異世界にて食道楽。 (枕魔神)
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ソース焼きそばとツインテ少女。

 ミスティモア王国の城下町、首都ウェール。

 聖ミスティモア城から流れる幾重にも枝分かれした長い河、ウェール川が街中に流れ、住民の生活の一部に溶け込んでいる事と、海へと繋がるとても大きな貿易港があるお陰で多種多様な文化が入ってくる事から、通称『水と貿易の街』と呼ばれるこの街は年中様々な人達で溢れかえる。

 渡船に乗り、河と共存する街並みを観光する人や、珍しい異国の品々を求めて市場へと出向かう人。住民の生活の音に、商人達の活気の良い呼び声。時には他国からやってきたヒューマンに獣人族、ドワーフやエルフ等の種族の垣根を超えた交流が見れるのも、この街ならではの光景だろう。

 ソレもコレも全ては国王ルシアン・ミストラルの知恵や人望がなせる技、世界各国を探してもここまで他の文化に寛大な街はそうそう無い。

 水と貿易の街ウェールは、ミスティモア王国で最も栄えた都市として、今日も多くの人で賑わっていた。

 

 さて、この物語はそんな商業盛んな中心街から少し離れたウェールの街の西外れにある小さな泉の近くでポツンと営業している一軒の飯屋。その店の主人である彼の物語。

 

「きゃ、客が来ねぇ…」

 

 『めし処 銀しゃり』

 この辺りではまず絶対に見ることの無い日本語で書かれた看板を掲げているこの店は、悲しい事に平日の昼時から閑古鳥が鳴いており。彼の虚しい呟きと、川のせせらぎだけが響いていた。

 

  ◇

 

 めし処銀しゃりの主人こと『米蔵 白銀(よねくら はくぎん)』はいわゆる転生者って奴である。

 彼の類まれなる食に対する才能と情熱、信念が神々に認められ、このまま生きていたら料理界に革命を起こしたかもしれないとかそんな感じの理由で好きなチート能力を与えられ、輪廻の理から離れて異世界へと送り込まれたテンプレ的な奴である。

 

 米蔵白銀、享年十七歳。死因『蟹の食い過ぎ』

 彼は極度の蟹アレルギーだった。

 

 勿論、白銀自身もアレルギーの事は認知していたし、それだからこそ今までの人生で一度たりとも蟹を食したことは無かった。

 じゃあ何故、そんな白銀が蟹を食したのか。

 

 理由は単純で明快、そこに美味そうな蟹があったからである。

 

 先程も述べたようにこの米蔵白銀は、神々に認められるほど食の才能と、情熱に溢れた並ならぬ食に対するこだわりを持つ男。そんな男が今まで気になりはしたが一度も味わったことの無い蟹を我慢できるだろうか?

 偶々手に入った貰い物の高級ずわい蟹を、霜の降りたプリプリの引き締まった身を、まるで海を体現したかの様な濃厚な薫り立ち上るカニ味噌を、これらを目の前にして、神々に認められるほどの食に対する情熱を持った白銀が食さずに我慢できるだろうか?

 否ッ、勿論無理である!

 アレルギーなんてもんは気合で乗り越える。なんて世の医者達に喧嘩売ってるとしか思えない無謀な考えで、0.02秒ポッチしかない微かな理性との闘いの末、本能のおもむくまま蟹を食べ、食べ、食べまくった米蔵白銀は、十七歳と言う若さでこの世を去った。

 後に、「マジで死ぬほど美味かった、死んだけど後悔はしてない。ハッハハ!」と白銀は語る。

 バカと天才は紙一重だとよく言うが、間違いなく白銀は紙一重でバカサイドの人間だろう。

 

 そんな他人からしたら下らない、本人からしたら本望な理由でポックリ逝って、神様からチート能力をもらって転生した白銀(神様との未知なる対話とかそんなんは尺の無駄なので割愛する)

 折角降って湧いた第二の人生だし自分の好きな事でもするかと、ここウェールの街で自分の店を開くべく、バイトを続ける事一年間。

 苦労してつい先日、この街の象徴とも言えるウェール川に繋がる泉の近くに店をかまえる事が出来たって訳なのだが、開店してからすぐに、一つの重大過ぎる問題が発生した。

 

「っはあぁぁあ。全くもって客が来ねぇ。一週間、もう一週間だぞ? 普通一人も来ねぇって事ある?」

 

 そう、客が来ないのである。

 とても深いため息をつく白銀の顔は若干疲れていて、店が出来た喜びで、無駄に達筆な看板を自作していた一週間前の彼の姿は見る影もない。

 

「そろそろ収入がないとヤベェよマジで。この店買ったときに貯金殆ど使い切ってしまったかんなぁ」

 

 まさに絶体絶命。このままでは、慣れない環境でバイトの末に、折角オープンした白銀の店も潰れるの待ったなしである。

 確かに、白銀の料理の腕前は現段階で一流のプロ以上とは言わないものの、店を開く者としては十分すぎる腕前を持っている。いや、この世界を基準に考えるならミスティモア王国屈指の腕前と言えるだろう。

 それじゃあ何故客が来ないのか。その答えは神は人に二物を与えぬから、端的に言えば白銀には料理の才は存在しても、商売の才はあまり備わって居なかったのだ。

 

 まず第一に、店の場所が悪い。そもそもこの店がある所はウェールの街の西外れ、人が集まる中心街からだいぶ離ている。ウェール川から流れるキレイな泉の近くにある言えば聞こえはいいが、逆に言えばこの場所の長所はそれしかないと言える。住民はキレイ川や泉なんて見慣れているし、観光客も賑わっている中心街に集まるのだから、人通りが少ないのも無理はない。土地が安いといった理由で即買いをしてしまったのは考えるまでもなく失敗だった。

 それに、客が来ないない理由はそれだけじゃない。

 

「やっぱ看板が悪いのか? 漢字じゃなくて英語にすべきだった?」

 

 ノリで書いたのマズかったかなぁと腕を組み、頭を傾げる白銀。

 確かに悪いのは看板だ、けどそれは漢字だろうと英語だろうと、何ならヒエログリフだろうと大した差はない。そもそもこの世界に存在しない文字が理解される訳がないのだ。違う、そうだけどそうじゃないって感じだ、論点がズレているのだ。

 今のところのこの店に対する現地の人達の認識は、何か読めない看板の何の店か分からない怪しい店と言ったところだろうか。そもそも、白銀の作る料理ですら現地の人達からすれば殆どが未知なる食べ物。尚の事、店の怪しさは加速していた。

 

「まぁ、なるようになるか。いずれ誰かしら来るっしょ」

 

 そんな楽観的な事を呟きながら、白銀は今日もまたカウンター席で客が来るのをダラダラと待つ。そこに危機感とかはあまりなく、最悪店が潰れても料理さえ出来て、それを自分で食えたらそれでいいかなぁなんて事を考えていた。

 そもそも料理して金を稼げるなら一石二鳥じゃね? 元から少し興味あったしってそんな理由で店を開いたのだ、料理さえ出来れば文句などあまり白銀には無い。いくら天才的な料理の才があっても、料理以外に無頓着なのも考えものだった。

 

「にしても暇だ、超ウルトラスーパーデラックスに暇だ」

 

 別に客が来なくてもいいかな精神の白銀でも、ここまで客が来ないと流石に暇で自然と意味の無い独り言が増えてゆく。

 

「…………しりとり…りんご……ごま団子……ゴ、ゴルゴンゾーラ…………」

 

 とうとう暇すぎてセルフしりとりを始めた白銀。椅子を斜めにギーコギーコ揺らしながら、淡々と一人でしりとりを行う様子はとても十八歳の若者とは思えないくらいダラケきってまるで活力が見られない。

 

「……クラチャイ…いぐりごっぽ……ほや…焼きそば…………焼きそば食いたいな。うん、焼きそばが食いたい」

 

 ふと湧いた焼きそばへの渇望から下らないしりとりを即座に打ち切った白銀は、いそいそと店の入り口に準備中の立て札を立て、スキップで厨房へと向かった。

 

  ◇

 

 未だ自分用のまかないしか調理したことの無い真新しい厨房にやってきた白銀は、よく手を洗い、長く伸びたくせ毛な髪を後ろで束ねて、なれた手付きで必要な材料を用意してゆく。

 麺に豚肉にキャベツ、あと特製ソース。海老や貝などの海鮮を入れても美味いが、今回作るのはシンプルな焼きそば、海鮮焼きそばはまたの機会にしよう。

 

「鉄板、鉄板っと。やっぱ焼きそばは鉄板で作りたいぜ」

 

 鉄板に油を薄く引き、熱する。当然この世界にガスなんて無いが、その代わりに焔石(えんせき)と呼ばれる火を放つ便利な魔石によって鉄板を温めることが出来る。その火力は申し分なく白銀も満足していた。

 

「このくらいでいいかな」

 

 手のひらを鉄板に近づけて温度が適切か確かめる。

 十分熱されてると判断した白銀は、細切れにしてあった豚バラ肉とすりおろしたニンニクを鉄板に投入した。

 ジュウッと肉の焼ける音についつい頬が緩む白銀、もうコレに塩コショウするだけで美味そうだ。しかし、今回は作るのは焼きそば、今ここで白米と一緒に肉を食べたくなる欲を理性で抑え込む。

 

「よし、次はキャベツを炒めてこ」

 

 肉の表面が茶色へと変わってきたあたりで、食べやすい大きさにカットされたキャベツを投入、肉と一緒にさっと炒める。ここであまりしなっとさせずにキャベツのシャキシャキ感を少し残してやるのが白銀の拘りだ。麺と一緒に食べるときに丁度良いアクセントとなって、尚の事食を進ませる。

 そして豚肉とキャベツをある程度炒めたらあらかじめほぐしておいた麺を水気軽く切って鉄板へとぶち込み、豚肉、キャベツとよく混ぜ合わせてやる。そうすれば、次はいよいよソースの出番だ。

 

「オイスターソースをベースに作られた自家製の焼きそばソース! 制作期間3ヶ月の努力の味!」

 

 ていやっ! の掛け声と共に、無駄に高い位置からかけられた白銀特製ソースは、熱々の鉄板の上でジューッと食欲をそそる音をたてながら、厨房内をその濃厚な薫りで満たしてゆく。これぞ焼きそばを作る時の醍醐味と言える瞬間だ。

 鼻腔をくすぐる焼きそばソース独特の匂いに、元々空腹だった白銀のお腹は限界を迎える。

 

 ぐうぅ〜

 くぅ〜

 

 厨房に大きく響いたのは、二つのお腹の鳴る音。

 ……ん? 二つ? そう疑問に思った白銀はもう一つの音の鳴った方に振り返る。

 

「あっ」

 

 そこに居たのはキレイな銀色の髪を赤いリボンでツインテールにした、白銀よりも頭二つ分背の低い見た目十歳位の女の子。まるで物語のお姫様みたいな女の子は厨房の入り口で隠れるように立っていた。

 突然振り向いた白銀に少し驚いたのか少しビクッてして、その後少し経ってお腹の音を聞かれた羞恥心から顔を真っ赤に染める女の子。

 

「……いや、自分誰やねん」

 

 焼きそばを作ってるからか、白銀は思わず関西弁でツッコみを入れる。

 

「……泥棒?」

「違うわ! その、わたしは別に怪しい者じゃ無いの!」

「いやゴメン、超怪しいぞ?」

 

 わたわたしながら弁明する少女。

 確かにこんな可愛らしい泥棒は居ないだろうが、怪しいか怪しくないと聞かれれば完全に彼女は怪しかった。

 

「うぅ、どっどう言ったら……」

「あ、もしかしてアンタ客?」

 

 ふとそう言えばココは店だったなと今更ながら思い出した白銀が、頭を抱えて悩んでる少女にそう問いかける。

 

「そ、そうよ! お客さんよ! 偶然たまたまこの辺を通りかかったら知らないお店があるから気になって見に来たの!」

 

 少女はコクコクと首を縦にふり頷いた。

 実際の所、少女はただ匂いに釣られて忍び込んでただけなのだが、当然白銀にそんな事が分かるはずもなく、何なら怪しい少女よりも焼きそばの方が気になっている彼はアッサリ彼女の話を納得した。

 

「そっか、じゃあ悪いけど今準備中なんだよね。俺がこの焼きそば食い終わるまで待ってくんない?」

「やき……そば?」

「そ、焼きそば。超美味い」

 

 そう言って白銀は両手に持った二つのヘラで麺を豪快に混ぜ合わせる。ブワッとさらに強まるソースのいい香りが二人の空腹をさらに刺激した。

 

「ふわぁ……」

 

 眼をキラッキラさせて、だらしなく口元が緩んだ少女。そんな少女を見て、白銀はにかっと笑って「な? 美味そうだろ?」と問いかける。

 そこで自分がだらしない顔をしていたと自覚した少女はまた赤面した。

 

「べっ、別に美味しそうだなぁとか、思って無いことも無いのよ!?」

「テンパって気づいて無いかもだけど、アンタそれ回り回って肯定してんぞ?」

「う、うるさいわ! そんな美味しそうな匂いをしてるやきそば? って食べ物が悪いんじゃない!」

「そーかい。なら食ってみるか? 俺の昼飯ついでで良いなら良いな「いいの!?」

 

 食い気味でそう聞いてくる少女に、白銀は若干苦笑いしながらも「構わねぇぞ」っと答え、少女を手招きして厨房へと招き入れる。

 

「一応手ぇ洗っといてくれ。コレでも飲食店だかんな」

「分かったわ!」

 

 素直に流し台に手を洗いに向かう少女、キチンと石鹸を使って手を洗っていた。

 さて、少女が手を洗ってるうちにコッチも次の工程に入るかと白銀は額に浮かんだ汗をタオルで拭き取る。

 

「鉄板全体に麺と具材を広げて、麺一本一本に火を通すっと」

 

 両手に持ったヘラを器用に使いこなして麺を広げてゆく。

 こうする事によって、唯でさえ美味い焼きそばが香ばしくなり更に美味くなるのだ。折角鉄板で作っているのだから、拘れるところはとことん拘りたい。

 拘ると言えば、そう言えばそろそろアレも作らないとな、そんな事を白銀が考えていると丁度少女が戻ってきた。

 

「店主さん、手を洗って来たわよ」

「おう、丁度いいとこに。そこの卵を二つ取ってくれ」

「卵ね!」

 

 少女から渡された二つ卵を白銀は慣れた手付きで片手で割り、麺を炒めているとこから少し離れた場所に落とす。作って居るのはトッピング用の目玉焼き、焼きそばとの相性は語るまでもないだろう。

 それに蓋をし、黄身にも火が通るように少し蒸す様にして丁度いい半熟を作ってゆく。白銀は目玉焼きを焼いている今のうちに、焼きそばの仕上げに取り掛る。

  

「そんでいい感じに火が通った焼きそばに、紅生姜など残りの具材を入れて、トドメの追いソース」

 

 二度目の今回はソースに少し焦げ目がつくように一旦放置し、フツフツとソースが沸騰しだしたところでソースをこ削ぐ様にして、一気に麺と混ぜ合わせる。少し焦げたソースの香ばしい匂いが嗅覚にダイレクトで伝わってきた。

 

「うっし、出来た」

 

 そう呟やいた白銀は、素早く鉄板の上の熱々の焼きそばを二枚の皿に盛り付けてゆく。

 元は白銀一人用だからハーフサイズになるが、元々多めに作ってたから問題はない。

 白い皿の上に乗せられるは、湯気が立ち昇る美味しそうな焼きそば、これだけでも既に美味そうだが、白銀は更にひと手間を加えてゆく。

 

「そして先程作っていた半熟目玉焼き、青のり、鰹の削り節をトッピングっと」

「ねぇねぇ店主さん、このヒラヒラしてるの何なの?」

 

 湯気に揺られて揺らめく鰹節に興味を持った少女が、白銀にコレは何かと問いかける。

 

「ん? 鰹節の事か? コレはカツオって魚を干して削ったもんだ。ここって貿易が盛んだろ? 偶々手に入ったんだよ、流石に鰹節は自分で作った事無かったからな、コッチには無いと思ってたからありがたかった」

 

 初めて見つけた時には衝撃のあまり、店の店主の胸ぐらを掴みかからん勢いでこの鰹節は何処からの輸入品かと問いただした白銀。それからと言うもの定期的にその店で鰹節を購入していた。

 煮干し、昆布、鰹節の出汁の中で鰹節だけが手に入らないと意気消沈していた所に現れた鰹節、白銀からしたらとてもありがたい一品なのである。

 一方、コレがあのカツオだと説明された少女の表情には、分かりやすく信じられないと書いてあった。

 

「これがカツオ……信じられないわ」

「マジだっての、コレが美味いんだよ」

「だけど、全然お魚っぽくないわよ」

「乾燥してるからそんなかんじなんだよ。ホレ! 焼きそば、テーブルまで運んでくれ」

「はーい」

 

 揺れる鰹節をマジマジと観察しながら、焼きそばをテーブルへと運んでゆく少女。

 そんな微笑ましい光景をみながら白銀は、魔石の効果で冷蔵庫と同じ役割を果たしている食料庫からある調味料を取り出して、少女の後に続くのだった。

 

  ◇

 

 店のテーブルに、互い向かい合う様に座りあった二人。目の前にはまだ湯気が登っている出来立ての焼きそば。

 

「んじゃあ、手を合わせてください」

「手? こんな感じ?」

 

 白銀にそう言われ、彼の真似をするように、小首を傾げながら両手を合わせる少女。

 

「そそ、そんで食事をする前に『いただきます』、食べ終わったら『ご馳走さまでした』って俺の産まれたところでは挨拶すんだよ」

「変わった風習ね、一体どんな意味があるの?」

「感謝だよ感謝するんだ、この料理を食べれるにあたって関わってきた人達に、そして何より命に。この焼きそばだって豚やキャベツ、さっき話した鰹の命の上に出来てんだ。うまい飯食わせてくれてありがとう、いただきます、ご馳走さまってな」

 

 白銀はこの風習が、食に対して真摯に向き合っている気がして好きだった。だからコッチに来てからも食事の際には必ず行っていた。

 そんな白銀の説明を聞いた少女も「それはとっても素敵な風習ね!」と笑った。白銀も「だろ?」ってニヤッと笑みを浮かべる。

 

「てな訳で、冷めちまう前に食おうぜ。美味しいうちに食わねぇと食べ物に失礼だ」

「ふふっ、そうね!」

 

 そうやって二人は手を合わせ

 

「「いただきます」」

 

 声を揃えて食べ物に、命に感謝をした。

 そして、先程完成した出来立ての焼きそばを一口。

 瞬間、麺一本一本によく絡んだ、甘味のある濃厚な特製ソースの味が口の中を支配する。

 一口目の余韻が引かぬまま、すかさず二口目。美味い。

 豚肉のジューシーさと、シャキシャキ感の残るキャベツの食感が良いアクセントを与えていて白銀は箸が、少女はフォークが止まらなくなるのを感じた。

 モチモチで少しカリカリな香ばしい焼きそばを、白銀は啜る啜る。少女もフォークを器用に使いクルクルとまるでパスタの様に焼きそば味わっていた。

 

「うん、流石俺。メッチャうまうま」

「なにこれ! 美味しい! やきそばってすっごく美味しいわ!」

 

 自身の作った焼きそばを自画自賛する白銀と、とても美味しそうに焼きそばを食べ進める少女。

 そんな少女の様子を見た白銀は、目玉焼きを指差しこう言った。

 

「今度はコレと一緒に食べてみな? 美味いから」

 

 そう言われて、少女はさっそく卵焼きにフォークで切り込みを入れてみる。すると切込みから半熟の黄身がトロォっと溢れて、下に轢いてある焼きそばと絡み合った。

 少女は焼きそば初心者ながら本能的に直感する、コレは絶対に美味しいやつだと。

 コクリと生唾を飲み込む少女。しっかりと黄身と白身、焼きそばを混ぜ合わせ、満を持して豪快に麺を啜った。

 その瞬間、口の中に広がるのは今までとはまた一味違った、焼きそばの可能性。トロトロで濃厚な黄身のソースが焼きそばをコーティングし、まろやかな味になっていた。

 

「ムゥッ!」

 

 口いっぱいに焼きそばを頬張りながら、少女は何かを訴えている。

 白銀は悪戯の成功した子供みたいな顔をしながら、いいから落ち着いて食べろとお冷を少女に渡した。

 

「コクッコクッ……プハッ。凄いわ! 普通の状態でも美味しいのに、更にこんなに美味しくなるなるなんて!」

 

 テンション高めで溢れんばかりの幸せオーラを発している少女。

 普段自分の為にしか料理をしない白銀も、美味しそうに自分の作った料理を食べる少女を見て少しただけ嬉しくなり、ついついニヤけてしまうのを感じた。

 

「わたし気に入ったわ、やきそば」

「だよなぁ、美味いよなぁ焼きそば。これぞ庶民の味って奴だ、何でもない料理だけど癖になる。やっぱ鉄板が良かったんだな、うん」

「庶民の味って、やきそばって高級料理じゃないの!?」

「なわけねぇって、使ってる材料見りゃわかんだろ。大体コッチ側の相場で高くても800リン位だ」

「えぇ……そんなにお手軽なんだ、こんなに美味しいのに」

 

 焼きそばは珍しい異国の高級料理だと勘違いしていた少女は、予想外にリーズナブルな値段に若干肩透かしを食らう。

 

「そ、お手軽で美味しい庶民の味方の焼きそば。そして庶民の味と言えばコレ」

 

 そう言って白銀がどーんっ! とテーブルに置いたのは、少女の見たことない容器に入った謎の乳白色のソース。

 そう、所謂マヨネーズと呼ばれる調味料である。

 

「りーぴーとあふたーみー。マヨネーズ」

「まよねぇず?」

「いえす、マヨネーズ。時に人を狂わせマヨラーと呼ばれる新たな人種にかえてしまう俺の故郷の調味料」

「コレってそんなに凄いものなの!?」

 

 少女は白銀のマヨネーズの説明に驚きの声を上げ、そんな少女の反応に白銀は満足げに頷いた。

 このマヨネーズは白銀の「マヨネーズなら作れんじゃね?」といった思いつきから、並々ならぬ努力と試行錯誤のうえ完成した、まさにこの世界にたった一つしか存在しないマヨネーズなので確かに凄いものなのだが、白銀の説明は一概に間違っているとは言えないものの、それではまるでマヨネーズがヤバイ薬みたいである。

 しかしそんな事、白銀には関係ない。半分程食べた自身の焼きそばにマヨネーズをビームの様にかけてゆく。

 

「ほれ、貸してみ?」

 

 言われるがまま皿を白銀に差し出し、マヨビームされてゆく様を興味深そうに観察する少女。

 いったいどんな味なんだろう……。初めて見る謎のソースに、こんなに美味しい焼きそばを更に美味しくする可能性がるのかと、少女は少しの期待とドキドキを感じた。

 白銀の匠の様なマヨビームでトッピングされた焼きそばを返され、少女は意を決して焼きそばを口に運ぶ。

 

「んんっ!?」

 

 焼きそばの甘味のある濃厚なソースとマヨネーズ独特の酸味が絶妙にハイブリッドし、少女の口いっぱいに旨味を広げる。味付けの濃い焼きそばとマヨネーズの相性は犯罪的なまでにピッタリだった。

 調味料一つでここまで変わるの? 正直少女はマヨネーズを侮っていた。いくら白銀があの様に言っても所詮は調味料、せいぜい味変位の効果だろうと思っていた。

 しかし、マヨネーズは少女の予想の遥か上を行く。酸味がありながらマイルドなその調味料は焼きそばソースと絡み合い、新たな極上のソースとして、焼きそばの美味しさを一つ上の高みへと引っ張り上げた。

 まよねぇず……恐ろしい調味料だわ。

 マヨネーズの美味しさに驚きつつ、フォークを止める気配がない少女。すっかりマヨネーズの虜である。

 

 そんな無我夢中で焼きそばを食べる、絶賛マヨラーへと覚醒中な少女を本当に美味そうに食べる奴だなぁと見ていた白銀は、ある事に気が付き手拭きを少女に渡す。

 

「ふぇ?」

 

 その事に、いったい何かと小首を傾げる少女。白銀は笑うのを堪えながらチョンチョンって自分の口元を指差し、少女に教えてあげた。

 

「口元、ソースついてんぞ」

「ッ!!」

 

 カァッと顔を赤らめて口元を隠す少女。そんなコロコロ表情が変わる可愛らしい少女の反応に、白銀は堪えきれず吹き出した。

 

  ◇

 

「あー食った食ったご馳走さん」

「わたしもご馳走さまでした」

 

 あっという間に焼きそばを完食し満足げな声を上げる白銀。少女も完食して、丁寧に手を合わせてご馳走さまをした。

 

「さっきからずっと言ってるけど、やきそば、すっごく美味しかったわ! ご馳走さま!」

「お粗末さん、あんだけ美味そうに食べてくれたなら焼きそばも本望だろうよ」

 

 満面の笑みでそう述べる少女に、白銀は椅子に寄りかかりながらそう答えた。

 なんと言うか、この娘の食いっぷりは見てて惚れ惚れる。特に大食いって訳ではないのだが、その小さな口でモキュモキュとめっちゃ美味そうに食べる姿は見ていて気持ちが良い。もし例えるなら、そう小動物がエサを食べる的な感じだ。

 

「本当に美味しかったわ! お代はいくらかしら?」

「あ~、いや良いよ。アレ俺の昼飯ついでだし」

 

 カバンから財布を取り出そとする少女にそう告げる白銀。

 

「えっ! でもソレは悪いわ」

「良いって、この店始まって以来初めの客だからな、サービスって奴よ」

「そ、そう?」

「そそ、子供が気にすんな」

「分かった……ん? 子供?」

 

 正直なところ、見るからに自分よりもだいぶ年下な少女に、自分のまかないのついでで金を貰うのは気が引ける。だから少女が気に病まない様にと白銀にしては気の利いたセリフだったのだが、当の少女は少し難色を示す。

 

「ちょっと待って……何かおかしいわ」

「ん? それでも気に何なら、次は親御さんと一緒に来てくれればいいぜ?」

「うん、ソレは分かったの、ありがたく頂くわ。でもそこじゃないの、親御さんってのもそうだけど、もっと別におかしな所があると思わない?」

「変なとこ?」

 

 白銀としては全く持って変な所などないのだが、少女は納得していないご様子。いったい何が気になるのだろうか?

 

「わたしの聞き間違いじゃなかったら、アナタ今わたしの事を『子供』って言ったかしら?」

「?? あぁ、子供何だから気にすんなって言ったぞ?」

 

 イマイチよく分からないまま少女の質問に白銀が答えると、少女はぷるぷる震えだした。

 

「いきなり震えてどした? 大丈夫か?」

「……だれ…………よ」

「は?」

「だっ、誰が。誰が子供よ! わたしだってもう十七歳、立派な淑女。大人なんだから!」

「………嘘ぉ」

「嘘ぉ、っじゃないわよ、失礼ね!」

 

 わたし不本意です、と言わんばかりに頬を膨らませて怒る少女。童顔で十七歳にしてはだいぶ小さい身長をした少女が実は自分と一つしか年が変わらないなんて、白銀はどうしても思えなかった。しかし、少女からしてみたら確かに白銀は失礼極まりない奴である。正直、立派な淑女で大人って所には首を傾げざる負えないが、こんなに憤慨してるのだから少女は確かにこの見た目で十七歳なのだろう。なので白銀は大人しく謝っておく事にした。

 

「……うん。なんか、ゴメン」

「……何だか納得いってないって感じが滲みでてて、すっごいムカつくけど、まぁいいわ。わたし、大人だからこんな事でずっと怒ったりしないの。大人だから」

「あ、うん。ソッスネ、おっとなー」

 

 そこで自身が大人と誇張するあたりがガキっぽいのだが、なんて事態を悪化させる事間違いなしのセリフを心の中だけで呟いた白銀。見るからにテキトーに少女の機嫌を取るのだった。まぁ、少女もそんなテキトーなヨイショが満更でもない様子なので結果オーライなのかも知れない。

 

「いいこと? わたしが次にこのお店に来るときはちゃーんと、わたしの事を大人として接するのよ?」

「わーったよ。なるべく気をつける」

「なるべくじゃなくて絶対よ! 分かった?」

 

 人差し指をびしっと白銀に突き出して念を押す少女に、そんなに子供扱いされたくないのかと若干呆れつつ。白銀はりょーかいと返事を返す。その返事に満足したのか少女は満足げに笑った。

 そんな少女の様子を見た白銀は「極力善処する方向で検討するわ」と呟いて、皿を片付けるため椅子から立ち上がった。

 

「んじゃ、俺はこれ片付けるから。アンタも好きにしててくれ」

「そういえば今更だけど、お店の準備中だったのよね。ご馳走になっちゃった後でアレだけど、良かったの?」

「大丈夫だろ、全然客とか来ねぇし。何たって店を開いてから一週間、アンタが初めての客だからなぁ」

「それって、大丈夫なの?」

「大丈夫だろ、ちいっと潰れるかも知んないってだけの話だ」

「全然大丈夫なんかじゃないわ!?」

「正直潰れても料理さえ出来れば良いかなって思ってる。まぁ、なんとかやっていけるだろ。ハハッ」

 

 まるで他人事の様に笑う白銀に少女は思った。だ、駄目だ……この人すっごく危なっかしい、と

 楽観的な白銀の考えに思わず言葉を失った少女は頭を抱える。

 

「どうしよう、出会ったばかりだけど店主さんのこの様子、ほっといたら本当にお店潰しちゃいそう……やっと誰にも見つからなそうな、お気に入りのお店ができたと思ったのに」

「いやいや、最悪潰れてもいいけど、そんなに簡単に潰れるわけねぇじゃん」

「今ままでわたし以外にお客さんが来てない店の店主さんのセリフじゃないわ!?」

 

 少女が白銀に最も過ぎる指摘をする。

 

「本当に大丈夫なの? 次にわたしがやってやって来たらお店がなくなっちゃってたりしない?」

「……保証はしかねる、かな?」

「駄目だわ、この人……」

 

 ガックシと肩を落して項垂れる少女。そしてある事に気がついてハッと顔を顔をあげた。

 このままだと、あのやきそばが食べられなくわ!

 今まで見たことも聞いたこともない魅惑の食べ物焼きそば、それが今後いっさい食べられなくなるかも知れない。先程の初焼きそばにより、すっかり焼きそばの虜になってしまった少女からしたら、そんな恐ろしい事態は考えられなかった。

 もしかしたらこのお店以外にも取り扱っているところはあるかも知れない。だがしかし、目の前でヘラヘラと笑っているこの店主以上に、この料理を美味しく調理できるだろうか? 少女にそんな疑問が浮かんだ。

 確かに、この世界で最も美味い焼きそばを作れるのは白銀であるし、ここからしたら異世界の料理である焼きそばを取り扱っているお店は、それこそ魔境を探してもまず見つからないだろう。

 しかし、そんな事は少女のあずかり知らない事である、ただ少女のまた焼きそばを食べたいと言う欲から産まれた第六感が囁いていた、この男を逃すと二度と焼きそばは食べられないと。

 

「ねぇねぇ、店主さん。もしもお店が潰れちゃったらどうするの?」

「そ~だな、折角の機会だしあっちこっち旅しながら美味いもん食べ歩こうかな。まぁ、料理できて食えればそれで良い」

 

 異世界のグルメってヤツを堪能するのも楽しそうだ、と思って白銀はそう答えたが、少女は嫌な予感が当ったといよいよ慌てだす。そして、どうすればこれからも焼きそばにありつけるのかを、ウンウンと頭を抱えて悩みだした。

 あーでもないこーでもないも思考する少女を、白銀が皿を洗いながら訝しげに見守ること数分。少女は何かを閃いたらしく、晴れ晴れとした顔でパンっと両手を合わせた。

 

「そうだわ、こうすればいいのよ! ねぇ店主さん、店主さんはお料理が作れれば良いわけよね?」

「んぁ? そうだよ? 作って食えればそれで良い」

「つまり、場所はそこまで重要じゃないって事なのよね?」

「そだな。山でも海でも何処でもノープロだ」

「じゃあ! もし毎日好きな料理が作れて、材料も色々揃えることができて更にはお賃金も出る、基本的に毎日三食分料理を作ってくれたら後は店主さんの好きにしても良い職場があったらどうする!?」

「?? そんな好条件過ぎるとこがあんなら、ここを一時休業にして働きてぇな。まぁ、あるならだけど」

 

 いきなりそんな話を聞いてどうしたのかと思いつつ、少女にそう答えてやると、少女はパァっと顔をほころばせ安心したような笑みを浮かべる。

 

「本当に!? 分かったわ! そうと決まればこうしちゃいられないもの。店主さん、わたし今からとっても大切な用事が出来たから帰るわね!」

「お? おぅ、気い付けて帰れよ?」

 

 突如、たたぁっと脱兎の如く店を飛び出した少女。さり際にご馳走さま! と言い残して去って行った少女に唖然とする白銀。

 

「どうしたんかな? …………せんべい食いてぇな。あと煮物」

 

 再び静かになった店内に、戸惑いの声が響く。

 何やら早る気持ちを抑えきれてない感じで帰っていたが、道中転んだりしないのだろうかと、若干の不安を持ちつつ、今日のおやつと晩飯なんにしよーかなと考えているあたり、あいも変わらずこの男は平常運転だった。

 

  ◇

 

 翌日。

 白銀が例によって、客のいない店内でダラダラ過ごしていることの事。あー、暇だぁ。またしりとりでもしようかと思っていると、コンコンと店の扉をノックする音が聞こえた。

 

「? はいはい、少々待たれよー」

 

 のっそりと腰を揚げ、扉の方へと向かう。カランとカウベルの音と共に開けられた扉の前には、西洋風の鎧を身に纏ったガタイの良い、怖い顔の男が立っていた……六人も。

 

「……どちらさん?」

 

 客かな? と若干の期待を持ってた白銀は、目の前のどっからどう見ても客じゃない兵士? の登場に、スッと表情が消えて真顔で用事を聞く。

 白銀は内心かなりビビっていた。マジで誰だよこの人達、顔怖えよ体でけぇよ何でも六人もいんだよ! つかなんか喋れよ!? 余計怖いわ! とビビリ倒していた冷や汗モノだった。

 生前から一人で人の少ない田舎で過ごしてきた白銀には、この様に屈強な暑苦しいそうな漢達に囲まれるのはハードルが高かった。

 どうしたものかと白銀が戸惑っていると、その屈強な漢達の隙間から、見覚えのある赤いリボンで結った銀色のツインテールが跳ねているのがチラッと見えた。何やら騒がしい。

 

「ちょ、アナタ達どきなさいよ! わたしが見えないわ!」

「……しかし、警戒するに越した事はありません。元々私は反対なのです、この様な怪しい少年を城に招くなど」

「その話はここに来るまでに何度も聞いたわ! あの人はわたしが自分で決めて雇う新しいシェフなんだから安心しなさい!」

「だから、そのシェフに身元不明の平民を雇う事がおかしいのです! 毒でも盛られたらどうなさるのですか!」

「それならわたしは昨日死んでるわね、今更よ。そもそも気付いてなかったし、最初はわたしの事を泥棒だと思ってたんだから、他国の間者の線は薄いわ。そもそも、この事はお父様にも納得して頂いたことよ、今更口を挟まないで!」

「しかし……」

「しかしもお菓子もないのっ! はい、どいてどいて!」

 

 リーダー格の男をどかして、むさ苦しい男の群れの中から出てくる昨日の少女。昨日のシンプルな服装とは打って変わってきらびやかな品のある衣装を身に纏っていた。

 しかし、顔は昨日の記憶の通り幼さが抜けきってない可愛らしい顔で、白銀は改めて目の前の出来事はこの少女が起こしたのだと再認識した。

 

「おはよう店主さん!」

「おっおう、おはよ」

 

 笑顔で挨拶してくる少女。白銀はすっごく睨んでくる兵士のリーダー格の男の視線にビビりながらも挨拶を返す。

 

「昨日の話の通り、誘いに来たわよ! 店主さん」

「うん、そうか……ん? 誘うってなにさ?」

「もちろん、店主さんが毎日好きな料理が作れて、材料も色々揃えることができて更にはお賃金も出る、基本的に毎日三食分料理を作ってくれたら後は店主さんの好きにしても良い職場によ!」

「……は?」

 

 そう言えば最後にそんな会話をしてたなぁと思い出しつつ、本当に誘いに来たと言う少女に理解が追いつかない白銀。

 

「細かい雇用内容とかは、向こうに着いてから決めるけど。おおよそ、昨日話した条件は満たせると思うわ? どうかしら店主さん、働いてみない?」

「いやいや、急な話すぎて良くわかんねぇし、色々ツッコミたい事はあるけど、そもそも働くって何処で?」

 

 白銀は、当たり前の疑問を少女に問う。

 すると少女はあそこよと何処かを指さした。白銀は少女の指さした方へと視線を移動させ、驚愕した。

 

「いや、城じゃん」

「そう、お城よ!」

「…………嘘ぉ」

「嘘じゃないわ、ミスティモア王国の王家が住まいし聖ミスティモア城よ! どう? 驚いたかしら?」

 

 にこにこと自慢げにそう告げる少女に白銀は開いた口が塞がらなかった。

 

「アンタさ、いったい何者?」

「そうね、わたしとした事がそう言えば自己紹介がまだだったわ」

 

 理解が追いついてない白銀がそう聞くと、少女はふふっと楽しそうに笑って少女はくるりと一回転し、スカートの裾を少しだけ持ち上げて一礼。

 流れるような気品あふれる一連の動きののち、言葉を続けた。

 

「わたしの名は、ラティア・ミストラル。この国の第二王女よ! 店主さん、貴方の名前は?」

 

 異世界に来てからはや一年。文化の違いとかに持ち前の能天気さで対応しながらほのぼのと生活していた白銀は、突然日常に現れた予想以上のビッグネームに考えるのを放棄した。

 

  ◇

 

 

 【おまけ】

 

「そう言えば、お店の前にあった変な立て札、あれって何なの?」

「立て札? あぁ、ウチの看板だよ。めし処 銀シャリって書いてあんだろ?」

「看板って、あんなヘンテコな文字誰も読めないわよ?」

「…………ハッ!!」

 

 料理バカ、今頃気づく。

 



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タンポポオムライスと新生活。

 米蔵 白銀(18)
・自他共に認める、料理バカ。
・好きな事は料理を作る事と食べる事。


 ラティア・ミストラル(17)
・銀髪ツインテールのお姫様、見た目は百歩譲って中学生。
・大人っぽく見られたいらしいが、今のところ無理である。



 ミスティモア王国の王家が代々住まう由緒正しきお城、聖ミスティモア城。

 純白を基調とした外壁と、所々に設置された魔石を原動力とした噴水によって、まるで童話に出てくるお城の様に幻想的なその城は、ウェールの街の至るところからもその城郭を捉えることができ、城下町に訪れる人々に王家の気品と風格を知らしめていた。

 

 さて、そんな由緒正しきこの王城の一室。『めし処銀シャリ 聖ミスティモア城支部』と異世界の文字で書かれた立て札がかけられた厨房では、

 

「むっかしーむっかしーもーもたーろがぁ、たっすけたかっめにきーびだーんごー、りゅーぐーじょうでおーにたーいじぃ……」

 

 浦島太郎の歌を桃太郎風にアレンジした鼻歌を口ずさみながら、きびだんごを黙々と制作している白銀の姿があった。

 

  ◇

 

 白銀がミスティモア王国の第二王女であるラティア姫から、城で働かないかとスカウトされたのは、今から二週間ほど前の事。

 あの一緒に焼きそばを食べたちっこい少女が、実はリアル姫様でしたと明かされた白銀は、当初思考を放棄するほどに戸惑った。そして、戸惑って戸惑って、物凄く戸惑っている内にトントン拍子にラティアの話は進んでいて、あれよあれよと言う前に白銀は城へと招かれて、気が付けば王宮で働く事が決定していた。

 白銀のまったり異世界生活に終止符が打たれ、新たに白銀の王宮料理人生活が幕を開けた瞬間である。

 

 白銀に与えられた仕事は当然ながら、料理を作って提供すること。普通なら以前から働いていたベテランのシェフ達に混ざり、新米として働く事になるのだろうけど、白銀の場合は特例も特例らしく、入ってすぐに彼専用のダイニングキッチンの厨房を与えられた。ラティア曰く、白銀の店をお城で開くみたいな感じだとの事で、頼まれた時に料理を作ればいいらしい。と言うかぶっちゃけそれさえ守っておけば、後は与えられた厨房を好きにしても良いとの事。しかも住むとこもあって給料も出るときた。何という高待遇、基本的に料理第一に考える白銀からしたら、これ以上無いと言えるほどの最高の職場だった。

 初め危惧されていた、見るからに場違いな王宮の雰囲気に気圧された事による白銀の緊張も、流石というか当たり前というか、一度調理を始めれば人が変わったかの様に料理に没頭して微塵も緊張を感じさせず、普段作る物と何ら遜色ないクオリティの料理を作り上げ、ラティアを満足させた。

 今現在、王宮での白銀の立ち位置はラティア専属の料理と言った所である。

 

「きびだんご、うまうま」

 

 そして働き初めて二週間たった今、好き勝手にこのダイニングキッチンの厨房を使用して、おやつの甘味を自作して舌鼓を打っているこの男はというと。まぁ、とどのつまりこの環境に慣れていた。住めば都を体現していた。何ならノリに乗ってまた自作の看板を入り口に飾るなんて事もしていた。

 実際に暮らしてみると、自室と厨房の行き来しか外に出ることが無く、その上殆ど厨房に引きこもってあまり他の人と会うこともないため、とても生活しやすいのだ。

 しかし、だからと言ってもつい最近まで普通の生活を送っていたと言うのにこの適応力。おそらく白銀のメンタルは鋼、いやタングステンで出来ているのだろう。王宮で住みだしても相変わらず平常運転だった。

 

「お茶がぁ……美味い」

 

 きびだんご特有の雑穀の甘みと、アレンジで加えた黒蜜の上品な香りを、濃いめの緑茶で流してほっと一息つく。五臓六腑に暖かいお茶が染み渡り、まったりとした空気が厨房を満たした。おそらく今この王宮の中で、最ものんびりとした空間は間違いなくこの厨房だろう。緊張感なんて微塵も存在しなかった。

 

 そんなのんびりとした厨房の外から、タタタッと誰かがかけてくる音が聞こえる。新参者で特例扱いの白銀を遠目から観察する者は居ても、わざわざ彼の厨房へおもむく変わり者なんていない。だから白銀には、この足音の主が簡単に想像できた。

 ガチャと勢い良く扉が開き、厨房へと入ってきたのは揺れて輝く銀色のツインテール。ここ最近、と言うか白銀が城に住み込むようになって毎日の様にこの場所を訪れている白銀の雇用主、ラティア・ミストラル第二王女だった。

 

「こんにちわハクギン! 遊びにきたわよ!」

「いらっしゃい、ラティア嬢。きびだんご食う?」

 

 今日もまた、元気に厨房へとやって来たラティアに、きびだんごを勧める白銀。

 初めは王族の身分である彼女の事を、ラティア様と慣れない敬称で呼んでいた白銀だったが、ラティア本人に違和感があるから普通に前みたいに呼んでくれと頼まれ、本人の希望と雇われの身であるって事が白銀の中で考慮された結果、『ラティア嬢』と言う呼び方が定着していた。

 

「きびだんご? ハクギンが作ったものなの?」

「そーだな、さっき作った」

「じゃあいただくわ!」 

「んじゃ、いつもん場所で座って待ってな」

 

 そう言って、テーブル席に白銀はラティアの分のきびだんごとお茶を配膳する。そして自身もその場所に移動した。

 

「これも初めて見る食べ物だわ。この前のみたらいだんごと違うのかしら?」

「みたらし団子な、これはキビが入っててアレとはちっと違うから食べてみ?」

「……分かったわ、いただきます」

 

 きびだんごをおずおずと両手で持って観察しながら、口まで運ぶラティア。はむっと食べてみると分かる、モチモチとした柔らかい食感と控えめな甘さに「あ、おいし」とラティアの口から思わずそんな言葉がこぼれる。白銀はそんなラティアを見て、「そーだよな、美味いよな?」と言って言葉を続けた。

 

「なんたってコレ一つで鬼退治に参戦する奴がいるくらいだからな。そりゃあ美味いだろうよ」

「鬼?」

「あー、コッチで言うところのオーク的な?」

「オーク退治にコレ一つで!?」

 

 オークといえば群れをなして人里を襲う凶悪なモンスター。そんな恐ろしいモンスターの討伐が、いくら美味しいとは言えどおだんご一つでいいの!?と驚くラティアを横目に、白銀はしてやったりとニヤニヤしていた。

 王宮へとやって来てからというものほぼ毎日の様に厨房へと訪れるラティア。二週間も顔を合わせていれば、少しずつ相手の性格とかが分かってくるもので、ラティアの喜怒哀楽のハッキリとした素直なリアクションを見ていた白銀は、これ面白いと頻繁に元の世界の話などをして、彼女をからかう様になる。この男、この二週間の間で素直で純粋な箱入り娘のラティア姫をからかう事に味を占めていたりしていた。

 ちなみにきびだんご一つで鬼に参加したのは、勿論犬と猿と雉の三匹。物語の中の話なのだが、そんな白銀のイタズラに、勿論素直なラティアは気づかない。

 

「信じられないわ、このおだんごでオーク退治だなんて」

「でも実際にやってたからなぁ、食い意地でも張ってたんじゃないの?」

「そんな事でこんなに危ない事を!?」

「うん、それにきびだんごのお陰で勝ってたぞ?」

「しかも勝っちゃってる!?」

「まぁ、俺の地元で有名な昔話なんだけどな?」

「昔話……つまり作り話なんじゃない! もうハクギン! またからかったわねっ!」

 

 頬をぷくーっと膨らまし、ポコポコと白銀に怒るラティアに、白銀はクスクス笑いながらすまんすまんと謝る。

 全く反省していないその様子が、尚の事ラティアを刺激し、彼女はぷいっとそっぽを向いてしまった。

 

「ふーんだ、せっかく今日もここで晩ごはんを一緒に食べようと思ってたのに。そんな意地悪を言う人なんてわたし、もう知らないわ」

「あー……マジで悪かったよ。今日はせっかくオムライス作るんだからさ、機嫌直しなよい」

 

 オムライス。その言葉にピクっと反応を示すラティア。白銀はそういえばラティアが、前にオムライスが好物だと言っていた事を思い出す。

 

「チキンライス……」

 

 ピクピクッと、また反応した。

 

「コクのあるデミグラスソース」

「デミグラスソース……」

「ふわっとしてとろとろの卵」

「ふわっ、とろッ…………もう、し、しょうがないわねぇ。今回だけは許してあげるわ? 感謝してよね! 決して、オムライスに釣られて許してあげるとかじゃないわ。絶対にそんなんじゃないんだからっ!」

「あ、そすか」

 

 チョロいっすね、ラティア嬢。内心そんな事を思う白銀は、好物のオムライスをチラつかされただけで簡単に釣られるラティアに、そんなにチョロくて姫様の立場的に大丈夫なのかと若干心配になる。

 王宮で働いて二週間。白銀はラティアの胃袋をガッチリ掴んでいた。

 

  ◇

 

 オムライス。

 調理した米飯を鶏卵でオムレツの様に包み、ケチャップソース、デミグラスソース、ベシャメルソース等をかけて食べる日本の洋食。洋食店のみならず一般のレストラン、また家庭料理としても親しまれてたりする。

 そんな卵料理の王道とも言えるオムライスを、今朝良質で新鮮な卵を手に入れてから、ずっと卵料理を食べたいと考えていた白銀が、一日のメインと言える晩ごはんのメニューにチョイスしたのは道理であり必然だった。

 

「てなわけで、オムライス作っていきまーす」

「おーっ!」

 

 髪を結って袖を捲った白銀と、三角巾を頭にして同じく袖を捲っているラティアがエプロンを付けて意気込む。

 今ラティアが着ている、水色のフリルのあしらわれたどことなく高そうなエプロンは、ラティアが自分で用意したもの。どうやらあの日の焼きそばから料理に興味を持ったらしい。料理好きとして喜ばしいと感じながら、白銀はオムライスの材料を揃えていった。

 

「まずチキンライスの材料は鶏モモ肉に玉ねぎとマッシュルーム、グリンピースなんだけど……ラティア嬢、グリンピースは食えるよな?」

「当然よ、そんなに子供じゃないわ?」

「アンタ前にピーマン出した時、一口目食べだすまでに結構かかってたでしょーが」

 

 今日の晩ごはんは何かと、わくわく顔で調理室に入ってきたラティアの顔が、ピーマンの肉詰めを見るなり絶望一色に変わったのを、白銀は忘れていない。

 食事は楽しんでこそをモットーにしている白銀は、無理しても苦手なものを食べる事は無いといったが、自称淑女のプライドか、または食べ物を粗末にしてはいけないという思いからかその提案をはねのけ、十分近く葛藤した上にピーマンを食べていた。

  

「うぅっ……いいじゃない、結局ハクギンが作ってくれたのは美味しかったんだから!」

「食べるまでが長いから問題なんだっての。それよかマジでグリンピースは大丈夫なんだろうな?」

「勿論、大丈夫だわ。それと、ピーマンもちょびっとだけ苦手なだけで好き嫌いじゃないんだからねっ!」

「はいはい、分かった分かった」

 

 今更遅すぎるラティアの弁明を軽く流しつつ、白銀は準備を進めていく。そしてフライパンを魔石コンロに乗せると、コキコキと拳を鳴らしてフッと息を吐き、気合を入れた。

 

「んじゃ、取り敢えず鶏肉と玉ねぎ切っていくか」

「わたしも切りたいっ!」

「いいけど……包丁使うときは?」

「猫さんの手よね? 前に教えて貰ったからバッチリよ!」 

 

 そう言ってラティアはにゃんにゃんと手を曲げた。猫耳が幻覚で見えそうなラティアの様子に、白銀は覚えてるなら注意しとけば問題ないなと彼女に包丁と、余分な脂身や皮などを取り除いて下処理した鶏肉を渡す。

 

「んじゃラティア嬢、取り敢えずソレを賽の目状に切ってくれ」

「分かったわ……このくらい?」

 

 ラティアが慣れないながらも、丁寧に一口サイズに切り分けた鶏肉を見て頷く白銀。

 

「そ、いい感じ。その間に俺は玉ねぎを切りますかね」

 

 ラティアに鶏肉は任せ、白銀はヘタの部分と根本をサクサクと包丁で切り落としてから皮を向き、玉ねぎをみじん切りにしていく。

 玉ねぎ特有の眼が染みる感覚に、ラティア嬢にやらせてたら何時まで経っても終わんなかっただろうなぁっと苦笑いをする白銀。白銀も眼に染みて涙が出そうになるにはなるのだが、玉ねぎ如きに遅れをとっては料理人語ってられないと、気合と年季と慣れでカバーして、あっという間にみじん切り、ついでにマッシュルームの薄切りも終わらせた。

 

「ハクギン! こっちも終わったわ」

「りょーかい、これでチキンライスの下処理が終わったな。そんじゃ作って行くぜ」

 

 フライパンに火をかけて薄く油を引き、十分にフライパンが熱されれば、そこにラティアが切ってくれた鶏肉を入れる。ジュウッと心地良い音が厨房に響いた。

 

「鶏肉は少し火が通り難いかんな。こうやって先に炒めるんだけど……」

「ん? どうしたの?」

 

 フライパンと木ベラを動かすのを止めた白銀を不思議に思い、隣で鶏肉が炒められるのを見ていたラティアがそう問いかける。そんなラティアの様子を見て白銀は、「ま、せっかくだしな」とニヤッと口角を上げた。いつものラティアをからかったりする時と同じ顔である。

 

「ラティア嬢。ちぃっと離れてな」

「? 分かったわ」

 

 ラティアが少し後ろに下がったのを見てから、白銀は一升瓶から何かの液体をフライパンに振りかけた。

 

 ボッッ、ブォオオッ!!

 

「きゃっ!」

「ハハッ、ファイヤァってな?」

 

 突如フライパンから立ち上った火柱に驚きの声をラティアが上げ、白銀は陽気に笑った。

 白銀が行ったのは、所謂アルコール度数の高い酒などを振りかけて行う、フランベと呼ばれる調理法。主に香り付けや旨味を閉じ込めたりする時に使用される方法だが、今回はラティアが見ているからって理由が主だった。楽しい事が好きな白銀らしい理由である。

 

「もうっハクギン、驚いたじゃない!」

 

 五秒ほどで炎は鎮火し、我に返ったラティアからの抗議を受ける白銀。

 

「悪りぃ悪りぃ、でも凄かったろ?」

「確かに凄かったけど。凄かったけどぉ!」

 

 「なんだか釈然としないっ」とラティアは呟いたが、当の本人はイタズラが成功して上機嫌である。クルクルと木ベラを回しながら先程みじん切りにした玉ねぎ、薄くスライスしたマッシュルーム、グリンピースを鶏肉を炒めているフライパンに投入した。

 

「そんで、玉ねぎが透き通るまで炒めていくっと」

 

 器用にフライパンを振りながら、均等に火が通るように具材を混ぜてる白銀。これが一般家庭に置いてある普通のコンロだったら、振りすぎはフライパンの熱が下がり過ぎて良くないのだが、高火力が売りの魔石コンロなので問題は無い。

 じっくり、しかし焦げ付かないように気を付けて、具材を炒めること一分弱。玉ねぎが白く透明になってきたので、料理は次の工程に入る。

 

「発酵バターを適量、全体に伸ばすように引いてからご飯を入れる」

 

 白銀がフライパンを振るたびに立ち昇る、食欲をそそるバターの優しい香りに、二人の顔がほころんだ。

 具材とご飯をバターに絡ませるように混ぜ合わせ、塩胡椒とブラックペッパーで味を整えてた白銀はよっし、じゃあ次はコレだなっと、コンロのもう片方の火口にかけてあった鍋の蓋を開ける。

 鍋の中身は今朝からオムライス用に白銀が仕込んでおいた、特製デミグラスソース。そのじっくり煮詰められた香り高いソースに、鍋の中を興味深そうに覗き込んでいたラティアが感嘆の声を漏らした。

 

「わぁ、とても良い香りだわ!」

「ケチャップライスでもいいんだけど。今回はこっちって事でいいよな? ラティア嬢」

「ええ、デミグラスソースは大好きだから問題ないわ、美味しいわよね」

「お、奇遇だな。俺もこっちのほうが好きだぜ?」

 

 「まっ、ケチャップライスも捨てがたいがな」と呟いた白銀は、お玉でデミグラスソースを一掬いして、フライパンで炒めているバターライスにさっとかけた。ジュウッとデミグラスソースが熱されたフライパンの上で蒸発し、デミグラスソース特有の香りを二人の鼻孔まで届ける。

 やべぇ、このままでもぜってぇ美味ぇ。

 毎度の事ながら、料理しているとそんな事を考えてしまう白銀は固唾をゴクリと飲み込み、その衝動を必死に抑えながらフライパンを振る。水分量がケチャップを使用する時よりも多いため、手早く水分を飛ばしながらしっかりと中身を混ぜ合わせ、ライス一粒一粒にバターとデミグラスソースをコーティングしていく。

 フライパンの上を、まるで踊るかのように宙に浮いて混ぜ合わせられるチキンライスの様子は、まるで曲芸の様で料理初心者のラティアの眼を釘付けにしていた。

 

「よっし、チキンライスの完成っと」

 

 あっという間にチキンライスは出来上がり、白銀はラティアに二人分の皿を取ってくるように支持する。そしてそのラティアが持ってきてくれた皿にチキンライスを盛り付けて、隅の方に置いた。

 

「あれれ? ねぇハクギン? このチキンライス、卵で包まれてないわよ?」

 

 昔ながらの薄焼き卵で包むオムライスを想像していたラティアが、そんな事を白銀に問いかけた。今の時点でチキンライスの形を決めてしまった事に疑問を抱いたのだろう。

 そんなラティアの問いに白銀は「あれ? ラティア嬢、タンポポオムライスって知らねぇの?」と聞く。ラティアは「知らないわ」と首を横に振った。

 

「じゃあ楽しみにしてな、こっからが一番面白ぇところだから」

「そうなの? 」

「そうなのよ。てなわけでラティア嬢、卵を四つ……いや贅沢に六つ取ってくれ」

「六つね、分かったわ!」

 

 ラティアから渡された卵をボウルの中に落とす。白身が完全に黄身と混ざり合うように、菜箸を器に当てて白身を切るイメージで卵を溶き、シンプルに塩で味付けをした。

 

「そんで、さっきのフライパンとは別のフライパンにサラダ油を引いてから、十分に熱っしてっと」

 

 さっと卵の付いた菜箸を、フライパンの上に走らせて温度確認。十分に熱されていると判断した白銀は、ボウルの中の溶き卵を半分ほどフライパンに注ぎ込み、フライパンを揺らしながら菜箸で混ぜて卵半熟を作る。

 

「なんだか忙しない動きね?」

「卵料理は、スピードが大切なんだよ。もたもたしてるとすぐに固まっちまうかんな」

 

 そう口を動かしつつも、白銀は卵を混ぜる手を止めない。外側から内側へ、全体が均一に半熟になるように混ぜ合わせてゆく。

 白銀がスピード勝負と表したように、ものの十秒ほどで卵は白銀の求めていたトロトロふわふわの半熟状態となった。

 

「そんで、このスクランブルエッグ状の卵の端を持ってきて、オムレツを作ってゆくっと」

 

 トントントンとフライパンを持った方の手首を叩きながら閉じ口を上に、コロコロと卵を転がして、あっという間にキレイなラグビーボール状のオムレツを形成してゆく白銀。

 この男はいとも簡単にやってのけているが、実際はコレもかなりの技量が必要な技である。少なくともラティアが真似しても、ただのスクランブルエッグが出来るだけだろう。

 

「中はトロトロ半熟卵で表面は薄焼き卵。こうしてフライパンの上で転がしてやる事によって、中身がくっつくって訳だ。……こんな感じで上等だろ」

 

 そう言って白銀はフライパンを火口から離して、隅の方に置いていたチキンライスにオムレツをゆっくりと乗せる。

 そしてそのまま「あと一人分」と呟いて、先程と同じ要領でパパっとオムレツを作り上げて、もう一つのチキンライスに乗っけた。

 

「これで完成なの?」

 

 小首をかしげながらラティアが問う。

 その問いかけを白銀は首を横振って否定し、食器棚からナイフを取り出した。そしてそのナイフをチキンライスの上に乗ったオムレツの端に当て「クライマックスだぜ?」とラティアにニヤッと笑いかけ、オムレツにスッと切込みを入る。瞬間、キレイな黄金は解け、チキンライスの山を覆うように包み込む。まさに圧巻の一言、柔らかすぎず硬すぎない、絶妙な具合に仕上がったオムレツを、見事に切り開いて完成したオムライスは、まるでタンポポの様だった。

 

「わぁ!」

 

 初めて見るタンポポオムライスに、頬をほんのり赤く染め、目をキラキラさせて感動するラティア。そんなラティアを横目に、白銀はオムライスの仕上げに取り掛かった。

 チキンライスにも使用したデミグラスソースをたっぷりと贅沢にオムライスにかけてゆく。そして最後に、鮮やかな黄金と深く熟成された赤褐色のコントラストの中に、彩りとしてパセリが加えられ、白銀お手製タンポポオムライスが完成した。

 

「完成っと。ラティア嬢、運ぶから手伝ってくれ」

「は~い! オムライスー!」

 

 テンション高めでオムライスをテーブルに運ぶラティアに、「コケるんじゃねぇぞ」と呼びかけ、白銀もその後に続く。そして、スプーンと飲み物をテキパキと用意し、お互いに向かい合うようにテーブルに着席した。

 

「「いただきます」」

 

 そう言って、手を合わせ料理に感謝する白銀とラティア。二人の前に置かれた、出来立てのタンポポオムライスから、空腹な二人の食指を刺激するかの様に湯気が上がっていた。

 もう辛抱たまらんといった感じで、二人はデミグラスソースをよく絡めたオムライスを銀のスプーンですくい、はむっと口へと運ぶ。すると、ふわふわでトロトロの卵に包まれた、コクのあるデミグラスソースの甘み、チキンライスのバターの風味が口の中いっぱいに広がった。

 

「ふわっふわっ! とろとろっ!」

「美味ぇ……」

 

 ラティアはあまりの美味しさに目を見開き、白銀は反対に目をつぶり頷く。それぞれ違った反応を見せて、二人は揃って二口目。

 噛みしめる事で感じる、ジューシーな鶏肉の旨味と玉ねぎの甘み、マッシュルームとデミグラスソースの相性も抜群だ。しかも、これだけでも十分に美味しいというのに、シンプルな味付けのふわとろオムレツとチキンライスを一緒に食べる事によって、デミグラスソースと卵のコクが、自己主張の強いチキンライスの旨味を優しく包み込み、トロトロでふわふわながら、コクと熟成された深みのある味を絶妙なバランスで作り出していた。

 犯罪的過ぎるオムレツとチキンライスの組み合わせに、スプーンが止まらない。

 

「んんーっ! とっても美味しいわ!」

 

 これにはオムライス好きを公言していたラティアもご満悦、頬に手を当てて笑顔いっぱい、幸せそうな表情。心なしかツインテールもぴょこぴょこ揺れている。

 しっかしまぁ、相変わらず美味そうに食べる娘だこと、意外とラティア嬢には食道楽の才能があるかもしれない、これは他にも色んなものを食べさせてやったら面白いかもしれねぇなぁ。黙々と自分で作ったタンポポオムライスに舌鼓を打ちながら、白銀はそんな事を考える。

 生前も含め、ラティアが白銀の店を訪れたあの日まで、長いこと他人に自分の料理を振る舞ってこなかった白銀だったが、王宮でラティアのコロコロと変わる、素直な嘘のない反応を見て、他人に食べさせるのも悪くないと若干ながら思うようになっていた。

 自分の食いたい時に食べたい物を作って食べ、他の人は二の次、三の次だった自己中心的なマイペース料理バカの白銀らしからぬ考えに、生前の彼を知っている者が聞いたら、少なからず驚かれる事だろう。

 

「ま、気が向いたらでいいか……」

 

 白銀本人も柄じゃない事を自覚しているのか、何とも言えない苦笑いを浮かべる。しかし、そもそも自分が食事中に目の前の料理以外の事を考える事自体が稀だという事実には、気付いていない様だった。

 

「なんの話?」

 

 白銀の呟きに耳ざとく反応したラティアに、白銀は「いんや」と誤魔化した。

 

「次はどんなもんを作ろっかなぁって考えててよ。このオムライスにチーズとか入れても美味そうだなと」

「何それ、美味しそう」

「他にもデミグラスソースにきのこ類たっぷり入れてみたりとかな?」

「きのこたっぷり……そんなの絶対に美味しいに決まってるじゃない!」

 

 「お願いハクギン、今度でいいから作って?」 と手を顔の前で合わせながら、可愛くお願いしてくるラティアに、白銀は若干口角を上げながら、「ま、気が向いたらな」と答えた。

 自分の作った料理を、美味しいと笑顔で食べてくれる人がいる。白銀はそんな今の生活を、たった二週間過ごしただけだが、案外悪くないなと思っていた。

 ガチで柄じゃないかもなぁ……

 白銀は心の中だけでそうごちて、きれいに空になった皿に「ご馳走さまでした」と手を合わせるのだった。

 

 

  ◇

 

 

 【おまけ】

 

「ハクギン、ハクギン。今度はいつオムライスを作るのかしら? 明日? 明後日?」

「いや、さっき食ったばっかだろぉが。当分はオムライスって気分じゃねぇし、次はいつになるか分かんねぇな」

「えぇ、そんなぁ」

「どんだけオムライス好きなんだよ。……今の気分的に明日はハンバーグなん「ハンバーグッ!?」おぉ、食いつきはや。なに、ハンバーグも好きなの?」

「えぇ大好きよ! 他にはエビフライとかナポリタン、甘口だったらカレーも好きだわ!」

「へー、オムライスにハンバーグ、エビフライにナポリタン、あと甘口のカレーねぇ……ラティア嬢ってさ、もしかしなくてもガキ舌?」

「なっ!」

 

 姫様は見た目と味覚が幼いらしい。

 




これからも月一くらいで気まぐれ投稿していきます。
一話目の感想、二話目のご愛読ありがとうございました。


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フレンチトーストと第一王女。

 ミスティモア王国の第二王女、ラティア姫はここ最近とってもご機嫌さんだった。理由は言わずもなが一ヶ月前からこの王宮で雇われている料理馬鹿、米倉白銀(よねくら はくぎん)

 久しぶりに王宮を抜け出して、なんとなくウェール川のほとりまで遊び来ていたラティアが、美味しそうな焼きそば匂いに釣られて、彼の店を訪れた事がきっかけで出会い、それから彼が王宮で働く事になってからというもの、ラティアはこれまでの比じゃないくらい充実した楽しい日々を過ごしていた。

 厨房に顔を出せばいつでも、白銀が料理を作ったり食べたりしている。その彼が作った、多種多様な料理を食べながら、その日一日何があったとか今度は何が食べたいだとか、そんな取り留めない事を話す。そんな白銀との食事の時間が、厨房を包む暖かな美味しそうな匂いが、ラティアはお気に入りだった。

 

 王宮で蝶よ花よと大切に育てられてきた、典型的な箱入り娘であるラティアにとって、自身を王女だからと特別視しない白銀はとても新鮮であり、寧ろ遠慮のない対等な関係の様な感じがして嬉しかったり。同年代の友人もろくにおらず、幼少の頃から遊び相手と言えるのは、一つ年の離れた姉くらいだった筋金入りの拗らせボッチ姫のラティアからすれば、白銀の存在はようやく手に入れた同年代のお友達だった。一応立場的には王族と平民、雇用主と使用人って関係なのだが、少なくともラティアの方は、そんな身分の差を気にしている様子もなく、初めて出来たお友達にただだた浮かれていた。

 

 そんな訳で絶賛ウキウキ状態の姫様。本日の用事をまるっと全て終わらせたラティアは、ようやく件のお友達に会えると、鼻歌交じりのスキップをしながら厨房へ向かっていた。

 

「お邪魔するわよ! ハクギン、今日も遊びに来てあげたわ!」

 

 元気よく扉を開けて厨房の中へ、するとそこにはラティアのよく知る人物が"二人"。お互いに正面から向き合って座っており、重々しい雰囲気を沈黙と共に醸し出していた。

  

 一人は当然ながら、この厨房に半端住み込み状態である白銀。気まずそうに視線を反らし、コーヒーを忙しなく口にしている。

 そして、そんな白銀の向かい側に座り、微動だにせずに沈黙を貫いている人物。王族特有の銀色の長い髪を一房だけ三つ編みにした、まるで西洋人形の様な、儚くも冷たげな雰囲気を持つ麗嬢。

 

「……ご機嫌、よう。ラティア」

「アイリお姉さまっ!?」

 

 ラティアの実の姉、この国の第一王女アイリーン・ミストラル。普段なら絶対にここに訪れないであろう人物に、ラティアは驚きの声をあげた。

 

  ◇

 

 ミスティモア王国の第一王女、ラティアの実の姉であるアイリーン・ミストラルは、ここ最近とてもご機嫌斜めだった。原因はコチラも言わずもなが、妹が連れてきた米倉白銀という料理人。

 ウェールの街のはずれに寂れた店を構えていた以外の経歴は不明。珍しい名前からこの国の者では無い事は想像出来るのだが、詳しい出身地も不明。この入国したルートも不明。名前と年齢と料理人ってこと以外が完全に分からない怪しさマックスの男。

 そんな暫定不審者の白銀を、当然この国を導く王家の一員として誇りを持っているアイリーンが快く思わないのは当然だった。

 

 現在、王家に仕えてくれている者たちは皆、格式の高い貴族の出だったり、何代も前から代々仕える使用人の家系の者だったりが殆どだ。一部平民の者たちも居るが、彼等彼女等は人並み以上の才能を持ち、その上に努力を重ねてきた者たちで、王家に認められたからこそ、ミストラル王家に仕える事が出来ている。

 何かと愛娘に甘いお父様は、珍しいラティアの我儘に反対しなかったらしいけど、私は反対。彼みたいな身元不明の怪しすぎる男性がここで働くなんて、他の者たちに示しがつかない。アイリーンはそう思っていた。

 

 しかし、それだけならアイリーンの機嫌はここまで悪くなる事は無かったであろう。よく誤解されるが、元々優しくて穏やかな性格のアイリーンである、身分や出生の差で人を判断するなんて事は普段ならまずありえない。

 それに加えて、白銀は今まで一度も会って話した事すら無い相手だ、いつものアイリーンなら、尚更先入観だけで頑なに白銀の事を否定する事は無かったであろう。

 

 では、何故彼女がここまで白銀を認めないのか。

 それは、彼女が普段のクールな落ち着いた佇まいからは、微塵も想像もできないレベルでシスターコンプレックス、略してシスコンだから、その一言に尽きるのだった。

 

 アイリーンと一つ歳の離れた、彼女のたった一人の妹。物心のついたときからずっと一緒で、何をするにも自分の真似をして、お姉さまお姉さまと自分を慕ってくれた、とても可愛いラティア。

 幼い頃から人より表情が乏しく、人見知りだった性格も相まって、周りの者たちからは冷たげな、他を寄せ付けない近寄りがたい人だと思われているアイリーン。そんな彼女にとって、自分を純粋に慕ってくれる妹の存在はとても嬉しいくて、可愛くて、可愛くて。妹が可愛すぎてもう妹が一緒に居てくれればいい、と彼女はラティアとは別のベクトルでぼっちを拗らせる。

 そんな彼女が、妹が突然連れてきた男にいい印象を持つわけがないのだ。

 

 先程から色々と身元が不明だの、身分がどうだのとか、白銀がこの城で働くには相応しくない理由をつらつらと述べていたが。とどのつまり、このシスコン姫は妹に懐かれている白銀が、単純に気に入らないだけなのである。

 

 この一ヶ月、ラティアが一日に一回は欠かさず例の男のところへ足を運んでいる事が、一緒にいる時にラティアが例の男の話を嬉しそうにする事が、そして何よりもその時のラティアのいきいきとした表情が、ソレを引出しているのは例の男だという事実が、アイリーンはとても、とっても気に入らなかった。

 いっその事、ぽいっと城から追い出せるなら話が早いのだろうが、そんな事をしたら、ラティアが少なからず悲しむのは目に見えているし、もしかしたら自分が嫌われたりするかもしれない。それだけは絶対に避けなければいけない。

 ラティアと引き離したいのに引き離せない。そんなフラストレーションが、彼女をより一層苛立たせた。

 

 そんな訳で今日もアイリーンは、無言の不機嫌オーラをあたりに撒き散らしながら一日を過ごしていた。

 

「……気に入らないわ」

 

 不機嫌な事を隠そうともせずにそう呟く。

 この一ヶ月、何かと用事が立て込んでいて、一度も白銀の元を訪れる機会がなかったアイリーン。ここは一度、タイミングを見計らって、妹を誑かそうとする例の男の人に、文句の一つでも言ってやりたい。妹に嫌われるのが怖くて、すぐに追い出したりは出来ないけれど、それでもせめて何か皮肉の一言くらいは言ってやりたい、そんな事を考えながら廊下を歩いていた。

 

 もうすぐお昼時、ラティアはまた今日も例の厨房へと行くのだろうか。最近は忙しくてラティアとの時間が減ってしまっている自分と比べて、一日一回は合えるハクギンと呼ばれる男の人が羨ましい、是非とも私と変わって欲しい、そんな思いからハァとため息を溢れる。

 ちょうど三度目のため息の時だろうか、何処からともなく甘い匂い漂ってきて、不意にアイリーンの鼻孔を刺激した。

 

「…………?」

 

 いつもより少し乱暴になっていた歩みを止め、どこからともなく流れてくる甘い匂いに意識を集中する。

 どこかでお菓子でも作ってるのだろうか、その美味しそうな匂いに、アイリーンは先程まで白銀の事でムカムカしていた事なんて、すっかり忘れてしまう。

 

「……何、かしら?」

 

 そしてそう呟いたアイリーンは、フラフラと匂いに釣られるかのように、その発生源である例の厨房へと誘われて行くのであった。彼女と妹は、案外似たもの姉妹なのかもしれない。

 

  ◇

 

「てなわけで今回は、みんな大好きフレンチトーストを作っていきてぇと思います!」

 

 ラティアが厨房に訪れる五時間前、アイリーンが匂いに釣られる三十分前の事。

 妙にハイテンションな独り言を呟きながら、今日も今日とて自他共に認める日本が産んだ料理バカこと米倉白銀は、例によって料理に勤しんでいた。

 本日のメニューは先程の宣言通り、お洒落にフレンチトースト。今朝、自室で起きるなりフレンチトーストが食べたいと思ったが吉日。約四十秒で身支度を済ませ、厨房へと直行した白銀は、現在朝の七時だというのにハイテンションでやる気十分だった。

 

「いやぁ、あんな美味そうなフレンチトースト食べる夢見たらさ、現実でも作って正夢にするしかねぇでしょ」

 

 「まぁ、今から作ったら食べる頃には昼になってるけどね」白銀はそう一人ゴチる。しかし、だからといって白銀は一切の妥協を許さない。簡単なものならすぐに作って食べれるだろうが、そのクオリティは確実に夢に出てきたフレンチトーストには劣る、それでは意味がないのだ。自身の持てる技術の全てを駆使して作らなければ、フレンチトーストの神に失礼というものだ。

 夢の影響で突発的に作っているにも関わらず、何故自分は昨晩から準備をしていなかったのかと、アホなことを悔やみながら、白銀は冷蔵庫からフレンチトーストの材料を取り出してゆく。急な思いつきにも対応出来るくらい、この冷蔵庫の中身は豊富だった。

 

「まず、パンに浸す卵液を作らねぇとな」

 

 ぐぐっと腕を伸ばして気合いを入れ、牛乳と生クリームをニ対一の割合で注ぎ、鍋を弱火にかけて加熱する。生クリームを入れるか入れないかで味のクオリティが明らかに変わるのだ、入れないと言う選択肢は存在しない。

 そして、鍋を火にかけているその間にバニラビーンズの下処理を行っていく白銀、包丁で黒いさやに縦に切り込みを入れ、中に入っている種をこそぎ取って、火にかけている牛乳の中へとバニラビーンズを入れた。

 

「向こうならバニラエッセンスとかあんだけどなぁ、こっちだと流石に見当たらねぇか」

 

 バニラの香りを移すために加熱すること五分。鍋肌がふつふつとしだしたら火を止めて、バニラビーンズを取り出す。鍋からはほのかにバニラの甘い香りが漂い、しっかりと匂いが移っているのが確認できた。

 

「そんでこの牛乳と、卵と砂糖を混ぜ合わせてっと……」

 

 白銀は卵を片手で器用にボウルへ落とし、そこへ砂糖を加えてよく混ぜ合わせ、先程の牛乳を少しずつ加えて卵液を作ってゆく。

 この時に卵をよくかき混ぜるのがポイントで、卵白と黄身がしっかりと混ぜ合わせられるように心がけなければならない。卵白が溶けておらず粘度が高いままだと、十分にパンに卵液が染み込まない原因となる為だ。

 

「よし、いい感じにサラサラになったな。んじゃあ、食パンを分厚目に切り分けて……ん、耳は取るか」

 

 一斤の食パンを四枚切りに切り分け、なるべくフワフワの食感を楽しみたいため四隅の耳を取り除く。食パンは沢山卵液を吸い込ませる事ができるように、ある程度分厚いものを使用するのもポイントだ。

 そして、切り分けた食パンをバットに並べ、そこに用意していた卵液を流し込む。

 

「そしたら昼まで寝かせるっ! いじょー!」

 

 コレでフレンチトーストの第一工程の終了である。あとは様子を見つつ裏返して両面にしっかり卵液を染み込ませてやれば良いだろう。

 

「それじゃ、下処理も終わった事だし。朝飯でも作るか」

 

 冷蔵庫に卵液に浸した食パンをしまい、先程切り取ったパンの耳を取り出す。そして、食べやすいサイズにカットしたら。バターを引いたフライパンでサクサクになるまで炒めてゆく。今朝飯として作っているのは、所謂ラスクと呼ばれる料理だ。

 

「耳まで残さずにちゃんと食べないともったいないオバケが来るって聞くかんな。てか、そうじゃなくても無駄にするなんてあり得ないって話なんだけどな」

 

 十分にサクサクになってきたら、砂糖をパンの上にふりかける。砂糖の溶ける甘い香りがバターの香りと相まって、白銀の食指を刺激した。

 ある程度砂糖が溶けて、パンにコーティングされたら火を消し、皿に手早く盛り付ける。

 

「あとは好みできな粉とか、シナモ…『ギィ』…ん?」

 

 シナモンを取ろうと伸ばした手が、扉の開かれる音に止まる。アレ? いつもより早いけど、もうラティア孃が来ちまったか? とそう思った白銀。しかし、そんな白銀の予想に反して、顔を出したのはラティアと若干似ているものの、明らかに違う白銀の知らない人物。そう、アイリーン・ミストラルだった。

 

「え?……どちらさん?」

「…………」

「えっ? なに、どうしたの?」

「……(じー)」

 

 じーっと視線をラスクに固定させるアイリーン。白銀が皿を右に動かせばアイリーンも右に、左に動かせば左に。

 

「えーっと、ラスク食べる?」

「……(こくこく)」

 

 差し出されたラスクに目を輝かせ頷くアイリーン。

 ラティアの面影がある顔や髪の色、そして食べ物に対する食いつきの良さから、白銀はアイリーンの正体は知らないものの、あぁ、この人絶対ラティア孃の身内だ、と一人納得するのであった。

 

  ◇

 

 そしてそれから四時間もの間、二人の間では会話らしい会話はほぼゼロで、差し出されたラスクをサクサクと無言で口に運ぶアイリーンは、食べ終わった後も無言を貫いた。

 そして、前々から気に入らなかった白銀に文句を言うわけでもなく、食べ終わった帰るわけでもなく、この後もただ沈黙を貫くことになる。途中で気まずくなった白銀が慣れない感じで会話の話題を振るが、効果はいまひとつ。

 白銀は、ラティア孃の身内だっては想像つくけど、この人誰だ? 何で喋んないの? てかこの人も王族でしょ? 下手な態度取ったら俺ヤバくね?って感じで焦っていた。

 

「ーーそんな時にラティア孃がやって来たって訳。おけ?」

「そ、そうなんだ……まぁお姉さまは人見知りだから」

「……別に……そこまで、酷くはないわ」

 

 四時間も無言と言う事実に若干引いていた妹の困った表情に、アイリーンは少し拗ねた様な態度を取る。アイリーンとしては、ついさっきまで文句を言う気マンマンで意気込んでいたのにも関わらず、お菓子の甘い香りに釣られてなし崩し的に文句を言う筈の相手にご馳走になった事が気まずくて、話を切り出す事が出来なかっただけである。けして、いざ本人を目の前にするとビビって言えなくなったりとか、お菓子に夢中で気が付いたら見た目怖そうな男の人と二人っきりだと言う状況に萎縮したりとかはしていないのだ。まぁ、どちらにしても情けない理由であるのだが。

 

「まぁ、ラティア孃の姉ちゃんって分かったらそれで良いわ。米倉白銀って言います。アイリーン様、でいいんすよね?」

「…………アイリーン・ミストラル」

 

 本当は返事なんてしたくなかったけど、妹の目の前で大人気ない態度を取るわけにもいかず、先程の美味しいお菓子に免じて名前くらいは教えて上げても良いかな、と白銀に返事を返した。

 

「じゃあ、自分は昼食の調理に取り掛かるんで。アイリーン様も食べて行きますよね?」

「……(こくり)」

「ハイハイっ! わたし、お手伝いするわっ!」

 

 元気よく手を挙げてお手伝いを買って出るラティアに「あとは焼くだけだから、アイリーン様と待っててくれ」と伝え、キッチンへと向かう白銀。その言葉にラティアは「はーい」と元気に返事をし、アイリーンは愛する妹と久しぶりに二人っきりになった事に、あの男の人も少しは良い所があるわね、とか思っていた。

 

「それじゃ、まちに待ったフレンチトーストを作って行くかね」

 

 四時間もの間、じっくりと卵液を完全に吸い込んだ食パンを冷蔵庫から取り出す白銀。弱火にかけたフライパンにバターを引いてそこに食パンを入れる。そしてフライパンに蓋をしたら、じっくりと十分ほど蒸し焼きにしてゆくのだ。

 こうしてやる事で徐々に内部まで火が通り、卵がふっくらと膨らむため、フワフワのジューシーなフレンチトーストになるのだ。

 この時、けしてパンに触れたりしてはいけない。変にパンに刺激を与えてしまうと、せっかく膨らんだ卵が萎びてしまう。

 

「焼き上がるまで、ゆっくりじっくりと待つべし」

 

 そして待つこと十分。パンをひっくり返す為に蓋を開ける、蒸気と共に甘い美味しそうな香りがブワッと辺り一体に広まった。

 

「おぉ、うまそ」

「……(ぴく)」

「ふわぁ……バターのいい香り!」

 

 その匂いに、白銀はニヤリと広角を上げ、テーブルで待っている二人の姫様も反応を示す。

 形が崩れないようにそっとフライ返しを差し込んて、パンをひっくり返す。美味しそうな黄金色に焼き上がった表面が顔をだした。今朝からずっとフレンチトーストを食べたかった白銀のテンションは、一気に急上昇する。はやる気持ちを抑えて、再びフライパンに蓋をして十分。最後に仕上げで両面を強火で数秒、焦げ目を入れてやると。

 

「しゃあっ! 完成だ」

 

 白銀特製、本格的フレンチトーストの完成である。

 

  ◇

 

 シンプルにバターとシロップでトッピングされたフレンチトーストが、コトリと二人の目前に置かれた。

 

「「ごくり」」

 

 目の前に置かれた黄金のフレンチトーストに、思わず固唾を飲み込むラティアとアイリーン。その二人と向かい合うようにして、白銀が自分の分のフレンチトーストを持って着席した。

 

「ラティア孃は飲み物ミルクで良かったよな? アイリーン様はわかんなかったからコーヒーにしたけど……砂糖とか使う?」

「…………いただくわ」

 

 アイリーンは妹に対する見栄から一瞬葛藤するものの、苦いものには勝てず、不本意ながら白銀から受け取った角砂糖とミルクを苦々しそうなブラックコーヒーにたっぷり注ぐ、そして出来上がった極甘コーヒーを飲んで「……まだ、少し苦い」と一言呟いた。

 

「まだ足んないんすね……」

「アイリお姉さま……相変わらずの、すっごい甘党だわ」

「……別に、ブラックでも飲める。砂糖を入れた方がずっと美味しいから……そう、してるだけ」

「まぁ、そんなに甘えのがお好きなら、コレも気に入って貰えると思うんで。さっそくフレンチトーストを食おうぜ」

 

 白銀がそう言うと、ラティアと一緒に手を合わせる。アイリーンは何の事か分からず、しかし妹がしてるならと見よう見真似で手を合わせた。

 

「あのねっ! ハクギンの住んでた所では、こうやって手を合わせてね? ご飯の前に感謝を込めて、『いただきます』って言うんだって!」

 

 若干の戸惑いを見せる姉に、ラティアは自慢げにそう言って説明する。

 そんなラティアの様子を見て、やだ、ふふんって胸なんかはっちゃって。何この娘可愛い、私の妹可愛い、世界一可愛い、今すぐ魔導カメラで写真を撮って永久的に保管したい……とか内心持っているアイリーンだったが「……そう、なの。ラティアは色んな事、知ってて偉いわ」と、姉の威厳でポーカーフェイスに徹し、何時もの様にそう言葉を返した。

 尊敬するお姉さまに褒められたラティアは、「えへへ」と嬉しそうにはにかみ、照れてるのを誤魔化すかの様に「じゃ、じゃあ早くいただきますしましょ?」と話を切り出す。

 

「そうだな、冷めると勿体ねぇし。いただきます」

「いっただっきまーす!」

「…………いた、だきます」

 

 三者三様のいただきますが響き。一斉にフレンチトーストにフォークがスッと差し込まれる。

 抵抗なく刺さったフォークの感触からもわかる通り、凄くフワフワなソレを、アイリーンは一口分の大きさにに切り分けた恐る恐ると口に運んだ。

 

「……ッ!」

 

 サクッふわっジュワとろぉ。

 言葉に表すならまさにこんな感じだろう。

 サクッとした表面の中には、まるでプリンかと思われるほどのふわふわがぎっしり詰まっており、よく染み込まれた牛乳、バターやシロップの旨味がジュワァと口の中に広がって、とろっと舌の上で解けた。

 あまり感情が表に出ることの少ないアイリーンも、この美味しさには思わず目を見開く。

 

「くぅっ、うめぇ。ナイス、夢の中の俺」

「んーっ、すっごくおいしいわ!」

 

 夢で見たフレンチトーストと遜色の無いことを確認しながらしみじみと行った様子の白銀、ラティアも頬に手を当ててご満悦だ。

 たまらず三人とも二口、三口と食べ進めてゆく。口にすれば口にするだけ広がる優しいバターの香り、ほろ苦いメープルシロップとの相性がまさに至福と言っても過言じゃない。今は昼で場所は王宮だけど、まるで高級ホテルの一流の朝食の様なリッチな気分に浸れた。

 

「……生クリーム、トッピングしたら美味しそう」

「俺はどちらかと言うとシンプルな味付けの方が好みですね。バターの風味が堪らねぇ」

「はい! わたしはどっちも美味しいと思うわっ!」

 

 料理バカとお子様舌の姫様と甘党姫、フレンチトーストの話題で盛り上がる三人。最初は白銀に文句を言う気満々だったアイリーンも、絶品フレンチトーストの前には当初の目的をすっかり忘れ、ただのシスコンで甘党な女の子になっていた。

 

「「「ごちそうさまでした」」」

 

 分厚くカットされた筈のフレンチトーストだったが、美味しさのあまりあっという間に完食。三人の間には、ラティアがやって来た時のような気不味い雰囲気は何処かに消えていた。

 

  ◇

 

 フレンチトーストを完食後、極甘コーヒーで一息つきながら、アイリーン・ミストラルは白銀への評価を改めていた。

 ます彼の作る料理がとても美味しいこと。名も知らない私に、自身の料理を嫌な顔一つせずに振る舞ってくれたこと。ラティアが本当に慕っていること。料理が本当に美味しいこと。

 今まで顔も名前も知らずに一方的に嫌っていたが、そこまで憎らしく思うこともなかったとアイリーンは反省。確かにラティアが凄く懐いていて寂しくもあるし羨ましいが、彼のラティアに対する飾らない接し方や、何処か心温まる美味しい料理を食べれば納得。彼の料理を食べているときのラティアの素敵な笑顔は、きっと彼にしか作り得ないモノなんだろう。彼を追い出すことはラティアの笑顔を奪うことと同じ意味。それはアイリーンの本意ではない。

 

「……ねぇ、ヨネクラ」

「はい?」

「……甘いものは、好き?」

「甘いもの? まぁ、好きですよ?」

「……そう」

 

 そう言ってアイリーンはコーヒーを一口。

 実際に彼と初めて会って、彼の料理を食べて。アイリーンはようやく白銀の事を認める事にした。

 甘いモノが好きな人に悪い人などいないのだ。ラティアと一緒に居れなくて寂しいのなら私も一緒にここでご飯を食べれば良いだけの話。ラティアの最高級の笑顔と一緒に美味しい物が食べれる。最高じゃない?

 要するに妹の屈託ない笑顔と、甘いお菓子に負けただけの話で、アイリーンが妹に似てチョロいって話なのである。

 今朝のモヤモヤが嘘のように、晴れやかな気分になったアイリーンはコーヒーカップをテーブルに置き、立ち上がった。

 

「……料理、美味しかったわ」

「そうっすか、良かったっす、アイリーン様」

「……私のことはアイリでいい。ラティアとお揃いの呼び方で良いわ」

「え……アイリ孃って事ですか?」

「……(こくり)」

 

 無表情ながら何処か満足げに頷くアイリーン。

 コレからラティアの笑顔を見せてくれたり、美味しい料理を振る舞ってくれる人だ、これから仲良くしてくれると嬉しいって意味合いを込めてアイリーンはそう提案した。

 

「……また、来るから。ラティアも、またね」

 

 そう言ってラティアに小さく手を降り、足取り軽く厨房を出てゆくアイリーン。

 

「結局さ、ラティア孃の姉ちゃんって何でここ来たの? 何か言ってた?」

「さぁ、分からないわ? 何か嬉しそうだったけど……」

 

 残された二人は、何も言わずにただ料理を食べて一人で納得して帰っていったアイリーンに、小首を傾げるのであった。

 

 

 【おまけ】

 

「……ヨネクラ」

「?? なんっすか? アイリ嬢」

「……これ」

「魔導カメラ? どしたんすか、こんな高いもん」

「……これ、で。今日、アナタの料理を食べるあの娘を撮って……ほしい。私は行けなくて、お願い」

「ラティア嬢? まぁ、別に良いっすけど」

「出来れば自然光でお願い、あといろんな角度から……あの娘の可愛いところを。あ、なるべく自然な写真が良いから気づかれない様に。でも照れてるところも欲しいから何枚か「難易度高ぇよ、無理だっての」…………そう? 私は、できるけど」

「えぇ……」

 

 シスコンは物理法則を無視するらしい。

 

 




 あけましておめでとうございます。
 新入社員って忙しいですね。正月休みでようやく書き上がりました。
 これからも亀更新ですが、何卒よろしくお願いします。
 
 ここまでのご愛読、ありがとうございました。


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唐揚げと自称庭師。

 アイリーン・ミストラル(18)
・表情筋が死んでいる
・魔法学では王国屈指の才女、だがシスコン。
・好きなものは妹と甘いものと妹。超シスコン


 聖ミスティモア城の内部に有る広大な庭園。

 色とりどりの花々と自然豊かな緑、至るところに設置された水の都を象徴するにふさわしい美しい噴水が、宮殿の様式美と素晴らしいハーモニーを作り出しているその庭園は、ミスティモア王国の第一王女、アイリーン・ミストラルが最も気に入っている憩いの場所。

 

「……ふぅ、美味しいわ」

 

 ガーデンアーチの木陰に設置された木漏れ日の指すテーブルセットに腰を掛け、どこからか聞こえる小鳥たちの囀りと水の流れる音を聞きながらアイリーンはホッと一息、紅茶を一口。

 あのフレンチトーストの日から早くも一週間。ここ最近の彼女の悩みであったラティアと仲良くしている料理人の問題も解決して、久しぶりのゆったりとしたティータイムにアイリーンはとてもご満悦だった。

 あれから、何度か白銀の所へお邪魔したアイリーンだったが、急な来客にも嫌な顔一つせずに、毎回変わらず甘いお菓子を用意してくれる白銀に、アイリーンの中で彼は完全に良い人と成っていた、姉も妹と同様に餌付けされていた。

 

「……あ」

 

 お茶請けにクッキーを食べながらティータイムを過ごしていると、いつの間にか紅茶が無くなっている事に気がつく。そんなアイリーンに、すぐそばに立っていたけだる気な雰囲気を漂わせる男性が声をかけた。

 

「お代わりはいるか?」

「……ええ、お願い」

 

 聞き慣れたその低い声に、短くそう答えるアイリーン。

 その返事に「はいよ」と返した、テキトーに切り揃えられた茶髪を、アイリーンと同じように一房だけ三つ編みにしたその男は、慣れた手付きで彼女のティーカップに紅茶を注ぐ。

 

「しかし毎回のことだけど、こんな庭師の入れた紅茶なんてよく飲めるよな。急にきてさ『……ノーツ、紅茶』って、オレさっきまで普通に庭いじりしてたよ? いや、一応清潔にはしたが」

「……別に、気にしない」

「気にしろよ、お前姫様だろうが」

「……ノーツの入れてくれたのが一番だから、紅茶は」

 

 「それはどうも」と呟き、何だか納得いってない感じでアイリーンと向き合うように座ったノーツと呼ばれる青年。

 

「あのさぁ、今更別にここでお茶するなとは言わないけどさ。少しは自分が王族だって自覚しろよ」

「……そんなの、ノーツが敬語使ってない時点で今更でしょ?」

「お前が! 敬語使うと! シカトぶっこいて会話にならねぇからだろうがあ゛ぁ?」

 

 そう訴えるノーツの言葉を、「……だって敬語のノーツ、気持ち悪い」とぷいっと顔を背けることで聞かぬふりをするアイリーンに、彼はため息をつき、皿に盛り付けられたクッキーを摘む。

 

「はぁ……一体どうしてこんな生意気姫になっちまったんだか、昔はオレとチビッコにべったりで、素直で可愛かったのに」

「……そんな、昔の事。そもそも、ノーツ以外には礼儀正しくしてるわ。王族だもの、当たり前じゃない。それに……」

 

 そう言葉を一旦紅茶を飲んで区切り「私がこんな風に接するのは……ノーツだけだもの」と何でも無い様な顔でサラリと言うアイリーンに、ノーツは面食らった表情を浮かべた後、先程とは比にならない程の深い溜息を吐いた。

 

「……別にオレは気にしないが、他の奴等が見てるときは気をつけろ」

「えぇ」

 

 そう言って、再びクッキーに手を伸ばすノーツ。ポーカーフェイスに努めて動揺を悟られないように話題を変えることにした。

 

「そういやこのクッキー美味いな。何処の店のだよ?」

「これは……売ってないわ。手作りよ」

「へぇ、チビッコは……ねぇな、こんな美味いの作れるわけねぇ。なら料理長のオッサンが作ったのか、あの人こんな可愛らしい物も作れるんだな。顔面凶器の癖に」

「……いいえ、料理長でもないわ」

 

 ノーツの予想に首を横に降るアイリーン。

 

「じゃあお前か? あの超不器用なお前が? 妹の髪を結いたいからとオレの髪で三つ編みを練習し、その結果に髪をむしり取っていったお前が?」

「………………納得がいかないけど、違うわ」

 

 過去にノーツが円形脱毛症になるのと引き換えに、三つ編みのみ習得したアイリーン。ノーツのリアクションに苛立ちを覚えるものの、事実なので言い返せなかった。

 

「……貴方もしってるでしょ? 一ヶ月くらい前にやってきた料理人のこと」

「あ? あぁ、厨房に籠もりっきりな変人だともっぱら噂のチビッコのお気に入りか」

「そう、彼に作ってもらったの」

「へぇ……そうかよ」

 

 そう呟いて、ノーツはクッキーをもう一つ口に入れる。

 うん、確かに美味い。チビッコの気まぐれで招かれたただの一般人だと思っていたが、意外にもちゃんと料理人らしい事をしているらしい。コレは一回会ってみたいなと思っていると、何やら城内が騒がしい事に気がついた。

 

「おい、どうかしたのか?」

 

 ノーツはちょうどやってきた使用人に問いかける。

 

「あ、アイリーン様ッ! 大変です、またラティア様が王宮から抜け出しましたっ!」

「……そういえば、昨日は何かソワソワしてたわね」

「っはぁああ……またかよあのチビ」

 

 慌てふためく使用人の言葉に、本日何度目かの深い溜息を吐くノーツだった。

 

  ◇

 

「しゃあッ、醤油ゲットォ!!」

 

 港近くの市場に、料理バカの声が響く。

 道行く人達が何事かと振り返り、店員達はまたアイツかと呆れながら笑っていた。

 偶然市場で売られていた貿易の品の中に見覚えのある黒い液体を見つけ、それが予想通りのブツだと分かると即購入した料理バカもとい米倉白銀は、天高く醤油を掲げて狂喜乱舞していた。

 

「いやぁ、ちょうど切らしてたから見に来たけど、やっぱここ最高だわ! 貿易港だから色んな食材あるし! 正直転生した直後もここで醤油とか鰹節とか見つけて無かったら俺ストレスで死んでたかもなっ!」

 

 もはやこの市場の常連になっている白銀。普段の食材はラティアに頼んで王宮に直接郵送してもらっているが、醤油とか鰹節等の珍しい輸入品は、流石に自分で探さなければ手に入らない。

 そうで無くても様々な食材が揃っているこの大市場は、白銀にとってまさに楽園といっても過言では無い場所、なのでこうして定期的に自ら市場を訪れては、必要な食材を自ら買い揃えてゆくのである。

 

 ハイテンションで浮かれる白銀、その姿はこの市場では一年前くらいから良く見られる光景だ。

 しかし、今日は普段とは違って、そんな白銀と一緒になってはしゃぐ、鈴のような可愛らしい声をした銀髪の女の子が一人。白銀にひっついていた。

 

「見て見て! ハクギン! あの大きなお魚! わたし初めてみたわ!」

 

 くいくいっと白銀の服を引き、ぴょんぴょんとツインテールを揺らす愛らしい少女は、無論説明するまでもなくこの国の第二王女ラティア・ミストラル。絶賛無断外出、城の誰にも内緒で脱走中である。

 

 無論、初めは脳内の八割が料理の事で埋まって常識が半壊している白銀ですらも、姫さまを無断で連れ出すのは流石にヤバいと思い、許可は降りなかったけど一緒に出かけたいと言うラティアの要求を断った。

 しかし、相手は普段から脱走常習犯のラティア姫。白銀が城にやって来てからすっかりなりをひそめていたが、このおてんば姫が素直に言う事を聞いて留守番をしている訳が無く、ラティアは普段から脱走の際に利用している、庭の塀に空いた子供一人やっと通れる穴から脱走、そして丁度城から出てきた白銀と合流する事に成功していた。

 ついてきてしまったラティアに白銀は頭を抱えるも、市場に着いたら目の前に広がる食材と、初めて見る市場の活気に心踊らせるラティアの様子に、「まぁ、いっか」とラティアの説得を早々と諦めていた。と言うかテンションが上がり過ぎてそれどころでは無かった。

 そんな訳で絶賛二人で買い物中って訳なのである。

 

「HEY! おっちゃん、鶏のもも肉一キロほどちょうだい」

「あいよ、全く兄ちゃんはいつも元気だな、今日は妹さんと一緒なのか?」

「あー……まぁ、そんなとこだ」

「顔は全然似てねぇが、兄貴と同じですっかりはしゃいで可愛らしいじゃねぇか! よし! いつも買ってくれる兄ちゃんと可愛い嬢ちゃんにオマケだ、900リンでいいぞ兄ちゃん!」

「お、サンキューおっちゃん!」

 

 店主に礼をいって金を払い、品物を受け取る。

 ここの店でもう六件目になるが、ラティアの正体については全くバレる気配が無かった。いくら王家特有の綺麗な銀髪をしてようと、こんな市場に王族がいるなんて思う人がいるはずもなく、ラティアは完全に白銀の妹だと認識されてる。

 そして、その事に若干不満げな様子のラティア姫。ゆく店ゆく店でサービスしてもらえるのはいいがが、白銀と一歳しか年が離れて無いのにも関わらず、まるで幼い妹の様に思われるのは如何なものかと思っていた……が。

 

「おい、見ろよラティア嬢! アイス売ってるぜ!」

「やったー! アイスー!!」

 

 珍しい品々に目を惹かれ心惹かれてウキウキなラティア姫にとって、そんな問題はとても些細なこと、アイスクリームの魅力には勝てないのだ。

 両手を上げて喜ぶ彼女の姿は、どこからどう見ても兄にアイスを買ってもらって喜んでいる幼い妹にしか見えなかった。

 

「行きましょ! ハクギン! わたしはチョコがいいわ!」

 

 さっそくアイスクリームを食べに行こうと、白銀の手を引き屋台へと足を向けたラティア。だったが、不意に「げっ」と乙女らしからぬうめき声を上げて、歩みを止めた。

 どうしたのかと白銀が彼女の顔を見てみると、顔を青くさせて一点を見つめ、カタカタと震えている。

 

 その視線の先に居るのは、茶髪を一房だけ三つ編みにした青年。青年はコチラの視線に気が付くと、深い溜息をついて近づいてくる。そして青年が近づくにつれてラティアの顔色も悪くなっていった。

 

「よぉ、奇遇だな。脱走は楽しかったか?」

「…………ノーツ」

「コレで通算三十回目か? そしてオレが駆り出されるのも三十ってわけだ?」

「ち、違うのよノーツ! わたしだって脱走したくてしたんじゃないのよ!? 本当はちゃんと許可を貰うつもりだったんだけどあの石頭達が絶対に認めないなんてイジワルを言うから! 仕方なく、やむおえずこんな手段を「で? 言い訳はそれだけか? チビッコ」…………ごめんなさい」

 

 ラティアの言い訳を遮った、有無を言わせぬ青年の怒りに、彼女は観念して素直に頭を下げる。そんなラティアの様子に溜息をついた彼は、イマイチ状況の把握出来ていない白銀へと視線を向けた。

 

「よう、初対面だよな? ノーツ・ガードナー、城で庭師をやっている、よろしくシェフ殿」

「あ、あぁ。米倉白銀って言います。よろしくお願いします?」

「あー、いや、ただの庭師にそんなかしこまんな、タメ語でいい」

「そ、そうか? じゃあ、遠慮なくそぉさせて貰うわ」

「そうしてくれ」

 

 そう白銀と自己紹介を終えたノーツは「それじゃ脱走犯も見つかった事だし、とりあえずアイスでも食べるか」と、屋台の方へと歩きだした。

 

「あれ? ラティア嬢を連れて帰るんじゃねぇのか?」

 

 てっきりこのままラティアを連れて帰るんだとばかり思ってた白銀はノーツにそう問いかける。

 そんな白銀の問いかけに、「わざわざ街まで降りてきってのに、なんでコイツ連行するだけですぐ帰らなきゃならんのだ」とノーツ。そして盛大に溜息を一つ吐いて彼は言葉を続けた。

 

「そもそもチビッコのせいで俺の癒やしの時間は無くなったってのに。全く、なんで毎回オレが駆り出されるんだっつうの、分かるか? 三十だぞ? 三十。なんでその全部オレが探しにいってんの?完全に関係ないだろ」

「……どんまい」

 

 生気の宿らない目で愚痴を吐くノーツに、白銀は初対面ながらも若干の同情を覚える。

 なんだかラティア嬢が怯えていたわりには普通の人っぽいなと白銀が思っていると、白銀にピッタリくっついていたラティアが、自分に向けられたノーツの視線にビクッと震えた。

 

「おいチビッコ、アイス買ってこい、チョコとバニラとストロベリー、三段盛りで」

「……は?」

 

 あまりにも自然に王族であるラティアをパシりに向かわせようとするノーツに、白銀は自分の耳を疑った。

 親指でクイッと屋台の方を指し、ラティアに買ってこいとジェスチャーするノーツ。ラティアはそんなノーツに「やっぱりだわ!」と声を上げた。

 

「またなの!? また今回もわたしに奢らせる気? 毎回毎回、歳上としての良心が痛まないのっ!?」

「毎回お前の姉に探してこいって言われ、毎回探してやって、毎回お前の姉にお前が余り叱られないようにって口添えする様に言われて、毎回助けてやってんのに? それこそお前の良心は痛まねぇのかよ?」

「それは単にノーツがお姉さまにただ超絶甘「うるせぇ、今から爺さん達の前に突き返してやっても良いんだからな?」……うぅ、分かったわよぉ!」

 

 強制連行を盾に脅迫され、涙目で渋々ノーツの言う事に従うラティア。王族をなんの躊躇もなくパシれるあたり、この男かなりたくましい性格をしている。先程までノーツに同情していた白銀も、ノーツの図太さに哀れみの感情がスッと消えていった。

 結局その後、お小遣いすっからかんになるまで搾り取られたラティアの分のアイスは白銀が買ってあげていた。

 

  ◇

 

「ってな訳で、本日は唐揚げを作っていきたいとぉ思いますッ!」

「おー!!」

 

 ところ変わって市場から王宮、めし処銀シャリの聖ミスティモア城支部に白銀のテンションマックスな宣言と、ラティアの元気な掛け声が響く。

 

 王宮に到着するなり燕尾服を着た髭の老人に連行されたラティアだったが、いつもの通り説教を聞き流し、白銀が買い込んだ大量の食材を片付け終える頃には、見事厨房へととんぼ返りを果たしていた。

 

 執事の面倒な説教を終え、ようやく待ちに待った白銀との料理タイム。しかしそんなラティアの楽しみに水を刺す存在が一人、厨房のカウンターに腰をおろして白銀の用意したお茶と茶菓子に舌鼓を打っていた。

 

「……なんであなたがまだ居るのよ」

 

 じろりとノーツを睨むラティア。

 

「なんでって、折角だしシェフ殿の飯でも食べて行こうかなと」

「嘘よっ! どうせまた何かいじわるする気でしょ!」

「そんな事するわけないだろ」

「絶対に嘘よ!」

「信用ゼロかよ」

 

 「当然でしょっ!」とラティア。完全な自業自得とはいえ、先程ノーツにたかり尽くされたラティアからしてみれば、まだ何かいじわるをして来るのかと、警戒するのは仕方ない事。がるるぅと可愛らしく威嚇して来るチビッコ姫にノーツは肩をすくめた。

 そのノーツのスカした態度にラティアは更にカチンと来たが、それを白銀がどぉどぉとなだめる。

 

「はいはい、良いからサッサと手ぇ洗ってくれ。そしてノーツもあんまからかうなよ、料理が進まねぇから」

「おっと、すまない。なにせこのチビッコと来たらからかいがいの塊みたいだから、ついな」

「ふんっ! 精々そーやって上から目線で余裕ぶってれば良いじゃない! わたしは大人だから一々反応してあげないし、いつかぜったいに目にもの見せてやるんだから!」

 

 白銀の言いつけどおり隅々まで手を洗いながら、そうノーツに宣言するラティア姫。そんなラティアを横目にテキパキ料理の準備に取り掛かる白銀は、冷蔵庫から鶏のモモ肉を三枚ほど取り出て、余分な脂身などを取り除き下処理をする。

 

「手を洗って来たわっ! 何をすればいいの? ハクギン」

「取り敢えず、鶏肉をぶつ切りにしていくぞ、ラティア嬢」

 

 両手をぱーっと開いてキレイになったと見せてくるラティアに、先程下処理を済ませた鶏肉を渡す。受け取ったラティアは、にゃんにゃんと猫の手をしながら鶏肉をぶつ切りしていく。若干の不慣れな感じはあるが、はじめの頃に比べたらだいぶ危なっかしく無くなってきている。

 この様子なら大丈夫だな、そう思った白銀はラティアに鶏肉は任せることにした。

 

「じゃ、残りも鶏肉も切っといてくれぃ。俺は次の作業に取り掛かる」

「任されたわ!」

 

 フンスと意気込むラティアを微笑ましく思いながら、白銀は調味料入れから塩と砂糖を取り出し、塩は小さじ一杯、砂糖は小さじ二杯と一対ニの割合でボウルに入れる。そしてそこに水を100cc入れた。

 

「なぁ、シェフ殿よ。唐揚げってのは要するにフライの様なモノなんだよな? その塩砂糖水は一体何に使うんだ?」

 

 先程まで、ぼけーっと此方の様子を伺っていたノーツが、不意に声をかけてきた。見慣れない液体に疑問を持ったようだ。「それ! わたしも気になってたわ!」と鶏肉を切り終わったラティアも会話に参加してくる。

 

「あー、コレな。コレはブライン液って言うんだよ」

「ぶらっ……ブライアン?」

「ブラインて言ってただろ、チビ」

「ちょっと間違えただけじゃない! あとチビって言わないで!」

「ハイハイ善処しますよっと、で? そのブライアン液ってのは一体何に使うんだ?」

 

 言ったそばからラティアの言い間違いをイジるノーツと、「またバカにして!」と、ぷんすかなラティア。善処とは言ったい何なのか。

 

「肉を漬け込むために使う液体をブライン液ってんだ、鶏肉の水分量を増やす効果がある。よーするにジューシーになるって訳よ」

「下味ってわけでは無いのか?」

「一応そう言う効果が無いわけではないけど、主に水を浸透させるのが目的だ、塩はタンパク質を分解して肉を柔らかくした上に、肉の水分を保つ効果があるからな。それと砂糖は食材に染み込ませ難いから初めに入れとかないと。いわゆる料理のさしすせそってやつよ」

「へー、揚げれば良いってもんでも無いんだな」

「そりゃそうよ。どーせなら食べるなら美味いほうがいいっしょ?」

 

 そう言うって、ブライン液の中にラティアが切り分けた鶏肉を投入してゆく白銀、「じゃあこの肉を五分くらい優しく揉み込んでくれ」と、ボウルごとラティアに渡して、次の準備に取り掛かる。

 ボウルをもう一つ取り出し、そこに醤油、調理酒、みりんを一対一対一の割合で入れ、にんにくと生姜をすりおろしたモノと、蜂蜜大さじ一杯加えて、味を確認しながら塩胡椒を追加した。蜂蜜は肉を柔らかくする効果があり、白銀のイチオシポイントの一つだ。

 

「今回は塩唐揚げじゃなくて醤油唐揚げにしようと思う」

「醤油って言えば極東の方の調味だよな? 生魚につけて食べるやつ。昔極東に行ったときに見た事はあるけど、美味いの?」

「あたぼうよ、俺の国の魂と言っても過言ではない調味料だぜ?」

「へー、じゃあアンタは極東出身なんだな」

「うーん、そうゆう事かな?」

 

 まぁ、日本も極東も似たようなもんだろ。知らんけど。と適当に返事を返す白銀。調味料の味も決まったらしく、お次はバットを二つ用意して、そこに薄力粉とコーンスターチを適量入れていく。

 すると丁度、ブライン液肉を揉み込む作業を終えたラティアが、「次はこっちのボウルにお肉を入れれば良いのよね?」と合わせ調味料の入ったボウルを指差して白銀に問いた。

 

「サンキューラティア嬢、漬け込んで揉み込め下処理完成ってなわけよ」

 

 ラティアから鶏肉を受け取り、調味料の中に投入。ラティア希望によりこちらもラティアが揉み込む事になった。楽しいのだろうか。

 そしてその間、白銀は鍋に油を投入して魔石コンロに火を点火。お肉にしっかりと下味がついた頃には、油の温度は170℃近くまで上がっていた。

 

「よし、それではコレから唐揚げ最大の鬼門、揚げの工程に入ります。油跳ねると危ないから、ラティア嬢はちょっと離れてて」

「むぅ、わたしだって揚げ物くらい出来るはずよ? あなた、またわたしを子供扱いしてない?」

「してないしてない、そのかわりに鶏肉に衣を付けるのを手伝ってくれよ。先に薄力粉、そしてその上からコーンスターチをまぶしてくれ。鶏肉の皮を外側にして丸めるように、頼めるか?」

「……分かったわ、でも今度はわたしが揚げるからね!」

「おっけー、今度一緒に練習しよーな」

 

 そう言って白銀になだめられた不満げだったラティアだったが、与えられた作業に取り掛かるとそちらに集中してしまう。粉を少し顔に付けながらも一生懸命鶏肉に衣をつけているラティア、そんな様子の彼女をみて白銀苦笑いし、ノーツは相変わらずチョロいなと思っていた。

 

「はい! どうぞハクギン」

 

 あっという間に衣をつけ終わったラティアが、達成感が滲み出る笑顔を浮かべながら白銀にバットごと鶏肉を手渡す。

 ラティアから鶏肉を受け取った白銀は、集中するために瞳を閉じて五秒間。スッと眼を開くと衣を少し菜箸につけて油に一滴垂らして油の温度の最終確認。厨房に謎の緊張感が巡る、唐揚げの良し悪しの七割を左右するといっても過言ではない揚げの工程に、白銀の集中力は高まっていた。

 そして意を決して鶏肉を黄金色の油の中に投下。

 

「おりゃぁ!」

 

 バチバチバチと鶏肉の水分に反応して油が跳ねるが、白銀は鍋から一切目を逸らさない。一瞬のスキも見逃してなるものかと鍋を凝視するその様は、まるで歴戦の戦士のようだ。白銀を見守ってる二人にも緊張感は感染し、黙って白銀の作業を見つめる。

 適宜鶏肉を油から取り出しては空気に触れさせ、油に戻す。この作業を繰り返しながら鍋を睨みつけること約四分。

 衣が軽い狐色に変わったのを確認した白銀は、すばやくソレをバットに取り上げた。

 

 ジュワッ

 ゴクリ

 

 揚げたての唐揚げから溢れる肉汁の音と、誰かが固唾を飲み込む音が聞こえた。

 一連の揚げの工程を黙って見ていたラティアとノーツは視覚で、嗅覚で、聴覚で感じる。コレは絶対に美味いやつだと。

 揚げたての一番美味しい状態のそれを味わいたいと、自然に手が伸びて、ツマミ食いを行おうとする二人にシェフからの待ったかがかかる。

 

「まだだ、待てぃ。まだ……まだコイツは上に行ける」

 

 そう言った白銀は、お玉で唐揚げの衣を叩きヒビを入れてゆく。割れたヒビからさらに肉汁が溢れた。

 

「ッ! ハクギン、まだなの!? コレ絶対に美味しいわよ!」

「そうだぜシェフ殿! 冷めたら持ったいない」

「五分……五分だ……予熱で中までしっかりと火を通すまで五分かかる。それまで辛抱だ!」

 

 永遠にも感じれる五分間、三人は唐揚げから一切視線を外さずにその時を待つ。

 そして、カチッと時計の長針が五分経過した事を伝えるがいなや、すかさず白銀はコンロの火力を強火に切り替え、予熱でしっかりと火の通った唐揚げを再度油の中に投入した。

 

「二度揚げ、この一手間で唐揚げはさらに美味くなる!」

 

 強火により、表面にこんがりとした色がついて行く。香ばしい醤油の香りが先程の比じゃ無いくらいに広まった。

 揚げすぎて、せっかくブライン液で増やした水分が飛ばないよう、四十秒くらいで手早く唐揚げを油の中からすくい上げ、バットの上へ。

 食欲をそそるこんがり狐色、ジュワッと揚げたてを知らせる音で耳が幸せだ。

 

「これにて俺お手製の醤油唐揚げが完成だ! 箸でもフォークでも持ってきて、ささっと揚げたて食っちまうぞ!」

 

 白銀がそう言うとすぐさま動き出すラティア、三人分の取皿と箸とフォークを用意して着席。

 

「「「いただきます!」」」

 

 カウンター席にバットを置き、それを囲むように白銀、ラティア、ノーツの順で。白銀とラティアの挨拶に見様見真似でノーツが合わせて三人そろってのいただきます。

 そして白銀は箸で、残り二人はフォークで唐揚げを手に取り口の中へ

 

 カリッ、ジュワァ……

 

「はふっはふっ……っん〜!! 最っ高!! とっても美味しいわ!!」

「は? 美味っ! 衣カリカリ過ぎだろ! 肉汁溢れ過ぎだろ!? どうなんってんだシェフ殿よぉ!?」

「やべぇうめぇ、美味すぎて語彙力が死ぬ。さすが俺、うめぇ」

 

 揚げたてで口の中が火傷しそうなのにも構わずに、カリッカリの衣を破るとやって来る、溢れんばかりのジューシーで濃厚な肉汁のスープ。

 噛み締めれば鶏肉の本来の旨味と漬け込んだ醤油ベースの調味料の風味が合わさって甘く旨い。二度上げしたことによって焦がし醤油の香ばしさが強まり、ニンニクと生姜の香りと一緒に鼻を抜けた。

 中はみずみずしく、ぷりっとしつつも柔らかい、しかし表面の鶏皮は衣と一緒っでカリッと仕上がっており、そのバランスはまさに絶品。

 あっという間に一つ目を完食した三人は、そのまま二つ目へ。そこで白銀は悪魔の調味料を取り出した。乳白色の粘性の高いソース、幾多の人々を中毒に陥れた調味料。

 

 そう、マヨネーズである。

 

「ここで味変カンフージェネレーションってな!」

「マヨネーズ! 絶対に美味しいヤツなのだわ! 流石ハクギン! 天才ね!」

 

 例の焼きそばの件ですっかりマヨラーへと成長を遂げたラティアは目を輝かせた。

 そして、二人は欲望のままに取皿にマヨネーズを盛り、唐揚げにつけて一口。

 

「「まずい訳がない(わね)!」」

 

 口を揃えて相違う二人に感化されたマヨネーズ初心者のノーツ。二人に習ってマヨネーズをつけた揚げたての唐揚げを口に運んだ。

 そして口内に広がる、旨味の暴力。マヨネーズの酸味が良いアクセントになって肉汁の甘みが際立ち、ただでさえパンチの強い唐揚げの味がさらに濃厚になる。醤油ベースの唐揚げだから、その相性はもはや説明不要だろう。古来より醤油とマヨネーズの食い合わせは最高なのだ。食指を刺激すること間違いなし。

 

「米が欲しくなるな、コレは」

 

 ノーツのポツリと呟いたその一言は、この場にいる三人共通の思いだった。

 ニヤリと白銀が笑みを浮かべて立ち上がり、キッチンから炊飯器を取り出してその蓋を開ける。白い湯気が立ち上がって白っしろな銀シャリが姿を表した。

 

「もちろん用意してるぜ! 炊きたてごはーん! 欲しい人ぉ!」

「はいはいはーい!」

「俺もくれ!」

 

 ご飯を器いっぱいによそって、それぞれに配る。

 しっかりと味のついた揚げたての唐揚げで、ご飯が進まないわけもなく、少し多めに炊いていたご飯はあっという間に空になり、三人はお腹いっぱいまんぷくで満足して手を合わせたのだった。

 

  ◇

 

「で、ノーツ。実際はこんな所までやって来て何が目的なのよ」

 

 三人で協力し手早く後片付けを終え、白銀の入れた食後の緑茶で一息ついていると、ラティアがズズッとお茶を啜ってからノーツにそう問いかけた。

 

「ん? 普通に飯食いに来たんじゃないの?」

「……怪しいのよね。ノーツはお姉さまに頼まれる以外では絶対に庭園から離れようとしないほどの引きこもりニートなのに、わざわざ面倒なわたしの連行を終えたのにも関わらず庭園に戻らないなんて。絶対何か目的があると思うの」

「チビッコの癖に鋭いな、あとニート言うな」

 

 そう言ってノーツは白銀の方を向いた。

 

「まぁ、少し私用でシェフ殿に頼みたい事があってな」

「俺に? なんだよ?」

「なに、なんてこと無いんだけどよ。アンタの作ったクッキーのレシピが知りたいってだけなんだ」

「クッキー? 別に構わねぇが、何でまた。食った事ねぇだろうがよ。今日が初対面だし」

 

 変な事聞くもんだなと白銀がクエスチョンを浮かべていると、隣でラティアが大きなため息を吐いた。

 

「はぁぁ……あいっ変わらずね、あなた」

「どしたラティア嬢、どゆこと?」

「どうせアイリお姉さまの為でしょ? おおかたこの前ハクギンから貰ってたクッキーをお姉さまが気に入ったんでしょ。で、それを何時ものお茶会のお菓子としてのレパートリーに加えたいと」

「おいおいチビッコ、それじゃまるで俺があの無表情姫の事が好きでたまらない見たいじゃないか」

 

 ラティアの指摘に肩をすくめて反論するが、それを鼻で笑いラティアはさらに言葉を続ける。

 

「昔、気まぐれで育てたお花をお姉さまが一度褒めてからというもの、本職そっちのけで庭仕事に没頭したあなたが今更何言ってるのよ。ノーツって本当は庭師じゃないのよ、もともとって言うか今でもノーツの城での正式な身分は王国騎士団の副団長」

「え? そうなの? 庭師じゃないんってか副団長ぉ!?」

「そう、庭師じゃないの。ノーツ・ガードナー、王家に代々騎士として仕える由緒正しきガードナー家の長男なの。まぁ当の本人は、ただのお姉さまが大好きな人、もっと直接的な言い方するならお姉さまのストーカーなんだけどね」

「ちょ、まてチビッコ」

「だいたい、あなたのその三つ編みだって昔お姉さまがしてあげてからずっと自分でしてるじゃない。お姉さまとお揃いだし」

「おいやめろ口を閉じろチビッコ、勘違いも甚だしいぞ、シェフ殿マジで違うからな、いやマジで」

 

 片手で顔を覆ってラティアに待ったをかけるノーツ、そんな彼の様子をみて、ラティアはすごくいい笑顔を浮かべた。

 

「何が勘違いなのかしらノーツ? あなたが日頃からつけているお姉さまとの交換日記のこと? それともあなたの部屋にあるお姉さま専用アルバムの事かしら?」

「ふぁ!? 何でその事しってんだよ!」

「お姉さまに聞いたら楽しそうに教えてくれたわよ?」

「あのシスコン無表情ポンコツ姫がぁ!?」

 

 ラティアに次々と暴露されるノーツの秘密。白銀はその様子を見ながら、ノーツに同情していた、不憫すぎる。そしていきいきとした笑顔で、ここぞとばかりに暴露を続けるラティアに、コレは前々からノーツの弱みをかき集めてたなと、そしていつか今までの仕返しをしてやろうと考えてたんだな、と何となく察した。

 

「まぁ、あんまり人の秘密をバラすなってラティア嬢」

「でも実際その話を聞いてハクギンはどう思った?」

 

 流石に助け舟を出した白銀だったが、ラティアにそう問いかけられ、正直に言っていいものかノーツに視線を向けて悩む。もはや耳まで真っ赤にして机に突っ伏しているノーツ、今日会ったばかりの相手に赤裸々な秘密を知られたのはとても同情するが、するけど、それを差し置いても。

  

「正直……ちょっと引いた」

「グハッ!」

 

 白銀のその一言で完全にKOされたノーツと、嬉しそうにやったわ! と白銀にハイタッチを求めるラティア。

 ラティアのハイタッチに応じながら、ただの屍になったノーツをみて白銀は、今度クッキーだけじゃなくアイリ嬢が好きそうな甘い菓子のレシピ教えてあげようと思ったのだった。

 

  ◇

 

「………………」

「ノーツ? そんなとこで何して……あぁ、アイリ嬢のストーカーね」

「シェフ殿か、違うわボケ誰かストーカーだよ」

「せめて首だけでもこっち見てから否定しろよ、説得力皆無すぎて正直引く」

「……うるさい」

「アイリ嬢はストーカーから観察されてるなんて露知らず、見る限り、ラティア嬢と楽しげに話してるみたいだな。……何話してんだろ?」

「……ラティア、これ……お菓子、作ってみたの。良かったら、一緒に食べない? って言ってら。チビの方は知らん」

「………………引くわぁ」

 

 ストーカーも物理法則を無視するらしい。

 

 




 ノーツ・ガードナー(19)
・自称庭師の王国騎士団、副団長。
・大地の加護を持っていて、地属性の魔法で敵を蹂躙する(なお、現在は土いじりに活用されている模様)
・好きなものはアイリーン、得意な事は読唇術(アイリーン限定)





ほんと更新遅れてすいませんでしたぁ!!
完結までだいたいあと半分くらい、時間はかかるかも知んないですけど完結は絶対にさせますので、いましばらくお待ちください。


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モツ鍋と国王。

 異世界と言えども季節は巡る。白銀が城で過ごすようになって既に数カ月、ミスティモア王国の季節は夏本番を迎えていた。

 照りつけるは灼熱の日差し、窓を開けても生温い微風しか吹かず、気休めにと設置した風鈴の風情ある音色は「あぢぃ死ぬぅ」と愚痴る部屋の主の弱々しい声とともに、生命力溢れるセミ達の大合唱によってかき消される。

 とどのつまり、白銀のパラダイスとも言える専用厨房は、ここ数日の異常気象で地獄へと化していた。

 

 そんな蒸し風呂の様な場所にも関わらず、食欲のため料理を作るのは流石というか馬鹿というか。その上、何故あえて石窯でピザを焼くなんて、さらに気温を上げるような暴挙を行なったのか、料理バカの思考は相変わらず謎すぎる。

 いつもの様に遊びに来たラティアが、厨房の地獄の様な室温に眉を顰め、ピザを必死に焼くバカを発見して驚愕の声を上げたのは想像するに容易いことだった。

 

 すぐさま彼女は回れ右をして厨房から脱出。向かうは自身の姉、水魔法のスペシャリストであるアイリーンの元。

 可愛い可愛い妹であるラティアの頼みとあれば例え火の中水の中、灼熱地獄ですらもなんのその。ラティアからのSOSを受け取ったアイリーンは二つ返事で了承し、ついでにその場にいたノーツと一緒にラティアに連れられ、再び厨房へ。

 

 そして、熱々のピザを必死に食べながら汗をダラダラかいている馬鹿のため、連れられた二人は魔法を駆使して部屋にクーラーの役割を果たす魔石を錬金し、ようやく厨房が人が過ごせる温度になったのだった。

 

「ふぅ、ようやく涼しくなったわね」

「あー、サンキュー、生き返るぅ。あ、アイス食う?」

「えぇ……頂くわ」

「おう、ありがとさんシェフ殿」

「わーい、ありがとうハクギンって! なんでわざわざ石窯でピザ食べてたのよ!!」

 

 そんな至極真っ当なラティアのツッコミに「今日の昼はピザの口だった。仕方ない」と返答する白銀に、ノーツとアイリーンは苦笑い、ラティアはありえないわと頭を抱えた。

 

「相変わらずだなシェフ殿よ。チビッコから話を聞いたときは耳を疑ったぜ。アンタ絶対馬鹿だろ」

「ん……あのままだと、熱中症になるわ……」

「そうよ! わたしが気付いたから良いけれど、白銀が倒れたら困るのは私なんだからね!」

 

 三人から責められるような視線を向けるれながら、小言を言われるのは流石に効いたのか、すまん次からは気をつけると謝罪の言葉を述べる白銀。

 その言葉を聞いて、ラティア達はひとまず矛を収めるのだった。

 

「まったく、本当に気をつけてよね?」

「というか、よくあの室温の中で食欲沸くよな。凄いわ」

「フッ、いついかなる時も俺の食欲がなくなる訳ねぇじゃん。俺だぜ?」

「謎理論なのに凄い説得力だわ」

「……けれど、夏バテしてないなら……良かったわ。本当……最近、暑いから」

 

 白銀お手製アイスクリームに舌鼓を打ちながら、厨房に設置された畳に座りこみながら駄弁る四人。

 はじめこそラティアしか訪れなかったこの場所だが、ここ最近だとよく見慣れた光景だ。

 

「わたしは少し夏バテー、今年の夏はおかしいわ!」

「チビッコが夏バテねぇ、夏だろうと冬だろうと関係なく騒がしいのがチビッコだろ?」

「なっ! 相変わらずノーツはれでぃに対して失礼ね!」

「……実は、私も……ちょこっとだけ」

「ここ数日で気温上がったもんな、ちゃんと身体休めて水飲んで気をつけろよアイリ」

「なんでアイリお姉様には優しいのよ! ノーツのあんぽんたん!!」

「夏バテかぁ……」

 

 ノーツの露骨な扱いに憤慨するラティアの横で、白銀は今夜の晩飯の事を考えていた。

 そして、先程から話題に上がっている夏バテと言うワードで思い出す。そういえばこの前市場で購入したアレがあったなと。

 

「じゃあ今夜はスタミナつけるためにモツ鍋でもするか」

「もつなべ? ……鍋っ!? またそんな熱いものをっ!? こんな暑いのにっ!? おバカなの!?」

「おいおいドMかよシェフ殿」

「……えっと。……頭に、治癒魔法かける?」

 

 先程の前科があるため、三人は白銀に対して何言ってるんだコイツと散々な言葉を投げかける。

  

「いや! 今回はマジで夏バテ防止になるんだよ!」

「本当に? 暑さで頭がぱぁになっちゃってない?」

「どんだけ信用無いの俺……」

「まぁ、さっきの狂行見てたし仕方ないよな。日頃の行いだ」

 

 流石の白銀も、取り付く島もないノーツの言葉にガクリと肩を落とした。

 

「ちゃんと栄養豊富でスタミナのつく料理だ。鍋だからあちぃけどアイリ嬢とノーツのおかげで涼しくなったから全然食べれると思う。いや、むしろモツ鍋は暑いときこそ食べるべきだと思う」

「……そこまで言うなら、いいわ。そのお鍋、わたしも食べて見たい!」

「あ、シェフ殿よ二人分追加で」

「んだ。なんだかんだ食うんじゃねぇかよ」

 

 そうと決まればと、頭の中でどんなモツ鍋しようかとイメージを膨らませる白銀。こう言った作る前にあれやこれや考える事も白銀の楽しみの一つだった。

 そんななか、先程からずっと何か考える様にしていたアイリーンが口を開く。

 

「ヨネクラ……二人じゃなくて、三人分……追加でお願い」

「へ? 三人分? アイリ嬢二人分食うの?」

「食べないわ……ただ、もう一人だけ、呼びたい人がいるの。……いいかしら?」

「いや、別に構わんが。誰呼ぶん?」

「……お父様」

「は?」

「お父様よ」

 

  ◇

 

「……あ゛ぁあ、疲れた。もう私は働かんぞ!」

 

 聖ミスティモア城の中枢、きらびやかに彩られた王座に、一人の男の情けない声が響いた。

 男の名はルシアン・ミストラル、この世界有数の貿易国家、ミスティモア王国の国王その人である。

 

 国王は激怒した、ただでさえ首が回らないほどの激務の中、さらに自分の仕事を増やしてこようとする奴らに激怒した。具体例を上げるならば、スキあらば自国から金を搾り取ろうと模索してくる他国の老害愚王共、何度失敗しても懲りもせずに攻撃を仕掛けてきては、消して少なくない被害を及ぼしては帰ってゆく魔王軍、そして極めつけは最近巷で噂になっている、勇者を自称する冒険者達による問題行為の数々である。

 

「勇者、勇者ァ……何故彼らは問題しか起こさぬのか。村を守ったかと思えば馬鹿みたいな報酬を求めたり、その無駄に高い能力で生態系破壊するまでモンスター倒したり、魔王軍の侵略を塞ぎに来たかと思えば連携が取れずに足引っ張る……。いや、勿論ちゃんとした者もいる事は分かってる。今度ウチで歓迎パーティー開く勇者は三大魔獣の『赫狼(かくろう)』を討伐を成し遂げてくれたし。それに何度か城に招いて話したが、偉ぶらない謙虚な姿勢はまさに勇者のそれだった。……それに比べて他の奴らは! ただでさえ忙しいのに無駄に仕事を増やしおって! はぁ、せめてウチの国の外で問題起こしてくんないかなぁ!」

 

 ぐだぁっと椅子に寄りかかり、感情に身を任せて叫ぶ国王の様子に、燕尾服を来たお髭の老人、執事長のリカルドは眉間に指を押し当てて、深いため息を吐いた。

 

「……国王、いくらこの場にいるのが私だけだからといって、その様な王らしからぬ言動はどうかと」

「硬いこと言うな、リカルド。たまにはこうやってストレス発散しないとやってられないのだ、国王なんてものは」

「今月に入って三度目の発狂ですが?」

「私はストレス社会が悪いと思う」

 

 一通り叫んでスッキリしたのか、国王は椅子に座り直して、膝に両腕を立てて寄りかかり、両手を口元に持っていくと。真剣な目をして、先程から鋭い視線を向けてくる執事長の方を向いた。

 

「という訳でリカルド、今日から私、二日程休むから」

「無理です、先程ご自分で忙しいと言われてたじゃないですか。赫狼討伐の報酬の手続きとか、勇者の歓迎パーティーの準備とか、魔王の侵略による被害の後片付けとか、あと通常の執務も当然ながら沢山あります。やる事が山積みで休む暇なんてないですよ」

「……そんな現実の事なんて聞きたくなかった」

 

 国王は再び椅子からずり落ちて寄りかかり、無駄に高い王座の天井を見上げた。

 

「……娘成分が足りない」

 

 そしてそんな頭の悪い事を呟いた。執事長がまたかとため息を吐く。

 

「アイリーン……ラティアァ……、私の可愛い可愛い可愛すぎる娘達との交流が圧倒的に足りない、癒やしが足りていない!」

「別に毎日顔を会わせているではないですか」

「あんなのただの挨拶でしょうが! 私はもっとちゃんと触れ合いたい! 親子の絆を深めたいわけだ! 本当、ここ数ヶ月忙しくて食事だって一緒に取れてない、きっと娘達も寂しがっているだろう! いや! 間違いなく寂しがっている!」

「いいえ、アイリーン様は相変わらず暇さえあれば庭園で過ごされておりますし、ラティア様も最近は例の厨房へ入り浸っておりますので、王が心配する事は無いかと。だから早く執務に取り掛かってくださいまし」

「あ゛あぁァアン!!? そんな事実は存在しませんけどぉ!?」

 

 一体どこのヤクザだと言いたくなるようなメンチ切りを繰り出してブチ切れる国王、絶対にカタギの顔じゃない。

 

「アイリーンとラティアが私を放置して、ガードナー家の小僧や例の料理人にかかりっきりなんて事実は存在しない、存在しないったらしない!」

「現実を見ましょう国王、そして仕事をしてください」

「口を開けば仕事仕事仕事仕事、お前は本当に頭が硬いのぉ、先月もラティアが城を抜け出した時、こっぴどく叱ったそうだな。ラティアがそう言っていたぞ、まぁ……その会話が最後のまともな会話で、一ヶ月前の事なんだがな! ラティア! もちろんアイリーンも! パパは寂しいぞ!」

「はぁ……本当鬱陶しい人だな」

 

 普段は歴代でも稀に見る賢王として、その優れた手腕を振るい、ミスティモア王国を繁栄へと導いているのだが、こと自身の娘に関係する事だとこうも鬱陶しい人になるのだから本当に勘弁してほしい、そう思いながら執事長は深いため息を吐いてボヤく。

 

「誰が鬱陶しいだ! 不敬じゃないかい? 国王だぞ?」

「なら少しくらいは国王らしい態度を見せてくださいよ本当に、ほらちゃんと椅子に座る。次に来られる隣国の大使との面会を終わらせれば次の予定まで時間がありますので、その時にでも姫様方に会いに行ってください」

「分かった、早くその者を呼ぶといい。どうせくだらん金の話だ。ハリーハリー」

「先方にも予定がありますので大人しく待っててください。暇なら書類仕事を片付けて貰ってもいいのですよ?」

「心得た!」

 

 娘との会話のためならと、素直に執事長の言うことを聞く国王。何時もなら絶対に休憩中に仕事なんてやらないのに、娘パワーは恐ろしい。

 

 これでようやく落ち着きましたねと、執事長が内心ホッとしていると、コンコンと王の間に控えめなノックが響く。

 国王のペンを動かす手がビタリと止まり、その様子を見た執事長はノックの主が誰なのかだいたい分かってしまい、また仕事が進まないなと、再びため息を吐いた。

 

「失礼します、お父様」

 

 扉から姿を表したのは、先程から話題に上がっている国王の二人の愛娘の一人、第二王女のラティア・ミストラル。

 赤いリボンの映える銀色のツインテールを揺らしながら、ニコニコとやってきた。

 

「どうした? ラティア」

 

 先程までの疲れ切った表情をキリッと正し、娘の前で情けない姿は見せられないと凛々しい態度でラティアに話しかける国王。

 自身の父親の先程までの情けない叫びなんて露ほども知らないラティアは、彼女の前ではいつも通りカッコいいお父様をの姿を見て、にこぱぁっと笑顔を咲かせてこう言った。

 

「お父様、今日の晩ごはんは皆で一緒に食べませんか?」

「もちろん良いともマイエンジェル」

 

 愛しの愛娘にそう誘われて、断れる父親がいるだろうか、否いない、いる訳が無い。この後の予定とか仕事とかそんなのかんけぇねぇ! と国王は脊髄反射でイエスと答えていた。

 そんな父親の回答を聞いてより一層笑顔のましたラティアは、「嬉しいわ! じゃあ午後七時にハクギンの厨房にいらして! 残りのお仕事頑張ってね!」と言い残してパタパタと王の間をあとにする。

 

「…………リカルド」

「はぁ」

「私の娘可愛いだろ?」

「あ、はい。ソウデスネ」

 

 あぁ、なんて良い娘なのだろうか。世間の年頃の娘は父親を邪険に扱うと聞くが、家の娘たちに限ってそんな事はあり得ない、いつまでもお父様大好きっ娘でいてくれ! とそんな事を考えながら、先程とは比べほどにもならないスピードで書類を作っていく。

 午後七時には執務終了、これはもはや決定事項だった。

 

  ◇

 

「ただいま!お父様喜んでくださったわ!」

「ありがとう……ラティア」

 

 お父様を誘うなら私がお願いしてくるわ! と言ってラティアが厨房から駆け出してから数分後、笑顔で戻って来た彼女をアイリーンはよしよしと頭を撫でながら迎え入れた。

 

 アイリーンからの提案を要約すると、最近激務で疲れているであろう父親が体調をすぐさないように、スタミナのつく料理を食べてもらいたいと言う事らしい。なんとも父親冥利に尽きるような健気な思いやりだと、白銀が思っている傍ら、顔を青くしている男が約一名。

 

「どしたノーツ。顔が死んでるぞ」

「……大丈夫だ、問題ない」

「それは大丈夫じゃねぇやつのセリフだろ!?」

 

 虚ろな目をしてそう呟くノーツ、心なしか震えながら大丈夫大丈夫と繰り返していた。

 

「あぁ、いつもの事だから気にしなくていいわよハクギン。ノーツはお父様が苦手なの」

「苦手というか、目の敵にされているというか。ぶっちゃけ怖いんだよあの人」

「どんな人だよ」

 

 王女である姉妹に対する敬意の感じられない態度から、どちらかと言えば肝の太い男であるノーツがここまで苦手とする姉妹の父親、つまりはこの国の国王とはいったいどんな人物なのか、白銀は若干の不安を覚える。

 

「まぁ、本当に大丈夫。今日はもう一人犠牲者もいるから大丈夫。平気だ」

「そか、よく分からんけど分かったわ」

「あぁ、オッサンにビビってみすみすアイリとの晩飯を逃してたまるかよ」

 

 相変わらず物事の中心がアイリーンであるノーツに無理すんなよと告げ、手早く髪を縛り袖を捲りあげてから、モツ鍋の準備に取り掛かる白銀。

 

「よっしゃ、じゃあ下ごしらえしていきますかね。ラティア嬢、今日も手伝いありがとな」

「ええ! 今日はお父様もいらっしゃるんだもの、頑張っちゃうんだから!」

「……頑張ってラティア」

 

 きっちりとエプロンを着けて準備を完了したラティアは、両手をぐっと握って小さくガッツポーズ。

 そんなラティアにカウンター席から声援を送るアイリーン嬢、その隣でぐったりとしているノーツを一瞥して、白銀は棚から土鍋を取り出した。

 

「取り敢えず出汁を取ろう、出汁を」

 

 取り出した土鍋に水を入れて、火をかける。そしてそこに、予め荒削りされた鰹節を投入した。

 

「この鰹節は大きいわね、前のはもっとひらひらしてたと思うんだけど、こっちはさらに木の皮みたいな感じがするわ」

「あぁ、今回はトッピングじゃなくて出汁を出すためだからな。具材の味に負けないようなしっかりとした鰹の風味を出すために荒削りを用意したわけよ。で、このまま中火で十分くらい煮出していく。もちろんアク取りながらな」

「はい! アク取りなら私でもできるわ!」

「んじゃ、アク取りはラティア嬢に任せるわ。その間に俺は他の準備をしようかね」

 

 そう言って、冷蔵庫から取り出すは今回のメインであるお肉。マルチョウだ。

 

「そう言えば、お鍋なのは分かったけれど、モツ鍋ってどんなお鍋なの?」

「……体力がつくって言ってたから、お肉?」

 

 そんな初歩的な疑問を聞いてくるラティアとアイリーンに、白銀は「そう肉だ」といって取り出したマルチョウを二人に見せた。

 

「へぇ、変わった形のお肉ね。何のお肉なの?」

「牛のモルモン、つまりは臓物だな」

「……ふぇ?」

「もっと詳しく言うなら小腸、牛の小腸を裏返して輪切りにしたものだな」

「えぇ!? これ内臓なの!?」

「……た、食べれるの?」

「モチのロンよ、だから言ってんじゃん"モツ"鍋って」

 

 臓物のモツだなんて誰も分かんないわよ! とツッコミを入れるラティア。普段は表情筋がぴくりともしないアイリーンでさえも驚いた様子だ。

 

「ははっ、俺も初めてモツが内臓って知ったときゃビビったな」

「驚くわよ、普通そんな部位は売ってないでしょ?」

「いや、最近は庶民の間で割とメジャーらしい」

「……そう、なの? ノーツ」

 

 ラティアの疑問に答えたのは白銀ではなく以外にもノーツだった。

 

「ああ、普通なら内臓なんて捨てちまう所だろ? だから安価で手に入るらしい」

「そーらしいな、そもそもルーツも貧しい炭鉱のおっちゃん達が安くてスタミナの付くもんを試行錯誤した結果出来た料理って説もある。市場で買ったらメッチャ安かったから結構買っちったぜ」

「……ノーツ、よく知ってたわね」

「まぁ、俺も食べた事はないけれどな」

「美味しいの? ハクギン」

「マジで超絶めちゃくちゃ美味い。カニに並んで俺の好物トップ10に余裕で入るくらい美味い。初めて食った瞬間から内臓食べる系男子になるくらいには美味い」

「そ、そうなんだ」

 

 怖気づきながらも、ラティアはまじまじとマルチョウを観察していた。

 

「ま、このままだとちょいと癖が強いかんな、だから軽く下茹でして余分な脂と臭みを飛ばすわけよ。既に下茹でされたもんもあるけど、それだとモツの甘みとかプリプリ感がでないからな」

 

 水を入れた片手鍋を火にかけて沸騰させ、そこにモツを投入する。

 

「あんまり茹で過ぎても旨味が落ちすぎるから、一分くらいでザルに取ってやるといい」

「ハクギン、出汁もそろそろいい頃合いだと思うわ」

「おっけ、了解」

 

 ラティアからそう告げられた白銀は、さっとモツをザルに上げて、ラティアが担当していた土鍋の方を確認する。鰹節の良い香りがした。

 

「うん、いい感じ。じゃあ鰹節を取り出してくれ」

「分かったわ」

 

 白銀に言われたとおり土鍋から出涸らしの鰹節を取り出してゆくラティア。白銀はその間にスープの味を決める調味料を合わせてゆく。

 

「モツ鍋といったら醤油と味噌だが、今回は素材の味を活かすあっさりとした醤油ベースのスープにするぜ。醤油とみりんを一対一の分量で鍋に入れ、あとは塩で味を整えてやればスープの完成だ」

「かなりシンプルなのね」

「モツや入れる野菜の旨味がしっかりしてるかんな、このくらいの方がクドくなくてちょうどいいんだよ」

 

 小皿にスープを少し入れ、味を確認。鰹の出汁が上品に香る、いい塩梅だ。

 

「そして、最後に野菜を切って準備は完了だ。ラティア嬢はそこに置いてあるキャベツを全部一口サイズにちぎってくれ」

「分かったわ! 丸々一玉って結構な量だけど沢山入れるのね」

「んだ、基本的に野菜はキャベツとニラだけだからな。モツ鍋のメインは当然の如くモツ。一応変わり種でトマトとか入れるのもあるみたいだけど、個人的な好みで野菜はスープの味が薄まりそうな水気の多いものは避けて、シンプルに王道のキャベツとニラをたっぷり、アクセントでニンニクと鷹の爪を入れてやれば完璧だ」

 

 そう言いながら、たっぷりのニラを五センチ間隔で切り分け、ニンニクと鷹の爪は薄くスライス。

 そしてラティアのちぎったキャベツから順に、ザルに取っておいたモツ、ニラ、ニンニクと鷹の爪を土鍋に入れてやれば準備完了。

 

「あとは火にかけてやればいつでも食べれるぜ、完成だ」

「あっという間に完成したわね! 早くお父様来ないかしら!」

「……初めて、食べるから。少し……ワクワクするわ」

「………………南無」

 

 モツ鍋の完成に盛り上がってる三人を見たノーツは、白銀に向かって十字を切るのであった。

 

  ◇

 

 時は過ぎて約束の午後七時。

 白銀は思った。なるほど、コレはノーツが怖いと言ったのも頷けるわ……と。

  

「お父様と晩ごはんなんて久しぶりね!」

「……えぇ、最近忙しそう、だったから。本当……久しぶり」

「ははは、そうだなラティアにアイリ。糞ガk……ガードナー家の愚そk……倅と、何処ぞの馬のほn……泥棒ねk……ヨネクラくんも今日は招待してくれて嬉しく思うよ(ギロリ)」

「「…………ハハ、ドーモ」」

 

 姉妹の父親、国王ルシアンは口ではそう言うが、二人へと向けられた射殺さんばかりの眼光は『貴様らは呼んでねぇんだよあ゛ぁん?』と雄弁に語っていた。

 突然、初対面の国のトップから向けられる負の感情に、白銀は先程から何か意味深な態度をしていたノーツに小言で問いかける。

 

「おい、どうなってんだ。敵意どころか殺意向けられてんじゃん!? 俺なんか不敬になる様な事した!?」

「いや、シェフ殿は悪くねぇ。……チビッコにここに連れてこられた時点で絶対に避けては通れない運命みたいなもんだと諦めるしかしかねぇ。俺はもう諦めた」

「何それ理不尽」

 

 国王目線で言うならば、愛娘達とのディナー楽しみにしていたら、その娘達を誑かす害獣二人が付いてきたが為の殺意の眼光なのだが。それを差し引いても誰がどう見ても殺意が高すぎる、大人げない、国王の威厳なんてものは無い、娘二人から見えない位置で睨みつけてるあたり器の小ささが窺えた。

 

「さぁお父様、さっそく晩御飯にしましょう? 私も手伝ったんだから!」

「なんと! それはとても楽しみだ」

「……そうね、こっちよお父様」

 

 そして皆揃って円形のテーブル席へと着席する。

 これ以上国王の機嫌を損なわせない為、転生前のマナーを意識して下座へと座る白銀、その隣に何時もの様に特に何も考えずに座るラティア、そしてその妹の隣に当然のようにアイリーンが座って、そんな彼女に言われるがままノーツがその隣に座り、そして残った席、つまりは白銀とノーツに挟まれた席に国王が座った。

 

 白銀、国王、ノーツというの最悪の並びが出来てしまったわけだ。殺意の波動のレベルが一気に四くらい跳ね上がる。

 

「お、おいアイリ」

「アイリぃ? 随分と馴れ馴れしくウチの娘を呼ぶんだなノーツ?」

「ッ! あ、アイリーン様……席変わってくださいませんか?」

「……いやよ、ラティアの隣は、渡さないわ」

「(空気読めよこのシスコンがっ!)」

「ら、ラティアじょ、様も俺と席に交換しません? てかしてください」

「え? まぁ、いいけど。何か口調が変じゃない?」

「マジで! やった「ほぅ、つまりは二人に挟まれて両手に花と言うことだね? ほうほう、ヨネクラくんは随分と怖いもの知らずなんだね」やっぱこのままで良いです!!」

 

 万事休す、絶対絶命。どうあがいてもこっから先の大逆転などありえない、そうノーツは思っていた。

 が、何事にもイレギュラーと言うものは存在する。ノーツ自身が思っている以上に、白銀と言う男は食事が大好きで、モツ鍋と言う好物を前にした彼が、いい意味でも悪い意味でも空気を読むはずが無かったのだ。

 

「じゃあ、さっそくいただきましょう? ハクギン、早く火を付けて?」

「お、おう」

 

 ラティアに言われ、簡易コンロに火を付けて鍋の蓋を開ける。

 コレでもかと言うくらいに盛られたキャベツとニラの緑の丘に、散りばめられた鷹の爪の差し色、ぷるぷるとして美味しそうなモツ。これぞモツ鍋と言わんばかりの王道のモツ鍋がそこにはあった。

 

 ふつふつと煮ること数分、湯気が上がるとともにニンニクとニラの食欲をそそる香りが鼻孔を刺激する。モツの油がスープに溶け出し、美味しそうな輝きを放つ。何より主役のモツがぷるっとはちきれんばかりに膨らんでいた。

 そして当然、それを見た白銀のテンションが上がらない筈が無いのだ。

 ふつふつとスープがするたびに白銀のボルテージもふつふつと上がっていく。脳内は既に目の前の美味そうなモツ鍋に支配されていて、モツ鍋を食す上で邪魔な悩みなど不必要と判断していた。

 

「…………よっしゃ! 完成!! 鍋よそってほしい人ー!」

「はーい!」

 

 結局『国王なんて知るか、今はモツ鍋じゃい!』 と、そんな不遜も甚だしい事を思ったが最後。すっかりいつも通りのテンションに戻った白銀は今までの遠慮を吹き飛ばすかのように、声を張り上げそう皆に問いかけた。

 もちろん、暴力的なまでに食欲のそそる香りを振りまいていたモツ鍋に心を踊らせていたのは白銀だけではなく。ここ数ヶ月ですっかり食道楽の影響を受けたラティアは我一番に手をぴしっと掲げ返事をする。

 

「はい、ラティア嬢召し上がれ。ほら! ノーツもアイリ嬢もあと王様もボサってしてねぇで器寄越して! 俺がついじゃるから!」

「……えぇ、お願いするわ」

「う、うむ……」

「ははは……流石シェフ殿だな」

 

 あっという間にモツ鍋を皆に配膳し終えた白銀。先程と打って変わった彼の態度に、国王は毒気を抜かれ、ノーツは呆れて笑った。

 

「んじゃ、手を合わせていただきますっと!」

「「「いただきます!」」」

「……コレは極東の風習か、彼は中々に興味深い事を知ってるんだな」

「……えぇ、食べ物に感謝するらしいの。……素敵よね」

「……そうだなアイリ、私もいただくとしよう」

 

 娘たちに習って国王も手を合わせ、いただきますと感謝を示す。気に食わない男の作った料理だが、食材に感謝を示すその心は素直に素晴らしいものだと思った。

 まぁ、だからといって気に食わないモノは気に食わない。なので少しでもマズかったりしたらまた嫌味でも言ってやろうと、かなり性格の悪い事を考えながら、満を持して自身によそわれたモツ鍋を口に運ぶ。

 瞬間、旨味の衝撃を受けた彼は目を開いて驚きをあらわにした。

 

「むっ!?」

 

 最初の口当たりはふわっと、ぷりぷりの食感と一緒にホルモン特有の甘い油が舌の上で解けた。そして、噛めば噛むほどに濃厚な旨味が口の中にジュワっと広がってゆく。国王ルシアン、四十五歳にして初めて味わう味だった。

 すかさず二口め、今度は野菜と一緒に食べてみる。キャベツの甘みとホルモンの甘みがニンニクとニラの香味野菜と相まってなおのこと匙が進んだ、鷹の爪のピリ辛さもいいアクセントだ。 

 

「これは、驚いた。凄く美味いな……」

「美味しい! え? すっごく美味しいわ! キャベツとニラとの相性もバッチリ!」

「……肉汁ですっごくジューシ、けど……味付けはさっぱりしてて、とても上品な味わい」

「あ、駄目だ。美味い、美味すぎるってシェフ殿。コレ最近まで捨てられてた部位ってのが本気で信じられない、馬鹿じゃねぇの!?」

 

 ラティア達も三者三様のリアクションを見せている。そして、先程から一心不乱に黙々とモツ鍋を食していた、自称内蔵食べる系男子が器を空にして声高らかに「美味いッ!」と叫んだ。

 

「美味いッ! その上タンパク質やビタミンなどの栄養満点でスタミナに良くて更にはコラーゲンも豊富で美容にもいい! そして当然めちゃくちゃ美味い! モツ鍋最高だろ!」

「美容にいいのっ!? ハクギン本当!?」

「あたぼうよ、モツ鍋に不可能はねぇ!!」

「いや、普通にあるだろ、確かにめっちゃ美味いけど。あ、シェフ殿お替り」

「……私も、お願いするわ」

「はい! 私も私も!」

「りょーかいっと、王様もお替りよそいましょうか?」

「……うむ、頼む」

 

 すっかり白銀のペースに飲まれた国王は、何だか負けた様な気分になりつつも素直にお椀を白銀に渡す。先程までの殺気がまるで嘘のよう、モツ鍋の魅力恐るべし。

 そんなハイペースで五人が鍋をつつけば、あっという間に具が無くなるのは当然のことで、名残おしそうにラティアが「すぐ無くなっちゃったわね」と呟く。

 

「おいおいラティア嬢、鍋といったらシメがねぇと終われない、これ常識」

 

 そう言って、白銀が取り出したのはちゃんぽん麺。これまたモツ鍋のど定番のシメだった。

 スープだけとなった鍋にちゃんぽん麺を投入し、しっかりと煮込んでから皆につぎ分けていく。

 

「いただきます!」

 

 目をキラキラさせながらシメの完成を待っていたラティアが、我一番にと麺をチュルチュルと啜った。

 モツの油や野菜の甘みが贅沢に溶け込み、味わい深く育った極上のスープが中太の麺によく絡み、つるっとした食感で先ほどとはまた違った表情を見せていた。

 

「あのスープに麺入れて食べて、美味しくないわけが無い、美味しくないわけが無いんだよ」

「……もちもちしてて、美味しい。凄く食べやすいわ」

「なるほど、モツ鍋か。初めて食べたが一度で二度も楽しめるとは」

「シメは麺以外にも雑炊とかの択があるのがにくいところだぜ。あと醤油以外にもこってり系の味噌味とか旨辛いやつも捨てがたい」

「雑炊も絶対に美味しいわよ! 次はお味噌が食べてみたいわ!」

 

 美味い美味いと言いながら、これまたあっという間にちゃんぽん麺も完食。

 すっかりお腹いっぱいになった頃には、国王の機嫌はすっかり治ってしまっていた。美味しいものを食べてご機嫌になるあたり、この親子は完全に似たもの親子だった。

  

  ◇

 

「すっかりご馳走になってしまった。ごちそうさまヨネクラくん」

「あ、お粗末様です」

 

 さて、久しぶりの娘との交流をなんだかんだ楽しみながら、お腹いっぱい美味しいご飯を食べた国王。先程とまでは打って変わってかなりご満悦だった。

 初めこそ、要らぬ二人のお邪魔虫が付いてきた事が原因でものすごく荒れていたが。白銀の人なりに触れ、料理の腕を知った今だと、まぁガードナーの小僧はともかくこの料理人については邪険にする必要は無いなと感じていた。

 

 理由は単純、あの短い時間のやり取りで国王が白銀という人間は基本的に料理しか興味が無い類の人間だと理解したからである。自身の愛娘が誑かされる心配がないほどの料理馬鹿だと理解したからである。

 国王の人を見る眼が凄いのか、白銀の料理バカが凄いのか、多分どっちもどっちだと思われるが、とにかくそんな理由で国王の白銀に対する態度は軟化していた。

 

「ヨネクラくんは、かなり料理が好きなんだね」

「好きといいますか、生きがいといいますか。自分の人生の最大のテーマ見たいなもので」

「そうか、そうか……ちなみになんだが、ヨネクラくんは料理以外に興味がある事は無いのかね? 例えばその……恋愛とか?」

「恋愛? あんまり興味ないんですよね。それで飯が美味くなるなら別ですけど」

 

 そう言ってカラカラと笑う白銀。さり気なく探りを入れてみた国王は、そんな白銀の相変わらずな回答に内心ホッと息を吐く。国王の中で白銀の立ち位置が、害獣から人畜無害な料理上手な青年に大幅昇格した瞬間である。

 

「なるほど素晴らしい職人魂だな! 料理の腕も文句なしの一級品、是非これからも我が城で腕を奮ってもらいたい!」

「ね? 私が言ったとおりでしょ? ハクギンの料理はとっても凄く美味しいんだから!」

「あぁ、ラティアの言ったとおりの人物だったよ。こんな美味しいものを食べたのは久しぶりかもしれない」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 

 先程の殺意の波動なて無かったかのような、手のひらねじ切れんばかりの態度の変化に戸惑いつつも褒められた例を言う白銀。その横でラティアはまるで自分が褒められたかのような誇らしげな笑みを浮かべていた。

 そんな国王の様子に、食後の緑茶を飲んでいたアイリーンがそんなにお父様が彼を気に入っているならと、こんな提案を持ち出した。

 

「……ねぇ、お父様。ヨネクラに……今度のパーティのお手伝いをしてもらったら?」

「おお! それはいい提案だアイリ!」

「パーティ? 何、誰か誕生日なんすか?」

「……違うわ。来週、城で開かれる勇者の歓迎パーティよ」

「へぇ、勇者なんているんすねぇ」

「ハクギンの料理がパーティに並ぶなんて、凄く喜ばれると思うわ!」

 

 そう他人事の様に呟いた白銀は、「いいっすよ、食事作ればいいのよね?」と軽いノリでパーティの手伝いを承諾。

 その答えを聞いたラティアは「やったわ! うんと美味しいものをお願いね! なんたってパーティなんだから!」と喜びをあらわにしたし、アイリーンも嬉しそうに微笑む。

 

 そして肝心の国王は、勇者の歓迎パーティの話が少しでも進んだことに喜び、また彼の料理が食べれるのかと内心少し期待していた。

 

「それじゃあ名残惜しいが、私は執務が残っている。ヨネクラくん、パーティの件楽しみにしている」

「うっす、了解です」

「ラティアにアイリーンも今日は本当に楽しかった、また時間がある日にでも、ゆっくり彼のご飯を食べようじゃないか」

「……うん、楽しみにしてる」

「またねお父様!」

 

 そう言って娘達に見送られながら厨房を後にする国王。

 娘達との一ヶ月ぶりの食事と、優秀なシェフとの出会いにご満悦な彼の足取りは軽いものだった。

 本当に始めこそ彼とラティアとの関係を危惧していたが、自分で言うのも何だか、彼は一国の王を前に王よりも食事に集中する男だ、何かとんでもないきっかけでも無い限り、娘と良い雰囲気になって、あまつさえ恋愛に発展するなんて事は無いだろう。と、完全にそう納得した国王は今日はいい日だと結論づけ、また再び王の職務へと戻ったのだった。

 

「………………これは、多分また荒れるな」

 

 そして、先程から黙って存在を消し、厨房の片隅で国王からの殺意から逃げていたノーツ。これから起こりうる事態に一人呟いた。 

 確かに、国王が思っている通り、今はラティアのハートが白銀に捕まれる事態には陥っていないし、白銀自体もラティアを恋愛対象として見てない。

 が、どう考えてもラティアの胃袋は白銀にガッチリと掴まれていた。こと食事に関しては絶対に掴んで話さないレベルの惚れ具合だった。

 とある一説によると異性を落とすのはまずは胃袋からと聞く。この事実に国王が気づいてないのは幸か不幸か、確実にいつか爆発するこの地雷に気がついている人間は、残念なことにこの場においては、ずっと国王の地雷を踏み抜いているノーツしかいないのだった。

 

「パーティか、何作ろう」

「はい! 焼きそばがいいわ!」

「……ケーキが食べたい」

 

 そして等の本人はパーティのメニューを考えることに盛り上がっており、ノーツの心配なんて微塵も察知できていなかった。

 そんな彼を見て、本日二度目となる十字を切るノーツだった。

 

  ◇

 

「城でパーティ!? 無理っす! 嫌っす! 他の勇者が行けばいいじゃないっすか!」

「へ? 赫狼討伐の功績……? いや! 倒してないっすから!なんか懐かれただけっすからぁ!」

「俺はひっそり暮らしたいの! 田舎でのんびりと美味しいもの食べて余生を過ごしたいの!」

「え? 駄目? 強制参加?……マジっすか」

「はぁ……パイセンのご飯が食べたい」

 

 勇者の願いが叶うまであと少し。




 ルシアン・ミストラル(45)
・髭をはやしたダンディなおっさん(国王)
・好きなものは娘達、嫌いなものは娘達を誑かす者

 



もう本当にいつもながら投稿が遅れてしまって申し訳ないです。
次回からようやく起承転結の"転"の部分に突入します、必ずや完結させてみせますので今しばらくお待ちください!


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焼豚炒飯と転生勇者。

 

 転生者、桐生真斗(きりゅうまさと)。彼の人生は波乱万丈、まるで漫画のような不運の連続だった。

 

 イベント毎に風邪を惹き、外を歩けば犬に吠えられ、家ですごせば床が抜ける。靴紐は月一で切れるのは当たり前で、好きな女の子には同性愛者だと誤解され、バレンタインに渡されたチョコには謎の毛が混入していたり……エトセトラ。

 特に女性に対する運がずば抜けて低く、最終的には存在しない子供を認知しろと迫られた末、ストーカー女性からブスリ脇腹に一発。

 

 桐生真斗、享年十六歳。彼は生涯童貞でその短い人生を終えるはずだった。

 しかし、これまでの度重なる不幸の反動だろうか、真斗の歴史上類を見ない特異体質は、幸運にも神々の目に留まり、晴れてチート能力を授かった上での異世界転生が認められたのだった。

 

 当然、彼が願ったチート能力は幸運値の上昇。今まで不運のせいで苦労してきたため、第二の人生は運に左右されず静かに暮らしたいと願っての事。

 しかし、長年彼を苦しめた不幸体質が、そう安々と彼の幸運を見過ごす訳が無く、チート能力を授かる際、神のちょっとしたサービス精神が原因で、真斗はかなり強めに加護を授かってしまう。それにより、チート能力と特異体質でようやく並になるはずだった真斗の幸運値は、圧倒的プラスの方へと振り切ってしまった。

 

 その事に気が付かない真斗は、そのまま異世界に転生。

 これからの穏やかな生活に胸を弾ませていた彼を待っていたのは、過剰なまでの幸運の嵐だった。

 

 道を歩けば高額の財布を拾い、それを持ち主に返せばお礼として立派な屋敷を無料で譲り受け、街の外をジョギングして小石を蹴飛ばしたかと思えば、ピタゴラスイッチ的な流れで近くにあった魔物の集落をぶっ潰し、虐められている子犬を助ければ親犬が三大魔獣の一角である赫狼(かくろう)で、よく知らぬウチに忠誠を誓われていたり。

 当初計画していた異世界で冒険者になり、少しの刺激を求めつつもまったりと暮らすスローライフの予定はあっという間に崩れ去り、いつの間にか勇者さまと持て囃される始末。

 

 真斗は思った、「誰がここまでやれと言った」と。

 

 老後の様な穏やかな暮らしを求める真斗にとって、勇者なんて呼ばれる事は断固拒否すべき案件、これ以上有名になってたまるかと、なるべく目立つような事は起こさないように心がけていたのだが、そうは問屋が降ろさない。

 すでにこれまで何度も功績を讃えられて城に招かれてるし、つい先日も赫狼の討伐を理由に城への招待と言う名の強制連行が再び決定。まさに勇者に相応しい目立ちまくるイベントに真斗は絶望した。

 

「よく来てくれた勇者マサトよ。今回の赫狼討伐の件、大義である。ささやかだが、貴殿の功績に感謝してパーティを開いた、是非とも楽しんでくれたまえ!」

「は、ハイっ……感謝しまする、るるルシアン国王陛下」

 

 そして現在、聖ミスティモア城の王の間で、目の前の国王にビビり倒している勇者真斗だった。

 

  ◇

 

「つ、疲れたっす」

 

 さて、ところ変わってパーティ会場。

 緊張しすぎて何を話したか覚えていないが、どうにか国王との面会を終わらせた真斗は、自身に挨拶に来るお偉いさん達から隠れるように逃げ、目立たないバルコニーの隅で、ようやくホッと一息ついた。

 これでもう何度目かのパーティになるが、相変わらず慣れない。挨拶って何話せばいいの? 自分ただの高校生っすよ!? と内心で愚痴を吐き捨て、今はただこのままパーティが終わるのを願うばかりだった。

 

「あぁ、帰りたい」

「パーティの主役がこんな隅っこに居て、あまつさえ帰りたいときたか」

 

 つい漏れてしまった本音を聞かれ、真斗がしまったと思って振り向くと、そこには見知った茶色い三つ編みが夜風に揺れていた。

 

「よう、相変わらずだな勇者殿よ」

「なんだ、副団長さんっすか。脅かさないで欲しいっす」

 

 真斗に声をかけた相手は、ノーツ・ガードナー。

 不本意ながらも勇者である真斗にとって、この王国直属の騎士団の副団長を任されているノーツは、何度か一緒に依頼をこなした事もある相手で、このパーティで真斗が緊張せずに話せる数少ない人物の一人だったりする。

 

「赫狼の討伐おめでとう、おかげで俺の仕事が減って助かった」

「どうもっす。……あと副団長さんは知ってると思うっすけど、今回も偶々っすよ。しかも討伐してませんし」

「あぁ、たしか手懐けてるんだってな。まぁ、そっちの方が俺達からしたら意味不明なんだが」

「赫狼……ハチは最近はボール遊びにハマってて、庭で泥だらけになりながら遊んでるっす」

「ハハッ、赫狼の名が泣くなぁ」

 

 完全に野生を失ってペット化している三大魔獣の一角の現状に、思わず笑ってしまうノーツ。とうの飼い主はそれが原因で城まで引っ張り出されているのだから笑えなかった。

 

「にしても、相変わらずのラッキーボーイっぷりだな。最近だと何処に行っても勇者殿の話を聞くぜ?」

「分不相応っす、俺は目立ちたくないんすよ!」

「今回は特に倒した魔物が魔物だから、これまで以上に勇者の腕は確かなものだと周りに確信を持たせる結果となってるぞ」

「でも実際俺より副団長さんの方が強いっすよね?」

「まぁ、腐っても副団長だからな。いくら勇者といえど、つい最近冒険者になったルーキーには負けられないさ。今レベル幾つだよ」

「今はたしか、この前48になったっす」

「はぁ!? 俺の二つ下じゃねぇか!」

「ええっ!? レベルの上がり方ってこんなもんじゃないんすか?」

「ベテランの騎士のレベルでようやく30ぐらいだぞ! 俺だってようやく50に上がったばっかりだってのに!」

 

 普通他人のレベルなんてプライバシーの関係上詳しく聞く機会も無かったため、これが普通と思ってたのだが、まさかの事実を前にして驚きをあらわにする真斗。ノーツもかなりの衝撃を受けた。

 

「いや、おかしいだろ! どんな経験値してんだよ。赫狼ってそんなに経験値デカイのか!?」

「ハチは倒してないっすから経験値なんてないっす!」

「ならなおさら可笑しいわ!」

 

 そう言われて自身の成長スピードが異常だと言う事に気がついた真斗は、最近倒した魔物を思い出していく。

 

「そういえば最近、突然家の庭に湧いた金びかりしたスライムの駆除をしたんすよね。いや、でもアイツめっちゃ弱かったから関係ないっすよね」

「そいつだ! そいつが原因だ! それ超激レア突然変異個体の高経験値スライムだろ!」

「メタリックなスライムが高経験値とかそんなベタなっ!? 普通経験値って相手の強さに比例するもんっすよね!」

「比例しねぇから突然変異個体なんだろ! 勇者殿、どんくらい倒したんだ!?」

「……五十いや、六十は倒した気がするっす」

「どうりでレベルが爆上がりするわけだよ!」

 

 ノーツの心からのツッコミをうけ、ガクリと項垂れる真斗。庭にスライムが湧いた時には生前の不幸の懐かしさを感じていたが、実際は無意識のうちに、またチートが発動していた事実にショックを受ける。

 

「もう俺、一歩も家から出ない方が静かに暮らせるんじゃないっすかね?」

「……勇者殿のぶっ壊れた豪運聞いてると、どうせ赫狼あたりに家の庭から金塊とか掘り出されそうな気がするな」

「あ゛ぁぁ!! ありそうっす!!」

 

 真斗は「どうすりゃいいんすか! 俺は目立ちたくないんすよ!」 とぐわぁっと頭をかきむしりながらそう叫ぶ。そんな彼をノーツは、運が良すぎるのも考えものだなと、心から同情する。自身も王国騎士副団長なんて柄じゃない立場にいる事に、少なくない煩わしさを感じているからこそ、真斗の嘆きに共感していた。

 目立たず普通の生活がしたい真斗、穏やかに庭いじりをしたいノーツ、互いに引退願望の共通点がある事が、この二人が仲良くなったきっかけのかもしれない。

 

「まぁ、嘆いたってしょうがないさ。元気出せよ勇者殿」

 

 ぽんと肩に手を置き、優しく真斗を励ますノーツ。

 

「ありがとうっす副団長さん」

「ほら、勇者殿って極東出身だろ? 今日のパーティは極東の料理を用意してるからさ、その故郷の飯でも食べて元気だそうぜ」

「うっす、もうホントマジで副団長さんだけが頼りっすよ!」

 

 とうぜん真斗の故郷は日本なので、故郷の味が異世界であるこの地にあるわけが無いのだが、そんな事よりも疲れている真斗にとってはノーツの気づかいの方が嬉しかった。ノーツに連れられてバルコニーを後にし、極東料理が置いてあると言う方へ向かう。

 

 そして、近づくにつれて、濃厚なソースの匂いがする事に真斗は気がついた。

 

「え? これって」

 

 それは、転生前の祭り屋台等で慣れ親しんだ匂いに似ていた。こちらに来てからここまで完璧なお好み焼きソースの匂いを感じることは当然無かったため、思わずそんな声が漏れる。

 

「期待していいぞ、第二王女お抱えのシェフによる極東料理だからな、なんでもパーティといえば最近の流行りだとコレだ! って料理らしい」

 

 そう言われ、ノーツが指を指す方へ視線を向ける。そこには見慣れた丸い食べ物がソースとマヨネーズ、カツオ節と青のりでトッピングされてそこに鎮座していた。まごうこと無き、見事なタコ焼きである。

 

「……ぱ、パーティってタコ焼きパーティ……タコパの事っすか!?」

「そうそうタコ焼きって言うんだってな、やっぱり知ってたか」

「知ってるっすけど! えぇ!? なんでタコ焼きがこんなとこにあるっすか!?」

「元気になったようで良かった良かった 。よう、チビッコにシェフ殿。タコ焼き食べに来たぞ」

 

 驚く真斗をよそに、ノーツは近くで黙々とタコ焼きを転がしながら作っている、『I LOVE たこ』とプリントアウトされたTシャツを着た長髪の男性と、その隣でタコ焼きにトッピングを施している、男とお揃いのTシャツを着た銀髪ツインテールの美少女に声をかける。ノーツに声をかけられたクソださTシャツ二人組は、一旦作業を停止してこちらを振り向いた。

 

 そして真斗は、タコ焼き製造マシーンの男性の顔を確認して、異世界に来てから一番驚く事となる。

  

「米蔵パイセンっ!!? どうして此処にっ!?」 

「んぁ? ノーツに……真斗か? いらっしゃい。タコ焼き食べる?」

「いただきます! いただきますけどっ!! 反応薄くねぇっすか!!?」

 

 まるで昨日も会ったかのような軽い同郷の先輩のセリフに、当然過ぎる後輩のツッコミが炸裂する。勇者の声がパーティ会場に響いた。

 

  ◇

 

「んじゃ、タコ焼きも完売したし帰るか」

「ちょっ! 待ってほしいっす! 説明をプリーズっす!!」

 

 宴もたけなわ、パーティも無事終了したため、さっさと自分の住処である厨房へ、なんの説明もなしに帰ろうとする白銀。そんな薄情者に、慌てて真斗は待ったをかける。

 先程は思わずツッコんでしまったが、今は仕事中らしい白銀の邪魔をしてはならないと、律儀に大人しくタコ焼きを摘みながら待っていたのだ、ようやく得た説明のチャンスを逃がすわけが無かった。

 

「えぇ、説明いる?」

「いるっす! 超いるっす! なんでパイセンが居るんすか!?」

「コッチに来てから始めた店が潰れそうになって、どうすっかなと悩んでた所を……」

「この私がお城に勧誘したわ!」

「簡潔で分かりやすいのに釈然としない!」

 

 えっへんと胸を張るラティアと白銀の主従コンビにツッコミをぶつける真斗。ノーツは仕事があると帰っていったので、この場にいるツッコミ要因は彼だけだった。

 

「というか! この御方ラティア様っすよね! クソださTシャツでたこ焼き作らせていいんですか!?」

「……確かに。ラティア嬢良かったん? ドレス着て挨拶周り? とかしなくても」

「そーいうのはお姉様がやってくださってるし、お父様も納得してくださってるわ。その代わり、後で私が作ったたこ焼きを絶対に持ってきてと二人に念押しして頼まれたけれど」

 

 愛する妹or娘の手作りたこ焼きに釣られた、ラティアにただ甘なこの場にはいない二人の王族に、相変わらずだなと白銀。

 いくら許可が降りたからといっても、と言うかそもそも王族に出店の手伝いをさせるなよと、真斗は全力で思うが、この人に言っても無駄、話が脱線するだけだと、ぐっとツッコミを堪えた。

 

「つまり勇者様は、ハクギンとお友達だったのね!」

「友達って言うか知人と言うか……ただ餌付けしてただけというか」

「酷っ! パイセンつれないっすよ、俺とパイセンの仲じゃないっすか!」

「だって俺、お前の苗字知らねぇもん」

「桐生っすよ! 桐生真斗! あと、俺が教えてないんじゃ無くて先輩が興味なくて忘れてるだけっすからね!」

「そーそ、桐生だったな。ごめんごめん」

 

 流石に苗字すら把握してないとは思っていなかった真斗は、大声で物申すが、白銀は軽く流している。そんな二人の様子を苦笑いでラティアは見ていた。

 

「まぁ、間違いなく同郷の知り合いではあるな」

「それでもまだ知り合いなのね」

「知り合いなんてちゃちな関係じゃないっすよ! マジパイセンは俺の心の師匠なんで! 超リスペクトしてるっす!」

「……あと、基本良いやつなんだが。俺に対してだけなんかこう……ウザったい」

「……なるほど、何となくわかったわ」

 

 酷いっす! と騒ぐ真斗を横目に、白銀はため息を吐く。そういえば転生前はよくコイツに絡まれたなと思い出していた。

 

 白銀と真斗の出会いは今から二年前の四月、真斗が高校に入学したばかりの頃。

 昼休みに白銀が自分の家から持ってた米と土鍋とカセットコンロで、炊きたてご飯を炊いていた所に、不運の末に弁当箱をゴミ箱へとダンクシュートした真斗が、フラフラとやって来た事がきっかけで出会うこととなる。

 聞いてるこっちが悲しくなる様な腹の虫の音を聞いた白銀が気の毒に思って、気まぐれでおにぎりを恵んでからというもの、ことある毎に昼飯を食べ損ねる真斗に、常に何か食べ物を携帯していた白銀が食べ物を恵むというサイクルが完成。完全の飼い主とペットの構図である。

 

「うん、よく思い出しても餌付けしてた記憶しかねぇわ」

「確かに先輩に会う時、絶対に何かしら食べ物もらってましたけど、それ以外にも思い出ありません!?」

「……そーいや、真斗の彼女さんからたくさんカニ貰ったな。いい人だった、元気してる?」

「そいつ俺の彼女じゃなくてストーカー! 俺とパイセンがコッチに来ることになった(転生することになった)元凶っすよ!!」

 

 真斗が懐いている白銀に嫉妬したストーカーが、何処で知ったのか、白銀のアレルギーであるカニを白銀に贈呈。料理バカなら食べるだろうとのストーカーの思惑通り、当然のようにそれを食べて白銀は死亡。そしてその後、色々あって真斗がストーカーに刺されて死亡。

 これが、二人の転生までの真実であった。

 

「へぇそっかぁ。まぁ、結果オーライだし問題ないだろ」

「問題しかないっすよ、まったく。……相変わらず料理の事しか興味ないんすねパイセン」

「ハクギンって昔っからこうなの?」

 

 ため息を吐く真斗に、自分が出会う前の白銀の過去に興味があったラティアがそう問いかける。

 

「そうっすね。よく学校で勝手にご飯作って先生に怒られてたり、突発的に畑を耕したり釣りに行ったりしては、自ら食材を調達してきたり、醤油や味噌の作り方習ってくると一週間ほど旅に出たり……そんな感じでしたよ」

「むしろ今よりも酷いわ!」

「基本食べ物の事しか考えて無い人っすから、米蔵パイセンって」

「そうね、うん。本当にそのとおりね」

 

 思い当たるところが多すぎて、しみじみとそう呟くラティアと、頷いて同意する真斗。

 そんな二人の物言いに、先程まで脳内で『腹減ったなぁ、そーいや冷蔵庫にこの前作ったチャーシューが余ってるな……炒飯食いてぇ』と考えていた白銀が流石に異議も申し立てる。

 

「失礼な、俺だってもっといろんな事考えてるわ」

「へぇ、例えばどんなこと考えてるの? ハクギン」

「……せ、世界平和とか? 知らんけど?」

「言ったそばから適当すぎるっすよこの人」

「わたしが当ててあげるわ! さっきのハクギンの顔は『腹減ったなぁ、そーいや冷蔵庫にこの前作ったチャーシューが余ってるな……炒飯食いてぇ』って思ってる顔に違いないわ!」

「いや、何でわかんの?」

 

 少し声を低くして白銀の真似をしながらそう言い当てるラティアに、白銀は驚きを隠せない。

 しかし、当のラティアから言わせると、白銀ほど分かりやすい人はいない。白銀は食べ物の事を考えていると、楽しみだからなのか、分かりやすく雰囲気が柔らかくなるのだ。

 まぁ、だからといって、この料理バカの食べたい料理までドンピシャで当てる事ができるのは、後にも先にもラティアしかいないだろう。

 

「こんなの、日頃から白銀を見てたら朝飯前なんだから!」

「凄いっすねラティア様。あと、パイセンのモノマネも地味に似てましたし」

「ふふん、でしょう? お姉様のお墨付きなの、ちなみにお姉様はお父様に睨まれるノーツのモノマネが得意よ」

「あんたら姉妹二人で何やってんの?」

 

 知らぬところで開かれている、暇を持て余した淑女達のモノマネ大会に、白銀は呆れてそうラティアに問いかけるが、ラティアは「ふふっ、ナイショ」と受け流した。

 

「まぁ、その話は一旦置いておくとして、実はちょっとお腹空いてきちゃった。私も炒飯が食べたいわハクギン」

「あ! 俺も! 俺もパイセンの炒飯食べたいっす!」

「はいはい、じゃあ厨房へと帰りましょうかね」

 

 そう言って厨房へと足を向ける白銀。早速炒飯の事を考えながら歩いていたが……

 

「勇者様にもハクギンの昔のお話をたくさん聞きたいわ! ハクギンったら自分の事全然話さないんだから」

「基本料理の事しか話さないっすもんね。あ、それだったら面白い話がありますよ? パイセンが釣った魚を猫と本気で奪い合ってた話とか」

 

 真斗の台詞で歩みがビタリと止まった。

 

「おい、まて何でお前その話しってんの?」

「何その話! とっても気になるわ!?」

「いや、気にならなくていいから! アレは流石に自分でも無いなと反省したんだから! おい真斗黙ってろよ!」

「いいえ! 是非ともお話を聞きたいわ勇者様!」

「聞かなくていいの! 黒歴史ってやつだから!」

「……すいませんパイセン。流石に姫様の頼みなら断れないっす! 」

「この裏切り者が!」

「別に久しぶりに再会したのに、扱いが相変わらず雑だったり、苗字忘れられたりして怒ったりとかしてないっすよ? 怒ったりはしてないっすけど、やっぱり王族の方にお願いしれたら断れませんよ。だから仕方ないっす! どんまい!」

 

 そう言って真斗は厨房までの道のりの間、白銀の黒歴史を意気揚々と語り続けるのだった。

 

  ◇

 

「オラァ! 炒飯つくんぞコンチクショォ!!」

 

 過去に、サ○エさんもビックリするほどのガチ喧嘩を猫と繰り広げ、結果漁夫の利トンビに負けた男、そして先程まで羞恥で打ちひしがれていた白銀は、厨房に着くなりやけっぱちでそう叫ぶ。

 現在時刻は夜中の11時、こんな時間に食べる炒飯なんて体重増加へまっしぐらだが、そんな事を気にしている奴は一人もいなかった。

 

 さっそく手を洗って髪を纏め上げ、調理の準備に取り掛かる白銀。

 

「今回はやる作業も少ないし、ラティア嬢は休憩しててくれ。パーティーの準備とかで疲れたろ?」

「そうね、じゃあお言葉に甘えるわ」

「あ! じゃあ俺が手伝うっすよ!」

「インスタントラーメンも満足に作れん様な奴はいらん、他の料理ならまだしも炒飯は戦いなんだぞ? 素人が厨房に入れると思うな、最悪死人がでるぞ?」

「炒飯で死ぬわけないっすよ!」

「炒飯で死ぬんじゃない、邪魔だと感じたら俺が問答無用で叩き出すんだよ。なのでお前も座って待ってろ」

 

 そう言ってバッサリと申し出を拒否された、実は料理スキルが皆無の真斗は、おとなしくラティアと一緒にカウンター席で白銀の調理を見学する事になった。

 

「取り出しますは、先日ノリと勢いで作ったチャーシューと、卵六つに長ネギ一本、あとは生姜を半欠片っと」

 

 今回作っていくのは、チャーシューと卵とネギのシンプルな炒飯。なので製作者の腕がダイレクトに料理の出来に関わってくるので、単なる夜食といえど白銀はガチだった。

 

「炒飯はマジでスピード勝負みたいなところがあるかんな、なので使う食材は最初に下処理を済ませておくのが基本だ。基本的に具材は細かく微塵切りにしてやればいい」

 

 そう言ってネギと生姜を微塵切り、チャーシューを細かく賽の目状に切っていく白銀。

 

「チャーシューも結構細かく切っちゃうのね?」

「そうっすね、もっと大きくてごろごろしているのをイメージしてたっす」

「そこは完全に好みだけど、こっちの方が米とサイズが近いぶん、味に纏まりが出来るんだよ。個人的にチャーシューをでかくすれば、肉を食べてる感は出るけど炒飯全体としての完成度は落ちる気がする」

 

 微塵切りが終わると、手早く卵を割って軽く溶いていく。

 

「で、下処理はこれで終了だ。シンプルだからなあっという間だな」

 

 そう言いつつ白銀は、平皿三枚と中華鍋を取り出した。

 普段の料理なら既製品のフライパンで十分だが、やはり薄い鉄板で作られた中華鍋のほうが、コンロの火を直に食材に与えること出来るため、炒飯を作る上では好ましい。

 アイリーンが好きそうな新作スイーツのレシピと引き換えに、ノーツの伝で鍛冶屋にわざわざ特注生産を頼んで作ってもらった一品だ。

 

 食材をすぐ使えるように手元に用意し、鍋に火をかけたら準備完了。

 

「こっからが本番、いよいよ炒飯を作ってくぜ。一般家庭用のコンロとかでやるなら一人前づつ作ったが美味いけど、この中華鍋と業務用魔石コンロなら特に問題はないだろう」

「普通だと鍋自体の温度が下がるから、一人前ずつなのよね?」

「んだ、それだとご飯一粒づつに熱が均一に入らないから、パラパラした炒飯にならねぇんだよ。あと、熱下がるから煽れないし」

「先輩ってフライパンで煽ったり、フランベしたり、派手なの好きっすよね」

「炒飯って煽ってなんぼってイメージない? あといかにも料理してる感じがして楽しいしな」

 

 そう言いつつ、白銀は熱された中華鍋に油を突入していく。

 

「そんなに油入れても大丈夫なの?」

「のーぷろぶれむ、ラティア嬢。すでにこの時点で、美味い炒飯とそうでない炒飯の違いは出てくるもんよ。油は臆することなく多め、カロリーなんて気にしないコレ基本」

「身体には絶対悪いっすけどね」

「身体気にして我慢して食べる飯なんてクソだ、バカ以外誰も食べやしねぇよ。食ったぶんちゃんと動けば問題ねぇさ。さて、こっからノンストップで作っていくぞ」

 

 まずカンカンに熱された油に刻んだ生姜を入れ、油に生姜の香りを移してから、すかさずチャーシュー、卵、温かいご飯を投入する。

 

「ここで使うご飯は原則温かいものだけとする。理由はさっきも言ったけど鍋の熱が下がるのを防ぐため、火加減が命アルよ」

 

 エセ中華訛りで巫山戯つつも、中華鍋を振る様子は真剣そのもの。手早くお玉の側面でご飯をほぐす、卵でご飯一粒一粒をコーティングする様なイメージだ。

 白銀は忙しなくお玉を動かし、時折鍋を煽ってご飯を均一に炒めていく。その様子にラティアと真斗は息を飲んで見守っていた。

 

「で、ここで調味料を入れる。塩を小さじ一杯半、そんで醤油ベースのチャーシューの煮汁を鍋肌に直接、軽く焦げ目がつく様に入れて香りを出しつつ、ご飯と混ぜ合わせていく」

 

 煽る煽る、ひたすら中華鍋を煽る白銀、そのたびに生姜と醤油の香ばしい香りが広がっていく。

 食指を刺激される匂いに耐えつつ、白銀は調味料にムラができないように注意しながら炒め、全体に調味料が馴染んだところで、最後の具材である長ネギを投入。軽く火を通してネギの香りと甘みを出していく。

 

「そしてさらに、黒胡椒をしっかりと振りかけて香り高く仕上げる。うん、いい感じにパラパラになってきたな」

「それで完成っすか?」

「んや、まだ最後の工程が残ってる。このままでは水分が飛びすぎてパラパラ超えてパサパサだかんな、米の旨味も卵のコクも損なわれちまっている。なんで、酒を加えてやるんだよ」

 

 酒を加えることによってパラパラしつつも、しっとりふわふわの食感が味わえる上、大量の油でコッテリしていたのも抑えられるため、そのままでも全然美味しい炒飯が至高の領域へと引っ張り上げられる。

 チャーシューの煮汁と同様、鍋肌に酒を大さじ三杯ほど回し入れてムラが出来ないように炒飯と混ぜ合わせる。

 

「そして、表面の水分を飛ばして、香ばしく最後に炒めたら完成っと」

 

 中華鍋を起用に煽ってお玉に炒飯を入れ、手早く平皿に三人分の炒飯を盛り付けていく。

 最後に隣に福神漬を添え、白銀特製の焼豚炒飯が完成したのだった。

  

「「「いただきます!!」」」

 

 配膳が終わって席につくなり、三人揃って手を合わせ、熱々の炒飯にレンゲを差し込んだ。簡単に米がほぐれて光り輝く様子に胸を高鳴らせながらの一口目。

 

 さらっパラッふわっ

 

「んーっ! 美味しい! とっても美味しい! 美味しいわ白銀!」

「うまっ、いや俺が作ったんだから当たり前だけど。うまっ、は? うま」

「これっすよ! コレが食いたかったんすよ! パイセンの炒飯だぁ! くぅ、うめぇ……!」

 

 噛めば噛むほどに溢れるジューシーなチャーシューの旨味、ふわっふわのコク深い卵とネギの甘み、ほのかに香る焦がし醤油の香り。ご飯もパラパラとしっとりの中間を絶妙な加減で申し分ない出来だ。

 味付け自体はとてもシンプルなのに、一つ一つの味の組み合わせが黄金比率のレベルで噛み合っており、一度口に運べばレンゲが止まることを忘れてしまう。 

 

「思ってたよりも、全然さらっとしててとっても食べやすいわ!」

「そりゃ最後の調理酒を入れた結果だな、あれがねぇと若干クドい纏まりのない味付けになんだよ」

「最初に入れた生姜が良い感じに香りを高めてて流石っす」

「味変で福神漬と一緒に食ってもいいぞ、というかむしろ推奨」

 

 白銀にそう言われて、さっそく福神漬と一緒に炒飯をいただく二人。そしてすかさず美味しさから唸る。

 あれほど完成されていた炒飯に、新たに加えられた福神漬独特の甘い味わい。コレがびっくりするくらい相性いいのだ。ぽりぽりとした福神漬の歯ごたえがも、程よいアクセントとなり、飽きをこさせない。

 

「パイセン、前より炒飯作るの上手くなってねぇっすか!?」

「あたぼうよ、ラティア嬢に雇われる前の金のないときにゃバカみたいに炒飯作ってたからな。これほど奥が深ぇ料理だし、炒飯のレパートリーだけで言っても数え切れねぇな」

「何それ! 食べたい!」

「今度気が向いたら作るわ。けどまぁ、個人的に一番美味いと思う炒飯はシンプルなこのレシピだけどな」

「「それは私(俺)も同意見だわ(っす)!!」」

 

 声を揃えて白銀に同意するラティアと真斗。

 三人揃ってあっという間に完食。炒飯は本日のシメを飾る満足のいく一品となったのだった。

 

  ◇

 

 その後、いつの間にか仲良くなっていた真斗とラティアは、白銀の思い出話や愚痴に花を咲かせていた。やれ料理バカだの、危機管理能力が足りないだの、挙げ句の果には鈍感唐変木の思春期とは思えない程に枯れた、初恋を普通に食材の牛とかにしてそうな奴だの(最後のは真斗が言った。直後お玉が真斗の顔面に直撃した)なんて、かなり酷すぎる事を話しており、結論として白銀はとっても変な奴だと言う事に落ち着いていた。悲しいがコレが現実である。

 

 その様子を皿洗いをしながら聞いていた白銀は、呆れたように苦笑いを浮かべる。

 

「……ったく、そんな変なやつ自分達から関わっ来てる時点で、ラティア嬢達も俺からしたら十分に変なやつだよ」

 

 表面上は鬱陶しそうにしながらも、何処か嬉しそうな様子で、そう小さく呟いた白銀。

 ぱぱっと皿洗い終わらせて、タオルで手を吹きながら二人が待つ方へ向かった。

 

「あれ? パイセンさっき何か言ってました?」

「何も言ってねぇよってありゃ? 急に静かになったと思えば、ラティア嬢寝ちまったの?」

 

 テーブルに突っ伏して、すぅすぅと可愛らしい寝息を立てているラティア姫。さっきまでの盛り上がりが嘘の様に、完全に夢の世界へと堕ちていた。

 

「ついさっきまでパイセンが来るのを待つって言って、睡魔と戦ってたんっすけどね」

「まぁ、今日は色々と手伝ってお疲れだったんだろ。寝かせとってやろうぜ」

 

 そう言って、さっとタオルケットをラティアの肩に掛けてやる白銀。そんな白銀の様子に、まるであり得ないものを見たかのような視線を向ける真斗。

 

「……んだよ、その眼は?」

「いやぁ? 別にぃな〜んもねぇっすよぉ? 枯れたパイセン略して枯れセンのパイセンにも、春が来たとか思ってねぇっすよぉ?」

 

 そう言って、ぶん殴りたくなるようなニマニマした顔で笑う真斗。

 

「随分とラティア様には優しいんすねパイセン? 可愛いっすよねラティア様、そりゃ優しくなりますよね?」

「……てめぇ、ラティア嬢が起きてたらぶっ殺してるとこだかんな」

「そ〜ゆーの気にする時点でお察しっすよねぇ」

「うぜぇ……ストーカーに刺されて死ね」

「ほら、そう言うとこ! 露骨に扱いに差がありません!? これで何か無いって嘘でしょ」

「うるせぇ、ラティア嬢が起きんだろうが。静かにしてろ。しねぇなら強制的に黙らすかんな」

「……納得がいかないっす」

 

 そう言って拗ねた真斗が用意されたお茶を飲んでいると、不意に厨房の扉が開かれた。

 

「ん? ノーツじゃねぇか。どうした?」

「いや、明かりついてたから寄ってみただけなんだが。お、勇者殿とチビッコも一緒か……ってチビッコ寝てるのか」

「そ、お疲れみてぇだ」

「なんだ、深夜に食事したら太るぞってからかってやろうと思ったのに。まぁ、でも勇者殿が居るのは都合がいいや」

「へ? 俺に何か用っすか?」

 

 そう言って、テーブルに着くノーツ。

 

「そう、用事。と言うか仕事の話、勇者殿に王様からのドラゴン討伐の依頼だ。なんでも西部の村周辺で大量発生したんだと」

「ドラゴン大量発生って……明らかにヤバいやつじゃないっすかぁ。無理っす、てか死ぬわ!」

 

 急に持ちかけられたクエストの依頼、ドラゴンというゲームなら最低でも中ボス確定な相手にビビる真斗。

 

「別にたいした依頼じゃないさ、ドラゴンと言ってもネームド級じゃない雑魚だし、俺も同伴するし」

「へぇ、ノーツと真斗ドラゴン倒すの? ご苦労なこって」

「明らかに関係ないからって、めっちゃ他人事っすねパイセン。ちょっとは心配してくれても良くないっすか? ドラゴンっすよ? 俺なんて一飲みっすよ? むしろブレスで上手に焼けましたっすよ?」

「いや、ビビり過ぎだって。普通に勇者殿のレベルなら余裕で倒せるって。現地では普通に食材として出回ってる程にメジャーだし、ちょっとした名物だぞ? ウィングリザードの串焼き」

 

 そう言って、ビビる真斗を落ち着かせようとするノーツ。確かに、食材にもなっているならそこまで討伐難易度は高くないだろう、真斗を落ち着かせるためには的確な情報である。実際に真斗も「まぁ、それならいいっすけど」と落ち着きを取り戻していた。

 しかし、だがしかし。この場でそれを言うのは愚策以外の何者でも無かった。この場に居る奴が、そんな話を聞いて食いつかない訳が無い。

 

「なぁ、ノーツ。それ俺も行っていいか?」

 

 そう、この米蔵白銀(料理バカ)が、ドラゴンが食べれるなんて聞いて、食いつかない訳が無いのだ。 

 

「はぁ!? 何でシェフ殿が!?」

「なるほど……ドラゴン肉か。ドラゴン食うって意識無いから全然思いもつかなかったわ。てか、そもそもドラゴンいる事も知らなかったし、そりゃいるよなぁ異世界だもんなぁ、ドラゴンの一匹や二匹くらい。どんな肉かな? ワニは鶏に近いからやっぱ鶏っぽいのかな? それとも全然違うのか? 筋肉質だから歯ごたえありそうだよな」

「あ、駄目だ。この人もうドラゴン食う事しか考えてないっす」

 

 未知なるお肉に、遠足前の子供よろしく眼をキラッキラさせてワクワクしている白銀に、既視感を覚えた真斗は軽く絶望を覚えた。

 これはアレだ、あの時と一緒だ。パイセンがカニ貰って食う前に、テンション上がって俺に超珍しく電話してきた時と同じ雰囲気だっ! と察していた。

 

「別にそこまで危険じゃないんだろ? 勇者と王国騎士副団長がいれば余裕なんだろ? な? ノーツ、俺にドラゴン食わせてくれ。てか食わせろ」

「いや、別にドラゴン食うぐらいなら輸入品が市場にあるぞ?」

「せっかくの初ドラゴン、討伐された新鮮なうちに食いてぇ!」

「えぇ……」

「…………副団長さん。無駄っす、こうなったパイセンは意地でも言う事聞かないっすよ。何なら今断っても単独でドラゴンの巣に突っ込んで行く恐れがあるっすよ」

「……なら、連れてったほうが良いのか?」

「そうっすね、そうするしか無いっす。この人、めちゃくちゃ料理出来るけど、やっぱ根本的に馬鹿なんっすよ。すげぇ……馬鹿なんす」

 

 そして翌日。

 

『ノーツと真斗とカルダッタ? って村でドラゴン食ってくるから有給もらうわ! ラティア嬢! お土産楽しみにしてろよ!』

 

 そんな置き手紙と共に、白銀は城の厨房から姿を消したのだった。

 

「何それ!! わたし全然話聞いてないんだけどっ!?」

 

  ◇

 

「……ノーツが……カルダッタにドラゴン討伐に行って。もう……二週間。カルダッタ……少し、遠いから……帰ってくるの遅いわね」

「ふんっ! わたしに黙って、勝手に居なくなっちゃった料理おバカの事なんて知らないわ!」

「……私はノーツとしか言ってないのだけれども。……そんなに心配?」

「べっ別に!? 全然心配してないし!? 帰って来たら絶対にコテンパンにとっちめてやるんだから!」

「……その、お手柔らかにね?」

「お姉様の頼みでも、それは聞けません! 本当に怪我なんかして帰って来たら承知しないんだらね!」

「……まぁまぁ、お茶でも飲んで……落ち着いて」

「……えぇ。ありがとうアイリお姉様」

「アイリーン様っ! ラティア様っ! ここに居られましたか!」

「…………? 慌てて、どうかしたの?」

「それが! 勇者殿と副団長殿が向ったカルダッタに、突如、三大魔獣『夢蟹(むかい)』が現れました!!」

「ッ!? ハクギンっ!」




  桐生 真斗(17)
・超絶スーパー(アン)ラッキーボーイ、異世界ラノベの主人公みたいな奴。
・最近の癒やしはペットのハチと遊ぶこと。
・好きな物は白銀の作るご飯と平穏。



 遅れながらも、なんと投稿が出来ました。ここまでのご愛読、ありがとうございます。
 
 次回、ついに最終回です。


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お弁当と料理馬鹿。

なんとか今年の内に投稿出来ました。
気がつけば文字数は何時もの倍に……何はともあれ最終回です!


 二週間程前に新鮮なドラゴンが食べたいからと、突然西部の村へ向かった白銀が、先程意識不明の状態で王宮へと救急搬送された。その事を聞いたラティアは、元々まったく身の入って無かった勉強をほっぽり出して、一目散に彼の元へと駆け出した。

 銀の艷やかなツインテールを揺らしながら、王宮の長い廊下を走るその表情は、焦りと不安に塗りつぶされている。

 

 『夢蟹(むかい)

 

 白銀達がドラゴン討伐に向かった所に現れた、赫狼(かくろう)に並んで三大魔獣と恐れられる魔獣の一角。その山の如しその巨大なハサミは、ありとあらゆる物を切断すると言われているが、それだけなら三大魔獣と人々に恐れられる様な魔物ではない。

 夢蟹の何よりの特徴は、夢蟹が滝のように吐き出す大量の泡だ。その泡に触れた者は、その夢蟹と言う名前の通り、夢の世界へと永遠に閉じ込められると言われている。

 

 そんな化け物に襲われた、戦う力の無い白銀が意識不明で運ばれた。夢蟹の泡に侵されたと考えるのは至極当然の思考回路だった。

 

「はぁっ、はぁっ……お願いっ、無事でいて! 勝手に居なくなるなんて、許さないんだから!」

 

 ラティアは息を切らしながら、あの料理人の無事だけを祈って走った。

 最初はとても美味しい料理を作る変人だと思っていた。王宮に呼んだのも、またあの料理を食べたいと言うだけの理由だった。しかし、いつもどんな時でもラティアを温かい料理で迎え入れてくれた白銀。一緒に料理したり、時には市場へでかけたり、この数ヶ月ずっと一緒に過ごしてきた変人料理人は、既に彼女にとって欠かせない存在となっていた。

 ただ、無事でいて欲しい。このままお別れなんて悲しすぎるわ!そう、ラティアは思いながら、医務室への扉を開いた。

 

「ハクギ──ッ!!」

 

 しかし、そんな願い虚しくラティアの目に映ったのは、神妙な顔をして俯いているノーツ、真斗、アイリーンの三人。

 そして、ベットに横たわった白銀の姿だった。

 

「……うそ」

 

 その場にへたりと座り込むラティア。

 現実が受け入れられなかった。意識不明は誤報で、いつものように「よっすラティア嬢、お菓子食う?」とヘラヘラ笑って声をかけて欲しかった。

 

「嘘なんかじゃない、これが現実だ」

 

 ノーツの無情な声が聞こえる。ラティアはいやいやと首を振った。

 

「相変わらず、コッチでも馬鹿だったんっすよ。パイセンは」

 

 真斗の力の抜けた声が聞こえる。ラティアの瞳から大粒の涙が溢れた。

 

「……まさか、ドラゴンアレルギー……だったなんて。しかも……自覚症状が、出ても……食べ続けたなんて」

 

 アイリーンの呆れた声が聞こえる。ラティアの瞳から涙が引っ込んだ。

 

「ふぇ?」

 

 どっドラゴンアレルギー?

 予想していたかった単語にラティアは、つい間抜けな声を漏らした。

 

「ど、どうゆうことなの? アイリお姉さま。ハクギンは夢蟹の泡にやられたんじゃ無いの?」

「……私もそう思って、できる限りの治療をしようと、やって来たのだけれど……」

「実際はただのドラゴンアレルギーが原因だったって事だ、帰り際にシェフ殿がぶっ倒れてからすぐに搬送したから、今はアイリの治癒魔法でぱぱっと癒やして治療終了、目覚めるの待ちってなわけ」

「えっ? え!? じゃあ! 夢蟹は!? 夢蟹はどうなったの?」

「あぁ、蟹はパイセンに触れた瞬間にめっちゃ爆発したっすよ」

「ははっ、アレは見物だったな」

「えぇええええ!!?」

 

 真斗曰く、白銀は特殊能力(転生特典)として超蟹特攻なるものを持っているらしく、蟹の事に関してはアレルギーだろうが何だろうが関係なしに、無類の強さを発揮するらしい。まさかの、ただの飾りだった転生特典のファインプレーである。

 

 なので、哀れ夢蟹は白銀の手により瞬殺。

 当の本人は自分が三大魔獣の一角を倒した事なんかよりも、突然現れた巨大な蟹を爆発四散させてしまったせいで食べれそうなところが無くなった事を嘆いていたらしい。

 

 しかし、そんな白銀の内心とは関係なく、突如村を襲った化け物を瞬殺した彼は、いわば村人達からしたら英雄そのもの。歓迎のパーティには村の名物料理である、ウィングリザードの串焼きが当然振る舞われたそうな。

 そして、元々ドラゴンを食べに来ていた白銀それはとても喜んで、蟹のショックから立ち直ったそうな。

 塩コショウの効いた、ジューシーなドラコン肉を一心不乱に食べ、食べ、食べて。若干皮膚が痒くなっても気にせずに食べまくった白銀は、当然の如く帰路の途中で意識を失い今に至るらしい。

 

 その話を聞いたラティアは思った──

 

「え、えぇ……おバカなの?」

 

 ──と。

 

「そうだよな、バカだよな」

「馬鹿っすね」

「……馬鹿……よね」

 

 他の三人もラティアの意見に賛同する。満場一致、反論の余地もない四連続馬鹿コールだった。

 

「……あんたら、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。酷えなぁオイ」

 

 そんな馬鹿コールに反応を返すは、いつの間にか目覚めていた料理馬鹿。むくりと起き上がって大きくアクビをする。

 

「ん?よっす、ラティア嬢お久しぶり。あ、お土産のお菓子食う?」

 

 そして、ラティアを見つけると、まるで何もなかったかのように笑ってお菓子を勧めるのだった。

 

 そんな反省の色が伺えない白銀の様子に、呆れや、喜び、安心、そして怒り等の沢山の感情がごちゃまぜになったラティアは、

 

「……か」

「ん?」

「ハクギンのばーか! 料理馬鹿!! 超絶変人!!!」

 

 バチーンッ!!

 

 強烈なビンタを白銀に食らわせてノックアウトさせた後に、医務室から出ていくのであった。

 

   ◇

 

「で、アレからチビッコの奴ここに来てないって訳か」

「……あ、あぁ。そうなんだ」

 

 すっかり体調は全快したため、再び厨房にこもりきりになった白銀の元を訪れたノーツは、そう言って出されたお茶を啜り、白銀は覇気のない声で答えた。

 そう、あのビンタから一週間、ラティアは厨房に一度も現れていない。

 

「だからそんなテンション低いんっすねパイセン」

 

 ノーツと一緒にやって来た真斗も、目に見て分かるほどに落ち込んでいる白銀を見てそう言った。

 

「けど、アレはどう考えてもシェフ殿が悪いな。まず倒れた原因が最悪だ」

「そうっすね。そんな最悪な原因の癖にラティア様への第一声がアレなんて、空気読め無さ過ぎて最低っす。さっさと反省して謝るっすよ」

「うっ、流石にアレは俺も反省した。だからさ、謝ろうとはしてんだけどよぉ、避けられてんだよなぁ」

 

 二人から非難の言葉を浴びせられるが、一応、かなり鈍い白銀でも、あのビンタからラティアの怒りを察し、すぐさま謝ろうとしていた。

 だが、そもそも謝ろうにも、この広い王宮でラティアを探すのは、基本厨房ばかりに居る白銀には至難の技であり、例え見つけたとしても、彼女持ち前の身体能力で逃げられてしまう。

 

 これには白銀も堪えた、生前から料理の事ばかりでコミニュケーション能力の欠如したボッチ学生だった事が、今になって完全に裏目に出ていた。

 

「その上、最近メシが美味くなくてよ。ありえねぇ、この俺が作ったメシが美味くないどころか、何なら不味いまであるんだぜ? こんな時にスランプとか勘弁してくれぇマジで」

「いや、逆にこんな状態だからスランプになってるんすよ。気付けよパイセン」

「てか、言うほど腕自体は落ちてなくないか? この茶請けの菓子だってシェフ殿の自作だろ?」

 

 そう言ってノーツは茶菓子を一口。感想としては、まったく味に違和感は感じなかったが、ノーツがその事を伝えると、白銀はそんなわけ無いと反論する。

 

「アレルギーで味覚が馬鹿になったとかってありえねぇ?」

「この国随一の治癒魔法の使い手であるアイリが治してるんだ、本人も言ってたし後遺症は絶対に無いな」

「えぇ……なら、なんでさぁ意味わかんねぇよ」

 

 テーブルに突っ伏して落ち込む白銀、そんな彼の様子に真斗は呆れたように深いため息を吐いた。

 

「はぁああああ……、マジで言ってるっすよこの人。どう思うっすか副団長さん?」

「どうもこうも、飯の事しか基本考えてないから、その他の思考回路が錆びついてるんじゃないか? 」

「マジそれっすよ! 唐変木と言うかなんというか、鈍感系主人公なんて今どき流行んないっすからね! パイセン!!」

「え? 何、お前ら原因わかんの?」

 

 本気で理由がわらからないクソ鈍感系主人公は、藁にもすがる思いで、友人と後輩にすがる。

 分かるのは分かるが、はたしてコレは自分が伝えて良いものかと思うノーツとは裏腹に、白銀を生前から知ってる真斗は、黙っていたら一生自覚しないと確信していた。

 なので、言い淀むノーツに自分が責任を持って告げる事をアイコンタクトで伝えて、言葉を紡いだ。

 

「ぶっちゃけそれ、ラティア様と会えないから寂しくてご飯どころじゃないだけっすよ」

「は?」

「どんだけラティア様が好きなんすか、あの超絶変人腐れ料理馬鹿野郎が料理どころじゃなくなるなんて相当重症っすよ」

「はぁあ!!?」

 

 白銀は、歯に衣着せぬぶっちゃけ過ぎた真斗のカミングアウトに、目玉を見開いて叫ぶ。

 

「ありえねぇわ! 馬鹿言っちゃいけねぇよ! 俺がラティア嬢をすっす、好きなんて事があるかい!」

「一瞬で顔真っ赤にして、凄く初心な反応しといて何言ってんだシェフ殿」

「そうっす、いい加減認めるっすよ。そもそもパイセンが他人を怒らせてヘコむ事なんて今まで無かったっすよね? 前までなら怒られようが何しようが、次の瞬間には晩飯のメニューを考えてましたよ。何なら怒られてる最中でもご飯の事しか考えてないっすよ」

 

 相変わらず辛辣な真斗の分析。

 白銀とて、ラティアの事は好ましく思っている事は自覚していた。問題は、その好ましく思っているの範囲が、いつの間にか米倉白銀と言う人間の大部分を占める料理や食事に関する事よりも、大きくなっていた事、それを後輩の口から無理やり自覚させられた事である。

 しかし、思い返せば、思い返さなくても心当たりがあり過ぎる白銀。真斗の言葉を認めたくないが「……確かに」と同意する事しかできなかった。

 

「まぁ、その好きがLikeかLoveかは俺等の知ったことじゃ無いっすけどね」

「つまりシェフ殿は何にせよ、さっさとチビッコに謝って仲直りすんのが吉って事だ」

「そうっすね。……あの何をするにも基本無頓着、青春なんて腹の足しにも成らないなんて豪語してたパイセンが。うぅっ、人間として立派に成長したっすね」

 

 わざとらしく涙を拭く真斗。そんな後輩の姿にイラッとしながらも、少しづつ二人に言われたことを納得してきた白銀。

 

「そうか、柄にもなく寂しいんか俺は……って、そう考えると、うわっ恥ず! 馬鹿じゃねぇの俺!? ガキかよ!」

「本当にそうっすよ、情緒教育が幼稚園で止まってるから自己分析ができないんっすよ」

「…………けれど、まぁとどのつまり美味い飯を食うにはラティア嬢が必須って訳だな」

「まぁ、そうなるな」

「おーけ、納得した。なんとかして許して貰えるように謝ってみるわ」

「そーしてくれ。このまま拗らせてついには料理すら出来なくなった何て事になったら、俺だって困るからな」

「パイセン、ファイトっすよ!」

 

 若干一名、含みの籠もった笑みを浮かべながらだが、ともかく二人から背中を押され、白銀の決意は固まった。

 このままスランプから抜け出せないと、リアルに死活問題に関わってくる。なので再び美味い飯を食べるため、そして何よりラティア嬢と仲直りするために、今すぐ行動するとしよう。が、その前に……

 

「まずは真斗、オメェをシバき上げるわ」

「なんでっすか!?」

「普段の雑な扱いの仕返しと、調子乗ってボロクソにシェフ殿をこき下ろしたからじゃないか?」

「そう、ノーツくん正解! 手なわけで歯ァ食いしばれぇ! 」

「だって事実じゃないっすか!?」

「事実だとしても必要以上にディスられたのは気に食わん。観念しろや」

 

 そうして、ノーツも唸る程のボディブローを繰り出した白銀。厨房には悲惨な断末魔が響いたのであった。

 

   ◇

 

 さて、時は同じくして庭園のバルコニー。そこでは王族姉妹の二人の密談が行われていた。

 

「うぅ……また昨日も逃げてしまったわ」

「……どんまい、ラティア」

 

 どんよりと気分を落ち込ませるラティアと、そんな妹を心配するアイリーン。

 ラティアはラティアで、どうやって仲直りすれば良いのか悩んでいたのである。

 

「……これで三度目?」

「ううん、四度目になるわ」

「……そう。……一応確認するけど、ラティアは仲直りがしたいのよね? ……謝ったって許さずに徹底抗戦を望んでいる訳じゃ無いのよね?」

「望んでいないわ!? もうっ! お姉さま分かっててからかってるでしょ!」

 

 そう言ってラティアはぷんすかと頬を膨らませる。

 

「そもそもハクギンが悪いのよ! 心配かけるだけかけといて、実際はただの自己管理不足で倒れたなんて! もっと自分を大切にして欲しいわ!」

「……確かに、その件はヨネクラが全面的に悪いわ。……だけど、謝罪はきちんとしようとしているのに、気まずくて逃げてるのはラティアだよ?」

「ぎくぅ、そうだけどぉ」

 

 姉に痛いところを突かれて、動揺するラティア。 

 あの後医務室から飛び出したラティアは、冷静になった後に、「勢いに任せてビンタしちゃったけど、よくよく考えたら病み上がりの人に全力でビンタするなんて、とっても酷いことしちゃったんじゃ無いかしら」と、自分の行動を後悔していた。

 そんな後ろめたさと、あんなに怒ってしまった手前、引っ込みがつかなくなってしまったラティアは、この一週間ずっと白銀を避けている。

 

「さっさと仲直りすれば良いのは分かってるんだけど、ハクギンを目の前にすると身体が勝手に逃げちゃうの」

「……でも、ずっと逃げてちゃ、もっと仲直りし辛くなるわよ?」

「うぅ、そうよね。……はぁ、なんであんなに怒っちゃったんだろう。ハクギンは料理第一の超絶変人なのは良く分かっているはずなのに」

「……それは、ラティアがヨネクラの事を大切に思っているから……じゃないかな? そんな大切な人だから、心配するし……自分を大事にしなければ腹も立つし……後悔もするんじゃ無いかしら」

「そ、そうかしら?」

 

 ほんのり顔を染めたラティアに、アイリーンは「……えぇ、きっとそうよ」と微笑んだ。

 正直、アイリーンとしては複雑な心境だが、妹が寂しそうにしているのに、助けないなんて選択肢は彼女(シスコン)には無かった。

 そのため、そんな複雑な姉心を誤魔化すかのように、紅茶を一口飲んで、アイリーンは言葉を続ける。

 

「……だから、ちゃんとごめんなさいして、仲直りするべきだと……思うわ」

「……ハクギン、ビンタや逃げちゃった事を怒ってないかしら」

 

 ラティアはしゅんと俯きながらそう呟いた。

 そんな妹の不安を取り除くように、アイリーンはラティアの頭を撫でる。

 

「……大丈夫。ヨネクラなら、ラティアの気持ちを分かってくれるはず。……それは、ラティアの方が良く分かっているでしょ?」

「……うん」

「……もし、それでもヨネクラが許してくれなかったら、私に言って……ぼこぼこにしてあげるから」

「ふふっ、何それ。でも、ありがとう! お姉さま大好きっ!」

 

 アイリーンのぼこぼこにしてやる宣言を冗談と捉えたラティアは、ぎゅっと姉に抱きついて感謝を伝えた。これにはシスコンもご満悦である。

 

「じゃあ、さっそく準備しないと! お姉さまも手伝って?」

「……? もちろん良いけれど。何を準備、するの?」

「もちろん! ハクギンが喜ぶ物よ!」

 

   ◇

 

「それじゃあ! これよりハクギンと仲直りするために、お弁当を作るわよ! えいえいおー!」

「……おー」

「おっ、おーって、すいません、なんで俺は呼ばれたんっすかね」

 

 さて、庭園から場所は変わって、ここは王宮のキッチン。集まったのはラティア、アイリーンの王族姉妹、そして白銀のボディーブローを喰らって、廊下でダウンしていたところを回収された真斗の三人。

 ラティアの掛け声で拳を突き上げながら、明らかな場違い感が否め無い真斗は、なぜ自分が呼ばれたのか分からずに戸惑いをみせた。

 

「わたし、考えたの。ハクギンと仲直りするために、日頃の感謝も込めて何か贈り物をしようって」

「……それで、ヨネクラの好きなもの贈ろうってなったんだけれど、ヨネクラってご飯しか興味ないから」

「まぁ、パイセンに食べ物渡すのは妥当っていうか、それしか選択肢はないっすよね」

「わたし達もそう思ったわ、だから何を送るかは決まったんだけれども、そうすると一つ大きな、とっても大きな問題が発生したの」

「……ヨネクラに、手料理を送る事のハードルが……高すぎるわ」

「そうっ! わたし達が作るものよりハクギンが作った方がぜっっったいに美味しくなるの!」

 

 「同じ料理でも月とスッポンに絶対になるわ!」そう力説するラティアの言葉に、確かにあの人ほど手料理を振る舞い難い男もいないだろうと納得して苦笑いする真斗。

 

「でも、手作り弁当で一番大切なのは気持ちっすよ。なんで、そんなに肩に力を入れ過ぎなくてもいいんじゃないっすか?」

「普通の人ならそれで良いかもしれないわ。けれど、相手はあの料理魔人なのよ! 絶対に味に拘るに決まってる! 下手したらダメ出しだってありえるわ!」

「そ、それは……無いとは言えないっすね」

 

 現に過去、白銀から「二度とお前が一人で作った飯は食わねぇ」と戦力外通告を受けた真斗。流石にラティア相手に自分と同じような態度は取らないとは思いつつも、あの白銀ならありうるかもしれない、絶対に無いとは断言できなかった。

 

「……だから、そこで勇者様の出番」

「勇者さまならハクギンの好きな食べ物も知ってるわよね? 大好物だらけのお弁当ならハクギンもきっと喜んでくれるって寸法よ! ……たぶん!」

「もうそれ、食べ物以外を送ったほうが良くないっすか?」

「いいえ! 絶対に食べ物を渡したほうが喜ぶわ! 日頃の感謝も込めるんだもの、わたしにできる事は尽くすわ、妥協はしたくないの」

「……三人いれば、ヨネクラも納得するモノができるはず。できればノーツも呼ぼうかと思ったのだれけれども……」

「副隊長さん、夢蟹の後処理で兵士さんに連れてかれましたもんね」

 

 真斗は、先程まで白銀の厨房で一緒にいた、もとい実は厨房で自分を探す兵士達から隠れていたノーツが、自分の断末魔を聞いてやって来た兵士にあっという間に連れ攫われた時のことを思い出す。

 

「けど、まぁわかったっす! 俺に出来る事なら手伝いますよ!」

 

 このまま二人が仲違いをしているのは、真斗にとっても望むべきところではない。なので、快くラティアの申し出を受け入れるのだった。

 

「ありがとう勇者さま! じゃあさっそくお弁当の中身を決めていくわよ!」

「……まずは、主食よね」

「パイセンはパンよりも断然ご飯派の人間なんで、おにぎりとか好きっすよ」

「ふむふむ、ちなみに具材は何がいいかしら」

「梅とかシャケとかは定番っすよね……あと、あの人シンプルなのが好きなんで具材は無くて塩と海苔だけでも喜ぶっすよ」

「なるほど、参考になるわ!」

 

 真斗の言葉の一つ一つを用意したメモ帳に細かく記載していくラティア。

 白銀のために真剣に取り組むその姿に、真斗は「愛されてるっすねぇ」と心の中でごちるのであった。

 

   ◇

 

 おにぎりと、ウインナー、ミニハンバーグに玉子焼き。真斗の意見を取り入れた結果、お弁当の内容はオーソドックスでシンプルなものに決定した。

 

「よし! それじゃあ、いよいよ作っていくわよ!」

「……頑張って、ラティア。……味見は任せて」

「俺もこっから完全に戦力外なんで、ファイトっすよラティア様!」

 

 お気に入りのエプロンを装備し、腕まくりをしながら意気込むラティアに、料理できない組の二人が声援を送る。

 

「まずは、おにぎりから作って行こうかしら」

 

 そう言って、予め炊いていたご飯を適量ボウルに移し、火傷しないように気をつけながら、その小さな手に水と塩をまぶして丁寧に三角を作ってゆく。

 何を隠そう、おにぎりはラティアの得意料理の一つである。簡単で火や刃物を使わないため、白銀から一番初めにに教わった料理だからだ。

 

 あっという間におにぎりが完成。おにぎりの中身は、真斗の意見を参考にした塩と海苔だけの塩むすびと、梅干しとシャケ。色んな種類があったほうが喜ぶだろうと思っての判断だ。

 

「おにぎりはコレでいいわね!」

「……次は、ウインナーね。包丁を使うから、気をつけて」

「わかったわお姉さま!」

 

 取り出したウインナーの先端に切り込みを入れていくラティア。

 作っているのは所謂タコさんウインナー「見た目ってのは料理の大切な要素の一つ、特に弁当とか色んなおかずが入ってるなら尚更気をつけるべきでしょ。手間かもしれねぇが、そっちの方が食欲も湧くってもんだ」いつの日か白銀がそう言っていた事を思い出したラティアのアイデアだ。

 

「そして、フライパンで焼いて行くわ」

 

 ウインナーが焦げないように転がしながら火を通し、ある程度炒めて少し切り込みが開いてきたところで、切り込み部分をフライパンに押し付けるようにして更に広げていく。タコの足がカリッと焼き上がったら、最後に爪楊枝と黒ごまで目を作って完成だ。

 

「うん! 可愛くできたわ!」

「器用っすねぇラティア様」

「……ふふん、流石私の妹。タコさんウインナーもお手のものね」

 

 関心する真斗の横で自慢げなアイリーン。そんな姉の言葉にちょっと照れくさくなるけれど、動かす手を止めないラティア。先程のフライパンをそのまま使って、ハンバーグを作ろうとしていた。

 

「まずは玉ねぎね! お料理を始めたばかりの頃は、涙が出ちゃったけれど。今は平気なんだから!」

 

 さっと洗ったまな板の上で玉ねぎを半玉、みじん切りにしていく。そして、そのみじん切りになった玉ねぎを、油を引いたフライパンで狐色になるまで炒めていく。

 ここで焦って炒め方が足りないと、旨味成分出ないが、炒め過ぎてもコゲて苦味が出てしまう。

 

「玉ねぎはゆっくり弱火で炒めていく……これもハクギンが言ってたわねっと、このくらいでいいかしら」

 

 そう呟いて、すっかり狐色に変わった玉ねぎをボウルに移したラティア。

 

「じゃあ玉ねぎの粗熱をとっている今の間に、お肉の準備をするわ!」

 

 先程の玉ねぎが入ったボウルとは別のボウルに、ひき肉を入れ3つまみ程の塩を加え、たまに冷水を少し加えながら木ベラでこねていく。

 

「こう言うのって手でやるんじゃないっすか?」

「手でやっちゃうと、体温でお肉の油が溶けちゃうの。そうすると塩がちゃんとお肉と混ざらないから結着しなくて、硬いハンバーグになっちゃうの」

「……でも、手のほうが楽よね? 木ベラ、重くない?」

「確かにお姉さまの言うとおり、そうなんだけど。ハクギンには美味しいものを食べて欲しいから……頑張れるの」

「健気っすねぇ」

「……わかるわ」

「も、もうっ! 別に普通のことよ!」

 

 二人から生暖かい視線を向けられたラティアは、誤魔化す様にそう言った後、粘り気が出るまで根気よくコネたミンチに、先程粗熱をとっていた玉ねぎ、卵、牛乳、ナツメグ、ブラックペッパーそして、粉々にしたお麩を加えて更に混ぜ合わせていく。パン粉よりお麩にした方が保水性が高まり、ジューシーなハンバーグになるのだ。

 

 そして出来上がったハンバーグのタネを弁当サイズに分けて、よーく冷やした手でキャッチボールをするかの様に空気を抜き、表面を滑らかに形成してスライパンに乗せた。

 

「最初は強火で一分!」

 

 ジューッと食欲のそそる音と共に、肉の焼けるいい香りが三人の鼻孔を刺激する。

 

「両面に焦げ目が付いたら、今度は弱火にして、蓋をしてから蒸し焼きにしていくわ!」

 

 ハンバーグがじっくりと火入れされているあいだに、ラティアはハンバーグソースも一緒に作くってゆく。

 鍋に水とケチャップと砂糖、ウスターソースを味見しつつ加えて煮詰め、最後にバターを一欠片加えて香り高く仕上げる。

 

「ソースはこんな感じでいいのかな? お姉さま、ちょっと味見をしてくれない?」

「……もちろん、いいわよ」

「はい、お姉さま。あーん」

「……あーむっ。……うん、私はもっと甘くて良いけれど、ヨネクラにはちょうどいいのではないかしら」

「ふむふむ、ありがとうお姉さま! じゃあコレで完成にするわね」

 

 アイリーンの意見を聞いて完成したソースを、コンロから取り上げたラティア。そのままフライパンの蓋を開け、蒸し焼きにしていたハンバーグに竹串を指して、内部にしっかりと火から通っているかを確認する。透明の肉汁が出てきたらハンバーグも完成だ。

 

「これでハンバーグも完成! あとは玉子焼きだけ、ハクギンの一番の大好物なのよね? 気合を入れなきゃ!」

「そうっすね、玉子焼きが好物なのは間違いないっす! 昔、究極の玉子焼きを目指して満腹になるまで玉子焼き作ったり、自分で鶏育てて卵生産してたりしてたっすよ」

 

 「ま、結局パイセンが完全に満足する玉子焼きはできなかったんっすけどね」そう言って肩をすくめた真斗。その言葉は、ラティアの闘争心をメラメラと燃え立たせた。

 

「それならより一層腕によりをかけなきゃね! 絶対にわたしの玉子焼きで満足させちゃうんだから!」

「……頑張ってラティア」

 

 やるぞー! と意気込むラティアは姉の声援を背に、さっそく玉子焼きづくりに取り掛かかる。

 

 玉子焼き。卵と調味料を混ぜた卵液を薄く焼いて巻いた、日本の弁当を代表するおかずの一つ。一見、簡単で単純な料理に見えるが、だからこそ一つのミスが大きなミスに繋がりかねない奥の深い料理なのだ。

 

 つまり、何が言いたいかと言うと。白銀に習って数ヶ月前から本格的に料理を始めたラティアにとって、玉子焼きを作ることは、ましてや白銀を満足させるレベルの物を作るのは一筋縄ではいかない、ということである。

 

「うぅ……またスクランブルエッグになっちゃったわ」

「……大丈夫よ、ラティア。また次頑張ろう」

「そうっすよ! スクランブルエッグでも味は美味しいんっすから!」

 

 コレで五度目の失敗。何度やっても綺麗な形の玉子焼きはできず、酷いときには今回みたいなスクランブルエッグが出来上がってしまう現状に、しょんぼりと肩を落とすラティアと、そんなラティアに励ましの言葉をかけるアイリーンと真斗。

 

「何がいけないのかしら、前にハクギンと一緒に作った時は綺麗に巻けていたのに」

「すいません、俺も調理に関しては全然わかんないっす」

「……ごめんね、私もわからないの」

 

 数十分前の盛り上がりが嘘のように、お通夜みたいな空気がキッチンに流れる。

 このままでは、何時まで経っても弁当が完成しない。しかし、白銀の一番の好物だとから言う玉子焼きをお弁当のメニューから外したくはない。そんな葛藤で頭を悩ませるラティア。そんな時だった、淀んだ空気を入れ替えるかの様に、キッチンの扉が不意に開く。

 

「あれ? アイリと勇者殿とチビッコ? 何してるんだ?」

「誰がやって来たのかと思ったら、なんだノーツか」

 

 ひょっこりと顔を覗かせたのは、現在夢蟹の対応に追われているはずのノーツ・ガードナー。また逃げ出して来たのだろう、簡単にそんな事が予想できるノーツに、ラティアは呆れた視線を向けてため息を吐いた。

 

「……ヨネクラに、お弁当を作っているの。ラティアが」

「へぇ、お前は料理できないし、勇者様が教えてるのか?」

「いや、俺も料理壊滅的なんっすよ。なんでラティア様が一人で作ってたんですけど……」

「はいはい、なるほど。それで変に力入って失敗しまくっているって訳ね」

「そのとおりだけれども、少しは気を使いなさいよ!」

 

 歯に絹を着せぬノーツの物言いに、失敗続きでフラストレーションが溜まっていたラティアが噛み付く。が、当のノーツはどこ吹く風で、先程失敗して出来たスクランブルエッグを食べている。

 

「へぇ、出汁が効いてて美味いじゃん。出汁が効いてるスクランブルエッグっては斬新っていうか攻めすぎだと思うけど。普通バターとかじゃないの?」

「本当はだし巻き卵の予定だったの! 分かってて言ってるでしょ!」

「へー、そうだったのか。分からなかったわー」

「すっごく白々しい!」

 

 いけしゃあしゃあとスクランブルエッグの感想を述べるノーツに、ふしゃーっと威嚇をするラティア。

 そんな警戒した猫みたいな自身の妹を、アイリーンはまぁまぁとなだめ、元凶のノーツをじっと見つめて言葉を続けた。

 

「……ノーツも、あまり大人気ない事をしないの」

「はいよ、一通りからかったからもう辞めるよ」

「……アイリーン様の言う事は素直に聞くんっすね、副団長さん」

「ノーツがアイリお姉さまに甘いのはいつもの事よ、勇者さま」

「……まったく、何か言いたいのなら……素直に言えば良いのに。ラティア相手だと、すぐにふざけるんだから」

「ま、からかい甲斐があるチビッコが悪いってことで」

 

 そう言ったノーツは、肩をすくめてラティアの方を向く。

 

「っな、何よ」

「ノーツお兄さんから、チビッコにありがたーい助言だ。心して聞けよ?」

「ふぇ? じょ、じょげん? ……ノーツは失敗しない方法を知ってるの!?」

 

 意外な人物からの意外な手助けに驚きが隠せないラティア。そんな戸惑うラティアの様子を面白そうに笑いながら、ノーツは得意げに話し出す。

 

「単純な話だ、チビッコにはシェフ殿が作るみたいなだし巻き卵はまだ早い。出汁と卵の割合は何にしてるんだ?」

「ハクギンがやってたのと同じで、1対1だけれども」

「普通に考えて出汁が増えれば巻きにくくなるだろ? あと、その割合で卵巻けるシェフ殿が異常なんだ。あれを標準だと考えるな。ただでさえ技術のいる料理だ、まだチビッコには無理だよ。以前、作った時も最初の方はシェフ殿が巻いたんだろ?」

「確かにそうだったわ」

「だろ? だからだし巻き卵はやめとけ、そもそも弁当に入れたら出汁が他のおかずを侵食するのが目に見えてる」

「あっ……ホントだわ!」

 

 そう言われると確かにノーツの言っていることは的を得ている。白銀の好物を入れることに重点を置きすぎて、お弁当ならではの初歩的なミスをしていた事にラティアは気がついた。

 

 出来立てはふわっふわっでとても美味しいだし巻き卵だが、時間が立つに連れて出汁が滲み出て来るため、お弁当に入れるには明らかに不向き。ましてや白銀が作るような出汁たっぷりの玉子焼きを弁当に入れるなんて、もはや他のおかずに対するテロ行為だ。

 

「普通の玉子焼きでも、シェフ殿なら大喜びすんだろ。あとはビビらないで強火でやる事、火加減の調整は卵焼き機を動かしてやる事、菜箸じゃなくて大人しくフライ返しを使う事。この辺守れていれば一応は形になると思うぞ。美味くなるコツとかは、どうせシェフ殿に聞いてて覚えてるんだろ?」

「……あなた、本当にノーツ? おかしいは、ノーツがこんなに親切な訳が無いもの」

「……ほぉ、せっかく手助けしてやったのに、いちゃもん付けてくるクソ生意気な口はコレか? あぁ?」

「痛い痛い! ごめんなさい! だからほっぺた抓らないで!」

「……ノーツ」

「あー、はいはい止めますよ。だからそんなに睨むなアイリ」

 

 アイリーンに言われて、ノーツはラティアの頬をつねっていた両手をパッと話した。

 

「うぅ……ぽっぺたがヒリヒリする」

 

 そう言って、つねられていた頬を擦るラティア。その瞳は潤んでおり、アイリーンからヨシヨシと撫でられて励まされていた。

 

「ははは、でも流石っすよね副団長さん。料理も出来るなんて、俺等だけだと完全にお手上げだったっすよ」

「ま、俺は紅茶に会う茶菓子がメインだけど。最近だとシェフ殿とも話すし、基本的な事はできるさ」

「……元々はノーツも、全然料理出来なかったんだけれど。私の為に、覚えてくれのよね」

「本当、お姉さまにだけ甘すぎる人だわ」

「うるさいぞ、そのお陰で解決したんだからいいだろうが」

 

 紅茶もお菓子づくりも庭仕事も、何なら騎士団に入って副団長の地位にまで上り詰めた事だって、元を辿れば全部アイリーンの為。そんなアイリーン大好き拗らせ野郎のアドバイスではあるが、問題が解決したのは事実。

 それならばさっそくと、今までのミスで遅れていた弁当づくりをラティアは再開させた。

 

「よし! そうと分かれば、今度こそ美味しい玉子焼きを作っちゃうわよ!」

 

 そう言って卵を取り出し、ボウルにの中に割って入れるラティア。リズミカルに卵黄と卵白を菜箸で溶きほぐしていく。

 これ以上ミスはしないと、今まで以上に集中していた。

 

「ここで泡をたてると、あとから巻いたときに空気が入って、中身がスカスカになっちゃうかもしれないから、泡立て器じゃなくて箸で卵白を切るようによぉく混ぜていくわ」

 

 そして混ぜ終わった卵液の中に、砂糖、醤油、みりん、少量の塩を加えて、溶け残りが無いように更に混ぜ合わせた。

 これも以前に白銀が作っていたレシピの一つで、砂糖の量を少なくする事で焦げ難くし、みりんや少量の塩を加えることで上品な甘さの玉子焼きが出来上がるのである。

 

「そして、出来上がった卵液を目の細かいザルに入れてこしていくわ」

「ここの工程は、さっきまでと一緒っすね」

「そうね。こす事で、卵を滑らかできめ細かくするの」

 

 ゆっくり溢れないように、三回程ザルでこして卵液の準備は終了。次はいよいよ問題の焼きの工程だ、ラティアはゆっくりと深呼吸をして、卵焼き機にサラダ油を敷き、強火で温めていく。

 

「そう、びびって弱火でやると、焦げはしないかもしれないけれど卵焼き機に卵がくっつくんだよ。だから巻きにくいし、巻けてもふわふわならねぇんだ」

 

 ノーツの言葉に耳を傾けながら、ラティアは手を卵焼き機にかざして温度を確かめる。十分に加熱出来てきたら、臆せずに卵液を三分の一、卵焼き機に流し込んだ。

 

「全体に満遍なく広げて、気泡が出来たらその都度潰していくわ。そして、表面が固まってきたタイミングで!」

 

 よいしょっ! の掛け声と共に、フライ返しで卵を卵焼き機の奥から三分の一折り返したラティア。今度は先程とは違って、卵がしっかりとしているので、破けずに成功した。

 

「やった! それじゃあこのままひと呼吸おいて、折り返した部分がくっつくのを待つわ!」

 

 そして待つこと十数秒、くっついたのを確認したラティアは、再びフライ返しで更にもう半分折り返す。コツを掴んだラティアは、今度も破けずに折り返す事に成功。

 小さくガッツポーズをして、綺麗に巻けた卵焼きの形が崩さないように慎重に玉子焼きの奥へと移動させた。

 

「そしたら、残りの卵液の半分を流し込むわ。卵焼き器を傾けて卵液を広げて、さっきの玉子焼きの下にもしっかりと流し込んで、くっつくのを待つわ」

 

 そうしたら、あとは同じ作業の繰り返し一回目同様二回目、三回目も卵同士がくっついたら折り返して巻いていくを慎重に繰り返していく。

 そうしたらあっという間に厚みを帯びた、立派な玉子焼きが姿を表した。

 仕上げに、玉子焼きの側面を卵焼き器に押し付けながら、焦らずにゆっくりと形を整えてあげれば。

 

「ハクギン直伝の玉子焼きの完成よ!」

 

 まな板の上に乗せられた黄色に輝く見るからにふわふわとした、美味しそうな玉子焼き。ほのかに香る醤油と甘い香りが食指を刺激する。

 まだ少し慣れていないからか、少し焦げ目はついているが、それでもこの場にいる全員が満足のいく出来上がりとなった。

 

 さっそく、今まで作っていたおにぎりやおかず達を、濡れ布巾をかぶせて玉子焼きの粗熱を取っている今の間に、丁寧に弁当箱に詰め合わせていく。

 おにぎりは三つ並べて左半分に、残りの右半分にハンバーグとタコさんはウインナー、彩りでミニトマトを添えた。

 

 最後に粗熱が取れた、この弁当のメインの玉子焼きをカットして空いているスペースに入れれば、ラティアの手作り弁当の完成だ。

 

「やったぁ! 完成したわ!」

「……おめでとう、ラティア。頑張ったね」

「すげぇ、美味しそうっすね!」

「チビッコが作ったにしては上等すぎる出来だな」

 

 わーいと全身で喜びを表すラティア。手伝ってきた三人も満足げな笑みを浮かべていた。

 

「洗い物は俺がやっておくっすから! ラティア様はパイセンの所に行ってきていいっすよ!」

「え!? でも悪いわ、わたしのお願いに付き合って貰ってるのに洗い物まで任せちゃうなんて」

「いいから、さっさとシェフ殿と仲直りして来いよ。じゃないと俺等がシェフ殿の飯が食い辛くなる」

「……ラティア、きっと大丈夫。だってこんなに頑張ったんだもの、喜んでくれるわ」

「みんな……ありがとう! じゃ、じゃあ! わたし、さっそくこのお弁当を渡して来るわ! けど、その前に……」

 

 そう言ってラティアは、白銀に用意した弁当箱とは別に三つ弁当箱を取り出すと、詰めきらなかった残りのおかずをさっきと同じように詰めてから、三人に手渡す。

 

「はい! これ、よかったらみんなの分のお弁当。本当にありがとうね!」

 

 そう言い残して、ラティアはいそいそと白銀の弁当箱を巾着袋に包み、白銀のもとへと駆けて行った。

 

「……いやぁ、パイセンの弁当一人分にしてはやけに沢山作るなって思ってたんっすけど」

「……途中で来た俺の分まで、ご丁寧に渡して行きやがったな」

「……聞いて、二人とも。……あの天使、私の妹なの」

 

 ラティアが去っていった後のキッチンには、暫くあいだ、暖かい空気が流れていたそうな。

 

   ◇

 

「ハクギンッ!」

「うわっ! 何っ!? 誰ってラティア嬢ォ!?」

 

 バンッと大きな音を立てて開かれた厨房の扉。勢いよくやって来た、銀色のツインテールのあの娘に驚きの声を上げるは、今の今まで出番がほぼ無かったこの部屋の主、米倉白銀。

 どうやってラティアと仲直りをすれば良いかと、一人で延々と悩んでいるところに、謝りたい張本人からの特攻である。白銀は思考が真っ白になった後にこう思った。

 

 あ、これ。焼き入れられるヤツだ、めっちゃ怒ってる……と

 

 やばいよ、めっちゃ怒ってるよラティア嬢。なんか顔が赤いし、腕を背中に回して何か隠してるし、今度はビンタじゃ済まなんじゃ、なんて事を考えている内に、ラティアは白銀の目の前までやって来くる。完全に、射程距離に入っていた。

 

「よかった、やっぱり厨房に居た。あっ、あのね、白銀。わたっわたし、話があるの」

「話?……あぁ、話ね。うん、実は俺もラティアに話たい事があったんだけれど」

「そうなの? あ、でもわたしから話して良いかしら! とっても大事な話なの!」

「も、もちろん! どうぞどうぞ!」

 

 ラティアの怒りを少しでも鎮めようと、すぐさま謝ろうと話を切り出したはいいが、秒でその逃げ道を塞がれた白銀。万事休す、打つ手なしである。

 しかし元はと言えば、無神経な事を言って、あの優しいラティア嬢をここまで怒らせたのは俺の責任だ。例えラティア嬢の背中に隠されてあるのがどんなものでも、その制裁を受けるのが、馬鹿をやらかした俺の責任なんじゃ無いだろうか。そう、思った白銀はすうっと息を吸って、覚悟を決めた。

 

「よっよし、いいぜラティア嬢。ばっちこい」

「そう? じゃ、じゃあ言うわね」

 

 緊張が二人の間を走る。ラティアも深呼吸して意を決した顔になると、背中から例の物を取り出して口を開いた。

 

「ごめんなs「本当にマジでめちゃくちゃ反省してます! 本当にすいませんでした! だからやっぱ痛いのは勘弁してくださいぃ!!」……ふぇ?」

 

 ラティアの謝罪の言葉を上書きするかの様に、ビビり散らかした白銀の謝罪が厨房にこだました。

 膝を折り、床に額を擦りつけ、ジャパニーズ土下座の姿勢で繰り出されたその情けない謝罪に、途中で言葉を遮られたラティアは、目を点にしてぽかーんと放心していた。

 

 そして、来ると思われた衝撃が何時まで経っても来ないことに不審を抱いた白銀が、恐る恐る顔を上げてラティアの様子を伺うと、目に入ったのは、ラティアの持っている巾着袋。

 

「……え? どゆこと?」

「こっちのセリフよ!?」

 

   ◇

 

「つーことは、カチコミに来たんじゃないのな?」

「そんなわけ無いじゃない!? 勘違いし過ぎだわ!」

 

 盛大に勘違いした白銀の土下座の後、先に混乱から回復したラティアは場を整え、なんとか認識のすり合わせをする事に成功。

 あろう事か百万歩譲っても完全に自分が悪いのに、自ら謝罪に来てくれたラティアを暴力少女扱いした事を嘆いた白銀が、再び土下座を繰り出すなんて事もあったが、何にせよ勘違いはしっかりと晴れた。

 

「そうか、そういう事なら、改めて俺の方から話があるんだが」

「えぇ、いいわよ」

「心配かけてすいませんでした!」

 

 白銀は勢いよくガバッと頭を垂れる。

 

「俺が無茶したら誰かが心配してくれたり、悲しむなんて事は、前までじゃほとんど無くてさ。いても真斗くらいなもんで、だからって訳じゃないけど完全に考えてすらなかった」

「……そうなのね」

「ラティア嬢にビンタ食らったときは目から鱗だったよ、涙目浮かべて倒れた俺より悲しそうでさ。なんで、ラティア嬢が泣かなくても良いように、以後は気をつけたいと思います。ホントごめんなさい」

 

 そう言って白銀は、また深く頭を下げた。

 真剣な顔をして白銀の謝罪を聞いていたラティアは、「分かった、許すわ」と謝罪を受け入れた事を白銀に伝えた後に、びしっと人差し指を突きつけて、「けれども!」と言葉を続ける。

 

「約束してハクギン。今後一切わたしに無断で、わたしの前から居なくならないで! あと、健康管理をしっかりとして!」

「あぁ、了解した。その約束は絶対に守るから」

「……うん! なら良いわ! わたしも思いっきりビンタしちゃってごめんなさい。廊下で会った時も逃げちゃってごめんね」

 

 白銀に続いて、今度はラティアがペコリと頭を下げそう謝った。

 

「いや、元はと言えば完全に俺が悪いんだから、ラティア嬢が気にすることじゃねぇよ」

「ううん、だとしてもやり過ぎだし、逃げた事に関しては王族として有るまじき失態だわ。だから、ちゃんと謝らせて欲しいの」

「おーけー、そういう事なら謝罪を受けるよ。全然怒って無いから気にすんな」

 

 手をひらひらと振って気にするなと告げる白銀に、ラティアは安心したのか、ほっと息を吐いた。

 

「良かったわ。実は嫌われてないか、少し不安だったの」

「嫌う訳ねぇよ、何度も言うよーに悪いのは俺だ。逆にラティア嬢には感謝しかねぇって、ありがとな心配してくれて」

「えへへ、どういたしまして。これで仲直りね」

「そぉだな、仲直りだ」

 

 二人はそう言って、照れくさそうに笑いあう。むず痒い雰囲気を誤魔化すように、白銀は先程から気になっていた事をラティアに訪ねた。

 

「……そーいや、その巾着何が入ってんだ? 来たときには隠してたけど」

「あ、すっかり忘れていたわ! 実はこれ、白銀と仲直りするために作ってきたお弁当なの」

「マジッ!? 弁当!? 作ったのラティア嬢!?」

「えぇ、いつも美味しいご飯を作ってくれるお礼も兼ねてるの」

 

 ラティアは巾着袋から件の弁当を取り出して、勢いよく、ぐいっと白銀に手渡す。

 

「絶対にハクギンよりは上手に出来てないわ、けれども、お姉さまも勇者さまも、あとついでにノーツも色々と手伝ってくれたの。だから、良かったら食べてくれないかしら」

「ああ! もちろんいただくぜ! てかラティア嬢の初の手料理だ、食わねぇって選択肢はねぇよ。本当にさんきゅーなラティア嬢」

 

 現在、どんな料理を食べても美味いと感じる事が出来なくなっていた白銀。

 しかし、だからと言って、緊張や不安からか少し震えながら弁当を渡してきた、健気なラティアを目の前にして、デリカシーゼロのこの男ですら「食欲ねぇから食べない、その弁当いらない」なんて全世界の男共からフルボッコ確定のクソみたいな発言が吐ける訳が無かった。

 それに、その事が関係なくとも、きっとこの一週間、一人で食べてきたどの料理よりも美味しいはずだという確信を白銀は持っていた。久しぶりに食欲が沸いている、ラティアのお弁当が楽しみで仕方がない。

 

 「いただきます」としっかりと手を合わせた白銀は、わくわくしながら弁当箱の蓋を開けた。

 そんな白銀の様子を、無意識の内にぎゅっと拳を握り込んだラティアは、そわそわと緊張した様子で見ている。

 

「おぉ! すげぇ!」

 

 綺麗に並べられた三つのおにぎり、ケチャップソースのかかったボリューミーなハンバーグと、可愛く飾り切りされたタコさんウインナー、しっかりと中身が詰まった厚みのある玉子焼きが詰められた、夢のようなラティアのお弁当に感動の声をもらす白銀。

 

「とっても綺麗に盛り付けてるなぁ、あと俺の好物ばっかだし……やべぇめっちゃ美味そう! どれから食べよぉか、ラティア嬢はどれがオススメだ?」

「そうね、一番気を使ったのは玉子焼きよ。ハクギンが一番好きだって聞いたから」

「なるほどなー、じゃあ玉子焼きは最後に食べるとして、ひとまずおにぎりからいただくわ」

 

 ラティアの小さな手で握られたからだろう、白銀がいつも自分で作るものよりも、少し小さめなおにぎりを一口頬張る。

 程よい塩気と、白米の甘みが丁度よいバランスで素材の旨味が十分に引き立てられていた。おにぎりで良くある握りすぎて米が固くなっているなんて事もなく、口に入れればふわっと柔らかく解ける。

 

「お、このおにぎりの具材は梅干しかぁ。種も予め除いてあって食べやすいし、その気遣いが憎いねぇ。やっぱ日本人はこれだよな」

 

 使われている梅干しは白銀お手製のもので、蜂蜜で漬けているためほのかに甘く、爽やかな酸味が白銀のおにぎりを食べる手を更に進ませた。

 白銀は気が付くと、あっという間に一つ目のおにぎりを完食していた。

 

「ありゃ、おかずに手を付けて無いのに食っちまったな」

「ふふっ、白銀ったら一心不乱におにぎりを食べてたわね。ひとまず、おにぎりは成功ね」

「あぁ、めっちゃ美味かったわ。それじゃあ残りの二つは一旦置いておいて、次はこのハンバーグをいただこうかな」

 

 そう言ってハンバーグを箸で切り分ける。難なく一口サイズに切り分けられたそれを、よくソースを絡めて口へと運んだ。

 熱々のものとは異なる、ぎゅうっと旨味が凝縮されたハンバーグは、柔らかくてとてもジューシー、噛みしめるたびに肉の旨味が溢れ出す。

 

「うめぇ。これは……米が食いたくなるやつだな」

「それなら、こっちのおにぎりは具材が入って無いわよ?」

「マジで!? さっすがラティア嬢分かってるぅ!」

 

 そう言われた白銀は、さっそく二口目をおにぎりと一緒に食べてみる。肉の油と米の甘みのマリアージュ、古来より上手いものは脂質と糖で出来ていると言われているとおり、当然、相性が悪い訳がなかった。

 

「はっ、あぶねぇ。またすぐに全部食っちまうところだったぜ。恐るべしハンバーグの魔力。もっとゆっくり味わって食べないともったいないもんな」

「よしっ、ハンバーグも満足してくれたわね! じゃあ次はこのタコさんウインナーをどうぞ?」

「丁寧に作られてるから食べるのが若干渋られるが、さて味の方はどうかな」

 

 ヒョイっとウインナーを箸で掴んで一口。皮から弾けた肉汁の旨味が白銀を幸せへと誘う。足の部分がカリカリに焼き上がっており、香ばしさも相まって、もうコレも美味いとしかし言いようがない。

 

「このタコさんウインナーってのは弁当専用のおかずって感じがするよな、普段だと普通に焼いて終わりだし。手間だけど、割と足の部分とかいいアクセントになるから好きなんだよな」

「わたしも大好きよタコさんウインナー、見た目が可愛いもの!」

「これがあるだけで一気に弁当の雰囲気が良くなるもんな。うん、これも美味しかったよ」

「ありがとう! タコさんウインナーも成功ね!」

「じゃっ、次はいよいよラティア嬢イチオシの玉子焼きだな。楽しみだ」

 

 早る気持ちを押さえつつ、白銀は見ただけでわかるほどにふわっふわっな玉子焼きに箸をつけた。

 

「じゃあ、いただきます」

 

 意を決して口へと運ぶと、ふわっと甘い醤油の香りが鼻を抜け、優しい味で口の中が満たされる。滑らかな舌触りとふわっとした食感。

 

「……くぅ、うめぇ」

 

 絞り出すようにそう呟いた白銀は、更にもう一つ玉子焼きを食す。卵本来の味を消すことなく、コク深くも上品な味わいに仕上げられた玉子焼きに白銀は感無量だった。

 

「うめぇ、うめぇよラティア嬢。これってあのレシピだろ? なんでこんなにちげぇかなぁ……めっちゃ懐かしい味がする」

「ほんとう!? 嬉しいわ!」

「あぁ、本当に、本当に美味しいわ。すげぇな、俺よりうめぇ」

「そ、それは褒めすぎよ!」

「いや、真面目に。俺が初めて食った玉子焼きがさ、めっちゃ美味かったんだ……それがきっかけで料理にハマったんだけど、いっくら練習してもじいちゃんの作った玉子焼きになんなくてよ」

 

 思いだすのは、白銀の生前に彼の祖父が初めて作ってくれた玉子焼きの、あの優しい味。

 なんら特別な材料を使っていないはずなのに、その玉子焼きは筆舌に尽くし難い程に美味しく、そして何より心が満たされた。

 

「当然、あの玉子焼きと全く一緒って訳じゃ無ぇけど、けれど一番大切なとこは同じなんだよ、俺が作るのなんて目じゃねぇ。言葉にするのは難しいし、何言ってるのか訳わかんねぇと思うけど。とにかく美味い、ありがとうラティア嬢」

「ハクギンがまさか、そんなに喜んでくれるなんて思って無かったから……良かったぁ、勇気出してお弁当作って。わたしも美味しく食べて貰って嬉しいわ!」

 

 感動から薄っすらと似合わない涙目浮かべた白銀のお礼に、ラティアも心が温かくなって、自然ととても嬉しくなる。

 良く白銀はラティアに、本当に美味しそうに食べるなぁと言っていたが、ラティアからしてみれば、白銀こそ、またこの人に作ってあげたいって思わせるくらいに、美味しそうに幸せそうに食べる人である。そのくらい、この弁当を食べた白銀はここ数日のスランプなんて忘れたかの様に、とても嬉しそうだった。

 

 そんな事を思いながら、花が咲いたような笑顔を見せるラティアを見て、白銀は今日無理やり自覚させられた自分の気持ちを改めて自覚した。「あぁ、次は自分の料理でこの笑顔が拝みてぇなぁ」って思えた。

 

「なぁ、ラティア嬢」

 

 一旦箸を置いて真面目な顔をした白銀は、そう言ってラティアと向き合った。その今まで見たこと無い白銀の真剣な眼差しに、ラティアは何事かと背筋を伸ばして話を聞く姿勢を見せる。

 

「この一週間ほんと散々でよ、作る飯は美味くないし、食べるご飯はマズいし、食欲はほぼ無いし。で、何でかなぁってノーツ達に相談して、気づいたんだよ。どうやら俺、ラティア嬢が居ねぇと駄目みたいだわ」

「そっ、そう……それはっそのっ、よっようやくわたしのありがたみが分かったのね!?」

「そうだな、実際こんなにうめぇ弁当だって作ってくれて、凄くありがてぇや」

「ふぇえっ!?」

 

 まさか全肯定の言葉が帰ってくると思って無かったラティアは顔を真っ赤に染め上げて、激しく動揺した、そんなラティアの様子に小首を傾げながらも、更に白銀は言葉を紡ぐ。

 

「だからさ、さっきのラティア嬢との約束、今後一切無断で、ラティア嬢の前から居なくならないでってやつ。アレさ、絶対に守るから俺からも、お願いってヤツを聞いて貰っていいか?」

「えっえぇ、良いけれど何なの?」

 

 ラティアがそう言うと、白銀は深く深呼吸をした。茹だる頭で言葉を必死に選んで、緊張で上手く動かない無理やり口を動かした。

 

「すっげぇ恥ずいし、柄に無さ過ぎて鳥肌立ちそうなんだけど、今後この先ずっと……ラティア嬢が辞めろって言うまで永遠に、俺が毎日ラティア嬢の飯、作っていいか?」

「ふぇっ!? そっ、それってつまりッ!?」

「まぁ、つまりはそうゆー事なんだけどさ、どうかね。ラティア嬢だけの永遠専属料理人を雇う気はないか?」

 

 全く予想もしなかった白銀の言葉に、目を回して動揺するラティア。その手の免疫が無いのもそうだが、目の前にいる白銀の真剣過ぎる表情が、冗談では無いって事を物語っており、余計に混乱している。そして、何より混乱している要因は、突然過ぎる申し出なのにも関わらず、ラティアも「あ、それいいなぁ」って思った事である。

 

「あぅ……その、えっと」

 

 色々な感情が溢れて言葉にならない。もっと他にタイミングが絶対にあるはずだ、なぜ今なんだ、そもそもそんな素振りなんて見せたことも無いじゃないか等々、思うところは沢山ある。あるけれど……断るって選択肢は不思議と浮かんでこなかった。

 

「……そのっ! わたしっ!」

 

 湯気が出るんじゃ無いだろうかってくらいに顔を真っ赤にしたラティアは、覚悟を決めて白銀に思いの丈をぶつけようとする。

 

「そのっ! わたしも!」

 

 突っかけながらも、ゆっくりと、大切な言葉を紡ぐように。気持ちがきちんと伝わるように。

 

「わたしも! ハクギンがっ!(くぅ〜)……」

 

 不意に、最悪なタイミングで小さな腹の音が厨房に響く。それは小さいながらも、ラティアの一大決心の言葉をかき消すには十分な威力を誇っていた。

 

「……──ッ!!」

 

 その事を自覚した腹の虫の主は、先程までとは違う意味合いで顔を真っ赤させる。だれが悪いとは言わない、強いて言うならば、白銀が心配でここ数日禄に食事を取っていなかった事とか、そんなラティアの前で美味そうに飯を食べる白銀とかだろうか。

 しかし兎にも角にも、完全に、色々と台無しである。

 

「ふ、ふふふっ。あっはははは!!」

 

 そんな乙女の痴態を、腹を抱えて笑うデリカシーゼロの馬鹿。

 

「あー! 笑った! 酷いわハクギンのバカぁ!」

「いや、ほんとゴメンゴメン。そーいやラティア嬢の弁当はなかったな。そんなに腹ぁ減ってんなら、一緒に食べようぜ? 美味いぞこの弁当」

「うぅ……いただきますぅっ!!」

 

 やけくそに成りつつ、白銀から弁当を貰うラティアに、白銀はまた楽しそうに笑う。

 この二人の主従の関係が、一歩先へと進むには、まだかなり、かなーり長い時間を有するのであった。

 

   ◇

 

 街外れにある小さな泉の近く、ポツンと一軒だけ建っている『めし処 銀しゃり 本店』と書かれた看板をデカデカと飾ったその店は、現在お昼のピークを過ぎて閑古鳥が鳴いていた。

 

「相変わらずこの店は客が少ないな」

「そうっすねぇ、経営者が悪いんっすよ」

 

 店内にいる数く少ない客の一人、茶髪をみつ編みにした男の呟きに、もう一人の客が同意を示す。

 現在、そこそこ広いこの店にいる客はこの二名のみ、しかも冷やかし目的の来店であるため、実質お客はゼロ人だった。

 

「まぁ、静かな方が落ち着つけるから良いよな」

「お互い、人に見つかると面倒ですからねぇ、俺等の平穏のために、このまま潰れるかどうかのギリギリを攻めて言って欲しいっす」

「おいそこの馬鹿二人、まだ営業時間中なんだよ、さっさと注文しやがれ、しねぇなら帰れ」

 

 店の中で堂々と失礼な事を話せば、厨房にいた店主にも聞こえるのは当然で、我慢ならずに客席の方へとやって来て来た店主は、二人にそう告げる。が、当の二人は知らぬ顔。

 

「別にいいじゃないっすか、今の時間はどーせ客も来ないんっすから」

「そうそう、むしろ足繁く通っては売上に貢献している俺達を敬ってくれてもいいぜ?」

 

 なんて事を、いけしゃあしゃあと言ってのける二人に、ついに店主の堪忍袋の緒が切れた。

 

「ほぉ……さっすが王国騎士団長もとい、現王女の婚約者様と、勇者いや、魔王の手から世界を救った伝説の勇者様の言うことは偉そうでムカつくなぁ。貴様らがここに居るとお上に報告してやろうか? あぁん?」

「「すいません調子に乗りました、ランチセットお願いします」」

 

 そう店主から脅された、現王女の婚約者もといノーツ・ガードナーと、世界を救った伝説の勇者もとい桐生真斗はすぐさま謝り、料理を注文する。情けなくも見事な掌返しをして見せた。

 いま、王宮に報告されたら、仕事等の色んな事から必死の思いで逃げてきた二人の思惑は崩れてしう。それだけは勘弁だった。

 

「ったく、ちょっと待ってな。今持ってくる……っとその前に」

 

 オーダーを受けた店主は、厨房に戻るのではなく軒先にぶら下げてあった『開店中』の札を躊躇なく『準備中』へとおもむろに変えた。

 

「あー、いいんっすか勝手に店閉めちゃって、また怒られるっすよ?」

「あ? 良いんだよ、お前等の言ったとおり、どうせ客も来ねぇし。それに何より、俺が腹減った。だから今日は閉店します」

「そこんとこ本当テキトーだよなシェフ殿」

「だから客が身内ばっかなんっすよパイセン」

 

 二人からそう言われて、この店の店主である米倉白銀は苦笑いしながら厨房へと引っ込んだ。

 すると、とたんに厨房が騒がしくなる。さっそく勝手に店を閉めたのがバレたのだろう。

 

「本当、よく潰れないっすよね……この店」

「何だかんだ俺等みたいなリピーターは多いからな、割と騎士団の間じゃ人気だぞ。いろんな意味で」

「あぁ、看板娘が優秀っすもんね」

 

 白銀だけじゃ絶対に潰れていたなと、改めて実感する。

 

「それに、騎士団だけじゃなくてもさ。居るだろここの看板娘の熱狂的な大ファンが一人……いや二人か」

「あぁ、あの人達っすね」

 

 そんな会話をしていたら、不意に店の入り口が開かれて、チリリンとベルがなった。

 

「……こんにちは」

 

 入って来たのは、丁度話題に上がっていた、この店の看板娘の熱狂的なファン一号。一房だけ三つ編みにされた銀色の綺麗な髪を揺らしながら、ミスティモア王国の現王女であるアイリーン・ミストラルはやって来た。

 

「……あ、ノーツ達も来てたのね。二人してまた逃げ出して、程々にしないと駄目よ?」

「そー言うアイリだって、週三のペースでこの店に来てるだろーが。王女様がそんなんでいーんですかねぇ」

「……大丈夫、今日もお父様に任せて来たから」

 

 先日、紆余曲折あって王位をアイリーンに継承した、ルシアン・ミストラル前国王は、そのまま隠居生活に入る予定であった……のだが。

 仕事が無くなり暇になるやいなや、看板娘のファン二号である彼は、この店に足繁く訪れては、看板娘を愛でる事と、店主である白銀に精神的圧力をかける事に精を出し始めたのだ。

 

 彼が忙しくて偶にしか来れなかった時でさえ、白銀は憂鬱だったのに、隠居してからは毎日の様にやって来やがる。

 これは堪らないと白銀はすぐさま王宮に苦情の手紙を送り、現在ではこの様に仕事を与えられて、元国王の襲来は月一のペースで保たれていた。ちなみに、襲撃の翌日は例外なく定休日となる。

 

「良かった、またこの店が修羅場になるところだったっす」

「そうやって城に縛って無いと、またシェフ殿の胃に穴が開くぞ。俺も今、鉢合わせるのは全力で遠慮したい」

「……最近、特に荒れてるのよね。何故かしら?」

「さぁな、お前が王位継承と同時に、無理やり強引に俺を婚約者に指名したからじゃないんですかねぇ!?」

「…………いや、だった?」

「嫌じゃないわ! ぜってぇ幸せにしてやるから覚悟しとけこんちくしょう!」

「……パイセーン。ブラックコーヒー追加でー」

 

 長年の両片思いが解決した反動からか、お互いの好きって言う感情を隠すことがなくなり、ナチュラルにイチャつき始めたバカップルを白い目で見つつ、真斗は厨房に向かって叫んだ。

 

「はいよーって、騷しいと思ったらアイリ嬢も来てたんか、なんか食う?」

「……そうね、オムライスを頂こうかしら。……看板娘のお絵かき付きで」

「一応ウチはメイドカフェじゃねぇんだけどなぁ……まぁ了解。ブラックコーヒーとオムライスね」

 

 そう呆れながら厨房に戻っていく白銀、そんな彼と入れ替わりに厨房から出てきたのは、アイリーンとお揃いの銀髪を二つに結った、小さな可愛らしい女の子、ラティア・ミストラル。

 

「アイリお姉さま! いらっしゃい!」

 

 持ち前の明るい笑顔で、自身の姉を出迎えた。

 

「……こんにちは、ラティア。中は手伝わなくて大丈夫なの?」

「えぇ! ハクギンが後はやっとくからお姉さま達と話して来ていいぞって」

「……流石、ヨネクラ。気が利くわね」

「……多分、アイリーン様の機嫌とってるだけっすよね、これ」

「……あぁ、店再開する時もアイリ居ねぇと絶対に無理だったし、現状一番怒らせたらいけない上客だからなコイツ」

 

 仲睦まじく会話する姉妹を横に、真斗とノーツは、白銀の打算を察していた。流石白銀、自分の大事なものに関しては全力である。

 

「……どう? お店は忙しい?」

「それが、全く人が来ないの! 今だってお店閉めちゃってるし、ホントいい加減なんだから」

「そこがこの店の良いところだろ、隠れ家的名店的な感じの路線で売り出していこうぜ」

「それも良いけれど、わたしはもっと色んな人にハクギン料理を食べて欲しいの。食べた人を幸せに出来る料理なんて素敵じゃない」

 

 そう言って、皆に白銀の料理は凄いと力説するラティア。この店を再開するって言い出したのも彼女からだった、この料理を王宮で独り占めしていては勿体ない、色んな人に白銀の凄さを知って貰いたいって気持ちからの行動だった。

 

「けど、当のパイセンは全くやる気じゃないっすよね」

「最低限稼げれば良いって感じだよな」

「そうなのよね、お店開くのは賛成してくれたのに、本当なんでかしら……」

 

 うーんと頭を悩ませるラティア、しかしラティア以外の三人は、白銀が店を出すのに賛同したくせに、店の経営自体は適当な理由をしっかりと分かっていた。

 なので、代表して白銀の後輩がきちんとラティアに伝える事にした。

 

「それはっすね、ラティア様、パイセンが一番料理を作ってあげたい人は、すでにずっと一緒に居るからモチベーションが上がらない、と言うかそれ以外の事はどうでもいいだけっすよ」

「そ、そうなの? それなら、なんでお店は乗り気だったのかしら」

「それはっすね、ラティア様。パイセンも男ってな訳で、好きなk「余計な事言ったらぶち殺してそこの泉に沈める」……好きなことして生活したいってロマンがあったからじゃないっすかね! うん!」

 

 厨房から帰ってきた白銀から、ドスの効いた声で脅された真斗は、なんとか緊急回避を成功せた。

 

「へぇ、ロマンねぇ。そうなの?」

「そうそう漢のロマンだよー。はい、ランチセットとオムライスね。真斗はブラックコーヒーだけでいいんだったっけ?」

「俺もランチセットっすよ!」

「へいへい、厨房に置いてあるから勝手にとって食え」

「酷い!」

 

 真斗をおざなりにあしらった白銀は、厨房に消えていく真斗を見送った後に、三人が座っていたテーブル席に焼きそばを二人前置いた。

 

「ほら、ラティア嬢も座って食おうぜ、今日の賄いは焼きそばだ」

「わーい! いい匂いがしてたからもしかしてって思ったのよね! 懐かしいわ、初めて食べたのも焼きそばだったわね!」

「あぁ、そうだな。だいぶ昔のように感じるけど……まぁ、ラティア嬢」

「?? なにかしら?」

「これからも宜しく頼むわ」

「ッ! ええ! もちろんよハクギン!」

 

 そう言って、いつか見た笑顔で白銀の隣に座るラティア。そんな彼女や店に着てくれた友人たちを見て、これからもこんな平和で和やかな、そして何より彼女が隣に居る日常がずっと続来ますように、白銀は今日もまたそんな事を思った。

 

 とはいえ、それを口にするのは流石に柄じゃ無さ過ぎる。そんな事より目の前の焼きそばだ、さっさと食べなきゃ勿体ない。

 根本的に変わっていない、料理馬鹿は今日もこれからも絶好調なのであった。

 

「それじゃ、食べるとするかね」

「……ラティア、このオムライスにケチャップかけてくれないかしら。……『お姉さま大好き』でお願い」

「わかったわ!」

「あ、シェフ殿。ランチセットの唐揚げにマヨネーズないじゃん」

「あれ? 忘れてたわ。おーい真斗ォ! マヨネーズ取ってこーい!」

「はいはいって、普通に客をパシんないでくださいっすよ! あと、ランチセット盛り付けもされて無かったからっすね!」

「うるせぇな、お前待ちなんだよさっさと座れ」

「よしっ! 皆揃ったわね。じゃあ手を合わせてください!」

 

「「「「「いただきます!」」」」」

 

 

 異世界にて食道楽。完




【あとがき】

 いつまでも思い出に残る食事って、意外と何を食べたって事より、どんな時に誰と食べたってことの方が重要な気がします。
 こんな飯テロ見たいな小説を書いて細々したこだわりをひけらかしましたが、結局のところ味を決める最後の隠し味は、相手に対する思いやりではないでしょうか?
 
 以上で『異世界にて食堂楽。』本編を完結とさせて頂きます。この様な拙い文章でも読んでくださる方々の感想やお気に入り登録、評価等はとても嬉しく思っていました。本当にありがとうございます。
 今後は新作の制作に取り掛かる予定ですが、気が向けばまた番外編も書いて行きたいとも思っています。
 
 ご愛読、ありがとうございました。


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