変なプリキュア短編 (グランドセントラル駅先輩)
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変なプリキュア短編
01.戦いの後には
マリー・ヘンドリクスは、既に全ての手順を終えていた。
学校帰り、予め渡された合鍵を用いて親友の家へと入り込み、彼女のために冷蔵庫の中に眠る食材を拝借して夕食を作る。
それは、彼女……マリー・ヘンドリクスが親友以上の仲と公言して憚らないアニー・ロジャースが、プリキュアという正義の呪縛に囚われるよりも以前から、たまにある事であった。
アニーの家系は、率直に言うと正義の味方の家系だった。
父親は米国特殊作戦部隊群所属のエリート軍人。
既に亡き祖父は、現役時代は連邦捜査局の捜査官。
……可愛らしい笑顔の特徴的だった彼女の母親は、若くして病に斃れ、もう現世には居ない。
「おばあちゃん、アニーまだ帰ってない?」
「……まだ、みたいだねぇ。折角のおゆはんが冷めちゃうよ」
「……そっか」
このロジャースの邸宅に普段から居るのは、年老いたアニーの祖母、ローズマリー・ロジャースほぼ1人のみであった。
だからマリー・ヘンドリクスは、本当は誰かに涙を見せて甘えたい筈のアニーの、僅かでも心の支えになろうと思った。
それが、弱い自分が親友に返せる精一杯の恩返しだったし……マリー自身、アニーの傍に居たかったから。
アニーは強い子だった。
母親が死んだ時も、祖父が死んだ時も───
百合の花に囲まれて、狭い棺の中に横たわる肉親の姿を目に焼き付ける彼女。
ボロボロと涙を零しながらも、決して嗚咽を漏らす事無く、横に立つ父親を真似るように、安らかな表情を浮かべる母親の遺体から、一瞬とて目を逸らさなかった。
……アニーは強い。
きっと、マリーが知る中では、ジャンヌ・ダルクとかマザー・テレサとかに張り合えるほど、強い女の子だった。
───でも、限界の無い人間なんて、世には存在しない。
人間は、人間なりに行ける場所まで強くなったところで、所詮……人間を超える事など出来ない。
なのに……使徒は、アニーに……アニーだけじゃない、彼女を含め、実に世界中100人もの人間に
使徒は、無情にも人類全体のために。
彼ら、彼女らに、人間以上となる事を、半ば強制した。
マリー・ヘンドリクスには、それがどうしても許し難かった。
それはきっと、正しい行いだったんだと思う。
人間を、あの怪物の脅威から救うためには、もたらされなくてはならない施しだったんだと思う。
でも───何でアニーなんだ。
どうして世界は、自分じゃなくてアニーに重荷を負わせるのか。
アニーを辛い目に遭わせて……楽しいとでも言うのか。
親友の苦しむ姿は、その姿に悩む自分の姿は、そんなに滑稽か。
……マリーには、どうしても許せなかった。
あの日……悪魔が大空から降ってきて、アニーを人間以上に仕立て上げてしまった時から───
「ただいまー。ごめんね遅れて」
明るかったアニーの表情に、影の差す事が増えた時から───
「おや、グッドタイミングね」
「アニーおかえり! ビーフシチュー出来てるよっ」
「あーらま、染み渡る匂いだねこりゃ」
マリー・ヘンドリクスは
プリキュア、仕立て上げられた正義の味方……アニー・ロジャースの最後の砦であり続けると決めた。
それが、かつて自分を闇から救い出してくれた彼女への、最大の恩返しになると信じて……。
☆
02.
アニー・ロジャース、14歳。
人種、いわゆる白人の範疇に入る。
身長5フィート3インチ、体重は内緒のショ。
好きな色、オーシャンブルー、もしくはジェットブラック。
大好物はモンエナだけど、父親の言い付けで1日1缶しか飲めないのが甚だ不満。
職業、ちょっと前まで普通のハイスクール生。
いま? プリキュア。
…………………………
いや、別にトチ狂ってるワケじゃ無い。わたしはプリキュア。
馴染みの無い職名かもしれないが、要するに変身して戦う正義の味方。
変身する。アイテムは特に無いけど、可愛いドレスみたいな衣装着る。一瞬で。
始まりは何ヶ月か前、祖父の葬儀中のこと。
牧師が何かボソボソ言ってる最中、そいつは現れて……唐突にこう言ったんだ。
"この度は誠に御愁傷様です。つきましてはプリキュアになって頂きたいのですが、これから一緒に来て頂けますか?"
そのまま、訳のワすら解らず、解らせてもらえず、葬儀に参列した顔見知りや親友、親戚、ついでに牧師の姿は一瞬にして消え……
───潮風
気が付けば、黒い喪服姿のわたしは、大海原をザザンと駆ける巨大な船の甲板に立っていた、と。
本当に気が狂った気もしたけど、それはもう、何処から見ても巨大な甲板を持つ船だった。
前に父親から見せて貰ったジェラルド・R・フォードの艦上映像と比べても遜色無い……どころか、遙かに広い。
しかし、原子力空母と決定的に違うのは、甲板の中央に鎮座するかの如くそびえる……神殿のような建造物。
歴史のテキストで見た、古代メソポタミア文明の遺跡と似ている気もしたが、石材などではなく、透き通る水晶か硝子で出来た、それ。
「……………………」
そして、わたしの周囲に、わたしと同じように呆けた風に直立不動でいる、100名に届かんばかりの人間。
皆、このわたしと立たされた状況は似ているらしく……
───ベーコン数枚の乗った、良い匂いを漂わせるフライパン片手に、呆然と立ち尽くすエプロンの女性
───クラッチペン片手に尻餅をついた、アジア人と思しきセーラー服の少女
───如何にも金持ちの、フェラーリとか乗ってそうなスーツのハンサムガイ……というか映画俳優のアーランド・ブロッサム
───あと何故か、1匹の賢そうなボーダーコリー(おすわり中)
目に付いただけでも、女性に大きく比率が傾いてはいるが、全くと言えるほど統一性の無い一団。
見た感じ、あまりに幼かったり、逆に老い過ぎていたりする人は居ないようだが……
それら謎の一団(不本意ながら私も含め)が、その巨大な甲板、大海原の唸り声をBGMに───
何故か誰も一言も発さず、かく言うわたしも一言も発せず、まるでノースコリアの軍事行進みたいに規則正しい配置で、並んでいた。
そのまま何分か経過した頃だろうか……
これまた唐突に、紫色の光が、整列するわたし達の目の前に鎮座する透明な神殿のような建造物から、ビカーッと。
神殿ぽいのに神々しさの薄い、思わず目を覆いたくなる光り方をしたと思ったら、葬儀中に現れたアイツが居た。
神殿の玄関口みたいな所に。
あまりに意味不明の過ぎる状況に、わたしは思わず口を開こうとして…………
……………………
開けなかった
何でだ
わたしだけじゃない、ここに整列する100人は居そうな人間達の……その誰もが、現れたソイツに誰も何も言わない。反応しない。何だこの状況は。
(…………)
いや、いわゆるフィクション慣れした現代っ子である私は、この妙な感覚に覚えがあった。あってほしくなかったけど。
これは
───感情を操られている?
" そ れ 正 解 "
! ! ! ! ! ! ! ! !
頭の中で、わたしの知らない声が弾けたその瞬間。
猛烈な恐怖の感情が炸裂し、わたしの頭を端から端までゾワワと埋め尽くそうとして…………
……………………
埋め尽くさなかった。
なるほどね、やっぱ感情を制御されてるんだ、これ。
基本、人間は思考の許容を越えた危機的状況に陥ると、大抵は冷静な判断が効かなくなり、恐慌状態……つまりパニックに陥るか、または逆に一切の行動が起こせなくなり、茫然自失するか……そのどちらかの状態になる。
そしてこの場では、わたし含めて集まった全員が後者の状態になった訳だ。有り得んでしょ、そんな奇跡。
" よ く 理 解 し た ね "
" こ の 場 の 全 員 と 同 時 に 話 し て る け ど "
" 気 づ い た の 、 君 含 め て 4 名 だ よ "
" ス ゴ い ね "
果たしてスゴいのだろうか、よく解らない。
少なくとも、あんま嬉しいとは思えなかった。
頭の中に生の声が響くなんて初めての体験だったけど、それにもわたしの反応は淡白だった。
脳は今もグルグルと考え続けているのに、脳との線が切れたみたく、身体は動かない。
これが、わたし達の目の前に存在する、色も形も性別も解っている筈なのに、何一つ特徴が頭に入ってこない何者かの持つ力なのだとしたら。
わたしと、わたしの周囲の皆は……きっと、まだ人間の触れてはいけない領域に触れてしまった、という事なんだろうと思う。
───わたし達はどうなるのだろうか
殺されるのだろうか? こんな訳も分からない存在に。
湧き上がる筈の恐怖の感情は、震えという形すらも現れず……ああそうなのか、と流れてしまう。
こんなの冒涜だ、と思った。思いはした。
でも、それだけ。
湧いて欲しいとすら思うのに、さっぱり怒りに類する感情は湧いてこなかった。
" 理 解 力 あ り 過 ぎ て も 考 え も の 、 だ ね "
" そ れ は た だ の 妄 想 だ "
" 君 達 が 死 ん だ ら 、 わ れ わ れ に も 損 失 だ か ら ね "
……殺さないのだろうか?
疑念は残れど、頭に響いた声に一抹の安堵を覚える。
……恐怖や怒りは感じなかったのに、安堵の感情は普通に味わえた。
" 君 た ち は 適 合 者 だ "
" わ れ わ れ 、 使 徒 が 選 ん だ 人 間 な ん だ よ "
" 率 直 に 言 う と 、 君 ら に は 戦 っ て も ら う "
" 戦 士 、 プ リ キ ュ ア と し て ね"
何だソレは───という疑問を抱こうとした。
その次の瞬間だった。
「─────────────────」
パッッ、と、眩しさを感じた。
その眩しさの後には、全てが変わっていた。
簡単に言うと、変身していたんだ。
わたしを含め、この場に居る全員が、今の刹那で。
今まで着ていた黒い喪服は消し飛び───
と思ったら、わたしが着ていたのは、爽快感のあるマリンブルーの生地を基調に、白いフリルで飾られた煌びやかなドレス。
しかし、それでいて運動性を損なわない事も念頭に置かれたスポーティさの感じられる、若々しいデザイン。
違和感を覚えたので見てみると、染めてもここまで自然には出来ないだろう、地毛としか思えないスカイブルーの長髪。
わたしは元の薄めの茶髪から何色にも染めた事が無いので、ショックと感動が半々ずつ襲ってきて……襲ってこなかった。
わたし以外の皆も、まるで童話やアニメーションの世界から飛び出してきたかのような、小さな子どもの見るような夢を、現実に投写したままの光景の中に居る。
赤、青、緑、黄、紫、水、桃、黒、白、金、銀、etc...
絵本の最後のページ、全ての夢が叶う場所。
そこはまるで、幼い頃にいつの間にか失ってしまった色彩と無邪気さの楽園。
舞い散る花弁
清らかな奔流
燃え盛る豪炎
白と黒の絆の力
歪に再構成される時空
翼を広げた神の領域の顕現
───綺麗だと、思った
どうして今まで葬儀に出ていたわたしが、偉大な祖父を喪った悲しみを忘れ、こんな気分になれてしまうのか。
真に冒涜的なのは、わたしの方ではないのか……不安なのに、その不安はうざったいほど即座に掻き消えた。
これが、わたし達プリキュア───
地上の天使が一斉に遂げた、世界で初の変身
" 帰 宅 の 時 間 だ "
そうして、全ての元凶であろう、その何者かが、再びわたし達へと言葉を響かせた。
" 詳 し く は 帰 宅 途 中 に 理 解 出 来 る "
" プ リ キ ュ ア の 役 目 、 保 障 、 身 分 、 全 て を "
" た だ 、 舌 に は 注 意 し て く れ た ま え "
" で は 、 ま た 会 お う 。 諸 君 "
最後まで唐突だった。
最終的にわたしは、その変身した姿のまま、葬儀の行われていた墓地に戻る事になったんだけど。
……何と、それまで居た船の甲板から、音速なんて軽く超えるような"初速"(←重要)で、100人全員の身体が空へと飛び上がったのだ。
不思議な事に風圧も何も感じなかったが、その速さはグングンと増しに増し続け、景色を楽しむ余裕すらも無く、この地球を天文学的な速度でブッチ切るわたしの身体は……何故か既に、プリキュアの事を大まかに知っていた。
凄いなこれ、どういう仕組みなんだ本当に。ちょっと怖いんだが。
……………………
そうして、ものの数十秒で、上述の通り、わたしはブロンクスはウッドローン墓地の上空へと到着し……。
地上、即ちわたしが居なくなった事で大騒ぎする参列者達の真ん中へと、落下していった……。
面白い格好の何かが突如として落ちてきた事で、呆然とする参列者の見る中で、無情にもわたしは元の喪服姿に戻り……。
アイツのやっていた思考制御的な何かもそのタイミングで解けたのか、一気にヤバい物がわたしの頭と食道と下半身へと押し寄せ……。
わたしは尊敬する祖父の葬儀の場で、父の、祖母の、親友の、親戚一同の見ている前で、人生最大級の恥辱を味わった。
……アイツ、今度会ったらボディースラム50発じゃ済まさんからな。
その夜、親友の膝を涙で濡らすわたしの目に飛び込んできたのは───
テレビの大画面を占拠し、どのチャンネルに回しても変わらず映り続けるアイツと。
光の戦士、プリキュアの誕生を大々的に世界へと喧伝する、声無きアイツの声なのであった。
設定だけゴチャゴチャしてるんでとりあえずお試しでした
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2話
01.
合衆国最大の都市、ニューヨーク・マンハッタン。ミッドタウンはヘルズキッチン。
ハドソン川沿いに聳えるイントレピッド海上航空宇宙博物館や、かの有名なタイムズスクエアに程近い場所。
老若男女、人種入り乱れ、沢山の人々が流水のように絶えず行き交う、活力と熱気で溢れた街の一角に、アニー・ロジャースが居所とする高層マンションは存在する。
最下層に大型スーパーマーケット、フィットネスクラブや図書館など、様々な店舗、施設が入居する複合商業区画を持ち、そこを基に並び立つ双子みたく生えた2柱のタワー部分を、それぞれ最下層を含め地上58階にも及ぶ高層マンションとした、その輝く外観から近隣住民には"ミラータワーズ"等と渾名される、高層建築の建ち並ぶマンハッタンでも一際、強烈な存在感を放つそれ。
その東西に並ぶ双子のタワーの内、西側。
地上50階部分の一室に構えたロジャース家。
カトリック教会に於いて安息日とされる週の終わり、アニー・ロジャースの幼馴染みであるマリー・ヘンドリクスは、そこで件のアニーと共に、穏やかな一時を過ごしていた。
マリー「出来たよ、林檎パイ」
アニー「おー助かった。やっとピットインだ」
マリー「大袈裟だよ……」
今の今まで、その右手のクラッチペンを握り潰しそうなほど唸りながら、参考書や
明後日、月曜日に迫ったレポート課題の提出期限を前に、その凄惨たる進歩状況から、半ば恐慌状態の様相を呈していたアニーは、精神安定剤と化したマリーの献身的な手助けもあって、ようやく落ち着きを取り戻していた。
このアニー、やや沸点が低い面はあるものの、決して自分の娯楽のために課題を後回しにしたり、その順当な帰結として、提出期限という魔物に追われる羽目になるような不真面目な生徒ではないのだが、彼女がこのように哀れな状況に立たされているのは、一重に彼女の身体に宿る、ある超常の力とも言うべき要素に、その原因の大半が込められていた。
マリー「……今週は、何回くらいあったの?」
アニー「ん、カラミタスのこと?」
マリー「うん……学校も抜け出してたよね、アニー」
未だ熱々の林檎パイを、実に美味そうに口まで運ぶアニー。
満面の笑顔だったが、その華やぐ表情の節々に、マリーは薄らとだが疲労の色があるのを見た。それは決してデスクワークによる眼精疲労などだけではない。
アニー「んー……デカいのはキューバの近くで1件くらいだったよ。後は小さな奴が3、4件くらい」
マリー「…………」
アニー「あーでも、フロリダで戦り合った巨人型は強かったかな。
マリー「そうなんだ……」
人々が神の領域と呼ぶような、現在の人類の力では到達する事の叶わないエリア。
自らを使徒と称する謎の存在は、世界中から100名の人間を選定し、その神の領域の力の一端を与えた。
いずれ襲来する、今の人間の力だけでは全く太刀打ち出来ない脅威───使徒が"
それが───"プリキュア"と呼ばれる、ただの人間を天使に変える、謂わば……
アニー・ロジャースは、使徒が天使プリキュアに選定した100名の人間、その内の1人であった。
アニー「あー……やっぱ皆、何か言ってた? けっこー特別扱いだもんね、わたし」
マリー「……言っちゃうけど、アニーを悪く言ってる人は……居るよ、確かに」
アニー「あーやっぱね」
彼女が首を振ると、色素の薄めなセミロングの茶髪が揺れる。
発言と同時に、苦々しい光景を思い出したマリーは苛立たしげに唇を舐めた。
彼女を悩ませていたレポート課題は、彼女以外の生徒には課されていない物。
プリキュアである以上、学業を疎かにするしかない彼女への、学校側の措置だった。
学校は、知っている。学校どころか、誰もが知っている。
プリキュアの存在を、カラミタスの存在を。
比喩ではなく、この地球上に、知らない人間など居ない。
特別扱い、マリーの脳裏に浮かぶ人物の一団は、その言葉を口々に言っていた。
曰く、アニーだけ狡い──私もプリキュアに選ばれたかった──楽で良いよね──など。
度し難い……許せない……知らないから仕方ない……
去来する感情には、怒り、やるせなさ、悔しさ、様々あれど、どれも良い意味は無い。
一時の感情で、人を、アニーを悪く言える神経が、マリーには到底、信じられなかった。
もし、このマンハッタンに強大なカラミタスが現れたら、自分達を助けてくれるのが誰だと思っているのか。
カラミタスに立ち向かう事が、そんなに楽な事だと……今のアニーを見て本当にそう言えるのか。
特別扱いされる事、即ち楽に過ごせる事だと、そんな短絡的に考えて良いのか。
マリーは自分にも怒っていた。
かつて、理不尽へと抗う事も出来ずに泣いていた自分を助けてくれたアニーと違って、そんな身勝手を口にする連中に、彼女は何も言わなかった。
あの時と何も変わっていない、弱いままの自分が……やるせなくて仕方無かった。
アニー「でもま、そんなの気にしたってディナーが不味くなるだけ。良いコトなんて何も無いしね」
マリー「アニー……」
アニー「やめてよ。クッキー盗られたシドニーみたいな顔してるよ、今のマリー」
マリー「何その例え……」
アニー「よーするに、わたしは気にしてないからマリーも気に病まないでってこと。何処にだって変な奴は居るんだし、いちいち気にしてたら、マリーまで疲れちゃうでしょ」
マリー(……人が虐められてたら一発でプッツンする癖に……)
アニー「変なこと考えてるみたいだから言っとくけど……わたしマジ幸せだからね、マリーのおかげで」
マリー「…………」
再び甘味を頬張り始めたアニーは、本当に幸せそうだった。
人の苦境は見過ごさず、理不尽な悪意に涙を流す者には何となく手を差し伸べ。
一方、自分に苦境が降り掛かるなら、普通に乗り越えようと足掻き、自分への理不尽な悪意はあまり気にしない。
使徒が言うには、プリキュアに選定されるのは、おしめが取れないほど幼過ぎず、床から自力で起き上がれないほど老い過ぎず、それでいて精神的に問題が無く───
かつ、"本物の正義の味方に足り得る者"……らしい。
……正義の味方とは、そんな都合の良い駒でしかないのか。
大切な人の呑気な笑顔を見遣りながら、今日もマリーの疑念は尽きない。
そんなマリー自身も、自分が替えの効かない、とても重要な役割を担っている事に、イマイチ気付いていない。
☆
02.
アニー「────」
マリー「……アニー?」
大脳皮質を射抜くように通り抜けた、唐突な閃きにも似た感覚。
それは、わたしが覚醒を迎えた時から、もう何度目かになるカラミタス誕生の気配だった。
場所は……それほど離れてはいない。ハドソン川を抜けて海に出た……ロウアー・ニューヨーク湾から大西洋に出て暫く南東の辺り。
この分だと、あと10分と経たない内に形成を終え、すぐ付近を航行する船舶に襲い掛かるだろう。
わたしは自覚を持てるほどに恨みの籠もった視線で、部屋の窓から南の方角を見遣った。
折角、マリーと過ごす機会だったのに……と、未だ見ぬソレへと唾を吐き捨てたかった。
アニー「……マリー、あのさ」
マリー「解ってる……出たんだよね」
アニー「…………」
わたしはアニー・ロジャース、彼女の名前はマリー・ヘンドリクス。
今日は安息日という事も手伝い、課題が一段落したら、2人で一緒に部屋で映画を見る予定だった。
配信サービスの新作を楽しんだ後は、一緒にランチを作って食べて……。
ランチを終えたら何でも無い世間話に華を咲かせて、それでショッピングにでも……。
楽しい休日にする筈だったのに……マリーだって楽しみにしていた筈なのに。
でも、歯噛みするわたしを見遣るマリーは、柔らかく唇を動かし───
マリー「行って」
アニー「マリー……でも、わたし」
マリー「おねがい、行って」
アニー「マリー……」
わたしの振り返った先に立つマリーは、空を仰いで薄く微笑んでいた。
仕方無いなぁ、といった風を装い……何処か、懇願するような言葉を出して。
マリー「確かに、ちょっと残念だけどさ……仕方無いよ。アニーはプリキュアで、カラミタスは人を殺すんだもん」
アニー「…………」
マリー「ここで行かなかったら、アニーが後で苦しんじゃうでしょ。アニー優しいから」
───アニーが苦しいと、私も苦しいよ
マリーは、微笑んだ表情のままで……そう言った。
マリー「ショッピングなら、また今度すればいいよ」
アニー「…………」
「私、アニーならいつでも良いから。だから……気にしないで」
マリーは再び柔らかく笑った。
───マリーは強い。
きっと、あの柔らかい笑顔の下は、笑顔以外の表情なんだろう。
その筈だ。自惚れじゃない、マリーはわたしと過ごす今日を楽しみにしていたんだ。
こんな結果になって……本当は、わたしと同じくらい悔しい気持ちなんだ。
それなのに
───────
出会った頃の……というより、互いに知り合うようになった頃のマリーは───
何というか、泣き虫で世間知らずで……そう、良くも悪くも御令嬢さん、といった感じだった。
対する当時のわたし、これはまあ当時から然程の変化は無く、偏屈で空気が読めなくて。
……ついでに言うと、あの頃のわたしは、祖父や父親の言葉に最も強く影響されていた時期だった。
だからというか、当時のわたしは、人を泣かせる悪の存在を許す事が出来なかった訳で……
その結果として、マリーと仲良くなれたのは良かったけど、まあまあ暗黒の時期ではあったね。
なのにマリーは、後ろ指を指されるわたしの後にピッタリと付いてきてて。
超人ハルクみたいにズンズンと歩くわたしの後ろから、おずおずと付いてくる幼いマリーの図。
当時を知る人に尋ねれば、まるでケンカ要素を抜いたトムアンドジェリーだったとか。
……でも、誰もが口を揃えて言うのが、アニーがボスでマリーが子分だった、という事。
ハッキリさせておくが、本当は、わたし達に上下関係なんて無かった。
でも、周囲の人は……アニーが2人の内で強い上、一方のマリーが弱い下、という認識でいたんだ。
確かに、マリーは口数が少なかったし、ある理由も手伝って泣いている場面が多かった。
わたしもド偏屈な性格で癇癪持ち、割と口も悪かったし、印象が周囲にそう言わせていたんだと思う。
───────
マリーは弱い。
だけどわたしは、マリーの親友として、世間のその認識に中指を立てさせてもらう。
マリーは強い。
身内贔屓なんかじゃない。わたしと違ってマリーは自分の感情を圧し殺せる子だ。
それが果たして良いと言い切れる事なのかは別だけど、わたしのために。
自分の悔しい気持ちを圧し殺して、他でも無いわたしの背中を押してくれる。
仕方無いよと、次の機会を待てば良いよと、わたしに決心を促してくれる。
本当はわたしと同じくらい悲しい筈なのに。楽しみを奪われて嫌な気持ちの筈なのに。
そんなの、世間の言うような弱い人間に出来る事だとは……わたしは思えない。
マリーを未だに弱いだなんて思っている人達に会ったら、わたしは絶対に言うんだ。
あなた達の知る、あの世間知らずで泣いてばかりのマリーは、もう居ないんだって。
アニー「ありがとう。わたし行くね」
マリー「うん……」
わたしの帰る場所、マリー……あなたは、わたしを力強く支えてくれています。
…………
……でも、それでも。
アニー「マリー……」
圧し殺させて、はいそれで終わりだなんて、わたしの偏屈な部分は納得しない。
アニー「あのさ」
マリー「ん?」
アニー「今日の夕飯だけど……ビーフシチューにしてもらってもいい?」
マリー「……? 良いけど」
アニー「ありがと。後さ……着替えも持ってきてよ」
マリー「……えっ」
転んでも、タダでは起きてやらない。
今日を悔しいだけの思い出で終わらせるなんて、そんなの認めてやらない。
アニー「映画、夜遅くなっちゃうかもだけど……わたしの部屋で、ベッドで一緒に見よう」
マリー「それって……」
アニー「そんで、いっぱい話そう。今度のデート日程とか、楽しい事いっぱい」
マリー「……泊まってもいいの?」
アニー「一応……そう誘ってるつもり……ってゆーか」
ちょっと口籠もりつつ、そこまで言い切る。
……と、マリーは。
その頬を、みるみる内に色付かせ……唇を波打つように吊り上げ……
マリー「……嬉しい」
最終的に、とてもステキな───笑顔を見せてくれたのだった。
マリー「ありがとっ。沢山お話しようねっ」
アニー「楽しみにしてる」
マリー「ビーフシチュー、美味しいの作るからっ。楽しみにしててね!」
アニー「卒倒する逸品よろしく」
───いってらっしゃい
───いってきます
次の瞬間、わたしはマバタキよりも速く、その姿をプリキュアへと変える。
眩いクリアブルーの長髪、オリオンブルーとピュアホワイトの爽やかなドレス。
部屋の窓を開いたわたしは、そこから勢い良く跳躍し───
マンハッタンの街を彩る高層ビル群、普段から人々を見下ろすその高さを、さながら嘲笑うように飛び、大西洋上から漂うカラミタスの気配へと向かって出撃していった。
マリー「絶対……帰ってきて」
まだ口の中に残る甘さは、最高の勇気の燃料だ。
今日という日を悔しいだけの思い出で終わらせない。
悔しい思い出を残したい人なんて、きっと世界の何処にも居ない。
だから、わたしは足掻く。正義のプリキュア以前に、幸福を追求する1人の人間として。
今から何年も経った何でも無い日に、今日の事を語り合って笑っていられるといいな。
そんな事もあったねって……今以上に仲を深めたマリーと一緒に。
────────
それはそれとして、まだ見ぬカラミタス、テメーは絶対に潰すからなクソが。
丁度わたしの独壇場で戦うんだ。海水で巨大な腕を作って、それでアックスボンバー連発してやる。
やった事無いけど、属性と能力的にやれない事でもないでしょ、多分。
あーイライラすんな、もう。
……
…………
そして、向かった先の大西洋上で、わたしは新たなプリキュアと出会う。
後に固い友情を結ぶ少年……神出鬼没のデヴィッド・バークレイと。
アニー・ロジャース(Annie_Rodgers)
マリー・ヘンドリクス(Mary_Hendrix)
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3話
01.
地球の出来上がりから、大体45億年
猿人ルーシーの誕生日から、大体320万年
とある男が磔に処されてから、大体2000年
東京スカイツリー倒壊より、5日前
その日、この太陽系第三惑星に存在する全ての、映像媒体を受信して画面上に映し出す、例外無く全ての機器。
テレビ、スマートフォンやパソコンは勿論、銀行ATMやコンビニエンスストアの発注用端末。
更には誰も居ない球場の電光掲示板から、何処かの廃屋に何故かあった、電池切れのゲームボーイに至るまで。
繰り返すが、例外など無く、人間程度が思い付けるクソ下らない懸念の一切合切を、冒涜的なまでに無視して。
そう、全て……地球上に存在する全ての"映像を映し出す機器"に───
使徒
自らを使徒と称した、全く得体の知れない存在。
人類の小賢しい企みの及ぶ事が叶わない、恐らくは地球上で初めての存在。
人が神の領域とでも例えそうな場所からの来訪者が、その姿を、初めて人類の前に現した。
……いや、現したという言い方は、この場合だと怪しいのかもしれない。
何せ、そこに映っている、人間に似たような姿を取る使徒の存在。
その色も形も、性別も、ハッキリと目で見えている筈なのに、いざ脳が具体的な認識に移ろうとすると、途端に情報が入ってこなくなる。
テレビに、スマートフォンに、その画面上に居る存在の肌の色も、造形も、男なのか女なのかも、その全てが像として目に映っている筈なのに、人間に似ている以上の一切の情報を脳に取得するという結果に至れない。
それでも、その姿を漠然とでも視界に入れた者は、知性の海の奥底に横たわる、廃れ掛けの本能の部分で理解した。
いま、自分の眼前に姿を現すコレが、自分などという矮小な生物が把握し、何らかの形で及ぶ事が出来るような存在ではない事を。
自分が霊長の王の玉座に居た事を久方振りに思い出し、それと同時に、その座から無様に転落させられた事を。
その結論に至った人間達が須く襲われたのが、新たな支配者たり得る謎の存在への圧倒的な恐怖なのだが───
画面上の使徒が次に紡ぎ出した言葉は、地球人類に対する罷免宣告などではなく、意外なものだった。
──近い内……君たち人間は、今の君たちの進化状況に、あまりにも不相応な試練に襲われる
──理由は明かせないが、この非常事態の責任の大部分は、我々にあると断じなければならない
申し訳ない……と、その謎の存在が最初に述べたのは、端的に言って人類に対する謝罪の言葉であった。
曰く、これから遅くとも半月の内に、この地球に人類の与り知らぬ脅威的な存在が出現し始めるという。
噛み砕いて言えば、創作の世界で言われるような、侵略者、人類の天敵。
しかし結論、現状の人類では、その存在を迎撃する事は不可能、無理であると言い切った。
その上、仮に地下深くまで潜り、厚さ十数mの隔壁の中に逃げても無駄だとも───
そこまで使徒の説明が及んだ時、未だ人類の過半数は、突如として降って湧いた状況に思考を右往左往させるのみであったが、残り半数の聡い方な人類は、順接的に"世界の終末"という概念に至り、そして間もなくドス黒い絶望の感情に襲われ……ながらも、更に聡い者の中の一部の者は、にわかな希望を見出してもいた。
要するに、この状況……この使徒という明らかに人類の上位に居るとしか思えない存在が、ここで謝罪混じりに人類へと接触してきたという事は───
それ即ち、使徒が人類を、これから来るという脅威から護ってくれる、という意味を指している……?
──それは厳密には不正解だ
──我々は力を貸す。しかし、実際に手を下すのは君たち人類だ
抱いた淡い希望は、使徒の発した短い言葉で即座に摘み取られた。
──本日……正確にはグリニッジ標準時18:08頃……薄々と勘付いている者も居るか
──この時、我々の方で……言い方は悪いかもしれないが、君たちの一部に少々"テコ入れ"を施した
使徒が言うに、彼らにより少々"テコ入れ"された人類が、既に地球上に100名ほど存在していて。
これから人類を襲う圧倒的な脅威への対抗を可能とする力を、その100名は身に宿しているという。
使徒が人類に対してもたらす救済は、この100名の"対抗手段"を生み出す、という事だけ……らしい。
──言いたい事は察する。……しかし、これ以上に我々が直接的な介入をすると、その余波が大き過ぎるのでね
──プリキュア……地上の天使とでも言おうか? それが君たちを護る盾と──なる事を祈っている
──ただ、最良の結果を生み出すためにも、あまり小賢しい奸計を巡らせない事を推奨させて頂こうか
──あー……ライリー・ゲイツ君? 特に君の考えているソレは、やめておいた方が君のためだと思う
翼が無くとも天使……それを私欲のため毒牙に掛ける事が、如何なる意味を持つか、少しは解るだろう?
その不穏な言葉を最後として、使徒は世界中の画面から一斉に姿を消したのだった。
この瞬間、全世界に、使徒という神の領域との遭遇を体験した70億以上の知性体が生まれた。
ここまできて尚も状況を理解しない愚かな者
正しく立たされた状況を理解して明日に絶望する者
───この状況すらも利用しようと企む真の馬鹿者
様々な者が居る中で、正しく異端と称するのが相応しい、100人の選ばれし人間は、確かに存在していた。
地上の天使、プリキュア
これより5日後、とある島国にて人類の戦いは開幕し、プリキュアの勇姿が全人類の瞳に刻まれる事となる。
ちなみに、この時の映像を録画した記録媒体には、ブラックアウトした無音の映像が映るのみだった。
☆
02.The Time has come
結論から言うと、そのカラミタスに
なにせ、出現したカラミタスは、液体状の、というか水そのものの身体を持ったタイプだったため。
まるで海自体が意思を持って襲い来るように、間断無く叩き付けられる猛烈な勢いの奔流を、わたしは必死に回避し続けていた。
カラミタス出現の場所に辿り着き、近隣の船舶を逃がしてから既に十数分、ちょっとした膠着状態が続いている。
───タイダルウェーブ・カラミタス
わたしの持ち技とモロ被りなので非常に不本意だが、わたしは目の前のカラミタスに、そう名付けた。
実に安直かつ、それ以上に無いほど的確な名前だ……と思う。個人的に。
先程から、わたしに叩き付けられる、この容赦の欠片も感じられない激流の勢いは、まさに津波級だから。
アニー「うぐっ、ああぁッ!!」
ドバッシャアアア!!!
回避が間に合わず、会敵から何度目かのそれを喰らう。
わたしは龍のようにうねる奔流に容赦無く飲まれ、冷たい大西洋の海中へと引きずり込まれた。
アニー(や……ば……)
そこでわたしは、咄嗟に固有能力で自分の周囲に水流を発生させ、そこから上下左右全方向に滅茶苦茶な軌道、かつバショウカジキ辺りなど周回遅れにする速さで海中を駆け回り、最終的に再び海上へと飛び出した。
わたしに数瞬ほど遅れて、同じように再び海上へと現れたカラミタスは、わたしの推測通り──わたしの身体を捕縛して海中深くへと誘い、そこで改めて始末に掛かろうとしているようだった。
現にいま、わたしと同様に海中へと潜っていたらしいのが、その証左。
カラミタスはわたしの次の動きを窺っているのか、わたしと睨み合うように動きを止めている。
アニー(厄介だなぁ……)
そもそもコイツ、タイダルウェーブ・カラミタスの身体は、前述の通り液体。
そして、奴の水鉄砲──水大砲? 鉄砲水? をモロに喰らった時、その際に飲み込み掛けた水が、わたしの知る海水の味だった事を確認している。
恐らくはこの液状カラミタス、わたしと同様に、ある程度まで自分の周囲の海水を操る事が可能なようだ。さながら手足のように。
わざと滅茶苦茶な軌道を取って海上に出たのは、奴の捕縛の手をかいくぐるための(半ば破れかぶれな)手段。
プリキュアとはいえ無茶な動きをした影響で、ちょっと前に食事した影響か胃の調子が良くないが───
もしノコノコ一直線に海上を目指していたら、今頃わたしはその分かり易い軌道を先回りされていたに違いない。
仮に海中まで引きずり込まれ、回避が間に合わずに身体を捕らわれてしまった場合、きっとわたしには為す術が無い。
奴は海中に於いては、周囲の海水と視覚的に同化して、目視で姿を捉える事が叶わなくなる──即ち、波の形が見える海上と違い、奴がどんな風に何処から襲ってくるか分からないから、対応を取るまでの時間が格段と遅れるのだ。
アニー(なら……今の状況、わたしだけで取れる対応は……)
しかし、この状況。
海上に上がったわたしと、カラミタス。互いの次の動きを探り合って下手に動けず睨み合う───
少なくとも、カラミタスの側はそう思っている事だろう。
───でも、互いの姿をハッキリと捉えられるこの状況。
───わたしには、紛れもなく巡ってきたチャンスなんだ
そして次の瞬間、わたしがざとらしく視線を横に向けると、それを隙と見た奴がここぞとその身を再び水中に……!
アニー(今だっ……プリキュア・アクアリウム・アロウジョンッ……!!)
効果範囲──最大に設定
わたしは自身の身体、その中枢に鮮やかなオリオンブルーのキュアエナジーを集中させ……一気に前方へと解放。
次の瞬間、さながら前倣えの体勢で突き出した、わたしの両掌の先から数インチを円周上の一点とし、半径約30ヤード程度に及ぶ真円の範囲の"海水だけ"が、その真円の中心を起点に……ズバァッ!!と瞬く間に吹き飛ばされた。
まるで、その範囲に、見る事も触る事も出来ない巨大なボールが瞬間移動してきたかのように。
アクアリウム・アロウジョン───前述の通り範囲内の"海水だけ"を、数秒間だけ無理矢理に周囲へ押し遣る──排水する技。
かなり用途が限られるが、海中に居る敵の動きを撹乱、僅か一瞬ではあるが、強制的に隙を生じさせる技だ。
奴がチャンスを見出し水中に潜った、その瞬間を不意打ち……地味に見えて、これが効く。
真円の周囲に押し遣った海水が、数秒を置いて元に戻ってくる僅かな間に、わたしは海水を消失させた真円の空間の中に取り残され……グネグネと混乱するかのように奇妙な形状変化を繰り返す、透明な液状の塊を見た。
アニー(
そこから、わたしは弾かれるよりも速く行動に移る。それがカラミタスの全容だと理解した瞬間。
アニー(───プリキュア・アクアマリン・トルネードッッ!!!)
再び迸らせたキュアエナジーで海へと働き掛け……未だ真円の中に居る奴の真下。
そこから、
アニー「たまには空も飛んでみては?」
巻き上げられた強力な海水の旋風に、足場(海水)の消失に混乱している所を狙われ、為す術も無く上空へと飛翔させられた液状カラミタスは──
実際は与えられた外的刺激に反射的な反応を返しているに過ぎないのだろうが、何処かパニックを起こしたように、なおも激しく形状変化を繰り返し、アクアマリン・トルネードから逃れようとする……が、それも無駄な足掻きでしかない。
上空へと跳ね上げられ、無理矢理に海水と引き離された事で、完全な無防備状態へと陥った液状の塊……もといカラミタスは、最早わたしにとって射抜くに容易い、さながらクレイ射撃の的のような物だ。
さて、そろそろ終わりにさせてもらう。
マリーとの楽しい時間を、しかも課題の途中という舐め腐ったタイミングで邪魔してくれた御礼に、打ち上げ花火を特等席で観覧させてやる。
きっと良い眺めだろう……何せ、花火そのものの中から見る訳なんだから。
アニー「プリキュア!!」
アニー「タイダルウェェーブ・スプラァッッシュ!!!!」
空中に舞い上がったタイダルウェーブ・カラミタス───
その水の身体を、丸被りした名前の青い水属性の
瞬間、その水の塊が沸騰したかの如くボコボコボコボコ、と一気に泡立ち始め、そして───
──ズパッ。
限界まで張り詰めさせた巨大な水風船に針を刺したような、不快感を煽る鈍い破裂音を響かせ、ビームを受けた所から、カラミタスは粒子状のキラキラ煌めく光と化して、そして虚空へと消滅した。何という迫力に欠けた花火だ。
通常兵器で倒しても、暫くすればカラミタスは再び活動を始める。
頭に該当する器官を潰しても、身体を丸ごとバラして焦げ目しか無くなるまでローストしても……
やがて時間が経てば元の姿を取り戻し、何事も無かったかのように動き始める、神の領域の生命体。
だからこそ、同じ神の領域の力であるプリキュアの力で、
例の使徒が言うに、人類が開発した禁忌を何度か冒せば、割と倒せなくもないハズ、との事だけど───
まさか、カラミタスが出現する毎にA兵器を、それこそ独立記念日の花火感覚で消費する訳にもいかないしね。
アニー「…………」
そうして……騒がしかった大西洋が、再び波の音だけの流れる世界となった。
凪いだ海上に浮かぶわたしを残し、海は今の今までを完全に忘れ去ったかのように、静か。
アニー「……はぁー」
吐いた深い息に様々なものを乗せて、わたしは意識を区切った。
さて、海の向こうから沿岸警備隊辺りが来て、何やら面倒な事になる前に、さっさとマンハッタンに帰ろう。
今日は疲れたし、課題を踏ん張ってビーフシチュー食べたら、おばーちゃんに頼んで疲労回復のスムージーでも作って貰おうかな……。
残り少ないとはいえ課題は憂鬱でしかないけど、マリーが傍らに居れば何とかなるに違いない。
この場合、一緒に課題をやってくれる戦力的な意味じゃなくて、単に清涼剤的な意味合いとしてね。
わたしにとって、回し過ぎて焼け焦げた精神に、マリーとおばーちゃん以上の冷却装置は無いんだ。
なんて呑気な思考を頭に流しながら、自然と冷却されていく心と身体の片隅で、わたしは警戒の意味も込めて周囲を見回そうとして───
そこまで遅れたのが、失敗だった。
背後──背後────背後──────わたしのすぐうしろ
ザバァ……わたしの背後から、あまりにも不自然な波音が鳴る。
何かが海の底から這い上がってきて、獲物を捕らえんと忍び寄るような……。
そして
わたしの意識の中の警報装置が、ガンガンとけたたましく伝えていた。
消滅した筈のタイダルウェーブ・カラミタス。それが健在だという事実を。
! ! ! ! ! !
それ以上、何かを考える余地は無かった。
どうしてとか、ならどうするとか、そんなのは既に分かり切っているんだ。
奴は生きていて、わたしは油断して、だから不意を突かれて──話はそれだけ。
だからわたしは、すぐさま海中へと潜り背後の重圧の大元から距離を……いや駄目だ、間に合わない。
アニー(……!! プリキュア・アトランティック……ッ?!)
振り向きざまに、奇襲する敵に用いる迎撃技を繰り出そうとするも……無情にもこれも間に合わない。
既にわたしは、その海水で出来た何本もの腕に四肢を掴み上げられていて、構えを取る事も出来なかったんだ。
目の前に蠢くは、先程までと何ら変わらない、波の化物───タイダルウェーブ・カラミタス。
アニー(やられ……る)
きっとわたしは、これから最大の一撃を浴びせられるだろう。
奴には、やっと巡ってきたチャンス。わたしは死にはしないだろうけど、間違い無く深手を負わされる。
海水の腕に四肢を固定され、空中に磔みたいな状態で浮かぶわたしに、技の一発外す筈も無い。
今度は、わたしが奴にとっての的となった訳だ。
そうして、わたしを捕らえる奴の液体の身体、その中心に、技の前動作だろう渦が形成され始め。
それは、腕に捕らわれ身動き叶わず、良い的となったわたしに、狙いを定めるみたく高速で回り。
「 プ リ キ ュ ア ! ブ レ イ ヴ ジ ェ ッ ト ・ ガ ン グ ニ ル ッ ッ ! ! ! 」
渦の回転が一層激しくなるのと、その渦の中心を一筋の緑色の閃光が貫いたのは、ほぼ同時だった。
───
再びの静寂…………も、一瞬で終わる。
ギ ィ ィ イ ア゙ ゥ゙ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ! ! ! !
奴の身体の渦が勢いを失い、完全に停止したと同時──耳を覆いたくなる不快な悲鳴が大西洋に轟き渡り、わたしを拘束していた海水の腕も、その液体の身体も崩れ去り。
そして、最後に残ったのは透明な……な、何だ? 大きさにして成人男性2人分ほどの、ウネウネとアメーバのように波打つゼリー状の球体が、タイダルウェーブ・カラミタスの崩れた液体の身体の中から現れ───
かと思えばそれは、先程わたしがタイダルウェーブ・スプラッシュを喰らわせた時のようにボコボコと泡立ち始め。
数秒の後、透明なゼリー球は唐突にズパッと破裂し、光の粒子となって虚空へと消えていった。
拘束の手が消滅した事で、海面へ再びドボンと落下したわたしは、それをただ呆然と見ているだけだった。
???「良いドレスじゃんそれ。5番街で買った?」
そして、多分わたしに対してのだろう、声が掛かった。
……それは声変わり途中の、まだ幼さの残る少年の声だった。
アニー「……太平洋で貰った。あなたもそうでしょ?」
???「まあね。壮観だったよなぁ……僕らが一斉に変身した、あの瞬間」
振り返ると、こっちに"歩いて"近付いてくる人影……プリキュアが居た。
アニー(えっ)
海面を歩いてる……待って、それどうやるの。わたし出来ないんだけど。固有能力?
気になる……
☆
03.
アニー「今の、あなたがやったの?」
???「そう。今のブヨブヨがアイツの本体。多分、海水を余分に纏って大きく見せてたんだ」
海面に屈み、目線をわたしと近付けつつ解説を披露する彼は──歳はわたしくらいの黒人の少年プリキュア。
ダークグリーンを基調に、身体の随所にシンプルなメタリックシルバーのプロテクターを装着した、戦闘に於いての実用性を前面に出した感じの、如何にも男性的な力強さを感じさせられるコスチューム。
ちなみにわたしは水/愛だが、推測するに彼、闇属性は間違い無く入っていると思われる。
後は……第二属性として土、それか勇、もしかしたら幻属性を持っているかもしれない、彼。
アニー「助かった。でもその……本体? の位置、どうして分かったの?」
???「え、ううん? 別に分かってなかったよ」
アニー「は?」
???「いや、何となく中央かなって。そういうパターン多いから」
アニー「…………」
勘で撃ったのかい。もし本体から外れてたらどうしたんだ、当たったし結果オーライだけど。
???「纏っていた海水から抜け出して、あの竜巻に乗って、ギリギリ海に逃げてたんだと思うよ。ナントカスプラッシュ受ける前に」
アニー「タイダルウェーブ・スプラッシュね。竜巻はアクアマリン・トルネード」
???「あーゴメン、それそれ。要するに、君が貫いたのは、ただの海水の塊だったって事」
アニー「やられた……助けてくれてありがと、本当に。あのままだったら大怪我してたかも」
???「気にすんない、オレたち同じプリキュアだろ」
礼を言うと、ダークグリーンの彼は照れ臭そうに笑った。
黒人の肌の色的に解り辛いけど、赤面してるんだろう。ちょっと可愛いかも。
アニー「ところで、あなた名前は? わたしアニー、そこのマンハッタンから来たの」
デヴィッド「ん、オレはデヴィッド。テキサスのメイソンに住んでるよ」
アニー「テキサス?」
また随分と遠い土地の名前が挙がった。テキサスだと。
此処からだとプリキュアでも、そんな易々と行き来可能な距離じゃないだろうに。
デヴィッド「ちょっと遠出してたから、偶然ね。能力的に探知情報が来る機会が多いから」
やっぱり出先でセラフの情報が送られてきたったって寸法か。旅行でもしてたんだろうか。
アニー「ふうん、能力って?」
デヴィッド「……まあ、あれだよ。瞬間移動ってやつ。簡単に言うなら」
アニー「へえ…………えっ」
デヴィッド「やろうと思えば、地球の真反対まで一瞬で行けるよ」
アニー「え、スゴ……凄くない?」
デヴィッド「まあ、一度にそんな長い距離を跳ぶと、暫く変身出来なくなるけどね、エナジー尽きて。丁度クイーンズ近くに跳躍したら、セラフから要請が来たんだ。ビビッと」
ビビッと、頭に指でアンテナを作る仕草を取るデヴィッド少年。
どうやら旅行では無かったらしい。なるほど、易々と行き来が可能な固有能力をお持ちだった訳だ。
──ポピュラーな言葉だと
アニー「わたしも他のプリキュアあまり知らないけど、かなりスケール大きくない……?」
デヴィッド「へへ、まあね。あーでもまぁ、それ以外のトコは平均値っぽいけど。プリキュア的に」
姿を消したり、翼で空を飛んだり、はたまた人の感情を自在に操ったり、動物とお話してみたり───
実際に見た事は少ないけど、プリキュアが持つ固有能力……つまり、世界に100人存在するプリキュア、1人1人が持つ、個性とも言うべき特別な力は、実に多岐に渡るもの。
わたしで言えば、自分の周囲の一定範囲に存在する水を自在に操る力。
先の戦いでチョコチョコ披露したのがそれで、他には戦闘機並みの速さで泳いだり、ある程度の汚水を浄化出来たり。
自分が実際、そういう人知を越えた力を、この身に宿したと理解した時には、なるほど感心、昂揚、恐縮、様々な情動に襲われ、同時にちょっとだけ全能感などと例えられそうな気分も湧き上がったものだ。そんな気分に任せてイースト川沿いの市民プールで実験したりして怒られた事もあった。
まあそんな感情も、毎週のように人知を越えた存在と戦うにつれ、次第にボヤッと薄れていったけど。
しかし彼……デヴィッド君? の持つ力は、わたしと比べても人の領域の越え具合が凄まじい。
それ以外の能力、単純な力量だとか機動力とかが平均に収まるものだとしても、釣銭が大量に来る。
わたしが時間を掛けてカラミタスの出現場所に向かうまでのタイムロスを、彼なら殆ど無しに出来る。
変身しなければ力を使えないという手間はあるけど、人間や他の生命体を、それが生まれ出た瞬間から縛り続ける、迫り来る時間という巨大な制約。その大部分を、彼はプリキュアになって克服したという事なんだ。
……?
……あれ、ということは。
アニー「あ、じゃあ今から、わたし連れてマンハッタンまで一気に……」
デヴィッド「生憎、一緒に跳べるのは非生物限定。しかも重量70ポンド弱が上限」
アニー「えー残念……」
デヴィッド「ナカムラヒロほどには、なれなかったね」
なんでえ、惑星規模の割に中途半端なトコあるね……まあ、そんな上手い話は無いって事かな。
まあ、わたし独力でも、泳ぎだけに全力で集中すれば数分と掛からない速度出せるし、良いんだけどね、まあ。
キュアエナジー枯渇と、あと単純なスタミナの問題を考慮しなければ、アフリカ大陸南端(Cape of Good Hope)からインド洋を回るルートで東アジアまで1日と少しで行ける。殆ど旅客機同然のスピードだ。
地上の天使、海を司る水属性プリキュアは伊達じゃないのだ。……まあ仮に実際やったら、アフリカに着く前に変身が解けて、スタミナ切れから碌に泳げず漂流、からの鮫さん辺りに喰われてリアル天使の御世話になるだろうけど。
何という間抜けな死に方だ、向こうの祖父と母親もコメントに詰まること間違い無しだね。
アニー「助けてくれて本当に感謝してる。また会ったら協力させてね」
デヴィッド「協力プレイ、燃えるね」
デヴィッド「じゃあ君これから……」
それだけ言うと、わたしは海中に潜り、そのまま彼に背を向け、マンハッタンへと高速で泳ぎ始める。
デヴィッド「えっあれ?」
デヴィッド君……同年代としては随分と感じの良い少年だったし、機会があるなら是非とも共闘したいものですね。
アニー(さーてと……)
時刻は正確には分からないけど、そろそろ14時を回る頃だと思う。
マンションを出て海に出る前に、バッテリーパークの屋台でホットドッグを2つ食べたからランチは済んでるけど、その程度の量じゃ、そろそろ誤魔化しが利かない。
ついでに海水も少し飲んだせいで、喉も渇いた。
帰って課題を乗り切れば念願の日常withマリー(その前に課題)だけど、これから陸に上がったら近所の店で何か食べよう。
あーでも、そろそろおばーちゃん帰ってくるし……もしかしたらランチ用意してくれてるかも。
上陸したら、まず家に電話を掛けて、その辺り確認してみよう。
マリーは……居るんだろうな、まだ。ロジャース家に。そういう子だから。
ついでにホットドッグでも買っていってあげよっかな。
などとわたしは、大西洋をマンハッタンに向けて驀進しつつ財布の中身に思考を巡らせた。
で、それはそうと───
アニー「……何で付いて来てんの」
デヴィッド「いや、あれで終わりは、ちょっと寂し過ぎるじゃん?」
高速で大西洋をマンハッタンへ泳ぐわたしの傍ら。
どういう原理か水上を駆け、わたしに併走する少年がそこに。
まだ何か御用事ですか?
……はあ、波乱の予感がするよマリー。
デヴィッド・バークレイ(Devid_Berkeley)
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4話
ひとつの死体がありました
割かし綺麗な状態で残ってました
死体は天使の器にされました
めでたしめでたし
01.
この地球上という星の上に生まれ、また実質的に支配する唯一の知性体。この青い惑星にて、歴史というものが、文字媒体によって記され始める以前から、支配者として君臨を続ける存在。
その何者の追随も許さない優れた頭脳を活かした応用力と、多種多様な発明品を用い、時に大きな成功を収め……同時に取り返しのつかない失敗を繰り返してきた、英雄と罪人の性質を兼ね備える不可思議な集団。
生存と発展という大義のため、自分達とそれ以外の一切を費やしに費やし、支配者として強固な地盤と防壁を築き上げ、今日に至る地球表面上の大部分を踏破、そうして途方も無い数の命を積み重ね、彼ら人間はいま、この惑星を跨いでいる。
───そして"時間"とは、その人間達に消費された膨大な資源の中の、最も基本的、かつ根源的な1つ。
それは彼ら人間を始め、少なくともこの地球上に何らかの生物として産み落とされた、その瞬間その刹那から、全ての生物に対して普遍的に与えられる恩恵かつ……同時に、平等に逃れる事の出来ない、あまりに巨大な制約だ。
人間にとって、様々な発明を繰り返し、新たな土地を開拓し続け、慈しみ合い、時には殺し合い……また生物として最も基本的な繁殖という行為を営む、それら全ての行いの最も基底に近い場所に根を張る概念。
また、それがあったからこそ、人間という種が惑星を丸ごと掌握するに限りなく近い所まで発展を遂げられたと言える、ある意味で人間にとっては、同族と犬猫辺りを除けば最大の友とでも呼べそうな側面を持つものでもあった。
───他でもない人間達によって名を付けられ、定義を持たされた、何者にも……それこそ、その括りに限れば“神”すらも逆らえない、この世の怪物である
当然、時間は何をせずとも勝手に資源として消費され、枯渇などしないくせに消費された分は二度と戻ってこない。
そこに迫り来る時間という壁があるからこそ、時間が過ぎる事で季節が巡るからこそ。
時間と共に沢山の命が生まれ、そして消えるからこそ、知性を宿した人間は思考の積み重ねをやめない。
時間は、人間と共に歩み、幾度も絶好の機会を与え、それらに無惨な死を与える……誰も改めては意識しないが、確かな天敵であり、同時に隣人なのである。
───時に、そんな隣人と、誤った付き合い方をしたため、自己を見失ってしまう人間が存在する。
デヴィッド・バークレイという少年もまた、そんな時間という悪魔に追われ、自分を見失っていた人間の1人。
ちっぽけな苦悩に囚われ、そうして無為に失った時間は、しかし若い彼にとっては大き過ぎる損失であった。
…………
鬱屈した時間を過ごす中で彼は、ある時───何の前触れも無く“
人が神の領域と呼ぶ場所から地上に現れた使徒が、まだ声変わりも済まない少年に刷り込んだ、天使の力、その扱い方。
……使徒が彼に与えた
正義の味方として覚醒した少年は、使徒の思惑通り、力を悪辣な私欲の捌け口にする事などせず、それまで無為にしてきた時間の分を、何とか取り戻そうとするかのように世界中を飛び回った。
今まで何にも充ててこなかった時間を、自らの有意義だと思える事に充てられる事が何より嬉しかった。
───ありがとう
その言葉を受けた瞬間、彼の鬱屈した心は唐突にパチリと弾け、彼は実に子どもらしく、大いに舞い上がり……
"自分は生きているんだ"と、確かな実感を得たのである。
彼は思った
やっと自分の居場所が出来た!
この力が自分の居場所なんだ!
これからは人のために力を使う! それが自分のためにもなる!
1人の少年が正義に目覚めた時、時間という悪魔は、楽しい一時をくれる親愛なる隣人に変貌した。
そうして生まれたのが、
万物のはじまりを象徴する名を冠した天使、プリキュアは、今日も青い星のどこかで奮闘する。
───だけども
その意気込みこそ十分ではあるが……彼は少しばかり無為な時を、また腐敗した思考を積み過ぎた。
それまで無為にしてきた時間は……確実に、彼の内にある“意思の力”を鈍らせていたのである。
君は1日を懸命に生きているか?
懸命に生きた時間は、君に何を与えてくれるのか?
無駄にした時間は、君の心に何を残していくのか?
───少なくとも、デヴィッド少年の心には、大幅な対人能力の減衰という結果の1つが残された。
彼は、ある時……気付いてしまったのだ
自分はヒーローになった、筈なのに───
*
02.
アニー(何なの……?)
何故か、あれからずっと着いてきたデヴィッド少年を伴い、故郷マンハッタン到着───
わたしはハドソン川を遡上する途中、
で、とりあえず他に用事も無いので、素直に自宅の高層マンションが建つヘルズキッチンへと向かう。
……その間ずっと、わたしの頭にクルクルリンと巡るのは、ただただ上記の一言だった。
というのも……ちょっと、どころか凄く、わたしが置かれている現在の状況の意味が解らないからだ。
アニー「ふーん、世界中でねー」
デヴィッド「そう! 何度か他のプリキュアに会ったりもしたよ。君もその中の1人って訳さ!」
およそ抑揚と呼べそうなものを意図的かつ徹底的に削いだわたしの相槌に、これでもかとばかりの起伏に富んだ返答。ああもう、今のだけで気力がゴッソリ持っていかれた。
デヴィッド「一応何度かニュースに映ったりもしてるぜ! オレそれなりに有名人だったりして!」
アニー「……わたし、あんまりTVとか見ないから。そういうの、よく知らないんだよね」
言うと、彼はわざとらしく両手で自分の頬を押さえた。
幼かりし頃のマコーレー・カルキンみたいに。
デヴィッド「ワーオ! マジで? 今どき珍し……くもないのかな。情報はネットで好きな分だけ集める時代だもんなぁ!」
アニー「あはは、そーだねー。最近はドラマくらいしか、それも眺める程度にしか見てないなー」
デヴィッド「あじゃあさじゃあさ! ロシアに居る5人に分裂出来るプリキュアは知ってる? スゲェよな! どれが本体で偽物とかじゃなくって分かれる5人全員が本物らしくってさ! こないだネットニュースでも───」
アニー「へー、そおなんだねー」
その露骨に適当さの滲む相槌───も気にした様子無く、そのまま絶えず口を動かし続ける彼。しかも超早口で。
いや気にしてないというか、これは相手の様子に気付いてない……というか。
……海から川に入って、陸に上がって、ここに至るまで、彼はずっと。もう、ず───っと、この調子を維持している。気まずい事この上無い。
かと言って、再び左手に見えますハドソン川にダイブして帰路を急ぐのは……うん、土産でもあるホットドッグが駄目になるから却下なんだよなあ。
好物のジュースが安かったからって、つい屋台に寄ったけど、失敗だったかもしれないね。はぁ……。
デヴィッド少年……フルネームをデヴィッド・バークレイという。
マンハッタンから遠く離れたテキサス州に住んでいるらしい黒人の少年で、年齢は多分わたしと同じくらい。
で、プリキュアから変身を解いた彼の本来の姿は……
刈り上げた頭を後ろ被りしたレンジャーズの赤いキャップで覆い。
オリーブドラブのカーゴパンツ、彼の細い上半身の線が浮き出る小さいサイズの白い半袖Tシャツ。
しかも……うわ、何かの任務帰りかと勘違いされそうなゴツいコンバットブーツなんぞ履いて。
……何か、彼の未だ幼さが残る外見には若干……いや、かなりの不釣り合い感が窺える着こなしだった。
例えるなら、道端を歩いていた強面の兄貴の服装を、そのまま写し取って彼に着せたかのような……
───まあそれは一先ずいい。問題は……
デヴィッド「それでさ! 試しにモスクワ近くまで跳んで1人に会いに行ってみたんだけど!」
アニー「うんうん」
デヴィッド「何と俺ジャンプ先が雪国だってこと忘れてて半袖のまま跳んじゃって……」
アニー「はえーバッカでー」
道すがらの雑談で、わたしは嫌に高いテンションで話すデヴィッド少年から───
彼の普段の活動と言えば良いのか、それについて、大仰なジェスチャー混じりに聴かされていた。
彼のプリキュアとしての固有能力、
これは、キュアエナジー消費量と変身持続時間との折り合いを考慮に入れなければ、ここから地球の裏側まで一瞬で行けるという、まさに惑星を股に掛けた壮大な力だ。
そして彼ことデヴィッドは、例の
使徒が、わたしや彼を含む100人のプリキュア達の脳に刷り込んだ“プリキュアの役割”を、その能力を活かして、これまで忠実に遂行してきたのだという。
能力を活かしてとは、つまり世界中の各地に転々と
“司令”が来て初めて出動するタイプのわたしとは天地の差ですね。行き過ぎた意欲は身を滅ぼすというのに。
文字通りの"
アニー(……ああ。そういえば、マリーがそんなこと言ってた気もするなあ)
ロジャース家で、わたしの帰りを待っているだろう彼女は、わたしと逆に大のTVっ子である。
連邦捜査局勤務だった事も手伝い、大のマスコミ嫌いだった祖父の影響か、映画と動物番組(ドラマ眺めるってのは適当に言った嘘)を除いて殆どTVと向かい合わないわたしに対して、彼女は時たまTVで吸収したと思しき情報を話題として持ってくる。
そのCBS辺りで見たんだろう彼女の出した話題に、橋から転落し掛けた大型バスを、すんでの所で救出したプリキュアが居たのどうの……というものがあったような気がする。
デヴィッド「あそれオレだよ! こないだロンドンでやったやつだね!」
どうやらビンゴだったらしい。
デヴィッド「正確には橋から落ち掛けたバスを助けようとしたクレーンがバスと一緒に落ちそうになった、ね」
デヴィッド「何とか増援が来るまで保たせたけどあれはマジ危なかった。あんなの二度と御免だよ! 俺ほんのちょっとだけ
アニー「そっかーへーそうなのふーん」
……しかし、早口だなぁ。聞き取りづらいんだけど。
さっきから喋ること喋ること。
わたしは別に、人と会話する事が嫌いな訳じゃないけど、こういう……何だろう? 常に口を動かし続ける手合いとは、正直これまでジックリと付き合った経験が無い。
マリー始め、わたしと仲良い他の連中の大半が、場の空気を主導するようなタイプとは程遠いからなぁ……。
きっと彼、デヴィッドは、さぞかし故郷テキサスでは賑やかな(落ち着きの無いとも言う)日々を過ごしているに違いない。
わたしには、そんなの考えただけで胸焼けしちゃうよ。
まあわたしの場合、仮に胸焼けしても、逆流した胃液を水に浄化して暫く座っていれば大丈夫になっちゃうんだけどね。そんな事に天使の力を使うなって? はっは、特権だよ特権。
…………
でも、例え不本意でも会話に付き合っている以上、適当な相槌だけでは失礼かもしれないので、とりあえずこちらからも話題を振ってみる。
……甘いのかもね、わたしって。
アニー「でもテレポートするって、わたしからしたらイメージ湧かないなあ……どんな感じなのそれ」
デヴィッド「どんな感じ……うーん説明が難しいんだけど……あーでもそうだなあ」
デヴィッド「言葉にするなら“気付いたらソコに居る”って感じ? なのかなあ」
アニー「気付いたら居る?」
デヴィッド「うん。アニメとかで見るみたいに変なトンネル通ってる感じは全然しないよ」
変なトンネルって何だ、
しかし……気付いたら居る、か。なかなかイメージし辛いかも。
デヴィッド「目視出来ない距離でしかも初めて行く場所には跳躍の前に写真とか
アニー「ヤバいって?」
デヴィッド「地面深くに出ちゃったり建物にめり込んじゃったり。最初の頃は苦労したぜー」
アニー「ああ、なるほどね……」
デヴィッド「詳しくはアレだけど俺生きててガソリンの味を知る機会があるなんて夢にも思わなかったぜマジで! いやアレはキツかった……」
アニー「ほうほう」
早口
最後まで聴き取ったわたしを誰か褒めてくれ。
……とまあ、ここまで雑談を重ねてきたが。
わたしとしては、どうにも拭い切れない疑問があった。
この気持ち、皆も共有してくれていると思う。
それは
アニー(どこまで付いてくるんだろう……)
そう、そもそも何でデヴィッド……彼が、このわたしの家路に付いてくるのか、という疑問だ。
確かに、わたしと彼は同じプリキュアの力を持った人間で、わたしは先程、彼に危ない所を救われてもいる。
わたし自身、先ほど言った通り、人と雑談する事は嫌いではない。寧ろ好きな方でさえある。
しかし彼……デヴィッドは───
何というのか、その絶えず話し続ける大仰な言動の節々から、わたしに対して何か……執着? とでも言えば良いのか、どこか粘性が高いと例えられそうな要素を感じられる。
口調が不自然に演技掛かっていたり、やたら自分の事を伝えようと
同じプリキュアである事を除いて、ハッキリ言って先ほどまで赤の他人だったデヴィッドから、ここまで執着されるような事をした憶えが無いのだ。まさかマンハッタンから遠く離れたテキサス住みの彼と過去に因縁があるとか、生き別れた親戚だったとかある筈も無いし。
そもそもわたしの親戚に、黒人は父方の伯母の娘の婚約者を除いて見た事が無い。
故に、わたしは彼と何くわぬ顔で雑談を交わしつつ、ある種の得体の知れなさ───恐怖心? を覚えてもいた。
……それに、コレあんま言いたかないけど、彼みたいな黒人って、白人のわたしにとっちゃ表情が読み取り辛いから、彼が内に秘めている意図もイマイチ判別がムズいんだよね。アジア系とかよりはマシだけど。
アニー(いいや、もうやっちまうか)
ええい、このアニー、まどろっこしいのは嫌いだ。
ここはいっそ……そう、突撃しよう。
アニー「ヘイ、デヴィッド君よ」
デヴィッド「どしたの?」
アニー「所で……君はどこまで付いてくるのかね?」
デヴィッド「…………」
ピタリ……と
歩みは止まらない。わたしも少年も変わらず歩き続けている。
止まったのは空気の流れの方であった。
わたしが少し前を歩き、彼が後ろに付いてくる。
目も合わさず、歯車が噛み合わず
痺れを切らしてわたしが少しだけ踏み込んでみた所、物の見事に、いっそ面白いまでに……両者間の空気に、素人目でも分かりまくるほどの亀裂が走ったのであった。
何が素人目かって? コミュニケーション技術の素人なんだよ、わたしは。
アニー「…………」
デヴィッド「…………」
歩く……沈黙……歩く……沈黙……
数えた時間は8秒ほど。
ストレスフルな時間は、強く意識するから実際よりも長く感じる。体感では20秒くらいに思えた。
誰かプリキュアの中に時間の流れを早く出来る方はいらっしゃいませんか。
……
……
で、その沈黙の後、ようやく彼の発した返答は───
デヴィッド「
───ん? だった
いや
いやいや
いやいやいやいや……こっちが取りたいリアクションだよ、そりゃ。
まどろっこしいこと、及びトマトが嫌いな偏屈女、ことアニー・ロジャースは、過程をスッ飛ばしつつもタイミングは見計らい、思いっきり疑問をぶつけてみたのだが、何と首を傾げられてしまった。なんてこった。
アニー「いや、だからね?」
デヴィッド「ああ」
アニー「君は、わたしがプリキュアの仕事を終えて、その後マンハッタンに着いてからも、ずっと付いてきて───」
アニー「いま、わたしの実家のマンションのエレベーターの前な訳ね? で、いまエレベーター乗ったの。2人とも」
アニー「ここまでOK?」
デヴィッド「お、おう……?」
扉が閉じる。
エレベーターは、わたしとデヴィッドと他の乗客1名を乗せて、実に滑らかな動きで上へと昇り始めた。
わたしの実家マンション、ミラータワーズ自慢の静音エレベーターだ。
ヘルズキッチン、かつてクソッたれギャング共の巣窟として悪名を馳せ、かの“デアデビル”の舞台としても採用された修羅の地。近年の劇的な治安改善の象徴の1つとして、我がマンションは地元では割と有名だったりする。
デヴィッド「すっげーマンションだよな! もしかしてアニーって金持ちなの?」
アニー「金持ち……んー、まあソコソコ?」
主に無駄に額のデカい祖父の遺産と、陸軍所属の父親の愛国心と家族愛、あと祖母の趣味の賜物でね。
さておき
エレベーターの中で、わたしは彼と向き合う。
デヴィッド「な、なに?」
アニー「で、我が家の経済事情は置いといてェ……もうメンドっちいからハッキリ言うけどさ」
デヴィッド「ん? うん」
アニー「君とわたしってね? こんな短期間で、こんな雑談交わして歩くほど仲良くなったかって話」
デヴィッド「──────」
アニー「なんだけども」
アニー「貴様ぶっちゃけ何が目的なん?」
デヴィッド「───」
言い切った。
正面から疑問をぶちまけてみた。
…………
すると、どうだろうか。
デヴィッド「な、ん……あ」
別人か?
反射的にそう思わされる程の変わり様を見た。
さっきまでペラペラペラペラペラペラペラペラペラと、滝の流れのように、途切れる事なく、早口で次から次へと喋り続けていた彼は……もうどこにもいないではないか。
視線は定まらず、眼球は頻りに左上と正面(つまりわたしの顔)を行き来して、眉尻は下がり、口元は波打って……
アニー「お、おい……? ちょっと?」
え、ちょ、本当にどうした?
デヴィッドの額に玉のような汗が噴き出ている。
エレベーターの照明が反射して、その黒い肌が光っていらっしゃる。
何だ? わたし……もしかしてヤバいとこ踏んだ?
まあ踏んだんだろうな。いわゆる地雷という物を。
多分、正面突破はマズかったんだろうな。
が、今更そんなこと言っても後戻りは出来ないぞオイ。
正々堂々と玄関扉を叩いた結果が目の前にある。
わたしまで冷や汗が出てきそうだぜオイ。
アニー「ね、ねえ……どしたの、大丈夫?」
デヴィッド「か……あ……」
恐る恐る、わたしは声を掛けるが、返答は要領のヨの字も得ず。
何だ? 何かしら言おうとして、しかし上手く言葉を紡げない。そんな感じの、声とも呼べない音を発して、そしてまた停止してをデヴィッドは繰り返す。
デヴィッド「えあ……その」
停止したと思えば、浅く呼吸して再び動き出す。
アニー( な ん な ん だ よ ! )
ヤバい、訳が分からんがヤバい。震えてらっしゃるよ彼。
何だろう、例えるなら……
今ココでフォークとか渡したら、すぐにでも自分の喉とかに突き立てそうな危うい雰囲気といえば良いのだろうか。すぐに彼の何かを何とかしないと、丸ごと全てが弾け飛んでしまうような……何か?
───有り体に言って“ヤバさ”(圧倒的ボキャ貧)。
デヴィッド「はっ……はっ……」
浅い呼吸、激しい眼球の揺れ、ともすれば手を叩いただけで卒倒してしまいそうな脆さを呈した様子。
何とか話を付けたいが、今の彼と目を合わせるのも怖い気がする。
……ん?
アニー(あれ、そういえば)
と、不意に思い出す。
わたしとデヴィッドの目線って……出会ってから今の今まで、1度でも合った事あったか?
海で会ってから……今まで?
アニー(????)
等と、考えていたら。
デヴィッド「ごめん」
アニー「は?」
スンッ……と
急に……見ると、そこには先程までの彼が幻覚の類だったのではと思うほど、その身体の震えは収まり、額の脂汗……はそのままだったけど、何か世界の理を悟ったかのように落ち着き払ったデヴィッドの姿が。
ともすればそれは、何かを諦めた者の姿にも見え……
え、なに? 今の一瞬で何が起こって彼はどうなった?
誰か説明してくれ。
……おい、どっかで見てるんだろ使徒とやら。
神みたいなものなんだろ貴様。教えろ。
デヴィッド「なんつーか……」
デヴィッド「お、オレこーゆーの慣れてなくてさ。今すぐ帰るわ」
アニー「ちょ、え?」
……状況が動き出したらしい。
肝心のわたしの心を置き去りにしたまま。
ちょっと待てや、帰るって何だよ。
アニー「待って! 待ってちょっと! いいから説明!」
こういうの業を煮やす、と言うんだね。
その一貫性の無い彼の言動に、わたしの額から苛立ちとも、自分の与り知らない所で勝手に歯車が動かされているのを知った焦りとも呼べそうな感情が噴出し……
グイッ
わたしは無意識に、デヴィッドの両肩を思いっ切り掴んでいた。筋肉も碌に付いていない、マリーに毛が生えた程度の華奢な肩だった。
デヴィッド「うわっ、ちょ!?」
アニー「とにかく経緯を話して! このまま帰られたら、何がどうなってんのか気になって眠れなくなるでしょーが!」
この瞬間、わたし達は初めて、明確に視線を交錯させた。
デヴィッドの目は……ハッキリ言って、とても弱々しかった。
自信と呼べそうなものから最も遠く……先程まで途切れなく口を動かし続けていた明るい口調の男の子がする目には、とても見えないほどの……。
先程の彼と、いまの彼
そのあやふやさは得体の知れなさでもあり、余計にわたしの中の苛立ちを、焦りを加速させ、昂ぶらせた。
そして、とうとう彼の次の言葉が、わたしの中で決定打となる。
デヴィッド「ちょ、ごめ……勘弁して」
ブチッ
あっやば───
アニー「 勘 弁 し て は コ ッ チ の 台 詞 だ わ ! ! 」
03.
デヴィッド「ひいっ!?」
デヴィッドの口から出たその言葉に……わたしの中の堤防は限界を迎えた。
はい、ここからわたしの“悪い所の顕れ”の声
《もう薄々と気付いていた。このデヴィッドが自分の都合一本でわたしに関わっている事くらい。》
《だってそうだろう? さっきからどういうつもりだ、何の説明も無く、しつこく一方的に付いてきて。こっちの都合も考えず勝手にペラペラと喋って。》
アニー「助けてくれたのは感謝してるよ! でも1回そっちから近付いてきたなら、何か説明してくれたって良いでしょうよ! さっきから君、ずっと1人でペラペラペラペラ───」
デヴィッド「わ、わ……」
《どうしてこんな状況になっている。何も分からないし誰も分かろうとさせてくれないのが腹立たしい。こうなった原因は何だ? まず間違い無く目の前にいる少年だ。だから目の前の少年の取る言動が腹立たしくなる。》
《わたしはプリキュアとして身を粉にして働いているのに、どうして余計な心労を強要されなきゃいけないの。理不尽だ。それもこれも悪いのは目の前の少年だ。こいつが余計な事をするから、わたしはこうしてキレる羽目になった》
《デヴィッドは、わたしを謂われ無き面倒事に叩き落とす異分子に違いない。だからわたしは怒るんだ。ああ嫌だ面倒だ逃げ出したい関わるないい加減にしろいい加減にしろいい加減にしろいい加減にしろいい加減にしろいい加減にしろいい加減にしろ───》
《───わたし、最低》
はい、ここまでわたしの“悪い所の顕れ”の声
───わたしは目の前の少年を置き去りにして捲し立てつつ、それに並行する形で熱された額が急速に冷えていくのを感じていた。
ああ……またやってしまった。わたしの昔からの悪癖。
たまにわたしは、人から“少し怖い”、“すぐに怒る”、“常に何かに苛立っている”という旨の指摘を受ける。
そんなつもりは無い……とは言えない。
だって、わたしは実際に苛立ちやすい質だから。
自分を抑えられないんだ。
端くれの端くれでも、キリスト君の前で祈った経験を有する身の癖して。
そう、わたしは……偏屈で……怒りっぽい。心に余裕が無い、……もしくは癇癪持ちともいう。
矮小な奴だと思われたくない、そんな安っぽい見栄で間延びした感じに振舞ってるだけだ。
……父親にも言われた。
お前は情に厚いのが良い所だが、少し短絡的過ぎる面がある。特に対人関係で不都合が重なると、すぐ周りが見えなくなりがちだ。
破滅を呼び寄せるとしたら、間違い無くそこからだろう。懐の深い友達(要するにマリーの事)に恵まれた幸運に感謝しろ……って。
…………
……でも、今回は流石にわたしだけが悪いという事も無いと思うんだ。
アニー「はあ……はあ……」
アニー「……ごめん、大声出して。でも君も自分の都合ばかりじゃなくて、少しは説明を───」
デヴィッド「───ご」
アニー「は?」
デヴィッド「 ご め ん な さ い ! 」
アニー「……は?」
シーン……
エレベーターの到着まで、あと少し
その自慢の静音設計が遺憾なく発揮された静けさが、わたし達を包み込んだ……
デヴィッド「ほ、ほんと、ごめん。へ、配慮、そう、配慮だよ。そいつが足りなかった。でも、違うんだよマジ。悪意とか、とにかく違う。そんな、な気は、な、なかったんだ」
お、おんろ、ごえん。へ、へえりょ、そう、へいりょだよ。そいるがたひなかっは。えも、ひがんらよまじ。あふいほか、といかくひあう。おんあ、あきあ、な、らかっはんだ。
……え?
なに?
何を言ってるか全く分からんぞ?
アニー「……ちょっと、口に出して話す前にさ、少し頭の中で整理してみない?」
デヴィッド「あ、えあ……」
デヴィッド「……
アニー(えええ……?)
一体全体、どんな回線が混ざり合って今の展開が形成されたんだ? 彼は結局どういう意図でわたしに付いてきたんだ?
今のわたしは最高に混乱している。
全てが分からないままだ。主にデヴィッド・バークレイが分からないままだ。
……そうして、もうこれでもかってほどゴチャゴチャに混乱していると、またデヴィッドが変な言葉の羅列を吐き出し始める。
以下のように。
デヴィッド「
以上のように。
アニー「は、勉強? と、友達……?」
アニー「一体なに言ってんの急に?」
デヴィッド「
アニー「はあ!?」
徹頭徹尾! 訳が分からんぞ!
ビシッ、と……何かのアニメキャラがやってるのを見た気がする、頭の斜め上辺りで手刀を切るような別れのポーズを取ったデヴィッド。
次の瞬間、デヴィッドは一瞬で再びプリキュアの姿に変わった。……はいぃ?
何してんの? ……え、何してんの!?
アニー「デヴィッド!? ちょ、なに考え」
デヴィッド「
アニー「てん、の」
ジャンプ
───バシュン!!
と、技名を言い切るより前に……デヴィッド、プリキュア化した彼の姿は……エレベーター内から忽然と消えた。
今のが、彼のプリキュアとしての固有能力、
強大な力の割には実に呆気無い……と言っては何だが、本当に気付いたら消えてる。出来の悪い特撮と大差ない。
古来より人が追い求め、幾度となく夢想したであろう超常の力にしては、実にあっさり風味のヘルシーなものであった。
そうして、わたしはエレベーターの中に取り残され、やがて静音設計も手伝い、わたしの周囲に快適な静けさが満ち始めた。
「お友達かいアニー?」
アニー「う、うーん……よく分かんない。でも、きっと隣人を愛する部類だとは思うよ。いや分かんないんだけど」
「そうかい。それは良いことだねぇ……仲直りは、早めにするんだよ」
アニー「う、うーん……努力はする」
「主は、全てを見ているからね」
わたし達と一緒にエレベーターに乗っていた近所のおばあちゃんは、首に下げた十字架を撫でつつ、穏やかに微笑んだ。
ゴメン、おばあちゃん。
この空の上からわたし達を見守ってるのは、残念ながら聖書に書かれてる高尚なオジさんじゃないんだ。信心深いあなたも知っての通りね。
…………
何だったんだろう、一体。
友達になりたい? と言ったのか? 彼は?
…………
いや、何でだよ。
友達になりたい。それは分かる。言葉の持つ意味としては。
つまり、交友関係を結び、わたしと友達になりたい。つまりそういう事だ。それは分かる。
…………
いや、何でだよ。
そう思われるだけの理由が無い。見受けられない。
彼から友達になりたいと思われるだけの理由が、わたしには分からない。
わたしは彼にとって、出会ってから僅かな時間だけで友達になりたいと、そう思われるほど魅力的という事か?
アニー「…………」
……まさか、
アニー「──────」
…………いやあ(半笑)
いやいや……ねえ?
だって、わたしだよ?
流石にそんなアホは、そう何人もいない……うん、いない。
ははは……
アニー「…………」
そういえば、と思い出す。
わたしからも、1個だけ彼に尋ねておきたいことがあったんだ。
アニー(水の上の歩き方、とりあえず今度会う事があったら教わろう……)
水属性のプリキュアとして、わたしが出来なくて彼が出来るのは、あまりにもアレだから。
そしてわたしは、指定の階層に到着した事で、静かに開いたエレベーターの扉と入れ違いに、あまりにも巨大が過ぎる疑問の蓋をパタリと閉じた。
とりあえず、今日は枕を高くして眠れないのは確定した。
FUCK!(伏字なし)
・人の苦境は見過ごさず、理不尽な悪意に涙を流す者には何となく手を差し伸べ×
・人(自他問わず)を理不尽に巻込む輩が世の中に存在するという事実に心底から苛立ち○
・自分に苦境が降り掛かるなら、普通に乗り越えようと足掻き×
・自分の安息を阻む物は、出来る限り排除しないと落ち着かない○
・自分への理不尽な悪意はあまり気にしない×
・悪意に殺意すら抱く事もあるけど、虚栄心と世間体から(余裕のある内は)気にしないふり○
片や強い正義感で保ってるだけで実際は人間の弱さ汚さモリモリ。片や心はそれなりに強いけど自分を助けてくれた存在への色眼鏡マシマシ。如何せん両者とも善性が強い分、仮に拗れたら状況は複雑骨折の様相を呈すると思われる。そんな事になったら熾烈なる領域への到達が危うくなるんで、使徒側で上手く調整するけど。
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