように私の頬を撫でた。

 



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第6話

 夏の生暖かい夜風が淡島に吹く。

 俺は船着き場で一人、寝転んでは果てまで黒く染まって夜空を眺める。

 街灯のないおかげで夜空に浮かぶ星が街に比べて、綺麗に見える。

 昔から星を眺めることが好きで、悩み事がある時なんかはこうやっていることが多い。そして、自分の悩み事なんてこの夜空に浮かぶ星みたいに小さいことだ。気にする必要なんてないと気持ちを切り替えていた。

 でも、今日のこと……いや、千歌のことに関してはそう簡単に切り替えられるような悩みではない。

 

「畜生……今日も何もできなかった……」

 

 己の不甲斐なさには憎しみすら覚え、グッと拳を握り締める。

 俺にとって、千歌は本当に妹のような大切な存在だ。

 幼い頃からずっと俺の後ろをついてくる雛のような奴だった。

 千歌が俺を本当の兄のように慕ってくれて、必要としてくれたことが嬉しかったり

 でも、俺が中学二年生に上がったくらいから千歌に対する思いや視線が変わった。

 三年間着る予定の為、少し大きめに新調した制服姿の千歌。小学生の時とは比べて、性格も落ち着いてきて、いやらしい言い方だが、体つきも少しずつ大人に成長していた。

 そんな女性らしい魅力が日に日に増していく千歌を俺は妹のような存在ではなく、いつしか一人の女性として認識し始めていた。

 そして、中学三年の秋か。俺は受験勉強に追われていた時、千歌から一つの相談を受けた。

 その内容はクラスの男子に告白された。そして、その告白を受けるべきかどうかということ。

 俺は雷に打たれたような衝撃を受け、目を見開いて絶句した。

 確かに千歌はモテる。その幼さの残る可愛らしい顔立ちで見せる愛嬌のある笑顔は男子の心を鷲掴みにする。

 だから告白されても不思議ではないし、寧ろ今までされてなかった方が異常だ。

 あの時は平静を装うのに必死だった。

 「そんな男よりもお前を幸せにできるから告白を断われ」なんてことは言えなかったし、それどころが俺はお前が好きだなんて男らしいことも言えずただ「自分の気持ちに正直になれ」とつまらない台詞を吐いた覚えがある。

 その後、俺の助言のおかげかそもそもその気が無かったのか理由は不明だが千歌はその告白を断ったと聞いて胸を撫で下ろしたのだが、今覚えば黒歴史だ。

 

「全く。静岡で名の知れた喧嘩番長がウジウジ悩むなんて寒気がするわ」

 

 頭の上の方から聞き馴染みのある声が聞こえ、彼女は俺の顔を覗き込む。

 

「鞠莉……」

 

 視界にもう一人の幼馴染である鞠莉が映る。

 鞠莉は淡島に小原一族が経営している「小原ホテル」を持っていて、千歌と同じようにホテルを自宅として使っている。

 

「他人から売られた喧嘩とか人助けとか、余計な事に馬鹿みたいに突っ込むのにちかっちのことになるとこの様なんて……。私の時とは大違い」

 

 鞠莉は腰に手を当て、呆れた様子で俺を見る。

 

「それは……お前が泣いていたから!」

 

 小原家は世界に展開するリゾートホテルチェーンを経営している名家だ。その為か小原家の教育というのは大層厳しく、ましてや一人娘である鞠莉には将来、経営者というポストに座ることになるためかかなり入れ込んでいた。

 そんな厳しい教育に幼い鞠莉は耐えることが難しく、よく俺のダイビングショップに逃げてきてはよく泣いていた。

 男……いや一人の人間として泣いている女の子を見過ごすわけにはいかず、懸命に鞠莉を励まし、時には鞠莉の両親に食ってかかったこともあった。

 そのかいあってか要注意人物として認定され、尽く鞠莉との接触を拒まれた。しかし、その壁も俺の勝手な道理でぶち壊しまくって鞠莉を檻から救い出した。

 そんな懲りない俺に嫌気が差し、そして、鞠莉の思いを知った鞠莉の両親は次第に教育方針を変えた。その結果鞠莉が涙を見せることは無くなり、鞠莉と両親の関係も今では大分良くなった。

 そんなことがあったおかげで、俺と鞠莉には硬い絆が結ばれていると思っている。

 数少ない親友として鞠莉を信用しているからこそ、千歌のことが好きだということも話しているし、相談だってできる。

 

「……なんでそれがちかっちにはできないのかしら」

 

「それができたら、悩みはしねぇんだ……」

 

 しかし、俺が不甲斐ないばかりに相談する度に鞠莉は深い溜息を吐く。

 いくら無邪気で怖い物知らずな子供だったにしても小原家の歯向かった男が好きな女子になると途端に茹で過ぎた麺のように柔くなって、何もできなくなれば呆れるに決まっている。

 

「……そんなに好きなのね。ちかっちのことが」

 

「そりゃあ……まぁ……」

 

 はっきりと言われると恥ずかしさと照れで妙に体と顔が火照る。

 無意識に鼻を触れながら、言葉を詰らせながら答えると鞠莉は不服そうな表情を浮かべる。

 

「……どうした?」

 

「……ハァ。これだから鈍感ゴリラは」

 

「お、おい! ゴリラってどういう意味だよ!」

 

 鞠莉は吐き捨てるように小さく呟く。

 どう考えても罵倒されているような口振りで少しだけムカッとする。

 

「……あぁ、もうそういうところなのよ! あなたのダメなところは!」

 

 鞠莉は声を張り上げる。

 

「ハァ? 何言ってんのか全然わかんねぇよ! そうか! そりゃあ、喧嘩っ早いのも頭が悪いのも直さなくちゃいけないのもわかってるけどさ」

 

「……もういい」

 

「ま、鞠莉!?」

 

 俺には鞠莉の言葉の意図が全くわからなくて、頭の中にある糸が複雑に絡み合ってしまう。

 グチャグチャになった頭でかろうじて言葉の意図を解釈したのだが、どうやら合っていないらしく鞠莉はもう一度深く溜息を吐く。

 

「そうやって何にも気づかずウジウジと悩んでいればいいのよ! そして、ちかっちにフラれればいいのよ! そして……」

 

 鞠莉は不甲斐ない俺に手痛い言葉を浴びせる。そして、最後に何かを言おうと口を開くのだが、何か思うことがあるような表情を浮かべ、まるでその言葉を飲み込むように口を閉じる。

 そして、そのままクルリと背中を向け、俺の前から去っていく。

 

「おい、鞠莉!」

 

 続くはずの言葉が気になって呼び止めるも鞠莉は聞く耳を持たず、いつしかその背中は見えなくなった。

 船着き場にポツリと取り残され、波と夜の潮風のざわめきが辺りに響く。

 

「わかってるよ。俺だって大人にならなくちゃいけねぇのはさ……。でも……いいや。これは言い訳だ」

 

 鞠莉の言っていることは何一つ間違っていない。ウジウジ悩んでも仕方ないし、きっと千歌もそんな俺を見たくないに決まっている。

 

「何だって恋ってのはこう……難しいんだ」

 

 俺は弱音をポツリと呟き、再び小さな星か瞬く夜空を見上げるのであった。

 



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第7話

 ほんの数分前に降り始めた雨はもう既に校庭に大きな水溜りができるほどの激しさ。

 先程まで、雲一つない晴天だった内浦に空にいつの間にか入道雲が覆い、今では曇天の空模様。

 夏の風物詩とも言える夕立。特に山と海に挟まれた内浦では特に激しく、どんなに先を急いでいたとしても屋内で止むのを待たなければただではすまない。

 待たずに外を歩けば、今現在、校庭ではしゃぐ男子生徒達のように全身がずぶ濡れになって、まるで水が染み込んだスポンジみたいになる。

 そんな彼らとは違い、私はちゃんと雨が止むの待ってから帰宅する予定だ。

 

「こんなことなら早めに帰ればよかったなぁ……」

 

 私は後悔し、溜息を吐く。

 今日は果南ちゃんの一緒に帰る予定ではなかった。昨日の別れ際のこともあって、少しだけ距離を置きたかったのもあるけど、そもそも果南ちゃんが放課後、校内で知り合いと会うから一緒には帰れなかった。

 しかし、私には『誰かと会う』ということが妙に気になってしまったのだ。

 まず、知り合いというのは一体誰なのか。

 ただのクラスメートならいい。

 喧嘩を売られたのならそれはそれで心配だけど、果南ちゃんはまず怪我すらしないだろう。

 問題は会う相手が女の子だったらということだ。

 実は果南ちゃんには既に彼女がいて、隠れて付き合っているのではないか。考えすぎなのはわかっているけど、その可能性が生まれた以上に気になってしかたがなかった。

 いっそ、果南ちゃんを探しに行き、その現場をこの目で確かめたらと思ったけど、流石に果南ちゃんに失礼だと思いつつ、でも気になると教室で一人悩んでいたらいつの間にか窓の外では激しい雨が降っていた。

 雨を見て、私は理性を取り戻し、果南ちゃんを探しに行くことを諦めた。

 そして、このまま教室で止むのを待とうか考えていたけど、教室の前では大きな金管楽器を抱えた吹奏楽部の人達が早く帰らないかと言わんばかりにじっと私を見ていた。

 渋々、私は荷物を手に取り、教室を後にした。

 教室も叩き出させれ、何処で時間を潰そうか考える。考えると言っても放課後でも開いている場所は図書室だけだろう。

 そういう経緯で私は図書室に向かっているけど、ようやく目的の場所に到着した。

 

「失礼しまーす」

 

 私は図書室の扉をゆっくりと扉を開ける。

 部屋をぐるりと見回す。司書さんも図書委員もいない図書室はシンと静まり返っていて、窓を殴りつける雨音だけが響いていた。

 気を使わなくていいはずなのに何となくこの静けさにつられてそっと扉を閉める。

 そして、足音を建てないようにゆっくりと室内を歩く。

 壁に沿ったものと部屋の中心に三列等間隔に置かれた本棚によって教室より多少広い図書室も少し狭く感じる。

 図書室に来たからには何か読もうかと、吟味しているとふと目を引くタイトルに見つけ、ゆっくりと手に取る。

 

「指先一センチの恋……」

 

 如何にも悲しい結末を想起させる題名。まるで果南ちゃんへの恋心を抱く私に対する皮肉に思えた。

 そんなことを思いながら裏表紙を見て、あらすじを読む。

 作者である島下遊姫という方がかの有名な「ロミオとジュリエット」を現代に合わせて翻訳し、さらに独自の解釈と現代の価値観を織り交ぜた作品だそう。

 主人公である女の子は何処にでもいる普通の女子高校生。そんな彼女はクラスの人気者であり、そして国民的アイドルである男子生徒に恋心を抱いている。しかし、「普通」である女の子と「特別」である男子生徒との距離と届かない思いに重い悩みながら進んでいくラブロマンス。

 

「これって……」

 

 あらすじを読んで驚いた。この作品の主人公は私に似ている。「普通」であることにコンプレックスを抱いて、「特別」である人に恋をしてしまう。

 今すぐにでも開けて、読み進めたいと思った。そして、結末を知りたかった。

 もしかしたら、この本にはこれから私が取るべき行動や、やるべきことが書かれているのではないか?

 私は窓際に設置された机で読もうと急ぎつつも静かに向かう。

 しかし、机には既に先客がいた。

 

「おや、高海さん。奇遇ですね」

 

「く、黒澤先輩!?」

 

 爽やか笑みを返してくる。その笑みを見て、本のことなど頭の片隅に飛んでいってしまった。

 机には大量の参考書が積まれ、端までみっちりと文字で埋め尽くされたノートが広げられていた。

 期末試験も終わった私達二年生にとっては勉強なんてものは当分関係のない話。

 でも、受験を控える三年生にとって、心臓に刃を突き付けられているようなことで気を抜く暇なんてない。

 参考書の山の隣に置かれた、厚い赤本の表紙に目をやる。そこには東京に構えるかの有名国立大学の文字。

 

「もしかして……邪魔してしまいましたか……?」

 

「そんなことないですよ。寧ろ、休憩を取っていたところです」

 

 熱心に取り組んでいるところに私が気を散らすように現れたことに気まずくなるものの、そんな私を気遣うように黒澤先輩は微笑みかける。

 その優しさが逆に痛い。

 

「おや? その本は……」

 

 黒澤先輩は静かにペンを置くと、私の脇に抱えられた本に視線を移す。

 

「黒澤先輩もこの本、知っているんですか?」

 

「えぇ。僕は読んでいないのですが、妹がそちらの本を読んでましたね」 

 

 黒澤先輩がこの本を知っていたことも勿論だが、それ以上に妹さんがいたことについて私は驚いた。

 

「高海さんはこういうのが好きなのか……」

 

 探偵が推理するように黒澤先輩は顎に手を置いて、神妙な面持ちで本を見つめる。

 

「意外……でした?」 

 

「そんなことはないですよ。寧ろ、僕達は恋愛に興味を持つ年頃ですから」

 

 同じ高校生な筈なのに大人びたことを言う黒澤先輩。

 意外だった。真面目そうな黒澤先輩のことだから『恋愛なんて破廉恥なこと。そんなことに現を抜かすくらいなら勉強したほうがいい』なんてことを言うかと思っていた。

 

「……僕達はって……それなら黒澤先輩も恋愛に興味があるんですか?」

 

 無礼なのはわかっているけど、どうしても好奇心の方が勝ってしまい、私はつい口を滑らせる。

 

「勿論ですよ」

 

 予想外の即答に私は口をポカンと開く。

 

「意外でしたか?」

 

「だって、黒澤先輩ってその……格好良くて、人気者なのに彼女がいるなんて噂が聞いたことがなかったので……」

 

 その端正なルックスに加え、誠実で成績優秀とこれでもかと恵まれたスペックを持っている黒澤先輩は、当然、女子生徒達から人気がある。

 今年のバレンタインデーでは五十個以上のプレゼントを貰ったと聞いている。

 しかし、そんな女の子にモテる筈の黒澤先輩には何一つ浮ついた噂は上がってこなかった。誠実だからこそ、女の子との付き合いも厳しいだけなのかもしれない。それにしても黒澤先輩の周りは異常とも言える程、女っ気が皆無だ。

 一部の女子達の間では実はアッチなのではないかと盛り上がっていたけど。

 

「そうですね。否定はしませんが、僕も所詮は一人の『男』ですから、誰かを好きなったりします」

 

 そう言うと黒澤先輩はゆっくりと立ち上がる。

 そして、真剣な眼差しで私の瞳を見つめる。

 今の黒澤先輩には既視感があった。昨日、別れ際の果南ちゃんによく似ていた。

 ただ一つ、違うところを指摘するなら、迷いが感じられないというところだ。

 

「今まで恋人がいなかったのは僕の全てをさらけ出せる、全てを擲ってでも愛せる人がいなかったから。でも……見つかりました」

 

「あぁ、もう夕立とか最悪だわ。仕方ねぇわ。さっき善子から貰ったブツでも読んで待つか」 

 

「この声は……」

 

「果南ちゃん!?」

 

 この静けさの中、ガチャリと大きな音を立て、乱雑にドアを開けて入ってきたのは果南ちゃん。

 学ランのボタンを全てあけ、Yシャツも第一ボタンを閉めず、僅かに覗かせる鎖骨が目を引く。

 

「おぉ、千歌じゃねぇか。お前も雨宿……」

 

 昨日の別れ際のやり取りことなど全く気にしていな様子の果南ちゃんは私に気づくと気さくに手を挙げ、こちらに向かってくる。

 しかし、突然、果南ちゃんの足がピタリと止まる。まるで私の背後に爆弾で置かれているため、警戒して近づかないようにしているみたいだった。

 図書室に再び静寂に包まれる。でも、さっきまでの心地良さは全く存在しない。張り詰めたような息苦しい静寂。

 一瞬、図書室が光に包まれる。それから数秒経たない内に静寂を割るように雷鳴が響く。

 

「図書室は静かにするのが人間のルールですよ」

 

 この状況下で最初に口を開いたのは黒澤先輩だった。でも、声には私と話す時のような優しさは微塵も感じられず、まるで縄張りに侵入してきた獣の唸り声のような低い声。

 誠実な印象から掛け離れた野生を感じさせる黒澤先輩に私は恐れを抱いた。

 

「何だ、その言い草は? まるで、騒いでる俺が人間じゃねぇみたいだな」

 

 果南ちゃんの声も低くなっていて、さらに話し方も少しゆっくりになっている。

 背筋に悪寒が走る。二人のあからさまな態度によって、今この状況が酷く危機的状況だということに気づいた。

 気づく決め手になったのは果南ちゃんの態度だ。喧嘩を売られた時、怒った時や機嫌の悪い時の果南ちゃんの今のようにゆっくりな喋り方なるからだ。

 

「別にそこまでは言ってないのですが……あなたの考えすぎでは?」

 

「相変わらず……いちいち勘に触る言い方だなぁ」

 

「あなた程度の人間にはこれくらいが丁度いいでしょう?」

 

 まるで鷹のような鋭い眼光で黒澤先輩を睨みつける果南ちゃん。

 黒澤先輩もまるで狼のような目で果南ちゃんを睨んでいる。

 今にも殴り合いが始まるそうな空気に私は恐れ慄くしかなかった。

 考えてみれば馬が合わないのは明白。果南ちゃんは勉強はあまりできないし、多少の校則は破り、時より喧嘩もする不良。

 黒澤先輩は成績優秀で誠実。生徒会長も任される模範的な生徒。

 正に白と黒であり、光と影。対象的な二人が交わるとこなんてありえない。

 

「ふ、二人とも……やめよう……」

 

 殺気すらも漂い始め、私はいよいよこの嫌な空気に耐えきれなくなり、意を決して、仲裁しようと声をあげる。しかし、重い空気に押し潰されて、声は私自身でもびっくりするくらいか細く、震える声だった。

 二人に通じるかと不安になったけど、二人が言い争うことなく静まり返っていたことが不幸中の幸いか、私の小さな声でも二人の耳に届いた。

 

「あ……失礼」

 

「気を悪くしたらすまんな」

 

 黒澤先輩はハッとした様子を浮かべると、私に向けて軽く頭を下げる。

 果南ちゃんは気不味そうに頭をかきながら、視線を逸らす。

 取り敢えず、一触即発の状況は綺麗さっぱりなくなり、私は安堵する。

 ふと、瞳に蛍光灯とは違う光が目に入り、私は窓の外に視線を移す。

 いつの間にか雨はピタリと止んでおり、灰色の雲の隙間からは日の光が差し込んでいる。

 

「どうやら、雨宿りする必要はなくなったようですね」

 

 窓の外を見ながら、黒澤先輩はそう言うと僅かに口角を上げる。

 

「はいはいわかったよ。さっさとお前の視界から失せるようにするよ。千歌、一緒に帰るか?」

 

「え?……あぁ……うん! でも、その前にこの本を元に戻したいんだけど……」

 

「別にいいが、折角本棚から出したのに勿体なくねぇか?」

 

「そうだけど、今は借りれないし……」

 

 私は首を縦に降る。

 私も果南ちゃんと同じ様に雨宿りに来ただけで、雨上がってしまえばここに用はない。

 だけど、帰る前に抱えたこの本を元の場所に戻さなければならない。

 正直なところ、借りて家でゆっくりと読みたいのだけれど、生憎、司書さんも図書委員の生徒もいないため借りるとしたら、どうしても後日になる。

 

「それなら、借りても構わないです。僕が後で司書さんか図書委員長に説明しておきますから」

 

「それは流石に……」

 

「気にしなくていいです。一応、僕も時より図書委員の手伝いもしているので、きっと理解してくれると思います。その代わりと言ってはなんですが、感想なんか、聞かせてください」

 

 黒澤先輩はそう言って、微笑む。

 流石、生徒会長だと思った。誰よりも誠実だからこそ誰からも信頼され、多少のルール破りも許されてしまう。

 いくら人望が厚くても不良である果南ちゃんでは絶対にありえないこと。

 

「職権乱用ねぇ。日本の闇が垣間見えるなぁ」

 

 その果南ちゃんは私の後ろで大きめな声で吐き捨てるように文句を言ってる。けど、黒澤先輩はまるで果南ちゃんの声なんて元から聞こえないかのように聞き流している。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 私は一言、礼を言うと黒澤先輩はニコッと笑う。

 しかし、今日出会った時みたいな満面の笑みではなく、引きつったような笑みな気がした。

 

「んじゃ、行くぞ」

 

 用が済んだと見た果南ちゃんはまるで逃げるように図書室から出ようと扉にあるき始める。

 

「待ってよ果南ちゃん! あっ! それじゃあ、黒澤先輩!さようなら!」

 

「ええ。さようなら。高海さん」

 

 私は黒澤先輩に別れの挨拶をすると、果南ちゃんの大きな背中を追って、図書室を後にした。



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第8話

 風呂から上り、着慣れた浴衣に身を包んだ僕は自室へと戻る。

 障子と襖に囲まれ、畳が敷き詰められた如何にもな造りの和室。障子の前に置かれた長方形の机には数々の参考書と教科書、そしてノートが置かれている。

 受験生である僕は直ぐにでも受験勉強に取り掛からなければならないのだが、今はそういう気分でもなかった。

 怠ける暇はないと今にも声が聞こえてきそうな参考書達を見て見ぬ振りをして、火照った体を冷やすために障子を開け、夜風を浴びる。

 障子の隙間からは黒い夜空に浮かぶ月が望める。今宵の月はほんの少し欠けていて、完璧ではない形に釈然としない。

 風呂に入り、疲れを癒やしたにも関わらず、鉛のように重い体に耐えきれず、ゆっくりと畳の上に仰向けに寝転がる。

 そして、天井から吊るされている丸い照明を呆然と眺めながら、深く溜息を吐く。

 憂鬱な気分に落ちる理由は自分でもよくわかっている。

 松浦果南と対面し、言葉を交わしてしまったからだ。

 そして、僕が恋した千歌さんが彼の隣にいたからだ。

 

「どうして……あいつは……」

 

 松浦果南は僕がこの世で最も嫌い人間だ。

 僕は生徒会長として、それ以前に黒澤家の長男として、恥じなどなく、他人に誇れるような模範的な生き方をしてきた。その為に血反吐を吐くような努力を積み重ねてきた。

 幼い頃から、将来黒澤家を支える大黒柱となる為に父親から厳しい教育を受けさせられ、その辛さに何度も涙を流した。

 琴や書道など、両手では数え切れない程の習い事を毎日こなした。それも人様に見せられるように完璧に自分の物にする為に人の何倍も努力をした。

 そのおかげで友人と遊ぶことなど滅多になかった。

 恋愛なんて僕には関係のない話だった。父親からは「お前の妻は黒澤家の未来の為にも私が決める。だから恋愛なんてする必要などない」と釘を刺され、女性と出かけることを厳しく制限されていた。

 そんな奴隷のような苦しい十七年を耐えて手に入れた信頼と名声。別に達成感や満足感などは味わうことはできなかった。当然だと思っていたからだ。あれ程の努力をして手に入れられないことなど絶対にないと思っていた。

 現に僕は一年生という立場でありながら、僕自身の誠実さと、内浦で権力を持つ黒澤家の長男ということで教員、生徒達から生徒会長という名誉ある椅子に座ることを認められた。

 その高い椅子に座っても傲ることはしない。当然だ。黒澤家の男として当たり前のことだ。寧ろ、問題は生徒会長としての責務をしっかりと果たせるかどうかだ。この手に入れた信頼を零さないようにこの共学となった新たな浦の星学院を作っていかなければならない。

 そう意気込んだ時に出会ったのが松浦果南だ。

 内浦、いや静岡では名の通った不良であり、顔は知らなかったが、名前だけは知っていた。

 その肩書に相応しく、彼は学業もろくにできず、当たり前のよくに喧嘩を行う。服装も乱れていれば礼儀もなっていない正に典型的な不良。

 その時点で彼とは僕は決して交わることがない立場にいることはわかっていた。

 しかし、彼は不良でありながら、まともな人間としての一線を超えない。

 確かに勉強はできないが、その割には学校はサボらず、毎日登校しては、居眠りはすれど、授業妨害などは決してしない。

 喧嘩は行うが、自分から売らず、殆どが買うばかり。ただし、喧嘩を売る時は何かしらの理由、例えばイジメの主犯格や万引等の犯罪に手を染めるような非行に走る連中を懲らしめるためだけにしか売らない。

 それどころか弱者や真面目な人間に対しては喧嘩は売らず、寧ろ守ろうと拳を振るう。

 何より、彼自身は喧嘩以外の非行に走らない。万引やカツアゲなどはもっての外で飲酒や喫煙をしているようには見えない。

 不良でありながら、何処か生真面目さを持ち、弱者を守ろうとする姿。

 正直なことを言うなら僕は彼をそれなりに評価している。筋の通った信念を持つ彼は少なくとも普通の不良とは違うとは思っている。

 

「どうして、あいつは!」 

 

 拳を固く握り締め、歯を食いしばる。

 彼は悪人ではないが、かと言って、誇れるような生き方をしているとは思えなかった。

 それなのに彼の周りにはいつも笑顔を浮かべた誰かがいる。後輩達から頼りにされ、学院内でもその人となりから人望が厚く、他の生徒達にとってまるでヒーローみたいな存在だ。

 それが気に食わない。僕の方が余程、人様に自慢できるほどの生き方をしている。

 勉強だって、彼なんかより月とスッポン程の差がある。

 成績だって、オール五。

 この成績を手に入れる為に僕はずっと努力を積み重ねてきた。果たして、彼は僕がしてきたような血が滲むような努力をしてきたのだろうか?

 この地位、信頼を手に入れる為、僕がしてきたように友や仲間、思い出を捨ててきたのだろうか?

 きっとしていない。していたら不良と決して言われることはない。

 どうしてだ。誰よりも真面目に生きてきた僕と不真面目に生きてきた彼が同じ物を持ち、評価されているのか。

 そして、僕が思い慕う千歌さんも親しくしている。そこが一番悔しい。

 真面目に生きてきた僕が馬鹿に思えて、苛立ってくる。

 でも、その怒りの大半は自分に向けられているのは唇から血を流す程わかっている。

 不良と言われようとも彼はただ、誰にも縛られず、自分がやりたいように生きているだけだ。

 悪を許せないから拳を振るう。

 誰かが困っているから助ける。

 そこには他者の視線や評判は関係ない。自分の心に納得があるか、ないかそれだけなのだ。

 彼は僕とは違って自由なのだ。僕が籠の中鳥とするなら彼は家や立場に縛られることなく、大海原を自由に泳ぎ回るイルカ。

 だからこそ、その自由な姿に人々は魅入られ、自然と寄ってくる。

 恐らく、高海さんもそうなのだろう。

 

「わかっているさ。僕の感情が……一番みっともないことくらい」

 

 嫉妬。僕が彼を嫌う最もな理由。

 彼のように何も縛られない自由な生き方をしたいと羨ましくも思いながら、決して白くはない生き方を受け入れることができない。

 くだらないプライドが……この十七年が鎖となって僕の体を縛り付ける。

 その鎖を解けない自分がみっともなく見えて、怒りが生まれる。

 笑えてくる。

 学校では完璧を絵に描いたような素晴らしい人と噂される黒澤ダイヤも、その本性は同じくらい尊敬されている松浦果南に嫉妬する愚かな人間。

 こんなことが他の人に知られたら、きっと信頼も人気もどん底に落ちる。

 一つでも欠けたパズルに何の価値があるのか?

 

「お兄ちゃん……」

 

 考え事としているとゆっくりと襖が開く。

 開いた襖からは最愛の妹であるルビィが不安そうな面持ちで顔をひょこりと覗かせる。

 普段は左右のツインテールが特徴的で可愛らしいのだが、今はお風呂上がりということで髪を下ろしいる。

 そして、肩にはタオルをかけて、濡れた髪でピンクの寝間着を濡らさないようにしていた。

 

「ルビィ? どうした?」

 

 僕は起き上がり、できる限りの優しい笑みでルビィに喋りかける。

 

「パパが……お兄ちゃんに話があるから呼んできてって……」

 

「……そうか。わかったよ」

 

 黒澤家の長からの呼び出しに、懸命に作った笑顔がボロボロに崩れ落ちる。

 僕は重い腰を上げ、ルビィの横を通り過ぎる。呼び出しの時は大抵、父親は父親の部屋にいるので、仕方がなく向かう。

 この家において、父親の存在は絶対だ。時代遅れの亭主関白に僕達は付き合わなければならない。

 はぁと大きな溜息を吐く。

 松浦果南の自由な生き方に憧れを抱いている。しかし、結局この奴隷のような生き方、黒澤家の呪縛から逃れようと立ち向かおうとせず、ただただ流されているばかり。

 今もろくでもない話なのはわかっていても、なおも馬鹿正直に父親の元に向かっている。それなのに、松浦の果南を妬み、嫌う自分が恥ずかしく思えてくる。

 

「僕は……どうすればいい……」

 

 臆病な自分に嫌気を覚え始めた頃、いよいよ父親の部屋の前に着いてしまう。

 背筋に冷たい雫が滴り落ちる。

 僕は「失礼します」と重い襖を開ける。そして、部屋の奥で和装に身を包み、腕を組み、正座で僕を待つ父親と対面する。その様子はまるで時代劇に出てくる悪代官のようだ。

 

「来たか」

 

「……はい」

 

 短く会話を済ますと僕は父親の前に恐る恐る、正座をする。

 用があると言うのに父親は口を開かず、黙って僕の人身を見つめている。

 微かに聞こえる隙間風が部屋に響く。僕の喉を通る唾さえも響いてしまうではないかと思える程の静寂がここにある。

 この静寂に息苦しさを覚え始めた頃、やっと父親の口が開く。

 

「そ……そんな……!?」

 

 僕は父の話に目を見開く。

 そして、ただただ絶句するのみであった。



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第9話

 七月の中旬も過ぎ、蝉達の鳴き声がより一層強くなる。

 現在、浦の星では全校集会が行われ、全校生徒は蒸し風呂のように暑い体育館に集められ、座らせられていた。

 三年生を除く生徒達が待ち侘びている夏休みの開始が丁度一週間に迫っている。

 勉強という苦から開放され期間であるため、弛むであろう生徒達に喝を入れんと険しい顔の生活指導の先生が壇上に上がって話をする。

 

「えー、来週から夏休みが始まりますが、浦の星の生徒として自覚を持って……」

 

 夜遅くまで外を出歩かない、下手に生活習慣を崩さないようにすることは勿論。飲酒や喫煙、犯罪行為を手を染めてはいけないなど様々なことを話す。

 生活指導の先生を話している間は体育館に気怠げな空気が流れ、殆どの生徒は耳を傾けることはしない。

 ただでさえ、蒸し暑い体育館にいるだけでも集中力が切れるにも関わらず、つまらなく、長い話を聞かされては私達もたまったものではない。

 私の周りには虚空を見つめながらYシャツをパタパタとあおり、涼しさを求める男子生徒や、近くの友達とヒソヒソと話を女子生徒が多い。

 後ろに座る親友の曜ちゃんも体育座りの膝に頬を置いて、ぐっすりと寝ていた。

 

「生活指導の先生、ありがとうございます。続きまして、生徒会からの話です」

 

 話を終えた生活指導の先生は壇上から降り、舞台の脇に戻る。

 そして司会の先生が流れを進める。すると、今まで喋っていた女子生徒達は一斉に口を閉じ、素早い動作で壇上に視線を向ける。

 壇上には堂々とした佇まいの黒澤先輩が立っていた。

 

「生徒会長の黒澤ダイヤです。今年の文化祭の件ですが……」

 

 黒澤先輩は口を開くと体育館はシンと静まり返る。

 生活指導の先生の時とは打って変わって、誰もが黒澤先輩の話を集中して耳を傾けている。

 内容が全生徒が楽しみにしている文化祭のこと。それも後夜祭の開催についてということもあるのだけど、それとは別に黒澤先輩の思わず聞き惚れるようなイケメンボイスを聞こうとしているのだ。特に黒澤先輩を慕う女子生徒達はそうなのだろう。

 

「先生方と綿密に話し合った結果……今年は後夜祭を開催することを決定しました。そして、多数の要望があったキャンプファイヤーも行います」

 

 その知らせが伝わった途端、体育館がさらに熱気に包まれる。

 まるでアカデミー賞を受賞した時に起きるような大きな拍手が起きる。時より、口笛も鳴っている。

 壇上に立つ黒澤先輩は安心したような、そして満足そうな表情を浮かべていた。

 そんな黒澤先輩を見た時、私は一つの違和感を抱いた。

 先輩の表情がいつもと違うのだ。

 確かにいつもと変わらない爽やかな顔立ち。

 でも、私に向けるようなあの緩まった表情じゃない。ぎこちなく、どこか胡散臭さを感じる。まるで無理矢理笑っているように見せた仮面を被るピエロみたいでじっと見ていると不安になる。

 そして、心なしか顔色も悪く見える。蒸し暑い体育館にしても、人前で話すことに緊張していると考えても、額に流れる汗も多い気がする。

 

「これで、僕の話を終わります。皆さん、浦の星学院の生徒として、責任を持って夏休みを過ごしてください」

 

 最後に軽く会釈をすると、黒澤先輩は壇上から降りる。

 生徒達から再び拍手が起きる。

 その拍手に送られる黒澤先輩の背筋はほんの少し猫背になっていて、足取りも僅かにふらついているように見える。

 見れば見るほど、黒澤先輩の様子のおかしさが露見していくにも関わらず、そのことに生徒は誰一人気づいていない。

 一体、皆は誰を見ていたのだろう。

 あんなに黒澤先輩を凝視していた周りの女子生徒達は黒澤先輩が去った後もただただ、黒澤先輩の格好良さ等について語っているだけ。

 

「千歌ちゃん? 大丈夫?」

 

「ふぇ?」

 

 後ろから右肩をチョンチョンと突かれ、私はそっと視線を後ろに向ける。

 そこには不安そうに私を見る曜ちゃんがいた。

 さっきまで寝ていたせいか、目が少しトロンとしていた。

 

「なんか、ぼーっとしてたから……熱中症なっちゃったのかなって思って」

 

「えっ? ううん。大丈夫だよ」

 

 私は笑みを浮かべて、体調が頗るいいことを見せる。

 すると、曜ちゃんは私の顔に嘘が書いてないかじっと見つめてくる。

 

「そっか。でも、ちょっとでも危ないと思ったら言うんだよ。熱中症って気づかないうちになっちゃうから」

 

 日本の飛び込みの強化選手に選ばれるくらいの実力を持つ曜ちゃんはやはり体調管理に関しても一流だ。

 私はわかったと言い、前を向く。

 

「そっか……」

 

 曜ちゃんとのやり取りを通じて、何故、誰も黒澤先輩の異変に気づかない理由の一端が見えた気がする。

 みんな、黒澤先輩を詳しく知らないのだ。

 私と曜ちゃんは幼馴染であり、互いの事をよく知っているから、些細な異変や変化にも気づくことができる。

 でも、黒澤先輩の場合は多分あまり知られていないんじゃないかって思う。

 真面目で優しいことは周知の事実だけど、実は恋愛に興味があったり、時より職権濫用に近いことをする。意外と俗っぽいところがあるのだけど、多分黒澤先輩に憧れる人はそのことを知らない。

 だから、多少の変化にも異変にも気づけない。そういう人達というのは黒澤先輩に対して、自分が思い描く理想の「黒澤ダイヤ」を重ね合わせ、本当の「黒澤先輩」が見えなくなっているのだろう。



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第10話

 四時限目の授業が終わり、昼休みに入る。

 育ち盛りの高校生にとって待ちに待った昼食の時間。そして、一時的に勉強などという鎖から開放されるこの時間は生徒達にとって至福の一時だろう。

 廊下は弁当片手に何処かへ向かう女生徒や響くような大きな声で騒ぐ生徒達で喧騒に溢れていた。

 その喧騒、溢れる廊下を俺、松浦果南は一人で歩いていた。

 

「腹減ったぁ……」

 

 俺は授業終盤から鳴り始めたお腹を抑えながら、校内一階にある自動販売機に向かっている。

 普通の生徒なら昼に食べるお弁当だが、育ち盛りの俺にとって昼まで腹が保たず、ニ時限目も三時限目の間に早弁をしてしまった。

 その結果が今の空腹状態。幸い、浦の星の自動販売機には飲み物の他に菓子パンやお菓子など売られているため、下校までには恐らく保つだろう。

 

「あっ、果南ちゃん!」

 

 歩いていると、前からみかん色の髪が特徴の千歌が現れ、元気な声をかけてきた。

 

「おぉ、千歌。一人でいるなんてどうした?」

 

「今から図書室に本を返しに行くんだ」

 

 まるで太陽のような笑みを浮かべる千歌の胸には一冊の本が抱かれている。

 

「あぁ。この前のあれか……」

 

 千歌の持つ本には見覚えがある。

 夕立が激しかったあの日。家に帰りたくても帰れず、暇潰しに善子から受け取ったある本を図書室で読もうと寄った時に千歌が借りた本だ。

 あの日のことは忘れない。窓に打ち付ける大粒の雨。吹き荒ぶ風。あの日を印象づけるのはそれだけではない。

 誰よりも苦手で誰よりも嫌う黒澤ダイヤと言葉を交えたこと。

 そして、その黒澤ダイヤが俺の想い人である千歌と仲睦まじく会話していたところを目の当たりにしたこと。

 あの厳格で名前に恥じないお堅い人間がアイドル顔負けの眩しい笑顔を千歌に見せた時は焦燥を感じた。まるで怪盗が狙った宝に手を伸ばしているところを眺めている警察官になった気分だった。

 

「そういや、千歌って黒澤と面識があったのか?」

 

「うん。この前、荷物を運んでもらって……」

 

「……そうか」

 

 まるで少女コミックのような出会い。

 確かに困っている人間を片っ端から助けるなんてあいつらしいと思う。

 

「ねぇ、果南ちゃんはどうして黒澤先輩と険悪なの?」

 

「まぁ……不良の俺と生徒会長の黒澤ってどう考えても仲良くはならないだろう」

 

 どうしてと言われても正直、答えに困る。

 別に俺はダイヤと派手に喧嘩をしたこともなければ、意見の衝突なんてこともなかった。

 強いて、接点を挙げるなら、過去に廊下を走って注意されることがあったか、不良共に喧嘩を売られたダイヤを助けたことがあるくらいか。

 とりあえず、俺とダイヤは光と影。水と油。犬と猿と決して交わることのない存在同士。だから仲が悪い。少なくとも俺はそう思っているのだが、そんなあやふやな説明で千歌は納得してくれるのだろうか。

 

「そうだけど……でも、意外と」

 

「……あいつのことが気になるのか?」

 

「そ、そういうわけじゃ!」

 

 千歌は慌てて否定する。

 別に否定する必要はないと思う。確かにあいつは魅力のある人間だ。

 誰よりも勉強はできるし、運動神経だって抜群。余程の不良でなければ誰でも誠実に、真摯に接してくる。

 人を纏めるリーダーシップだってあり、本当に皆から信頼されている。

 完璧であるが故に醸し出す近寄り難い雰囲気すらも逆にあいつの魅力を引き立たせているとさえ思う。

 俺があいつに敵うことと言えば喧嘩の腕前……いや、それすらも負かさせるかもしれない。

 体育の授業で行った柔道であいつの試合を見たことがあるが、どうやら経験者らしく、対戦者は手も足も出なかった。

 そもそも、喧嘩が強いなんて自慢できることじゃない。

 寧ろ、恥じるべきことだ。

 だから、あいつが羨ましく思うこともあった。 

 あいつのようになりたいと思ったこともある。誇れるような正しさを持ちたいと欲したこともある。

 でも、それは無理だ。犬が空を飛ぶ翼を得ることができないように、俺はあいつのような正しさを得ることなんてできない。

 正直、あいつのことは認めているし、心の底から嫌っているわけではない。でも、あいつの頑固で気難しい性格、そして、嫉妬心とプライドが合わさって好きにはなれない。

 さらに、千歌に色目を使うような輩とそもそも慣れ合いたいと思わない。

 

「あ、ダイヤさん」

 

 するも、千歌が俺の背後を見て、ハッと目を見開く。

 一体、どうしたのだと俺は振り向く。千歌と違い、俺はハァと溜息を吐く。

 俺の背後にはタイミング悪く、ダイヤがいた。

 しかし、どこか様子がおかしい。いつもは背筋をピンと伸ばし、まるで箸のような綺麗な姿勢で歩くのだが、今日はまるで老人みたいな不確かな足取り。今にも崩れ落ちそうなその佇まいに嫌う相手にも関わらず、心配という感情が芽生えてしまう。

 

「おや……千歌……さん。奇遇……ですね」

 

「あの……黒澤先輩。顔色が良くないですけど……」

 

「……えぇ。大丈夫……ですよ」

 

 ダイヤはか細い声で千歌へ会話をする。

 俺に目もくれないのは予想通りだが、それにしても瞳が虚ろで、声に全くと言ってもいい程覇気がない。

 

「おい。お前、大丈夫かよ。明らかに体調が悪いように見えるけど」

 

 いつもと違うダイヤにいても立ってもいられず、俺は遂に声をかけてしまう。

 声をかけたものの、どうせ「あなたに心配される筋合いはないです」と一蹴されだろうと思っていた。

 

「……また、千歌さんと一緒か……」

 

「はぁ?」

 

 予想は外れ、代わりに向けられたものはまるで狼のような鋭い眼差し。

 

「どうして……僕ではあなたみたいな人が……幸福を手に入れているんだ!」

 

「何言ってやがっ!」

 

 豹変し、訳のわからないことを呟き始めたダイヤに、心配を通り越して恐怖へと変わる。

 ダイヤらしくないと思いつつ、再び、ダイヤの瞳を見た瞬間、ゾッと背筋が凍る。

 宝石のように輝くその瞳からは明確な怒りと殺意が溢れていた。その視線を向けられると俺の体はまるで蛇に睨まれた蛙のように固まり、動けなくなる。

 ショックがとてつもないほど大きい。確かに俺はダイヤに好かれているとは思っていなかったし、寧ろ嫌われてるとは理解していた。ただ、言葉を交わしたくもそもそも関わりを持ちたくないだけだと思っていた。

 でも、違った。あの瞳はそんな生易しい感情を訴えるものじゃない。

 憎しみ。恨み。そういった悍しい感情を訴える瞳だった。

 

「何で……僕だけが……我慢して……苦しまなく……ちゃ……」

 

「く、黒澤先輩!」

 

 そう呟くと、ダイヤはプツリと糸が切れたように意識を失い、まるで操り人形のように力なく廊下に倒れる。

 その様子を見た千歌は慌てて、ダイヤの元に駆け寄る。

 そして、汗まみれの額に自分の額を合わせる。

 

「す、すごい熱! 直ぐに保健室に連れて行かないと! 果南ちゃん!」

 

「あ……あぁ! ダイヤを保健室まで連れて行けばいいんだろ!」

 

 千歌の声によって、俺の意識は現実に引き戻される。

 冷静になった俺はダイヤを保健室に連れていく為に、その華奢な腕を掴み、肩にかけると千歌と共に急いで保健室へと向かう。

 ダイヤが凄く重く感じる。意識を失って、全体重が俺にのし掛かっているからだろう。

 しかし、それだけではない。あのダイヤの瞳が、俺への憎しみが溢れたあの瞳が背中に張り付いているのだ。



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第11話

 消毒液の匂いが漂う保健室。真っ白に統一された壁や家具は清潔感を感じさせる。

 少し空いた窓から風が吹き込み、薄く白いカーテンを靡かせる。

 そんな典型的な保健室に並べられた二つのベッド。天井からぶら下がるカーテンによって仕切られたその内の一つには黒澤先輩が横たわっている。

 

「黒澤先輩……」

 

 保健室に運んだ直後に比べれば大分落ち着きはしたものの、今も黒澤先輩は苦しそうに唸り、眉間にはしわを寄せ、脂汗を流している。黒澤先輩が横たわるベッドの横に置かれたパイプ椅子に座る私は、定期的に真っ白なタオルで先輩の額から汗を吹いている。

 苦悶の表情を浮かべる姿ですら、どこか芸術的に見える。

 

「ダイヤのこんな姿……初めて見たな」

 

 私の後ろに立つ果南ちゃんは腕を組んで、黒澤先輩を心配そうに見下ろしていた。

 私も同じことを思っていた。

 どんなことも、体調管理だって完璧にこなすだろうと思っていた黒澤先輩がまさか、私達の前に倒れて、保健室のベッドで眠るなんて姿は想像できなかった。

 

「何があったんだろう……」

 

「さぁな。ただ、一つ言えることは結局のところあいつも人間だってことだ」

 

 果南ちゃんは神妙な面持ちでポツリと呟く。

 そうだ。いくら完璧超人に見える黒澤先輩も私達と人だ。

 時には体調悪くなり、風邪だって引くし、根を詰めれば疲れたりする。

 寧ろ、受験勉強を集中しながら、生徒会長として仕事を果たすなんて、普通の人なら音を上げるようなオーバーワークを今までしてきたんだ。多分、倒れるのも時間の問題だったのかもしれない。

 そんなことを看病しながら考えていると、保健室の外からバタバタと廊下を走る足音が聞こえてくる。それからまもなくして、誰かが保健室のドアをバンと勢いよく開けてくる。そして、黒澤先輩と外を仕切るカーテンを開け、ある少女が雪崩れ込んでくる。

 

「お兄ちゃん!」

 

 激しい息遣い交じりの声が静かな保健室に響く。保健室で出していい声量ではなかったが、それでも黒澤先輩の意識は目覚める気配は感じられなかった。少女はそんな黒澤先輩を不安そうに見つめる。

 保健室に入ってきたのは赤髪でツインテールの少女。高い声と小柄で未発達な体つきに幼い顔立ちのおかげで私と同じ浦の星の制服を着ていなければ到底高校生には見えない。

 

「お兄……ちゃん? もしかして!」

 

「あ、その……初めまして……。一年生のく、黒澤……ルビィです」

 

 さっきまでの勢いはどこへやらと言わんばかりに、まるで小動物のように怯え、震え始めるルビィちゃん。恐らく、チラチラと私の後ろに視線を移しているところを見ると不良で有名な果南ちゃんに怯えているのだろう。

 それにいても驚いた。黒澤先輩に妹がいるのは聞いていた。先輩の妹のことだから同じように真面目なのだろうと思っていた。容姿も黒澤先輩に似て、長い黒髪にキリっとしたツリ目に高身長なんだろうと勝手に想像していた。

 でも、実際はそんなに似ている要素は薄かった。同年代に比べれば圧倒的に大人びている黒澤先輩と逆に圧倒的に幼ないルビィちゃん。髪の色は黒と赤と似ている要素は皆無。辛うじて瞳の色こそ似ていたものの、それ以外の要素がほとんど似ておらず、ぱっと見では兄妹には見えなかった。

 

「あの……お二人がお兄ちゃんを……」

 

 ルビィちゃんの視線は私の手に握られているタオルに向けられる。

 そして、ルビィちゃんが保健室に駆け込む前に私達がいることから付きっ切りで看病していたことに気づいた様子。

 

「うん……まぁ」

 

「……いや。俺は違うってことにしといてくれ」

 

「果南ちゃん?」

 

 思わず振り返り、果南ちゃんを見る。いくら、仲が良くないからと言ってそんなつく必要のない嘘を吐く意味はないはず。

 

「あいつは……俺に助けられたって事実を知ったら……多分死ぬから」

 

 私の視線の先にある果南ちゃんは相変わらず黒澤先輩を見下ろしている。でも、その表情はどこか悲しげだ。

 まるでスタメンから外されたスポーツ選手のようだ。

 

「もう、俺は必要ねぇみたいだから行くわ」

 

 そして、果南ちゃんは一つ大きな溜息を吐き、逃げるように保健室から去ろうとする。

 

「あ、あの! 待ってください!」

 

 すると、ルビィちゃんは去ろうとする果南ちゃんの後を追う。

 

「何だ?」

 

「その……お兄ちゃんの代わりにお礼を……」

 

「……礼なんていい。困っている人がいたら助けるのがが当たり前だからな」

 

 ルビィちゃんの感謝を向けられながらも果南ちゃんは一切応えることない。そしめ、そのまま振り返ることなく、そのまま保健室から出ていく。

 

「果南ちゃん……どうしたんだろう……」

 

 私は首を傾げる。今日の果南ちゃんはどこか変だ。黒澤先輩が苦手なのは知ってる。だからと言って、逃げる必要なんてないはず。

 そして、時より見せる哀愁が漂う表情。あれは何を意味してたのだろう。黒澤先輩の体を案じてか。違うと思う。ただ他人を案じるだけで、あの表情は浮かばない。もっと、自分に対してじゃないと浮かばないと思う。

 じゃあ、何だろうと考えても答えはわからない。結局のところ、真意は果南ちゃんにしかわからない。

 

「あの……」

 

 シンと静まり返った保健室にルビィちゃんの可愛らしい声が響く。

 

「どうしたの?」

 

「さ、さっきの人は松浦……果南先輩ですよね……?」

 

「そうだけど……」

 

 流石、果南ちゃん。関わったことがないはずの一年生に名前を覚えられているなんて。

 

「その……先輩のお名前は……」

 

「あ。そうだったね。私は高海千歌って言うんだ」

 

「高海……先輩」

 

「あ、敬語でいいよ。ルビィちゃん」

 

「でも……」

 

「いいの。千歌って子供っぽいって言われるから。先輩扱いされるよりもその方が楽だから」

 

 部活にも入っていない私はあまり先輩と呼ばれることに慣れていない。それに三姉妹の末っ子な為、子供扱いされてばかり。だから、突然、先輩扱いされてもむず痒い。

 先輩に敬語で言われて、戸惑うルビィちゃん。でも、私の思いを汲んだのか「それじゃあ」と納得してくれた。

 そして、ルビィちゃんを私の顔をまじまじと見つめる。まるで、港で目利きをする漁師さんみたいだ。

 

「あの……千歌ちゃんとお兄ちゃんって、どういう関係なんですか?」

 

「ふぇ?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 どういう関係もなにも同じ学校の先輩と後輩。それ以上でもそれ以下でもないはず。

 でも、ルビィちゃんはどうもそんな普通な関係に見えないらしい。

 

「そのお兄ちゃんってクラスと生徒会以外の女の人とは全く関わらないし。それに、保健室に入った時、千歌ちゃんがお兄ちゃんの汗を拭いていたから……もしかしてって」

 

「そ、そんな関係じゃないよ! ただ、黒澤先輩に親切されたことがあったり、少しを話したりするだけだよ!」

 

「本当?」

 

 慌てて、ルビィちゃんの誤解を解こうとする。

 しかし、この慌て様が逆にルビィちゃんの疑いの目を一層濃くしてしまう。

 

「……ここは?」

 

 ルビィちゃんの純真無垢な瞳に焼かれていると、今まで眠っていた黒澤先輩が目覚める。そして、状況を確認しようと

 

「お兄ちゃん! 良かった!」

 

「ルビィ!? どうしてここに……」

 

 目覚めた黒澤先輩を見て、ルビィちゃんがパァッとまるで蕾から花に成長したような笑みを浮かべる。

 そして、私がいることなんて気にせず、ルビィちゃんは黒澤先輩に飛び込む。

 いくらルビィちゃんが小柄とは言え、病み上がりの黒澤先輩には少々キツイ衝撃だったようで「うっ」と小さく呻き声を上げる。

 

「そうか。僕は倒れて……」

 

 自分の先程までの体調の悪さ。今、保健室のベッドの上にいること。ルビィちゃんの態度。そして、私のホッと安心した表情から自分が気を失って倒れたことを黒澤先輩は察した。

 

「ルビィ。心配かけてごめんな」

 

 黒澤先輩は優しい笑みを浮かべ、ルビィちゃんの頭を優しく撫でる。

 そのまま黒澤先輩は私に顔を向け、

 

「高海さん。ご迷惑をおかけしました」

 

 と頭を下げる。

 

「そ、そんな! 気にしないでください!」

 

 みんなから憧れの存在とされる黒澤先輩が頭を下げてまで感謝されるなんて部相応に感じ、私は慌てて顔を横に振る。

 そもそも感謝される程ことなんてしていない。目の前で人が倒れたのなら助けるのが人として当然のことだ。

 

「千歌ちゃんね! お兄ちゃんのこと、ずっと看病してくれたんだよ!」

 

「ル、ルビィちゃん!?」

 

「え? それは……その……お恥ずかしいところを……」

 

 ルビィちゃんから恥ずかしい事実を聞かされた黒澤先輩はまるで魚のように目を真ん丸にする。そして、茹でられたタコのように顔を真っ赤にして、視線を逸らす。

 私も同じように顔を赤らめながら、黒澤先輩もこんな顔をするのかと知った。

 黒澤先輩も私と同じ『人』なんだ。

 確かに名家の長男で、生徒会長という『特別』であっても、時には体調だって悪くなるし、照れたり、恥ずかしがったりする。

 今まで天の上の存在と思い込んでいた黒澤先輩が途端に目の前に降りてきたようなそんな感覚に陥る。

 

「高海さん。その……ありがとう……ございます」

 

「は、はい……」

 

 黒澤先輩は視線を逸らしながら、もう一度感謝を呟く。さっきと同じ意味の言葉でもどこかむず痒い気分になる。

 多分、同じ立場になれたから感じるようになった感触なんだろう。



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第12話

 保健室の真っ白なカーテンの隙間から差し込む紅の日差し。窓の外からは炎天下の中、勉強という枷から解放された学生たちが部活動に精を出している。

 数少ない男子学生達が集まる野球部の野太い声。硬球を飛ばす金属バットの甲高い音。暑い中、校庭の周りを掛け声を発しながら走る女バス。

 放課後の予定を話し合う帰宅部のはしゃぐ声。

 そんな青春を謳歌する生徒達をBGMに僕はエアコンの効いた保健室でゆったりと英単語帳を眺めている。受験生である僕は少しの時間も惜しい。

 こうしている間にも顔も名前も知らないライバル達は希望する大学に合格するために、死に物狂いで努力している。怠ければ怠けるだけ差は開く。

 黒澤家の未来と期待を背負う僕に敗北は許されない。

 

「これだから倒れたんだろうな」

 

 痛い目を見ながらも反省することなく、自らの首を絞め続ける自分に呆れてしまう。

 負けること、失敗することを拒んだ僕は休むことなく、軋む体に鞭を打ち、ひたすらに自分を追い込んだからこそ、僕は過労で倒れ、今、ほとんど縁のなかった保健室にいる。僕自身、まさか過労で倒れるなんて、思ってもみなかった。確かに、最近はいつも以上に受験勉強に励んでいた。さらに、生徒会の仕事もいつも通りの調子でこなしていた。僕にとっては対して変わらない日常を過ごしているはずだった。

 いや、そう思い込んでいただけかもしれない。

 正直、僕は無意識のうちに父から告げられた事実を一時的にでも忘れようと躍起になっていただけかもしれない。

 

「まだ、十八にもなっていないのに結婚なんて……いったい今は江戸時代かなんかか」

 

 あの時、父から伝えられた話。

 それは許嫁が決まったということだ。

 黒澤家は沼津の網元としてそれなりの権力を持っているが、所詮は小さな沼津の中での話。父はそんな狭い箱庭では飽き足らず、もっと大きな世界を手中に収めたいと野望を抱いていた。

 その為に、僕と大きな家の娘と婚姻関係を結ぶことで新しい権力、資産を手に入れ、黒澤家を大きくしようとしている。

 僕はその為の一つの駒に過ぎない。

 本当に令和の世の話とは思えない。戦国時代や江戸時代の話にしか思えない。

 正直、馬鹿馬鹿しい。学も人望もなく、他人に寄生にするようなやり方で将来が安泰するなら、誰も努力なんてしない。

 でも、一家の大黒柱である父に異を唱える人は黒澤家には存在しない。

 亭主関白である父に逆らうことは許されない。逆らえば、痛い目に遭うのは間違いない。それに、黒澤家の繁栄という観点から見れば、父は間違ったことは言っていない。

 家の繁栄が幸せと感じるのならば、父に従うこと間違いではなかった。

 

「本当に……これでいいのか……」

 

 僕は単語帳を閉じ、視線を天井に移し、呆然とする。

 今までの僕なら飼い慣らされた犬のように何も考えることなく、従っていただろう。

 でも、今は……千歌さんに惚れてから変わった。

 父の支配から抜け出して、千歌さんと共に未来、家庭を築きたいと思い始めた。

 顔も名前も知らない相手よりも心の底から愛せる相手と幸せになりたい。例え、それが黒澤家が衰退するとしても構わない。

 僕は我儘な子供になりつつあった。

 

「でも……これでいいのか?」

 

 しかし、僕は子供にも松浦果南にもなれない。

 何故なら、僕には背負っている責任があるからだ。

 

「お兄ちゃん、迎えに来たよ」

 

 ガラガラと保健室の扉を開けると音と聞き慣れて甘い声が耳に入る。

 噂をすれば、現れたのはルビィだ。

 ルビィの手には二つの鞄。一つは可愛らしいピンクリボンが目を引く、ルビィの鞄。もう一つ、僕の鞄だ。

 

「ごめん。僕の荷物まで持たせてしまって」

 

 謝ると「気にしないでいいよ」とルビィが言う。

 僕の鞄は大量の参考書やノートが詰め込まれており、持ち運ぶには少々、厳しい。さらに、小柄なルビィに文字通り、荷が重たかっただろう。

 しかし、ルビィは嫌な顔一つせず、寧ろ、心配はかけまいとあどけない笑みを浮かべる。

 思いやりのある優しい妹だ。時より高校生とは思えない稚さを見せるのが玉に瑕か。

 

「それより、体調は……」

 

「あぁ。十分休息は取ったから頗るいいよ」

 

 昼から放課後まで、ずっと眠っていたおかげで、溜まっていた疲労は殆ど取れ、鉛のように重かった体は今では羽毛のように軽く感じられる。

 養護教諭の方からは「今日は早退したほうがいい」と勧められた。

 だが、ルビィが「一人で帰れるか不安」らしく、その結果、僕は放課後まで保健室で安静にして、それから一緒に帰るのがいいと言った。

 いくら、精神が子供になりつつあっても、それでも僕は高校生だ。流石に病み上がりでも一人で帰れないほど軟じゃない。

 しかし、帰宅したところで、父からの圧を感じるだけで、到底体を休められるとは思えなかった。

 それなら多少退屈でも学校にいる方が体も休められ、何より精神衛生上いい。

 

「それじゃあ、帰ろうか」

 

「うん!」

 

 僕は軽くなった体を起こし、ベッドから降りる。そして、ルビィが運んできた重い学生鞄を持つ。

 用意した僕が思うのもおかしいけど、ルビィはよく持ってこれたなと思う。

 準備が整い、保健室から出る時、机に向かって色々と仕事をしている養護教諭の方に一つ頭を下げ、僕達は昇降口へと向かう。

 コツコツと足音が廊下に響く。

 今まで過剰とも言えるほど冷房が効いた部屋にいたためか、廊下に出ただけで、額から多量の汗が流れる。

 疲れを取った筈なのに、一歩一歩、歩く度に足が重くなっていくのを感じる。

 喉が渇きを覚える。そう思ったタイミングで、ふと目に自動販売機が目に入る。

 

「ルビィ、何か飲む?」

 

 僕だけが飲むのも気が引ける。それに僕の荷物を持ってきてくれたお礼もしたかった。

 この提案にルビィは満面の笑みで受ける。そして、「りんごジュース」と元気よくせがむ。

 鞄から茶色の革製の長財布の中から百円玉を二枚取り出し、自動販売機に入れ、紙パックのりんごジュースと抹茶オレを買う。

 そして、りんごジュースをルビィに渡すと「ありがとう」と言って、美味しそうにジュースを飲む。

 僕も紙パックにストローを指し、抹茶オレを喉に通す。口の中に牛乳の甘さと抹茶の苦みが広がり、乾いた体がゆっくりと潤っていくのを感じる。

 水分を補給した僕達は昇降口に着くと、僕達は下駄箱から革靴を取り出し、床に置く。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。一つ聞いていい?」

 

 靴を履き終えると後ろに立つ、ルビィが唐突に口を開く。

 

「何だ?」

 

「千歌ちゃんのことどう関係なの?」

 

 夕日が反射し、宝石のように輝く瞳が訴えかけるように僕に向けられる。

 今まで女性とは同学年と生徒会メンバーだけという最小限の範囲と最低限の関わりしか持たなかった。

 でも、千歌さんはそのどれにも属さない。ましてや、わざわざ付きっきりで看病までしてくれた。

 はっきり言って、異常に思うだろう。

 僕をよく知っているルビィなら尚更だ。

 

「……どうって普通の後輩だよ」

 

「普通の後輩にあんな顔をするんだ」

 

 平静を装い、受け答えをするも、その仮面を剥がさんとルビィは痛いところを突いてくる。

 僕と千歌さんは先輩と後輩という普通の関係。ただ、特別な部分があるとするなら僕が一方的に千歌さんに思いを寄せているだけ。

 だから、隠し通せると思っていた。ルビィには僕の心の内を。

 どんなに高級なお菓子も普通の包装紙に包めば、市販のお菓子にしか見えなくなるようになると思っていた。

 

「……千歌ちゃんのこと、好きなの?」

 

「……何を言ってるんだ?」

 

「だって、初めてだもん! お兄ちゃんのあんな顔を見たの」

 

 でも、違った。

 まるで後頭部をバールのような硬い物で殴られたような衝撃が走る。

 どうして、ルビィが僕の気持ちを知っているのか。千歌さんへの思いは誰にも話していない。

 どんなに仮面をつけても、覆い隠しても、心の奥底に押し留めて密閉しても、隠したいの僅かな隙間から漏れてしまう。

 友達程度の浅い関係なら隠し通せるのだが、それ以上の関係、長年、一緒に生活をしている兄妹になるほど、難しくなる。

 僕にもそういった経験を幾つも体験したことがある。

 幼い頃のルビィは僕が用意しておいたプリンやアイスを勝手に食べることが多かった。恐らく、悪気があって食べた訳ではないはずだが、バレれば十中八九怒られると思ったルビィは必死に隠し通そうとしていた。

 でも、隠し事をするルビィは明らかに挙動不審で、気づかないわけがなく、何度も叱った。

 今では立場が完全に反対だ。

 僕は徐に抹茶オレを喉に通す。最初に口にした時よりも味が薄くなっていた。

 

「……パパの話はどうするの?」

 

「どうするも何も……受け入れるさ」

 

「……それでいいの?」

 

「あぁ。黒澤家の繁栄は僕の幸せ……でもあるから」

 

 もう一度、僕はストローを加える。しかし、紙パックの中にはもう空でストローには何も通らない。

 それでも誇りがある。でも、家の為に僕の人生を捧げることには納得していない。

 しかし、僕が自由に結婚すれば、そのしわ寄せは必ずルビィに来る。

 家を第一に考える父だ。僕が駄目なら無理矢理にでもルビィの婿を探すに決まっている。もし、その婿があまりにも自己中心的、或いは平気で暴力を振るうようなクズだったらと思うと僕は気が気でならない。

 こんな枷をルビィに嵌めさせたくはない。ルビィには幸せでいて欲しい。笑顔でいて欲しい。その為にも僕は自らの幸せを投げ捨て、人柱にならなくてはならない。

 

「いいんだ。きっと高海さんには好きな人がいる。その人と結ばれればそれでいい」

 

 最もらしい言い訳を吐き、ルビィを納得させようとする。

 我ながら、つまらない事を言う。

 

「お兄ちゃん……」

 

「……暑いな。確か、冷蔵庫にアイスがあったな」

 

 夕日がいつも以上に眩しく感じ、思わず俯く。足元から伸びる大きな影は僕から離れたいと言わんばかりに後ろに伸びている。



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13話

 騒がしいセミの鳴き声。うみねこ達の歌声。波のさざめき。そして、今までダイビングを楽しんできたお客さんの「ありがとうございました」の声が淡島に響く。

 

「ダイビング教室はここまでになります。今日は暑い中、わざわざ、遠方から起こし頂き、ありがとうございました!」

 

 果南ちゃんは柄にもない丁寧な口調で話している。

 淡島のダイビングショップの前にはダイビングスーツ姿の果南ちゃんと他の十数名のお客さん。

 体のラインが浮き出るダイビングスーツは果南ちゃんの高校生とは思えない、筋肉質で引き締まった体を惜しげもなく披露している。

 私はそんな果南ちゃんを日陰から呆然と眺めている。

 日陰に避難していても額から大量の汗が流れ落ちてくる。まるで夏休みだからと言って遊び惚けるなとくぎを刺すようにギラギラとした太陽がこの淡島を照り付ける。

 

「果南兄ちゃん! 海、凄く綺麗だった!」

 

「そうか! そりゃあ、良かった!」

 

 ダイビングスクールが終わると近所に住む男女半々に分かれている八人の子供達が果南ちゃんの元に駆け寄る。

 子供達の純粋な感想に果南ちゃんは満面の笑みを浮かべ、男の子と目線を合わせるようにしゃがむ。そして、乾き始めた子供達の頭を一人一人、クシャクシャと撫でる。

 面倒見が良くて、優しく、気前のいい果南ちゃんは子供達からよく好かれる。

 普段の生活でも、登校中に子供達から挨拶をされたり、鬼ごっこに誘われたりしている。

 時には探検ごっこと称して色んな場所に子供達を連れて行ったりしている。

 子供達も果南ちゃんに会うため、そしてダイビングを教わりたいということで、友達と一緒に淡島のダイビングショップを訪ねているのだ。

 

「じゃあね、果南兄ちゃん!」

 

「おう! また、遊びに来いよな!」

 

 子供達が去った後、私は回覧板を渡そうと果南ちゃんのもとに向かおうと踏み出す。しかし、順番はこちらが先と言わんばかりに私服姿の女子大生三人組が果南ちゃんを取り囲む。

 三人とも髪の毛を染めてたり、化粧も上手い。服装も都会の女性らしく、私に比べて圧倒的におしゃれだ。

 都会と田舎の差を見せつけられたような感じで、敗北した気分だ。

 そんな勝ち組の女子大生達は果南ちゃんに「ダイビング以外の趣味はなんですか」とか「女性のタイプは?」とグイグイとたくさんの質問を浴びせる。

 あまりの質問責めに果南ちゃんの表情には明らかに戸惑いの表情が浮かんでいた。でも、優しい果南ちゃんは折角のお客さんを蔑ろにはできず、やんわりと断り、頑張ってやり過ごそうとしている。

 女子大生達の気持ちもわからなくはない。偶然、旅行先で行ったアクティビティで若くてイケメンなインストラクターと運命的な出会えを果たせば、当然関係を築きたいと思うに決まっている。

 

「あの……まぁ……」

 

 果南ちゃんの視線が上下に泳いでいる。

 本当ならここで無理矢理、果南ちゃんの手を引っ張って、助けに入るのがかっこいい女性だろう。

 でも、私には勇気がない。ただ、悶々と果南ちゃんが開放されるのを待つしかなかった。

 

「全く、果南ったら。鼻の下伸ばして!」

 

 すると、背後から綺麗なソプラノボイスが聞こえる。

 そして、その直後。その声の持ち主は

 

「水ゴリラ!」

 

 と果南ちゃんに向けて、可愛らしい暴言を吐く。

 果南ちゃんの眉がピクリと動く。すると、すぐさま果南ちゃんは声のする方向に顔を向ける。

 

「鞠莉! 水ゴリラはやめろって!」

 

 そして、果南ちゃんはお客さんをそっちのけでズカズカと私と私の背後に立つ、鞠莉ちゃんに迫る。

 

「だって、こんな美女二人を放っておく方が失礼じゃない? ねぇ、ちかっち」

 

「え!? あ……うん」

 

 同意を唐突に求められ、思わずどもってしまう。

 私と鞠莉ちゃんは果南ちゃんを通じて知り合った仲だ。出会った当初は学年と立場の違いから、気不味く思う時もあった。しかし、鞠莉ちゃんがフレンドリーで壁や差を気にならなくなるくらい、親しく話しかけてくれて何より果南ちゃんの幼馴染という共通のネタがあったことからあだ名呼んでくれるくらいには仲がいい。

 そんな鞠莉ちゃんは私の果南ちゃんへの想いを知っている数少ない理解者の一人。知っているというより気づかれたというほうがしっくりくるか。

 鞠莉ちゃん曰く、事あるごとに果南ちゃんを目で追っているからすぐに気づいたらしい。

 私の秘めた想いを知った鞠莉ちゃんは色々とアドバイスをくれた。同じ島に住む幼馴染として、私の知らない果南ちゃんの好みについて。その好みにあった、身のこなし方。男の子がされたら嬉しいことなど、恋愛のノウハウをたくさん教えてくれた。

 時には悩みを親身になって聞いてくれたりもした。

 鞠莉ちゃんにはすごく感謝している。学年も違ければ、小さな町にある旅館の末っ子と世界的ホテルチェーンを経営する財閥の一人娘と立場も何もかもが違うはずなのに、どうしてこんなに私を気にかけてくれるのか。ある時、この疑問を鞠莉ちゃんにぶつけたことがある。その時、鞠莉ちゃんは恋する女の子のお節介をかきたいだけ。何より、私は鞠莉ちゃんと同じ()()を見ているからと説明してくれた。

 私は二つ目の意味がよくわからず、より深く追求しようと聞いても、はぐらかされて、答えてくれない。

 それから、暇があるときはずっとその意味を考えているけど、未だに理解せずにいる。

 

「Sorry。その前に何か言うことはあるわよね?」

 

「……はいはい、ありがとう」

 

 鞠莉ちゃんの悪びれることのない余裕な態度を前に、果南ちゃんは溜息を吐いて、不満そうに感謝を述べる。

 先ほどまで果南ちゃんを囲んでいた女子大生達はまるで熟年夫婦のようなやり取りをする果南ちゃんと鞠莉ちゃんを目の当たりにし、関係を築くのは無理だと悟ったようで悲しそうに肩を落としながら、桟橋の方に向かっていった。

 

「それより、悪いな千歌。待たせちまって」

 

「ううん。しょうがないよ。お客さんは大事にしないと」

 

「はぁ!? あなた、ちかっちに気づいていたの!?」

 

「当たり前だ? 俺が千歌を蔑ろにするわけないだろ」

 

「……ちょっとキモイわ」 

 

「うっせぇ。それで、千歌。要件は?」

 

 二人が夫婦漫才を繰り広げる中、不意を突かれた私は慌てて、手提げ袋から回覧板を取り出す。

 

「これ、回覧板」

 

「わざわざ、ありがとうな」

 

 私から回覧板を手渡されると果南ちゃんは爽やかな笑顔を浮かべる。

 淡島の空に浮かぶ太陽なんかに負けないくらい、眩しくて、思わず眩暈がする。

 少し意地汚いかもしれないけど、あの三人の女子大生には向けられなかった笑顔を私に向けてくれたことは愉悦で、ちょっとした安心感があった。

 

「そうだ。これから昼飯作るのだけど、良かったら二人も一緒に食うか」

 

「本当! 食べたい!」

 

 私の心がうさぎのように飛び跳ねる。

 果南ちゃんの料理は美味しい。何より、好きな人の手料理を食べられるなんて、どれほど幸せなことか。

 

「私はPass。この後、用事があるし。それに……ね」

 

 そう言って、鞠莉ちゃんは私に目配せをする。

 

「そうか、そりゃあ残念だ。今度またご馳走するよ」

 

「果南の癖に気遣いするなんて」

 

「折角、人が親切してやってんのに」

 

 果南ちゃんは不満そうに頭を掻く。それを見て、鞠莉ちゃんはフフッと笑う。

 二人のやり取りがすごく羨ましい。同年代で、幼い頃から同じ島で一緒に暮らしているからか、果南ちゃんと鞠莉ちゃんの距離はすごく短い。互いに遠慮することなく、好きなことを言い合えて、ぶつかり合える。そして、さっきみたいに言葉を交わすことなく、助けたり、気遣いができたりできる。

 正直、鞠莉ちゃんは私にアドバイスするくらいなら果南ちゃんと付き合うべきだと思う。少なくとも、私よりもお似合いだと思う。因みに冗談でこのことを言ったら、鞠莉ちゃんはまるで般若のような表情を浮かべて、怒られたことがある。

 

「それじゃあ、そろそろ行くわね。See you」

 

「あぁ、またな」

 

「じゃあね、鞠莉ちゃん」

 

 別れを告げ、鞠莉ちゃんは自宅兼、ホテルの方に戻っていった。

 

「さて、んじゃ。飯にするか」

 

「うん!」

 

 鞠莉ちゃんの背中を見送った後、果南ちゃんはゆっくりと振り返り、ダイビングショップへと向かう。その後、私はついていくのであった。



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第14話

 コンロの上に置かれた大きな中華鍋の中にはパラパラの米粒と卵やカニカマ、青ネギ等その他食材が熱せられた油によって、踊るように跳ねている。

 今日の昼飯は炒飯だ。大量に作れて、何より手っ取り早く作れるから、忙しい夏にはお世話になる。

 

「あっちぃなぁ」

 

 火を扱うキッチンはとても暑く、クーラーがガンガンに効かせていても、ひっきりなしに額から汗が流れる。

 汗が料理に入らないよう、首にかけたタオルで汗を拭き取る。

 今日の炒飯は一味違う。

 いつもなら俺とじいさん二人だけということで具材も味もそこまで重視せず、ただただ大量のご飯に大量の具材を投入して、炒めだだけの「男飯」みたいな炒飯。

 それはそれで旨いのは確かだ。

 でも、今回は客人がいる。キッチンと併設されたリビングではテーブルを前に千歌が椅子に座って、まるで子犬のようなつぶらば瞳で今かと今かとワクワクした様子で俺に注目していた。

 あの期待を裏切るわけにはいかない。千歌というか女性の口に合うような飯に仕上げなくてはならない。そして、旨い飯を作って千歌を喜ばせつつ、料理ができる男というかっこいい姿を見せなくてはならない。

 

「よしっ!」

 

 俄然、やる気が湧いてきた。スポ魂漫画なら、目に炎が浮かんでいるところだ。

 俺は中華鍋を手に取り、前後に振る。

 米粒と混ざった具材が綺麗な曲線を描き、宙に浮く。そして、一粒も零れることなく中華鍋に収まる。

 すると、後ろから「すごい」と感嘆の声と、拍手が聞こえてくる。

 背中がむず痒くなり、嬉しさのあまり、顔がにやける。テレビに出演している料理人はこんな気持ちなのか。よく仕事に手が回るな。

 いい感じに火が通り、米粒もパラパラになったところで予め用意しておいた二つの皿に炒飯を移す。一つは俺が食べる用に大盛りにする。

 たちこめる湯気と醤油の香りが食欲をそそる。

 

「できたぜ!」

 

 炒飯の出来栄えは我ながら上手いと思う。きっと、千歌も喜んでくれるだろうと思いながら皿を両手に持つ。そして、意気揚々と千歌の前にコトっと皿を置く。

 すると、千歌はまるで夜空に浮かぶ星のように目を輝かせ、炒飯を凝視する。

 

「美味しそう! それにいい匂い!」

 

 千歌は手を合わせ、「いただきます」と言って、スプーンの上に炒飯を乗せ、口の中へと運ぶ。

 その一連の動作を俺は固唾を飲んで見守る。

 

「どうだ?」

 

「うん! 美味しい! ほっぺがこぼれ落ちそうだよ!」

 

「よかった。今回は暑いから少し塩気を多めにしたんだけど、しょっぱくないか?」

 

「ううん。ちょうどいいくらいだよ」

 

 まるで蜂蜜みたいに蕩けるような笑みを浮かべる。そして、次々と炒飯を口に運ぶ。

 千歌の満面の笑みを見ているだけで、腹が膨れる。

 

「果南ちゃん?」

 

「こんなに美味しいご飯なら毎日食べたいなぁ」

 

「千歌……そういうことはあんまり言わない方がいいぞ。色々……勘違いする……」

 

「えっ?……あっ!」

 

 千歌は始めはキョトンとしていたが、次第に言葉の意味を理解してきたのか、頬が赤くなっていく。そして、恥ずかしそうに視線を右横にあるテレビに逃がす。

 毎日、相手の手料理を食べたいなんてプロポーズにおいて決り文句みたいなものだ。本人に冗談のつもりでも人によってはそう捉えてしまう。

 特に俺は願望も相まって本気にしてしまいかねない。

 

「そういや、千歌は夏休みはどっか旅行に行ったりするのか?」

 

 俺は炒飯を飲み込み、世間話を始める。

 

「行きたいんだけど、家のお手伝いがあって……。はぁ、折角の夏休みなのにどこも行けないのは嫌だなぁ」

 

 そう言って、千歌は不満そうに頬を膨らませる。

 千歌の家は旅館を営んでいて、基本的に長期休みのこの時期は忙しい。しばしば従業員だけでは手が回らず、娘である千歌達を手伝いをお願いしている。

 一応お手伝いをすればお小遣いが貰えるようだが、まだ遊び盛りの千歌はお小遣いよりも遊びに行きたいようだ。

 

「果南ちゃんは……そういえば受験生だったね。ちゃんと勉強してるの? というか受験するの?」

 

「失敬な。一応、進学はするさ」

 

「えぇ! 意外! 果南ちゃんのことだからてっきりお店を継ぐから進学なんてしないと思ってた」

 

「そりゃぁ、継ぐからには経営について多少は勉強はしないといけねぇからな」

 

 俺も千歌の予想通り、進学するつもりはなかった。

 でも、親父や爺さんの働いている姿を見て、もう少し学がないとやっていけないと経営なんてやっていけないと思った。ましてや、収入にどうしても波が生まれるダイビングショップの経営だ。雑な経営では折角親子三代で続いてきた店が俺の代で潰れてしまうのは嫌だ。

 それに経営以外にも俺はもっとダイビングインストラクターとしての勉強がしたかった。

 だから進学することを決めたのだ。

 しかし、進学するにあたって俺は一つ大きな問題が生まれた。そのことについても千歌に話したかったのだが、

 

「あ、ここ」

 

 千歌はテレビに視線を奪われていた。

 

「知ってるのか?」

 

「うん。新婚のお客さんが凄く綺麗な場所で良かったって話してたんだ」

 

 テレビでは夏のお出かけにおすすめのレジャースポットの紹介として、伊豆の観光地を紹介していた。

 そして、今は「恋人岬」というスポットについて人気のお笑い芸人三人とゲスト女性モデルが色々と見て回っている。

 昔とある男女が遠距離恋愛していた。女性が相手と結ばれるように毎日神様に祈っていた。

 すると神様が二人に鐘を一つずつ渡した。

 それから男は朝晩、岬の近くを付近を船で通るときには鐘を三回鳴らして、互いに愛を確かめたという逸話からそう呼ばれている。その逸話になぞってか実際に鐘のオブジェが置かれているとテレビでは紹介している。

 

「恋人……ねぇ」

 

 俺は千歌を一瞥する。

 その昔話の男とは違い、俺はすぐ近くに思いを寄せる相手がいる。

 でも、関係が壊れること、拒まれることに恐れ思いを伝えることができない。

 本当に情けない男だ。

 だから……そんな情けない男はもう卒業しなくちゃいけない。

 

「覚悟……決めなくちゃな」

 

 千歌に聞こえないようにポツリと呟く。

 二人きりというこのチャンスを生かす他ない。

 

「なら、行くか?」

 

「えっ?」

 

 千歌は素っ頓狂な声を上げる。

 平然を装っているが、俺の心臓は爆発寸前と思えるくらい激しく鼓動を打つ。

 

「行きたいんだろ? ここに」

 

 俺がそう言うと千歌はゆっくりと首を縦に振る。

 

「でも、恋人岬だよ……」

 

「な、なぁに。別に景色を見に行くだけだろ? それにカップルじゃないと行っちゃいけないなんてルールはないだろ?」

 

「そうだけど……」

 

 千歌の反応があまり良くない。行きたそうにテレビを見ていたとはいえ、まだ幼馴染の関係でしかないのいきなりカップルが行くようなスポットに誘うのは抵抗があったか。

 そう考えた瞬間、不安にかられる。まぁ、拒まれたら仕方がないと諦めるしかない。

 しかし、不安は杞憂に終わる。

 

「期待して……いいの?」

 

「えっ!……な、何を?」

 

「ううん! 何でもない! 行こう! 日にちはどうする?」

 

「それなら、後でLINEで行けそうな日を送ってくれれば合わせるよ」

 

「わかった」

 

 そして、千歌はニッと可愛らしい笑みを浮かべる。

 そんな笑顔を見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 行き当たりばったりだけど、千歌とお出掛け……いや、デートに誘えて、良かった。しかし、安心するのはまだ早い。寧ろ、ようやくスタートラインに立ったばかりでここからが本番。今回のデートを千歌を喜ばせ、しっかりエスコートして、やっと成功する。

 それにしても「期待していい」とは一体どういう意味なのか?

 楽しいお出掛けを望んでいるかもしくは……。

 いや、それはあまりに自意識過剰か。

 告白されるのを望んでいるわけ……ないよな?



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15話

 窓の外では晴天の下、夏の風物詩である蝉達がひっきりなしに声を上げている。

 そんな蝉達の歌声を聞きながら、私は家庭科室で梨子ちゃんと曜ちゃんと一緒に学園祭で出す料理の研究をしている。

 私達のクラスはメイド喫茶をやる。今のところはコーラやオレンジジュースなどのソフトドリンク以外に曜ちゃんの特製の「ヨキそば」や手作りのクッキーを販売しようとしている。学園祭の出し物であるため元は取ることを許されても利益は出してはいけない。さらに限られた費用の中で中学生でも負担にならないくらい安価で、料理が下手な男子でも簡単に作れて、ある程度美味しい料理を考えるのが私たちの仕事。

 でも、今の私にとって学園祭の準備どころじゃない。

 この前、果南ちゃんと約束したお出掛け……私にとってデートのことで頭が一杯になっている。

 幼い頃は一緒に近場で遊んだことはあったけど、遠くまでどこかに出かけたことはなかった。思春期の私たちにとっては男女二人きりで出かけるということは恥ずかしく、ハードルが高い。ましてや片思いしているなら尚更だ。

 でも、やっと壁を壊し、次の段階に進めた。

 そして、恋人岬に行くということで私は少なからず、期待してしまう。果南ちゃんからの告白を。

 だって、公園でも遊園地でもなくて、わざわざデートスポットに行くと約束すれば、勘違いするに決まっている。

 

「千歌ちゃん、どうしたの? さっきからにやけてるけど」

 

「ふぇ!?」

 

 色々と果南ちゃんへの思いを巡らせていると、梨子ちゃんは私の顔を覗き込んでくる。

 しまった。思わず顔に出てしまった。私は慌てて、顔を表情を引き締めるように頬を両手で叩く。

 

「何々? そんな私の料理が楽しみなの? それとも明後日の誕生日が待ち遠しい?」

 

 すると、曜ちゃんは料理する手とコンロの火を止めて、ニヤニヤと笑う。

 確かに曜ちゃんの作る料理は絶品だ。特にヨキそばなんてお店を出せるくらい美味しい。それに明後日は私の誕生日である八月一日ということで二人と果南ちゃんが誕生日パーティーを開いてくれるのだ。

 無論、その二つも果南ちゃんとのデートと同じくらい楽しみだ。

 

「それもあるけど!」

 

「「けど?」」

 

 梨子ちゃんと曜ちゃんの声が重なる。そして、神妙な面持ちで私の顔を凝視する。

 まるで私の顔に何か浮かび上がっているかのように。

 

「千歌ちゃん! 何か隠してない?」

 

「何も隠してないよ!」

 

「嘘だぁ。この曜ちゃんの目は簡単に欺けないよ」

 

「あ……何か喉が渇いたなぁ。そ、そうだ! の、飲み物買ってこよう!」

 

「あっ! 千歌ちゃん!」

 

 私はあからさまな嘘を吐いて、二人の前から逃げるように去る。

 このままだとどこかでボロが出て、果南ちゃんとのお出掛けのことを二人に知られてしまうかもしれない。

 正直、曜ちゃんに関してはいいけど、問題は梨子ちゃんだ。私と同じで果南ちゃんに思いを寄せる梨子ちゃんにこのことを知られたら……すごい気まずい。

 そんなことを考えながら、私はそそくさと階段を降り、一階にある自動販売機のある場所に向かう。

 自動販売機の前に着き、財布を取り出し、百円玉一枚を入れる。そして、緑色に光るボタンを押し、ペットボトルのみかんジュースを買う。

 

「おや、千歌さん。奇遇ですね」

 

 蓋を開けて、みかんジュースを飲もうとしたその時、聞き馴染みのある声が耳に入ってきて、私は振り返る。

 

「黒澤先輩!」

 

 そこには屈託のない笑みを浮かべた黒澤先輩がいた。

 ズボンはいつも通りの制服だけど、上はワイシャツ姿で細身でありながら、引き締まった体がよくわかる。

 

「学園祭の準備ですか?」

 

 先輩は自動販売機でブラックコーヒーを買いながら世間話を始める。

 ブラックコーヒーなんて先輩は大人なんだなぁ。果南ちゃんだったら「苦いだけの何がいいんだ」ってたくさん砂糖をいれるんだろうな。

 

「はい! 先輩はどうして学校に?」

 

「いつもの通り、勉強しに来ました」

 

「わざわざ学校まで!? 坂とか大変じゃないですか?」

 

「僕はバイク通学なので特に関係ないですね」

 

 意外だった。まさか黒澤先輩がバイクを持っているなんて。

 確かに田舎でバスの本数も少なく、沼津とは距離があるからバイクがあると何かと便利なのだろう。果南ちゃんも沼津に買い出しに行くのにバイクがあると結構便利と言っていた。

 それにしても、先輩のバイクに跨る姿。きっと格好になるんだろうな。

 

「やっぱり先輩は真面目ですね。そんな毎日勉強なんて、千歌にはできないです」

 

「まぁ、受験生ですから。でも、千歌さんは2年生ですので来年は……」

 

「あ……そうですね……」

 

 私は苦笑いを浮かべる。

 ほんの一年前まで大人になっても旅館を手伝うつもりでいるから、大学には進学するつもりはなかった。でも、両親には将来何が起こるか、どんな道を進むかわからない。だから、選択肢を広げるためにも大学には行くべきと言われ、そもそも旅館を手伝いにしても教養が必要だからと耳に胼胝ができるくらい説明された。

 両親の話を聞いて、それならと一応は進学を考えているけれど、あんまり好きじゃない勉強を毎日しなくてはならないと思うと憂鬱で仕方がない。

 

「高海さん。今の内に勉強を習慣にしておくと、後に楽になります。夏休みなんか宿題があるので習慣付けにもってこいですが……ちゃんと宿題に手を付けていますか?」

 

「あはは……」

 

 私の愛想笑いで察した黒澤先輩は「全く」と呆れる。

 

「高海さん。宿題は持って来ていますか?」

 

「えっと……。少しだけ」

 

「よろしければ、用が済んだら図書室に来てください。少しなら宿題、見ますよ」

 

「そんな! 悪いですよ!」

 

 大事な受験勉強を時間を割いて、私の面倒を見てもらうなんておこがましいことを頼めるわけがない。

 だから断るものの、

 

「お気になさらず。却って復習にもなりますし、それに教えながらの方が頭に入りやすいので」

 

 と笑顔をで押し切られてしまう。

 

「そう……なんですか?」

 

 すると、先輩は短くと「えぇ」と言う。

 そう言われると何となく断りづらくなる。

 でも、迷惑じゃない。寧ろ、力になれるうえに宿題も片付くのなら、曜ちゃんが言う「うぃんうぃん」の関係なら、いいのかな。

 

「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 

「ありがとうございます。では、図書館にいますので用が終わったら来てください」

 

 先輩はまるで子供みたいなあどけない笑みを浮かべる。そして、軽い足取りで図書室に繋がる廊下を歩いていく。

 凄い偶然というか何だろう。まさか、こんなタイミングで先輩と会うなんて、運命的なものを感じてしまう。

 それにしても、先輩はどうしてこんなに私を気に掛けてくれるのだろう。いや、親切にしてくれるのは嬉しい。

 でも、所詮は同じ学校の先輩と後輩。さらに生徒会や同じ部活に所属してもなく、接点なんて大してないないのに……。



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16話

 八月まで残り数日と言った七月の某日。俺は沼津駅周辺にある喫茶店に居た。

 窓際の四人掛けの席に座り、外を眺める。Yシャツ姿のサラリーマンやワンピース姿の女性達が額に汗を流しながら、炎天下の街中を歩いている。

 暑い中ご苦労さまと優越感に浸りながらLサイズのアイスコーヒーを喉に通す。

 アイスコーヒーを半分ほど飲み終えた頃だ。いよいよ待ち人の男女二人組がやってきた。二人は店内ぐるりぐるりと見回している。

 俺はゆっくりと手を上げると、二人はこちらに向かってくる。

 

「おぉ、来たか!」

 

「来たか、じゃないずら。一体、何の用なの?」

 

 不満そうにしているのは国木田花丸だ。その隣には花丸の彼女である善子も一緒にいる。

 二人は仲睦まじく手を繋いで、夏というのに肩を寄せ、密着している。こんな真夏だと言うのに、密着していて暑くないのか。見ているこっちが暑くなってくる。

 この二人は浦の星でも超が付くほどのバカップルとして良くも悪くも有名だ。

 そんな二人との出会いは五月の下旬頃。段々と梅雨の兆しが見え始めた頃。

 二人が街中でチンピラに襲われていたところをたまたま俺が助けに入ったという、いかにも俺らしい出会い方だった。

 

「そう言わずに。詫びに好きなもん奢るからさ」

 

「珍しい。ケチで果南先輩が奢るなんて」

 

「ケチは余計だ」

 

 上級生だろうと二人は容赦なく、失礼なことを言う。

 それだけ、仲がいいというか分け隔てないというか。

 

「それじゃあ、遠慮なく。すみません。アイスコーヒー二つと卵サンドとBLTサンド。後はカレーライスを下さい」

 

「……え? マジ?」

 

 俺は呆然とする。

 奢るとはいくら何でも限度ってものがあるだろ。

 

「これくらい、普通だよ? 善子ちゃんは?」

 

「え? 私は……珈琲だけでいいわよ」

 

 善子は俺の顔を一瞥する。

 普段は堕天使と自称する中二病の痛い女の子だが、そんなキャラとは想像できないくらい普通に空気が読めて、気遣いができる名前の通り善い子だ。

 そんな善子だ。花丸が容赦なくオーダーした事に彼女としてせめて自分は珈琲だけで遠慮しようと考えているのだろう。

 正直、そうしてくれた方が助かる。高校生の財布事情なんてたかが知れてる。

 だが、それでいいのか松浦果南。後輩に、まして女の子に気を遣わせるなんて先輩としての威厳は何処に行った?

 俺は意を決して、

 

「店員さん。いちごパフェ一つ……いや、三つお願いします」

 

 と注文を言う。

 店員は紙にスラスラとペンを走らせ、終えると「承りました」と言って、厨房へと戻っていた。

 あぁ。薄くなった財布のすすり泣く声が聞こえてくる。

 

「ご馳走様です」

 

「その……悪いわね」

 

「あぁ……気にすんな」

 

 相談の代償にしては鉛のように重い。しかし、千歌とのお出かけの成功の為なら背に腹は変えられないと言い聞かせる。

 

「それで相談って、何なのよ」

 

「あぁ、その……」

 

 いざ、相談するとなると恥ずかしくなって、不意に窓の外に視線を移す。

 外には相変わらず多数の通行人がいて、いつもの変わらない風景がそこにあった。

 

「お待たせしました」

 

 ウェイトレスがオーダーしたメニューをぞろぞろと運んでくる。

 テーブルにカレーやら珈琲、パフェなどが一同に並べられる。

 そして、善子はパフェを、花丸はカレーを口に運ぶ。二人とも「美味しい」と幸せな声を漏らす。

 

「デ、デートの立て方教えてくれ!」

 

 そんな二人に対し、手をついて、おでこを机を付けるように頭を下げる。 

 すると、二人は目を合わせて、呆れたように溜息を吐く。

 

「童貞臭い質問ずら」

 

「うるせぇ!」

 

「もしかして、千歌さんと……」

 

 善子は目を見開き、パフェを食べ進める手を止める。

 俺はゆっくりと首を縦に振る。

 

「……明日は雪でも振るのかしら」

 

 スプーンを置き、善子は口元を抑え、ありえないと言わんばかりに激しく動揺する二人に流石の俺でも眉を顰める。

 

「お前ら……俺を一体何だと思っている」

 

「ヘタレよ」

 

「ヘタレずら」

 

「そんなはっきり言わなくても……」

 

「でも、実際今までは何も行動できなかったわけでしょ?」

 

 心臓に鋭利な槍が突き刺さる感覚。

 全く以てその通りだ。何も出来なかった。関係が壊れること、拒絶されることを恐れて俺は一歩を踏み出すことをしなかった。 

 

「ま、まぁ。それでも今回は行動できたし……」

 

「甘いずら! 果南ちゃん。その考えはパフェのように甘い」

 

 善子から分けて貰ったパフェを口に運びながら、まるで犯人を探し当てた名探偵のように堂々と言い切る。

 

「幼馴染だからって必ず好意を受け入れてくれるとは限らないよ」

 

「そうそう。私達も幼稚園からの幼馴染だけど、意識し始めたのは結構最近だし」

 

 ぐうの音も出ない。

 千歌だって、もしかしたら俺のことはただの幼馴染とか、近所の兄ちゃんくらいにしか思っていないかもしれない。

 

「まぁ、いいずら。それでデートの計画の仕方が知りたいんだよね?」

 

「そうだ。二人は何か特別なことってやってるのか?」

 

「う〜ん。私達は特にこれと言ったことはしてないわね。ただ、行きたいところに二人で行ったりするくらいね」

 

「……そんなのでいいのか?」

 

 すると善子は首を縦に降る。

 

「花丸は……何かしないのか? エスコートしたり、計画表立てたり……」

 

「エスコートくらい、男として普通だよ。でも、そんな綿密に計画表を立てたりはしないかな」

 

 拍子抜けした。

 てっきり、相手を楽しませる為に入念に下調べをし、綿密に計画を立てて頭の中で何度もシュミレーションしたりするものだと思っていた。

 

「でも、果南ちゃんの気持ちもわかるよ。マルだって初デートの時は緊張したもん」

 

「確かにしっかりエスコートしてくれると、私も男らしいと思うし、そこはしっかりした方がいいと思うわ。でも、別に……花丸と一緒なら何処に行っても嬉しいし、楽しいわ」

 

「そんなものなのか?」

 

「逆に好きな人と一緒にいるのが楽しくないの?」

 

「そんなわけないだろ」

 

 そう反論すると「そういうことよ」と善子は言う。

 なるほどと俺は頷く。

 

「それで、果南ちゃん。参考になった?」

 

「……なってないと言えば嘘になる」

 

 すると「それなら良かった」と花丸は右手にタマゴサンド、左手にBLTサンドを持って、交互に食べる。

 

「つーか、花丸。お前、それだけ食っても太らないんだな。帰宅部だろ? 運動とかしてんの?」

 

 最初は些細な好奇心だった。

 花丸は食べる量に比べて体は割と細身だ。腹なんか出てない。だから、細い体を維持する為に何か運動でもしてるのかとそう思っていた。

 しかし、この些細な好奇心が俺の心を傷つけることになる。

 

「うーん。善子ちゃんと沢山エッチしてるからかな?」

 

「は、はぁ!?」

 

 思わず、口に含んでいた珈琲を吹き出す。 

 

「お、お前は!」

 

「もう、善子ちゃんとヤッたよ。童貞の果南ちゃんとは違って何回も」

 

「ず、ずら丸! 何言ってんのよ!」

 

 善子は顔を蒸れたりんごのように赤くして、花丸の暴走を止めようとする。

 

「いいんじゃん。恋人なんだからしてもおかしくないでしょ」

 

 しかし、花丸は止まる気配がない。

 というか、変わらない表情を見る限り、平常運転なんだろう。

 

「善子ちゃんはね。ベッドの上でも可愛いんだよ」

 

 すると、花丸は恥ずかしがることも照れることもなく、羽毛のように優しく善子を抱き寄せる。

 

「や、だ、だめぇ。それ……気持ちいい……から……」

 

「こうやって抱きつかれるだけで、気持ちよくなっちゃうし」

 

 抱き寄せられ、善子は相変わらず顔が赤いものの、目はトロンと蕩けていて、まるで頭を撫でられている猫のような表情になっていた。

 そんな善子の耳元で花丸は

 

「愛してるよ」

 

 と囁くと、善子の体はピクリと跳ねる。

 二人がバカップルと言われる所以がわかった。この二人はひと目を憚らずイチャつき始める。

 花丸は公衆の面前で恋人とイチャつくことに何の抵抗もないのだろう。というか、寧ろ見せつけたいというか善子を辱めたい、独占したいなんてサディスティックな気があるのだろう。

 そして、善子は恥ずかしがるもののマゾヒズムの気があるようで、束縛されることで性的興奮が増長されるのだろう。

 ドSとドMという組み合わせで相性が悪いなんてことはない。

 目の前でくだらない寸劇を珈琲を飲みながら、死んだ魚のような目で眺める。

 砂糖が入っていないはずなのに珈琲は吐くほど甘く感じられる。

 



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17話

 冷房が効いた図書室は過ごしやすく、勉強に集中しやすい。にも関わらず、図書室には僕と千歌さんの二人だけしかおらず、ペンを走る音が響いている。

 そして、左隣では千歌さんが数学の宿題とひたすら睨み合っている。

 隣に千歌さんがいる。それだけで僕の心は暖かくなり、幸せな気持ちなる。

 どんな問題の苦戦しているのだろうと、僕は顔を覗き込んで確認する。

 僕は唖然とする。千歌さんが悩んでいるのは高校一年生レベルの初歩中の初歩の問題。

 先行きが不安になる。

 

「高海さん。ここはこの公式を当てはめて……」

 

 でも、その杞憂は直ぐに晴れる。

 僕は適当に解説すると、千歌さんは直ぐに飲み込んだようで「なるほど」と言って、スラスラとペンを走らせる。

 そして、「できた!」と言って、僕に答えを見せる。

 

「正解です」

 

 すると、千歌さんは「やったー」と子供みたいに喜ぶ。

 

「先輩って教えるの上手ですね」

 

「まぁ、ルビィの勉強も見ていて、慣れていますから」

 

「いいなぁ。私も先輩みたいにわかりやすく教えてくれるお兄ちゃんが欲しかったなぁ」

 

 千歌さんは残念そうにそう話す。

 確か、千歌さんにはここの卒業生である二人の姉がいることは知っている。

 でも、年齢的に二人は社会人であり、千歌さんに勉強を教える暇なんてないのだろう。

 そして、当然、あの松浦果南が千歌さんに勉強を教えるわけがない。いや、教えられるわけがない。

 テスト後に発表される順位ではいつも下から数えた方が早い。それどころかワーストを取るレベルの酷さだ。

 学力。僕が唯一、松浦果南に勝っていると自負している点だ。これをアピールすれば……。

 

「でしたら、定期的に僕が見ましょうか?」

 

「でも……」

 

 頭に乗って、僕がそう言うと千歌さんは黙ってしまう。

 しまった。流石におこがましいか。

 

「あの、一つ聞いていいですか?」

 

「何でしょうか?」

 

「先輩はどうして、私をこんなに気にかけてくれるんですか?」

 

 喉が何かを詰められたように塞がり、言葉が発せなくなる。

 ルビィが勘繰る理由がやっとわかった。僕と千歌さんは普通の先輩と後輩の関係だ。それなのに明らかにそれ以上の関係が行うようなことを僕は求めている。

 勉強を教え合うのだって幼馴染や友達、部活の仲間同士ならまだしも大した繋がりもない普通の先輩も後輩だけの繋がりだったらきっとやらないことだ。

 言うなれば僕のやっていることは不自然なのだ。

 千歌さんのことを思っていることを知っていれば、逆に当然のことにように見えるが知らない人にとっては不自然な行動なのだろう。

 

「それは……」

 

 もう、隠し通すのは無理かもしれない。

 それなら一層、ここで告白するべきなのだろうか。そうすればきっと、千歌さんは全てを理解してくれるはず。

 しかし、理解してくれるだけで、きっと僕の思いを受け取ってくれない。

 だって、千歌さんの目には松浦果南しか映っていないから。それに図書室で告白するようなムードも雰囲気も大事にしない男なんて、いくら天才科学者やオリンピック選手でも恋人にはしたくないだろう。

 

「……この前のお礼ですよ」

 

「この前……保健室の……」

 

 僕はつまらない言い訳を吐く。

 すると、千歌さんは納得したようにうんうんと首を縦に振る。

 

「ふわぁ……」

 

「千歌さん?」

 

「すみません。ちょっと、眠くなってきちゃって……」

 

 千歌さんは虚ろな目を擦る。

 仕方がないことだろう。スマートフォンに表示された時計を確認する。今は三時過ぎ。勉強を始めたのが一時手前だったので、既に二時間近く経っていた。

 その間、二回ほど休憩は取ったものの、慣れない勉強……学生としてあるまじきことですが、ともかく集中して頑張っていたのですから、疲れるのも無理はない。

 

「そうですね。今日はこの辺で切り上げましょうか」

 

 きりがいいということで、今日の勉強会はここで終了。

 僕は帰り支度をしようと参考書に手を伸ばしたその時だ。

 突然、左肩に何かが当たる。

 ふと、視線を移すと千歌さんが気持良さそうに寝息を立て、僕の肩を枕代わりにぐっすりと眠っていた。

 僕は眠る千歌さんに心を奪われる。ただ眠っているだけなのにそれすらも可憐だ。

 そして、千歌さんの暖かな体温が体の芯まで届く。

 女性特有の甘い匂いが鼻腔をくすぐり、理性を麻痺させる。

 

「こんなに近くにいるのに……」

 

 ふいに反対の手を伸ばして、千歌さんの頬を撫でようとする。

 眠っている女性の手を出すなんて、何と卑怯な男だろうか。

 でも、少しだけ、ほんの少しだけでもいいから千歌さんに触れて、千歌さんを感じたい。

 

「かな……んちゃん……」

 

 しかし、触れる寸前。千歌さんの口から不意に漏れた男の名前。

 僕は伸ばした手をスッと引っ込める。

 千歌さんにとって、僕は所詮、ただ気にかけてくれるだけの「普通」の先輩。「特別」でも何でもない。

 なんと、哀れな男なんだろう。最初から振り向いてくれないと知りながら、既に別の男に心惹かれていると知りながらも諦めきれず、手を出して、勝手に自爆しているだけ。

 未練がましくて、自分に嫌気が指す。

 

「……僕は情けない男だ」

 

 千歌さんを起こさないようにポツリと呟く。

 冷房が酷く冷たく感じた。



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18話

 窓に茜色の日差しが差し込む。

 千歌さんがゆっくりと僕の肩から離れ、「ふわぁ」と大きな欠伸を一つして、うんと背中を伸ばす。まるで縁側で丸くなっていた猫みたいで愛くるしい。

 大人になって、年をとって千歌さんと縁側に腰掛けて、熱いお茶を口にしながら思い出話に浸りたい。

 そんなありえない未来を夢見ていた。

 

「おはようございます」

 

「……おはようございます」

 

 彼女が目覚める時、僕の束の間の幸せは終わりを告げる。

 

「あれ……私……ダイヤさんの肩を……」

 

 千歌さんは寝ぼけまなこで今まで枕代わりにしていた僕の肩をじっと見る。

 意識が覚醒していくにつれ、僕の肩を枕代わりにしていたことに気づき、千歌さんの顔が引きつっていく。

 

「大丈夫ですよ。僕はその程度のことは気にしないのでください」

 

 別に肩を枕代わりにされたくらいで怒るほど短気ではないし、器が狭いわけがない。

 寧ろ、千歌さんを直に感じられて、幸せなひと時だった。

 

「私……どれくらい寝てました?」

 

「大体、二時間近くですね。ですから、もう帰宅しないと……」

 

「やばい! 早く帰らないと美澄ねぇに怒られちゃう!」

 

 ふと、時計を見ると短針が後少しで五を指すところ。

 どうやら高海家には門限があるようで、慌てようから察するに破るとかなり厳しい説教、あるいはペナルティがあるそうです。どちらにせよ下校時間になるため、早々と帰宅しなければなりません。

 

「えっと、これをしまって」

 

「そんなに慌てると……」

 

 慌てて、千歌さんは机に広げたままの参考書と宿題の入ったファイルを鞄に仕舞おうとする。

 急ぐことは必要ですが、慌てればそれだけ盲目的になり、ミスを犯す可能性が高くなる。

 僕が注意しようとした瞬間、千歌さんは案の定、宿題が入ったファイルを落としてしまい、中身のプリントが全て床にばら撒かれてしまう。

 

「あわわわ!」

 

 無造作に散らばった千歌さんは慌てて、プリントを拾い集める。

 おっちょこちょいな千歌さんに呆れつつも、放っておけない僕はプリントを拾い集める。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう……ございます」

 

 千歌さんはしっかりと礼を言う。

 でも、表情は曇っていた。さっき、答えのわからない問題について、悩んでいた時と同じ表情だった。

 

「やっぱりおかしいです」

 

「何がですか」

 

「私にたくさん親切してくれて……忙しいはずなのに勉強まで教えてくれて……私って何も取り柄もなくて……先輩に比べれば……普通なのに」

 

「そんなことはないです」

 

 千歌さんは辛そうに視線を逸らす。僕は千歌さんの頭を撫でる。

 

「普通でいいじゃないですか。特別でいることは結構大変ですよ。それに昔みたいに公家や庶民など明確な身分さがあるわけではないです。誰もが誰かと等しく関わること許されているのが今です」

 

 確かに僕は特別な人間だと自負している。

 勉強もスポーツだってできるし、生徒会を任されるくらいのリーダーシップだってある。でも、僕は特別になるために血反吐を吐くような努力を続けてきた。その努力はこれからも特別であるために続けていく、言わば枷のようなもの。

 いくら僕が特別だからと言って、普通の人と関わってはいけないなんてルールは日本には存在しない。父からは身の丈にあった人間とだけ関係を築けばいいと言われているが、そんなの聞くまでもない。

 

「高海さんは普通であることが嫌なんですか?」

 

「嫌と言うか……」

 

 そう聞くと、千歌さんは俯く。

 人は誰しも悩みやコンプレックスを抱えて生きている。

 僕だって家のことに悩み、思い切りのない自分が嫌いだ。

 でも、意外だ。千歌さんが自分の事を取り柄もない、普通の人だと思っていることが。

 千歌さんはこの学院内でも五本指に入るほどの美少女だと思う。僕のクラスでも数人の男子が千歌さんの話題で盛り上がっていた記憶がある。

 しかし、告白しようかと話が移った瞬間、その盛り上がりは、まるで風に吹かれた塵のように消えてなくなった。

 松浦果南だ。千歌さんは松浦果南の傍らにいるから他の男子は告白どころか、近づくことも話しかけることもできない。

 構図はまさに虎の威を借りる狐。しかし、千歌さんの場合、虎が勝手に狐を守っているだけですが。

 そのせいで千歌さんは自らの恵まれた美貌に気づくことができない。

 つくづく、松浦果南というのは他人の悪影響を及ぼす。

 

「それに千歌さんが特別にこだわるのなら、僕にとって千歌さんは特別な……存在です」

 

「え?」

 

 僕の口はまるで自分ではないかのように、スラスラと言葉を紡いでいった。

 少しでも千歌さんの悩みを、コンプレックスを解消したい。和らげたいと思ったという善意からか?

 或いは、そう言える空気だったからか?

 自分で発した言葉なのに意図が全くわからない。でも、確かにわかることが一つだけ。今から言う言葉に偽りはない。

 

「千歌さん。僕はあなたを恋慕っています」

 

 あれ程躊躇っていた言葉を止まることなく紡いだ。緊張も不安もなかった。

 あるのは解放感だけだ。

 

「え……えぇ!」

 

 千歌さんは目を丸くして、頬赤らめ、唖然とする。

 僕に好かれていたことに驚いているのか? 自分の言うのも嫌味臭いが学院内でも人気のあり、モテる僕が他の女性を差し置いて、千歌さんを好いたことが驚きなのか。

 告白されたことに驚いているのか? それなら僕にとっても驚きだ。千歌さん程の綺麗な方に異性が全く寄り付かないなんてことはありえない。

 

「どうして……私なんですか……?」

 

「それはどういう意味で?」

 

「私は普通で何もないのに……。先輩なら私なんかよりもいい女性が一杯選べるはずなのに……」

 

 千歌さんは戸惑いと恐怖が混じった表情を浮かべている。

 きっと千歌さんは特筆したものがない「普通」である自分がコンプレックスなのだろう。そんなコンプレックスを刺激するように、僕が千歌さんに告白した。

 「普通」な自分が「特別」である僕に好かれる要因がわからないのだろう。そして、好かれたところで自分では釣り合わない。重荷と枷になるのではと思っているのだろう。

 それは僕だけに対する感情じゃない。松浦果南に対しても同様の感情を抱いている。

 恐らく、千歌さんと松浦果南は両想いだろう。しかし、千歌さんは自分と松浦果南の身の丈の違いを気にして、恋人関係になれないのだろう。

 

「僕にとって、あなたは輝く星みたいなんです」

 

 すっと、千歌さんの頬に触れる。

 

「あなたは凄く綺麗です。一目惚れしてしまうくらいの美貌がある。それだけではありません。殆ど関わりのない僕の看病をする優しさがある。きっとそれは千歌さんだけの『特別』だと思います。そして、僕は普通も特別を含めた千歌さんの魅力に惹かれた。これじゃ、ダメですか?」

 

 すっと、図書室に静寂が流れる。

 千歌さんはずっと顔を赤らめたまま、恥ずかしそうに俯いたまま、固まっていた。

 

「……もしかして……迷惑でした?」

 

 松浦果南のことが好きな千歌さんは僕の告白を迷惑に感じていたと思っていた。でも、優しいから傷つけないように振るにはどうすればいいのかと悩んでいるかと思っていた。

 僕の考えと千歌さんの思いは正反対だった。

 

「違うんです。そんな風に言ってもらえるのが初めてで……どう反応すればいいのかわからなくて……」

 

 顔を手で覆って、千歌さんは照れていた。

 愛くるしいその姿に自然と笑みが零れる。

 

「そのまま受け取ってくれればいいんですよ」

 

 純粋なところもまた千歌さんの魅力だ。 

 

「千歌さん。今度、デートしてくれませんか?」

 

「え?……えぇ!? デート! でも……」

 

 僕の誘いに千歌さんは驚き、少し気まずそうな表情を浮かべる。

 差し詰め、自分の感情を偽りたくないのでしょう。

 そういうところ、真摯なところも好きなんです。

 

「わかってます。千歌さんは松浦果南が好きなんですよね」

 

 すると、「どうして知っているんですか!?」と今日一番の驚きを露わにする。

 

「松浦果南と色々している時の千歌さん、凄く幸せそうですから」

 

「そんなに……ですか?」

 

「えぇ。はっきりと。それに……寝言で彼の名前を言ってましたよ」

 

「……えっち」

 

 すると、千歌さんは頬を膨らませ、ジト目で僕を睨む。

 松浦果南と一緒にいる時の千歌さんの笑顔をこの世界で一番眩しい。

 あの笑顔は僕ではきっと浮かばせることはできない。今日だって、一度も浮かべなかった。

 千歌さんを幸せにするということに関しては悔しいですが、松浦果南に決して敵わない。

 だから、千歌さんの恋した男として、恋が実るまで、手伝いをして、幸せにする。それが僕の千歌さんに対する最後のお節介。

 

「ねぇ、高海さん」

 

 僕は千歌さんの細く白い手を掴む。

  

「僕はあなたが幸せでいてくれればそれでいい。でも、一度だけ、あなたとの夢を見させてください」

 

 でも、一度だけ。我儘を言っていいのなら、叶えてもらえるのなら、僕は千歌さんとの幸せを味わいたい。仮初めでも、夢でもいいから。いや、夢であって欲しい。

 自分勝手な都合なのはわかっている。それでも僕は普通の人間だから。特別、心が強いわけでもお利口さんでもない。

 

「黒澤先輩……」

 

 僕の真剣な表情を目の当たりにして、千歌さんは覚悟を決める。

 

「一度だけ……なら」

 

「……ありがとうございます」

 

 愚かな僕に天使の千歌さんは手を差し伸べてくれた。

 その時、下校を知らせるチャイムが鳴る。

 まるでシンデレラの魔法が、夢が解ける合図みたいだ。でも、僕にとってそれは夢から覚める合図ではなく、寧ろ、始まりを告げるものだ。



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第19話

 八月三日。今日も真夏の太陽が内浦をギラギラと睨む。

 この暑さのおかげで体中から汗がだらり流れる。折角、お洒落な洋服用意して、慣れないお化粧もしたのに汗で落ちそうで怖い。

 それに……汗臭くなりそう。でも、志万姉から借りた香水を付けているから、多分大丈夫かな?

 

「凄く……緊張する」

 

 昨晩から私の鼓動はずっと激しく脈打っていた。

 それもそのはず。これから、私はあの大人気の黒澤先輩とデートをするのだ。

 まさか、黒澤先輩に告白されるなんて思いもしなかった。

 だって、生徒会長を任されて、勉強も運動もできる。人格者であって、ルックスもカッコよくてみんなの憧れの的。

 そんな人が何も私を好いてくれた。

 それもちゃんと理由をつけてくれた。

 何回か告白されたことはあった。その度に思った。どうして普通の私を好きになったのだろうと。でも、好きになった理由を聞いても答えてくれない。多分、言えないやましい理由があったのかな。顔だけが好きとか……罰ゲームで仕方なくしたとか。

 でも、黒澤先輩は違った。容姿、内面とかを含めて好きと正直に言ってくれた。

 それがとても嬉しかった、私の気持ち――果南ちゃんのことが好きだということを知って、そのうえで応援してくれるよ言ってくれた。

 だから、今日、黒澤先輩とのデートを受けた。

 本当に好きになってくれたのに、私はその思いを受け取ることができない、私の恋を応援してくれる。そんな誠実な先輩に対して、何もしないというのが私は嫌だった。

 

「おや、千歌さん」

 

「先輩……?」

 

 待ち合わせ場所――三津シーパラダイス前の停留所に着くと、既に黒澤先輩がいた。

 いつもの見慣れた学ランではなくて、お洒落な私服。スリムタイプのパンツはただでさえ長い黒澤先輩の脚をより一層長く見せる。

 私は慌てて、スマートフォンで時間を確認すら。今の時間は八時四十五分手前。一応、九時に待ち合わせると話していたのだけど……。

 流石に今日は遅刻するわけにもいかなくて、余裕をもって家を出たけど、先輩は

 

「お互い早く着いてしまいましたね」

 

「先輩……一体いつからいたんですか?」

 

「そうですね……もう十分以上前には待ってましたね。流石に女性を待たせるのは良くないことですし。それに恥ずかしながら……今日のデートが楽しみで張り切ってしまって……」

 

 黒澤先輩は恥ずかしそう笑いながら、打ち明ける。

 真面目な人だから大人びていた先輩のほんの僅かに垣間見えた子供っぽいところに所謂ギャップ萌えというのを感じた。

 

「でも、この炎天下の中でずっと待ってたら熱中症になっちゃいますよ?」

 

 すると、先輩はにこりと笑う。

 

「そういう当たり前に気遣いができることがあなたの良さなんですよ」

 

 恥ずかしくなって、私の顔は太陽みたいに熱くなる。

 

◇◇◇

 

 それから私達はバスで沼津駅まで出て、そこから電車を乗り継いで、目的地である御殿場のショッピングモールに着いた。

 

「やっぱり、広いですね」

 

 私はぐるりと全体を見回す。ショッピングモールだけど、まるで北米のような街並みでまるで海外旅行に来たみたい。でも、異国情緒溢れる中で富士山が綺麗に見えるのが、面白い異質さがあった。

 さらに子供が遊べる遊具や温泉もあり、ショッピングモールというより公園みたい。

 そして、夏休みということで家族連れ、そしてカップルらしき男女が楽しそうにショッピングを楽しんでいた。

 目を引くのがカップルらしき男女はみんな手を繋いでいたことだ。

 私は先輩の手を一瞥する。一応は今日はデートだから手を繋いだ方がいいのだろうか。でも、実際に付き合っているわけではないし、そもそも私は果南ちゃんに思いを寄せている。

 

「千歌さんはここに来たことがありますか」

 

「は、はい。家族と洋服とか買いに何回か」

 

「そうですか。僕は初めてなんです」

 

 私の悩みなど知る由もない先輩は笑みを向けてくる。

 でも、その笑みはどこか強張っていた。

 

「意外ですね。先輩ってお洒落だから、よく来てるのかと思ってました」

 

「習い事や勉強、家の用事で忙しくて買い物には行けないですね。基本的に買い物はネットで済ませてしまいますね」

 

 流石、由緒正しい家の長男。でも、自由な時間が少ないのは少し可哀そうだ。   

 

「それならオススメのお店、紹介しますよ!」

 

 折角のデートだ。互いに辛気臭くなるのは嫌だ。楽しんで幸せな思い出を作りたい。

 私は先輩の手を引いて、先輩に似合いそうな服が置いてあるオススメのお店へと連れて行く。

 

「……えぇ。連れていってください」

 

 先輩は憑き物が取れたような笑みを浮かべた。



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第20話

 時間は十二時少し手前。ショッピングモールに来てから早二時間経った。

 私達はレストランで昼食を摂ることにした。

 入り口の扉を開け、店内をぐるりと見回す。シックなお昼前ということで店内はお客さんでそれなりに賑わっていた。

 案内された席は窓際。まるで映画のスクリーンのような窓から望めるショッピングモールと富士山の景色は中々、風情がある。

 

「いい席ですね」

 

「そうですね」

 

 黒澤先輩はテーブルの傍らに立て掛けられていたメニューを手に取り、私に差し出す。

 

「そ、そんな! 先輩から先でいいですよ!」

 

「いえ、僕は少しゆっくりしたいので」

 

「ありがとうございます!」

 

 私は先輩の好意を受け取るとメニューを目で追う。

 目についたのはふわふわの黄金と錯覚するほど綺麗な黄色の卵にビーフシチューがかけられたオムライス。

 

「私、これにします」

 

「あぁ。美味しそうですね。なら、僕も同じのにします」

 

 そう言うと、先輩はテーブルに置かれた呼び出しボタンを押し、店員さんを呼び。

 フリフリとしたメイド服のような制服のかわいいウェイトレスさんがオーダーを取りに来る。

 黒澤先輩は「オムライスを二つ」と注文する。

 ウェイトレスさんは黒澤先輩の整った顔立ちから発せられ笑顔を浴びせられ、頬を赤らめながら「かしこまりました」とキッチン裏へと戻っていく。

 イケメンって、時には罪なんだなって初めて痛感した。

 オムライスが来るまで私達は色んな話をした。

 私の趣味や黒澤先輩についての話。

 話の中で驚いたのが黒澤先輩がハンバーグが嫌いだということ。

 理由を聞いた時、私は思わず笑ってしまった。

 幼い頃にとある師匠と呼ばれる人に大量にハンバーグを食べさせられて、それがトラウマになったのだと。

 そんな他愛もない話を交えているといよいよ、お待ちかねのオムライスがやってきた。

 私と黒澤先輩は同時にスプーンを持ち、「いただきます」と言って、オムライスを口にする。

 

「うん! 美味しい!」

 

「ケチャップの酸味も程よくて……本当に美味しいです」

 

 先輩は半熟でトロトロの卵を被り、ビーフシチューがかかったオムライスに舌鼓を打つ。

 何というか、同じ物を共有するのってなんかいいなと私は思った。

 

「千歌さん。頬にご飯粒、付いてますよ」

 

 オムライスに夢中になっていると黒澤先輩は身を乗り出し、私の頬についたケチャップライスの粒を人差し指でそっと取ると、躊躇することなく、口に運ぶ。

 

「せ、先輩!?」

 

「……あっ」

 

 私の慌てようにやっと自分が行ったことに気づく先輩。

 

「し、失礼しました! よくルビィにこういうことしてて、つい……」

 

 黒澤先輩は視線を逸し、慌てふためく。

 いつもはクールで真面目な先輩の珍しい姿を見れて、得した気分になる。

 

「先輩ってルビィちゃんと本当に仲がいいですね」

 

「高海さんだって、お姉さんがいるじゃないですか」

 

「そんなことないです。だって、美澄姉はいつも怒るし、馬鹿チカとか言ってくるですよ! 酷くないですか!」

 

 確かに志摩姉は優しくて好きだ。

 でも、美澄姉は私のことを小馬鹿にしてくるし、ちょっかいだってかけてくる。

 そのことについて、あんまりいい言い方ではないけれど愚痴を零すと、

 

「いいお姉さんですね」

 

 黒澤先輩はニコニコと笑っている。

 

「羨ましいです。高海さん達が。僕とルビィはそんなこと一切しませんからね」

 

「そうですか?」

 

 黒澤先輩がルビィちゃんに「馬鹿ルビィ」と言う姿やちょっかいをかける様子を浮かべる。

 全く想像つかない。真面目な黒澤先輩がそんな子供じみた事はしないし、ルビィちゃんもそんなこと言われたら何か泣いちゃいそうなイメージ。

 悪くはない。私にとってはしっかりした兄とちょっと抜けた妹というのは理想の兄妹像だ。

 でも、実際に私がルビィちゃんの代わりに先輩の妹として当てはめることを想像すると何か物足りなさを感じる。

 

「でも、黒澤先輩みたいな人がお兄ちゃんだったらなぁ」

 

「厳しいですよ。宿題やらなかったら、おやつ没収ですから」

 

「……やっぱり遠慮しておきます」

 

 私がそう言うと黒澤先輩は楽しそうに笑った。



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21話

 僕の両手には千歌さんと買った品物がたくさん入った紙袋が二つずつぶら下がっている。

 中に入っているのは服やアクセサリーといった小物ばかりでそこまでは重くはない。

 でも、何故か重量以上の重さを感じる。だからと言って辛いとか面倒だと思わない。

 ただ、幸せだ。

 これが幸せの重さだと思ってしまうのは流石に能天気だろうか。

 

「先輩、持ちましょうか?」

 

「いいえ、余裕ですが……」

 

 千歌さんは顔を覗き込んでくる。

 僕にとって大した重荷ではないから大丈夫ですと断ろうとするも千歌さんの戸惑った表情を見て考え直した。

 もしかしたら、。千歌さんは僕が荷物を全て持っていて、千歌さん自身は何も持っていないということに後ろめたさがあるのだろう。

 そう言った感情がなければわざわざ声をかけないだろうし、例え、社交辞令なら戸惑いの表情を浮かべる意味はない。

 気を使うことで相手に気を使うことになっては本末転倒だ。

 

「それなら、これを持っていただけますか」

 

 僕は少し大きめの紙袋を千歌さんに差し出す。

 この袋の中に服が二着入っているだけでそれほど重くないから千歌さんでも軽々と持てる。

 すると、千歌さんは「はい!」と元気よく返事をして、荷物を持ってくれる。

 ランチのオムライスと同じようにお互いに何かを共有すると少し特別な気分になる。

 一応、問題は解決したものの千歌さんの表情は以前として雲がかかっていた。

 

「どうしたんですか?」

 

「今日って一応デートですよね?」

 

「はい」

 

「なんか……その……デートぽくないというか……」

 

 恥ずかしいのかそれとも紛い物でも自分の気持ちを否定したくないのか、それから千歌さんの言葉が続かない。

 僕には千歌さんの言いたいことがわかる。

 一応、デートをしているはずなのに恋人らしいことをしていない。

 手も繋ぐなんてこともしない、お揃いのアクセサリーを付けているわけでも買ったわけでもない。

 何というか、ただ友達同士、兄妹で買い物に来ているような感覚に近い。

 

「あなたは優しいですね」

 

 千歌さんは僕の気持ちを汲もうとしているのだろう。

 折角、好いてくれたのだからそれには最低限は応えないと思っているのだろうか。

 もし、その気持ちが本当ならそれだけでいい。

 

「偽らないでください。あなたは松浦果南が好きなんですよね。それなら僕と勘違いされるようなことはしてはいけないと思います」

 

 あくまで千歌さんが好きなのは松浦果南であり、僕は勝手に好意を向けているだけの敗北者。

 今回のデートだって僕の迷いを断ち切る為の自分勝手な我儘から始まったこと。

 それなのに千歌さんは身勝手な我儘を受け入れてくれた。

 僕はそれだけで救われた。千歌さんと一緒の時間を過ごし、思い出を作る。

 許嫁がいる僕にとって初めて好きになった人との最初で最後の恋愛。

 その結果は惨敗の一言だが、それでも悪くはない。人を好きになれたということ、その人と一緒の時間を過ごしているということが僕にとって十分幸せだ。

 

「辛気臭いのはダメですね。あのお店に……」

 

 折角の楽しいデートなのにつまらない自分の話で雰囲気を壊して、台無しにするわけにはいかない。

 気分を変えて、さっさと次のお店に行こうと視線を移したその時だ。まるで金縛りにあったかのように体が硬直する。向かおうとした店に既にいた見覚えのある男をはっきりと確認して、思わず目を見開く。

 どうしてだ!

 どうして、こんなところにあいつがいる!?

 いや、ここにあいつがいるだけなら大した問題ではない。問題は隣に一人の少女がいるということだ。

 もしかしてと僕は最悪の事態が脳裏を過る。

 仮に僕の杞憂だったとしてもあの二人の状態を見れば、誰だって勘違いするに決まっている。

 千歌さんも例外ではない。寧ろ、千歌さんが一番勘違いしやすくて、一番傷ついてしまう。

 

「先輩?」

 

「……混んでますね。まず、別のところから回りましょう」

 

 僕は咄嗟に振り返り、千歌さんの手を握る。

 そして、引っ張り、まるで逃げるかのようにこの場から去ろうとする。

 絶対に見せては行けない。

 千歌さんを苦しめてはいけない。

 僕の我儘で振り回してはいけない。

 例え、後に事実を知ることになっても今だけは夢を見せなくてはならない。

 

「何か……あったんですか?」

 

「いいから!」

 

 気迫に満ちた言葉に千歌さんは驚いてしまう。

 それが仇になった。

 絶対にしてはいけないと言われれば人は無性にその命令を破りたくなる性分がある。

 それと同じよう(僕が躍起になることが千歌さんの興味を増幅させてしまった。

 千歌さんは不意に振り返り、見てはいけないものを見てしまった。

 

「ダメです! 千歌さん!」

 

「な……何で……」

 

 時既に遅し。

 僕も千歌さんも何も言葉を紡ぐことができなかった。

 その光景に千歌さんはただ茫然と眺めるしかなかった。

 時が止まったような気がした。それくらい周囲の音が耳に入らない、意識が遠くなっていた。

 

「なぁ、梨子。こういうのは?」

 

「うん。私はいいと思う」

 

 僕と千歌さんの視線の先にいたのは馴染みのある二人の男女。

 向かおうとしていたお店で松浦果南と桜内が楽しそうに商品を見ていた。

 ただ、二人で仲睦まじくショッピングを楽しんでいる。

 それだけなら良かった。

 二人は離れないように、相手の温もりを感じるかのように固く手を繋いでいた。指を絡めて。

 その姿はまるでカップルだ。

 

「高海さん……行きましょう」

 

 僕はただ、千歌さんのぬいぐるみのように力ない腕を引っ張り、この場から立ち去ることしかできなかった。

 

 



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22話

 あれから僕達は逃げるようにショッピングモールから立ち去った。

 あの場所にいられるわけがない。

 思いを寄せる松浦果南が千歌さんの親友の梨子さんと仲睦まじくショッピングしている場所なんて。

 デート最中は一切手なんか繋がなかったのに、帰りは打って変わって僕達はずっと手を繋いでいた。

 別に愛しいとか温もりを感じたいわけではなかった。離れたくないないわけではない。

 怖かった。手を離したら千歌さんがいなくなってしまうような気がした。

 僕の目の前からいなくなるだけならまだしも、内浦から、この世界からいなくなってしまうのではと思ってしまう程、千歌さんは酷く落ち込んでいた。

 僕はこの世界と千歌さんを繋ぎ止める最後の糸という使命感でその手を握っている。

 帰りの電車での千歌さんはずっと俯いたまま、一言も言葉を発しない。小さな手も冷たく。赤ん坊のように力が入っていない。

 太陽のような明るさも今は雲がかかっているどころか、水平線に隠れて光の一筋も見えない。

 

「高海さん……沼津に着きますよ」

 

 電車内に目的地を知らせるアナウンスが響く。

 千歌さんは全く反応を示さない。先程から何も変わらない。一応、歩けはするけど、乗り換えの際に自分から立ち上がることができず、僕が無理矢理、引っ張ってきた。

 心配しかなかった。このまますぐに家に帰したらもう二度と会えなくなるような気がした。

 お節介だ。迷惑だ。僕が誘ったせいでこうなったと拒絶され、嫌われても構わない。

 寧ろ、嫌いになって、怒りを苦しみを僕にぶつけてくれるなら本望だ。

 とにかく千歌さんを手の届く範囲に守り、少しでも気を楽にしなければならない。

 

「もう少し……寄り道しませんか?」

 

 千歌さんは一切の反応示さない。

 どうにでもなってしまえばいいと自暴自棄になっているのだろうか。

 もし、そうなら尚更、帰すわけにはいかない。

 僕達は駅前の駐輪場に向かい、停めていたバイクに跨る。背後で跨る千歌さんがぎゅっと僕の背中を掴むのを確認して、僕はエンジンをかける。

 夕日によってほんのりと紅に染まった沼津の街を駆ける。

 ジメジメとした熱気を吹き飛ばすように風が吹く。

 このまま悩みも吹き飛ばしてくれればいいものの現実はそんなに甘くはない。寧ろ、非情だ。

 バイクを走らせること約十分。

 僕達は沼津港近くの大型展望水門の「びゅうお」に到着する。

 僕はバイクから降り、千歌さんに手を差し出す。まるで御伽話に登場するお姫様を迎えに上がる王子のように。

 最も、千歌さんをここまで追い詰めた原因は僕だが。その癖に王子様気取りとは非道な男だろうか。終盤で処刑されるのがお似合いだろう。

 別にそんな結末を迎えても構わないがそれまでに千歌さんが元気になってくれないと死んでも死にきれない。

 しかし、千歌さんはそんな罪深い僕の手を取ってくれた。

 安心した。自分の意志で僕の手を取ってくれた。さっきまでは引っ張られなければ何もできないくらいの落ち込みようから少しは回復したのだから。

 千歌さんの手を取る。指と指を絡めるように固く。

 そして、ゆっくりとびゅうおの中に入る。

 受付で僕と千歌さんの二人分の入場料を払い、エレベーターで展望デッキへと上がる。

 展望デッキは僕達以外、誰もおらず、静寂に包まれていた。

 

「いつ見てもここは素晴らしい景色ですね」

 

 僕達は展望デッキから海を眺める。

 夕日が水平線から顔を出し、果てまで広がる駿河湾を紅に染める。

 反対を向けば、沼津の街を一望できる。

 ここは僕の育った大好きな海と街を一望できるから好きだ。何か、悩みがあった時や辛い目にあった時、ここに来ては気持ちを落ち着かせる。

 だから、ここに千歌さんを連れてきた。少しは元気になってくれるかと期待を込めて。

 それにここは絶景スポットという割には休日以外はあまり人が入らない。

 ゆっくりと話すにうってつけな場所だと僕は思う。

 

「座りませんか? 高海さん」

 

「……うん」

 

 ようやく、千歌さんは自ら言葉を発してくれた。

 ここに来たの正解だったようだ。

 僕達は展望デッキに設けられたベンチに並んで座る。

 ただ、海の景色を眺める。

 

「ごめんなさい。僕が……誘ったばかりに」

 

「そ、そんなことないです! ……ないですから」

 

 謝ると千歌さんはあの時のショックを思い出してしまったのか、また俯く。

 悲しみ、苦しむ少女が隣にいる。

 きっと、世の男性は気を引けるチャンスと言うだろう。

 手厚く慰めれば千歌さんは僕を見てくれるだろう。

 弱った心を安い優しい言葉で埋められればは千歌さんは僕を見てくれるだろう。

 松浦果南には既に彼女がいる。だから、あなたを好いている僕の手を取れば確実だと言えば、きっと千歌さんを僕の女性になる。

 でも、そんなことをしてまで千歌さんの気を引きたいわけではない。僕のせいで傷つけた挙げ句に弱みにつけ込むのは卑怯だ。

 それに僕はちゃんと千歌さんに好かれたい。松浦果南以上の魅力のある男として僕を認めて欲しい。

 慰め合うだけの恋人になんて、僕はなりたくない。

 それに僕は千歌さんの幸せを一番に願っている。

 幸せを壊した本人が言うのも問題だが、できることなら千歌さんは好きな松浦果南と結ばれて欲しい。

 だが、僕の願いは千歌さんにとって幻や夢のようなものらしい。

 

「ずっと、思っていたんです。果南ちゃんと梨子ちゃんはお似合いだって」

 

 千歌さんはゆっくりと口を開き、今まで胸の中で隠していた思いを吐き出し始める。

 

「恋人岬に連れて行ってくれるから……もしかしたらと思ってたけど……千歌は勘違いしてたみたい。……馬鹿だなぁ」

 

「高海さん。そんなことありません」

 

「だって! あの姿を見たら……」

 

 好きな人が別の人の異性と仲睦まじくいる。気持ちは痛い程わかる。

 千歌さんと松浦果南が二人でいる時、僕は見ていて辛かった。

 しかし、それが千歌さんの幸せなら我慢できた。完全に納得しているわけではないが。

 無論、皆が僕みたいではない。寧ろ、僕は許嫁もいて、決して成就しない恋である稀有な存在。

 

「私なんか、好きになるはずないもん! だって、梨子ちゃんは私なんかよりも可愛くって、女の子らしくて、真面目でピアノが上手いから。私なんかよりもずっと魅力があって……」

 

 好きになるはずがない。

 千歌さんのコンプレックスは非常に重たいもので自信がないどころか最早自己否定に近い。

 自分は何もなくて、普通な人間。

 そんな自分に比べて、美男美女であり、カリスマ性やピアノの才能を持つの松浦果南と桜内さんに劣等感を抱いている。

 普通な自分は特別な二人とは釣り合わない。そう思い込んでいる。

 その考えが僕にはあまり気持ちがいいものではなかった。

 なら、僕が千歌さんに惹かれたのはどうしてか?

 当然、千歌さんの持つ千歌さんだけの特別な魅力に惹かれたからだ。

 そんな自分の思いを否定された気がした。

 

「今度の私とのお出かけだって、梨子ちゃんとのデートの下見で……どうせ、私は……」

 

「千歌さん!」

 

 いてもたってもいられるず、僕は声を張り上げてしまう。

 隣に座る千歌さんは体をビクリと震わせ、驚く。

 嫌だ。好きな人が自分自身を傷つける姿なんて見たくない。

 

「僕はあなたの! あなただけが持つ魅力に惹かれたから好きになったんです! だから……もう自分を追い詰めないください」

 

「私に魅力なんて……」

 

「あなたは優しいです。僕を倒れた時、看病してくれた」

 

「あれは……当たり前のことですから……」

 

「当たり前のように親切を行える人はそう多くはないです。人によっては親切を悪用する人がいます」

 

 千歌さんは俯いていた顔を少し上げる。

 

「それにあなたは綺麗……というか可愛いですから」

 

「そ、そんなこと!」

 

 可愛いと褒めた瞬間、千歌さんは一気に顔を上げる。

 頬は夕日と恥ずかしさで真っ赤に染まっていた。そんな初々しくて、純粋な反応が可愛いらしい。

 

「確かに桜内さんも美しい方です。例える、名前通り桜のような方。でも、桜だけが美しい花ではありません。薔薇や金木犀。紫陽花など美しい花は数え切れないほどあります」

 

 薔薇には薔薇特有の美しさがあり百合には百合特有の美しさがある。

 薔薇は百合になれないように百合は薔薇になれない。

 だから、それぞれの花が特有の美しさを認めて、誇れることが一番いい。

 それは人も同じだ。

 

「直ぐにとは言いません。ゆっくりでいいですから、自分を認めて上げてください」

 

「でも……」

 

 難しいよと言いたげに口を開こうとする千歌さん。

 しかし、言葉を発さず飲み込むあたり、変わろうとしているのはわかった。

 確かに一人で変わることは難しい。

 なら、僕が背中を押すしかない。

 高海千歌という女性の魅力に惹かれた僕なら少しくらいは力になれるはずだ。

 

「大丈夫ですから。僕が支えますから。千歌さんの苦しみも全て、受け止めます」

 

「黒澤……先輩」

 

 千歌さんの瞳が潤み、涙が溢れる。

 まるで、今まで堪えていた水が溢れるかのように。

 ずっと抱え込んできた悩みや苦労がようやく開放できたのだろうか。

 そんな千歌さんのか弱い姿を見て、守らなくてはと男としての本能が訴えかけた。

 僕はそっと千歌さんを抱き寄せ、胸を貸す。

 千歌さんは大量の涙を流し、声を上げて泣いた。

 千歌さんが泣く姿を見るのはこれで最後にしなければならないと決意した。

 その為にも松浦果南から真実を問う必要がある。

 松浦果南は本当に桜内さんと付き合っているのか?



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23話

 夕日はすっかり地平線に隠れて夜になった。

 代わりに空には小さな星が瞬いている。

 黒澤先輩の運転するバイクの後ろで心地よい夜風を感じながら私は今日を振り返る。

 一言で表すなら複雑な日だ。

 確かに黒澤先輩とのデートは凄く楽しかった。黒澤先輩のことがたくさん知れたし、一緒にいて楽しかった。美味しい物を共有できて、幸せだった。

 果南ちゃんとパパ以外の男の人と二人きりで出かけたことがないから、黒澤先輩とのデートは全てが新鮮に感じた。

 そもそもその二人以外の男の人と関わったことがなかった。

 でも、楽しいことばかりじゃなくて、とても辛いこともあった。

 果南ちゃんと梨子ちゃんが仲良く手を繋いでいる姿を見た時、私は深い谷底に突き落とされた。

 わかっていたことだと自分に言い聞かせた。

 梨子ちゃんが果南ちゃんのことを好きなの知っていた。

 不良で結構やんちゃで危なっかしいけど、優しくてカッコいい男子高校生と大人しくて汚れを知らない純粋な乙女の女子高校生。まるで少女漫画のような二人。

 ずっと、ずっと、お似合いの二人だと思っていた。少なくとも何もない普通の私なんか比べれば。

 いつか、この二人は付き合うんだろうなって薄々気づいていた。

 それが今日だった。

 ただそれだけ。

 別に良かった。二人が幸せならそれで良かった。ただ、せめて、私に一言でいいから伝えて欲しかった……なんて。

 そう持っているはずなのに心が痛くて、辛い。

 わかってる。私は自分の心を押し殺し、言い訳をして、逃げているだけ。

 本当は幼馴染としてではなく恋人として、果南ちゃんの隣にいたかった。

 だけど、何も取り柄もなければ魅力もない「普通」な私では「特別」な魅力を持つ果南ちゃんに釣り合わないし、何より荷が重いのも事実。

 中学生の頃。果南ちゃんに告白して断られたクラスメイトの女子に言われたことがある。

 『何であんたみたいなつまらない女が果南先輩の隣にいるのよ!』

 フラレた直後で相当傷ついていたこともあって、不意に出た言葉なのは理解できた。

 もし、悪意があったなら、言った後にまるで、宝物を壊したしまったような絶望に満ちた表情を浮かべ、涙を流しながらわざわざ謝る筈がない。

 確かに悪意はなくともあの子がそう思っていたことは事実だ。

 私はそれに納得してしまい、果南ちゃんに関わる全てのことが奥手になった。

 本当に果南ちゃんが好きだったら、あの子みたく自分から告白する筈。

 でも、私は告白してフラれるのが怖くてずっと気持ちに蓋をした。

 仮に結ばれても果たして長く続くかどうかわからない。無いとは思うけれど、何も取り柄もない私に果南ちゃんが愛想を尽かしてしまうかもしれない。

 ネガティブな思考が私の前に立ちはだかり、行く手を阻んだ。

 壁を壊そうとも越えようとせず、逃げてきた結果が今日だ。

 全部、逃げてきた自分が悪いのに悲しむ自分が憎くて仕方がなかった。

 

「千歌さん。着きましたよ」

 

 ふと、前から心地よい声が聞こえてきて、私の意識は冷たくて深い海底から引き揚げられる。

 私の前にはバイクに跨ったまま、脇に赤いフルフェイスのヘルメットを抱えた黒澤先輩が振り返って私を流し目で見つめている。

 宝石ように輝くエメラルドグリーンの瞳に引き寄せられる。流し目ということもあって、いつもどこかいい意味での色気を感じる。

 冷えた心が熱を帯び、頬が熱くなる。

 私はゆっくりとヘルメットを外し、先輩に手渡す。

 

「ヘルメットの中は暑かったですか?」

 

「え?」

 

「顔、真っ赤ですよ」

 

「えっ!? そ、そうですね!」

 

 黒澤先輩の指摘に私は笑って誤魔化す。

 確かに昼間に比べて涼しい夜とは言え、今は夏。フルフェイスのヘルメットは熱が籠もって暑かった。

 でも、違う。そういう暑さだけじゃない。

 黒澤先輩の屈託のない笑みを見て、私は胸に何かを撃たれたような衝撃を受けた。

 初めてじゃない衝撃。何度も……いや、毎日味わっている。

 果南ちゃんの笑顔を見る時と同じ感覚だ。

 黒澤先輩と関わる度に心臓がドキドキする。心地よい息苦しさが私を支配する。

 

「ちゃんと、水分補給してくださいね。熱中症になったら大変ですから」

 

 黒澤先輩の優しい気遣いが身に染みる。

 いつもの私ならただ「優しい人」と思うだけだった。

 でも、今の亀裂塗れの心には効果は抜群だ。

 黒澤先輩のことだから、下心も一切なく、100%の善意と優しさで私を気遣ってくれているのだろう。

 そうじゃなかったら、わざわざ私を叱るはずがない。気を引くだけなら、ただ私に同情だけして、安い優しい言葉をかければいい。

 黒澤先輩は私自身を否定する私を った。 ったというか……否定してくれた。

 今まで、私は果南ちゃんに相応しい特別な人になろうとしていた。そうすれば果南ちゃんに幼馴染ではなく、一人の女性として見てくれるかもしれないし、周りからもとやかく言われることはない。

 そう思っていたけど、当然、誤った考えだったと黒澤先輩の言葉でやっと気づいた。

 まだ気づけていないけれど私には私にしか魅力があるらしい。

 だから、自分を僻む必要も他人の特別に追い求める必要はない。私にしか魅力を誇ればいい。

 私は桜にはなれない。だけど、桜も私になれない。

 そう考えた時、私は私のままでいていいんだということに気づいた。

 胸の奥でつっかえていた何かが綺麗さっぱりなくなり、心が軽くなった。

 そして、心の奥底で押し止めていた感情が涙となって溢れかえった。

 先輩は泣く私を胸で受け止めてくれた。

 制汗剤の爽やかな匂いと黒澤先輩の体温を思い出し、また体が熱くなる。

 

「あの……黒澤先輩! 今日は……」

 

 今日のデートは楽しかったし、何より私の長年の悩みを聞いてくれたことにありがとうございましたと言おうとしたその時。黒澤先輩の人差し指が私の唇に触れる。

 

「お礼を言うのは僕の方です。夢を見させていただきありがとうございます」

 

 心臓に矢が刺さる。

 御伽話の王子様でも言えるかどうかわからないかっこいい台詞をさらりと言える黒澤先輩はズルい。

 モテるのも頷ける。

 

「それでは千歌さん、何かあったら連絡をください。いつでも相談に乗りますから」

 

 黒澤先輩の気遣いの言葉を聞いて、私は気づいたことがあった。

 

「あの……黒澤先輩。そういえば……いつの間にかに名前で……」

 

 すると、先輩ははっと気まずそうに視線を逸らし、口元の黒子を弄り始める。

 

「いや……その……。好きな人だから……いえ、馴れ馴れしくて、気持ち悪いですよね」

 

 黒澤先輩は乾いた笑い声をあげる。

 先輩は突然の名前呼びに引かれていると思っている。

 そんなことはない。寧ろ、嬉しかった。

 黒澤先輩は人の事を名字で呼んでいる。果南ちゃんだけは何故かフルネームだけど。

 名前で呼んでいるのを聞いたことがあるのは妹のルビィちゃんだけ。

 きっと、慣れ親しんだ人には名前の呼ぶのだろう。

 だから、嬉しかった。

 黒澤先輩に認められた気がしたから。

 

「なら、千歌もこれからダイヤさんって呼んでも……」

 

 それなら私も名前で呼ぶと勢いに乗って言ってしまう。

 黒澤先輩はまるで石像のように固まる。

 いくら何でも年下から馴れ馴れしく名前呼びなんて、流石におこがましすぎたよね。

 

「ごめんなさい! やっぱり、馴れ馴れしいですよね」

 

「いえ、そんなことはありません! ただ……その嬉しくて……驚いてしまって」

 

 そう言うと先輩は笑みを浮かべる。

 今まで浮かべていた笑みとは違う。

 少年のようにあどけなさが見える笑みだ。

 誰よりも大人でクールな黒澤先輩のギャップに私はドキッとする。

 

「それでは今後ともよろしくお願いします。千歌さん」

 

「は、はい! ダイヤさん!」

 

 改めて名前で呼ばれたことが何というかむず痒くて、声が上ずってしまう。

 どうしよう。このままだと、私は果南ちゃんだけじゃなくて、ダイヤさんまでも好きになっちゃいそうだよ。



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24話

 リビングのテレビから昼のバラエティ番組に出演している芸能人達のわざとらしい笑い声が流れている。

 午前中のダイビング教室を終え、昼時の今。

 午後の教室に備えて、塩味のインスタントラーメンを適当に茹で、さっさと食べ終えた俺はソファに寝っ転がり、とある物を眺めている。

 

「いつ……渡せばいいのか……」

 

 それはリボンで装飾された箱。

 中には千歌への誕生日プレゼントである向日葵のブローチが入っている。

 本当は来週の千歌とのデートの際に渡すつもりだった。

 しかし、昨晩のことだ。千歌からSNSで家の仕事が忙しくてデートに行けそうにないと連絡を受けた。

 千歌の旅館であり、夏休みシーズンの今は書き入れ時。忙しくなるのは当然のこと。

 仕方がないとは言え、意気揚々とデート、告白の準備していたがそれが根本から崩れ去り、少しショックだ。

 せめて、誕生日プレゼントくらいは渡したいが俺も夏の間はダイビングショップの手伝いが忙しく、中々会いに行く暇もない。

 

「……さっさと告白しておけば、こんなことにならなかったか」

 

 今までチャンスがありながら全て棒に振ってきたつけが回ってきたような気がするとナイーブになっていた時、家のインターホンが鳴る。

 

「誰だ? ダイビングスクールの時間はまだだって言うのに」

 

 午後のダイビング教室は一時半からだ。

 今の時間はまだ十二時。少しばかり早い気がする。

 いや、普通に配達か何か?

 まぁ、誰かが訪ねてきた以上、対応する他ない。

 プレゼントを机に置いて、玄関へと急ぐ。

 そして、ゆっくりと扉を開ける。

 

「どなた……で……」

 

 扉の前にいた男を見て、俺は絶句する。

 いつの間にか寝ていたのか。だから、こんな悪夢を見ているのか。

 

「お話しがあります。松浦果南」

 

 扉の前には鋭い目を浮かべた黒澤ダイヤが立っていた。

 

◇◇◇

 

 信じられない。それしか言いようがない。

 学校では不良と名高い俺の家に生徒会長の黒澤ダイヤが鞠莉と一緒に訪ねて来て、家に上がって、お茶を飲んでいる。

 ましてや、ダイヤは理由はわからないが俺の事を酷く嫌っているはずなのに。

 そんな奴が俺に一体何の用があって、家に来たんだ?

 お茶を馬鹿みたいに上品に味わうダイヤの様子を伺う。

 

「……マジマジと見ないでくれませんか。気持ち悪い」

 

「うるせぇ! そんなことよりどういう風の吹き回しだ」

 

 様子を伺って埒が明かないだろうし、そもそも俺の精神衛生上良くない。

 遠回りせず、単刀直入に聞く。

 すると、ダイヤは湯呑を置いて、

 

「……あなたは高海さんのことが好きですか?」

 

 と問いかけてくる。

 居間が静寂に包まれる。

 

「……はぁっ!? 何言ってんだ!? 人をおちょくるのも大概にしてくれよ!」

 

 静寂を破るのは当然俺の声。

 こいつ、急に何を言ってるんだ?

 勉強しすぎで気でも狂ったのか。

 

「僕は千歌さんを愛しています」

 

「そうか……ってもうわけわからねぇよ……」

 

 俺は頭を抱える。

 情報量が多すぎて空っぽの頭がパンクしそうだ。

 別にダイヤが千歌の事が好きだなんて驚くことじゃない。普通に可愛いから好意を寄せる男は少なくない。

 というかダイヤが千歌の事が好きなのは薄々勘付いていた。

 あの名前に恥じない堅物なダイヤが千歌に対して妙に馴れ馴れしかったり、いい顔しているのを見ていればわかる。

 それにあいつが倒れた時の言葉。あれはどう考えてもいつも千歌の隣にいるに俺に対する妬みだ。

 あの時、はっきりとダイヤに嫌われている……いや、憎まれていることを知った。

 まぁ、気づいたところで大した変化はないけど。

 ただ、ダイヤが恋敵となると少し焦る。

 癪に障るがダイヤは普通にいい奴だ。俺なんかよりも。その気になれば千歌なんて口説き落とせるだろう。 

 俺なんかよりも世間からの評価は月とスッポンだからな。

 

「どういう意図なんだよ」

 

「あなたの考えを聞いていません。想いを聞いているのです。千歌さんが好きなのか嫌いなのか、はっきりしろ」

 

 なかなか問いに答えない俺に痺れを切らしたダイヤは睨んでくる。

 調子が狂う。

 まぁ、答えは一つだ。

 

「……好きに決まってんだろ」

 

「それは幼馴染としてですか?」

 

「……女としてだ」

 

 俺が気怠げに答えると「そうですか」と予想通りと言わんばかりに呆気なく受け入れる。

 

「なら、謝ります。僕は先日、千歌さんとデートに行きました」

 

「そうか……え!?」

 

 俺は思わず湯呑を落とす。

 陶器特有の甲高い音が足元から響いてくる。

 千歌とダイヤが……デートだって?

 

「気になさらず。千歌さんには僕以外に気になる人がいるそうですから」

 

 ダイヤは俺とは真逆に酷く冷静だ。

 つか、ダイヤ以外に気になる人がいるって、誰のことだと疑問に思う。

 

「そして、そこであなたと……梨子さんが一緒にいるところを……見ました。それで千歌さんはあなたが梨子さんと付き合っていると思っています」

 

「……マジかよ」

 

 最悪だ。

 まさか、千歌にそんな勘違いされるなんて。

 かなり焦る。

 待てよ? 勘違いした?

 

「言っておくけど。梨子は千歌の誕プレ選びに付き合ってもらっただけだ」

 

「そうでしょうね。女性に気持ちなんて一切理解できないあなたならそういう選択をするでしょう」

 

 こいつと一言多くて嫌味な奴だと露骨に大きな舌打ちをする。

 つーか、人のサプライズを台無しにしておいて、さらに逆鱗を撫でるような挑発をするとか、いくら何でも性格悪すぎないか。

 確かにダイヤは俺を好いてないのは明白。嫌味ったらしくなるのは当然かもしれない。

 それにしてもいちいち人を苛立たせるようなことを言うのは模範的な優等生なダイヤらしくない。

 

「どうしましたか? 僕を殴ってくださっても構いません。僕はあなたの努力を水の泡にした。それに関しては僕が悪い。ただ、一つ言わせてください。あなたはどうして、いつも隣にいながら思いを伝えなかった?」

 

「それは……」

 

「この腑抜けが。はっきりしないからこそ、傷つく人達がいることを忘れるな」

 

 ぐうの音も出ない。

 ダイヤの言う通り、いつも千歌の傍にいながら俺は何もしなかった。

 ただ、いつも通り接しただけで千歌きは特別なことは何もしていない。

 アピールだって何一つだ。

 そんな男なんて腑抜けと馬鹿にされても仕方がない。

 

「そうだな。俺はお前の言う通り腑抜けだ。それは認めるよ」

 

「っ! お前! いい加減にしろ!」

 

 肯定その時だ。突然、ダイヤが俺の胸倉を掴んできた。服を引き千切らんとする力で。

 ダイヤはまるで睨み殺すかの如くを鋭い目つきを向ける。

 俺はただあ然とした。

 別にびびったわけではない。あまりの予想外の行動に俺は呆気に取られてしまったのだ。

 冷静沈着で規律に厳しいダイヤがまさか感情的かつ暴力的な手段を取るとは誰が思うか。

 

「なぁ……どうしたんだ? 俺にはお前の意図が全くわからない。千歌が好きなら口説けばいいだろ!?」

 

 千歌が好きなら勝手に口説けばいい。

 千歌の隣に俺がいて欲しくないのなら排除するよう手を出せばいい。

 ダイヤの言動は矛盾している。

 ダイヤは千歌のことを好きと言ったはずなのに、デートまでしてもなお、あまり恋人にしたいなんて欲が丸っきり見えない。

 それどころか俺に発破をかけてるように見える。

 理解できない。普通なら恋人にしようと躍起になるはずなのに。

 

「知らないくせに……」

 

「何がだよ! 何も言わねぇんだから、わかるわきゃねぇだろ!」

 

 勝手にキレては説教みたいなのを聞かされて、流石に苛立ってしまい、強い口調で返してしまう。

 ダイヤはヒートアップした俺に乗っかるようにデカイ声で言い放った。

 

「僕はお前とは違うんだ! お前みたく自由に生きることも! 自由に恋することだって許されない! 届かない星に手を伸ばすことも許されない! だから、諦めるしかないんだ!」

 

「ダイヤ……お前……」

 

「僕には許嫁がいる。どんなお前以上に千歌さんを愛していても絶対に一緒になれない……」

 

 俺はこの時、初めて知った。

 松浦果南と黒澤ダイヤが生きている世界は同じだけど、全く違うということ。

 俺はただの一般人だ。

 いずれは家のダイビングショップを継ぐという役割を選んだが、それ以外に背負うべきものは何もない。

 もっと言ってしまえば、親父からは他にやりたいことがあるならダイビングショップなんか継がなくていいとさえ言われている。

 俺は例えるから果てまで広がる大海原を自由に泳げるイルカ。生きるも死ぬも自分の匙加減。でも、自分に行きたい場所まで泳げる。

 何も囲われず、縛られもしない正真正銘の自由を得ている。

 一方でダイヤには自由なんてない。

 水族館かどっかの施設の狭い水槽に押し込まれたイルカ。

 自分の行きたいところまで泳ぐことは許されず、徹底的に管理され、時には見世物として扱われる。

 無論、それが悪いことじゃない。病気になっても治療は受けられるし、見世物になることで人々を楽しませることができる。

 それなりに快適で外敵に襲われることもなければ病気になっても治療してくれるため、長生きはできるだろうが、一切の自由はない。

 檻に囚われ、鎖に繋がれ、愛でられるだけ。

 自由しか知らない人間と自由を知らない人間。

 その二種類の人間の価値観は絶対に混じり合うことはない。

 そりゃあ、俺とダイヤは互いに気が合わないに決まっている。

 自由を持てないダイヤにとって自由を持つ俺が妬ましく思うに決まっている。

 

「そうか。そりゃあ……お前の気持ちがわかるわけねぇよな」

 

 俺には別の世界に住むダイヤの思いも苦しみも何もわからない。

 そして、ダイヤの取った選択肢も俺には理解できなかった。

 

「でもよ、何で抗わないんだ? そんな自分の人生全部が家とか親に決められるとか……俺は嫌だね」

 

「何もわかってない! 何一つも!」

 

「そうだよ。わかってないから言ってるんだ! 逆にお前も俺のことをわかってないだろ! お前はただお前自身のエゴを押し付けているだけだ!」

 

 確かに俺は誰よりも千歌に近い。いつだって千歌に告白するチャンスだってあった。

 しかし、万が一千歌が俺以外に好きな人がいて、告白を蹴られた時、俺と千歌の関係は最低最悪のものになってしまう。

 幼馴染という近い存在であるが故に繋がりが少しでも亀裂が入れば同じように修復するのは難しい。

 言い訳にしか聞こえないが、だから俺は千歌に告白することができなかった。

 別に理解しろとは言わない。ただ、相手の考えを汲むこともせず、自分の考えを押し付けるのは馬鹿な俺でも違うとわかる。

 

「……お前に言われたく……」

 

 ダイヤは俯き、俺の胸倉から手を離す。

 

「失礼……しました」

 

 そして、ダイヤは一つ礼をして、足早に俺の家から去っていった。

 まるで台風が過ぎ去ったような静寂が居間に流れていた。

 その台風の目がまさかダイヤだなんて誰が予想できるか。

 あの焦りように感情的なダイヤを初めて見た。

 驚きはしたが、それ以上に安心があった。

 黒澤ダイヤもちゃんと感情があり、血の通ったただの人間だということ。

 ダイヤは何かの考えがあって、こんな行動を起こしたのだろう。あいつのことだから、自分の為ではなく、他人……千歌の為に。

 だからと言って、いきなり人の家に上がりこんではキレ散らかすのは違うと思うが。

 

「……俺も覚悟を決めるしかないか」

 

 だが、俺も感情的なダイヤを見て、少しだけ触発された。

 あいつも千歌のことが好きで、デートや恐らく様々なことをしている。

 俺なんかよりも活発で男らしい。

 恐ろしい恋敵が現れた以上、もうウジウジ悩んでいる暇なんて、俺には残されていなかった。



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25話

 内浦から少し離れた大きな高級料亭。

 僕にとっては馴染みのある和室から望める日本庭園は流石と高級料亭と言ったところ。

 そんな場所で僕は許嫁の家族の方々と食事をすることになっている。

 

「ふむ。流石、ミシュランにも認められた料理だ。美味いな、鞠莉」

 

「そうね」

 

 黒いスーツ姿の僕の対面には紫色のドレスをを纏った鞠莉さんとタキシードの鞠莉さんの父がいる。

 そう、僕の許嫁というのは鞠莉さんだ。

 ドレス姿の鞠莉さんはとても美しい。

 いつもは少女らしい可憐さが振りまいているけど、今は少女というより、大人の女性のような気品と色気がある。

 ただ、その美しい姿には似合わない不満そうな表情なのが勿体ない。

 別に不愉快とは思わない。鞠莉さんの本心を知る僕にとって、寧ろ、そういう反応をするのは当然だと思う。

 

「それにしても、小原さんの娘さんは美しいですな。我が息子には勿体ない」

 

「当然ですとも。私の自慢の娘ですから。黒澤さんの息子さんも偉くイケメンでないですか」

 

 父と鞠莉さんはお酒を酌み交わしながら、笑い声をあげる。

 何も思いも籠もっていない、上辺だけの会話。

 こんなもののどこがいいのか。

 特に父は鞠莉さんの父に気に入られたいのか慎重に言葉を選んで、媚びを売る。

 この俗物が。僕はこんな大人には絶対になりたくないと心の奥で深く戒める。

 

「いやぁ、それにしてもダイヤ君が鞠莉の旦那さんなら安心だ」

 

「それは恐縮です」

 

「でも、いいのかい? 君はまだ若い。恋だってもっとしたい年頃だろう」

 

 鞠莉さんの父は顎に手を当て、僕を凝視する。

 まるで品定めをするかのように、本当に鞠莉さんを任せられるかどうか、判断したいのだろう。

 全身から嫌な汗が滲み出る。

 少しでも変な行動、間違った行動を取れば、即座に縁談は破棄され、黒澤家を繁栄を潰すことになるというプレッシャーと緊張はある。

 それ以上に僕の本心を見透かされている気がして、頭がおかしくなりそうだ。

 

「いえ、ダイヤは恋愛など……」

 

「あなたはダイヤ君ではないでしょう」

 

 余計な口を挟んだ父を鞠莉さんは睨みつける。

 父はまるで蛇に睨まれた蛙のように縮みこむ。

 情けない父だ。

 いっそ、本当のことを言って、全て終わらせても……いいや、僕の我儘でルビィに不自由を味わわせるわけにはいかない。

 僕の人生は僕だけの物ではないから。

 

「……もう恋は……しませんから」

 

「それは、今までしていたとでも?」

 

「はい。ですが、もういいんです。彼女には僕ではない他の好きな人がいるので」

 

「ほぉ。君のような素晴らしい人に好意を寄せられながらも、別の男を選ぶとは随分勿体ないと思うな」

 

「えぇ。全く、その通りです」

 

 僕は乾いた笑いをする。

 千歌さんと松浦果南は互いに思い合っている。それなら思い合っている者同士で結ばれた方が幸せに決まっている。

 だから、身を引いた。僕では千歌さんの心に付け入る隙はないのだから。

 男としていさぎよい最後を迎えるべきなんだ。

 

「ダイヤ……」

 

「君は優しすぎる男だ。気にいった」

 

 鞠莉さんの父は頬は緩み、初めて柔らかな笑みを見せる。

 何とか山場を越えたことを痛感した僕は気が緩む。

 その勢いで倒れそうになるけど、必死に耐える。

 

「いい男じゃないか。あんなファッキンウォーターコングよりも断然にな」

 

「えっと……小原さん?」

 

 すると、鞠莉さんの父は放送禁止用語を平然と話した後に拳を固く握り締める。

 

「ダイヤ君。鞠莉の近くにはね、悪影響を及ぼす害獣がいるんだよ。無茶苦茶で粗暴でそれはもう迷惑な奴がね」

 

「近く……あぁ」

 

 僕はすぐにその害獣の姿が思い浮かんだ。

 近く……淡島にいて、ゴリラと例えられる粗暴な生物なんて松浦果南一択だろう。

 不意に大嫌いな松浦果南の顔が思い浮かんでしまい、僕は顔を顰める。

 

「何度も鞠莉を外に連れ出したりするもんだから、私達は頭を悩ませたよ。隙があるなら、海に沈めようとも思ったさ。だがねぇ、鞠莉がそんな男を……」

 

「パパ! その話はしなくていいでしょ!」

 

「おお、Sorry」

 

 激しく、熱く語る鞠莉さんの父の話を鞠莉さんが遮る。

 鞠莉さんの白い頬は真っ赤に染まっている。

 いつもは余裕をかましているから、恥ずかしがる鞠莉さんはギャップがあって、可愛らしいと思った。

 

「もういい!」

 

 すると、鞠莉さんはスッと立ち上がり、僕に視線を向ける。

 少し、二人きりになりましょうと目で伝えているような気がした。

 

「すいません。お義父様。少し、席を外しても……」

 

「いいとも。ダイヤ君は一応、鞠莉の夫になるのだから付いてやってくれ」

 

 空気が読んだ鞠莉さんの父は快く、受け入れてくれた。

 僕は「ありがとうございます」と頭を軽く下げながら、立ち上がる。

 そして、鞠莉さんの元に向かおうとしその時、「少し耳を貸してくれ」と鞠莉さんの父に手招きをされる。

 一体、何だろうと恐る恐る、鞠莉さんの父の傍に行く。

 

「ダイヤ君の背負っているものは私は理解している。君は凄く立派だ。そこは誇っていい」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「だからこそアドバイスをさせてもらう。もう少し、貪欲な獣になるといい。少し、強引なくらいが男としての魅力は高い。例えば、私達が嫌いな松浦果南ようにな」

 

 



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26話

 個室から出た僕らは中庭に置いてある石のベンチに腰掛け、心を落ち着かせていた。

 ふうと僕は溜息を吐いて、ネクタイを取っ払う。

 まるでリードのように首元を締めるのだから、ただただ息苦しくて仕方がない。

 

「本当、大人達って勝手なんだから」

 

「全く、その通りです」

 

 鞠莉さんは僕の隣に腰掛け、ふうと大きな溜息も吐く。

 父から鞠莉さんが許嫁と伝えられた時、僕はほっと安心した。

 見ず知らずの相手より、ある程度知っている人間の方が気が楽だ。

 それに同じ家に縛り付けられ、振り回される者同士で共感できることが多い。

 

「鞠莉さんはいいんですか? 僕なんかと結婚しても」

 

「いいのよ。私は自分で選んだから。パパは小原家を継ぐなら誰と結婚しても構わないって言ってるけど……相手が相手だから、認められたかどうか」

 

「それが……ファッキンウォーターコング?」

 

「えぇ。わかっていると思うけど果南よ。私にとっては広い世界に連れ出してくれた人だけど、父にとって大事な娘に悪影響を及ぼす、悩みの種というか……害獣扱い」

 

 松浦果南の酷い言いように思わず笑いそうになってしまう。

 だが、鞠莉さんの父が松浦果南嫌う理由は僕には十分理解できる。

 自分勝手で粗暴で馬鹿丸出しの不良。

 何より一番気に食わないのは悪人ではないこと。これで鞠莉さんの父の思いとは裏腹に鞠莉さんはずっと果南さんに好意を抱いていた。

 鞠莉さんは逆に広い世界を連れ出してくれる豪快さに惹かれたそう。

 ただ、最近はそうでもないと愚痴を零していた。

 もっぱら千歌さんのことについてウジウジ悩んでいる姿がかっこ悪いらしい。

 とは言っているが、鞠莉さんが一番いい顔をするのが松浦果南のことを話している時だ。

 

「あなたはいいの? ちかっちのことは?」

 

「以前も言いましたが、僕では千歌さんを幸せにはできませんから」

 

 僕は千歌さんの隣にいていい人間ではない。

 勝手な我儘で千歌さんの心を傷つけた僕では千歌さんを幸せにすることはできない。

 

「……あなたがいいならそれでいいけど。でも、パパと言ってたわよ。もう少し我儘になればいいって」

 

「あなたの好きな松浦果南みたいになれと?」

 

 冗談めかすと「それはやりすぎ」と笑われる。

 

「千歌さんと松浦果南は両思いですから。僕なんかよりも上手くいきますよ」

 

「でも、そんなの二人にはわからないわよ」

 

「えぇ。だから、松浦果南には発破をかけてやりました」

 

「……え?」

 

「先日、千歌さんが好きなことを松浦果南に伝えました。また、デートした時に松浦果南と桜内さんの関係を誤解させてしまったということも。」

 

「……あなたは手助けしたつもりなのね」

 

「そのつもりですが……」

 

 そう答えた瞬間だ。

 僕の頬に鋭い痛みが走る。

 何が起きたのかと判断が鈍った。

 でも、目の前の鞠莉さんの様子を見て、やっと気づいた。

 僕は鞠莉さんに殴られたのか。

 

「本当、最低!」

 

 いつものおちゃらけた雰囲気からは想像もできない睨みを僕に向けていた。

 

「あなたは二人の為にやったと思っている。でも、それは勘違いだし、人の思いを踏みにじった最低なことよ。自分の思いを押し付けるだけ押し付けて、逃げた腰抜け!」

 

 嵐のように降り注ぐ、罵倒の数々。

 ぐうの音も出ない正論で、僕の心に鋭く突き刺さる。

 

「確かに果南はちかっちのことになるとありえないくらい情けなくなる! でもね、それは幼馴染だから! 今の関係を崩してまでも叶える願いかどうか迷ってるから情けなくなるの!」

 

 激しい怒りを僕に投げつける。

 鞠莉さんも松浦果南と幼馴染だ。

 きっと、松浦果南が千歌さんに対する苦悩を鞠莉さんも抱いている。

 一歩でも踏み間違えれば奈落の底に落ちる危ない綱渡り。

 それなのに僕はそんな危険なことを押し付けていた。

 僕のことを何も知らない?

 僕だって松浦果南のことを何も知らなかった。

 言葉の刃は盛大なブーメランとなって帰ってきた。

 

「言っておくけど、あなたが思っているほど果南は馬鹿じゃないわ! やる時はやる男よ」

 

「……評価しているんですね」

 

「当然よ。私が好きになった人なんだから」

 

 冷めているという割には本気になる辺り、やはり鞠莉さんはまだ松浦果南の未練を断ち切れていない。

 羨ましいと思った。好きな人にそんなに一生懸命になれることが。

 僕は何も変わろうともせず、ただ父に抗おうともせず、諦めた。

 無論、抗わないのはルビィの将来の為もある。でも、もしかしたら言い訳という側面もあるかもしれない。

 僕は何をすればいいのか全くわからず、ただ自分を偽ることしかできない。



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27話

 今夜は新月。

 月明かりがないおかげで夜空に浮かぶ星がよく見える。

 いつもの天体観測所--小原ホテルの裏にある桟橋で俺は仰向けになって星を眺めていた。

 

「また、こんなところにいるの?」

 

 頭の方向から馴染みのあるソプラノボイスが聞こえてくるんだ。

 そこには真っ白なドレス姿の鞠莉が俺を見下ろしていた。

 今日の鞠莉はいつにも増して綺麗だ。

 そりゃあそうだ。許嫁との会食があったのだから最大限の化粧やお洒落をするに決まっている。

 

「果南はここが好きね」

 

「鞠莉か。ここが一番落ち着くんだ。わかるだろ?」

 

 長い付き合いで俺が迷った時や悲しい時に必ずここに来ることを知る鞠莉は「そうね」と俺の横に仰向けになって同じ空を見上げる。

 

「婚約相手との会食、どうだった?」

 

「まぁまぁだったわ」

 

「まぁまぁって、鞠莉の目は厳しいな。どんな奴だ?」

 

「真面目な人。果南とは絶対にそりが合わないわ」

 

 まぁ、そうだろうなと呟く。

 鞠莉はその類まれなる美貌を持ちながら男性の影を一切見せてこなかった。

 告白を受けてもはっきりとNOと突きつけ、好きな人の噂も一切立たない。

 周囲からはいいところのお嬢様だから並大抵の男では満足できないお高い女性と噂されている。

 別に自分の立場が高いからって男を選ぶような浅い奴じゃない。

 ただ、理想が高いっていうのは本当だ。

 昔から色々話す中で何となくだが、鞠莉は男らしかったり、ちょっとばかし強引だったりする男が好みだということはわかった。

 意外なんだよな。結構、上品だったり、真面目な男が好きそうなんだけどな。

 

「星が綺麗ね……」

 

「波の音、夜風も心地いい……」

 

 街灯の少ないこの場所は本当に星が綺麗に見える。

 それだけでなく、桟橋に当たる波の音や肌をそっと撫でる風は心身ともに癒やしてくれる。

 

「ねぇ、覚えてる? 私達の初めて会った時のこと」

 

「どうした、急に?」

 

「思い返したのよ。色々とね」

 

 鞠莉は星を眺めながらポツポツと語り始める。

 

「私が日本に来て、間もない時。勉強が……家のことが嫌になって逃げ出した。果南の家の前を通ったらあなたがいた」

 

「あの時はびっくりした。俺と同い年の女の子が黒服の男に追いかけられてんだから」

 

 今でも鞠莉との出会いは鮮明に覚えている。

 春風が舞う四月の上旬。小学校に入学する一週間前。

 俺は父さんの仕事の手伝いとして、家の前で軽い荷物を運んでいた時だ。

 純白のワンピースを来た幼い鞠莉が走ってきた。

 小さな肩を激しく上下に揺らし、激しい深呼吸。怯えたような表情は今でも鮮明に覚えている。

 背後には鞠莉の姿とは真逆に黒いスーツ姿の男達が鞠莉を追いかけていた。

 まるで悪の組織に追われるヒロインみたいな光景だった。

 鞠莉を救いを求める瞳に俺は突き動かされた。

 俺は鞠莉の手を引いて、一緒に逃げた。

 

「それで使われていないロープウェイの駅に隠れたっけな」

 

「初めてよ。立ち入り禁止の場所に入ったのって」

 

「でも、すぐ捕まっちまってさ」

 

「そうね。だけど、あれから何度も私を外に引っ張り出して……」

 

「だって、子供は外に出て元気に遊ぶもんだろ? あんな狭い部屋で勉強漬けなんて頭が黒澤ダイヤになるわ」

 

「果南らしいわ」

 

 思い出話に花を咲かす。

 もしかしたら、千歌よりも先に鞠莉に会っていたら好きになっていたかもしれない。

 それくらい俺は鞠莉に気を許している。

 

「ねぇ、今日の私は綺麗?」

 

「まぁ、いつもよりは」

 

 ふと、豊かで露出された胸につい視線が移ってしまう。

 

「どこ見てるの?」

 

「いや……その」

 

「変態。今日会った人はそんなやらしい目、してなかったわ」

 

 鞠莉は呆れたように溜息を吐く。

 ごもっとも。

 返す言葉が見つからなくて、鞠莉とは反対の方向に顔を向ける。

 

「本当、果南は変態でガサツで不良。嫌われてもおかしくないわ」

 

「酷えこと言うな」

 

「そんなあなたが好きになった」

 

「そりゃあど……えぇ!?」

 

 鞠莉の突然の告白に気が動転し、すぐに体を鞠莉に向ける。

 すると、鞠莉は俺の胸に抱きつき、体を寄せる。

 

「初めて出会った時から好きなの。十年経った今でもずっと……ずっと好きなの!」

 

 まるで俺から離れたくないと言わんばかり腰に手を回し、固く抱き着く。

 鞠莉の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。

 胸に夏の暑さとは違う心地よい暖かさと早くなる鼓動が伝わる。

 

「外に……新しい世界に連れ出してくれた果南に心惹かれた。気づかなかったでしょ? 十年近くも、ずっといたのね」

 

「鞠莉……」

 

 鞠莉の言う通り。俺は全く鞠莉の思いに気づかなかった。

 俺のことが好きだなんて、そんな素振りは一切見せてこなかった。

 ……いや、見せられるわけがない。鞠莉は誰よりもは早く俺の恋を知ってしまった。

 千歌が好きなことを。

 その事実を知らせたのは紛れもなく俺だ。

 

「……もし、私の想いを……受け取ってくれなら……」

 

 拳をギュッと握りしめる。

 俺は俺自身に気持ちに嘘をつきたくない。

 中途半端な気持ちで鞠莉に寄り添ったところでその場の凌ぎ優しさでしかない。

 長い目で見れば鞠莉を苦しめるだけの毒だ。

 

「……ごめん。俺は……千歌が好きだ! だから……鞠莉の気持ちには……応えられない」

 

 静寂が流れる。

 波の音も風の音も聞こえない。

 聞こえるのは鞠莉の息遣いと鼓動の音だけだ。

 

「……良かった」

 

 鞠莉の口から嗚咽でもすすり泣く声でもなく、安堵の息が漏れる。

 

「告白されたからってちかっちからすぐに目移りするような果南だったら海に突き落としていたわ」

 

 そう言うと、鞠莉はゆっくりと俺から離れ、立ち上がる。

 そして、俺を見下ろし、にっこりと笑う。

 

「ねぇ。いつ、ちかっちに告白するの?」

 

「……今からって言ったら驚く?」

 

「何となくわかってた」

 

「そろそろ俺も男にならないとみんなに迷惑をかける」

 

 俺はジッと鞠莉を見つめる。

 そうだ。さっさと気持ちを整理しなかったから千歌、そして、鞠莉を傷つけた。

 俺は俺自身の立場に何も気づいていなかった。

 

「なら、行ってきなさい! 安心しなさい。ちかっちにフラれても、こんな美女が控えているんだから……」

 

「縁起でもないのと言うなよ……それに」

 

 鞠莉は俺の背中を強く押す。恐らく、鞠莉なりの冗談……いや、もしかしたら、本音かもしれない。

 違う。その言葉で安心できるほど俺は器の小さい男じゃない。

 

「鞠莉は鞠莉だ。千歌の代わりにはなれないし、鞠莉は鞠莉で大好きだ」

 

「……そういう包み隠さないところが大嫌い」

 

 鞠莉は安心したように満面の笑みを浮かべた。



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28話

「はぁ……」

 

 私は部屋の窓から夜空を見上げ、溜息を吐く。

 空には黒い空に淡く輝く無数の星々が浮いている。

 昔、果南ちゃんに教わった。悩み事があった時は空を見上げる。そうすれば、悩みなんてものは如何にちっぽけなものなのかと思えて楽になるって。

 全然楽になんてならない。それどころかより深く考えてしまい、より一層気が重くなる。

 そんなことないじゃんと今になって文句を垂れる。

 最近、自分がわからなくなった。

 果南ちゃんが好き。幼い頃からずっと一緒にいて、何度も助けてくれて導いてくれて、泣き笑ってくれた。かなり鈍感でデリカシーがないけれどそんなところも含めて果南ちゃんが好き。果南ちゃんを見る度に心が激しくドキドキする。これは紛れもない事実だ。

 でも。でもだ。最近になってダイヤさんと出会って、デートに行って、私を慰めてくれてから同じドキドキが起きてしまう。

 きっと私はダイヤさんも好きになってしまった。果南ちゃんより大きいとか小さいじゃない。

 同じくらい好きなんだ。

 一度に二人も好きになった。ママがよく見ていたドラマでたまに見かけたシチュエーション。これはフィクションだからこそ許されることであって現実なら許されないこと。

 私は最低だと自己嫌悪に陥る。

 果南ちゃんには梨子ちゃんがいるからダイヤさんを好きになった。そんな捉えられ方をされても仕方のない流れでより一層自分を責める。

 どうすればいいんだろう。心がモヤモヤする。どちらかを選ぶべきなんだろうか。いや、何様だ。不甲斐ない私に選ぶなんて大層なことが許されるとは思えない。そもそも二人を好きになる最低な私なんかに選ばれても迷惑……。

 

「そう思っちゃだめだよね……」

 

 自分を否定しかける直前でダイヤさんの言葉を思い出した。ゆっくりでいいから自分を認めてあげて欲しい。私だけの魅力に惹かれたから好きになった。

 今、自分を否定することは私を好きになったダイヤさんのことを否定することになる。

 それは嫌だ。だから、淀んだ思いをグッと沈める。

 まだ、自分を認めることはできないけど、それくらいは私にだってできる。

 

「どうしたの、千歌ちゃん?」

 

 前から馴染みの声が聞こえ、顔を前に向ける。

 向かいの家のベランダには桜色の寝間着姿の梨子ちゃんが私を見ていた。寝る準備に入っているようで長い髪にはアクセサリーも何もついていなくて、全部下ろしていて、年齢にはそぐわない大人の色気があった。

 

「ずっと、空を見上げてたけど……」

 

「うん……ちょっとね」

 

 気まずい空気が流れる。

 いつもなら悩みがあればすぐに話すけど、今回は流石に話せない。

 だって、果南ちゃんの事だから。梨子ちゃんは果南ちゃんと付き合っているんだから、二人のことが好きなんて言ったら困るどころか怒られても仕方ない。

 

「……ねぇ、どうして果南ちゃんとのお出掛け、行かなかったの?」

 

 気まずい空気の中で流れた鋭い一言は私の心を貫いた。

 どうしてそれを梨子ちゃんが聞いてくるのか。それが全く分からなかった。

 

「それは……家の用事が……」

 

「でも、あの時はずっとベッドの中に潜り込んでいたけど……」

 

「見てたの!?」

 

「見えたの!!」

 

「……エッチ」

 

 私はジト目で梨子ちゃんを見つめる。

 確かに両方とも、カーテンが全開ならちょっと覗き込めばお互いの部屋の様子が丸わかりだ。テスト前に部屋で漫画を読んでたらベランダから梨子ちゃんに注意されたこともあるし、逆に梨子ちゃんが薄い漫画を読んでいるところを見たら怒られたこともある。

 迂闊だったと思いつつあの時はかなりショックを受けていてそんな細かいところまで気にする余裕なんてなかったから仕方ないと思うしかなかった。

 

「私、驚いたんだよ。千歌ちゃんが果南ちゃんとの約束を破るなんて。果南ちゃんと何かあったの?」

 

「何も……ないけど」

 

 梨子ちゃんの言動がおかしい。自分の恋人とのお出かけをすっぽかしたことに心配しているようだ。普通なら心配とは真逆の安心を覚えるはず。

 ちょっと前にクラスメートの女の子が話していた寝取りというのを思い出す。よくわからないけれど梨子ちゃんは都会の人だったから純愛よりももしかしたらそういうマイナーなものが好きなのかなと疑ってしまう。

 

「嘘よ。だって、最近の千歌ちゃんは露骨に果南ちゃんを避けているもん」

 

「そんなこと……」

 

「あるよ。見ればわかる」

 

 梨子ちゃんは

 

「……だって、気まずいもん」

 

 私の疑いは膨らみ続け、思わず本音が漏れてしまう。

 

「何が?」

 

「果南ちゃんは梨子ちゃんと付き合っているでしょ! それなのに……近づくのって……」

 

 梨子ちゃんは夜中なのに街中に響き渡る程の大きな声を出して驚いた。

 

「ちょっと待って!? 私が果南ちゃんと付き合ってる!?」

 

「だって、この前見たもん! 果南ちゃんとデートしてるの!」

 

「あれは……ってなんで知ってるの!?」

 

「それは……偶然、あそこのいたから……」

 

「千歌ちゃんのエッチ……」

 

 思わず滑らせた言葉に梨子ちゃんはジト目で私を見つめてくる。

 その後に、梨子ちゃんは「そうだったのね」と呟いて胸を撫で下ろす。

 

「あれはね。デートじゃないの。一緒に買い物に……いいえ。隠さないわ。千歌ちゃんの誕生日プレゼント選びに付き合って欲しいって言われたから」

 

「そう……だったの!? 手を繋いでいたからてっきり……」

 

「それははぐれないようにって果南ちゃんが」

 

 私は唖然とした。私の誕生日プレゼントを選ぶためにお出かけをした。

 無論、事情を知らないあの時じゃ絶対に気づかなかったけど、私は早とちりをしたんだ。

 冷静に考えてみたら果南ちゃんは普通なら照れるような行動を平気で行う人だ。私にとっては手を繋ぐというのは特別な行為でも果南ちゃんにとっては別に大したことではない。

 

「勘違いして、それでやきもち焼いてってことで……」

 

「うん……」

 

「でも、どうして勘違いしたの?」

 

「……私、ずっと果南ちゃんと梨子ちゃんの二人がお似合いのカップルだって思っていて、凄く仲もいいし……梨子ちゃんが果南ちゃんのこと好きだって知っているから」

 

 私が長い間押し隠してきた思いを呟くと梨子ちゃんは柔らかな笑みを浮かべる。

 

「うん。そうだよ。私は果南ちゃんが好き。でも、私からみれば千歌ちゃんの方がお似合いだと思うよ」

 

「そんなこと……」

 

「果南ちゃんが千歌ちゃんのこと話している時、凄く楽しそうだったもん。プレゼントを選んでいる時なんか凄く真剣でね、本当に千歌ちゃんのことが好きなんだなって嫌でも伝わってきたの」

 

 顔が熱くなる。果南ちゃんが私のことを楽しそうに話してくれている。その話を聞いて、何だか恥ずかしくなってきた。

 

「だから、誕生日の時、果南ちゃん、落ち込んでたの。あの果南ちゃんからは想像できないくらいね」

 

「そうなの?」

 

 胸がキュッと締め付けられ、不意に俯く。

 私の勘違いで果南ちゃんを悲しませてしまったなんて……。

 私は最低だ。自分勝手な理由で果南ちゃんを傷つけて、思いを無駄にした。

 

「本当に……千歌は最低だ……。最低だから」

 

 私はグッと顔をあげる。

 

「私、果南ちゃんに謝る!」

 

 最低だから、謝らなくちゃいけない。

 もう、自分の弱さを、自身の無さを言い訳にして逃げてばかりじゃ駄目だ!

 そう決意した時だ。まるで待っていましたと言わんばかりにベッドの上に置かれたスマホから着信音が鳴る。

 私は慌てて、スマホを取り、液晶ディスプレイを見る。

 着信してきた相手は果南ちゃんだった。私は画面をタッチし、電話に出る。

 

「もしもし、果南ちゃん!」

 

『千歌! 夜遅くに悪い! 今から外出れるか!?』

 

 果南ちゃんの慌ただしい声が私の耳に入り込んでくる。そんな果南ちゃんの声の後ろからは激しい波の音とエンジン音が鳴り響いている。

 

「う、うん! 大丈夫!」

 

『なら、家の前の海岸で待っててくれ! 今、そっちに向かってるから!』

 

 そう言って、果南ちゃんは一方的に電話を切った。

 多分、果南ちゃんは既に向かってくる最中に電話をかけている。一体、何をするつもりなのか、検討もつかない。もし、私が出たくないって言ったらどうしたんだろうと疑問に思った。

 ……ううん。果南ちゃんはそんなことは考えない。自分がしなくちゃいけないと思ったらすぐに行動する。

 そういう真っ直ぐなところが好きなんだ。

 私はスマホをポケットにしまい、ベランダに目をやる。

 梨子ちゃんはまるで聖母のような優しい笑みを浮かべ、私を見ていた。

 

「早く、行ってあげて。千歌ちゃん! 果南ちゃんが待ってるから!」

 

 自分の好きな人が別の女の子の為に必死になっているところを間近で見ていて、きっと梨子ちゃんは相当なショックを受けている。

 それでもなお、好きな人と友達の為に背中を押してくれる。感謝してもしきれない。

 

「梨子ちゃん! ……ありがとう!」

 

 私は精一杯の思いを言葉に乗せ、梨子ちゃんに届けると駆け足で部屋から飛び出した。

 迷いはまだある。

 それでも私は果南ちゃんと向き合いたい。



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第29話

 私はパジャマ姿のまま家を出て、家の目の前の海岸に向かう。

 柔らかい夜風に吹かれ、まるで心地よい寝息かのように静かな波を立てる駿河湾。その海面に夜空に浮かぶ星が映って、星が海に浮かんでいるように見えて、とても綺麗だった。

 海岸には既に全身びしょ濡れの果南ちゃんが立っていて、その後ろには水上バイクが停まっている。

 果南ちゃんが水上バイクに乗る時は濡れないようにウェットスーツを着ているけど、今日は着ていない。

 理由はわからないけど、果南ちゃんのことだ。何か思うことや何かがあって、突発的に行動した。そうじゃなきゃ、こんな夜中に私を呼び出したりしない。

 そして、着る間も惜しくて、そのままここに向かってきたんだろう。

 

「果南ちゃん、こんな夜にどうしたの?」

 

 私は果南ちゃんが呼び出した目的を聞こうとすると、果南ちゃんはまるで今から放射熱線でも吐くのかと思ってしまうくらい大きく息を吸い込む。

 これから一体何が起きるのだろうかと私は固唾を飲んで見守る。

 そして、私はその衝撃の言葉にただ圧倒することしかできなかった。

 

「千歌! 俺はお前が好きだ!」

 

「えっ……えぇぇぇぇぇ!?」

 

 開口一番の台詞がまさかの愛の告白。

 何一つ前置きも説明も予兆もなく、本当に唐突。私も心の準備も覚悟も一切出来ていなかったから、夜中だというのに大きな声を出して驚くしかなかった。

 

「ずっとだ! ずっと前から好きだった! いつも笑顔でみんな幸せを振りまくところとか! やると決めたら最後まで貫き通す根気が! ぱっちりとした目が! 他の見た目とか色々!」

 

「ちょっと、待って! まだ、準備が!」

 

「少し天然というか馬鹿なところも! 泣き虫でしょっちゅう泣いていたのも!」

 

「それって、褒めてるの!?」

 

「それら全部含めて高海千歌という人間が好きだ!」

 

 途中から罵倒になっていたけれど、私の弱い部分や悪い部分があって、それが高海千歌という人間でそれらを含めて好きになってくれた。

 嬉しかった。これ以上にないくらい嬉しかった。幼い頃から抱いて思いが報われた。果南ちゃんの隣にいて、愛してもいいと認められた。

 高海千歌と言う普通だった存在が果南ちゃんにとって特別な存在だったということが。

 昔の自分なら今すぐに果南ちゃんの胸に飛び込んでいた。

 でも、今の私はできない。それどころか果南ちゃんの告白を受けるに値するかするかわからない。

 だって、ダイヤさんのことも気になって、想う度に心が熱くなってしまう最低な人間だから。

 

「今さらなんて……」

 

 不意に本音が溢れてしまう。

 

「本当、今さらだよな。俺が不甲斐ないばかりにさ。そのせいで別の幼馴染みまで傷つけて、何やってんだかさ」

 

 果南ちゃんは空を見上げながら自嘲する。

 

「情けない言い訳をするけど、千歌との関係が壊れるのが怖かったんだ」

 

「……果南ちゃん、私は!」

 

 私は「まだ答えられない」と返そうと時、果南ちゃんは私の唇に人差し指を当てると真剣な表情で

 

「答えはまだいい」

 

 と別ベクトルで衝撃な言葉を発する。

 果南ちゃんの言葉に私の頭をパンクする。

 告白してきたのに答えを聞かないとはどういうことなんだろうと驚くことしかできない。

 

「まだ、役者は揃っていないんだ」

 

「え?」

 

「あのバカ真面目クソ野郎に諭されたんだよ。自分の気持ちに素直になれってさ。そうじゃなきゃ、誰かを傷つけるって。だから、俺は逃げずに向き合う為にここに来た。でも、その当の本人が素直になれなくて、自分を誤魔化している。今のままじゃ、不公平なんだよ。俺だけ背中押されて、操作されているみたいで納得いかねぇ! だから、千歌。馬鹿な男達のプライドに少しだけ付き合ってくれないか?」

 

 凄い汚い言葉を並べられて名前を濁された人はきっとダイヤさんだと思う。

 もしかして。ダイヤさんは私の為を思って果南ちゃんの背中を押したのかもしれない。

 考えてみたらダイヤさんは私を好きと言っていてくれたにも関わらず、付き合いたいとは言っていなかった。それどころか私が果南ちゃんへの思いを尊重して、距離を取っていた。

 きっとダイヤさんは私が果南ちゃんと結ばれることが幸せだと思って行動してくれたんだと思う。

 それなら嬉しく思うけれど、何か腑に落ちない気もする。

 ダイヤさんばかり気を使って、幸せを手放して、可哀想だ。

 

「……わかった! 果南ちゃんがそう言うなら!」

 

「ありがとうな」

 

 そして、果南ちゃんは私の頭を優しく撫でるとクシャッと笑みを浮かべる。

 果南ちゃんの大きくて温かいこの手で頭を撫でられるのがやっぱり好きだ。心が落ち着く。ずっとこのままでいたいと思ってしまう。

 でも、まだ駄目だ。まだ、気持ちに踏ん切りがついていない私が今、果南ちゃんの思いを答えてしまったら、それは誠実ではないし、裏切ることになってしまうから。



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第30話

「ようやく来たな。待ちくたびれたぜ」

 

 目の前にいる彼を見て、僕は大きな溜息を吐く。

 クーラーの効いた生徒会室という聖域には既に先客がいた。

 松浦果南だ。生徒会長のみが座ることを許される席に足を組んで堂々と座っていた。

 僕は汗が滲み出る暑さの中、憂鬱になりながら登校し、この涼しい生徒会室で気分を晴らそうとしていたのに、よりによって松浦果南がいるなんて、癪に障る。

 

「何か用ですか? 水ゴリラ」

 

「お前、何でそのあだ名を……まぁ、いいや」

 

 小原家くらいにしか浸透していない碌でもないあだ名で呼ばれ、松浦果南は顔を顰めるがそんなことは今は関係ないと言わんばかりに切り替える。

 そして、僕の顔を真剣な面持ちで凝視してくる。

 

「お前のご希望通り、千歌に告白した」

 

 松浦果南の報告を聞いて安心と苛立ちという相反する感情が混ざり合う。

 これで千歌さんの想いが報われると思いつつ、自分では

 

「そうですか。わざわざ報告しなくても……」

 

 松浦果南は眉がピクリと動く。そして、立ち上がると僕の肩を掴む。

 

「次はお前の番だぞ」

 

 神経がゾッと逆立つ。

 僕は初めて松浦果南に恐怖した。何か得体のしれない物を相手にしているかのようだ。

 何度言わせるんだと神経が苛立つ。

 

「僕は告白しました。次なんてありません」

 

「それでいいのかよ」

 

「はぁ?」

 

「お前はそうやって思いを伝えるだけでいいのかよ」

 

 松浦果南はまるで鮫のような鋭い目つきで僕を睨んでくる。

 言葉が喉の上から上ってこない。初めて松浦果南に恐怖した。

 そして、まさにその通りだから。僕はただ、思いを伝えてそれで満足している。

 松浦果南と比べて決定的に違う点。

 だけど、僕は松浦果南とは違い、背負わなくちゃいけない使命や守らなくちゃいけない存在がいる。自由であってはならないんだ。

 

「……あぁ。千歌さんの幸せになるならそれで……」

 

 その瞬間だ。松浦果南は僕の胸倉を掴むと僕の背中側にある壁に強く叩きつける。

 昔からこの近辺では腕の立つ不良であり、ゴリラと評されることもあって腕っぷしは中々だ。

 いや、そんなこと噂で聞くまでもなく、あの時目の当たりにしたにもかかわらず、僕は忘れてしまっていた。

 

「千歌を言い訳にすんじゃねぇ!」

 

 痛い。体じゃない。心に鋭い槍を突き刺されたかのような気を失うような痛みが襲い掛かる。

 

「好きな人の幸せを……願って何が悪い!」

 

「違うんだよ! お前は自分が思う幸せを千歌に押し付けているだけだ! そして、その勝手な幸せを盾にお前は千歌からだけじゃなくテメェ自身からも逃げてる! それがぶっ殺したくなるくらい気に食わないんだよ!」

 

 止めろ。止めてくれ。

 それ以上、本当のことを言わないでくれ。

 わかっているさ。向き合う勇気がないからこそ僕は僕は千歌さんから逃げ、思いも押し隠そうとした。

 

「俺なら誰よりも千歌を幸せにする自信も覚悟もある! お前はどうなんだ!」

 

「……僕は」

 

 言いたいさ。松浦果南みたく、千歌さんを誰よりも幸せにできる人間は僕しかいないってさ。

 でも、僕は願いを叶えていいのか……。

 必死になって心に蓋をする。だけど、千歌さんへの思いは溢れるばかりだ。

 

「お前はどうしたいんだよ! 黒澤ダイヤ!!」

 

「僕は!」

 

 僕の我儘でルビィは不幸にさせたくない。それは確かな思いだ。

 でも、千歌さんが欲しいのも確かなんだ。

 なら、どうすればいい?

 その為に何すればいい?

 いや。悩むことなんてないだろう!

 鞠莉さんの父も言っていた。貪欲になれ。強引になれって。

 なら、僕はルビィを守りつつ、千歌さんを僕の手で幸せにすればいいだけだろう!

 ルビィが父に振り回されないように僕が守ればいい! 

 父が強引な手を使うと言うなら力づくで止めればいい!

 ただ、それだけじゃないか!

 優等生だからってただはいそうですか馬鹿みたいに言うことを聞いていちゃ駄目なんだ!

 

「テメェの覚悟は!!」

 

「ここだぁ!!」

 

 覚悟を決まって僕の心が火山の爆発した結果。思わず拳を固く握り締め。

 

「ちょっ!? 待つ!?」

 

 思い切り松浦果南を殴ってしまった。

 松浦果南の頬は深くめり込み、勢いよく後ろに倒れる。

 

「吹っ切れましたよ! 僕も! 千歌さんを幸せにしてみせる! もう、父の言いなりにならない! 僕は……僕の心に従う!」

 

「そ、そうか……」

 

「だか……あっ」

 

 心の噴火が治まり、段々と理性を取り戻していくと目の前で尻餅をついて、口の端から血を流す松浦果南を認識することができた。

 

「す、すみません! つ、つい気持ち昂ってしまって……」

 

「気持ちが昂って、衝動的に人を殴るって、お前、中々最低だぞ……」

 

 松浦果南は口元の血を手の甲で拭うと僕の顔を凝視する。

 こればかりは僕が悪い。確かに松浦果南は殴りたいくらい嫌いだけど、ただそれだけの理由で拳で振るうなんて本物の不良だ。

 報復として今度は僕が殴られても仕方がない。

 でも、松浦果南はゆっくりと立ち上がると気持ちのいい真っすぐな笑みを浮かべる。

 

「まぁ、いい拳だ。お前の思いが乗っていて滅茶苦茶効いたぜ」

 

「……何言ってるのですが。あなたは。本当に馬鹿だ」

 

 殴られても怒ることなく寧ろ褒める。

 意味が分からない。意味が分からなくて、本当に笑える。

 あぁ。僕は松浦果南に勝てないんだなって思った。

 こいつは僕よりも馬鹿で微生物みたいな単細胞だろうに。

 でも、心や人柄は海のように広くて、僕は露骨に嫌っていていて、言わば恋敵同士でかつ順当に物事を運んでいれば千歌さんを自分の物にできていたにも関わらず、わざわざ僕の背中を押すなんて、とんだお人好しだ。だから、慕われているんだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 自然と感謝の言葉が口から零れ、頭が下がる。

 今までの僕なら絶対に頭を下げなかった。でも、今は違う。僕は松浦果南という一人の男に敬意を払いたかった。

 

「えっ? 急にどうした? 気持ち悪い」

 

「人の感謝は素直に受け取るべきですよ」

 

「うるせぇ。言っておくけど、お前の為じゃない。お前に借りを作りたくなかっただけだ。それに千歌は絶対に俺の手を取る。そん時のお前の泣きっ面を見るのが楽しみだ」

 

 松浦果南は瞳をギョロギョロと動かし、つま先をでトントンと床を叩き、不器用な動きでに視線を窓の外に移す。

 夏の空は一切雲が浮かんでなく、透き通るような青空が水平線まで広がっている。

 そして、僕に背を向けたまま口を開く。

 

「でも、お前になら千歌を任せられるとも思ってる」

 

「あなたは千歌さんの父親ですか」

 

「幼馴染だからな。色々と心配なんだよ」

 

 ズルいと思った。千歌さんと松浦果南の古くから結ばれた絆があることを。

 

「わかりました。千歌さんのことは任せてください。だから、あなたは安心して身を引いていただいても構いません」

 

「だーかーら! お前に千歌を渡す気はねぇって! 万が一だよ! ま・ん・が・い・ち!」

 

 僕の冗談半分の言葉を真に受けて、松浦果南は僕の方を振り返り、反論する。

 

「なら、万が一に備えておいた方がいいですよ。これからの僕は……本気ですから」

 

「あぁ。お前に負けるつもりはないよ」

 

 僕達は視線を合わせ、バチバチと火花を散らす。

 今までの険悪な空気ではなく、何処か熱く心地よい空気だった。



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第31話

 覚悟を決めてから数日が立ち、またも小原家との会食が始まった。

 今日のお店もまた先日、訪ねたところだ。

 どうやら小原さんはこのお店を大層気に入っているらしく、父が次回の食事会にと誘った時、またこのお店がいいと我儘を言っていたらしい。そのおかげで父は予め予約していたフレンチのお店を取り消し、慌てて予約を取り直していた。

 相手の機嫌を必死に取ろうとする姿は実に小物臭く、ただ恥ずかしかった。

 小原さんはそんな小物を弄ぶ為に恐らくそう言ったのだろう。食事中の悪魔めいた笑みを見るとそんな気がする。

 正直、結婚したところで黒澤家では小原家に対等な立場になれるとは到底思えない。父親を見ていれば器量の差が大きすぎて、家の大きさも嫌でも知らされてしまう。

 所詮、小さな威張るしかない地主と世界を相手に商売する経営一家じゃ話にならない。

 どうせ、下に見られてずっと弄ばれるくらいなら関係を断つ結果になっても自分のやりたいことをやった方が余程楽しいし、未来の為になると思うのは僕だけか。

 

「なぁ、ダイヤ君」

 

 自分の世界に入り込んでいる僕に対面に座る小原さんが話しかけてくる。小原さんが話しかけるとその隣に座る鞠莉さんは小原さんを一瞥する。

 相変わらず小原さんの笑みは悪魔みたいで恐ろしさを感じる。

 

「なんでしょうか?」

 

「いい顔をしているね」

 

「そうでしょうか?」

 

「うん。いい男の顔になった。覚悟を決めたんだね」

 

 この時、僕は気づいた。

 小原さんは僕の覚悟に気づいていると。

 そして、早くその覚悟を見せてくれと発破をかけていると。

 全く小原さんは食えない人だと思う。だからこそ、世界を相手に商売できるんだろうか。

 それにしても今からこの場を全て蔑ろにして、大事な娘との婚約を一方的に破棄する。普通なら殺されても文句は言えないだろう。

 でも、小原さんはそれを望んでいる。

 そうか。なら、望み通りにしましょう。

 

「小原さん、折り入ってお願いがあります」

 

「なんだい?」

 

 僕は席を立ち、小原さんの傍まで歩き、正座で座り直す。

 そして、二つの手を床につき、

 

「婚約を破棄させていただいてもよろしいでしょうか」

 

 と言い、土下座をしようとする。

 しかし、頭を下げようとすると小原さんに頭を掴まれ、無理矢理止められる。

 

「ダイヤ君。こんなくだらないことに頭を下げるんじゃない。男なら堂々としろ」 

 

「小原さん……」

 

 僕が顔を上げると小原さんは先程の悪魔のような笑みから優しげな笑みへと変える。

 そして、上体を完全に起こすと「よくやった」と誰にも聞こない声量で褒めると掴んだその手で頭を撫でる。

 

「ダ、ダイヤ!? な、何を言っている!」

 

 すまし顔の小原さんとは対象的に父の顔は焦りと驚きで顔が酷く歪んでいた。

 僕は小原さんに背を向け、父と向き合う。

 

「すみません。お父さん。でも、これが僕の答えなんです」

 

「こ、答えだと!?」

 

「はい。僕には鞠莉さんではない別の女性を愛しています。僕はその人と人生を歩みたい」

 

「お、お前!? 小原さんの目の前で!?」

 

「かっはっは! 鞠莉よりも女性がいるとよく私の前で言える」

 

「事実ですので」

 

 激しく驚き、動揺し、焦る父を見て、僕は落胆した。それなりに尊敬した父が酷く小物で情けなく見えて、これ以上、父の情けない姿なんて見たくなかった。

 一方で、小原さんの父は最愛の娘以上の女性を選ぼうとする婚約者の僕に対して怒るどころか、面白いと豪快に笑っている。

 

「そんなの認めん! 黒澤家の未来の為にお前は!」

 

「僕は確かに黒澤家の男だ。家の未来を担うのは僕の役目です。でも、その前に僕は黒澤ダイヤという一人の男です! 僕自身の未来は家のものじゃない! 僕のものだ!」

 

「黒澤を慕ってくれる人はたくさんいる! 信頼して、私達の下で汗水垂らして働いてくれる部下もいる! 今度は私達が彼らに報わなければならないのだ!」

 

「父さん……」

 

 この時、僕は初めて知った。家を大きくしようとするのは家の利益だけじゃなくて、下で働く人達の為であることを。

 何でそれを早く言ってくれなかったんだ。もっと早く向き合えたじゃないのか。……いや、それでも辿り着く答えは決して変わることはなかったと思う。

 

「それでも僕は曲げません。僕は父さんが思う程の『良い子』ではないんです」

 

 それでもと付け加えて僕は父の意見に真っ向から激突する。

 黒澤ダイヤは父の都合のいい人形なんかじゃない。ましてや家なんて小さな水槽に飼われている魚でもない。確かにこの世界に生きていて、大きな海原を駆けることだってできる存在なんだ。

 誰かの為や組織の為だけに自らの道を閉ざすのはもう時代遅れの価値観だって深い海の底に沈めないといけない。

 だから、僕は今日をもって父の手から離れる。それは僕にとってもそうだし、父にとっても次の未来に踏み出す一歩になるはずだから。

 

「それに小原さん。僕の好きな人を狙う男がいるんですよ。松浦果南という男がね」

 

「ほう」

 

 松浦果南という最早不吉の象徴とも言える単語を小原さんの真由がピクリと動く。

 

「僕は彼に愛する人を渡したくない。それに考えてみてください。あの松浦果南に男としての魅力が劣って、女を取られた男なんて鞠莉さんの旦那さんなど務まりますか?」

 

「おいおい。それでは上手くいけば鞠莉は付き合わず、上手くいかなければ付き合う価値もないと?」

 

「そういうことになります」

 

 背筋が凍り付く。拳をギュッと握り締める。

 大見得を切ってふざけたことを言っているつもりはある。流石にこればかりは痛い目を見ても仕方がないと覚悟する。

 

「面白い男だ! Very  気に入った!」

 

 しかし、雷も鬼神も降ることはなかった。

 小原さんは腿をバシバシと叩いて大笑いしていた。

 

「私の見込んだ男だよ!」

 

「は、はぁ……」

 

 あまりの笑いように僕含めた全員が少し引いていた。

 小原さんは笑い終えるとキッと表情を引き締め、父の方を向く。

 

「Mr.黒澤。こういうことなので婚約を破棄としましょう」

 

 そして、父に向かって婚約の破棄を申し出た。あまりにも突然でフランクでこれほどスッキリとした婚約破棄なんて普通ないだろ。

 父は婚約破棄に一切止めることなく、黙ったまま首を縦に振った。頑固な人だから必死になって止めると思ったけど、意外と素直で驚いた。

 

「本当に勿体ないな」

 

「恐縮です」

 

「鞠莉があんなファッキンウォーターコングではなく君に惚れたのなら問題なく受けいれたのに」

 

「パパ!」

 

「まぁ、彼も悪い人ではないんですが」

 

「わかるかい? 私の気持ち」

 

「えぇ。無駄にいい人なのが腹立つんですね」

 

 すると、小原さんは「Exactly!」と流暢な英語で同意する。

 お互い松浦果南に憎しみと尊敬という背中合わせの二つを混ざった並々ならぬ感情を持つ者同士で同調できることがあるのだろう。

 

「それにWild過ぎて小原家に相応しくない。それに……昔の私を見ているみたいでむず痒くなる」

 

「そんなこと、初めて聞いたわ!」

 

「懐かしいなぁ。あいつみたくママを引っ張り出して無理矢理デートして、口説いたんだよな」

 

「それって同族嫌悪じゃ……」

 

「まぁな。そして、鞠莉もママの子供だって思ったよ」

 

 鞠莉さんはジト目で小原さんを見つめる。

 羨ましい。何というか軽口を言い合える家族というのは楽しそうに見えた。

 そういうのを求めているわけではないけれど。

 一通り話が終わると小原さんはコホンと咳払いをし、僕を見る。

 

「さて、ダイヤ君。君はここにいるべきではないだろう。迎えに行ってやりなさい」 

 

 小原さんは熱い眼差しを向けてくる。

 そうだ。この間にも松浦果南は千歌さんの気を引こうとしているだろう。もう、恋のバトルは始まっている。

 幼馴染みと言うアドバンテージの差がある分、僕は松浦果南よりも必死にアピールしないといけない。

 何より、一秒でも長く、千歌さんと一緒にいたい。

 

「……ありがとうございます」

 

 僕は立ち上がり、深々と頭を下げる。

 そして、この場を後にしようと振り返った時だ。

 

「ダイヤ」

 

 父が僕の名前を呼ぶ。

 僕は振り返らず、その場で立ち止まる。

 

「……気が向いたらでいい。今度は話し合おう……」

 

 いつもは威厳があり、厳しい声色で僕と話す父。

 でも、今は弱々しく、暖かく優しい声色だった。

 僕はゆっくりと振り返る。

 

「なら、早速今日にしましょう。鉄は熱い内に打てといいますから」

 

 きっちりと対面して僕がそう言うと父は優しげな笑みを浮かべた。



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第32話

 蝉の大合唱が外から引っ切り無しに聞こえてくる。

 騒がしいと思っているこの大合唱も後数週間もすれば聞けなくなると思うと少し寂しい気もする。

 夏休みも残り半分を切った。私は梨子ちゃんと曜ちゃん、そしてお手伝いの果南ちゃんの四人で夏休み明けに開かれる文化祭の準備をしていた。

 私達のクラスはメイド喫茶をやるんだけど今日は内装なんかの準備をする予定だ。

 

「梨子、これでいいのか?」

 

「うん! ありがとう!」

 

 果南ちゃんは明らかに重そうな段ボールを抱えて、床に置く。

 私達三人だと重い荷物を運ぶのは厳しいということで家の手伝いの合間を縫ってわざわざお手伝いに来てくれた。

 今は力持ちの果南ちゃんがただただ頼もしくてかっこよく見えた。

 

「おやおや。熱い眼差しを感じますなぁ」

 

「曜ちゃん! からかわないでよ!」

 

 私が果南ちゃんは見つめてくると悪戯っ子のようなあどけない笑みを浮かべる曜ちゃんにからかわれる。

 

「あっ! 顔が赤くなってる!」

 

「そんなんじゃないって!」

 

 果南ちゃんが好きなのはちゃんした事実だ。あくまで果南ちゃんとダイヤさんの二人を好きになってしまった。

 こう言うと私って中々最低だと思う。

 

「おーい。千歌、ちょっと、手を貸してくれないか?」

 

 すると、タイミング良く果南ちゃんが私のことを呼んできた。

 ふと、隣に立つ曜ちゃんを見る。チャンスだねとニタニタと笑いながら肘で小突いてくる。

 私は「そんなんじゃないから」と言い訳をして、果南ちゃんのところに行く。

 

「果南ちゃん、どうしたの?」

 

「あぁ、ここの飾り付けって、この段ボールに入ってるやつを使っていいんだよな?」

 

 果南ちゃんは先程置いた段ボールの中からハートの形や星の形に折った折り紙を取り出し、私に見せる。

 

「うん。飾り付けなら私も手伝うよ」

 

「頼む」

 

 そして、私は果南ちゃんの横に並んで飾り付けを始める。

 妙に緊張する。この前、果南ちゃんに告白されてからというもの果南ちゃんの様子は普段どおりで特に変わらなかった。

 私は意識し過ぎて、果南ちゃんと同じ空間にいるだけで鼓動が早くなってしまう。それなのに果南ちゃんは平然としていて不公平と思った。

 

「そうだ。ダイヤから何か言われたか?」

 

 ふと、果南ちゃんはせっせと手を動かしながらダイヤさんについて聞いてきた。

 

「え? 特にないけど……」

 

 すると、果南ちゃんは「そうか」とただ一言呟く。

 

「んじゃ、そろそろか」

 

「千歌さん!」

 

 すると、果南ちゃんが何かを感じたその瞬間だ。ドンとドアを乱暴に開ける音ともに背後から気になっている人の威勢のいい声が聞こえてきた。

 私はゆっくりと振り返る。

 

「ダイヤさん!? どうしたんですか!?」

 

 視線に先にはスーツ姿のダイヤさんが膝に手を当て、「ゼーハー」と激しい呼吸をしながら背中を上下に揺らしていた。

 ビシッと着こなしたスーツ姿のダイヤさんは見慣れていないこともあって滅茶苦茶かっこよくて思わずドキリとしてしまう。服装に加えて額から流れる汗も大人びた見た目とは真逆の少年らしさが見えて、そのギャップもまた良かった。

 

「千歌さん! 聞いてください!」

 

「は、はい!」

 

 クールなダイヤさんが熱く、ハキハキとした声に私はびっくりして、思わず背筋がピンと伸びる。

 

「僕は……あなたと恋人になりたい!」

 

「ダ、ダイヤさん!?」

 

 そして、ダイヤさんは顔を上げ、はっきりと言った。

 ダイヤさんが私のことを好いてくれるのは知っている。でも、今まで恋人として付き合うことを求めていなかったから、あまりの突然の変化に驚くしかなった。

 それに本来なら恥ずかしがったり、他の人に聞かれないように隠れて言うことを清々しいくらい大っぴらに言うなんて、何というかダイヤさんらしくないというかこの前の果南ちゃんみたいに大胆だ。

 

「えぇぇぇぇぇ!」

 

 事情を知らない梨子ちゃんと曜ちゃんは目を見開いて、驚き黄色い悲鳴を上げた。

 一方で果南ちゃんは一切動じない。それどころか、ダイヤさんがこれから何をするか見定めるかのように腕を組んで凝視していた。

 

「笑ってください。あれほど、付き合う気がなかったのに急に我儘になったって。でも、僕は……僕の心に嘘を付くのは止めました。だから!」

 

 ダイヤさんが真剣な表情で私を見つめる。

 名前に恥じない確固たる覚悟が見えた。

 笑えるわけがなかった。

 

「……笑わないですよ!」

 

「……ありがとうございます」

 

 否定されなかったことにダイヤさんは噛みしめるように感謝の言葉を言った。

 爽やかで甘酸っぱい空気が流れる。

 

「待て待て! 何でテメェの千歌を渡さなくちゃいけないんだ」

 

 後ろから急に体をグッと抱き寄せられる。

 私は視線を斜め後ろにやると果南ちゃんがそのたくましい左腕でダイヤさんに私を渡さないと言わんばかりに固く抱き寄せ、密着させている。

 爽やかな制汗剤の匂いが鼻孔をくすぐる。

 抱き寄せられたという事実と今まで見たことない果南ちゃんの独占欲を目の当たりにし、私の心は限界まで高まった。

 

「暑苦しいですよ。松浦果南。千歌さんには迷惑ですから離れください」

 

「いーやーだ!」

 

 ダイヤさんに当てつけるかのように果南ちゃんはより強く私を抱き寄せる。

 すると、ダイヤさんは嫉妬したのかあからさまにムッとする。

 

「千歌さん。嫌なら嫌っていいんですよ」

 

「あ……その……嫌じゃ……」

 

「あぁ。嫌とも言えないんですね」

 

 言い淀む私を見て、ダイヤさんはゆっくりと近づく。そして、私の手を取る。

 

「はわわわ!」

 

 ダイヤさんが私に告白して、果南ちゃんがダイヤさんに渡さないように抱き寄せる。まさか、気になる二人からの取り合いに巻き込まれるなんて思いもしなかった。

 次から次へと場面が展開していき、脳内での処理が全く追いつかない。もう、頭の中が沸騰して、理性なんて吹き飛んでしまった。

 

「松浦果南、離しなさい」

 

「おい。何かっこつけてんだ。スカポンタン」

 

「口が悪くて品がないですね」

 

 まるで飼い主を取り合う忠犬のようにベッタリと張り付き、いがみ合う二人。

 普段は大人っぽくてかっこいい二人が子供のように口喧嘩する姿が何だか面白かった。

 

「この馬鹿二人!」

 

 そんな二人を諌めるかのように後ろから二つのハリセンが果南ちゃんとダイヤさんの頭にクリーンヒットする。

 

「ブゲッ!」

 

「痛っ!」

 

 果南ちゃんはまるで芸人のように大袈裟に倒れ、ダイヤさんはただ頭を抑えて、その場で跪く。

 

「ま、鞠莉ちゃん!?」

 

 二人の頭を叩いたのは鞠莉ちゃんだった。鞠莉ちゃんは見慣れた制服姿だけど、何だか急いで着替えたのかシワがあったり、スカートの裾が折れていたりして、少し気になった。

 

「あなた達、本当にJerk! 少しはちかっちのことを考えなさい!」

 

「いや……その……」

 

「Shut Up! 二人とも正座なさい!」

 

 果南ちゃんが言い訳をしようとした瞬間、鞠莉ちゃんはハリセンで果南ちゃんの頭を問答無用で叩く。

 

「もう、男の子って本当に馬鹿なんだから……」

 

 鞠莉ちゃんは呆れて溜息を吐く。でも、どこか楽しそうにも見えた。



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第33話

 果南ちゃんとダイヤさん、そして、鞠莉ちゃんの三人が手伝ってくれたおかげで予定よりかなり早く準備が終わった。

 そして、バイクで来た果南ちゃんとダイヤさんを除く私達三人は鞠莉ちゃんが乗ってきた車に乗せてもらった。

 やっぱりあの小原家が所有する車は凄い。私は車のことなんてわからないけれど、果南ちゃん曰く、一般人では決して買えない代物らしい。

 見た目からしてデザインはかっこよくて、普段見る車とは雰囲気が明らかに違う。左ハンドルで内装もなんかお洒落でシートの座り心地もホテルにある高級ソファーに座っているみたい。

 こんな車に乗れる経験なんて、今日限りなんかじゃないかと思った。私も、曜ちゃんと梨子ちゃんも緊張で体がカチコチになっている。

 そして、この高級車の窓ガラスを鞠莉ちゃんを助ける為に果南ちゃんが金属バットで叩き割った話なんてここでしか聞けないだろう。

 

「あの……今日は送ってもらって……」

 

「いいのよ。私も帰るついでよ」

 

 前の座席に座る鞠莉は前を向きながらそう答えた。

 車内のバックミラーに写る鞠莉ちゃんは笑みを浮かべていた。

 

「それにしても果南ちゃんとダイヤさんから言い寄られるなんて千歌ちゃんも隅に置けないね」

 

「そ、そんなこと言われても!」

 

「まぁ、千歌ちゃんは可愛いから」

 

「梨子ちゃんまでぇ!」

 

 両脇からからかわれて、私の顔はポッと赤くなる。

 

「それでどっちが好きなの?」

 

「それは……」

 

「「それは?」」

 

「……どっちも……」

 

 二人のどちらが好きかと言われでも正直、二人共かっこいいし、優しく私じゃ手に余るほど魅力的な人で選ぶなんて……というか本当に二人が好きだから選べない。それは私の我儘なのはわかっているけど……。

 

「それは……えっちかちゃんだね」

 

「うん。これはいけない。大学生になったら大変なことになりそう」

 

「二人共!? それはどういう意味なの!?」

 

 曜ちゃんと梨子ちゃんは私を心配そうに見てくる。

 

「そうね。これなら早く二人に貰われたほうが私達にとっては安心ね」

 

「鞠莉ちゃんまで! そんなこと言われても……」

 

 三人が色々と言ってくるのもわかる。

 二人を好きになるなんて優柔不断だし、まるでママがよく見ている昼ドラの女性みたいであんまり良い印象はないのはわかる。

 でも、こんなに男の人に好かれるなんて全く経験がない。それも片やずっと思っていた果南ちゃんで片や今まで出会ったことのないタイプのダイヤさん。

 私はこんな状況を上手く立ち回る力も経験がないからこうやって悩んでいるんだ。

 

「まぁ、ちかっちは恋を知らなすぎたのよ」

 

「それはどういう意味?」

 

「今までずっと果南が好きだった。それはきっと他の男を知らなかったから。ちかっちの中で男と言えば果南。そうじゃない?」

 

 あぁと私は頷く。

 確かに鞠莉ちゃんの言う通りだ。今まで生きてきた中でまともに接してきた男性はお父さんと果南ちゃんくらいしかいなかった。

 色んな男の人が世界にはいる。だけど、どんな違いがあるのか正直、想像もつかなくて、そういうこともあって、どこかで男の人はみんな果南ちゃんやお父さんみたいな人だと思い込んでいた。

 ダイヤさんのような人は私にとって結構衝撃だったりする。だから、惹かれたのかもしれない。

 

「二人を好きになったのは、ちかっちが大人になった証拠だと思うわ」

 

「大人に……」

 

 大人に成長したからの悩み。正直、実感は全くなかった。

 でも、確かに昔の私は男の人とは緊張して殆ど会話なんてできないかったけど、今なら少しくらいは話せる気がする。これが成長なのかはわからないし、ただの思い込みかもしれない。

 私はふと窓の外を視線を移す。

 水平線まで広がる青い空に白い鳥が翼をはためかせて飛んでいるのが見えた。



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第34話

 夏には嬉しい涼しい潮風が肌を撫でる。

 アブラゼミの合唱が鳴りを潜めた代わりにヒグラシの情緒ある合唱が街に響き渡る。

 夏が終わらないことを音で感じながら夕暮れで紅の染まる駿河湾を俺は眺めていた。

 滅茶苦茶風情があって美しいこの景色を千歌と一緒に眺められたらさぞロマンチックだろうか。

 残念ながら、隣にいるのは千歌じゃない。

 あろうことかダイヤだ。

 はぁと俺は露骨に大きな溜息を吐く。なんで、俺がむさ苦しい男。それに恋敵と何で一緒に海なんか見なくちゃいけなくちゃいけないんだ。

 千歌達を見送った後、俺はさっさと帰ろうとしたら、ダイヤが話があるから来てくれ言われた。始めはダイヤと一緒になんて嫌だからと断ろうとしたが妙に真剣な表情をしていたから断ることが申し訳なくなり、渋々着いていくことにした。

 そして、今に至るわけだ。

 

「んで。話ってなんだ? 一緒に海を見たいとか気持ち悪いこと言うなよ」

 

「そんなこと少し考えればわかることでしょ。馬鹿ですか?」

 

「てめぇ……」

 

 いちいち神経を逆撫でるようなことを言いやがってと怒りに震える。

 罵倒する為だけに呼び出したのなら相当性根が腐ってやがる。着いてきたことを後悔するわ。

 

「……ありがとうございます」

 

「はぁ?」

 

「あなたのおかげで色々と吹っ切れました」

 

「急にどうした? 汚物でも食ったのか?」

 

 罵倒から突然、感謝の言葉に代わり、あまりの寒暖差に頭が痛くなりそうだ。

 

「僕は怖かったんです。初めて心の底から好きになった人にフラれることが。だから、家のことを言い訳に千歌さんとは離れるようにした。無論、逆らえないことや縁談をそう簡単に無下にはできないという理由もあります。ですが、それは全部僕の心の弱さです。その弱さを叩き直してくれたのは……気に食わないですが松浦果南。あなたです」

 

「えぇ。気持ち悪い」

 

「こうも感謝を述べているのに素直に受け取らないとは無礼にも程がありますね」

 

「いやいや! 今まで牙を向けてきた相手がいきなり牙をしまえば警戒するに決まっているだろ!」

 

 今までダイヤは俺には目に見える敵意を向けてきた。というか俺を激しく憎んでいたはずなのにいきなり恩人のように接せられたら誰だって困惑するに決まっている。

 

「……そんなこと言ったら俺だって同じだ。お前の一言で目が冷めたんだ。俺も関係を壊すのが怖かったし、そもそも千歌は俺だけを見ているもんだと思っていた。だけど、それは俺の弱さだった。だから、勇気を出して思いを伝えられたんだ」

 

「感謝される程のことではありません。あれは僕の納得の為ですから」

 

「それは俺も同じだ。あの時、お前のこと、見直したわ。頭が馬鹿固くて、クソ真面目な野郎だと思っていたけど……まぁ、いい奴だと思うよ」

 

「どうして、そう上から目線なんですか? 不快です」

 

「お前に言われたくはない」

 

「……僕も同じです。ただ不良だと思っていましたが、最低限の筋は通すようですね」

 

「よく言うよ」

 

 そして、一呼吸置いて、俺とダイヤは同時に笑い出した。

 何となくだが、俺とダイヤは似た者同士だと思った。

 不良と優等生という真逆の存在ではあるが、不器用なところだったり、照れ隠しをするところ。無いものを強請るところ。強そうに見えて、意外な弱さとコンプレックスを持っていること。

 何より、同じ人を好きになったことが俺達が似た者同士であることをはっきりとさせた。

 

「言っておくぞ。お前に千歌を渡すつもりはない」

 

「奇遇ですね。僕も同じです」

 

 俺達はゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐな瞳で目を合わせる。

 お互い、千歌を譲らないという気持ちは同じだ。千歌を幸せにできるのは自分だと類まれなる自身があるんだ。

 だが、いがみ合うことはなかった。寧ろ、これから試合を行うような正々堂々とした潔さがあった。

 それが何とも心地よい感覚だった。

 俺達はお互に拳をゆっくりとぶつけ合った。



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35話

 夏休みが終わって、いつもの日常が再開した。

 今年の夏はあっという間に終わってしまった。いつもの夏休みならギリギリまで宿題に追われ、ひぃひぃ言いながらペンを走らせていた。

 今年は違う。梨子ちゃんが厳しいながらも定期的に見ていてくれたから特に苦しい思いもしなかった。

 だけど、いつもと違う理由は果南ちゃんとダイヤさんの存在だ。

 ダイヤさんとデートをして、告白された。それだけで済まず、果南ちゃんにまで告白されるなんて思いもよらなかった。

 今までずっと憧れていた果南ちゃんに告白されて、それは天に上るような嬉しさだった。

 普通なら思いが繋がり、晴れて、恋人同士になる……はず。

 でも、今の私はダイヤさんにも惹かれていた。

 果南ちゃんとの正反対の真面目な優等生。そんなダイヤさんに優しくされて、落ち込んでいた時には親身になって励ましてくれた。

 これで惚れない女の子なんていないなんて言ったら言い訳になるかもしれない。

 まるで少女漫画の主人公になったような気分だ。

 勿論、二人に告白されて嬉しい。二人とも心の底から私を好きになってくれたからその気持ちに必ず答えたい。

 でも、同時に答えることはできない。どちらかにしか答えられない。

 それがとても心苦しくて、でもそれが私の背負うべき責任だった。

 ずっと、ずっと、考えていた。私はどちらの手を取ればいいのか。どんなに自分の心に聞いても全く答えが出なくて……そんなことを考えてたら蝉の鳴き声なんてパタリと止んでしまっていた。

 そんな大切で大事なことを考えている間も無情にも時間は歩み続けていて、

 

「千歌ちゃん、ボーッしてどうしたの?」

 

「あっ! ううん! 大丈夫!」

 

 気がつくと待ちに待った学園祭が始まっていた。

 私は曜ちゃんと梨子ちゃんと一緒にモノクロのメイド服を着て、来るお客さんを笑顔で迎えていた。

 

「や、やっぱり、恥ずかしいよ!」

 

「でも、梨子ちゃん。似合っていて、滅茶苦茶可愛いよ!」 

 

「だけど!」

 

 笑顔と言っても純情な梨子ちゃんはずっと顔を赤らめ、恥ずかしそうにしながらも接客している。

 さっきから曜ちゃんが茶化していることもあって一向に変わらない。

 というか寧ろ、梨子ちゃんのような真面目な子が恥ずかしがりながら接客してくれた方が色々と需要があるらしいと他の女子は言っていた。

 確かに当たり前のように接客されるよりも何だろう……味があるっていう感じは私でもわかる。

 

「三人共! 次のお客さん入れるよ!」

 

 廊下から教室に入ってきた同じくメイド服姿のよしみちゃんが合図をする。

 私達は梨子ちゃんを励ましながら入口の前に横に並んで、お客さんを迎える。

 そして、ガラリと扉を開いた瞬間だ。

 

「おかえりなさいませ♡ ご主人様♡」

 

 とアイドル並の笑顔を浮かべて、元気に挨拶をする。

 どんな反応を顔を上げるとそこにいたのは二人の男子と一人の女子の三人組。

 

「Oh! 三人とも、Very cute!」

 

「三人とも滅茶苦茶似合っているな! 特に……いや、止めとこう」

 

「これは……破廉恥な……」

 

「果南ちゃんにダイヤさん!? それに鞠莉ちゃん!?」

 

 私は驚く。

 鞠莉ちゃんは私達のコスプレ姿を偉く気に入り、テンションが上がっている。

 果南ちゃんはニヤニヤと笑みを浮かべている。だけど、私を見た瞬間、頬を赤らめて、咄嗟に視線を梨子ちゃんと曜ちゃんに向ける。

 そして、ダイヤさんだ。私達を見て、私を見る果南ちゃん以上に顔を真っ赤にし、何だか今にも爆発しそう爆弾みたいになっていた。

 慌てるダイヤさんの影響か、私も段々と冷静になっていく。果南ちゃんとダイヤさんにこんな格好を見られたと思うと途端に恥ずかしくなってくる。

 ひょこひょこと曜ちゃんの後ろに隠れる。

 

「あれれ? もしかして、千歌ちゃん照れちゃってるのぉ〜。可愛いでありますなぁ」

 

「曜ちゃんの馬鹿ぁ!」

 

 ニヤニヤと笑いながらからかってくる曜ちゃんの背中をポカポカと叩いた。



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36話

 俺は机に頬杖をついて、メイド服姿で給仕する千歌を目で追う。

 普通に可愛いと思った。やっぱりコスプレ感は歪めないが千歌の幼い顔つきが逆にマッチしていて、アイドルのような可愛さがあった。

 

「あらあら。中々hotな眼差しを向けるじゃない」

 

 隣から鞠莉が肩を小突いてくる。

 

「いや、千歌のあんな姿は見なきゃ損だろ」

 

「それは好きな人だから?」

 

「加えて面白いから」

 

 無論、好きな人の可愛らしい姿は見ていたい。

 だけど、人によっては恥ずかしい姿をからかってやりたいという悪戯心があるのは否定しない。

 すると、鞠莉は「わかるわ」と同意するかのように首を縦に振る。

 

「ねぇ、千歌っちと同棲して、メイド服姿で出迎えくれたらどうする?」

 

「メイド服でか……」

 

 家に帰り、玄関を開けるとそこにはメイド服姿の千歌が出迎えてくれるのを想像した。

 いや、いくら何でも非日常すぎる。低クオリティのAVか。

 

「いや、ありえないな。何か違和感しかない」

 

「そう? 普通だと思うけど」

 

「一般庶民と金持ちを一緒にしないでもらいたい」

 

 鞠莉と住む世界が違うことを改めて実感し、呆れていた時だ。

 

「こんな格好……破廉恥だ!」

 

 ダイヤが頬を真っ赤にしながら体をプルプルと震わせている。

 そして、机を軽く叩く。

 

「Oh! ダイヤの台パン!」

 

「お前、さっきから同じことしか言ってないけどどうした?」

 

「どうしたもないでしょう! あんな不健全な格好を……あろうことか学園祭でやろうなんて!」

 

「不健全って……お前さぁ……これくらいはいいだろう」

 

「これくらい!? 神聖な学舎においてこんな不埒な格好は到底看過できない!」

 

 大きな溜息を吐く。

 確かに真面目……というか融通が利かないレベルのクソ真面目なダイヤにとってはメイド服のコスプレはかなり刺激が強いのだろう。つーか、こいつはマイクロビキニだったり、童貞を殺すセーターを見たらどうなんだ。特に校舎なんか文字通り、憤死しそうだな。

 

「そう? メイド服ってそんなSexyかしら?」

 

「確かに鞠莉の言う通りだ。別に胸元を開けて、谷間を見せつけているわけではないしな」

 

「何を!? あんなに脚を出して、その……スカートの中が……」

 

「いや、制服だってミニスカートだし。まぁ、ニーハイは人によってはそそるだろうがそんな制服だって同じことを言えるだろうが。下着なんて見ようとしなければ見えないだろう。それにああいう際どい衣装は見えてもいいパンツなんだぜ。だから気にする奴なんて殆どいないんだがなぁ?」

 

「あっ……いや、その……」

 

「あらあら。もしかして、ダイヤぁ?」

 

 俺の反論を聞いて、ダイヤは顔を引きつらせ、大量の汗を流す。

 俺と鞠莉は顔を合わせてニヤニヤと笑う。

 あんなお堅いダイヤが隙を見せたんだ。この隙を見逃すほど俺達は出来た子供じゃない。

 

「もしかして、千歌っちのパンツが気になっていたのね

?」

 

「いやいや。鞠莉君。あんな皆から慕われる生徒会長で成績優秀で才色兼備な絵に描いた優等生で真面目なダイヤ君がそんなムッツリスケベなはずないでしょうねぇ?」

 

「Sorry! 果南君。そうよねあの真面目で硬派と人気なダイヤ君がそんな変態なわけないわよねぇ? そんなニーハイで少し太ももを出しているだけでドギマギして、そもそもメイドを破廉恥な存在として認識しているわけないわよねぇ?」

 

「そうそう。メイドが破廉恥な存在なんてエロ本やAVじゃないんだから。鞠莉は実際にメイドさんがいるからそんなことよくわかってるもんなぁ?」

 

「Of course! 最近、聞いたけど真面目な人程変態らしいわ。まぁ、あんなのは嘘よ」

 

「それはどうしてだい?」

 

「ダイヤを見ればわかるでしょう?」

 

「確かに! そりゃあ、納得だ! ダイヤは変態でもムッッッツリスケベでもないもんなぁ!」

 

 俺と鞠莉は悪魔のような笑みを浮かべながら、ダイヤを煽る。時々、ダイヤを一瞥して、反応を確かめる。

 ダイヤは机に伏して、小刻みに震えている。

 あぁ、最高だ。笑いが止まらない。あのダイヤがボコボコにやられ、恥辱と屈辱に押し潰されて、赤っ恥を書いている。それも自分が撒いた種で。

 その様子を見ているのが今まで生きていた中で上位に入り込むくらい愉快で愉悦だ。

 

「もう……殺してくれ……」

 

「えぇ? ダイヤ君? なんて言ったのかい? 聞こえないなぁ?」

 

「好きなように……やれぇ!」

 

 まるでエロ漫画の女騎士みたいなことを言い出し、俺は吹き出しそうになる。

 男のくっ殺なんてそそらないと思ったが、認識が変わった。

 堪らねぇなぁ。

 でも、少し安心も覚えた。

 ダイヤも男なんだって。ちゃんと年相応の女性の興味や欲望、下心を持っていること。

 そして、他人が思っているような完璧超人なんかじゃなくて、ちゃんと欠点も人間性もある血の通った人間なんだって思った。

 

 



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第37話

「もう何やってるの?」

 

 ダイヤへのからかいに満足していると曜が不満そうに割って入ってくる。

 曜もまた千歌と同じでメイド服姿だ。

 ただ一つ違う点があるなら雰囲気か。というのも千歌はかなりの恥ずかしさと照れが見えていたが曜はそんなものは一切感じられない。逆に私を見ろと堂々とさえしている。

 確かメイド喫茶を提案したのは曜だと千歌と梨子から聞いていた。元々、制服が好きで時よりコスプレをしているのは知っていた。曜にとってはメイド服も制服扱いなんだろうか。だから、提案したんだろうが、どう考えても個人的趣向が強すぎる。

 とツッコミはするが曜のおかげで千歌のメイド服姿を見れたんだから、頭が全く上がらない。

 今度、何かプレゼントとでもするべきか。

 

「いやぁ、ダイヤが想像以上に生真面目でさ。イジるのが楽しくなっちまった」

 

「もう! 一応、メイド喫茶なんだから私達との会話を楽しんでよ!」

 

 曜の言うことを最もだ。

 メイド喫茶でメイドの女の子と話さずに男をからかうなんて本当に何しに来たと思う。だったらホストクラブに行けとなる。

 だが、曜には一つ反論することがある。

 

「確かにそうだな。だけど、全然そのメイドが来ないもんだからさ」

 

「あぁ……それは……」

 

 すると、曜は笑いながら視線を教室の隅に向ける。

 俺もその視線の先を見る。

 教室の隅はパーテーションを囲むように並べた控室が作られていた。その控室の出入り口では千歌と曜が隠れて、コソコソとこっちを見ていた。

 

「Oh! 初々しくて可愛いわ!」

 

「ほら、千歌ちゃん! こっちに来ないとダメだよ!」

 

「よ、曜ちゃんが代わりにやってよ!」

 

「なるほどねぇ」

 

 本来、給仕しないといけない千歌があまりの恥ずかしさに表に出れないのだ。

 いや、気持ちはわかる。俺もメイド服みたいな格好で人前に出るなんて嫌だ。

 特に知り合いや好きな人の前になんて絶対ごめんだ。

 

「私じゃ面白くないよ! やっぱり二人がやらないと!」

 

「でも……」

 

「わかった! それじゃあ、梨子ちゃんと二人ならできる?」

 

「え!? なんで!?」

 

 別の人達に接客していた梨子は思わず素っ頓狂な声をあげて、こっちに振り返った。

 それは梨子にとっては悪魔の一言だろう。

 というか犠牲者を増やしてどうすんだ。

 

「もうメイド喫茶なら当然でしょ?」

 

「そうだけど……」

 

 すると、梨子も顔を赤らめ、千歌と同じでその場から動こうとしない。

 

「全く、果南はGuiltyな男ね」

 

「お前に言われると何も言い返せない……」

 

 鞠莉が肘で小突いて、こっちを見てくる。

 口角は上がっていたけど、目は明らかに笑っていなかった。

 なんだか昼ドラに登場する男の気持ちと罪深さが分かった気がする。

 

「マリーは二人のServiceを体験したいわ!」

 

 まるで仮面を被ったかのように笑顔を浮かべる鞠莉はそのまま我儘を言い始める。

 

「だけど……」

 

「しないなら留年させちゃうかも」

 

「職権乱用じゃねぇか!?」

 

 笑顔でとんでもないことを言い放ち、教室にいる誰もが一斉に鞠莉を凝視する。

 たかが文化祭。それも客に給仕するだけで勉学に関係ないこと。それなのにしないのなら留年って不細工な冗談だ。

 問題はその冗談をあろうことか理事長である鞠莉が言ったことだ。理事長ならそんな権限……は流石にないだろうが、正直な話だが、鞠莉ならやりかねない。

 

「ほら、鞠莉ちゃんもそう言っているんだし。ねっ!」

 

 またしても恐ろしいのが鞠莉の我儘に乗っかる曜だ。

 どんだけやらしたいんだ……。

 すると、千歌と梨子は視線を合わせる。

 もう逃げられないと悟ったのだろう。大きな溜息を吐いて、二人で控室に戻る。

 次に出てきた時にはパンケーキが乗ったお皿を三枚持ってきた。

 

「パンケーキか……って何にも乗ってないが」

 

「まぁまぁ、果南ちゃん。焦らないで待ってて」

 

「こ、コホン! ご主人様! このパンケーキはこのままでも美味しいのですが、もっとも〜っと美味しくする為におまじないをかけますね!」

 

「それでは千歌達のた〜っぷり愛情がこもった魔法のペンでパンケーキに絵を描きますね」

 

 振り切ったような笑みを浮かべながら、千歌と梨子は精一杯のサービスを提供する。

 その後ろでは鬼教官のように腰に手を当て、ジーッと見守っている曜。甘さと辛さのギャップが凄まじい。

 そして、千歌と梨子はパンケーキにハートを描く。

 

「それでは最後にと〜っておきのおまじないをかけるのでご主人様達! 両手でハートを作ってください!」

 

「おう! ほら、ダイヤもやれって」

 

 露骨に視線を逸らすダイヤの肩を叩く。

 唇を尖らせながら、不満そうにしながらも何だかんだでハートを作る。

 

「「それでは美味しくなるおまじないをかけま〜す! せ〜の! お……美味しくなぁ〜れ! 萌え☆萌え☆きゅん♡」」

 

 美女二人による可愛らしい仕草をし、恥らいながらおまじないをかける。

 顔、衣装、表情、仕草、言葉の全てが噛み合い、魅力が限界突破。

 まるで世界が一転した気がした。

 

「Wao! Very pretty!」

 

 鞠莉はあまりの可愛さに大絶賛し、後ろで見守っていた曜と満足そうに頷いている。

 確かにこれはいい。メイド喫茶激戦区の秋葉原でも十分戦っていけると思った。

 本場のメイド喫茶に行ったことはないから詳しいことはわからないが。

 すると、隣でバタンと誰が倒れる音がする。

 

「ダ、ダイヤさん!?」

 

「は、ハレン……」

 

 視線を横に移す。

 案の定、ダイヤだった。

 俺ははぁと溜息を吐いて、ダイヤの首に手を当てる。

 

「果南……脈は……」

 

 今にも吹き出しそうな鞠莉は俺も笑いを堪えながら首を横に振る。

 

「そんな……ダイヤが死んだ!」

 

「原因は尊死。死亡時刻は午前……」

 

「二人ともふざけてないで、早く保健室に連れて行かない

と!」

 

 最早コントとも言える絡みをしていると真面目に千歌から叱られる

 俺と鞠莉は「ごめんなさい」と謝る。そして、俺は気絶するダイヤを背負う。

 

「何かしょうもない理由だけど保健室に連れて行くぞ。千歌も来るか?」

 

「なんで?」

 

「だって心配だろ?」

 

 見ればわかる。千歌の顔には明らかに不安と心配の色が塗りたくられている。

 まぁ、自分を好いてくれている相手が急に倒れたんだ。無理もないだろう。

 正直、心配なんて呆れてしまうくらいどうしようもない理由で倒れたんだけど。

 

「確かに果南ちゃんとダイヤさんを二人きりにしたら大変なことになりそうだしね。千歌ちゃんも付いていってもいいよ」

 

「うん……わかった!」

 

「いや、寝込みを襲うほどの外道じゃないが……」

 

 曜の台詞が腑に落ちないと思った時だ。曜が目配せをしてくる。

 まるでお膳立てはしたよと言わんばかりに。

 

「……悪いな」

 

「果南ちゃん? 何か言った?」

 

「いいや。取り敢えず、この頑固男を保健室に連れて行くぞ」

 

 そして、俺達は保険室へと向かった。

 この前もダイヤが倒れて、保健室に連れて行ったことを思い出す。

 だけど、あの時とは違って、今はわだかまりなんて一切なく、清々しい関係であった。

 



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第38話

 それから私達は保健室に到着し、ダイヤさんをベッドに寝かせた。

 悪夢に魘されているかのように眉を顰めていたから目覚めるまで付き添っていようと思っていたけど、養護教諭の先生からは「見ておくから楽しんできなさい」と言われた。

 それに果南ちゃんからも自業自得だから放って置いたほうがいいのと、折角の文化祭なのに自分のせいで楽しむ時間が減ったらそれこそダイヤが一番望まないことだと念を押された。

 確かに優しくて真面目なダイヤさんが文化祭をそっちのけで看病していたと聞いたらきっと時間を奪ってしまったと罪悪感を感じるはず。

 だから、心苦しいけれどダイヤさんの為にも傍から離れた方がいいと思い、私は果南ちゃんと一緒に保健室に後にした。

 

「余程、千歌のおまじないが効いたようだな」

 

「なんか、申し訳ないよ……」

 

「別に千歌が落ち込むことはないって。こいつに馬鹿にするほど耐性がなかっただけだ。まぁ、いい毒になっただろう」

 

「それを言うなら毒じゃなくて薬だよ」

 

 そう指摘すると果南ちゃんは「そうだっけ」とケラケラと笑い出す。

 

「なんか、思い出すな。あの時のこと」

 

「うん。ダイヤさんが倒れた時があったよね」

 

「あの時さ。ダイヤが倒れる直前、俺に恨み節を吐いていたんだ」

 

「そ、そうなの!?」

 

「あぁ。嫌われているのはわかっていたけど流石にあの時は堪えたよ。だけど、今はこんな間抜けなことで倒れてさ。本当に馬鹿になったよ。こいつも……俺も」

 

「二人とも……すごい変わったよね」

 

 今の果南ちゃんは本当に楽しそうだ。今までダイヤさんと一緒にいる時は嫌そうな顔をしていたり、露骨に敵意を剥き出しにしていたから本当に正反対だ。

 なんか、親友って感じがした。ただ仲良いだけじゃなくて、お互いに嫌いなところやダメなところを知っていて、指摘しあえる。

 助け合う仲間でもあり、競い合うライバルでもある関係性は何だか男の子らしくて、性別の違う私には少し羨ましく思えた。

 

「あぁ、変わったよ。だけど、変えてくれたのは千歌なんだぜ」

 

「わ、私!?」

 

「きっと千歌にいなければ俺達は変わろうとしなくて、つまらない男として終わっていた。ありがとう、千歌」

 

「そんなこと……ないよ……私は……」

 

「千歌はさ。自分が思っているよりも滅茶苦茶魅力的なんだぜ。だから、認めてもいいじゃないか? 自分をさ」

 

 果南ちゃんの言葉を聞いてダイヤさんの言葉を思い出した。

 ダイヤさんにとって私は特別な存在。その言葉の意味がようやく理解できた。

 特別な存在だからこそ、見ていてほしい。傍にいてほしい。そのために自分を磨き、変わる必要がある。自分本位なんだけど、それがきっと恋なんだと思う。

 私も同じにならなくちゃいけない。

 私も二人と同じように変わらなくちゃいけない。

 そうじゃないと私を好いてくれた二人に合わせる顔がない。

 下を向いてばかりじゃなくて、ちゃんと前を向かなくちゃ。

 

「……わかったよ。果南ちゃん。私はもう……自分を普通だと思わない」

 

「そうか!」

 

 果南ちゃんは満面の笑みを浮かべる。

 

「んじゃあ、ダイヤも安心で千歌にも自信が付いたということで」

 

 すると、果南ちゃんは私に手を差し伸べる。

 

「これから一緒に文化祭を楽しもうか!」

 

「こ、これから!?」

 

「おう! そうだ!」

 

「いいけど、着替えてからでも……」

 

「そのままで良くないか?」

 

「それは恥ずかしいよ!」

 

 確かに果南ちゃんと一緒に文化祭を楽しみたい。だけど、メイド姿で巡るのはかなり恥ずかしい。

 何だって、保健室に行くまでの道中、色んな人の視線を感じて、とても恥ずかしかった。

 そんな私の気持ちとは真逆に果南ちゃんは不満そうな顔を浮かべていた。

 

「折角そんな格好してんだからさ。制服ディズニーみたいな感じで楽しみたいんだよ」

 

「で、でも!?」

 

「なに。その姿で校内を歩いていればそれだけで宣伝になるだろ? 一石二鳥ってやつだよ!」

 

「私にはなんにもいいことがないよぉ!」

 

 私の必死の叫びが校内に響いた。



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第39話

 周りから異様な程の注目を浴びる。

 ただ、廊下を歩いているだけで校内、校外の生徒問わず。

 別に注目を浴びるのは慣れている。

 自分で言うのもナルシストみたいで気持ち悪いがそれなりに女子達から言い寄られることはあるし、何より厳つい見た目のおかげで横を通り過ぎるだけで大抵の人から怯えられている。

 それだけ目立つ見た目と雰囲気があるんだろう。だから、いつもは注目されていると気づいても気にしないようにしている。

 だけど、今日は一味違う。

 俺は後ろを一瞥する。背中にピッタリと張り付き、顔を隠している千歌がいた。

 

「なぁ、歩き辛くないか?」

 

「い、いいから!」

 

 千歌の声は震えていた。

 きっと恥ずかしいのだろう。

 それもそのはず。今の千歌の格好はメイド服。ただ、出し物の一環で装うならまだしもわざわざ同じ格好のまま文化祭を巡るとなると話は変わる。

 

「あの女の子……滅茶苦茶可愛い!」

 

「メイド服かぁ……いいなぁ」

 

「ほら、千歌。みんな可愛いってさ」

 

「か、からかわないでよ!」

 

 特に今はすれ違う人達に全員に注目されてなおさら恥ずかしい。

 そして、

 

「あ、あの!」

 

 後ろの千歌に気を取られていると前から二人組の女子中学生に声をかけられる。

 

「どうしたんだい?」

 

「その……一緒に写真を撮りたいんですが……」

 

「おう! 俺は構わないが……」

 

 すると、千歌はゆっくりと俺から離れる。

 俺がこうやって女性から声をかけられるところを何度も見ているからか、お邪魔にならないようにと千歌は気を利かせてくれる。

 

「ありがとうございます!」

 

 すると、女子中学生は満面の笑みを浮かべる。

 それじゃあ、少しでも写真の写りを良く見せようと髪の毛を弄り始めた時だ。

 一人の女子中学生がスマホを渡してくる。

 そして、俺を素通りして後ろに千歌の元に向かう。

 

「一緒に写真を撮ってください!」

 

「えっ……えぇぇぇぇ!?」

 

 予想外の展開に千歌は驚きを隠せない。

 隠すどころかどこぞの六つ子が活躍する有名な漫画に登場する嫌味ったらしい出っ歯のキャラがやるようなポーズをし、体で表現する。

 

「あの……滅茶苦茶可愛いです!」

 

「か、可愛い!?」

 

「はい! とても似合っています! アイドルみたいで!」

 

「ア、アイドル!?」

 

 女子中学生の一等星のような輝きを放つ純粋な眼差しに千歌の顔は真っ赤に染まっていく。

 絶対自分ではわかってないけど千歌は可愛いんだ。別の世界があるならきっとアイドルなんかやっていてもおかしくないくらい。

 だから、自信を持って欲しい。

 昔から千歌はネガティブだから、きっとこんな荒療治でもしないと周りからどう評価されているのか知る由もない。

 

「それじゃあ、撮るよ」

 

 手渡されたスマホを構える。

 照れる千歌の隣に女子中学生二人が立ち、満面の笑みでピースをする。

 

「はい、チーズ!」

 

 シャッターボタンを押す瞬間、千歌もピースをする。

 満面の笑みとは言い難い、照れの混じった笑顔。その表情は何だか妙な魅力があって、鼓動が早くなる。

 そして、その魅力ある姿が一枚なデータになる。

 

「ありがとうございます!」

 

「あぁ。どうぞ」

 

 二人の女子中学生にスマホを返す。

 俺にもこの画像を送ってくれないかと頼みたかったが、流石に気持ちが悪いだろうとグッと堪える。

 

「あの……お二人はどういう関係ですか?」

 

「俺達の関係か……」

 

 女子中学生達の質問に千歌は言い淀む。

 明確なのは幼馴染みだ。これには嘘偽りがない。 

 だけど、俺は千歌が好きだ。本音を言うならただの幼馴染みで終わらせたくはない。

 

「幼馴染だな……今は」

 

 さり気なく千歌の肩を抱き、引き寄せる。

 

「今は!?」

 

「それはどういう意味ですか!?」

 

「さぁ? どういう意味なんだろうね」

 

 含みのある言い方をすると女子中学生達はお互いに目を合わせる。

 そして、小さく黄色の歓声をあげる。

 千歌もそんなこと言うのかと驚きの表情を浮かべている。

 

「そ、その邪魔してすみません! お写真ありがとうございました!」

 

「す、末永くお幸せに!」

 

「いや、謝らなくていいし、だから、まだって……」

 

 俺と千歌の関係性を察した……というより誤解した二人は慌てて礼を言って、そのまま走り去ってしまった。

 

「もう……果南ちゃんは……」

 

「す、すまねぇ……」

 

 恐る恐る、千歌に視線を移す。

 千歌はまるでふぐのように頬を膨らませている。

 でも、不機嫌そうな様子はない。どちらかと言えば笑い吹き出しそうになるのを堪えている感じだ。

 

「……私ってそんなに可愛い?」

 

「可愛いって……」

 

「だって、あんなに可愛いって言われたら……嫌でも気になるよ……」

 

 写真をせがまれてようやく千歌は自分の魅力に気付けたようだ。

 ほっとした。やっと一歩、前に進めたと思ったから。

 

「あぁ、滅茶苦茶可愛い」

 

「め、滅茶苦茶!?」

 

「だって、中学校の頃から男子の中じゃ曜とツートップで人気だったぜ。なんなら、告白しようとした奴なんてたくさんいたし」

 

「え!? でも、告白されたことなんて一度も……」

 

「……全部、俺が阻止した」

 

「……本当に?」

 

 黙って首を縦に振る。

 

「いや、千歌が他の男に取られたくないと思ってさ……」

 

「ふ〜ん」

 

「もしかして、怒ってる?」

 

「怒ってはないけど……そんな前から私のことが……好きだったの?」

 

「まぁ、相当前から……」

 

 気まずい。千歌の視線が痛い。

 なら、早く言えば良かったのにと目で訴えていた。

 

「果南ちゃんって結構、意気地なし?」  

 

「はうっ!?」

 

 言葉が鋭い針になって、心に突き刺さる。

 ごもっともだ。ずっと、ずっと千歌への思いを伝えられなかったことで千歌自身を傷つけてしまった。

 これに関しては深く悔い改めないといけない。

 

「じょ、冗談だよ! でも、こう考えると果南ちゃんも変わったなって」

 

「まぁ、確かに……変わったな。……癪だがそれに関してはダイヤにケツを叩かれたからかな」

 

「私達、ダイヤさんに助けられたんだなぁ」

 

「あぁ、気に食わないけど」

 

 本当に気に食わない。

 あいつがいるからどちらが千歌の手を取るか争いが生まれてしまった。

 だけど、あいつがいなければそもそも俺は千歌に告白することもできなかった。

 いなければよかったのに思いつつ、いなければ今の俺がいないという背中合わせの感情を抱かされ、本当に嫌いになる。

 でも、そういう負の感情ばかりじゃない。

 

「……千歌。お前がダイヤを選んだら、ちゃんと身を引くから」

 

「果南ちゃん……」

 

「あいつはバカ真面目だけど……何だかんだいい奴だし……信頼はできる。どこぞの男にくれてやるくらいならダイヤに任せたいと思っているしな」

 

 ダイヤのことは気に食わないし、嫌いだが憎いわけじゃない。

 千歌がダイヤを選んでも納得だってできる。

 あいつは頭も良くて、俺以外には礼儀正しいし、優しい。

 何より俺と同じくらい千歌を愛している。だから、一人の男として、あいつを認めざるを得ない。

 そういうカリスマ性もまた、あいつの気に食わない部分の一つでもあるが。

 

「羨ましいなぁ」

 

「羨ましい?」

 

 ダイヤのことを話す俺を見て、千歌が微笑む。

 

「なんか、男の友情って感じで羨ましいなって」

 

「あいつとの友情なんて……反吐が出そうだ」

 

 ダイヤとの友情なんてありえない。

 だって、生徒会長と不良という正反対の存在が交わるわけなんてない。

 いや、でも交わっている。

 千歌を唯一の共通点として、俺とダイヤは交わった。

 そう考えると俺とダイヤは似ていないようで実は似た者同士なのかと思ってしまう。

 

「本当……気に食わない奴だ」

 

 口角が少しだけ上がった気がした。

 



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第40話

 女子中学生二人と写真を撮った後、私達は色んな出し物を見て回った。

 ヨーヨーすくいや輪ゴム鉄砲での射的などの簡素の屋台が一つの教室に集まった小さな縁日。

 自主制作のコメディ映画や段ボールで作った迷路。

 美術部の展覧会や演劇部の舞台など気色の違う出し物ばかりで飽きが来ない。

 飽きないの気色が違うだけじゃない。果南ちゃんが毎回、大袈裟なくらい面白い反応をするからそれを見ているだけで楽しい。

 やっぱり果南ちゃんと一緒にいるのは楽しい。本当は私の誕生日祝いに一緒に出掛ける予定だったけど、すれ違ってしまったせいでなくなってしまったから、今日はあの日のリベンジと言っても過言じゃない。

 果南ちゃんもいつも以上に気合が入っているように見える。

 きっと、ダイヤさんのせいだろう。

 

「しっかし、まぁ、色んな出し物があるんだな」

 

「そうだね、他に見てないのは……」  

 

 まだ見ていないところはあるかと校内を練り歩いていると、一つの出し物を見つけた。

 あっと思わず声が出た。

 

「ねぇねぇ、果南ちゃん。あそこが気になるなぁ」

 

 私はできるだけ小悪魔のような笑みを浮かべて、指差す。

 

「おう! なら早速……」

 

 果南ちゃんは意気揚々と指先にある出し物を見た。

 その瞬間、天井まで高まったテンションが下り坂を転がる球のように一気に下がっていく。

 私が見つけたのはお化け屋敷だった。文化祭では確実に一つはある定番の一つだった。

 友達同士で和気藹々としながら楽しむもよし。カップルで入ってスリルを味わうのもよし。

 所詮はアマチュアが作ったものということでそこまで怖くなくて、基本的に誰でも楽しめる人気の出し物の一つだ。

 しかし、私の周りには基本に該当しない人がいる。

 

「あぁ……知り合いからあそこはクソつまんないから行かないほうがいいって……」

 

 果南ちゃんは露骨にお化け屋敷から視線を逸し、後退りをして、逃げようとしている。

 不良として名高くて、喧嘩が強い。運動神経が抜群な果南ちゃんは一見、弱点が勉強だけかと思いきや、実は暗いところが苦手。

 幼い頃、私の家で果南ちゃんと曜ちゃんの三人で遊んだことがあった。その時、丁度台風が来ていて、そのせいか家が停電してしまった。

 その時の果南ちゃんの怯えようは今でも忘れない。ハグゥと何かの生き物みたいな鳴き声を発して、木の柱に抱き着いて震えていた。

 今でこそ、そこまで怯えないけれどそれでも停電の時なんか体が少し震えてたりするのはよく見るから克服はしていないらしい。

 だからだ。だからこそお化け屋敷に誘った。

 

「そういえば果南ちゃんって暗いところが怖いんだよねぇ?」

 

「……あぁ。得意ではないけど……つか、知っていてなんで誘うのさ!」

 

「果南ちゃんは私に自信をつけて欲しいからわざわざメイド服姿で巡ってるんでしょ?」

 

「まぁ……」

 

「なら、果南ちゃんも暗闇を克服してもいいんじゃあないの?」

 

 確かに果南ちゃんは私を変えてくれようとしてくれたのはわかる。引っ張ってくれるのは果南ちゃんらしいだけど。

 だけど、それとは別に恥ずかしい思いをしたんだから、果南ちゃんにもそれ相応の何かがなければ割りに合わない。

 だから、暗闇で怖がる果南ちゃんを見せてもらってもいいのではと思った。

 

「いや……そりゃあ、一理あるけど……」

 

 自分で撒いた種というのはわかっている。

 ここで私の提案に乗らないと筋が通らないのもわかってる。

 だけど、やはり怖いものは怖いんだろう。

 強気な果南ちゃんが子供みたいに怯えているのを見て、ギャップを感じて、少し可愛いと思ってしまう。

 

「……やっぱり……別の所に行こうか」

 

「……わかった! 俺も男として度胸を見せないとな!」

 

 あまりにも怖がっているのを見て、冷静になった私はやっぱり無理を強いるのは良くないと思って、やめようと提案したけれど、果南ちゃんは腹を括ったようだ。

 私の手を固く握り、お化け屋敷を睨む。

 

「ほ、本当に大丈夫!? 無理しなくていいんだよ!?」

 

「いや……大丈夫だ! 男に二言はない!」

 

 そう言って、まるで暴走した機関車のような勢いでお化け屋敷の前に並ぶ列へと向かう。

 不安だ。多分、ここまで無理をするのも私にいいところを見せようとしているからだろう。

 きっと同じ立場なら私だって同じことをする。

 でも、気合や見栄だけで恐怖を振り払えるとは思えない。

 運がいいのか悪いのか列の進みは早くて十分も経たずに私達の番が来た。

 

「……はぐれないように手、繋いどこうぜ……」

 

「う、うん」

 

 中に入る直前、果南ちゃんと手を繋ぐ。

 果南ちゃんの手は汗でぐっしょりと濡れていて、小刻みに震えていた。

 



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41話

 お化け屋敷の列に並んでから、約十分。ようやく私達の番が来た。

 待っている間、いつもは私を楽しませようと喋り続ける果南ちゃんだけど、今回はずっと黙っていた。

 きっと怖いんだろう。教室から悲鳴が聞こえた時なんかビクッと震えていたし、他の人が怯えながら教室から出てきた時はブルブル震えていた。

 

「く、暗いな……中々」

 

 暗くて顔がよく見えないけれど、その震えた声色からわかる。

 心の底から怖がっている。

 それに足取りもいつもよりも遅い。

 もしかしたら、他の人なら情けないと落胆するかもしれないけど、私は何かしら欠点がある方が何というか人間味があるから受け入れられる。

 寧ろ、ギャップを感じられて好きだ。

 でも、正直心配だ。こんなに怯えていたら、いざ幽霊役の人が脅かしにきたら、いよいよ心臓が止まってしまうと思ってしまうくらいだから。

 

「果南ちゃん? 大丈夫?」

 

「へへへ平気よ! どうせガキが作った子供騙しだ……」

 

 本当に怖いにも関わらず、見栄を張ったその瞬間だ。

 

「心霊パワー注入!」

 

「ぎゃあああ!」

 

「果南ちゃん!?」

 

 それはもう耳が痛くなるくらいの野太くて大きな悲鳴。

 後ろから女子生徒に脅かされただけにも関わらず、とんでもない驚き様に思わず笑いそうになる。

 だけど、笑ってしまうと果南ちゃんが本当に可愛そうになるから必死に堪える。

 

「……いやぁ……足元にゴキブリがいてビッグリし……」

 

「ピギィィィィ!」

 

「ぬおぉぉ!」

 

 まるで小動物のような悲鳴を聞き、果南ちゃんは兎のように飛び上がる。

 

「リ、リタイアした方が……」

 

「こんなところで逃げるなんて男じゃ……!」

 

 正直、これ以上怖い思いさせるのは可愛そうだとリタイアした方がいいかと思うけれど、果南ちゃんにとってはここで怯えるよりも逃げ出す方が恥なんだろく。

 怯えながらも只管前に進む。

 どんな苦手なことでも気合いで乗り切ろうとするのは流石の果南ちゃんだと思った。

 どんな立場から言ってるんだと自嘲した瞬間。私の頬にぬめりと冷たい何かが当たる。

 

「きゃあ!」

 

 思わず悲鳴を上げて、果南ちゃんに抱き着いてしまう。

 

「大丈夫か!?」

 

 果南ちゃんは一瞬、ビクリと体を震わすものの、怯える私を見て、覚悟を決めたように表情を引き締める。

 

「怖かったら、俺の後ろにいな」

 

「う、うん」

 

 果南ちゃんに甘えて、後ろに隠れる。

 懐かしいと思った。

 幼い頃、近所の男の子達と喧嘩して、殴られそうになった時、今のように果南ちゃんが私を後ろに隠して、守ってくれた。

 あの時と変わらない大きな背中。

 あぁ、やっぱり果南ちゃんの後ろ姿はかっこいいんだ。

 それから果南ちゃんの制服を掴みながら歩いているとようやく光が見えてきた。出口だ。

 でも、そう簡単に終わってはお化け屋敷での面白さはない。

 出口の横にはダンボールで作った井戸があって、そこから背を向けた小柄な女の子が出てくる。

 

「罹亡ちゃんボード『この恨み、祓うべきか』」

 

 幽霊役の女の子が振り返ると恐ろしい般若の顔が描かれたスケッチボードを顔を付けていた。

 まるで本物のように描かれた顔は本当に怖くて、私は小さく悲鳴を出してしまった。

 でも、果南ちゃんは悲鳴の一つも出さない。

 あまりにも怖くて声が出ないんじゃない。

 私が後ろにいて、守らなくちゃいけないという使命感から恐怖を感じてないんだ。

 後ろから見ていてもわかる。恐怖で崩れていた顔つきがいつの間にか引き締まっていて、まるでファンタジーゲームに登場する勇者のように私は見えた。

 

「大丈夫だ。千歌は俺がいるから怖くない」

 

 いつものかっこいい声色の果南ちゃんは本当に頼りになる。

 もう怖さなんて何も感じない。お化け屋敷でそういう感情はお化け役の人に失礼かなと思いつつ、私は果南ちゃんと一緒にお化け屋敷を出た。

 

「ふわぁ〜〜。中々怖かった〜〜」

 

 出た瞬間だ。

 緊張の糸がぷつりと切れたんだろう。果南ちゃんは全体重をかけて、壁に寄りかかると大きな溜息を吐く。まるで魂までも一緒に漏れ出たかのような感じがした。

 

「うん。中々怖かったね」

 

「……不甲斐ないと思った?」

 

 直前の果南ちゃんとは打って変わって子犬のような弱々しい眼差しを向けてくる。

 

「ううん! 果南ちゃんはすっごくかっこよかったよ!!」

 

 私は笑って否定した。



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第42話

「次は落ち着いたところにしようよ」

 

「そうだな。お化け屋敷でかなり疲れたしな」

 

 お化け屋敷の後、驚きで疲れ切った俺達はゆっくりと歩きながら次の出し物を探す。

 落ち着ける場所か。それなら食べ物を扱っているところがいいかと考えていたが、どうやら皆考えることが同じらしく食べ物系はどこも混雑していた。

 万が一、入れたとしても後の人が気になってゆっくりできない。

 じゃあ、どこにしようかと探している。

 

「ねぇ……占いだって」

 

「占い……って、趣味の悪い看板だ」

 

 すると、千歌がある出し物を恐る恐る指差す。

 俺はあまりの出来の悪い看板に思わず顔を引きつらせる。

 黒い羽や赤い血糊という怪しい装飾で飾られ、既視感のあるピラミッドと瞳のマークや魔法陣がか描かれた看板が立てられている。正直、占いよりお化け屋敷の看板の方が似合うと思う。

 だが、お化け屋敷とは真逆に列がなく、全く盛り上がっていない。

 看板の出来からして人を寄せ付けない雰囲気を出しているがそれ以外にも扉に備え付けられた窓ガラスを黒い斜光カーテンが覆っていて、中が見えないのも入るのを躊躇わせる原因の一つだ。

 すると、千歌が看板に顔を近づけると『占い』と書かれた文字の横に書かれた名前を見つける。

 

「黒魔術研究会? 聞いたことないね」

 

「……あいつらか」

 

 黒魔術研究会。これが一番、人を遠ざけている原因だと俺は確信した。

 名前からして怪しいそれもある。しかし、千歌の言う通り、この部活は知名度はかなり低い。俺はこの部活に所属する奴らに面識があるから知っているがこの学校内でも片手で数えるくらいしか、知っている人はいない。

 

「やぁん!」

 

「えっ!? 何!? 今の声は!?」

 

「あのアホ共が……」

 

 突如、教室からいかがわしい声が聞こえてくる。

 千歌は身構えてなかったこともあって、その声の意味に気づくことができていない。

 だけど、あの二人の関係性を嫌という程知る俺にとっては勘付いてしまった。

 こんな声が聞こえてきたら誰も入ってこないに決まっている。

 俺は深く溜息を吐きながら乱雑に扉を開ける。

 

「ちょっと……ズラ丸! 人来たら……!」

 

「大丈夫だって。こんなところに来る人なんていないズラ。それにスリルがあって興奮するでしょ?」

 

 教室は部屋の隅に置かれた蝋燭を模したランプで薄暗い。備え付けられた窓も黒い斜光カーテンで日光が遮られている。

 真ん中には黒いパーテーションで囲われた小さな部屋ができていて、そこから聞き馴染みのある男女二人組の声が聞こえてくる。

 二人は人が来ないことと暗くて見えにくいのをいいことにやましいことをしようとしている。

 あいつららしいと思えばそれだけなんだが、外部から人が来ているこの文化祭を肴にするのは不良の俺でも無視できない。ダイヤなら絶対にキレて、退学なんて選択肢を突きつけてきそだ。

 

「おい花丸と善子の馬鹿野郎共! 客が来てやったぞ」

 

 俺は馬鹿二人組の名前を呼ぶとパーテーションの裏から驚きの悲鳴が上がる。

 盛り上がり過ぎて、人が入ってきたことにすら気づいていなかったのか。

 

「あ、果南ちゃん。どうしたの?」

 

 ガラリとパーテーションそのものを動かし、花丸がカチャカチャとベルトを弄りながら出てきた。妙な生々しい行動にただただ、不愉快でしかなかった。

 

「お前ら……文化祭で何やってんだよ……」

 

「そりゃあ、ナニだよ」

 

「……住職の孫が煩悩に塗れすぎだ」

 

「お坊さんなんて色欲の塊だよ。古来からあの手この手使って盛り合ってたんだよ。今更そんなこと言われてもどうしようもないずら」

 

「だからって時と場所を弁えろよ!」

 

「それは……正論だね」

 

「……なんで俺が説教してんだよ……」

 

「本当ずら」

 

「お前が言うな!」

 

 俺は花丸の頭に結構強めのチョップする。

 やはり効いたのか頭を抑えて、その場で蹲る。

 

「それで客ってどういう……」

 

 花丸は顔を上げると廊下から中の様子を確認する千歌を見た。

 

「おやおや、意中の人とねぇ」

 

 すると、「やるじゃん」といやらしい笑みを浮かべる。

 こいつ、自分の方が先に恋人が出来たからってマウント取りやがって。

 滅茶苦茶腹立つ。

 

「そう。気になるから入ってみようとしたが、空気が淀んでいて入れないらしい」

 

「そ、そういうわけじゃないよ! なんか、すぐに入ったら気まずいかなって……」

 

 千歌は顔を赤ら、そっぽを向く。

 

「そういうことね。それは素直に謝るよ。それじゃあ……早速やろうか」

 

 さっきまでのことなんてもう忘れたかのように平然と振る舞う花丸。いくらなんでも切り替えが早すぎる。

 このマイペースさがあいつの良さなんだが、もう少し遠慮を知って欲しい。

 

「善子ちゃん? 準備大丈夫?」

 

「ちょっと……フ、フックがかからないの!」

 

 花丸がパーテーションの中を除くものの、占いを行うであろう善子の準備が全くできていなかった。何のフックがかからないか敢えて考えないでおく。

 

「もう……仕方ないねぇ」

 

 それを知ってからだ。花丸がニヤリと笑った。まるで獲物を見つけたような肉食動物のようなそんな表情。

 すると、花丸はゆっくりとパーテーションの中に入っていく。普通なら手間取っているフックかけを手伝うんだろうが煩悩の塊である花丸がそれだけで終わるわけがない。

 

「やぁん♡」

 

「善子ちゃん……大きくなったんじゃない?」

 

「な、何言って!」

 

「だって、この前よりも触り心地がいいし……」

 

 花丸が中に入ってからものの数秒後に善子の喘ぎ声が聞こえてきた。

 

「はわわわ!」

 

 これには千歌は顔をりんごのように真っ赤にし、耳を塞いだ背を向けた。

 当然だろ。こんなハプニングに遭遇して、喜ぶやつなんているはずがない。誰だって、目を背けたくなるに決まっている。

 

「もう……どうしようもねぇなぁ」



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43話

「お待たせ。準備出来たずら」

 

 花丸がパーテーションから顔だけを覗かせ、俺達に呼びかける。

 準備には多分ニ分くらいしかかかってないだろう。だが、その待っている間に善子のやらしい声や花丸の悪代官のような笑い声を聞こえてきたこともあって、その不愉快さから体感時間はとても長く感じた。

 

「それは占いのだよな?」

 

「当然だよ! 果南ちゃんは何を考えているの?」

 

「お前は一度と自分の行動を振り返るべきたと思う」

 

「クーックックックッ! よくぞ来た! リトルデーモン達!」

 

 中に入るやいなや、黒マント姿の善子が厨二病全開で出迎えくれた。

 いつもの甲高い声ではなく、まるで作ったように低い声の時は花丸曰く堕天モードらしく、この時は津島善子ではなく『堕天使ヨハネ』を演じるらしい。

 今は占い師という役柄上、特に違和感がないどころかロールプレイとしてきっちり型にはまっていい感じだが、普段の生活でもこうなのが大変なんだよなぁ。

 

「はぁ……」

 

「か、可愛い!」

 

「えっ!?」

 

 千歌の予想外の反応に俺は驚きを隠せない。

 意外な趣味なのか?

 確かに千歌なら似合うと思うが……。なんか、見てみたいというやましい気持ちとなんて破廉恥な格好だと叱りたい気持ちが混ざり合って何とも言えない気持ちになる。

 

「かわ!?」

 

 純粋に褒められたことに流石の善子も鳩が豆鉄砲を食らったように反応を示す。

 平常心が崩れたのか演技風の厨二病モードからいつもの善子に声色と口調が戻る。

 

「あなた。よくわかっているじゃない! いいわ! 名前は?」

 

「千歌だよ!」

 

「そう。なら、千歌! 今日から三人目の眷属であるリトルデーモン四号にしてあげるわ!」

 

「本当に!?」

 

 おいおい。千歌を勝手に巻き込むなし。それに見た目は善子並に幼いが上級生なんだからせめて、先輩はつけろよ。後、四号って他に眷属がいるのかよ。

 ツッコミが積み重なっていくがいちいち口に出していたらきりがないので忘れることにする。

 

「さぁ、あなた達。さては迷いごとがあってここに来たのでしょう。それならこの迷冥ヨハネが占ってしんぜよう!」

 

 再び堕天モードになって、いよいよ占いを始めようとする。正直、善子の占いなんて信用できないんだよなぁ。

 

「本当に当たるのか?」

 

「当然ずら。だって善子ちゃんだよ?」

 

「いや、善子だから心配してんだが……。どうせ、かっこいいからって見様見真似でやったパチモンだろ」

 

「む、むきー!」

 

「か、果南ちゃん……それは流石にいい過ぎじゃ」

 

 つい本音が漏れてしまい、善子は子供っぽく怒り、千歌は焦る。

 正直、善子はかっこいいからと手を出し、大したレベルでもないのに披露して、痛い目に遭うのを何度も見ている。

 どうせ今回もそうなんだろうと高を括っている。

 

「……果南ちゃんは怖いんだね?」

 

「はぁ?」

 

 しかし、恋人である花丸だけは違った。あいつだけは善子よりも自信ありげだった。

 

「悪い結果が出るのが怖いんだ。そーだよね。高海さんにフられるのが怖くて告白できない臆病者の果南ちゃんだもんね。占いが怖いのも頷けるよ」

 

 プチッと血管が弾ける。

 人を臆病者呼ばわりとは随分と言ってくれるじゃあないか。

 ここまでコケにされて、引くのは本当の臆病者だ。

 

「やぁってやろうじゃあないの!」

 

「果南ちゃんはば……正直者で扱いやすいずら」

 

 花丸は呆れたように笑った。

 



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44話

 善子は机の隅に置かれたタロットカードのデッキの上に手を置く。まるで運命の車輪を回すかのようにデッキを崩して、タロットカードをぐしゃぐしゃに広げる。タロットカードの裏面は表のイラストの位置がわからないように上下がシンメトリーになっているため、表がどうなっているかまったくわからない。

ぐしゃぐしゃに広がったタロットカードを善子は再び集め、デッキを築く。

 

「それじゃあ……過去を占うわ」

 

「過去を占う? それって意味あるのか?」

 

「人生は前にしか進めないけれど、後ろにだって歩いてきた道があるからね。猪突猛進で後ろを振り返らない水ゴリラの果南ちゃんには必要ないのはわかるけど、人は過去の失敗や過ちを糧に成功を生み出すからね。占いはその手伝いをするんだよ」

 

「俺だって反省はするんだがなぁ!」

 

 俺を人間ではなく、ゴリラを扱いする花丸にはかなり頭にきたが言ってることは至極当然だ。失敗は成功の基だって言うし、かの有名な人は過ちを気に病むことはなく、次の糧にすればいい。それが大人の特権という名言を残した。

 まぁ、俺達は大人じゃないが子供でも当てはまることでもう二度と同じ失敗や過ちを犯さないように試行錯誤を繰り返して、成功に繋げるのが大切なことだ。

 俺達は固唾を飲んで見守る。

 描かれていたイラストは台車のような乗り物に乗った男性。しかし、カードの向きは逆さになっている。

 

「まず……過去を占う……逆位置の戦車ね」

 

「それはどういう意味なの?」

 

「そうね……簡単に言えば上手くいってなかったってことだけど……」

 

「イメージとして正に泥沼にハマってしまって思うように動かなくなった戦車ずら」

 

 善子がさらりと放った言葉と花丸の簡単な解説に俺と千歌の顔が青ざめる。

 過去のこととはいえ、いくらなんでも幸先が悪すぎる。

 

「逆位置の戦車を読み解くと二人はお互いにやりたいことや伝えたい思いがあったけれど全然伝えられなかったこということね」

 

「おっ……マジか……」

 

「あ……当たってるね」

 

「そう!? ま、まぁ……自覚が思い当たる節があるならいいわ。気をつければいいんだから」

 

 悔しいが善子の占いはど真ん中ストライク。

 何も言えず、行動を起こせなかったからお互いすれ違ってしまっていた。

 でも、今はちゃんと思いを伝えることができて、一歩進めることができた。

 だけど、そこで安心しちゃいけない。それこそ同じミスを犯すかもしれないんだから、ずっと気をつけていかないといけない。

 

「次は今を見せるカード。それは……逆位置の悪魔」

 

「あ、悪魔って悪い意味じゃないの!?」

 

 またしても逆位置。さらにはどう考えても不吉な意味合いを持っていそうな悪魔だ。

 やはりアンラッキーガールである善子の占いは自分の不幸を相手に伝染るのかと疑ってしまう。

 

「悪いって一言で片付けてはダメよ。タロットはあくまで戒めよ。良いことだって高を括って努力を怠れば悪い結果に流れるから良し悪しで判断しては良くないわよ。ただ、悪魔の逆位置は言うほど怖いことはないわ。寧ろ、悪魔のような苦しみから開放されて、いい方向に進むことを示すわ」

 

「それじゃあ……」

 

「さっき善子ちゃんが言ってたように過信は禁物だよ」

 

 すると、千歌は安心したのか大きく息を吐く。

 その様子を見て、俺も安心した。

 俺との関係を終わらせたくないというのがわかったからだ。それはあくまで幼馴染としてや今までの関係を壊したくないだけかもしれないけど、それでも俺はいいと思った。

 そんなことを考えてると徐に花丸が近づき、耳打ちをしてくる。

 

「果南ちゃん……脈ありじゃない?」

 

「ブーメランじゃないか? 油断はダメなんだろう」

 

 千歌を一瞥する。

 俺の視線に気づいたのか千歌も俺の方を向いて、視線が合う。俺の顔を見るや千歌は顔を真っ赤にして逸らす。

 そんな純粋な反応をされるとこっちまで恥ずかしくなってきて、俺も視線を逸らしてしまう。

 ムズムズした空気が流れると花丸「羨ましいね」と笑いながら、善子の隣に戻っていく。

 

「それじゃあ……善子。次を占ってくれ」

 

「いいわよ。次に占うの……未来だけど……」

 

 俺達は固唾を飲んで見守る。

 過去と現在も大事だけど所詮は過ぎ去って取り返しのつかないもの。

 だけど、未来は今から変わればそれだけ変わっていくもの。道標があればそれだけ歩きやすい。

 何より、占いって単純な話、未来の話ってのが一番盛り上がるメインイベントだ。

 二人の将来は幸せですって言われれば、それはもう滅茶苦茶嬉しいし、大袈裟かもしれないがそれだけで生きる希望になると言っても過言ではない。

 逆に不幸になったり、上手くいかないと言われればそれはもうご愁傷様にしかならないがまぁ、ジェットコースターみたいなアトラクションと思えば楽しめなくはないか。

 色々考えてしまうのも緊張しているからだ。

 自分で言うのもおかしいがこんなに考えてしまうのはらしくない。何も考えず、毅然と構えるのが俺だと思っているけれど、やっぱり千歌のことになると変わっちまう。

 善子はカードを引く。全ての挙動がスローモーションに見えて、まるで俺が見ているものは映像作品か何かで現実なんかじゃないかと思ってしまう。

 たかが占いにここまで緊張するとは本当に思わなかった。

 そして、善子は引いたカードの裏返す。

 

「これは……正位置の太陽ね」

 

 タロットのイラストにその名前通りの太陽のイラストが描かれている。

 

「それは……どういう意味なの?」

 

「太陽はよく生命や希望の象徴として扱われるずら。だから、二人に明るくて希望に満ちた未来が待っているからもしれないね」

 

 花丸はニヤニヤと笑いながら解説をしてくる。

 再び、千歌を見ると同じようにこっちを見ていた。千歌の顔は太陽のように真っ赤になっていた。そして、俺の顔は太陽のように熱くなっていた。

 さっきは千歌が耐え切れずに顔をそらしたが今回はお互い同じタイミングで顔をそらした。

 そりゃあ、二人の未来は明るいなんて言われて意識しない奴なんていない。

 そんなんだから俺の心臓は今にも破裂しそうなくらい激しく動いている。もう意識がぶっ飛びそうだ。

 

「羨ましいね」

 

「だ、だろ?」

 

「調子に乗らないほうがいいずら。あくまでタロットは……」

 

「戒め、だろ。わかってるよ」

 

「初々しいずら」

 

 俺は一度深呼吸をして、心を落ち着かせる。

 あくまでこれは俺だけの気持ちだ。実際の千歌の気持ちはわからない。

 顔を赤らめているのもただ直接的に言われただけかもしれなくて、本当ダイヤのことが好きなのかもしれない。

 わかってる。あくまでこれは占いだ。本当でも現実でもない。

 だから、鵜呑みにしてはいけない。

 最終的に道を決めるのは……千歌だから。

 

「それじゃあ、これから二人に降り掛かる災難についてだけど……」

 

「災難って……いや、知りたくないんだが……」

 

「人生は山あり谷あり。いいこともあれば悪いところもある。現実から目を逸らしては駄目ずら」

 

 最高潮まで高まったテンションをゆっくりと落ち着いていく。

 ここまで来たのだから幸せの絶頂のまま終わりたい。だが、もし本当に付き合うことができて、更にその先の関係まで発展するのならきっと嫌なことがたくさんあるの確かだ。

 逃げるのは確かに駄目だ。

 

「それで……逆位置隠者ね」

 

「逆位置って……どう意味なの?」

 

「悪そう結果だから説明するのはもうやめるんだ!」

 

「トゥへァー! このバカヤローずら!」

 

「……果南ちゃんと花丸ちゃんは何をやっているの?」

 

「さぁ? わかる人にはわかるネタじゃない? それで逆位置の隠者は名前の通り、何かを隠しているとそれが悪い結果に繋がるということ」

 

「隠し事……思い当たる節があるなぁ……」

 

「でも、あれは私が勘違いしたから……」

 

 隠し事が良くない結果を招くか。

 実際、俺は千歌にサプライズしようとした結果、千歌を傷つけてしまっている。

 確かに気をつけなくてはいけないと心に誓った。

 

「果南ちゃんは特に気をつけたほうがいいずら」

 

「どういう意味だ花丸」

 

「だって、色々隠していることがあるもんね」

 

「いや、別にそんなことは……」

 

「本当に?」

 

 千歌がジト目で見つめてくる。

 その姿は普通に可愛くてクラっとしてくる。

 

「いや、本当に隠してない! 千歌に対してやましいことは本当に!」

 

「じゃあ、ベッドの下にあるものは?」

 

「おま!? それは駄目だろ!」

 

 全身から汗が噴き出る。

 いやいや! いくら隠し事が良くないからって、何でもかんでも晒していいわけがないだろ!? 

 

「いいや。付き合うのに性癖大事ずら! 夜の営みの相性も付き合っていくのは大事なことだよ」

 

「せ、性癖!? よ、夜!?」

 

 アダルトワードが花丸の口から出てくる度にピュアな千歌の頭の上から湯気が出てくる。

 

「なんか、無駄に生々しくて嫌だな!」

 

「残念ながらこれが現実だよ。ね、善子ちゃん」

 

「え、えぇ……否定はしないわ」

 

「同意をするな! 生々しさが増して嫌になるわ!」

 

「真面目なツッコミは求めてないよ。それで果南ちゃん、隠している性癖を吐き出すずら!」

 

「いーやーだ! 何だこれは!? お前の羞恥プレイに付き合いたくはない! つーか、それがお前の性癖か!?」

 

「よく気付いたわね……」

 

「……もう嫌だ……」

 

 占いから突然の性癖暴露大会の変化に俺はついてこれず、気が滅入ってしまう。

 それにしても俺の性癖は千歌に知られたくはない。特に千歌には絶対に知られたくない。

 好きな人だからっていうのもあるが、加えて千歌がどストライクっていうのもあり、知られるとマジで気まずい。

 だが、この流れで最悪なのが俺の性癖を花丸が知っていることだ。

 あいつのことだから、良かれと思って、軽々と吐き出してしまうことなんて安易に予想できる。

 だから、どうにか口封じをしようとしたその時だ。

 

「因みに果南ちゃんの性癖はロリ巨乳ずら」

 

「えっ……?」

 

 何と言えない空気が教室内を駆け巡った。



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第45話

「あぁ……いや……その……なんだろ……」

 

 廊下を歩きながら果南ちゃんは目を不自然に泳がす。

 いつもは真っ直ぐでハキハキとした果南ちゃんが眉毛をへの字にし、モゴモゴと思い切りのない様子だ。

 

「……ごめんなさい」

 

「なんで謝るの?」

 

「そりゃあだって……嫌じゃないのか? その……俺の趣味が……さ」

 

 もう言えることがなかったこと。そして、果南ちゃんの性格的に言い訳をしたくなかったんだろう。

 突然謝り出す。

 善子ちゃんと花丸ちゃんの占いの時、果南ちゃんが幼い顔立でありながら、胸の大きな女の子が好きというのが暴露された。

 あの時の果南ちゃんは愕然としていた。あんな絶望に満ちた表情は生まれて初めて見た。 

 好きな人にそういう趣味なんて知られたくないのは当然だ。

 ましてや、そのまんま、趣味が重なっているのなら尚更。

 自分で言うのもなんだけど、確かに私は梨子ちゃんや曜ちゃんに比べれば顔立ちは子供っぽい。胸に関しては……梨子ちゃんよりは大きいけれど、そこはよくわからない。

 果南ちゃんの趣味に関しては正直、「そうだよね」と納得した。ずっと前から果南ちゃんがムッツリスケベなのはよくわかっている。

 出掛ける時、胸が大きかったり、谷間が見える女性に釘付けになることが多いし、内容は知らなかったけどベッドの下にいやらしい本があるのも知っていた。

 別に男の子だからそういう気質があるのはわかる。女の子だって筋肉がすごい男の人がいたら見てしまう。

 

「別に。果南ちゃんがスケベなのは知ってたもん」

 

「……え? マジ?」

 

「女の子ってそういう視線にはすぐ気づくんだよ」

 

「……死にてぇなぁ……」

 

 事実を告げると果南ちゃんはその場で立ち止まって、壁に項垂れる。

 そうだ。街中で歩いているとたまに男の人が私の胸をじっと見てくる時があるけど、そういう視線はすぐに気づく。

 だからこそだ。今まで果南ちゃんが私にそういう視線を向けられていなかったことだって気づいている。なのに、他の女にはそういう視線を向けていたから、私は大人の色気や魅力がないとか結局は幼馴染でしかないんだと思ったこともある。

 じゃあ、たくさん見て欲しいというのはなんか違うし……。

 

「果南ちゃんは私の体が好きだから……私を好きになったの?」

 

「馬鹿野郎! そんなわけないだろ!? 俺は千歌が心に

惚れたから好きになったんだ!」

 

 果南ちゃんは私の問いに全力で否定する。

 全力過ぎては声はとてつもなく大きく、廊下に響いてしまい、道行く人達に凝視されてしまう。

 ここじゃあ目立つと私達はすぐに人気のない校舎裏に移動する。

 

「そう……なの?」

 

「当たり前だろ? 俺だってそんな……節操ないわけじゃないし……。その……なんつーか……そういうのってちゃんとした関係にならないとダメだし……」

 

 一見、女性にはだらしなそうに見える果南ちゃん。だけど、本当は真面目で純情。そういうのところにも私は惹かれたんだ。

 

「……スケベすぎるのは嫌だよ。でも、少しくらいなら……」

 

「えっ!? 千歌……」

 

 上目遣いでそういうと果南ちゃんは頬を赤らめながら、視線を逸らす。

 だけど、時々チラリと視線が私に向く。その視線の先は胸だ。

 見てもいいと言われて見たいんだろう。でも、やっぱり見るのは申し訳ないと視線が外れる。

 葛藤が見てわかる。

 

「ごほん」

 

 そんな子供っぽい果南ちゃんを可愛いと思っていると横から咳払いが聞こえてくる。

 こんなところに人が来るなんてと驚きながら、その方向に顔を向ける。

 そこにいたのは……

 

「ダッ、ダイヤ!?」

 

「ダイヤさん!?」

 

「あなた達……こんな人気のないところで何をしているんでしょうか?」

 

 呆れたように溜息を吐くダイヤさんがいた。

 果南ちゃんとは比べ物にならないくらい真面目なダイヤさんだ。私達の不埒なやり取りは見るに耐えないかもしれない。

 

「べ、別に何にもねぇよ! ……何にもさ!」

 

 すると、ダイヤさんは本当かと疑いの眼差しでじっと果南ちゃんの顔を凝視する。

 

「……まぁいいです。それより、果南。野球部の方々があなたを探してましたよ。どうやら、あなた如きの手を借りたいそうで」

 

「如きってなんだ。俺だから頼りたいんだろ? てか、それ本当の話か? 千歌の二人きりになりたいからって嘘をついてるんじゃ……」

 

 今度は果南ちゃんがダイヤさんを疑い返した時、タイミングよく果南ちゃんのスマートフォンが鳴る。スマホの画面を見て、「まじか」と呟く。

 

「つまらない冗談はいいですから。早く行ってあげなさい」

 

 ダイヤさんの言葉に果南ちゃんは「へぇ~い」と間の抜けた返事をする。

 傍から見ると母親の言いつけを渋々聞く反抗期の子供というよくある親子に見える。

 すると、果南ちゃんは名残惜しそうに私の顔を見つめる。

 

「悪い、千歌。マジで楽しかった。また、時間があったら、巡ろうぜ!」

 

 すると、大きくて暖かい手で私の頭を撫でる。

 この手が好きな私は多分子犬みたいに目を細めて、喜ぶ。

 

「ありがとう! 私も楽しかった!」

 

 私は笑顔で答えると果南ちゃんも笑顔で返してくれた。

 そして、大きく手を振ってこの場から去って行ってしまった。

 

「本当、嫌な人ですね。松浦果南は。真っ直ぐ過ぎて妬ましいですよ」

 

 果南ちゃんが去った後、ダイヤさんは口を開く。

 嫌な人と言いながらその声色は柔らかくて、表情もどこか嬉しそうだ。

 

「ダイヤさんは果南ちゃんのこと、好きなんじゃないですか?」

 

「……そうですね。だから嫌いなんですよ」

 

「……なんか難しい話」

 

「男のプライドの話ですから」

 

 そう言ってダイヤさんは優しく笑う。そして、懐かしそうに周りを見回す。

 

「ここなんですよ」

 

「何が?」

 

「ここで僕は松浦果南と出会って……嫌いになったんです」

 

 楽しそうに笑うとダイヤさんは過去を語り始めた。

 



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第46話

 あの出来事は僕が浦の星に入学して間もない時だった。

 桜が散り、葉桜に変わった四月の中旬。

 

「あんた達、こんなところで何してるんですか!」

 

 人気のない校舎裏では反吐が出るようなことが行われていた。

 五人の屈強な男が僕のクラスメイトである三編みの少女を壁に追い詰め、囲んでいた。

 二人で少女の腕を抑え込み、リーダーらしき金髪オールバックの男が少女の前に立ち、豊かな胸を揉んでいた。

 彼らのことはよく知っている。

 三年生でこの浦の星ではかなりの問題児。授業には参加しないだけならまだしも急に騒ぎ出したり、大音量で気に入らないことがあれば例え教師だろうと暴力で捻り伏せる。 

 

「何だい、クソガキ?」

 

「こいつ、黒澤の坊主でっせ」

 

「おうおう! 優踏生のガキがいっちょ前に楯突くか? 頭のいいお前ならどういう選択が正しいかわかるよな?」

 

 取り巻きの男が汚らわしい顔を近づけ、馴れ馴れしく肩に手を置いてくる。

 僕は不愉快な手を払い除ける。

 

「僕に触るな! ゲスが!」

 

 ゲスな奴らと仲良くする気なんてなく、威勢よく反抗すると男達は馬鹿にするかのように笑い出す。

 

「舐めんなよ!」

 

「てめぇみたいな真面目野郎は見ていて腹が立つんだよ!」

 

 取り巻きの二人が僕に対して同時に拳を振るってくる。

 空手や柔道、剣道に合気道と習わされた身としては素人の攻撃なんて大したことなく、簡単に避けられる。

 

「避けんじゃねぇ!」

 

 馬鹿丸出しの単調な攻撃に当たる方がおかしい。

 そのまま避け続けて、ある程度疲弊したら反撃しようと考えていた。

 しかし、それは甘い考えだった。

 

「先輩? 急にー呼び出してどうしたんすか?」

 

「俺っち、お昼の途中なのに……」

 

 背後から仲間であろう不良達が五人も現れたのだ。

 塵も積もれば山となる。いくら、相手が弱くても数が多ければそれだけ、厄介だ。

 

「そこの馬鹿を取っ捕まえろ」

 

 オールバックの男は淡々と指示を出す。

 すると、不良達はへいへい返事をし、下衆な笑みを浮かべて、迫ってくる。

 僕は始めからいた不良の一人を背負投げし、次の相手へと反撃の構えを取るものの、もう一人の不良に羽交い締めにされてしまう。

 

「捕まえたぜ!」

 

「邪魔だ!」

 

 振り解くことに成功したものの、今度は別の不良に腕を捕まれる。

 

「楽しそうだ……なっ!」

 

「ぐっ!」

 

 身動きが満足に取れないなか、拳を僕の頬にぶつかる。

 口の中に鉄の味がする。

 それを皮切りに他の不良達もこぞって暴力を振るってくる。

 殴り、蹴り、踏み。抵抗しようにも数が多く、別の不良に反撃を貰い、結局は振り出しに戻る。

 最早、サンドバックという言葉がお似合いだった。

 

「おい、誰か。抑えろ」

 

 オールバックの男の声と共に僕は羽交い締めにされる。

 制服はボロボロで鼻や口からは血が流れている。

 痣や腫れが体の至るところに出来ている。

 全身が痛くて、意識を失いそうになる。だけど、気を失うことをプライドが許さなかった。

 

「ほう。まだ、べそをかかないか」

 

「うる……さい!」

 

「減らず口もかっ!」

 

 僕は下衆に屈しない。

 そのプライドのせいで今まで感じたことのない強烈な痛みが腹部を襲った。

 オールバックの男の拳が腹に減り込む。

 胃の中にあった食べ物が喉を逆流する。しかし、ここで吐いたらコイツラに隙を見せることになる。必死に堪えて、胃の中に戻す。

 

「吐いちまえよ! 偽善者よぉ!」

 

 すると、オールバックの男は何度も僕の腹を殴る。

 それだけでなく、顔面も右と左で交互に何度も打ち付ける。

 最早、痛みすらも感じなくなってくる。

 

「坊っちゃん? ヒーローごっこ他所でやってくれよ? 俺達はそこまで暇じゃないんだよ?」

 

 そして、首元をキツく締められる。

 苦しい。痛い。そんな感情は確かにあった。

 それよりも悔しいという感情が上回った。

 自分から突っ込んでおいて、返り討ちに合う。

 確かに自分が思う正しさからの行動で目の前で被害にあっている少女がいて、見て見ぬふりなんてできない。

 だけど、何一つ変えることのできない自分の不甲斐なさと無力さに怒りと悲しみがあった。

 

「何してんだ?」

 

 すると、背後から新しい男の声が聞こえてくる。

 新手かと僕は声が聞こえた方向に目を向ける。

 そこにはボタンを止めず、羽織っただけでかなり着崩した学ラン姿で青髪ポニーテールの青年がいた。

 身長も高く、服の上からでもわかるたくましい肉体。

 一目で只者じゃないというのはわかった。

 

「てめぇは……あぁ。松浦果南か」

 

「松浦……松浦ってあのか!?」

 

 リーダーが青年の名、松浦果南を呼ぶと取り巻きは一斉にたじろぎ、畏怖する。

 松浦果南。僕もその名前を聞いたことがある。

 この平和な内浦でもよく知られている喧嘩番長。同じ学生だけでなく、悪い大人や威張り散らしたり素行の悪い教師を殴る危険人物。

 

「お前も甘い汁を吸いに来たか?」

 

 動揺する取り巻きとは違い、リーダーの男は臆することなく、松浦果南に言葉をかける。

 同じ不良同士、仲良くつるむ……なんてことはない。

 松浦果南は男の言葉に一切耳を傾けず、女子生徒と僕を交互に見る。

 すると、松浦果南は徐ろに女子生徒に近づくて、細い手を戸惑うことなく掴む。

 

「大丈夫か?」

 

 そして、男達の中から助け出す。

 これを男達が面白がるはずがない。

 取り巻きの男は一気に松浦果南に襲いかかる。

 

「おい! その女を……ベフッ!」

 

 次の瞬間だ。迫る男の顎に強烈なアッパーを浴びせる。

 最早、言葉にならない呻き声を上げ、男は宙を舞と、そのまま山のりの軌道を描いて地面に強く叩きつけられる。

 その間に松浦果南は女子生徒にこの場から逃げるように指示し、女子生徒は一目散に逃げ出した。

 

「わりぃなぁ。俺は不良だけどあんたらみたいな外道ではないんだ」

 

 松浦果南はまるで不動明王のような鋭く恐ろしい目つきで男達を睨む。

 

「寧ろ、ぶっ飛ばしたくなるんだよ。その薄汚ねぇ顔をさぁ!」

 

 そして、松浦果南は学ランを放り投げ、構えを取る。

 明らかな挑発を受けて、黙って退く男達ではない。

 

「ぶっ殺せ!」

 

 オールバックの男の怒声と共に不良達は僕を投げ捨て、雪崩のような激しい勢いで襲いかかる。

 いくらなんでも無茶だ。数が多い上に怒りでかなり力を増しているはず。

 暴れ牛のような不良達を一人で倒せるわけがない。

 そう思っていた。

 

「とぉりゃぁ!」

 

「ぶごへぇあ!」

 

 圧巻だった。

 迫る不良達をその両手の拳二つで薙ぎ倒していく様は。

 一撃だ。松浦果南の拳が不良達の顔面を打つとたちまち、気を失い倒れていく。

 本当に素人なのかと疑うしかなかった。

 そして、本当にあっという間に不良達を倒し、残るはオールバックの男のみ。

 

「残っているのはあんただけだぜ!」

 

「これがあの……松浦果南か!」

 

 松浦果南はオールバックの男に指差し、挑発する。

 一瞬で部下をやられて焦っているのか、オールバックの男の額から汗が流れている。

 

「おいおい。一人じゃ何にもできないのか? お山の大将気取ってるとは小さい男だなぁ」

 

「言わせておけば!!」

 

 堪忍袋の緒が切れ、オールバックの男は松浦果南に殴りかかる。

 そして、松浦果南の拳を振るい、お互いの顔面に直撃する。両者共に凄まじい威力に違いない。

 先に倒れたのはオールバックの男で、松浦果南は何事もなかったかのようにしっかりと地に足をつけ、立っている。

 

「なぜ……びくとも……しない……」

 

「決まってんだろ! てめぇのスジのねぇ拳なんざ痛かぁねぇんだよぉ!!」

 

 松浦果南はそう啖呵を切るとオールバックの男の胸倉を掴み持ち上げる。

 

「あんたさ……ここから出ていってくんねぇかなぁ? 来年には俺の幼馴染み達が入ってくんだよ。あいつらにてめぇみたいなクズを視界に入れてほしくないし、手を出されたくないんだよ!」

 

「な、何様のつもりだ!」

 

「てめぇらこそ! 何様のつもりであの子に手ぇ出したぁ! いいか! 俺は本気だ! 出ていかねぇなら、何度も叩き潰す! わかったか!!」

 

 松浦果南の覇気に気圧されたオールバックの男はもう何も言えなかった。

 松浦果南から開放されると不良達と共に生まれたての子鹿のような不確かな足取りで逃げ去っていった。

 凪のような静けさに変わると、松浦果南は僕に近づく。

 

「お前さ。いいガッツだったよ!」

 

 そして、あの男達にむけていた怒りの表情とは反対の爽やかな笑みを浮かべて、手を差し出す。

 松浦果南が眩しく見えた。

 僕にできなかったことができて、凄いと思った。

 だけど、たった一つ気に食わない点が一つだけあった。

 それは松浦果南はそれなりの不良ということだった。

 わかっている。松浦果南は喧嘩をするような不良ではあるけどあの男達のような外道なんかじゃない。

 でも、勉強はできなければ喧嘩をして、警察にお世話になったことも何度もあると聞き、お世辞にも素行がいいとは言えない。

 なのに噂ではたくさんの人から慕われ、何より僕のできないことを平然とやってのける。

 だから、僕は松浦果南が大嫌いだ。

 

 



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第47話

「それがダイヤさんと果南ちゃんの出会いなんですね」

 

「はい。漫画みたいですよね」

 

 松浦果南が去った後、僕は歩きながら過去を語ろうとした。だけど、それだと疲れると思い、場所を変え、喫茶店の出し物をする場所に向かった。

 そして、お茶をしながら、再び松浦果南との過去について語った。

 一通り、話を聞き終えると千歌さんは笑った。

 

「何だかんだ、ダイヤさんは果南ちゃんのこと嫌いっていってますけど、本当は好きなんですね」

 

「それはありませんが、しっかり認めていますよ」

 

 そう言うと千歌さんは「またまた」と意地悪な笑みを浮かべる。好きではありませんが、確かに本当は嫌いであれば話題にすら出したくないものだ。

 ただ、松浦果南を妬んでいるだけなんだ。

 

「へい! ケーキ、お待ち!」

 

「それにしてもここは何ですか?」

 

 丁度、話し終えたところで頼んでいた手作りカップケーキ二つが野太い声と僕達の前に出される。

 喫茶店の出し物なら普通なのだろうが、何というウエイターの見た目と声が全くあってない。

 

「ここは女装喫茶です! 生徒会長!」

 

「それはわかっていますが……言葉に一切の女性らしさが感じられないのですが……」

 

「でも、面白いよ」

 

 そう。ここは野球部が出している女装喫茶だ。

 本人達もわかってのことだからはっきり言うが、完全にネタ枠の出し物だろう。

 ご覧の通り、接客も野球部仕込みの妙に気合の入った大きな野太い声だから女性らしさなんて微塵もない。

 正直、見た目なんか化粧なんて一切していなくて、ただドンキホーテで購入したであろう、メイド服やセーラー服を着ただけ。

 千歌さんの言うように面白いのは確かなのだが、もう少し別方向のインパクトは欲しいとは思う。

 

「そう言えば果南ちゃんって野球部の人達に呼び出されていましたよね?」

 

「そうでしたが……どうせ裏方でしょう」

 

「果南ちゃんも女装してたら、面白いですね」

 

「……それは吐きそうだ」

 

 松浦果南の女装姿なんて一切見たくない。あんなガタイのいい男が女装なんて気色が悪い。

 もし、松浦果南が本当に女装して出てきたらこれ見よがしに馬鹿してやろうと思った。

 

「えぇ! 超可愛い!」

 

「私達よりも……綺麗!」

 

 急に喫茶店の雰囲気が変わる。

 周囲の女子達が一斉に同じ方向に向き、集まっていく。

 あまりのタイミングの良さに僕の心に陰りが見えてくる。

 まさか、今の台詞がフラグになるわけがないと言い聞かせる。一体誰なんだと僕達は黄色い声援が湧き上がる場所に目を向ける。

 

「う、嘘!?」

 

「えぇ……」

 

 僕達は絶句した。

 

「ちょ……なんで、千歌達がいるんだよ!?」

 

 群がら女子達の中心に頭二個分大きい人間がいた。それは女装した松浦果南だ。僕達を見つけた松浦果南の顔が一気に青褪めていく。

 きっと、いつもの僕なら女装する松浦果南を馬鹿にするような言葉をぶつけて挑発し、マウントを取るだろう。

 でも、できなかった。確かにがたいのいい体格に関しては全く持って隠せていなかったが、その顔立ちに関しては女性と見間違うレベルであった。

 多分、普通に街中を歩いていれば道行く男性は注目するだろうし、なんならスカウトに声をかけられるだろう。

 そして、よくわからないが妙にしっくり来るのだ。まるで元は女性であったかのように似合っているので弄りたくても弄れないのだ。

 



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48話

「なかなか面白い……いえ、形容し難いものを見ましたね」

 

 女装喫茶から出た後、僕は複雑な気持ちになった。

 別に松浦果南は嫌いだが、認めてはいるなんて話をした瞬間、話題の人物が現れる。それはまあまああることかもしれない

 でも、女装した姿で現れるなんて予想できるわけがない。

 これで似合っていなければ笑い者にできたものの、異様な程似合っていたものだから反応にとても困った。

 失望するべきなのか称賛するべきなのか、僕にはもう判断できなかった。

 

「そうですか? 似合っていて、可愛かったですよ! ぶっちゃけ千歌よりも……」

 

「それはないです。絶対ないです。あんな筋肉ゴリラの女装が千歌さん以上の美貌なら世も末ですよ」

 

 恐らく冗談か……いや、千歌さんは自己肯定感が低いから本音もあり得るが、どちらにせよ真っ向から全否定する。

 あんな筋肉ゴリラが千歌さん以上の美人なんて悪い冗談だ。

 松浦果南が本当の女性ならまぁ……匹敵する程の美人だと思いますが、それでも僕にとっては千歌さんが世界で一番の美人であることに変わりはない。

 

「……そうですよね。ダイヤさん、言ってくれてましたよね。少しずつ自分を認めてほしいって」

 

 すると、千歌さんは僕の瞳を真っすぐ見つめてくる。

 そのルビー色の瞳には惑いや不安はなく、自信が浮かんでいるように見えた。

 

「うん! 千歌も女の子の格好した果南ちゃんと同じくらい可愛い! そう思うことにします!」

 

 本当は松浦果南より可愛いと言って欲しかったですが、何という他人を貶めないのは千歌さんらしいとも思う。

 それに少しだけでも成長できたのだからそれでいいんだ。

 

「そういえばさっきから話してばかりでしたね。何か他の催し物を探しましょう」

 

「それならお化け屋敷……あっ、でも……」

 

「なるほど。松浦果南と行ったのなら千歌さんがあまり楽しめないのでは?」

 

「でも、ダイヤさんの反応が見てみたいかなって」

 

「趣味が悪いですよ。流石に本物なら驚きますが人が制作したものとわかれば驚かないですよ」

 

 正直、僕とお化け屋敷なんて尚更つまらないだろう。

 別に暗いところが苦手でもないし、どうしても人が作ったものだからある程度驚かせるポイントだったりが予想できてしまい、純粋に楽しむことができない。

 例え、意外なところから脅かしがあったところでそれすらも驚くことなんてない。それは昔、何回かルビィとお化け屋敷に入った時に驚くルビィの悲鳴の方が驚きは強く、耐性がついてしまった。

 

「……そういえば、さっき体育館で迷路をやっているってポスターがありましたよ!」

 

「迷路ですか……」

 

 迷路。そう言えば生徒会として仕事をしていた時に一年生のどこかのクラスが企画書を提出していたのを思い出した。

 一つのクラスで体育館を使用するなんてどんな規模なんだろうと疑問と驚愕が合わさっていた。

 結局、あれ以降どんな形で完成したのか全く知らない。

 そういった意味でも気になったし、何より迷路ならばどさくさに紛れて手を繋ぐなんてこともできる。

 少し俗物地味た考えに自分自身に呆れてしまうものの、本当に千歌さんが好きなんだと改めて再確認した。

 

「それならその迷路に行ってみましょう」

 

「はい!」

 

 そうして、僕達は体育館へと向かう。

 



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49話

 体育館に到着し、受付を済ませると早速迷路へと足を踏み入れる。

 校内で一番広い施設を使っていることもあり、迷路はかなり広い。ただ、広いだけでなくしっかりと机や段ボールなどで壁を作って、しっかりと入り組んでいる。

 よくここまで作ったと関心する反面、片付けがかなり大変そうだと野暮なことまで考えてしまう。

 

「大丈夫ですか? 千歌さん?」

 

「うん! 大丈夫です! ダイヤさんがその……手を繋いでくれているから!」

 

 僕は右手に伝わる千歌さんの左手の感触に集中する。

 千歌さんの小さな手は柔らかな暖かさがある。

 僕の激しい鼓動が伝わってしまうのではないかと不安でさらに鼓動が強くなる。

 迷路に入る前、逸れてしまうと危ないから……というのもありながら触れ合いたいという下心が殆どの心持でさり気なく手を繋いでみようと促した。

 正直、かなり緊張した。あんまり、女性と触れ合ったことがない僕にはそれなりに高いハードルだ。

 でも、千歌さんが恥ずかしそうにしながらも「いいですよ」と言ってくれたおかげで何とか手を繋ぐことができた。

 嬉しかった。それはとても。

 

「あっ、何か文字がありますよ?」

 

 千歌さんが文字を見つけ、読み上げる。

 

「えっと……問題? 江戸幕府の十一代目将軍の名前は……家斉なら右。家治なら左だそうです」

 

 なるほど。ただ闇雲に進むだけでは本当に迷うから分岐のところでクイズを出して、正しい道を探させる。

 ただ、進むだけでは飽きてしまうから、途中で味変を行い、飽きさせない作り。

 文化祭の演し物とは思えない綿密な作りに最早何も口に出せない。

 

「全然わからない……家康さんと松平健さんしか知らない」

 

 千歌さんの頭の上にハテナマークが沢山浮かんでいるようだ。

 

「吉宗公は役者さんのお名前ですか。せめて、家光公と慶喜公は覚えておきましょう……。因みにこれは右になりますね」

 

「わかるんですか!?」

 

「えぇ。一般常識として覚えました」

 

「一般……常識?」

 

 千歌さんは困惑していた。

 確かに徳川将軍全ての名前を覚えるのは大変かもしれない。特に田沼意次公などの老中が政治の実験を握っているような時代の将軍は授業では添え物でしかないですから仕方ないとは思う。

 

「千歌さんも来年は受験生ですよね?」

 

「……ちゃ、ちゃんと勉強します!」

 

「その時は僕がみっちり教えますから」

 

「ダイヤさんが教えてくれるなら……頑張れそう!」

 

「……だからって今をサボってはいけませんよ」

 

 そう返答とすると千歌さんは悪戯っ子のような無邪気な笑みを浮かべながら「はーい」と返してくる。

 そういうあざとさがズルすぎる。



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第50話

 そうして、僕は千歌さんと一緒に迷路を進んでいく。

 途中の問題は協力して……いや、殆ど僕が解き明かし、その様子を見ては千歌さんが凄いと褒めてくれる。

 少しかっこいいところと頼れる様を見せつけることができたかなと思う。

 そんな浮ついた心で歩を進めるといよいよ最後の問題が掲示されたT字路に到着する。

 

「これが最後の問題のようですね」

 

 他の問題とは異なり、大きな看板に金と銀の折り紙で作られた輪っかや星やハートのマークが盛り上がりを演出している。

 

「そうですね。えっと……問題は……」

 

「愛に必要なものは……『外見』か『内面』か……」

 

 僕は思わず、顔を歪める。

 今までの問題は知識を駆使していくものだったが、ここにきてまさかの哲学的な問題を提示されるとは思わなかった。

 無論、こういうものに答えはない。あってもそれは人それぞれだ。

 特に問題もそうだ。いくら外見が良くても内面が悪ければ受け付けられない人もいれば内面さえ良ければ外見なんて気にしない人もいる。

 

「ダイヤさんは……どっちですか?」

 

「千歌さん……」

 

 千歌さんが真剣な眼差しを僕に向けてくる。

 きっとここの答え次第で千歌が僕に対する味方が百八十度変わる。

 僕は悩む。

 確かに僕は千歌の優しいところや甘え上手なところが好きだ。だけど、それ以外にも可愛らしい見た目も好きだ。

 外見や内面かだけなんて決められない。僕は全てにおいて、千歌さんが好きで、愛している。

 だから、本当のことを言うならここの問題には僕の望む答えはない。

 でも、選択肢が用意されている以上、どちらかを選ばないといけないんだ。

 

「僕は……」

 

 問題を見た後、再び千歌さんを見た時、僕は思い出した。

 違う。人生には必ずしも正解があるとは限らない。そして、迷路のように道は決まっていない。自分で好きな場所を歩ける。

 そう教えてくれたのは千歌さんだった。

 

「すみません。答えが全くわからないです。ただ一つ言えることは僕の望む答えはここにはない」

 

「えぇ!?」

 

 僕がはっきりと言い切ると千歌さんは驚く。きっと今まで答えを出し続け、正解していたからだろう。

 でも、僕だって所詮は高校生だ。わからないことだってたくさんある。

 

「僕は千歌さんの全てが好きですから。内面とか外面なんかで区別できないですよ」

 

「そ、そこまで言われると…」

 

 思いの丈を言うと千歌さんは頬を両手で抑え、顔を明らめて照れている。

 そういうところが可愛くてさらに魅力的に見える。

 

「とは言いましたけど。これはアトラクションですし、流石にどっちかが答えにせざる得ないとは……」

 

 格好をつけたものの結局はどちらかに進まないとこの迷路を抜け出すことはできない。取りあえず、どっちかの道に進まないといけないと思っていた。

 

「ダイヤさん! よく見ると真ん中が!」

 

 すると、千歌さんが枝分かれした分岐路の真ん中を指差す。

 そこには問題の書かれた看板があるがその後ろは黒いカーテンが垂れ下がっている。

 看板を退かし、恐る恐るカーテンを捲るとなんと道が続いていた。

 

「どうやらこっちが正規ルートっぽいですね! 流石です!」

 

「そんなことないですよ! 今回もダイヤさんが答えを出してくれたから!」

 

「僕だけでは答えは出せても道は見つけ出せなかったですよ。千歌さんがいたから見つけられたんです」

 

「それなら、お互い協力できたってことで!」

 

「まさにそうですね!」

 

 僕達はお互いを目を合わせ、笑い合う。

 そして、道を歩きようやく迷路を抜け出した。



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51話

 二日間開催された文化祭は生徒も外部の人達からも見事大盛況で幕を閉じた。

 そして、最終日の夜。今度は校庭で生徒達だけが楽しむ後夜祭が始まった。

 最初は軽音楽部のライブからスタートし、その後は有志の生徒によるコントやかくし芸大会を行い、大盛り上がり。そして、校庭の中心に設置されたキャンプファイヤーに火を灯し、明るいダンスが始まった。

 友人同士で肩を組んで踊る人や恋人同士で仲睦まじく手を繋いでゆっくり踊る人。勇気を出して気になる相手にダンスに誘い、手を取ってくれる人もいれば、残念ながら頭を下げられる人もいる。

 甘酸っぱくもあって、ほろ苦い光景はまさに青春だ。

 そんな青春から視線を外し、一度、スマートフォンの画面を見る。時間は19時30分ぴったし。

 俺はダイヤと話し合って、この時間になったら昇降口で一回落ち合おうという話をしている。

 俺達はこれから千歌へと告白する。抜け駆けなんてしないように二人同時にする。

 千歌には少し荷が重いかもしれないが、こうでもしないと俺とダイヤの間に公平性がなくなり、よくないものを残しちまう。

 そして、男同士のプライドでもあるから。

 

「さてと、そろそろだな」

 

 俺はゆっくりと立ち上がり、後ろを振り返る。

 

「あら、一世一と代の大勝負?」

 

 すると、そこには鞠莉がいた。

 

「あぁ。そうだな」

 

 すると鞠莉は「そう」と短く言葉を返す。

 何やら鞠莉らしくない浮ついた様子だった。

 どうしたんだ思っていると、鞠莉はゆっくりと手を差し出す。

 

「ねぇ、一緒にdanceしてくれる人いないんだよ」

 

「あぁ、そういうことか」

 

「一緒に踊ってくれる人、どこかにいないかしら?」

 

 いつもの陽気な鞠莉からは想像できないくらい憂いを帯びた表情で妙な色気があって思わずドキッとしてしまった。

 おとぎ話の王子様ならきっとその手を取って夢を見せるんだろう。

 でも、俺は王子様なんかじゃない。夢は見せられない。だって、不器用な人間だから。

 それにきっと鞠莉はこの手を取って欲しいと思っているけど、同時に取ったらそれは俺らしくはないって幻滅するんだろう。

 

「おいおい、浮気か? 婚約者がいるんだろ?」

 

 だから、俺は俺らしく軽口を叩く。

 すると、一瞬悲しそうな顔をした後、安心したように笑みを浮かべた。

 

「その話は相手からお断りされたわ」

 

「まじか。お前を振るって相当な奴だろ」

 

「本当よ。好きな人がいるからお断りしますって」

 

「そいつは俺に似て一途じゃねぇか」

 

「そうよ。軟派な果南と正反対の硬派なのよ。それなのに一緒で一途だし……好きな人も同じとか……」

 

「まじかよ……その相手って……」

 

「そうよ。ダイヤよ」

 

 俺は流石にどう反応したらいいかわからなくなった。

 鞠莉の婚約者がダイヤだったなんて。

 確かにダイヤの家もまぁまぁ大きいし、この内浦で事を構えるんだったら繋がりがあった方がやりやすい。

 

「私、ちかっちのこと嫉妬Fireになりすぎて、嫌いになりそう」

 

「俺の前でよく言えるよ」

 

「だって、好きな人も婚約者も取られたのよ?」

 

「何も……言えないな……」

 

「……こんなに美人であなた思いの人がいるのに別の女の子に振り向くのね」

 

「あぁ。俺もずっと好きだったから」

 

「……後悔しても、置いてっちゃうからね」

 

「あぁ。後悔するよ。自分の置かれた幸せさにさ」

 

 もう、覚悟はできている。

 例え、どんな結果が待ち構えていようとも俺は俺の気持ちをもう偽ったりしない。

 そんな俺の覚悟を汲んでくれたんだろう。

 鞠莉は鞠莉らしい笑みを浮かべながら俺の胸に拳を当てる。

 

「頑張りなさい!!」

 

「サンキューな!!」

 

 俺は大親友の激励を受け、歩き出した。

 

♢ ♢ ♢

 

 フォークダンスを終わると生徒はパチパチ燃えるキャンプファイヤーを眺めている。

 すると、一人の男子生徒が前に出てきて

 青春だなとまるでおじいさんみたいなことを思いながらその様子を眺めていた。

 僕も最初はキャンプファイヤーの前で松浦果南と一緒に千歌さんへ告白しようと考えていましたが、鞠莉さんから全力で止められた。

 鞠莉さん曰く、女子達から人気のある僕達が大衆の前で告白なんてすればそのままキャンプファイヤーに身投げする女子や告白される千歌さんへの妬みが集中して事件になるとのこと。

 そんな昼ドラみたいな展開はないだろうとは思いつつ、でも、僕達がそんな目立つところで告白ってのもなんか違う。それに皆に注目されながら二人のどちらかを選ばないといけないのは千歌さんにとってはかなりのプレッシャーだろうから、人が入ってこない屋上にすると決めた。

 一応、後夜祭の間は校内に入ることはできない。だけど、僕は屋上から後夜祭の様子を写真に収めるという名目で入る許可を貰った。

 職権乱用になるけど、少しだけ今は不良にならせてほしい。

 ふと、スマホの画面を見る。

 時間は約束していた19時30分ぴったりだった。

 僕は立ち上がり、校舎に向け歩き出す。

 

「お兄ちゃん!」

 

 歩き出した先にはルビィがいた。

 ルビィは真剣な眼差しで僕の見つめていた。

 

「どうしたんだ?」

 

「今から千歌ちゃんに告白するの?」

 

 ルビィの問いに僕は黙って首を縦に振る。

 

「ごめん。ルビィには僕の我儘で大変なことを押し付けられるかもしれない」

 

 申し訳ない気持ちはあった。

 僕は大事な婚約を破棄して、千歌さんを追いかけることを決めた。家にとってはこれは大問題であの父さんのことだから勘当されてもおかしくない。そしたら、必然的にルビィが黒澤家を背負うことになる。

 まだ、頼りないところがあるから心配しかない。以前の僕なら自分の幸せなんかよりも家とかルビィの幸せを優先しただろう。

 でも、恋を知ってしまったから。自分だけしか得られない幸せと全てを投げうってでも手に入れたいものを見つけて、僕は本当の男になってしまったんだ。

 だから、千歌さんがどうしても欲しい。千歌さんと一緒に歩める未来が欲しい。

 もう、この覚悟は決して揺らぐことはない。

 すると、ルビィは首を横に振る。

 

「ううん! ルビィは大丈夫だから! それにパパからお兄ちゃんに伝えて欲しいことがあるんだって!」

 

「伝えたい……こと?」

 

「今まで理想を押し付けてごめんなさい。あと、黒澤の男なら惚れた女を振り向かせなさいって!」

 

 ルビィの口から伝えられる父さんの言葉。

 この処理するのは少し難しかった。だって、こんなことを言われると思っていなかったかれあ。

 

「それは父さんの口から聞きたかったな」

 

 僕は思わず笑みをこぼしてしまった。あの不気味な父さんらしいやり方と初めての激励に答えないわけにはいかなかった。

 

 



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52話

 キャンプファイヤーの炎も消され、後夜祭も終盤に差し掛かる。

 この後は締めの打ち上げ花火が行われる予定で皆、花火がよく見える場所へゾロゾロと向かっている。

 私もその流れに乗ろうとした時、ふとスマホから通知音が鳴る。私は流れから抜けて、スマホを確認する。

 LINEの通知があって、相手は果南ちゃんとダイヤさんからだった。

 そして、二人とも全く同じ時間に送ってきて、その内容は全く同じだった。

 「これから屋上に来て欲しい」とそれだけ。

 

「これは告白だねぇ。いやぁモテる女の子は違いますなぁ」

 

「曜ちゃん!?」

 

 後ろからぬるっとニヤッとした笑みを浮かる曜ちゃんが現れ、私のスマホを覗き込む。

 驚いた私は慌てて、スマホをスカートのポケットにしまう。

 

「こら。千歌ちゃんを驚かさないの」

 

 隣にいた梨子ちゃんは曜ちゃんに注意するけど、当の本人は「ごめんごめん」と笑いながら謝っている。

 

「梨子ちゃん……」

 

 私は梨子ちゃんから視線を逸らす。

 気まずい。だって、梨子ちゃんは果南ちゃんのことが好きなのに私は今から果南ちゃんに告白されるんだから。

 なんか梨子ちゃんに申し訳なく思ってしまった。

 

「どうしたの?」

 

「その……」

 

 おどおどしている私を見て、梨子ちゃんが優しく声をかけてくる。

 

「私のことは気にしないでよ! 千歌ちゃん」

 

「……うん!」

 

 そんな梨子ちゃんを見て、もうナヨナヨしていられないと思った。

 それに果南ちゃんもダイヤさんと覚悟を決めているんだ。

 私だって、覚悟を決めないと二人に失礼だ。

 

「二人共……行ってくるね!」

 

 私はしっかり前を向く。

 そして、曜ちゃんと梨子ちゃんに見守られながら、私は屋上へと向かった。

 

♢ ♢ ♢

 

 薄暗い廊下には俺と右隣のダイヤの足音が響いている。非常灯しかついていないが、月明かりとキャンプファイヤーの炎のおかげでそこまで暗くはなかったおかげで問題なく歩くことができる。

 今から告白するって時に暗がりに怯えてたら情けないったらありゃしない。そんな姿をダイヤに見られたら俺のプライドがズタズタになる。

 

「いよいよ……ですね」

 

「あ、あぁ」

 

 ふと、ダイヤがらしくもない、小さな声で呟く。

 いつもは堂々としてクールな様子だが、今は緊張しているのか少し顔が強張っていて、如何にも余裕がないといった様子だ。

 あいつもそんな顔をするのかと内心驚いた。

 逆にそんな様子だとこっちの調子が狂う。それに緊張して、上手く告白できなかったなんてことがあったら、後味が悪い。だから、少し冗談を言ってみた。

 

「しかし、いいのか。私用で校内に入るなんて。職権乱用で怒られんじゃないのか?」

 

「バレたらですよ。バレなければ問題ありません」

 

「先生にチクってやろうか?」

 

「一緒に怒られるだけですよ」

 

「ダイヤが無理矢理連れてきたって言うよ」

 

「優等生と不良の言葉、どっちを信用すると思います?」

 

「……ぐぬぬぬ!」

 

 悔しがる俺を見て、ダイヤは緊張が解れたのか安心したように笑う。

 すると、ダイヤは真剣な表情を浮かべ、口を開く。

 

「そうだ。松浦果南。一つ言いたいことがあるんですが」

 

 きっと、これから真面目な話でもするんだろう。

 その前に俺にも言いたいことがあるから申し訳ないが、話を遮らせてもらう。

 

「ちょっと待った。その前に言いたいことがある」

 

「なんです?」

 

「そのフルネーム呼び、そろそろ止めてくれないか? すげぇ、嫌な感じがするんだよ」

 

 ダイヤが俺のことを嫌っていて、皮肉や嫌味を込めてフルネームで呼んでいるのはわかっている。

 でも、いい加減、いいんじゃないかって思っている。

 あんなにお互いの情けない部分をぶつけ合ったんだ。憎み合うのも今更な気がする。

 それにこれから千歌に選ばれる奴と選ばれない奴がでてくる。選ばれないのは当然、ダイヤなんだが……仮に俺だとしても憎み合ったままじゃ後味が悪い。

 それはきっと千歌にとっても同じだ。

 だから、ここで一旦水に流して、まっさらな状態で千歌と……ダイヤに向き合いたいんだ。

 

「なるほど。まぁ、あなたのことが大嫌いでしたから、わざとこういう呼び方をしていたんですが」

 

「改めて言われると腹立つな」

 

 すると、ダイヤは少しだけ笑みを浮かべる。

 

「でも、今はそれなりに認めてるんでいいですよ。果南で」

 

 ダイヤも同じ気持ちだったんだろう。

 俺の言う事を聞いて、受けていれた。

 その様子を見て、俺はこう思った。

 

「なんか気持ち悪いな」

 

「面倒くさいな」

 

 俺の率直な反応にダイヤは溜息を吐いて、呆れる。

 仕方ないだろ!? 

 こっちが提案しているとは言え、堅物な人間が急にデレたり、物腰が柔らかくなったら、そのギャップで違和感を感じるもんだろう。

 そうして、俺の言いたいことを言い終えると、ようやくダイヤの番になった。

 その時には俺達は廊下ではなく、屋上に続く階段を上っていた。

 

「果南。選ばれなくても恨みはなしでいきましょう」

 

「当たり前だ。千歌の選択を否定したくはないし、情けないしな。選ばれなかったら、それだけ魅力も甲斐性もなかったことだ」

 

「まぁ、僕が千歌さんの彼氏になるのは確定していますが……」

 

 ダイヤも負けず嫌いだ。

 いや、今この瞬間、負けると思う奴なんかいない。そんなのはプライドが許さない。

 だけど、俺達にあるのはプライドだけじゃない。

 

「前にも言いましたが。果南なら安心して任せられます。だから、僕が恨むことは絶対ありえない」

 

「俺もだよ。どこの馬の骨なんかよりもお前のほうが断然マシだ。まっ、俺があいつの隣に立つんだけどな」

 

 千歌の幸せを願う心。

 当然、ダイヤも持っていたから、俺は安心した。

 お互いの想いを確認した時、俺達は笑い出した。

 あんなに啀み合っていたのにお互いを認めていたんだ。面白おかしくて笑っちまうに決まっている。

 本当、今まで俺達は同族嫌悪だったんだな。

 そうして、俺達は階段を上りきり、屋上に入るために扉の前に立つ。

 すると、ダイヤが徐ろに左手を横に上げる。

 

「なんだこの手?」

 

「一度、やってみたいと思っていました」

 

 ダイヤは照れ臭そうにしていた。

 全く、あんな堅物なのに意外と子供っぽいんだな。

 

「あぁ! お互い、悔いのないようにな!」

 

 俺は堂々と右手を上げ、ダイヤの拳とぶつける。

 さぁ、これから俺達の一世一代の大勝負が始まるんだ。



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第53話

 カツカツと階段を駆け上がる私の足音が無人の校舎内に響き渡る。

 屋上へ近づいていくと呼吸がゆっくりと荒くなっていく。

 少し早く走っているから。それもある。

 今から告白されるというで緊張しているから。それもある。

 どちらかの思いを切り捨てなければいけない不安と罪悪感があるから。それもある。

 それでも好きな人と結ばれる高揚感があるから。それもある。

 暖かい感情や冷たい感情の全てが入り混じってどう説明すればいいかわからない。

 でも、一つだけ確実に言えることがある。

 これは一つの集大成なんだ。

 私の恋とこの一夏の思い出の。

 私は屋上へと続く扉の前に立つ。

 私は深く深呼吸をする。覚悟を決めた私は扉をグッと力強く押す。

 屋上に出た瞬間、秋の涼しげな夜風が肌を撫でる。

 目を開けた先には屋上の壁に寄りかかって、

 私に気づくと二人はお互い目を合わせた後、こっちに向かってくる。

 

「すみません。こんなところまで来てもらって」

 

「ううん。そんなことないですよ」

 

「キャンプファイヤー中に告白しようと考えていたんだけど、鞠莉から必死に止められてよ」

 

「みんなの前では流石に恥ずかしいよ!」

 

「そうか? なんかあるじゃん。 何だっけ……スラッシュボムみたいなさ?」

 

「フラッシュモブですよ。爆弾を斬ってどうするんですか? 相変わらず馬鹿なんですか?」

 

「うるせぇ! ボケだよ! 寧ろ、爆弾斬って進むくらいの覚悟がなきゃダメだろって」

 

「そういう異様な前向きさは見習うしかないですよ」

 

 そんな果南ちゃんを前にダイヤさんは満更でもないような笑みを浮かべ、それにつられて私と果南ちゃんも笑ってしまう。

 何だろう。もう特別とか関係なくて普通にこんな感じで笑いあったりする関係も悪くないんじゃないかなって思った。

 でも、それは卑怯な考え方なんだろう。

 すると、熱くなったテンションを覚ますかのように再び夜風が肌を撫で、笑みが収まっていく。

 そして、果南ちゃんとダイヤさんは真剣な表情で私を見つめる。

 

「なぁ、千歌!」

 

「千歌さん!」

 

「……なぁに?」

 

「俺と!」

 

「僕と!」

 

「「付き合ってください!!」」

 

 二人の声が重なると同時に手が差し出される。

 そっか。私はどちらかの手を取らなくちゃいけないんだ。

 ……私はもう誰の手を取るのかは決まっている。

 今、あの人を思う感情がきっと恋なんだと思うから。

 だけど、本当なのだろうか。二人を前にして決意が少しだけ揺らぐ。

 もし、このまま恋した人に手を取ったら、もう一人のあの人はどんな顔をしてしまうのだろう。

 泣いてしまうのか。意外とケロッとしているのか。怒りのあまり八つ当たり……いや、そんなことは絶対ない。

 でも、怖くなってしまう。もしかしたら、今までのような関係ではなくなってしまうかもしれない。

 正直、少しだけ逃げ出したいと思った。

 だけど、私は頭を思いきり横に振って、雑念を払う。

 この期に及んで、逃げたくない!

 二人だってそういうのを覚悟して、告白してくれたんだ。

 だから、私はもう逃げない。

 もう……私は普通の女の子じゃない!

 私は覚悟を決め、手を差し出す。

 

「よろしくお願い……します!」

 

 そして、私は手を取った。

 

「そっか……」

 

 果南ちゃんは優しい笑みを浮かべながらゆっくりと呟く。

 

「千歌さん……本当にいいんですか?」

 

 そして、ダイヤさんは握られた私の手を見ながら、珍しく動揺していた。

 

「……うん! 私は……ダイヤさんが好きだから」

 

 そう言って、ダイヤさんの手を固く握りしめる。

 私はダイヤさんが好きになった。

 果南ちゃんが嫌いになったわけじゃない。今でも好きだ。

 だけど、もっとダイヤさんのことをもって知りたい。

 もっとダイヤさんに大切にされたい。

 もっとダイヤさんを大切にしたい。

 もっとダイヤさんと一緒にいたい。

 もっとダイヤさんと触れ合いたいと思った。 

 

「ありがとう……ございます!」

 

 ダイヤさんは声を震わせる。

 本来はよろこばし状況だけど、逆に表情は気不味そうだった。

 そして、チラチラと視線を私じゃなくて、果南ちゃんに向けていた。

 

「おいおい、そんな見てくれるな。恥ずかしいだろうが」

 

 果南ちゃんは笑いながら、そう言う。

 一方で果南ちゃんの表情は悲しみとかそういう負の感情は浮かんでいなくて、寧ろ何か憑き物が取れたような清々しい表情をしていた。

 

「あのね! 果南ちゃん! 私……果南ちゃんのことが嫌いになったわけじゃないよ! でも……」

 

「そんなことわかってるよ。ただ、俺よりもダイヤのことが好きになっただけだろ?」

 

「そう……だけど……!」

 

 すると、果南ちゃんは私の頭をクシャクシャと撫でる。

 

「……大きくなったな。もう……子供じゃないんだよな」

 

「……うん!」

 

 果南ちゃんの撫でる手はやっぱり心地良かった。

 昔から変わらない大きくて暖かい。だけど、きっとこの感触は感じる機会はなくなる。

 そして、果南ちゃんは名残惜しそうに私の頭から手を話すとダイヤさんをジッと見つめる。

 

「なぁ、ダイヤ」

 

「はい。果南」

 

 ダイヤさんは真剣な眼差しで果南ちゃんを見つめる。

 

「千歌を不幸にしたら……わかってるよな?」

 

「えぇ。わかってますよ! 千歌さんは責任を持って幸せにします。だから……安心してください!」

 

 果南ちゃんの問いにダイヤは力強く答える。

 聞いているだけでわかる。ダイヤさんの名前に恥じない確固たる意志と決意が感じられた。

 きっと、果南ちゃんも同じ気持ちを抱いているんだろう。

 ふっと柔らかな笑みを浮かべ、ダイヤさんの肩に手を置く。

 

「なら、いいや。千歌を頼むぜ。ダイヤ!」

 

 そして、肩を三回叩いた後、果南ちゃんは出口に向かって歩き出した。

 私は果南ちゃんに向かって声をかけようとする。だけど、ダイヤさんは私の肩を掴んで、頭を左右に振る。

 何で声をかけてはいけないのか私にはわからない。きっと、この理由は果南ちゃんとダイヤさんにしかわからないんだろう。

 もどかしい気持ちのまま果南ちゃんの背中を見送る。

 果南ちゃんの背中が遠くなって、小さくなっていく。

 だけど、それでも大きな背中だった。



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54話

 屋上に続く階段をゆっくりと降りる。

 ほんの数分前まで上っていたのにもう降りることなんて。それに一人で。

 本当は千歌と一緒に降りたかったが、千歌がダイヤを選んじまったなら仕方ない。

 ウジウジ文句や不満を垂れるなんて情けないから絶対に言わない。

 

「あら、もう降りてきたの?」

 

 一階まで降りたところで馴染みのある声が聞こえてきた。

 鞠莉だった。薄暗い廊下にシルクのような金髪ははっきりとしている。

 

「笑いに来たのか?」

 

「そんなわけないでしょ? 慰めに来たのよ」

 

「それはどうも」

 

 簡単に言葉を交わすと俺はそのまま廊下を歩き出すと鞠莉は俺の隣にピタリとついて、並んで歩く。

 そして、俺の顔を覗き込む。

 

「びっくりしちゃった」

 

「何が?」

 

「果南のことだから落ち込んで大泣きしてるかと思ってた」

 

「あぁ……実は俺も驚いてんだ。ずっと好きだった千歌にフラれた。滅茶苦茶悲しくて寂しいんだけど……でも、それよりも安心したんだよな。何か、あいつももう子供じゃないんだなって思ったら……逆に嬉しいというかさ……何だろう。上手く言葉にできない」

 

 本当なら悲しくて悔しくて泣きじゃくる場面だろう。

 だけど、今の俺にはそういう負の感情はない。寧ろ、何処かスッキリして、少し心地よいとさえ思ってしまっている。

 実はあまりにショックが大き過ぎて心がバグってしまって痛みも何もわからなくなっているのか。

 本当は千歌のことはそんなに好きじゃ……いや、それは絶対ありえない。俺が抱く千歌への想いに一切の嘘なんかない。

 心の底から好きだった。

 なのに何故、悲しくないんだ?

 俺の訳分からない感情に対し、鞠莉は笑った。

 

「ちかっちのこと、本当に愛していたのね」

 

「愛?」

 

「それはもうLikeじゃなくてLove。それもGirl friendというよりもFamilyみたいな形」

 

「家族……か」

 

 俺は千歌との思い出を振り返る。

 千歌とは小さい時からずっと一緒にいて、面倒を見ていた。

 迷子になった時は服が真っ黒になるまで探して続けた。

 泣き出した時は必死に慰めた。

 虐められていた時はたくさんの怪我を負いながらも守った。

 世話の焼ける千歌と一緒にいて、俺は年長者として、男として、守らなくちゃいけないと思っていた。

 きっと千歌は俺がいなくちゃダメなんだとそういう傲慢もあったけどそれが普通の日常だったんだ。

 今思えば本当に妹みたいだったんだな。

 そんなあいつが大きくなって、俺の傍から離れた。

 よくわからなかった感情をようやく理解した瞬間、心の奥底がひんやりとして、不意に足が止まる。

 

「なぁ、ちょっと止まってくれねぇか」

 

「いいけど……」

 

 鞠莉が立ち止まった瞬間、俺は鞠莉の肩に顔を埋める。

 

「ちょっと立つの疲れたから肩、貸してくれ……」

 

「of course!」

 

 鞠莉は俺の頭を撫でながら、どこか嬉しそうに受け入れてくれた。

 流石に泣いている姿なんて見られたくない。

 それにちょっと……甘えたくなってしまった。

 少しだけ、ほんの十数秒涙を流した後、俺は瞳を拭い、何事もなく、歩き出す。鞠莉は何も言わずに隣を歩いてくれる。

 

「ねぇ、果南? 覚えてる?」

 

 すると、鞠莉がポツリと口を開く。

 

「何が?」

 

「もし、フラれてもこんな美女が控えてるって話」

 

「だったら、鞠莉も覚えてるか? 鞠莉は千歌の代わりじゃない。鞠莉は鞠莉で大好きになるって」

 

「なら、本気で果南を振り向かせないとね!」

 

「やれるもんならな」

 

 いつもは少し大人びた鞠莉とは真逆な子供みたいにはしゃぐ姿を見て、少しだけ元気を貰えたり

 そんな話をしていると昇降口に到着し、俺達はゆっくりと扉を開け、外に出た。

 ガチャリと夏の終わる音が背後から聞こえてきた。



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最終回

 夏の夜風が吹き、僕の髪の毛がサラサラと揺れる。まるでここまで頑張ったと頭を撫でてくれているみたいだ。いや、それは流石に自意識過剰だろう。でも、そこまでの考えをしてしまうくらい僕は幸福に満たされていた。

 僕の隣に千歌さんが寄りかかっている。全体重を僕に預け、夜空に浮かぶ真っ白な満月を眺めている。

 特に言葉を交わすわけでもない。でも、心地よい時間が流れている。

 今まで、僕と千歌さんは何でもなかった。僕が千歌さんに片思いをしているだけでそれ以外はただの先輩後輩という普通の関係。

 だけど、今は相思相愛になって、恋人同士になれて、特別になれた。

 好きな人とただ一緒にいれる。そんな普通のことなのに心が温かくなって、優しい気持ちになれる。

 これが恋で愛なんだ。

 

「千歌さん……ありがとうございます。あなたのおかげで僕は僕でいられた」

 

「そんなことないですよ! そんなこと言ったら私だってダイヤさんのおかげで変われたもん!」

 

 僕がこんな気持ちを知ることができたのは千歌さんと出会えたから。

 もし、千歌さんに出会えてなかったら僕は父の言いなりでこんな気持ちを知らずに鞠莉さんと籍を入れられただろう。好きな相手でもない人の結婚生活なんて幸せにしの字もないだろう。

 だけど、千歌さんと出会えたことで僕は変われた。僕だけじゃない。父さんだって、果南も変われた。

 千歌さんは自分のことを普通と言っていたけど、僕達にとってはとても特別な人だ。

 それは千歌さんも同じようだ。

 こういうことをもしかして運命だと言うのだろうか?

 いや、それはなんか嫌だな。結ばれるのが運命だとしたら、なんだか面白くない。

 

「ねぇ、ダイヤさん。覚えていますか? 少し前もこんなことしたの」

 

「覚えていますよ。図書室で千歌さんが寝てしまった時ですよね。あの日は……一生忘れることはないです」

 

「私もですよ! あの日はびっくりしたなぁ。正直、そこまで接点がなかったのにいきなり告白されたんだもん!」

 

「ですよね。僕自身も驚いています。訳のわからないことをしてしまう程、千歌さんのことを好きだったんですよ」

 

 ほんの一、二ヶ月程前のことだけど、まるで昨日のことのように思い出せる。

 千歌さんに勉強を教えるという機会があってそこで初めて千歌さんと二人きりになった。

 そして、初めての告白をした。冷静になって考えると色々と過程も何もかもすっ飛ばしていて、おかしすぎる。

 若気の至り……だけじゃないな。きっと恋というのは理性なんてものではコントロールできないんだろう。

 

「そう言えばダイヤさんはいつ、私のことを好きになったんですか? もしかして、保健室の時ですか?」

 

 ふと、千歌さんが僕に問いかけてくる。

 確かにどのタイミングで好きになったのかは少しばかり気になるのはわかる。

 普通なら倒れた僕を看病してくれたタイミングだと思うだろうけど、残念ながらもっと前だ。

 

「いいえ。初めて会った時です」

 

「えっ!? 初めてって……荷物を運んでくれたあの時?」

 

「はい。実は……一目惚れなんですよ」

 

「ダイヤさんが……一目惚れ。凄い意外だな……」

 

「僕もですよ。一目惚れなんて、初めてですから」

 

 自分で言うのもあれだが、真面目で堅物な僕が一目惚れなんて軟派な理由で人を好きになるなんて、誰も予想できないと思う。人によっては幻滅してしまう人もいるかもしれない。

 だけど、千歌さんは幻滅なんて様子はなくて、どこか嬉しそうにしている。

 

「それなら僕も気になりますね。千歌さんは僕を好きになっくれた理由」

 

「私は……初めてのデートの時。果南ちゃんと梨子ちゃんの件で私が勝手に落ち込んで自暴自棄になった時、ダイヤさんはただ優しくしてくれたり、同情してくれるんじゃなくて、ちゃんと向き合って、自暴自棄な私を否定してくれた。その時、ダイヤさんは本気で私を好いてくれて、受け入れてくれたんだなって思ったの」

 

「あの日……ですね」

 

 あの日の千歌さんはかなり大変だった。

 僕とデートしていたあの日、運悪く果南と梨子さんが一緒にいるところを目撃してしまい、千歌さんはかなり落ち込んでしまった。

 特に「普通」であることにコンプレックスを抱いていた千歌さんにとっては「特別」な魅力や才能を持つ二人には敵わなく、その二人が結ばれていて当然だと思っていたようでかなり自分を卑下していた。

 だけど、僕にとっては千歌さんは果南にも梨子さんにも負けない「特別」な魅力を持っていた。

 だから、そんな自分自身を否定する千歌さんを諭しただけだったけど、千歌さんの心にはしっかり伝わっていたようだ。

 

「それに迷路を一緒にやって思ったんだ」

 

「今日……ですか?」

 

「うん! 何というか……色んな問題に当たってもダイヤさんと一緒なら解決できそうって!」

 

 そう言って千歌さんは満面の笑みを浮かべる。

 これから先、僕達には楽しいことばかりだけではなく、様々な困難に直面して解決していかなくちゃいけない。

 だけど、僕となら一緒に解決できるか。そう言われるととても嬉しい。

 そう言われた僕も腹を括らなくてはいけない。

 僕は真剣な眼差しで千歌さんを見つめる。

 その瞬間、背後からドンと爆発音と共に夜空に閃光が走る。そして、火薬の匂いが鼻につく。

 

「花火が始まりましたね」

 

「凄く……綺麗!」

 

 僕達は立ち上がり、次々に打ち上げられる花火に目を奪われる。真っ暗な夜空に色とりどりに光る花火がとても美しい。

 今までもたくさんの花火を見たけど、今日の花火は人生で一番、美しく感じた。

 きっと、隣に千歌さんがいるからだ。

 

「千歌さん」

 

 花火から千歌さんに視線を移す。

 

「なんですか?」

 

「千歌さんのこと絶対に幸せにします。だから……僕の隣にいてください!」

 

「……ちょっと違うかな?」

 

「えっ?」

 

「私は幸せにされるよりもダイヤさんと一緒に幸せになりたいな!」

 

 そう言って、千歌さんは屈託のない笑みを浮かべる。

 千歌さんらしい言葉。

 そういうことを当たり前のように言ってくれるから僕は千歌さんに心惹かれたんだ。

 

「なら、一緒に幸せになりましょう! 末永く……ずっと」

 

 そう言って、僕は千歌さんは抱き締める。千歌さんもギュッと抱き締め返し、僕の胸に顔を埋めてくれる。

 千歌さんの甘い匂い。

 千歌さんの暖かさ。

 千歌さんの細さ。

 千歌さんの全部を今、抱き締めている。本当に幸せを手に入れたんだ。

 そうして、お互いを確かめた後、千歌さんが顔を上げ、僕の瞳を見つめる。花火の閃光に照らされた千歌さんもまた美しい。

 そして、千歌さんは少しだけ顔を前に出し、目を閉じる。

 僕はゆっくりと顔を近づけ、僕の唇と千歌さんの唇を重ね合わせる。

 まるで僕達を祝福するかのように赤とオレンジが合わさった花火が開花した。

 

♢ ♢ ♢

 

「ダイヤさん、とても似合っているずら!」

 

「お褒め頂き、ありがとうございます。花丸さん」

 

 待機場所で花丸さんが僕の袴羽織を見て、羨ましいそうにしている。

 千歌と結ばれて五年。ようやく僕達を夫婦となり、これから神前式が行われる。

 

「まるも一度来てみたかったなぁ」

 

「そうですか? 花丸さんのタキシード姿もとても似合っていましたよ!」

 

「本当! ありがとうずら!」

 

 一年前に花丸さんも善子さんとは結婚し、既に二児の子供をもうけていて、今まさに男の子を抱えている。

 因みに男の子が玲で女の子が聖羅という名前だ。

 

「本当だよ……似合いすぎて腹立つ」

 

「相変わらずだな。果南」

 

 花丸さんが素直に褒めてくれからこそ、果南の悪態が際立つ。

 

「全く……いい顔しやがって」

 

 僕が爽やかな笑みを浮かべると果南もまた満更でもない笑みを浮かべる。

 そして、僕の目の前に迫ると肩に手を置いて、口を開く。

 

「ちゃんと千歌を幸せにしたんだな」

 

「えぇ。ただ、あくまでこれは通過点です。これからもずっと幸せにしますよ」

 

「頼むぜ。ダイヤ」

 

 結婚はゴールではない。

 あくまで通過点だ。これから先も千歌を幸せにし続ける。

 相も変わらない僕の覚悟を聞いて、安心したのか果南は笑って僕の肩を強めに叩いた。

 

「それより、果南はいつ式を上げるんですか?」

 

「それは……」

 

「いやぁ、全くだ。いつになったら鞠莉にふさわしい男になれるんだい?」

 

「お、お義父さん!」

 

 僕の問いに固まった果南の背後に妙に圧のある笑みを浮かべた鞠莉さんの父さんが立っていた。

 果南はあの日以降、紆余曲折あって鞠莉さんと恋仲になった。鞠莉さんとはいずれ結婚するつもりのようだが、鞠莉さんは世界を相手にする企業の一人娘。

 そんな女性に相応しい男になるまでは結婚は許されていないとのこと。

 特に僕と同じ果南への愛憎が激しい鞠莉さんの父さんからはかなりしごかれているらしい。

 

「私に早く鞠莉の晴れ姿を見せてくれないかな? このファッキンウォーターコング!」

 

「は、はい!」

 

 因みにご覧の通り、あの果南ですら頭が上がっていない。

 何というか新鮮で清々しい気持ちになる。

 

「ダイヤ様、こちらへどうぞ」

 

 そんなことをしていると斎主が現れ、僕を呼んだ。

 いよいよだ。

 僕は斎主に後を付いていく。

 そして、木の暖かな匂いを感じながら廊下を歩いていると紅白の服の巫女が見え、その後ろでは豪勢な白無垢姿な千歌が待っていた。

 断言できる。今日の千歌は世界で最も……いや人類史上美しい女性だって。

 

「とても美しいです。千歌」

 

「ダイヤも様になっているよ!」

 

 お互いの晴れ姿を改めて、見ては笑い合う。

 そして、僕達は斎主と巫女に後をついていき、横並びに歩きながら、本殿へと向かっていく。




コンプレックス・ラブ、堂々の最終回です!
四年という長い連載期間でしたが、読んでいただき本当にありがとうございます!


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