けものフレンズRクロスハート (土玉満)
しおりを挟む

第1章
第1話『パートナー』(前編)


 暗い暗い家の中に、窓から細い月明かりが差し込む。

 ここはジャパリパーク居住区跡地。

 ヒトの去ったこの地でイエイヌのフレンズが一人暮らしていた。

 

「今日もご主人様は帰って来ません……」

 

 彼女はヒトの去ったこの暗い家を一人守り続けて来た。

 こうして一人の夜を何度過ごしただろう?

 

「いえ。でも明日こそはきっと……。もし明日帰ってこなくたって明後日だって! いつまででも待たなきゃ……! それが私の使命なんですから……!」

 

 このジャパリパークと呼ばれた巨大動物園では動物がヒトと似た姿になったアニマルガール達が暮らしていた。

 アニマルガール達はいつしかフレンズと呼ばれるようになる。

 ヒトとフレンズが暮らす巨大総合動物園ジャパリパークであったが、ヒトはこの地から去ってしまった。

 それ以来ジャパリパークはフレンズ達が暮らす場所となった。

 そんな中でイエイヌはいつかヒトが帰って来る事を信じて、この居住区を守り続けている。

 それは毎日が報わぬ日々だった。

 ヒトが帰ってきた時に快適に過ごせるように家の掃除は毎日欠かさず行った。

 ヒトが帰ってきた時に寛いでもらえるようにお茶の淹れ方だって試行錯誤して覚えた。

 待ちきれなくて他のフレンズに頼んでヒトを探して連れて来てくれるように頼んだ事だってある。

 

「あの時は楽しかったですね……」

 

 そのフレンズ達はなんとヒトの子供を連れて来てくれた。

 ほんの一日にも満たない時間だったけれど、フリスビーを投げて遊んでくれた。

 けれどその子供はイエイヌの待っていたヒトではなかったらしく、彼女を置いて他のフレンズと旅立ってしまった。

 それからはまた一人の日々だ。

 誰も訪れる者のないこの家を毎日掃除して、寝床を整えて、セルリアン達が来ないか見回りをして……。

 セルリアンとは、簡単に言えば化け物だ。

 フレンズ達を捕食して元の動物に戻してしまう天敵である。

 セルリアン達は建物を壊す事だってあるので、家を守る為にセルリアンと戦った事だって数えきれない。

 そうやって、イエイヌはずっとずっと一人でこの家を守って来た。

 いつか主が、ヒトが戻って来る日を信じて。

 そして「よくやったね」と褒めてくれる日を信じて。

 けれど、心のどこかで……

 

「やはり、もう戻って来てはくれないのでしょうか……」

 

 そう思ってしまう。

 イエイヌはぶるぶると頭を振ってそんな考えを追い出した。

 

「弱気になってはいけません! そうだ、こういう時は……宝物ですっ!」

 

 イエイヌはおうちの中にある金庫を開けると、その中に入っていた手紙や絵をテーブルに広げる。

 それはかつてまだジャパリパークにヒトがいた頃に遺された手紙や絵だ。

 イエイヌには文字は読めないけれど微かにヒトの残り香がする。

 それに絵にはヒトやフレンズが仲良く楽しそうにしている姿が描かれているのだ。

 自分によく似た姿のフレンズが飼育員らしきヒトに甘えている姿を見ると自然と笑顔になれる。

 そして、それらを眺めているだけで、いつかヒトが再び戻って来ると思えるのだ。

 ………けれども。

 

「前よりもヒトの匂いが薄くなってる……」

 

 嗅覚が敏感なイエイヌだからこそ気が付くわずかな差異。

 それでもその差異はイエイヌの心を揺らすには十分過ぎた。

 考えてはいけない。

 イエイヌは咄嗟に目を固く瞑って耳を塞ぎ頭をぶるぶると振って頭の中に生まれつつあった物を追い出した。

 

「宝物は本当に落ち込んだ時だけにしましょう」

 

 イエイヌは手紙と絵を大切に金庫の中へしまった。

 それでもカタカタと、金庫を閉じた自分の手が震えているのがわかる。

 その手を抑えつけるようにして胸元で掻き抱く。

 

「あれ? お、おかしいですね。今日は寒くないはずなのに震えが止まりません……」

 

 どうやら手の震えが全身にまで回ってしまったのだろうか。

 まったくおかしな事もあるものだ、とイエイヌは笑おうとした。けれども上手く声も出ない。

 一体どうしてしまったというんだろう。

 その時だ。

 イエイヌ一人しかいないはずのおうちに涼やかな声が響く。

 

「見ていられんな」

 

 いつの間にかテーブルの向かい側に真っ白な一人のフレンズが座っていた。

 それはキツネの耳と尻尾を持ったフレンズだったが、真っ白な毛並みが月明かりを反射して幻想的ですらある。

 しばらく見惚れていたイエイヌだったが、我に返ると訊ねた。

 

「誰……ですか?」

 

 突然現れた彼女にイエイヌは警戒していた。

 縄張りを奪いに来たフレンズであれば戦わなくてはいけない。ここはヒトの家なのだから。

 だが、白いフレンズは敵意はない、とでも言うように両手を広げて見せる。

 

「わらわか。わらわはそうさな。昔ヒトが呼んでいた通りオイナリサマ、と名乗ろうか」

 

 オイナリサマと名乗ったフレンズが放った言葉の中に『ヒト』というものがあった。確かにそう言った。

 イエイヌはさっきまでの警戒も忘れてオイナリサマに詰め寄る。

 

「ヒト!? いま、ヒトって言いましたよね!?」

 

 興奮気味に食ってかかるイエイヌにオイナリサマは「まあ待て」と言いたげに手で制する。

 

「先に言っておく。お主の望みは叶う事はない。決してな」

「なんで!? あなたは今、ヒトって言ったじゃないですか! いるんですよね!? ヒト!」

 

 手で制されている事すら忘れてイエイヌはさらに詰め寄る。

 けれどもオイナリサマと名乗ったフレンズは気を悪くした様子もない。

 逆に憐れみとも言える目をイエイヌに向けると短く告げる。

 

「昔はいた。だが、今はいない」

 

 その答えにイエイヌの尻尾と耳がしゅんと垂れた。

 それは彼女自身が心のどこかでそう思っていた事だ。

 こうやって他人に言われてしまうと、それが紛れもない事実だと思い知らされてしまう。

 

―パン!

 

 暗い思考に落ちようとしていたイエイヌは突然の物音にビクリとする。

 その音の正体はオイナリサマが両手を打った音だ。

 先程までの神秘的な表情から一変。今は人好きのする笑みを浮かべるとオイナリサマは言った。

 

「のう、イエイヌ。茶を淹れてくれんか? お主風に言うと『お湯に葉っぱを入れたヤツ』じゃ。のう? かまわんじゃろう? わらわももてなしておくれ」

 

 さっきまであんなに超全とした雰囲気だったオイナリサマが今はイエイヌに身体をこすりつけんばかりだ。

 イエイヌはクスリと笑うと「いいですよ。すぐに用意します」と返事をした。

 やるべき事があった方が余計な事を考えなくていい。

 イエイヌは敢えて全ての意識をお茶を淹れる事だけに集中させた。

 いつもやっている通りにいつも通りの手順でお茶を淹れていく。

 何度も何度も、美味しいと思えるようになるまで試行錯誤して見に着けた手順だ。

 今日も完璧な出来栄えだ、と一つ頷くとイエイヌはティーカップをオイナリサマの前に置く。

 

「どうぞ」

 

 オイナリサマはティーカップを持ち上げるとまずは香りを楽しむ。

 

「うむ。よい香りじゃ」

 

 そうしてから口元へティーカップを運んで一口。

 満足そうにティーカップを掲げて見せる。

 

「それに味もいい。独力でここまで辿り着くとは。さぞ研鑽を積んだのであろうな。珠玉の一杯じゃ」

 

 こうして誰かにお茶を振る舞うのは初めてで、こんなにも誰かに褒められたのも初めてだった。

 我知らずイエイヌの尻尾はぶんぶんと揺れる。

 誰にも知られていなかった努力に労いの言葉をかけてもらったのも初めてで、イエイヌはなんだか胸にむず痒いものがこみ上げていた。

 そんなイエイヌにオイナリサマは微笑みを浮かべると、「さて」と言葉を続ける。

 

「これほどの茶のもてなしには礼をせねばなるまい。イエイヌよ。お主に二つの道を選ばせよう」

 

 オイナリサマはピースサインのように指を二つ立てる。

 

「一つはこれまでと変わらず、この家で帰らぬヒトを待つ道じゃ。今までと変わらぬ生活が送れるじゃろう。その先にお主の望みが叶う事は決してないがな」

 

 そして、中指を折って人差し指を残して続ける。

 

「そしてもう一つはここではないどこかの世界へと旅立つ道じゃ。なあに、お主に繋がる強い縁が見えておる。もしも旅立つのならお主は得難い友人と出会えるであろう」

 

 オイナリサマは言う事は言った、とばかりに残った人差し指をクルクルと回してイエイヌの答えを待つ。

 突然の事にイエイヌはようやく一言を絞り出す。

 

「なんで……。なんであなたはそんな事をしてくれるんですか……?」

 

 まだ呆然とするイエイヌの肩をオイナリサマはポム、と叩く。

 

「言ったじゃろう? 美味い茶の礼じゃと。珠玉の一杯への返礼としては安いくらいじゃ」

 

 オイナリサマは真っ直ぐにイエイヌの目を覗き込むと告げる。

 

「イエイヌ。お主がどちらの道を選ぶも自由じゃ。さあ。選ぶがいい」

 

 こうして自由にしていい、と言われるとどうしていいのか分からなくなる。

 けれど、これは自分で考えなくてはならない。それはイエイヌにも理解出来ていた。

 自分には使命がある。ヒトの帰りを待ち、この家を守る事。

 それこそが使命だ。

 けれど……。

 こんなにも頑張っているのにどうして帰って来てくれない。

 どうしてただの一言も労ってくれない。

 どうして……。

 答えはイエイヌだってもう分かっている。ただ見ないようにしてきただけだ。

 オイナリサマの言う通り、イエイヌの望みは叶う事はないのだろう。

 だからイエイヌの口からは言葉が漏れようとしていた。

 

「わたしは……わたしは……!」

「うむ」

 

 オイナリサマの優しい声音が続く言葉を促す。

 とうとうイエイヌの口からは言葉が漏れた。

 

「寂しいです! ずっと誰も帰ってこない日を過ごすのはもうイヤです……!」

 

 オイナリサマはイエイヌの身体を抱きしめた。

 

「わかった。お主の願いを聞き届けよう。今まで辛かったのう。じゃが次の世界ではきっと努力は報われる」

 

 その言葉はオイナリサマの体温とともにイエイヌの身体に染みて行く。

 

「イエイヌよ。大切なものを探せ。見つけよ。そして全力で守れ。それが新しいお主の使命じゃ」

 

 抱き締められた耳元にオイナリサマの囁きが届く。

 そして、暗い暗い室内にサンドスターの輝きが満ち溢れはじめた。

 その暖かい輝きはイエイヌの周囲へと寄り添う。

 

「ではさらばじゃ。次の世界でお主の幸せが見つかるよう祈っておる」

 

 サンドスターの輝きが強くなって、目を開けていられない程になった。

 それが治まったとき、イエイヌの姿もオイナリサマの姿もそこにはなかった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「うーん……。こ、ここは…?」

 

 眩しさが治まって、目を開けたイエイヌの瞳にはコンクリートで舗装された道がまず映された。

 先程まで包まれていたオイナリサマの温もりも今はない。

 風や匂いからここが屋外なのはわかる。

 そして太陽のかげり具合からすると、今は夕方くらいか。きっとこれから夜へと向かうのだろう。

 周りを見渡せば空に届かんばかりに高い塔のような建物がいくつも立ち並んでいた。

 そのどれもがきちんとした手入れがされている。

 ヒトの住まなくなった建物しか見た事のないイエイヌにとっては新鮮な光景だった。

 そして……。

 

「な、なんて沢山の匂い…。」

 

 イエイヌの鼻には今まで嗅いだ事のないような匂いが沢山届く。あまりの情報量の多さに頭がクラクラする思いだ。

 あらためて周囲を見渡すと、イエイヌのいる一画は小さな神社のようなもので、小さな祠が見える。

 

「凄い場所に来ちゃいましたね……。ともかく、ここにずっといても何ともなりません」

 

 今はオイナリサマもいない。一人呟くとその小さな一画を出て路地へと出るイエイヌ。

 

「うわぁ……」

 

 一歩路地へ入ると、イエイヌは思わず感嘆の声を漏らした。

 そこには沢山の人間が行きかっており、獣の耳や尻尾をもったフレンズの姿もちらほらと見える。

 そして車道には沢山の車が走っていた。

 あれ程に待ち焦がれていたヒトの匂いが今はそこらじゅうからしている。

 この道を行きかう沢山の人達は間違いなくヒトだ。

 それに気が付いた時、イエイヌは思わず路地から飛び出して手近なヒトに声を掛けていた。

 

「あ、あのっ……!」

 

 ところが、そのヒトは戸惑い、怪訝な顔をするばかりだ。

 相手が困っている事を察すると、イエイヌも自分が焦っていた事を自覚した。

 

「あ……。いえ、その……。何でもないです」

 

 相手は自分の事など知らないのだ。

 ヒトに会えさえすればそれで望みが叶う。イエイヌはそんな自身の甘えを恥じた。

 

「そう。もうすぐ暗くなるからあなたも早くおうちに帰った方がいいわよ。」

 

 そのヒトはそう言って立ち去りすぐに雑踏に消えてしまった。

 行きかう人々は誰もがイエイヌには興味がないようで、それぞれがどこかに向かって歩いている。

 おうちに帰った方がいい、と言われたけれど、オイナリサマが言う通りここはもう別世界なのだろう。

 

「おうち……。今はもうないんでした」

 

 イエイヌはトボトボと歩き始める。

 雑踏に紛れて歩き続けていると、周囲に木々や芝生の生えた一角を見つけた。

 そこは公園なのだが、今のイエイヌには分からない。

 ただ、何となく雰囲気が違って過ごしやすそうだなと思えた。

 遊歩道にあるベンチに座ってイエイヌはようやく一息をつく。

 

「ふう。ここは落ち着きますね……。この辺りならとりあえずねぐらにするにはよさそうです。誰かの縄張りだったりしなければいいんですが……」

 

 周囲を見渡せば、この時間には家に帰ろうとしている人達ばかりが見える。

 手を繋いで家路に向かう親子らしきヒト達。並んで歩く友人同士らしいヒトとフレンズ。

 その誰もがイエイヌを気にした様子もない。

 もしかしたらここを縄張りにしているフレンズはいないのかもしれない。きっと一晩くらいならここで眠っても大丈夫だろう、とイエイヌは判断した。

 

「さて、そうなったら……次はごはんですよね。おなかは……」

 

 ぐぅう……とイエイヌのおなかは正直な反応を返す。

 

「ええと、ここではボスはいないんでしょうか……。どうやってジャパリまんを手に入れたらいいんでしょう」

 

 多分一晩くらいなら食べなくても何とかなるだろうが、それが続けば動けなくなってやがてはサンドスター切れで元の動物に戻ってしまう。

 いつもならフレンズ達がボスと呼ぶ、ラッキービーストというロボットがジャパリまんを運んで来てくれる。

 けれどここは別世界だ。ラッキービーストは見当たらない。

 ふ、と気づけば近くに何か箱のようなものがある。

 それは自動販売機なのだがやはりイエイヌには何の機械なのかよくわからない。

 ただ、その中にはペットボトル飲料や……。

 

「ジャパリまん!」

 

 ジャパリまんも陳列されていた。イエイヌは早速そこに駆け寄る。

 

「ええと、この透明な板みたいなのが邪魔でジャパリまんがとれませんね……。どうしたら?」

 

 カリカリ、とアクリル板を軽くひっかいてみてもジャパリまんはとれない。

 すると、それに反応したのか自動販売機が動き始めた。

 

「イラッシャイマセ。自動販売機デス」

「あ、どうも。わたしイエイヌです」

 

 機械音声で反応した自動販売機にとりあえず挨拶を返すイエイヌ。引っ掻いたのはまずかったろうか? 引っ掻いたのはまずかったろうか? 機嫌を損ねたりしていないだろうかとおっかなびっくりである。

 

「あ、あの……。ジャパリまんが欲しいんですが……」

「ジャパリまんデスネ? 150円ニなりマス。お金ヲ投入口カラ入れて下サイ。」

「オカネ…ってなんでしょう。それがないとジャパリまんは貰えない、という事でしょうか…。わたし、持ってないです…。」

 

 オカネというのが何の事かわからず、イエイヌは途方に暮れてしまった。

 一体どうしたらいいのだろう。

 そう思っていると、ゴロゴロと何かが転がる音がした。

 

「へーい、そこの可愛い子ちゃん。そんなしょぼくれた顔してちゃせっかくの可愛いお耳と尻尾が台無しだよ?」

 

 その音と共に背後から声が掛けられる。

 イエイヌが振り返るとそこには、スケートボードに片足を載せた女の子が一人こちらを見ていた。

 パーカーを羽織ってサマーセーターにブラウス。チェック柄のミニスカートにスパッツといった女の子らしいがどこか活発な印象を与える感じのする服装だ。

 それに髪の色が緑がかって見えるし、爪の色も髪に似た碧色だ。

 その女の子は人好きのする笑顔でイエイヌの顔を覗き込む。

 

「うん? どうしたの? 本当に困っているみたいだね。よかったらどうしたのか話してみてくれない?」

 

 そうされるだけで、何故かイエイヌは心底安心を覚える。

 この緑色の髪を後ろでまとめた女の子からは不思議と安心できる雰囲気がするのだ。

 気が付いたらイエイヌの口からは言葉が出ていた。

 

「あ、あの! わたし、イエイヌです」

「うん、イエイヌちゃんだね。私はともえ。遠坂ともえ。気楽にともえって呼んでね」

「あ、はい。ともえさん」

「うん、よろしくね、イエイヌちゃん」

 

 ともえと名乗った女の子が名前を呼んでくれただけでイエイヌの胸は何だか暖かくなった。

 

「で、イエイヌちゃんは何か困ってたの?」

 

 そう言われてみれば、イエイヌは途方に暮れていた事を思い出した。

 まず、目下一番困っているのは、このぐうぐう鳴るお腹だ。

 イエイヌのお腹の音を聞いたともえはぷっと吹きだした。

 

「あはは。とりあえずお腹空いてるらしい事はわかった!」

 

 ともえは自動販売機にお金を投入するとジャパリまんのボタンを押す。

 自動販売機から出て来たジャパリまんを半分に割ると、片方をイエイヌに渡す。

 

「ごめんね。今月、お小遣いちょっとピンチで。半分こでもいい?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 二人してベンチに座ってジャパリまんをかじる。

 今まで食べたどのジャパリまんよりも美味しいとイエイヌには思えた。

 半分のジャパリまんはあっという間に食べ終わってしまった。

 包み紙をイエイヌの分も備え付けのゴミ箱に捨てて来ると、あらためて、ともえは膝を折ってイエイヌの前にしゃがみ込む。

 

「ねえ、もしかしてだけど、イエイヌちゃんってフレンズになりたての子なのかな」

「あー……。いえ。そういうわけではないのですが……言っても信じて貰えるかどうか……」

「まあまあ。話をするだけならタダだよー。アタシもイエイヌちゃんのお話聞いてみたいし」

 

 やはりともえは人好きのする笑みを浮かべてイエイヌの手をとると「ね?」と促して来た。

 

「そうですね。じゃあ……」

 

 そうして、イエイヌはポツリポツリと今までの経緯を話す。

 ヒトのいなくなったジャパリパークの事。

 ヒトの帰りをずっと待ってお留守番していた事。

 そしてオイナリサマがこの世界に送ってくれた事を。

 

「そっか……。今まで一人で大変だったね。うん。エラかったね」

「信じてくれるんですか?我ながら突拍子もないお話だと思うんですが……」

「信じるに決まってるよ。イエイヌちゃんが嘘言ってない事くらいはアタシわかるよ」

 

 自分の言う事をともえがちゃんと聞いてくれた。それだけでもイエイヌは何だか嬉しくてたまらない。

 

「ともかく、これから行くところがないっていうのが大問題だよね」

「はい。そうですね……」

 

 ともえの言葉にイエイヌは直面している問題を再認識して肩を落とす。

 尻尾と耳がへにゃり、と勢いを失ってしまった。

 そんな様子のイエイヌにともえは両手を広げる。

 

「ならとりあえずウチにおいでよ! 大丈夫、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも絶対イエイヌちゃんを歓迎してくれるから!」

 

 イエイヌが迷う暇もなく、それで決まりとばかりにともえは勢いよく立ち上がると右手を差し出した。

 

「さ、一緒に帰ろ。暗くなっちゃうよ」

 

 その差し出された手にイエイヌはぽふ、と自分の手を載せた。

 ともえはそれに再びぷっと吹きだす。

 

「もうー。イエイヌちゃんったら。お手じゃないよ」

 

 彼女は可笑しそうに笑いながら、イエイヌの手を握って逆の手にスケートボードを抱えて歩きはじめる。

 さっき見た連れ立って歩いているヒトとフレンズと同じように歩ける事にイエイヌの胸には何か暖かいものがこみ上げているのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「はい。ここがアタシのおうち。多分今の時間はお父さんは研究所だろうけどお母さんとお姉ちゃんがいるはずだから」

 

 ともえに連れられてやってきたそこは喫茶店という風貌をした二階建ての一軒家だった。

 

「へへー、アタシも時々放課後とかここでバイトもしてるんだよー。イエイヌちゃんもそのうち一緒にやろうねっ」

 

 どうやら一階部分が喫茶店らしいのだが、イエイヌにはよくわからず、ともえにされるがままで店内へと連れられて行った。

 カランカラン、とドア鈴が鳴る。

 

「お母さんただいまー」

 

 おうちの中はお茶やコーヒーのいい香りが漂っていた。

 ドア鈴に気が付いたのはカウンターの内側にいた黒髪をツインテールにした女の子だった。

 カチューシャとエプロンをつけた女の子でパッと見た目はメイドさんだ。

 その女の子はこちらに気が付く。

 

「あ、お帰りなさい。ともえちゃん。あら……?そちらは……」

 

 カウンターの向こう側にいた女の子はイエイヌの姿を認めると何かに気が付いたように慌て始めた。

 トトト、っとカウンターから出て来てともえに駆け寄る。

 

「ともえちゃん……、あなた……いくら可愛いからといってフレンズちゃんを誘拐してきたらダメよ」

 

 やたら真剣な顔でともえの肩を揺さぶってくる。思わぬ冤罪にともえは慌てた。

 

「違うよぉ!?」

「大丈夫。まだ罪は軽いわ。お母さん一緒に警察にいってあげるから……」

「だから違うったら!この子はイエイヌちゃん!公園で困ってたみたいだからとりあえずうちに連れてきたの!」

「ふふ、わかってるわ。ちょっとした冗談よ」

 

 まったく心臓に悪い冗談だ、とともえはホッと胸を撫で下ろした。

 相好崩してニコリと笑う女の子。この子が母親らしい。

 

「はじめまして、イエイヌちゃん。私はともえちゃんのお母さんで遠坂春香です。気楽にお母さんって呼んでね」

 

 イエイヌの微かな記憶によると母親というのはもう少し年上のはずでは……と混乱していた。

 これでは姉妹……その妹というのが適切なように思えるが、きっと自分が無知なのだろうとイエイヌは納得する。

 その間にともえは春香に事情を説明しはじめていた。

 

「で、ね? お母さん。イエイヌちゃんね、実は……」

 

 イエイヌがどうやら別な世界のジャパリパークという場所からやって来た事や、ヒトのいなくなったその世界でヒトの帰りを待って一人でお留守番を続けていた事などを説明していく。

 その説明を聞いた直後、春香はイエイヌに詰め寄りその手を取った。

 

「イエイヌちゃん。あなたウチの子にならない? いえ。なるべきだわ、なりましょう!」

「あの……その……」

 

 ずずいと詰め寄られてイエイヌは戸惑った。

 どうしよう、とともえに視線を送る。

 

「とりあえず行くところがちゃんと決まるまでの間でも一緒にいよう? もちろんアタシもイエイヌちゃんがウチの子になってくれるなら大歓迎だけど!」

 

 寄る辺もないこの世界で頼ってくれても構わないというのはありがたい。

 それに、ともえとももっと一緒にいたい。

 イエイヌはその厚意に甘える事にした。

 

「あの……じゃあ……。とりあえずお世話になります」

 

 ペコリ、と頭を下げるイエイヌにともえも春香もパッと顔を輝かせた。

 

「ええ!大歓迎よ!」

 

 ガバリ、とイエイヌに抱き着く春香。

 

「ああー! お母さんずるい! アタシだってずっと我慢してたのに! イエイヌちゃんモフるの我慢してたのにー!」

 

 出遅れたともえが後ろ側からイエイヌに抱き着いてくるから、サンドイッチになってしまうイエイヌであった。

 

「あわわわ…。」

 

 イエイヌは怒涛の展開についていけず目をぐるぐるさせる。

 と、そこに…。

 

「もしもしポリスメン? うちの母と妹がとうとうやらかしたかもしれません」

「「ノー!あいむなっとギルティー!」」

 

 新たにあらわれた女の子の言葉にともえと春香の抗議が重なる。

 階段の方からやって来たのはこれまた黒髪の女の子だった。

 顔立ちはともえと瓜二つなのだが、どこかのんびりした印象があるように思える。

 服装もワンピースタイプのロングスカートでお淑やかな感じだ。

 活動的なともえとは対照的に見える。

 

「あはは、ごめんごめん。冗談冗談。ともえちゃんお帰りなさい。大体の事情は聞こえてたよー」

 

 そんな事を言いつつ、ともえとそっくりな女の子はイエイヌの目の前までやって来ると自己紹介した。

 

「アタシは遠坂萌絵。ともえちゃんの双子のお姉ちゃんだよ。気楽に萌絵お姉ちゃんって呼んでくれていいからね」

「あ、はい。萌絵さん」

「あのねあのね、イエイヌちゃん、萌絵お姉ちゃんは凄いんだよ! なんたってもう飛び級で外国のすっごい大学の卒業資格取っちゃってるんだよ!」

「ふふー。ともえちゃんに褒められるのは嬉しいけど、アタシは身体が丈夫じゃないしともえちゃんみたいに運動得意じゃないからねー。ともえちゃんの方が凄いんだよおー」

「つまり、ともえさんも萌絵さんも凄いんですね! わたし覚えましたよ!」

 

 ふんす、とイエイヌが両手を握りしめて尻尾をぶんぶん揺らす。

 ふむ、と何事かを考えた萌絵はそのままイエイヌを抱きしめる。

 

「ねえ、ともえちゃん。この子可愛すぎない? とりあえずモフっていいかなあー?」

「お姉ちゃん! もうモフってる!モフってるよ! ずるい!!」

「あのー!? お二人ともー!? ちょっと苦しいですー!?」

 

 イエイヌは再びサンドイッチにされてモフり倒されてしまった。

 そんな様子に春香の助け船が入る。もっとも春香も先程までイエイヌをモフり倒してたわけだが。

 

「ねえねえ、萌絵ちゃん。とりあえず市役所にイエイヌちゃんの仮保護申請出しちゃうから手伝ってくれる?」

「あ、うん。任せてちゃちゃっと申請出しちゃうね」

 

 言うが早いか、萌絵はカウンター内のパソコンに取りつくと猛烈な勢いでキーボードを叩きはじめる。

 

「うへ。仮保護から本保護までに最低でも一週間かぁ……。ちょっとデータベースを弄って……いやいやそれはポリスメン案件になりそうだからやめておかないと……」

 

 聞こえて来る物騒な言葉は聞かなかった事にしておく。

 仮保護申請とは動物からフレンズになったばかりの子を一時的に家庭で預かる申請を意味する。

 オンラインでの申請が可能とはいえ、項目は多岐に渡るのでパソコンが得意らしい萌絵でも大分時間がかかりそうだ。

 

「じゃあ、ともえちゃん。その間にイエイヌちゃんを上に案内してあげて。私はお父さんにも新しい家族が増えますって電話しちゃうから」

 

 春香はもう決定事項ですとばかりにウィンクしてみせる。事情が事情だけに父親だって反対はしないだろうが。

 萌絵は萌絵でパソコンのキーボードを叩きっぱなしだし、どうやらこの場でともえに出来る事はないらしい。

 言われた通りにともえはイエイヌの手を引くと二階の住居部分へと向かうのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 二階は以前イエイヌが暮らしていたおうちに似た雰囲気があった。

 いや、決定的に違う点が一つある。

 それはとても賑やかな雰囲気がするところだ。

 リビングやキッチン、お風呂やそれぞれのお部屋に客間や物置などなど。

 生活に必要そうな物は揃っていてなお余裕を感じさせる作りになっている。

 そのどこからもヒトが生活しているという匂いがするように感じられた。

 ともえは取り敢えずリビングのソファーにイエイヌを案内すると、そこに座らせてテレビのリモコンを手に取る。

 

「まだご飯までには時間があるからテレビでも見てくつろいでてね」

 

 リモコンを操作するとソファーの前にあったテレビにパッと電源が入る。

 

『六時のニュースです』

「あ、どうも。イエイヌです」

 

 突然現れた箱の中にいるヒトに向かってイエイヌはお辞儀をした。

 一体誰だろう。このヒトもともえ達の家族なのだろうか?

 

「あの……、ともえさん。こちらの箱の中にいる方は……」

 

 混乱するイエイヌはともえに訊ねる。

 

「ええとね、それはテレビって言って遠くの絵を映す機械なの。だから中に誰もいないんだよ。」

「そう……なんですか?」

 

 イエイヌはそれを確かめるようにテレビの裏側を覗き込んでみて、また元の位置に戻って「解せぬ」とばかりに小首を傾げて、またまたテレビの裏を覗いてを繰り返していた。

 ともえにとってはとても新鮮な反応でそれはそれは可愛く思えた。

 なので、まだ肩に掛けたままにしていた愛用の鞄からスケッチブックを取り出すとイエイヌの姿をスケッチしはじめた。

 

「めっちゃ絵になる…! めっちゃ絵になるぅー! もう、イエイヌちゃん可愛すぎか!」

 

 情動の赴くままに筆を走らせていると、いつの間にかその横に萌絵まで混じっていた。

 同じように彼女もスケッチブックに筆を走らせているではないか。

 

「ほんとにね…! ほんとに絵になるぅー! いいよ! いいよイエイヌちゃん…!」

 

 イエイヌには二人が何をしているのかよくわからなかったが、あんまりにも動きがそっくりすぎて何だか可笑しくなってしまった。

 なるほど双子とはこういうものか、と納得である。

 シュバババ、と物凄い勢いでスケッチを完成させると二人はスケッチブックを交換してお互いに食い入るように見つめる。

 そして、無言のままにパシン! と大きな音を立ててハイタッチ。

 どうやら二人とも納得の出来だったようだ。

 お互いに満足そうにしていると、萌絵は「あ」と思い出したかのように言った。

 

「いけない、忘れるところだったよ。イエイヌちゃんはとりあえず生まれたてのフレンズってことで仮保護申請出して許可されたから」

 

 イエイヌには自身の事だというのによく分からない。

 

「ええと、どういうことでしょう?」

 

 そこに萌絵が説明してくれる。

 この世界ではヒトとフレンズが仲良く暮らしている。そんな中でごく稀にフレンズが自然発生する事があるそうだ。

 そうした自然発生したフレンズは知識にも偏りがあるため、一般家庭で保護される。

 その保護を遠坂家が申し出たというわけだ。

 

「今は仮保護って言ってお試し期間みたいな感じ。うちがイエイヌちゃんの住む場所に相応しいって市役所の方が判断すれば本保護になるんだよ」

 

 と言われてもやはりイエイヌにはよくわからなかった。

 

「つまり、まずはしばらくの間イエイヌちゃんはウチで暮らしましょうって事になったんだよ」

 

 ともえに言われて自分はここにいていいのだとようやく思えてきたイエイヌである。

 それに萌絵もニコリと笑う。

 

「今日はイエイヌちゃんの歓迎会だからね」

 

 そのまま萌絵がキッチンに入って料理の準備をはじめた。

 

「ともえちゃーん、お手伝いお願いねー」

「あのあの!わ、わたしも何かお手伝いがしたいですっ」

「そっかあ。じゃあ、お手伝いお願いしようかなー」

 

 イエイヌも交えて三人で調理。

 これまたイエイヌにとっては初めての経験である。

 

「ちなみに、イエイヌちゃん。お肉系は合成肉だけど平気だよね?」

「合成肉……ってなんでしょう?」

 

 萌絵の質問にやはりイエイヌは小首を傾げる。

 

「ええとね、フレンズちゃんの中には肉食系動物でも天然肉を食べるのイヤがる子もいるから。植物由来の品とサンドスターで合成したお肉が合成肉なんだよ」

 

 どうやらこの世界にもサンドスターはあるらしい。

 サンドスターは不思議な物質だ。イエイヌがアニマルガール、つまりフレンズになったのもサンドスターのおかげらしい。

 キラキラと輝く結晶のようなものらしいが、その詳細はイエイヌどころか頭脳明晰な萌絵ですらわからない。

 ただ、この世界ではどうも食べ物にもサンドスターが活用されているらしい。

 そんな事を考えていたら、いつの間にか料理も完成していた。

 

「ふふー。見た目は割と豪華になったよね」

 

 色とりどりのサンドイッチにクリームシチュー、あとは大皿にミートボールパスタにポテトサラダというラインナップだ。

 主に料理を担当していた萌絵も満足そうに額を拭う。

 萌絵もともえも手際がいいのは何となくイエイヌにも分かった。

 ただ、途中、萌絵がともえの手を何度か止めていたのが気になったが。

 

「もう。ともえちゃん? ともえスペシャルは禁止だよ」

「ええー!? 新しい味は常に冒険から生まれるんだよ!?」

「ともえちゃんのともえスペシャルは冒険じゃなくて暴走だからダメ」

 

 どうやら萌絵はともえが料理に調味料を混入するのを止めていたようだ。

 わさび、だとか、マスタード、だとか何だかよくわからないが不穏な単語が聞こえたような気がしてイエイヌの本能は警鐘を鳴らしていた。

 何はともあれ料理は無事に完成である。

 

「お父さんもそろそろ帰ってくるだろうから、そしたらご飯にしようね」

「はいっ! 楽しみです!」

 

 尻尾をぶんぶんさせるイエイヌにともえと萌絵は顔を見合わせて微笑みあう。

 イエイヌの目の前にあるのはどれも食べた事のないものばかりだ。

 そのどれもがイエイヌ自慢の鼻に全力で「美味しいよ」と語りかけてくるのだ。

 と、そこに春香が戻ってくる。

 その腕に赤いカラーリングのラッキービーストを抱いていた。

 

「もう、お父さんったらこんな日に仕事だなんて。ラモリさんだけ戻さなくてもいいじゃない」

 

 春香は頬っぺたを膨らませてぷんすかしてみせる。もっとも外見のせいで何だか可愛らしくしか見えないのだが。

 そんな彼女をなだめるべく、その腕の中に納まったラッキービーストが声をあげる。

 

『悪いね。サンドスターに大規模な変動が観測されてるんだ…。こんなの観測史上初めてかも。今夜はどうしても帰れそうにない』

 

 これは通信機能なのだろう。

 春香に抱えられた赤色のラッキービーストは通称ラモリさんという。

 アイセンサー部分にサングラスを掛けて、尻尾部分が試作多機能アームに換装されているのが特徴だ。

 どうやら父は今日は仕事で戻れないらしい。

 ともえが残念そうに言う。

 

「そうなの?せっかくイエイヌちゃんの歓迎会でご馳走作ったのに残念だなあ。」

『僕もめっちゃ残念だっ!! もう何もかもぶん投げて今すぐ帰りたいっ!!』

「はい、お父さん。今度のお休みに何か好きなの作ってあげるからお仕事頑張って」

 

 仕事では仕方がない。萌絵が苦笑とともに窘めた。

 父親も娘に応援されては張り切るしかない。

 

『よぉし、お父さんちょっと気合いれて頑張るよ……。とその前に。イエイヌちゃんっていうのはキミかな?』

 

 父はラモリさんの通信機能を通してイエイヌに話しかける。

 

『こんな姿でごめんね。僕はサンドスターの研究を仕事にしてる。皆はドクター遠坂と呼ぶが好きに呼んでね。』

 

 とはいえ、ともえには一つ心配事があった。

 

「あのね、お父さん……それだとイエイヌちゃんはラモリさんがお父さんだって思っちゃうよ……」

『あ、そうか!? イエイヌちゃん。このラモリさんを通して会話しててラモリさんはラモリさんだからね!?』

 

 その物言いはかえって混乱を助長するのではないか。

 ともえも萌絵も春香も揃って振り返ると、やはりイエイヌはぐるぐると目を回していた。

 

「あ、ええと……。ラモリさんというボスがお父さん……ではない? ううー……」

「もうー、お父さん、イエイヌちゃんが困ってるでしょっ!」

 

 ともえ達三人が揃ってイエイヌを抱きしめる。ついでにモフモフ具合も楽しんでいた。

 

『ああああ!? なんかごめん!? ともかく、イエイヌちゃん。今日はどうしても帰れないけど歓迎するからね! 後でちゃんと挨拶するから!』

「あ、はい。ええと、よろしくお願いします。」

 

 相変わらずイエイヌは混乱していたものの、分からない事は分からないまま流される事にした。

 

「デ。俺はラモリ。ラッキービースト試作多機能アーム搭載モデルダ。イエイヌ、ヨロシクナ」

 

 ラモリさんは先程までとは全く違う機械音声で話し始めた。

 どうやらお父さん? というのは声が二つあるのだろう。凄いヒトだなあ、とイエイヌは思っていた。

 

「今は難しい事を考えないでもいいよ。ラモリさんの他にお父さんっていうのがいるって思っておけばいいから」

 

 ともえの説明を理解はしていないが、とりあえず言われるがままに頷いておく。

 それよりも重要な事が目の前にある。

 

「さ、イエイヌちゃんもお腹空かせてるだろうし、お父さんは帰って来れなくて残念だけどご飯にしましょう」

 

 そう。

 目の前のご飯だ。

 食事はイエイヌが今まで食べた事のないものばかりだったが、とても美味しかった。

 というか…

 

「天国ですか。ここは……」

 

 父のドクター遠坂が急に帰れなくなって一人あたりの分量が増えた夕飯をイエイヌがペロリと平らげてくれた。

 あまりにも美味しくて食べ過ぎてしまったお腹をさするイエイヌである。

 

「ふふ、お粗末様」

 

 満足そうにしてくれると作った萌絵としても嬉しいものだ。

 

「へへー。萌絵お姉ちゃんのお料理美味しいでしょっ! アタシも大好きなんだー」

「ともえちゃんはお料理もう少し頑張った方がよくないかな? 特にともえスペシャルって言って調味料適当に入れるのだけは止めようね? お嫁さんの貰い手がなくなっちゃうかもだし」

「その時は萌絵お姉ちゃんをお嫁さんに貰うからいいもーん」

「ともえちゃんがお嫁さんになってくれるならいいけどー」

 

 そうやって双子姉妹はキャイキャイじゃれ合っていた。

 

「ともえさんと萌絵さんは仲良しですね」

「「うん!」」

 

 イエイヌの言葉に二人同じ動きで頷くのもとてもそっくりだった。

 

「じゃあ、食後のお茶でも淹れましょうか」

 

 春香が立ち上がりキッチンの収納から何かを取り出した。

 それはイエイヌがよく見知ったものだった。

 

「あ。それ……もしかして……お湯に葉っぱ入れたヤツを作るヤツですよね」

 

 それはティーセットだった。

 コンロも見知ったIHコンロだし、淹れ方は何度も練習して知っている。

 

「あのあの! わたしに作らせて貰えませんか!」

 

 真剣な表情で頼みこんでくるイエイヌに春香はちょっと迷う。

 お湯に葉っぱを入れたヤツという程度の知識ではお茶を上手に淹れられるだろうかと不安になってしまったからだ。

 

「大丈夫だよ、お母さん。ともえスペシャルよりひどいものはそうそう出てこないから」

「萌絵お姉ちゃんヒドくない!?」

「それもそうね」

「お母さんもヒドいよぉ!?」

 

 ともえの抗議は置いておいて、春香も思い直す。

 

「じゃあせっかくだからイエイヌちゃんのお手並み拝見しちゃおうかしら」

「はい!わたし頑張りますねっ!」

 

 尻尾をぶんぶん揺らしながらイエイヌはキッチンに入った。

 まずはお茶の葉っぱをクンクンと鼻をならして嗅いでいる。

 そうしたら、ティースプーンで目分量のブレンドをしてみせた。

 ブレンド後のお茶っ葉も同じように匂いを嗅いで満足そうに頷く。この香りなら美味しくなるに違いないと経験で知っていた。

 続けてお湯の準備だ。

 IHコンロでお湯を沸かし、注ぎ口から吹き出す蒸気にティーポットを逆さにあてて暖める。

 

「へぇ。面白い事をするのねえ」

「要はティーポットを温めればいいんだもんねえ。お湯捨てないあたりがなんかアタシ好きだなあ」

 

 その様子を見守っていた春香と萌絵が感心したように言う。

 ともえもそれに倣ってうんうん頷いていたけれど、その表情は明らかに何の話をしているのかわかっていない様子だった。

 

「ともえちゃんにはもうしばらく、お客さんに出すお茶は淹れさせられないわね」

 

 と苦笑の春香である。

 そうしている間にも、お茶の準備は滞りなく進んでいく。

 高い位置からお湯を一気に注いで茶葉を躍らせる方法も、抽出時間もキッチリしている。

 ところどころにオリジナルの所作は見られるが、よく出来ていると春香には思えた。

 

「ねえ、イエイヌちゃん。誰かからお茶の淹れ方って教わったの?」

「はい、一番最初は帽子を被ったヒトによく似たフレンズに教わったんです。それからは何度も美味しくなるまで練習してました」

 

 とうとうお茶の準備が出来たイエイヌがティーポットを持ってやって来る。

 それぞれに用意したカップにお茶を注いで

 

「どうぞ」

 

 と緊張の面持ちで差し出す。

 三人とも香りを嗅いでからカップを口元に運ぶ。

 萌絵と春香は驚いたように目を丸くしてみせた。

 

「お母さん……これ」

「ええ……」

 

 その言葉少ない反応に、やはり美味しくなかっただろうか、とイエイヌは不安になってしまった。

 

「めっちゃ美味しいよ! お母さんや萌絵お姉ちゃんが淹れてくれるお茶と同じくらい美味しいよ!」

 

 ともえがイエイヌと萌絵と春香を忙しく見まわしながらフォローする。

 直後、萌絵と春香はイエイヌに詰め寄った。

 

「とっても美味しいよ、イエイヌちゃん。完璧すぎてちょっとビックリしちゃったよお」

「もう喫茶店の即戦力よっ! もう今すぐにでもウチの子になりましょう! そうしましょう!」

 

 二人に詰め寄られたイエイヌは凄く褒められているとわかると、安心したようにほにゃりとした満面の笑みを浮かべた。

 

「えへへ……。こんなに沢山のヒトに美味しいって言って貰えたの初めてで凄く嬉しいです」

 

 その笑みに再びともえと萌絵の手がうずく。

 

「イエイヌちゃんの笑顔可愛いね! これはヤバイ! めっちゃ絵になるぅー!」

「ほんとだね! ほんとに絵になるぅー!」

 

 再び二人して取り出したスケッチブックに物凄い勢いで絵を描き始める。

 そんな楽しそうな様子に春香はエプロンのポケットからデジタルカメラを取り出すと今日の記念に一枚パシャリ。

 こうして、遠坂家での一夜は賑やかに過ぎていくのだった。

 

 

―後編へ続く。

 




 言い訳のコーナー。
 オイナリサマの口調が原作と違うのは一応仕様なんです、はい。

 2020年11月24日改稿

 今後第1話から順次改稿も少しずつ進めていく予定です。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話『パートナー』(後編)

その後もみんなでお風呂に入ったり、イエイヌと誰が一緒に寝るかで揉めて結局4人で一緒に寝る事になったりとどったんばったんの一夜が過ぎて…

 

「ふぁあ…。少し眠りすぎてしまった気がします。おはようございます。」

とイエイヌが起き出してくる。

「おはようイエイヌちゃん。きっと疲れてたのね。昨日はぐっすりだったわよ。」

 

おうちの中を見渡しても、いるのは春香だけのようである。

「ええと…。ともえさんと萌絵さんは…。」

「二人は学校よ。さっき出たところなの。イエイヌちゃんも朝ごはん食べましょう?」

「あ、ありがとうございます。いただきます。」

 

バターを塗ったトーストに目玉焼きとウィンナー。それとポテトサラダが用意されていて…。

「ああ…。ジャパリまんの他にこんな美味しい食べ物があったなんて…。」

と綺麗に完食しちゃうイエイヌ。ぽわわん、と夢見心地の表情だ。

 

「ところで、イエイヌちゃん。今日は私とお留守番だけどそれでいいかしら?」

「あ、はい。春香さん。今日はよろしくお願いします。ええと…。わたしは何をしたらいいでしょう?」

「そうねえ…。差し当たって何かしなきゃいけない事はないのだけれど…。よかったらカフェのお手伝いとかしてみる?制服も用意したいし…♪」

と何やら楽しそうな春香。

 

「じゃあ、早速カフェに行ってみましょう…。ってあら?」

と玄関に向かおうとしたところ、玄関の靴箱の上にお弁当の巾着が置かれているのが目に入る。

「あら、大変。ともえちゃんったらお弁当忘れていっちゃったのね。どうしましょう…。届けにいかなきゃ…。あ、でもお店もそろそろ開けないとだし…。」

と、オロオロ困った様子の春香。

 

「なら春香さん。わたしが届けましょうか。」

「ええ!?でも、この街の案内もしてないもの…。道がわからないでしょう?迷子になったら大変よ。」

「平気です。ともえさんと萌絵さんの匂いなら覚えましたから。帰り道だって匂いを辿ればバッチリです。」

「そうねえ…。じゃあラモリさんも連れていって。何か困った事があったらラモリさんがアドバイスしてくれると思うわ。」

 

と、それを聞いた赤いカラーリングのラッキービーストがイエイヌの胸に飛び込んでくる。

「ヨロシクナ、イエイヌ。」

「わっとっと。わかりました。ラモリお父さん。」

と胸に飛び込んで来たラモリさんをキャッチして抱えるイエイヌ。どうやらすっかりこれがお父さんというものだと思っているらしい。

 

「あらあら、すっかりラモリさんがお父さんって勘違いしちゃってるわねえ。じゃあ車に気をつけて。無理しちゃダメよ。」

「はい、春香さん。いってきますね!」

「いってらっしゃーい。」

ラモリさんを抱えたイエイヌはお弁当入りの巾着袋を口に咥えると猛烈な勢いで駆けだすのであった。

 

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 

周囲の人たちが驚いた表情を見せる中、ラモリさんを小脇に抱えたイエイヌはともえと萌絵の匂いを辿ってひたすらに走り続ける。

 

「イエイヌ。ストップだ。次は赤信号ダ。」

とラモリさんがストップをかけた先には赤信号の横断歩道が待ち構えている。

「あ、はい。アカシンゴウというのはよくわかりませんが止まりますね。」

 

キキーッと音がしそうな勢いで横断歩道の前で一時停止のイエイヌ。

 

「ヨシ。イエイヌ、青信号ダ。右と左を確認シテカラ進んデイイゾ。」

で、再び土煙をあげそうな勢いでダッシュするイエイヌ。やはりあまりの速度に周囲の視線を集めてしまっているが、ともえと萌絵の匂いを辿る事に夢中のイエイヌには気が付かない。

「匂いが強くなってきました…!もう少し…!」

 

と辿る先に制服姿のともえと萌絵を見つけるイエイヌ。

二人ともお揃いの制服でブレザータイプの上着にリボンタイ。それに一本白のラインが入ったスカートという制服だ。なお少しだけともえの方がスカート丈が短い。

 

ズシャシャー!と滑りながらともえと萌絵のところで制動をかけるイエイヌ。その勢いに二人のスカートが揺れる。

「イエイヌちゃん?」

と目を丸くするともえ。

 

「ともえさん、お届けものですっ」

「相変ワラズ、オッチョコチョイダナ。」

イエイヌがお弁当入りの巾着袋を差し出す。

 

「うわわ、玄関に忘れて来ちゃってたのかっ!ありがとうイエイヌちゃん!助かったよぉー!」

「まぁ…あの勢いで走って来てたとしたら中身の方はちょーっと大変な事になっちゃってるかもだけど…。」

と苦笑を浮かべる萌絵。

 

「うっ…。いやいや、イエイヌちゃんが頑張って届けてくれたんだもん!見た目がちょっと悪くなっても大丈夫っ!」

そして尻尾を振って何か期待に満ちた目でともえを見つめるイエイヌ。

「あ、うん、あらためてありがとうね。えらいよイエイヌちゃん。」

とイエイヌの頭を撫でるともえ。とても嬉しそうな笑顔を見せてくれる。そこに…。

 

「おはよう遠坂さん。」

「おっはよー!ともえちゃん、萌絵ちゃん!あれれー?今日はもう一人いるんだね。」

と制服姿の女の子がさらに二人追加でやってくる。一人はちょっとくたびれた様子の2本羽根の羽根帽子を被っておりもう一人は大きな耳を持ったフレンズのようだ。

 

「あ、かばんちゃん。サーバルちゃん、二人ともおはよう。」

「かばん生徒会長、サーバルちゃん、おはようございます。」

ともえと萌絵も挨拶を返す。

 

「ねえねえ。私サーバルキャットのフレンズ、サーバル。貴方はなんのフレンズ?お友達になろうよ。」

サーバルと名乗った女の子はイエイヌにまとわりつくようにくるくるとその周囲を回りながら珍しそうにイエイヌを見ている。

「あ、わたし、イエイヌです。」

とちょっと戸惑った様子を見せるイエイヌ。

 

「サーバルちゃん。イエイヌさんが困っているようだからもう少しゆっくりお話しした方がいいかも。」

「そっかあ。ごめんね。驚かせちゃった?」

「いえ。お友達嬉しいです。サーバルさんもよろしくお願いします。」

 

早速仲良くなってお互いの匂いをすんすんしあってるサーバルとイエイヌ。かばんと名乗った少女とともえと萌絵もそれをほっこりとした笑みで見守っている。

 

「イエイヌちゃんはね、ウチで今仮保護中なの。」

「仮保護って事はもしかして自然発生系の生まれたてのフレンズなのかな…。ボク初めてみたかも…。」

かばんが目を丸くする。

「って事はイエイヌさんもいずれウチの学校に通う事になるかもしれませんね。その時はよろしくお願いします。」

と、かばんがイエイヌに向けてやわらかく微笑んで見せる。

 

「そういえば、そもそもガッコウって何なのかわたし知りませんでした…。」

「ええと、学校っていうのはね、お友達が沢山いて楽しいところだよ!あと部活したりとかー…あと…なんだっけ。」

とともえが萌絵の方を見ると

「もう、ともえちゃん…。一番大事なお勉強が抜けてるよお。」

「あはは。そうですね。学校っていうのは色んな事を教えてくれる場所ですよ。」

萌絵ががっかりと肩を落とす様子にかばんが笑いながら補足してくれる。

 

「へえー。楽しそうな場所なんですね。」

と目を輝かせるイエイヌ。それを見たサーバルが…

「ねえねえ。何なら見学してったら?そのくらいなら出来るよね?かばんちゃん。」

「あ、サーバルちゃん、いい考えだね。どうかな?遠坂さん。」

「うはー!学校でもイエイヌちゃんと一緒でいいの!?」

「うん、いずれは学校も案内したいと思ってたしせっかくだからかばん生徒会長にお願いしちゃおっか。お母さんにはアタシがメールしておくねー。」

とすっかりイエイヌの学校見学に乗り気の様子の4人。

 

「なら私たち早速学校に行って手続きしないとだよね!私、庶務だから!」

サーバルの目に☆マークが宿るほどのキラキラぶりを見せながら親指立ててみせる。

「そうだね。じゃあボク達先に行きますね。遠坂さん達が来る頃には手続き終わらせておきますから。」

かばんが軽く手を挙げて挨拶すると…

「じゃあ、急ごう、かばんちゃん!」

ひょいっとかばんをお姫様抱っこで担ぎ上げるサーバル。

「うぇええええ!?ちょ、サーバルちゃん何をー!?」

「急ぐんでしょ!任せて!私、庶務だから!」

「けどこれは恥ずかしいっていうかなんて言うか…!?」

「大丈夫ー!私、庶務だから!」

「ちょぉおお!?サーバルちゃぁあああおろしてぇええええ……」

と土けむりあげる勢いでかばんをお姫様抱っこしたままのサーバルが駆け去っていく。

 

「なんかかばんちゃんのところは相変わらずだねえ。」

「ほんとだねえ。」

ほっこりした笑みで手を振りながら見送るともえと萌絵。

 

「それじゃあ、イエイヌちゃんも一緒に学校いこ。いいよね、ラモリさん。」

「アア。イイ機会ダ。俺ガ校内デモ、イエイヌに着イテイヨウ。」

そうして三人は学校へと向かう事になったのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

登校途中、昨日イエイヌとともえが出会った公園を通り過ぎる三人。

 

「萌絵お姉ちゃん、ここ、ここでイエイヌちゃんと会ったんだよっ。」

と楽しそうに萌絵の周りをくるくると回るともえ。

しかし、当のイエイヌはというと、ピタリ、と足を止めたかと思うと公園の方をじっと見ている。

 

「「イエイヌちゃん?」」

二人も足を止めて振り返るが、それでもイエイヌは反応を返さない。

 

それどころか、グルルル…、と牙を剥きそうな険しい表情で公園の方向を睨みつけるイエイヌ。

「ともえさん。萌絵さん…。わたしの後ろに。セルリアンです。」

と公園の方を向いたままのイエイヌに

「「セル…リアン?」」

と何のことかわからないのかきょとんとした顔を揃ってするともえと萌絵。

 

「もしかして…こっちの世界にセルリアンっていないんですか…!?」

イエイヌの頬に一筋の汗が流れる。

「うん…、初めて聞くけどセルリアンってなに?」

ともえが小首を傾げるようにする。その言葉にますますイエイヌの緊張が高まる。

セルリアンがいない、という事はそれと戦う方法も知らないということだ。

自分の勘違いならいい、と微かな期待を込めてイエイヌはもう一度鼻を鳴らして周囲の匂いを嗅いでみる。

 

「でもこの匂い…。間違いない…。セルリアン…。しかも囲まれてる…。」

 

ともえと萌絵の呑気さとは対照的にイエイヌの焦りはどんどん深くなっていく。

「ともえさん、萌絵さん、こっちです!広い場所へ!」

「ええー!?ちょ、イエイヌちゃん、学校はー!?」

「後で!」

「ええええ!?」

と思わぬ強引さで腕を引かれる二人は朝早くでまだ人気のない公園へと入っていく。

芝生の広場の中心まで進む三人。その後ろにラモリさんがピョインピョインと飛び跳ねながら着いていく。

 

「ここなら不意打ちはされません…。後はわたしの体力がもてばいいだけです…!」

 

四足獣のように四つ足の体勢で牙を剥き周囲に警戒の視線を向けるイエイヌ。その姿にともえと萌絵は戸惑うばかりだ。

やがて、物陰からピョインと青い小型セルリアンが一匹現れる。

 

「あれがセルリアン…?見た目はなんかかわい…」

ともえの言葉が終わるより早くイエイヌが矢のような速さで飛び出して

「ドッグバイトォ!」

あらわれたセルリアンに肉薄。そのまま一瞬で『石』を握りつぶすようにしてキューブ状の欠片へと還してしまう。

 

「倒しちゃった…。」

と呆けているともえと萌絵…。一匹が終わったと思えば、続けて一匹、二匹、と次々とセルリアン達が物陰から現れる。

やがて両手の指でも数えきれない程の数がともえ達を取り囲むかのように湧きだしてくる。

「ちょ…なんか数が多いとさすがになんか怖いっていうか…。なんていうか…。」

「怖いなんてもんじゃないです。そのままでいたら食べられますよ!お二人は出来るだけ中心にいてください!わたしが戦います!」

 

言うが早いかイエイヌは二人を中心に置いてその周囲を駆け回る形で次々と小型セルリアン達をサンドスターへと還していく。

 

「食べられ…ええ!?こいつらってそんな怖いの!?」

「はい!わたしのいた世界ではコイツらに食べられて元の動物に戻ってしまったフレンズが何人もいます!」

爪の一撃をセルリアンに食い込ませてそのまま別のセルリアンに投げ飛ばしてぶつけて二体同時にやっつけるイエイヌ。それでも…数が減るどころかどんどん湧き出してくるセルリアン。

 

「まだまだああああああああああああああっ!!」

ぐるぐるとともえと萌絵を中心とした大きな円を描くように疾走するイエイヌ。進路上のセルリアン達を鎧袖一触でサンドスターへ還していく。

「すごっ!?イエイヌちゃん強っ!?」

「うん…。でもあれじゃあイエイヌちゃんの体力が…。それに少しずつ押し込まれてる…。」

イエイヌの描く円が少しずつ半径を狭めていっている。あまりにも湧き出してくるセルリアン達の数が多すぎるのだ。

 

円が狭まった分だけセルリアン達がともえと萌絵に近づく。

「くっ……!キリがありません…!なんでこんな大量のセルリアンが…!」

とうとうともえと萌絵のいる円の中心まで押し込まれてしまうイエイヌ。

「ハァハァハァ……数が多すぎる…。」

イエイヌが振り返ると不安そうな表情で身を寄せ合うともえと萌絵。

 

「もういいよイエイヌちゃん!イエイヌちゃんだけでも逃げて助けを呼んできて!」

ともえの悲痛な叫びがイエイヌの背中に届くが…。

「いいえ。ヒトを守るのはわたしの使命…。絶対にここで退くわけにはいきません…!」

再び体勢を低く四足獣のように構えをとるイエイヌ。

 

「それにですね…。楽しかったんです。わたし、昨日の夜は本当に楽しくて、わたしはずっとこういう暮らしがしたかったんだって。そう思えました。だから、だから絶対に守ります。逃げたりなんてしません。」

「イエイヌちゃん…。」

その背中になんと声を掛けていいのかわからず手を伸ばすも言葉が出てこない萌絵。

 

「そんなの…。そんなのアタシだって一緒だよ!今日は一緒に学校いって帰ってまた一緒に寝て明日も明後日もイエイヌちゃんと一緒にいるんだから!」

ともえがそう叫んだとき、肩にかけていた鞄からサンドスターの輝きが漏れ出ている事に気が付く。

「へ?一体なに?」

鞄を開けると光を放っているのはスケッチブックで…パラパラと勝手にページがめくれるようにして、昨夜描いた笑顔のイエイヌのスケッチでページが止まる。

さらにスケッチブックが輝きを増してともえの身体を包み込む。

やがて、光が治まると、そこには…

イエイヌの衣装に似た服をまとったともえが立っていた。

しかし…。

「ええと…ともえちゃん…。さすがにその格好はちょっとエッチいんじゃないかなって…。」

スカートがイエイヌのものより短く、ニーソックスで絶対領域を形成しているのはまだいい。

カーディガン部分が短くておへそが丸出しだ。

 

「いやいや、萌絵お姉ちゃん問題はそこじゃなくない!?」

そう、ともえが突然着ている服がイエイヌの物によく似た衣装になっていて、しかも犬耳とふさふさの尻尾まで生えているのだ。

「あと…。これ、格好だけじゃないかも…!」

ともえはそばに忍び寄って来ていた小型セルリアンに綺麗な回し蹴りを叩き込むと…パッカーン!と見事にキューブ状のサンドスターへと還る。

「なんだかよくわかんないけど、すっごい力が湧いて来てるの。多分今なら一緒に戦えるよ!」

むん、っと拳を握りしめてみせるともえ。しばらく驚いたようにともえを見ていたイエイヌだが…。

「何が起こったのかよくわかりませんが、ですが助かります。でも…二人で戦っても相手がこの数じゃあ…。」

 

「ヨッシ、セルリアンとヤラの解析完了ダ。」

と、それまで沈黙していたラモリさんが話はじめる。

「本当?ラモリさん。」

「アア。俺ノ言う通りニスレバ勝てるゾ。」

自信たっぷりといった様子で頷いてみせるラモリさん。

「イイカ。本体ガ小型のヤツを生みダシテイル、ダカラ本体を叩けば一発逆転ダ。」

「うん、なんかほんの少しだけ匂いが違うヤツがいる。もしかしてそれが本体ってヤツかな。」

「言われてみれば確かに…。ともえさん、よくわかりましたね。」

「なんかこの格好になってから匂いの違いもよくわかるようになってるんだよね。」

イエイヌとともえはお互いの顔を見合わせてうん、と一つ頷きあう。

 

「ともえちゃん、イエイヌちゃん、こっちは大丈夫だから行ってきて。」

「オウ。チョットの間ナラ試作多機能アームで萌絵を守レル。」

「わかった、じゃあ…。」

「はい!行きましょう!ともえさん!」

「うん!」

 

今度は二人で矢のような速度でセルリアンの群れへと突っ込むともえとイエイヌ。

その先に少しだけ匂いの違うセルリアンがいる。

 

「先にいって雑魚を引きつけます!ともえさんはアイツを!」

「わかった!任せて!」

「『石』を狙って下さい。それさえ砕けばセルリアンを倒せます!」

「『石』だね。うん、わかるよ。アレだね。」

 

イエイヌに負けるとも劣らぬ速度で疾るともえ。イエイヌはさらに速度をあげて横に逸れていく。

「さあこいセルリアン!こっちですよ!あぉおおおおおおおおおおおおおん!」

と遠吠えのように吠えてセルリアンの注意を一手に引き受けるイエイヌ。

小型セルリアン達が遠吠えしているイエイヌに殺到するが、そうすることでちょうど本体と思しき匂いの違うセルリアンまで道が開ける。

 

「ようし!後は任せて!」

ともえがその道を駆け抜けて一気に本体へ肉薄。

「!?」

焦ったように驚愕を見せるセルリアンがともえに反応するよりも早く、一瞬でセルリアンの背後に回りこむともえ。

「ワンだふるアタァアアアアアアアアアアック!」

サンドスターを纏った手で本体セルリアンの『石』を握りつぶすようにして砕く!

 

パッカアーン!

 

と本体が砕け散って、少し遅れて周囲に溢れていた小型セルリアン達も次々と砕け散っていく。

周囲にサンドスターの輝きが満ちる中…。

「あ。戻った。」

と元の制服姿に戻るともえ。

「うーん、残念。スケッチしたかったなあ…。」

「お二人とも。無事ですか?怪我とかはしませんでしたか?」

「それはこっちのセリフじゃないかなあ。イエイヌちゃんも平気だった?」

 

ペタペタとイエイヌの身体を確かめるように触れる萌絵。

「はい、問題ありません。」

「さっきのって一体何だったんだろうね…。それにセルリアンっていうのも…。」

と制服姿に戻ったともえも萌絵たちのところに戻る。

 

「確カニ気にナルダロウガ…ソレヨリモお前達。学校はイイノカ?」

ラモリさんの言葉にともえと萌絵はハッと顔を見合わせて

「「遅刻しちゃう!?」」

と二人して慌てはじめる。

 

「もっかい!もう一回さっきの変身みたいなヤツー!?あの速さなら絶対間に合うー!」

「ともえちゃん…。そうそうあんな不思議な事は出来ないんじゃ…。」

「あ、出来た。」

「って出来るのー!?」

再びイエイヌの服に似た衣装に変身したともえ。

 

「じゃあイエイヌちゃんはラモリさんをお願い!アタシは萌絵お姉ちゃんを抱えて運ぶから!」

「わかりました!」

「ちょ、ともえちゃん!?お姫様抱っこは憧れだったけどお姉ちゃんにも心の準備的なものがー…ってひゃあああああああっ!?」

変身したともえが萌絵をお姫様抱っこで抱えるとそのまま凄まじい勢いで駆けだすのだった。

 

 

その日、ジャパリ女子中学校では生徒会長がパートナーにお姫様抱っこされて登校してきた、という噂から

学校いちの成績優秀才女遠坂萌絵が転校生らしき謎の犬耳美少女にお姫様抱っこされて登校してきた、という噂に上書きされて

二つが混じりあってなんかえらい事になったのだった。

 

けものフレンズRクロスハート 第1話『パートナー』

―おしまい―

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話『その名はクロスハート』(前編)

前回までのけものフレンズRクロスハートは!

ヒトがいなくなって荒廃したジャパリパークで暮らしていたイエイヌはオイナリサマによって別世界へと飛ばされた。
そこで出会った少女、ともえとその家族。
幸せな暮らしが始まると思いきや、突如現れたセルリアンが襲い掛かってくる。
絶対絶命かと思われたその時、ともえが何故かイエイヌと同じような衣装に変身してしまった。
二人でセルリアンを倒す事に成功したともえとイエイヌ。
安心したのも束の間、学校に遅刻しそうなのを思い出すのであった。

登場人物紹介

名前:遠坂 ともえ
特技:スケッチ 運動全般
好きな物:動物 フレンズ 家族
ジャパリ女子中学校に通う2年生。
ちょっとお転婆でドジなところもあるけれど元気印で誰とでも友達になれちゃう明るい女の子。
別な世界からやって来たというフレンズのイエイヌと出会った事で不思議な力に目覚めちゃった!?
なお、口癖は「めっちゃ絵になるぅー!」である。


名前:遠坂 萌絵
特技:スケッチ お勉強全般
好きな物:動物 フレンズ 家族
遠坂ともえの双子の姉でジャパリ女子中学校に通う2年生。
ちょっとのんびり屋さんなところはあるけれど、その頭脳は明晰。なんと既に外国の大学の卒業資格をとってしまっている程。
さらに母親譲りで家事全般も得意。
反面、運動はとても苦手。身体も丈夫な方ではない。
時々お姉ちゃんぶっちゃう時がある。
なお、口癖は「ほんとに絵になるぅー!」である。

名前:イエイヌ
特技:お湯に葉っぱ入れたヤツを淹れる 超嗅覚
好きな物:ヒト
別な世界、ヒトがいなくなって荒廃したジャパリパークからやってきた犬のフレンズ。
ヒトに尽くす事が無上の喜びであったがヒトのいない世界で報われぬ日々を送っていたところオイナリサマによってこの世界に送られてともえ達と出会う。
嗅覚に優れて持久力も高い。



「ま、間に合ったあー。」

 

案外思ってたよりも早くに学校に辿り着けたともえと萌絵とイエイヌの三人とラモリさん。

 

「もうー。途中注目の的だったよー?お姉ちゃん恥ずかしかったんだから。」

「ごめんごめん。」

とイエイヌの衣装から元の制服姿に戻っているともえ。

 

ともえは遅刻回避の為、変身して萌絵をお姫様抱っこで抱えて通学路を猛烈なスピードで駆け抜ける、という荒業に出たのだった。

途中通学中の生徒達の注目を集めてしまったのは言う間でもない。

 

「とりあえずこっちだよ、イエイヌちゃん。まずは学校はいろ?」

気を取り直して、といった様子でイエイヌの手を引いて歩き出すともえ。

すると、昇降口から校内に入ったところで一人の真っ白なキツネのフレンズが三人を待っていた。

 

「おはようございます、遠坂姉妹。その後ろの犬のフレンズが今日の見学者ですか?」

「あ、オイナリ校長先生、おはようございます。」

 

挨拶を返すともえ達の後ろからひょこり、と顔を覗かせるイエイヌ。その姿を見ると…。

 

「お、オイナリサマ!?」

と驚きの声をあげる。

「うん?どこかであった事あったかしら?でも様付けで呼ばれるような偉いフレンズじゃないよ。ここの校長先生だから偉いは偉いんだけどね。」

と不思議そうにイエイヌを見つめるオイナリ校長。その様子から

「別人…なんでしょうか……。ああ、その、ごめんなさい。フレンズ違いだったかもしれません。」

そう判断したイエイヌ。とりあえず頭を下げてみせる。

 

「オイナリ校長先生、こちらイエイヌちゃんです。いまウチで仮保護中なんです。」

「うんうん、じゃあうちの学校に通う事になるかもだね。今日は他の先生の手が空いてないから私がイエイヌさんを案内するよ。」

「あ、ええと。はい。よろしくお願いします。」

「俺もイエイヌに着イテイクゼ。ヨロシクなオイナリ校長。」

イエイヌがもう一度あらためてお辞儀をしてその腕の中に再びラモリさんがピョインと飛び込み納まる。

 

「じゃあ遠坂さん達、イエイヌさんはお昼には一度二人のところに帰すからね。二人はちゃんと授業受けるんだからね。」

「はい、オイナリ校長先生、イエイヌちゃんの事よろしくお願いします。」

萌絵がオイナリ校長にイエイヌを預ける前にこそっと耳打ちする。

「イエイヌちゃん…。一応、イエイヌちゃんは生まれたてのフレンズって事にしておいてね。もしわからない事とかがあっても生まれたてでわからないって事にできるからね。」

「あ、はい。わかりました。別な世界から来たの内緒ですね。」

短くコショコショと内緒話をしてから来客用のスリッパを履いてオイナリ校長の後に続くイエイヌ。

 

「さ、ともえちゃん。アタシ達も教室にいこ?」

「うん、そうだね。」

 

と揃って下駄箱をあけるともえと萌絵。

すると…

どささー。と音を立ててともえの下駄箱から手紙が落ちてくる。

 

「あー…二年生に上がってから今日も大漁だねえ。殆どが後輩ちゃん達からかなあ?」

下駄箱から落ちてきた手紙はどうやらファンレターとかそういう類のものらしい。

「ここ、女子校だからー!?こんなにお手紙貰ってもどうしていいのかわかんないからー!?」

「まあまあ。ともえちゃんファンクラブの会員規定でラブレターは本人が凄くこまっちゃうから下駄箱に入れるの禁止になってるの。だからあんまり難しく考えないで読んであげたらいいと思うな。」

「なんで萌絵お姉ちゃんはそんな事しってるのー!?」

「アタシが会長だから。」

といい笑顔で親指立ててみせる萌絵。

 

「もう、何が何やらどうなってるの…。」

「この前ブログも立ち上げたの。見てみる?ともえちゃんが運動部の助っ人にいくスケジュールとかのお役立ち情報も載ってて必見だよお。」

「いつの間に作ったのー!?」

色々とツッコミたいけど、ともえも朝からの怒涛の展開でそろそろ考えるのが疲れてくるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

そんなこんなでようやくお昼。

イエイヌとラモリさんも戻って来て今日は人気の少ない中庭の芝生でお弁当を広げる事にした三人とラモリさん。

 

「で、イエイヌちゃんはオイナリ校長先生とどうだった?」

「特に問題ナク過ごしてイタゾ。」

「はい。学校の中を案内してもらったんです。ともえさんと萌絵さんが授業っていうのをしてるのもこっそり見たんですよ。萌絵さんが黒板に文字書いてるの見ました!」

「あはは、今日当てられてたのちょうど見られちゃったかあー。」

「はい!オイナリ校長先生が難しい問題だったけどよく解けたって褒めてましたよ。」

ぶんぶん、と尻尾を揺らすイエイヌ。自分が褒められたかのように嬉しそうだ。

 

「いいないいなー!萌絵お姉ちゃんイエイヌちゃんにいいとこ見せられていいなー!」

「ともえちゃん。次の授業は体育でしょ?体育はともえちゃんの独壇場じゃない。イエイヌちゃんも見においでよ。カッコイイともえちゃんが見れるよお。」

「はい!カッコイイともえさん見たいです!」

とキラキラした目でともえちゃんを見つめるイエイヌ。尻尾がやっぱりぶんぶんと揺れてる。

 

「ようし!それじゃあ午後の体育はイエイヌちゃんの為にめっちゃ頑張っちゃおうかなっ!」

 

むんっと気合を入れてみせるともえに萌絵とイエイヌはおーっと小さく拍手を送る。

 

「で、話はかわるんだけどね?今朝のあれって何だったのかなあ。夢ってわけじゃなかったんだろうけど…。」

「あー。うん。セルリアンっていうのもそうなんだけど…。アタシがイエイヌちゃんみたいな格好になってたアレ。変身って言っていいのかなあ?」

「うん、ともえちゃん自身はわかんなかったかもだけど、髪の色とかまでイエイヌちゃんみたいになってたよ。まずは変身って呼ぶ事にしとこう?」

やはりともえがイエイヌの格好になって凄い力を発揮したあの現象は落ち着いて考えてみてもよくはわからなかった。

 

「ソレとダ。生徒達の噂話ナンダガナ?かばん生徒会長のと混じってエライ事ニなってるガ…、ともえガ萌絵ヲお姫様抱っこシテ登校シタっていうのは一つもナイゾ。」

 

と、しばらく考え込む三人とラモリさん。

 

「つまり、あの格好の時のともえちゃんはともえちゃんだって認識されてなかったって事かあー。」

萌絵がポムと手を打つ。

「あとねあとね、あの格好の時はすっごい力が湧いて来て匂いの違いとかもよくわかって…。」

「そうですね、あの時、本体セルリアンの匂いに一番最初に気づいたのともえさんでしたもん。」

「これってどういうことなのかなあ…。お姉ちゃんわかる?」

 

ともえとイエイヌの二人に見つめられてうーん、と萌絵は考え込む。この中で一番頭脳労働が得意なのは何と言っても萌絵なのだ。

 

「あのね、多分だけど、ともえちゃんはイエイヌちゃんの元になった動物の特徴を使えたんだと思う。」

「私の元の動物…。犬ですよね。」

「そう、匂いを嗅ぎ分けるのが得意で体力もあって…。多分そうだと思う。」

うん、と一つ萌絵は頷いてから

「とりあえず名前がないと不便だし、イエイヌちゃんの格好してたともえちゃんはイエイヌフォームって呼ぼうか。」

「なにそれヒーローみたいでカッコイイ!」

「そうだねえ、で、朝みたいに変身は自由に出来たりするの?」

「えっとね、スケッチブックがあれば。これのイエイヌちゃんの絵を見てたら何となく、こうイエイヌちゃんと心がね?つながったーって感じがしてね…、変身できる気がしたの。」

「相変わらずともえちゃんは破天荒だけどすごいねえ。」

 

しばらく萌絵はやっぱり考え込み、それをイエイヌとともえはじーっと見守る。

 

「よし、じゃあ条件付けをしちゃおう。」

「「条件付け?」」

とともえとイエイヌはハテナマークを頭に浮かべる。

「えっとね、今朝みたいに思っただけで変身しちゃったら大変でしょ?例えば体育の授業中とかにふと思ったら変身してましたってなったら大騒ぎだよ。」

「そっかー…。それもそうだね…。で、条件付けってどうしたらいいの?」

「要はこれをしたら変身する!って行動を決めちゃうの。合言葉みたいなものだね。まずスケッチブックを開いてイエイヌちゃんのページを開いてね?」

「「ふんふん…。」」

「で、合言葉を唱えるの。それが変身の合図。ともえちゃんは何か候補みたいなのある?」

「うぇええ!?急に言われても…。」

「だよねえ…。」

 

と二人して腕組みで頭を捻るともえと萌絵。

 

「あのあの…、さっきともえさんが心が繋がった感じがしたって言ってましたよね?」

「うん。あの時そんな感じがしたんだよ。上手く言えないんだけど…」

「実は…わたしも少しだけ似たような感覚があったんです。戦ってる中での気のせいかとも思ったんですが…。」

 

それを聞いてしばらく考え込む萌絵。

 

「こころ…繋がる…重なる…、コネクト…ううん…クロス。心は…ハート…。クロスハート、っていうのはどうかなあ?」

「おおおお!?なんかかっこいいね!?ほんとに変身ヒーローみたいだよっ!」

 

早速立ち上がってイエイヌの描かれたページを開いたスケッチブックを小脇に抱えつつシュバッっと腕を伸ばし変身ポーズのともえ。

 

「変身っ!クロスハート、イエイヌフォームっ!」

と、一瞬でサンドスターの輝きとともにイエイヌ風の衣装になって犬耳と尻尾も生えているともえ。

「「おおー。」」

と二人してパチパチ。

 

「てへへー。なんかちょっと恥ずかしいけど、でもこれ気に入っちゃった。」

と、制服姿に戻りながら頭の後ろをかきながら照れ照れのともえ。

「きっと使ってくうちに条件付けもピッタリハマってくると思うからいきなり無意識で変身するってことはないと思うよ。」

「そっかそっか!じゃあ午後の授業ではイエイヌちゃんにバッチリいいとこ見せてあげないとね!」

「はい!ともえさんのかっこいいところ、わたし、見たいです!」

と三人してキャイキャイとはしゃぎあっている。

 

「ナア、イエイヌ。アレはともえ達ニ見せナクテいいノカ?」

とラモリさんが訊いてくる。

「あ、そうでした…。でもまだ下手で恥ずかしいです…。」

「うん?なになに?」

ともえはイエイヌの様子に顔を近づけて覗き込むようにしてみる。ともえの顔が間近にきてイエイヌの色白の顔は一瞬で真っ赤に。

「あのですね…。オイナリ校長先生が字の書き方を教えてくれたんです。それで一緒に練習してくれたんですが…」

イエイヌは一枚の紙を取り出す。

そこには、まだ稚拙ながらも平仮名で『とおさか ともえ。 とおさか もえ。 とおさか はるか。 らもりさん。 いえいめ』と書かれていた。

「おおお!練習してたの!?しかもアタシ達の名前!嬉しい!えらい!!」

「もう、イエイヌちゃんってば本当に可愛いねえ!もうー!」

 

と二人にサンドイッチ状態で抱き着かれるイエイヌ。

「く、苦しいですよぉー…」

とは言いつつもイエイヌも尻尾が揺れて自然と笑みがこぼれてくる。

 

「ふむ。初めて文字を書いたにしては中々でありますね。ただ惜しい。『ぬ』と『め』が間違えております。」

その後ろから涼やかな声が響く。

ふと気づくとメガネをかけて頭に鳥の羽根をつけた女子生徒が一人立っていた。ピシリ、と制服を着こなしておりシワ一つない。

涼やかな目元とメガネのコントラストに銀色の長髪がよく似合っている。

そして、何よりやや短めのスカートからスラリと伸びた足が印象的だ。まるでそのまま雑誌のモデルにしても違和感がないくらいにスタイルがいい。

「あ、ヘビクイワシちゃん。こんにちわ。あ、この子はB組のヘビクイワシちゃん。生徒会の書記をしてるんだよ。」

「こんにちわ。ともえ君、萌絵君。それにキミがイエイヌ君でありますね?」

「はい、わたしイエイヌです。」

ペコリ、とお辞儀してみせるイエイヌ。ところが…

 

「そうでありますか…。ならば…!」

といきなりヘビクイワシと呼ばれた女子生徒の雰囲気がかわる。

 

―ゴウッ

と風を感じる程の怒気を見せるヘビクイワシ。

「ちょぉ!?どうしたのヘビクイワシちゃん!?」

「イエイヌ君…。キミがかばん君をイジメたというのは本当でありますか…?」

静かに怒りを堪えるかのように低い声で話すヘビクイワシ。鋭い眼光がイエイヌを射抜く。

「へ…?そんな事するわけないよ!」

とともえが前に出るようにしてイエイヌを庇う。

「ともえ君。キミには訊いていないのであります。どくのであります。」

「いいや、どかないよ。ちゃんと落ち着いてくれなきゃ。」

二人の視線が空中で絡み合いバチバチと火花を散らすかのようだ。

 

「どうあっても、でありますか…。」

「どうあっても、だね。」

睨み合うともえとヘビクイワシ。空気が張り詰め緊張が漂う。

「ならば……!」

くるり、とヘビクイワシはその場で華麗なターン。そこから鞭のようにしなるハイキックが飛び出す。

そのままでも鼻先を掠めるか掠めないか程度の間合い。この一撃はただの威嚇なのだろう。

だが、敢えてともえは、同じくくるり、とその場で同じようにターン。回転から同じくハイキックで迎撃!

二人の蹴り足が空中で交差する!

打点をずらしたお互いの蹴りは互いにダメージを与える事はない。だがこうなれば次は力比べだ。

蹴りの威力が高かった方がそのまま相手に押し勝てる…!

 

「やるでありますな。」

「そっちもね。」

バッとお互いに示し合わせたかのように蹴りの反動を利用して距離を離すともえとヘビクイワシ。

まずは前哨戦は引き分けのようだ。

お互いにニヤリとしてからダッ!と同時に相手に向けてダッシュ。間合いが詰まったところで、再びハイキックをお互いに繰り出す!

が……。

 

「はい、お二人とも、喧嘩はよくありません。」

バシン、とともえとヘビクイワシの間に割って入ってお互いの足を掴んで止めてしまうイエイヌ。

「まずヘビクイワシさん。お話はちゃんと聞きますから喧嘩はやめて下さい。」

「あ…うん。わかったのであります。」

とケンケン状態になっているヘビクイワシがイエイヌにコクコク頷く。

「それとともえさん。ヘビクイワシさんは全然本気出してないですよ。本気出してたらヒトのともえさんでは絶対大怪我してます。無茶しないで下さい。」

「え?」

「え?」

ヘビクイワシもともえも一瞬きょとんと?マークを浮かべる。その反応にイエイヌも

「え?」

と同じく?マーク。

 

「ねえねえ、ラモリさん。朝も思ったけどイエイヌちゃんって凄く強いよね。」

「アア。アレがアッチの世界のフレンズの標準なのカモナ。」

「じゃあイエイヌちゃん的にはヘビクイワシちゃんってもっと強いはずだーって思ってて…」

「ヘビクイワシ的ニハ普通に本気デともえトじゃれあってた、ト。」

とすっかり外野の萌絵とラモリがのほほーんと状況を見守っている。

 

「あとね、二人とも。スカートでそんな高く足あげるのはどうかなってお姉ちゃん思うな。見えちゃってるよ。」

という萌絵の指摘にヘビクイワシは慌ててスカートを抑える。

 

「あ、アタシはスパッツ履いてるから…」

「ともえちゃん…。朝少し寝坊して慌ててたでしょ。多分スパッツ履き忘れてるよ。」

「マジで…?」

「うん。水色と白のしm……」

「言わなくていい!?言わなくていいよぉー!?」

 

とヘビクイワシと同じように慌てて制服のスカートを抑えるともえ。

しかし、二人ともイエイヌが足をガッチリと掴んだままなので足が降ろせない。

「イエイヌちゃん、足、離してー!?」

「お二人とも、もう喧嘩しませんか?」

「しない、しないから離して!ね!?ヘビクイワシちゃん!」

「私も!喧嘩しないのであります!でありますから離してくださいー!?」

昼下がりの決闘はなんとも締まらない幕切れを見せるのであった。

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

ヘビクイワシの話をよくよく聞いてみるとどうやら今朝のお姫様抱っこ登校でこんがらがった噂話が原因らしかった。

今朝お姫様抱っこ登校を果たしたのは二人、かばん生徒会長と萌絵の二人である。

 

「それで、今朝からかばん君が元気がなかったのであります。噂話で誰かにお姫様抱っこで抱えられて登校した、と聞いてね。余程恥ずかしかったらしいのでありましょう。」

「あ、ちなみにそれサーバルちゃんなので今は関係ないよね。」

「ですね…。で、噂話を辿ったらどうやら犬耳の転校生らしき人物がお姫様抱っこで誰かと登校した、というのでてっきりイエイヌ君がかばん君に意地悪でもしたのかと早とちりしてしまって…。」

と芝生に正座状態で言うヘビクイワシ。隣にはともえが正座している。

 

「私の勘違いとはいえイエイヌ君には大変申し訳ない事をした!許して欲しい!」

深々と頭を下げるヘビクイワシにイエイヌは

「誤解が解けたようでよかったです。わたしは怒ったりしてないので頭を上げて下さい。」

とほにゃんとした笑みを浮かべて見せる。

 

「いい子でありますな。」

「いい子でしょ?」

「いい子だよねえ。」

と三人揃って頷くヘビクイワシとともえと萌絵。

 

「さ、誤解も解けたところでお昼食べないとお昼休みがなくなっちゃう!」

「ヘビクイワシちゃんも一緒に食べてく?お昼まだでしょ?」

「よいのでありますか?」

「もちろん。」

とお弁当を広げ始める三人。

 

「イエイヌちゃんはアタシ達の分けて食べようね。」

「ふむ。そういう事でありましたら私のミートボールもお一つどうぞ。秘伝のレシピを再現した自信作であります。」

あっという間にお皿がわりにイエイヌの前に置かれたお弁当箱の蓋には一人分のお弁当が出来上がっていた。

「んーっ、美味しいですぅー!」

と尻尾をぶんぶん振っているイエイヌ。

 

「喜んでもらえて何よりなのであります。イエイヌ君、こちらの卵焼きもどうでしょう。」

「あはは、そんなにあげてたらヘビクイワシちゃんの分なくなるじゃない。じゃあ、アタシのサンドイッチお一つどうぞー。」

「アタシのアスパラベーコン巻き食べてみるー?美味しいよー。」

 

ちなみに、心配していたともえのお弁当も幸いにしてそれほど型崩れしていなかった。

四人の賑やかなお昼タイムはあっという間に終わり…4分の3ずつだったけど、4人で満足そうに一息ついて

「「「「ごちそうさまでした」」」」

と皆で声を揃える。

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

萌絵が水筒に入れていたお茶を皆に配って食後のティータイム。

 

「まだ少し時間がありますな。それならイエイヌ君。お詫びといっては何ですが私でよかったら字の練習に付き合いましょうか。」

「いいんですか!?」

ヘビクイワシの思わぬ提案に尻尾を揺らすイエイヌ。

 

「よかったね、イエイヌちゃん。ヘビクイワシちゃんの書く字ってめっちゃキレイだもんね。」

「うんうん、さすが生徒会書記だよねー。」

ともえと萌絵もそれに嬉しそうな笑顔を見せる。イエイヌが嬉しそうだと自分達も嬉しいのだ。

 

「ヘビクイワシさんってどんな字を書くんですか?」

「うん?そうだね。私のはこんな字でありますよ。」

と持っていたノートを差し出して見せる。

 

「アタシ達も見てもいい?」

って興味津々な様子のともえと萌絵。

「あー…そ、それはちょっと恥ずかしい…いや、いっそ見てもらった方がいいのでありましょう。イエイヌ君のみならずともえ君にも萌絵君にも迷惑をかけてしまったわけでありますし…。」

しばらく逡巡してみせるヘビクイワシだったが、一人ぶつぶつと言ってともえと萌絵にも頷いてみせるヘビクイワシ。

早速三人でヘビクイワシから渡されたノートを見てみる。

 

「ふわぁー…。綺麗な字ですねえ。上手です。」

と綺麗に書かれた文字に感嘆の声をあげるイエイヌ。

「ふふ、ありがとうイエイヌ君。キミならすぐに上手な字が書けるようになるでありましょう。」

 

ともえと萌絵はというと…。

「ねえ、これって…小説…?」

「それにこれってかばん生徒会長とサーバルちゃん…?」

そのノートに綺麗に書かれた文字は

「これはかばん君とサーバル君の様子を記録したものであります…。」

モジモジと赤くなりながら言うヘビクイワシ。

 

「へえー!すごいね、読んでるだけで情景が目に浮かんでくるようだよー!」

「うんうん。相変わらずかばん生徒会長のところは仲良しだねえ。」

と二人してほっこりとした表情でノートを読む。

「笑わないのでありますか…?」

 

「へ?なんで?凄いとは思うけど、どこか笑うようなところある?あ、でもこの日のサーバルちゃんはドジだったねー。これは笑っちゃうかも。」

「あはは、でもともえちゃんも意外とサーバルちゃんの事を笑えない時があるから気を付けないとねえ。」

「そんな事ないよっ。」

ともえはぷくーっとほっぺを膨らませてみせるが、そのほっぺを指でツンツンしつつ萌絵が…

「水色と白の縞々。」

と告げると再び真っ赤になるともえ。

「それは忘れてえええええええ!?」

とじゃれあいながらヘビクイワシのノートを読んでるともえと萌絵。

 

「私はてっきり引かれるか、笑われるかすると思ったのであります…。」

まだ信じられない、というようにヘビクイワシは二人の様子を眺め、ポツリと呟く。

「そんなことないよ。これ見てるとヘビクイワシちゃんがかばんちゃんとサーバルちゃんの事を大切に見守ってるんだなーってよくわかるもん。」

「わかるよー。あの二人って見てるだけでも癒されるっていうかほっこりできちゃうっていうか…ねー。」

って頷きあうともえと萌絵。

 

「ああ、そっか。だからかばんちゃんの事であんなに怒ってたんだね。」

とようやく納得がいった、というようにヘビクイワシに頷くともえ。

「うぅ…。私とした事が噂に惑わされるなんて…。あの時はすっかり頭に血が上ってしまっておりました…。」

「もう気にしなくていいんですよ、ヘビクイワシさん。」

申し訳なさそうにしているヘビクイワシの頭をイエイヌが撫でてくれる。もうすっかり仲良しという風だ。

 

「そうだ…!この日とかさー、こんな感じだった?」

ノートを見ていたともえはやおらスケッチブックを取り出すと、それに凄まじい勢いでシュババ、と何事か絵を描いていく。

そこにはかばんちゃんとサーバルちゃんが描かれている。

「ヘビクイワシちゃんのノートを見てて頭に浮かんだ情景を描いてみたんだけど…。」

「ふぉおおお!?ともえ君!まさにこんな感じでありましたよ!」

とキラキラした目でともえに詰め寄るヘビクイワシ。

 

「いやあ、文字で記録するのもよいのですが、こうして絵で見返せるのも素晴らしいものでありますなあ…。」

と感動したようにうっとりとするヘビクイワシ。

「あの日のサーバル君は……ふふ。面白かったのでありますよ…。」

とその絵を見ながら思い出したように綻んだ笑顔を見せるヘビクイワシ。

それを見ていたともえと萌絵が何かが直撃した表情で固まって…

 

「いい!いいよー。ヘビクイワシちゃん!その笑顔めっちゃ絵になるぅー!」

「ほんとだね!普段はクールなヘビクイワシちゃんのその笑顔!ほんとに絵になるぅー!」

と二人してシュバババ!とスケッチブックに絵を描きはじめるともえと萌絵。

でもって、出来上がった絵をスケッチブックごと交換。お互いの絵を食い入るように見つめて無言でお互いの手のひらをパシンと合わせてハイタッチ。

 

「そうだ。ヘビクイワシちゃん。今日は美術部の活動日だからさ、後で放課後部室においでよ。他にも絵描いてみたいし!」

「い、いいのでありますか!?」

「うん、アタシももう少しそのノートの絵描いてみたくなっちゃったし。」

「わかりました!生徒会の仕事があるので少し遅くなるかもしれないでありましょうが必ず行きます!」

とすっかり仲良くなったともえ達とヘビクイワシであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

ここは旧校舎。古くなった校舎を倉庫がわりにしている。

普段は殆ど人気のない場所で様々な備品が納められている。

ただただ静寂のみが支配し、ホコリが舞う場所だ。

そんな静寂の中で

―ボコリ

と何かが泡立つような音が響く。

続けて床から湧き出してくる黒い水のような何か。

それは小さな水たまりくらいの大きさになるとウゾウゾ…と

ホコリを被る備品の一つへと向かう。

それはテント用の骨組みとなる鉄棒だ。

紐で一つにまとめられたテント用骨組みにウゾウゾと絡みつく黒い水のような何か。

それはどんどんと大きさを増していくのだった…。

 

―後編へと続く。




セルリアン情報公開

第1話登場セルリアン 『レギオン』
見た目はただの小型セルリアンだが自身と同じセルリアンを分裂して生み出す能力をもつ。
戦闘能力は高くないが、本体を倒さない限り無限に湧き続けていつか獲物を捕食してしまう。
どうやって本体を見つけ出して倒すのかが攻略の鍵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話『その名はクロスハート』(後編)

登場人物紹介

名前:ヘビクイワシ
特技:書道 空手
好きな物:記録する事 生徒会メンバー
ジャパリ女子中学2年生。
凛とした雰囲気の鳥系フレンズ。身長も高くスラリと伸びた足が印象的なモデル体型。
長い銀髪にメガネをつけたクールな印象を与える顔立ち。
生徒会に所属しており、会議の進行から議事録の作成まで一手に引き受ける。
また文武両道で習っている空手の腕前も中々のもの。
その長い脚から繰り出される蹴り技は多彩の一言だ。
密かに女子人気も高く、ヘビクイワシファンクラブも存在する。


午後の体育の授業でともえがめちゃくちゃ張り切ったり、うっかりサッカーの授業でオーバーヘッドキックでゴール決めてみせたり、でもってその活躍でまたともえちゃんファンクラブの会員が増えたりしつつ午後の授業も終わって放課後。

ともえと萌絵とイエイヌの三人とラモリさんは美術部の活動場所である美術室へ集まっていた。

 

「イエイヌちゃん。ここが美術室だよっ。アタシと萌絵お姉ちゃんは美術部なんだー。」

ジャーンとでもいいたげな感じで手を広げてみせるともえ。

 

「へえ…なんだか嗅いだ事のない匂いが色々としますね…。」

「多分絵の具の匂いだね。油絵の具の匂いとか結構独特だから。イエイヌちゃんは平気?」

「はい。最初は少しびっくりしましたが慣れて来たら平気になってきました。」

「一応、換気ハ良くシテオコウ。」

「そうだね、ラモリさん。窓開けておくね。」

 

三人で窓を開けて回ると、そよそよ、と優しい風が通り抜ける。

 

「それじゃあ、今日の活動はヘビクイワシちゃんが来たら、ノートの記録を基に絵を描くって事でいいかなあ?」

萌絵は改めるように、パン、と手を打ってからともえとイエイヌを見る。

「さんせーい!イエイヌちゃんも一緒に描いてみる?ここには画材も揃ってるから。」

「あのあの、わたし、ちゃんと文字が書けるようになりたいですっ!」

「えらい、イエイヌちゃん!じゃあ、イエイヌちゃんの今日の部活は文字の練習にしようっ」

「わたしもブカツ…。ともえさんと萌絵さんと一緒にブカツ…えへへ…ブカツっていうのがなんだかよくわからないですけど一緒なの嬉しいです。」

イエイヌはほにゃんとした笑みで尻尾をぶんぶんと振る。

 

「もう!もう!本当にイエイヌちゃんは可愛いなあ!」

「ほんとにね!」

で、そんなイエイヌはともえと萌絵に抱き着かれて再びサンドイッチ状態にされちゃうのだ。

「もう…。お二人とも苦しいですよお…」

とは言いつつもイエイヌもすっかり慣れてしまったのか身を任せるようにして満更でもない様子。

 

と、イエイヌの顔がだんだんと笑顔から強張ってくる。

「どうしたの?イエイヌちゃん?」

そう心配そうに声をかけるともえに答えることなく窓に駆け寄るイエイヌ。外から入ってくるそよそよと優しい風に混じって微かに匂うのは…。

「セルリアンの匂い…。」

窓の外に鋭い視線を投げつつ鼻を鳴らすイエイヌ。間違いであってくれればいい。と、その願いは皮肉にも自慢の鼻が打ち消してくれる。

 

「それに…、この匂い。ヘビクイワシさんが近くにいるかも…!?」

「そういえばあっちの方って旧校舎がある方だよ…。今日、ヘビクイワシちゃんは生徒会のお仕事で旧校舎に備品とりにいくって…。」

ともえも一緒に窓の外を眺めて不安に顔を曇らせていく…。

「ダメです…そっちにいったら!ヘビクイワシさん!」

イエイヌは窓枠を掴むとバッ、とそのまま窓の外へと身を躍らせる。

「ちょ…!?イエイヌちゃん、ここ2階だよぉ!?」

突然窓の外へと飛び出したイエイヌに驚きの声をあげる萌絵。

イエイヌはというと特に気にした様子もなく着地、そのまま一直線に旧校舎のある方へと駆けだす。

 

「イエイヌちゃんっ!?萌絵お姉ちゃん、アタシ、追いかけるね!」

同じく窓枠に足をかけて近くの雨樋パイプへと飛びつくともえ。そのままスルスルと雨樋を伝って下に降りるとイエイヌを追って走り出すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

ヘビクイワシは旧校舎の前までやってきていた。今日はともえ達との約束もある。

手早く目的の備品を探し出して仕事を終わらせてしまおう。

そうしたら美術室にいこう。

一緒に好きなものの話をしよう。

絵、というものを教わるのも面白そうだ。

そうだ。イエイヌにも文字の書き方を教えてあげないと。

まだ稚拙だけれど一生懸命さが伝わってくる文字だった。

あれは磨けば必ず伸びる。

そんな取り止めのない思考で頭の中を一杯にしたまま旧校舎のドアに鍵を差し込むヘビクイワシ。

 

―カチャリ。

 

と鍵が開いて扉をあけた瞬間…。

 

―ザァアアアアアアアッ!

 

と扉から飛び出す真っ黒い奔流!

「え?」

と呆けた顔でその奔流の激突を受けるヘビクイワシ。

ぽぉん、とまるでサッカーボールか何かのように空高く弾き飛ばされる。

最初に青く広いいつもの空が見えて、弾き飛ばされるに任せたヘビクイワシ。

「え?」

まだ自身に何が起こったのか理解が追い付かない。

その身が下向きになった時、その目に飛び込んで来たのは真っ黒い大蛇のような何か。それが大口を開けて迫ってくる。

「ひっ…!?」

大きく開いた大蛇の口の闇のような口内が迫ってきて、ヘビクイワシはあまりの恐怖にその意識を失った。

 

「させるものですかぁあああああああああああっ!!」

そこに矢のように飛び込んでくるイエイヌ。咆哮と共に黒い大蛇へ体当たりをぶちかます!

 

―ゴォオオン!

鐘を打つような金属音が辺りに響く。黒い大蛇の頭がイエイヌの体当たりで傾いでヘビクイワシを喰らい損ねる。

 

「ヘビクイワシさんっ!」

そのまま空中でヘビクイワシをキャッチするイエイヌ。

「ヘビクイワシさん…。よかった気を失ってるだけです…。」

 

手近な木の影にヘビクイワシを横たえたイエイヌ。あらためて黒い大蛇セルリアンと向き合い対峙する。

「なんて大きさのセルリアン…。普段なら逃げないといけないところですが…。」

イエイヌは牙を剥き四つ足の構えをとって戦闘態勢に入る。

「ここで退けば学校が大変な事になります…。だから…!」

 

決意の言葉のかわりにイエイヌは

「あぁあああおおおおおおおおおおおおおんっ!!」

と学校中に響き渡るほどの遠吠えを一つ。

この遠吠えはウォーハウリングという。一時的にイエイヌの身体能力を高めるフレンズの技だ。

四つ足の体勢から、ザッ!とその場から掻き消える程の速度で一気に大蛇セルリアンの懐に潜り込むイエイヌ!

 

「ドッグバイトォ!!」

とサンドスターを纏った手を大蛇に叩きこみ、その身体を握り潰……せない!

「牙が通らない…!?」

そう、大蛇の身体が固すぎるのだ。

逆に近づいたイエイヌの周りをその身体で取り囲むように蛇の身体をくねらせるセルリアン。

そのまま捕まえて締め上げるつもりか。

 

「くっ!?」

 

さっと大きく距離をとって締め上げ攻撃を回避するイエイヌ。速度ではイエイヌの方が上だ。

鈍重な動きの大蛇セルリアンの攻撃なら十分にかわせる。だけど…

「決め手がありません…。」

例え『石』を見つけたとしてもそれに牙が通らなければセルリアンは倒せない。つまり…。

 

「わたし一人では…勝てない…。」

ギリリ、と悔しそうに歯を食いしばるイエイヌ。

 

「じゃあさ。二人だったらどうかな。」

静かな足取りで現れたのは、制服姿のともえ。

「一人でダメなら二人。二人でダメなら三人。イエイヌちゃんにはアタシも萌絵お姉ちゃんも、あとラモリさんもいるからね。」

そのままの足取りでイエイヌの隣に立ち大蛇セルリアンを睨みつける。

 

「変身っ!クロスハート、イエイヌフォームっ!!」

 

叫ぶと同時、持っていたスケッチブックからサンドスターの光が漏れ出てともえの身体を包み込む。

頭の上から犬耳がピョコンと生えて続けて尻尾がふわり。ニーソックスにアームグローブが両手両足を包み込む。

そして丈の短いカーディガンにミニスカートがそれぞれに纏わりついて首元から胴体にかけて赤いハーネスが結ばれてきゅ、っと服をフィットさせて胸元のささやかな膨らみを強調する。

最後に首元にネックウォーマーが巻き付きマフラー状に変化する。いつも使っている肩掛けを鞄に首を通して…。

「この間約0.02秒!」

と変身完了!

 

「ともえさん…。」

隣にともえがいる。それだけでイエイヌには心強い思いだった。

 

「それじゃあいくよ!イエイヌちゃん!」

「はい!ですが無茶だけはしないで下さいね!」

首を持ち上げるようにして二人に襲い掛かる大蛇。しかし、速さでは圧倒的に二人の方が上!

バッ、っとそれぞれに逆方向にかわして、大きく距離をとってから切り返し…。

「ドッグバイトォ!」

「ワンだふるアタァアアッック!」

とそれぞれに逆側から挟み込むように一撃!

 

―ゴォン!

 

と金属を打つ大音声が響く…が、

「なにこれ固すぎぃ!」

「はい、さっきからそれで攻めあぐねています!」

 

再び一度距離をとってから体勢を立て直す二人。

 

「それに『石』の場所もわかりません。」

「多分だけどね…。こいつの身体の中、空洞なんだよ。叩いた時、音が響いてたもん。」

「ということは、まさか…空洞の身体の中に『石』が!?」

 

二人の頬に一筋の汗が流れる。鉄のような固い皮膚に攻撃を通すだけでも大変なのに身体の中に『石』を隠されたのでは…。

 

「ともかく、『石』を見つけよう。叩いた時に音が違う場所に『石』があると思うの。」

「そういうことなら…わかりました!」

 

そこからは怒涛の攻めが始まる。

固く大きい大蛇セルリアンだがその動きは決して速くない。スピードで翻弄しながらまるで稲妻のように大蛇セルリアンを打ち続ける二人。

何度も鐘のような音が響き渡るが…、音の違う場所は見つからない…!

 

「くぅ…!このお!」

徐々に蓄積していく疲労に焦りを覚えたともえ。

今まで危険で攻撃してこなかった頭部への攻撃を敢行!

 

ついに…

―ガァン!

と大蛇の額部分で中身の詰まったような響かない音のする場所を発見!

 

「見つけた!あいつの額に『石』があるよ!」

が…

「いけません!ともえさん!」

蛇の頭部分は最も危険な場所だ。大蛇は身をくねらせて一度とぐろを巻いて身を縮める。

そしてまるでスプリングのように身体を伸ばしてともえに牙を剥く!

今までの鈍重さとは裏腹にバネのような動きでスピードを増した大蛇セルリアン!

かわせない…!

ともえも、そしてフォローに駆け寄っていたイエイヌもそう覚悟した刹那。

 

―ヒュゥ…

 

と大蛇セルリアンの目の前を紙飛行機が一つ、その場にそぐわないほどのんびりと飛んで横切る。

微かにサンドスターの輝きを帯びたそれを見惚れたように眺めて動きを止めてしまう大蛇セルリアン。

 

「た、助かったぁ…!」

と何とか距離をとって大蛇セルリアンの牙から逃れるともえ。

「もう、無茶しないで下さいって言ったじゃないですか!」

「うん…。今のはちょっと怖かった…。あの紙飛行機が飛んできてなかったら危なかった…。」

 

と冷や汗をぬぐうともえ。

 

「それより、次はあの『石』を砕かないとね。」

「はい…。ですがあのセルリアンには牙が通りません…。どうやって『石』を砕いたら…」

イエイヌのその疑問にともえはチラリ、と視線を横にやる。

その先には離れた位置で横たえられたヘビクイワシの姿がある。

 

「…。うん。あのね。イエイヌちゃん。考えがあるの。」

「わかりました。わたしは何をしたら?」

「一瞬でいいからあいつの頭の動きを止めて。アタシが『石』を砕く。」

「任せて下さい。ともえさん、そちらも今度は無茶しないで下さいよ。」

お互い頷きあうともえとイエイヌ。

 

「ああぁあああおおおおおおおん!」

再びウォーハウリングで咆哮を上げつつ大蛇セルリアンに突撃するイエイヌ。

 

ともえはというと、その場で肩掛け鞄からスケッチブックを取り出すと…、

「チェンジ…!クロスハート!」

叫ぶと同時スケッチブックからサンドスターの輝きが溢れて、パラパラ、と勝手にページがめくれる。

そしてヘビクイワシの絵が描かれたページで止まり…

「ヘビクイワシフォームッ!」

 

スケッチブックから溢れたサンドスターの輝きがともえの身体を包み込む。

両足にニーソックス。両腕に飾りの羽毛で出来た腕輪がまず装着される。

続けて頭にヘビクイワシと同じような羽根がピョコン、お尻から尾羽がそれぞれニョンと生えて来て、今度は膝下までを覆うピンクのブーツが装着。

そして白のミニスカートに軍服を模したであろう白のノースリーブジャケット。白のミニスカートと黒のニーソックスで絶対領域が形成される。

まるでマーチングバントの衣装のようにも見える。

そして肩掛け鞄に首を通して、腰にベルトが巻き付いて衣装全体を身体にフィットさせてラインが浮き彫りに。

最後にキラリン、と目元が光って下のみフレームのあるメガネが装着されて

「フォームチェンジ完了!」

 

ヘビクイワシフォームへと変身したともえ。ばさり、と頭の翼を動かして空へと舞い上がる。

イエイヌが下から、ともえが空から大蛇セルリアンに迫る!

二人のうちどちらから攻撃するべきか、逡巡を見せる大蛇セルリアン。その隙をイエイヌは見逃さなかった。

「いっけえええええええええ!!」

大蛇セルリアンの首元下に潜り込んだイエイヌ。残る力を全て注ぎこむ勢いでそのまま飛び上がるかのようにアッパーカット!

大蛇セルリアンの頭部を空へ向けて大きく伸ばす。

「今です!ともえさん!」

 

身体が伸び切った事で完全に動きを止めた大蛇セルリアン。そこに…

 

「せいやあっ!」

 

空から急降下ダイブで大蛇の額に綺麗な飛び蹴りを叩きこむともえ!

―ズドォオオオンッ!

と今度は大地に叩きつけられる大蛇セルリアン!しかし、それでも『石』は砕けない!

 

「一撃でダメなら二発目!それでダメでも『石』が砕けるまで…!蹴るのを止めない!!」

地面に叩きつけられた大蛇セルリアンを追ってさらに急降下のともえ。

「その身をもって記録するがいいでありましょう…!」

一瞬ヘビクイワシの姿がともえの身体にオーバーラップしピンクのブーツに包まれた足にサンドスターの輝きが集まる。

ともえの左右の瞳にそれぞれ宿っている碧の輝きと薄い桃色の輝きが増す。

 

「スタンプビィトォオオオオオオオオオッ!」

―ズガガガガガガガガガッ!

とまるでマシンガンのように大蛇セルリアンに降り注ぐともえの連続キック。

そのまま大地に大蛇の頭部を縫い付ける!

何度も何度も響く鉄を打つ音。

だんだんとその鉄の身体がひしゃげていき…

 

「砕けろぉおおおおおおおおおおっ!」

 

ついに…!

 

―パッカアアアアアン!

 

と『石』が砕けて大蛇セルリアンの身体もサンドスターへと還る。

「ハァハァ…や、やったあ…」

ぺたり、とその場に尻もちをつくようにして安堵の吐息を漏らすともえ。

 

「何とかなりましたね…。」

こちらも肩で息をしながらもともえの方にやって来るイエイヌ、そして…

「ともえちゃん、イエイヌちゃん、二人とも無事…!?」

とラモリさんを連れた萌絵もようやくやって来る。

「あ、萌絵お姉ちゃん…。さっきはありがとう。紙飛行機飛ばしてアイツの気を逸らしてくれてなかったら危なかったよ。」

「へ?紙飛行機…?ごめんね、いまようやくここまで来れたからアタシよくわからないよ…。」

と?マークを浮かべる萌絵。

「じゃあ…。あの紙飛行機って一体…。」

 

と辺りを見回しても誰かがいる気配は感じとれない。

 

「ってそれよりも今は…」

ふと、気が付いてヘビクイワシの元へ駆け寄るともえ。

 

「ヘビクイワシちゃん…無事?怪我はない?」

と抱き起すとうっすらと目を開けるヘビクイワシ。

「あ…。き、キミは誰でありましょう…?」

まだボンヤリとしたまなざしでともえを見るヘビクイワシ。

 

「あ…。アタシは…」

まだヘビクイワシフォームのまんまだった事を思い出したともえ。

「アタシの名前は…、く、クロスハート!そう、アタシはクロスハート!通りすがりの正義の味方だよっ」

「そ、そうでありますか…。クロスハート…。」

と再びガクリ、と気を失うヘビクイワシ。

 

「あっ、ちょお!?ヘビクイワシちゃん!?」

と再び慌てるともえ。萌絵もヘビクイワシのもとへやってきて、脈をとったり呼吸を確かめたり外傷を見る。

 

そして、ラモリさんも目からビーっとスキャンビームを出してヘビクイワシを調べる。

「うん、やっぱり気を失ってだけみたいだね。ね、ラモリさん。」

「アア。外傷モ見当たらナイゾ。」

 

とともえに頷いてみせる萌絵とラモリさん。

 

「よかったあ。」

「それよりともえちゃん。まずは変身解いた方がいいよ。さっきイエイヌちゃんが遠吠えしたじゃない?何人か先生方が様子見にこっちに来てるみたいだから。」

「うえ!?ど、どうしよう!?ヘビクイワシちゃんを置いていけないし…。」

「それなら倒れてるヘビクイワシちゃんを見つけてイエイヌちゃんが助けを呼ぶ為に遠吠えしました、って事にしたらいいと思うな。」

「さすが萌絵お姉ちゃん、かしこいっ!」

 

と言ってるところに遠くからこちらに向かってくる気配がある。

きっと様子を見に来た先生なのだろう。

あとは先生方に任せれば事件があった事すら知るのはごくわずかな人物だけだ。

こうして人知れず学校に現れたセルリアンはやはり人知れず倒されたのだった。

正義の味方、クロスハートの名が人々の噂に囁かれるのは、まだ先の事である。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

その後、ヘビクイワシは駆けつけた先生によって保健室に運ばれ意識を取り戻す。

特に目立った外傷もなく貧血か何かで倒れただけではないか、と判断され教師に送られて帰宅する事になった。

ヘビクイワシを見つけて遠吠えで助けを呼んだイエイヌは先生方から褒められる事になったのを付け加えておく。

 

そしてその夜…。

自宅にてすっかり元気を取り戻したヘビクイワシは日記を綴る。

今日あった出来事を一日の終わりに記録するのはヘビクイワシの大切な日課になっていた。

 

「それにしても、クロスハート…。夢だったのでありましょうか…。」

 

しばらく迷った後、ヘビクイワシはクロスハートと名乗った人物の事も思い出せる事を記録していく。

最後に今日一日の出来事を綴った日記を読み返してみて、今日は何か物足りない…。

やけにページの余白が気になるのだ。

しばらく迷ってから…

その余白にペンを走らせるヘビクイワシ。

普段は綺麗に文字ばかりの日記だが…今日は落書きが追加された。

それは拙いながらも特徴をとらえた4人の人物の落書き。

自分とイエイヌとともえと萌絵の4人だ。

「ふふ…。」

嬉しそうに微笑んでからヘビクイワシは満足そうに日記を閉じるのだった。

 

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第2話『その名はクロスハート』

―おしまい―

 




セルリアン情報公開


第2話登場セルリアン『アラハバキ』
鉄パイプを取り込んでセルリアン化した大蛇。
鉄の強度を誇る身体と重く巨大な身体が特徴。
パワーも凄まじく、このセルリアンに巻き付かれて締め上げられたら脱出は困難であろう。
パワーと防御に優れる反面、スピードは鈍重だ。
しかし、ここぞという場面ではスプリング状にした身体でバネのように繰り出す一撃で素早く攻撃を仕掛けてくる事もある。
そして厄介なのは空洞になった体内に弱点である『石』を隠している事。
いかにしてその固い防御を破って体内の『石』を砕くかが攻略の鍵である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話『紙飛行機の君』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

学校へとやってきたイエイヌとともえと萌絵の三人。
イエイヌが学校見学を満喫していたところ生徒会書記のヘビクイワシとひょんな事から諍いが発生してしまう。
なんだかんだですっちゃかめっちゃか喧嘩しても仲良しになったヘビクイワシとともえ達。
そんな新たな友人ヘビクイワシが人気のない旧校舎でセルリアンに襲われてしまう。
駆けつけたイエイヌによって、からくもヘビクイワシは難を逃れる。
しかし、鉄のような固い身体をもつ大蛇セルリアンに苦戦を強いられるともえとイエイヌ。
焦ったともえはあわや大蛇セルリアンに飲み込まれかけるも、そのピンチを救ったのは唐突に飛んできた紙飛行機だった。
何とかピンチを脱出したともえは新たな力、ヘビクイワシフォームへと変身して大蛇セルリアンを倒す事に成功するのだった。



フォーム紹介

名称:イエイヌフォーム
特徴:超嗅覚
パワー:B スピード:A 防御力:C 持久力:S
必殺技:ワンだふるアタック
イエイヌとのクロスハートフォーム。変身中はサンドスターをまとった手を牙に見立てた握りつぶす攻撃や投げ技が得意。
必殺技の『ワンだふるアタック』は両手を獣の顎に見立て、敵を握りつぶす技。
※挿絵はともえのイエイヌフォーム。けものフレンズちゃんねる併設のけものフレンズBBSにて有志の方よりいただいたイラストです。
ありがとうございます!

【挿絵表示】


名称:ヘビクイワシフォーム
特徴:飛行能力
パワー:B スピード:S 防御力:C 持久力:C
必殺技:刻み込む蹴撃・スタンプビート
ヘビクイワシとのクロスハートフォーム。多彩な蹴り技を駆使して戦う。
相手が倒れるまで執拗に蹴り続けるのは元動物の習性が原因だろうか。
必殺技は連続キックの『刻み込む蹴撃・スタンプビート』





ここはともえ達の暮らすおうちの地下室。

この地下室は防音設備、換気設備が充実した部屋だ。さらに、様々な工作機械や工具が綺麗に整頓されて整えられている。

この場所を主に使うのは、父親であるドクター遠坂とそして、萌絵の二人である。

そこは家族からは『工房』と呼ばれる部屋だった。

 

「うふふー。思いついちゃった以上は作らないとダメだよね…。」

 

何かを企んだ顔で笑みを見せる萌絵。

そう、今日は金曜日。明日は週休二日の土曜日だ。つまり学校がお休みであり、多少の夜更かしなら許容範囲。

作業服に腰ベルト、そこに取り付けられたポーチ状の工具入れに次々とドライバーやスパナなどの工具が綺麗に納まっていく。

まさに職人のフル装備。

最後に、キュっと作業用のグローブに手を通して…。

 

「さあ、やりますかね!」

 

と気合を入れた萌絵。戦闘態勢は準備完了だ。

遠坂萌絵の戦いはこの工房で人知れず繰り広げられる事になるのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「んいー…。ともえちゃんひざまくらー…。」

 

土曜日の朝。

人知れぬ戦いを終わらせた萌絵はすっかり溶けていた。

 

「はいはい。萌絵お姉ちゃん、もしかしてまた工房で夜更かししたの?随分久しぶりな気がするねえ。」

 

萌絵をリビングのソファーで膝枕しつつ、ともえは萌絵の髪を撫でつける。

 

「うんー。ちょっと思いついた事があってねえー。あ、イエイヌちゃんは抱き枕ねー。」

「ええ!?わたしですか!?」

「イエイヌちゃん、お願い。」

 

すっかりいつもと違う様子の萌絵に戸惑いを覚えるイエイヌだったが、ともえにとっては割と普通な出来事の様子。

たまにこうして精魂尽き果てた萌絵はとことん甘えん坊になるのだが、こういう時はお姉ちゃんをひたすら甘やかすのがともえの密かな楽しみだった。

 

「そうそう、添い寝してあげてれば萌絵お姉ちゃんも満足だから。」

「あ、はい。これで大丈夫ですか?」

「うんー。満足ー♪ああー、モフモフだよぉー、天国だよぉー」

 

ともえの膝枕にイエイヌの添い寝ですっかりご満悦の萌絵。

 

「で…萌絵お姉ちゃんは今度は何を作ってたの?」

「うん、あのねー。一言でいうとねー?イエイヌちゃんの変身アイテム。」

「へ?わたしの、ですか?」

 

と萌絵の腕の中でモフられながら訊ねるイエイヌ。

 

「うんー。ともえちゃんがクロスハートになって変身してもイエイヌちゃんがそのままだと正体がバレちゃうかもだし。」

 

すっかりだらけ切った萌絵が眠そうな声で話はじめる。

 

「あのね、イエイヌちゃんの今着てる服ってね。けものプラズムっていうサンドスターが変化した物質でできてるの。ここまでいい?」

と横になったまま解説をはじめる萌絵。

 

「この服ってね。汚れたりほつれたりしても時間が経つと皮膚が治るみたいに元通りになっちゃうの。」

「へえー…、わたしの毛皮ってそんな事になってたんですね。」

「うんー。でね、これって実はね。理論上は変化させる事もできるの。つまり何もないところからお着替えって事ができるんだよ。」

 

と、いきなりとんでもない事を言い出す萌絵。

 

「え…。でもわたし、そんな事が出来た事ないですよ…?」

「普通は難しいと思うよおー。無意識に形成しているものだろうからねえ。意識しても相当強いイメージ力がなかったら難しいんじゃないかなあ。」

「じゃあ、イエイヌちゃんは頑張ってイメージしたら自由に服を替えられるって事?」

そのともえの疑問に萌絵は寝転んだまま、一つ肯定の吐息を漏らしてから続ける。

 

「極端な事を言うとそうだねえ。でも、それだけのイメージをするのは難しいから、イエイヌちゃんのけものプラズムを変化させる為の機械を作ったの。」

 

と、ポケットから一本のチョーカーを出す萌絵。

 

「イエイヌちゃんのけものプラズムを変化させる装置かっこ仮ー。」

てーれってれー、と何かのBGMを自分で口ずさみながら取り出したそれを掲げてみせる萌絵。

「これはね、装置の方に変化するイメージを登録しておいて、合言葉と同時に起動してイエイヌちゃんのけものプラズムを変化させるの。」

 

その言葉に?マークを浮かべるともえとイエイヌ。どうもピンと来ていないようだ。

 

「つまりね。ともえちゃんがクロスハートの合言葉で変身するのと同じように、変身できるようになるってこと。」

「お、おおおおお!?それってイエイヌちゃんがパワーアップするってこと!?!?」

「ううん。そこまでいいものじゃないよ。単に格好だけ変化させるの。上手くしたら多少防御力は上がるけれどそれくらいだね。」

驚きの声をあげるともえに萌絵は残念そうに告げる。

 

「そっかあ…。でもイエイヌちゃんは元から強いもんね。つまり正体を隠す為だけの機械って事でいいのかな?」

「そういうことだねえ。」

 

と、昨夜作っていた機械の解説を一段落させた萌絵、満足そうに「んふー。」とドヤ顔である。

ともえはよしよし、とそんな萌絵の頭を撫でてあげるのだった。

 

「えっと…つまり、ともえさんとお揃い、という事でしょうか。」

「そうそう。ともえちゃんが変身するときに一緒に変身したらいいよおー。」

「えへへ…。ともえさんとお揃い…。嬉しいです。ありがとうございます、萌絵さん。」

 

相変わらず萌絵の腕の中で抱き枕状態だけれど、それでも嬉しそうにほにゃんとした笑みを浮かべるイエイヌ。

 

「でもねえ。変身の合言葉と変身後の姿をまだ決めてないから考えないといけないんだー。」

「そっかあ。じゃあ合言葉から考えよう?アタシのクロスハートみたいにそのまま合言葉が名前になるかもしれないもんね。」

 

言いつつ早速頭を捻るともえ。

「ねえ、イエイヌちゃんは何か考えがないかな?」

「はい。わたし考えてた事があるんです。」

と意外にもイエイヌは真剣な顔で応じる。

 

「この世界ではわたし以外のフレンズはセルリアンと戦う力がないんですよね?」

「うん、イエイヌちゃんみたいに強い子は知らないよ。運動だってヒトよりも得意な子は多いけど…。」

「運動が得意なフレンズちゃんでも、ともえちゃんくらい運動得意だと互角くらいにはなるよねえ。」

 

そう、それがこの世界のフレンズの標準だ。

ヒトと大して差はないし、イエイヌのようにフレンズの技を使う事だって出来ない。

現状でセルリアンと戦えるフレンズはたった一人。イエイヌだけなのである。

 

「私の世界では強いセルリアンを倒してみんなを守るセルリアンハンターがいたんです。」

「へえー。その人たちもヒーローみたいだね。」

「だから、わたししかセルリアンと戦えないならわたしがセルリアンハンターになってともえさんや萌絵さんや春香さん、それにヘビクイワシさんを守ったらいいんだ、ってそう思ってたんです。」

「イエイヌちゃん…。」

 

その独白にも似た決意表明はともえと萌絵には確かな説得力を持っていた。

過去2度に渡ってセルリアンと戦うイエイヌの姿を見てきたともえと萌絵にはその言葉が言葉だけではない事を知っていた。

 

「けどですね…。ともえさんが一緒に戦ってくれて、凄く心強かったんです。わたし一人じゃないんだって。仲間がいるんだって…。」

萌絵の腕の中で相変わらず抱き枕状態だけれど、それでもともえと萌絵に視線を向けるイエイヌ。

「あの…。わたしも、ともえさんと一緒に…。クロスハートに、なれますか?」

 

その言葉にともえは即座に大きく頷く。

 

「もちろんだよ!アタシの方こそ、イエイヌちゃんが一緒だったからセルリアンに勝てたんだよ!」

「うんうん、じゃあイエイヌちゃんは二人目のクロスハートだねえ。」

言いつつ萌絵はイエイヌを抱く手に力をこめる。

ともえも抱き着きたそうにしているけど、今日はお姉ちゃんに譲ってあげるのだ。

 

「とは言っても、アタシがクロスハートでイエイヌちゃんもクロスハートだとこんがらがっちゃわない?」

「クロスハート2号とかじゃ安直すぎるもんねえ。」

「だったら、イエイヌちゃんがなりたかったっていうセルリアンハンターからとってクロスハート・ハンターとかは?」

と早速二人して頭を捻りはじめる。

「カッコイイんだけどそれだとなんか敵側みたいじゃない?クロスハートをハントする人みたいに思われわないかなあ。」

「あー、それもそうだねえ。でも、クロスなんとかーっていうのは方向性的にはあってる気がする。」

 

再び頭を捻るともえと萌絵。萌絵は膝枕されてる状態なんで何とも不思議な光景である。

 

「ハートじゃなくてスペード、ダイヤ、クローバー…うーん。なんかしっくりこないねえ…。」

「あ、トランプのマークだ。じゃあ絵札のジャック…じゃあ男の子っぽくてあんまり可愛くないなあ…。」

 

で、再び二人揃って、うーん、と頭を捻るともえと萌絵。これは中々の難問だ。

 

「あ、ジャックってキング、クイーンの子供で王子様って説あるじゃない?クロスハート・プリンスとかは?」

そのともえの提案に…

「だめぇー、プリンスはだめぇー。アタシのプリンスはともえちゃんだもーん。」

とダダっこみたいになる萌絵。ともえの膝にぐりぐりと頭を押し付けてみせる。

「ええー…。もー。萌絵お姉ちゃんったら…。じゃあ萌絵お姉ちゃんがプリンセス?って事はー…イエイヌちゃんが…ナイト?」

 

とそんなダダっこから何か思いついたような表情になっていくともえ。

「イエイヌちゃんっていつもアタシ達を守ろうとして頑張ってくれてたもんね…。うん。アタシ達のナイトだ。だからクロスハート・ナイト。クロスナイトっていうのはどうかな!」

「ナイト…。わたしが…。」

「あ、いいねえ。イエイヌちゃんにピッタリだよー。イエイヌちゃんはクロスナイトって名前はどうかな?」

と、その確認に抱き枕状態のイエイヌは萌絵の胸に顔を埋めて「はい。」とだけ答えるのだった。

嬉しそうにニヤけ切った顔を見られたらナイトの称号は取り消されちゃいそうな気がしたが、とても嬉しかったので顔が緩むのはもう仕方ないのだ。

 

「じゃあ、ナイトなイエイヌちゃんにピッタリな衣装も考えないとねえ。ともえちゃん、イメージスケッチお願いできる?」

「任せて!」

と物凄い勢いでスケッチブックに何かを描き始めるともえ。あっという間に描きあげると、それを寝転んだままの萌絵に示してみせる。

「えっとねー。機能的にここをこうしたいからー…。で、正体も隠すのでここんとこをもう少し大きめにしてー…」

「ほほう…ついでにここをこうしたら…。」

「いいねえいいねえ。」

とドンドン絵が描きあがって、最後に膝枕したままのともえとされたままの萌絵がガシリと固い握手をして完成…したらしい。

よいしょ、と起き上がった萌絵。

チョーカーと出来上がったイメージスケッチを持ってリビングのパソコンへ取りつくと軽く操作して…。

 

「うん。これで出来上がり。名付けてー…ナイト…ナイトチェンジャー?とかにしておこうかー。」

最後の調整も済んだらしいチョーカーを持ってイエイヌのところに戻る萌絵。そのままイエイヌの首にチョーカーを着けてあげる。

「萌絵さんが着けてくれたともえさんとお揃い…。えへへ…。嬉しいです。」

嬉しそうに尻尾を揺らすイエイヌ。

ナイトチェンジャーそのものよりも萌絵が着けてくれた事と、ともえと一緒の事が出来るというそれがたまらなく嬉しかった。

 

「じゃあ、一度試してみようか。イエイヌちゃん。変身っ。クロスナイトっ!って言ってみて。」

言われた通りの言葉がイエイヌの口から出ると、カッと周囲にサンドスターの輝きが満ちて、それが治まったとき…。

「ふぉおおお!?思った以上にこれは絵になるぅー!めっちゃ絵になるぅー!」

「ほんとだね!ほんとに絵になるぅー!!」

と、遠坂姉妹のスケッチ大会が始まるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

ともえと萌絵が一通り満足すると

「じゃあ、お姉ちゃんちょっとだけお昼寝してこようかな。さすがに夜更かしが過ぎちゃった。」

と萌絵が小さく欠伸を一つ。

 

「うん。そうだね…。でも萌絵お姉ちゃん。いいの?」

「へ?今日、何かあったっけ?」

 

その用事があるのを指摘するのが申し訳ない、とでもいうかのような表情のともえ。

出来る事ならそのまま寝かせておいてあげたい…。と心の中で思いながらもそれを告げる決断をするともえ。

 

「今日、プール開き前のプール清掃の日だよ。」

 

そのともえの指摘に萌絵はしばらく時間が止まったかのようにピタリと動きを止める。

やがて、ギギギ。と油が切れたロボットのような動きでともえに顔を向けると

「まじで?」

と絞り出す。

「まじで。」

と返すともえ。

 

そんな二人のやり取りにイエイヌはただただ?マークを浮かべるばかりだ。

「えっと、ともえさん。萌絵さんは何かお困りなんですか?」

「えっとね…。」

困ったような表情のともえが言葉を濁すように話そうとする前に

「解説しよう!」

寝不足のテンションな萌絵が半ばヤケクソといった様子で吹っ切れたかのように動きはじめる。

「プール清掃作業とは!任意参加だけど体育の平常点にめっちゃプラスされる神イベントなのである!」

「あはは…。萌絵お姉ちゃんは体育だけは苦手だもんねえ…。プール清掃で平常点稼いでおかないと補習授業確定だもんね…。」

「そう!!しかもっ!補習授業って1時間ひたすら校庭走るっていう拷問なんだよ!?」

「萌絵お姉ちゃん…。特に長距離走は苦手中の苦手だもんね…。」

その解説にもやはりひたすら?マークを浮かべるイエイヌ。しかしどうやら学校の何かを掃除するらしい事だけは理解できた。

 

「ええと、お掃除するんですよね?わたしもお手伝いしますよ。」

「もうー!イエイヌちゃんありがとおー!」

と萌絵がイエイヌに抱き着きすりすりと頬ずりしちゃう。

「ようし!お母さん!コーヒー淹れてー!うんと濃いやつー!」

 

無理やり、といった様子でテンション上げる萌絵であったが…。

 

「あ、お母さんいないよ。今朝からお父さんの研究所にラモリさんと一緒に呼び出されてるみたいでまだ戻ってないの。」

と、意外な答えに萌絵も?マークを浮かべる。

 

「昨日の夜もお父さん帰ってなかったよね。何かあったのかなあ…。」

そう。イエイヌがうちに来た日から父親は帰宅できない日が続いていた。

仕事が忙しいのだろうか。出来れば早くイエイヌに父親の事を紹介しないとラモリさんが父親というものだと誤解したままになってしまうのではないだろうか。

それよりも今は……。

「そろそろ準備しないとプール清掃の集合時間に間に合わないよ。コーヒー。インスタントでいいならアタシが淹れようか?」

 

そのともえの提案に、何か覚悟を決めた様子の萌絵。指を一本立てると

 

「ともえちゃん…。ともえスペシャルいっちょうプリーズ。」

とオーダーを入れるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

そろそろ初夏のじんわりと汗が浮かんで来るような陽気の中を学校へと向かうともえと萌絵とイエイヌの三人。

ともえと萌絵は今日はTシャツに短パンにサンダルという何ともラフな格好である。で、頭の上にはそれぞれ麦わら帽子が乗っかっている。

萌絵は口元を何故か抑えて言う…。

 

「ともえちゃん…。なんでコーヒーにお塩入れちゃうかな…。」

「いやあ。スイカにお塩かける要領で甘くなるかなーって…。」

「ならないよ!」

 

右にともえ、左に萌絵を置いて真ん中を歩くイエイヌはじゃれあう二人をイエイヌは交互に見やって楽しそうに尻尾を揺らす。

 

「でも、おかげで目は覚めたかなー。」

「それはよかった。」

「あのあの、わたしもこーひー?の淹れ方を教えて欲しいです!」

「いいねえ、イエイヌちゃんならコーヒーの淹れ方もすぐに上手になるよー。」

「そしたらともえスペシャルはお払い箱だねえ。」

「もう!萌絵お姉ちゃんヒドイよぉ!」

 

そんな三人で歩く通学路は何とも賑やかだ。昨日の朝、はじめてセルリアンと戦った公園を通り過ぎて遠くに大蛇と戦った旧校舎が見える。

 

「ねえ。昨日の紙飛行機…。あれ、誰が飛ばしてくれたんだろうね。」

ポツリと呟くように言うともえ。

 

「うーん、それはわからないけど、誰かがともえちゃん…、クロスハートを助けてくれた、って事だよね。」

それに空を見上げるように口元に指をあてて考えこむ萌絵。

「実はこっちの世界にもセルリアンハンターみたいな人がいて助けてくれた、とか?」

とイエイヌも一緒に首を捻る。

「うーん。そもそもセルリアンってアタシ達、今まで見た事も聞いた事もないから、それと戦うセルリアンハンターがいるっていうのも聞いた事がないよ。」

「じゃあ、紙飛行機を飛ばしてくれたのはセルリアンハンターじゃないって事でしょうか。」

「うーん。何とも言えないよね。わからない事ばっかりすぎて…。」

イエイヌの疑問に答えるにはいくら萌絵の頭脳をもってしても要素が足りなさすぎる。

 

「今は誰か助けてくれた人…。そうだなー。紙飛行機の君、ってでも呼んでおく?紙飛行機の君がいるって思っておけばいいんじゃないかな。」

いくら考えてもわからないものはわからない。とりあえずの結論は紙飛行機を飛ばしてくれた人を紙飛行機の君と呼ぶという事になりそうだ。

「紙飛行機の君かー。もしかしたらその人ならセルリアンの事に詳しかったりするのかなあ。」

「だったらいいねえ。それに協力しあえたりしたらまたセルリアンが出ても心強いんだけど…。」

「そうですね。いつかゆっくりお話ししてみたいですね。」

遠くに学校の校門が見えてくる。

とりあえず紙飛行機の君については一旦そう結論づけた三人。校門をくぐって屋外プールの方へと進む。

 

プールの入り口前にはこちらも半袖ハーフパンツ姿のヘビクイワシが出席簿を持って立っていた。

「やあ。ともえ君、萌絵君。プール清掃作業に参加でありますな?イエイヌ君もお手伝いでありましょうか。」

「ヘビクイワシさん!もう体調の方はいいんですか?」

尻尾をぶんぶんさせたイエイヌ。出席をとっているヘビクイワシに駆け寄る。

「ええ。もうすっかりよくなりました。イエイヌ君も助けてくれた、と聞いております。ありがとう。」

「いえいえ。大した事はしてないですよ。」

とすっかり仲良くなった二人の様子を見ながらともえと萌絵がほっこりとした笑みを見せる。

 

「さて、それでは遠坂萌絵君と遠坂ともえ君、出席、と。」

ヘビクイワシは出席簿の二人の欄に丸をつけるとかわりに、小さく切られた藁半紙の紙片を渡してくる。

「ヘビクイワシちゃん。これは?」

とその紙片を開いてみるともえ。そこには『デッキブラシ3番隊』と書かれている。

「で、萌絵君はこちらの方がよいでありましょうな。」

と萌絵には『補給部隊 バケツにひたすら水を汲んでね。』と書かれているのだ。

「これは作業分担を割り当てたものになるのでありますよ。かばん君の発案で作業分担を割り振って効率的に作業を進めようという案であります。」

ふふーん、と得意気に腰に手をあてえっへんとしてみせるヘビクイワシ。

「イエイヌ君はともえ君と一緒にデッキブラシ3番隊を手伝ってくれるとよいのであります。」

「わかりました!わたしもお手伝い頑張りますよ!」

尻尾をぶんぶん揺らすイエイヌ。

「それではアッチで庶務のサーバル君とフェネック君が掃除道具を配っているので受け取ってから配置につくのであります。」

プール清掃大作戦の火蓋が間もなく切って落とされようとしていた…。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「みんなー!プール掃除によく集まってくれたのだー!」

 

飛び込み台に昇った生徒会副会長、アライさんが元気に気勢をあげる。

 

「これからプール開きだというのに見ての通りプールはドロドロのぐっちゃぐちゃなのだ!」

とアライさんの背後に広がるプールは水抜きされているものの、ヘドロや藻がたまった惨状を示していた。

屋外プールは夏季いがいは水を貯めたままにしてしまうので、毎年この惨状が広がってしまうのだ。

「みんなー!こんなくっちゃいくっちゃいプールでいいのかー!?アライさんはイヤなのだー!」

という呼びかけに

「「「いやだー!!」」」

と集まった女子生徒達もノリよく答えてくれる。

 

「今日はかばんさん生徒会長が作戦を考えているのだ!かばんさんはな!凄いんだぞ!」

「そうだよ!かばんちゃんはね!すっごいんだから!」

とアライさんの隣の飛び込み台にサーバルも乗っかって

「かばんちゃんはね!いっつも一生懸命で困ってる子の為に色んな事考えて…」

「そうなのだ!かばんさんは凄いのだ!」

 

と話が明後日の方向に行きかけているところに…。

「まったく…。話が脱線しているのです。」

「そうなのです。二人とももっと頭を使うのです。頭を。ちゃんと食べているのですか。」

というのは先代生徒会長の3年生コノハ博士と先代副会長のミミ助手だ。

嘆息してみせるコノハ博士とミミ助手に

「なあにぃー!アライさんはその辺バッチリなのだー!」

と怒ってみせるアライさん。

 

それを見て集まった生徒達にも笑いが漏れる。

「と、ともかく!みんな!!プールアライ大作戦開始なのだー!」

というアライさん副会長の号令とともに、ピーッ!と笛の音が響く。

 

「はい、それではバケツ水まき隊1番から水を持ってこちらに整列してくださーい。」

かばん生徒会長がホイッスルを使って放水指示していく。

 

「続けて水ホウキ1番隊から3番隊、準備してください。こちらからあちらに向かって水を押し出していって下さいね。」

とかばん生徒会長が皆に説明を終わらせたところで…。

「それじゃあ水ホウキ隊出撃なのだー!」

 

とアライさん副会長が号令だしてドロドロのプールに第一陣が降りて水を押し出していく。

「なるほど…。排水溝に向かって水を押し出していくようにちゃんと配置とか考えてるんだねえ。さすがかばん生徒会長だ。」

バケツに追加の水を汲みながらその様子を観察している萌絵。

「はいよー。空バケツにどんどんお水汲んでねー。」

そんな萌絵達補給部隊のもとへ庶務のフェネックが空バケツをどんどん持って来る。

 

「あれ?萌絵さん、もしかして調子よくない?顔色ちょっとよくないから体調悪そうならすぐに言ってねー。」

フェネックが萌絵の顔を覗き込むようにして様子を伺う。

「あー、うん、ちょっと昨日夜更かししちゃって。心配かけてごめんね。調子悪くなったら無理はしないから。」

とフェネックに笑顔を向ける萌絵、それを見て安心したようにほっと息をついてから

「そっかー。じゃあ無理せず頑張ってねー。」

と汲み終わったバケツを持って去っていくフェネック。

 

そして、掃除はテキパキとどんどん進んでいって

「次はデッキブラシ隊のみなさん、1番隊から順番に整列していってくださーい。」

と、いよいよともえ達の出番だ。

ともえの隣にはイエイヌも並んでデッキブラシを構えている。

 

「それじゃあデッキブラシ隊!ドロドロとか藻とかくっちゃいのをやっつけちゃうのだー!突撃ー!!」

デッキブラシ1番隊を率いるアライさんが先陣きってプールに突撃を敢行。

それに「「「おおー!!」」」

と続いていくデッキブラシ隊達。

 

プールにこびりついたヘドロや藻は床面が防水処理コーティングされているおかげでデッキブラシで擦りさえすれば割と簡単に落ちる。

けれどもあまりにも広範囲に汚れが広がっており、この広大なプール全ての床面を掃除するのはあまりにも大変だ。

「おお!?」

と水のないプールの底面に足を降ろしたともえ。一度水で濯いだプールの床面は恐ろしく滑りやすい。

ともえも危うく足を滑らせるところだった。

 

っていうか…

 

「んなあああああっ!?」

アライさんは既に足を滑らせてどろんこになっていた。

 

他にも数名の生徒達が足を滑らせている。デッキブラシは力を入れて擦らないといけないのだが滑る床面ではこれが意外に難しい。

運動部などの運動能力に優れた精鋭部隊を配置したデッキブラシ隊ではあるがそれでも濡れたプールの床面は強敵だ。

数名のコケた女子生徒を出しながらも精鋭デッキブラシ隊は徐々に床面の汚れを取り払っていく。

そして、慣れたところで…

「バケツ水まき隊のみなさん、追加放水お願いします。デッキブラシ隊への誤爆に気を付けてください!」

かばん生徒会長の号令で洗った床面にさらに水が撒かれてデッキブラシで浮いた汚れを洗い流していく。

 

「おおお!?さらに滑りやすくー!?」

ともえ達の足元もさらに濡れて滑りやすさパワーアップである。コケてどろんこ被弾する女子生徒の数も増えていく。

 

「これは確かに効率はいいけど…!」

ともえの頬に一筋の汗が浮かぶ。

デッキブラシ隊は味方の援護射撃という名の砲撃を背中から浴びつつ最前線のヘドロや藻と戦う役割だった。

その戦場はあまりにも過酷。

運動神経には自信ありの精鋭部隊達が次々とコケてどろんこまみれになっていく。

だが…

「やらなかったら終わらないッ!」

「と、ともえさん!?」

「イエイヌちゃん!フォローをお願い!アタシが突撃するっ!」

業を煮やしたともえが雄叫びあげつつ単身突貫!汚れのひどい最前線で次々と汚れを落としていく。

ともえの所属するデッキブラシ3番隊。

ともえの後ろにつくようにして徐々にペースを上げていく。

 

と…

「へっ!やるじゃねーかっ!」

そのともえの隣に並ぶように走り込む一人のフレンズ。

「デッキブラシ2番隊!G・ロードランナーのフレンズ、ゴマ様だっ!俺様の前を走っていいのはプロングホーン様だけだぞっ!」

そのゴマの後ろをフォローするかのようにデッキブラシを滑らせる二人のフレンズが続く。

「ウチのゴマがごめんねー。久しぶりね。ともえ。」

ゴマの後ろを走る二人のうち一人はチーター。陸上部副部長の3年生だ。

「だが、一番前を走るのは私たち陸上部だ!」

そしてもう一人が陸上部部長の3年生。プロングホーンである。

「あのー…。これって掃除だからそういう競争じゃないんじゃないでしょうか…。」

とイエイヌが控えめに指摘するがそのごもっともな指摘の言葉は最前線に突出していくともえとゴマには届いていない。

 

「「うぉりゃああああああああ!!」」

肩をぶつけ合うようにして次々汚れを撃破していくともえとゴマ。

高速でデッキブラシをシャカシャカする様は熟練のカーリング選手もかくやである。

「うむ。それでこそ陸上部だ。」

と腕組みして満足そうなプロングホーンに

「いや、あの二人だけ突出してもダメでしょ…。」

チーターが呆れた表情を見せる。

 

それを余所にともえとゴマの二人はもうすぐプールの端っこへ辿り着こうとしていた。

 

「ちょ…あぶなっ!?」

とチーターが制止の声をあげる頃には時すでに遅し。

「「へ!?」」

スピードが乗り切った二人は止まろうにも滑るプール床面のせいで…

「「と、とまらないー!?!?」」

とプールの端っこ壁面に向かって滑っていくともえとゴマ。

このままでは壁面に激突してしまう。

「えーい!しょうがない!ゴマちゃんごめん!」

ともえはゴマに飛びつきながら倒れ込むとゴマを腕の中に抱き、壁面に自らの背を向ける。

倒れても滑る床面のせいで水しぶきをあげながら壁面へ滑っていくともえとゴマ。

このままでは壁面に激突してしまう。

 

―タッ

 

とそこにプールサイドから一人の人影が飛び出す。くたびれた二本羽根の帽子をかぶったその人は

「かばんちゃん!?」

腕の中にゴマを庇ったままその人影を見やるともえ。

逆側から滑って来たかばん。ともえと交差する際にその腕をとってくるり、と回転させて直線運動を円運動へかえてスイングバイの要領で逆側へと投げ放つ。

プール端から中央近くまで水しぶきをあげながら滑っていくともえとゴマ。そこでようやく、といった感じで止まる。

 

「二人とも無事ですか?念の為ですがお二人が向かう先で準備しててよかったです。」

ふう、と一息をつきながら立ち上がるかばん。着ていた体操着もどろんこである。

「あ、ありがとう…。ごめんね、調子に乗っちゃったよ。」

ともえも立ち上がって

「ゴマちゃんも平気だった?」

と手を差し出す。

 

ゴマがその手を握り返すよりも早く駆け寄ったチーターが

「このおバカっ!調子に乗りすぎだったら!」

とゴマを乱暴に引き起こす。

「アンタ、怪我してないでしょうね!?あー、もうこんな泥んこになっちゃって!ともえも生徒会長もごめんね!ウチのバカ達がほんっとごめんね!」

 

とペコペコ頭を下げるチーター。

「いたたっ!?チーター先輩のが痛いぞ!?おいっ!」

乱暴に引き起こされたゴマではあるがどうやら怪我はなく着ている体操服がドロドロになった程度のようである。

 

「まったく!あんたも悪いわよ!プロングホーン!」

「な、なんでだ!?」

「ゴマはあんたの言う事なら何でも真に受けちゃうんだから少しは考えた言動しなさい!」

「む…。そうか。煽るような事を言ってしまって申し訳ない。」

 

チーターの批判を受けてプロングホーンもともえとかばんに頭を下げてみせる。

 

「はい、そういうわけで皆さん!」

パンっと手を打ったかばん。周囲の生徒達に向けてよく通る声で呼びかける。

「プール内は非常に滑りやすいので走らないように気をつけて作業をしましょう!残りの作業ももう少しです!頑張りましょう!」

そうあらためて呼びかけると

「おー!アライさんにお任せなのだー!」

と元気に飛び跳ねようとしたアライさんが…

「ぶへっ」

と滑って転んで、それを見た生徒達に笑いが起こるのだった。

 




登場人物紹介

名前:ラモリさん
好きな物:家族
特技:試作多機能アーム アナライズ スキャン 通信
赤いカラーリングで目元にサングラスを着けたラッキービーストで通称ラモリさん。
尻尾部分が試作多機能アームに換装されているのが最大の特徴。
ドクター遠坂の手によって改装されたラモリさんは遠坂家で家族と過ごしたりドクター遠坂の研究を手伝ったりと様々なシーンで活躍する。


名前:アライさん
好きな物:フェネック。かばんさん。ワタアメ。
特技:洗い物
ジャパリ女子中学に通う2年生で生徒会副会長のアライグマのフレンズ。
自分の事をアライさん、と呼ぶので上級生からも同級生からもアライさん呼びである。
いつも元気印な子で常に明後日の方向に全力疾走だ。


名前:フェネック
好きな物:アライさん。
特技:アライさんの面倒を見る。穴掘り
ジャパリ女子中学に通う2年生でフェネックギツネのフレンズ。
生徒会庶務を務めており、放っておくと明後日の方向に全力疾走してしまうアライさんの操縦役でもある。
一見するとクールな印象を与えるが、周囲の事をよく観察して面倒見のよい子だ。


名前:コノハ博士
好きな物:ミミ助手 食べる事
特技:理系科目全般
ジャパリ女子中学の3年生でアフリカオオコノハズクのフレンズ。
昨年度の生徒会長を務めていた。
理系科目の成績が特に優秀で周囲からは博士の名で呼ばれる。
生徒会長をかばんに引き継いでからもたまに手伝いで顔を出している。
何よりも美味しい料理が大好きで調理部に入り浸っている。


名前:ミミ助手
好きな物:コノハ博士 食べる事
特技:理系科目全般
ジャパリ女子中学3年生でワシミミズクのフレンズ。
昨年度はコノハ博士と共に生徒会副会長を務めていた。
コノハ博士のフォロー役に回る事も多いが理系科目を中心にその成績はコノハ博士に勝るとも劣らない。
同じく何よりも美味しい料理が大好きだ。
なお、コノハ博士に毎日のお弁当を作るのは彼女の大切な日課である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話『紙飛行機の君』(後編)

登場人物紹介

名前:ゴマ
好きな物:走る事 プロングホーン様
特技:陸上競技全般
ジャパリ女子中学に通う2年生でG・ロードランナーのフレンズで名前はゴマ。
陸上部に所属。部長のプロングホーンに憧れており取り巻きのような事をしている。
実は彼女自身の実力も中々のもので陸上部の次期エースに名前が挙がる程ではある。
周囲の評価は口は悪いけど意外といい子、というものだったりする。


名前:プロングホーン
好きな物:走る事 陸上
特技:長距離走 陸上競技全般
ジャパリ女子中学に通う3年生でプロングホーンのフレンズ。
ともかく走る事が大好きないわゆる陸上バカで陸上部の部長を務めている。
行動基準が陸上中心でズレているせいか副部長のチーターが振り回される事も多い。
だがその実力は折り紙付きだ。
最も得意なのは長距離走だが陸上競技ならだいたい何でもこなせる。


名前:チーター
好きな物:短距離走
特技:短距離走
ジャパリ女子中学に通う3年生でチーターのフレンズ。
陸上部の副部長で短距離走のエース。
ゴマを引き連れて陸上バカに拍車がかかったプロングホーンのフォローに回る事も多い。
たまに陸上部の手伝いに来たりするともえとは面識がある。


多少のトラブルはあったものの、プール清掃作業も無事に終了して、ともえとイエイヌと萌絵の3人は更衣室へとやってきていた。

念の為にと着替えを用意しておいて正解だった。

ともえは泥だらけになった服を着替えて新しいシャツとハーフパンツを身に着けている。

結局、プール清掃は効率的に作業を進めるようあらかじめ作業計画を立てていたかばん生徒会長と、狙ったのか天然なのかよくわからないアライさん副会長の号令のおかげで史上類を見ない早さで作業が完了してしまった。

思っていた以上に早く作業が終わってまだまだ時間がある。

プール清掃に参加した生徒達の多くはこれ幸いと帰っていく者も多く、校内に人気は少ない。

 

「もう、さっきは焦ったよお。ともえちゃんは本当に怪我してないんだよね。」

「うん。擦り剝けたところもないよ。全然平気。心配かけてごめんね。」

「ともえちゃん。お転婆さんも程々にね。今回は怪我しなかったからいいけど…。」

「そうですよ。ともえさんは無茶しすぎなんです。」

心配顔の萌絵にイエイヌも頷いてみせる。

「うん、二人ともごめん。」

 

そんな事をしていると

「おい。」

と更衣室の入り口から声がする。三人でそちらを見ると

「ゴマちゃん、どうしたの?」

とゴマが入り口に立っていた。

 

「あー…。いや。その…。」

しばらくほっぺをポリポリして言葉を探すようにしてから…。

「おい!お前!なんで俺を助けたりした!危なかっただろうが!」

「何でって…。そりゃああのまま壁にぶつかったりしたら痛そうだろうし…?」

「そういうことじゃなくてー!」

と地団駄にも似た謎のステップを踏むゴマ。それをほっこりとした笑みでともえと萌絵は見ている。

 

「じゃあ。友達だから。それじゃあダメ?」

 

そのともえの答えにゴマの動きがピタリ、と止まる。

だんだんとその顔が赤くなっていき、指をちょんちょんとあわせるようにして

「ダメじゃ…ねーけどさぁ…。」

とようやくそれだけを絞り出す。

 

「アタシ2年A組の遠坂ともえ。でこっちがお姉ちゃんの遠坂萌絵と、今日はお手伝いに来てくれたイエイヌちゃんだよ。あらためてよろしくねゴマちゃん。」

「ゴマちゃ…。まあいいんだけど、2年C組、G・ロードランナーのフレンズ、ゴマ様だ。」

ぷいっとそっぽを向くゴマ。

「ともかく…。助けてくれて……あ、ありがと…。」

と消え入りそうな声でそっぽを向いたままそう続ける。

 

「どういたしまして!」

といい笑顔を向けるともえに

「しょ、しょうがなくなんだからな!チーター先輩がちゃんとともえにお礼言っておけっていうから仕方なくなんだからな!」

赤くなった顔でともえに詰め寄るゴマ。

「しょうがなくかあー。うんうん、それでいいよぉー。もう、ゴマちゃんは素直じゃないところも可愛いねえ。」

「きーっ!な、なんだよぉ!その顔はー!」

再び地団駄なのか何なのかよくわからない謎のステップを踏むゴマ。

 

「と、ともかく!俺はお礼言ったからな!こ、これで貸し借りなしな…ん…だ…か…ら?」

と、段々ゴマの言葉の様子が尻すぼみになっていく。そのままずんずん、と萌絵に近づいていくゴマ。

「おい、お前。」

「うん、どうしたの?」

萌絵も?マークを出しながら小首を傾げる。

 

「お前、気分悪かったりとかしないか?吐き気したりとか。頭痛したりとか。」

「うーん?ちょっとだけ?」

やけに真剣な表情で萌絵の顔を覗き込むゴマ。

「もしかして、お前、昨日夜更かしとかしただろ。」

「え?うん。よくわかるね、ゴマちゃん。」

 

ゴマは腰に手をあて、はぁー、と一息。

 

「多分、お前熱中症の初期段階だぞ。寝不足だと熱中症になりやすいんだ。」

「うぇえええ!?ね、熱中症!?お姉ちゃん大丈夫なのー!?」

「落ち着け!初期段階って言ってるだろ!意識だってちゃんとしてるから大丈夫だ!」

ゴマの肩を掴んでぶんぶんゆするともえ。

 

「そっかあ…。気持ち悪いのはともえスペシャルを飲んじゃったせいだと思ってたけど…。」

「お姉ちゃんヒドイよお!?ってそれどころでもないよお!ねえねえ!ゴマちゃん、どうしたらいいの!?」

相変わらずともえはゴマの肩を掴んだままガックンガックンさせる。

「わかった!わかったから取り敢えず落ち着け!俺の脳みそがシェイクになっちまうだろ!?」

「もう、ともえさん、落ち着いて下さい。」

ゴマからともえを引きはがすイエイヌ。どうどう、とともえを落ち着けている。

 

「んっと、あったあった。水筒にスポーツドリンク入れてあるからこれ飲んで塩飴舐めとけ。」

ゴマは自分のロッカーから取り出した水筒と飴玉を萌絵に手渡す。

「うん、ありがとう。」

「あと、時間があるなら保健室でちょっとだけでも休んでいったほうがいいぞ。」

「そうするよぉー!ゴマちゃんありがとねえー!」

と再びゴマに抱き着くともえ。

「だからお前は落ち着け!抱き着くな!イエイヌ、へるぷぅー!」

「あ、はい!ともえさん、落ち着いて!落ち着いてくださいっ!ステイ!ステイですよ!」

そんなどったんばったん大騒ぎの三人を萌絵はほっこりとした笑みで見守るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

保健室。

今日は養護教諭はいないが休むだけなら特に問題なさそうだ。

既に萌絵をベットに寝かせて休ませ、ベットサイドでイエイヌとゴマがその辺にあったうちわでそよそよ、と小さく風を送っている。

萌絵はベットにいれられるとすぐに穏やかな寝息を立て始めた。

 

「ゴマちゃんも保健室について来てくれてよかったの?」

「お前達だけじゃ頼りないから仕方なくだ。仕方なく!」

ともえの疑問に赤い顔でそっぽ向くゴマ。ついつい声が大きくなりそうになって、イエイヌに「しーっ」と注意される。

ゴマもあわてて自分の口に両手をあててコクコク。

 

「でも助かったよー。ゴマちゃん、よくお姉ちゃんが熱中症なりかけてたってわかったね。」

「ああ。俺は陸上部だからな。練習中に熱中症になるヤツがいても平気なようにきっちり教わってるんだ。」

「へー。それであんなに手際よかったんだ。本当にありがとうね。」

ともえが笑顔を向けてお礼を言うとやっぱりゴマはそっぽ向いて

「べ、別に……このくらい。と、友達…。」

と消え入りそうな声でゴニョゴニョと何事かを話すゴマ。

「ん?なあに?」

「へんっ!と、友達を助けちゃいけないなんてルールはなかったぜ!」

と真っ赤な顔になるゴマ。

 

「ゴマさん、しーですよ。萌絵さんが起きてしまいます。」

「お、おう、悪い。」

再び口元を抑えてコクコク頷くゴマ。それに満足するとイエイヌはゴマの頭を撫でてみせる。

そんな微笑ましい光景に、ふ、と思いついたのか、ともえは自分の肩掛け鞄からスケッチブックを取り出すとその光景を描きはじめる。

 

「お、お前何描いてるんだよ…。」

今度は小声でこそーっとともえの描いている絵を覗き込むゴマ。自身が描かれている絵を見て再び頬を紅潮させる。

「お姉ちゃんが起きたら見せてあげようかなーって思って。思った通りめっちゃ絵になるよー。」

「俺…、こんな風に絵に描かれたの生まれて初めてだ…。」

「へー、もったいない。こんなにいいモデルなのに。」

スケッチブックから目を離さないともえにはさらに一段階ゴマの頬の赤が濃くなったのは見えていない。

 

「あー、もう。萌絵が起きたら飲ませる水、冷やしておくからな…。ったく…。」

ゴマは頭の後ろをガシガシかきながら保健室に備え付けられた冷蔵庫に向かう。

何故自分は絵に描かれた事に文句を言わなかったのか、それは全くわからなかった。

 

「あれ…?冷蔵庫が…ない?」

ふと気が付くとそこにあったはずの冷蔵庫がない。

「なあ。ここに冷蔵庫があった…。は…ず…?」

ゴマがともえ達の方に振り返ると

 

チョコチョコチョコ。

 

と冷蔵庫に足が生えたかのような何かが歩いていく。

思わず言葉を失ってその歩いている冷蔵庫を凝視するともえとゴマとイエイヌ。

ふ、と冷蔵庫が顔…というかドアの開く正面側をともえ達の方に向ける。

目はないけど目が合ったかのようにしばらくじーっとお互いに凝視しあう冷蔵庫とともえ達。

 

―ダッ

 

と、脱兎の勢いで逃げ出す冷蔵庫。

 

「ちょ…!?なんで冷蔵庫が!?冷蔵庫って歩くものだっけ!?」

「そんなわけねーだろ!?」

「お、追いましょう!?」

三人は逃げた冷蔵庫を追って廊下に飛び出す。

 

校舎内は休日で今日は部活動の生徒も少ないのか人気も殆どない。そんな中をチョコチョコチョコ、と走る冷蔵庫。

 

「ねえ!?イエイヌちゃん!あれってセルリアン!?」

「はい!微かにですがセルリアンの匂いがします!」

「セルリアンってなんだ!?お前ら何を言ってるんだ!?」

「ごめんねゴマちゃん、その辺りの説明は後でー!」

と、冷蔵庫を追う三人の行く手に今度は…

 

ピョインピョイン。

 

と電気ポットが跳ねまわるようにして現れる。

電気ポットは何故か廊下に用意されていたちゃぶ台の上に乗っかると、職員室に用意されていた急須にお湯を注ぎ、これまた湯飲みへ中身を注ぎ

粗茶ですが、とでも言いたげな様子でスッと三人に向けて差し出す。

 

「あ、これはどうもご丁寧に。」

「走って丁度喉も乾いたしな。」

「わたしはちょっとお湯に葉っぱ入れたヤツにはうるさいですよ。」

 

思わぬおもてなしを受けてしまったともえとゴマとイエイヌは立ち止まってついついちゃぶ台についてしまう。

それぞれの前に置かれた湯飲みを一口ゴクリ。

 

「ぬるっ!?!?ぬる過ぎじゃねーか!おい!」

「あと全然美味しくない!?」

ゴマとともえの二人は口に含んだお茶をぶー!と思わず吐き出してしまう。

 

そして、ふ、と気が付くとイエイヌが肩をぷるぷると震わせている。

 

「淹れ方がなっていなああああああああああい!!」

ガッシャーン!とちゃぶ台をひっくり返すイエイヌ!

 

「そこになおりなさい!わたしが正しいお湯に葉っぱ入れたヤツの淹れ方を教えてあげます!これでは葉っぱがかわいそうです!」

「う、うわぁああ!?イエイヌがガチギレしてるぞ!?おい!ともえ!何とかしろ!?」

「あー…。イエイヌちゃんはお茶の淹れ方もめっちゃ上手だからこのお茶は我慢できなかったかー…。」

 

電気ポットはピョインピョインと飛び跳ねて逃げていく。

「待ちなさい!まずお湯の温度はしっかりぶくぶく言うくらいまで一度あげてからですねー!って聞きなさーい!」

いち早く電気ポットを追いかけて校舎の曲がり角を曲がって行ってしまうイエイヌ。

「おい!俺たちもイエイヌを追いかけるぞ!」

「そ、そうだね!待って、イエイヌちゃん!」

ともえとゴマも慌ててイエイヌを追いかけ曲がり角を曲がる。

その先でともえ達が見た光景は……!

 

手の生えたドライヤーがイエイヌをブラッシングしている姿だった。

うっとりとした表情でブラッシングされているイエイヌ。

しかし…

「アチチっ!?」

ドライヤーの温度が高くなりすぎてイエイヌの毛皮をほんの少し焦がす。

 

「イエイヌちゃんの至福のブラッシングタイムになんて事を……!ひどい…ひどすぎる!?」

あまりの凶悪な攻撃に戦慄するともえ。

 

「あ、おい!あいつ逃げるぞ!?追わなくていいのか!?」

「はっ!?ま、まてえええ!」

ピョインピョインと跳ねて逃げるドライヤーやポットや冷蔵庫達は階段を上りはじめる。それを追いかけるともえとゴマ。

「この上って屋上だよね…。」

ともえ達も階段を駆け上がる。階段を上がっていけば終点は屋上になる。

さらにそのともえ達の横を液晶テレビとノートパソコン、扇風機たちが追い抜くようにして屋上へと駆けあがっていく。

 

「一体全体どうなってやがるんだ!?」

「あれって職員室とかにあった備品だよね…。これってやっぱりセルリアンの仕業…!」

「だからセルリアンって一体なんなんだー!」

 

言いつつ屋上への扉をバーン!と勢いよく開け放つともえ。その先では……。

液晶テレビ、ノートパソコン、冷蔵庫、扇風機、ドライヤー、電気ポットがまるでイタズラ大成功、とでもいうように跳ね回っている。

ともえ達の姿を認めると、動きを止めて振り返る。

 

「うえ!?あ、あいつらこっち見てるぞ!?」

ゴマが一歩を後退る。

ただ逃げていた今までとは違い、何か圧のようなものを感じさせる。

と、家電達はピョインピョインと飛び跳ねながら一か所に集まり積み重なっていく。

「へ……も、もしかして?」

扇風機と液晶テレビを土台に、その上に冷蔵庫がのっかりその両脇にドライヤーと電気ポットがくっついて、最後に冷蔵庫の上にノートパソコンが乗っかる。

で、真っ黒い水のような何かが折り重なった家電を包み込んだと思ったら…

 

―ギョォオオオ!

 

「が、合体したー!?!?」

ノートパソコンの頭に冷蔵庫の胴体。ドライヤーの左腕に電気ポットの右腕。

両足は液晶テレビと扇風機という異形の巨人が姿を現した!

「ききき、聞いてないぞ!?なんだあれー!?」

慌てるゴマに腕を振りかぶる家電セルリアン。

まるでスローモーションのように迫ってくる家電セルリアンの右腕。しかし、あんな大きな腕で殴られでもしたら大怪我は必至だ。

 

「ひっ!?」

と顔を両手で覆うようにして両目をキツク閉じるゴマ。

 

―ゴォン!

 

と物凄い音が響く。しかし、いつまでたっても身体には衝撃も痛みも来る事はなかった。

おそるおそる、といった様子で目を開けると…

「イ、イエイヌっ!?」

イエイヌが家電セルリアンの右腕を受け止めている姿が飛び込んでくる。

 

「ゴマさんは下がって隠れていて下さい。セルリアンの相手はわたしがします。」

「まあ、しょうがないか。ゴマちゃん。今から見る事は内緒にしといてね。」

「へ…?お前達一体何する気なんだ…。あんなでかいヤツ相手に勝てるわけ…、に、逃げようぜ!」

 

「普通はそうかもしれないけどさ。それでも…。友達を助けちゃいけないなんてルールはなかったからね!」

ともえの隣にイエイヌが立ち、二人で異形の巨人、家電セルリアンと対峙する。

 

「「変身っ!!」」

二人の声が揃って

「クロスハート!イエイヌフォームっ!」

二人の身体がサンドスターの輝きに包まれる。

ともえの頭にピョコンと犬耳が生えてお尻からは尻尾が生える。

丈の短いカーディガンに、ミニスカート。髪色もグレーに近い銀髪へと変化する。

最後に赤いハーネスが胸へと巻き付いて衣装をフィットさせてささやかな膨らみを強調して、変身完了!

 

「クロスナイトっ!」

まずイエイヌの両手にデフォルメされた犬の頭を模したアームガードが装着される。

続けて脛部分にも同じく金属製のレッグガードが装着され、胸には胸当てが装着される。

そして、肩から腰までの短いマントがバサリ、と翻りネックウォーマーはマフラー状に変化。軽く口元までを覆うくらいに隠している。

スカートにも一本真っ白いラインが一本追加、いつもよりちょっとだけ短めの丈だ。

最後に目元にミラーシェードが装着されて変身完了!

 

「おおー。あらためて見てもいい感じだよイエイヌちゃ…じゃなかったクロスナイトっ!やっぱり絵になるよー!」

「って後にしましょう!ともえs…じゃなかったクロスハートっ!」

 

変身完了した二人に家電セルリアンが腕を振りかぶる!

ぶぅん、と腕を振るうも二人はそれぞれ逆側に飛んでセルリアンの腕を回避。

 

「動きはそこまで速くないね!」

「はい、ですが油断しないで下さいね。どんな能力を持っているかわかりません。」

「でも攻撃しないと倒せないもんね!」

 

切り返したともえ。そのまま家電セルリアンに突撃、飛び蹴りを叩きこむ!

ぐらり、と傾く家電セルリアン。

 

その冷蔵庫の背中に巨大な『石』が見える。

 

「よおし!あれが『石』だね!」

ジグザグに走りながら一気に後ろへ回りこむともえ。

「セルリアン!こっちですよ!」

後ろへ回りこむともえをフォローするようにイエイヌが正面で気を引く。

 

「ワンだふる…!」

後ろに回ったともえが必殺技の構えに入るが…

 

―ブォオオオオッ!

 

と脚部の扇風機がともえに向けて強風を吹き付ける!

「へ…?あ、ちょぉおおお!?」

強風でミニスカートが揺れる。変身した際にミニスカートになってしまっているせいでそっち方面の防御力が低くなってしまっていた。

両手でスカートを抑えたせいで必殺技はキャンセルだ。

そうして動きを止めてしまったともえの背後にすそそそ、と近寄る家電セルリアン。

ガコン、と冷蔵庫の扉をあけると、中から取り出した氷を…。

「ぴょぉおおおおおっ!?!?」

ともえの背中に投入してしまった!

思わず変な声をあげるともえ。

駆け寄ったイエイヌが慌ててともえの背中に入れられた氷を取り出す。

今度は丈の短い服が幸いして簡単に氷を取り出す事ができた。

 

「このお!よ、よくもおー!!もう許さないんだからね!!」

再びジグザグダッシュから家電セルリアンの背後に回り込んだともえ。今度こそ…!

「ワンだふるアタァアアアアアック!」

と『石』へサンドスターを纏った手を叩きつけるも…

 

―ガキィン!

 

と火花を散らして弾き返されてしまう。

 

「くっ!?なんでこいつ『石』まで固いの!?『石』って弱点じゃなかったの!?」

「ともえさ…じゃない、クロスハート!危ないですっ!」

こちらに向き直って腕を振るってくる家電セルリアン、間一髪といったところでイエイヌがともえを抱えて飛び退る。

その飛び退った二人に向けて今度は電気ポットの腕部からお湯を発射してくる。

着地したばかりでまだ体勢が整っていない二人!

 

「危ないっ!イエイヌちゃん!」

発射されたお湯を今度はともえが前に出て受け止める。もろにお湯をかぶっちゃうともえだったが…。

「あれ?思ってたより熱くない…?」

電気ポットに表示されている設定温度は40度。ちょうどお風呂と似たような温度である。

ほっと一息つくのも束の間、ノートパソコンの頭がディスプレイに『電気ポット、温度上昇』と文字を表示する。

すると、電気ポットの設定温度も40度から50、60、70、90とどんどん上がっていく。

表示の通りであれば今度モロに喰らえばヤケドしてしまうかもしれない。

 

今度はノートパソコンの頭がディスプレイに『ドライヤー温度上昇。扇風機風量設定最強。必殺技ヲ使用シマス。』と表示する。

「そうか…。アイツ、頭のパソコンから指令を受けて動いてるんだ…!」

 

「ともえs…じゃない、クロスハート!攻撃が来ます!」

ともえとイエイヌ二人の二人は油断なく回避体勢に入る…が…

『クロスハート!攻撃が来ます!』

今度は家電セルリアンの脚部を形成している液晶テレビがイエイヌの声を真似る。

そこを見れば、ちょうど家電セルリアンと戦うともえとイエイヌ…、いや、クロスハートとクロスナイトの姿が映っている。

 

「テレビ部分が偽の声を出してくるかもしれないから気を付けて!」

「わかりました!」

と身構えているところに、とうとう、ピーッ。ピーッと電気ポットがお湯の湧いた事を電子音で報せてくる。

そしてドライヤーと扇風機が熱風を吹き出しはじめたところに電気ポットのお湯を粒状にして混ぜてくる。

 

『必殺技。スチームストームヲ使用。』

の文字がパソコンのディスプレイに表示される。

 

沸騰したお湯が細かい霧状の粒となってドライヤーと扇風機の風に乗ってともえ達に襲い掛かる!

「これ、見た目以上にヤバイ攻撃かも!攻撃範囲が広いし喰らったらヤケドしそうだし…!」

「はい!ともかく今はかわすしかありません!」

駆ける二人を追いかけて蒸気を伴った熱風が吹き荒れる。

屋上をそれぞれに方向をかえて逃げ回るともえとイエイヌであったが、決して屋上も広いわけではない。

徐々に逃げ場を無くしていく二人。とうとう屋上の端っこへ追い詰められてしまう。

 

その時

「おい!お前!」

と屋上の入り口から声がする。

「こここ、このゴマさまが相手だ!」

屋上の入り口からゴマが家電セルリアンを挑発しているのだ。膝がガクガクと震えてそれでも声だけは震えず家電セルリアンに挑発を続ける。

「おい!どうした!ビビってんのか!?違うんだったら勝負してみろー!!」

ともえとイエイヌを追いかけていた熱風蒸気が止んで二人は難を逃れるが今度はそれがゴマへと向けられる。

「なんて無茶を…!」

それでもどうして、とは二人は問わなかった。

ゴマがどう答えるのか二人にはわかり切っていたからだ。

そう。

友達を助けちゃいけないなんてルールはなかった。

ただそれだけなのだ。

 

「こうなったら…一撃で『石』を砕くしかない…!」

ゴマへと迫る熱風蒸気!

ともえとイエイヌが背中を向けた家電セルリアンの『石』に向けて疾る!

二人が『石』を砕くのが先か、熱風蒸気がゴマに届くのが先か…!

 

「ダブル!」

「ワンだふる!」

「「アタアアアアアアアック!」」

二人の必殺技を重ねて『石』へ攻撃するも…

 

―ガキィン!

 

とやはり『石』は二人の技をも跳ね返してしまう。

そして『石』を砕けなかったという事はゴマへ迫る熱風蒸気も止まらない。

「あ…。」

熱風蒸気がゴマを包み込む直前…。

 

―ヒュウ…

 

微かなサンドスターの輝きを伴った紙飛行機が一つ、家電セルリアンの前を横切る。

あまりにもその場にそぐわない程のんびりと飛ぶ紙飛行機に一瞬見惚れたように動きを止める家電セルリアン。

その間に一人の人影がゴマを抱えて大ジャンプでその場を離れる。

屋上に備え付けられた給水塔の上にまでひとっ飛びのその人影。

ゴマをお姫様抱っこにした人影は逆光でともえ達からは姿を確認できない。

 

「あ、あれは…」

「紙飛行機の君…!?」

徐々に逆光に慣れた二人。

その姿は大きな耳に蜂蜜色の髪、白のブラウスにヒョウ柄のスカート。二の腕までを覆うアームグローブとニーソックスもスカートと同じヒョウ柄である。

それは…

 

「サーバルちゃん…?」

ともえは一瞬そう思ったが顔立ちが違う。確かに猫科、サーバルキャットのフレンズなのであろうがそれは彼女達の知るサーバルではないように思えた。

 

紙飛行機の君は給水塔の上にゴマを降ろすと

「ここに隠れていて下さい、すぐに終わらせますから。」

と、言い置いてから給水塔の上から飛び降り、家電セルリアンと対峙する。

 

「紙飛行機の君…。一体あなた何者なの…。」

その背中に呼びかけるともえ。しかし紙飛行機の君からは…

「クロスハート!このセルリアンの『石』は6体分のセルリアンが防御力を集めているから凄く固いんです!」

と求めているのとは別の答えが返ってくる。しかし、今はその求めていなかった答えの方が重要だ。

「そうか…。それで、わたし達の牙が『石』に通らなかったんですね…。」

納得顔のイエイヌ。ならばどうするか、と思案するところに…。

 

「ボクが『石』を砕きます。お二人はあのセルリアンの注意をひいて下さい。」

「わかった。」

バッとそれぞれに散るイエイヌとともえとそして紙飛行機の君。

 

「さあ、セルリアン!こっちですよ!」

「当然こっちもね!」

「「あぁあおおおおおおおおん!」」

二人揃ってウォーハウリングの遠吠えをするともえとイエイヌ。セルリアンの注意がそちらに向いて再びスチームストームの体勢に入る。

腕の電気ポットから蒸気が吹き上がってもう必殺技を放つまでの時間はないように見える。

 

紙飛行機の君は…大きくジャンプすると空中で叫ぶ!

「チェンジシルエット…!アフリカオオコノハズクシルエット!」

 

―カッ

 

とサンドスターの輝きが紙飛行機の君の身体を包み込む。

それが晴れた時…。そこには白を基調としたコートのような衣装を身にまとい、頭に鳥系フレンズの特徴である翼を生やした紙飛行機の君がいた。

スッと音もなく家電セルリアンの背後に急降下で回り込む!

 

「チェンジシルエット!サーバルシルエット!」

 

家電セルリアンの背後で紙飛行機の君がもう一度サンドスターの輝きに包まれる。

その輝きの中から再びサーバルキャットのフレンズのような姿をした紙飛行機の君が飛び出す!

 

「あれってクロスハートのフォームチェンジと一緒!?」

と驚きを見せるともえ。

 

その間に紙飛行機の君は一気に『石』へ肉薄。

「疾風の…!サバンナクロォオオオオッ!」

サンドスターを纏った爪を叩きつける!

「うみゃみゃみゃみゃみゃみゃみゃみゃー!」

何度もサンドスターを纏った爪を叩きつけ続ける紙飛行機の君。

堅い『石』についに亀裂が入りはじめる…。が…

 

―バッ

 

と『石』を砕かれる直前、家電セルリアン達は合体解除してそれぞれに逃げ出す!

「まずい!あれでまた合体されたら……!」

「6体分のセルリアンが防御力を集めて『石』を守っていたのなら…分離した今ならチャンスだよ!」

焦りの声をあげるイエイヌに逆にニヤリと不敵な笑みを見せるともえ。

 

「あのセルリアンを一度に捕まえるにはスピードが重要…。多分ヘビクイワシフォームでも全部は捕まえきれない……。だから!」

 

ともえの持つ肩掛け鞄からサンドスターの輝きが漏れ出てスケッチブックが飛び出す。

勝手にページがめくれていき、さっき描いたゴマのページで止まる。

 

「チェンジ!クロスハート!G・ロードランナーフォーム!」

 

叫ぶと同時、ともえの身体をサンドスターの輝きが包み込む。

頭に鳥の翼とともに髪に☆のマークが散りばめられる。続けてお尻から尾羽がピョコンと飛び出して

左腕に水色のリストバンドが装着、続けて丈の短いランニングユニフォームに『Beep』の文字が入り。胸元を覆う。

そして下は足の動きを阻害しないブルマ型だ。

白のソックスに白のスニーカーが装着されて、最後にマフラーが装着されて…

「フォームチェンジ完了!」

 

G・ロードランナーフォームへと変化したともえ。

 

―ヒュン!

 

その速度は風をも追い抜く!一瞬で分離した家電セルリアン達へ追いつくと

「いえいぬ…じゃなかったクロスナイトッ!」

次々と捕まえた家電セルリアン達をイエイヌの方へぶん投げる!

 

「はい!任せて下さい!」

一体、また一体とイエイヌの方へぶん投げられた家電セルリアン達。合体状態ではない為防御の薄い『石』がイエイヌの手で次々と撃破されていく。

最後に残ったのは頭部のノートパソコンに取りついたセルリアンだけである。

「これで最後ぉ!」

とノートパソコンセルリアンに手を伸ばすともえ。

しかし…最後の悪あがきか、給水塔の前でサッと急に方向転換!

 

「へ!?」

 

あまりにスピードが乗り過ぎたともえ。給水塔の壁が迫る!

 

「遠坂さん!プールでやったあれ!」

給水塔とともえの間に割って入る紙飛行機の君。

そう、ほぼ同じ状況がついさっきあった…。

ともえは紙飛行機の君に手を伸ばす!

その手を掴んだ紙飛行機の君。身体を回して直線運動から円運動へもっていきスイングバイの要領で逃げたノートパソコンセルリアンの方へともえをぶん投げる!

「ナイス…!紙飛行機の君!」

ノートパソコンセルリアンへ迫るともえ。

 

「爆走…!スピードスタァアアアアッ!」

そのままさらに加速!すれ違い様に『石』を一撃…!

ズシャシャー!と土煙をあげながらともえが制動かけて止まると同時。

 

―パッカーン!

 

とついに最後のノートパソコンセルリアンもサンドスターへと還る。

 

「ふう。何とかなったね。ありがとう、紙飛行機の君。」

と紙飛行機の君へ歩みよるともえ。

「あれ?紙飛行機の君。さっき遠坂さん…って…。それにプールでの事を知ってるって…。」

しばらくじーっと紙飛行機の君の顔を眺めるともえ。髪色も違うし大きな耳も生えているけれど、それでもともえには一人の人物の姿が重なっていた。

「ええと…。も、もしかして紙飛行機の君って…か…」

とその名前を呼ぼうとした時、ぴ、と紙飛行機の君の人差し指でその唇を抑えられてしまう。

「後でお話しますから、今は…」

うん、とお互いに頷きあう二人。

 

「紙飛行機の君、一体何ばんちゃんなんだ…」

「クロスハート、一体何坂さんなんですか…」

 

言い合ってから再び「うん。」と頷きあう。

二人の間に何とも微妙な言いようのない空気が漂う。

 

「じゃ、じゃあ、また後日あらためて。」

 

紙飛行機の君は言いつつ大きくジャンプすると屋上から校舎の壁を蹴って姿を消してしまう。

 

「ええと…ともえさ…じゃなかった。クロスハート。紙飛行機の君と一体何を…?」

「あー。うん。そのうちお話しましょうね、って約束だよ。」

二人で紙飛行機の君が去った方角を見つめる。

 

「紙飛行機の君が来たらお茶出さないとね。どんなのがいいかな?」

「そうですね…。とりあえずともえスペシャルだけは止めておいた方がいいかと…」

「もう!イエイヌちゃんヒドイよぉ!」

二人して顔を見合わせてから微笑みあっているところに……。

 

「おい!そろそろ降ろせよな!」

と給水塔の上のゴマが悲鳴じみた文句を言うのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

その後、ゴマは二人の正体を内緒にしておいてくれる、と約束してくれた。

しかし…。

別な場所からクロスハートの名は一躍人々の知るところとなっていた。

 

時間は少しだけ遡る。

お昼くらいにようやくカフェに戻った遠坂春香。

ふ、とテレビを見ると、そこに映っていたのはクロスハートとクロスナイトという謎のヒーローが異形の巨人と戦う姿であった。

テレビ型セルリアンの能力は自身が画面に映したものを街中のテレビに映す、というものであったのだがまだ二人はそのことを知らない。

 

「これがクロスハート…。」

 

とテレビに視線を釘付けにする春香。

画面の中のクロスハートが戦う姿を見つめ…。

 

「そうだわ!録画しておかなきゃ!DVDにも焼いて永久保存版ね!」

 

その日、街中のテレビに突如として現れた謎のヒーローとしてクロスハートは本人も知らないうちに鮮烈デビューを果たしてしまっていたのだが

知らぬは本人ばかりなり、であった。

幸いだったのは、テレビに映っていたシーンは正体に言及されずに済みそうなシーンばかりであった事だろう。

 

こうして、一躍クロスハートの名は人々の噂に囁かれるようになるのであった。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第3話『紙飛行機の君』

―おしまい―

 




セルリアン情報公開

第3話登場 家電セルリアン『ジョア』
複数の家電に取りついたセルリアン。
内訳はノートパソコン、冷蔵庫、扇風機、ドライヤー、電気ポット、液晶テレビである。
一体一体は決して強くなく、イタズラする程度の能力しか持ち合わせていないが合体する事で脅威度が増す。
しかも、弱点の『石』に6体分のセルリアンが防御力を集める事で『石』をガードしているので非常に厄介だ。
必殺技は電気ポットで沸かしたお湯を扇風機とドライヤーの風に乗せて吹き付けるスチームストーム。
さらに防御に優れるフレンズが相手の場合には冷蔵庫から取り出した氷を砕いて扇風機の風に乗せて吹き付けるブリザードを追い打ちで放ち、熱膨張と収縮を利用した防御低下攻撃まで仕掛けてくる。
『石』は固いが合体状態で『石』を砕ければ一度に6体のセルリアンを撃破できる。
しかし、ピンチになると合体を解いて逃げ出すので如何にして固い『石』を砕くのかが攻略の鍵である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話『イエイヌの戦い』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

プール開き前のプール清掃に参加したともえと萌絵とイエイヌの三人。
色々とトラブルがありながらもG・ロードランナーのフレンズ、ゴマと知り合う三人。
そんな時、休日の学校に冷蔵庫や電気ポットなどの家電に取りついたセルリアンが現れる。
クロスハートに変身したともえとクロスナイトに変身したイエイヌがセルリアンと戦う。
しかし、堅く攻撃の通らない『石』に苦戦するともえ達。
あわや、というところで再び姿を現した“紙飛行機の君"
クロスハート、クロスナイト、そして紙飛行機の君の三人は力をあわせてついに家電セルリアンに勝利するのだった。

登場人物紹介

名前:遠坂 春香
好きな物:家族 フレンズ 写真
特技:家事全般 お料理
遠坂 ともえと遠坂 萌絵の双子の母親。よく姉妹と間違われる。しかも妹の方だと思われる。
自宅をカフェに改造して1階部分でカフェを経営している。家事全般が得意でお料理やお茶の淹れ方などは中々のもの。
自宅カフェの名前は娘達の名前をとって『two-Moe』であるが、馴染みの客達からは『もえもえカフェ』の名で親しまれる。
制服はメイドさんモチーフで春香、ともえ、萌絵の三人の他にもバイトのフレンズ達がいて『もえもえカフェ』の名に相応しい華やかさだ。
趣味は写真撮ってのアルバムづくりである。



けものフレンズRクロスハート第4話『イエイヌの戦い』

 

 

 プール清掃作業も、セルリアンとの戦いも無事に終わって家に帰りついたはずのともえと萌絵とイエイヌの三人。

しかし、彼女達は今まさにラスボス戦とも言うべき大ピンチに遭遇していた。

 

「ねえ、ともえちゃん。萌絵ちゃん。クロスハート、って何かしら。」

 

 家に帰った彼女達を待っていたのはいつもの笑顔を湛えた春香のその言葉であった。お帰りなさいの後に続く台詞にともえと萌絵の動きが固まる。

続けて家に帰った時の顔のまま二人揃って顔色が青くなっていく。イエイヌだけが不思議そうに春香とともえ達を交互に見比べていた。

普段は温厚を絵に描いたような春香だが、彼女が怒る事がいくつかある。そのうちの一つが危険な事をする事だ。

当然セルリアンと戦うのは危険な事だし、なんなら命賭けちゃってた部分がないでもない。

 

「アー。春香。二人がすっかりビビってるカラ、ちゃんと説明してヤレ。」

 

 後ろからラモリさんがピョイン、と飛び跳ねて躍り出る。

 

「ええと…あの…その…。」

「マズな。俺と春香が今朝からドクターの研究所に行ってたのハ知ってイルよな?」

 

 当惑を見せるともえにしょうがない、というようにラモリさんが話し始める。

 

「デ、そこデ俺のメモリに記録されタ昨日の記録映像ヲ見た。」

 

 昨日、つまりそれは群体セルリアンと大蛇セルリアンと戦った時の映像を見た、という事だろうか。

つまるところ、誤魔化したり言い逃れは通用しないレベルでばっちりクロスハートの正体が春香にはバレている、という事だ。

 

「ドクターが研究所カラ中々帰ってこれない事情トちょい関係ガあったりシタんでメモリの映像記録を再生シタのは勘弁してクレ。」

 

 そこでようやく、といったように春香が口を開く。

 

「萌絵ちゃん。ともえちゃん。」

「「は、はひっ!」」

 

 二人は直立不動、ピシリ、と固まって続く春香の言葉を待つ。遠坂家怒らせちゃいけない人ランキング堂々の第一位は春香なのである。

まな板の上の鯉の気分とはこんな感じか、と一つ勉強になってしまったともえと萌絵。二人の前でゆっくりと春香の口が開かれる。

 

「ずるいわっ!こんなカッコイイ事を内緒にしてたなんて!」

 

 とほっぺを膨らませて腕をぶんぶんさせる春香。

 

「「(そっちかー!!)」」

 

 と脱力する二人。とりあえずどうやら母親の雷が落ちる事は回避されたようだ、と内心で安堵する。

 

「それにイエイヌちゃんもかっこよかったわ!クロスナイト!頑張ってたわねっ!」

 

 と、春香は一人取り残されていたイエイヌに抱き着きモフりまくる。

 

「あ、あれ?今日はラモリさんが一緒じゃなかったよね。なんでイエイヌちゃんがクロスナイトになってる事も知ってるの?」

「ああ、それだったらテレビに流れてたわよ。ほら、録画もしておいたの。」

 

 早速、といった様子でテレビのリモコンを操作する春香。テレビは反応よく映像を映し出す。そこにはついさっき戦った家電セルリアンとの一戦の一部始終が何故か流されていた。

 

「あー。これアタシも見逃したやつだ。見たかったんだー。」

「ええ。今回もイエイヌちゃんもともえちゃんもカッコよかったわぁー。ほらほら、ここ。G・ロードランナーフォーム!」

「うわわ…。でもお姉ちゃん的にはこれはちょっとエッチいんじゃないかなって心配になるかなー。ヘビクイワシフォームの時は割と大人しめだったのにー…」

 

 と、テレビの前で萌絵と春香がキャイキャイと観戦開始。なんならお煎餅とほうじ茶でも淹れてきそうな勢いだ。

 

「いや、ちょっと待って!?なんでさっきのセルリアンとの戦いがテレビに流れてるの!?問題はそこだよ!」

 

 思わずツッコミ入れちゃうともえ。

 

「ソレは俺カラ解説しよう。」

 

 とラモリさんが再びぴょん、と飛び跳ねてみせる。

 

「映像ヲ解析した結果ナ。あのセルリアンのテレビ部分の能力は街中のテレビに自身が映した映像ヲ同じヨウニ映す事だ、と判明シタ。」

 

 つまり…

 

「この映像って街中に出回ってるって事ー!?!?」

 

 ともえの叫びがこだまする。

 

「うーん、でも一通り見たけどテレビに映った部分ってクロスハートとクロスナイトの正体部分がわかりそうなところはないみたいだねえ。」

 

 テレビに映っていたのは、ちょうど家電セルリアンのテレビ部分が映像を映し始めて撃破されるまでの間の出来事だったらしい。萌絵の言う通りだったらしくとりあえず胸を撫でおろすともえであったが…。

 

「ケドな。クロスハートって何ダ、みたいな噂話は出てるゾ。」

「お、おおう…。やっぱりそうなるよね…。」

 

 なんかもう色々ありすぎてどんな表情をしていいやら、なともえ。とりあえず今の表情を一言で言い表すならばゲンナリ、だろう。

で、一通りテレビに映ってた家電セルリアンとの戦いの観戦を終えた春香と萌絵。

テレビをリモコンで電源落とすと春香はあらためて二人に向き直る。

 

「ほんとはね。二人にもイエイヌちゃんにも危ない事をして欲しくはないけれど、みんなまたセルリアンが出たら戦いにいっちゃうんでしょう?」

「はい。わたしが皆さんを守りふぁああああああ!?」

 

 その問いに即答で答えようとするイエイヌをギュっとしてモフりまくる春香。

 

「そう…。だね。また友達やみんながセルリアンのせいで危ない目にあったりするならアタシは戦いにいっちゃうと思う…。」

 

 イエイヌをモフったままの春香を見つめ返して頷くともえ。

 

「そうよね。ともえちゃんはそういう子だもの。ちょっと複雑なところはあるけれど、ともえちゃんが誰かのピンチを見過ごせない子に育ってくれてお母さんは嬉しいわ。」

 

 ちょっとだけ困ったような苦笑を浮かべる春香。すぐに表情を戻してともえを見つめ返し、続ける。

 

「なら約束して。絶対に無理しない事。困ったらちゃんと相談する事。あと、ちゃんとおうちに帰ってくること。」

「うん。約束する。」

「内緒で無理されるよりはずっといいわ。だから頑張って。お母さん応援するから。」

「お母さん…。ありがとう。」

「あとね、イエイヌちゃんもよ。あなたももうウチの子なんですから。ちゃんと無理せず毎日おうちに帰ってくるんですからね?」

 

 言いつつ春香はさらにワシャワシャとイエイヌを撫でまくる。

 

「春香さん…。はい。ありがとうございます。」

 

 嬉しそうに尻尾を揺らすイエイヌ。その耳元に唇を寄せて続ける春香。

 

「あとね、ともえちゃんと萌絵ちゃんを守ってくれてありがとう。イエイヌちゃんも自慢の娘ですからね。」

 

 その言葉にしばらく呆けてからボム、と赤くなるイエイヌ。尻尾だけはぶんぶんと揺れていた。

そんなイエイヌをパッと離してから…

 

「あとあと!カッコよく活躍できたらお母さんにも教えてね!」

 

 春香は目をキラキラさせてともえに詰め寄る。

 

「あの…。お母さん。それは一度置いておいて、お父さんが最近忙しそうなのってアタシがクロスハートになったのと何か関係あるの?」

 

 と、さっきラモリさんが言ってた気になる事に話題をかえるともえ。

 

『それは僕から説明するよ。』

「お父さん?!」

 

 ラモリさんから別な声が響く。どうやら通信でドクター遠坂が話しているようだ。

 

『実はね、セルリアンというのは一般には知られていないけど数年前から存在が確認されていたんだ。』

「ほへー…。全然知らなかった…。」

『セルリアンは誰かに知られる前にクロスハートのような戦士がこっそり倒してたからね。知らないのも無理はないよ。』

 

 そう、今まで人知れず戦ってきた戦士、というのには心当たりがある。

 

「かば…じゃない。紙飛行機の君みたいな…?」

『そうか、ともえ達はそう呼んでいるんだね。うん。彼女もそうだとも。』

「じゃあさ…。セルリアンって例えば警察みたいなのに任せたらどうなるの?」

 

 その疑問はもっともだ。本来であれば人々の安全を守るのは謎のヒーローの仕事ではないのだから。

 

『そうだね…。難しいと思う。セルリアンは人間の使う道具に寄生してその能力をコピーして強くなる傾向がある。警察の装備をコピーされたりしたら大変な事になるからね。相性がよくないんだ。』

「じゃあクロスハートだったら…?」

『うん、戦うという点では相性がすごくいい。クロスハートもクロスナイトもサンドスターを使って戦ってるからね。セルリアンを構成するサンドスター・ローを分解してサンドスターへ変換する事ができるんだ。』

 

 どうやらセルリアンに対しては変身したともえ達が天敵ともいうべき存在になるようだ。

 

『だから、ともえ達がセルリアンと戦うつもりなら影ながら出来るだけ協力しよう、という事を今日の朝から春香さんと話し合ってたんだ。』

「あー。それでお母さん、朝からお父さんの研究所にラモリさんと一緒に行ってたんだねえ…。」

 

 納得顔の萌絵。

 

『そしてね。ちょうどイエイヌちゃんと出会った日から急激にサンドスターの活動が活発になってるんだ。』

「え…。」

 

 それに驚きの表情を浮かべるイエイヌ。

 

『そのせいでセルリアンの出現率も高くなってるんだ。だから今後もセルリアンには注意が必要だね。』

 

 そう続けるドクター遠坂の声も聞こえていないようにイエイヌの元々白い顔色は蒼白になっている。

 

「も、もしかして、わたしが来たせいでセルリアンがこちらにも…?」

 

 なるほど、ちょうどイエイヌが別な世界のジャパリパークからこの世界へやって来た日からセルリアンの出現率が高くなった、というのであればそう考えるのも無理はないように思えた。なんと声をかけていいのかわからないともえ達。

 

『いや、それは違うんじゃないかな。むしろ逆かもしれない。確かにここのところのサンドスターの活動は異常だけれどそれがイエイヌちゃんのせいだとは思えないんだ。』

「ど、どういう事でしょう。」

『うん、むしろ逆にこの事態を助ける為にセルリアンと戦える力を持ったフレンズのイエイヌちゃんをこちらに応援として送ってくれたって考えた方がしっくりくるんだ。』

 

 そう、イエイヌをこの世界に転移させたフレンズのオイナリサマ。もしかしたらそういう意図があったとしても不思議ではない。

 

『だからね、イエイヌちゃんは何も悪い事はしてないよ。むしろ感謝している。萌絵とともえを守ってくれてありがとう。これからもよろしくお願いしたいくらいだよ。』

「うんうん!そうだよ!お父さんいいこと言った!」

「ええ、ステキよ!お父さんっ!」

「今度何か好きなご飯作るからね!」

 

 手放しでともえ、春香、萌絵に褒められて通信ごしでも照れている様子が伝わってくるドクター遠坂。

 

『それは楽しみなんだけど、まだまだ帰れそうにないんだ…。』

 

 今度は通信越しでも明らかに気落ちした様子が伝わってくる。

 

『サンドスターの活動が活発になってる、って言ったんだけどね、これのおかげで研究も凄い勢いで進んでるんだ…。ざっと今までの数十倍くらいの速度でね。』

「ええ…。だからおうちに帰れる機会が減っちゃうみたいなの…。すごく残念だわ。」

 

 ほっぺに手をあてて落胆の表情を浮かべる春香。

 

『すまないけれど、留守がちになっちゃうんだ。ごめんね。春香さんも萌絵もともえもイエイヌちゃんもおうちの方はよろしくね。』

 

 言ってそれでラモリさんの通信は途切れてしまう。

 

「そっかあ…。お父さんまだまだ忙しいんだ…。イエイヌちゃんになかなか紹介できないね。」

「うん…残念だよねえ…。」

 

 そう気落ちしてみせるともえと萌絵。そんな二人に春香は一度パンと手を鳴らしてからあらためるように言う。

 

「はい、そんなともえちゃんと萌絵ちゃん、それにイエイヌちゃんにもお報せがあります。」

 

 三人とも春香の方に注目して続く言葉を待つ。

 

「実はね、イエイヌちゃんの編入試験が月曜日に決まったの。試験に合格したらイエイヌちゃんは晴れて二人と一緒の中学2年生よ。」

 

 と嬉しそうに続ける春香。

 

「「え…。」」

 

 とその言葉に再び固まる萌絵とともえ。

 

「ええっと…。月曜日って明後日だよね…?」

「ええ、そうよー。」

「ちなみに、その試験って合格しなかったら…」

「ん?そうねえ…。多分学年下げたり小学校から編入って形になるんじゃないかしら?」

 

 ともえと萌絵は顔を見合わせる。お互いに目配せで同じ事を考えているのは理解できた。

まず、小学校への編入。それは絶対にダメだ。何せ学校が違う。一緒に登校できないし、一緒に部活できないし、一緒に授業受けられないし、一緒に下校できない上に家でしか一緒にいられないではないか。中学1年生への編入であれば一緒に登校は出来るが将来的には進学時に別れてしまうだろう。

やはりベストはともえと萌絵と一緒の中学2年生への編入だ。

 だが、その為には当然編入試験に合格しなくてはならない。

中学2年生への編入という事は当然試験内容も中学2年生相当の学力を問う内容になってくるはずだ…。

二人は同時にバッとイエイヌの方を見る。急に自分の方を見られて?と小首を傾げるイエイヌ。その表情には危機感というものが全く感じられない。

 

「萌絵お姉ちゃん…。」

 

 素早くアイコンタクトを送るともえ。それに萌絵も一筋の汗を浮かべながら頷きを返す。

 

「うん…。あのね…、イエイヌちゃん…。一緒にお勉強しよっか…。」

 

 今のイエイヌの学力はようやく平仮名の読み書きができるようになった程度…。どう高く見積もっても小学1年生程度の学力しかない。

つまり、今夜と明日の間に約7年分の勉強を詰め込まねばならないのだ…。

悲壮な顔のともえと萌絵。戦力差はあまりに絶望的だ。

 

「あら、三人でテスト対策ね。じゃあお夜食とか作ろうかしら。頑張ってね。」

 

 そんな絶望的な状況にも関わらず春香は気楽な様子。しかし、そんな気楽な様子を見せる春香に気づく余裕は二人にはなかった。

 

「はいっ!ともえさんと萌絵さんと一緒にお勉強、嬉しいです!」

 

 目を輝かせて尻尾を揺らすイエイヌに過酷な一夜漬けをしなくてはならない事に萌絵とともえの二人の胸はチクリと痛むのだった。

 

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 

 一夜明けて日曜日。

ここは喫茶店『two-Moe』。遠坂春香の営むカフェである。今日はここでイエイヌの試験勉強してもいいよ、と言われた三人。

昨日の夜から引き続き、といった様子でカフェの一角に陣取って教科書やノートを広げているイエイヌ。真剣な表情で教科書とにらめっこだ。

その隣には今日は『two-Moe』の制服に身を包んだ萌絵とともえの二人が控えている。

萌絵の方がロングスカートのクラシカルメイドをモチーフにした制服なのに対し、ともえの方はミニスカートにニーソックスのモダンメイドタイプの制服だ。

お揃いのリボンがついたカチューシャも中々に可愛らしいく、これで笑顔があれば完璧だったのだが、残念ながら二人の表情は揃って暗い。

 

「ええと、萌絵さん。この掛け算、というのは2×3という書き方だと2個の塊が3つある、という事でいいのでしょうか。」

「うん、そうだよ。すごいよ、イエイヌちゃん。もう足し算と引き算も出来るし掛け算も覚えつつあるね。」

 

 イエイヌがくるり、と振り返ると揃って笑顔を向ける萌絵とともえ。そう、イエイヌは優秀といってよかった。学年一の秀才、萌絵の指導のおかげもあるだろう。

既にイエイヌは平仮名の読み書きはマスターして簡単な漢字も書けるし足し算引き算くらいの簡単な計算なら出来るようになっていた。一晩でこの成長なら優秀すぎると言っていいだろう。

そして、長時間の勉強になっていたが意外にもイエイヌは二人が一緒のせいか、よく集中力を保ち続けている。

もう小学1年生のレベルは越えているのは間違いないだろう。それでも中学2年生レベルの学力とは程遠い。戦力差は変わらず圧倒的と言っていいだろう。

 

「ねえ…、お姉ちゃん…。やっぱりテストに出そうな範囲を丸暗記しちゃった方がいいんじゃあ…。」

 

 そう、ヤマを張って丸暗記すればもしかしたらこの圧倒的な戦力差を埋める可能性も出てくるかもしれない。ともえが萌絵にした耳打ちにも一考の余地があるのではないだろうか。だが、その提案に萌絵は首を横に振って否定する。

 

「ううん、それをしない理由は二つあるの。まず一つ目ね。」

 

 萌絵は指を二本立ててみせてから続ける。

 

「まず、イエイヌちゃんには基礎ともいうべきものが一切何もないの。だから丸暗記をするっていうのはオススメできないよ。だってちょっと問題文がかわったらそれだけで対応できなくなっちゃうでしょ。」

 

 言いつつ萌絵は人差し指だけを残して…。

 

「で、こっちの方が大きい理由なんだけど、丸暗記って面白くも何ともないの。イエイヌちゃんは今はお勉強を楽しんでやってるように見えるでしょ。」

「うん…。そうだね。新しい事を覚えるのが楽しいみたいだし、問題正解したときに撫でてあげるとすっごい喜んでくれるし…。」

「一晩で色々覚えられたのも、お勉強が楽しいって思えてるからだよ。だから丸暗記の詰め込みでお勉強がつまんない、ってなるよりは地道に正攻法で小学1年生のお勉強からやっていくのが一番だと思う。」

 

 昨日一晩の快進撃はやはりイエイヌが勉強を楽しい、と思っていてくれるからこそのものなのだ。萌絵の教え方が上手いというのももちろんあるが、それを聞くイエイヌが正確に何を伝えたいのかを理解する事に長けているという犬のフレンズの習性もプラスに働いているのだろう。

 

「だから正攻法で今日一日でいけるところまでイエイヌちゃんのお勉強を出来るようにするのが一番いいと思う。」

 

 その萌絵の言葉にともえも頷く。だが、問題はそれだけではない。

 

「でも…。アタシ達が接客で抜けたらイエイヌちゃん、今の集中力でお勉強続けられるかな…。」

 

 そう。今日は日曜日。今はまだ開店時間から間もない為お客さんの来店はまだないが、この喫茶店『two-Moe』には常連客も結構いるので日曜日はそれなりに忙しいのだ。

今日はバイトの子達もいないので萌絵とともえの手伝いは必須だろう。しかし、忙しくなってイエイヌが一人になった時、それでも今の集中力を保って勉強を続けられるかは疑問が残る。

 

「ないものねだりとはわかってるけど、誰かついててくれたらいいんだけど…。」

「一応俺もイルが、やはり誰かいてくれれば心強いナ。」

 

 イエイヌが勉強道具を広げるテーブルにはラモリさんも一緒にいて勉強を見てくれてはいる。だが、やはりラモリさんの他にも誰かがいてくれれば、と願わずにはいられない。

 

―カランカラン。

 

 そんな二人の願いとは裏腹に、ドア鈴が鳴る。早速お客様だろうか。イエイヌの事は萌絵に任せてともえは接客へと回る。極力萌絵をイエイヌの側に残してともえが接客に回る作戦だ。

調理にともえが回ってしまったりしたらともえスペシャルの犠牲になるお客さんが出てくるかもしれないが尊い犠牲だ。

 

「いらっしゃいませー、お客様何名でしょうか♪」

 

 さっきまでの暗い表情からは一変、完璧なスマイルでやってきたお客さんを迎えるともえ。

 

「やあ、おはよう、ともえ君。随分と可愛らしい格好でありますな。」

 

 やってきたのは私服姿のヘビクイワシだった。今日は白のYシャツに黒のベスト、でもってネクタイを締めて下はチェック柄のキュロットにニーソックスという格好だ。

思わずともえは…

 

「ヘビクイワシちゃんの方が可愛いんじゃー!」

 

 と感想を漏らしてしまう。

 

「なになに?ヘビクイワシちゃんの私服姿ってはじめてみるよ。今日はどうしたの?遊びにきてくれた?」

 

 ヘビクイワシに纏わりつくように前から後ろから観察するともえ。ともえファンクラブとヘビクイワシファンクラブの会員が見たら垂涎ものの光景だ。

というか両方のファンクラブの会員ナンバー一桁第の遠坂春香はその光景を脳内メモリーにしっかりと記録していた。何なら写真撮りたそうにしていた。

 

「ああ、イエイヌ君の一大事と聞き及びまして。微力ながらお手伝いに来たのでありますよ。」

「もしかして、明日イエイヌちゃんの編入試験があるって聞いてたの?」

「ええ。生徒会が準備の手伝いをしたのでその関係で。それに心強い味方も連れてきたのであります。」

 

 どうやらヘビクイワシはイエイヌの為に駆けつけてくれたらしかった。思わず目頭が熱くなるともえ。と、それよりも…。

 

「心強い味方…?」

「ええ、こちらに。」

 

 とヘビクイワシが後ろを指し示すとそこには私服姿のかばん生徒会長とサーバルが立っていた。

かばんの方は赤色のYシャツに黒ベスト。それにハーフパンツという姿でサーバルの方は白のブラウスに黄色のスカート。そして首元にお揃いの黄色いリボンタイが結ばれている。

 

「も、もしかしてかばんちゃんもイエイヌちゃんの為に…?」

「はい。ヘビクイワシさんに昨日どうしても、と頼まれて…。」

「私も!私もお勉強お手伝いするよ!」

 

 はいはーい、と元気に割り込んで自己主張してみせるサーバル。そんな彼女をかばんが撫でながら

 

「サーバルちゃん、お店の中だから少しだけ静かにね。」

「そっか、ごめんね。私、また先走っちゃったよ。」

 

 自らの口元を抑えてコクコクと何度も頷くサーバル。思わずほっこりとした表情でそんな二人を見るともえ。

 

「勉強に関してならこれ以上の助っ人はいないでありましょう?サーバル君の方は置いておいて…。」

「ヘビクイワシひどいよっ!」

 

 そう。かばん生徒会長の成績は学年2位。むしろ体育なども含めた総合成績なら1位である。つまり、学年ツートップの二人がイエイヌの勉強を見てくれるというのだ。これより心強い事はないだろう。

 

「それと、G・ロードランナーのフレンズ、ゴマ様も、なっ!」

 

 さらにその後ろからヒョコリと顔を覗かせるゴマ。Beepの文字が入った青色のシャツにスパッツというやたらスポーティーな格好だ。

 

「あ、いたの。ゴマちゃん。」

「きいー!なんだよその反応はー!」

「うそうそ、ゴマちゃんももしかしてイエイヌちゃんの為に?」

「ま、友達に勉強を教えちゃいけないなんてルールはなかったからな。」

 

 とそっぽ向くゴマ。すっかりほっぺたが赤くなってしまっている。

 

「先ほどから店に入ろうか入るまいか迷ってたようであります。」

「そこお!バラすな!」

 

 そっとともえに耳打ちするヘビクイワシにゴマがびしぃ!と指を突きつける。

戦力としては不安の残るメンバーもいるようではあるが、これで当面の問題は解決した、と言ってよさそうだ。

 

「萌絵お姉ちゃん、イエイヌちゃん、みんなが応援に来てくれたの!」

 

 嬉しそうにイエイヌ達の元へ戻るともえ。

 

「あー!ヘビクイワシさん!ゴマさんっ!」

 

 みんなの姿を見つけると顔をパッと輝かせてぶんぶん尻尾を振るイエイヌ。

 

「私とかばんちゃんもいるよっ!」

「はいっ、サーバルさんとかばんさんも会えて嬉しいですっ!」

 

 自己主張するサーバルに苦笑してみせるかばんであったがイエイヌは二人にも嬉しそうな笑顔を見せる。

 

「みんな来てくれて助かったよおー。今日、アタシ達バイトだったしイエイヌちゃんのお勉強ずっと見てられなかったろうから。」

「そうでありましたか。いや、役に立てるのであれば来た甲斐もあったというものでありましょう。」

「えーっと、それでイエイヌさんのお勉強はどのくらい進んだんですか?」

 

 メイン戦力ともいうべき萌絵、ヘビクイワシ、かばんの三人がイエイヌのノートを覗き込む。何せこの萌絵とかばんの成績は学年ツートップだしヘビクイワシも成績上位者グループに入っている。

現在望める最高戦力が集結したと言っていい。

 

「ふむ…。正直見違えたのであります。既に簡単な漢字くらいなら読み書き出来そうでありますな…。」

「そうですね…。思ってた以上に進んでるみたいです。これだと四則計算だって今日中には覚えられそうですね。」

「うんうん、そこさえ覚えちゃえば後は応用が効いてくると思うから踏ん張りどころだよね。」

「足し算と引き算は桁が増えても大丈夫です!掛け算は…。まだちょっと難しいですが…。」

「いやいや、昨日の今日でそこまで出来るだけでも大したものであります。」

「はい、凄いですよイエイヌさん。これなら希望も出てきます。」

 

 ヘビクイワシ、かばん、萌絵が顔を突き合わせて作戦会議。かなり勉強は進んでいる、というのが共通認識ではあるがそれでも戦力差はまだまだ埋まっていない。

それでも昨夜からの頑張りに三人は交互にイエイヌの頭をなでなでする。それにイエイヌは満足そうに目を細める。

それをちょっと遠巻きに眺めるともえ、ゴマ、サーバル。しそくけいさん?なにそれ美味しいの?状態で別なグループを形成しつつあった。

 

「えーっと、ともえちゃん。皆は何を言ってるのかなあ?」

「教育方針の確認、かなあ。」

「お、おう。そうだな。方針の確認は重要だな。」

 

 チームお勉強苦手同盟として妙な連帯感が生まれつつあるサーバル、ともえ、ゴマの三人。

 

「ちなみに、ともえ。お前この前の中間の順位どうだったんだ?」

「えーっと学年で20位くらいかな。」

 

 学年20位。これはそれなり上位の成績にあたる。成績上位者グループの最後尾くらいに位置するポジションといっていい。勉強が得意というわけではないが普段から萌絵が勉強を教えてくれているおかげでともえも成績は中々にいい方なのだ。

 

「お前こっち側じゃねーのかよ!」

「へへー、お姉ちゃんにお勉強を教わっちゃいけないなんてルールはなかったからねー。」

「くっそぉー!ともえの裏切りものぉー!へんっ、こうなりゃ、サーバルっ!一緒に勉強しようぜっ!」

「みゃっ?うん!私もかばんちゃん達と一緒にお勉強するーっ」

「おぃい!俺を一人にするなぁー!」

 

 お勉強苦手同盟、早くも解散であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 お昼も回った喫茶店『two-Moe』

 日曜日だけあって常連さん達で結構な賑わいを見せている。ともえも萌絵も接客やら調理やらでかなり忙しい。

その間はかばんやラモリさんやヘビクイワシたちが中心となってイエイヌの勉強を見続けている。

 イエイヌの集中力は中々どうして大したもので、既に四則計算はもちろん分数の足し算、引き算すらも覚えはじめていた。

で、同じテーブルではサーバルちゃんやゴマちゃんも一緒に勉強していてなんとも和気藹々とした雰囲気である。

 しかし、ともえには一つ気になる事があった。

バイトでイエイヌ達のテーブルを離れなくてはいけない時は多々あったのだが、たまにそちらの様子を確認するとかばんと目が合うのだ。

目があって軽く手を振ってみせたり笑顔を向けてみると、やはりかばんも同じように手を振り返してくれる。

 

「(多分、あれかなー。昨日のお話したいんだけどいいタイミングがないってやつかなー。)」

 

 元々かばんとともえは同じクラスなのでそれなりに仲はよかった。

1年生の時も同じクラスではあったのだが、どちらかと言えば大人しくて目立たない感じの子だったはずだ。優しい子なので友達は多かったが生徒会長までやるようなタイプには思えなかった。

そして、1年生の時の彼女は間違っても謎の変身ヒーローとしてセルリアンと戦うようなタイプには見えなかった。

 

「(でも学年上がってから、なんかすっかりカッコよくなっちゃったんだよねえ。)」

 

 特に彼女が生徒会長に立候補してからともえはそれに気づいてしまった。元々優しい子ではあったがこうして困ってる子がいるといつの間にか駆けつけて問題を解決してしまう。先日のプール清掃いがいでも助けられた事が何度かあったりするともえである。

その評価は周囲も似たようなもののようで、生徒会長選挙では稀に見る大差での当選となったのであった。

 

「ともえちゃーん。イエイヌちゃんの陣中見舞いできたから運んでくれるー?」

「あ、はーい。」

 

 ランチタイムもひと段落ついた頃、春香の呼ぶ声で考え事を中断するともえ。

春香が作ってくれたのは手軽に食べられそうなミニサンドイッチ。定番の卵にツナマヨの他ハムレタスサンド、ベーコンレタストマトのBLTサンドと色鮮やかな大皿が出来上がっていた。

 

「わあー。美味しそう!きっとみんな喜んでくれるよっ」

「ついでだし、ともえちゃんも皆とお昼休憩しちゃって。」

「うん。お母さんありがとうっ」

 

 早速大皿に盛りつけたミニサンドイッチ達を持ってイエイヌ達の元へ戻るともえ。

 

「進み具合はどう?お母さんがご飯用意してくれたから一休みにしない?」

 

 言いつつあいてる場所に大皿を降ろすと皆に喜色が広がる。

 

「イエイヌちゃんはどう?疲れたんじゃない?」

「はい。なんだか頭がぐるぐるしますがまだまだ元気です。」

 

 健気にも強がってみせるが疲労の色は隠せなくなってきた模様のイエイヌ。ここで休憩はちょうどいいかもしれない。そう思って萌絵とかばんの方をチラリと伺うともえ。二人も同じ考えのようで揃ってこくり、と頷く。

それが合図となったのか、みんなでほっと一息、遅めのランチタイムだ。

 

「おーいしー!」

「はい、春香さんのご飯も萌絵さんのご飯も美味しいんですよ。」

 

 嬉しそうに早速サンドイッチに手を伸ばすサーバルとイエイヌ。と、期待に満ちた目でともえがイエイヌを見ている。

 

「あー…。ともえさんのは…。はい。ええと…。無茶な挑戦さえしなければ美味しいです…。」

 

 と目を逸らすイエイヌ。残念ながら調味料マシマシのともえスペシャルはやはりイエイヌも素直に美味しいとは言えない模様であった。

 

「くぅー!い、いつかイエイヌちゃんが美味しいって言ってくれるともえスペシャル作るんだからねっ!」

「諦めろ。ともえ。料理に関してはお前はこっち側だ。」

「あ、諦めないっ!諦めたらそこで試合終了だって漫画で言ってたしっ!」

 

 捕まえて仲間に引き入れようとするゴマの手をかわして、ともえはかばんの隣にストン、と腰を降ろす。

 

「あのね、かばんちゃんもお料理上手だよ。私ね、かばんちゃんのカレーとか大好きだよ。」

「ふふ。かばん君本人は?」

「もちろん大好き!」

 

 マイクを向けるかのような手の形をサーバルに向けるヘビクイワシとそれに即答するサーバル。

 

「かばんちゃんところは相変わらずだねえ。」

 

 とほっこりした笑みを見せる萌絵。対してかばんの顔は真っ赤だった。

 

「でもでも今日はかばん生徒会長とともえちゃん、なーんか怪しくない?さっきから目でチラチラしてるしー、かばん生徒会長の隣に座っちゃうしー。」

 

 そんな爆弾発言をぶっこんでくる萌絵。

 

「これはお姉ちゃんヤキモチ妬かないといけないやつかなー?んー?」

「違うよぉ!?」

「サーバルちゃん…。ライバル出現かもしれないよー?」

「え?ともえちゃんがライバルなの?いいよおー負けないよおー?何で勝負するの?狩りごっこがいいなぁー!」

 

 そんな何の話かわかってないサーバルを置いておいて

 

「そ、そういうのじゃなくて、ほら昨日のお礼まだ言えてなかったから。だからいい機会がないかなーって。」

「そうそう、そうですそうです。昨日のーってプールの事ですよね、遠坂さんっ」

 

 と二人して慌てはじめるともえとかばん。

 

「なんだ。お礼って屋上での事じゃなかったんだね。私てっきりそっちかと思ってたよー。」

「サササ、サーバルちゃんっ!?」

「あ、ごめん、屋上での事ってまだ内緒だった?私まだ先走っちゃったよ。」

 

 爆弾発言の上にに爆弾発言をさらにぶっこんでくるサーバル。慌てるかばんを見てようやく自分の失言に気が付いたようだがもう遅い。

 

「ほほう。屋上でともえちゃんとかばんちゃんにイベント発生?どんなイベントかなあー。」

「それは是非記録したいのであります。詳しく聞かせていただきたいのでありますよ。」

 

 ずずい、とサーバルに詰め寄る萌絵とヘビクイワシ。既に連鎖爆発は始まってしまったようだった。なお、彼女達の学校では屋上はそういう内緒話をする際の定番スポットである。

そこで発生するイベントは推して知るべしであった。

 

「ご、ゴマちゃんへるぷぅー!」

 

 とともえがゴマに助けを求めてみるが…。

 

「イエイヌー。頭使った後はな、甘いものを摂るといいんだぞー。お茶にお砂糖もう一つ追加しとくなー。」

「あ、ありがとうございます。」

 

 ゴマはイエイヌと安全圏で我関せずを決め込んでいた。

 

「ゴマちゃあああん!?」

「自分に被害が及びそうなガールズトークには関わらないってルールはあったんだ…。悪いな。」

 

 諦めろ、とでも言いたそうな表情のゴマ。

その後しばらくは萌絵とヘビクイワシの追及をどうにか誤魔化す事に心血を注ぐかばんとともえであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夕暮れ時が迫ってくる。喫茶店『two-Moe』はバイトの子がいない時はかなり早めに閉店する。17:00にはラストオーダーで18:00には閉店してしまうのだ。

看板をしまって店内に戻ってくる春香。閉店準備もほぼ終わりだ。彼女が店内を見回すと死屍累々とした光景が広がっていた。

ぐったりとテーブルに突っ伏すイエイヌに椅子にもたれて口から魂出てるんじゃないかって勢いの萌絵。かばんはサーバルにもたれてぐったりとしている。

 お昼休憩の後もイエイヌに必死で勉強を教えた一同。それにイエイヌもよく応えていたし、たったの一日で小学4年生程度までの常用漢字を覚えて四則計算から分数の計算なども覚えて英語もアルファベット、ローマ字、基本構文などまで理解した。

だが、その必死の努力をもってしても、ほぼゼロの状態から中学2年生レベルの学力までもっていくのは厳しすぎた。

 

「せめてあと1週間あれば…。」

 

 同じくぐったりしながら呟くヘビクイワシ。その呟きはこの場にいる誰もが同じ事を思っているだろう。

今日一日ずっと勉強漬けだったイエイヌにこれ以上の勉強は辛いだけだろう。一度休息を挟むとしても明日まではもう時間がないが徹夜で一夜漬けなど論外だ。テスト時間に集中力を欠いてしまっては本末転倒というものだろう。

 

「皆さん。本当にありがとうございます。わたし、今日は大変だったけど楽しかったです。」

 

 イエイヌはテーブルから身を起こすとまだ疲労の色が見てとれるがそれでも皆にお礼を言う。

 

「このくらいお安いご用なのです。それに私もイエイヌ君と一緒に学校に行きたかったのでお互いさまでありますよ。」

「まあな。イエイヌが一緒の学年だったら絶対楽しいもんな。」

 

 ヘビクイワシとゴマもなんとも複雑な笑顔を見せる。その願いも叶わない夢のまま終わりそうな公算が高い事を理解しているのだろう。

 

「こ、こうなったら…。何か他の手段を…。」

「いっそのこと学校のコンピューターに侵入して問題文を手に入れてくるとか…」

 

 バイトに勉強にと今日一日大忙しだったともえと萌絵の二人もかなりぐったりとした様子。思考が危険な方向に向かうのも仕方がないといえば仕方ない。

 

「あの…。それは気持ちだけで十分です。」

 

 ぐったりとはしながらもイエイヌはともえと萌絵の思考を否定する。

 

「せっかく皆さんで教えてもらった事ですもん。わたし、試験っていうので試してみたいです。」

 

 そう一同へ顔をあげるイエイヌ。その顔は決戦に臨む覚悟を決めた戦士の高潔さがあった。

 

「お任せ下さい!試験なんて全力で叩き潰してやりますよっ!」

「いや、叩き潰しちゃダメでありますよっ!?」

「じゃあ噛みちぎる?」

「なんでお前はそうアグレッシブなんだっ!?」

 

 ヘビクイワシとゴマが両側からイエイヌをわしゃわしゃする。それが下手な激励なのはその場にいる誰もが理解していた。

 

「よっし!じゃあ、後はしっかり休んで体調を万全にしたら明日の朝に軽く復習しよっ!」

 

 パンっと締めるように手を鳴らす萌絵。泣いても笑っても試験日は明日。最善は尽くした。あとは運が味方してくれることを祈るばかりである。

 そんなみんなを少し遠巻きに眺めるかばん。何か考え込むようにするかばんにそっとサーバルが寄り添って耳打ちする。

 

「ねえ、かばんちゃん。また何かするの?」

「うん?ちょっと考えがあるんだ。帰ったら手伝ってくれる?」

「任せて。私、庶務だし。」

 

 ふふ、とお互いに笑いあってイエイヌ達の輪を眺めるかばんとサーバル。

果たしてイエイヌの試験結果はどうなるのか。かばん生徒会長は何をするつもりなのか?

 

後編へ続く




ヒーロー紹介

名前:クロスナイト
パワー:B スピード:A 防御力:C⁺ 持久力:S
必殺技:ドッグバイト ウォーハウリング ワンだふるアタック
 萌絵の作った〝ナイトチェンジャー"によってイエイヌが変身した姿。
犬の頭をデフォルメしたアームガードにレッグガードと胸あてを装着し、肩から腰までの短いマントと口元を軽く隠すくらいのマフラーが翻る。
そしてほんの少し丈が短くなったスカートには白いラインが一本追加。
正体を隠す為に目元にミラーシェードが装着される。
実際はクロスナイトに変身していてもしていなくても戦力には大差がない。せいぜいほんの少し防御力が上がるくらいだ。
必殺技はサンドスターをまとった手を獣の顎に見立てたドッグバイトと両手を獣の顎に見立てたワンだふるアタックの二つ。
さらに一時的に自身の身体能力を高める遠吠え、ウォーハウリングという技も使える。
かつて住んでいた世界でセルリアンからおうちを守る為に色々な技を編み出した。その為使える技も多い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話『イエイヌの戦い』(後編)

フォーム紹介

名称:G・ロードランナーフォーム
特徴:スピード特化
パワー:C スピード:S+ 防御力:C 持久力:C
必殺技:爆走!スピードスター

 G・ロードランナーのフレンズ、ゴマとのクロスハートフォーム。特にスピードに優れているフォームだ。
鳥のフレンズなのに地上を走るのが速いのだが空を飛べないわけではない。
必殺技の爆走!スピードスターは自身の速度をさらに上げるバフ技だ。
スピード特化とは言っても最高速度を乗せた一撃は十二分に必殺技と言える火力を秘めている。



 そして運命の月曜日。

 決戦は今日の放課後。萌絵が休んで勉強見ようかと提案してくれたがそれは断った。

時間までの間、ラモリさんが着きっきりで厳格な時間管理をしながら休憩を挟みつつ勉強を見てくれた。

昨日の復習を中心に疲労が残らない程度に勉強をしながら時間を待つイエイヌ。出来る事は全てやったと言っていい。

 

「それじゃあ、そろそろ時間なので行きますね。」

 

 イエイヌは春香に挨拶をすると筆記用具を入れた筆入れを手にとる。

何度も確認したそれは今日の武器だ。メインウェポンはHBの芯を装填したシャープペン。予備弾倉が満タンなのも昨日のうちに確認済みだ。

さらに万が一の場合に備えてHB鉛筆三本をサブウェポンに。昨日のうちにしっかりと削って準備は万全だ。

鉛筆の反対側には消しゴムがついているがこれはあまり使わない方がいいと言われている。確かに消し心地はあまりよくなく消し後が汚れやすいのであまり多用はできない。だがそれでも消しゴムを落としてしまったりした時の保険としては心強い逸品だ。

 そして消しゴムも真新しいものが一つに、ずっと使っていて小さくなってしまった予備が一つ。

今日の騎士の剣がシャープペンなら消しゴムは騎士の盾だろう。武装も万全だ。

 

「ええ、気を付けていってきてね。ラモリさんもイエイヌちゃんをよろしくね。」

「アア。任セロ。」

 

 玄関まで見送りに来た春香。

 

「イエイヌちゃん、頑張ってね。」

「はい。お任せ下さい。」

 

 春香の見送りに力強く頷くイエイヌ。騎士の出陣である。

 今日はラモリさんが学校までイエイヌについてきてくれる。

余裕を持って出発した分今日はゆっくりと歩ける。もう都合三度目となる通学路ではあるが今日は決戦場までの道のりだ。歩みの一歩が重い。

やがて校門が見えてくる。その先にそびえる校舎が今日は魔王城だ。

 校舎の入り口ではともえ、萌絵、かばん、サーバル、ヘビクイワシ、ゴマの6人が待っていてくれた。

試験は一人で受けなくてはならないだろうが、それでも自分にはこんなにも心強い味方がいてくれるのだ。とイエイヌの胸には決戦への闘志が湧いてくる。

 

「お待たせしました。」

 

 イエイヌの短い言葉と表情に既にかける言葉はない事を悟った6人。短く頷きだけを返す。

だから、このタイミングでほんの一瞬だがイエイヌの表情が硬く強張ったものに変わった事に一同心配そうな表情を向ける。

この脈絡のないように思える表情が変化する理由は一つしか思い当たらない。

 

 そう。この世界に来てからも何度か嗅いだ事のある匂い。セルリアンの匂いがしてしまったのだ。

どうしてだろう。どうしてこうも上手くいかないのだろう。何も今日、今、このタイミングで出てこなくてもいいのに…。その想いがイエイヌの胸に湧き上がる。

 

 セルリアンが現れた以上、戦いにいくしかない。何せこの世界でセルリアンと戦えるフレンズはイエイヌだけなのだから。

目の前の試験は残念だが仕方がない。やはり自分が戦うべきはどちらなのか、イエイヌにはわかっていた。それでもただただ悔しい。

みんなが自分の為にしてくれた事が無駄になる事にただただ悔しい気持ちだけが膨らんでいく。

だが、それでも行かなくてはならない。自分をナイトと呼んでくれた人たちの為にも。

 

 イエイヌが校舎から背を向けようとした時、その肩が両側から掴んで止められる。

 

「へーい。イエイヌちゃん。誰かお忘れじゃないかなー?アタシもいるよ。」

「はい。イエイヌさんは何の心配もなく試験会場へ向かってもらって大丈夫ですよ。」

 

 イエイヌの肩を両側から掴んだのは一人はともえ。もう一人はかばんであった。

それぞれにイエイヌに頷いてみせる、が…。

 

「いえ…あの…その…」

 

 セルリアンの事をかばんに言ってもいいのか逡巡を見せるイエイヌ。

 

「大丈夫、この街にもイエイヌちゃんが前に言ってたセルリアンハンターみたいな人がいるんだから。ね、かばんちゃん。」

「ええ。はい、大丈夫です。」

 

 なんでかばんさんがセルリアンの事を?それにこの世界にもセルリアンハンターが?という疑問をイエイヌが口にする前に

 

「すみません、ヘビクイワシさん。イエイヌさんを試験会場まで案内して貰えますか。」

「はい、任せて頂いてかまわないのであります…が、かばん君は?」

「ええと、ちょっと一仕事できちゃいまして…。」

 

 かばんはイエイヌをヘビクイワシに預けてしまう。

 

「あの…!その…!い、いいんですかっ」

 

 なおも振り返り逡巡を見せるイエイヌに

 

「ここは任せて先に行って下さい。」

 

 と頷いてみせるかばん。ゴマとヘビクイワシがイエイヌを連れて校舎の中に入っていき、残されたのはともえ、萌絵、かばん、サーバルの4人だ。

 

「ヒーローになっちゃった以上一回言ってみたいセリフだよね。わかる。わかるよ、かばんちゃん。」

「あはは。中々ちょうどいいシチュエーションってないんですよね。今回は丁度よさそうだったんでつい。」

 

 イエイヌが消えていった校舎の方を眺めながらかばんの隣に立つともえ。肘でちょんちょん、とかばんを突くとかばんも少しばかり照れ臭そうに頭をかく。

そんな二人の元へ萌絵とサーバルが駆け寄る。

 

「えっと、かばんちゃんっ。セルリアンだよね?いくんだよね?」

「そっか…。またセルリアンが出たんだ。だからイエイヌちゃんあんな顔してたんだね…って何でサーバルちゃんもセルリアンの事を知ってるの?」

 

 駆け寄ったサーバルの言葉に萌絵が疑問を口にする。言ってもいいのかどうか迷うサーバルが口を開く前に

 

「萌絵お姉ちゃん、こちら紙飛行機の君。」

 

 とかばんを手のひらで指し示しながらあっさりと言うともえ。

 

「え?……ええええええ!?!?」

 

 一瞬何を言われたのか分からなかった萌絵。ようやく理解した時思わず驚きの声をあげる。

 

「今回はボク達に任せてもらって大丈夫ですよ。遠坂さん達はイエイヌさんについて安心させてあげて下さい。」

 

 こくり、と頷いてみせるかばん。

 

「ねえ、かばんちゃん、一つだけ条件がある!」

 

 と何故か助けられる側のはずのともえがそんな事を言い出す。

 

「遠坂さん、じゃなくてともえって呼んで欲しいな。アタシ達仲間になれそうだもん。」

「あ、そういう事ならアタシも萌絵がいいな。アタシもかばんちゃんって呼びたいし。」

 

 そんなともえ達にかばんも笑いながら頷く。

 

「じゃあ、ボク達からも一つ。次に会う時は紙飛行機の君じゃなくて……って呼んでください。」

 

 こしょこしょ、と耳元で二人に囁くかばん。

 なるほど、そんな名前だったのか。確かに優しいこの子に似合いの名前だ。紙飛行機の君よりもずっといい。と二人は揃って頷く。

 

「うん。イエイヌちゃんの試験が終わったら必ず駆けつけるから。だからそれまで持ちこたえて。」

「ええ…!?ともえちゃん…。試験って結構かかるよ?それまでには終わっちゃってるんじゃないかな…。」

 

 萌絵のそのもっともな言い分にともえは何やらウィンクして、ほら!あれ!みたいな合図をかばんに送っている。

 

「あ、ああ!ええと、コホン。………時間を稼ぐのは構いませんが……。別に倒してしまっても構わないでしょう?」

 

 言ってクスクス忍び笑いを漏らすともえとかばん。それは二人が共通して読んでる漫画の台詞だ。

そう、せっかくヒーローになったのだから憧れのシチュエーションで言ってみたいセリフの一つや二つあるというものだ。中学2年生。そういう憧れをもつお年頃でもある。

その一点ではともえとかばんは既に分かりあってしまっていた。

 

「アタシ、かばんちゃんはもう少し固い感じかと思ってた。」

「幻滅しちゃいました?」

「ううん。もっと好きになった!」

「私も!私もかばんちゃん大好きだよっ!」

 

 そんなサーバルといえーい、と手を合わせるともえ。

 

「じゃあ、遠坂さ…じゃない。ともえさん、萌絵さん。行ってきますね。いこう、サーバルちゃん。」

「うん、頑張って!」

 

 とサーバルを伴って旧校舎の方へと歩き出すかばん。二人に背を向けたかばんの顔は戦士のそれであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「かばんちゃん、何だか嬉しそうだね。」

「うん。やっぱり仲良く出来そうだなっていうのは嬉しいよ。」

「そうだよね。お友達増えるの嬉しいもんね!」

 

 旧校舎までの道を歩くかばんとサーバル。その両脇から出てきた制服姿のフレンズ達がかばんと同じ方向へと歩きはじめる。

 

「やあやあ、かばんさん。今日もセルリアン出現だなんて最近多いねえ。」

「それでもかばんさん達とアライさんとフェネックがいるのだから大丈夫なのだ!無敵の布陣なのだー!」

 

 そのフレンズ達はアライさん生徒会副会長と庶務のフェネックであった。

 

「二人も来てくれたんですね。今回も頼りにしてます。」

「はいよー!」

「アライさんにお任せなのだー!」

 

 と、4人に増えたかばん達の先で木にもたれて腕組みの姿勢で待っているフレンズがさらに二人。

 

「まったく待ちくたびれたのです。こないのかと思ったのです。」

「遅かったですね。何をしていたのですか。」

 

 言いつつかばんの後ろにつくのは先代会長と先代副会長のコノハ博士とミミ助手である。

 

「すみません、ちょっと生徒会の仕事で。」

「まったく、この学校の長の座を譲ったのだからしっかりするのです。」

「そうなのです。ちゃんと食べているのですか?」

「あはは…、はい。その辺バッチリですよ。博士先輩と助手先輩も今回もよろしくお願いします。」

「任せるのです。我々はこの学校の長だったので。」

「ええ。我々はかしこいので。」

 

 都合6人は旧校舎前の開けた場所で足を止める。そこには細長い巨大なミミズのようなセルリアンがいた。

うねうね、と蠢くセルリアンに対し、5人を残したままさらに数歩を踏み出し前にでるかばん。

 

「じゃあ…みんな行くよ!」

 

―バッ

 

 と全員が揃って左腕を前に突き出す。すると制服のブレザーの袖の下に隠れていた揃いの腕時計のようなものが露わになる。

その左腕を揃いのポーズで胸元に引き寄せて

 

「変身っ!」

 

 かばんの声が響き、続けて…

 

「「「「「「「クロスシンフォニー!!」」」」」」

 

 6人の声が重なり、サンドスターの輝きに包まれる一同。

 

「フェネックシルエットっ!」

 

 輝きが治まったとき、後ろに控えていたはずのアライさんにフェネックと博士助手にサーバルの姿は跡形もなく消えてしまっている。

そのかわり、かばんの立っていた位置にはピンクのカーディガンにクリーム色のミニスカート。大きな耳にピョコンと揺れる尻尾をもった一人だけが立っていた。

そう。彼女こそが人知れずセルリアン達と戦い街を守って来た先輩ヒーロー。その名は…。

 

 クロスシンフォニー

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 放課後の視聴覚室。

 今日はそこがイエイヌの編入試験会場として用意されていた。ここにはセルリアンの匂いも届かない。だからどうなったのかはわからない。

けれどもイエイヌが信頼するともえと萌絵の二人が大丈夫だと言ったのだから大丈夫だ。

準備してきた筆入れの中身を出して配置につける。

 試験官は今までに話した事のない教師だった。緑がかって見える髪色はどこかともえに似たものを感じさせる。

 

「今日の試験官を務める教師の星森 ミライです。試験の説明をしても?」

「はい。お願いします。」

 

 教師、ミライの言葉に頷きを返すイエイヌ。

 

「試験範囲は3教科。国語と数学と英語の3科目です。このテスト用紙一枚に全て問題文と回答欄がありますからね。」

 

 つまり、各教科ごとに区切るわけではなく、一度に3教科全ての試験を受ける、ということなのだろう。

 

「制限時間は30分。今からテスト用紙を配りますから開始の合図があるまでは裏返しのまま机に置いておいて下さいね。」

「はい。わかりました。」

「それと、後ろの付き添いの人達も試験中は静かにお願いしますね。私語はもちろん厳禁。即退場ですからね。オイナリ校長もですよ。」

 

 そう、特別に試験会場で付き添いを許可されたともえ、萌絵、ヘビクイワシ、ゴマの4人。視聴覚室の最後尾でイエイヌを見守る。そしてその一団の中にはオイナリ校長も加わっていた。

 

「わかってるよ。ミライさん。邪魔はしないから安心して。」

 

 と手をひらひらさせるオイナリ校長。これですっかり説明は終わったのだろう。ミライも満足そうに頷きイエイヌに向き直る。そして…。

 

「それでは…はじめ!」

 

 合図と共にバッとテスト用紙を裏返すイエイヌ。いよいよ決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

『やあやあ、私が一番手かあー。いやー、このセルリアン案外速いねー。攻撃力とかは大した事ないみたいだけどさー。』

 

 クロスシンフォニーの心に直接響く声、それはフェネックのものだった。

黒い細長いミミズのようなセルリアンは身を縮めたり伸ばしたり、普段の速度はそこまでではない。

だが、ゴムのような弾力のある身体で周囲に身体を引っ掛けてそこを起点にして伸ばしたゴムの反動で繰り出す攻撃はかなりの速度だ。

 鞭のようにしなる攻撃が何度も襲い掛かるがそれを最小限の動きでヒョイヒョイかわすクロスシンフォニー。

 

『私の耳は大きい分よく音を聞き取れるからねえ。このくらいの攻撃なら後ろからされたってかわせるさー。』

 

 まるで後ろに目があるかのように死角からの攻撃にも余裕の最小限の動きでかわし続けるクロスシンフォニー。

 

『それじゃあそろそろ…っと、いくよー。かばんさーん。』

「はい、まずは一撃っ!」

 

 ギリギリまで引き付けた一撃をかわして身体を入れ替えるようにしてゴム型セルリアンに手刀の一撃を叩きこんでみるクロスシンフォニー。

しかし…

 

―ビヨヨヨーン

 

 とまるで手応えがない。ゴムのような身体は伸びるばかりで手刀で切断する事はできなかった。

 

『ありゃりゃ。これはダメだねえ。私のパワーじゃあ切断はおろかダメージすら入らないかも…。』

「はい…。そういうセルリアンの能力なのかもしれません。」

『という事は交代だな!セルリアンの詳しい解析ならアライさんにお任せなのだー!』

「ですね。まずはあのセルリアンの能力を調べて対策を立てましょう。」

『それじゃあ交代前に、一応目くらまししとこうかー。』

 

 ダンッ!と大地に手を叩きつけるクロスシンフォニー。

 

「砂隠れ!」

 

―ゴォッ!

 

 っと手をついた大地から砂埃が撒きあがりクロスシンフォニーの姿を覆い隠す。ゴム型セルリアンもキョロキョロと周囲を見渡すような仕草をしているがどうやらクロスシンフォニーの姿を見つける事は出来ていないようだ。

 

「シルエットチェンジ!アライグマシルエットっ!」

『待ってましたなのだー!』

 

 カッとサンドスターの輝きに再び包まれるクロスシンフォニー。輝きが治まると今度は薄紫の上着に黒のミニスカートに縞々尻尾。アライグマのフレンズの格好をしたクロスシンフォニーがが現れる。

砂埃に隠れながら一気にゴム型セルリアンに近づくクロスシンフォニー。するり、と撫でるようにセルリアンの身体に手をあてる。

 それでクロスシンフォニーの存在に気が付いたセルリアン。ビュンッ!と身を捩ってムチのようにしなる攻撃を繰り出してくるがその時にはもう遅い。

既にクロスシンフォニーは再び砂塵の中に消えている。

 

『ふっふっふ。バッチリ触ってきたのだ!これであのセルリアンの事はまるっとお見通し!これが必殺、アライアナライズなのだー!』

 

 そう、アライグマシルエットの技の一つは手で触れたものの特性を把握するというものなのだ。名付けてアライアナライズである。なおこの技に攻撃力はないので必殺ではない。

 

『まったく、アライの技はなんでこう性格とあってないのですか。』

『そんな事ないのだー!アライさんだって賢いのだー!』

『まあ、今日のところはそういう事にしておいてやるのです。』

『ぐぬぬー!』

 

 クロスシンフォニーの心の中で賑やかに言いあっているアライさんと博士助手。それに思わず苦笑を浮かべるクロスシンフォニー。

気を取り直して把握したセルリアンの特徴をもう一度思い出す。

 

『ふむ。輪ゴムに取りついたセルリアンなのですね。』

『さしずめワゴメリアン、とでも言ったところなのです。』

 

 心の中で同じくセルリアンの特徴を思い出しているらしい博士と助手たちの声。どうやらこのセルリアンは輪ゴムの特徴をコピーしたようだ。

ゴムの特性を持っているのはわかってはいたが、問題はその弾性がどの程度かという事だろう。

 

『切り裂くような攻撃が有効だとは思うのですが…。セルリアン化した時にゴムも強化されたのでしょう。』

『ええ。おそらくトラックくらいなら吊るしても耐える程度の弾性がありそうなのです。』

「そうですね。これだとサーバルちゃんの爪でも切れるかどうか…。」

『そして切れなかったらゴムの反動を利用した手痛い反撃をしてきそうなのです。』

『どうしますか?かばん。』

 

 しばしの逡巡。だんだんとクロスシンフォニーの姿を隠していた土煙も治まってくる。もう考えている時間も残り少ないようだ。

だが…土煙が治まってその姿が再び現れたとき、そこには自信に満ちた笑みを見せるクロスシンフォニーがいた。

 

「はい。考えがあります。」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「(おかしいです……。)」

 

 イエイヌはメインウェポンのシャープペンで再び解答を書き込み問題を一つやっつける。鎧袖一触だ。

なのにイエイヌの心は晴れない。

そう、あまりにも問題が簡単すぎるのだ。既に国語を終わって数学へと問題が移っている。

だがそれも昨日の午前中くらいにはもう出来るようになったような内容なのだ。

まるで…

 

「へっへっへ、四天王最弱の小学1年常用漢字の書き取りあたりは出来てもこの俺、二桁の足し算様には手も足も出まい!貴様に繰り上がりが出来るかな!?」

 

 とでも言わんがばかりの問題文に若干の申し訳なさを感じつつも答えを書き込んでいく。

答えを書き込んだ瞬間、ばかなぁああああっ!?!?と四天王二番目の刺客、二桁の足し算が吹っ飛ばされていったような気がするが気のせいだ。

 

「(これは何かの罠…?)」

 

 あまりの問題文の簡単さにイエイヌの頭にそんな考えがよぎる。

 

「(いや………だとしても!前に進むしかないっ!)」

 

 イエイヌは四天王三番目の刺客、一桁の掛け算と割り算コンビにも口上を述べさせる暇すら与えず撃破!

さらに回答欄を進んでいく。いよいよ最後の英語エリアへと突入していくのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 いよいよ砂煙も晴れた旧校舎前。もうクロスシンフォニーを隠すものはない。

ゴム型セルリアンあらためワゴメリアンはゴムの身体をたわめて側にあった石を自らの身体で挟み込み、まるでスリングショットのように打ち出す!

 クロスシンフォニーに迫る石礫!

 

「シルエットチェンジッ!」

 

 再び叫ぶと同時、サンドスターの輝きが周囲を満たし一瞬クロスシンフォニーの姿を隠すとそこに石礫が着弾!

先ほどまでクロスシンフォニーのいた場所には石礫で抉れた地面があるのみ。誰もいない。

手応えのなさにワゴメリアンはキョロキョロ、と周囲を見渡すかのような仕草をしている。今度は視界を遮るものはなにもない。一体どこに隠れたというのか。

 

「ワシミミズクシルエット。」

 

 とワゴメリアンの頭上に茶色を基調としたコートのような衣装を身にまとった鳥型フレンズの姿をしたクロスシンフォニーがいた!

頭の翼を音もなく動かし、空中からワゴメリアンを見下ろすクロスシンフォニー。

 

「いきますよ、助手先輩!」

『まったく助手使いの荒い事ですね!』

 

 文句を言いつつもニヤリとした雰囲気が伝わってくるミミ助手の声。 

 

『もっていくのです、かばん!サンドスターありったけです!』

 

 その足先にサンドスターの輝きが集まって、猛禽の爪が形成される。

 

『「サイレントダイブッ!」』

 

 音もなく上空から急降下アタックをぶちかますクロスシンフォニー!先ほど形成した猛禽の爪でガッチリとワゴメリアンを掴むと…

 

『「いっけぇええええええええっ!」』

 

―ズガガガガガガガガガガガガガガッ!!!

 

 と急降下の勢いそのままに地面にワゴメリアンを押し付け引きずっていく。周囲にゴムの焼けるイヤな匂いが広がる。そうしてワゴメリアンを引きずって向かう先は、先日掃除して水を張ったばかりのプールだ。

今日はまだプール開きをしていない為、放課後の今、プールには誰もいない。

 

『くっ…。ここまでですね…。かばんっ!博士!後は任せます!』

 

 力技でここまでワゴメリアンを引きずって来たクロスシンフォニー。最後の一仕事、とばかりにワゴメリアンを掴んだままプール上空へ飛び上がる!

 

『よくやったのです、助手!あとは任せるのです!いくのですよ!かばんっ!』

「はい!シルエットチェンジッ!」

 

 再びプール直上でサンドスターの輝きに包まれるクロスシンフォニー。

 

『「アフリカオオコノハズクシルエットッ!」』

 

 と今度は白を基調としたコートのような服を纏った姿に変化するクロスシンフォニー。家電セルリアン戦でも見せたシルエットの一つだ。

同じく足先をサンドスターで形成した猛禽の爪に変化させたクロスシンフォニー。ワゴメリアンを掴んだまま…

 

『「ステルスダイブッ!」』

 

 今度は水の張られたプールへ急降下ダイブ。ワゴメリアンをプールの水面へ叩きつける!

 

―ズドォオオオオオンッ!

 

 と盛大な水柱が吹き上がる!

 

―ギ、ギ、ギ。

 

 プールの底で明らかに動きが固くなるワゴメリアン。

 

『なあなあ、フェネック。なんであのセルリアンは水に落とされたら動きが鈍くなったのだ?』

『それはね。水に落とされたからじゃないんだよー、アライさーん。』

『かばんはセルリアンを地面を引きずって摩擦熱で加熱した後にプールの水で急激に冷やしてやったのです。』

『熱く加熱された後に急速に冷やされたゴムは劣化してしまうのです。そして劣化したゴムは弾性を失って脆くなるのです。』

『なるほどぉ!窓際に放置した輪ゴムってすぐに切れちゃうもんね!さっすがかばんちゃんだね!』

『つまりかばんさんの作戦勝ちなのだな!やっぱりかばんさんは偉大なのだ!』

『そうだねえ。でも最後の仕上げが残ってるからねー。仕上げはやっぱりサーバルに任せるのさー。』

『うん!任せて!待ちくたびれちゃったよ!』

 

 水柱となったプールの水がまるで雨のように降り注ぐ中、飛び込み台に降り立つクロスシンフォニー。

 

「シルエットチェンジ……!サーバルシルエット!」

 

 クロスシンフォニーは最後のシルエットチェンジを叫び再びサンドスターの輝きに包まれる。大きな耳に白のノースリーブブラウス。黄色のヒョウ柄スカートに同じ柄のニーソックスとアームグローブをつけた姿にかわるクロスシンフォニー。

 

『じゃあ行くよ!かばんちゃん!』

「うん!サーバルちゃん!」

 

―ドンッ!

 

 と飛び込み台から水が半分近くにまで減ったプールへ飛び込むクロスシンフォニー!

スコールのように降り注ぐ水を吹き散らしてプールの水底で未だ体勢を崩すワゴメリアンに迫る!

 

『「疾風の……!」』

 

 その両手の爪にサンドスターの輝きが宿る。

 

『「サバンナクロォオオオオオオッ!」』

 

 爪が光条の軌跡を残し振るわれ、弾性を失ったワゴメリアンの身体が細切れになる。

最後に残ったコアともいうべき『石』を爪で切り裂いて、一度プールの底を蹴り高くジャンプした後、逆側のプールサイドへと降り立つクロスシンフォニー。

 クロスシンフォニーが着地と同時、『石』を失い細切れにされたワゴメリアンの身体はパッカーン!とサンドスターの輝きへと還った。

 未だサンドスターの輝きに照らされるプールを見て…

 

「あー…。プールの水を減らしちゃったの怒られる前に…。」

『逃げた方がいいねえ。これは。』

『ですね。かばん。さっさと逃げるのです。』

『スタコラさっさなのです。』

 

 と、水柱となったプールの水が未だに周囲に降り注いでいるが、プールの水かさは随分減ってしまっているように見える。

それに苦笑するとクロスシンフォニーは再び大ジャンプでいずこかへと姿を消すのだった。

 

 謎のヒーローは事件が解決したならクールに去るものだ。だから決して教師に怒られるのがイヤだったわけではない。

決して決して先生方にこってり絞られるのがイヤだったわけではないのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「(なっ……一体どういうことですか……)」

 

 放課後の視聴覚室ではイエイヌの戦いが続いていた。英語エリアもアルファベットの書き取り、大文字、小文字ともに全て埋めた後、いくつかの単語の意味。英文和訳。和文英訳をこなしていって最後の問題に入っていたのだが……

その最後の問題がイエイヌを苦しめていた。

その問題文は……

 

次の英語を訳しなさい。

There is a book on the desk.

 

 というものだ。

 

「(どういう事ですか…。どうなっているんですかこれは…!?)」

 

 単語の意味はそれぞれわかる。『それらは、本です、机の上。』これを英訳のルールに従って並べ替えれば、『それらは机の上の本です』になるはずだ。

しかし、それを回答欄に書く事にイエイヌの頭は警鐘を鳴らしたのだ。

 そう、『それらは、本です』というのならば『There are books』にならなければおかしいのだ。

違う、これは正解ではない。頬に流れる汗を拭うイエイヌ。一度書いた答えをゆっくりと消しゴムで消す。

問題文がまるで

 

「ほう、さすがここまで辿り着いただけの事はある。四天王最強のこの私の攻撃を見破るとはな。」

 

 とでも言っているようだ。

 四天王最強、中学1年の英語終盤に習い数多の不勉強な中学生達に不正解を叩きつけた存在。その名は……

 

「threr is構文……!」

 

 見守る萌絵が遠くで小さく呟く。そう、それは知ってさえいれば非常に簡単なのだ。

there is~で~がある、という英語の構文なのだ。つまり、正解は『机の上に本がある。』となるのである。

 

 だが、それを知らなければ途端に凶悪な初見殺しに化ける。イエイヌが最初に書いた答えのままであれば不正解、部分点すら貰えないだろう。

 

 英語に今まで全く触れた事のないイエイヌ。基本構文のルールや単語の語彙力を増やす事には力を注いだが、特殊な構文まで学ぶ余裕がなかったのだ。その事に萌絵の後悔が募るが後の祭りである。

 

「さて、どうする?諦めるかね?ここまで辿り着いただけでも大したものだと言えよう。この私を空白のままにしたところで何ら恥じる事はない。」

 

 消しゴムで消した解答欄がそう言ってくるかのようだ。ここまでの快進撃で稼いだ時間も刻一刻と減っていく。

いや、これまでの問題はイエイヌの油断を誘う為のものだったのではないだろうか。だとしたらまんまと罠にハマった事になる。

 

「(落ち着いて…。考えるんです…。この文章はおかしい。)」

 

 そう。この文章には矛盾点がある。thereという複数形とisという単数形そしてa bookという単数形が一つの文中に存在する事だ。

 

「試験時間、残り3分です。」

 

 考え続けるイエイヌに試験官であるミライの無情な宣告が告げられる。それでもイエイヌは考え続ける。加熱する思考で焼け切れてしまいまそうだ。

 

「(つまり、どっちかが間違っている!複数形は一つ!単数形は二つ!だったらこの問題文、複数形はいったん無視して考えてもいいはず!)」

 

 イエイヌは賭けに出た。もう無茶苦茶な理論ではあったが必死で思考を巡らせる。

 

「(thereの事は一旦置いておくとして、だとしたら…。主語になりそうなものはa bookしかない…!なら残りの言葉は本がどんな状態なのか説明する言葉のはず…!だとしたらこの文章の意味は…!)」

 

 イエイヌの思考がさらに過熱していく。その思考の先に一筋の道が見えた気がした。

 

「試験時間残り1分です。」

 

 自らの直感を信じて解答欄に答えを書き込みにメインウェポン、シャープペンを走らせようとする…。だが!

 

―スンッ…

 

 とシャープペンの抵抗がなくなりガクリと力が抜けたように紙に金属部分が押し付けられる。走らせたシャープペンはイヤな手応えを返し、その軌跡を紙に刻んではいない。そう、芯切れだ。

今から芯を再装填しても間に合わない。

 

「よくやったと褒めてやろう。しかし、ここまでの戦いで貴様の剣は既に限界だったようだな。だが誇るがいい。貴様は四天王最強のこの私をここまで追い詰めたのだからな。」

 

 そう最後の解答欄の空白が勝ち誇っているかのようである。

 

―パシンッ!

 

 静寂の視聴覚室にイエイヌがシャープペンを置く音が響く。諦めたのか…!?

 

 いや……!

 

 素早くサブウェポンのHB鉛筆に持ち替えたイエイヌ!ガガガッと最後の解答欄に怒涛の攻撃を繰り出す!

あとは間に合うかどうか…!

見守る萌絵もともえもヘビクイワシもゴマも、一様に両手を合わせ神に祈る。誰もが同じ事を祈った。

 

間に合え!と。

 

「そこまで!筆記用具を置いて下さい。」

 

 試験官のミライの言葉が響いてイエイヌの手からHB鉛筆がコロンと転がる。

 最後の解答欄には『机の上にあるのは本です。』という回答が書き込まれていた。

 

「ふ…。見事だ。まぐれだろうとなんだろうとこの私を倒した事…。誇るがいい…。」

 

 教師ミライの手によって回収されていくテスト用紙の四天王最強がそう言っているような気がした。

 

「ふふ…。こういうのを言うのにピッタリのことわざがありましたよね…。」

 

 全力を出し切った心地よい疲労に身体を支配されながらもイエイヌはポツリと呟く。

 

「たしか……。そなえあれば嬉しいな?」

 

 残念ながらそのことわざは間違っていたが、試験は終わったのだ。もう減点対象ではない。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 試験の終わった視聴覚室。ミライ先生の元へオイナリ校長がやってきて解答を一瞥すると二人で顔を見合わせて頷きを交わす。

 

「詳しい採点は後でするけどね。合格だよ。文句なく。」

 

 と告げるオイナリ校長。

 

「あの…。オイナリ校長。やけに問題文が簡単だった気がするんですが…。」

 

 と控えめに挙手するイエイヌ。後ろで見守っていた萌絵達もそれに頷く。

 

「うん?今日の試験はイエイヌちゃんの成長を見る為のものだからね。中学2年生に編入して本当に勉強についていけるかどうか。」

 

 と解説をはじめるオイナリ校長。

 

「まず、先週の金曜日の時点ではまったくゼロの状態だったよね。平仮名を書くのですら怪しかったっていうのを私の方で確認してたの。」

 

 そのオイナリ校長の解説に一同黙って聞き入る。

 

「で、今回のテストってね。中学2年生相当の学力があるかどうかーよりも将来的に中学2年生に追いつけるかどうかを見るテストだったの。」

「だから問題文がやけに簡単だったんですね。」

「そうだよ。」

 

 つまり、オイナリ校長の解説を聞く限り、今回のテストは問題文の難易度を下げてイエイヌがどのくらい勉強が出来るようになったのかを見る為のものだったらしい。

この試験で何点とれたかよりは、ゼロの状態からどのくらい成長したのか、が合否に大きな影響を与えるものだったのだ。

 

「私たちだって生まれたてのフレンズにいきなり中学2年生の問題を突きつけるほど鬼じゃないつもりだよ。」

 

 と、オイナリ校長は肩をすくめて笑って見せた。

 

「それと今回のテスト結果を基にしてどういう補習授業をしようか考えようかと思ってたんですけど、まさかほぼ満点をとるとは思ってなかったです。」

 

 とミライが苦笑を浮かべる。

 

「あとね、イエイヌちゃんの学習意欲の高さを証明してくれるものがもう一つ、届いてるの。」

 

 ピッと一枚の封書を取り出すオイナリ校長。

 

「これはね、ウチの生徒会長が書いた昨日君たちがやった勉強会の報告書だよ。」

「え、ええ!?かばんちゃん!?いつの間にそんなの書いてたの!?」

「た、多分あの勉強会が終わったあと家に帰ってから書いたのではないでありましょうか!?」

 

 ともえの驚きに同じく驚きながらヘビクイワシが答える。確かにそんなものを書けるとしたら昨日の夕方から今日学校に来るまでの間しかない。

 

「これを読むとイエイヌちゃんがどれだけ頑張って勉強してたかよくわかるね。まあ、試験結果の参考程度にはするかもしれないよ、うん。」

 

 とかいいつつもガッツリ参考に組み込みます、と顔に書いてあるオイナリ校長。

そう、昨日の勉強会の後にかばんが用意した対抗策がこれだったのだ。

 

「あとね。やっぱり仮保護してる家族との生活ペースを合わせた方がいいだろうから、遠坂姉妹がいる中学2年生に編入が一番いいんじゃないかなーって職員会議でも言われてたし…。ああ、あとわざわざプール清掃作業にまで参加してくれてたし…」

 

 と指折数えるオイナリ校長。どうやらその全てが今回の試験のプラス材料として加味されていたらしい。

もっとありていに言ってしまえば、イエイヌは最初からたかーーーーーーい下駄を履かされた状態で試験に臨んでいたのだ。それは本人には知らされていなかっただろうが出来レースと言ってもいいくらいだ。

 

「と、いうことは…?」

「もしかして…。」

「色々とくたびれ儲けだったんじゃねーか!?」

 

 ともえ達の疑問をゴマの絶叫が肯定してしまう。

 

「まあまあ。これで明日からイエイヌちゃんも中学2年生決定文句なしなんだから無駄ではなかったよ。」

 

 と一同をなだめるオイナリ校長。

 

「それに、ほら。」

 

 オイナリ校長はイエイヌの方を指し示す。

 

「あの…!わたし、ともえさんと萌絵さんと一緒に学校にいけるんですよね!?ゴマさんとヘビクイワシさんと一緒に勉強できるんですよね…!」

 

 ようやく合格した、という結果に実感が湧いて来たらしいイエイヌ。ぷるぷると目に涙をためて嬉しさに身を震わせている。

 

「わたし、やりましたあああああああっ!」

「「うひゃあああああっ!?」」

 

 と、ともえと萌絵に飛びつき二人まとめてめっちゃすりすりしまくるイエイヌ。もうその尻尾はどっかに飛んでいきそうな勢いでぶんぶん振られていた。

 

「まあ…まるっきり無駄骨というわけでもなかったでありますな。」

「だな。」

 

 とそれを見守るヘビクイワシもゴマも嬉しそうに笑うのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一夜明けて火曜日。

お弁当を用意する春香はとても上機嫌だ。これからのお弁当は三つ。鼻歌まじりで新しいお弁当入りの巾着を用意する。

 そして、娘達の部屋からは…

 

「ふぉおおおおお!?いいよイエイヌちゃんっ!めっちゃ絵になるぅー!」

「ほんとだね!ほんとに絵になるぅー!」

 

 という叫び声が聞こえてくる。制服姿のイエイヌはどうやら春香の想像通りくらいに可愛らしいのだろう。見るのがますます楽しみである。カメラの充電とメモリの残量を確認しながらみんなが出てくるのを待つ春香。

 

「萌絵ちゃんー、ともえちゃんー、イエイヌちゃーん。朝ご飯できてるわよー。」

 

 ゆっくりでもいいかとは思ってたけどやっぱり楽しみなものは楽しみなのだ。春香だってやっぱり早く見たいのだ。

 

「はーい、今行くねー。」

「ほら、いこう、イエイヌちゃんっ。」

「ほんとに変じゃないですか?ほんとにほんとに変じゃないですかっ?」

 

 とやってきたイエイヌの制服姿はよく似合っていた。きっと合格するだろうから制服を準備しておいてよかった、と春香は内心で笑みを見せる。

揃いのブレザーにリボンタイ。白いラインの入ったスカートは三人並ぶと非常に絵になる。

 

「ええ、とっても可愛いわ。イエイヌちゃん。」

 

 言いつつ皆を並べて写真を撮る春香。後でお父さんにも送ってあげよう、と心の中で誓う。

そして今日も綺麗に朝ご飯を完食した娘達を玄関まで見送る春香。

 

「じゃあ、三人とも、車に気を付けていってらっしゃい。」

「「「いってきますっ!」」」

 

 三人の声が揃って、そして三人での学校生活がこうしてスタートしたのであった。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第4話『イエイヌの戦い』

―おしまい―




セルリアン情報公開

第4話登場セルリアン『ワゴメリアン』

輪ゴムを取り込んでセルリアン化したもの。全長2メートルくらいのミミズのような外見をしている。
一見すると動きも遅いのだが、身体の一部をどこかに引っ掛けてゴムの弾力を活かした素早い移動や攻撃も可能だ。
また、石などを挟み込んでスリングショットのように飛ばしてきたりする。
攻撃力はあまり高くないが、鞭のようにしなる攻撃を受けるとめっちゃヒリヒリ痛い。
また、最大の特徴はそのゴムの弾性を持った防御力だ。
叩いても引っ張ってもダメージを与える事はできないだろう。また斬撃系の攻撃は効果が高いだろうが、その切れ味がゴムの弾性に負けた時はたわんだゴムによって手痛い反撃を受ける事になる。
如何にしてゴムの弾性に対抗するかが攻略の鍵になる。
力押しだけでは倒すのが難しい、見た目以上の強敵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話『おキツネコンコン。キツネ一派と探検ボクらの商店街』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 プール清掃が終わって家に帰りついたイエイヌとともえ達を待っていたのはイエイヌの編入試験という重大イベントだった。
 小学校1年生にも満たない学力から中学2年生への編入試験に向けて過酷な勉強に挑むイエイヌ。
 集まってくれた仲間達と共に悪戦苦闘しながらも勉強を進めていく。
 時間もない中、ベストを尽くしたイエイヌはついに試験本番に挑むのであるがそんな時にセルリアンの匂いがしてしまった。
 彼女の頑張りを無駄にしない為に立ち上がってくれたのはもう一人のヒーロー、紙飛行機の君ことクロスシンフォニーであった。
 クロスシンフォニーのおかげで無事に試験に臨む事が出来たイエイヌ。
 ついに合格を勝ち取り晴れて中学2年生になったのだった。


登場人物紹介

名前:星森 かばん

 ジャパリ女子中学に通う2年生。生徒会長を務めており、ともえのクラスメイト。
 困っている人を見過ごせない性格をしている。
 いつも被っているくたびれた2本羽根の帽子がトレードマークだ。
 実はクロスハートの先輩ヒーロー、クロスシンフォニーの正体でもある。
 いつも一緒にいるサーバルとは大の仲良し。周囲もほっこりとした目で見守っている。
 学業成績なども優秀で成績は萌絵に次いで2位。体育などもかなり優秀な部類で総合成績なら1位だったりする。
 なお、学園教師の星森 ミライは彼女の姉である。


名前:星森 サーバル

 ジャパリ女子中学に通う2年生。サーバルキャットのフレンズだ。
 天真爛漫元気いっぱい。ときどきドジだったりするけれどどんな時でもへこたれず周囲を気遣える優しい性格をしている。
 かばんとはいつも一緒で大の仲良し。一緒に暮らしてもいる。
 そして、かばんがクロスシンフォニーとして戦う際はサーバルも仲間としてクロスシンフォニーとなって一緒に戦う。 



けものフレンズRクロスハート第5話『おキツネコンコン。キツネ一派と探検ボクらの商店街』

 

 

 朝の通学路。制服姿のイエイヌを真ん中においてのんびりと歩くともえと萌絵。まだ制服に慣れないのかイエイヌは頬を染めて俯きながら歩いている。

 

「大丈夫、めっちゃ可愛いから!」

 

 それは偽らざるともえの本音であった。萌絵も激しく同意、とばかりに何度も頷いている。それでもイエイヌは真っ赤になって俯くばかりであった。

 

「じ、実は…。他の毛皮を着るのって初めてだったので何か落ち着かないというか何というか…。」

 

 そんなシドロモドロで恥じらいを見せるイエイヌに萌絵とともえは顔を見合わせてアイコンタクトで頷きあう。

 

―今日帰ったらイエイヌちゃんに似合う服を選んで着せてみよう、と。

 

 そうしてほんの少しのイタズラ心を膨らませつつ歩く通学路。

 今度のお休みに絶対イエイヌちゃんの服選びにいこう。きっとお母さんだって乗り気になってくれるはずだ。

 楽しい計画はどんどん進んでいく。

 

「ソウ言えばイエイヌの服に関してハ考えて無かったナ。衣食住のウチ食と住ハ何とかナッテルが衣の方モ何トカしないトな。」

「おお!さすがラモリさん!そうだよね!女の子だもん!可愛い服は必須だよね!」

 

 しばらくの間、イエイヌのサポートに、とついて来てくれたラモリさん。イエイヌに抱えられているところに詰め寄る萌絵。

 イエイヌの今まで着ていた服はけものプラズムが変化したものなので実は着替えなくても勝手に汚れを落としたりほつれを直したりしてくれる優れものだったりする。なので生きていくというだけなら服はさほど重要ではないのだがそこは女の子。生きていければいいというものではないのだ。

 そうやって賑やかに歩いていくと後ろからやってくる同じく制服姿の女の子が二人。

 

「おはようございます、ともえさん、萌絵さん、イエイヌさん。」

「おっはよー!」

 

 いつものトレードマークなくたびれた二本羽根の帽子を被ったかばんとサーバルだった。

 

「制服、似合ってますね。」

「うん!すっごい可愛いよ!」

 

 二人揃って嬉しそうにイエイヌに笑いかける。あの過酷な勉強会を一緒に乗り切った仲間なのだ。今日の結果への喜びもひとしおだろう。

 

「あ、あの…。ありがとうございます。その…セ、セルリアンの方は大丈夫だったんですか?」

 

 イエイヌは未だセルリアンの事を話すのに少しばかりのためらいを見せる。

 

「はい、大丈夫ですよ。昨日あらわれたのはきちんと倒しておきましたから。」

「ふっふーん!かばんちゃんは凄いんだから!」

 

 そんなためらいを知ってか知らずか、笑顔のままに続けるかばんにドヤ顔のサーバル。

 

「まさかかばんちゃんがいつの間にか変身ヒーローやってたなんて知らなかったよ。いつくらいからやってたの?」

「ええと、中学生になったくらいからですから1年とちょっとくらいでしょうか。」

「うん、そのくらいだよね。博士とかアライさんとかが仲間になってくれて色々あったよねー。」

 

 二人で頷きながら遠くを見るような目をするかばんとサーバル。

 

「でも最近セルリアンの出現がすごく頻繁になってるみたいなのでともえさん達も気を付けて下さいね。」

「うん、前はこんな毎日って程じゃなかったよね。」

「ドクターが言ってタ、サンドスターの活動ガ活発になってル事と何か関係ガあるのかもナ。」

 

 そんな二人の疑問にラモリさんが推測を教えてくれる。

 

「ともかく、今まで守ってくれてありがとね!これからはアタシ達も一緒に皆を守るからねっ!」

 

 そんなともえにかばんは少し驚いた表情をしてから嬉しそうに笑う。

 

「はい、頼りにしてますよ。クロスハート。」

「うん、こちらこそ、クロスシンフォニー。」

 

 言って二人で忍び笑いを漏らす。

 

「わ、わたしも!今度はわたしも皆さんをお守りしますからっ」

「はい、クロスナイトも頼りにしてますから。」

「はいはーい!私も負けないよおー!」

 

 そんなイエイヌに柔らかく微笑むかばんに元気に割り込むサーバル。今日も朝から賑やかだった。

 

「ともあれかばんちゃん。アタシ達セルリアンの事、色々知らない事だらけだから今度教えて欲しいんだ。」

「あ…そうですね。うーん…話すと長い事になりそうですから時間をとって説明したいですね…。」

 

 萌絵の提案に考え込むかばん。やがて、ポンと手を打ち指を一本立てるとやたらと真面目な表情で続ける。

 

「差し当たって急を要しそうな事なんですが…。」

「「「うんうん。」」」」

 

 真面目な顔をするかばんにともえも萌絵もイエイヌも同じく真剣に顔を寄せて聞き入る。

 

「変身するとお腹が空きやすくなります。」

「「「うんうん……え?」」」

 

 そして飛び出した言葉に一同思わず変な顔になる。

 ちょっと唐突すぎやしませんか、かばんちゃん。とでも言いたげな様子だ。

 

「変身して戦うと身体の中のサンドスターを消費するんですが、それを補給する方法が食事と休養なんです。」

「うんうん!博士達もいっつも言ってるもんね!ちゃんと食べろーって!」

「で、身体の中のサンドスターを大量に消費するとお腹が空いちゃう、というわけなんです。」

 

 そのかばん達の補足説明に続けてさらにともえ達の後ろから声が掛けられる。

 

「だいたいの食事にはサンドスターが含まれているのです。それは原材料となる野菜なんかがサンドスターを取り込んで成長しているから、なのです。」

「これをモグモグ生物濃縮、というのです。モグモグ生物の授業で習うのです。きちんと勉強していますか。モグモグ。」

 

 後ろから声を掛けてきたのは二人。先代生徒会長の博士と先代副会長の助手の二人である。ちなみに助手の方が何故かおむすびを齧りつつの解説であった。

 

「もー。おしゃべりする時は食べ終わってからの方がいいよー。」

「何を言うのです。助手は昨日めちゃくちゃ頑張ってたのでサンドスター補給の為には仕方がないのです。」

 

 サーバルが助手のほっぺについてるご飯粒をハンカチで拭ってあげるが博士の方はそうしてぷんぷんしてみせる。

 

「あ、ちなみに博士先輩と助手先輩もボク達の仲間なんです。」

「ええ。話は大体理解していますよ、クロスハート。」

「ええ。我々はかしこいのですよ、クロスナイト。」

 

 紹介されると胸を張ってふんぞり返ってみせる博士助手。ちなみに身長はこの場の誰よりも低いのでなんだか可愛らしくしか見えないのだ。

 

「お前達もセルリアンと戦うのならちゃんと食べるのです。腹が減っては戦はできないのです。」

「そうなのです。美味しいものを食べてこその人生なのです。」

 

 そんな博士と助手の言葉にんー、と思い出すともえと萌絵とイエイヌ。確かに思い返してみると最近食事の際に食べる量が増えているような気がする。ともえも昨日はおかわり2度していたし。

 イエイヌもついついたくさん食べてしまうのは春香と萌絵のご飯が美味しいからだったのだが、確かに以前はジャパリまん数個で十分だったのが食事量が増えている気がする。

 

「そっか…。じゃあ美味しいご飯沢山つくらないとね。」

「ほうほう。遠坂萌絵は話が早いのです。」

「美味しい料理が出来たのなら我々にも食べさせるのです。」 

 

 そうやってわちゃわちゃ、と博士助手にまとわりつかれる萌絵。二人にまとわりつかれて顔がデレっと緩んでいた。

 

「あー!いいないいな、萌絵お姉ちゃんいいなっ!アタシも!アタシもともえスペシャル作るから博士先輩と助手先輩モフってもいい!?」

「そ、それは止めておいた方がよいのではないかと…」

 

 羨ましそうにするともえをイエイヌが止める。そう、犠牲者は少ない方がいい。

 

「もう!イエイヌちゃんったらひどいよぉ!」

 

 とか言いつつイエイヌをわしゃわしゃモフモフしちゃうともえ。ついでのモフモフ成分補給でもあった。

 

「さて、我々は今日は図書当番なのです。先に行っているのです。ともえ、萌絵、イエイヌ。いずれまたなのです。」

「ええ。それまでちゃんと食べて元気でいるのですよ。」

 

 二人は頷きあうと小走りで駆けだそうとする。

 と、助手だけが一度くるり、と振り返って

 

「ちなみに、かばんの仲間になってよかった事が二つあります。一つはご飯が美味しくたくさん食べられるようになった事と…」

 

 一同、もう一つは?と続く言葉を待つ。

 

「たまにこうして博士が世話を焼いてくれることです。」

 

 嬉しそうにふふ、と笑うといつものポーカーフェイスに戻って博士を追いかける助手。その先では博士が学生鞄から取り出したおむすびを助手に手渡していた。

 いつもとは逆に博士が助手のお世話をしているのは中々にレアな光景なのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 それからは順調な学校生活のスタートだった。イエイヌが割り振られたクラスはB組。萌絵とヘビクイワシが一緒のクラスである。

 ともえは凄く残念がっていたがまあ仕方がない。休み時間のたびにクラスメイトのかばんとサーバルを伴って遊びに来ていた。

 ちなみに、A組がともえとかばんとサーバル。B組が萌絵とイエイヌとヘビクイワシ。C組がゴマとアライさんとフェネックが所属するクラスになる。

 編入の自己紹介も無事に終わり席も萌絵の隣で一安心のイエイヌ。それもともえはとても羨ましがっていた。

 昼休みにはみんなで集まってお弁当タイム。ともえと萌絵とイエイヌにヘビクイワシとゴマも合流して楽しくお弁当を食べて、そして午後イチの授業は…

 

「ふっふっふ。この時間を待っていたっ!!」

「ともえちゃん、テンション高いねえ。そりゃあ体育の授業だから張り切るのはわかるんだけどね。」

 

 と、体操着に着替えたともえ達はグラウンドに集合していた。その隣には萌絵もイエイヌもいる。そう、体育の授業は3クラス合同なのだ。

 

「つまり!アタシもイエイヌちゃんと一緒に授業受けられるんだよっ!」

「今日の張り切りポイントはそこだったかぁー。じゃあバッチリいいとこ見せてね。ついでにファンクラブ会員のみんなにも。」

「ファンクラブの方はともかくお姉ちゃんとイエイヌちゃんにいいとこバッチリ見せてあげるんだからっ!」

 

 ふんすふんす、と鼻息荒く張り切って見せるともえ。しかしそこに…。

 

「おおっと、そうは問屋が卸さないぜ!体育だけは5確定系女子遠坂ともえ!」

「なにその愉快なあだ名!?でもそんなに間違ってない!っていうか誰!」

 

 バッと振り返るともえ、その先にいたのはG・ロードランナーのフレンズ、ゴマであった。

 

「今日の体育の授業はハードル走だからな!俺様の独壇場だぞ!例え相手がお前でも負けないぜっ!」

 

 そう、ゴマは陸上部。しかも最も得意とする種目はハードル走なのだ。何せハードル走だけなら昨年の新人戦でも良成績を残して次期エースの呼び声だって高いのだ。

 

「あと俺様もせっかくだしイエイヌにいいとこ見せたい!」

 

 勉強会ではあまり戦力になれなかったゴマ。こちらもここぞとばかりに張り切っているのだった。

 

「お、どうした?ともえ。ビビってんのか?違うんだったら勝負してみろー。」

「ぐぬぬー!素人相手に大人気ないっ!でも負けないんだからっ!」

 

 なんだか賑やかに火花を散らすゴマとともえ。

 ちなみにこのハードル走という競技、陸上競技の中でもかなりテクニカル面やメンタル面が重要な競技でもある。

 ただ足が速いというだけでは好成績は望めない。ハードルを飛び越える際にしっかりと上体を倒して被せるようにしないとスピードが落ちてしまうのだがこれが結構な恐怖なのだ。ついつい腰が引けてしまってスピードが落ちる。スピードが落ちれば次のハードルを跳び越す勢いが足りなくなる。それが足りなくなれば次のハードルも跳び越せなくなってくる、と悪循環が続くのだ。

 ハードルを跳び越す際のフォーム、タイミング、そして自分の力を信じてハードルに突っ込む精神力と軽く挙げただけでもフィジカル以上にテクニック、メンタルが重要な競技なのだ。

 それは現在スタートしたかばんとサーバルの組でも明らかだ。

 ハードルが並ぶエリアに来るまではサーバルが優勢なのだが、それにハードルジャンプが加わってくると途端に形成は逆転する。サーバルもバネを活かした綺麗なジャンプを見せているのだが上体が倒れ切っていないせいでわずかにスピードが落ちているのだ。

 対するかばんはまさに最小限のジャンプでハードルをクリアしていく。しっかり上体も被せるように倒して高く飛ぶよりもハードルを跳び越して前に進む事を重視した綺麗なフォームだ。まさにハードル走のお手本と言っていい。

 普段の短距離走ならサーバルに分があったのだが今日はかばんの勝ちのようだった。

 話は戻ってともえVSゴマの一戦は下馬評でいうならともえよりも陸上部のゴマの方がテクニカル、メンタルの両方で有利なように思えた。

 

「けど、それで勝負を降りるアタシじゃないんだからねっ!」

 

 そして次にスタートする組の番がくる。ゴマ、ともえ、そしてイエイヌも一緒の組だった。

 

「へっへっへ、悪いな、イエイヌ。俺様の背中をしっかりと見せてやるぜ。ついでにともえに勝つところもな!」

「なにおー!イエイヌちゃんの前で負けるわけにはいかないんだから!たとえ相手がゴマちゃんだってそう簡単にいくなんて思わないでよねっ!」

 

 早くもイエイヌの両脇のコースで火花を散らすともえとゴマ。それを両側にキョロキョロ視線をやって嬉しそうに笑うイエイヌ。

 

「はいっ!ともえさんとゴマさんと一緒に走れるんですよね!楽しみですっ!」

 

 そんな賑やかな組がそれぞれにクラウチングスタートの体勢。スタートの合図を待つ。

 

―ピッ!

 

 スタートの合図となる笛の音が響く、と当時全員が弾かれたように駆けだした!

 

―ドヨッ…

 

 と不思議な歓声が沸く。それもそのはず、クラウチングスタートを切った一同、なんとイエイヌが4足歩行の獣のような走りでゴマとともえのトップ集団についていっていたからだ。むしろトップだった。

 フォームは無茶苦茶だけど、それでも速い!

 だが、重心を落としたその体勢ではハードルを跳び越えられないのではないか…。そう見守る一同が懸念する中、イエイヌは身体を伸ばした綺麗なジャンプで第1ハードルをクリア。そのまま次のハードルも綺麗な踏切から四足の獣のようにジャンプ!まるでドッグランを駆け回る訓練された猟犬のように華麗に跳び越していく。

 しかし、四足走行では重心が低い分ジャンプは不利だ。それで両脇のコースにいるゴマとともえがそれぞれに追いつく。

 二人とも綺麗なフォームでハードルをクリアして一気にイエイヌを追い抜く…!が…。

 

「わはぁ!」

 

 イエイヌはそれで逆に瞳を輝かせた。目の前にともえとゴマの背中があってそれが少しずつ遠ざかっていく。それがイエイヌの中の何かをくすぐる。

 イエイヌにとっては初めての体育の授業でドッグランに追いかけっこ。テンションはマックスを振り切れていた。つまり、イエイヌの今の気持ちは……。

 

「すごい!なんでしょうこれ!?たーのしーですぅうううう!」

 

 ともえとゴマの後ろを走るイエイヌ。ハードルを変わらずの四足走行からからのジャンプでクリアしていく。

 無茶苦茶なフォームではあったがともえとゴマの背中を追う。追えてしまっている。

 一体どれだけの身体能力があればそれを成し遂げられるというのか。

 先にハードルエリアをクリアしきったともえとゴマ。ほぼ横一線といっていい。それをほぼ間をおかずにイエイヌが追う形だ。

 先に見せた速度から言えば障害物なしの残りの距離でイエイヌが二人を追い抜く、と誰もが予想していた。つまり、この勝負を制するのはまさかのイエイヌか。

 だが…

 

「おいぃい!?なんで俺らを追いかけるんだー!?」

「ちょおおお!?イエイヌちゃんー!?」

 

 イエイヌはそのままともえとゴマの後ろを追走する形で追いかけていた。と、いうよりはハードル走がいつの間にか追いかけっこにかわっていた。

 そのままほぼ同着の形でともえとゴマが先着ゴールを切ってイエイヌがそれに続く。が…ゴールを過ぎてもなおも三人の追いかけっこは続いていた。

 

「もうゴールしただろー!?何で追いかけるんだー!?」

「むしろ何で逃げるんですかー!追いかけたくなっちゃうじゃないですかー!」

「イエイヌちゃんー!?ステイ!すてーいっ!?」

 

 結局、グラウンドじゅうを駆け回るハメになっているともえとゴマ。運動能力には自信ありの二人を相手に互角以上に駆け回っているイエイヌに他の生徒達も唖然とした様子で見守っている。

 

「ああ……。これはちょっと大変な事になっちゃうかも…。」

 

 その追いかけっこを見守るかばんがポツリと呟く。その視線の先にあるのは校舎だ。その校舎の窓からは複数の視線がイエイヌ達の追いかけっこに注がれている。

 そんなかばんの心配を余所に続いている追いかけっこではイエイヌがとうとうともえに追いついて捕まえてごろごろと地面を転がっていた。

 ともえを組み敷いた状態のイエイヌ。ハァハァ、と全力疾走ですっかり荒くなった吐息で見つめあう。

 おや?このシチュエーションはあのセリフを言ってみるチャンスじゃないだろうか。ともえの頭にそんな考えが浮かぶ。

 思いついたら即実行。

 

「た、食べないでー!」

「食べませんよっ!」

 

 知ってか知らずかイエイヌは正確な答えを返すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 そんなこんなで体育の授業でちょっとしたトラブルはあったものの初日の授業はつつがなく終了したと言っていいだろう。

 イエイヌも満足しているようで始終尻尾がぶんぶん振られていた。今日の授業は全て終了してホームルームも終了。ともえも合流してさて放課後はどうしようか、と言った相談を開始しようとしているところであった。

 

「うーん。どうしよう?どこかの部活見学とかいってみる?」

「今日は美術部の活動日じゃないもんねえ。」

 

 そうして考え込んでいると…

 

「それなら陸上部に遊びに来てみないか!一緒に走ろうじゃないか!」

 

 と唐突に背後から声を掛けられる。そこにはいつの間にやら立っている3年生陸上部部長のプロングホーンがいた。

 

「急にごめんねー。ほら、今日の体育でアンタ達が追いかけっこしてるの見てプロングホーンがイエイヌを気に入っちゃったみたいでさ。よかったら見学だけでもって誘いに来たのよ。」

 

 同じく3年生、陸上部副部長のチーターもやって来ていた。3年生が唐突に教室に現れた事に一瞬騒然となりかけるもそこはしっかりとチーターがフォローしていた。

 

「イエイヌ!お前のフィジカルなら県大会…いや、全国大会優勝だって夢じゃないぞ!な、一緒に走ろう!あの夕日の向こうまで!」

 

 キラキラとした目でイエイヌに詰め寄るプロングホーン。しかし…

 

―ビュッ

 

 と何か棒のような物がプロングホーンとイエイヌの間に割り込まれる。それは丸めた新聞紙だった。

 

「おおっと。抜け駆けはよくないぞ?プロングホーン。私たち剣道部もどうだ?実戦的な稽古は楽しいぞー?」

「お前は…ヘラジカッ!」

 

 その丸めた新聞紙を突き入れてきたのは3年生、剣道部副主将のヘラジカである。その後ろには同じく3年剣道部主将のライオンが「ほどほどにねー。」と欠伸しながら控えている。

 

「まあ待てよ。先輩方。俺たち空手部だってイエイヌを勧誘に来たんだぜ。今年こそキンシコウ先輩を全国まで連れていくんだからな!」

「ほう。2年、空手部所属オウギワシに3年空手部主将キンシコウ…。いいだろう。相手にとって不足なし!」

「あー…いやいや、ヘラジカさん?私たちは別に争いに来たわけでは…」

 

 さらに現れた2年オウギワシと3年キンシコウの二人。こちらは空手部のようだ。後ろの方で控えめにしているのがキンシコウなのだろう。

 

「ヘビクイワシのヤツが生徒会にいっちまったからな。空手部が全国に行くためにはここは譲るわけにはいかないのさ。」

「ふっ…。それはどこの部活も変わるまい。あれ程の身体能力の新人。放っておく手はないのだからな。」

「そしてどこの部も同じ事を思っているだろう。他の部に渡す気はない。とな!」

 

 バチバチと火花を散らすオウギワシにヘラジカとプロングホーン。

 

「はいはーい!私も勧誘に来たよー!あ、私ね、バンドウイルカのドルカ!水泳部なのっ!」

「わたぁーしはぁー♪トォキィー♪仲間をー♪探してるぅー♪あ、ちなみに私は合唱部ね。」

「私はカンザシフウチョウ。今ダンス部に入ってくれたらこの黒より黒い漆黒の衣装をプレゼント!」

 

 どうやら放課後まで待っていた各部活。一斉にスタートしてイエイヌのいる2年B組のクラスへ集まってきたようだ。

 既に教室は勧誘にやってきた各部のヒトやフレンズで収集つかない事になっていた。

 一部運動部じゃなくて文化部も集まっているあたりに混乱ぶりがうかがえる。

 

「じゃ、アタシ達はそういうことでー…」

 

 こそこそ、と抜き足差し足で教室からの脱出をはかるともえ達であったが…

 

「おおっと!そうはいかんぞ?貴様達はこの剣道部が貰い受ける!」

 

 ビュンっと振るわれる丸めた新聞紙。それを後ろに飛び退ってかわすともえとイエイヌ。

 

「アンタもちゃっかりともえまで争奪戦に巻き込んでんじゃないわよ…」

 

 と呆れ顔のチーターだったがその一言に場の空気がさらに加熱した。何せともえは各部の助っ人要請に応じて練習の手伝いをしたり、人数の足りない練習試合に参加したりして活躍してきた。その実力は折り紙つきなのだ。

 有望な新人に加えて有力な助っ人を専属に出来るとあればまさに火に油を注いでしまうようなものだろう。

 明らかに目の色がかわった一同に…。

 

「よし、逃げよう。」

「あ、はいっ!」

 

 ともえとイエイヌはとりあえず教室から逃げ出した。萌絵の方は後で落ち合うしかあるまい。それを理解しているのか萌絵はラモリさんを抱えたまま、頑張ってねーとばかりに気楽に手を振っていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 放課後の校舎はまさにどったんばったんの大騒ぎになっていた。

 逃げるともえとイエイヌを追いかける運動部の面々。さらに野次馬や穏健派やよくわからない各種勢力が入り乱れての各部活対抗大乱戦が始まっていた。

 

「待て!お前達!空手部に来い!」

 

 とオウギワシが振るう拳を

 

「こら!オウギワシ君!あまり無理な勧誘は感心しないのでありますよ!」

 

 とヘビクイワシがガードする。

 

「いやいや、お前が空手部に来てくれてればだなあ!って今はその話はどうでもいい!」

 

 と思わぬ場所でオウギワシとヘビクイワシの戦いが展開されていたり…

 

「ふむ。空手部主将、キンシコウ…一度戦いたいと思っていた。」

「あのー…。なんでこんなことに…。」

 

 ヘラジカVSキンシコウの一戦に沸き立つギャラリー達がいたり。

 

「ふふーん!私たちが陸上じゃ遅いと思った?水泳は全身運動!水泳で鍛えた身体は地面を走ったって速いんだから!」

「お前もやるなあ。このまま夕日の向こうまで走らないか!」

「待って下さいプロングホーン様ぁ!」

 

 ドルカVSプロングホーンの競争を追いかけるゴマなんてよくわからない勝負が発生してたり。

 そしてそれを観戦して声援を送るギャラリーたち。もうすっかり当初の目的を見失ってる者まで出ているようだ。

 そんな中を逃げ回るともえとイエイヌ。特別教室棟へと差し掛かっていた。

 と、特別教室棟の教室が一つ、ガラリ、と開くとピョコン、と三つの耳が覗く。それはキツネ達の耳だった。そのうちの一人はオイナリ校長である。

 ちょいちょい、と手招きするオイナリ校長。

 ともえとイエイヌは一度顔を見合わせると、うん、と頷きあってオイナリ校長が手招きする特別教室へと滑り込む。

 二人が滑り込むと同時、教室のドアをそっと閉じるオイナリ校長。

 しばらくの間みんなで息を潜めているとドタドタと複数の足音がドアの向こうを遠ざかっていって静かになる。

 それに安堵の吐息を漏らすともえとイエイヌ。

 

「二人とも平気かしら?」

 

 と笑うオイナリ校長、その後ろから二人のフレンズがともえ達を見ていた。

 

「あ、ありがとうございます、オイナリ校長先生とそれと…ええと…」

 

 と、そのオイナリ校長の影から覗き込んでいる二人を見やる。

 

「あ、私はギンギツネ。1年A組です。それとこっちのキタキツネも同じく1年A組。私の幼馴染です。」

 

 と銀髪に黒い耳をもったフレンズが一歩出て挨拶してくる。それに挨拶を返すともえ。もう一人のキタキツネと呼ばれたフレンズの方は恥ずかしそうにギンギツネの後ろに隠れたままだった。

 

「ええと、助けてくれてありがとうね。」

「はい、急に追いかけられてビックリしてたので助かりました。」

 

 お礼を言いつつ周囲を見渡すともえ。ここは和室なのか畳の匂いがする。招かれるままに入ったここは一体どこなのだろう。

 おそらく萌絵も心配しているだろうから携帯電話ででもメールを入れておかなくては、とともえはスカートのポケットを探って携帯電話を取り出す。とにもかくにも現在位置の把握だ。

 

「あのー。ここってどこなんでしょう?」

「ここは茶道部の部室だよ。私はここの顧問なの。この子達は茶道部の部員ね。」

 

 と答えるオイナリ校長の袖をちょいちょい、と引くキタキツネ。

 

「違う。オイナリ校長先生。ここは茶道部じゃない。」

「ええー……。キタキツネ…。やっぱりアレやるの?」

「うん、やるの。」

 

 と、何やら逡巡を見せるギンギツネとキタキツネ。それにやれやれ、と言わんがばかりにスクリと立ち上がるオイナリ校長。

 

「ええい!もうこうなりゃヤケよっ!」

 

 ギンギツネは叫びつつ立ち上がりバッとポーズをとる。

 

「茶道部とは仮の姿っ!私たちはっ!」

 

 手でキツネの影絵の形を作るギンギツネとそれに習うキタキツネ。

 オイナリ校長はセンターで何やら随分と可愛らしいポーズをとる。

 

「「私たちはオイナリ校長先生の会!」」

 

 じゃーん、とでも言いたげな様子で決めポーズ!

 とりあえず勢いに押されておおー。と拍手を送るともえとイエイヌ。

 

「えっと…。そのオイナリ校長先生の会ってなあに?アタシ初めて聞いたよ。」

 

 というともえに詰め寄るキタキツネ。やたらキラキラとした目を向けてくる。

 

「あのね、オイナリ校長はすごいの。私たちキツネのフレンズにとって神様みたいな存在。だからそれを崇め奉るのがオイナリ校長先生の会なの。」

 

 そんなキタキツネの言葉にオイナリ校長の方を見やるともえとイエイヌ。

 

「あはは。ずっと昔に私のご先祖様くらいの頃にはそういう不思議な力もあったみたいなんだけどね。今はちょっと縁起のいいキツネのフレンズって程度なんだけど…。」

 

 とほっぺをポリポリしつつ言うオイナリ校長。ほっぺを赤くして照れているようだ。

 

「それでもいいの!オイナリ校長は凄いんだからっ!」

「まあ…確かに私たちはオイナリ校長先生のおかげで色々助かってるわね…。」

 

 目をキラキラさせるキタキツネにギンギツネも苦笑しながらも頷いてみせる。

 

「ん?オイナリ校長先生はこの子達に何かしてるんですか?」

 

 ギンギツネの物言いに興味をそそられたともえ。オイナリ校長に視線を向けて訊いてみる。

 

「ああ。この子達のウチはね。色鳥町商店街のお店なの。それでね、私ってこれでも一応商売繁盛とかのご利益のあるキツネってことで色鳥町商店街の名誉顧問なんてさせてもらってるのよ。」

「うん、オイナリ校長は凄い!売上倍増!大型ショッピングモールも目じゃないっ!」

 

 確かにともえ達の暮らす色鳥町には大型ショッピングモールなどもあるが、商店街も活気に満ちている。その活気の要因がオイナリ校長にあるのだとしたら…。俄然興味が湧いてくるともえ。

 

「と、いうわけで私たちはオイナリ校長先生を崇め奉る部活、オイナリ校長の会を作ろうと思ったんですが…。」

「部活作る申請却下されたからとりあえずオイナリ校長が顧問をしてる茶道部を乗っ取る事にした!」

「人聞き悪いわよ、キタキツネ。茶道部って部員がいなくて休部状態だっただけよ。」

 

 そんなキタキツネとギンギツネの解説に困ったような顔で笑うオイナリ校長。

 

「私自身何かしてるわけじゃないんだけど、まあ慕われたら悪い気はしないからね。」

「そんなことない…!オイナリ校長なんだかんだちゃんとしてる!今日も商店街で校外活動の予定…!」

 

 やたらとキラキラした目を向けてくるキタキツネ。どうやらオイナリ校長先生の会に興味を持ってくれているのがたまらなく嬉しいのだろう。その尻尾が揺れている。

 こうなってくるとオイナリ校長がどんな事をしているのかますます気になって来たともえとイエイヌ。好奇心が既に抑えきれないところまできていた。

 ともえとイエイヌは一度顔を見合わせて頷きあってから訊いてみる。

 

「あの、オイナリ校長先生。どんな活動をしてるのか気になってるんですが…茶道部…じゃなかった。オイナリ校長先生の会って見学できますか?」

「うん。私はかまわないよ。二人とも今日は校内にいても運動部の子達に追いかけられそうだし校外活動の方がちょうどいいかもしれないものね。」

 

 そんな言葉にさらにキタキツネの目が輝きを増した。

 

「やった!すごいよギンギツネ…!一気にオイナリ校長先生の会に二人もっ!」

「いやいや…ただの見学だから。」

「じゃあ二人も一緒にポーズの練習しようっ!」

「もう、先輩方に失礼でしょっ。」

 

 ともえをぐいぐい引っ張るキタキツネに苦笑するギンギツネ。とりあえず都合の悪い部分はキタキツネの狐耳には届いていないようだった。

 

「あ、アタシもちょっとやってみたいかも。こんな感じ?」

「わたしもっ、わたしもやりますっ」

 

 案外ノリノリで手でキツネポーズを作ってみせるともえとイエイヌ。キタキツネのテンションは既にマックスだった。

 

「うん!バッチリっ!じゃあみんなでポーズっ!」

「もう、なんでみんなこんなノリノリなのっ!」

 

 文句を言いつつもギンギツネも配置につく。そしてみんなでオイナリ校長をセンターに

 

「「「「「我ら、オイナリ校長先生の会っ!」」」」」

 

 と決めポーズ。そんなところに…

 

「あのー。こっちにともえちゃん来てましたよね。合流しにきましたー。」

 

 ガラリ、と和室の扉をあける萌絵。ちょうど決めポーズしてるとこを目撃し、しばしお互いに固まる。

 萌絵はさっき連絡をとった携帯電話を取り出して、パシャリ。一枚写真をとる。そのまま流れるような動作で春香に送信。即座に返って来たイイネ!を確認した後に携帯電話をしまってから…。

 

「ところでオイナリ校長先生の会ってなあに?」

 

 と小首を傾げるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 どったんばったんの大騒ぎになっていた校舎内だったが、現在は落ち着いていた。

 というか主犯格らしきヒトもフレンズもまとめて正座させられていた。

 

「はい、皆さん、一度落ち着きましょう。」

 

 パンパン、と手を鳴らしながら廊下にずらりと正座させられている皆に語り掛けるかばん生徒会長。

 

「イエイヌさんには各部活から勧誘のパンフレットを提出してください。それ以上の勧誘は禁止です。いいですね?」

 

 ちなみに一人ずつ丁寧に丁寧に制圧していったかばん生徒会長。とうとう校舎内の大騒ぎを治めてしまったのだった。

 今正座しているメンバー達は一様に同じ事を思っているだろう。

 

―かばん生徒会長を何とかして勧誘できないかなー。

 

 だが、その方法を思いつく者は誰もいないのだった。

 

 

 

―後編に続く―

 




フォーム紹介

クロスシンフォニー・サーバルシルエット
パワー:A スピード:A 防御力:C 持久力:C
特徴:柔軟性。ジャンプ力。
必殺技:疾風のサバンナクロー 怒涛のサバンナクロー

 かばんが変身した姿であるクロスシンフォニーのフォームの一つ。サーバルキャットのフレンズのような姿になる。
 クロスシンフォニーが最も多用するフォームでもある。
 猫科の柔軟な動きとその脚力から繰り出されるジャンプ力で高い機動力を活かした戦い方が得意だ。
 また、サンドスターを纏った爪で繰り出す斬撃はかなりの威力。
 必殺技はサンドスターを纏った爪をトップスピードに乗せて一閃させる疾風のサバンナクローと、そのまま連続で引っ掻きまくる怒涛のサバンナクローである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話『おキツネコンコン。キツネ一派と探検ボクらの商店街』(後編)

登場人物紹介


名前:オイナリ校長

 ともえ達の通うジャパリ女子中学の校長先生。
 真っ白いキツネのフレンズだ。かつてイエイヌが出会ったオイナリサマとは似ているが別人らしい。
 なんだかんだで生徒達の人気もあり、特にキツネのフレンズ達からはオイナリ校長先生の会なんて非公式クラブを作られる程に慕われている。
 好きな物は稲荷寿司である。


 萌絵とラモリさんも合流した一同。

 こそこそ、と校舎を後にして校外活動へと向かう。

 ちなみに、既にかばん生徒会長によってイエイヌ争奪部活対抗大乱戦は収束しているので別に大手を振って校舎を出てもいいのだが、その事をまだ知らないともえ達であった。

 みんなで抜き足差し足忍び足。なんだか段々面白くなってきてしまった。

 

「いやー、こういうのいいね。私もなんだか学生に戻った気分だよ。」

 

 楽しそうに笑うオイナリ校長を先頭に通学路を歩いていく。さすがにここまで来れば運動部の追跡もないだろう。

 ようやくイエイヌもともえも安堵のため息をもらす。

 ギンギツネとキタキツネを伴ってとうとう商店街の入り口までやってきた。

 商店街の入り口を示すアーチには『ようこそ!色鳥町商店街!』の文字が書いてある。

 

「あれ…?ここって…。」

 

 と、イエイヌが何かに気づいたように周囲を見渡す。

 

「どうかした?イエイヌちゃん。」

「ええと…。ここってわたしがこの世界に来た時に一番最初にいた場所なんじゃないかな、って…。」

 

 確かにそこはイエイヌがこの世界に初めて降り立った時の場所、初めて出た路地だった。

 ということはあの小さな社のような物も近くにあるのだろうか。

 

「うーん?ボク達ここの商店街に家があるけどそんなのあったかなあ…。」

「そうね…。私も小さな社というのは聞いた事ないです。」

 

 この商店街に暮らすキタキツネとギンギツネに訊いてみてもその社の事はよくわからないままだった。

 

「それよりそれより!案内!ボクがする!」

 

 ぐいぐい、とともえの腕を引っ張るキタキツネ。

 

「あはは、すっかり懐かれちゃったねえ。」

「ともえちゃんは何でか年下の子に懐かれやすいものねえ。」

 

 そんな光景をオイナリ校長と萌絵がほっこりと見守っていた。

 

「ところでオイナリ校長先生。校外活動って具体的に何をするんですか?」

 

 萌絵がオイナリ校長に訊ねてみる。

 

「うーん。そのときそのときで行き当たりばったりかな?」

「それって大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫。なんとかなるから。」

 

 果たしてこれで何かの校外活動になるのだろうか。萌絵の心配をよそにオイナリ校長は商店街入り口のアーチを潜ってずんずんと商店街の中に入って行く。

 

「まあまあ、とりあえず見てて下さい。オイナリ校長凄いですから。」

 

 萌絵の心配がわかるのかギンギツネが言う。オイナリ校長が商店街に入っていくと

 

「お、オイナリ校長!」

「ようこそ!待ってましたよ!」

「新作の稲荷寿司できたんだけど試食しておくれよ!」

 

 わらわらと各店からやってきた店員達に囲まれるオイナリ校長。

 一人一人に丁寧に応えていく。

 しばらくの間お話を聞いた後、ともえ達のところへ戻ってくる。

 

「はい、みんなお弁当屋さんから差し入れ。で、ね。今日いくところ決まったわ。」

 

 そうしてオイナリ校長を先頭にずんずん商店街を進むキツネ一派+3人+ラモリさん。

 ちなみに、ちょっぴりワサビ多めのワサビ稲荷はともえにヒット。鼻がツーンとなってしまう。

 

「はっ!?ワサビと稲荷寿司…!奇跡のマリアージュ…!?あらたなともえスペシャルの発想が今ここに…!」

「ともえちゃん…。それはやめとこう?」

「ええ。忘れて下さい。その発想今すぐ忘れて下さい!」

 

 萌絵とイエイヌ二人に必死に止められていたが新たなともえスペシャルの発生は防げたのか…。それはわからない。

 そうこうしていると、到着したのは雑貨屋さん。

 

「こんにちわー。」

「あら、オイナリ校長先生の会じゃない。いらっしゃい。」

 

 そのまま入っていくオイナリ校長とキタキツネにギンギツネ達。どうやら商店街ではオイナリ校長先生の会はそれなりに有名らしい。

 

「雑貨屋さんにそろそろ廃棄しなきゃいけない風船があるって聞いたんだけど、それちょっとおまけして譲ってもらっていいかしら?」

「そんなのでいいならタダで…。」

 

 と雑貨屋さんが風船の入った袋を出そうとするところに…

 

「それはダメ。」

 

 とキタキツネがずい、と割り込む。

 

「オイナリ校長がいつも言ってるの。タダはダメ。お金はちゃんと回す。商売の基本。」

「はい、部費で落とすので平気ですから。」

 

 それにギンギツネも頷いてみせる。

 

「さすがオイナリ校長先生んとこの生徒さんはしっかりしてるねえ。じゃあオマケはたくさんさせてね。」

 

 どっさり、と風船の入った袋を渡される一同。ついでに空気入れも借りてきた。

 

「あ、これバルーンアート作るやつだ。」

「そうそう。作り方も覚えちゃえば簡単だから。」

「アタシもいくつか作れるよー!」

「バルーンアートって何ですか?」

 

 その風船は膨らませると細長い形になるものだ。これを捻ったり結んだりして色んな形を作って遊ぶのがバルーンアートなのである。

 ワイワイと風船の入った袋に群がる一同。イエイヌも興味深そうに風船の入った袋を眺める。

 

「ほら、これをこうしてこうして…。そう。基本は丸をまとめて一つにして形を作っていくの。ここが耳でこっちが顔。ほら、ウサギの頭が出来た。で、前足…胴体、後ろ足と作って…。」

 

 とバルーンアート、ウサギの完成である。オイナリ校長案外上手いものであった。ふっふーん、とドヤ顔である。

 

「すごいです!」

「イエイヌちゃんも作ってみる?」

「はい!」

 

 そうしていくつかバルーンアートを作っていく一同。ついでとばかりにラモリさんが色々なバルーンアートの作り方の手順書をプリントアウトしてくれていた。

 

「あ、これでよかったらアタシ作れるよ、ほら、手につけるお花。キタキツネちゃん手出して。」

 

 ともえが黄色と赤の風船で作り上げた腕に巻ける小さなサイズのお花をキタキツネの手に巻いてあげる。それをふぉおおお!?と言いたそうなキラキラとした目で見るキタキツネ。

 

「すごい!可愛い!ほら、ギンギツネみて!」

「よかったわね、キタキツネ。私も萌絵先輩に作ってもらっちゃった。」

 

 ギンギツネの手にも青色と黄色の風船で作り上げた同じ小さな花が巻かれていた。

 

「よかったじゃない、二人ともお揃いよ。」

「うん!」

「はい、ともえ先輩も萌絵先輩もありがとうございます。」

 

 嬉しそうに笑うオイナリ校長とギンギツネキタキツネに何かを刺激された顔のともえと萌絵。それぞれにシュバ!とスケッチブックを取り出す。

 

「これは…これは絵になる!めっちゃ絵になるぅううう!」

「ほんとだね…!これはほんとに絵になるぅううう!」

 

 やおらシュババ、と物凄い勢いでスケッチブックに三人の絵を描いていくともえと萌絵。怪訝な顔をするキツネトリオに

 

「あ。少しの間でいいので動かないでいてあげて下さい。すぐ終わると思いますので。」

 

 とイエイヌがちょっとだけ申し訳なさそうな顔でお願いしていた。

 やがてスケッチが完成したのか、お互いのスケッチブックを交換して食い入るように見つめた後にハイタッチを交わすともえと萌絵。

 

「さ、それじゃあ本番いってみようか。」

「「「本番…?」」」

 

 スケッチの完成を待ってから言うオイナリ校長の言葉にともえと萌絵とイエイヌが?マークを浮かべる。

 

「オイナリ校長先生の会の活動の本番。」

「最初はちょっと恥ずかしい気がしますけど、きっと楽しいと思いますから。」

 

 そんな二人に解説してくれるキタキツネとギンギツネ。

 言いつつ三人は外へと向かう。雑貨屋さんは頑張ってねー、と応援の体勢だ。

 

「それじゃあ……みんないくよー!」

 

 とオイナリ校長がばーん、と商店街へと飛び出す。

 

「おキツネコンコンっ!」

 

 とオイナリ校長が手でキツネサインを作りつつポーズを決めるとその両脇にキタキツネとギンギツネがやってきて

 

「「我ら!」」

 

 と続いて

 

「「「オイナリ校長先生の会っ!」」」

 

 じゃーん!と決めポーズ!

 

「ともえ先輩とイエイヌ先輩も。」

 

 とキタキツネに言われて

 

「あ、そっか!」

「わ、わかりました!」

 

 とさっき一緒にポーズの練習したともえ達とイエイヌも加わって

 

「「「「「オイナリ校長先生の会っ!」」」」

 

 もう一回じゃーん!と決めポーズ。

 

「はい!萌絵お姉ちゃんも!」

「ええ!?!?あ、アタシもなのー!?」

「はい、遠坂姉ちゃんもやろう!じゃあもう一回!」

 

 突然の無茶ぶりに巻き込まれる萌絵。こうなりゃヤケである。全員でオイナリ校長をセンターに可愛くキツネポーズでキメッ!

 

「「「「「我ら!オイナリ校長の会っ!」」」」」

 

 三度、じゃーん!と決めポーズ。ラモリさんが気を効かせて背後にホログラフで光エフェクトをいれてくれていた。

 

「よっ!オイナリ校長!」

「まってましたー!」

 

 と商店街の各店から賑やかしの声が飛んでくる。どうやら商店街ではなんだかんだ有名なのは確からしい。

 そのままさっき手に入れた風船でバルーンアートを作りつつ商店街へやってきた買い物客にプレゼントしたり商店の入り口に飾ったりして歩いていくオイナリ校長。

 あっという間に周囲に人だかりができる。

 キタキツネもギンギツネもともえも萌絵もイエイヌも、バルーンアートを作ったり風船を膨らませまくるが人だかりが途切れる事はない。

 そんな中を余裕の表情で集まった人たちの相手をしながら歩いていくオイナリ校長。

 ともえは何となくだけどキタキツネとギンギツネの二人があんなにオイナリ校長の事を慕っている理由がわかるような気がした。

 そんなともえの視線に気が付いたのか、オイナリ校長はともえに笑いかける。

 

「私にはご先祖様みたいな不思議な力はないけど、それでも皆が幸せに暮らせるお手伝いが出来る、ってわかったとき結構嬉しかったんだ。」

 

 ふふ、とともえに笑いかけるオイナリ校長。

 

「これも商店街のみんなとキツネちゃん達のおかげかなーって、ね。」

 

 そう笑うオイナリ校長にともえは、ああ、こういう大人っていいなー、なんてぼんやりと思っていたがすぐに大忙しのバルーンアート作りに忙殺されるのであった。

 

「ありがとー!わんわんのおねーちゃん!」

「いえいえ、どういたしまして。」

 

 一方でイエイヌは小さな女の子にさっき覚えたばかりのウサギのバルーンアートを作ってあげていた。どうにか形になったものだが女の子は嬉しそうにお礼を言うと母親と手を繋いで去っていく。

 途中何度も振り返って手を振り返してくれる女の子にイエイヌの尻尾は自然と揺れるのだった。

 

 そうやって商店街のあちこちをバルーンアートで飾り付けてやったり買い物客に配ったりしていたら、あれだけあった風船もあっという間になくなってしまった。

 最後に終わりの挨拶をした頃には買い物客も含めて盛大な拍手をもらうオイナリ校長の会一同であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 大盛況のうちに終わったオイナリ校長の会の商店街校外活動。心なしか商店街はいつもより客足も増えているような気がする。

 各商店のみんなはせっかくの勢いに便乗して忙しそうに立ち回っていた。

 なるほど、ノリと勢いで始まったように見える校外活動であったが何とかなってしまった。

 

 しかし、さすがに疲れたともえ達はキタキツネの「休めるところがある。」という誘いでとある場所へやってきた。

 そこは商店街のお店の一つ。ゲームセンターだった。

 

「ここ!ここはボクの縄張り!シマ!なんならここのボス!」

 

 と、テンションダダ上がりのキタキツネ。そんなキタキツネの頭をともえが撫でている。

 

「ここはキタキツネのうちがやってるゲームセンターなんでそんなに間違ってはないわね。それにあなた、ここのハイスコア記録全部もってるのよね。」

「そう!ボクはゲームだけなら得意だよ!」

「このくらい勉強も頑張ってくれたらねー。」

 

 と苦笑するギンギツネである。

 

「いいの!ボクはプロゲーマーになるからっ!」

「はいはい、あなたならなれるかもねー。」

 

 ギンギツネも苦笑しながらともえと一緒にキタキツネを撫でていた。

 一方でイエイヌは初めて目にするゲームセンターというものにキョロキョロと辺りを見渡す。

 何か箱のようなものが沢山並んでいてその中から賑やかな音楽がピコピコと鳴っている。

 

「まず1階はビデオゲームコーナーでね、あとあっちにプリクラコーナーあってね、でもってね、2階はメダルゲームコーナーとカードゲームコーナーがあるの!」

 

 キタキツネがやたらとテンション高く説明してくれる。

 

「ええと、ゲームっていうのはなんでしょう?」

「うーん、一言でいうのは難しいかな?あのテレビの中のキャラクターを操作して遊ぶものって言ったらいいのかなあ?」

 

 イエイヌの疑問に萌絵が答えてくれる。

 

「やったことないならやるべき!」

「あはは。キタキツネちゃんはゲームが好きなんだね。でもアタシ達疲れちゃったから少し休みたいかな?」

 

 萌絵の言う通り、さっきまでひたすらバルーンアートを作り買い物客達の相手をしていたのでさすがに気疲れしてしまっていた。

 

「ならプリクラくらい撮ってみる?それなら疲れないし記念にもなるんじゃない?」

 

 とオイナリ校長。それに一同、ナイスアイデア!と空いてるプリクラ機に入っていく。

 

「これってなんですか?」

「これは写真みたいなのを撮る機械だよ。」

「えっと、カメラとは違うんですか?」

「うんうん、カメラとはまた違うんだよ。」

 

 当然プリクラ初体験のイエイヌ。機械音声のガイダンスにもおっかなびっくりだ。

 

「ま。ものは試しだよ、みんなで撮ってみよう。ほらほら、イエイヌちゃんはここがいいよっ」

「じゃあアタシここー。」

「オイナリ校長はここ、真ん中ね。」

「ラモリさんは頭の上にのっけておけば映れるかな?」

 

 キャイキャイと賑やかなプリクラ機の中。やがて、配置が決まったのか、『じゃあ、撮るよー。』という機械音声に…。

 

「「「「「我ら、オイナリ校長先生の会っ!」」」」」

 

 と決めポーズ。みんなで手でキツネマークを作った賑やかな一枚になった。こっそりとラモリさんまで尻尾の多機能アームでキツネマークを作っていた。多機能アームは多機能なのである。

 でもってみんなで落書きしてプリントアウトされたシールをみんなで分ける。

 

「はい、イエイヌちゃんも。」

 

 と、ともえが切り分けられたシールをイエイヌに渡す。

 

「これ、どうしたら…。」

「うーん、何かに貼り付けるといいかな?アタシだったらスケッチブックに一枚貼っちゃおうかな。」

「あ、いいねえ。アタシもスケッチブックに貼っちゃおう。で、ね。残りは手帳とかにアルバムみたいに貼って集めたりしても楽しいよ。」

 

 イエイヌの戸惑いにともえと萌絵が教えてくれる。

 

「友達同士で撮ったプリクラ集めるのも楽しいからねっ。また撮りにこようっ!」

 

 そんなともえの提案に…

 

「友達同士…ですか。これ、友達のしるし、みたいなものでしょうか…。」

 

 と、イエイヌは手の中のシールを見ている。

 

「うん。そうかもしれないね。」

 

 その言葉にもう一度プリクラシールに目を落とすイエイヌ。

 

「わ、わたし、これ大切にしますっ!」

 

 そんなイエイヌにともえも萌絵もオイナリ校長もキタキツネもギンギツネもほっこりした顔を見せる。

 

「じゃあ、カードゲームスペースで少し休ませてもらおう。あそこテーブルも椅子もあるから。」

 

 キタキツネの案内で移動しようとした一同。プリクラコーナーを出たところでドヨッと困惑した声が響く。

 ビデオゲームコーナーにあった筐体の一つが足が生えたかのようになっていきなり立ち上がったからだ。

 

「「は…?」」

「キタキツネ……。あなたのうち、あんな変なゲーム入荷したりした?」

「し、知らない!ボク知らないよあんなの!」

 

 それぞれに戸惑いの声をあげるキタキツネとギンギツネ。

 ピカリ!とゲーム機筐体の画面が光ったと思うとゲームの中から飛び出したような狼男が現れる。

 

「あれ…!けもフレクエストⅡのキャラだっ!?」

 

 それは人気ゲームの一つ。けものフレフレ!クエストⅡというアクションゲームのキャラだ。この狼男はステージ1のボスキャラで動きが遅く単純ではあるがパワーがあって不注意ですぐに残機を奪っていくのだ。

 それが何故この場に突然あらわれたのか。もちろんVRだとかホログラムだとかそんなものではない。

 

「もしかして……。セルリアンっ!?」

 

 こんな事が起こる原因はそれしか考えられない。ともえとイエイヌは頷きあう。

 

「ともえちゃん、イエイヌちゃん、あそこっ!」

 

 と萌絵が指さした先はプリクラ機。あそこなら確かに一瞬でも周囲の目を隠してくれる。

 周囲の目もゲーム筐体と現れた狼男に注がれている今ならちょっとの間姿を隠しただけでも十分だろう。

 

「よしっ!いこう、イエイヌちゃんっ!」

「はいっ!」

 

 それぞれ逆側の入り口からプリクラ機の中へ飛び込むともえとイエイヌ。

 

「「変身っ!」」

 

―カッ

 

 とプリクラ機の中から溢れるサンドスターの光。

 

「クロスハート!ヘビクイワシフォームっ!」

「クロスナイトっ!」

 

 それぞれに飛び込んだ側と逆側からあらわれたクロスハートとクロスナイト!

 

「危ないっ!」

 

 戸惑うキタキツネにゲーム筐体から飛び出した狼男が拳を振りかぶる。オイナリ校長が咄嗟にキタキツネを抱きしめて後ろに庇う。

 そのオイナリ校長に狼男の爪が届く直前!

 

「せいやあ!」

 

 と綺麗な回し蹴りが狼男を吹き飛ばしてパッカーン!とサンドスターへと還す。

 

「へ…?こ、今度はなに?」

 

 目の前に突然現れたクロスハートとクロスナイトの二人にオイナリ校長は目を白黒させる。

 

「ここはわたし達に任せて下がっていてください。」

 

 とクロスナイトが背中にオイナリ校長たちを庇って言う。

 

「あなた達は…?」

 

 とオイナリ校長がその背中に問いかける。

 

「クロスハート。」

「クロスナイト。」

「「通りすがりの正義の味方だよ。」です。」

 

 ザッ、とゲーム筐体セルリアンに対して構えをとってみせるクロスハートとクロスナイト。

 すると、ゲーム筐体セルリアンのモニターに『STAGE CLEAR!』の文字が躍ってパラパパーン!と音楽が鳴る。

 続けて『Go to NEXT STAGE』の文字が表示される。

 するとゲーム筐体セルリアンはゲームセンターの自動ドアを潜って商店街に飛び出してしまう。

 

「もしかして…。けもフレクエストⅡの2面は城下町ステージ!」

 

 キタキツネがハッと気づいたように言う。

 

「ってことはひょっとしたらあのセルリアンはゲームのストーリーをなぞって行動してるってこと!?」

「うん、1面が王城ステージだから間違いないと思う。」

 

 確かに各種ゲーム筐体でキラキラしているこの場所は王城と呼ぶのもありえるかもしれない。ということは……

 外に飛び出した筐体セルリアン。今度は擬人化された女王バチのようなキャラクターをモニターから呼び出していた。

 

「あれはけもフレクエストⅡの2面ボス、クインビー!」

「キタキツネちゃんっ!?そのクインビーってどんなことするの!?」

「えっと、クインビーは配下のポーンビーを召喚して城下町を混乱に陥れるの!」

「それ、まずいじゃない!?」

 

 キタキツネの解説に萌絵が焦りの声をあげる。この筐体セルリアンがゲームのストーリーをなぞった行動をとっているのだとしたら…

 

―キャアアアアア…

 

 その予想を肯定するように外から悲鳴が聞こえてくる。クロスハートとクロスナイトは頷きあうと外へと飛び出す!

 商店街には既にクインビーが召喚したポーンビー達が飛び回っていた。

 今まさに召喚されたポーンビーが親子づれの買い物客に襲い掛かろうとしていた!

 

「ドッグバイトォ!」

 

 そこに飛び込んだクロスナイト!サンドスターで輝く手を一閃させてポーンビー達を薙ぎ払う!

 その背にちょっと歪なウサギのバルーンアートを持った女の子を庇う。

 

「大丈夫ですか?ここは危ないので隠れていて下さい。」

「うん!ありがとう、わんわんのおねえちゃん!」

 

 その女の子の言葉におや?と引っ掛かりを覚えるクロスナイト。

 

「わたしはクロスナイト。通りすがりの正義の味方、ですよ。」

 

 人差し指を一本立てて、内緒ね、ポーズのクロスナイト。

 

「うん!ありがとうクロスナイト!」

 

 という女の子の声が響く。

 と同時、周囲を飛び交っていたポーンビー達が空を駆ける何者かの手によって一気に散らされた。

 その何者かはアーチ状の商店街の入り口にバサリと降り立つ。

 それはヘビクイワシフォームのクロスハートであった。

 

「みんな!ここは危ないから下がってて!セルリアンはアタシたちに任せて!」

 

 朗々と響くクロスハートの声。

 商店店主の誰かが「あ、あんたは…」と訊く声に…

 

「アタシはクロスハート!通りすがりの正義の味方だよっ!」

 

 と名乗りをあげる。

 それにドヨドヨ、と周囲に戸惑いの声が響く。

 クロスハートってなんだ?この前テレビでみたぞ。あれテレビの撮影とかじゃ…

 かえって戸惑いで周囲の避難は遅くなりそうな状況になってきた。

 そんな中でクインビーは再び周囲に配下のポーンビーを召喚する!

 

「クインビーはポーンビーを倒されて一定以上時間が経つとまたポーンビーを召喚するの!クインビーを倒さないとダメだよ!」

 

 キタキツネの声が響く。要はクインビーを倒さない限りポーンビーは無限湧きという事なのだろう。

 後ろではオイナリ校長とギンギツネも不安そうにクロスハートを見ていた。

 周囲に再び現れたポーンビー達。これを排除するだけなら不可能ではない。だが、クインビーを倒そうと思えばポーンビーへの攻撃が手薄になる。

 そうなれば打ち漏らしたポーンビーによって商店街の人たちへの被害は必至だ。

 なら、どうする!?

 迷うともえの目にギンギツネとキタキツネを庇うオイナリ校長の姿が映る…。もしかしたら…?という閃きのようなものがあった。

 ならそれは信じるしかない!

 

―バッ

 

 とアーチ状の商店街入り口から大きく飛ぶクロスハート。空中で叫ぶ!

 提げていた肩掛け鞄から飛び出したスケッチブック。パラパラとページがめくれて三人のキツネ達が描かれたページで止まる。

 

「チェンジっ!クロスハート・オイナリサマフォームっ!」

 

―カッ

 

 と空中に広がるサンドスターの輝き。それが治まったとき、そこには真っ白い毛並みの純白のクロスハートがいた。

 肩口のない和装の着物のような衣装に下は真っ白いミニスカート。肘から先に振袖の袖がついている。

 そして左腿に飾り紐が巻き付いている。そして足元は高草履に足袋、と和洋折衷な衣装だった。

 

「世を荒らす不届き者は許しません!」

 

 カラン、と高草履の音を響かせながらクインビーと筐体セルリアンの前に降り立つクロスハート!

 キツネマークを作った手をすっ、と突き出すと

 

「邪気払い結界!キツネのヨメイリ!」

 

 ボボボン!と周囲に青白い狐火が灯る。

 それは商店街の人々とセルリアンとを完全に隔離する結界となった!

 ついでにその余波でポーンビー達が燃え尽きる!

 

「(くっ!?なにこれ。めっちゃ疲れる!?オイナリサマフォームってこんなに消費激しいの!?)」

 

 身体の中の何かが凄い勢いで減っていくのを感じるともえ。それは今までの変身フォームとは桁違いの消耗だった。

 しかし、これでセルリアン達は商店街の人たちに手を出せない、しかもクインビーは今は無防備!

 

「い、いまだよ!クロスナイト!」

 

 その言葉にハッとするクロスナイト。一気にクインビーに肉薄!

 

「わんダフル……!!」

 

 必殺技の体勢に入るクロスナイト…!しかし…!ガッと何者かに全身を掴まれたかのように動きを止めてしまう。

 ギギギ、と歯を食いしばって何とか動こうとするも身体は構えをとった体勢のままちっとも動いてくれない。

 それはクロスハートも同じだった。

 

「うそ…な、なんで身体が動かないの…!」

 

 同じくキツネマークにした手を突き出した状態のまま固まっているクロスハート。

 

「あれってセルリアンの能力…!?どうにかできないの…!?ラモリさん、あれってどういう能力なの!?」

「まて…ケンサクチュウ…ケンサクチュウ……アワワワワ。」

 

 萌絵も焦りの声をあげ、ラモリさんの解析も間に合わないようだ。

 そうしている間にポーンビー達が再び復活。じりじりとクロスハートとクロスナイトに迫る。

 動けないままにポーンビーの攻撃を受ければどうなるか…誰もが背筋を凍らせる。

 そんな中キタキツネだけがとある場所を見ていた。

 

「ねえ、ギンギツネ…。あれ…クロスハートとクロスナイトだよね。」

 

 キタキツネの指さした場所は筐体セルリアンのモニター部分。確かに周囲に狐火の浮かぶ城下町ステージで構えをとった姿勢のまま固まっているクロスハートとクロスナイトの二人のようなキャラクターが映っている。

 キタキツネにはこの現象に心当たりがあった。

 プレイ中に急用などでプレイヤーが席を立ったゲームの操作キャラはこんな感じで固まってしまうのだ。

 ということは…。

 

「ちょっと、キタキツネ!あなた何をする気なの!?」

 

 筐体セルリアンに駆け寄るキタキツネ。

 

「ギンギツネ…。ボク確かにギンギツネが言うみたいに勉強は嫌いだけど…。だけどゲームだったら得意だよ。」

 

 ガッと筐体セルリアンの操作レバーに手をかけてボタンに手を置く。

 

「だから、こんなボクでもゲームでなら誰かを助けられる!」

 

 ガガガガッ!っと怒涛の勢いでレバーを回してキー入力。

 コントローラーのやや上の化粧板に技表が貼ってある!

 けもフレクエストⅡの操作キャラには特徴がある。格闘ゲームのような必殺技コマンド入力で技を繰り出せる事だ。

 これで操作キャラは多彩な技を使って横スクロールアクションをクリアしていくのだ。

 そこに気になっていた文字があるのをキタキツネは見逃さなかった。

 フォームチェンジ。キタキツネフォーム、と。

 ↓(タメ)からレバーをぐるりと一周。と同時に強攻撃、中攻撃、弱攻撃同時押し!

 正確なキー入力をするキタキツネ。

 

「はっ!?う、動ける!よおし!チェンジッ!クロスハート・キタキツネフォームっ!」

 

 バッと入力された通りに叫ぶクロスハート。再びサンドスターの輝きに包まれる。

 まずピョコン、とブロンドの狐耳と狐尻尾が飛び出す。続けて袖なしの白いブラウスに狐色のリボンタイが巻かれて白いミニスカートにニーソックスが装着される。

 両腕には手首にふわふわの毛皮で出来た腕輪が巻かれて。首元にはヘッドフォンが掛けられる。

 最後に狐色の袖なしスカジャンをまとって、肩掛け鞄に首を通してフォームチェンジ完了!

 

「よ、よっし!さっきまですっごい勢いで疲れてたけどこれなら…!」

 

 キタキツネフォームになったクロスハート。消耗もさっきまでと比べれば殆どないといってもいいくらいだ。

 

「マグネティックサーチッ!」

 

 キタキツネという動物は聴覚、嗅覚、視覚のいずれにも優れる。その優れた感覚器官は磁場を感じ取るとすら言われるほどだ。

 マグネティックサーチはその磁場すらも感じ取る感覚器官を総動員した索敵技なのだ。

 周囲に展開しているポーンビー達の位置は全て正確にわかるし、その次にどう動くのかすらわずかな磁場の揺らぎでクロスハートの目には見えていた。

 

―ズババンっ!

 

 と華麗に最小限の動きでポーンビー達を全て薙ぎ払うクロスハート!

 今がクインビーへの攻撃のチャンス。

 だが、クロスハートからクインビーまでは距離がありすぎる!

 この事態にもう一人駆けだすフレンズが一人。

 ギンギツネである。

 

「もう!こうなったらヤケよ!」

 

 キタキツネの隣にギンギツネが飛びつきレバーをとってボタンに手をかける。

 

「あなた程じゃないけどずっと付き合わされたおかげでゲームはちょっとくらいは出来るんだから!」

 

 ガガガッ!とキー入力するギンギツネ!それは2P側コントローラーだ。

 つまり…

 

「はっ!う、動きます!身体が動きますっ!」

 

 クロスナイトもようやく動けるようになっていた。

 

「そうカ。わかったゾ。あのセルリアンの能力ハ周囲のヒトやフレンズをゲームキャラに見立テ、コントローラーを操作しないと動かないヨウにスルんだ!」

 

 解析が終わったらしいラモリさんが叫ぶ。

 

「ソノ能力ヲ使ってイル間はあのセルリアンも一切動けない!やるなら今だ!クロスハート!クロスナイト!」

 

 ラモリさんの言葉に頷くクロスハート、クロスナイト。そしてコントローラーを握るキタキツネにギンギツネ。

 ゲームを再現するならゲームのルールには絶対に従わなくてはならない。

 つまりHPゲージを削りきればクインビーは必ず倒れる、という事だ。

 

「一気に削りきるにはアレをやるしかないよね。」

「わかったわ。キタキツネ。合せてみるわ。」

 

 ギンギツネとキタキツネの手が激しくレバーとボタンを叩きまくる。

 速いけれども繊細なタッチのキー入力だ。

 それに応じて画面の中のクロスハートとクロスナイトも流れるように動いていく。

 

「おお!?な、なんか身体が軽い!?っていうかめちゃめちゃ動く!」

 

 クロスハートも驚きの声をあげて戸惑うけれど…

 

「とm…じゃなかった、クロスハート!キタキツネちゃんとギンギツネちゃんが力を貸してくれてるの!合わせて!」

 

 と萌絵が叫ぶ。それにクロスハートとクロスナイトは頷き身体が動き出す方向へと合せる。

 プレイヤーと自機が一体となったいま、セルリアンの能力は二人の動きを封じるどころかパワーアップさせてしまっていた。

 画面の中のクロスハートとクロスナイトは両側からクインビーを挟み込むようにして猛打を浴びせる。

 ほんのわずかに攻撃のテンポをずらして攻撃後の硬直を埋めた見事な連携だ。

 当然、画面の外でも全く同じ光景が繰り広げられている。

 が、クインビーも必死にガード体勢でこらえている。だが二人の狙いはまさにガードさせることだった。

 やがてクインビーの頭の上にGard Brake!!!の文字が躍る。

 続いてクインビーの頭の上にピヨピヨ、とヒヨコマークが出てくるくると回り続けている。

 そう、いつまでもガードは続けられない。そしてガードブレイクされた敵キャラクターは一定時間の間、いわゆるピヨり状態になってしまうのだ!

 

「いまだよ!ギンギツネ!」

「ええ!」

 

 ←(タメ)↓ → → 強攻撃

 正確なコマンド入力を叩きこむギンギツネ!

 

「ワンだふるラァアアアアアアアッシュ!」

 

 そのキー入力を受けたクロスナイト。無防備なクインビーにワンだふるアタックの連打、連打、連打!

 ついにクインビーを撃破!光の粒へと還す!

 

『STAGE CLEARE!!』

 

 その文字がセルリアンのモニターに浮かぶ、が。

 

「ううん、STAGE CLEAREじゃないよ。」

 

 コントロールレバーを握ったままニヤリとするキタキツネ。

 

「そ。GAME OVERだよ。」

 

 筐体セルリアンに近づいていたクロスハート。その裏面にあった『石』を破壊していた。

 

―パッカァアアアン

 

 とサンドスターの輝きに返る筐体セルリアン。

 クロスハートはそっと手のひらをキタキツネに向けて、それにキタキツネがパチン、と手を合わせる。

 

「じゃあね。いこう。クロスナイト。」

「はい、クロスハート。」

 

 二人のヒーローはそのまま踵を返すといずこかへと走り去る。

 ヒーローは事件が解決したならクールに去るものだ。

 それをポカンとした表情で見送る商店街の面々に買い物客達。

 

「ありがとう、クロスハート!」

 

 とキタキツネが叫ぶ。

 すると、それに続いてちょっと歪なウサギのバルーンアートを持った女の子が

 

「ありがとう、クロスナイト!」

 

 と叫ぶ。

 

「お、おう!ありがとうクロスハート!」

「ありがとうクロスナイト!」

 

 段々とその輪が広まっていって色鳥町商店街はクロスハートコールとクロスナイトコールに包まれるのだった。

 半分くらいの人達は未だにテレビの撮影か何かのイベントだと勘違いしてそうであったが、そうでない事をわかっていた者も少なくなかった。

 この日、商店街の平和は二人のヒーローによって守られたのだ、と。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 こっそり物陰で変身を解いたともえとイエイヌは何食わぬ顔で商店街に戻ってオイナリ校長たちと合流した。

 興奮した目でクロスハートの事をベタ褒めで語るキタキツネにともえは何とも複雑な表情で話しを聞く。

 ちなみにギンギツネの方はクロスナイト派のようである。

 オイナリ校長がどっちがいいですか!?と二人に詰め寄られて、「どっちもかなー」なんて玉虫色の答えでお茶を濁したりしていた。

 

 セルリアン騒ぎはあったものの、無事に校外活動も終わって帰宅の途につくともえと萌絵とイエイヌにラモリさん。

 

「それにしても…。めちゃめちゃお腹空いたー!」

 

 さっきからともえのお腹はぐうぐう鳴りっぱなしだ。

 

「多分、オイナリサマフォームの影響ダナ。」

 

 とラモリさんが解説する。

 

「オイナリ校長ハ守護けものト呼ばれる特別なフレンズの血筋ナンダソウダ。」

「へえー…。特別なフレンズのフォームになったからサンドスター消費が激しかったのかあ…。」

 

 と納得顔のともえ。

 

「で、お腹空いてるのは今朝かばんちゃんが言ってた、変身するとお腹が空きやすくなるってヤツだよね。」

 

 萌絵もうんうん頷いている。

 

「じゃあ、今日は沢山つくらないとね。」

 

 既に先ほど商店街で夕飯の買い物を済ませた一行。イエイヌが持つ買い物袋は結構な大きさになっていた。

 

「楽しみだなー。萌絵お姉ちゃんのカレー。」

「えっと、カレーってなんですか?」

「そっか、イエイヌちゃんはもしかしてカレー初体験かな?美味しいから楽しみにしてて!」

 

 そうして帰る帰り道。ともえの腹の虫の為にも早く夕飯を作ってあげないといけない。

 ちなみにこの日の夕飯、ともえはカレーを5度おかわりした。

 新記録である。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夕暮れの商店街。

 青い髪色の少女とスクールベストにチェックスカートに身を包んだ豊かな体躯の猫科フレンズの二人が夕飯の買い物をしていた。

 

「アムさんアムさん!これもらっちゃった!」

 

 と小さな青い髪色の少女がもう一人の猫科フレンズに花のバルーンアートを見せている。

 どうやら商店に飾られていたものを店員さんがくれたらしい。

 

「お?よかったやないか。へー。上手いもんやなあ。」

「うん。これキラキラしてる!」

 

 片目が髪で隠れた少女の頭をポンポンと帽子の上から撫でる猫科フレンズ。

 

「で、アムさんアムさん、今日は何食べたい?」

「んー?そうやなあ…。ルリの作るもんやったら何でもええでー。」

「もー。アムさんったら。何でもいいが一番困るんだよー。」

「お、そうか?それやったら……。うーん。やっぱルリの作るもんやったら何でもええわ。」

「もー!アムさんったらー!」

 

 そうしてその二人も手を繋いで商店街を楽しそうに歩くのだった。

 

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第5話『おキツネコンコン。キツネ一派と探検ボクらの商店街』

―おしまい―




セルリアン情報公開

第5話登場 ゲーム筐体セルリアン『ナイトメア』

ゲーム機の筐体に取り付いたセルリアン。本体に攻撃力や防御力は殆どない。
しかし、ゲーム機から呼び出した敵キャラクターを具現化させて戦わせる能力がある。
劇中では『けもフレクエストⅡ』という架空のファンタジー横スクロール型アクションゲームの敵キャラクターを召喚していた。
また、このセルリアンには周囲のヒトやフレンズをゲームの自機に見立てて動けなくする、という特殊攻撃がある。
しかし、この技は2Pまでなので、二人しか行動を止められない上に、その能力を発動中は攻撃はおろか移動すら出来なくなってしまう。
召喚して残っている敵キャラクターに攻撃を任せる事になるが、動けない中で攻撃を受ければ大ダメージは必至だ。
しかし誰かがコントローラーを動かしていれば自由になってしまうという弱点もある。
ついでに適切なコントローラー操作をしていればむしろパワーアップまでしてしまう。
タネがわからないと凶悪な初見殺しになるがそれがバレてしまうとあっさりと攻略されてしまうかもしれない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話『キラキラのcocosuki』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

不思議な力でフレンズの姿に変身する能力を得た少女、ともえ。
異世界からやってきたイエイヌと共にセルリアンと戦う事になった。
ともえ達の学校に編入されたイエイヌは部活勧誘で引っ張りダコに。
熾烈な勧誘合戦からともえとイエイヌを救ったのはオイナリ校長先生の会を名乗るキツネのフレンズ達だった。
彼女達と一緒に色鳥町商店街へと繰り出すともえ達。
そんな商店街で、またしてもセルリアンと遭遇する。
からくもこれを撃退し、人々はあらためて謎の変身ヒーロー、クロスハートとクロスナイトの名を知る事となった。



クロスハート変身フォーム紹介

名称:オイナリサマフォーム
パワー:B スピード:B 防御力:B 持久力:E
特徴:神通力
必殺技:キツネのヨメイリ

白い袖なしの着物のような和装に白のミニスカート。
そして肘から先に振袖をつけたような衣装になる。左太もものみに巻かれた飾り紐が何とも艶めかしい。
基本スペックはそこまで高くなくしかも消費も激しい。
だが、その分特殊能力は強く、神通力で狐火を操って戦う戦闘スタイルが得意だ。
必殺技の“キツネのヨメイリ”は周囲に狐火を浮かべて結界を作り出す技だ。



名称:キタキツネフォーム
パワー:B スピード:A 防御力:B 持久力:A
特徴:磁場感知
必殺技:マグネティックサーチ

狐色の袖なしスカジャンに白のミニスカートにニーソックス、という衣装。
首元に飾りのヘッドフォンを掛けている。
キツネの持久力と優れた感覚器官が特徴で防御能力の高い戦闘フォームだ。
必殺技の“マグネティックサーチ”は磁場すら感知すると言われるキツネの感覚器官を総動員した索敵技だ。



けものフレンズRクロスハート第6話 『キラキラのcocosuki』(前編)

 

 

 放課後の美術室。

 ここが美術部の活動場所である。放課後の今、ここにいるメンバーはともえ、萌絵、イエイヌの3人とラモリさん。

 それにかばん生徒会長とサーバルだった。

 

 今はサーバルをモデルに絵を描いているともえと萌絵。

 

「ふぉおおお!?いいよ、サーバルちゃんっ!めっちゃ絵になるぅうう!」

「うんうん!ほんとだね!ほんとに絵になるぅうううう!」

 

 一方でイエイヌは少しお疲れモードであった。

 

「大丈夫ですか?イエイヌさん。もしかして昨日商店街でセルリアンと戦ったせいで疲れてるんじゃ…。」

 

 心配そうにたずねるかばんにイエイエヌはゆっくりと首を振る。

 

「いえ…。昨日の夜はまさかあんなに毛皮を脱いで着替えまくる事になるとは思ってなくて…」

 

 夕食の後にみんなで宿題してその後はイエイヌの着せ替え大会になってしまった昨夜。春香も加わってあり合わせの服で即席ファッションショーが開催されたのだ。

 服を着替えるという事に慣れていないイエイヌは構って貰えるのは嬉しかったがそれでも大分気疲れしてしまっていた。

 

「まあ…その…。いっぱい撫でられたり褒められたりして嬉しかったんですけど…。」

「あはは、わかります。楽しい事でもやり過ぎると疲れちゃいますもんね。」

 

 ちなみに、イエイヌの手元には各運動部が提出してきた勧誘パンフレットがあった。先ほど美術室にかばんが来た時に一緒に持ってきたものだ。

 一つ一つ丁寧に読んでいたイエイヌではあるがやはりともえと萌絵と一緒に部活がしてみたい、というのが本音である。

 昨日はなんだかんだで楽しかったし。

 やはりともえと萌絵と一緒にいたい。

 それがイエイヌの一番の願いだった。

 

 一方でともえと萌絵はといえば、昨日さんざんイエイヌをスケッチをしたにも関わらずまだその熱は冷めやらないようであった。

 昨日オイナリサマフォームを使ってかなり疲労していたはずのともえも今朝にはすっかり元気になっていた。

 どうやら今はファッション雑誌やネットの衣服の画像を参考にして絵のモデルが着たらどうなるか、というのを想像してスケッチするのにハマっているようだ。

 今はサーバルがモデルとなってどんな服を着せてみるか、と想像の翼を広げている真っ最中なのだ。

 どうやらちょうど二人の絵が描き上がったようである。

 

「かばんちゃん、どっちのが好き?」

 

 三人でかばんとイエイヌの元へ駆け寄るともえと萌絵とサーバル。ずい、とスケッチブックが差し出されていつもの優しい笑顔でそれを眺めるかばん…

 と…。

 

「「「かばん…ちゃん?」」」

 

 ピタリ、と時が止まったかのように固まるかばん。しばらくじーっと手の中のスケッチブックを見る。

 

「こ…。これは選べませんよっ!?!?」

 

 しばらく固まってたと思ったらバッと顔をあげるかばん。

 

「だってどっちも可愛いじゃないですかっ!こっちのエプロンドレスは正統派で可愛いですしサーバルちゃんの可愛い尻尾につけたリボンも可愛いですし、こっちのボーイッシュなサーバルちゃんもいいです!いつも元気いっぱいなサーバルちゃんのイメージにピッタリで可愛いですっ!」

 

 一気に言い切ったかばん。ハッと気が付くとともえと萌絵がやけにニヤニヤしてかばんを見ていた。

 

「いやー、かばんちゃん…。アツイのろけをありがとう。お姉ちゃんは応援しちゃうよ。」

「うんうん、普段はサーバルちゃんがかばんちゃんを褒めまくってるのは聞くけど逆って珍しくてなんだか嬉しくなっちゃうよ。」

 

 萌絵とともえは二人して両側からポム、と肩を叩く。茹でタコのように一気に顔を赤くすると両手で顔を覆うかばんであった。

 

「い、一応お外ではあんまりしないように気を付けてたんですが…。あぅうう…。」

 

 ああ、アレで一応気を付けてたのか…。家ではどんなことになってるのか、と逆の意味で戦慄を覚えるともえと萌絵。

 

「おうちだといっぱい可愛いって言ってくれたり褒めてくれたり撫でてくれたりするよ!」

 

 とあっさり暴露してしまうサーバル。さらに赤面してしまうかばんの両肩をポムポム、と何度も叩いて頷くともえと萌絵。かばんにとっては思わぬ大惨事であった。

 

「あ、あのっ!」

 

 そこまで沈黙して成り行きを見守っていたイエイヌ。ここに来て挙手である。

 

「も…、もしかしてかばんさんとサーバルさんは…つ、つがいだったりするのでしょうか…?」

 

 まさかのイエイヌから放られた爆弾。微妙に知識の偏りが見られるイエイヌだけに決して悪気があるわけでもないのはわかる。

 だがそれでもかばんの顔はさらに真っ赤になった。

 

「えっとねー…。私とかばんちゃんはね、パートナーなんだよ。つがいーっていうのはどうかなー。少しだけ違う気もするかな?」

 

 そんなイエイヌに少し考え込むようにして答えるサーバル。イエイヌもまたその答えに考え込む。

 

「パートナー…ですか…。」

 

 その言葉に何か思うところがあるのかしばらくの間考え込んでいるイエイヌ。

 そんなイエイヌの耳元に顔を寄せるサーバル。

 

「あのね、別にパートナーって呼べるくらい大好きな人が二人いても平気だと思うよ。」

 

 こしょこしょ、と耳元で囁かれる言葉に顔を赤くするイエイヌ。

 

「イエイヌは頑張り屋さんだけどね。ともえちゃんと萌絵ちゃんも私もかばんちゃんもいるから何か迷ったりしたらいつでも言ったらいいよ!いつでも助けるよっ!」

 

 ふんすふんす、と鼻息荒くイエイヌに詰め寄るサーバル。イエイヌはそんな彼女に何とも言えないような笑みを見せる。

 嬉しさ半分、色々見透かされてるような居心地の悪さがほんの少し、あとサーバルは頼りにもなるけど案外ドジなトコもあるもんなあ、という心配の気持ちが小さじ三杯分くらいのなんとも複雑な感情だった。

 だが、悪くないな、なんて思うイエイヌである。

 

「大丈夫!私、庶務だから!」

 

 ビシィ!と親指立ててみせるサーバル。

 

「はい、ボクも生徒会長ですから。」

 

 ふふ、と笑いながらまだ少し顔の赤いままのかばんも続ける。

 

「あ、じゃあアタシはお姉ちゃんだからっ!」

 

 で、萌絵が続いて…。

 

「え!?あれ!?アタシなんだろう!?えっとえっと…アタシは体育だけは5確定系女子だからっ!」

 

 無理やり、という感じで続くともえ。

 

「そこは通りすがりの正義の味方だから、とかじゃないんですね。」

 

 くすくすと笑いを堪え切れない様子のイエイヌ。そんなイエイヌをみんなほっこりと眺めるのだった。

 

「さて、それじゃあボク達もそろそろ行きますね。……あ、その前に…」

 

 と去り際のかばんとサーバル。美術室をお暇する前に一度振り返る。

 

「えっとですね。今度のお休みとか空いてるようでしたら、ともえさん達と一緒に行きたいところがあるんです。一緒に行きませんか?」

 

 その言葉に一度顔を見合わせるともえと萌絵とイエイヌ。

 

「「もしかして…。デートのお誘い?」」

「違いますよっ!?」

 

 声を揃えるともえと萌絵に即座にツッコミいれるかばん。そんな三人を呆れ半分で見守るイエイヌであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 そして生徒会の二人が帰っていった美術室。さっきまで賑やかだったのが二人減っただけで少しばかり寂しくなってしまった気がする。

 

「今日はお母さんが早く帰って来なさい、って言ってたしそろそろおしまいにして帰る?」

「そうダナ。春香モ待っているハズだから早いトコ帰ってヤレ。」

 

 と提案する萌絵にラモリさんも頷いている。

 実は昨夜、イエイヌの着せ替え大会の際に彼女の服を買いにいく案が思いのほかすんなりと通ってしまったのだ。

 春香も大いにノリ気だった、という原因もあるがやはりイエイヌの衣服を揃えるというのは重要な事だからであろう。

 今日の放課後にみんなで買い物に繰り出そうという計画になっているのだ。

 なので、少し早めではあるが美術部の今日の活動はこのくらいにして帰り支度を始めた三人+ラモリさん。

 と……。

 

―ダッダッダッ、

 

 と誰かが廊下を走ってくる音が近づいてきて、勢いよく美術室の扉が開け放たれる。

 最初、かばんとサーバルのどちらかが忘れ物でもしたかな?なんて呑気に考えていたともえであったが現れた人物を見て軽い驚きを覚える。

 肩で息をしながら美術室のドアを開けたのはオイナリ校長先生の会のメンバー、キタキツネであった。

 しばらくの間、息を整えるように開けたドア枠にもたれるキタキツネにともえ達も心配そうに駆け寄る。

 

「だ、大丈夫?キタキツネちゃん。」

 

 しばらく肩で息をしていたキタキツネであったがようやく顔をあげる。

 

「た、助けて!オイナリ校長先生の会が乗っ取られちゃう!」

 

 ようやく出てきた言葉に目を白黒させるともえ達。

 

「ともかく一緒にきてえええっ!」

 

 ともえの腕をぐいぐい引っ張るキタキツネ。その剣幕に押されてとりあえず、とキタキツネについていくともえ達である。

 そうして手を引かれてやって来たのは昨日お世話になった茶道部室である。

 再び茶道部室に戻って来たキタキツネ。ガラリ、と茶道部室になっている和室の扉を開け放つ。

 

「あら、お帰り。キタキツネ。」

 

 そこには3人のフレンズと一人の女子生徒がいた。一人は昨日も会ったギンギツネ。残る3人には見覚えがない。

 一人は灰色がかった長い髪が印象的なフレンズだ。

 そしてその後ろには豊かな体躯の猫科フレンズとやたらと小さな青みがかった髪色の少女がいた。こちらも髪が長く二つ結びの三つ編みに前髪で片目が隠れていた。

 4人とも座布団に正座して湯飲みでお茶を傾けている最中で特に何か剣呑な空気があるわけではなさそうだ。

 

「えっと…、オイナリ校長先生の会が大変だ、って聞いてキタキツネちゃんに連れてこられたんだけど…。」

 

 と戸惑いの声をあげるともえ。

 

「あ、ともえ先輩に萌絵先輩、それとイエイヌ先輩も来てくれたんですね。とりあえずどうぞどうぞ、上がって下さい。」

 

 ギンギツネに促されるままに上がり口で上履きを脱いで和室に上がる三人とラモリさん。

 

「で…、どういうこと?」

 

 座布団に座っても未だに状況が飲み込めないともえ達。

 

「それはわらわの方から説明致すのじゃ。」

 

 何とも古式ゆかしい喋り方で話し始めたのはギンギツネの前に座っていた長い髪のフレンズだった。

 

「わらわの名はユキヒョウ。1年B組なのじゃ。」

「あ、わたし、1年B組の宝条 ルリです。」

「同じく1年B組、宝条 アムールトラや。」

 

 長い髪のフレンズがユキヒョウ、豊かな体躯の猫科フレンズがアムールトラ、青みがかった髪の少女がルリ、というらしい。

 そんな自己紹介にそれぞれ自分達も自己紹介を返すともえ達。

 はて?なんだかイエイヌがいつもよりも緊張しているように見えるのは気のせいだろうか…。その視線がアムールトラと名乗ったフレンズへと注がれている。

 

「わらわは実はこの学校には茶道部があると聞いて入部できるかと思ってきてみたのじゃ。ちなみにこちらの二人は付き添いで見学じゃ。」

 

 それが何でオイナリ校長先生の会が乗っ取られる、という話になるのだろうか。

 その疑問をもってキタキツネを見るともえ達。

 

「だ、だって…。えっと、えっと…。ギンキツネお願い。」

 

 上手く言葉に出来なかったキタキツネ。ギンギツネに説明をまるっとパスしてしまう。

 

「そうね…ここは本当は茶道部で本当の茶道部員が入っちゃったらオイナリ校長先生の会がなくなっちゃう、って思ったのかしら。」

 

 ギンギツネの説明に我が意を得たり、とばかりに何度も頷くキタキツネ。

 

「なるほど、わらわ達が来て用件を告げた途端すっ飛んでいくから何事かと思ったがそういう事であったか。」

 

 こちらもうんうん、頷いているユキヒョウ。

 

「その様子だと大分走ったようやし、とりあえず茶飲んで落ち着き?ルリ、キタキツネと先輩方にもお茶淹れたって。」

「はーい、アムさん、任せて。」

 

 小さな女の子がポットからお湯を急須に注いで少し待ってから新たな湯飲みにお茶を注いでいく。

 

「ともかく、勘違いさせたようで悪かったのお。別にオイナリ校長先生の会、とやらを潰すつもりで来たのではないのじゃ。」

 

 お茶が行き渡った頃に再び話し始めるユキヒョウ。まずはキタキツネに頭を下げてみせる。

 

「あ…、ええと、ボクも話も聞かないで急に飛び出していってごめんなさい…。」

 

 頭を下げられてはキタキツネも意地を張る事に罪悪感を持たざるを得ない。こちらも素直に自分の非を詫びる。

 そんな様子に…

 

「俺達ハ必要ナカッタかもな。」

「うん、そうだね…。」

 

 と、こしょこしょ内緒話のラモリさんともえ達である。何はともあれ喧嘩とかにならなくてよかったとほっと一安心だ。

 

「でね?キタキツネが飛び出していってる間にユキヒョウ達の話を聞いたんだけど、ユキヒョウって凄いのよ。色々習い事してるから茶道の事も詳しいんだって。」

 

 ともえ達が茶道部室に来た時にギンギツネが他の3人と楽しそうに話していたのはそれだったのか。

 

「思うんだけど、私たちだって茶道部じゃない?ユキヒョウに色々教えて貰って茶道部の方もちゃんとやってもいいと思うの。」

「えっと…。それだとオイナリ校長先生の会は…?」

 

 不安げに訊ねるキタキツネにユキヒョウは一つ頷いてみせる。

 

「それはそれでやったらよいと思うのじゃ。聞けば中々愉快な事をしているようじゃ。」

「うんうん、アタシ達も昨日混ぜてもらったけどすっごい楽しかったよ。」

 

 ユキヒョウの言葉に頷くともえ。会の意味合いとかを考えると最初は敬遠されがちだがやってる事はオイナリ校長と楽しくあれこれする事だし商店街の役にも立っている。案外立派な活動になってしまっているというのが現状ではないだろうか。

 

「それにね、キタキツネ。お茶菓子も出るのよ。ほら、これ。」

 

 とドラ焼きを出してくるギンギツネ。お皿に乗せてともえ達の分も出してくれる。

 

「あ、これcocosukiに入ってる和菓子屋さんの菓匠若葉のドラ焼きだ。」

 

 萌絵がそのドラ焼きの焼き印に気が付いたのかそんな事を言い出す。ちなみにcocosukiというのはこの色鳥町にある大型ショッピングモールの名前だ。そこの菓匠若葉はちょっとお高めの高級和菓子屋さんだったりする。

 

「ぐ…!しょ、商売敵の商品に手を出すわけには…っ!」

 

 と何やら葛藤している様子のキタキツネ。

 

「でもいいの?これ結構お高いヤツじゃない?こんなのご馳走になっちゃって悪くない?」

 

 そんな心配をする萌絵であったが…

 

「いいや、これはわらわの家の店子殿からの貰い物なのでな。美味しくいただければそれでよいのじゃ。」

 

 とあっさり言うユキヒョウ。

 

「ちなみに、ユキヒョウの家ははウチらの家の大家さんなんや。」

「うむ。ルリとアムールトラはわらわの店子殿じゃからの。妹も同然じゃ。」

「わたしも!ユキさん好きだよ!」

 

 そんなアムールトラの解説にえっへん、と胸を張ってみせるユキヒョウ。そんな彼女に小さなルリが抱き着くようにして甘えていた。

 確かにこの光景を見るととても仲のよさそうな三人組だと思える。

 思わずほっこりした表情になるともえと萌絵。

 しかしルリは本当に中学生なんだろうか。かなり身長が低いので小学生でも全然通用する。なんなら低学年でも全然違和感ない。

 そんな彼女が甘える姿はなんともほっこり光景だ。

 

「ゆ、ユキヒョウはいい子…!でも商売敵のお菓子には……くぅううう!?」

「まあまあ、ドラ焼きに罪はないよ。はい、キタキツネちゃんあーんっ。」

 

 となおも葛藤しているキタキツネの口に自分の分のドラ焼きを一欠けら放り込むともえ。

 それで難しい顔をしていたキタキツネの顔が一気にほわーんと蕩けてしまう。

 

「ああ…。商店街のみんな…。ごめんなさい…。めちゃくちゃ美味しい…。」

 

 くどすぎない上品な甘さが口の中に広がり、まさに口の中が幸せ状態だ。

 そしてこれがまたちょっと渋めの緑茶によくあってしまう。

 まるで神に懺悔する罪人のような雰囲気のキタキツネ。堕落の瞬間を見てしまった気分だ。

 

「ちなみに…。ユキヒョウってcocosukiのオーナー企業の社長令嬢だったりするのよ。」

 

 とギンギツネがさらに追い打ちをかけてしまう。

 

「ザ・商売敵!?」

 

 シュビっと両手の手刀を前に謎の構えをユキヒョウに対してとるキタキツネ。

 

「うむ。商売敵かもしれぬが、別に仲良くして悪いという事もないのじゃ。」

 

 その言葉に一同うんうん頷いてキタキツネを見る。

 

「わ、わかった!ユキヒョウは商売敵だけどボクの友達!でもってここはオイナリ校長先生の会兼茶道部!これでいい!?」

 

 みんなの視線を受けてキタキツネは謎の構えを解いてみせた。それに対してユキヒョウも嬉しそうな笑みを見せる。

 

「うむうむ。平和が一番じゃ。」

「よかったね、ユキさん。」

 

 一見落着のようでルリと呼ばれた少女も嬉しそうにしている。

 

「さて、そうと決まれば茶道具なども十分ではないようじゃのお…。」

 

 きょろきょろ、と和室内を見回すユキヒョウ。

 

「ええ。ずっと茶道部は休部状態だったみたいで道具もせいぜい電気ポットとか急須とかそのくらいしか…。」

「そもそもボクら茶道ってどんな事するのかすら全然わからないもんね。」

 

 と申し訳なさそうなギンギツネにキタキツネ。

 

「いやいや、やる前から知っておる者などおらぬのじゃ。茶道具はわらわの持っているもので取り敢えずまかなうとして足りぬものはまずはこちらで用意しよう。となると……。」

 

 ふぅむ、とユキヒョウは考え込む。

 

「ならばちょうどよいのじゃ。ルリ、アムールトラ。今日はわらわに付き合ってくれんかの?買い出しにいくのじゃ。」

 

 そこで何故お供がその二人なのだろう、と疑問を持ってルリとアムールトラの二人を見る一同。

 もしやこの二人も茶道に詳しいのだろうか。

 その疑問がわかったのかルリは慌てて被りを振る。三つ編みの二つ結びにした長い髪が尻尾のようにぶるぶる振られる。

 

「いやな?この二人は先週くらいに越してきて転校してきたばかりなのじゃ。まだ色々と身の回りのもので買い揃えておいた方がよさそうな物も多いのじゃよ。」

 

 あれ?ちょっと待て。そういうのは普通大家さんじゃなくて保護者などの役割なのでは?

 と、無言のままに疑問の視線をユキヒョウに向けてみる。

 

「わらわもそう思わなくもないのじゃが…。あの御仁に任せておくといつまで経っても荷解きすら終わらん有り様じゃからな。」

 

 はふー、と嘆息するユキヒョウ。ルリ達の保護者はもしかしたら片付けとか苦手なのだろうか。

 

「わらわの可愛いルリにいつまでも不自由させるわけにもいかん。茶道具の足りぬものの補充はついでじゃ、ついで。それに荷物持ちならアムールトラがおるしのお。」

「なんや、ウチは力仕事要員か?確かにそのくらいしか役に立てるとは思わんけどな。」

 

 ルリを抱き寄せて膝に乗せるユキヒョウ。それにルリも目を細めてみせる。

 一方で荷物持ち扱いされたアムールトラもそれに気を悪くした様子もなくカラカラと笑っていた。

 なんだか形は違うけれど、自分達と似たようなところがあるんじゃないかな、なんて思うともえである。

 きっとユキヒョウとアムールトラの二人はルリ、というこの女の子をとても大切にしているのだろう。

 短い時間でもそれはよくわかった。

 

「そういうわけでの、キタキツネにギンギツネ。近いうちに茶会でもしてみるのじゃ。せっかくじゃしそちらの先輩方も招待しようかの?」

「え、ええ!?お茶会の作法なんてアタシ達ぜんぜん知らないよっ!?」

 

 そんな思わぬ提案に焦りを見せるともえ。何しろ茶道というのは名前くらいは知っているという程度しか知識がないのだ。

 本格的な茶会になど参加したらマナーを知らずに恥ずかしい事になるのは目に見えている。

 それは学年一の秀才、萌絵であっても殆ど変わらないだろう。

 

「いやいや、そこまでかしこまった事をするつもりはないのじゃ。茶道体験とでも思って気楽に参加してもらえるものにするつもりじゃよ。」

「それなら面白そうかな…。」

 

 と段々乗り気になってくるともえ達である。

 

「そういう事で話は決まったかの?ではこれからよろしく頼むのじゃ。」

 

 そんなユキヒョウのまとめに一同揃って頷く。

 ユキヒョウの茶道部入部に端を発したオイナリ校長先生の会存続の危機はこうして一件落着したのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 放課後の帰り道。イエイヌは未だ静かだった。

 

「ねえ?イエイヌちゃん。ずっと静かだけどどうしたの?さっき茶道部室にお邪魔したときからだよね?」

 

 元気がない、というわけでもない。何かずっと考え込んでいる様子なのだ。

 茶道部室にいる間、イエイヌは随分とアムールトラの事を気にしていたようではあったがその原因がわからない。

 

「えっとですね…。聞いてもらえますか?」

 

 こうやって改まって話をするのはイエイヌにしては珍しいように思える。

 

「実はさっきお話してたアムールトラさんなんですが…。似てるんです…。」

 

 ポツリポツリと帰り道を歩きながら話すイエイヌ。

 それはかつてイエイヌがこの世界に来る前の出来事だった。

 

 かつて暮らしていた世界でイエイヌはようやくヒトの子供と出会う事ができたのだが、そのヒトの子供はビーストという凶暴なフレンズが近くにいるのに友達の為に外に飛び出してしまうという出来事があった。

 その時イエイヌはヒトの子供を追いかけて、ビーストと遭遇し、その子供を守る為に必死に戦ったのだが力及ばずに敗れてしまったのだ。

 ヒトの子供を探しに来たその友達のフレンズ達が駆けつけてくれなかったらイエイヌも危なかっただろう。

 結局ヒトの子供はイエイヌの元には留まらずにその友達のフレンズ達と旅を続ける事になった。

 イエイヌ自身はヒトの子供を守れなかった、その事を今でも悔やんでいた。

 そして、アムールトラの外見はその時に戦ったビーストと呼ばれた乱暴者にそっくりだったのだ。

 

「もちろん、ここはわたしが今までいた世界とは違います。さっき会ったアムールトラさんもルリさんを大切にしていてとても優しい子だと思いました。」

 

 それでもイエイヌにとってはかつての敗北を思い起こさせてしまった。

 あのアムールトラはビーストじゃない、と解ってはいたものの、もしも、もしもまたビーストのような強敵に出会ったら…。

 セルリアンは連日現れている。

 だからこそ、あの時と同じように敗北してしまったら…。その時はともえと萌絵がどうなるのか。

 その想像はイエイヌの心を恐怖のどん底へと突き落としてしまっていたのだ。

 

「うーん。そっか…。アタシ達にはその気持ちって想像しかできないかもしれないけど…。でもね。」

 

 ともえと萌絵は顔を見合わせてから一つ頷く。

 

「アタシも萌絵お姉ちゃんもイエイヌちゃんの事を守りたいって思ってるからね。だからね、一人で悩まないでいてくれた事が嬉しいかな。」

「そうそう、アタシも直接戦ったりとかは出来ないだろうけど、それでもイエイヌちゃんのお役に立てるんだからね。」

 

 そうか。

 さっきの三人がルリという少女を大切にしていたように自分達だって負けないくらい仲が良くなっていたのだ。

 そしてその人たちは守られるだけじゃないんだ。

 そう思ったとき、自然とイエイヌの目頭は熱くなってしまうのだった。

 それを誤魔化すように目元をぐしぐしと拭うイエイヌ。そしてから…。

 

「あの…!わたしはどうしたらいいんでしょうか…!」

 

 とともえと萌絵に視線を向ける。

 

「うん…。そうだねえ…。あのね。多分、自分に自信をつける、っていうのが重要だと思うの。強くなるーっていうのかなあ…。」

 

 そんなイエイヌの視線を受け止めて萌絵が指を一本立てながら答える。

 

「昔の事ってもう変えようがないからね。だからイエイヌちゃんが不安じゃなくなるくらい強くなったらいいんだと思うの。」

「お、おお!?もしかして修行!?修行するの!?アタシあの鉄の重たいローラー引くやつやってみたい!」

 

 何故かともえが目を輝かせ始めた。ちなみにともえが言っているのはグラウント整備に使う整地用ローラーの事である。

 俗称としてコンダラと呼ばれる事もあり何故か特訓に使われるイメージがあるが実際は引いて使うのではなく押して使うものだ。

 万が一にもローラーに巻き込まれたら怪我をしてしまうので、よい子は真似しちゃいけない。

 

「ふふ。そうだね、みんなで一緒に強くなろうか。」

 

 そんなともえを見て可笑しそうに笑う萌絵。

 

「まあ、差し当たっては…。お母さんと一緒にイエイヌちゃんに可愛い服選びを頑張る事からはじめよっか。」

「な、なんでですか!?!?」

 

 何がどうなってそうなったのか。可愛い服と戦いが何か関係があるのだろうか。イエイヌの頭は混乱した。

 

「うん、まずは女子力アップからはじめよう。一見戦いとは関係ない事でも色んな事を経験したらそれが案外何かの役に立つかもしれないよ。」

 

 ほ、ほんとかなあ…、と若干の疑問がイエイヌの頭によぎる。

 

「まあまあ、出来る事からやっていこう!それに可愛い服を着たら案外自信がつくかもしれないしっ!」

 

 ともえも乗り気なあたり、もしかしたら自分の考えの方がおかしいのだろうか、とその疑問を打ち消すイエイヌ。

 しかしながら、ともえも萌絵も考えてる事は一つだった。

 とりあえずイエイヌちゃんに可愛い服着せてみたい、と。

 

「さ、そうと決まったらまずは女子力アップ!お母さんも待ってるだろうし早く帰ろっ」

 

 そう。今日はイエイヌの衣食住のうち“衣”を補強する為に買い物に行く予定なのだ。

 きっと今頃春香が首を長くして待っているだろう。

 ともえと萌絵とイエイヌの三人とラモリさんは日も長くなってきた帰り道を急ぐのだった。

 

 

―中編へ続く―




クロスシンフォニー変身シルエット紹介

名称:フェネックシルエット
パワー:C スピード:B 防御力:B 持久力:S
特徴:超聴覚
必殺技:砂隠れ

フェネックとの合体戦闘シルエット。パワーにはやや劣るものの大きな耳で捉える音は敵の攻撃を死角からでも感知する。
特に未知の相手と戦う際の様子見などで多用されてきた戦闘シルエットである。
必殺技の“砂隠れ”は地面から砂埃を巻き上げて視界を遮り敵の命中力を下げるデバフ技である。
ちなみに、この変身シルエットだと砂漠のような暑さにも負けない耐熱耐性も特徴の一つだ。




名称:アライグマシルエット
パワー:B スピード:B 防御力:B 持久力:A
特徴:精密作業
必殺技:アライアナライズ

アライさんとの合体戦闘シルエット。基本スペックは平均的だが特に技が重要で多用されてきた。
その技は手で触れたものの特徴を掴む“アライアナライズ”である。
特に未知の相手と戦う事も多いセルリアン戦で戦略の組み立てに重要な役割を果たしてきた。
なお、一緒に戦う博士助手からは性格と技が合っていないと散々な言われようである。
また手先も器用で特殊な工作が必要な時にもこの戦闘シルエットが用いられる事がある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話『キラキラのcocosuki』(中編)

今回はあまりにも長くなったので前編、中編、後編の三部でわけさせていただきます。




クロスシンフォニーシルエット紹介

名称:アフリカオオコノハズクシルエット
パワー:C スピード:S 防御:D 持久力:C
特徴:飛行能力 隠密性
必殺技:ステルスダイブ
博士との合体戦闘シルエット。パワーにはやや劣るもののその隠密性や機動力は中々のもの。
必殺技のステルスダイブは上空から隠密性を発揮して視認しづらい一撃を加える。
さらに、実は非常事態にのみ使える隠し技もあるが、大きな負担がかかる為今までに使った事はない。
能力的には助手と似た部分もあるが、空中戦が必要な場面では頼りにされてきた。



 

「おおー!こっちもこっちで大盛況だねえ!」

 

 ともえ、萌絵、イエイヌと春香+ラモリさんは色鳥町ショッピングモールcocosukiへとやって来ていた。

 商店街のみんなには申し訳ないのだが、服だとやはりこちらの方が品揃えがいいのだ。

 ともえ達くらいの年齢層向けの服だと特にその傾向は顕著だったりする。

 そして夕方を回って夜へと向かう時間帯ではあるが客足はまだまだ途切れる様子もない。

 

「はぁ……。商店街もそうでしたがすごい人ですね。」

 

 はじめて訪れた大型ショッピングモールをきょろきょろと見回すイエイヌ。

 吹き抜け構造で1階から全てのフロアが見渡せたりする。

 全3階建てて様々な専門店のテナントがひしめいている。

 1階が食品売り場+フードコートにファストフード店にレストランなどの飲食店。洋菓子や和菓子の専門店などもある。

 2階、3階に様々な専門店やシネマコンプレックス、書店や生活雑貨店などなど。

 ここに来て揃わないものはないのではないか、と思える程に様々な商品が立ち並んでいた。

 さらに大型立体駐車場も備えられており、たくさんの買い物客を受け入れるだけの施設も整っている。おかげで町外からのお客さんも多いのだ。

 今日のお目当ては3階の服飾専門店……ではない。

 まずは2階の暮らしと生活のフロアだ。

 2階フロアはざっくりと言うと衣食住のうち“住”のコンセプトになっているのだ。

 

「だって、イエイヌちゃんにパジャマとか欲しくないかしら?」

 

 春香の言葉に確かに!!と言わんがばかりに頷くともえと萌絵。

 今まではけものプラズムで出来たイエイヌの服の万能さであまり気にしないでしまっていたが確かに部屋着やパジャマなど生活着も欲しいと思える。

 

「せっかくだから可愛いヤツを選びたいね。」

「うんうん、じゃあまずはそこからだね!」

 

 と張り切って気合を入れている萌絵とともえの二人。むしろイエイヌ本人よりも張り切っていた。

 4人とラモリさんはエスカレーターで2階フロアへ移動する。

 目指す暮らしと生活のフロアは言わばホームセンターのような場所だ。

 

「ふぉおおお!?新型っ!新型のドリルがあるっ!?」

 

 と萌絵が早速目移りしていた。

 ちなみに萌絵が見ているのは電動インパクトと呼ばれるヘッドを交換することでドライバーにもドリルにもなる品だ。

 

「萌絵お姉ちゃん…。それっておうちにあるじゃない…。」

 

 もちろん遠坂家の地下工作室、通常『工房』には様々な工具もある。

 なので当然電動インパクトどころか各種のドリルヘッドだって揃っている。

 だが新作が出てる以上つい欲しくなってしまうのは仕方がないのだ。

 

「こっちっ!こっちのラチェットとか可愛くない!?」

 

 珍しくテンションマックスの萌絵。ちなみにラチェットとはL字状のねじ回しだ。

 ドライバーの入らない狭い箇所のネジを回すための工具で意外と重宝する。

 性格的には似た者同士の二人ではあるが、姉のこういうところは未だによくわからないともえである。

 だが、好きな物を見るとついついテンションあがっちゃうその気持ちはよくわかる。なんなら姉と一緒に暴走する事だって結構ある。

 

「ふふ、萌絵ちゃんの工具好きはお父さん譲りかしらねー。」

 

 言いつつ春香は寝具コーナーへと移動していく。

 寝具コーナーにはパジャマも取り揃っていた。

 フレンズ用のものの中には耳つきフードだったり、尻尾穴が開いていたりときちんとフレンズそれぞれに合わせた作りになっている。

 

「うーん…。このフードつきとかピッタリかしらねー。もうすぐ夏だから涼感素材ので、あと可愛いのがいいわねえ。イエイヌちゃんはどういうのがいいかしら?」

 

 パジャマコーナーのいくつかのパジャマをイエイヌに当ててみる春香。

 しかし、イエイヌにはそれらのどこがいいのかというのがよくわからない。

 

「ええと…。ごめんなさい。服、というものの選び方がよくわからなくて…。」

 

 今まで服を着替える、という事がなかったイエイヌ。当然その選び方も良し悪しもわからない。

 

「そうねえ。まずは直感でいいから、こういうのが好きっていうのがあったら言ってみて?」

 

 その言葉にイエイヌは真剣な様子で考え込む。

 昨夜は沢山の服を着せられたが、そのどれもがほんの少しだけではあるが身に着けると落ち着く感じがあったのだ。

 だが、今自分の身体のあてられているものにはそれがない。

 何故だろう。

 そう考えたとき、イエイヌには一つ思い当たる節があった。

 

「匂い…。昨日着た服からはともえさんや萌絵さんや春香さんの匂いがしました…!」

 

 昨日あり合わせの服で着替えまくった時には春香達がそれぞれ服を持ち寄ったのだから、その匂いがするのは当然だ。

 そして、自分のそばから大好きな人達の匂いがする、というのは安らぐものだった。

 つまり、それはともえと萌絵と春香の三人はイエイヌにとって側にいてくれたら安らぐくらい大好き、と言ってるも同然なのだがそこには気づかないイエイヌであった。

 

「んー。となると…イエイヌちゃんの部屋着コンセプトは決定ね!」

 

 そんな何かを考えついたような春香にともえと萌絵も集まってくる。

 

「古着を使ってリサイクル、がイエイヌちゃんに一番だと思うの。」

 

 そんな二人に指を一本立てると説明を始める春香。いくつか小さくなったり擦り切れたりして着れなくなった服があったはずだ。

 つまり、それを再利用して部屋着に仕立て直そうというのが春香の計画だ。

 ちなみに春香は家事ならだいたい万能。喫茶店『two-Moe』の制服だって彼女が作ったものだ。

 部屋着なら多少冒険したデザインでも何とかなるだろうし。

 

「おお…!?それなら色々デザインも考えたりしないといけない!?」

「そう…。昨日萌絵ちゃんとともえちゃんが描きまくってくれたスケッチもデザイン画としてお役立ちよっ!」

「「おおおおおっ!?!?」」

 

 昨夜筆が進むままに色々な服を着たイエイヌをモデルに描いたスケッチまで役に立つとあっては名案と言わざるを得ない。

 しかも家に帰ったらデザイン画をまた描いてみてもいいのだ。

 これはワクワクしてしまう。

 

「と、いうわけでちょっとだけ生地とか糸とか買い足して……。」

 

 そして、この春香の案にはもう一つメリットがあった。

 

「それだけだと大分予算が余るから少しだけ無駄遣いしちゃいましょうか。」

 

 と悪戯っぽい笑みを浮かべる春香。

 服を買わずに古着リサイクルで作り直すのなら金銭的には大分浮いてしまう。

 つまり他の物を買っても特に問題がないのだ。

 

「「お、お母さん…。最高過ぎだよ…!」」

 

 そんな策士な春香の名案にテンションだだ上がりの萌絵とともえ。

 イエイヌは一人なんの事かわからないで?マークを浮かべていた。

 

「まずはイエイヌちゃんの欲しいものから見てみようか!」

 

 とはいえ何が欲しいのかもやはりイエイヌにはよくわからない。

 キョトキョト、と周りを見渡すイエイヌ。

 と…

 ペット関連コーナーでやけにイエイヌの目を引くものがあった。

 それは骨型のオモチャだった。

 

「くっ!?こ、これはさすがによくないですっ…!」

 

 それで遊ぶのはいくらなんでも子供っぽすぎる…!という想いが湧き上がってしまう。

 鉄の自制心で何とか骨型のオモチャの魅力を振り払うイエイヌ。

 ふと視線を移したイエイヌの目に映ったのはフリスビーだった。

 

「あ…。」

 

 そのフリスビーに目が釘付けになるイエイヌ。

 それは思い出のあるものだった。

 且つて出会ったヒトの子供が投げて遊んでくれた事のある品物なのだ。

 一度だけだったけれど、それはとても楽しい時間だった。

 

「これ欲しいの?」

 

 その視線に気が付いたともえ。イエイヌの横顔を覗き込む。

 

「ええと…。その…。」

 

 そう聞かれたイエイヌの胸中は複雑だった。

 果たしてこれをねだってもいいものか…。という想いも確かにあった。

 それよりも何か、自身でも言葉に出来ない感情が湧き上がっている。

 それは昼間、アムールトラと出会った時に感じた感情に似ていた。もしかしたらまだ気持ちが落ち着いていないのだろうか。

 イエイヌがその感情の正体に気づくよりも先に、ともえがフリスビーを商品棚から手にとってみた。

 

「アタシは欲しいかなー。イエイヌちゃんとこれで遊んだら面白そうだし。」

「いいかもねー。でも、アタシ上手に投げられるかなあ…。」

 

 いつの間にか萌絵も覗き込むようにしてフリスビーを眺めていた。

 

「だ、大丈夫です!どこに投げたってちゃんととってきますからっ!」

 

 ふんす、と気合を入れたイエイヌに二人は一度顔を見合わせて、嬉しそうに笑う。

 

「じゃあ、フリスビーはご購入だねっ!」

 

 その言葉にイエイヌの尻尾はぶんぶん揺れていた。頭で考えるよりも尻尾の方は正直だった。

 きっとこれでともえと萌絵と一緒に遊んだら楽しいだろう。想像するだけでさらに尻尾は激しく揺れるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 そんなこんなで楽しいショッピングタイムはまだまだ続く。

 さらにイエイヌ用のクッションとかを見繕うともえ達。イエイヌ用の部屋を用意する事も出来るのだが一人になるのはあまり好きではない様子のイエイヌだった。

 だいたい家ではともえか萌絵のどちらかの部屋に一緒にいてそこで三人で過ごしている事が多い。

 なのでまずは専用クッションとか用意したらどうだろう、という作戦であった。

 

「お、おぉー…。なんだかワシャワシャって不思議な音がしますね…。」

 

 ビーズ入りクッションを何度も手で押してみているイエイヌ。どうやらこの音のする感触がお好みなのかもしれない。

 他にも低反発系やちょっと固めのクッションなんかも選んでいく…。

 と、いくつめかのクッションを手に取ったとき、小さな手が同時にそのクッションを掴んだ。

 どうやら同じ商品を同時にとってしまった誰かがいるのだろう。

 

「「ご、ごめんなさいっ。」」

 

 と、その手の主と同時に声が重なるイエイヌ。その声には聞き覚えがあった。

 

「あ、あれ?ルリさん?」

「あ、えーっと、さっき会った先輩のー。えーっとえーっと…。」

 

 それは茶道部室で出会った青みがかった長い髪を二つ結びの三つ編みでまとめた少女、ルリであった。

 きっと名前をまだ覚えていないのだろう。思い出そうと一生懸命な様子を見せるルリ。

 

「イエイヌです。」

 

 なにせ茶道部室では色々と混乱していて殆ど会話らしい会話もしていなかった。だから思い出せなくても仕方ないだろう。

 今度はちゃんと笑顔で挨拶できただろう、と確信するイエイヌ。

 そんな彼女の挨拶にルリも顔を輝かせる。

 

「そうだ!イエイヌさんだっ!」

「はい、イエイヌです。」

 

 言って二人してふふ、と笑いあう。

 そうしていると、ともえ達も大荷物を抱えたアムールトラとその後ろを涼しい顔で手ぶらで歩いてくるユキヒョウもやってきた。

 

「なんや、先輩方も買い物やったんか?奇遇やなあ。」

 

 大荷物を抱えたアムールトラであったがそれを気にした様子もない。

 

「あの、手伝いましょうか?」

 

 それでもイエイヌはそう言わざるを得なかった。そのくらい両手に大荷物を抱えていたからだ。

 

「お?ほんまに?助かるわぁー。なんせユキヒョウのやつ、ぜんっ!ぜん荷物持ってくれへんからなっ!」

「はっはっは。わらわは箸より重たいものは持った事がないのでな。」

「嘘つけぇ!?」

 

 と賑やかに言い合いを始めるアムールトラとユキヒョウ。

 

「とりあえず、ウチはさすがにチョイ疲れたんでそこのベンチで休んでるわ。ユキヒョウ、ルリと二人で選んできたらええよ。」

「じゃあ、わたしも。少し色々見すぎてなんだか目がぐるぐるしちゃって…。」

 

 とイエイヌはアムールトラの荷物を半分引き受ける。見た目通りに結構な重量があったがイエイヌにとってはそこまで重たいわけではない。

 それでもイエイヌは、アムールトラはよく涼しい顔でこの倍の重量を持っていたなあ、と感心する。

 

「いやー、悪いなあ。助かるわー。」

 

 二人でベンチへ移動。

 で、色々と話し合った結果、ともえ達とルリとユキヒョウで生活雑貨品を見て回る事にしたらしい。

 最初、ともえと萌絵は少しだけ心配そうにしていたがイエイヌが笑顔を向けてみたら納得したようだ。

 春香は春香で生地と糸を見繕いにいった。

 30分後にアムールトラのいるベンチに集合、という事で落ち着いた。

 

「いや、ほんま助かったわ。ユキヒョウのやつ、容赦とか手加減って言葉知らんのやないやろか。」

 

 荷物から解放された両手をぐるぐる回して一息つくアムールトラ。

 

「仲、いいんですね。」

「ま、色々とルリの面倒も見てもらってるし気のええヤツやし、引っ越して来て最初に友達になったんがアイツでよかったわ。」

 

 きっと憎まれ口を叩きあう事が出来るくらいに仲のいい間柄なのだろう。それはそれで少し羨ましいように思える。

 そんな事を思っていると荷物を降ろしたアムールトラはベンチから少しだけ離れると手近にあった自動販売機でジュースを二本購入。

 そのまま戻って来て…。

 

「ほい、荷物持ってもらったお礼。先輩はどっちがええ?」

 

 と差し出したのはメロンソーダにオレンジジュースだった。

 

「あ、わたしの事はイエイヌ、でいいですよ。飲み物ありがとうございます。」

 

 言いつつジュースを眺めるイエイヌ。取り敢えず薄い緑色の缶が鮮やかに思えたのでメロンソーダを選ぶ。

 

「そっか。もしかしてイエイヌ、ウチに何か話があったりしたん?」

 

 イエイヌの隣に腰を降ろして荷物番のような格好になるアムールトラとイエイヌ。

 イエイヌもちょうどいい機会だしアムールトラと話してみたかったというのはあったものの、何か特別話題があるわけでもなかった。

 

「いや、茶道部室でウチの事気にしてたみたいやったから…。」

 

 ああ、本人にまでも見透かされてたか。とちょっとバツの悪い思いのイエイヌ。

 

「実はアムールトラさんが昔ちょっと色々あった苦手なフレンズに似てたもので驚いたと言いますかなんと言いますか。気を悪くさせてごめんなさい。」

 

 ともかく失礼な態度になってしまったのは事実だ。きちんと頭を下げて謝る。

 

「ああ、いやいや、別に責めたりしてへんよ!?でもウチが知らん間にイエイヌになんかしてた、ってわけじゃなくて安心したわー。」

 

 そう言いつつ笑って見せるアムールトラ。

 やっぱりこの子はいい子だ。あのビーストと呼ばれた乱暴者とは違う。とあらためて思うイエイヌであった。

 取り敢えず貰ったジュースの蓋を開けて、一口飲んでみて……。

 

「!?!?」

 

 と、変な声にならない声を上げてしまうイエイヌ。口の中でシュワシュワする感覚に驚いてしまう。

 

「あー、もしかしてイエイヌ、炭酸苦手やった?ウチも初めて飲んだ時似たような感じになったわ。ごめんな?交換する?」

「あ、いえいえ。この飲み物は初めてだったので驚いてしまって。でも、不思議な感じがして面白い飲み物ですね。美味しいです。」

 

 それにほっと安心したようなアムールトラ。

 

「そういやルリも炭酸は面白いって言ってたな。一缶は多くてお腹痛くなってまうから大体半分こするんやけどな。」

 

 身体の小さいルリだと炭酸飲料はすぐにお腹が苦しくなってしまうのだろう。そんな事を言いつつ笑うアムールトラ。

 

「アムールトラさんはルリさんが大好きなんですね。」

「おう。ルリはウチの一番大切や。何があってもあの子は守らんとあかん。そう思ってる。」

 

 そういうアムールトラの目にはそれが本気の言葉だとわかるだけの光が宿っていた。

 

「あ、あとな?イエイヌ。アムールトラさん、やなくてアムールトラ、や。」

「え、ええ!?」

 

 イエイヌにとっては呼び捨てにするような間柄の相手は今までいなかった。かなり意外な申し出といっていい。

 

「ウチだけ呼び捨てなんて恥ずかしいやないか。それに、ウチはイエイヌと友達になりたい。ダメか?」

「も、もちろんお友達は嬉しいですが…。その…なんかはずかし…。」

「ええやないか。ほな、練習練習!呼んでみよ!ほい、アムールトラ!りぴーとあふたーみー!」

「ええ!?!?」

 

 そんな二人の様子をこっそりと荷物に紛れて見守っていたラモリさん。

 

「(ドウヤラ、俺の出番は必要ナイみたいダナ。)」

 

 表情をかえる機能があったのならきっとニヤリとしていた事だろう。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一方その頃、ルリを連れたユキヒョウとともえと萌絵の4人は3階フロアへと移動していた。

 3階は主に服飾品のお店が並んでいる。3階フロアのテーマは“衣”と娯楽。

 服や装飾品などの専門店からシネマコンプレックス、書店、ホビーショップなどのテナントが入っている。

 

「だいたいの生活用品は揃ったんじゃがな…。あとはルリの私服が必要かと思ってな。」

 

 確かにルリが今着ているのは少しばかりブカブカで大きすぎる気がしなくもない。

 いわゆる萌え袖状態になっていて手がすっかり隠れているのだ。

 

「ちょうど良いサイズの服の一つも見繕ってやらねばならんと思っての。」

「うん、ルリちゃんならいろんな服が似合いそうだね。可愛いもん。」

「じゃろ!ルリは可愛いからの!」

 

 そんなユキヒョウの様子にちょっと恥ずかしそうにしながら着いていくルリ。

 そうしていると子供服売り場に到着した一同。

 

「ふわぁ……。ここもキラキラしてるね。」

 

 とルリが目を輝かせている。

 

「うん。わかるよー。ステキな服売り場ってキラキラして見えるよね。」

 

 と萌絵も早速ルリに何が似合うか、と考え始めている様子だ。

 三人でああでもない、こうでもない、と次々とルリに服をあててみている。

 

「ルリちゃんはどういうのが好き?」

 

 ともえもルリに聞いてみるが…。

 

「うーん、どれもキラキラしてて好きだよ。」

 

 というルリ。おそらく、明るい色が好きなんだろうか。さすがに蛍光色だと派手すぎるので…。

 

「こんなのどうかな!」

 

 と萌絵が選んでもってきたのはセーラー服。学生制服のものではなく元の水兵風の服をノースリーブにして子供服用に可愛らしくアレンジしたものだ。

 サイズもピッタリっぽい。

 

「お、おおおっ!?これは…!これはいいな!」

「うん。なんだかこれ、キラキラしてる…!」

 

 ユキヒョウもそれに目を輝かせ、ルリもかなり気に入っている様子だ。

 

「なら早速試着だね。ボトムはこの辺り合わせたら可愛いんじゃないかな。」

 

 と萌絵が持ってきたのは膝丈くらいのハーフパンツ。

 

「いいかもしれぬな…!さ、ルリ。一人で着替えられるか?」

「もー。ユキさん。わたし、ちっちゃいけど子供ってわけじゃないから着替えくらい一人で出来るよっ。」

 

 と可愛らしくほっぺを膨らませてから試着室に入るルリ。

 程なくして出てきた彼女は先ほどまでと違って肩まで出ていて何だかますます活動的な印象だ。

 

「ど、どうかな…。」

 

 と、ちょっとだけ不安そうにたずねるルリ。

 

「うむ!さすがはわらわの可愛いルリじゃな!あまりに可愛らしくて天使にでも出会ったかと思ったわ!」

「もう。ユキさん褒め過ぎ。恥ずかしいったら。」

 

 一方でともえと萌絵もお互いの手がスケッチブック入りの肩掛け鞄に伸びようとしているのをお互いにガードしあっていた。

 

「くぅ!?こ、ここがお店屋さんじゃなかったらスケッチしてたのに…!」

「ほんとだね…!さすがにここでスケッチしはじめたら迷惑になるから自重するけど…!自重するけど…っ!」

 

 その様子を見ただけでめちゃめちゃ似合っている、と言いたいのはよく伝わってくる。

 

「他にも選んでやりたいが……。むう。ちょうど時間じゃな。アムールトラのやつをあまり待たせるのも悪いか…。」

「そうだね。アムさん一人で退屈してないかな。」

 

 ちら、と時計を確認したユキヒョウ。もうすぐ集合予定時間だ。

 名残惜しいが、まずは一度戻った方がいいだろう。

 

「うむ。すまぬが店員殿。ルリの着ているものをそのまま着て行っても構わぬだろうか。支払いはカードで頼むのじゃ。」

「「お、大人だ……!」」

 

 言いつつ手早く『黒より黒い光をも吸い込む本物のブラックカード』で支払いを終えるユキヒョウ。それはともえと萌絵の目にはやけに大人びた行動に見えた。

 今までの服を袋に入れてもらって再び4人でイエイヌとアムールトラの元へと戻っていく。

 と…。

 ルリの足跡が黒ずんだ跡となって床に残る。

 

―ポコン

 

 そして4人の去って行った店頭に黒い泡のようなものが一つ、床から湧き出していた。

 

 

 

―後編へ続く―

 




クロスシンフォニーシルエット紹介


名称:ワシミミズクシルエット
パワー:B スピード:A 防御:D 持久力:C
特徴:飛行能力 静粛性
必殺技:サイレントダイブ

助手との合体戦闘シルエット。能力的には博士と似たような部分がある。
こちらはより羽ばたきの音すらさせずに飛ぶ静粛性が特徴。
必殺技のサイレントダイブは攻撃の音すらさせずに上空から急降下アタックを仕掛ける技だ。
死角から放たれたこの技をかわすのはまず不可能だろう。
博士のアフリカオオコノハズクシルエットと同様、空中戦が必要な場面で多用されてきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話『キラキラのcocosuki』(後編)

【登場人物紹介】

名称:ユキヒョウ
所属:茶道部
特技:茶道 華道 書道

ジャパリ女子中学1年B組のお嬢様でユキヒョウのフレンズ。
古式ゆかしい喋り方をするのが特徴だ。
家はかなりの資産家でルリとアムールトラの二人が暮らすマンションの大家でもある。
幼少の頃から様々な習い事をしており、特に文化系の習い事は得意だ。
面倒見がいい性格をしており、特にお子様には優しい。
最近引っ越してきたばかりのアムールトラとは馬があうのか気の置けない友人付き合いをしているし、ルリは妹のように可愛がっている。
ちなみに暑い場所は苦手である。


 cocosuki1階。

 ここは食料品店、フードコート、レストランなどの飲食店、さらにお菓子屋さんなどの専門店が並んでいる。

 

「かばんちゃん!どれがいいかなー?迷っちゃうね!」

「うん、どれも美味しそうだね。サーバルちゃんはどれが食べたい?」

 

 そのcocosuki1階に入っているテナントの一つ、ファミリーレストラン“ジャパゼリヤ”のテーブルについているのはかばんとサーバル。

 その向かい側にもう二人並んで座るヒトとフレンズがいた。

 

「たまにはかばんちゃんの負担も減らしておかないといけませんもんね。今日は好きなものを選んで下さいね。」

「はい、ミライお姉ちゃん。ありがとう。」

 

 そしてテーブルについているのはミライともう一人はフレンズだった。

 かばんの隣にサーバルが座って、ミライの隣にもう一人のフレンズが座っている格好だ。

 

「ねえ、ノナ母さんはどれがいいと思う?色々あり過ぎて選べないやー。」

 

 サーバルがメニュー表を渡した相手はミライの隣に座るフレンズだった。

 大きな耳はサーバルとお揃いでサーバルキャットのフレンズの特徴を備えたノナと呼ばれたフレンズだ。

 

「そうだねー。みんなで色々頼んでわけっこしたらどうかなあ?」

 

 サーバルよりも毛足が少し短めに整えてあって、少し大人っぽい印象があるノナ。

 そんなノナの意見にかばんも嬉しそうに頷く。

 

「あ、いいですね。色々試してみたらサーバルちゃんが好きなのも見つけられそう。」

 

 ミライとノナの二人は顔を見合わせるとこちらも嬉しそうに笑う。

 ちなみに、ノナはミライのパートナーでサーバルの母親にあたる。

 一般的にフレンズが生まれるには二通りの方法がある。

 一つは伴侶を見つけてその伴侶との間に子を設ける方法。

 もう一つは世代交代と呼ばれる方法だ。

 フレンズは子育ての適齢期になると伴侶がいなくとも必ず一人は自身の種族と同じフレンズの子を宿す。

 それはサンドスターのもたらす奇跡の一つとしてこの世界ではごくごく一般的なものだ。

 そして、親は子供に名前を譲り新たな名前を名乗るようになるのが一般的である。

 中にはゴマのように種族名の他にニックネームを持つフレンズもいる。

 だが、親から子へと名前を継いで各種族のフレンズ達は連綿と世代を重ねてきた。

 その中でヒトと交わったりしてヒトに近づいていったのがこの世界だった。

 一方で、野生動物がフレンズ化するような事態は非常に稀な事象であったりもする。

 自然発生、と呼ばれる野生動物のフレンズ化であるが、そうした稀な事象に対してもそれを保護する法整備はきちんとしていたりもするあたり、ヒトとフレンズが作り出す社会基盤はしっかりとしているのだ。

 

「ふふ、じゃあ色々頼んじゃいましょう。」

 

 ミライも柔らかく微笑み、テーブルの呼び出しボタンを押す。

 ちなみに、こうして外食でサーバルに色々食べさせるとかばんが対抗心を燃やして食事が豪華になったりするのでその恩恵はミライとノナにもあるのだ。

 星森家の買い物スケジュールは最初に食料品いがいの買い出し。その後休憩を兼ねて外食。

 そして食料品の買い出しというコースになる。

 明日のお弁当が今から楽しみなミライ。計画は完璧だ。

 注文するのはともかくミニサイズ。そのかわり品数は多めになった。

 コストパフォーマンスは若干悪いが……

 ミライとノナは顔を見合わせて頷きあう。そう、これは必要な投資なのだ。

 

 やがて頼んだ品物がテーブルに並んでいく。

 

「おおー!どれも美味しそうだねー!」

 

 と目を輝かせるサーバルに早速取り皿へと取り分けていくかばん。

 

「ノナ母さんもミライお姉ちゃんもどうぞ。」

「あら、私たちもいいの?」

 

 手早くみんなに料理を取り分けて楽しそうな食事が始まる。

 

「かばんちゃんっ!これ美味しいよっ、はい、あーんっ」

「ほんと?あ、ほんとだね。美味しいねっ」

 

 予想通りのはい、あーん合戦が始まっていた。

 ちなみに熱い食べ物はきちんと適温に冷ましてからはい、あーんする辺り芸が細かいかばんである。一方で彼女は頭の中での分析を欠かしていない。

 この唐揚げは下味を丁寧につけてある。生姜と少量のニンニクと醤油…、すり降ろしたリンゴとか追加したら面白いかも。ああ、二度揚げのおかげで食感もいい…。丁寧な仕事だ。

 と、次にサーバルの為に再現するレシピが頭の中で組み上がっていた。

 そんな二人の様子をほっこりと見守るミライとノナの二人。

 目論見通り明日のお弁当は期待していてよさそうだった。

 そうしてデザートのパフェまでみんなで仲良く食べ終わった後…。

 

「美味しかったぁー…。」

 

 と自分のお腹をさするサーバル。

 

「でも、かばんちゃんの作ってくれるご飯もとっても美味しいよっ!」

 

 そんなサーバルにとっては最高の提案が待っている。

 

「今度真似して作ってみるね。」

「かばんちゃん最高だよ…!」

 

 これが星森家の外食恒例行事なのだが、今日は一つ余計な事が待っていた。

 サーバルの耳がピクン、と大きく動いてかばんの背筋にもゾワリ、といやな予感が走る。

 続いて二人が左腕に巻いている時計のようなものがブルブル、と震えて緊急事態を報せてきた。

 

「かばんちゃん…。これって…。」

「うん。」

 

 かばんとサーバルはお互いに頷きあう。

 彼女達二人に報せられる緊急事態は一つ。そう、セルリアンだ。

 

「いくんだね。」

 

 短いノナの言葉に頷くかばんとサーバル。

 

「気を付けて。」

 

 こちらも短く言って頷きを見せるミライ。

 

「ミライお姉ちゃん。ノナ母さん、行ってきますね。」

「すぐ戻ってくるから待っててね!」

 

 言って席を立って駆け出すかばんとサーバル。残る二人はそれを複雑な笑顔で見送った後に揃って不安で顔を曇らせるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ははは!おもろいな、ともえ先輩!なんやそのともえスペシャルって!」

「ええ。無茶な挑戦さえしなければ普通に美味しいのに…。そこはアムールトラが少し羨ましく思います。」

 

 ルリを連れてアムールトラとイエイヌの元に戻るともえと萌絵とユキヒョウ。

 一同が戻って来た時、ベンチで荷物番しながら何だか楽しそうに笑いあうイエイヌとアムールトラの二人の姿が目に入った。

 荷物に紛れたラモリさんが多機能アームでサムズアップして見せていた。

 

「あらまあ。二人とも随分仲良くなったのね。」

 

 と春香も後ろから合流していた。

 そんな二人にルリが駆けて行く。

 

「お。お帰りルリ。なんや随分可愛くなったやないか。似合ってるで。」

「ええ。凄くお似合いですよ、ルリさん。」

 

 ルリを迎えるアムールトラにイエイヌ。着替えて来たルリは二人の目にもとても可愛らしく映っていた。

 

「そうじゃろそうじゃろ?やはりルリは可愛かろう。」

 

 とユキヒョウがめちゃくちゃドヤ顔になっていた。その姿に一同自然と笑顔になる。

 結局、その後みんなで1階へと移動する事にした。

 せっかくだから一緒にご飯、という流れだ。

 それぞれに荷物を抱えて移動だ。

 アムールトラの分はイエイヌと二人で半分こ。春香の買い足した生地やらはともえが持って小さめの荷物は萌絵が担当だ。

 ちなみに、ユキヒョウは右にルリ、左に春香と手を繋いでご満悦だった。

 cocosuki1階は“食”のフロア。そして2階が“住”。3階が“衣”とだいたいのジャンル分けがされている。

 外食するなら1階だ。

 フードコートにファミリーレストラン。それに喫茶店などのテナントもあるのでどれにするか迷ってしまう。

 一同がワクワクしながら1階に降りた時……。

 

―キャアアアアアアッ

 

 という悲鳴が吹き抜けに響き渡る。

 何事か、と上を見上げればバラバラ、と何かが降って来ていた。

 

「え!?これ、ヒト!?」

 

 一瞬ドキリ、とするともえ。ガシャ、ガシャ、と音を立てて次々と吹き抜けから1階へと降り注いだのは人型ではあるがよくよく見ればマネキンであった。

 取り敢えずヒトが落ちて来たのではなかった、と安堵する暇すらない。1階に着地したマネキンたちがユラリ、と立ち上がってまるでゾンビか何かのようにノロノロとこちらへ向かってきていたからだ。

 

「う、うぇえええ!?なにこれ!?」

「きょ、今日はホラー映画の気分じゃないかなーってお姉ちゃん思うな!?」

 

 その姿に慌て始めるともえと萌絵。ちなみにcocosuki3階にはシネマコンプレックスも併設である。なお萌絵がホラー映画の気分になる事はない。彼女はホラー映画は苦手なのだ。

 それはともかく、これはやはりセルリアンの仕業か。

 素早くアイコンタクトでイエイヌと萌絵に目配せするともえ。それに頷きが返っては来るもののどこで変身したものか。

 と、迷っていると黄色い旋風が吹き抜ける。

 それはサーバルキャットのフレンズの格好をした…

 

「クロスシンフォニー!?」

 

 だった。

 バラバラ、と次々と降り注いでくるマネキン達に爪を振るいサンドスターへと返していく。

 しかし、如何せん数が多すぎる。クロスシンフォニーがマネキン達を撃破するよりも新たに吹き抜けから落ちてくるマネキンの方が多いように思えた。

 急いで加勢した方がいいだろう。

 何でもいいから何か物陰がないだろうか。と探す萌絵の目にエスカレーター下のショッピングカート置き場が目に入る。

 

「ともえちゃん、イエイヌちゃん、あそこ!」

 

 指さす萌絵にともえ達も正確に意図を読み取ってくれたのか頷きを返す。

 ショッピングカートとエスカレーターでわずかな死角のあるそこに身体を滑り込ませて叫ぶ二人。

 

「「変身っ!」」

 

 カッとサンドスターの輝きが物陰で光ったと思うと…。

 

「クロスハート・キタキツネフォーム!」

「クロスナイト!」

 

 変身を終えてそれぞれに飛び出すクロスハートとクロスナイト。

 一気に三人に増えたヒーロー達。マネキンに襲われそうになっているヒト達を優先して助けて回る。

 

「ふう、“マグネティックサーチ”めっちゃ便利。襲われそうになってる人がいるかすぐわかるもん。」

 

 そう、キタキツネフォームの必殺技、“マグネティックサーチ”は索敵技なのだ。

 どこにどれだけのマネキン型セルリアンがいるのか、逃げ遅れそうな人がどこにいるのか手に取るようにわかる。

 

「クロスハート、クロスナイト、来てくれたんですか。」

 

 一通り吹き抜け直下のマネキン型セルリアンを倒した三人。背中合わせ状態で周囲を警戒する。

 とりあえず手近にいる人たちは無事に逃げ出したようだ。

 

「うん。たまたま買い物に来ててね。それよりもアイツら3階にまだまだいるみたい。」

 

 クロスハートが言う通り、3階の吹き抜け手すりを乗り越えてまだまだ沢山のマネキン型セルリアン達が次々と降り注いでくる。

 “マグネティックサーチ”でも3階にマネキンの数が多く、2階には全くいないと出ていた。

 つまり、3階に何か発生源となるようなものがあるのではないだろうか。

 マネキン型セルリアン達は数は多いものの動きは鈍くパワーもない。一体一体は弱いと言っていいだろう。

 だが、数が多すぎる。発生源を何とかしない事にはジリ貧になってしまう。

 

「ともかく、3階の人達も助けましょう。クロスハート、飛べますか?」

「うん、いけるよ。」

 

 頷きあうクロスシンフォニーとクロスハート。

 

「クロスナイトは1階をお願いします。」

「はい、わかりました。」

 

 ともかくクロスシンフォニーのおかげで作戦は決まった。

 1階をクロスナイトが守っている間にクロスハートとクロスシンフォニーで3階に乗り込んで逃げ遅れている人たちを助けて発生源を何とかする。それしかないだろう。

 

「チェンジ!クロスハート・Gロードランナーフォーム!」

 

 水色のランニングシャツにブルマ姿のGロードランナーフォームに変身するクロスハート。頭の翼を羽ばたかせて吹き抜けから一気に3階へと駆けあがる。

 それを追いかけるクロスシンフォニー。

 2階の壁を蹴るようにして三角飛びの要領で3階まで大ジャンプ!

 

「あれ?クロスシンフォニーは飛ばないの?」

「ええと…、もうすぐ博士先輩と助手先輩も来てくれる、とは思うんですが、今はサーバルシルエットにしかなれないんです。」

 

 ざしゃ、と着地点のマネキン達を蹴散らし再び3階で背中合わせになるクロスハートとクロスシンフォニー。

 

「そっか。じゃあアタシがその分頑張らないとね!」

 

 Gロードランナーフォームはスピード特化。

 その超スピードで次々とマネキン型セルリアン達を砕いていく。

 やはり3階には逃げ遅れた人が多かった。

 マネキン達もそんな人たちにノロノロと迫っている。幸いにしてまだマネキンに捕まるような人達は出ていないようだがこれでは時間の問題だ。

 

「(オイナリサマフォームで結界を作る方が…。ううん。ちょっと範囲が広すぎる。この範囲をカバーしきったら一瞬でサンドスター切れになっちゃうよ。)」

 

 商店街の時よりも数が多いマネキン型セルリアン。

 そして一箇所に固まっているわけでもなく広範囲に散らばっている以上、結界で封じ込めるというのは得策ではないように思えた。

 そして何よりオイナリサマフォームは連続使用できるようなものでもない。

 

「今はひたすら倒して回るしかなさそう!」

「ですね!」

 

 クロスハートとクロスシンフォニーはそれぞれに別方向へと飛び出す。

 こうなった以上守りに重点を置いている暇はない。

 

「爆走!スピードスタァアアアアッ!」

「疾風のサバンナクロォオオオッ!」

 

 二手に分かれたクロスハートとクロスシンフォニー。

 3階のマネキン型セルリアン達を次々と撃破していった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 1階の方は小康状態だった。

 かわらずマネキン達が吹き抜けから落ちては来ているもののそこさえ守れば被害は拡大しない。

 さらに2階の方にはマネキンがいないらしい。

 3階から2階へと避難している人たちも見える。

 3階からパッカーン!という小気味いい音が何度も響いている辺りあちらも順調なのだろう。

 

「ドッグバイトぉ!」

 

 再び握りつぶすようにして落ちて来たマネキンをサンドスターへと還していくクロスナイト。

 人々は戸惑いと共にその姿を遠巻きにして見守っていた。

 みんなに外へ逃げるように言った方がいいんだろうか。

 それともこのままここへ留めておいた方がいいんだろうか。

 クロスナイトは迷ってはいたが、ともかく目の前のマネキン達を倒して決してみんなに近寄らせないのが自分の役目だ。

 もう何体目になるのかわからない程に倒したマネキンの数。

 だが、この調子ならここをもたせるのは難しくないだろう。

 と、何体目かのマネキンがギクシャクとした動きから一転、鋭く爪を振るうような一撃を放ってくる。

 間一髪、それを左腕でガートし、返す右腕でマネキンを握り潰す。

 再びマネキン型セルリアンを一体撃破したがクロスナイトはゾクリとした戦慄を覚える。

 確かに先ほどの攻撃は今までのものとは全く違った鋭さがあった。

 対処出来ない程のものではない。ないのだが、それは恐ろしい事実を物語っていた。

 

「まさか…。学習…している!?」

 

 クロスナイトが思い至ったと同時、ギクシャクとした動きではあるがマネキン達が走った。

 

「だからなんでそんなホラーなのぉ!?」

 

 めちゃくちゃなフォームで走るマネキン達は不気味度がさらにアップ。思わず萌絵は悲鳴をあげる。

 それよりもなによりも問題は萌絵達の方にもマネキンが殺到している事だろう。

 無茶苦茶に手足を振り回しながら走ってくるマネキンは軽くどころか重度なホラーだった。

 

「くっ!?どきなさい!!」

 

 周囲のマネキン達がクロスナイトにも殺到しており、それを蹴散らしはしたものの一歩出遅れてしまっていた。

 萌絵達のフォローにはその一歩が遅い。

 

「だ、だめぇ!!」

 

 バッと萌絵の前に飛び出したのはルリだった。

 両手を広げて殺到するマネキンと萌絵達の間に立ちはだかる。

 無茶苦茶に手足を振り回して殺到するマネキン達にルリは目を固く瞑って次の衝撃を予想する。

 が…。

 それは来なかった。

 

「おう。ルリに手ぇ出す気か?」 

 

 ガシリ、と先頭のマネキンの頭を掴んで押しとどめていたのはアムールトラだった。

 

「誰だろうがルリに手ぇ出すヤツは許さへんでぇ!!」

 

 そのままマネキンの頭を掴んだまま腕をひと薙ぎさせるアムールトラ。ブン!と振り回されるマネキンが他の物を巻き込み甲高い音を立てる。

 ただの腕のひと薙ぎで萌絵達の殺到していたマネキン達を全て砕いてしまった。

 

「な、なんてパワー…。」

 

 クロスナイトが驚きで目を見張る。

 それは今までこちらの世界で出会ってきたどのフレンズよりも力強いものだった。

 そしてかつて暮らしていた世界でだってこれ程の力を持つものをイエイヌは知らない。

 恐らくその膂力だけなら異世界のフレンズであるイエイヌよりも上なのではないだろうか。

 

「おう、クロスナイトっちゅうたか。特別や。ルリの周りだけはウチが守ったる。余所はお前に任せたで。」

 

 パシン、と自らの拳を手のひらに打ち付けるようにして合わせるアムールトラ。

 その手には微かなサンドスターの輝きが宿っていた。

 

「もしかして…アムールトラ…。貴方も…」

 

 いや、今はそれどころではない。

 今は戦わないと…。

 そう、考えるのは戦いに勝利した後でだって出来るのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

『かばんさーん、お待たせー。』

『少しばかり遅れたのです。』

 

 クロスシンフォニーの心の中に響くフェネックと博士の声。

 ここで少しだけ解説しなくてはならない。

 クロスシンフォニーが左腕に巻いている時計のようなものは変身サポートアイテムの『シンフォニーコンダクター』という。

 これは通信機能、簡易なセルリアン解析機能の他に重要な役割を担っている。

 それは離れた場所にいる仲間とも変身の際、『合体』を可能としてくれる事だ。

 もちろん、離れた場所にいる仲間がこの『シンフォニーコンダクター』を着けていて変身に同意した時しか発動出来ないが、それでも常に一緒にいるわけではない仲間もいる以上とても助かるものだった。

 最初はシルエットチェンジが出来なかったのも、仲間達がそれぞれの生活で少しだけ変身タイミングが遅れたせいだろう。

 

「いえ、凄く助かります。」

 

 これでようやくクロスシンフォニーも十全に力を発揮出来る。

 

『でも、この状況、どうするのだー?弱い敵を一度にたくさんやっつけられる技ってあるのかー?』

 

 とアライさんの声がする。

 

『一網打尽、は無理でしょうから次善策です。かばん、私を使うのです。』

 

 助手の言う通り範囲攻撃が無理なら次善策で機動力で戦うのがベターだろう。

 吹き抜けの向こう側で戦うクロスハートも今まさにスピード特化のGロードランナーフォームで戦っている。

 それに頷きクロスシンフォニーは叫ぶ。

 

「シルエットチェンジッ!ワシミミズクシルエットっ!」

 

 茶色を基調としたコートのような衣装へと変わるクロスシンフォニー。

 足先にサンドスターで形成した猛禽の爪を纏うとそれで目の前のマネキンを掴み上げ、空を飛ぶ勢いを追加しつつ敵の群れへと投げ込む!

 まるでボーリングのように一度にパッカーン!と砕け散っていくマネキン達。

 しかし、それでもクロスシンフォニーの心は晴れない。

 何故なら先ほどからマネキンの動きが少しずつではあるが滑らかになっているような気がするのだ。

 だが、こちらは二人がかり。

 どうにかマネキン達を倒しきる方が早いだろう。

 それぞれ逆側からマネキンを倒して回っていたクロスシンフォニーとクロスハート。

 ついに吹き抜けを挟んで3階フロアを半周する形で合流する。

 そこはついさっき、ともえ達がルリに服を選んだ子供服売り場だった。

 そこに黒い水のようなものがマネキンに纏わりついて同じようなマネキンを生み出している。

 どうやら発生源はここのようだ。

 

「ようやくボスとご対面だね。」

「はい。多分これを倒せば今回のセルリアン騒ぎは治まるはずです。」

 

 二人と対峙した黒い水に纏わりつかれたマネキン。その周りのマネキン達がガシャガシャ、と集まっていく。

 一体のマネキンを担ぎ上げるようにしてガシャガシャと寄り集まったマネキン達。

 なんと、まるで蜘蛛の脚のように8本のマネキンで出来た脚を形成した。

 

「が、合体したっ!?」

「し、しかもなんか見た目めっちゃホラーだ!?」

 

 ヒト型のマネキンが寄り集まって形成されるその下半身はあまりにも醜悪なオブジェだった。

 

「ギギギ。。。ア、ア、アムサ……ン。ユユユユキ…サ…ギギギ、、、」

「し、しかも何か喋ってるー!?!?」

 

 思わず驚きの声を上げるクロスハート。

 今まで鳴き声のようなものを上げるセルリアンはいたが明確に発声している者は今まで見た事がない。

 それはクロスシンフォニーも同様だった。

 

「これは…。アライさん!アナライズします!」

『よ、よしきたなのだー!』

 

 応えるアライさんの声はやはりその不気味さに若干気後れしているようだが、シルエットチェンジには支障ない。

 アライグマシルエットへと変化したクロスシンフォニー。

 

「クロスハート!ちょっとだけセルリアンの気を逸らして下さい!」

「わかった!」

 

 ビュン、と超スピードで目の前に飛び込むクロスハート。蜘蛛脚の一撃が来る直前に方向を変えて即座に離脱。

 その隙をついて別方向から近づいたクロスシンフォニーがペタリ、とセルリアンに手を触れる。

 

「こ、これは…!?」

 

 アライグマシルエットの技の一つは『アライアナライズ』という分析技だ。手で触れたものの特徴を把握する技なのだが、それで把握した特徴に驚異的なものがあった。

 それは…。

 

「やっぱりこのセルリアンは学習能力があります!」

 

 先ほどからマネキン型セルリアンの動きがよくなっていたのもそのせいだった。

 つまり時間が経てば経つほど不利になっていくと言ってよさそうだ。

 その事実はわずかな動揺を生む。

 クロスシンフォニーがハッとした時にはもう遅い。彼女に振るわれる蜘蛛脚への反応がほんのわずかに遅れた!

 辛うじて両腕でその蜘蛛脚をガードするも吹き抜けへと吹き飛ばされるクロスシンフォニー。

 

「シンフォニー!」

 

 慌てて頭の翼を広げて吹き抜けへ飛び出すクロスハート。空中でクロスシンフォニーをキャッチ。落下を防いだ。

 

「ありがとう、クロスハート。」

 

 今度はアフリカオオコノハズクシルエットにシルエットチェンジして自らの翼で飛ぶクロスシンフォニー。

 対峙する蜘蛛の下半身にヒトの上半身をつけたマネキン型セルリアンはアラクネというゲームなどに出てくる魔物にそっくりだった。

 吹き抜けで足場のないここならすぐに襲い掛かってくる事は出来ないだろう。少しは落ち着いて作戦を考えられる。

 と、二人が思っていたものの今回の敵はそうは甘くなかった。

 

―ガシャシャシャ!

 

 と蜘蛛の下半身からいくつものマネキンの手を連結させたような腕だけが伸ばされる。

 それがいくつもいくつも発射されてマネキンの手で出来たロープがいくつもいくつも吹き抜けに張られていく。

 クロスハートもクロスシンフォニーもそれをかわすのは問題なかったがどうにもイヤな予感が拭えない。

 そしてマネキンの手で出来たロープがいくつも渡された後…。

 

「「う、うそぉおお!?!?」」

 

 二人が揃って驚愕の声を上げる。

 それもそのはず。蜘蛛の巨大な下半身をもつアラクネ型セルリアンがマネキンの手で出来たロープに乗っかり突撃してきたからだ。

 辛うじてその突撃をかわす二人。

 しかし……。慌ててかわしたおかげでマネキンの手で出来たロープに身体が触れてしまう。

 

―ガシィ!

 

 と同時、その手の一部が二人の身体を掴んだ!

 まるで蜘蛛の巣に引っかかった蝶のようなクロスハートとクロスシンフォニー。

 ギロリ。とアラクネ型セルリアンが二人に向けて振り返る。

 

「だからなんで…!」

「今日のセルリアンはこんなホラーなんですかあ!!」

 

 ちなみに。ともえはホラー耐性が少しはあるものの、かばんは萌絵に輪を掛けてホラーは苦手だった。

 危うしクロスハート!どうするクロスシンフォニー!

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 cocosuki1階フロア。

 こちらではクロスナイトの防衛線は好転していた。

 わずかずつ強くなっていくマネキン達であったがそれでもクロスナイトの足元にも及ばない。

 さらに1階へ落ちてくるマネキンの数もどんどん減っていく。

 これは3階で戦うクロスハートとクロスシンフォニーの二人の戦果であったがもう一つ戦況を好転させた要因がある。

 それはアムールトラの存在だ。

 一角とはいえアムールトラがマネキン達を受け持って撃破してくれていたからだ。

 腕のひと振りで次々とマネキン達を撃破していくアムールトラの力はクロスナイトに匹敵…、いやそれ以上とも思えた。

 クロスナイトがどうにか1階のマネキンを倒しきって一息をついて萌絵達の方を見る。

 

「よかった…。萌絵さんも春香さんもみんなも無事ですね…。」

 

 萌絵とユキヒョウがルリを庇うように後ろに下げていて、その前に春香と多機能アームを振りかざしたラモリさんが立っている。そして最前線にアムールトラ、という配置だった。

 

「アムールトラ、ありがとうございます。おかげでこちらは何とかなったと思います。」

 

 クロスナイトはあらためてアムールトラに語り掛ける。

 

「おう、別にルリを守っただけで他はついでやついで。それに……。」

「それに…?」

 

 なおも言葉を続けようとするアムールトラにクロスナイトも小首を傾げる。

 

「いや、なんでも…。」

 

 そう言って頭の後ろをガシガシとかくアムールトラ。口の中で小さく、ここはキラキラしすぎとったからな、という言葉は誰の耳にも届かなかった。

 そうしていると、ハッと同時に頭上を仰ぐクロスナイトとアムールトラ。

 

「あ、あれは!」

 

 吹き抜け3階に飛び出してくるGロードランナーフォームのクロスハートとアフリカオオコノハズクシルエットのクロスシンフォニー。

 二人はマネキンの腕で出来たロープを伸ばす攻撃をかわしていくがまるで蜘蛛の巣のように吹き抜けにロープが張り巡らされる。

 そして蜘蛛の巣を伝って吹き抜けに現れるアラクネ型セルリアン。

 その突撃を辛うじてかわしたが、体勢を崩したクロスハートとクロスシンフォニー。

 蜘蛛の巣のようになったマネキンの腕のロープに捕まってしまう。

 

「ま、まずいです!」

 

 身動きがとれずにいるクロスハートとクロスシンフォニーの二人に向き直るアラクネ型セルリアン。

 次の突撃はかわせないだろう。

 クロスナイトには鳥のフレンズのような飛行能力もなければ、サーバルのようなジャンプ力もない。

 助けにいこうにもあそこまで一足飛びで間に合わせる方法がなかった。

 

「おい!」

 

 と、それを一緒に見上げていたアムールトラ。クロスナイトへと叫ぶ。

 

「助けに行きたいんやろ!イチかバチかやったるわ!」

 

 バレーのレシーブのような格好で構えるアムールトラ。それでクロスナイトも意図を察した。

 一つ頷き、少し下がって助走をつける。

 そしてアムールトラへと走るクロスナイト。

 バレーのレシーブのように構えられた腕に片足を乗せてそれを踏み台に肩へ駆けあがりジャンプ台に!

 踏切と同時にアムールトラがタイミングを合わせて…。

 

「飛んでけえええええええ!!」

 

 と後押ししてくれる。

 思わぬパワーで後押しされたクロスナイトは一気に吹き抜け2階を抜けて3階まで到達!

 アラクネ型セルリアンまで届くか…!?

 いや、わずかに届かない…!

 

「クロスシンフォニー!ちょっと熱いけどごめんね!」

 

 この事態に素早く反応したクロスハート。

 

「チェンジ!クロスハート・オイナリサマフォームっ!」

 

 真っ白い和洋折衷の衣装へと変わる。そのまま

 

「狐火バーニングっ!」

 

 と狐火を放ってマネキンの腕で出来たロープを青白い炎で包む。

 あっという間にロープが焼け落ちて自由になる二人。

 

「クロスシンフォニー!クロスナイトをお願い!」

 

 言いつつ自由落下に入るクロスハート。今、サポート出来るのはクロスシンフォニーしかいない!

 

「わかりました!」

 

 アフリカオオコノハズクの翼を広げて飛ぶクロスシンフォニー。

 

「クロスナイト!使って下さい!」

 

 とクロスナイトの下へと滑り込む。その意図はクロスナイトにも理解できた。

 なので遠慮なくその背中を蹴って再度跳躍!

 速度も十分。

 そしてクロスナイトがここまで辿り着いたのが意外だったのかアラクネ型セルリアンは反応出来ていない。

 その後頭部に『石』が見えている。

 

「ワンだふるアタァアアアアアアアアアック!」

 

 両手の爪にサンドスターの輝きを集めて牙を突き立てるかのように『石』へと叩きつけるクロスナイト。

 ビシリ!と石に亀裂が入って…。

 

―パッカアアアアン

 

 とアラクネ型セルリアンも砕け散った。

 最初にクロスハートが、続けてクロスシンフォニー。最後にクロスナイトが1階吹き抜けへと無事に着地する。

 

「よ。お前ら、名前くらい聞いといてもええか?」

 

 三人を出迎える形のアムールトラ。

 

「クロスハート。」

「クロスシンフォニー。」

「クロスナイト。」

 

 三人でせーのでタイミングを合わせてから

 

「「「通りすがりの正義の味方だよ。」です。」」

 

 言って踵を返し、いずこかへと走り去っていくクロスハート達。

 

「通りすがりの正義の味方、か。」

 

 それを何とも言えない複雑な表情で見送るアムールトラ。

 その表情に浮かぶ感情を正確に読み取れるものはその場には誰もいなかった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結局、その後は騒ぎの影響で緊急で営業終了となったcocosuki。

 それ以上の買い物は出来ず、それぞれで解散となった。

 イエイヌはアムールトラに色々と聞きたい事が出来てしまったが、話す機会がなかった。

 なお、夜のニュースではcocosukiが緊急閉店した事にも触れられていたが、商品搬入中の事故とされていた。

 幸い怪我人もなく明日からは通常通りの営業に戻るそうだ。

 なお、ニュースではクロスハートのクの字もなかったがインターネット上では既にcocosukiに現れた謎のヒーローとして語られていたりする。

 今日のツブヤキッターのホットワードランキングも急上昇だ。

 色々とトラブルはあったものの無事に家に辿り着いたともえ達。

 今日も盛大にともえがおかわりする夕飯を食べた後…。

 

「ちょっといいかしら。イエイヌちゃん。」

 

 夕飯後、宿題やら予習やらでワイワイしていたともえと萌絵とイエイヌの三人のところに春香がやってくる。

 

「まず一着作ってみたんだけどどうかしら。」

 

 それはワンピースだった。着替えてみるとイエイヌの毛並みにあわせたグレーと白の色合いで胸元を引き絞るベルトがわりのリボンのついた品だ。

 そして何よりともえ達の古着を材料に縫い直したものなので彼女達の匂いがする。

 

「おおおお!いい!いいよイエイヌちゃん!」

「控え目にいっても最高だよお母さん!」

 

 どうやら今夜も遠坂姉妹のスケッチ大会は開催されるようだ。

 服、というものを着替えるのも悪くない。三人の匂いに包まれながらそう思い始めるイエイヌであった。

 

 

けものフレンズRクロスハート第6話『キラキラのcocosuki』

―おしまい―




【ラモリさんの内緒話】

おう。ここハ本編では語られなかったちょっとした秘密ヲこの俺、ラモリが話すコーナーだ。
今回のセルリアンはマネキンに取り付いていて物凄く不気味だったナ。
ちなみに、ホラー映画に強いのは春香だけダ。
ともえはホラー映画は見れないわけじゃないガ、好んでみるわけじゃナイ。
萌絵は全くダメ。イエイヌは…何が怖いのカ理解してないんダロウからノーカウントだ。
なお、かばんが一番ホラー映画への耐性が無いゾ。
今日の夜がどんナ様子だったかは本人の名誉の為に内緒ダ。
それじゃあ次回モまたヨロシクな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話『がーるず・びー・すとろんぐ』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 別世界のジャパリパークからともえ達の暮らす世界へやってきたイエイヌ。
 その生活環境向上を目指して大型ショッピングモールcocosukiへとやってきた。
 学校で新たに出会ったユキヒョウ、ルリ、そしてアムールトラの三人とも偶然一緒になって楽しいショッピングタイムを過ごす。
 だがそんな楽しい時間にまたしてもセルリアンが現れる。
 アムールトラの思わぬパワーにも助けられて何とかセルリアンを倒したクロスハート達。
 果たしてアムールトラ達は一体何者なのか。


 

「それじゃあ、ともえちゃん、イエイヌちゃん。いくよぉー。」

 

 早朝の公園。それぞれに動きやすい格好に着替えたともえ、萌絵、イエイヌの三人がいた。

 萌絵は昨日ショッピングモールで買ってきたフリスビーを構える。

 

「えいっ!」

 

 萌絵がかけ声とともに投げたフリスビーは気合の割にはフラフラと飛んでいく。

 

「わはぁ!」

 

 とイエイヌが目を輝かせてダッシュ。ともえがその後を追う形で追走していく。

 あっという間にフリスビーに追いつくイエイヌ。落下地点で「はぐぅ!」とダイビングお口キャッチ。

 そして着地しながらフリスビーを構えなおして……

 

「ともえさん!」

 

 中間地点くらいに来ていたともえへ向けてフリスビーを投げるイエイヌ。

 狙い通りにともえへ向けて飛ぶフリスビー。

 今度はともえがそれをキャッチして…。

 

「萌絵お姉ちゃんっ!」

 

 と萌絵へ向けて投げる。

 なるべく回転を多め。スピードは遅く。軌道は山なり。それでいて真っ直ぐ飛ぶように手首のスナップを使って投げる。

 

「わっ、とっとっと。」

 

 それでも落下地点がすぐにはわからない萌絵。前へ出ようとしてそれだと行き過ぎか、と今度は後ろに下がる。

 危なっかしいがそれでもフリスビーの落下地点に潜り込む事には成功した。

 

「あっ。」

 

 しかし萌絵の手からフリスビーが零れ落ちる。

 

「わわっ、わっ、わっ。」

 

 数回、萌絵の手から逃げるようにフリスビーが跳ねる。お手玉状態を数回繰り返して結局フリスビーを逃してしまう萌絵。

 フリスビーが地面に落ちる直前……。

 

―ビュンッ!

 

 と物凄い勢いでともえの横をイエイヌが駆け抜ける。

 そして地面に落ちる直前のフリスビーをダイビングキャッチ!そのままごろごろと芝生の地面を転がる。

 地面を転がったせいで草をくっつけたイエイヌが萌絵にフリスビーを手渡す。

 

「おおー!すごいっ!イエイヌちゃん凄いっ!」

 

 とイエイヌを撫で撫でわしゃわしゃする萌絵。

 

「ああ―!お姉ちゃんずるい!アタシもっ!アタシもイエイヌちゃんモフるー!」

 

 さらに後ろ側からやって来たともえがイエイヌに飛びつきサンドイッチ状態に。二人がかりでモフられまくるイエイヌ。

 

「わぁー!?お、お二人ともちょっと苦しいですよぉー!?」

 

 と言いつつもその顔はすっかりニヤけて尻尾がぶんぶんと揺れているのだった。

 

 

 昨日フリスビーを買って来ていたともえ達は早朝の公園で遊んでみる事にしたのだ。

 朝から凄く楽しみにしていたらしいイエイヌ。

 今朝は一番に起きてフリスビーを手にじーっとまだ寝ているともえと萌絵を見ていたりしたものだ。

 で、早朝のお散歩にフリスビーで遊んでもらえた上に思いっきり褒めてもらって撫でられまくったイエイヌはなんだかんだ上機嫌だった。

 そんな帰る道すがら…。

 

「あの……。」

 

 とイエイヌがおずおずと声をあげる。

 

「わたし、こんな幸せでいいんでしょうか?」

 

 その言葉に一緒に並んで歩くともえも萌絵もイエイヌへ向き直る。

 

「うーん?幸せって言って貰えるのはアタシ達も嬉しいけど…。」

「やっぱり不安って事?」

 

 ともえと萌絵の言葉にしばらく考え込むイエイヌ。

 自分のうちにある感情は未だにハッキリとはわからなかった。

 考えた末にやがてコクリ、と頷く。

 

「「うーん…」」

 

 二人揃って同じポーズで腕を組んで考え込むともえと萌絵。

 今までがたった一人で帰ってくる事のないヒトを待ち続ける日々だったイエイヌ。

 それに対して今はともえも萌絵も春香もいる。それに沢山の友達だっている。

 環境はまさに別世界の変化だ。

 だからこそ感じる不安もあるのだろう。

 それに加えて昨日言っていた事だって引っ掛かる。

 

「昨日言ってたアムールトラちゃんの事かなあ…。」

 

 確かにともえの言うようにアムールトラの事は気になっていた。

 彼女とはお話もして友達にもなれた。

 だが…、セルリアンに対抗していたあのパワーは明らかに尋常ではなかった。

 もしもその正体が自分と同じ異世界のフレンズだったら…。

 もしも実はビーストだったら…。

 

「そんなはずはないですし、そんな事を考えちゃう自分も何だかイヤで…。」

 

 と尻尾をうなだれさせるイエイヌ。

 

「昨日のアムールトラちゃんの強さを見たらそういう考えになるのもわかる気がするなー。」

「とは言っても本人に直接確かめるわけにもいかないもんねえ。」

「「うーん。」」

 

 と再び二人して同じポーズで腕を組んで唸るともえと萌絵。

 

「ならやっぱりアレじゃない?昨日お話したじゃない。みんなで強くなろう、って」

 

 やがて腕組みを解いたともえ。

 

「そうだね。アムールトラちゃんの事はどうにもならなそうだもん。悩んでもしょうがないから出来る事からやるのがいいかもね。」

 

 うんうん、とそれに萌絵も頷いてみせる。それに何か動いていた方が気も紛れるというものだ。

 

「とはいってもどういう方針で強くなるの?」

 

 という萌絵の言葉に二人してキョトンとするともえとイエイヌ。

 

「えっと…、やっぱりあの重たい鉄で出来たローラー引っ張るとか?」

「ともえちゃん、それは置いておこう。」

 

 恐らくイエイヌがローラー引きで負荷をかけて筋力トレーニングをしたとしても大した成果はあがらないだろう。

 なんせイエイヌのパワーはこの世界のフレンズとは桁外れに力強いのだ。

 そしてくどいようではあるが、俗称でコンダラとも呼ばれる整地用ローラーは引いて使うのではなく、押して使うものだ。

 

「アタシから見たらイエイヌちゃんって強いっていうか凄い子なんだよ。身体の強さとかはもちろんなんだけど…。」

「あ、それアタシも思った。イエイヌちゃんって凄いよね。」

 

 萌絵の言葉にともえも頷く。

 

「だっていっつもアタシ達の事を気にかけてくれたり、守ってくれたり。それにお勉強だってお手伝いだって何だっていつでも一生懸命だもん!」

「うんうん!ほんと自慢のイエイヌちゃんだよね!」

 

 突然の褒めちぎりに今度は真っ赤になるイエイヌ。うなだれていた尻尾は再びぶんぶんと元気よく振られ始める。

 

「だからアタシ達にとってはイエイヌちゃんって強い子なんだよ。」

 

 言って二人してうんうん、と頷く。

 

「あの…でも、わたしはアムールトラさんみたいな大型獣のフレンズでもないですし戦いなんて特別得意じゃないですよ…?」

「そうかもしれない。アムールトラちゃんの方が戦ったら強いのかもしれないよ?でもイエイヌちゃんが強いところだって絶対あるよ!」

「そうだよ!イエイヌちゃんにはイエイヌちゃんだけの強いところ絶対あるよ!だっていつも一生懸命なのアタシ達知ってるもん!」

 

 二人がかりで詰め寄られるイエイヌ。

 ただひたすらに過ごしてきた自分がともえと萌絵にそんな風に思って貰えていただなんて…。それだけでも嬉しい。

 それに……。

 

「あの…。もしかして強さって色んな種類があったりするんですか…?」

 

 とイエイヌは思い浮かんだ疑問を口にする。

 

「うん、そうだよ。」

「それにイエイヌちゃんって初めてあった時よりも色んな事が出来るようになったりしてるし、色んな事を覚えてるし絶対前より強くなってるよ。」

 

 二人の言葉にイエイヌはもう一度考え込む。

 確かにこちらの世界に来てからは色んな事を経験した。

 まだこちらに来てから一週間足らずだというのに本当に色んな事があった。

 その色々な経験が戦うのとは別な種類の強さを与えてくれたのだとしたら…、とイエイヌは自分の手をまじまじと見てみる。

 外見は何も変わった様子はない。

 だけれども、今の自分には何にも変えられない絶対に守りたい人達が出来た。

 強くなるべき理由ができた。

 それだけで自然と力が湧いてくるようだった。

 そして今までは気づかなかったけれど、単純な力だけではない強さというのはイエイヌにとっての光明になるような気がしていた。

 

「色んな種類の強さ…。もしかしたら他のみんなにも訊いたりしたらもっと色んなものが見つかるかも…?」

 

 自身の両手をまじまじと見つめたままのイエイヌ。ふと、そんな考えが浮かんでくる。

 こちらに来てから友達になったフレンズ達の顔が脳裏によぎっていた。

 ヘビクイワシはとても綺麗な文字を書くし、ゴマはハードル走ならば別な世界から来たイエイヌよりも上なのだ。

 例えセルリアンと戦う力はなくともイエイヌは二人の事をとても素敵なフレンズだと思っている。

 それは、セルリアンと戦う以外の強さを二人が持っているからではないか、と思い至るイエイヌ。

 もしかしたら色んな種類の強さについてヒントをくれるかもしれない。

 

「うん。そうだね。学校行ったらお話してみたらいいと思うよ。きっとみんな力になってくれるんじゃないかな。」

 

 それはともえにも、萌絵にとっても嬉しい事だった。

 友達が増えたのはイエイヌが頑張ったおかげでもあるのだから。

 それが今度はイエイヌの力になってくれるのならば喜ばしいことだ。

 

 そうしているとおうちが見えてくる。

 朝ごはんの匂いがイエイヌの鼻をくすぐる。

 

「今日は多分、わしょく?ってヤツでしょうか。ええと、お味噌の匂いがします。」

 

 ヒクヒクと鼻を鳴らすイエイヌ。

 その言葉にともえも萌絵も空腹感が強くなる。

 

「じゃ、急いで帰ってお母さんのお手伝いしなきゃね。」

 

 と足を速める萌絵であったがともえは何か考え込んでいる様子だ。

 どうしたんだろう、とともえを見る萌絵にイエイヌ。

 そんなともえはやたらと真面目な顔で重々しく口を開く。

 

「あのね……。コーヒーにお味噌混ぜたら和風コーヒーとかにならないかな……。」

 

 イエイヌはともえの言葉に嘆息すると無言のままに彼女の両肩をガシリと掴む。

 

「忘れましょう。そのともえスペシャルは忘れましょう。」

 

 言いつつそんな恐ろしいアイデアを頭の中から追い出すようにともえをガクガクと揺さぶるイエイヌ。

 そんな風に少しばかり遠慮がなくなってきた事もいい傾向なのだろう、と萌絵は微笑む。

 ちなみに、萌絵も頭の中で和風コーヒーの味を思い浮かべてげんなりしてから、ないな、とそのアイデアを没にしていた。

 

「あわわー!?イエイヌちゃん!?忘れたからー!和風コーヒーは忘れたから止めてえー!」

 

 早朝の道に賑やかな声が響くのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 早朝のフリスビー遊びとお散歩を終えてもまだまだイエイヌは元気だった。

 今日もいつも通りに登校して2年B組の教室に入る。

 一緒のクラスの萌絵は、というと残念ながら自分の席につくとはふぅ、と蕩けてしまっていた。

 身体があまり丈夫ではない萌絵に無理をさせたろうか、と心配するイエイヌ。

 今日も一緒に学校に来てくれていたラモリさんも少しばかり心配そうに萌絵の側についていてくれた。

 やはりここから先は自分一人で行動する方がいいだろう。

 こちらに来てからずっとともえや萌絵、もしくはラモリさんが常に一緒にいてくれたから、こうして一人で行動するのは随分と久しぶりな気がする。

 それにちょっとだけ不安を覚えるイエイヌであったが、一度被りを振って思い直す。

 何せ自分は強くならなくてはならないのだ。こんな事くらいで怖がってなどいられない。

 よし、と一つ気合を入れなおして同じクラスのヘビクイワシの元へと行くイエイヌ。

 早速今朝から思い浮かんでいた疑問、強さとは何かという事を単刀直入にぶつけてみる。

 

「ふむ…。強さとは何か、でありますか…。難しい質問でありますね。」

 

 藪から棒の質問にもヘビクイワシは真剣に考えてくれているようだ。

 

「例えばでありますが私は昔から空手を習っておりますが、そこでは心技体、その全てが揃った者が強いと教えられて来ました。」

 

 ヘビクイワシの言葉にうんうん、と聞き入るイエイヌ。

 

「イエイヌ君は身体能力に関しては申し分ないでありましょう。となると、技と心がどうか考えてみるとよいのではないでありましょうか。」

 

 なるほど、確かにもっともだ、と頷くイエイヌ。身体能力は一朝一夕というわけにはいかないかもしれないが技や心ならばまだ伸びしろがあるのではないか、と頭を捻る。

 そんなイエイヌとヘビクイワシの会話に加わってくるフレンズがいた。

 

「やっぱヘビクイワシは難しい事を考えてんなー。」

 

 と、後ろからやってきたのはゴマだった。どうやら朝のホームルーム前に遊びにきたらしい。

 

「ま、俺様にとって強いってのは単純明快!」

 

 ほう、その心は?とゴマの言葉に聞き入るイエイヌとヘビクイワシ。

 

「強いってのは速い事さ!どんな強いヤツだってぶっちぎってしまえば関係ないだろ?だから速い事が強い事なのさ!」

 

 どうだ、とばかりに胸を張ってみせるゴマ。

 

「ゴマ君は単純でいいでありますな。」

「なにおーう!?」

 

 とゴマがヘビクイワシに詰め寄る。

 

「ゴマ君の言うようにシンプルな信念を持っている事も強さの一つでありましょう。」

 

 まあまあ、と宥めるように言うヘビクイワシにゴマもまあ、それなら、と納得の様子だ。

 

「でもさあ。イエイヌは強いだろ?」

「ええ。先程はああは言いましたが、実はイエイヌ君の心に関してもあまり心配していないのでありますよ。」

 

 どういうことだろう、とイエイヌはゴマとヘビクイワシを見る。

 

「勉強会の時、最後まで諦めなかったのはイエイヌ君だけでありました。」

「ああ。俺も絶対ダメだと思ってた。」

 

 二人が言っているのはイエイヌの編入試験の時の事だ。

 実際は高い下駄を履かされた出来レースのような試験であったが、それを報されていないイエイヌ達にとっては小学1年生にも満たない学力から中学2年生相当の試験を受けるという絶望的な内容だったのだ。

 

「最後まで諦めず正々堂々戦い抜いたイエイヌ君は私にとっても誇れる友人でありますよ。」

「そうだぜ。そんなお前が強くないはずがねーだろ。ま、俺様にはかなわねーだろうけど、なっ!」

 

 ヘビクイワシの言葉に頷くゴマ。最後の一言は彼女なりの照れ隠しだろう。

 イエイヌにとっては二人が自分の事を誇りに思う、と言ってくれた事がとても嬉しかった。

 知らずその頬が熱を帯びる。

 

「ありがとうございます、ヘビクイワシさん、ゴマさん。わ、わたし、ちょっと風に当たって来ます。」

 

 真っ赤になってしまったイエイヌ。お礼の言葉の後にわたわた、と教室を出ていった。

 それを生暖かい笑顔で見送る二人。

 

「ゴマ君。いま考えている事を当てて見せましょうか。」

「おう。」

 

 続くヘビクイワシの言葉は何となくゴマにはわかっていた。

 多分自分と同じ事を考えているだろうから。

 

「強いうえに可愛いとか最高でありましょう。」

「だな。」

 

 自分たちの言葉に照れて真っ赤になるイエイヌの姿はそれはそれは可愛く二人には映っていたのだった。

 

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 教室を飛び出したイエイヌ。

 そのほっぺたが熱い。

 とりあえず涼を求めてやって来たのは屋上だった。

 屋上に出ると真っ赤になった顔に当たる風が気持ちいい。

 そよぐ風に冷静さを取り戻したイエイヌ。

 あらためて先程のヘビクイワシとゴマの言葉を考える。

 二人の言葉から考えるに、自分に伸びしろがあるのは技の部分ではないか、と思えた。

 そう。

 技については心当たりがあるのだ。

 

「野生解放…。」

 

 ポツリ、とイエイヌの口から言葉が漏れる。

 野生解放とはフレンズの技だ。

 サンドスターをいつもよりも多く消費するかわりに獣性を呼び覚まし身体能力を飛躍的に伸ばす切り札ともいうべき技なのだ。

 

「けれど、それはわたしには使えません。」

 

 それは以前住んでいた世界で二本の羽根がついた帽子に黒いジャケットを着たヒトとよく似た匂いのするフレンズから言われた事だった。

 

『いいかな。イエイヌさん。キミは野生解放しちゃダメだ。』

 

 たまに家の補修などに来てくれて何かと世話を焼いてくれた彼女の言う事だったが当時の自分はそれが何故なのかわからずに喰ってかかったものだった。

 

『野生解放っていうのはね。獣としての本能を呼び覚ます事で元の動物に応じた力を引き出す技なんだ。』

 

 そんな自分に怒ったりすることなく彼女は優しく説明してくれた。

 

『イエイヌさんはヒトと暮らす事が得意だよね。それって理性が強いって言えるんだよ。理性っていうのはね、本能とは対極的なものなんだ。』

 

 難しい物言いにハテナマークを浮かべるばかりだった当時の自分に彼女はもう一度わかりやすい言葉に置き換えて何度もわかるまで説明してくれた。

 

『だからね。イエイヌさんが野生解放すると理性と本能が衝突しちゃって、普通のフレンズよりも身体にかかる負担が大きくなっちゃうんだ。』

 

 身体にかかる負担が大きくもしかしたら命にすら関わるかもしれない。そう説明されては野生解放に関しては諦めるしかなかった。

 だからこそ、イエイヌはヒトの帰るおうちを守る為に他のフレンズよりも多くの技を編み出した。

 『ウォーハウリング』もその一つだ。

 遠吠えによって一時的に身体能力を上げる技だが、これは野生解放の完全な下位互換と言っていい。

 もしも……もしも再びビーストのような強敵に出会ったのなら…。

 『ウォーハウリング』では足りないだろう。

 

「野生解放…。わたしにも使えないでしょうか…。」

 

 かつて野生解放を禁じたあのフレンズの言葉をよくよく思い出すなら、使えないわけではないだろう。

 ただ、身体にかかる負担が大きいのだ。

 

「試して…みましょうか…。」

 

 キョロキョロ、とあたりを見渡しても誰もいない。

 まだ朝のホームルーム前の時間だ。

 この屋上で邪魔するものは誰もいないように思えた。

 イエイヌは自分の心の内側に意識を向ける。

 確かに自分の心の中にも獣としての本能と呼ぶべき何かがある事がわかる。

 それは今は小さな炎となって胸のうちにあるが、これにサンドスターを注いで大きな炎にしてやればいい。

 理屈はわかっている。

 あとは…。試してみるだけだ。

 しかし、何かがイエイヌを押し留める。

 かつて世話を焼いてくれたヒトによく似たフレンズが大した理由もなく野生解放を禁止したとは思えない。

 使ったら最後、自分は死んでしまうのかもしれない。

 そう思うと野生解放を押し留める自分がいた。

 しばらくの逡巡。

 だが、こんな臆病な事でいいのか、と自分を震い立たせたイエイヌ。

 いよいよ、自分の心の中にある“本能”の炎に燃料をくべようとしたその刹那。

 

―バシーン!

 

 と景気いい音が響いて背中に大きな衝撃が走る。

 

「うひゃあああああああああああああっ!?!?!?」

「うわぁあああああああああああああっ!?!?」

 

 ちょうど野生解放を試そうとしていたその時にそんなことがあったものだから飛び上がらんばかりに驚き悲鳴をあげるイエイヌ。

 そして背中を叩いたフレンズもまたその声に驚きの悲鳴をあげるのだった。

 慌てて振り返ったイエイヌの目の前には……。

 

「あ、アムールトラ…。」

 

 がいるのだった。

 

「いやあ、ごめんごめん。イエイヌが屋上にいくの見えてな?で、ちょっと驚かせたろ思ったらまさかそんな驚くと思ってなくて…ほんまゴメン!」

 

 と両手をあわせてごめんね、のポーズのアムールトラ。

 イエイヌは絶妙なタイミングでの邪魔に怒りたくなる気持ちがないではないけれど、それよりも安堵の気持ちの方が強かった。

 

「もういいですよ。アムールトラ。」

 

 だからイエイヌはそんなアムールトラを許した。その上で…。

 

「そうだ。アムールトラ。わたし、あなたに訊きたい事があったんです。」

「お?ほんま?実はウチもイエイヌに訊きたい事があったんや。」

 

 そうなのか、とお互いに顔を見合わせる。

 

「じゃ、じゃあアムールトラから…。」

「いやいや、イエイヌからでええで?」

 

 とお互いに譲り合う。

 

「もう、じゃあさっき驚かせてくれたお詫びという事で先に訊かせてもらいますね。」

 

 と、この譲り合い合戦はイエイヌが折れる形となった。

 

「実はわたしはこの世界ではない、セルリアン、というわたし達の天敵がいる世界から来ました。」

 

 自身の胸に手をあて、アムールトラを真っ直ぐに見つめて言うイエイヌ。

 その言葉にアムールトラの目が細くなった。

 

「あなたもそうじゃないんですか?アムールトラ。」

 

 その真っ直ぐな視線を受けてアムールトラは視線を逸らして頭の後ろをガシガシと掻く。

 イエイヌとしては大笑いされたりする事を心のどこかで期待していた。

 けれど、そうじゃない、という確信もまたあった。

 昨日ショッピングモールで見せたアムールトラの膂力はこの世界どころか、かつて暮らしていた世界でだってトップクラスだろう。

 そんな彼女に何の秘密もないわけがない。

 そしてその秘密はイエイヌと一緒のものじゃないだろうか、と考えていたのだ。

 

「そうや。ウチは…、いや、ウチも元々はこの世界に住んでたわけやない。」

 

 やがて頭の後ろをガシガシと掻くのをやめたアムールトラ。

 先に自分の正体を明かしたイエイヌの誠実さに応える形で本当の答えを返す。

 

「ウチの場合はな…。覚えてる事は多くない。」

 

 アムールトラはこの世界にやってきた経緯を語り始める。

 彼女が覚えているのは瓦礫に埋もれる自分、という場面だった。

 何故こんな事になっているのかはわからなかったが上の方からは楽しげな音楽が聞こえてくる。

 上手く声すらあげられなかった。

 それほどに瓦礫は彼女の身体を圧し潰そうとしていた。

 何とか脱出しようともがいてみたものの身体はピクリとも動かなかった。

 上の方から聞こえる楽しげな音楽に併せて歓声も聞こえる。

 きっとここに自分がいる事には上にいる誰か達は気づいていないのだろう。

 助けを求めて声をあげる事も、そして自力で脱出することも出来そうにない。

 いよいよこれは諦めるしかないか、と観念して両目を閉じたとき。

 

『ふむ。助けて欲しいか?』

 

 と何故か瞼の裏側に真っ白いキツネのフレンズの姿が映った。

 

「それ…オイナリサマじゃ…。」

「せやなあ…。そいつはそう名乗っとった。」

 

 ちなみに、アムールトラもこの学校に転校してきた時にオイナリ校長を見て大層驚いたそうだが、ここでは余談だ。

 アムールトラはそのオイナリサマと名乗った真っ白なキツネのフレンズに願った。助けて欲しい、と。

 彼女が頷くと同時、身体の重みがふっと消えた。

 その変化に驚いて目を開けたアムールトラの眼前には青空が広がっていた。

 どうやらどこかの森の中で仰向けに倒れているらしい、と悟る。

 先程までの息苦しさはどこへやら、新鮮な空気が当たり前のようにそこにあった。

 どうやらオイナリサマと名乗ったそのフレンズはどうやってかは知らないが本当に自分を助けてくれたらしい。

 身体のそこら中が激痛を訴えていたがともかくあのまま暗い場所で誰にも知られず息絶える事だけはなくなったらしい。

 そう安心すると共にそのまま気を失ってしまうアムールトラだった。

 

「で、な?次に目を覚ました時に目の前にいたのがルリやった。」

 

 ルリはどうやら倒れているアムールトラを見つけて手当をしてくれたらしい。

 ルリは小さな身体で苦労しながらもアムールトラを運ぼうとしてくれていた。

 物凄く重たそうにしていたから見兼ねて「置いていっていい。」といったら滅茶苦茶怒られた。

 

「そうして、今のウチらの保護者のところに連れてってもらってな。でそこで傷を治してもらって…。で、そのうちにこの街に引っ越してきたっちゅうわけや…。」

 

 と一通りの経緯を語り終わったアムールトラ。ふ、と気が付くとイエイヌが滂沱の涙を流していた。

 

「ちょお!?今の話にイエイヌが泣くような事あった!?」

 

 と慌てるアムールトラ。

 

「だって…だって…!そんな暗い場所で一人ぼっちで近くに誰かいるのに気づいてもらないだなんて…!そんなの辛すぎますよ!」

「だぁー!?ウチは無事やから!せやから落ち着いて!泣き止んで!ほい、ポケットティッシュあるから!お鼻もかんで!」

 

 とイエイヌの涙をぬぐったり鼻をかませたりと大忙しのアムールトラ、

 やがてイエイヌも落ち着きを取り戻す。

 

「もしも今度オイナリサマに会えたらアムールトラを助けてくれた事もお礼言わないとですね。あ、あとルリさんにもお礼言いたいです!」

 

 とアムールトラに詰め寄るイエイヌ。

 

「ま、まあルリの方はウチが散々お礼言ったから。その分ルリと仲良うしたって。」

 

 その剣幕に押されるアムールトラ。取り敢えずの提案にイエイヌは何度も頷いてみせる。

 

「ところで、アムールトラの訊きたい事って何ですか?」

 

 そうして今度はそっちの番だ、と言いたげなイエイヌ。真っ直ぐにアムールトラを見やる。

 

「あー…。うん。あのな……。」

 

 しばらく迷うようにするアムールトラ。

 何度となく視線を彷徨わせてからやがてイエイヌを真っ直ぐに見つめる。

 そしてゆっくりと口を開いた。

 

「イエイヌ…。お前、クロスナイトなんか?」

 

 その言葉にしばらく固まった後大きく目を見開くイエイヌ。

 

「ど、どうしてそれを…。」

 

 そう絞り出すイエイヌにアムールトラは一度苦笑する。

 

「いや、イエイヌ…。少しは腹芸っちゅうもんも覚えた方がええんやないか…。」

 

 と言うアムールトラにイエイヌは慌てて両手で自分の口を抑える。

 

「あの…あの…!?」

 

 とわたわたと慌てはじめるイエイヌ。

 

「ああ、別に正体をバラしたりとかするわけやない。」

 

 その言葉にイエイヌはホッと一息。胸を撫でおろす。

 そんなイエイヌにもう一度苦笑するアムールトラ。

 

「まあ、昨日のあの状況でイエイヌがいなくなってクロスナイトが現れた。もしかしてー、くらいには思ってたけどな。」

 

 訊きたい事は聞いた、とばかりにイエイヌの肩をポム、と叩くアムールトラ。

 そのまま屋上を去っていく。

 

「あの…!どうしてそれを訊きたかったんですか!?」

 

 アムールトラの目的がわからずに去り行くその背中に向けて言うイエイヌ。

 それに振り返る事なく、言葉のかわりに軽く右手を挙げるのみで応じたアムールトラは足を止める事なく屋上から去って行った。

 

「ウチの覚悟に必要やったんや。必要な時が来て知らずに戦って後悔するよりはマシやろうからな。」

 

 階段を下りていくアムールトラの呟きは誰に届く事もなかった。

 

 

 

―後編へ続く




【セルリアン情報公開】

第6話登場セルリアン

マネキン型セルリアン『ナイトメアドール』

マネキンに取り付いたセルリアン。動きがぎこちなくパワーもスピードも大した事はない。
正直弱い。
ただし、学習能力があり、少しずつだけれども強くなっていく。
ぎこちない動きはある種の不気味さを生み出して夢に見そうな気さえする。
外見上の不気味さがある意味一番の武器かもしれない。




マネキン型セルリアン改『アラクネドール』

マネキンにとりついたセルリアンが寄せ集まって下半身を蜘蛛のようにしたもの。
下半身はマネキン達が絡み合い歪に形成されているため、その外見は非常に不気味だ。
マネキンの腕を連結したロープのようなものを発射したり、それで蜘蛛の巣を作ったりする攻撃をしてくる。
一件蜘蛛の巣と違って触れても無害そうに見えるマネキンロープであるが、触れると腕が動いて捕まえて動きを阻害してくる。
見た目の不気味さに加えて中々に厄介な相手である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話『がーるず・びー・すとろんぐ』(後編)

【用語解説 ビースト】

 ビーストとは、けものフレンズ2において登場した動物キャラクターの一種である。
 作中では唸り声をあげ、フレンズにもセルリアンにも見境なく襲い掛かる乱暴者として描かれている。
 また、作中では唸り声以外のセリフは一切ない。
 その姿はリデザイン後のアムールトラの物であった為、ビースト=アムールトラと認識されている。
 なお、作中ではアムールトラ以外のビーストは登場していない。
 黒いオーラを纏い、イエイヌを圧倒したり巨大なセルリアンを一撃で倒したりフレンズ型セルリアンを一蹴したりと戦闘能力は相当高い。
 最後はけものフレンズ2主人公の呼びかけに応じてフレンズ型セルリアンが発生したホテルへと現れるが、その際、一人崩壊するホテルに取り残されて行方不明となっている。
 本作中でアムールトラが語った瓦礫に埋もれた状態の記憶はこのホテル崩壊後のもの。



 

 

 屋上でアムールトラと話して以来、イエイヌの胸中は複雑だった。

 自分と似たような境遇の仲間ともいうべきフレンズがいたことはほんの少しだけど嬉しい事だった。

 そして、アムールトラに野生解放のコツとか訊いておけばよかったなあ、という思いがあった。

 アムールトラはおそらく、戦う事が得意なフレンズだと思えた。

 ならばきっと野生解放だって使えるはずだしそのコツだって知っているかもしれない。

 試しに訊いてみるんだったなあ、とは思うものの、それは後の祭りだ。

 そして、もう一つ…。

 これはずっとイエイヌ自身が否定し続けていた事であるが、アムールトラとビーストが同一人物だったら…。

 そう考えると身震いした。

 アムールトラもイエイヌと同じ世界からこちらに来ていたのだとしたら…。外見だけがあんなにも似ているものだろうか。

 再びもった疑念はどんどん膨らんでしまう。

 そして…かつてコテンパンに負けたビーストに勝てるのか、と言われると正直自信がなかった。

 かつてビーストに襲われそうになっていたヒトの子供がイエイヌの想像の中でともえと萌絵の姿に置き換わる。

 慌てて首を振ってその考えを打ち消すイエイヌ。

 そんな事をぐるぐると何度も考えていたせいか、今日の授業は随分と身が入らなかった。

 後で萌絵に復習をお願いしないといけないかもしれない。

 

 そうして放課後。

 生徒達は早速帰り支度をしたり部活に向かったり、学校でたむろしたり。それぞれに過ごしはじめていつも通りの放課後だ。

 放課後にはともえも教室にやって来て取り敢えず帰り支度だ。

 イエイヌは自身が今感じている不安は一度置いておいて、ともえと萌絵に自分の考えを伝えてみる。

 技を鍛える…、つまり野生解放を試してみるという事を。

 

「そっか…。イエイヌちゃんが暮らしてた世界のフレンズちゃんにはそんな技があったんだね。」

 

 ともえも萌絵もイエイヌの提案を真剣に考えているようだった。

 

「アタシは…。あんまり賛成できないよ。だってイエイヌちゃんの身体には凄く負担がかかる技なんでしょ?」

 

 イエイヌにとっては負担の大きい技である事も包み隠さず伝えた為、萌絵の言い分はもっともな事に思えた。

 

「うん。無理するのはよくないと思う。お母さんとも約束したし。」

 

 そう。春香とも約束したのだ。無理はしない、と。

 もしも無理して身体を壊したりしたら春香はとても悲しむだろう。

 それはイエイヌにも容易に想像できた。

 

「その野生解放っていうのに詳しい人がいたら意見を聞いてみたいとは思うかな…。だって実際使った事はないんでしょ?」

 

 ともえが言うようにイエイヌは今まで野生解放を使った事はない。

 そして、この世界で野生解放という技に詳しそうなのは、アムールトラを除けば、かばんくらいだろうか。

 

「さすがにラモリさんはその野生解放っていうのに詳しくないよね?」

 

 と萌絵が抱えたラモリさんに訊ねてみるが

 

「アア。ソノ野生解放、と言う技は俺のメモリにはナイ。」

 

 と却って来たのは予想通りの結果だった。

 となると次の候補としてはかばんになる。

 

「今日はかばんちゃんは生徒会のお仕事があるみたいで放課後すぐに生徒会室に行っちゃったから、明日きいてみる?」

 

 ともえの提案に頷くイエイヌと萌絵。

 おそらくかばんだって野生解放に詳しくはないだろう。そして、イエイヌが野生解放したらどうなるのか、という疑問の答えを知っているとは思えなかった。

 しかし、それでも今はそれしか手がなさそうでもあった。

 取り敢えずの方針を決めたともえと萌絵とイエイヌの三人は帰り支度も終えて今日は家に帰る事にした。

 昇降口で上履きを脱いで学校指定のローファーへと履き替える。

 そして昇降口から外へと出たとき…、イエイヌにとってはもう嗅ぎなれてしまったセルリアンの匂いがした。

 

「セルリアンの匂い…。でも…、これって…。」

 

 セルリアンの匂い自体は嗅ぎなれたものだった。

 けれど、今日に限ってはその匂いに何か違和感がある。

 その違和感の正体は分からなかったがイエイヌは弾かれたように駆け出した。

 

「ちょ!?イエイヌちゃんー!?」

 

 慌てたようなともえの声が聞こえたがイエイヌは振り返る事なく走る。

 どうにもイヤな予感が拭えないイエイヌであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 セルリアンの匂いを辿ってたどり着いたのは旧校舎裏手の人気のない場所であった。

 放課後で生徒達はそれぞれに部活などに赴いているはずであったが、ここは静かなものだった。

 これなら多少派手に暴れても問題なさそうだ。

 イエイヌは速度を落とすと周りの匂いに集中する。

 と、セルリアンの匂いがする方向から声が聞こえてきた。

 耳をピクリとさせてその声に耳をすませるイエイヌ。

 

「よし、ルリ。落ち着いてな。深呼吸するんやで?何も心配な事ないからな。」

 

 聞こえてくる声の一つはアムールトラだった。

 そしてもう一つ。

 苦しげな吐息も聞こえてきた。

 それはルリの声のように思えた。

 

「もしかしてルリさんが体調を崩してる…?セルリアンと戦う前に何とかしないと…。」

 

 イエイヌはそちらの方へ駆け出して、そして絶句してしまった。

 旧校舎裏手の植え込みの向こうにはルリを抱えたアムールトラがいたのだが、ルリの身体から黒い水のようなものが滴り落ちて足元に落ちていた。

 その黒い水からセルリアンの匂いがしているのだ。

 どう見ても、セルリアンをルリが生み出しているようにしか見えない。

 アムールトラの腕の中でぐったりとして意識がないように思えるルリ。

 だから今事情をきけるとしたらアムールトラしかいない。

 

「アムールトラ…。これは一体…。」

 

 と戸惑いとともにアムールトラに声をかけるイエイヌ。

 アムールトラは驚いたように振り返り、そして随分と悲しそうな表情をした。

 アムールトラがそんな表情をしている事にイエイヌの胸も痛みを覚える。

 

「いっちばん見られたくないヤツに見つかってしもうたなあ…。」

 

 と自嘲気味に笑うアムールトラ。

 

「な、何を言っているんですか…。ルリさん具合悪いんですよね?早く保健室に連れていかないと…。」

 

 目の前で起こっている事にイエイヌの理解は追いついていなかった。ともかくルリの具合が悪そうだ、という事だけはわかったので、その対処だけでも絞り出す。

 が、そうしている間にもルリの身体から滴り落ちた黒い水のようなものがニュルリ、と動き出して旧校舎裏に置かれていた古く錆び付いた整地用ローラーへととりつく。

 やがて黒い水はグニョグニョと形をとって巨大なローラー型セルリアンへと姿を変えた。

 

「と、ともかくアムールトラ!貴女はルリさんを連れて逃げて下さい!」

 

 バッと背中に二人を庇うようにローラー型セルリアンとの間に割って入るイエイヌ。

 それに意外そうな表情を見せるアムールトラ。

 

「え、ええんか?」

「いいも悪いもないでしょう。早く。」

 

 気を失っているように見えるルリをこの場に留めておくのは危険なように思えた。

 だから目の前のローラー型セルリアンを睨みつけながらイエイヌはアムールトラを促す。

 ルリがセルリアンを生み出していた事については今は置いておく。

 

「すまん。恩に着るわ。」

 

 短く言ってルリを抱えて駆け出すアムールトラ。

 その背中にイエイヌも短く言う。

 

「後で事情は教えて下さい。わたしも力になりますから。」

 

 その言葉にまたもアムールトラの表情が辛そうに歪む。

 だが、何かを言う前にルリを連れて去っていった。

 あらためてイエイヌは目の前のセルリアンに向き直る。

 たっぷりと黒い水のようなものを吸い込んだセルリアンはイエイヌの背丈の倍近くの巨大なローラーを作り出していた。

 本当ならば思わず畏怖してしまいそうだったが今日は何故だか怒りの感情の方が強かった。

 先程見せたアムールトラの悲しそうな表情が棘のようにイエイヌの胸に突き刺さっていた。

 早く行って安心させてやりたい。

 だからこのセルリアンはとてもとても邪魔なのだ。

 やる事は決まった。

 

「変身…!」

 

 イエイヌの身体がサンドスターの輝きに包まれる。

 

「クロスナイトッ!」

 

 その輝きが晴れたときにそこにいるのは腰までの短いマントをたなびかせた騎士、クロスナイトである。

 巨大整地用ローラー型セルリアンことコンダラセルリアンはローラー部分を回転させはじめる。

 持ち手の部分が高くあがってイエイヌに向けて突撃してくるコンダラセルリアン。

 そのスピードは意外に速い。

 いくら怒りに駆られているからといってクロスナイトは真正面から向かったりはしない。

 クロスナイトはパワーに優れるタイプではないのだ。

 そのことは彼女自身がよく分かっていた。

 バッと余裕をもってコンダラセルリアンの突撃をかわすクロスナイト。

 スピードもあり、巨大なローラーによる圧し潰し攻撃は凄まじい破壊力を秘めているだろう。

 だが動き自体は直線的だ。

 かわせない程ではない。

 そして『石』を探すクロスナイト。

 『石』はまだ見つからないが、高く持ち上げられた持ち手部分の中央にセルリアンの目らしきものがある。

 きっとそこは弱点にはなるだろう、と予想したクロスナイトは叫ぶ。

 

「クロスハート!あそこです!」

 

 と高く持ち上がったコンダラセルリアンの持ち手部分を指さすクロスナイト。

 

「りょうかーい!」

 

 と声が響くと同時ヘビクイワシフォームに変身したクロスハートが飛び出した。

 匂いでそろそろともえが追いついてくる頃だろうと知っていたクロスナイト。絶妙な不意打ちだ。

 

「ちょいさー!」

 

 とセルリアンの目に向けて飛び蹴りを放つクロスハート。

 だが……。

 

―グゴゴゴゴゴゴ!

 

 と音を立ててその場でローラーを回転させるコンダラセルリアン。

 なんと一体型と思われていたローラーの右半分と左半分がそれぞれ逆方向に回転していた。

 それでまるで独楽のようにスピンするコンダラセルリアン。

 高く持ち上げていた持ち手部分も凄まじい回転を見せる。

 

「うわわっ!?!?」

 

 突撃していたクロスハートは回転する持ち手部分に弾かれて錐揉み状に飛ばされる。

 

「クロスハートっ!」

 

 クロスナイトが走って地面に激突する前にクロスハートを受け止める。

 

「ありがとうね、クロスナイト。」

「いえ。わたしもまさかセルリアンがあんな事をしてくるなんて思っていませんでした。」

 

 あらためてコンダラセルリアンに向き直るクロスハートとクロスナイト。

 やはり油断ならない相手だ、と気を引き締めなおす。

 と、油断しないように、と気を引き締めたばかりだというのに、その直後コンダラセルリアンは持ち手部分を叩きつけるかのように上空から二人に向けて振り下ろす!

 しかし、これは目測を見誤ったのか、全然クロスハートとクロスナイトに届いていない。

 

「ダメだよ!クロスハート、クロスナイト!そこは危ないよ!」

 

 さらに追いついてきたラモリさんを抱えた萌絵の声が響く。

 攻撃は外れたのに何が危ないのだろう、とハテナマークを浮かべるクロスハートとクロスナイト。

 振り落とされたコンダラセルリアンの持ち手部分はちょうど二人を囲むような格好になっていた。

 その持ち手が縮んで二人をローラーに向けて抱きしめようとしていた。

 

「うそお!?」

 

 伸縮スピードは意外にも速い!

 飛んで逃げる事もジャンプでかわすことも出来ずに縮む持ち手に引っかかってしまう二人。

 コンダラセルリアンは待ってました、とばかりにローラーをゆっくりと回転させ始めていた。

 何度も言うようだが俗称コンダラの整地用ローラーは押して使うものだ。持ち手の内側に入るとこうなるかもしれないからよい子は絶対真似しちゃいけない。

 

「く、クロスナイト!」

 

 縮む持ち手から逃げられない事を察したクロスハートはコンダラセルリアンの上の方を指さす。

 

「ジャンプして!」

 

 その言葉にクロスナイトも何がしたいのかを理解した。

 持ち手に足をかけてそれが縮む勢いも利用して大きくジャンプする二人。

 コンダラセルリアンのローラー頂点部分に着地、そのままローラーの回転と逆方向に走る。

 

「こ、これはちょっと無茶じゃないでしょうか!?」

「他にいい方法思いつかなかったんだよお!?」

 

 言いつつローラーの回転に抗ってその上を走り続ける二人。一見するとコミカルだが、ローラーの回転に負けた瞬間に巻き込まれて圧し潰されてしまう。

 と、ローラーの頂点部分のちょうど真ん中に『石』が見えた。

 何とか走りながらも徐々に横にずれていって『石』を狙う二人。

 そうはさせない、とばかりにコンダラセルリアンは持ち手を再び上へ向けてから縮めてくる。

 ちょうどローラーの上を走る二人に叩きつける格好だ。

 

「クロスハートっ!飛んでっ!」

 

 というクロスナイトの言葉にそういえば自分はいま飛べるんだった、とようやく思い出したクロスハート。

 慌てて頭の翼を広げて飛ぶとクロスナイトをかっさらうように抱いて一度大きく距離をとる。

 

「ふ、ふう…。危なかったぁ…」

 

 二人揃って、ふいー、と一息…している暇もなかった。

 再びコンダラセルリアンがローラーを回転させて突撃してくる!

 

「ム…?最初よりモ少しダケだがスピードが上がッテいる…?」

 

 その突撃を見たコンダラセルリアンを解析中のラモリさん。表示されるデータのわずかな差異に疑問の声をあげる。

 

「それってこの前のマネキンのセルリアンみたいに学習能力があるってこと?」

 

 萌絵もそれに自分の予想を重ねてみるが、それにはラモリさんがいいや、と尻尾の多機能アームを首のかわりに横に振る。

 

「地面を見てミロ。ソレが原因ダ。」

 

 ラモリさんの言う通りに地面を見てみる萌絵。と、おかしな事に気が付いた。

 この殆ど人の手が入る事のない旧校舎裏手の地面が真っ平になっているのだ。

 

「そっか…。あのセルリアンって整地用ローラーにとりついているから、地面を平らにならして動きやすくしたんだ。」

 

 萌絵はそこからさらに考えこむ。

 もしかしたら、という閃きが頭によぎった。

 そばにあった土塊を拾い上げる萌絵。それをコンダラセルリアンの前へと放り投げる。

 と、クロスハートとクロスナイトを追いかけていたコンダラセルリアンが放り投げられた土塊へと向かうと丁寧に丁寧にそれをプレスしていた。

 すっかり綺麗に真っ平になった地面をじーっと見つめるコンダラセルリアン。

 なんだか、いい仕事をした、とばかりに満足気な様子だ。

 もしもこのセルリアンに両手があったらきっと額の汗を拭うかのような仕草をしていたことだろう。

 それを見て萌絵の閃きは確信に変わる。

 

「クロスハート!そいつね、平らじゃない地面が許せないんだよ!なんたって整地用ローラーだもん!そういう習性があるんだよ!」

 

 萌絵の言葉にクロスハートはニマリと笑った。

 その顔はイタズラを思いついた子供のようだった。

 そしてその思いつきを実行する為に叫ぶ。

 

「チェンジ!クロスハート・イエイヌフォーム!」

 

 サンドスターの輝きと共にイエイヌフォームへと変わったクロスハート。

 これにはクロスナイトがおや?と思った。

 最近はイエイヌフォームの出番は少なくなっていた。何せクロスハートがイエイヌフォームで出来る事はだいたいクロスナイトも出来てしまう。

 だから別なフォームを使う方がより作戦の幅が広がるのだ。

 それは当然わかっているクロスナイトだったがそれはそれでちょっとだけ寂しさを覚えていたりもした。

 だからクロスハートが何を思いついたのか、戦いの真っ最中だというのにちょっとだけワクワクしてしまっていた。

 

「クロスナイト!ここ掘れワンワン!」

 

 そのクロスハートの言葉だけでクロスナイトは作戦を理解した。

 二人してシュババ、と地面に穴を掘り始める。

 ちょうどよいくらいの穴が出来たら次、掘り終えたら次、と次から次に穴ぼこが増えていく。

 これにはコンダラセルリアンが焦ったかのようにローラーで整地を始める。

 だが整地しても整地しても穴ぼこが増える速度の方が上だった。

 二人がかりで穴を増やしているクロスハートとクロスナイト。

 コンダラセルリアンが元凶を絶とうと一人を追いかけている間はもう一人が穴を掘り放題。どんどん周囲が穴だらけになっていく。

 と、クロスハートが掘った穴をあらかた整地し終えたコンダラセルリアン。

 なんだか気のせいか疲労の色が見て取れるような気がした。

 そんなコンダラセルリアンにクロスハートは、後ろを見てみて、とばかりにその背後を指さしてみせる。

 何だかイヤな予感がしつつもローラーを回転させて振り返るコンダラセルリアン。

 

―!?!?!?!?

 

 と、コンダラセルリアンの悲鳴が聞こえた気がした。

 こんなん出来ました、とばかりにクロスナイトが今しがた掘った大穴を指し示していたからだ。

 クロスハートが囮になっている間に掘った大穴はちょっとやそっとでは整地しきれないように見える。

 大慌てでその穴を整地に向かうコンダラセルリアン。

 整地用ローラーとしての習性を持つコンダラセルリアンにはこれは許せないレベルの大穴なのだろう。念入りに念入りに整地を始める。

 あれだけの大穴もあっという間に元通りになろうとしていた。

 が、整地作業に集中しているコンダラセルリアン。無防備な背中をクロスハートに晒してしまっていた。

 

「チェンジ!クロスハート・ヘビクイワシフォームっ!」

 

 再びヘビクイワシフォームへと変化したクロスハート。頭の翼を広げてコンダラセルリアンの頭上へと飛ぶ。

 そのまま…

 

「刻み込む蹴撃!スタンプスタンピィドォオオオオッ!」

 

 とそのローラー頂点にある『石』へ向けて必殺のマシンガンキックを叩きこむ!

 

―ズガガガガガッ!

 

 と凄まじい轟音と共に『石』へ蹴りの雨が降って…

 

―パッカーン!

 

 と『石』が砕けて一瞬遅れてコンダラセルリアンの巨体もバラバラに砕けてサンドスターの輝きに還っていく。

 何とかなった、と安堵の吐息を漏らすクロスハートにクロスナイトと萌絵の三人。

 そうして気を緩める三人の前に、ザッと足音が響く。

 その足音の主は…。

 

「アムールトラ…。」

 

 であった。

 クロスナイトはそのまま彼女に駆け寄ると

 

「ルリさんは?」

 

 と訊ねる。

 

「今は保健室でユキヒョウが看てくれてる。もう落ち着いた。」

 

 その言葉にまずはほっと胸を撫で下ろすクロスナイト。だが、先程見たものは決して看過できるものではなかった。

 

「あの…。アムールトラ。さっきのアレは…。」

 

 クロスナイトはともかく事情を聞きたかった。

 

「さっきはセルリアンの始末を任せてすまんかったな。おかげさんでルリの事を早いうちに落ち着かせられた。礼を言うで。」

 

 礼を言う、という割にはアムールトラの纏っている雰囲気は随分と剣呑なもののように思える。

 そのまま言葉を続けるアムールトラ。

 

「それにな。嬉しかったで。あんなん見ても、力になるって言ってくれてな。」

 

 ゆっくりと被りを振ってからアムールトラはさらに続ける。

 

「けど無理や…。クロスナイト。お前も見たやろ。ルリはセルリアンを生む。本人の意思に関わらずな。」

 

 その言葉にクロスハートも萌絵も、そしてクロスナイトも息を呑む。

 

「あの子はな。周囲の“キラキラ”を呼吸みたいに吸って身体に貯めて“セルリウム”に変えてしまうんや。」

 

 驚きに大きく目を見開くクロスナイト。理解したくない現実を前に何とか言葉を紡ぎだす。

 

「それ…。ルリさん本人は…。」

「知らんよ。あの子は何も知らん。薄々感づいてはいるかもしれんけどな。あの子は普通に生きてるだけや。」

 

 淡々と話すアムールトラであったがそれは随分と痛々しい姿のように思えた。

 

「“キラキラ”はルリにとって栄養みたいなもんや。ルリって小さいやろ?」

 

 小学生の低学年といっても通用しそうなルリ。その言葉には黙ってうなずくしかなかったクロスナイト達。

 

「本当はな。生き物から“キラキラ”を取り込むのが一番効率がええんや。けど、ルリはそれをしたことがない。」

 

 なるほど。だからそんなに小さいのか、と理解してしまうクロスナイト達。

 

「人里離れたところなら普通に暮らせるかと思うやろ?けどそれじゃあルリの栄養が不足してまう。モノに宿る“キラキラ”はヒトやフレンズの営みからしか生まれんからや。」

 

 そう。だからこそ最初は人里離れた場所で暮らしていたルリ達はこの街に引っ越して来たのだ。

 ここまで聞いてクロスナイトは一つ疑問が浮かぶ。

 生き物から“キラキラ”を食べてしまう存在。

 それはヒトではなくて…。

 

「セルリアン…」

 

 ポツリ、とクロスナイトの口からその言葉が漏れる。

 それにアムールトラは重々しく頷いた。

 

「せや。ルリはセルリアンなんや…。」

 

 その言葉に「「うそ…」」とクロスハートと萌絵がぽつりと呟く。

 

「セルリアンなんや!」

 

 もう一度、アムールトラは叫ぶ。

 きっとアムールトラ自身、それが嘘であればいい、と思っているのだろう。

 

「これを知ってるのはウチとウチらの保護者だけや。ルリもユキヒョウも何も知らんよ。」

 

 と自嘲気味に笑うアムールトラ。

 

「なあ、正義の味方。ルリはセルリアンを生み出すセルリアンや。ここまで聞いても力になってくれるか?ウチと一緒にルリを守ってくれるか?」

 

 す、っと右手を伸ばすアムールトラ。

 だが、その場の誰もあまりの事態に反応することが出来なかった。

 そして、アムールトラの誘いに乗るという事はこれからも毎日のように現れるセルリアンに対処せざるを得ないという事でもある。

 今の話を信じるならばセルリアンの発生源がルリなのだから。

 そしてクロスハートもクロスナイトもセルリアンの為に危ない目にあってしまった人達を知っている。

 だからすぐに頷いてあげることが出来なかった。

 

「そうやろな。普通はそうや。しゃあない。」

 

 自嘲気味に笑い伸ばした手を落とすアムールトラ。そこには落胆の色も見てとれた。

 アムールトラにそんな表情をさせてしまった事にクロスナイトの胸がチクリと痛んだ。

 しかし、じゃあどうすればいいのか。

 それは分からなかった。

 

「せやからな。今の話はウチからお前らへの冥途の土産や。」

 

 ユラリ、とアムールトラの身体から殺気と共にサンドスターの輝きが立ち昇る。

 

「ルリはセルリアンやからな。お前らさえおらんかったらそう簡単にルリを傷つけられるヤツはおらん。」

 

 確かにサンドスターを用いて戦うクロスハートやクロスナイトはセルリアンにとって天敵とも言える。

 

「ウチはな。もう覚悟してるで。何に変えてもルリを守るってな。」

 

 す、っとアムールトラは両手に一つずつの金属製の輪を取り出す。鎖はついていないがそれは手枷のように見える。

 

「そんなわけでな。…ここでウチに倒されろ!正義の味方ぁ!!」

 

 咆哮と共に右の手枷を左腕にガチャリ、と嵌めるアムールトラ。

 

―Beast

 

 の文字が手枷に浮かぶ。

 続けて左に持った手枷を右腕へ装着。

 

―Drive

 

 の文字が手枷へと浮かぶ。

 

「ビーストドライブッ!」

 

―ドンッ!

 

 アムールトラの叫びと共に空気が震え、彼女を中心に烈風が巻き起こる。

 巻きあがった砂ぼこりが一瞬彼女の姿を隠し、それが治まったとき…

 

「ぐるぁあああああああああああああああああっ!!」

 

 そこにいたのはクロスナイト…、いや、イエイヌがよく知る存在だった。

 野獣の咆哮をあげる黒いオーラを纏ったその存在をイエイヌがかつて暮らしていた世界ではこう呼んだ。

 

 ビースト、と。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第7話『がーるず・びー・すとろんぐ』

―おしまい―

 

 




【次回予告】

アムールトラはかつてイエイヌが暮らしていた世界にいたビーストであった。
衝撃の真実を前に迷い戸惑うクロスナイト。
誰かを犠牲にしなくてはならないのか。
誰かをとって誰かを見捨てなくてはならないのか。
正義の味方が選んだ選択肢とは……。
次回、けものフレンズRクロスハート第8話『騎士と野獣』
お楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話『騎士と野獣』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 かつてヒトがいなくなったジャパリパークで暮らしていたイエイヌはオイナリサマの手によって別な世界へと旅立った。
 そこで遠坂ともえ、遠坂萌絵の二人とその家族と出会い幸せに暮らしていたがセルリアンの魔の手がこの世界にも忍び寄っていた。
 フレンズの力を借りて変身する不思議な能力を得たともえと共にセルリアンと戦い、幸せな日常を守ってきたイエイヌ。
 ある日アムールトラというフレンズと出会う。
 ルリという少女を大切にしているアムールトラ。
 かつて打ち負かされたビーストに酷似した容姿の彼女に最初は戸惑うイエイヌだったが、いつしかすっかり打ち解けて友達になった。
 しかし、ルリがセルリアンを生み出すセルリアンであるという衝撃の事実を知ってしまうイエイヌとともえと萌絵。
 ルリを守るため、アムールトラはイエイヌ達に襲い掛かってくるのであった。




 

 

「ビーストドライブッ!」

 

 旧校舎裏の人気のない場所にアムールトラの叫びが響く。

 彼女を中心に烈風が巻き起こり、それが治まった時、そこにいたのは黒いオーラを纏い凄まじい殺気を巻き散らすアムールトラだった。

 その姿はまさに…

 

「ビースト…」

 

 であった。

 クロスナイトの口から漏れた通り、その姿はまさに彼女がよく知るビーストのそれであった。

 かつてイエイヌが暮らしていた世界でビーストと呼ばれたその存在は乱暴者として知られていた。

 凄まじい膂力を誇るものの、理性らしきものすら見せずフレンズもセルリアンも見境なく襲って回っていたのがビーストなのだ。

 混乱するクロスナイト。

 何故。

 どうして。

 疑問は尽きない。

 だが、それを正す時間もなかった。

 

「ぐるぁああああああああああああああああっ!」

 

 野獣の咆哮をあげたビーストが猛然と襲い掛かって来たからだ。

 一足でクロスナイトと距離を詰めたアムールトラことビースト。

 間合いに入ると力任せにクロスナイトの顔面めがけて拳を振り抜く!

 クロスナイトも両手を交差させて防御態勢をとるが…

 ニィ、とビーストの口角が上がる。

 と、ピタリ、とその拳がクロスナイトのガード直前で止まった。

 

「があああああああああっ!」

 

 ビーストの逆の腕が横からガードをすり抜ける形で振るわれる。

 ちょうどストレートを囮にフックを叩きこんだ格好だ。

 寸前で頭を後ろに引いた事でその一撃はクロスナイトにダメージを与える事はなかった。

 だが、クロスナイトのミラーシェードを掠めてそれを一撃で粉砕する。

 

「くっ…!」

 

 思わず後ろに下がるクロスナイトだったが、その目の前にニヤリと獰猛な笑みを浮かべたビーストの姿があった。

 思わぬシャープな中段蹴りが飛び出してクロスナイトを捉える!

 その一撃をもろに受けて「かはっ…。」と吐息を漏らすクロスナイト。

 そのまま吹き飛ばされて地面を転がる。

 

「い、イエイヌちゃんっ!?」

 

 思わず変身前の呼び名で呼んでしまう萌絵。

 しかし、それに対してクロスナイトは地面をかいて立ち上がろうともがくのみだ。

 

「わるいな。今のウチは本能のままに戦う獣ってわけやないんやで。」

 

 獰猛な笑みのままにビーストの口からアムールトラと変わらない口調の言葉が飛び出す。

 それはクロスナイトにとってはかなり意外な事であった。

 かつて戦ったビーストは確かに膂力は強かった。

 だが、動きは直線的でまさに本能のままに暴れる獣、という印象だった。

 それなのにかつてのイエイヌはビーストにコテンパンに打ち負かされたのだ。

 それが理性的に立ち回れるのだとしたら…。

 目の前の相手はクロスナイトの想定よりもはるかに強敵だ。

 

「このビーストドライバーのおかげでな、短時間やったらビースト状態を制御出来る。」

 

 そんなクロスナイトの想いを知ってか知らずか、ビーストは両腕にはめた手枷のような物を掲げてみせる。

 ビーストドライバーというのはその手枷なのだろう。

 割れたミラーシェードの残骸を投げ捨て、歯を食いしばりどうにか立ち上がるクロスナイト。

 その膝がふるふると震えてしまっていた。

 たった一撃でダメージは甚大である。

 立ち上がりはしたもののまともに戦えるようには思えない。

 

「チェンジッ!クロスハート・G・ロードランナーフォーム!」

 

 そこに割り込んだのはクロスハートだ。スピード特化のG・ロードランナーフォームへフォームチェンジ!

 

「爆走!スピードスター!」

 

 さらにスピードを上げるバフ技で速度をあげてビーストへと向かう。

 

「まあ、パワーに優れた相手にスピードで翻弄ってのはわからなくもない手やなあ。」

 

 ビーストの周りを囲うようにグルグルと走り回るクロスハート。

 あまりのスピードに分身すら見えるかのようだ。

 

「ねえ!?アムールトラちゃん!?なんでアタシ達が戦わないといけないの!?」

 

 スピードをあげながらビーストに問うクロスハート。

 だが、それは一笑に付される。

 

「それはもう終わった話やで!正義の味方ぁ!」

 

 ダンっと地面を蹴って踏み出すビースト。

 パワーがあるという事は瞬発力もあるという事だ。

 パワー型とはいえ鈍重とは限らないのだ。

 一瞬のスピードであればスピード特化のG・ロードランナーフォームにだって追いつける。

 

「うわわっ!?」

 

 猫科特有の飛びつき攻撃を間一髪、大きく飛び退ってかわすクロスハート。

 スピード特化のG・ロードランナーフォーム以外であれば今の攻撃をかわし切れなかったかもしれない。

 クロスハートの頬を冷や汗が伝う。

 一連の攻防にクロスナイトは頭の中がカッと熱くなるのを感じていた。

 先程想像の外に追いやった場面が頭の中にフラッシュバックした。

 かつてビーストが襲ったヒトの子供がともえと萌絵に置き換わる。

 それが今、目の前で現実となっていた。

 大きく飛び退っていたクロスハートにさらに追い打ちをかけようと追いすがるビースト。

 

「ともえさんに…!手を出すなぁああああああああっ!」

 

 叫びを遠吠えがわりに、『ウォーハウリング』を発動させるクロスナイト。

 かつて自分が苦い敗北を味わったのと同じ場面に、思わずクロスハートを変身前の名前で呼んでしまっていたがそれに気づく余裕すらない。

 『ウォーハウリング』でわずかながら身体能力を向上させたクロスナイトはビーストに追いつく事に成功した。

 背後から追いすがり、サンドスターを集めた手を振りかぶり…。

 

「ドッグバイトぉ!」

 

 と、自身の手を牙に見立てた攻撃を繰り出す!

 それに振り返ったビースト。クロスナイトの『ドッグバイト』に対して腕でガードする。

 ガードに上げられた腕にそのまま『ドッグバイト』の牙を突き立てようとするクロスナイト…。

 だが…

 

「通らない!?」

 

 黒いオーラを纏ったビーストの腕に爪の一撃を食い込ませる事が出来なかった。

 逆にニィ、と口角を上げるビースト。

 『ドッグバイト』を放った腕を逆に掴み、そして…

 

「ぐるぁああああああああああああああああっ!!」

 

 咆哮と共に力任せにクロスナイトを振り回し、そして地面へ叩きつけた!

 

―ダァン!

 

 と物凄い音と共に地面へ叩きつけられバウンドするクロスナイト。

 さらに追い打ち、とばかりに大きく振りかぶったビーストの拳がクロスナイトへ放たれようとしていた。

 黒いオーラを集めて一層濃くしたそれは必殺の一撃のように思えた。

 この体勢ではかわせない…!

 

「イエイヌちゃんっ!」

 

 変身後の呼び名で呼ぶ余裕すらなくしたクロスハートがそこへ飛び込んで割り込む!

 両腕を交差させてありったけのサンドスターを防御へ回す。

 スピード特化のG・ロードランナーフォームだからこそこの場面に割り込む事が出来た。

 だが、反面防御は弱い。

 可能な限りのガード体勢でビーストの拳を防ぐも…。

 

「!?!?!?」

 

 ビーストの拳は両腕のガードごと貫いてクロスハートを吹き飛ばした!

 悲鳴すらあげられず吹き飛ばされ地面を何度かバウンドしてようやく止まるクロスハート。

 

―シュウ

 

 と音を立ててその変身が解除されて元の制服姿のともえへと戻る。

 そして、クロスナイトもまた地面に叩きつけられたダメージからまだ動く事が出来ないでいた。

 

「これでお終いやな。」

 

 目の前のクロスナイトに向けて拳を振りかぶるビースト。

 と、その時、どやどや、と賑やかな声が響く。

 

「こっちなのだー!こっちから凄い声がさっきから何度もしてるのだー!」

「待ちなよ、アライさーん。私たちだけ先に行ったってどうしようもないよー。」

 

 そんな声が遠くから聞こえてくる。

 

「ちっ。ちと騒ぎすぎてもうたか。邪魔が入ったようやな。」

 

 ビーストは拳を解くと大きく飛んで声がするのとは逆方向に大きくジャンプしていずこかへと消えていった。

 どこかビーストにホッとした様子があったのは気のせいだろうか。

 どやどや、と大人数でやってきたのはアライさん。フェネック。博士助手にサーバル。そしてかばんであった。

 やって来た6人も思わぬ場面に息を呑む。

 制服姿のともえが倒れて動かず、ミラーシェードの割れたクロスナイトも地面に倒れ、どうにか立ち上がろうとしてる。

 

「ともかく、ここにはもうすぐ他の人たちも騒ぎを聞きつけてやってくると思います。ともえさんとイエイヌさんを落ち着ける場所に運んで手当しましょう。」

 

 かばんの言葉に今はそれが最善だ、と頷く萌絵。

 だが、その次の行動はどうしたら最善になるのか全く思いつかなかった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 かばん達の手によって一旦保健室へ運ばれたともえ達。

 どうやらルリとユキヒョウ、そしてアムールトラも入れ違いで既に保健室を出た後だった。

 怪我人は二人。

 イエイヌとともえである。

 イエイヌの怪我の方はそこまで大したものではない。

 ところどころすりむいたりしているものの、消毒して手当をしておけば特に問題はないものだった。

 問題はともえの方だ。

 ラモリさんの診断によると、肋骨が折れてしまっていた。

 幸いにも折れた骨が内臓を傷つけるような事態にはならずに済んだ。

 だが、軽傷というわけでもない。

 もしもガードが遅れていたら、と思うとイエイヌの顔からは血の気が引いた。

 ともかく、ともえは絶対安静、ということで家に帰る事になった。

 別に歩けないわけではないけれど、ちょっとした事で軽い痛みが走る。

 腕などをあげたりしたらさらに痛い。

 ともえはとても戦える状態には見えない。

 

「いやぁー。漫画とかで、今のでアバラの2、3本はイッちまったか、とかいうセリフあるけど実際こんな感じなんだね。」

 

 ともえは割と明るく振舞っていたものの、何せ初めての敗北だ。一緒に家路につく萌絵もイエイヌもラモリさんも雰囲気は暗かった。

 帰宅後、ちょっと休むとベットに入ったともえはすぐに眠りこけた。

 もしかしたら痛みを我慢していたのかもしれない。

 イエイヌはそんなともえの眠るベットサイドを片時も離れようとしなかった。

 ともえの寝顔を見ながら色々な考えが過るイエイヌ。

 

「わたしは…。わたしはまた守れなかった…。」

 

 まず浮かんだのはそれだ。

 自分がもっと強ければともえはこんな痛々しい姿を見せずに済んだのだ。

 と、こんな事態になってイエイヌはこちらの世界に来てからずっと心のどこかに引っかかっていた感情に気づいてしまった。

 それは後悔だ。

 確かに自分は寂しさに負けてこちらの世界に来る事を選んでしまった。

 それは今まで貫いてきたヒトの帰るおうちを守る、という信念が折れてしまった、という事でもあったのだ。

 かつて戦ったビーストに2度目の敗北を喫した事でそれがイエイヌの心に浮き彫りになってしまっていた。

 たとえ今がどんなに幸せであったとしても、それで拭えるものではなかった。

 

「こんなわたしがともえさんと萌絵さんのそばにいたらダメだったんだ。」

 

 悔しさに拳を握りしめるイエイヌ。

 

「こんなわたしのご主人様になってくれる人なんているわけなかったんだ…。」

 

 ビーストを相手にかつてヒトの子供を守れず、今またともえを守る事も出来なかった。

 それはひどくイエイヌの心に暗い影を落としていた。

 だが幸か不幸か落ち込んでいる暇はなかった。

 イエイヌには次にアムールトラが何をするつもりなのかよく分かっていた。

 もしも自分が逆の立場であったなら、必ずそうするだろうから。

 そう。

 手負いにした獲物が巣穴に逃げたなら次はその巣穴に出向いて狩るのだ。

 そしてそうなればイエイヌに勝算はない。

 どうしよう、どうすればいい、せめてともえと萌絵と春香の三人は守らないと。

 でもどうやって。

 無理だ。

 ビーストには勝てない。

 逃げようにもともえは今まともに動かせない。

 助けだって期待できない。

 かばん達クロスシンフォニーに助けを求めたってともえが戦える状態ではないのだから結局同じ2対1だ。

 犠牲が増えるのがオチだろう。

 ぐるぐると思考が渦巻くイエイヌ。

 妙案なんて思いつくわけもなく八方塞がりに思えた。

 そんな時…

 

「へーい、かわい子ちゃん。そんなしょぼくれた顔してちゃせっかくの可愛いお耳と尻尾が台無しだよ。」

 

 イエイヌの思考を破ったのはいつの間にか目を覚ましていたともえだった。

 

「ともえさん…。」

 

 こちらの世界に来てから初めて声を掛けられた時と同じセリフにイエイヌも顔をあげる。

 するといつもの笑顔を浮かべたともえと目が合う。

 たったそれだけで今までの暗い感情が吹き飛んでしまったかのように思える。

 

「ねえ、イエイヌちゃん。」

 

 ともえはイエイヌを真っ直ぐに見ながら続ける。

 

「イエイヌちゃんがアタシ達と一緒にいるのに理由なんていらないよ。だってアタシ達って家族でしょ?」

 

 その言葉に思わず

 

「え?」

 

 となるイエイヌ。その反応にともえも…

 

「え?」

 

 となってしまっていた。

 

「うん。アタシもイエイヌちゃんはアタシの可愛い妹だって思ってたよ。」

 

 いつの間に来ていたのか、萌絵がイエイヌの後ろに立っていた。

 イエイヌのそばにジャパリまんの入った器を置きながら、違うの?と言いたげなキョトンとした瞳をイエイヌに向ける。

 そして振り返ればともえも全く同じ瞳をイエイヌに向けていた。

 

「そうか…。」

 

 と気づいたイエイヌ。

 ともえも萌絵も自分に対して最初から家族として接してくれていた。

 だが自分はどうだったろうか。

 ずっとこの家の居候。そのくらいのつもりではいなかったか。

 そしてともえと萌絵を自分の仮の飼い主くらいに思っていなかったか。

 そして今ともえが言ってくれた家族という言葉はご主人様という言葉よりももっともっと暖かく響いた。

 何か時々ともえと萌絵といて少しだけ違和感があったのはそれだったか、と思い至るイエイヌ。

 自分はなんてバカだったんだろう、とイエイヌの口が少しだけ笑みの形を作る。

 さすがにそれをそのまま言うのは何だか二人に申し訳がない気がしたイエイヌ。かわりにこんなセリフが口をついた。

 

「あー。いえ。萌絵お姉ちゃんを萌絵お姉ちゃん、と呼ぶのには抵抗がないんですが、ともえちゃんをともえお姉ちゃん、と呼ぶには若干の抵抗があるといいますか何と言いますか。」

 

 このイエイヌの物言いに萌絵がぷっ、と吹き出した。

 

「わかる。ともえちゃんって妹みが強いからねえ。」

「ええー!?萌絵お姉ちゃんもイエイヌちゃんもヒドくない!?」

 

 思わず抗議の声をあげるともえ、しかし声が折れた肋骨に響いて思わずアタタ、と黙り込む。

 

「だ、だいたい萌絵お姉ちゃんから見てアタシの妹感が強いのは萌絵お姉ちゃんがお姉ちゃんだからでしょ。」

 

 とほっぺたを膨らませてみせるともえ。

 

「って言ってるけどイエイヌちゃんはどうかな?」

「うーん。ともえちゃんってほっとくと何をするかわからないハラハラ感があると言いますか…目が離せない感があるといいますか…。」

「あ、それわかるー。」

 

 とほっぺた膨らませたともえを無視して盛り上がる萌絵とイエイヌ。

 

「もう―!二人ともヒドイよぅ!」

 

 とうとう上半身をベットから起こしたともえ。両手をぶんぶんと抗議しはじめた。

 イエイヌはそんなともえと、そして萌絵も巻き込む形でガバリと抱き着く。

 

「でも嬉しいです。ともえちゃん、萌絵お姉ちゃん。大好きです。わたし、幸せです。」

 

 抱き着かれたともえは骨折の痛みで顔を青くしていたが、ここで音を上げてはますます妹みが強くなってしまうとやせ我慢だ。

 そしてイエイヌも覚悟が決まった。

 群れは、家族は、たとえ何にかえても守らなくてはならない。

 だからビーストと…いや、アムールトラと戦う、と。

 信念が折れているからどうした。

 相手が強いからどうした。

 それは家族を守らない理由なんかになるわけがない。

 けれど…。

 

「どうしたの?イエイヌちゃん。」

 

 再び暗くなった表情を見逃さずに訊ねる萌絵。

 

「いえ…。その、アムールトラと戦って、そして仮に勝ったとして…。その先どうすればいいのか…。」

 

 そう。

 仮にアムールトラに勝ったとしてともえと萌絵の平穏な生活の為にはルリを排除するしかない。

 それをしてしまったら自分は家族と笑いあって暮らせるのか…。とイエイヌの心に再び暗い影が落ちる。

 

「それなんだけど、なんでアタシ達ってアムールトラちゃんと戦わないといけないの?」

「……へ?」

 

 ともえの純粋に疑問をぶつけるような眼差しにイエイヌは思わず変な声が出た。

 

「だ、だってルリさんはセルリアンなんですよ?」

「うん。そうだね。」

「しかもセルリアンを生むセルリアンなんですよ?」

「うん、そうみたいだね。」

 

 自分と二人の反応にどうにも温度差があるなあ、と違和感を感じるイエイヌ。

 もしかして、さっきと同じように何か認識に大きな祖語があるのではないだろうか、と思い至る。

 イエイヌにとっても、そしてアムールトラにとってもセルリアンというのは見つけ次第戦うか逃げるかしか選べない天敵だ。

 共に生きるなど思いもつかない選択肢なのだ。

 けれど、この世界に生きてきたともえと萌絵にとってはどうなのだろう。

 

「あ、あの…。ともえちゃん。萌絵お姉ちゃん。ルリさんの事、どうしたらいいと思いますか?」

 

 そのイエイヌの疑問に二人は同じポーズで腕を組んで考え込む。

 

「うーん。セルリアンを生み出すっていうのが問題だよね。」

「そうだねえ。そこを何とかしたら普通に暮らせると思うんだけどねえ。」

 

 ともえの言葉にうんうん頷きながら返す萌絵。

 それはかなり意外な答えだった。

 ルリを排除する、という選択肢は最初から存在していないかのように考えを巡らせているともえと萌絵。

 その様子にだんだんとイエイヌの心にも希望が湧いてきた。

 それを確かめるようにイエイヌはさらに二人に訊ねる。

 

「ええっと…。お二人はルリさんと一緒にこれからも学校に行っても平気…ってことですよね。」

「「もちろん。」」

 

 と即答するともえと萌絵。

 

「だってルリちゃんってアムールトラちゃんやユキヒョウちゃんとめちゃめちゃ仲良く暮らしてるもん。」

「そうそう。アタシ達が今まで倒して来たセルリアンとは全然違うよ。」

 

 その言葉にそうだ、と思い直すイエイヌ。

 セルリアンだから排除しなくてはならないというのは思い込みだった。

 アムールトラとユキヒョウと友達になれたルリだからこそ一緒に生きていいのだ。

 ということは…。

 イエイヌは萌絵の両肩をガシリと掴む。

 

「萌絵お姉ちゃん!ルリさんが普通に暮らせるように何とかなりませんか!?」

 

 ひどい無茶ぶりだ、とは自分でも思うイエイヌだったが頭脳明晰な萌絵だったら何かいいアイデアがあるんじゃないだろうか、と藁にも縋る思いでその肩をゆする。

 

「あー……。相当無茶だけど、なくはないよ。無茶するのアタシだけど…。」

 

 と、ほっぺポリポリする萌絵。

 

「お願いします!萌絵お姉ちゃん!」

 

 必死な様子のイエイヌに、萌絵は一つ嘆息すると…腕まくりをしてみせて。

 

「お、お姉ちゃんに任せなさい!」

 

 と傍目に見てもわかるくらいの安請け合いをするのだった。

 萌絵の額に冷や汗が浮かんでいるのを見逃さなかったともえであるが、姉の名誉の為に心の中にしまい込む。

 ここまで妹に頼られたら何がなんでも意地を張るのが萌絵だった。

 ともえにとって、そんな萌絵はやっぱりお姉ちゃんなのだ。

 そして、イエイヌはというと帰宅時とは比べ物にならない晴れやかな表情になっていた。

 その顔を見れただけでも意地を張った甲斐もあるというものだ、と萌絵は密かな満足を覚える。

 

「そうしたら…やる事は決まりました。」

 

 アムールトラとイエイヌはどこか似ている。

 だから逆の立場だったらイエイヌはアムールトラと同じ事をしただろう、と思える。

 そして、アムールトラはルリの為に決して止まったりしないだろう。

 言葉で説得するのは無理だと思えた。

 だから、イエイヌに出来る事は一つしかない。

 それは生まれて初めてやる事だけれどやるしかない。

 今まで生きてきた全てを賭して為さねばならないのだ。

 

 決意と共にイエイヌは萌絵が持ってきたジャパリまんを両手に一つずつ掴むと無理やり口の中にねじ込む。

 腹が減っては戦はできない。お行儀は悪いがまあ仕方ない。

 そして乱暴に咀嚼後飲み下して…、

 

「げほっ!?げほっ!?」

 

 むせた。

 慌ててイエイヌの背中をさする萌絵。

 

「もうー。慣れない事するから…。」

 

 萌絵は少しばかりの呆れと共にイエイヌの背中をさすっていた。

 だがイエイヌはこれからもっと慣れない事をするのだ。

 萌絵に礼を言うとスクリと立ち上がるイエイヌ。

 

「じゃあ、わたし、ちょっと行ってきます。」

 

 きっとアムールトラが来るのはもうすぐのはずだ。

 だからイエイヌは行かなくてはならない。

 ともえと萌絵を守るのはもちろん、アムールトラだって止めなくてはならないのだから。

 

「だから、言ってくれませんか。いってらっしゃいって。」

 

 ともえと萌絵の二人はイエイヌの視線を受けて頷きあう。

 二人にはまだイエイヌが何をするつもりなのかは量りかねていた。

 それでもその表情を見ればイエイヌが何か大事な事を為しにいくのだろう、と思えた。

 心配ももちろんあるが、それを止めるばかりが家族ではない。

 

「「いってらっしゃい。」」

 

 だから二人で精一杯の頑張れを込めていってらっしゃいを言う。

 そんな二人の気持ちを受けてイエイヌもまた頷く。

 

「萌絵お姉ちゃん。ともえちゃん。いってきます。」

 

 言って部屋を出ていくイエイヌ。

 おそらくそのまま外へと行くのだろう。

 言葉でアムールトラを説得するのは難しい。

 だから、イエイヌは自分の意見を通す、その為に…

 

 これから

 

 生まれて初めて

 

 

 

 友達と喧嘩をする。

 

 

 

―中編へ続く






【セルリアン情報公開】

第7話登場セルリアン

巨大整地用ローラー型セルリアン『コンダラセルリアン』

 手押し式整地用ローラーに取りついたセルリアン。
 目は持ち手部分の真ん中についており、『石』はローラー頂点部分の中央にある。
 ローラーを回転させて進んだり、右半身と左半身でそれぞれ逆側にローラーを回転させてスピンするように方向転換をしたりと意外と機動力もある。
 さらに元がとても固い整地用ローラーだけに防御力に優れている。
 戦えば戦うほど地面を平らにならしていき、自身のスピードもアップさせるが、反面、デコボコした地面を見るとついつい平らにならさずにはいられない習性がある。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話『騎士と野獣』(中編)

【用語解説:野生解放】

 野生解放とはフレンズ達が使う共通技である。
 獣としての本能を呼び覚ます事で元の動物に応じて能力が強化される。
 野生解放中は瞳に強い輝きが宿り一目で野生解放中とわかる。
 サンドスターを大量消費するが、野生解放による強化は凄まじく、まさに多くのフレンズにとって切り札とも言うべき技だ。
 なお、本作中でともえ達が暮らす世界のフレンズはヒトとかなり近くなっている為、野生解放が使えるフレンズもまた存在しない。
 


 

 アムールトラは既に日も沈もうとしている街を一人歩く。

 あの後、アムールトラは保健室で大分落ち着いたらしいルリを背負って家路についた。

 ルリがあそこまで大量の“セルリウム”を生み出したのは初めての経験だった。

 それまでも“セルリウム”からセルリアンが生まれる度にアムールトラはそれを駆除してきた。

 それでも見落とし、見逃しもあった。

 結果、ルリの生活圏を中心に極端にセルリアンの出現率が上がってしまっていたのだ。

 本当は、その後始末をしてくれていたクロスハートにもクロスナイトにも感謝の気持ちがあった。

 けれど…。

 ルリがセルリアンを生み出すセルリアンである事がバレてしまった以上、彼女達はルリを排除しようとするだろう。

 ならば戦うしかない。

 

「ルリはウチの命の恩人やからな。」

 

 何故アムールトラがこれ程までにルリを守ろうとするのか。

 それは彼女がこちらの世界に来た直後、ルリの小さな背中に背負われてたどり着いた先の家での出来事を語らなくてはならない。

 アムールトラはそこで後に自分の保護者となってくれる女性から傷の手当を受けた。

 その後、自分の身に何が起こったのかを彼女から聞く事となった。

 

『へえ。珍しいね。元ビーストだなんて…。』

 

 その女性はアムールトラの身体に何か計器のようなものを当てながら続けた。

 

『キミのビースト因子は既に殆ど残っていない…。一度ビースト化したなら元に戻れる可能性は極めて低いのに…。』

 

 ふむふむ、とアムールトラ自身に聞かせるというわけでもなくその暗緑色の癖っ毛をした女性は独り言のように続ける。

 

『そうか。ルリがキミのビースト因子を喰ったわけか。なるほどこれならビースト化が解けたのにも納得がいく。』

 

 そしてアムールトラはふと気が付く。

 先程自分を運んでくれた小さな女の子が寝ている自分のおなかあたりに頭を乗せてベットサイドで寝こけている事に。

 

『これならキミは今後、普通のフレンズとして生きていく事が出来るだろう。』

 

 それまでのアムールトラには殆どハッキリとした記憶はない。

 ただ、泥の中でもがいているような悪い夢でも見続けていたような気がする。

 そんな夢の中で彼女はその泥を振り払おうとただただ暴れていた。

 眠ったらまたあの泥の中をわけもわからず這い回る悪夢に引き戻されそうな気がして今一つ眠る気にならなかったアムールトラ。

 

『気持ちはわかるがね。これからはもうそんな事はない。だから安心して眠りたまえ。』

 

 それを暗緑色の髪の女性は見抜いたのかそんな事を言う。

 

『そして、ルリにも感謝するといい。ビースト因子を喰うなんて、ルリにとっては毒を食うようなものだからね。』

 

 その言葉に大きく目を見開くアムールトラ。

 この小さな女の子は自分の為にそんな事をしてくれたのか、と少女の頭を撫でる。

 

『さて、多少困った事になった。ルリには出来る限り早急に“輝き”を補充してやらなくてはならない。』

 

 よくわからない事を言い始めた暗緑色の髪の女性にアムールトラはもう少しわかりやすい説明を求めた。

 

『そうだね。キミの身体にあった毒をルリが引き受けたわけだが、それを放出する際に今まで貯めた“輝き”をも放出してしまったわけだ。』

 

 つまり、ルリは自分を助ける為に毒を喰らって、それを体外に放出する為に身体に貯め込んでいた栄養をも手放したというのだ。

 

『だから近いうちに街に引っ越そうと思う。本来ならもうしばらくはこの山奥で暮らしたかったがね。』

 

 街に行けばまたルリの栄養ともいうべき“輝き”が手に入る、と女性は言った。

 このままでいけば遠からずルリは栄養を使い切り飢えてしまうであろう事も。

 

『後で落ち着いたらきちんと説明をしよう。だからキミにはルリを守ってやって欲しい。』

 

 そういう暗緑色の髪をした女性にアムールトラは即答した。

 もちろんだ、と。

 その後、ルリがセルリアンであること。

 本人にその自覚はないこと。

 ルリが“キラキラ”と呼ぶ“輝き”を取り込んで“セルリウム”に替えてしまうこと。

 様々な衝撃の事実を知ってしまった。

 だが、それでもアムールトラのルリを守るという決心は揺らぐ事はなかった。

 世界がこんなにも美しい事を教えてくれたのもルリだったし、誰かとお喋りする楽しみを教えてくれたのもルリだったし、美味しい料理を食べる楽しみを教えてくれたのもルリだった。

 アムールトラにこれらをくれたのはルリだった。

 アムールトラにとってルリは全てと言っていい。

 だからこそ、彼女は絶対にルリを守るとそう誓ったのだ。

 

「せやから何があったってルリは守る。安心しとき。」

 

 学校から家に帰ってからも眠り続けていたルリ。

 おそらく、無意識のうちに“セルリウム”の放出を抑えようとしていたのだろう。

 そして溜まった“セルリウム”がとうとうあふれ出したのがさっきなのだ。

 一度溜まったものを吐き出したからか、ルリの容態は目を覚まさない以外は至ってよさそうに思える。

 そして今はユキヒョウだってそばについていてくれる。

 だから自分はやるべきことをやらなくてはならない。

 ともえ達の家へと向かう道すがら、公園の前に差し掛かったアムールトラ。

 ふ、と思い至ったかのようにその中に足を踏み入れる。

 既に夕暮れも間近の公園はチラホラと街灯も点灯しはじめていた。

 この公園はかつてイエイヌがともえと出会った場所でもあり、こちらの世界で初めてセルリアンと戦った場所でもある。

 非常に広い大きな公園で昼間はたくさんの人で賑わっている場所だ。

 だが、この時間にはすっかり人気もなくなって公園の中にはアムールトラ一人なんじゃないだろうか、と思えた。

 いや、もう一人公園にやって来た。

 それは…。

 

「よう。イエイヌ。」

「ええ。こんばんわ。アムールトラ。」

 

 イエイヌだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 お互いにお互いが来る事は予想通りだった。

 しかし、アムールトラにとっては少しばかり嬉しい誤算が一つ。

 イエイヌの表情が随分と落ち着いている事だ。

 アムールトラには分かる。

 それは戦う決意をした戦士の表情だ、と。

 悲しまれたり憐れまれたり憎悪の表情を向けられる覚悟すらしていたのだから遥かにマシな顔を向けられて少しばかり嬉しくなってしまう。

 そして…。

 

「もう、ウチが何をしに来たかは分かってるようやな?」

「ええ。わたしが貴女だったなら同じようにしたでしょうから。」

 

 そう。

 アムールトラはクロスハートを排除することを諦めていない。

 そして、イエイヌ…クロスナイトの事も。

 彼女達はこの世界における数少ないルリの天敵…、セルリアンハンターとも言うべき存在だ。

 そしてルリがセルリアンを生むセルリアンである事も知っている。

 戦わないわけにはいかない。

 

「アムールトラ。最後にいいですか。」

「おう。」

 

 今度はイエイヌがアムールトラに言う。

 

「アムールトラ。わたし達と一緒にルリさんが普通に暮らせるようにしませんか。」

「どうやって。」

 

 その疑問にイエイヌはゆっくりと被りを振る。

 

「わかりません。ですがわたし達には萌絵お姉ちゃんがいます。ともえちゃんもいます。」

「おう。せやからどうした。」

「かばんさんもいます。サーバルさんも。それにヘビクイワシさんやゴマさんだって事情を話したら絶対協力してくれます。オイナリ校長先生の会のみんなだって。」

 

 イエイヌの言葉にアムールトラは落胆の表情を浮かべる。

 そんな事はとっくの昔に何度も考えた。

 けれど、彼女にはそんな方法を見つける事は出来なかったのだ。

 だからそんな夢物語のような甘い考えを一言で切り捨てる。

 

「子供に何が出来る。」

 

 一言で切り捨てたアムールトラに対してイエイヌの表情は変わらず静かなままだった。

 

「でしょうね。逆の立場だったならとても信じられないでしょう。」

 

 断られる事は想定内。だからリアクションも薄いのか。と納得のアムールトラ。

 そしてイエイヌは一歩を踏み出す。

 

「ですから、貴女に信じさせますよ。力づくで。」

 

 ぐい、と拳を持ち上げ示してみせるイエイヌ。

 

「……ハッ!面白いやないか…!やれるもんなら…」

 

 獰猛な笑みと共にビーストドライバーを取り出すアムールトラ。

 

「やってみい!」

 

 吠えつつ右手に持ったビーストドライバーの一つを左腕に装着。

 

―Beast

 

 の文字が手枷に浮かび、続けて左手に持ったビーストドライバーを右腕に装着。

 

―Drive

 

 の文字が手枷に浮かぶ。

 

「ビーストドライブ!」

 

 烈風がアムールトラを中心に巻き起こり、そうして彼女を黒いオーラを纏ったビーストへと変化させる。

 彼女の中にわずかに残ったビースト因子を活性化させ制御するのがビーストドライバーの役割なのだ。

 

「で。そっちは変身せえへんの?」

 

 そのくらいの時間は待ってやる、とでも言いたげなアムールトラことビースト。

 しかしイエイヌは変身の代わりに指を二本立てて示して見せる。

 

「わたしが変身しない理由は二つあります。」

 

 ハテナマークを浮かべて訝しむビースト。

 

「一つは、わたしの変身はしてもしなくても強さに大差はありません。」

 

 そして指を一つ減らして人差し指を残して続けるイエイヌ。

 

「そしてもう一つ。今から貴女と喧嘩するのに正体を隠すだなんて…お行儀悪いでしょう。」

 

 その言葉に面食らったように一度キョトン、とするビースト。

 その後片手で目元を覆いくつくつ、と忍び笑いを漏らす。

 

「せやなあ!こいつは一本とられたわ!」

 

 まだくつくつ、と笑いが治まらない様子のビースト。

 

「やっぱウチ、イエイヌの事好きやわ。」

 

 ビーストはあまりに笑い過ぎたのか目元の涙を拭っていう。

 

「ええ。わたしもですよ。アムールトラ。」

 

 それは偽らざる二人の気持ちだった。

 

「せやけど、心意気だけではウチには勝てへんぞ。言っとくがウチは遠慮なくビーストドライバーを使わせてもらうで。」

「ええ、かまいません。こちらにも切り札はありますから。」

 

 応えてイエイヌはザッと構えをとる。

 いま、イエイヌの本能は叫んでいる。

 

―群れを守れ。と。

 

 だからこの気持ちに火を入れる。イエイヌの青い右目に青い炎が宿る。

 

「野生…!」

 

 そしてイエイヌの理性は叫んでいる。

 

―家族を守れ。友を守れ。と。

 

 だから同じくその気持ちにも火を入れる。

 するとイエイヌの金色の左目に金色の炎が宿る!

 

「解放ッ!!」

 

―ゴウッ

 

 と巻き起こった烈風はビーストが変身した時と遜色ない。

 これがイエイヌの野生解放だった。

 本能と理性の両方が揃ってはじめて出来るイエイヌだけの技なのだ。

 いま、イエイヌから立ち上るサンドスターのオーラはビーストに十分匹敵する。

 

「はじめる前に一言だけ。大好きですよ。アムールトラ。」

「ああ。ウチもやで。」

 

 それを合図に互いに踏み込み。

 一瞬でお互いの距離が詰まる。

 ビーストが拳を振りかぶり、そして振り抜く!

 その一撃はイエイヌの顔面を横から打ち抜いた。

 両足を踏ん張りその一撃をガードすらせずに顔面で受け止めるイエイヌ。

 イエイヌの口の中に鉄の味が広がる。

 だが、それだけだ。

 野生解放したイエイヌの防御力はビーストの一撃に十二分に耐えられる。

 

「わざと喰らったか?」

 

 一撃を放った体勢のままイエイヌを睨みつけるビースト。

 

「ええ。」

 

 殴られた頬を手の甲で軽く拭いつつ応えるイエイヌ。

 ビーストの胸には軽い怒りがあった。

 ガードすらしないなんてどういうつもりなのか。まさか手加減でもするつもりかと視線で問う。

 

「わたしは昼間に一度。そして以前住んでいた世界でも一度、合計二度も貴女に負けています。」

 

 ビースト、いやアムールトラにとって昼間の事は記憶に新しいがもう一度、というのは記憶にない。

 おそらくビーストとして暴れまわっていた頃にイエイヌにも遭遇して迷惑をかけてしまったのだろう。

 アムールトラはそれに心苦しい想いがないではなかった。

 だが、それが今どうして関係あるのか。

 

「だから、まあ…。その負け分のハンデとして先手くらいは譲ってもいいかな、と。」

 

 それでビーストは理解した。

 イエイヌが仕掛けているのは命の奪い合いではなく喧嘩なのだ、と。

 喧嘩をする、という宣言はハッタリでも何でもなかったのだ、と。

 何故かよくわからないがビーストの心はそれを嬉しい、と感じていた。

 

「じゃあ、次はわたしの番ですね。」

 

 イエイヌは腰の捻りを加えてフック気味にアムールトラの顔面に横合いから拳を叩きこむ。

 当然、これはかわす事もガードする事も出来ない。

 いや、ビーストはそれを出来ないのではなく、しなかった。

 先程のイエイヌと同じように両脚を踏ん張り歯を食いしばってその拳を受ける。

 

―ゴンッ!

 

 と凄まじい音が響いて思わずビーストは1歩、2歩と下がってしまう。

 野生解放したイエイヌの拳は思った以上に重たかった。

 

「やるやないか…。けどお!!」

 

 次はビーストの手番。アッパー気味に放った拳がイエイヌの腹に突き刺さる。

 

「力比べでウチに勝とうなんて無謀過ぎるんとちゃう?」

 

 たしかに、いくら野生解放しているとはいえ、アムールトラとイエイヌではパワーはアムールトラに分がある。

 ましてやビースト化している今ではこの殴り合いは無謀としか思えない。

 身体がくの字に折れて顔が下がるイエイヌ。

 しかし、イエイヌはそこから左手をポム、とビーストの肩に乗せると…。

 

「余計な……お世話です!」

 

 右の拳を渾身の力を込めてビーストの腹に突き刺した。

 同じようにアッパー気味に突き刺さった拳はビーストの身体を一瞬宙に浮かせたようにすら見える。

 

「だいたいですね、アムールトラ。貴女はこうでもしないと納得しないでしょう。」

 

 確かに、イエイヌの言う通り、仮に負けたとしてもビーストはクロスハートを狙うのを諦めたりしないだろう。

 だから、これはビーストの…、いやアムールトラの心を折る為の戦いだったのだ。

 

「こんなもんで納得なんかするかい!」

 

 今度はビーストのストレートが放たれてイエイヌの顔面を捉える。

 たまらず1歩を下がったイエイヌであったが2歩目で踏みとどまる。

 

「この頑固者っ!」

 

 さらに野生解放した瞳の炎を大きく燃やし、イエイヌのアッパーカットがビーストの顎を捉える。

 数歩たたらを踏んで下がるビーストであったが…

 

「イエイヌにだけは言われとうないわ!」

 

 そこからビーストの拳が再び唸りをあげる。

 再びかわすこともガードする事もなく受け止めるイエイヌ。

 

「このわからず屋!」

 

 今度はイエイヌの手番。全力で振るわれる拳をやはりビーストは同じようにノーガードで受け止める。

 

「なら、そっちは生真面目優等生か!?」

 

 と、ビーストが反撃の拳を振るう。

 

「そっちなんて面倒見よくて気配り上手じゃないですか!」

「ハッ!そっちはいつでも一生懸命で優しいヤツやないか!」

「優しいのはそっちでしょう!」

 

 言う度に攻守を入れ替えて拳を振るい続けノーガードで受け合うイエイヌとビースト。

 どんどん加速度的に生傷が増えていく。

 そうして、先に音をあげたのはビーストの方であった。

 

「ちょ、ちょっとタンマ。」

「どうしました…。」

 

 お互いに肩で息をしながら少しの小休止。

 

「なんで途中からお互いの事を褒めとんねん!?ウチら喧嘩中や!?」

 

 ビーストは思わずツッコミを入れてしまった。

 

「ごめんなさい。わたし、友達と喧嘩するのって初めてで…。」

「ウチも初めてやけどコレは絶対違う気がするで!?」

 

 とはいうものの、不思議な事に楽しくて仕方がなかった。

 痛くて辛くて苦しいはずなのに、なんでかわからないけれども楽しいのだ。

 けれど、このまま楽しく殴り合うわけにもいかない。

 イエイヌはともえと萌絵たちの命を、ビーストはルリの命をそれぞれに賭けているのだ。

 

「(認めるしかない。イエイヌ…。コイツは強い。)」

 

 ノーガードでの打ち合いというビーストにとっての独壇場だったはずの喧嘩で、むしろ優勢なのはイエイヌの方だった。

 打たれても打たれても全然へこたれる様子がない。

 野生解放で底上げされているのは攻撃力や防御力ももちろんそうだ。しかし、一番強化されているのはイエイヌ最大の特徴である体力と持久力だった。

 パワー比べだったら確かにビーストの勝ちだっただろうが、我慢比べに持ち込んだいま、優位なのはイエイヌである。

 ビーストは胸中で根競べの負けを認めた。

 だが、この喧嘩自体の負けを認めるわけにはいかない。

 ビーストは拳を振りかぶるとそれを地面へと叩きつける!

 

―ゴォッ!

 

 と土煙が巻き上がってビーストの姿を一瞬隠す。

 その一瞬でイエイヌの背後へと回ったビーストは黒いオーラを固めた必殺の拳を放つ。

 それは今まで繰り出してきたものとは桁外れの威力を持つ一撃だ。

 たとえ野生解放したイエイヌであっても無事ではすまないだろう。

 そして、背後をとられたイエイヌはまだ振り返る事すらなく反応できていない。

 

「(とった!)」

 

 と確信するビースト。

 そのまま無防備なイエイヌの後頭部に向けて必殺の拳を振るう!

 が…。

 ひょい、っとお辞儀をするようにイエイヌが頭を下げた事でその一撃は空振りに終わる。

 まるで後ろに目があるかのようなこの動きに、警戒したビーストは思わず一度大きく距離をとる。

 

「見よう見まねマグネティックサーチです。」

 

 本来『マグネティックサーチ』はキタキツネフォームの技だったはずだ。

 だが野生解放したイエイヌの鋭敏な感覚器官は不完全ながらも『マグネティックサーチ』を再現していた。

 『マグネティックサーチ』は磁場すら感じとるというキタキツネのように、周囲の状況を把握する索敵技だ。この程度の目くらましなど意味がなかった。

 そして今度はイエイヌの手番である。

 

「あぁああおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

 

 イエイヌは天に向かって高らかに遠吠え。『ウォーハウリング』を発動させた。

 一時的に身体能力をあげる効果があるものの、それは野生解放の完全な下位互換だ。

 だが、『ウォーハウリング』にもたった一点だけだが野生解放に勝る点がある。

 それは、野生解放にさらに効果が上乗せできるという事だ。

 さらに身体能力を向上させたイエイヌ。

 大きくジャンプしてビーストの頭上をとると…

 

「見よう見まね!スタンプビィトォオオオオオッ!」

 

 そこからマシンガンのように連続キックを叩きこむ!

 それはまさにヘビクイワシフォームの必殺技、『刻み込む蹴撃・スタンプビート』だった。

 繰り出す型は洗練されたものではないが、それでも限界まで引き上げた身体能力から繰り出される連続踏みつけは本家のそれと変わらぬ威力を持っているように思えた。

 ビーストは両手を交差させて蹴りの雨をどうにかガードする…が、そのガードもいつまでも保たない。

 たまらず、後方へと大きく飛んで蹴りの雨から逃れるビースト。

 イエイヌはビーストが逃れた事で蹴りの反動を失い、四つ足の構えで着地。

 そこから両手を支えに、お尻をクイ、と高く上げる。

 それはまさに陸上のクラウチングスタートの構えだった。

 

「見よう見まね…爆走!スピードスタァアアアアアッ!」

 

 クラウチングスタートから綺麗な加速でもってトップスピードに乗せたイエイヌはそのまま着地前で体勢の整わないビーストへと突撃。

 そのままスピードを緩める事なく……。

 

―ガンッ!

 

 とビーストの顔面に頭突きを叩きこんだ!

 思わぬ追撃にビーストの膝が崩れそうになる。

 が、イエイヌがグイ、とビーストの胸倉をつかみあげてそれを止める。

 

「だいたいですね!アムールトラ!」

 

―ガンッ!

 

 ビーストの胸倉を掴み上げたイエイヌの頭突きが再度ビーストの顔面に叩きこまれる。

 

「貴女、わたしやともえちゃんを倒してその先どうするつもりですか!」

 

―ガンッ!

 

 さらにもう一発頭突きを叩きこむ。

 

「その先あなたはどんな顔してルリさんの隣にいるつもりなんですか!」

 

―ガンッ!

 

 と、さらにもう一発。

 

「どうせ貴女の事だから全部ひとりで抱えるんでしょうけど…。貴女はその時笑っていられるんですか!」

 

―ガンッ!

 

 まだまだ終わらない、とばかりにもう一発。 

 

「どうせ貴女は気に病んで下手くそな作り笑いでもするんでしょう…。そんな顔するアムールトラなんて…そんなの…そんなのわたしが絶対許さない!」

 

―ガァァン!

 

 とどめ、とばかりに大きく頭を引いたイエイヌの頭突きがビーストへとクリーンヒット。

 それに、ああ、なるほど、とビーストは納得をしてしまっていた。

 イエイヌがこんなにも強いのは野生解放のせいだけじゃなかった。

 確かにイエイヌが見せている野生解放は本能と理性の両方から力を引き出した凄まじいものだ。

 さらに人類と共に生きて来たイエイヌという動物の学習能力の高さから繰り出される多彩な技も強力だ。

 だが強さの根本はもっと違うところにある。

 殴られても殴られてもへこたれることがないのは、いま喧嘩しているアムールトラ自身の事をも想っているからだ。とビーストは思い至っていた。

 そして、今言われた事が図星すぎて頭突き以上に痛かったりもしてしまった。

 

「(まったく。誰や。こいつにナイトって呼び名考えたの。ピッタリ過ぎや。)」

 

 正直とても嬉しい。

 あんなにヒドイ事をしたのに、それでもこんなにも想ってくれているのがとても嬉しい。

 そしてこんな自分の為にも信じられない程の底力を発揮してくれているのがとても嬉しい。

 まさに誰かの為にならどこまでも強くなる、おとぎ話の騎士のようじゃないか、と胸中で呟くビースト。

 だが…!

 

「そんなもん…。とっくに覚悟してるわっ!」

 

 ゴウ!とビーストの圧があがる。

 そして、その瞳がギラリ、と光を放った。

 

「野生…!解放ッ!」

 

 と、ビーストのその瞳に金色の炎が宿る!

 正直ビースト状態での野生解放なんてどうなるのか想像もつかない。

 それに、これほどの決意をもって自分を止めに来てくれたイエイヌならルリの事だって本当に何とかしてくれるかもしれない。

 しかし、それでもビースト…いや、アムールトラはそんな不確かなものにすがるわけにはいかなかった。

 彼女にだって意地というものがある。

 ルリの命運を不確かなものに委ねる事など…、まして自分以外の誰かの手に委ねるなど出来ない。

 そんな最後の意地を込めたビーストの野生解放は凄まじかった。

 

「ぐるぁああああああああああああああああああっ!」

 

 横なぎに振るわれたビーストの拳は一撃でイエイヌを吹き飛ばした。

 さらにそのイエイヌに追いすがるビースト。

 

「ああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 野獣の咆哮をあげつつイエイヌを掴むと地面へ叩きつけ、とどめ、とばかりにまるでサッカーボールのように蹴飛ばした!

 

―ダァン!

 

 と凄まじい音が響いて公園に植えられた樹へ激突してようやく止まるイエイヌ。

 服も泥だらけで最早ボロボロのイエイヌ。

 ビーストドライバーによるビースト化+野生解放という最後の最後になる奥の手はイエイヌの野生解放を上回った。

 最早ピクリ、とも動かないイエイヌ。

 どこか残念さを感じながらもビーストはイエイヌへと歩みよりとどめの一撃を加えようとする。

 

「イエイヌちゃん!」

「アムさん!」

 

 と、そこに声が響く。

 あらたに公園に現れたのは萌絵を伴ったともえと、そしてユキヒョウを伴ったルリであった。

 

「あー…。うん…。その、なんや。次はお前が相手って事でええんか?クロスハート。」

 

 あえて、ビーストはルリを無視した。

 彼女が何を言ったとしてもやる事はかわらない。

 イエイヌを倒した今、次の相手はともえ…、クロスハートである。

 

「ううん。違うよ。」

 

 しかし、それにともえは首を横に振る。

 どういう事だろう。ともえは戦うつもりがないのにここに来たというのか、と少しばかりの怒りがこみ上げる。

 願わくば、もうやめて、だとか、私たちが戦う必要はない、だとかそういう興ざめな事は言わないで欲しい、とビーストは思っていた。

 しかしともえの口から出た言葉は全くの予想外だった。

 

「だって、イエイヌちゃん。まだ負けてないじゃない。」

 

 そのともえの物言いにゾクリ、と冷たいものがビーストの背筋を走った。

 そしてゆっくりと振り返ったとき、そこには樹にもたれるようにしてボロボロになりながらも立ち上がるイエイヌの姿があった。

 瞳に宿る野生解放の炎は消えかけ、立っているのもやっと、といった様子のイエイヌ。

 だがその闘志にだけは陰りが見えない。

 

「わたしは、ここに、今まで色んな人たちと築いた絆も生きてきた全ても全部持ち込んだつもりでいました…。」

 

 静かな物言いのイエイヌ。ゆっくりとその顔があげられる。

 その視線は眼光鋭くビーストを射抜いていた。

 

「全部全部出し切ったって…そう思ってました。でも…さっきともえちゃんの声を聞いて思い出したんです。あと一つだけ、まだ出してないものがあるって…!」

 

 イエイヌは首もとのチョーカー、ナイトチェンジャーに触れると叫ぶ。

 

「変身!」

 

 カッ、とイエイヌの身体がサンドスターの輝きに包まれる。そして現れるのは腰までの短いマントに手足を覆う金属製の手甲にレッグガードをつけた騎士…

 

「クロスナイトッ!」

 

 である。

 今更変身などしてどうなるというのか、と訝しむビースト。

 だいたいにして、変身してもしなくても強さに大した差はない、といっていたのはイエイヌ…いや、クロスナイト自身ではないか。

 正体を隠す為に目元に装着されたミラーシェードを自ら外して投げ捨てるクロスナイト。

 あらわになったその瞳にはほんのわずかに野生解放の炎がまだ残っている。

 対するビーストもビースト化+野生解放は思っていた以上に身体に大きな負担がかかっていた。

 おそらく互いにあと一度の攻防が限界であろう。

 

「あ、アムさん…!」

 

 ルリはそんな彼女達を止めようと飛び出そうとするがユキヒョウに抱きしめられてそれを果たせなかった。

 

「あの二人は何を言ったところで止まらぬじゃろう。じゃから…今は見守るしかない。」

 

 事情はわからないがユキヒョウはそれでも二人の最後の攻防を見守る事にした。

 そしてそれはともえも萌絵も変わらない。

 イエイヌの張った意地を最後まで見届ける。その為にここに来たのだ。

 

 騎士と野獣。

 

 

 その最後の攻防が今、始まろうとしていた。

 

 

 

―後編へ続く

 

 

 




【用語解説:セルリウム】

 セルリウムとはけものフレンズ2において登場した物質である。
 これがサンドスターと共に火山から吹き出しているのだが、セルリウムが何かに付着する事でその特性をコピーしてセルリアンへと変化する。
 外見は黒くドロドロした液状のように見える。
 本作中ではサンドスター・ローと非常によく似た性質をもつが似て非なる物質として扱う。
 サンドスター・ローは空気中に放出されたままのものであるが、セルリウムは何らかの原因でサンドスターが変化したものである。
 つまり、サンドスター・ロー→サンドスター→セルリウムという変化をする場合がある。
 またセルリウムはセルリアンが砕かれた際にサンドスターへと変換される性質をもつ。
 セルリアンが砕かれた後にキラキラとしたサンドスターの輝きが見えるのはその為だ。
 サンドスターは何らかの原因でセルリウムへ変化する事もあるし、セルリウムがサンドスターへ変化する場合もある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話『騎士と野獣』(後編)

【前書き】

このお話で、けものフレンズRクロスハートは第1章完結とさせていただきます。
この場を借りて、アイデアなどを貸して下さった皆様にあらためてお礼申し上げます。
第2章の構想などはまだなので、開始が少し遅れるかもしれません。
年明け辺りを目途に第2章開始できたらいいなあ、と思っています。

ここまでお付き合いいただきました皆様、あらためてありがとうございます。
第1章の結末がどうなるのか、是非お楽しみ下さい。
それではよろしくお願い致します。



 

 既に日も落ちて街灯の明かりの中、騎士と野獣が対峙する。

 ともえと萌絵、ルリとユキヒョウがそれぞれに見守る中、クロスナイトとビーストの最後の攻防が始まろうとしていた。

 4人の見守る中、先に動いたのはビーストだった。

 その手に凄まじい量のサンドスターを集める。

 そしてジャキリ、と大きく爪を伸ばす。

 それは猫科特有の鋭い爪だった。

 これで繰り出す斬撃は如何ほどのものか、想像すらつかない。

 対するクロスナイトも左腕にサンドスターの輝きを集める。

 

「いくで…クロスナイトぉおおおおおおおおおおっ!」

 

 咆哮を上げつつクロスナイトへと野獣の爪を振るうビースト。

 対してクロスナイトはサンドスターを集めた左腕をガードにあげた。

 

「そんなもん…腕ごとバッサリやで!」

 

 ビーストの爪の一撃は間違いなくそれだけの威力を秘めていた。

 しかし…。

 

―ガキィイイイイイン!

 

 と金属音が響く。

 クロスナイトの左腕にはいつの間にか、丸形の盾が握られていた。

 

「ナイトシールド…です。」

 

 それはけものプラズムを変化させた盾だった。

 よくよく見れば中心にデフォルメされた犬の顔が描かれている。

 ともえと萌絵にはそれに見覚えがあった。

 つい先日ショッピングモールで買ってきたフリスビーに同じマークがついていたからだ。

 それを大型化させた盾がビーストの爪を防いでいた。

 そして、騎士には盾とセットでもう一つ、象徴的なものがある。

 それは剣だ。

 いま、クロスナイトの右腕にはサンドスターの輝きが集まって何か形を作ろうとしていた。

 

「くっ!」

 

 イヤな予感がして一度大きく飛び退るビースト。

 

「ナイトソードッ!」

 

 構う事なくクロスナイトは右腕にけものプラズムを変化させた剣を具現化させた。

 それは純白に輝く片手剣のような形状をしていた。

 独特の丸みを帯びた純白の刀身。

 そして切っ先も特徴的な丸みを帯びていた。

 

「い、イエイヌ……それ……。」

 

 ビーストは思わず変身前の呼び名でもってクロスナイトを呼びつつ信じられないものを見るような目で具現化した剣を指さす。

 

「言いたい事はわかります。ですが今は言わないで下さい。」

 

 だが、それでもビーストは言わずにはいられなかった。

 

「それ……。骨やん。」

「言わないで下さいって言ったじゃないですかああああああっ!?」

 

 そう。

 クロスナイトが具現化させた純白の片手剣は骨の形をしていた。

 剣、というよりは剣の柄をつけた棍棒ともいうべき代物だった。

 しかも骨型の。

 

「だ、だって刃物とかじゃアムールトラが大怪我しちゃうでしょう!?」

「いや、でもこの場面で骨って!?締まらへんやないか!?」

「しょうがないじゃないですか!?ちょうどイメージ出来そうなのがコレしかなかったんですよ!?」

 

 そんな言い合いに緊張をもって見守っていたともえ達もルリ達も「これ、喧嘩なのかなあ?」と疑問に思わずにはいられなかった。

 イエイヌとアムールトラがかつて住んでいた世界にも、けものプラズムを変化させて武器として持っているフレンズがいた。

 いま、クロスナイトが具現化させたナイトシールドとナイトソード(鈍器)はそれだった。

 けものプラズムを変化させるにはイメージが重要、とかつてナイトチェンジャーを貰った時、萌絵はそう言った。

 だからフリスビー型の盾と骨型の剣をイメージしたら具現化出来ると思ったのだ。

 狙い通りにフリスビー型のナイトシールドはビーストが繰り出した必殺の爪を阻んでいる。

 そして…。

 

「いきますよ!アムールトラっ!」

 

 たとえ不格好だとしてもその剣は騎士、クロスナイトの意地を込めた剣だ。

 クロスナイトが大上段から振り下ろすナイトソード(鈍器)をビーストの黒いオーラを固めた爪が迎撃する!

 

―ガキィイイン!

 

 再び響く金属音。

 ビーストの爪が弾かれた。

 だが、すかさず逆の爪を振るい反撃に転じるビースト。

 それもクロスナイトのナイトシールドが攻撃を阻む。

 そして一度振り下ろしたナイトソード(鈍器)を逆袈裟切りの要領で振り上げるクロスナイト。

 それはビーストが後ろに飛び退ってかわした。

 だが、ナイトソード(鈍器)は再び上段からの振り下ろし攻撃へと移っている。

 これはかわせない、と思ったビーストは両腕を交差させて残るサンドスターを集めて防御の構えだ。

 対するクロスナイトもここが最後のチャンスと残るサンドスターを剣に込めて叫ぶ!

 

「ナイトスラァアアアアアアアッシュ!!」

 

 クロスナイトの新必殺技、ナイトスラッシュ(殴打)が交差したビーストの両腕のガードに叩きこまれる。

 

―ドンッ!

 

 と見守るともえ達のところまで衝撃が空気を揺るがし伝わってくるかのようだった。

 クロスナイトがビーストのガードにナイトソード(鈍器)を叩きこんだ体勢のままでしばし固まる。

 と…。

 

―ピシリ。

 

 と音が響くと…。

 ビーストの嵌めた手枷、ビーストドライバーにヒビが入り、それはどんどん広がっていってついに、バキン!と音を立てて壊れてしまう。

 それと同時にビースト状態が解除される。

 ニヤリ、と笑うアムールトラ。

 最後の一撃、狙いは最初からビーストドライバーだったのだろう。

 ルリの為にともえ達の命を狙った自分と

 ともえ達の為だけでなくルリとそして喧嘩相手のはずの自分の為にすら戦っていたクロスナイトことイエイヌ。

 最初から気持ちの上では負けていたのだ。

 

「お前の勝ちや。」

 

 それだけを言い残して仰向けにどさりと倒れ込むアムールトラ。

 

「これで1勝2敗、という事になりますが……。二度とごめんですからね。こんなの。」

 

 言いつつ変身解除したイエイヌはアムールトラへと手を差し出す。

 アムールトラがその手をとった時、イエイヌの顔は嬉しそうに笑顔へと変わった。

 その顔を見れた今、不思議とアムールトラには敗北の悔しさも後悔もなくなっていた。

 そんなイエイヌの顔をもう少し見ていたい、と思いながらもアムールトラは意識を手放した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「やったのだー!アムールトラも目を覚ましたのだー!」

「おおー。よかったねえ、アライさーん。」

 

 次にアムールトラが目を覚ました時、目の前にはアライさんとフェネック、博士助手にサーバル、そして救急箱を持ったかばんがいた。

 ここは一体どこだろう、という疑問が浮かぶ。

 

「ふっふっふー。二人とも泥んこだったからアライさんが綺麗にしてやったのだ。アライさん、なんだかんだでそういうのは得意なのだ。」

 

 と目の前のアライさんはその疑問には答えてくれそうもなかった。

 かわりに救急箱から消毒薬とガーゼを取り出したかばんが答えてくれた。

 

「実はボク達もともえさんの怪我が気になって遠坂さんのおうちに来てたんですよ。」

「そしたらともえちゃん、ちょっとお留守番お願いって言って出て行っちゃうんだもん。ビックリしたよー。」

 

 と、かばんの後を続けるサーバル。

 どうやらここはともえ達の家、遠坂家のリビングだとようやくわかったアムールトラ。

 

「そ、そうや!?ルリは!?」

 

 と慌てて身を起そうとするアムールトラであったが全身の痛みに顔をしかめる。

 

「まったく、少し落ち着け。この大馬鹿者めが。」

 

 というユキヒョウの声が頭の上あたりから聞こえた。どうやら眠っていた自分のそばについていてくれたらしい。

 そして、ルリは、というと…。

 

「アムさん、起きた?」

 

 と、慌てて出てきたのか、着替える事なく制服姿のままだった。

 よくよく見まわしてみれば、イエイヌが全身の痛みに悶絶していたり、ともえがそんなイエイヌの傷に消毒薬を塗ったり、はたまた萌絵が難しい顔をしてパソコンに向かっていたり、春香がキッチンで料理していたりと何とも賑やかな光景が広がっていた。

 そこに赤いカラーリングのラッキービースト…ラモリさんがやってきて言う。

 

「アムールトラとイエイヌはしばらく動かず休んでイロ。イエイヌは野生解放の反動デ、アムールトラはビースト化に野生解放を重ねた反動デ、ソレゾレ全身筋肉痛のヨウナ症状が出てイルはずダ。」

 

 確かに、いま全身を襲っているこの痛みは筋肉痛を酷くしたものに思えた。

 イエイヌの方を見れば似たようなもののようで、プルプルと涙目になっている。

 とても勝者の姿とは思えない様子に思わずアムールトラも吹き出しそうになるが、笑うと腹筋がめちゃめちゃ痛んでしまった。

 しかし、いつまでも笑っている場合でもなかった。

 

「あのね、アムさんが寝てる間に色々聞いたの。」

 

 ルリの言葉に「そうか」と答えるアムールトラ。敗者である自分にはルリに正体を明かした事を責める事は出来ない。

 こうして一緒に過ごしているだけでもありがたいくらいだ。

 

「なんか私って他の人と違うなーとは思ってたけど、そういう事だったんだね…。」

 

 やはり、ルリにとってもショックだったんだろう。

 うなだれる姿に全身の痛みを我慢してアムールトラは手を伸ばしてルリの頬に触れる。

 

「ルリが悪い事なんて一つもない。」

 

 ルリはそんなアムールトラの手をとって、しかしゆっくりと首を横に振った。

 

「けど…私は生きてる限り誰かに迷惑を掛けちゃうんだよね…。」

 

 それが一番ルリにショックを与えていた。

 何と答えていいのかアムールトラにはわからなった。

 何の妙案も浮かばない。それは今も以前も変わらなかった。

 と、そこに萌絵がやってくる。

 

「それなんだけどね。何とかなるよ。」

「そうそう…。そう簡単に何とかなるわけ………は?」

 

 萌絵の一言にアムールトラの目が点になる。

 

「実はね。アムールトラちゃんが寝てる間にもかばんちゃんとアライさんにアライアナライズしてもらったり、ラモリさんにスキャンしてもらったりしてルリちゃんの事を調べさせてもらったの。」

 

 その萌絵の言葉にアライさんがめちゃめちゃドヤ顔をしていたが今は残念ながら褒めてあげる事は出来なかった。

 

「で、結果なんだけど、何とかなるよ。」

 

 もう一度、萌絵が言う。

 聞き間違えではない。

 萌絵は何とかなる、と言った。

 

「そ、それってルリが普通に暮らせるようになるっちゅうことか…?」

 

 信じられない、といったように聞くアムールトラに萌絵は即答で「うん。」と頷いてみせる。

 それを聞いた瞬間にアムールトラは全身の痛みにも構う事なく跳ね起きて萌絵に深々と頭を下げた。

 

「頼む!こんな事言えた筋合いやないのはわかってるけど、どうしたらええんか教えてくれ!ウチに出来る事は何でもするから!」

 

 それに萌絵はやはりコクリ、と頷くと、リビングのテーブルにノートパソコンを置く。

 

「あのね、これ、知ってる?」

 

 と、ノートパソコンのディスプレイに表示したのは何かの機械の図面のように見える。

 その場にいるほぼ全員がハテナマークを浮かべるなか、かばんだけが…

 

「あ、これ科学雑誌のバックナンバーですよね。確か…これって新型のサンドスターフィルター発生装置だったような…。」

 

 と答える。

 それに一同、思わずおおー、となっていたが次はそのサンドフィルター発生装置って何?とハテナマークを浮かべる。

 

「サンドスターフィルターはサンドスター・ローをサンドスターに変換する機械だったはずです。」

「これは社会の授業でも習ったのです。この装置は私たちの生活にも重要な役割を果たしているのです。」

 

 とこれには博士助手が反応出来た。

 

「そう。サンドスターフィルターは空気中のサンドスター・ローを回収してサンドスターに変換してその後、食品合成なんかにも利用されてるの。」

 

 萌絵の言う通り、この世界で一般的に食べられている肉類は植物由来の成分をサンドスターで変換させた合成肉が一般的だ。

 そうしたサンドスターを賄う為にも、工業用のサンドスターフィルター発生装置は一般にも普及していた。

 

「このフィルターってね、ある種の位相のエネルギーの波をサンドスター・ローにあてるフィールドを形成する事によってサンドスター・ローをサンドスターに変えるんだけど…」

「ご、ごめん。萌絵お姉ちゃん。もう少し簡単にお願い出来る?」

 

 何やらかばんと博士助手以外のみんなが頭からぷすぷすと煙をあげはじめるのを見かねて、ともえが遠慮がちに言う。

 少しばかり残念そうに嘆息した後、萌絵はもう一度考えて…。

 

「このサンドスターフィルターって“セルリウム”もサンドスターに変換できるの。」

 

 と大事な要点だけを一言で言った。

 

「なるほど!つまりわらわがこのサンドスターフィルター発生装置を大人買いすればよいわけじゃな!」

 

 とユキヒョウが勢いこんで言うが、それに萌絵は首を横に振る。

 

「それじゃあダメなの。この図面ってね、工業用の定点設置するものでフィルター発生範囲も数10mくらいなの。だからルリちゃんが普通に暮らすっていうのには向かないと思うんだ。」

 

 萌絵の言葉に、一同は、ならどうするのだろう。と疑問を浮かべる。

 

「だからね、作るの。名付けてパーソナルフィルター発生装置かっこ仮を!」

 

 力強い萌絵の言葉に押されて一同、おー。となっていたが、かばんだけが信じられないものを見るような目で萌絵を見ていた。

 

「理論上はいけるの。フィルター発生範囲をルリちゃん一人分にするかわりに出力を落として個人が持ち運べるサイズにまで機械をサイズダウンするの。」

 

 つまり、ルリにパーソナルフィルター発生装置(仮)を持たせて常にサンドスターフィルターで覆う。

 そうすることで、ルリが無意識に“セルリウム”を生み出してもサンドスターに変換してしまうからセルリアンも発生しなくなる。そういう作戦なのだ。

 

「そ、それならルリさんはこれからも普通に学校にいけますね…!」

 

 パッとイエイヌが顔を綻ばせてアムールトラを見る。

 アムールトラはまだ信じられない、というように目を見開いたままだ。

 

「あの…。本当にいいの?」

 

 と、ルリは遠慮がちに挙手する。

 そのルリの目の前に座る萌絵。

 

「あのね、ルリちゃん。メガネってあるじゃない?」

「う、うん。」

 

 何故いまそんな話を?という疑問はあったもののルリは頷いてみせた。

 

「車椅子とかもそうだし、補聴器とかもそうかな。こういうのってね、全部他の人とはちょっと違ったりしても一緒に暮らせるように誰かが考えて作ってくれたものなの。」

 

 確かに、巷には萌絵が今言ったものが溢れているし、この前行ったショッピングモールに売っていたフレンズ用の服だってそうだ。

 

「だからね。アタシが作るよ。ルリちゃんが皆と一緒に暮らせるようになるものを。」

 

 ルリの目をしっかりと見ながら萌絵は言った。

 それだけで、ルリは自分が普通の人とは違うセルリアンだ、というショックすら忘れてしまったかのようだ。

 

「萌絵さん…。お願いします。」

 

 ペコリ、と頭を下げるルリに、萌絵は腕まくりをしてみせると

 

「お姉ちゃんに任せなさい!」

 

 と高らかに宣言するのであった。

 

「じゃあ、アタシ、工房の方に籠っちゃうから。帰ってきたら多分いつも通りになってると思うからよろしくね。」

 

 というと萌絵はリビングを出ようとする。

 そこで心配そうなかばんと視線があった。

 この場でかばんだけが知っていた。

 萌絵が言う機械を作る事がどれだけ無茶なのかを。

 確かに、フィルター発生装置のサイズダウンは理論上可能かもしれない。

 だが、それを成し遂げるには本職の研究者でも難しいのではないか。

 萌絵は確かに成績優秀で機械工作も得意だ。

 けれども、フィルター発生装置を個人が携帯可能なサイズにする事は非常に困難であろう。

 例えて言うなら、ともえが運動が得意だからちょっとオリンピックに出て金メダル取ってくる、というくらい無茶だ。

 それを知っているかばんは萌絵に何かを言いたそうに手を伸ばした。

 が…。

 

「あのね。アタシの妹がね。すごく頑張ったの。」

 

 と萌絵は何か言いたげにしているかばんの唇にピッと人差し指を当てる。

 

「その頑張りを無駄にしたりしないように、お姉ちゃんのアタシもちょっと意地を張らないといけないなって、そう思うの。」

 

 それを聞いてかばんもまた頷きを返した。

 先程アムールトラが寝ている間にアライアナライズで調べたところ、ルリが次に“セルリウム”を大量に吐き出すのは時間の問題だった。早ければ明日の朝にはそうなってるかもしれない。

 だから、これは時間との勝負でもある。

 そして、今、萌絵が出した解決策を実現出来るのは彼女自身を置いて他にいない。

 

「それにね。これだけで幸せになる女の子がいるんだもん。意地を張る理由としては十分じゃない?」

 

 萌絵の言葉にかばんは納得していた。

 やはり萌絵はクロスハートの姉なのだ、と。

 多少形は違えども、萌絵もまた彼女にしか出来ない戦いに赴くのだろう、と。

 

「わかりました。お願いします。クロスハート。応援が必要な時はいつでも呼んで下さい。」

 

 その言葉に一瞬目を丸くする萌絵。

 しかし、すぐに嬉しそうに笑う。

 かばんが自分を一緒に戦う仲間と呼んでくれたのだ、と理解したからだ。

 

「うん、任せて。クロスシンフォニー。」

 

 クロスハート、クロスナイトに続く三人目のクロスハート、遠坂萌絵の戦いは今から始まる。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 遠坂家、地下工作室。通称『工房』

 作業着に着替えた萌絵がパチン、と自分の頬を叩いて気合を入れる。

 みんなの前では余裕を見せた萌絵であったが、やせ我慢もいいところだった。

 既にアムールトラが眠っている間に、パソコンでざっとパーソナルフィルター発生装置の試作案を考えていたのだが、その試算総重量は78.4キログラム。

 だいたい小型の冷蔵庫くらいの大きさになりそうだった。

 けれど、それではルリが持ち運ぶ事が出来ない。

 アムールトラに持ち運んでもらう、という手もないではないが、それでは到底普通の暮らしとは言えないだろう。

 なので、ここからさらにどうやってサイズダウンしていくのか、それが問題だった。

 既に工業用の定点設置するものに比べれば劇的なサイズダウンを果たしているのだが、ルリが必要としているものにはまだ足りない。

 

「まず、素材をさらに軽量化して…、さらに機能をなるべく簡略化して…。あといらない部分は全部外して…。」

 

 工房の作業テーブルには萌絵の手によって次々と改良案を書いた紙が散らばっていく。

 その改良案の中で、最も軽量化できたもので総重量59.8キログラム、という試算結果が出ていた。

 どうする、と萌絵は焦りと共に思考する。

 ここで妥協するのか。

 この今出来ている試作案でも機能としては十分だ。

 急場をしのぐ事は出来るだろう。

 そうして時間を稼いで…、もっと優秀な大人…、そう、彼女達の父親のような人にもっとよいものを作ってもらう事だってできるのではないか。

 

「ううん。ダメだよ。」

 

 萌絵はその考えを頭を振って追い出す。

 この意地は自分が張ったものだ。

 ともえのように運動が得意でもないし、イエイヌのようにセルリアンと戦う力もない。

 それでも萌絵は今日まで勉強を頑張って来た。

 今日、今この瞬間ほど、勉強を頑張って来てよかったと思えた事はない。

 だから、萌絵は今日この日の為に、この戦いに勝利する為に今まで生きてきたと思える。

 この勝負を他の誰かに明け渡すなど、決して出来ない。

 探せ。

 まだあるはずだ。

 どこかに突破口が…!

 萌絵は幾度目かになるパーソナルフィルター発生装置の試作案を作る為にもう一度パソコンに向かう。

 と、メーラーに新着のメールが来ている事を示すマークが踊っていた。

 新着メールは2件。

 どうにも気になってメールソフトを立ち上げる萌絵。

 新着メールの差出人は一人は『Dr.T』となっていた。件名は『小さな科学者さんへ』となっている。

 

「Dr.T…。一体どこのお父さんかなあ。」

 

 と言いつつメールを開いてみれば、添付ファイルで最新のサンドスターフィルターに関する資料が添付されていた。

 きっとラモリさんが、父親へと事の次第を伝えたのだろう。

 そして送られてきた資料はきっと助け船であった。

 だが、もう一件のメールは心当たりがなかった。

 差出人は『Professor.W』となっていていよいよ心当たりがない。件名はないので取り敢えず開いてみると、メール本文に『娘たちが迷惑をかけてすまない。役に立つかわからないが送っておく。』と短い文章が書いてあった。

 添付ファイルもかなりのサイズだ。

 一応ウィルススキャンもしてみて安全を確認してから添付ファイルを開いてみる萌絵。

 

「これって……“セルリウム”がサンドスターに変換される際に発生する位相変換エネルギーの活用方法…!?」

 

 『Professor.W』なる人物が送ってきたメールには随分とピンポイントな研究論文が添付されていた。

 水が高いところから低いところに落ちる際、位置エネルギーを発生するように、“セルリウム”がサンドスターに変わる際にもある種のエネルギーが発生する、とその論文では語られている。

 さらに、それを回収して活用する方法が論文につづられていた。

 

「ちょっとまって…。これをエネルギー源にしたら、そもそも電源の為のバッテリーもいらなくなるってことだよね…。ってことはもっと軽量化できるよ!」

 

 ついに求めていた突破口が見つかった。

 だが、これで電源用のバッテリーを丸々外したとしても軽量化できるのは10キロ前後が関の山だろう、と萌絵はあたりをつけていた。

 けれども、まだ見落としがあるとわかっただけでも大きい。

 今度は父親が送ってくれた資料を漁ってみる。

 これはインターネットなどで公開されているサンドスターフィルターよりも、より詳細な設計図も入っていた。

 これらはもちろん工業用のもので、今作ろうとしているヒト一人分の範囲のフィルターを発生させるようなものではない。

 けれども、数種類のフィルター発生装置の図面を見ているうちに、萌絵はある事に気が付いた。

 

「フィルター発生装置って主に4つの力場発生装置が必要なのってどれも変わらないんだね…。」

 

 それはどの図面でもフィルターを発生させるのは4種の別々な力場の発生装置が組み込まれている事だった。

 それら4つの力場発生装置が組み合わさって一つのフィルターを発生させる仕組みとなっていた。

 

「けど、これって別に一つのユニットに収める必要ってないよね…。」

 

 その思いつきにそうか、と何か閃きのようなものが過る。

 

―バサァ!

 

 瞬間、萌絵は作業テーブルの上に散らばった今までの試作案を全て手で払い落した。

 床に紙が散らばるが構わない。

 そう、今までの発想自体に間違いがあったのだ。

 工業用のフィルター発生装置をそのままサイズダウンさせるのではなく、フィルターを発生させる4つの力場発生装置をそれぞれにサイズダウンさせるべきだったのだ。

 通常なら一つのユニットに収めた方が電源の共有化などが図れるから軽量化もしやすくなる。

 しかし、他のエネルギー源にあてがある今、4つのユニットを作って4つで一組のフィルター発生装置にしたって構わないのだ。

 猛烈な勢いで設計案を書いていく萌絵。

 そうだ。

 別にこの戦いには一人で臨んでいるわけじゃない、と思い至る萌絵。

 さっき資料を送ってきてくれた二人だっている。

 そもそも今、完成しつつある4つの設計案の総重量を試算している数式だって誰かが作ってくれたものだ。

 それら全てが萌絵の味方だ。

 それら全てがルリを救えと言ってくれているのだ。

 そうして試算された4つのユニットの総重量は……。

 

「1028……グラム…!?」

 

 文句なく合格ラインだった。これならルリだって問題なく持ち運べる。

 その結果に最初、試算を間違えたか、と計算を見直して間違いがない事を確認してからニマリと笑う萌絵。

 次は製図用の机に向かってより詳細な設計図を引いていく。

 その手は猛烈な勢いで動いていき、あっという間に4枚の設計図を完成させてしまった。

 そして、次はいよいよ制作だ。

 遠坂家地下工房ご自慢の3Dプリンターに火が入る。

 さらに各種工具達も出番を待っていた。

 腰に巻いた作業用ベルトに取りつけたポーチに各種工具を収めて戦闘態勢に入った萌絵。

 ふ、と思いついたように手を伸ばして一つポーズを決めて…

 

「変身、クロスハート…萌絵フォーム…?」

 

 と言ってみた後、慌てて真っ赤になる。

 さすがにこれは妹たちには見せられないなあ、なんて思う萌絵だった。

 しかし、仮にギャラリーがいたとしたって彼女を笑う者は誰もいなかっただろう。

 例えセルリアンと戦う力がなかったとしても、少女の幸せの為に全力を振るう姿はまさにヒーローのそれだった。

 遠坂萌絵の戦いはまだ始まったばかりだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時間はもうすぐ日付も変わろうかという頃に差し掛かっていた。

 テーブルには萌絵の分の食事だけがラップをかけて置いてあった。

 ちなみに、今日は急遽大人数になったのでカレーライス&サラダというメニューになっていた。

 萌絵を待つ一同も少しウトウトとしはじめていた。春香だけがテーブルでコーヒーの入ったマグカップを傾けている。

 一同まだ眠るわけにはいかない。

 特にともえとかばんには重要な役割がある。

 もしもまたルリが“セルリウム”を生み出してしまったなら即座にセルリアンになる前に駆除してしまう、という役割だ。

 セルリアンと戦う力のあるフレンズであるイエイヌとアムールトラが揃って技の反動でダウン中の今、それは二人にしか出来ない。

 

「ともえさんは怪我は大丈夫なんですか?」

 

 と訊ねるかばん。その肩にはサーバルが頭を乗せてうとうとしていた。

 

「あ、うん。なんでかな?もう治っちゃったみたい。」

 

 そう首を傾げるともえ。ラモリさんの診断でも、折れた肋骨はもう繋がっていた。

 

「多分、変身するようになった影響でしょうね。ボクもサンドスターが十分な時は怪我の治りが早いですし…。」

「おお……。サンドスターってほんと万能だね…。」

「ですね…。」

「イエイヌちゃんとアムールトラちゃんも早くよくなればいいんだけど…。」

 

 ともえが言う通り、イエイヌとアムールトラはまだ全身の痛みで悶絶していた。

 先よりは幾分マシになってきているが彼女達二人だけは痛みのせいでうつらうつらとすら出来ずにいた。

 この回復具合なら明日の朝くらいにはまともに動けるようにはなるだろうが、それまではちょっと大変そうだ。

 事実、今日のご飯はイエイヌはともえと春香に、はい、あーんされていたし、アムールトラはルリとユキヒョウに同じようにされていた。

 ふと周りを見渡せばルリはユキヒョウとアムールトラ達と一緒に、博士と助手はそれぞれ寄り添うようにして、フェネックはアライさんの鼻ちょうちんを割って遊びながら欠伸してそれぞれに眠たそうにしていた。

 誰もが萌絵の帰りを待っているのだろう。

 と。

 

―ガチャリ

 

 とリビングの扉が開いて萌絵が戻って来た。

 かなりゲッソリと疲れた様子の萌絵。

 それでも開口一番にこう言った。

 

「パラパパッパパーン。パーソナルフィルター発生装置かっこかりー。」

 

 既にテンションがおかしくなっている萌絵であった。

 その手には髪留めが二つ。ベルトポーチが一つ。そしてジャパリまんの形をしたキーホルダーが一つ、掲げられていた。

 一同跳ね起きて萌絵の周りに集まる。

 ジャパリまんの色はピンク色、髪留めは少し大きめの花を象ったもので、それぞれ白と青のものが一つずつ、そしてベルトポーチは黒い色をしていた。

 

「まあ、説明は後にして、ルリちゃん、早速つけてみてくれる?」

 

 と、萌絵がルリの身体にそれぞれ4つのパーソナルフィルター発生装置をつけていく。

 髪留めは萌絵が持ってきたものにそれぞれ交換して、ベルトポーチは腰の後ろ側にベルトで留めた。

 ジャパリまん型のキーホルダーはベルトポーチの前側の取り付け具のところに引っ掛けた。

 すると、ルリの周りに薄っすらとした輝きが生まれる。

 

「サンドスターフィルター。正常ニ稼働開始ヲ確認したゾ。」

 

 と見守るラモリさんが言う。

 どうやら動作は上手くいっているようだ。後は本当にルリが生み出す“セルリウム”をサンドスターに変換できるかどうかだが…。

 ルリの周りに時々サンドスターの微かな輝きが見てとれる。

 

「あー…。ルリちゃんの周りがやたらキラキラしちゃうって問題はあるかもだけど…、逆に言えばそのくらいだから…。」

 

 と、萌絵は申し訳なさそうに言うが、そんな事は今まで抱えていた問題に比べたら些細すぎる。

 と、クシュン!とルリがくしゃみをすると同時、周囲にぶわっ、とサンドスターの輝きが広がる。

 

「うん、“セルリウム”の量が増えてもサンドスターへの変換は問題ないみたいだね。」

 

 その様子に満足そうに頷く萌絵。

 集まっていたみんなも期待を込めた眼差しを萌絵に向ける。これでルリはもう大丈夫なのか、と。

 

「これから経過観察とかは必要かもしれないけど、それでももう大丈夫だよ。」

 

 と萌絵は頷いてみせた。

 それにだんだんと喜色が一同に広がっていく。

 

「やったああああああああああっ!萌絵お姉ちゃんありがとおおおおお!」

 

 とイエイヌが萌絵に飛びつき、

 

「お姉ちゃんやったね!すごいよ!」

 

 とともえが一緒に飛びつき、二人がかりでサンドイッチにされていたがそれだけでは終わらなかった。

 

「あ”り”がどぉ”ぉ”っ!」

 

 と涙でくしゃくしゃになりながらアムールトラが飛びついていたからだ。

 

「ちょお!?アムールトラ!?萌絵お姉ちゃんが潰れます!?気持ちはわかりますが落ち着いてぇええ!?」

 

 イエイヌが変わりに矢面に立ってアムールトラを受け止めていた。

 

「でも、よかったです。今までよく頑張りましたね。」

 

 そのイエイヌの言葉にアムールトラは彼女の胸に顔を埋めて何度も頷きながら泣きじゃくるのだった。

 そんな場面を相変わらず静かに見守る春香。

 子供たちが頑張っている今、大人の出番はないようであった。言いたい事は我慢して見守る事に徹していたが、どうやら娘達は自分が思っていた以上に成長してくれていたようだ。

 しばらくの間、アムールトラの泣き声だけが聞こえていたが、いつの間にやら静かになっている。

 萌絵も、萌絵の帰りを待っていた一同も、そして泣きつかれたアムールトラもどうやら眠気の限界はとうに突破していたらしく、安心したかのようにそれぞれ寝息を立て始めていた。

 

「あらあら。」

 

 どうやらここで大人の出番のようである。

 まずはみんなが風邪をひかないように人数分の掛布団を出してこないといけない。この人数分の布団の用意は大変だがどうにかするしかあるまい。

 それに明日は学校だってある。朝食の準備にお弁当も準備してあげないと。

 みんなでお団子のように寄り添って眠る一同の姿に一つ微笑んでから春香は大人の勤めを果たしに動くのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「も、もうー!?!?な、なんであれだけいて全員お寝坊しちゃうかなー!?」

 

 翌朝。今日は金曜日。

 遠坂家から学校への通学路は賑やかだった。

 ともえは朝の出がけに春香が口に咥えさせてくれたトーストを飲み下してから叫ぶ。

 一緒に走るイエイヌ、萌絵、かばん、サーバルに博士助手とアライさんとフェネック、そしてアムールトラにルリとユキヒョウ、それぞれの口にも同じようにトーストが咥えられていた。

 昨夜はあまりにも遅くまで起きていた一同。

 この遅刻確定の状況も無理もない事に思えたが教師達にその事情を説明するわけにもいくまい。

 ちなみに、イエイヌの手には運動会などで使う重箱のお弁当箱が4段重ねで持たされていた。春香が「今日のお昼はみんなで食べてね。」と全員分をまとめて用意してくれたものだ。

 そこまで気をまわしてくれるのなら、遅刻する前に起こしてくれればいいのに、とは思わなくもない。

 とにもかくにも、今は遅刻を何とか回避する方が先決だ。

 

「こうなったらかばん、アレをやるしかないのです。」

 

 と博士が言って、それにかばんが「えぇー…。」と困ったような顔をする。

 

「仕方がないのです。我々はこの学校の長だったので他の生徒の模範とならなくてはならないのです。決して先生に怒られるのがイヤだから言ってるわけではないのですよ。」

 

 今度は助手が博士への援護射撃を飛ばした。

 

「それともー…、またサーバルにお姫様抱っこされて登校する方がいいー?」

 

 とニヤニヤしながら言うフェネックの言葉が決め手となったのか、かばんは諦めの嘆息と共に頷いてからやけくそ気味にこう叫んだ。

 

「変身!」

「「「「「「クロスシンフォニー!」」」」」」

 

 叫びと同時にサンドスターの輝きが周囲を満たして、一瞬後に現れるのはアフリカオオコノハズクシルエットのクロスシンフォニーだった。

 幸いにして通学路には人影もなく目撃される心配もなさそうな今、これは効率のよい手であった。

 

「じゃ、じゃあ皆さん、またあとで学校で。」

 

 とあっという間に飛んでいくクロスシンフォニー。ちなみに隠密性の高いアフリカオオコノハズクシルエットを使っている辺り、ちゃっかりしたものだ。

 

「ああー!?ず、ずるくない!?」

 

 と、ともえは叫ぶ。だがその頃には既にクロスシンフォニーはもう空の彼方だった。

 

「うーん、じゃあユキさんは私が運ぼうか。」

 

 と言いつつヘバりつつあったユキヒョウをお姫様抱っこ状態で抱えたのは何とルリだった。

 続けて萌絵の作った髪留めでまとめられた二つ結びの三つ編みのうち一本をうにょーん、と別な生き物のように長く伸ばした。

 そして、先端がガバリ、とワニの口のように変化して近くの民家の屋根を掴む。

 それを元の長さに戻しつつ自分の身体を民家の屋根の上へと引っ張り上げるルリ。

 

「じゃあ、私とユキさんも先行ってるねー。」

 

 言うが早いかユキヒョウを抱えたルリは三つ編みを交互に伸ばしてあっという間に消えていった。

 ユキヒョウの悲鳴が遠ざかっていくのはこの際見なかった事にしておく。

 

「ルリちゃん…いつの間にあんな事出来るようになったの。」

 

 まるでどこかのアメコミヒーローもかくやと言わんがばかりの立体機動に目を丸くするともえ。

 

「ああー…。なんかセルリアンだっていうのを自覚したら、色々出来る事が増えたらしい。今のもその一つらしいで。」

 

 置いていかれた格好のアムールトラは苦笑しながら教えてくれた。

 そうしてから、ダンッ!と大きくジャンプするアムールトラ。こちらもルリを追ってすぐに消えていった。

 これで残るのはともえとイエイヌとそして萌絵だけだ。

 既に息も絶え絶えの様子で走る萌絵。

 こうなってしまっては彼女達だけが真面目に走るのがバカらしくなってしまう。

 

「しょうがないよね。」

「今日はしょうがないんじゃないかと。」

 

 と頷き合うともえとイエイヌ。

 ともえはもう既に限界を迎えつつあった萌絵を抱き寄せてヒョイと抱え上げる。

 

「ふえ!?と、ともえちゃん!?こういうのはお外じゃなくておうちでー…ってまさかまたアレやるの…?」

 

 急にお姫様抱っこにされた萌絵は最初戸惑いの声をあげたがすぐに二人が何をするつもりなのか理解した。

 前にも同じ事があったからだ。

 萌絵に頷きつつ二人の声が通学路に響いた。

 

「「変身!!」」

 

 

 

 この物語はフレンズの姿に変身する不思議な力を得た少女、遠坂ともえとそのパートナー、イエイヌの物語である。

 セルリアンの魔の手から家族と友達とそして平和な日常を守るのだ。

 彼女達の戦いはまだまだ続く。

 戦え、クロスハート。

 差しあたってまずは遅刻回避だ!

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第8話『騎士と野獣』

―おしまい―

 






【登場人物紹介】

名前:宝条 ルリ
特技:家事全般 野外活動
好きな物:キャンプ 動物

ジャパリ女子中学校に通う1年生。最近転校してきたばかり。
とても背丈が低く、よく小学生の低学年にも間違えられる。
実は本人も自覚していなかったが知性を持つヒト型セルリアンである。
セルリアンと言っても性格は温厚そのもので一緒に暮らすフレンズのアムールトラやご近所さんのユキヒョウとは大の仲良し。
また、宝条家の家事の多くは彼女が担当している。
周囲の物に宿った“輝き”を吸収し、“セルリウム”に変えてしまうという体質であったが、これは萌絵の作ったパーソナルフィルター発生装置で解決した。
今はどうやら夢が出来たようでやたらと熱心に勉強に励んでいるようである。


名前:宝条 アムールトラ
特技:力仕事全般
好きな物:ルリ 手品

ジャパリ女子中学校に通う1年生。ルリと一緒に転校してきたアムールトラのフレンズである。
身長も高く、豊かな体躯をしているせいかよく年上に間違えられる。性格的にも姉御肌で面倒見のよい一面がある。
一緒に暮らすルリの事をとても大切にしている。
実はイエイヌが以前住んでいたのと同じ世界からやって来ており、セルリアンと戦う力も持っている。
元ビーストであったが、今は普通のフレンズとして生活している。
なお、ビースト化を制御する機械『ビーストドライバー』を所持していたが現在は壊れてしまっており使えない。
趣味は手品だったりするが、まだ練習を始めたばかりで難しい事は出来ない。
以前、ルリに見せたら物凄く驚かれて以来ハマってしまったらしい。


※宝条 ルリ。宝条アムールトラの両名はニコニコ静画にて発表されたパン耳氏のキャラクター『るり』を原案にさせていただいております。

https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9160620
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9158625

 『るり』の名前を片仮名表記のルリに変えさせていただいたのは、SSという作品の都合上です。
 どうしても平仮名表記のままだと文中に名前が埋もれてしまい、判別しづらかった為に変えさせていただきました。
 また、作品設定、世界設定上の都合や役割を持たせる為に、一部設定などを改編させていただいております。
 ネタバレ防止の為、パン耳氏原案のキャラクターである事の発表が遅れてしまい、申し訳ありません。
 あらためて、原案の『るり』とパン耳氏にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章
第9話『クロスナイトは甘えたい』


これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 ヒトがいなくなった別世界のジャパリパークからやってきたイエイヌは遠坂ともえとその家族に出会う。
 本来その世界にはいないはずだったセルリアンが突如として襲い来るが、フレンズの姿に変身する不思議な力を得たともえと共に平和な日常を守って来た。
 ところが、イエイヌと同じ世界からやってきたアムールトラとそのパートナーの少女ルリとの出会いが大きくイエイヌの運命を動かす。
 何と、アムールトラはかつてイエイヌを打ち倒したビーストであり、そしてルリはセルリアンを生み出すセルリアンだというのだ。
 一度はアムールトラに敗北を喫するイエイヌであったが、全てを救う決意と共に再戦。
 激闘の末にアムールトラに勝利する事が出来た。
 そして、ルリもともえの姉である遠坂萌絵が作った『パーソナルフィルター発生装置』のおかげでセルリアンを生み出す事がなくなった。
 こうしてルリも含めて誰一人欠ける事なく平和な日常が戻って来たのだった。



 

 

 あれから数日。

 セルリアンも出ないわけではないけれど、発生頻度はかなり低くなっていた。

 あれだけ毎日のようにセルリアンが発生していた日々から比べたら随分と穏やかだった。

 なので、ともえが…

 

「平和だねえー」

 

 と、少しばかり気が抜けた様子を見せるのも無理からぬ事だったし、それに萌絵が…

 

「そうだねえー」

 

 と、こちらものほほんとした様子を見せるのも仕方がない事のように思えた。

 今は放課後。

 美術室でそんな風にすっかり気の抜けた様子のともえと萌絵であったが、一人、イエイヌだけは様子が違った。

 イエイヌだけは何故かため息をついていたいたのだった。

 二人の様子を悲嘆してのため息というわけでもないらしい。

 となると、ともえと萌絵はイエイヌが何か悩み事でもあるのだろうか、と顔を見合わせる。

 何せ、別な世界からこちらにやって来たイエイヌだ。

 ともえと萌絵にはわからない悩みもあるのかもしれない。

 

「ねえ、イエイヌちゃん。何か悩み事?」

「何かあったら言ってね。アタシ達、力になるから。」

 

 と、ともえと萌絵がイエイヌの顔を覗き込む。

 それにようやく物思いに耽っていたイエイヌがハッと我に返った。

 

「ともえちゃん、萌絵お姉ちゃん。心配かけてすみません。ありがとうございます。」

 

 お礼を言いながら、「実は」と切り出すイエイヌ。

 

「その…。春香さんを春香お母さん、と呼んでみたいのですがそれがいい事なのかどうなのか…。」

 

 その言葉にともえと萌絵は一度顔を見合わせる。

 どうやら緊急性のあるような悩みではなさそうだったのでまずは一安心して、その後二人で頷き合うとずずい、とイエイヌに詰め寄る。

 

「呼んであげよう!」

「うんうん、そうしてくれたらお母さんは絶対喜んでくれるよ!」

 

 二人に詰め寄られて、勢いに押されるイエイヌ。

 

「その…。それはわたしにも何となくわかるのですが、何でかは分からないのですが、そう呼ぶのが気恥ずかしくて…。」

 

 とイエイヌはモジモジしてみせていた。

 イエイヌにはフレンズ化する前の動物だった頃の記憶はおぼろげにしかない。

 その記憶の中で、ヒトの役に立ってヒトと共に生きる事が使命だと何となく理解はしていた。

 しかし、そのもっと以前に暖かくて安心できる何かに包まれていた微かな記憶だけがあった。

 今にして思えばそれが母親というものなのだろう。

 春香も、そしてともえと萌絵も、イエイヌにとってはその暖かくて安心できる相手なのは確かだった。

 けれども、そうして無条件に甘えてしまう事をイエイヌは心のどこかで良しとは思っていなかった。

 それが気恥ずかしさとなって表れていたのだ。

 

「そっかあ…。気恥ずかしい、かあ。」

「うーん。一回呼んじゃえば後は勢いでー、ってなると思うんだけどねえ。」

 

 ともえと萌絵は同じポーズで腕を組み首を捻る。

 思い返してみると、今朝の出発前にもイエイヌが春香に何かを言いたそうにしていたが結局断念して、普通に行ってきます、と言っていた。

 あれは何とかお母さんと呼ぼうとしていたのか、とようやく理解したともえ達。

 イエイヌ自身も努力はしていたが、結果に結びついていない状況を打破するのは容易ではない事のように思えた。

 

「となると…、何か切っ掛けが必要だよね。」

 

 萌絵の言葉に再び同じポーズで頭を捻るともえと萌絵。

 

「例えば、なんだけどお母さんに何かサプライズを仕掛けて、そのどさくさでお母さんって呼んじゃうのはどうかな?」

「あ、それいいかも。でもサプライズって具体的には何がいいかな…。」

 

 ともえの提案に乗っかって萌絵がどんどん話を進めていってしまう。イエイヌは一人オロオロするばかりだ。

 

「せっかくだからイエイヌちゃんが得意な事でサプライズを仕掛けるのがいいよね…。じゃあ…。」

「うん、イエイヌちゃんといえばお茶を淹れるのが凄く上手!」

「うんうん。つまり…。」

 

 そして二人は再びずずい、とイエイヌに詰め寄る。

 

「「サプライズティーパーティーとかどうかな!?」」

 

 と二人揃ってキラキラした目をイエイヌに向ける。その勢いに押されて思わず頷いてしまったイエイヌだった。

 

「主催はイエイヌちゃんでー…、アタシ達がお手伝いしてお母さんをおもてなしする、っていうのがいいかな。」

「いいねいいね。イエイヌちゃんが一番得意なお茶って紅茶系だから、アタシ達でスコーンとか焼いたらそれっぽくなるよね。」

 

 どんどん話が進んでいるけれど、肝心のイエイヌは今一つ置いてけぼりになってしまっていた。

 

「でもさ、ティーパーティーをするにしても名目は欲しいよね?」

「あ、そっか。イエイヌちゃんがお母さんって呼ぶ為のパーティーっていうのは伏せておかないとダメだもんね。」

 

 萌絵の言葉にともえが頷いて続ける。

 

「母の日、はとっくに過ぎちゃってるよね…。」

「ええと、その母の日、というのは…。」

 

 萌絵の言った言葉にイエイヌが疑問の声をあげた。別な世界に暮らしていたイエイヌにとっては母の日も含めて年間行事という習慣が今までになかった。

 何せカレンダーどころか人そのものがいなかったのだ。大まかな季節くらいはわかるけれど、記念日なんてものは存在すら知らなかった。

 

「ええとね、母の日っていうのは日ごろの感謝をお母さんに伝える日だよ。」

「それは凄くいいですね!」

 

 初めて母の日という行事を聞いたイエイヌの尻尾はぶんぶんと揺れていた。

 確かに母の日だったら今回のサプライズを仕掛けるのにうってつけの行事だった。

 だが、残念ながら5月はとっくの昔に過ぎてもう6月も下旬へと差し掛かっていた。

 だから萌絵は凄く残念な事実をイエイヌに伝えようとした…のだが。

 

「じゃあさ、今年の母の日は終わっちゃったけど、母の日その2をやってもよくない?」

 

 とともえに遮られてしまった。

 確かに母の日を一回だけしかやっちゃいけないなんてルールはなかった。

 しかもイエイヌは母の日未体験なのだ。せっかくだから体験しちゃおう、という大義名分も立つ。

 

「それだよ、ともえちゃん!」

「はい!わたしも母の日というのやってみたいです!」

 

 その提案に萌絵とイエイヌも目を輝かせた。イエイヌに至っては尻尾までぶんぶん揺れている。

 こうして、三人の『母の日その2大作戦』がスタートしたのだった。

 それを見守るラモリさんだったが、これを春香にこそっとバラして上手く乗っかる方向に持っていくか、それともサプライズ計画をそのまま秘密にするか大いに悩む事となった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 サプライズティーパーティーを実行するにあたって、三人は何か物足りないものがあった。

 おそらく春香は普通にティーパーティーをしただけでも喜んでくれるだろうと思えた。

 けれども、せっかくなら驚かせたり大喜びさせたりしたい。

 そんな三人は何かアイデアの切っ掛けがないかと放課後の校内を歩き回る事にした。

 とりあえず向かう先は茶道部室である。

 ティーパーティーといえばお茶、お茶といえば茶道部、という安易な発想ではあったけれど、何かアイデアの切っ掛けさえあればいいのだ。

 そんなわけでやって来た茶道部室は今日も賑やかだった。

 

「あっ、萌絵さんっ。」

 

 茶道部室へお邪魔すると一番に顔をパッと輝かせたルリが出迎えてくれた。萌絵に飛びつくとすっかり甘えたように抱き着いてきた。

 

「ルリちゃんは今日も元気そうでよかったよ。」

 

 それを受け止める萌絵はそのままラモリさんへと視線を移す。

 その視線を受けてラモリさんも一瞬スキャンモードへと入って…。

 

「サンドスターフィルターは正常稼働中。ルリ自身にも異常はナイぞ。」

 

 と簡単な経過観察を済ませていた。

 

「誰かお客さんー?って、ともえ先輩たちだ。」

 

 とキタキツネがルリの真似、とでも言いたげにともえにまとわりついてきた。

 

「何や、イエイヌ達か。取り敢えず上がってき。」

 

 そして、イエイヌにはアムールトラが早速、といったように出迎えていた。

 和室の奥ではちゃぶ台にユキヒョウとギンギツネがいた。

 二人はともえ達を出迎える三人の様子を微笑ましく眺めつつも、お客さん用の湯飲みに新しいお茶を淹れていた。

 

「して、今日はどうされたのじゃ?」

 

 と、ともえ達が座布団に座るのを待ってからユキヒョウが切り出す。

 しばらくともえ達の話を黙って聞いていた茶道部兼オイナリ校長先生の会のメンバー達。一通り話を聞き終えると…。

 

「ほう。母の日その2とは面白いのお。」

 

 と、ユキヒョウが口元を抑えて可笑しそうに笑っていた。

 

「ねえねえ、アムさん。私たちも母の日その2やっちゃおうか?」

「あー。まあ、“教授”にはなんだかんだで世話になっとるからな…。イエイヌ達を見習って何かするのはええかもな。」

 

 そんなルリの提案にアムールトラが頭の後ろをガシガシかきながら少しばかり照れた様子を見せる。

 

「しかし、あの御仁はむしろルリに感謝すべきではないかと思うのじゃが…。ルリがおらなんだら生活が成り立ってない気がするぞ。」

 

 と苦笑するユキヒョウであった。

 そしてはた、と気が付く。すっかり相談しに来たともえ達をほったらかして話が脱線してしまっていた事に。

 

「まあしかし、なんやな。天下無双のクロスナイトにも意外な弱点があったもんやな。」

 

 と冗談めかしてアムールトラがイエイヌの脇腹をひじでつんつんしていたが、その言葉にギンギツネが…

 

「クロスナイト?ってなんでクロスナイトが母の日その2と関係あるの?」

 

 と疑問の声をあげていた。

 この場でギンギツネとキタキツネの二人はまだともえ達の正体を知らないのだ。

 

「あー。いやウチ、クロスナイト派やから。な?イエイヌ。イエイヌもやろ?」

「え、ええ!?」

 

 そんなアムールトラの誤魔化しにイエイヌは驚きとも肯定ともとれる素っ頓狂な声が出てしまっていた。

 しかし、それでギンギツネの方は勢いが増してしまった。

 

「二人ともそうだったの!?そうよね、クロスナイト、かっこいいわよね!」

 

 ギンギツネはクロスナイト派だったのである。

 

「ええー。クロスハートもかっこいいよ。」

 

 とキタキツネはクロスハート派だった。

 

「「ちなみにルリは!?」」

 

 とキタキツネとギンギツネの二人が揃ってルリの方を振り返ると…。

 

「私は萌絵さん派だよー。」

 

 と何故か全く関係ないように思える第三者に飛び火していた。

 

「あらら、アタシでいいの?ありがとう。」

 

 と萌絵に頭を撫でてもらってルリはご満悦の表情だった。

 そうしてそれぞれにキャイキャイしていると…。

 

「お前ラ。ココに来た目的ヲ忘れてるゾ。」

 

 とラモリさんが嘆息交じりの様子で指摘して、全員がそれにハッとする。

 

「うむ、そうじゃったな。つまり、ここには何かサプライズのよいアイデアがないか、と聞きに来たんじゃったな。」

 

 腕を組んで考え込むユキヒョウに倣う茶道部兼オイナリ校長先生の会メンバー達。

 

「ねえ、ユキさん。衣装を変える、っていうのはどうかな?私たちもちょうど…。」

 

 と、言葉を続けようとするルリの言葉をユキヒョウが遮った。

 

「ルリ、それはまだ内緒じゃろう?」

「あ、そ、そうだった。」

 

 と慌てて自身の口を抑えるルリをアムールトラが怪訝な様子で眺めていたが、それもすぐに終わる。

 

「衣装チェンジ…いいかもしれないね!」

 

 とともえがパッと顔を輝かせる。

 そして持ってきていた肩掛け鞄からスケッチブックを取り出してシュバババ、と何かを描きはじめた。

 

「ねえねえ。こんな感じはどうかな!」

 

 と、皆に見せたイメージスケッチに一同「「「「おおー…!」」」」と感嘆の声をあげていた。…がイエイヌだけは…。

 

「ええー!?」

 

 と驚きの様子を見せるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 今日も喫茶店『two-Moe』は中々の繁盛を見せていた。春香は今日も忙しく働いていたが、おかげで家族のいない時間があっという間に過ぎてくれた。

 先程、娘達のただいまー、という声が聞こえていた。

 三人とも前にも増して仲良くなっているようで春香としても嬉しい限りであった。

 と、ピョインピョインと跳ねながらラモリさんがやって来る。

 

「あら、どうしたの?ラモリさん。」

 

 珍しく何かを言いよどむような様子を見せるラモリさんに小首を傾げる春香。

 

「アー。その…。ナンダ。春香…。」

 

 しばらく迷った後、ラモリさんは再び言葉を紡ぐ。

 

「今日ハ少しバカリ閉店ヲ遅らせた方がイイゾ。」

 

 ラモリさんは結局、サプライズ計画を成り行きに任せる事にした。春香は外見こそ幼くすら見られがちだが、母親としては優秀だ。

 彼女に限って娘達の仕掛けるサプライズを無碍にする事もあるまい。

 そう判断したラモリさんはささやかな時間稼ぎをするに留めた。

 そんなラモリさんの様子に春香も詳しい事は訊かずに、

 

「そうね。じゃあそうしようかしら。」

 

 とだけ返すのだった。

 一体何が起こるのか、不安がほんのちょっぴり。ワクワクが9割くらいの心持ちの春香であった。

 閉店時間が今から待ち遠しいが、今日は少し遅めの閉店にしなければいけない。

 焦りは禁物である。

 とはいえ途端に時計の進みが遅く感じられる。しかも間の悪い事にちょうど客足も途絶えてしまっていた。

 早めの店仕舞いをしてしまいたい誘惑を必死に耐える春香である。

 遅々として進まない時計の針を待つ事しらばらく。

 なるべくゆっくりと閉店作業をした春香は住居部分へと上がる階段を昇る。

 

「ただいまー。」

 

 と玄関を開くと…。

 

「お、おかえりなさいませ。ひ、姫っ。お待ちしておりました。」

 

 と恭しく出迎えたのはイエイヌであった。

 白のYシャツに紺色のベスト。そしてネクタイにベストと同色のスラックスという執事スタイルである。

 ちなみに、ともえ達の服の中からそれらしいものをかき集めたのはいいが、スラックスは尻尾穴を急遽増設したのでこれはイエイヌ専用の服になる予定である。

 そして、ともえと萌絵は今回は脇役なので、それぞれ『two-Moe』のメイドさん風制服である。

 ちょっとセリフはたどたどしかったがそれでも様にはなっていた。

 

「あらまあ。今日はステキな執事さんがお出迎えね。」

 

 最初目を丸くしていた春香ではあったがすぐに相好崩す事となった。

 今日はボーイッシュスタイルなイエイヌは格好イイよりも可愛いが先に来ているなあ、と春香は心の中で微笑む。

 何なら今すぐにでもモフり倒したいくらいではあるがそこはグッと我慢である。

 ちなみに、イエイヌ用の『two-Moe』制服制作中の春香にとってこのボーイッシュ路線はよい刺激にもなっていた。

 

「さあ、姫。ど、どうぞこちらへ。」

 

 と、春香の手をとるイエイヌ。やはりどこかぎこちない動きではあるが、それもちょっとしたスパイスだ。

 そういえば、イエイヌはクロスナイトなのだからこの場で執事さん呼ばわりはちょっと不適切かな、なんて思う春香は少し考えてからイエイヌに手を伸ばして言う。

 

「じゃあ可愛い騎士さん。エスコートお願いね。」

 

 そうして春香の手をとってエスコートするイエイヌ。

 ここまでの動きは完璧だ、と心の中でガッツポーズのともえと萌絵である。

 サプライズティーパーティーの準備と並行して付け焼刃ながら立ち居振る舞いの演技指導をした甲斐があったというものだ。

 ちなみに、どさくさに紛れて散々自分たちも姫呼びしてもらったのはちょっとした役得と思っているともえと萌絵であった。

 そして何より、姫呼びを乗り越えた今となっては、勢いで春香をお母さんと呼ぶのだってぐっとハードルが下がっているはず。

 さあ、次はリビングへ移動して、春香をテーブルにつかせたら、得意のお茶を淹れるだけだ。

 リビングのテーブルまでのエスコートを終えて、いざ、という時テーブルについた春香がこんな事を言い出した。

 

「もしかして、皆も知ってたの?」

 

 その春香の言葉に一瞬時間が止まる。

 知っていた?何が?

 と、これは完全に想定外のセリフだった。

 戸惑うイエイヌ達を余所に春香はエプロンのポケットから一枚の封筒を取り出すと、その中身を広げて見せる。

 それは市役所からの封書だった。

 そこにはイエイヌが正式に遠坂家で保護されることを認める通知であった。

 今までは仮保護で、もしもこの家がイエイヌの保護に相応しくないと判断されれば別な場所での保護になったであろう。

 だが、これからは本保護だ。公的にもイエイヌは遠坂家の一員として認められたという事でもある。

 そして、これからはイエイヌは遠坂イエイヌとしてこの街の住民の一人となった、という事でもある。

 なるほど、これはお祝いには相応しい。

 だが、この想定外に果たしてイエイヌは対応出来るのか。事によっては作戦が台無しなるかもしれない。

 ハラハラと見守るともえと萌絵。しかし、春香の目の前で下手なアドバイスなど送ったらそれもそれで作戦台無しコースだ。

 そしてラモリさんも遠巻きに「やっぱりサプライズ計画をバラしておくべきだったのか!?」と悩んでいた。

 

「ええと、これはこれでもちろん嬉しいんですが…、今日はわたしの事じゃなくて春香さんの事でお祝いなんですよ。」

 

 ハラハラと見守られる側のイエイヌはというと意外にも落ち着いたものだった。

 春香の出した封書の上にそっと一枚のメッセージカードを置く。

 それは本当は最後の最後にとっておく保険とも言うべき切り札だった。

 そこには

 

 ~母の日 Ⅱ~

 

 という飾り文字の下に、大分上手になった文字で

 

『春香お母さん ありがとうございます。』

 

 と書かれていた。

 ここが正念場、とばかりにともえと萌絵も一歩を踏み出し

 

「そう!母の日を二回やっちゃいけないって決まりはないから、今日は母の日その2なんだよっ!」

「そうそう!普通の母の日の時はまだイエイヌちゃんがいなかったから今日こそが真の母の日なんだよっ!」

 

 完全に打ち合わせにはなかったがもうノリと勢いだけで援護に入った。

 これには、あらまあ、と言いたげにもう一度目を丸くする春香。

 春香の動きが完全に止まった今がチャンスだ!

 ともえと萌絵も、そして普段は見守る事に徹しているラモリさんまでもがイエイヌに合図を送っていた。

 そこでハッと気が付いたイエイヌ。

 学校から帰る道すがらも何度も練習したたった一言を絞り出そうと全身全霊を掛ける。

 

「は、春香おかあさん!いつもありがとうございますっ!」

 

 そしてついに目的の一言が出た。

 よし!と手のひらを合わせるともえと萌絵。そして今日はラモリさんの多機能アームもそこに加わっていた。

 そして、肝心の春香の反応はというと……。

 

「~~~~~!!」

 

 もう無言のままにイエイヌに飛びつき抱きしめてめちゃめちゃモフっていた。

 すっかり顔まで埋めてモフってるのは油断するとあまりに嬉しくて泣きだしそうなのを隠す為でもあった。

 

「はい。イエイヌちゃん、萌絵ちゃん、ともえちゃん。お母さん今日はとても嬉しかったのでこのままイエイヌちゃんを離したくありません!」

 

 と散々モフモフしつつ春香はキッパリと宣言した。

 もう、どうぞどうぞ、と萌絵もともえもほっこりとその様子を見守っていた。

 当初予定していたのとは全然違うが結果オーライだ。

 ただし、問題が一つ。

 

「あ、あのですね。わたし、この後春香さんにお湯に葉っぱ入れたヤツを淹れたかったんですが…。」

 

 とモフられたままではそれが叶わないイエイヌが控え目に言う。

 そこに挙手したともえ。

 

「大丈夫!ともえスペシャル新作があるから!」

「だ、ダメですともえちゃん!?春香お母さんにそんなものを飲ませるわけには!?」

「そんなものってイエイヌちゃんヒドくないっ!?」

 

 そんな賑やかな言い合いを始めたともえとイエイヌを萌絵とラモリさんがホッコリと見守っていた。

 既に自然と春香の事をお母さん呼びになっている事に作戦成功を確信する萌絵とラモリさんだった。

 そして春香は終始ご機嫌でイエイヌをモフり続ける。

 おそらく今日はこのまま春香がイエイヌを離す事はなさそうだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 その後は結局、春香がイエイヌを離したがらなかったので色々と想定通りにはいかなかった。

 イエイヌ得意のお茶の代わりに新作ともえスペシャルが振舞われるハメになったり、その後のお茶菓子タイムも春香がイエイヌにはい、あーんをしたりと、ともかく賑やかな一夜だった。

 サプライズティーパーティーから夕飯が終わっても春香がイエイヌを離したがらなかったので、ずっとモフられっぱなしのイエイヌ。

 結局その日は一晩中、春香がイエイヌを独占する事となったのだが、ともえと萌絵はそれに異議を唱える事はなかった。

 なんだかんだでイエイヌも満更ではないことを知っていたからだ。

 一夜明けた今日も春香はご機嫌だった。

 昨日のお礼に、と今日はお弁当をいつもよりも豪勢にしてみた春香である。

 

「じゃあ、萌絵ちゃん、ともえちゃん、イエイヌちゃん。三人とも気を付けていってらっしゃい。ラモリさんも皆をよろしくね。」

 

 それに三人とラモリさんがそれぞれに返事をする。

 そして、口を揃えて…。

 

「「「いってきます、春香お母さん。」」」

 

 という言葉に、春香は嬉しそうに目を細める。

 今日から名実ともに遠坂家は三人姉妹となり、遠坂春香は三人の母親となったのであった。

 

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第9話『クロスナイトは甘えたい』

―おしまい―

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話『1杯のジャンボパフェ』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 かつてヒトがいなくなったジャパリパークの世界に住んでいたイエイヌは、オイナリサマの手によってヒトとフレンズが仲良く暮らす現代的な世界へとやって来た。
 そこで遠坂ともえとその家族と出会う事となった。
 幸せな生活を予感させる中、本来その世界にはいないはずのセルリアンが突如襲い来る。
 フレンズの姿に変身する不思議な力を得たともえとイエイヌはそんなセルリアン達と戦い幸せな日常を守って来た。
 いつしか彼女達の戦う姿は謎の変身ヒーロー、クロスハートとクロスナイトとして人々の噂になっていった。
 そんな中、遠坂ともえとその姉、遠坂萌絵とは実の姉妹のように仲良くなったイエイヌであったが、母親の遠坂春香だけはいまだにお母さんと呼べずにいた。
 そこで三人は春香にサプライズを仕掛けて、ついにイエイヌに春香をお母さんと呼ばせる事に成功したのだった。
 公的にもイエイヌは遠坂家の一員として認められ名実ともにイエイヌは遠坂イエイヌとなったのであった。




 

 遠坂ともえと遠坂萌絵、そして遠坂イエイヌの暮らす家は2階が住居部分となっており、1階部分で喫茶店『two-Moe』を営んでいる。

 常連達には『もえもえカフェ』の通称で親しまれるこの喫茶店であるが、実はこの『two-Moe』つい先日看板をリニューアルしていた。

 店名はそのままではあるが、『two-Moe』の文字を守るかのように尻尾をグルリ、とさせた犬の意匠が追加されたのだ。

 店名は飲食店登録などの際に登録している為、そう簡単に変えるわけにはいかないが看板ならば話は別。デザイン変更は自由である。

 で、そんなリニューアルした看板と共に『two-Moe』には新しい店員が追加となった。

 そう。イエイヌである。

 

「ふぉおおおおお!?いい!いいよ!イエイヌちゃん!これは絵になるぅー!めっちゃ絵になるぅー!」

「ほんとだね!これは絵になるぅー!ほんとに絵になるぅー!」

 

 自身も『two-Moe』の制服姿となっていたともえと萌絵は凄まじい勢いでスケッチブックに絵を描いていく。

 そして一気に描き上げるとお互いのスケッチブックを交換して食い入るように見つめて、そしてお互いにパシン、と手を鳴らしてハイタッチする。

 今日の二人のモチーフはイエイヌだった。

 イエイヌの『two-Moe』制服はまず、ヘッドドレス。こちらはともえと萌絵とそして春香ともお揃いだ。

 そしてトップは白の袖なしブラウスに濃紺のベスト。首元にはリボンタイが結ばれている。

 肩口にフリルをあしらっているあたり仕事が細かい。

 そしてボトムはベストと同色の三段フリルのミニスカートであった。

 さらに両手首にはフリルをあしらったリストバンド。足元は白のハイソックスにローファー。

 左太ももにのみ巻きつけられたフリルつきのレッグリングがちょっとだけ艶めかしい。

 初めてその制服を着たイエイヌはウエストエプロンを引っ張るようにしてモジモジと恥ずかしそうにしていた。

 

「うふふ。ちょっと気合いれて作った甲斐があったわー。イエイヌちゃんとっても可愛いわよ。」

 

 春香も春香で実際に着せてみてとても満足のいく出来であったようだ。

 今日は学校帰りのともえ達三人を珍しくバイトに誘った春香。このイエイヌの制服をお披露目したかったようだ。

 平日の夕方以降の時間という事もあって、ちょうどお客さんもいない店内で制服お披露目会は家族水入らず状態であった。

 ラモリさんがそんな4人の団らん風景を通信で父親に送って、ドクター遠坂がその場に居られない事に悔しがっているところでカランカラン、とドア鈴が鳴る。

 どうやらお客さんだろうか。平日のこの時間の来客は珍しい。

 いい加減褒めちぎられて少しばかり居心地の悪かったイエイヌは一番にお出迎えに走った。

 

「い、いらっしゃいませっ。」

 

 まだたどたどしい様子で挨拶するイエイヌが出迎えたお客さんは…

 

「あ。こんにちわ。イエイヌさん。凄く可愛いですね。特にお耳の周りのヘッドドレスが凄く似合ってます。」

 

 かばんと…。

 

「うわぁー!ほんとだ!かわいー!何これどうしたの!?」

 

 とその後ろから飛び出したサーバルが興味津々といった様子でイエイヌの周りをぐるぐる回って観察する。

 

「サーバル。落ち着くのです。イエイヌが驚いているのです。」

「それにあまり騒いではお店の迷惑になってしまうのです。」

 

 そんなサーバルをたしなめるのは博士と助手であった。

 

「まー、でもさー。サーバルの気持ちもわかるよー。ねー。アライさーん。」

「そうなのだ!すっかり見違えたのだ!とってもとっても可愛いのだ!」

 

 と、さらに後ろからフェネックとアライさんまで現れてワイワイとイエイヌの制服姿を見ていた。

 

「皆さん、お揃いでどうされたんですか?まさかセルリアン…!?」

 

 さすがに6人全員が揃ったクロスシンフォニー達に一瞬イエイヌに緊張が走る。が…。

 

「あ、いえ。それはもう倒したところなので問題ないですよ。」

 

 と、あっさり言うかばん。その後を博士が続けた。

 

「ここにはコレが目的で来たのです。」

 

 と、スマートフォンの画面を示して見せる。そこには『期間限定!two-Moe特製超ジャンボパフェ!』という文字が踊っていた。

 

「い、いつの間にそんな新メニュー開発してたの…。」

 

 やって来たともえもその画面を見て、知らなかったと被りを振る。

 

「そりゃあそうよ、だって思いついたの今日だもの。」

 

 遠坂春香。思いついたら即実行な辺りはさすがともえの母親である。

 そうこうしていると、博士と助手がてててーっと一番奥のテーブルに陣取って…

 

「さあ、特製ジャンボパフェを出すのです。」

「我々はこの限定メニューを望んでいるのです。」

 

 と、二人して手でテーブルをペシペシと叩いていた。

 その様子にむしろ微笑ましいものを感じつつも春香はこう訊かなければならなかった。

 

「でも…。試作してみたはいいんだけど、お値段結構しちゃうんだけど大丈夫?」

 

 そう。

 この特製ジャンボパフェは春香が思いつきで作ってはみたものの、結構な材料が必要で原価が跳ね上がってしまい、結果お値段も相当になってしまっていた。

 その言葉に博士はあらためて値段を確認すると「う”っ」と変な声を出してしまった。

 

「少しは割引してこのくらいには出来るけど…。」

 

 と春香が示した数字に助手も「う”っ」と変な声を出して固まってしまった。

 春香としても出来れば娘の友人達なのでご馳走してあげたい気持ちはある。けれど、特製ジャンボパフェは原価も原価なので全員分ご馳走してしまうとお店の経営的に大ダメージだった。

 

「あのね、結構なサイズになるから、皆で一つ頼んで皆で分けて食べてみるっていうのはどうかしら?」

 

 春香の提案に博士と助手は「うぅむ…。」と難しい顔で考え込む。

 

「それくらいならおばさんがご馳走してあげるわ。せっかくだから感想モニターもしてくれるって条件でね。」

 

 とウィンクしてみせるのが決め手となった。

 

「よかろうなのです遠坂春香!」

「我々は特製ジャンボパフェをみんなで食べるのですよ!」

 

 と博士と助手はわちゃわちゃと春香にまとわりついて喜んでいた。二人に擦りつかれた春香はデレっと顔が緩んでしまう。

 何せこの二人はちょっと生意気な言動がいちいち子供っぽくて可愛いのだ。

 その様子にともえと萌絵が春香の肩を両側からポム、として「わかる」とばかりに頷いていた。

 

「じゃあ、私は早速ジャンボパフェ作っちゃうから他のお客さんが来たらお願いねー。」

 

 と春香がキッチンへと入る。

 それを見送ってから、博士は今度はかばんに向き直る。

 両肘をテーブルにつけて口元で腕を組み何やら重々しい表情で…

 

「かばん。」

 

 と語りかける。

 思わぬ緊迫した様子に見守るともえも萌絵もイエイヌも思わずゴクリ、と固唾を飲む。

 

「ま、まさか…。」

 

 その緊迫した様子に思い当たる節があるのか、かばんの頬に冷や汗が一筋流れた。

 

「そのまさかです。久しぶりにアレをやるのです。」

「いや、それは流石にダメなんじゃないでしょうか…。お店にも迷惑が…。」

 

 博士に反対の意を返すかばん。しかし、そこにすかさず助手の援護が入る。

 

「かばん。今は他のお客さんもいないのです。それに…。遠坂春香。久しぶりにアレをやっても構わないですね?」

 

 とキッチンの方に語り掛ける助手。すぐに「いいわよー。」と気楽な様子の返事が返って来た。

 かばんが恐る恐る、といった様子で他のクロスシンフォニーの仲間たちを振り返ると、サーバルもアライさんもフェネックもキラキラと目を輝かせていた。

 どうやら博士の提案に反対しているのはかばんだけのようである。

 それにとうとう諦めの嘆息を一つついてから

 

「わかりました。」

 

 と頷くかばん。

 ともえも萌絵もイエイヌもどうにも話が見えない。博士達は一体何を始めるつもりなのだろう、と疑問の表情を浮かべていた。

 それに気が付いたかのように博士がともえ達に向けて口を開いた。

 

「ふっふっふ。遠坂ともえ。ジャンボパフェは一つ。我々は6人。普通なら分け合って食べたらもう少し食べたかったなー、となると思いませんか?」

「あー。どうかなー。でもそうかも?」

 

 博士の自信満々の言動に多少の疑問はあれども取り敢えず頷くともえ。

 そして助手もまたニヤリとしつつ後を続ける。

 

「ところが、我々には我々にしか出来ない技でみんなでジャンボパフェを心行くまで楽しむ事が出来るのです。」

 

 それに、まさか、と萌絵が思い至った。萌絵がそれに気づいた事を悟ったかばんは恥ずかしさで赤くなった頬を隠すように両手で顔を覆ってみせる。

 その反応にどうやら予想が正解らしい、と確信した萌絵はそれを口にする。

 

「まさか…、クロスシンフォニーに変身してからジャンボパフェを食べるの?」

「「その通りなのです!」」

 

 博士と助手はどうだ、とばかりにふんぞり返っていた。

 

「「え、えぇー……」」

 

 と、ともえも萌絵も困惑の表情を浮かべていた。

 クロスシンフォニーへの変身は確かに6人が一人になる合体とも言える面がある。

 ただ、それで一杯のジャンボパフェを6人で味わうというのはどうなんだろう、と戸惑いがあった。

 まあ、春香がいい、と言っているからいいのだろう。

 おや?

 ちょっとまて、とともえも萌絵も引っかかりを覚えた。

 

「ねえ、お母さん…?もしかして…」

「かばんちゃん達がクロスシンフォニーだってずっと前から知ってた?」

 

 その引っかかりを萌絵が言って、後をともえが続ける。

 キッチンからは「そうよー。」と気楽な春香の返事が返って来た。

 

「ええと…。春香さんには割と以前から協力してもらってたんです。正体も内緒にしておいてくれるって約束してくれてましたし。」

 

 と、かばんがフォローしていた。

 

「いや、全然知らなかったよ。お店で会う事全然なかったもん。」

 

 ともえが言う通り、かばん達と『two-Moe』で会う事はクロスハートになる前は全然なかった。

 

「まー。ここを作戦会議で使わせてもらうとか、簡単な祝勝会みたいな事くらいで、毎日利用してたってわけでもないからねー。」

「アライさんとしては毎日でも利用したかったのだ!」

 

 フェネックの説明に何故かアライさんがふんぞり返る。

 

「でもさ、ここがともえちゃん達のおうちだって分かった時はビックリしたよね。」

「あー…。そうだね。色んな意味で…。」

 

 サーバルの言葉にかばんが頷いて何やら遠くの方へ視線を彷徨わせる。

 

「確かに…。我々も遠坂春香が年上でしかも娘までいると聞いた時には驚かされたものです。」

「あれは我々のかしこさをもってしても見抜けなかったのです…。」

 

 と、博士と助手も同じように視線を彷徨わせた。

 それにはともえも萌絵も苦笑するしかなかった。

 

「でも、こういうやり取りも懐かしいよねー。」

 

 と言うサーバルにフェネックがうんうん頷いていた。

 

「そうだねー。ある意味、クロスシンフォニーに変身してここで初めてパフェを食べた時が私たちがほんとにチームになった時だったかもしれないねー。」

「そうなのだ!あの時から嬉しい事は6倍の無敵のチームになったのだ!」

 

 アライさんが続ける言葉にともえ達も興味をそそられる。

 

「ねえねえ、それって昔の話だよね?アタシも知りたいっ!」

 

 と詳しい話をせがむともえに萌絵もイエイヌも同意とばかりに何度も頷いていた。

 その視線に博士と助手もサーバルもフェネックもアライさんも一様にかばんを見て視線で「話してあげて」と催促していた。

 

「わかりました…。じゃあ、少しだけですよ。」

 

 やはり諦めの嘆息と共にかばんはテーブルにつくと一つの思い出話を語り始めるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 それはちょうど今から1年程前の事であった。

 かばんは中学1年生になるとほぼ同時にサーバルと一緒にフレンズの姿に変身する不思議な力を得た。

 そうして、たまに現れるセルリアン達と戦い、街や学校を守って来たのだ。

 半ば無理やりな形で生徒会庶務に引き入れられたかばんとサーバルであったが、その中でアライさんとフェネックと仲良くなりいつしか仲間となった。

 そしてかばんとサーバルを生徒会に引き入れた張本人である当時生徒会長の博士と助手もクロスシンフォニーの仲間となったのだった。

 これはちょうど博士と助手が仲間になった直後のお話である。

 

「怪談の調査?」

 

 当時生徒会長である博士は生徒会室で小首を捻る。

 学内各所に設置された生徒会への意見箱の中に気になるものを見つけたのだ。

 怪談、と聞いて一緒に生徒会室にいたかばんが「うぇ!?」と露骨にイヤそうな顔をする。彼女はホラーは大の苦手だった。

 

「まあまあ、かばんさーん。取り敢えず話だけでも聞いてみようよー。博士が気になったって事は何か理由があるんだよね?」

 

 青い顔をするかばんをまあまあ、と宥めるフェネック。こっそりとサーバルを隣に座らせてかばんの手を握らせる事も忘れない。

 そのまま視線で博士に先を続けるように合図を送る。

 

「この投書を見て欲しいのです。」

 

 と博士が示した投書をかばん、サーバル、助手にアライさんとフェネックのその場にいた生徒会メンバーがそれを覗き込む。

 そこにはこう書かれていた。

 

~旧校舎に最近現れるという謎のオバケを退治して下さい。~

 

 詳しい内容を見てみる一同。どうやら最近、夕方くらいになると旧校舎付近に真っ白い霧がかかって数メートル先すら見えなくなるというのだ。

 

「それだけではないようですね…。」

 

 助手がさらに後を読み上げる。

 続く内容は、その白い霧に飲まれたヒトやフレンズは謎の頭痛を感じるというのだ。

 そして、そうした生徒達は一様に額に真っ赤な腫れを残すという。

 最近生徒達の間で噂になりはじめた旧校舎の怪談である。

 曰く、旧校舎のオバケの仕業である、と。

 

「そういえば、保健委員の子が言っていたのだ。最近下校時刻辺りに額を腫らした子が駆け込みでやってくるって。」

 

 アライさんの言葉から、どうやらこのオバケ騒動は実際に被害者も出ているらしい。

 

「かばん。これはセルリアンの仕業とは考えられませんか?」

 

 博士がかばんの方を見る。さっきまで怪談と聞いて青い顔をしていたはずのかばんは今は真剣な表情で考え込んでいた。

 

「そうですね…。その可能性は高いと思います。」

 

 頷くかばんにクロスシンフォニーの仲間たちも頷きを返した。

 その後、全員の視線が生徒会室の一角に集中する。

 そこは教師用の机が置かれた場所ではあるが、そこに座る教師はいない。

 その代わり、と言わんがばかりに机の上には水色のカラーリングのラッキービーストがちょこん、と乗っていた。

 

「では、ボス。まずは現場の調査、という事でいいですね?」

 

 代表して、というようにその青いラッキービーストに声を掛ける博士。

 しばしセンサーアイを明滅させて考え込む仕草を見せるラッキービースト。そのセンサーアイの明滅を終わらせると

 

「ワカッタヨ。かばん。みんな。十分気ヲ付けテ。クロスシンフォニーの出動承認ダヨ。」

 

 と声を発した。

 

「よぉーし!クロスシンフォニーの出動なのだー!」

 

 一番に気勢をあげるアライさんに全員が「おー!」と返事を返す。

 そんな中でかばんは繋いだままのサーバルの手に力を込めて、サーバルはそれを同じように握り返して耳元にそっと呟いた。

 

「大丈夫だよ、かばんちゃん。私もボスもみんなだっているもん。怖い事なんて何もないよ。」

 

 そんな耳打ちはかばんにだけしか聞こえていない。

 かばんはやっぱりオバケは苦手なのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 早速、旧校舎へと調査に訪れた一同。ちょうど時間も夕暮れ時。生徒達が白い霧を目撃したのと同じ時間帯である。

 旧校舎へと続く道は既に人気はなく、なんとも不気味な雰囲気が漂っている。

 そんな中、かばんは相変わらずサーバルの手を握ったままだった。

 

「生徒達の目撃情報によれば大体この辺りで白い霧が発生した、という事ですが…。」

 

 キョロキョロ、とあたりを見渡す博士。

 

「ボス。どうですか?セルリアンの気配はありますか?」

 

 助手の腕に抱えられた青いラッキービーストに声を呼びかける博士。しばらく「ケンサクチュウ、ケンサクチュウ…。」とセンサーアイを明滅させた後に…

 

「少し、サンドスター・ローの濃度が濃いヨ。セルリアンかどうかハ…。わからないネ。」

 

 そのラッキービーストの言葉にかばんは腕を組んで考え込む。

 

「ラッキーさん。それってサンドスター・ローの濃度は若干濃いけれど、誤差の範囲内って事でしょうか。」

「そうだネ。セルリアンの痕跡カモしれないし、そうじゃないカモしれないヨ。」

「もうー。ボスぅー。結局どっちなのー?」

 

 何とも判断に迷うラッキービーストの言葉にサーバルもまた迷っていた。

 

「それを調べる為にここに来たのです。もう少し周囲をよく見てみるのがよいと思うのです。」

 

 とフォローする助手の言葉に一同頷いて回りをよく観察しはじめる。

 アライさんが這いつくばるようにして地面をじーっと観察し、フェネックも周囲の木々の様子を見てみる。

 

「あ!アリさんの行列発見なのだ!凄いのだ!巣も発見したのだ!」

「アライさーん、それは今は関係ないと思うなー。」

 

 しかし、そんな努力も今のところ成果には結びつかず時間だけが過ぎていく。

 と、下校時刻を報せる放送が鳴り始めた。

 この放送が鳴ったら、生徒達は帰宅しなくてはならない。

 今日のところはこれまでにしようか、と全員が顔を見合わせた時……。

 

―ブワッ

 

 と唐突に周囲に真っ白な霧がかかる。

 

「うわわっ!?な、何なのだ!?全然前が見えないのだ!?」

 

 アライさんが慌てるのも無理はない。

 何せ周囲が突然あらわれた濃霧のせいでお互いの姿すらよく見えない状況になってしまったのだ。

 

「キケン。キケン。サンドスター・ローの濃度ガ急速に上昇中。セルリアンが近くニいるヨ。」

 

 そんな中でラッキービーストの警告が響く。

 この状況でその警告は却って混乱を助長させてしまった。

 

「みんな、落ち着いて!変身しましょう!」

 

 その混乱が場を支配するよりも早く、かばんの声が濃霧の中に響いた。

 そうだ、変身してしまえば、この濃霧の中ではぐれる事もない、と落ち着きを取り戻した一同。

 全員が制服の袖の下に隠していた左腕の時計のようなものをバッと露わにする。

 そして揃いのポーズでその左腕を引き寄せて、同時に叫ぶ。

 

「「「「「「変身ッ!」」」」」」

 

―カッ

 

 と濃霧の中にサンドスターの輝きが生まれる。

 そして、その輝きが治まった時には6人は1人となっていた。

 ピンク色のカーディガンにクリーム色のミニスカート。そして大きな耳と尻尾をもつフレンズの姿をした彼女こそがこの街を守るヒーロー。

 

「クロスシンフォニー!」

 

 である。

 フェネックシルエットへと変身したクロスシンフォニーは周囲の音を頼りに状況を把握。

 まずはラッキービーストを拾い上げて腕の中に抱える。

 

「ラッキーさん。ボク達のそばから離れないで下さいね。」

「わかったヨ。クロスシンフォニー。」

 

 聴覚に優れるフェネックギツネの特徴を持つフェネックシルエット。周囲がこの真っ白な濃霧の中でも辛うじて周囲の状況を把握できていた。

 と……。

 

―ヒュンッ!

 

 何かが高速で飛来する風切り音がその聴覚に届いた。その音から明らかにクロスシンフォニーを狙っている。

 あてずっぽうで身を捻ったクロスシンフォニー。どうにかその飛来物を回避出来た。

 地面にカツッ、と何かがぶつかる音が響く。

 小石か何かがかなりの速度で飛んできたようだ。

 ほっと安心する暇はなかった。

 

―ヒュンッ!ヒュンッ!ヒュンッ!ヒュンッ!

 

 と次々に先程と同様の何かが飛来してきたからだ。

 音から察するに、何かが飛んでくる方向には旧校舎があった。

 きっと旧校舎内からこの射撃を行っているのだろう。

 だが、凄まじい射撃の勢いに近づく事が出来ない。

 

『かばん!何とか旧校舎へ入らなくてはジリ貧です!』

 

 博士の声が頭の中に響く。それに頷きクロスシンフォニーは何とか前へ進もうとした…が…。

 前へ進めば進むほど、弾幕も濃くなってくる。

 なんとか聴覚を頼りに回避していたクロスシンフォニーであったが…

 

―ビシッ! 

 

 と太ももに衝撃が走る。

 どうやらついに足に命中してしまったようだ。

 

『で、でもダメージは大した事ないのだ!このまま進むのだ!』

 

 とアライさんの声が響く。

 クロスシンフォニーもそれに頷き前へ進もうとしたのだが…先程衝撃を受けた足に思わぬ痛みが走り足が止まってしまった。

 

―ヒュンッ!

 

 と足が止まったクロスシンフォニーへ向けて狙いすました一撃が飛来する。

 

―コッ!

 

 と意外と軽い音を立てながらそれはクロスシンフォニーの眉間を打ち抜いたのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 場面は喫茶店『two-Moe』へと戻る。

 

「ええー!?!?じゃあ、クロスシンフォニー負けちゃったの!?」

 

 かばんの話を聞くともえが驚きの声をあげた。

 

「まあ、あの場では負け、と言えたかと思います。」

 

 とそれを肯定するかばん。

 

「ただ、あの一撃を受けた後、完全下校の放送が鳴ると同時に白い濃霧も晴れてセルリアンの気配も消えたのですよ。」

「なので、完全に負けたわけでもなかったのです。」

 

 と博士と助手がフォローしていた。

 

「それでその後、セルリアンを探したんだけど見つからなくて、このお店で作戦会議したんだよねー。」

 

 サーバルが懐かしく話すのに合わせてアライさんとフェネックもうんうんと頷いて見せる。

 

「で、で、どうなったの!?クロシシンフォニー勝ったんだよね!?ね!?」

 

 すっかり話に引き込まれたともえはその先を早く、とせがむ。

 そんな様子にクロスシンフォニーの仲間達は顔を見合わせ微笑み合ってからその続きを話し始めるのだった。

 

 

 

 

―後編へ続く




【登場人物紹介】


名前:ラッキービースト
特技:セルリアン索敵 セルリアン分析 情報検索
好きな物:かばん サーバル ミライ ノナ クロスシンフォニーチームのみんな

水色と白のカラーリングのラッキービースト。
ラモリさんとは違い尻尾も通常型である。
かつて星森家でかばんとサーバルと暮らしていてクロスシンフォニーのサポートにあたっていた。
簡易ながらセルリアンの索敵機能や解析機能を備えている。
フレンズ達からはボス、と呼ばれて親しまれており、かばんはラッキーさんと呼んでいる。
現在その姿を見ない理由については今後明かされていく……かもしれない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話『1杯のジャンボパフェ』(後編)

 

 時は再び1年程前に遡る。

 

 白い濃霧の中で翻弄されて額に一撃を受けたクロスシンフォニーであったが、幸いにもダメージは大した事はなかった。

 少しばかり額に痛みがあって、赤く腫れているようではあるがその程度の被害だった。

 なるほど、これが頭痛の正体か、と納得したクロスシンフォニー。

 濃霧の晴れた旧校舎へと続く道を歩いてみたし、旧校舎の中も調べたが結局セルリアンの手がかりを見つける事は出来なかった。

 既に完全下校時刻も過ぎてしまった為、校内に長居する事も出来ず、変身解除したクロスシンフォニー達は一度場所を変えて対策を考えるため作戦会議をする事にした。

 その場所こそが春香のいる喫茶店『two-Moe』だったのだ。

 事情はよくわからないが、自分たちと同い年…もしくは年下にすら見える小さな女の子が頑張っているお店、と勘違いしていたかばん達は『two-Moe』をひいきにしていた。

 そして、とある事情で春香はクロスシンフォニーがセルリアンと戦って街を守っている事を知っていた。

 なので、『two-Moe』は気兼ねなくセルリアンの話が出来る場所でもあったのだ。

 早速定位置となった一番奥のテーブルに座るかばん達。テーブルの真ん中にラッキービーストをちょこんと置いて作戦会議を開始した。

 

「やっぱりあの濃霧が厄介ですよね…。」

 

 今日は店内だというのに、珍しくトレードマークとなっている二本羽根のついた帽子をかぶったままのかばんが言う。

 それに頷く一同。

 

「それにさー。何を飛ばして来てたのかわからないけど、あの射撃も厄介だよー。濃霧の中なのに私たちの位置が正確にわかってるみたいだったからねえ。」

 

 そのフェネックの言葉にも全員頷かざるを得なかった。

 

「ラッキーさん、あのセルリアンは何を飛ばして来てたかはわからないですか?」

 

 とテーブル中央のラッキービーストに訊いてみるかばん。

 

「わからないヨ。何せあの霧デ光学センサーが殆ど効かなかったカラ解析できなかったんダ。」

 

 普段は検索してみて該当するものがなければ「アワワワワ。」となるラッキービーストも検索そのものが出来ずにいた。

 

「ケド、今までのセルリアンに比べテ、あんまり攻撃力は高くないネ。」

 

 というラッキービーストの言葉に頷く博士。

 

「確かに今回のセルリアン…。攻撃力が低いのは幸いだったのです。おかげで大した怪我もせずに済んだのです。」

「でもいくら攻撃力が低いって言ったって、あれだけ連射されたら大変だよぉー。」

 

 博士の言葉にサーバルはテーブルに顎を乗せて疲れた様子を見せた。

 今まで出た言葉のどれもが実感がこもっている。実際に全員が戦いに参加していただけにどの言葉も正しい事は全員がわかっていた。

 相手の強みは理解出来たが、ではそれをどう攻略していくか…。それが難題であった。

 

「あの濃霧の中を動くのならやはりフェネックシルエットが一番なのです。それは間違っていないと思うのです。」

 

 助手の言う通り、砂漠の砂に穴を掘って地中ですら状況把握が出来るというフェネックギツネの特徴をもつフェネックシルエットは今回の濃霧対策にはうってつけだった。

 

「けどさー。サーバルが言う通り、あの連射力は厄介だよー。無理やり前に進もうとしたってまたハチの巣だよー。」

 

 特にフェネックはフェネックシルエットとして一番近くで戦ったわけでその言葉は一段と実感がこもっていた。

 

「なら、私のアフリカオオコノハズクシルエットか助手のワシミミズクシルエットで空から近づくというのは…。」

「いえ、空から近づいても結局濃霧に突っ込むのは変わりないです。むしろ思わぬ障害物に衝突するかもしれないぶん危険かもしれません。」

 

 博士の提案にかばんは被りを振る。

 

「ってことは私のサーバルシルエットで一気にスピードで駆け抜けるって手も…」

「間違いなく途中で木にぶつかるですね。」

「サーバルはドジっこだからそうなる未来しか見えないのです。」

「もぅ!博士も助手もヒドイよぉ!」

 

 とは言え、空から近づく案もスピードで一気に駆け抜けるという手も難しいように思えた。

 やはりここはフェネックシルエットを中心に作戦を考える他なさそうだ。

 

「むむむぅ……なんで…」

 

 とここに来てアライさんが唸り声をあげる。

 何事かと全員がそちらを見ると同時、バッと顔をあげるアライさん。

 

「なんで誰もアライグマシルエットについては触れないのだー!アライさんの可能性も探って欲しいのだー!」

 

 アライさんが言うように最初からアライグマシルエットに関しては今回の突破口としては除外されていた。

 アライグマシルエットは手で触れたものの特徴を把握する破格の分析技である『アライアナライズ』を使えるし、手先も器用なので即席トラップを作ったりも出来る。

 だが…

 

「だってアライさーん。アライグマシルエットって若干目が悪いからねぇ。」

 

 フェネックの言う通り、アライグマシルエットは視覚がよくないという弱点もある。

 今回、濃霧を突破するには一番不向きだと思われたのだ。

 つまるところ、フェネックシルエットを中心として濃霧を突破しなくてはならないのだが、何か対策がないと今日と同じ結果になってしまう。

 今のところ、八方塞がりに思えた。

 と、そこに…。

 

「みんな、そろそろ注文決まったかしら?」

 

 春香がやって来た。

 慌ててメニュー表を見る6人。作戦会議に夢中で全然何を注文するか決めていなかった。

 

「ごめんなさい。お話の邪魔をしちゃったかしら?お水のおかわり持ってくるからゆっくり決めてね。」

 

 春香としてもこのタイミングで話しかけたら邪魔になるのは分かってはいたのだが、大分煮詰まってしまっているようだったので少しでも空気を入れ替えてあげたかった。

 そして、かばん達としても何も頼まずにお店に長居するわけにはいかない。

 たとえ春香がクロスシンフォニーの協力者だとしても、年下(だと思い込んでいる)の子に迷惑を掛けるわけにはいかないのだ。

 

「あ、いえ、注文します。」

 

 と反射的に答えるかばん。とはいえ、現在のお小遣い事情は芳しくなかった。

 なので、あまりお高いものは頼めない。それは全員似た様なもののようだった。

 だというのに…、全員の視線はメニュー表の一つに釘付けになっていた。

 それは1ページ丸々使って宣伝されている期間限定メニューの超ジャンボパフェであった。

 もちろんお値段は結構してしまう。

 だが、考えれば考えるほど、その超ジャンボパフェに目がいってしまうのだ。

 早くしないと春香にも迷惑がかかる、と全員が焦りを覚える。

 

「だったらさ、コレ頼んでみんなでわけっこしない?」

 

 と言うサーバルの言葉に全員がナイスアイデア!と目を輝かせた。

 確かに結構なお値段の超ジャンボパフェであるが、6分の1なら現在のお財布的にも優しくなる。

 

「わかったわ。じゃあ作ってくるからちょっと待っててね。」

 

 と、春香がキッチンへ向かおうとしたところで…。

 

「ちょっと待ったなのです。」

 

 と博士が待ったをかけた。

 何事だろう、と博士を見る一同。

 そんな中で博士は一度店内をぐるり、と見まわして他にお客さんがいない事を確認。

 

「そのジャンボパフェ。変身して食べたらどうなるか、興味がないですか?じゅるり。」

 

 その言葉に一同ハッとする。

 

「なるほど、変身して出来る事の検証というわけですね。これは重要な事なのです。決してジャンボパフェを丸ごと味わいたいというわけではないのですよ?じゅるり。」

 

 博士の言葉に助手が早速食いついた。語尾に食い意地が出てしまっているがそこは敢えてスルーされていた。

 かばんを除く全員がその提案を面白そう!と思っていたからだ。

 

「で、でもそれはさすがにお店にも迷惑がかかりますし、他のお客さんに見られたら…。」

 

 と、しどろもどろに反対意見を言うかばんであったが…。

 

「あら、私は構わないわよ。私も実際どうなるのかって興味あるし、この時間には多分他のお客さんも来ないわよ。」

 

 と春香にあっさりと許可されてしまってはお店の事情でダメという事は出来なかった。

 一縷の望みをかけてラッキービーストに助けを求める視線を送ってみるかばんであったが…

 

「タマニは、イイんじゃないカナ。」

 

 とその望みもあっさり断たれてしまった。そして他のメンバー達に「さすがボスぅ!」と抱えられていた。

 

「じゃあ、ジャンボパフェを作ってくるからちょっと待っててね。」

 

 春香がキッチンへ入って待つことしばらく。

 超特大サイズのジャンボパフェがやって来た。

 それは大きなグラスに渦を巻いたホイップクリームがそびえたち、グラスの淵にはバナナやキュウイ、イチゴなどがトッピングされている。見た目にも鮮やかなジャンボパフェであった。

 これには博士と助手ならずとも、思わず「おいしそう…」と声が漏れてしまった。

 かばんは運んで来た春香に「ほんとにいいの?」と視線を送るが、「もちろん」とでもいうように笑顔で頷かれてしまった。

 みんなワクワクした目でかばんを見ているので、もう覚悟を決めるしかない。

 やけくそ気味に…

 

「変身!」

 

 と叫び、他のメンバーの

 

「「「「「「クロスシンフォニー!」」」」」」

 

 という声が重なる。

 サンドスターの輝きがその場を覆い隠し、一瞬後に現れるのは金色の髪に白いブラウス、ヒョウ柄のスカート姿のクロスシンフォニー・サーバルシルエットであった。

 初めて変身を間近で見ていた春香の小さな拍手が続く。

 それにちょっと気恥ずかしそうに頭の後ろをかいてみせるクロスシンフォニー。

 

「ともかく…。じゃあいただきます。」

 

 一度手を合わせてから、クロスシンフォニーはスプーンを手にとった。

 スプーンを手にとるとあらためて大きさが比較されて、その特大サイズのジャンボパフェがどれだけジャンボなのかより際立った。

 心の中では他のメンバーがわくわくしている様子が伝わってくる。

 とりあえずホイップクリームをひとすくいして口の中に入れてみる。

 

『あまーい!』

 

 と心の中でサーバルが喜んでいる様子が伝わってくる。

 だが、ホイップクリームの層だけで結構な量だ。ちょっと食べ方を工夫しないと甘さに飽きてしまいそうだ、とかばんはあたりをつける。

 なので、なるべく一点を掘るように、下の層を目指していった。

 アイスクリームの層にたどり着けば、そこで味が変わってくるはずだ。

 途中でトッピングされた果物類を挟みつつクロスシンフォニーは最初のホイップクリームの層を進んでいく。

 なるほど、キュウイやイチゴなどやや酸味が強いフルーツの方が甘さをリセットするのにはちょうどいい。

 程なくしてグラス内の最初のアイスクリームの層に到達した。

 そこをホイップクリームと混ぜるようにしてアイスクリームとホイップクリームの両方を攻略していくクロスシンフォニー。

 

『ホイップクリームとバニラアイスの組み合わせは中々ですね。助手。』

『ええ。今度おうちでもやってみるのですよ。博士。』

 

 この組み合わせは鉄板だ。食べ進めるクロスシンフォニーにも勢いが増す。

 あれだけあったホイップクリームとアイスクリームの層はあっという間に平らげられていった。

 続けて現れるのは再びホイップクリームの層だ。

 溶けかかったバニラアイスが混ぜ合わさって、1層目とは違う味に変化しているのが予想できた。

 だが、先程まで食べていたバニラアイス+ホイップクリームの組み合わせと一緒であるから、クロスシンフォニーは飽きも覚悟していた。

 しかし……。

 

『おお!?これはなんなのだー!?クリームの中にモチモチしたものが隠れているのだー!?』

『これって白玉団子かなー?面白い食感だねー。』

『し、しかもなんかザクザクしたのも混ざってるのだー!』

『こっちはシリアルを混ぜてあるんだねえ。さっきまでと味に変化があって面白いねえ。』

 

 と、食べ進めていくとアライさんとフェネックが言った通り、白玉団子やシリアルが顔を出して味と食感に変化をもたらす。

 その食感を楽しんでいるうちにあっという間に第二のホイップクリームの層も制覇していた。

 最後は再びアイスクリームの層である。

 いきなりカラメルソースがお出迎えであった。

 

「なるほど……。ちょっとビターなカラメルソースが嬉しいですね…。」

 

 ここまで甘い味が続いていただけに、カラメルソースに隠されたちょっとした苦みはよい清涼剤となった。

 

「(多分、カラメルソースを作るときに隠し味でインスタントコーヒーを混ぜたのかな?これ、おうちでも作れそう…。)」

 

 かばんは心の中で味を分析していた。

 外で何かを食べる時には味を分析しておうちで再現するのが常であった。

 

「(でもサーバルちゃんとノナ母さんは苦いのあんまり好きじゃないからミライお姉ちゃんに試してもらおうかな?あ、ミライお姉ちゃん用ならラム酒とか少し混ぜちゃってもいいかも。)」

 

 とアレンジレシピまでも考えていると…。

 

『かばん!我々にもそれを食べさせるのです!』

『これはとても美味しいのです!なので我々にも作るのです!』

 

 その心の声を察知した博士と助手がそう言い始める。

 変身中は一心同体なわけで、油断するとこうした心の声は察知されてしまうのだった。

 

『私も!私も!』

 

 と言うサーバルに、かばんは今度のオヤツにこのアレンジカラメルソースを利用したちょっと苦めのプリンでも作ってみようかな?と考える。

 家族分はおうちで作れるからいいとして、博士助手とアライさんとフェネックの分は保冷バッグとかを使えば何とかなるかな?とさらに考えを巡らせていく。

 

『アライさん達の分も作ってくれるのかー!ありがとうなのだ!やっぱりかばんさんは偉大なのだー!』

『よかったねえ。アライさーん。』

 

 と嬉しそうな声が聞こえてくると、何とか実現したくなってしまう。

 そうやって考えているうちに、あっという間に最後の層も制覇してしまった。

 特大ジャンボパフェ、完食である。

 

「ごちそうさまでした。美味しかったです。」

 

 言いつつ変身解除したクロスシンフォニー。元の6人へと戻る。

 

「でも、さすがにこれだけ食べるとおなかが苦しいですね。今日の夕ご飯入るかなあ…。」

 

 と零すかばんに他の5人が「「「「「え?」」」」」という顔をする。

 

「いや、私は全然おなかが苦しくはないですが助手はどうなのです?」

「ええ、私も…。おなかが苦しい、という程ではないのです。」

 

 その博士と助手の言葉にアライさんとフェネックも自身のおなかをさすってみる。

 

「アライさん達もおなかが苦しい、という程ではないのだ。」

「もしかして、かばんさんだけがおなかが苦しくなってるー?」

 

 と考え込む一同。

 

「クロスシンフォニーはかばんが中核となるわけで、変身解除後はかばんだけが食事をした状態…?いや、それだと我々もちょうどいい満腹感を得られた説明が…。」

 

 と真剣な表情で考え込む博士。

 しばらく独り言のようにブツブツと考えに没頭する。

 そして、かばんへと顔を近づけるとじーっとその瞳を覗き込む。

 すぐ近くに博士の顔があってタジタジのかばん。

 

「あ……、あの…博士先輩?」

 

 と、戸惑いを口にしたかばんに、博士は店内だというのに被ったままにしていたかばんの帽子をひょいっと脱がせた。

 そして、そのままかばんの前髪をあげさせると…。

 

「「「「あー!?」」」」

 

 と全員がそれを見て驚愕の声をあげた。

 かばんの額にだけ、まだ赤い跡が残っていた。

 これはクロスシンフォニーがセルリアンの射撃を受けた位置である。

 

「助手。」

 

 と目配せする博士。その意を汲み取って、助手はささっとかばんの脇にまわると、なんと制服のスカートを捲り上げてしまった。

 

「ひゃわぁあああ!?じょ、助手先輩っ!?!?」

 

 と思わず悲鳴をあげてスカートを抑えるかばんであったがもう遅い。その露わになった太ももには、ちょうどクロスシンフォニーが先程射撃を受けたのと同じ位置に同じように赤い跡が残っている。

 

「誰か、同じ跡が残っている者はいるですか?」

 

 博士は自身の前髪をかき上げながら訊ねるが、誰の額にも同じ跡はない。

 そして太ももの跡も同様だった。

 

「まったく…。かばん。お前というやつは…。」

 

 ハァ、と嘆息してみせる博士。その嘆息には呆れが混じっていた。

 サーバルもアライさんもフェネックも何がどうなっているのだろう、と戸惑ってお互いに顔を見合わせる。

 そこに助手が解説の声をあげた。

 

「博士は気づいたのです。かばんはクロスシンフォニーに変身した際、痛いとか苦しいとかそういうのは私たちに来ないように全部自分だけで引き受けている、という事に。」

 

 それに再び「「「えー!?」」」とサーバル、アライさん、フェネックの三人が驚愕の声をあげた。

 かばんは気まずそうに視線を逸らしているあたり、助手が解説した事は本当なのだろう。

 

「しかも、さっきのパフェでわかったのです。かばん。変身中の色々な割り振りはかなりコントロールできるのではないですか?」

 

 さらに顔を近づける博士にかばんは観念したかのようにコクリと一つ頷く。

 

「しかし、こうなると、あのセルリアンとの戦いにも一つ作戦があるのです。」

 

 そのことを黙っていた罰だ、と言わんがばかりにツン、とかばんの額を指でつついた博士。そのままみんなに振り返って言う。

 

「この作戦の鍵は、アライ。お前なのです。」

 

 先程一番に濃霧突破役から除外されたアライグマシルエット。しかし、それを使うという事だろうか。

 博士はテーブルにみんなを集めてコショコショ、と作戦を説明する。

 

「そ、そんな!?そんなのダメですよ!?」

 

 と、かばんが反対の意を示すものの…。

 

「いや、アライさんやるのだ。かばんさんが痛いのはアライさんだってイヤなのだ。だから任せるのだ。」

 

 かばんの肩をポム、と叩くアライさん。

 

「そうなのです。我々は先輩でしかもこの学校の長なのです。少しは頼る事を覚えるといいのです。」

「かばんは優秀ですが他人に任せるという事をしないで我慢してしまうのが悪い癖なのです。」

 

 と博士と助手もそれぞれにかばんの肩に手をおく。

 

「それにさー。ほら、見てみなよー。」

 

 と今度はフェネックがサーバルを指さす。

 フェネックの示した先にはしょんぼりしたサーバルがいた。

 

「ごめんね。かばんちゃん。私、一番最初にかばんちゃんと一緒にクロスシンフォニーになってたのに、全然気づかなかったよ。」

 

 そんなしょんぼりした顔をされてはかばんの胸も痛んでしまう。

 

「だけどね!これからは一緒がいい!楽しい事だけじゃなくて痛い事も辛い事も一緒にしたい!お願い、かばんちゃん!」

 

 その訴えにとうとうかばんも折れるしかなかった。

 

「ありがとう、サーバルちゃん。ありがとうみんな。じゃあ、明日博士先輩が考えてくれた作戦でもう一度あのセルリアンと戦おう。そして今度こそ勝とう!」

 

 かばんの差し出した手の甲にまず博士と助手が手を乗せた。

 

「もちろんなのです。我々はかしこいので。」

「ええ。我々は学校の長なので。」

 

 続けてアライさんとフェネックがその上にさらに手を乗せる。

 

「アライさん達は嬉しい事は6倍の無敵のチームなのだ!」

「ついでに、これからは辛い事は6分の1の無敵のチームだねえ。」

 

 そして最後にサーバルが手を乗せて、さらにその上にラッキービーストを乗せた。

 

「じゃあ、今度こそ勝ってかばんちゃんにオヤツ作ってもらって祝勝会しようね!ボスも一緒に!」

「マカセテ。」

 

 こうして1杯のジャンボパフェはクロスシンフォニーの結束をより強固なものにしたのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 翌日。

 時刻はもうすぐ下校時刻となる夕方。

 何故かはわからないが、あの濃霧は下校時刻の放送が鳴り始めると同時に現れて、完全下校のお報せの頃に消えてしまう。

 その短い間にセルリアンを見つけ出して倒さなくてはならない。

 夕暮れの中、6人は揃って濃霧が発生する問題の場所で待ち構えていた。

 と…、下校時刻を報せる校内放送が鳴り始める。

 かばん達6人は同時に左腕をバッと前に突き出して制服の袖の下に隠された腕時計のようなものを露わにし、それを揃いのポーズで引き寄せて叫ぶ。

 

「変身!」

「「「「「「クロスシンフォニー!」」」」」」

 

 サンドスターの輝きと白い濃霧が現れるのは同時だった。

 濃霧の中でフェネックシルエットへと変身したクロスシンフォニーは旧校舎へ向けて走る。

 

―ヒュン!

 

 と風切り音を伴って、昨日と同じように謎の射撃攻撃が開始された。

 聴覚を頼りに回避しながら前へ進み続けるクロスシンフォニー。

 だが、前へ進めば進む程、弾幕はどんどん濃くなっていく。

 ここまでは昨日と同じだ。

 

『アライ。かばん。準備はいいですね?』

 

 確認するように博士の声が心の中に響く。それにアライさんが頷いて返す様子が伝わってきた。そしてかばんも既に覚悟は決まっている。

 

―ヒュン!ヒュン!ヒュン!

 

 昨日と同じように濃くなった弾幕はまず、クロスシンフォニーの足を狙い動きを止めて、そして眉間に狙いすました一撃を放ってきた。

 

―ビシィ!

 

 と、昨日と同じようにクロスシンフォニーの太ももに射撃が命中した……が、

 

『いったあああああ!?!?く、ないのだぁああああああああああっ!』

 

 とアライさんが心の中で吠える。クロスシンフォニーの足は止まらない!

 動きが止まったところを仕留めるつもりだった必殺の一撃は当然修正を余儀なくされた。

 

『なんだかんだ、この中で一番根性があるのはアライなのです。我々もアライの根性は買っているのですよ。』

『それはそれで何だか複雑だけど、フェネックやかばんさんが痛い思いをせずに済むならアライさんが全部引き受けてやるのだ!』

 

 博士の立てた作戦とはこれだった。

 そう。

 クロスシンフォニーは一時的に痛覚のほぼ全てをアライさんに回すという荒業に出たのだ。

 旧校舎まであと一歩と迫ったクロスシンフォニー。

 しかし、かろうじて間に合ったのか眉間への射撃が放たれた。

 

「みんな!いくよ!」

 

 かばんは言いつつ痛覚を全員に均等に割り振った。

 と同時、歯を食いしばってそのまま走る!

 

―コッ!

 

 と軽い音を響かせながら額に衝撃が走るが、それでもかまわずにクロスシンフォニーは走り続けてとうとう旧校舎へ辿り着いた。

 

『うへぇ…。6分の1でも結構痛いね…。』

 

 とサーバルの声が響く。セルリアンの火力が低く、直撃を受けても大きな怪我にはならないからこその強硬策だった。

 その作戦はとうとう実を結んで旧校舎内へと侵入できた。

 セルリアンは木造2階建ての旧校舎、その2階部分から射撃してきたのだろう。クロスシンフォニーはそこへと駆け上がる。

 そのうち、クロスシンフォニーへ射撃できる教室の位置は多くない。

 その中で何か物音のする教室の扉をガラリ、と開けるクロスシンフォニー。

 と、同時。

 

―ヒュン!

 

 とクロスシンフォニーに向けて何かが飛んでくる。

 扉を開けると同時の狙い撃ちだったが、それは警戒済みだ。

 すぐに扉の影に身を隠して射撃をかわすクロスシンフォニー。そして教室の中にいたセルリアンをとうとう発見した。

 その姿は最初やたら細長い何かだと思ったが、その実は違った。

 一言でいうと大きな黒板だった。

 それが横向きになっていたから最初細長い何かに見えたのだ。

 そして、黒板の下の方にあるレール状のチョーク置き場を銃身にチョークを飛ばして来ていたのだった。

 さらに、その足を形成しているものが正確無比な射撃の原因であった。

 それは教室によくある大型の三角定規と分度器である。

 それが足のように黒板を支えていた。

 黒板セルリアンは今はクロスシンフォニーが教室内に入ろうとしている扉に狙いを定めていた。教室の出入り口を最後の防衛線として入ってくる直前でハチの巣にしようと待ち構えている。

 

『なーるほど。けどまぁ煙幕はそっちの専売特許ってわけじゃないんだけどねー。』

 

 フェネックの声が心の中に響く。と、同時、教室に砂ぼこりが舞い上がり視界を塞いだ。

 それはフェネックシルエットの技、『砂隠れ』である。

 砂ぼこりに身を隠したクロスシンフォニーはいとも簡単に最後の防衛線を突破した。

 そしてそのまま黒板セルリアンへと肉薄!

 

「シルエットチェンジっ!アライグマシルエット!」

 

 交錯する直前でアライグマシルエットに変身するクロスシンフォニー。そのままするり、と撫でるようにして黒板セルリアンへとタッチ。

 『アライアナライズ』を発動させた。

 

『ふむふむ、なるほど。このセルリアンは黒板、分度器、三角定規とそして黒板消しのセルリアンがそれぞれ合体しているのですね。』

『ええ。分度器と三角定規で敵の位置を正確に割り出して黒板の長いレールを利用して狙撃していたのです。』

 

 早速『アライアナライズ』で得られたセルリアンの特徴を博士と助手が解説してくれる。

 そして…

 

「白い霧の正体は黒板消しのセルリアンの能力だったんですね。」

 

 クロスシンフォニーの言う通り、黒板消しのセルリアンの能力は自身をバフバフ叩いて白い霧を発生させるものだった。

 次々と特徴を言い当てられて、黒板セルリアンはギィ、とたじろぐが、だからどうした!と言わんがばかりにレールの先端をクロスシンフォニーへ向けようとしてきた。

 だが、それはあまりにも遅すぎる。

 長いレールは遠距離射撃では正確無比な一撃を可能としていたが、反面取り回しは悪く接近戦ではすぐに狙いをつける事が出来なかった。

 

『さて、あとは最後の仕上げです。』

『最後はサーバルに任せるのさー。』

 

 助手とフェネックの声が聞こえてそれに頷くクロスシンフォニー。

 二人の言う通りサーバルシルエットへと変身した。

 そのまま、サンドスターを自慢の爪へと集めて黒板セルリアンへと突撃!

 

「疾風の……!サバンナクロォオオオオオオッ!」

 

 と必殺の斬撃を放つ…と見せかけて…途中でそれを止めた。

 かわりにパシン、と黒板消しセルリアンをその手に捕まえる。

 爪の一撃を待ち構えていた黒板セルリアンは「!?!?」と驚愕している様子を見せた。

 

『ふっふっふー!さっき『アライアナライズ』でバッチリ見破っているのだ!』

『そう。黒板セルリアンに爪の斬撃を当てると超音波攻撃で反撃してくることは既にお見通しなのです。』

 

 アライさんと博士の言う通り、黒板セルリアンの最後の奥の手はそれであった。

 だが、それも既に見破られれば意味はない。

 

『じゃあいくよ!かばんちゃん!』

「うん!サーバルちゃん!」

 

 捕まえた黒板消しセルリアンを黒板セルリアンの『石』へ投げつけるクロスシンフォニー。

 

―ぽふん。

 

 と軽い音を立てて『石』へぶつかる黒板消しセルリアン。

 そこに足にサンドスターを集めたクロスシンフォニーはサーバルキャットの特徴である強靭な脚力で飛び込む!

 

『「烈風の…!サバンナキィイイイイック!!」』

 

 とサーバルとかばんの声が重なって黒板消しセルリアンの上から黒板セルリアンの『石』に強烈な飛び蹴りを叩きこんだ!

 

―パッカァアアアアン!

 

 と二体まとめてサンドスターへと還る黒板セルリアンと黒板消しセルリアン。

 さらに…

 

『「怒涛のぉ!サバンナクロォオオオオオオッ!」』

 

 着地と同時に今度こそ自慢の爪が煌めく。

 数度振るわれるクロスシンフォニーの爪。スクリ、と立ち上がった時には…

 

―パッカァアアアアン

 

 と、残った三角定規セルリアンと分度器セルリアンもバラバラになってサンドスターの輝きへと還った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「旧校舎のオバケ騒動もアライさん達無敵のチームが解決なのだー!」

 

 夕暮れ時の通学路を連れ立って歩く6人。

 アライさんの太ももにはクッキリと赤い点のような腫れが残っていたが骨などにも異常はなく大事には至っていない。

 のしのしと先頭を歩く姿もいつも通りだった。

 

 これは『アライアナライズ』で得られた情報の一つなのだが、あの黒板たちは昔、まだ夜間学校が行われていた頃に使われていたものらしい。

 かつては旧校舎で行われていた夜間学校であるが、町内の各高校に定時制学校も整備されてジャパリ女子中学校の夜間学校は役目を終えた。

 その後旧校舎に安置されていた当時の黒板や黒板消しや三角定規に分度器がセルリアンにとりつかれてしまったのだ。

 ちょうど下校時刻の放送から完全下校のお報せの間に現れるのは、当時、夜間学校の開校時間がその時間だったからであるらしい。

 その時間だけに現れるのは、三角定規のセルリアンが特にルールにこだわる特性をもっていたからだった。

 

「まったく。定規だから杓子定規に時間を守って行動するなんて、サーバルにも見習わせてやりたいですね。」

 

 と博士がサーバルのほっぺをツンツンしていた。

 そんなサーバルは「もうー。」と言いつつも、されるがままだった。そしてかばんに向けて言う。

 

「でもオバケじゃなくてよかったね。かばんちゃん。」

「うん。そうだね。安心したらお腹空いてきちゃった。」

 

 かばんの言葉に全員が空腹を覚えた。

 先程の戦いで大分サンドスターも消耗していたのでそれも無理からぬ事だった。

 

「「我々も!我々もお腹が空いたのです!」」

 

 と博士助手がかばんにまとわりつく。

 

「そうですね。カレーでよかったら全員分材料もありますし作りますよ。みんなで夕ご飯にしましょう。」

「アライさん達もいいのか!?やったのだ!」

「いやあー、悪いねえ、かばんさーん。」

 

 その姿を見守るラッキービーストはそれぞれの家に、今日は夕飯をご馳走になる旨の連絡を入れていた。

 ノナとミライにも今日の夕飯は人数が多くなる旨もあわせて報せておく。そういうところはソツがないのがラッキービーストであった。

 

「ふふ。ボク達仲間ですからね。」

 

 微笑んでからかばんはトレードマークのくたびれた帽子を脱ぐと前髪をかきあげる。

 その額にはセルリアンが飛ばしてきたチョークの跡がまだくっきりと赤く残っていた。

 それに全員が同じように前髪をかき上げてみせると、そこには全く同じ赤い跡がついていた。

 なんだかそれが仲間の印のような気がして自然と笑いがこみ上げる6人。

 その跡はすぐに消えてしまうだろうけれど、6人と1機のクロスシンフォニーチームは決して消える事はないと思えた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「おおおお!さすがクロスシンフォニー!同じ相手に二度の敗北はないね!さすがだね!」

 

 かばんの思い出話を聞き終えたともえは大満足、というように手をぶんぶんさせて瞳を輝かせていた。

 手放しのほめ言葉にかばんは照れ臭そうに顔を赤らめた。

 と、ちょうどそこに…

 

「お待たせしましたー。」

 

 と超特大ジャンボパフェが登場する。

 1年前のものとは違い、白のホイップクリームとストロベリーのホイップクリームが交互に渦を巻いて彩りがより綺麗になっていた。

 さらにホイップクリームの下の層にはアイスクリームの層があるのだが、より細かく、ハチミツや特製カラメルソースや黒蜜などで層が別れていた。

 

「ふ…。一年前よりもさらに腕をあげたですね。遠坂春香。」

「みただけで味に変化があって楽しめるのがよくわかるのです。」

 

 と既に博士と助手も大満足であった。

 

「でも、それだけじゃないのよ。」

 

 とグラスを回転させてみせる春香。先程まで後ろを向いていた面をかばん達に見せると、そこにはチョコレートソースで描かれた目と口があった。

 そして口元からペロリ、と小さな舌を出している。

 さらにトッピングのチョコチップクッキーがちょうど耳のように見える。

 

「もしかして、これってイエイヌさんですか?」

 

 というかばんの言葉に春香は嬉しそうに頷いて見せる。

 

「なんだか食べるのがもったいないくらい可愛いですね。」

 

 というかばんの感想に、博士と助手が青い顔をする。

 

「なななな、何を言うのですかばん。美味しいものは食べてこそですよ!」

「そうです、こんなに美味しそうなので食べてあげる事が一番なのです!決して我々が食べたいから言っているわけではないのですよっ!」

 

 と慌てはじめた博士と助手に全員顔を見合わせて「ぷっ」と吹き出す。

 

「じゃあ、博士たちも待ちくたびれてるみたいだし、そろそろ。ね?かばんちゃん。」

 

 とサーバルが促す。

 

「そうなのです。さっさとしないとサーバルにかばんを抱っこさせたうえではい、あーんで食べさせるのですよ!」

 

 と博士が両手をぶんぶんさせる。

 

「さ、さすがにそういうのはお外では……。」

 

 と真っ赤になるかばんにサーバル以外の全員が一様に同じ事を思って戦慄した。

 

「「「「「「「(おうちでならいいんだ……)」」」」」」」

 

 

 その後、変身したクロスシンフォニーは超特大パフェを見事に完食した。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第10話『1杯のジャンボパフェ』

―おしまい―

 





【セルリアン情報公開】


・黒板型セルリアン『ブラックボードスナイパー』
 黒板型のセルリアン。チョーク置き場を発射台にチョークを飛ばしてくる。
 その射撃は長い銃身からかなりの射程距離を誇るが反面接近されると取り回しが悪く狙いが付けづらい。
 また、飛ばしてくるのがチョークなのでその火力も低い。
 接近された際に爪による攻撃を行うと、イヤな音の超音波を発して反撃してくる。
 後述のセルリアン達と合体して遠距離狙撃特化型の手ごわいセルリアンとして登場した。


・三角定規型セルリアン『ジョー・ギリアン』
 黒板型セルリアンと合体していた三角定規型セルリアン。
 一応刺突攻撃もしてくるが、決して強い個体ではない。
 ただし、対象までの距離を正確に測る事が出来る特殊能力を備えており、黒板型セルリアンにその情報を伝えていた。
 なお、このセルリアンは何かしらのルールを守りたがる傾向が見られる。
 それがどんなものであれ、一度決めたルールを決して破ろうとはしない。


・分度器型セルリアン『ブーン・ドッキー』
 黒板型セルリアンにと合体していた分度器型のセルリアン。
 盾のような形をしているものの、実は防御力もそんなに高くなく、攻撃手段もほとんど持ち合わせていない。
 単体で現れたのならばハッキリ言って弱い個体だ。
 だが、対象への角度を正確に測る事ができる特殊能力を持つ。
 その情報を黒板型セルリアンに伝えていた。


・黒板消し型セルリアン『イレイサーオクトパス』
 黒板消し型のセルリアン。タコのような足が生えている。バフバフと自身の身体を叩きつける事で周囲に白い霧を発生させる特殊能力を持つ。
 この白い霧は『サンドスター・ロー』で構成されておりチョークの匂いはしない。
 また、強い打撃を受けた時にも白い霧を発生させて目くらましをしかけてくる。
 劇中でも実は最後の一撃を受けた際、能力を発動しかけていたが、それよりも早くセルリアンが消滅した為、最後に白い霧は発生しなかった。
 体当たりをしかけて服を白い粉で汚す程度の攻撃力しかない上に、防御力も大した事はなく単体で出てくれば弱い個体である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話『走れ!ジャパリバス』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!


 ともえ達の喫茶店『two-Moe』へやってきたかばん達クロスシンフォニーチームの6人。
 お目当てのジャンボパフェを求めてやってきた彼女達だったが、そのジャンボパフェにまつわる思い出話を語ってくれた。
 1杯のジャンボパフェが繋いだクロスシンフォニーの絆。
 それは今も変わらずしっかりと繋がっていたのだった。





 今日もともえ達の暮らす色鳥町に朝がやって来る。

 太陽も昇ってこれからどんどん気温も上がっていくだろう初夏の陽気を思わせる快晴だった。

 

―チュンチュン…

 

 と窓の外から小鳥の声が聞こえてくる。

 そんな朝にともえはベットの中で……。

 

「むにゃむにゃ…。もう食べられないよぉー…。」

 

 とベタな寝言を言うのだった。

 そんな彼女に近づく影が一つ。

 そっと足音を立てないように近づき、優しくともえの肩を揺り動かす。

 

「ともえさん、そろそろ起きて下さい。」

 

 その言葉にゆっくりとともえの瞼が開く。

 やがて焦点を結んだ瞳はかばんの姿を映し出した。

 イエイヌでもなく萌絵でもなく春香でもなく何でかばんが?

 しかも何でまたメイド服を着て?

 という疑問が浮かんでくるが…。

 

「ああ、そうか。これ夢だ。うん、いい夢だなあー。むにゃ…」

 

 パタリ、ともう一度ベットに沈むともえ。

 

「もう、夢じゃないですよ。起きて下さい。」

 

 と、かばんはもう一度ともえの肩を揺さぶる。

 

「あっれー?そうだっけ?なんでかばんちゃんがうちにいるんだっけー?」

 

 むう、と寝ぼけ眼でぼんやりと考えるともえ。

 

「そっかあ。かばんちゃん、うちにお嫁さんにきたんだっけー?」

「いや、違いますよ。全然違いますよ。」

「そんな照れなくてもいいんだよぉー。さ、おはよーの抱っこしてくれてもいいんだよぉー?」

 

 「さあ!カモン!」とばかりに両手を広げるともえの額をツン、と指でつつくメイド服姿のかばん。

 

「ともえさん。絶対寝ぼけてないですよね?」

「あはは、バレたかあ。」

 

 ペロリ、と舌を出してみせるともえに苦笑するかばんだった。

 一度目を覚ましてからのともえは寝覚めがいい方なのだ。

 

「準備は出来てますからそろそろ起きて下さい。それともお着替えも手伝いますか?」

 

 ともえは一瞬それはそれで役得なんじゃないだろうか、と思いつつも本格的に目を覚ます事にした。

 自室から去っていくメイド服姿の後ろ姿を眺めつつ、こんな状況になっている原因を思い出す。

 今日は日曜日。今日はかばんとサーバルと一緒にみんなで出かける予定になっていた。

 実は昨日やって来たかばんとサーバルはそのまま一晩お泊り会をする事になった。

 そして、今朝、お出かけに持っていくお弁当とかを用意しようという話になっていた。

 どこに出掛けるのかについてはまだ秘密であるらしい。

 そういえば、大分前に、かばんが「一緒に行きたいところがある」と言っていたが、その約束も色々な事があって伸び伸びになってしまっていた。

 まあ、今日の目的地については後の楽しみにとっておくべきだろう、と判断したともえ。とりあえず顔を洗って身支度してからリビングへ向かう。

 遠坂家2階のキッチンへ行くと、今日はそこはいつにもまして凄く賑やかだった。

 まず、キッチンには春香と萌絵がいてバスケットにお弁当を詰めていた。

 そしてその傍らにはイエイヌがいて魔法瓶の水筒にお茶を注いでいて、その光景をやはり何故かメイド服姿のサーバルが興味津々で眺めていた。

 そしてリビングのテーブルでは教師の星森ミライとサーバルと同じ大きな耳をもったサーバルキャットのフレンズであるノナが朝ご飯の準備をしていた。

 

「春香先輩。私たちまでお呼ばれしちゃってよかったんですか?」

「ええ、もちろん。私もミライちゃんやノナちゃんと久しぶりに会いたかったし。」

 

 と言い合う春香とミライ。どうやら二人は知り合いらしかった。

 

「えっとね、ミライちゃんはね、昔、春香ちゃんと同じ学校に通ってたの。春香ちゃんが先輩でミライちゃんが後輩ね。」

 

 とノナが二人の関係を教えてくれた。

 

「ふふ。あの頃はノナちゃんがサーバルちゃんだったのよねー。」

 

 と昔話に花を咲かせる春香。

 急に自分の名前を呼ばれて「みゃ?」と振り返るサーバル。彼女は生まれた時にノナから名前を受け継いだのだった。

 

「みんな遅れてごめんね。何からしたらいいかな?」

 

 とにもかくにも最後になってしまったともえは自身もエプロンを付けつつキッチンへやってくる。

 

「もー。遅いよ、ともえちゃん。じゃあ、ともえちゃんはおむすび当番ね。残ってるごはんでおむすび握っちゃって。」

「らじゃっ!」

 

 萌絵の言葉に敬礼しつつ早速おむすび作りにとりかかるともえ。

 

「えっと…わかっていると思いますが普通にお願いしますね。普通に…。」

 

 今度はお味噌汁を別な魔法瓶に詰め始めたイエイヌが言う。

 ともえは別に料理が下手なわけではない。皮むきだとか下ごしらえなどはむしろ上手な方だ。

 だけれども、ついつい新しい味を探求してしまって余計な調味料を余計な分量で入れてしまうのだ。

 

「わかったよ!イエイヌちゃん!普通にともえスペシャルだね!」

「全然わかってませんよともえちゃん!?」

 

 いい笑顔で塩胡椒の瓶を構えるともえに即座にイエイヌのツッコミが入る。

 

「多分、炒飯とか作る時に胡椒を入れるし、おむすび握るのに塩も入れるから塩胡椒でもいけるでしょ、っていう発想だと思うけど、辛くなるからオススメしないかな。」

 

 と萌絵は苦笑していた。

 

「ともえちゃんちの朝って賑やかでいいねー。」

「ふふ、ほんとだねー。」

 

 そんな様子を眺めながら出来上がった朝ご飯をテーブルに並べていくかばんとサーバル。

 こちらは二人ともお揃いのメイド服姿であった。ちなみに、二人ともロングスカートのクラシカルメイドタイプである。

 なんでこんなことになってるのかというと、実は春香の営む喫茶店『two-Moe』のサービスの一つである。

 お客さん用のメイド服も貸し出してコスプレ写真とかを撮れたりするのだ。

 意外と人気のあるサービスで、サイズも調整が効くように随所にアジャスターが仕込まれていたりする。

 

「おおー…。二人並ぶとめっちゃ絵になるねー。スケッチしたい…。」

「そうだねえ。本当に絵になるねえ。でも朝ご飯が済んでからにしよ?」

 

 とともえと萌絵は二人のメイド服姿にスケッチ欲がうずいていたが今は我慢だ。

 何せ昨日の夜もさんざんスケッチしたので今朝はどうにかスケッチ欲を抑える事が出来ていたのだった。

 ちなみに、二人のメイド服姿は今朝やって来たミライとノナの二人へのサプライズでもあったが、そちらも上手くいったようだった。

 昨晩はお泊り会だったかばんとサーバル。さすがに今朝も二人を借りっぱなしだと寂しいのではないか、と思った春香がミライとノナも朝ご飯に誘ったのだ。

 そして朝ご飯とお弁当の一部はかばんお手製でもある。

 今朝の遠坂家の朝は大層賑やかであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、朝ご飯も済んで春香とミライとノナに見送られてお出かけとなったともえと萌絵とイエイヌにかばんとサーバル、そしてラモリさん。

 それぞれ私服に着替えての出発だ。

 

「天候モ順調。バスの時間モ問題ないナ。」

 

 今朝は萌絵に抱えられたラモリさん。ともえ達の手にはそれぞれにバスケットや重箱が持たされていた。

 確かに5人と大人数ではあるが、それでもその量はさすがに多すぎなんじゃないだろうか、とともえは疑問を持つ。

 

「えっとですね、向こうでアライさんやフェネックさん、それに博士先輩や助手先輩も合流しますから。」

「それとね、ルリちゃんとアムールトラとユキヒョウも来るって!」

 

 と、その疑問にはかばんとサーバルが答えてくれた。

 

「向こうってどこかな?バスに乗るってことはそれなりに遠くだよね?」

 

 一体どこに行くのだろう、とともえは思案を巡らせるが全く思い当たる節がなかった。

 そうしているうちにバスもやってきたので、早速乗り込むともえ達5人と1機。

 日曜日のバスはまだ朝も早いうちだったせいもあって人もまばらだ。全員席に座る余裕もある。

 大人数ならここがいいだろう、とバスの最後尾に陣取った。

 そうしておしゃべりしながら待つことしばらく。

 バス停で停車すると3人程乗り込んでくる。

 

「あ、萌絵さんっ!みんなっ!」

 

 一番にてけてけ、と駆け寄ってくるのはルリであった。そんな彼女の為にともえは萌絵の隣の席を空ける。

 ルリはお礼を言いつつ萌絵の隣の席に腰を下ろした。

 

「最近のルリはすっかり萌絵ねーちゃんにベッタリやな。」

 

 続けてやってきたのはアムールトラで、その手にはバスケットが提げられていた。

 

「まあ、あの時は格好よかったからの。無理もあるまい。」

 

 と続けてやって来たのがユキヒョウである。こちらは手ぶらだった。

 

「ウチとしても萌絵ねーちゃんには感謝してもしたりないわけやけど、一番格好よかったのはイエイヌだったんじゃないかなーって思うわけで……。」

 

 とアムールトラにしては珍しく後半はゴニョゴニョとした声になってあまりよく聞こえなかった。

 ほほう、と目を細めるともえ。最後尾の5人掛けの席のうち、イエイヌの隣に座っていたサーバルを誘ってその一つ前の席に移動。

 アムールトラを空いたイエイヌの隣に押し込んだ。

 

「おはようございます、アムールトラ。」

「おう。おはよう、イエイヌ。」

 

 と挨拶をかわすイエイヌとアムールトラであったが、アムールトラは何故か少しばかり顔を赤くしていた。

 そんな様子に、ともえと萌絵とユキヒョウが揃ってほほう、とニヤニヤして見守っていた。

 

「本当は“教授”も一緒に連れて来たかったんだけどね。今朝は全然起きないからまたの機会にって事になっちゃった。」

 

 一方でルリがそんな事を言っていた。

 

「“教授”ってルリちゃんとアムールトラちゃんの保護者の方だよね?」

 

 隣に座る萌絵の言葉にコクコクと何度も頷くルリ。

 萌絵の頭にはパーソナルフィルター発生装置を作った際にメールを送って来たProfessor.Wなる人物が思い起こされていた。

 ルリの保護者であるならば、随分とピンポイントな研究をしていたのも納得がいく話だ。

 

「まったく、あの御仁は。すっかり生活が夜型じゃよ。」

 

 と苦笑しているユキヒョウ。きっとルリの為に“教授”とやらの生活環境を改善すべく世話を焼いていたのだろうが、その努力は実っていないのだろう。

 そうしてルリ達を加えて楽しくおしゃべりしていたら、あっという間に目的地らしい。

 かばんが気づいてサーバルに言う。

 

「あ、サーバルちゃん。次降りますのボタンを押してくれる?」

「はーい!私やるー!」

 

 と、サーバルがバスの降車ボタンを押していた。

 そしてからバスの車内アナウンスが流れる。

 

『次はー、サンドスター研究所前。サンドスター研究所前。お降りの際はお忘れ物ないようにご注意下さい。』

 

 ん?という顔をするともえと萌絵。

 

「「もしかして、今日の目的地ってサンドスター研究所?」」

 

 二人声を揃えて同じ動作で小首を傾げるのに、かばんも笑顔でコクリと頷く。

 サンドスター研究所はともえと萌絵の父親が働く場所であり、もう何日も家に帰れない状況が続いている。

 せっかく、今日の目的地がそこだとわかっていたなら差し入れの一つも作ってくればよかったなあ、と思う萌絵であったが、そこでハタと気が付く。

 イエイヌやサーバルやともえ達が抱えるバスケットや重箱の量がかなりの物である事に。

 そして、春香がやけにメニューにこだわっていた事に。

 

「あの…。もしかしてかなーーり多めに作ったこのお弁当の山って……。」

「はい。サンドスター研究所所長のドクター遠坂さんへの差し入れでもあります。」

 

 かばんの答えに二人が驚きの声を上げる前に、バスはちょうど目的地へ到着してしまった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 バスを降りた一行はサンドスター研究所の正門へと進む。

 正門前で守衛さんに「どうも。」と挨拶をするかばん。通行許可証を出そうとするも守衛さんが最早顔パス、とでも言うようにゲスト用のIDカードをくれる。

 

「もうお友達4人は先に来ているよ。」

 

 と守衛さんが言っていたからアライさんとフェネック、そして博士と助手は先に来ているのだろう。

 正門からそれなりの距離を歩いて研究所の中へと入る。敷地はかなり広い。

 見える範囲だけでも広いが見えない範囲もかなりの物なのだろう。

 そして研究所の中もかなりの広さだと思えた。

 そこを手慣れた様子で進むかばん。カードリーダーに守衛さんから受け取ったゲスト用のIDカードを近づけると扉が開いたり、エレベーターが動いたり。

 その度に何故か「おおー…。」と感心してしまう一同。かばんは照れながらも…

 

「ボクがクロスシンフォニーになってから、ここには色々とお世話になっていて。」

 

 と教えてくれる。

 ここの所長であるドクター遠坂が実はともえ達の父親だと知ったのも割と最近の話らしい。

 クロスハートになったともえ達の事をいつか紹介したいと思っていたが、まさか娘さんでしたか、と大層驚いたそうだ。

 

「そういえば、イエイヌちゃんにやっとお父さんを紹介できるね!」

 

 と、ともえがイエイヌを振り返る。それに遅れて「え?」と反応を返すイエイヌ。

 

「ええと、ラモリさんがお父さんでは…?」

「違うゾ。」

 

 と、相変わらずイエイヌはラモリさんをお父さんというものだと勘違いしていたようだ。

 

「そうだナ。ドクターは俺にとってモ生みの親ダ。」

 

 と解説してくれるラモリさんにようやくドクター遠坂という人物が父親というものでどうやら凄い人らしい、と理解したイエイヌ。

 そうとわかると途端に緊張してきた。

 

「あ、あの!どこか変なところとかないでしょうか!?」

 

 そうして改めてイエイヌを見てみるも、今日はミライとノナまで加わっていつも以上に丁寧にブラッシングされたおかげで毛並みはツヤツヤだ。

 

「うん、いつも通り可愛いよ!イエイヌちゃん!」

 

 と親指を立てるともえ。それに同意とばかりに他のみんなも頷いていた。

 

「変とか言うようならウチが喰ったるわ。」

「いや、食べないで下さい。」

 

 冗談めかして言うアムールトラに即座にかばんのツッコミが入った。

 それに、ぷっと一同笑いがこみ上げる。

 気づけば所長室の前であった。

 この扉の向こうにともえ達にとっては久しぶりの、イエイヌにとっては初めてとなる遠坂家の父親がいる。

 緊張しながらイエイヌはノックをしてから扉を開けた。

 そして目の前に広がっていた光景は……。

 

「さあ!ドクター!我々にサンドスターの秘密を教えるのです!」

「そうなのです!我々はサンドスターの秘密を解明したいのです!」

「アライさんも!アライさんも頼むのだー!アライさんもかばんさんみたいにかしこくなりたいのだー!」

 

 わちゃわちゃと博士と助手とアライさんにまとわりつかれて困った顔をしているやせ型の白衣の男性の姿であった。

 ちょっと頬がこけてシャツもベルトからはみ出たりと着衣の乱れがちょっと気になる。

 そして無精ひげも大分伸びていて、大分くたびれている様子に年齢相応さが伺える。

 そしてソファーにはフェネックが座っていてこちらに手を振っていた。

 が、一つだけ大きな問題があった。

 今、着いたばかりのともえ達にとっては中学生女子にまとわりつかれて鼻の下を伸ばしている中年男性という光景に見えてしまっていた。

 なので、ともえと萌絵は全く同じ動きで携帯電話を取り出して、全く同じようにこう呟いた。

 

「「もしもしポリスメン?」」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結果から言うと、通報はされずに済んだ。

 ともえも萌絵も父が春香一筋である事はよく知っていたからだ。

 なのでさっきのは軽い冗談である。

 それよりも何よりも許せなかったのが、ドクター遠坂の身だしなみが大分だらしなくなっていた事だ。

 何せこのドクター遠坂。研究者としては非常に優秀なのだが、放っておくと自分の事に関してはどんどん無頓着になってしまう。

 普段なら春香が毎日のように気を回すのであるが、中々帰宅できない今、無理からぬ事ではあった。

 だが、ともえと萌絵にとってはその事情を加味しても許せない。なんせ、ちゃんとしてればお父さんはカッコイイのだ。

 しかも大事なイエイヌとの初対面である。

 第一印象は大事、とばかりに問答無用で父親を洗面所に引っ張っていくと二人がかりで身支度を整えた。

 まあ、既に色々と手遅れ感はあるが、一同の前に戻って来た時にはすっかり見違えたドクター遠坂がそこにいた。

 

「ええと、はじめましての方も多いね。私はこのサンドスター研究所所長のドクター遠坂だよ。」

 

 無精ひげもなくなり、髪も整えた彼は年齢相応の渋さがあった。

 

「まずはイエイヌちゃん、はじめまして。いつも萌絵とともえと春香さんを守ってくれてありがとう。これからもよろしくね。」

 

 まずはイエイヌの前に膝をつくと目線を合わせるようにして語り掛けるドクター。

 

「は、はい!こちらこそよろしくお願いします!」

 

 緊張しながらもしっかりと挨拶しているイエイヌに一同ほっとした様子を見せた。何はともあれイエイヌとの初対面はどうにか形になったようだ。

 次にドクターはルリとアムールトラの方に向き直ると同じようにその前に膝をつく。

 

「で、ルリちゃんとアムールトラちゃんだね。大体の事情は聞いてたけど、大変だったね。」

 

 そういうドクター遠坂に対してアムールトラの身体にほんの少しの緊張が走っている。

 ドクターはそれを見越したかのように一つ頷いて見せた。

 

「安心して欲しい。ルリちゃんがセルリアンであったとしても、普通に暮らせるように僕も尽力するから。」

 

 それにほっとした様子を見せるアムールトラ。そんな彼女の肩をユキヒョウがポムと叩いて続けた。

 

「まあ、実験材料にするとかいう御仁であれば、かばん生徒会長達がここまで信頼もせぬじゃろうからな。」

「そうだよっ!お父さんはそんな人じゃないよっ」

 

 とともえにまで言われてアムールトラも緊張を解いた。

 

「アムールトラちゃんもビースト化による後遺症とかはなさそうに見えるけれど一応検査とかした方がいいかもしれないね。」

 

 せっかく緊張を解いたばかりだというのに、アムールトラの表情に再び緊張が走る。

 

「そ、それって痛かったりするヤツなん?」

「いや、殆ど痛くないはずだよ。せいぜい血液検査の注射があるくらいで。」

 

 ドクター遠坂の『注射』という言葉に「ぴぃ!?」と謎の鳴き声をあげてイエイヌの後ろに隠れるアムールトラ。

 

「あー…。わかります。わたしも何でかわかりませんが、『ちゅうしゃ』と聞くとすっごいイヤです。」

 

 そんなアムールトラをイエイヌが撫でていた。

 

「と、とりあえず血液検査は無理しなくていいから。」

 

 とドクター遠坂は苦笑。

 さて、と話題を変えるように一つ手を打つと

 

「今日、みんなに集まってもらったのには色々理由があるんだよ。」

 

 と語り始める。そこに萌絵が挙手して疑問を口にした。

 

「ええと、その前にお父さん。お父さんもかばんちゃん達がクロスシンフォニーでセルリアンと戦ってたっていうのは知ってたって事だよね?」

 

 それに頷くドクター遠坂。

 

「はい。ドクターには色々とサポート用の機械とかを作ってもらったりしてました。この“シンフォニーコンダクター”もそうなんです。」

 

 答えはかばんが代わりに返してくれた。それと一緒に左腕に巻いた腕時計のようなものを見せてくれる。

 それは変身サポート用のアイテムだ。

 通信機能や簡易なセルリアン索敵機能の他にも重要な機能がある。

 それはチームメンバーが離れた場所にいても変身を可能としてくれる機能だ。

 なお、変身解除後はそれぞれ元いた場所に戻るらしい。

 

「それと、この子もかばんちゃん達についてもらっていたんだ。」

 

 と、ドクター遠坂が水色と白のカラーリングのラッキービーストを机の上に置いた。

 

「ラッキーさんっ!」

「「「「「ボスぅ!」」」」」

 

 かばんが驚きの声を上げながらも一番に飛びつくようにしてラッキービーストを抱きしめた。

 それに続いてクロスシンフォニーの5人のフレンズ達が覆いかぶさるようにしてかばんごとラッキービーストを抱きしめる。

 

「修理に時間がかかってごめんね。でもどうにかボディも完全に治せたよ。」

 

 満足気に頷くドクター遠坂に何度も頭を下げるかばん。

 その様子にともえ達は目を白黒させるばかりだった。

 

「ええと…。以前にかなり強いセルリアンとクロスシンフォニーが戦った時に、ラッキービーストが大きな破損を負ってしまってね。それ以来、僕が預かって修理していたんだ。」

 

 感動の再会、という様子のかばん達の代わりにドクター遠坂が事情を説明してくれる。

 

「かばん。みんな。心配かけてごめんネ。」

 

 とラッキービーストが言うけれど、しばらくの間は6人に離してもらえなさそうな雰囲気だ。

 

「俺モ兄弟ガ復帰して嬉しいゼ。」

 

 そして傍らではラモリさんがピョインピョインと飛び跳ねている。

 どうやらこの二人は兄弟機らしい。

 それにしても、クロスシンフォニー達が大切にしていたラッキービーストに大怪我を負わせるような相手とは一体どんな者だったのか。

 想像すらつかないでいるともえ達であったが…。

 

「それは我じゃよ。」

 

 と声が響いた。

 そちらを見ると扉の入り口が開いて車椅子に乗ったフレンズが一人、こちらに来ていた。

 

「スザクさん!」

 

 と、今度はそのスザクと呼ばれたフレンズへ駆け寄るかばん。

 

「息災で何よりじゃな。クロスシンフォニー。」

 

 うむ、と鷹揚に頷いてみせるスザク。

 

「そちらはまだ本調子ではなさそうですね…。」

 

 とかばんは彼女が乗った車いすを見ながら続ける。

 これは一体全体どういう関係なんだろう、とまたも目を白黒させるともえ達とルリ達。

 

「スザクは以前セルリアンだったんダヨ。」

 

 とラッキービーストが随分衝撃的な事を言い始めた。

 

「せ、セルリアンってルリちゃんみたいな!?」

 

 と驚くともえにスザクは首を横に振った。

 

「我は元は守護けもの、と呼ばれる四神の一人じゃった。こことは違う別な世界のな。」

「あ、あの、それってわたしやアムールトラがいた世界の…?」

 

 そのイエイヌの疑問にもやはりスザクは首を横に振った。

 

「世界とは無数にあるのじゃよ。こうして平和に進んだ世界。ヒトがいなくなった世界。そしてセルリアンに支配された世界。様々な世界があるのじゃ。」

 

 一同、最後のセルリアンに支配された世界、という言葉には少なからぬショックを覚えた。

 しかし、ショックはそれだけでは終わらない。

 

「我はセルリアンに支配された世界の住人じゃった。そして、セルリアンとしてこちらの世界に送られたのじゃよ。」

 

 そのスザクの言葉に一同息を呑む。

 つまり、フレンズをセルリアン化する方法があるという事だろうか。

 

「そうじゃ。我はかつてセルリアンスザク。セルスザクとしてクロスシンフォニーと戦い、そして敗れたのじゃ。」

「あれは凄い戦いだったねえ。」

「ええ。危うく切り札中の切り札、『大きくなる』を使うところだったのです…。」

「博士!それは絶対ダメですからね!絶対ですよ!」

「わかっているのです!?私だって使いたいわけではないから安心するのです!」

 

 フェネックが思い返す中、博士がうっかり口を滑らせて助手に詰め寄られる。

 アフリカオオコノハズクシルエットの切り札、『大きくなる』は物凄い身体的負荷と引き換えに野生解放以上の力を引き出す大技だ。

 この身体的負荷は非常に重く、寿命すら縮めるらしい。

 助手もかばんもこの技だけは決して使わないと心に誓っていた。

 

「で。我はクロスシンフォニーによってセルリアンとしての『石』を砕かれて元のスザクへと戻ったわけじゃ。」

 

 スザクの話を要約するとこういう事らしい。

 彼女はかつてセルリアンに支配された世界でセルリアンと融合させられてこちらの世界へと送り込まれた。

 そして送り込まれた先でクロスシンフォニーと戦い、ラッキービーストが大きな破損を負う激闘の末、敗れた。

 その際、セルリアンの『石』を砕かれた事で、元のスザクへと戻る事ができたが、長年癒着していたセルリアンが砕かれた事で彼女自身にも大きなダメージが残ってしまった。

 

「少しずつではあるが身体も回復しておる。いずれ元に戻るじゃろう。」

 

 と笑うスザク。

 

「そういうわけで、我はそこのルリともまた違うセルリアンじゃったのじゃ。あまり参考にならんですまぬ。」

「い、いえいえ、そんな謝られる事ではないですよっ?!」

 

 とルリは慌てて両手をぶんぶん振った。

 

「ねえ、スザクさんがこの世界に送られた理由って何なの?」

 

 と、ともえは疑問を口にする。それにスザクは少し考えてから答えを口にした。

 

「それはセルリアンの目的にある。」

 

 セルリアンは“輝き”を捕食し、コピーすることで保存する。そうして全てを保存し、停止した世界がセルリアンの支配する世界だった。

 スザクの住んでいた世界のセルリアンは全てを保存した後、他の世界の存在を知ってしまった。

 それを知ったセルリアンは他の世界もその本能に従い保存するべくセルリアンと融合させたスザクを送り込んできたのだ。

 

「今後、我のようにフレンズの力とそして知性を兼ね備えたセルリアンがまた来るかもしれぬ。クロスハートとクロスナイトにもそれを伝えておきたくての。」

 

 かなりショッキングな話にともえ達も息を呑む。

 

「もしも今後、かつての我と同じようなフレンズ型セルリアンに出会ったなら『石』を砕くのじゃ。そうすればダメージはあるがセルリアンのみを分離できるはずじゃ。」

 

 その対抗策にようやくともえとイエイヌも頷きを返す事が出来た。

 随分と場の空気が重たくなってしまっていたが、そこでドクター遠坂が口を開く。

 

「さて、難しい話は一度休憩にしよう。実は僕、おなかが空いてしまっていてね。」

 

 そこで、今日、たくさん作ってきたお弁当を思い出したともえ達。

 

「じゃあちょっと早いけどお昼にする?」

 

 というともえにみんなが頷いていた。

 ちなみに、ドクター遠坂。放っておくとインスタント食品だとかビタミン錠だとかでばかり食事を済ませてしまう。最悪食べずに過ごす事だって少なくない。

 なので、これは重い話が続いてしまった娘達への彼なりの気遣いだったりする。

 

「そうだね。今日は天気もいいし中庭あたりが気持ちいいかもしれないね。」

「いいね!ねえねえ、スザクさんも一緒に食べる?」

「そうですね。人数も多い方が楽しいですし。」

 

 ワイワイとはしゃぎ始めるともえ達。

 とりあえず、重たい空気は一旦吹き飛んでくれたようだった。

 

 

―中編へ続く

 




素晴らしいメイド服かばんちゃんイメージ画像です。
もう可愛すぎて素晴らしかったのでご紹介させていただきました。
R-18タグがつくほどではないですがややエッッなイラストもありましたので一応直リンは控えさせていただきました。
素晴らしいメイドかばんちゃんをありがとうございます!おかげで妄想が捗りましたっ

ttps://www.pixiv.net/artworks/77653056

ttps://www.pixiv.net/artworks/78915279


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話『走れ!ジャパリバス』(中編)

【登場人物紹介】

名前:スザク

 異世界からやって来たフレンズ。
 イエイヌやアムールトラが住んでいた世界とも違う場所からやって来た。
 そこはセルリアンに支配された世界であり、セルリアンに憑依された状態でこの世界へとやって来たのだった。
 クロスシンフォニーとの激闘の末、身体にダメージは残ったものの元のフレンズへと戻る事が出来た。
 かつては炎を操る守護けものとして圧倒的な力を誇っていたが、今はその力を振るう事も出来ない。
 現在、サンドスター研究所でその研究に協力したり療養に励んでいる。
 なお異世界から来たフレンズである為、この世界にいる色鳥南高校のスザク校長とは別人である。
【スザク校長】「イケるイケる!頑張れ頑張れどうしてそこで諦めるの!鍛えよう!鍛えたら乗り越えられる頑張れ頑張れ!」
【スザク】「こっちの世界の我…こんなか…。」


 

 サンドスター研究所中庭。

 広い敷地をもつサンドスター研究所は中庭も結構な広さを備えていた。

 遊歩道にベンチもあれば芝生もあり、所員たちの憩いの場となっていた。

 まだ早めの時間な今はともえ達の貸し切り状態だ。

 早速芝生にレジャーシートを広げて場所を確保。

 春香と萌絵のお弁当にかばんのお弁当、そしてルリのお弁当がどんどん並んでいく。

 

「ほう…。これは中々に壮観ですね。じゅるり。」

「味の方も期待してもよさそうなのです。じゅるり。」

 

 と早速博士と助手が目を輝かせ、まさに猛禽の如くお弁当に狙いを定めていた。

 

「萌絵さんと春香さんのお弁当も朝に少しいただきましたけれど美味しかったですよ。」

 

 というかばんに博士と助手は「しまった、食べそびれたか!」という顔をする。

 

「アライさん達も最初からそっちに合流してればよかったのだ。」

「そうだねえ。かばんさんの朝ご飯も食べられたかもしれないのにねえ。」

 

 と残念がっているところにユキヒョウがニヤリとしつつ二人の肩を叩く。

 

「まあまあ、お二方。わらわのルリの手料理も忘れて貰っては困るのじゃよ。」

「いやいや、ユキさん!?いきなりハードルあげないで!?」

 

 といきなり持ち上げられた格好のルリが慌て始めるが

 

「ウチはルリの作ってくれるもんやったら何でも美味いで。」

 

 とさらにアムールトラに追加で持ち上げられてしまった。

 そんな微笑ましい光景を横目にドクター遠坂もともえと萌絵に連れられてレジャーシートに腰を下ろした。

 すかさず隣にイエイヌを座らせるともえ。

 

「イエイヌちゃん、あのね。お父さんはおむすびは海苔がパリパリ派だから、これを巻いてあげてくれる?」

 

 そして萌絵がイエイヌに海苔なしのおむすびとジップロックつきの袋に小分けにしていた海苔を一枚渡してくる。

 

「あ、はい。わかりました。で、でも…それ…。」

 

 イエイヌは手渡されたおむすびに戸惑いを覚える。何せそれは『ともえスペシャル』だったからだ。

 

「ああ、これは大丈夫なヤツなの。お父さん専用だけど。」

 

 萌絵がそう言うなら大丈夫なのだろう、と言われるがままにおむすびに海苔を巻いてドクター遠坂に手渡すイエイヌ。

 ただイエイヌの鼻には何やら危険な香りが届いている。本当に大丈夫なのだろうか。

 ドクター遠坂はイエイヌにもお礼を言いつつ、いただきます、と早速そのおむすびを口にした。

 

「!?…、こ、これはっ!ともえスペシャルVer4.83だね!」

 

 それはワサビ振りかけをふんだんに混ぜ込んだおむすびだった。鼻にツーンとくるかこないか、絶妙な加減になっている。

 子供向けの味ではないが、ドクター遠坂のような辛党の大人向けには数少ない成功例の一つだった。

 

「そ、そんな!?食べても平気なともえスペシャルがあるだなんて!?」

「イエイヌちゃんヒドイよぉ!?」

 

 思わず素直な本音が出てしまったイエイヌであった。

 ちなみに、イエイヌも試しに一口食べさせてもらったところ、鼻にツーンと来てしまって慌ててお茶を飲むハメになってしまったのだった。

 

「お、お父さんというのは凄いんですね…。」

 

 と、何やら別な方面でイエイヌに尊敬の念が生まれ始めていた。

 

「ふぅむ。我はこれが好みじゃな。」

 

 と、スザクはルリのサンドイッチを頬張っていた。

 

「あ、わかる。なんかこれ今までに食べた事ない味かも。これ何かわかる?かばんちゃん。」

「んー…。ほんとだ。タマゴサンドなのはわかるんだけど、でもこの強い香りは…。」

 

 と自然とお互い食べさせあいっこ状態になっているサーバルとかばんであった。

 

「あ…。実はそれ茹でタマゴを潰す前にスモークしてみたんです。」

「な、なにそれー!?そんなの出来るの!?」

 

 ルリの言葉に食いつくサーバル。

 一方でかばんは…

 

「もしかして、タマゴサンドに使うマヨネーズも同じチップで燻したりしてませんか?」

「そう!そうなんですよ!試してみたら味にまとまりが出て面白かったので!」

 

 と、早速味の分析に入っていて、それを言い当てられたルリは嬉しそうにしていた。

 

「じゃからわらわのルリが作ったものも忘れて貰っては困るといったじゃろう?」

「せやな。ルリの作るものは何でも美味いで。」

 

 と、その反応にユキヒョウもアムールトラも自分の事のように嬉しそうにしていた。

 ちなみに、ルリの趣味の一つ、燻す系の料理はマンションだとやりづらいかと思っていたけれど、同マンション内にあるキッチンスタジオをユキヒョウが借りてくれたのだった。

 

「でも、これ面白いねえ。ルリちゃんはきっといいお嫁さんになれるよ。」

 

 と萌絵に褒められて真っ赤になってしまうルリ。真っ赤になりながらも質問を返した。

 

「あ、あの。萌絵さんは将来はどうするんですか?」

 

 萌絵はそれにしばらく考えるようにしてから、答えを返す。

 

「そうだねえ。とりあえず高校はともえちゃんと同じところにしようかなって思ってたよ。将来はお父さんみたいに何か研究するのもいいかなーとか漠然とは考えてたけど…。」

「ほう。ならば遠坂萌絵はライバルで同僚になるかもしれないですね。」

「そうですね。博士。しかし我々も負けないのですよ。」

 

 そういう博士と助手は理系の高校受験を決めていた。彼女達は3年生。今年受験である。

 とはいえ、博士と助手が学年1位と2位の成績を独占し続けているので受験への心配はなさそうだ。

 二人でライバル心なのか萌絵にまとわりつきワチャワチャしている博士と助手。萌絵はデレっと相好崩していた。

 

「わ、私も…!あの…、萌絵さんみたいになりたいな…って…」

 

 と後半は尻すぼみに消え入りそうな声になりつつ言うルリ。

 

「まあ、萌絵ねーちゃんみたいになりたいって最近勉強がんばってるみたいやもんな。」

「もー!アムさんそれ内緒ー!」

 

 赤くなってアムールトラをペシペシ叩くルリ。

 

「ほうほう、ならば宝条ルリも我々と一緒に働く事になるかもしれないのですね。」

「今度図書室にでも来るがいいのです。一緒に勉強するのです。」

「ほんと!?いく!いきます!」

 

 と何やら博士助手とルリでチビっこ同盟が結成されつつあった。

 

「そういえば、アタシは高校はそのまま高等部に行こうかなって思ってたよ。」

 

 ともえが言う通りジャパリ女子中学には高等部もあり、そのままエスカレーター式での高校進学も可能だった。

 博士と助手のように外部の高校を受験するパターンも少なくはないが、大半の生徒がエスカレーター方式を選んでいる。

 

「将来かあー。アタシ将来は何をしようかなあ…。」

 

 うーん、と思い悩むともえ。ともえは運動神経は抜群でだいたいのスポーツも人並み以上には出来る。

 けれどそれを職業に出来るほどかというとそうではないように思えた。

 将来。

 まだ先の話ではあるけれど、大分近づいて来ている話でもある。

 

「ちなみに、かばんちゃんは?将来どうするとか決めてるの?」

 

 参考に、とともえはかばんへと話を振ってみる。

 成績優秀で大体の事は何でもやってのけてしまうかばんである。その将来はどうするのか、というのは興味があった。

 以前から動物が好きと言っていたから獣医さんとかが夢なのだろうか。

 それともやはり萌絵や博士助手たちと同じように何かの研究をするのだろうか。

 他のみんなも興味をひかれてかばんの答えを待つ。

 

「ぉ……さん…とか…なりたいな…って。」

 

 と、その言葉はよく聞き取れなかった。

 全員がもう一度、と耳を傾ける中、半分ヤケになったかのように真っ赤になったかばんがもう一度答えた。

 

「お、お嫁さん……です。」

 

 ある意味納得半分、驚き半分でもある。

 ともえも萌絵もイエイヌもアライさんもフェネックも博士助手もまだ付き合いの浅いルリとユキヒョウとアムールトラまでもが一斉にサーバルの肩に手を置いた。

 一同気持ちは一緒だった。

 

「サーバルちゃん。頑張って幸せにしてあげるんだよ。」

「う、うみゃああああああっ!?!?」

 

 みんなの乗せられた手の重みはそのままサーバルの重責を表しているかのようだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、そんな楽しい昼食が終わって食後のお茶まで楽しんだ一同。

 ドクター遠坂はイエイヌ特製のお湯に葉っぱいれたヤツお弁当のお供バージョンも大層気に入ったようで彼女の頭を撫でまくっていた。

 多少冷めても味が落ちづらい麦茶にしたのが正解だったろうか。そのあたりをチョイスしてくれた春香に感謝しつつイエイヌは尻尾を揺らしていた。

 

「みんな、ご馳走様。とても美味しかったよ。」

 

 とお礼を言った後に、ドクター遠坂は「さて」と話題を変える。

 

「次はみんなに最近出現しているセルリアンの話をしないといけない。ついて来てくれるかな?」

 

 みんなでお弁当の後片付けをした後にドクター遠坂の案内で研究所の一角へ移動する。

 そこは大きなシャッターのついたガレージのような場所だった。

 

「みんな、この色鳥町にリニアモーターカーの実験線が出来るのは知っているかな?」

 

 そのガレージの前でみんなに振り返るドクター遠坂。

 それはこの街の住人なら多くの人が知っていた。数年前にそれが決定してから街の郊外でかなり大きな工事が始まっていたからだ。

 街の郊外に高架がいくつも建てられて今もなお工事は続いている。

 

「最近その実験線の工事現場でセルリアンらしき目撃情報があってね。」

 

 ガレージ横の通用口から中に入ってみんなを招き入れるドクター遠坂。

 中の廊下を進んでいくと、程なくして大型のモニターが複数ならぶ部屋へとやってきた。

 

「「「「「お、おお……。」」」」」

 

 と感嘆の声をあげるともえ達一行。

 見た目の雰囲気としてはまるで秘密基地の指令室だ。大型モニターにはよくわからない情報が次々映し出されていてそれが刻一刻と変わっている。

 そして、この部屋で一心不乱にキーボードを叩いている女性がいた。

 

「そのセルリアンについての説明は彼女にお願いしよう。このサンドスター研究所でセルリアン研究を専門にしているカコ博士だよ。」

 

 と、ドクター遠坂に紹介されると手を止めて立ち上がるカコ博士と呼ばれた女性。

 スラリとした長身とアップにした髪が凛とした印象を与える。そして白衣姿が様になっていた。

 

「クロスハート、クロスナイトとははじめまして。クロスシンフォニー達は久しぶりだね。」

 

 言いつつカップに数本単位で立てていたチュッパチャップスを一本ずつ全員にくれた。

 萌絵は、「ああ、これ糖分補給用だな」とは気づいていたもののそこは今は指摘しないでおくことにした。

 

「さて、早速で申し訳ないのだけれど、リニア実験場に現れたセルリアンについて説明をさせてくれ。」

 

 言いつつカコ博士は目の前のキーボードを操作してモニターを切り替える。

 

「現れたセルリアンは2タイプ。一つはショッピングカートを模倣したものらしい。我々は『ドンカート』と呼んでいる。」

 

 モニターに映し出されたセルリアンはかなりの大きさである事がうかがい知れる。表示されている数値を信じるならば大型のダンプカーと同じくらいの大きさがあるようだ。

 

「そして、この『ドンカート』に搭載される形でもう1つのセルリアンがいる。自転車を模倣したセルリアンで通称は『サイクラーズ』だ。」

 

 その横に並べられたバイクのような2輪車はなるほど確かに自転車のようだ。今度はよく知るサイズの自転車と同じ程度の大きさだが、問題は数だった。

 

「こちらは『ドンカート』を守るような形で随伴している。現時点で少なくとも10体は確認している。」

 

 それにともえが挙手した。

 

「ええと、アタシ達はそれを倒してくればいいって事だよね?」

「その通り。だが倒そうにも問題がある。」

 

 ともえの言葉に再びモニターの画像を切り替えるカコ博士。

 

「この2体はどうやら暴走行為をする習性があるようなんだが、問題はその速度だ。巡航速度で時速60kmは出ている。」

 

 なるほど、常にそれだけのスピードで移動しているという事であれば追いつくだけでも一苦労だ。

 その気になれば一瞬だけならそのくらいの速度を出す事はクロスハートにもクロスナイトにも可能だろう。

 だが、常にそんな事をすれば一瞬でサンドスターを大量に消費してしまうのは容易に想像できた。

 

「そこで…、今回はコレを使って欲しい。ジャパリバスだ。」

 

 とカコ博士がブラインドを上げる。その先はガレージの中であり黄色のカラーリングの小型バスが一台駐車されていた。

 

「これはドクター遠坂の手によって改造されているから説明は彼に任せよう。」

 

 まるで猫科の動物かのように大きな耳がついている前部が駆動部であり後部の客車を牽引するのだろう。

 運転席は一人乗りのようだ。

 

「まず、このジャパリバスはラッキービーストが接続して自動運転が可能だ。最高速度は時速200km。今回の戦いに十分耐えられるはずだよ。」

 

 とドクター遠坂がモニターにジャパリバスを表示しつつ説明してくれる。

 

「いざとなったらもちろんマニュアルドライビングモードに切り替える事もできるから、これはクロスシンフォニー用だね。」

「あ。はい。大丈夫です。」

 

 とコクリと頷くかばん。

 

「ええ!?かばんちゃん運転できるの!?」

「はい。海外ライセンスですが免許もありますよ。」

 

 ともえの驚きにこれまた意外な事を言い出すかばん。

 

「も、もしかしてハワイで?」

「ミライお姉ちゃんに教わりました。」

 

 それはとある漫画で主人公の少年探偵が年齢不相応な事をする際の決め台詞を真似たものなのだが、今回ばかりは冗談とも思えなかった。

 

「そして、こっちはイエイヌちゃん…じゃなかった。クロスナイト用だよ。」

 

 と続けてモニターに映したのはポニーサイズの4つ足の乗り物だった。

 

「これはラモリさんが接続して完全自動運転が基本だね。最高速度は時速220km。短時間なら飛行も出来るけど、まだ飛行制御プログラムは出来てないから使っちゃダメだよ。」

 

 どうやら馬のように跨って乗るものらしい。よくよく見れば馬の頭にあたる部分にラモリさんの胴体がちょうど半分くらい埋まるくぼみがある。

 これはラモリさんによる自動運転用のシートなのだろう。

 

「名前はラモリケンタウロス。」

 

 ラモリケンタウロスは見た目通り、騎士の騎乗する鉄騎となるのだろう。本来運転などとは全く縁のないイエイヌ用にラモリさんとセットでの自動運転がメインとなっていた。

 こうなってくると、当然クロスハート用の乗り物もあるのだろう。ともえはワクワクして目を輝かせていたが…。

 

「あー…その…。クロスハート用の乗り物はないわけじゃないんだ…。けど…。」

 

 とどうにもドクター遠坂の歯切れが悪い。

 

「その…自動運転機能が間に合ってないから完全手動になっちゃうんだ…。」

 

 と、ドクター遠坂が示した乗り物はバイクだった。

 

「ジャパリバイク。最高速度は時速220kmまで出せるけど…、かなり危険だよ。」

 

 やはりドクター遠坂も人の親だ。いきなり自動運転機能もないバイクに娘を乗せる事はしたくないらしい。

 そして、ともえは中学生。当然バイクの免許などは取ってないし、運転した経験だってない。

 

「ともえは春香さんに似て運動神経抜群だからバイクだってすぐに乗りこなせるとは思うんだけど、ちょっと…ね。」

「そっかあ…。」

 

 確かに時速220kmまで出せるようなハイパワーなバイクは一筋縄で操れるわけでもないだろう。ともえは残念そうにしながらも納得せざるを得ない。

 今回はジャパリバスの客車に乗せてもらって移動するのがよさそうだ。

 そうしていると、一つの声が響いた。

 

「はい!こんな事もあろうかと!!」

 

 全員がそちら振り返るとその声の主は萌絵だった。

 

「いやー。アタシも一回言ってみたかったんだよね。こんな事もあろうかと!」

 

 いそいそ、と萌絵は自分の鞄から何かのパーツを取り出してドライバーであっという間に組み上げてみせる。

 それはスケボーの形をしていた。というかスケボーそのものだった。

 

「はい。クロスハート用にはこれ。普段ともえちゃんが使ってたスケボーを改造しちゃいました。」

 

 ともえの趣味の一つはスケボーだったりする。よく公園で練習したりしているがその腕前だって中々のものだ。

 彼女が公園のハーフパイプで練習していたりすると軽く人だかりが出来る程だったりもする。

 

「い、いつの間に…。」

「いやー。コツコツと?」

 

 と事もなさげに言ってのける萌絵。確かにナイトチェンジャーやパーソナルフィルター発生装置を作り出した腕があればスケボーの改造くらい朝飯前なのかもしれない。

 

「中にモーターとバッテリーを仕込んであって、最高速度は120kmくらいまでは何とかいけると思う。」

 

 いや、それはそれで凄いんじゃないだろうか、と一同ビックリだ。

 

「4輪全部にモーターを仕込んで制御用のAIも組み込んで最適化してあるから結構スピードも出せるよ。ただ、バッテリーは最大で10分しかもたないけどね。」

 

 萌絵の説明にただただ目を丸くするばかりの一同。

 

「名前はジャパリボード、って事にしとこうか。取り敢えずクロスハートはジャパリバスに乗せてもらって現場で状況に応じて使ってもらうのがいいんじゃないかな。」

 

 とジャパリボードをともえに手渡す萌絵。

 

「おおお!?萌絵お姉ちゃん!?凄いよ!?ありがとー!」

「ま、このくらいのサポートしか出来ないけど頑張ってね。」

 

 思わず抱き着いてきたともえを抱きとめる萌絵。

 

「クロスハートのサポート役としてはまだまだ萌絵には敵わないなあ。」

 

 と相好崩してそんな二人を見守るドクター遠坂。

 そうしていると、モニターにアラート表示が次々と現れる。

 何事か、と全員がモニターを見ると、どうやら先程言っていたセルリアン達が工事現場に現れたらしかった。

 

「早速で悪いけど3人とも。工事現場に現れたセルリアン達の退治をお願いできるかな。」

 

 ドクター遠坂の言葉にともえとイエイヌとかばんが揃って頷く。

 

「私もここから出来る限りのサポートはしよう。」

「見守る程度しか出来ぬが我もな。」

 

 とカコ博士とスザクがそれぞれの席についた。

 いよいよ出動、というところに一つの声があがる。

 

「あの!ま、待って下さい!わ、私も行きます!連れて行って下さい!」

 

 とその声の主はルリであった。

 

「で、でも…。」

 

 逡巡を見せるともえ。

 確かにルリはセルリアンである事を自覚してからは色々と特別な事も出来るようになっていた。

 けれどそれが戦える程のものなのかどうなのかはまだ疑問だった。

 

「ルリの代わりにウチが行く。せやからルリはここで安心して待っとき。な?」

 

 と進み出てきたのはアムールトラであった。

 アムールトラはイエイヌと同じ世界から来ただけあってセルリアンと戦う力だってある。

 ビースト状態を制御するビーストドライバーがなくなった今ではビースト化こそ出来ないが、セルリアンと戦う事が出来ないわけではない。

 だから、ともえ達としてもアムールトラがついてきてくれるなら断る理由はなかった。

 

「けど……。」

 

 なおもアムールトラに何かを言いたそうにしているルリに…。

 

「な。頼む。ルリ。ここで萌絵ねーちゃんやユキヒョウ達と一緒に待っとって。」

 

 アムールトラは彼女の両肩に手を置いた。

 ルリはうつむいて黙り込んでしまった。納得はしきっていないことはわかってはいたが仕方がない。

 

「そういうわけや。クロスハート。今回はウチが手ぇ貸したる。」

 

 だが、話は終わり、とばかりにアムールトラはルリに背を向けてともえ達の方に歩みよる。

 

「じゃ、じゃあ……。」

 

「「「変身!」」」

 

 ともえ、イエイヌ、かばんの三人の声が響いてサンドスターの輝きとともにクロスハート、クロスナイト、クロスシンフォニーの三人が現れる。

 さらにラモリさんがラモリケンタウロスに接続。ラッキービーストもジャパリバスの運転席に飛び乗った。

 

「じゃあ行ってくるね!」

 

 イエイヌフォームに変身したクロスハートはジャパリバスの後部客車に乗り込む。それにアムールトラも続いて、そしてラモリケンタウロスもクロスナイトも後部客車へと乗り込んだ。

 

「ラッキーさん。ボクはどうします?」

 

 サーバルシルエットに変身したクロスシンフォニーは運転席のラッキービーストに訊ねる。

 

「後ろに乗っテ。ここはマカセテ。」

 

 というラッキービーストにクロスシンフォニーの顔にも自然と笑顔が浮かんだ。

 クロスハート、クロスナイト、クロスシンフォニー、そしてアムールトラとラモリケンタウロスを収容したジャパリバスは高らかにエンジン音を響かせる。

 

「動作正常。いつでもいけるぞ。」

 

 とカコ博士が言う。

 

「じゃあみんな気を付けて。」

 

 とドクター遠坂が言うと同時、ガレージのシャッターが開いて外の明かりが入って来る。

 

「お父さん、そこは……って言っておくと格好がつくと思うな。」

 

 と萌絵がドクター遠坂に耳打ちした。

 それに「ええ!?」と何やら困惑の表情を浮かべるドクター遠坂。

 しかし、萌絵が期待した目で見上げてくるので、しょうがなくコホンと一つ咳払い。

 続けて白衣をバサリと翻し右手をシュバ!と真っ直ぐに伸ばしてこう叫んだ。

 

「ジャパリバス、発進!」

 

 空気を読んだラッキービーストがそれに併せてバスを加速。猫の耳がついた可愛らしい外見の小型バスは見た目とは裏腹の速度でもって戦場へと駆け出した。

 その具合を満足そうに見送るドクター遠坂。

 

「ちなみに今の掛け声がなくとも別に発車は出来る。」

 

 と言うカコ博士。くつくつ、と笑いたそうにしているのを我慢しているようだった。

 

「娘の前でくらいいいじゃないかっ!?」

 

 ドクター遠坂は真っ赤になった。

 カコ博士は今の場面を収めた監視カメラの映像をいいアングルになるように編集。こっそりとラモリさんあてに通信した。

 きっとラモリさん経由で奥さんに届くだろう、と予想しつつ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ジャパリバスは順調に車通りの少ない道を走る。

 ちょっとだけ奇抜な見た目のジャパリバスはやはり注目の的だった。

 時折、沿道にいる親子連れなんかが手を振って来たりするのでクロスハートはそれに手を振り返していた。

 やがて郊外に出てすっかり車通りもなくなった頃、遠くの方に高架の道が見えてきた。

 あそこがリニアの実験線だ。

 工事用車両などの乗り入れ口にはやはり“進入禁止”の立て看板と通行止めのバーが立っていたが、ジャパリバスが一旦停車。ラモリさんが多目的アームでバーを避けて戻って来た。

 なにか謎の機能で飛び越えたりはしないんだ、とちょっと残念なような気がするクロスハートであった。

 それはともかくとしてリニアの実験線予定地へと入ったジャパリバス。

 既に高架としてはほぼ完成しているようで、車が通るのには何の不自由もない。

 これからリニアモーターカー用の各種送電線などを敷設していくのだろう。

 だが、それらがない今、この道は格好のスピードサーキットと化していた。

 おそらく幅とそしては4車線道路を入れてもまだ余裕があるだろう。この道をセルリアン達は我が物顔で走っているのだろうか。

 速度を上げるジャパリバスの前にダンプカーくらいの大きさに肥大化したショッピングカートが現れる。

 それはジャパリバスに気が付いたのかカートの籠の後ろ側を開いた。

 これはショッピングカートを一つにまとめる際に連結しやすいようにする為の機構なのだが、これが今はハッチの役割を果たしていた。

 開いたハッチから次々と小型の自転車サイズのセルリアン達が降り立ってショッピングカートのセルリアンを囲むようにして走りはじめた。

 

「前情報の通りだね。」

 

 クロスハートの言葉にクロスナイト、クロスシンフォニー、そしてアムールトラの三人が頷いてみせる。

 いよいよこの暴走セルリアンとの戦いが始まろうとしていた。

 

 

―後編へ続く。

 




【後書き】

書いてみたら思ったよりも分量が多くなってしまったので中編も挟む事にしました。
イチャイチャ日常パートを削ればもっとテンポよく進むのかもしれないけど、そこを削ると自分の楽しみが4割くらい減ってしまうので分量を増やす方向になりました。
後編もなるべく早く仕上げたいなあ、と思っているのでお付き合いの程よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話『走れ!ジャパリバス』(後編)

【登場人物紹介】

ドクター遠坂

色鳥町にあるサンドスター研究所の所長。そしてともえと萌絵の父親でもある。
やせ型で年齢相応の渋さもあるのだが、その生活力は壊滅的だ。
放っておくとドンドン身だしなみが乱れていき、せっかくの渋さが台無しになる事もしばしば。
研究員としては優秀であり、機械工作などもかなりの腕前。
ラッキービースト、ラモリさんをはじめとしてクロスシンフォニーのサポートメカも色々と作ってきた。
反面、運動は萌絵と同じかそれ以上に壊滅的。
運動会の父兄参加競技に参加しただけで翌日は筋肉痛で動けなくなる程だ。
ちなみに、女性職員やフレンズも多い職場ではあるが、彼が愛妻家である事は全職員が知っている為、それをネタにからかわれる事も少なくない。




 

 

 サンドスター研究所ではいよいよショッピングカートのセルリアン、ドンカートと接敵したジャパリバスがモニターに映されていた。

 

「ジャパリバス、後部ハッチ開放。ラモリケンタウロス発進。」

 

 刻々と移り変わる状況をカコ博士が解説しつつ状況を捉えるのに一番いい監視カメラの映像へ切り替えていく。

 ジャパリバスには後部を解放する大型の入り口の他に側面の乗降口と屋根の上に出られるリフトが備えられていた。

 ジャパリバスを取り囲むようにじわじわと迫ってくる自転車型セルリアン、サイクラーズ達。

 それに対してクロスナイトを乗せたラモリケンタウロスがまず発進して牽制に出るようだ。

 さらに屋根にはヘビクイワシフォームに変身したクロスハートが陣取った。

 側面乗降口には片側にアムールトラ、もう片方にはワシミミズクシルエットのクロスシンフォニーという布陣だ。

 いよいよ戦いが始まっていたが、サイクラーズ達の攻撃方法は体当たりくらいしかないらしい。

 まずは取り囲んできたサイクラーズ達を鳥型フレンズに変身したクロスハートとクロスシンフォニーがヒット&アウェイで迎撃していく。

 そして取りこぼしはアムールトラが牽制してジャパリバスに近寄らせない。

 攻めあぐねているサイクラーズ達にはラモリケンタウロスに乗ったクロスナイトが遊撃を仕掛けて次々と撃破していった。

 まずは優勢に戦いを進めているらしい。だが…。

 

「ふぅむ。彼奴ら一向に数が減らんのお。」

 

 モニターを見るスザクが言う通り、サイクラーズを撃破しても再びドンカートからサイクラーズ達が出現している。

 

「おそらくではあるけれど、ドンカートの方はサイクラーズを生み出す能力があるのかもしれない。カコ博士。解析を頼むよ。」

「了解。3分時間をくれ。」

 

 ドクター遠坂の予測にカコ博士が応える形で映像からのセルリアン解析に入る。

 そんな様子を見守る萌絵とユキヒョウとルリ。

 

「なんだか本当に秘密基地の指令室って感じがするねえ。」

「うむ。そうじゃなあ。わらわ達も何か手伝えればよいのじゃが…。」

 

 萌絵の言葉にユキヒョウも頷いてあらためて周りを見渡してはみるものの、今のところ出る幕はなさそうだった。

 そうしていると、ユキヒョウは未だに静かなままのルリに目が留まった。

 

「ふぅむ。ルリ。やはり置いて行かれたのがショックか?」

 

 そのユキヒョウの言葉にルリは首を横に振ってポツリと呟いた。

 

「あのね…。あのセルリアンも本当は私が生んじゃったものなんじゃないかって…。」

 

 かつて無自覚に“セルリウム”を生み出していたルリ。そのせいで生まれたセルリアンはどれほどの数になっているかわからない。

 

「だから、本当は私が戦わないといけないんじゃないかって…。」

 

 けれど、アムールトラが自分を心配してくれている事だって分かってはいる。

 だから危険な場所に行く事には遠慮があった。だからこそあの時、アムールトラに反論出来なかったのだ。

 ユキヒョウはそんなルリに向き直り膝をおって目を合わせる。

 

「のう。ルリ。お主はどうしたい?」

「私は…。私は…。」

 

 ルリはしばらく迷うようにしてからユキヒョウを見つめ返して言った。

 

「私は戦いたい。私のせいだとしたらアムさんにだけ任せて何もしないでいるなんてイヤだよ。」

 

 ユキヒョウはやれやれ、と言いたげにして自分のバッグから風呂敷包みのようなものを取り出す。

 

「ユキヒョウちゃん。それなあに?」

 

 成り行きを見守っていた萌絵は一体何を取り出したのだろう、とそれを見てみる。

 

「うむ、萌絵先輩のように凄いものは作れぬが、まあこのくらいはの?」

 

 取り出した風呂敷包みを解くとそれはケープ状のマントのように見えた。

 そして中にはおとぎ話の魔女が被るような三角帽子が入っている。

 ユキヒョウはその胸までの短さのケープをルリに着せて三角帽子を頭に乗せた上で紐で顎へとしっかりと留める。

 そして仕上げにこれまたおとぎ話に出てくるお城の仮面舞踏会で使うかのような目元を隠す仮面をつけてやった。

 

「うわぁー。可愛いね!魔女っ子さんかな?」

 

 出来上がったルリに歓声をあげる萌絵。まるでハロウィンの魔女コスプレのようだった。

 けれど何で今それを?と疑問に思った萌絵は「まさか」とその答えに行きつく。

 ルリは今から戦場へ向かおうと言うのか。

 

「あ、あのー…それは危険だと思うの。一緒に待ってた方がいいんじゃないかな。」

 

 萌絵は戸惑いつつも挙手しつつ遠慮がちに言った。

 確かにルリの三つ編みを伸ばしての移動は他のヒーロー達ですら真似できない程速いかもしれない。だがそれだけだ。

 本当にセルリアンと戦う事が出来るのかは疑問しかない。

 それに今から移動すると言ったって、そのルリの特殊な移動方法ですらも現場に間に合わないかもしれない。

 それでもルリは萌絵の提案に首を横に振った。

 

「ふむ。どうしても行くというのじゃな?」

 

 いつの間にそばに来ていたのか。スザクがルリを見つめて訊ねる。

 それには今度は首を縦に振って見せるルリ。

 

「うむ。正直その心意気はよし。ならばなけなしの我の加護じゃ。持っていけ。」

 

 スザクは一枚のお札をルリへと渡す。

 

「それをセルリアンの『石』へ張り付ければ一度くらいは我が炎の力で焼き払えるじゃろう。」

「ありがとうございます、スザクさん。」

 

 礼を言いつつ渡された札をポケットにしまい込むルリ。

 

「なあに、構わんよ。美味い弁当の礼じゃ。しかし、まさか我がセルリアンに加護を授ける日が来るなど思わんかったわ。」

 

 苦笑と共にルリの頬に手をあてるスザク。

 

「我はいつでも頑張る者の味方じゃ。無事に戻るがいい。宝条ルリ。」

 

 どうやらルリが戦場に出るのは本決まりらしい。しかし、萌絵にはまだ疑問が残っていた。

 

「でも、今から行ったって間に合わないかもしれないよ?」

「なあに。足ならあるじゃろ?そこに。」

 

 その萌絵の疑問に事もなさげにユキヒョウが答えた。その視線の先にはガレージに一台残っているジャパリバイクがあった。

 そうしているうちにルリは短いケープを翻すようにしていつの間にかガレージへと出ている。ドクター遠坂もカコ博士もモニターを注視していてそちらには気づかない様子だった。

 

「ま、まじで…!?」

 

 萌絵が驚いている間にルリは三つ編みを伸ばしてその先端をワニの口のように変えるとそのハンドル部分を軽く咥えるようにする。

 何をするつもりだろうと萌絵が見守る中、ジャパリバイクはまるで主に答えるかのように大きくエンジン音を響かせた。

 カコ博士がようやくそのエンジン音に気づいて驚きの声をあげた。

 

「なっ!?なんでジャパリバイクが勝手に起動してる!?キーを挿してすらいないのに!?」

「ルリはこういう事も出来るようじゃよ。」

 

 同じく見守るユキヒョウが教えてくれる。その言葉に萌絵は思い当たる事があった。

 

「カコ博士。セルリアンって無機物を模倣する事が出来るんですよね?模倣するにはその前段階として解析が必要だと思うんですけど…。」

「ああ、つまりルリ君はジャパリバイクを解析して起動した、という事か…!」

 

 萌絵の予想をカコ博士が驚きと共に肯定する。

 

「ちなみに、我がセルスザクだった時にはこんな事は出来んかったわ。これはこれで宝条ルリの技なのかもしれんの。」

 

 そうしている間にもルリはジャパリバイクに跨ってすっかり出発の準備を整えてしまっていた。

 

「カコ博士!ガレージのシャッターを閉めるんだ!」

 

 ドクター遠坂の声が響いた。先ほどジャパリバスを送り出した時にガレージのシャッターは開いたままになっていたのだ。

 

「ごめんなさい!このバイクちょっとだけお借りしますっ!」

 

 言うが速いかルリはバイクのアクセルを捻った。

 

―ドルゥウン!

 

 と大きく低いエンジン音を響かせたジャパリバイクはそのまま外へ…戦場へと駆け出す。

 

「ね、ねえ、ユキヒョウちゃん。ルリちゃん大丈夫なの!?」

「うむ。大丈夫じゃよ。」

 

 心配して慌てる萌絵にユキヒョウはやはり落ち着いて自信たっぷりに頷いてみせる。

 

「なにせわらわのルリは可愛いからの!」

「根拠になってないよっ!?」

 

 思わず萌絵はツッコミを入れてしまったが、まあ、こうなってしまってはルリの無事を祈るしかない。

 あっけにとられている一同を後目に、ユキヒョウはツカツカと中央に歩み出る。

 

「さて、わらわもせっかくじゃからやらせて貰おうかの。」

 

 一体何をするつもりなのだろう、と全員がユキヒョウを注目する中、彼女は右腕を真っ直ぐにシュバ!と伸ばしてポーズを決めるとこう叫んだ。

 

「ジャパリバイク!発進じゃ!!」

 

 ジャパリバイクはとっくの昔に発進済みだったが、それをツッコむ余裕のある者はここにはいなかった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ナイトスラァアアアアアッシュ!」

 

 これで10体目。ラモリケンタウロスに跨り純白に輝く骨型の剣を振るうクロスナイトは次々とサイクラーズを撃破していた。

 今のところ一番戦果を挙げているのは遊撃に出ているクロスナイトであった。

 一番大きな要因としてはやはりラモリケンタウロスの性能が挙げられるだろう。

 4つ足の馬のような動きではなく、4本の足の先それぞれに車輪がついていて滑るように移動するのが特徴だ。

 これが、曲がったりするときには足の角度をかえたりして、最適な体勢をとれるように調整してくれる。

 ケンタウロス、というよりは見た目の動きとしてはアメンボの方が近いかもしれない。

 おかげで、スピードの割に小回りも効くのでサイクラーズを遊撃するにはまさにピッタリだったのだ。

 

「クロスナイト、次は右後ろの集団にツッコむゾ。」

 

 ラモリケンタウロスの制御はラモリさんが正確にこなしてくれていた。

 右車輪を前回転、左車輪を後ろ回転させてまるでスピンするように180度のターン。4つの足を目いっぱいまで開いて安定を確保、タイヤを軋ませて方向転換。

 ついでに鐙にあたる足かけと太ももを安全ベルトで一瞬だけ固定、クロスナイトが振り落とされないようにしっかりと抑え込んだ。

 

「了解です、ラモリさん。そのまま突撃しちゃって下さい!」

 

 サイクラーズの集団3体に真正面から突撃するラモリケンタウロス!

 

「ドッグスロー!」

 

 クロスナイトは今度はフリスビーを大型化させた盾をその集団へと投げつけた。

 

―パッカァアアアン!

 

 とそれで先頭の一体を撃破。

 そのまますれ違い様にナイトソード(鈍器)を振るってさらに追加で2体を撃破した。

 

「それにしても…!」

「アア。キリがないナ!」

 

 大活躍のラモリケンタウロスとクロスナイトであったが、しかし戦況は膠着していた。

 倒した分だけ次々とサイクラーズがドンカートから飛び出しては再びジャパリバスへと迫って来る。

 

「やっぱり、ドンカートの方を倒さないとダメという事でしょうか。」

 

 ジャパリバスへ迫るサイクラーズの一体をヒット&アウェイで倒したクロスシンフォニー。わずかな隙に考え込む。

 出来る事ならアライグマシルエットに変身してセルリアンを解析したかったが、この高速移動中では非常に危険だ。

 

「せめて『石』の場所がわかれば…!」

 

 屋根の上のクロスハートも焦りの声をあげる。

 

「それだったラ。いま、解析できたヨ。カコ博士がデータを送ってくれたからネ。」

 

 その声の主はジャパリバスの運転席のラッキービーストだった。

 

「ほんと!?ラッキーちゃん!?」

「モチロン。ドンカートの『石』はあの荷台の上にあるヨ。」

 

 ラッキービーストの教えてくれた『石』の位置はここからでは確認できない。

 何せドンカートは大型ダンプくらいの大きさがあるのだ。小型のジャパリバスでは屋根の上から見てもその荷台は見通せない。

 となると『石』を攻撃するためにドンカートの荷台に飛び移るのがよさそうだが、この高速移動中にどうやってそれをするかが悩みどころだった。

 そうして悩んでいると…。

 ドンカートの開いている後部ハッチからサイクラーズ以外のものが飛び出して来た。

 それは、クロスハート達もよく見知ったものだった。そう、それは……。

 

「バナナの皮ぁあああああああああ!?!?」

 

 前方を走るドンカートがバラ撒いて来たのはバナナの皮だった。ジャパリバスよりも後方を走るラモリケンタウロスは辛うじてバナナの皮をかわす事が出来た。

 だが、ジャパリバスはそうはいかない。

 

―グニュリ。

 

 とタイヤを通してバナナの皮を踏んづけるイヤな感触がした。

 

「あれ?でも滑らない?」

 

 クロスハートがほっと安心した次の瞬間、いきなりジャパリバスが制御を失ったかのように大きく挙動を乱す。

 

「アワワワワ。」

 

 ラッキービーストの慌てる声が響く中でクロスハートはバスから振り落とされないように屋根に設えられた手すりにしがみつくのでやっとだった。

 実はバナナの皮は広がった状態で踏んでもそれほど滑るわけではない。

 ところがどっこい、これが閉じた状態で踏んづけてしまうと重なり合った皮の上側がとんでもなく滑るのだ。

 つまり、滑るものと滑らないものが混じり合っているせいでラッキービーストの自動操縦がしづらくなっているのだった。

 

「ラッキーさん!」

 

 そんな中でクロスシンフォニーは運転席に飛び込んで叫ぶ!

 

「ラッキーさん、セミマニュアルドライビングモードです!」

 

 ジャパリバスのハンドルを握るクロスシンフォニー。

 

「ラッキーさん!後部客車の駆動系もオンです!車輪制御は任せます。ハンドルの方はボクが!」

 

 素早くラッキービーストに指示を出したクロスシンフォニー。ラッキービーストはそれを最速で実行へと移した。

 ジャパリバスは前部が4輪。後部客車が4輪。合計8輪のタイヤがあるが普段駆動するのは前部の4輪のみだ。

 けれどドクター遠坂の手によって後部客車にも非常用の駆動系が仕込まれていたのだった。

 ラッキービーストはそれを各車輪ごとに制御。滑ったタイヤは空転させて滑っていないタイヤで前へ進む力技でバナナの皮を抜けていく。

 そしてハンドルはクロスシンフォニーが抑え込んで制御を取り戻す。

 すんでのところで何とかスピンを回避するジャパリバス。

 クロスシンフォニーは後部客車のアムールトラと屋根の上のクロスハートを振り返る。

 

「な、何とか平気や。」

「こ、こっちもぉ…。」

 

 と大分振り回されはしたもののアムールトラとクロスハートが返事を返してきたのでほっと一安心だ。

 クロスシンフォニーはそれを確認すると今度は反撃の算段を思考する。

 

『アライさんはこのまま後ろを追いかけてたらダメだと思うのだ。』

『だねえ。何とか前に出たいねえ。』

 

 アライさんとフェネックの声がクロスシンフォニーの心に響く。

 『石』のあるドンカートの荷台に後方から飛び移るには高速で飛ぶ必要がある。

 だが、ジャパリバスを前に出してドンカートの前方から飛び移るのなら高速で飛ぶ必要性は殆どなくなる。

 けど前に出るにはジャパリバスをドンカートに近づけなくてはならない。それは明らかに危険だ。

 

『けど、他に手詰まりになっているのも確かなのです。』

『ならばやる価値はあるのです。』

 

 博士と助手の言葉にクロスシンフォニーは決断した。

 リスクは承知。

 やるしかない。

 

『いこう!かばんちゃん!』

「うん!みんな!しっかり掴まってて!」

 

 サーバルの声に頷きつつクロスシンフォニーは蹴り込むようにアクセルを目いっぱい踏み込んだ。

 一気に加速するジャパリバス。ドンカートの左側へ徐々に寄せていく。

 自分を抜き去ろうとするジャパリバスの動きを察知したドンカートはそちら側に身を寄せていってブロックの体勢に入る。

 ちょうど抜き去ろうと並んだところで壁と自身の巨体でジャパリバスを挟み込んでしまうつもりだろう。

 ジャパリバスの鼻先がドンカートと壁の隙間へとねじ込まれた瞬間…。

 

「いくよ!ラッキーさん!」

「マカセテ。」

 

 叫びつつクロスシンフォニーは一瞬だけフルブレーキング。重心が一気に前へもっていかれた瞬間にハンドルをほんのわずかに右へ切る。

 タイヤに激しいスキール音をさせながら一気にドンカートの左側から右側へと滑っていくジャパリバス。

 右側への移動完了と同時にハンドルを左へ回しカウンターをあてるクロスシンフォニー。

 そこで絶妙のタイミングでラッキービーストが後部客車側の非常駆動系までフル稼働。

 

「ターボ、入れるヨ。」

 

 さらに虎の子のターボ機能までオンにしたジャパリバスは制動を取り戻すと同時最高速度へ。一気にドンカートを右側から追い抜きにかかる!

 だが、ドンカートもそれに気づいた。

 巨体をぶつけるようにジャパリバスへ体当たりを仕掛けてきた。

 こうなれば…!と覚悟を決めたクロスシンフォニーはハンドルをドンカートに向ける。このまま逃げる後ろを突かれた方が制御を失いやすい。

 ならばここは…。

 

―ガァン!

 

 と激しい音を立てながらドンカートとジャパリバスが側面をぶつけ合う。

 ドクター遠坂によって強化されたジャパリバスの車体はその衝突にビクともしなかった。

 小型のジャパリバスだが、パワーはドンカートに引けをとらない。だが、質量の差はいかんともしがたいのか少しずつ押されていっている。逆側の壁へと少しずつ押しやられていっていた。

 だが、これはチャンスだ。

 ドンカートとジャパリバスが至近距離で並走しているまたとない飛び移りのチャンスなのだ。

 

「アムールトラちゃん!」

「ああ、わかってる!クロスハート!」

 

 屋根の上のクロスハートがヘビクイワシフォームの翼を広げて飛び上がる。

 と同時、

 

「ぐるぁあああああああああっ!!」

 

 と側面乗降口からアムールトラがドンカートの車体を思いっきりぶん殴った。

 それでほんのわずかに車体を離したジャパリバスはその隙にドンカートを追い抜いて前に出た。

 そしてクロスハートはドンカートの頭上へと飛び上がっている。

 このまま着地すれば『石』のある荷台へと降り立てるはずだ。

 だが…。

 

「うえ!?」

 

 ドンカートのショッピングカートを大型化した荷台の上にはサイクラーズ達が5体ほどクロスハートを待ち構えていた。

 

―リンリンリィイイイン!

 

 とベルのような音が鳴り響く。それはサイクラーズ達の自転車を模したベルが鳴る音だった。

 その音を聞いた瞬間、クロスハートは自分が今上を向いているのか、それとも下を向いているのかわからなくなった。

 サイクラーズ達の鳴らしたベルは攻撃力は全くなかった。だが、聞いた者の平行感覚をほんの少し狂わせる効果があったのだ。

 それを空中でもろに浴びせられたクロスハートは平行感覚を失って無防備にコンクリートの地面へ落ちていこうとしていた。

 このまま落ちれば高速移動中のいま、大怪我は避けられないだろう。

 クロスナイトとラモリケンタウロスがクロスハートを拾い上げるべくアクセルを吹かすよりも速く…、青色の鞭のようなものが空中のクロスハートに巻き付いた。

 

「え…!?」

 

 とクロスナイトが驚きの声をあげるよりも早く、それはあっという間に縮んでクロスハートを青い鞭のような物の持ち主へ引き寄せていった。

 

「間一髪…、セーフだったかな。」

 

 クロスナイトと並走するのはつい先ほどサンドスター研究所で見たジャパリバイクと、それに跨った魔女の三角帽子を被った何者かだった。

 三角帽子の後ろ側から伸びた二本の三つ編みのうち片方が青い鞭の正体らしい。

 これには見覚えがあったが、なんで彼女が、と疑問に思うクロスナイト。

 ともかく、その魔女帽子を被った小さな女の子は拾い上げたクロスハートをタンデムシートの上に降ろすと再び目いっぱい加速。

 ジャパリバイクはその主の要望に従順に従って大きくエンジン音を響かせた。

 

「え、ええと…。あ、ありがとう。る、ルリ…ちゃん?」

 

 クロスハートはその背中に呼びかける。

 が、肝心の本人が…。

 

「ち、違うよっ。わ、私は!謎のヒーロー!そう、謎のヒーロー!クロスラピスだよ!」

 

 と言いつつポーズを取るのでクロスナイトもクロスハートも、そしてクロスシンフォニーも一斉にこう呟いた。

 

「「「謎のヒーロー、クロスラピス……。一体何条ルリなんだ…。」」」

「もう殆ど言ってもうてるやん!?!?」

 

 アムールトラのツッコミの通り正体はバレバレなのだが、せっかくの登場だから一同取り敢えず気づかないふりをしておくことにした。

 

「あ、あとルリ…!じゃなかった!?クロスラピス!?無理してポーズとるんやない!?危ないからしっかりハンドル握れ!?コケるわ!?」

 

 とアムールトラだけは目を白黒させて忙しそうにしていた。

 しかし、クロスラピスの参戦によって戦況はさらに動いていく。

 現在、サイクラーズ達はドンカートの荷台にいる者以外は全てクロスナイトが倒していた。

 そしてジャパリバスを先頭に、ドンカートが続いて、その後ろ側にラモリケンタウロスとジャパリバイクが並走している。

 

「ん…?」

 

 とジャパリバイクのタンデムシートに座ったクロスハートが声をあげた。

 それに気づいたクロスラピスが一体どうしたのだろう、とハンドルを握ったまま振り返る事なく訊ねる。

 

「どうしたの?クロスハート?」

「うん。作戦、思いついたかなって。」

  

 そこからクロスハートとクロスラピスが何やらこしょこしょと内緒話を始めた。それをジャパリバスの後部客車に乗るアムールトラはハラハラと見守るばかりだ。

 

「あ、あの二人…!?一体何しとんの!?」

 

 そんな心配するアムールトラに向けてクロスハートは叫んだ。

 

「アムールトラちゃん!アタシのジャパリボード!こっちに投げてー!」

 

 どうやら作戦は決まったらしい。大きくアムールトラに向けて手を振るクロスハート。

 アムールトラはジャパリバスの後部に積み込んでいたいたジャパリボードを拾い上げると…。

 

「わ、わかった!ルリ…じゃなかった、クロスラピスには無茶させんといてな!?」

 

 言いつつ後方のジャパリバイクへ向けてそれを放る。

 

「なるべく頑張る!」

 

 なんとも頼りない返事をキッパリと言い切ったクロスハートは空中でジャパリボードをキャッチ。そのまま着地と同時にジャパリボードを起動した。

 

―キィイイイ!

 

 と内臓モーターが唸りをあげて蹴立てるようにジャパリボードが発進した。

 クロスハートは思ってた以上に自分の望み通りに動いてくれるジャパリボードに軽く驚いていた。

 それは萌絵が作った制御用AIのおかげだったりする。

 ともえの動きのクセをしっかり理解した上で、ジャパリボードの動力を制御しているのだ。ともえの事をよく知っている萌絵だからこその技だった。

 ジャパリボードの具合にクロスハートは作戦の実行を後押しされた気分だった。

 

「よっし!じゃあ行くよ!クロスラピス!」

「わかったよ!クロスハートッ!」

 

 再び一人乗りに戻ったジャパリバイクの上でクロスラピスは二本の三つ編みを伸ばす。

 その伸ばした先は大きく迂回させたように孤を描いてドンカートの荷台の頭上だった。

 

「よぉし!いっくよぉー!」

 

 クロスハートは叫びつつジャパリボードを地面へと押し付けて跳ね返りの反動を利用してジャンプ。そのままクロスラピスの伸ばした三つ編みの上へと着地した。

 

「いっけぇえええええええ!」

 

 クロスラピスの伸ばした二本の三つ編みはまるでジェットコースターのレールのような役割となっていた。

 その上を全開で走り抜けるジャパリボードとクロスハート。クロスラピスの作り出した空中レールの上を走り抜けてそのまま大ジャンプ。

 空中で頭を下にして二回転を入れるというトリックまでも決めつつドンカートの荷台へ飛び込もうとした。

 しかし、それは先ほども迎撃されたはず。

 荷台の上から10体に増えたサイクラーズ達が一斉にベルを鳴らしてクロスハートの平行感覚を狂わせに来た。

 

「うわわっ!?」

 

 先ほどと変わらず空中でバランスを崩したクロスハートは、平行感覚を失い、地面に落ちそうになりながらもニヤリとしていた。

 その視線の先に、クロスハートを送り出す為にクロスラピスが作り出した空中レールが形を変えてドンカートの荷台の端っこをしっかりと掴んでいるのが見えたからだ。

 

「クロスナイトっ!クロスハートをお願い!」

 

 言うが早いか、クロスラピスはドンカートの荷台に繋いだ自身の三つ編みを元の長さに縮めていく。

 するとそれに従ってクロスラピスの身体は宙を舞い…。

 

「よいしょぉ!」

 

 と謎の掛け声を挙げつつ一気にドンカートの荷台へと降り立った。

 サイクラーズ達もドンカートも完全にクロスハートの方にばかり意識を向けていてクロスラピスのこの行動には全く気づけないでいた。

 その間にクロスラピスは、ペタリ、とスザクから貰ったお札をドンカートの『石』へと貼り付ける。

 

「じゃ、じゃあそういうことで!」

 

 クロスラピスはシュタ、と片手を挙げるとサイクラーズ達が反応する前に三つ編みを再び伸ばして、今度はジャパリバスの屋根へと飛び移っていった。

 一体何だったんだ、と言いたげにサイクラーズ達が顔を見合わせるのに一瞬遅れて……。

 

―ドカァアアアアアアアアアン!

 

 とクロスラピスの貼り付けたお札が大爆発を起こした。

 それをもろに受けたドンカートはサイクラーズ達もろともにサンドスターの輝きへと還っていった。

 ジャパリバスの屋根の上へと降り立つクロスラピス。

 囮役を見事につとめたクロスハートは今度はクロスナイトとラモリケンタウロスに拾われて事無きを得たのだった。

 唯一、主を失った無人のジャパリバイクだけが……。

 

「「「「「あ」」」」」

 

 と皆が気づくと同時に派手に転倒した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ジャパリバイクは派手に転倒はしたものの、どうやら無事だったらしい。

 ドクター遠坂がしっかりと頑丈に作っておいたおかげで擦り傷は出来たもののそのくらいで済んでいた。

 取り敢えずジャパリバイクとラモリケンタウロス、それとジャパリボードもジャパリバスの後部客車に収容して帰り支度を始める一同。

 リニア実験線にも大した被害は出ていないし結果は上々と言えるだろう。

 そんな中でアムールトラは、まずはクロスラピスの身体をペタペタと触るようにして確認。どこにも怪我がない事を知ってその場にへたり込むように安心してしまった。

 

「よかったあ…。ルリ…いやクロスラピス…いやもうルリでええわ!ルリに怪我がなくてほんまによかったぁ…。」

 

 そうして安心してしまうと、アムールトラの心の中には何かモヤモヤしたものが顔を出し始めていた。

 

「なあ、ルリ…。どうして来たん?ここは危ないってわかってたやろ。」

 

 ルリの両肩に手を置き訊ねるアムールトラ。その心の中のモヤモヤはどんどんと大きくなって来ていた。

 アムールトラはその感情の昂ぶりのままにルリに声を荒げようと口を開こうとしたその瞬間…。

 

「はーい、ルリさん、アムールトラ。二人ともちょっとだけいいですか?」

 

 二人の間にヒョコリとクロスナイトが割り込んだ。

 

「実は昨日、かばんさん達がうちにお泊りして凄く楽しかったので、今日はわたし、ルリさんとアムールトラのおうちにお泊りしたいです。」

 

 シュバ、とクロスナイトが挙手してその返答やいかに!と言いたげに二人を交互に見る。

 

「あ、ああ。ウチは別にかまわんで。なあ。ルリ。」

「うん、私もイエイヌさんが遊びに来てくれるの嬉しい。」

 

 と二人してクロスナイトにコクコクと頷いていた。

 すっかり毒気を抜かれたアムールトラ。その視線がクロスナイト、いや、イエイヌと交差する。

 

「(またイエイヌに助けられてしもうたな。)」

 

 なんだか苦笑するような表情を向けてくるクロスナイトにアムールトラは心の中で感謝していた。

 あのまま感情に任せて何かを言っていたらきっと取り返しのつかない事になっていたかもしれない。

 アムールトラはそうならなかった事に心底ホッとするのだった。

 

 ルリとアムールトラの暮らす宝条家に遊びに行く事になったイエイヌの話は、また次回のお楽しみである。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第11話『走れ!ジャパリバス』

―おしまい―




【セルリアン情報公開】

 
 名称:ショッピングカート型セルリアン『ドンカート』
 ショッピングカートに取りついて模倣したセルリアン。その大きさは大型ダンプくらいにまで成長している。
 巡航速度60km。最高時速で150km程度で暴走する。
 主な攻撃方法は体当たり。その巨体から繰り出される攻撃は非常に強力だ。
 また、後述のセルリアン、サイクラーズと合体しており、荷台でサイクラーズ達を再生させる能力も持っている。
 最大で10体のサイクラーズを搭載し、護衛させている。
 倒されたサイクラーズは荷台で再生されて再び襲い掛かってくるのだ。
 さらに、かつてショッピングカートに乗せた事があるものを模倣してバラ撒いてくるという特殊能力も持ち合わせている。
 劇中で繰り出してきたバナナの皮はこの能力を使用したものだ。
 模倣できるものは食品などの単純なものに限られるが意外なところで意外な力を発揮する。
 高速で走り回るこのセルリアンに如何にして接近するかが攻略の鍵だ。
 

 名称:自転車型セルリアン『サイクラーズ』
 自転車に取りついて模倣したセルリアン。単体であらわれれば大した強さではない。
 主な攻撃方法は体当たりではあるが、その大きさや質量は普通の自転車程度なので、威力としてもそこそこだ。
 このセルリアンは自転車のベルを鳴らしてそれを聞く者の平行感覚を狂わせるという特殊能力がある。
 一体だけならこの能力は大した事はなく、一瞬立ち眩みでもしたかな?という程度でしかない。
 しかし、複数のサイクラーズが集まってこのベルを鳴らした時には特に飛行中の鳥フレンズにとっては大きな脅威となるだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話『ミレニアムプロフェッサー』(前編)

 これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 とある休日の日曜日。かばんの案内で皆でお出かけ。
 何と出かけた先はともえ達の父親であるドクター遠坂が働くサンドスター研究所であった。
 イエイヌとドクター遠坂を対面させたり、みんなでお弁当を食べたり、楽しい時間を過ごした後はヒーロー達の出番であった。
 リニア実験線に現れるという暴走珍走セルリアン達を退治して欲しいというのだ。
 ドクター遠坂の用意したスーパーマシン、ジャパリバスに乗って戦場へと向かうクロスハートとクロスナイトとクロスシンフォニー。
 今回はアムールトラも一緒だ。
 高速で移動しながらの戦いに苦戦を強いられるヒーロー達の前に、第4の謎のヒーローが現れた。
 その名はクロスラピス。
 クロスラピスの協力も得て、何とかセルリアン達を倒したヒーロー達。
 そんな中、話の流れでイエイヌはルリとアムールトラが暮らす宝条家へ遊びに行く事になったのだった。



 

 

「うっうっ……。い、イエイヌちゃあああん…!」

「一人で寝てもおなか出して寝たりしちゃダメだよ…!」

 

 ともえと萌絵がイエイヌに両側から抱き着き何やら悲壮感を漂わせていた。

 

「いや、萌絵お姉ちゃんもともえちゃんも大げさです。ちょっとお泊りに行くだけですから明日には会えますよ。」

 

 サンドスター研究所から戻ったともえ達。

 イエイヌは話の流れでルリとアムールトラの暮らす宝条家へお泊りに行く事になった。

 何せイエイヌが一人で外泊というのは初めてのイベントだ。なので、ともえも萌絵も大分心配していた。

 

「そうよー。イエイヌちゃんはしっかりした子だからきっと大丈夫よ。」

 

 と言う割には春香も娘達に混ざってイエイヌに抱き着いていた。

 

「せっかくだから一晩分のイエイヌちゃん成分を補給しておこうかしら、って。」

 

 てへ、と言いたげに小さく舌を出してみせる春香。

 三人掛かりでここぞとばかりにイエイヌをモフりまくっていた。

 

「オイ。三人とも。そんな事よリ、イエイヌの準備はいいのカ?」

 

 見兼ねたラモリさんの言葉にハッとするともえと萌絵と春香。

 イエイヌは一旦お泊りの準備をするべく遠坂家へと戻ってきていた。

 なんせ明日は月曜日。普通に学校がある。なのでお泊りするなら制服も持っていかないといけない。

 

「そうね。急いで準備しないと…。ええとまずはイエイヌちゃん用の洗面道具とかをまとめて…。」

「あと明日の授業の準備もだし…。」

 

 春香と萌絵が思案を巡らせつつ手早く即席お泊りセットを作っていく。

 

「あ、あと急にお腹が痛くなったりしたら困るからお薬も入れておくね!あと寂しくないようにアタシのタオルケット持っていく!?あ、それからセルリアンが急に出たら困るよね。どうしたらいいかな…。」

 

 と、ともえがドタバタと色々準備していたが…。

 

「イヤ、旅行に行くワケじゃナイんだからそんな大荷物はいらんゾ。」

 

 ラモリさんにあっさり却下されていた。

 

「あ。ああ…。でもともえちゃん達の匂いがするのは安心するかも…。」

 

 とポツリとイエイヌが呟いてしまったので、「ほらぁ!」とともえが勢いづいてしまった。

 しかし、あまりイエイヌの荷物を増やすわけにもいかない。

 そこで萌絵は一つ提案してみる事にした。

 

「じゃあ、制服交換しとこうか。背丈は似た様なものだし、サイズはきっとかわんないから。」

 

 なるほど、それなら荷物は増えないが、ともえと萌絵の匂いは確保出来る。ついでに春香のハンカチを一緒にセットにしておけばバッチリだ。

 なので、お泊りセットには萌絵のスクールベストとともえのスカートが一緒に入れられた。

 どうにかコンパクトに一晩分のお泊りセットをまとめた春香。

 

「さて、ルリちゃん達を待たせているし、早く行ってあげましょう。」

 

 1階の喫茶店『two-Moe』でルリとアムールトラとそしてユキヒョウが待っていてくれる。

 早いところ戻らないと待ちくたびれてしまうかもしれない。

 ともかく準備が出来たのでイエイヌ達は1階へと降りた。

 すると、やはり待っていたかのようにルリが立ち上がってイエイヌ達を出迎える。

 

「じゃあ春香おばさん、萌絵さん、ともえさん。一晩イエイヌさんをお預かりしますね。」

 

 ペコリと頭を下げるルリに春香もまた彼女に笑顔を向ける。

 

「こちらこそ、おうちの方によろしくね。何かあったら夜でも連絡してくれて構わないから。」

「はい!“教授”もイエイヌさんに会いたいって言ってたので心配しないで下さい。」

 

 ルリもそう返すのだった。

 そしてともえがルリとアムールトラとユキヒョウの手を交互に握りつつバタバタしていた。

 

「ルリちゃん、アムールトラちゃんユキヒョウちゃん!イエイヌちゃんの事をお願いねっ!」

「もう…。ともえちゃん。ですから大げさですってば。明日には学校で会えますし。」

 

 と、逆にイエイヌに宥められる始末だった。

 

「では行くかの。」

 

 このままではいつまでも出発できない、と苦笑交じりのユキヒョウ。ちょうどよさげなタイミングで出発を切り出した。

 

「そうだナ。」

 

 ピョイン、とラモリさんがそれに同意しつつイエイヌの腕の中に飛び込もうとした…。

 が…。

 

―ガシリ!

 

 とそれはユキヒョウがインターセプトしてしまった。

 

「はっはっは。すまぬが今夜はがーるずとーくで盛り上がる予定でのう。殿方の参加はお断りじゃ。」

「ナン…ダト…。」

 

 そう。

 せっかくの機会だから、とイエイヌは本当に一人でお泊りに行くことになったのだ。

 こちらの世界に来てから常にともえ達が側にいてくれた。短い時間を一人で行動する事もないではなかったけれど、一晩もの長い間ともえ達と離れるのは初めてだ。

 春香としてもほんの少し心配がないではなかったけれど、これもいい経験になるだろうと賛成したのだった。

 

「だからラモリさんも留守番よ。」

 

 と春香がユキヒョウの手からラモリさんを受け取る。

 こういう時にイエイヌの側にいる事も多かったラモリさんだっただけに今回も着いて行くつもりでいた。

 しばらくの間、センサーアイを明滅させて考え込む様子を見せたラモリさん。

 

「ナア…。やはり非常用の薬と緊急時のサバイバルキット。それに念のため1週間分の非常食ヲ持って行った方ガ…。」

 

 ラモリさんも今日ばかりは過保護なようであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「お、大きいですね…。」

 

 イエイヌがやってきたのは大きなマンションだった。

 1階部分にはコンビニやキッチンスタジオがあって2階以降が居住スペースになっているようだ。

 全部で6階建てのマンションで間近で見るとその大きさだけで圧倒されそうだ。

 そんなイエイヌにユキヒョウとルリが教えてくれる。

 

「ちなみに、これは集合住宅、と呼ばれる物で…、そうじゃのう、たくさんのおうちを集めた建物と思えばよいかの。」

「そうそう。だから私たちのおうちだけがあるわけじゃないんだよ。」

 

 その解説にイエイヌがあらためて周りを見てみると、なるほど買い物袋を提げた見知らぬ家族連れなどがこの建物に出入りしているのが見えた。

 

「ウチも最初はこんなでかい家に住むとか掃除だけで大変そうやって思ったもんや。」

 

 どうやら別な世界から来たアムールトラも最初はイエイヌと同じような感想を持ったらしい。

 

「ほな、いこか?“教授”も待ってる頃やろ。」

 

 言いつつエントランスをくぐるアムールトラ。その扉の前に立つと何かのボタンを押してこう言った。

 

「アムールトラ、ルリ、ユキヒョウ帰ったで。あとゲストが一名や。」

 

 すると女性の声を模した機械音声がする。

 

『確認しました。お帰りなさいませ。ようこそ、ゲスト様。』

 

 それと同時に自動ドアが開いて4人を出迎える。

 心なしかドヤ顔のアムールトラである。

 

「すごいです!アムールトラ!なんだか難しそうな機械をちゃんと使えてるんですね!」

 

 そんなアムールトラをイエイヌはキラキラした目で見つめる。

 思ってた以上に褒められて今度は照れ臭そうにしているアムールトラ。そこにイエイヌの追い打ちが入る。

 

「ショッピングモールとかでも思いましたが、アムールトラはわたしよりもコチラの世界に慣れてるような気がします。」

「あ、ああ。多分やけどイエイヌよりもウチの方が先に来てたんやないかな。こっちに引っ越してくる前も“教授”が色々教えてくれとったしな。」

 

 そんなイエイヌの手放しの褒め言葉にアムールトラはむずがゆそうにほっぺをポリポリして見せた。

 そんな二人の様子にルリもユキヒョウも顔を見合わせて微笑み合う。

 そして、エレベーターを抜けて4階の一画が宝条家であった。

 

「ただいまー。」

「いま帰ったでー。」

「今日も邪魔させてもらうぞ。」

 

 ルリ、アムールトラ、そして勝手知ったると言った様子のユキヒョウの後に続いて玄関をくぐるイエイヌ。

 中も思っていたよりも広く感じられた。

 

「ふっふっふ。2階、3階は一人暮らし向けの間取りになっておるが、4階以降は家族で暮らせる間取りとなっておるのじゃ。」

 

 今度はユキヒョウのドヤ顔である。

 なにせこのマンションはユキヒョウの両親がオーナーなのだ。やはり驚いたりしてもらえるとそれだけでも嬉しいようだ。

 ちなみに、間取りとしては4LDK。宝条家なら余裕がありすぎるくらいだった。

 リビングには椅子とテーブル。それにソファーとあまり物は多くないように思える。

 

「あまり物を置いてもルリの負担が増えてしまうからの。まずは機能優先じゃ。」

 

 どうやら家具などの配置は色々とユキヒョウが世話を焼いたらしい。ふふん、と胸を逸らしてみせるユキヒョウの背後からするり、と首元に何者かの手が回された。

 

「うん。機能優先は私も好きだよ。シンプル・イズ・ベスト。ユキヒョウ君には頭があがらないね。」

 

 突然あらわれたように見えるその暗緑色の癖っ毛をした女性は、実は最初からソファーに寝ころんでいてその影から現れただけだった。

 ちょうどユキヒョウが近くに来たのでしなだれかかってみた、というだけだったりする。

 

「まったくお主は…。そう思うのじゃったら少しはわらわの言葉にも耳を傾けて早起きしてくれんかの?お主、今日は何時まで寝ておったのじゃ?」

「今日は…13時くらいには起きたよ。」

「もう午後に突入しておるではないか…。まったく。で?本当は何時に起きたんじゃ?」

「15時。」

「オヤツの時間ではないか…。まったくお主というヤツは。」

 

 イエイヌから見ればなんだかドキドキするような不思議な光景なのだが、もうユキヒョウは慣れっこなのか普通にその女性に説教を始めていた。

 まずは暗緑色の癖っ毛が特徴的な女性だが、黒いジャケットに赤いシャツ。それとひざ丈のハーフパンツにストッキングという服装だった。

 そして身体つきとしてはアムールトラよりもさらに豊かで色んな部分が大きくメリハリのあるプロポーションをしていた。

 一見するとかなりの美人と言っていいのだが、そう言い切れない理由があった。

 それは目元がやたらと疲れているように見える事だった。

 それがやたらと退廃的というべきか蠱惑的というべきか、そういった種類の雰囲気を感じさせる。イエイヌが初めて相対する艶っぽさを持つ女性であった。

 

「ほれ。客人が来ておるのじゃ。挨拶くらいせぬか。」

 

 とユキヒョウに促されたその女性は彼女から離れるとイエイヌの目の前までやってきて膝をついて目線を合わせる。

 

「やあ。はじめまして。私の名前は宝条和香。みんなは“教授”と呼んでいる。」

 

 そうされると下から見上げられるような形になるのだが、その上目遣いも今まで感じた事のないような類のものに思えるイエイヌ。

 そんな戸惑いを余所に“教授”はそのまま言葉を続けた。

 

「イエイヌ君。キミには感謝している。ルリとアムールトラが随分世話になった。ありがとう。」

 

 と今度はそのまま頭を下げて来た。今度はイエイヌにはその姿が自分に対してされるには過剰に丁寧な気がして却って恐縮してしまう。

 

「それに萌絵君にも礼を言わねばなるまいな。彼女は元気かな?」

「ええと…、萌絵お姉ちゃんの知り合いですか?」

 

 知っている人の名前が出てきてようやく言葉を絞り出す事に成功したイエイヌ。

 

「ああ。彼女がまだ小さい頃に何度かね。病弱だったあの子が健やかに成長しているようで私も嬉しいよ。」

 

 そう言ってみせる“教授”の姿にようやくイエイヌも落ち着きを取り戻せた。萌絵の事を話す姿に自然と緊張が解けてくれたようだ。

 

「いずれ礼を言いにいくつもりだから、その時はよろしく頼むよ。」

 

 それに大きく頷きながら、イエイヌは今更ながらきちんと自己紹介すらしていなかった事を思い出した。

 

「あ、あの。わたし遠坂イエイヌで……うわひゃああああ!?ななな、なにを!?」

 

 と自己紹介しようとしたところでイエイヌは素っ頓狂な声を出してしまった。“教授”がイエイヌの首もとに顔を近づけていたからだ。

 その吐息のくすぐったさすら感じられる距離に“教授”の顔があってイエイヌは再び硬直してしまう。

 

「ほうほう…。これが噂の“ナイトチェンジャー”か。けものプラズムに何らかの作用を与える補助具…。一旦けものプラズムの波形を電気信号に置き換えているのか?…なるほどだとすると…。いやいやこれは面白い発想をしたものだ…。」

 

 “教授”がやたら熱心に見ているのはイエイヌが首につけたチョーカー、“ナイトチェンジャー”であった。

 

「ったく。“教授”はこうなると周りの事お構いなしやもんな。ほれ。イエイヌが困ってるから程々にな。」

「あぁー…。も、もう少しいいじゃないかぁあああ。」

 

 見かねたアムールトラは猫の子をつまみあげるように首根っこをヒョイと摘み上げて“教授”をイエイヌから遠ざけた。

 名残惜しそうにまだジタバタしてみせる“教授”。

 しかし、ハタ、と思い出したかのように動きを止めると今度はルリの方を見る。

 

「そういえば今朝のお弁当美味しかったよ。ルリ。ご馳走様。」

 

 どうやらルリは“教授”用のお弁当をきちんと置いていっていたらしい。

 イエイヌはコロコロと表情を変える彼女の事をなんだか忙しそうな人だなあ、なんて思っていた。

 

「しかし、お主がそれを食べたのはオヤツの時間以降じゃろ?今朝、という表現は正しくない気がするのじゃ。」

 

 とユキヒョウのツッコミが入るものの…。

 

「私にとっては朝さ。なんたって私は夜行性だからね。」

「いや、お主はヒトじゃから間違いなく昼行性じゃ。」

 

 “教授”の返しにユキヒョウは頭を抱えた。

 

「ところでルリ。今日のお昼はなんだい?」

「そうだねえ。今日の夕ご飯はイエイヌさんが遊びに来てくれてるし…。ハンバーグとかにしようかなって思ってたよ。」

 

 既に時間のズレを気にする事なく会話している“教授”とルリ。これがいつもの事なのでもう慣れてしまっていた。

 ルリは早速エプロンを着けて夕飯の準備に取り掛かろうとしていた。

 

「ああ、その前にコーヒーを淹れてもらえないかな?どうにも目がすっきり覚めきらない感じがしてね。」

「たまには自分でやってみたらどうじゃ?インスタント程度ならお主でも何とでもなろう。」

 

 そんな“教授”のリクエストに甘やかす気はないぞ、と言わんがばかりのユキヒョウ。

 彼女もまた宝条家に置いていた自分用のエプロンを着けるとルリの手伝いを始めた。

 すっかり無視された格好の“教授”はほっぺたを膨らませてみせていた。

 とそれを見兼ねたのか、イエイヌが控えめに挙手した。

 

「あ、あのー…。でしたらわたしがコーヒー淹れましょうか。」

「本当かい!?」

 

 “教授”はイエイヌに勢いこんで迫っていた。せっかく落ち着きを取り戻したというのに、またまた“教授”の顔が思いっきり近くに来て再び緊張を強いられるイエイヌ。

 そんなイエイヌへ助け船を出したのはアムールトラだった。“教授”の首根っこを捕まえてイエイヌから遠ざけつつ言う。

 

「せやけど、うちにはインスタントコーヒーとかしかないで?ウチもルリもあの苦いのはあんま好きやないからなあ。」

「飲んじゃうと夜寝られなくなったりするもんね。」

 

 アムールトラにルリも頷いていた。ついでに言えばイエイヌもあの苦いコーヒーはあまり得意ではない。

 けれども、イエイヌはちょうどインスタントコーヒーでも美味しく淹れるコツを春香から教わったばかりだったりする。

 遠坂家でコーヒーを普段から飲むのは春香とドクター遠坂だけなのだが、なかなか試す機会がなかったので味見役としてもちょうどよかった。

 イエイヌは電気ポットのお湯を確認し、それを急須に注ぐと蓋を外したまま放置した。

 そして湯気を立てるお湯を後目に今度はインスタントコーヒー適量をコーヒーカップに入れると、それにティースプーンで少量の水を垂らしてかき混ぜはじめた。

 

「へぇー。それが美味しくコーヒー淹れるコツなん?」

「ええ。春香お母さんから教わったんです。」

 

 イエイヌの手元を興味深そうに眺めるアムールトラ。

 やがてインスタントコーヒーを水で練ったようなものが出来上がると、先程放置した急須のお湯を注いだ。

 途端にリビングにコーヒーの香りが満ちた。

 もう一度ティースプーンでかき混ぜてからイエイヌは“教授”の前にコーヒーカップを置く。

 

「なるほど。カフェインは温度が高いと抽出されやすくなって苦みが強くなるし、コーヒーの香りが飛びやすくなるから敢えてお湯の温度を下げたわけか。興味深いね。」

 

 “教授”は言いつつ軽くコーヒーの香りをかいでから一口。

 いつの間にやらルリもユキヒョウも夕飯の準備の手を止めて“教授”の感想を待っていた。

 

「うん。普通にお湯を注いだだけよりも香りもいいし、味もなんだかまろやかになってる気がするね。」

 

 その“教授”の言葉にイエイヌもホッと一安心。そしてルリもアムールトラもユキヒョウもパッと顔を輝かせた。

 

「イエイヌさんすごい!ちょっとの手間でインスタントコーヒーを美味しくできるなんて!」

「せやな!お茶を淹れるのが得意とは聞いてたけどほんますごいな!」

「ああ!これは茶道も仕込んだらそちらも美味しい茶をいただけるかもしれんのお…!」

 

 口々にイエイヌを褒める三人。“教授”はそんなイエイヌ達の様子に目を細めるとポツリと言った。

 

「これは春香姉さんに教わったって言ってたね。何だか懐かしい味がするのはそのせいか。」

「春香……姉さん…?」

 

 “教授”の言葉にイエイヌは首を傾げた。

 

「ああ。遠坂春香の旧姓は宝条なんだ。つまり私の姉だね。」

 

 つまり“教授”にとっての春香はイエイヌにとっての萌絵やともえと同じということだろうか。

 それなら萌絵の小さい頃を知っていてもおかしくない。

 思わぬ繋がりにイエイヌは驚いていた。

 

「確かに春香姉さんが淹れてくれたコーヒーは一味違っていたように思えたが、まさか今日それが味わえるとは思わなったよ。ありがとう、イエイヌ君。」

 

 そうしてまだ驚きで固まったままのイエイヌを撫でる“教授”。

 そうしてから“教授”はパン、と一つ手を打った。

 

「ルリ。ユキヒョウ君。イエイヌ君がお腹を空かせる前に夕飯を準備してくれると助かる。」

「あ、そうだった!すぐに準備するね。」

「まったく。そう思うんじゃったらお主も手伝わぬか。」

 

 ルリがハッと気づいてキッチンに戻るのだが、ユキヒョウはやれやれ、と言いたげに肩をすくめてみせる。

 そのユキヒョウの言葉に“教授”はニヤリとしてみせた。

 

「いいのかい?私が手伝うとせっかくのルリのご馳走がダークマターになってしまうよ?」

「うん。“教授”はウチらと一緒に大人しくしとこ?な?」

 

 アムールトラは慌てて“教授”をソファーに戻した。

 

「そうだ。アムさん。イエイヌさん。まだ夕飯の準備にしばらくかかるから二人とも先にお風呂入ってきたら?今日は二人ともセルリアンと戦って汗かいちゃったでしょ?」

「ええと、それはルリさんも一緒では…。」

 

 ルリの提案についつい言ってしまったイエイヌ。そうしてからハッとした。

 今日、ルリはクロスラピスとして危険な戦場へと赴き、そしてセルリアン撃破に一役を買った。

 だが、それをアムールトラがどう思っているのかは実はあまりわかっていない。

 何となく剣呑な雰囲気になりそうだったところに割って入って思いつくままに今日のお泊り会をねだってみたのだ。

 喧嘩になっているわけではなかったが、イエイヌはルリとアムールトラの間に微妙な空気を感じていた。

 なので、道中も特にクロスラピスの事を話すのは躊躇っていたのだ。

 思わずアムールトラの方を振り返るイエイヌだったが、それにアムールトラは苦笑を浮かべるばかりだった。

 

「ま、せっかくやしお言葉に甘えよ?な?」

 

 言いつつアムールトラはイエイヌの背中を押すようにしてバスルームへと向かった。

 そんな二人を見送る“教授”とルリとユキヒョウ。

 二人がバスルームの方へ消えていってから、ルリが「あ」と声を挙げた。

 

「大変。サラダ油切らしちゃってた。」

「むう。そうなるとフライパンに油をひけぬのう。うちから持ってくるか。」

 

 ユキヒョウの家も同じマンションだ。ちょっと戻ってサラダ油を取って来る事だって難しくない。

 だが…。

 

「いや、それには及ばない。たまには私がお使いしてこよう。」

 

 と“教授”が立ち上がった。

 意外な申し出にユキヒョウが目を丸くする。そんなユキヒョウの驚きを察した“教授”は苦笑交じりに言った。

 

「なあに。せっかく目も覚めた事だし少し歩きながら考えたい事が出来たのさ。」

 

 そういう事なら、とユキヒョウも頷く。

 

「それじゃったら大体3~40分くらいで戻ってくれ。その頃には焼き方の準備も出来るじゃろうからな。」

 

 これからハンバーグのタネを作って少しばかり寝かせて、焼き方に入るのはちょうどユキヒョウの言うくらいの時間になりそうだ。

 そのくらいにサラダ油が届いていれば問題ない。

 

「“教授”ありがとう。じゃあお願いね。」

 

 二人の言葉に頷きつつ、“教授”は夕暮れの町へと向かうのだった。

 

 

 

―後編へ続く

 

 




【登場人物紹介】

 カコ博士

 サンドスター研究所で働く女性職員。
 特にセルリアンとサンドスター・ロウの研究を専門としている。
 研究者としても優秀だが機械操作に長けており、オペレーターのような役割を果たす事もしばしばである。
 彼女のデスクには糖分補給用のチュッパチャップスが常備されていたりする。
 ドクター遠坂程ではないが、彼女も食は軽視しがちなようである。
 なお、原作ではもう少し柔らかい話口調なのだが、作者イメージ優先でぶっきらぼうな話口調である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話『ミレニアムプロフェッサー』(後編)

【ヒーロー紹介】

名前:クロスラピス
パワー:E スピード:S 防御力:D 持久力:S

 宝条ルリが変身(?)したヒーロー。
 変身とは言っているものの実際にはコスプレである。
 ユキヒョウの用意した魔女帽子に目元を隠す仮面とそれに短いケープをまとったハロウィンの魔女のような姿をしている。
 長い三つ編みを伸ばして先端をワニの口のように変化させて色々な場所を掴んで移動する技を持っている。
 そのスピードや小回りのよさは他のヒーロー達ですら追いつけない。
 変幻自在の空中機動力が最大の武器だ。
 反面、クロスラピス本人のパワーは強くはなく、火力不足は否めない。
 どうやら他にもまだまだ特殊な能力が眠っていそうだが果たして…。




「……イエイヌ。」

「……ええ。アムールトラ。」

 

 二人は大ピンチに陥っていた。

 二人で先にお風呂をいただく事になって、仲良く背中を流しっこしたまではよかった。

 二人が出会った思わぬ大ピンチとは……。

 

「シャンプー…自分でした事ある?」

「いいえ…。」

 

 シャンプーだった。

 アムールトラは大体ルリかユキヒョウに洗ってもらったり、まれに“教授”がシャンプーしてくれていた。

 イエイヌの方はと言えば、ともえと萌絵と春香が洗ってくれていた。

 二人に共通する事は一つ。自分でシャンプーした事がなかったのだ。

 だが、二人ともシャンプーの際、泡が目に入った時の痛みは経験済みだった。

 この二人で上手くシャンプーする方法は……思いつかなかった。

 なにせ、される方は両目をキツク閉じて相手に全て委ねるしかない。相棒がミスれば目が痛くなるコースへまっしぐらだ。

 

「なあ…、いっそ今日はシャンプーなしで終わらせるってのは…。」

 

 そのアムールトラの提案にイエイヌも思わず頷きそうになる。

 だが、シャンプーするとしないとでは毛並みが全然違うので、しなかった事はバレバレになるのだ。

 

「アムールトラ…。わたしは貴女を信じていますよ。」

 

 戦う決意を秘めた眼差しのイエイヌ。両目を静かに閉じると背中をアムールトラに向けた。

 ここまで覚悟を決められてしまえばアムールトラとしても応じざるを得ない。

 慎重にシャンプーをボトルから手にとると、普段ルリ達がするようによく泡立てて、いざ!とイエイヌの頭へと両手を伸ばした。

 ともかく、アムールトラとしては爪を立てたりしないように慎重に慎重を重ねざるを得なかった。

 

「あぁー…。意外と上手ですよ、アムールトラ。でももう少し強めでも大丈夫です。」

 

 もう少し強めがイエイヌのリクエストだったが、アムールトラは力を強める事が出来ずにいた。

 万が一にもイエイヌに痛い思いをさせたくない、という意識が手に力を籠める事をためらわせる。

 そうしていると、イエイヌが忍び笑いをもらしはじめた。

 どうしたのだろう、と思っているとイエイヌが口を開いた。

 

「いや、洗い方も人それぞれなんだなあ、って思って。アムールトラのは性格通り優しい感じがします。」

 

 そんな風に言われてしまうと、なんだか照れ臭く感じてしまうアムールトラ。そのままおっかなびっくりな手つきでシャンプーを終えた。

 本来なら手早く終わらせるところを大分時間をかけてしまったせいで顔の方にまでシャンプーの泡が垂れてしまっていた。

 手桶にお湯を汲むとアムールトラは泡が残らないように洗い流す。

 もしもイエイヌが一瞬でも目を開けていたならおめめが痛いコースだっただろう。

 

「さあ、アムールトラ。次は貴女の番ですよ。」

 

 こうなればアムールトラも覚悟を決めて全てをイエイヌに委ねるしかない。相手は既に乗り切ったのだ。

 半ば以上はどうにでもなれ、という心持ちだったアムールトラ。キツク両目を閉じてイエイヌに背を向ける。

 だが、始まってみればイエイヌは意外とテクニシャンだった。

 

「イエイヌ…。ほんまにはじめて?」

「ええ。ただ、ともえちゃんや萌絵お姉ちゃんが洗いっこしてるところは見てたので見よう見まねです。」

 

 イエイヌの洗い方は力加減こそ時々強すぎるかな?と思う事もあったが、初めてにしては上出来過ぎた。

 さすがは学習能力ではトップクラスの動物のフレンズである。

 泡が目の方に垂れないように素早く丁寧に頭を洗っていく。

 特に敏感な耳周りは優しく丁寧に洗ってくれた。

 最初はおっかなびっくりだったアムールトラもすっかりイエイヌに身を委ねていた。

 そうして洗い終わって泡を流しても、アムールトラは何故か動かなかった。

 

「アムールトラ?」

 

 怪訝に思ったイエイヌが呼びかけてみる。

 

「その…。ウチが悪かった。」

 

 何の事だろう。と首を傾げるイエイヌ。

 

「ともえや萌絵ねーちゃんを狙った事もイエイヌと戦った事も…。ずっと謝りたかったんや。」

 

 ああ、その事か。とイエイヌはようやく思い至った。

 気に病むな、と言ってもアムールトラの性格からして納得はしないだろう。

 何と返せばいいか、とイエイヌが悩んでいるとアムールトラが振り返った。

 

「まあ、ケジメっちゅうもんや。ともえにも怪我させてもうたからちゃんと謝らんとな。」

 

 と苦笑してみせた。

 アムールトラとしてもこれが不器用なのはわかっていた。却って相手を困らせるだろうことも。

 だがキチンとしておきたい、という気持ちもまた大切だと思えた。

 こうして二人きりになった今はちょうどいい機会だった。

 身体も洗い終わったし、懸念の一つも解消したし色々とサッパリしたアムールトラは湯舟に入るとイエイヌを誘った。

 イエイヌも一緒に入るとお湯が盛大に溢れた。

 湯舟は二人が入っても少しは余裕がある程度の広さがあった。

 二人でシャンプーとの戦いを無事に切り抜けたいま、お湯の暖かさがいつもよりも心地良いように感じられる。

 そんな中でアムールトラがポツリと呟いた。

 

「ほんまはな。わかってたんや。」

 

 何がだろう?とイエイヌはまたも小首を傾げる。

 

「ルリがセルリアンと戦いたがってる事も、ユキヒョウと二人で準備してた事も。」

 

 どうやらアムールトラはルリがクロスラピスになろうとしていた事を知っていたらしい。

 

「ルリの気持ちもわかるんや。けど危ない事はして欲しくない。ルリには危なくないとこで安心してて欲しい。もしもルリが戦う必要があるんやったら全部ウチが戦う。」

 

 そんなアムールトラの独白はイエイヌもよく分かっていた。

 なにせ、あの日の公園でアムールトラがルリの為にと戦った相手は他ならぬイエイヌ自身だったのだ。

 

「だから…、まあ、今日、ルリがクロスラピスになってウチらの前に出てきたのは……なんか複雑でな。」

 

 アムールトラ自身もルリがクロスラピスとして戦場に出てきた事に対してどう思っているのかは整理しきれていないようだ。

 だから、感情のままにルリに声を荒げてしまう事を止めてくれたイエイヌに感謝しかなかった。

 

「なあ。イエイヌはなんであの時、ウチを止めてくれたんや?」

 

 アムールトラの言うあの時の候補が二つ程あってイエイヌはちょっとだけ迷った。

 あの公園での戦いの時の事だろうか。それとも今日のセルリアンとの戦いの後の事だろうか。

 どちらにせよ答えは決まっていた。

 

「それは…。あの公園でも言ったと思うんですが、『そんな顔するアムールトラなんて、絶対許さない』って。」

 

 イエイヌはアムールトラにはルリと一緒に楽しそうにしていて欲しいのだ。

 それはあの公園でアムールトラと戦った理由の一つでもあったし、今でも変わらずそう思っている。

 

「だから、わたしの我が儘みたいなものですね。……あれ?わたしってもしかしてすっごい自分勝手だったりしませんか…?」

 

 と、急に不安になってきたイエイヌがアムールトラを見ると何故か彼女は俯いていた。

 どうしたんだろう、とその顔を覗き込もうとしたイエイヌの顔にバシャリとお湯がかけられた。

 

「もうー!イエイヌー!そういうトコやぞー!?お前はウチを惚れさせる気かー!?」

「わぁー!?なんですかアムールトラ!?」

 

 しばらくの間、キャイキャイと二人がじゃれ合う声がバスルームに響く。

 アムールトラはあの公園の戦いでイエイヌに本物のヒーローの姿を見せつけられた。

 その本人に、またそんな事を言われたらお風呂のせいだけじゃなく顔が熱くなってしまっていた。

 ひとしきり二人でじゃれあった後にアムールトラがポツリと呟いた。

 

「せやけど、ありがとうな。イエイヌ。」

「どういたしまして。アムールトラ。」

 

 アムールトラはまだ気持ちの整理はついてはいない。

 けれども、ちゃんと向き合おう、という覚悟だけは決まったのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 “教授”はすっかり日も落ちて暗くなった街を歩く。

 宝条家のあるマンションには1階にコンビニもあるのでそこでサラダ油を探す事も出来た。

 だが“教授”は敢えてそうしなかった。

 時間は十分にあるし、少し歩きたかったのだ。歩いていた方が考えがまとまる事もある。

 “教授”が考えるのは“ナイトチェンジャー”の事だった。

 

「(あれの凄いところは装着者のイメージ補助もしてくれるというところだ。)」

 

 “教授”は一目で“ナイトチェンジャー”の機能を見破っていた。

 彼女の見立てによれば、“ナイトチェンジャー”の主な機能は二つ。

 一つは合言葉により、予め登録しておいた形にけものプラズムを変化させる事。

 そしてもう一つが装着者が自らのけものプラズムを変化させようとイメージを持った際にそれを補助する事だった。

 後者はもしかしたら意図した仕様ではないのかもしれないが、それだけの機能を備えた機械を作った発想には驚嘆するばかりだった。

 

「(けれど、いま私が欲しいものとは少し違う。)」

 

 “ナイトチェンジャー”は元からある“けものプラズム”を変化させるのを補助する機械だ。

 例えばこの世界で普通に生まれ育ったユキヒョウが“ナイトチェンジャー”を使ったところで“けものプラズム”が足りずに変身する事は出来ないだろう。

 いま、“教授”が作ろうと思っているものはこの世界の一般フレンズをイエイヌ達のように強くする変身アイテムだった。

 

「(となると、もしもこの世界のフレンズを変身させようと思うなら、何とかして“けものプラズム”を外部から補う必要があるな。)」

 

 チョーカーよりもさらに大型化した機械…。例えばベルト型はどうか…。いいや、それでは大した“けものプラズム”を生み出せない。

 と、“教授”は歩きながらどんどん自分の思考に没頭していった。

 

「(そうだ…。カートリッジ式のように使い捨ての変身具というのはどうだろう…。いやいや、それはコストがかかりすぎる。いや、待てよ…。使い捨てではなく本体に何かを補給する形だったら…?)」

 

 ちょうどスーパーの前で“教授”に天啓が降りたようだった。

 

「(そうだとも。そして“けものプラズム”に指向性を与えるにはそれこそメモリークリスタルを使えばいい)」

 

 “教授”はポケットの中に入れていた小さく細長いクリスタルの結晶を取り出し街灯の明かりに透かしてみる。

 それがメモリークリスタルというものなのだろうか。

 

「(いけるな…。メモリークリスタルを通して指向性を持たせた“けものプラズム”を放出する装置。それとサンドスターを“けものプラズム”に変化させる装置の二つを組み合わせれば…!)」

 

 “教授”はポケットから取り出したメモ帳に素早く思いついたアイデアを書いていった。

 一通り書き殴り終えたところで満足してメモ帳をポケットにしまう。

 

「そういえば、私は何をしにここに来たんだったか…。ああ、そうそう。油だよ。サラダ油を買いにきたのだった。」

 

 いつまでもスーパーの店先で突っ立っていても何にもならない。

 “教授”は店内へ向かおうとしたが、そこでふ、と気が付いた。

 ちょうど入れ違いになるように買い物客の女性が店内から外へと出てきた事に。それだけなら別段特別な事ではないのだが、その彼女が突然足を滑らせたのなら話は別だ。

 素早く手を伸ばした“教授”はその買い物客の女性が足を滑らせて転ぶ前に自分の方へ引き寄せて抱き寄せた。

 

「失礼。足を滑らせたように見えたのでね。どうか無礼を許して欲しい。」

 

 不必要に近い距離に顔を寄せる“教授”。その眼差しと突然の事に買い物客の女性も思わず目を奪われた。

 やたらと妖艶な雰囲気を見せる“教授”に女性がドキドキしているうちに、“教授”の方は地面に目をやった。

 そこには確かに何か濡れたような跡がある。

 

「(うん?これは油…?)」

 

 と思ったのも束の間。地面を濡らした油のような物はまるで意思を持っているかのようにニュルンと動いていずこかへ消えていった。

 これは明らかに何者かが買い物客の女性を転ばせようとしたものだろう。

 しかも、それは人の手によるものではない。

 

「(セルリアンの仕業か。)」

 

 と“教授”は結論づけた。

 

「では奥様。暗くなったので足元にはお気をつけを。」

 

 “教授”はまだ夢見心地といった様子で呆ける買い物客の女性を放して一礼すると、油のような物が消えていった方向へと向かった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夜の闇に紛れて異形の者がカサカサと動く。

 その姿は壺に蜘蛛やカニを思わせる足の生えたようなものだった。

 

「ふっふっふ。やはり人間の驚きの感情とはよいものぞ。甘露甘露。」

 

 先程“教授”が見た油のような物はニュルン、とその壺の中に消えてゆく。

 

「今宵はこれにて麿も満腹じゃ。明日、また人間どもを贄としてやろうかのう。」

 

 その壺のような者は言いつつカサカサと夜の闇に消えようと踵を返した。

 と、その目の前にローファーを履いた足が見えた。

 いつの間に近寄ったというのか、一人の女性が先程まで独り言を言っていた壺の化け物を見下ろしている。

 

「ふぅむ。ここまで明確な意思を見せて言葉まで介するセルリアンか。なかなか珍しい。」

 

 その女性は宝条和香。通称“教授”であった。

 “教授”はその壺のセルリアンに手を伸ばそうとした…が、

 

「無礼者!」

 

 叫んだセルリアンはその手を払うかのように壺から再び油のような物を鞭のように放った。

 軽く後ろへと下がった“教授”はこの一撃を難なくかわしてみせる。

 距離の開いた壺のセルリアンはさらに激昂しつつ続ける。

 

「人間如き若造が麿に触れようなど100年早い!麿を一体誰と心得るか!」

 

 “教授”はその壺のセルリアンの言葉に少し考え込む様子を見せた。

 

「そうだね。キミは油壺に取りついたセルリアンといったところかな。使われている上薬や形状などを見るに江戸中期あたりに量産された油壷といったところだろう。」

「お、おう。」

 

 それを言い当てられた壺のセルリアンは思わず頷いてしまった。

 

「そしてキミは生きるのにあまり“輝き”を必要としないタイプだね。ヒトを脅かしてそこに発生する感情のエネルギーを捕食する程度で事が足りる。なるほど300年以上もそうやって生きてきたわけだ。」

 

 “教授”の言葉は目の前の油壷のセルリアンに対して言っているように見えて、実際はただ自分の予想を口に出しているだけだった。

 そして、それは正しかった。

 今までそのように言い当てられた事などなかった油壷のセルリアンことオイリアンは動揺を隠せない。

 ともかくここにいるのは危険だ、と判断したオイリアンは逃げの一手を打つ事にした。

 頭の壺口から油を大量に撒き散らしたのだ。

 それは地面に広がって足場をぬるぬるに変えた。

 この場をまともに歩ける人間などいないだろう。

 

「ふはは!貴様はここで油を売っているがいい!」

 

 オイリアンは油の沼となった一帯を見て高笑いを挙げた…、が“教授”の姿がその沼の中に見当たらない。

 キョロキョロと周囲を見るオイリアン。だが、“教授”の姿はどこにもない。

 油まみれで尻もちをついている彼女の姿を見てやろうと思っていたオイリアンはそれが果たせず残念に思っていた。

 

「なるほど。キミはサンドスターを再構成して油を精製する事が出来るのか。長く生きて知性を得たセルリアン…サンプルとしても非常に興味深い。」

 

 だが、“教授”の声は頭上から降って来た。

 オイリアンが見上げるといつの間に移動していたのか街灯の上に“教授”がいた。

 こちらに言っているようで実はこちらに向けられてなどいない“教授”の言葉にオイリアンは恐怖を覚えた。

 

「こ、このお!寄るな小娘!」

 

 オイリアンは三日月状に圧縮した油を次々と“教授”に向かって飛ばす。

 それは油を凝縮した油圧カッターであった。

 滅多に使う事のない技であったが、その火力は十分。

 ズバン!と“教授”の乗っていた街灯を切り倒したが、その時には彼女の姿は再び消えていた。

 

「(まずい!この得体の知れぬ小娘はまずい!)」

 

 オイリアンはカサカサと壺に生えた足を動かして路地裏を駆けて形振り構わず逃走に入った。

 

「ふむふむ。きっと妖怪変化や付喪神とも混同されていたのだろうね。そうした勘違いもキミが知性を得た一因なのかな。」

 

 と、“教授”の声はどこからともなく聞こえてくる。

 

「小娘が!来るなぁ!来るなぁ!!」

 

 オイリアンは闇雲に油圧カッターを周囲に放つものの、“教授”の声は止む事はない。

 

「小娘、と若く見てくれるのは嬉しいんだがね。私の方がきっと年上だよ。」

 

 その言葉にオイリアンは「そんなはずはあるまい…」と思っていた。

 

「本当だとも。実は私はね。出身はこの世界なのだけれども、ついこの前まで別な世界に渡っていたのさ。」

 

 闇の中、どこからともなく響く“教授”の声にオイリアンは逃走を止めた。

 このまま逃げても彼女を振り切る事は出来ない。

 ならば姿を現した瞬間に必殺の油圧カッターを叩き込むしかないと覚悟を決めたのだ。

 

「そこではね。まあ、一言で言うと色々あったよ。例えばその世界に発生した女王種のセルリアンと和解して融合する、とかね。」

 

 普段は脅かす側のオイリアンはいま、恐怖のどん底に突き落とされていた。

 もう“教授”が話す言葉もオイリアンにはどんな意味を持つのか判別がつかない。

 

「私と同化した女王は随分と長い事生きていたようだよ。彼女の記憶を毎晩夢に見るから、寝るのも結構疲れるんだけれどもね。おかげで色々な知識を得られたよ。」

 

 やはり“教授”の言葉はオイリアンに向けられているようで、その実は誰にも向けられていない。

 ただの独り言のようなものだ。

 “教授”が話すのに飽きたら自分は消滅させられるのだろう、とオイリアンは確信した。

 

「彼女と戦い、和解し、同化してこちらの世界に帰って来たわけなんだがね。その際に彼女に託された娘が一人いてね。女王が人間をコピーした模造品なんだが、これがまあ私などにはもったいない程にいい子なんだよ。」

 

 オイリアンは一瞬「おや?」と違和感を覚えた。

 今までと違い声に少しばかり照れくさそうな感情がこもっていたからだ。

 

「なんだ…。私はルリの本当の母親を倒した、ともいうべき仇なのかもしれないし、かといって半分くらいは確かにルリの母親でもあり…。その…。母親と名乗るのは少しばかり気恥ずかしいものがあってね。」

 

 先程までとは違いなんだかしどろもどろになりはじめた声にオイリアンは少し余裕を取り戻せた。

 余裕を取り戻したオイリアンは周囲の気配を探って“教授”の居所を掴もうとした。

 

「それにだね…。姉さんにも会いたいんだが私としては色々と自分が変わってしまった自覚もあってね、そんな姿を見せるのはやはり色々と躊躇われてね。」

 

 オイリアンはとうとう揺れ動く“教授”の気配を察知した。

 と同時に放てるだけの油圧カッターを全力でそこへ撃ち込む。

 オイリアンは戦いは得意ではないが、この油圧カッターは先程街灯を切り倒したように鉄ですら切り裂く。

 当たりさえすればどんな相手だろうが倒せるはずだった。

 だけれども…。

 

「おいおい。年上の話は聞くものだよ。若造君。」

 

 闇の中から現れた“教授”の腕はそこだけが別な生き物のように肥大化し真っ黒な“セルリウム”に覆われていた。

 その腕にはいくつもの油圧カッターがめり込んでいたが、やがて威力を失うと、その巨腕に傷一つつける事なく元の油に戻ってしまった。

 

「さて。キミはいくつか私の気に障った。」

 

 姿を現した“教授”はゆっくりとオイリアンに歩み寄る。

 

「まず一つめ。私の目の前で女性を傷つけようとしたね。」

 

 “教授”は黒い巨腕に変じていない普通の腕の方で指を一本立ててみせる。

 続けて“教授”は2本目の指を立ててみせた。

 

「最近マンションで回って来た回覧板に書いてあった夜中に女性を脅かす変質者、というのはキミの事だね。」

 

 確かにオイリアンは最近この辺りで何人かの人間を脅かしてその感情エネルギーを食べていた。

 まさかそれが原因でこんな凶悪な敵を呼び込む事になるなんて、と後悔しても遅かった。

 

「ルリの周りでそういう騒ぎを起こすのはいただけないね。」

 

 “教授”は巨腕に変じた腕でオイリアンをつまみ上げた。

 最早まな板の上の鯉。オイリアンは死を覚悟していた。

 

「そして…。たかだが300年程度しか生きていない若造に小娘呼ばわりされる覚えはないよ。」

 

 オイリアンは正確には342年という長い時間を生きてきたのだが、それは相手にとってはどうでもよかった。

 

「こちらは2000歳だよ。敬いたまえ。」

 

 ニヤリと笑ってみせた“教授”の笑顔を最後にオイリアンの意識は途切れた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「のう。“教授”殿よ。」

 

 宝条家のリビング。お使いから戻った“教授”は何故かユキヒョウに正座させられていた。

 

「わらわはお主にサラダ油を頼んだはずじゃのう?」

 

 そう。

 “教授”が出かけた理由はまさにそれだった。

 

「なのになんでセルリアンを拾ってくるんじゃ!?」

 

 正座している“教授”の横には何故かオイリアンがいた。

 慌てたようにオイリアンが壺に生えた腕をシャカシャカと振って見せながら弁明しようとした。

 

「いやいやユキヒョウの姐さん!待ってくだせえ!?」

「ええい!?オイリアンと言ったか!?お主はちと黙っておれ!?」

 

 一言で黙らされたオイリアンはシュン、と“教授”の隣で正座っぽい体勢に戻る。

 すっかり“教授”に心折られたオイリアンは尊大な口調が一転、三下口調になっていた。

 そんなオイリアンと“教授”に対しユキヒョウは、言い分は聞いてやるぞ、とばかりに“教授”の言葉を待つ。

 

「うん、ええとね。コイツは自由に油を精製する事が出来る。それこそ菜種油でも胡麻油でもサラダ油でもヒマワリ油でも椿油でもね。」

 

 つまり“教授”の言い分を要約するとこういう事だった。

 恐怖のあまり気を失ったオイリアンだったが、ちょうどその能力を見込んでサラダ油を出して貰おうかと連れ帰ったのだ。

 ついでにオイリアンは“教授”にこそ危険極まりない油圧カッターを使ったものの、元来戦いは好まない。

 貴重なセルリアンサンプルにもなるし、お使いも果たせるしで一石二鳥かと思った“教授”はこのオイリアンを連れ帰ったのだ。

 なんなら普通にサラダ油を買ってくるよりも上々の成果だろう、と“教授”は本気でそう思っていた。

 

「で…。本当は?」

「いやあ。この子、私の事を小娘って呼んでくれたんだよ?小娘…。えへへ…私もまだ若く見られるってことじゃあないかな。」

 

 ユキヒョウの嘆息しながらの言葉に、“教授”は何やら最後の方は両手をほっぺにあてて照れてみせた。

 “教授”がオイリアンをサンドスターに還さなかった理由の最も大きなものは自分を小娘と呼んでくれたことだった。

 あの場ではオイリアンが小娘呼ばわりした事を怒ってみせた“教授”であったが若く見てくれた事自体は嬉しかったのだ。

 乙女心は複雑である。

 

「今すぐ元のところに返してくるのじゃ…。」

 

 ユキヒョウは頭痛がしはじめた頭を抱えながら言うのだが、“教授”はなおも反論してみせた。

 

「そんな!?ちゃんとお世話するから!」

「ええい!?そんな事を言ってどうせすぐにルリに全部丸投げするのじゃろう!?」

 

 と、なおもユキヒョウと“教授”のバトルは続く。

 そこにルリが「ちょっといいかな?」と割り込んできた。

 

「とりあえず、夕飯の準備も終わらせたいしサラダ油、出して欲しいんだけど出来る?」

 

 とオイリアンに話しかける。

 

「ヘイ!ルリお嬢様!お任せくだせえ!最上級の油を出させていただきやすぜ!」

 

 顔はないけど、パッと表情を輝かせたオイリアンは蜘蛛のような腕をひしゃく型に変化させて自身の壺に入っている油をフライパンに垂らした。

 

「うわぁ。ユキさん、この油いい匂いだよ。」

「でやしょう!?コイツはあっしが味わった中でも一番の上物でさあ!是非ルリお嬢様にも味わっていただきたくて!」

 

 ユキヒョウもフライパンで熱されたサラダ油の匂いを確認するが確かに上物のようだ。それが分からないユキヒョウではない。

 ルリは一度IHコンロのスイッチを切ると“教授”の隣に正座して言った。

 

「ね。私からもお願い、ユキさん。」

 

 三人がかりでユキヒョウを見上げれば、彼女も嘆息混じりに頷かざるを得なかった。

 このマンションはペット可の物件でもあるのだ。

 

「仕方があるまい。ちゃんと世話して他人様の迷惑にならんようにするのじゃぞ。」

 

 その言葉に三人ともパッと表情を輝かせた。

 

「よかったじゃないか。そうだ、ルリ。この子に名前を付けてあげたらどうかな?」

「ええ!?あっしに名前をいただけるんですかい!?ルリお嬢様、是非に!!」

「えっと…それじゃあオイリアンさんだから…イリアさんとかどうかな?」

 

 そのまま三人でキャイキャイ楽しそうにし始めるのを見ればユキヒョウも苦笑まじりに笑うのだった。

 こうしてオイリアン改めイリアが宝条家の一員に加わる事になった。

 その前にお風呂あがりのアムールトラとイエイヌにイリアが退治されそうになるというもう一つの事件があった事を付け加えておく。

 

 

けものフレンズRクロスハート第12話『ミレニアムプロフェッサー』

―おしまい―

 




【登場人物紹介】

名前:宝条和香

 通称は“教授”であるが遠坂春香の妹である。
 とある事情で異なる世界に渡って、そこで紆余曲折の大冒険を繰り広げて来たらしい。
 イエイヌやセルスザクとも違う世界に渡っていたらしいが、そこで女王種のセルリアンとの大激戦の末にその世界を救ったらしい。詳細は今のところ不明である。
 ただ、その戦いの結果として、“教授”はセルリアン女王との融合を果たして半分人間で半分セルリアンという存在になってしまった。
 セルリアン女王が最期に産み落とした“卵”から生まれたヒト型セルリアンをルリと名付けて、こちらの世界に帰還し、保護者となった。
 “教授”は異世界で長い冒険を繰り広げてきたのだが、こちらの世界とは時間の流れが違ったらしく姉の春香の年齢を追い越してしまっていた。
 年齢の事は大分気にしているらしい。
 なお、2000年生きているのは彼女の中のセルリアン女王であり、彼女自身の実年齢は……おっと、秘密である。
 夢の中でセルリアン女王の記憶を見たりするせいで、だいたいいつも疲れているように見えるのが特徴にもなってしまっている。
 また、半分がセルリアンで半分がヒトであるせいで“セルリウム”を自在に操り戦う事もできる。
 劇中で見せた身体の一部のみをセルリアン化する技の他に全身をセルリアン化させる技もある。
 全身セルリアン化した時の戦闘能力はまさに女王に匹敵するが、物凄く疲れるのでやりたくない、とは本人談である。
 性格としては、本人はクールで冷酷を気取ってはいるがその実、物凄く情が移りやすく、そして情け深い。
 また、女性に対しては何故かナチュラルにイケメンムーブをかましてしまう為、今も昔もやけに女性にモテる……のだが彼氏がいた事は一度もない。

※宝条和香はニコニコ静画にてエルダー・デカマクラ様が投稿されたキャラクター『わかめ教授』の設定をけものフレンズRクロスハート用に一部改編して登場させております。
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9215483
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im9252470

ネタバレ防止の為、原案がエルダー・デカマクラ様である事の発表が遅れてしまい申し訳ありません。
あらためて、原案の『わかめ教授』とエルダー・デカマクラ様にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編『ともえの修羅場体験記』(前編)

 けものフレンズR1周年&ともえちゃんお誕生日おめでとうございます!
 けものフレンズR投稿祭にもう1本参加させていただきます。
 企画詳細は以下URLです。
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10192791

 この番外編のみご覧いただいても大丈夫なように、前書きで軽く解説させていただきます。
 よかったら番外編だけでもご覧下さい。

【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 ヒトがいなくなって荒廃したジャパリパークでヒトを待って一人くらしていたイエイヌは、ある日オイナリサマの手によって別な世界へと送られる。
 そこはフレンズとヒトが仲良く暮らす賑やかで現代的な街だった。
 そこで遠坂ともえとその家族と出会い、幸せな暮らしがはじまろうとしていた。
 ところが、本来その世界にはいないはずのセルリアン魔の手が忍び寄る。
 そんな折、どういうわけかフレンズの姿に変身する不思議な力を得たともえは通りすがりの正義の味方、クロスハートとしてセルリアンと戦う事になった。
 セルリアンのいない平和な世界に暮らすフレンズ達はヒトと殆ど変わらない身体能力しかなくセルリアンと戦う事は出来ない。
 イエイヌはセルリアンと戦うのが当たり前の世界からやって来た為、それと戦う力も宿していた。
 そこでイエイヌはクロスハートの相棒、クロスナイトとなるのであった。

 この物語は平和な日常を守る為に成り行きで戦う事になった通りすがりの正義の味方、クロスハートと仲間達の物語である!

【登場人物紹介】

遠坂 ともえ
 ジャパリ女子中学校に通う2年生。
 ちょっとおっちょこちょいでお転婆だけれど、いつでも明るく誰とでも仲良くなれる元気印の女の子。
 お勉強はそ、そこまで苦手ってわけじゃないんだけど好きってわけでもない…。
 家事も苦手というわけじゃないんだけれど、お料理だけはアレンジャー系のメシマズである。
 新たな味を求めて調味料マシマシで作られた“ともえスペシャル”はちょっとした恐怖の代名詞だ。
 そんな彼女はどういうわけかフレンズの姿に変身する不思議な力を得てしまった。
 半分以上は成り行きだけど、謎の変身ヒーロー、クロスハートとしてセルリアンと戦う事になった。


遠坂 イエイヌ
 ヒトに尽くす事を無上の喜びとするイエイヌのフレンズ。
 ヒトがいなくなって荒廃したジャパリパークでヒトの帰りを待つだけの無為な日々を過ごしていたがオイナリサマの手によってヒトとフレンズが仲良く暮らす別世界へと送られた。
 そこで遠坂家の家族となり楽しく暮らしていたものの、本来その世界にはいないはずのセルリアンがいる事に気づいてしまった。
 イエイヌはともえの双子の姉である萌絵が作った変身アイテム“ナイトチェンジャー”でクロスナイトに変身し、家族と友達と日常を守る為に戦う事になった。
 いつでも一生懸命でどんな事でも全力投球!


遠坂 萌絵
 ジャパリ女子中学校に通う2年生。
 ちょっとのんびり屋さんで運動は苦手だけれどとても頭がよくて成績優秀な女の子。
 遠坂ともえの双子の姉である。
 機械工作なんかも得意で、イエイヌの変身アイテム“ナイトチェンジャー”を作ったのも彼女だ。
 クロスハートとクロスナイトをサポートしてきた。
 遠坂家の長女として頑張るお姉ちゃんである。


遠坂 春香
 ともえと春香の母…であるがそうは見えないほど若いというか幼い容姿をしている。
 三人並べると春香が妹に見られる事すらある程だ。
 そんな彼女は喫茶店『two-Moe』を営んでいる。
 普段は温厚を絵に描いたような春香であるが、遠坂家怒らせちゃいけないひとランキングは第一位である。


ラモリさん
 赤いカラーリングのラッキービースト。
 尻尾が試作型多機能アームへと換装されている。
 遠坂家で暮らしており、主にこちらの世界に不慣れなイエイヌのサポートや見守りをしている。
 遠坂家のみんなを見守る事が多く、貴重なツッコミ要員でもある。
 簡易ではあるがセルリアン解析機能も搭載している。



 

 

 喫茶店『two-Moe』は丁度お客さんの切れ目で小休止だった。

 そんな中で看板娘の三人、ともえと萌絵とイエイヌは顔を突き合わせて何やら深刻な空気を醸し出していた。

 

「ピンチなの。」

 

 そんなともえの言葉に萌絵とイエイヌがゴクリと固唾を飲む。

 

「アタシのお財布がピンチなのっ!」

 

 続く言葉に萌絵とイエイヌの顔は半眼になった。ジト目というやつである。

 

「はい、かいさーん。お仕事お仕事。」

「待ってお姉ちゃんーっ!?」

 

 ちなみに、萌絵は割と計画的にお小遣いを使う方なのでこうしたピンチとは無縁だ。

 イエイヌはそもそも何にお金を使っていいのかすらわからないので貯めっぱなしである。

 ともえはその場のノリでお金を使ってしまう事も多い為、たまにこうしたピンチを迎える事があってしまうのだった。

 

「今月ね!“名探偵ギロギロ”の新刊が出るの!なのにアタシのお財布は大ピンチなんだよぉ!」

 

 仕事に戻ろうとする萌絵に抱き着いて引き留めるともえ。

 取り敢えず話くらいは聞いてもいいか、と苦笑しながら萌絵は話に戻る。

 なんだかんだ言っても萌絵はともえに甘いのだ。

 しょうがないなあ、と萌絵は一つ確認する為に口を開いた。

 

「“名探偵ギロギロ”ってあのギロギロだよね?」

 

 それはともえが現在読んでいる漫画の一つである。

 いつもは成績も悪くて運動も苦手なフレンズがある日、知恵のジャパリまんを食べて超天才な別人格が生まれてしまう。

 彼女はその頭脳を活かして名探偵ギロギロとして正体を隠して探偵業を営み、難事件をこっそり解決していくという物語だ。

 実は萌絵もこのタイトルは知っている。

 主役のギロギロが作るハイテクマシンにインスピレーションを得る事だって少なくない。

 それに、このタイトルには応援したい理由もあった。

 

「あー。じゃあアタシも読みたいし半分ずつ出し合ってもいいかも…。」

 

 と、しばらく萌絵も考え込む。素早く頭の中でお小遣いの使い道を再計算。

 科学雑誌に工作用の消耗品にPPPの新曲。

 そして…電動グラインダーの新色。これは前々から狙っていたのだが、やはり高いのでお小遣いを少しずつ貯めていて今月ようやく届きそうだったのだ。

 再計算しなおすとそこにはどうしても届かない。

 むしろ、急な掘り出し物パーツが出た時の為にお小遣いは貯めておきたいので、やはり無駄遣いは出来そうにない。

 難しい顔をして考えこむ萌絵にイエイヌも心配そうにしている。

 

「あ、あの…、それでしたら私がその本?漫画?っていうのを買えば…」

「「それはダメ。」」

 

 イエイヌの提案にともえと萌絵が声を揃えて否定した。

 

「あのね、イエイヌちゃんはまだお金の使い方がよくわかってないでしょ?だから、どういう事にお金を使いたいかわかるようになるまで無駄遣いはして欲しくないの。」

 

 萌絵の言葉にともえも頷いている。

 今は使い道がわからなくても、いつか何かが必要になる事だってある。

 そういう時に無駄遣いを後悔して欲しくはなかった。

 そんな三人を春香がカウンターから微笑んで見ていた。

 ちなみに遠坂家のお小遣い制度は毎月のお小遣い+お店の手伝いをしたバイト代で同年代の子達よりは多めである。

 が、そのうちのバイト代の半分以上は春香が娘達の口座に貯金していた。

 なので、お小遣い額としては飛び抜けて多いわけでもない。

 これも娘達にはいい経験になるだろう、とまだまだ静観の構えの春香であった。

 

「出来れば発売日に欲しかったけど…、来月のお小遣いまで待とうかー。」

「それが無難かもね。」

 

 無い袖は振れぬ。

 いくら萌絵が頭脳明晰であろうともそれは覆しようがなかった。

 ともえと萌絵が揃って諦めの吐息をつこうとした時…。

 

―カランカラン。

 

 と店のドア鈴が鳴った。

 瞬間、三人とも営業スマイルになって揃って接客モードに移行した。

 すっかりイエイヌもメイドさん業が板についてきているのだった。

 

「いらっしゃいませー…って、あー!」

 

 そんなイエイヌよりも先輩店員にあたるともえが驚きの声をあげる。

 続けて萌絵も嬉しそうに入って来たお客さんへと駆け寄った。

 

「タイリクオオカミ先輩、お久しぶりですっ!」

 

 入って来たのは一人のフレンズだった。黒毛に同色のブレザーとチェック柄のミニスカート。それときちんと結んだネクタイがどこか大人びた印象を与える犬系フレンズである。

 イエイヌにはそのフレンズに見覚えはなかったが、萌絵がタイリクオオカミ、と呼んでいたのだからおそらくそのフレンズなのだろう。

 

「やあ、萌絵。ともえ。久しぶりだね。早速いい顔いただき。」

 

 タイリクオオカミは持っていたスケッチブックにさらさら、と何かを描き始めていた。

 その姿がともえと萌絵に似ていてイエイヌも思わず可笑しくなってしまった。

 

「こっちの子は初めましてだったね。私はタイリクオオカミ。ジャパリ女子高校に通う1年生だよ。」

 

 そんなイエイヌに気づいたタイリクオオカミがイエイヌにも挨拶をしてくれた。

 

「あのねあのね、イエイヌちゃん。タイリクオオカミ先輩はね、去年までアタシ達と一緒の美術部だったの。」

「そうそう。先代の美術部部長だったんだよっ!」

 

 ともえと萌絵が教えてくれた思わぬ共通点にイエイヌもびっくりだった。

 

「で、タイリクオオカミ先輩っ。こっちはイエイヌちゃん。アタシ達の家族で美術部に入った転入生なんですっ」

 

 今度はともえがイエイヌに抱き着くようにしてタイリクオオカミにイエイヌを紹介した。

 

「そうかそうか。じゃあキミも私の後輩だね。うん。イエイヌもいいモデルになりそうだ。」

 

 と、早速イエイヌのスケッチも始めるタイリクオオカミであった。

 

「やはりここはいいね。ここに来ると絵を描きたくなってしまう。」

 

 シャカシャカ、とスケッチを続けながら言うタイリクオオカミ。

 その物言いにともえと萌絵は顔を見合わせた。何かあったんだろうか?と。

 イエイヌだけはピンとこないようで頭にハテナマークを浮かべていた。

 

「あのね。さっきともえちゃんが言ってた“名探偵ギロギロ”って漫画あるじゃない?それを描いてる漫画家さんがタイリクオオカミ先輩なの。」

 

 萌絵が教えてくれた事は実はとんでもない事だった。

 タイリクオオカミは現役女子高校生にして連載漫画の原作者ともいうべき人物だったのだ。

 漫画には詳しくない萌絵が“名探偵ギロギロ”のタイトルは知っていて応援しているのもその為だった。

 もっとも肝心のイエイヌはそれがどのくらい凄いのか今一つ理解できてはいなかったようだが。

 それよりもイエイヌとしては先程ともえと萌絵が心配そうにしていた事の方が気になっていた。

 なので、萌絵の言葉の続きを待った。

 

「それでね?タイリクオオカミ先輩は漫画を描くのに行き詰まるとよくウチに来てくれてたの。」

 

 なるほど、今の状況はタイリクオオカミが漫画の執筆に煮詰まってしまったので気分転換に『two-Moe』へとやって来たという事だろうか。

 

「恥ずかしながらその通り。しかも悪い事に締め切りももう間近だったりするのさ。」

 

 肩をすくめて見せるタイリクオオカミ。まだ余裕の色が見て取れた。

 だがともえも萌絵もやはり再び心配そうな顔になった。

 

「それって大丈夫…?」

「なんですか…?」

 

 と言うともえと萌絵にタイリクオオカミはピタリ、と動きを止めた。

 続けてギ、ギ、ギ、と油が切れたロボットのように首を二人の方に向けると表情はそのままに顔色だけを真っ青にしてこう言った。

 

「端的に言って大丈夫じゃないね。」

 

 その様子にともえと萌絵は同時に理解した。

 

「「これアカンやつだー!!」」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 喫茶店『two-Moe』のテーブルでタイリクオオカミは頭を抱えていた。

 

「ええと、タイリクオオカミさん。これをどうぞ。落ち着く匂いのする葉っぱを使ってみました。」

 

 そんな彼女にイエイヌがお茶を出す。最近覚えたハーブティーである。

 一口それを飲んでみたタイリクオオカミはそのお茶の香りと暖かさに少しばかりの余裕を取り戻した。

 それを見計らったかのようにテーブルにラモリさんが乗っかるとタイリクオオカミに向けて言う。

 

「で?締め切りはいつナンダ?」

 

 その言葉に指を三本立てるタイリクオオカミ。

 それにイエイヌは考え込むと口を開いた。

 

「3時間ですか…。それは厳しいですね。」

「いや、さすがにそこまで絶望的じゃない。3日だよ。3日。」

 

 と思わずツッコミを入れられる程度にはタイリクオオカミは回復したらしい。

 しかし、それでも状況としてはかなり絶望的だった。

 

「で、タイリクオオカミ先輩。今はどのくらい進んでいるんですか?」

「所謂、進捗どうですカ?ってヤツだナ。」

 

 ともえの後に続くラモリさんの言葉にタイリクオオカミは再び頭を抱えた。

 どうやら絶望的というよりも既に絶望しかないという状況なのかもしれない。

 

「実はね…。一度は原稿を完成させたんだ。ちゃんと郵送だってしたよ。」

 

 ポツリ、と呟くように言うタイリクオオカミ。だとしたらどうしてこんな事になっているのか。

 

「けれどね、編集部に届いた原稿は白紙だったらしいんだ。」

 

 タイリクオオカミとしては、郵送した時には確かに原稿を確認したと思っていた。

 けれど、それだって脱稿明けのふらつく頭でしたことだ。郵送した後に倒れるようにして眠り込んだ事を考えるとそれが夢だった、と言われたらそんな気さえしてくる。

 何はともあれ、原稿が出来上がっていないという悪夢のような現実が目の前にあるのは変わりがないようだ。

 

「それで、嘆いていても仕方がないから何とか原稿を描きなおそうかと思ったんだけれど、どうにも筆が進まなくてね。」

 

 明らかに気落ちした様子のタイリクオオカミの頭をともえも萌絵もイエイヌも交互に撫でていた。

 その心中は察して余りある。

 ともえと萌絵は知っていた。

 タイリクオオカミは嘘をつく。

 けれど、タイリクオオカミが嘘をつく時は決まって誰かを楽しませようとする時だけだ。

 そうしたタイリクオオカミの語るフィクションの物語はともえも萌絵も楽しませてもらった。

 だからタイリクオオカミはこんな嘘はつかない。

 ともえと萌絵は顔を見合わせると頷きあった。

 

「ねえ、タイリクオオカミ先輩。原稿は一度は描き上げたって事はストーリーとかは出来上がってるって事ですよね?」

「ああ、そうだね。ネームは編集さんにもOKを貰っているから後は描くだけなんだ。」

 

 ネームとは漫画を描く際の設計図のような物だ。ラフな絵でコマ割りやストーリーなどを描いていく。

 それを元にペン入れやベタ塗り、トーン貼りなどを経て出来上がるのが漫画原稿になる。

 

「という事はあと3日…。ギリギリのライン…?」

「だね…タイリクオオカミ先輩一人じゃ厳しいと思うけど…。」

 

 ともえと萌絵は顔を見合わせてもう一度頷いて、そして言った。

 

「タイリクオオカミ先輩。アシスタントが二人追加されたら何とかなりませんか?」

 

 自身の胸に手を当てて言うともえ。横では萌絵が頷いていた。

 つまり二人が言うアシスタントとは自分たち自身なのだろう。

 タイリクオオカミとしてはありがたい申し出だった。

 二人とはかつて美術部で気心知れた仲であり、まだデビュー前に漫画の作業を手伝って貰った事だってある。

 まさに地獄に仏とはこの事か、という心持ちですらあった。

 だが…、タイリクオオカミとしてはすぐに頷く事は出来なかった。何故なら…。

 

「ハッキリ言って…修羅場だよ?」

 

 ともえと萌絵の二人を助っ人に入れても、スケジュールとしてはギリギリになるだろう。

 その作業は想像しただけでも地獄と呼ぶに相応しい修羅場になると思えた。

 自らその地獄に飛び込んでくれるのか?とタイリクオオカミはともえと萌絵の二人を見つめる。

 

「去年の文化祭だってあの無茶なスケジュールを三人で何とかしたじゃないですか。」

 

 ともえが言うのは去年の文化祭の出来事である。

 タイリクオオカミを部長としていた去年の美術部はオリジナルストーリーの漫画を一作描いてコピー本として配る同人活動を予定していた。

 スケジュールは余裕をもって進めていたはずだったが、そこに演劇部の書き割り制作依頼や展示宣伝用のポスター制作依頼が大量に舞い込んできてしまったのだ。

 通例ならば捌ききれない依頼は断るところを去年は全ての依頼を成し遂げた上に自分たちの展示までやってのけた。

 そんなわけで昨年の美術部は一部でドリームチームと呼ばれていたりもするのだった。

 

「今回だって何とかなりますよ!」

 

 ともえの言葉に萌絵も頷いている。既に覚悟は決まっているようだった。

 

「せめてアシスタント料くらいは弾ませてもらうよ。」

 

 言った後に小さく、ありがとう、と呟くタイリクオオカミ。

 それを聞こえないふりでともえと萌絵は揃って頷いてみせた。

 そこには古い戦友同士とでもいうべき信頼関係があった。

 

「あ、あのっ!わたしにも何かお手伝い出来ますか!」

 

 そこにイエイヌが挙手してみせた。

 

「ああ、モチロンだよ。なんたって猫の手どころか犬の手だって借りたいんだ。まさに犬の手だろうと大歓迎さ。」

 

 とタイリクオオカミがイエイヌに手を差し伸べる。イエイヌは思わずその手に自分の握り拳を乗せてしまった。

 お手状態であった。

 とはいえ、イエイヌはお絵かきをはじめたばかりでとても漫画の原稿作業が出来るとは思えない。

 

「雑用だって色々あるからね。差し当たって消しゴムかけとかはお願いするかもしれない。」

 

 タイリクオオカミはアナログ派だった。

 タイリクオオカミ、ともえ、萌絵、イエイヌの即席チームが出来上がったところでそれまで見守っていた春香がパン、と手を打つ。

 

「はい。それじゃあ無理はしないようにちゃんとルールは決めておきましょうか。」

 

 それに全員が揃って気を付けで直立不動の姿勢をとる。

 去年の文化祭の時も遠坂亭で作業する事もあったタイリクオオカミであった為、春香の指示は絶対なのである。

 

「まず本当だったら、学校にはちゃんと行きなさい、って言うところなんだけど、今日は金曜日で明日と明後日は土日でお休みね。だから学校の事は考えなくても大丈夫。」

 

 ともえだけは素早く目を逸らした。

 その理由は……。

 

「ただ、宿題は忘れちゃダメよ。」

 

 という事であった。

 春香は殊更にともえに笑顔を向けた。その圧にその場の全員が固まる。

 これで原稿を仕上げる上に宿題も当然やらなければならなくなった。

 

「それと、夜更かしはあんまり遅くまではダメ。どんなに遅くても夜の10時には寝るのよ。」

 

 正直、徹夜してでも作業時間を確保したかったがそれも封じられてしまった。

 

「でも早起きは止めないわ。朝6時からの作業ならOKとします。」

 

 春香のその宣言に希望が出てきた。それならば作業時間は十分確保できそうだった。

 確かにいくら修羅場とはいえ、眠らずに作業したところでどんどん効率は落ちてしまう。

 むしろ名采配なのではないだろうか?とすら思ってしまうタイリクオオカミであった。

 

「よし。そうと決まれば私は先に戻って下書きから作業を始めていよう。」

 

 タイリクオオカミは言うとお会計を済ませて一足先に戻る事にした。

 正直、気持ちが萎えていたところにこの援軍は何よりも心強かった。

 そう。

 他人をこの修羅場に巻き込んでしまった以上は自分が腐っている場合ではないのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 お泊り用の着替えやアシスタント用の画材などなどの準備を終えたともえと萌絵とイエイヌの三人とラモリさんはとある場所へやって来ていた。

 そこは2階建てのアパートだった。

 しかし、各部屋に直接出入りするタイプではなく玄関から入って各部屋に出入りする造りになっていた。

 そして、お風呂とキッチンなどは共用のようだった。

 もしかしなくてもアパートというよりは寮という方がしっくり来る。

 

「あなた達がタイリクオオカミ先生の臨時アシスタントね!話は聞いているわっ!」

 

 と何故か仁王立ちで出迎えてくれたのは一人のフレンズだった。

 

「私はタイリクオオカミ先生の担当編集にしてこの寮の管理人でもあるアミメキリンよ!」

 

 なんだかやたらと元気な人だなあ、と思いながらイエイヌは挨拶しようとしたがアミメキリンに止められる。

 

「待って!なんのフレンズか当ててあげる。なんたって私、推理小説とかもよく読むから!」

 

 言いつつアミメキリンはイエイヌを制止したポーズのまま逆の手で顎に手をあてて考えこむポーズをする。

 

「そうね。ピンと立った耳にふさふさの毛並み。それでいて決して毛足が長いわけでもない。寒冷地や標高の高い場所での活動を前提とした動物のフレンズ、といったところかしら。」

 

 途中までは真面目に聞いていたともえ達も「ん?」と疑問が浮かび始める。

 

「あなたは………そう!………ヤギねッ!!」

「違います。」

 

 わざわざ一回転をしてまでポーズと共にイエイヌを指さしたアミメキリンだったが即座に本人に否定された。

 アミメキリンはコホン、と咳払いをすると落ち着き払った様子でこう言った。

 

「ようこそ、マルヤマ出版女子社員寮へ。」

「「「(な、なかった事にしたー!?)))」」」

 

 そんなアミメキリンへのツッコミは辛うじて口には出さずに済んだともえ達であった。

 ともかく、萌絵は気を取り直して気になる事を聞いてみる事にした。

 

「ええと、マルヤマ出版女子社員寮…?」

「はい。タイリクオオカミ先生は我が社で“名探偵ギロギロ”を執筆していただいていますから。制作環境を整える一環としてこちらの社員寮から一部屋提供させていただいております!」

 

 と、ドヤ顔のアミメキリン。

 なるほど、確かにこの寮はタイリクオオカミの通う学校にも凄く近い。

 加えて食堂などもあるから食事も作ってくれるのだろう。

 そして担当編集がすぐ近くに住んでいるというのは心強くもあるのかもしれない。

 

「出版社のご厚意でね。親元だと制作環境としても色々不都合が出るかもしれない…特に深夜や早朝の作業とかね、という事で高校入学に合わせてこちらでお世話になってるんだよ。」

 

 とタイリクオオカミがやって来た。

 

「やあ。よく来てくれたね。……ここはこう言った方がいいかな?地獄へようこそ、ってね。」

 

 締め切りまでの時間は正確には日曜日の朝までだ。

 が、作業としては土曜の夜までには終わらせないといけない。

 日曜日、出版社が開く頃には原稿を完成させないとならないのだ。

 つまり、今日の夜、明日と明後日の朝までしか残されている時間がないという事でもある。

 しかし、タイリクオオカミの眼は今はやる気に満ちているように見える。『two-Moe』で会った時は気落ちしたようだったが、すっかり気分転換も出来たようだ。

 その顔からは言外に「それだけの時間があれば十分。」と言っているように思えた。

 何はともあれ、タイリクオオカミがこの戦いにおける総指揮官なのだ。この方がずっと希望が見えてくる。

 

「さ、タイリクオオカミ先生もアシスタントの皆さんもどうぞどうぞ!不詳このアミメキリンも今日はサポートさせていただきますから!」

 

 そうして寮の中に入ってみると、木造のアパートで古い建物ではあるものの、手入れはしっかり行き届いているように見える。

 ときどき、廊下に複合コピー機や複数のFAXなど建物の雰囲気に似つかわしくない機械が並んでいるのが見て取れる。

 よくよく柱や壁を見ると新たに増設したであろうケーブル配線が隠し切れていない。

 電源ブレーカーのある配電盤などが新しく見える辺りは、おそらく機器の電力を賄う為に古い配電盤を改修したのだろう。

 ラモリさんの見立てによると、建物は古いものの、使用している電力はかなりの量になっているようだった。

 1階はお風呂や食堂、洗面所などの共用部分が殆どであり、住居部分は2階の部屋が割り当てられているようだ。

 タイリクオオカミの部屋は2階だった。

 絨毯敷の部屋に製図用の机が一つ。それとミニテーブルが一つとベットが一つ。

 一人での制作環境ならば十分ではあるが、今回はともえ達が助っ人に入る。

 ミニテーブルで作業をしてもいいのだが、ずっと床に座っての作業は辛そうに思える。

 

「ふっふっふ。そう言うだろうと思って、簡易で申し訳ないですが机とイスは用意させていただきましたよ!」

 

 アミメキリンは折り畳みの机を部屋に運び入れてパイプ椅子であっという間にともえ達用の席を用意した。

 さらにトレス台やらデスクライトを手際よく設えていく。

 

「あとはなるべく負担をかけないように椅子につけるクッションなんかも用意してありますがお好みでご利用下さい。」

 

 この手際を見るとアミメキリンという管理人兼編集者は中々に優秀なんだろうと思える。

 

「そうそう。アミメさん。今日は泊まりになるだろうから彼女達の分のお布団も借りれるかな?」

「ハッ!?そ、それは考えが及ばず申し訳ないです!早速準備させていただきます!」

 

 アミメキリンは早速バタバタと階下へ降りて行った。

 さて、作業環境もとりあえず最低限整ったところで…。

 

「まずは作戦会議だね。」

 

 ギシ、と愛用の椅子をきしませて足を組んでみせるタイリクオオカミ。

 

「まずは萌絵とともえとイエイヌの三人は自分たちの課題を片づけてしまってくれ。春香さんとの約束は守らないといけないからね。」

「わかりました。ちなみにタイリクオオカミ先輩の方は宿題は…?」

「運がいい事に今週は特に課題が出てないんだ。ラッキーだったよ。」

 

 萌絵の言葉に苦笑してみせるタイリクオオカミ。この状況だとタイリクオオカミは課題よりも原稿を優先してしまっていただろうが、それがなかったのは本当に運がよかった。

 そんな事をすれば春香はもちろん、アミメキリンからもお叱りを受ける事になっただろう。

 

「で、私はその間に下書きとペン入れをするから、出来上がったページからまずは消しゴムかけだね。」

「さっき言ってたわたしに頼むかもしれないって言ってた作業ですよね。」

 

 タイリクオオカミの言葉にふんす、と気合を入れるイエイヌ。

 イエイヌはまだお絵かきは殆ど出来ないが、それでもお役に立ちたいと張り切っていた。

 

「そうだね。簡単に言うとページ全体に消しゴムをかけて下書きの線を消してしまうんだ。ただ原稿を破ったりしないように力を入れ過ぎずにお願いするよ。」

「はい!優しく丁寧に、ですね!」

 

 そのイエイヌの答えにタイリクオオカミも満足そうに頷いた。

 

「そして、次はベタ塗りは萌絵にお願いするよ。」

 

 ベタ塗りとは黒く塗りつぶすべきところをインクで塗りつぶしていく作業になる。

 

「その後は効果線入れと効果音だね。それはこっちで下書きを入れるからペン入れはともえに頼む。」

 

 効果線と効果音は漫画の迫力を決める重要パートでもある。

 

「そしてそれが終わったら次はトーン貼りとセリフ入れになるけれど、私が指定を入れるからそっちは萌絵に頼むよ。」

 

 そして、最後の仕上げとも言うべき箇所は再び萌絵が担当となるようだ。

 直観と漫画的センスが必要な部分にはともえ、丁寧さと絵画的センスが必要な部分には萌絵をアシスタントに入れるタイリクオオカミの采配であった。

 タイリクオオカミはさすがに1年間同じ部活をしてきた仲間である。ともえと萌絵の絵の強みを理解していた。

 既に数枚、ペン入れまで終わった原稿が洗濯物干しに吊るされてインクを乾かしている最中だった。

 どうやらタイリクオオカミはともえ達が来るまでの間も一人作業を進めていたようである。

 

「さあ、時間もない。みんな、よろしく頼むよ!」

 

 タイリクオオカミの号令と共に修羅場が開始した。

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

―バチバチ。

 

 街の電線が電光のスパークを放つ。

 通常であれば絶縁されたそれがそんな現象を起こすはずがなかった。

 しかし、そんな青白い光は電柱へ移動するとさらにバチバチ、と激しさを増した。

 やがてその稲光は四足の獣のような形をとる。

 そこから、シュタっと地面に降り立った稲光の獣。

 キョトキョト、と周囲を見渡すと天へ向けてあおおおん!と遠吠えのようなものを吠え猛った。

 

 街では最近一つの噂が囁かれるようになっていた。

 曰く、イラストや絵画や写真が一晩のうちに白紙になってしまうという噂だった。

 

 もしも、その噂と今の稲光の獣をともえ達が見たならきっとこう思った事だろう。

 セルリアンの仕業だ、と。

 

 

―後編へ続く

 

 




 後編は明日に間に合うといいなあ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編『ともえの修羅場体験記』(後編)

多分ギリギリだけど間に合いましたー!
けものフレンズR1周年おめでとうございます!

そんなわけで、後編も是非お楽しみ下さい。


 

 

 タイリクオオカミの部屋は活気に満ち溢れていた。

 

「よし!このページはしっかり乾いてるね。そしたらこれは消しゴムかけだ。頼むよ。」

「はい!お任せ下さい!」

 

 タイリクオオカミからイエイヌへと原稿が手渡される。

 

「タイリクオオカミ先輩っ。こっちのページはベタ塗り終わりましたっ!」

「OK。速いね。そしたらそれはしばらく横に寝かせた状態でかわかしてインクが垂れないのを確認してから吊るして乾かそう。」

 

 タイリクオオカミ、イエイヌ、萌絵、ともえと忙しくページに手を入れていく。

 

「ともえ。まだ効果線と効果音まで進んでるページはないから、その間は萌絵の方を手伝っててくれるかい?」

「ラジャー!」

 

 春香に出された『宿題をキチンとやる』という言いつけは既に果たした三人。

 それぞれの作業を忙しくこなしていた。

 タイリクオオカミは自分の作業もしながら三人が暇にならないように指示を出していく。

 まるで背中に目があるのか、というくらいともえ達が戸惑わずに済むように絶妙のタイミングで指示を出す。

 

「(まずまずのペースだナ。)」

 

 見守るラモリさんから見てもこのペースは速い方なのではないかと思える。

 出来上がりにかかる時間と残りページ数を単純に見れば十分に間に合いそうなペースだと予測を立てる。

 ただ、それはあくまで今のペースを維持出来ていればの話だ。

 これから疲労も溜まればミスだってするかもしれない。

 もしかしたら予期せぬアクシデントだってあるかもしれない。

 だが…。

 

「(それを心配したところで仕方がナイ…。何もない事を祈るしかないナ…。)」

 

 と余計な心配は自身のAI処理のみで終わらせて言葉には出さないラモリさんであった。

 そんな彼の願いも虚しく、順調な歯車が狂いそうな出来事が起ころうとしていた。

 それは担当編集兼寮の管理人であるアミメキリンがタイリクオオカミの部屋を訪れた際に起こった。

 彼女はタイリクオオカミに様子を聞いた後に申し訳なさそうに言った。

 

「実は…。会社の方でトラブルが発生したみたいで…。」

「トラブル?何かあったのかい?」

 

 タイリクオオカミは原稿を描く手を止めずに問う。

 あまり褒められた態度ではないだろうが、アミメキリンにはタイリクオオカミが原稿を完成させるのが何より大事だから仕方がない事だった。

 そしてアミメキリンもその邪魔になるような事はしたくない。

 なのに、続く言葉はタイリクオオカミの集中を削ぎかねないものだったので、その言葉は何とも歯切れが悪かった。

 

「その…。なんでも会社のある区画で停電が発生したらしいんですが、その影響でサーバーのデータが一部壊れてるかもしれないって…。」

 

 それにピクリ、と一瞬タイリクオオカミも手が止まる。

 

「それは大変じゃないか。もっとも私の原稿はまだ入稿前だから幸い…と言っていいのかどうかはわからないけれど難を逃れたが、他の作家さんに影響が出ているかもしれないね。」

 

 出版社のサーバーに保管していた原稿データが消えていたりしたら一大事だ。

 

「なんで私はこれから会社の方でデータの確認と復旧作業に行って来ます。」

 

 申し訳なさそうに言うアミメキリン。

 

「本当だったらタイリクオオカミ先生だって大変なのにお側でサポートしたかったのですが…。」

「こちらは、うん。何とかなるよ。アミメさんこそこんな時間からは大変だと思うけど無理しないでね。」

 

 そんなアミメキリンにタイリクオオカミは痩せ我慢でも何とかなると言うしかなかった。

 

「ええと、今日のご飯は食堂でご飯くらいは炊いてるんですが、他はまだ何も準備できてなくて…。ごめんなさい。」

「いいさ。それくらいは自分たちで何とかするよ。最悪でもコンビニなり何なりで済ませるさ。」

 

 アミメキリンが今日はともえ達の分まで含めて夕飯を用意するつもりでいた。

 だがこれから会社へ行かなくてはならない以上、それは果たせそうもない。

 そして、ともえや萌絵に料理までお願いしては手痛い時間のロスになってしまうだろう。

 ともかく、事情が事情だ。

 ここで我がままを言っては掲載誌の発行が出来なくなる可能性だってあるのだ。

 タイリクオオカミも、ここはアミメキリンを送り出すしかなかった。

 そこで口を開いたのは成り行きを見守っていたラモリさんだった。

 

「何か確認したい事があったら俺に連絡をクレ。画像データくらいならすぐにスキャンして送ってヤル。」

「本当ですか!?助かりますっ!じゃあこれ私のアドレスです。すみませんがよろしくお願いします!」

 

 言いつつアミメキリンはバタバタと準備して出かけていくのだった。

 

「ともかく、こちらはこちらで全力を尽くそう。」

 

 気を取り直したように言うタイリクオオカミ。

 アミメキリンがいなくなった事でほんの少しではあるが浮足立ってしまった。

 そんな時にこそミスは起こるのだ。

 イエイヌが次に消しゴムかけをしようと新たに吊るされた原稿に手を伸ばす。

 そして自分の机に置くと消しゴムをかけようとした。

 

「…!待つんだ!イエイヌ!それは…!」

「……え?」

 

 タイリクオオカミの制止の声は一歩間に合わなかった。

 

―ヌルリ。

 

 イエイヌが先程と同じように丁寧に消しゴムをかけようとしたその一手目にイヤな手応えが返ってくる。

 ちょうどイエイヌがかけた消しゴムの跡を追いかけるようにインクが滲んでしまっていた。

 そう。

 インクが乾ききっていなくて滲んでしまったのだった。

 

「あ…。あ…。わ、わたし、なんて事を…。」

 

 イエイヌの顔がみるみると青くなっていく。

 そのインクの滲みは取り返しがつかない事のように思えた。

 

「大丈夫だ。イエイヌ。問題ない。」

 

 タイリクオオカミはいつの間にかイエイヌのテーブルにまで移動していた。

 青い顔で泣きそうになっているイエイヌの頭を撫でる。

 

「よくここで止まってくれたね。丁寧に仕事をしてくれていたおかげだよ。このくらいなら十分修正出来る。」

 

 もしもイエイヌがそのまま消しゴムをかけ続けていれば原稿は取り返しのつかない事になっていただろう。

 そして、雑に広範囲を一度に消しゴムかけしていたとしても同じだった。

 きちんと丁寧に消しゴムをかけていたから、インクの滲みは最小限で済んでいた。

 

「ともえ。このページはもう一度乾かして、乾いたらホワイトで修正しよう。」

「ラジャー!」

 

 タイリクオオカミの指示にスチャっと、ともえは白いインクを用意した。

 

「イエイヌちゃん、このくらいの失敗なら全然取り返せるから心配しないで。」

「そうそう。アタシ達も実はベタ塗りをちょっとハミ出したりする失敗って結構するんだー。」

 

 タイリクオオカミに続いてともえも萌絵も順番にイエイヌの頭を撫でてあげる。

 とんでもない失敗をしてしまった、と動転していたイエイヌもようやく落ち着きを取り戻す事が出来た。

 

「あの…。なんで…。」

 

 イエイヌは失敗してしまったのに、こんなに優しくされるのが何故なのかわからずにいた。

 

「そりゃあ、イエイヌは同じチーム?群れ?ともかくそういうものだからさ。」

 

 タイリクオオカミはそう言って笑う。

 

「失敗したって構わないんだ。そこから何かを学んで次に活かしていく事が出来ればね。」

 

 そして少し考えるような表情を見せたタイリクオオカミは今度は少し困ったような苦笑を見せる。

 

「それにね、失敗って経験は狙って出来るわけじゃないから結構貴重なんだ。そういう経験は色々と漫画を描く上で重要でね。」

 

 その言葉にイエイヌは何だか胸が暖かくなる想いだった。

 と、同時に今まで感じた事のないような気持ちも同時に抱くのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 イエイヌの出来る作業自体は消しゴムかけだけになる。

 だから、必然としてイエイヌの仕事だけがなくなる状態が出来てしまっていた。

 なので、イエイヌは空いている時間を利用して、単身食堂のキッチンへとやって来ていた。

 実はこういう時間が出来るであろう事を見越していた春香がイエイヌにある物を託していた。

 それはキャップつきの瓶に小分けされたふりかけとおむすび用の海苔を入れた袋。それと、三角のプラスチック製の小さな型のようなものだ。

 

「失敗したっていい…。そこから何かを学んで次に活かせれば…。」

 

 先程タイリクオオカミに言われた言葉を思い出しながら、イエイヌは炊飯器を確認する。

 中には炊き立ての白米が湯気を立てていた。

 イエイヌはそれをしゃもじで救うとボウルの中に取り出す。

 そこに春香から預けられたふりかけを満遍なく振っていく。続けてご飯を潰さないように優しく丁寧にしゃもじでご飯を混ぜこんだ。

 

「実は…。ちょっとだけタイリクオオカミさんが羨ましいって思ってたんです。」

 

 タイリクオオカミはともえと萌絵とも大の仲良しという風で自分に出来ない事も出来て、しかも自分が知らないともえと萌絵を知っていた。

 きっと自分が手伝いを申し出ても本当はいらなかったのかもしれない。

 けれど、タイリクオオカミは自分の事も歓迎してくれた。

 そして失敗した自分の事までも気遣ってくれた。

 いつの間にか、イエイヌはタイリクオオカミが羨ましいという気持ちから、ともえと萌絵が羨ましい、と思うようになっていた。

 タイリクオオカミがともえと萌絵にどこか似ているように思えるのはきっと、ともえと萌絵がタイリクオオカミからも色々と教わったおかげなのだろう。

 だから、そんな時間を過ごしてきたともえと萌絵が羨ましい、という気持ちが芽生えていたのだった。

 最初は小さな嫉妬心から自分も手伝いを申し出たイエイヌだったが、今はタイリクオオカミの…、いや、臨時のタイリクオオカミを中心とした群れの為に自分に出来る事をしたいと思ったのだ。

 イエイヌはふりかけを混ぜ込んだご飯を、持ってきたプラスチック製の小さな三角形をした型の中にしゃもじで入れる。

 そして、その型についている蓋を使って上からそっと押しつけていく。

 そうして型の裏側を指で押し込むと、綺麗に三角形のおむすびが転がり出てきた。

 それに持ってきた海苔を巻けばおむすびが一つ完成だ。

 ラモリさんはこっそりとキッチンを覗いていたが、この様子なら心配なさそうだ、と飛び跳ねてこっそりとその場を後にする。

 

「失敗したってきっとタイリクオオカミさんもともえちゃんも萌絵お姉ちゃんも…。」

 

 そう思えば、イエイヌは初めての料理に挑戦するのだった。

 イエイヌは初めて、ともえがともえスペシャルを作り続ける理由が何となくわかったような気がした。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時刻は19時を回っていた。

 さすがにタイリクオオカミもともえも萌絵もお腹が空腹を訴えてきていた。

 ちょっと休憩してみんなでコンビニでも行って何か買ってこようか、と思案をはじめる。

 そんなタイミングでお盆におむすびの乗ったお皿とお茶の入った急須を乗せたイエイヌがやって来た。

 

「みなさん、ちょっと休憩してご飯にしませんか?」

 

 まだ暖かい上に巻いたばかりの海苔もパリパリな状態を保っているおむすびがいくつも大皿の上に並んでいた。

 それを中央のミニテーブルの上に置く。

 

「え!?これ、イエイヌちゃんが一人で作ったの!?」

 

 驚きの声をあげるともえにイエイヌは恥ずかしそうに頷いた。

 アミメキリンもいないし、他の入居者達も停電で発生したトラブルの為に出払っている今、イエイヌ一人しかこれを作れる者はいなかった。

 

「すごいよ!美味しそうだよっ!」

 

 ともえはイエイヌに抱き着いていた。

 

「本当、上手に出来たね!」

 

 萌絵も逆側からイエイヌに抱き着き頭を撫でる。

 二人ともイエイヌはお手伝いはよくしていたが、一人で料理を作るのは初めてだった事を知っていたのだ。

 ともえと萌絵にとってはとても嬉しいサプライズである。

 

「いや、ちょうどお腹ペコペコだったんだ。ありがとう。イエイヌ。」

 

 それはタイリクオオカミにとっても計算外の嬉しいサプライズだった。

 みんなでミニテーブルを囲んで「いただきます。」と手を合わせる。

 

「うん!美味しいよ、イエイヌちゃんっ!」

「ほんとほんと!」

 

 味付けとしては春香が持たせてくれたふりかけが殆どだったが、ともえと萌絵の二人に手放しで褒められるとやはり嬉しくなってしまう。

 イエイヌの尻尾は激しくぶんぶん揺れていた。

 

「暖かいおむすびに熱いお茶。これだけでもご馳走だよ。」

 

 タイリクオオカミにも好評のようだった。

 二つ目に手を伸ばしたタイリクオオカミに、イエイヌが思わず「あ。」と声をあげてしまう。

 どうしたのだろう、と小首を傾げるタイリクオオカミにイエイヌはこれまた恥ずかしそうに言った。

 

「じ、実は4つだけ作ったんです…。イエイヌ風ともえスペシャルを…。」

 

 その言葉に萌絵が一瞬固まった。

 凄い勢いでバッとラモリさんの方を振り返る、がラモリさんは試作型多機能アームを首の変わりに横に振った。

 どうやらラモリさんもこれは把握していなかったようだ。

 

「ははは!失敗を恐れないその心意気はいいね!」

「なんでともえスペシャルが失敗の代名詞みたいになってるのか釈然としないけど受けて立つよ!」

 

 そんな様子を大笑いして見ているタイリクオオカミに何やらぷんすかしながらも、ともえもその4つの特別製おむすびの一つを手に取った。

 萌絵もこうなればどうとでもなれ!とばかりに特別製おむすびに手を伸ばす。

 イエイヌも自分の分の特別製おむすびを手に取った。3人にだけ食べさせて自分は食べないというわけにはいかない。

 みんなで「せーの」で特別製おむすびをパクリ。

 タイリクオオカミの口の中に強いカツオ節の香りが広がった。が、不味くはない。

 むしろ…。

 

「美味しい…と思うよ。うん。」

 

 それは具材として中に削ったカツオ節を軽く醤油で和えた物を入れたおむすびだった。

 イエイヌとしてはキッチンにあったカツオ節を使っておむすびを作るのはかなり賭けだった。

 実際はカツオ節の醤油和えはご飯に合う組み合わせではある。

 それでも、自分で考えておっかなびっくりでも作った物が美味しいと言ってもらえて、イエイヌの尻尾は激しく揺れていた。

 そんなイエイヌとともえの間に割り込むように萌絵が座る。

 で、二人の腕を片手ずつに握ってみせる萌絵。

 そのまままるでボクシングのレフェリーが判定を告げるかの如く、イエイヌの方の手を持ち上げた。

 

「イエイヌちゃん、WIN。」

「な、なんでー!?!?」

 

 ともえの絶叫にタイリクオオカミは腹を抱えて笑った。

 

「いや、確かに!ともえスペシャル対決はイエイヌに軍配を上げるしかないね!」

 

 勝因としてはおっかなびっくりな分、お醤油を控え目にした事だろう。

 ともえのように思い切りよく醤油びたしにしてしまっていたら、醤油の味しかしなかったはずだ。

 

「もうー!い、いいもん!タイリクオオカミ先輩のいい顔いただいちゃうもんっ!」

 

 と未だに大笑いしているタイリクオオカミのスケッチを始めるともえ。

 悔しいが、イエイヌ風ともえスペシャルは美味しかったし、大笑いしているタイリクオオカミはとてもいい顔をしていた。

 あっという間にスケッチを描き上げたともえのスケッチブックを覗き込む萌絵。

 今度はともえの方の手をあげさせて…。

 

「今度はともえちゃん、WIN。」

 

 と言うのだった。

 それに再び大笑いするタイリクオオカミ。

 とても賑やかな食事休憩となったのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 それから…。みんなで再び作業に没頭したり、みんなでワイワイお風呂に入ったり。

 でもっておしゃべりする余裕もなくみんなで眠ったり。

 作業の方も順調だった。

 どうやらアミメキリンの方も無事にトラブルを解決できたようで、夜には戻って来た。

 たくさん作っておいたイエイヌ特製おむすびのおすそ分けをしたところ、ご飯を食べてる余裕もなかったらしくて大層感謝されてしまった。

 そうして、土曜日。早起きして朝から原稿作業を進めていくタイリクオオカミ達。

 全てが順調というわけではなかったけれど、それでもどうにかこうにか原稿は完成した。

 あらためて出来上がった原稿を読んでみる事になったともえ達。

 今回のエピソードに関しては一番最初の読者だ。

 話の内容はこうだ。

 ギロギロは学校の校舎裏に住み着いた子犬を見つける。

 ところが、それと同時に学校内で文房具などが紛失する事件が多発。

 校舎裏に住み着いた子犬に疑いをかけられてしまう。その子犬がそんな事をするはずがない、と信じたギロギロは名探偵の別人格と入れ替わって捜査を開始する。

 紆余曲折あって真犯人のカラスを見つけ出した名探偵ギロギロは、巣の中に貯め込まれたキラキラ光る文房具たちを回収し、子犬の無罪を証明するのだった。

 そして、その子犬は学校の飼育小屋で飼われる事になり、飼育係のギロギロが大切にお世話をしていく事になる、というオチである。

 

「完成…したね。」

 

 タイリクオオカミは出来上がった原稿に最後のチェックを入れてから大切に封筒にしまう。

 まさに締め切りギリギリでの完成。

 これを後は出版社に届けるだけだが、この時間なら郵送するよりも直接持って行った方が早い。

 日曜日でも鉄火場の出版社は普通に仕事があるらしい。

 アミメキリンも今朝は早くから出勤していった。

 

「せっかくだ。みんなで出版社まで行ってみようか。」

 

 タイリクオオカミの提案でともえと萌絵とイエイヌとラモリさんも原稿を届けに行く事になった。

 早速みんなで社員寮の玄関をくぐる…。

 と……。

 

―ハッハッハッハッ

 

 何故か玄関先に見た事もないイヌがいた。フレンズではなく普通の犬のように見える。

 大きさとしては中型犬くらいだろうか。

 それがちょこんと座って尻尾を振っていた。

 

「なんか…。」

「この子…。」

「やけに見覚えがあるような?」

 

 確かに初めて見る犬のはずなのに、ともえも萌絵もイエイヌも何故だか凄くよく知っているような気がした。

 そしてそれはタイリクオオカミも同じだった。

 その犬は座ったままじーっとタイリクオオカミ達を見ている。

 それは何かを言いたそうに見えた。

 イエイヌがその前にしゃがみ込んでその犬を見つめ返す。

 

「ええと…。それ、いれちゃダメ?って言ってるような…。」

「イエイヌちゃん!この子が言ってる事わかるの!?」

「同じ犬ですから、何となくは…。」

 

 ともえの驚きにイエイヌは頷いてみせる。

 タイリクオオカミはそれに顎に手をあてて考え込む。

 

「それ…?入れる…?一体何の事だろう。」

 

 そうしていると……。

 

―バチィ!

 

 とその犬の毛が逆立って周囲に静電気のような稲光が走る。

 突然の出来事にタイリクオオカミは持っていた封筒を取り落としてしまった。

 

「わふっ。」

 

 犬は封筒を咥えると、どこかに駆け出してしまった。

 

「そ、それダメぇ!」

 

 慌てて叫んだともえの言葉を聞いたのかどうか。

 再びシュタタタ、と駆け戻ってくる犬のような何か。

 まるで「ああ。忘れ物忘れ物。」とでもいうかのように、流れるような動きでヒョイっとラモリさんを尻尾ではたいて飛ばして自ら背に乗せる。

 そのまま封筒を咥えて、ラモリさんまで背中に乗せて再びどこかへと駆け出してしまった。

 

「ってそれはもっとダメぇ!?」

 

 一瞬呆気にとられたともえであったが、すぐに気づいて走り始める。

 なんせ犬らしき生き物は原稿の入った封筒にラモリさんまで持っていってしまったのだ。

 見過ごすわけにはいかない。

 

「ここはわたしが!」

 

 言うが早いかイエイヌが矢のように飛び出した。

 その速度はまさに目にも留まらぬ速さである。

 イエイヌは元々別な世界に暮らしていたので、この世界のヒトとほぼかわらぬフレンズよりも身体能力では優れているのだ。

 それでも、原稿とラモリさんをもった犬には追い付けない。

 さらに悪い事には人通りの多い道に出ようとしていた。

 この調子で爆走していたら周囲の注目を集めてしまうのは必至だ。

 

「こうなったら…。」

 

 イエイヌは首に巻いたチョーカーに手を触れる。

 それこそが萌絵の作った変身アイテム“ナイトチェンジャー”であった。

 

「変身ッ!」

 

 イエイヌが叫ぶと同時、その身体をサンドスターの輝きが包む。

 一瞬後に現れるのは腰までの短いマントを翻し、金属製の胸当てにデフォルメされた犬の頭を模した手甲とレッグガードをつけたヒーロー…。

 

「クロスナイト!」

 

 である。

 ちなみに、姿だけを変える変身アイテムである為、別に変身してもしなくてもイエイヌの強さには大して違いはなかったりする。

 最後に目元を隠すミラーシェードをまとったクロスナイトは人通りの多い大通りへと飛び出した。

 先行して大通りに飛び出した犬らしき生き物は封筒を咥えてラモリさんを背に乗せたまま道行く人達の足の間を縫って走り抜けてゆく。

 

「きゃあ!?」

「なんだなんだ!?」

 

 突然の出来事に驚き戸惑う人たちはさらに犬を追って現れたクロスナイトに目を丸くする。

 クロスナイトは短いマントを翻して先程駆けて行った犬を追う。

 街路樹や街灯、商店のひさしなど、人々の邪魔にならない位置を飛び跳ねて移動するクロスナイト。

 あっという間に犬もクロスナイトも消えていってしまった。

 そんな一瞬の追いかけっこに街の人たちも呆気にとられていたが、やがてポツリと呟いた。

 

「あれって…。」

「もしかして…?」

 

 最近街で噂になりつつあるヒーローであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「はひ……。はひ……。」

「お、お姉ちゃん、無理はしないで…。」

 

 イエイヌを追って走るともえと萌絵とタイリクオオカミであったが、あっという間にペースダウンを余儀なくされた。

 それは萌絵があっという間にバテてしまったからだ。

 彼女は運動が苦手で、特に長距離走は大の苦手なのである。

 もう息も絶え絶えであった。

 

「ともかく、萌絵にあまり無理をさせるわけにはいかない。」

 

 タイリクオオカミは立ち止まる。

 

「で、でも原稿とラモリさんが…。」

 

 それにあわせて萌絵も立ち止まり肩で大きく息をする。ともえが萌絵の背中をさすっていた。

 

「いや、それなんだが…どうしてさっきの犬は原稿とラモリさんを持って行ったんだろう…?」

 

 タイリクオオカミは真剣な顔で考え込んでいる。

 ともえと萌絵にはそれがセルリアンの仕業ではないか、と思えた。

 そしてセルリアンの仕業であるならば、答えは簡単、タイリクオオカミの描いた原稿に宿った『輝き』を取り込む為だろうと思えた。

 ともかく、セルリアンの事は伏せて何とかそれをタイリクオオカミに伝えるしかない。

 

「多分だけど、タイリクオオカミ先輩の絵が好き?とか…?」

「いや、それであればラモリさんまで持っていく理由がないじゃないか。」

 

 タイリクオオカミはともえの言葉を否定しつつも何かが引っかかっていた。

 玄関口で会った犬らしき生き物には悪意や敵意などは一切感じなかった。

 それどころか、どこか親しみさえ抱く程だった。

 

「どうして私はあの犬に見覚えがあったんだ…?それにイエイヌが言っていた…。それ…。入れちゃダメ…?」

 

 タイリクオオカミはさらに思考に没頭する。

 思えばあの犬には不自然なところが多い。

 それにイエイヌが言っていた『それ』とは原稿の事だろうか?

 そして、前だって、原稿は封筒に入れるまではちゃんと描き上げていた。

 

「そうか……。そういう事か…!」

 

 タイリクオオカミの頭には一つの線が繋がった。

 

「謎は全て見通した!」

 

 それは“名探偵ギロギロ”の決め台詞だ。

 タイリクオオカミはまさにギロギロの如く鋭い眼光でポーズを決める。

 思わずともえも萌絵も見とれてしまった。

 まさに原作者によるギロギロ推理ショーの開幕であった。

 

「まず、あの犬…見覚えがあっただろう?あれはね、スパークスだよ。」

 

 スパークス、とは今回の“名探偵ギロギロ”が世話する事になった子犬につけた名前である。

 なるほど、言われてみれば原稿作業で何度も見てきたあの漫画の中の子犬が成長した姿にも見える。

 だから不思議とタイリクオオカミどころか萌絵もともえも見覚えがあったのだ。

 

「そしてね。イエイヌが言っていた言葉で確信した。やはり私は一度既に原稿を完成させていた。」

「タイリクオオカミ先輩っ!?それってどういう…!?」

 

 ともえが驚くのも無理はない。

 なにせ本当に原稿作業を終えたのであれば、昨日と一昨日の苦労は一体何だったのか。

 

「だがね。原稿は盗まれた。私の手から離れて編集部へ届けられる間にね。」

「「な、なんだってー!?」」

 

 ともえも萌絵も思わず声を揃えてしまった。

 原稿を盗めるとしたら郵便屋さんとかそういう事だろうか、と戸惑う。

 郵便屋さんならば確かに封筒をこっそり開けてもう一度封をしなおす事だって出来なくはないかもしれない。けれどそんな事をする動機がない。

 

「いいや。犯人は郵便屋さんなんかじゃないよ。…私だってイエイヌがあの犬の言葉を教えてくれなかったら気づけなかった。そのくらい些細な違和感だったんだ。」

 

 タイリクオオカミが何を言いたいのかはわからないが、推理ショーはまさに佳境を迎えつつあった。

 

「イエイヌが教えてくれたあの犬の言葉…。『それ…入れちゃダメ。』それとは原稿。入れちゃダメなのは……。封筒さ!犯人は封筒に何かの仕掛けをしたんだ!」

 

 バッっと手のひらをともえ達に向けるタイリクオオカミ。

 ともえ達だからこそわかる。

 封筒がセルリアンだとしたら…、郵送される間にタイリクオオカミの原稿に宿った『輝き』を食べ放題で白紙にしてしまう事だって出来ただろう。

 なるほど、辻褄はあっているように思える。

 

「あの…。でも、なんであの犬…スパークス?はラモリさんまで持って行っちゃったの?」

 

 控え目にともえが挙手して訊ねる。

 

「それは簡単さ。ラモリさんは中々に慎重派なようだからね。また原稿が何らかの原因でダメになった時に備えて、原稿をスキャンしてバックアップデータを取ってくれていたのさ。」

 

 それは事実だった。

 ラモリさんは念のために、と原稿の画像データをスキャンして保管していた。

 万が一原稿がダメになった時にデジタル入稿できるようにだ。

 

「じゃ、じゃああの犬…、スパークスは…。」

「ああ。スパークスは私の…いや、私たちの原稿を守ろうとしているんだ!」

 

 もう一度タイリクオオカミはしゅば、と伸ばした手を二人に向けた。

 

「で、でも、それなら封筒を持っていかなくても…。」

「いいや、スパークスとしては私たちが封筒に何か仕掛けがされている事を知らないと踏んでいた。だからそれをわかってもらうよりも強硬策に出た方がより確実だったんだ。」

 

 それなら確かにあの場で静電気のような物を放ってまで原稿を奪っていった理由にもなりそうだ。

 あの時の犬…いや、スパークスとしては封筒と原稿とラモリさんを同時に守って、しかも戦いの被害がタイリクオオカミ達に及ばないように離れるつもりだったのだ。

 

「だ、だったらイエイヌちゃんにこの事を伝えないと!?」

 

 萌絵が慌てる。

 イエイヌはこの事を知らない。

 だからスパークスを退治してしまうかもしれない。

 何とかしてこの事をイエイヌに伝えなくてはならなかった。

 

「それなんだけど…。何とかなるかもしれない。」

 

 ともえは自分のスケッチブックを取り出してみせた。

 その仕草だけで萌絵はともえが何をするつもりなのかを理解した。

 

「ええと、タイリクオオカミ先輩。今から見る事は内緒にしておいてもらっていいですか?」

 

 ともえの真っ直ぐな視線を受けてタイリクオオカミもまた頷いた。

 

「いいとも。キミが、キミたちがそういう目をしている時はいつだってそれ相応の理由があるときだ。だから約束しよう。これから見る事は秘密にしておく、と。」

 

 タイリクオオカミは嘘をつく。

 けれど約束を破る事は決してない。

 だから、ともえは叫んだ。自分たちと原稿を守ろうとしているスパークスの為に。

 

「変身!」

 

 ともえの持つスケッチブックがパラパラと自動的にページがめくれてタイリクオオカミのページで止まる。

 

「クロスハート・タイリクオオカミフォーム!」

 

 そして、ともえの身体をサンドスターの輝きが包んだ。

 まず足首にファーのついたニーソックス。黒と白のチェック柄のミニスカートが翻る。

 と同時に髪色が黒に変化してピョコン、とオオカミの耳とふさふさの尻尾が生える。

 そして、キュッと首もとにスカートと同じ柄のネクタイが結ばれた。

 そして身体を覆うタイトなブレザー。

 最後に手首と首元にもファーが巻きつけられる。

 仕上げにいつも使っている肩掛け鞄にスケッチブックを納めて変身完了!

 

「ええとね…。ともえちゃん…じゃなくてクロスハート…。」

 

 変身完了したクロスハートに萌絵が静かに詰め寄る。

 そして顔をあげると一気にまくし立てた。

 

「着ようよ!ブラウス!!なんでブレザーの下が素肌なの!?えっちぃんじゃないかな!?」

 

 タイトなブレザーの下は何も着ていない状態で胸元のささやかな膨らみが強調されていた。

 しっかりと結ばれたネクタイが胸元をほんの少し隠してはいるものの、ある意味さらに強調していた。

 どうやら久しぶりの萌絵お姉ちゃんによるフォームチェックではアウトだったらしい。

 

「そ、それはともかく!イエイヌちゃんにタイリクオオカミ先輩の推理を伝えないと…!」

 

 どうどう、と萌絵をなだめつつクロスハートは大きく息を吸うと空に向かって……。

 

「あぁおぉおおおおおおおおおおおおん!!」

 

 と遠吠えを放つのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 イエイヌ…、いや、クロスナイトはとうとうラモリさんと原稿の入った封筒を持った犬を追い詰めていた。

 

「さあ、原稿とラモリさんを返して下さい。」

 

 人気のない河川敷でクロスナイトは一歩を詰め寄る。

 犬のような生き物は毛を逆立てて静電気のようなものをパチパチと爆ぜさせた。

 

「アワワワワワ。」

 

 それに背中に乗せられたままのラモリさんが慌てる。

 ラモリさんが大人しくされるがままになっていたのはこの静電気のせいだった。

 どうやらそれでラモリさんの運動機能を麻痺させていたらしい。

 クロスナイトは人質をとられた格好だ。

 ならば人質に危害を加える暇すら与えずに一撃で勝負を決めるしかない。

 クロスナイトは腕にサンドスターの輝きを集める。

 必殺技の一つ、犬の噛みつき攻撃を模した『ドッグバイト』を放つ構えである。

 対する犬のような生き物も、牙を剥いて一触即発の雰囲気だ。

 次に何かの切っ掛けがあればこの二人は雌雄を決するべくお互いの技を放つであろう。

 そこに……。

 

―あぁあおおおおおおおおおおん!!

 

 というオオカミの遠吠えが遠くから響いた。

 それが切っ掛けだった。

 クロスナイトの注意が一瞬逸れたのを見た犬…いや、スパークスが原稿の入った封筒を空中に投げるとそこに…。

 

「わふっ!」

 

 という鳴き声とともに電撃を放ったのだ。

 一瞬遅れてクロスナイトが飛び掛かる!

 しかし電撃がバチリ!と封筒に直撃するのが先だった。が何も変化が起きない…と思いきや空中で封筒がピタリと止まった。

 そして封筒はグニャリ、と形を変えるとまるでタコが獲物をとらえるかのように大きく身体を広げてスパークスへと襲い掛かった!

 

「させませんよ!」

 

 グニャリ、と形を変えた封筒をクロスナイトの爪がとらえた。

 明らかに原稿が入っていないであろう部分を掴むとそのままグシャリと握りつぶした!

 

―ギョォオオオ!

 

 と悲鳴をあげる封筒型セルリアン。

 その腹に抱えたタイリクオオカミの漫画原稿をついに手放した。

 このセルリアンは精工な擬態が得意なセルリアンだった。

 その精工な擬態能力は嗅覚に優れるイエイヌですら騙しおおせる程だった。

 だがどうやら、このスパークスは騙し切れなかったのだ。

 そして、精工な擬態は得意でも反面、直接の戦闘能力は低かった。

 既に人質の役割を果たしていた漫画原稿も手放してしまった。

 なので…。

 

「ワンだふるアタァアアアアアック!」

 

 両手を犬の顎に見立てたクロスナイトの必殺技にはひとたまりもなく封筒型セルリアンはパッカァアアアアンとサンドスターの輝きへと還るのだった。

 そして空中に飛び散った漫画原稿を素早く回収してまわるスパークス。

 二人して漫画原稿を回収し終えて一息。

 

「何とかやりましたね。」

 

 とクロスナイトはスパークスの前に膝をつくと手を差し出した。

 それにぽふんと手を乗せるスパークス。お手状態である。

 クロスナイトがスパークスが味方であると気づいたのには理由がある。

 それはクロスハートが放った遠吠えが原因だ。

 オオカミは遠吠えや鳴き声で様々なコミュニケーションをとって群れで狩りをする。

 先程の遠吠えでタイリクオオカミが語った推理を凝縮して伝えられたのだった。

 それこそがクロスハート・タイリクオオカミフォームの技『ムーンハウリング』である。

 

「何はともあれ…。漫画原稿も無事。ラモリさんも無事。お手柄、という事にしておきましょう。」

 

 イエイヌは変身を解くとスパークスの頭を撫でるのだった。

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 最初にタイリクオオカミが原稿を完成させた時。

 封筒に擬態した封筒型セルリアンはまんまと『輝き』のたっぷり詰まった漫画原稿を手に入れてそれを捕食した。

 だが、たった一欠けらだけだが、食べきれなかった分があったのだ。

 それがスパークスの描かれたページである。

 スパークスの描かれたページもまた、セルリウムに触れてセルリアン化した。

 そしてそばにあった電気コンセントとも結合して電気の能力を得ていた…のだが、これがまたどういうわけか全く凶悪な存在にはならなかった。

 むしろ、自身を食べようとした封筒型セルリアンに敵対し、自分と同じような匂いをもつタイリクオオカミの漫画原稿を守ろうとすらしたのだった。

 ラモリさんのセルリアン解析機能によると、どうやらこのスパークスによく似たこのセルリアンは活動に大した『輝き』は必要ないだろう、との事だった。

 その代わり、多少の電気代がかかるかもしれない、とも言われたが些細な事だった。

 

 結局、クロスナイトとスパークスの守った漫画原稿は無事に出版社へと持ち込まれて、漫画雑誌も無事に発売された。

 そこにはもちろん、“名探偵ギロギロ”の最新話も掲載されている。

 そしてスパークスは、というと…。

 

「スパークル。ペンを持ってきてくれないかい?」

「わふっ」

 

 今日も今日とて漫画の原稿作業に勤しむタイリクオオカミ。

 その差し出した手にあのスパークスと呼ばれた犬のようなセルリアンがペンを渡す。

 結局、漫画そのままの呼び名だと問題があるかもしれない、と思ったタイリクオオカミはあの犬をスパークルと名付けて飼う事にしたのだ。

 現在はマルヤマ出版女子社員寮の庭に犬小屋が設えられて、そこを住処にしている。

 愛嬌はあるので、アミメキリンをはじめ、他の入居者にも可愛がられているようだ。

 問題はタイリクオオカミのペンなどを持って行ってしまう事だった。

 こうして頼むと持ってきてくれるので問題はないのだが、些か不便な気がしないでもない。

 タイリクオオカミのペンを持って行ってしまうので電気のスパークと物をパクるを引っ掛けたネーミングとしてスパークルというのが名前の由来らしい。

 

「まったく、とんだアシスタントを雇ってしまったようだね。」

 

 苦笑しつつもタイリクオオカミはスパークルをひと撫でしてから原稿作業に入るのだった。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート番外編『ともえの修羅場体験記』

―おしまい―

 




【セルリアン情報紹介】

封筒型セルリアン『フー』

 封筒をコピーしたセルリアン。
 擬態能力に優れており、そう簡単にはその擬態を見破る事は出来ない。
 中に入れられた絵や手紙などの『輝き』を食べてしまう。
 擬態能力には優れるものの、直接戦闘能力は決して高くない。


犬型セルリアン『スパークル』

 タイリクオオカミが描いた犬の漫画キャラクターにとりついたセルリアン。
 どういうわけか穏やかな性格をしており、活動にも大した『輝き』を必要とするわけではない。
 セルリアン化する際に電気コンセントとも結合しており、電撃を操る事も出来る。
 無害で大人しい性格をしているようなので、タイリクオオカミに引き取られて様子を見られる事になった。
 タイリクオオカミのペンを持って行ってしまうのはその『輝き』で活動に必要なエネルギーを得る為と、彼なりのアシスタント作業のつもりらしい。
 必殺技は静電気で痺れさせて動きを止める『スタンスパーク』である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』①

 第2章は13話で完結予定です。
 13話はいつもよりも分量多くなるので細かくパート分けされると思います。
 いつもよりも長尺でのお話になるかと思いますがお付き合いの程、よろしくお願いいたします。



【情報】クロスハートウォッチングスレpart3【求む】

 

1:名無しのフレンズ

このスレは最近街で噂の通りすがりの正義の味方、クロスハートと名乗る女の子を暖かく見守るスレです。

目撃情報や彼女の活躍を生暖かく見守りましょう。

 

2:名無しのフレンズ

>>1建て乙

 

3:名無しのフレンズ

>>1乙

 

4:名無しのフレンズ

乙<こ、これはおつじゃなくて私の尻尾なんだから!勘違いしないでよね!

 

5:名無しのフレンズ

クロスハートって何?正義の味方っていったい何と戦ってるんだよ。

 

6:名無しのフレンズ

>>5 このスレは初めてかい?まあ肩の力抜いて前スレ見てこいよ。

Part1 http:www………

part2 http:www………

 

 

7:名無しのフレンズ

>>6 ありがとう。ちょい見てくるわ。

 

8:名無しのフレンズ

この前、商店街で見たのってクロスハートだったのかな。

鳥系のフレンズっぽかったけど…。

 

9:名無しのフレンズ

>>8 kwsk

 

10:名無しのフレンズ

えっとね。色鳥町商店街に買い物に行ったんだけどね、変なでっかいハチに襲われそうになったの。

そこを鳥系フレンズみたいなのに助けてもらった。

 

11:名無しのフレンズ

>>10 他にも似たような目撃情報はあるから信憑性高いな。

ただ>>10が見たのがクロスハートかクロスシンフォニーか…。それだけだと判別つかないな。

 

12:名無しのフレンズ

>>11 マテ。通りすがりの正義の味方ってそんなにいるのか…。

 

13:名無しのフレンズ

>>12 >>6をみておいで。

現在確認されてる通りすがりの正義の味方はクロスハート、クロスナイト、クロスシンフォニーの三人かな。

 

14:名無しのフレンズ

その三人ってどうやって見分けるの?

 

15:名無しのフレンズ

>>14 えっちいのがクロスハート

 

16:名無しのフレンズ

>>14 えっちいのがクロスハート

 

17:名無しのフレンズ

>>14 えっちいのがクロスハート

 

18:名無しのフレンズ

>>15 >>16 >>17 おまえらwwwww

いやまあ一度見ると納得するんだけどなwwww

 

19:名無しのフレンズ

そういえば、この前、ネコミミ生えたバスに乗ってたの…、あれ、クロスハートじゃないかな。

 

20:名無しのフレンズ

ここに来てまさかの新目撃情報。

 

21:名無しのフレンズ

私も見たよ。手振ったら振り返してくれた。

 

22:名無しのフレンズ

>>21 ちょwwwwうらやましすwwww

 

23:名無しのフレンズ

俺、この前cocosukiで変なマネキンみたいなのに襲われたんだけど、そん時助けてくれたのがクロスハートだったのかな。

犬系のフレンズみたいなのでミラーシェードつけてたから顔はよくわかんなかったけど。

 

24:名無しのフレンズ

>>23 それ、クロスナイトだよ。多分。

 

25:名無しのフレンズ

まじかー。あんときはポカーンとしてお礼も言えなかったけど助かったわ。

もし会えたヤツいたら俺の分もお礼言っといて。

 

26:名無しのフレンズ

http:www.wetube……

ほい、いつぞや電波ジャックかなんかわからんけどクロスハートとクロスナイトがテレビ出てたヤツ。

 

27:名無しのフレンズ

>>26 有能

 

28:名無しのフレンズ

>>26 お前が神か。

 

29:名無しのフレンズ

あー。うん。>>15 >>16 >>17の反応に納得したわ。

 

30:名無しのフレンズ

まあ待て。露出度は低くてもオイナリサマフォームの艶めかしさも捨て難い。

 

31:名無しのフレンズ

なんつうか…。こう、クロスハートは直視するのが後ろめたい。

 

32:名無しのフレンズ

>>31 わかる

 

33:名無しのフレンズ

>>31 わかる

 

34:名無しのフレンズ

>>31 おまえはおれか

 

35:名無しのフレンズ

大体前スレ読んできた。

読んできたんだけどさ…?俺が最近みた空飛ぶ魔女っこみたいなのは誰なんだ?

 

36:名無しのフレンズ

え?

 

37:名無しのフレンズ

だれそれ?

 

38:名無しのフレンズ

もしかして新しい通りすがりの正義の味方?

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 エゾオオカミはジャパリ女子中学校に通う1年生である。

 ショートの灰色の髪に白と黒の毛が混じった毛並み。ピンと立ったオオカミの耳が特徴的なフレンズだ。

 目つきも鋭く、野性味あふれた雰囲気をまとっている。

 彼女は今日も放課後に商店街の一角にある駄菓子屋へと足を運ぶ。

 そこには小学生たちがキャイキャイとたむろしていた。

 エゾオオカミは軽く手をあげるとその子供たちへと声を掛ける。

 

「よー、お前ら。元気してるか?」

「あー!エゾオオカミ姉ちゃん!」

 

 エゾオオカミが声をかけると、わらわらと子供たちがエゾオオカミの元へ集まって来た。

 その反応にエゾオオカミは確信する。

 こういう集まり方をするときは決まって子供たちが困り事を抱えている時だ。

 そんな時こそ自分の出番である。

 

「で、お前ら。なんか困り事があるんだろ?」

 

 エゾオオカミが訊ねると子供たちが一斉にワイワイと喋りはじめてしまった。

 エゾオオカミはどうどう、と子供たちを一度落ち着かせる。

 

「いっぺんに話されてもわからねーからな。順番に話せ。ちゃんと聞くから、な。」

 

 エゾオオカミが言うと女の子が一人輪の中から歩み出てくる。

 今にも泣きだしそうな表情で俯いていた。

 いつまでも喋り出さないのを見かねたのか、隣の男の子が口を開いた。

 

「あのさ!エゾオオカミ姉ちゃん!コイツんちで飼ってる猫がいなくなっちゃったんだって!」

「迷子だよ迷子!」

「大変だよね!」

 

 最初の一言を皮切りに再びワイワイと喋り始める子供たち。

 エゾオオカミはもう一度子供たちを落ち着かせてから俯いたままの女の子のところにしゃがんで目線を合わせる。

 

「そうなのか?」

 

 と一言確認すると、女の子は大きく頷いた。

 

「よし、わかった。なら、まずは依頼料だな。持ってるか?」

 

 その言葉に女の子は大きく頷くとポケットからドングリを一つ取り出して両手でエゾオオカミに差し出す。

 

「お、これはクヌギの木の実じゃねーか。」

 

 それをつまみあげるとエゾオオカミはしげしげとそのドングリを眺めてやおら軽く空中へと放る。

 

「よし。迷子の猫探しはこの俺、木の実100個分の難事件を解決した名探偵エゾオオカミが引き受けた。」

 

 そのドングリをパシリ、と握りなおしたエゾオオカミが宣言すると女の子もパッと表情を輝かせた。

 

「さて、まずはその猫の特徴を教えてもらえるか?」

 

 エゾオオカミにはもう一つの顔がある。

 それは商店街の子供たちの困り事をドングリ一つで解決する名探偵…。

 人呼んで、木の実探偵エゾオオカミである。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「さぁてっと。どうやって探すかなあ。」

 

 エゾオオカミは女の子から預かった猫の写真を見ながらテクテクと商店街を歩く。

 特にエゾオオカミが得意なのは探し物だ。

 普段は“探偵の勘”に従って歩いていればいつの間にか見つけてしまうのだ。

 それは元の動物であるオオカミが探索が得意である事に由来しているので、正確には“探偵の勘”というわけではない。

 たとえ世代を重ねる中でヒトに近づいたとしても、元の動物由来の能力も少しは残したフレンズだって多い。

 エゾオオカミの場合は探し物が特に得意なのだ。

 何となく探し物の事を思い浮かべていて、ピンと来たところを重点的に探すと、発見できてしまう場合が多い。

 この“探偵の勘”を頼りに、それが働く場所を歩き回って探してみる事にしたエゾオオカミ。

 特に猫のいそうな場所を探すのがいいだろう、と考えた。

 まずは魚屋さんの店先や定食屋さんの裏口、あとは細い路地なんかも覗いてみる。

 だけれども、今のところ“探偵の勘”はピンと来ない。

 女の子から聞いた猫の特徴からすると、まだ1歳になっていない子猫らしい。

 大分大きくなって行動範囲が広がったのはいいけれど、調子に乗りすぎて帰り道を見失ってしまったのかもしれない。

 出来れば早く見つけてやりたい。

 それにエゾオオカミはこの依頼は是が非でもやり遂げなくてはならない理由があった。

 

「クロスハートには負けられねえからな。」

 

 それは数週間前。

 商店街に謎の怪物が現れた事があった。

 その時の自分は無力だった。

 目の前に大きなハチのような化け物が出てただただ何も出来ずに立ち尽くしていた。

 あわや自分もそのハチに襲われるかと思った矢先に、それを一蹴して助けてくれたのがクロスハートだった。

 格好よかった。

 と同時に悔しかった。

 自分の商店街でよくわからないヒーローに助けられるだなんて。

 自分は木の実探偵エゾオオカミなのに。

 助ける側なのに。

 そうした思いはいつしかライバル心へと変わっていった。

 そのライバル心をバネに、ついに依頼解決で貯めた木の実だって100個を超えた。

 商店街のヒーローはこの木の実探偵エゾオオカミだ、との自負があった。

 だから、この依頼だって絶対に成し遂げて見せるとエゾオオカミは気持ちを新たにする。

 

「となると…。よっしゃ。少し探索範囲を広げてみるか。」

 

 エゾオオカミはホームグラウンドである商店街から離れると住宅街の方へ向かう。

 そちらはマンションやアパートなどの集合住宅が多く見られる地区だ。

 背の高い建物のおかげで隠れる場所だって多いし、アパートの庭先など猫の集会所になりそうな場所だって結構ある。

 ふ、と覗き込んだ路地に何かがピン、と来た。

 エゾオオカミの言うところの“探偵の勘”が働いたのだ。

 エゾオオカミは早速その路地に入っていく。

 ちょっと薄暗くて何かイヤな予感がするけれど、その程度で怖気づいてなどいられない。

 何故なら、自分は木の実探偵エゾオオカミなのだから。

 ちょうど大きなマンションが周りに立っているおかげで薄暗い。

 それにエアコンの室外機などが並んでいるおかげでそこかしこに猫がちょうど隠れられそうな物陰がある。

 エゾオオカミの“探偵の勘”がちょうど室外機の影を指していた。

 ヒョイっとそこを見てみると、小さくなって震えている猫を見つけた。

 それはまさに女の子から預かった写真に写っていたあの猫だ。

 

「ったく、よかったぜ。見つかって。さ、家に帰ろうぜ。」

 

 エゾオオカミはなるべく猫を驚かさないようにそっと抱き上げる。

 どうやら猫は本当に迷子になっていたみたいで逃げだす元気もないようだった。

 そんな様子に、急いでよかった、と安堵の吐息をつくエゾオオカミ。

 猫もエゾオオカミに抱き上げられると安心したかのような様子を見せる。

 ちょうど、猫の顎を自らの肩に乗せるかのような格好で抱き上げたエゾオオカミ。

 と…。

 

―フシャアアアアアッ!

 

 突然猫が警戒の鳴き声をあげた。

 と同時にエゾオオカミの背筋にも何か猛烈なイヤな予感に寒気が走った。

 エゾオオカミは猫を抱いたままともかく身を投げ出すようにして転げる。

 一瞬後に…。

 

―ガシャアアアアン!

 

 とガラスが砕けるかのような音がする。

 それはつい先ほどまでエゾオオカミと猫がいた場所だ。

 そこに割れたビール瓶が散乱していた。

 誰かがエゾオオカミのいるところにビール瓶を投げ込んだのだろうか。

 

「誰だ!何てことしやがる!」

 

 エゾオオカミが誰何の声をあげつつ振り返る…、と、そこに信じられないものを見た。

 手足の生えたビールケースのような変な化け物がいたのだ。

 大きさはエゾオオカミの背丈ほどもあるビールケースは自分の頭に収められたビール瓶を一本取り出す。

 そのままシャカシャカシャカ、とよく振ると、そのビール瓶の底をエゾオオカミに向けた。

 

「(ヤバい!)」

 

 咄嗟に猫をかばって身を屈めたエゾオオカミ。

 と同時に、そのビール瓶からブシャアアアアアア!と中身が吹き出す。

 ビールケースの化け物が瓶を放すと同時、吹き出した中身を推進力に、まるでミサイルのようにエゾオオカミに向けて飛んだではないか!

 

―ガシャアアアアアン!

 

 幸いな事にビール瓶はエゾオオカミの頭上を通り過ぎて壁に当たって砕け散る。

 咄嗟に身を屈めていなかったら直撃していただろう。

 その事実にエゾオオカミの背筋が凍る。

 

「(逃げないと…!)」

 

 そうは思っても、突然の出来事に足の方が上手く動いてくれなかった。

 今更ながらに恐怖のせいでガクガクと震えが止まらない。

 上手く動けないでいるエゾオオカミの目の前にさらに絶望的な光景が広がった。

 

―ガチャリ。

 

 とビールケースの化け物が頭をエゾオオカミと猫に向けてきたのだ。

 その頭の中にはビール瓶が満載されていた。

 今度はそれを連続で飛ばしてくるつもりなのだろう。

 せめて猫だけでも、とエゾオオカミは猫を庇って背中をビールケースの化け物へ向ける。

 固く目を瞑ったエゾオオカミの耳に…。

 

―ガシャアアアアン!

 

 という音が響いた。

 けれどいつまで経っても何も起こらない。

 おそるおそる目を開けたエゾオオカミの眼に最初に飛び込んできたのはマント…ではなくケープだった。

 肩までの短いケープを翻し、魔女の三角帽子を被った小さな女の子が背中にエゾオオカミを庇っていたのだ。

 

「く、クロス……ハート…?」

 

 あの日、商店街での出来事がエゾオオカミの脳裏に蘇る。

 その魔女帽子を被った女の子の背中はクロスハートに似ていたが、そうではなかった。

 

「え、ええと。クロスハートじゃなくて、私はクロスラピス。そう。通りすがりの正義の味方、クロスラピスだよっ。」

 

 気が付くとビールケースの化け物は横倒しになっていた。

 これはクロスラピスと名乗る女の子がやったのだろうか?

 だが、手足をじたばたさせたビールケースの化け物は再び起き上がる。

 それを見たクロスラピスと名乗った女の子はビールケースの化け物から視線を外さぬままに言う。

 

「その猫ちゃん連れて離れてて。危ないから。」

 

 それだけを言うと、長い二つ結びの三つ編みを伸ばした。

 先端をワニの口のように変化させると伸ばした三つ編みで壁を掴んで自らの身体を引き寄せる。

 それを交互に繰り返して、まるで空を飛ぶかのようにビールケースの化け物を翻弄しはじめたクロスラピス。

 エゾオオカミは呆気にとられてその光景を見守っていた。

 

「ほれ、ここにいてはルリ…いや、クロスラピスの邪魔になろう。お主もこっちに来るんじゃ。」

 

 そんなエゾオオカミに毛足の長い灰色がかった綺麗な髪のフレンズが肩を抱くようにして物陰へと連れていってくれた。

 どうやらこのフレンズはあのクロスラピス、という魔女っ娘が何者なのかを知っているらしい。

 

「い、一体何がどうなって…。お前ら一体何なんだ?」

 

 混乱する頭で訊ねるエゾオオカミ。彼女を物陰へと連れていったフレンズはそれに振り返ると教えてくれた。

 

「わらわはユキヒョウ。ジャパリ女子中学の1年じゃ。それとあっちは通りすがりの超絶ぷりちーな正義の味方、クロスラピスじゃよ。」

 

 超絶ぷりちーなのか、とエゾオオカミはクロスラピスを見る。

 彼女は変わらず三つ編みを伸ばして縦横無尽に空を舞っている。

 やがてビールケースの化け物は頭のビール瓶を次々と連続発射しはじめた。

 ビールの尾を引くビール瓶のミサイルはまるでホーミング機能でもあるかのようにクロスラピスを追い回す。

 だが、クロスラピスの機動力もなかなかのものだ。大量のビール瓶ミサイルに追い回されるもヒョイヒョイと身をかわし続けている。

 そして、上へと急上昇してビール瓶ミサイルを引き付けてその後急降下!

 

「あ、あぶねぇ!?」

「いいや、大丈夫じゃよ。」

 

 エゾオオカミは地面へ凄まじい速さで落下するクロスラピスの姿に思わず声をあげるがユキヒョウの方は冷静なものだ。

 ユキヒョウの言葉通り、クロスラピスは地面にぶつかる直前で一本三つ編みを伸ばして壁を掴むとグイっと自らの身体を引き上げた。

 直前までクロスラピスを追っていたビール瓶ミサイルはその急な方向転換に対応できずに地面へ激突した。

 ビール瓶ミサイルをかわしたクロスラピスはちょうどエゾオオカミ達が隠れている物陰の近くへと着地した。

 ちょうどその横顔がエゾオオカミからも見えた。

 ビール瓶の化け物を真っ直ぐに見るその横顔は、超絶ぷりちーかどうかは置いといて…。

 

「かっけえ…。」

 

 と思わず感想をこぼしてしまった。

 

「じゃろ?わらわのル……いや、クロスラピスは可愛かろう?」

 

 それに何故かユキヒョウがドヤ顔である。

 ともかくそんな場合ではない。

 再び睨みあう格好になったクロスラピスとビールケースの化け物。

 ビールケースの化け物は頭に手を突っ込んだかと思うとビール瓶を一本取り出した。

 それが細長く形を変える。

 まるで見た目はちょうど野球のバットのように見えた。

 それをまさに野球選手のように構えてみせるビールケースの化け物。

 ご丁寧に一度ホームラン予告のように一度空の彼方をビール瓶の先で示して見せた。

 

「ふぅむ…。なるほどのう。」

「な、なにがだよ。」

 

 ユキヒョウはそのビールケースの化け物の行動に思うところがあるようだ。

 それを訊ねるエゾオオカミに向き直ると解説を始めた。

 

「まずの?国内で主に生産されるビールは下面発酵で作られるラガーと呼ばれる種類のものなんじゃ。」

 

 それが今、何か関係があるのだろうか?とエゾオオカミは首を傾げる。

 

「つまり、ラガーと野球の強打者、スラッガーをかけた駄洒落じゃな。」

 

 それに思わずエゾオオカミの目は半眼になる。

 つまり、あのビールケースの化け物が今、仕掛けようとしている技はラガースラッガーとでもいうのだろう。

 いや、さすがにそんなものを受けて立つわけがないよな?とエゾオオカミはクロスラピスを見た。

 クロスラピスは三つ編みを両サイドの壁に向けて伸ばして、壁を掴む。

 ちょうど、自らを矢に三つ編みを弦に、ビールケースの化け物へ向けて弓を引き絞った形に見える。

 その意図するところを悟ったエゾオオカミは思わず驚きの声をあげた。

 

「お、おい…マジか…!?」

「マジじゃろうなあ…。あれでクロスラピスは頑固なトコあるからのう。」

 

 ユキヒョウがそれを肯定する。

 つまり、クロスラピスはこの勝負を受けて立つつもりなのだ。

 ビールケースの化け物のビール瓶バットが当たればビールケースの化け物の勝ち。

 空振りに仕留めればクロスラピスの勝ちである。

 

―ヒュウ。

 

 運命の一投?の前に風が吹き抜けた気がした。

 と同時、クロスラピスの弾丸が放たれる!

 それは見た目に似合わぬ剛速球、ど真ん中ストレートだ。

 ビールケースの化け物もそれを真正面から受けて立つ。

 この場面でミートバッティングなどしない。フルスイング強振一択だ。

 タイミングはバッチリ合ってしまっている。

 ビールケースの化け物が振り抜くビール瓶バットが吸い込まれるようにクロスラピスへ向かっていった。

 

「おい!?あれ…!?」

「いいや、大丈夫じゃ。」

 

 そのバッティング勝負を見守るエゾオオカミは思わず声をあげた。このままいけばクロスラピスにビール瓶バットが激突する。無事では済まないだろう。

 が、ユキヒョウはまだ冷静なままだった。

 そのユキヒョウの期待通り、クロスラピスは今度は三つ編みをビールケースの化け物の後ろの壁に伸ばしていた。

 そして、それを引き寄せてさらに加速!

 ビールケースの化け物のバットは、剛速球から超剛速球になったクロスラピスが通り過ぎた後にようやく振るわれた。

 空振りである。

 全力のフルスイングが空を切った事でビールケースの化け物はバランスを崩した。

 そこに今度は…。

 

「えい。」

 

 軽いクロスラピスの掛け声と共に、彼女の三つ編みがビールケースの化け物の背中を掴んでいた。

 そのまま超剛速球の勢いを利用してビールケースの化け物を伸ばした三つ編みで壁へと打ち付けた。

 

―パッカァアアアアアアアン!

 

 壁に激突したビールケースの化け物。ちょうど背中にあった『石』を強打してそのままサンドスターの輝きを撒き散らして消えてなくなってしまった。

 そのキラキラとした輝きを背にエゾオオカミ達の方へと歩いてくるクロスラピス。

 

「ええと、大丈夫?」

「お前が大丈夫かああああああああああああっ!?」

 

 クロスラピスの第一声にエゾオオカミは思わず全力でツッコんだ。

 よくよく見ればクロスラピスは随分背丈が低い…小学校低学年くらいの女の子に見えた。

 なのでその怪我を心配するのはエゾオオカミとしては当然だった。

 

「えーと、私は大丈夫。でもあなたはほっぺ、に怪我してるよ?」

 

 クロスラピスの指摘にエゾオオカミは自らの頬を触ってみる。するとヌルリ、とした感触があった。

 どうやら気づかないうちにガラス片ででも切ってしまったか。

 今度はユキヒョウがその傷を観察しながら言う。

 

「ふむ。幸いカスリ傷のようじゃが、そのままもよくあるまい。ちょうどウチのマンションも近い。そこで手当しよう。」

 

 未だに状況に流されるままのエゾオオカミはユキヒョウの言葉に頷くしかなかった。

 

「それにお主が守った猫も腹を空かせておるようじゃしの。」

 

 そんなエゾオオカミにユキヒョウは一つウィンクしてみせるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 クロスラピス、ユキヒョウ、エゾオオカミの去っていった路地裏は静けさを取り戻していた。

 そこに三人の人影が現れる。

 いずれもフレンズのようだった。

 一人は三段フリルのスカートにスクールベスト、そしてネクタイとハンチング帽のような物を被っている。アルマジロ系のフレンズだろうか。

 

「こっちの方でセルリアン反応がしてたのって間違いないね?」

 

 と後ろにいるフレンズへと声をかける。

 そのフレンズはレオタードのような衣装に金の輪っかを頭につけたフレンズだ。

 

「ええ。“コレクター”にもついさっきセルリアンが倒されたばかり、と反応が出てますよ。」

 

 何かの機械を操作しながら言うレオタードのフレンズ。

 

「じゃあもしかして“セルメダル”ゲットのチャンスなんじゃない?だとしたらラッキーじゃん。」

 

 機械操作をするフレンズの手元を覗き込みながら言うのはセーラー服を模したワンピースを着たフレンズだ。

 

「ええ。マセルカの言う通り、まだ倒されて間もないようですから。今なら“セルメダル”化出来るでしょう。」

「なら早いとこやっちゃってよ、セルシコウ。」

 

 ワンピースを着たマセルカと呼ばれたフレンズはレオタードのフレンズ、セルシコウの肩に身を乗り出すようにして早く早く、とせがむ。

 それに苦笑しつつセルシコウは持っていた板のような機械を操作した。

 すると、先ほど、ビールケースの化け物が倒された時のように周囲にキラキラとしたサンドスターの輝きが満ちる。

 その輝きはまるで吸い込まれるようにセルシコウの持つ“コレクター”と呼ばれた機械に吸い込まれていった。

 やがてその輝きを吸い込んだ機械は上部のスリットから一枚のメダルを吐き出す。

 そのメダルには先ほどクロスラピスが倒したビールケースの化け物の姿が刻まれていた。

 

「無事、“セルメダル”をゲットです。これはあなた向けだと思いますよ。オオセルザンコウ。」

 

 セルシコウは出て来たメダルをアルマジロ系のフレンズ、オオセルザンコウへと放る。

 メダルを受け取ったオオセルザンコウはそれを眺めると一つ頷いた。

 

「確かに、これは私の“アクセプター”と相性が良さそうだね。使わせてもらうよ。」

 

 言いつつニヤリと笑ってみせるオオセルザンコウ。

 

「この世界も我らが主に保管され永遠の輝きを約束される。その第一歩だよ。」

 

 オオセルザンコウの言葉にセルシコウもマセルカも揃って頷いて見せるのだった。

 

 

 

――②へ続く。

 




【セルリアン情報公開】

 ビールケース型セルリアン『ラガーカチューシャ』

 ビールケースを模倣したセルリアンである。
 その外見は手足の生えた巨大なビールケースだ。
 ビールケースに収めたビール瓶の中身を噴射して推進力に変えて放つ『ラガーミサイル』が主な攻撃手段。
 さらに頭ごと敵に向けて放つ『ラガーミサイル連続発射』という技もある。
 遠距離攻撃ばかりではなく、近接戦闘でもビール瓶をバットのように変えて殴ってくる『ラガースラッガー』も備えている。
 何故か野球が好きな習性があるようだ。
 ちなみに、ラガーとは下面発酵で低温で長期間をかけて醸造するビールの事である。
 低温である為、雑菌が繁殖しづらく品質管理もしやすい事から大量生産に向いている種類だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』②

【用語解説:けものプラズム】

 “けものプラズム”とは、フレンズ達が纏うオーラのような物である。
 これは物質化し、服やけもの耳や尻尾を形成する働きがある。
 フレンズの姿は“けものプラズム”によって左右されていると言っていい。
 また、フレンズ達が動物由来の超常の力を発揮できるのも“けものプラズム”のおかげである。
 一部のフレンズはこの“けものプラズム”を変化させた武器を持つ者もいる。
 “けものプラズム”はサンドスターが変化したものであり、フレンズが技を放つ際にサンドスターの輝きを発するのはこの為だ。
 クロスハート世界ではフレンズはヒトに近づいた為、けもの耳や尻尾などは残っているものの、服を形成できるレベルの“けものプラズム”を有するフレンズは稀である。
 もちろん、動物由来の超常の力を発揮できるフレンズもいない。
 しかし、エゾオオカミのようにほんのわずかながら動物由来の力を残すフレンズは存在するようだ。



 

 放課後の美術室。

 

「な、何をやっているのだ…?」

 

 そこを訪れたアライさんは半眼ジト目であった。

 その理由は…。

 ともえがアムールトラをモフって萌絵がその様子をスケッチしていたからだ。

 で、イエイヌはラモリさんと一緒に何か諦めた苦笑でもって三人を見守っていた。

 アライさんの疑問に応えたのはイエイヌであった。

 

「ええとですね。ともえちゃんと萌絵お姉ちゃんにどうしても謝りたいって事で、アムールトラが来てたんですが…。」

 

 そこまで言ったところで、アライさんと一緒に来ていたフェネックが「なるほど。」と手を打つ。

 アムールトラが二人にどうしても謝りたい件と言えば、ビーストとして二人を狙った事だろうというのは察しがついた。

 

「許す条件で、モフらせて、と絵のモデルになって、ってお願いしたって事かな?」

 

 そのフェネックの言葉にイエイヌは苦笑と共に頷いた。

 

「確かに、アムールトラの性格だとただ許されても気に病むかもしれないもんねえ。」

 

 フェネックは面白いものを見た、といつもの微笑で三人を見る。

 その視線の先ではちょうど、ともえと萌絵がタッチで交代して、今度は萌絵がアムールトラをモフモフしてともえがスケッチを始めていた。

 

「うう…。一つだけお願いがあるって言うから…。」

 

 アムールトラは萌絵に思いっきりモフられて顔を赤らめていた。

 

「これはお願いが二つに増えてへんか!?」

「「いやあ、モフられながら絵のモデルになって、って事で。」」

 

 そんなアムールトラのツッコミは、見事に重なったともえと萌絵の言葉でかわされてしまった。

 こういう辺りは双子。コンビネーション抜群であった。

 アムールトラとしてもこの二人にこうされるのは決してイヤではない。

 なので、気恥ずかしさはあるけれど、実質無条件のようなものだ。

 イエイヌはそんな三人の様子を微笑ましく思いながらも、気恥ずかしさに顔を赤らめるアムールトラには苦笑するしかなかった。

 

「そういえば、アライさんとフェネックさんはどうしてコチラに?」

 

 イエイヌはやって来たアライさんとフェネックに訊ねる。

 生徒会の二人は放課後に美術室に来ることは稀だった。もちろん、この二人だってクロスシンフォニーのチームで自分たちの仲間でもあり、友達でもある。

 なので用事がなくたって大歓迎なのだけれど、何か用事があったのだとしたらそれを聞かなくてはならないだろう。

 そのイエイヌの言葉にアライさんがハッとした様子で両腕をぶんぶんさせる。

 どうやらここに来た用事を思い出したらしい。

 

「そ、そうだったのだ。応援団なのだ!」 

「それだけじゃわからないよ、アライさーん。」

 

 応援団…。確かにフェネックの言う通りそれだけではよくわからないなあ、とイエイヌも首を傾げる。

 

「ああ。もうそんな時期だもんね。」

 

 とスケッチの手を止めないままにともえが頷いた。

 どうやらともえには今ので話が通じたらしい。

 どういう事だろう、とハテナマークを浮かべるイエイヌに、今度はアムールトラの喉あたりをこしょこしょしている萌絵が言う。

 

「えっとね、もうすぐ運動部は夏の大会があるの。」

「そうそう。それで文化部の有志で毎年応援団を作るんだー。」

 

 と、フェネックが補足説明をしてくれた。

 それだと1年生のアムールトラや編入したばかりのイエイヌが知らなくても無理はないだろう。

 

「で……。今年は応援団の団長をともえにお願いしたくて来たのだ!」

 

 そのアライさんの言葉にパッとアムールトラを離した萌絵が素早く詰め寄る。

 

「その話詳しく!」

 

 アライさんは何やらキラキラした目で言う萌絵の圧に若干圧されながらもコクコク頷いた。

 

「夏の地区大会に向けて文化部で応援団を作るけど、毎年団長選びは大変なのだ。でも今年はともえがいるのだ。生徒会からの推薦で一番に名前が挙がったのだ。」

 

 毎年、応援団長選びは難航する。

 何せ団長次第で応援団の集まり具合も左右されてしまう上に、応援なんて門外漢もいいところの文化部の面々だ。

 適切な人材を探すだけでも一苦労だったりする。

 けれど、今年に限っては満場一致で推薦する人物が決定していた。

 それが遠坂ともえであった。

 なんせ彼女は運動神経抜群。運動部の助っ人として練習に付き合ったりもしているから馴染みもある。

 それにともえには密かにファンクラブまで出来ているくらい人気もあるのだ。

 これ以上うってつけの人材はいないように思えた。

 当の本人はというと…。

 

「うーん…アタシでいいのかな?」

 

 とまだ悩んでいる様子を見せていた。どうやらアムールトラのスケッチは完成したようで、少し離して見て、うん、と満足気に頷いている。

 そこに今度は萌絵がシュババ、と詰め寄った。

 

「やろう!ともえちゃん!アタシもサポートするから!」

 

 姉のそんな圧にともえも押されてしまう。

 

「ま、まぁイヤってわけでもないし。運動部のみんなは応援したいし。アタシでいいならやるよ。」

 

 ともえも姉に詰め寄られて目を丸くしながらもコクコク頷いていた。

 萌絵はその返事を聞くや否や、シュバババ、と自分のスケッチブックに何かを描きはじめた。

 素早くそれを完成させると、それをイエイヌへと見せる。

 

「ねえ、イエイヌちゃん。ともえちゃんにはどっちが似合うと思う?」

 

 イエイヌが萌絵のスケッチブックを覗き込むと、そこにはチアガール衣装のともえと学ラン衣装のともえがラフスケッチで描かれていた。

 

「チアガールも可愛いだろうけど、学ランでビシっと決めたともえちゃんも捨てがたいよねっ!」

 

 どうやら萌絵はともえを着せ替えしたいらしかった。

 イエイヌはしばらく悩んだけれど、ともえには可愛い衣装の方が似合うような気がしたので、チアガールの方を指さした。

 

「だよね、そうだよね!アタシもそっちもいいなって思ってたのっ!」

 

 イエイヌの手をとって上下にぶんぶんする萌絵。

 早速、携帯電話を取り出すと母親の春香へメールを打つ。事の次第の報告と衣装の製作依頼の為だ。

 萌絵がメールを打つために静かになったところでようやくアライさんがホッと一息だ。

 

「とにかく、ともえが引き受けてくれてよかったのだ。」

「もちろん、応援団は生徒会からもメンバー出すし協力だってするから。」

 

 アライさんの後をフェネックが続けて補足してくれる。

 

「そっか。皆が一緒だと心強いや。」

 

 それにともえも嬉しそうに頷く。

 

「そうだ。アムールトラちゃんもどう?応援団。」

「せやな…。ウチもやるわ。ルリとユキヒョウと、あとギンギツネにキタキツネにも声かけてみるわ。」

 

 アムールトラとしてもともえの為なら出来る限り手を貸してやりたいという思いであった。

 ルリは話に乗ってくれそうだし、ユキヒョウはルリがやるならと一緒についてきてくれるだろう。キタキツネはもしかしたら面倒くさがるかもしれし、そうなるとギンギツネも参加しないかもなあ、なんて考えるアムールトラ。

 ともかく、今日帰ったらルリに話す話題も出来た。

 それだけでも、今日は一人で美術室まで来た甲斐があったと思うアムールトラであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一方その頃。

 エゾオオカミはこう思っていた。

 

「(これ。いいのか?)」

 

 クロスラピスとユキヒョウに案内された先は大きなマンションだった。

 エントランスをくぐってエレベーターに乗って、着いた先は普通のマンションの一室であった。

 ここに来るまでにクロスラピスは魔女帽子と目元を隠す仮面を外してしまっていたので素顔が丸見えだった。

 そしてクロスラピスは残っていた短いケープも脱いで綺麗に折り畳んでしまう。

 そうしてからエプロンをつけると台所に行って、先程1階のコンビニで買ってきた猫用ミルクを温めはじめた。

 

「(俺…。思いっきりクロスラピスの正体見ちゃってるんだけど…。)」

「どうしたんじゃ?変な顔して。ほれ、ここに座れ。傷の手当をするからの。」

 

 そうして戸惑うエゾオオカミにユキヒョウは勝手知ったる他人の家、とばかりに薬箱を手にして戻って来た。

 エゾオオカミをリビングのソファに座らせると消毒薬で頬に出来た切り傷を消毒し、そこにバンソウコウを貼る。

 

「うむ。大して深い傷でもないし既に血も止まっておるようじゃからな。このくらいで問題なかろ。数日もすれば跡も残らず消えるわ。」

 

 と、ユキヒョウはその出来栄えに満足したようだ。

 そして、エゾオオカミが助けた猫はといえば、クロスラピスと呼ばれた女の子が用意したお皿に注がれた猫用ミルクを夢中で飲んでいた。

 それを見ながらエゾオオカミは周りをキョロキョロ見回す。物は少ないがよくまとまったリビングだと思う。

 

「……。正義の味方って案外普通のところに住んでるんだな。」

 

 というのがエゾオオカミの感想だった。

 てっきり秘密基地みたいなのに案内されるのかと思っていた。

 

「ともかく、助けてくれてありがとうな。俺はエゾオオカミ。ジャパリ女子中学の1年だ。」

 

 助けてもらっておいて名乗りもしないのは失礼だろう、と思ったエゾオオカミはまずは自己紹介する事にした。

 

「わあ。同じ学年だったんだ。あ、私は宝条ルリ。私もジャパリ女子中学の1年だよ。」

 

 なるほど確かに、クロスラピス…いや、ルリがエプロンの下に着ているのはジャパリ女子中学校の制服だ。

 それに気づかないなんてどれだけ余裕がなかったんだろう、と苦笑が漏れるエゾオオカミであった。

 しかしそこでハタ、と気が付いてしまった。

 そして叫ばずにはいられなかった。

 

「って隠せよ!少しはッ!正体をッッ!!」

 

 そのツッコミにルリは思わず「あ。」という表情になった。

 

「ど、どうしよう!?ユキさん!?私正体バレちゃった!?」

「あー、いや。別にお主もクロスラピスの正体を触れ回るつもりなどないのじゃろ?」

 

 戸惑いの声をあげるルリにユキヒョウは落ち着いたものだった。

 そして彼女の言う通り、エゾオオカミはクロスラピスの正体を言いふらすつもりなどない。

 助けてもらってしかも傷の手当までしてもらっておきながらそんな不義理をする事はエゾオオカミのプライドが許さなかった。

 ユキヒョウの言葉に頷いてみせるエゾオオカミの姿を見たルリはほっと胸を撫で下ろした。

 

「いや…でも…同じ学年って…。てっきり年下かとばっかり思ってたぜ。」

 

 エゾオオカミとしてはそちらの方が気になっていた。

 さすがに小学生…しかも低学年だと思ってた事は口に出さない。それでもそれは顔に出てしまっていたのか、ルリはほっぺたを膨らませた。

 

「そ、そりゃあ私は小さいけど、エゾオオカミさんと一緒の学年なんだよっ」

「ああ、悪い悪い。」

 

 そうして怒ってみせる姿は見た目相応かそれよりも幼くしか見えない。

 

「そうだ。エゾオオカミさんだと長いからエミさんって呼んでいい?ねえねえ、エミさんはクラスはどこ?私とユキさんとアムさんはB組なんだ。」

 

 そうやってコロコロと表情を変えてまくしたてて来る姿も商店街の駄菓子屋に集まる小学生に似ていてエゾオオカミは苦笑が漏れた。

 

「ああ。俺はC組なんだ。だからルリとユキヒョウとは会ってたかもしれないけど気づかなかったんだな。」

 

 特にルリは転校してまだひと月足らずだ。違うクラスの人達までは顔を知らないのも無理はなかった。

 

「それにしたって、ルリは強いんだな。あんな化け物を倒しちまうんだから。」

 

 エゾオオカミの苦笑には悔しさが滲んでいた。

 自分と変わらない…同い年の女の子があんな化け物を倒してのけた事に少なからずショックを受けていた。

 しかも、自分が何も出来ず怯えるしか出来なかった相手をだ。

 

「こんなんじゃあ、あの日、アイツに助けられた時と何も変わっちゃいねえ…!」

 

 エゾオオカミは悔しさに思わず拳を強く握った。

 あの日、クロスハートと名乗る女の子にハチの化け物から助けられた時から自分だって努力してきた。

 なのに、いざとなればこのザマだ。

 力が欲しい。

 エゾオオカミはそう思わずにはいられなかった。

 ルリもユキヒョウも何と声を掛けていいのかわからずにいた。

 そんなエゾオオカミの耳元にある意味お決まりの文句が囁かれた。

 

「力が欲しいかい?」

 

 いつの間に背後にいたのか。

 一見美人でプロポーションも抜群の女性がそこにいた。

 ただ、その目元はやけに疲れているように見えた。

 それがエゾオオカミの背後から耳元へと囁いたのだ。

 

「だ、誰だ!?」

 

 驚いたエゾオオカミは思わずそこから離れる。

 

「おっと、すまない。驚かすつもりはなかったんだ。」

 

 と両手をあげて降参のポーズをしてみせるその女性。

 エゾオオカミを面白そうに見ている彼女に嘆息しながらユキヒョウが言う。

 

「やれやれ。どう見ても驚かす気じゃったじゃろう。ほれ、客人じゃから挨拶くらいせぬか。」

 

 それに一つ頷いて見せると彼女は挨拶を始めた。

 

「私は宝条和香。ルリの保護者だよ。気軽に“教授”とでも呼んでくれたまえ。」

 

 “教授”と名乗った彼女にエゾオオカミは気になる事を訊いてみたくなった。

 

「さっきあんたは俺に力が欲しいか?って訊いたな?けどどうやってだ?」

 

 そう簡単に悪魔の誘いには乗らないぞ、とでもいうように警戒するエゾオオカミ。それでもそう訊かずにはいられなかった。

 その言葉に“教授”は一つ頷いてから口を開いた。

 

「そうだね。私が開発した新しい変身アイテムを使うのさ。それでキミは今よりは間違いなく強くなるはずだよ。」

 

 変身アイテム…。つまりクロスハートやクロスラピスのようなヒーローになれるアイテムなのだろうか。

 

「そうだね。クロスハートはサンドスターを“けものプラズム”に変えて戦っている。まさにそれと同じ事が出来るようになるアイテムだよ。」

 

 エゾオオカミの疑問に“教授”は微笑をもって肯定する。

 それが本当だというのなら、そのアイテムはどこにあるのだろう?

 

「それなら私が持っているよ。ほら。これだ。」

 

 “教授”は着ていた黒いジャケットの内ポケットからそれを取り出した。

 それは何とも豪奢に飾り付けられた香水瓶だった。なんと、香水瓶にクリスタルのようなものまで付いているではないか。

 その様はエゾオオカミも昔は見ていた女の子向けのアニメの変身ヒロイン物に出て来る変身アイテムのようだった。

 

「そうだね。これはまさにそういう物なんだ。名前は“リンクパフューム”という。」

 

 “教授”は未だに戸惑うエゾオオカミの前で嬉々として説明を始めた。

 

「この“リンクパフューム”はね、まずイリアの精製するオイルが決め手だったんだ。いやあ、最初はベルト型にしようかと思ってたんだけどイリアのオイルにサンドスターを溶かせる事に気づいてね。それでそのサンドスターに方向性を与える為の“メモリークリスタル”を付加した結果、思った通りの機能が実現出来たんだ。」

 

 ベラベラと喋る“教授”の言葉の半分もエゾオオカミは理解出来ていなかった。それでも“教授”の説明は止まらない。

 

「そして“メモリークリスタル”に記録されたフレンズの“けものプラズム”を発生させる事に成功したんだ。これはまさに画期的だよ。私自身で試してはみたんだがやはり“けものプラズム”の固着が上手くいかずに変身には至らなかったけれどフレンズであるキミならば或いは、とね。」

 

 既にエゾオオカミの頭は怒涛の説明でパンク寸前だった。

 とりあえず、自分になら使えるかもしれない変身アイテム、という事だけは何となく理解した。

 

「で?俺はどうしたらいいんだ?」

 

 訊ねるエゾオオカミに“教授”はニヤリと目を細めると、彼女の手に“リンクパフューム”を渡してこう言った。

 

「まずは変身ポーズだ。」

「………は?」

 

 思わず目が点になるエゾオオカミに構わず“教授”はどこかのアイドルよろしく人差し指と小指を立てた指を目元に持って行ってキラッ☆とでも言いそうなポーズをとってみせた。

 

「ああ。この時、なるべく可愛らしくウィンクするんだよ。もちろん最高の笑顔でね。」

「………おい。」

 

 どんどんエゾオオカミの目線が冷たくなっていく。それでも“教授”は止まらなかった。

 

「そして変身の掛け声はこうだ。『リンクハート。メタモルフォーゼ。』だよ。ああ。これもちゃんと可愛らしくやっておくれよ。」

「そんな恥ずかしい真似が出来るかぁあああああああああああっ!?!?」

 

 とうとうエゾオオカミは絶叫した。

 それに“教授”は不思議そうな顔をした。

 

「ええー?やらないのかい?たったそれだけでキミが望んでいた力が手に入るというのに。」

 

 そう言われてしまえば、エゾオオカミもぐっ、と文句の言葉を呑み込む。

 だが、こういうのはルリのような可愛い系の女の子がやってこそ見栄えがいい。

 ユキヒョウも美人だからきっと絵になるだろう。

 だがエゾオオカミ自身は絶対似合わないと確信していた。彼女はボーイッシュというより男勝り、といった雰囲気のフレンズなのだ。

 それでもやらなければならない。

 真っ赤な顔でキラッ☆と決めポーズを決めつつ、ボソボソ、と教えられた変身の掛け声を唱える。

 

「うーん、ダメダメ。笑顔が足りないし声も小さいね。もう一度やってみようか?大丈夫。キミは可愛いよ。」

 

 ノリノリでエゾオオカミに演技指導をする“教授”を見ながらルリもユキヒョウも何となく悟っていた。

 これ、別にやらなくても変身出来るんだろうなあ、と。

 それよりも何よりも気になる事があった。

 

「ね、ねえ。“教授”?この“リンクパフューム”って副作用とかはないの?」

 

 そのルリの疑問に“教授”は少し考えてからこう言った。

 

「ない、とは断言できないかな。ただ、副作用と言ったって変身したまま身体を酷使したりしたら筋肉痛に襲われるって程度だよ。命の危険はないね。」

 

 それにほっと胸を撫で下ろすルリ。

 “教授”はこういう事では決して嘘は言わない。だからとりあえずは安心していいのだろう。

 そして“教授”の説明はまだまだ続く。

 

「それにエゾオオカミ君にとって一番相性のいい“メモリークリスタル”を選んだつもりだよ。」

「で、その“メモリークリスタル”とやらは一体何なのじゃ?」

 

 今度はユキヒョウが聞きなれない言葉にとうとう疑問を持った。

 先ほどから何度か言葉としては出て来ていたが訊ねる機会がなかった。

 “教授”はしばらくの間、うーん、と考え込むとこう説明した。

 

「そうだね。以前私が行った、別な世界に住んでるフレンズの力を記録した結晶、かな。」

 

 この説明は嘘ではないが正確でもない。

 かつて宝条和香が渡った世界では数種類のフレンズ達がセルリアンの手で既に絶滅ともいうべき危機に瀕していた。

 そのフレンズ達が絶滅の前に残した結晶こそが自身を記録した“メモリークリスタル”である。

 その結晶には、そのフレンズ達の様々な情報が記録されている。

 いわばフレンズ達自身の情報全てを結晶化した存在なのだ。。

 セルリアン達によって滅びの危機に瀕していたフレンズ達がそれでも未来に種を残そうと足掻いた結果がこの“メモリークリスタル”だったのだ。

 ただ、それはこの世界に暮らす子供達には少しばかり刺激の強い話だろう、と思った“教授”は先の説明に留める事にした。

 “メモリークリスタル”からフレンズ達を蘇らせる方法を研究するのは自分の役割で、他の者が不要に心を痛める必要などない、というのが“教授”の胸中だった。

 

「(まあ、今回の“リンクパフューム”のデータも役には立つだろう。うん。)」

 

 という狙いもあった。

 “リンクパフューム”自体は“メモリークリスタル”からフレンズを蘇らせる役には立たないだろうが、それでもそこから得られるデータは先の研究に繋がるだろうと思えた。

 そうして考える“教授”の顔をエゾオオカミは訝しむ目で見ていた。

 

「なあ。そもそもコイツを俺に渡してアンタは俺に何をさせたいんだ?」

 

 さすがに、ちょっと考えが顔に出過ぎていたかな、と反省する“教授”。

 このエゾオオカミは案外勘が鋭いようだ。

 ならば、ここは普通に目的を話してしまった方がいいだろう。

 

「うん。キミにはこの“リンクパフューム”の実証データをとって欲しい。なあに、難しい事はない。単にコレを使ってくれればいいのさ。」

「なるほどな。俺は試作品のテスターってわけか。」

 

 考え込むエゾオオカミに“教授”はさらに言葉を続けた。

 

「キミは“リンクパフューム”で戦う力を得る。私はキミのおかげで“リンクパフューム”のデータを得られる。お互いに悪い話ではないだろう?」

 

 しばらくの間、睨みあうようにお互いの瞳を覗き込む“教授”とエゾオオカミ。

 そしてエゾオオカミが先に口を開いた。

 

「一個だけ条件がある。」

「何だい?」

 

 一触即発、剣呑な雰囲気のままにエゾオオカミはこう言った。

 

「変身ポーズはもう少しなんとかなんねーのか。」

「そこは断固として何ともならないね。」

 

 “教授”もまた真剣な顔で即答した。

 しばらくの間、睨みあうエゾオオカミと“教授”。

 やがてガックリと項垂れるエゾオオカミ。どうやら折れたのは彼女の方らしい。

 

「わかったよ!やりゃあいいんだろ、やりゃあ!」

 

 そんな半分ヤケを起こしたかのようなエゾオオカミに、ルリもユキヒョウも言えなかった。

 多分、変身ポーズはなくても変身出来るだろう事を。

 エゾオオカミは“リンクパフューム”を構えて、人差し指と小指を立てた手を目元にもっていって不器用なウィンクを一つ。

 続けて叫ぶ。

 

「リンクハート!メタモルフォーゼ!」

「ようし!そこで中身の香水をふりたまえ。」

 

 “教授”の言葉にエゾオオカミは香水瓶の頭についた吹き出し口を一押し、手にシュっとかけてみる。

 するとその手がキラキラとしたサンドスターの輝きに包まれた。

 

「そのまま逆の手、両足にも軽くかけていくんだ。」

 

 その説明のままにシュ、シュっと“リンクパフューム”の香水をかけていく度にエゾオオカミの身体はどんどんサンドスターの輝きに包まれていった。

 そうして全身がサンドスターの輝きに包まれたところで“教授”は頷き両手を広げて言う。

 

「そして仕上げだ。」

 

 “教授”が言う間でもなく、エゾオオカミにもここまで来ればどうすればいいのか自然と頭の中に浮かんでいた。

 

「さあ、叫びたまえ!頭の中に浮かんだその言葉を!」

 

 エゾオオカミは頷くと叫んだ。

 

「リンクエンゲージ!ニホンオオカミスタイルッ!」

 

 エゾオオカミの身体を覆うサンドスターの輝きが散った。

 まず現れたのは茶色の髪だ。

 ピンと立った耳はオオカミの耳もふさふさの尻尾も同じ色をしている。

 そして茶色のブレザーにピンクと白のチェック柄のネクタイが巻き付く。

 さらに両足には茶色のニーソックスとネクタイと同柄のミニスカートが翻った。

 仕上げに首と両手首と両足首に白いファーが巻き付いて、やたらとファンシーなポーチに“リンクパフューム”が収まって変身完了だ。

 

「うん。思った通り、フレンズならば“リンクパフューム”の生み出す“けものプラズム”を固着できるようだね。」

 

 変身したエゾオオカミの姿を見ながら“教授”は満足気に頷いた。

 エゾオオカミもエゾオオカミで自分の両手をまじまじと見つめる。

 

「嘘だろ…。なんなんだよ、この全身にみなぎる力は…。」

 

 エゾオオカミも自身の身体に起こった変化に驚きを隠せない。

 身体の奥から力が湧いてくるようだった。

 試しに軽く拳を突き出してみる。

 

―ビュン!

 

 と思っていた以上に速い速度と派手な風切り音がした。

 軽く腕を振っただけでこれだ。本気を出せばどれ程の力を発揮できるのか。

 その様子に微笑を浮かべる“教授”。

 

「どうやら気に入ってくれたようだね。」

「ああ。コイツはすげえぜ…。」

 

 未だに変身の余韻に震えるエゾオオカミ。

 そこに“教授”のこんな質問が来た。

 

「ところで。変身したキミは何と呼べばいいかな?」

 

 それに少しだけエゾオオカミは考える仕草を見せた。

 しかし、考えなくても答えは決まっている。

 エゾオオカミにとってのヒーローとは一人しかいなかった。

 あの日、商店街でエゾオオカミを助けた彼女をおいてヒーローと呼べる存在などいないのだ。

 だからエゾオオカミにとってその答えは必然だった。

 

「クロスハート。通りすがりの正義の味方、クロスハートと呼んでくれ。」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 生徒指導室。

 ここは生徒への面談などに使われる部屋だ。

 進路指導や相談事、お説教などに使われる。

 いま、この部屋にいるのは星森かばん、星森サーバル、そして…教師の星森ミライであった。

 教師と生徒が生徒指導室にいる、という時点で生徒がお説教か何かを受けている、と思えなくもないが実態は逆だった。

 

「ミライお姉ちゃん…?」

 

 ニコリと笑うかばんの笑顔にミライが凍り付いた。

 

「は、はひ…。」

「なんで、高性能デジタルカメラが学校備品として予算申請されてるんですか?」

 

 かばんは机に置かれた書類をトントン、と指で音を立てて示した。

 その書類は生徒会の予算申請書である。

 そこには様々な部活や委員会で申請された予算の概算が記されている。

 そのうちの卒業アルバム制作委員会の予算が飛びぬけて多くなっていた。

 

「卒業アルバム制作委員会の顧問は誰でしたか?」

 

 相変わらずニコニコと笑ったままのかばんであったが、その笑顔はミライにとって恐怖でしかなかった。

 その確認にミライは小さく挙手する。

 星森ミライ。卒業アルバム制作委員会の委員会顧問でもある。

 

「卒業アルバム制作委員会には既に備品のデジタルカメラがありましたよね?そして予算申請する前に必要かどうかは顧問教師が一度確認するはずでしたよね?」

 

 一つ一つ確認するような言葉にミライはやはり一つずつ頷いていく。

 

「では確認します。今回申請されている高性能デジタルカメラは必要ですか?」

「必要です!」

 

 その最後の確認にはミライはきっぱりとそう言った。

 

「考えても見て下さい。もうすぐ夏の地区大会が始まりますよね?各部活の可愛いフレンズさん達の活躍を収めるには普通のデジタルカメラで足りると思いますか!?」

 

 ミライの一転攻勢だった。

 

「フレンズさん達のピョコピョコ動くお耳や尻尾を客席から十分なズームで撮るにはやはり一眼レフが必要なんです!」

 

 その言葉にかばんも思わずミライの言う場面を想像してしまった。

 そして、ついついデレっと相好崩してしまう。

 そこに付け込むようにミライがかばんの耳元に囁く。

 

「いいと思いませんか…?各種スポーツで揺れ動くフレンズさん達のお耳や尻尾…。きっと可愛いですよ…?」

 

 その囁きに優秀なかばん生徒会長の心も揺れ動く。

 確かにそれはいいかもしれない、と思ってしまう。

 この二人は姉妹だけあって趣味嗜好も似たところがある。そこがミライの攻めどころだった。

 

「卒業アルバム制作の編集に生徒会の立ち合いが入ったっていいんですよ…?」

 

 つまり、これは賄賂だ。

 可愛いフレンズ達の写真データは見せるからこの予算申請は見逃せ、という裏取引である。

 たしかにそれはかばんにとっても魅力的な提案だ。悪魔の取引というに相応しい。

 だが…。かばんは半眼になるとキッパリとこう言った。

 

「いや、ダメでしょう。さすがにデジタル一眼レフを買えるような予算は全部の部活を合せても足りませんよ。」

「ですよねー。」

 

 わかっていた、とミライも諦めの嘆息をつく。

 ミライはフレンズが好きすぎてたまにこうした奇行に及ぶ事がある。それが表沙汰になる前にこうしてかばんやサーバルがトラブル処理するのが常であった。

 なので、ミライは生徒思いのいい先生、というイメージはギリギリ保たれていた。

 お話が終わったところでサーバルがさっきから思っていた疑問をミライにぶつけた。

 

「ねえねえ、ミライさん。おうちにある、なんかでっかいのついたカメラは使ったらダメなの?」

 

 それはミライが学生時代から愛用しているデジタルカメラであった。

 値は張ったが、型としては古くなった今でも十二分な性能を有していた。

 ついでに耐衝撃と防水機能まで備えた優れものだ。

 

「それです!それですよサーバルちゃん!別に私物を使っちゃいけないなんてルールはありませんでしたからね!」

 

 やれやれ、一件落着か、とかばんもほっと胸を撫でおろす。

 あとはミライがあまり際どい写真を撮らないようにとフレンズ以外の生徒もちゃんと撮影してくれるように祈るばかりである。

 

「(そういえばアライさんにお願いした、ともえさんへの応援団長のオファーは大丈夫だったかな?)」

 

 一仕事を終えたかばんは窓の外へ視線をやって想いを馳せる。

 多分、ともえならば断わったりはしないだろう。

 そこにミライの余計な一言が入った。

 

「ち、ちなみに…。新しいカメラを買う予算とか、我が家には…。」

「ミライお姉ちゃんのご飯だけ3年くらい抜きにすれば捻出できるかもしれませんね。」

 

 再びニコリと笑顔を向けて言うかばんの迫力はミライを黙らせるのに十二分であった。

 

「かばんちゃんー!?冗談ですからそんな怖い事を言うのはやめて下さいー!」

 

 星森家の財布の紐と胃袋はしっかりと握っているかばんであった。

 

 

 

――③へ続く




【登場人物紹介】

 エゾオオカミ

 ジャパリ女子中学に通う1年生。
 ボーイッシュというより男勝りな印象が強いオオカミのフレンズである。
 乱暴な言葉遣いで誤解されがちだが、面倒見がよく特に年下の子供達には優しい。
 色鳥町商店街で生まれ育ち、商店街に集まる子供達の為に頼み事を解決する探偵ごっこをしていた。
 しかし、ある日商店街に現れたハチの化け物に襲われ、危ないところをクロスハートに助けられた事がある。(けものフレンズRクロスハート第5話『おキツネコンコン。探検ボクらの商店街』より)
 子供達の依頼をドングリ一個で解決する事から、“木の実探偵”とも呼ばれている。
 その解決した依頼は既に100を超えており、本人曰く木の実100個分の名探偵だそうだ。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』③

【用語解説】

 メモリークリスタル

 メモリークリスタルとは、かつて宝条和香が渡った別世界に存在した物質である。
 セルリアンの手によって滅びの危機に瀕していたフレンズ達が、それでも未来に種を残そうと自らを記録した結晶。
 それこそがメモリークリスタルであり、いわばそのフレンズ達自身でもある。
 特に絶滅種のフレンズがメモリークリスタルを残しているパターンが多いようだ。
 和香教授がどれだけのメモリークリスタルを所持しているのかは謎である。


 

 

 意気揚々と先頭を歩くエゾオオカミにルリもユキヒョウも声を掛けられずにいた。

 “リンクパフューム”を受け取った彼女は、まずは迷子の猫を家に帰すべく宝条家を後にした。

 それに付き添う形でルリとユキヒョウも一緒に歩いている。しかし、彼女は本気で“リンクパフューム”で変身してクロスハートを名乗るつもりなのか、と困惑していたのだった。

 “教授”はエゾオオカミを止めるつもりはないようだ。エゾオオカミが何を名乗ろうがそこには興味がないのだろう。

 ただ、ルリにとってはクロスハートは恩人だ。エゾオオカミがどういうつもりなのかくらいは問いただしたいが、何と声を掛けたらいいか迷っていた。

 歩幅の広いエゾオオカミにルリは小走りになってついていく。その様子にようやくエゾオオカミが気が付いた。

 

「ああ、ルリ。悪い悪い。早いとこコイツを家に帰してやって安心させてやりたくてさ。」

 

 と言いつつ、抱っこしたままの猫を軽く示してみせながら足を緩める。

 猫はルリに猫用ミルクをもらって腹も膨れたのかエゾオオカミの腕の中で安心したように眠っていた。

 こうしていると、エゾオオカミは特に他意があってクロスハートを名乗ろうとしているわけではないように思える。

 ならば、とユキヒョウは直球で疑問をぶつける事にした。

 

「のう。エゾオオカミよ。お主は本気でクロスハートを名乗る気なのか?お主とてクロスハートが何者なのか知らぬわけではあるまい?」

「ああ。通りすがりの正義の味方。クロスハート…。よく知ってるよ。」

 

 最近、クラスでもクロスハートの噂話はチラホラと聞こえていた。

 何せクロスハートの活躍の場はジャパリ女子中学校がメインになっているのだ。いくら隠そうとしても人の口に戸は立てられない。

 エゾオオカミがクロスハートの事を知っていたって不思議はないのだ。

 だが、エゾオオカミの口ぶりからは単に噂話としてクロスハートの事を知っている、という以上の感情が見てとれた。

 

「ちょっと前にさ。この商店街にハチの化け物が現れた時があったんだ。その時、その化け物から俺を助けてくれたのがクロスハートだったんだ。」

 

 話ながら歩くエゾオオカミはいつの間にか色鳥町商店街のアーチをくぐっていた。

 エゾオオカミはその目でクロスハートの活躍を見ていたという事だろうか。しかも危ないところを助けてもらったように聞こえる。

 

「ねえ、エミさん。じゃあなんでクロスハートを名乗ろうと思ったの?」

 

 エゾオオカミを見上げるようにして訊ねるルリ。

 ルリは不思議だった。

 エゾオオカミは受けた恩を仇で返すような事は決してしないフレンズだ。まだ出会ったばかりと言っていいがそれくらいはよくわかる。

 

「そうだな…。まあ…なんだ。一言では説明しづらいな。」

 

 困ったような顔で笑うエゾオオカミ。

 その姿にルリとユキヒョウは顔を見合わせる。二人ともどう考えていいのかわからずにいた。

 そうして戸惑っているうちにエゾオオカミは目的地へと到着したようだった。

 そこは商店街の駄菓子屋であり、夕暮れが近づくこの時間には子供達も残っていないようだった。

 いや、一人だけ残っている。

 ベンチに座って足をぶらつかせているのは、依頼人の女の子だ。俯いている彼女はまだエゾオオカミに気づいた様子はない。

 だから、エゾオオカミは先に声を掛ける事にした。

 

「やっぱコッチだったか。もうすぐ暗くなるから家で待っててよかったんだぜ?」

 

 その声に女の子はバッと凄い勢いで顔をあげた。

 

「ほれ。依頼達成だ。もう迷子にしないように気を付けてやれよ?」

 

 そこにすかさず猫を差し出すエゾオオカミ。最初目を丸くしていた女の子はすぐに喜びに表情を変えた。

 

「ありがとう!エゾオオカミお姉ちゃん!」

 

 女の子は猫を受け取り抱きしめながら言った。

 急な力の変化に眠っていた猫も目を覚ましてしまったようだ。慌てたようにジタバタと手足を動かす猫は女の子の手をすり抜けてしまった。

 ここで猫を逃がしてしまっては今までの苦労も水の泡だ。

 そこをすかさずルリが猫を抱きあげなおした。

 

「はい、優しく抱っこしてあげないと猫ちゃんが驚いちゃうから、ね。」

 

 と、もう一度女の子に猫を手渡しなおす。

 女の子は一度ルリを見てからエゾオオカミの方を振り返り、誰だろう?と視線で問いかけた。

 

「ああ。コイツはルリ。えーっと…、猫探しを手伝ってくれたんだ。」

 

 さすがに本当の事は言えないと思ったエゾオオカミは嘘ではないが真実でもない答えを口にした。

 女の子はどうやらそれで納得したようでキラキラとした笑顔をルリにも向けてくれた。

 

「ルリお姉ちゃんもありがとう!ルリお姉ちゃんは木の実探偵の助手さんなんだね!」

「あ、うん!そ、そう!そうだよっ」

 

 木の実探偵って何だろう?とは思いながらもルリは頷いてしまった。

 何せ、お姉ちゃんなんて呼ばれたのは生まれて初めての経験だったのだ。ついつい女の子の言葉に頷きを返してしまっていた。

 

「ありがとうね、エゾオオカミお姉ちゃん、ルリお姉ちゃん!」

 

 今度こそ猫をしっかりと抱いた女の子は小走りで家へと帰って行った。

 女の子が見えなくなるまで手を振っていたエゾオオカミとルリ。ルリは女の子が見えなくなるや否や、バッとユキヒョウの方を振り返る。

 

「どうしよう、ユキさん!?お姉ちゃんだって!?」

 

 たしかに、あの女の子から見ればルリもギリギリ年上に見えなくもなかっただろう。

 いつも年下に見られがちだから、お姉ちゃんなんて呼ばれたらそりゃあ舞い上がってしまうというものだ。

 頬に手をあて真っ赤な顔の熱を冷ますようにするルリの様子は残念ながらお姉ちゃんっぽくはなかったが。

 

「まあ、なんじゃ。よかったのう。ルリ。」

 

 そうして照れているルリというのも非常に新鮮でユキヒョウとしてはいいものを見れた、という気分だった。

 ただ、ルリが木の実探偵とやらの助手にされてしまったのはどうしたものか、と思案する。

 そもそも木の実探偵とは何だろう?とユキヒョウもまた疑問だったのでエゾオオカミに訊いてみる事にした。

 

「ああ。木の実探偵ってのは俺が始めた探偵ごっこだな。」

 

 エゾオオカミはこの商店街で子供達の頼み事をドングリ一個で解決する探偵業を営んでいた。

 今回のように子供達の困り事を解決して得た木の実は既に100個を超えていた。いつしか商店街で木の実探偵を知らない子供はいないまでになっていたのだった。

 

「なるほどのう。木の実探偵は商店街の子供達にとってはまさにヒーローじゃな。」

 

 言いつつユキヒョウは考える。

 何故エゾオオカミはクロスハートを名乗ろうとしているのか、それは分からない。

 けれど、今日見てきたエゾオオカミは多少言葉に乱暴なところはあるかもしれないがいい子だった。

 だったら様子を見ようか、という考えに至った。

 となれば、出来る事なら自分たちの目の届く範囲で行動してもらった方がいい。

 そうすればエゾオオカミがどんな考えであろうとも事前にともえ達に報せる事だって出来るだろう。

 そこまで考えたユキヒョウは一つ提案をしてみる事にした。

 

「のう、エゾオオカミ。お主、クロスラピスと一緒に戦う気はないか?」

「は?そりゃあ願ってもないが…。一体なんでだ?」

 

 実はエゾオオカミ自身もそれは考えていた。多分ユキヒョウが言い出さなかったら自分からルリに頼んでいただろう。

 だがユキヒョウがそれを言い出す狙いがわからない。

 

「そうじゃな。理由としてはお主もルリも見ていて危なっかしいのじゃ。じゃが二人揃えばお互いに補い合う事は出来よう?」

 

 ユキヒョウはエゾオオカミの疑問にそう言って返してみせた。さらにユキヒョウは畳みかける為に続ける。

 

「それに、エゾオオカミ。お主、ぶっちゃけ変身して何が出来るかすらわかっておらんじゃろう?」

 

 エゾオオカミはぐっ、とうめく。

 図星だった。

 

「まずはお主は自分の力を知るべきじゃ。」

 

 ユキヒョウの言う事は理にかなっている。それはエゾオオカミも認めざるを得なかった。

 

「明日の放課後に場所は用意しよう。じゃから、そこでまずは変身したお主が何が出来るのかを把握する事から始めようではないか。」

 

 その提案にエゾオオカミも頷いた。どうやらユキヒョウはクロスラピスの参謀とも言うべき立場なのだろう、とエゾオオカミもようやく思い至った。

 

「敵を知り、己を知れば百戦危うからずじゃ。敵はわからんからこそ、己を知らねばならぬ。」

 

 確かにエゾオオカミは“リンクパフューム”を受け取ったばかりだし、あの化け物を相手に戦えるのかという疑問もあった。

 だからこそ、クロスラピスも妙に大人びた雰囲気を見せるユキヒョウも頼もしいとすら思う。

 

「わかった。世話になる。」

 

 そうして頷くエゾオオカミにユキヒョウも頷きを返した。

 ただユキヒョウは心の中で一つだけ思うところがあった。

 

「(出来ればデュオではなくトリオの方がより安全なんじゃがのう。アムールトラのヤツはまだ迷っておるのかのう。)」

 

 ここにはいないもう一人の友達に思いを馳せるユキヒョウであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一方その頃。

 アムールトラは結局最後まで美術室で美術部に付き合った。その帰り道は自然とみんなで一緒に帰ろう、という事になった。

 ともえと萌絵とイエイヌの三人+ラモリさんに加えて、アライさんとフェネックまで一緒だった。

 今日の帰り道は何とも賑やかだった。

 

「そういえば、今日はかばんちゃんは?」

「かばんさんはミライ先生と重大な話があるって言ってたのだ。」

 

 ともえの疑問にアライさんはドヤ顔で答えた。

 

「多分だけど地区大会のスケジュールとかそういうののお話なのだ。かばんさんは難しい事もちゃんと出来てスゴイのだ!」

 

 アライさんが実際の場面を目撃したら何と言うのかは定かではないが、幸いにして真実を知る者たちは当事者のみであった。

 そんなアライさんに萌絵が言う。

 

「アライさんもちゃーんと応援団団長を確保したもんねえ。エライよー。」

「ほんとか!?ともえも応援団長引き受けてくれてありがとうなのだ!」

 

 萌絵に褒められたアライさんはともえの手をとって両手をぶんぶんと上下させる。

 そのままイエイヌとアムールトラのところにも駆けて行って同じように両手をとってぶんぶんしながら言う。

 

「イエイヌもアムールトラも応援団への参加ありがとうなのだ!今年の応援団はきっと盛り上がるのだ!」

 

 ともえもイエイヌもアムールトラもここまで喜んでもらえるなら悪い気はしなかった。

 しかし、フェネックがアムールトラの表情がすぐに曇ったのを見逃さなかった。

 

「ねえねえ、アムールトラ。何かあったの?もしかして応援団イヤだったとか?」

「いやいや、そういうワケやないで。」

 

 フェネックの言葉にアムールトラは慌てて両手を振る。

 そうしてみせるアムールトラの様子に、イエイヌには心当たりがあった。

 

「もしかして、ルリさんの事ですか?」

 

 ちょうどつい先日お泊りに行った際に打ち明けられたアムールトラの悩み事はまだ続いていた。

 しばらく考えてからアムールトラは頷いた。

 それにともえと萌絵とアライさんも集まって来た。

 

「ルリちゃんってこの前、魔女っこになって助けに来てくれたよね。」

「うんうん。ビュンビュン飛び回ったりバイク乗ったりしてすっごいカッコよかったのだ!」

 

 フェネックの言葉にアライさんも先日サンドスター研究所へ遊びに行った際の出来事を思い出していた。

 それはともえもやはり変わらない。

 

「アタシもすっかり助けられちゃったもんね。」

「ともえちゃんはもう少し慎重に行動しましょう?私は心臓が止まるかと思ったんですから。」

 

 と、ルリことクロスラピスが助けに駆けつけてくれた時、クロスハートはちょうど大ピンチだった。

 イエイヌもあの時の事を思い出すと、自分のフォローが間に合うか間に合わないかちょっと微妙だったなあ、と思う。

 そういう意味ではクロスラピスが助けに来てくれてよかった。

 だが、アムールトラが悩んでいるのはそういう事ではない。

 

「もしかして、ルリちゃんが心配?」

「あー。心配っちゅうのはそうやな…。うん。」

 

 萌絵の言う通り、アムールトラの悩みは一番は心配だった。

 ただ、そればかりではない。

 

「アムールトラ。せっかくですからみんなに話を聞いてもらったらどうですか?」

 

 イエイヌの提案にしばらくの間考え込んだアムールトラだったが一つ頷いた。

 やはり三人寄れば文殊の知恵。他の人に話しただけでももしかしたら違う見方が出来るかもしれない。

 

「そのな…。ルリはセルリアンが未だに出てる事に責任を感じとる。せやからクロスラピスになってセルリアンと戦おうっちゅうんはわからんでもない。」

 

 アムールトラの言葉に聞き入る一同。

 

「けどな…。ウチはルリには安全なところにいて欲しい。怪我とかせんで欲しい。ルリが戦う必要があるんやったら全部ウチが代わりに戦う。」

 

 そこまで言って一息。今度は自嘲気味な笑みを浮かべるアムールトラ。

 

「けれども…。それはウチの我がままなんやないかって。そう考えるのはルリの為になるんやろうかって最近はずーっとグルグル考えとってな。」

 

 アムールトラの吐露に一同何と声を掛けていいのか戸惑いを覚えた。

 しかし、そこに二人だけ例外がいた。

 アライさんとともえである。

 

「そうかー。アムールトラはルリをとても大事にしているのだな。エライのだ。」

「うんうん、だよね。アムールトラちゃんはいつでもルリちゃんの事を考えてるもんね。」

 

 二人して腕組みの姿勢でうんうんと頷きあうともえとアライさん。

 

「「けど…。」」

 

 と二人の声が重なった。

 

「アライさんだったらそれはイヤなのだ。」

「うん。アタシも。」

 

 二人の答えにアムールトラは動揺してしまう。

 やはり、こんな自分がルリの為を思うのは余計なお節介にしかならないのだろうか、と。

 そんな思いを見透かしたのか、ともえは首を横に振る。

 

「違うよ。ルリちゃんは同じくらいアムールトラちゃんの事を考えてるよ。」

 

 そうなのだろうか。と自問するアムールトラ。答えは決まっていた。

 そこにアライさんが続ける。

 

「アムールトラ。実は、かばんさんも昔はアライさん達に怪我をさせないようにって痛い事や苦しい事を一人で抱えてたのだ。」

 

 思わぬクロスシンフォニーの話にアムールトラは驚きを隠せない。

 

「でも、それはアライさんイヤだったのだ。アライさんはかばんさんと楽しい事だけじゃなくて苦しい事だって一緒にしたいのだ。」

 

 かつてクロスシンフォニーは変身時にかばん一人だけが痛みを引き受けて、それを内緒にしていた時期があった。

 それは博士によって見破られてしまったわけだったが、その出来事はクロスシンフォニーの結束をより強固にしたのだった。

 

「あのね。アライさんはアムールトラがルリちゃんを大切に思う事は間違ってないけど、でも、それでルリちゃんがどう思うかも考えて欲しいって言ってるんだよー。」

 

 フェネックのフォローにアムールトラはまたも考えさせられた。

 そこにもう一度ともえが口を開く。

 

「それにね。アタシだったらさ。もしもアタシがクロスハートになれなくても、イエイヌちゃんがセルリアンと戦ってるのを見てるだけなんてイヤだな。」

 

 ともえの性格ならそうだろうな、と思うアムールトラ。

 そこでアムールトラは気が付いた。

 かつてイエイヌは言っていた。自分とアムールトラはどこか似ている、と。

 それはきっと置かれている境遇でも似た様な部分があるという事だろう。

 だとしたら、ともえが言うように、ルリもまた見ているだけなんてイヤだ、と思っているのかもしれない。

 やはりそうなると、ルリがセルリアンと戦うのを反対するのは自分の我がままのような気がしてきてどこかモヤモヤした気分になるアムールトラ。

 それは自己嫌悪の気持ちだった。

 そんな彼女の肩にポム、とイエイヌが手を置いた。

 

「また言いますが、私は貴女が大好きですよ、アムールトラ。」

 

 そのイエイヌの言葉だけで何だかモヤモヤした思いが晴れるような気がする。

 正直、一度にたくさんの話を聞いて頭がぐるぐるする思いのアムールトラ。それでも、話を聞いてもらってよかった、と思えた。

 結局自分がどうしたいのか、という答えはまだ出ていない。

 それでも、今日教えて貰った事はきっと大切な事なのだろう、と思ったアムールトラは家に帰ってからもう少しじっくりと考えてみる事にしたのだった。

 

「(青春だナ…)」

 

 そんなアムールトラはじめ、みんなの様子をまたも黙って見守っていたラモリさん。

 ラモリさんは保護者として必要以上にはみんなに干渉しない立場をとっていたが、何かしら自分の手が必要になったなら手助けの一つもしてやるか、と相変わらず沈黙のままに考えるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 その日の夜。

 宝条家の夕食はちょっとした不自然さがあった。

 表面上はいつも通りだ。いつものようにアムールトラがルリの作るご飯をペロリと平らげて美味いと褒めちぎり、ルリが照れる。

 そして、ルリが一日の出来事を話したりするのを“教授”が聞いていたり。

 ただ、今日は何か会話がズレているような、そんな違和感があった。

 理由の一つはルリがエゾオオカミの事を話さなかった事だろう。普段のルリならばエゾオオカミと友達になった事は絶対に話していただろう。

 けれど、それを話すと、今日、たった一人でクロスラピスとしてセルリアンと対峙した事も話さないとならない。

 それはアムールトラにまたも心配を掛けてしまう、とルリはそれを話せないでいたのだった。

 そしてアムールトラもアムールトラで、結局自分はどうしたいのか、という肝心な答えが出せずにいた。

 だからどこか会話もうわの空になってしまっていたのだった。

 “教授”はと言えばタブレットを横目に眺めつつ、食事をつつく状態だ。

 今日はユキヒョウは自宅に戻っていたので、行儀が悪いと“教授”をたしなめる者もいなかった。

 ちなみに、最近宝条家に居候している油壷のセルリアンことイリアであったが、彼は食事を摂る必要がないので台所で大人しくしている。

 ただ、イリアのおかげで天ぷらなどの揚げ物を作りやすくなったとルリにも大好評ではあった。

 それはともかくとして、表面上はいつも通りの食事も終わって、ルリは後片付けの洗い物。その間にアムールトラと“教授”はお風呂に入る事になった。

 二人で背中を洗いあって、アムールトラは“教授”にシャンプーしてもらって、でもって二人して湯舟に入る。と、色々とダイナマイツ!なプロポーションの二人だ。盛大にお湯が溢れる。

 

「あー…。もう。なんか頭使い過ぎたせいかもう溶けそうや。」

「おや。キミが頭脳労働なんて珍しい事もあったものだ。明日は雪でも降らなければいいね。」

「うっさいわ。」

 

 心地よいお湯の暖かさに蕩けるアムールトラに“教授”の軽口が届く。

 背中を預けた格好のアムールトラは軽口の礼、とばかりに“教授”に体重をかけてやった。もっともその程度ではビクともしないのではあるが。

 

「なあ、“教授”…。ウチはどないしたらええんやろ?」

「なんだい、藪から棒に。」

 

 とは言うものの、“教授”もアムールトラが何かを悩んでいる事くらいは何となく察しがついていた。

 だが、それを共に思い悩んでやるのは何かが違う気がするし、自分らしくもない。それに何よりアムールトラ自身が答えを与えられる事を望んで言っているわけではないのだろう。

 存分に思い悩んでみて欲しいところではあるが突き放してしまうのも無責任すぎる気がする。

 “教授”はしばらく立ち上る湯気を見上げながら考えて、一つ口にした。

 

「なら…。直すかい?“ビーストドライバー”」

 

 “ビーストドライバー”はアムールトラの中にわずかに残ったビースト因子を活性化させてビースト状態にしたうえで制御するための機械だ。

 それはイエイヌとの戦いで壊れていらいそのままになっていた。

 それを直すのは難しくない。

 ビースト化したアムールトラの力は通常状態のクロスハートやクロスナイトよりも強い。

 特別な野生解放をしたイエイヌでようやく互角のレベルなのだ。

 それに頷くだけでもアムールトラは再び破格の力を手に出来る。

 

「力で解決できるような問題ならそれで充分だろう?」

 

 しかし“教授”の言葉にアムールトラは即座に被りを振った。

 アムールトラとしてはビースト化の力は大切な友達を傷つけようとしてしまった間違いの象徴のようなものだ。

 再び使いたいと思えるようなものではない。

 そうするアムールトラの頭に“教授”の手が置かれた。そのままぐしぐしと撫でつける。

 

「ならば、それはそういう種類の問題だという事さ。」

 

 つまり、力では何ともならない、という事だろう。それはアムールトラにだってよくわかっている。

 だが…。

 

「キミはどうして“ビーストドライバー”を使わないと決めたんだい?」

 

 その“教授”の言葉にアムールトラはすぐに答えられなかった。

 その代わりというように“教授”はさらに続ける。

 

「それはね、きっと誇りだとか矜持だとかそういう問題なんだよ。」

 

 なんだか難しい物言いにアムールトラは怪訝な顔をしてしまった。

 “教授”の言うように凄い理由ではないような気がしてアムールトラは首を横に振って言った。

 

「そんな大層なモンちゃうわ。なんちゅうか…ウチの我がままが原因なんや。」

「ははは、誇りだとか矜持なんて元を辿れば意外と大した事はないんだよ。頑固だったり我がままだったりこうしたいとかそういう駄々みたいなものから来てるんだ。」

 

 そう言って笑う“教授”の言葉は不思議とアムールトラの胸に響いた。

 

「何をどうしたいのかわからなくなったら、たまには自分の誇りや矜持の元にでも目を向けてみたまえ。」

 

 言いつつ“教授”はアムールトラの肩に顎を乗せてその顔を覗き込むとイタズラっぽい笑みを浮かべてみせた。

 

「ところで。今の私は中々に保護者っぽい事を言えたと思わないかい?」

 

 そんな“教授”にアムールトラは一つ嘆息。

 

「“教授”……。そういうとこやぞ。」

 

 と呆れまじりに言うのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夜も更けた色鳥町商店街。

 もうどの店も店じまいして昼間の喧騒もどこへやら。人通りもまったく見られない。

 いや、その色鳥町商店街に三つの人影が現れた。

 

「ねえねえ、オオセルザンコウ!セルシコウ!これ見てよ、これ!」

 

 夜の商店街をパタパタと走って店じまいした駄菓子屋の店先までやってきたのはマセルカだった。

 その後を、しょうがないなあという顔をしたオオセルザンコウとセルシコウが続く。

 マセルカが指し示しているのは駄菓子屋の店先にあるガチャガチャの機械だった。

 

「ふぅむ?不思議な機械だな。中にカプセルのような物が入っているようだが、何かの貯蔵庫なのだろうか?」

 

 オオセルザンコウもそれを見てみたが、そもそも何の機械なのかすら判別がつかない。

 それはセルシコウも似たようなもののようで二人して顔を見合わせ困惑の表情を浮かべた。

 

「もうー、二人とも!“セルメダル”だよぉ!これを使ったらたああああっくさん手に入るんだったらっ!」

 

 そのマセルカの言葉をセルシコウが解説した。

 

「マセルカが主より授かった“輝き”は生まれるセルリアンの特性がわかるものです。オオセルザンコウ、ここは貴女の“シード”の使いどころではありませんか?」

 

 それにオオセルザンコウも頷く。

 

「いいだろう。」

 

 オオセルザンコウがガチャガチャの機械へと手を伸ばす。

 と、同時ガチャガチャの機械が黒ずんだ水のようなものに包まれ、グニャグニャと形を変え始めるのだった。

 

 

――④へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』④

 

 

 一夜明けて放課後の1年B組の教室。

 早速帰り支度を終えたアムールトラとルリとユキヒョウの三人。

 今日は茶道部兼オイナリ校長先生の会も活動日ではないので放課後はどうしようか、と考えていた。

 

「「あの…。」」

 

 と同時にアムールトラとルリがお互いに声を掛けた。

 

「あ、ええとルリから先にええで?」

「ううん、アムさんから先でいいよ。」

 

 お互いに同時に切り出したせいでお互いに譲り合ってしまうという妙な雰囲気になってしまった。

 アムールトラはこのまま譲り合っていても仕方ない、と先に用事を切り出す事にした。

 

「ルリには昨日話をしたんやけど、文化部で作る応援団にユキヒョウとキタキツネとギンギツネも誘おうと思ってな。」

「あ、うん。私も参加するよ。」

 

 ルリも昨夜のうちに応援団への参加を承諾していた。

 

「という事はわらわも当然参加じゃな。」

 

 それにアムールトラは内心で安堵のため息をついていた。

 ユキヒョウとルリの参加を取り付けられた事もそうだったが、いつも通りに会話できる事に何より安心していた。

 

「ふぅむ。そうなると…。わらわの可愛いルリの為にまた衣装を考えねばの!」

「ユキヒョウは萌絵ねーちゃんみたいな事言うんやな。」

 

 と軽口を叩き合う事だっていつも通りだ。

 ただ、もしもアムールトラがここでユキヒョウの言う『また』という言葉を聞き逃していなかったならもう少し展開が違ったかもしれない。

 

「で、ウチはこれからキタキツネとギンギツネんとこ行って二人も応援団に誘ってこようと思ってるんやけど、ルリとユキヒョウは一緒にくる?」

 

 と、アムールトラは二人を勧誘に誘った。キタキツネとギンギツネの参加を取り付けるならばルリとユキヒョウも一緒に来てくれたら心強い。

 だが…。

 

「あ…。ごめんなさい。今日はちょっと先約があって…。」

 

 とルリは申し訳なさそうに言う。

 ルリは今日の放課後、エゾオオカミと合流してユキヒョウと一緒に行動する予定になっていた。

 本当はルリはアムールトラも誘って、そこでエゾオオカミの事を紹介するつもりでいたのだが、目論見が外れてしまった。

 

「気にせんでええよ。そしたら、ウチはキタキツネとギンギツネのトコ行って二人も誘った後にともえ達のトコに結果報告行くな。」

 

 そうなると、アムールトラは結構な時間を取られてしまうだろう。

 となるとエゾオオカミとの約束の時間もあるし、アムールトラは誘えない。

 

「せやから二人は先に帰っててええで。」

 

 ルリが迷っている間にアムールトラはさっさと教室を出て行ってしまった。

 それを見送ってからルリはポツリと零した。

 

「ユキさん…。またアムさんに言えなかったね。私、クロスラピスになってみんなと一緒に戦いたいって。」

「まあ…。うむ。今日辺りがちょうどよい機会になるかと思ったが、間が悪いのう。」

 

 ユキヒョウもアムールトラもまた悩んでいるのは何となく察しがついていた。

 出来れば何かしら助言だってしてやりたいと思ってもいた。

 エゾオオカミと出会えた事も悪いようには転ぶまいとは思っていたし、よい転機になるかと思っていたのにまさに間が悪いとしか言いようがなかったのだった。

 

「ともかく、エゾオオカミをあまり待たせるのも悪い。」

「そうだね。エミさんのところいこっか。」

 

 ルリとユキヒョウは1年C組の教室まで行くと、ちょうど教室を出てきたエゾオオカミと合流した。

 

「よ。ルリ。ユキヒョウ。昨日ぶり。」

 

 と挨拶してくるエゾオオカミ。早速といった様子で二人にさらに訊ねる。

 

「で、今日はどこに行くんだ?」

「うむ。ルリにはお馴染みの場所なのじゃが、とある場所を予約してあるのでそこに向かう。」

 

 へえ、とエゾオオカミは頷くが今一つピンと来ないようだ。

 怪訝な思いが顔に出ていたようで、ユキヒョウはもう一つ付け加えてくれた。

 

「思い切り身体を動かせる場所じゃよ。あとはついてからのお楽しみといこう。」

 

 そしてユキヒョウとルリ。そしてエゾオオカミの三人は学校を後にして少し歩いてバス停へ。

 そこからバスに乗って移動してもうしばらく。

 そこはとある体育館であった。

 エゾオオカミも何となくは知っている。そこは様々な屋内競技も出来るしトレーニングルームも併設された総合体育館である。

 年に数回はプロチームの試合だって組まれる有名な場所だ。

 

「今日は貸し切りじゃから正体がバレる心配もないじゃろう。」

 

 ユキヒョウは事もなさげに言ったものの、ここを貸し切るなんて中学生のお小遣いでは無理があるのではないだろうか。

 エゾオオカミはそう思って尻込みするものの、ユキヒョウはずんずん突き進んで受付へ。

 そのままあっさりと受付で名前を言っただけで、「お待ちしておりました。準備出来ております。」と通されてしまったのでエゾオオカミとしては開いた口が塞がらない。

 

「なあ、ユキヒョウ…。お前、何者なんだ?」

「そうじゃのう。通りすがりの社長令嬢かのう。」

 

 そういえば、とエゾオオカミも思い出す。

 同じ学年に色鳥町にある大型ショッピングモール『cocosuki』のオーナー企業の社長令嬢がいるらしいという噂を。

 どうやらそれがユキヒョウなのだろう。

 と、いう事は…?

 

「ザ・商売仇!?」

 

 シュビ、っと両手の手刀を前に謎の構えをとってみせるエゾオオカミ。

 

「ええい!?お主までキタキツネと同じ反応をするでない!?」

 

 商店街で生まれ育ったエゾオオカミとしてはやはり大型ショッピングモールの関係者は商売上のライバルと思えた。

 ちなみに、同じ商店街で暮らす同い年のギンギツネとキタキツネは幼馴染でもある。

 自分がどうやらキタキツネと同じ反応をしてしまった、というのは何となく気恥ずかしくてエゾオオカミは頭の後ろをかいていた。

 

「いやまあ、驚きはしたけど納得もしたぜ。それにユキヒョウにも助けられた恩だってあるし…、まあ…その…なんだ。」

「うむ。商売仇でもあり友達でもある。それもキタキツネと一緒じゃのう。」

 

 気恥ずかしさに言葉の歯切れが悪くなるエゾオオカミの胸中をユキヒョウが正確に言い当ててくれた。

 何ともやられっぱなしなエゾオオカミはこれ以上は分が悪いと話題を変える事にした。

 

「で?俺はこれからここで何をすりゃあいいんだ?」

「そうじゃのう。取り敢えずは身体を動かしてみる事からかのう?」

 

 言いつつユキヒョウはルリに魔女の三角帽子と短いケープを着せていた。

 最後に目元を隠す仮面をつけてクロスラピスの完成である。

 

「さて、ルリ…じゃなかった。クロスラピスもまずはいつも通りのメニューをこなしてもらおうかのう。」

「はーい。」

 

 軽い調子で頷いたクロスラピスは三つ編みを伸ばすと体育館の高い天井に張り巡らされた鉄骨の骨組みを掴む。

 鉄骨を掴んだ三つ編みを縮めて身体を空中へと持ち上げると、昨日してみせたのと同じように三つ編みを使って空中をビュンビュン飛び回りはじめた。

 

「いや、何回見てもすげえな、あれ。」

「まだまだこんなもんではないぞ?」

 

 エゾオオカミの感想にまだまだ自慢するには早いとばかりにユキヒョウも応じる。

 今度はユキヒョウが出して来たのはバレーボールだった。

 ボール籠いっぱいに入ったバレーボールを適当に空中に放るユキヒョウ。

 

「ほれ。お主も。」

 

 とエゾオオカミにもバレーボールを手渡しそれを適当に放り投げるように指示した。

 クロスラピスはと言えば、空中に放られたバレーボールを次々と空中でキャッチ。合い間にボール籠へと戻していく。

 

「まじか…。」

 

 とエゾオオカミは感嘆の声をあげる。

 クロスラピスの空中機動は物凄い高機動力を誇っているが、精度もかなりのもののように思えた。

 そんな驚きの表情を見せるエゾオオカミに、今度こそユキヒョウはドヤ顔になった。

 

「最初はその辺を移動できるという程度の事しか出来んかったがの。練習を重ねてここまで出来るようになったのじゃ。」

 

 それになるほど、とエゾオオカミは納得していた。

 ルリ…、いや、クロスラピスはユキヒョウと一緒にここで特訓を重ねていたのだろう。だからこそユキヒョウもこの総合体育館の勝手を知り尽くしていたわけだ。

 

「ふっふっふ、わらわのルリはさらに可愛くそして強くもなるのじゃよ。」

 

 空中のバレーボールを集め終わったクロスラピスは二人の元へ着地した。

 

「えっとね、私がセルリアンと戦いたいって言った時、ユキさんがね、ちゃんと訓練するならって賛成してくれたんだ。だから暇を見てこうして訓練してるんだ。」

 

 こうして頑張っている姿を見せられるとエゾオオカミも早く身体を動かしてみたい気分になってきた。

 

「で、ユキヒョウ?俺はどうしたらいいんだ?」

「うむ。まずは変身じゃな。」

「お、おう…。だけどちょい恥ずかしいから二人とも後ろを向いててくれ。」

 

 エゾオオカミはまだ変身に慣れていない。というか変身ポーズに慣れていない。

 昨日の夜、鏡の前で一人、変身ポーズを試してみてあまりの恥ずかしさに悶絶してしまった程だ。

 ギャラリーのいる前でそれをするとなるとさすがに恥ずかしさも倍増だった。

 ユキヒョウとクロスラピスの二人は一度顔を見合わせてから後ろを向いた。

 それでエゾオオカミの気が晴れるのならそれでいいのだろう。

 

「り、リンクハートっ!メタモルフォーゼっ!」

 

 エゾオオカミは昨日預かった“リンクパフューム”を構えると、これまた昨日教わった通り人差し指と小指を立てた手を目元に持ってきて決めポーズと共にウィンク一つ。

 昨日よりも幾分ウィンクが上手になっているのは練習の成果か。

 そしてこれまた昨日教わった通りに手、足、身体と“リンクパフューム”の中身の香水を振っていく。

 そうすると昨日と同じようにエゾオオカミの全身がサンドスターの輝きへと包まれた。

 エゾオオカミは叫ぶ。

 

「リンクエンゲージ!ニホンオオカミスタイルッ!」

 

 と同時、茶色の毛並み、茶色のブレザー。そしてピンクのチェック柄のミニスカートが翻り、袖と裾にフリルがあしらわれた。

 

「もう振り返っても大丈夫だぞ。」

 

 それに二人が振り返るとそこには変身したエゾオオカミがいた。

 あらためてその姿をしげしげと眺めながらユキヒョウが言った。

 

「ふぅむ。しかし、やはり髪色と髪型が違っただけで大分印象が変わるものじゃのう。これではそうと言われんとエゾオオカミとは気づかぬわ。」

「うんうん、髪型ロングなエミさんも可愛いよね。」

 

 クロスラピスの感想はちょっとズレていたが、それにエゾオオカミがプルプルと肩を震わせた。

 

「どうした?エゾオオカミ。」

 

 と不思議そうに訊ねるユキヒョウに、エゾオオカミは答えとばかりに絶叫しつつクロスラピスへと飛び掛かった!

 

「お前の方が可愛いだろうがぁ!」

「うわわっ!?ちょっとエミさんっ!?」

 

 思わぬ飛び掛かりにクロスラピスは三つ編みを床に叩きつけるようにして伸ばすと、その勢いを利用して飛び退った。

 ユキヒョウはその様子に何事かを思いついたのか、こんな提案をしてみた。

 

「ほう、面白い。せっかくじゃ、クロスラピスはそのまま低空を逃げ回れ。エゾオオカミはクロスラピスを捕まえてみるのじゃ。」

「ええー!?ちょっとユキさんっ!?」

「へえ、面白れぇ!」

 

 抗議の声をあげるクロスラピスを無視して、エゾオオカミはさらにダンッと床を強く蹴って踏み込む。

 と、

 

「い、行き過ぎたぁ!?」

 

 エゾオオカミは思っていた以上の力に大きく目測を外してしまっていた。

 その間にクロスラピスは低空を逃げ回る。

 天井の鉄骨の骨組みほどではないが、地面にだって三つ編みで掴める場所はそれなりにある。

 例えば観客席の手すりやバスケットゴールの骨組み。非常口を案内する非常誘導灯に被せられた金属製のボール避けカバーだってそうだ。

 クロスラピスはそれらを使って器用に逃げ回る。

 

「はは!さすがにやるなぁ!けどっ!」

 

 エゾオオカミは最初こそ力に振り回されていたものの、段々と狙いも正確になってきていた。

 それに何より、この追いかけっこが楽しかった。

 昨日はただ背中を眺めているしかできなかったクロスラピスに追いすがれている。その事実はエゾオオカミを高揚させた。

 だがそれだけではない。

 こうして逃げる獲物を追いかけるていると、どうにも胸の辺りがムズムズとするのだ。

 

「(やべえ……。これ、面白すぎる!)」

 

 いつしかエゾオオカミはすっかり夢中でクロスラピスを追いかけていた。

 逃げるクロスラピスを追いかけるエゾオオカミ。

 その様子を眺めながらユキヒョウもエゾオオカミの変身後の特徴を観察していた。

 

「ふむ。これだけ走り回って息切れどころか体力が衰える様子も見られぬ。大した持久力じゃな。」

 

 それに俊敏性や瞬発力だって、普通の一般人から見たら目にも留まらぬ速さに映る。

 “リンクパフューム”での変身は本物のクロスハートにヒケをとらないように思えた。

 

「ようし、そこまでじゃ。」

「ええー?もうちょいいいだろ?せっかく面白くなってきたってのに。」

 

 ユキヒョウの制止にエゾオオカミは不満を漏らすが、反対にクロスラピスはホッとした様子を見せた。

 

「まあ、そう言うでない。次は一番重要なお主の火力を見せてもらうのじゃからな。」

 

 なにせ、クロスラピスの一番の弱点はパワー不足だ。

 そのパワーはユキヒョウを軽々と持ち上げる事は出来るものの、他のヒーロー達に比べたらあまりにも貧弱だった。

 もしかしたら、一人ではセルリアンの『石』を砕く事も出来ないかもしれない。

 苦肉の策として、慣性を利用した投げ技も練習はしていた。

 ちょうど、その甲斐あって、先日はビールケースのセルリアンを倒す事が出来たのだ。

 ただ、エゾオオカミのパワーが十二分に強ければ苦肉の策に頼らずともよくなる。

 エゾオオカミに一番求められるのは、そのクロスラピスの弱点を補う火力なのだ。

 

「さて、では少し準備するとするか。すまぬが二人とも手伝ってくれるかの?」

 

 言いつつユキヒョウは倉庫へと向かう。

 三人の特訓はまだまだ続くようだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 サンドスター研究所、所長室。

 相変わらず大忙しのドクター遠坂であったが、そんな彼にもわずかばかりの休憩時間はある。

 そのドクター遠坂の憩いの時間は、とある二つの理由で潰れようとしていた。

 その二つの理由はどちらも彼のPCに映し出されていた。

 まず片方はラモリさんからのメールだ。

 彼にしては珍しく機能アップデートの要望だ。

 さして難しくないアップデート内容だったので、休憩時間中にプログラムを組んでしまおうかと考えていた。

 ドクター遠坂の指は凄まじい速度でキーボードを叩いていたが、目線は主に別なモニターの方を向いていた。

 その別なモニターに映されていたのが二つ目の理由であった。

 

『まったく。遠坂先輩は相変わらず仕事人間だね。そんな事で姉さんに愛想をつかされないか心配だよ。』

 

 と、テレビ通話でそんな軽口を叩くのは宝条和香こと“教授”であった。

 

「いやあ、僕としても放り出せるものなら全て放り出して家に帰りたいんだよ。春香さんにはもちろん、萌絵にもともえにもイエイヌちゃんにも会いたいし。」

『ああ、イエイヌ君なら先日私の家にも遊びに来てくれたよ。中々可愛い子じゃないか。』

 

 そんな画面の中の“教授”に対しドクター遠坂はくわっと目を見開いて言った。

 

「中々じゃなくてめちゃめちゃ可愛かったよっ!毛並みも素晴らしかったし、尻尾もふさふさだったし!」

『そうだね。うんうん。わかるよ。』

「あとなんていうか健気な子だなあって思ったよ。最近全然家にいなかったのにこんな僕にも気を使ってくれたし!」

 

 そんなドクター遠坂のイエイヌ自慢は止まりそうもなかったが、それでも指はキーボードを叩き続けている辺り、完全に話しに没頭しているわけでもないのだろう。

 

『遠坂先輩。私にそういう話をするのはいいんだが、娘さん達の前ではやめておいた方がいい。さすがに引く。』

 

 と“教授”に言われて一瞬ドクター遠坂の手も止まる。

 

「うん…。さすがにそれは分かってはいるからあまり出さないようにしているよ。」

 

 心なしかキーボードを叩くドクター遠坂の手が遅くなっているようにも思える。

 しかし、ドクター遠坂もやられっぱなしではない。

 

「ああ、そうそう。ルリちゃんとアムールトラちゃん。あの子達も中々いい子だったじゃないか。」

『だろう!?』

 

 と今度は“教授”が勢いこんで言った。

 

『ルリの作ってくれるご飯は毎日美味いんだ。いやあ、向こうでは大体カロリーバーとかそういうモノならまだマシで自作の料理とかは…うん…思い出したくない…。』

 

 そこで一旦トラウマでも思い出したかのようにげんなりとした表情を見せる“教授”。

 

『それと比べれば雲泥の差さ。家の事もほぼ全てやってくれているし全く私などにはもったいないくらいにいい子さ。』

「そうだね。私もルリくんのお弁当を少しいただいたけれども美味しかったよ。しかし、ルリ君はどうやって料理を覚えたんだい?」

 

 ドクター遠坂の記憶によれば、宝条和香は何故か料理や家事は苦手だった。というよりも壊滅的だった。

 そんな彼女がルリの料理や家事の指導など出来るはずもない。

 

『ああ、私の中の女王がね。ずっと以前に接触した人間をモデルにしたから、だそうだよ。彼女は野外活動が好きな女の子だったそうだ。ボーイスカウト、と言えばわかりやすいかな?』

 

 つまり、ルリのモデルとなった人物は、宝条和香の渡った世界にいた一人の少女だった。

 彼女を模して女王が生み出したのがルリだったのだ。だからこそ、元の人物となった女の子の特技などを一部再現出来たりするのだ。

 結局、女王と和解して融合を果たした和香が保護者となって、まだ孵化する前の卵をこちらの世界に持ち帰って、そして生まれた彼女を育ててきた。

 

『だからこそね。萌絵君には感謝している。もしもルリが世界に受け入れられなければ、私がこの世界を滅ぼす事になっていたかもしれない。けれどそうしなくてよくなったわけだし。』

 

 随分と剣呑な事を言う“教授”であったが、ドクター遠坂は少しばかり手を止めて口元を覆った。

 そうしないと笑いがこぼれそうだったからだ。

 

『何か可笑しかったかな?』

 

 いくら笑いを堪えたとはいえ、それは画面越しでも伝わってしまったようだ。

 “教授”は少しばかりの怒気を滲ませている。

 しかし、続く言葉であっさりとそれを砕かれてしまった。

 

「いやね。和香君もしっかりと母親をしているのだな、ってね。」

『ななななにを言っているのかな遠坂先輩は。私はあくまでルリの保護者であって…その…母親と名乗れるのかと言われると…。むしろ仇みたいなものだし…。』

 

 画面の向こうの“教授”は今までに類を見ないくらいに狼狽してみせた後、後半は尻すぼみになっていた。

 

「例え世界を敵に回そうとも娘の為に戦うなんていうのはまさしく母親だと思うよ。」

『いやもう勘弁してくれ…。』

 

 最後は画面が暗転する。

 真っ赤な顔を見られまい、と“教授”が咄嗟にWEBカメラを手で隠してしまったからだった。

 

『まあ…。そうしなくてよくなった事は萌絵君のおかげだし、アムールトラの事でもともえ君にもイエイヌ君にもすっかり世話になった。』

「和香君が萌絵のアドレスを教えてくれ、と頼んできた時は何事かと思ったけれどね。」

 

 と、ついこの前に発生したイエイヌとアムールトラの喧嘩の一部始終を思い出すそれぞれの親達。

 『Professor.W』こと“教授”が萌絵にメールを送れたのも、ドクター遠坂からアドレスを聞いたからだった。

 

『しかし、萌絵君は天才だな。パーソナルフィルター発生装置もそうだし“ナイトチェンジャー”も面白い発想だった。』 

「だろう!?いやいやあの子は親のひいき目を抜きにしても天才だと思うんだ。」

『しかも姉さんに似て家事全般万能なんだろう?完璧過ぎやしないかい?』

「はっはっは。もっと褒めてくれてもいいんだよ。」

『うちにお嫁に来てくれないかなあ。』

「それはまだ早い!」

 

 そうしてひとしきり談笑した後にドクター遠坂はポツリと呟く。

 

「なあ。和香君。やはり一度、キミもうちに遊びに来てくれないかな。」

 

 それには“教授”もしばらくの沈黙でもって答えた。

 

「春香さんだってキミに会いたいと思っているはずだ。それに僕は隠し事が苦手で春香さんは勘が鋭い。こっそり和香君と連絡していたなんてバレたら大目玉だよ。」

 

 続けるドクター遠坂に“教授”もしばらくの間考え込む様子を見せてからこちらもポツリと返した。

 

『いや…だって…。私、お姉ちゃんよりお姉ちゃんになっちゃったし…。』

「断言しよう。和香君は昔とちっとも変ってないよ。僕ですらそう思うんだから春香さんがそんな事を気にすると思うかい?」

 

 普段のクールな調子を崩してしまった“教授”にドクター遠坂はそう言って頷いて見せた。

 それは紛れもない本音だったし、出来る事なら和香を家に呼んで歓待したくもあった。

 何せ和香には大きな恩がある。

 それに何より、彼女の頼みとはいえ、和香がこちらに戻っている事を春香に内緒にし続けるのは心苦しくもあったのだ。

 

『ともあれ、それは考えておくよ。』

 

 どうにかいつもの調子を取り戻した“教授”はそこまでを言って通話を終了した。

 通話を終えた“教授”はイスの背もたれに身を預けるとぐったりとする。

 そうしてから胸元に手を入れると、首からチェーンでしっかりと提げられた二つの“メモリークリスタル”を取り出した。

 それはそれぞれハチミツ色とレモン色の輝きを放っていた。

 

「さてさて。どうしたらいいと思う?」

 

 と、その二つの“メモリークリスタル”に問いかける。

 それは物言わずに変わらずハチミツ色とレモン色の輝きを放っていた。

 その輝きをしばらく見続けてから、“教授”はハタと気づいてしまった。

 

「そうだった。遠坂先輩に“リンクパフューム”の事を相談しようと思っていたんだった。」

 

 すっかり娘自慢談義に花を咲かせて当初の目的を見失ってしまっていた。

 つい先ほど自動モニタリングしていた“リンクパフューム”のデータが届いたのだった。

 それはちょうどルリとエゾオオカミがユキヒョウの特訓を受けた際に得られたものだったが、“教授”はそのデータを見てこう言わざるを得なかった。

 

「失敗……かな。」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「いやあー。思いっきり動いたら腹が減っちまったな。」

 

 体育館での特訓を終えたエゾオオカミとルリとユキヒョウの三人は色鳥町商店街へとやって来ていた。

 

「そうだなあ。この時間だとお弁当屋さんのコロッケが揚げたてだから行こうぜ。特訓に付き合ってもらった礼に奢るぜ。」

 

 さすがに商店街はエゾオオカミのホームグラウンドだ。

 お弁当屋さんの店先から美味しそうな匂いがしている辺りエゾオオカミの言う通りなのだろう。

 

「あそこのコロッケは絶品なんだ。マヨネーズたっぷりつけて食うと美味いぞ。」

「ほう?エゾオオカミはコロッケにはマヨネーズ派だったか。」

 

 ユキヒョウの言葉にエゾオオカミは「あれ?」と一瞬怪訝な顔をする。

 コロッケにマヨネーズ。

 なくはない組み合わせだが、メジャーとは言い難い。

 むしろ普通にウスターソース、次いでケチャップの方がエゾオオカミの好みだった。

 ただ、何故かわからないが、今日はマヨネーズな気分だったのだ。

 

「ま、いいか。」

 

 エゾオオカミは深くは考えない事にした。

 何せお弁当屋さんは目の前。揚げたてのコロッケがよい匂いで誘惑してくる。

 マヨネーズだろうがソースだろうが塩コショウだろうが美味いものは美味い。

 

「そういえばね、変身するとお腹が空きやすくなるみたいだよ。」

 

 とルリがかつて聞いた事をエゾオオカミに解説してみせる。

 

「えっとね、身体の中から減ったサンドスターを補充する為にたくさん食べたくなってお腹が空きやすくなるみたい。」

「へえ。そっかあ…。どおりでいつもより腹ペコなわけだ。」

 

 言いつつ、エゾオオカミはお弁当屋さんから受け取ったコロッケをルリとユキヒョウにも手渡す。

 そして店先に用意された調味料をトッピングだ。ルリはケチャップ、ユキヒョウは塩コショウ。そしてエゾオオカミはやはりマヨネーズを選択していた。

 

「エゾオオカミ…。お主、そんなにマヨネーズつけるのかの…?」

 

 ユキヒョウが驚きの表情を見せる。何せエゾオオカミがコロッケに大量のマヨネーズをかけていたからだ。

 

「いやあ…。なんかこうしたい気がしてさ。」

 

 たっぷりとマヨネーズをつけたコロッケを一口頬張ると、いつもよりも美味しいような気がした。

 エゾオオカミもルリもそしてユキヒョウも知らなかったが、それは“リンクパフューム”に取りつけられていたメモリークリスタルの元となったフレンズ…ニホンオオカミの好物だった。

 それはともかくとして、身体を動かしたおかげで腹ペコな三人はあっという間にコロッケを平らげた。

 そのまま商店街を歩く。

 と、昨日も訪れた駄菓子屋の前にさしかかった。

 そこは今日も子供達のたまり場となっていた。

 エゾオオカミを見つけるなり、駄菓子屋の前にたまっていた子供達が一斉に彼女の方へ殺到した。

 

「エゾオオカミ姉ちゃん、大変大変!」

「大変なんだよ!事件なんだよ!」

「ともかくこっち来てっ!」

 

 いつにも増して騒がしい子供達の様子にエゾオオカミもイヤな予感がする。

 子供達に囲まれたエゾオオカミは手を引かれて駄菓子屋の店先へやって来た。

 そこには駄菓子屋店主のおばあちゃんが困った顔をしていた。この人は自分が子供のころにもよく世話になっていた人だ。

 子供達に事情を聞くよりは店主のおばあちゃんに話しを聞いた方が早そうだ。

 

「ばあちゃん、どうしたんだ?何かあったのか?」

「ああ、エゾオオカミちゃん…。実はねえ…。」

 

 困った表情のままにおばあちゃんは話はじめる。

 

「ここにガチャガチャの機械があったでしょう?実は今朝からそれがなくなっちゃったのよ。」

 

 確かに、そこにはガチャガチャの機械があったはずだ。なのにそこには台座の跡があるばかりで何もない。

 子供達が血相を変えるのも頷ける大事件だ。

 

「ばあちゃん、警察には?」

 

 そう。

 誰かがガチャガチャの機械を持ち去らないとこうはならないはずだ。

 つまり泥棒の可能性が高い。となれば警察の出番だろう。

 

「ええ。さっき交番のお巡りさんが来て調査してみるって言ってくれたんだけど…。」

 

 どうやらおばあちゃんの口ぶりからは警察も捜査してはくれるようだが手がかりが少ないのだろう。あまり期待出来そうもないように思えた。

 だが、自分なら?とエゾオオカミは自問する。

 自分には“探偵の勘”がある。

 なくなったガチャガチャの機械も自分ならば見つけられるのではないか。

 そう考えるエゾオオカミだったが一方で迷う。

 何せこれは泥棒なのかもしれない。

 商店街始まっていらいの大事件であり、大人や警察に任せるべき出来事だ。

 迷うエゾオオカミの前に子供達がそれぞれに何かを差し出してくる。

 それはドングリだった。

 

「お前ら…。」

 

 子供達は真っ直ぐにエゾオオカミを見上げている。

 その視線に言葉はなくとも言いたい事は分かっていた。

 木の実探偵ならばこの大事件も解決出来るのだ、と。

 そして、子供達の大切な場所であるこの駄菓子屋の危機を救って欲しい、と。

 誰もがそう願っているのだ。

 だが、エゾオオカミにはもう一つだけ迷う理由があった。

 それはルリとユキヒョウの事だった。

 きっとエゾオオカミがこの依頼を引き受けたなら、二人も手伝うと言い出すだろう。

 果たしてこの大事件に二人を巻き込んでしまっていいものか。

 

「エミさん。」

 

 迷うエゾオオカミにルリが頷く。

 

「まったく。少しでも危ないと思ったら警察に連絡するからの。」

 

 ユキヒョウも苦笑と共に頷いていた。

 二人ともエゾオオカミの迷いまでも見越した上で付き合うつもりでいるのだ。

 ならば、とエゾオオカミは子供達が差し出すドングリを一つ摘まみ上げた。

 それを軽く空中に放ると、落ちてきたそれをパシリと握りなおして言った。

 

「この依頼はこの俺…いいや。俺たち木の実探偵が引き受けた。」

 

 

――⑤へ続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』⑤

 

【情報】クロスハートウォッチングスレpart3【求む】

 

1:名無しのフレンズ

このスレは最近街で噂の通りすがりの正義の味方、クロスハートと名乗る女の子を暖かく見守るスレです。

目撃情報や彼女の活躍を生暖かく見守りましょう。

 

154:名無しのフレンズ

例の魔女っこの目撃情報なんだけど、ちょっと前に見たよ。

なんか水色っぽいロープみたいなのでワイヤーアクション?とかそういう感じで空飛んでた。

 

155:名無しのフレンズ

>>154 やっぱしクロスハートでもクロスナイトでもクロスシンフォニーでもないんだな。

一体何者なんだ。

 

156:名無しのフレンズ

噂なんだけどさ、その魔女っこクロスラピスっていう名前みたいだよ。

この前バイクで街中を走り抜けてるとこを見たって人もいるよ。

 

157:名無しのフレンズ

ここまでのクロスラピス(仮)まとめ

①魔女っこ

②背が低い女の子

③空を飛ぶ(ワイヤーアクション?)

④バイクに乗ってる

どんな人物なのかまったくわからん…。

 

158:名無しのフレンズ

しかもさ。バイクに乗ってるの見た人の話によると、結構な大型バイクに乗ってたっぽいよ。

 

159:名無しのフレンズ

いやいや、背が低い女の子が大型バイクって…。転んだら起こせないよ。

 

160:名無しのフレンズ

ところで、そのクロスラピスは何の動物のフレンズさんなんでしょうか?

ステキなお耳と尻尾してるといいですよね。

 

161:名無しのフレンズ

>>160 今のところ目撃情報だと何かの動物のフレンズっぽい感じの話は出てないな。

 

162:名無しのフレンズ

それは残念です…。

 

163:名無しのフレンズ

クロスハートとクロスシンフォニーは色んな動物に変身してるっぽいし、クロスナイトはイヌ科の動物っぽいとはわかってるんだけどクロスラピスには耳や尻尾の目撃情報ないんだよな。

もしかしたら、フレンズじゃなくて普通のヒトって線もあるのかなあ?

 

164:名無しのフレンズ

知ってるか?

ヒトは空を飛べないんだぜ。

 

165:名無しのフレンズ

フレンズだって空は飛べないけどなw

でもワイヤーアクションみたいな事して空飛んでたらしいじゃん。

 

166:名無しのフレンズ

いやいや、ワイヤーアクションで空を飛ぶって結構大がかりな準備がいるんじゃないか?

 

167:名無しのフレンズ

しかもワイヤーアクションって目撃情報みたいに空を飛んだり出来るものじゃないんじゃないかなあ。

 

168:名無しのフレンズ

えっとね…。ちょっと話題を切るようで申し訳ないんだけどクロスハートとその魔女っこ?クロスラピス?が一緒に変なオバケみたいなのと戦ってんだけど…。

 

169:名無しのフレンズ

>>168 kwsk

 

170:名無しのフレンズ

>>168だけど、商店街に変なオバケみたいなの出たの。それでね、クロスハートとクロスラピスが来てそれと戦ってくれてるんだけどね…。

なんていうかね…。

クロスハートがえっちくなかった。

 

171:名無しのフレンズ

は?

 

172:名無しのフレンズ

えっちくないクロスハート……だと?

 

173:名無しのフレンズ

もしかして新フォームとか?

 

174:名無しのフレンズ

ええと、今、私が見てるクロスハートはイヌ科のフレンズっぽい感じの子なんだけど…。

 

175:名無しのフレンズ

イヌ科ってことはそういうフォームがあるのは確認されてるけど、やたら服の丈が短くてえっちいかったんだよな…。

 

【挿絵表示】

 

 

176:名無しのフレンズ

>>175の画像とは違った。雰囲気とか全然違う気がする。

多少フリフリはついてて可愛い感じはしたけど丈とか普通でえっちい感じはしなかったよ。

あとね…。他にも3人くらい何かの動物のフレンズっぽい子達がオバケ退治に参戦してたの。

 

177:名無しのフレンズ

は?

 

178:名無しのフレンズ

おいおい、クロスラピスに続いてさらに通りすがりの正義の味方が増えたのか?

 

179:名無しのフレンズ

クロスラピスの登場で話題が盛り上がってるとこにえっちくないクロスハートとさらに3人の追加戦士?

ほんとどうなってるんだ。

 

180:名無しのフレンズ

っていうか、まさかの実況かよ。

>>176は出来ればコテハンつけてくれると助かる。危なくないところで出来る範囲でいいから実況お願いしたい。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 エゾオオカミの言うところの“探偵の勘”は優秀だった。

 商店街の路地裏。人気のない場所で駄菓子屋の店先から消えたガチャガチャの機械を発見したのだから。

 ともかく、ガチャガチャの機械はパッと見たところ壊れたような様子もないように思える。

 まるで店先からこの路地裏に自分でやってきて場所を変えました、とでも言わんがばかりの様子だった。

 ともかく、見つかってよかった、とエゾオオカミとルリはガチャガチャの機械へと近寄る。

 触れて調べてみてもやはり壊れたところはないようだし、中身のカプセルなんかも無事だ。

 

「犯人のヤツは一体全体何がしたかったんだ?」

 

 結局、犯人のやった事はガチャガチャの機械をこの路地裏に運んだだけだった。

 起きた事件の割には犯人の行動がショボすぎると思えた。

 ともかく、とエゾオオカミは気を取り直す。

 こうしてガチャガチャの機械だって見つかってそれも無事だったのだ。

 泥棒との直接対決なんて事にならなくて一安心だ。

 

「それじゃあガチャガチャの機械を運ぼうぜ。ユキヒョウ。そっち持ってくれよ。」

「いやあ。わらわは箸より重たいものは持った事がなくてのお。」

「あ、エミさんっ!私!私が持つよっ。」

 

 早速、とばかりにガチャガチャの機械を運ぼうとしたエゾオオカミ達に突然声が掛けられた。

 

「あの。それは借り物なので勝手に持っていかれては困るのですが…。」

 

 エゾオオカミ達が驚きと共に振り返ると、そこにはレオタードのような衣装に頭に金の輪っかをつけたフレンズがいた。

 そして、その後ろにはさらに二人のフレンズ達が控えている。

 一人はセーラー服をワンピースにアレンジした衣装を身に纏ったイルカ系のフレンズで、もう一人はハンチング帽に三段フリルのスカートのアルマジロ系のフレンズに見える。

 

「勝手に持っていったら泥棒なんだよっ!」

 

 とイルカのフレンズが言う。

 泥棒呼ばわりに頭が熱くなって言い返そうとしたエゾオオカミを手で制したユキヒョウが言う。

 

「いや、これは駄菓子屋の店先にあったものじゃろ?じゃとしたら何故お主たちが持っておる?何か事情があるのかの?」

 

 そんな詰問に新たに現れた三人組は顔を見合わせて不思議そうな顔をする。

 そして三人して円陣を組むようにするとコショコショと内緒話を始めた。

 

「駄菓子屋…?ええっとお店屋さん…でしょうか。」

「という事は、そこの店員か何かか…?」

「むしろマセルカ達が泥棒?」

 

 内緒話は終わったのかパッと円陣を解くと三人は一斉に頭を下げた。

 

「「「ごめんなさい。」」」

 

 一斉に頭を下げられて戸惑うエゾオオカミ達三人。

 どうやらガチャガチャ泥棒に悪気はない事だけは分かったが、それで無罪放免とはいかない。

 ルリとエゾオオカミはユキヒョウの方を振り返った。視線で「どうしよう?」と丸投げしてしまう。

 こういう頭を使う事は確かに彼女が一番適任なのだが、さすがにこの場での丸投げはどうなんだ、とユキヒョウは苦笑する。

 とはいえ、ルリとエゾオオカミに任せても話が前に進みそうにないので、ユキヒョウは気になる事を訊いてみる事にした。

 

「で、お主たちはこのガチャガチャの機械を持って行って何をしようとしていたのじゃ?」

 

 それそれ、とルリもエゾオオカミも何度も頷いていた。

 

「ええと…。コピーしようとしてたんだ。終わったら元のところに戻しておけばいいかなーって。まさかお店屋さんの物とは思わなくて…。」

 

 とアルマジロ系のフレンズが言う。

 コピーとは何だろう?とエゾオオカミ達は三人そろって首を傾げる。

 

「ええとええと…“シード”を使ってコピーしようとしてたんだが…。」

 

 またまたよくわからない単語が出て来て再び三人に首を傾げられるアルマジロ系のフレンズ。

 そんな彼女を見兼ねたのか、イルカのフレンズが彼女の服の裾をクイクイ引っ張って言う。

 

「ねえねえ、オオセルザンコウ。実物見せちゃったら?もう出来てるし。」

「名案ですね。言葉で説明するよりもずっといいかと。」

 

 イルカのフレンズの言葉に残るレオタードのサル系フレンズも両手を合わせて頷いている。

 もう一度、謎の三人組は頷き合った。

 と、同時…。

 

―ギョォオオオオオオオッ

 

 と、三人の背後から黒い水のような何かが立ち上がったと思ったら、それが大きなガチャガチャの機械を形作り咆哮をあげた。

 

「えっとね!この子は『セルガッチャ』って言うの!」

 

 じゃーん!とばかりに両手を広げてイルカのフレンズが言う。

 巨大なガチャガチャことセルガッチャはガチャガチャの機械に蜘蛛のような虫を思わせる手足のついたセルリアンだった。

 

「「「な…っ」」」

 

 とユキヒョウ達三人は開いた口が塞がらない。

 さっきから話している妙な三人組のフレンズ。彼女達がこのセルリアンを生み出したようにしか見えない。

 泥棒なんて生易しいものじゃなかった。

 もっと恐ろしい何かが始まろうとしている。

 その予感にエゾオオカミの背筋が凍る。

 だが、悠長に驚いている場合でもなかった。

 何せこのセルガッチャがギロリ、と一つ目でエゾオオカミ達を睨みつけたからだ。

 

「ど、どう見ても…。」

「わらわ達と仲良くしようという雰囲気ではないの…。」

 

 エゾオオカミとユキヒョウはじりじりと後ずさる。

 それを見て謎の三人組のフレンズはまたも顔を見合わせてから得心したように「ああ。」と頷き合った。

 

「そっか、こっちの世界の子達って普通のフレンズだからセルリアンに襲われちゃうんだ。」

 

 イルカのフレンズが言う事は分からなくもない。だが、それでは自分達はまるで普通ではない、と言っているようではないか。

 

「私たちはセルリアンフレンズですからね。この子達を怒らせたりしなければ襲われたりはしませんが…。」

 

 そう言うサルのフレンズは頭につけた金の輪をズラして前髪をあげる。

 そこにはあったのはセルリアンの…。

 

「『石』じゃ…。」

 

 ユキヒョウの言う通り、サルのフレンズの額にあったのはセルリアンの『石』だった。

 その光景にユキヒョウには思い出される事があった。

 いつぞや皆で遊びに行ったサンドスター研究所で出会ったスザクの事だ。

 彼女は別な世界からこちらの世界へやって来た存在だ。

 ただし、セルリアンに憑りつかれたフレンズとして。

 目の前のフレンズ達がいうセルリアンフレンズとはそういう事ではないのか。

 

「ともかく、皆さんは逃げた方がいいかと思いますよ。」

 

 呆けるエゾオオカミとユキヒョウに言うサルのフレンズ。

 彼女の言う通り、セルガッチャはいよいよ二人を獲物と見たのか、四本足のうち一本を振り上げていた。

 二人…?

 ルリは?

 と気づいた瞬間…。

 

―ズドォオオオオン!

 

 とセルガッチャが横なぎに吹き飛んだ。

 その身体に水色の三つ編みが巻き付いている。

 つまり、これをしでかしたのは…。

 

「クロスラピス!?」

 

 である。

 いつの間に着替えたのか、魔女の帽子と目元を隠す仮面に短いケープを翻したクロスラピスがそこにいた。

 周辺のパイプや柱などをくぐらせて三つ編みを伸ばしてセルガッチャ捕まえてから三つ編みを元の長さに戻す事で滑車の原理を利用してウィンチを巻き上げるようにセルガッチャを引き倒したのだ。

 

「ユキさん!エミさん!逃げて!」

 

 言うが速いか、クロスラピスは再び三つ編みを操って空へと舞い上がる。

 その様子を見ながらアルマジロのフレンズが感心したような声をあげた。

 

「へえ、彼女、セルリアンじゃないか。しかも、こんなにしっかりした知性を持っているのは私たちと一緒かな?」

「ううん、あの子はわたし達セルリアンフレンズとは違うよ。」

 

 首を振って否定するイルカのセルリアンフレンズ。

 こちらの三人組はセルリアンが出ているというのに呑気なもので、宙を舞うクロスラピスの空中機動を眺めて楽しんでいた。

 まるでサーカスの空中ブランコ鑑賞でもしているかのようだ。

 

―ギョォオオオッ!

 

 そんな事は余所に、起き上がったセルガッチャは怒りの咆哮をあげた。

 

「あぁ…。いくらあの子がセルリアンでも怒らせちゃったら襲い掛かってくるなあ。」

「そうですね。」

 

 アルマジロのセルリアンフレンズの言葉に頷くサルのセルリアンフレンズ。

 三人組が見守る中でセルガッチャは自らの身体についたガチャガチャのハンドルを回す。

 当然、そうなればガチャガチャのカプセルが排出される。

 そのカプセルの中身は一体何なのか。

 カプセルが開いて中から現れたのは意外なものだった。

 

「なっ、なんでっ!?」

 

 クロスラピスが驚くのも無理はない。

 カプセルから現れたのは大きなショッピングカートのセルリアン、『ドンカート』だったからだ。

 つい先日、クロスラピス自身が『石』を砕いて倒したセルリアンが再び目の前に現れたのだ。

 そんな驚きを余所にセルガッチャはさらにハンドルを回し続けていた。

 次々とカプセルが排出されて現れるのはかつてクロスハート達が倒してきたセルリアンだった。

 カプセルから現れたセルリアン達はこの路地裏にひしめきつつある。

 

「ま、まずい。このままじゃと彼奴らが溢れ出すぞっ!」

 

 ユキヒョウは未だに状況についていけていないエゾオオカミの手を引いて路地裏を飛び出す。

 路地裏から飛び出せばそこは人の溢れる商店街だ。

 つまり、路地裏からセルリアンが溢れ出したら大惨事になってしまう。

 ここにいたってようやくエゾオオカミは我に返った。

 そうだ。

 今の自分には力があるじゃないか。

 あの日無力だった自分とは違う。

 今度は、今度こそは自分がこの商店街を守るんだ。

 その決意を胸にエゾオオカミはユキヒョウの手を振り払った。

 

「ユキヒョウ!お前は逃げろ!」

 

 言いつつその手に“リンクパフューム”を構える。

 

「リンクハート…メタモルフォーゼっ!」

 

 変身の掛け声と共に“リンクパフューム”を全身に振る。正直変身ポーズを決めている余裕はなかった。

 

「リンクエンゲージ…!ニホンオオカミスタイルッ!」

 

 それでも変身にはやはり支障はないようだった。

 全身を覆うサンドスターの輝きが晴れたとき、茶色のブレザーにピンクのチェック柄ミニスカートを翻したエゾオオカミが現れる。

 

「どおりゃあああああっ!」

 

 雄たけびと共にエゾオオカミは路地裏から躍り出ようとしていたセルリアンを殴りつける。

 それは丸形の小型セルリアンであった。

 エゾオオカミの拳を受けた小型セルリアンはパッカーンとあっさり砕け散った。

 それは本体が分身体を作り出す『レギオン』と呼ばれるセルリアンであったが、なんと運がいい事にこの一撃で見事に本体を撃破してしまったのだ。

 少しずつ数を増やしていた分身体も今のでまとめて消し飛んでしまった。

 

「へえ。貴女はどうやらセルスザク様の情報にあったクロスシンフォニー、とやらかな?」

 

 アルマジロのセルリアンフレンズが変身したエゾオオカミを見ながら感嘆の声をあげる。

 だが変身したエゾオオカミはいいや、と首を振る。

 

「違うさ。俺の名前はクロスハート。そう。通りすがりの正義の味方…。クロスハートだ。」

「そうか。クロスハート。感謝しておくよ。」

 

 アルマジロのセルリアンフレンズはサルのセルリアンフレンズに目配せする。

 それに頷いてサルのセルリアンフレンズは板状のスマートフォンのような機械を操作した。

 すると、砕け散ったセルリアンが残したサンドスターの輝きがそのスマートフォンのような機械に吸い込まれる。

 そしてその機械の上部についたスリットから一枚のメダルが吐き出された。

 

「ええ。こうして“セルメダル”を手に入れる事が出来たのですから。」

 

 サルのセルリアンフレンズが持つそのメダルには先程倒した『レギオン』と呼ばれるセルリアンの姿が刻まれている。

 

「だが、このペースではいつまで経っても終わりそうもない。」

 

 アルマジロのセルリアンフレンズは言いつつ別なメダルを取り出した。

 それはつい先日、クロスラピスが倒した『ラガーカチューシャ』の姿を刻んだものだった。

 

「だから少しばかり手伝おう。セルシコウとマセルカは“セルメダル”の回収を頼むよ。」

 

 アルマジロのセルリアンフレンズは名をオオセルザンコウと言う。

 彼女は被っていたハンチング帽をひょいと上にずらす。

 すると、前髪に隠れた額にセルリアンの『石』が露わになった。

 

「“アクセプター”…セットメダル!『ラガーカチューシャ』!」

 

 オオセルザンコウの掛け声とともに、その『石』にちょうどメダルを投入できるようなスリットが現れた。

 彼女はそこに『ラガーカチューシャ』の“セルメダル”を放り込む。

 するとオオセルザンコウの鱗を模したリストバンドが大きく伸びて形を変える。

 続けて両肩にも肩当のようなプロテクターが装着された。

 さらに帽子も形を変えてヘルメットになるとそこから目元を隠すようにバイザーが降りる。

 

「変身…しやがっただと…!?」

 

 今度はエゾオオカミが驚く番だった。

 しかもセルリアン達の群れに加えて今度はこのオオセルザンコウまで相手にしなくてはならないのだろうか。

 そう思ってエゾオオカミは身構えた。

 対してオオセルザンコウも本気の戦闘態勢に入ったようだ。

 

「『ラガースラッガー』!」

 

 腕のリストバンドから鱗を一枚伸ばしてとると、それがビール瓶のような形になり細長く伸びる。

 ちょうど野球のバットのようだ。

 それはつい昨日、クロスラピスが倒したセルリアンと同じ技だった。

 

「それでは行くよ。ラガー……ホォオオオオムランッ!」

 

 とオオセルザンコウはそのビール瓶バットを…手近にいたセルリアン…輪ゴムのセルリアンことワゴメリアンへと叩きつけた。

 

―ガッシャーン!

 

 というビール瓶の割れる音とパッカーンとセルリアンが砕ける音が同時に響いた。

 

「ど、どうなってやがる…。」

 

 エゾオオカミは意外な展開に戸惑った。

 そもそもこのセルリアン達はあの妙な三人組が生み出したものではないのか。

 だったら何故わざわざ生み出したそれを自らの手で倒しているのか。

 それにエゾオオカミはついさっきの光景を思い出す。

 あのアルマジロのセルリアンフレンズとやらは妙なメダルを使って変身しているようだった。

 

「まさか…!」

 

 宙を舞うクロスラピスはある事に気が付いた。

 それが本当ならば、自らが生み出したセルリアンを自ら倒すという一見ちぐはぐな行動も辻褄が合う。

 

「エミさん!あの子達はさっきの“セルメダル”を集めるのが目的なんだよ!」

 

 そのクロスラピスの言葉の通り、再びサルのセルリアンフレンズ、セルシコウがスマートフォンのような機械で今しがた砕かれたワゴメリアンのサンドスターの輝きを吸収している。

 そして先程と同じように排出されたメダルにはワゴメリアンの姿が刻まれていた。

 セルシコウはそれをイルカのセルリアンフレンズ、マセルカへと投げ渡す。

 

「マセルカ、それはあなたの“アクセプター”向けかと思いますよ。」

「わっふーい!ありがとうセルシコウ!」

 

 二人はそれぞれに“セルメダル”を構えると叫んだ。

 

「「“アクセプター”セットメダル!」」

 

 セルシコウは額の『石』に、マセルカはうなじの『石』にそれぞれ投入口が現れて、そこへと“セルメダル”を放り込んだ。

 

「『レギオン』!」

「『ワゴメリアン』!」

 

 まずセルシコウ。こちらはレオタード風の衣装の裾につけられた飾りのフリルが大きく変化しスカート状に。まるで燕尾服の尾のようであった。

 ただ、その割に前から見れば相変わらずレオタードが丸見えなので、かえって妖艶さが強調されている。

 そして頭の金属の輪がヘルメット状に変化。そこからバイザーが降りて目元を隠す。

 続けてマセルカ。こちらはセーラーワンピースが変化してセーラースクール水着ともいうべきものになった。

 具体的に言えば、セーラー服の襟元のカラーがついたスクール水着だろう。

 さらに露わだった両手両足にアームグローブとニーソックスが装着される。

 最後にやはりこちらもヘルメットが装着されて目元を隠すバイザーが降りた。

 

「やっぱり…!あっちも変身した…!」

 

 クロスラピスは宙を駆けてセルリアン達の注意を引き付けながらもその光景を見ていた。

 やはりあのセルリアンフレンズ達は“セルメダル”で変身するようだ。

 そして、その“セルメダル”はどうやらセルリアンを倒す事で手に入るらしい。

 つまり、セルガッチャというセルリアンを生み出す能力を持ったセルリアンを作り出して、そこからセルリアンを生み出し、“セルメダル”を回収するのが目的だったのだ。

 

「ねえねえ、セルシコウ。わたしもオオセルザンコウを手伝ってくるね。ちょっと数が多くなってきたし。」

「ええ。“セルメダル”の回収は私一人で大丈夫です。」

 

 まだセルガッチャはガチャガチャのハンドルを回し続けていた。

 そこから排出されるカプセルからかつてクロスハート達が戦ったセルリアンが生み出される。

 『アラハバキ』も『ジョア』も『ナイトメア』も『アラクネドール』も『コンダラセルリアン』も『ブラックボードスナイパー』も。

 どんどんとこの路地裏にひしめいてきた。

 到底この数の相手はクロスラピスとエゾオオカミだけでは無理だろう。

 先に商店街の方へと逃げていたユキヒョウは後ろ髪を引かれる思いだったがその場を後にして走り出した。

 自分がこの場にいてもやれる事はないだろうし邪魔にすらなるかもしれない。

 それならば助けを呼んでくる方がいくらかでも役に立つはずだ。

 

「すまぬ!ルリ…、エゾオオカミ…二人とも持ちこたえるんじゃぞ…!」

 

 ユキヒョウは二人の無事を祈る事しか出来ない悔しさをバネに全力で走るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 放課後のジャパリ女子中学校。

 そろそろ部活も終わりという頃になると、下校する生徒達の数も一旦少なくなっていた。

 運動部は夏の大会を控えて練習に余念がなく、中にはまだ居残り練習をしている生徒の姿も見られる。

 そんな中で、ともえと萌絵とイエイヌにラモリさん、それとアムールトラとかばんにサーバルとアライさんとフェネックに博士助手と賑やかな一団が家路についていた。

 アムールトラはキタキツネとギンギツネの二人を応援団へ勧誘する事に成功していた。

 そのまましばらく応援団の構想を生徒会メンバーも交えたともえ達と話し合って帰りはこの時間になっていた。

 

「とりあえず、美術部に茶道部兼オイナリ校長先生の会、あと生徒会もみんな参加だし、人数は結構集まって来たよね。」

「あとで生徒会の方でも各部活に案内を出すので、まだまだ希望者は集まると思いますよ。」

 

 先頭を歩くともえの言葉に答えるかばんの顔も明るい。

 そして、その後ろを歩くイエイヌも笑顔をアムールトラに向ける。

 

「これもアムールトラが茶道部兼オイナリ校長先生の会のみんなの参加を取り付けてくれたおかげですね。」

「本当はルリとユキヒョウとギンギツネにキタキツネも連れてきたかったんやけど、みんな今日は用事があるみたいでな。」

 

 ルリとユキヒョウはエゾオオカミとの約束があったし、キタキツネは新作ゲームがどうのと言ってギンギツネを連れて早めに帰ってしまった。

 

「ん?でも…。」

 

 とイエイヌは言いよどむ。その鼻にとある匂いが届いたからだ。

 それはユキヒョウの匂いだったが、彼女は用事があって先に帰っていたはずではなかったのか。

 その匂いはこちらに近づいているようだ。

 イエイヌがそれを不思議に思っているうちにやはりユキヒョウの姿が見えてきた。

 

「って…ユキヒョウちゃん!?」

 

 と先頭のともえが驚きの声をあげた。

 ユキヒョウは息も絶え絶えという様子で辛うじて走っている、という様子だったからだ。

 ただごとではない様子にその場の全員が走ってユキヒョウの元へ急ぐ。

 もう倒れ込みそうなユキヒョウを見た瞬間、アムールトラは弾かれたように飛び出していた。

 

「どないした!?ユキヒョウ、何があった!」

 

 ユキヒョウが倒れ込む前に辛うじて抱きとめる。

 アムールトラはユキヒョウがこんなになるまで無理をする姿は見た事がない。それだけでも何か大変な事が起きている事は察しがついた。

 それに何よりルリがいない。一緒ではないのか。

 聞きたい事は沢山あるがユキヒョウ自身だって心配だ。

 

「セルリアンじゃ。」

 

 ユキヒョウはどうにかそれだけを言えた。

 その言葉を聞くや否や、アムールトラは走り出そうとした。

 しかしユキヒョウに止められる。

 汗だくで髪も乱れているものの、その眼光だけはいつもと変わらなかった。

 

「まったく。走ってどこへ行けばよいのかわかっておらぬじゃろ。」

 

 確かに言われてみればその通りだった。

 イエイヌが水筒に入れていたお茶を渡して萌絵が背中をさすってやるとユキヒョウも少しは息が整ってきたようだ。

 

「商店街じゃ。そこでクロスラピスとエゾオオカミが戦っておる。」

 

 ユキヒョウはつい今しがた商店街で起こった出来事を語った。

 謎の三人組がセルリアンを生み出した事。

 大量のセルリアンが現れた事。

 そしてその謎の三人組が変身した事。

 それを聞いた一同は思わぬ事態に言葉を失った。

 エゾオオカミというフレンズについてはよくわからないが、謎の三人組と大量のセルリアンを相手にクロスラピス…つまりルリが戦っているという事だろうか。

 という事は一刻を争う事態なのかもしれない。

 なのに、今度はアムールトラの足が動かない。

 なんでだ、と足を見ても何も異常はない。

 アムールトラの足を止めていたのは迷いだった。

 ルリは自分でクロスラピスになって戦う事を選んだ。けれども自分はそんな彼女を止めたいと思っている。

 いま、助けに行く事はきっと出来るだろう。

 だけれどもその先に自分はルリにもう戦うな、と言うつもりなのだろうか。

 

「(迷うのなんか後でも出来るやろ!今はルリのところに行くのが先やろうが!)」

 

 アムールトラは思って足を動かそうとするが、それでも足は動いてくれない。

 怖かったのだ。

 かつて自分はルリの為と一人で戦い、友達に迷惑を掛けてしまったしあまつさえ取り返しのつかない事態になるところだった。

 また同じ間違いをしてしまったら…。

 いま、アムールトラの足を止めているのはそうした恐怖と迷いだった。

 

「アムールトラ。」

 

 そうして迷うアムールトラの肩に手が置かれる。

 それはイエイヌの手だった。

 

「貴女は言っていました。ルリさんは貴女の一番大事だ、と。わたしはそれを間違っているなんて思いませんよ。」

 

 迷っている事を見透かされたアムールトラは驚きに一瞬固まる。

 そんな彼女にイエイヌは続ける。

 

「そりゃあわかりますよ。貴女とわたしは似ていますからね。やらなきゃいけない事があるのにどうしていいのかわからずに立ち止まってしまうところまでそっくりです。」

 

 そこまでを言うとイエイヌはアムールトラの肩から手を離して踵を返す。

 

「先に行っていますよ。アムールトラ。」

 

 言ってイエイヌは首元のチョーカーに触れて叫ぶ。

 

「変身っ!」

 

 クロスナイトに変身したイエイヌは、言う事は言ったとばかりに商店街へと向けてあっという間に消えてしまった。

 

「ともえさん、ボク達も。」

「うん。萌絵お姉ちゃん、ユキヒョウちゃんをお願いね。」

 

 続いて変身したクロスハートとクロスシンフォニーも同じように商店街へと向けて走り始めた。

 その場にはユキヒョウを抱えたアムールトラと見守る萌絵とラモリさんだけが残される。

 ここに至ってアムールトラの胸の中には何とも言いようのないムズムズした感触が残されていた。

 イエイヌは言ってくれた。

 ルリを想う事が間違ってはいないんだ、と。

 そして先に行く。と。

 それは後から来る事を待っているという事だ。

 一番迷惑を掛けてしまった彼女がそこまで言ってくれるのにここで動かないはずがない。

 

「ユキヒョウ。悪いけどウチも行くな。ウチはルリにどうして欲しいとか色々迷ってる。けど…、迷ったまま何もせんなんて我慢ならんわ。」

 

 アムールトラはユキヒョウを萌絵に預けた。

 

「まあ待て。アムールトラ。」

 

 しかし、ユキヒョウはアムールトラをまたしても引き留める。

 ここまでの全力疾走で立ち上がるのもようやくという有り様ではあったけれど、それでも萌絵の肩を借りて立ち上がる。

 

「わらわが言うのはちと卑怯な気がしなくもないがの…。ルリの一番の望みはの…。お主の隣にいる事じゃよ。」

 

 その一言は掛け違えたボタンを掛け直したかのようだった。

 そうだとも。

 自分はルリを籠の中に閉じ込めておきたかったわけじゃない。

 そしてルリは自分に守られるだけだった事だって心苦しかったのだ。

 だからルリがクロスラピスになったその日からどうにもスレ違いがあるかのようなぎこちなさがずっと付いて回っていた。

 

「じゃからな。アムールトラ。ルリと一緒に戦ってやってくれんか。」

 

 言いつつユキヒョウはリュックから一つの風呂敷包みを取り出した。

 ここに来るまでに学生鞄は走るのに邪魔だから放り出してしまったが、これは捨てずにここまで持ってきた。

 それは大切なものだったからだ。

 親友が親友と共に戦う為に準備をしておいたものなのだから捨てられるはずがなかった。

 中身はクロスラピスとお揃いの短いケープに目元を隠す仮面。そしてシルクハットだった。

 ユキヒョウはそれをアムールトラへと着せていく。

 

「これはお主にしか頼めぬ事じゃ。ルリを。クロスラピスを頼む。」

 

 それにアムールトラは頷いた。

 

「ああ。任せとけ。」

 

 その頷きにユキヒョウも満足そうに頷きを返す。

 …と。

 

―ギュギャギャギャギャッ!

 

 と凄まじいタイヤの滑る音が近づいてきた。

 何事かとそちらを見れば…。

 

「ラモリケンタウロス!?」

 

 が走って来ていた。

 

「ヨウ。お嬢さん。お急ぎだろウ?」

 

 それはラモリさんがリモートコントロールで呼び出していたものだ。

 つい先ほどドクター遠坂に要請していたアップデートがこれだった。

 リモートコントロールでラモリケンタウロスを呼び出す機能とイエイヌ以外を乗せても大丈夫なように重量バランスなどの計算をしなおしたOSアップデートをしていた。

 確かにこれなら商店街までも短時間で辿り着けるはずだ。

 

「もう!ラモリさん!今日はどうしちゃったの!すっごいカッコいいよっ!」

「俺はいつでもカッコいいだろうガ。」

 

 萌絵に手放しで褒められてそんな事を言いつつも、もしも表情を変える機能があったのならラモリさんは赤面していただろう。

 

「さあ。乗っていきナ。お前さんのお姫様を待たせてルんだろウ?」

 

 言いつつラモリケンタウロスの馬の頭に当たる部分にある窪みに収まるラモリさん。

 

「はは、随分なタクシーやないか。でも助かるで。」

 

 短いケープを翻し、ラモリケンタウロスに跨るアムールトラ。

 と、ふと一つ疑問が生まれた。

 

「あ、そうや。ユキヒョウ。ウチはこの格好ん時は何て名乗ればええんやろ?……クロスビースト、とかにしとく?」

「あほう。」

 

 ユキヒョウはそんなアムールトラに近づくとペチンとデコピンを喰らわせた。

 

「誰がそんな下世話な名前を付けてやるものか。ちゃんとルリと一緒に考えてあるわ。」

 

 デコピンは全く痛くはなかった。

 が、どうやらルリもユキヒョウもずっと自分の事を待っていてくれたのだ、とわかった。

 それに、自分で言っておいてなんだがビーストを名乗るのは勘弁願いたいところでもあったしそれを理解してくれていた事も嬉しかった。

 

「お主の名は……。」

 

 だからユキヒョウが耳元に囁いた名前は自然と受け入れられた。

 アムールトラはもう一度頷くと、今度こそ前を向く。

 

「ほなラモリさん!思いっきり飛ばしたって!」

「任せロ。ラモリケンタウロス、ペガサスモードッ!」

 

 ラモリさんの掛け声とともに、ラモリケンタウロスの胴体の一部が開いて翼とジェットエンジンのようなものが現れる。

 それに、ふとアムールトラはドクター遠坂が言っていた言葉を思い出してしまった。

 

『短時間なら飛行も出来るけど、まだ飛行制御プログラムは出来てないから使っちゃダメだよ。』

 

 文字通り本気で『飛ばす』気らしいと悟ったアムールトラは獰猛に笑った。

 

「上等!」

 

 と言うアムールトラに応じてラモリさんもジェットエンジンに火を入れた。

 ジェットエンジンの噴射で空気が揺れてもう近づく事も出来そうにない。

 けれども…、せっかくだし、とユキヒョウは萌絵の方に目配せする。

 見送る側にも作法というか景気づけというかそういうものがあるだろう、と。

 萌絵も、ユキヒョウが何をしたいのか正確に理解した。

 なので、切り火がわりに萌絵とユキヒョウは腕を真っ直ぐ伸ばして二人でポーズを決めるとこう叫んだ。

 

「「ラモリケンタウロス、発進ッ!」」

 

 と同時、暖気を終えたジェットエンジンが本格的に噴射を始めてラモリケンタウロスとアムールトラは砲弾の如く空へと射出された。

 

 

――⑥へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』⑥

 商店街の路地裏。

 そこでは奇妙な共同戦線が繰り広げられていた。

 クロスラピス&エゾオオカミのコンビとオオセルザンコウとマセルカのコンビの二組だ。

 お互いに連携をするでもなく、かといって敵対するわけでもない。

 クロスラピス達から見れば敵の敵、というだけで味方とは言えない相手だ。

 それとは別にクロスラピス達を悩ませる問題がもう一つあった。

 それは“セルメダル”の事である。

 クロスラピスとエゾオオカミがセルリアンを倒すとセルシコウが“セルメダル”を回収してしまう。

 彼女達が“セルメダル”を集めて何をするつもりなのかまではまだわからないが、よくない予感がする。

 とは言え、このセルリアン達を倒さないと商店街に被害が出る。

 クロスラピス達に戦わない選択肢はなかった。

 

「エミさんっ!」

 

 クロスラピスは機動力を活かしてエゾオオカミを抱えてセルリアンの『石』へと回り込む。

 

「おうよ!」

 

 そして、エゾオオカミが『石』を砕いてセルリアンをサンドスターへ還していく。

 つい先日戦ったのと同じ、再生『ドンカート』もこの方法で再びやっつけた。

 このセルリアンと直接対決したクロスラピスにはわかるのだが、どうもセルガッチャから現れたセルリアン達は元のセルリアンよりもスピードもパワーも劣っているように思えた。

 なので、クロスラピスとエゾオオカミの二人でも何とかなっていた。

 それに一方で共同戦線を敷いているオオセルザンコウとマセルカの二人の活躍も凄まじいものだった。

 

「『ラガーミサイルッ!』」

 

 とオオセルザンコウが鱗を変化させたビール瓶ミサイルを連続発射するのにあわせてマセルカが突撃する。

 まるで弾幕の中をミサイルと一緒に飛ぶように飛び跳ねるマセルカ。

 その動きは輪ゴムのセルリアンであるワゴメリアンの弾性を利用したものだった。

 オオセルザンコウが足止めしている間にマセルカが『石』へと取りつき一撃で砕いてしまう。

 クロスラピスもエゾオオカミも同じことを考えていた。

 あの二人の方がセルリアンの群れよりも強敵だ、と。

 そして残るセルシコウは先程からセルリアンが倒される度にスマートフォンのような機械を操作して“セルメダル”を回収していた。

 クロスラピスも何度かその機械を奪えないか、と狙ってみた事はある。

 けれどセルシコウはその度にクロスラピスに気づいてるよ、とばかりに視線を送ってくるのだ。

 うかつに仕掛ければ手痛い反撃を予感させるには十分過ぎた。

 とにかく、この共同戦線のおかげで再生セルリアン達もあっという間にその数を減らしていた。

 残るはセルガッチャのみである。

 既に周囲を飛び回っている間にクロスラピスはセルガッチャの『石』を見つけていた。

 セルリアンの頭頂部、ガチャガチャで言えば天板の部分だ。

 本来であれば鍵穴があるべき部分に『石』があった。

 

「なら一気に叩くぞ!」

「うんっ!もう一回行くよ、エミさんっ!」

 

 エゾオオカミがセルガッチャの足元に潜り込んで足の一本を思いっきり殴りつける。

 それで転びはしないがセルガッチャが体勢を崩した。

 そこをすかさずクロスラピスがセルガッチャの股下を縫うかのように空中を駆け抜けてエゾオオカミを拾い上げる。

 そのまま周囲の壁を三つ編みで掴んで二人ごと身体を引き上げると一気にセルガッチャの頭上に躍り出た。

 

「じゃあお願い!」

「任せろ!」

 

 クロスラピスはセルガッチャの『石』へ向けてエゾオオカミをぶん投げた。

 一気に『石』へ肉薄したエゾオオカミは右手にサンドスターの輝きを集める。

 

「いくぜぇ!『天上ッ!ぶち抜きボォオオイスッ!』」

 

 叫びと共にエゾオオカミはその右手をセルガッチャの『石』へと叩きつけた。

 その一撃で『石』にはヒビが入って、そのまま…。

 

―パッカーン!

 

 と砕け散る。

 叫びを咆哮がわりに発動させたのはちょうどイエイヌの『ウォーハウリング』と似た技であった。

 『天上ぶち抜きボイス』は一時的に攻撃力を引き上げるバフ技なのだ。

 

「(よし…!やれる!俺でも十分この化け物共と戦える…!)」

 

 着地したエゾオオカミは拳を握りしめる。

 あれだけいたセルリアンの群れもこれで綺麗サッパリだ。

 だが戦いが終わったわけではない。

 オオセルザンコウ、マセルカ、そしてセルガッチャの“セルメダル”までも回収を終えたセルシコウの三人がエゾオオカミと対峙する。

 エゾオオカミもまた拳を握って構えなおした。その背中に再びイヤな汗が浮かぶ。

 ハッキリ言ってこの三人の方が強敵だ。

 そして、あちらも素直にエゾオオカミ達を見逃すつもりはないようだ。

 

「さて。出来れば手荒な事はしたくないので大人しくしてくれ。」

 

 オオセルザンコウが誘うように手を伸ばした瞬間。

 

―バッ

 

 と、エゾオオカミの視界が横に流れた。

 それはクロスラピスが横合いからエゾオオカミを掻っ攫ったからだった。

 そのまま空中を飛びながら逃げの一手だ。

 

「ちょ…!?ルリ、なんでっ!?」

「このまま2対3じゃ絶対勝ち目なんかないよ。あの人たち…凄く強い。」

 

 突然の出来事に思わず変身前の呼び名を呼んでしまうエゾオオカミにルリは冷静に返した。

 確かにそれはエゾオオカミも思っていた事だ。

 そして、セルリアンを倒したいま、この商店街の近くで戦う必要もなくなった。

 それに騒ぎを聞きつけたのか路地裏を覗き込む商店街にいた人の姿もチラホラと見てとれる。これ以上ここで戦うのは得策とは思えない。

 おそらくあの3人組は商店街の人達に危害を加えるような事はしないだろう。

 だったら確かに逃げてしまうのが最もよい選択肢に思える。

 問題は大人しく逃がしてくれるかどうかだが…。

 オオセルザンコウは伸ばした手の行き場をなくして肩をすくめた。

 

「まあ振られたわけだけれども…。そう簡単には逃がさないよ!」

 

 オオセルザンコウは膝を抱えるようにして丸くなると激しくスピン。

 そのまままるで回転するタイヤのように地面を猛スピードで追撃しはじめた。

 

「ねえねえ、オオセルザンコウ?なんであの子達を追いかけてるの?」

 

 その横を走って追いかけながら訊ねるマセルカ。

 

「そうですね…。クロスハートと名乗った方は割とどうでもいいけど、あのセルリアンの子は仲間にしたいから、ってところでしょうか。」

 

 とセルシコウもまた走って追いついて見せた。

 

「ああ。あの子は多分、女王級になれる可能性を秘めている。この世界の輝きを保全するにあたっては協力して欲しい。」

 

 と先頭を行くオオセルザンコウがセルシコウに同意の言葉を返す。

 それに頷きを返してからセルシコウも言う。

 

「それならばオオセルザンコウ。あなたがあのセルリアンの子を。私はあちらのクロスハート、とやらの相手をしましょう。」

「じゃあマセルカは…えーっとえーっと…どうしよう!?相手がいないよっ!?」

 

 そうして慌てるマセルカにオオセルザンコウは一つ苦笑する。

 

「ならマセルカは待機だ。念のため周囲を警戒していてくれ。」

「ちぇー。わかったよっ。退屈そうだけど仕方ないね。」

 

 そうしてあっという間にクロスラピスもエゾオオカミもそしてセルリアンフレンズ三人組もいずこかへ消えていった。

 

「あ、あわわ……。え、えらいもの見ちゃった……。」

 

 スマートフォンを片手にその光景を見守っていた高校生くらいの女の子が一人。

 驚きながらも音声入力モードにしたスマートフォンでとある電子掲示板に書き込みをしていた。

 その日、クロスハートウォッチングスレは固定ハンドルネーム『Seven』の実況のおかげで大いに盛り上がる事となったのだがそれはまた別のお話である。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 クロスラピスとエゾオオカミの二人は近くにある公園へと場所を移した。

 もうすぐ夕暮れも近いこの時間なら人も少ないし、十分な広さがある。

 セルリアンフレンズ三人組を振り切る事が出来なかったとなれば、下手な場所で戦いになるよりはここで迎え撃つ方がいいように思えた。

 周囲に大きな木々が生えた遊歩道。

 ここならクロスラピスの機動力を最大限発揮出来るだろう。

 クロスラピスがエゾオオカミを連れて降り立つと、追っていたオオセルザンコウ達も立ち止まる。

 再び場所を変えて2対3で対峙する。

 最初に口を開いたのはオオセルザンコウだった。

 

「ようやく観念したのかな?」

 

 しかし、それにクロスラピスは無言のまま首を横に振る。

 予想通りの反応にオオセルザンコウはまたも肩をすくめてから続ける。

 

「そうか。ならば仕方がない。少々手荒になるが許して欲しい。」

 

 その言葉と同時にセルシコウが飛び出した。

 凄まじい速さで一気に間合いを詰めてエゾオオカミに躍りかかる。

 

「クロスラピス!離れてろ!」

 

 エゾオオカミも迎撃の構えだ。クロスラピスが彼女と接敵する事だけは避けなければならない。

 となればセルシコウはここでエゾオオカミが迎え撃つ他ない。

 

「うぉりゃあああっ!」

 

 覚悟と共にエゾオオカミは真正面からセルシコウに拳を打ち込む……、が。

 

―スルリ

 

 とイヤな手応えと共に見事に受け流されていた。

 それだけではない。

 受け流したあと、身体が前のめりになってしまったエゾオオカミの手をセルシコウが掴んで…。

 

「えい。」

「うぉ、ちょ…うわぁあああああっ!?」

 

 と軽い掛け声と共に豪快な一本背負いの要領で遠く空の彼方へぶん投げて見せた。

 さらに…。

 

「分身…!」

 

 とセルシコウが二人に増えたではないか。

 それは『レギオン』と呼ばれるセルリアンの能力を応用したものだ。

 一人目のセルシコウが二人目のセルシコウの肩を踏み台に空中に投げ飛ばされたエゾオオカミへ向けて飛んだ。

 

「エミさんっ!」

 

 追撃はさせない、とクロスラピスも三つ編みを操りセルシコウを追いかけようとした。

 しかし。

 

「おっと。そうはさせない!」

 

 オオセルザンコウが鱗を変化させた『ラガーミサイル』を放って弾幕を張って来た。

 ちょうど二人を分断するように張られた弾幕に思わずクロスラピスも制動をかけざるを得なかった。

 そしてセルシコウは空中に放り出されたエゾオオカミにそっと手のひらをあてて…。

 

―ズドン!

 

 と掌底でさらに遠くへと吹き飛ばしてしまった。

 

「ではオオセルザンコウ。そちらは任せましたよ。」

 

 分身した二人目のセルシコウは言うとゆっくりとした足取りでエゾオオカミが吹っ飛ばされていった方へと歩いていった。

 すっかり孤立した格好のクロスラピス。

 どうやらこれが狙いだったらしいと気づいた時には既に相手の術中だった。

 

「さて…。それではゆっくり話をしたいが、その前に大人しくしてもらわないとね。」

 

 オオセルザンコウはゆっくりとクロスラピスへと歩み寄る。

 マセルカは、と言えば手近な芝生に座り込んで観戦を決め込んでいた。

 オオセルザンコウは確かに強いし、そして防御力も高い。

 弱点である『石』はヘルメットに覆われて今は見えなくなっている。

 特に火力の低いクロスラピスでは相性が悪すぎる相手だった。

 だがしかし、オオセルザンコウにも決め手はないように思えた。

 彼女は空を飛ぶ事は出来ないようだし、遠距離攻撃の『ラガーミサイル』だって昨日もかわしきって見せたのだ。

 ともかく、何とかしてオオセルザンコウを足止めしてその隙にエゾオオカミを回収して逃げ切る、とクロスラピスは頭の中で考えていた。

 オオセルザンコウはと言えば…、鱗を変化させたビール瓶を両手に構える。

 そしてそれをシャカシャカとよく振ると、その先端をクロスラピスへ向けて親指で栓を抜いた。

 

―ブシャアアアアアアアアアアッ!

 

 と勢いよく吹き出すビールがクロスラピスへと襲い掛かる。

 が、かえってそれは『ラガーミサイル』よりも遅い。十分な余裕をもって三つ編みの一本で木を掴んで回避したクロスラピス。

 だが、オオセルザンコウはそれでも次々とビール瓶を構えては吹き出すビールを矢継ぎ早に繰り出してきた。

 右に左に上に下に、縦横無尽の空中機動でそれら全てをかわしてのけるクロスラピス。

 

「(おかしい。)」

 

 とクロスラピスは考える。

 こうなる事は予想済みなんじゃないのか。

 そもそも『ラガーミサイル』の方が突然軌道が変わったりするし、弾速だって速いし、弾幕だってそちらの方が濃密だ。

 なのに、オオセルザンコウは『ラガーミサイル』を使わずに執拗にビールを浴びせかけてくる。

 何か狙いがあるんじゃないだろうか…、と思ったクロスラピスの視界がぼんやりとかすみはじめた。

 しかもオオセルザンコウの姿が二人に見える。

 もしや先程のセルシコウのように分身能力まで持っていたという事だろうか。

 それどころか今度は目がぐるぐると回りはじめた。

 何かがおかしい、と頭を振ってもやを吹き飛ばそうとするクロスラピスだったが、どんどん視界のもやは広がっているような気がする。

 さらには考えも上手くまとまらなくなってきたというのに不思議と悪い気分ではなかった。

 

「『ラガースプラッシュ』という技なんだけどね。……この技にはこういう使い方もあるのさ。」

 

 オオセルザンコウはニヤリとして見せた。

 一発だって当たっていなかったのに何故、と鈍くなった頭でクロスラピスは考える。

 

「簡単さ。いくらビールそのものをかわし切ったとしても霧状になったビールまではかわし切れないだろう?」

 

 チェックメイト、とばかりにオオセルザンコウはクロスラピスに指を突きつける。

 

「つまり今のキミは霧状のアルコールを吸ってしまって酔っぱらってしまった、というわけさ。」

 

 そんなバカな、と思ってもそれは事実だった。

 クロスラピスの両脚は既に重く頭もモヤがかかったように思考もまとまらない。

 何とか三つ編みを伸ばそうとしたクロスラピスにオオセルザンコウが静止の声をあげる。

 

「おっと、それはやめた方がいい。酔っ払い運転ならぬ酔っ払い飛行は事故のもとだとも。」

 

 確かにこれでは得意の空中機動も満足に出来そうにない。

 そして、それがなければ最早クロスラピスにはオオセルザンコウに対抗する術は残されていない。

 

「さて。これでゆっくり話を出来る。場所をかえようか。」

 

 オオセルザンコウはゆっくりとクロスラピスへ近づいていく。

 そしてゆっくりとクロスラピスへと向けて手を伸ばす。

 万事休すか、とクロスラピスも仮面の下の瞳を固く瞑った。

 が…。

 

「ねえ、オオセルザンコウ。何か来るよ。」

 

 とその手を近くの芝生に座って観戦中のマセルカが止めた。

 それにオオセルザンコウも手を止めて空を振り仰ぐ。と…。

 

―キィイイイイッ!

 

 というジェット音が近づいてきたかと思ったら…。

 

―ズシャァアアアアアアッ!

 

 と空から降って来た何かがクロスラピスとオオセルザンコウの間を割った。

 そのよくわからないものにオオセルザンコウも目を丸くする。

 パッと見は四つ足の馬のように見えるが、頭の部分にラッキービーストがいる。

 という事は何かの機械なのだろう。

 そして、その機械の馬にまたがるのはこれまた奇妙なフレンズだった。

 クロスラピスと同じような仮面で目元を隠しお揃いのケープを纏っている。

 そして頭にはシルクハット。

 そこから開いた耳を通す穴からピョコンと猫科の耳が飛び出ている。

 

「へぇ。公園に落下した時は狙いを間違えたんかと思ったけどドンピシャやないか。やるやん。見直したで。」

「ア、ア、ア、アタリマエだろう。ケ、計算通りダ。」

 

 その機械の馬に跨った奇妙なフレンズは馬の頭にいるラッキービーストに言う。

 明らかにラッキービーストが慌てたようにしていたが、そこにツッコミを入れないのはそれが最も望んだ結果だったからだろう。

 この機械の馬は4つ足についたタイヤでまるで滑るように移動するのが特徴のようだ。

 そして、空から降って来て着地と同時に滑るようにしてクロスラピスを掻っ攫っていっていた。

 いま、クロスラピスはその奇妙なフレンズの腕の中にいた。

 自分の目的を邪魔する新たな闖入者にオオセルザンコウはイラ立ちを覚える。

 

「キミは一体何者なんだ。」

 

 と詰問するも、そのシルクハットのフレンズはオオセルザンコウに答える様子はない。

 

「ほら、立てるな?」

 

 とクロスラピスをお姫様抱っこ状態から地面に降ろし、自らも機械の馬から降り立つ。

 クロスラピスはと言えば未だ起こっている事態についていけていないようにポカンとしたままだ。

 そんな様子のクロスラピスに、新たに現れたフレンズの方はほっぺたをポリポリと掻いて照れくさそうにしている。

 

「その…。待たせて悪かった。」

 

 そうしてからクロスラピスの仮面の奥の瞳を覗き込むようにしてシルクハットのフレンズは続ける。

 

「せやけどな。ようやく覚悟を決めてきたで。ルリが戦うならウチも一緒に戦う。ルリが傷つく時はウチも一緒に傷つく。ルリの側にずっといる。」

 

 シルクハットのフレンズはそれを言ってからオオセルザンコウの方へ向き直った。

 

「ウチが何者か、やったな。」

 

 一歩をオオセルザンコウの方へと踏み出すそのフレンズ。

 その足元から立ち上る“けものプラズム”が生み出すサンドスターの輝きから、ただ者ではない事が伺える。

 

「ウチの名前はクロスラズリ。通りすがりの正義の味方、クロスラズリ。クロスラピスのパートナーや。」

 

 ようやく我に返ったクロスラピスはクロスラズリと名乗ったフレンズに嬉しそうに抱き着くようにしてから言った。

 

「クロスラズリ…。一体何ールトラなんだ…。」

「だから殆ど言ってもうてるやん。」

 

 クロスラズリの方もその肩を抱きよせ苦笑と共にそんな事を言った。

 しかし、何かに気づいたように「あ。」と声をあげるクロスラズリ。

 

「クロスラピス。あれ、やり忘れてたわ。」

 

 そのクロスラズリの言葉にクロスラピスもオオセルザンコウも観戦していたマセルカも一様に?マークを浮かべる。

 クロスラズリはさらにもう一歩を踏み出しつつ、コホンと一つ咳払いをする。

 

「我ら今は半輝石!」

 

 そのクロスラズリの唐突な叫びにクロスラピスだけがパッと顔を輝かせてパタパタ、とその隣に並ぶ。

 

「だけどいつかは奇跡を起こし輝石になろう!」

 

 と隣に並んだクロスラピスがその後を続ける。

 

「クロスラピス!」

「クロスラズリ。」

 

 そして二人揃って左右対称のポーズを決めて…。

 

「「二人揃って…。」」

 

 と声を揃えて二人のチーム名を高らかに宣言した。

 

「「クロスジュエルッ!!」」

 

 

――⑦へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』⑦

 

 吹き飛ばされたエゾオオカミはどうにか着地を決めた。

 クロスラピスとはかなり距離を離されてしまったが身体にダメージは残っていないようだ。

 おそらく、セルシコウは大分手加減をしていたのだろう。

 追撃に放った掌底も殴りつけるというよりも『押す』という方が正しい一撃だった。

 おかげで遠くに追いやられてはしまったものの身体へのダメージは残っていないのだろう。

 ただ、それはいい事ばかりではなかった。

 なにせ、エゾオオカミはそういう芸当が出来る強敵とこれから戦わなくてはならないのだから。

 

「ちっ…、冗談キツイぜ。」

 

 そしてさらに悪い事には目の前までやって来たセルシコウは二人に増えていた。

 ただでさえ強いセルシコウが二人。

 どちらかが本物でどちらかが偽物だとしても一人に集中できない以上不利は否めない。

 そして、もしも二人ともが同じ強さを持っているのだとしたら…、状況は最悪だった。

 とにもかくにも嘆いたところで仕方がない。

 今はクロスラピスのピンチなのだ。どうにかしてそこへ駆けつけて加勢しなくてはならない。

 しかもクロスラピス達がいるであろう方角につい先ほどジェットエンジンの轟音を立てる何かが落ちていた。

 一刻も早くクロスラピスの無事を確かめたい。

 エゾオオカミは拳を握って構えなおした。

 

「あくまで戦うおつもりですね。」

 

 それを見てとったセルシコウもゆっくりと構えをとる。

 二人のセルシコウが左右対称の構えをとってみせた。

 自分のものとは違ってそれだけでも洗練された技を感じさせる構えだ。

 だが負けるわけにはいかない。

 

「(大振りはダメだ。さっきと同じようになる。)」

 

 両の拳を肩の高さに挙げたエゾオオカミ。ボクシングスタイルだ。

 細かいジャブで牽制しつつ相手の防御を崩して本命のストレートを叩きこむ事を基本とするオーソドックススタイルだ。

 確かテレビで見たボクシングではそんな事を言っていた。

 そのエゾオオカミの構えを見てセルシコウは嘆息のため息をついた。つまらない、とでも言うように。

 

「つまらないかどうかは試してからにしやがれ…!」

 

―ダッ

 

 と一気にエゾオオカミが踏み込み間合いを詰める。

 その間も決して二人のセルシコウから目を逸らさない。

 突撃にも動かないのを見てから左のジャブを繰り出す。

 一発目は先ほどと同じように手で払われたが体重を乗せていない分、それで体勢が崩れる事もない。

 即座に戻して二発目、三発目、と左のジャブを矢継ぎ早に繰り出す。

 セルシコウも相手の腕を掴んで投げ技に持ち込む事が難しいと悟るとスゥエーでの回避に徹した。

 しかし、二人のセルシコウに対してジャブを打ち込んでも全く崩せる気配がない。

 何とか隙を作り出さないと本命の右ストレートを打ち込めない。

 対するセルシコウは余裕の表情だ。

 おそらく二人に分身していなくても一発だって命中する事はないだろう。

 

「そろそろよろしいですか?」

 

 言いつつセルシコウは揃って大きく後ろに飛び退って間を開ける。

 エゾオオカミがどういう戦い方をするのか、実力差を埋める為に何をするのか興味があったがそれも試し終わった。

 仕切り直して対峙しなおすエゾオオカミとセルシコウ。

 

「いくぜ。」

「ええ。」

 

 エゾオオカミも同じ戦い方をしても無駄なのはわかっていた。

 先ほどは様子見をしてくれたセルシコウも今度は反撃に転じてくるはずだ。

 ならば、とエゾオオカミも覚悟を決める。

 

―ダッ

 

 再びエゾオオカミが地を蹴りセルシコウとの間合いを詰める。

 両腕のガードを上げて顔から胸あたりを重点的に守る構えだ。

 おそらくセルシコウが狙っているのはカウンターだろう。

 だったら、とスピードを緩める事なく体当たりを仕掛ける勢いで肉薄する。

 まだ手は出さない。

 セルシコウが動けばそこで対応してこちらも拳を繰り出す。

 お互いにカウンター狙いのチキンレースの始まりだ。

 このまま行けば正面衝突だがそれだって望むところだ。

 ともかく、二人のセルシコウどちらかにダメージを与えて取っ掛かりを作らなければならない。

 エゾオオカミ自身も無事では済まないだろうが、そこは何とか気力と根性でカバーするしかあるまい。

 この攻防で有利なのはエゾオオカミの方に思えた。

 だが、互いに動く事はない。

 

「(だったら頭を叩きこんでやる!)」

 

 決してセルシコウから目を離さずに突っ込んでいくエゾオオカミ。

 狙いは頭突きだ。

 これを鼻っ柱にでも叩き込んでやれば上手くいけば一人はしばらく動けなくする事くらい出来るかもしれない。

 覚悟を決めてさらに加速。

 途中で迎撃の拳なり何なりはもらうかもしれないが、その為に両腕でガードを固めている。

 急所さえ守っていればそうそう押し止められる事もないだろう。

 いよいよ蹴りの距離から拳の距離、肘、膝の距離を越えてエゾオオカミとセルシコウの距離が近づく。

 このまま狙い通り頭突きを叩きこもうかと思ったところ…、

 

「!?」

 

 ふ、とセルシコウがくるりと後ろを向いた。

 何のつもりかと訝しむエゾオオカミであったが、直後、何故か天地が逆転したかのように視界が流れると背中に衝撃が走った。

 

「がっ…。」

 

 とエゾオオカミの口から吐息が漏れる。

 いつの間にかエゾオオカミは背中から仰向けに地面に転がされていた。

 何故、と訝しむエゾオオカミ。

 答えはセルシコウがコンパクトに折りたたんだ下段回し蹴りでエゾオオカミの足を払ったからなのだが、距離が近すぎてそれを認識する事すらできなかったのだ。

 

「諦めなさい。クロスハート。貴女と私では腕が違い過ぎます。」

 

 見下ろすようにエゾオオカミを見つめるセルシコウ。

 そこから踏みつけで止めを刺す事だって出来るし、どうにでも料理できるだろう。

 エゾオオカミにもそれは理解できた。

 セルシコウがまだまだ手を抜いているであろうことも。

 つまりどう逆立ちしたところで勝ち目などない。

 だが…。

 

「へ…。諦めるってのだけはどうにもな…。」

 

 本物のヒーローだったら…、本物のクロスハートだったなら諦めたりはしないだろう。

 まがりなりにもクロスハートを名乗るのであれば、勝てないからと言って諦める事だけは出来ない。

 それがエゾオオカミに残された最後の意地だった。

 

「そうですか。ではしばらく眠っていて下さい。さようなら、クロスハート。」

 

 セルシコウはエゾオオカミの意識を刈り取るべく足を振り上げた。

 エゾオオカミは背中を強打した影響でまだ動けない。その止めの一撃をかわす事は出来ない。

 が…。

 

「えー?まだ会ったばっかりなのにさよならなの?」

 

 と唐突に後ろから声が掛けられた。

 

「!?」

 

 それは予想外だったのか、二人のセルシコウも同時にバッとエゾオオカミから離れて振り返る。

 振り返った先にいたのはやたらと丈の短い服を着たフレンズだった。

 ピンと立った耳とふさふさの尻尾から察するにイヌ科のフレンズかと思えた。

 

「何者ですか。」

 

 いつの間に現れたのか。

 目の前の相手に集中しすぎてしまったか、と反省しつつセルシコウは訊ねる。

 新たに現れたイヌ科のフレンズはとてとて、とエゾオオカミとセルシコウの間に割って入り、背中にエゾオオカミを庇うようにして言った。

 

「クロスハート。通りすがりの正義の味方だよ。」

 

―ああ。一緒だな。

 

 とエゾオオカミは思った。

 あの日、商店街にハチの化け物が現れた日に助けてもらった時と一緒だった。

 自分を守って立つ眩しい背中もそのままだ。

 だが同時にこうも思っていた。

 どうして来た、と。

 そして二人のセルシコウも戸惑っていた。

 新たにあらわれた丈の短い服を着たフレンズを指さしてから訊ねる。

 

「クロスハート?」

「クロスハート。」

 

 と、それに応じて新たにあらわれた方のクロスハートも自分を指さしてコクコク頷いてみせた。

 それでますますセルシコウは混乱した。

 じゃあ、そこで倒れてるのは?

 とセルシコウは今度はさっき倒した方のクロスハートを指さして訊ねる。

 

「クロスハート?」

 

 それには新たにあらわれた方のクロスハートも、そうなの?と倒れている方のクロスハートを振り返る。

 その頃にはようやくエゾオオカミも少しは動けるようになってきた。

 ギリ、と歯を食いしばってエゾオオカミは立ち上がった。

 

「ああ。通りすがりの正義の味方。クロスハートだ。」

 

 そう宣言してからエゾオオカミは思う。

 

「(言っちゃったー!言っちゃったよっ!?どうしよう!?本物の前なのにっ!?)」

 

 本当は以前助けてもらったお礼だって言いたいし、商店街を守ってくれたお礼だって言いたいしその他色々と言いたい事がてんこ盛りだ。何ならサインだって欲しい。

 なのに一番最初に出た言葉はこれだった。

 これでは自分がまるでクロスハートに敵対するつもりだと受け取られても仕方がないんじゃないだろうか。

 そこまでを思ってエゾオオカミは立ち上がりおそるおそる顔をあげてクロスハートの反応を伺った。

 

「あ。うん。そっか。あなたもクロスハートなんだ。じゃあよろしくね、クロスハート。」

 

 と、あっさり受け入れられてしまったのでエゾオオカミは目が点になってしまった。

 

「ちょ、ちょっと待て。俺もお前もクロスハートっておかしいだろ?」

「そ、そうです。私も二人もクロスハートがいるとややこしくて困ります。」

 

 と、何故かセルシコウまで加勢する始末だ。

 ただ、セルシコウの場合は現在セルリアンの能力を借りて二人に分身中なのでお前が言うな状態ではあったのだが。

 そんな二人にクロスハートは困ったように頭を掻く。

 

「いやあ…、そう言われても…。クロスハートって結構いるんだよ?アタシもクロスナイトもお姉ちゃんもそうだし。ねえ、クロスナイト。」

 

 と、これまたいつの間に来ていたのか、ミラーシェードで目元を隠し腰までの短いマントをたなびかせたイヌ科のフレンズもまたそこにいた。

 

「(く、クロスナイトだー!本物だー!か、カッコいー!)」

 

 と内心大喜びのエゾオオカミだったが今はそれどころでもない。

 

「あー。実はわたしの正式名称ってクロスハートナイト。略してクロスナイト、なんですよ。」

 

 あらわれたクロスナイトはそんな事を言いつつクロスハートの方へ歩いていく。

 

「ただ、皆さんが言ってるように二人もクロスハートがいるとさすがにややこしい気がします。」

「えー?アタシはいいと思うよ。クロスハートがいっぱいいたって。チーム、クロスハートって感じがするし。」

「だ、そうです。」

 

 とそのまま話をエゾオオカミにぶん投げてしまうクロスナイト。

 貴重なツッコミ役かと思ったら割とそんな事はなかったようだ。

 ただ、エゾオオカミも理解した。

 どうやら自分は憧れのヒーロー達と肩を並べる事を許してもらったらしい、と。

 なので、一歩を踏み出し、クロスハートとクロスナイトの隣へと並び立つ。

 

「だったら足を引っ張るなよ。クロスハート。」

「大丈夫大丈夫。任せてよクロスハート。」

 

 言って二人で構えをとる。

 が、それにちょっと憮然とした表情のクロスナイト。

 

「あのー…。今日はわたしもクロスハートナイト、と正式名称の方で呼んでもらってもいいですか。」

 

 それにクロスハートは両手を口元に当てて何か感極まったような表情を見せた。

 

「く、クロスナイトがヤキモチ妬いてる…。ちょ、ちょっと新鮮で可愛い。」

「もうー!そんなんじゃありませんったら!」

「わかったよ、じゃあ今日はクロスナイトもクロスハートね!」

「だからヤキモチとか妬いてませんからねっ!」

 

 そしてあらためて三人のクロスハートはセルシコウに向けて構えなおす。

 ようやく向き直ってくれた三人のクロスハートにセルシコウはどうしても言いたい事があった。

 

「ますますややこしくなったじゃないですか!」

 

 三人のクロスハートVS二人のセルシコウという何ともややこしい戦いの幕が切って落とされた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ふむ。クロスラズリ、と言ったかな。キミが私たち二人の相手をしてくれる、という事でいいのかな。言っておくがそちらのクロスラピスは戦える状態じゃないよ。」

 

 あらたに現れた猫科の大型獣を思わせるフレンズにオオセルザンコウは言い放つ。

 確かに彼女の言う通り、クロスラピスは先程の『ラガースプラッシュ』を受けてまだ酔っ払い状態だろう。まともに動ける状態だとは思えない。

 つまり、オオセルザンコウとマセルカ二人の相手をクロスラズリ一人でしなくてはならない、という事だ。

 だが、それにクロスラズリはチッチッと指を振って否定してみせた。

 

「いや?ウチ一人じゃないで。」

 

 言いつつクロスラズリはクロスラピスをお姫様抱っこでラモリケンタウロスに乗せた。

 

「ほれ。これで3対2や。」

 

 どうやらそれだけでクロスラピスを戦力として再計算できるというつもりなのだろうか。

 

「でもって!」

 

 ゴウ、と烈風が吹き荒れる。

 それはクロスラズリが野生解放したからだった。

 “けものプラズム”が生み出したサンドスターの輝きが周囲に満ちて風を巻き起こす。

 何か仕掛けてくる、とオオセルザンコウもマセルカもクロスラズリを警戒した。

 

「これで3対1になるわけや。」

 

 が、クロスラズリはただニヤリとしただけだった。

 と、同時。

 

「オオセルザンコウ!なにか…」

 

 マセルカの警告の言葉は最後まで言えなかった。

 空から再び何者かが降ってきたからだ。

 マセルカは間一髪でその上空から急降下攻撃を仕掛けて来た何者かの攻撃をかわした。

 

「サイレントダイブを死角から放ったのにかわすなんて…。すごいですね。」

 

 芝生に深く足先の爪を喰い込ませたのは茶色を基調としたコートのような衣装をまとった鳥系フレンズだった。

 静粛性に優れた攻撃を仕掛けてきたあたり、おそらくフクロウなどの猛禽類のフレンズではないだろうか、とマセルカはあたりをつける。

 

「へっへー。おあいにく様。マセルカにはエコーロケーションがあるから音の反射で見えない範囲から攻撃されたってへっちゃらなんだから。」

 

 クロスラズリが野生解放を囮にしてまで敵の注意を引き付けたのは彼女が一人を引き受けてくれるからだった。

 

「で、そっちはだぁれ?」

 

 とマセルカはあらたにあらわれたフレンズへと問う。

 

「クロスシンフォニー。通りすがりの正義の味方です。」

 

 その名乗りにオオセルザンコウとマセルカは一瞬驚愕の表情を浮かべる。

 

「ならばキミがセルスザク様を倒した…。」

「クロスシンフォニー…。」

 

 たしかに、先程の一撃もマセルカでなければ、かわすどころか攻撃された事を認識すら出来ずに倒されていたかもしれない。

 オオセルザンコウもマセルカもお互いに息を呑む。

 とうとう一番警戒していた相手が出てきたか、とお互いに視線をあわせて頷きあった。

 

「マセルカ…。手筈通りに。」

「わかった。任せて、オオセルザンコウ。」

 

 そして、こうなった時の対処方法も二人は考えていた。

 

「さあ、こっちだよ!」

 

 マセルカは大きくジャンプしてその場から距離を離す。

 明らかにクロスシンフォニーを誘い出すつもりだ。

 しかし、それはクロスシンフォニーだって望むところだ。

 先程の一撃でマセルカを捕まえて戦場を移動するつもりだったのだから。

 なので、クロスシンフォニーはその誘いに乗る事にした。

 クロスラズリと一度視線を合わせてから頷き合う。

 お互いにここは任せて大丈夫なのだ、という確信があった。

 だからクロスシンフォニーはそのままマセルカを追って飛び出す。

 

「さて、色々と待たせてもうたな。」

「なあに。それはお互い様だろう。」

 

 クロスラズリはあらためてオオセルザンコウと向き直る。

 怒りはある。

 クロスラピスを危ない目に遭わせた事に対してだろうか。

 いいや、違う。

 それはクロスラピスが自ら選んだ道を進んだ結果だ。

 クロスラズリが怒りを感じているのは自分自身に対してだった。

 もう少し早く迷いを断ち切っていればクロスラピスが危ない目に遭うのを未然に防げたかもしれない。

 まだまだ未熟、と思わずにはいられなかった。

 怒ってはいても頭の芯は冷静なままの自分がいた。

 もしかしたら、この公園で自分と喧嘩した時のイエイヌも似た様な心境だったのかもしれないな、なんて思って笑みがこぼれる。

 

「それとは別にやっぱルr……いや、クロスラピスに手ぇ出したんはものごっつい腹立つからぶん殴るんやけどな!」

 

 獰猛な笑みを浮かべてアムールトラ…、いや、クロスラズリはオオセルザンコウに向けて踏み出した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 マセルカを追って飛ぶクロスシンフォニー。

 輪ゴムのセルリアンことワゴメリアンの特性を活かした移動は速く、そう簡単に追いつけそうもない。

 そして、マセルカは目的の場所に辿り着くと移動をやめた。

 そこは整備された小川だった。

 この公園の目玉設備でもある。

 この公園は近くを流れる色鳥川から分流を引き込んで小さな人工の小川を作っている。

 夏になると、水遊びも出来るのだ。

 マセルカがイルカ系のフレンズだというのはクロスシンフォニーにも察しがついていた。

 だから彼女が得意な環境に引き込んだのだという事はすぐに理解できた。

 飛び石などの足場もあるものの、環境は圧倒的にマセルカに有利だ。

 それでもクロスシンフォニーはワシミミズシルエットのまま飛び石の上に降り立つ。

 水深は深いところと浅いところが別れている。

 水遊び用に膝までの水深の部分もあれば、川遊び用に腰までの水深の箇所もあり、看板で表示されていた。

 

「じゃあいくよぉ!」

 

 マセルカは早速水深の深い部分に身を躍らせる。

 まさに水を得た魚、というように高速で泳ぎ回る。

 腰までの水深しかないが、それでもとても捉える事など出来ないだろう。

 

「わっふーい!」

 

 と、飛び石の上のクロスシンフォニーに飛び掛かる。

 かろうじて身体を捻ってかわす事に成功するクロスシンフォニー。

 

『相手が想定以上に速いのです。』

『ええ。これではアライグマシルエットで解析などと悠長な事は言っていられそうにないのです。』

 

 心の中で博士と助手が言う通り、そんな余裕はなさそうだ。

 今度はマセルカは飛び石の上に着地すると、ゴムの弾性を利用して再び躍りかかる。

 たまらず空へと逃げるクロスシンフォニー。

 マセルカは狙いを外したとみると水深の深い部分へと再び潜った。

 

『どうしよう、かばんちゃん。あんなに速いんじゃあ攻撃が当たらないよ。』

 

 心の中でサーバルが不安そうに言う。

 覚悟はしていたものの、思っていた以上に地の利はマセルカにあるようだ。

 セルリアンフレンズ三人はクロスシンフォニーがあらわれた場合は水場に誘い込んでマセルカが戦う、と方針を決めていたのだ。

 事前にセルスザクによって知らされていた情報によればマセルカが水場で戦うのが最も相性がいいと判断していたからだ。

 

「(攻撃は届くけれど、無闇に攻撃を仕掛けてもかわされる…。それどころか水中に引きずり込まれたら…。)」

 

 クロスシンフォニーは空中で迷っていた。

 先に不意打ちで放った『サイレントダイブ』はワシミミズクの静粛性に優れた特性を活かした攻撃で、死角から放ったそれは必中のはずだった。

 なのにマセルカはかわしてのけた。

 それはイルカのもつエコーロケーションという能力によるものだ。

 超音波を放ち、その音の跳ね返りによって周囲の地形や生き物を探るというものだが、それで必中の『サイレントダイブ』を察知してかわしたのだろう。

 

『それにさー。水中って私苦手なんだよねー。』

『という事はフェネックシルエットに変わってもダメなのかー!?』

 

 心の中でフェネックが言う通り、彼女の動物特性として水の少ない砂漠で暮らす動物であった為、水中での活動は苦手としている。

 それはアライさんやサーバルや博士助手だって似たようなもので、水中を得意としているフレンズはいない。

 つまり、最もイヤな弱点をついてきた形だ。

 

「ずーっと空にいるけどこっちの攻撃が届かないと思った!?ざんねーん!マセルカはジャンプだって得意なんだから!」

 

 どうするか、と悩むクロスシンフォニーに向けて水中からの大ジャンプでマセルカが再び躍りかかって来る。

 

「しまったっ!?」

 

 不意を打たれたクロスシンフォニーは一歩反応が遅れた。

 尻尾を打ち付けるマセルカのテイルアタックを何とか両腕でガードするものの吹っ飛ばされる。

 

―ザッパーン!

 

 と吹き飛ばされた先は水深の深い部分だった。

 腰までの深さだから足は立つ。

 けれど、水中に引きずりこまれてしまった格好だ。

 既にマセルカも水中に再び潜りクロスシンフォニーの周りを高速で泳ぎ回る。

 空に再び逃れたいところだが、翼を広げて飛ぶ一瞬の間にマセルカは再び攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

「あははは!セルスザク様を倒したっていうからどれほどかと思ってたけれど大した事ないね!全然弱いよ!」

 

 周囲を泳ぎ回りつつマセルカは勝利を確信していた。

 あとは空に逃がさないようにしつつ隙を伺って細かい攻撃を繰り出していくだけだ。

 言葉では大した事ないとは言いつつも、マセルカは決して油断しているわけではなかった。

 だが、その挑発にカチンと来るものがいた。

 

『な、なんだとぅー!かばんさんは偉大なんだぞぉー!』

『そうだよ!かばんちゃんはすっごいんだから!』

『確かに我々はかしこいとはいえ、水中は少しばかり苦手ですが…。』

『ええ。それで調子に乗られても困るというものです。』

『こうなったらやるしかないんじゃなーい。まー。私もちょーっと怒ってるけど。』

 

 それはかばんを除くクロスシンフォニーチーム全員だった。

 

『ではかばん。久しぶりにアレをやるのです。』

『セルスザクと戦った時のアレなのですよ。』

 

 と心の中で言う博士と助手。

 

「わかりました。」

 

 と苦笑交じりに笑うクロスシンフォニー。

 自分の為に他のメンバーが怒ってくれたのが嬉しいのが大半。

 あと、この切り札を使わなくても作戦はあるにはあったんだけどなあ、という想いがほんの少し。

 ただ、今から使う切り札を使ったのなら勝利は揺るがないものとなるだろう。

 その確信があった。

 クロスシンフォニーはザッと構えをとる。

 それは空中に逃れる為のものではない。そんな事をすればたちまちマセルカは攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

「(一体何をするつもりなの!?何なのこのプレッシャー!?)」

 

 周囲を高速で泳ぎ回るマセルカは戸惑いを覚える。

 水中でまともに動けないクロスシンフォニーと水中でこそ真価を発揮する自分とでは圧倒的に有利なのは自分だ。

 だからどんな手を使おうがクロスシンフォニーは詰んでいる。

 そのはずだ。

 けれど構えをとったクロスシンフォニーからは一層強い圧を感じる。

 一体何をするつもりだ、と警戒するマセルカ。

 まずは博士が心の中で叫ぶ。

 

『アフリカオオコノハズク!』

 

 続けて助手が

 

『ワシミミズク!』

 

 と叫ぶ。

 そしてクロスシンフォニーが仕上げとばかりに高らかに叫んだ。

 

「トリプルシルエットッ!」

 

 と。

 瞬間、サンドスターの輝きが閃光となって迸った。

 それだけで周囲の水が一瞬押しやられてマセルカも流される。

 マセルカはあわてて飛び石の上へと避難した。

 そしてそこで見た。

 白と茶色を混ぜ合わせた不思議な模様のコートを着たクロスシンフォニーを。

 頭の翼は大きくこれまた白と茶色を混ぜ合わせた模様をしていた。

 やがて周囲の水が元通りに戻っていたがそれでもクロスシンフォニーは空へと羽ばたく事をしなかった。

 腰まで水に浸かったままでマセルカに向けて手を伸ばすと、来い、とばかりに手のひらを自分へと向ける。

 

「くぅー!?まさか水中でマセルカに勝てるつもり!?」

 

 今度はその挑発にマセルカが乗った。

 飛び石から水中へ身を躍らせるとそのまま最高速度でクロスシンフォニーへと突っ込んでいく…、が。

 

「えいっ!」

 

 今度はクロスシンフォニーが水をかくように腕をひと振り。

 それだけで再び水が大波となってマセルカに襲い掛かった。

 その波に呑まれて飛び石へと叩きつけられるマセルカ。

 

「な、なんなのその出鱈目なパワー!?」

 

 マセルカの驚きも当然だ。

 これこそがクロスシンフォニーの切り札中の切り札、トリプルシルエットである。

 普段はかばんと誰か、という合体でフレンズの力を引き出しているがトリプルシルエットの場合はかばんともう二人分のフレンズの力を引き出せる。

 パワーもスピードも防御力も段違いだ。

 

『たまには力でゴリ押しというのも悪くないですね。助手。』

『ええ。かしこい我々には似合いませんがたまには悪くありませんね。博士。』

 

 と心の中の博士と助手も満足気だ。

 ともかく、今がチャンスだ。

 クロスシンフォニーは今度こそ空中に飛び上がる。

 そしてマセルカの叩きつけられた飛び石へ向けて急降下!

 狙いを察知したマセルカは慌てて飛び石から離れようとしたがもう遅い。

 

―ガァン!

 

 とクロスシンフォニーの飛び蹴りが飛び石へと叩き込まれた。

 その衝撃は水中を伝わりマセルカの脳を揺らす。

 

「あわわわわっ!?!?」

 

 急な音にマセルカは戸惑いの声をあげて動きを止めてしまった。

 ガチンコ漁と言って手ごろな岩に石を打ち付けるてそこに隠れた魚を衝撃で気絶させる、という魚を取る方法がある。

 いま、クロスシンフォニーがやったのはそれだった。

 本当はサーバルシルエットあたりでも十分やれそうだったけど、皆が自分の為に怒ってくれたのが嬉しくてついついトリプルシルエットを使ってしまったかばんである。

 きっと今日の夕飯はたくさん作らないと足りなくなりそうだ。

 ともあれ、マセルカのうなじにある『石』が見えている。

 それさえ砕けばマセルカもスザクと同じように元のフレンズへと戻るはずだ。

 

『さあ、仕上げと行くのです!』

『必殺技を叩き込んでやるのです!』

 

 博士と助手の声に従い、クロスシンフォニーは空中から水中に向けて急降下。

 

「『『インビジブルダイブッ!』』」

 

 と三人の声が重なる。

 一瞬姿が全く見えなくなったかと思ったらいつの間にかクロスシンフォニーの蹴りがマセルカのうなじの『石』へ叩き込まれた。

 

―ピシリ

 

 と『石』に亀裂の入る音が確かにした。

 だが、妙な手応えにクロスシンフォニーは訝しむ。

 と、マセルカの『石』にスリットがあらわれると、そこからメダルが排出された。

 それは以前クロスシンフォニーが戦ったワゴメリアンの姿を刻んだものだった。

 それがピシリ、と音を立てて粉々に砕け散ると同時…。

 

―カッ!

 

 と周囲に閃光が迸った。

 思わずその光から目を庇うクロスシンフォニー。

 と、気が付けばマセルカがいない。

 先程“セルメダル”が割れる際に出た閃光を目くらましにして逃げたのだろうか。

 

「お、おぼえてろー!」

 

 と、遠く色鳥川にまで既に逃げているマセルカ。

 あの様子からどうも元のフレンズに戻ったわけではなさそうだ。

 あっという間に川の水面に消えていく。

 きっとここを戦場に選んだ時点で、もしも敵わなかったら本流の色鳥川に逃げるつもりでいたのだろう。

 そして確かに『石』を砕いたと思ったのに、実際に砕けたのは“セルメダル”だけであった。

 勝ちはしたもののクロスシンフォニーの胸中には新たな謎が残るのだった。

 

 

―⑧へ続く

 




【用語解説:クロスシンフォニートリプルシルエット】

 クロスシンフォニーの切り札中の切り札である。
 かつてセルスザクと戦った際に初めて使った。
 普段はかばん+誰かという組み合わせでクロスシンフォニーになるが、トリプルシルエットの場合はかばん+誰か+誰かという三人でクロスシンフォニーになる。
 その力は非常に強力で、守護けものの力を持ったセルスザクをも凌ぐ程であった。
 今回使用した博士助手の合体シルエットの際は探知不能の異次元からの一撃、『インビジブルダイブ』が必殺技だ。
 なお、この技は消耗もかなり激しく、これを使った後は非常にお腹が空く事態となる。
 なので主に星森家の食費にダメージが入るため連発は出来ない大技だ。 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』⑧

 

 一方でクロスハートVSセルシコウ達の戦いも始まっていた。

 

「それじゃあ行くよ!」

 

 一番にクロスハートが飛び出していく。

 

「む、無策で突っ込むのは…!」

 

 とエゾオオカミの制止が届く前にクロスハートは早くも二人のセルシコウの間合いに入っていた。

 そのまま…。

 

「ワンだふるアタァアアック!」

 

 と両手を獣の顎に見立てた攻撃を繰り出すクロスハート。

 しかしそれではカウンターの餌食だ、とエゾオオカミは続く惨劇に両目を閉じた。

 が、いつまでも何も起こらない。

 

「うん、やっぱりだ。」

 

 セルシコウが取ろうとしたクロスハートの腕を逆に彼女が取っている。

 ちょうど、片腕をとらせて、動きが止まったところをクロスハートがセルシコウの腕をとった形だ。

 お互いに片腕を取った状態でクロスハートはイタズラ成功、とでもいうようにニマリとしてみせた。

 それは、腕をとってしまえばクロスハートはイエイヌと同じ技が使えるからだった。

 つまり…。

 

「ドッグバイトぉ!」

 

 とセルシコウの腕を握る手に力を込めた。

 ワンだふるアタックが両腕で放つ威力重視の攻撃に対して、ドッグバイトは片腕で放つ小回り重視の技だ。

 が、それを察知したセルシコウは分身にクロスハートを狙わせる。

 動きが止まったところを延髄に豪快な回し蹴りを叩き込もうとした…が。

 

「そうはさせませんよ。」

 

 と、その一撃はクロスナイトが両腕でガードしてクロスハートを庇った。

 さすがに片腕を失うのは損害が大きいと判断したセルシコウは一旦、腕を思い切り押し込み、直後に手を払う事で何とかクロスハートのドッグバイトをかわす。

 どうやら連携も個々の戦いの経験もセンスも先のクロスハートとは一味違う。一筋縄ではいかない相手だ、と悟ったセルシコウは一度分身体ごと大きく飛び退って距離をとる。

 

「先ほど貴女はやっぱりだ、と言っていましたね。どういうことです?」

 

 握られた腕を軽く擦りながら訊ねるセルシコウ。

 どうやらギリギリでダメージを受ける事はなかったようだ。

 一瞬でも離脱の判断が遅れていたなら片腕を使い物にならなくされていたかもしれない。

 クロスハートも構え直しつつ応える。

 

「えっとね、セルシコウちゃんの動きってキンシコウ先輩に似てるなーって。アタシ、よく空手部にも助っ人で行って練習付き合ってたから。」

「そうですか。」

 

 ふ、とセルシコウは嬉しそうな笑みを見せた。

 

「こちらの世界のキンシコウもやはり武の道を極めんとしているのですね。いつか機会があれば手合わせ願いたいものです。」

 

 セルシコウは名前から推察できる通り、キンシコウのフレンズがセルリアンに憑りつかれた者になる。

 それでも、やはり別な世界の自分が同じように武術の鍛錬をしている事は何だか嬉しい、という気持ちがあった。

 

「その前にまずはクロスハート。貴女方ですが!」

「そうだね!」

 

 再びクロスハートとセルシコウが激突する。

 今度はセルシコウから仕掛けた。

 足をしならせての中段蹴りを放つ。

 鋭く、そして速い蹴りだ。

 こちらに向けて走り込んでいるクロスハートにはかわしきれない。

 ガードして動きが止まったところを分身体で狙う算段だ。

 が……。

 

「!?」

 

 セルシコウの蹴りは見事に空を切った。

 あの速度で急制動なんてかけられるはずがないのに、と思ったとき、クロスハートの後ろにクロスナイトがいた事に気が付いた。

 クロスナイトがクロスハートの手をとって制動をかけたのだ。

 上手く急停止したクロスハートとクロスナイト。セルシコウの蹴り足が行き過ぎた今がチャンスだ。

 

「ダブル!」

「ワンだふる!」

「「アタァアアアアック!」」

 

 クロスハートとクロスナイトが同時に必殺技のワンだふるアタックを繰り出す。

 

「くっ!?」

 

 セルシコウは体勢が整いきっていない以上、かわすのは無理だ。ならば、と分身体が震脚を踏む。

 そのまま先程エゾオオカミを吹き飛ばした時と同じ要領でセルシコウの背を『押す』。

 まさに弾かれたようにセルシコウは吹き飛ばされるものの、ワンだふるアタックの牙からは逃れる事が出来た。

 ダメージだってない。

 

「(す、すごい…!クロスハートもクロスナイトもあの敵と互角に戦ってる…!)」

 

 エゾオオカミは一連の攻防についていけてはいなかった。

 先程自分が手も足も出なかった相手と互角に渡り合っているのは悔しくもあるけれど、流石だな、と嬉しくもなっていた。

 それに二人の連携も凄いの一言だ。

 クロスハートが無茶とも思える突貫が出来るのはクロスナイトがしっかりとサポートしているからだ。

 結果、あのセルシコウの予想を越えた攻撃を仕掛けている。

 体勢を立て直したセルシコウは再び二人で構えなおす。

 

「正直意外でした。クロスハート。貴女は戦い慣れているようですね。ですが…!」

 

 クロスハートとクロスナイトの善戦にセルシコウ達も本気を出す事に決めたようだ。

 それぞれの右腕に黒いセルリウムが集まる。

 

「こちらの世界にもこのことわざがあるのかはわかりませんが…。鬼に金棒。そして…!」

 

 セルシコウの右腕に集まったセルリウムが形を作る。それは細長い一本の棒になった。

 セルシコウの背丈ほどもあるその棒は棒術とよばれる武術で使われるものだった。

 

「セルシコウに如意棒、です。」

 

 形作られた棒を頭の上でぐるぐると回した後に小脇に抱えるようにしてピタリと構えをとるセルシコウ。

 たったそれだけでセルシコウから放たれる圧が一段階引き上げられたようだ。

 素手ですらあんなにも強かったセルシコウだ。

 武器を持ち出したならどれだけ強いのか想像すらつかない。

 再びエゾオオカミの背にイヤな汗が浮かぶ。

 それはクロスハートもクロスナイトも一緒のようだった。

 何か対抗策があるのかクロスハートがクロスナイトに視線を送ると、クロスナイトはその視線を受けて「えぇー…。」とでも言いたげな表情になった。

 エゾオオカミとしては二人が何を意図しているのかわからない。

 クロスハートはエゾオオカミの方を一度チラリと確認する。

 一体何をするつもりなのだろうか、と思っていると何と、くるりとセルシコウに向けて背を向けた。

 

「クロスハートっ、逃げるよー!」

 

 言いつつクロスハートはエゾオオカミの背中をポンと叩いてからその手を引いて走り始めた。

 それを「ふう、やれやれ。」とでも言いたそうな様子でクロスナイトが続く。

 まさか背中を向けて逃げ出すとはセルシコウも思っていなかったのか、一瞬呆気にとられたようにポカンと口を開けて見守ってしまった。

 その一瞬で三人のクロスハートは大分離れてしまっていた。

 

「セルシコウちゃんー!こっちこっちー!」

 

 とクロスハートは遠くから手を振ってみせた。

 

「た、確かに私は鬼に金棒だ、と言いましたけど…!」

 

 ぷるぷる、と怒りに震えるセルシコウ。

 

「本当に鬼ごっこをはじめる人がありますかー!!」

「きたきたー!みんな、逃げるよー!」

 

 棒を構えた二人のセルシコウが鬼。

 逃げるのは三人のクロスハート。

 夕暮れの公園でこれまた奇妙な鬼ごっこが始まったのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「『ラガーミサイルッ!』」

 

 先手必勝。

 オオセルザンコウは踏み出したクロスラズリに向けて大量のビール瓶ミサイルを放つ。

 

「なかなかええな。曲芸としては合格点や。」

 

 が、そのビール瓶ミサイルはクロスラズリの前でピタリ、と動きを止めてしまった。

 何事かと訝しむオオセルザンコウ。

 と、空中で静止したビール瓶ミサイルは全てが真っ二つに断ち切られていた。

 思わずオオセルザンコウは驚愕に目を見開いた。

 

「いや、大したタネがあるわけやないけどな。」

 

 クロスラズリは自身の手に生やした猫科の鋭い爪を見せて獰猛に笑った。

 その鋭い爪でもって一瞬で全てのビール瓶ミサイルを断ち切っていたのだった。

 野生解放しているからこその芸当ではあったが、何とも力技である。

 

「よっしゃ。ラモリさん。クロスラピスの事は頼んだで。」

 

 言いつつクロスラズリはズンズンとオオセルザンコウに向けて歩みを進める。

 オオセルザンコウは再びラガーミサイルを放つものの、やはりクロスラズリの爪で次々と断ち切られていく。

 クロスラズリの歩みを止める事は出来ない。

 

「くっ……!『ラガースラッガー!』」

 

 いよいよ接近戦の間合いにまで詰めたクロスラズリに対してオオセルザンコウも覚悟を決めて接近戦用の技、ビール瓶バットを引き抜いた。

 

「『ラガー…ホォオオオオムランッ!』」

 

 と振りぬかれるビール瓶バットに対して…。

 

「ぐるぁあああああああああああっ!」

 

 と咆哮をあげつつクロスラズリは拳を打ち付けて迎撃した。

 

―ガシャアアアアン!

 

 ヒーローの拳とビール瓶。

 どちらが固いかは一目瞭然だ。

 派手なガラスの砕ける音と共に砕け散ったのはビール瓶バットの方だった。

 ともかく、これで接近戦の距離に持ち込めた。

 オオセルザンコウの懐に潜り込んだクロスラズリ。

 短いショートアッパーでオオセルザンコウの腹を打ち抜く!

 

「ぐっ!?」

 

 辛うじて両腕でガードするオオセルザンコウ。

 防御力に優れるオオセルザンコウの両腕をもってしても一撃で痺れが走る。

 ガードの上からでもこの威力か、とオオセルザンコウは肝を冷やす。

 

「お前は防御が得意なフレンズみたいやな。」

 

 一撃を放ったクロスラズリは無理な追撃は控えていた。

 クロスラズリの攻撃力をもってしてもオオセルザンコウの防御力は容易には突破できない。

 何か作戦が必要だろう。

 

「(ま、そこは一つタネを仕掛けてあるんやけどな。あとは上手くいくかどうかってとこやけど…。)」

 

 クロスラズリの考えを余所にオオセルザンコウも構え直す。

 どうやらこのクロスラズリというフレンズはかなり強い。生半可な攻撃ではビクともしないはずの自分の防御力を容易く越えてくる。

 この敵と正面切って戦うのは危険過ぎる。

 

「だったら絡め手といこうか!」

 

 オオセルザンコウは空中にビール瓶を二本放る。

 それをガンマンのようにくるくると回転させると頭をピタリ、とクロスラズリに向けて構えて叫ぶ。

 

「『ラガースプラッシュッ!』」

 

―ブシャアアアアッ!

 

 と吹きだしたビールがクロスラズリに襲い掛かる。

 今度は液体だ。

 爪で切り裂いたところで意味がない。

 クロスラズリはその一撃をもろに浴びてしまった。

 この一撃を受けた以上、クロスラズリもまた酔っ払い状態になってしまう…。

 危うし、クロスラズリ!

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「お待ちなさいー!」

 

 セルシコウは三人のクロスハートを追いかける。

 ぶんぶんと生み出した棒を振り回すものの、逃げ回る三人には当たらない。

 

「な、なあ!クロスハートッ!お前らいっつもこんな事してんのか!?」

「はい。割とそうです。クロスハートはいつもこうです。」

「いいじゃない、楽しいよね!」

「まあ、そこは否定しませんよ、クロスハート。」

「クロスハート、お前は一回こっちのクロスハートに謝るかなんかした方がいいんじゃないのか!?」

 

 と、二人のセルシコウに追いかけられながらも楽しそうな三人のクロスハートである。

 エゾオオカミはヒーローなのに逃げ回っている今の状況に戸惑っていた。

 思っていたのと違う。

 だけれども、確かに楽しい。

 憎まれ口を叩いてしまってはいるものの、楽しくて仕方がない。

 ついさっきまでの絶望的な状況と気分は180度正反対だった。

 と、エゾオオカミは思い出す。

 

「そ、そうだった!クロスラピス!クロスラピスが危ないんだ!クロスハート!いくならアッチだ!」

 

 とエゾオオカミはクロスラピスがいる方向を指さす。

 せっかく走るのならそっちへ行けばクロスラピスと合流できる。

 

「ううん、そっちはもっと頼りになる子がいってるからへーきへーき。」

 

 クロスラズリならば必ずクロスラピスを守ってくれる。それよりもオオセルザンコウとセルシコウが合流してしまう方が心配だ。

 クロスハート達は周囲をグルグルと走り回ってセルシコウを引き付け続ける。

 つまりセルシコウはここで何とかするしかないのだが、走り回って一体どうなるというのか。

 訝しむエゾオオカミにクロスハートはピッ、と指を一本立ててみせると自信たっぷりにこう言った。

 

「ところで作戦があるんだけど、やる?三人で。」

「で、今度は何を思いついたんですか?」

 

 と一番に訊くのはクロスナイトだった。

 

「あのね、クロスハートもイヌ科の動物のフレンズだよね?」

 

 とクロスハートはエゾオオカミに訊ねる。

 

「あ、ああ。そうだ。」

 

 何を考えてそんな事を訊くのか。

 まだクロスハートの意図がわからないエゾオオカミ。それでも答えて頷いた。

 きっとクロスハートならこの状況だって何とかしてくれる。その信頼があった。

 

「じゃあ遠吠え系の技って使えるよね。」

 

 その確認にもエゾオオカミは頷いた。

 彼女の技、『天上ぶち抜きボイス』は遠吠えによって一時的に攻撃力を引き上げる技だ。

 

「アタシとこっちのクロスハートも同じような技が使えるんだけどね。実は同時に使うとほんの少しだけど効果がアップするんだ。」

「そ、そうだったんですか!?」

「ってなんでそっちのクロスハートがしらねーんだよ!?」

「いや、だってわたし、昔は一人で戦う事が多くて…。わたしの『ウォーハウリング』にそんな効果があったなんて知らなかったです…。」

「そこは気づこうよ、クロスハートっ」

「っていうか今さらだけどやっぱり三人ともクロスハートだとややこしいな!?」

「まあまあ、楽しくていいじゃない!」

 

 三人のクロスハートはワイワイ楽しそうに言いあいながら走り回る。

 もうこのややこしい状況も楽しくて仕方がなかった。なんならもう半分わざとのようにお互いをクロスハートと呼んでいる。

 

「さて、そろそろかな?」

 

 クロスハートはチラと後ろを振り返る。つられて振り返ったエゾオオカミの眼にもその状況が飛び込んできた。

 棒を構えて走るセルシコウの息があがっているのだ。なんで!?と驚くエゾオオカミにクロスハートは得意気に解説を始める。

 

「そりゃあそうだよ。セルシコウちゃんはあんな長い棒を振り回して走ってたんじゃあすぐに疲れるに決まってるもん。」

 

 確かにあんな長柄の武器を手にしては走りにくい事この上ない。

 そして相手は耐久力とスタミナには絶対の自信を誇るオオカミとイエイヌのフレンズだ。

 セルシコウはまんまと挑発に乗って相手の土俵に登ってしまったのだ。

 

「じゃあいくよ!クロスハート!」

「はい!」

「おう!」

 

 クロスハートの掛け声と同時、三人で大きく息を吸って……。

 

「「「あぁあああああぉおおおおおおおおおおおん!!」」」

 

 と天に届けとばかりに遠吠えを吠え猛る。

 クロスハートとクロスナイトは『ウォーハウリング』を。

 エゾオオカミは『天上ぶち抜きボイス』をそれぞれに発動させる。

 

「た、確かになんかしらねーけど一人で使った時よりもずっと力が湧いてくるような気がするぜ!」

「ええ!わたしも気づいてませんでしたが、こんな効果もあったんですね!」

 

 エゾオオカミもクロスナイトも驚いていた。

 実はクロスハートも一度だけクロスナイトと二人で『ウォーハウリング』を発動させた事があった。

 その時はほんのわずかだけど確かに効果が上がっていたのに気づいていた。

 そもそも遠吠えとはオオカミや犬が仲間に向けて吠え猛るものだ。

 なので仲間と共に使えば効果が増すのは道理である。

 

「アタシはこれを、けもコーラスと呼んじゃおうかと思ってるよ!」

 

 ふふん、とドヤ顔のクロスハートにクロスナイトとエゾオオカミは揃って、微妙、という顔をした。

 

「なら、コイツは『群狼ハウル』って技にしようぜ。」

「いいですね!それ!カッコいいです!」

 

 クロスハートの案を蹴って二人で盛り上がるクロスナイトとエゾオオカミ。二人ともいい名前だ、とばかりに尻尾がぶんぶん揺れていた。

 

「くっ!?悔しいけどかっこいい!ってわけでセルシコウちゃん!アタシ達の『群狼ハウル』を破れるかなっ!」

 

 ビシィ!と指をつきつけたクロスハート。

 三人で遠吠え技を同時に発動させたおかげか、身体の奥から力が湧いてくるようだ。

 対してセルシコウは走り回らされたせいで息も上がっている。

 それでもセルシコウは棒を構えた。

 分身体は捨て石にしてしまっても構わない。

 確実に一人は仕留める、と決意する。

 

―ダッ

 

 とクロスハート達が踏み込んでくる。

 確かに速い。

 おそらく『群狼ハウル』は本来自分にしかかからないはずのバフ技をお互いに掛け合った状態になるのだろう。

 つまり、今のクロスハート達は『ウォーハウリング』×2と『天上ぶち抜きボイス』がそれぞれにかかった状態か。

 

「ですが、ここで一人くらいは仕留めさせてもらいますよ!」

 

 セルシコウは分身体を前に出して棒を構えさせた。

 この棒はセルリウムで生み出している為、まさに如意棒のようにある程度の伸縮が可能だ。

 先頭を走ってくる丈の短い毛皮のクロスハートに狙いをつけて手首の捻りを加えた螺旋突きを突き込みつつ如意棒を伸ばす。

 防御を捨てて深く踏み込んだ分、その速度はセルシコウの放てる技の中でも最速と言えた。

 きっと残る二人のクロスハートによって分身体は倒されてしまうだろうが、先頭のクロスハートがこの必殺の攻撃をかわせるはずがない。

 が、丈の短い毛皮のクロスハートはニヤリとした。

 その理由は…。

 

「もちろんさせません!」

 

 ミラーシェードで目元を隠したクロスハートが手に“けものプラズム”で生み出した丸形の盾で攻撃を防いだからだった。

 まさか盾を生み出すとは思っていなかったセルシコウは完全に当てが外れてしまった。

 クロスナイトのナイトシールドはセルシコウの如意棒をキッチリと止めていた。

 

「今だよ!クロスハート!」

 

 先頭のクロスハートが残る最後のクロスハートに言う。

 頷き飛び出すエゾオオカミ。

 今のセルシコウは驚くほど遅い。

 それはエゾオオカミにバフ技がかかっているせいと追いかけっこでセルシコウの体力が削られたせいだ。

 だから、今なら!とエゾオオカミは自身の両腕の爪にサンドスターを集める。

 そしてそれをまるで獣の顎のように両手を組み合わせた。

 この構えは…、とクロスハートもクロスナイトもそしてセルシコウまでもが思った。

 そしてその通りの技名をエゾオオカミは高らかに叫ぶ。

 

「ワンだふるアタァアアアアアック!!」

 

 深い踏み込みで体勢の整っていない分身体はそれをかわす事が出来ない。

 エゾオオカミの放った『ワンだふるアタック』を受けてパッカァアアアン!とサンドスターの輝きへと還った。

 分身体が一人は相打ちに持ち込んでくれる事を期待していたセルシコウはこれまた完全に当てが外れた。

 三人のクロスハートはいずれも健在。

 それどころか、こちらは分身体を失ってしまった。

 これ以上は危険すぎる、と判断したセルシコウは逃げを打つ事にした。

 が…。

 その判断は一歩遅かった。

 

「悪いけどセルシコウちゃん!ここで普通のフレンズに戻ってもらうよ!」

 

 クロスハートが両腕を獣の顎に見立てた『ワンだふるアタック』を再び放ってきた。

 一歩出遅れたセルシコウはかろうじて如意棒でその一撃を受け止める。

 

―ギチギチ

 

 と鍔迫り合いのようにクロスハートとセルシコウがお互いを押し合う。

 それを見るエゾオオカミにはもう一つだけクロスハートの為に出来る事があった。

 セルシコウの変身を見ていた彼女だけが知っている事があるのだ。

 そう。

 

「クロスハート!そいつの『石』はヘルメットの下の額にある!」

 

 これまでの戦いでエゾオオカミもセルリアンの弱点は『石』である事を知っていた。

 だからクロスハートがここでセルシコウを倒すつもりなら狙うのはそこしかない。

 まさに欲しかった情報にクロスハートはニヤリとした。

 

「(けど、どうしようかなー。あのヘルメット結構堅そうなんだよね。このままイエイヌフォームで押し切れるかなあ?)」

 

 鍔迫り合いからクロスハートは短く考える。

 その脳裏に天啓のように閃くものがあった。

 この状況を打破できるうってつけの力自慢の力を借りられるじゃない、と。

 クロスハートは叫ぶ。

 

「チェンジ!クロスハートッ…!」

 

 と。

 瞬間彼女の身体をサンドスターの輝きが包む。

 クロスハートが提げていた肩掛け鞄から彼女のスケッチブックが飛び出してパラパラとめくれていく。そしてつい昨日美術室で描いたアムールトラのページで止まった。

 それと同時にクロスハートを包んでいたサンドスターの輝きが晴れた。

 まずそこにはオレンジがかった毛並みにピョコンと飛び出した猫科の耳が目を引いた。

 続けて、虎縞模様の猫科の尻尾がピョコリ、とお尻から飛び出ている。

 虎縞のニーソックスをガーターベルトで吊った両脚が艶めかしい。

 そしてその上はやはり丈の短いチェック柄のミニスカートだ。

 上着はスクールベストとブラウスに虎縞模様のネクタイなのだが、何故か丈が短くおへそが丸出しだった。

 そして腕に虎縞模様のアームグローブを嵌めている。

 これこそがクロスハートの新フォーム。

 

「アムールトラフォーム!」

 

 である。

 フォームチェンジを完了したクロスハートはアムールトラのように、

 

「ぐるぁぁああああああああああああっ!!」

 

 と咆哮をあげつつ強引にセルシコウを押し込んでゆく。

 たまらず後ろに押されていくセルシコウ。

 もちろん先にかけた三人がかりの『群狼ハウル』の効果もあるがそのパワーは凄まじい。

 セルシコウのもつ如意棒ごと彼女を持ち上げると空へと投げ放つ。

 空中で身動きがとれないセルシコウへ向けてクロスハートも猫科の跳躍を見せる。

 そのまま…。

 

「タイガァ……。アッパーカットォオオオオオオッ!」

 

 とセルシコウのヘルメットへ向けて拳を繰り出した。

 空中でかわせないセルシコウはそれをまともに受ける。

 

―ピシリ。

 

 とヘルメットのみなならず、その下の『石』にまで亀裂が入った。

 このままいけばセルシコウの『石』は砕ける。

 と思った瞬間、セルシコウの『石』にスリットがあらわれると、そこから一枚のメダルが排出された。

 それはクロスハートとクロスナイトが初めて一緒に戦ったセルリアン、『レギオン』の姿を刻んだものだった。

 それにピシリ、とヒビが入ると『石』の代わりに砕け散ったかと思うと凄まじい閃光を放った。

 

「うわわっ!?」

 

 それに思わず目を閉じるクロスハート達。

 その隙を逃さず、セルシコウは如意棒を目いっぱい伸ばし、棒高跳びの要領で遠くへ離脱した。

 

「クロスハート…。次に会う時を楽しみにしていますよ。」

 

 セルシコウは技で劣っていたとは思っていない。

 だが、クロスハートの方が作戦で一歩上をいっていた。

 それはそれで強さというものだ。

 思わぬ強敵の登場にセルシコウは笑みを浮かべる。

 どうやらこちらの世界で退屈はせずに済みそうだ、と。

 

 

――⑨へ続く

 

 




【用語解説:群狼ハウル】

 群狼ハウルの元ネタはネクソン版より。
 イヌ科のフレンズを中心としたグループが使うグループスキルが群狼ハウルである。
 クロスハート世界ではイヌ科のフレンズ達が一斉に遠吠え系の技を使う事によって効果を高める。
 二人、三人と人数が増える事により群狼ハウルの効果も加速度的に増えていく。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』⑨

 

 クロスラズリに浴びせられたビールが滴り落ちる。

 勝利を確信してニヤリとするオオセルザンコウ。

 『ラガースプラッシュ』は浴びた相手を強制的に酔っ払い状態にする技だ。

 確かにクロスラズリは強いけれど、酔っ払い状態にしてしまえば確実に戦力ダウンする。

 滴るビールに髪を濡らして俯くクロスラズリは微動だにしなかった。

 

「さて、止めといこうか。」

 

 オオセルザンコウは再びビール瓶ミサイルを生み出す。

 クロスラズリは既に酔っ払い状態。

 続く『ラガーミサイル』の斉射をかわす事は出来ない。

 

「『ラガーミサイル!』」

 

 オオセルザンコウの両腕の鱗を模した両腕のリストバンドからさらに追加のビール瓶ミサイルが飛び出してクロスラズリに襲い掛かる!

 孤を描くようにして四方八方から襲い掛かるビール瓶ミサイル。

 それに対してクロスラズリはいまだ俯いたまま動かない。

 が…。

 

―ピシリ。

 

 ビール瓶ミサイルの群れはクロスラズリに激突する寸前で空中で止まった。

 直後、それぞれに真っ二つになって崩れ落ちる。

 

「なっ!?」

 

 驚きの声をあげるオオセルザンコウ。

 これは先ほども同様にして『ラガーミサイル』をクロスラズリが防いだ方法と同じだ。

 だが、今の酔っ払い状態でそれが出来るはずがない。

 そうオオセルザンコウが戸惑っていると…。

 

「うっわ、何やコレ。妙な匂いやなあ。しかもベタベタして気持ち悪いし。」

 

 クロスラズリはぶるぶる、と身を震わせると自らの毛皮についたビールを振り払った。

 

「な、何ともない…。だと…?」

 

 オオセルザンコウの目が驚愕に見開かれる。

 そんな中でクロスラズリは不思議そうにしていた。

 

「いや、こんなくっさい水かけたくらいで何やっちゅうねん。」

「こ、これはビールと言ってアルコールが含まれていてそれを体内に取り込んでしまうと…。」

「しるかー!!」

 

 オオセルザンコウの解説が長くなりそうだったので、クロスラズリは思わず踏み込んでツッコミがわりの拳を振るった。

 訊いてきたのはそっちだろう、とオオセルザンコウは理不尽なものを感じつつもどうにか両腕でガード。事なきを得る。

 

「だいたいにしてやなあ!ウチがおらんのをいいことにルリにもユキヒョウにもよっくも散々好き勝手してくれよったなぁ!」

 

 そんなオオセルザンコウにさらに詰め寄るクロスラズリ。クロスラピスを変身前の呼び名で呼んでしまっているがそこには気づいてない。

 なんせオオセルザンコウに指を突きつけ詰め寄る彼女の目はすっかり据わってしまっている。どんな正論で反論したって無論無駄というものだ。

 

「(あ、これ、やっぱりちゃんと酔っ払い状態になってる。)」

 

 とオオセルザンコウも気づいた。

 ただ、酔っ払い状態にも個人差がある。一見すると酔っていないように見えるのに実は酔っていました、というパターンだってある。

 クロスラズリの場合は、これは絡み酒というヤツだろうか。

 

「ってわけでなあ!これは散々走らされたユキヒョウの分!」

 

 クロスラズリは拳を振りかぶるとオオセルザンコウへと叩きつける。

 大きく振りかぶられたそれは今までよりも速く、そして重たかった。

 ガードはするものの、勢いに押されるオオセルザンコウ。

 

「でもって…!」

 

 クロスラズリはまだ何かをするつもりだ、と悟ったオオセルザンコウは再び視線を彼女へ向けた。

 だが…。

 彼女が目の前にいない。

 クロスラズリはオオセルザンコウを放り出してあらぬ方向へ駆け出していた。

 その先に水色の何か線のようなものが見える。

 いや、それは線じゃない。

 三つ編みのロープのようだ。

 

「いまだよ!アムさ…じゃなかった!クロスラズリ!」

 

 そこでクロスラピスの声が響く。

 今の今まで静観していたのは、何もクロスラピスが酔っ払い状態でまともに動けない為ばかりではなかった。

 彼女はラモリケンタウロスに跨って移動しつつクロスラズリに頼まれたタネを仕込んでいたのだ。

 なお、ラモリケンタウロスは自動運転なので酔っ払い運転には該当しない。

 そのタネとは周囲に張り巡らせた彼女の伸縮自在の三つ編みであった。そのうちの一本がクロスラズリの向かった先にあったのだ。

 クロスラズリはまさにそれをロープにして反動をつけると、再びオオセルザンコウへ襲い掛かった。

 

「言ったやろ!3対1やってな!!」

 

 かろうじて身をかわしても、クロスラズリは今度は別な三つ編みをロープがわりに反動を利用してさらに加速して襲い掛かってくる。

 クロスラピスの張った三つ編みのロープはいつの間にかオオセルザンコウを囲むように張り巡らされている。

 これでクロスラズリは反動を利用して縦横無尽に飛び回る事が出来る。つまり、オオセルザンコウがガードを整えられない死角に回り込む事だって出来るのだ。

 なるほど、これは確かに3対1だ。

 

「でもって、これがルリの分!」

 

 どんどん加速したクロスラズリはとうとうオオセルザンコウの背後をとった。

 ガードを固められる前に背中に中段蹴りがクリーンヒット!

 たまらず吹き飛ばされて転がるオオセルザンコウ。何とか身を起そうとするよりも早くクロスラズリが追撃に移る。

 

「でもってこれが……!」

 

 倒れたオオセルザンコウの側にしゃがみ込んだクロスラズリ。

 

「ウチの怒りな。」

 

 ぺちん、とその額にデコピン一発。

 それでオオセルザンコウのヘルメットが上にずれて額の『石』が露わになる。

 

「それが一番強力な一撃で止めにするんじゃないのかあああああ!?」

 

 どんな攻撃が来るのかと覚悟を決めていたオオセルザンコウは、ただのデコピンで思わずツッコミを入れてしまった。

 

「いやあ…。だってウチの怒りとか割とどうでもええやん?なんかそれをお前にぶつけるのって八つ当たりのような気がするし。」

 

 言いつつクロスラズリはオオセルザンコウの額の『石』に気づいていた。

 サンドスター研究所で出会ったスザクの言葉によれば、この『石』を砕けばセルリアンフレンズを元のフレンズに戻す事が出来るはずだ。

 クロスラズリは考える。

 せっかくだから何かいい理由で止めの一撃を放ってやりたいなあ、と。

 

「あ。せや。」

 

 思いついた、というように手を打つクロスラズリ。

 

「でもってこれが……せっかく作ってくれた衣装を変な水まみれにされたウチの怒りやぁああああああ!」

「そんな理由かああああああああああっ!?」

 

 クロスラズリの拳がオオセルザンコウの額の『石』に吸い込まれる。

 ツッコミを入れながらもオオセルザンコウは思う。

 クロスラズリを酔っ払い状態にしたのは失敗だった。何せ酔っぱらうと中には暴れ出すような者だっているのだ。

 そうした酒癖の悪い者をトラと呼ぶのだが…。

 

「(これではまさに大トラだったな…)」

 

 オオセルザンコウの額の『石』にピシリ、と割れ目が入ったかと思った次の瞬間。

 『石』にスリットが現れると、そこから一枚のメダルが排出される。

 昨日クロスラピスが倒した『ラガーカチューシャ』の姿を刻んだそのメダルは『石』のかわりだ、とでも言うようにピシリとひび割れていってやがて砕け散ると同時に…。

 

―カッ!

 

 と周囲に閃光を撒き散らした。

 それに思わずクロスラズリもクロスラピスも目を閉じる。

 閃光が治まったとき、オオセルザンコウの姿は既に消えていた。

 やれやれ、逃がしはしたけどどうにかなったか、と胸を撫で下ろすクロスラズリ。

 そこにラモリケンタウロスに跨ったクロスラピスがやって来る。

 そして二人でパチン、と手を鳴らしてハイタッチ。

 そんな二人にラモリさんはどうしても保護者の立場として言わなくてはならない事があった。

 

「二人トモ。大きくなっても酒は程々にナ。」

 

 クロスラピスもクロスラズリもそれに頷いていた。

 酒は懲り懲りだ。と。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夕暮れの色鳥町商店街。

 エゾオオカミとともえとイエイヌ。そしてルリとアムールトラは商店街の駄菓子屋へとガチャガチャの機械を持ち帰っていた。

 エゾオオカミが店主のおばあちゃんに路地裏にあった事を説明すると大層感謝されてしまった。

 もう暗くなる時間だというのに子供達も心配して待っていてくれたらしい。

 で、子供達の付き添いに、と商店街に暮らす高校生の奈々が一緒に待っていてくれたのだ。

 

「あ、エゾオオカミ。聞いてよ!さっきね、クロスハートとなんかすっごい数のオバケたちが路地裏で戦ってたのよ!あなた達は大丈夫だったの?」

 

 この奈々という女の子は少しばかり年上という事もあって色々と世話を焼いてくれる。

 そんな彼女の心配ももっともな事に思えたが、今はエゾオオカミもともえも苦笑しか出なかった。

 まさか自分がクロスハートだ、というわけにもいかない。

 そんな奈々の話を聞いたのか子供達もついさっき聞いたクロスハートとオバケ達の大太刀周りをエゾオオカミに一生懸命に伝えてくれた。

 

「でもガチャガチャを取り返してくれたのはエゾオオカミ姉ちゃんなんだね!」

「うん!さすが木の実探偵だね!」

「すっごーい!」

 

 口々に言う子供達に「いや、あのな…。」と本当の事を言おうとしたところをともえに肩を叩かれて止められる。

 エゾオオカミにかわってともえが口を開いた。

 

「そうだよ。木の実探偵がガチャガチャの機械を見つけてくれたんだから。」

 

 それにやっぱり!と目を輝かせる子供達。

 ともえも嘘は言ってないよ、とエゾオオカミにウィンク一つ。

 エゾオオカミは苦笑しつつ子供達に言った。

 

「ああ。事件は解決した。だから早く家に帰れ。奈々姉ちゃんが見たっていうオバケに食べられちまうかもしれねーだろ?」

 

 その言葉でようやく周囲もすっかり暗くなっている事に気が付いた子供達。

 慌ててそれぞれの家へと戻っていった。

 子供達が見えなくなるまで手を振って見送ったエゾオオカミ達。

 

「じゃあ私も帰るね。エゾオオカミ達も早くおうちに帰るんだよ。きっと家族が心配してるだろうから。」

 

 奈々も子供達が帰宅したのを見届けてからようやく家路につく。

 今日は激動の一日だった。

 なんせ夕方に変なオバケの大群を路地裏で見てしまって、それと戦うヒーロー達の姿を固定ハンドルネーム『Seven』としてとある電子掲示板に書き込んでいたりしたのだから。

 噂には聞いていたけれど、クロスハートへの興味はますます沸き立ってしまった奈々であった。

 

「じゃあボク達もそろそろ。ともえさん達もルリさん達もエゾオオカミさんもまた明日。」

 

 と言うのはかばんである。

 今まで何処に行っていたかと言えば商店街のお店を巡って食材の買い出しであった。

 

「今日は帰ったらかばんちゃんにいーっぱいご飯作ってもらうんだー。」

 

 サーバルが両手に抱えた買い物袋を一度持ち上げてドヤ顔をしてみせる。

 クロスシンフォニーは切り札のトリプルシルエットを使ったおかげで消費が著しい。

 なのでその消費したサンドスターを補う為にも今日は大量の食事が必要になる。

 幸いここは商店街。安くて美味しい食材は主婦の皆様にも大好評だ。

 クロスシンフォニーチームも商店街で買い出しした食材を手に帰っていった。

 かばん達にも手を振って見送るともえ達とルリ達。

 

「ならばわらわ達もそろそろ帰るとするかの?」

「ユキさん!」

「ユキヒョウっ!」

 

 そんなルリ達に後ろから声が掛けられる。

 助けを求める為に走ったユキヒョウも今はすっかり元通り元気になっていた。

 ルリもアムールトラも嬉しくて思わずユキヒョウに抱き着いてしまった。

 

「なんじゃ。今日はわらわモテモテじゃのう。」

 

 と冗談めかして二人の頭を撫でるユキヒョウ。

 彼女がここにいるという事は萌絵も一緒に来ているという事だ。

 

「それじゃあアタシ達もそろそろ帰ろう。お母さんも心配してるかもだし。」

 

 萌絵の言葉にともえもイエイヌも頷く。

 けれど、ともえは帰る前にエゾオオカミにどうしても言っておきたい事があった。

 

「アタシ、商店街にもヒーローがいるだなんて知らなかったよ。」

 

 そうなのだろうか。とエゾオオカミは考える。

 結局自分は誰かに助けてもらってようやく生き残れたという有り様だ。

 だとしたら自分はまさにクロスハートの偽者なんじゃないか、と。

 そんな思いを見透かしたのか、ともえが商店街を示してみせた。

 そこはまだまだ仕事帰りの人などで賑わっていた。

 各商店の店員さん達ももうひと頑張りと商売に精を出している。

 いつも通りの光景だ。

 

「これを守ったのって今日はエゾオオカミちゃんとルリちゃんとユキヒョウちゃんだよ。」

 

 確かにあのまま路地裏に大量に現れたセルリアン達が溢れ出していたならこの光景はなかった。

 

「俺が…。ヒーロー……?」

 

 未だに実感が持てずにいるエゾオオカミにニマリと笑うともえ。

 

「カッコよかったよ。木の実探偵。」

 

 それについ先ほどの子供達の様子が思い出された。

 ああ。自分はクロスハートを名乗らなくてもとっくに誰かにとってヒーローだったんだな、と思い至るエゾオオカミ。

 

「せやなぁ。クロスジュエルチームに新しいヒーロー誕生やな。」

 

 とエゾオオカミの肩を抱くようにして引き寄せるのはアムールトラだった。

 それに頬っぺたを膨らませたともえが腕をぶんぶんさせながら抗議する。

 

「ええー!エゾオオカミちゃんはチームクロスハートでしょー?」

「いいや、クロスジュエルチームやって。」

「チームクロスハートだよう!」

 

 と睨み合う二人の間にイエイヌが割って入った。

 

「はい。お二人とも。エゾオオカミさんが困ってしまいますよ。」

 

 それに一時休戦、とともえもアムールトラも頷いた。

 

「じゃあこの問題はまた明日以降だねっ」

「せやな。」

 

 二人して負けないぞ、とばかりに火花を散らし合う。

 

「もう、二人とも。そろそろ遅いから帰ろうよお。」

 

 と萌絵がともえを引き取り…。

 

「お主もの。アムールトラ。」

 

 とアムールトラはユキヒョウが引き取った。

 それでエゾオオカミはどちらのチームなのか問題は一旦保留である。

 

「それじゃ、また明日ね。クロスハートっ。」

「ああ。また明日な。クロスハート。」

 

 言って見送るエゾオオカミ。

 それぞれに楽しそうに言い合いながら帰っていく背中を見ながらエゾオオカミはポツリと漏らす。

 

「ったく。敵わねえなあ。」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夜更け。

 すっかり人気もなくなった公園に三人の人影があった。

 それはオオセルザンコウ、セルシコウ、マセルカの三人であった。

 三人で膝を抱えるようにしゃがみ込んで作戦会議だ。

 

「もうー!クロスシンフォニー強すぎだよっ!?」

「ええ、それに、二番目に現れたクロスハートも相当な手練れでした。」

 

 もううんざり、とでも言いたそうなマセルカに対し、セルシコウはどこか楽しそうですらあった。

 二人の言葉にオオセルザンコウは頷く。

 

「こちらに現れたクロスラピスとクロスラズリも相当強い。やはりセルスザク様が送ってくれた情報とは状況が違う。」

 

 オオセルザンコウの意見には三人揃ってため息をつく。

 クロスシンフォニーは想定以上に強い。

 さらには相手の数まで増えている。

 こうなると当初予定を変更せざるを得ない。

 当初予定の任務は“輝き”確保と可能であれば保全。

 続けてこちらの世界の情報収集。そして橋頭保の確保である。

 

「“輝き”の確保にはおそらくクロスシンフォニー達が再び出てくる。また戦う事だって有り得る。」

 

 オオセルザンコウの予想にマセルカは「うへえ。」と露骨に顔をしかめる。

 トリプルシルエットのトラウマは相当に深いらしい。

 

「まあ、私としてはクロスシンフォニーとの手合わせもしてみたくはありますが、それで任務が失敗するのは本意ではありません。」

 

 対してセルシコウはちょっとばかりつまらなそうな様子をみせた。

 彼女も任務が最優先であることはかわりがない。

 となると、と考え込むセルシコウは言う。

 

「まずは情報収集、続いて橋頭保の確保を優先するというのがよろしいかと。つまらなくはありますが。」

 

 つまらないは余計だ、と思いつつもオオセルザンコウも頷く。

 クロスシンフォニーをはじめとした他のヒーロー達と戦って何も為せずに倒されるような事態になるよりは、“輝き”の確保は一旦保留にして他の活動をした方がいい。

 

「それなら絡め手でいこう。」

「なになに。オオセルザンコウ。なんかいい作戦あるの?」

 

 気を取り直したマセルカが続く言葉を期待の眼差しで待つ。

 

「ああ。まず我々にはセルシコウがいる。そしてマセルカ。この私オオセルザンコウも。」

 

 何を今さら当たり前の事を。

 とセルシコウもマセルカも頭にハテナマークを浮かべる。

 

「我々にはあるだろう?我々の世界を席巻した究極の“輝き”が。」

 

 そう。

 オオセルザンコウ達の世界では誰もがその虜となった究極の“輝き”があった。

 特にセルシコウはその“輝き”の名手でもある。

 そしてオオセルザンコウとマセルカもそれは得意としていた。

 しかし、それが一体この先どう任務に役立つというのか。

 

「簡単さ。セルシコウの作る“輝き”を前面に押し出してこの世界の住民たちを懐柔し、情報を得ると共に橋頭保も確保するんだ。」

 

 それが本当であればオオセルザンコウ達はクロスシンフォニー達との直接対決を避けて目的の大部分を達成できる。

 

「そう。我々の料理でこの世界の住民たちの度肝を抜いてやるんだ!」

 

 そのオオセルザンコウの言葉に、ようやくセルシコウとマセルカも作戦を理解した。

 彼女達の住んでいた世界には誰もが夢中になった料理という“輝き”があった。

 その“輝き”はこの世界の住人だってきっと虜にしてくれるはずだ。

 それを確信したオオセルザンコウは高らかに宣言する。

 

「オペレーション『グルメキャッスル』の発動をここに宣言するっ!」

「「おおー!」」

 

 思った通りになるかどうかはともかく、三人の拳は高々と夜空に突き上げられるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 明くる朝。

 ユキヒョウは一緒に学校にいこうと、いつも通りにルリとアムールトラを誘いにやって来て…そしてそこで目を見開いた。

 なんと、今朝は眠たそうにしている“教授”までリビングにいるではないか。

 まさかとは思うが、今日は雨や雪どころか槍が降るかもしれない。

 そんな心配をしはじめるユキヒョウにそっとルリが耳元で教えてくれた。

 

「“教授”ね。昨日は徹夜で今から寝るみたい。」

 

 なるほど、いつも通りだったか。これなら今日もいい天気が続きそうだ、と苦笑する。

 ルリもアムールトラもすっかり身支度を終えて学校へ行く準備が出来ていた。

 そんなタイミングで…。

 

―ピンポーン

 

 と来客を告げるチャイムが鳴った。

 これはマンション内じゃなくて外からの来客らしい。

 まだ朝も早いこんな時間から来客とはいったい誰だろう、と思いつつルリがインターホンを取る。

 するとインターホンのモニターに映し出されたのはエゾオオカミであった。

 

「あ。エミさん、おはよう。もしかして迎えに来てくれた?一緒に学校行く?」

 

 ルリの言葉にアムールトラもユキヒョウもインターホンを覗き込む。

 油壷のセルリアンことイリアだけは、そそくさとキッチンの定位置に戻って壺のフリをしていた。

 しかし、エゾオオカミは何かを言いたそうにしていて中々切り出せないようであった。

 そんな様子にルリもアムールトラもユキヒョウもお互いの顔を見合わせる。

 そうして戸惑う三人の後ろから“教授”がヒョイと顔を出した。

 

「ふむ。ルリ。出がけに悪いんだがコーヒーを淹れてくれるかい?濃い目で頼むよ。」

 

 あれ?今から寝るのにコーヒー飲むの?というルリの疑問は放置して“教授”はインターホンの受話器をかわって話はじめた。

 

「エゾオオカミ君。私に用事かな?よかったら上がって行くかい?」

 

 それにモニターの向こうのエゾオオカミは頷いていた。

 どうやら何か言いづらそうにしていたのは“教授”に用事があったからだったらしい。

 それを見た“教授”はエントランスの入場許可を出す。

 

「まったく、いつもそうやって大人らしくしておればお主も格好よいのじゃがな。」

 

 とユキヒョウは苦笑しつつキッチンでブラックコーヒー一つとコーヒー牛乳4つを作りはじめた。

 まだ学校に行くには少し時間も早い。エゾオオカミの話を聞くくらいの時間はあるだろう。

 ルリも手伝ってそれらがテーブルに並ぶ頃にエゾオオカミもやって来た。

 

「それで、どうしたのかな?」

 

 早速コーヒーカップを傾けながら話を促す“教授”。

 その“教授”の目を見つめ返しながらエゾオオカミは端的に言った。

 

「“リンクパフューム”を返しに来た。」

 

 息を呑んで何かを言いたそうにするルリとアムールトラとユキヒョウの三人を手で制してから“教授”は「理由を訊いても?」と先を促す。

 

「俺は気づいたんだ。俺は木の実探偵エゾオオカミだ。クロスハートじゃない。」

 

 ふむ、と“教授”は頷きを一つ。

 

「“リンクパフューム”なんて借り物の力に頼ってたら俺は皆と一緒に戦う資格なんてないんじゃないのか、ってな。だから返すよ。」

 

 言ってエゾオオカミは豪奢な飾りをつけられた香水瓶“リンクパフューム”を差し出す。

 “教授”はそれを受け取ると、それをテーブルの上で弄ぶようにしながら話はじめた。

 

「実はね。“リンクパフューム”は失敗作だったんだ。」

 

 それにまたもやルリ達三人もエゾオオカミもどの辺が?と言いたそうにしていた。

 昨日だってセルリアンと戦う事だって出来たし、セルリアンフレンズの三人だってどうにか退ける事が出来たのだ。

 それなのに失敗作とはどういう事なのか。

 その疑問に対して、“教授”は論より証拠、と“リンクパフューム”をユキヒョウに向けると軽くひと吹き。

 

「む。お主は突然何をするのじゃ。」

 

 と言いつつも大して怒っているわけではない様子のユキヒョウ。“教授”が意味もなくそんな事をするわけがないと知っていたからだ。

 ユキヒョウに振りかけられた“リンクパフューム”は最初、サンドスターの輝きを放っていたが、やがて変身へと至らずに霧散してしまう。

 

「私はね。“リンクパフューム”を誰が使っても変身出来るつもりで作っていたんだ。けれど実際はそうじゃない。」

 

 確かにユキヒョウは“リンクパフューム”を使っても変身する事が出来なかった。その理由は…。

 

「それはね。“メモリークリスタル”がエゾオオカミ君を選んだからだよ。」

 

 つまり、変身機能の中核ともいうべき“メモリークリスタル”との相性がよくないと変身には至れないという事だ。

 

「この“リンクパフューム”はキミにしか使えない。それはキミというフレンズをニホンオオカミの“メモリークリスタル”が選んだからだ。」

 

 ここまで言えばわかるだろう?と“リンクパフューム”をエゾオオカミの手に握らせる。

 

「それでも“リンクパフューム”を使いたくなければもちろんそれでも構わない。けれど使いたくなった時に側にないと困るだろう?持っているといい。状況というのは必ずしも待ってくれるわけではないのだから。」

 

 手の中の“リンクパフューム”に視線を落とすエゾオオカミ。

 それに取り付けられた“メモリークリスタル”は目の前のコーヒー牛乳に対して「マヨネーズ、入れないの?」とでも言いたげな光を放っていた。

 いや、さすがにコーヒーにマヨネーズはいれねーよ、と苦笑するエゾオオカミ。

 

「あとまあ、失敗したと思う点としては、嗜好が少しばかり“メモリークリスタル”に引っ張られるかもしれないね。」

「手遅れだよ。」

 

 エゾオオカミはもう苦笑が止まらない。

 今日のお弁当には小分けにされたマヨネーズも入れてしまっているし。

 

「それと本来なら別な“メモリークリスタル”を使う事でクロスハートのようにフォームチェンジを可能としたかったんだけれど、相性の問題でそれも難しそうだ。」

 

 と“教授”は肩をすくめてみせる。

 

「失敗作だった“リンクパフューム”の力を引き出したのはキミだよ。だからそれはエゾオオカミ君が持っていて欲しい。」

 

 それにしばらくエゾオオカミは考える。

 

「わかったよ…。ありがとうな、“教授”」

「どういたしまして。」

 

 言って“教授”はコーヒーをひと啜り。

 一応大人の勤めは果たせたと思う。眠たいのを我慢した甲斐があったというものだ。

 でもせっかくだから一つ意地悪でもしてやろうか。とイタズラを思いついた顔の“教授”は…、

 

「ところで、変身したキミの事は何と呼べばいいのかな?」

 

 と初めて“リンクパフューム”を渡した時と同じ事を訊ねる。

 そういえばどうしよう、とエゾオオカミもルリもアムールトラもユキヒョウも顔を見合わせて戸惑う。

 

「さすがにクロスハートってわけにはいかねーよなあ。」

「せやせや、その名前にしたらチームクロスハートにエゾオオカミをとられそうやもんな!?」

「そ、そうだよ!エミさんはクロスジュエルチームなんだからっ!」

 

 と昨日の問題が再燃しはじめてしまった。

 そんな様子を面白そうに眺めている“教授”だったがルリが…、

 

「“教授”もユキさんもクロスジュエルチームだからね!あとイリアさんも!」

 

 と言い出すから問題が飛び火してきた。

 思わぬ方向からの攻撃に“教授”も目を丸くする。

 名前を呼ばれた油壷のセルリアンことイリアもキッチンの定位置から

 

「あっしもいいんでやんすか?」

 

 と出て来た。

 

「ななな、なんでここにセルリアンが!?り、リンクハートメタモルフォーゼッ!」

「まて!?エゾオオカミ、変身するでないっ!?」

「ちょ、イリアは違うんやー!?せやからパッカーンするんやないわー!?」

「エミさん!ステイ、ステイだよっ!?」

 

 

 この物語はある日突然フレンズの姿に変身する不思議な力を得た女の子、遠坂ともえとその仲間達の物語である。

 この先も彼女と仲間達の戦いはまだまだ続く。

 頑張れクロスハート。

 差し当たって次はエゾオオカミの変身後の名前を考えて争奪戦だ!

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第13話『対決!クロスハートVS偽クロスハート』

―おしまい―

 

 




【後書き】

 大分長くなりましたがけものフレンズRクロスハート第13話と第2章も完結とさせていただきます。
 第1章で描き切れなかったアムールトラとルリの二人がヒーローになるまでの物語になりました。
 かなりの尺を使ったと思いますが、特にアムールトラがヒーローになるまでにはこれくらいは必要かなあ、と思っています。
 けものフレンズRクロスハートも無事2章の完結までお話を描く事が出来ました。
 これもひとえに、読んでいただいている皆様、応援感想コメントを下さる皆様、アイデア出ししてくださる皆様のおかげです。
 この場を借りてお礼申し上げます。
 そして、完結まで頑張っていこうと思っておりますのでこれからも是非ご愛読のほど、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章
第14話『雨の日。風邪の日』(前編)


 これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 遠坂ともえはある日、フレンズの姿に変身する不思議な力を得て通りすがりの正義の味方、クロスハートとなった。
 別な世界からやって来たイエイヌを相棒のクロスナイトに、双子の姉の遠坂萌絵のサポートの元でセルリアンと戦う日々を過ごしていた。
 いつの間にやらネットで有名になっていたが、そんな折に、新たなクロスハートを名乗る正義の味方があらわれる。
 ある日、ともえ達の暮らす色鳥町にある商店街でセルリアンの大量発生が起こる。
 新たなヒーロー、クロスラピスともう一人のクロスハートとそしてセルリアンフレンズを名乗る3人組の力によってそれは治まる。
 しかしセルリアンフレンズは今度はクロスラピスを狙う。
 圧倒的なセルリアンフレンズの前にピンチに陥るクロスラピスともう一人のクロスハート。
 そこに現れたのは、クロスハートとクロスナイト、クロスシンフォニー、そしてクロスラピスのパートナーとなる事を決意したクロスラズリであった。
 ヒーロー達は力を合わせてセルリアンフレンズ3人組を退けるのだった。




 

 今日はせっかくの日曜日だというのに生憎の天気だった。

 朝からシトシトと雨が降っており、しばらくの間は上がりそうもない。

 だというのにイエイヌはご機嫌だった。

 その理由は……。

 

「すごいですよ!ともえちゃん、萌絵お姉ちゃん!毛皮が全然濡れません!」

 

 早朝のお散歩に、と春香が着せてくれた雨合羽のおかげであった。

 ポンチョタイプでパッと見は、てるてる坊主のように見えなくもない姿のイエイヌ。

 耳をきちんと覆えるようにフード部分にはけもの耳もつけられている。

 これまた春香お手製の逸品だ。

 それに長靴まで装備なのだから雨だってへっちゃらである。

 

「アタシも子供の頃は雨の日って同じ感じだったなあ。」

 

 と傘をさしてイエイヌの後に続くのはともえである。

 さらにその隣を歩く萌絵も同じように傘をさしていた。

 

「うんうん、新しい雨合羽作ってもらった時ってテンションあがっちゃって雨の日が待ち遠しくなったりねー。」

 

 今まさに目の前でテンションマックスになっているイエイヌは水たまりに自ら踏み込んでパチャパチャと蹴立てていた。

 季節はこれから夏へと向かう。天気予報でも梅雨明けが近いと言っていた。

 こうして雨の中のお散歩も回数は少なくなっていくだろう。

 そうなったらいよいよ本格的な夏が到来する。

 こうしたちょっと肌寒く感じられる日ももうなくなるのだろう。

 

「そういえば、ともえちゃん、雨の日が待ち遠しいからってお風呂で雨合羽を試そうとしてお母さんに怒られた事あったよね。」

「あったあった。あの時はいいアイデアだと思ったんだけどなあ。」

 

 二人して思い出話に花を咲かせるともえと萌絵。

 二人の視線の先ではイエイヌが元気に走り回っている。

 こんな雨の散歩も悪くないなあ、なんて思っていると強めの風が吹いて二人の髪を揺らす。

 

「あ…。」

 

 と突然萌絵が声をあげる。

 どうかしたのかな?と視線を向けるともえに萌絵は…。

 

「ううん、何でもないよ。」

 

 と被りを振った。

 ともえは姉のこんな様子には心当たりがあった。

 萌絵は身体が丈夫な方ではない。

 こうした季節の代わり目に体調を崩す事だって少なくないのだ。

 そして、萌絵も何度となく体調を崩した経験があるから、自身の体調の変化には敏感だった。

 これから体調が下り坂に入ろうとしている予感を感じた萌絵だったが、楽しそうなイエイヌの邪魔をするのも申し訳ない気がしたので、この場を取り繕おうとしたのだ。

 そんな姉のおでこに自身のおでこをくっつけるともえ。

 

「わひゃ…!?」

 

 ともえの顔が思っていた以上に近くに来て萌絵も思わず赤面してしまう。

 だが、ともえはそれどころではない。

 

「やっぱりちょっと熱い気がする。熱が上がり始めてるかもだから身体温めた方がいいかもね。」

 

 ともえは着ていたパーカーを脱いで姉の肩にかける。そしてからイエイヌを呼び寄せた。

 

「どうしましたか?」

 

 とダッシュで戻って来たイエイヌに事情を説明するともえ。

 するとイエイヌの顔もみるみる真っ青になった。

 

「だ、大丈夫なんですか!?萌絵お姉ちゃんっ!」

「あはは、大丈夫大丈夫。心配してくれてありがとう。」

 

 と萌絵は努めて明るく振舞った。

 

「ちゃんと休んでればすぐによくなると思うんだ。だから心配いらないよ。」

 

 とは言うものの心配なものは心配だ。不安顔のままともえに振り返るイエイヌ。

 ともえもイエイヌに過剰に心配を掛けないように頷いてから言った。

 

「うん。だから今日のお散歩はここまでね。」

 

 お散歩が早めに終わるのは残念だけれど萌絵の体調には代えられない。

 

「はい!わかりました!すぐ戻りましょう!なんだったらわたし、萌絵お姉ちゃんを運んでダッシュしちゃいます!」

 

 確かにイエイヌならそれも可能だけれど、それをすると萌絵は雨に濡れてしまう。

 

「たぶん、萌絵お姉ちゃんは身体冷えるとよくないから、イエイヌちゃんにはおうちに帰ったら暖かいお茶淹れて欲しいな。」

 

 今にも萌絵を抱きかかえようとするイエイヌにともえは苦笑と共にお願いする。

 

「わかりました!ええと…何がいいでしょう…。身体温めるのによさそうな葉っぱは…。」

 

 うんうん唸りながら考えるイエイヌ。

 そんな彼女を見て、ともえと萌絵は一度顔を見合わせてから笑顔になる。

 とはいえ、ともえはイヤな予感がしていた。

 萌絵がこうして体調を崩した時にはすぐに回復する場合と、症状が重くなる場合があるのだが、経験上今回は後者のような気がしている。

 なんだかんだでともえは本人の次に萌絵の体調の変化に敏感なのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 家に戻ったともえ達3人。

 早速萌絵をソファーに座らせる。

 朝ご飯の用意をしていた春香もともえから事情を聞くと萌絵の顔を覗き込んだ。

 

「そうねえ。ちょっと熱は上がりそうねえ。萌絵ちゃん。朝ご飯は食べられそう?」

 

 それに萌絵はコクリと頷く。

 まだ食欲がなくなる程体調が崩れているわけではないのは幸いだ。

 消化のよいものを食べて寝ていれば回復も早いだろう。

 

「じゃあ、今日は一日ゆっくり休んでね。きっと最近色々あったから疲れが出ちゃったのよ。」

 

 言って春香は萌絵の頭を撫でる。

 確かに色々あった。イエイヌが家族になり、ともえがクロスハートになり、パーソナルフィルター発生装置を作ってルリを救ったり。

 思い出してみるだけでも激動の日々だった。

 むしろこれだけの出来事があって体調を崩さずに済んでいた事が奇跡のようだ。

 春香としては萌絵もずいぶんと身体が丈夫になってきたなと思っていた矢先の出来事だ。

 

「お母さんごめんね。」

「うん?どうしたの?」

「今日って日曜日だからお店のお手伝いしなきゃだったのに…。」

 

 そう。

 今日は日曜日。

 春香の営むカフェ『two-Moe』もいつもより忙しいのだ。本来なら今日はともえもイエイヌもそして萌絵も夕方までバイトの予定だったのだ。

 

「気にしなくて大丈夫よ。今日はオオアリクイちゃんもパフィンちゃんもエトピリカちゃんも来る予定になってるから。」

 

 イエイヌは聞きなれない名前に小首を傾げる。

 ともえが教えてくれたのだが、その3人は『two-Moe』でバイトをしている子達だ。

 今まで会った事がなかったのは3人とも忙しかったからだ。

 パフィンとエトピリカの二人は高校生で部活の大会やらテストやらで忙しくてバイトしている余裕がなかった。

 オオアリクイは春香の知り合いで、近所に住む主婦である。ともえと萌絵も小さな頃からお世話になっているお姉さんだ。こちらもこちらで実家に帰省していたりでバイトに入れる余裕がなかった。

 

「ええー!?久しぶりにフルメンバーだったのにぃ!オオアリクイ姉さんにもパフィンちゃんにもエトピリカちゃんにも会いたかったなあ。」

「そうね。でもまた今度会えるわよ。」

 

 と春香は萌絵の頭を撫でる。

 そうしてから今度はともえとイエイヌの方を振り返る。

 

「ともえちゃん。イエイヌちゃん。二人も今日はお店のお手伝いはお休みね。萌絵ちゃんの事お願い。」

 

 それにともえは頷いていたけれど、イエイヌは大丈夫かなあ、と不安そうな顔をしていた。

 何せ看病と言ったって何をしていいやらさっぱりわからないのだ。

 そんなイエイヌの耳に春香は耳打ちする。

 

「あのね。ともえちゃんの方も今日はお姉ちゃんの側に置いておかないとダメだと思うからよろしくね。」

「へ?」

 

 どういう事だろう、とイエイヌは頭にハテナマークを浮かべる。

 大体いつも突拍子もない事をしでかすけれども、なんだかんだで頼りになる存在。それがイエイヌの中でのともえであった。

 それがダメになるとはいったいどういう事だろうと疑問でいっぱいだ。

 

「ふふ。ともえちゃんはお姉ちゃん子だから。こういう時はお姉ちゃんが心配で色々手につかなくなっちゃうのよ。」

 

 笑って言う春香の言葉に、そうなのか、とイエイヌも半信半疑である。

 どうにもクロスハートとして戦っている時の姿や普段の様子と違っているような気がしてならない。

 

「ともかく、イエイヌちゃんも萌絵ちゃんとともえちゃんの側にいてあげて。イエイヌちゃんがいてくれたら私も安心だから。」

 

 そこまで頼られては否はない。

 イエイヌも今日は頑張ろうと気合を入れる。

 それにしても、と萌絵の方をあらためて見てみると確かにいつもよりぽーっとした様子だ。

 早くも熱が上がってきたのだろうか。

 そんな様子の萌絵にともえがあれこれ世話を焼いている。

 なんだかいつもと逆な気がするなあ、とイエイヌはちょっと微笑ましく思っていた。

 ともえは今度は姉用にヨーグルトを手早く作っていた。

 プレーンヨーグルトに食べやすい大きさにカットしたリンゴとバナナにハチミツを加えて出来上がり。お手軽簡単で栄養もある。

 その姿に「ん?」とイエイヌは違和感を覚えた。その正体は…。

 

「(あ、あれ?ともえちゃんがともえスペシャルを作らない…!?)」

 

 大体いつもならこの辺りで新しい味の探求と言い出してケチャップとか入れてみたりしそうなのに。

 そうした新しい味を探求して作られたともえスペシャルはごくごく稀に成功もあるが大体の場合失敗に終わる。

 この場合は良い事か、と思ったイエイヌは特にそれにツッコミを入れるような事は控えた。

 

「じゃあ、お姉ちゃんは先に食べててね。」

「ええー。ともえちゃん食べさせてくれないのー?」

 

 と、萌絵はともえに甘えていた。

 たまにこうして萌絵はすっかり甘えっ子モードになる時があるがそんな時はともえはひたすら姉を甘やかすのだ。

 これはしばらくの間、萌絵はともえに任せておいた方がよさそうだ。

 そう判断したイエイヌはキッチンで食後のお茶を用意しはじめた。

 そういえば、身体を温めるお茶をリクエストされていたが何がいいだろうか。

 

「春香お母さん。こんな時によさそうな葉っぱってどういうのがあるでしょう?」

「そうねえ。ジンジャーミルクとかいいかしら。」

 

 そう言って春香が出して来たのは葉っぱというよりなんだかゴツゴツした薄茶色の不思議な形の物だった。

 最初何かの動物の角かと思ったイエイヌだったが、よくよく聞けばそれは植物の根らしい。

 

「これは生姜って言って身体を温める効果があるの。」

 

 言いつつ、春香はささっとそれを適量下ろし金ですり下ろす。

 それとミルクと砂糖を一緒に温めれば完成だ。

 

「お好みでレモンとかハチミツとか入れてもいいわね。」

 

 なるほど、これなら簡単だからイエイヌでも作れそうだ。

 

「葉っぱいがいでもお茶って作れるんですね。」

「そうよ。実は根っこなんかもお茶に出来る植物は多いんだから。」

 

 お茶はお湯に葉っぱを入れるものだと思っていたイエイヌは目から鱗だ。

 お茶というのは奥が深い、とあらためて思うイエイヌだったが、今は萌絵の方が先決だろう。

 そちらの様子を伺ってみると、ともえが萌絵にはい、あーんで先ほどのヨーグルトを食べさせていた。

 案外元気そうだなあ、なんて苦笑しつつ食後のお茶を持っていく。

 その時ちょうど、テーブルの方にラモリさんも来ていた。

 今朝はラモリさんはどこに行っていたのだろうと思って訊ねると…。

 

「イヤ、ドクターとカコ博士から通信があってナ。そっちと話してタ。」

 

 ともえと萌絵の父であるドクター遠坂からの通信はわかるが、カコ博士からというのは珍しいな、と思うイエイヌであったが続くラモリさんの言葉で考え事を中断した。

 

「その様子ダト、萌絵は体調よくなさそうダナ。ちょっとスキャンしておくカ。」

 

 ラモリさんがセンサーアイを明滅させて萌絵の様子をじーっと見つめる事数秒。

 

「風邪の初期症状ダナ。無理セズ休んでいれバ大丈夫ダロウ。」

 

 それを聞いてほっと一安心のともえとイエイヌ。

 ラモリさんには簡易的な体調診断機能も備えられている。彼が言うのなら安心してよさそうだ。

 

「とはいえ、発熱ト倦怠感はあるだろうから、水分補給して暖かくして寝ているんだゾ。」

 

 それなら特に病院に行く必要もなさそうだ。今日は日曜日だから救急病院くらいしか開いていないのでこれは助かった。

 ともえは頷くと早速萌絵を部屋へ連れて行く。あとはパジャマに着替えさせて寝かしつけるだけだ。

 なんだかんだで食事もちゃんと摂れてるし、あとは水分補給が心配なくらいか。

 萌絵の部屋でパジャマを出して着せてやる。

 今日は着替えもともえ任せだ。

 その間にイエイヌがベットを整える。初夏だけれど肌寒い今日はもう一枚くらい毛布をかけておいた方がいいかもしれない。

 

「ともえちゃん、イエイヌちゃん。ありがとね。」

 

 今日はすっかり甘えん坊モードで着替えまでしてもらった萌絵はベットに入るとしばらくもぞもぞしていたが、イエイヌが整えてくれた布団が思いのほか暖かく満足したらしい。

 そうしてベットの中で大人しくなった萌絵の姿を見てからともえは立ち上がる。

 

「じゃあ、お姉ちゃん。今日はゆっくり寝ててね。アタシ水分補給用のスポーツドリンク買って来るよ。」

「えぇー…。眠たくなるまでいてー。」

 

 と、今日は我がままっ子モードでもあるらしい。

 ともえは苦笑するとベットサイドに再び腰を降ろした。

 

「この感じも久しぶりな気がするねえ。」

 

 萌絵が体調を崩した日はこうしてひたすらに彼女を甘やかすのが常だった。

 とはいえイエイヌは初めての経験なので、未だ戸惑っていた。

 そんな彼女を見た萌絵は一つ頼み事をした。

 

「ねえ。ともえちゃん。アタシのノートPC取って。イエイヌちゃんに写真見せてあげようかなって。」

「いいけど、あんまり身体に障らないようにね。アタシが操作するからどの辺りの写真見たいか言って。」

 

 早速ノートPCを立ち上げて画像閲覧アプリを起動。

 指定のフォルダを開けた。

 すると、スライドショー形式で写真がフルスクリーンで表示される。

 早速一枚目の写真を目にしたイエイヌは歓声をあげた。

 

「うわぁ!ちっちゃい萌絵お姉ちゃんとともえちゃんです!お二人の小さい頃ですか?」

「そうだよぉ。」

 

 写真の中の萌絵とともえは幼稚園入りたてくらいだろうか。二人とも髪型も一緒なので髪色が違わなければ見分けが付きづらいかもしれない。

 スライドショーで流れていく写真は大体どれも二人一緒に映っている。

 二人で砂場の砂に何かの動物らしき絵を描いているところ。

 二人で今と見た目が全然変わっていない春香に抱き着いているところ。

 二人でお昼寝してるところ。

 流れていく写真のどれもが二人一緒だ。

 と、中にともえ一人の写真もあった。

 そんな一人で映っている時、写真の中の幼いともえは決まって不機嫌そうだった。中には今にも泣き出しそうな顔をしているものまである。

 それをイエイヌが不思議に思っていると、萌絵がその理由を教えてくれた。

 

「この写真撮った時ね。多分アタシが体調崩して寝込んでる時だと思う。」

 

 昔を懐かしむように萌絵は続ける。

 

「アタシが出来ない事は大体ともえちゃんが出来るし、ともえちゃんが出来ない事は大体アタシが出来るし。昔は二人でいると何だかすごく安心したんだ。」

「そうですね。アレです。無敵のコンビって感じです。」

「今はイエイヌちゃんもいるからさらに無敵のトリオだねっ。」

 

 ともえの言葉に知らずイエイヌの尻尾が揺れる。あらためて言われると何だか照れ臭いような気がした。

 

「でね。その分、ちっちゃい頃のアタシ達って離れると不安な気がして、大体いっつも一緒だったんだ。手も離さないくらい。」

「さすがに今はそんな事ないけどね。」

 

 萌絵の言葉にともえはほっぺたを膨らませて見せた。

 今でも仲良しな二人だがちっちゃい頃からも仲良しだったらしい。嬉しくもあり羨ましくもあるイエイヌだ。

 

「でもね。昔からアタシが体調崩した時ってともえちゃんがすっごい頑張ってくれてね。カッコいいんだあ。だからアタシの中ではともえちゃんはいつでも王子様なの。」

「はいはい。お姫様はちゃんと寝ててねー。」

 

 ともえが萌絵の肩が布団から出ていたので掛け直す。

 

「今はカッコいい騎士様もいるからさらに安心だねえ。」

 

 布団から顔だけ出した状態の萌絵がニコニコしていた。

 

「だからね。体調崩した時ってちょっとだけ嬉しかったりしたんだ。」

 

 萌絵は大体いつもお姉ちゃんとして頑張っている。それはイエイヌが来た今でも変わらない。

 だからこそ萌絵にとって気兼ねなく甘えられるこうした日はちょっとした楽しみだったりもしていた。

 

「もう。治るまで思う存分甘えてていいからお姉ちゃんは早く元気になってね。そこまで心配はしてないけども。」

「わ、わたしは心配ですよっ!萌絵お姉ちゃん早く良くなって下さいね。」

「うん。二人ともありがとう。こんな可愛い妹が二人もいるとか、アタシってもしかしてすっごい人生勝ち組ってヤツじゃないかなあ?」

 

 言って三人で笑いあう。

 あとは静かにしていれば、萌絵は程なくして眠りに落ちたようだ。

 ともえはそれを確認してから姉の額に手を当てる。その熱さに少しだけ眉をひそめると吸熱シートを貼り付けた。

 

「じゃあ、イエイヌちゃん。アタシ、ちょっと今のうちにお買い物してくるね。水分補給用のスポーツドリンクとか買っておかないと。」

「あ。わたしも行きます。」

 

 二人でリビングに戻ると、どうやら春香はお店の方に行った後だったらしい。『何かあったらすぐに連絡してね。』と書置きが残されていた。

 ラモリさんも再びドクター遠坂からの通信で忙しそうだ。

 まあ、買い物だけならすぐに済む。手早く済ませて萌絵の側に戻った方がいいだろう。そう判断したともえとイエイヌは早速準備する。

 イエイヌは再びお気に入りになった雨合羽に袖を通し、ともえも雨に濡れないようにフードつきのパーカーを一枚羽織る。

 それでから大きな傘を用意。シトシトと雨の降る少し肌寒さを感じる外へと向かった。

 気のせいだろうか。もう一段肌寒さが増したような気がする。

 これでは冬とは言わないまでも春先くらいの寒さなんじゃないだろうか。

 

「ねえ、イエイヌちゃん。せっかくだから二人で相合傘してお姉ちゃんを羨ましがらせちゃおっか。」

 

 大きめの傘を選んだので二人で入っても全然余裕だ。

 そういえばさっき写真を見せてもらったから、二人の相合傘もアルバムに加えてもらおうかと思い立った。

 ともえは携帯電話のカメラを起動。イエイヌの肩を抱き寄せて逆の手に携帯を持つと思いっきり手を伸ばして自撮り。

 

―パシャリ。

 

 と音がして相合傘なともえとイエイヌの写真が出来上がりである。

 

「ふふ。元気になったらお姉ちゃんに見せてあげようね。」

 

 と笑うともえだったが、イエイヌは自身の肩を抱く彼女の手に違和感があった。

 

「(あれ?ともえちゃん…。ちょっと震えてる?)」

 

 もしや、ともえまで風邪だろうか、と思ったがすぐにそれは違うとわかった。

 以前、プール清掃の時に萌絵が熱中症になりかけた事があった。

 思い返せばあの時のともえも随分と取り乱していたように思う。

 

「(さっきはそんなに心配してないって言ってましたけど…。すごく心配なんですね。)」

 

 それを言うのもせっかくのともえの我慢を無駄にするような気がするし、けれども見ないふりをするのもちょっと違う気がした。

 なのでイエイヌは自身の肩に置かれたともえの手に自分の手を重ねて握る。

 最初ともえは少し驚きの表情をしていたけれど、照れ臭そうに笑った。

 色々と見透かされたなあ、と思うともえであったが不思議と悪い気はこれっぽっちもしなかった。

 雨の中。相合傘の二人が一緒に歩いていくのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 サンドスター研究所。

 そこでセルリアン研究を行うカコ博士は焦っていた。

 目の前には天気図をはじめとした各種資料が散らばっている。

 自分の仮説が正しければ、今までとは一線を画する存在が近づいている。

 こんな事があるのだろうか、と自身ですら疑いを持つけれどデータはそれが正しいと物語っている。

 間違いであって欲しい、とカコ博士はラッキービーストとラモリさんにそれぞれデータを送って検証をお願いしていた。

 とりあえず一息。

 

「今出来る事は全て終わった。あとは検証待ちか。」

 

 カコ博士はデスクのグラスに束で挿していたチュッパチャップスを一つ手にとる。

 取り敢えずは糖分補給だ。肝心な時に頭が働かなくてはどうしようもない。

 包み紙を取り払ってから口の中に放り込むと、ちょうどよくデータ受信を告げる表示がモニターに踊った。

 データ受信は2件。

 ラッキービーストからもラモリさんからもほぼ同時に検証の結果が送られてきたのだろう。

 ジリジリ、とデータ受信の進捗を示すゲージが100%へ近づいていく。

 それが完了と同時にデータを開く。

 時間が惜しい。

 ほんの僅かなタイムラグでもイラ立ちを感じずにはいられなかった。

 そして、開いたデータをしばらく食い入るように眺めたカコ博士はこう結論づけた。

 

「最悪だ。」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 午後から天気はさらに下り坂だ。

 雨足はかわらないものの、風が強くなった。

 時折、雨粒が窓を叩く音が聞こえる。

 こんな天気だと比較的お店の方も暇なのか、久しぶりにバイトに来たオオアリクイ、パフィン、エトピリカの三人が萌絵を見舞いに来ていた。

 

「ねえねえ、イエイヌちゃんは何が食べたいー?パフィンはねー…。」

「もう、パフィンちゃん。イエイヌちゃん困ってるよお。でも何がいいかなあ。」

 

 『two-Moe』のメイドさん風制服に身を包んだ鳥系フレンズ、パフィンとエトピリカがイエイヌに纏わりついていた。

 なんとも人懐っこい二人である。

 パフィンとエトピリカの二人はそれぞれにお昼の候補をあげてはそれを想像して表情を緩ませていた。

 時刻はもうすぐお昼。

 さて、今日のお昼はどうしよう、と悩み始めたところにバイトの三人が見舞いに来たのだった。

 キッチンにいるのはこれまた『two-Moe』の制服に身を包んだオオアリクイとともえの二人だ。

 

「そうだなあ。やはりここは消化がよくて食べやすくて栄養のあるもの…。定番で言えばおかゆなどになるだろうが…。」

 

 ふぅむ、とオオアリクイは顎に手をあて考える。

 オオアリクイはまだ新米とはいえ主婦である。キッチンに立つ姿が様になっていた。

 クールビューティーな彼女の立ち姿はそれだけで価値があるように思える。

 そんなオオアリクイにキッチンのともえもアイデアを出してみた。

 

「オオアリクイ姉さん、いっそうどんにしちゃう?外もなんだか冷えてきたし暖かいのがいいんじゃないかなあ。」

「ああ。いいな。鍋焼きうどんとか風邪にもよさそうだし。」

 

 お昼のメニューは鍋焼きうどんに白羽の矢が立った。

 早速ともえとオオアリクイは準備に入る。

 

「ねえねえ。具は何入れるのー?パフィンはねー、えーとねー、何でも好きだよぉ。」

「パフィンちゃん、邪魔したらダメだよぉ。でもでも私も何でも好きぃ。」

 

 どうやらパフィンとエトピリカの二人もすっかり相伴に与る気まんまんのようである。

 オオアリクイも苦笑しつつ、それならば、と少し大きめの鍋を用意した。

 いっそ久しぶりにみんなで食事にするのも悪くはあるまい。

 パフィンとエトピリカの二人は食いしん坊だ。

 が、この二人と一緒に食事するとついつい食が進んでしまう。風邪で食欲ない時には役に立つかもな、なんて思うオオアリクイである。

 そうと決まれば、冷蔵庫の中を確認。

 ひき肉、長ネギ、卵に油揚げ。あとは冷凍うどんもあるようだし材料は問題なさそうだ。

 オオアリクイは手早くネギを刻んでひき肉と一緒にボウルに入れる。そして繋ぎに小麦粉を適量とパパッと調味料で味付け。

 それをパフィンとエトピリカにパスした。

 

「パフィン。エトピリカ。それでつくねを作ってくれ。」

「はぁーい。じゃあじゃあたくさん作ろうっ。」

「イエイヌちゃんも一緒に作ろうっ。」

「は、はいっ!わかりましたっ!」

 

 ボウルを託されたパフィンとエトピリカの二人はイエイヌも巻き込んでつくね作りに入った。三人してボウルの中身をこねる事から始めていた。

 そしてともえの方は汁づくりに既に取り掛かっている。

 オーソドックスに昆布出汁をとりつつ鰹節の準備も始めていた。こうしてみればともえも決して料理下手なわけではないんだけどなあ、とオオアリクイは思う。

 けれども、やはりともえはともえスペシャルを作っている時の方が彼女らしい。

 願わくば、早く萌絵がよくなっていつも通りの彼女達に戻って欲しいものだ。

 オオアリクイはそう祈らずにはいられなかった。

 

 

―後編へ続く

 

 






【ヒーロー情報公開】

クロスハート・アムールトラフォーム
パワー:S 防御力:B スピード:B 持久力:C
必殺技:タイガーアッパーカット

ともえがアムールトラの力を借りて変身した変身フォーム。
特にパワーに優れており、普通に殴りつけただけで必殺技となり得る。
半そでブラウスにスクールベスト。ただし丈が短いのでおへそが丸出しだったりする。
そして虎縞模様のミニスカートとニーソックス。ニーソックスを吊るガーターベルトが艶めかしいフォームだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話『雨の日。風邪の日』(後編)

 

 

 昨日の夜から続く季節外れの氷雨は色鳥町に降り続いていた。

 その雨は当然、この三人の頭上にも降っているわけで…。

 

「止まないな。」

「そうですね。」

「マセルカは別に構わないよ。濡れても平気だし。」

 

 オオセルザンコウ、セルシコウ、マセルカのセルリアンフレンズ3人組は雨を避けて公園の遊具の下にいた。

 トンネルのような穴の開いた滑り台の下は雨を凌ぐ事が出来ないでもなかったけれど、風が強くなってきたせいで大分心許ない。

 

「それに冷えて来た。」

「そうですね。」

「ならいっそ焚き火でもしちゃう?」

 

 確かに、この公園には大きな樹木もたくさん生えている。

 その側には木切れだって落ちているだろうから、それを集めて暖をとる事だって出来なくはない。

 マセルカは早速外へ出ると木の葉や小枝などを集めてきた。

 思った程量が集まらなかったのは、この公園がしっかりと管理されて清掃されているからだ。

 集めて来たのはいいものの、それはどれもがぐっしょりと濡れてしまっている。

 これでは火をおこす事もできない。

 セルシコウ達は料理という“輝き”を得た際に炎を恐れる動物的な本能をも克服していた。

 なので、こういう場面でもそれは役に立つはずだったのだが…。

 

「ままなりませんね。」

「だな。」

 

 セルシコウの言葉にオオセルザンコウも溜め息をつく。

 オペレーション『グルメキャッスル』を発動させたセルリアンフレンズ3人組であったが、厳しい現実に直面していた。

 まず食材。

 どこかの池で魚を捕まえようとしたら怒られた。

 民家に生えていた桑の実から実を採ろうとしたら、実は誰かの持ち物だと知って慌てて退散した。

 同じようにその辺りの木を切り倒して木材にして適当に小屋でも作って店舗にするかと思っていたら、これまた慌てた近くにいた人に止められた。

 どうやらこの世界はほとんどの物が誰かの持ち物だったり、縄張りだったりするようだ。

 今いるこの滑り台の下だって実は誰かの縄張りだったりするかもしれない。

 自分たちのいた世界とはあまりにも勝手が違い過ぎてオオセルザンコウもセルシコウも溜め息が募る。

 一人、マセルカだけが集めて来た葉っぱと小枝で錐揉み式着火に挑戦していた。

 当然、雨に濡れた木切れでは着火になど至るはずもないのだが、他にする事もないので好きにやらせていた。

 もっとも、着火していたらしたで、それはそれで誰かに公園での焚き火は禁止だと怒られていただろうが。

 オオセルザンコウはもう一度嘆息すると、雨の降る外へと目をやる。

 

「それにしても…。この雨と風。何というか…少しばかり変じゃないか?」

「というと?」

 

 オオセルザンコウの言葉にセルシコウは小首を傾げた。

 しかし、オオセルザンコウの方も自身の感じた違和感を何と説明していいのか迷う。

 この季節外れの氷雨に感じる違和感。それが一体何なのか、上手く言葉に出来なくもどかしい思いのオオセルザンコウ。

 そんな彼女をマセルカは不思議そうに見ていた。

 

「変って、そんなの当たり前じゃない?だって…。」

 

 だって、一体何なんだろう、とオオセルザンコウもセルシコウもマセルカの言葉の続きを待っていた。

 しかし、それは果たされなかった。

 突然後ろから新たな声が聞こえてきたからだ。

 

「あなた達。ここで一体何をしているの?」

 

 唐突に外から掛けられた声は明らかに自分たちに向けられていた。

 もしかしてこの巣穴の主だろうか。

 だとしたらまずい。怒られる前に退散しなくては。

 おそるおそる振り返った三人の目の前には黒い雨合羽を来たフレンズがいた。

 フード部分をとると、そこには鳥系フレンズの特徴である羽根が生えている。

 綺麗な白い髪と意思の強そうな眼が特徴のフレンズだった。

 

「ねえ、あなた達。こんな天気なのに一体全体どうしたの?」

 

 いつまでも答えないでいる三人に、もう一度問い掛ける鳥のフレンズ。

 なんと答えていいのか、オオセルザンコウ達は迷った。

 どうやらこちらを覗き込んでいるフレンズはこちらを詰問するというよりは心配しているような様子を見せていた。

 未だに答える様子を見せないオオセルザンコウ達に、彼女達を覗き込んでいたフレンズも戸惑う。

 ともかく緊張を和らげようと、まずは自己紹介する事にした。

 

「私の名前はハクトウワシ。色鳥商店街前交番の警官なの。よろしくね。」

 

 その自己紹介にオオセルザンコウ達はもう一度顔を見合わせる。

 

「コーバン…って何だ…?」

「ゴハン…とは違いますよね…。それにケーカン…とは?」

「まさか景色ってわけじゃないよね。」

 

 三人して膝を突き合わせてひそひそと話し合う。

 自己紹介したら少しはコミュニケーションの切っ掛けになるかと思ったハクトウワシだったが、かえって戸惑わせてしまったようでアテが外れてしまった。

 ハクトウワシは自己紹介した通り、色鳥町の商店街前交番に配属された新人警官だった。

 こんな雨の日にも巡回を欠かさない彼女はご近所でも真面目なおまわりさんとして評判だ。

 そんな彼女が事情はわからないけれども雨の中で公園の滑り台の下にいる女の子を放置するはずがなかった。

 

「ともかく、あなた達。一緒にいらっしゃい。暖かい飲み物くらいは用意してあげるから。」

 

 暖かい飲み物というのにオオセルザンコウ達は目を輝かせた。

 今日の雨は思っていた以上に冷たい。身体を温められるなら大歓迎だ。

 ハクトウワシは自身がさしていた傘をオオセルザンコウに手渡す。

 これにセルシコウと入ってもらえばいくらかマシだろう。

 一方でマセルカは早速雨の中に飛び出そうとしていた。

 

「こら、あなた待ちなさい。濡れちゃうでしょう。」

「マセルカは濡れても平気だよ。」

 

 確かにイルカ系のフレンズの特徴をもつ彼女だが、雨に濡れて平気なわけがない。

 ハクトウワシは雨合羽の前を開くと、それをマントのように広げてマセルカを中に入れる。

 どうやら雨粒を叩く音が気に入ったのか、マセルカは大人しくなった。

 ともかく、どうやらこの三人は付いてきてくれそうだ、とほっと一安心のハクトウワシ。

 

「さあ。Let's Go together!」

 

 セルリアンフレンズ三人組を引きつれたハクトウワシは雨の中を交番へと戻っていく。

 とりあえずタオルと暖かい飲み物を準備しなくては、と思いつつ。

 オオセルザンコウはそんなハクトウワシについていきながら何か忘れてるような気がしていた。

 

「(あ。マセルカに何が当たり前なのか聞くの忘れてた。)」

 

 と思い出したものの、まあいいか、と流してしまった。

 今は暖かい場所に行きたい。

 今日はそれほどに肌寒い日なのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ここは天国かなあ?」

 

 ひと眠りから目覚めた萌絵。

 相変わらず身体は気だるく思考は鈍い。

 けれども、会いたかったパフィンとエトピリカがベットの上の萌絵にじゃれついてきていて、イエイヌが身体を起して支えてくれているのだ。

 

「(な、なんというモフモフハーレム!)」

 

 労せずしてモフモフに囲まれる萌絵はご満悦だった。

 一方でオオアリクイとともえは鍋焼きうどんを取り皿によそっていた。

 せっかくなので皆で萌絵の部屋でご飯にしていた。

 ちょっと多めに作った鍋焼きうどんなので食いしん坊二人がいても全然余裕だ。

 問題は萌絵の方で、あまり食が進んでいない。

 それでも少しは食べられたのは、ともえが頑張って作ってくれたというのが分かっていたからだ。

 

「んー…。やっぱりもう少しパンチが効いた隠し味が欲しくない?」

 

 それでも、味の方に問題があったかと不安になったともえは自身の作った出汁をひと啜りしつつ言う。結果その場の全員が一斉に首を横に振った。

 

「ともえちゃん!多分その隠し味絶対隠れてないヤツだからダメだよっ!」

「そうそう!これで絶妙のバランスだからっ!」

 

 パフィンとエトピリカの二人が慌てて止める。

 ね!と二人揃ってイエイヌの方に振り返って同意を求めた。

 

「そうですね。とても美味しいです。」

 

 コクコク頷くイエイヌ。

 これ以上何か必要だろうか?と思える程美味しい。

 その様子を見ていたオオアリクイはクスクス忍び笑いをもらした。

 どうしたんだろう、と全員の視線がオオアリクイに集まる。

 

「いや、実は私も似た事をよく思うんだ。食べる人は美味しいと言ってくれるんだけれど、作った自分自身では満足いかないということがね。その理由は…。」

 

 ゴクリ、と息を呑んで続くオオアリクイの言葉を待つ一同。

 

「隠し味の愛情は作った本人には感じられないからなんだよ!」

「「「「「「な、なんだってー!?」」」」」

 

 これは新説もあったものだと思う一同だったが、確かにそう言われてみればそんな気がしないでもない。

 クール系のオオアリクイだったが、たまにこうしたお茶目な事を言い出すのが不思議と絵になったりする。

 しかし、よくよく冷静に考えてみれば、正しい意見ではないだろうか。

 なんたって、ともえは他人の作る料理には無茶な味付けをせずに美味しくいただくのだから。

 

「あはは、じゃあ今日のは愛情たっぷりなんだ。」

 

 と笑う萌絵。

 

「ええ。愛情マシマシのともえスペシャルですね。」

 

 イエイヌも尻尾を揺らす。

 思わぬ褒められ方にともえは真っ赤になっていた。

 そんなともえの両肩に手を置きつつオオアリクイが言う。

 

「そういうわけで、ともえの愛情だからもう少し食べておくといい。」

 

 もう少しだけ萌絵の取り皿に鍋焼きうどんをよそうオオアリクイ。

 そう言われると萌絵の食欲も少しだけ復活した気がする。

 

「でもせっかくだからもう一声っ。」

 

 萌絵は何を言っているんだろう?と一同ハテナマークを浮かべたが、ともえは何を求められているのか理解していた。

 しょうがないなあ、とでも言うようにベットサイドに腰を降ろすと…。

 

「じゃあお姉ちゃん。熱いから気を付けてね。はい、あーん。」

 

 と食べさせはじめた。

 なるほど、と納得するオオアリクイ達。

 これはお邪魔になってしまうかな?なんて顔を見合わせて笑いあう。

 

「萌絵の方はともえ達に任せて私たちは戻ろう。春香さんと交代しないとな。」

「そうだね。じゃあまたね、萌絵ちゃんっ。」

「早くよくなってねっ。」

 

 オオアリクイとパフィンとエトピリカの三人はお昼休憩を春香と交代しに店へと戻っていく。

 それを手を振って見送るともえ達。

 さっきまで賑やかだった部屋が三人も急にいなくなったせいで少し寂しく感じられる。

 ともえも春香の分も鍋焼きうどんを作ろうかと席を立とうとした。

 解凍したうどんと具材は春香の分も用意してあるので、あとはそれを追加してもう一度温めてやるだけだ。

 

―ガチャリ。

 

 と再び部屋の扉が開く。

 春香かな?と思って振り返った一同の前にはラモリさんがいた。

 

「あれ?どうしたの?ラモリさん。」

 

 何かを言いたそうにしながらも、それを言えないでいるラモリさん。だが、言わなくてはならない。

 意を決したラモリさんはまず、一番重要な事を言った。

 

「ともえ。イエイヌ。セルリアンがあらわれタ。」

「な…!?萌絵お姉ちゃんがこんな時にですか!?」

 

 イエイヌも言ってもしょうがない事くらいはわかっていたがそれでも言わずにはいられなかった。

 セルリアンは彼女達の事情なんておかまいなしなのだから。

 

「しかも、カコ博士からの連絡だと今回のセルリアンは今までで最大規模の相手らしイ。」

 

 朝からラモリさんが忙しそうにしていたのはそのせいだったか。しかし、今までで最大規模というのはどういう事か?

 

「イエイヌ。少しだけ窓を開けてみロ。お前の鼻ならわかるハズだ。」

 

 言われた通りに窓を少しだけ開けると、朝とは比べ物にならないくらい強くなった風に、雨足まで強さを増して来ていた。

 そして、その風にほんの微かにだがセルリアンの匂いが感じられた。

 でも一体どこに?

 そう思って、イエイヌは匂いの元を辿ろうとするも、匂いがいろんなところからしていてよくわからない。

 

「今回あらわれたセルリアンは…。この風と雨を降らせているんダ。」

 

 は?

 ともえもイエイヌも、そして萌絵も目が点になる。

 

「データを映すゾ。」

 

 ラモリさんは自身の胴体につけられたレンズのようなコアからホログラム画像を映す。

 それは天気図だった。

 いま、色鳥町を覆う低気圧を示す等圧線にわかりやすいように色が付けられていた。

 

「カコ博士が今朝がた見つけたんだが…。最初は反応が弱すぎて気づかなかったくらいなんダ。」

 

 それが時間経過と共にどんどんと勢力が大きくなっていく様子が映し出されていた。

 

「そして、これがこの低気圧ガ、セルリアンだという証拠ダ。」

 

 次に映し出されたのは周辺のサンドスター濃度を計測した画像だ。

 この世界ではサンドスターはありふれている。それこそ空気中にも微量に含まれているくらいだ。

 だが、それは風の影響を強くは受けないはずだ。

 それが、この数時間、低気圧の中心に向かって流れ込んでいる。風で流されたにしては明らかに不自然だ。

 そして、サンドスターを取り込めば取り込む程に低気圧は勢力を増している。

 

「カコ博士はコレをセルリアンの仕業だと結論づけタ。」

 

 重々しい様子のラモリさんにともえもイエイヌも息を呑みはするものの、まだ事態の深刻さに気付いていなかった。

 一人、ベットに半身を起していた萌絵だけが段々と理解して顔を青くしていく。

 

「ちょっと待って…。つまり、セルリアンは低気圧にとりついてその特性を模倣してるって事…?」

 

 萌絵の確認にラモリさんは頷きの代わりに多目的アームを縦に振って肯定した。

 

「それ、まずいよ。つまり低気圧がどんどん成長しちゃったら、スーパーセルになりかねないって事だよね…。」

 

 スーパーセルって何?とともえもイエイヌも首を傾げる。

 

「えっとね。スーパーセルっていうのは簡単に言うとすっごい強い嵐だよ。厳密には違うんだけど、爆弾低気圧って聞いた事ない?」

 

 ともえはそういえば天気予報などで稀に聞く事があるなあ、と思い出す。

 

「ラモリさんが今見せてくれた低気圧は急速に発達する爆弾低気圧なんだけど…、それがすごく成長してスーパーセルっていうものすごく強い嵐になるかもしれないの。」

 

 爆弾にスーパー…。聞いているだけでも強そうでイエイヌもゴクリと息を呑む。

 

「カコ博士も同じ見解ダ。市内全域に避難勧告を出すよう準備中ダ。」

 

 そこまでの事態か。と戸惑いを隠せないともえとイエイヌ。

 でも、確かにこんな規模のセルリアンとは今まで戦った事はない。それに相手は遥か雲の上だ。ただ殴ればいいだけとはわけが違う。

 それに…。

 

「ちょっと待って。避難勧告ってお姉ちゃんは風邪ひいてるんだよ?安静にしてないとダメだよね。」

 

 そう。

 避難するにしたって、萌絵を動かさないといけない。

 別に動けないわけではないだろうが、それで風邪を拗らせる可能性は非常に高い。

 ならセルリアンを迎え討とうとしても、そもそも嵐なんてセルリアンをどうすれば倒せるのか見当もつかない。

 どうすれば…、と悩んでいるところに萌絵が言った。

 

「ねえ、ともえちゃん。アタシのノートPC取って。」

 

 何か考えがあるんだろうか。

 いや、ダメだ。

 こんな状態の萌絵に無理をさせるわけにはいかない、とともえは被りを振る。

 

「お願い。」

 

 もう一度真っ直ぐに見つめ返されながら言われれば、ともえも折れざるを得なかった。

 萌絵の愛用のノートPCを手渡す。

 萌絵はそれを起動させるとラモリさんに頼む。

 

「ラモリさん。さっきのデータをアタシのPCにも送って。」

「オ、オイ。一体何を…。」

 

 戸惑いはあるもののラモリさんは萌絵の意思が固い事を見てとると、データを転送した。

 

「んー…。やっぱりこのセルリアンは低気圧の特性を模倣している…って事は…。」

 

 考えが纏まりそうで纏まらない。

 いつもなら簡単に出来る計算もいつも以上に時間がかかる。

 熱くなった頭が考える事を拒否しているようだ。

 だったら、と萌絵はともえが買ってきてくれたスポーツドリンクの入ったペットボトルを一気に煽った。

 ほんの一瞬だけども身体が冷える。

 今なら少しは頭も回る。

 萌絵は今がチャンスとばかり一気にPCのキーボードを叩いた。

 やはりこのペースだったら、この低気圧のセルリアンはやがて台風並み、いやそれ以上の勢力を得てしまうだろう。

 そうなれば街に及ぼす被害だって測り知れない。

 ならば、どうするか。

 一つだけ。

 たった一つだけだけれど方法がある。

 それはともえ…いや、クロスハートにしか出来ない。

 だから萌絵はみんなを見渡して言う。

 

「ねえ。ともえちゃん。イエイヌちゃん。ラモリさん。作戦があるの。」

 

 しかし、ともえは萌絵に抱き着くと首を横に振った。

 

「ごめんね。無茶して心配かけちゃったね。」

 

 萌絵はそんなともえの背中をあやすようにポムポムと叩いていた。

 イエイヌもいつもと様子が違うともえに戸惑いを覚える。

 

「ともえは萌絵が体調を崩してる時は大体こうダ。」

 

 とラモリさんが教えてくれた。

 春香も言っていた。今日はともえは萌絵が心配で色々手につかなくなるだろう、と。

 今日はいつも以上に頑張っていたともえだったけれど、とうとう心配の限界に来てしまったようだ。

 だからイエイヌは訊いてみる事にした。

 出来る事ならともえは萌絵の側にいて欲しい。

 

「萌絵お姉ちゃん。その作戦ってわたしでは出来ないんですか?」

 

 萌絵はそれに頷きを返す。

 

「この作戦はね。ともえちゃんにしか出来ないよ。それにイエイヌちゃんとラモリさんのサポートも絶対に必要。」

 

 萌絵はともえをあやしながら三人に作戦を説明した。

 彼女の説明を聞きながらともえ達もなるほど、確かにこれはクロスハートでなくては出来ないと納得した。クロスシンフォニーでもクロスジュエルチームの皆でも不可能だろう。

 

「だから、ね。ともえちゃん。街のみんなを助けてあげてくれるかな?」

 

 それにともえはコクリと頷いた。

 けれども…。

 

「お姉ちゃんは平気?」

 

 と、なおも心配そうにしているともえ。

 そこに後ろから声を掛けられた。それはオオアリクイ達と交代した春香だった。

 

「萌絵ちゃんの事は私たちに任せて。今日はこの後天気が大荒れになるみたいだから臨時休業にする事にしたから。オオアリクイちゃんもパフィンちゃんもエトピリカちゃんもついててくれるわ。」

 

 そういえば、とイエイヌは思い出す。

 かつてショッピングモール『cocosuki』で起こった戦いで萌絵はピンチに陥った事があった。

 ともえがその場を任せてくれたのは春香やイエイヌがいたからだ。

 そして、今もまた萌絵を任せられる人たちがここにいる。

 そのイエイヌの予想を肯定するように、ともえの表情がいつもと同じものに戻っていた。

 何をしでかすかわからない、自信たっぷりといった瞳だ。

 それでこそだ、とイエイヌも一安心である。

 ともえは萌絵から離れると立ち上がる。

 そんな彼女を送り出そうと萌絵は言う。

 

「いってらっしゃい。カッコいいとこ見せてね。王子様。」

「任せて。そっちもしっかり風邪治しててよね。お姫様。」

 

 言って二人で笑いあう。

 準備をしたらいよいよ出陣だ。

 正直、萌絵の立てた作戦は賭けもいいところだ。

 けれど、それ以外に方法がないのも事実。

 それでも勝てる、とともえは確信して戦いの舞台へ赴くのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 外は少しずつ風も雨足も強くなっていた。

 もうそこかしこで窓がガタガタと鳴っているのがわかる。

 そんな中で既に変身してラモリケンタウロスに跨るクロスナイト。

 そして、ともえは未だ変身せずに雨合羽を着ていた。

 萌絵の立てた作戦はどれだけともえを消耗させずに温存するかが作戦成功の可否を握っている。

 なのでギリギリまで変身はしない。

 

「じゃあ、お願いね。クロスナイト。ラモリさん。」

 

 ともえは萌絵が改造したスケボーであるジャパリボードに乗るとラモリケンタウロスに片手で掴まる。

 それを確認するとラモリさんはラモリケンタウロスを発進させた。

 クロスナイトを乗せて、ともえを引きつれていつもよりも慎重に走るラモリさん。

 なんせ、ともえは今変身していない。ちょっとした事で大事故に繋がりそうだ。

 ラモリケンタウロスが向かう先は低気圧の中心だ。

 

「おあつらえ向きだナ。低気圧は公園の方に向かっているゾ。」

 

 そこなら広いし、作戦にもうってつけだ。

 ラモリケンタウロスはさらに慎重に公園への道をひた走る。

 低気圧の中心に向けて進むたびに、雨も風も強さを増していく。

 公園へ着くころにはとうとう、ゴロゴロと稲光までしはじめていた。

 やはりこの天気では公園で遊ぶ者もいない。

 ますます好都合というものだ。

 ともえは着ていた雨合羽をバサリと脱ぎ捨て、やはり思い直して丁寧に畳んでからジャパリボードと一緒に風の当たらない木陰に置いた。

 どちらも大切なものだ。風で飛ばされたりしたら後で春香に怒られてしまう。

 準備も出来たともえは一つポーズを決めると叫ぶ。

 

「変身!クロスハートッ!」

 

 愛用の肩掛け鞄から飛び出したスケッチブックがいつか描いたオイナリ校長先生の会の面々のページで止まる。

 

「オイナリサマフォームッ!」

 

 真っ白な長い髪に、これまた真っ白なキツネ耳。もちろん尻尾だって真っ白だ。

 肩から先がなく肘部分から袖がはじまる不思議な和装に、下は白のミニスカート。

 足元は足袋と高草履という和洋折衷な格好だ。

 最後に左太腿のみに飾り紐が巻き付けられて変身完了だ。

 消費は激しいが特殊な攻撃が可能なオイナリサマフォームはクロスハートの切り札の一つでもある。

 クロスハートはクロスナイトと代わってラモリケンタウロスに飛び乗る。

 

「じゃあいきますよ!」

 

 クロスナイトはクロスハートごとラモリケンタウロスを抱え上げた。

 そして軽く助走をつけて…。

 

「せえのぉ…いっけぇええ!」

 

 と空に向けてぶん投げる!

 いくらクロスナイトが別世界のフレンズの力を持っているとしてもその程度で空まで届くわけはない。

 なので、今度はラモリさんが…。

 

「ラモリケンタウロス!ペガサスモード!」

 

 と叫ぶと同時、ラモリケンタウロスの胴体から左右に翼とジェットエンジンが展開された。

 すかさずエンジンに点火。

 さらに重力に逆らって空へと駆けるラモリケンタウロスとクロスハート。

 クロスナイトをカタパルトにしてラモリケンタウロスを空へと射出した格好だ。

 クロスハートの目の前には黒々とした雨雲が迫る。

 

―ゴロゴロ……ビシャァアアン!

 

 と、稲光がクロスハートとラモリケンタウロスを襲った。

 が、その一撃はクロスハートがキツネマークにした手を差し出すと、まるで見えない壁に阻まれたかのように霧散する。

 オイナリサマフォームの力の一つ。結界による防御だ。

 そして雨雲も近づいたところで、いよいよ作戦の最終段階だ。

 

「邪気払い結界!キツネのヨメイリ!」

 

 ボボボン!と周囲に狐火が生まれる。その狐火達が照らす範囲が結界となって雨雲を切り裂いていく。

 

「まだまだぁ!フルパワー!大結界ッ!」

 

 さらに追加で狐火を生み出すクロスハート。全力で張った結界は雨雲をぽっかりと切り取った。

 これが萌絵が立てた作戦だった。

 オイナリサマフォームで生み出す結界で、低気圧を完全隔離。周囲の風が流れ込まなければ低気圧はこれ以上成長しない。

 そして、低気圧の中心ごと結界を展開すれば、今回の事件を引き起こそうとするセルリアンだって結界の中に閉じ込められる。

 問題は消耗の激しいオイナリサマフォームでどれだけの時間低気圧を隔離出来るかだ。

 時間的余裕は殆どない。

 もうイチかバチか、最後の仕上げに移るしかない。

 

「ひっさぁあつ!結界落としぃ!!」

 

 クロスハートはキツネマークにした手を勢いよく振り下ろした。

 

―ズモモモモ…

 

 それに従い、狐火で形成された結界が黒々とした雨雲ごと地面へと落ちていく。

 黒い雨雲は地面にぶつかると濃い霧となって周囲に広がった。

 あとは結界の中に原因となったセルリアンを捕らえられたかどうか。それが一番の問題だったが、地上で待つクロスナイトにその心配はなかった。

 

「(いる!)」

 

 クロスナイトの鼻は確かにセルリアンの匂いを感じていた。

 たとえこの霧で視界を塞がれていても問題にはならなかった。

 匂いの流れてくる方向に一気に駆け寄り、その姿を捉えると同時……。

 

「ワンだふるアタァアアアアック!」

 

 サンドスターをありったけかき集めた両腕を叩きつけた!

 台風の目だとでもいうような巨大な丸い一つ目セルリアンのその目にまず一撃。

 怯んだところで、今度は真っ白な骨型の剣を具現化して構える。

 

「ナイトスラァアアアッシュ!」

 

 素早く背後にある『石』へと回り込んで骨型の剣(鈍器)を叩きこんだ!

 

―パッカァアアアアン

 

 という音と共にセルリアンが砕ける余波で周囲の霧までも吹き飛んだ。

 霧が晴れて上を見上げれば、ラモリさんがラモリケンタウロスに搭載されたパラシュートを開いたところだった。

 ふよふよ、と公園に降りてくるクロスハートとラモリケンタウロス。

 もう限界、というように地上に降りると同時、クロスハートは変身を解除した。

 

「ぷはぁ!いやあ。何とかなったねっ。」

「はい。何とかなりましたね。」

 

 クロスナイトも変身を解除して、二人でパチンと音を鳴らしてハイタッチ。

 ちょうどポッカリと空いた雲の切れ目から日が差し込む。

 それなのに、周りはまだ低気圧の影響で雨が降っていた。

 まさにそこだけ狐の嫁入りである。

 晴れ間はどんどん広がっていって、雨も風も弱くなっていた。

 

「でも、このまま濡れるとアタシ達まで風邪ひいちゃうね。」

「大丈夫ですよ。ともえちゃんは風邪をひきませんから。」

「それどーいう意味っ!?」

「そりゃア、そういうイミだろウ。」

「もう、二人ともー!」

 

 楽しそうに言い合いながらお天気雨の続く街を家路につくともえとイエイヌとラモリさん。

 帰ったら取り敢えずお風呂だ。

 いくらともえが頑丈が取り得でも、濡れっぱなしではもう一人風邪ひきさんが増えてしまうかもしれないのだから。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夜のニュースでは色鳥町付近で急速に発達しつつあった低気圧が急に消滅した、という話が報じられていた。

 気象観測史上でも非常に珍しい現象という事だったが、低気圧消滅の原因は不明と言われていた。

 まさか、クロスハートが雨雲をやっつけた、とは流石に誰も考えつかないのだろう。

 そして、夜には…。

 

「よかったわ。もう萌絵ちゃんもすっかり元気ね。」

 

 春香はほっと一安心。

 夜には萌絵の熱も下がって、体調もいつも通りだ。

 夕ご飯は、やたらとおかわりしまくるともえにつられたのか、一回おかわりしていたし、きっと明日の朝にはすっかりよくなっているだろう。

 もう殆ど復調したにもかかわらず、ともえとイエイヌはあれこれと萌絵の心配をしていた。

 心配してくれる皆には悪いけれども、たまにはこんな日も悪くないと思う萌絵であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「すみません、ヤマさん。」

「なあに、いいよいいよ。」

 

 色鳥町商店街前交番ではハクトウワシが年配の男性警官に頭を下げていた。

 男性警官は通称ヤマさんと呼ばれている。

 引退間近の彼は昔は凄腕刑事だった、という噂だが真偽のほどは定かではない。

 それは置いておいて、交番ではセルリアンフレンズ3人組が…。

 

「な、なんだこれは!?」

「ラーメン、なのはわかりますがこの短時間でこれだけの味…!?一体どうなって…!?」

「おいしいからもう全部どうでもいい!」

 

 と、ヤマさんが作ってくれた袋ラーメンを食べていた。

 取り調べといえばカツ丼かなあ、とも思ったヤマさんだったが、今日は天気がよくないので出前ではなく予め買っておいた袋ラーメンにしたのだった。

 具材は卵とハムを追加。

 今日の夜食にと思っていたけれど、三人ともここまで喜んでくれるなら作った甲斐もあったというものだ。

 とはいえ、この子達は一体何者だろう?

 巡回に出たハクトウワシが雨の中にいた彼女達を連れて帰ってきたが、住所はもちろん、どのあたりに住んでいるかすらわからないのだ。

 ヤマさんは長年の警官人生でもこんな事は初めてだった。

 けれど、思い当たる節はある。

 

「ハクトウワシ君。この子達……。」

 

 ハクトウワシも続くヤマさんの言葉を待つ。先輩にしてベテランで、しかもかつての名刑事の言葉だ。きっと間違えなどあるまい。

 

「この子達、自然発生した生まれたてのフレンズなんじゃないかなあ。」

 

 それにハクトウワシもまさか、と思う。フレンズの自然発生自体かなり稀な現象なのだ。

 それが三人も同時に…。

 けれど、そう考えると色々辻褄も合う。

 

「だから、ハクトウワシ君。明日、この子達を市役所に連れていってあげてくれないかなあ。」

 

 ヤマさんが言うように、名前もまだよくわからない三人が本当に自然発生した生まれたてのフレンズであるなら市役所の方で手続きを進めなくてはならない。

 そして、今日は日曜日だし役所はお休みだ。

 確かに明日市役所へ連れて行くのがよさそうだが、問題が一つ。

 今日はこの子達はどこに寝泊まりさせたらいいだろう。

 その疑問にもヤマさんは答えてくれた。

 

「で、ハクトウワシ君は一人暮らしだったよね。すまないんだけれど今夜はこの子達をキミの部屋に泊めてあげてくれないかなあ。」

 

 その言葉にハクトウワシは鳩が豆鉄砲喰らったような顔になった。ワシだけれど。

 そして思わず

 

「ぱーどぅん…?」

 

 と聞き返してしまうのだった。

 

 

けものフレンズRクロスハート第14話『雨の日。風邪の日』

―おしまい―




【ヒーロー紹介:クロスラズリ】
パワー:S 防御:B スピード:B 持久力:C
必殺技:野生解放

 アムールトラがユキヒョウの用意した衣装で変身したヒーロー。
 シルクハットにクロスラピスとお揃いの短いケープ。それに目元を隠す仮面をつけている。
 実際は変身ではなくコスプレではある。
 特にパワーに優れており、ただ殴りつけただけでもその威力は必殺技に匹敵する。
 そして、安定した野生解放を使える点も他のヒーロー達にはない特徴だ。
 ビースト化とそれを制御するための“ビーストドライバー”はなくなったけれど、クロスラピスの頼もしいパートナーである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話『クロスラピスも甘えたい』(前編)

 これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 ある雨の日。
 季節の変わり目という事もあって、萌絵は風邪をひいてしまった。
 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるともえとイエイヌ、そして『two-Moe』バイトのオオアリクイ、パフィン、エトピリカ達のおかげで順調に回復していた。
 が、そんな折にセルリアンが現れる。
 今度の敵はなんと低気圧!?
 そんなよくわからない相手に戸惑うともえ達だったが、萌絵の立てた作戦によって、何とか低気圧のセルリアンを倒すのだった。



 月曜日。

 昨日の雨降り模様から一転し、今日はすっかり蒸し暑い夏の陽気を見せていた。

 そんな中で図書室は静かで冷房も効いているので人気スポットだ。

 その一角に陣取っているのはジャパリ女子中学1年生、クロスジュエルチームのメンバーであった。

 

「えーっと…。オパール、ヒスイ、石英…。」

 

 と一生懸命に鉱物図鑑を見ているのはルリである。

 その隣でアムールトラも鉱物図鑑を覗き込みながら頭を捻っていた。

 

「やっぱしっくりくる名前って難しいもんやなあ。」

「そうじゃな。思っていた以上に難問かもしれぬ。」

 

 さらにその逆側の隣に陣取っているのはユキヒョウだ。

 彼女は夏の暑さが苦手なのでひと際冷房の効いた図書室はまさに天国と言わんがばかりに満喫していた。

 そして、その向かいに座っているのが新メンバーのエゾオオカミだ。

 

「なあ…。無理して決めなくてもいいんじゃないか…。」

「ダメだよ!」

「ダメやな。」

「諦めるのじゃ。」

 

 エゾオオカミの言葉は見事に三人ともに却下された。

 いま、4人はエゾオオカミが変身した際に名乗る名前を考えに図書室に来ていたのだった。

 さすがにクロスハートを名乗らせるわけにはいかないし、せっかくだからクロスジュエルチームの一員っぽく宝石や天然石の名前を冠したものにしたい。

 なので、さっきから鉱物図鑑を眺めているのだが、中々しっくりくるものがない。

 エゾオオカミ以外の3人が休み時間毎に図書室に入り浸っているのは何も涼を求めてばかりではない。

 何せチームクロスハートだってエゾオオカミを新メンバーに狙っているのだ。

 

「い、いくら萌絵さんでもエミさんは譲れないんだからっ。」

 

 ふんす、と気合を入れたルリは再び図鑑を食い入るように見つめる。

 エゾオオカミとしては、名前一つで大げさな、と思わなくもないんだけれど、自分の為にそうしてくれているのは悪い気がしない。

 なので、こうして休み時間の度に図書室に集まるルリ達に付き合っているのだった。

 

「いっそ豪華にダイヤモンドとかどうやろな。クロスダイヤ…とか?」

「それだとダイアウルフのフレンズさんだと思われないかなあ。」

 

 遠い目をして言うアムールトラに首を横に振るルリ。

 大分考えも煮詰まってしまっているように思えた。

 そこにユキヒョウが

 

「ちなみに、エゾオオカミの使う“リンクパフューム”から名前を取るという案もないではないぞ。リンク何某、というのも手ではないか?それこそリンクハート、とかな。」

「「却下。」」

 

 と言うが即座にルリとアムールトラに却下される。

 それだとチームクロスハートっぽいというのが理由だ。

 即断の却下にエゾオオカミも、うげ、と言いたげな顔をした。

 実はリンクハートはエゾオオカミの中でもかなり上位に位置していた候補だったからだ。

 これはいよいよもって長期戦の様相を呈してきた。

 なおも何かいいアイデアがないかと鉱物図鑑のページをめくるルリ。

 と、その中に気になる天然石を見つけた。

 

「タイガーアイっていう石もあるんだね。」

「ああ。金運をもたらすお守りとしても有名じゃな。」

 

 ルリの見ているページを横から眺めるユキヒョウ。

 

「タイガーといえばアムさんもトラだから…、クロスタイガーアイ…、っていうのもアリだったのかなあ。」

「いや…ちと名前が長いからクロスラズリの方がよいじゃろ。」

「せやな。ウチはクロスラズリの方が気に入ってるで。」

 

 と段々脱線しはじめた。

 そこに…。

 

「あ!これどうかな!ウルフアイっていう石もあるみたい!」

 

 ルリがいいものを見つけた、とばかりに声をあげる。

 

「ふぅむ。エゾオオカミのオオカミに由来も繋がるしよいとは思うのじゃが…。けれどもクロスウルフアイじゃとタイガーアイの時と一緒で長すぎる気がせぬか?」

 

 そう言われるとそれもそうか、と思い直す。

 また振り出しに戻ったような気がして四人でうーん、と考え込む。

 鉱物図鑑を視界の端で捉えたエゾオオカミだったが、ふとある事に気が付いた。

 

「へえ。俺の誕生石ってガーネットっていうんだな。ユキヒョウ。お前は?」

「うむ。わらわはサファイアじゃな。」

 

 それは誕生石の項目だった。

 誕生石は一か月毎に決まっているらしい。

 自分の生まれた月の石が誕生石となる。

 

「して、ルリとアムールトラの誕生石は?」

 

 と、今度はユキヒョウが二人に話しを振ってみた。

 が、どうにも反応が芳しくない。エゾオオカミとユキヒョウが怪訝に思っていると…。

 

「その…。誕生月ってなあに…?」

「誕生日ってヤツも…。その…。なんやろ…?」

 

 ルリとアムールトラは二人揃って首を傾げた。

 その反応は二人とも誕生日というものを知らない事を物語っていた。

 ユキヒョウは思い当たる節があったが一応確認する。

 

「の、のう。ルリ。それにアムールトラ。お主ら、誕生日を祝われた事は?」

 

 それには二人揃って首を横に振る。

 そもそも誕生日すら知らないのだから、誕生日を祝われた事などないのだろう。

 コメカミをピクピクと引きつらせたユキヒョウ。

 この件で問い詰めるべきは一人。

 ルリとアムールトラの保護者である“教授”こと宝条和香である。

 一方その頃、“教授”は研究室にしている宝条家の書斎でクシャミを一つしていた。

 

「昨日は寒かったから風邪でもひいただろうか?」

 

 なんて思っている“教授”だったが、これから数時間後にカミナリを落とされるとは今の彼女には予想だに出来ないのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 そんなような出来事があってから数日。

 この数日ですっかり天気は夏らしくなってきた。

 運動部の皆はもうすぐ始まる大会の地区予選に向けて燃えていた。

 ともえ達も応援団の練習を始めている。

 思っていたよりも人数が集まってくれたので、きっと盛り上がるだろう。

 今日も一通りの練習を終えたともえと萌絵とイエイヌの三人はまだまだ熱気の残る帰り道を歩いていた。

 と……。

 そろそろ家が見えるかと思った頃に一つ妙な事に気が付いた。

 誰かがともえ達の家の辺りでうろうろしていた。

 ともえ達の家の1階部分で営んでいるカフェ『two-Moe』に入ろうか入るまいか悩んでいる。そんな風に見えた。

 その人物は黒いジャケットを着て頭には二本の羽根がついた帽子。スラリと背が高く出るところは出たプロポーションの女性だった。

 イエイヌだけはその人物が誰なのか知っていた。

 

「“教授”…?どうしたんですか?」

「わひゃあああああっ!?!?」

 

 何やら困っているようだったので、声を掛けたイエイヌだったが“教授”は飛び上がらんばかりに驚いた。

 振り返ってイエイヌとともえと萌絵の姿を認めた教授はコホン、と咳払いを一つ。居住まいを直してから…。

 

「やあ。イエイヌ君だったか。久しぶりだね。元気にしてたかな?」

 

 と落ち着き払って見せる。

 ともえと萌絵は誰だろう?と顔を見合わせる。

 

「ええと、こちらはルリさんとアムールトラのお母さんの“教授”です。」

 

 とイエイヌは二人に“教授”を紹介した。

 イエイヌだけは以前、ルリとアムールトラの家にお泊り会をしに行った事があったので“教授”とも面識があった。

 

「キミ達が萌絵君にともえ君かな。萌絵君はまだ小さい頃に会った事があったけれどきっと覚えていないだろう。元気そうで何よりだよ。大きくなったね。」

 

 “教授”は萌絵の前に膝をつくと下から見上げるようにした。

 

「それとともえ君ははじめましてだね。二人にもルリとアムールトラがすっかり世話になってしまった。あらためて礼を言わせて欲しい。ありがとう。」

 

 そして二人の前に片膝をついた格好の“教授”は一人ずつ手をとって丁寧にお礼を言った。

 そういえば、とイエイヌは思い出す。

 “教授”がともえと萌絵の二人にお礼を言いたいと言っていたのを。

 という事は今日の用事はそれだったのだろうか。店に入ろうか入るまいか迷っていたのも二人がいるかいないかわからないから、と考えれば合点がいく。

 ともかく、これできっと“教授”も肩の荷が一つ降りた事だろうと思ったイエイヌはせっかくだし何か飲んでいって欲しいと考えた。

 コーヒーの淹れ方だってあれから少し上手くなったのだ。

 

「というわけで“教授”。せっかくですから中でゆっくりしていって下さい。」

 

 と店のドアを開けようとしたイエイヌの手を“教授”は電光石火の早業で手首を掴んで止めた。

 ニコニコとした笑顔のままイエイヌの手を戻す。

 その笑顔に謎の迫力を感じるともえ達。

 お店に入りたくないんだろうか?と訝しがる。

 

「ああ、いやその…。うん。そういうわけじゃあないんだけれどね。そうだ。キミ達三人に折り入って相談があったんだよ。うん。」

 

 珍しくしどろもどろになりながら“教授”は取って付けたような事を言う。

 相談って一体何だろう?

 

「じゃあ、中でお話した方がいいよ。外で立ち話だって何だし。」

 

 ともえの言葉に萌絵も頷く。

 

「あ…。もしかしてお財布忘れたとか?」

 

 頑なに店に入ろうとしない“教授”の様子に萌絵は予想を口にした。

 確かにそれならお店に入る事は躊躇われるだろう。

 

「大丈夫ですよ。コーヒー一杯くらいならサービスしちゃいますからっ。」

 

 と再びイエイヌがお店のドアを開けようとしたが…。

 

「いやあ!?じじじ、実はそうなんだよっ!?私としたことがうっかりだなあ!?さすがに子供達に奢ってもらうのは大人として情けないから今日のところは遠慮するよっ!?」

 

 なんと“教授”は自分の背に入り口を隠すようにして立ちはだかってしまった。

 そうまでして店の中に入りたくない理由なんてないはずなんだけどなあ、と三人は首を傾げる。

 そうしていたら…。

 

「あら、萌絵ちゃん。ともえちゃん。イエイヌちゃん。お帰りなさい。」

 

 と声を掛けられた。

 ともえ達が後ろを振り返ったら両手いっぱいに抱えた荷物に埋もれるようになった春香がいた。

 それ、どうなってるの?と聞きたいくらい絶妙なバランスで積み上げた荷物は今にも崩れそうで崩れない。軽い曲芸を見ている気分だ。

 しかも、それをしているのがメイドさん風制服を着た外見は小さな女の子だ。通る人達も二度見する事受け合いの光景だ。

 ともえもイエイヌも萌絵までもが慌てて春香に駆け寄る。

 

「お、お母さん!?手伝うよっ!?どこ持ったらいいかなっ!?」

「と、ともえちゃんっ!?こっち崩れそうですっ!?…あぁあああっ!?今度はこっちがっ!?」

「お、落ち着いて順番に…!?お母さん、一回それ置こう!地面に降ろそうっ!?」

 

 アワワワワ、と慌てるともえ達に春香は涼しい顔だ。

 

「商店街まで行ったらたくさんおまけしてもらっちゃって。ついつい買い過ぎちゃったわぁ。」

 

 むしろ上機嫌ですらあった。

 きっと、気のいい商店街の店主達にいつものようにアレやコレやとサービスしてもらってしまったのだろう。

 結果、密かな『two-Moe』名物、春香タワーの出来上がりである。

 そんな姿で商店街からここまで歩いて来るのだから、お店はもちろん、商店街の宣伝にまでなってしまっている。

 お互いwin-winらしい。

 と、グラつく荷物からとうとうリンゴが一つ零れ落ちた。

 

「おっと。」

 

 慌てるともえ達をすり抜けてそれが地面に落ちる前に受け止めたのは“教授”だった。

 腕を覆う黒いインナーシャツで軽く拭う。

 

「あー。ええと…私も手伝おう。どうしたらいいかな?」

 

 “教授”は帽子を目深にしつつ訊ねる。

 

「そうねえ。じゃあ、ドア開けてくれる?和香ちゃん。」

 

 前が見えているのだろうか?と不安になる程の量の荷物を涼しい顔で運ぶ春香。

 “教授”が店のドアを開けるとお礼を言いつつ中に入ろうとして……。

 

「和香ちゃん!?!?」

 

 と今さらながらに気づくと同時、春香タワーが崩れた。

 ともえとイエイヌが飛び出す…、よりも早く“教授”が動く。

 “教授”がやった事を説明するとこういうことだ。

 崩れた荷物をキャッチした。それを地面に置いた。それをひたすら繰り返して全ての荷物を無事に着地させた。

 ついでにバランスを崩した春香の肩を抱いて支えるのも忘れなかった。

 それを電光石火の早業で成し遂げたのだった。

 

「か、完璧なイケメンムーブだ…。」

 

 それを見ていた萌絵は思わず漏らす。

 そんなギャラリーは無視して二人して彼女達だけの世界に入ってしまっていた。

 しばらくの間、お互いに見つめ合う“教授”と春香。

 ギャラリーのともえも萌絵もイエイヌもドキドキしつつ見守っていた。

 何せその距離感だけならマジでキスする5秒前的な距離なのだ。

 少女マンガのワンシーンのようだ。

 これは見てて大丈夫なんだろうか?でも気になる!ともえと萌絵は両手で目元を覆い隠しつつも指の間から成り行きを見守る。

 イエイヌはそんな二人を不思議そうに交互に見比べるばかりであった。

 

「わ、和香ちゃん…。いつの間に戻ってたの?」

「あー…。いや。その…。何年か前に…。」

 

 視線を逸らした“教授”は頬を掻きつつ言った。

 

「姉さんこそ、よく分かったね。かなり外見も変わってしまっていただろうから分からないと思ったのに。」

「もう。私が和香ちゃんの事がわからないわけないでしょう?これでもお姉ちゃんなんですから。」

 

 春香はニコリとした深い笑みを見せた。

 その笑顔にゾクリとしたものが“教授”の背を走る。

 成り行きを見守っていたともえも萌絵も思った。

 これ、ヤバいヤツだ、と。

 瞬間、春香の足が霞んだように見えた。

 音もなく、“教授”の身体が突然棒にでも弾かれたように一回転していた。

 そして次の瞬間には春香の腕の中にすっぽりと納まっている。

 お姫様抱っこ状態であった。

 当事者であった“教授”ですら何が起こったのかわからない。視界が天地逆になったかと思ったらいつの間にかお姫様抱っこされていたのだ。

 春香がやったのは、簡単に一言で言うと足払いだ。もっともあまりの速度でそれがわかった人物は春香だけだったが。

 そんな事をしてまで“教授”を捕まえた理由は一つ。

 

「じゃあ和香ちゃん?色々聞きたい事が山ほどあるから……ね?」

「は……。はひ……。」

 

 有無を言わさぬ迫力がそこにあった。

 かくして“教授”は『two-Moe』史上初めてのお姫様抱っこ来店を果たしたのである。

 なお、買い出しの荷物は今日はお留守番をつとめていたラモリさんとともえとイエイヌがしっかりと運んでバイトに来ていたオオアリクイと萌絵が仕分けして冷蔵庫にしまいましたとさ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 “教授”こと宝条和香は遠坂(旧姓宝条)春香の妹である。

 

「ってことは“教授”ってアタシ達の叔母さんだったの!?」

「そういう事になるわねえ。」

 

 驚くともえに春香は頷いていた。

 

「じゃあ、和香叔母さん?」

「すまないがその呼び方は却下だ。これでも年齢の事は割と気にしているんだぞ?」

 

 ともえの言葉に“教授”は彼女の頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でていた。

 萌絵は乱れたともえの髪を手櫛で直しつつ訊ねる。

 

「それじゃあ…。和香叔母様?」

「まあ、それくらいならギリギリ…。」

「ええー!?なんか“教授”って萌絵お姉ちゃんに甘くないっ!?」

 

 今は『two-Moe』の一角に陣取って皆で談笑していた。

 春香の詰問は最初に“教授”が「子供達の前でする話だとは思わないから。」という一言で終わってしまった。

 春香としても和香が無事…。いや、無事かどうかは実際よくわからないがちゃんと帰って来たのだからそれでもよかった。

 

「しかし、本当に和香さんなのか…。なんというか、記憶の中の和香さんとは違い過ぎて…。」

 

 オオアリクイは戸惑っていた。

 ちなみに、彼女は昔に何度か和香と会った事もある。

 小さい頃から一回り年上の彼女達には何かと世話を焼いてもらったものだ。

 長い間、海外で仕事をしていたらしいが詳しい事はオオアリクイも知らない。

 

「ああ。オオアリクイ君も久しぶりだね。確か結婚したんだったか。新婚さんかな?オオアリクイ君のようなステキなレディを伴侶に得られたのならそれは幸せな事だろうね。」

 

 その“教授”の物言いに、ようやくオオアリクイもこの人物が宝条和香だ、と確信した。

 すぐにこうやって口説いているのかどうかわからない事を言い出すのが彼女の特徴でもある。

 

「そういう和香さんこそ娘がいると聞いたぞ。中々に可愛らしい子達だそうじゃないか。」

「そうだった!?実はルリちゃんってアタシ達の従妹だったんだね!」

 

 オオアリクイの言葉にともえも思い出した。

 ルリとアムールトラは宝条和香の娘という扱いになっている。という事は当然、その二人はともえ達にとって従妹である。

 

「あの…。イトコって何でしょう?」

 

 イエイヌは控えめに挙手する。

 話の腰を折るようで申し訳なかったが、訊かずにはいられなかった。

 

「えっとね、イエイヌちゃんは春香お母さんの娘でしょ。で、ルリちゃんとアムールトラちゃんは和香教授の娘。ここまでいいよね?」

 

 萌絵はメモ帳に線を描いて示してくれる。

 まず、春香の下に萌絵とともえとイエイヌの名前を書いて、上下に線を繋ぐ。同じように和香とルリとアムールトラの名前を書いて上下に線を繋いで見せた。

 

「で、春香お母さんと和香教授は姉妹。アタシとともえちゃんのお母さん達バージョンって思えばいいかな?」

 

 今度は春香と和香の間を横向きの線で繋ぐ。その線の関係が姉妹だと説明した。

 そこまでは理解できた、とイエイヌも頷く。

 そこで今度は萌絵はルリとアムールトラとイエイヌの間も横向きの線で結んだ。

 

「この間の線の関係が従妹って事なんだよ。親戚っても呼ぶかな?」

 

 何だか新しい絆のような物が生まれたようでイエイヌは目を輝かせた。

 

「じゃあ…。わたしとアムールトラとルリさんは…。」

「うん。親戚だよ。」

 

 その答えにイエイヌは尻尾を揺らした。今度会ったら教えてあげないと、と考えるとそれだけでワクワクしてくる。

 

「それで、そのルリとアムールトラの事で相談事があってね。」

 

 と“教授”が言う。

 先程取って付けたように相談があると言っていたのは本当の事だったらしい。

 

「いや、二人の誕生日に何を贈ったらいいか、というのを悩んでいてね。」

「あら。あの子達もうすぐ誕生日なの?」

 

 悩みを相談する“教授”に春香は両手をポム、と合わせる。

 なんだかんだで和香もそうした事で悩むようになったのだなあ、なんて感慨の一つも沸いて来る。

 いつも仲良くしてくれる娘達の友人だし、自分もお祝いの一つもしたいなあ、と考える春香であったが答えは斜め上だった。

 

「いいや。二人の誕生日はとっくに過ぎているのさ。しかも、今まですっかり誕生日を祝う事をしてこなかったせいで二人とも誕生日というものをよくわかっていない。」

 

 “教授”の言葉にその場の全員が半眼ジト目になった。

 ラモリさんがその場の全員を代表して一言でバッサリと言う。

 

「最低ダナ。」

「わかってる!?わかってるぅうう!?でも忘れてたものはしょうがないだろう!?っていうかこの前さんざんユキヒョウ君に怒られたよっ!?」

 

 ナイスユキヒョウちゃん、と心の中で思うともえと萌絵。

 ただ、かつてのルリの事情から考えるとそれも無理からぬ事ではあった。

 かつてルリは無意識のうちにセルリウムを生み出していたから、人里離れた場所で暮らしていたのだ。

 うっかり忘れてた事があったとしてもそれを指摘してくれる人だって周りにいなかった。

 

「その…そういうわけでね。挽回というわけでもないが近いうちに二人の誕生日を祝ってやろうと思ってね。」

「なるほど…。じゃあいっそ二人の誕生日パーティーはうちでやる?予約入れてくれたら準備するわよ。」

 

 春香の言葉に名案だ、というようにオオアリクイも頷く。何せ『two-Moe』にはお誕生日お祝いコースだってあるのだ。

 

「私も婚約祝いの時にここでお祝いしてもらったんだが、とてもよかったよ。和香さんもどうだい?」

 

 オオアリクイも『two-Moe』のパーティーコースをお願いした事があるからこそ自信をもってオススメできた。

 

「それに、私も和香ちゃんの事を怒れないわぁ。イエイヌちゃんの誕生日パーティー、今年の分をまだやってないもの。」

「へ?わたしにも誕生日ってあったんですか?」

 

 春香の言葉に突然話を振られたイエイヌは驚いた。

 なんせイエイヌがかつて暮らしていた世界には暦すらなかったのだ。誕生日なんてあるわけがなかった。

 だが、そこは春香に抜かりはなかった。

 

「もちろんあるわよ。イエイヌちゃんの誕生日はともえちゃんと萌絵ちゃんと一緒の3月24日にしたの。」

 

 イエイヌの本保護申請の段階で誕生日が不明瞭な場合は、自分たちで任意の日を誕生日としてよいとの事だったから、春香はともえと萌絵と同じ誕生日にしたのだった。

 

「お揃い、嬉しいです!」

 

 イエイヌは嬉しそうに尻尾を揺らす。

 やっぱり同じ日にしておいて正解だった、と春香も内心ほっと一安心だ。

 

「せっかくだからイエイヌちゃんの分もお誕生日会一緒にさせてもらおうかしら。」 

 

 ルリとアムールトラとイエイヌ三人の誕生日会。それは楽しそうだ。

 けれども…。

 

「いや、今回はそれは遠慮しよう。やはりルリとアムールトラには色々と世話になった。今回ばかりは主役の座を譲るわけにはいかないのさ。」

「それもそうね。せっかくの二人の初誕生日パーティーですものね。」

 

 なんだかんだで和香もちゃんと娘達の事を考えているのだなあ、と春香は嬉しくなってもいた。

 それはそれとしてイエイヌの誕生日会はせっかくだからやってしまおう、とも考えていた。

 さて、イエイヌには何を贈るか、なんて考えていたけれど、その前に決めてしまわなければいけない問題が一つ。

 

「じゃあ、和香ちゃん。ルリちゃんとアムールトラちゃんのお誕生日パーティーは自宅でやるとして…、お料理とかどうするの?」

 

 春香の指摘に“教授”はしばらく宙を見上げるようにして考え込んで、そしてやがて両手で顔を覆った。

 どうやら絶望しかなかったらしい。

 そんな“教授”に春香は苦笑。

 

「いいわ。私達で誕生日のお料理作ってあげるから。お持ち帰りにしてあげる。」

「本当かい!?さすが姉さんだ!」

 

 しゅば、と春香の両手をとる“教授”。

 これで突然降って湧いた絶望もどうにかなった。

 

「あとはケーキは?」

「ケーキだったらパンケーキとかにしちゃえば簡単だからお料理苦手な人でも作れるよね。」

 

 ともえの疑問に萌絵が提案する。

 ケーキを焼くのはかなり難しいがパンケーキならば簡単だ。

 あとは見た目を豪華にするならカットフルーツやホイップクリームでデコレートしてもいい。

 なのでこれくらいなら“教授”でも手作りできるかな、と思ったのだが…。

 

「萌絵ちゃん…。人には向き不向きがあるの…。」

「ああ…。和香さんの料理は…。うん…。その…。まあ…。うん…。」

 

 と春香とオオアリクイにかなり重々しく止められた。

 “教授”の方もそれをわかっているのか再び両手で顔を覆っていた。

 なんだか悪い事を言ってしまっただろうか?と思うともえと萌絵。ともかく話題を変えなくては、と別な話を振ってみる。

 

「それと、お誕生日のプレゼントはどうするの?」

「ああ、それなら候補はあるんだ。そちらなら手作りも出来るからね。」

 

 “教授”はジャケットの内ポケットから紙を取り出した。

 それをテーブルに広げてみせると、それは何かの設計図のようであった。

 ともえもイエイヌも春香もオオアリクイも、そしてラモリさんまでもが一見しただけでは何なのかよくわからない。

 

「萌絵ちゃん…。お願い。」

 

 春香はその設計図らしきものの解読を早々に諦めて萌絵に丸投げしてしまった。

 萌絵はしばらくの間それを眺めて…、ん?と何かに気づいてそして訊ねる。

 

「“教授”…。これって実現可能…なの?」

「ああ。いけるよ。理論上は。」

 

 と答えられると萌絵の目は輝いていた。

 そして“教授”に詰め寄る。

 

「作ろう!これ!正直女の子に贈る誕生日プレンゼントとしてはどうかと思う部分がないでもないけどそんな事関係なく作りたい!」

「若干引っ掛かる部分がないでもないけど萌絵君ならそう言ってくれると思ったよ!」

 

 ガシリ、と二人は固い握手を交わしていた。

 その様子に残る一同はほんの少しの不安を感じないでもなかった。

 しかし、こうなってしまっては二人を止める事は出来ないように思える。もうなるようになれだ。

 

「じゃあ、早速『工房』の方に行こう!」

「ああ。中々の設備と聞いているよ。実はウチには工作室がないので楽しみだ。」

 

 そして二人で遠坂家の地下工作室、通称『工房』に向かおうとした。

 春香は、和香ちゃんは萌絵ちゃんと気が合うのねえ、なんて考えていてふと気が付いた。気が付いてしまった。

 和香は一体誰から『工房』が中々の設備だと聞いたのか。

 

―ガシリ。

 

 うきうきで『工房』に向かおうとする“教授”の肩を掴んで止める春香。

 

「ねえ、和香ちゃん…?『工房』の事を誰から聞いたのかしら?」

 

 瞬間、その場の空気が凍る。

 遠坂家の地下工房の事を知っている人物は限られている。この場にいる者以外でそれを知っている人物は…。

 

「ドクター……。だナ。」

 

 諦めたように言うラモリさん。該当する人物はともえ達の父、ドクター遠坂しかいない。

 そのラモリさんの言葉に他の一同もようやく事の深刻さを理解した。

 イエイヌだけがまだ事態を理解していないのか、きょときょとと周りを見渡している。

 普段は温厚を絵に描いたような春香であるが、彼女が怒る事がいくつかある。

 その中でも最大級にヤバいのが、ドクター遠坂が他の女性にデレデレするような事態である。

 もしも浮気など疑われようものならその被害はどのくらいになるのか想像すらつかない。

 

「和香ちゃん…?」

 

 ゴゴゴゴ。

 という効果音が聞こえてきそうな雰囲気で春香がニコニコとした笑顔を“教授”に向ける。

 その場の全員が顔を青くする事しか出来なかった。

 

「い、いや。その!?通話アプリとかで話してただけだよ!?うん、直接会ったりとかはしてないからっ!?」

 

 アワワワ、と言わんがばかりに釈明する“教授”。

 ドクター遠坂は妻一筋である。

 が、春香は意外とヤキモチ妬きでもあるのだ。

 果たしてこの釈明でこの空気は何とかなるのか…。

 一同固唾を飲んで状況を見守る。

 

「和香ちゃん……。」

「は……。はひ……。」

 

 春香は両手の拳を握ると……。

 

「ずるいわ!私も和香ちゃんとお話したかったのに!」

 

 ぶんぶんと上下させてみせた。

 ついでにほっぺたまで膨らませている。

 一同、肩を落として同じ事を思った。

 

「「「「「(そっちだったかー!)」」」」」

 

 こうして“教授”は携帯番号から通話アプリのIDからメールアドレスに至るまで全ての連絡先を春香に差し出す事になったのだった。

 

 

―中編へ続く




【セルリアン情報公開:ショー・タイフーン】

 低気圧に憑りついてその特性を模倣したセルリアン。
 始めはほんの一欠けらの小さな小さなセルリアンだったが、それが風に乗って空に巻き上げられて、低気圧の中心でそれに取りついてしまった。
 そこから少しずつ、周囲のサンドスターを巻き込み捕食する事でどんどん成長していった。
 本体は低気圧の中心におり、大きな目玉のような外見をしている。
 劇中では、成長しきる前に倒す事が出来たが、さらに勢力を増していたなら『ダイ・タイフーン』に進化していた事だろう。
 『ダイ・タイフーン』に成長したら強風と豪雨で広範囲に甚大な被害をもたらしていただろう。
 また、嵐の中心にいる事から近づこうとしても強風や稲妻で攻撃してくる。
 如何にして本体を叩くかが攻略の鍵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話『クロスラピスも甘えたい』(中編)

 

 それから数日。

 こっそりとルリとアムールトラの誕生日パーティーの準備を進めていた“教授”だったが、いよいよ決行当日となっていた。

 

「まずは料理…。これは姉さん達が作ってくれたから間違いはあるまい。」

 

 宝条家のテーブルにはお持ち帰りにしてもらった包みにオードブル類が入っている。

 そしてもう一つの紙箱にはバースデーケーキがホールで用意されていた。

 

「さらにはプレゼントも抜かりなしだ。」

 

 綺麗にラッピングされたプレゼントボックスには丁寧にリボンまでかけられている。

 こちらはこの数日間で遠坂家の『工房』を借りて作ったものだ。

 楽しかったなあ、と“教授”は思い出す。

 萌絵と一緒に『工房』であれこれ作業したり、差し入れにイエイヌがお茶を淹れてくれたり。

 

「ああ…。あとともえ君がともえスペシャルを作ってくれたな…。あれは新境地だった。」

 

 思い出す“教授”は個性が溢れすぎてしまったともえ作のお菓子やお茶を思い出す。

 

「あれ…。今度また頼みにいこうかなあ…。」

 

 “教授”は意外な事にともえスペシャルを気に入ってしまった。

 あの味は何というか、新しい発想をくれそうで癖になりそうなのだ。

 春香曰く、和香ちゃんは大体のものは美味しく食べちゃう子だから…、と。

 その春香は特に色々と世話を焼いてくれた。

 

「こちらの世界の時間だと大体10年以上は会ってなかったのか。」

 

 宝条和香が渡った世界とこちらの世界では時間の流れが違う。

 結果、“教授”は姉の年齢を追い越してしまっている。

 別な世界で長い時間を過ごした和香であったが、こちらの世界でも短くない時間が過ぎてしまっていた。

 その間、ずっと音沙汰がなかったのだ。

 和香に再会できた春香の喜びは察して余りある。

 それだけに、今まで連絡しなかった事の罪悪感もないではなかった。

 

「まあ、それは今は置いておこう。」

 

 これから、ルリとアムールトラの誕生日(ではないけれど)を祝わないといけないのだ。

 暗い気持ちは一旦置いて二人には楽しい時間を過ごして欲しい。

 もうすぐルリとアムールトラの帰宅時間になる。

 せっかくだから、と今日の事は二人には内緒にしていた。ユキヒョウが協力してくれて少しは準備の時間を稼いでいるはずだ。

 

「さて、後はオードブルの盛り付けとかをするだけ、なんだけれども、悪いね。イリア。」

「いえいえ。姐さんのお役に立てるんでしたらこのくらい。」

 

 宝条家で一緒に暮らしている油壷のセルリアン事イリアがテーブルの上に取り皿やらを並べていく。

 彼は長い年月を生きてきたせいか、しっかりとした知性を持ち合わせている。

 油壷に生えた蜘蛛のような手足を器用に操ってお持ち帰りしてきた料理を盛り付けていく。

 イリアとしても“教授”にこの手の作業をさせると大惨事を招きかねない事を理解していた。

 

「さて…。準備としてはこんなものだろうか…?」

「いやあ。あっしも人間達の宴の事にはとんと疎いもんで…。」

 

 “教授”は一通り周りを見渡してみるが何か足りない気がしていた。

 首元にチェーンで繋いだネックレスにつけている二つのメモリークリスタルをしばらくの間眺めて考える。

 一体何が足りないんだろう…、と。

 

「飾り付け…だろうか?」

 

 遠い記憶を掘り起こしてみると、そんな記憶がある。

 しかし、今から飾り付けを施そうにもモノもなければ時間もない。

 何か対策を考えるか、と“教授”は腕組みして思考する。

 と……。

 

―ピンポーン。

 

 とチャイムが鳴った。

 早くもルリ達が帰宅してしまったかと思うがすぐにそうではないとわかった。

 ルリ達ならチャイムなど鳴らさない。

 しかも、これはマンション外からの来客だ。

 一体誰だろう?と思いつつも“教授”はインターホンのモニターを確かめる。

 するとそこに映されていたのは……。

 

「エゾオオカミ君?」

 

 …だった。

 彼女もゲストとして呼んでいたのだ。一人だけ随分早い到着になってしまったな、なんて思っていたら、モニターの中のエゾオオカミは紙袋を掲げて見せた。

 

『きょうじゅー。ユキヒョウから届けモンだぜー。どうせ飾り付けの事なんてすっぽり頭から抜け落ちてるだろうから持ってってやれってさー。』

 

 “教授”とイリアは顔を見合わせてから苦笑する。

 

「どうやらユキヒョウ君にはすっかりお見通しだったらしいね。また頭が上がらなくなりそうだ。」

「ユキヒョウの姐さんには尻に敷かれておくのが正解じゃねーですかね。」

 

 違いない、と“教授”はもう一度苦笑。

 早速エゾオオカミを招き入れるべく、入場許可を出す。

 これで飾り付けが出来なかったでは、またユキヒョウを怒らせてしまう事になりそうだ。

 思えば、今日の大分遅れた誕生日パーティーだって彼女に焚き付けられた結果なのだ。

 しっかり祝ってやる事が彼女への感謝にも繋がるだろう。

 そうこうしていたらエゾオオカミもやって来た。

 

「よっしゃ。ユキヒョウが時間を稼いでくれてるうちに飾り付けもやっつけちまおうぜ。」

 

 エゾオオカミを加えた三人で部屋に飾り付けを施していく。

 彼女の持ってきてくれた紙袋には金銀色のキラキラしたテープや発光ダイオードなどが入っていた。

 エゾオオカミは手際よくテーブルの縁に発光ダイオードを取り付けて、さらに金銀色のテープを上から被せる。

 ついでに余ったテープで椅子の縁なんかも飾り付けてやればテーブル周りだけでも華やかになった。

 その手際に“教授”も感心しきりだ。

 

「へえ。上手いものだね。」

「商店街のイベント事の飾り付けだって手伝ってきたからな。このくらいならお茶の子さいさいってもんだぜ。」

 

 エゾオオカミが意外な器用さを発揮してくれたおかげで思った以上に体裁は整った。

 あとは主役の登場を待つばかりだ。

 

「ああ、そういやあ、ケーキに立てるロウソクも持ってきたぜ。」

「何から何まですまないね。助かるよ。」

 

 それならば、今のうちにケーキにロウソクを立ててそちらも準備しておくか、と思った矢先…。

 

―フヨフヨ…。

 

 とどういうわけかケーキ箱が宙に浮いていた。

 これには“教授”もイリアもエゾオオカミも驚きの表情を浮かべる。

 

「なあ、“教授”……。また何か変な発明品でも作ったのか…?」

「いや。さすがに空飛ぶバースデーケーキなんて作る発想はないよ。ともえ君でもあるまいし。」

 

―スゥ……。

 

 エゾオオカミと“教授”が戸惑っているうちに宙に浮いていたバースデーケーキの紙箱は目の前で忽然と消えてしまった。

 こんな不可解な事が起きるのは“教授”の発明品以外では思い当たる節は一つ。

 

「セルリアン…。」

「だな。」

 

 “教授”の呟きにエゾオオカミが頷いて見せる。

 ぷるぷると肩を震わせる“教授”。

 そこに浮かんだ感情は怒りであった。

 感情のままに右腕のみをセルリウムで覆い異形の巨腕へと変じようとした刹那…。

 

「待てよ。そんな事をしたらパーティーどころじゃなくなるだろ。」

 

 エゾオオカミに肩を掴んで止められた。

 ハッとする“教授”。

 確かに、今、軽く腕をひと薙ぎすれば、こんな事をしでかしたセルリアンを消し飛ばすのだって容易だろう。

 けれど、せっかく用意した料理もプレゼントも飾り付けも部屋ごと吹き飛ばしてしまっていたに違いない。

 その逡巡の間に、部屋の扉が開く音がする。

 おそらく見えない何かが部屋を出て行ったのだろう。

 きっとエゾオオカミの持つキラキラの飾り付けに微かな“輝き”を見て引き寄せられてここまで来て、もっといい餌を見つけてしまったのだろう。

 このマンションは外から中に入るにはある程度の手続きが必要だが、中から外に出る分にはフリーパスなのだ。

 つまり、バースデーケーキ泥棒をこのまま逃がすしかないという事だ。

 せっかく春香が焼いてくれたケーキなのに…。

 それに、バースデーパーティーなんて無縁の別世界で長い時間を過ごしていたせいで、うっかりルリとアムールトラの誕生日を祝う事を忘れてしまっていたけれども、二人の事を大切に思ってないわけじゃないのだ。

 だとういうのに“教授”には今まさに見えない何者かに持ち去られようとしているケーキを無事に取り戻す手段はなかった。

 

「むぅうぅうううう!」

 

 結果、“教授”の感情は限界を突破してしまった。

 ほっぺを膨らませ、両手をぶんぶんする。その仕草は春香にそっくりだった。

 

「いや…“教授”…?キャラ変わってんぞ…。」

「いや、どっちかって言うとこっちが素なんじゃねーですかね。」

「そこぉ!?余計なお世話だよっ!?」

 

 そんな様子をヒソヒソと見守るエゾオオカミとイリアに“教授”のツッコミが入った。

 が、そんな場合ではない。

 

「どどど、どうしよう…!?お姉ちゃんのケーキ取り返さないと…!」

 

 “教授”は相変わらずキャラが戻らずに慌てていた。

 その彼女の肩をポム、と叩いた者がいる。

 エゾオオカミだった。

 

「“教授”…。おちつけー。」

 

 これが落ち着いていられるか、と言いたい“教授”だったが慌て過ぎて上手く言えないでいた。

 

「なあ、“教授”。ここは木の実探偵の出番じゃないか?」

 

 ふふーん、とドヤ顔で自分に親指を突きつけるエゾオオカミ。

 

「木の実探偵の特技は探し物なんだぜ。」

 

 エゾオオカミが“探偵の勘”と呼んでいる能力がある。

 それはエゾオオカミの元動物の特徴に由来するものだ。

 その片鱗を残している彼女は“探偵の勘”に従って探し物をすればいつの間にか目的を果たしている事が多い。

 

「だからさ。“教授”は家でルリとアムールトラを待っててやれよ。」

 

 願ってもいない申し出だ。

 “教授”の力は凄まじいものがあるがこうした状況には不向きでもある。

 エゾオオカミに任せるのが適任に思えた。

 ならば、彼女は探偵なのだ。それなりの作法というものがあろう。

 そう思った“教授”はそれを果たす事にした。

 

「わかった。依頼しよう、木の実探偵エゾオオカミ君。あいにく木の実の持ち合わせはないから、これでも構わないかい?」

 

 “教授”は爪楊枝を刺したオードブルの唐揚げを一つ彼女に差し出す。

 エゾオオカミはニヤリとすると、そのままパクリと一口でそれを食べてしまった。

 まだほのかに温かみの残っている唐揚げを飲み下して…。

 

「美味いな、これ。」

「だろう。」

 

 と、二人して笑いあう。

 だが呑気に唐揚げを味わっている場合でもない。

 

「じゃあ、バースデーケーキを取り返す依頼は確かにこの木の実探偵エゾオオカミが引き受けた。」

「頼みやしたぜ!エゾオオカミお嬢!」

 

 イリアにも頷き、エゾオオカミは部屋の外へと飛び出していく。

 ポケットに“リンクパフューム”が入っている事をしっかりと確認して。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 部屋の外へと飛び出したエゾオオカミ。

 共用通路にはセルリアンらしき気配はしない。

 これは急がないとまずいか。

 エゾオオカミは一度周囲を見渡し、人影がないのを確認。ポケットから“リンクパフューム”を取り出す。

 

「リンクハートっ!メタモルフォーゼッ!」

 

 そして、“リンクパフューム”の中身を両手、両足、と振っていくと、 彼女の身体がサンドスターのキラキラとした輝きに包まれる。

 

「リンクエンゲージ!ニホンオオカミスタイルッ!」

 

 叫びと同時にエゾオオカミを覆っていたサンドスターの輝きが晴れた。

 茶色の長い毛並みと、同じ色のブレザー。そしてピンクのチェック柄のミニスカート、ふさふさのオオカミ尻尾とピンと立ったオオカミ耳のフレンズがそこに現れる。

 エゾオオカミは変身を果たすとすぐに周囲の匂いを探る。

 変身した事で身体能力だけでなく、感覚器官も鋭敏になっている。

 おかげで匂いを辿る事だってお手の物だ。

 セルリアンの匂いは共用通路を越えて外へと続いている。

 なので、エゾオオカミも転落防止用の壁と手すりを乗り越えて外へ身を躍らせた。

 ここは4階。

 普通なら無事では済まない高さだが…。

 

―タンッ

 

 変身したエゾオオカミはマンションの壁面を蹴ってジクザグに降りていく。

 そしてついに両手両足で着地。

 身体を確かめてもダメージは残っていない。

 

「やっぱすげえな。」

 

 と自身の身体に感心している場合ではない。周囲の匂いを辿ればセルリアンの匂いは路地裏の方へ続いている。

 エゾオオカミはそちらへと駆け出した。

 変身した今だと匂いがよくわかる。

 ケーキの匂いとセルリアンの匂い。双方がハッキリと残っているから追跡は朝飯前だ。

 

「匂いが強くなってきた…!」

 

 路地裏に入るとどんどんセルリアンに近づいている実感が湧いてくる。

 

「いるな。」

 

 そう確かに確信できる。

 だが匂いはすれども姿は見えない。

 つまりそういう能力のセルリアンなのだろう。

 

「さて…。どうしたもんかな。」

 

 この辺りにいるのは確実だ。

 けれど正確な場所がわからない。闇雲に攻撃したらうっかりバースデーケーキにも被害が及んでしまうかもしれない。

 エゾオオカミは思考する。

 相手は決して強力なセルリアンじゃない。

 もしもそうじゃなかったなら近くに来ていた時点で何か気配がしていたはずだ。

 そして、逃げ出すようにケーキだけを持ち去った事も、そうしなければならない程度の力しか持っていないという事なのではないか。

 

「だったら……!」

 

 エゾオオカミは大きく息を吸い込むと…。

 

「あぁぁおぉおおおおおおおおん!!」

 

 と遠吠えで“天上ぶち抜きボイス”を発動させる。

 それは攻撃力を引き上げるバフ技なのだが、今欲しいのは攻撃力ではない。

 こうして、攻撃の意思を見せる事でほんの少しでも相手が怯んで身じろぎすればそこに気配の揺らぎが生まれるはずだ。

 

「さあて、お前がビビれば俺の勝ち。お前がビビらなければそっちの勝ちだぜ。」

 

 毛を逆立てて今にも攻撃を仕掛ける体勢をとるエゾオオカミ。

 しっかりと周囲の気配を探るのを忘れない。

 彼女の言う通り、この勝負は単純だ。

 ビビるか、ビビらないか。

 ただそれだけだ。

 

「!!」

 

 ほんの少しだけれど、空気が動いた。

 セルリアンと、そしてケーキの匂いもそこからしている。

 

「見つけた!」

 

 ダンッ!と音を立ててそちらへ疾るエゾオオカミ。

 だが、今はまだ攻撃出来ない。

 何せケーキの位置を把握していない。

 だが、これでいい。

 

―バサァ!

 

 と羽音がした。

 そう。

 こうなった以上、セルリアンはなりふり構わず逃げ出すしかないのだ。

 しかし、動けば動いた分だけエゾオオカミには状況が手に取るようにわかる。

 どうやら相手は鳥のようなセルリアンであるらしい事も。

 そして、ケーキ箱をその足で掴んで吊り下げているらしい事も。

 たとえ見えなくても完全に把握できた。

 

「どうやら俺の勝ちだったみたいだな。」

 

 エゾオオカミは飛び立ったセルリアンが逃げ出すよりも早く、それを右手で捕まえていた。

 そして、取り落としたケーキ箱を左手でキャッチ。

 願わくば中身が崩れていない事を祈るのみだ。

 あらためて右手を見ると、ちょうどソフトボールくらいの大きさの毛むくじゃらなセルリアンがそこにいた。

 毛むくじゃらな身体の奥に一つ目があって鳥のような翼が生えている。今はエゾオオカミの手の中で翼を羽ばたかせてジタバタとしていた。

 

「さて…。それじゃあ…。」

 

 放っておけばきっとまたどこかで悪さをしてしまうのだろう。

 そのまま逃がす事は出来ない。

 エゾオオカミはセルリアンを捕まえたその手に力をこめようとした、まさにその瞬間…。

 

―グゥウウキュルルルルル…。

 

 と、盛大にそのセルリアンの腹の虫が鳴った。

 

「わかったわかった。腹空かしたヤツを問答無用でパッカーンってのも寝覚めが悪そうだ。」

 

 右手のセルリアンに視線を落とすエゾオオカミ。

 

「なあ…。お前、ちゃんと大人しく出来るか?」

 

 それにセルリアンは何度も頷くような仕草をしてみせた。

 

「んじゃあ、帰ろうぜ。料理はかなりの量だったからお前ひとり増えたってなんとでもなるだろ。」

 

 右手にセルリアン、左手にケーキの紙箱を持ったエゾオオカミは取り敢えず宝条家に戻る事にした。

 

「そういやぁ、お前、名前なんて言うんだ?」

 

 右手の中のセルリアンはキュウキュウ、と妙な鳴き声をあげるばかりだ。

 多分、こちらの言う事を理解する事は出来るけれども、言葉までは話せないのだろう。

 それを理解したエゾオオカミは、まあいいか、と名前を聞くのを諦めた。

 だが、セルリアンの方は何か言いたそうにしている。

 何となくだけれど、エゾオオカミには何を言いたいのかわかったような気がした。

 多分、セルリアンはこう言いたいのだろう。

 

―そっちは何て言うの?

 

 と。

 だが、エゾオオカミにはまだ名乗るべき名前がない。

 数日が経った今でもまだ変身後の名前は決まっていないのだ。

 しばらく迷ったエゾオオカミだったが、ちょうどいい機会か、と思い直す。

 いつまでも自分の名前決めでルリ達を迷わせるわけにもいかない。

 ここは鶴の一声で決めさせてもらおう。

 ちょうど、候補に考えていた名前の中でちょうどよさそうなのが出来ていた。

 それはウルフアイという天然石から色々連想を繋げていった名前であった。

 

「俺は…クロスアイズ。通りすがりの正義の味方、クロスアイズって呼んでくれ。」

 

 天然石にはタイガーアイや猫目石などの動物の瞳に例えられる石も多い。

 そして、クロスハートのハートに対して瞳を表すアイズも悪くないと思っている。

 チームクロスハートにもクロスジュエルチームにも両方に配慮した名前でもあった。

 まあ、何はともあれ、新ヒーロー、クロスアイズの初戦果でもある。

 こうして、エゾオオカミ改めクロスアイズは初の戦果であるセルリアンと取り戻したバースデーケーキと共に宝条家への道を戻るのだった。 

 

 

―後編へ続く

 




【ヒーロー紹介:クロスアイズ】
パワー:B スピード:B 防御力:B 持久力:S
必殺技:天井ぶち抜きボイス

 エゾオオカミが“リンクパフューム”の力を借りて変身したヒーロー。
 茶色のブレザーにチェック柄のミニスカート。そしてスカートと同じ柄のネクタイを締めている。
 ニホンオオカミのメモリークリスタルから力を借りている為、その格好もニホンオオカミに似ている。
 また、嗜好もニホンオオカミに似てしまうのか、変身後はやけにマヨネーズを食べたくなってしまうのも特徴の一つだ。
 必殺技の天上ぶち抜きボイスは攻撃力を引き上げるバフ技である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話『クロスラピスも甘えたい』(後編)

 

 ユキヒョウは色々と呆れていた。

 飾り付けや料理の準備などは思っていた以上にしっかりと出来ていた。

 けれども…。

 

「な、なんでセルリアンが増えてるのじゃ…。」

 

 なんだか毛むくじゃらで羽根の生えたセルリアンが一匹増えているのだ。

 しかも、今日の主役を差し置いて、既に取り皿にとられた唐揚げをパクついていた。

 

「ま、待ってくれ、ユキヒョウ!?これには理由がだな!?」

「そ、そうだとも!決してエゾオオカミ君が悪いわけじゃないんだっ!」

「見逃してくだせえ!ユキヒョウ姐さんっ!」

 

 と、エゾオオカミも“教授”もイリアまでもが揃って弁明しているのもどうしたものか。

 人の事を鬼か何かと勘違いしてないか、と、それもユキヒョウの呆れの一因になっていた。

 ユキヒョウはとりあえず嘆息してから言う。

 

「理由があるのは分かった。で、何がどうなってこうなっておるのじゃ…?」

 

 なにせ、せっかくのサプライズのはずだったのに、むしろ毛むくじゃらのセルリアンに全部持ってかれたような感じになってしまった。

 ルリもアムールトラも部屋の様子には気付かずにそのセルリアンの前にしゃがみ込んで観察していた。

 と、そのルリがユキヒョウの方に振り返りながら言う。

 

「えっとね、美味しそうなキラキラがあったからつい持ってったらエミさんに捕まって、でも許してもらって、でもってキラキラを食べさせて貰ってたんだって。」

「ふむ…。ルリはこの毛むくじゃらの言う事がわかるのかの?」

「うん。何となくだけど。」

 

 それもルリのセルリアンとしての能力の一つなんだろうか。

 

「それと、この子、レミーノって名前なんだって。」

「へー。こいつ、そんな名前だったんだな。」

 

 ルリに毛むくじゃら改めレミーノの名前を教えて貰って、エゾオオカミも感心したように頷く。

 

「なるほど。これは藁に似た毛並みだと思ってはいたが、蓑…、つまり昔の雨具だね。」

 

 “教授”はレミーノの毛並みを撫でつけながら言う。

 どうやらレミーノは蓑という藁を編んで作られた昔の雨具に憑りついたセルリアンであるらしかった。

 

「透明になる能力はさしずめ“天狗の隠れ蓑”とでも言うべきものなのかな。」

 

 そうして興味の赴くままにレミーノを観察する“教授”はもうすっかりいつも通りだ。

 さっきまでの醜態はエゾオオカミとイリアだけの秘密にしておこう、と目配せし合う二人であった。

 

「それと、レミーノのヤツはあっし程ではねーですがちゃんとした知性を持ち合わせてるみてーです。腹さえ空いてなきゃ悪さをする事もねーでしょう。」

「へー。腹さえ空いてへんかったらって、コイツ何を食べるん?」

 

 イリアの解説にアムールトラが疑問を持った。

 今は唐揚げを食べているが、それで腹が膨れるのだろうか。

 

「人間が作った料理に込められた“輝き”を摂取してるんでしょうな。あっしと同じで生きるのにそこまで“輝き”を必要としねーのでしょう。」

 

 つまり、普通に何かの食事をしていれば腹を空かせる事もないし、今回みたいに何かを盗んだりするような事もないのだろう。

 ここまでを聞いた一同は揃って頷き合う。

 “教授”もルリもアムールトラも、エゾオオカミもイリアもついでにレミーノまでもが正座っぽい姿勢でユキヒョウを見上げる。

 ユキヒョウの最後の呆れの原因はこれだった。

 何となくこうなる事がわかっていたのだ。

 しっかりと監督してやれば悪さをしないというのなら選択肢は一つだ。

 なので、嘆息と共にみんなにこう告げるのだった。

 

「ちゃんと世話するんじゃぞ。」

 

 そう言うと一同に喜色が広がる。

 ユキヒョウはやれやれと苦笑する。ウチのマンションにはますます変なペットが集まるなあ、と。

 

「じゃあじゃあ、レミーノさんにも何か呼びやすそうな名前考えないとね。レミィさんとかどうかなあ?」

「キュゥ!キュゥ!」

「お、いいですなあ。レミィのヤツも喜んでるようですぜ。」

 

 ルリはルリで早速レミーノにニックネームをつけていた。同じようにしてニックネームをつけられたイリアも仲間が増えたと喜んでいるようだ。

 

「それはそれとして…、そろそろ部屋の様子にも気づいて欲しいんじゃがの?」

 

 とユキヒョウが促すと、ようやくルリも部屋が綺麗に飾り付けられている事に気が付いた。

 そもそもレミィが食べていた唐揚げは一体誰が用意したのか。

 それに気づくべきだったのだ。

 テーブルには美味しそうなオードブルが並んでいた。レミィが食べていた唐揚げはそこから失敬したものなのだろう。

 しかし、これは一体全体どうしたのだろう、とルリとアムールトラだけが戸惑っていた。

 ユキヒョウは“教授”に目配せしてみせる。今日の主催者なのだからビシっとかっこいいところを見せてくれ、と。

 

「その…。二人の誕生日を祝う事をすっかり忘れていてしまったのでね。大分遅れてしまって申し訳ないんだが、誕生日パーティーをやろうと思ったんだ。」

 

 “教授”が鼻の頭を掻きながら照れ臭そうに言う。

 エゾオオカミは自身の戦果であるバースデーケーキを紙箱から出す。幸いにして中身も崩れたりせずに無事だったようだ。

 それは真っ白な生クリームと真っ赤なイチゴで彩られたホールケーキだった。

 中央にはチョコレートのメッセージプレートが添えられている。

 まごう事無きバースデーケーキだ。

 

「う、ウチらの…?」

「誕生日…?」

 

 目を丸くするアムールトラとルリを見て、サプライズ成功かと残るみんなもニヤリとしていた。

 

「ちなみに、ルリとアムールトラの本当の誕生日はいつなんじゃ?」

 

 と訊ねるユキヒョウ。

 “教授”は頷くとそれに答えを返す。

 

「4月12日だよ。アムールトラのはよくわからなかったからルリと同じ日にしたんだ。」

 

 ちゃんと覚えていたなら及第点だ、とユキヒョウも笑って見せた。

 未だに目を丸くしたままのアムールトラ。信じられないものを見るような目で自分もなのか、と自身を指さしている。

 

「キミはもうビーストじゃなくてフレンズで私の娘という扱いだからね。そりゃあルリだけじゃなくてアムールトラだって祝うさ。」

 

 そう言われるとアムールトラの胸には何か熱いものがこみ上げてどうにもむず痒くて仕方がない。

 ユキヒョウとエゾオオカミはよくやった!と言わんがばかりに頷いていた。

 アムールトラはかつてはビーストと呼ばれて誰かとまともに交流した事すらなかった。

 だからこそ、こうして生まれて来た事を祝われるというのは何とも言葉に出来ない暖かいものがこみ上げる。

 湿っぽくなるのは我慢しないと、とアムールトラが後ろを向いてしまったのを察して“教授”は次の話題に進んだ。

 

「それとプレゼントも用意したんだ。気に入ってもらえるといいんだが。」

 

 プレゼントボックスは何故か5つもあった。

 

「もちろんルリとアムールトラの分はあるんだが、せっかくだからユキヒョウ君とエゾオオカミ君、それにイリアの分も用意したのさ。どうかな。ささやかなサプライズになっただろうか。」

 

 言って“教授”はそれぞれに箱を渡していく。

 レミィには流石に準備していなかったので、とりあえず追加でオードブルからエビフライをあげてみた。

 どうやらそれで満足してくれたらしくてほっと一安心である。

 

「あっしにもいいんですかい?」

 

 早速中身を空けてみたイリア。どうやら高級食用オイルの詰め合わせセットだったらしい。

 

「キミにも随分助けてもらったからね。まあ、日ごろのお礼という事で受け取ってくれ。」

 

 それを見ていたユキヒョウとエゾオオカミだったが、次は自分達の番って事でいいか、と顔を見合わせる。

 主役は最後に残しておくものだろう、と二人してプレゼントを開けてみる。

 

「ええっと…こいつは何だ?」

「わらわのはネックレスかの?」

 

 エゾオオカミの箱には透明な瓶に小分けされた何かと、ユキヒョウの箱には雪の結晶を模した飾りのついたペンダントが入っていた。

 

「まずエゾオオカミ君のだがね。それは“リンクパフューム”の補充用香水だよ。」

 

 “リンクパフューム”はサンドスターを帯びた香水をメモリークリスタルを通してけものプラズムに変換する。

 香水は当然使えば減るので、補充用のそれは有難い品だった。

 

「在庫が少なくなったら言ってくれたまえ。また作るからね。」

「おおお!“教授”!サンキューな!」

「ふふ。私もクロスジュエルチームの一員なんだろう?ならこのくらい当然さ。」

 

 思っていた以上に喜んでくれたので“教授”も悪い気はしない。

 そして、ユキヒョウの方のペンダントも当然普通の品ではない。

 

「そちらのネックレスはね。パーソナルフィルター発生装置を少しばかり応用したんだ。」

「って事は…もしかして萌絵さんと一緒に?」

 

 ルリは自身のつけていた髪留めを弄る。

 それは萌絵がルリの為に作ったものだ。それを応用したという事は彼女も一枚噛んでいるのかと予想したがそれはどうも正しいらしい。

 

「これは名付けてパーソナルエアーコンディショナーだよ。サンドスターが気候変動をもたらす性質を利用して、一人分の空間の気温を制御してくれるんだ。」

 

 “教授”的にはこれが一番苦労した。

 おそらく萌絵がいなければ完成しなかっただろう。

 ユキヒョウが夏の暑さを苦手としているらしいと知って、何とか完成に漕ぎつけたのだ。

 早速ユキヒョウが試しにつけてみると、途端にひんやりとした空気に包まれた。

 

「おお…!?こ、これは凄いのう!?夏の暑さもこれならへっちゃらじゃ!?」

 

 思わぬ贈り物にユキヒョウも驚きを隠せない。

 

「まだ温度の微調整なんかは効かないから、そこは今後の課題だね。寒く感じるようなら外すといいよ。」

「の、のう。これ完成したらうちで売らぬか?絶対大ヒット間違いなしなんじゃが…!」

 

 ユキヒョウにしては珍しく手放しで“教授”を褒め称える。

 まだこのパーソナルエアコンは温度調節も効かないし、今回は冷房機能しかないようであるが、それでも夏の暑さから解放されるのはそれだけでも素晴らしい。

 商品化はどうしようか、と“教授”は悩む。なんだかんだで他の発明品の特許などでお金には困っていないから急ぐ事はない。

 商品化するにしてもまだまだ先は長いだろうし、萌絵とも相談しないといけないから簡単には頷けない。

 けれども先の事は置いておいて喜んでもらえたようでよかった、と“教授”も満足だ。

 

「しかし、まさかお主にここまでプレゼントのセンスがあったとは驚きじゃのう。」

「はっはっは。安心したまえ。ルリの分は萌絵君から女の子の誕生日プレゼントとしてはちょっとどうかと思うと言われているんだ。」

 

 ここまで手放しで褒めていたユキヒョウだったが、この“教授”の自嘲に不安を覚える。

 一体ルリのプレゼントはどんな事になっているのか。

 ルリが今度は自分の番、と箱を開ける。

 ルリの箱は一番大きな物だった。

 

「えっと…。これなあに?」

 

 一言では何とも言い表せないものがそこにあった。

 まずどうやら腕にはめて使うものらしいのはわかる。

 それは主に二つのパーツで構成されていた。一つは腕にはめる為のグローブとアームガード。

 そしてもう一つはアームガードの先端から伸びるクワガタのようなハサミだ。

 無理に一言で表すなら腕部装着型の万力、と言ったところだろうか。

 

「ルリはパワー不足に悩んでいたようだったからね。それを補う武器だよ。」

「お、ぉおおおおおっ!?“教授”!?これどうやって使うの!?」

 

 武器と聞いて俄然テンションがあがるルリ。

 

「これは簡単に言うと油圧式の万力なんだ。これでセルリアンの『石』を挟み込んで圧力をかけて握り潰すわけだね。」

 

 “教授”は早速解説を始める。

 この武器にはクワガタのようなハサミ部分の根元にいくつものボルトのような物がついているのが見える。

 その中には既に高圧をかけたオイルが充填されている。いわゆるアキュムレータだ。

 使用時にはこのアキュムレータが押し込まれて中の高圧オイルを流し込み油圧機構に圧力をかける事によって、機械仕掛けの力で万力を締め上げる仕組みになっている。

 

「あ、これってパスカルの法則だ!」

「そう。よく勉強しているね。エライよ。」

 

 最近勉強に関しても頑張っているルリは油圧機構の原理も知っていた。“教授”はその頑張りを褒めて頭を撫でてあげると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 

「パワー重視で作ったから、連続使用回数は1回きりだけれど、だいたいのセルリアンの『石』を砕ける程度の力は保障するよ。」

 

 つまり、一回使ったら補給が必要だけれど、必殺の一撃になり得るという事だ。

 

「あと、この油圧機構に入れたオイルはイリアが作ってくれたものだから、サンドスターを少しばかり帯びている。そう簡単にセルリアンに取り込まれる事もないはずだし、『石』の防御機構だって破れるはずだ。」

 

 これはまさに対セルリアン用の武器と言っていい代物らしい。

 ちなみにこれを共同で開発した萌絵は1回しか使えない高威力武器を浪漫あふれ過ぎ、と大層気に入っていた。

 ただ、問題が一つ。

 

「でもさ、“教授”…?これ、普段持ち歩くには大きすぎない?」

 

 それは、この武器が大きすぎる事だった。

 ハサミ部分も含めた全体の長さはルリの身長の半分くらいもあるのだ。普段から持ち歩くには目立ちすぎる。

 だが、そこにも“教授”は解決策を用意していた。

 

「ふふ、そこでアムールトラへのプゼントの出番になるわけだよ。」

 

 “教授”の物言いに、今度はアムールトラが自身に渡された箱を開ける。

 それには輪っかのような物が入っていた。

 

「これ、なんなん?」

 

 アムールトラはその輪っかを裏返したり、中の中空を通して向こうを覗いてみたが何も変わらない。

 

「じゃあ、アムールトラ。キミの変身衣装のシルクハットを貸してくれるかい?」

 

 “教授”に言われるがままにクロスラズリの変身衣装のシルクハットを渡すアムールトラ。

 シルクハットを受け取った“教授”は、その帽子の底面に先ほどの輪っかを取り付けた。

 そうしてから、ルリの油圧式万力をシルクハットの中に入れていくと……。

 

「「「「「ええええええ!?」」」」」

 

 見守る一同から驚きの声が上がった。

 なんせあれ程大きかった油圧式万力がシルクハットの中にすっぽりと納まったのだ。

 “教授”がそれをアムールトラに渡しても、中身はいつもとかわらぬ帽子だ。

 

「で、It's show time!の合言葉で取り出せるようになるわけだよ。」

 

 可愛くやってね、と言い置いて“教授”はワクワクと見守る。

 

「え、ええっと…いっつ、しょーたいむっ?」

 

 とアムールトラがシルクハットの中に手を突っ込んで引き抜くと…。

 

「ほ、ほんとに出たぁ!?」

 

 と先ほどの油圧式万力がニュルンと出て来た。

 

「はっはっは。種も仕掛けもあるんだがね、これもサンドスター科学の応用で、空間をほんの少し歪めて内容量を増やしているのさ。」

「はへー…。やっぱし“教授”は“教授”なんやなあ…。」

 

 理屈を聞いてもアムールトラにはこれがただただ凄いものだ、としか分からなかった。

 でも待てよ、と思い直す。

 

「“教授”…?でもこれなんやけど、ルリの帽子につけた方が便利なんちゃう?」

 

 それはそうだ。これではせっかくの武器もルリとアムールトラが揃っていないと使えない事になる。

 

「ああ、それはね。これも一応武器だからね。使うのに危険がないわけじゃない。だからアムールトラが使わないとダメだと思った場面でしか使えないようにそうしたんだ。」

 

 それになるほど、と一同納得だ。

 つまりこれは…。

 

「クロスラピスとクロスラズリ二人が揃って初めて使える必殺武器というわけじゃな。なるほど女の子の誕生日プレゼントとしては微妙じゃ。」

 

 くつくつと笑うユキヒョウ。呆れたというよりも愉快さが勝った。

 確かに女の子の誕生日プレゼントに贈る物としてはどうかと思う。

 けれど、ルリが今一番必要としていて“教授”にしか贈れない最高のバースデープレゼントだった。

 

「アムールトラはルリをずっと見て来ているからね。適任だろう?」

 

 それにアムールトラならルリがそれを使わなくてはならない場面を見誤ったりはしないと信頼できる。

 

「だったら必殺技の名前も決めておいたらいいんじゃないか?さすがに油圧式なんとかー、じゃあ格好つかねえだろ。」

 

 エゾオオカミの言葉にそれもそうか、と一同思案に暮れそうになるが…。

 

「それは食事しながら考えようじゃないか。せっかく用意したものだしね。」

 

 必殺技の名前決めはせっかくだからバースデーパーティの話題の一つにさせてもらおう。

 それに、このままだとせっかく用意したご馳走もレミィに全て食べつくされそうだし。

 “教授”はルリの椅子を引いて席に座るよう促す。

 が…、ルリは“教授”を見上げていた。

 何か言いたいのだろうか?と“教授”は小首を傾げる。

 待つ事しばし、ルリが口を開いた。

 

「あのね……。実は“教授”に一つお願いがあるの。」

 

 ふぅむ、と“教授”は考え込む。

 ルリは殆ど……いや全くと言っていい程こうしたおねだりをした事はなかった。

 だから、今日という日にはなるべくなら願い事を叶えてやりたいと思う。

 自分に可能な事だといいが、と“教授”は祈りつつ頷いてみせる。

 

「あのね。」

 

 ルリは“教授”の耳元に自分の願いを口にした。

 その内容は確かに“教授”にしか出来ないし、“教授”いがいの人間では叶えられないけれど物凄く簡単な内容だった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一夜明けて明くる日の朝。

 昨日の大分遅れた誕生日パーティーは盛況のうちに幕を閉じた。

 来年の本当の誕生日にはともえや萌絵やイエイヌ達もゲストに呼ぼう。

 今度は盛大にやって、また二人を驚かせるのも面白そうだ。

 と、そんな事を考えながら研究を進めていたらいつの間にかまたも徹夜してしまっていた“教授”である。

 ふと気づけばリビングから朝ご飯の匂いがする。

 もうすぐルリとアムールトラの登校時間なのだろう。

 せっかくだし見送りくらいするか、と“教授”はそちらへ向かう。

 

「あ、おはよう。朝ご飯とお昼ご飯は用意してたから後で温めて食べてね。」

 

 今朝も変わらずルリは朝の支度をテキパキとこなしていく。

 既にルリとアムールトラは朝ご飯も終えて登校するばかりとなっていた。

 キッチンではイリアが定位置でいつも通りに壺の振りをしており、レミィも朝ご飯を食べて満足したのかソファーの上で寛いでいる。

 

「ああ、ありがとう。それじゃあ二人とも気を付けて行ってらっしゃい。」

 

 保護者らしい事が出来ているのか、と自嘲気味に考える“教授”だったが、せめて見送りくらいは、と二人に手を振る。

 ルリはしばらくもじもじと迷うようにしてから、昨日のお願いごとを実行に移した。

 

「じゃ、じゃあ行ってきます。お母さん。」

 

 その様子がいつにも増して可愛らしかったので呆ける“教授”の背をアムールトラがバシンと音を立てて叩く。

 

「ほな行ってくるで。母さん。」

 

 ニヤリとしながら茶化すような雰囲気のアムールトラだったけれど、彼女の頬も恥ずかしそうに紅潮していたのを見逃さなかった。

 二人して照れ隠しのようにパタパタと足早に部屋を出ていく。

 結局、あの時ルリが望んだ事は何の事はない。

 単にお母さんと呼びたいというそれだけの事だった。

 

「まったく…。欲のない子達だ。」

 

 やれやれ、と頭の後ろを掻きつつ、それでも悪くはないなと思う“教授”であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ハクトウワシーっ。ヤマさーん、お弁当持ってきたよー。」

 

 マセルカが元気に交番の扉を開ける。

 セルリアンフレンズ3人組はすっかり色鳥町商店街前交番の常連になっていた。

 今は半ばなし崩しでハクトウワシの住むアパートの一室で一緒に暮らしている。

 

「Wow!マセルカ、待ってたわ!もうお腹ペコペコだったのよっ。」

 

 ハクトウワシも最初こそ、この共同生活に戸惑いもあったけれどいつの間にかすっかり胃袋を掴まれてしまった。

 彼女は料理は苦手で普段の食事はジャンクフードばかりだった。

 セルシコウが呆れ半分で腕を振るっていらいその虜になってしまったのだった。

 マセルカの後ろにはオオセルザンコウもセルシコウも続いている。

 今では3人してハクトウワシにもヤマさんにもお弁当を届けに来て、そこでみんなでお昼を食べるのが日課になっていた。

 早速みんなでお弁当を広げてお昼タイムだ。

 

「そうそう。マセルカちゃん達の学力検査の結果が届いたんだよ。」

 

 みんなでセルシコウがメインで作ってくれたお弁当を突きつつ、ヤマさんが言う。

 

「一応、オオセルザンコウちゃんとセルシコウちゃんの二人は義務教育修了程度の学力があるって認められたみたいだよ。マセルカちゃんは…。うん。中学校から通った方がいいみたいだね。」

 

 つい先日受けさせられた何かのペーパーテストの結果が書かれた紙を示すヤマさん。

 ヤマさんはヤマさんでオオセルザンコウ達が今後どうやって暮らすのかを決める手伝いをすべく色々と世話を焼いていた。

 彼女達3人の保護をどこかに頼む事は出来る。

 けれど、その場合は保護する家庭の事情にもよるだろうが、3人いっぺんに保護というのは難しいだろう。

 ヤマさんとしてもこの3人を引き離すのは忍びないと感じていた。

 

「なんで、今後の生活の事を少しばかり考えようと思うんだけど、今は大丈夫かな?」

 

 オオセルザンコウ達には今のところ用事も予定もない。

 なのでヤマさんの言葉に素直に頷く。

 

「取り敢えずマセルカちゃんはどこか中学校から通った方がいいね。」

 

 それにオオセルザンコウとセルシコウは顔を突き合わせてひそひそと内緒話をする。

 

「っていうかマセルカはこちらに来る前にちゃんと勉強はしてきたのか!?」

「すると思います…?マセルカですよ…。」

 

 そんなヒソヒソ話の主役であるマセルカは一人ハテナマークを浮かべていた。

 オオセルザンコウもセルシコウもこちらの世界に渡る前に、読み書きや計算などの“輝き”を学習していた。

 だが、マセルカはどうやらそれを怠っていたらしい。

 

「三人で一緒にいるならオオセルザンコウちゃんとセルシコウちゃんが独立して世帯を作ってしまうのが一番確実だとは思うんだ。大変だろうけどね。」

「でも、そうなるとお仕事が必要よね。」

 

 ヤマさんの提案にハクトウワシも頭を捻る。

 オオセルザンコウとセルシコウはどういうわけか中学校卒業程度の学力は備えているらしい。

 まだ生まれたてで色々と常識がズレている部分があるのは否めないが、義務教育を修了と認められたわけなので社会的には独立して世帯を持つ事も出来なくはない。

 ただそうなってくると、どうやって生活費を稼いでいくかが問題だ。

 

「そうねえ。取り敢えずどこかバイト先を探して定時制高校なんかに通うのも手かしら。」

「そうだねえ。オオセルザンコウちゃんもセルシコウちゃんも出来れば高校に通うのがいいと思うんだよねえ。」

 

 ハクトウワシとヤマさんはまたも揃って考え込む。

 おそらく自然発生した生まれたてのフレンズの保護先は見つかるだろうし、そうなれば普通に学校にも通わせて貰えるだろう。

 けれど、それは3人いっぺんに引き取れるような家庭がない限り離れ離れにさせられるという事だ。

 だが、オオセルザンコウを筆頭に独立した世帯となった場合は保護者に頼らず自分たちで生活をしていく事になる。

 生活費を稼ぎつつ学校にも行くというのはすごく大変な事だ。

 ヤマさんもハクトウワシも3人いっぺんに引き取ってその学費や生活費を出すのは不可能だった。

 どちらの選択肢を取るにしても一長一短で悩みは尽きない。

 そんなハクトウワシとヤマさんをマセルカは不思議そうに眺めながら言う。

 

「ねえ。仕事だったらさ。もう決まってるじゃない。」

 

 へ?とハクトウワシもヤマさんもオオセルザンコウにセルシコウまでもが面食らった顔になる。

 いつそんなの決まったっけ?と。

 

「いや、なんでオオセルザンコウとセルシコウまで忘れてるの。グルメキャッスルだよ、グルメキャッスル。」

 

 ようやくその言葉でオオセルザンコウとセルシコウも思い出した。

 オペレーション『グルメキャッスル』の事を。

 

「ねえ、マセルカ?そのグルメキャッスルって何の事?」

 

 訊ねるハクトウワシ。

 言葉の響きからすると何かの飲食店を開くという事だろうか。

 それはヤマさんも同じように考えた。

 

「確かにこのお弁当は美味しいからね。ご飯屋さんを開いたら繁盛するかもしれないねえ。」

「ええ。それに家で作ってくれる3人の料理もとても美味しいわ!今は食事の時間が楽しみで仕方ないもの!」

 

 3人はどういうわけか、とても料理が上手だ。

 その3人が開く飲食店ならきっと繁盛するだろうと思える。

 

「とは言え、店舗を借りるにも食材を用意するにもお金が必要よね。」

 

 またも考え込むハクトウワシ。

 

「いやあ、店舗の方には儂に一つ心当たりがあるよ。」

 

 ヤマさんはニヤリとしつつ指を一本立てて見せる。

 一体ヤマさんの心当たりとは何なのか…。

 そしてオオセルザンコウとセルシコウは不思議に思っていた。

 

「「(どうして私達よりもハクトウワシとヤマさんの方がオペレーション『グルメキャッスル』に熱心なんだろう?)」」

 

 何はともあれ、オペレーション『グルメキャッスル』もどういうわけか少しずつ進行しているようであった。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第15話『クロスラピスも甘えたい』

―おしまい―




【セルリアン情報公開:レミーノ】

 昔の雨具である蓑に憑りついたセルリアン。
 ソフトボール大の大きさで、毛むくじゃらの外見に羽根がついている。
 羽根は生えているがあまり高くは飛べないし、速度も遅いし、おまけに力も弱い。
 けれども、レミーノには透明になるという能力がある。
 生きるのに大した“輝き”を必要とせず脅威からは隠れて生きて来た。
 言葉を解する程度の知性を持ち合わせており、元来大人しい性格である事から宝条家に引き取られた。
 ちなみに、『石』は毛むくじゃらの身体の背中に隠されており、通常では見えない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話『水面の絆』(前編)

 これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 実は誕生日というものを知らなかったルリとアムールトラ。
 その原因となっていた“教授”はユキヒョウにしこたま怒られて数か月遅れのバースデーパーティを開く事に。
 プレゼントをどうしたものか、と悩む“教授”が頼ったのは何年も連絡をとっていなかった姉の遠坂春香であった。
 なんだかんだ色々ありつつもどうにかプレゼントも誕生日ケーキもパーティー用の料理も用意できて決行当日となった。
 ところが、バースデーケーキがセルリアンに盗まれてしまったではないか!
 あらたにクロスアイズとなったエゾオオカミの活躍によってバースデーケーキを取り戻した“教授”達は無事に二人の誕生日を祝う事が出来たのであった。





 青龍アオイはジャパリ女子中学の1年生である。

 由緒正しい青龍神社の娘で、母親は守護けものの血筋を引くセイリュウだ。

 将来は母のお役目を引き継いで、青龍神社の神主となる予定だ。

 そんな彼女は生来の生真面目な性格から1年生にして生徒会会計に抜擢されている。

 なので、間もなく始まる夏の地区大会や応援団のサポートも業務のうちだ。

 

「で、アオイちゃん。まずはアタシ達って水泳部の応援からでいいんだよね?」

 

 と訊ねるのは今年の応援団長の遠坂ともえだ。

 その質問にアオイは手元のファイルに目を落として答える。

 

「はい。まずは応援団は大会当日、色鳥東中学校に移動してそこの観客席での応援になります。」

 

 二つ結びにした水色のツインテールを揺らし、まるで敏腕秘書といった佇まいのアオイは淀みなくともえの質問に答えた。

 

「当日は学校が用意したマイクロバスで選手が移動の後、応援団が第二便で移動となります。」

 

 その淀みない返事にともえは感心したように目を丸くする。

 

「すごいね。アオイちゃん。完璧なスケジューリングじゃない。」

「いえ。スケジュールの大枠を決めてくれたのは、かばん先輩達ですから。私はお手伝いしただけです。」

「それでも凄いよっ!おかげでアタシも何の心配もなく応援団出来てるし!」

 

 手放しの褒め言葉にアオイはクルリ、とともえに背を向ける。

 

「(うわぁー!?と、ともえ先輩にめちゃめちゃ褒められてるぅー!?どうしよう!?すっごい嬉しいんですけどぉー!すっごい嬉しいんですけどぉー!!)」

 

 と、胸中で大喜びのアオイ。

 だが、それを表に出すのは、はしたない。

 なのでともえに向き直ったアオイはいつもの冷静な表情を保った。

 それにしても、とアオイは思う。

 ともえの応援団衣装、アリだな、と。

 

「……?」

 

 自身をじーっと見られて不思議そうに小首を傾げるともえ。

 結局、応援団長であるともえの衣装はチアガールと学ランのハイブリットと化していた。

 基本衣装はチアガールのものである。丈の短いトップスにミニスカート。それにルーズソックスにスニーカー。

 それとちゃんとスパッツも装備なので激しく動いても大丈夫である。

 で、応援団長を示すトレードマークがわりにマントのように学ランを羽織っているのである。

 これまた激しく動いても大丈夫なように肩部分にアタッチメントで留められていたりするらしい。

 

「(カッコいいし可愛いし、もうどうしたらいいのー!?)」

 

 アオイ的にはもうこれだけでお腹いっぱいである。

 だというのに、応援団には憧れの先輩であるヘビクイワシも生徒会長のかばんもチアガールとして参加しているのだ。

 衣装協力をしてくれたともえの姉である萌絵と、1年生のユキヒョウには感謝しかない。

 それはともかくとして、仕事は仕事だ。

 今日は応援団の重要な仕事がある。

 

「ともえ先輩。今日はこの後、水泳部との打ち合わせがあります。水泳部部長、バンドウイルカのドルカ先輩が打ち合わせに参加してくれますので、そこで応援内容の確認をしますね。」

 

 応援といってもただ歌って踊ってをするわけでもない。

 適切なタイミングで応援を行わないと却って選手の集中を削いでしまったり大会運営の邪魔になる事だってある。

 なので、応援内容の確認は大事な作業だ。

 今日はかばん生徒会長が水泳部に赴き、時間が取れ次第打ち合わせの連絡を入れてくれる手筈になっている。

 スケジューリングは完璧だ。

 と、そうこうしていたら、早速かばんがやって来た。

 

「ともえさん。アオイさん。」

 

 二人に語り掛けるかばんの顔は何故か暗く沈んだものだった。

 アオイもともえも一体どうしたのだろう、と思っているとかばんの口からはあまりにも意外な言葉が飛び出した。

 

「水泳部の地区大会ですが…、いったん中止になりそうです。」

 

 しばらく呆けたアオイとともえであったが、言葉の意味を理解すると同時に慌てだした。

 

「な、なんで!?中止ってどうして!?」

「それが…。大会会場の色鳥東中学校から設備に不備があって会場設営が出来なくなってしまった、と連絡があったようで…。」

 

 ともえに答えるかばんの言葉も歯切れが悪い。

 何せ他校の出来事を教師伝いに聞いた情報なのだ。それが正確なものなのかどうかかばん自身にも判断がつかない。

 

「いま、ミライお姉ちゃ…。いえ。ミライ先生とドルカ先輩が一緒に色鳥東中学校に行って状況を確かめている最中です。」

 

 一体全体どうしてそんな事になったのか…。

 

「どどど、どうしましょう!?かばん先輩っ!?レンタルする予定のマイクロバスとかキャンセルした方がいいんでしょうか!?もう一回別な日に借りるとなると予算が!?」

 

 降って湧いたトラブルにアオイは大慌てだ。

 

「アオイちゃん、落ち着いて。まだそういうのを決めるのは早いと思うんだ。」

「ええ。そうですね。まずは先生方を通して業者さんに連絡してもらって、いつまでにキャンセルの連絡をすればいいかを確認しておきましょう。」

 

 対してともえもかばんも落ち着いたものだ。

 この程度のトラブルなど慣れっこだ、とでも言うようにあっさりと対策を出してくれる。

 

「(あぁ…。でもともえ先輩とかばん先輩の真剣な表情も超カッコいいんですけどぉー!)」

 

 で、こんな時だというのにアオイは真剣な顔で話し合う二人に見惚れてしまっていた。

 

「じゃあ、ボクは職員室に行ってミライ先生とドルカ先輩の連絡を待ちます。何かわかったらすぐに報せますね。」

「うん。じゃあ応援団の方はアタシに任せておいてよ。やれる事があったら言ってね。」

 

 そうして頷き合う二人は歴戦の戦友とでもいうかのような雰囲気でアオイはますます見惚れてしまった。

 そして、かばんは職員室へと駆けていく。

 残されたのはともえとアオイである。

 まだ呆けたままのアオイを、不安がっているのかと勘違いしたともえ。

 

「大丈夫だよ。ほら、アタシ達の学校にだってプールあるじゃない。だから最悪でもアタシ達の学校で大会する事だって出来るよ。」

 

 まさか、アオイを気遣ったこの当てずっぽうが現実となるとは、この時のともえとアオイには予想だに出来ないのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 現地を確認したミライの手によって、色鳥東中学校のプールには底面に亀裂が見つかった事が報告された。

 生徒達の安全を鑑みて、色鳥東中学校でのプール競技は中止。

 代わりに男子部は色鳥市民プール、女子部はジャパリ女子中学校での開催が決定された。

 ちなみに、男子水泳部の面々は可愛い子が多いと噂のジャパリ女子中学校の面子と会えないとわかって多いに落胆したらしい。

 閑話休題。

 急遽会場設営を行わなくてはならなくなったジャパリ女子中学校の教師達は大変だった。

 水泳部の生徒達や生徒会の助けも借りて大慌てで会場設営を行っていく。

 生徒会メンバーのかばんもサーバルもアライさんもフェネックもヘビクイワシも応援団どころではなくなってしまった。

 さすがに応援団の放置はまずいと思ったかばんはアオイだけでも応援団の方に残してくれた。

 ただ一人で応援団のサポートを任される形となってしまったアオイは緊張しきりである。

 

「まあまあ、アオイちゃん。肩の力抜いてリラックスだよ、リラックス。」

「そうそう。今はみんな大忙しだろうけどアタシ達はアタシ達のやるべき事をやろうよ。」

 

 と、逆に応援団長のともえとその姉の萌絵に気遣われる始末だ。

 

「とはいえ、ともえ先輩、萌絵先輩。今、応援団に出来る事って一体何でしょう?」

 

 既に応援団の力自慢であるアムールトラとイエイヌが会場設営の手伝いに回っている。

 会場設営用の仮設テントの骨組み運びで大活躍中だ。

 応援団からも会場設営に人手を出している以上、練習もままならない。

 この状況で一体何が出来るのか、自分達も会場設営のお手伝いに回った方がいいだろうか、とアオイは思い悩む。

 しかし、ともえは別の答えを口にした。

 

「そりゃあ、アタシ達って応援団だからさ。応援するのが一番のお仕事じゃない?だから応援の内容確認しとこうよ。」

 

 確かに、当初の予定では水泳部部長のドルカと応援内容の打ち合わせの予定であった。

 けれど、ドルカは色鳥東中学校からまだ戻っていないし、戻ったら戻ったで大忙しのはずである。

 とても応援団との打ち合わせを捩じ込めるタイミングがあるとは思えなかった。

 けれど、萌絵はともえの話で何かを理解したらしい。

 

「あ。なるほど。先にこっちで水泳の応援に詳しい人に話しを聞いておいて内容を決められる部分を決めちゃうって事ね。」

 

 萌絵の言葉にアオイも納得だ。

 確かに大枠をこちらで決めて細かな修正を指示してもらった方が水泳部の手間と負担は減るはずだ。

 けれど、そんな水泳の応援に詳しい人なんていただろうか?とアオイは首を傾げる。

 水泳部のメンバーなら詳しいだろうが、今は会場設営で大忙しで、とてもじゃないけど時間を割いてもらう余裕はなさそうだ。

 けれど、ともえと萌絵は一度顔を見合わせてからニマリとする。二人には何か名案があるのだろうか。

 

「えっとね。去年の応援団長さんで…。」

「3年生演劇部のコイちゃん先輩のとこ行こう。」

 

 ともえと萌絵がかわるがわる言う。こういうところはさすが双子だなあ、とアオイは感心しきりだ。

 挙がった名前はアオイがよく知った人物だった。

 3年生で人面魚のフレンズである通称コイちゃんは青龍神社に仕える巫女の家系だ。

 アオイにとっては姉も同然に育ってきた人物でもある。

 ちなみに、ともえは去年も応援団に参加していた為、去年の応援団長とも顔見知りだ。きっとこのくらいの頼み事ならば快く聞いてくれるだろう。

 そして、去年の応援団長であるコイちゃんなら去年の水泳部の応援に関して一番詳しい。

 それを参考にするのは名案でもある。

 ただ問題が一つ。

 

「コイちゃん姉さんですか…。」

 

 アオイの表情が暗く曇る。

 アオイはコイちゃんが苦手であった。

 明るくて誰とでも仲良くなれてしかも大体の事は何でも器用にこなしてしまう。

 そんな自慢の姉なのであるけれど、自由奔放過ぎるのだ。

 生真面目な性格のアオイとはそこでどうしてもソリが合わない。

 そんな事を考えていたら、アオイは背後から誰かに抱き締められた。

 それをした人物こそまさに話題の人の…。

 

「「コイちゃん先輩っ!」」

「はーい、コイちゃんだよぉ。」

 

 コイちゃんであった。

 

「いやあ。聞いたよー。なんか水泳の地区大会会場がウチになったんでしょ?コイちゃん達演劇部も何かお手伝いできるかなーってコッチに来てみたんだ。」

 

 アオイを後ろから抱きしめたまま続けるコイちゃん。 

 

「ちょ、コイちゃん姉さん!?ともえ先輩も萌絵先輩も見てるからっ!?離してくださいー!」

「えぇー。どうしよっかなー。」

「「続けてどうぞ。」」

 

 ともえと萌絵はそうやってじゃれている姉妹をほっこりと見守っていた。何なら二人してスケッチブックを取り出して物凄い勢いでスケッチまで始める始末だ。

 で、コイちゃんはと言うと「いえーい♪」と二人にピースサインでポーズまで取ってあげるサービスぶりである。

 

「で、アオイちゃんはこれはツンデレってヤツかなあ?」

「なんだかんだコイちゃんにギューされるのがイヤじゃないあたりにデレが出てるでいいんじゃないかなあ?」

 

 言いつつあっという間にスケッチを完成させた遠坂姉妹。二人してスケッチブックを一度交換。お互いに食い入るように眺めて二人してその出来栄えに満足。

 パチン、と手を鳴らしてハイタッチし合う。

 

「もう!ともえ先輩も萌絵先輩も!コイちゃん姉さんもですっ!」

 

 真っ赤になったアオイが暴発する前にコイちゃんは彼女を放した。

 三人してごめんごめん、とアオイに謝る。

 コイちゃんは黒髪なのに、ほんのわずかな毛並みの違いで綺麗な模様を見せる不思議なフレンズであった。

 頭には水棲動物のフレンズの特徴でもある、エラやヒレらしきものが生えていた。

 そして、自慢の髪を留めている髪留めは何故かホラー調の人の顔のように見える模様になっている。

 ともかく、わざわざコイちゃんがこちらに来てくれたのは助かった。

 

「コイちゃん先輩。実はアタシ達、水泳の応援の事について聞きたくてコイちゃん先輩を探してたんですよ。」

 

 ともえの言葉にコイちゃんも頷いてみせてから…。

 

「コイちゃんもね。アオイちゃんが困ってる気配がしたからこっち来ちゃったんだぁ。」

 

 と、これまた本当なのか冗談なのかよくわからない事を言い始めた。

 

「確かにこの状況だと水泳部の子と打ち合わせしてる時間なさそうだもんね。いいよ。去年の事でいいならコイちゃんがバッチリ教えてあげるから。」

 

 それでもコイちゃんはしっかりと状況を理解しているらしかった。

 去年の応援団長はやはり頼りになるなあ、と感心しきりだ。

 

「そうだねえ。基本は去年のと同じ感じのコールがいいと思うなあ。飛び込む時に揃えて『セーイ!』っていうやつとか。」

「そこはタイミング合わせでともえちゃんが指揮とればいいよね。」

「うわわ。責任重大だっ。」

 

 うんうん、と顔を突き合わせて話し合うコイちゃんとともえ達。

 アオイはクリップボードに留めたメモ用紙に内容を書き記していく。

 

「あとは、去年やったのはアレかな。『いっけーいけいけ、いけいけドルカ!』みたいなヤツ。」

「ああ、あれはテンションあがるって水泳部の子達にも評判いいんだぁ。」

「でもアレ、泳いでるみんなにちゃんと聞こえてるか不安になるよね。特に最初の音頭をとる人の声。今回はアタシになるわけだけど…。」

「あーそれは確かに…。泳いでる時って結構声援が届きづらいかもだねえ。」

「ならいっその事……。」

 

 ワイワイとともえと萌絵とコイちゃんがメインで話が進んで行く。

 アオイもその内容を書き記すので手一杯だ。だが、そのおかげでどんどん応援内容の大枠は決まっていく。

 あとは選手それぞれに合わせたコールに変えていくだけだ。

 

「あと、少しだけ難しいのはタイミングかなぁ。ターンの時とか。あ。あと残り25mのところでコールを変えるのも割と重要かも。」

「そうだった!去年は残り25m地点でコイちゃん先輩が合図してくれてた!」

 

 まだまだ詰めるべき内容はあるようだけれど、それでもやはりアオイは感心していた。

 なんだかんだでコイちゃんはこうやって何でも器用にこなしてしまうのだ。

 その事にアオイの胸には小さくチクリとした痛みが走る。

 コイちゃんは青龍神社に仕える巫女の家系で彼女もまた将来はお役目を継ぐ。

 そうなればアオイはコイちゃんの主となる。

 そんな家柄だけでこんな事を決めてもいいんだろうか。

 コイちゃんは巫女にならなくても何だって出来る無限の可能性があるのに。

 それこそ彼女が普段振舞っているようにアイドルにだってなれるとアオイは本気で思っている。

 だからこそ、自分になんか縛り付けていいんだろうか、とも考えてしまう。

 

「どうしたの?アオイちゃん。」

「いえ、何でもないです。」

 

 考えが顔にでも出てしまっていたか。コイちゃんが心配そうにアオイを覗き込む。

 アオイは被りを振ると、自分の仕事に集中する。

 幸か不幸か余計な事を考えている余裕は今のアオイにはなさそうだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時は少しだけ遡る。

 ここは色鳥東中学校。

 そこにはこの時期に珍しい転校生がやって来ていた。

 

「マセルカだよ。よろしくね!」

 

 しかもフレンズの。

 イルカ系のフレンズの特徴を持つ美少女転校生の登場に男子生徒はもちろん、女子生徒も色めきだった。

 当然、各部活ともこぞってマセルカを勧誘するのだったが、結局彼女が入ったのは水泳部だった。

 やはり水の中に少しでも長くいられるというのが決め手になったらしい。

 

「(オオセルザンコウもなんで“アクセプター”を最低出力にしておけなんて言うかなぁ。おかげで身体が重たくて仕方ないよ。)」

 

 転校初日からみんなにあれやこれやと世話を焼かれたマセルカは気疲れしてしまっていた。

 さらに“アクセプター”の出力を最低限に落としている事も気疲れの原因になっている。

 “アクセプター”は彼女達セルリアンフレンズだけが持つ特徴だ。

 この“アクセプター”にセルメダルをセットする事によって他のセルリアンの能力を使えるようになる。

 それだけではなく、出力を絞る事によって身体能力を意図的に抑える事も出来るのだ。

 今のマセルカはちょっとだけ運動が得意なヒトと同程度の能力しかない。

 うっかりマセルカが騒ぎを起こさないように、とオオセルザンコウが一計を案じた結果であった。

 それでもマセルカの泳ぎはやはり水棲動物のフレンズだけの事はあって、群を抜いていた。

 結果、転校してきたばかりの1年生だというのにあっさりとレギュラーの座を勝ち取ってしまったのだった。

 

「わっふい!なんかよくわかんないけど、オオセルザンコウとセルシコウにも自慢できちゃうかな?あ、あとハクトウワシとヤマさんにも褒めてもらおーっと。」

 

 こうして電撃誕生した色鳥東中学校の水泳部エース、マセルカであったが一つ気が付いた事がある。

 それは、このプールがキラキラと“輝き”を放っている事だった。

 それは水面に夏の日差しが反射しているだけではなかった。

 マセルカは考える。

 ここにはどういうわけか“輝き”が存在している。だったらそれは保全しなくてはならない。

 クロスシンフォニーの妨害を呼び込んでしまう可能性を考えると身震いする思いだったがチャンスがある以上それをフイにする事は出来なかった。

 そして幸か不幸か、何かがあった時の為にオオセルザンコウからセルリアンを生み出す“シード”を一つ預かっている。

 これはこういう時の為に使うべきものなのではないか。

 

「そうだよ。ハクトウワシもヤマさんもいい人達だもん。この世界の“輝き”だって永遠のものにしてあげなきゃ…。」

 

 あの圧倒的なパワーを持つクロスシンフォニーは正直怖い。

 けれど、マセルカにだって使命はある。

 だから彼女はその恐怖を振り払うかのように一度被りを振ると真っ黒なビー玉のように見えるそれを…。

 

―パキン。

 

 と音を立てて砕いた。

 すると、中から黒い水のような“セルリウム”がモコモコと溢れて来る。

 しかし、それはすぐにプールのどこかに消えていってしまった。

 

「よ、よぉし…!来るならこい!クロスシンフォニー!」

 

 人気のなくなったプールで一人吠えるマセルカであった。

 結局、危惧していたクロスシンフォニーが現れる事もなく、翌日プールに亀裂が入っているのが確認される事となった。

 きっと、かばん達がこの情報を聞いていたならセルリアンの関与を疑っていただろう。

 備品のコースロープやビート版などが一部なくなっていた、と。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 天気は快晴。

 夏の暑さは本格的となり、まさに絶好のプール日和だ。

 急ピッチで進められた会場設営も間に合ったし、大会運営プログラムもどうにか形になった。

 続々とこの地区の中学校から選手達も集まって来ていた。

 

「じゃあ、まずハ、アップを開始するヨ。各校ごとにコース分けしているカラそれに従ってネ。」

 

 急遽の開催という事でプログラム進行は水色のラッキービーストまで駆り出されていた。

 早速他校の女子生徒達から「何これ可愛いー!」と引っ張りだこになっていた。

 で、一方で同じく進行の手伝いにやって来たラモリさんは残念ながら女子生徒にあまり人気はなかった。

 

「イインダ…。別に気にしてナイ…。」

「ラモリさん!ラモリさんはダンディだからっ!」

「そうですよっ!ラモリさんの目のところの黒いヤツ、クロスナイトとお揃いで嬉しいですっ!」

 

 と、ラモリさんはともえとイエイヌに慰められたりしていた。

 それはさておき、各校の選手が集まってきたという事は当然彼女もこの場にいた。

 

「ぅ……ぅうぅ…。」

 

 キョロキョロと周りを見ながら所在なさ気にしているのはマセルカだった。

 両手でしっかりと水筒を握ってしきりに辺りを気にしている。

 もう準備運動とアップの練習水泳だって始まっているのに、マセルカはまだ制服姿だった。

 おっかなびっくり、という様子でそろそろと一歩一歩進んでいる。

 彼女がそんな調子なのには理由があった。

 マセルカは人気のない物陰に隠れるようにして水筒を開けると中身を確認する。

 そこには…。

 

―ブシュッ

 

 と水を吹き出す小さなセルリアンが入っていた。

 見た目はイカのように見える。

 今吹き出した水が高々と水柱をあげてマセルカは非常に焦った。

 

「こ、こらぁ!そんな事したらクロスシンフォニーに見つかっちゃうでしょっ!」

 

 コショコショと水筒の中の小さなセルリアンを叱るマセルカだったが、言葉が通じている様子はない。

 色鳥東中学校のプールの“輝き”からセルリアンを生み出したまではよかった。

 けれども、その“輝き”だけではとても足りずにこんな小さなセルリアンになってしまったのだ。

 もっともパワーはそれなりにあるのか、こうして高圧の水を吹き出す事が出来る。

 これでプールの底面に亀裂を入れたのだ。

 とはいえ、現状小さすぎて、“輝き”の保全に使えそうもないし、かと言って貴重な“シード”を使って生み出したセルリアンを無駄にも出来ない。

 それなのにこの小さなセルリアンは知性もなく、マセルカの言う事に全く耳を貸そうとはしなかった。

 八方塞がりで思わず溜め息をつくマセルカ。

 と、そこに…。

 

「あの。何かお困りですか?」

「ひゃい!?」

 

 唐突に背後から声を掛けられた。

 しかも凄く聞き覚えのある声で。

 マセルカにはその声がクロスシンフォニーとそっくりだと感じられた。

 だから、マセルカは大慌てで後ろ手に水筒を隠して振り返った。

 そこにいたのは丈の短い毛皮を着たヒトの女の子だった。

 黒髪で優し気な眼差しはクロスシンフォニーとは似ても似つかない。だいたい耳も尻尾も羽根もないし。

 

「ボクはジャパリ女子中学校の2年生でかばんと言います。」

 

 チアガール衣装のかばんはマセルカにそう挨拶した。

 かばんはマセルカが変身した際の姿は見ていたが、こうして変身前の姿を見るのは初めてだった。

 それはマセルカも同様である。

 二人してお互いがこの前戦った敵同士である事に全く気が付いていないのだった。

 

「ええと、他校の方ですよね。もう各校アップも開始してますよ。もしかして更衣室の場所が分からなかったですか?」

 

 まだ着替えも済んでいない様子のマセルカを見てかばんはそう判断した。

 勝手の違う他校で迷ってしまったのかもしれない。

 その勘違いにマセルカは全力で乗っかる事にした。

 

「そう!そうなの!うっかり皆とはぐれちゃって!」

「なら案内しますよ。こっちです。」

 

 かばんは迷っていた少女を安心させるべく笑いかけてから、彼女を案内するべく先導して歩きはじめた。

 その背を見つつマセルカは思う。

 

「(この子もいい子だなぁ。なんでクロスシンフォニーだって思っちゃったんだろう?声が似てたからかなあ?あんなおっかないのと一緒にしてごめんなさい。)」

 

 と、胸中で謝りつつかばんに付いて行く。

 マセルカは気づいていなかった。

 かばんの正体ももちろんそうだが…、さっき後ろ手に隠した蓋の開いたままの水筒をうっかり逆さまにしてしまっていた事に。

 そして、もう一つ。

 相変わらず後ろ手に隠したままの水筒がやけに軽くなってしまっていた事にも…。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 水泳大会はジャパリ女子中学校、水泳部キャプテンのドルカが選手宣誓を行い、順調に開幕した。

 ついでに各校の健闘を祈って、という名目で披露されたジャパリ女子中学校応援団のチアリーディングも好評だった。

 なんせ、ベースに力自慢のアムールトラとイエイヌがいて、トップには運動神経抜群のともえまでいる。

 さらに、スポッターは気配り上手のユキヒョウもいるとくれば、そこから繰り出されるスタンツは中々に本格的だった。

 しかも踊るのがいずれも美少女揃いのフレンズ達となのだから盛り上がらないはずがない。

 一曲踊り切ったところで、すっかり会場は熱気に包まれてしまったのだった。

 

「ふわぁ。今年の応援団凄いねえ。去年はあそこまではやらなかったのに。」

 

 様子見がてら観戦に来ていた去年の応援団長、コイちゃんも思わぬパフォーマンスに大喜びだ。

 

「うんうん。こりゃあいい記事が書けそうだよ。」

 

 で、『取材』の腕章をつけてカメラのシャッターを切るのは高等部1年生の奈々である。

 彼女は高校で新聞部に在籍しており中等部の大会も新聞に載せようとやって来ていた。

 で、その隣では望遠レンズまで装着したデジタルカメラで連続で写真を撮っている星森ミライもいる。

 

「まさかこんな本格的なチアリーディングを完成させてくるとは…。さすがかばんちゃんです。皆さんの揺れる尻尾もピョコピョコ動くお耳も存分に堪能させていただきました。」

 

 そんな不審者ギリギリの線を行くミライであったが、これも卒業アルバム制作委員会顧問の仕事なのだ。

 とはいえ、今年の応援団には3年生はいないから、このデータは来年以降に持ち越しだろう。

 

「いやいやミライ先生。ウチのともえちゃんも中々のものでしょ。ふふ。ファンクラブの皆にいいお土産が出来たよ…。」

 

 とほくそ笑むのは応援団サポートの萌絵である。

 こちらは動画撮影モードにした携帯でバッチリ撮影していた。

 既にデータ交換の約束をしている奈々にミライに萌絵の三人。そこら辺はちゃっかりしたものである。

 

「じゃあ、皆にドリンク持っていくんでアタシはこれで。」

 

 激しい運動は苦手の萌絵はこうしてサポートに回っていた。

 パフォーマンスを終えたみんなに水分補給用のドリンクやタオルを渡したりして甲斐甲斐しく世話を焼く。

 

「次は女子50m自由形のドルカ先輩の出番で水泳部の皆と応援だからね。」

 

 と次の予定を皆に教えてスケジュール管理をするのも萌絵の重要な仕事の一つだ。

 

「で、よかったよね。アオイちゃん。」

「はい、萌絵先輩。」

 

 スケジュール管理はアオイもサポートしてくれるので萌絵としても心強い。

 そんなアオイもさっきまで同じく1年生で応援団に参加しているルリやギンギツネやキタキツネ達とパフォーマンス成功を喜びあっていた。

 そんなアオイを微笑ましく見守るコイちゃん。

 

「やっぱり見に来て正解だったよぉ。」

 

 文化部であるコイちゃんは大会期間中は自習という扱いである。

 だが、せっかく開催場所が自校になったのだ。妹も同然で育ってきたアオイの頑張っている姿だって見ておきたかった。

 そして、それは期待以上だった。

 ワイワイとみんなに囲まれるアオイを見ながらコイちゃんは満足して微笑む。

 

「あ。でも今日の分の課題は後でアオイちゃんに教えて貰わないとだぁ。」

 

 自習中の課題も用意されていたが、それをぶっちぎって観戦しにきたコイちゃんである。

 今日の夜は課題提出に向けて忙しくなりそうだ。

 アオイは真面目だから例え3年生の課題でも一緒に勉強するくらいはしてくれそうだ。

 今からアオイと一緒の時間が楽しみなコイちゃんであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

―ズルリ。

 

 何かが這うような音がする。

 それは昆虫が明かりに惹きつけられるかのように、今まさに生まれた眩しい程の“輝き”に向かう。

 

―ズルリ。ズルリ。

 

 “輝き”に近づくたび、その欠片を取り込んでいく。

 最初は手のひら程度の大きさしか持たなかったそれは今や人の背丈ほどにまで大きくなっていた。

 

―ズルリ。ズルリ。ズルリ。

 

 その何かはとうとう“輝き”の生まれている場所へと辿り着いた。

 そう。

 ジャパリ女子中学校のプールへと。

 

―わぁぁああああっ!

 

 プールから歓声が聞こえて、より一層“輝き”が強くなった。

 それは喜びと共に増えた餌へ向けてその手を伸ばしていくのだった。

 

 

――中編へ続く。




【用語解説:アクセプター】

 アクセプターとはセルリアンフレンズが持つ特徴である。
 セルリアンフレンズは身体のどこかに『石』を持つが、その『石』にアクセプターが備えられている。
 アクセプターを起動させると『石』にセルメダルを入れる為のスリットが現れて、そこからセルメダルを投入できる。
 そうする事でセルメダルの元となったセルリアンの能力を再現できるようになる。
 ただし、能力にも相性があり、どの程度までその能力を再現できるかはセルリアンフレンズそれぞれの相性にもよる。
 また、アクセプターの出力を敢えて抑える事で、身体能力を低くする事も出来る。
 名前の由来はaccept(受け入れる)という英単語と受容体を示すレセプターを掛け合わせた造語。
 承認者という意味の英単語accepterとも掛かっている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話『水面の絆』(中編)

 

 

 夏の暑さはますます強さを増して真夏日となっていた。

 そんな中で、ともえ達応援団のパフォーマンスは思わぬ悪影響を及ぼしてしまった。

 それはあまりにも盛り上がり過ぎた一部の生徒がのぼせてしまったのか、熱中症のようになってしまった事だ。

 不幸中の幸いで大事には至らず、数人の他校生徒を保健室に運ぶだけで済んだ。

 選手ではなく、応援の生徒達だったので大会運営にも支障はない。

 

「まぁ、この陽気じゃ。無理もあるまい。」

「そうだね。この後も一応気を付けておこうね。」

 

 体調不良を訴えた他校生徒を保健室に案内した二人、ユキヒョウとルリはお互いに頷き合う。

 先程までチアリーディングでパフォーマンスをしていた二人は未だチアガール衣装のままだった。

 二人は万が一の怪我や具合が悪くなった人が出た時の為に救護班にもなっている。

 そんな二人が保健室に案内するのは先程のパフォーマンスで熱気を帯びてしまった生徒達には逆効果な気がするがまあ仕方ない。

 運んでいった先で待機していた養護教諭にも苦笑されてしまった。

 一度に複数の生徒達が来訪したので養護教諭もルリとユキヒョウに手伝いをお願いしていた。

 ようやく生徒達の処置が落ち着いて、二人が戻る頃には水泳大会もかなり進行してしまっている様子だった。

 

「応援の方はともえさん達がいるからきっと大丈夫だよね。」

「うむ。なんだかんだでこういう時には決めてくれる御仁じゃ。心配なかろう。」

 

 言いつつ校舎内を連れ立ってプールへと戻るルリとユキヒョウ。

 応援団の方から二人が抜けてしまったけれど、ともえ達ならば心配はあるまい。

 ユキヒョウの胸元にはつい先日“教授”からプレゼントされた雪の結晶を模したペンダントがつけられていた。

 

「それにしても…。これ凄いのう。これがなかったら、わらわも熱中症になっていたかもしれぬ。」

 

 それはパーソナルエアーコンディショナーという一人分の空間の気温を冷やしてくれるものだった。

 細かな調節は出来ない事を除いても夏の暑さを苦手とするユキヒョウはこれを随分と気に入っていた。

 

「むぅ…。母上の分も頼んでみようかのう…。」

 

 やはりユキヒョウの母親も同じくユキヒョウのフレンズだから夏の暑さは苦手としていた。

 現段階では商品化は無理でも同じものを作るのは出来そうな気がする。

 

「そういえば、ユキさんのお母さんと会った事なかったね。会ってみたいなあ。きっとユキさんに似て美人さんなんだよね。」

「うむ。自慢の母上じゃ。中々に忙しい人じゃから紹介する機会がなかったがのう。」

 

 ルリとしてはユキヒョウにこんなにもお世話になっているのだ。

 一度くらいお礼を言いたい。

 その手土産にパーソナルエアコンを“教授”にねだってみるのもいいような気がしていた。

 

「それはともかくとして、急げば最後の競技にくらいは間に合うかもしれぬな。」

 

 まずは、ユキヒョウのお母さんについては一旦置いておいた方がよさそうだ。

 養護教諭の手伝いですっかり時間を取られた二人。もう水泳大会は最後の競技であるメドレーリレーの時間になっていた。

 足を速める二人の耳にプールからの歓声が聞こえて来た。

 どうやら競技は盛り上がっているようである。

 が…。

 

―きゃぁああああ…。

 

「これは歓声というよりも…。」

「悲鳴…、じゃのう…!?」

 

 それに気づいた瞬間、ルリとユキヒョウは走り始めた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時間はまたまた遡り、水泳大会は女子50m自由形が開始しようとしていた。

 会場は緊張に包まれている。

 プールサイドでは今まさにジャパリ女子中学水泳部キャプテンのドルカがスタート台に登ろうとしていた。

 さらにその隣は色鳥東中学校の1年生エースが陣取っている。

 アップの練習水泳にすら参加していない全く謎の選手だが、どうやら相当速いらしい。

 それもそのはず、謎の1年生エースはイルカ系フレンズの特徴を持っていた。

 1年生でレギュラーの座を勝ち取っているだけでも、その実力の程が伺い知れる。

 

―ピッ、ピッ、ピッ、ピィイッ!

 

 ホイッスルの音と共に選手達が一斉に飛び込み台に登る。

 

「位置について!……用意!」

 

 全員が飛び込み台の上で身体を折り曲げ弓を引き絞るように力を溜める。

 誰もが固唾を飲んでスタートを待つ。

 それはジャパリ女子中学校応援団長のともえも一緒だった。

 自分がスタートを切るかの如く集中している。

 後ろに控える応援団メンバーと水泳部員たちにもポンポンを下にさげて、待ての合図を出し続ける。

 スタートの邪魔になっては応援の意味がない。

 タイミングを計るのは重要な事だ。

 そして…。

 

―パァン!

 

 スタートピストルが鳴ると同時、選手全員が綺麗なスタートを切った。

 と同時、ともえもポンポンをバサリと翻して全員に合図を出す。

 

「「「「「「「せぇーい!!」」」」」」」

 

 選手たちが着水と同時に声援が一斉に上がる。

 スタートから突出していたのは色鳥東中学校のマセルカだった。

 ジャンプからして一段他の選手よりも遠くへ着水していた。

 マセルカリードで始まった女子50m自由形。その後ろについているのはジャパリ女子中学のドルカである。

 二人とも潜水からのドルフィンキックを終えてクロールのストロークに入る。

 ここからがジャパリ女子中学校応援団の見せ場だ。

 再びポンポンをバサリと翻して応援団に合図を送るともえ。

 イエイヌ、かばん、サーバル、アライさん、フェネック、アムールトラがそれに応えた。

 

「「「「「「「いっけー!いけいけ!いけいけドルカ!」」」」」」」

 

 7人でピッタリとタイミングを合わせてコール。

 何せ一緒にセルリアンと戦ったヒーロー達だ。この程度のタイミング合わせくらい朝飯前だ。

 1度目のコールを終えたともえは控えていた残る応援団と水泳部員にポンポンを高く掲げて合図する。

 

「「「「「「「「「「「「「「「いっけーいけいけ!いけいけドルカ!」」」」」」」」」」」」」」」

 

 応援団のキタキツネ、ギンギツネ、アオイ、ヘビクイワシたちが率いる水泳部の面々が続いてコールを追いかける。

 水の中で声援が届きづらい対策に、とチームを分けて人海戦術をとった。

 おかげで、かどうかはともかく、ドルカがどんどんとマセルカに追いついていく。

 バサリ、と今度はマントのように羽織った学ランを翻したともえはイエイヌ達を率いて続けてコールする。

 

「「「「「「「おっせー!押せ押せ!押せ押せドルカ!」」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「「おっせー!押せ押せ!押せ押せドルカ!」」」」」」」」」」」」」」」

 

 確かにマセルカも速いがドルカにだって有利な点がある。

 それはホームグラウンドでの戦いである事だった。

 加えてこの大声援である。

 

「(なんかいっつもより調子いいかも!)」

 

 ドルカも声援に押されて身体に力が湧いてくるようだ。

 それにドルカだって3年間、プールに青春を捧げて来たのだ。1年生には負けられない。

 いよいよ25m地点のターンが近づいて来た。

 女子50m自由形は事実上ドルカとマセルカの一騎打ちとなって来た。

 他の選手を大きく引き離して、ほぼ二人同時にターンに入る。

 ターンまではほぼ互角。

 しかし、ターンの伸びはほんの少しマセルカの方が上だった。

 再びマセルカがトップに躍り出る。

 しかし、残り25mを切った事で応援のコールが変化した。

 

「「「「「「いけいけドルカ!」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「「「いけいけドルカ!」」」」」」」」」」」」」」」

「「「「「「押せ押せドルカ!」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「「「押せ押せドルカ!」」」」」」」」」」」」」」」

 

 ペースの上がった声援にドルカもまた速度を上げた。

 マセルカを抜いては抜き返され、一進一退の攻防が続く。

 あっという間にゴールが近づいて来た。

 果たしてゴールに先に辿り着いたのは……。

 

―わぁあああああ!

 

 と歓声が上がる。

 ほんのタッチの差ではあったが勝ったのは…。

 

「1着。ジャパリ女子中学ドルカ君。」

 

 であった。

 応援団と水泳部の皆に手を振るドルカ。応援団も声援で答える。

 一方のマセルカは悔しそうだった。

 

「ぐ…。くやしぃいいいいいいい!マセルカが泳ぎで負けるなんてっ!」

 

 マセルカは隣のコースで喜ぶドルカを睨みつける。

 彼女とは確かこの後のメドレーリレーでもう一度対決の機会があるはずだ。

 

「今度は…!今度は負けないんだから…!」

 

 雪辱に燃えるマセルカの頭の中からは水筒に入れて連れて来た、あの小さなセルリアンの事はすっぽりと抜け落ちているのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 その後もジャパリ女子中学校水泳部は続々と好成績を残していった。

 何人もの選手達が自己新記録を更新していた。

 応援に来ていた他校の水泳部から何人か熱中症と思しき体調不良を訴える子が出たが、大事には至らずにつつがなく大会も進行していた。

 そして、ジャパリ女子中学校応援団も体調不良の生徒達を保健室に案内する為、救護班を兼任していたルリとユキヒョウが応援団から抜けるというアクシデントはあったものの、好評を博していた。

 もしもルリとユキヒョウの二人が残っていたなら、きっと色鳥東中学校の1年生エースがセルリアンフレンズだと気づいていたはずだ。

 なんせ二人は変身前のセルリアンフレンズとも会っていたのだから。

 ちなみにもう一人、変身前のセルリアンフレンズ達と出会っていたエゾオオカミは運動部である為、応援団には参加していない。

 なので、マセルカの正体に気づく者は誰もいなかった。

 

「さあ!みんな!後は最後の競技、メドレーリレーだよ!」

 

 応援団長のともえの声に全員が「おおー!」と気勢をあげる。

 快進撃を続けたジャパリ女子中学のボルテージは上がりに上がっていた。

 自習をサボって観戦に来ていた演劇部のコイちゃんもノリノリで応援に加わる始末だ。

 

―ピッ、ピッ、ピッ、ピィイイイイ!

 

 ホイッスルの号令と共に各校メドレーリレーの一番手、背泳ぎの選手たちが入水する。

 

「位置について!……用意ッ!」

 

 再び会場が緊張に包まれる。

 

―パァン!

 

 スタートピストルの号砲が鳴って…

 

「「「「「「「「「せぇーい!」」」」」」」」

 

 各選手のスタートと同時に応援の声援が上がる。

 メドレーリレーは白熱の展開を見せた。

 各校とも横並びの激しいデットヒートが繰り広げられる。

 しかし、徐々に突出を始めるのはやはりこの2校だった。

 応援団の大声援を背にしたジャパリ女子中学と、マセルカにばかりいい格好はさせられない色鳥東中学だ。

 背泳ぎの選手から平泳ぎ、バタフライの選手へとリレーを繋いでいって、現在のトップはジャパリ女子中学だった。

 

「ドルカ!」

「うん!」

 

 そのままトップでアンカーのキャプテン、ドルカへとバトンを繋ぐ。

 ドルカが綺麗な飛び込みから着水と同時にやや遅れて色鳥東中学校がアンカーのドルカにバトンタッチ。

 

「ごめん!」

 

 雪辱に燃えるマセルカに何とか有利な形でスタートを切らせてやりたかったが、それが果たせなかった。

 けれどもマセルカはニヤリと不敵に笑っていた。

 

「大丈夫!余裕!」

 

 この程度の差なら充分射程圏内だ。それに、この差をひっくり返してこそ、雪辱を果たせるというものだ。

 例え“アクセプター”の出力を最低に落としていたとしたって、泳ぎで誰かに負けるのはイヤだ。

 マセルカは猛烈な追い上げを見せてドルカに迫る。

 最後のターンはほぼ同時となった。

 

「「「「「「いけいけドルカ!」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「「「いけいけドルカ!」」」」」」」」」」」」」」」

「「「「「「押せ押せドルカ!」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「「「押せ押せドルカ!」」」」」」」」」」」」」」」

 

 応援団も最後の力を振り絞って精一杯の声援を送る。

 横並びのままゴールへと突き進むドルカとマセルカ。

 勝つのはドルカか。

 それともマセルカか。

 二人の手がゴールへと伸びる。

 その手がゴールへ届いた瞬間、会場は水を打ったように静まり返った。

 

「どっち…?」

「さあ…?」

 

 誰かの呟きはそのままその場にいる全員の総意だった。

 それほどに際どいタイミングで誰もがどちらが勝ったのかわからず戸惑っていた。

 その間に他の選手も続々とゴールしていく。

 だというのに、まだ着順発表のアナウンスはない。

 ゴールラインを見守っていたラッキービーストとラモリさんの二人がセンサーアイを明滅させてデータを交換。

 お互いのデータを参照しあった。

 結果、勝者は…。

 

「1着、ジャパリ女子中学!」

 

―わぁあああああああああああっ!

 

 会場が歓声に包まれる。

 ほんの爪の差程度ではあったが、わずかに早くゴールにタッチしていたのはドルカだった。

 ドルカが手を振って歓声に応える。

 対するマセルカは呆けていた。まさか二度も自分が負けるなんて…。

 そこに、色鳥東中学の選手達がプールに飛び込んで来た。

 

「ごめんねぇえええええええ!?」

「へ!?」

 

 マセルカは他のリレーメンバーに揉みくちゃにされていた。

 

「せっかくっ!せっかくマセルカちゃんが頑張ってくれたのに…!」

「私たちが遅れてなかったら!」

「そうだよ!マセルカちゃん負けてなかったよう!」

 

 何故かリレーメンバーの方が悔し涙を流している。

 そんなに悔しがられると自分は悔しがれないではないか。

 そう思ったマセルカがふと気づいてみれば、勝負に負けたというのに不思議と悪い気分はしていないのだった。

 

「(なんでだろ…。)」

 

 そう思って、自分を二度も破ったドルカの方を見れば彼女はチームメイトに引っ張り上げられてプールから上がっていた。

 その姿を見ても、怒りも何も暗い感情は湧いてこない。

 むしろ晴れ晴れとした気分ですらある。

 

「もう。みんな。マセルカ達もプールから上がろう?ね。」

 

 いつまでも悔し涙を流しているわけにもいかない。

 マセルカは自分がこんな気分なのは置いておいてプールから上がろうとプールサイドに手を掛ける。

 と、その手を掴んでくれた者がいる。

 そのまま凄い力で引っ張り上げてくれた。

 

「ありがと……。って…へ?」

 

 プラーン、と中空に吊るされるような格好になったマセルカ。

 マセルカの目の前には人の背丈ほどもあるイカによく似た謎の生物がいた。

 それが足の一本を使ってマセルカの手を引っ張り上げたのだった。

 

「あ…。」

 

 ここに至ってマセルカはようやく思い出した。

 自身が水筒に入れて連れて来た、あの小さなセルリアンの事を。

 そして会場も突然あらわれた巨大イカに一度静まり返った。 

 直後…。

 

―きゃぁあああああああああ!?

 

 会場に悲鳴が響き渡る。

 突然の巨大イカの出現に生徒達も混乱していた。

 その間にマセルカを捕らえた巨大イカのセルリアンは彼女ごとプールへと飛び込んでいた。

 この事態に素早く動いた者が何人かいた。

 そのうちの一人はアオイである。

 アオイはプールサイドに駆け寄るとまだプールの中にいる色鳥東中学校のリレーメンバーに叫んだ。

 

「水から出て!早く!」

 

 そして手を伸ばすと彼女達を引き上げはじめた。

 

「皆さん、出来るだけプールから離れて下さい!」

 

 教師の星森ミライもまずは皆をプールから遠ざけようと声を張り上げた。

 プールというのは基本的に出入り口は少ない。ジャパリ女子中学のプールも例に漏れず、出入り口は一箇所しかなかった。

 出来る事なら生徒達を避難させたいが、パニックを起こした生徒達が出口に殺到したらそれだけで大事故に繋がる恐れがある。

 いったんプールから生徒達を離して落ち着かせるのが先だろう。

 それにマセルカだって心配だ。

 水の中に引きずり込まれた彼女はいま、恐慌をきたしているはずだ。

 そうなれば水を飲んでしまい、溺れてしまう。

 マセルカも心配だが、今はプールサイドにいるアオイと色鳥東中学校のリレーメンバーをプールから遠ざけるのが先だ。

 ちょうど、アオイがマセルカを除くリレーメンバー全員をプールサイドに引き上げたところだ。

 ミライはそちらに向かって走ろうとして…。

 

―ザパァアアン!

 

 と、水の中から長い足がアオイに向けて伸ばされるのを見た。

 まるでスローモーションのようにアオイは自身に向けて伸ばされるイカの足を眺めていた。

 捕まればきっと水の中に引きずり込まれる。

 そうなればいくら水を司る青龍神社の娘であろうと、溺れるのは必至だ。

 かといって、この足をかわす事だって不可能だ。

 アオイは諦めと共に目を固く瞑った。

 自身の身体に何かが巻き付くのがわかった。

 が、いつまでも水の中に引きずり込まれる事はなかった。

 何故、とアオイが目を開けるとそこには意外な光景が広がっていた。

 なんと人面魚のフレンズであり彼女の姉ともいうべきコイちゃんが、まるで綱引きのようにイカの足を引っ張っていたからだ。

 

「ふぎぎぎぎぎ。」

 

 必死にイカの足を引っ張っているコイちゃん。

 このままではコイちゃんまで水の中に引きずり込まれてしまう。

 

「コイちゃん姉さん!手を離して下さい!」

「やだぁ!」

 

 なんで、とアオイは思う。

 このままじゃ二人とも…。

 せめてコイちゃんには助かって欲しい。

 だって彼女には無限の可能性があるんだから。

 きっと何にだってなれるんだから。

 自分なんかに仕える事はないのだ。

 その想いを込めてアオイは

 

「なんで…。」

 

 と問うた。

 

「そんなの決まってるじゃない!アオイちゃんがいない人生なんてコイちゃんには考えられないもん!」

 

 しかし、無情にもコイちゃんの体力も限界だった。

 この綱引きは当然のようにイカのセルリアンの勝ちだった。むしろ今までよく耐えたものだ。

 二人まとめて水中に引きずり込まれる直前…。

 

―スパァアアアアアン!

 

 と小気味よい音を響かせて二人を捕らえていたイカの足が細切れになった。

 続いて、

 

―ズシャシャァ!

 

 と滑るようにして制動をかけたのはヒョウ柄のミニスカートに白のブラウス。大きな耳と猫科の尻尾をもったフレンズだった。

 彼女の爪がサンドスターの輝きを放っている。

 イカの足を細切れにしたのはその自慢の爪だった。

 

「クロスシンフォニーだ…。」

 

 最近、巷で噂のヒーローがまさか本当に現れるとは…。新聞部の取材でやって来ていた奈々は驚きを通り越して呆けてしまった。

 そして、空中に放り投げられたアオイとコイちゃんをキャッチしたのは…。

 

「クロスナイト!」

 

 であった。

 ギンギツネがその名を叫ぶ。ちなみに彼女はクロスナイト派である。

 クロスナイトはアオイとコイちゃんをプールサイドに降ろすと、腰までの短いマントを翻して背中に彼女達を庇う。

 

「お二人は離れていて下さい。」

 

 今あらわれた二人は、プールに皆の注目が集まっているうちに物陰で変身したのだった。

 ちなみに、アムールトラは変身するのに着替えが必要だったのでまだ登場できていない。

 しかし、それを除いてももう一人、クロスハートはどうしたのだろう?

 

「ねえねえ、ギンギツネ。クロスハートは来ないの?」

 

 キタキツネもそれが気になったのかクイクイとギンギツネのチアガール衣装を引っ張って訊ねる。ちなみに彼女はクロスハート派なのだ。

 それにはギンギツネも当然答えられなかった。

 しかし、答えは意外なところから返って来た。

 萌絵がす、っとプールの飛び込み台を指さす。

 そこには不思議なフレンズがいた。黒髪がわずかな毛並みの違いで綺麗な模様を描いている。

 そして頭には水棲動物のフレンズの特徴であるヒレやエラと共に横向きにホラー調のお面を付けていた。

 着ている衣装も中々に際どい。

 なんせ、丈の短いミニ浴衣を肩まで着崩しているのだ。

 

「クロスハートだ!クロスハートだよ!ギンギツネ!」

「相変わらずね…。」

 

 大喜びのキタキツネに対してギンギツネはちょっとばかり呆れていた。

 いくらなんでも今回の衣装は際ど過ぎじゃあありませんか、と。

 萌絵も一足先に今回の新変身フォーム、人面魚フォームを見て最初は人前に出るのを止めた。

 中にワンピースタイプの水着を着ていなかったら他のフォームにしてもらうよう説得するところだった。

 見ている方としては、黒い模様の入ったミニ浴衣から色々と見えてしまいそうでドキドキしてしまう。

 ですが安心して下さい、着ています。水着を。

 なので健全です。

 それに今回はこの新フォームでなくては出来ない事がある。

 それは…。

 

「今行くからね!」

 

 人面魚フォームのクロスハートは相手セルリアンのホームグラウンドともいうべき水中に身を躍らせる。

 そう。

 水中に引きずり込まれたマセルカを救うには水中活動が出来る人面魚フォームがどうしても必要だったのだ。

 クロスハートはこの日誰よりも綺麗な飛び込みを見せた。

 

―後編に続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話『水面の絆』(後編)

 水中に引きずり込まれたマセルカだったが最初は落ち着いたものだった。

 なんせこのセルリアンは自分が“シード”で生み出したものだ。今だって軽くじゃれついているだけだろう。

 彼女はこのセルリアンにイカを表す外国語からとってカラマリ、と名前をつけていた。

 今は大王イカサイズにまで成長しているのだからドン・カラマリとでも呼ぼう。

 それにマセルカが本気を出せば、今彼女を捕らえているイカの足を引きちぎるくらい造作もない。

 

「えーっと、セルメダル、セルメダル…。セルメダルはー…っと。」

 

 マセルカは自由な腕で自身の水着をペタペタと触る。

 “アクセプター”は現在最低出力に絞っているけれど、セルメダルをセットしてしまえば勝手に最高出力に戻る。

 なので、セルメダルを探していたマセルカだったが、はた、と気が付いた。

 スクール水着に着替える時に、落としたら大変だから、と着替えと一緒にセルメダルを置いて来てしまった事を。

 つまり、自力での脱出は出来なさそうだ。

 いやいや、待て。

 まだ慌てるような時間じゃない。と、マセルカは思い直す。

 ドン・カラマリは自分が生み出したセルリアンだ。

 いくらなんでもマセルカに牙を向けるような事をするはずがない。

 こうやって拘束する足を増やして、あまつさえ締め上げるようにしているのもちょっとじゃれついているだけだ。

 飽きたら解放してくれるだろうからそれまで待てばいい。

 マセルカも水中で呼吸できるわけではないが、酸素消費を極力抑えるようにすれば随分長い時間水中に潜っていられる。

 でも、水着が食い込むからあんまり締めるのはやめて欲しいなあなんて思っていたら…。

 おや?

 なんかイカの口部分にどんどん引き寄せられているような?

 マセルカがドン・カラマリと目が合う。

 その瞬間、マセルカは悟った。

 ドン・カラマリが空腹状態である事を。

 それに、その目には知性を見出す事は出来なかった。本能のままに飢えを満たそうとするその目を見てマセルカはようやく自身の大ピンチに気づいた。

 

「た、食べないでー!?!?」

「食べさせないよ!」

 

 へ?とマセルカが呆けると同時、ドン・カラマリの眼に飛び蹴りをかました者がいる。

 丈の短い毛皮を着た水棲動物のフレンズのように見えるけれど何者だろう。

 

「アタシはクロスハート。通りすがりの正義の味方だよ。」

 

 ドン・カラマリが怯んでマセルカの拘束を弱めた隙に、クロスハートは彼女を助け出した。

 

「ちょっとごめんね!」

 

 クロスハートはドン・カラマリから助けたマセルカを抱えると、水上に大きくジャンプ。

 水飛沫をあげて跳ね上がると…。

 

「クロスシンフォニー!」

 

 プールサイドで待機中のクロスシンフォニーにマセルカを投げ渡した。

 

「おっと…。大丈夫ですか?」

 

 クロスシンフォニーにお姫様抱っこで受け止められたマセルカは青い顔をしていた。

 それは水中で溺れかけたからではない。

 まさか仇敵クロスシンフォニーに捕まるとは思ってもいなかったからだ。

 まな板の上の鯉ならぬイルカである。

 青い顔をして震えるマセルカを余所に水中ではなおも激闘が繰り広げられていた。

 

「あれ…。何か前より大きくなってない…?」

 

 水中を泳ぎまわる巨大イカを見ていた奈々が呟く。

 どうやらそれは見間違いではなく、ドン・カラマリは一回り大きくなっていた。

 おまけにプールに張られていたコースロープを取り込んでそれを自身の脚に変化させる。

 それらを次々とクロスハートに向けて放った。

 まるで嵐のようにクロスハートに襲い掛かるドン・カラマリの脚を見て誰もがかわせない、と思った。

 しかし…。

 

「おぉっとぉ!」

 

 くるくると、まるでダンスでも踊るかのような華麗なターンと共にその全てを回避してみせるクロスハート。

 

―ギョォオオオオ!

 

 確かに捕らえたと思った獲物の健在にドン・カラマリは怒りの咆哮をあげる。

 さらに躍起になって脚を伸ばしてくる。

 まるでピラニアの群れのように複雑な軌道を描いて迫りくる脚。

 クロスハートは縦横無尽にプールを泳ぎ回り、その全てを回避していく。

 水中に陣取ったドン・カラマリはプールサイドのクロスナイトもクロスシンフォニーも手を出せずにいた。

 うかつに水中に身を投じれば、ドン・カラマリの餌食になるのは目に見えていた。

 この場はクロスハートに任せるしかない。

 ただ一人水中戦を繰り広げるクロスハート。

 その光景に、一つの声が響いた。

 

「頑張れぇ!クロスハートぉ!!」

 

 運動が苦手で応援団のサポートに回っていた萌絵があらん限りの声を張り上げた。

 その声にギンギツネとキタキツネがうん、と頷き合う。

 

「「頑張れ!クロスハートッ!!」

 

 プールサイドのアオイとコイちゃんを連れて後ろに下がっていたヘビクイワシも3人で頷き合う。

 

「「「頑張れ!クロスハートぉ!!」」」

 

 その声は広がりを見せた。

 

「そうだよ…。頑張ってぇ!」

「頑張れクロスハートぉ!」

「いけいけクロスハート!」

 

 あっという間にプール中にクロスハートコールが響く。

 

「みんな…。」

 

 声援を受けたクロスハートはさらに加速。

 ドン・カラマリの本体へと向けて突撃を敢行!

 だが、ドン・カラマリだって無策ではなかったようだ。

 クロスハートの周囲を囲むように脚を広げる。

 周囲を囲まれて逃げ道のなくなったクロスハート。

 ドン・カラマリは一度周囲の水を吸い込むと、それを高圧でクロスハートに吹き付けた!

 色鳥東中学校のプールの底に亀裂を入れたのはこの技だ。

 成長する前ですらその威力だったのに、巨体となった今はさらに強力になっていた。

 高圧で吹きつけられた水は必殺のウォーターハンマーとなってクロスハートを襲う!

 

「きゃあああああっ!?」

 

 戦いを見守る生徒から悲鳴があがる。その一撃は確かにクロスハートを捉えた!

 プールに集まった生徒達も、プールサイドのクロスナイトも、マセルカを抱えたクロスシンフォニーも息を呑んだ。

 さらに追い打ちとばかりにドン・カラマリはクロスハートの周りに張り巡らせた脚を閉じて、四方八方からクロスハートを打ち据えた。

 ドン・カラマリは今度こそ勝利を確信した。

 あとは獲物ごと『輝き』を喰い散らかすだけだ。

 が…。

 

「ざんねーん。そうはいかないよ。」

 

 確かに先ほど攻撃を受けたはずのクロスハートが無事な姿でそこにいた。

 なんで、とドン・カラマリだけでなく見守っていた誰もが驚く。

 

「ふっふーん。必殺、『魅惑のイリュージョン』だよ。」

 

 クロスハートが言うと同時、3人のクロスハートが周囲に現れる。

 これが人面魚フォームの必殺技、『魅惑のイリュージョン』である。

 先程は幻のクロスハートを囮に攻撃をかわしたのだった。

 今は黒の模様のミニ浴衣を着たクロスハートに赤の模様、浅黄色の模様のクロスハートが付き従う。

 今度のは実体を伴う幻だ。

 3人のクロスハートはニヤリ、とイタズラっぽい笑みを浮かべると3人それぞれがドン・カラマリの脚を掴んだ。

 

「「「そぉーれ!!」」」

 

 ちょうど脚をまとめる格好になっていたドン・カラマリのそれを絡めて結んでしまった。

 

―!?!?!?

 

 脚を結ばれてしまって今度はドン・カラマリが驚愕の様子を見せる。

 慌てて距離を取ろうとするが脚が絡まって上手く泳ぐ事が出来なかった。

 ここがチャンス、と3人のクロスハートはドン・カラマリの周りを高速で泳ぎ回る。

 激しい水流が生まれて、ドン・カラマリは揉みくちゃにされて目を回した。

 さらに追撃に移るクロスハート。

 

「「「滝登りぃ!!」」」

 

 3人のクロスハートが一斉にドン・カラマリを持ち上げて水面から飛び出した。

 大量の水と共に空中に飛び出したクロスハート。

 再び一人に戻る。

 と同時、クロスハートの身体がサンドスターの輝きに包まれる。

 その挙動にキタキツネはハッ、と気づく。

 格闘ゲームでよく似たような場面を見て来た。これは…。

 

「ゲージ技…。ゲージ技だよギンギツネ!」

「ど、どういう事…?」

「見てたらわかるよ!」

 

 キタキツネはキラキラした目でクロスハートを見上げる。

 一体何が起こるのか、と他の者も同じように空を見上げた。

 

「エクストラチェンジ…!」

 

 クロスハートの叫びと共にサンドスターの輝きが一層強くなった。

 それが弾けた時にあらわれたのは水色の髪をツインテールにしたクロスハートだった。

 衣装も青色のノースリーブブレザーにネクタイを締めて、下は水色のミニスカート。同じ色のニーソックスが足元を彩る。

 そして長い龍の尻尾がひと際目を引いた。

 その姿を見てギンギツネはキタキツネに訊ねる。

 

「ゲージ技って…これの事…?」

「そうだよ!前のフォームでゲージを溜めたからあのエクストラフォームに変身できたんだよっ!」

 

 キタキツネの解説は当たらずも遠からずと言ったところだった。

 鯉は滝を登り切る事で龍になるという伝説がある。

 鯉が滝を登って龍になるのなら、人面魚が滝を登り切ったなら…。

 

「セイリュウに…」

「なった…!?」

 

 アオイとコイちゃんが驚きと共にその姿を見上げる。

 それこそがクロスハート人面魚フォームのエクストラフォーム…

 

「セイリュウフォーム!」

 

 である。

 だが、その一瞬、フォームチェンジの隙にドン・カラマリは最後の悪あがきに出た。

 空中で目を回しながらも、結ばれた脚をまさにハンマーのようにしてクロスハートに向けて振り抜いたのだ。

 

「残念。ここはもうこっちのホームグラウンドだよ。」

 

 対するクロスハートは回避するそぶりすら見せなかった。

 ドン・カラマリの脚がぶつかる、と思った瞬間…。

 

―ガコォン!

 

 といい音を響かせてその脚が弾き飛ばされた。

 

「ドッグスローです。」

 

 フリスビーを大型化した盾、ナイトシールドを投げた体勢でクロスナイトが言う。

 ドン・カラマリの脚を弾き飛ばしたのはそれだった。

 クロスハートはクロスナイトの援護が入る事を分かっていたのだ。

 チラリと目線を向けると、「ナイス!」と目線で言う。

 クロスナイトは「相変わらず無茶してしょうがないなあ」とでも言いたそうな苦笑と共に叫ぶ。

 

「クロスハート、今ですよ!」

 

 クロスハートも頷きを返した。

 セイリュウフォームに変身したクロスハートはツイっと指を上にあげる。

 すると、水がそれに従うようにして渦を巻いて、まるで龍のようにドン・カラマリに巻き付いた。

 クロスハートは水の龍に巻き付かれたドン・カラマリの巨体を抱えると…。

 

「ひっさぁつ!……ドラゴンフォールッ!!」

 

 錐もみ回転を加えて今度は頭からプールへ向けて落下!

 そのまま水の龍と一体となったクロスハートがドン・カラマリをプールへと叩きつける。

 プールに盛大な水柱が立って周囲に降り注いだ。

 大量の水の圧力に負けたドン・カラマリは…。

 

―パッカァアアアアアアン!

 

 と『石』ごと砕け散った。

 ドン・カラマリの身体はキラキラとしたサンドスターへと還り、その輝きがプールを照らす。

 

「勝った…。」

 

 と、誰かが呟いた。

 巨大なイカはもう影も形もない。

 プールから飛び出して、シュタッとプールサイドへ降り立つクロスハート。

 彼女に割れんばかりの歓声が降り注いだ。

 

「え、ええと…。みんな!応援ありがとう!じゃあ、水の事故には気を付けてね!」

 

 言いつつ、クロスハートは大きくジャンプするといずこかへと消えていった。

 それに続いてみんなにペコリと一礼してからプールのフェンスを跳び越えるクロスナイト。

 

「この子をお願いします。保健室へ連れて行ってあげてください。」

 

 クロスシンフォニーも抱えていたマセルカをヘビクイワシに託して大ジャンプで何処かへと消えていく。

 時間にすればほんの短い間の出来事だった。

 ヒーロー達が去ってしまえば、この出来事が夢だったような気さえしてくる。

 それでも、確かに目の前で起きた事は現実だった。

 最初は戸惑っていた生徒達だったが、やがてプールは再びクロスハートコールに包まるのだった。

 

「(完全に……。)」

「(出遅れてもうたー!?)」

 

 ちなみに、着替えに手間取ってしまったクロスラピスとクロスラズリの二人は残念ながら出番に間に合いませんでしたとさ。

 二人は誰かに気づかれる前にこっそりとその場を後にしたのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 その後。

 水泳部の地区大会は閉会式もそこそこに解散となった。

 表彰式もなしで、賞状などは後日各校に送付するという対応になってしまった。

 教師達は頭が痛かった。なんせあの事件をどう説明していいのか誰もわからなかったからだ。

 おまけに、イカの化け物も消えてしまった以上、目撃証言は多数あれど物的証拠は何も残っていないのだ。

 事実を説明したところで到底信じて貰えるとは思えなかった。

 幸いだったのは、奇跡的に怪我人もなく大会が終了した事だろう。

 ともかく、教師達はどうするべきか対応を検討すべく、まずはあまり話を大きくしない事を選択したのだった。

 さて、一方で今日の帰り道についたマセルカである。

 今日は念の為にと、おうちの人に迎えに来てもらうよう養護教諭が手配してくれた。

 連絡を受けてやって来たのはセルシコウだった。

 

「まったく。今朝から何か様子が変だと思っていましたが…。」

 

 彼女は呆れの眼差しをマセルカに向けていた。

 今、セルシコウとマセルカの二人は色鳥東中学校の制服に身を包んでいた。

 マセルカは中学校1年生への編入であったが、セルシコウはマセルカのお目付け役として中学3年生に編入を希望したのだ。

 オオセルザンコウもマセルカもそれぞれ一人には出来ないセルシコウの苦肉の策であった。

 そういうわけで、セルシコウのところにマセルカを迎えに来てもらうよう連絡がいったのだった。

 

「でも、何はともあれ、マセルカが無事でよかったですよ。」

 

 言いつつセルシコウはマセルカの頭を撫でる。

 

「お、怒らないの?」

「ええ。マセルカが無事ならそれでいいです。」

 

 二人で養護教諭に礼を言ってから保健室を後にした。

 帰り道でセルシコウはマセルカに言う。

 

「さあ、早く帰ってオオセルザンコウを手伝ってあげましょう。お金を稼ぐ、というのは中々大変なようですから苦労しているかもしれません。」

 

 結局、オオセルザンコウは学校に通う事は諦めて何か仕事を見つける事にしたらしい。

 オペレーション『グルメキャッスル』を遂行するにもまずは資金が必要だ。

 ヤマさんも色々と仕事探しに協力してくれている。

 出来れば自分達も何かアルバイトとやらを探してみるか、とセルシコウは考えていた。

 

「そうそう。マセルカ。今日の晩御飯は何か食べたい物はありますか?」

「………。イカだけはしばらく見たくない。」

 

 好き嫌いのないマセルカにしては珍しいな、なんて思いつつセルシコウは今日の献立を考える。

 ハクトウワシもオオセルザンコウも好き嫌いはあまりないから何を出しても大体美味しいと言ってくれる。

 

「じゃあ、今夜はカレーにでもしてみましょうか。」

「わっふい!マセルカもカレー好きぃ!」

 

 落ち込んで見えたマセルカも元気を取り戻してくれたようだ、とセルシコウは微笑む。

 

「ああ、そうそう。マセルカ。私ですね。空手部に入ってみたんですよ。」

「あ、セルシコウも部活に入ったんだ。」

「ええ。どこかの部に必ず所属するよう言われましたからね。」

 

 色鳥東中学校は全生徒部活への所属が義務づけられていた。

 セルシコウは空手部を選んでみたものの、技術的にはあまり得るものはなさそうだと落胆していた。

 けれど…。

 

「実はですね!私も空手部のレギュラーとやらに選ばれたのですが…。ほら!こちらの世界のキンシコウも空手部らしいんですよ!」

 

 キラキラとした目でマセルカに力説するセルシコウ。しかしマセルカとしては話が見えない。

 

「明日の大会で直接手合わせとか出来るかもしれません!“アクセプター”の出力を最低にしてありますからいい勝負が出来るかも…。ああ、今から楽しみです!」

 

 マセルカはセルシコウのこういうところはよくわからない。

 普段は温厚な彼女も、強者との戦いを前にすると、こうしてよく暴走気味になる。

 敵なんて弱い方がいいに決まってるのに、どうして強い敵の方がセルシコウは嬉しいのか…。それがマセルカには理解出来ないでいた。

 まあ、応援くらいはしてやるか、とマセルカは気を取り直す。

 そんな彼女にセルシコウは更に詰め寄った。

 

「そういえば、マセルカ!今日はクロスハートと戦ったんですか!?クロスナイトとは!?そういえばクロスシンフォニーもいたんですよね!?どうでした!?」

「あー、もうわかった!わかったからぁ!」

「教えて下さいよぉ!マセルカぁ!」

 

 どうやら帰り道で話す話題には困る事はなさそうなマセルカとセルシコウであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「そういえば…。かばん君。あの時はどこに行っていたのでありますか?」

 

 帰り道。生徒会書記のヘビクイワシはかばんに訊ねる。

 あの騒ぎの最中だ。姿が見えなくても不思議はないのだが、一緒に帰っていたアライさんもサーバルも顔に「ぎくぅ!」と書いてあった。

 ただ一人、フェネックだけがいつもの微笑みを浮かべて涼しい顔だ。

 

「まあ、深くは訊かないのでありますよ。みな無事ならばそれでよしとするのであります。」

 

 ヘビクイワシは苦笑して話題を打ち切る事にした。別に詰問するつもりはなかったし。

 

「そういえば、明日は陸上部の応援でありましたな。」

 

 ヘビクイワシは話題を変える。

 地区大会は今日と明日の日程で行われる。

 各部活の中でも応援が必要な競技とそうでないものがある。

 例えば、今日、水泳部の他に剣道部なども他校で大会があったが、剣道部はあまり応援が行われない。

 応援が却って競技の妨げになる場合も少なくない。

 そうした競技は部活の選手に選ばれなかったメンバーが応援に回って、応援団が出張る事はない。

 

「ゴマ君も明日に向けて頑張っているようでしたから、明日もしっかりと応援するのでありますよ。」

「そうなのだ!明日もアライさんにお任せなのだ!」

「うん!頑張ろうね!」

 

 話題が変わってホッとしたのか、アライさんもサーバルも元気を取り戻していた。

 そうして、明日へ向けて気合を入れる生徒会メンバーの前に一人のフレンズが現れた。

 それはヘビクイワシがよく知ったフレンズだった。

 

「ん?オウギワシ君ではありませんか。」

 

 それは2年C組オウギワシだった。ちなみに空手部所属である。

 確か、空手部も明日が地区大会のはずだ。それがこんなところでバッタリ会うとは偶然ではないだろう。何か用事なのだろうか。

 そう思ってヘビクイワシが不思議そうにしていると、オウギワシが口を開いた。

 

「頼む、ヘビクイワシ。助けてくれ。」

 

 オウギワシはヘビクイワシに向かって深々と頭を下げた。

 一体全体何があったというのか…。

 それを語るのは後日の事になる。

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 一方で、この3人も今日は帰り道を同じくしていた。

 ジャパリ女子高校1年の奈々とキタキツネにギンギツネである。

 この3人は商店街で暮らしているので、せっかくだから今日は一緒に帰る事にしたのだ。

 

「いやぁー。今日は凄かったね。写真、撮れなかったの残念だなあ。」

 

 奈々は水を被ったデジタルカメラの様子を見る。

 残念ながら防水機能のない機種だったので、修理が必要そうだ。

 大会の写真はメモリーカードに保存されているので問題ないが、あの巨大イカとそれと戦うクロスハート達の姿を写真に収める事は出来なかったのだ。

 

「えぇー!?奈々ぁ、クロスハートの写真ないのっ!?」

「もう、キタキツネ。せめて奈々さん、でしょっ。もう。ごめんなさい、奈々姉さん。」

 

 写真がないのに不満そうなキタキツネにそれをたしなめるギンギツネ。

 

「あはは、いいのいいの。それにしても特ダネゲットだと思ったのに残念だなあ。」

 

 逃がした魚は大きいと言うが、今回逃したのは大魚なんてレベルではなかったのではないだろうか。

 そう思うと、どうしてもこの特ダネをモノにしたいと思う奈々だった。

 

「追ってみようかな…。クロスハート…。」

 

 ポツリ、と言う奈々。

 ネットの目撃情報なんかを集めれば、もしかしたら傾向や出現パターンがわかるかもしれない。

 そして、今度こそ写真を撮って記事にしたら、それはきっと大きな反響を呼ぶだろう。

 奈々の呟きを聞いていたキタキツネは目を輝かせた。

 

「ねえねえ、奈々!もしかしてクロスハートを追うの!?ボクも!ボクもやる!」

「ええ!?キタキツネ、あなた本気なの!?」

 

 ギンギツネとしてはそれは危ないのではないだろうか、と思う。

 なんせ、クロスハートが現れるのは決まって化け物達と戦う為だからだ。その側に行くというのは火事現場に飛び込むようなものだ。

 それは奈々も同じように考えていた。

 

「キタキツネ。あんまりギンギツネを困らせちゃダメだよー?それに二人とも、期末テストだって近いでしょ?」

 

 奈々の言葉にキタキツネは「う”っ」と言葉を詰まらせる。

 ギンギツネは苦笑する。キタキツネはゲームは得意だけれど勉強は苦手なのだ。

 今回もキタキツネに勉強を教えてあげないといけないらしい。

 ちなみに、ギンギツネは理系科目を中心に学年トップクラスの成績だ。

 ギンギツネに関しては期末テストも問題ないだろう。

 

「あはは。じゃあ、もしもクロスハートの写真が撮れたらキタキツネにも見せてあげるから。ね。」

「本当!?奈々ッ!」

 

 その言葉にキタキツネが再び目を輝かせる。

 

「その代わり、ちゃんと勉強もするんだよ。」

 

 それにはイヤそうな顔をしながらも頷くキタキツネ。

 これで少しはキタキツネも勉強にやる気を出してくれるか、とギンギツネは奈々に感謝していた。

 それとは別にギンギツネは奈々に一つ頼み事が出来た。

 彼女は奈々の耳に口を近づけてコショコショと言う。

 

「あの…。奈々姉さん。もしクロスナイトの写真が撮れたら…私にも見せてもらってもいいですか?」

 

 重ねて言うがギンギツネはクロスナイト派だった。

 そんな可愛い願い事なら、奈々は二つ返事でOKするのだった。 

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 青龍神社への帰り道。

 二人とも神社で暮らしているのだから当然帰り道も一緒だった。

 アオイもコイちゃんも無言だった。

 その沈黙を最初に破ったのはアオイだった。

 

「あの…。コイちゃん姉さん。もう二度とあんな無茶な事はしないで下さい。」

 

 あんな無茶な事とは今日のプールでの事だろう。アオイを助ける為とはいえ、まさか巨大イカの化け物と綱引き勝負をするとは。

 こうしたアオイの頼みはいつものコイちゃんなら二つ返事で頷いていた。

 けれど、今日は違った。

 

「心配してくれてありがとう。でもね。それは約束できないかな。」

「な、なんでですか!?」

 

 アオイはコイちゃんに詰め寄る。

 もしも。もしも自分の為にコイちゃんがまた危ない目に遭ったりしたら…。そんなのアオイには耐えられない。

 なのに、コイちゃんの答えはアオイの望みとは全く正反対だった。

 

「だって、またアオイちゃんが同じ事になったらコイちゃんはいつでも同じ事をしちゃうだろうから。」

 

 どうしてだろう。

 お役目だからだろうか。

 それともアオイがコイちゃんの仕えるべき主だからだろうか。

 

「違うよ。アオイちゃんが大事だからだよ。」

 

 その答えにアオイは目を丸くする。

 胸がドクン、と鳴った気がする。

 自分の望みとは正反対になってるはずなのに、どうしてこの一言がこんなにも嬉しいんだろう。

 

「それにね、コイちゃんはお役目を継ぐのもイヤじゃないよ。だってお役目を継いだらアオイちゃんとずっと一緒にいられるんでしょ。願ったり叶ったりだよぉ。」

 

 コイちゃんはいつものようにふにゃりとした笑みを見せた。

 それがいつも通り過ぎてアオイは逆に不安になる。

 

「あ、あの…。コイちゃん姉さん。自分で何を言っているか分かってますか?」

 

 アオイには今のコイちゃんの言葉がほんの少し遠回しな告白のように聞こえていた。

 コイちゃんはそれがバレたのが気恥ずかしいのか一度頬を掻くようにした後、アオイに正面から向き直った。

 

「うん、わかってるよ。あのねアオイちゃん。コイちゃんの事をずっと側に置いておいてくれますか?」

 

 どうやら聞き間違えやアオイの勘違いではないらしい。

 けれども、本当にいいのか。

 コイちゃんの未来を自分が決めてしまって…。

 しばらく迷った末にアオイの口から出た言葉は…

 

「……。はい。こちらこそよろしくお願いします…。」

 

 だった。

 たまに喧嘩もするし、ちょっぴり苦手だったりもするけれど、それでもアオイはコイちゃんが大好きなのだ。

 それに、こうなった以上、責任もってずっと一緒にいるしかない。

 コイちゃんが選べた他のどの未来よりも幸せだと思って貰えるようにしなくてはならない。

 そう覚悟してしまえば、アオイの胸は晴れやかだった。

 ただ、どうにも顔が熱くて仕方ない。きっと今の自分の顔は赤くなっているだろうが、夕日のせいという事にしておこう、と考えて照れ隠しをするアオイ。

 けれど、夕日のせいと言うには無理があるくらい、アオイの顔は茹でダコのように真っ赤だった。

 

「やったぁ!じゃあじゃあ、早速セイリュウ様とお母さんにも報告しないとねっ!」

「ちょ!?母上とおば様にですか!?それは今度にしませんか!?」

「こういうのは早い方がいいんだよぉ!大丈夫っ!二人とも絶対喜ぶからっ!」

「ちょっとぉ!?コイちゃん姉さんー!!」

 

 コイちゃんは青龍神社へ続く階段を駆け上がり、アオイは慌ててその後を追った。

 はたして二人の報告の結果がどうなったのか。

 その日の青龍神社の晩御飯がとても豪華になった事だけを追記しておく。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート第16話『水面の絆』

―おしまい―

 




【セルリアン情報公開:ドン・カラマリ】

 マセルカが色鳥東中学校に溜まっていたプールの輝きから“シード”を使って生み出したセルリアン。
 見た目はイカのように見える。
 ビート版の変化した頭部に、コースロープが変化した脚を持つ。
 コースロープの脚で絡めとったり、高圧で水を吹き付ける攻撃を仕掛けてくる。
 最初は“輝き”が足りずに水筒にも入るくらいのサイズだったが、水泳大会で生まれた大量の“輝き”を取り込む事で巨大化した。
 なお、名前の由来はイタリア語で食材としてのイカを表すcalamariである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話『拳に賭ける夢』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 いよいよ運動部の地区大会が始まった。
 ともえ達応援団も水泳大会で大活躍。
 応援団の大声援を背にした水泳部も絶好調だったが、そこにセルリアンが現れる。
 プールに陣取った巨大イカのセルリアン。
 水中の敵にクロスハートは新フォーム、人面魚フォームで戦いを挑む。
 人面魚フォームからのエクストラフォーム、セイリュウフォームにチェンジしてセルリアンを撃破するクロスハート。
 プールの平和を守るのだった。


 

 ジャパリ女子中学空手部は弱小だった。

 空手部は女子生徒にあまり人気もなく、部員も辛うじてギリギリ大会に出られる程度で地区大会で勝利を納めた事などなかった。

 3年前までは。

 その状況はとある一人のフレンズによって随分と様変わりしていた。

 それは現3年生、空手部主将、キンシコウの手によってである。

 部員がギリギリなのは相変わらずだが、それでもキンシコウは持ち前の物腰の柔らかさで空手部の皆を引っ張って、空手部に実力をつけてきた。

 今年はいよいよキンシコウにとって中学最後の大会となる。

 

「だから…。だから俺はキンシコウ先輩を絶対に全国に連れてってやりたいんだ。」

 

 空手部2年生のオウギワシは帰り道の生徒会メンバー、かばん、サーバル、アライさん、フェネック、そしてヘビクイワシに自分の想いを口にした。

 彼女は純白の髪と黒の混じった髪色をしている。さらに前髪の一部がまるでクチバシのように黄色い。短く立った髪がボーイッシュな雰囲気を醸し出しているフレンズだ。

 オウギワシは空手部でキンシコウの指導を受け続けた。

 丁寧な指導によって彼女は実力を伸ばした自覚がある。

 だから、その実力でもってオウギワシはキンシコウを県大会を越えて全国大会にまで連れて行きたいと本気で思っていた。

 今年はそれが夢じゃない。

 現実に手が届くところまで来ていたはずだった。

 なのに…。

 

「3年の先輩達が急に体調を崩したんだ。それも3人も。」

 

 空手部の大会は明日だ。

 3人もの部員が体調を崩したら団体戦出場は絶望的だろう。

 それでオウギワシが助けを求めたのはヘビクイワシだった。

 ヘビクイワシとオウギワシは幼馴染同士だ。二人とも空手を習っておりライバル同士でもある。

 だが、中学生になったとき、ヘビクイワシは空手部ではなく生徒会に入ったのだ。

 オウギワシは空手部以外でこんな場面に助けを求められる人物は二人しか心当たりがなかった。

 一人はヘビクイワシ。もう一人は空手部にもよく練習の手伝いに来てくれていた遠坂ともえだった。

 ともえは応援団長だ。空手部の助っ人は頼めない。

 となれば、こうして生徒会メンバーの帰り道に訪ねるしかなかった。

 残る生徒会のメンバー、かばん、サーバル、アライさん、フェネックは成り行きを見守る。

 

「しかし、オウギワシ君。私は空手部ではないのであります。空手部の大会に出るわけには…。」

 

 ヘビクイワシの言うように今回の大会は空手部の公式試合だ。練習試合ならともかく公式試合に部外の者が出場するのは問題だ。

 

「生徒会は部活じゃない。委員会だ。だからヘビクイワシ。お前は部活に無所属なんだよ。」

 

 しばらく考え込む様子を見せたオウギワシ。できればこの手を使いたくはなかった、とでも言いたげに苦しそうに吐き出す。

 実際、生徒会は部活ではない。けれど、仕事が色々と忙しくなるので部活の単位として認められている。

 過去には部活と生徒会両方に所属していた生徒もいないではなかったけれど、それはやはり忙しかったらしい。

 ヘビクイワシも、それに他のメンバーも生徒会活動一本で他の部活への所属はしていなかった。

 

「だから、お前が首を縦に振ってくれるなら今からだって空手部に入部は出来る。」

 

 だが、オウギワシも苦い顔をしているようにヘビクイワシにだって事情があるのは分かっていた。

 どんな気持ちがあって生徒会入部を選んだのか。それはオウギワシにはわからない。それでもそれを選んだのにはきっと大切な理由があるはずだ。

 だからヘビクイワシが生徒会に入った気持ちを無視しているようでいたたまれなかったのだ。

 そんなオウギワシだからこそ、ヘビクイワシの答えは決まっていた。

 

「かばん君。すまないのでありますが、明日の陸上部の応援には私は参加できそうにないのであります。」

「じゃあ…!」

 

 オウギワシは顔を輝かせる。

 ヘビクイワシは空手部の助っ人になってくれるらしい。

 

「けれどもオウギワシ君。確か空手部は人数ほぼギリギリでありましたか。」

 

 ヘビクイワシは疑問を口にした。

 確かオウギワシは体調を崩した空手部部員が3人だと言った。

 だとしたらヘビクイワシ一人が助っ人に入ったところで団体戦出場は出来ないのではないか。

 

「ああ。家の手伝いで忙しくて殆ど練習には参加していないけど1年生が一人いるぞ。これで団体戦は四人…。あと一人必要だな。」

 

 今のジャパリ女子中学空手部団体戦メンバーは主将キンシコウ、オウギワシ、ヘビクイワシ、空手部1年生の四人だ。団体戦は5人で1チームだから確かにあと一人足りない。

 それに「はいはーい!」とサーバルが挙手した。

 もしや、サーバルが出場する気なのだろうか?

 彼女も運動神経はいいし、体力だってある。サーバルもともえと同様に体育だけは5確定系女子だった。

 けれど空手は素人だったはずだ。

 

「ううん。私じゃなくて、かばんちゃんならどうかな?」

「ええ!?ぼ、ボクぅ!?」

 

 以前、イエイヌが編入してきたとき、その所属部活を巡って校内で大騒動が起こった事がある。

 それを鎮めたのが生徒会長のかばんだった。

 その方法は、単に騒ぎを起こしていた人たちを一人一人丁寧に説得していっただけだ。物理的に。

 なので、騒動に加わっていたオウギワシとヘビクイワシもあの時の事は軽くトラウマだ。

 

「ああ…。まあ、生徒会長なら問題はないぞ。うん。」

 

 オウギワシも、あの時の事を思い出したのか若干引きつった笑みを浮かべた。

 

「で、でもボクだって空手とかやった事ないですし…。」

「えぇー。かばんちゃんなら絶対出来るよ!私!カッコイイかばんちゃんが見たい!」

 

 やたらキラキラした目でかばんに迫るサーバル。

 そんな目で見られるとイヤとは言えないかばんである。

 むしろ、サーバルの為ならと張り切る気持ちまで生まれてきた。

 

「じゃ…じゃあ…。よろしくお願いします。」

 

 すっかりサーバルに乗せられた格好のかばんであった。

 それを見てしばらく考え込むヘビクイワシ。携帯電話を取り出すと皆に言う。

 

「ならば明日は私とかばん君とサーバル君が空手部の助っ人に、という事でともえ君にも話してみるのでありますよ。」

 

 サーバルまで応援団から抜けて大丈夫だろうか、と一瞬不安になる他生徒会メンバー達。

 

「いや、サーバル君が一緒の方がかばん君も頑張り甲斐があるというものでありましょう?」

 

 なので存分にイチャつけ…じゃなかった。存分に張り切れと思うヘビクイワシであった。

 

「確かになのだ!ならばアライさんの分もサーバルにかばんさんの応援をお願いするのだ!頑張るのだサーバル!」

「今回はサーバルが空手部チームの応援団代表だねえ。」

「うん!私頑張って応援するよ!」

 

 アライさんとフェネックとワイワイ言い合っているサーバル。

 そうこうしているうちにヘビクイワシは事の成り行きを応援団長のともえに電話で伝え終わったようだ。

 

「あの。ともえさんはなんて?」

「そのままともえ君の言葉を伝えると…。『かばんちゃん絶対カッコイイだろうから記録よろしく。』だそうでありますよ。」

 

 訊ねたかばんは、そうじゃなくて、と思わずにはいられなかった。

 問題は陸上部の応援の方である。かばんとサーバルとヘビクイワシの三人も抜けて大丈夫だろうか。

 

「陸上部の応援の方は任せて、とも言っていたでありますよ。」 

 

 そっちがついでなのか。まったくともえらしい。

 けれど、ともえならば確かに何とかしてくれそうな気がする。それに…。

 

「かばんさんとサーバルの分もアライさんが陸上部をしっかり応援してやるのだ!任せるのだっ!」

「うんうん、こっちにはアオイちゃん達もいるからね。心配しないでよ。」

 

 アライさんとフェネックだっているから応援団の方は大丈夫だ。

 そんな生徒会メンバー達にもう一度オウギワシは深々と頭を下げる。

 

「すまない。それにありがとう。」

 

 こうして、空手部は臨時メンバーでの大会参加となるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 

「「「「ご馳走様でした。」」」」

 

 ハクトウワシのアパートでは、その部屋の主とオオセルザンコウ、マセルカ、セルシコウの4人が空の食器を前に手を合わせる。

 

「今日も美味しかったわ。セルシコウ。」

「そうですか。それならよかったです。」

 

 一人暮らしのアパートに4人の生活は最初は手狭に感じられたが、慣れてしまえばそれでもどうにかなるものだ。

 それに毎日の食事が楽しくて仕方ない。

 ハクトウワシは今日も満足と共にセルシコウに礼を言うのだが、ふと気が付いた。

 

「ねえ、セルシコウ。何かいい事でもあった?顔がニヤけてるわよ。」

「え?あー…。わかります?」

 

 両手をほっぺにあてて、恥ずかしがるセルシコウ。

 明日の大会が楽しみ過ぎてどうやら顔が緩んでしまっていたらしい。

 ハクトウワシとしては、セルシコウが中学生としての生活を楽しんでくれているらしいと分かって嬉しく思う。

 それだけに、今、洗い物をしてくれているオオセルザンコウも学生生活をして欲しいとは思うが、彼女は明日はヤマさんが紹介してくれたバイトがあるみたいだ。

 やはり、この3人を自分が引き取るべきなのだろうか、と思い悩むハクトウワシ。

 そうすれば、オオセルザンコウだってどこか学校に通う事が出来るだろう。ただ、3人分の生活費や学費全てを賄える程、ハクトウワシだって給料がいいわけじゃない。

 しかし、暗い事ばかり考えていても仕方がない。

 ハクトウワシはマセルカに後ろから抱き着く。

 

「そういえばマセルカ、今日は水泳部の大会だったんでしょう?どうだったの?」

「ぅ……。リレーも自由形も2位だった…。」

「あら、凄いじゃない!いきなり2位だったら来年はきっと優勝よ!」

 

 マセルカは未だ敗戦は引きずっていたものの、ハクトウワシに褒められると少しは気が軽くなった。

 ちなみに、プールで起こった事件についてはあまり広まっていないのでハクトウワシがそれを知らなかったのも無理はない。

 

「で、明日はセルシコウが空手の大会なのね。」

「ええ。多少は猛者と呼べる者もいるでしょうから楽しみで仕方ありません。」

 

 オオセルザンコウの洗い物を手伝い終わったセルシコウはキッチンの電灯の紐をペシペシと叩いていた。

 どうやら本当に楽しみなようで今すぐにでも身体を動かしたくてうずうずしているのだろう。

 電灯の紐でシャドーボクシングごっこだなんて普段のセルシコウならむしろ窘めそうなものなのに、そんな事をしているのがハクトウワシは可笑しくてしかたなかった。

 

「私は明日もお仕事だから応援にはいけないけども頑張ってね、セルシコウ。」

「はい!きっと勝ってきますからねっ!」

 

 そんな様子のセルシコウにオオセルザンコウは苦笑しか出ない。

 こうなってしまった彼女を止める事は誰にも出来ない。願わくばやり過ぎてあまり目立つ事は避けて欲しい。

 

「セルシコウもハクトウワシも明日は早いんだろう?二人とも先にお風呂と歯磨きをすませてくるといい。私とマセルカで布団をしいておくから。」

 

 それでもオオセルザンコウだって、セルシコウの楽しみを邪魔するつもりはなかった。

 

「そうね。じゃあセルシコウ。明日応援に行けない分、背中流してあげるわ。Let's go!」

「じゃあじゃあマセルカもー!」

「こら。マセルカはこっち。一緒に布団の用意だ。」

「ええー!?」

 

 せまくとも賑やかなハクトウワシの部屋であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ジャパリ女子中学3年生、空手部主将キンシコウ。

 彼女を知る者にその人となりを訊ねれば必ず優しい人だと答えるだろう。

 物腰は柔らかく、性格は穏やか。それでいて争い事も嫌いで誰かと諍いを起こす事はまず有り得ない。

 そんな彼女の家はスポーツジムを経営している。

 既に中学生にしてトレーナーとして手伝いをしているキンシコウは利用者からの評判もいい。

 

「(将来はウチでトレーナーになるのもいいですし、体育教師とかも憧れますね。もう少し勉強を頑張ってスポーツドクター…はさすがに無理でしょうか。)」

 

 そんな取り止めのない思考をしていても、キンシコウの身体は自然と動く。

 閉店した後、少しだけ時間をもらって空手の形を練習だ。

 普段はエアロビクス運動やヨガや様々な運動に使う広いフロアが今は貸し切り状態だ。

 頭に水の入ったコップを乗せた状態で形をこなしくていくキンシコウ。

 水はこぼれる事なくピタリと頭の上で止まっている。

 こんな芸当が出来る彼女は達人と言っていい腕前だった。

 

「まあ…。私としては太極拳とかそういうのの方が好きなんですが…。」

 

 ふぅ、と形を終えて一息つきながら誰にともなく言うキンシコウ。

 力強さやキレのある動きが特徴の空手もいいが、元々彼女が好きなのは流麗な動きを特徴とする太極拳の方だった。

 中学の部活に空手部しかなかったので、否応なしに練習してきた。

 最初こそ勝手の違いでよい成績は残せなかったが、今年はよい結果を残せるかもしれない。

 キンシコウはそう期待していた。

 今ではこの経験も悪くない。そう思える。

 この大会が終わったら部活は引退。悔いの残らないよう全力を尽くさねば。

 そして大会が終われば高校進学。その先は将来に向けて努力の日々だ。

 家で本格的にトレーナーになるのも、もしくは体育教師になってたくさんの子供達を指導するのもどちらもステキな事だ。

 けれど、キンシコウは心のどこかで

 

「本当に?」

 

 と思わずにはいられなかった。

 キンシコウの頭の中には、いつかオウギワシと一緒に期待の新人を勧誘に行った時の事が思い起こされた。

 結局その勧誘自体は失敗に終わったのだが、その際に起こった校内の大騒動…。あれは…。

 

「楽しかったなあ…。」

 

 剣道部副主将、3年ヘラジカとの異種格闘技戦。

 あれは今までにないくらい心が昂った。

 自分の嫌いな争い事だったというのに。なのになんであんなに楽しかったんだろう。

 キンシコウは知らず、ヘラジカとの一戦を思い出してその時の動きをなぞっていた。

 

「(あの時はヘラジカさんがこう来てたから、こう。そして返しはこう。相手は新聞紙を丸めた模擬刀をもっているわけですから、次は…)」

 

 想像の中でのヘラジカとの再現の一戦は唐突に終わりを迎える。

 そう。

 その騒動を鎮めた生徒会長が現れたのだ。

 あの時は校内で大騒ぎをしてしまった自分に非がある事を認めて、キンシコウはすぐに降参したのだ。

 けれども、もしも降参していなかったら?

 あの生徒会長がにこやかな笑顔と共に放っていた圧ともいうべきものの前に自分は一体どうなってしまっていたのだろう。

 そんな事は許されないのは分かっているが、自分の持つ技をぶつけてみたかった。

 そうしたら彼女はどう動いたのだろう。

 想像の中での生徒会長はどう動くのかやはりわからない。

 何せ拳を交える事をしなかったのだから。

 それでもキンシコウは想像の中の生徒会長に向けて、自身の持てる技を放とうと震脚を踏んだところで…。

 

―パシャン。

 

 頭の上に乗せたままのコップがとうとう倒れた。

 

「私は一体何を…。」

 

 水の冷たさに想像から現実へ引き戻されたキンシコウ。

 

「あ、ああー!?いけません!?早く雑巾をもってこないと!?」

 

 せっかく貸してくれたフロアに水をこぼしてしまった。このままにしてはおけない。急いで掃除しなくては。

 キンシコウは自身の中に生まれて育っている感情からまたも目を逸らしたのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 明くる朝。

 今日は地区大会も二日目。今日はともえ達応援団は陸上部の応援の予定だ。

 そして、空手部も今日が大会となる。

 かばんも昨日、空手部から借りた道着を持って待機中だ。

 

「かばん先輩。空手部なんですが、先生方が運転する車で色鳥武道館へ移動。そこで大会の予定です。」

 

 今朝もやはり敏腕秘書のようにファイルに目を落として言うアオイ。

 しかし、その胸中は穏やかでなかった。

 

「(ず、ずるい!かばん先輩とヘビクイワシ先輩が空手の大会!?そんなの絶対カッコいいに決まってる!見に行きたい!せめてビデオか何か…!)」

 

 そんな事を考えていると…。

 

「うみゃあ?このビデオカメラっていうのどうやって使うの?ボタンがいっぱいでよくわかんないね。」

 

 サーバルが学校備品のビデオカメラを弄っていた。

 せっかくの大会だ。試合の記録を残す事も学校の大事な仕事の一つである。

 一人、空手部のマネージャー的立場になったサーバルが記録係を担う事になったのだが何とも頼りない。

 アオイは素早くサーバルに近づくと…。

 

「サーバル先輩!ここ!このボタンで録画開始です。でもって録画ストップはこのボタン!わかりやすいようにメモを書きますから!」

「わぁー!ありがとう、アオイちゃんっ!」

 

 怒涛の勢いでメモ用紙にビデオカメラの使い方を記していった。

 ついでに、サーバルに予備バッテリーと予備のメモリーカードを渡すのも忘れない。

 甲斐甲斐しく世話を焼かれて礼を言うサーバルに、「(いやいや、礼を言うのはこっちの方ですよ。サーバル先輩)」と胸中で思うアオイ。

 後でデータをコピーする算段をつけなくては。

 そんな事を考えていたら、アオイの後ろからヒョイっとともえが顔を出した。

 

「あ。いいなー。後で見たい!でもってみんなスケッチしたいな!絶対絵になるよっ!」

 

 そして逆側からは萌絵がヒョイっと顔を出す。

 

「そうだねえ。データ後でバックアップとってあげるからビデオカメラ貸してね。」

 

 二人の顔が両肩くらいに来てて真っ赤になるアオイ。

 けどずるい!私も!と思うアオイだったが続く一言で…。

 

「きっと、アライさんやフェネックちゃんも見たがると思うから生徒会室で上映会とかしよ。」

「さすがです萌絵先輩。」

 

 と手の平を180度返した。

 一方でオウギワシはヘビクイワシと話していた。

 

「ヘビクイワシ。お前、ブランクあるけど大丈夫か?」

 

 オウギワシは空手部で練習を重ねてきた。けれど、ヘビクイワシは生徒会に入って以来空手からは遠ざかっていたのではないだろうか。

 以前はライバル同士であったけれども、今は明確な差が生まれてしまっているかもしれない。

 そう思うとオウギワシの胸には一抹の寂しさが生まれる。

 

「ふっふっふ。心配ないでありますよ。オウギワシ君。別に空手をやめたわけではありませんから。」

 

 不敵な笑みを浮かべるヘビクイワシ。

 つまりヘビクイワシもどこかで練習を重ねていたのだろうか。

 その疑問にはヘビクイワシの両肩に手を置くようにして現れたキンシコウが答えた。

 

「ええ。実はヘビクイワシさんはウチのジムに通ってますから。よく私と練習してるんですよ。」

 

 ポム。とヘビクイワシの両肩に手を置くキンシコウはにこやかに言う。

 

「なっ!?ず、ずるいぞ!?ヘビクイワシ!?俺だってキンシコウ先輩と練習したかったのにっ!」

「オウギワシ君は部活でキンシコウ先輩と練習してきてるではありませんか…。」

 

 ヘビクイワシは幼馴染のこの言動に少しばかり呆れていた。

 ただ、気持ちはわかる。

 キンシコウの教え方はとても上手で丁寧なのだ。

 そんなキンシコウは応援団にもやはり丁寧に挨拶をしてまわっていた。

 

「応援団の皆さんもメンバーをお借りして迷惑を掛けます。急遽参加して下さったかばん生徒会長さんとヘビクイワシさん。それにサーバルさんもありがとう。」

 

 一人一人に丁寧に頭を下げていくキンシコウ。

 

「それにオウギワシさんも。色々と手を尽くしてくれたおかげで中学最後の大会に臨む事が出来ます。」

「いえ!キンシコウ先輩を全国に連れていくのが俺の夢ですから!」

 

 夢かあ。

 とキンシコウは想いを馳せる。

 一体自分の夢は何なんだろう。

 トレーナー。体育教師。そのどちらもずっと自分の夢だと思ってきた。

 けれど今この段階でどこか違和感のようなものを感じずにはいられなかった。

 おっと、いけない。

 今から大会だというのに邪念は禁物だ。

 キンシコウは自分の顔を両掌でパチン、と打った。

 

「そういえば、団体戦のメンバーは私とオウギワシさん、ヘビクイワシさん、かばん生徒会長と…、あと一人は…。」

 

 その一人は遅れてやって来た。

 

「す、すんません。遅れました。道着探すのに手間取ってしまって。」

 

 やって来たのはエゾオオカミだった。

 1年C組エゾオオカミ。商店街の手伝いが忙しくて殆ど幽霊部員状態だったが空手部所属でもあった。

 

「エゾオオカミさん。来てくれてありがとうございます。」

「悪かったな。急に試合に出てもらう事になってしまって。」

 

 キンシコウもオウギワシもエゾオオカミに頭を下げる。

 

「いやいや!?こっちこそ練習に殆ど参加できなくて申し訳ないと思ってるッス!?それに、今日はどっちにしたって応援くらいはさせてもらうつもりでしたッスから!?」

 

 さすがに先輩二人に頭を下げられてはエゾオオカミもしどろもどろにならざるを得ない。

 変な敬語になってしまっているが本人はそれに気付かずにいた。

 

「あ。今日は同じチームですね。よろしくお願いします。」

 

 と挨拶してきたのはかばんだった。

 エゾオオカミも、このかばんという生徒会長がクロスシンフォニーだというのは聞かされていた。

 とはいえ、その実力を目の当たりにしたわけではない。

 優し気な雰囲気の彼女が空手…、ましてセルリアンと戦って来ただなんてニワカには信じがたい。

 そんな疑問を持つエゾオオカミだったが、サーバルに後ろからポンと背中を叩かれる。

 

「大丈夫大丈夫!かばんちゃんはすっごいから!」

 

 そんな言葉にもこの自信は一体どこから来るのだろう、と不思議に思わざるを得ないエゾオオカミ。

 何はともあれ役者は揃った。

 

「じゃあ、空手部は出発しますよー。」

 

 引率の教師の言葉にいよいよ緊張が高まって来た。

 いよいよ空手部の大会も幕を開けようとしていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥武道館。

 ここも様々な競技に対応できる上に、音楽イベントなども行える多目的な施設である。

 昨日はここで剣道部の地区大会が行われた。

 今日は空手部の大会である。

 早速、会場へ乗り込んだセルシコウはワクワクしながら周りを見渡す。

 歩き方、纏っている雰囲気から強者はいないだろうか、と探してみるが、今のところ彼女のお眼鏡にかなうだけの猛者は見つからない。

 期待しすぎもよくはないか、とセルシコウは会場の更衣室で着替えて対戦組み合わせ表を見に行く。

 既に大会登録は済んでおりあとは大会が進むのを待つばかりだ。

 

「(さて、こちらの世界のキンシコウも会場に来ているはずですね。)」

 

 セルシコウはもう一度周りを見渡して、キンシコウを探す。

 彼女が強者であろうとなかろうと、こちらの世界のキンシコウがどのような人物なのか興味はあった。

 願わくば自分に敵う者であればいい。

 そう思っていたセルシコウはとうとうキンシコウを見つけた。

 道着を隙なく着こなして所作にも無駄やブレがない。

 

「(……いいじゃないですか。)」

 

 セルシコウはぶるり、と身震いした。

 正直甘く見ていた。

 こちらの世界は平和でヒトもフレンズも一部の例外を除いて戦いに身を置くような事はないらしい。

 そんな環境で育つ戦士とは如何ほどの者かと心のどこかで見下していた。

 そんな思いはキンシコウを見た瞬間に吹き飛んだ。

 知らず、セルシコウはキンシコウの方に歩みを進めていた。

 と、あちらのキンシコウも気が付いたようだ。

 親族以外で同種のフレンズは珍しい。その表情にわずかばかりの驚きが見える。

 

「こんにちわ。私は色鳥東中学校のセルシコウと言います。」

 

 チームメイトらしいヒトやフレンズに囲まれる彼女にまずは挨拶をする。

 やはり同種のフレンズであることに驚いているらしい彼女達が何と返していいのか分かっていない間にセルシコウは短く続けた。

 

「決勝で会いましょう。」

 

 さっきチラと見た対戦表には彼女達の学校の名前はなかった。

 という事は別ブロックだったりするのだろう。

 ならば彼女達と当たるのは決勝戦だ。

 

―クルリ。

 

 と踵を返すセルシコウ。

 返事は必要ない。

 宣戦布告はもう済んだのだから。

 きっとキンシコウとは戦う運命にある。

 その確かな予感がセルシコウにはあった。

 

「あー……。その……。」

 

 戸惑うようなキンシコウの声を継ぐようにオウギワシがキッパリと言った。

 

「いや…。俺達はお前とは絶対当たらないぞ。」

「な、なんでですか!?」

 

 あまりと言えばあまりの言葉にセルシコウは再び振り返り直った。

 

「ええとその…。」

 

 言いづらそうにキンシコウは対戦表を指さす。

 対戦表は二つに分かれていた。

 組手の部と形の部の二つに。

 二つの部はまったくの別部門だ。

 そして、セルシコウのチームは組手の部に名前があり、キンシコウのチームは形の部だ。

 いくらお互いが勝ち進んだところで決して対戦する事はない。

 

「あの……。私たちジャパリ女子中学は形の部だけの出場で組手はしないんです。」

 

 申し訳なさそうに言うキンシコウにセルシコウはもう一度対戦表を見て、もう一度キンシコウ達を見て、それを三度繰り返した。

 それが終わってから開いた口が塞がらない様子のセルシコウに全員で重々しく頷いた。

 ただ一人、マネージャーらしい猫科の大きな耳を持ったフレンズだけが状況がよくわかっていなかったのか、セルシコウとチームメイト達をキョトキョトしてから言った。

 

「うん!決勝であおうね!」

「さ、サーバルちゃんっ!?」

 

 慌てて黒髪の女の子が猫科の子の口を塞いだが一歩遅い。

 セルシコウは真っ赤になると両手で顔を覆った。

 

「こ、これで勝ったと思わないで下さいねっ!?」

 

 あまりのバツの悪さにセルシコウはその場を逃げ出した。

 

「面白い子でありますな。」

 

 と見送るヘビクイワシに全員が頷く。

 

「っていうかアイツ何をやってるんだよ…。」

 

 ただ一人、エゾオオカミだけはセルシコウがセルリアンフレンズだと知ってはいたのだが、あまりの場面にすっかり毒気を抜かれてしまった。

 懐に入れていた“リンクパフューム”もどうやら出番はないらしい。

 

「どうするかな…。」

 

 エゾオオカミは考える。

 セルリアンフレンズ達が商店街を危ない目に遭わせた事は今でも許せない。

 けれども、ちょっとくらい話をしてみてもいいんじゃないだろうか。

 きっと彼女とはこの大会の最中に話をする機会くらいあるんじゃないだろうか。

 さて、そうしたら最初の挨拶は何にしようかな。

 

「決勝じゃないけど会いにきたぜ、とか…?うん。いいかもな。」

 

 ほんの少しのイタズラ心と共にほくそ笑むエゾオオカミだった。

 

 

 

―中編へ続く。

 

 





【クロスハート変身フォーム紹介:人面魚フォーム】
パワー:B スピード:C 防御力:B 持久力:B
特徴:水中活動
必殺技:魅惑のイリュージョン

 人面魚のフレンズであるコイちゃんの力を借りた変身フォーム。
 頭にはエラやヒレと共に黒髪がわずかな毛並みの違いで綺麗な模様を描いている。
 お尻からは尾びれが伸びている。
 そして、ホラー調のお面を横向きにつけているが、一番の特徴はその衣装だ。
 白地に水を思わせる黒の模様の入ったミニ浴衣を着ているのだが、それを肩まで着崩した状態なのだ。
 下にワンピースタイプの水着を着ていなかったら何かと危なかったかもしれない。
 必殺技は敵に幻覚を見せる『魅惑のイリュージョン』だ。
 さらに実体を伴う2体の幻を作り出す事も出来る。その際には赤毛に赤い浴衣のクロスハートと浅黄の毛並みに浅黄模様の浴衣のクロスハートが現れる。
 そしてこのフォームにはもう一つ隠された能力がある。
 後述のエクストラフォーム、セイリュウフォームへと変身できる能力がある。


【クロスハート変身フォーム紹介:セイリュウフォーム】
パワー:A スピード:B 防御力:C 持久力:E
特徴:水操作
必殺技:ドラゴンフォール

 人面魚フォームから変身できるエクストラフォーム。
 アオイとコイちゃん二人の力を借りた変身フォームである。
 水色の髪をツインテールにしており、長い龍の尻尾が特徴だ。
 青色のノースリーブにしたブレザーに白のネクタイをつけて、下は水色のミニスカートと同じ色のニーソックス。
 水を自由に操る能力がある。
 必殺技は大量の水を龍のように相手に巻き付けて地面に叩きつける『ドラゴンフォール』だ。
 セイリュウフォームへは人面魚フォームからしか変身できず直接変身する事は出来ない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話『拳に賭ける夢』(中編)

 ジャパリ女子中学校空手部はやはり弱小だったか。

 会場の他校は最初そう思っていた。

 メンバーには初心者を示す白帯が二人もいて、しかも一方は1年生だ。

 近年、徐々に力をつけて来たと思っていたものの、これは今年も予選敗退確定か、と。

 それは形の部、団体予選開始直後も変わらなかった。

 

「よし。エゾオオカミ。別に間違えたっていいから思いっきり行ってこい。」

「お、押忍ッ。」

 

 ジャパリ女子中学先鋒は白帯1年生、イヌ科のフレンズのようだ。髪の短い鳥のフレンズに送り出される。

 通常、団体戦の先鋒はチームに勢いをつける為にも実力者を配置する場合が多い。

 それがまさか白帯1年生とは。

 随分緊張しているようだが大丈夫か、と見守る観客達。

 

「平安初段っ!」

 

 予選は空手の形の中でも最も基礎的な演武である平安初段というものを行う。全員が同じ形だ。

 手順として最初に形の宣言を行い、続けて演武に入る。

 エゾオオカミと呼ばれたフレンズは緊張しながらも形を行う。

 まずは受けからの正拳突き。

 体裁きからの受けて正拳突き。

 踏み込んで受ける、さらに踏み込んで正拳で突く。

 最も基本的な形だけにこれの繰り返しになるのだが意外にも難しい。

 何せ、手順を間違えると元の立ち位置には戻らない。

 なので、素人目にも失敗したかどうかは一目瞭然になってしまうのだ。

 しかし、エゾオオカミはしっかり規定通りの技をこなして会場から拍手が起こる。

 白帯1年生にしてはよくやった。形をしっかり覚えているだけ大したものだ。そういった感情のこもった拍手だった。

 

「よくやったな、エゾオオカミ。ちゃんと家でも練習してたんだな。エライぞ。」

 

 戻って来たエゾオオカミにオウギワシは手放しで褒めた。

 形をなぞっているだけでお世辞にもよい演武とはいえなかったが、それでもあそこまで褒めている辺り、ジャパリ女子中学空手部はやはり弱小なのだろう。

 後に観客達は知る事になる。

 エゾオオカミを他のどこに置いても大きく見劣りしてしまう事を。

 

「さて。それじゃあちょっと会場の空気を入れ替えてくるぜ。」

 

 言いつつ次に出て来たのはその短髪の鳥のフレンズ、オウギワシだ。

 そこから会場の空気が変わった。

 次鋒のオウギワシの演武は力強かった。

 余計な力みもないのにしっかりとした止めで繰り出す払い、受け、そして突き。どれもが力強い。

 見ていた他校の女子生徒からも「あの子、カッコよくない?」という声がチラホラ聞こえてくる。

 オウギワシの演武が終わった後の拍手は先程とは違う感情がこもっていた。

 

「よっしゃ。ヘビクイワシ。次は任せたぜ。」

「ええ。任せてくれてかまわないのでありますよ。」

 

 続けての中堅。ヘビクイワシの登場に会場の女子生徒はさらに色めき立つ。

 長い銀髪の涼しげな美人。

 密かにファンクラブだってあるくらい人気のヘビクイワシなのだ。登場からして会場の反応が違った。

 そして演武の反応はそれ以上だった。

 ヘビクイワシの形を見た者の感想は誰もが同じで、綺麗、だった。

 それは足捌きの流麗さが主な要因だ。踏み込みはもちろん力強いけれど、その足運びはむしろゆっくりで長い脚もあいまってすごく綺麗に見える。

 基本的な形なので得意の足技はないが、足捌きと体裁きだけで観客を魅了してしまった。

 演武を終えたヘビクイワシには黄色い声援まで飛んでくる始末だった。

 

「さて、次はかばん君でありますが…。」

「あはは…。頑張ってみます。」

 

 ヘビクイワシとバトンタッチして登場するのは今度は黒髪でやや癖っ毛の女の子だった。

 こちらは白帯。副将で箸休めだろうか、と見ている観客達もほっと一息。

 ハッキリ言ってオウギワシとヘビクイワシでお腹いっぱいだ。

 なのに、主将のキンシコウが大将に控えている。ジャパリ女子中学のオーダーの配慮に感謝する観客達。

 マネージャーらしいサーバルキャットのフレンズが「がんばれー!かばんちゃーん!」と大きな声で声援を送っているのも何だかほっこりさせられる。

 初心者らしいし、形を間違えないといいね。とむしろ応援する気持ちで見守る観客達だったが、演武が始まるとそれは一変した。

 形の宣言を行い、集中する為に一度目を閉じて深呼吸するかばん。

 その眼が

 

―カッ

 

 と開いた瞬間、見ていた観客達も一斉に圧を感じていた。

 かばんと呼ばれた黒髪の女の子が放つ技の一つ一つが仮想の敵に対して振るわれている。

 受けは確かに敵の攻撃を受け流し、裂帛の気迫と共に繰り出される突きは確かに仮想の敵を倒していた。

 見ている者もかばんが相手する仮想の敵を幻視する程だった。

 観客達は一様に思った。

 

「(なんてものを見せるんだ!?)」

 

 と。

 形を終えて一礼し自陣に引き上げる黒髪の女の子。仲間達と演武成功を笑顔で喜びあっている。

 先程までの気迫が嘘のように演武開始前と同じ可愛い笑顔だった。

 だが観客達の気持ちは一つだった。

 

「(今更可愛く戻ってもダメだからね!?)」

 

 ちなみに、かばんはこの形を昨日の夜、動画を見ながらサーバルと一緒におうちの庭で練習したらしい。

 

「かばんちゃんが一晩でやったんだよ。」

 

 と誇らしげにしているサーバル。

 

「まあ…。かばん君でありますからな…。」

「ああ…。生徒会長だからな…。」

 

 と、先程見事な演武を見せたヘビクイワシとオウギワシもどう反応したらいいか困り気味であった。

 ある程度はやってくれるだろうと思っていたけれど、予想以上過ぎて引きつった笑みしか出てこない。

 で、エゾオオカミだったが、彼女はかばんがクロスシンフォニーだ、という確証をようやく得たらしい。

 心の中で、疑ってごめんなさい、と謝っていた。

 そんな興奮冷めやらぬうちに、登場するのは大将キンシコウである。

 他のみんなと同じように形の宣言を行うと、場内は水を打ったように静まり返った。

 そこから始まる演武はまさにお手本のようだった。

 無駄もなければブレもない。

 余計な力みはないが、力を入れるべき部分には全てしっかりと力が漲っている。

 そして、ピタリと重心の定まった動きは力強くも、流れるように見える。

 流麗さも、力強さも兼ね備えた演武だった。

 全ての技を終えて一礼するキンシコウに会場からは最初、セルシコウだけが拍手を送っていた。

 拍手を忘れる程に演武に見とれていたのだ。

 やがてセルシコウの拍手につられるようにまばらな拍手が鳴り始めて、キンシコウが退場する頃には会場中に拍手の嵐が鳴り響くのだった。

 

「やはりキンシコウ…。私の見立てに狂いはありませんでした…!手合わせしたい…!絶対したい!」

 

 自陣に戻るキンシコウを見つめるセルシコウの目はキラキラを通り越してギラギラしていた。

 もう我慢ならないと言いたげに両手の拳をぶんぶん振っている。 

 残念ながらこのセルシコウにツッコミを入れてくれる者はいなかった。

 観客たちはそれぞれにジャパリ女子中学の演武に魅入ってしまっていたのだから。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結局、ジャパリ女子中学空手部は2位で決勝進出が決まった。

 当初予選敗退が予想されていたのが、今や優勝候補だ。

 決勝はそれぞれに得意形で相手との優劣を競う。予選では選手全員の総合得点で順位が決まるが、決勝では相手との白星の数を競う。

 予選こそ初心者のエゾオオカミがいたおかげで何とか勝利できた相手校も決勝はどうしようと頭を抱えていた。

 それはともかくとして、大会プログラムは続けて組手の部に移行していた。

 組手の予選の後に形の決勝となる予定だ。

 組手の部出場の選手達がそれぞれにアップを始めていた。

 ところが…。

 

「キンシコウー。お願いですから手合わせしましょうよぉ。」

「セルシコウさん…。いいからちゃんと準備運動しておかないと怪我しますから…。」

 

 なんでキンシコウがセルシコウのアップを手伝っているのか…。

 形の部予選が終わってからセルシコウはこの調子だった。ずっとキンシコウに纏わりついて離れない。

 仕方なしにキンシコウはセルシコウの柔軟体操を手伝っていた。

 

「でもセルシコウさん、身体柔らかいですねえ。」

「ええ。柔軟性は技を極める上で重要ですから。」

 

 そんな二人はまるで猿の毛づくろいでも見ているようでほっこりさせられる。

 

「そうだ。じゃあこうしましょう。次の私の試合、見てて下さい。」

 

 いいことを思いついた、というように手を打つセルシコウ。

 まあ、そのくらいならいいか、とキンシコウも頷きを返した。

 

「きっと貴女も手合わせしたくなるような試合にしてみせますから。」

 

 そこまでの自信とは…。一体どれほどの実力か、とキンシコウの興味もそそられる。

 柔軟体操を手伝っているときにセルシコウの鍛えられた身体が持つ強靭さと柔軟性はよくわかった。

 それに見合うだけの技も兼ね備えているのだとしたら、確かに言うだけの事はあるだろう。

 そんな事を考えているとセルシコウはパッと離れてチームメイトの元に戻って行く。

 どうやら彼女の出番が近いらしい。

 色鳥東中学の空手部主将が何度もキンシコウに頭を下げていた。

 きっとチームメイトが迷惑を掛けたと申し訳なく思っているのだろう。

 キンシコウは気にしないで、と軽く手を振ってから「ご健闘を。」と色鳥東中学を送り出す。

 組手の部は拳サポーターや防具をつけて相手と組手を行う。

 多くの人が空手の試合と聞いて思い浮かぶのはこちらだろう。

 相手を打ち倒す事よりも有効打を打ち込むのが主眼になってくる。

 なので、どの選手もフットワークを活かしてスピードを乗せた一撃で小突く、という試合展開が多い。

 

「先鋒前へ!」

 

 どうやら色鳥東中学校の先鋒がセルシコウらしい。

 先程も言ったが、先鋒はチームに勢いをつける為に実力者を配置するのが定石だ。

 特に5人団体戦では先鋒の勝利は重要だ。

 なんせ、先に3勝すれば勝利確定なのだ。先に1勝をとれるのは精神的にも大きく優位に立てる。

 それを任されるセルシコウの実力は推して知るべしである。

 セルシコウは開始位置で相手と一礼を交わし合うとピタリ、と構えをとった。

 腰を落としたドシリとした構えは組手の定石とは外れる。

 対して相手の選手は定石通りにフットワークを活かしてまずは様子見から入った。

 突っかけると見せかけて急停止。しかしセルシコウはそんなフェイントには微動だにしない。

 焦れた相手選手はついに一撃を繰り出した。

 セルシコウに向けて正拳突き。敢えて体重を乗せず戻しを重視した拳だ。

 通常の空手の試合ではこうした技が主体になってくる。その方が受けられたりした際にも体勢を崩さないし、素早く戻して次の一撃を繰り出す事だって出来る。

 けれど…。

 

「(つまらない。)」

 

 セルシコウはその一撃を払い受けで流した。

 相手選手もそれは想定の範囲内だ。すぐに戻して次の一撃を繰り出そうとした…、が。

 その戻しと同時にセルシコウは一歩を相手に向けて踏み込んだ。

 これは格好のチャンスだ、と相手選手はほくそ笑んだ。片手はまだ戻している最中だが逆の腕で正拳突きも可能だし、前蹴りで迎撃してもいい。

 もらった、と繰り出した逆の腕での正拳突きは、しかしセルシコウが軽く頭をずらした事で空振りに終わる。

 さらにもう一歩を踏み込んだセルシコウは相手選手とほぼ密着状態となった。

 ここから繰り出せる技なんてあるのか。

 見ていたキンシコウも疑問に思わざるを得なかった。

 けれど、セルシコウは相手選手の胴にそっと拳を当てるようにしてさらに踏み込む!

 

「まさか!?」

 

 キンシコウもその技には心当たりがあった。

 ほぼゼロ距離から放つ一撃。寸勁、寸打、ワンインチパンチ。色々な呼ばれ方があるがいずれにしても強力な技だ。

 たとえ防具をしていても、それを徹して衝撃を相手の身体に叩き込む技のはずだ。

 これはいけない、とキンシコウは肝を冷やす。

 

―パァン!

 

 とセルシコウの拳が相手選手の防具を打つ快音が響いた。

 けれど、相手選手はその音でようやく打たれた事に気が付いた様子だった。

 特にダメージがあるようには思えない。

 チラリ、と審判の方を見るセルシコウ。

 今のは有効打として認められないのか、と視線で問う。

 そうされてからようやく主審は…。

 

「一本!それまで!」

 

 とセルシコウの一本を認めた。

 今のはセルシコウがわざと音だけを鳴らして相手の身体に衝撃を伝えないように手加減したのだろう。

 そこまでこの技をコントール出来る者をキンシコウは知らない。

 ペコリと一礼をして自陣に引き上げるセルシコウとキンシコウの目が合った。

 

―ドクン。

 

 とキンシコウの胸が高鳴る。

 この感覚はあの日、生徒会長と対峙した時と似ている。

 目の前に強い敵がいる。

 きっと己の持つ技全てを以てしても倒せないような敵が。

 ぶつけてみたい。自分の技を。

 キンシコウもまた我知らず、先程のセルシコウと同じ目をしていたのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 組手の部も予選が終了した。

 やはりセルシコウを擁する色鳥東中学校は予選通過、決勝トーナメントへと駒を進めた。

 今は軽い小休止だ。

 試合会場を整えた後、形の部から決勝戦を行う事になる。

 会場の清掃作業をしようと会場管理員は清掃用具を入れたロッカールームの扉を開く。

 清掃用具を持って戻ろうとした時、妙な一団とすれ違った。

 空手道着に身を包んだ一団だ。

 それだけなら大した事はない。なんせ今日は中学生の空手大会だ。道着姿で歩く者くらい珍しくない。

 ただ、それが頭が瓦だったり防具の面だったりはたまた雄牛の頭をした者だったのなら話は別だ。

 妙なコスプレだなあ。と思っていた管理員である。

 何かパフォーマンスなんて予定されていただろうか。

 まあ、いずれにせよさっさと清掃を済ませてしまわないといけない。

 あまり待たせて大会プログラムに支障を来すわけにはいかないのだから。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 会場内の小休止では…。

 

「あの…。よかったらこのタオル使って下さい。」

「出来たら一緒に写真を…。」

 

 とヘビクイワシが他校の女子生徒に囲まれていた。

 

「おいおい。悪いが集中が途切れてしまうから後でな。」

 

 と、そんな女子生徒達をあしらうオウギワシ。

 オウギワシとヘビクイワシが並び立つ姿を見た女子生徒達はそれはそれで騎士とお姫様みたい、と勝手に盛り上がってから退散した。

 

「ヘビクイワシ。人気だな。」

「ああ。オウギワシ君に渡してくれと頼まれた手紙もあるのでありますよ。」

 

 はい、とヘビクイワシはオウギワシにハートマークのシールで封がされた封筒を渡す。

 そうしてから、さっきのお返しとばかりに

 

「オウギワシ君。人気でありますな。」

 

 とニヤリとするのであった。

 ちなみに、かばんはサーバルと一緒に二人の空間を形成していたので割って入れる者がいなかったようだ。

 そして、一方のエゾオオカミはセルシコウを探していた。

 さっきの試合もそうだったが、以前に戦った時もセルシコウは最小限の攻撃しかしていなかったような気がする。

 彼女達セルリアンフレンズはただ単に敵と一言で片づけてしまえるような存在ではないように思えて来ていた。

 こうなるとエゾオオカミもセルシコウに対して随分と興味が湧いていた。

 彼女達は一体何が目的なのだろうか。

 そう思ってセルシコウを探していると、ちょうど一人でいるようだった。

 チャンスか、とそちらに近づくエゾオオカミ。

 

「ようセルシコウ。ちょっと聞いてもいいか。」

 

 と声を掛けてみたが、セルシコウは一体誰なのか分からない様子でしばらく考え込まれてしまった。

 

「商店街の路地裏で会っただろう。お前らがガチャガチャの機械をセルリアンにした時だ。」

 

 一度周りを見渡してから近くに誰もいないのを見計らって、なるべく小声で言うエゾオオカミにセルシコウはようやく思い至った顔になる。

 さて、このフレンズは何が目的で話しかけて来たのか、と訝しむ。もしや自分の正体をバラすつもりだろうか。

 

「そんな怖い顔すんなよ。取り敢えず話がしたいだけだ。」

 

 どうやら、懐のセルメダルを今すぐに使う必要はなさそうだ。

 そう判断したセルシコウは取り敢えずエゾオオカミに向き直る。

 

「そもそもあなたは誰でしたっけ?」

 

 残念ながらセルシコウの中でエゾオオカミの印象はあまりに薄かった。

 商店街の路地裏で一度会った以外は、この大会中でもあまり目立ってはいない。

 

「あー…。ええと…。何て言ったらいいかな…。あの公園で戦っただろう。」

 

 そのエゾオオカミの言葉にまたもセルシコウは考え込む。

 あの公園でセルシコウが戦った、という人物には3人程心当たりがある。

 その3人の人物はいずれも同じ名前を名乗っていたはずだ。

 つまり…。

 

「も、もしかしてクロスハーt……!?」

「しっ!?声大きい!?」

 

 慌てて自分の口元に指を立てるエゾオオカミにセルシコウも自分の口を両手で覆ってコクコクと何度も頷いた。

 しかし、これで少しは安心できた。

 目の前のフレンズはどうやらセルシコウの正体を糾弾しに来たわけではないらしい。

 それだったら、わざわざ自分の正体まで明かす理由がないからだ。

 

「あと俺の名前はエゾオオカミな。ったく。キンシコウ先輩しか目に入ってねえんだもんな。」

「そんな事はありませんよ。かばん、という子とも手合わせしてみたいですし、ヘビクイワシとオウギワシの二人ともよい勝負が出来そうだと思ってました。」

 

 どっちにしたって自分は眼中にないじゃねーか、と苦笑するエゾオオカミ。

 それはそれで悔しいが、今はそれは問題じゃない。

 

「聞きたかったのはな。お前らセルリアンフレンズが一体何をしたいのか、って事だ。」

 

 エゾオオカミは真っ直ぐにセルシコウの目を覗き込む。

 セルシコウも少しばかり考えた。

 相手はわざわざ正体を明かしてまでこちらに話をしに来た。

 つまり彼女はコチラに敵意だけではない何かを持って来てくれたのだろう。

 セルシコウは応じるべきだ、と判断して口を開く。

 

「私たちは、この世界の“輝き”を永遠にしたい。その為に来ました。」

「“輝き”を永遠に?」

 

 エゾオオカミには言っている事が抽象的過ぎてよくわからない。

 “輝き”というのは何となくわかる。

 ただ、それを永遠にするというのはどういう事か。

 

「ええ。“輝き”は生まれても短い時間で消えてしまいます。ですが、それを保全する事で輝き続けられるのだとしたら。」

 

 セルシコウの言葉をエゾオオカミは考える。

 “輝き”はつまり、人が生きていく中で生み出した想いだ。

 嬉しいや楽しいや情熱を傾けたもの、それが“輝き”になる。

 

「なあ…。それってどうやって保全するっていうんだ。」

 

 エゾオオカミにはその方法はわからなかった。

 

「その方法が、これ。“セルメダル”です。」

 

 セルシコウは懐から一枚の“セルメダル”を取り出す。それにはエゾオオカミが出会った事のないセルリアンの姿が刻まれていた。

 

「“輝き”を取り込んだセルリアンを生み出して、そしてそれを倒して“セルメダル”にする。“セルメダル”から再び“輝き”を再現する。そうする事で私達はこの世界の“輝き”も保全するつもりだったんです。」

 

 エゾオオカミはゴクリと固唾を飲む。

 正直、何を言っているのかよくわからない。目の前の相手と話は出来る。なのに話が通じない。そんな感覚に陥る。

 もしかしたら“教授”あたりなら話を理解出来るのかもしれない。今度聞いてみよう。

 そう思うエゾオオカミだったが、一つだけ合点が行った事がある。

 それは彼女達セルリアンフレンズが自ら生み出したセルリアンを倒すという一見するとちぐはぐな行動をとっている理由だ。

 彼女達の目的はセルリアンを倒す事で作り出す“セルメダル”を集める事だったのだ。

 そこまでを考えてエゾオオカミは一つ気が付いた。

 それはセルシコウが背にしていた入り口の扉が開いた事だ。

 大きな観音開きの扉が、ギィ、と小さく開いた。

 それだけなら別に構わない。

 だが、そこから顔を出したのが頭が瓦で出来た一つ目小僧だったのなら話は別だ。

 

「うへぇ!?」

 

 エゾオオカミは驚き素っ頓狂な声を出してしまった。

 その間にセルシコウも扉の前から飛び退いている。

 二人にはわかる。それはセルリアンだ。

 

「な、なんでこんなところに…。」

「ってお前が出したわけじゃないのかよっ!?」

 

 戸惑うセルシコウの様子からは彼女がこのセルリアン達と無関係である事が伺い知れた。

 そうしている間に、瓦頭のセルリアンはヒョイと会場内に入って来た。

 それは空手道着を着た人と同じ形をしたセルリアンだった。

 手足の部分が拳サポーターや脛当てなどの防具で出来ている

 それは一体だけじゃなかった。

 瓦頭のセルリアンの後ろからは防具の面を頭にしたセルリアン、牛頭のセルリアンと次々会場内に入ってくる。

 そいつらはズンズン進んで試合会場の中央にまでやって来た。

 そんな目立つ事をすれば当然会場中の注目を集めた。

 見かねた審判の一人が注意しようとその一団に近づく。

 

「こら、キミ達。今は休憩中とはいえ悪ふざけが………。」

 

 その言葉は最後まで言えなかった。

 一番身体の大きな牛頭のセルリアンが自分の身体の中に審判を取り込んだからだ。

 

―トプン。

 

 と、まるで水の中に沈められたように牛頭セルリアンの身体に取り込まれた審判の男性。

 しばらくもがくようにしていたが、どんどん力なくなっていく。

 そこに至って、ようやく会場はこの異常事態に気が付いた。

 

「きゃぁああああああっ!?」

 

 女子生徒の悲鳴を皮切りに会場はパニックに陥った。

 エゾオオカミはセルリアン達が入って来た観音開きのドアをもう一度大きく開いて叫ぶ。

 

「落ち着け!落ち着いて外に出ろ!」

 

 いち早く道を示した事で会場のパニックに歯止めがかかった。

 他の大会運営の大人達もエゾオオカミに倣って会場のドアを開け放ち生徒達を外へ誘導しはじめる。

 だが、セルリアンに取り込まれてしまった男性はどうしたものか。

 誰が彼を助けられるというのだろう。

 会場の大人達が迷っているうちに真っ白な帯と黒いちょっと癖っ毛の女の子が牛頭の化け物に近づいていた。

 

「あ、あぶないぞ!キミ!」

 

 その癖っ毛の女の子は牛頭の身体に手のひらを押し当てると、

 

―ズダァアン!

 

 と大きく音を立てて震脚を踏む。

 それは先の試合でセルシコウが見せた技と同じ、寸勁や寸打やワンインチパンチと呼ばれるものだった。

 衝撃を徹された牛頭の身体から、取り込まれた男性が背中側に飛び出そうとした。

 彼女は確か、ジャパリ女子中学の副将…、かばんという名前の女の子だったはずだ。

 その子がただ一人、牛頭の身体の中に取り込まれる審判の男性を救いに行ったというのか。

 だが、惜しくも審判の男性は完全に外へ逃れるに至らなかった。

 手足がまだ牛頭の化け物に取り込まれたままだったのだ。

 ちょうど引っかかるようにして力なく垂れさがる審判の男性。

 彼を助け出すにはもう一撃が必要だ。

 

「ブモォオオオオオオオッ!」

 

 一撃を受けた牛頭の化け物は怒りの咆哮をあげて、かばんに向けて正拳突きを放とうとした。

 が、その一撃が届く前にまたも…、

 

―ズダァアン!

 

 と震脚を踏む音が響く。

 さらに追加でもう一発、牛頭の化け物に寸勁を叩き込んだのは…。

 

「キンシコウ先輩!」

 

 それはジャパリ女子中学空手部主将のキンシコウだった。

 二発目の寸勁によって再び衝撃を徹されたセルリアンはとうとう取り込んでいた審判の男性を背中から吐き出した。

 そこに無造作とも言える足取りで近づいたのは色鳥東中学校のセルシコウだった。

 床に倒れ込む男性を拾い上げると他の大人のところまでこれまた無造作に歩いて渡してしまう。

 あまりにも自然な動きで、不自然な事をしたはずなのにセルリアン達まで含めて誰もがポカン、とそれを見送ってしまった。

 

「急いでこちらの方を連れて外へ。」

 

 短く言うセルシコウに大人達は何度か頷くと避難誘導を再開した。

 ところが、今度は先程男性を救ったかばんとキンシコウが瓦頭やら面頭やらの化け物に取り囲まれているではないか。

 彼女達も助けなくては、と大人達が迷っていると、その本人達が叫んだ。

 

「早く外へ!」

「はい、ボク達なら大丈夫ですから。」

 

 言いつつキンシコウとかばんの二人は背中合わせでピタリと構えを取る。

 まるで映画のワンシーンのような光景に一瞬我を忘れそうになる大人達だったが、その姿にしばらく任せても大丈夫そうだ、と避難誘導を続ける事にした。

 まずは生徒達を外へ。その後で警察に通報して助けを呼ぼう。

 どのくらいの時間がかかるかはわからないが、助けが来るまで彼女達なら大丈夫だと信じるしかない。

 大人達は自分達の無力さに唇を噛み締めると、最善の行動をとるべく動き始めた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 それから数分の後である。

 色鳥商店街前交番にも危急を報せる通信が入った。

 

『繰り返す…。色鳥武道館に不審者が乱入。付近の警官は直ちに現場へ急行せよ。不審者の特徴は空手道着に仮面で顔を隠した……。』

 

 ついぞ鳴った事のない緊急無線にハクトウワシは顔を青くした。

 

「セルシコウ……!」

 

 今日は色鳥武道館で中学生の空手大会が開かれていたはずだ。そしてそこにはセルシコウが参加している。

 昨夜あんなにも大会を楽しみにしていたセルシコウの顔を思い出したハクトウワシは、いてもたってもいられず交番の前に停めていた警邏用自転車に飛び乗ろうとした。

 

「待て。ハクトウワシ君。」

「止めないで下さい、ヤマさん。」

 

 いつになく鋭い眼光のヤマさんにもハクトウワシは身じろぎすらせず反論した。

 確かに、こんな小さな交番では出来る事はたかが知れている。現場に急行したところで何か役に立てるかなんてわからない。

 もしかしたら待機しておく方が賢いのかもしれない。

 それでも、例えヤマさんの命令であったとしてもセルシコウを放っておく事なんて出来るはずがない。

 

「誰も止めやせんよ。ただ、準備くらいはしっかりしていけ。」

 

 ヤマさんは言いつつ手早くハクトウワシに防刃ジャケットを着せた。

 そして金庫を開けると中に納められていた実弾5発を握らせる。

 

「ハクトウワシ巡査。弾丸装填。」

 

 普段は拳銃に実弾を込める事はしない。

 警官の拳銃はシンボルのようなもので実際に使われる事など殆どないからだ。

 実際今までこの交番でも拳銃を使用した例などない。

 だが、ヤマさんは今は実弾装填に値する事態だと判断した。

 

「どうした?ハクトウワシ巡査。弾丸装填だ。」

 

 ハッとしたハクトウワシは「弾丸装填。」と命令を復唱してから腰の回転式拳銃を抜いて弾倉に弾を込める。

 警察に配備されている拳銃は5発装填可能な38口径のリボルバーだ。

 海外留学の経験があるハクトウワシはもっと大きな口径の拳銃だって撃った事があるけれど、今日はいつにも増して拳銃が重い。

 

「ハクトウワシ巡査。我々警官の仕事は市民を守る事だ。」

 

 真剣な顔で言うヤマさん。情にかまけてセルシコウだけを優先するな、と言いたいのだろう。

 

「けど、セルシコウちゃんも市民の一員だ。しっかり守ってやるんだよ。」

 

 ついでにまた彼女のお弁当が食べたいし、と付け加えるヤマさんの表情はいつも通りだった。

 まったく厳しい事だ、とハクトウワシは苦笑する。

 警官ならばセルシコウも含めた市民全員を守ってこいと叱咤されたのだ。

 

「さ。セルシコウちゃんが待っている。行っておいで。儂も後から追いかけるから。」

 

 ヤマさんに促され、ハクトウワシは敬礼を返すと今度こそ自転車に飛び乗った。

 しっかりと整備された自転車はハクトウワシにペダルを蹴られて一気にトップスピードへ。タイヤを軋らせながら走りだした。

 警邏中のパトカーなどがいない限りは、地理的に見て現場に一番近いのはハクトウワシだろう。

 だから一刻も早く駆けつけなくてはならない。

 

「お願いだから無事でいてよ…!」

 

 ハクトウワシは祈らずにはいられなかった。

 

 

―後編へ続く

 




【用語解説:シード】

 “シード”とはセルリアンフレンズ3人組が異世界から持ち込んだアイテムの一つである。
 見た目は真っ黒なビー玉であり、これを割る事でセルリアンを生み出す事が出来る。
 どんなセルリアンになるかは、憑りついた物に宿った“輝き”で千差万別となるが、マセルカは何となくそれが分かるらしい。
 もっとも、ドン・カラマリが当初期待していたよりも小さなサイズで、マセルカにまで襲い掛かってきたあたりを見るに予想の精度が高いわけではないようだ。
 “シード”は数に限りはあるようであるが、それでもセルリアンを自由に生み出せるアイテムは驚異となるだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話『拳に賭ける夢』(後編)

「ブモォオオオオオッ!」

 

 色鳥武道館では再び牛頭の化け物が怒りの咆哮をあげる。

 そして、自らの手でそのたてがみから数本の毛を引き抜くとそれを鼻息で吹き散らした。

 すると、なんとただの毛だったはずのそれはたちまち沢山の牛頭のセルリアンになってしまった。

 幸いなのは本体よりも二回りくらい小さく、かばんの胸元くらいまでの背丈しかない事だろうか。

 しかも動きが悪く、本体よりは強くなさそうだ。締めてる帯が白帯だし。

 それでもその数は驚異的だ。

 さらに悪い事にはその現れた小さな牛頭の分身体は四方八方に散って生徒達に襲い掛かろうとしているではないか。

 

「こ、このぉ!」

 

 牛頭の分身体は動きは大した事がない。

 それを見てとった空手部女子生徒の一人が反撃に出た。得意の正拳突きを牛頭の分身体へ叩き込むが…。

 

「へ?」

 

 その拳はまるで水を殴ったかのような手応えと共にズブリと牛頭の身体に突き刺さった。

 しかし、牛頭はダメージを受けたような様子もなく、むしろニヤリとしていた。

 

「ぬ、抜けないっ……!?」

 

 女子生徒は拳を戻す事が出来ず、それどころかどんどん牛頭に腕を引っ張られて身体に取り込まれていく。

 

「た、助けてっ!?」

 

 だが、逃げ惑う生徒達も大人達も彼女を助ける余裕はなかった。

 そして、かばんもキンシコウも試合会場中央でセルリアン達に囲まれたままだ。

 万事休すか、と女子生徒が諦めかけたその時…。

 

―パッカァーン!

 

 と女子生徒の腕を取り込もうとしていた牛頭が砕け散った。

 それを為したのは茶色のブレザーに同じ色の長い毛並みをしたオオカミのフレンズだった。

 

「あなたは…。」

 

 と呆ける女子生徒。

 

「あー…。こんな大勢の前で名乗るのは初めてかな。俺の名前はクロスアイズ。通りすがりの正義の味方さ。」

 

 エゾオオカミはまだ会場がパニックになっている間に観音開きの扉の影に隠れて一人先に変身を済ませていたのだった。

 未だ呆ける女子生徒を促してこの場から逃がす。

 

「さぁて。セルリアンども。散々好き放題してくれやがったな……!難しい事は取り敢えず置いといて…覚悟しやがれ!」

 

 そこからはクロスアイズの独壇場だ。

 次々に牛頭の分身体を撃破していく。

 一体、また一体と減っていく分身体だったが、多勢に無勢。

 四方八方で襲われている生徒達全てをカバーする事が出来なかった。

 

「きゃぁっ!?」

 

 今まさに、一人の女子生徒が二体の牛頭セルリアンの分身体に前後から挟み撃ちにされようとしていた。

 そんな彼女を救ったのは意外な人物だった。

 

「「せぇぇええい!」」

 

 気合の声を同時に響かせ、一人は得意の上段蹴り、もう一人は得意の正拳突きを牛頭の分身体に叩き込む。

 そのコンビはヘビクイワシとオウギワシだった。

 だが、ダメだ、とクロスアイズは声をあげようとした。

 先程と同じように拳と脚をそれぞれに取られてしまうのではないか、そう予想したのだ。

 けれどそうはならなかった。

 

―パッカァアン!

 

 と小気味良い音と共に二体の分身体はそれぞれに砕け散ってサンドスターの輝きに還る。

 

「な、なんで…?」

 

 クロスアイズは不思議だった。

 どうしてヘビクイワシとオウギワシの攻撃は通用したのか。

 そしてよくよく見れば、試合会場中央あたりで大量のセルリアンに囲まれながらも大太刀回りを演じるかばんとキンシコウの二人も隙を見てはセルリアンに反撃を加えていた。

 本体の牛頭や瓦頭や面頭を倒すには至らないが二人の攻撃もどうやらセルリアンにダメージを与えているらしい。

 しかも、自身を囲む牛頭の分身体くらいは次々倒している。

 それに…。

 

「うみゃみゃみゃみゃあー!!」

 

 一人制服姿のサーバルまでもがセルリアンを倒して他の生徒達を助けて回っていた。

 

「もしかして…、フレンズだったら攻撃が通じるって事か…!?」

 

 確かに他のヒトの生徒達は危うく腕や足を飲み込まれそうになっている者もいる。

 思わず反撃して逆に手や足を取り込まれそうになってしまったのだろう。

 彼女達とオウギワシやヘビクイワシ達の違いは一つ、フレンズかどうかだった。

 かばんはクロスシンフォニーだから例外として、ヒトの子達の攻撃は効いていない。

 

「(これが“教授”の言っていた防御機構ってヤツかよ!)」

 

 いつかのバースデーパーティの時、“教授”はセルリアンには防御機構があるというような事を言っていた。

 あの時は詳しく聞かずにいてしまったが、今目の前で起きている現象が防御機構とやらの仕業なのではないだろうか。

 そして、それはフレンズならばある程度突破できるらしい。

 多分、“教授”であればけものプラズムがどうのとか小難しい理屈を解説してくれそうだが、エゾオオカミにはよくはわからない。

 

「よくはわかんねーけど、そういう事なら……!」

 

 クロスアイズはヘビクイワシ達がカバーできない位置にいるセルリアンから優先して倒して回る事にした。

 その作戦は功を奏したようで、生徒達の避難はどんどん進んでいく。

 数の減ったセルリアン達にオウギワシもヘビクイワシも余裕が出て来た。

 まだ油断は出来ないが二人も背中合わせで周囲を警戒する。

 ヘビクイワシは状況を見渡してから背中のオウギワシに言った。

 

「オウギワシ君。キミは外へ。」

「は!?何言ってんだよ!お前やキンシコウ先輩達を残していけるわけないだろう!」

「外にこの化け物共がいないとは限らないでありましょう。オウギワシ君は外でみんなを守って欲しいのでありますよ。」

 

 言いつつもまた飛び掛かって来た牛頭の分身体を上段回し蹴りで蹴り倒すヘビクイワシ。

 

「お前はどうする気なんだ。」

 

 そのヘビクイワシの背中の隙をつこうとした牛頭の分身体に拳を叩き込むオウギワシ。さらに一体を倒しつつ訊ねた。

 

「私はまだやるべき事があるのであります。」

 

 チラ、と試合会場中央のかばんとキンシコウに目をやるヘビクイワシ。何か考えがあるらしい。

 だったらここは言う通りにするべきか、とオウギワシは判断した。

 

「わかった。なら無理すんなよ。」

「そちらも。」

 

 言いつつオウギワシとヘビクイワシはコツンと小さく拳をぶつけ合う。

 そうしてからオウギワシは他の人達が会場からいなくなったのを確認して外へ向かう。

 これで会場に残るのはサーバルとヘビクイワシ、それに変身を果たしたクロスアイズと相変わらず試合会場中央でセルリアン達に囲まれるかばんとキンシコウ、そしてその二人を見つめるセルシコウ。この6人だった。

 既に牛頭の分身体はあらかた倒されており残るセルリアンは牛頭の本体、瓦頭のセルリアン、防具の面頭のセルリアンである。

 

「さて、サーバル君。それにセルシコウ君、ええと…あとはクロスアイズ君、でありましたか?」

 

 一段落ついて自由に動ける皆に声をかけるヘビクイワシ。

 

「ちょっと手伝って欲しいのでありますよ。」

 

 一体何をするつもりなのだろう、と集まった皆も不思議そうな顔をした。

 

「なあに。大した事ではないのであります。戸締りをするのでありますよ。」

 

 開け放たれたままの観音開きのドアを指さして言うヘビクイワシ。

 確かにこのままではいつセルリアン達が外へ出るのかわかったものではない。

 

「わかった!」

 

 サーバルが一番に走り出して次々とドアを閉めていく。

 

「そのくらいならお手伝いしましょう。」

「じゃあ、俺はあっち側を閉めてくる。」

 

 セルシコウが手近なドアを、クロスアイズは遠くのドアを担当してくれた。

 ヘビクイワシも加わってあっという間に全てのドアが閉められた。

 しかし、ヘビクイワシは戸締りまでして一体何をしたいのか…。

 そう思っていると、彼女は試合会場中央で相変わらずセルリアン達をいなし続けているかばんに向けて叫んだ。

 

「かばん君!これで他の人に変身を見られる心配はないのでありますよ!」

 

 その言葉に、そうか、と思うかばんであったが……。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!?なんでヘビクイワシさんが変身の事を!?」

 

 と気づいてしまった。

 ヘビクイワシにはクロスシンフォニーの事は秘密だったはずなのに。

 

「い、いつから気づいてたの!?」

 

 とサーバルまで驚いているので、ヘビクイワシは苦笑しか出ない。

 まあ、この二人なら隠し事は苦手そうだしな、なんて思ってしまう。

 ヘビクイワシが確証を得たのは昨日のプールでの出来事だった。

 かばん達がいなくなって、それと入れ替わるように現れたヒーロー達。そして何かを明らかに隠しているような友人達。

 パズルのピースを当てはめるのは簡単な事だった。

 

「なので、まあ…。その…。私も頼って欲しいのでありますよ。」

 

 ほっぺを掻きつつ言うヘビクイワシ。

 かばん達が何か隠し事をしているのは1年生の時から薄々は感じていた。

 その事はしょうがないとも思うけれど、やはり悔しくもあった。

 友達の力になれない事が何より悔しかった。

 だから、ヘビクイワシは今この時に万感の想いを込めて叫ぶ。

 

「さあ、変身でありますよ!クロスハート!」

 

 キンシコウとセルシコウもこの場にはいるが、二人は後で話せばわかってくれるだろう。

 だから変身してみせてくれ、と思うヘビクイワシだったが…。

 

「え?」

 

 とかばんは目を丸くしてしまっていた。その反応にヘビクイワシも…。

 

「え?」

 

 となってしまう。

 見兼ねたサーバルがヘビクイワシの耳元に口を寄せてコショコショと告げる。

 

「あのね…ヘビクイワシ。かばんちゃんと私ってクロスシンフォニーの方なの……。」

 

 言い終わるとヘビクイワシが反応する前にサーバルはてけてけと走ってかばんの隣に並び立つ。

 ヘビクイワシはその背中を見送ってから無事真っ赤になった。

 両手で顔を覆って思う。

 

「(く、クロスハートの方だと思ってたのでありますぅうううう!?)」

 

 穴があったら入りたいとはこの事か、と一つ無駄な知識を得てしまったヘビクイワシであった。

 何はともあれ、彼女が作ってくれたせっかくのチャンスである。

 かばんとサーバルは揃いのポーズで左腕を突き出して、それを胸元に引き寄せながら叫ぶ。

 

「「変身!」」

 

 サンドスターの輝きが二人を覆って、それが治まった時に現れるのは大きな猫科の耳にしなやかな尻尾。白のブラウスにヒョウ柄のミニスカートを纏った…。

 

「クロスシンフォニー!」

 

 である。

 ちなみに、セルシコウの方は…。

 

「すまんがちょーっとだけ目を閉じててくれなー。」

「ちょ!?何するんですか!?何も見えないじゃないですかー!?」

 

 とクロスアイズに両手で目元を覆われて目隠しをされていた。

 クロスシンフォニーの変身が終わってようやく手を外されたセルシコウ。

 

「あぁー!?!?な、なんでここにクロスシンフォニーが!?!?」

 

 突然目の前に仇敵クロスシンフォニーが現れていて驚愕の声をあげる。

 そんな彼女にクロスアイズは…

 

「俺、お前のそういうトコ、嫌いじゃねーぜ…。」

 

 と少しばかりの呆れの表情を浮かべるのだった。

 何はともあれ、これで役者は揃ったようである。

 

「よっしゃ。じゃあ手を貸すぜ。クロスシンフォニー。」

「ええ。お願いします。クロスアイズ。」

 

 そして、セルリアンの方もずっと黙って見ていたわけでもない。

 

「ブモォオオオオッ!」

 

 牛頭のセルリアンが吠えると、残る瓦頭のセルリアンと面頭のセルリアンがニュルリ、と黒い水のように変わって牛頭セルリアンに纏わりつく。

 そして、程なくして現れたのは…。

 

「フシュゥウウウ!」

 

 頭は空手の防具の面で覆い、肩には鎧武者の肩当のように瓦を身に着けた牛頭のセルリアンだった。

 そして、ギュっと締め直した帯の色は黒である。

 先程までよりも一回り大きくなった牛頭セルリアン。

 見た目は空手道着と防具、それに瓦で出来た肩当を装備したミノタウロスだ。

 そしてその動きも今までよりも…。

 

「速い!?」

 

 丸太のような足から繰り出される中段蹴りは凄まじい速度でクロスシンフォニーとクロスアイズを襲う。

 二人がかりのガードでかろうじてその蹴りを受け止めるが大きく弾き飛ばされてしまった。

 試合場には一人キンシコウだけが残される形となってしまった。

 牛頭セルリアンは今度は彼女に向けて正拳突きを繰り出した。

 危ない!と叫ぶ暇すらなかった。

 

「(あぁ…。これをまともに喰らったら私は…。)」

 

 ドクン、とキンシコウの胸が高鳴る。

 思考は真っ白だったが身体は動いていた。

 セルリアンの拳はまさに比喩表現抜きで必殺だ。

 そのピンチを前にキンシコウの集中は極限まで高まっていた。

 キンシコウの視界ではスローモーションになってその拳が迫り来る。

 自らに迫る豪腕を…… 

 

―パァン!

 

 と音を立てて回し受けするキンシコウ。

 ほんのわずかに力の流れを逸らされた牛頭セルリアンの一撃はキンシコウの頭の横を過ぎていった。

 

「!?」

 

 必殺のはずの拳を受け流された牛頭セルリアンは驚愕の様子を見せる。

 一歩間違えれば大怪我…いや、それ以上すら有り得た場面に、しかしキンシコウの心は高鳴っていた。

 口角があがり、笑みと呼べるものがキンシコウの顔に浮かぶ。

 

「認めなくてはなりません。どうやら私は……!」

 

 キンシコウはピタリと構えをとる。

 

「強い敵と戦うのが好きなようです!」

 

 言いつつ牛頭セルリアンに向けて伸ばした右腕の手のひらを自分に向ける。

 かかって来い、と。

 この胸の高鳴り、この血が湧きたつ感覚。

 疑いようもない。

 この狂気と言ってもよさそうなものこそがずっと求めていたものだ。

 そんなキンシコウの表情はまさに不敵と呼ぶべきものだった。

 

「ブモォオオオオオォオオッ!」

 

 牛頭セルリアンも咆哮と共にキンシコウに向けて突進してくる。

 圧倒的巨体、圧倒的速度。

 その突撃をかわす術はキンシコウにはなかった。

 それでも牛頭セルリアンを射るその眼には闘志が燃えていた。

 

「(迎え撃つ…!)」

 

 左右に逃げる事も不可能、後ろに下がっても追いつかれる。

 ならば残された道は前しかない。

 右足を少しだけ前に、左足に体重を乗せる。

 後は震脚と同時に後ろから前へ体重移動。生み出した全エネルギーを迫りくる相手にぶつけるだけだ。

 狙いは眉間。

 猛牛よろしく頭を突き出して突進してくるからおあつらえ向きだ。

 面でガードされているものの、カウンターが入れば勝機はある。

 

―ズダァアン!

 

 キンシコウは踵落としのように大きく脚を振り上げて震脚を踏んだ。

 猛牛の頭はもう目の前だ。

 キンシコウはその眉間に向けて己の全てを乗せた拳を放った。

 だが、あまりのウェイト差がある。

 奇跡でも起きない限りキンシコウの勝利はあり得ない。

 そして、キンシコウの拳が牛頭セルリアンのつけた防具に届く直前。

 

―パキィイン。

 

 奇跡は起きなかったが乱入者が一人。

 セルシコウが手刀で牛頭の角を叩き折っていた。

 

「ずるいですよ!私が先にキンシコウと手合わせするはずだったのに!」

 

 牛の角は頭骨に繋がっている。

 そこを叩き折られれば深刻なダメージになる。

 この場合は脳震盪を起こしていた。

 そして体勢を崩したところにキンシコウの拳がついに届く。

 

―バキィイ!

 

 キンシコウの拳は体勢の崩れた牛頭セルリアンの被った面を弾き飛ばしていた。

 今度こそ奇跡は起きた。

 面が弾き飛ばされて、牛頭セルリアンの眉間にある『石』が露わになったのだ。

 体勢が崩れたところにキンシコウの全力の拳が当たった結果だった。

 そして、その状態をこの二人が見逃すはずはなかった。

 

「疾風の…サバンナクロォオオッ!」

「ワンだふるアタァアアアアック!」

 

 キンシコウの背中から追い抜く形で牛頭セルリアンの『石』へそれぞれの必殺技を放つクロスシンフォニーとクロスアイズ。

 二人の必殺技を受けては三体分のセルリアンの『石』といえども一たまりもない。

 

―パッカァアアアン!

 

 とキンシコウの目の前で牛頭セルリアンはついに光り輝くサンドスターへと還っていった。

 拳を突き出したままのキンシコウの視界はサンドスターの輝きに覆われる。

 それは随分と幻想的な光景だった。

 

「生きている…。」

 

 だから、キンシコウがそれを自覚するのにほんの少し時間が必要だった。

 

「そりゃあそうでしょう。勝ったのはキンシコウですからね。」

 

 セルシコウは懐から取り出した板状の機械、“コレクター”を操作して周囲のサンドスターを回収しながら言った。

 程なくして面と瓦の肩当を装備した牛頭セルリアンの姿を刻んだ“セルメダル”が排出される。

 その時間をキンシコウは呆けていた。

 うわ言のように呟く。

 

「勝ったんですか…?私…。」

「ええ。見事な拳でした。」

 

 そうセルシコウに言われると、ふるふると肩を震わせ俯くキンシコウ。

 今さら恐怖でも来て泣いているのだろうか。

 クロスシンフォニーもクロスアイズもヘビクイワシもそう思っていた。

 しかし…。

 

「やったあ!やりました!私やりましたよ!」

 

 顔をあげたキンシコウはセルシコウに抱き着いて子供のようにはしゃいでいた。

 満面の笑みである。

 キンシコウのそんな姿は初めて見る。

 試合に勝利して喜びはしても、こうして感情を爆発させる事は今までになかった。

 けれど、いい笑顔だ。

 クロスシンフォニーもクロスアイズも顔を見合わせて同じように思って頷き合った。

 そして同時に悟った。ヒーローの出番は終わったのだ、と。

 なのでそんな場面に水を差すのはやめにしてこっそりとその場を退散する。

 

「「さて。」」

 

 ひとしきり喜び終わったキンシコウとそれを受け止めたセルシコウは同時に口を開いた。

 二人とも表情が一変。ニヤリとしつつもお互いを射るように見つめる。

 そしてお互いに無人となった試合会場の開始線にそれぞれに立つと示し合わせたように同時に言った。

 

「「手合わせしましょうか。」」

 

 言って一礼の後に二人でピタリと構えをとる。

 見ていたヘビクイワシには何でそうなるのか分からない。

 今やらなくてもいいじゃないか、と思わずにはいられない。

 けれど、二人とも楽しそうにキラキラした目をしているのを見ると、それを止めるのも無粋か、と思えてしまう。

 どうせ皆が戻ってくるまでにあと数分は時間があるだろう。

 だからヘビクイワシは二人の近くに歩み寄ると両手を交差させて呆れ混じりにこう言った。

 

「始め。」

 

 と。

 無人の試合会場で人知れずキンシコウとセルシコウの激闘が始まった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥武道館に一番乗りしたのは、やはりハクトウワシだった。

 自転車でしか通れないような裏道を全力で飛ばしてきた結果だった。

 会場前には外の広場に中学生達が避難している。

 見たところ怪我人はいないようだが、セルシコウの姿を見つける事も出来なかった。

 

「色鳥商店街前交番のハクトウワシ巡査です。不審者は?」

 

 付近にいた大人に訊ねると、不審者達はまだ中にいるらしい事、数名の生徒がまだ中に残っている事を教えてくれた。

 ハクトウワシの顔から血の気が引く。

 セルシコウは中にいるんじゃないだろうか。

 パトカーのサイレン音が近づいてきているから応援だってすぐに駆け付けるだろう。

 本来であれば応援を待ってから突入するべきだ。

 だが…。

 

「私は中に残った生徒達を避難させます。他の警官が来たら伝えて下さい。」

 

 ハクトウワシは単独で突入する事を選択した。

 もしも一刻を争う事態になっているのだとしたら。

 それを考えるだけでいてもたってもいられない。

 付近の大人に伝言を頼むとハクトウワシは一人館内へ進んでいく。

 外の光が届かず薄暗い通路を急ぐ。

 と、楽しそうな女の子達の声が聞こえてきた。

 何事かと訝しむハクトウワシ。

 やがて通路を歩く女の子達6人の姿が見えた。

 

「まったく、キミ達二人は。また後日でも試合できたでありましょうに。」

 

 呆れるヘビクイワシの言葉は肩を貸しあい歩くキンシコウとセルシコウに向けられていた。

 その後ろを何とも言えない苦笑を浮かべたかばんとサーバルとエゾオオカミが続く。

 

「ヘビクイワシさん。お言葉ですが…。」

「そこに強敵がいて戦う意志がある。だったら手合わせしない理由はないでしょう。」

 

 キンシコウの言葉をセルシコウが継いでそして二人してうんうん、と何度も頷く。

 そんな二人にエゾオオカミは呆れと共にツッコんだ。

 

「いや、そうはならねーだろ。」

 

 それは残る4人の総意でもあった。

 やはり彼女達にはキンシコウとセルシコウの嗜好は分からない。

 けれど、心の底から楽しそうにしている二人を見るとこう思わざるを得ない。

 この二人に限っては拳をぶつけ合う事で通じる何かがあるのだと。

 しかし、その姿を見たハクトウワシは気が気じゃない。

 

「ちょっと、セルシコウ!あなた怪我でもしたの!?大丈夫!?」

 

 慌てて駆け寄ってみるものの、大きな怪我はなさそうだ。

 

「安心して下さい、ちょっと疲れただけなので。」

 

 キンシコウは言いつつセルシコウをハクトウワシに渡した。

 キンシコウとセルシコウの二人は人知れぬ激闘の末に怪我はなかったものの精魂尽き果てていた。

 当の本人達だけは大満足の時間だったらしい。

 ハクトウワシはセルシコウの身体をペタペタと触り本当に怪我がない事を確かめると泣きそうな表情で思い切り抱き締めた。

 

「よかったぁ…。心配したんだから。」

 

 その様子に残る皆は顔を見合わせてから微笑む。

 

「安心して下さい。私はそう簡単には負けたりしませんから。」

 

 ポンポンとハクトウワシの背中を叩くセルシコウ。

 彼女はどうしてもハクトウワシに伝えたい事があった。今日はとてもいい事があったのだから。

 

「ハクトウワシ。聞いて下さい。実はですね…。」

 

 セルシコウは満面の笑みでハクトウワシにこう言った。

 

「私、強敵(ともだち)が出来ました。」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結局、集まった警官達が色鳥武道館をくまなく捜査したが不審者は影も形もなく、付近のパトロールや聞き込みなども行ったがやはり問題の不審者を発見するには至らなかった。

 大きな被害もなかったし、唯一被害を受けた審判の男性もすぐに回復したし、身体の中に取り込まれたという話だってどう解釈していいのかわからなかった。

 警察としては近隣住民に注意を呼び掛けると共に巡回を強化する対処しか出来ない。

 ただ、彼らはあずかり知らない事ではあるけれど元凶は既にヒーロー達が退治してしまったから、それは徒労に終わってしまう結果となった。

 そして、空手部の地区大会であるが残念ながら中止が決定された。

 あんな事件があったのだ。無理もないだろう。

 今年はこの地区から勝ち上がって県大会へ出場するチームはなしである。

 一方で朗報もある。

 ジャパリ女子中学空手部の体調を崩していた3人の生徒がいずれも復調したのである。

 ちょうど、クロスシンフォニーとクロスアイズが牛頭のセルリアンを倒した時間に急に体調がよくなったらしい。

 実はこの3人はセルリアンに“輝き”を奪われて、それが空手道着に瓦頭や防具の面頭やら牛頭のセルリアンとなったのだが、その影響で体調がよくなかったのだ。

 

「先輩達が体調よくなったのはいいけど…。キンシコウ先輩を全国まで連れて行く夢は果たせませんでした。すみません。」

 

 急遽解散となったのでオウギワシはキンシコウと共に帰り道を歩く。

 確かに全国大会出場は大きな目標の一つだったから今回の大会中止は残念だ。

 けれど…。

 

「いえ。オウギワシさんにはとても感謝しています。今日の大会に参加できてよかったです。」

 

 キンシコウはとても晴れやかな顔をしていた。

 

「今日私にも夢が出来ましたから。」

 

 そんな言葉と共に笑うキンシコウの表情をオウギワシは見た事がなかった。

 それにしても、キンシコウの夢とは何なのだろう。オウギワシが気になっているとキンシコウが答えてくれた。

 

「この拳でどこまで行けるのか…。ちょっと本気で試そうかと。」

 

 キンシコウは己の拳を傾き始めた太陽に向けて突き付ける。

 

「プロの格闘家。目指してみようと思います。」

 

 争い事は嫌いだけれど、誰かと本気で技をぶつけ合う事がこんなにも楽しい事だと、今日知ってしまった。

 その夢は今までのどの目標よりもしっくりとキンシコウに馴染んでいた。

 そこは想像以上に厳しい世界なのだろう。

 けれど、空を見上げるキンシコウの目には強い意志が見て取れた。

 そんな彼女を見て、オウギワシは確信する。

 きっとキンシコウならば夢を叶えられるだろう、と。

 

「さて、そうと決まればどうやったらプロになれるか知らないといけませんね。進路指導の先生に相談してみましょうか…。」

 

 後日、進路指導の教師は優等生と言っていいキンシコウから「どうやったら総合格闘技大会K-1(けもわん)グランプリに出られるのか」という素っ頓狂な進路相談を受けて面食らう事になる。

 だが、キンシコウの道は今日決まった。

 己の未来をその拳に託すのだ、と。

 

 

けものフレンズRクロスハート第17話『拳に賭ける夢』

―おしまい―

 




【セルリアン情報公開:カラテリアン】

 空手部の女子生徒の“輝き”から生まれたセルリアン。
 いずれも空手道着に拳サポーター、脛当てなどで身体を構成された人型のセルリアンである。
 頭が牛頭、瓦、空手防具の面で出来ている。
 いずれも強力な空手技を使ってくるが特に強力なのが牛頭のセルリアンである。
 大きな体格とそれに見合った強靭なパワーを持ち、たてがみから分身体を作り出す事も出来る。
 ただし、分身体は体格も小さく、動きも悪い。締めてる帯が白帯なだけに技も未熟だ。
 さらに、この三体のセルリアンは合体する事が出来る。
 合体した際は牛頭のセルリアンをベースに、防具の面をつけて、瓦で出来た鎧武者のような肩当を装備した状態になる。
 この状態だと防御力が飛躍的に上がって、生半可な攻撃は通用しなくなるだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話『未来へつなぐバトン』(前編)

 これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 突然体調を崩してしまった部員が出た為に大会参加が危ぶまれたジャパリ女子中学空手部。
 生徒会のヘビクイワシとかばんが助っ人に入る事で何とか大会参加を果たす。
 急造チームながらも何とか決勝進出を勝ち取ったジャパリ女子中学空手部だったが、大会会場にセルリアンが現れる。
 現場にいたかばんとエゾオオカミはそれぞれクロスシンフォニーとクロスアイズへ変身してセルリアンを撃破し事なきを得る。
 そして、この事件を切っ掛けの一つとして、ジャパリ女子中学空手部主将キンシコウも夢を見つけるのだった。




 ジャパリ女子中学応援団はマイクロバスにて移動する。

 空手部の臨時助っ人としてかばん、サーバル、ヘビクイワシの3人が応援団から抜けてしまったが、それでもバスの中は賑やかだった。

 今頃、空手部とかばん達も会場について頑張っているはずだ。

 応援団が目指すは陸上部の地区大会が行われる白虎スタジアムだ。

 色鳥町にある屋外運動競技場の中では最大規模のものだ。

 サッカーやラグビーなど様々な競技に対応できるし、陸上競技場にだってなる。

 しかも全天候型のドーム状なので雨の日だってバッチリ試合が出来てしまう。

 そんな凄い施設なのだが、残念ながらマイクロバスの中の女の子達は別の話題で盛り上がっていた。

 

「え、えぇええ!?アオイさん、告白されたんですかっ!?」

「しーっ!?ルリちゃん、声大きいです!?」

 

 応援団の練習で仲良くなっていたし、1年生同士という気安さもあってアオイはついつい昨日の事を話してしまったのだ。

 だが、その行為はピラニアの群れに生肉を投げ入れるが如きだった。

 ルリが慌てて自分の口を抑えた時にはもう遅い。

 

「その話、詳しく。」

 

 と萌絵が目を輝かせて前の席から身を乗り出しており、後ろの席からは…。

 

「ええええ!?ちょっとアオイっ!?相手は誰なのっ!?」

 

 とギンギツネが身を乗り出している。

 何とか逃げ道を探そうと横を見れば通路を挟んだ反対側の席から…。

 

「それは私も聞きたいねえ。まだ会場に着くまでには時間があるからさー。ゆっくり話を聞かせてよ。」

 

 フェネックがいつもの微笑を浮かべて迫っていた。

 心なしかその目がいつもよりギラついて見えるのは気のせいだろうか。

 

「ボク、恋愛シミュレーションゲームも得意。」

「ほほう。ほほう!わらわもその話は興味があるのう。」

 

 キタキツネやユキヒョウまで集まってきた。

 もうみんなでアオイを囲んでしまっている。

 だがそれは、恋バナなんて爆弾をこの場で炸裂させたアオイの落ち度でもある。

 

「なあ。イエイヌー?みんな何を話しているのだ?」

「ええと…何でしょうね?アムールトラは分かりますか?」

「あー。えーっと…。惚れた腫れたの話やろ…?多分。」

 

 一方で恋バナには興味なさそうなフレンズもいる。

 なんの事かよくわかっていないアライさんとイエイヌ。

 ちょっと興味がないではないけど殊更に騒ぐ程でもないかなーというアムールトラの三人は最後尾の座席で大人しくしていた。

 でもアムールトラはお耳がアオイの方にピョコピョコと動いていた。

 そして、残る応援団長ともえは…。

 

「まあまあ、みんな。そんなに詰め寄ったらアオイちゃんも困っちゃうよ。」

 

 と助け船を出した。

 さすがともえ先輩です、と感激しているアオイだったが続く言葉で顔を青くする。

 

「さ、みんな。ちゃんとお行儀よくしてアオイちゃんのお話聞こうねっ。」

 

 団長命令では否はない。

 みんなで一旦落ち着きそれぞれの席でキラキラした目でアオイの言葉を待つ。

 

「(に、逃げ道を完全に塞がれたっ!?)」

 

 もうアオイに逃げ場はなかった。

 この場で言いふらすのはコイちゃんに悪いかなあ、と考えたアオイだったがふと気が付いた。

 コイちゃんの性格なら今頃、自習そっちのけでクラスメイトにのろけ話をしているだろう事を。

 そして、それはその通りだった。

 そう思ったら覚悟は決まった。

 

「実はですね…。昨日の帰り道で…。」

 

 と話はじめたアオイ。もう集まった女の子達はきゃあきゃあ言いっぱなしだ。

 この日、ジャパリ女子中学カップル談義に一組のペアが追加された。

 アオイとコイちゃんである。

 ちなみに、一位は現在不動のサーバルかばんペアだ。

 だがそれ以下のペアでは情勢が動いている。

 実はともえ萌絵ペアもこっそり話題に上る事が多いのだが、ここ最近では萌絵イヌ派とともイヌ派と従来のとも萌絵派に分散していた。

 なんだかんだであそこは三人まとめて末永くお幸せに、という事でまとまりつつある昨今だ。

 それ以外だと、ちょうど今から応援に行く陸上部部長のプロングホーンと副部長のチーターコンビも話題には事欠かない。

 まさに喧嘩する程仲が良いという言葉を体現するような二人だ。

 いつも言い争っている印象があるが、それでも二人は名コンビの呼び声も高い。

 陸上部部長のプロングホーンは長距離が得意でチーターは短距離が得意。

 お互いにお互いの得意分野でなら相手に勝てる。

 そんな間柄の二人は自然とお互いがお互いをライバルと認め合っていた。

 そして、この二人は県内でも有数のアスリートでもある。

 プロングホーンとチーターはそれぞれの得意分野で地区大会を勝ち上がって県大会にまで駒を進めるだろう事が確実視されている程だ。

 今年は全国の舞台に立つのだって夢じゃない。

 その為にもまずはしっかり応援しないと、と思うともえであったが、まさかその二人に暗雲が立ち込めているとは思ってもみなかった。

 そうしてアオイの恋バナで盛り上がっているうちにマイクロバスはいつの間にか会場に到着したようだ。

 

「よし!じゃあみんな、応援頑張ろう!」

 

 ともえの声にみんなも「おー!」と気勢を返す。

 バスの運転手にお礼を言って降車。そのままジャパリ女子中学の観客席へ移動するとそこには陸上部の面々がいた。

 だがどうにも様子がおかしい。

 部員達は皆一様に誰かを囲んでいた。

 一体どうした事だろう、とその囲いの中心をひょいと覗き込んだともえは息を呑んだ。

 そこには陸上部部長のプロングホーンと副部長のチーターが目元にタオルを掛けられて横たわっていたからだ。

 そして陸上部2年生のGロードランナーのフレンズ、ゴマが心配そうに表情を曇らせて付き添っている。

 どう見てもタダ事ではなさそうだ。

 

「ど、どうしたの!?プロングホーン先輩とチーター先輩っ!?」

 

 どうやら二人とも意識はあるようで、目元のタオルをよけるとともえにヒラヒラと手を振ってみせた。

 とりあえず一安心ではあるけれど、ただ事のようには思えない。

 

「それが…。部長と副部長が急に体調崩しちゃって…。熱中症ってわけでもなさそうなんですが…。」

 

 他の陸上部生徒が教えてくれた。

 会場入りするまではいつも通りどころか絶好調だった二人だが会場入りした途端に突然体調を崩したらしい。

 既にアップも始まっているというのにプロングホーンとチーターの二人はまともに動く事すら出来ないようだった。

 

「まったく…。体調管理すら出来ないなんてね。情けないわ。」

「反論の余地すらない。こんなに身体が動かないなんて生まれて初めてだ。」

 

 チーターとプロングホーンが自嘲気味に言うが陸上部の面々の暗い雰囲気はなおも深くなった。

 

「こうなった以上仕方ないわ。ゴマ。悪いんだけど、私の100m走とプロングホーンの1500m走は補欠の子を選手登録して来てくれる?」

 

 チーターの頼みにゴマはぐっ、と下唇を噛んだ。

 

「あ、あのっ!チーター先輩!ギリギリまで待てねーのかよ!補欠の子を登録しちまったらもう…。二人は今年の大会には出られなくなっちまう…。」

 

 ゴマが言いたい事は分かる。

 もしかしたら競技開始までに二人の体調が戻るかもしれないのだ。

 選手登録はこのままにして、もしも復調しないようなら棄権するって選択肢だってある。

 

「そんな我がままを言う事は出来ないよ。補欠の子達だって一生懸命練習してきたんだ。大会で走るに値すると思っているよ。」

 

 プロングホーンにこう言われてしまっては反論する事は出来ない。

 陸上部の他の3年生がオーダー変更シートを素早く記入してこれでいいか、と訊ねる。

 

「ああ。間違いない。問題ないな。チーター。」

「ええ。問題ないわ。」

 

 そのオーダー変更シートを確認したプロングホーンとチーターはお互いに頷き合う。

 

「じゃあ、これを大会運営に提出してきてくれ。頼んだぞ。」

 

 そのオーダー変更シートをゴマに託すプロングホーン。ゴマは下唇を噛んだまま頷いた。

 それを確認するとプロングホーンは再び目を閉じる。

 そんな様子のプロングホーンに何も言えず辛そうに見守るゴマは絞り出すように言った。

 

「悪い。ともえ、イエイヌ。萌絵。一緒に来てくれないか?一人じゃさ…。これを出せる気がしないんだ…。頼むよ。」

 

 そんな事を言うゴマなんて初めてでともえ達は一も二もなく頷いた。

 オーダー変更シートには100m走と1500m走の二つで選手変更が記載されている。

 どちらの種目もプロングホーンとチーターが県大会への勝ち上がりを確実視されていたものだ。

 だからゴマの悔しさはよくわかる。

 ともえ達を伴って大会運営事務局へ向かうゴマを横目で見送るチーター。そうしてから他の3年生に言う。

 

「悪いわね。我がまま言っちゃって。」

「何言ってんの。アレだけはアンタ達が走らないとダメでしょうが。」

 

 そう。

 他の陸上部3年生達は気づいていた。

 プロングホーンとチーターがオーダー変更したのは自分達の個人競技のみだ。

 大会最後のプログラムにあるリレーのオーダー変更はしなかったのである。

 

「一本くらいは何としてでも走るぞ。チーター。」

「あら。さっき私は言ったわよ。問題ないって。そっちこそ体調悪いからって腑抜けた走りをするんじゃないわよ。」

 

 言いつつプロングホーンとチーターは目を閉じた。

 もう無駄口を叩く時間と体力も惜しい。何としてでも体調を戻さねばならない。

 この二人はまだ諦めてなどいなかった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 観客席からグラウンドへ続く通路を歩くゴマとともえ達。

 先程オーダー変更シートを提出して無事に受理してもらえた。これでプロングホーンとチーターの二人は出場出来ない。

 

「実はさ…。俺、見ちゃったんだ。プロングホーン様とチーター先輩が変な黒い水みたいなのに一瞬だけど呑まれるところを。」

 

 観客席へ戻る通路でゴマはポツリポツリと話はじめた。

 ゴマの話によると、会場入り口あたりでほんの一瞬だけれど、プロングホーンとチーターの二人が黒い水のようなものに呑まれたらしい。

 けれど、それはほんの一瞬の出来事で、服も濡れていないし、何かの見間違えかと気にしていなかったのだが、それから少しして二人は体調を崩してしまった。

 

「それって…セルリアンなんじゃ…。」

 

 話を聞いた萌絵はそう判断した。

 どうやらそれはゴマも同じだったらしい。

 

「なあ。助けてくれよ。クロスハート…。俺、プロングホーン様とチーター先輩がこのままなんてイヤだ。」

 

 もしも体調を崩したのが“輝き”を奪われた事が原因だったのなら…、今日どころかもしかしたらこの先ずっとプロングホーンとチータは再び走る事が出来ないかもしれない。

 いつもちょっと生意気で元気が取り得のゴマが肩を震わせる。

 そんな痛々しい姿を見せられては例えアテはなくとも、ともえもイエイヌも頷いた。

 

「当たり前だよ!アタシだってゴマちゃんと同じ気持ちだもん!」

「そうです。たとえゴマさんがイヤだって言ったって絶対助けます!」

 

 ともえもイエイヌにとってもゴマは大切な友達だ。

 だからそう答えるのは当然だった。

 けれども、どうやってプロングホーンとチーターを助けたらいいのか。

 それは、例によって全員揃って萌絵の方を見た。

 しょうがないなあ、という苦笑の萌絵。いつも通りに解決方法は自分に丸投げされたのだ。

 だが、頭脳労働は自分の得意分野だ。だから自然と自分を頼ってくれた事が萌絵は嬉しくも感じていた。

 そんな期待を裏切るわけにはいかない。

 幸いにして解決方法は何となくはわかる。

 この前、遠坂亭の工房を借りに来た“教授”とも色々話したし、時々父のドクター遠坂やカコ博士ともチャット通話をしたりしている。

 萌絵はその中でセルリアンとは何なのか、少しずつ情報を集めていた。

 だから、答えなら出せる。

 

「で…。解決方法だけどね。まだ仮説の段階ではあるけれど…。プロングホーン先輩とチーター先輩から“輝き”を奪ったセルリアンを倒せばもしかしたらそれを取り戻せるかもしれない。」

 

 萌絵の言葉にともえもイエイヌも、そしてゴマも顔を輝かせた。

 それならまさにクロスハートとクロスナイトの得意技である。

 ゴマにもそうなると希望が出て来た。

 

「も、もしかしたらチャッチャと倒しちまえばプロングホーン様もチーター先輩も大会に出られるかもしれない!」

「ゴマちゃん…言いにくいんだけどさ…。多分それは無理。」

 

 ともえの言葉にゴマもイエイヌも一様に「なんで!?」と言いたげな様子を見せる。

 

「選手登録の締め切りってもう1時間もないじゃない?その後のオーダー変更って出来ないよね…。そのセルリアンがどこにいるのかもわからないとなると…。」

 

 そう説明されると二人とも肩を落として納得せざるを得ない。

 今から1時間足らずでセルリアンを探し出して倒してついでにプロングホーンとチーターの回復を確認してオーダーを再び変更しなおす。

 それは時間的にまず不可能だろう。

 それともう一つ問題が。

 

「多分、セルリアンはまだ遠くに行ってないと思うから、探すなら今のうちだと思うんだけど…。」

 

 ともえがそれをしてしまうと応援団はどうするのか。

 さすがに団長のともえが抜けてしまえば応援にも大きな影響が出る。

 場合によっては観客達の前にクロスハートが出なくてはならない局面があるかもしれない。

 そんな時に団長のともえがいなくなっていれば、ともえとクロスハートを関係づけて考える者が出ても不思議はない。

 ともえの不在はあまりにも目立ち過ぎる。

 それに人手だって必要だ。

 幸いここにはクロスジュエルチームのルリとアムールトラだっている。これでセルリアンと戦える者は4人もいるが…その人数が一度に応援団から抜けて目立たないだろうか。

 せめて団長のともえだけは残っていて欲しい。

 

「いや…でも、セルリアンを探すのならクロスハートのキタキツネフォームの技ってすっごく頼りになるんだよね…。」

 

 ぐぅ、と唸るともえとイエイヌ。セルリアン探しにはともえの力も不可欠そうだが彼女は一人しかいない。

 あちらを立てればこちらが立たず、どうにもいい案が思い浮かばない。ゴマも不安そうに顔を曇らせた。

 そんな一同を見て、萌絵が指を一本立てた。

 

「どうにかなる方法。あるにはあるよ。相当無茶だけど。しかも無茶するのアタシだけど。」

 

 その言葉に一同、萌絵の方を見つめる。

 一体萌絵が何をするつもりなのか。ともえにもイエイヌにもゴマにも全く分からなかった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時間は少し前に遡って早朝の事だ。

 オオセルザンコウは今日、ヤマさんが紹介してくれたバイトの日だった。

 単発の仕事になるのだが、中学生の陸上大会のお手伝いをして欲しいらしい。

 

「今日のミッション…。失敗できないな。」

 

 オオセルザンコウは気合を入れ直す。

 彼女に割り振られた仕事は決して難しいものではない。

 出場選手をスタートラインまで誘導し、ゴール後に退場口まで送り出す係だ。

 朝に開かれたミーティングで各競技のスタート位置とゴール位置も把握した。

 

「あとは油断しないようにするだけだな。」

 

 仕事内容も把握したところでオオセルザンコウにも余裕が出て来た。

 周囲を見渡してみれば、とても大きなスタジアムである事が分かる。

 なんでも、この白虎スタジアムは色鳥町に拠点を構える自動車メーカー、ビャッコモータースがネーミングライツを取得して今の名前になったらしい。

 全天候型のスタジアムでは様々な競技が催される。

 それだけにこのスタジアム内には“輝き”が見て取れた。

 

「しかし、たったこれだけの“輝き”では生み出せるセルリアンも大した大きさにはならない。“輝き”の保全は残念だが見送る方がいいだろう。」

 

 オオセルザンコウはそう判断した。

 セルリアンを生み出す為の“シード”は手持ちが潤沢にあるわけでもない。

 “セルメダル”化出来るだけの強力なセルリアンを生み出せる見込みがないなら無駄使いは出来ない。

 それにセルリアンを生み出せば、目立ってしまうだろうからクロスシンフォニーが現れる可能性は非常に高い。

 今は“輝き”の保全は諦めるべきだ。

 と、そうこうしていたら選手達も集まってきたらしい。

 オオセルザンコウの最初の仕事はスタッフ腕章をつけての巡回だ。

 もしも道に迷っていたりする選手がいるようなら案内するのが仕事だ。もう見取り図は頭の中に叩き込んだし、一通り館内も歩いたし抜かりはない。

 そうして、スタジアム入り口近くに差し掛かった時、強力な“輝き”を見てしまった。

 それはプロングホーンのフレンズとチーターのフレンズの二人から放たれていた。

 他の選手達もそれなりに“輝き”を放っていた。

 けれどその二人は桁違いだ。

 あまりの“輝き”にオオセルザンコウはこう考えてしまった。

 

「(これだけの“輝き”を保全しないわけにはいかない…。この世界の為にも。)」

 

 そう思えばオオセルザンコウの手は勝手に“シード”を割っていた。

 “シード”から溢れた黒い水のようなものは素早くプロングホーンとチーターに忍び寄ると一息に彼女達を呑み込んだ。

 時間にすればほんの一瞬。周りの人物が気づくどころか、当の本人達ですら気のせいかな?と思える程に刹那の出来事だった。

 たったそれだけでセルリアンになれるだけの“輝き”を吸収してしまったのだ。

 

「(思っていた以上に強力な“輝き”だ。これならばこのスタジアム内の“輝き”を全て喰らうだけのセルリアンになるに違いない。)」

 

 そして“輝き”を全て吸収したセルリアンを“セルメダル”化する。

 この場には“コレクター”を持つセルシコウがいないが、セルリアンを倒した際に発生するサンドスターを一時的に保管できる“アンプル”は持って来ている。

 ならば“輝き”の保全は可能。

 この世界にとっても喜ばしい事のはずだ。

 

「唯一の懸念はセルスザク様を倒したクロスシンフォニーやこの前邪魔しに来たクロスジュエル達だが…。こうなった以上はもしも出て来るなら私が相手になろう。」

 

 オオセルザンコウにだって使命がある。

 彼女が暮らしていた世界と同じように、この世界の“輝き”も保全して永遠のものにするという使命が。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥西中学校。色鳥町の西部にあり、特に陸上競技では強豪校で県大会常連でもあった。

 だが、去年はジャパリ女子中学のプロングホーンとチーターにいいようにやられてしまった苦い過去を持つ。

 

「けれど!今年はこのシロ様がいるからな!!ジャパリ女子など一捻りにしてやるのだ!」

 

 やたらと背が小さく真っ白な毛並みに左右で色の違う不思議な瞳をしたフレンズが腰に両手をあてて仁王立ちしていた。

 色鳥西中学校1年生、白虎シロである。

 彼女は守護けものビャッコの血を引いており、ビャッコモータースの社長令嬢でもある。

 

「頼んだぞ!ホワイトタイガー!」

「はっ!シロお嬢様に勝利を!」

 

 そのシロの側には彼女によく似た白い毛並みのトラのフレンズが控えていた。

 彼女はホワイトタイガー。白虎家に仕える執事の家柄だ。

 

「先輩方もよろしくお願いします!」

 

 バサリ、とシロはポンポンを振りかざした。

 シロだけは白を基調としたチアガール衣装に身を包んでいた。

 やたらとスカートが短いが、白虎家の加護『鉄壁スカート』はこの時代でも維持されているのでそう簡単にはめくれないらしい。

 

「うん!シロちゃんも応援ありがとねー。」

「シロちゃんお菓子食べるー?」

「ありがたくいただくのだー!」

 

 白虎シロ。1年生ながらにして今年の色鳥西中学校の応援団に立候補していた。

 それに今年は彼女よりも一つ年上のホワイトタイガーが陸上部のレギュラーになっている。応援しないわけにはいかない。

 あと、ジャパリ女子中学には同じく四神の血筋の娘であるアオイがいる。

 ますます負けるわけにはいかない。

 と、先輩方からもらったスナック菓子で口元を汚しながら思うシロである。

 ホワイトタイガーがハンカチで口元を拭って綺麗にしてくれた。

 そんな折だった。

 

「た、大変だよー!みんなー!」

 

 と陸上部の生徒が一人、色鳥西中学校の集合場所に駆け込んでくる。

 

「一体何事なのだ。」

 

 と貫禄たっぷりに訊ねるシロ。1年生でしかも補欠にすら選ばれていないとはとても思えない。

 

「ジャパリ女子のプロングホーンちゃんとチーターちゃんが欠場なんだって!?」

「な、なんじゃとぅ!?!?なんでー!?!?」

 

 と、途端に取り乱すシロ。

 

「なんか急に体調を崩したとかで…。」

「それはいかん!?ホワイトタイガー!医務室の準備は整っておるな!」

 

 バッ、とホワイトタイガーに向けて手を伸ばすシロ。その手の先にポンポンが握られたままになっているのを見て、一度座席にそれを置く。

 そうしてから扇子を取り出し、バッ、と先程と同じようにホワイトタイガーに向けて手を伸ばし扇子の先で指し示してから…

 

「それはいかん!ホワイトタイガー!医務室の準備は整っておるな!」

 

 とやり直した。

 

「はい。大会運営スタッフには緊急事態に備えて養護教諭の資格をもったスタッフも待機しております。」

 

 なんせここは白虎の名を冠するスタジアムなのだ。

 万が一の事態に備えておくことはスポンサー企業であるビャッコモータースの利益にも繋がる。

 シロのお付きであるホワイトタイガーがそれを把握しているのは当然だった。

 

「ならば行くぞ!ホワイトタイガー!」

 

 シロはホワイトタイガーを引きつれてジャパリ女子中学の集合場所へ向かう。

 ついてみればそこはお通夜ムードといった様子だった。

 ジャパリ女子中学陸上部のプロングホーンとチーターの二人は精神的にも支柱といっていい。

 それが欠場となれば無理もあるまい。

 いたたまれない気持ちになるシロに声を掛ける者がいた。

 

「あら。シロちゃん。お久しぶりです。」

 

 守護けものの血筋である青龍アオイだった。

 シロは知り合いを見つけるといてもたってもいられずに訊ねる。

 

「なあ、アオイ。そちらの部長と副部長は大丈夫なのか?医務室も空いているからそちらで休んでもらってもよいのだぞ。」

 

 口調の割にはこの場で一番取り乱しているように見えるのはシロだった。

 

「心配してくれてありがとう。でも二人ともまだ諦めていないようですから。」

 

 対するアオイは落ち着いたものだった。

 不安そうにホワイトタイガーを振り返るシロ。どうしたらいいのか、と視線で問う。

 

「先方の意思を尊重するのがよろしいかと。ですが、助けが必要とあればお声掛け下さるようにお願いしてはいかがでしょうか。」

「う、うむ!そう。そうだな!」

 

 シロはホワイトタイガーに何度も頷くとアオイにいつでも力になるから言って欲しいと伝えておく。

 アオイも礼を言うと、陸上部の先輩達に事情を伝えておいた。

 正直、ありがたい申し出だし、心強くもある。

 

「そういえば、アオイ。アオイもチアガールなのだな。シロとお揃いだ。」

 

 伝える事を伝え終わったらシロも余裕を取り戻した。

 ようやくアオイもチアガール衣装なのに気づく。もっとも衣装は色が違うし、シロのようにスパッツなしというわけではなかったが。

 そうしていたら、ともえとゴマも戻って来た。

 はて?イエイヌと萌絵はどこに行ったんだろう。と思っていると、ともえはユキヒョウやルリやアムールトラ達にこしょこしょと何事かを告げる。

 その内緒話を聞いた彼女達は最初驚いていたが、ルリとアムールトラは連れ立ってどこかへ行ってしまった。

 そして、ユキヒョウはアライさんとフェネックのところにも行ってこれまたこそこそと内緒話だ。

 アライさんとフェネックも随分と驚いた表情をしていたが、一体全体何があったというのだろう。

 アオイが不思議そうにしているとシロはなんと、ともえのところにスタスタと歩いていくと声を掛けた。

 

「白虎シロなのだ。色鳥西中学校の応援団なのだ。何か困っているのか?」

 

 最初ともえは目を白黒させていたが、目の前の女の子の小ささに相好崩す。

 

「あ、ええとアタシは遠坂も……ともえ。ジャパリ女子中学の応援団団長なの。よろしくね。」

 

 と挨拶を返すのだが、アオイは何か違和感を感じていた。

 ともえはいつもと変わらない。

 緑がかった髪色に同じ色の爪。左右で色の違った光を宿した瞳。それに衣装だって今日も団長のトレードマークである学ランをマントのように羽織ったチアガール姿だ。

 でも何か変だった。

 そんなアオイの違和感は置いておいてシロはともえと話を続けていた。

 

「ジャパリ女子は何か大変だと聞いているのだ。もしもシロ達に何か出来る事があるなら出来る限り力になるのだ。何でも言って欲しいのだ。」

「ほほう。それは助かるのう。」

 

 とやって来たのはユキヒョウだ。

 

「シロ殿、久しいのう。」

「おお、ユキヒョウ。そういえばユキヒョウもジャパリ女子中学だったな。」

 

 どうやらユキヒョウも親の繋がりでシロとは面識があるらしい。

 さすが社長令嬢同士と言ったところか。

 

「ところで力になる、と言ってくれたのう。ならば一つ頼み事があるのじゃ。もしもよかったらなんじゃが…。応援は西中学校とジャパリ女子で合同に出来ぬかのう?」

「うーん。それはどうしてまた?」

 

 ユキヒョウの突然の提案にシロは小首を傾げる。

 

「正直、今のジャパリ女子はこの通り意気消沈もいいところじゃ。だから大人数での応援で少しでも元気を出して貰いたいと思っての。」

 

 なるほど、とシロは納得した。

 

「無論、西中学の応援は我らも手伝おう。どうじゃ?」

 

 ふぅむ、と考え込みながらともえの方を見れば、うんうん、と頷いていた。

 あちらの応援団長はそれで良しとしたようである。

 チラ、とホワイトタイガーの方を振り返るシロ。どう思う?と視線で問う。

 

「よろしいのではないかと。エール交換などは伝統的に行われておりましたし、集合場所もお隣同士ですし。こちらの先輩方にもそのように話を通しましょう。」

 

 エール交換とは他校の応援もしあう、というものである。

 競技開始前などに各校の健闘を祈って行われるもので各校の応援団が出場校全てにエールを送るものだ。

 その延長で合同応援というのもなくはないだろう。

 こういう形で勝利しても、色鳥西中学校としても嬉しくはないだろうし出来る限りジャパリ女子中学校にも万全の状態で出場して欲しい。

 そこまでを考えてシロはバッ、と扇子を広げる。

 

「うむ!ならばホワイトタイガー!よきにはからえ!」

 

 そう宣言するシロにともえはホッと胸を撫で下ろしていた。

 そして心の中でこう思う。

 

「(ともえちゃんー!お願いだから早く帰って来てねー!?)」

 

 今、この場にいるともえは萌絵だった。

 何を言っているのかわからないとは思うが、どうしてこうなったのかを語るには少しだけ時間を遡る必要がある。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「どうにかなる方法。あるにはあるよ。相当無茶だけど。しかも無茶するのアタシだけど。」

 

 ついさっき、観客席に戻る通路での出来事である。

 萌絵は確かにそう言った。

 萌絵が一体全体何をするつもりなのか。ともえもイエイヌもゴマも続く彼女の言葉を待つ。

 

「ええっと…。あったあった。変身スプレーかっこかりー。」

 

 てーれってれー、と自分で妙な効果音まで入れて萌絵が制服のポケットから小さなスプレーを取り出す。

 

「ええっとね。これはこの前“教授”が来た時に一緒に作ったの。正直失敗作かなーって思ってたけど、ものすごーーーく限定的な使い方は出来るから一応持ってたんだ。」

 

 そのスプレーは一体?と残る三人の視線が集中する。

 

「このスプレーが使えるのって今のところアタシだけなの。これを使うとアタシの髪の色がともえちゃんみたいになって爪の色とか目の色もともえちゃんそっくりになるんだー。」

 

 試しに萌絵は自分に向けてスプレーをひと吹き。

 するとみるみるうちに萌絵の黒髪が緑がかった髪色に変わっていった。

 それに爪の色もともえと同じ翡翠のような色だし、瞳にも左右で色の違う光点が宿っていた。

 

「どうかな?」

 

 と両手を広げてみせる萌絵。

 

「おおお!?萌絵お姉ちゃんがともえちゃんそっくりになってます!?」

 

 イエイヌは驚きが止まらない。くんくん、と萌絵の周りを回って匂いを嗅ぐ。

 匂いは萌絵なのに姿はともえ。なんとも不思議だ、とイエイヌは何度も首を傾げていた。

 ここに至って、ともえとゴマは萌絵が何をするつもりなのかを理解した。

 

「まさか…。入れ替わる気か?ともえと。」

 

 ゴマの言葉に頷く萌絵。

 

「そ、それは無茶なんじゃ…。」

 

 ともえが戸惑うのも無理はない。

 なんせ、ともえと萌絵は友達から『世界一見分けやすい双子』と言われるくらいだ。

 それは何も髪色が違うから、というばかりではない。

 二人は纏っている雰囲気が大分違うのだ。

 確かに似ている部分は多いけれど、それでも萌絵がともえと入れ替わって皆の前に立つのは相当無茶なんじゃないだろうか。

 

「そうですよ!ともえちゃんはこれから応援団長のお仕事がありますから…。だから…。」

 

 無茶だ、とイエイヌは続けたかった。

 萌絵は激しい運動が苦手のはずだ。

 それなのに、ともえと入れ替わるということは応援団長になるという事だ。

 正直荷が勝ち過ぎている。

 けれどそれは言えなかった。萌絵の意思が固い事がその目を見れば明らかだったからだ。

 それにそんな事は萌絵だってよくわかっているはずだった。

 

「だからね、ともえちゃん、イエイヌちゃん。早くセルリアンをやっつけて戻って来てね。」

「な、なんでそこまで…。」

 

 ゴマは絞り出すように萌絵に訊ねる。

 萌絵に出来る事は少ない。

 それでもこの事態に彼女だって自分に出来る精一杯をしたいのだ。

 理由は簡単。

 

「だって、友達を助けちゃいけないなんてルールはなかったもんね。」

 

 いつかゴマ自身が言っていた不思議な言い回しでもって萌絵は笑って見せた。

 そう言われてしまえば、ともえもイエイヌもゴマも萌絵の覚悟を受け入れるしかなかった。

 

「お姉ちゃん。なるべく早く戻るから。」

「うん、お願いね。」

 

 ともえと萌絵は手近な更衣室を借りて服を交換する。

 そうしてしまえば、今の萌絵は見た目だけは本当にともえと見分けがつかない。

 

「よし!じゃあいこう、イエイヌちゃん!」

「わかりました!」

 

 ともえとイエイヌは頷き合うと同時に叫ぶ。

 

「「変身!」」

 

 こうしてクロスハートとクロスナイトのセルリアン追走劇が始まろうとしていた。

 

 

―中編へ続く。

 




【用語解説:コレクター】

 コレクターとはセルリアンフレンズの一人、セルシコウが異世界から持ち込んだアイテムである。
 見た目はスマートフォンのような板状の形状をしている。
 コレクターの機能はセルリアンが倒された際に飛び散るサンドスターを回収して、そのセルリアンを“セルメダル”化する事が出来る。
 この機械も貴重なものなのか、セルシコウしか持っていない。
 なお、セルシコウ以外がセルリアンを倒した際に一時的にそのサンドスターを保管する“アンプル”というアイテムも存在する。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話『未来へつなぐバトン』(中編)

「う、うへぇ……。」

 

 ともえと入れ替わった萌絵は大きく息を吐く。

 そのままその場にヘタれこみそうになるが、両脚を踏ん張って我慢だ。

 たった一度の声出しで萌絵はもう息も絶え絶えだった。

 ユキヒョウが慌てて水を差しだして来る。

 

「大丈夫かの?やはり理由を付けて休んでいた方が…。」

 

 ユキヒョウ、アライさん、フェネックの3人には既に事情を説明した。

 なのでこうして気遣ってくれる。

 今もアライさんとフェネックの二人が声出しの続きを買って出てくれていた。

 そして、ルリとアムールトラはこっそりと抜け出して今頃セルリアン探しに加わってくれているはずだ。

 自分だけが休んでいるわけにはいかない。

 それに何より、応援団の数が減った事を目立たせるわけにはいかない。

 幸いにして、シロ達率いる色鳥西中学校の応援団も合流してくれたから、イエイヌ達が抜けた穴も目立ってはいなかった。

 今は西中学校とジャパリ女子で合同の声合わせの最中だ。

 

「うむ!だんだん様になってきたな!」

 

 えっへん、と言いたげにシロは両手を腰にあてて仁王立ちだ。

 その隣は今は応援団副団長にして生徒会副会長でもあるアライさんが同じようにえっへん、と両手に腰をあてる。

 

「アライさんとシロがいるのだ!当然なのだ!」

「そうだな!当然だな!」

 

 言って二人して「「はーっはっは!」」と高笑いをあげる。

 ジャパリ女子も西中学校の面々も同じ事を思っていた。なんだか似た者同士の二人だなあ、と。

 二人の保護者的ポジションにあたるホワイトタイガーとフェネックも顔を見合わせて小さく笑っていた。

 ともかく、萌絵もいつまでも休んでいられない。

 

「みんな、ごめんね。もう平気。」

 

 と戦列に復帰する。

 

「そうか!それは何よりだ。だけど何かあったら無理せず言うのだ。なんせこのシロ様がついているのだからな!」

「アライさんもついているからな!」

「「はーっはっはっは!」」

 

 言ってまたも二人して高笑いするシロとアライさん。シロはともかくさっき事情を説明したはずのアライさんまで素でやっているのはどういう事だろう、と苦笑が漏れる萌絵だった。

 そうしてシロとアライさんが注目を集めている間にフェネックが萌絵に近づいてこそっと耳打ちしてくれる。

 

「萌絵さん。声を出す時はお腹から。この辺りに力を入れて意識するだけでも大分違うから。」

 

 ぽんぽん、と萌絵のおへそあたりを叩くフェネック。

 なるほど、音楽の授業とかでもそんな事を言っていた。

 

「みんなー!ごめんねー!もう平気!じゃあ応援頑張っていこー!」

 

 フェネックの言う通りにしてみたら以外と大きな声が出た。

 

「無理に喉で大きな声出そうと思うとすぐに声枯れちゃうからねー。」

 

 フェネックは微笑むと萌絵の隣に陣取る。

 

「わらわも及ばずながらサポートさせてもらうのじゃ。」

 

 そして逆側の隣はユキヒョウだ。

 

「「はーっはっはっは!」」

「シロに!」

「アライさんに!」

「「お任せなのだー!」」

 

 で、アライさんとシロの二人はもうすっかり意気投合しました、と言わんがばかりに全く同じ動きで腰に手をあて仁王立ち。

 そこからの高笑いだ。

 そんな調子だから他の生徒達の注目はこの二人に集中して、萌絵の姿を隠してくれる。

 

「まあ…あの二人は…。」

「多分何も考えてなさそうじゃがな。」

 

 フェネックとユキヒョウは苦笑が漏れる。

 何も考えてなくても最適な行動がとれてしまう。それはそれで才能といもうのか、なんて思ってしまう。

 こうして西中学校を加えた応援団は人数が増えた分、萌絵がともえと入れ替わっている違和感を少しは薄くしてくれていた。

 一計を案じたユキヒョウも狙い通り、とホッと一息だ。

 だが、同じ応援団であるアオイ、キタキツネ、ギンギツネの3人はやはり違和感を拭い切れずにいた。

 

「っていうか…。アレ…萌絵先輩じゃない…?」

 

 ギンギツネがアオイとキタキツネを集めて3人でこそこそ内緒話だ。

 さすがに『世界一見分けやすい双子』と言われるだけあって、最近ずっと応援団で一緒だったギンギツネは違和感の正体に気づいていた。

 

「でもさー、ギンギツネ。髪の色とかはともえ先輩じゃん?ちょっと調子悪いとかじゃないの?」

 

 キタキツネの言葉にアオイも同意、と頷いていた。

 

「髪色は染めたりカラーコンタクトとかで何とかなるかも?」

 

 とギンギツネは自分で言うものの、そこまでの手間をかけて萌絵がともえと入れ替わるような理由は全く想像がつかなかった。

 ふぅむ、とアゴに手をあて考え込むキタキツネ。

 

「イベントフラグ…。イベントフラグが立ってミッション開始したんじゃないかな。」

「またあなたはすぐにそうやってゲームに当てはめて考えるんだから。」

 

 そんなキタキツネの意見にギンギツネは呆れ顔だ。

 だが…。

 

「でも待って下さい。キタキツネちゃんの言う事にも一理あるかも。」

 

 生真面目なはずのアオイまでそんな事を言い出すからギンギツネは驚いて目を見開く。

 

「やっぱり恋する乙女は変わるのね…。」

「その話は今はいいですからっ!?」

 

 アオイはコホンと一つ咳払いしてから続ける。

 

「ともえ先輩が何かあってイエイヌ先輩と何かしてて…でもってルリちゃんとアムールトラちゃんが手伝いに行ってるんだとしたら…。」

 

 何かってなんだ、とは自分でも思うアオイだったが、そう考えれば合点はいく。

 

「ともえ先輩が応援団を抜けてまでしなきゃいけない何か…。」

 

 それは何だろう。やはり想像がつかない。

 そんなところにキタキツネがハッとする。

 

「時限イベントミッション…!時限イベントミッションが始まったんだよ!」

 

 なんだそれは、と思うギンギツネとアオイ。

 

「ほら!RPGゲームでよくあるでしょ!制限時間内にミッションクリアしないといけないヤツ!タイマー出てすっごい焦るヤツ!でもって宝箱とろうかどうしようか迷うヤツ!」

「ああ。遠回りして取った宝箱の中身がハイポーションで、あなたコントローラー投げてたわね。」

「今はそれはいいの!」

 

 そう言われるとアオイもキタキツネが言いたい事がわかった気がした。

 

「つまり、止むにやまれぬ事情があるって事ですね。」

 

 正直そんな事態とは一体何なのか、アオイ達には全くわからない。

 だがわからないなりにやる事は決まった。

 

「じゃあフォーメーションBね!」

 

 言ってキタキツネもユキヒョウの隣に並んだ。

 アオイはそんなキタキツネの背中を見ながらギンギツネに訊ねる。

 

「そんなのありましたっけ?」

「多分、今決めたんでしょ。」

 

 ノリと勢いで生きてます、と言いたげなキタキツネに苦笑しつつアオイとギンギツネも戦列に加わる。

 萌絵を中心に密集隊形だ。

 どうやらそれがフォーメーションBらしい。

 

「団長!団長はあんまし難しい動きはしなくて大丈夫だからっ!」

 

 キタキツネが萌絵を見上げてやたらキラキラした目を向けてくる。

 どうやら萌絵がともえと入れ替わっているのをバレないようにする事を自分のイベントミッションだと定めたらしい。

 

「同時進行イベントとか超燃える……!」

 

 どういうわけかキタキツネの闘志には火がついたようだ。

 

「事情はわかりませんが、手伝いますよ。団長。」

「ええ。今日は私たちがサポートに回る番ですね。」

 

 それはどうやらアオイもギンギツネも同じらしい。

 なんせ萌絵には練習中に随分とかいがいしくサポートしてもらった。

 その恩を返せるなら細かい事情などどうでもいい。

 そして、一方の萌絵もこの3人にも入れ替わりがバレている事は分かった。

 練習中は『団長』呼びなどしなかったからだ。

 

「ありがとう。キタキツネちゃん。ギンギツネちゃん。アオイちゃん。」

 

 それでも手伝ってくれる、という3人に今は甘える事にする。

 萌絵にはともえの代わりに応援団の団長なんて絶対無理だ。

 けれども仲間達と一緒だったら絶対無理なんて事はない。

 

「じゃあみんな!まずは最初の競技!ハードル走からいくよ!」

 

 萌絵の号令に全員が「「「おおー!!」」」と揃って返事した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 クロスハートは薄暗い通路を走る。

 オレンジがかった髪色に耳の先は黒く尻尾の先端は白の毛並みに覆われている。

 纏う衣装は袖なしのスカジャンに白のミニスカート。そして首にヘッドフォンをかけていた。

 クロスハート・キタキツネフォームだ。

 彼女は既に『マグネティックサーチ』を使っていた。

 それはキタキツネという動物の、磁場すら感じとると言われる程に鋭敏な感覚器官を総動員した索敵技だ。

 

「セルリアン……どこにいるの…!」

 

 ぐるり、とフィールドを囲む形で配置された観客席。

 その観客席とフィールドをつなぐ通路には人気がなかった。

 クロスハートとクロスナイトはそこを走ってセルリアンを探していた。

 もう間もなく一周ぐるりとスタジアムを周り終わる。

 なのに、今のところセルリアンの反応はなかった。

 

「(焦ってますね…。)」

 

 そんなクロスハートに付き従うクロスナイトはそう感じていた。

 つい先日、萌絵が風邪を引いた時もそうだった。

 クロスハートは萌絵が心配なのだ。

 それはクロスナイトだって一緒だ。

 一刻も早くセルリアンを倒して萌絵の元に戻りたい。

 でも焦ってもいい事はない。何とかクロスハートの気持ちを落ち着かせる事は出来ないか。

 ふむ、と考えたクロスナイト。

 周りをキョロキョロしているクロスハートに後ろから近づく。

 

「えい。」

 

 言いつつ、クロスナイトはクロスハートを思い切り抱きしめてついでにモフモフしてみた。

 

「お、おぉ…。こんな感じなんですね…。」

 

 今はクロスハートにも狐耳と尻尾が生えている。普段とは逆にモフモフされる側になったクロスハートは目を白黒させた。

 

「あ。ええと…。普段ともえちゃんや萌絵お姉ちゃんにされてばっかりだから、わたしもしてみたかったんです。」

 

 こんな時に何を、と思うクロスハートだったが尻尾のあたりを撫でられるとお尻の辺りがやたらムズムズした。

 

「も、もう!イエイヌちゃん!?後にしよう!?」

 

 思わず変身前の呼び名が出てしまったクロスハートをパッと放すクロスナイト。

 そうすると、真正面からミラーシェードの奥にある瞳と目が合った。

 

「萌絵お姉ちゃんなら大丈夫です。だってわたし達のお姉ちゃんですから。」

 

 理屈になっていないクロスナイトの言葉だったが、それでもクロスハートは不思議と納得してしまっていた。

 

「そう…。だね。うん!なんたって萌絵お姉ちゃんは世界一のお姉ちゃんだもんね!」

 

 そうか、世界一か。それは大きく出たなとも思うが、クロスナイトも同じ気持ちであった。

 それに何より、クロスハートの顔がいつも通りに戻っている。何をしでかすかわからない不敵な表情に。

 それでこそだ、と思うクロスナイト。

 クロスハートは「よし!」と気合を入れ直して顔を上げた。と同時に…

 

「あ。」

 

 と思わず声をあげてしまった。

 顔をあげて気が付いた。上の方からセルリアンの反応があるのを。

 人間意識しないと頭上への意識というのは散漫になってしまう。

 それにここはドーム状のスタジアムだ。

 頭上には天井しかないと思い込んで索敵範囲から外してしまっていた。

 

「クロスナイト!こっち!」

 

 クロスナイトの手を引いて通路から飛び出すクロスハート。

 観客席へ飛び出した二人は上を見上げる。

 そこにはドームの屋根を支える鉄骨が見えた。

 この白虎スタジアムは天井が開閉式のドームとなっている。

 開閉式の屋根は天井パネルがレールの上を移動して開閉する仕組みだ。

 そのレールが梁となって天井を支えるわけだが、その骨組みの隙間にセルリアンが隠れていたのだ。

 遠目にもその姿が確認できる。

 

「あれって……。プロングホーン先輩と…。」

「チーター…さん?」

 

 その姿はプロングホーンとチーターの二人を足して二で割ったような姿をしていた。

 上はブラウスにヒョウ柄のネクタイ。下はブルマ。そこにスカートの代わりだとでも言うように長袖ジャージを腰に巻いている。

 その上、左右の足は片方がヒョウ柄ニーソックス。片足は白ソックスとそれぞれで違っていた。

 そしてヒョウ柄の尻尾に頭に二本のツノを持っている。

 黒ずんだ水のような色と顔の大部分を占める一つ目のおかげでそれがセルリアンだと一目でわかった。

 

「あれ…。チーター先輩とプロングホーン先輩それぞれの“輝き”から生まれたセルリアンなんだ…。」

「そうですね…。」

 

 二人で思わず固唾を飲む。

 そうしてからクロスハートはそのセルリアンを指さしながらクロスナイトに訊ねた。

 

「チープロンとプロンターンどっちがいいかな!?」

「何がですか!?」

「名前だよ。『プロングホーン先輩とチーター先輩の“輝き”から生まれたセルリアン』だと長すぎるでしょ?」

 

 クロスナイトも、「確かに長いけれども、それどころじゃないんじゃないかなあ…。」と若干呆れ顔だ。

 それにセルリアンはセルリアンと呼んでおけばいいんじゃないだろうか。

 しかし、クロスナイトはそんなツッコミを入れるのは諦めた。こんな事で言い争ってもそれこそ無駄というものだ。

 代わりに…。

 

「じゃあチープロンで…。」

 

 と答える。こっちの方が若干だけど語感がいい気がしたのが理由だ。

 プロングホーンとチーターの特徴を持ったセルリアン、通称チープロンの方はと言えば、チラ、とクロスハートとクロスナイトの方を見る。

 すると、そのまま梁の上をスルスルと滑るように移動しはじめた。

 やがてチープロンは屋根の梁のはじっこまで辿り着くと姿を隠した。

 一体どこに…。

 

「クロスハート!見て下さいっ!」

 

 クロスナイトの指さした先には梯子と点検口があった。

 その小さな穴にチープロンは入って行ってしまったのだ。

 一体それはどこに繋がっているのか。

 その疑問にはついに追いついた魔女帽子の小さな女の子、クロスラピスが答えてくれた。

 

「あそこ…。多分屋根の上に出るはず。」

「そりゃあええわ。人の目がない分思いっきり暴れられる。」

 

 そしてその後ろにはシルクハットに開けられた耳用の穴から猫の耳をピョコンと出したクロスラズリも控えている。

 

「二人も来てくれたんだ!ありがとう。」

「ちょっと着替えに手間取っちゃったけど。遅くなってごめんなさい。」

 

 そういう二人の格好はいつもの帽子にお揃いの短いケープと目元を隠す仮面をつけている。

 急いで駆けつけてくれたのか、ベース衣装はチアガールのままだ。

 ともあれ、これで役者は揃った。

 4人は頷き合うと立入り禁止の看板を越えて進む。

 チープロンの消えたのとは逆側にも同じような点検口があるはずだ。

 スタッフ専用通路ではあるが、緊急事態だ。止むを得ない。

 4人のヒーロー達も白虎スタジアム屋上へと向かうのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一方会場では最初の競技である女子100mハードル走が始まろうとしていた。

 ジャパリ女子の代表選手はゴマである。

 去年の新人戦ではかなりの好成績を残しており今大会でも期待されていた。

 けれども、その集中力は今、散漫になってしまっていた。

 なんせ心配ごとが多すぎる。

 まず、プロングホーンとチーターの二人の事。

 自分の頼みを聞いてセルリアンを追ってくれているともえやイエイヌの事。

 それに、今、ともえと入れ替わって応援団長をしてくれている萌絵にだって無理をさせてしまっている。

 

「こんな時に俺だけこんな…。」

 

 考えれば考える程、集中出来なくなっていく。

 なのに、このハードル走には強敵が待ち構えていた。

 同じく2年生、色鳥西中学校のホワイトタイガーも出場するのだ。

 去年の新人戦で戦った相手だが力強い走りをする選手だ。

 ホワイトタイガーは心配そうにゴマの方を見ていた。

 成り行きとはいえ、色鳥西中学校とジャパリ女子中学は今は共同戦線を張っている相手でもある。

 2人のエースを欠いてしまった事に同情はするが手を抜くつもりはない。

 ホワイトタイガーにも負けられない事情がある。

 

「がんばれぇー!ホワイトタイガー!」

 

 ピョンピョンと観客席で飛び跳ねる小さなフレンズ、シロの姿が目に入る。

 ホワイトタイガーは彼女の為にも負けるわけにはいかない。

 

「(だってシロ様にいいとこ見せたい!)」

 

 普段はクールな表情を保つホワイトタイガーではあるが、なんだかんだでシロの事は大好きなのだ。

 そんな彼女に応援されて張り切らないわけがない。

 

「悪いが手は抜かんぞ。」

 

 ライバルでもあるゴマに言ってからホワイトタイガーはコースに入る。

 相手は強く闘志も燃えている。

 なのに、ゴマの方は集中が乱れてしまっている。

 最初のハードルすら飛べる自信がない。

 それでも走らなくてはならない。

 どうしたらいい、という思いとどうしようもないという諦めの気持ちと共にコースに入るゴマ。

 と、同時に大きな声が響いた。

 

「ゴマちゃああん!頑張ってぇー!」

 

 それは今、ともえと入れ替わっている萌絵からのエールだった。

 続いてジャパリ女子応援団からのコールも続く。

 その姿にゴマの心にももう一度火が灯る。

 そうとも。運動が苦手のはずの萌絵がここまでしてくれているのだ。

 諦めている場合ではない。

 

「おうよ!」

 

 自身を鼓舞する為にもゴマは応援団に応えて手を振って見せた。

 と、その観客席に信じられないものを見た。

 さっきまで横になっていたプロングホーンとチーターの二人が立ち上がってゴマの方を見ていたのだ。

 顔色は未だ悪く、立っているのだけでも辛そうな二人が真っすぐにゴマを見てくれている。

 ゴマと目が合ったプロングホーンとチーターは頷いて見せた。

 言葉はなくとも分かる。

 二人は自分の勝利を信じてくれている。

 

「ビビってる場合じゃねぇ…!」

 

 自身の頬をピシャリと両手で打って気合を入れ直すゴマ。

 その目には強い光が宿っていた。

 ここで走らないでどうする。友達の為にも、先輩の為にも。

 その思いがもう一度ゴマの闘志を燃やしていた。

 ゴマも自分のコースに入る。

 ちょうどホワイトタイガーの隣のコースだ。

 と、ホワイトタイガーもゴマの表情を見るや、ニヤリと不敵に笑って見せた。

 相手にとって不足なし、とでも言いたそうだ。

 そういえば、ホワイトタイガーにも心配を掛けてしまっただろうか、と思うゴマ。さてなんと声を掛けたものか、と思案する。

 手は抜かない、と言っていたのだから望むところだ、と返すのがいいだろうか?いや…。それは自分らしくない。

 なら自分らしくこう言うか。

 ゴマはそこまでを考えて、ポン、とホワイトタイガーの肩を叩く。

 

「おい、どうした?ビビってんのか?違うんだったら勝負してみろ。」

 

 その物言いにホワイトタイガーは確信した。

 ライバルも土壇場ではあるがベストコンディションになったのだ、と。

 

「上等…!」

 

 ホワイトタイガーもますます燃える。

 このままぶっちぎりで勝っても歯ごたえがないというものだ。

 いよいよ選手達全員がスタート位置についた。

 それぞれに両手を地面につけてクラウチングスタートの体勢だ。

 

「位置について。用意ッ!」

 

 スタート係の合図で一斉にお尻をあげて両足に力を込める。

 

―パァン!

 

 スタートピストルの号砲と同時、全員が弾かれたように飛び出した。

 クラウチングスタートは練習すれば普通に立ってスタートするよりも早くトップスピードに乗せる事が出来る。

 このスタート方法で綺麗な加速を見せたのはこの二人、ゴマとホワイトタイガーの二人だった。

 他の選手を引き離してぐんぐん加速していく。

 頭一つ抜きん出たのはホワイトタイガーだ。

 どうやらハードルなしでの単純なスピードだけならホワイトタイガーに分があるらしい。

 

「(けど…!)」

 

 ゴマにだって勝機はまだまだ十分だ。

 ハードル走はハードルをいかにスピードを落とさずにテンポよくクリア出来るかが重要だ。

 まずはホワイトタイガーが最初のハードルをクリアする。

 まるで獲物に飛び掛かる虎の如き豪快なジャンプだ。スピード、勢い、そして着地、どれを取っても申し分がない。

 続いてゴマが最初のハードルに向けて飛ぶ。

 上体を前へ倒して最小限の高さでハードルをクリア。無駄のないジャンプだ。

 次のハードルに向かうホワイトタイガーとゴマ。

 一歩、二歩。

 三歩目で再び踏み切りジャンプ!

 まずホワイトタイガー、続いてゴマが第二ハードルをそれぞれクリア。

 少しずつ差が縮まっていく。

 

「(イケる!)」

 

 ジャンプの手応えにゴマは自信を深める。

 ハードルをクリアできるギリギリの高さに抑えられたジャンプでひたすら前へと進む。

 三つ目のハードルでホワイトタイガーとゴマが並んだ。

 4つ、5つ、6つとハードルをクリアする度にゴマが少しずつホワイトタイガーを引き離す。

 もう、ゴマの耳には他の選手の事も、応援団の声援も届いていなかった。

 極限まで高まった集中力が音も何もかもを置き去りにする。

 ハードル走では全部で10個のハードルを跳び越す。残りは4つのハードルだ。

 7つ目、8つ目と順調にハードルをクリアしていくゴマ。

 ホワイトタイガーも必死に追いすがるが差は広がっていく。

 そして9つ目のハードル。

 再びゴマがジャンプ。

 

―チッ!

 

 と擦過音が響いた。

 ほんのわずかにではあるが足がハードルに触れたのだ。

 

「(しまった!?)」

 

 わずかではあるが、それでも体勢は崩れる。

 ハードルをギリギリで跳び越せる高さにジャンプを抑えてきた事が裏目に出た。

 高さを抑えればその分、スピードは出せるがこうした不測の事態には弱くなってしまう。

 ハイリスクハイリターンを続けたゴマに今まさにツケが回って来てしまったのだ。

 残るハードルは一つ。

 崩れたテンポ、崩れた体勢で跳び越せるか!?

 ゴマの脳裏にハードルに激突する自分の姿が見えた気がした。

 

「(ダメなのか……。)」

 

 ハードルまでは残り3歩。その一歩目で体勢が大きく崩れる。

 最後のハードルがやけに高く感じる。

 このまま止まらずにハードルに突っ込めば故意にハードルを倒したとして失格。無理やり跳べば怪我だって有り得る。

 二歩目はさらに大きく体勢が崩れた。

 

「ゴマァアアアアアアアアアアアアア!」

 

 瞬間、大きな声が響いた。

 プロングホーンが両腕を組んだ仁王立ちでゴマにあらんかぎりの声で叫んだのだ。

 

「(そうだ…!何ビビってんだ…!!)」

 

 最後の3歩目。

 ゴマは転倒しそうになるのをグッと堪えて無理やりに踏み切り、跳んだ!

 

「(諦めねぇ!諦めていいわけねぇ!)」

 

 スピードは十分、しかし高さが足りない。

 

―ガシャン!

 

 と大きな音を立ててハードルが倒れる。

 しかし、それでも跳んだ。

 それが重要だ。

 ハードル走では、故意でないならハードルを倒してもペナルティはない。

 完全にスピードと勢いとバランスを失ったゴマだが、それでも全てのハードルをクリアした。

 最後の着地、もうゴマはバランスを取る事は諦めた。

 ゴロリ、と前転の要領で一回転してそのまま走り出す!

 

「(ここで諦めてみろ!どんな顔してともえや萌絵やイエイヌに会えるってんだ!)」

 

 勢いとスピードは失ったが、それでも前へ進むゴマ。

 そんなチャンスをホワイトタイガーが見逃すはずはなかった。

 彼女は全てのハードルを綺麗にクリア。そのままの勢いで先行していたゴマに追いつく。

 ハードルはもうない。

 素のスピードだけならホワイトタイガーに分があるのはさっき証明されていた。

 

「(けど負けるかよっ!)」

 

 地面を転がった事で埃まみれになってしまったが、それでも止まるよりはマシだ。

 ゴマは最後の意地を込めてスプリントを敢行。

 歯を食いしばり、漏れそうになる息を抑え込んで必死の形相で食らいつく!

 長いようで短い一瞬の間。

 ホワイトタイガーとゴマはほぼ同時にゴールを切った。

 審判が集まって着順と失格がないかどうかを協議する。

 ハードル走では故意でないならハードルを倒しても失格にはならない。

 しかし、自分のコースからハミ出したりした場合には失格になってしまう。

 ゴマが最後のジャンプを跳んだ時、もしかしたらコースをハミ出してしまっていたかもしれない。

 最後の着地で転がった時も同じだ。

 やがて着順が発表される。

 失格にだけはなってくれるなよ、と祈る気持ちで着順発表を待つゴマ。

 

「1着、ジャパリ女子中学、ゴマ選手。2位、色鳥西中学、ホワイトタイガー選手。」

 

 発表された着順にゴマは右の拳を大きく突き上げる。

 

「見事。よい勝負だった。」

 

 ホワイトタイガーも敗れた悔しさはあるものの、悔いはなかった。

 全力を出し切ったが、相手の意地がそれを上回っただけの事だ。

 だから右手を差し出した。

 ゴマもしばらくそれを呆けたように見ていたが、同じく右手を出して握り返す。

 固い握手を交わした後にホワイトタイガーはニヤリとする。

 

「生憎とタオルもハンカチも観客席に置いて来てしまった。汚れを拭うのは戻るまでお預けだな。」

 

 自分の頬っぺたをツンツンして汚れがついているよ、と教えてあげるホワイトタイガー。

 対してゴマは慌てて自分の手で頬っぺたを拭う。

 が、かえって汚れが広がってしまった。

 そんな顔を見せるゴマにホワイトタイガーは苦笑する。

 みんなのところに戻る前には何とかしてやりたいが、その必要もないかもしれない。

 ちょっと格好はつかないかもしれないが、それはそれで勝利をもぎ取った者の顔として恥ずかしいものではないのだから。

 

 

―後編へ続く

 




【アイテム紹介:変身スプレー(仮)】

 萌絵が“教授”と一緒に作った発明品の一つ。
 小さなスプレーの中身はサンドスターを含んだイリアのオイルを加工したものが入っている。
 現在、これを使えるのは萌絵だけで、スプレーの中身をかける事によって、髪色や爪の色、瞳の色をともえそっくりに変える事が出来る。
 それ以上の効果はなく、例え姿がともえそっくりになっても中身は萌絵のままなので運動が得意になったりはしない。
 当初は“リンクパフューム”のような変身アイテムを目指していたが、残念ながら狙ったような効果は出せず失敗した際の副産物である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話『未来へつなぐバトン』(後編)

 

 白虎スタジアム屋上。

 ここは人が出入りする場所としては作られていない。

 しかし。今ここには5人の人影がいた。

 クロスハート、クロスナイト、クロスラピス、クロスラズリ、そしてチープロンの5人だ。

 やや湾曲しているものの、歩けない程ではない。

 そして、大きなスタジアムを覆う天井はそれと同様に大きく広い。

 陸上トラックよりもずっと広い広大な屋根がバトルフィールドとなっていた。

 

「よし!じゃあみんな!行くよ!」

 

 クロスハートの号令と共に全員がチープロンに向かって駆け出す。

 まずはクロスハートが突撃してその後ろにクロスナイトが続く。

 クロスハートの無茶をクロスナイトがサポートする最近お決まりになってきた必勝パターンである。

 まずは最初は正面から当たってみるか、とクロスハートが突撃する。

 キタキツネフォームの右腕にサンドスターの輝きを集めて一撃を繰り出す!

 が…。

 

―スカッ

 

 と確かに当たったはずの右腕がすり抜けた。

 

「へ?」

 

 思わずクロスハートは間の抜けた声を上げてしまう。

 そういう能力のセルリアンなのか、とクロスナイトもクロスラピスもクロスラズリもチープロンを見やる。

 

「いや、違う…!」

 

 キッと振り返るクロスハート。

 その視線の先、先ほど捉えたはずのチープロンが彼方にいるではないか。

 

「まさか…瞬間移動…?」

 

 思わず呟くクロスラピスだったがそういう事ではない。

 

「単純に物凄く速いんだ…!」

 

 クロスハートが捉えたと思ったのはただの残像だ。ユラリ、と陽炎のように消えてしまう。

 

「なら…!」

 

 今度はクロスラピスが三つ編みを伸ばす。

 その二本の三つ編みを周囲に張り巡らせてまるで網のようにチープロンを取り囲んだ。

 

「クロスラズリ!」

「任せとき!」

 

 張り巡らされた網の中に飛び込むクロスラズリ。

 その網を構成するクロスラピスの三つ編みを蹴ってさらに加速。

 その飛びつき攻撃を身を捻ってかわすチープロン。

 しかし、それは想定内。

 跳ねるように逆側に抜けたクロスラズリが、今度はその先にあった三つ編みをロープがわりに反動をつけて再び躍りかかる!

 

「もらったで!」

 

 背後を取った形のクロスラズリはそのままサンドスターで輝く鋭い爪を一閃しチープロンを引き裂いた!

 かに見えた。

 が、クロスラズリは手応えのなさに舌打ちする。

 

「また残像や…!」

 

 再び現れたチープロンはクロスラピスの張った網の外側にまで抜けている。

 チープロンが姿を現すと同時、それが通ったと思しき場所だけ、クロスラズリの三つ編みが細切れにされていた。

 その手にはセルリウムで黒い輝きを放つ猫科の鋭い爪がきらめく。

 だがこの程度で諦めるヒーロー達でもない。

 

「いくらなんでもあんなスピードでずっと走れるわけはありません!」

 

 言いつつ今度はクロスナイトがチープロンへ向かって行く。

 

「ドッグバイトぉ!」

 

 サンドスターを集めた右腕の一撃は、しかし先の二人と同じように残像を捉えたのみだ。

 

「まだまだぁ!」

 

 一撃でダメでも二撃目。それでダメでもクロスナイトは何度だって攻撃を繰り出すつもりだった。

 再び彼方で姿を現したチープロンに対して今度はけものプラズムを変化させた丸形の盾、ナイトシールドを…。

 

「ドッグスロー!」

 

 と投げつけた。

 丸形の盾はまるでフリスビーのようにチープロン目がけて飛んで行く!

 だが、やはりチープロンは飛んでくるナイトシールドを再び残像を残してかわしてしまう。

 しかし…。

 

「クロスハート!」

 

 それはクロスナイトだって予想していた。

 だからクロスハートに叫ぶ。既に彼女は期待通りに動きだしていたのだから。

 

「チェンジ!Gロードランナーフォーム!」

 

 丈の短いランニングシャツにブルマ姿、まだら模様の前髪をもつ姿に変身したクロスハートが、行き過ぎたナイトシールドへ追いつく。

 Gロードランナーフォームはスピード特化とも言うべきフォームだ。

 スピードをさらに上げるバフ技である『爆走!スピードスター』を使って最高速度をもってナイトシールドをキャッチ。

 それを回避で体勢を崩したチープロンに投げつけようとした。

 フリスビーの継投の如きチームプレイだ。

 だが、それは果たされなかった。

 何故ならナイトシールドをキャッチした瞬間…。

 

―ビュン!

 

 と一陣の風がクロスハートの横を追い抜いたからだ。

 その風の正体はチープロンだ。

 まるで、自分の方が速い、というのを見せつけるかのようにクロスハートを追い抜いて見せたのだ。

 完全に目論見が外れたクロスハートはナイトシールドでの攻撃を中止せざるを得なかった。

 

「Gロードランナーフォームの最高速度よりも速いだなんて…!」

 

 クロスナイトも目論見が外れたのは一緒だった。まさかクロスハートの最高速度を越えて来るとは思ってもみなかったのだ。

 しかも、クロスナイトはもう一つ驚くべき事に気づいていた。

 それはチープロンの速度に全く陰りが見えない事だ。

 持久戦に持ち込んで相手の疲労を待つというのも期待できそうにない。

 

「思っていた以上に厄介な相手ですね…。」

 

 そういえば、とクロスナイトは思い出す。

 ゴマに以前、『強さとは何か?』と問うた事を。ゴマの答えは『強いっていうのは速い事さ!』という分かるような分からないようなものだった。

 だが、今なら理解できる。

 

「確かに速いっていうのは強いですね…!」

 

 どんな技も連携も全て置き去りにして彼方へ走り去るスピードの体現者。

 そして、チーターの瞬発力とプロングホーンの持久力を併せ持った地上最速の存在。

 それがチープロンなのだ。

 クロスハートもクロスナイトも、そしてクロスラピスとクロスラズリの二人もその事実に揃って一筋の冷や汗を浮かべる。

 どうやって戦うか。

 迷う間にも時間は過ぎていくのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一方、陸上大会会場では滞りなくプログラムが進行していた。

 ゴマの奮闘により奮い立ったジャパリ女子中学であったが、その成績は決して芳しいものではなかった。

 特にプロングホーンとチーターの代わりに1500m走と100m走に出場した選手達は揃って3位。県大会出場を逃してしまい落ち込んでいた。

 やはりそれほどに部長のプロングホーンと副部長のチーターの存在は大きかったのだ。

 こうなるとジャパリ女子中学陸上部には暗いムードが漂ってしまう。

 

「こんな時にともえちゃんだったら…。」

 

 ともえと入れ替わっている萌絵は悔しさに歯噛みする。

 きっと彼女だったら持ち前の明るさでこんなムードも吹き飛ばしてくれるのに。

 もうすぐ最後の競技である400mリレーが始まろうとしているのに、ともえ達は戻って来ない。

 それほどに今回のセルリアンは強敵なのだろうか。

 

「ジャパリ女子の応援団長!そんなに暗い顔をするものじゃないぞ!なんせ今日はこのシロ様がついているのだからな!」

 

 そんな中で色鳥西中学校のシロをはじめ応援団の他のメンバー達の存在は救いでもあった。

 だが……ホワイトタイガーが申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。

 

「すまぬ。ジャパリ女子中学校の皆。」

 

 何がだろう?

 と一同ホワイトタイガーが何に謝っているのか分からずに小首を傾げていた。

 

「そろそろシロ様は体力切れだ。」

 

 と疑問に答えてくれたところで、シロは電池が切れたかのように急にしおしおとへたりこんだ。

 

「特に体調が悪いとかそういうわけではないので安心して欲しい。シロ様は張り切ると大体いつもこうなる。」

 

 ホワイトタイガーは言いつつ、手早く敷物を敷いて膝枕。ついでにシロの身体にタオルをかけてやる。

 どうやらそれは本当のようで、まるでスイッチを切ったかのようにシロはホワイトタイガーの膝の上ですやすやと安らかな寝息を立てていた。

 

「あらら…。」

 

 確かに、シロには随分と頑張ってもらった。

 なんせ色鳥西中学の応援のみならず、ジャパリ女子中学の応援まで行ってくれたのだ。

 最後の競技を前に体力切れになっても仕方ないというものだ。

 ちなみに、シロと一緒に頑張っていたアライさんはというと、そんな膝枕を羨ましそうに見ていてフェネックに「後でねー。」と耳打ちされて嬉しそうにしてたりした。

 それはともかく、今は応援団の主柱ともなっていたシロまで抜けるとなるとますますムードが暗くなってしまう。

 どうしたらいいのか、萌絵も思い悩む。

 と…。

 その肩にポム、と手が置かれた。

 

「あんまし暗い顔してんじゃないわよ。何にも心配なんていらないから。」

 

 その手の主は…。

 

「チーター先輩!?」

 

 であった。

 そしてもう一人。

 

「ああ。ゆっくり休ませてもらったおかげで大分マシになった。」

 

 プロングホーンもいつものように腕組みして仁王立ちしていた。

 二人の瞳には強い光が宿っている。

 最後の競技になる400mリレーを走るつもりだというのは誰もが分かった。

 その顔色は誰が見てもよいものとは言えない。

 それに準備運動どころかアップすらしていないのだ。

 二人のコンディションは不調を通り越して絶不調と言っていい。

 

「どうしてそこまで…。」

 

 萌絵には疑問だった。

 どうしてそこまでして走るのか。

 一度だけ走れるのならどうしてそれぞれの個人競技ではなく、このリレーなのか。

 それがとても不思議に思えた。

 その疑問には他の3年生が答えてくれた。

 

「伝統ってヤツなのよ。」

 

 伝統とは一体何なのか。

 

「この地区大会のリレーは3年生二人と2年生二人が走るっていうのは昔から決まってるの。結果に関わらずね。」

「そうそう。それで3年生はその時の部長と副部長が代表になるんだよね。種目が専攻であろうとなからろうと。」

 

 他の3年生達がかわるがわる萌絵に教えてくれた。

 

「去年も、一昨年も、その前の年もずーっと同じ。このリレーだけはねー。」

 

 3年生の陸上部員たちは誰もが同じように頷いていた。

 彼女達だけが知っている何かがあるとでもいうのだろうか。

 

「だから、プロングホーン。チーター。」

 

 彼女達は言った。

 無理はするな、でもなく休んでいろ、でもなくただ一言を。

 

「頼むね。」

 

 対するプロングホーンとチーターの二人もその言葉にニヤリとしつつ強く頷いてみせた。

 

「さ。行くぞ。」

 

 プロングホーンはゴマの肩を叩く。

 一方のチーターは2年生で彼女の代わりに100m走を走った女の子の肩を叩いていた。

 ゴマと同じ2年C組の女の子だ。なんだかんだでよく気の回る子で真面目に練習していた事もあって補欠とリレーメンバーに選ばれていたのだ。

 リレーメンバーはその4人だ。

 その4人で走るのだ。

 萌絵は戸惑う。

 どうみてもプロングホーンとチーターの二人が走れる状態には思えない。

 それなのに誰一人やめろ、とは言わないのだ。

 萌絵は思う。ともえだったらきっと…、いや、絶対にこう言っていたに違いないと。

 

「頑張って!」

 

 だから萌絵はともえの分まで精一杯の声援と共にリレーメンバーを見送った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 400mリレー。

 最終競技となるこの種目は各校決められたコースを走る。

 もしもコースから外れたら失格だ。

 スタート位置は外側のコースにいる選手ほどゴールに近くなっている。

 コーナーで外側の選手の方がより長い距離を走る事になる為の調整だ。

 なので、スタートを切る各選手はかなり遠く離れている。

 ジャパリ女子中学は最内の第1コース。第1走者は2年生の女の子だ。

 一見すると気が弱いように見えてここ一番のスタートに強い。

 続けての第2走者はハードル走で活躍したゴマだ。

 短距離走でもゴマは速い。

 そして第3走者でチーター、アンカーにプロングホーンという布陣で最終競技に挑む。

 

「な……何故…。」

 

 オオセルザンコウは各スタート位置に選手を誘導する際に信じられないものを見た。

 “輝き”を保全したはずのプロングホーンとチーターの二人が出場選手に混じっていたのだ。

 “輝き”を保全された直後はまともに動けるはずはないのに。

 それほどまでにこのかけっこは重要なのか。

 この競技場の“輝き”は保全したのだから必ず再現出来るというのに。

 そんなオオセルザンコウの戸惑いは余所に、各校の選手達はスタート位置についた。

 間もなくスタートの合図があるだろう。

 止めるべきか、とオオセルザンコウが悩んでいるうちに各校第1走者がスタート準備を終えた。

 

「位置について!用意ッ!」

 

 各選手クラウチングスタートの体勢に入る。

 

―パァン!

 

 スタートピストルが今日最後の号砲を鳴した。

 と同時に選手達が一斉にスタートを切る。

 スタートは400mトラックのコーナー部分から始まる。

 第1走者はスタートの強さと共にコーナリングのテクニックも求められる。

 他の各校はやはり3年生の実力者を配置していた。

 ジャパリ女子中学も必死で追いすがるが1年分の練習量の差がそのままタイムの差となってしまったようだ。

 コーナーが短い最内側のコースであるにも関わらず、その差は殆ど縮まっているようには見えないままに最初のバトンパスが近づいて来ていた。

 

「ゴマちゃん!」

「おう!」

 

 第2走者はゴマである。

 テイクオーバーゾーンと呼ばれるバトン受け渡し区間で第1走者と第2走者が併走しつつ、タイミングを見てバトンをパスする。

 

「(ちょっと遅れ気味だけど、こんくらいどうってことないぜ!)」

 

 バトンを受け取ったゴマはそのまま加速していく。

 第2走者は400mトラックのストレート部分を走る事になる。

 ゴマが最も得意とするのはハードル走ではあるが、短距離走だって得意だ。

 ゴマは嬉しかった。

 プロングホーンとチーターの二人が不調ではあっても出場してくれた事が。

 3年生はこの夏の大会が終わったら引退してしまう。

 だが、県大会出場となれば話は別だ。

 それまでの期間は引退が先延ばしされる。もう少しだけ、プロングホーンやチーターと一緒に走る事が出来るのだ。

 そう思えば自然と脚に力が入る。

 出来る事なら不調のチーター達の為にもここでリードを稼いでおきたい。

 最後の力を振り絞って前へ進む。

 が…。

 

―ズキリ。

 

 とその足首に鈍い痛みが走る。

 先のハードル走で転んだ際に捻ってしまっていたのだろうか。

 直線コースで順調に他校選手を追い上げていたゴマが失速した。

 

「(ちくしょう…!?こんな時に……!)」

 

 ゴマは悔しさに歯噛みする。

 が諦めるわけにはいかない。

 歯噛みを食いしばりにかえて痛みを無視した。

 

「(こんなもん痛いわけあるか!プロングホーン様とチーター先輩が待ってんだ!この程度の痛みで止まってられるかっ!)」

 

 ゴマが再び追い上げ始める。

 最内側のコースであるジャパリ女子はスタート位置が最もゴールに遠い為、見た目上は最下位に見えてしまう。

 それが徐々に追い上げていくのだ。

 

「いけぇ!ゴマちゃああああん!!」

 

 萌絵の声援に続いてジャパリ女子応援団も最後の力を振り絞り精一杯の声援を送る。

 途中の失速が悔やまれるが、ゴマは互角以上の走りでもって第3走者のチーターにバトンを繋ごうとしていた。

 と、チーターはテイクオーバーゾーンから一切動かない。

 通常であればバトンを受け取る側も並走する形で加速しながらバトンを受け取るのだ。

 それを一切動かないという事は…。

 

「(チーター先輩…。俺の怪我…気づいてるのか!?)」

 

 ゴマが思った通りだった。

 チーターはなんだかんだで周囲の事を見ていて、いつも気にかけてくれた。

 今も足を痛めたゴマが少しでも短い距離を走るだけで済むように加速を捨てたのだ。

 

「チーター先輩……!」

 

 ゴマがバトンを渡すと同時。

 チーターが弾かれたように飛び出す。

 

「(ったく…。そんな顔すんじゃないわよ。)」

 

 チーターはバトンを渡すゴマの表情が泣きそうなものだった事にも気づいていた。

 きっと自分に加速を捨てさせた事にも、リードを作れなかった事にも申し訳なく思ってそんな表情になっていたのだろう。

 

「(心配……いらないわよっ!!)」

 

 チーターは大地を強く踏みしめて一気にトップスピードまで加速した。

 彼女は持久力はないが瞬発力なら誰にも負けない。

 バトンパスでのロスを一気に取り戻した。

 だが、身体が重い。

 まるで泥の中を進んでいるかのように身体が前に進まない。

 やはり絶不調のチーターはいつものようなキレのある走りではなかった。

 第3走者は再び400mトラックのコーナー部分を走る。

 

「(何とかこのコーナーで追い上げるしかないわね。)」

 

 例え不調だったとしてもコーナリングの技は鈍らない。

 チーターは目いっぱいまで身体を内側に傾ける。

 左右の腕の振りを調節してスピードを落とす事なくコーナーを駆け抜けていった!

 普段の彼女ならぶっちぎりだったはずだ。

 だが、今はほぼ団子状態で各校一斉にアンカーへバトンを渡すテイクオーバーゾーンへ入っていく。

 チーターもまた部長のプロングホーンへバトンを繋ごうとしていた。

 

 ジャパリ女子中学陸上部には一つの伝統があった。

 3年生の部長と副部長はこの地区大会のリレーで次代の部長と副部長に自分達の走りを見せる事。

 そして3年生全員の3年間を乗せて次の代にその走りを伝える事だ。

 チーターも去年、このリレーで当時の3年生から同じようにバトンを渡されたのだ。

 今年は少々不甲斐ない走りになってしまったかもしれないが、今の自分に出来る精一杯は見せる事が出来た。

 あとは…。

 

「(あの陸上バカなら、放っておいたって最高の走りを見せてくれるでしょ。)」

 

 アンカーにはプロングホーンが仁王立ちで待っていた。

 

「チーターァッ!!」

 

 と、プロングホーンが大声で自分に呼びかける。

 何事かとその目を見れば、ギラギラとした目で不敵な笑みを浮かべていた。

 

「(まったく…楽しそうな顔しちゃって。で、何をやらかすつもり?)」

 

 苦笑と共にチーターは覚悟を決めた。

 プロングホーンがああいう顔をするときは決まって逆転の一手を考えている時だ。

 何をやらかすにしたってドンと来いだ!

 

「アレをやるぞ!」

 

 アレ、とはアレの事か。とチーターも理解はしていた。

 だが、アレは練習でもまともに成功した試しがなかっただろうに…。

 それでもチーターは苦笑と共に納得もしていた。

 

「(まあ…。そうよね。諦めるわけにはいかないものね。だったら後輩達にカッコいいところ見せてやろうじゃないの!)」

 

 各校一斉に最後のテイクオーバーゾーンへ突入していく。

 プロングホーンとチーターの二人は一体何を企んでいるというのか。

 テイクオーバーゾーンでプロングホーンとチーターが併走状態になった。

 

「プロングホーンッ!」

「おう!」

 

 プロングホーンはいつまで経ってもバトンを受け取る為に腕を後ろに伸ばさない。

 だが、それは狙い通りだ。

 チーターはプロングホーンの腕の振りに併せてバトンを差し込むようにして渡した。

 アンダーハンドパスと呼ばれる技だ。

 通常は合図でバトンを受け取る側が手を伸ばしたところにバトンを上から渡すオーバーハンドパスが主流だ。

 アンダーハンドパスは腕の振りに併せて下手でバトンを受け取る事でスムーズに加速する事が出来る。

 しかし、これは物凄く難しく、下手をすればバトンを落としてしまう危険の大きい技だ。

 それでもプロングホーンとチーターのコンビはアンダーハンドパスに成功した。

 やや遅れていたジャパリ女子中学もここに来てついに他校の選手達に並ぶ。

 チーターは最後の力を振り絞って叫んだ。

 

「プロングホーンッ!見せてやりなさい!」

 

 バトンはアンカーのプロングホーンへ渡された。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「よし!みんな!ちょっと作戦タイム!!」

 

 屋上ではクロスハートが残るクロスナイト、クロスラピス、クロスラズリの3人を集めていた。

 このまま攻めていてもチープロンを捉える事は出来ないと思ったからだ。

 チープロンの方も別に作戦タイムに入ったからといって攻撃してくる素振りはなかった。

 これがまた厄介で、チープロンが攻撃しようとしてくるなら、その動きを予想して反撃する事だって出来る。

 けれどもチープロンは徹底して逃げや回避に徹しているのだ。

 これではチープロンの速度に追いつかない限り撃破は難しい。

 

「作戦って言ったって何かありますか?」

 

 クロスナイトも肩で息をしながら訊ねる。

 あの後も様々な攻撃を試してみたがチープロンへ有効打を与えるどころかかすり傷一つ付けられていないのだ。

 

「うん。多分ね、相手の土俵で戦っちゃいけないんだ。」

 

 どういう事だろう。と顔を見合わせるクロスナイトとクロスラピスとクロスラズリ。

 

「足の速さでは勝てない。だから他の何かで勝つしかないと思うんだ。」

 

 じゃあ、その他の何かとは、と一同揃ってクロスハートの続く言葉を待つ。

 

「作戦はこうだよ。」

 

 皆を集めてこしょこしょと耳元で内緒話のクロスハートだ。

 作戦を説明された一同は、また無茶な作戦を思いついたものだなぁ、と少しばかりの苦笑を浮かべる。

 だが、確かに理屈の上ではいけそうに思えるのも確かだった。

 

「でも待って。チープロンに追いつく役目はクロスハートじゃなくて私にやらせてくれないかな。」

 

 と言い出したのはクロスラピスだった。

 確かに機動力という点でいけば一番高いのはクロスラピスだ。

 クロスハートも思いついたはいいものの、その作戦を実行するにあたって一番負担のかかりそうなチープロンに突撃する役は自分がやろうと思っていた。

 けれども、一番負担のかかるであろう役目に最も適任なのはクロスラピスなのだ。

 ありがたい申し出ではある。

 

「ね。お願い。」

 

 重ねて頼まれる。

 クロスラピスも作戦を成功させてチープロンから“輝き”を取り戻したいのは一緒だ。だからこそクロスハートの作戦を信じて危険な役割に志願したのだ。

 自身の作戦を信じてくれた以上、クロスハートもまたクロスラピスを信じる事にした。

 

「うん。ありがとう。全力でサポートするからね。」

 

 作戦の決まった4人は再びチープロンに向き直る。

 ニヤリとしつつまずはクロスラズリが前に出た。

 

「ちょうど、おあつらえ向きの新兵器もあるで!」

 

 ヒョイっとシルクハットを脱いだクロスラズリ。

 

「It's Show Timeや!」

 

 彼女がその帽子の中に手を入れて引き抜くと、どう見てもその帽子には納まりきらないであろう大きさの機械が出て来た。

 それは一見するとクワガタのハサミを巨大にしたもののように見える。

 ハサミの根元部分にグローブのような物が見えるので、どうやら腕に装着して使うものらしい。

 そして、ハサミとグローブを繋ぐ接続部分にはネジのような突起がいくつもついていた。

 

「おおお!?な、何それ!?」

 

 クロスハートも思わず目を輝かせた。

 

「へへー。いいでしょ。お母さんがね、作ってくれたの。」

「おう。ウチらのとっておきやで。」

 

 クロスラピスもクロスラズリも何だか照れたようにしている。

 こんな時だというのに、クロスハートもクロスナイトも顔を見合わせるとニヤニヤしてしまった。

 “教授”が彼女達の為に何かを作っていた一部始終は遠坂家で行われていたので、事情は知っていたのだ。

 クロスラピスとクロスラズリの様子を見るに、結果は上々だったのだろう。

 それを知ったクロスハートとクロスナイトの二人はニヤニヤが止まらない。

 

「なになに、ルリちゃん“教授”の事をお母さんって呼ぶようになったんだー。」

「えへへ…。なんかまだちょっと慣れないけど…。」

 

 クロスハートはクロスラピスの脇腹を肘でツンツン。

 クロスラピスはというと仮面の下のほっぺが赤くなっていた。

 そうやっていると、すっかり忘れられた格好のチープロンが自らの速さを見せつけるかのように高速反復横跳びしていた。

 無視するな、とでも言うのだろう。

 

「あ…。すっかり忘れてた…。」

 

 気を取り直してチープロンに向き直る4人のヒーロー達。

 

「ところで、その武器って名前あるの?」

 

 訊ねるクロスハートにクロスラズリが頷く。

 

「あるで。その名も…!」

 

 クロスラズリはあの日、エゾオオカミと“教授”とついでにイリアとレミィも含めたクロスジュエルチームみんなで考えた名前を高らかに宣言した。

 

「ジュエル・クロスバイスや!」

 

 思わずおおー、と拍手するクロスナイトとクロスハート。

 クロスラピスはその間にジュエル・クロスバイスを腕部に装着した。

 クロスラピスの背丈の半分にもなるジュエル・クロスバイスを装着した姿はアンバランスな印象がある。

 それに加えてどう見ても鈍重な武器だ。

 チープロンはそんなものが当たるかとでも言いたげに自身の『石』を親指で指して挑発して見せた。

 その『石』は背中についていた。

 となると、やはりチープロンのスピードに追い付いて背後から一撃を加えるしかないように思える。

 ジュエル・クロスバイスを装着して鈍重になったクロスラピスに果たしてそれが出来るのか。

 

「じゃあ…いくよ!」

 

 クロスハートの号令で作戦が開始する。

 まずはクロスナイトが再び突撃。

 チープロンに攻撃を繰り出すも、やはりそれは簡単にかわされてしまう。

 だが、ここからが作戦の本番だ。

 クロスハートはスケッチブックを取り出すと叫ぶ。

 

「チェンジ!クロスハート・アムールトラフォーム!」

 

 パラパラとめくれたスケッチブックがいつか描いたアムールトラのページで止まると同時、クロスハートがサンドスターの輝きに包まれる。

 そして現れるのは丈の短いスクールベストに虎縞模様のミニスカートとガーターベルトのクロスハートだった。

 パワー特化とも言うべきアムールトラフォームである。

 アムールトラフォームへと変身したクロスハートはもう一人の力自慢であるクロスラズリに視線で合図する。

 

「おうよ!」

 

 クロスラズリも応じて、二人でクロスラピスが伸ばした三つ編みの先端を握る。

 そしてそのまま二人で…。

 

「「ぐるぁああああああああああああああああっ!!」」

 

 咆哮と共に砲丸投げの要領で回転!

 クロスラピスを砲丸にチープロンへと投げ放った。

 

「前にアムールトラちゃんと戦った時にパワーでGロードランナーフォームのスピードを越えてきた事があったよね。」

 

 その経験がクロスハートに今回の作戦を思いつかせていた。

 

「パワーがあれば一瞬だけならスピードを越えられる!」

「しかもウチらのパワーを二人分やからスピードだって二倍やで!」

 

 砲丸どころか砲弾と化したクロスラピスはチープロン目がけて飛ぶ。

 クロスナイトに注意を引かれていたチープロンも気づいて逃げようとしたが、その速度よりもクロスラピスの手が届く方が早かった!

 

「ジュエル!」

 

 ガキン、と機械仕掛けの顎がチープロンの『石』を挟み込んだ。

 

「クロスッ!」

 

 続けて、クロスラピスはジュエル・クロスバイスを装着した手を思い切り握り込む。

 その動きはグローブを伝って油圧機構に伝えられて何倍もの力でチープロンの『石』に圧力をかけた。

 

「バイスぅうう!」

 

 仕上げに、クワガタのハサミの根本部分に仕込まれたいくつもの突起が内部に押し込まれる。

 それは予め高圧をかけたオイルを充填したアキュムレーターと呼ばれる機構だ。

 これでさらに油圧機構に高圧をかけて万力を締め上げるのだ。

 結果……。

 

―パッカァアアアアン!

 

 とジュエル・クロスバイスに挟みこまれた『石』は小気味よい音を立てて砕け散った。

 続けてチープロンの身体も砕けてキラキラとしたサンドスターの輝きへと還っていく。

 そして、勢いがついたクロスラピスの身体はクロスナイトがしっかりとキャッチした。

 

「ど、どうだぁ~…はらほれ~…」

 

 振り回された格好になったクロスラピスは目を回していた。

 『石』に一度しか使えないジュエル・クロスバイスを当てたのは奇跡なんじゃないだろうか、なんて思って苦笑するクロスナイトだった。

 

「はは…やったで…。」

「うん、やったねえ…。」

 

 と、二人分のパワーでぶん投げた側のクロスハートとクロスラズリの二人も目を回してもつれるように倒れていた。

 

「まったく…。これはしばらく戻れそうにありませんね。」

 

 そんなクロスナイトの苦笑を肯定するように、クロスハートとクロスラピス、クロスラズリの三人は仲良く目を回すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 リレーの第四走者。アンカーへとバトンが渡ると、その時点での順位が素人目にもハッキリする。

 アンカーはストレートコースを走るので、もうコーナーを走る距離によってスタート位置を調整する必要がないからだ。

 そしてアンカーにバトンが渡った瞬間、ジャパリ女子中学の順位は最下位だった。

 高等技術であるバトンのアンダーハンドパスに成功したものの、それでも喰らいつくだけで精一杯だった。

 

「(それでも…!諦められるものか!)」

 

 プロングホーンは重い身体を必死で前に進める。

 3年生全員はこんな状態である事を知りながら自分にこのリレーを任せてくれたのだ。

 プロングホーンは全3年生部員の3年間を背負って走っていると言っていい。

 

「(体調が悪い?調子が悪い?それがどうした!私は…私は…!)」

 

 プロングホーンが少しずつ少しずつ追い上げていく。

 

「(ジャパリ女子中学陸上部部長!プロングホーンだっ!!)」

 

 その追い上げを見るオオセルザンコウは有り得ないものを目にしていた。

 “輝き”を保全されたはずのプロングホーンが再び“輝き”を放っていたのだ。

 

「どうしてそこまでする…!?」

 

 “輝き”は保全されたのだから、いつか必ず再現できる。

 だから、今苦しい想いなど必要ないというのに。

 オオセルザンコウには全く理解が出来なかった。

 だが、そんな事は関係ない。プロングホーンは決して脚を緩めようとはしなかった。

 

「(今、ここで走らなかったら…私は私じゃいられない…!だから…!)」

 

 会場が歓声で沸き立つ。

 最後の各校デットヒートに誰もがその勝負の行方を見守った。

 

「走れぇー!プロングホーンッ!」

 

 既に走り終えたチーターの声が響く。

 

「(ああ…!走るとも!)」

 

 プロングホーンの瞳に強い輝きが宿る!

 と同時、プロングホーンが急加速した。並み居る各校を一気にゴボウ抜きにしていく。

 

「なっ!?」

 

 と驚いたのはオオセルザンコウだ。

 プロングホーンの“輝き”が完全に戻っていたからだ。いや。かえってその“輝き”は強くなっている。

 何者かにチープロンが倒された事を悟ったオオセルザンコウはこっそりと自身がもっていた“アンプル”に“輝き”の一部を保全する。

 完全に復調したプロングホーンに敵はいなかった。

 一気にトップに躍り出たプロングホーンはそのままぐんぐんと他校を引き離していく。

 怒涛の追い上げを見せた彼女はそのまま1着でゴールへ飛び込んだ!

 会場に満ちる歓声に応えるようにプロングホーンは大きく右手を天に突き上げるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結局、その後も閉会式はつつがなく終了した。

 オオセルザンコウも一仕事を終えて帰路へと着く。

 だが、その心は暗く沈んでいた。

 

「私は本当に正しい事をしているのだろうか…。」

 

 思わず独り言が口から洩れる。

 今日、“輝き”を保全したはずのプロングホーンとチーターの二人はそれに必死に抗って見せた。

 その姿に、自分がやっている事は一体何なのか、という疑問がオオセルザンコウの頭に浮かんでいた。

 その疑問を彼女は首を振って追い出した。

 

「いいや…!私達は正しい事をしているはずだ…!セルゲンブ様だってそうおっしゃっていただろう…!」

 

 オオセルザンコウをこの世界に渡るように命令したのはセルゲンブである。

 セルゲンブはセルスザクと同じように異世界の四神の一柱がセルリアンに憑りつかれた存在だ。

 オオセルザンコウはセルゲンブの側近ともいうべきセルリアンフレンズである。

 

「だから…。セルゲンブ様の命令は必ず果たさなければならない…!」

 

 オオセルザンコウは自身に生まれた疑問に蓋をして目を逸らすのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 萌絵は家に帰りつくなりリビングのソファーに倒れ込んだ。

 

「だ、大丈夫?お姉ちゃん。」

 

 そんな萌絵にマッサージするともえ。

 イエイヌはといえば、少しでも疲れがとれるようにとハチミツ入りの紅茶を用意している最中だ。

 

「か、身体がバキバキ言ってるよぅ…。」

 

 結局、ともえと入れ替わって応援団長を成し遂げた萌絵はもう指一本動かす気力がなかった。

 それでも無理をした甲斐もあったようで、どうにか平和も保たれただろう。

 

「今日はお風呂入ったら、ちゃんとマッサージして身体をほぐしておかないと、明日筋肉痛でひどい事になるかもね。」

 

 普段あまり運動をしない萌絵だ。

 お風呂でのマッサージもきっと筋肉痛を和らげる程度の効果しか期待できないだろう。

 

「ともえちゃぁああん。」

 

 萌絵は情けない声をあげてともえを見る。

 何が言いたいのかはともえも理解していた。

 

「はいはい。今日は一緒にお風呂入ってマッサージもしてあげるからね。」

 

 その答えに萌絵は何度もうんうん頷いていた。

 

「じゃあ…今日は…イエイヌちゃんと3人でお風呂ね…。ふわぁ…。」

 

 疲れが限界に来ていた萌絵はそのままソファーで寝息を立て始めた。

 お茶の準備が出来たところだったイエイヌは苦笑しつつお茶の代わりにタオルケットを持ってきて萌絵にかけてやった。

 お茶は冷める前にともえと二人で楽しんで、萌絵の分はまた起きたら淹れ直そう。

 そう思ってイエイヌは萌絵の寝顔を覗き込む。

 とても満足そうな顔だ。

 

「ともえちゃん。」

「ん?なあに。イエイヌちゃん。」

 

 今日、萌絵が頑張ってくれなかったらセルリアンと戦えただろうか。

 こうして普通に家に帰れただろうか。

 萌絵の寝顔を覗き込んだままのイエイヌはそんな事を考えながらこう言った。

 

「やっぱり萌絵お姉ちゃんは世界一のお姉ちゃんですね。」

 

 ともえも眠る萌絵の黒髪を撫でながら…。

 

「へへー。でしょう?」

 

 と自慢げに返すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 家路につくゴマは上機嫌だった。

 結局、県大会に進めたのはゴマのハードル走と400mリレーだけだった。

 それでも、もう少しの間プロングホーンとチーターの二人と一緒に部活が出来るというのが嬉しくて仕方なかった。

 

「しかし、走り足りないな!どうだ、チーター!ゴマ!あの夕日に向かってダッシュしないか!」

「お供します!プロングホーン様ぁ!」

「しないわよ…。アンタ達じゃないんだから。あとゴマはやめときなさい。足首捻ったの悪化したらどうすんのよ。」

 

 すっかり復調したプロングホーンは元気が有り余っている様子だ。

 大会を不完全燃焼で終えてしまったのだから仕方がない。

 

「ま、今日くらいは付き合ってあげてもいいけどね。」

 

 それは実はチーターだって一緒だったようである。

 

「それよりもプロングホーン。アンタ、陸上の推薦入試どうするつもり?今回の大会で私達は個人競技に出場しなかったから推薦にも響くと思うんだけど。」

 

 実はプロングホーンとチーターの二人は陸上の推薦でスポーツの盛んな色鳥南高校への進学を予定していた。

 ところが、今大会での個人競技欠場だ。

 いくら今までの実績があるとは言っても推薦入試に影響が出るのは確実だった。

 

「まあ、最悪一般入試って手だってあるわよ。」

 

 気楽に言うチーターに対してプロングホーンは笑顔のまま顔を引きつらせていた。

 その表情の意味するところを長年の付き合いであるチーターは正確に読み取っていた。

 

「プロングホーン…。あんたまさか…。全然勉強してないとか言わないわよね…?」

 

 呆れ半分で言うチーターの疑問はそのまま的を射抜いていた。

 引きつった笑みのままで頷くプロングホーンである。

 

「この陸上おバカ!地区大会の後は期末テストだってあるでしょ!?なんで勉強してないのよ!?」

「いやあ…。じっとしてるのは性にあわなくて…、つい…。」

「ついじゃなわよ!?期末テストで赤点取ったら夏休み補習よ!?っていうか受験もヤバいわよ!?あーもう!今から進路指導の先生んトコ行って予約するわよ!ほら!駆け足!ダッシュ!」

 

 とチーターがプロングホーンを追い立てるように走り始めた。

 

「待って下さい!プロングホーン様ぁ!」

 

 ゴマはそんな二人を追いかけて走り始める。

 もう少しだけこんな賑やかな日々が続く事の幸せを噛み締めながら。

 

 後日。

 進路指導の教師は素っ頓狂なキンシコウの進路相談を受けた後に、さらにチーターに付き添われたプロングホーンの進路相談を受けて頭を抱える事になったのだった。

 

 

けものフレンズRクロスハート第18話『未来へつなぐバトン』

―おしまい―

 




【セルリアン情報公開:チープロン】

 チーターとプロングホーンの“輝き”から生まれたセルリアンである。
 外見はフレンズ型のセルリアンであり、顔には大きな一つ目がある。
 見た目はフレンズ型ではあるが知性はない。
 また外見はプロングホーンとチーターの二人を足して二で割ったような特徴を持つ。
 頭にはツノを持ち、尻尾は長い猫科のものだ。
 そして白のブラウスにボトムはブルマ。片足は白のソックスに逆側はヒョウ柄のニーソックスである。
 腰にスカートがわりだとでも言うようにジャージを巻き付けている。
 その最大の能力はクロスハートのスピードフォームであるGロードランナーフォームすら上回る速度である。
 また、猫科の鋭いツメが持つ斬撃攻撃も威力は侮れない。
 しかし、スピードに拘る習性があるらしく、敵を倒すよりも逃げ回る動きをする事が多い。
 凄まじい速度を誇るチープロンにいかにして追いつくかが攻略の鍵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話『イエイヌの戦い再び』(前編)

これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 陸上の地区大会へ応援団として赴いたともえ達。
 ところが、陸上部部長のプロングホーンと副部長のチーターがセルリアンに“輝き”を奪われて体調を崩してしまう。
 応援団長のともえが抜けてしまえば、その穴は非常に目立つ。
 一計を案じた萌絵は変身スプレー(仮)というアイテムを使ってともえの姿に変装し入れ替わる。
 萌絵が悪戦苦闘しながらも応援団長を務めている間に、クロスハート、クロスナイト、クロスラピス、クロスラズリの4人がセルリアンを撃破し、“輝き”を取り戻すのだった。




 

 

 運動部の地区大会も終わってまずは一段落したジャパリ女子中学校。

 本来ならほっと一息つくべきところなのだろうが、意外にも校内はどこかピリピリとした緊張感に包まれていた。

 ジャパリ女子中学校は来週から期末テスト期間に入るのだ。

 そう。それは全生徒にとっての一大事。この試練を乗り越えた先に輝かしい夏休みが待っているのだ。

 通常授業最終日となる今日は、教師達の『ここ、テストに出るぞー。』という一言にいつも以上に反応する生徒達が続出した。

 さて、2年B組の教室では萌絵が他の生徒達に囲まれている。

 

「ここ!ここってどうやって訳したらいいの!?」

「ねえねえ、こっちはどの公式使ったらいいのかな!?」

「ここの活用形なんだけどー…。」

 

 と、どうやら萌絵を囲んでいる生徒達のお目当ては勉強を教わる事だったらしい。

 一つ一つに丁寧に答えていく萌絵だったが、さすがに大変そうだ。

 

「ありゃあ…。お姉ちゃん囲まれちゃってるねえ。」

 

 B組の教室にやって来たともえもその様子に苦笑しか出ない。

 イエイヌも囲まれている萌絵に近づけずに困っている様子であった。

 今はちょうど昼休みに入ったばかりだ。

 お昼を一緒しようかと誘いに来たともえであったが、そんな場面に出くわしてしまったのだった。

 

「どうしましょうか…。このままだとお昼食べ損ねちゃいそうですよ。」

 

 戸惑うイエイヌに、任せろとばかりに頷くともえ。

 こんな場面もさすがに慣れたものだった。

 ひょいひょい、と人だかりを避けるように萌絵へ近づくと皆に向けて言う。

 

「はい、みんなごめんねー。続きはお昼食べてからでもいいかな?」

 

 ともえの一言に、萌絵がお昼を食べそびれてしまう事に思い至った生徒達は一言「ごめんね。」と言いつつ解散していった。

 

「お…。おお…!すごいです、ともえちゃん!」

 

 あっという間に萌絵を救い出したように見えてイエイヌは思わずぶんぶんと尻尾を揺らした。

 

「ありがとうね。ともえちゃん。助かっちゃったかも。」

「どういたしまして。今日はこのまま教室にいると落ち着かなさそうだし中庭でも行ってみる?」

 

 確かに、お昼を食べ終わった生徒にまた勉強を教えて欲しいと頼まれそうだし、ゆっくりするなら教室を出た方がよさそうだ。

 3人は連れだって外へと移動した。

 今日は外は天気もいいのに空いていた。

 やはり昼休みも勉強に充てようという生徒が多いのだろう。

 ちなみに、萌絵は学年トップの成績だし、ともえも普段萌絵から勉強を教わっているおかげであまり慌てずに済んでいる。

 

「ちなみに、イエイヌちゃんは初めてのテストになるんだよね。大丈夫そう?」

 

 中庭でお弁当を広げたともえはイエイヌに訊ねてみる。

 つい数ヶ月前には読み書きすら覚束なかったイエイヌだ。今度の期末テストはさすがに以前の編入試験のように下駄を履かせてもらえるわけではない。

 なので、その心配ももっともな事に思えた。

 

「はい!大丈夫です!」

 

 だが、返って来た答えは何とも頼もしいものだった。

 それもそのはず。

 

「イエイヌちゃんはおうちでもちゃんと予習復習してるからね。今回のテストも結構いいところまで行けると思うよぉ。」

 

 とイエイヌに家でも勉強を教えている萌絵が太鼓判を押していた。

 

「意外とともえちゃんより成績良かったりして。」

「えぇー…?さすがにそれは…。」

 

 と言おうと思ったともえだったがハタと気が付く。

 案外それは冗談ではないかもしれない。

 ともえだってイエイヌが普段頑張っている姿はいつも目にしているのだ。

 有り得ない話ではない。

 

「ち、ちなみにイエイヌちゃん?昨日の小テストだけど何点くらいだった?」

 

 昨日、ちょうど数学の小テストがあったのだ。

 ちょうど試験前の小テストとあって多くの生徒が試金石だと思って臨んだものだ。

 訊ねた当の本人であるともえは88点。好成績と言っていい。

 対するイエイヌは…。

 

「あ、はい。92点でした。」

 

 その答えにともえの笑顔が引きつる。

 

「そうでした。萌絵お姉ちゃん。後で間違えたところの復習をお願いしてもいいですか?」

「うん。もちろんいいよー。」

 

 そんなともえを余所に、イエイヌはいつもしているように、復習もキチンとするつもりだった。

 ずっとこうして真面目に勉強して、教えるのが萌絵なのだからこれで成績が上がらないわけがない。

 そんな様子のイエイヌを自慢げにした萌絵が言う。

 

「ね?イエイヌちゃん、今回のテストでいいところまで行けそうでしょ?」

「うわぁあああん!?本当だよぅ!?イエイヌちゃんに負けちゃいそうだよぅ!?自慢のイエイヌちゃんだけど小学校からずっとお勉強してきたアタシの立場というものがー!?」

 

 イエイヌの努力が実を結んでいる事は嬉しいけれども、それで追い抜かれそうになっているのも悔しい複雑な心境のともえだった。

 とりあえず嬉しいのと悔しいのとをぶつけてイエイヌをモフり倒す。

 

「あぁ…。相変わらずいい毛並み…。落ち着くぅ…。」

「ほんとだねぇ。さすがイエイヌちゃんだねぇ。」

 

 ちゃっかり萌絵まで逆側から抱き着いてイエイヌをサンドイッチモフモフしていた。

 こうしてモフり倒されるのも慣れて来たイエイヌである。

 

「ともかく。今度のテストは3人で頑張りましょう。きっと春香お母さんも喜んでくれますよ。」

 

 きっといい成績が取れれば春香だって喜んでくれるに違いない。

 せっかくだから3人揃って褒めてもらいたいイエイヌだ。

 

「うんうん。でも…!」

 

 ともえは何かを思いついたようにニヤリとして続けた。

 

「せっかくだから勝負もしよう!」

「ええ!?ともえちゃんと勝負ですかっ!?」

 

 思わずイエイヌは驚いてしまった。

 いつもともえとは協力してきた間柄だ。それが勝負だなんて。

 

「今回の期末テストでどっちがいい点数取れるか勝負するのっ。」

 

 イエイヌは初めての経験なのでどうにもその良し悪しが判断できない。

 不安そうに萌絵の方を見てみる。

 

「悪い事ではないんじゃないかな。喧嘩ってわけでは全然ないし、こうして競争するとやる気も出るし。」

 

 そんなイエイヌの視線を受けて萌絵が頷いて見せた。

 それならいいか、とイエイヌも頷きを返す。

 

「へへへー。実はね…!アタシが勝ったらイエイヌちゃんにお願いしたい事があったんだ…!」

 

 勝負の約束が成立してともえは不敵に宣言する。

 一体何をお願いするというのか。まあ、ともえの事だからそこまで変な事ではないとは思うけれど…、とイエイヌも続く言葉を待つ。

 

「一回でいいからアタシもともえお姉ちゃんって呼んで欲しい!」

 

 なんだそんな事か、とホッと胸を撫で下ろすイエイヌである。

 一日中尻尾をモフモフされたりクンクンされたりだったらさすがに少し恥ずかしかったので、お姉ちゃんと呼ぶくらいならお安い御用だ。

 

「あとあと!ちゃんとアタシに一日甘えるの!」

 

 目をキラキラさせたともえはそんな事を言い出す。

 

「あれ?でもわたし…。結構ともえちゃんに甘えてるような気がしますけど…。」

「えっとね!えっとね!イエイヌちゃんってあんまり自分からは撫でて!って感じにならないじゃない。だからそこをね!もう撫でてオーラ全開で来て欲しい!そして目いっぱい甘やかしたい!」

「おおおっ!?それはいいかもね!それは目いっぱい甘やかしたくなるね!」

 

 どうやらこの勝負に負けると結構恥ずかしい事になるらしい。それを悟ったイエイヌは身震いする。

 ちゃっかり萌絵まで乗っかってともえと一緒に盛り上がってるし。

 これは負けられない、と覚悟を決めるイエイヌだったが、ふとした考えが頭に過った。

 もしも自分が勝った場合はどうなるのだろうか、という疑問である。

 

「もし…。もしわたしが勝ったらその時はともえちゃんがわたしをイエイヌお姉ちゃんって呼んでくれるって事でしょうか…。」

 

 ふむ、とその場面を想像してみるイエイヌである。

 ともえが少しばかり恥ずかしそうにはにかんで、「イエイヌお姉ちゃん…。」と自分に呼びかけるのである。

 

「し、しかもわたしに目いっぱい甘えてくれるって事ですよね!?」

 

 イエイヌの想像の中ではともえが仰向けに寝転んでお腹を見せるようにして、「撫でて」と言っていた。

 悪くない…。むしろ最高じゃないか、とイエイヌは目を輝かせ尻尾をぶんぶん揺らした。

 

「そうだねえ。イエイヌちゃんが勝った場合は同じ事を要求しても文句は言えないよねえ。ね、ともえちゃん。」

 

 そんなイエイヌの姿を眺めながら萌絵はニヤニヤしていた。

 これは面白い事になってきた、とその顔に書いてある。

 

「まさか、自分で仕掛けた勝負を取り消したりしないよね?」

「ももも、もちろんだよっ!?どんと来いだよっ!?」

 

 イエイヌの目がやけにギラついていたので若干の気後れをしていたともえだったが、萌絵に乗せられる形で勝負は続行である。

 それに、勝てばいいのだ。

 こうなれば残りの時間、お勉強を頑張るしかない。

 

「言っておきますが、全力で行きますよ。」

「望むところだよ…!」

 

 萌絵を挟んで火花を散らし合うイエイヌとともえ。

 ちなみに、真ん中に挟まれる萌絵は…。

 

「(アタシが勝ったら二人とも目いっぱい可愛がってもいいって事かなあ?)」

 

 なんて呑気に考えているのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 市内の学校はどこも似た様な日程で期末テストを行う。

 という事は、色鳥東中学校でも期末テストが行われようとしていた。

 

「ヤマさぁ~ん、ハクトウワシぃ~。もう頭ん中ぐるぐるだよぉ~。」

 

 色鳥商店街前交番の休憩室でマセルカがテーブルに突っ伏していた。

 二人は苦笑しながらテスト勉強に悪戦苦闘するマセルカを見守っている。

 

「頑張って下さい。マセルカ。今までちゃんと勉強してこなかった報いだと思って。」

「セルシコウの薄情ものぉ~!?」

 

 そんなマセルカの勉強を看ているのはセルシコウだった。

 彼女もテストはあるが、こちらは余裕の表情だ。

 実はセルシコウは転校初日から当てられた問題に難なく答えてみせたり体育で大活躍したりという文武両道ぶりを見せつけていた。

 これも、彼女達の世界で予め読み書き計算などの“輝き”を学習していたからなのだが、マセルカはそれを怠っていたらしい。

 なのでセルシコウからすればマセルカの自業自得である。

 そうして大分煮詰まっているらしいマセルカの前に氷を浮かべた麦茶の入ったグラスを置いたのはオオセルザンコウだった。

 同様の物をセルシコウとハクトウワシ、ヤマさんの席にも置いてから訊ねる。

 

「それはともかく。今日、私達を呼んだのはどういう事なのかな?」

 

 オオセルザンコウ達3人は、今日、ヤマさんに呼ばれてやって来たのだ。

 ヤマさんはチラリと時計を見てから答えた。

 

「うん。前に、キミ達が飲食店を開くにあたって店舗の方には心当たりがあると言っただろう。」

 

 その言葉にマセルカがバッと顔を上げた。

 

「店舗ってグルメキャッスルの!?」

「ああ。まあ、キャッスルってわけにはいかないけれど、もうすぐ来るはずだよ。」

 

 店舗が来るとはどういう事か、とセルシコウもマセルカもオオセルザンコウもハクトウワシまでもがハテナマークを浮かべる。

 ちょうどその時…。

 

「ヤマさん。待たせたねえ。」

 

 とやって来たのは商店街で飲食店を営む男性だった。

 この男性の店舗に間借りでもさせてもらうというのだろうか。

 だがそういう事ではないらしい。

 

「倉庫で埃を被っていたのを持ってきたけど、ここまで持ってくるだけでも結構しんどかったよ。」

 

 男性は交番の前に停められた“それ”を示す。

 その姿を見たハクトウワシは思わずつぶやいた。

 

「これって…屋台?」

 

 それは車輪のついた手押し式の移動屋台だった。

 

「ああ。俺がまだ若い頃に使っていたものなんだが、ヤマさんに言われて引っ張り出してみたんだよ。」

 

 だが、問題は山積みのようだ。

 それは一目見ただけでわかる。

 

「これ…。すっごいオンボロじゃない?」

 

 思わず言ってしまったマセルカの口をハクトウワシが慌てて抑えたが残念ながら遅かった。

 だが、屋台を引っ張って来た男性は気を悪くした様子もなく言った。

 

「そうなんだよ。大分長く使ってなかったから、このままじゃあ使えないと思う。」

 

 ヤマさんも屋台の周りをぐるぐる回ったり、底面を覗き込んだりして具合を確かめていた。

 

「そうだね。まず車輪の車軸が歪んでるし、骨組みはともかく、木板が痛んでいる箇所もあるようだから交換が必要かな。」

「あとは車輪自体も一応動いてるけど長年使ってないからこれも交換した方がいいね。」

「もしかして、コンロの方もダメそうかい?」

「いやいや、そっちはチューブを交換すればイケそうだよ。」

 

 オオセルザンコウ達をそっちのけでヤマさんと男性はワイワイと屋台の状態を話し合っていた。

 

「ふぅむ…。そうなるとこの屋台を使えるようにするのに結構お金がかかるかな。」

「工務店のおやっさんに見積もりとってもらったんだけど、このくらいはかかるよ。」

 

 男性が示した見積書をヤマさんの肩越しに覗き込むオオセルザンコウ達。

 その数字が示す金額を見たオオセルザンコウは思わず眩暈がした。

 この前陸上大会のお手伝いをして稼いだ金額ではとても足りそうにない。

 

「うぅん…。飲食店を開く初期費用としては安い方なんだけどね。」

 

 ヤマさんの言う通り、飲食店を開くにもそれなりのお金がかかる。

 店舗を借りて内装を整えて、調理器具を揃えて、そして食材を仕入れなくてはならない。

 そのうちの店舗と内装を一度に整えられる移動屋台はいい手段だったし、実際にかかる初期費用も破格の安さだ。

 それでも、その金額は簡単に払えるような額ではない。

 

「だが…。これはいい手ではある。」

 

 オオセルザンコウも遊んでいたわけではない。

 図書館などでこちらの世界の常識などを色々と調べてもいたのだ。

 

「確かにヤマさんの言う通り、初期費用としては安すぎると言っていいくらいだ。」

 

 それだけに、ヤマさんが随分と手を回してくれたのもオオセルザンコウは気づいていた。

 だから、これ以上ヤマさんや屋台を持ってきてくれた男性に甘えるわけにはいかない。

 このお金は自分が稼がないといけないのだ。そう決意したオオセルザンコウはヤマさんに頭を下げる。

 

「すまないが、また何か仕事を貰えないだろうか。今の私ではこの屋台を直すお金を払えないんだ。」

 

 オオセルザンコウに頭を下げられてヤマさんは頷いた。

 

「うん。そうだね。実は商店街の会長さんにも聞いてみたら、人手が足りない仕事があるみたいだからそこでバイトが出来ないか頼んでみるよ。」

 

 すっかりヤマさん達には世話になりっぱなしだ。

 オオセルザンコウとしてはそんな状態に心苦しさはあるものの、今は甘えるしかない。

 

「あ。それだったら私もアルバイトしたいです。オオセルザンコウにばかり働かせるわけにもいきませんから。」

「マセルカもー!」

 

 セルシコウとマセルカの二人もヤマさんに頼み込んでいた。

 その姿にオオセルザンコウは頼もしさを覚える。

 そうとも。

 今はこうしてこの世界の人達に甘えるしか出来ないが、それでも『オペレーショングルメキャッスル』は自分達3人が成し遂げなくてはならない。

 だが…。

 

「セルシコウ。すまんが頼む。」

 

 とオオセルザンコウはあえてセルシコウにだけ一緒にバイトしてくれるように頼んだ。

 

「なんでー!?マセルカは!?マセルカも一緒にやるよう!」

 

 両手をぶんぶんしているマセルカの頭にポンと手を置くとオオセルザンコウは言った。

 

「マセルカは今度の期末テストで赤点を回避できたらな。」

 

 成り行きとはいえ中学生になった以上、やはり勉学もそれなりには頑張って欲しいオオセルザンコウだった。

 

「分かった!じゃあすっごい点数とってビックリさせてあげるんだから!ハクトウワシー!今度はこのえーごってヤツ教えてー!」

「わかったわ!英語は昔から得意だったんだから!バッチリ教えてあげるわよ!」

 

 どうやら狙い通りにマセルカはやる気を出してくれたらしい。

 早速ハクトウワシとセルシコウに纏わりついてテスト勉強の続きに勤しんでいた。

 

「まだまだ前途多難だが…。これで『オペレーショングルメキャッスル』も一歩前進か。」

 

 そんな賑やかな様子を見ながら、オオセルザンコウは確かな前進の手応えを感じていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「まったく…。テスト時期にだけ図書室を使いに来る者が多いのは呆れますね。博士。」

「ええ。普段からしっかり勉強していないからそうなるのです。助手。」

 

 ジャパリ女子中学校の図書室の主、コノハ博士とミミ助手はテスト前で混雑する室内に溜め息をついていた。

 

「そんな事言わないで助けてよぉ!コノハちゃん博士先輩、ミミちゃん助手先輩ぃ~!」

 

 そんな二人に抱き着いてほっぺを擦り付けているのはともえだった。

 イエイヌとのテスト勝負が決まったのはいいが、思っていた以上に強敵だった事に危機感を募らせたともえは対策を考えに図書室にやって来て、そこで博士と助手を見つけたのだ。

 博士と助手は3年生の中でも学年トップと2位の成績を誇る二人だ。何かいい勉強方法を知っているに違いない。

 だが博士と助手の二人はジト目で答える。

 

「そんな物はないのです。毎日の予習復習が重要なのです。一つ一つ積み重ねるのが大事なのです。」

「その通りなのです。テスト前に慌てるようではダメダメなのです。」

「そこを何とかぁ~!?」

 

 とりつく島もない博士と助手をここぞとばかりにモフり倒すともえ。

 ちゃっかり二人のモフモフぶりも堪能していた。

 

「ともえ。お前の学年ならむしろ、かばんを頼った方がよいと思うのです。」

「ちょうど、かばんも図書室に来ているのだから、わからないところを聞いてくるといいのです。」

 

 だが、その提案にともえはゆっくりと被りを振る。

 ともえも、図書室にかばんがいるのは気づいていた。

 それでも博士と助手を先に頼ったのには理由があった。

 かばんは当然のようにサーバルと一緒だった。

 

「そうそう。そこの問題は、この公式にそれぞれの値を代入してね…。」

「おお!?すっごい!ほんとに解けたー!すごいよかばんちゃん!」

「すごいのはサーバルちゃんだよ。よく出来ました。」

「えへへー。かばんちゃんに撫でてもらっちゃったぁ~。」

 

 と、すっかり二人の世界に浸っていたので声を掛けるに掛けられなかったのだ。

 

「ちなみに…。二人はあの空気に割って入れる?」

 

 博士と助手は揃って首を横に振った。

 

「まあ…かばんとサーバルの二人はアレでいいのです。」

「もうあの二人は末永くイチャついてればいいのです。」

 

 博士と助手の言葉にともえも同意とばかりに三人して何度も頷いていた。

 

「いや、あの…聞こえてますからねっ!?」

 

 と思わずツッコミを入れてしまうかばんであった。

 

「それよりも、テスト勉強だったら、この後アライさんやフェネックさんも来ますからともえさんも一緒にやりますか?」

「おおお!?マジでいいの!?」

 

 三人寄れば文殊の知恵というものである。

 ちょっとだけ希望が見えて来た。

 こうなったら博士と助手も巻き込んで人海戦術でもとるか、と画策を始めるともえ。

 博士と助手は仕方ないなあ、というように二人して頷いた。

 

「ちなみに我々はこの後、宝条ルリ達が来るので少しは勉強を看てやるとするのです。」

「宝条ルリは図書室常連なので特別扱いしてやるのです。そのついででいいなら少しくらいは一緒に勉強してやるのです。」

「ほんと!?ありがとう、コノハちゃん博士先輩っ!ミミちゃん助手先輩っ!」

「「だから抱き着くななのですっ!」」

 

 再びともえにモフられながら博士と助手は一つの疑問を持っていた。

 勉強だったら普通に萌絵に教わるのが一番効率がいいような気がするんだけどそれじゃあダメなのだろうか、と。

 

「あー。うん…。それなんだけどね…。」

 

 と、その疑問に答えようとするともえは何だか歯切れが悪い。

 だが意を決すると一息に言った。

 

「まず、お姉ちゃんの事だから、テスト終わったら一番成績がよかったって事でアタシとイエイヌちゃんをまとめて可愛がろうと企んでると思うんだ!」

 

 いやさすがにそれは…。と思った博士と助手だったがすぐに、イヤ、有り得ると考えを改めた。

 

「そこで一教科くらいはお姉ちゃんよりいい点数とってお姉ちゃんを甘やかしたいっ!」

 

 何とも呆れた理由だ、と博士も助手も思わずジト目になってしまう。

 つまり、ともえは萌絵と同じ事をしていても勝てないと踏んで図書室にやって来たのだろう。

 そんなともえに博士と助手は口々に言う。

 

「無謀なのです。」

「アリが象に挑むくらい無茶なのです。」

「二人ともヒドくない!?」

「確かに。アリに失礼だったのです。」

「ミジンコがクジラに挑むくらい無茶なのです。」

「前よりヒドくなった!?」

 

 散々な謂われように肩を落とすともえ。

 だが二人の言う事ももっともだ。

 それでも…。

 

「でもさ。この前の陸上大会の時、お姉ちゃんには随分頑張ってもらったじゃない?」

 

 博士と助手も地区大会での顛末は後で聞いていた。

 なので、萌絵がともえと入れ替わったと聞いた時にはこれまた無茶をしたな、と呆れたものだった。

 

「だからさ、たまにはアタシもいいとこ見せて、一日くらいお姉ちゃんを交替して目いっぱい甘やかしたいわけ!」

 

 その言い分はわかるようなわからないような博士だった。

 だが、一つハッキリした事は…。

 

「かばんとサーバルも大概ですがお前達も負けず劣らずなのです。」

「末永くイチャついてやがれなのです。」

 

 どうやらこの学校には過剰に仲良しペアが多いらしいという事だった。

 そんなところにかばんもサーバルもやって来た。

 

「でも、頑張るのは良い事ですよね。せっかくですし挑戦してみたらいいと思います。一緒に勉強しましょうか。」

「やったぁ!さっすがかばんちゃんっ!」

 

 そんな願ってもない申し出にともえはかばんにも抱き着いた。

 そして逆側はサーバルが抱き着く。

 

「私も!私もいい点とってかばんちゃんに甘えてもらうね!」

「お!いいね!サーバルちゃんも一緒に頑張ろうっ!」

「「いえーい!」」

 

 パシン、とお互い手を合わせるともえとサーバル。

 もう博士と助手はどこから突っ込んでいいのかわからない。

 とりあえずどうしても今この場で言わなくはならない事が一つある。

 

「お前達…。図書室ではお静かになのです。」

「他の人達の迷惑になるなら追い出すのですよ。」

 

 ゴゴゴゴ、と怒りの炎を背にした博士と助手に慌てて平謝りのともえとサーバルだった。

 とりあえず静かになったので、博士は怒りの炎を収める。

 

「まあ、でもこれで戦力比はオキアミがクジラに挑むようなものくらいになったと言ってやるのです。」

「それでも捕食される側っ!?」

 

 少しは評価があがったらしいけれど、それでも圧倒的な戦力差にともえは再び肩を落とす。

 そんなところにアムールトラとユキヒョウとエゾオオカミを伴ったルリがやって来た。

 どうやらクロスジュエルチームもみんなでテスト勉強らしい。

 と、そこには意外な人物も含まれていた。

 イエイヌと萌絵もクロスジュエルチームの皆と一緒に図書室にやって来たのだ。

 その理由をイエイヌが説明してくれた。

 

「実はですね。萌絵お姉ちゃんがテストの予想問題を作ってくれたんですよ。せっかくだから皆で勉強しようかってアムールトラ達も誘ったんです。」

 

 イエイヌが見せてくれた紙には確かに予想問題が記されていた。

 2年生の分だけじゃなく、1年生の分まで作っていたとは驚きだ。

 

「なるほど、これはよく出来ているのです。」

「さすが遠坂萌絵なのです。」

 

 それを見た博士と助手がそう言うのだから、萌絵が作った予想問題はかなり正確に作られているのではないだろうか。

 勝負が始まる前から圧倒的な格の違いを見せつけられた気分のともえだった。

 

「さすがに3年生の分までは作れなかったけどね。」

 

 と小さく舌を出す萌絵だったが、そこまで作られたら3年生の立つ瀬もない。

 そうして、みんなが萌絵の作った予想問題集に集まっている間にイエイヌがともえの隣にやって来た。

 

「ともえちゃん…。萌絵お姉ちゃんにも勝とうとか思ってますよね?」

「うぇ!?」

 

 すっかり見透かされたともえは思わず驚きの声をあげた。

 だが、続くイエイヌの言葉は少しばかり意外なものだった。

 

「実はわたしも同じ事を考えてました。」

 

 そんな告白にともえがニヤリとする。

 

「つまり…。テストで勝ってお姉ちゃんを思いっきり甘やかすってわけだね…!」

「はい…!」

 

 どうやら企む事は萌絵も含めた3人とも似たようなものだったらしい。

 机の下でこっそりと手を握り合うともえとイエイヌ。こうなれば共同戦線だ。

 そんな様子を見ていた博士と助手はやはり嘆息する。

 ともえも萌絵もイエイヌにも、どうしてそうなるんだ、と言いたかった。

 けれども、きっとこの3人にしか分からないような理屈があるのだろう。

 

「もうお前達は三人まとめて仲良くしていやがれなのです。」

「三人まとめて末永くイチャついてろなのです。」

 

 すっかり賑やかになった図書室で博士と助手は理解を放り出して嘆息した。

 期末テストはもう近い。

 

 

 

―後編へ続く。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話『イエイヌの戦い再び』(後編)

 

 

「はぁー……。」

 

 色鳥商店街前交番ではハクトウワシが一人、盛大な溜め息をついていた。

 溜め息のみならず、デスクに顎を乗せてぐったりとした様子まで見せている。

 真面目でいつも熱心に仕事をしているハクトウワシのこんな姿は珍しかったが、今は交番に彼女一人だ。

 ヤマさんがオオセルザンコウとセルシコウとマセルカの3人を連れてバイト先の紹介に行ったので、彼女はお留守番だった。

 

「はぁー……。」

 

 もう一度盛大な溜め息をつく理由は何も一人留守番で置いて行かれたからではない。

 そんなところにもう一人、鳥系のフレンズがやって来て呆れた表情を浮かべる。

 

「ちょっとハクトウワシ。どうしたのよ。アンタらしくもない。」

「ああ…オオタカ…。」

「『ああ…オオタカ…。』じゃないわよ。先日の色鳥武道館に現れた不審者だって見つかってないんだからしっかりしてよ。」

 

 やって来たのはオオタカのフレンズだった。

 黒髪に前髪の一部が黄色く、居住まいはクールなのだが、声が少女っぽくて喋るとそんなクールな印象が吹き飛んでしまう。

 そんな彼女はハクトウワシと同期で警察官になったフレンズで交通課に配属されている。

 今は強化されたパトロールの途中で情報共有の為に色鳥商店街前交番にも立ち寄ったのだ。

 

「住宅街方面のパトロールを実施。異常なし。」

「了解。こちらも商店街のパトロール強化を引き続き実施するわ。」

 

 お互いに業務連絡が終わると、再びハクトウワシは机に突っ伏す。

 

「あー…。」

「もう。一体全体何があったの?」

 

 すっかりだらけた様子のハクトウワシにオオタカは仕方ない、と空いてる椅子を手繰り寄せて話を聞く体勢になった。

 相変わらず机に突っ伏したままのハクトウワシは顔だけをオオタカに向けて言った。

 

「いや…。お給料をあげる方法って何かないかしら。」

「何よ、藪から棒に。」

 

 とはいえ、オオタカはハクトウワシの悩みを何となく察した。

 どうやらお金にまつわる事らしい。

 となると、これは力になれる類の話ではないのだろう、とオオタカも悟っていた。

 それに、警察官は公務員なのでアルバイトなどの副業を行う事は出来ない。

 

「いや…。その…。いきなり娘が3人くらい出来て、一人前になるまで育てるのってどのくらいお給料がいるのかなあ…って。」

「何なのよ、そのやけに具体的な想定は…。」

 

 ここまで言われるとオオタカの頭にはハクトウワシに関する一つの噂話が思い出された。

 生真面目な彼女がまさかそんな事をするわけがない、と一笑に付した噂話だがちょっとだけカマをかけてみる事にした。

 

「アンタが中学生に手を出したって噂と関係ある?」

 

―バン!

 

 と机を叩いて立ち上がるハクトウワシ。

 

「人聞きの悪い事言わないでよ!?一緒に住んでるだけだからっ!?」

「いや、同棲ってもっと悪くない…?」

「違うの!?そういうのじゃなくてー!?」

 

 どうやら思った以上にカマをかけた効果はあったようで、ハクトウワシは大いに慌てて見せた。

 それにしても驚いた。

 まさかあの堅物と思っていたハクトウワシが中学生と同棲なんて大それた真似が出来るとは。

 

「でも中学生はまずいでしょ。通報した方がいいかしら?おまわりさん、こっちでーす。」

「だから違うってば!?っていうか私達がおまわりさんでしょ!?」

 

 これ以上オオタカにからかわれるわけにはいかない。

 ハクトウワシはかいつまんで今までの経緯を説明した。

 ある雨の日に生まれたてのフレンズ3人組を保護した事。

 なし崩しで一緒に暮らし始めた事。

 そして、二人は中学生として学校に通っている事。残る一人が何とか生計を立てようと頑張っている事。

 

「3人を引き離すのもかわいそうだし…。だから私がまとめて引き取ろうかなって思うんだけど、それでちゃんと皆を養えるのかって考えると…。」

 

 オオセルザンコウ達の前ではいつも通りに振舞っていたハクトウワシだったが、彼女達がいない場ではこんな風に思い悩んでいた。

 

「そうねぇ…。家族が増えたなら、家族手当だとか、住宅手当なんかは出るだろうけど…。」

「へ?そうなの。」

 

 警察官は公務員だ。

 副業が禁止されている分ある程度の給料は保障されているし、家族が路頭に迷ったりしないように配慮されてもいる。

 

「今度、経理に訊いてみなさいな。その辺りは多分だけどちゃんと申請しないとダメでしょうから。」

 

 そうした補助には疎かったハクトウワシは希望を見出した気分だ。

 

「Thank You!オオタカ!やっぱり持つべきものはCoolな友人ね!」

「はいはい。調子がいいんだから。」

 

 とりあえずはハクトウワシも調子を取り戻してくれたか、とオオタカも一安心だ。

 

「ああ、そうそう。もしもその子達をお嫁さんにするつもりなら、ちゃんと入籍してから手を出しなさいよ。私はアンタに手錠を掛けるなんてゴメンだから。」

「だからそんなんじゃないったら!?」

 

 とはいえ、3人ともとても可愛い子達だとは思っているハクトウワシだ。

 オオセルザンコウはよく気が回るし、掃除洗濯なんかの家事も得意。

 セルシコウは3人の中でも一番料理が上手ですっかり胃袋を掴まれてしまった。

 マセルカは少し生意気なところもあるが甘え上手だし一緒にいると元気になる。

 最初は戸惑ったけれど、今では3人のいない生活なんて考えられない。

 ふむ、としばらく考え込んだハクトウワシは真剣な表情をわざわざ念入りに作ってから呟いた。

 

「ちなみに……。3人ともお嫁さんにする方法ってあるかしら?」

「やっぱり今のうちに逮捕しておいた方がいい気がしてきたわ。」

 

 オオタカは呆れ半分で応じる。

 ハクトウワシなりのジョークなのはわかるが、うっかり道を踏み外したりしないようにだけは気を付けて欲しいものだと苦笑まじりに思うのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ジャパリ女子中学では今日から期末試験が始まる。

 テスト期間中は授業は午前中のみ。

 その全てがテスト時間に充てられる。

 

「じゃあ、3人とも頑張ってね。」

 

 見送る春香の前にはそれぞれに決意の表情の戦士達がいた。

 いつも通り余裕すら感じさせる萌絵とは対照的に、ともえとイエイヌは気合十分といった様子である。

 

「今日モ俺はついていけないガ、頑張ってこいヨ。」

 

 最近はお留守番が多くなってきたラモリさんは今日も見送る側だ。

 家では3人のテスト勉強に付き合っていたので、今回もきっといい結果を出してくるだろうと確信していた。

 

「(マア、もっとも今回はそればかりジャないようだがナ。)」

 

 どうやら3人のうち誰が一番いい点数をとるか競争をしているらしい事はラモリさんも知っていた。

 下馬評としてはもちろん萌絵が圧倒的に優勢だが、イエイヌは毎日勉強だって頑張っていた。その成長には目を見張るものがある。

 それにともえは萌絵ほど勉強が得意なわけではないけれど、勝負ごとには強い。

 

「(案外面白い結果になるかもしれン。)」

 

 と考えるラモリさんだ。

 いずれにせよ3人とも頑張って欲しい。

 そんな願いと共に送り出されるともえと萌絵とイエイヌの3人。

 通学路を行く生徒達も今日は単語帳をめくりながら歩いていたりする者が多い。

 やはりテスト前のどこかピリピリと張りつめた空気が感じられる。

 それは校舎の中も、そして教室の中も一緒だった。

 ともえ達も余裕をもってそれぞれの席に着いた。

 程なくして、始業のチャイムが鳴ってホームルームが始まる。

 それが終わればいよいよ期末テストの幕が切って落とされる。

 最初の教科は数学だ。

 それぞれの席に問題文と回答用紙が配られる。

 まだ問題文は裏返しのままだ。

 

「それでは、始めて下さい。」

 

 試験官の合図と共に全ての生徒が一斉に問題文を表に返した。

 2年B組の教室ではイエイヌが問題文を目に一筋の汗を浮かべる。

 

問1 次の連立方程式のxとyの値を求めなさい。

4x+2y=2

4x+5y=-7

 

 これは最初から強敵だ。

 xに攻撃をしようと思えばyが邪魔をし、yに攻撃をしようとすればxが邪魔をする。

 まるで問題文が…。

 

「ふっふっふ。我ら連立方程式の連携を崩せるかな?」

「我らが共にある限り如何なる攻撃も通用せんぞ!」

 

 とでも言っているかのようだ。

 一度深呼吸してもう一度問題文に立ち向かうイエイヌ。

 萌絵に教わった事を思い出す。

 

『いい?連立方程式には二つの解き方があるの。一つは代入法。もう一つは…。』

「加減法…!」

 

 イエイヌはメインウェポンのシャープペンを走らせて途中式を書き込む。

 

4x+2y=2

-)4x+5y=-7

__________

-3y=9

y=-3

 

「ば、バカな!?二つの式を引き算してxを打ち消しただとっ!?」

「yの値を出された以上xの値を求められるのも時間の問題かっ!?」

 

 鉄壁を誇るはずの連立方程式はそのコンビネーションを崩された。これこそが加減法である。

 そのままの勢いでイエイヌは一番最初の式のyに-3を代入する。

 そうなれば方程式を解くのは簡単だ。

 

4x+2(-3)=2

4x-6=2

4x=2+6

x=8÷4

x=2

 

「連立方程式は最初にxかyどちらかの値を求められるようにすればきちんと倒せる。そう萌絵お姉ちゃんに教わりました。」

「「な、なんだとぉおおお!?」」

 

 問1の連立方程式を撃破したイエイヌはシャープペンを構えなおして次の問題文へ進もうとする。

 

「ふ…。問1は我ら数学問題文の中では一番の小物。」

「次の連立方程式が貴様に解けるかな!?」

 

 そこへ立ちはだかったのが問2だ。

 

問2 次の連立方程式のxとyの値を求めなさい。

 

x=-y+3

2x+5y=9

 

「ふはは!今度は二つの式を足そうが引こうが我らのバリアを打ち消すなど出来ぬぞ!」

「今度こそこの問題で足止めされるがいい!」

 

 勝ち誇る連立方程式にイエイヌは申し訳なさそうな顔をする。

 

「あの…。いえ…。その…。xの方はもうそのまま代入できちゃうのでは…。」

「「へ?」」

 

 まだよくわかっていない顔の連立方程式にどういう事かを説明するには、言葉よりも途中式を書いた方が早そうだ。

 そう思ったイエイヌはメインウェポンのシャープペンを走らせる。

 

2(-y+3)+5y-=9

 

「し、しまったっ!?xにそのまま-y+3を代入されたら……。」

「yの値が求められてしまう!?」

 

 こちらがもう一つの連立方程式の解き方、その名も代入法だ。

 すでに連立方程式の鎧の半分は剥ぎ取ったも同然だった。

 慌てる問2の連立方程式コンビにイエイヌはシャープペンの切っ先を突きつける。

 

「覚悟はいいですね。」

「「ば、ばかなぁああああああっ!?」」

 

 断末魔の悲鳴を残す問2を越えてさらにイエイヌは突き進む。

 かつて鎧袖一触で倒された二桁の足し算引き算コンビがイエイヌのその姿を「「強くなったな…。」」と誇らしげに見送るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、期末テストは2教科目の英語へと突入していた。

 2年A組の教室では、ともえが縦横無尽ともいうべき動きで英語のテスト問題に挑んでいた。

 

「さあ。我を英訳するがいい!」

 

問3 彼女は夏休みに海に行きます。

 

「おお。いいねえ。アタシもみんなで海とか行きたいなあ。」

 

 と思いつつも、ともえはその問題からくるりと背をむけて一目散に逃げ出した。

 

「な!?」

 

 と驚く問3を無視して、先に問4の「次の日本語を英単語にしなさい。」という問題をあっさりと撃破していく。

 

「ごめんごめん、時間かかりそうな問題って後回しにしちゃうタイプなんだ、アタシ。」

 

 それはテスト攻略における基本テクニックでもある。

 敢えて時間のかかる長文読解や英文和訳、和文英訳などを後回しにしてわかる問題から片付ける。

 そして、残った時間で難問に挑むのだ。

 そうする事で、「あ!あの問題わかったのに答えを書き込む時間がなかったー!」という事態を防ぐのだ。

 イエイヌが剣と盾で正面から切り込む重装戦士タイプならば、ともえは細剣を手にスピード重視で戦場を駆け巡る軽戦士タイプだ。

 次々と時間のかからない単語問題を終わらせて、一度、問題文を最初から最後まで眺める。

 そうしてから、問3へと戻って来た。

 

「お待たせー。問3が一番時間かからなそうだし、キミからやらせてもらうよ!」

 

 あらためてシャープペンの細剣を問3に突きつけるともえ。

 まず主語は『彼女は』となっているのだから当然sheである。

 英文の土台は『彼女は海へ行く』というのが基本となるからshe go to the seaとなる。そこに『夏休みに』という時間を示す言葉をつけないといけないのでshe go to the sea in summer vacationとするのがいいだろう。

 だが、そこに罠があった。

 

「それでは不正解だ!」

 

 問3の和文英訳はしてやったり、とばかりにともえの背後に潜ませた伏兵に合図を出す。

 この問題は『夏休みに海に行く』という未来表現が出来るかどうかがキモなのだ。

 ともえが今の考えのままでは未来表現がないので不正解となってしまう。

 

「分かってるよ。夏休みは未来の事って読み取れるもんね。だから、この前習ったwillかbe going toのどっちかを使えって事だよね。」

 

 ともえは背後から襲い来る攻撃を振り返る事なくジャンプ一番かわしてのける。

 そのままくるり、とトンボを切って問3の背後を取った。

 

「敢えて問題文を夏休みっていう未来か過去かわからない時間にして不意打ちを狙ったんだろうけど、残念だったね!」

 

 ともえは解答欄に書き込む。

 

She will go to the sea in summer vacation.

 

 と。

 その瞬間にズシャリ、と音を立てて問3は倒れた。

 

「見事だ…。最後に教えてくれ…。どうして…、どうしてbe going toではなくwillを使った…?」

 

 どちらを使おうが解答としては正解である。

 She is going to go to the sea in summer vacation.でも正解ではあるのだ。

 けれど、ともえがwillを使ったのには理由があった。

 

「何となく、一つの文に二つもgoとgoingってあるの変な感じがしたからかなあ。」

 

 その答えに問3は満足気な笑みを浮かべた。

 

「確かにな…。willの方が納まりのよい文になる…。」

 

 ともえは倒した問3を後目に次の問題へ取り掛かる。

 まだまだ問題文は多い。

 

「よぉし!いっくよー!」

 

 気合を入れ直したともえは大量の問題文へ突撃していった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 イエイヌが正面切って戦いを挑む重装戦士、ともえがスピードと機動力を活かした軽戦士と喩えたが、では残る一人の萌絵はどうなのか。

 一言で言うなら怪盗だ。

 教師達が100点満点を阻止すべく張った狡猾な罠をものともせずに潜り抜けて、己のシャープペンを正解の鍵へと変幻自在に変えて難問の扉を苦もなく開く。

 次々に襲い掛かる問題文は萌絵にカスリ傷一つ与えられずにバタバタと薙ぎ倒される。

 

「(今日はともえちゃんもイエイヌちゃんもたくさん頭を使って疲れてるだろうから、甘いオヤツ作ってあげようかなあ。)」

 

 それで片手間に、今日のオヤツのメニューを考えていた。

 何がいいだろう、と思い悩む方が問題を解くより苦労しているかもしれない。

 まさに無敵。

 ハッキリ言って萌絵だけ格が違ったのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 そんな調子で3日間の期末テストの日程は全てが終わった。

 手応えを感じて余裕の笑みを浮かべる者。不勉強を後悔する者。開き直って結果を待つ者。

 いずれの生徒達にも結果は返って来る。

 ちなみに、成績上位者10名までの名前は掲示されるのでテストの返却を待たずして勝負の結果が一部判明する。

 テスト終了翌日に登校後、早速成績上位者を見に来たともえとイエイヌと萌絵の3人。

 

「やっぱり3年生は博士先輩と助手先輩が1位と2位かー。」

 

 まず、3年生だが、今回もコノハ博士とミミ助手がワンツーフィニッシュで首位を守った。

 続けて1年生の方も見知った名前が掲示されていた。

 1年生の1位にはアオイの名前があったのだ。

 やはり生真面目に勉強してきて、それが成績にも反映されたのだろう。

 その他にも、3位にルリの名前があった。

 最近勉強も熱心に頑張っていたらしいルリは転校後初めてとなるテストでも好成績を残したらしい。

 さらに、8位にユキヒョウ、10位にギンギツネの名前もあるではないか。

 後で会ったらおめでとうを言おうと考えるともえ達だった。

 ただ、その前に肝心の2年生の結果を見ないといけない。

 果たして2年生学年1位の成績に掲示されていたのは…。

 

「萌絵お姉ちゃん…ですね。」

「だね…。」

 

 やはり今回も首位をキープしたのは萌絵だった。

 当然これで3人のテスト勝負も勝者は萌絵という事になる。

 ちなみに、2年生学年2位の成績はかばんである。学年6位にはヘビクイワシの名前もあった。そして学年8位にはフェネックがランクインしていたようだ。

 2年生の方は成績上位者はいつもの顔ぶれという感じである。

 

「ま、まだだよ!実は1教科くらいはお姉ちゃんに勝ってるかもしれないじゃない!」

 

 ともえの言う通り、萌絵との勝負はハンデとして1教科でも勝てたら勝ちという事にしていたのだ。

 だが、残念ながらともえとイエイヌの名前は成績上位者10名の中には見当たらなかった。

 これでは各教科ごとの勝負でも萌絵に勝てる望みは薄そうだ。

 それに、ともえもイエイヌも今回のテストは皆で頑張って勉強しただけに上位10名に入れなかった事は残念だった。

 

「まあまあ。ともえちゃんとイエイヌちゃんの勝負も残ってるよ。」

 

 肩を落とすともえとイエイヌを慰める萌絵だった。

 この後、朝のホームルームでテスト成績の通知表を渡されて、テストの答案返却は各授業の時間に行われる事となる。

 なので勝負の結果が分かるのはそれ以降の休み時間に通知表を見比べた後の話だ。

 ホームルーム開始前の予鈴が鳴って、成績上位者掲示の前に集まっていた生徒達も教室へ戻っていく。

 ともえも一旦萌絵とイエイヌと別れて緊張とともにA組の自分の席に着いた。

 今さら緊張しても成績に変動はないのだが、それでも緊張してしまうのは仕方がない。

 それぞれの名前が呼ばれてテスト成績の通知表が渡される。

 ともえは恐る恐る自分の通知表を開く。

 成績は充分優秀と言えるものだ。総合順位も14位と前回の中間試験に比べて大健闘だ。

 問題は、イエイヌに勝てたのかどうかと、1教科でも萌絵よりいい点数が取れたのかどうかだ。

 果たして結果は………。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 昼休み。

 今日も天気がよかったので中庭でご飯にしたともえ達であったが、今日はちょっとだけ様子が違う。

 

「ふっふっふー。両手に花だねえ。」

 

 萌絵が片側にともえを、逆側にイエイヌを抱えてご満悦の表情だった。

 結局、ともえもイエイヌも1教科として萌絵に勝つ事は出来なかったのだ。

 なので勝者特権として二人には今日一日目いっぱい甘えてもらう事にした。

 

「くぅー!?保健体育くらいなら何とかいけないかなって思ったのに!?」

 

 主要5科目で勝てなくても、保健体育や音楽、美術、家庭科などなら勝ち目もあるのではないかと思っていたともえだったが残念ながらアテが外れた。

 特に、保健体育は萌絵は満点だった。

 

「いやあ。テストで点数稼いでおかないと、保健体育は補習になっちゃうからね。実は一番勉強頑張ったんだよ。」

 

 体育の実技は苦手中の苦手としている萌絵である。

 なので補習回避の為にもテストでの座学は決して落とせないもので、萌絵も一番力を注いだ教科だった。

 つまり、そこに勝機を求めたのはともえの完全な作戦ミスだったわけだ。

 さて、ともえとイエイヌの勝負の結果ではあるが…何と二人揃って同じ総合成績、学年14位という結果だ。

 各教科ごとに点数の上下はあったが、最終的な合計点数は全く同じだったのだ。

 

「なので、勝負はアタシの一人勝ちだねぇ。」

 

 もう鼻歌でも歌い出しそうにして、抱えたともえとイエイヌを撫でまくる萌絵である。

 なんせこれで今日一日は妹達二人を目いっぱい甘やかす権利を手にしたわけだ。

 上機嫌にもなろうというものだ。

 一方のともえとイエイヌはといえば、されるがままではあったがどこか不満気でもある。

 その原因はといえば、萌絵に勝負で負けた事ばかりではない。

 もちろん、ともえとイエイヌの勝負が同点で決着がうやむやになってしまった事も関係ない。

 ではその理由は一体何なのか。

 

「お姉ちゃんごめんね。」

 

 唐突なともえの言葉に萌絵はハテナマークを浮かべる。

 その後をイエイヌが引き継いだ。

 

「実は、陸上の地区大会では萌絵お姉ちゃんに凄く頑張ってもらったじゃないですか。」

 

 まぁ、確かに陸上の地区大会で萌絵はともえと入れ替わるという無茶をした。

 その後数日は筋肉痛で歩くのも大変だったくらいだ。

 けれど、それが今回の成績勝負とどう関係があるのか萌絵にはわからなかった。

 

「えっとね…。アタシ達のどっちかが勝ったら萌絵お姉ちゃんにも一日くらいお姉ちゃんを交代して気兼ねなく甘えてもらえるかなって。」

 

 ともえの告白にイエイヌも何度も頷いていた。

 萌絵は疲れた時なんかにはひたすら甘えん坊になるので、甘えるのが嫌いというわけではない。

 だから、頑張ってもらったお返しに彼女が気兼ねなく甘えてもらえるようにするつもりだった。

 二人でそんな事をこっそり共謀していたらしいと知った萌絵は小さく笑みを浮かべてからコホンと咳払い一つ。やけに改まった口調で言った。

 

「はい。そんなともえちゃんとイエイヌちゃんにお姉ちゃんからお報せがあります。」

 

 二人とも何だろう?と小首を傾げる。

 

「実はお姉ちゃんにはこっそり自慢にしている事があります。」

 

 それは一体?

 ともえもイエイヌも続く言葉を待った。

 

「生まれてから13年と4か月、一日も休まずともえちゃんのお姉ちゃんだった事です。」

 

 えっへん、と言わんがばかりの萌絵であった。

 

「もちろんこれからも一日だって休まずに、ともえちゃんとイエイヌちゃんのお姉ちゃんだよ。」

 

 萌絵は二人まとめて抱き寄せて続けた。

 

「時々頼りなかったりダメになったりするお姉ちゃんだけど、これからもよろしくね。」

 

 確かに、萌絵は時々甘えん坊になったりする。

 けれども、ともえもイエイヌも頼りないなんて思った事はない。だから答えは決まっていた。

 

「お姉ちゃんは世界一のお姉ちゃんだよ。」

「はい。萌絵お姉ちゃんは世界一のお姉ちゃんです。」

「「ねー!」」

 

 言って二人して両側から萌絵をサンドイッチにするともえとイエイヌだった。

 こうして、夏休み前最後の試練となる期末テストも終わりを迎えた。

 きっと楽しい事がたくさん待っている夏休みになるだろう。

 そう確信する遠坂3姉妹であった。

 

 

けものフレンズRクロスハート第19話『イエイヌの戦い再び』

―おしまい―



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

秋の番外編『秋の夜長のクロスナイト』

【前書き】

 このお話は、けものフレンズR秋の投稿祭用に書いた作品です。
 企画詳細はこちらです。
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10596761
 本編とは時系列がちょっと違う未来のお話になりますがよかったらお楽しみ下さい。


【けものフレンズRクロスハートとは!】

 かつてヒトがいなくなって荒廃したジャパリパークで暮らしていたイエイヌはオイナリサマの手によって別な世界へ送られた。
 そこはセルリアンがいなくて平和でヒトもフレンズも仲良く暮らす賑やかな街だった。
 そこで遠坂ともえと出会い、その家族である双子の姉、遠坂萌絵、そして母の遠坂春香と幸せな日常を過ごしていた。
 ところが、その世界にもセルリアンが現れる。
 別世界でセルリアンと戦う事が出来たイエイヌは通りすがりの変身ヒーロー、クロスナイトとなって街を守る。

 今日のお話はそんなクロスナイトの物語である。



 空気が乾いて吹く風に涼しさと一緒にどこか寂しさも混じる季節になった。

 秋である。

 色づいた葉が時折舞う公園を一人歩くのはイエイヌだった。

 

「はっくさい、エノキに、シイタケ、にんじーん♪」

 

 楽しそうに一人歌うその手には買い物袋が提げられていた。

 イエイヌはお使いの帰りだった。

 バッチリ任務達成。きっと春香も褒めてくれるに違いない。

 季節も巡って、今では一人でお使いだって出来るようになったイエイヌだ。

 近道の公園を通って今日はタイムアタックにも挑戦だ。

 今日のお使いリストに卵が入っていないのは運がよかった。

 少しばかり速度を上げたって卵を割ってしまう心配はないのだ。

 イエイヌは一度あたりを見渡して人影がないかどうかを確かめる。

 イエイヌが全力を出すと、その速さに周囲を驚かせてしまうのだ。

 なんせ彼女はこの世界とは異なる別な世界からやって来たのだ。

 フレンズと人が近しい存在となって、よりヒトと近い生活を送れるようになったのがこの世界だ。

 その代わり、フレンズは動物の力を失い、野生の力を発揮できる者もまたいなくなってもいた。

 イエイヌのいる世界ではとある天敵との戦いが日常茶飯事であった為に、その力はこの世界のフレンズ達と比べて強力なものだった。

 ちょっと本気を出せば、公園の遊歩道に積もった落ち葉を巻き上げて、秋の風よりも速く走る事だって出来る。

 そうして人影のない公園の遊歩道をひた走るイエイヌだったが、あるベンチの前でふと立ち止まった。

 そこはかつてイエイヌがともえと出会ったベンチであった。

 確かに思い出の場所ではあるが、それだけなら立ち止まる理由にはならない。

 だが、そこに一人のフレンズがうなだれて座っていたのなら話は別だ。

 そのフレンズは前髪が伸びていて目元を覆い隠すようになっている。うなだれているのを含めても何だか内気そうな印象だ。

 それに彼女が持っている尾ヒレは水棲動物のものだ。

 一体どうしたのだろう。何か困り事だろうか。

 かつてイエイヌはこちらの世界に来たばかりの時、ともえにこのベンチで声を掛けてもらってとても救われた。

 だから、誰かが困っているのなら今度は自分が助けになる番だ。

 

「へーい。かわい子ちゃん。そんなしょぼくれた顔してちゃせっかくの尾ひれと背びれが台無しですよ。」

 

 イエイヌはかつてともえに声を掛けられた時と同じようなセリフでもってその水棲動物のフレンズに話しかけた。

 そんなイエイヌに彼女はしばらく驚いたようにポカンとしていた。

 イエイヌは膝を折ってそのフレンズの前にしゃがみ込むと下から前髪の下の瞳を覗き込むようにする。

 まん丸の可愛らしい目と視線があった。

 

「よかったら何に困っているのか教えて貰えませんか?わたし、こう見えても数々の難事件を解決してきた正義の味方なんです。」

 

 えっへん!

 とでも言いたげなドヤ顔のイエイヌ。ついでに尻尾がぶんぶん揺れていた。

 最初、新手のナンパか何かかと思っていたベンチに座っていたフレンズだったが、思わず撫でまわしたくなるような人懐っこいイヌのフレンズが声を掛けてきたのだとわかって思わず…

 

「ぷっ…。」

 

 と吹き出してしまった。

 

「お?笑いましたね。うんうん。そっちの顔の方が元気があって好きですよ。」

 

 そんなナンパなんだかよくわからないセリフを言うのが自分なんかよりよっぽど可愛らしいイヌのフレンズだ。

 

「あはははは!」

 

 可笑しくてたまらなくなったベンチに座っていたフレンズはお腹を抱えて笑い出した。

 ひとしきり笑った彼女は、ようやく落ち着いてから自己紹介をした。

 

「私はね、シャチっていうの。急に笑ったりしてごめんなさい。」

「いえいえ。元気になってくれて嬉しいですよ。わたしはイエイヌです。」

 

 お互いに自己紹介したところでシャチが横にズレてベンチのスペースを開けた。

 イエイヌも遠慮なくそこに腰掛ける。

 お使いは順調だ。少しくらいの道草ならば許容範囲だろう。

 イエイヌはシャチの言葉を待つ。

 

「ええとね…。私ね…。今度のハロウィンでわるわる団になるの。」

 

 イエイヌは聞きなれない言葉に小首を傾げた。

 ハロウィンというのは一緒に暮らす家族であるともえや萌絵から教えて貰った。

 なんでも仮装してお菓子を貰うというイベントらしい。

 春香がイエイヌの分も張り切って衣装を作ってくれている。なのでとても楽しみなイベントだ。

 だがそれよりも、わるわる団とは一体何なのか。

 シャチはそんなイエイヌの疑問に答える。

 

「えっとね…。私は小学校の6年生でね。ハロウィンの子供会で、お菓子を配るの。一番上の学年になったお姉さんの役割なの。」

「ほうほう…。それがどうしてわるわる団?というのになるのですか?」

 

 お菓子を配る役とわるわる団というものがどうにもイコールで繋がらないイエイヌである。

 

「でね…。今年はお菓子を奪った悪い悪いわるわる団から仮装した子供たちがお菓子を取り戻すってストーリーなの。」

 

 なるほど、とイエイヌにもようやく合点がいった。

 そしてシャチが何に思い悩んでいたのかもだいたい見当がついた。

 この短い時間でも分かった事だが、シャチはわるわる団というよりも「いい子いい子」と撫でたくなるようなフレンズなのだ。

 そんな彼女がわるわる団なんて役柄をこなせるのか。

 確かにこれは難問かもしれない。

 

「つまり、シャチさんはわるわる団になれるかどうか不安を感じている、と。」

 

 イエイヌの確認にシャチはコクリと一つ頷いた。

 

「うーん…。」

「ねえ、イエイヌさん。私はどうしたらいいのかな。」

 

 腕を組んで考え込むイエイヌにシャチは藁にもすがる想いで訊ねた。

 

「そうですね。わたしだけではいい考えが浮かばないです。」

 

 その答えにシャチがガッカリするよりも早く、イエイヌは彼女の手をとって立ち上がった。

 

「ですが、わたしだけではダメでも、みんなで一緒に考えたらきっといいアイデアが浮かびます!」

 

 力強く言うイエイヌに、シャチは不思議と不安が薄れていくのだった。

 そのまま二人は落ち葉舞う遊歩道を駆け出した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 喫茶店『two-Moe』はこちらもハロウィン風の飾り付けがされていた。

 照明にはカボチャのランタンを模したカバーが取り付けられて、秋の紅葉を象った飾りがテーブルを彩る。

 さらにはお客さんが座るイスの背もたれにも小さなジャック・オー・ランタンやデフォルメされたコウモリの人形が置かれていた。

 まさにハロウィンモードである。

 

―コロン、コロン。

 

 ハロウィンモードでドア鈴もジャック・オー・ランタンを象ったものになっていたのだが、それが来客を報せる。

 

「ただいま戻りましたー!」

 

 ドアを開けたのはイエイヌだった。

 

「おかえりなさい。」

 

 と、出迎えたのはイエイヌが暮らす遠坂家の母親である遠坂春香であった。

 背丈が低く、若い容姿も相まって随分と年下にみられる事の多い彼女であるが、とても頼りになる母親である。

 そんな春香はイエイヌの背中に隠れるようにしているシャチに気が付いた。

 

「あら。イエイヌちゃんが随分かわいいフレンズちゃんをお持ち帰りしてきたのね。」

 

 そんな言葉に目ざとく反応したのはイエイヌの家族である双子の姉妹であった。

 

「お、おおお!本当だ!なになに、この子どうしたの!?」

「イエイヌちゃん…。お使いのついでに可愛いフレンズちゃんまで連れてくるようになって…。立派になったね…。」

 

 最初が緑がかった髪色のともえで、続いた方が黒髪の姉である萌絵だった。

 

「もうー!ともえちゃんも萌絵お姉ちゃんもっ!シャチさんがビックリするじゃないですかっ!」

「「ごめんごめん。」」

 

 ぷんすか、と怒ってみせるイエイヌにともえも萌絵も両手を合わせて謝っていた。

 さすがに双子だけあってともえと萌絵の動きは見事にピッタリ揃っていた。

 

「それで、どうしたの?」

「シャチちゃんだっけ?遊びに来てくれたの?」

 

 と冗談は程々にして訊ねるともえと萌絵にイエイヌはかいつまんで事情を説明した。

 すると、二人はやはり同じ動きで腕を組んで「うーん。」と同じように頭を捻る。

 

「わるわる団…なんだかシャチちゃんには似合わない感じの役だね。」

「そうなの…。それで上手に出来る自信がなくて…。」

 

 萌絵の言葉にシャチも力なく頷いた。

 確かにこの様子を見るにわるわる団なる悪役を出来る性格には思えない。

 そんな彼女の肩に力強く手を置いたのはともえだった。

 

「大丈夫だよ!だってシャチちゃんの元になった動物には二つ名があるんだよ。」

 

 わるわる団とシャチの二つ名が何か関係があるのか、とイエイヌもシャチも揃って小首を傾げた。

 

「シャチって動物はね、海のギャングって呼ばれているんだ。」

「海のギャング…。」

 

 ともえが教えてくれた二つ名に、イエイヌはもう一度シャチの顔を覗き込む。

 とても可愛いくてギャングという名称は連想できない。

 それでもともえは強く頷いてみせた。

 

「だから大丈夫。シャチちゃんはちゃんとわるわる団を出来るよ。」

 

 海のギャングと呼ばれる動物のフレンズなのだから、子供会の悪者役だってちゃんと出来るというのはいささか根拠に乏しい。

 それでも、真っ直ぐに見つめるともえの視線を見ていると不思議と不安が薄れていく。

 理屈よりも勢いでやる気だけは沸いて来た。

 

「けど…。」

 

 それでもまだシャチには不安が残っていた。

 本当に一人でそんな事が出来るのか。

 そこに萌絵がニマリとしながら言った。

 

「じゃあさ、取り敢えず形から入ってみるっていうのはどう?」

 

 ついでとばかりに萌絵はヒョイとラモリさんを抱えあげてみせる。

 ラモリさんとは赤いカラーリングのラッキービーストで尻尾部分が試作多機能アームに換装されているのが特徴だ。

 そして目元には黒いサングラスを掛けている。

 萌絵はラモリさんの目元のサングラスをコショコショとくすぐるようにしてから、自身も予め用意していた同じデザインのサングラスを掛けてみせた。

 その姿を見たともえとイエイヌとシャチの3人は一様に同じ事を思った。

 

「「「ちょ、ちょっとだけワルに見える…!」」」

「オイッ!?俺はワルぶってサングラス着けてるわけじゃないゾッ!?」

 

 思わずラモリさんのツッコミが入ったけれど、萌絵が言いたい事はわかった。

 

「そう。せっかくのハロウィンだもの。わるわる団に仮装しちゃえばいいって事だよ。」

「ええ。ちょうどよくイエイヌちゃんの分の衣装だって用意してたもの。せっかくだからシャチちゃんも仮装しちゃいましょう。」

 

 いつの間にやって来ていたのか。春香がお客さん用のコスプレ衣装を用意していた。

 『two-Moe』ではハロウィン企画でお客さんにもコスプレしてもらえるよう衣装を準備していたのだ。

 そして何より…。

 

「つまり、イエイヌちゃんもシャチちゃんも可愛く仮装させちゃってイイって事だね…!最高じゃない!?」

 

 と本音が漏れるともえだった。

 春香と萌絵とともえの3人には共通点がある。

 それはフレンズが大好きな事だ。

 そんな彼女達は手をワキワキさせながらイエイヌとシャチに迫る。

 

「ええと…。あの…。」

「なんかお姉さんたち目が怖いような…?」

 

 それから小一時間ほど。

 イエイヌとシャチの二人は着せ替え人形となるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、子供会のハロウィンイベント当日。

 シャチは『two-Moe』で借りた衣装でバッチリと仮装していた。

 黒いマントと口元に小さな牙。それと目元に赤い筋を傷のように書いている。

 彼女の目元を隠す前髪と相まって見事に不気味さを醸し出す事に成功していた。

 シャチの仮装は吸血鬼というべきものだった。

 

「私は…!海のギャング…!!」

 

 シャチはバサァ、とマントを翻すと先日『two-Moe』で演技指導してもらった通りにワルっぽいポーズを決めて思い切って叫んだ。

 

「わるわる団!」

 

 きゃあきゃあ、と楽しそうな表情で逃げ回る仮装した子供達。

 

「はーっはっは!逃げ回るのならお菓子はこのわるわる団が独り占めしちゃうぞぉー!」

 

 衣装に身を包んでみたら覚悟が決まったシャチである。

 子供達に配るお菓子の入ったバスケットを高く掲げて見せる。

 そんな楽しそうな様子をこっそりとイエイヌが覗いていた。

 シャチが上手くやっているか心配で様子を見に来たのだが、これなら杞憂だったようだ。

 イエイヌは満足して踵を返そうと思ったが、瞬間ザワリ、と背中が総毛立つイヤな予感がした。

 続けて自慢の鼻にそのイヤな予感の正体が感じ取れた。

 

「まさか……!」

 

 イエイヌがバッと振り返った先、シャチが高く掲げたバスケットが黒い水のようなものに包まれていた。

 お菓子の入ったバスケットは黒い水に包まれてグニョグニョと形を変えて、やがてカボチャ頭に白いローブを纏った怪人へと姿を変えた。

 ローブの下は細長い針金のような手足と胴体がついていた。

 イエイヌはその正体を知っていた。

 それこそがイエイヌがかつて暮らしていた世界で天敵だった存在。セルリアンである。

 カボチャ頭のセルリアンはおとぎ話のジャック・オー・ランタンのように見える。さながらハロウィンに現れたハロウィンセルリアンと呼ぶべき物なのだろう。

 ハロウィンセルリアンは未だ驚きに固まる子供達に向けて針金のような手を伸ばす。

 その手の中にキャンディが現れると、高速で回転を始めた。

 

「ま、まさか!?」

 

 イヤな予感にシャチは飛び出すと、ハロウィンセルリアンが指さした子供を抱えて身を投げ出した。

 

―バキィ!

 

 直後放たれたキャンディの弾丸が先程まで子供がいた地面を抉っていた。

 状況はよくわからないが危険な事だけはシャチにも分かった。

 だから叫ぶ。

 

「みんな!逃げて!」

 

 これは余興やイベントなのではないかと思っていた子供達も、イベントを運営する大人達もようやく我に返った。

 子供達を守るようにして逃げ出す。

 シャチも抱えた子供と一緒に逃げようとした。

 しかし、ベタリ、と足が地面に張り付いたように動かない。

 よく見ると、足元が茶色のチョコレートで固められて動かす事が出来ない。これもハロウィンセルリアンの仕業なのか。

 そのシャチに向けてハロウィンセルリアンは再び指で鉄砲の形を作るとそれを突きつけた。

 その指先に高速回転するキャンディが現れた。

 先程と同じようにキャンディの弾丸を放つつもりなのだろう。

 それを悟ったシャチはせめて抱えた年下の子だけは、と腕の中に庇う。

 キャンディの弾丸が放たれれば大怪我は避けられないだろう。

 シャチは固く目を閉じた。

 

―ガキィイン!

 

 その耳に甲高い金属音が響く。

 けれど、シャチの身には何も起こってはいなかった。

 どうして、と目を開けたシャチの前には翻る短いマントが見えた。

 続けて金属製の脛当てをつけた足、デフォルメされた犬の顔を模したガントレットをつけた腕が見える。

 その左腕には丸形の盾が握られていた。どうやらそれでキャンディの弾丸を防いだらしい。

 

「大丈夫ですか?」

 

 振り返ったその人物はピンと立ったイヌ耳に目元を隠すミラーシェードを付けていた。

 

「も、もしかして…。」

 

 シャチも子供達も知っていた。

 巷で噂になっている通りすがりの正義の味方。その一人…。

 

「「「「クロスナイトだぁー!!」」」」

 

 避難しようとしていた子供達とシャチの叫びが重なった。

 

「はい。クロスナイトです。ここは任せて逃げて下さい。」

 

 言うとクロスナイトは右腕にけものプラズムを変化させた武器を構える。その名も…

 

「ナイトソード!」

 

 である。

 それは一見すると大きな骨のように見える。骨型の棍棒に剣の柄をつけた代物で鈍器の類なのだが、ソードったらソードなのだ。

 クロスナイトはそれを地面に叩きつけてシャチの足を捕らえていたチョコレートを割り砕く。

 

「さて、あなたの相手はわたしですよ。セルリアン!」

 

 そうしてからあらためてクロスナイトは骨の独特の丸みを帯びた切っ先を突きつける。

 見た目は不格好な剣かもしれないが今まで多くのセルリアンを倒したくさんの人達を救ってきた剣だ。

 対してハロウィンセルリアンもローブの下から長いステッキを取り出す。

 それは色鮮やかなスティックキャンディである。

 

―ガキィイン!

 

 骨型の剣とスティックキャンディ型の剣が激突して火花を散らす。

 ギチギチ、と鍔迫り合いが続く。

 どうやら針金のような身体に似合わずハロウィンセルリアンはかなりのパワーを秘めているらしい。

 鍔迫り合いの場面を見ていたシャチの目にハロウィンセルリアンが空いている手で鉄砲の形にした指をクロスナイトに向けるのが映った。

 

「あ、危ない!」

 

 思わず叫んでしまうシャチと同時にハロウィンセルリアンがキャンディの弾丸を放つ。

 しかし、それはクロスナイトだって気づいていた。

 左手の盾、ナイトシールドで防ぐ。

 と同時、ハロウィンセルリアンのスティックキャンディソードの力が緩んだ一瞬をクロスナイトは見逃さなかった。

 ハロウィンセルリアンを押し切ってナイトソードを一閃!

 しかし、ハロウィンセルリアンも大きく後ろに飛び退って剣戟をかわす。

 そのまま距離を開けつつキャンディの弾丸を次々に連射してクロスナイトに浴びせかけた。

 キャンディの弾丸を剣で払い、盾で受けるクロスナイト。

 一進一退の攻防に思わず子供達もイベント運営の大人達もそしてシャチもそれを見守っていた。

 そして、懸命に戦うクロスナイトの姿にシャチの口から知らず言葉が漏れていた。

 

「頑張れ…。頑張れクロスナイトぉー!」

 

 それは同じく見守る子供達にも広がっていった。

 

「頑張れクロスナイトぉー!」

「負けないでぇー!」

 

 子供達の応援にクロスナイトは苦笑する。

 出来れば早く安全なところに避難してもらった方が安心なのだが…。

 だけれども、応援されてイヤなわけでもなかった。

 だから安心させる為にもいいところを見せなくてはいけない。

 クロスナイトは意を決すると大きく息を吸い込み…。

 

「あぁああぉおおおおおおおおおん!」

 

 と遠吠えを一つ。ビリビリと空気が揺れる。

 それはクロスナイトの技の一つ『ウォーハウリング』である。遠吠えで自身の身体能力を一時的に引き上げる技だ。

 クロスナイトは前へと踏み出す。

 未だに浴びせられるキャンディの弾丸を剣と盾で打ち払いながら、1歩、また1歩とハロウィンセルリアンに迫る。

 少しでも連射の手を緩めれば一気に踏み込まれる。そう判断したハロウィンセルリアンは全力でキャンディの弾丸を連射するしか出来なくなっていた。

 それでもクロスナイトの歩みは止まらない。

 ついに剣の間合いにまで詰められてしまった。

 

―ギッ!

 

 業を煮やしたハロウィンセルリアンはスティックキャンディソードによる刺突を繰り出した。

 

―パキィイイイイン!

 

 だが、そんな苦し紛れの攻撃は通用しない。クロスナイトが自身の剣でスティックキャンディソードを真っ二つに叩き折った甲高い音が響く。

 剣を失い無防備になったハロウィンセルリアンに対してクロスナイトは必殺の間合いに踏み込んでいた。

 

「ナイトスラァアアアアアッシュ!」

 

 ついに必殺のナイトスラッシュ(殴打)を繰り出すクロスナイト。

 だが、ハロウィンセルリアンにもまだ悪あがきが残っていた。

 

―ガキィイン!

 

 その攻撃はハロウィンセルリアンが中空に出現させたビスケットの盾に阻まれたのだ。

 その盾の影に隠れてハロウィンセルリアンはキャンディの弾丸を中空に大量に展開した。

 連射は効かないが大量の弾丸を広範囲に浴びせかけられる技、キャンディショットガンである。

 そんなものを放たれれば子供達もシャチも危ない。

 クロスナイトは意を決した。

 相手の盾を乗り越える、と。

 まずは自身の剣と盾を敢えて捨てた。

 空いた両手にサンドスターをかき集める。

 そこから放たれるのはクロスナイトの必殺技だ。

 

「ワンだふるアタァアアアアアック!!」

 

 両腕を顎に見立てた攻撃はビスケットの盾を噛み砕いた!

 

「もう少し硬いビスケットの方が好みなんです。犬用ビスケットくらいの硬さがいいですね。」

 

 どうやらハロウィンセルリアンの作った盾もクロスナイトにはまさにビスケットくらいの役にしか立たなかったらしい。

 そのまま今度こそ無防備となったハロウィンセルリアンの『石』を狙う。

 それはカボチャ頭の額にあった。ワンだふるアタックの余勢を駆ってクロスナイトはその『石』を掴んだ。

 バキン!と音を立ててそれを握りつぶすのとハロウィンセルリアンの身体がパッカァーン!と砕けるのはほぼ同時だった。

 キラキラとしたサンドスターの光が降り注ぐ中、『石』を砕いたクロスナイトの手にはお菓子の入ったバスケットが握られていた。

 それは先程までセルリアンが憑りついていた物だったが、『石』を砕いた事で元に戻ったらしい。どうやら中身も無事のようだ。

 クロスナイトはシャチの前まで行くとそのバスケットを差し出す。

 

「やはり貴女にわるわる団は似合わないんじゃないかなって思います。」

 

 未だ呆けているシャチにクロスナイトはその手をとる。

 

「貴女が子供を守ってくれたおかげで間に合いました。ありがとう。」

 

 そしてその手にバスケットを握らせると続けた。

 

「ええと、ハッピーハロウィン。」

 

 それだけを言い残して短いマントをバサリと翻しクロスナイトは去って行く。

 シャチはその後ろ姿を紅潮した頬で見送るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ハロウィン当日。

 今日は夕方から喫茶店『two-Moe』でも仮装した子供達にお菓子を配る予定になっていた。

 きっと食いしん坊なフレンズ達が気合の入った仮装でやって来るのだろう。

 さて、一番乗りは誰だろう、と待ってる春香と萌絵とともえの3人である。

 ちなみに、イエイヌはといえば春香の作った衣装、ネコマタに仮装していた。

 

「「ワンコ要素と猫要素が合わさり最強に見える!」」

 

 ともえと萌絵にはこんな具合に大好評であるがイエイヌはやはり慣れない衣装に恥ずかしさを覚えていた。

 そうしていると…。

 

―コロン、コロン。

 

 ジャック・オー・ランタンを模したドア鈴が鳴る。

 どうやら最初のお客さんらしい。

 

「ハッピーハロウィン!トリック・オア・トリートッ!」

 

 果たして一番乗りを果たしたのはシャチであった。

 しかしその仮装はイヌ耳バンドにダンボールを加工して作ったガントレットと脛当て。そして腰までの短いマントを纏っていた。

 その姿にはともえも萌絵ももちろんイエイヌも見覚えがあった。

 

「シャチちゃん。それってもしかして…?」

 

 訊ねるともえにシャチは一つ頷いて見せるとキッパリと言った。

 

「そう!クロスナイトだよ!格好いいでしょっ!」

 

 バサリ、と芝居がかった調子でマントを翻してみせるシャチにイエイヌはなんとも複雑な笑顔を浮かべる。

 なんせクロスナイトの正体はイエイヌなのだ。

 萌絵が作ってくれた“ナイトチェンジャー”というアイテムでクロスナイトに変身してこの街を守って来た正真正銘通りすがりの正義の味方だった。

 何はともあれ仮装して来てくれたのだ。約束通りにお菓子を配らないといけない。

 

「ハッピーハロウィン、シャチさん。」

 

 イエイヌはお菓子の入った袋を一つ、シャチへ手渡す。

 と、何かシャチは不思議そうな顔をしていた。

 どうして既視感を感じるのだろう、と。

 

「ねえ、イエイヌさん…?イエイヌさんってもしかして…?」

 

 言いかけてシャチは被りを振る。

 まさかね、と。

 

「ううん。やっぱり何でもない。」

 

 怪訝な顔をするイエイヌにシャチは満面の笑みで言葉を引っ込めた。

 自分の考えが正しくても間違っていても構わないが、ただ一つだけ思った。

 シャチが公園で困っていた時にイエイヌが言った、

 

『わたし、こう見えても数々の難事件を解決してきた正義の味方なんです。』

 

 という言葉はもしかしたら彼女を元気づける為の冗談というわけではないのかもしれない、と。

 

 

けものフレンズRクロスハート秋の番外編『秋の夜長のクロスナイト』

―おしまい―

 

 




【後書き】

 今回は本編から大分未来の出来事になるのでイエイヌちゃんの性格も少しだけ本編から成長した感じになっています。
 けものフレンズR秋の投稿祭に併せた番外編となっています。
 さて、今回はシャチちゃんが登場したわけですがイヌシャチもいいですね…!
 ちょうどけもフレ3で開催中のイベントストーリーでイチャイチャしている二人を見て自分もイヌシャチを書きたくなってしまいました!
 イエイヌちゃんが幸せそうにしてると自分的にも幸せです。
 実は今回初めて未来の出来事を書く事になったので上手く出来たかどうかわからないのですが本編から続く未来の可能性の一つと思って貰えると嬉しいです。
 本編の方はこれから夏休み編に突入していく予定です。
 本編の方もよろしくお願いします!

【セルリアン情報公開:ハロウィンセルリアン】

 ハロウィンのお菓子に憑りついたセルリアン。
 頭はジャック・オー・ランタンのようなカボチャ頭で白いローブを着て針金のような手足や胴体を持っている。
 攻撃方法はキャンディを弾丸にして飛ばしてくるキャンディショット。
 それを一度に多数同時発射するキャンディショットガン。
 そして接近戦になった際にキャンディで出来た杖を剣変わりにするスティックキャンディソードなどである。
 さらに、チョコレートを足元に流して敵を動けなくする技もあるし、ビスケットを中空に出現させて盾代わりにするビスケットシールドという防御技もある。
 接近戦から遠距離攻撃までこなすセルリアンだが、防御力は高くない。
 多彩な技を如何にして潜り抜けて攻撃を当てるかが攻略の鍵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19.5話『それぞれのテスト勉強』

【前書き】

 今回のお話は19話の補足のようなものです。
 19話本編では語られなかったシーンを書かせていただきました。
 それぞれのフレンズ達が仲良くしていたりする様子をお楽しみいただければと思います。
 あと、夏休み編へ向けての伏線なんかも含めたお話になります。
 お楽しみいただければ幸いです。


【青龍家の場合】

 

「ねえねえ。アオイちゃん。ちょっと休憩しようよぉ~。」

「さっき休憩したばっかりですよ。コイちゃん姉さん。」

 

 青龍家ではアオイとコイちゃんの二人が期末テストに向けて勉強していた。

 こちらはアオイの自室なのだが、今日はコイちゃんの他にお客さんがさらに二人来ている。

 

「だ、だがアオイっ!コイちゃんの言う事だって一理あるのだぞっ!適度な休憩は効率アップにつながるのだ!」

 

 そう言うのは色鳥西中学の1年生、白虎シロである。

 その隣には当然のようにホワイトタイガーが付き従っていた。

 

「いいえ、シロ様。先程休憩してから10分と経っておりません。適度な休憩が効率をあげるのはその通りですが、過剰な休憩は逆効果です。」

 

 シロとホワイトタイガーの二人は青龍神社にやって来てアオイ達と一緒に勉強していたのだった。

 市内の中学校はどこも似たようなタイミングで期末テストに入る。

 やはり色鳥西中学校も期末テストが近く、シロには対策が必要だった。

 そんなシロが頼ったのが、由緒正しく遠い昔には寺子屋すら開いていた青龍神社とアオイだったのだ。

 

「しかし、お勉強でしたら私でも教えられましたが…。」

 

 ホワイトタイガーは少しばかり残念そうに言う。

 常にシロに付き従っているホワイトタイガーは色々な事に幅広く対応できるよう、執事としての訓練を受けて来た。

 結果、執事とは一体…、と言いたくなるような多才ぶりを身に着けているのだが弱点もあった。

 

「いや…。ホワイトタイガーはどうせ1000問組手とかやればテスト対策も万全だ、とか思ってるのだ…。」

「いけませんか?」

 

 解説しよう。1000問組手とは1000問の練習問題を解きまくる荒行だ。

 しかもホワイトタイガーの場合は身体を動かしながらの方が頭に入るという理由で腕立てや腹筋やスクワットやらの運動をしながら行うのだ。

 

「そんな事が出来るのはホワイトタイガーくらいなのだ…。シロには無理なのだ…。」

 

 なるほど、シロがホワイトタイガーを頼らなかった理由がよくわかったアオイとコイちゃんである。

 ホワイトタイガーの訓練は何もかもが極端なのだ。その常識の欠如ぶりが弱点と言える。

 

「ちなみに、お二人もいかがですか?1000問組手。」

 

 そんな恐ろしい事を言い出すホワイトタイガーにアオイとコイちゃんは揃って勢いよく首を横に振った。

 

「(私は一緒なのがコイちゃん姉さんでよかった…。)」

 

 と胸中で胸をなでおろすアオイである。

 そんな荒行をこなせるのはホワイトタイガーくらいなものだ。

 残る3人ともげんなりした様子を見せていたが一人ホワイトタイガーだけは「楽しいのにな…1000問組手」と納得できない様子だった。

 さすがに1000問組手なんてやるわけにはいかないが、シロの集中力が切れかけているのも事実だ。

 となれば何か士気を高める物が必要かもしれない。

 

「そうだ、シロちゃん。今年も青龍神社では夏休みにお祭りをやりますから。テストでいい点が取れたら特等席を用意しちゃいますよ。」

 

 思いついた、というように手を打つアオイ。

 青龍神社が毎年行う夏祭りはこの地域でも大きなイベントだ。その特等席となればやる気を出さないわけにはいかない。

 

「ほんとか!?いい点数ってどのくらいだ!?」

 

 シロもこのご褒美には食いついてきた。

 だが、目標となる点数をどのくらいに設定したものか。

 アオイはチラリとホワイトタイガーに視線を送る。

 常にシロに付いている彼女なら、その能力の程だって完璧に把握しているはずだ。

 

「そうですね…。」

 

 考え込むホワイトタイガーにアオイとコイちゃんは揃って無言の圧をかけた。空気を読んで、と。

 

「シロ様は中間テストの平均点が60点でしたから…今回は平均70点を目指すのはいかがでしょう?」

 

 こう見えてホワイトタイガーはシロに無理はさせない。

 現実的な目標を示されて、アオイもコイちゃんもナイス!と胸中でホワイトタイガーに称賛を送る。

 

「そ、そのくらいなら何とか…。」

「何とかではありませんよ。私がついているんです。シロちゃんの本気を見せてやろうじゃないですか!」

 

 未だ自信のなさ気なシロにアオイが隣でぐっと両手で拳を握って見せる。

 

「いいね!コイちゃんも応援しちゃうよ!」

 

 二人に挟まれてエールを送られてはシロもやる気を出さないわけにはいかない。

 

「よ…よぉし!こうなったらもっといい点数取ってホワイトタイガーを驚かせてやるのだ!」

 

 やはりシロは元気が有り余っているくらいでちょうどいい。すっかりいつもの調子に戻った彼女に顔を見合わせて微笑むアオイとコイちゃんだ。

 

「ええ。その調子です、シロ様。では手始めに苦手の数学から1000問組手を…。」

「だからホワイトタイガーさんは1000問組手から離れて下さいっ!?」

 

 早速大量の練習問題を用意しはじめたホワイトタイガーに即座にツッコミを入れるアオイだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

【奈々とキタキツネとギンギツネの場合】

 

 ここはキタキツネのお部屋。

 やはりこちらでも部屋の主であるキタキツネが机でうんうん唸っている。

 

「ダメだぁ~!やっぱりわかんないよぉ~!」

「落ち着いて。一つずつ順番にやっていったら必ず解けるから。」

 

 キタキツネの隣ではギンギツネがその勉強を看ていた。

 ギンギツネは理系科目を中心に学年でも上位の成績を取っていた。今はそれを活かしてキタキツネに数学を教えている最中だ。

 一方のキタキツネはというと勉強は嫌っている。その成績もいいとは言えなかった。

 そしてこの場にはもう一人、高校生の奈々もミニテーブルについて寛いでいた。

 

「あはは、キタキツネ、頑張って。差し入れでお弁当屋さんの稲荷寿司買って来たから。」

 

 気楽に言う奈々は携帯を弄っていた。

 

「ねえ…。ギンギツネ。なんで奈々だけあんなお気楽にしてるの?」

「こら、キタキツネ。奈々さん、でしょ?」

 

 キタキツネの疑問にギンギツネは一度言葉遣いをたしなめてから続ける。

 

「そりゃあ奈々姉さんは高校生だもの。高等部の方はもう期末テストをとっくに終えてるわよ。」

 

 キタキツネはそうなの!?と奈々を振り返る。

 その視線を受けて奈々はやはり気楽に応えた。

 

「うん。そうだよ。先週終わったばっかり。あとは夏休みを待つばかりってわけよ。」

「ずるいー!?ボクも!ボクも今だけ高校生になるー!」

 

 また無茶を言い出したものだ、とギンギツネは頭を抱える。

 単に期末テストを回避したいだけなのはわかる。けれど、高校生になるには当然入試を受けなくてはならない。

 今のキタキツネに受験を耐えられるとはとても思えない。

 

「もう。おバカな事言わないで。受験しないと高校生にはなれないわよ。受験ってなったら今なんかよりもっともぉおおおっと勉強しなきゃいけないんだから。」

 

 ギンギツネの指摘に「うげ」と露骨に顔をしかめるキタキツネである。

 そんな様子を奈々は笑って見ていた。

 

「あはは、二人が受験の時は私も大学受験だから。そしたら皆で勉強会しようか。」

 

 そんな奈々の言葉にキタキツネはいい事を思いついた、とばかりに目を輝かせて机から抜け出し、ミニテーブルについている彼女の隣に座った。

 

「じゃあさ!奈々!受験落ちなよ!」

「「は?」」

 

 あまりのキタキツネの言葉に揃って呆気にとられるギンギツネと奈々。

 それでもキタキツネはキラキラとした目で奈々に詰め寄る。

 

「そしたらボク達と高校生できるじゃん!」

 

 なるほど、キタキツネが言いたい事は分かった。

 つまり、奈々が受験に失敗したら彼女は大学生にはなれないから高校生のままだと言いたいのだ。

 そうなれば、高校生に上がったキタキツネとギンギツネの二人と一緒に学校に通う事だって出来るという狙いなのだろう。

 それは当然ながら間違いだ。

 

「あのねえ、キタキツネ。大学受験に落ちても高校生には戻れないの。なるのは浪人生よ。」

 

 その間違いとはキタキツネが呆れて指摘した通りだった。

 

「気持ちだけ受け取っておくよ。出来れば現役合格したいし。」

 

 と奈々も苦笑を浮かべていた。それでもキタキツネが一緒に学校に通いたいと言ってくれたのは嬉しくもある。

 彼女の頭を撫でる奈々であった。

 ひとしきり奈々に撫でられたキタキツネはテーブルの上に置かれた携帯電話が目に入った。

 それは奈々の物だ。さっきから彼女は一体何を見ていたのだろう。気になったキタキツネは奈々に疑問の眼差しを向ける。

 

「ああ、それ?新聞部の夏の特集記事。ほら、私が書いたんだよ。結構よく出来てるでしょ。」

 

 奈々は携帯の画面をキタキツネに見せた。

 どうやら奈々が見ていたのは新聞部の校内新聞のWEB版とでも言うべきものだったようだ。

 

「へえ。奈々姉さんが書いた記事?どんな記事なの。」

 

 ギンギツネも気になったのか3人してミニテーブルに集まる。

 

「あ!もしかしてクロスハートの!?」

「ってことはクロスナイトも!?」

 

 二人して目を輝かせるキタキツネとギンギツネ。それに奈々は申し訳なさそうに頬を掻く。

 

「ごめんね、二人とも。クロスハートの方は取材が難航しててまだ記事に出来てないんだ。代わりに夏休み前の校内新聞に書いたのは『夏の怪談。噂のドッペルゲンガー』って記事なの。」

 

 奈々はスマートフォンの画面を動かして該当記事を拡大して二人に見せた。

 

「ねえねえ、ギンギツネ。ドッペルゲンガーって何?」

「そうね…。自分に生き写しというかそっくりなヒトというかフレンズ?って言えばいいかしら。」

 

 なるほど、記事を読んでみても同じような解説だ。

 しかも、怪談だけあってそこには怖い内容も含まれている。

 奈々は両手を広げて、「がおー」とでも言いそうなポーズで二人に迫って言った。

 

「そう!ドッペルゲンガーを見ちゃった子は近いうちに大怪我したり病気になったり…もしかしたらもっとヒドイ事にだって…!」

 

 そうして脅かすとキタキツネは青い顔でギンギツネに抱き着いた。

 

「だ、大丈夫よ。オバケなんて非科学的だもの。いるわけがないわ。」

 

 と言いつつもちょっと声が上擦っているギンギツネである。

 二人ともこんなに怖がるとは、と少し申し訳ない気分の奈々だった。

 

「まあ、ほら。きっとドッペルゲンガーが出たってクロスハートとクロスナイトが助けてくれるわよ。きっと。」

 

 その励ましは狙いとは裏腹に逆効果になってしまった。

 

「そういえば、ボク達、オバケいるのみたもんね…!」

「商店街と学校のプールで二回も…!」

 

 キタキツネとギンギツネは大きなハチの化け物や大きなイカの化け物を目の当たりにしていた。

 ちょうどその時に助けてくれたのがクロスハート達だったのだが、今はオバケの実在の方が気になってしまったようである。

 そして青い顔をしたままのキタキツネが言う。

 

「ねえ…!奈々!ギンギツネ!二人とも今日は泊まってって!こんな話聞いちゃったら一人じゃ寝られないよぉ!」

「しょ、しょうがないわね。おうちに連絡するわ。」

 

 どうやらギンギツネも似たようなもののようだ。むしろキタキツネが言い出してくれて助かったまである。

 そして二人揃って奈々を見つめる。不安に揺れる二人の目を見ていればまさかイヤだとは言えない。

 それに怪談話の記事を二人に見せてしまった責任もある。

 今日はキタキツネのおうちにお泊りさせてもらうか、と決意した奈々である。

 

「わかった。じゃあ今日は皆で寝ようか。」

 

 今度は一転してパッとキタキツネの表情が明るくなった。

 

「じゃあさ!夜にみんなでゲームしよっ!けもファイⅡとかがいいかなっ!?それとも、けもブラがいいかなっ!?」

「ええ…。どれもキタキツネが得意な対戦ゲームばっかりじゃない。っていうかその前にテスト勉強でしょっ。」

 

 そんなキタキツネをギンギツネが引っ張っていって机に引き戻した。

 とはいえ、ここは少しばかりの飴を用意した方がキタキツネがやる気を出してくれそうだ。

 奈々は折衷案を提示する。

 

「じゃあ、ちゃんとテスト勉強頑張ったら、夜にちょっとだけね。」

「それなら…。まあ…。」

 

 ギンギツネも了承してくれたようだ。

 なんだかんだでその尻尾が揺れている。ギンギツネだってキタキツネと遊ぶのが嫌いなわけじゃない。

 もちろん奈々だって今日の夜が楽しみになってきた。

 ただ、あまり夜更かししすぎないように注意しておかないとなあ、なんて考えるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

【ヒーロー達の場合】

 

 

 図書室は中々に賑やかな事になっていた。

 大テーブルを一つ間借りしてチームクロスハートとクロスシンフォニーチームとクロスジュエルチームが全員勢揃いしているのだ。

 目的はテスト勉強である。

 学年は違うので効率はよくないが、皆で集まってワイワイやるのも楽しいものだ。

 それにこの場には3年生の学年トップ、コノハ博士とミミ助手に加えて2年生学年トップの萌絵と2位のかばんだっている。

 わからないところを聞ける相手もいるからテスト勉強の環境としては悪くない。

 

「テストだからと言って慌てているようではその時点でダメなのです。」

「普段の積み重ねが重要なのです。普段からキチンとやっていればテストだからと慌てる事などないのです。」

 

 とは言いつつもなんだかんだで面倒見のよい博士と助手だ。

 時々テーブルを回って皆が行き詰まっていないかどうか見てくれていた。

 

「そう言えるのは本当に頭がいい人だけなんだよぉー。」

 

 博士と助手の言うように出来れば誰も苦労はしないし、テスト前の一夜漬けだって必要ないのだ。

 ともえはテーブルに突っ伏す。テストの点数勝負はあるものの、疲れて来たものは仕方がない。

 そんな彼女の隣はエゾオオカミであった。

 こちらも何か想い悩んでいるのか全く捗っていないようだ。

 手が完全に止まってしまっている。

 

「エミさんどうしたの?わかんないとことかあった?」

 

 さらにその隣に座ったルリが訊ねる。

 

「ああ、いや、そういうわけじゃないんだ。いややっぱりわかんないところは沢山あるんだけど…。」

 

 そんな風にしどろもどろになるなんて何かあったのだろうか。全員で手を止めてエゾオオカミを見る。

 

「エゾオオカミ、この前の空手大会の時から少し変だよ?何か悩み事でもあった?」

 

 と訊ねるのはかばんの隣に座ったサーバルだ。

 彼女はこの前の空手大会をエゾオオカミと一緒に参加していた。もっとも選手のエゾオオカミと違ってサーバルは応援だったが。

 疑問をぶつけられたエゾオオカミはしばらく考え込む。

 

「そう…だな。俺は悩んでいるのか…?」

 

 そうして一人呟くエゾオオカミ。

 これはいよいよもって重症か?と全員揃って彼女の顔を凝視する。

 

「のう?エゾオオカミ…。お主本当に大丈夫か?」

「ああ。心配かけちまって悪いな。」

 

 手を止めてエゾオオカミの額に手をあてるユキヒョウに苦笑を返す。

 だが、こうして心配される事でエゾオオカミはようやく自身が悩んでいる事に思い至った。

 となれば、こうして一人で抱え込んでいるよりも皆に聞いてもらった方がいい。

 

「実はな。ついこの前の空手大会でセルリアンフレンズに会った。」

 

 その告白に全員一度止まって、直後…。

 

「「「「「「えぇええええええ!?」」」」」

 

 と驚いてしまった。周囲の人たちの視線を集めてしまい、慌てて全員で口を抑える。

 図書室ではお静かに。

 あらためて小声になったルリが訊ねる。

 

「それは大丈夫だったの!?っていうかいつ会ったの!?」

「そ、そもそもボクも一緒だったのに全然気づきませんでした…。」

 

 かばんも戸惑いの声をあげる。

 セルリアンフレンズは地区大会が始まる前に戦った相手だ。

 商店街に大量のセルリアンを呼び出したり、ルリを連れ去ろうとした。

 そんな相手とエゾオオカミが出会っていたとは。

 

「エゾオオカミ、お主、セルリアンフレンズと戦ったのか!?怪我とかせんかったじゃろうな!?」

 

 ユキヒョウが一番心配したのはそれだった。

 なんせセルリアンフレンズの3人は誰もが強力な実力者だ。その上、変身してセルリアンの能力を使う事だって出来ると聞いている。

 そんな相手にエゾオオカミ一人で相対していたのだとしたらその心配ももっともな事だった。

 

「いやあ…。怪我とかしてないぞ。戦ったわけじゃないし。」

 

 エゾオオカミの返答にみんなホッと一安心だ。

 安心したら次の疑問がかばんの頭の中に浮かんだ。

 

「もしかして、武道館に現れたセルリアンもセルリアンフレンズの皆さんが呼び出したものなのでしょうか。」

 

 先日空手大会の際に現れたセルリアンの事は未だに世間を騒がせている。

 セルリアンとしてではなく武道館に乱入した不審者として、であるが。

 それよりも、あの場にセルリアンフレンズがいたのなら、商店街の時と同じように彼女達がセルリアンを作り出したのだとしても不思議はない。

 けれど。

 

「いや、そうじゃないみたいだ。セルシコウが言ってたんだがアレは現地産…つまりこの世界で生まれたセルリアンだそうだ。」

 

 エゾオオカミの解説に聞き入る一同。

 どうやら、今この世界にいるセルリアンは主に3つの種類と発生源があるらしい。。

 一つはイリアやレミィのようなこの世界で自然発生したあまり害のないセルリアン。

 二つ目はかつてルリが生み出したセルリウムから発生したセルリアンの残党。

 三つ目がセルスザクが以前に異世界から持ち込んだセルリアンの残党。

 この中で今戦っているのは二つ目と三つ目のセルリアンになる。

 

「で、それに加えてアイツらセルリアンフレンズが持ってる“シード”ってヤツで生み出すセルリアンだな。」

 

 そうやって解説するエゾオオカミを一同驚愕の表情で見ていた。

 なんでそんな事を知っているんだ、と。

 

「ああ。訊いたら教えてくれたぞ。セルシコウが。」

「「「「「教えてくれたんかーい!?」」」」」

 

 事もなさげに言うエゾオオカミに思わずツッコミが入った。

 またまた周囲の視線が集まって全員で慌てて口を抑える。図書室ではお静かに、である。

 エゾオオカミは思う。

 確かに皆の反応の方が普通なのだろう、と。

 だが、エゾオオカミはあの空手大会の騒動の後、セルシコウと別れるまでの間にもう少しだけ話をする機会があった。

 そして実際に話してみた結果、彼女はセルリアンフレンズに対して皆とは違う印象を持っていた。

 

「なあ。俺、思うんだけどさ。セルリアンフレンズの3人ってそこまで悪い連中じゃないんじゃないかって…。」

 

 まだ迷っているようにエゾオオカミは続ける。

 

「そりゃあ、商店街の皆を危ない目に遭わせそうになったのは許せないし、ルリを連れて行こうとした事だって許せないんだけどさ…。話くらいはしてもいいんじゃないかって思うんだ。」

 

 そのエゾオオカミの肩に手を置いたのはルリだった。

 

「うん。エミさんがそういう風に思うんだったら私もちゃんとお話ししてみたいな。」

「おう。それでダメだった時はウチの出番や。」

 

 ルリの隣で力こぶを作ってみせるアムールトラがエゾオオカミにウィンクしてみせた。

 自分の考えに賛成してくれるばかりか失敗したって何とかしてくれるというチームメイトに思わず目頭が熱くなる。

 けれども、ともえが意外な反応を見せた。

 腕を組んで難しい顔で考え込んでいるのだ。

 

「そっかあ……。セルリアンフレンズのみんなとお話かあ……。」

 

 何かまずかっただろうか、と肝を冷やすエゾオオカミ。

 そんな彼女の不安を解いてくれたのはイエイヌの意外な一言だった。

 

「安心してください、エゾオオカミさん。ともえちゃんはこう考えてるだけです。『セルリアンフレンズの皆は撫でたらどんな感じなんだろう?』って。」

「な、なんでわかるのー!?」

 

 胸中を言い当てられたともえは皆からのジト目に晒されてしまって照れ隠しに頭を掻いてごまかした。

 

「ついでに言うと萌絵お姉ちゃんも同じ事を考えてましたよね。」

 

 イエイヌの追撃に萌絵もぎくぅ!?という表情になる。

 彼女も同じく皆からのジト目に晒されてともえと全く同じ仕草で頭を掻いてごまかしていた。

 

「まったく…この双子は…。」

 

 博士の呆れの言葉に全員苦笑と共に頷くのであった。

 

「セルリアンフレンズ…。今度はいつ会う事になるかな…。」

 

 一度窓の外を眺めるエゾオオカミ。

 実はその機会は決して遠い先の事ではないのだった。

 

 

けものフレンズRクロスハート番外編『それぞれのテスト勉強』

―おしまい―

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話『駆け抜けるけもの達』(前編)

 これまでの けものフレンズRクロスハートは!


 夏休み前の最後の試練となる期末テストへ挑むともえ達。
 せっかくだから点数勝負もする事になった。
 無謀にも成績優秀な萌絵にまで勝負を挑むともえとイエイヌ。
 テスト勝負に勝って萌絵をひたすら甘やかそうと企むものの、残念ながらそれを果たす事は出来なかった。
 それでも期末テストで好成績を残した皆は無事に夏休みを迎えるのだった。


「夏休みだぁー!」

 

 ともえは大きく伸びをする。

 今日は1学期終業式である。これから学校は約1ヶ月間の夏休みに入る。

 今日は授業もなく、終業式とホームルーム、大掃除と午前中のみで学校も終わりだ。

 夏休みは何をしようか。

 考えるだけでワクワクしてくる。

 

「ねえねえ、皆はなにか予定あるの?」

 

 帰り道でともえは後ろに続くみんなに振り返る。

 今日はいつものイエイヌと萌絵の他にもルリ、アムールトラ、ユキヒョウ、エゾオオカミのクロスジュエルチームとかばん、サーバル、アライさんとフェネック、博士助手のクロスシンフォニーチームも一緒だった。

 

「我々は図書館で勉強の予定なのです。」

「受験生なのです。仕方ないのです。決して図書館に開館から閉館時間まで入り浸ってやろうなどと考えているわけではないのですよ。」

 

 と言いつつも顔に楽しみで仕方ない、と書いてあるコノハ博士とミミ助手である。

 敢えてそこにツッコミを入れるのも野暮というものか、と他の一同は苦笑と共に受け流す。

 すると今度はルリが挙手した。

 

「えっとね。私は前住んでたおうちをお掃除しに行きたいな、って。」

 

 それには全員感心したようにルリを見る。

 自分から掃除すると言い出すのはなかなか出来る事ではない。

 そういえば、ルリは以前は人里離れた場所で暮らしていたのだったか。

 その家も当然残っているわけで、家には掃除や手入れが必須である。

 ただ、それを行うべきはルリではなく保護者である“教授”の役割ではないのか。

 

「まあ…、ウチらの場合、放っておくと母さんがアレやからな。」

 

 アムールトラの苦笑に全員が「あぁ……。」と納得してしまった。

 “教授”は家事には基本ずぼらである。

 その分、宝条家の家事はルリが一手に引き受けている結果、しっかりせざるを得ないのであった。

 

「なんじゃったら、わらわも手伝うかの?」

「ユキさん本当!?それは助かっちゃうかもっ!」

 

 アムールトラは力仕事こそ得意だが、細かい作業が得意な方ではない。

 なので気配り上手のユキヒョウは大きな戦力であった。

 

「出来たら俺も手伝いたいとは思うんだけどさ…。夏休みは商店街の手伝いでバイトする予定なんだ。」

 

 と申し訳なさそうに言うのはエゾオオカミだった。

 彼女は商店街に暮らしている。

 キタキツネやギンギツネもそうだが、商店街に暮らすフレンズ達は誰もが商店街が大好きでその役に立とうと頑張っている。

 だから、エゾオオカミも夏休みは商店街の手伝いに奔走するのが想像に難くなかった。

 

「アタシ達も夏はバイト増やせちゃうねー。お母さんが何かイベントとか考えるかも。」

 

 というのは萌絵だった。

 ともえとイエイヌも含めて3人は家でやっている喫茶店『two-Moe』の手伝いをしている事も多い。

 夏休みにそれが増えるのは当然といえば当然ではある。

 

「アルバイトですかぁ…。ボクも何かしてみようかなぁ…。」

 

 バイトのお話が続けば、かばんもアルバイトしてみたいなあ、と考え始めた。

 何か欲しいものでもあるんだろうか?とかばんを見やる一同。

 

「圧力鍋とかハンディミキサーとか低温調理機とか欲しいなぁ、って。」

 

 確かに調理器具の中にはお高いものも多い。

 中学生のお小遣いでは荷が重いものだって少なくないのだ。

 きっと、かばんの事だから新しく揃えた調理器具でサーバルに美味しいものを食べさせようなんて考えているに違いない。

 そこにアライさんがキラキラした目で割り込む。

 

「おお!?何か作るのだ!?かばんさん!何か作るのだ!?」

「あはは、はい。いいアルバイトを見つけるのが先ですが。」

「だったらさー、アライさーん。私たちもかばんさんと一緒にバイトしちゃうー?」

「おおおお!?フェネックぅ!?さすがなのだ!天才なのだっ!」

 

 そうなれば、当然…。

 

「はいはーい!私も!私も一緒にやるぅー!」

 

 とサーバルも加わるに決まっている。

 それに目をつけたともえは早速バイト先の提案をしようと考えた。

 

「ねぇねぇ、だったらさ。うちでバイトできないかお母さんに聞いてみようか。」

 

 かばんとサーバルのメイド服姿は見たけれど、とても可愛かった。

 それにアライさんとフェネックまで加わるとなれば、まさに無敵の布陣というものだ。

 だが、そこに意外にも待ったがかかった。

 なんと、エゾオオカミがヒョイ、とかばんを引き寄せたのだ。

 

「悪いが、実は商店街でも人手が足りてないんだ。こっちなら4人まとめてバイト出来そうなんだが、どうだ?」

「あぁー!?ず、ズルイよっ!エゾオオカミちゃんっ!?」

 

 ほっぺたを膨らませるともえだったが、ビシリ!と指を突きつけられてしまう。

 

「いいか?ともえ先輩。バイトするにしたって募集人数ってものがあるだろう?4人いっぺんにってなると相当大きな仕事がないと暇になっちまうぜ。」

 

 エゾオオカミの言う通りだった。

 当然アルバイトを雇う側には人件費というものを支払う必要がある。それを考えずに大量雇用なんてした日には赤字まっしぐらだ。

 ともえが助けを求めて振り返った先の萌絵も、視線で「諦めなよ。」と言っているのだった。

 

「まあまあ。ともえちゃん。アルバイトが一緒じゃなくても一緒に遊べる機会だってありますよ。」

 

 となだめるイエイヌだった。

 夏休みは学校がない。となると、イエイヌだってみんなと会えなくて寂しい。

 

「だから、何か集まって遊べませんか!」

 

 そんなイエイヌの提案には全員がうんうん頷いていた。

 せっかくの夏休みだ。理由がなくたって一緒に遊びたい。

 

「だったら早めに何か考えておかないとね。」

 

 萌絵が早速携帯電話のスケジュール帳を開く。

 夏休みは長いようで短い。

 ボヤボヤしていたらあっという間に終わってしまうのだ。

 

「海にも行きたいし、キャンプとかも楽しそうだし、あ、あと青龍神社の夏祭り!アレも楽しみだなあー!」

 

 横からともえがそのスケジュール帳にちょっかいを出して予定を書き込んでいく。

 

「そんなに予定詰め込んだら夏休みがいくらあっても足りないねえ。」

 

 そう言って苦笑する萌絵だったが、なるべくならともえの希望も叶えてやりたい。

 きっと今年の夏休みはいつも以上にアッと言う間に過ぎていくのだろうな、なんて思うのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 エゾオオカミは自宅に戻ると、まずは学生鞄を自室に置く。

 さて、明日から商店街で新しいイベントが始まるらしい。

 そのイベントで人手が必要という事で、エゾオオカミにも声が掛かったのだ。

 一体何を始めるつもりなのか、それはまだわからない。

 今日の午後からその説明会をするらしい。

 

「そういう事だから、お母さん。お昼は後からで。」

 

 ヒョイっと店舗側に顔を出してから出かける事を伝える。

 エゾオオカミの母親はやはりエゾオオカミのフレンズである。

 毛足が長くて細身のプロポーションだが、一番の特徴は隙なく着こなした和服だろう。

 それに目元や唇を彩る化粧もバッチリだ。

 エゾオオカミの家は和服屋を営んでいる。

 普段店舗で客を見かける事は稀なので、儲かっているのか不思議に思う事があるが、着付けや衣装レンタルなどでちゃんと経営出来ているらしい。

 そんな和服屋を営む母親はエゾオオカミから見ても美人だ。

 昔はかなり勝気な性格だったらしいが、今では着物の似合うおしとやか美人という感じなのだ。

 

「ええ。今日は商店街の新イベント説明会だったわね。そうだわ。エゾオオカミちゃんに似合いそうなカンザシがあるから付けて行かない?」

 

 自慢の母親ではあるが、事あるごとに自分にオシャレさせようとしてくるのが玉に瑕だろうか、なんて思うエゾオオカミである。

 

「あ、それともコッチの匂い袋なんか試してみる?そうだわ。せっかくだもの。いっそ浴衣着てみる?きっと似合うわぁ。」

「いや、すぐ出るから…。ゴメンな。」

 

 どんどんエスカレートしそうなのでエゾオオカミは早々に出掛ける事にした。

 

「でも、お腹空いてるでしょう?はい、これ。持って行って。」

 

 母親が渡してくれたのはいつも使っているお弁当用の巾着袋だった。

 今日は学校が午前中で終わりだったから使わなかったものだ。

 すぐに出かけるのは分かっていたから気を利かせてお弁当を作っていてくれたのだろうか。

 

「簡単におむすび握っただけだけど、後で食べてね。」

 

 これはありがたい。集合時間が思っていたより早かったから、昼食を食べる時間がないかと思っていた。

 空きっ腹を抱えたままでなくて済むのは助かる。

 エゾオオカミは礼を言うと巾着袋を受け取った。

 すると、エゾオオカミはふと気が付いた。

 今日の母親はいつもと少しだけ違うな、と。

 しばらくじーっとその顔を観察してみる。

 ああ、そうか。

 

「口紅、新色か?いいな、それ。似合ってる。」

 

 いつもと違うのは化粧か、と思い至った。

 しばらく驚いたように目を丸くする母親に、藪を突いてしまったかとエゾオオカミは肝を冷やす。ならば蛇が出る前に退散だ。

 未だ呆けている母親が我に返る前にエゾオオカミは「じゃあ行って来ます。」と、さっさと出かけて行ってしまった。

 その背中を呆けたまま見送る母親だったがようやく我に返ると、ぐっ!と握り拳を握ってガッツポーズだ。

 

「ようやく…。ようやくあの子もオシャレに目覚めてきたのね…!最近は香水まで持ち歩いているみたいだし…!」

 

 はしたない、と思いつつも母親は小躍りしてしまっていた。

 ボーイッシュを通り越して男勝りなエゾオオカミであるが、あの子は磨けば光るのだと母親は思っている。

 そして、この家業はやはりオシャレに興味があったほうがいい。

 全然飾りっ気のない娘を心配していたが、最近では香水なんて持ち歩くようになったのだ。

 

「でも、あんな香水どこで手に入れたのかしら…。」

 

 母親は考え込む。

 考えられる可能性は、と思考を巡らせる彼女に一つの天啓が走った。

 

「誰かいい人が出来たのかしら!?」

 

 だとすれば、そのいい人からのプレゼントで香水を貰ったとしても不思議はない。

 そして、そのいい人によく見られたいからオシャレにも気を使い始めた…。

 しかも、先程自分の口紅を褒めた手管。あれも誰かいい人が出来たからこそ身に着けたものだとしたら…。

 母親の頭の中でどんどんと線が繋がっていく。…間違った方向に。

 

「ああ…、どうしましょう!どうしましょう…!取り敢えず今夜はご馳走ね…!」

 

 

 さて、そんな母親は置いておいてエゾオオカミは商店街を歩く。

 目的地は中央市場だ。

 中央市場とは近年区画整理をして、八百屋や魚屋や肉屋などの食材を売るお店を集めた区画の事を指す。

 毎日地元農家のゲンブファームから送られてくる新鮮な食材達は商店街の目玉商品の一つだ。

 それが一同に集まる中央市場は商店街でも最も活気に溢れた場所だ。

 エゾオオカミが中央市場を訪れると、やはりそこは沢山の人達で賑わっていた。

 商店の主達も忙しそうに立ち回っている。

 さて、呼び出された中央市場まで来たはいいけれど、そこからどこに行けばいいのか。

 忙しそうな商店主を呼び止めて訊ねるのも申し訳ない。

 

「ええっと…。誰か手の空いてそうな人は…。」

 

 キョロキョロと回りを見渡すとエプロン姿を付けた店員の後ろ姿が目についた。

 野菜の入ったダンボールを運ぼうとしている様子だ。

 今から仕事に取り掛かろうというところで、始まる前の今なら比較的余裕があるかもしれない。

 

「あ、あの。すみません。」

 

 それでも仕事の邪魔をしてしまう事にエゾオオカミは申し訳なさを感じてもいたが、いつまでも迷っているわけにもいかない。

 意を決して声を掛けた彼女に振り返った店員さんは…。

 

「はい、どうしましたか?」

 

 とイヤな顔一つせずに振り返ったが、何とそれが見知った顔だった。

 金色の髪飾りにハチミツ色の髪。それにシュルリと伸びた猿の尻尾は忘れたくても忘れられない。

 

「セ…セルシコウ…?お前こんなトコで何やってんだ…?」

「なに、とはご挨拶ですね。そりゃあアルバイトですよ。アルバイト。今日から夏休みですからね。」

 

 思わず言葉を失いかけたエゾオオカミだったが、辛うじてそれを訊ねる事が出来た。

 対してセルシコウの方は何を当たり前の事を?とでも言いたそうに答えると、食材の詰まったダンボールを抱える。

 1段、2段、3段と重ねたダンボールをヒョイと持ち上げたものの、それでは顔の高さまでダンボールが積みあがって前が見えない。

 

「だー!?それで歩いたら誰かにぶつかる!?危ないから一回降ろせ!1個俺が持ってやるから!?」

 

 そんな状況で歩いてごった返す人にぶつかりでもしたら一大事だ。

 エゾオオカミは半ば強引にセルシコウを引き留めるとダンボールを一つ抱えた。

 

「あら、ありがとうございます。じゃあ、コレをお弁当屋さんまで運びますよ。」

 

 エゾオオカミは後悔した。

 てっきり八百屋まで持って行って商品補充なのかと思っていた。

 ところがどっこい、どうやらセルシコウは配達に出るところらしかったのだ。

 1箱だけとはいえ、野菜の詰まったダンボールは結構重い。

 それを涼しい顔で2箱も持ち上げているセルシコウはやはり只者ではない。

 もっとも、お弁当屋さんもそこまで遠いわけではなかった。

 お弁当屋さんや飲食店などは中央市場を囲むように配置されている。

 そうする事で買い物客の利便性を高め、大型ショッピングモールに対抗する戦略なのだ。

 ダンボールを抱えたセルシコウとエゾオオカミが連れ立って歩く。

 

「で…、なんでまた商店街でアルバイトなんだよ。まさかまた何か企んでるんじゃないだろうな?」

「うーん。企んでいない、と言えば嘘になりますが、単にお金が要り様だというのが一番大きな理由でしょうか。」

 

 セルシコウの横顔を眺めるエゾオオカミ。

 嘘を言っているようには見えない。

 というか何か企んでるのか。そこまで正直に言ってしまうあたり、やはりセルシコウはそんなに悪いヤツには思えなかった。

 

「で?今度は何を企んでるっていうんだ?」

「そりゃあアレですよ。『グルメキャッスル』を作るんです。」

 

 その『グルメキャッスル』とやらは何なんだ、とエゾオオカミも疑問を持つ。

 言葉の響きからすると危険なモノではなさそうだが…。

 

「私達の世界には誰もが虜になった究極の輝き…“料理”があります。」

「いや、俺らの世界にも料理くらいあるぞ。…と、それは置いといてお前らの世界の“料理”と『グルメキャッスル』とやらがどう関係するっていうんだ?」

 

 訊ねるエゾオオカミにグイ、とやたらとキラキラした瞳を向けてくるセルシコウ。

 

「聞きたいですか!?」

「お、おう。」

 

 エゾオオカミは勢いに圧されながらも頷く。

 

「いいですか?『グルメキャッスル』とはあらゆる“料理”を生み出す美食の殿堂!そこを訪れる誰もが満腹と幸福を得る究極の“輝き”!」

 

 あまりの熱弁に周囲にごった返す人たちも何だろう?とセルシコウを見る。

 

「それが『グルメキャッスル』なのです!」

 

 何だかよくわからないが、勢いに押された周囲の観客達もパチパチパチと拍手を送る。

 二人して、注目の的になっていた事にようやく気が付いたエゾオオカミとセルシコウであった。

 とりあえず、二人で愛想笑いで誤魔化すと荷物運びを再開した。

 

「……要は飲食店を開く、って事だな?セルシコウ…。お前、料理なんて出来たのか。」

「ええ。私もオオセルザンコウもマセルカも中々のものですよ。」

「へぇ?美味いのか?」

「もちろんです。何なら食べに来ますか?」

 

 そんなに自信満々だとどんどん気になってくるエゾオオカミだ。

 ってちょっと待て。

 

「食べに…ってどこに?」

「ああ。今日は何とかーってイベントの説明会をするそうじゃないですか。丁度昼食時に呼び出す事になったんで軽食を作るの頼まれてたんですよ。」

 

 セルシコウに出会った時点でイベント説明会の開催場所を探し出すのは振り出しに戻ったと思っていたが、どうやら彼女はその場所を知っているらしい。

 これがヒョウタンから駒というものか。

 

「そうか。ちょうどよかった。俺もそのイベントの説明会に参加するつもりだったんだ。」

「そうですか。ちょうど時間ですし一緒に行きます?」

 

 二人してお弁当屋さんに荷物を届けると納品伝票にサインを貰って中央市場に戻る。

 

「いやでも助かったぜ。中央市場が集合場所ってのは知ってたけど、結構広いからな。」

 

 戻りは手ぶらだ。

 エゾオオカミは自由になった腕をぐるぐると回し改めて横を歩くセルシコウを見てみる。

 

「私の顔に何かついています?」

「いや…。ついこの前本気で戦った相手とこうして歩いてるのが不思議な気がしただけだ。」

 

 言われてセルシコウもしばらく考える。

 

「いやあ…。その…。」

「ああ。セルシコウは本気ってわけじゃなかったな。」

 

 それはその通りだった。

 セルシコウにとってエゾオオカミは敵としては取るに足らない。

 この場で戦いになれば、セルシコウは彼女を赤子の手を捻るより容易に倒す事が出来る。

 けれども、その自分を相手に平然としているエゾオオカミはどういうつもりなのだろう。

 

「ええと…、一応、私とあなたは敵同士、ですよね?」

 

 思わずセルシコウは訊ねてしまった。

 

「だな。」

 

 返って来た答えも予想通りだった。

 しかし、エゾオオカミはセルシコウの正面に回るとその眼を真っ直ぐに見つめて続けた。

 

「けどさ。敵同士かもしれないけど、俺はお前やお前達の事をちゃんと知りたいって思ったんだ。」

 

 その視線を受け止めるセルシコウ。

 エゾオオカミが本気でそう言っているのは彼女にもよくわかった。

 

「戦うのはその後だって遅くない、だろ?」

 

 それだけを言ってエゾオオカミは前に向き直って歩き始める。

 

「まったく、貴女は実力の割に豪胆ですね。そんなの関係なく私が貴女に襲い掛かるとは思わないんですか?」

「実力の割に、は余計だ。」

 

 横に追いついてくるセルシコウにエゾオオカミは続ける。

 

「お前らはそこまで悪いヤツには思えない。だから意味もなく襲って来たりはしない。俺はそう思ってるんだ。」

 

 確かにセルシコウも今この場でエゾオオカミと戦う理由はない。

 その意味では一つ看破されてしまったと言える。

 なんとも決まりの悪いセルシコウにエゾオカミはニヤリと笑う。

 

「次はお前らの料理の腕前を見せてくれるんだろ?代わりと言っちゃあ何だが、ウチのお母さんが作ってくれたおむすびの味を教えてやるぜ。」

 

 言って自身が提げていた巾着袋を示して見せる。

 そんな答えは意外だったのか、セルシコウは目を丸くして驚いていた。

 そんな顔を見て、エゾオオカミは初めてセルシコウから一本とってやった気分になるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 説明会の会場は中央市場に併設された集会所だった。

 ここではよく商店街の会議なども行われており自治会の公会堂的役割を担っている場所でもある。

 ここにはお茶汲み用の給湯室も用意されているので簡単な炊事だって出来る。

 ちょうどお昼時の招集という事もあってか、説明会の主催者はわざわざ軽食も用意してくれたらしい。

 と、言っても作ったのは主にオオセルザンコウとマセルカであった。

 簡単につまみやすいという事で選ばれたメニューはサンドイッチである。

 

「うっわ、美味しい。何これ美味しい!」

「ほんとね…。」

 

 と早速テーブルに用意されていたミニサンドイッチを言葉少なく食べていたのはキタキツネにギンギツネであった。

 どうやら美味しすぎて語彙力が消失している模様だ。

 

「こらこら、二人とも。他にも人が来るんだし、その人たちの分も残しておいてあげなよ。」

 

 そんな風にたしなめるような事を言いながらも、既に三つ目に手が伸びている奈々である。

 

「構わない。沢山用意しているからな。ただ、家で昼食を用意しているのであれば程々にしておくといいだろう。」

 

 追加のミニサンドイッチが乗ったお皿を持ってくるオオセルザンコウに奈々は訊ねる。

 

「ねえ、このサンドイッチどうやって作ったの?めっちゃ美味しいんだけど…。」

 

 そこに褒められてドヤ顔のマセルカが割り込んだ。

 

「ふっふーん!今は夏だからね。夏が旬の食材をメインに仕上げたんだよ!」

 

 奈々がサンドイッチの中を覗くと、意外と珍しい食材が使われている事に気が付いた。

 アスパラガス。

 確かにサンドイッチの具材にするにはポピュラーではない。

 マヨネーズで和えた茹で卵に程よく焼いたベーコンと一緒に挟み込んだそれはしっかりした食べ応えの割に後味が爽やかだ。

 

「こっちがコーンとポテトのマヨネーズ和え。こっちは定番だがトマトとベーコンとレタスサンドだ。」

 

 オオセルザンコウの解説してくれたサンドイッチはどれもが夏が旬の食材達が主役だ。

 既に奈々とキタキツネにギンギツネの三人はすっかり虜になってしまっていた。

 そんなところに到着したのはエゾオオカミとセルシコウである。

 

「あ、エゾオオカミっ!こっちおいでよ!ご飯、食べて待っててって事みたいだから!美味しいよ!」

 

 キタキツネがエゾオオカミの手を取ってテーブルに座らせる。

 どうやらその様子を見るに、セルリアンフレンズ達の料理の腕前は確からしい。

 

「ああ、うちのお母さんが持たせてくれたおむすびもあるぞ。お前らも食うか?」

 

 エゾオオカミはセルリアンフレンズの3人も誘った。

 オオセルザンコウは一瞬考える。

 このエゾオオカミというフレンズは確か自分達の正体を知っているはずだ、と。

 一緒に入って来たセルシコウにアイコンタクトを送ってみる。

 この誘いに乗ってもいいものかどうか、と。

 それに一瞬キョトンとするセルシコウ。

 アイコンタクトが通じているのか通じていないのか…。悩むオオセルザンコウを後目に、セルシコウは

 

「ではご相伴に与りましょう。」

 

 とエゾオオカミの隣に座ってしまった。

 その様子から察するに、どうやら問題ないのだろう。

 そう判断したオオセルザンコウもちょうど一仕事終わったところだ。

 未だ少しばかりの警戒と共にテーブルに付こうとした。

 

「じゃあ、マセルカもー!」

 

 そうしたら、なんとマセルカがオオセルザンコウの膝の上に乗っかった。

 

「マセルカ…。尾ビレがだな…。」

 

 そうなるとオオセルザンコウの顔の前にマセルカの尾ビレが来て全然前が見えない。

 そんな様子を苦笑と共に見守る奈々達。

 

「あなた達、仲いいんだね。」

 

 という言葉にオオセルザンコウは苦笑を返す事しかできなかった。

 しかし仮にも敵(かもしれないフレンズ)の前でこんな油断した姿を晒していていいものか、とオオセルザンコウは悩む。

 それ以前にマセルカは気づいているのだろうか。

 

「おおー!?何これ、ちょっとピリっとしてるけどご飯に合うねー!」

「ああ、それは具が野沢菜の漬物だな。」

 

 と楽しそうに談笑しながらエゾオオカミの持ってきたおむすびをパクついている様子から、マセルカは以前に彼女と出会ってる事自体忘れていそうだ。

 幸いあちらも、今この場でどうこうするつもりはないようだ。

 ならばまぁ、まずは様子を見るのがいいだろう。

 そう覚悟してオオセルザンコウもおむすびに手を伸ばす。

 

「ほう…。これは中々。」

 

 一口食べてみると程よい塩気のご飯。二口目で具に到達する。

 

「ってすっぱ!?」

 

 どうやら具は梅干しだったらしい。オオセルザンコウの口の中に鮮烈な酸っぱさが広がる。

 

「あー、苦手だったか?」

 

 エゾオオカミが差し出したお茶の入った紙コップの中身を一息に煽るオオセルザンコウ。

 

「いや…。最初は驚いたがこれは癖になる酸っぱさだな。」

「ああ、それは自家製で結構長い事漬け込んでいるらしい。」

「それでか…。ただ酸っぱいだけじゃない。奥深い味わいだった。」

 

 エゾオオカミと目があったオオセルザンコウは何とも言えない苦笑を浮かべる。

 敵とするにはいかにも緊張感の無さすぎる会話だ。

 けれど、今この場にあってはそれが許されるような気がしていた。

 そのエゾオオカミは今度は奈々にサンドイッチを勧められていた。

 

「エゾオオカミっ。こっちのサンドイッチも食べてみなよ。美味しいから。」

「おう、んじゃあありがたく…。ってこれ真面目に美味いな…。」

「でしょう!?私もビックリしちゃった!」

「ボクもこれ好き。いくらでも食べられそう!」

 

 ギンギツネとキタキツネも一緒になってワイワイと楽しそうにサンドイッチを頬張っていた。

 そうして時間が過ぎると、ようやく主催の商店街会長が姿を現した。

 

「やあやあ、お待たせしてすまなかったね。」

 

 さらに商店街会長の後ろにはこの商店街の名誉顧問となっている純白の毛並みを持つオイナリ校長までいるではないか。

 これはどういう事だろう、と一同続く言葉を待つ。

 最初に話し始めたのはオイナリ校長だった。

 

「では皆さん、明日から商店街でイベントを行う事は知っていますね?」

「ああ。内容まではまだ聞かされていないけどな。」

 

 答えるエゾオオカミに自分達もそうだ、と他の全員が頷いていた。

 

「皆さんには内緒にして準備を進めていたんですよ。何せ商店街を活気付ける秘策中の秘策でしたから!」

 

 今度はオイナリ校長はどんな事を思いついたのだ、とギンギツネとキタキツネはキラキラした目で彼女を見ていた。

 

「じゃあプリントを配るわね。」

 

 集まった皆の前に一枚ずつプリントを配るオイナリ校長。

 そのプリントの見出しにはこう書いてあった。

 

『色鳥商店街夏イベント!自宅で買って自宅にお届け!迅速配達“U-Mya-System”』

 

 と。

 軽く目を通すと、どうやらインターネットで注文した商品をお客さんのところに届けるネットショッピング的な事をするというイベントらしい。

 

「つまり、その配達員を俺らにやれって事だな。」

 

 エゾオオカミの確認にオイナリ校長が頷く。

 

「そう。ちょうど学生さん達が夏休みで手が空くでしょう?だから人手が必要なこのイベントは今この時にしかできないのよ!」

 

 力説するオイナリ校長だったが疑問もある。

 奈々がその疑問を口にするべく挙手した。

 

「あの…。ネットショッピング出来るようにする、っていう案はわかったんですけど、その…、ホームページやアプリなんかはどうするんですか?」

 

 簡単にネットショッピング事業を開始すると言って出来るものではない。

 お客さんの注文を受け付けたり決済する為のシステム構築が必要なはずだ。それはそういった業者じゃなければ難しい。

 そして、それはお金だって相当かかるはずだ。

 ひと夏のイベントの為だけにそんな事をしたら赤字確定ではないだろうか。

 けれど、オイナリ校長は自信たっぷりに頷くとこう言った。

 

「そこは心配ないわ。」

 

 言うと同時、檀上に二体のラッキービーストを置く。

 それは赤色のカラーリングのものと水色のカラーリングの二体だった。

 エゾオオカミはその姿を見て驚く。

 

「って、ラモリさん…!?最近見ないなと思ったら…!?」

 

 赤色の方はサングラスをアイセンサーのところにつけて、尻尾を試作多機能アームに換装したラモリさんだった。

 もう一体は普段、かばん達と一緒にいるラッキービーストでボス、と呼ばれる事も多い水色のものだ。

 

「システム構築に関しては心配ないゾ。今回のイベントにはサンドスター研究所が協力しているからナ。」

「オペレーティングはボク達がするカラ、マカセテ。」

 

 プリントを見てみると、どうやらこの二体のラッキービーストが注文の受付から店舗への連絡、配達員への指示を行ってくれるらしい。

 とはいえ、エゾオオカミにはどうしても気になる事があった。

 なので、ラモリさんを引き寄せるとその耳元にコソコソと内緒話で耳打ちする。

 

「おい…。いくらなんでも夏のイベントの為だけにシステム構築してオペレーターの真似事まで…。割に合わなすぎなんじゃねぇのか?」

 

 確かに商店街はサンドスター研究所のスポンサーでもある。

 けれどもいくらスポンサーでもタダでそれだけの事をやってくれるとは思えなかった。

 ラモリさんは多機能アームでエゾオオカミと同じようにして彼女の耳元にこっそりと返答を返す。

 

「なぁに。コッチにはコッチの思惑があってちゃんとリターンだってあるのサ。お互いWin-Winってわけヨ。」

 

 ラモリさんがそう言うのならいいのか。っていうかこうやってヒソヒソ話してるとすごい悪い事を企んでいるように見えるんじゃないか、なんてエゾオオカミは心配してしまう。

 やはり、残る一同から怪訝な目で見られていたのでエゾオオカミは早々にラモリさんを解放した。

 

「それじゃあ、U-Mya-Systemの概要を説明するわね。」

 

 オイナリ校長がプリントを示しながら解説を始める。

 なんだか夏休みが始まったばかりなのに、早くも授業を受けているような気分だ。

 その説明を聞くとどうもこういう事らしい。

 お客さんは自分の携帯電話に専用アプリをインストール。そこから商店街に売っているものを注文。

 電子マネーで決済までを完了する。

 注文が成立したら各店舗に注文品の連絡が入る。

 で、ここからが集められた彼女達の出番らしい。

 

「ええっと…。私達は各店舗を回って注文された品をまとめる役とお客さんに届ける役の二つに分けられるわけかあ…。」

 

 奈々のプリントを見ながらの確認にオイナリ校長も頷いて見せた。

 

「そう。各お店から商品を取って来て配達荷物をまとめる人をピックアッパー。お客様のところに配達する人をデリバリーマンと呼ぶ事にしますね。」

 

 なるほど、これは確かに人手が必要になるわけだ。

 なんせこの商店街を走り回るだけでも結構大変なのだ。

 それに加えてお客さんへ商品配達をするとなればどれだけ忙しくなるかわからない。

 

「既にアプリの事前DLは予想より多いの。だから結構な注文が入ると思うわ。」

「出来る事なら、もう少し人手は欲しいんだけどねぇ。」

 

 オイナリ校長の言葉に商店街の会長も頷いていた。

 それならちょうどいい事にエゾオオカミにアテがある。

 

「なら4人くらい雇えるか?ちょうどバイトしたいって先輩がいるんだ。」

「それは助かるよ!是非お願いしたい!」

 

 商店街会長に両手を握られて、「お、おう。」と気圧されてしまうエゾオオカミ。

 まあ、何はともあれ渡りに船というものだ。

 早速かばん達にも連絡をしてやらないとな、と考える。

 いっその事、ともえ達やルリ達にも声を掛けてしまうのも手かもしれない。

 

「それじゃあ、今年の夏はショッピングモールには負けないぞ!」

 

 と気合を入れる商店街会長。

 それに全員が「おー!」と気勢を返した。

 その姿を見たエゾオオカミは…

 

「(もしユキヒョウも手伝いに呼ぶ時は、なんか変装でもさせた方がいいんじゃないか?)」

 

 と苦笑混じりに思うのだった。

 

 

 

―中編へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話『駆け抜けるけもの達』(中編)

 

 さて、一夜明けて今日から商店街では夏のイベントが開始する。

 夏休みが始まったというのに、むしろ普段よりも早起きして全員で朝のラジオ体操に参加。一日目のスタンプを貰ったら、そのままアルバイトへ出かける。

 

「うへぇ……。何でこんな早起きして体操なんてしないといけないの…。」

「コッチの伝統みたいなモンだ。慣れろ。」

 

 ぶぅぶぅ不平を言うマセルカの背中をポンと叩くエゾオオカミ。

 

「でも分かる!せっかく夏休みになったんだから朝はダラダラしたい!」

「おお、キタキツネ!分かってくれる!?」

 

 マセルカとキタキツネは話が合うようではあるが、それで二人して朝寝坊の癖がついてもよくない。

 

「ダメよ。それで生活リズムが狂いでもしたら学校始まったときが大変よ。」

「そうですよ。ギンギツネの言う通りです。」

 

 キタキツネはギンギツネが、マセルカはセルシコウがそれぞれに首根っこを掴んで引き剥がしてお寝坊同盟が結成されるのを防いでいた。

 そして、お互い大変だねぇ、なんて目線で苦笑し合う。

 

「あっはっは。みんな昨日の今日ですっかり仲良しだねぇ。」

「まぁ、悪い事ではないさ。何せ今日から一緒に仕事をする仲間なのだから。」

 

 賑やかなマセルカ達を最後尾で見守るのは奈々とオオセルザンコウだった。

 

「時に奈々。キミはピックアッパーとデリバリーマンどちらをやるのか決めたのかい?」

 

 今日からのイベントで彼女達が担う役割は二つある。

 一つは注文の入った品を商店街の各店舗から集めてまとめるピックアッパー。

 もう一つがそのまとめた商品を顧客へと届けるデリバリーマンだ。

 

「私はピックアッパーがいいかな。商店街の中は詳しい方だもの。」

 

 なるほど。商店街育ちの奈々なら効率いい商店街の回り方も心得たものだろう。

 そしてキタキツネも奈々の隣にやって来た。

 

「ボクもそっちがいいなぁ。色んなところまで走り回るの正直めんどい。」

「コラ。面倒なんてそんな事言っちゃダメよ。まあ…私もピックアッパーの方がいいなって思ってるけど…。」

 

 どうやらギンギツネもピックアッパーに回るらしい。

 3人とも商店街育ちだ。適材適所というものだろう。

 

「エゾオオカミ。キミはどうする?」

 

 オオセルザンコウが気になったのはエゾオオカミだった。

 彼女は商店街育ちではあるがどちらの役割を希望するのだろうか。

 オオセルザンコウの見立てではどちらでも出来そうではある。

 

「そうだなあ…。やっぱデリバリーマンの方かなあ…。こう見えて土地勘は結構ある方だし。」

「なら私と一緒ですね。どうです?どちらが沢山配れるか勝負してみます?」

 

 そう言うのはセルシコウだ。

 まあ、彼女ならより運動量が多いから修行になりそうという理由でデリバリーマンを選ぶだろう事は予想していた。

 

「なら、バランスを取る為にも私とマセルカもデリバリーマンの方だろうな。」

 

 オオセルザンコウはマセルカを引き寄せる。

 

「えぇー!?マセルカもキタキツネ達と一緒がいいー!」

「我がままを言うな。デリバリーマンの方が一つの仕事をこなすのに時間がかかる。だからそっちの方が多くないとバランスがとれないんだ。」

 

 オオセルザンコウの説得にマセルカはしぶしぶながらも頷いてみせた。

 これでピックアッパーとデリバリーマンの割合は3:4だ。ちょっと心許ない。

 思わず心配顔になってしまうオオセルザンコウだったが、その肩をエゾオオカミが叩く。

 

「その心配ならないぜ。今日来てくれる助っ人の4人はデリバリーマンでもピックアッパーでもどっちでもいいみたいだからな。」

「そうか。エゾオオカミが助っ人を呼んでいてくれたんだったな。それなら何とかなりそうだ。」

 

 とはいえ、オオセルザンコウはしばらく考え込む。

 エゾオオカミの呼んだ助っ人とは一体誰なのだろう。

 その疑問の眼差しを向けると、エゾオオカミにもそれが伝わったのか答えを返してくれた。

 

「ちょうど来たみたいだぜ。」

 

 エゾオオカミが視線で示した先には、ちょうど4人の人影が見えた。

 全員に声は掛けてみたけれど、どうやら今日は用事があるようで来てくれたのはかばんとサーバル、フェネックにアライさんの4人だけだった。

 

「(フレンズが3人にヒトが1人…か?サーバルキャット、アライグマ、フェネックギツネのフレンズと言ったところか…。)」

 

 オオセルザンコウは素早く分析する。

 いずれも動きやすいように軽装に身を包んでいる。

 彼女達は自分達の正体を知っているエゾオオカミが呼び寄せた助っ人だ。

 何者かわかるまでは一応注意深く観察しよう、と考えていたオオセルザンコウだったがいきなり思惑を崩された。

 

「あぁー!」

 

 マセルカが黒髪のヒトの女の子を指さして大声を出したからだ。

 

「ええっと、ええっと、なんだっけ!知ってる!知ってる子だ!なんだっけ!?」

 

 べしべし、とオオセルザンコウの背中を叩くマセルカ。

 いや、私がわかるわけがないだろう、と言いたいオオセルザンコウだったが、あまりに連打されて言葉を紡げないでいた。

 救いはないのか、とオオセルザンコウは視線を彷徨わせる。

 助け船は結局そのヒトの女の子が出してくれた。

 

「マセルカさん、水泳部の地区大会でもお会いしましたね。お久しぶりです。ジャパリ女子中学校の2年生、かばんです。」

「そうだ!かばんだー!えっとね、案内してくれたお礼言うの忘れてた!ごめんね!あとありがとう!」

 

 マセルカはかばんに詰め寄ると一気にまくしたてた。

 あの時は色々と余裕がなかったマセルカは後になってお礼を言うのを忘れていた事を思い出していたのだった。

 まさかこんなところで再会できるとは思ってなかったマセルカである。

 実はそれはセルシコウも一緒でマセルカと一緒にかばんに詰め寄っていた。

 

「久しぶりですね。かばん。早速ですが…」

「手合わせ禁止。」

 

 続く言葉を予想していたエゾオオカミがセルシコウとかばんの間に割って入っていた。

 先回りされたセルシコウは頬を膨らませていたが、さすがにこんなところで手合わせさせるわけにはいかない。

 

「二人とも。知り合いと会えて嬉しいのはわかるが、そんなに詰め寄ったら相手が困ってしまうだろう。」

 

 オオセルザンコウがマセルカとセルシコウを引き取った。

 かばんは奈々やキタキツネ、ギンギツネにも挨拶を済ませるとあらためてオオセルザンコウに向き直る。

 一度、視線でエゾオオカミに向けて何かを問い掛けるようにしていた。

 それに対し、エゾオオカミも頷きを返す。

 

「悪い、奈々姉さん。ちょっとかばん先輩達に仕事内容説明するから先に行っててくれるか?」

 

 エゾオオカミの言葉に奈々も怪訝な顔をするが頷いてくれた。

 キタキツネとギンギツネを連れて先に行く。

 この場に残ったのはエゾオオカミとセルリアンフレンズの3人。

 それに、今来たばかりのかばん、サーバル、アライさん、フェネックの4人である。

 はて、とオオセルザンコウは小首を傾げる。

 随分と剣呑な雰囲気のようにも思えるが何かあるのだろうか。

 かばん達4人はもう一度顔を見合わせていた。

 

「ま、しょうがないよ。皆、嘘と隠し事は苦手だからね。」

 

 なんて苦笑するフェネックである。

 

「はっはっは!サーバルはダメダメなのだ。」

「あ、アライさんだって嘘と隠し事は苦手じゃない!」

 

 そうやって言い合っている二人こそがこの場で最も嘘と隠し事が苦手なのだ。

 多分、一緒に働いているうちに何らかのボロは出してしまうだろう。

 そう話し合っていたかばんとフェネックは、今日この場でどうするべきか、というのも予め決めていた。

 かばんは意を決すると、あらためて挨拶をする事にした。

 

「どうも。ボクは星森かばん…。クロスシンフォニーです。」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 瞬間、その場に殺気が満ち溢れた。

 先程まで楽しそう話していたセルリアンフレンズ達が一斉に懐に手を入れる。

 取り出すのは“セルメダル”である。

 ここが公園と商店街を行き来する路地で今は人通りがないのは幸いか。

 エゾオオカミもポケットに入れた“リンクパフューム”の感触を確かめる。

 一触即発の雰囲気に、やはり自分の選択は間違っていたのか、とエゾオオカミの額に冷たい汗が流れた。

 

「出来ればこんなところで事を構えたくはありません。」

 

 殺気の籠った視線を一人受け止め、かばんは手でサーバル達を制する。

 かばんだけはすぐにでも戦えるよう構えをとらなかった。

 それなのにセルリアンフレンズの3人から放たれる殺気は緩む事はない。

 

「信じられるものか。一体何故この場に現れた。」

 

 いつでも変身できるよう身構えながら訊ねるオオセルザンコウ。

 思えば、彼女達3人はクロスシンフォニーにだけはやけに敵愾心を燃やしていたようにも思える。

 それはクロスシンフォニーを明確に脅威と考えているから、というだけでは説明できそうにない。

 

「一体どうして…。」

 

 エゾオオカミの疑問に、視線を外さぬままマセルカが言う。

 

「当然だよ。クロスシンフォニーはセルスザク様の命を奪った相手だもん…!」

「戦の世の常。恨みはしませんが仇を討てるとあれば、この場で戦う事もやぶさかではありませんよ。」

 

 セルシコウまでもがかばんに殺気を叩きつけていた。

 しかしかばんはその殺気を受けてなおも毅然とした態度を崩さない。

 手の平を向けて『待て』のハンドサインを出すと空いている手で携帯電話を取り出し、どこかに電話を掛ける。

 それをスピーカーモードにすると、オオセルザンコウ達の方へ向けてやる。

 すると、そこから声が聞こえて来た。

 

『勝手に殺すでない。このたわけ。』

 

 その声はスザクのものだった。

 そう。

 かつてオオセルザンコウ達と同じ世界からこの世界に送られて、『石』を砕かれて元のスザクへと戻ったセルスザクの声だ。

 

『お?びでおつうわ、とやらはどこを押すのじゃ?おお、ここか。スマンの。カコ博士。』

 

 電話の向こうで何やら悪戦苦闘があった後にかばんの向けた携帯電話の画面にスザクの姿が映し出された。

 

「「「セルズサク様っ!?」」」

 

 それに思わず驚きの声をあげるオオセルザンコウ達。

 

『おおー。ええとお主は確かセルゲンブの眷属のー…。オオセルザンコウじゃ。うむ。久しいのう。』

 

 オオセルザンコウ達はまるで幽霊でも見たかのように目を丸くした。

 携帯の画面に映されたスザクの姿を指さして「本物?」と視線でかばんに訊ねる。

 

「ええ。正直言って、どちらかがそうなっていてもおかしくない戦いでしたが、ボクもスザクさんも元気にしています。」

『うむ。もっとも我は『石』を砕かれたので元のフレンズに戻っておるがの。』

 

 携帯電話の画面の中でスザクは鷹揚に頷いて見せていた。

 ここに至って、ようやくオオセルザンコウは“セルメダル”を懐に納める。

 

「セルスザク様の命をどんな形であれ救ってくれた事は…礼を言う。ありがとう。」

 

 そうしてオオセルザンコウが頭を下げると、ようやく張り詰めた場の緊張が緩んだ。

 

「ところで、セルスザク様は今はどちらに?」

『我は今はこちらの世界の住人の元で療養中の身じゃよ。お主らに会えぬ事はないのじゃが…、今は会わない方がいいじゃろう。』

 

 オオセルザンコウの質問に対するスザクの返答は意外な物だった。

 その答えにセルリアンフレンズの3人はショックを隠せないようである。

 

「なんでだよ。会って話したらいいじゃねえか。」

 

 見兼ねたエゾオオカミが思わず声をあげる。

 スザクはそちらを見て一度目を細める。嬉しそうに。

 その表情の意味をエゾオオカミが訝しんでいるうちにスザクが続ける。

 

『オオカミの子よ。我の同胞を慮ってくれた事、まずは礼を言うぞ。じゃがのう、我は『石』を砕かれたからこそわかる事もある。それを今のオオセルザンコウ達に語って聞かせたところでとても信じられるものではなかろう。』 

 

 そして、スザクは改めてオオセルザンコウ達の方を見る。

 

『だがの。これだけは言える。お主ら自身の眼で見て、そして考えるがいい。“輝き”を保全するとは一体どういう事なのかをな。』

 

 それにマセルカとセルシコウはお互い顔を見合わせる。彼女は一体何を言っているのだろう、と。

 だがオオセルザンコウだけは胸にチクリと小さな痛みが走った。

 つい先日、陸上の地区大会で生まれた小さな疑問が再び浮かび上がって来ていた。

 自分達がしようとしている事は本当に正しいのか、と。

 そうして迷うオオセルザンコウの姿をやはりスザクは満足気に見ていた。

 

『オオセルザンコウよ。せっかくこちらの世界で友達が出来そうなのじゃろう?しばらくはこの世界を見てみるがよい。“輝き”の保全はそれをしてからでも決して遅くない。』

 

 オオセルザンコウは考える。

 確かに、一旦“輝き”の保全は保留して情報収集と橋頭保の確保を進めるつもりでいた。

 セルスザクの言を鵜呑みにするわけではないが、その路線で事を進めるべきか。そう判断した。

 

「分かりました。敵と馴れ合うつもりはありませんが、まずはこの世界をしっかりと見て情報収集に努めようと思います。」

『素直じゃないのう。』

 

 スザクは苦笑でオオセルザンコウに応じるが、今はそれでいいと頷いてもいた。

 

『そういうわけで手のかかるヤツらかもしれぬがよろしく頼むぞ。クロスシンフォニー。そしてオオカミの子よ。』

 

 それを最後にスザクは通話を切ろうとして…。

 

『ぬ…?通話を終わる時はどうしたら…。ぬ!?これか!?こっちか!?助けてカコ博士ぇええええ!?』

 

 としばらくの間悪戦苦闘していた。

 それを何とも残念なものを見る目で見送った一同。

 コホン、と咳払いするオオセルザンコウが場を仕切り直す。

 

「そういうわけで、勝手ですまんが一時休戦だ。クロスシンフォニー。それと……ええと…ええと…クロス…クロス…なんだったか…。」

「クロスアイズだ!そんくらい覚えてくれよ!?」

 

 オオセルザンコウが本気で名前を思い出そうと努力しているのが分かっただけにエゾオオカミのダメージも深い。そんなに印象薄いのか、とガッカリせざるを得ない。

 

「はい。まずは今日のアルバイト、よろしくお願いしますね。オオセルザンコウさん。」

 

 かばんは右手を差し出す。

 そういえば彼女達はこれから一緒に働く仲間でもあるのだ、と思い出すオオセルザンコウ。

 

「まさかクロスシンフォニーと一緒に働く日が来るとは思わなかった。」

 

 苦笑交じりにその手を握り返す。

 手強い敵ではあるが、その分一緒に協力出来るなら心強くもある。

 その姿を見守っていたアライさん達クロスシンフォニーチームも結果に満足というように笑い合う。

 

「アライさん…こういうのを何て言うのか知ってるのだ!」

「おぉー!?何て言うの!?」

 

 訊ねるサーバルに得意気な笑みを浮かべたアライさんは答える。

 

「ふっふっふ。アライさんは物知りなのだ。こういうのをな、恐悦至極…って言うのだ!」

 

 それに一同「?」と疑問符を浮かべていた。

 会話の内容が繋がっていないがどういう事、と。

 こういう時の解説役はフェネックだろう。皆の視線がそちらに集まる。

 

「アライさーん。また難しい言葉を覚えたねぇ。けど、言いたいのは呉越同舟、じゃないのかい?」

「そ、そうとも言うのだ!」

 

 誰もが同じ事を思って戦慄した。

 一文字も合ってない…!と。

 それを読み解いたフェネックに心の中で賛辞を贈る。

 

「アライさんは相変わらず明後日の方向に全力疾走だねえ。」

 

 そんな一同の戦慄は余所にフェネックはいつもの涼し気な笑みを浮かべるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、夏の暑さがジリジリと大地を焦がし始める時刻になった。

 朝は幾分でもまだ清涼な空気があったが、今や夏真っ盛りの猛暑日だ。

 イベント初日となる今日は早速注文が入り始めているらしい。

 早速、奈々達商店街育ちの3人が注文の品をピックアップに向かっている。

 そして、大張り切りのアライさんとフェネック組が既に最初の配達へと出たところだ。

 今は休憩所代わりになっている集会所でかばん、サーバル、エゾオオカミ、それにオオセルザンコウ、マセルカ、セルシコウ達が待機中だ。

 

「デ…。かばん…。どうして、そうなったノ。」

 

 休憩所でオペレーティング中の水色ラッキービーストが言う。

 心なしかそのセンサーアイに呆れの色が見てとれるのは気のせいだろうか。

 それもそのはず、何故かマセルカがかばんの隣に座ってピッタリとくっついていて、しかしそうしているのが不満とでもいうようにむくれた顔をしているのだ。

 

「え、えーっと…。ボクにも何が何だか…。」

 

 かと言って、離れようと思ってもマセルカがかばんの服の裾を握っているので離れるに離れられない。

 逆側の隣に陣取ったサーバルも何度かマセルカに話しかけてみたりはしているのだが、あまり反応がない。

 かばんは助けを求めて視線を巡らせる。

 と、セルシコウと目線があった。

 

「そうですねぇ…。ほら、先日プールでマセルカを助けてくれたそうじゃないですか。そのお礼を言いたいけど、さらにその前にコテンパンに負けてて悔しい、でもありがとう。でも悔しい。というところなんじゃないでしょうか。」

 

 セルシコウは仕方ないなあ、とマセルカの胸中を代弁した。

 そうなの?とマセルカの顔を覗き込むかばんとサーバル。

 胸中を言い当てられたマセルカの顔はみるみる真っ赤になった。

 パッとかばんから離れるとセルシコウへ詰め寄る。

 

「もう!なんで言っちゃうの!なんで言っちゃうの!」

 

 ぽかぽか、とだだっこパンチを繰り出すマセルカだったが、その全てがセルシコウの掌で受け止められてしまう。

 

「まぁ、ともかくそういうわけです。クロスシンフォニー。私からもお礼は言わせて下さい。マセルカを助けてくれてありがとう。」

「なんで先に言っちゃうのー!」

「あなたがグズグズしているからですよ。まったくもう。」

 

 そうしてじゃれ合うマセルカとセルシコウ達に、エゾオオカミはどうしても一つ言っておかないといけない事があった。

 

「だからな…。お前ら全員っ!隠せよっ!少しはっ!正体をっ!!」

 

 この場には事情を知っている者しか残っていない。

 けれど、いつ誰が帰ってくるかわからないのだ。

 エゾオオカミの心配だってもっともな事だ。

 

「ったく…。ルリ達にも似たようなツッコミ入れた気がするぜ…。お前らそういうとこ本当無防備だよな…。」

 

 それには揃って申し訳なさそうな顔をするかばん達とマセルカ達だった。

 まあ、この場でこれ以上この話題を続けるのは得策ではない。

 エゾオオカミは話題を変える為にも自身の携帯電話を取り出す。

 

「ところで、お前ら。アプリの使い方はもう覚えたのか?」

 

 配達には専用のアプリをインストールしたナビゲートシステムを使う。

 配達完了の決済などもこれを使うのでこのバイトには必須だ。

 

「一応、商店街の方で携帯電話、というのは貸してもらったが…。」

 

 オオセルザンコウ達も今回の仕事の為に携帯電話を貸し与えられていた。

 けれど、その使い方はいま一つだった。

 

「どれ、見せてみろよ。っておいおい。まだ専用アプリのダウンロードすらしてないのかよ。」

 

 エゾオオカミはオオセルザンコウの携帯電話を受け取って、手早く専用アプリをダウンロードしてやった。

 

「すごいな…。取り扱い説明書を読むだけでも一苦労だったのだが…。」

「こうのは習うより慣れろ、だ。」

 

 携帯をオオセルザンコウに返すと、同じようにセルシコウとマセルカの分もアプリを入れてから返した。

 そうしてから、自分の携帯電話でアプリを起動してみせる。

 ほう、と感心したように目を丸くするオオセルザンコウ。

 

「こちらの世界の機械はこう使うのか…。」

「意外と簡単だろ?」

 

 その様子を見ていたサーバルが「はいはーい!」と挙手した。

 

「ねえねえ、今日は二人一組で配達行くんでしょ?だったらさ、オオセルザンコウ達に私達が一人ずつついたらどうかな?」

 

 確かにアプリの使い方に慣れてなさそうな彼女達と組んで教える人がいた方がよさそうだ。

 けどいいのか?とエゾオオカミは思う。

 サーバルがかばんと組みたいだろう事は想像に難くない。

 

「ん?かばんちゃんとはおうちでも一緒だもん。それにね、かばんちゃんね、教えるの上手なんだよ。私もアプリの使い方昨日教えてもらったからもうバッチリなんだから!」

 

 腰に手をあてえっへん!と胸を張ってみせるサーバルである。

 かばんの方はどうなんだろう、とそちらに視線をやれば、マセルカがその腕にしがみついていた。

 どうやら彼女の意志に関わらず、マセルカはかばんと組むつもりらしい。

 

「それなら俺は…。」

 

 エゾオオカミが見渡すと、サーバルは既にオオセルザンコウにアプリの使い方を教えていた。

 昨日教わった事を嬉々として話すサーバルとそれに感心しきりのオオセルザンコウの様子を見るに二人の相性は悪くなさそうだ。

 

「という事は、余り者同士一緒にやりましょうか?」

 

 セルシコウがエゾオオカミの肩を叩いていた。

 まあ、その通りではあるのだが素直に頷くのも何だかエゾオオカミの気が許さない。

 

「おう。足引っ張んなよな。」

「言うではありませんか。実力の割に。」

「実力の割に、は余計だ。」

 

 お互いにニヤリとするエゾオオカミとセルシコウ。

 どうやらこれで今日のデリバリーマンの組み合わせは決まったらしい。

 そこにタイミングよくオペレーティング中のラモリさんから声が掛かった。

 

「オウ。お前ら。ちょうどピックアップ終了が3件くるゾ。配達準備ダ。」

 

 ちょうどいい。

 それぞれの組で1件ずつ配れる。

 呉越同舟な即席ペアの肩慣らしにはおあつらえ向きだ。

 

「それじゃあ、いっちょ稼ぐとしようぜ!」

 

 エゾオオカミの号令に「「「「「おぉー!」」」」」と全員が気勢を返すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、エゾオオカミとセルシコウは二人で配達の準備だ。

 配達用に自転車も貸し出してくれているので、これを使わない手はない。

 そう思っていたエゾオオカミだったが、セルシコウから意外な事を言われる。

 

「え?そんな物を使ったらかえって遅くなりません?」

 

 いや、走るよりも自転車の方が絶対早いと思うんだが、と思うエゾオオカミだ。

 それにセルシコウもハテナマークを浮かべる。

 どうにも話が噛み合っていない。

 

「ええと配達先ってアッチですよね。」

 

 セルシコウの確認に、エゾオオカミも頷く。

 彼女が指さした先は確かに方角としては正確だ。だけれども、目の前には住宅街の塀が見える。

 まさかと思っていたがセルシコウはその塀の上にヒョイと飛び乗る。

 

「ほら。ここを通ればすぐですよ。自転車、とやらを抱えていてはこんなところを通れないでしょう?」

 

 どうやらそのまさかで、セルシコウは可能な限りの直線距離を移動する作戦をとるつもりらしい。

 

「さ。エゾオオカミ。」

 

 塀の上から手を差し伸ばされれば、エゾオオカミも覚悟を決めるしかない。

 セルシコウの手を借りて塀の上に登るエゾオオカミは思っていたよりも高い視界に一瞬気後れしそうになった。

 

「さあ、行きましょう。」

 

 対してセルシコウの方は狭い塀の上をスルスルと滑るように進んでいく。

 さすがはサルのフレンズだ。

 エゾオオカミはその後ろを遅れないように着いて行くだけでやっとだ。

 

「あ。エゾオオカミ。配達物は今回食べ物みたいですから、崩れないように重心を一定に保つといいですよ。」

 

 まるで後ろに目があるかのようにアドバイスしてくるセルシコウにエゾオオカミは無茶言うな、と返す余裕すらない。

 このU-Mya-Systemでは商店街で販売しているものなら何でも配達する、という売りがある。

 そこには出前が可能な食事も含まれているのだ。

 今回の配達は公園でピクニック中のグループへオードブルや飲み物のお届けなのだ。

 崩れやすそうなものはセルシコウが持っていてくれるとはいえ、エゾオオカミの抱えた荷物には炭酸飲料が含まれている。

 あまり揺らせばどうなるか…。

 大惨事の予感にエゾオオカミは顔を青くした。

 直線距離を移動する、というセルシコウの作戦はエゾオオカミの心労と体力的な無茶を引き換えに大幅な時間短縮を成し遂げた。

 

「な、なあ…。セルシコウ。お前…なんだっけ…。“アクセプター”だっけ?アレは今日も制限入れてるのか?」

「ええ。もちろん最低出力に抑えてますよ。無用なトラブルの元になるから、とオオセルザンコウが言うので。」

 

 息も絶え絶えで訊ねるエゾオオカミにセルシコウは涼しい顔で答える。

 “アクセプター”を最低出力に抑えると、変身前のエゾオオカミ達と同じ程度の身体能力になるらしい。

 その割にセルシコウは塀から塀へ飛び移り、街路樹を飛び越し直線距離を苦も無く驀進しているように見える。

 

「そりゃあアレですよ。技の違い、というものですよ。」

 

 とうとう公園までの直線距離を進み切ってしまった。

 やはり涼しい顔でオードブルを取り出すセルシコウと、疲労困憊で飲み物を取り出すエゾオオカミ。

 炭酸飲料の開封は十分注意して欲しい旨を息も絶え絶えで説明すると、お客さんからは逆に心配されてしまった。

 何はともあれ専用アプリでお客さんの携帯電話画面に表示されたQRコードを読み取る。

 すると、エゾオオカミの携帯に配達完了の表示が出た。

 まずは順調……かどうかはともかく一仕事を終えたわけだ。

 

「お?エゾオオカミ。早速次の仕事が来てるじゃないですか。行きましょうよ。」

 

 セルシコウがエゾオオカミの携帯電話を覗き込みながら言う。

 まさか、ここで「ちょっと休ませてくれ。」とは言えないエゾオオカミはやせ我慢だ。

 

「おう!やってやらぁ!?」

 

 半ばヤケで応じるエゾオオカミにさらなる絶望が襲った。

 

「その意気です!じゃあ、また来た道を戻ってショートカットですね!」

 

 またあの道なき道を戻るのか…。戻るのだって早い方がその分沢山の仕事をこなせる。その理屈はわかる。

 だけれども、またあのパルクールをこなすのはエゾオオカミには荷が重たかった。

 

「さあ!エゾオオカミ!こっちですよ、こっち!帰りは荷物がないんですからもう少しルートを攻めちゃいましょう!」

 

 どうやらさらに過酷なコースが待っているらしいと知ってエゾオオカミはもう諦めの境地へと至った。

 

「こうなりゃヤケだぁあああああっ!」

 

 エゾオオカミはセルシコウを追いかける。

 公園から商店街へは今朝も通ったし、何度となく通ってもいた。

 けれど、こんなにも早く踏破した事は未だかつてなかった。

 その分こんなに疲れた事もなかったけれど。

 エゾオオカミは意地だけで商店街の集会所まで戻って来た。

 セルシコウにギリギリ引き離されずに済んだのは、彼女が要所要所で手を貸してくれたからだろう。

 

「ええと、次の荷物は…。アイスクリーム…?」

 

 戻って来たセルシコウは次の荷物を目の当たりにして小首を傾げる。

 溶けないようにドライアイスと共に保冷容器に入れられている。荷物はそれだけらしいからセルシコウ一人でも楽に運べる。

 届け先もすぐ近くらしい。

 

「オウ。溶けないうちにささっと配達しちまってくれ。」

 

 オペレート担当のラモリさんが言う。

 どうやらこれは楽な仕事の部類に入るのだろう。

 ならば、とセルシコウはエゾオオカミに振り返る。

 

「エゾオオカミ。貴女は少し休んでいますか?」

「ハッ。冗談キツイぜ。この程度でヘバってられるかよ。」

 

 どう見てもヘバっているように見えるエゾオオカミだが、彼女が意地を張るならまだまだ付き合ってもらおう。

 セルシコウはニヤリとする。

 

「私。貴女のそういうところは嫌いじゃありませんよ。」

 

 今度はどうやら商店街の中からの注文らしい。

 再び二人して配達に出る。

 今回は最短距離を走るにしても無茶なパルクールをせずに済む。

 単に人混みを避けて走るだけなので先程より難易度はグンと下がっていた。

 専用アプリのナビゲートに従って進んでいると、どんどんエゾオオカミの見覚えのある場所になってくる。

 目的地はエゾオオカミの家が営む和服屋さんだった。

 

「もしかして、このアイスクリームを注文したのはお母さんか…?」

「どうしました?行きますよ。」

 

 どういう事か訝しむエゾオオカミは置いておいてセルシコウはずんずん中へと入っていってしまった。

 エゾオオカミも慌てて後を追いかける。

 いくら保冷剤を入れているとはいえアイスクリームが溶けてしまっては元も子もない。

 確かに呆けている暇なんかない。

 店内にはいつも通りにエゾオオカミの母親と今日は珍しく一人お客さんがいた。

 お座敷となっている接客スペースで正座しているのは一人のフレンズであった。

 

「(すごい美人だな。)」

 

 そのお客さんを見たエゾオオカミの第一印象はそれだった。

 ただ正座しているだけなのに存在感が凄い。

 多分、猫科のフレンズだとは思うのだけれどもそれよりも何よりもこの既視感は一体なんなんだ。

 彼女がエゾオオカミとセルシコウに向けて微笑みと共に軽く会釈してみせただけだというのにそれだけで二人とも心臓がドキリと跳ねあがったかのようだ。

 

「あら。配達に来てくれたのはエゾオオカミだったのね。」

 

 そんな二人に声をかけたのはこちらも和服の美人、エゾオオカミの母親だった。

 とりあえず配達の品を渡すと、彼女は一度奥へ引っ込んでガラスの器にアイスクリームを盛り付けるとお座敷のお客さんへ出していた。

 そういえば、今日はやけにエアコンが強いのか少し肌寒さを感じるくらいだ。

 なのに、アイスクリーム…。

 それを出されたあのフレンズの目が嬉しそうに動いたところを見るに、暑さが苦手なのだろうか。

 ともかく、配達2件目が完了だ。

 

「ほら、行きますよ、エゾオオカミ。」

 

 セルシコウに腕を引っ張られてようやく彼女をじっと見つめてしまっていた事に気が付いたエゾオオカミである。

 さすがに失礼な態度になってしまったか、と頭を下げるエゾオオカミに、お座敷にいた美人は構わない、というように微笑む。

 いつまでもモタモタしているエゾオオカミにとうとうセルシコウが業を煮やした。

 

「何をしているんですか?次の仕事も待っているんでしょう?行きますよ。」

「悪い、今行く!」

 

 慌てて後を追いかけるエゾオオカミを店内に残った美人二人が見送った。

 

「ふぅん?あの子がエミちゃんの娘さん?可愛い子じゃない。」

「ユキちゃんのところの娘さんには負けるけどねぇ。」

 

 言って二人でクスクスと笑いあう。

 今日やって来た美人さんはユキヒョウの母親であった。

 この和服屋のお得意様でもあり、尚且つエゾオオカミの母親にとっては古くからの付き合いもある。

 今日、彼女がここに来たのには理由があった。

 彼女は何を隠そう色鳥町商店街最大のライバル、大型ショッピングモール『cocosuki』のオーナーでもあるのだ。

 何やら今回は一風変わったイベントを始めたとあって敵情視察……という理由もあるにはあった。

 だが、ユキヒョウの母親としてはもう一つ、ここに来なければならない事情があったのだ。

 

「で…!エミちゃん…!隣にいたフレンズちゃんが娘さんのお相手なの…!?」

「そうらしいのよぉ!昨日商店街で仲良さそうに一緒に歩いていたのを見た人がいるのよっ!」

 

 そう。

 昨日、電話で旧友から何やら面白そうな恋バナを話されては夏の暑さを推して出向かざるをえない。

 黙っていれば誰もが美人と評する花二輪がきゃあきゃあ言いながら恋バナに花を咲かせていた。

 何やら本人の与り知らないところで誤解が広がっているエゾオオカミだった。

 

「でね!でね!エミちゃん…!実は私もこの前ね、買い物帰りにうっかり足を滑らせちゃったんだけどね、すっごいカッコイイ人に抱き留められて助けてもらっちゃったの…!」

「ええ!?なにそれ詳しく!!」

 

 人目があれば、二人でかしましく語り合う姿にギャップを感じる者もいただろう。

 けれど、この場にはエゾオオカミの母親とユキヒョウの母親二人しかないので、はしたないとたしなめる者もまたいないのだった。

 

 さて、そんな誤解が広まりつつあるとは露知らないエゾオオカミとセルシコウペアである。

 セルシコウは歩みを少しばかりゆっくりにしていた。

 さすがにエゾオオカミに疲労の色が見てとれる事くらいは気が付いていたからだ。

 

「悪いな。俺が足を引っ張っちまって。」

 

 もちろん、そんな気遣いはすぐに見抜いてしまうエゾオオカミだった。

 

「まったく。貴女はそういうところは鋭いですね。」

 

 ふぅ、と嘆息するセルシコウ。

 彼女としてはエゾオオカミがいる事で慣れない機械操作をせずに済んでいるし、なんだかんだでちゃんと付いて来てくれるので助かっている部分だってある。

 だから、そう気に病む必要はないとは思う。

 

「エゾオオカミ。私と貴女では技の鍛錬の度合いが違います。だから無理はしないで下さい。」

 

 少し考えたセルシコウはそう告げる。だから、ついてこれなくたって仕方ない、と。

 

「いいや…。そういうわけにはいかない。だってさ。次に戦う時も同じままの俺じゃあセルシコウがガッカリしちまうだろ?今ここで頑張っておかないとお前に追いつくなんて出来ないだろうし。」

 

 その答えにセルシコウは面食らったように一度目を丸くする。

 そうだとも。

 彼女は敵だ。

 けれども嬉しい。

 かつてコテンパンにしてやったエゾオオカミが不屈の闘志で再び挑みかかってくるつもりである事が。

 そして何より、強敵とこそ戦いたいと望む自身を理解してくれていた事が。

 

「ならば。いっその事、私に稽古をつけられてみますか?」

「はいィッ!?」

 

 思わぬ提案にエゾオオカミは素っ頓狂な声を出してしまった。

 

「エゾオオカミ…。貴女には強くなれる素養があります。貴女の思い切りの良さや怖いもの知らずなところとか。それは得難い才能です。」

「それ……褒めてなくないか…?」

 

 とは言うものの、そう思ってくれている事は素直に嬉しいエゾオオカミである。

 勝手にライバル視していた相手にほんの少しでも認められていた事に思わず胸の中がくすぐったくなる。

 そんなエゾオオカミにセルシコウは手を差し出した。

 エゾオオカミもその手を取ろうとした。

 しかし、途中でその手を止める。

 

「エゾオオカミ?」

 

 どうしてその手を途中で止めたのか分からないセルシコウ。

 訝し気に小首を傾げる。

 エゾオオカミが強くなってくれる事にはセルシコウにとってもメリットがある。

 彼女は今まで、自分の手で育てた相手と戦うという経験をした事がない。

 それはきっと血沸き肉躍る体験となるだろう。

 エゾオオカミとならそれが出来る。

 だからこれはお互いにWIN-WINの関係というもののはずだ。

 なのに、どうしてその手を取らない。

 その答えはセルシコウにとって意外なものだった。

 

「いや…だってさ。仮に俺がお前と訓練して強くなったとしてだぜ?オオセルザンコウとマセルカが俺と戦う事になったらさ。お前、後悔するんじゃないのか?」

 

 その言葉にセルシコウはハッとする。

 自分が強者と戦うのは本望だ。その為にエゾオオカミに稽古をつけて強者に仕立て上げる。それは彼女にとって理に適っている。

 けれども、それでオオセルザンコウとマセルカに害が及んだら…。

 それは不本意だ。

 しかも、それに自分よりも早く気が付いたのが敵であるはずのエゾオオカミだ。

 その事実にセルシコウの胸にはこみ上げてくるものがあった。

 

「ぷっ……くっく……あはははは!」

 

 それは笑いだった。

 今は休戦中だが、本来敵同士のはずなのに。

 そんな事をしたって何のメリットもないはずなのに。だというのに、どうしてこのエゾオオカミというフレンズは自分達にここまで気を回せるというのか。

 事によっては自分なんかよりずっと考えてくれていないか。

 そう思ったら何故かわからないが笑いがこみ上げてきてしまったセルシコウだった。

 

「な、なんだよ。だってセルシコウはオオセルザンコウもマセルカも大切にしてるだろ?」

 

 エゾオオカミは変な事を言ってしまっただろうか、と不安になって言い募る。

 それがさらにセルシコウの笑いを誘ってしまった。

 

「いや、その通りなのですが……。なのですがどうして貴女がそんな事まで気にかけてくれるんですか。」

「だから、俺はお前らの事をちゃんと知りたいんだったら!」

 

 敵とするには何とも間の抜けた会話のような気がしてセルシコウはまたも笑ってしまう。

 もう、この状況が可笑しくて仕方ない。

 ひとしきり笑うと、目尻に浮かんだ涙を拭い、セルシコウは言った。

 

「ならば一つ約束をしましょう。オオセルザンコウとマセルカに手を出したいなら私を倒してからにしなさい。」

 

 エゾオオカミを真っ直ぐに見つめ、キッパリとそう言い切る。

 彼女ならば決して約束を違えない。その信頼がセルシコウにはあった。

 あとはセルシコウが負けなければいいだけだ。

 

「なるほど…。だったらこっちも。セルシコウが次に戦う相手は俺にしてくれよな。」

 

 対してエゾオオカミだって負けるつもりなんてコレっぽっちもない。

 

「ええ。私から挑む次の相手は貴女です。エゾオオカミ。」

 

 セルシコウはわくわくしていた。

 自分の手で強敵を育てあげてそれと戦えるのだ。

 その約束の証として、二人は小指を絡ませる。

 

「じゃあ、早速今日の仕事終わりから特訓しましょうか。」

「うぇ!?それは早すぎじゃ……!?さすがに今日は体力的な限界がだな……。」

「何を言うんですか。貴女に仕込みたい技なんて山程あるんですよ?時間が足りないくらいです。」

 

 セルシコウは無理やりエゾオオカミの手をとるとその手を引いて歩き始めた。

 

「楽しみですね、エゾオオカミ!」

 

 物凄いいい笑顔で振り返ってくるセルシコウにエゾオオカミは苦笑で応じる。

 

「ああ。期待に沿えるように頑張るよ。」

 

 エゾオオカミは今日、名実共にセルシコウのライバルとなったのだ。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ゲンブファーム。

 そこは色鳥町北部に広がる田園地帯だ。

 古くから肥沃な大地が広がるこの一帯はこの街の食糧生産の多くを担っていた。

 近年ではサンドスター技術による合成肉の生産まで行う一大農業法人にまで発展している。

 そこには豊かな水源を湛える色鳥川の存在も大きい。

 そして、市街地へ生産物を運ぶ物流を支えるのが色鳥川にかかる玄武大橋だ。

 もしも。

 もしも仮にだが……。

 そこが通交出来なくなったりした日には、色鳥町の物流は大打撃を受けるだろう。

 

――ズッズッズッ……

 

 黒い水のような何かがその色鳥大橋へと近づきつつあった。

 人知れず、その懸念は現実のものになろうとしていた。

 

 しかし。

 

「さて、いつまでも後手に回ると思ったら大間違いだよ。」

 

 こうした事態に備えている者がいないわけでもなかった。

 それこそが遠坂ともえと萌絵の父親、ドクター遠坂である。

 彼は満を持してPCのエンターキーを押した。

 

 

 

――後編へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話『駆け抜けるけもの達』(後編)

 

 時間は少し遡る。

 ここは遠坂春香が営む喫茶店『two-Moe』である。

 その主たる春香は今日は朝からものすっごいご機嫌だった。

 何故か。

 

「朝から春香さんが淹れてくれたコーヒーが飲めるなんて最高の贅沢だよ。」

 

 今日はカウンター席に彼女の夫であるドクター遠坂が陣取っていたからだ。

 そして、今日はカフェ店員も華やかだ。

 遠坂春香を筆頭に、ともえ、萌絵、イエイヌの三姉妹。

 それに加えて何故か、宝条ルリとアムールトラにユキヒョウまでもがお客さん用コスプレ衣装で店員になっていた。

 さらにドクター遠坂の隣の椅子には“教授”こと宝条和香までいるではないか。

 ある意味で豪華な顔触れである。

 そんな“教授”はメイドさん風カフェ店員制服なルリとアムールトラから給仕を受けてご満悦であった。

 

「ねえ。でもさ、お父さんや“教授”達が来てくれるのは嬉しいんだけど、みんな揃ってどうしちゃったの?」

 

 さすがにここまで面子が揃って何もない事はあるまい。

 ともえは疑問を口にした。

 “教授”がコーヒーカップを芝居がかった調子で持ち上げると答えを返す。

 

「もちろんキミ達の可愛らしい姿を堪能したい、という目的もあるんだけどね。本当のところはこれさ。」

 

 “教授”はカウンターテーブルに置いていたノートPCのディスプレイを皆に見せた。

 それは一見しただけではよくわからない。

 やはりこういう時は萌絵に頼ってしまうのが一番だ。一同の視線が彼女に集まる。

 

「ええと…、どこかの通販サイトの管理画面…かなあ。ええっと…システム名、U-Mya-System?」

 

 萌絵の解説によると、“教授”が示したのは今まさに商店街で行っている通販イベントを支えるシステム画面だった。

 どうやらそれが正常に稼働しているかどうかをモニタリングする為の画面のようで、特に今のところ異常はないらしい。

 

「ちなみに、このシステム構築は僕と和香君の共同開発なんだ。」

 

 やはりドクター遠坂の前に置かれたノートPCにも同じようなシステム管理画面が映し出されていた。

 という事は、二人は商店街のイベントの為にここにいるという事だろうか?

 

「たしかに、ここに居れば万が一システムトラブルがあった時にも駆けつけやすくはあるのう。」

 

 そういうユキヒョウはさり気なく“教授”の空いたコーヒーカップにおかわりを注いでいた。

 なんせ“教授”がこんな朝早くに起きている事は稀なのだ。

 多分、徹夜して今も眠たいのを我慢しているのだろう。なので、眠気覚ましのブラックコーヒーは必須だった。

 ただし、あまりコーヒーの飲みすぎもよくないので、2杯目はユキヒョウチョイスのミントハーブティーである。

 

「まあ、多少のシステムトラブルならラッキービースト君とラモリさんを派遣しているから問題ないよ。」

 

 では“教授”とドクター遠坂は何のためにここにいるのか。

 

「僕たちがここにいる理由はね、ともえやイエイヌちゃんやルリちゃんやアムールトラちゃんを集めた理由にも関係があるんだ。」

 

 ドクター遠坂の説明にますます話が見えなくなってしまう。

 けれども、ある意味で豪華なメンバーのこの集まりには意味があるらしい。

 

「さて、これを見て欲しい。」

 

 カタカタ、と軽くキーボードをタッチした後にエンターキーを叩く。

 すると、画面には地図のようなものが表示された。

 

「これは?」

 

 覗き込む一同にドクター遠坂が答えを返す。

 

「これはね、U-Mya-Systemのもう一つの顔、セルリウムレーダーさ。」

「ちょ、ちょっと待って、お父さん。U-Mya-Systemって通販サイトの管理システムでしょ?それがどうしてセルリウムレーダーになるの?」

 

 萌絵が言う通り、通販サイトとレーダー、その二つに関連性が見えない。

 

「うん。順を追って説明するね。セルリウムレーダーっていうのはね、活性化したセルリウムを感知するものなんだ。」

 

 どうやらセルリウムレーダーとは名前通りの代物らしい。

 活発な動きを示すセルリウムを検知してセルリアンの出現位置を知る事が出来るのだ。

 

「既に市内の要所にいくつかのレーダーアンテナを立てて試験運用をしてたんだけど、問題があってね。」

 

 その問題とは?と一同続くドクター遠坂の言葉を待つ。

 

「それは通信網の不足さ。レーダーで検知してもそれを伝える通信インフラが足りなかったんだ。」

 

 なるほど、それでは十二分にレーダーの機能を活かせない。

 

「そこで、商店街のイベントの出番というわけだね。」

「ま、まさか…。」

 

 ここに至って萌絵には心当たりがあった。

 

「携帯電話にインストールしたU-Mya-Systemのアプリを媒介にして、携帯を中継地点にしちゃうって事…?」

「その通り。」

 

 レーダーで検知した情報をU-Mya-Systemをインストールした携帯電話を中継して情報を送る。

 そうする事でレーダーの通信網不足を補おうというのだ。

 萌絵は自分の携帯電話でU-Mya-Systemのアプリを開いて利用規約をあらためて開いてみる。

 そこには、『災害や事故などの緊急性の高い案件が発生した際、当アプリを通じて情報の受信、発信をする場合があります。』という一文が混ざっていた。

 それにしてもこれは何ともギリギリだ。

 手口だけならコンピューターウィルスを感染させる方法と似たようなものだ。

 ただ、セルリアンの事を公表したらパニックになるかもしれない現状からはその手段を取る他なかったのだ。

 

「もちろん、近くにセルリアンが現れた場合にはこのシステムを通じて避難情報も発信出来るよ。」

 

 そして、何らかの誘導情報でセルリアンの出現位置から人々を避難させたり遠ざけたりすることも出来るかもしれない。

 それを可能にするアプリを商店街の夏のイベントを利用して一気に広めたわけだ。

 ラモリさんがエゾオオカミに語っていた『こっちにもメリットがある。』というのはこういう事だったのだ。

 

「まあ、まずは試験運用段階だけれどね。この夏で有用性が認められれば本格的に運用していこうかと思っていたんだ。」

 

 これが狙い通りの効果を発揮するなら、今までセルリアンに対して後手に回っていたのが先手を取れるかもしれない。

 

「今のところ、ともえやイエイヌちゃんやルリちゃんやアムールトラちゃんに任せっきりだったからね。少しはサポートになれるように作ったんだ。」

 

 どうやら、最近ラモリさんが忙しそうにしていて、学校にもあまりついて来ていなかったのもこのせいだった。

 

「このシステムが本格的に稼働できれば少しは安心して夏休みを楽しめるんじゃないかな。」

 

 どうやらドクター遠坂も娘達の役に立とうと頑張っていたらしい。

 中々にギリギリの線をついている気がするが、セルリアンの事を世間に明かせない以上仕方がない。

 

「そっか!お父さんありがとう!」

 

 と抱き着いてしまうともえだった。

 それだけでもシステム構築を頑張った甲斐があるドクター遠坂である。

 それを見届けた“教授”は欠伸をかみ殺す。

 

「さて、説明も終わったところで私は少し…。」

「寝るんじゃな?」

 

 今朝は珍しく早起きしたわけじゃなく、徹夜で今まで起きていた“教授”は既に眠気の限界であった。

 ユキヒョウはそんな様子を察していたので、既に薄手のタオルケットを借りていた。

 

「はい、お母さんこっちこっち。」

「ソファー席一つ借りておいたで。」

 

 そして、簡易の寝床を作っていたルリとアムールトラである。

 この辺りの対処は慣れたものらしかった。

 アムールトラの膝枕に吸い込まれるようにして寝入る“教授”

 それをイエイヌはちょっと羨ましそうに見ていた。

 じーっと何かを期待した視線をドクター遠坂へ送っている。

 

「ええと…。ごめんね、イエイヌちゃん。僕はまだ眠くないから…。」

 

 ドクター遠坂の答えにイエイヌの耳がしゅん、と垂れた。

 

「あー!?そういえば、何だか少し喉が渇いた気がするなあ!?あ、このお湯に葉っぱ入れたヤツスペシャルっていうの美味しそうだなあ!?一つ注文してもいいかな!?」

 

 慌てたように言い募るドクター遠坂。

 どうやらそれは正解だったようで、イエイヌの顔はパッと明るくなった。尻尾もぶんぶんである。

 

「はい!お任せ下さい!」

 

 どうやらイエイヌの扱いをわかって来たらしい事に春香も萌絵もともえも三人してドクター遠坂にサムズアップを贈るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 商店街の夏イベント。初日となる今日は中々の忙しさだったものの、無事に終了した。

 エゾオオカミはセルシコウに一日中引っ張りまわされてクタクタだったが、今日が終わったわけではない。

 母親が用意してくれていた夕食を手早く食べ終わると、ご馳走様、と再び出掛ける準備をはじめた。

 なんせ、今日から早速セルシコウが稽古をつけてくれるらしい。

 夕食を食べた後に、という事だから少しは急いだ方がいいだろう。

 

「あら、エゾオオカミ?またどこかにお出かけ?」

「ああ、ちょっとセルシコウと約束があってな。」

 

 母親はまぁ!と驚きを露わにする。

 この商店街の情報網だって中々のもので、今日もエゾオオカミとセルシコウが親密そうにしていたのを目撃していた者は多く、その噂は母親の耳にだって届いていた。

 つまり、これは……。

 デート!?

 と、盛大な勘違いはさらに明後日の方向へ飛んでいく。

 

「(し、しかもこんな時間から!?い、いけないわ、エゾオオカミ!?いくらなんでもあなたはまだ中学生なのよっ!?いやでも私があの子くらいの頃にはお父さんと……でへへへ。)」

 

 母親が夫との馴れ初めを思い出しているうちにエゾオオカミはさっさと出掛けてしまったらしい。

 

「ど、どうしましょう…。やっぱり後でお父さんにも相談しましょうかしら…。ああでももう少し見守りたいような…!」

 

 そうして迷う母親を置いてエゾオオカミは商店街を抜けてさらに路地をいくつか通り抜けて公園へと至る。

 ついでに腹ごなしと身体を暖める準備運動も終了だ。

 どうやら先についたようなので、柔軟体操もしておく。

 遠くの空は夕焼けの赤と夜の黒が混じり合っている。

 日が長いのが夏の特徴でもあるが、それでもさすがにこの時間ではすっかり暗くなって公園の街灯もついていた。

 

「あら。お待たせしちゃいました?」

「いや。今来たところだ。」

 

 程なくしてセルシコウもやって来た。

 これからするのがデートなのかと思わなくもない会話ではあるが残念ながらそうではない。

 今からするのは訓練なのだ。

 

「で、稽古って言ったって具体的には何をしたらいいんだ?」

 

 エゾオオカミの疑問はもっともだ。

 まさかいきなり組手なんてしたって、エゾオオカミとセルシコウでは実力差がありすぎる。大した訓練にはなるまい。

 

「そうですね。エゾオオカミはまだ身体の使い方がなっていない部分が多いと思うんです。どう身体を動かすか……。それをしっかり身に着けるにはやはり形をこなすのが一番かと。」

 

 エゾオオカミだって一応は空手部だ。一番簡単な形くらいはこなせる。

 

「ええ。あの大会でやった形でいいので、まずはそれを一緒にやってみましょう。」

 

 先日の空手部地区大会でエゾオオカミが行った形は平安初段というもっとも基礎的な物だ。

 セルシコウが言うなら、とまずはそれをこなしていく。

 

「もう少しゆっくりでいいです。一つ一つ、身体の動きを意識して。身体が動く事で流れる力の動きを感じて下さい。」

 

 セルシコウの言う通りにしてみたら、物凄いゆっくりとした動きになってしまった。

 

「ゆっくりになったからと言って、手を抜いてはいけません。しっかりと力の流れを途切れさせないように。」

「(お、思ってたよりキツイぞ!?これ!?)」

 

 動きはゆっくりなのに、それを保持するのはかなり厳しい。

 今まで勢いで出来ていた事がゆっくりにする事で力の流れも小さくなってしまい、途切れそうになる。

 そうしない為には力任せの形ではなく、しっかりと正しい動きをしなくてはならない。

 

「そうです。大事なのは生み出した力をしっかりと拳に伝える事です。その為の踏み込み、その為の体重移動です。それを意識して。」

 

 なるほど、ゆっくりであればその力の伝わりを意識する事に集中出来る。

 

「中々筋がいいと思いますよ。エゾオオカミ、やはり貴女には強くなれる素養があります。」

 

 数本形をこなしたところでセルシコウがパチパチと小さく拍手した。

 そうさせると何だか照れてしまう。

 しかし、エゾオオカミには色気のある反応を返す余裕がなかった。

 たった数本ゆっくりと形をこなしただけだというのに、もう汗だくで息も上がってしまっている。

 

「まだ、余計な力が入ってしまっているから身体が疲れるでしょうが、正しい動きを身に着ければ疲労も軽減されますよ。」

 

 言いつつ、セルシコウはペットボトルに入れた麦茶を放ってくる。

 それをありがたく頂くエゾオオカミ。

 

「さて、じゃあもう一本同じ形をやってみましょうか。」

「よっしゃ…!」

 

 気合を入れ直すエゾオオカミにセルシコウも頑張れとエールを送る。

 再びエゾオオカミが形を繰り出す前に…。

 

―ドゥルゥゥウウン!!

 

 という重低音が響いた。

 何事か、と二人してそちらを振り返ると、今度は車のヘッドライトらしき閃光が二人の姿をくっきりと照らし出す。

 

―キィイイイッ!

 

 そして二人の前に横滑りしながら一台の大型バイクが停まる。

 それに跨っているのは…。

 

「あ。やっぱりエゾオオカミちゃんとセルシコウちゃんだ。」

「「ク、クロスハートォ!?!?」」

 

 なのであった。

 ピンと立った犬耳と丈の短い服はイエイヌフォームだ。

 こんなところに大型バイクで乗り込んでくるなんてタダ事ではない。

 一体全体どういう事だ、と目を白黒させるエゾオオカミとセルシコウにクロスハートはビッ!と親指を立てると跨った大型バイクに取り付けられたサイドカーを指し示す。

 

「ねえねえ。」

 

 クロスハートは何を言うんだろう、と固唾を飲んで待つ二人。

 そんな彼女達にクロスハートはやたらいい笑顔にウィンク付きでこう言い放った。

 

「そこの彼女達っ。通りすがりの正義の味方、しに行かない?」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 セルシコウは思う。

 どうしてこうなった、と。

 彼女は夜の街を縫うように走るサイドカーつきの大型バイク、それのサイドカーに収まっていた。

 で、その大型バイクを駆るのはクロスアイズに変身したエゾオオカミだった。

 二人して改めて思う。

 

「「(どうしてこうなった……!!)」」

 

 で、肝心のクロスハートはというと…。

 

「いやあー、ジャパリボード持って来ておいてよかったよー。」

 

 ジャパリボードに乗って一緒に移動していた。

 前よりもさらに改造してパワーアップしたらしいそれはただのスケートボードに見えるのに、大型バイクにも並走していた。

 

「なんか……。ごめんなさい…。」

 

 さらにその後ろにはラモリケンタウロスに跨ったクロスナイトが続いている。

 ミラーシェードの下の目はきっと申し訳なさそうになっているのだろう。

 

「いえ……。謝る事ではないです。ただ、ちょっと急な事態についていけてないといいますか何といいますか…。」

 

 セルシコウは考える。

 なんでもクロスハート達はセルリアンが現れる予兆があったから出現位置に移動しているらしい。

 で、途中でエゾオオカミとセルシコウを見つけたので一緒に誘った、と。

 そして、サイドカー付きの大型バイクはどうやら自動運転機能が搭載されているらしかった。

 クロスアイズも殆ど何か操作らしい操作をしているわけではない。

 なのに、バランスを取り、スピードを調節し、カーブを曲がっていく。

 一体どんな手品だ、と不思議に思う。

 その疑問に答えてくれたのはラモリケンタウロスの制御部に収まったラモリさんだった。

 

「そのジャパリバイク改はナ。サイドカーにも駆動系と自動運転機構を入れて完全自動運転が可能なんダ。もちろんサイドカーを切り離して手動運転も可能ダ。」

 

 たしかにサイドカーの中には虎縞の警告マークで囲われたボタンがあった。

 いかにも押さないでね!絶対押さないでね!といいたげな大きなボタンを前にセルシコウはついついそこに指を向けてしまう。

 

「だから押すなよ!?バイクなんて俺、運転した事ないからな!?」

 

 クロスアイズは思わず悲鳴じみた声をあげてしまった。

 サイドカーを切り離してしまったら、強制的に手動運転に切り替わってしまうらしい。何故ならジャパリバイク改の自動運転はサイドカー込みでバランスを取っているからだ。

 それにサイドカー単体では長い時間移動する事は出来ない。

 今この場で手動運転に切り替えても百害あって一利なしだ。

 セルシコウは何とかボタンを押してみたい誘惑を振り切った。

 

 そうしてどったんばったんのツーリングを経て辿り着いたのは色鳥川にかかる橋、玄武大橋である。

 北部に広がる農業地区の物流を一手に支える大きな橋は、今は日も落ちた事もあって車通りもない。

 そして、近年。

 この玄武大橋へのアクセスをさらによくする為、近くの玄武峠にトンネルを通す一大事業も行われていた。

 このトンネルが開通すればさらに物流がよくなると、農業関係者や食品会社、それに多くの市民達に待ち望まれていた。

 ちなみにこの事業には北部の最有力農業法人、ゲンブファームが多額の出資をして事業を後押ししたとか何とか……。

 ただ、今回はそれが裏目に出た。

 

「うっわ……おっきいね……。」

「ですね……。」

 

 クロスハートとクロスナイトが見上げる先には巨大なイモムシのようなセルリアンがいた。

 それがゆっくりとゆっくりと玄武大橋に近づいている。

 それは玄武峠にトンネルを通す為に使われているトンネル工事用のシールド掘削機を模倣したものだ。

 凶悪な刃がついた口は象よりも遥かに大きい。

 じりじりと近づいてくる途中にある街路樹など、まるで紙のようにいともたやすく粉微塵にしていた。

 超大型ワームとでもいうような巨大イモムシはランドワームセルリアンとでも呼ぶべきなのだろう。

 そして、それは悪い事に玄武大橋よりも全幅が大きい。

 もしもランドワームセルリアンが玄武大橋に辿り着いたら、橋を支えるアーチを壊して崩落させてしまうだろう。

 

「おいおい!?そうなったら明日から商店街にも新鮮野菜や果物が届かなくなっちまうじゃねーか!?」

 

 クロスアイズは今度こそ悲鳴をあげた。

 この玄武大橋の崩落は商店街にとっても死活問題だ。

 なんとしてでもこのセルリアンは止めなくてはならない。

 

「ちなみに、俺たちだけで戦わないといけないのか?応援は?」

 

 クロスアイズの疑問にクロスハートは首を横に振る。

 

「クロスジュエルの二人はセルリアンレーダーがちゃん動いていなくて間違っていた時の為に待機中なの。こんな大物だって分かってたら皆で来たらよかったね。」

 

 クロスハートが説明した事も嘘ではない。

 嘘ではないが、もっと大きな理由として…、“教授”がまだ寝たまま起きなかったので抱き枕やら膝枕やらになっているルリとアムールトラを引き離すのが忍びなかったりもした。

 

「ちなみになんですが、多分クロスシンフォニーも来ませんよ。今、ウチでマセルカと一緒に夏休みの宿題をしてくれていますから。」

 

 そのセルシコウの言葉に思わずクロスアイズは「はいぃ!?」と目を丸くした。

 確かに、クロスシンフォニー達とセルリアンフレンズの3人は今日で随分と打ち解けたように思える。

 だけれども、そこまで仲良くなってたのか……とクロスアイズは驚きを隠せない。

 

「いやあ…。あのさ…。クロスアイズとセルシコウちゃんも相当仲良くなってるよね……。」

 

 とクロスハートのツッコミが入った。控えめに後ろでクロスナイトも頷いて見せる。

 

「っていうか!そんな楽しそうなコトしてるなら呼んでくれてもよくない!?もう!」

 

 ぷんすかと頭から湯気を出すクロスハートの姿を見てクロスアイズとセルシコウは顔を見合わせてぷっと吹き出す。

 

「いやあ、俺たちこれでもバイト仲間なんでな。」

「そうですね。一緒に働く仲間ですから。」

「えぇー!?じゃあアタシも!アタシも一緒にバイトするー!明日は商店街のお手伝いするからー!」

 

 まるでダダっこのようなクロスハートにクロスアイズとセルシコウはなおも笑ってしまった。

 

「わかったわかった。人手はまだまだ足りないからコキ使ってやるからな。」

「やったっ!」

 

 さて、そうと決まれば明日も通常通り営業する為に何としてでも玄武大橋を守らなくてはならない。

 クロスハート、クロスナイト、そしてクロスアイズの三人は改めてランドワームセルリアンに向き直った。

 と、そこに肩を並べる者がもう一人。

 

「さて、及ばずながら。私も今日は手伝わせていただきましょう。」

 

 それはセルシコウだった。

 

「せっかくのバイト先がなくなってしまうのは私としても本意ではありません。ですからここは呉越同舟と参りましょう。」

「そこは呉越同舟じゃなくて恐悦至極…じゃないのか?」

 

 クロスアイズのツッコミはセルシコウにしかわからない。

 朝に起こったアライさんの一文字も合ってない言い間違えを知らないクロスハート達は?マークを浮かべるばかりだ。

 

「そうとも言いますね。」

 

 セルシコウはニヤリとする。

 こういう内輪ネタもたまには悪くない。

 それに奇しくもついこの前公園で敵味方に分かれて戦った相手が今日は仲間だ。

 何とも不思議な呉越同舟……いや、恐悦至極だ。

 

「さて、行きますよ!クロスハート!」

 

 叫ぶとセルシコウは一枚の“セルメダル”を取り出す。

 それはつい先日、色鳥武道館に現れた牛頭のセルリアン、カラテリアンの姿を刻んだものだった。

 

「“アクセプター”セットメダル!カラテリアン!」

 

 セルシコウの額の『石』にスリットが現れ、そこにセルメダルを放り込まれた。

 すると、一度元のレオタード姿に戻った後、そこに空手道着の上着がするりと着せられて、黒帯が締められる。

 さらに金の輪っかが伸びてヘルメット状に変化して頭を覆うと、そこから目元を覆うバイザーが降ろされた。

 空手道着は上のみなので、下はレオタードが丸見え状態だった。

 

「な、なんかじっと見ちゃイケないような気がする……!?」

 

 と、手で目元を隠すクロスハート。指の間からチラチラ見てたりする。

 そんな彼女にクロスアイズは心の中で思う。クロスハートも大概である、と。

 何はともあれ役者は揃った。

 4人で超巨大ランドワームセルリアンへと相対する。

 その動きはまるでカタツムリのように遅い。

 しかし今も回転を続ける正面の掘削機のブレード部分。これに触れでもした日には一たまりもないだろう。

 なので4人は二人ずつ左右に別れると、側面から攻撃を仕掛けた。

 

―ガコォオオン!

 

 と、いい音が響くけれども…。

 

「うへぇ!?ぜ、全然効いてない!?」

 

 セルリアンを殴りつけた手の方が痛くなってしまったクロスハートだ。

 それはやはりクロスナイトもクロスアイズもセルシコウまでもが一緒だった。

 しかも、ランドワームセルリアンは殴りつけられたにも関わらず、全く歩みを止める気配がない。

 それどころか、攻撃を受けた事すら気が付いていないのではないかと思えた。

 致命的な鈍重さと引き換えに圧倒的な防御力を誇る重装甲重機。それがランドワームセルリアンだった。

 

「こ、こうなったら4人全員で力を合わせて一箇所に集中攻撃してみよう!」

 

 クロスハートの言葉に残る3人が頷いた。

 幸い、このメンバーなら遠吠えで身体能力をあげるバフ技の重ね掛けである『群狼ハウル』が使える。

 その上で集中攻撃をして崩したところにセルシコウの一撃を加えれば、或いは……!

 

「「「あぁああぉおおおおおおん!!」」」

 

 クロスハート、クロスナイト、クロスアイズの三人がそれぞれに『ウォーハウリング』×2と『天上ぶち抜きボイス』を発動させた。

 今度は4人全員でランドワームセルリアンの左側面に回り込む。

 クロスハート達3人が揃って両腕にサンドスターの輝きを集める。

 そこから同じ構えで繰り出される必殺技は……。

 

「「「ワンだふるアタァアアアアアック!!」」」

 

 三人がかりでの『ワンだふるアタック』であった。

 側面の硬い表皮も『群狼ハウル』で攻撃力をあげた三人同時攻撃の前にほんのわずかな凹みが出来た。

 

「今だ!セルシコウ!!」

 

 クロスアイズの号令で三人ともバッ、とその場から飛び退き、彼女の為に場所を開ける。

 そこにすかさずセルシコウが走り込む。

 まるで流れるかのように重心がピタリと決まった足捌きは空手の踏み込みの一つだ。

 脅威的な速さからの踏み込み、腰の回転、その全てを拳に乗せて放たれる正拳での追い突きは移動のエネルギーまでも乗せた必殺の一撃である。

 

「疾風!正拳突きぃいいいいいっ!!」

 

 三人がつけた凹みに吸い込まれるセルシコウの正拳。

 

―バキィイイイイッ!

 

 という音をたてて、側面装甲に大きな亀裂が走った。

 

―ギョォオオオオオッ!?

 

 今度こそ、ランドワームセルリアンは苦痛の叫びをあげた。

 

「よし!効いてるぜ!」

 

 ここに至ってランドワームセルリアンはようやく敵が現れた事を認識した。

 頑丈さとパワーはすさまじいがそれ以外は大した事はない。

 攻撃だって正面の掘削機の口さえ気を付ければ他に攻撃手段はなさそうだ。

 だが……。

 

―バラバラバラ……。

 

 今度はランドワームセルリアンの背から何かが落ちて来た。

 

「ヘルメット?」

 

 それは一見すると工事現場でよく使われる黄色いヘルメットに見えた。

 

「いけません!」

 

 クロスナイトの警告に一斉にその場を離れる。

 と、同時、ヘルメットに細い手足が生えるとピョンピョン飛び跳ねはじめた。

 

「これは小型セルリアンの一種です。多分、ランドワームセルリアン本体を守る為に寄生しているのかと。」

 

 バラバラとランドワームセルリアンの身体から落ちて来てまだまだ数を増やすヘルメットセルリアン達。

 どうやら体当たりくらいしか出来ないみたいだが、その数だけでも脅威になる。

 

「く…。ど、どうする!?」

 

 襲い掛かってくるヘルメットセルリアン達を振り払いながら焦りの声をあげるクロスアイズ。

 一体一体は大した強さではない。

 けれど、この数の相手をしている間にランドワームセルリアンは玄武大橋に辿り着いてしまうだろう。

 どうする、と全員の顔に焦りの色が浮かんでいた。

 と、クロスハートがセルシコウの横顔を見ていた。

 何か考えがあるのだろうか。

 

「ううん。セルシコウちゃんには何か考えがあるんじゃない?」

 

 どうやらクロスハート自身に考えはなかったらしいが、セルシコウはそうではない。

 その表情を読み取ったクロスハートはさらに訊ねる。

 

「何か手があるなら教えて欲しいな。」

 

 確かにセルシコウには考えがあった。

 先程、ランドワームセルリアンに一撃を入れた時の手応えに勝機を見出していたのだ。

 

「私にはあのセルリアンの『石』の位置に心当たりがあります。」

 

 先程正拳突きを叩き込んだその手ごたえにセルシコウは確信していた。

 『石』はその奥の体内に隠されている、と。

 

「なるほどね。前に戦った大蛇セルリアンもそんな感じで『石』を身体の中に隠してた…。」

 

 クロスハートは納得して頷いていた。その時に一緒に戦ったクロスナイトも同様である。

 

「あの…。自分で言っておいて何ですが、信じてくれるんですか?」

 

 なにせ、根拠はセルシコウの感覚だけだ。

 

「そりゃあ信じるよ。だってさ、セルシコウちゃんだってこの橋を壊されたら困るって事でしょ?だから、今はアタシ達とセルシコウちゃんの大切なものは一緒なんだよ。」

 

 見ればクロスハートもクロスナイトもクロスアイズも真っ直ぐにセルシコウを見て頷いていた。

 欠片も疑ってなどいない。

 そう顔に書いてあった。

 

「まったく…。どうなっても知りませんよ。」

 

 セルシコウは苦笑と共に作戦を説明した。

 

「なるほど…。他に作戦もありませんし、セルシコウさんに賭けるしかありませんね。」

 

 クロスナイトの言葉に、むしろこの作戦を提案したセルシコウ自身が「本気か…。」と一瞬気後れしそうになる。

 

「お前の実力は相手した俺らがよーく知ってるぜ。だからお前ならやれる。っていうかお前しかやれねーよ。」

 

 クロスアイズも続いて頷いていた。

 

「セルシコウちゃんと一緒にあのセルリアンを倒して明日は一緒にバイトする。敵同士かもしんないけど、一緒にバイトしちゃいけないなんてルールはなかったもんね。」

 

 どんな理屈だ、とクロスハートにツッコミを入れたいセルシコウだったが不思議と悪い気はしない。

 それにこのままではせっかくのバイトがなくなってしまうかもしれないのだ。

 いいだろう。

 

「わかりました。全員の命。この拳に預かります。」

 

 全員がセルシコウの差し出した拳に軽くコツン、と拳を合わせた。

 それを合図に作戦開始である。

 

「チェンジ!クロスハート・オイナリサマフォームッ!」

 

 まずは作戦の第一段階。

 クロスハートが真正面からランドワームセルリアンに相対し、真っ白な和服に白のミニスカートのオイナリサマフォームへと変身する。

 そのままキツネマークを作った右手を真っ直ぐランドワームセルリアンに向けて叫ぶ。

 

「邪気払い結界!キツネノヨメイリ!」

 

―ボボボンッ!

 

 たちまちに浮かんだ青い狐火が周囲を照らして結界を形成した。

 

「でもって………!大結界ッ!!」

 

 狐火をランドワームセルリアンの目の前に集中展開して分厚く結界を展開するクロスハート。

 ランドワームセルリアンの掘削機ブレードが結界の先端に触れる。

 

―バチバチバチッ!

 

 凄まじい火花が散りはじめた。

 超巨体を誇るランドワームセルリアンが押し留められる。

 

「お、重いぃいいいっ!?」

 

 クロスハートとランドワームセルリアンの押し合いは現在拮抗しているように見える。

 けれど、それは早晩クロスハートのスタミナが切れて突破されてしまうだろう。

 それに…。

 結界を迂回したヘルメット型のセルリアン達がクロスハートを取り囲もうとしていた。

 結界の維持とランドワームセルリアンとの押し合いに集中しているクロスハートにはヘルメット型セルリアンを相手する余裕はない。

 このままでは無防備なまま小型セルリアンに集中砲火を浴びてしまう。

 

「させませんよ!」

 

 それをカバーするのはクロスナイトだ。

 骨型の剣『ナイトソード』を手にクロスハートに近づくヘルメット型セルリアンを次々と叩き伏せていく。

 これで作戦の第一段階は成功だ。

 

「長くは保ちません!頼みます!」

 

 既に声をあげる余裕すらないクロスハートに代わってクロスナイトは叫ぶ。

 クロスアイズとセルシコウへ向けて。

 

―ドォルゥウウン!

 

 玄武大橋に待機していたジャパリバイク改が再びエンジンの轟音を響かせた。

 そのジャパリバイク改にクロスアイズとセルシコウが乗っていた。

 

「なるべくリモートサポートはするが、完璧じゃないゾ。」

 

 ジャパリバイク改に跨ったクロスアイズとサイドカーに収まったセルシコウにラモリさんが声を掛ける。

 ラモリさんはバイクとラモリケンタウロスを玄武大橋のところに待機させて戦いを見守っていた。

 

「上等だ……!」

 

 クロスアイズはジャパリバイクのアクセルを捻り込む。

 それに応じてもう一度鉄騎はエンジン音のいななきを返した。

 

「行くぜ!セルシコウ!」

「やって下さい!」

 

 クロスアイズはヘッドライトを付けると、自動運転機能に発進を命じた。

 ヘッドライトの閃光がこの先にいるランドワームセルリアンの巨体と、それと押し合うクロスハート達の姿を照らし出した。

 同時、ジャパリバイク改がランドワームセルリアンに向けて走り出す。

 すぐにクロスハート達の背中が近づいて来る。

 

「よし!今だ、セルシコウ!」

 

 クロスアイズとセルシコウは同時にサイドカーの切り離しボタンを押した。

 自動運転のバランス計算はサイドカーの存在を前提に計算されている。

 だからそれを切り離したらもう自動運転は機能しない。

 遠く、玄武大橋からラモリさんが運転をリモートサポートしてくれているが、最後の制御はそれぞれ自身で行わないといけない。

 ジャパリバイクとサイドカーはそれぞれ左右に別れてランドワームセルリアンの側面へと走って行った。

 行きがけの駄賃とばかりにヘルメットセルリアン達を蹴散らしながら。

 残るヘルメットセルリアン達は一部が慌ててジャパリバイクとそこから切り離されたサイドカーを追いかける。

 だが、スピード差は圧倒的だ。

 どんどんヘルメットセルリアン達を置き去りにして目的の場所へ向かう。

 目的地はすぐそこだ。

 セルシコウを乗せたサイドカーは先程4人全員でつけた亀裂のところで、クロスアイズはランドワームセルリアンの巨体を挟んだ反対側が目的地だ。

 

「(出来るのか?俺に…?)」

 

 まずはランドワームセルリアンの動きを完全に止める必要があった。

 何故ならこれから二人が行うのはとんでもなく精密な作業だからだ。

 セルリアンの足止めはクロスハートが、その護衛はクロスナイトが請け負ってくれた。

 そしていよいよ作戦の最終段階だ。

 邪魔するヘルメットセルリアンが追いついてくる前に成し遂げねばならない。

 クロスアイズは一度深呼吸してセルシコウの説明を思い出す。

 

『いいですか?私一人ではあの巨体の奥の『石』を砕けません。例え衝撃を透す技を使っても、そこまで『石』を砕くのに十分な衝撃が透らないからです。』

 

 ならばどうするというのか。

 

『だから、クロスアイズ、貴女が逆側から衝撃を透して下さい。』

 

 言いつつセルシコウは両手をパチン、と打ち鳴らして説明を続けた。

 

『両方から透した衝撃をこんな具合に『石』でぶつけることで破砕する。それが唯一あのセルリアンを倒せる方法です。』

 

 クロスアイズにはセルシコウ程の技はない。

 果たしてあの巨体の奥へ届く程の衝撃を生み出せるのか。

 

「(出来るか出来ないかじゃねぇ!やるしかないんだ!)」

 

 クロスアイズは覚悟を決めて腰だめに拳を構える。

 つい先ほど、夜の公園でセルシコウが教えてくれた事を思い出して気息を整える。

 

「(拳に全てを伝える。その為の踏み込み、その為の体重移動、その為の気合だ!)」

 

 ジャリ、と大地を踏みしめ、いよいよクロスアイズはランドワームセルリアンの側面へ踏み出した。

 

「行くぞぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 叫びを気合とセルシコウへの合図とついでに『天上ぶち抜きボイス』へと変えて踏み込む。

 拳はコンパクトに。

 真っ直ぐに。

 矢印を突き刺すように可能な限り真っ直ぐ突く。

 そして拳のインパクトの瞬間にこそ全ての力を解放する。

 そうする事で衝撃が透るのだ。

 

―ゴォオオオオンッ!

 

 クロスアイズの拳がランドワームセルリアンの巨体に轟音を立てる。

 その手応えに彼女は己の仕事の完遂を確信した。

 きっと、後は何とかしてくれる。

 何故なら最後の仕上げをしてくれるのはクロスアイズが知っている中で最強の実力を持った手強い強敵なのだから。

 

 セルシコウは閉じた両目を開く。

 先ほど4人でつけた亀裂が目の前にある。

 この先に『石』がある。

 それは間違いない。

 あとは衝撃を両側からぶつけてやって『石』を砕くだけだ。

 実を言うとそれが一番難しい。

 その衝撃をぶつけるタイミングは完全にセルシコウの勘頼りだ。

 それでもやるしかない。

 セルシコウの耳にクロスアイズからの合図が届く。

 そしてセルシコウは己の勘だけを頼りに踏み込んだ。

 

「はぁぁあああああああああああああああっ!!」

 

 裂帛の気合と共に亀裂へと拳を叩きこむ。

 今使っているカラテリアンの“セルメダル”は使う空手技の威力を高めてくれる効果がある。

 高めた威力と熟練の技。

 その二つはこの仕事を成し遂げるのに十分だ。

 

―ガゴォオオオオオオオオオン!

 

 セルシコウの拳が亀裂に吸い込まれた。

 

「手応え…ありです。」

 

 セルシコウは残心をとる。

 透した衝撃は十二分な威力があったはずだ。

 あとはタイミングが合っていたかどうか。

 

―ピシリ

 

 亀裂はさらに広がっていって、ランドワームセルリアンの巨体はヒビ割れに覆われていく。

 ダメージはあった。

 果たして必殺の一撃は届いたのか?

 

「(どうだ……!?)」

 

 睨みつけるセルシコウの目の前で…。

 

―パッカァアアアアアアアアアン!

 

 ランドワームセルリアンは光輝くサンドスターへと還った。

 クロスアイズとセルシコウ。

 二人の拳は届いたのだ。

 

「ぷっはぁあっ!?もう、重たかったぁー!?」

 

 ようやくランドワームセルリアンとの押し合いから解放されたクロスハートはその場に尻もちをついてしまう。

 ヘルメットセルリアン達は本体のランドワームセルリアンが砕けると同時に一緒に砕け散った。

 

「やったな。」

 

 ちょうど、ランドワームセルリアンのいただけの距離をつめて、クロスアイズはセルシコウに歩み寄ると右手の掌を挙げる。

 

「ええ。」

 

 セルシコウはその手に自分の掌を打ち付けた。

 パァン!

 とハイタッチのいい音が響いた。

 

「そういや、セルシコウ。あのセルリアンは“セルメダル”にしねえのか?」

 

 言われて気が付いたセルシコウは早速“コレクター”を取り出すと、ランドワームセルリアンの“セルメダル”を作り出した。

 

「あの…。自分で言うのも何なのですが、私に“セルメダル”を作らせていいんですか?」

 

 この“セルメダル”は敵である自分を強くするものだ。

 クロスハート達にとっては百害あって一利ないはずだが…。

 

「ん?まあ、いいんじゃない?」

「そうですね。」

 

 二人してへたり込んだままのクロスハートとクロスナイトは特に気にした様子もない。

 

「目的は違うけどさ。セルリアンから街を守る、って事ではこうやって協力できるわけじゃない?だからいいんだよ。」

 

 なるほど、クロスハート達は街を守れる。セルシコウ達は“セルメダル”を得られる。

 これもお互いWIN-WINの関係というものか。

 

「ただ…、私…、強くなっちゃいますよ?」

「いいさ。そうしたらその分俺が強くなりゃいいんだからな。」

 

 なおも気にした様子のセルシコウの肩をクロスアイズが叩く。

 

「鍛えてくれるんだろ?」

 

 言いつつウィンクしてみせるクロスアイズにセルシコウもようやくニヤリと出来た。

 

「ええ。シゴいてあげますから覚悟して下さい。」

 

 その答えにクロスアイズも不敵な笑みを返した。望むところだ、と。

 

「それよりさぁ~。お腹空いちゃったよぉ~!」

 

 大結界でサンドスターを使い切ったクロスハートはとうとう変身が途切れて元のともえに戻る。

 セルシコウはその正体を初めてみたが、緑がかった髪色の活発そうな女の子だ。

 それに、随分無茶な役割を引き受けてもらってしまった。

 ならばこのくらいのサービスをしてもバチは当たるまい、とセルシコウは一つの提案をする事にした。

 

「なら、うちに来ます?ハクトウワシもそろそろ帰るでしょうから、彼女の分の夕食を作るついでに何か作りますよ。」

「マジで!?いいの!?」

「ええ。私達の世界にも敵と一緒にご飯を食べちゃいけない、ってルールはありませんでしたから。」

 

 そう言ってセルシコウはともえの手をとって引っ張り起こした。

 こうして玄武大橋は奇妙な共闘の末に守り通されたのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結局。

 玄武大橋近くの工事現場で街路樹などが倒れていた事は原因不明という事で片付けられて大した問題にはならずに済んだ。

 で、ハクトウワシが仕事を終えて帰ってくると、今日は物凄く彼女のアパートは賑やかな事になっていた。

 なんでもバイト仲間で仲良くなった子達と一緒に夏休みの宿題をしていたのだそうだ。

 ただ、その数が尋常じゃない。

 なんせ、オオセルザンコウ達3人に加えて7人ものヒトやフレンズがいるのだ。

 本来一人暮らし用のハクトウワシの部屋はもう手狭なんてものじゃなかった。

 かばん、サーバル、フェネック、アライさんのクロスシンフォニーチームに加えてともえとイエイヌとエゾオオカミまでお邪魔していたのだ。

 最初目を白黒させていたハクトウワシだったが、すぐにご機嫌になってしまった。

 

「ぐ…Great…。」

 

 セルシコウとオオセルザンコウに加えてかばんまで加わって作られた、やたらと品数の多い夕飯にハクトウワシはすっかり胃袋を握り直されてしまったからである。

 まさか、今日遊びに来ていた女の子達が世間で噂になりつつある通りすがりの正義の味方だとは露程も思わないハクトウワシだった。

 もちろん、実は彼女達がオオセルザンコウ達と敵対関係だとは気づくはずもなかった。

 ちなみに。

 ロシアンともえスペシャルを引き当ててしまったのがハクトウワシであった事も付け加えておく。

 

 

けものフレンズRクロスハート第20話『駆け抜けるけもの達』

―おしまい―




【セルリアン情報公開:ランドワームセルリアン】

 トンネル工事用のシールド掘削機を模倣したセルリアン。
 かなりの巨体を誇り、パワーと防御力はかなりのものだ。
 その代わり、スピードは致命的に遅く、また攻撃方法も巨大な口につけられたブレードでの掘削のみだ。
 威力は非常に高いが、直線的な上にスピードも遅いのでこの攻撃に当たる者は中々いないだろう。
 その上、索敵能力もかなり低く、余程の攻撃を当てない限り敵が近づいた事に気づく事すらない。
 だが、この本体を守る無数のヘルメット型小型セルリアンも内包しており、近づく敵にはそれらをけしかけて身を守る。
 如何にしてこのセルリアンの守りを突破するか。それが攻略の鍵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話『真夏の夜にあった怖い話』(前編)

 これまでのけものフレンズRクロスハートは!

 いよいよ夏休みがスタートしたともえ達。
 時を同じくして始まった商店街の夏イベント。
 エゾオオカミはそこにアルバイトとして参加する。
 そこにはセルリアンフレンズ三人組も参加していた。
 紆余曲折ありながらもセルリアンフレンズ達と協力しながらバイトに勤しむエゾオオカミ達。
 そんな折に、商店街に商品を運ぶ玄武大橋がセルリアンの脅威に晒されていた。
 セルリアンフレンズの一人であるセルシコウの協力を得たクロスハート達は玄武大橋を守り抜いて今日も変わらぬ日常が訪れるのだった。



 

 

 ルリとアムールトラは緊張していた。

 ここは彼女達が暮らしているマンションであるが、そこはいつもの宝条家ではなかった。

 今、二人が座っているソファーはいつもよりも数段座り心地のいいものだ。

 

「いや、二人とも……。そんな緊張せずともよいではないか」

 

 ティーセットとお茶菓子を持ってきたユキヒョウは苦笑する。

 ここはユキヒョウ達の家族が暮らす部屋だ。

 間取りは宝条家と一緒なのに部屋の様子はまるで違う。

 最低限で整えられた宝条家と違って、部屋を彩る調度品からして趣味のよさが伺える。

 例えばリビングに飾られた花瓶。

 そこには季節の華であるヒマワリが活けられていた。

 テレビ番組で見たが、左右が非対称になるように高低差をつけて活けるのが美しいらしい。

 そして、花器もルリには何か高そう、としか分からないがきっといいものなのだと思えた。

 

「すまぬな、せっかく来てくれたのに、父上は仕事で母上は……まだめかしこんでおるわ」

 

 言ってユキヒョウはまたも苦笑だ。

 今日はルリとアムールトラはユキヒョウの家に挨拶にやって来たのだ。

 目的としてはユキヒョウの外泊許可をもらうという狙いがある。

 実は明日、ルリとアムールトラと“教授”の三人は昔暮らしていた山奥の家を掃除しに行くつもりだった。

 ユキヒョウも手伝いについて来てくれるというが、せっかくだから一泊するかという事になっていた。

 そこで外泊許可をユキヒョウの保護者から貰うついでに挨拶をさせてもらおうとなったわけだ。

 例によって“教授”は寝こけていたので挨拶はルリとアムールトラの二人だけだった。

 初めて会うユキヒョウの母に二人は緊張しっぱなしだった。

 せっかく用意してもらった高そうなお茶とお茶受けも残念ながら手を付ける余裕がなかった。

 やがてリビングのドアが開く。

 と同時ルリが弾かれたように立ち上がった。

 

「ほ、ほらっ!? アムさんもっ!」

 

 ルリに促されてアムールトラもノロノロと立ち上がった。

 そして、やってきたフレンズを見て二人して硬直する。

 

「ああああっ!? アムさんっ! アムさんっ!?」

 

 ぺちぺち。

 ルリは隣のアムールトラを叩いていた。

 

「あ、ああ……綺麗なフレンズやなぁ。」

 

 二人ともやって来たフレンズの姿に目を奪われていた。

 それどころか、ルリは言葉にならない感想をアムールトラに伝えようと、何故か彼女を連打していた。

 灰色がかった髪色はユキヒョウとお揃いだ。

 雪のように白い肌も。

 そして、紅をさした唇がやけに艶っぽい。

 部屋着らしいサマーセーターとタイトスカートのプロポーションだって女性らしい曲線を描いている。

 

「はじめまして。ユキヒョウの母のサオリです。親しい人は未だにユキヒョウって呼ぶ子もいるけどね。」

 

 ユキヒョウの母、サオリは既に名前をユキヒョウに譲った後だ。

 昔からの知り合いの中には昔の呼び名をそのまま使う者もいる。それだって珍しい事ではない。

 何はともあれ挨拶だ、とルリは隣のアムールトラを叩くのを止めて気を付けの姿勢をとる。

 

「ははは、はじめまして!ゆ、ユキさんにはいつもお世話になってまひゅ……!」

 

 瞬間、冷房を強めにかけた部屋の空気が止まったような気がした。

 その場の誰もが同じ事を思った。

 

「「「(噛んだ……)」」」

 

 と。

 泣きそうな顔で真っ赤になるルリをフォローする為にアムールトラが口を開く。

 

「で、ウチがアムールトラ。こっちがルリや。」

「母上。二人ともわらわと同じクラスじゃし、うちのマンションの店子殿なのじゃ。」

 

 アムールトラの後をユキヒョウが引き継ぐ。

 

「二人ともよく来てくれたわね。どうぞ座って?」

 

 とりあえず噛んでしまった事はなかった事にしてサオリは二人に着席を促す。

 ツッコミを入れなかったのは武士の情けというものだろうか。

 

「ルリ。舌を噛んだりしなかったかの?」

「か、噛んでないよっ……!」

「あー……。うん。せやな。噛んだりしてへんで色んな意味で」

 

 ソファーに座り直しながらそんなやり取りをしていたらせっかくの気遣いも台無しな気がしてサオリは可笑しくなってしまう。

 

「みんな、随分仲がいいのね」

 

 それにユキヒョウはえっへん、と胸を張って言い放つ。

 

「当然じゃ。母上。なんせルリはわらわのルリじゃからの」

 

 まあ、と目を丸くするサオリ。口元に手を当てる所作までもが狙いすましたかのように美しい。

 とはいえ、その瞳はキラキラと獲物を見つけたかのように輝く。

 ユキヒョウのルリちゃんなの!?そこのところどうなの!?と言いたげだ。

 

「おいおい、ユキヒョウ。ルリはウチのやで? いくらユキヒョウでも譲らへんで?」

 

 まあ! 三角関係!? とサオリはワクワクが止まらない。

 

「はっはっは。妬くでない。なんならアムールトラもまとめてわらわの物にしてやろうかの?」

「やかましいわ。ユキヒョウはいいとこ悪友止まりやろうが」

「なんじゃ、わらわは親友のつもりでおったのにのう。つれないのう」

「いやまあ……。うん……、仲はええんやけど……。そのう……ウチが親友でよかったん……?」

 

 そうやってしどろもどろで赤面しているアムールトラを含めてますます興味をそそられてしまうサオリであった。

 だが、これはこの場であまり引っ掻き回すのは得策ではなさそうだ。ともかく様子を見よう。

 それにしても……。まだまだ子供だと思っていた娘もいつの間にかこんな可愛らしい子達と青春するようになったのか、と思えば感慨深い。

 

「そうじゃ。母上。明日、ルリとアムールトラと一緒にお泊りして来ていいかの?」

 

 今すぐどうこうなる事はないと思っていたが、まさか早くもお泊りイベントか、とサオリはさらに目を丸くしていた。

 とはいえ、サオリだって知っている。

 ユキヒョウが最近転校してきた同じマンションに住む女の子達のお世話を熱心に焼いていた事を。

 だから期待は過剰なものだ、と。

 それにお泊りと言ったって同じマンション内の事だ。

 いつもと変わりはない。

 

「いや、ルリ達の別荘に、ちとお邪魔させてもらおうかとのう」

 

 だが、どうやら思っていたよりも凄い事になりそうだ。

 別荘へお泊りイベントとは!

 二人とも見たところとても良い子のようだし、娘の事は応援したいと思っていたがサオリには一つ心配事があった。

 

「だけど、今は夏でしょう? この時期お外に出かけるのはちょっと心配ねぇ」

 

 ユキヒョウはいくらフレンズであるとはいえ、やはり元動物の特性だって少しは残っている。

 夏の暑さは彼女達にとって天敵と言っていい。

 

「それなら心配いらぬぞ。ルリ、例のものを」

「あ、はい。これ、私の母からです」

 

 ユキヒョウに促されたルリはラッピングされた細長い箱をサオリに差し出す。

 開けてもいいか、と視線で訊ねるサオリに三人は一様に頷いて見せる。

 中身は雪の結晶を象った飾りのついたネックレスだった。

 どうやら娘とお揃いのものらしい。

 

「それを着けてベランダに出てみてくれるかの? それの凄さがわかるのじゃ」

 

 今日も外は夏真っ盛りの猛暑日だ。

 こんな日に外に出るのは出来れば遠慮したい。

 だが、娘達三人に背中を押されてベランダの前へ連れて行かれてしまう。

 

「まあまあ。騙されたと思って。一瞬だけじゃし」

 

 ニヤリとしたユキヒョウは出窓を開け放つ。

 熱気が部屋に雪崩れ込んで来ることを想像してサオリはキツク両目を閉じた……が、ひんやりとした空気は微動だにしなかった。

 どういう事だろう?

 と不思議に思って目を開ける。

 

「は、はい! いま着けてもらったネックレスはパーソナルエアーコンディショナーって言って母が作ったものなんです!」

 

 まだ緊張した様子のルリも母親の事を話す時は少し誇らしげだった。

 それよりも……。

 

「作った、って言ったかしら?」

 

 この真夏の熱気を遮ってくれたネックレスは素晴らしいものだ。

 サオリは膝を折ってルリと視線を合わせると言った。

 

「ねえ。このパーソナルエアーコンディショナーっていうの……うちで売り出させて貰えないかしら?」

 

 その表情がユキヒョウと全く同じでルリとアムールトラは一度顔を見合わせてからぷっ、と吹き出すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 明くる日。

 

 早朝とも言えない時間に一台のSUV車が走り抜ける。

 それは“教授”が運転する車だった。

 まだ深夜と言ってもいい時間のせいで、いくら日が昇るのが早い夏とは言っても辺りはまだ真っ暗だ。

 そのSUVに乗っているのは運転する“教授”と後部座席にルリとアムールトラとユキヒョウの合計4人だ。

 後部座席の4人はまだ朝も早い事もあって身を寄せ合って眠っていた。

 今から向かうのはルリが色鳥町に来る前に暮らしていた家だ。

 こんな時間に出発したのは、夜型の“教授”が寝不足で運転しなくて済むようにという配慮だった。

 いくら元気な子供達とはいえこんな時間ではまだ眠いだろう。

 ちなみに、イリアとレミィの二人はお留守番である。

 なので、せっかくのドライブだというのに“教授”は一人で運転だ。

 現地についたらルリ達は掃除に取り掛かるのだから今のうちに眠らせておこう。

 “教授”はなるべく急ハンドルにならないように慎重に運転する。

 市街地を抜けて玄武大橋を渡り、北部の田園地帯を抜けてさらにそこから山道を走る。

 山道を走る事しばらく。

 道路の舗装もされていない道を進んだ先にかつてルリ達が暮らした家がある。

 それはこの山奥に相応しくログハウスであった。

 

「……?」

 

 運転していた“教授”はかつて暮らした家が見えた時違和感を感じた。

 それが何なのか、今一つよくわからない。

 だが、どうにもイヤな予感がする。

 彼女はSUVをかなり手前で停車させた。

 

「みんな、起きられるかい?」

 

 そして後部座席で眠っていた三人を起こす。

 眠い目をこすりながらもみんな起きてくれた。

 

「ちょっと様子がおかしい。私が見て来るからルリとアムールトラは車とユキヒョウ君を頼めるかい?」

 

 ルリとアムールトラは緊張しながら頷いてくれた。

 この二人ならば余程の事がない限りは安心だろう。

 

「あ、あの……お母さんも気を付けて」

「心配いらないさ。私は雑だけど強いからね」

 

 心配そうなルリを安心させる為に“教授”は不敵な笑みを浮かべて見せてから車外へ出る。

 念の為に右腕をセルリウムで覆って巨腕へと変じる。

 ヘッドライトで照らされたログハウスは確かに何かが変だ。

 

「なんだ……?この違和感は……」

 

 “教授”は慎重に歩みを進める。

 大抵の相手なら一蹴できる自信が彼女にはある。

 だけれどもそれでは済まないような予感がしていた。

 道から敷地内へと入った“教授”はようやく違和感の正体に気が付いた。

 

「綺麗過ぎるんだ」

 

 しばらくの間放置していた庭はもっと雑草が覆い茂っていておかしくない。

 だが、今“教授”が踏み込んだそこは全ての草が短く刈り揃えられていた。

 まるでもう既に誰かが草刈りでもしてくれたかのように。

 そんな業者を頼んだ覚えはないし、管理してくれる者もいなかったはずだ。

 “教授”はこの家の所有権を手放したわけではない。

 なので買い取った者が現れたという線だって有り得ない。

 

「やれやれ。私達が留守中に誰かが勝手に住み着きでもしたのかな?」

 

 だとしたらその何者かは、わざわざ庭の草刈りまでしたというのだろうか?

 

「いずれにせよ、トラブルの予感だよ」

 

 慎重に歩みを進める彼女に向けて……。

 

―ドンッ!

 

 空気が震えると一条の矢の如く飛び込んでくる者があった。

 

―ガキィッ!

 

 “教授”は巨腕に変じた右腕で襲撃者の一撃を受け止めた。

 

「ほう」

 

 襲撃者はスピードの乗った飛び込みから爪を一閃してきたのだ。中々の一撃だ。

 右腕の防御を破れる程ではないがほんの少し手が痺れてしまった。

 思わず感嘆の声をあげた“教授”は襲撃者が何者なのかを見定めようと目を凝らす。

 そして、絶望した。

 それは彼女にとって最恐最悪の相手だった。

 

「あら。セルリアンかと思ったら……。和香じゃない」

 

 襲撃者も“教授”を見て軽く驚きの声を上げた。

 それは一人のフレンズだった。

 黒い耳が波打つような独特の動きでピクリと動く。

 赤茶を基調としたアームグローブとミニスカート、それに白のブラウス。

 彼女は“教授”がよく知っているフレンズであった。

 

「ま、まさか……カラカル……!?」

 

 それはカラカルのフレンズだった。

 あちらも“教授”の顔を認めるとニコリと笑った。

 ただし、コメカミに青筋を浮かべて。

 

「和香……。アンタねえ……。正座なさい」

 

 ニコニコしたまま言い放つカラカル。

 

「いや、待ってくれたまえ、カラカル」

「正座」

 

 弁明しようとする“教授”に向けて問答無用と押し通すカラカル。

 とうとう“教授”は彼女に従って正座した。

 

「アンタねえ。この庭はどういう事?草が伸び放題だったのよ。せっかくアンタの世界に戻ったんだから綺麗にしなきゃダメじゃない。だいたいアンタは昔から……」

 

 カラカルは正座した“教授”に向けてクドクドとした説教を始めた。

 “教授”はと言えば黙って「はい。はい」と従順に相槌を打つばかりだ。

 まるで嵐が過ぎ去るのを身を縮めて待つ亀のようだ。

 車内で様子を見守っていたルリ達三人はお互いに顔を見合わせて視線でお互いに問いかける。

 これは助けに入った方がいいのかどうか、と。

 とりあえず危険はなさそうなので、“教授”達のところへ向かう事にした。

 ルリ達が“教授”達のところへ近づいてもまだカラカルのお説教は続いていた。

 が、カラカルは一度お説教の手を休めるとルリ達へ一瞥をくれる。

 その視線にルリは思わず気後れしそうになるがアムールトラが前に出てくれた。

 

「悪いな。ぐうたらで寝ぼすけで女ったらしで研究以外はだいたい何やらせてもダメダメやけど、そいつ、ウチらの母さんやねん。あんまり叱らんでやって欲しいんや」

「フォローになってないよアムールトラッ!?」

 

 “教授”の悲鳴は無視された。

 カラカルは嘆息一つ。とりあえず“教授”へのお説教は止めてルリ達に向き直る。

 

「私はカラカル。ごめんね、久しぶりに和香の顔を見たらお説教が止まらなかったわ」

 

 そうして、視線で「そっちは?」と訊ねてくる。

 

「ああ、ウチは宝条アムールトラ。ウチの後ろにおるのが宝条ルリ。で、友達のユキヒョウや」

「ん? 宝条……って事は……」

 

 アムールトラの紹介にカラカルは後ろの“教授”を振り返る。

 ようやく嵐が小康状態になったか、と“教授”は立ち上がり足についたホコリを払ってから言う。

 

「そうだね。ルリとアムールトラは……。まあ…。こういうのは少し気恥しいが、娘さ。私のね」

 

 “教授”は元に戻した右腕でほっぺたを掻く。

 そうやって紹介されるとルリとアムールトラも思わず照れてしまった。

 へぇ、としばらく感心していたカラカルだったが、アムールトラの後ろに隠れるルリに気が付いた。

 

「もしかして、ルリって……」

「そうさ。あの時の子だよ」

 

 何やら二人だけがわかるような会話でしんみりしている“教授”とカラカル。

 どうやら二人は昔馴染みらしいが、一体どういう関係なのか。

 その視線がわかったのか、カラカルが改めて言う。

 

「私は別な世界から来たの。そこの和香に救われちゃった世界からね」

「はっはっは。救われちゃったとはお言葉じゃないか、カラカル」

 

 どうやらカラカルは別世界から来たフレンズらしい。

 それであれば先程の強烈な一撃も納得がいく。

 それに、この草を短く整えられた庭はカラカルがやってくれたのだろうか?

 

「ええ、そうよ。和香の家の座標は聞いてたから、せっかく訪ねて来たのに草ボウボウで酷い有り様だったんだもん。我慢できずについ草刈りしちゃったわ」

 

 言いつつカラカルはサンドスターで輝く鋭い爪を見せた。

 おそらくその爪で草を刈り取ったのだろう。

 

「あ、あの……。カラカルさん。ありがとうございます」

 

 その事実に後ろに隠れていたルリもようやく顔を出して頭を下げた。

 カラカルは膝を折ってルリと目線を合わせるとニコリと微笑んだ。

 

「構わないわ。和香達が留守にしていて暇だったから」

 

 どうやらカラカルは“教授”に用事なのだろうか。

 それならその話を聞かなくてはならない。

 

「その前にさ。家入れてよ。別に外でもいいんだけどさ、アンタ達は落ち着かないでしょ」

 

 確かにこんなところで立ち話もないだろう。

 “教授”は黒いジャケットのポケットから家の鍵を取り出すと久しぶりに扉を開けた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ふぅん?家の中はそれなりに綺麗だと思うんだけど……。随分長く留守にしてたみたいじゃない。どういう事……?」

 

 家の中の家具にはホコリ除けのシーツが掛けられていた。カラカルはその様子に戸惑いを覚える。これはただ留守にしていたというわけではなさそうだ。

 “教授”が家の電力を入れると明かりがつく。

 ルリとアムールトラとユキヒョウの三人がシーツを取り払っていった。

 

「実はね。引っ越していたんだ。今は街の中に住んでいるんだよ」

「なるほど、どおりで一晩待っても全然帰ってこなかったわけね」

 

 “教授”の答えに、ようやく合点がいったカラカルである。

 

「それにしても、アンタにしては家具のホコリ除けとかしっかりしてるし、ちゃんと整理整頓してあるみたいだし偉いじゃない。感心したわ」

「ああ、それはルリがしてくれたんだ。」

 

 最初、感心していたカラカルだったが“教授”の答えに半眼になる。

 あんな小さな子に家事を全て任せているという事だろうか、と。

 

「アンタねぇ……。やっぱりお説教しないといけないかしら」

 

 嘆息するカラカルの後ろを大量のシーツを抱えたユキヒョウが通りかかる。

 

「是非してやってくれぬかの、カラカル殿。わらわ一人の説教ではとても足りぬと見える」

 

 その援護射撃に“教授”は「うへぇ」と顔をしかめた。

 

「それなら私も手伝うわ。さっさと掃除しちゃってお説教の続きしなきゃ。ルリ、私もシーツを運べばいいのかしら?」

「あ……。でも、お客様に手伝ってもらうのも……」

 

 訪問してきたお客様であるカラカルに手伝って貰う事には抵抗がある。

 けれども彼女はさっさとシーツの山を抱えると手伝い始めてしまった。

 

「いいのよ。どうせ和香は戦力外じゃない。それに私も手伝った方が早く掃除が終わって落ち着いて話が出来るでしょ」

 

 こうして四人がかりで家の中をお掃除する事になった

 窓を全て開けて換気して高所のホコリをハタキでパタパタ。続けて掃除機を掛けて床はモップ掛け。

 でもってテーブルやら椅子やらもふきんで丁寧に拭いていく。

 さすがに四人がかりならあっという間の作業になった。

 あとは洗濯したホコリ除けのシーツを干すだけだ。

 ちなみに、“教授”はと言えば、テラスで一人暇していた。

 下手に手伝うとかえって大惨事になるという全員の共通見解の末、テラスで大人しくしてもらう事になったのだ。

 あとは仕上げに洗濯したシーツとしばらく使っていなかった布団を干すのみとなる。

 

「こっちはOKよ。アムールトラ、ロープを引いてくれる?」

「おうよ!いくで、カラカルー!」

 

 洗濯物の量が量なので庭にロープを渡して干し台の代わりにする。

 カラカルが持ち前の身軽さを活かして近くの木にロープを括り付けてくれた。

 あとは逆側をアムールトラが張れば即席の干し台が完成だ。

 

「はい、じゃあユキさん、シーツちょうだいー」

「うむ。わかったのじゃ」

 

 で、ルリが伸ばした三つ編みで背伸びして次々とシーツを干し台に掛けていく。

 

「便利ね。それがルリの能力って事?」

 

 戻って来たカラカルが感心しながらルリを見ていた。そうしながらも手は休む事なくシーツが飛ばないように洗濯ばさみで抑えていく。

 

「はい、身体を引っ張ったりするだけじゃなくてこうやって支える事も出来るんですよ」

「梯子いらずねぇ」

 

 そのまま、伸ばした三つ編みを足のように動かして移動まで出来る。

 あっという間に庭には大量のシーツが翻る事になった。

 

「いやいや、思ってた以上に早く終わったのう」

「せやな。カラカルが手伝ってくれたおかげやな」

「ユキさんもカラカルさんもありがとうね」

「いいわよ。掃除してるのをただ見てるのも暇だったもの」

 

 そうして4人で満足気に翻るシーツの群れを見る。

 山間にはちょうどいいくらいのそよ風が吹いている。きっとあっという間に洗濯物も乾くだろう。

 

「お母さんお待たせー!今からお茶淹れるからー!」

 

 テラスに向けてぶんぶん手を振るルリに“教授”も手を振り返す。

 一人何もしていない“教授”であったが、彼女の場合こうした作業では何もしないのが最大の貢献になってしまうので仕方がない。

 さて、一通りの掃除が終わってようやく落ち着いて話が出来る。

 “教授”は運ばれてきたブラックコーヒーをひと啜りしてからカラカルに訊ねた。

 

「さて、カラカル。久しぶりだけれど一体全体どうしたっていうんだい?こちらに来るのもそれなりに大変だとは思うんだが」

 

 実はカラカルが住んでいた世界からこちらに来る方法はあるにはある。

 そもそもその方法がなかったら“教授”だって帰還できなかったわけだし。

 ただ、別世界に渡るには相当な時間と労力と機材が必要だ。

 そこまでしてやって来たのだから、わざわざ“教授”が元気にやっているのかどうかを確かめに来たという事はあるまい。

 

「そうね。順を追って説明しないといけないわね。和香。アンタ、クロスリアクターって知ってるでしょ?」

「まさか……。実現したのかい?」

 

 クロスリアクターという言葉にはルリもユキヒョウもアムールトラも聞き覚えがない。

 なので説明を求めて“教授”を見る。

 

「そうだね、簡単に言うとクロスリアクターっていうのは物凄い発電所だと思って貰えればいいかな」

 

 “教授”の説明によればクロスリアクターというのは、異なる世界の同位体の間に発生するある種のエネルギーを取り出す為の装置らしい。

 その効率は凄まじく、ほんのわずかな燃料で全世界にエネルギー供給が可能という代物だ。

 しかもそれは千年単位で稼働が可能らしく、実現されればあらゆるエネルギー問題は解決するだろう。

 

「私がこちらに帰還する時はまだ理論段階だと思っていたんだけれど、既に実現していたとはね」

「こっちもセルリアンの事は落ち着いて、色々と復興してきてるんだけどエネルギー供給が足りなくてね。急ピッチで研究が進められたってわけよ」

 

 “教授”とカラカルの話を聞けば聞く程すさまじいものだ、というのは分かった。

 だが、その燃料というのが問題だった。

 

「つまり、その燃料は別な世界から取ってこないといけないわけだけど……。それだってかなり難しいと思う。なんたって異世界の自分を見つけ出さないといけないわけだからね」

 

 異世界の同位体とは異なる世界に住む自分自身だ。

 どこかの世界には別な人生を歩んだ宝条和香がいるかもしれない。

 その人物を探し出して血液か何かを採取してきて、クロスリアクターの燃料となる要素を抽出するわけだ。

 

「あ、あの……。ちなみになんだけど、別世界の自分と出会っちゃったらどうなるの?もしかして爆発しちゃったりとか……?」

 

 ルリが気になって挙手して訊ねる。

 そんな凄まじいエネルギーを抽出出来るのだ。その異世界に住む自分同士が出会ったら何かが起こっても不思議はない。

 

「いやあ、さすがにそれはない。人物を構成する要素というのは多岐に渡るからね。きちんと抽出して調整しないと反応は起こらないよ」

 

 とりあえず、突然自分に似た人物に出会って爆発しちゃうなんて事はないらしいのでルリはホッと胸を撫でおろした。

 

「しかし……。クロスリアクターに燃料を提供できる人物を探し出すのだって難しいだろう。砂浜から砂金一粒を探し出すようなものじゃないのかい?」

 

 問題はまだあった。

 この沢山の人物が住む世界で目的の人物を探し出すのがいかに難しいか。

 だが、当のカラカルは涼しい顔だ。

 

「それなら問題ないわ。私達には“コンパス”があるもの」

 

 その“コンパス”とは異世界の同位体ともいうべき人物のいる方角を指し示すものらしい。

 

「ほう、そんなものがあるのか。で、それはどこに?」

 

 訊ねる“教授”にカラカルは首を横に振った。

 

「ここにはないわ。あの子が持って行っちゃったもの」

 

 そもそも“教授”達はカラカルが一人で来たと思っていた。

 けれども、そうじゃない。

 もう一人、一緒に異世界から渡って来た者がいるのだ。

 

「そ。和香と一緒に戦った仲間のあの子も来てるのよ」

 

 そのもう一人とは一体……?

 カラカルは今頃どうしているかなぁ、と街の方へ視線を投げるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時間は遡って、昨日の出来事である。

 その日も商店街はいつも通りに大賑わい。

 夏休みから始まったイベントも大盛況だ。

 今日も今日とて、奈々は大忙しのアルバイトをこなし終えたところだ。

 それにしても、今日は妙な一日だった。

 アルバイトで荷物を受け取りに行ったお店で何度も「あれ?さっきも来なかった?」と訊ねられた。

 

「うーん……。まぁ、何度も商店街を往復してたからそういう事もあるかなぁ」

 

 奈々は最初気に留めていなかったが、それが続くとさすがに引っかかりを覚える。

 だが、これと言って何が出来るわけでもないので、忙しさに身を任せていた。

 どうにか今日も乗り切ったが、日も傾いて暗くなりつつあった。

 アルバイトに参加してくれている子の中には商店街に住んでいない子達も多い。

 かばんやサーバルやアライさんやフェネック。それにオオセルザンコウとマセルカとセルシコウも商店街とは少し離れたところに住んでいる。

 なので、暗くなりつつあるので、奈々はせめて公園まででも皆を見送りにいった。

 

「じゃあ、みんな気を付けて帰ってね」

 

 見送ってくれた奈々に手を振り返すかばん達。

 奈々は皆が見えなくなるまで手を振って見送ると自身も帰路へと着いた。

 公園から商店街までは大した距離ではない。

 なので、一人でも平気だ。

 そのはずだった。

 もうすっかり暗くなった道を一人戻る奈々の足音は何だか反響して聞こえる。

 その足音が二人分に聞こえたのも無理はない。

 ふと思い立って奈々は街灯の下でピタリ、と足を止める。

 

―トンッ

 

 一つ分の足音だけがやけに大きく響いた。

 奈々が足を止めたのだから、一歩分の足音が余計に聞こえるはずがない。

 なのにそれが聞こえた。

 それはつまり……。

 

「(誰かついて来てる!?)」

 

 奈々は背筋に冷たいものが走った。

 足音が二つに聞こえていたのは気のせいじゃなかった。

 誰かが後をつけている。

 そう確信すると奈々は一目散に走り出した。

 

「(なになに!? 私なんて食べても美味しくないよぉ!?)」

 

 つけて来ているのは何者なのか。

 オバケとかが後を追っていて食べられたりしたらどうしよう。

 走っていると悪い方向の想像ばかりが膨らんで、奈々は脇目も振らずに走った。

 夢中で走っていると、程なくして商店街の明かりが見えてきた。

 いつもの商店街のアーチを潜れば、この時間でもまだそこかしこに人通りが残っている。

 商店街の中に駆け込んだ奈々はようやく一安心だ。

 まさかこんなところまでオバケも追ってはこれまい。

 そうなると、奈々は自分を追いかけて来ていたのが何者なのかが気になった。

 もしも変質者だったりした場合には姿を見ておいて交番に相談しないと。

 なんせ、この商店街にはキタキツネやギンギツネやエゾオオカミなど可愛いフレンズも沢山いるのだから。

 奈々は使命感を燃やしてくるり、と振り返った。

 

「う、うそ……」

 

 そして信じられないものを見た。

 遠く、街灯の明かりの下に一瞬だけその姿が見えたのだ。

 半袖ジャケットに白のTシャツ。それにスパッツと動きやすそうなスニーカー。

 胸には大きな懐中時計のようなものを提げた女の子だった。

 それよりも何よりも、奈々にはその姿に驚くべきところがあった。

 何故ならその顔はよくよく見慣れたものだったからだ。

 赤毛を横で一本にまとめたサイドテールの髪型も、その顔立ちも何度も毎日鏡の前で見て来たものだった。

 街灯の下にいたのは、自分自身と同じ姿をした何者かだったのだ。

 

「あ、あわわわわわ……」

 

 奈々の姿をした何者かは既に闇の紛れて何処かへと消えてしまっていた。

 だけれども奈々は足の震えが止まらない。

 ちょうど夏休み前に書いた部活動の新聞記事。

 自身が書いた学校新聞の記事がちょうどこんな感じの怪談話だったのだ。

 

『夏の怪談。噂のドッペルゲンガー』

 

 その記事の内容は要約するとこうだ。

 自身によく似たヒトやフレンズに出会ったら注意が必要。それはドッペルゲンガーかもしれないから。

 もしもドッペルゲンガーに出会ったら注意してね……。

 近いうちに病気になったり怪我をしたり……、もしかしたらもっと大変な目に遭っちゃうかもしれないから……。

 

 まさか記事を書いた奈々自身がその状況に陥るとは思ってもみなかった。

 奈々はまだ明かりと人通りの残る商店街で一人青い顔をしてポツリと呟く。

 

「ど、どうしよう……!?私、ドッペルゲンガーと会っちゃった!?」

 

 

 

―中編へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話『真夏の夜にあった怖い話』(中編)

 

 

 ルリ達が別荘の掃除に明け暮れていた頃、色鳥町商店街は今日も賑やかであった。

 きっと今日も忙しい一日になるだろう。

 だというのに……。

 

「あわ……。あわわわ……」

 

 一番の年長者である奈々は心ここに在らずという感じだった。

 今日もアルバイトに集まっていた商店街に住むキタキツネ、ギンギツネ、エゾオオカミにかばん達クロスシンフォニーチームとそれにセルリアンフレンズの3人までもが心配そうに奈々を見ていた。

 もうすぐ仕事も開始する時間だというのに、こんな様子ではとても仕事になりそうもない。

 

「ね、ねぇ。奈々姉さん。一体どうしたの?」

 

 見兼ねたギンギツネが訊ねる。

 

「あ、あぁー……。ギンギツネ……。いつもありがとねぇ」

 

 答えになってない返答を返しながら奈々はギンギツネに抱き着いた。

 

「ちょ……!? 本当どうしちゃったの!?」

 

 そんな様子の奈々は初めてでギンギツネは戸惑いを覚える。

 これはいよいよもって重症か。

 もう、その場の全員が奈々の元に集まってきた。

 

「なあ、奈々。一体全体どうしたっていうんだ? もし差し支えないなら話して欲しい」

 

 その場を代表して訊ねるオオセルザンコウに皆一様に頷いていた。

 奈々はこの商店街のイベント中、年長者としてみんなにさり気なく気を回してくれていた。

 昨晩の見送りだってそうだ。

 そうした細かな気遣いにはセルリアンフレンズの三人まで含めて全員がありがたく思っていた。

 だから何か困っていたり、体調が悪いなら今度は自分達が力になる番だ。

 それはこの場の総意だった。

 

「ああ……。うん……。あのね……」

 

 奈々は昨晩出会った自分にそっくりな何者かの話をした。

 

「そ、それってもしかして奈々が書いた学校新聞に載せた……」

 

 キタキツネはその話に聞き覚えがあった。

 自分そっくりのオバケ、ドッペルゲンガーの話をテスト期間中に奈々から聞かされていたのだ。

 

「そう……。そうなの……! 私、ドッペルゲンガーに会っちゃったんだよぉ!」

 

 奈々はそう言って叫ぶとキタキツネの両肩をガシと掴む。

 

「キタキツネ……。もし私がいなくなっても食べすぎたり飲み過ぎたりしちゃダメだからね……。あと夜更かししてゲームし過ぎるのもダメだし、宿題も毎日ちゃんとやってね! あとそれからギンギツネの言う事をよく聞いて……」

「縁起でもないからそんな事言わないで!?」

 

 長々としたお説教に発展しつつあったので、キタキツネは奈々の言葉を途中で遮った。

 だが、奈々がこうなっている理由もようやくわかった。

 

「つまり。奈々、キミはオバケが怖いわけだな」

 

 オオセルザンコウの言葉に奈々は素直に頷く。

 普通ならば、高校生にもなってオバケが怖いだなんて笑われるかもしれない。

 それでも奈々は昨晩、自分によく似た何者かに出会った事に対してショックを覚えていた。

 そして。

 話を聞いていたかばんまでもが青い顔をしていた。

 こっそりとフェネックがサーバルをかばんの隣に配置して、その手を握らせる。

 かばんはオバケは大の苦手だった。

 

「さて。そういう事ならば……。今日は奈々は誰かと一緒にいた方がいいだろう。キタキツネ、ギンギツネ。キミ達二人に奈々の事を任せたい。構わないかな?」

 

 しばらく考え込んでいたオオセルザンコウだったが、やがて何か考えついたのかそんな事を言い出した。

 奈々を放っておける状態ではない事は誰の目にも明らかだったのでキタキツネもギンギツネも二つ返事で頷く。

 

「でもさ、そうなるとピックアッパーの仕事は効率悪くならない?」

 

 キタキツネの言う通り、奈々達ピックアッパーはそれぞれ手分けして各商店から配達品を回収してまわっていた。

 だからそれがひと塊のグループとして動くとなれば途端に効率は悪くなるだろう。

 

「まぁ、それはその通りだ……。そこでエゾオオカミ、それにセルシコウ。キミ達二人はピックアッパーもこなしつつ近場の配達を頼みたい」

 

 その効率ダウンをカバーする為の策として出て来たのが、エゾオオカミとセルシコウのペアを近場の配達専門にしてピックアッパーとの兼業をしてもらう案だった。

 特にセルシコウは近場での配達なら、障害物を無視して最短距離を走るのでかなりの配達数を誇っていた。

 それにエゾオオカミは商店街で暮らすフレンズだ。地の利もあるのだから彼女達が兼任には最適だ。

 

「さて、少し詳細を詰めたいから、デリバリーマンの皆は残ってくれるかな? キタキツネ、ギンギツネ。奈々を頼むよ。もしも奈々の調子が悪そうなら無理はさせないように。ともかく二人は奈々を一人にしないように心掛けてくれ」

 

 キタキツネとギンギツネは二人して頷くと、奈々を連れて最初のピックアップへと向かった。

 休憩所になっている集会所に残っているのは、かばんとサーバルとフェネックにアライさん。そしてセルリアンフレンズの三人とエゾオオカミであった。

 

「いやあ。見事な手際だったねえ。凄いじゃないか」

 

 フェネックが作戦を立ててくれたオオセルザンコウに賛辞を贈る。

 ただ、彼女には一つ心配ごとがあった。

 

「ところで、今日もデリバリーマンのチームは同じでいくつもりかい? 出来れば今日の所は、かばんさんをサーバルと一緒にしておきたいんだ」

 

 それは何か理由があっての事か、とオオセルザンコウは小首を傾げる。

 

「あー……。うん。かばんさん、オバケは苦手だからさ」

 

 フェネックは少しばかり言いづらそうにその理由を答えた。

 

「そうなの……? かばん、大丈夫?」

 

 意外、とでもいうようにマセルカはかばんの顔を覗き込む。

 オバケが怖いという事実に顔を赤くしていいやら、青くしていいやら、何とも言えない表情のかばんであった。

 それにしても、つい先日まではかなり険悪な雰囲気だったのに、マセルカはすっかりかばんに懐いてしまっていた。

 昨日だって休憩時間に宿題を教えてもらったし。

 

「大丈夫だよ! オバケくらいマセルカがやっつけてあげるから!」

 

 そう言って胸を張って見せるマセルカに、かばんも少しは笑い返せる程の余裕が出て来た。

 

「まあ、その事なんだけれども……。セルリアンの仕業とは考えられないか?」

 

 オオセルザンコウに言われて、その可能性に思い至る。

 たしかに、セルリアンの特技は何かを模倣する事だ。

 何かの拍子に奈々を模倣したとしても不思議ではない。

 

「言っておくが我々が生み出したセルリアンではないぞ。恐らくこちらの世界のセルリアンだろう」

「ああ、今更疑ったりはしねーよ。商店街で騒ぎを起こしても、今はお前らも困るだろうからな」

 

 エゾオオカミの言う通り、セルリアンフレンズにも意図的にセルリアンを生み出す理由がない。

 むしろデメリットの方が大きい。

 

「それに、今回は奈々を助ける、という目的も一致はしている。だから手を組むのが早いと思っているがどうだろうか」

 

 仕上げにオオセルザンコウは全員を見回した。

 どうやら異論のある者はいないらしい。

 

「あ、あの……!でしたら、ドクター遠坂さんが作ってくれた、このセルリウムレーダーが役に立つと思います」

 

 さっきまで青い顔をしていたかばんが挙手していた。セルリアンであれば怖がっている場合ではないのだ。

 言いつつ、自分の携帯電話を取り出して見せる。

 その携帯電話の画面には、街の地図が表示されていた。

 それは通販サイトの管理システムであるU-Mya-Systemのもう一つの顔だ。

 これは活性化したセルリウムの位置を感知して、セルリアンの出現位置を予測する事が出来る。

 特定のメンバーにはこのセルリウムレーダーの機能も解放していたのだ。

 

「皆さんの携帯にインストールされているU-Mya-Systemにもセルリアンレーダーが使えるように認証しちゃいますね」

 

 かばんが自分の携帯電話とオオセルザンコウ達の携帯電話を通信させてアプリの機能制限を解除していった。

 

「なるほど。これは便利なものだ……。この微弱な反応は、私達のものだね。」

 

 自分の携帯電話の画面を確かめるオオセルザンコウは、ちょうど自分達のいる位置に微弱な反応がある事に気づいていた。

 やはり彼女達はセルリアンフレンズなのだ。

 “アクセプター”の出力を最低に抑えていてもわずかなセルリウム反応が検出されている。

 

「だが……。ふむ……。それ以外の反応は見当たらない……。まさか、セルリアンではない? だとすれば、本当にオバケ……?」

 

 そのマップ画面を見ながら考え込むオオセルザンコウだったが、ハッと気が付いた。

 かばんが再び青い顔になって泣きそうな表情になっていた事に。

 そして、マセルカが非難がましい目でオオセルザンコウを見ていた。「なんでかばんを怖がらせるような事を言うの!?」と怒っているようだ。

 確かに今のは失言だった。

 

「私が悪かった!? 私が悪かったから泣くんじゃない!?」

 

 オオセルザンコウは思わぬクロスシンフォニーの弱点を知れたというのにちっとも喜べる気がしなかった。

 それどころか、かばんの方も奈々と同じく一人にはしない方がよさそうだと一計を案じはじめてすらいるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、配達する商品を各商店街のお店から集めに回っていた奈々達である。

 

「最初の配達品は、新作ゲームソフトと攻略本のセットね」

「うわぁ。何それいいな! ボクも欲しい!」

「アルバイト代が出たら買ったらいいわよ。でも夜更かししないようにね」

 

 ギンギツネとキタキツネは奈々を真ん中に置いて二人して言い合う。

 やはり奈々は心ここに在らずといった様子である。

 さて、その商品を回収してこようにも、本屋さんとゲーム屋さんは逆方向だ。

 三人まとめて行動するよりも二手に別れた方が効率がいい。

 

「じゃあ、キタキツネ。あなたはゲーム屋さんね。あなたならどこに新作ゲームが並んでるかすぐにわかるでしょ?」

「うん! ボクの得意技! 合点承知だよっ!」

 

 ぐい、と力こぶを作って見せるキタキツネであったが、一抹の不安がギンギツネにはあった。

 

「私は奈々姉さんと本屋さんで攻略本を回収してくるけど、ゲーム屋さんで油売ったりしたらダメだからね。すぐに戻ってよ」

「わ、わかってるよぅ」

 

 こうしている間も、やっぱり奈々はどこかうわの空だ。

 キタキツネだって奈々の事は心配だ。

 だから早く戻る事に異論はない。それにギンギツネならしっかりしているから、今の奈々を任せても平気だろう。

 

「じゃあ、奈々をお願いね」

 

 キタキツネは奈々をギンギツネに任せると一人ゲーム屋へ向かった。

 この商店街のゲーム屋さんもキタキツネにとっては自分の縄張りのようなものだ。

 よく訪れる場所だし、ライバルゲーマーだって出入りしている。

 ゲーム屋さんのアナログゲームスペースでは、馴染みのゲーマーがボードゲームの卓を囲んでいた。

 キタキツネは一瞬そちらに目を奪われそうになったが、ぶるぶると頭を振って邪念を追い払う。

 

「じゃあ、店長。配達用のMGS(もふもふギアそりっど)貰っていくね」

 

 言ってキタキツネは自身の携帯電話からU-Mya-Systemのアプリを開くと商品回収画面を店長に差し出す。

 店長はその画面に表示されていたバーコードをお店のレジで読み込んだ。

 これでレジには、該当商品を配達に出したと記録されるわけだ。

 

「おう。バイト暇になったらまた遊びにおいでな」

 

 アナログゲームに興じていた馴染みのゲーマーや店長達もキタキツネがアルバイトで忙しいのは知っていたので引き留める事はしなかった。

 さて、キタキツネは後ろ髪引かれながらもレジ袋に入れたゲームソフトを持って元来た道を引き返す。

 途中でピックアップ出来そうな商品も今はないから、さっさと戻ってギンギツネ達と合流しよう。

 何と言っても奈々の事が心配だし。

 そう思ってひた走るキタキツネだったが、ふと遠くに見知った後ろ姿を見た気がした。

 赤毛をサイドでまとめたその姿は奈々だった。

 

「あれ? 本屋さんは逆方向だよね……。しかもなんで奈々が一人なの? オオセルザンコウにだって奈々を一人にしちゃダメって言われてたのに……。」

 

 ギンギツネも奈々もかなり真面目な方だ。

 だから仕事をサボって油を売っているはずがないし、ギンギツネだってあんな状態の奈々を一人にするはずがない。

 そう疑問に思っているうちに、奈々らしき後ろ姿は商店街の雑踏に紛れて消えてしまった。

 ほんの一瞬の出来事だったから、もしかしたら見間違えだろうか。

 そう思ってキタキツネは目元をこする。

 再び目を開けてみてもやはり奈々の後ろ姿を再び見つける事は出来なかった。

 やっぱり見間違えだろうか。そう判断したキタキツネは不可解な出来事に小首を傾げながらも仕事を続ける事にした。

 程なくして、休憩所代わりに使っている集会所へ戻る。

 すると、ギンギツネに連れられた奈々はもう既に攻略本を回収して梱包準備も終わらせていてくれた。

 

「ちゃんと早く戻って来てくれたのね、えらいわ」

 

 ギンギツネはキタキツネを褒めてくれたが、いつもなら得意気になるはずのキタキツネの様子がおかしい。

 

「どうかした?」

「いや……。ギンギツネは奈々とずっと一緒にいたよね? 本屋さんから真っ直ぐこっちに戻って来たよね?」

「当たり前じゃない。奈々姉さんを放ってどこかに行ったりしないし、どこか寄り道なんてしたりしないわ」

「そう……だよね」

 

 得意気になるどころか、そうやって訝し気にしているキタキツネにギンギツネもますます不審に思う。

 

「ええと、ううん。何でもない。ボクの見間違えだから」

 

 まさか、奈々に似た後ろ姿を見たなんて言ったら、ますます彼女を怖がらせてしまう。

 キタキツネはさっき見たのは気のせいだったのだろう、そう思い込む事にした。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、ところ変わって山奥の宝条家別荘である。

 山間に吹く清涼な風が干されたシーツの群れを揺らす。

 そんな中でルリとアムールトラにユキヒョウとカラカルの四人は……。

 

「「「「あぁー……」」」」

 

 と、揃ってレジャーシートの上でゴロゴロしていた。

 こんな日は木陰で昼寝するのに極上の日和だ。

 早朝から別荘の掃除をしていた四人にとってこのお昼寝タイムは最高のご褒美だった。

 ちなみに“教授”はというと木陰に張られたハンモックですっかり眠ってしまっていた。

 

「で、皆起きておるかの?」

 

 ユキヒョウの言葉に応えたのはルリとアムールトラとカラカルの三人だった。

 

「なんか、こんなに気持ちいいと眠るのも勿体ない気がして」

 

 ルリの言葉に同感、と全員が頷いた。

 心地よいまどろみに身を任せて、その感覚を味わっていたい。それは“教授”以外の全員が思っていた事だ。

 眠るのも勿体ないなら、ここは一つガールズトークと洒落込むのも悪くない。

 

「して、カラカル殿。“教授”とは一体どういう間柄だったのじゃ?」

 

 ユキヒョウが気になっているのはそこだった。

 ルリもアムールトラも“教授”は自身の事をあまり話さないので気になる話題だった。

 三人してカラカルの方を見る。

 

「そうね……。私は助手みたいな物だったの。和香のね」

 

 和香が渡った先の別世界。

 そこで彼女はやはりセルリアンを何とかする為の研究をしていたらしい。

 その研究所で彼女の身の回りの世話を色々と焼いたのがカラカルだったのだ。

 

「まーぁ、手を焼かされたわよ。和香ったらぐうたらだし、ねぼすけだし、女ったらしだし、研究と戦い以外は何をやらせてもだいたいダメダメなんだもの」

 

 言いつつカラカルは横になったままのアムールトラに視線を送る。

 今も昔も変わらないんだな、と二人して苦笑し合う。

 カラカルはゴロリと寝返りを打つとうつ伏せになって続けた。

 

「ルリ。アムールトラ。ユキヒョウ。ありがとね」

 

 はて?

 何かお礼を言われるような事はあっただろうか、と三人そろって顔を見合わせる。

 そんな三人を見るカラカルの表情は何とも優し気だった。

 

「和香が一人じゃなくて安心したわ。だから、ありがとう」

 

 もしかしたら、カラカルはクロスリアクターとやらの為よりも“教授”の様子を見る為だけに別世界に渡ってきたのではないだろうか。

 そう思わせるには十分な笑顔だった。

 だから三人揃って、どういたしまして、と笑いを返す。

 

「それに、ルリに会えたのも嬉しいわね」

 

 カラカルの言葉にルリは「へ?」と意外そうな顔をする。

 ルリはセルリアンだ。

 カラカルはセルリアンとの戦いが日常の世界からやって来たはずなのに、自分の事は怖くないのか。

 そう思ったのだ。

 

「そりゃあ怖いわけないじゃない。和香に似ないでちゃんと家事をしてくれるなんてむしろ偉すぎるわ……!」

 

 カラカルの判断基準はそこなのか、と苦笑が漏れてしまう三人だった。

 

「けどまあ、詳しい話をするのは和香の役割だから譲るけれど、これだけは言っておくわね」

 

 うつ伏せになったままのカラカルがやけに真剣な目をルリに向けて来た。

 一体何を言うのだろう、と三人も固唾を飲んで待つ。

 

「ルリ。アンタは望まれて生まれて来たの。だから、私はルリに、ううん。ルリ達に会えてよかったわ」

 

 ルリは何だか胸が熱く、くすぐったくなる。

 あらためて思えばアムールトラだってユキヒョウだって自分の事を大切にしてくれた。

 それに萌絵やともえやかばんやエゾオオカミだって自分の事を受け入れてくれた。

 だからきっと自分は……。

 

「幸せ?」

 

 そう言ってカラカルがニコニコと嬉しそうにルリの方を見ていた。

 それはルリが胸中で続けようとした一言だった。

 だから、うん、と満面の笑みで返す。

 

「そう。だったら私も嬉しいわ」

 

 それにカラカルも同じような笑みを見せる。

 真夏の山間には優しい風が吹き抜けていくのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「………どうしてこうなった」

 

 エゾオオカミは今日もその一言と共に頭が痛くなる想いだった。

 頭痛の種は主に、すっごいニコニコしている目の前の彼女の母親だった。

 ピックアッパー件デリバリーマンという大忙しの役割を担う事になったエゾオオカミとセルシコウのチームだったが、何故か二人はエゾオオカミの和服屋さんで足止めを食らっていた。

 

「ねえねえ、エゾオオカミ。セルシコウちゃんにはどの浴衣が似合うと思う? ああ、浴衣と髪色を考えたらこの帯もいいわねぇ。 あ、せっかくだもの。カンザシも何かいいのを見繕わないとねぇ」

 

 エゾオオカミの母親はというと、セルシコウにあれこれと浴衣を選んでいた。

 さて、どうしてこうなったのか。

 それは、商店街会長から直々の依頼があったのだ。

 曰く、『青龍神社の夏祭りのポスターを作りたいから、モデルになって欲しい』と。

 ともかく、エゾオオカミとセルシコウが抜けた穴はちゃんと補充してくれるらしい。

 会長直々の頼みでは断れずに、こうして和服屋である自宅に戻ったわけだが、さっきから母親はずーーっとこの調子だ。

 

「あ、あのぉ……。エミリおば様」

 

 セルシコウもそんな様子の母親には困惑気味で声を掛けるが、母親のテンションは下がらない。

 ちなみに、エゾオオカミの母親も既に名前を娘に譲っていて、今の名前はエミリだったりする。

 エゾオオカミはルリからエミさんと呼ばれているが、美人で自慢の母親と同じような名前で呼ばれる事は密かに嬉しく思っていたりした。

 閑話休題。

 セルシコウがこうして戸惑っているのは、何もエゾオオカミの母親、エミリのテンションが天辺まで上り詰めているせいばかりではなかった。

 そして、エゾオオカミもその戸惑いの理由に心当たりがあった。

 だからそろそろ助け船を出してやる事にする。

 

「なあ、お母さん。セルシコウにはこういう浴衣の方が似合うと思うんだ」

 

 言って示して見せたのは、ミニ浴衣と呼ばれる類のものだ。

 腰から下はミニスカート状になっており、和洋折衷のデザインとなっている。

 正統派の和服を着せたいだろう母親の意向には沿えないだろうが、仕方がない。

 予想通りというか何というか、セルシコウもエゾオオカミが示してみせた浴衣には興味をそそられたらしい。

 セルシコウが戸惑っていた理由は、単に『浴衣って動きづらそうだなあ』というものであった。

 なんせセルシコウは別な世界からやってきたのだ。

 そんな場所で動きづらい格好をするのは何かとストレスだろう。

 

「確かに……。こちらならば幾分は……」

 

 言葉を濁しながらもセルシコウは、エゾオオカミの選んでくれた方がいいな、と暗に告げる。

 その理由はと言えば、もちろん、こちらの方が動きやすそう、というだけだった。

 素人考えでエミリの見立てに異論を挟んだ事で怒ったりしてないだろうか、と二人は恐る恐る彼女の様子を伺う。

 あれ?

 なんかやたらキラキラした目をしているぞ?

 

「そうよね! うんうん! わかる! わかるわよっ!」

 

 と、怒るどころかむしろ物凄い勢いで頷かれてもいた。

 エミリは胸中で大喜びだった。

 

「(オシャレに興味なんてなかったエゾオオカミが彼女の浴衣を選ぶだなんて……!ちょっとセンスはアレだけど……!)」

 

 やはりエミリの見立てでは、セルシコウには正統派の浴衣が映えると思っていた。

 だがそれでもセルシコウが選んだのはエゾオオカミが示したミニ浴衣だ。

 

「(これはやっぱりアレよね!? 似合う物よりも好みを合わせたいっていう乙女心よね!)」

 

 やはり、エミリは盛大な勘違いをしていた。

 

「助かりましたよ、エゾオオカミ」

「いいや。俺も動きづらい格好はあんまりしたくねーからな。気持ちはわかるってだけだ」

 

 そうやって二人してコソコソと内緒話をしている姿もエミリの勘違いを助長していた。

 二人のこんな姿を見られたのなら、ちょっと商店街会長にお願いしてポスターのモデルをエゾオオカミとセルシコウにしてもらった甲斐もあったというものだ。

 

「さあ、そうしたら今度はエゾオオカミの分の浴衣を選びましょうか!」

 

 もうテンションが常にMAX状態のエミリの言葉に、エゾオオカミとセルシコウは揃って絶望の表情を浮かべた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 エゾオオカミとセルシコウのピンチヒッターとして現れたのは……。

 

「はいっ! 一件配り終わったよー! 次はどこに配達かな!?」

 

 遠坂ともえと……。

 

「あの……。お仕事なのは分かっているのですが……。楽しいですぅー! ともえちゃんと一緒に走り回れてすごくすごく楽しいです!」

 

 遠坂イエイヌのコンビであった。

 この二人もエゾオオカミとセルシコウペアに負けず劣らず、次々と配達とピックアップの両方をこなしてくれていた。

 

「ああ。一時はどうなる事かと思ったが頼もしいよ」

 

 オオセルザンコウの言葉に他のバイトメンバーも同意と頷いていた。

 ともえとイエイヌコンビの参戦は、絶不調の奈々とエゾオオカミ&セルシコウのペアが抜けた穴を補って余りあった。

 

「でも、ともえさん。お家のお手伝いはいいんですか?」

 

 かばんが遠慮ガチに訊ねる。

 ともえの家は喫茶店を営んでおり、夏休みはその手伝いに忙しいはずだった。

 

「ああ、今日はパフィンちゃんやエトピリカちゃんとオオアリクイ姉さん達もバイトに入ってくれてるからこっちは平気だよ」

 

 ともえの言う通り、今日は『two-Moe』にはバイトの三人に加えて萌絵も春香もいるのだ。

 イエイヌとともえの二人が抜けても大丈夫だった。

 今はちょうど昼休憩の最中で休憩所代わりの集会所にみんな集まっていた。

 ちなみに、エゾオオカミとセルシコウの二人は未だに捕まりっぱなしで戻ってきていない。

 なんでも、このままポスター撮影に入るそうだ。

 

「みんな、迷惑かけてごめんね」

 

 そう言うのは奈々であった。

 どうやら彼女もキタキツネとギンギツネのおかげか、少しは調子を取り戻したらしい。

 

「みんなが頑張ってくれたおかげで午前中のお仕事は全部片付いてるし、午後も頑張ろう!」

 

 調子は取り戻したものの、奈々の顔色はあまり良くなさそうに見える。

 なので、この後も奈々にはキタキツネとギンギツネを付けるつもりでいた。

 そうなると、ピンチヒッターにやって来たともえとイエイヌの二人にまた負担を掛ける事になってしまうが……。

 

「え? もっと走り回っていいの!?」

「でも、ちゃんと水分補給とかして下さいね」

 

 肝心のともえがやたらキラキラした目をしているのでいいんだろう。

 パートナーのイエイヌもたしなめるような事を言いながらも尻尾がぶんぶんだ。

 なので、オオセルザンコウは二人に甘える事にした。

 

「みんな、午後も同じチーム編成で行くけれど、どうにも天気が怪しい気がする」

 

 言いつつオオセルザンコウは窓を開ける。

 窓の外からは夏に相応しくない冷えた空気が流れて来た。

 どういう事かと小首を傾げていると、遠くの方でゴロゴロとした雷鳴が聞こえた気がした。

 

「にわか雨が来るかもしれないから、レインコートを持っていった方がいい。」

 

 すっかり司令塔になってしまったオオセルザンコウの注意にみんな頷く。

 遠くの空には入道雲がムクムクと育ち始めていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「やれやれ。珍しい事もあるもんじゃのう。まさかお主に起こされる日が来るだなんて思わなったぞ、“教授”殿よ」

 

 山間の宝条家別荘では世にも珍しい事態が発生していた。

 なんと、“教授”が眠りこけていたルリ達四人を揺り起こしたのだ。

 まさかそんな日が来るだなんて思ってなかったユキヒョウは驚きに目を丸くしていた。

 

「これは雪でも降らねばよいが……」

「いや、雪は降らないが雨が降る」

 

 ユキヒョウの心配に“教授”は被りを振ると続けた。

 

「あとね、セルリアンが出る。街にね」

「「「「はいぃい!?!?」」」」

 

 余りにも唐突な言葉に思わずルリ達は素っ頓狂な声が出てしまった。

 

「これを見てくれるかい?」

 

 “教授”はタブレット端末を示して見せる。

 その画面はU-Mya-Systemのマップ画面のようだった。

 そしてマップには色鳥町商店街を中心に赤い警告マークが広がっていた。

 画面にはアラートマークがいくつもついている。

 

「さっきセルリアンレーダーに引っかかったんだ。かなりの規模だね。商店街丸ごと呑みこまれかねない」

 

 あまりの事態にルリもアムールトラもユキヒョウもカラカルも言葉が出ない。

 そんな彼女達に“教授”は指を二つ立てると続けた。

 

「さて、キミ達には選択肢が二つある。行くか、行かないかだ」

「「「「行く!」」」」

 

 弾かれたように四つの返事が重なった。

 セルリアンが出るというなら彼女達に戦わないという選択肢はないのだ。

 

「なら、飛ばすからしっかり掴まっていてくれたまえよ」

 

 言いつつ“教授”はSUV車のキーを取り出した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 午後に入って天気は急変しつつあった。

 急に気温が下がり、ひんやりとした空気が流れる。

 誰もが夕立ちの予感を感じていた。

 そして、急激に気温が下がった事で湿度が霧に変わる。

 突然の濃霧が色鳥町を包みつつあった。

 

「うわぁ……。結構な霧だねぇ」

 

 霧は商店街も包んでいた。

 午後の仕事も順調にこなしていた奈々達であったが、突然の濃霧には戸惑いがあった。

 多少視界は悪くなっていたが、まだ仕事に支障が出る程ではない。

 奈々達は仕事を続ける事にしたのだが、そんな時だ。

 

―ブワッ

 

 と急に奈々の視界が真っ白な霧に覆われた。

 さっきまで歩くのに支障はない程度だったのが、もう数メートル先すら見えない。

 

「これは、ちょっと仕事を中断した方がいいかもね。配達に出てるみんなも無理してないといいけど……。」

 

 言いつつ奈々は一緒にいるはずのキタキツネとギンギツネを振り返った。

 そして気が付いた。

 さっきまで側にいたはずの二人がいなくなっている事に。

 

「あ、あれ? ギンギツネ、キタキツネ、どこー?」

 

 声をあげても返事はない。

 奈々は真っ白な濃霧の中に独り取り残されてしまった。

 おかしい。

 霧が急に濃くなったのはともかく、側にいたはずのキタキツネとギンギツネとまではぐれてしまうだなんて。

 ともかく、二人を探さないと。

 奈々は濃霧の中、慎重に歩いた。

 それにしてもおかしい。

 商店街はこんなに広かったか?

 少し歩けば、どこかの商店に行き着くはずだし、どこかの建物の壁に当たるはずなんだけれど、歩いても歩いてもどこにも辿り着かない。

 それに賑やかな商店街にいるはずの買い物客達とも会わないのだっておかしい。

 一体全体どうなっているんだろう?

 奈々は不安に駆られながらも足を進めた。

 と、濃霧の中に一人の人影が見えた。

 

「キタキツネ? ギンギツネ?」

 

 もしかしたら、二人のうちどちらかだろうか?

 それに仮に買い物客だったとしたって、この様子の変な商店街で独りっきりよりはずっといい。

 奈々はその人影に声を掛けてみた。

 ゆっくりとその人影が振り返る。

 それは、あの夜に見た自分とそっくりの少女がしていたのと同じ格好をしていた。

 半袖ジャケットにTシャツとスパッツに動きやすそうなスニーカー。

 自分と同じく、横で一つにまとめた髪型。

 

「~~~~~!?!?」

 

 その顔を見た奈々は声にならない悲鳴をあげた。

 振り返った人影の顔には、本来目と鼻と口があるべき場所に大きな一つ目だけがあって、ギロリと奈々を睨みつけたからだ。

 商店街に突然立ち込めた濃霧は、まだまだその濃さを増していた。

 

 

―後編へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話『真夏の夜にあった怖い話』(後編①)

 

 

 昼下がりからゴロゴロと響く雷鳴。

 もう、空はいつ底が抜けて夕立を降らせ始めてもおかしくない模様だ。

 その空模様の中を、オオセルザンコウ、フェネック、アライさんの三人は商店街への道を急いで戻っていた。

 配達が終わったというのも、もちろんある。

 しかし、もっと深刻な理由があった。

 U-Mya-Systemがセルリアン発生のアラートを発したからだ。

 

「なあ、これはどういう事だと思う?」

 

 オオセルザンコウは後ろを走るフェネックに訊ねる。

 それはU-Mya-Systemが報せてきたセルリアン発生アラートが商店街全体に広がっている事だった。

 これはどう考えたらいいのか。

 商店街に大量のセルリアンが発生したという事だろうか?

 

「ごめん。それはわかんないよ。このセルリアンレーダーって試用段階だって話だからね。正確なところは実際自分の目で確かめるしかないんじゃないかな」

 

 オオセルザンコウの見立てでは、このフェネックというフレンズがクロスシンフォニーチームの参謀的な役割を担っていると考えていた。

 その彼女がそう言うのならそうなのだろう。

 やがて見えて来た商店街は異様だった。

 

「なんだ、これは……。」

 

 三人の目の前には霧に包まれた商店街があった。

 あまりにも濃い霧の為に、商店街内の様子が全くわからない。

 そこに無策で突入するのはあまりに無謀だ。

 だが、アライさんはスピードを緩める事なく商店街へと走り込もうとした。

 

「まぁ、待て」

「ぐへっ」

 

 オオセルザンコウがアライさんの首根っこを抑えて引き留める。

 急に止められたアライさんは首が締まったが、まあ、悪気はないので許して欲しい。

 

「な、何をするのだオオセルザンコウッ!?」

「すまない。だが、このまま突っ込むのはあまりにも危険過ぎる。何か作戦が必要だろう」

 

 両手をバタつかせて怒るアライさんにオオセルザンコウは努めて冷静に言った。

 何せ、冷静なはずのフェネックまでもが商店街に突入しようとしていたのだ。

 オオセルザンコウはフェネックを高く評価していた。

 冷静で、最小限の言動でもって場をコントロールしてさり気なくよりよい結果を出すよう誘導してくる。

 それなのに、今は無謀にも濃霧の中へ突っ込もうとしていた。

 他の者が焦りを見せるなら自分くらいは冷静でなくてはならない。オオセルザンコウはそう考えて、もう一度冷静にみんなを見返す。

 

「(ふむ。アライさんが突入するなら当然ついていく、と言ったところか)」

 

 オオセルザンコウはフェネックの行動をそのように分析した。

 それは的を射ていた。

 今日はオオセルザンコウとアライさんとフェネックは同じチームでデリバリーマンの仕事をこなしていた。

 なので、何となく彼女達の性格も把握できてきた。

 それに彼女達が焦る気持ちだって理解出来る。

 奈々やキタキツネやギンギツネは商店街の中にいるはずだし、他の多くの買い物客や店員達だって一緒のはずだ。

 セルリアンが現れているのならリスクを顧みず突入したい気持ちはわかる。

 

「いやぁ。ごめんね、オオセルザンコウ。止めてくれて助かったよ」

 

 そんなオオセルザンコウの考えを見透かしたようにフェネックが言う。

 いやはや、やはりクロスシンフォニーチームは一筋縄ではいかないらしい、と苦笑するオオセルザンコウだった。

 

「まずは作戦を考えよう。みんなでな」

 

 とりあえず三人で顔を付き合わせて作戦会議だ。

 フェネックは携帯電話を取り出すと、画面にU-Mya-Systemを映し出してみせた。

 そこには、ちょうど商店街を囲むようにして、こちらに近づいてくる者がいる。

 一つはともえとイエイヌのチーム。

 もう一つはかばんとサーバルとマセルカのチームだ。

 彼女達も商店街の異変に気付いてこちらに向かっているのだろう。

 

「これが私達。そして……この商店街の中にいる反応はエゾオオカミとセルシコウだね」

 

 オオセルザンコウもその画面を見ながら何かを考え込む。

 果たして、このまま突入していいものかどうか。

 最悪、あの霧の中がセルリアンの腹の中という事だってあり得るのだ。

 出来れば慎重を期したい。

 

「ふっふっふ……」

 

 そんな中で唐突にアライさんが含み笑いを漏らす。

 一体どうした、と訝しむオオセルザンコウはそちらに視線を向ける。

 すると、アライさんは自信たっぷりにこう言い放った。

 

「アライさん、かしこいから作戦を思いついたのだ!」

 

 ほう、どんな作戦だ。とオオセルザンコウも興味をそそられる。

 

「簡単なのだ。アライさんとフェネックの二人であの霧の中に入ってみんなを助けてくるのだ!」

 

 えっへん、と胸を張ってみせるアライさんにオオセルザンコウは頭が痛くなる想いだった。

 そう簡単にいかないから困っているというのに。

 助けを求めてフェネックの方へ視線を移したオオセルザンコウは意外なものを見た。

 フェネックが先程のアライさんの案を真剣に検討しているのだ。

 いやいやそれを考えるよりも他の作戦を考えた方がいい、と思っていたオオセルザンコウだったが、フェネックの意外な一言に絶句させられた。

 

「いやあ。案外ありかもしれないよ」

 

 案外も何も最初からナシだ。オオセルザンコウはその言葉を寸前で飲み込んだ。

 フェネックが「話を聞くくらいはタダだよ」と言いたげに彼女を見ていたからだ。

 

「まずね。私とアライさんはかばんさんが変身する時に、かばんさんの所へ行けるんだ。分かりやすく言うとテレポーテーションってところかな」

 

 にわかには信じがたい話だが、それが本当ならアライさんが言った作戦だって一考の余地が生まれる。

 

「つまり、キミ達二人が先行して偵察をする、と言いたいわけか」

「ご名答」

 

 つまり霧の中にフェネックとアライさんが先行して、クロスシンフォニーに変身する際に『シンフォニーコンダクター』の機能を使って合流しようというわけだ。

 悪くない案だ。

 今、足りていないのは情報だ。

 それを探れるというのなら願ってもない。

 だが、問題が一つ。

 

「しかし、キミ達二人だけではセルリアンが現れたらどうにも出来ないだろう」

 

 フェネックもアライさんもクロスシンフォニーとして戦って来た歴戦の戦士だ。

 けれども、変身できるわけではない。

 小物の取り巻きセルリアンくらいなら何とかなるかもしれないが、この霧を発生させるような大物になったら到底太刀打ちできないだろう。

 これを解決する案が一つだけある。

 

「だから、私も一緒に行こう」

 

 オオセルザンコウは“セルメダル”を取り出す。

 今は“アクセプター”の出力を最低に落としているが、“セルメダル”で変身してしまえば並みのセルリアンなど恐れるに足りない。

 それに、アライさんとフェネックだけを危険に晒すわけにはいかなかった。

 

「つまり、三人でまずはあの霧の中に突入ってわけだね」

 

 フェネックはニヤリとする。

 そう、それは……。

 

「アライさんが最初にやろうとした事で正解だった、ってわけだねぇ」

 

 という結果になったからだ。

 結果論だ、と言いたいオオセルザンコウだったが、思い直してこう言った。

 

「ああ。そうだな。アライさんはかしこいな」

 

 アライさんはそれに得意満面でフェネックはそれを嬉しそうに眺めていた。

 オオセルザンコウは苦笑しか出ないが悪い気分ではなかった。

 

「よぉし!それじゃあアライさんに続くのだー!」

 

 こうして三人は霧の中へ突入していくのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 商店街の中は霧に包まれて、数メートル先ですら見通せない。

 それにいくら歩いてもどこにも行きつかないし、人にも会わない。

 あまりにも異様な光景に、キタキツネとギンギツネはお互いの手を握り途方に暮れていた。

 それに二人にはもう一つの大問題を抱えてもいた。

 奈々とはぐれてしまったのだ。

 この異様な光景の中で奈々を探し出して、どこかへ落ち着く。

 そんな事が出来るのかと二人して途方に暮れていたのだ。

 

「と、ともかく。こうしていても始まらないわ。まずは奈々姉さんを探しましょう。さっきまで一緒にいたんだもの。きっと近くにいるわ」

「うん、そ、そうだね」

 

 ギンギツネの提案にキタキツネも頷く。

 そうして、二人で手を取り合ったまま奈々の名を呼びその辺りを歩いてみた。

 やはり商店街の中だというのに、歩き回ってもどこにも行き着かない。

 しかし、さすがに歩き回れば誰かには会うもので、二人の前には霧に霞んでよく見えないが人影が現れた。

 ホッと安心するキタキツネとギンギツネ。

 ともかく、奈々の事を見なかったか訊いてみよう。

 そう思って人影の方へと近づく。どうやらあちらも二人らしい。

 

「あ、あの……。すみません」

 

 声を掛けたギンギツネは絶句した。

 振り返った人影はキツネの耳に尻尾。自分達とうり二つの姿をしていたからだ。

 ただし、その顔に本来あるはずの目や口や鼻はなく、大きな一つ目だけしかなかったが。

 

「ひっ!?!?」

 

 その姿を見たギンギツネは思わず腰を抜かしてしまった。

 ゆらり、と一つ目の化け物達がギンギツネの方へ近づいて来る。

 

「た、立って! ギンギツネ!」

 

 どう考えてもあの一つ目の化け物は普通じゃない。

 逃げなくてはとキタキツネがギンギツネの手を引っ張る。

 だけれども、あまりの事態にギンギツネは腰を抜かしたまま動けないでいた。

 ゆっくりと一つ目の化け物が彼女に向けて手を伸ばす。

 

「ぎ、ギンギツネに近づかないで!」

 

 キタキツネが両手を広げて通せんぼし、背中にギンギツネを庇う。

 そうなると、今度はキタキツネが矢面に立ってしまった。

 一つ目の化け物は、そちらでも構わないとでもいうようにキタキツネへ手を伸ばす。

 あと一息でその指がキタキツネへ届く、その刹那。

 

「うぉりゃぁああああああああっ!」

 

 聞き慣れた声の雄叫びと共に乱入して来る人影が一つ。

 揺れる赤毛のサイドポニーを揺らす姿は奈々のものだった。

 なんと、奈々はその拳で一つ目の化け物を殴り倒したのだ。

 

―パッカァアアン!

 

 と小気味よい音と共に砕け散る一つ目の化け物。後にはキラキラと輝く粒子の残滓が残るのみだ。

 奈々は続けてクルリ、と華麗なターンを決めるとそこからしなるように脚を繰り出す。

 回し蹴りである。

 その餌食はもちろん、残る一つ目の化け物だ。

 

「飼育員なめんなぁああああああっ!」

 

 謎の気合と共に繰り出された回し蹴りは再び一つ目の化け物をパッカーンと砕き、輝く粒子へと還してしまった。

 

「ふう。あなた達、大丈夫?」

 

 まだ腰を抜かしたままのギンギツネとキタキツネに奈々は手を差し出す。

 

「って、うわぁ。キタキツネだ。へー。こっちにもちゃんと居たんだ。ええと、こっちの子はギンギツネかなぁ」

 

 よっ、と軽い掛け声と共に、彼女はギンギツネを引っ張り起こす。

 

「ええと、ありがとう。奈々姉さん……」

 

 あの化け物が殴り倒していいものだったのかどうかわからないが、取り敢えず助けてもらった事は確かだ。

 ギンギツネは戸惑いながらも礼を言う。

 と、何かキタキツネが険しい顔をしていた。

 一体どうしたのだろうと思っているとキタキツネはギンギツネを引っ張って引き寄せる。

 

「離れて。ギンギツネ」

 

 どうして、キタキツネは奈々から距離を取るのだろう?

 その疑問の答えは彼女自身が続けた。

 

「あの人、奈々じゃない。あなた、誰なの?」

 

 まさか、そんなはずはあるまい。

 一体何を言い出すの、と言いかけたギンギツネは言葉を呑んだ。

 奈々が。

 いや、奈々の姿をした何者かがまるでキタキツネの言葉を肯定するようにニヤリとその口元を笑みの形にしたのだから。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「エゾオオカミ。あなたの選んでくれたユカタ? とやらは中々いいですね。動きやすいです」

「そうかい。そいつぁよかったぜ!」

 

 霧の商店街の中、エゾオオカミとセルシコウの二人は背中合わせになる。

 二人は青龍神社で行われる夏祭りのポスター撮影へ向かう途中だった。

 ちなみに彼女達が現在着ているのは、セルシコウは下がミニスカート状のミニ浴衣と呼ばれるもので、エゾオオカミの方は甚兵衛である。

 男形がいた方が映えると押し切った結果、エゾオオカミまで浴衣になる事態は避けられた。

 

「しかし、キリがないな!」

「まったくです」

 

 言いつつ二人揃って正拳突きで霧の中から現れたヒト型セルリアンを撃破する。

 先程、霧がいきなり濃くなって以降、この化け物たちはひっきりなしに現れるのだ。

 ハッキリ言ってそいつら一体一体は弱い。

 セルシコウもエゾオオカミも変身しなくても容易に相手どれる程に。

 しかし、倒しても倒しても、霧の中から次々とセルリアンが現れる。

 

「他の人達も無事だといいのですが」

 

 途中で出会うセルリアン達を倒しつつ進んでいたエゾオオカミとセルシコウだったが一向に誰にも出会わない。

 いくら霧に包まれているからといって、これはおかしい。

 

「そういうセルリアンの能力……なのかもな」

「ええ。おそらくはその通りかと」

 

 エゾオオカミの言葉に頷くセルシコウ。

 どうやら色鳥町商店街は突如あらわれたセルリアンに乗っ取られつつあるらしい。

 だったら、この霧を発生させているセルリアン本体を叩くしかない。

 だが当てがない。

 襲い掛かってくるセルリアンを撃退は出来ている。

 けれども、肝心の元凶がどこにいるのかわからない。

 

「まったく、まどろっこしいですね!」

 

―パッカァーン!

 

 セルシコウはいら立ちと共に、再び現れたセルリアンを上段回し蹴りで文字通り一蹴してみせた。

 と、エゾオオカミは気づいた。気づいてしまった。

 

「あー……その……。足技は程々にしておいた方がいいんじゃねーかな」

 

 そっぽを向きながらそんな事を言うエゾオオカミが何を言わんとしているのかわからず、セルシコウは小首を傾げた。

 

「いや……。ほら。今着てるのミニスカートだし……」

 

 そこまで言われればようやくセルシコウも言わんとしている事を理解出来た。

 慌ててスカートの裾を抑えるが、とき既に遅し。

 八つ当たりと理解しながらもセルシコウはエゾオオカミに感情をぶつけるしか選択肢がなかった。

 

「もう! そういうところですよ、エゾオオカミ!?」

「いや、どーいうところだよ!?」

 

 そんなこんなで、この二人も霧の商店街を彷徨うのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 キタキツネとギンギツネは目の前にいる奈々の姿をした何者かから距離を取ろうとジリジリ後退る。

 先程、霧の中から現れた自分達ソックリの姿をした一つ目の化け物とは違うのだろうか。

 それとも、これが奈々が昨晩見たというドッペルゲンガーなのだろうか。

 考えてもキタキツネとギンギツネには分からなかった。

 目の前の奈々の姿をした何者かは両手を大きく広げると……。

 

「あー。うん。そうだよ。私はあなた達が知ってるナナじゃないの」

 

 言いつつ両手を降参、とばかりに挙げて見せた。

 どうやら自分達をどうこうしようというつもりはないらしいが、果たして信用していいものかどうか。

 

「信用しろとは言わないけれど、これだけは信じて欲しいな。私はあなた達の敵じゃあないよ」

 

 確かに先程はこの奈々の姿をした何者かに助けられた。

 けれど、こんな状況で信じていいものかどうか。

 なおも悩むキタキツネとギンギツネ。

 そんな二人の緊張をほぐす為か、奈々の姿をした何者かは降参の姿勢のままで続けた。

 

「ええとね。とりあえず自己紹介。私は菜々。こことは別な世界のジャパリパークってところから来た飼育員なの」

 

 一体彼女は何を言っているんだ。

 そう思ってキタキツネとギンギツネは顔を見合わせた。

 と……。

 

―ボンッ!

 

 霧を切り裂いて先程現れた一つ目の化け物が再びキタキツネとギンギツネに襲い掛かろうとした。

 

「私の目の前でフレンズを食べさせるわけないじゃない!」

 

 ほんの一呼吸で間合いを詰めた菜々と名乗った女の子は再びしなる足で上段蹴りを一閃。

 一瞬にして一つ目の化け物を蹴り倒してしまった。

 だが……。

 

―ゾロゾロゾロ

 

 霧の中から一つ目の化け物が大量に現れる。

 

「あー、もう。話の途中なのになあ」

 

 菜々と名乗った少女はそれでも臆する事はなかった。

 それどころか、キタキツネとギンギツネを背に庇う。

 

「ごめんね、詳しい話は後にするよ。ただもう一つだけ信じて欲しい。私があなた達二人を守って見せるって」

 

 言いつつ彼女は古ぼけた手帳を取り出す。

 使い込まれたらしいそれは多数の栞が挟まっていた。

 よく見ると、ほつれを補修する為か多数の動物シールが貼られている。

 彼女はその手帳に挟まれた栞のうち一枚を引き抜くとそれを額にあてて叫ぶ。

 

「変身ッ!キタキツネモード!」

 

 瞬間、木の葉が舞った。

 その木の葉は彼女が栞に押し花としてつけていたのと同じものに見える。

 菜々を中心に舞っていた落ち葉の嵐が治まった時、そこに立っていたのは……。

 

「「ニンジャだ……」」

 

 そろって感想を漏らすキタキツネとギンギツネ。二人の目の前にはそんな姿をした菜々がいた。

 肩から先の袖がない和服に足先に向かってラッパ状にわずかな膨らみを見せる袴。

 そして足元は脚絆と呼ばれる装具でしっかりと絞られている。

 履いているのは足袋と呼ばれる靴下で、草履は動きやすいようにギッチリと踵部分までわらじ紐で固定してあった。

 そして、サイドテールの逆側にキツネを象った面を横向きにつけて、口元を面頬と呼ばれるマスクで隠している。

 さらにはさっきまでは確かにヒトだった菜々の姿がレモンイエローの髪色にかわって、キツネの耳と先っぽだけが黒いキツネの尻尾まで付けているのだ。

 これはまるで……。

 

「クロスハートみたい」

「クロスナイトみたい」

 

 残念ながらキタキツネとギンギツネの感想は揃わなかった。

 しかし、そこからは一方的だった。

 菜々の姿が一瞬掻き消えたかと思ったら、あれだけいた一つ目の化け物達がシャボン玉でも割れるかのように全て光の粒へと還ってしまったのだ。

 そうしてから、再びキタキツネとギンギツネの前に謎のニンジャが姿を現す。

 

「さて、あらためまして自己紹介ね。私はクロスレインボー。通りすがりの正義の味方、クロスレインボーだよ」

 

 面頬を付けているというのに、その声は不思議とよく通った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥町商店街前交番もやはりこの霧に異常を感じていた。

 

「ヤマさん、念の為ですけど軽く巡回してきますね。もしかしたらこの霧で困ってる人がいるかもしれないですし」

 

 いつも職務に熱心なハクトウワシはそういうと、無線の調子を確かめてから雨合羽を被る。

 幸いというべきかなんというべきか、交番までは霧は届いていないようだった。

 それだけに、商店街だけが濃霧に包まれている光景は異様でもある。

 

「うん。何かあったら無線ですぐに連絡してね。今の所110番通報なんかは入っていないけれど、こちらでも何かあったらすぐに報せるよ」

 

 ヤマさんは待機して緊急に備える。

 空模様も悪いし、この霧だし、何事もないといいが。

 そう願ってハクトウワシは巡回に出る。

 昼間だというのに、商店街の中は全然見通せない。

 念の為に持ってきた懐中電灯をつけてみても大した役には立たなかった。

 ハクトウワシは意を決して霧の中へ歩みを進める。

 と、少し歩くと霧が晴れた。

 最初ホッと安心したハクトウワシだったが……

 

「what?」

 

 と、戸惑いの声をあげる事になってしまった。

 目の前に交番がある。

 それはつい先ほど出発したばかりの色鳥町商店街前交番だ。

 つまり、ハクトウワシは商店街の中に入ったつもりだったのに、いつの間にか外に戻されてしまったのだ。

 慌てて後ろを振り返ると、商店街入り口のアーチが霧に霞んで見える。

 いくら霧で視界が悪くたって、180度進行方向を間違えるわけがない。

 ハクトウワシはもう一度、商店街の入り口に向けて歩みを進める。

 けれど結果は一緒だった。

 

「い、一体これはどういう事なの……」

 

 ハクトウワシは目の前に立ち込める濃密な霧に戸惑いの声をあげる事しかできなかった。

 

 

―後編②へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話『真夏の夜にあった怖い話』(後編②)

 

 逆側の商店街入り口には、かばん、マセルカ、サーバルの三人とともえとイエイヌのコンビがようやく辿り着いていた。

 やはり五人も濃霧に包まれた商店街に息を呑んだ。

 誰もが顔を見合わせて戸惑うが、こうしていてもらちが明かない。

 

「ともかく、突撃あるのみだね!」

 

 やはりというべきか何というべきか。ともえが、いの一番で駆け出してしまった。

 

「ここはわたしが! 皆さんは何があるかわかりませんからここでちょっとだけ待ってて下さい!」

 

 それを追いかけたのはイエイヌだ。

 二人して霧の中に突入するけれども、すぐに引き返してきた。

 見守っていたかばん達も、引き返してきたともえ達もお互いの顔を見て「あれ?」という顔になる。

 

「あ、あれ? なんでかばんちゃん達が商店街の中に……?」

「あの……ボク達からはともえさん達が霧の中から引き返してきたように見えたんですが……」

 

 これは一体全体どういう事だろう。

 そうして疑問に思っていると、マセルカが口を開いた。

 

「あのね。あの霧、多分セルリアンだよ」

 

 その言葉に全員が驚きを隠せなかった。

 どうしてそんな事がわかるというのか。

 

「なんでって言われても、何となくわかる、としか言いようがないんだよ。マセルカは何となくだけど、セルリアンに出来る物とか、どんなセルリアンか、っていうのが分かるの」

 

 ふむ、と一同揃って考え込む。

 これはきっとマセルカの直観とかそういうものに根差した感覚的なものなのだろう。

 だけれども、セルリアンの仕業であれば、霧の中に突入したはずが入り口に戻されるという不可思議な現象も納得がいく。

 

「やっぱりマセルカってすごいね」

「へへー。そうでしょそうでしょっ! もっと褒めてくれてもいいんだよ?」

「うん! そんな事までわかっちゃうなんて凄いよ!」

 

 最初こそぎこちなかったサーバルとマセルカも今ではこんな感じですっかり仲良しだった。

 得意満面のマセルカはさらにちょっとした能力を披露するか、と両手を耳にあてて聴覚に集中する。

 一体何をするのだろう、と思って見ているとかばんが小声で教えてくれた。

 

「おそらくですが、エコーロケーションかと。自ら発した超音波が何かにぶつかって跳ね返ってくる音を聴いて周囲の状況を把握するイルカの能力です」

 

 なるほど、確かにそれは図鑑などにも載っていたのでともえも知っている。

 特にマセルカと戦った事のあるかばんとサーバルの二人はその能力の高さまでも実感していた。

 この情報は信用してもよさそうだ。

 

「うん。ええとね、商店街の中にはまだたくさんの人達が取り残されてるみたい。けど、セルリアンに攻撃されてる人は殆どいないね。誰かが囮になったりしてセルリアンを倒してるっぽいけど……。これは……うーん」

 

 マセルカの言葉に一同考え込む。

 おそらく、商店街の中にいたセルシコウとエゾオオカミが上手い事やってくれているのだろうか。

 

「それにね。多分だけどオオセルザンコウとアライさんとフェネックも商店街の中にいるよ。声が聞こえたもん」

 

 どうやらオオセルザンコウ達三人は霧の中にいるらしい。

 自分達は入れなかったのになんで彼女達は霧の中に入れたのだろう。

 その疑問には答えたのは意外な人物だった。

 一台のSUV車が商店街の入り口近くに急停車したのだ。

 運転席の窓が開くとそこから“教授”が顔を出した。

 

「やあ、こちらでも状況は何となくは把握しているよ。おそらくだけれども、セルリアンは十分な餌が網にかかったから入り口を閉じたんだろう。ここからは消化の時間だろうね」

 

 つまり、今まで無事だった商店街の人達にも危害が及ぶ可能性があるというのだ。

 

「じゃあ急いで何とかしないと!」

「せやな」

 

 SUV車から降りて来たのは既に着替え済みのクロスラピスにクロスラズリの二人だった。

 それにもう一人……。

 

「だれ?」

 

 と思わず訊ねてしまうともえ。

 クロスジュエルチームと一緒に降りて来たのは猫科のフレンズだった。

 

「こんにちわ。私はカラカル。別な世界から来た、って言ったらアンタ達にはわかるわよね」

 

 思わず驚きで目を丸くするともえ達。

 

「詳しい話は後にするけど、そこまで心配いらないわ。あの霧の中には菜々がいるもの」

 

 どうしてただの高校生のはずの奈々が? とカラカルとともえ達で微妙に話が噛み合っていない。

 

「そうだね。彼女の実力は私が保証するよ。なにせ彼女とは別な世界で一緒に戦った仲だからね」

 

 “教授”も一体いつ奈々と知り合ったのか。実は奈々には何か隠された才能でもあるのか?

 やはりともえと“教授”で話しているナナが別人なので会話が噛み合っていない。

 ただ、その説明を求めるのも今は時間が惜しい。ここは“教授”の言を信じよう。

 ともかく、こうしていても時間は過ぎていくばかりだ。

 

「なら……! かばんちゃん、イエイヌちゃん! 変身しよう!」

「はい!」

「わかりました!」

 

 ともえの号令で三つの声が重なる。

 

「「「変身ッ!」」」

 

 幸いにして商店街の中程ではないけれど、霧が周囲を隠してくれていた。

 ここで変身しても誰かに見られる心配はないだろう。

 程なくしてクロスハート・キタキツネフォームとクロスシンフォニー・サーバルシルエット、そしてクロスナイトの三人が現れた。

 しかし、変身したとして霧の中に突入できないのは変わらない。

 

「ええと、皆さん。アライさんとフェネックさんが中の様子を見てきてくれたそうです。お話しますね」

 

 サーバルシルエットに変身したクロスシンフォニーが挙手して説明する。

 中は霧で無限に続くかのような広い空間になっている事。

 時折、一つ目のヒト型セルリアンが現れる事。

 どうやら今は輝きの強い者を狙ってそこに集中しているらしい事だ。

 ちょうど、セルシコウとエゾオオカミが囮となってくれているらしい。

 

「それとオオセルザンコウさんが中に残っています。どうやらあのセルリアンが入り口を閉じる前に突入できたようなんです」

 

 その情報はクロスシンフォニーに『シンフォニーコンダクター』で合流したアライさんが大騒ぎで説明しれくれた情報だ。

 

「オオセルザンコウなら心配ないよ。だってマセルカ達の中で一番しっかりしてるし、あと防御が得意だから」

 

 マセルカの自信たっぷりの言葉にようやくクロスシンフォニーの心の中に合流したアライさんもホッと落ち着いていた。

 何はともあれ、さらなる情報が欲しい。

 先程からクロスハートは『マグネティックサーチ』で霧の中の状況を探っていたが、先にマセルカが説明してくれた以上の情報は得られない。

 

「なら……、シルエットチェンジ! アライグマシルエットッ!」

 

 クロスシンフォニーはアライグマシルエットへと変わる。

 アライグマシルエットであれば、手に触れたセルリアンの特徴を把握できる破格の分析技である『アライ・アナライズ』が使える。

 マセルカの言が本当ならば、商店街を包む霧はセルリアンの一部なのだ。

 だとすれば『アライ・アナライズ』で解析できるかもしれない。

 クロスシンフォニーは商店街の入り口に近づくと霧の中にそっと手を差し込む。

 

「なるほど……」

 

 確かにこの霧はセルリアンの一部だったようで、クロスシンフォニーはその特徴を掴んでいた。

 どうやらこの霧は極小の鏡のようなものらしい。

 それを展開する事で広範囲を鏡の迷宮とも呼べるものにしたのだ。

 だとしたら突破口は……。

 

「「「「「「「うーん……」」」」」」」

 

 全員が腕を組んで唸る。

 と、クロスハートの目にある物が飛び込んできた。

 それは商店街の入り口の掲示板に掲示されていた、青龍神社夏祭り開催のお報せだった。

 

「そうだ! こんな作戦どう!?」

 

 頭を付き合わせてクロスハートの作戦を聞いた一同は最初……

 

「「「「「えぇー……」」」」」

 

 と困惑を浮かべた。

 そんな作戦が上手くいくのかと最初は不安だったが、しかし先にクロスシンフォニーから聞いた情報を考えると案外悪くないように思えて来た。

 

「ま、他に作戦もないんだし、やるだけやってみましょ」

 

 カラカルの言に一同頷く。

 ちょっと不安がないでもないけれど、試してみる価値はある。

 果たしてクロスハートの作戦とは一体……。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時は少しだけ遡る。

 クロスハート達が商店街入り口に集まる少し前、オオセルザンコウとアライさんとフェネックの三人は霧の商店街を歩いていた。

 既にオオセルザンコウは“アクセプター”にセルメダルをセットして変身している。

 今は硬質化した鱗のスカートに肩当てとリストバンド、それに帽子が変化したヘルメットから目元にバイザーが降ろされて一見でオオセルザンコウだと分かる者はいないだろう。

 今セットしているセルメダルはかつてクロスハート達が戦った『コンダラセルリアン』のものだ。

 これはオオセルザンコウとの相性がよく、ただでさえ硬い防御力をさらに補強してくれていたし、得意の回転攻撃の威力まで上乗せしてくれていた。

 先程から何度となく一つ目のヒト型セルリアンに襲われているが、難なく撃退してみせるオオセルザンコウである。

 

「オオセルザンコウは強いのだ! 頼もしいのだ!」

 

 そんな彼女をアライさんは手放しで褒める。

 無謀とも思える突撃をした三人はそれに見合うだけの情報を得ていた。

 そんな折だ。

 アライさんとフェネックが左腕につけた腕時計のようなものがピコピコと明滅してなにかを報せてきた。

 二人が心配そうにオオセルザンコウを見ている様子から察するにクロスシンフォニーが変身したのだろう。

 となれば、二人はオオセルザンコウを置いてクロスシンフォニーのところに行くしかない。

 

「まったく、そんな顔をしないでおくれ。作戦通りじゃないか」

 

 そう。

 この強行偵察はクロスシンフォニーの変身特性を利用したものだ。

 だから、ここに残られたら作戦が台無しである。

 

「それにアライさんだって言ってくれただろう? 私は頼もしいって」

 

 だからお互いに役割を果たそう。

 アライさんもフェネックも二人とも頷いてくれた。

 二人は一度、オオセルザンコウの手をとる。

 

「ならオオセルザンコウ。かばんさん達と一緒にすぐに戻るのだ」

「うん。だから絶対無事でいてよ」

 

 言うと、二人は光の粒子となって姿が掻き消えた。

 きっとクロスシンフォニーの元へ向かったのだろう。

 

「まったく、敵の心配をしてくれるとは酔狂な連中だな」

 

 オオセルザンコウはこれで一人になった。

 さて、どうしたものか。

 取り敢えずはセルシコウ達と合流するべきか、はたまた今も霧の中に取り残された商店街の人達を助けに行くべきか。

 

「いずれにせよ、どちらに向かったらいいかすらわからないわけだがね。」

 

 この霧の迷宮は中々に厄介だ。

 こうして霧の中に閉じ込めたヒトやフレンズの輝きを霧内に発生させた取り巻きセルリアンを使って回収するのだろう。

 今の所はオオセルザンコウを傷つけられるようなセルリアンはいないが、これが続けば疲労が溜まりどうなるかわからない。

 

「じっとしていても何ともなるまい。取り敢えずは歩いてみるか。」

 

 こうなってはオオセルザンコウに打つ手はない。

 後は運を天に任せて歩いてみるのみだ。

 その選択が一人の少女を救った。

 

「おや?」

 

 霧の中から赤毛をサイドポニーにした少女が飛び出して来たのだ。

 それは最近ずっと一緒だったから見間違えるはずもない。奈々である。

 ひどく慌てて何かから逃げているようだがどうしたのだろう。

 

「なるほどな」

 

 彼女のやって来た方向に視線を向けたオオセルザンコウは合点がいった。

 奈々によく似たヒト型セルリアンが追いかけてきていたからだ。

 ただのヒトである彼女にセルリアンの相手は難しいだろう。

 オオセルザンコウは奈々を追いかけていたヒト型セルリアンにショルダータックルをぶちかます。

 

―パッカーン!

 

「もう安心だよ、奈々」

 

 鎧袖一触でヒト型セルリアンを撃破したオオセルザンコウは奈々を抱きとめる。

 と同時に一つの推論も立てていた。

 このセルリアンは霧の中に閉じ込めたヒトやフレンズと似た姿のセルリアンを生み出す能力があるのだろう、と。

 

「という事は鏡のセルリアン……、といったところか」

 

 その推測が正しいかどうかはともかく、まずは奈々が無事でよかった。

 と、奈々が不思議そうな顔でオオセルザンコウを見ていた。

 

「ええと、助けてくれてありがとう……。けど、あなた誰?」

 

 言われて思い出した。

 オオセルザンコウは今、変身中だったのだ。

 ここでセルメダルで変身できる事がバレるのは得策ではないだろう。

 何か誤魔化さないと。

 思ったオオセルザンコウの頭には何故かこの文言が浮かんでしまった。

 

「あー。私は……。通りすがりの正義の味方さ」

 

 そう言われれば奈々も且つて商店街の路地裏で戦っていた彼女を見たような覚えがある。

 その時は電子掲示板で実況までしたのだ。

 

「も、もしかしてクロスハートの仲間!? ねえ、写真一緒に撮ってもらっていい!? それと取材してもいい!?」

 

 さっきまで慌てふためいていた奈々は突如としてキラキラした目でオオセルザンコウに迫る。

 

「いや……。すまない。遠慮させて欲しい」

 

 あまりの勢いにオオセルザンコウが若干引く程だった。

 それにせっかく正体を隠したのに、自ら身バレするようなリスクは負いたくなかった。

 

「じゃあ……。じゃあせめて名前だけでも」

 

 思わぬ奈々の嘆願にオオセルザンコウは焦った。

 まさかここでオオセルザンコウと名乗ったらいくらなんでも正体がバレてしまう。

 どうする、とイヤな汗が背中に浮かぶ。

 咄嗟に名乗る名前なんて考えていなかった。

 

「ナ……」

「な?」

 

 続く言葉を奈々はわくわくして待っていた。

 

「な、名前はまだない。すまない」

「そ、そうなんだ」

 

 明らかにガックリと肩を落とした奈々にオオセルザンコウは申し訳ない気持ちになってしまう。

 今度は何か考えておこうか、と頭の片隅で思っていた。

 と、そんなオオセルザンコウに声を掛ける者がいた。

 

「いやあ、お見事。奈々を助けてくれてありがとうね。通りすがりの正義の味方ナマエハマダナイさん」

 

 霧の中からもう三人の人影が現れた。

 オオセルザンコウは咄嗟に前に出て背中に奈々を庇う。

 

「名前はまだない、というのは名乗るべき名前がないというだけであって私の呼び名ではないよ」

 

 言いつつもオオセルザンコウは警戒した。

 キツネの耳と尻尾を持ったフレンズのようであるが顔立ちが奈々そっくりだ。

 まるでパンサーカメレオンのような毛皮をまとった彼女の物腰は強者のそれだ。

 確かこの毛皮はニンジャと呼ばれる職業を模したものだったか。

 それはともかく先程襲って来たヒト型セルリアンなど束になってかかっても彼女には敵うまい。

 警戒して身構えるオオセルザンコウだったが、そこでその謎のニンジャの後ろから二つの人影が飛び出した。

 

「奈々!」

「奈々姉さん!」

 

 それはキタキツネとギンギツネだった。

 奈々の方もオオセルザンコウの背後から飛び出し、思わずキタキツネ達を抱きしめてしまった。

 

「二人とも無事だったのね。よかったぁ……」

 

 最初何事かと思っていたオオセルザンコウだったが、どうやらこのニンジャがキタキツネとギンギツネを助けてくれたらしいと悟った。

 彼女は敵ではないらしいが一体何者なのか。

 

「私? 私はね、通りすがりの正義の味方、クロスレインボーだよ。」

 

 情報にない新しい戦士だとでもいうのだろうか。

 オオセルザンコウは警戒を解ききる事が出来なかったが、この状況を打開する為にお互い協力は出来そうだと考えた。

 

「ならばクロスレインボー。まずはお互いに、この霧のセルリアンをどうにかするという事でいいか?」

「そうだね、どうも囲まれちゃってるみたいだし」

 

 言って二人は奈々とキツネコンビをお互いの背に庇うようにして周囲に視線を走らせる。

 

―ゾロゾロゾロゾロ

 

 霧の中から次々と一つ目の化け物が現れて、奈々達三人は思わず息を呑んで震えあがった。

 その数は周囲を埋め尽くして余りある程だ。

 一体一体は弱いからしばらくの間はもつだろうが、その先はどうなるのか、想像したくはない。

 と、その時だ。

 

―あぁぁおおおおおおおおおおおおおおおん!

 

 遠吠えが一つ響いた。

 それは……。

 

「「クロスハートだ」」

 

 キタキツネとギンギツネが言う通り、クロスハートの声だった。

 その遠吠えには一つのメッセージが込められていた。

 曰く。

 

『今から霧を何とかするから、本体を倒して欲しい』

 

 と。

 

「乗る?」

「それしかなさそうだな」

 

 クロスレインボーとオオセルザンコウは頷き合うと、その瞬間を待った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「よぉーし! これでこっちの作戦は伝わったと思うよ!」

 

 クロスハートが振り返る。

 彼女は今はオオカミの耳に尻尾、それにチェック柄のミニスカートと黒のブレザーにネクタイという姿だった。

 もっとも、ブレザーの下から素肌が覗いているところを見るに中にブラウスは着ていないらしい。

 クロスハート・タイリクオオカミフォームである。

 その必殺技『ムーンハウリング』は遠吠えによってメッセージを伝える事が出来る。

 これで霧の向こうにいる仲間達に作戦を伝えたのだ。

 

「さあ! まずはこっちの番だよ!」

 

 クロスハートの号令で残る全員が作戦を開始した。

 まずはルリ……いや、クロスラピスだ。

 二本の三つ編みを伸ばして、まるであや取りのように何かを形作る。

 出来たのは、大きな団扇の骨組みだ。

 

「マセルカさん!」

「任せて!」

 

 続けてマセルカがセルメダルを取り出す。それはかつてcocosukiで暴れたセルリアン、『アラクネドール』の姿を刻んだセルメダルであった。

 

「“アクセプター”セットメダル! 『アラクネドール』」

 

 マセルカの服がセーラー服の襟首をつけたスクール水着へと変化する。

 と同時にヘルメットが現れて彼女の頭を覆い、そして目元にはバイザーが降ろされる。

 変身を果たしたマセルカは両手をグイ、と突き出す。

 そこから、マネキンの腕がガション、と飛び出す。

 それは後から後からマセルカの両手から生み出されていく。

 次々と生み出されるマネキンの腕が連結してクロスラピスの作った骨組みへと絡みついていった。

 そうして出来上がったのは、お祭りなどで神輿の担ぎ手を煽る大団扇だ。

 

「じゃあ、みんな! いくよ!」

 

 ここまでは作戦通り、クロスハートはニヤリとすると残るみんなに号令をかける。

 クロスシンフォニー、クロスラズリ、クロスナイト、カラカルの四人がその大団扇に取りいた。

 

「せぇーの!」

「「「「わっしょぉーい!」」」」

 

 クロスハートの合図で、ヒーロー達の手で大団扇が振るわれた。

 

―ゴウッ!

 

 と巻き起こった旋風が霧を押し流していく。

 

「まだまだ! せぇーの!」

「「「「わっしょぉーい!」」」」

 

 一度で霧を押し流しきれなくても、何度も何度も大団扇が振るわれる。

 その度に起こった突風が商店街を駆け抜けて霧を払っていった。

 ちなみに、“教授”は見守るだけに留めている。彼女のパワーで大団扇を振るうと強度がそれに耐えられないからだ。

 霧を押し流された商店街には、ポカンとした顔の買い物客達がいた。

 さっきまで霧で立ち往生していたものの、突然突風と共に霧が晴れてしまったのだ。

 そして、とうとう彼女達も霧の迷宮から解放された。

 クロスレインボーとオオセルザンコウの二人である。

 

「待ってたよ!」

「この瞬間をっ!」

 

 霧の晴れた商店街、その中心に一組の手鏡が浮いていた。

 中を開けると二組の鏡になっており、お互いを重ねる事でコンパクトにしまえる伝統的な手鏡だ。

 それこそがこの騒ぎの元凶、ミラーセルリアンである。

 既にミラーセルリアンは目と鼻の先だ。

 クロスレインボーとオオセルザンコウはミラーセルリアンに狙いを定める。

 が……。

 

―ギィ!

 

 ミラーセルリアンは一声鳴くとクロスレインボー達の姿をその鏡に映した。

 と、なんと一つ目のクロスレインボーとオオセルザンコウが現れたではないか。

 

―ギギィ!

 

 さらに二枚一組の鏡がお互いに向き合う。合せ鏡だ。

 すると、なんと偽クロスレインボーと偽オオセルザンコウが大量に増えていった。

 なるほど、こうやって偽のヒト型セルリアンを増やしていたわけだ。

 すぐに大量のセルリアン達が商店街の路地を埋め尽くし本体のミラーセルリアンを守る壁となった。

 

「ふむ……クロスレインボーだったね。道を作るからトドメを任せても構わないかな?」

 

 この事態にオオセルザンコウは一計を案じた。

 おそらく自分ひとりの突破力ではミラーセルリアンまで到達出来ない。

 けれども二人なら。

 クロスレインボーとならこのチャンスを活かす事が出来る。

 あとは彼女を信用できるかどうかだが……。

 

「うん! 任せなよ!」

 

 そんな心配は無用と言わんがばかり、いい笑顔で返された。

 ならば、言うだけの実力があるところを見せてもらうか。

 そう決意したオオセルザンコウは膝を抱えて丸くなる。

 その場で回転を始めると……。

 

「ローラープレス!」

 

 かつて戦った『コンダラセルリアン』と同じ技でもって、ヒト型セルリアンの群れを轢き潰していく!

 ちょうどオオセルザンコウが通った位置が綺麗に舗装された一本道となってミラーセルリアンまで繋がった。

 それにクロスレインボーは面頬の下に隠れた口元をニヤリとさせた。「やるじゃない」と。

 せっかく作ってくれた道だが最速で駆け抜けないと、すぐに再びセルリアンで埋め尽くされるだろう。

 

「だったらコレだね」

 

 クロスレインボーは再び栞を取り出す。

 それは先程使ったのとは別のものだ。そこに押し花の要領で貼り付けられているのは、サバンナ草原でよく見られるイネ科植物の草だった。

 彼女はその栞を額に当てると叫ぶ。

 

「転身! チーターモード!」

 

 すると、クロスレインボーの周りをサバンナで見られる丈の長い草が生えて来て覆い隠してしまった。

 ほどなくしてその草が散った時、そこには先程までの姿とは打って変わったクロスレインボーがいた。

 彼女の忍者装束がヒョウ柄の袴と白の和装へ変わる。

 キツネ耳は猫科のものへ。そして尻尾もシュルリと細く長いこれまた猫科のものへと変わった。

 彼女がつけていたキツネ面はチーターを象ったものになっている。

 これが彼女の言うチーターモードなのだろう。

 

―ガリッ!

 

 商店街の道に鋭い爪が食い込む音がした。

 それはクロスレインボーの履く草鞋からしていた。

 草鞋から生えた鉤爪がしっかりと大地を捕らえた次の瞬間……クロスレインボーの姿は文字通り掻き消えていた。

 それを見ていた誰もが「え?」と驚く。

 クロスレインボーはミラーセルリアンの背後に現れていたからだ。

 ちょうど、オオセルザンコウが作った道にはちょうど彼女が通った位置がぶすぶすと煙をあげていた。

 

「必殺。瞬閃撃、ってね」

 

 言いつつ、クロスレインボーがサンドスターで輝く両手の爪を血振るいのように振るうと同時。

 二枚一組のミラーセルリアンに爪痕がビシリと走った。

 直後。

 

―パッカァアアアアアアン!

 

 と、砕け散る二枚一組のミラーセルリアン。

 ミラーセルリアンの能力で生み出されていたヒト型セルリアン達もそれに従うように次々と砕け散っていった。

 

「じゃあ、そういう事で。 ドロンッ!」

 

 クロスレインボーは言いつつ片手をシュタっと挙げると、チーターの俊足でいずこかへ駆け去っていった。

 商店街の人達もこんな経験は二度目なので何となくは理解していた。

 あの商店街入り口に陣取っている女の子達、謎のヒーロークロスハート達がまたも助けてくれたのだ、と。

 それぞれに撤収していくクロスハート達を見ながら商店街は史上二度目のクロスハートコールに包まれるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、事件も解決した商店街はいつもの日常を取り戻していた。

 あんな事があった直後だというのに商魂たくましい事である。

 とうとう降り始めた夕立に、これ幸いと雨宿りの客を相手に店員達は忙しく立ち回っている。

 さてそれはともかく、こちらは写真屋さんである。

 

「なあ、いい加減機嫌なおせって、セルシコウ」

「別に怒ったりしてません」

「な? ほら、チョコバナナやるから」

 

 甚兵衛姿のエゾオオカミとミニ浴衣姿のセルシコウはそんな調子だった。

 霧は晴れたというのに、セルシコウのモヤモヤは晴れていないらしい。

 写真屋さんはそんな二人の姿を激写していた。

 これはこれで自然な姿の一つとして中々いい絵になると内心でホクソ笑む。

 

「なあ、セルシコウ。どうしたら許してくれるんだよ」

 

 とうとうエゾオオカミは降参した。

 さすがにエゾオオカミが悪いわけでもないのにちょっとやり過ぎたかな、と思ったセルシコウもようやく妥協案を考える。

 

「そうですね。じゃあ……」

 

 セルシコウはニヤリとするとこう言った。

 

「今日の練習メニューを倍にしましょう」

 

 その答えに、今日はいつも以上に過酷になるだろう特訓に想いを馳せてエゾオオカミは嘆いた。

 

「り、理不尽だ」

 

 と。

 なお、今年の青龍祭神社夏祭りのポスターには『不機嫌そうな彼女の機嫌をとろうと頑張る彼氏』という写真が採用された。

 彼女の方が見せる「しょうがないなあ」とでも言いたげな笑みと彼氏の方が見せる一生懸命さで案外人気の写真となったらしい。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 突如降り始めた夕立で奈々達は今日のバイトを中断していた。

 遠くで雷鳴も聞こえる。

 この休憩所にはギンギツネとキタキツネはもちろん、かばん達クロスシンフォニーチームもともえ達チームクロスハートも、それにエゾオオカミを除くクロスジュエルチームもいた。

 それと、今はセルシコウは別な仕事をしているのでセルリアンフレンズもオオセルザンコウとマセルカの二人のみである。

 この土砂降りの中を帰すわけにもいかないので、奈々の提案で休憩所で雨宿りしていたのである。

 

「それにしても……。クロスレインボー……一体何だったんだろうね」

 

 キタキツネがポツリと呟く。

 奈々にそっくりで、そして謎のニンジャに変身した。

 その正体はいくら考えてもわかるわけがなかった。

 ちなみに、その事情を知っているルリとアムールトラとユキヒョウはそれを説明するわけにもいかず苦笑で誤魔化すしかなかった。

 窓の外では雷鳴が鳴っている。

 

―ゴロゴロ……ビシャァアアアアン!

 

 雷が落ちる轟音が響いた。

 と同時、ふっ、と休憩所の電気が消える。

 窓の外も同時に暗くなっているところを見ると、商店街全体が先程の落雷で停電してしまったのだろうか。

 まだ昼間だというのに、雷鳴のなる今、休憩所の中は信じられないくらい薄暗くなった。

 

―ヒュウ……

 

 と生ぬるい風が休憩所に吹き込む。

 はて?

 いつ窓なんて開けただろうか。

 奈々が不思議に思っていると、再び……

 

―ビシャアアアアン!

 

 と落雷の音と閃光があたりを支配した。

 思わず奈々は両目を閉じる。

 そして音が治まって彼女が目を開けた時。窓枠に座るようにした一人の少女がそこにいた。

 スパッツに動きやすそうなスニーカー。半袖ジャケットにTシャツ。そしてサイドポニーにした赤毛にいつも鏡で見る顔立ち。

 ここは二階だったはずだよね、と思う暇もなく、奈々の姿をした何者かは口を開いた。

 

「いやー、さっきはごめんね。驚かせちゃったよね。あ、改めまして、私は菜々、よろしくね」

 

 怒涛の勢いで言われて、一同戸惑いを隠せない。

 そうして誰もが動けないでいる間に、菜々は窓枠からヒョイと降りると奈々に歩み寄ってその手をとるとにこやかにこう言った。

 

「実は私、どうしても奈々にお願いしないといけない事があって来たんだけど……」

 

 ゴクリと息を呑む奈々。

 一体何を言うんだろう。

 

「奈々。お願い。あなたの生き血をちょうだい」

 

―ゴロゴロ……ビシャアアアアアン!

 

 再び雷鳴が轟いて、奈々はとうとう卒倒した。

 

「え!? ちょっと奈々!? どうしたの!?大丈夫!?」

 

 奈々を慌てて抱き止める菜々であったが、直後、同じく窓から入って来たカラカルに怒涛のツッコミを喰らった。

 

「菜々!? アンタねえ! 言い方ってモンを考えなさい!?」

「うわぁああああん!? ゴメン!? なんかゴメンねええええ!?!?」

 

 そうして慌てる菜々を他の一同は生暖かい目で見守る事しか出来なかった。

 こうして、奈々の身に起こった怖い話は冴えない幕切れを見せるのだった。

 

 

けものフレンズRクロスハート第21話『真夏の夜にあった怖い話』

―おしまい―




【セルリアン情報公開:ミラーセルリアン】

手鏡にとりついたセルリアン。
二枚一組となっており、自身の写した者と似たセルリアンを生み出す。
また合わせ鏡となる事で、それを大量に複写する事も可能だ。
ただし、そうして生み出したセルリアンは本物とは姿は似ているが、その強さは足元にも及ばない。
また、ミラーセルリアンは自身の極小の分身体を多数展開して霧のようなものを発生させる事が出来る。
この霧に包まれた者は方向感覚を狂わされ、霧の迷宮に閉じ込められたかのようになってしまうだろう。
自身の霧の迷宮『ミラーラビリンス』に閉じ込めて、自身の複写したセルリアンで捕食する事を得意としている。
能力は凄まじいものがあるが、反面、本体そのものの攻撃力や防御力は大した事はない。
いかにして本体を見つけ出して攻撃するかが攻略の鍵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21.5話『おかあさんもいっしょ』

 

 朝。

 今日も色鳥町に日が昇る。

 真夏とはいえ、この時間にはまだ清涼な空気が感じられる。

 ここ、宝条家では、ルリがいつものように目覚まし時計のなる10分前に目を覚ました。

 隣で眠るアムールトラの為に、目覚まし時計を彼女が起きる時間にセットし直す。

 そうしてから、そーっと自室を出て、早速朝ご飯の支度に入ろうとする。

 けれども今日はちょっと様子が変だ。

 なんで、既にキッチンからお味噌汁のいい匂いがするのか……?

 ルリは訝しみながらもキッチンへ入る。

 

「あら、おはよう、ルリ。早いのね」

 

 そこにはエプロンを着けたカラカルがいた。

 目の前にある鍋の中身をお玉でかき混ぜている。

 取り皿に中身を少量とると、ルリに差し出した。

 

「味、見てくれる?」

 

 どうやらキッチンからしていたお味噌汁の匂いはカラカルの仕業だったらしい。

 ルリは言われるがままに取り皿のそれをひと啜り。

 

「……美味しい」

「そう。ならよかったわ」

 

 カラカルはニコリとすると、そのまま朝食の支度に戻った。

 既に炊飯器は炊き上がって、今は蒸らし中なのだろう。

 

「ルリ、朝ご飯、もうすぐ出来るから座って待っててね」

「あ……、はい」

 

 言われるがままにリビングのテーブルに着く。

 程なくして、彼女の為にホットミルクが用意された。

 それをひと啜りしてから、ホッと一息。まだ眠気に支配された頭がようやく動き始めた。

 と、同時、ルリは気が付いた。

 

「ってそうじゃないよ!? カラカルさんごめんなさい!? お客様にそんな事させちゃって!?」

 

 かつて“教授”が渡ったという別な世界。そこからやって来たカラカルと菜々の二人はそのまま宝条家に滞在する事になった。

 既に彼女達は目的の物を手に入れて、あとは帰還を待つばかりだった。

 ただ帰還するにも準備が必要らしい。

 あちら側の世界で帰還の準備を進めているのだが、カラカルと菜々の二人が何かする必要はなく、本来であれば余暇との事だった。

 ルリは二人の分も食事の支度をしようと思っていたのだが、まさかお客様に既に用意されているとは予想外だった。

 

「いいのよ。私も何もしないで世話になりっぱなしってのはイヤだもの。このくらいはさせて頂戴」

 

 言いつつカラカルは手際よく調理を進めていく。

 

「イリア。サラダオイルをくれる?」

「あいよ! カラカルの姐さん!」

 

 そんな感じですっかり台所に馴染んでしまっているカラカルである。

 

「それにしてもこの台所、凄く使いやすいわ。よく整理されてあるし。ルリ、エライわ」

 

 普段ここを使うのはルリである。

 ユキヒョウもたまに手伝ってくれるが、こうして誰かがルリに代わって台所の主となる事はなかった。

 なんだか不思議な心持ちのルリである。

 なんたって、今まで黙っていて朝ご飯の支度が終わっているだなんて事はなかったのだ。

 そう思って、手持無沙汰なルリは用意されたホットミルクをもう一口。

 そうしていると、さらに声が掛けられた。

 

「ルリ、おはよー。取り敢えずだけど、お洗濯終わってるよー」

 

 ベランダからリビングにやって来たのは菜々だった。

 そちらを見れば、確かに洗濯物が既に夏の日差しを浴びていた。

 今日もいい天気だから、洗濯物もすぐに乾くだろう。

 

「って菜々さんまで!? ごめんなさい!?」

「いいよいいよ。泊めてもらってるお礼には足りないくらいだし」

 

 どうやら、朝食の支度どころかそれ以外の事まで終わってしまいそうだ。

 

「菜々、そっちが終わったのなら手伝いなさいよ」

「はいはい、何したらいいかな?」

「そうね、とりあえず食器並べてくれる? 盛り付けるから」

 

 カラカルは手早く作った出汁巻き卵を盛り付け始めた。

 菜々も菜々でヒョイヒョイと取り皿を用意していく。

 二人のコンビネーションであっという間に出汁巻き卵に、ほうれん草のおひたし、鮭の塩焼きというメニューが食卓に並んでいく。

 

「あ、あの……」

 

 自分も手伝いを申し出ようと思ったルリだったが、あまりにも手際が良すぎて口を出す暇もなかった。

 

「たまにはこういうのもいいじゃない。ね?」

 

 ウィンク一つ、菜々はルリの両肩をポム、と両手で抑える。

 立ち上がらなくていい、と静止の意味を込めて。

 

「そうそう。ルリがエライ子なのはよく分かっているんだけど、だから甘やかしたくなっちゃうのよ」

 

 と、こちらは苦笑のカラカルだ。

 実はルリはこの日、生まれて初めて他人が朝食を作ってくれるという経験をしたのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ルリは実は昔の事というのは殆ど思い出せない。

 それもそのはず、実は生まれた時から赤ちゃんではなく成体だったのだから。

 気が付いたら、“教授”と暮らしていて、当たり前のようにその世話を焼いて来た。

 それはアムールトラが来てからも変わりない。

 自分が幼い頃の記憶というのはボンヤリとしていて思い出せなかったが、“教授”がいてアムールトラがいてくれたからそうした事は気にはならなかった。

 さて、それはともかくとして宝条家の食卓には“教授”とルリとアムールトラに加えてカラカルと菜々、それにユキヒョウもいた。

 

「まったく……和香。アンタがまさか家事全部ルリに丸投げしてるとは思わなかったわ」

「はっはっは。私が手を出すと大惨事になるのは知っているだろう?」

 

 カラカルのお説教もどこ吹く風の“教授”である。

 今日も徹夜になった“教授”は珍しく朝食を共にする事になった。これからルリ達と一緒に出掛ける事になったユキヒョウも加わって、いつも以上に賑やかな食卓だ。

 出汁巻き卵にほうれん草のおひたし、鮭の塩焼きと豆腐とわかめの味噌汁と和風なメニューである。

 

「すごい……。美味しい」

 

 ルリは今日の朝ご飯をそう評した。

 

「ああ。ルリの作ってくれるモンもええけど、これもええなあ」

 

 どうやらアムールトラにも好評のようである。

 作ったカラカルも喜んでもらえたのなら何よりだ、と笑みを返す。

 

「それに……、なんていうのかな……。ホッとする味っていうか何というか……」

 

 ルリの言葉にユキヒョウは想うところがあるのか、こう言った。

 

「それは所謂、おふくろの味、という物ではないかの」

 

 ユキヒョウも一緒に食卓を囲んでいるわけだが、カラカルが作ってくれた朝食は母が作ってくれたものと何処か通じているように思えた。

 それこそがきっと、おふくろの味、というものなのだろう。

 これに焦ったのは“教授”である。

 確かに、今まで母親らしい事を出来ていない彼女がどう思われているのか。

 むしろ、カラカルが母親であると思われたって不思議はない。

 

「いや、言っておくけど私はママじゃないからね……」

「ええー? カラカルってママっぽいところあるじゃない」

「だから、ママじゃないって言ってるでしょっ!?」

 

 そうして賑やかに言いあうカラカルと菜々の横で“教授”は何事かを考え込む様子であった。

 うぅむ、と唸りつつ何事かをぶつぶつ呟く“教授”にユキヒョウは一つ嘆息。

 

「ひと眠りしたら、『two-Moe』にでも行ってきたらどうじゃ? 愚痴るなり相談するなり気晴らしにはなろう」

「ななな、なんの事かな? でもまぁ、久しぶりにともえスペシャルを頼みに行くのも悪くないね。うん」

 

 ユキヒョウに考えを見透かされているようで何とも居心地の悪い“教授”である。

 実際その通りなのだが。

 そして、ユキヒョウの提案が最も正しい行動のようで、それも何だか複雑な想いだ。

 照れ隠しに啜ったお味噌汁は、相変わらず美味かった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「と、いうわけなんだぁあああ」

 

 喫茶店『two-Moe』のカウンター席に突っ伏す“教授”は今朝の事を洗いざらいぶちまけていた。

 

「あらら。じゃあ、和香ちゃんはカラカルちゃんにお母さんの座を脅かされている、というわけね」

 

 ちょうどお客さんの切れ目でもあり、今は店内に“教授”しかお客さんがいない。

 そこで彼女の相手をするのは春香である。

 実の姉である春香になら愚痴も相談もしやすい。まったくもってユキヒョウの提案は正しいものだった。

 

「まぁ、そんなに心配する事はないと思うんだけれども……」

 

 春香は言って苦笑する。

 ルリもアムールトラもとてもよい子だ。

 そして、二人ともここで突っ伏している“教授”の事をちゃんとお母さんだと思っている。

 そのぐらいの事は傍で見ている春香にだってわかる事だった。

 

「でも、ルリちゃんとアムールトラちゃんの為に何かしたいっていうのは良い事よ」

 

 言って春香は“教授”にコーヒーを差し出す。

 その匂いに彼女はガバリ、と身を起こす。

 

「そうだ……! いっその事カラカルに対抗して何か手料理を……」

 

 その言葉は続けられなかった。

 春香の目が笑っていなかったからだ。

 

「いい? 和香ちゃん……。人には向きと不向きがあるの……」

「わ、わかっているよ。言ってみただけさ」

「よかったわ。可愛い姪っ子たちの命が危ないのかと思ったわ」

「姉さん!? そろそろ私泣くよ!?」

 

 重々しい言葉は“教授”自身も重々承知だ。

 彼女は何故か昔から家事全般が苦手中の苦手だ。

 料理をすれば黒焦げにする程度なら可愛いもので、筆舌に尽くしがたいものが出来上がってしまう。

 それは今でも変わらない。

 まぁ、食べてもギリギリ死にはしないだろうが、お世辞にもおふくろの味とは言えない。

 

「ふふ、ごめんなさい。でも、和香ちゃんには和香ちゃんにしか出来ない事があるんじゃない? たとえ料理ができなくったって、ね」

 

 春香は知っている。

 確かに“教授”は料理はおろか家事全般が致命的に苦手だ。

 だが、それを補って余りあるくらいいいところだって沢山あるのだ、と。

 何と言っても春香は“教授”の、いや宝条和香の姉なのだから。

 

「そうね、和香ちゃん。私から一つアドバイス。」

 

 ピッと指を一本立ててから続ける春香。

 

「一緒にいたらいいわ。それだけで十分よ」

 

 一体どういう事だろう、と“教授”は訝しむ。

 最初は自分があまりにも母性というものからかけ離れ過ぎていて距離をとっていた。

 けれども、二人ともこんな自分が母親でいいと言ってくれたのだ。

 だとしたら、自分には一体何が出来るというのだろう。

 真剣な顔で考え込む“教授”はぐるぐると思考の渦でいっぱいになる。

 難しい科学の発見や新しい理論ならいくらでも湧いて来る頭脳も、こんな簡単な問題に答えは出せないでいた。

 そんな“教授”に春香は一つ苦笑すると腰に手をあて、正解ギリギリのヒントを与えるに留めた。

 

「とりあえず……夜更かしはやめたら? それでこれからは毎日一緒に朝ご飯を食べるの」

 

―バンッ!

 

 カウンターテーブルを叩いて立ち上がる“教授”

 その顔は何かを思いついたようであった。

 

「ご馳走様、姉さん」

「ええ、頑張ってらっしゃい」

 

 そのまま“教授”は踵を返すとドアを閉める事すら忘れて退店した。

 春香は知っている。

 和香という彼女の妹はこういう時は最高の結果を出して格好つけてくれる人だ、と。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 連日のアルバイトの結果。

 この三人は一つの目標を達成していた。

 オオセルザンコウ、セルシコウ、マセルカの前にはピカピカに修理された一台の手押し式屋台があった。

 

「まぁ……やれば出来るものだな」

 

 最初はボロボロだった手押し式屋台だったが、今は車軸も車輪も新しくなり外装の木板も新品だ。

 修理代は安くはなかったが、その分いい仕事をしてくれた。

 ガスボンベを収納してコンロは三口。屋台上部には水タンクも収納されて、不自由はあるが水だって使える。

 食器や調理器具の収納棚も見た目以上に充実していた。

 さらに、サービスでつけてくれた暖簾には『グルメキャッスル』の文字が躍る。

 小さいが、それでも一国一城である。

 

「本当、やれば出来るものですね」

「そうだねえ」

 

 隣を見れば同じように感慨ひとしおといった様子のセルシコウにマセルカである。

 こちらに来た当初から考えればよくここまで来たものだと思える。

 

「本当、よく頑張ったわね。congratulations!」

 

 ハクトウワシも仕上がった移動式屋台を見て自分の事のように喜んでくれていた。

 彼女やヤマさんにも随分と世話になってしまった。

 それに……。

 

「ほんとすごいねえ!」

「ええ。これなら色々とお料理も出来そうですね」

「うん、思ってた以上に便利そうだよ、この屋台」

 

 屋台の納品を見物に来ていたともえ、かばん、ルリが興味津々でその周りに集まっていた。

 さらに、エゾオオカミやアムールトラやユキヒョウ。それにアライさんやフェネックや萌絵にイエイヌまで集まっているのですっかり大所帯だ。

 それにしても彼女達とも何とも不思議な関係になったものだ。

 なんせ今は休戦協定中とはいっても彼女達とは本来敵対関係のはずだ。

 それがなんで自分達の作戦であるはずの『オペレーショングルメキャッスル』の進捗を喜んでいるというのか。

 けれども、一緒に喜んでくれている事をオオセルザンコウ達も嬉しく感じてもいる。

 みんなとはこの為にアルバイトで一緒に汗水流した仲でもあるのだから。

 だが、こんな好事に水が差されようとしていた。

 

「おぉーい。みんなぁー。大変だぁー」

 

 向こうからこちらにやって来る人影が一つ。

 

「あれ? 会長さん、どうしたんだ?」

 

 エゾオオカミが一番に気が付いたけれども、それはその場の皆が見知ったヒトだった。

 商店街会長である。

 一体全体どうしたというのだろう。

 

「これを見てくれるかい?」

 

 やって来た商店街会長は一通の封筒をオオセルザンコウに差し出す。

 そこには『挑戦状』と達筆で記されている。

 既に封が切られた中身をオオセルザンコウは取り出して中身を一瞥して絶句した。

 

「な……なんだと……?」

 

 その中身はこうだ。

 

 拝啓 色鳥町商店街の皆様。

 夏も盛り。一層暑さに拍車がかかる季節となりましたが皆様にはますますご健勝の事とお慶び申し上げます。

 さて間もなく、青龍神社夏祭りも開催となりますが、我々ショッピングモール『cocosuki』は色鳥町商店街の皆様に挑戦状を叩きつけたいと存じます。

 その青龍神社夏祭りにて一つ勝負を致しましょう。

 我々『cocosuki』が繰り出す屋台と色鳥町商店街の皆様の屋台、どちらがより多くの売上を上げられるか。

 それで雌雄を決しよう、という趣向になります。

 色よい返事を期待しております。

 それでは、夏バテや熱中症に気をつけてますますのご健康をお祈り致します。

 ショッピングモール『cocosuki』 敬具

 

「な、なにぃ!?」

 

 一番に驚きの声を上げたのはユキヒョウだ。

 彼女の家は『cocosuki』オーナー企業である。

 確かに、今まで商店街と『cocosuki』はライバル同士で客を奪い合う商売仇ともいうべき相手だった。

 しかしこんなに表だって敵対行動をとるような事はなかったはずだ。

 それが今回に限ってこんな挑戦状を送り付けてくるなんて。

 

「も、もしかしてユキさん、今回は『cocosuki』の応援に行っちゃうの?」

 

 ルリが心配そうに訊ねる。

 ユキヒョウは『cocosuki』関係者と言っても過言ではない。だとすれば当然そちらの応援をする事になるだろう。

 だが、そうなれば商店街とは敵対関係。最悪、クロスジュエルチームみんなが『cocosuki』側に回ってもおかしくないのだ。

 それがわかるだけにユキヒョウも難しい顔をする。

 

「ああ、そこのところなんだけどね。ユキヒョウくんは商店街側を手伝ってくれるかな? もちろん、ユキヒョウくんさえよかったらだけれど」

 

 その物言いにユキヒョウは一瞬怪訝な表情をする。

 思えば、先程から商店街会長はやけに棒読みで言葉を発しているような気がする。

 これは…、とユキヒョウも思い至った。

 

「(つまり、これは……ガチバトルを装ったコラボイベント、というわけじゃな)」

 

 ユキヒョウはそう察した。

 青龍神社夏祭りを盛り上げるイベントとして商店街と『cocosuki』のガチバトルが発生だなんて、祭りを彩る華としてこれ以上の物はないだろう。

 そして、ユキヒョウを商店街側に配置するという配慮を見せたという事は、おそらくだがこのイベントの仕掛け人はユキヒョウの母、サオリに違いない。

 

「(では……母上は一体このイベントで何をしたい? 何故このような事を……?)」

 

 思考を巡らせるユキヒョウは一つの答えに行き着いた。

 恐らくだが、これはサオリからのちょっと周りくどい『グルメキャッスル』の開店祝いではないか、と。

 それを確かめる為に、ユキヒョウは一つ質問をする事にした。

 

「のう。会長殿よ。この戦いに出る商店街側の代表は決まっておるのかの?」

 

 それに会長はチラチラと完成したばかりの屋台『グルメキャッスル』を見ていた。

 

「いやあー、それがねえ。みんな尻込みしちゃって代表が決まらないんだ。ああー、どこかに新進気鋭腕自慢の屋台店主とかいないかなー。」

 

 何ともわかりやすい棒読みである。

 おそらくだが、これは商店街も噛んでいるな、とユキヒョウは察した。

 実はこの対決イベントはエゾオオカミの母、エミリも一枚噛んではいるのだが、そこまではさすがに分からなかったが。

 

「のう。オオセルザンコウ殿。『グルメキャッスル』の初陣にはうってつけのイベントとは思わぬか?」

「な? え? はい?」

 

 目を白黒させるオオセルザンコウが言葉の意味を理解するよりも早く、商店街会長が素早くオオセルザンコウの手を取った。

 

「それはいい! まさに『グルメキャッスル』は商店街を背負って立つにはうってつけだ! どうかお願い出来ないだろうか!?」

 

 ちなみに、これはヤマさんのテコ入れも入っているのだが、それを言う程商店街会長だって野暮じゃない。

 

「のう。オオセルザンコウ殿。わらわ達も手伝う故、頼まれてはもらえぬか?」

 

 オオセルザンコウ達が断ってしまえば、色々と気を回した大人達の苦労が無駄になる。

 だからユキヒョウはそっともう一押しを加えた。

 オオセルザンコウは傍らのセルシコウとマセルカを見る。

 二人とも大きく頷いて見せていた。

 

「確かに……どちらにせよ開店するつもりではいたんだ。いいとも。引き受けよう」

 

 こうなれば渡りに船だ。

 それに商店街の人達には世話にもなった。その恩を返せるのなら否はない。

 

「じゃあ、アタシも! アタシ達も手伝うよ!」

 

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら言うともえに皆一抹の不安を感じていた。

 

「ともえちゃん……屋台でともえスペシャルはダメだからね?」

 

 萌絵の言葉に全員が一様に頷いていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 “教授”が帰った後の『two-Moe』にはまたも一人のお客さんがやって来た。

 春香はその人物を目の当たりにして目を丸くする。

 その人物は忙しい身の上でもあるし、夏の暑さを苦手としている事もあってこの時期に来店する事は滅多になかった。

 

「サオリちゃん、珍しいわね。ちょっと待ってね、冷房の温度を下げるから」

 

 その人物はユキヒョウの母、サオリであった。

 サオリは冷房のリモコンを取ろうとした春香を手で制する。

 

「今はこれがあるから、冷房は下げなくても平気ですよ、春香さん」

 

 そして胸元に着けたペンダントを示して見せる。

 雪の結晶を模したそれはパーソナルエアーコンディショナーという“教授”の発明品だ。

 夏の暑さを苦手とする彼女も、これのおかげで精力的に動く事が出来ていた。

 

「それよりも春香さん。あなたの腕を見込んでお願いがあります」

 

 そう言いながらも、サオリの目は別な事を言っていた。

 

『面白い話があるんだけれど、乗る気はないか?』

 

 と。

 春香とサオリは学生時代を共に過ごした仲である。

 そして、彼女がこういう目をしている時は決まって何か面白い事が待っている。

 だから、春香は店の看板を『Closed』に返すとテーブル席にサオリを案内し、その対面に座った。

 

「じゃあ……詳しく聞きましょうか」

 

 その後、『two-Moe』は臨時休業となってしまったが、それをしても惜しくはないと思える程に面白い話が聞けてしまった。

 春香はこれから始まる一つのイベントに心躍らせるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夕食後の宝条家。

 ルリは今日はカラカルと一緒に夕飯作りだったらしい。

 ちなみに、和香の好きなものを教わってルリはご満悦だった。

 実は豆腐とわかめのお味噌汁は“教授”の好物である。

 秘伝のレシピを教えてもらったので、ルリは明日の朝ご飯に作ってみようかと考える。

 

「(あ。でもお母さんは殆ど朝ご飯食べないもんなあ…)」

 

 そんな事を思いながら洗い物も終わらせて夕食後のひと段落だ。

 

「あー、ええと、その……、ルリ、アムールトラ。二人ともちょっとだけいいかな?」

 

 今日は珍しく“教授”が二人を呼ぶ。

 何かな、と思って二人揃ってテーブルに着いた。

 一緒に座っているカラカルと菜々はどんな話題なのか知っているのか特に驚いた様子もない。

 不思議に思いながらも、ルリとアムールトラはテーブルに着く。

 

「ちょっと唐突かもしれないけど、カラカルと菜々が来てくれている今がいい機会かな、ってね」

 

 “教授”は胸元から二つのメモリークリスタルを取り出した。

 蜂蜜色と檸檬色の二つでチェーンを通して常に首から下げていたものだ。

 

「今からするのは、ルリとアムールトラ、二人の姉にあたるフレンズの話なんだ」

 

 “教授”は一度逡巡する。

 ルリとアムールトラは思っているよりも大人だ。以前には隠した真実も受け止めてくれる事だろう。

 

「その……メモリークリスタルというのはね。フレンズを記録したものだ、と説明したね。それは嘘ではないが全てではないんだ」

 

 ルリとアムールトラは一度顔を見合わせる。

 なんでそんなに言いづらそうにしてるんだろう、と不思議そうな顔をしていた。

 

「ええっと、メモリークリスタルが実はフレンズそのもの、って話なん?」

 

 これに驚いたのは“教授”とカラカルと菜々だった。

 

「し、知っていたのかい!?」

「あー……うん。エミさんが教えてくれたの。で、エミさんは“リンクパフューム”に使われてるニホンオオカミさんのメモリークリスタルから聞いたって……」

 

 “教授”は開いた口が塞がらない。

 メモリークリスタルとは別世界のフレンズが絶滅の危機に対しそれでも未来に種を残そうと自らを結晶と化したものだ。

 その解凍方法はまだ見つかっていないし、メモリークリスタルとコミュニケーションを取る方法すらわからない。

 なので、エゾオオカミがニホンオオカミのメモリークリスタルから何かの情報を得たというのは驚愕すべき話だった。

 

「“リンクパフューム”の副作用か……?いや、もしかしたら私と同じ融合状態……?いやそれであれば人格にもっと影響が出るしモニタリングデータにだって異常が……」

 

 ぶつぶつと自分の世界に入ってしまう“教授”にカラカルが軽くツッコミを入れる。

 

「今はそれどころじゃないでしょ」

 

 そうだった、と“教授”はタブレット端末を開く。

 そこに記録されたエゾオオカミのバイタルデータをチェックしてほっと一息。

 念の為だったが、“リンクパフューム”で彼女の身体に異常がないかどうかはモニタリングしていたのだ。

 

「あの……和香さん、それもそうなんだけど、ルリちゃん達の方が……」

 

 控え目に菜々に言われて、“教授”もそうだった、と思い出した。

 なんせ、子供達には刺激が強いと真実を濁したメモリークリスタルの真の姿をとっくに知られていたのだ。

 ルリとアムールトラ、それにエゾオオカミやもしかしたらユキヒョウも、その事実に潰されたりしていないか。

 その答えはルリが控え目に挙手して言った。

 

「そりゃあ、ちょっとショックだったけど……お母さんが何とかしてくれるんでしょ? メモリークリスタルの事」

 

 今度こそ、“教授”とカラカルと菜々は開いた口が塞がらなかった。

 直後、カラカルと菜々は腹を抱えて笑い出す。

 二人は“教授”が帰って来た時、やけに深刻な表情でルリ達に昔の話をする事を相談してきたのだ。

 もしも、説明が足りない事があれば補足して欲しい、と。

 だが、もうその説明も必要なさそうだし、どうやら自分達は子供達の事を甘く見過ぎていたらしいと分かって可笑しくてたまらない。

 

「和香、あんたの負けね」

「ああ。心外ではあるが嬉しくもあるね」

 

 目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら言うカラカルに“教授”は憮然とした表情をしてしまう。

 ルリ達が思っていた以上に大人だった事は嬉しい。だがその成長に何の寄与もしてない事が不機嫌の原因だった。

 まぁ、ここは一つ大人らしく、しっかりと子供達の信頼に応えよう。

 

「メモリークリスタルを元のフレンズに戻す事は必ず私が何とかする。その為にずっと研究をしていたのだからね」

 

 “教授”の研究は最終目標をメモリークリスタルを元のフレンズに戻す事だ。

 その為に日夜研究を続けていた。

 そして、あらためて先程胸元から出した二つのメモリークリスタルを示す。

 

「この二つはね、私にとっても特別なメモリークリスタルなんだ」

「さっき、ウチらの姉にあたるフレンズのメモリークリスタルって言ってたけど……」

 

 アムールトラに頷く“教授”は話を続ける。

 

「それはサバンナキイロネコという人造フレンズのメモリークリスタルだよ。私がカラカル達の世界で生み出した、ね」

 

 人造フレンズとはなんとも不穏な言葉でルリとアムールトラの表情が陰る。

 

「言っておくけど、それをやらせたのは私達の世界の人間達よ。まあ、言葉の割に悪いものじゃないわ」

 

 カラカルが言って肩をすくめる。

 彼女達の世界はセルリアンとの激戦で消耗していた。

 その消耗した戦力を補う為に計画されたのが人造フレンズというわけだ。

 具体的に言うと、元となるフレンズの体毛の遺伝子情報をいじって、似て非なる別種のフレンズを生み出そうという計画だ。

 

「で、サバンナキイロネコは人造フレンズ計画の唯一の成功例ね」

 

 サバンナキイロネコはセルリアンとの戦いで喪われたとあるフレンズの体毛を使った。

 

「あなた達の世界では倫理的にどうかと思うけど、私は感謝してるの。本当は無為に失われたはずの命に意味を与えてくれたのだから」

「わ、私も! あの二人と一緒に戦ったり遊んだり楽しい思い出を沢山もらったの!」

 

 カラカルと菜々はどうやら人造フレンズとは知り合いらしかった。

 その二人が言うのなら、そこまで不穏なものではなかったのだろうか、とルリもアムールトラも納得する。

 では、なんでそのサバンナキイロネコというフレンズはメモリークリスタルになっているのだろうか。

 

「それは戦いの中で二人は私を守って大きな怪我を負ってしまった。そのままでは命も危ない程にね。だから二人はメモリークリスタルになる道を選んだのさ」

 

 “教授”は言いつつ、二つのメモリークリスタルを撫でる。

 

「二人はいつか必ずメモリークリスタルから元に戻す。だからその……その時はルリとアムールトラも仲良くしてくれたら嬉しい」

 

 そんな願いにルリとアムールトラは頷いて見せた。

 

「こっちの檸檬色のメモリークリスタルが『キイ』で、蜂蜜色の方が『サン』だよ」

「二人とも手が焼ける子達だったけど、いい子だから仲良くしてあげてね」

 

 “教授”の言葉をカラカルが続ける。それに菜々も頷いていた。

  その表情を見れば三人ともキイとサンというフレンズを大切に思っている事がわかった。

 “教授”は一つ息を吐いてから、ここからが本題だ、と気を入れなおす。

 

「ルリ、アムールトラ。二人に頼みがあるんだ。」

 

 ルリとアムールトラは改まって一体何だろう? と小首を傾げる。

 この話の流れで何を頼むというのか。

 

「キイとサンのメモリークリスタルを二人に持っていて欲しい」

 

 それは“教授”が肌身離さずに持ち続けていたものだ。

 それを預かる事にはわずかな躊躇いがある。

 そんな二人の気持ちが分かるのか、“教授”は頷いて続ける。

 

「そうだね。キイとサンのメモリークリスタルは私にとって大切だよ。けれど、だから二人に持っていて欲しい」

 

 ますます話が見えないルリとアムールトラである。

 そんな二人に“教授”は少しばかり恥ずかしそうに頬を掻いてみせた。

 

「まあ……その、決意表明みたいなものさ。ルリとアムールトラの二人が私にとって大切なものを持っている。だから私は何があろうと二人を絶対に守るっていうね」

「和香ー。母親として、ってのが抜けてるわよ」

「か、カラカルッ!? そこはさすがに気恥しいから敢えて言わなかったんだよっ!?」

 

 結局あの後色々考えては見たものの、今すぐ出来る何かというのは思いつかなかった。

 春香が奨めてくれた早起きというのはかなり大変そうだし。

 けれど、ルリとアムールトラの二人ときちんと向き合おうという決意表明だけはしたかったのだ。

 

「いや。そこは早起きもしなさいよ……」

 

 とカラカルに呆れ顔をされたものだ。

 

「その……こんな母親で申し訳ないとは思うんだが、これからもよろしく頼むよ」

 

 そういう“教授”にルリは抱き着いた。

 

「お母さんは今までもお母さんだったよ」

 

 アムールトラも“教授”の頭にポン、と手を置く。

 

「ま、ウチは母さんってのがどんなのか実感はわかんのやけど、多分母さんみたいなヤツの事言うんやろうなーとは思うで」

 

 そのままワシャワシャと“教授”の暗緑色の髪を撫でた。

 軽い口調に頬が染まっている辺り、やはり気恥しいのだろう。

 

「まぁ、これからは少しは一緒の時間を過ごせるように早起きの努力をしたいとは思うよ」

「え……早起きするお母さんって想像つかないよ……? 無理しないでね?」

 

 身から出た錆とはいえ、ルリにこう言われては立つ瀬のない“教授”である。

 そこに、「はいはーい!」と菜々が元気に挙手した。

 

「あのねあのね、クロスレインボーには疲労回復の『魅惑の極上マッサージ』って技が使えるピーチパンサーモードもあるんだ。とりあえず和香さん、今日はそのマッサージ受けてぐっすり眠ってみよう。きっと明日はめちゃめちゃ早起き出来るから!」

 

 それに一瞬引き気味になる“教授”

 以前、そのマッサージを受けた事はあるが、足つぼマッサージとかめちゃくちゃ痛いのだ。

 

「お、それええなあ。せやったら、今日はそれ受けて一緒に寝よか?」

 

 逃がさないぞ、とばかりにアムールトラは“教授”を抱きしめる。

 どうやら覚悟を決めるしかないらしい。

 

「すまないね、菜々。お手柔らかに頼むよ」

 

 “教授”は諦めの嘆息を吐くのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 翌朝。

 

「おはよう、お母さん」

「おお、今日は雨が降るかもしれへんな」

 

 ルリとアムールトラは中々に珍しい光景を目にした。

 “教授”が既に朝食のテーブルに着いているのだ。

 徹夜明けでこうなった事はあるが、“教授”が先に起きてこうしているなんて初めての経験と言っていい。

 

「おはよう、ルリ。アムールトラ。」

 

 そうして朝の挨拶をする“教授”は快眠のせいか、随分と調子がよさそうに見える。

 

「ほら、アンタ達、朝ご飯出来たわよ」

「あ、カラカルさん。手伝います」

「ほな、ウチも。何したらええ?」

「あー。私もー!」

 

 家事には相変わらず手を出さない“教授”である。

 それでも彼女は満足していた。

 世間一般で言う立派な母親ではないかもしれないが、そんな自分を母と呼んでくれる二人がいるのだ。

 可能な限り向き合おう。

 そう心に誓う“教授”だった。

 

 ちなみに。

 この日からルリの胸元には檸檬色のメモリークリスタルが、そしてアムールトラの胸元には蜂蜜色のメモリークリスタルがそれぞれに輝く事になった。

 

 

 けものフレンズRクロスハート第21.5話『おかあさんもいっしょ』

―おしまい―



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話『風雲! グルメキャッスル』(前編)

 【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 ある夏の日にドッペルゲンガーに出会ってしまった奈々。
 何かよくない事が起こるのではと怯えてアルバイトにも手がつかない。
 時を同じくして、和香教授の前にかつて渡った世界からのお客様が訪れていた。
 異世界からの来訪者であるカラカルと交流を深めるルリ達。
 一方の商店街では謎の濃霧が発生していた。
 セルリアンが発生させた濃霧の迷宮に閉じ込められる奈々やキタキツネやギンギツネ。
 彼女達を救ったのは、もう一人の異世界からやって来た戦士だった。
 その名は菜々。またの名をクロスレインボーである。
 クロスレインボーに変身した菜々の協力を得たクロスハート達はまたも商店街を救うのだった。




 

 オオセルザンコウは腕を組んで唸る。

 その理由は簡単だ。

 まさか『グルメキャッスル』の初陣が、この地域最大の祭りである青龍神社の夏祭りになるとは。

 しかも、『グルメキャッスル』は商店街の代表として、ライバルのショッピングモール『cocosuki』との対決に臨むのだ。

 青龍神社夏祭りは明日から開催で前日祭が一日と本祭が二日間の合計三日間行われる。

 当然、対決もその三日間の日程だ。

 

「さて、どうしたものかな」

 

 対決開始が明日に迫っているというのに、やる事は山積みだ。

 幸いなのは、屋台『グルメキャッスル』が完成していた事だ。

 これなら当日の料理も可能だろう。

 何から手をつけたらいいか迷うオオセルザンコウの視界にヒョイと顔を出してくるのはセルシコウだった。

 

「まずは、メニューの決定じゃないでしょうか」

 

 確かに、食べてもらう料理が決まらない事には勝負も何もない。

 そこにマセルカも頷いて見せる。

 

「お祭りなんでしょ? お祭りで食べやすい料理がいいんじゃない?」

 

 そうなると候補はいくつか絞られてくる。

 

「食べ歩けるようなもので仕込みはともかく調理自体は簡単なもの……例えば串焼きとかか」

 

 オオセルザンコウは考え込んでみるが、そこに異論が挟まれた。

 

「待って下さい、オオセルザンコウさん。皆さんの腕ならシンプルな串焼きよりもいいメニューがあるんじゃないでしょうか」

 

 遠慮がちに挙手して言うのはかばんであった。

 

「アライさんはワタアメがいいと思うのだ。お祭りと言ったらワタアメなのだ」

「それはアライさんの好きなものだねぇ。作り方も簡単だし」

 

 実はこの場には、セルリアンフレンズ3人組の他にも、かばん、サーバル、アライさんとフェネック。それにともえと萌絵とイエイヌ、そしてルリとアムールトラとエゾオオカミにユキヒョウもいた。

 大所帯である。

 

「いやしかし、キミ達……本当に私達と同じチームでいいのかい?」

 

 ここにいるメンバーは同じ商店街チームとして対決イベントに臨む。

 これまた呉越同舟が過ぎるというものだが、ともえ達が気にした様子もない。

 一方のセルシコウもマセルカも「何か不都合が?」と意味がわかっていないようだ。

 訊くだけ無駄だったか、と肩をすくめてからオオセルザンコウも気を取り直すと作戦会議を再開した。

 

「ふぅむ……。出来れば相手の出方が分かればいいんだが……」

「それじゃったら、去年の事でよいならわらわが知っておるぞ」

 

 とユキヒョウが挙手する。

 彼女は対決相手の『cocosuki』オーナー企業の社長令嬢である。今回は商店街側に助っ人となっていた。

 その情報ならば信憑性もあるだろう。

 

「そうじゃな。去年の青龍神社夏祭りで好評じゃったのは、何と言っても菓匠『若葉』の鈴カステラかのう」

 

 菓匠『若葉』はショッピングモール『cocosuki』に入っている高級和菓子屋さんである。

 その職人は腕もよく、値段はちょっとお高いもののそれに見合ったものを出す。

 毎年青龍神社夏祭りにも参加しており、その屋台で出される鈴カステラはそれを目的に来るお客さんまでいる程だ。

 

「それほどか……。だとしたら、相手のメニューは鈴カステラになるかな」

「だったら、それに対抗するか競合を避けるか……アタシとしては競合を避けた方が無難だとは思うよ」

 

 考え込むオオセルザンコウに萌絵が言う。

 確かに、相手にはネームバリューと固定客が既についている。同じようなお菓子系のメニューで対抗する場合はそれだけで不利だ。

 

「だったら……やっぱり、ガッツリ食事系の何かがいいんじゃない? 焼きそば、お好み焼き、タコ焼き……」

 

 指折り数えるともえ。どれもお祭りで定番メニューではある。

 ちなみに、ともえの両脇にはサーバルとイエイヌが配置され、両手に花状態だ。

 万が一にも屋台でともえスペシャルを作る、などと言い出さない為である。

 モフモフを与えて満足してもらおう作戦というわけだ。

 

「ねえねえ、屋台でカレー作ったりしたらダメなの? かばんちゃんのカレー美味しいよ?」

 

 サーバルに言われて一同考え込む。

 確かに、お祭りでカレーというのは無くはない。

 

「候補の一つにはなるか……」

 

 オオセルザンコウも頷いては見せるたけれども、どうにもピンと来ない。

 確かに、カレーなら腕の見せどころだって多い。

 けれど、味にバリエーションが作りづらくもある。

 出来る事なら3日間のお祭り期間中にリピーターのお客さんだって狙っていきたい所だ。

 その為にはバリエーションは必須だ。

 

「じゃあ、やっぱり複数のメニューを出すのがいいんじゃないかなぁ。さっきともえさんが言ったみたいにカレーも焼きそばもお好み焼きも」

 

 ルリの言葉にセルシコウが首を横に振った。

 

「そうしたいのは山々なのですが、調理設備にも限りがあります。やはりメニューは絞るべきでしょう」

 

 屋台『グルメキャッスル』の出来栄えはかなりいい。

 けれども、店舗と違って潤沢な調理設備とは言い難い。

 そんな中で多彩なメニューを提供するのは無理があった。

 

「やっぱ難しいもんだな」

 

 ふぅ、と溜め息をつくエゾオオカミ。

 そのオオカミの尻尾がユラユラと動いていた。

 それを見ていたセルシコウの頭には何か閃くものがあった気がした。

 一体何を閃いたというのか、まだハッキリとは分かっていない。だから視線を巡らせてみた。

 

「ああ」

 

 ポム、と手を打つセルシコウ。

 彼女の視線の先には、ともえにモフられたイエイヌがいた。

 イエイヌと目線があって「?」と小首を傾げられてしまったが、閃きの正体は彼女のおかげで分かった。

 

「ホットドッグ……というのはいかがでしょう?」

 

 まさかエゾオオカミとイエイヌを見ていて思いついたとは言えないセルシコウである。

 

「それ、いいですよ! セルシコウさん!」

「ああ、持ち歩いてもいいし手軽に食べられる」

 

 その提案にかばんとオオセルザンコウがうんうん頷いていた。

 だがアムールトラは小首を傾げる。

 

「確かに気軽に食べ歩きできるやんな。けど、ホットドッグってパンにウィンナー挟んだだけの料理やろ? そんなんでホンマに勝てるん?」

 

 彼女の疑問にはルリが答えてくれた。

 

「ソースで味にバリエーションを作れるから工夫しだいだと思うよ。それに仕込みはともかく調理は楽だからすぐに出せるのも屋台向きだし」

「さっすがだね! じゃあさじゃあさ、ルリはどんなのがいい? マセルカねえ、ヨーグルトソースとかいいんじゃないかなーって思うな」

 

 そこにマセルカが割り込んで来る。

 ルリとはあまり面識はないはずなのだが、それでもすぐに馴染んでいる辺りがマセルカなのだろう。

 

「あ、いいですね。ヨーグルトソース。オーソドックスにトマトソースなんかもいいですね」

 

 そこにかばんも加わって来た。

 熱々のウィンナーを挟んだパンに真っ赤なトマトソースをかけたホットドッグ。

 想像しただけで美味しそうである。

 けれども、サーバルは不満だったようだ。

 

「えぇー!? カレーじゃないの!?」

「大丈夫だよぉ。カレー風味のソースっていう手だってあるもん。ね?」

 

 そうやって萌絵に話を振られたオオセルザンコウは苦笑混じりに頷く。

 

「カレー風味も含めた複数のソースで味付けを変えてホットドッグか……いいな」

 

 オオセルザンコウは頭の中では勝利パターンが出来上がっていた。

 一食目で客を掴み、別の味も試してみたいと思わせる。

 そうしたら二日目と三日目にリピーターを獲得できるかもしれない。

 

「なら、メニューはホットドッグで行くとして、次は試作か。商店街で食材を買ってこよう」

「その必要はないわ!」

 

 ばばーん。

 食材集めに行こうとしたところで現れたのは、奈々とキタキツネとギンギツネの三人だった。

 

「『グルメキャッスル』は商店街代表! という事は当然商店街のみんなも協力してくれるって! ほら!」

 

 奈々がドサリと段ボール箱を置く。その中には各種調味料が入っていた。

 

「みんな。試作に必要な食材は言ってね。私とキタキツネと奈々姉さんで集めて来るから」

「ちなみに、経費で落とすって会長が言ってたから遠慮しないでね!」

 

 二人でふんすと気合を入れてみせるキタキツネとギンギツネ。

 

「なんたって、今回は『cocosuki』との直接対決だもん! オール商店街で応援しちゃうからね!」

 

 どうやらいよいよ『cocosuki』と色鳥町商店街全面対決の様相を呈してきた。

 その代理戦争を『グルメキャッスル』が引き受けるわけだが、オオセルザンコウは一度黙して苦笑する。

 

「これもWIN-WINの関係というものか」

 

 むしろ、商店街側が実力未知数の『グルメキャッスル』に投資する形になっているから、そちらの方が不利な気がする。

 そうなると、今回のイベントへの『グルメキャッスル』抜擢に誰か仕掛け人がいるのでは、とオオセルザンコウも察した。

 

「後でヤマさんにも礼を言っておかねばな」

 

 そうニヤリとするオオセルザンコウにセルシコウとマセルカは不思議そうな顔をした。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、いよいよ試作である。

 場所は色々考えたが交番横の空き地になった。

 やはり、試作とはいえ、屋台の設備で作れないと意味がない。交番横の空き地に屋台『グルメキャッスル』を置いて早速準備に取り掛かる。

 

「なんだかこういうの見てるだけでワクワクしてくるわね」

 

 すぐ隣での出来事だ。普段は真面目一辺倒のハクトウワシも交番から覗き込んでいる。

 ちなみに、ホットドッグは彼女の好物の一つでもあった。

 

「ハクトウワシには試食係になってもらいますから、お腹を空かせておいてくださいね」

 

 言いつつ腕まくりをするのは屋台『グルメキャッスル』総料理長セルシコウである。

 そこに、かばん、萌絵、ルリの3人が加わってのドリームチームだ。

 残りのメンバーは食材集めやレシピ完成後の量産に向けて待機している。

 

「そうですね。甘酸っぱいトマトソース、爽やかヨーグルトソース、辛うまカレーソースの三つで味の方向性を決めようと思います」

 

 セルシコウは既に頭の中で料理の味を思い浮かべているようだ。

 まず作るのはやはりオーソドックスにトマトソースからだろう。

 調理助手のかばんが素早くトマト缶を開け始めた。

 今回はトマトの湯剥きなどをしていては十分な量のソースを作る事が出来ない。なにせ青龍神社夏祭りは明日に迫っているのだ。そこでトマト缶の出番というわけだ。

 ルリと萌絵も調理助手として、それぞれにタマネギとニンジンをみじん切りにしていく。

 タマネギは既に軽く電子レンジで加熱しており、みじん切りの辛さも軽減されていた。

 二人ともやはり普段から料理をする女の子だ。あっという間に大量のみじん切りが出来上がる。

 

「そして、香りづけにニンニクを少々」

 

 セルシコウは皮を剥いたニンニクを包丁の腹で潰していく。

 こうする事で少量のニンニクでも香りが付きやすい。

 フライパンにオリーブオイルを敷いてニンニクを焼き始めれば途端に食欲をそそるいい香りが立ち上る。

 ちなみに、フレンズの中にはタマネギやニンニクを苦手とする者もいる。

 それは元動物は食べてはいけないものだからだ。

 けれども、フレンズであれば特に食べても問題はないのだが食わず嫌いになるケースが多い。

 

「サーバルちゃんも生タマネギは苦手なんですけど、よーく炒めて甘くすると食べてくれるんですよ」

「あ、わかるー。ウチもイエイヌちゃんは最初タマネギ苦手だったけど、オニオンスープとかですぐに好きになってくれて……」

「ウチも。ハンバーグの中にタマネギ刻んで入れてたって知ったら、アムさん驚いてましたよ」

 

 どうやらそれぞれのおうちでも、食わず嫌い克服にはそれなりの工夫をしているらしいかばんと萌絵とルリである。

 そんな各ご家庭あるあるで盛り上がっているうちにみじん切り作業も終わったようだ。

 セルシコウはそれを受け取るとフライパンに投入した。

 

「オリーブオイルに香りが付いたところで、タマネギとニンジンのみじん切りを入れてタマネギが透き通るまで炒めていきます」

 

―ジュワァ!

 

 フライパンからは快音が響く。屋台『グルメキャッスル』備え付けのガスコンロは十分な火力があるようだ。

 

「そして、ここでもう一味を足す為にスライスマッシュルームを入れて、火が通ったらトマト缶の中身を全部入れちゃいます」

 

 セルシコウはトマトを潰してほぐしながらさらに中身を加熱。

 

「あとは弱火にして焦げ付かないように水分を飛ばして……塩コショウで味を調えて……」

 

 しばらくの間をかけて水分を飛ばされたトマトソースは固形に近づいていく。

 こうすることでホットドッグにかけても中身が染み出さないようになるのだ。

 

「最後に味を見ながらハチミツを少しずつ足して……」

 

 セルシコウはかばんと萌絵とルリにも味見をしてもらって、三人ともが親指を立てたところでトマトソースの完成である。

 

「そして、次はウィンナーです」

 

 いよいよ、本体のお目見えだ。

 ここからは早い。

 

「ちなみに、皆さんはウィンナーは焼き派ですか? それともボイル派?」

 

 セルシコウの質問に萌絵とかばんとルリは同じ答えを返した。

 

「「「両方!」」」

 

 その答えにセルシコウは満足そうに頷く。

 

「私もです」

 

 言いつつ、商店街のお肉屋さんから提供されたウィンナーにまずは強火で一気に焼き目をつけていく。

 さっと炙って焼き目が付いたついたくらいですかさずお湯の中に入れてボイル。

 こうすることでウィンナーの旨味と肉汁を逃さず中の脂もしっかりと溶かしていくのだ。

 手間は多少かかるが、これが一番美味いウィンナーの加熱方法だと思っている。

 

「そして、パンの切れ目にバターを塗って、そこにレタスを敷く」

 

 こちらもパン屋さんから提供されたパンに八百屋さん提供のレタスである。

 そして主役の焼き立てウィンナーの上から真っ赤なトマトソースをかけて完成だ。

 

「ちょっと甘めの味付けなので、お好みでマスタードをかけても美味しいですよ」

 

 十分に水分を飛ばしたトマトソースは紙袋に入れても染みてはこない。

 ウィンナーとトマトの赤にレタスの緑も合わさって彩りだっていいし、片手で手軽に食べられるのだってお祭り向きだ。

 早速出来上がった試作品第一号をハクトウワシに持っていく。

 

「じゃあ、私はマスタードをかけて頂こうかしら」

 

 ハクトウワシはちょっと辛めの方が好みだ。

 波線を描くようにマスタードをかけてやると、さらに黄色も加わって彩りもよくなる。

 いよいよハクトウワシは試作品一号を一口。

 途端に口の中に様々な味が踊った。

 まず、トマトの酸味と旨味が溶けだした濃厚なトマトソース。ハチミツで甘さも加えられて酸味が程よく抑えられている。

 マッシュルームスライスで味にさらなる奥行きを与えられたトマトソースの後はウィンナー本体が登場だ。

 絶妙の加熱をされたウィンナーは噛み切られた瞬間に肉汁を迸らせた。

 それがトマトソースと合わさり味わいが深くなって旨味の猛攻撃が続く。

 それらを最終的にパンが受け止める事で一体感まで出るのだ。

 

「ぐ……Great……!」

 

 もう、ハクトウワシは食べる手が止まらない。

 あっという間に試作品を完食だ。

 何とか食レポをしてセルシコウ達の役に立ちたいが、頭に浮かんでくる言葉は「美味しかった」のみだ。

 もう、それ程までに完成度の高い一品だった。

 

「ちなみにですね、ハクトウワシ。お肉屋さんのご厚意でウィンナーをプレーンとチョリソーから選べるのですがいかがです?」

 

 セルシコウの提案にハクトウワシは愕然とした。

 今のをチョリソーで辛さを増して味わえるのだとしたら、さらに味のバリエーションが広がる。

 そこにかばんが追い打ちをかけた。

 

「マスタードもいいんですが、チーズをトッピングして黄色の彩りを加えても美味しいですよ」

「チーズもいいですけど、スクランブルエッグという手もありますよね!」

 

 さらにルリにまでバリエーションを広げられてしまった。

 トッピングでさらに別な味を楽しめるのだとしたら……、まさに千変万化のホットドッグだ。

 

「もう……もう、私、一生ホットドッグで生きていってもいいわ……」

「いや、絶対栄養偏りますからそれはやめて下さい」

 

 最上級の褒め言葉だったハクトウワシだが、セルシコウに苦笑されては立つ瀬がない。

 

「とりあえず、トマトソースはこれで完成として、ヨーグルトソース、カレーソースもいってみましょうか」

 

 どうやら千変万化のホットドッグにはさらにバリエーションが追加されるらしい。

 これはまさに……。

 

「無限ホットドッグ……!?」

 

 ハクトウワシは戦慄する。

 とてもお祭り期間中に全てを網羅しきれない。

 まさか『グルメキャッスル』の実力がこれ程とは思っていなかった。

 襲い来る『グルメキャッスル』の刺客にハクトウワシの胃袋はきっとすぐに一杯に満たされてしまうだろう。

 

「ち、ちなみに……。おうちで作ってくれたりは……」

「別に構いませんよ。お安い御用です」

「Yes!」

 

 セルシコウの返事にガッツポーズのハクトウワシだ。

 これぞ家主の特権というものである。

 お祭り期間中に味わえなかったホットドッグは後で作ってもらおう。

 そうしている間に、ヨーグルトソースもカレーソースも出来上がったようだ。

 

「ヨーグルトソースはプレーンヨーグルトとマヨネーズ、それにレモン果汁を混ぜた爽やかな味が特徴なんです」

「そしてカレーソースはリンゴとハチミツ、隠し味にインスタントコーヒーを軽く混ぜてコクを出してみました」

 

 ヨーグルトソースは萌絵とルリが二人で、カレーソースはかばんがメインで作ってくれた。

 

「三人とも……中々やりますね」

 

 味見した総料理長セルシコウも太鼓判の出来らしい。

 

「ねぇ、セルシコウ……。試食だけで太っちゃいそうだわ」

「大丈夫ですよ。ダイエットに効果ありそうな料理はオオセルザンコウもマセルカも得意ですから」

「ほんと……、三人とも至れり尽くせりね」

 

 既に出された試食品を完食してしまったハクトウワシだ。

 三つもホットドッグを食べたというのに、まだ食べられそうな気がする。

 この出来栄えならきっと、明日からの対決も勝利間違いなしだ。

 

「さて。そう上手くいくものかな……。ふふふ」

 

 お裾分けのホットドッグに舌鼓を打ちつつも、ヤマさんはほくそ笑んでいた。

 確かにこのホットドッグは美味しい。

 けれども、果たしてそれだけで勝てるかどうか。

 まぁ、明日になれば分かる事か、とヤマさんはホットドッグを完食した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 翌朝。

 青龍神社前には各屋台がお祭りの準備に勤しんでいた。

 青龍神社境内へと続く長い階段前の一等地が決戦の舞台だ。

 ちなみに、境内は神域である為、屋台の出店はこの階段下の広場になる。

 向かって左側に色鳥町商店街代表『グルメキャッスル』が陣取って、既に屋台の展開も終えている。

 既に昨日、商店街の有志が手伝ってくれた各ソース作りも終えて、冷凍したものをクーラーボックスに入れてある。

 それにパンやウィンナーのメイン食材の他、野菜や調味料なども商店街の各店主が提供してくれた。

 対して、まだ向かって右側の『cocosuki』陣営は屋台の設営にも現れてはいない。

 とりあえずの準備を終えて敵の出現を今か今かと待つ『グルメキャッスル』メンバー達と商店街の面々。

 と……。

 

「現れたようじゃな」

 

 ユキヒョウが視線を投げた先、白の割烹着に白の帽子を着けた和食職人といった様子の青年がやって来る。

 隣に同じ格好をした赤毛の女性を伴っている。その二人こそ『cocosuki』に出店している高級和菓子屋、菓匠『若葉』の若夫婦だ。

 毎年青龍神社の夏祭りに参加してきた菓匠『若葉』が屋台で出す鈴カステラは絶品である。

 間違いなく『cocosuki』の代表は彼らだろう。

 緊張と共に、両手の手刀を前に謎のファイティングポーズを取る『グルメキャッスル』一同。

 が……。

 あれ?

 菓匠『若葉』の若夫婦二人はその前を会釈と共に怪訝な顔をしながら通り過ぎて行った。

 そのまま彼らは一等地から離れた場所へ移動して屋台設営をはじめたではないか。

 

「へ?」

 

 と思わず間の抜けた顔をしてしまうユキヒョウ。

 どうやら『cocosuki』代表は菓匠『若葉』ではないのだろうか。

 『cocosuki』に入っているテナントはチェーン店系のファミリーレストランやファーストフード店が多い。

 確かに腕のいい調理師だっているだろうが、お祭りの屋台に参加するようなお店はないだろう。

 ましてや『cocosuki』の看板を背負って代表を務めるには色々と問題がありそうだ。

 つまり、ネームバリューや諸々の事情を考慮すると『cocosuki』側の代表は菓匠『若葉』だと踏んでいたわけだが、これは一体全体どういう事だろう。

 そう疑問に思っていると後ろから声が掛けられた。

 

「『cocosuki』の代表は私達よ」

 

 そこには美女がいた。

 ユキヒョウそっくりの灰色がかった髪に一つ一つが美しい所作の女性。

 それは……。

 

「は、母上!?」

 

 ユキヒョウの母にして、『cocosuki』オーナー企業社長婦人のサオリであった。

 確かに、彼女は料理も中々の腕前だ。きっと平均的な主婦よりも上だと思う。

 けれども……サオリ一人で屋台を切り盛り出来るとも思えない。

 それに彼女は言った。『私達』と。

 他に一体誰がサオリと一緒に代表を務めるというのか。

 そう疑問に思っていると……。

 

―スッ

 

 と商店街メンバー達の中から一歩を踏み出した者がいる。

 和服姿のオオカミ尻尾と耳を持つ美人はエゾオオカミの母親、エミリだった。

 そのままサオリの目の前まで行くと……。

 

―クルリ

 

 百八十度回れ右して商店街メンバーに対峙する。

 

「ふふ、私は今回『cocosuki』側よ!」

 

 ご丁寧に両手の手刀を前に謎のファイティングポーズを取ってみせるエミリである。

 言って、二人して「いえーい」とハイタッチまでしている。

 突然の裏切りにエゾオオカミの開いた口は塞がらなかった。

 

「お、お母さん!? 何やってるんだ!?」

 

 ようやく我に返ったエゾオオカミは慌て始める。けれども母、エミリが戻って来る事はなかった。

 

「実は、ユキヒョウちゃんとトレードって事で皆には話が付いてるの。ごめんなさいね、エゾオオカミ」

 

 ごめんなさい、と言いつつも、イタズラ大成功とでも言いたげなエミリである。

 商店街の面々もそんなエミリに苦笑だ。表向きはともかく、なんだかんだで『cocouki』と商店街の仲というのも悪くはないのかもしれない。

 しかし、この二人の実力の程はどうなんだろう?

 

「ま、まさか……!?」

 

 その疑問に対して、かばんはある事に気が付いた。

 サオリはその気づきを肯定するかのようにニヤリと頷いて見せる。

 

「さすが、ジャパリ女子中学校生徒会長さんね。よく気が付いたわ」

 

 他の面々は話が見えない。「し、知っているのか、かばんちゃん!?」とばかりに誰もがかばんに注目する。

 

「ジャパリ女子高等部の文化祭で、かつてぶっちぎりで歴代売り上げナンバーワンを記録した模擬店があるんです」

 

 かばんの頬を一筋の汗が伝う。

 その高校生離れした売り上げを記録した模擬店は、そんなはずないだろー、と冗談めかして語り継がれる程であった。

 

「その模擬店のメンバーが当時のエゾオオカミさんとユキヒョウさん、つまりエミリさんとサオリさんです」

 

 つまり、エミリとサオリの二人には、このお祭り屋台という戦場で大記録を打ち立てた実績があるという事だ。

 

「それだけではないわ」

「当然、チームは私達だけじゃないのよ」

 

 そう二人揃ってニヤリとしてみせるエミリとサオリに「まさか!?」とかばんの顔が青くなる。

 再び全員の視線が「し、知っているのか、かばんちゃん!?」と集まった。

 

「その記録を打ち立てた模擬店を出店していたのは当時の高等部生徒会……!会計のユキヒョウさん、庶務のエゾオオカミさん……そして……」

「そう」

 

 かばんの言葉を継ぐかのように一人の少女が現れた。

 その場の誰もがよく知る人物であった。

 

「当時生徒会会長の宝条春香。つまり私もなの」

「「「ってお母さん!?!?」」」

 

 ともえと萌絵とイエイヌの声が見事に重なった。

 なんせ現れたのは彼女達の母親、春香だったからだ。

 今日はミニ浴衣にエプロンをつけて頭にはカチューシャも着けてどこかメイドさん風だ。

 

「たまにはお母さんも混ぜて欲しくて来ちゃった。今日は『cocosuki』側の助っ人だけどよろしくね」

 

 と、ともえ達に手をふりふりする春香である。

 今度はともえ達の開いた口が塞がらない。

 だがそれだけでは終わらなかった。

 

「あとね、当時の生徒会メンバーには書記の……」

「あー……。はい。当時の生徒会書記、宝条和香だ」

 

 さらに今度はルリとアムールトラの開いた口が塞がらなくなった。

 

「ええええ!? お母さん模擬店で料理したの!? お客さん大丈夫だった!?」

「母さん!? 死人出さへんかったやろうな!?」

「ルリ!? アムールトラ!? 私もそろそろ泣くよ!?」

 

 和香を知る誰もが同じ心配をしたので、ルリとアムールトラは悪くない。

 

「大丈夫よ、ルリちゃん、アムールトラちゃん。和香ちゃんには調理は担当させなかったから」

 

 春香の説明に二人ともホッと胸を撫で下ろした。

 和香教授は何とも言えない憮然とした表情になっていたが、コホンと咳払い一つ。

 

「さて、ルリ。アムールトラ。私はついこの前何があってもキミ達を守ると誓ったわけだが……」

 

 ゴクリ、と固唾を呑んで続く言葉を待つルリとアムールトラ。

 

「それとこれとは話が別だ。今回は私も『cocosuki』側に加わらせて貰うよ」

 

 これで、『cocosuki』側のメンバーはサオリを筆頭に、エミリ、春香、和香と揃ったわけである。

 

「そして最後にもう一人」

 

 その声は上の方から聞こえて来た。

 それは青龍神社の境内へと続く長い階段の方からだった。

 

「当時生徒会副会長にして、現青龍神社神主」

 

 階段を下りて来るのは水色の髪をツインテールにした龍の尻尾を持つフレンズであった。

 

「私の名はセイリュウ。『cocosuki』側助っ人として参戦させていただきます」

 

 今度こそ全員の開いた口が塞がらなくなった。

 なんせその人物は今日という青龍神社夏祭りの主役とも言うべき人物だったからだ。

 アオイの母親にして青龍神社の神主であるセイリュウその人が『cocosuki』陣営に加わったのだ。

 そんなフレンズがいる屋台が話題にならないはずがない。

 ともえが辛うじて絞り出すように言う。

 

「ず、ずるくない!?」

 

 それにセイリュウはニコリと微笑むとこう返した。

 

「たまには娘達に試練を与える母親の皆さんに力を貸したいと思いまして。なのでズルではないですよ」

 

 まさかのセイリュウ参戦で『cocosuki』側も想像以上のドリームチームを繰り出して来た。

 唖然としている『グルメキャッスル』側。

 泣いても笑っても間もなく決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。

 

 

―中編へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話『風雲! グルメキャッスル』(中編)

 

「みんなー! 今日は青龍神社夏祭りに来てくれてありがとうー!」

 

―おぉー!

 

 広場に作られた特設ステージ上では青龍神社巫女の家系である人面魚のフレンズ、コイちゃんが皆に愛想を振りまいていた。

 集まった祭りの見物客もノリよく返事を返す。

 

「まず、今日は前夜祭! 特設ステージでのイベントとかも楽しんでね!」

 

―おぉー!

 

 コイちゃんの横には、やはり青龍神社神主の娘であるアオイがいる。

 アオイは守護けものセイリュウの血を引いている。

 母親と同じ水色の髪と長い龍の尻尾が特徴だ。

 今日は二人とも巫女服姿で特設ステージに立つ。

 

「みなさん、今日は暑いので水分補給を小まめにして熱中症に気をつけて下さいね。救護所は広場にも境内にもありますので万が一の際には……」

「もうー。アオイちゃん固いよー?」

 

 やはり生真面目な性格のアオイはこの前夜祭開会の挨拶で何を言っていいのか戸惑っていた。

 学校と同じノリのアオイにコイちゃんがほっぺをぷにぷにと突いてくる。

 

「で、でも。前夜祭のイベントの事とか色々お伝えしないと……!」

「大丈夫大丈夫。大体パンフレットに書いてあるから」

 

 確かに、お祭りのパンフレットは各所で配られている。

 それを見ればいつイベントがあるのかとか、救護所がどこかなどもよくわかる。

 

「ってわけで、難しい事はパンフレットを見てねー!」

 

―おぉー!

 

 それでいいんだろうか、と悩むアオイだったがこれ程の歓声なのだからいいのだろう。

 

「まあまあ、難しい事は置いておいて、前夜祭の開会式は割と何言っても平気だから」

 

 なんと、今日の前夜祭開会式の挨拶にはコイちゃんとアオイの二人が抜擢されたのだ。

 緊張しっぱなしのアオイにコイちゃんは自らの言を示すべく、すっと一歩を前に出ると……。

 

「みんなぁー! 青龍神社の事は嫌いになってもコイちゃんの事は嫌いにならないで下さい!」

 

 とどこかで聞いたようなセリフを言い放つ。

 観客達はこれまたノリよく

 

―おぉー!

 

 と返してくれた。

 

「コイちゃん姉さん!? 逆です!? 色々と!」

 

 大慌てのアオイだったが、その様子を観客席で見守るセイリュウは笑いを堪えていた。

 

「っていうかコイちゃん姉さんはなんで芸風が若干ヨゴレなんですか!?」

 

 アオイのツッコミにドッっと笑いが起きた。

 セイリュウの横でアオイ達を見守るビャッコの娘、シロも笑い転げている。

 もう、これは収拾がつきそうにない。

 アオイはもうなるようになれ、とばかりに叫んだ。

 

「ともかく! ただいまより青龍神社夏祭りを開催します!」

 

 すっかり温まった観客達はこの日一番の歓声で応えるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて。

 前夜祭となる今日はどちらかというと神事以外のイベントがメインだ。

 例えば特設ステージでのアマチュアバンドの演奏会やダンスチームの発表会なんかだ。

 それらはパンフレットに何時からイベントが行われるのかきちんと記載されている。

 しかし、多くの人々が注目するイベントは見開き一ページを使ったこのイベントだろう。

 

『激突! 色鳥町商店街VSショッピングモール『cocosuki』』

 

 青龍神社夏祭りが開催される三日間でどちらがより多くの売り上げをあげられるか勝負するのである。

 いずれも相手に負けまいと普段からしのぎを削り合う商店街と『cocosuki』だ。

 その直接対決が見られるとあって誰もが勝負の行方に注目していた。

 アオイの開会宣言と同時に、各屋台も開店した。

 そしてそれは対決の開始でもある。

 まさかの各母親達が『cocosuki』側の刺客となって立ちはだかる展開だったが、果たしてその実力の程はどうなのだろうか……。

 豊富な資金力を背景に組み上げられた屋台は『グルメキャッスル』よりも圧倒的に潤沢な調理設備を備えていた。

 ガスボンベによるコンロは合計で6口。しかもそのうち二つは鉄板焼き専用とタコ焼き専用に既に改造されてある。

 さらには小型発電機で電子レンジや保温機、冷蔵庫まで使えるのだ。

 

「くっ……!?だが、勝負は味で決まる……! 味ならば決して負けていない!」

 

 オオセルザンコウの言葉にサオリがニヤリとした。

 

「本当にそう思うかしら? 特にこのお祭り屋台という戦場では……!」

「パフォーマンスも重要なのよ……!」

 

 そのサオリと背中合わせになるのは和服美人のエミリである。

 美人さん二人の姿はそれだけでも絵になる。

 だが、それがパフォーマンスという事はあるまい。

 サオリはタコ焼き用のピックを指に挟み、エミリは和服の袖をタスキで上げると焼きそば用のヘラをガンマンのようにクルクルと回して見せる。

 なんだかよくわからないが、その姿を見た観客達は感嘆の声をあていた。

 そのままサオリとエミリの二人は屋台へ入ると、それぞれにタコ焼き用コンロと鉄板焼き用のコンロに火を入れる。

 まずは二人とも鉄板に油を引く。

 タコ焼き用の型にはハケで丁寧に、鉄板には豪快にサラダ油をひく。

 

―ジュワァアア!

 

 直後サオリが豪快に出汁入りのタネを型へ流し込む。

 と同時、隣のエミリが鉄板で焼きそば用の具材を焼き始めた。

 そして、二人同時に既に切り分けた具材を投入。

 

「タコ焼きにタコいがいを入れてはいけないなんてルールはないのよ……」

 

 タコの他に入るのはチーズ、カニカマ、ウィンナーだ。

 具材を投入した後はピックで華麗に丸めていく。

 あまりの手の早さに見ている観客達も再び感嘆の声をあげる。

 

「そして、こちらも忘れてもらっては困るわ」

 

 豪快にヘラで投入した焼きそばと火の通った具材をかき混ぜていくエミリ。続けて投入されるのはソース焼きそばの命ともいうべきソースだ。

 

―ジュワァアアア!

 

 たちまちに響く快音と香ばしいソースの香り。

 その香りにオオセルザンコウは気づいた。

 

「あれは……。オイスターソースか!」

 

 オイスターソースは牡蠣から作られた調味料だ。

 牡蠣の旨味を存分に凝縮したソースは一風変わった風味を醸し出す。

 豪快にヘラで混ぜられた焼きそばは全体にオイスターソースを纏っていく。

 そして……。

 

「「スイッチ!」」

 

 エミリとサオリ、二人の声が響く。

 と同時、サオリはタコ焼き用ピックを、エミリは焼きそば用ヘラをそれぞれ空中に置くように手放したではないか!?

 一体何をするつもりだ、と見ていた観客は再び感嘆の声をあげる。

 二人はくるり、と舞うようにしてお互いの位置を入れ替えたのだ。

 パシリ、と空中に置かれたタコ焼き用ピックと焼きそば用のヘラを落下する前にそれぞれキャッチ。

 二人でそれぞれに最後の仕上げへと入る。

 

「オオセルザンコウ!? どうして二人はそれぞれ持ち場を変えたのですか!?」

「わからん!? 全然わからん!」

 

 セルシコウの疑問にオオセルザンコウも答える事が出来ない。

 それもそのはず、意味なんて特にない。もちろんそれで味が変わるわけでもない。

 ただ、そのパフォーマンスは見物客達の目をさらに釘付けにしていた。

 タコ焼きへスイッチしたエミリはピックの先端を器用に使ってパックへタコ焼きを並べると、ソースを塗って青のりを振り、最後にカツオ節をかけた。

 一方の焼きそばへスイッチしたサオリはゴマ油を回しかけて、ヘラを使ってかき混ぜ全体に馴染ませる。

 紅しょうがを乗せて刻みネギを散らしたそれをパックへと移して完成だ。

 

「ミックスタコ焼き」

「中華風焼きそば」

「「いかがかしら?」」

 

―おぉおおおおおおおおお!

 

 二つの出来上がったパックを手にポーズを決めるサオリとエミリに観客達の歓声と拍手が沸いた。

 

「ミックスタコ焼き一つ!」

「こっちは中華風焼きそばを下さい!」

 

 歓声と共に早速注文まで入り始めた。

 

「し、しまった!? 先手を取られたか!?」

 

 オオセルザンコウはここに至って出遅れてしまった事を悟る。

 グルメキャッスル側も遅れて調理へと入った。

 だが、流れは完全に『cocosuki』側だ。

 サオリとエミリのパフォーマンスに引き寄せられた人々は、とある人を目にする事になる。

 そう。

 青龍神社神主、セイリュウその人だ。

 セイリュウは自分に注目が集まっている事を悟ると、電動カキ氷機へ氷をセット。

 スイッチを入れるとすぐさま純白の氷が器に盛られる。

 

「そして、ここで……ドラゴンフォール!」

 

 セイリュウは器に盛られた氷に青色をしたシロップをたっぷりとかける。

 いわゆるブルーハワイだ。

 だがそれだけでは終わらない。

 白の練乳でマーブル模様を描いていくではないか。

 白と青のマーブル模様はまるで真っ白な氷山を駆け上がる青い龍のように見え……なくもない。

 

「セイリュウ特製カキ氷、ブルードラゴンも美味しいですよ」

 

 まさか祭りの主役がこんなところでカキ氷を作っているとは。

 しかもブルードラゴンって何だ。ただのブルーハワイと練乳の相がけじゃないか。

 色々なツッコミが浮かんでくるが、祭りの雰囲気はそれらを押し流した。

 

「セイリュウ様! ブルードラゴン一つ!」

「なんかご利益ありそう! 私も!」

 

 こちらにも早速人だかりが出来始めているではないか。

 もちろん、ただのカキ氷なのでご利益も何もないのだが客がそう思う分には自由だ。

 さらに『cocosuki』の屋台へと人が集まっていく。

 それにしてもこの人の流れはおかしい。

 いくらサオリとエミリのパフォーマンス、それにセイリュウの存在があるとしても『cocosuki』屋台への流れが止まらない。

 もちろん、その流れには理由がある。

 その仕掛け人こそ、和香教授だった。

 

「やあ、浴衣のステキなお嬢さん。こちらに面白い屋台があるんだけれど見ていかないかい?」

「は……、はい」

 

 なんと和香教授は片っ端から女性客をナンパして回っていた。

 料理では和香教授は戦力外どころかマイナスだろう。けれども、客引きという点では優秀だった。

 彼女の纏う妖艶な雰囲気は耐性のない者には効果てきめんである。

 

「おおっと。今日は暑いからね。そんなに汗をかいて可哀そうに。こちらの屋台でカキ氷も売っているよ。一緒に行こうか」

「は、はい」

 

 もう入れ食い状態で次々と女性客を『cocosuki』屋台へと誘導して人の流れを作っていく。

 ある者はサオリ達のパフォーマンスを眺め、ある者は注文していく。

 そうなると人だかりが気になった人が寄って来る。

 人が人を呼びさらに人だかりが膨らんでいく。

 もう流れは止められそうにない。

 

「ふふ。和香ちゃんも頑張ってくれてる事だし私も張り切っちゃおうかしら」

 

 さて、その人だかりを掴んで離さない最後のメニューがあった。

 それが春香の出すメニューだ。

 それを見たともえが驚愕の声をあげる。

 

「ふ、袋ラーメンッ!?!?」

 

 春香が用意していたのはスーパーなどで普通に買える袋ラーメンであった。

 いくらお祭りとはいえ、そんなものが売れるのか。

 だが、そこは春香である。

 ただの袋ラーメンをそのまま出すわけがなかった。

 まず残る四口のガスコンロは全て春香が使っている。

 最初の一つには寸胴で出汁スープが煮込まれていた。ただし、それは普通の昆布と煮干しの合わせ出汁のようである。

 なるほど、この出汁を使って付属の粉末スープを溶かす事でダブルスープ方式というわけか。

 ただ、それだけでは弱い。なんせ袋ラーメンには具材がつかない。

 いくらダブルスープで味に奥行きを出しても具なしのラーメンはいかにも貧相だ。

 そこで春香は残るガスコンロで既に切り分けられた焼きそば用の具材を使い野菜炒めを作り始める。

 ゴマ油をしいたフライパンからさらに強く香ばしい香りが漂う。

 これで香味油の役割までも持たせようというわけか。

 

「ふふ。まだまだよ」

 

 春香は寸胴で煮込まれている出汁にあるものを投入した。

 それは薄茶色をした氷のように見える。

 

「あ、あれはまさか……!?」

「し、知っているの!? 萌絵お姉ちゃん……!?」

 

 どうやら萌絵にはそれに心当たりがあるらしい。

 

「あれはエノキ氷だよ」

 

 それはエノキタケというキノコをミキサーで砕いて煮込んだ後に凍らせた代物だ。

 

「エノキを氷状にする事で出汁効果を引き出すの。あれを加える事によってさらに味に奥行きが出るんだよ」

「しかもエノキはクセが少ない分、色んな料理に合います。もちろんラーメンにも」

 

 萌絵の解説をかばんが引き継ぐ。

 エノキタケはスーパーでも簡単に買えるお手軽安価な食材だ。まさかそれにこんな使い道があるとは。

 だが、スープへの工夫はまだ終わらないらしい。

 エノキ氷を加えた出汁に付属の粉末を溶かして出来たスープに対してさらにもうひと手間。

 今度は春香はティーパックのようなものを出来上がったスープに浸すと電子レンジに入れてひと煮立ちさせる。

 

「……!? スープの匂いが変わりました……!」

 

 今度はイエイヌ自慢の鼻がその工夫の正体に感づく。

 

「アレはかつお節の匂いです……!」

 

 出汁だけではない、パンチの効いたカツオ節の香り。

 それの元は先程春香がスープに浸したティーパックのような物にあった。

 

「そうよ。このこし布の中には砕いたかつお節が入っているの。これでさらに口に入れた時にかつお節の香味が広がるのよ」

 

 そして、出来上がったスープに戻した袋麺を湯切りして、具材として野菜炒めを乗せて完成である。

 

「ご家庭でも出来る本格野菜たっぷりラーメン。希望者にはレシピカードもお付けしますよー」

 

 まさかこれは……。

 横目で見ていたかばんもピクリと反応していた。

 そう。

 このラーメンの主なターゲット層は主婦の皆様なのだ!

 お子さん達に野菜を沢山食べて欲しいという願いはどこの家庭でもあるらしい。

 目論見通り親子連れでやって来た人達には大好評なようで袋ラーメンだというのに次々と売れて行く。

 何ならご家庭の台所を預かるかばんや萌絵やルリも食べてみたそうにしていた。

 

「くっ!? このままではまずい……!?」

 

 完全に流れは『cocosuki』側だ。

 オオセルザンコウも焦りはするが、さりとて『cocosuki』の刺客達が繰り出して来た戦術を跳ね返せるだけの案が思いつかない。

 序盤戦は『cocosuki』側……いや、母親達が実力を見せつけて圧倒するのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 日も暮れてすっかり暗くなる。

 屋台街にも明かりが灯って最後の追い込みだ。

 明日まで持ち越せない在庫を値下げして何とかさばき切ろうと各屋台呼び込みに精を出していた。

 そんな中で悠々と店仕舞いしていたのは『cocosuki』と菓匠『若葉』である。

 商店街代表の『グルメキャッスル』も健闘はしていた。

 なにせ、味はいいのだ。

 決して売れていないわけではなかった。

 だけれども、初日の勝敗は中間発表を見る間でもない。完敗である。

 

「すまない……。みんな。完全に戦術を読み違えた」

 

 オオセルザンコウがガクリと肩を落とす。

 だが彼女を責められる者はいない。『cocosuki』が繰り出して来た刺客達が完全に予想外だったし、お祭りという戦場を活かした戦いを仕掛けて来たのも予想外だった。

 ともえ達も呼び込みをしたり、何とか巻き返しを図ったものの、成果は芳しいものではなかった。

 

「ねえ……マセルカ達このまま負けちゃうのかな」

 

 おそらくこの流れは明日以降も続くだろう。

 何か対策を考えなくてはマセルカの言う通りになってしまう。

 

「どうすればいい……? 味をさらに追及してみるか? いや、これ以上にインパクトのある味となると……」

 

 オオセルザンコウの頭には何も思いつかなかった。

 普段は司令塔としての役割を担う彼女であるのに。

 何かを思いつかなくては……。

 そう焦れば焦る程に頭の中が真っ白になっていく。

 

「ねえ」

 

 その時だった。

 ともえが声をあげた。

 

「作戦、あるよ。みんなの協力が必要だけど」

 

 一体どんな作戦なんだろう、とオオセルザンコウは顔だけをともえに向ける。

 

「彼女は大体突拍子もない事を思いつきますが、それが不思議と正解だったりします。戦った事のある私が保証しましょう」

 

 セルシコウに肩を叩かれたオオセルザンコウは、聞くだけ聞いてみようという気になった。

 

「じゃあ、作戦を説明するね」

 

 全員が円陣を組んでともえのヒソヒソ話に聞き入る。

 それを聞いた一同は

 

「「「「「「ええぇえええええぇえええ!?」」」」」

 

 と戸惑いの声をあげた。

 

「でも、やれそうじゃない?」

 

 そう言ってともえはニヤリと自信に満ちた笑みを見せる。

 

「むしろ、これだけのメンバーが集まってるんだもん。やれないはずがないよ」

 

 この場にはオオセルザンコウ達セルリアンフレンズ三人組の他にチームクロスハート、博士と助手は受験勉強でいないがクロスシンフォニーチーム、それにクロスジュエルチームが勢揃いしているのだ。

 根拠なんてないがこのメンバーなら何だってやれそうな気がしてくる。

 

「そうだな。ともえ。キミの言う通りだ」

 

 疲れ切っていたオオセルザンコウの瞳にも輝きが戻った。

 

「ようし! 明日は反撃開始といこうじゃないか!」

「「「「「「おぉー!」」」」」」

 

 やられっぱなしの『グルメキャッスル』ではない。

 反撃の狼煙があがろうとしていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 翌朝。

 青龍神社夏祭り二日目となる今日が本祭開始である。

 今日は本殿での奉納神楽舞いや目玉イベントの一つ『昇龍走』がある。

 

「ねえねえ、アオイちゃん。『昇龍走』を知らないお客さんも多いだろうから説明してあげてくれない?」

 

 昨日に引き続き、屋台街近くに設置された特設ステージにはコイちゃんとアオイのペアが立っていた。

 

「はい。『昇龍走』とは青龍神社の長い階段を駆け上がる神事です。希望者がこの麓からスタートして頂の本殿まで誰が一番にゴール出来るかを競います」

「へぇー。じゃあ、一番にゴールすると何かいい事があるの?」

「はい。一番にゴールした人の家は五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄が約束されるといいます」

「わぁ。それは凄いね。コイちゃんも走っちゃおうかなぁ」

「まぁ私が言うのも何ですが、一番を取ったとしてもご利益にあぐらをかいて努力を怠ってはいけませんよ。幸運とは常に努力の先にこそあるのです」

「アオイちゃん、セイリュウ様に似て来たねぇ」

 

 今日も特設ステージの二人は絶好調のようだ。二人の掛け合いに時折笑いが起こったりしていた。

 

「でもさぁ。なんで『昇龍走』なの?」

「それは階段を駆け上がる一団が天に昇る龍のように見える事からですね。階段を一番に駆け上がった者が龍になるという言い伝えもある神事です」

「そっか。鯉の滝登りを階段でやっちゃおうっていうわけだ」

 

 その説明を聞きながらオオセルザンコウは考える。

 今日の『昇龍走』も逆転の一手として狙っている。ただ、果たして狙い通りにここでの勝利をものに出来るかどうかだが……。

 

「ちなみに、参加者の方は全員このヘルメットと肘当て、膝当てのプロテクターを身に着けて下さいね。怪我の対策は入念に、です」

 

 言いつつ舞台上のアオイがコイちゃんにヘルメットとプロテクターを着けていく。

 やはり階段で行う競争だ。

 念には念を、という事なのだろう。

 

「それでは皆さん、今日もお祭りを楽しんで行って下さいね」

 

 今日もアオイの開会宣言とともに青龍神社夏祭りの二日目がスタートした。

 

「よし……!ならば作戦第一段階だ……!ルリ、アムールトラ。準備はいいか?」

 

 オオセルザンコウが振り返った先、ルリとアムールトラの表情は何とも言えない微妙なものだった。

 

「作戦はわかるんだけど……。ちょっと恥ずかしいっていうか何ていうか……」

「今さらなんやけど……ホンマにこんなんで上手くいくん?」

 

 そうして戸惑うルリとアムールトラにともえは自信たっぷりに言い放った。

 

「もっちろん! むしろ二人にしか出来ない事だよ! 頑張って!」

 

 ここまで頼りにされてはやらないわけにはいかない。

 ルリとアムールトラは意を決した。

 一方の『cocosuki』も早速動きはじめる。

 

「さて、じゃあ今日も呼び込みをしてくるよ」

 

 和香教授が昨日と同じように女性客をナンパ……もとい呼び込みを開始しようとしていた。

 そこに立ち塞がったのがルリとアムールトラの二人である。

 

「(ほほう? 止める気かな? この私を)」

 

 和香教授は目を細める。

 さて、どんな手段を講じるつもりなのか。まさか直接戦闘を仕掛けてくる事はあるまいが……。

 そう思って二人の様子を観察する。

 なんだろう……。

 二人は決意というよりは何か逡巡するような表情になっていた。

 これは、恥ずかしがっているだとかモジモジしているしているという表現が合っているように思える。

 そんな調子で一体何をするつもりなのか。

 そう思っているとルリがてけてけと近づいて来た。

 上目遣いで和香教授を見上げて言う。

 

「あ、あの……! お母さん! 一緒に屋台周りたいな!」

 

 ルリの取った行動が予想外で和香教授は一瞬反応が遅れた。

 その一瞬に和香教授は腕をとられる。

 

「母さんこっちこっち。こっちの屋台がオススメやでー。屋台『グルメキャッスル』のホットドッグ!」

 

 そのままアムールトラは和香教授を引っ張って行く。

 今度は逆の腕をルリが取る。両手に花状態だ。

 されるがままだった和香教授もさすがにこれは相手の術中だと気が付く。

 ルリとアムールトラの二人で和香教授の客引きを妨害しようというのだ。

 思わず手を振り払おうとした和香教授だが、そんな事を出来るはずがない。今、彼女の手を取っているのは大切な二人の娘達なのだから。

 

「(くっ!? 謀られたか!?)」

 

 それが分かっても和香教授はその罠を抜け出す事が出来ない。いや、逃れようと試みる事もしたくなかった。

 

「ほらほら、席も取っといたわよー」

「ここのベンチ使ってね」

 

 さらに準備がいい事に、浴衣姿のカラカルと菜々がベンチを確保していた。

 もっとも、菜々の方はキツネのお面で顔を隠していたが。

 

「たまには娘孝行でもしなさいな。和香」

「逆じゃないかな!? それ!?」

 

 カラカルにツッコミを入れている間に和香教授はベンチに座ってしまっていた。

 

「はい、お母さん。ヨーグルトソース味。私が萌絵さんと一緒に試作したんだよ。はい、あーん」

「ウチはどれもよかったんやけど、オーソドックスなトマトソースがオススメやで。はい、あーん」

 

 両側からの「はい、あーん」攻撃だ。

 腕には娘達の体温が伝わって来る。

 この二人以外だったら和香教授は苦もなくあしらえただろう。

 けれどこれは和香教授にだけ効く和香教授専用の罠だ。

 

「(よし……。諦めるか!)」

 

 和香教授はやたらといい笑顔で観念すると、娘達二人とイチャつきながらホットドッグを味わう事にした。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一方こちらでも反撃の狼煙が上がり始めた。

 それは対決とは全く関係ないはずのお祭り屋台での出来事である。

 

「はーい、よってらっしゃい見てらっしゃい。なんとなんと楽しい楽しいふわふわワタアメだよー」

 

 何故かその屋台の呼び込みをしているのがフェネックであった。

 

「ふっふっふ、見ているがいいのだ! ふわふわワタアメを作っちゃうのだー! おりゃりゃりゃりゃー!!」

 

 しかも何故かその屋台でワタアメを作っているのがアライさんである。

 アライさんの勢いになんだかんだで通行人も足を止めて見物を始めた。

 そこを逃さず、フェネックがこんな声を張り上げる。

 

「なんとなんと、今ならワタアメ自分で作れちゃうよー。この割りばし一本で大きくし放題。みんなはアライさんより大きなワタアメ作れるかなー?」

 

 これには親子連れの見物客達のうち、子供の方が興味をしめした。

 早速「やってみたい!」とねだる子供達が出始める。

 

「さあー! アライさんに挑戦する猛者は手をあげるがいいのだー!」

 

 アライさんが元気に両手を天に突き上げると、それに釣られたように子供達が手をあげていた。

 

「はーい。一回200円だよー」

 

 ちゃっかりフェネックがお代の回収と共に子供達に割りばしを配る。

 割りばしを受け取った子供達は早速アライさんの元に集まった。

 

「みんなー。よく見ているのだ! こーんな感じでこのワタアメ機の中で割りばしを動かしてワタアメを捕まえていくのだ。そうするとドンドン大きくなっていくのだ!」

 

 ワタアメは決して難しいものではない。

 ザラメ糖を溶かして、それを細かな穴のついた容器に入れた後に回転させることで、遠心力で紐状になった砂糖を作り出す。

 それを割りばしにくっつけるだけなのだ。

 ただ、これがやってみると意外と面白い。

 自分達にも出来るとわかった様子見の子供達も次々に輪に加わっていく。

 

「みんなで仲良く順番にワタアメをおっきくしていくのだ。そうそう、そんな感じで割りばしをくるくるさせてるだけでもワタアメはどんどん大きくなっていくのだ」

 

 いつしかワタアメ機に群がる子供達にアライさんが作り方を教えるという構図が出来上がる。

 自分のワタアメを作り終えた子供達はアライさんとフェネックにお礼を言って親達の元へと戻って行った。

 

「はい。みんなー。『グルメキャッスル』のホットドッグも美味しいから食べに来てねー」

「そうなのだ! 『グルメキャッスル』のホットドッグもよろしくなのだ!」

 

 そんな子供達を見送る際に二人は必ず『グルメキャッスル』を宣伝する。

 そうすると、子供達もその親達も何となくではあるが『グルメキャッスル』に興味を持ち始めた。

 それに、この屋台で楽しい思いをさせてくれたフェネックとアライさんは、どうやらそこの屋台の人らしい。

 お返し代わりにちょっと覗いてみてもいいか。

 そんな流れは最初小さな物だったが、徐々に徐々に『グルメキャッスル』へ人の流れが出来ていく。

 そんな情勢の変化にユキヒョウの母サオリは目ざとく気が付いた。

 これにはきっと仕掛け人がいる、と。

 

「なるほど。やるわね、ユキヒョウちゃん」

 

 その仕掛け人こそがユキヒョウである。

 昨日、菓匠『若葉』の鈴カステラに押されてあまり売り上げの上がらなかったワタアメ屋さんに提携を持ち掛けたのだ。

 とお祭り受けしそうな販売方法を教えるかわりに『グルメキャッスル』の宣伝をしてもらう。

 そうすることでお互いに利益があるというわけである。

 アライさんとフェネックが上手く盛り上げてくれているおかげもあって、昨日よりも大幅に売り上げアップした本来の屋台店主も嬉しそうだ。

 

「『グルメキャッスル』もよろしくな!」

 

 と自ら宣伝したりもしている。

 思っていた以上に手強くなっていた自らの娘にサオリは満足気な笑みを浮かべた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 こちらはエゾオオカミである。

 彼女も彼女で、実はこの祭りの場は本領発揮の舞台でもあった。

 もちろん屋台で料理をするのが本領ではない。むしろ料理はあまり得意な方ではなかったりする。

 いま、エゾオオカミはもう一つの顔、『木の実探偵』として存分に腕を振るっていた。

 

「お母さん!」

「もう、どこに行っていたの!?」

 

 多くの見物客で混雑するお祭り会場ではこうした迷子が出る事も珍しくない。

 いま、ようやく母親の元に戻った女の子はこう言った。

 

「あのね。オオカミのお姉ちゃんがお母さんを見つけてくれたの」

 

 その迷子を母親の元に返した人物こそ、『木の実探偵』エゾオオカミである。

 彼女は探し物が得意だ。

 たとえお祭りでごった返す人の中でも目的の人物を見つけられる程に。

 そうして娘を連れてきてくれたエゾオオカミに母親は深く感謝していた。

 娘を無事に連れて来てくれた事もそうなのだが、迷子センターなどに預けられて呼び出し放送をされるというのは実を言うと結構恥ずかしいものだ。

 そうならずに済んだ事にも感謝しっぱなしである。

 

「まあ……その……。俺、今日は『グルメキャッスル』って屋台で働いてるからよかったら来てくれ」

 

 今日は報酬の木の実はいただかない。

 代わりに『グルメキャッスル』の宣伝をしてから一礼するとエゾオオカミは祭りの雑踏に消えていった。

 そうされると親子としてはその屋台が気になって仕方がない。

 

「後でオオカミのお姉さんにお礼を言いに行こうか」

「うん!」

 

 こんな調子で小さいながらも着実に客を掴んでいくエゾオオカミ。

 ある時は友人とはぐれた誰かを見つけ、またある時は落としてしまった携帯電話を見つける。

 そうして事件を解決しては『グルメキャッスル』の名前だけを残して去っていくのだ。

 今日の『木の実探偵』は『グルメキャッスル』の広告塔となっていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて、屋台『グルメキャッスル』の前は昨日よりも盛況だ。

 その理由はといえば……。

 

「マセルカちゃん! 来たよー!」

 

 色鳥東中学校、水泳部の面々やクラスメイト達がやって来ていたからだ。

 昨日ダメ元で電話してみたら二つ返事でOKして食べに来てくれた。

 それどころか、連絡網で拡散までしてくれたらしい。

 謎の美少女転校生マセルカ。その手料理が食べられるとあって集まった男子生徒の数だって少なくない。

 

「ほんとだー! ほんとにセルシコウ先輩がお料理してるー!」

「強くて勉強も出来てしかも料理まで……!?完璧じゃないか……!?」

 

 そしてそのうちの半分くらいはセルシコウファンでもあるようだ。

 

「なるほど、持つべきものは友人、というわけか」

 

 調理の手を休める事なくオオセルザンコウは苦笑する。

 今さらながらに、自分も学校に通っておけばよかったか、などと思ってしまったのだ。

 こうして沢山の友人に囲まれるのは羨ましくもある。

 けれど、今は『グルメキャッスル』の勝利だ。

 

「ここまでの手応えは昨日よりもずっといい……。けれども、ここまでやってもまだ巻き返しきれてはいないだろう……」

 

 オオセルザンコウの見立てではまだ昨日許した『cocosuki』のリードに追いついていない。

 

「ならば……やはり『昇龍走』が今日の鍵を握るか……!」

 

 『昇龍走』で一番を取った人物は注目を集める。

 そこで勝利を納めて『グルメキャッスル』の宣伝をする。

 そうする事で、一気に流れを取り返すつもりなのだ。

 しかし、それに出場するのはオオセルザンコウではない。もちろん、マセルカやセルシコウでもない。

 

「頼むぞ、ともえ……」

 

 オオセルザンコウは一連の作戦を発案し、『昇龍走』へ出場しようとしているともえに祈りを送るのだった。

 『昇龍走』はもう間もなくスタートしようとしている…………。

 

 

 

―後編へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話『風雲! グルメキャッスル』(後編)

 

 

 時刻はお昼を回った。

 『グルメキャッスル』は大忙しのお昼時をこなし、少しばかりの小休憩といったところだ。

 お昼時も終わって比較的落ち着いて来たかな、という時にもまだまだ『グルメキャッスル』は攻勢を緩めない。

 

「はい、お疲れさまー。冷たいソーダはどう? かばんちゃんとイエイヌが作ってくれるんだよ。すっごいんだー! 見て行って!」

 

 サーバルが次々とお客さんを呼び込みしていく。

 その狙いは、青龍神社本殿へ続く長い階段を降りて来た人達だ。

 青龍神社本殿は神域という事で屋台が出ていない。

 つまり、あの長い階段を昇り参拝して戻って来たお客さんは相当疲れているはずだ。

 この暑さでもあるから、当然喉が渇いてしまう。

 そんな時に冷たいサイダーなんて言われたら、ついつい立ち寄りたくなってしまうというものだ。

 そして、サーバルに引っ張られていった先では……。

 

「い、いらっしゃいませー……」

「いらっしゃいませ!」

 

 ベストに蝶ネクタイ、スラックスでバーテンダースタイルを決めたかばんとイエイヌの二人がいる。

 かばんの方は若干の照れが見られるが、イエイヌの方は普段から喫茶店『two-Moe』でお手伝いをしているだけに堂々としたものだ。

 ただ、肝心の冷たいサイダーというのが見当たらない。

 あるのはシェイカーと大きな氷にアイスピック、それにお水だけだ。

 お客さんが不思議に思っていると、イエイヌがアイスピックを手にした。

 

「いきますよぉー!」

 

―ズガガガガガッ!

 

 電動工具もかくやと言わんがばかりの勢いでイエイヌは大きな氷を削っていくつものカチ割氷を作っていく。

 あまりの勢いに観客達も目を奪われた。

 もっとも、別な世界からやって来たイエイヌだ。やろうと思えば素手でだって氷を削る事は出来ただろう。

 ただ、それをすると目立ち過ぎる。

 なので、アイスピックはむしろ演出用の小道具だった。

 

「はい! かばんさんっ!」

 

 出来上がった氷はイエイヌの手によってかばんへとパスされた。

 それを受け取ったかばんは、シェイカーへ投入。

 砂糖を大匙で4つ入れた後に、予め用意された水を追加した。

 直後、かばんは素早くシェイカーの蓋を閉めると……。

 

―シャカシャカシャカシャカ!

 

 本職のバーテンダーのようにシェイカーを振って見せる。

 その姿に観客達からも感嘆の声が漏れた。

 

「かばんちゃんカッコいいよー!」

 

 客引きのはずのサーバルも思わず見入ってしまう程である。

 素早くシェイクを終えたかばんはシェイカーの中身を紙コップに注ぐ。

 すると……。

 

―シュワァアアアア……

 

 炭酸の弾ける音が響いてくるではないか。

 これは手品か何かなのか、と観客達も不思議に思う。

 

「これは正真正銘ソーダですよ」

 

 たくさんのカチ割り氷が入ったソーダは見た目もひんやりと美味しそうだ。

 けれど、かばんがシェイカーに入れたのはただの水のように見えた。水をシェイクしたところでサイダーになるはずがない。

 

「実は、シェイカーの中に予めクエン酸と重曹をそれぞれ一定分量でいれてあったんです」

 

 クエン酸も重曹も薬局などで簡単に買える物だ。

 その二つを溶かした水溶液に砂糖を加えると簡単にサイダーが出来上がる。

 それをパフォーマンスとしてシェイカーを使って作って見せたというわけだ。

 

「(実はこれ、化学反応で炭酸ガスがシェイカーの中に充満する前に仕上げないといけないんで、結構大変なんですけどね)」

 

 と心の中で苦笑するかばんである。

 遅すぎれば炭酸でサイダーが吹き出してしまうし、早すぎれば材料が十分に混ざらず味にムラが出来てしまう。

 本来ならマドラーやバースプーンでかき混ぜるステアという作り方を選ぶ場面だ。

 だが……。

 

―パチパチパチパチパチ!

 

 湧き上がる拍手を見るに、やはり見栄えとしてはシェイカーの方がよかったのだろう。

 バーテンダーと言えばシェイカーを振る姿を想像する人が多いのだから。

 ともあれ、観客達の注目が集まっている今がチャンスだ。

 

「『グルメキャッスル』特製ソーダは1杯100円ですっ」

 

 かばんのアピールと同時にワッと注文が殺到した。

 やはり狙いがよかったのと、パフォーマンスが効いたのだろう。

 そしてもう一つ。

 今日はライバル『cocosuki』のセイリュウ特製カキ氷こと『ブルードラゴン』は神事の為にあまり作れていない。

 その分のお客さんも取り込んで一気に差を縮めていく。

 

「あとはこれで、ともえさんの作戦がきまれば……」

「はい。ともえちゃんですから大丈夫ですよ」

「そうだよね! ともえちゃんだもんね!」

 

 かばんに応えるイエイヌとサーバル。

 二人の自信に満ちた目にかばんも微笑みと共に頷いた。

 そんな三人の目の前。

 階段のスタートラインには続々と『昇龍走』に挑戦する人達が集まっていた。

 もちろん、その中にはともえもいた。

 

「いやー、みんなスゴイねえ。思いつきで言ったアタシの作戦を実行しちゃうなんて」

 

 実はともえが昨日言った作戦は大雑把な指針だけだったりする。

 だけれども、それを真剣に検討し、手段を考えて実行してくれたみんなを心強く思う。

 

「さて、そしたら『昇龍走』はアタシが一番とってアピールしないと!」

 

 と気合を入れるともえだったが実は不安があった。

 

「ところで、ゴマちゃん……。チーター先輩とプロングホーン先輩ってまだかな……?」

「わかんねぇよ。いくら俺でもあの二人のデートを邪魔はできないからな」

「そうだよねぇ……」

 

 間もなく始まる『昇龍走』は大人達も参加するイベントだ。

 当然、一番を狙うガチ勢だって沢山いる。

 そこで、助っ人に陸上部のGロードランナーのフレンズ、ゴマに来てもらったのだ。

 そして陸上部部長のプロングホーンと副部長のチーターにも助力を求めたのだが、今この場にいるのはゴマだけだ。

 県内でも有数のトップアスリートである三人の助力があれば、大人達にだってヒケをとらないと思っていた。

 だが、このお祭りだ。

 ケンカする程仲が良いという言葉を体現するようなプロングホーンとチーターがデートしていても不思議はないのだ。

 

「って誰がデートよ」

 

 その声に振り返ると、そこにはチーターがいた。白のブラウスにヒョウ柄のミニスカートと同じ柄をしたネクタイという格好だ。

 

「遅くなってすまない」

 

 そしてチーターの隣にはいつも通りにジャージを羽織ってブルマ姿のプロングホーンもいる。

 

「チーター先輩! プロングホーン先輩!」

 

 ともえは思わずチーターに飛びつき抱きついてしまった。ついでにちゃっかりモフモフ成分も補給である。

 

「はいはい。私達が来たからには大船に乗ったつもりでいなさいな」

 

 そんなともえをチーターは優しく引き剥がす。

 

「でも、三人とも忙しかったのに来てくれて本当にありがとう!」

 

 メンバーが揃ったところであらためてお礼を言うともえ。

 

「構わないわよ。県大会に向けての練習と受験勉強ばっかりで気分転換もしたかったから」

「ああ。いい息抜きができたよ」

 

 そう言って笑うチーターとプロングホーンである。

 

「まあ、まさかお祭りにいつもの体操着で来るとは思わなったけどね」

 

 と続けて苦笑するチーターである。

 どうやら隣にいるプロングホーンはお祭りにジャージにブルマ姿で来たらしい。

 

「そういえばチーター。キミはせっかくの浴衣を着替えてしまったんだな。似合ってたのに」

「んなっ!? そ、そんな事一緒にお祭り周ってた時には言ってなかったじゃない!?」

「うん? 言う間でもない程に似合ってるかと思ったんだが……」

 

 何故か怒られてプロングホーンはしどろもどろになってしまう。

 そんな二人をともえとゴマはほっこりとした顔で見守っていた。

 

「プロングホーン様……そういうところですよ……」

 

 もっともゴマの方は若干の呆れ顔をしていたが。

 

「でも、やっぱりチーター先輩とプロングホーン先輩、デートしてたんだ」

「で、デートじゃないわよ! 単に待ち合わせして時間になるまで二人でお祭り見て周ってただけなんだから!」

 

 それがデートじゃなくて何なんだろう? ともえは不思議に思うがツッコミを入れたらチーターがますます赤面してしまうに決まっている。

 ここはそっとしておくか、とゴマもともえも目配せして頷き合った。

 何はともあれ、これで役者が揃ったわけだ。

 

「間もなく『昇龍走』を開始します。選手の皆さんはスタート位置について下さい」

 

 スタート係の案内に従ってともえ達もスタート位置につく。

 最後に、貸し出されたヘルメットと肘当て膝当てのプロテクターがきちんと装着されているか確認する。

 スタート準備は万端だ。

 それにしてもスタート位置に集まった人達はかなりの数だ。

 中には何かのコスプレをした人までいる。

 だが、大人のアスリートと思しき人達だってひしめいていた。

 こちらの世界では破格の身体能力を誇るイエイヌやアムールトラが出場すれば大人にも対抗できるだろうが、それではあまりにも目立ってしまう。

 そこでともえも大人達に対抗する作戦を考えていた。

 

「じゃあ、作戦通りに」

 

 ともえの言葉にゴマ達陸上部の三人も頷く。

 

「位置について……用意!」

 

―パァン!

 

 スタートピストルの号砲と共に、一団が一斉にスタートした。

 

「それじゃあアンタ達! しっかりついて来なさい!」

 

 まず飛び出したのはチーターだ。

 短距離走のエースである彼女がスタートから猛スパートをかける。

 その後ろにプロングホーン、ゴマ、ともえの順で真後ろにピッタリと一列で張り付いていた。

 チーターを風除けにしたともえ達のグループはトップ集団にしっかりと食い込む。

 ともえ達の作戦とはこれだった。

 参加者はほとんどが個人で参加している。そこでチーム戦を仕掛ければ大人達にも十分渡り合えると踏んだわけだ。

 だが、敵は他にもいる。

 

「おぉおおおっ!? もういきなり足がツライっ!?」

 

 それはこの青龍神社境内へと続く長い階段自体である。

 スピード重視の一段飛ばしで駆け上がるともえ達であったが、すぐに脚に疲労が溜まってしまう。

 大階段はまだまだ始まったばかり。思わぬ誤算にともえ達も焦った。

 

「ともかく、足が残っていないと話にならない。一段飛ばしはここまでだ」

 

 やはり陸上部部長のプロングホーンは冷静だった。

 実は階段上りでは一段飛ばしをするよりも一段ずつ走った方が疲労は少ない。

 周りの大人達を見ても、一段ずつ昇る人達ばかりだ。

 

「姿勢を保って前傾になりすぎるな。フォームが崩れればその分、脚にかかる負担も大きくなる」

 

 プロングホーンの言う通りにしてみたらいくらか足も楽になった。

 とはいえ、チーターは短距離では速いが長距離を走り切るスタミナに欠ける。

 だというのに、最初から先頭目指してひたすらにスパートを緩めない。

 これではすぐに失速してしまうだろう。

 

「これでいいのよ……! プロングホーン! あとは任せるわ! 可愛い後輩たちにしっかり一番取らせて来なさい!」

「ああ。任せろ!」

 

 チーターはトップが見えたところで先頭をプロングホーンに譲ると、そのままズルズルと後ろへ下がっていく。

 他の選手達の邪魔にならないように、なるべく脇に寄ってすらいた。

 チーターの役目は体力の続く限りスパートを続けてなるべくいい順位にともえ達を引き上げる事だった。

 その役目を終えた今、ロケットの噴射が終わったエンジンのように切り離されて落ちていくだけだ。

 そして第二エンジンはチーターに後を託されたプロングホーンの番である。

 彼女は最高速度ではチーターに劣る。

 けれども、スタミナならば決して負けない。

 

「はっはっは! この激坂も楽しいじゃないか!」

 

 代わって先頭を走るプロングホーンは階段をスイスイ昇っていく。

 後ろの風除けに入っているゴマとともえも付いていくのがやっとだ。

 そうして、とうとう先頭、トップを走る事になった。

 これならば『昇龍走』の一番を取る事だって夢じゃない。

 そう思っていた矢先……。

 

―ヒュン

 

 と一陣の風がプロングホーンの横を通り抜けた。

 いや、それは風ではない。

 一人の女の子だった。

 何かのコスプレをしているその姿には見覚えがある。いや、より正確に言うならば見覚えしかなかった。

 

「楽しそうだから私も参加しちゃった」

 

 ツインテールを揺らすその人は、ヘッドドレスとミニ浴衣で和風メイドさんな春香であった。

 この長い階段を半ばまで駆け上がって、まだ涼しい顔をしている。

 ともえは父から、彼女は学生時代から運動神経抜群だったと聞かされている。

 けれども、その実力を見る機会は中々なかったがこうして見せつけられるとやはり驚きだ。

 

「相手にとって不足なし! ゴマ! ともえ! ついてこい!」

 

 いきなり追い抜かされたプロングホーンであったが、意地というものがある。

 同年代かそれより下(に見える)の女の子に負けるわけにはいかない。

 残る体力を振り絞りさらに加速!

 春香の背中に追いすがる。

 そして、とうとう頂上が見えて来た。

 依然、春香リードのままで頂上へと辿り着く。

 けれど、ゴールはもう少しだけ先だ。

 境内を駆け抜けて本殿前がゴールとなっているのである。

 

「(やっぱり一番後ろで温存しているともえちゃんがゴールを狙って来るのかしら)」

 

 一番に頂上へ辿り着いた春香はそう分析していた。

 やはり、ここまでゴマとともえを引っ張って来たプロングホーンは頂上までで役目を終えたのか、邪魔にならないよう脇へ寄っていた。

 さて、ここからの勝負だが、階段を駆け上がった足で最後のトップスピードに乗せるのが意外と難しい。

 どの選手も既に脚の疲労は限界に達し、膝が笑いそうになっている。

 ここからは平地を走れるといっても、この境内から本殿までの間でリタイアしてしまう選手だって少なくないくらいだ。

 だから、春香は風除けの効果が一番大きい最後尾にいたともえがゴールを狙ってくるものとばかり思っていた。

 

「よっし! 行くよ、ゴマちゃん!」

「おうよ!」

 

 なので、後ろを走るともえがゴマの背中を押したのは予想外だった。

 目一杯の力で押されたゴマは一気にトップスピードへ加速!

 そのまま春香へ並んだ。

 

「悪いな! 親娘対決はまた今度って事で!」

 

 やはりここまでで体力を使っていた春香の足は鈍っていた。

 背中を押されて加速したゴマに追いすがる事が出来ない。

 そのままゴマがフィニッシャーとして境内を駆け抜けて本殿前へと辿り着きゴールテープを切る。

 他の選手達も続々とゴールを果たしていく中、やはり一位となったゴマに注目が集まる。

 そんな注目を集める今が好機。

 まだ息も整わない中、ゴマは叫んだ。

 

「『グルメキャッスル』のホットドッグ、美味いぜ!」

 

 何とも不思議な勝者の言だったが、特徴ある屋台の名前は麓で誰もが目にしていた。

 この一言の為に頑張ったというのであれば、そこに敬意は払わねばなるまい。

 そう思った参加者達は麓に戻ったら一つくらい食べてみるか、と興味を惹かれてしまう。

 

「ありがとねぇー! ゴマちゃあああん!」

「だぁー!? モフるなぁあああ!?」

 

 そんなゴマに抱き着き勝利の喜びを露わにするともえを春香が満足そうに見ているのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 『昇龍走』で完全に流れを掴んだ屋台『グルメキャッスル』は大盛況だった。

 総料理長であるセルシコウもずっと調理しっぱなしで嬉しい悲鳴をあげる事となった。

 一日目は『cocosuki』が制する事となったが、二日目の結果は誰の目にも明らかに『グルメキャッスル』に軍配が上がっていた。

 ここまで中間成績では両者横並びと言っていい。

 いよいよ残すは最後の三日目だ。

 

「とはいえ、最後の三日目を前に何か作戦はあるだろうかモグモグ」

「正直後は策らしい策なんてありません。当たって砕けるだけですよモグモグ」

「それにしても、この鈴カステラって美味しいねえモグモグ」

 

 オオセルザンコウ達、セルリアンフレンズの三人は菓匠『若葉』の鈴カステラを突きながら最終日へ向けての作戦会議だ。

 もちろん、ともえ達やかばん達、ルリ達も一緒に頭を捻りつつ、『cocosuki』屋台で買って来た焼きそばやタコ焼き、そしてラーメンを突いていた。

 

「くぅー!? 悔しいけど美味しい!?」

「このタコ焼き、それぞれ具が違ったりして面白いね」

「焼きそばは濃厚ソースで美味しいよっ」

「こっちのラーメンも袋ラーメンとは思えません。お店で出てきても不思議じゃないですよ」

 

 あらためて敵の手強さを肌……いや、舌で実感しつつ皆で試食タイムである。

 ここまでで思いつく事は全てやった。

 あとは明日に全力を傾けるのみである。

 

「やれやれ。そんな事だろうと思っていたのです」

「そんな作戦切れのお前達の為に一つ提案があるのです」

 

 そこに現れたのは……。

 

「博士先輩! 助手先輩ッ!」

 

 コノハ博士とミミ助手の二人であった。

 博士の方は白を基調とした浴衣で助手の方が茶色を基調とした浴衣姿をしていた。

 しかも、両手には屋台で取って来たらしいヌイグルミや水風船やスーパーボールなどを一杯に持っており、あまつさえ頭の横にはそれぞれにお面をつけている。

 どこから見ても、二人で思いっきりお祭りを楽しんでいたようにしか見えない。

 

「受験勉強ばかりも飽きて来ましたからね。たまには息抜きなのです」

「誰なのです? 息抜きしかしてないんじゃないか、なんて言ったのは」

 

 助手のジト目にともえ達は慌てて首をぶるぶると横に振った。

 少しだけ思っちゃったけど、あの二人ならいまさら受験勉強で慌てる事などないし。

 

「で、コノハちゃん博士先輩とミミちゃん助手先輩には何か作戦があるの?」

 

 ともえは話題を入れ替える。

 二人はコホンと咳払いをしてから皆に告げる。

 

「やはり、料理は味で勝負なのです」

「明日、一つイベントが開催される事が急遽決まったのです」

 

 そのイベントというのが作戦になるのだろうか?

 ともえ達が疑問に思っていると博士と助手が続けた。

 

「やはりここは審査員を呼んでの味勝負なのです」

「既に公平な審査をせざるを得ない審査員は準備済みなのです」

「「「「「はぃいいいいいいいい!?!?」」」」

 

 あまりと言えばあまりの提案にともえ達は驚きと戸惑いの声をあげた。

 しかし、よくよく考えればそれは望むところなのではないだろうか。

 驚きから回復したオオセルザンコウは頷く。

 

「正面切っての味勝負というなら受けて立つしかない……だが」

「ええ……。この『cocosuki』屋台の味は中々のもの。我々が劣っているとは言いませんが……」

 

 セルシコウも不安で顔を曇らせる。

 正面切っての味勝負となると、『cocosuki』屋台と料理の品目が違い過ぎるので単純な味の比較がし辛い。

 審査員がいくら公平な審査をしようとも個人の好みには必ず引っ張られる。

 

「そうだな……。審査員を唸らせられるだけのインパクトが欲しい……」

 

 顎に手をあて考え込むオオセルザンコウだったが、マセルカが不思議そうな顔をしていた。

 

「オオセルザンコウ? なんで悩んでるの? インパクトのある味だったら作れる人いるじゃん」

 

 マセルカの視線は当然のようにある一点に注がれていた。

 つられて全員がそこに視線を移す。

 そこには……。

 

「へ……?」

 

 例によってイエイヌをモフっているともえがいた。

 

「マジか」

 

 思わずオオセルザンコウの語彙力がなくなってしまう。

 

「マジだよ?」

 

 どうやらマセルカは、ともえスペシャルを作らせるつもりらしい。

 確かに調味料マシマシで作られたともえスペシャルはインパクトだけはある。

 けれども、それが美味しいかと言われたら……。

 

「味はみんなでまとめたらいいじゃない」

 

 つまり、マセルカはともえスペシャルを食べられるレベルに全員でアレンジしようというつもりだった。

 

「イチかバチか……か。試してみる価値はあるな……」

「アタシの料理ってギャンブルなの!?」

 

 ともえの抗議は置いておいてオオセルザンコウは全員を見回す。

 

「みんな。力を貸してくれ。最高にインパクトのある一品を作り上げたい!」

 

 そんな願いに全員が頷きを力強い頷きを返した。

 唯一ともえだけは……。

 

「もうー! こうなったらいつもより凄いともえスペシャルを作っちゃうからね!?」

 

 とヤケクソになるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 そして一夜明けて三日目。

 今日は朝から青龍神社前の広場も大賑わいだ。

 そしてその人だかりの中心には二つの屋台があった。

 一つはショッピングモール『cocosuki』が繰り出して来た刺客、春香達のお母さんチーム。

 そしてもう一つが商店街代表『グルメキャッスル』だ。

 いま、二つのチームはそれぞれに相対し、睨み合い火花を散らす。

 

「はい! それじゃあ、今日は特別イベント! 商店街VS『cocosuki』の直接対決をやっちゃうよー!」

 

 今はここが臨時のイベント会場となっていた。

 長机やパイプ椅子で設えられた即席イベント会場では実況席にコイちゃんとアオイが座っている。

 

「両者一歩も譲らず、ここまでの中間成績はほぼ互角。勝負は最終日へと持ち越されました」

「うんうん、でアオイちゃん。今日はどういう風に対決するの?」

「はい。本来であれば、このお祭りでより多くの売上をあげたほうが勝ちでしたが、今のところ横並びです。そこで、今日は三名の審査員に来ていただいてどちらが美味しかったかを決めて貰おうというわけです」

「へー? でもさ、アオイちゃん。審査は公平でないとダメだよね? そんな審査をしてくれる人がいるの?」

 

 実況席のアオイはコイちゃんに一つ頷く。

 と同時、実況席の隣、解説席に二人のフレンズが座った。

 コノハ博士とミミちゃん助手である。

 

「審査員については心配いらないのです」

「この三人ならば公平な審査をしなくてはならないのです」

 

 実況席の博士と助手はニヤリと笑うと審査員席を指さした。

 そこには三人の男性が座っている。

 

「紹介するのです。今日の審査員、まず一人目はサンドスター研究所所長、ドクター遠坂なのです」

 

 ドヨドヨ、と観客がどよめく。

 そんな多忙な人が本当に来ているのかと思っていたが、白衣にやせ型の体形をした年相応の渋さを持ったその人は紛れもなくドクター遠坂だ。

 

「続けての審査員はショッピングモール『cocosuki』オーナー企業社長なのです」

 

 物凄いセレブの登場に会場のどよめきがさらに強くなった。

 ドクター遠坂の隣にはYシャツにベスト。ネクタイ姿の紳士がいた。

 にこやかに観客達へと挨拶がわりに手を振って見せる。

 どうやら彼がユキヒョウの父にしてサオリの夫らしい。

 

「そして最後は商店街の和服職人。知る人ぞ知る名工。和服屋さんのご主人なのです」

 

 そしてその隣には一見すると線が細くて優しそうに見える着流しの男性がいた。

 彼がエミリの夫にしてエゾオオカミの父である。

 審査員の紹介が終わったところでコイちゃんが納得した。

 

「なるほどねー。それぞれ『cocosuki』にお母さんがいて商店街側に娘がいるんだもん。公平に審査しないとご家庭での立場がとんでもない事になるってわけだ」

 

 コイちゃんの解説に観客のお父さんたちから同時に同情の視線が向けられる。

 どっちに肩入れしても待っているのは地獄だ。

 

「で、出来ればそんなにハッキリ言わないで欲しいなあ」

 

 妻と娘達に板挟み状態のドクター遠坂はそう言って冷や汗をかいている。

 それは他の二人も同様だ。なんせ全く同じ立場に立たされた父親同士なのである。

 なんだか妙な連帯感も生まれようというものだ。

 

「ともかく。各お父さん方がより美味しいと思った方に一票を入れて、より票が多い方の勝ちというわけです」

 

 アオイがそう言ってルール説明を終わる。

 この料理対決は急遽組まれたものだ。ここでの勝敗がそのまま対決の結果になるわけではない。

 かと言って、全く意味がないかといえばそうでもない。

 これだけの観客を集めたイベントだ。

 その勝者は確実に注目と興味を惹くし、その屋台の出し物を食べてみたくなるだろう。

 ここが勝負の分水嶺。いわば天王山というものだ。

 両者横並びの今、ここでの勝利が最終結果を左右する事になると誰もが予想していた。

 

「それでは各チーム! 調理を開始してください!」

 

 アオイの合図で一斉に調理に入った。

 

「まあ、調理に時間はかからないでしょう」

「どういう事かな? 実況の博士ちゃん」

「簡単なのです。どちらの料理もお祭りの屋台で提供する物なのです。下ごしらえを終えた状態のものを仕上げるだけという状態になっているのです」

 

 助手の言葉にアオイが頷く。

 

「なるほど。どの屋台も注文するとすぐに出てきますもんね。ファーストフード、というわけですか」

「ええ。注文が入ってからすぐに提供できないと、お客さんが逃げてしまうのです。保温機などを使って作り置きも出来ますがそれだって限界があります」

「なので、調理工程の単純化はお祭り屋台の必須課題なのですよ」

 

 助手の解説を博士が引き継ぐ。

 なるほど、その意味では二つの屋台はどちらも必須課題をクリアしていた。

 

「けれど、調理工程では『cocosuki』側が一歩リードしていると言っていいのです」

「どういう事かな? 解説の博士ちゃん」

 

 博士は実況のコイちゃんに頷くと続ける。

 

「『cocosuki』側は調理工程も一種のパフォーマンスとしているのです。見るがいいのです」

 

 博士が指さした先ではサオリとエミリの二人が抜群のコンビネーションで持ち場を入れ替えながらの調理で観客を魅了していた。

 そしてセイリュウが削った氷に豪快にシロップをかけていく。

 何ともお祭りらしい光景は見ているだけでも楽しい。

 対する『グルメキャッスル』側はまだ動きがない。

 果たして諦めてしまったのだろうか?

 その間にも『cocosuki』側はどんどん調理を進めていく。

 最も手間がかかる春香特製の野菜たっぷり本格袋ラーメンですら既に出来上がっていた。

 

「それでは、まずは『cocosuki』側の屋台から実食していきましょう」

 

 『cocosuki』側の品目はミックスタコ焼き、中華風焼きそば、セイリュウ特製カキ氷、そして野菜たっぷり本格袋ラーメンというラインナップだ。

 少し分量は抑えたがそれでも多い。

 お父さん方はしばし悩みながらもミックスタコ焼きから実食する事にした。

 これなら一皿を全員で分ければ少しは分量を抑えられる。

 爪楊枝に刺したタコ焼きを一口……。

 

「こ、これは……!?」

 

 ミックスタコ焼きの秘密は何と言っても中の具材が食べるまでわからないところにある。

 オーソドックスなタコの他にトロトロのチーズ、面白いところでカニカマまで入っているのだ。

 お祭りで誰かとシェアして食べると、どれが当たるかわからなくて面白い。

 

「それに……。具材を包むこの生地にもしっかりと出汁が効いている」

「ええ。その出汁に支えられてソースの味に生地が負けていません」

 

 どうやらユキヒョウの父やエゾオオカミの父にも好評なようだ。

 

「さて……続けては中華風焼きそばだけれど……」

 

 これまたお祭りの定番メニューだ。

 一口のつもりで食べたお父さん方だったが……

 

「くっ!? この濃厚な風味……! これはオイスターソースか……!」

「パンチの効いた味で箸が止まりません!」

「そして、お祭り屋台だというのに、このふわふわモチモチした麺……! あらかじめ市販の麺を蒸してから焼いたのだろう……」

 

 なんとあまりの美味さに完食してしまった。

 そして次に待っているのが本格袋ラーメンだ。

 食器こそお祭り屋台という事で使い捨ての発泡スチロール製どんぶりだが、立ち上る香りはお店で出て来たって文句ない。

 

「これが本当に袋ラーメンか……」

「ゴマの香り、かつお節の香り、それだけで食欲をそそりますね」

 

 そればかりがこの本格袋ラーメンの特徴ではない。

 お父さん方三人は頷き合うと、一口を口にする。

 

「「「!?!?!?!?」」」

 

 途端に海と山の香りが口いっぱいに広がった。

 三人とも言葉にならない。

 食レポもなしに食べ続ける審査員達に戸惑ったアオイは解説の博士と助手に訊ねる。

 

「こ、これは一体どういう事なんですか?」

「あれはスープに秘密があるのです」

 

 博士と助手は指を立てると解説を始めた。

 

「まず、あのスープは袋ラーメン付属の粉末スープを出汁で溶かしたものなのです。その出汁に工夫の正体があるのですよ」

「あの出汁は昆布と煮干しの合せ出汁に、さらにエノキ氷を使っているのです」

「ねえねえ、博士ちゃん、助手ちゃん、それってどういう風に凄いの?」

 

 コイちゃんの質問に博士は一つ頷く。

 

「出汁を取る時には単一の食材よりも沢山の食材を使った方がいいのです。それは複数の食材を使った方が様々な種類のうま味成分が抽出出来るからなのです」

「昆布からグルタミン酸、煮干しからイノシン酸、エノキ氷からはグアニル酸といううま味成分を抽出して味に奥行きを出しているのです」

 

 人間の舌は複数のうま味成分でより強いうま味を感じると言われている。

 だが、春香の作ったラーメンはそれだけではない。

 

「そして、その味をまとめ上げているのが付属の粉末スープなのです」

「ええ。味の方向性を決めるだけでなく、出汁と合わせたダブルスープ方式でさらに味わいを奥深いものにしているのです」

「じゃ、じゃあ……審査員の皆さんは……!?」

 

 何かに気づいたアオイはバッと審査員のお父さん方を振り返る。

 彼らは押し寄せるうま味の迷宮に迷い込んでいた。

 

「でも、ここまで本格的にやるんなら、麺も製麺所とかで作った手打ち麺にしたらよかったんじゃない?」

 

 コイちゃんのもっともな疑問は観客達も思っていた事だ。

 だが、それにも理由があった。

 

「実はね。今日出した屋台料理は……全部『cocosuki』の食品売り場で安く揃える事が出来るの」

 

 春香の言葉に観客の主婦層が「おお……」と感嘆の声をあげる。

 確かに焼きそばもミックスタコ焼きも安価な食材でまとめ上げられていた。しかも希望者にはレシピカードまで付けてもらえる。

 つまり、ご家庭でも多少の手間さえかければ十分に再現可能なのだ。

 そして、その評価は観客にはもちろん、審査員も好評なようで、全ての皿を平らげてしまっていた。

 いくら分量を少なめにしたとはいえ、ラーメンにタコ焼きに焼きそば。そんなに食べたらお腹がいっぱいになってしまう。

 これは勝負あったか、と観客達は思っていた。

 しかし……。

 

「さて、審査員の皆さん。『グルメキャッスル』のホットドッグはハーフサイズにする事も出来るけれどいかがかな?」

 

 オオセルザンコウが審査員のお父さん方の前で言う。

 これは嬉しい申し出だ。

 

「じゃあ、ハーフサイズでお願いしようか」

 

 ドクター遠坂に残る二人も同意と頷く。

 

「なるほど。『グルメキャッスル』の売りは何と言っても選択肢の多さにあるのです」

「トマトソース、ヨーグルトソース、カレーソースの三つからさらにプレーンウィンナーかチョリソーを選べて、そこからトッピング次第で組み合わせは多岐に渡るというわけですね」

 

 解説の博士と助手の説明に観客達から再び「おぉー……」と感嘆の声が上がった。

 

「ええと、味を選べばいいのかな?」

 

 ドクター遠坂が訊ねるがオオセルザンコウは首を横に振った。

 

「いや。今回は我々の自信作を既に用意させていただいた」

 

 と同時に、マセルカとセルシコウが素早く審査員にハーフサイズに切り分けたホットドッグを届ける。

 どうやら『cocosuki』側の実食中に仕上げたらしい。

 それは、どうやらヨーグルトソースをかけた物のようだ。心なしか真っ白なはずのソースが緑がかって見える。

 

「『グルメキャッスル』特製ホットドッグ、ともえスペシャルだ」

 

 オオセルザンコウの宣言にザワ、と会場がざわついた。

 これはまさかの最終日にしての新味だ。

 そしてともえをよく知る人物は物騒な単語が聞こえた気がして我が耳を疑う。

 ともえがノリと勢いで調味料マシマシで作ったともえスペシャルは恐怖の代名詞にすらなっていたのだから。

 ともえの父であるドクター遠坂も一瞬申し訳なさそうな目を両脇の審査員達の向けてしまう。

 

「安心していい。味は保障する」

 

 オオセルザンコウの言う通り、まさか食べられないものを出すわけではないだろう。

 ふと、『グルメキャッスル』の他のメンバーを見れば誰もがどこかゲッソリした様子だった。

 口々に「味噌はヤバかったね……」だとか「さすがに豆板醤はなかったですね……」などと言っているあたり、ともえスペシャルの失敗作を試食しまくったのだろう。

 その様子にドクター遠坂の頬に一筋の冷や汗が流れる。

 願わくば、死人が出ない事を祈るのみだ。

 

「(ええい!)」

 

 ここで食べないわけにはいかない。ドクター遠坂は意を決するとガブリとホットドッグに食らいついた。

 他二人のお父さんもそれに倣う。

 瞬間……。

 

―フワァ……。

 

 清涼な風が脳天を駆け抜けた。

 いま、審査員の三人はどこか小高い山奥の草原にいた。

 吹く風が少し肌寒さを感じさせるが決して厳しいわけではない。

 

「こ、これは……!?」

 

 肉汁を迸らせるウィンナーを食べたはずなのに、そのしつこさが全く感じられない。

 既にお腹がいっぱいのはずなのにサッパリとした清涼感のある味わいに食べる手が止まらない。

 気づけば三人ともホットドッグを完食してしまっていた。

 

「このインパクトのある清涼感……まさか……ヨーグルトソースに混ぜられた緑色……」

「そう、ヨーグルトソースにワサビを混ぜたんだよ」

 

 オオセルザンコウの解説にともえもドヤ顔をしていた。

 緑がかって見えたヨーグルトソースの正体はワサビだった。

 色々とともえのアイデアを試してみた結果、味にまとまりを作れそうなのがこの案だったのだ。

 ヨーグルトソースにワサビを混ぜる事でさらに清涼感をアップしつつ、マヨネーズと合わせる事で辛みで鼻がツーンとしちゃうのも防げる。

 ほぼ満腹状態でも食べられるくらいにサッパリとした味わいの一品になったのだ。

 

「まぁ……、ちょうどいいバランスでマヨネーズとワサビを配合するのにも手間取りましたが……」

 

 ゲンナリした様子のセルシコウに他のメンバー達も何度も頷く。

 その表情は試行錯誤の中で試食された失敗作の数がどれ程だったかを物語っていた。

 だがその甲斐あって、ヨーグルトソースはさらなる進化を遂げたのだった。

 二つの屋台の実食を終えて、いよいよ判定へと入る。

 審査員は三人がそれぞれ一票ずつ勝者と思う方へ一票を投じる。

 故に引き分けはあり得ない。

 果たしてこの味勝負はどちらに軍配が上がるのか……。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夕暮れ時。

 完全に日が落ちれば、青龍神社夏祭り最後のイベントである打ち上げ花火が始まる。

 

「完敗だったわ」

 

 そう言って春香はオオセルザンコウに右手を差し出す。

 結局、朝の料理対決は3対0で『グルメキャッスル』に軍配が上がった。

 ともえスペシャルのインパクトと、急遽ハーフサイズを用意してくれた配慮を評価しての事らしい。

 

「いや。皆が手伝ってくれなかったらこの勝利はなかった。強敵だったよ」

 

 オオセルザンコウも春香の手を握り返す。

 実際にオオセルザンコウ、セルシコウ、マセルカの三人だけだったら春香達には勝てなかっただろう。

 こうして料理対決を制した『グルメキャッスル』はさらに話題を呼び、今回のお祭りで一番の売り上げを記録した。

 

「っていうか母さん! 一言だってこんなん聞いてなかったぞ!」

「だって……。言ったらエゾオオカミは反対するでしょう?」

 

 こっちはこっちで怒るエゾオオカミをエミリがなだめていた。

 ちなみに、サオリと共謀してあわよくばエゾオオカミとセルシコウが仲睦まじく料理してる場面とか見たいと思っていたりもしたが、そこまでは高望みだったようだ。

 

「それでね、オオセルザンコウさん、セルシコウさん、マセルカさん。もしよかったらなんだけどね、格安で貸せる空いてる貸店舗があるの。そこであなた達の腕を振るってみない?」

 

 サオリにはもう一つ計画があった。

 もしも『グルメキャッスル』が今回の対決に勝利したなら、そのご褒美として彼女達が自前の店を持つ為の出資者になってもよい、と。

 その腕前ならば出資に見合うだけの働きをしてくれるだろうし、仮に断られたとしたってそれはそれでエゾオオカミとセルシコウの仲が深まるだろうし損はない。

 思ってもいない提案にオオセルザンコウ達はお互いに顔を見合わせてしばらく考える。

 ここでサオリの提案を受ける事は、ここまで協力してくれた商店街の皆を裏切るような気もしてしまう。

 セルシコウとマセルカはそんな気持ちを込めてオオセルザンコウを見る。

 そして、サオリとしても、この提案が断られる公算が高いと踏んでいた。

 けれど……。

 

「その話……受けたいと思う。『グルメキャッスル』を正式に開店出来るのなら大歓迎だ」

 

 オオセルザンコウの口からはYESの答えが返ってきた。

 意外そうに彼女の顔を見るセルシコウとマセルカ。

 だが……。

 

「おい! やったな!」

「すごいわ! 三人ともcongratulations!」

 

 先にエゾオオカミやハクトウワシに祝われてしまって何も言えなかった。

 それからも手伝ってくれた奈々やキタキツネやギンギツネ達も含めて商店街の面々が次々におめでとうを言ってくる。

 

「それじゃあ、明日貸店舗を案内するわね。大丈夫、私が責任もって面倒見るから」

「ええ。サオリさん。オオセルザンコウさん達の事をよろしくお願いします」

 

 商店街会長が深々とサオリに頭を下げていた。

 商店街の皆は誰もが『グルメキャッスル』が新しくお店を持つ事を歓迎しているようだ。

 セルシコウとマセルカはこれからも商店街で屋台『グルメキャッスル』を続けていくものだとばかり思っていて急な話に戸惑いを隠せない。

 

「『グルメキャッスル』開店は私達の悲願だっただろう?」

 

 オオセルザンコウの言に、セルシコウとマセルカは当初の目的を思い出す。

 そう。

 『グルメキャッスル』はこの世界の輝きを保全するための橋頭保なのだ。

 その意味ではオオセルザンコウは正しい。屋台では橋頭保とならないのだから。

 けれど、二人ともどこか胸にチクリとした痛みを覚えていた。

 

「なに暗い顔してんだよ。開店したら遊びに行くぜ」

 

 そう言ってエゾオオカミはバシリとセルシコウの背中を叩いた。

 そんな彼女にセルシコウは何と返事をしていいのかわからず、曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。

 だというのに、オオセルザンコウはサオリと明日の予定を既に話し合っていた。

 祝賀ムードの中、置いてけぼりになったようでセルシコウとマセルカはお互いに顔を見合わせる。

 そんな中で、もう一人、声を上げる者がいた。

 この対決にも参加した青龍神社神主のセイリュウだ。

 

「実はもしよかったらなんだけど、明日、青龍神社にご招待しようかと思ってるの」

 

 セイリュウは一歩を踏み出すと、ともえの耳元に口を寄せた。

 

「セルリアンについて教えておきたい事があるの」

 

 その囁きにともえが驚く前にセイリュウはパッと身体を離していた。

 どうしてセイリュウがセルリアンの事を知っているのだろう。

 そう訊きたいが、この場は人が多すぎる。

 

「だから、明日お泊りの準備をして来てくれないかしら」

 

 セイリュウはそう言うとニコリと笑って見せる。

 果たしてその先に待っているのが一体何なのか。

 

「大丈夫。ちゃんと責任もって一晩預かりますから。ね」

 

 セイリュウは春香にも安心させるように微笑む。

 その春香の困ったような曖昧な笑みは初めて見るような気がするともえと萌絵とイエイヌの三人。

 どうしてそんな顔をするのか不思議に思っていると……。

 

――ドォオオン!

 

 青龍神社夏祭りフィナーレを飾る花火。

 その最初の一発が大輪の花を咲かせる。

 夜空を彩る美しい花火に今は誰もが魅入ってしまうのだった。

 

 

 けものフレンズRクロスハート第22話『風雲! グルメキャッスル』

―おしまい―

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話『守護けもの』(前編)

【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 いよいよ始まる青龍神社夏祭り。
 そこで商店街に対してライバルのショッピングモール『cocosuki』から挑戦状が届く。
 夏祭りの屋台でどちらの代表がより多くの売り上げをあげられるのか勝負しようというのだ。
 商店街代表はセルリアンフレンズ三人組率いる屋台『グルメキャッスル』である。
 ともえ達も交えてメニュー開発に勤しむ『グルメキャッスル』は快心作ともいうべきホットドッグを完成させる。
 ところがその前に立ちはだかった刺客は意外な人物であった。
 春香達が率いるお母さんチームがなんと『ccoosuki』側の代表として現れたのだ。
 苦戦しながらも何とか勝利をもぎ取った『グルメキャッスル』の一同。
 そして、青龍神社神主のセイリュウはともえ達をお泊り会に誘う。
 どうやらセルリアンの事を知っているらしいセイリュウは一体どんな考えがあるというのか……。




 

「はぁ……はぁ……」

「大丈夫? お姉ちゃん?」

 

 青龍神社へと続く大階段。

 そこを登るのは息も絶え絶えの遠坂萌絵とそれを心配そうに眺めるともえの二人だ。

 

「なんでしたら、わたしが背中に負ぶったりしましょうか?」

「いっその事、ラモリケンタウロスを呼び出すとかナ」

 

 さらにその後ろからイエイヌに抱えられたラモリさんが続く。

 

「だ、大丈夫! 荷物を全部ともえちゃんとイエイヌちゃんが持ってくれてるんだもん。このくらいでヘコたれたりできないよ! お姉ちゃんだし!」

 

 無理やりにでも元気を出して見せる萌絵である。

 青龍神社夏祭りから一夜明けて、ともえ達は青龍神社神主のセイリュウからお泊りの招待を受けていた。

 一応の保護者としてラモリさんも同伴である。

 そして、青龍神社へ続く長い階段を登り始めたのはいいものの、運動が苦手な萌絵はあっという間に息切れしてしまった。

 

「ほんと、こんな階段を走って登ったとか、凄すぎるよ……」

 

 逆に運動が得意なともえは青龍神社夏祭りのイベントでこの階段を駆け上がったのだ。

 今も萌絵の荷物をイエイヌと手分けして持ってくれて涼しい顔をして階段を登っている。

 

「じゃあ、お姉ちゃん。手を出して」

 

 ともえは萌絵の手をとると、その手を引きながら階段を登り始めた。

 

「じゃあじゃあ、わたしは背中から」

 

 さらに萌絵の背中をイエイヌが押し始める。

 前から引っ張られ、後ろから押されて大分楽だ。

 

「二人ともありがとうね」

 

 妹二人に押されたり引っ張られたりで萌絵は階段を登る。

 長い階段も、そうしていたら楽しくてあっという間だった。

 さて、階段を登り切ると境内では何だかとても小さな女の子が待っていた。

 真っ白な毛並みを持つトラのフレンズである。

 彼女とは陸上部の地区大会で会っていた。

 守護けものビャッコの血を引く白虎シロである。

 

「みんなご苦労だったのだ! 長い階段はさぞ疲れたであろう!」

 

 えっへん、と腰に手をあて仁王立ちで出迎えてくれた。

 

「夏祭りでは大活躍だったなぁ! シロもな『グルメキャッスル』のホットドッグ食べたのだ! 一番のお気に入りは何と言ってもトマトソースなのだ!」

 

 さっそく階段を登って来た三人と一機にまとわりつく。

 

「久しぶりだね。シロちゃん。この前の陸上大会ではありがとうね」

 

 萌絵がそんなシロの頭を撫でる。

 ただ、それにはシロが不思議そうな顔をした。

 

「うむむ? 陸上大会……。ああ、一緒に応援したのだ。あれれ? でもジャパリ女子の応援団長って……あれ? あれれ?」

 

 陸上大会の際、ともえと萌絵が入れ替わって萌絵が応援団長を務め、その間にともえは会場に現れたセルリアンを退治していたのだ。

 シロはその時にともえと入れ替わった萌絵に会っていたのだが、今日は二人の雰囲気が全然違って混乱していた。

 

「あー!? ええと、ほら、セイリュウ様も待っているだろうから案内お願いしていいかな!?」

 

 ともえが慌てて誤魔化すように言う。

 あの陸上大会の日、ともえと萌絵が入れ替わっていたのはシロには内緒なのだ。

 

「そうだな! 冷たい麦茶も用意しているのだ! ホワイトタイガーとアオイがな!」

 

 再びえっへんと胸を張るシロである。

 そこは胸を張るところではないような気がしたけれど、藪を突いて蛇を出す事もあるまい。

 ともえと萌絵とイエイヌの三人は顔を見合わせて何とも言えない曖昧な笑みを浮かべた。

 元気なシロに先導されて社務所へと向かう。

 色鳥町どころか、県内でも青龍神社は有数の大きな神社だ。

 その社務所だけでも大きい。

 玄関をくぐって客間へと通されると、そこは絨毯敷きでソファーが置かれていた。

 律儀に立って待っていたアオイとホワイトタイガーが一礼し、コイちゃんはマイペースにソファーに座ったまま手をひらひらと振って見せた。

 

「ともえ先輩、萌絵先輩、イエイヌ先輩。今日は来てくれてありがとうございます。まずはお茶を用意していましたのでどうぞ寛いで下さい」

 

 アオイに促され、萌絵は早速ソファーへ沈み込んだ。

 テーブルに用意されたグラスには氷の浮いた麦茶が既に用意されている。

 透明なグラスに注がれた麦茶は大階段を登って来た三人にはひどく魅力的に見えていた。

 まさに砂漠で出会ったオアシスだ。

 三人とも全く同じ動きでグラスを持ち上げると中身を一気に飲み干してしまった。

 

「行儀悪いゾ」

 

 とラモリさんがたしなめるけれど、アオイはと言えば微笑んだままだ。

 

「もう一杯いかがですか?」

 

 今度はホワイトタイガーがおかわりを勧めてくれる。

 せっかくなのでもう一杯。

 おかわりを再び飲み干す三人を見てアオイは内心喜んでいた。

 

「(今日はともえ先輩が! ともえ先輩がウチにお泊りとか!? お母様ありがとぉおおおお!)」

 

 実はアオイはともえやかばんには強い憧れを抱いていた。

 それを表に出す事はないけれど、憧れの先輩と今日は一つ屋根の下だ。自然と頬が緩みそうになる。

 二杯目の麦茶を飲み干したともえは、そのアオイに訊ねる。

 

「ねえ。今日は他にも誰か来るの?」

 

 昨日、お祭り最後の花火でセイリュウは確かにセルリアンの事を話そうとしていた。

 だとしたら自分達だけではなく、かばん達やルリ達にだって関係がある話だ。

 けれど、この場にはともえと萌絵とイエイヌ、そしてラモリさんだけしかいない。

 

「ええ。実は、かばん先輩とルリちゃん達はちょっと用事があるとかで……」

 

 どうやら今日この場に来たのはともえ達だけなのか、と思ったら玄関から「ごめんくださーい」と声がした。

 

「あ、はーい」

 

 アオイはパタパタと出迎えに出た。

 どうやら他にもお客さんはいるらしい。

 程なくしてやって来たのは……。

 

「菜々さんとカラカルちゃん」

 

 別な世界からやって来た二人であった。

 菜々とカラカルの二人はともえ達にもヒラヒラと手を振ってみせる。

 

「実はまだアッチに戻る準備がもう少し掛かってね。それで観光がてらどこか行きたいんだけど……」

「迂闊に出歩くと奈々に迷惑を掛けるものね。お祭りの時みたいに菜々の顔を隠しても目立っちゃうし」

「そうそう。だからセイリュウさんが私達も誘ってくれたから、お呼ばれしてみたってわけ」

 

 肩をすくめて見せる菜々に苦笑いのカラカルだ。

 確かに、青龍神社は神社だけあって人目にも付きづらい。ずっと和香教授の家で閉じこもっているよりもいいだろう。

 菜々とカラカルにもホワイトタイガーがお茶を出してくれて、二人もそれを飲み干した頃に巫女服姿のフレンズがやって来た。

 そのフレンズは頭に特徴的なヒレを持っていて、顔立ちはコイちゃんそっくりだ。

 

「皆さん、準備が出来ました。本殿でセイリュウ様がお待ちです」

 

 コイちゃんそっくりの巫女さんはそう言って一礼した。

 きっと彼女がコイちゃんの母親なのだろう。コイちゃんの家系は代々青龍神社に仕える巫女なのだから。

 それにしても、彼女を見ているとコイちゃんがきっと将来美人になるだろう事が予想出来る。

 つい昨日、各美人さんな母親達と激闘を繰り広げたばかりだというのに、まだこんな綺麗なお母さんが残っていたかと驚きのともえ達だった。

 ともあれ、彼女の案内についていこうと、ともえと萌絵とイエイヌとラモリさん、それに菜々とカラカルが席を立つ。

 けれども、アオイ達はソファーに座ったままだった。

 

「お母様がお呼びしたのはともえ先輩達だけですから」

 

 やはり、それはセイリュウがセルリアンに関する話をするつもりだからなのか。

 

「ともえちゃん、後で一緒に遊ぼうねー」

「シロも! シロも遊ぶのだ!」

「もう、コイちゃん姉さんもシロちゃんも。遊ぶのは今日の宿題終わらせてからですよ」

「はい。それが終わったら遊んでも大丈夫ですから」

 

 そうやって賑やかに見送られる。

 ともえ達も今日やる分の夏休みの宿題は持って来ていた。

 後でみんなで勉強するのも楽しいかもしれない。

 そう思いながら本殿へと向かうのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ひっま~♪ ひまひま~♪」

 

 公園で一人、マセルカは暇を持て余していた。自作の『暇な時の歌』を歌うくらいに。

 今日は朝からオオセルザンコウが『グルメキャッスル』の新店舗を下見に行っていた。

 セルシコウも一緒に付いて行くと言ったものの、「今日くらいゆっくり休め」と返されてしまった。

 というわけで、今日は休みである。

 セルシコウは浮かない顔で何かを考え込んでいるし、ハクトウワシは今日もお仕事だし、一人暇になったマセルカはこうして公園までやって来た。

 目の前には小川がある。

 近くを流れる色鳥川から分流を引き込んで作った人工の小川だ。

 ちょうど夏も真っ盛りの今日は親子連れが水遊びを楽しんでいる。

 そして、そこはマセルカがクロスシンフォニーと戦った場所でもある。

 マセルカは何をするでもなく、ぼんやりと親子連れが遊ぶ平和な光景を眺めていた。

 

「ちょっと暑いかなぁ」

 

 真夏の太陽は何をするでもないマセルカにも容赦なく照りつける。

 特に頭が熱い。

 帽子くらい借りてくればよかったと思わなくもないが、今から取りに戻るのだって面倒だ。

 そうだ。いっその事水の中に飛び込んでしまうのはどうだろう。

 そう思っていると、ふわり、と急に頭が涼しくなった気がした。

 気が付くと、頭に何か乗っている。

 それが帽子であると気が付くのに一瞬の間を擁した。

 そして……。

 

「こんにちわ。マセルカさん」

「マセルカー、昨日ぶりー!」

 

 マセルカの右隣にはかばんが座って左隣にはサーバルが座っていた。

 マセルカの頭に被せられたのはかばんの帽子だったらしい。

 

「ああ、えっと……今日は暑いですからあんまり日の当たるところにいると日射病になっちゃうかな、って」

 

 そんな風に帽子を被せた理由を話すかばんだったが、マセルカが訊きたいのはそういう事ではない。

 

「二人とも、どうしたの?」

 

 マセルカはかばんとサーバルに訊ねる。

 まあ、この二人は仲良しだからお散歩がてらデートしてても不思議じゃないとマセルカは思っていたがどうやらそういう事でもないらしい。

 何か言いづらそうにしているかばんに代わってサーバルが口を開いた。

 

「あのね、マセルカが元気なさそうだったから気になっちゃって」

 

 そう言われてマセルカも思い返す。

 そんなに自分は元気がなかっただろうか、と。

 確かに自分は何かモヤモヤした気分を抱えていた。

 それは昨日からだったような気がする。

 そして多分それはセルシコウも似たようなもののはずだ。今朝見たセルシコウの浮かない顔を思い返すと、なるほど確かに元気なさそうと言われても不思議じゃない。

 自分もどうやら昨日のお祭りの後からずっと似たような表情をしていてかばん達に心配を掛けてしまったようだ。

 

「元気ない……ってわけじゃないの。マセルカね。楽しかった。みんなとアルバイトしたり『グルメキャッスル』で働いたりするの」

「ええ。ボク達も楽しかったです」

 

 ポツポツと話はじめたマセルカにかばんも頷く。

 

「もしかしたらこんな風にこれからも楽しい時間が続くんじゃないか、って思ってた」

 

 けれども、それは違う。

 やはりセルリアンフレンズとかばん達は敵同士なのだ。

 また一緒に屋台をしたりアルバイトしたりするはずがない。

 昨日、サオリの提案を受け入れて『グルメキャッスル』の店舗を借り受ける事を決めたオオセルザンコウの決断で、そう気付かされてしまった。

 

「そっか……。マセルカはオオセルザンコウが、まだ屋台の方の『グルメキャッスル』を続けてくれるんだって思ってたんだ……」

 

 マセルカは話しているうちに昨日から抱えていたモヤモヤの正体に行き着いた。

 その不満が分かるからこそ、オオセルザンコウは今日は一人でいる事を選んだのだろう。

 そうして物思いに耽っていると、サーバルがマセルカの顔をヒョイと覗き込んで来た。

 

「私もね、マセルカ達と友達になれてすっごく嬉しい。だから、また戦う事になったりしたらヤだなぁ」

 

 それはマセルカも同じ事を思っていた。

 最初はセルスザクの仇だと思っていた仇敵クロスシンフォニーも実は全然違った。

 この世界の輝きを保全して永遠の物にするという使命は変わらないけれど、それは戦いの先にしか成し得ない物なのか。

 

「マセルカね。今日、オオセルザンコウが帰ってきたらセルシコウと三人でちゃんとお話ししようと思う」

 

 マセルカは自身に生まれたこの考えが正しいのかどうかわからない。

 けれど、自分一人ではわからなくても仲間達と一緒に考えたらきっとそれも分かるかもしれないと思えた。

 

「はい。ボク達の話も聞きたくなったら呼んで下さいね」

「うん! 私も呼んでね! だってお友達だもん、絶対に行くよ!」

 

 そう言ってくれるかばんとサーバルにマセルカも嬉しそうに頷いた。

 三人だけで分からなくても、まだ一緒に考えられる仲間でもあり敵でもある何とも不思議な友人がいるのだ、と。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 青龍神社本殿へ案内されたともえと萌絵とイエイヌにラモリさん、それと菜々とカラカルの五人と一機。

 彼女達を出迎えたのは青龍神社の主、セイリュウその人だった。

 アオイと一緒の水色の髪をツインテールにして青色の長い龍の尻尾も娘とお揃いだ。

 広い本堂に今はセイリュウが一人。用意された座布団に皆を促す。

 

「ようこそ。クロスハートの皆さん。そして異世界の戦士の方」

 

 セイリュウは全員の着席を待ってそう切り出した。

 セルリアンの事を知っているならクロスハートの事を知っていたって不思議じゃない。

 なのでクロスハートと呼ばれた事も思ったほど驚きにはならずに済んだ。

 セイリュウはともえ達が落ち着いているのを見て取ると満足そうに微笑み、そして深々と頭を下げた。

 

「まずはお礼を言わなくてはなりません。私達守護けものに代わってセルリアンと戦ってくれている事、感謝しております。守護けものの一人としても一人の母としても」

 

 その物言いだと、本来セルリアンと戦うのはセイリュウの役目のように聞こえる。

 だが、実際にセルリアンと戦って来たのはかばん達クロスシンフォニーだし、クロスハート達だ。

 

「実はセルリアンは少数ながら昔から存在しているのです。特に色鳥町は地脈が集まる場所でもあるのでセルリアンが発生しやすい土地柄でもありました」

「え……えっと……じゃあアタシ達……というかかばんちゃん達がセルリアンと戦う前ってどうしてたの?……じゃないや、どうしてたんですか?」

 

 ともえは慣れない口調でぎこちないながらも訊ねる。

 

「当然、セルリアンと戦う者がいました。それは私達四神の一族やオイナリ校長の稲荷家、守護者の家柄である宝条家などの者がそうです」

 

 聞き慣れた苗字が出て来てともえも萌絵もイエイヌも顔を見合わせた。

 宝条。

 和香教授の苗字でもあり、春香の旧姓でもある。

 つまり……。

 

「ええ。私達の代だと春香さんと和香さんは私と一緒にセルリアン退治をした事がありますよ」

 

 セイリュウはご名答、とばかりに微笑んで見せた。

 春香からそんな事を聞いた覚えはなくて、ともえ達は揃って驚きに目を丸くしていた。

 

「もっとも、今のようにセルリアンが頻繁に現れたわけではありません。せいぜい1~2ヶ月に一回出れば多い方でした」

 

 ならば、最近頻繁に現れるセルリアンはどいういう事なのだろう。

 

「そうですね。最近の場合は事情が違います。まず、一年前にセルスザクが放ったセルリアンの残党と宝条ルリさんが生み出したセルリウムの残りが少数ながらまだ存在します」

「あの……。少数だったらそんなにセルリアンも発生しないと思うんですが……」

 

 萌絵が控えめに訊ねる。

 確かに一時期ともえ達は毎日のようにセルリアンと戦っていた。

 最近はセルリアンが現れる頻度も少なくなっているように思えるが、それでも週に一回くらいは戦っているんじゃないだろうか。

 

「それは、最近地脈が活発に活動している事と関係があります」

 

 そういえば、ドクター遠坂が『観測史上類を見ない程にサンドスターの活動が活発になっている』と話していた事を思い出した。

 そのおかげで彼の仕事は忙しくなってしまった。

 

「そうです。サンドスターは地脈から生み出されています」

 

 それが活発になっているから、それを利用して生活している人々にも徐々に影響が出始めていた。

 具体的には合成肉の値段が下がって来ているのだ。

 この世界では肉は植物由来の成分をサンドスターで変換した合成肉が主流だ。

 サンドスターが活発に活動している現在、その製造コストが下がって来ている。

 だが、いい事ばかりではない。

 サンドスター・ローも今までよりも多く観測されているし、天然のサンドスター・ローがセルリウムへと変化しているのだ。

 

「だからここ最近は例年になくセルリアンの発生頻度も高いのです」

 

 ルリがセルリウムを生み出してしまう問題を解決したのに、セルリアンが相変わらず発生しているのはサンドスターの活動自体が活発になっている事も原因であったらしい。

 

「本来であれば、アオイやシロさんも守護けもの、四神の血を引く者としてセルリアンと戦わなくてはならないはずでした」

 

 セイリュウはそう言うが、実際アオイはセルリアンの事は知らなかった。

 という事はそうできない事情があったのだろうか。

 

「我々守護けものも代を重ねる毎に徐々に力を失っています。今でも四神としてこの地に在り続ける事で地脈の安定化は図れていますがセルリアンと戦う事が出来るかと言われれば心許ないというのが正直なところです」

 

 先程も言ったように、最近のセルリアン出現率は物凄く高くなっている。

 そんな渦中に我が子を投じる事はセイリュウにも難しかった。

 

「ところがあなた達が現れた。クロスハート、クロスナイト。あなた達には感謝してもし切れません。街を守ってくれた事、本当にありがとう」

 

 そうしてセイリュウは再び深々と頭を下げた。

 そんなにされると却って過剰な気がしてともえも萌絵もイエイヌもあわあわと慌てる。

 こうして頭を下げ続けるのも困らせてしまうようだと悟ったセイリュウは居住まいを直してから続ける。

 

「今日こうして呼んだのは、あなた達の事を知っている大人もいると知っておいて欲しかったからです。そして力になりたい、と思ってもいます」

「あ、はい! あ、ありがとうございます!」

 

 こんな風に大人の人に改まって言われるのは初めてでしどろもどろになりながらも、ともえはその言葉を嬉しく思った。

 春香や父のドクター遠坂や和香教授などと同じように事情を知っている大人達が増えた事は心強い。

 そして、知らないうちにアオイとシロの役に立てていた事も何だか嬉しかった。

 

「それと……クロスハート。そして異世界の戦士、クロスレインボー。あなた方に今日はお願いもあるのです」

 

 再び居住まいを正して言うセイリュウに緊張感が蘇るともえ達。

 果たしてセイリュウの頼みとは一体何なのか……。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥町駅前。

 ここは色鳥町の玄関口とも言われている。

 ここから仕事に出掛ける人や逆に仕事に来る人だっているし、観光に訪れる人も少なくない。

 駅舎ビルは通勤客用の駐車場も整備されている他、テナント形式で様々な店舗も軒を連ねる。

 そこには通勤客や駅前周辺のオフィスで働く人達をあてこんだ飲食店も少なくない。

 

「な、なあ、サオリさん。本当にこんな場所を借りてしまっていいのだろうか?」

「ええ。もちろんよ」

 

 その駅舎ビル内のテナントがユキヒョウの母であるサオリの紹介する店舗であった。

 人通りも多く、控え目に見ても一等地なのは疑いようもない。

 さらに……。

 

「当面の運転資金も心配しなくていいわ。家賃から仕入れまでこちらで無期限の貸付にしてあるから」

 

 どうやら条件まで破格らしい。

 このチャンスを逃せば、これだけの好条件が揃った開店は望めないだろう。

 なので、オオセルザンコウは決断した。

 

「わかった。これからも面倒をかけてしまうかもしれないがよろしくお願いするよ」

「ええ。私も『グルメキャッスル』で食事できるの楽しみにしてるもの」

 

 言って二人は固く握手を交わす。

 それから、二人して、厨房設備を見たり、ホールを見たりしてみる。

 大型の業務用冷蔵庫もあれば、6口ものコンロとオーブンまである。

 洗い場も広いし、これならセルシコウの腕を存分に振るう事が出来るだろう。

 そして、サオリと一緒にカタログを見ながら内装に使うテーブルや椅子などにも目星をつけていく。

 サオリの方でも色々とアドバイスをしてくれたので、次々と開店に向けての準備が決まっていった。

 

「それじゃあ、内装の発注を掛けるから、私は今日のところは失礼するわね。オオセルザンコウちゃんはどうするかしら?」

 

 善は急げ。

 サオリは内装の発注なども早速専門の業者へ依頼しようとしていた。

 『グルメキャッスル』の腕は中々のものだ。きっと話題を呼ぶに違いない。だからサオリは一日も早く『グルメキャッスル』を開店したいと願っていた。

 

「私は少し、お店の中を見ても構わないだろうか」

 

 対するオオセルザンコウは感傷にでもひたるような表情でそんな事を言う。

 サオリは少し事を急ぎ過ぎただろうか、と反省である。きっと、オオセルザンコウも目標の一つを達成するのに何か思うところがあるのだろう。

 そう考えたサオリは頷くと、テナントの鍵をオオセルザンコウに渡した。

 

「ええ。構わないわ。何か気になる事があればいつでも言ってね。私もあなた達の開く『グルメキャッスル』を楽しみにしているから」

「ああ。ありがとう」

 

 オオセルザンコウの顔が少し寂し気に見えるのは気のせいだろうか。

 けれど、内装も整ってお店が形になってくれば、きっと明るい表情も見られるだろう。

 

「なるべく進捗なんかも見てもらいたいからまた連絡するわ。今度はセルシコウちゃんやマセルカちゃんも一緒に内装工事を見ましょう」

 

 そうしてサオリはオオセルザンコウを残して内装工事の業者を手配するべく先に戻って行った。

 残されたのはオオセルザンコウのみである。

 まだガランとした店内は彼女一人には広すぎる。

 一人残されたオオセルザンコウは広いホールに懐から出した小さな石を置く。

 それは小さな亀を象った像だった。

 その像の前に片膝をついたオオセルザンコウは恭しく頭を下げるとこう言った。

 

「セルゲンブ様。橋頭保の準備が整いました」

 

 すると、亀の像はキラリと目を光らせると言葉を発したではないか。

 

『よくやった。さすが我が眷属の中でも一番の知恵者オオセルザンコウだ』

 

 その声の主こそ、セルリアンフレンズ三人組をこの世界へと送り込んだ張本人、異世界の四神が一人、セルゲンブである。

 特に、オオセルザンコウはセルゲンブの腹心ともいうべき眷属だ。

 

『他の二人をまとめてよくぞここまで成し遂げた。あらためて礼を言おう』

「もったいないお言葉です」

 

 オオセルザンコウはセルゲンブから託されたこの亀の像で情報を常にセルゲンブへと送っていた。

 そして、この像にはもう一つ、重要な役割がある。

 

『そして今こそ、我、セルゲンブがそちらへと渡ろう』

 

 亀の像にヒビが走り、まばゆい閃光と共に砕け散った。

 そのまぶしさに一瞬オオセルザンコウはまぶたを閉じる。

 その直後、片膝をついた彼女の目の前には足が見える。

 

「久しいな。オオセルザンコウ」

 

 先程までのくぐもった像越しの声ではない、明瞭な声が頭の上からする。

 この像はセルゲンブへと通信する為の端末としてだけでなく、来るべき時にセルゲンブをこちらの世界へと呼び寄せる役割を持っていた。

 

「一時はどうなる事かと思ったが、よくやったな」

 

 セルゲンブはひざまづいたオオセルザンコウの肩に手を置く。

 

「この我、セルゲンブには秘策がある。この世界の“輝き”を永遠とする秘策がな。オオセルザンコウよ、貴様にはもうひと働きしてもらわねばならん」

 

 こちらの世界へと顕現したセルゲンブの威容にオオセルザンコウは顔をあげる事が出来なかった。

 そこにいるというだけでも圧倒的な存在感がプレッシャーとなって彼女を襲う。

 オオセルザンコウの背中にはイヤな汗が浮かんでいた。

 当然彼女の眷属であるオオセルザンコウにはセルゲンブの命令に逆らう事など出来ないし、するはずがない。

 そう思っていた。

 しかし……。

 

「おそれながらセルゲンブ様」

 

 頭を下げたままのオオセルザンコウが言う。

 

「この世界の人々は良い者ばかりです。そして話が通じるだけの知性があります。どうか秘策を為される前に一度話してはいただけませんでしょうか? 穏便に事が済めば何より喜ばしいはず」

 

 オオセルザンコウはセルゲンブの性格をよく知っている。

 目的の為ならば手段を選ばぬ苛烈さも。

 そのセルゲンブが自ら為す秘策はこれまでとは比べ物にならない程に過激な物となるだろう。

 ほんの1ヶ月前であれば、それでいいと思っていた。

 けれど、オオセルザンコウはハクトウワシをはじめとしたこの世界の人々と仲良くなった。仲良くなってしまった。

 だから、オオセルザンコウにはセルゲンブにもこの世界の人々と触れ合って欲しいと願っていた。

 きっと、自身が感じた暖かさをセルゲンブも分かってくれる。

 そう信じていた。

 だが……。

 

「くくく……。ははははは……」

 

 セルゲンブは忍び笑いを漏らしていた。

 一体何事かと顔をあげたオオセルザンコウはそこに快心の笑みを浮かべたセルゲンブの顔を見た。

 

「いやいやいや、こうも思い通りか。オオセルザンコウ。本当にお前は我の眷属として優秀だ」

 

 ひとしきり笑った後、セルゲンブは膝を折り見上げるオオセルザンコウの顎をすくいあげ、その瞳をじぃと覗き込む。

 

「まず……。この世界の“輝き”は全て我らが女王の元で永遠とならねばならぬ。お主の願いは聞き入れられん」

「そんな……」

 

 だとしたらセルゲンブは何が可笑しいというのか。自分がこちらの世界に対して情が移るのも計算のうちだったとでも言うのだろうか。

 

「その通りだ。オオセルザンコウよ、貴様にはこの“セルメダル”を使って貰わねばならぬ」

 

 言いつつセルゲンブは一枚の“セルメダル”を取り出す。

 それはオオセルザンコウが今までに見た事もないものだった。

 通常の“セルメダル”は元となったセルリアンの姿が刻まれている。けれども今目の前にあるそれは真っ黒なのだ。

 オオセルザンコウの本能はそれが危険な物だと告げていた。

 

「この“セルメダル”は少々特殊でな。使用者の負の感情を喰らって成長する強力なものだ。十二分に成長したなら、この世界全ての“輝き”を喰らう事も可能であろう」

 

 しかし、この真っ黒な“セルメダル”はそれだけではない。

 

「まあ、強力過ぎて使用者も無事では済むまいがな」

 

 やはりか、とオオセルザンコウは思う。

 ただそこにあるだけだというのに、この真っ黒な“セルメダル”が放つ禍々しさはどうだ。

 無事で済まないどころではない。おそらく生命の危機すらあり得る。

 オオセルザンコウの本能はその“セルメダル”の使用を全力で拒否していた。

 

「なあに。別にお主でなくとも構わん。そうさな、セルシコウかマセルカのどちらかに頼むとするかな?」

 

 セルゲンブの言にオオセルザンコウはハッとする。

 セルゲンブがやると言ったならそれは必ず実行される。

 セルリアンフレンズ一人の犠牲でこの世界の“輝き”全てを保全できるとなれば彼女がそれをしない理由がない。

 けれど、ダメだ。

 セルシコウもマセルカもオオセルザンコウにとって大切な仲間だ。

 今日まで苦楽を共にしてきた。

 どちらも犠牲になど出来ない。

 

「わかりました……。私がその“セルメダル”を使い、この世界の“輝き”を全て保全しましょう」

「そうかそうか。それでこそ我が愛しい眷属よ」

 

 オオセルザンコウに選択肢はなかった。

 彼女はセルゲンブから真っ黒な“セルメダル”を受け取る。

 

「あ……アクセプター……セットメダル」

 

 オオセルザンコウの額の『石』にメダルを投入する為のスリットが現れる。

 けれど、指が震える。

 息も荒い。

 ドクドク言う自分の胸の音がやけにうるさく思える。

 そんなオオセルザンコウの手をセルゲンブが握った。

 

「さあ。我の為にその身を投げ出しておくれ。我が愛しの眷属よ」

 

 セルゲンブの声はどこまでも優しく蠱惑的だった。

 そのままセルゲンブはオオセルザンコウの手を『石』へと導く。

 オオセルザンコウは首を横に振りたいけれど、それすら出来なかった。

 やがて、真っ黒な“セルメダル”を持った自身の手がセルゲンブの手に導かれて『石』へと触れる。

 そしてスリットへと禍々しい“セルメダル”が落ちた。

 

「……なんとも……ない?」

 

 最初オオセルザンコウはそう思っていた。

 だが……。

 

―ドクン

 

 オオセルザンコウの胸が大きく脈打つと同時、全身が焼けるように熱くなってきた。

 思わず、その場でうずくまり丸くなるが、それでも動悸は治まらない。

 それどころか身を焦がすような熱さは激しさを増し、オオセルザンコウの耳には早鐘のように脈打つ自身の鼓動が響く。

 

「(ああ……。セルシコウとマセルカがこんな目に遭わずに済んでよかった)」

 

 全身を焼くような苦しみに苛まれながらもオオセルザンコウの頭にはそんな考えが過った。

 けれど……。

 

「我が愛しの眷属よ。貴様はいつからその二人と仲良しなのだ?」

 

 頭の上からセルゲンブの声が降って来る。

 いつから。

 そんなのは決まっている。最初からだ。

 ずっとずっと二人とは仲がよかった。

 真面目ではあるけれど戦闘狂で強者を前にしたら我慢が出来ないセルシコウと、自由奔放で不真面目だけれども勘の鋭いマセルカ。

 その二人とはずっとずっと仲がよかったはずだ。

 

「本当に?」

 

 しつこく訊ねてくるセルゲンブにオオセルザンコウは何故そんな事を、と思わずにはいられなかった。

 

「ならば質問を変えよう。オオセルザンコウ。貴様は我らの世界でどうやって暮らしていた? 友人であるはずの二人とどういう会話を交わした? いつ会っていた? どんな思い出がある?」

 

 オオセルザンコウはそれを思い出そうとして思い出せなかった。

 何も浮かんで来なかったのだ。

 一体全体これはどうした事だ。

 そう焦っているとセルゲンブの声が続く。

 

「それはな……こういう事だ」

 

 セルゲンブの手が優しくオオセルザンコウの額を撫でる。

 熱くなった額にその手が心地よい。

 その冷たさと共に一つの映像がオオセルザンコウの脳裏に滑り込んで来る。それもセルゲンブが持つ権能の一つなのだろう。

 

「な……」

 

 それは雪と氷に閉ざされた大地だった。

 黒く厚い雲がたちこめ、絶え間なく吹雪く雪はいつ止むのか見当もつかない。

 

「これこそ女王が全ての“輝き”を保全した我らが世界よ」

 

 こんな雪と氷だけの世界がそうなのか。

 オオセルザンコウはそう思ったが、それが真実なのだと頭のどこかで理解していた。

 けれど、こんな雪と氷だけの世界でどうやって生き物が生きているというのだろうか。

 

「それはな……」

 

 セルゲンブの声と共にオオセルザンコウが見ている映像が切り替わる。

 それは厚い雪の下に埋もれたこれまた厚い氷の中の映像だ。

 その氷の中に何かがいる。

 

「そんな……」

 

 それは何人ものセルリアンフレンズだった。

 誰もが一様に身体を丸め、まるで胎児のように氷の中で眠っている。

 

「彼女達はな、氷の中で眠り、女王が保全した“輝き”を再現した幸せな夢を見続ける」

 

 雪と氷で全てが停まった世界。

 それがオオセルザンコウのいた世界だった。

 こちらの世界に来る前に学習していた事も、その“輝き”の再現だという事は理解していた。

 しかしオオセルザンコウがセルシコウとマセルカの事を大切に思う気持ちは一体何だと言うのか。

 その疑問に、セルゲンブが耳元に口を寄せて囁いた。

 

「それはな……。お前達三人をこの任に就ける時に我が見せた夢よ」

 

 つまり、本当のオオセルザンコウ達はずっと眠っていて、元の世界で起こった事はただの夢だという事か。

 ならば、三人の思い出にあった『グルメキャッスル』は。

 誰もを虜にした究極の輝き、美食の殿堂は……。

 

「ああ。女王が保全した“輝き”の中にそういうものがあったかもしれぬな」

 

 オオセルザンコウの頭がくらくらするのは、今身を蝕む黒い“セルメダル”のせいばかりではあるまい。

 そういえば、セルスザクであったスザクと出会った時に彼女は何かを言いづらそうにしていた。

 なるほど、確かにこんな話をされたところで、その真実に打ちのめされてどうなっていたかわからない。

 あれは彼女なりの気遣いだったのか。

 

「光栄に思うがいい。これは世界を守護する守護けもの達にしか明かされぬ真実よ」

 

 光栄かどうかで言えばそんな事はない。

 けれど、オオセルザンコウにはわかる。

 セルゲンブの言う事が真実であると。

 しかしどうして幸せな夢を見せたままにしてくれなかったのか。

 

「言ったじゃろう? この“セルメダル”は使用者の負の感情を喰らって成長する、と。これの使用者になってくれるのではと期待しておったがそれ以上よ」

 

 その言葉に今度こそオオセルザンコウは目の前が真っ暗になった。

 それは気分的な問題ではない。

 オオセルザンコウの身体が真っ黒な繭に包まれてしまったのだ。

 それはオオセルザンコウに使用された真っ黒な“セルメダル”の影響なのだろう。

 

「ふむ。もう聞こえておらぬかな」

 

 その真っ暗な繭を前にセルゲンブはしばし考え込む。

 

「この繭が孵った時こそ全ての“輝き”を喰らうセルリアン、『ヨルリアン』が誕生する時よ。そして……この世界も我が女王の元で“輝き”を永遠のものとするだろう」

 

 オオセルザンコウを包み込んだ繭は宵闇の如き色をたたえたまま不気味に脈打つのだった。

 

 

 

―中編へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話『守護けもの』(中編)

 

 

 青龍神社の本殿からともえ達は移動していた。

 その場所は薄暗く、沢山の人形達が置かれたお堂だった。

 ロウソクの明かりに照らされた沢山の人形達は本来可愛らしいはずなのに、なんだか不気味な気がする。

 セイリュウはこんな場所にともえ達を連れて来て一体何をさせようというのか。

 

「人形供養、という言葉を聞いた事はありますか?」

 

 セイリュウの言葉にともえ達は揃って首を横に振る。

 中々聞き慣れない言葉である。特にホラーが苦手な萌絵だって積極的に調べたい言葉ではなかった。

 

「人形には人の想いがこもりやすいのです。そうした想いは何かの拍子に悪いものへと変化してしまう事があります」

 

 その説明がオカルトじみていて萌絵は顔を青くしてともえの影に隠れる。

 脅かすつもりはなかったセイリュウは苦笑してから言葉をかえて説明した。

 

「人形に込められた想いにサンドスターが反応しやすいのです。それがふとした拍子にサンドスター・ローと反応したり、場合によってはセルリウムと反応する事も有り得ます。そうなると人形がセルリアン化するわけですね」

 

 そう科学的に説明されると萌絵も一気に元気を取り戻した。

 つまりここに安置されている人形達は誰かに大切にされて“輝き”が込められているのだろう。

 ともすればサンドスター・ローやセルリウムと反応してセルリアン化する可能性があるわけだ。

 そうならずに済むように処置するのが人形供養である。

 

「あ、あの……。じゃあ人形供養ってどうするんですか?」

 

 萌絵がおっかなびっくりで訊ねる。

 これで祈祷や何かの儀式でお祓いをするなどと言ったら再びオカルトに逆戻りだ。

 

「そうですね。それをお教えする前に、まずは紹介しなくてはなりません」

 

 セイリュウは何かを呼び出すようにパンパン、と二度手を叩いて鳴らす。

 

「この方達は大丈夫です。出てきて下さい、ドール=ドール」

 

 すると、その呼びかけに応えて安置されていた人形の山から一体がぽてぽてと進み出て来た。

 背丈としてはラモリさんより一回り小さいくらいだろうか。

 デフォルメされたフレンズのヌイグルミらしい。

 頭が大きく、手足は短い三頭身で、茶色の毛並みとふさふさの尻尾を持っている。

 

「こいつハ、アカオオカミ、通称ドールのフレンズを模した人形だナ」

 

 一人で進み出て来たその人形を見たラモリさんが言う。

 しかし人形が一人で歩くとは……。

 そう思って見守る一同の前で歩み出て来た人形は短い手足でペコリとお辞儀をしてみせた。

 

「はじまして。私はドール=ドールで……うひゃぁああ!?」

 

 挨拶が終わるか終わらないかのうちに菜々はドール=ドールを抱え上げると思い切り抱きしめた。

 

「なにこれ可愛い! お人形みたいっていうか人形そのものだ!」

 

 頬ずりまでしている菜々を萌絵とともえが羨ましそうに見ている。

 オバケは苦手な萌絵もこんな可愛い人形なら大歓迎だった。

 

「まったく、アンタ達、程々にしておきなさいよ」

 

 ドール=ドールが目を回しているのを見かねてカラカルが救出してくれた。

 菜々から取り上げたドール=ドールをイエイヌの頭上に乗せて避難させる。

 

「あぁ……。モフモフにモフモフが乗っかって最強に…」

「ほんとだねぇ……ほんとに最強だねぇ」

 

 目を輝かせたともえと萌絵がイエイヌに迫っていた。何なら手をわきわきさせて今にもモフモフしたそうにしていた。

 ここに至ってカラカルは自分の失策を悟る。

 仕方ない、と手をパンパン二度鳴らして注目を集めてから言った。

 

「はいはい、アンタ達。ちゃんとセイリュウの話を聞きなさい」

「「「はーい」」」

 

 素直に返事するともえと萌絵と菜々の三人を見てセイリュウは可笑しそうに笑ってから、イエイヌを引き寄せて続ける事にした。

 

「あらためまして、この子はドール=ドール。ええと、何て言っていいのかしらね」

 

 セイリュウはイエイヌの両肩を掴んでともえ達の方に向き直るようにさせる。

 ドール=ドールはまだイエイヌの頭の上で目を回していた。

 

「セルリアン、なんですよね?」

 

 そのイエイヌがドール=ドールを頭の上に乗せたまま言う。

 イエイヌの嗅覚はセルリアンの匂いを嗅ぎ分ける事が出来る。

 ドール=ドールがセルリアンであるなら人形の身でありながらひとりで動く事も納得だ。

 

「は、はいぃいい! で、でも悪いセルリアンじゃないんです! パッカーンしないでくださいぃ!?」

 

 ドール=ドールはイエイヌの頭の上で身を小さくする。

 

「安心してください。悪い子でないならわたしもともえちゃん達も戦ったりしませんから」

 

 イエイヌはというとドール=ドールを頭の上に乗せたまま言う。

 なんせ友人にはルリ達だっているからセルリアンだから悪いとは思ってもいない。

 イエイヌがこちらの世界に来てから変わった考えの一つである。

 

「余計な心配をしてしまったようですね。変な気を回してしまったようでごめんなさい」

 

 いきなりセルリアンだ、なんて告げて驚かせるのも悪いかと思っていたセイリュウだったが、どうやら彼女達は予想以上に思慮深いらしい。

 子供と甘く見ていたのではないかと反省しきりである。

 

「そうです。ドール=ドールは青龍神社に仕えるセルリアンです」

 

 セイリュウの説明によるとこういう事らしい。

 アカオオカミ、ドールのアニマルガールをモチーフとしたぬいぐるみに憑りついたセルリアンであったドール=ドールであるが、今では青龍神社でお役目を与えられて暮らしているらしい。

 そのお役目こそ、人形供養なのだ。

 人形に宿った“輝き”をドール=ドールが食べてしまう事でセルリウムと反応しなくする。

 そうする事で想いの宿った人形がセルリアン化する事もなくなるというわけだ。

 

「ドール=ドールのおかげで元の持ち主のところに帰れた人形達も多いんですよ」

 

 そう言うセイリュウはどこか誇らしげであった。

 ここ、青龍神社で人形供養が終わった人形達は元の持ち主に返されたりもするらしい。

 安全になった人形達が元の持ち主のところへ帰れるなら、ドール=ドールの働きも尊いもののように思えた。

 

「でもですね……最近、人形達に宿る“輝き”が増えてて、私一人では食べきれないんです」

 

 イエイヌの頭の上でドール=ドールが言う。

 萌絵はふむ、と考え込んだ。

 

「サンドスターの活動が活発になってるって事と関係あるのかもね」

 

 サンドスターの活動が活発になれば、誰かの想いと結びついて“輝き”となる。

 それが増えてしまってドール=ドール一人では対処しきれない事になっていたのだ。

 

「つまりセイリュウ様のお願いって、処理しきれなくなった“輝き”がセルリアンになる前にアタシ達に何とかして欲しいって事?」

「ええ。その通りです」

「ごめんなさい、私一人ではもうお腹いっぱいで……」

 

 ともえに頷いたセイリュウにドール=ドールが続いた。

 そうなると、ルリがこの場にいない事が悔やまれる。

 彼女も“輝き”を食べて生きるセルリアンなのだから。

 ともかく、ルリがいないとなるとどう対処していいやら。

 

「それならば問題ありません。ドール=ドールが抑えるのをやめれば、人形達に宿った“輝き”とセルリウムが反応して程なくしてセルリアンが現れるでしょう」

「はい。私一人でももうしばらくは抑え込めたでしょうが、セルリアンが現れなくて済むようには出来なかったんです」

 

 なるほど、“輝き”を喰らったセルリアンが現れるというなら、それさえ倒してしまえば問題ないわけだ。

 

「これは確かにクロスハートの出番かも!」

 

 ともえが腕まくりして前に出る。その彼女の横に並んだのは菜々だった。

 

「ねえねえ、ともえちゃん。せっかくだから今日は私と組んでみない? 私もこっちの世界の子がどんな戦い方をするのかとか興味あるし」

 

 菜々はクロスレインボーである。その実力はついこの前、商店街が濃霧に覆われる事件で実証済みだ。

 

「いいよ。じゃあイエイヌちゃんとカラカルちゃんはお姉ちゃんとセイリュウ様とラモリさんとそれにドール=ドールちゃんをお願いね」

 

 ともえとしても興味をそそられる話である。

 それにイエイヌとカラカルが後ろに控えていてくれるならそれはそれで心強い。

 

「いざとなれば私も加勢しますよ。昔取った杵柄というものです」

 

 セイリュウも昔はセルリアンと戦った事があるというなら、萌絵達を守ってくれるだろう。

 なら訓練とでも思って異色のタッグを組むのも面白い。

 

「じゃあよろしくね、菜々ちゃん」

「こちらこそ、ともえちゃん」

 

 言いつつ、二人はそれぞれにスケッチブックと手帳に挟まれた栞を取り出して叫んだ。

 

「「変身!」」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「悪いな。待たせたか?」

「いいえ。今来たところです」

 

 公園の広い芝生。大きな木陰で待ち合わせをしていたのはエゾオオカミとセルシコウの二人だった。

 セリフだけ聞けばデートの待ち合わせと思えなくはない。

 ここはついこの前、エゾオオカミがセルシコウと戦って完膚無きまでに叩きのめされた場所でもある。

 

「ルリ達はまだか。それならもう少し待つか」

「ええ。隣、どうぞ」

 

 ちょうどいい木陰は夏の日差しを遮って心地よい涼しさを提供してくれる。

 エゾオオカミは遠慮なくセルシコウの隣へ腰を降ろした。傍目に見ればデートのように見えなくもない。

 けれど、そういう事ではなかった。

 

「しかし、まさか今日試合しようって言い出すとは思わなかったぜ」

 

 エゾオオカミの言葉にセルシコウは何とも言えない表情になった。

 そう。

 今日、二人が待ち合わせていたのは試合をする為だ。

 セルシコウはここ最近、エゾオオカミを鍛えていた。それは自ら鍛えた相手と本気で戦う為だった。

 

「まぁ、鍛えてもらっておいて言うのもなんだけどさ。今の俺がセルシコウとまともに戦えるとは思えないぜ?」

 

 エゾオオカミもここ最近の特訓で強くなった手応えはある。

 けれど、それでもセルシコウに渡り合えるとは思えなかった。

 

「けれど、差は確実に縮まっています。今日はエゾオオカミが成長しているという事を実感してもらいたいんですよ」

 

 セルシコウの言う事は嘘ではあるまい。

 本気でぶつかり合う事で分かる事だってあるだろう。今日、本番さながらにルリとアムールトラとユキヒョウの三人に立会人を頼んでまで舞台を整えたのはそういう理由だった。

 けれど、エゾオオカミはどこか釈然としないものを感じていた。

 

「(一体何なんだろうな。この違和感)」

 

 ふむ、と空を見上げ考える。

 枝葉の間から夏の空が透けて見えた。今日も夏らしい抜けるような青空が広がっている。

 

「あー。そうか。らしくないんだな」

 

 一体何がらしくないのか。

 そう思ったセルシコウはエゾオオカミの顔を見る。

 と、エゾオオカミもセルシコウの方に顔を向けていた。

 想像以上にお互いの顔が近くてセルシコウは慌てて顔をそむけた。

 が、エゾオオカミはセルシコウの肩を掴むとこちらを向かせて来る。

 一体何を、と言いたいセルシコウだったが、正面から瞳を覗き込まれて柄にもなくドキドキしてしまった。

 

「やっぱりだ。セルシコウ。お前さ……何か焦ってるだろ」

 

 エゾオオカミが感じていた違和感の正体はそれだった。

 セルシコウの性格から言って、まだ未熟なエゾオオカミと今戦う事は本意ではないはずだ。

 さながら、まだ熟していないリンゴをもいでかじるようなものである。

 なのに、それをしようとしている理由は焦っているから。

 エゾオオカミはそう推察していた。

 

「もう。エゾオオカミ。そういうところですよ」

「いや、どういうところだよ……。」

 

 セルシコウは自身ですら気づいていなかった胸のうちを見透かされて困っていいやら怒っていいやら照れていいやら、何とも言えない表情になった。

 確かに思い返せば自分は焦っているように思う。

 今日、エゾオオカミと約束をしたのは昨夜、青龍神社夏祭りのフィナーレを飾る最後の花火大会の後であった。

 それは、元を正せばオオセルザンコウがサオリの提案を受けて入れて『グルメキャッスル』の新店舗を立ち上げる事にしたからだ。

 『グルメキャッスル』はこの世界の“輝き”を保全する為の橋頭保となる予定だ。

 それが用意されれば、いよいよエゾオオカミ達クロスアイズとは本格的な戦いになるだろう。

 

「だから、私は……なんていうか……クロスアイズのエゾオオカミと戦う前にエゾオオカミと戦いたかったんだと思います」

 

 体育座りで膝に顔を埋めるセルシコウ。そんな彼女にエゾオオカミも「そうか」と返すしか出来なかった。

 さて、どうしたものか、とエゾオオカミは考える。

 今戦うのが正しいのか。

 そう考えると何か違うように思えた。

 

「なあ、セルシコウ」

「なんです?」

 

 だからエゾオオカミはそのままそれを訊ねてみる事にした。

 

「このまま戦ったとして、お前はそれで満足できるのか?」

 

 エゾオオカミに限って怖気づいたわけではあるまい。

 セルシコウにだってわかる。エゾオオカミがセルシコウの事を考えてくれた結果なのだ、と。

 ならばキチンと考えて答えるのが礼儀であろう。

 セルシコウも自らの胸の内に問い掛ける。

 果たして今日、エゾオオカミと戦いたいのかと。

 

「やっぱり私はエゾオオカミの言う通り焦っていたような気がします」

 

 落ち着いて考えれば、セルシコウが望む戦いはこういうものではなかった気がする。

 それをエゾオオカミに言われるとは……。

 セルシコウは反省していた。

 けれども、なら自分は一体どうしたいというのだろうか?

 そう思っていたセルシコウとエゾオオカミの前に……。

 

「もう! そんなの決まってるじゃない!」

 

 腰に手をあて仁王立ちになったマセルカがいた。

 その後ろには何故か物陰に隠れたルリとアムールトラとユキヒョウまでいるではないか。

 

「お前ら、何やってるんだ」

 

 思わず半眼ジト目になってしまうエゾオオカミである。

 

「あぁ、いや……そこでマセルカ殿と一緒になったんじゃが、二人がよい雰囲気じゃったからお邪魔かと思ってのう」

 

 そういうユキヒョウであったが、エゾオオカミとしては一触即発の間違いじゃないのかと思う。

 ルリとアムールトラまで揃って頷いてるあたり、しばらく様子を見ていたのだろうかと思わなくもない。

 それはともかく、マセルカは何が決まっているというのだろうか?

 

「オオセルザンコウのところに行こう! やっぱりちゃんとお話しした方がいいよ!」

 

 どうやらマセルカも自分と同じようなモヤモヤを朝から感じていたらしい。

 

「余計なお世話かもしれぬがわらわもそう思うぞ」

 

 そう言うユキヒョウの後ろではルリとアムールトラがうんうん頷いていた。

 

「オオセルザンコウ殿は、母上と一緒に色鳥駅の商業ビルに行っているはずじゃ」

 

 居場所もわかった。

 となれば、あとは向かうだけだ。

 

「そうですね。私達がどうしたいのか、まだわかりません。けれど、それも含めてオオセルザンコウと話してみたいと思います」

 

 セルシコウはそう決めると、マセルカに手を差し出した。

 

「おう。それがいい。試合はまた今度にしようぜ」

 

 エゾオオカミも二人を送り出す。

 やはりセルシコウとの決戦はお互いに万全の状態で臨みたい。

 

「すみません。エゾオオカミ。それにルリとアムールトラとユキヒョウも。せっかく来てもらったのに」

 

 無駄足を踏むことになってしまったルリとアムールトラとユキヒョウであるが、三人とも揃って首を横に振る。

 

「なあに、構わぬよ。わらわ達とてお主らがギクシャクしておると何というか落ち着かんからの」

「そうそう。私達の事は気にしないで」

 

 ユキヒョウとルリも笑って送り出してくれる。後ろに控えたアムールトラも無言のままに頷いていた。

 

「では、この埋め合わせはいずれ。行きましょう、マセルカ」

「うん!」

 

 セルシコウとマセルカの二人は連れ立って駅の方へ歩いて行った。

 

「さぁて、ウチらは暇になってもうたけどどないする?」

 

 二人を見送った後アムールトラは皆を見渡した。

 

「そうじゃのう……。せっかくクロスジュエルチームが勢揃いしているわけじゃし、どこか行ってみるかの?」

「そうだなあ……。だったらキンシコウ先輩んところは? キンシコウ先輩の家のスポーツジムは駅前の方にあるし」

 

 すっかり予定が開いてしまったわけだが、ユキヒョウの提案にエゾオオカミが返した。

 

「なるほど! キンシコウ先輩って空手部の主将さんだもんね! もしかしたらセルシコウさんに勝つヒントとかもらえるかも!」

「おう。ウチらはエゾオオカミを応援してるで!」

 

 早速ルリとアムールトラの二人に手を取られるエゾオオカミだ。

 エゾオオカミとしてもセルシコウに負けてやるつもりは毛頭ない。

 せっかく空いた時間なのだ。有効に使わせてもらおう。応援してくれる友達の為にも。

 揃って駅前の方へ歩くクロスジュエルチームであったが、この時はまだ気づいていなかった。

 駅前の方にやけに厚い雲がかかりはじめている事に……。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「はぁ……」

 

 ハクトウワシは今日何度目かの溜め息をついていた。

 いつも仕事熱心なハクトウワシにしては珍しく、心ここに在らずといった様子だ。

 交番のデスクに広げられた事務書類には何も書かれていない。

 さっきからずっとこんな調子だ。

 

「どうしたんだい? ハクトウワシ君。どこか体調でも悪いとか?」

 

 さすがに心配になったヤマさんが訊ねる。

 それでようやくハクトウワシは我に返った。

 

「すみません、ヤマさん。体調が悪いとかそういう事ではないんです」

 

 だとしたら、ハクトウワシがこんな風になる理由として思い当たる事は一つしかなかった。

 

「オオセルザンコウちゃん達の事かい?」

 

 重ねて訊ねられて、ハクトウワシの顔には「図星です」と書いてあった。

 どうやら往年の名刑事は何でもお見通しらしい。

 

「なんだか今朝は三人とも様子が変だったというか、なんていうか……。喧嘩をしたってわけじゃないんでしょうけど、なんだかギクシャクしてたというか……」

 

 いつもなんだかんだで仲のよいオオセルザンコウとセルシコウとマセルカの三人だったが、今朝に限ってはなんだか奥歯に物が挟まったような変な空気だった。

 ハクトウワシもこんな事は初めてで気を揉んでしまっていたのだった。

 

「なるほどなるほど。でオオセルザンコウちゃんは駅前の方に行っているんだったね」

 

 ふむ、とヤマさんは考え込む。

 

「じゃあ、ハクトウワシ君。少し気分転換がてらパトロールにでも行って来るといい。事務仕事はこっちでやっておくから」

 

 言いつつヤマさんはハクトウワシのデスクにあった書類を引き受ける。

 この調子で気もそぞろなハクトウワシではいつまで経っても事務仕事は終わらないだろう。

 

「ああ。いつものパトロールコースから少しくらい外れて駅前の方まで行ったってかまわないからね」

 

 そう言ってヤマさんは不器用なウィンクをして見せた。

 そんな思い悩むくらいだったらちょっと行って話して来たらいい。

 そう言外に言っているのだ。

 

「すみません、ヤマさん」

「いいさ。オオセルザンコウちゃん達にはいつも美味しい昼食をご馳走になっているからね」

 

 ハクトウワシはヤマさんにもう一度礼を言うとパトロールの準備に取り掛かった。

 ともかく、オオセルザンコウに会えたら話をしてみよう。

 準備を終えたハクトウワシはヤマさんの前で敬礼。

 

「ただいまよりパトロールを実施します。先日の色鳥武道館不審者侵入事件を鑑みてパトロール範囲を通常より広くします」

「了解。気を付けて」

 

 ヤマさんも返礼を返す。

 と。

 パトロールに出ようとしたハクトウワシは気が付いた。

 交番の入り口でフレンズが一人、こちらをじーっと見つめている事に。

 やや丸みを帯びた耳と黒く長い毛並みが特徴的なフレンズだ。

 着ているのも黒のワンピースで何だか清楚な印象がある。

 年齢的にはハクトウワシよりも少しだけ年下といったくらいだろうか。

 女子大生、いや、事によっては女子高校生かもしれない。

 こちらを伺っているという事は交番に用事だろう。ハクトウワシは声を掛けてみる事にした。

 

「お嬢さん。なにか困りごとかしら?」

「そうですねぇ。困っていると言えば困っているかしら。例えば夫が女子中学生の手作り弁当で鼻の下を伸ばしちゃってる、とか」

 

 言ってニコリとそのフレンズは笑った。

 夫、という事はこのフレンズは見た目よりも年上なのだろうか?

 それに夫、というのは……?どうあれ夫婦喧嘩の仲裁までは警察官の仕事ではない。

 ハクトウワシが困っていると、そのフレンズはペコリと頭を下げた。

 

「はじめまして。私はヤマバクと言います。いつも夫が……」

 

 どうやら彼女はヤマバクのフレンズらしい。ヤマバクが言葉を続けようとするのをヤマさんが遮った。

 

「あー。ハクトウワシ君。ここは儂が引き受けるからパトロールに行ってきなさい」

 

 珍しく少し焦った様子を見せるヤマさんを怪訝に思いながらもハクトウワシは言われた通りパトロールへと向かった。

 

「うふふ。あなた。たまには私もお弁当、手作りしてみたの。一緒にどうかしら?」

「あー、ああ、うん。ありがとう。い、一応言っておくけれど別に鼻の下を伸ばしたりはしていないからね」

「わかってますよ。あなたは私一筋ですものね。うふふ。」

 

 もしもハクトウワシが交番に残っていたなら、本名に一つとしてヤマ要素のないヤマさんがどうして『ヤマさん』と呼ばれるのかを理解していただろう。

 けれど、ハクトウワシはヤマさんの配慮に感謝すべきだった。

 何故なら、夫婦喧嘩は犬も食わないが、当然鷲だって食べないのだから。

 

 

―後編へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話『守護けもの』(後編)

 

―ガァォオオオオオオオオッ!!

 

 青龍神社のお堂では今まさに新たなセルリアンが生まれていた。

 人形に宿った“輝き”をまとめて生まれたセルリアンの外見はやたら大きなテディベアである。大きな頭部に短い手足はまさにヌイグルミのそれだ。

 けれども、本来顔のある部分は大きな一つ目が占有しており可愛いという印象はない。

 しかも、身の丈三メートルはあろうかという巨体だ。

 まさかここまで強力なセルリアンが生まれるとは、セイリュウの予想を上回っていた。

 

「おおぅ!? さすがにおっきいだけあってパワーは凄いね!」

「でもスピードはそんなでもないから、あしらうのは問題なさそうだよ!」

 

 クロスハートとクロスレインボーはそれぞれにぐるぐると巨大なテディベアセルリアンの周囲を走り回る。

 まずは様子見。

 クロスハートはイエイヌフォーム、クロスレインボーはキタキツネモードでそれぞれにセルリアンをあしらっていた。

 二人の実力もまたセイリュウの予想を上回っていたようである。

 

「ねえねえ、クロスレインボー。あのセルリアンは何て呼んだらいいかなぁ?」

「とりあえず、呼びやすさ重視でクマリアンとかはどう?」

 

 相談しつつ、振るわれる巨腕をかいくぐるクロスハートとクロスレインボー。

 巨体であるだけにプレッシャーはあるが、動き自体は鈍重だ。

 歴戦の戦士と言っていい二人は余裕のある動きで攻撃をかわしていく。関係ない話題で盛り上がりつつも決して油断しているわけではない。

 

「やっぱり、『石』は……」

「うん、あの首のとこにあるリボンの中心だね」

 

 巨大なテディベアであるクマリアンであるが、首元にはリボンが結ばれている。

 その結び目に『石』があった。

 クロスハートとクロスレインボーは攻撃をかいくぐりながら、しっかりと観察もしていたのだ。

 

「とはいえ、直接狙うのはちょっと危なそうだね」

「だね。飛び上がった瞬間を狙われたら上手くかわせないかもしれないものね」

 

 クロスハートの言葉にクロスレインボーも頷いてみせる。

 クマリアンは鈍重だけれど、パワーは凄まじい。『石』を狙って飛び込んだところにカウンターを貰えば一撃で戦闘不能になるかもしれないのだ。

 

「「それなら!」」

 

 二人は同じ結論に達したらしい。

 巨腕をかいくぐり、一気にクマリアンに肉薄! 二人でその右足に同時に拳を叩き込んだ!

 が……。

 

―ボフン

 

 柔らかい布団でも叩いたような音とともに、二人の拳がクマリアンの足にめり込むもののすぐに弾き返される。

 手応えのなさに攻撃失敗を悟った二人は同時に散開。大きくクマリアンから距離をとる。

 

「うーん……。打撃はあんまり効いてないように見えるね」

 

 クロスハートが唸る。本来なら足を攻撃してバランスを崩したところで『石』を狙うつもりだった。

 けれども相手はヌイグルミだけあって打撃攻撃にはかなり耐性があるらしい。

 さて、どうするかと考え込んでいるところに……。

 

―ガァオオオオオオオッ!

 

 咆哮をあげたクマリアンが突っ込んでくる。

 ズシンズシン、と走り込んで来て、大きくジャンプ!

 フライングボディプレスを仕掛けて来た。

 けれど、そんなものに潰される二人ではない。

 すぐにその場を飛び退ってそれぞれに回避する。

 結果、クマリアンはお堂の柱に突っ込んで行ってしまう。

 このままでは建物に被害が出る。

 クロスハートとクロスレインボーは「あ」と思うがもう遅い。クマリアンがお堂の柱へ激突した……

 

「壁よ!」

 

 かと思ったが、セイリュウの声が響いた。

 と、同時に投げ放ったお札が柱とクマリアンの間に割って入り水壁を生じさせる。

 水壁がクマリアンを受け止めて、お堂への被害は免れた。

 

「どうですか! これがセーちゃんの防御技『蒼竜壁(ブラウ・ドラッヘ・バリエール)』です!」

 

 それに得意満面になったのはドール=ドールだった。

 

「「「か、かっこいい……!」」」

 

 クロスハートとクロスレインボーとイエイヌがやたらキラキラした目でセイリュウを見るが、彼女はそんな視線を受けて顔を赤くしていた。

 

「ふっふっふ。セーちゃんの技は防御だけじゃないんですよ。必殺技の『蒼竜砲(ブラウ・ドラッヘ・カノーネ)』はどんなセルリアンだって一撃なんですから!」

 

 そんなセイリュウの様子に気づかず、ドール=ドールはなおも得意気に語る。

 セイリュウは悶絶していた。

 

「あ、あれ? どうしたんですか? そうか! いつもの戦闘服じゃないから調子が出ないんですね! あの眼帯がないと右目に封印された邪龍の力が暴走しちゃいますもんね!」

 

 カラカルとラモリさんは何が起こっているのか何となく察した。察してしまった。

 

「ドール=ドール。わかったから止めてあげて」

「おう。そっとしておいてヤレ」

 

 二人が察した通り、若き日のセイリュウはそれはそれはノリノリでドール=ドールと一緒に技名や設定を考えたものだ。

 ただ、母親となった今ではなんというか……黒歴史である。

 ちなみに、今でこそドール=ドールは普段セイリュウの事をセイリュウ様と呼んでいるが、昔はセーちゃんと呼んでいた。今でもたまに昔のように呼んでしまう。

 ドール=ドールがセーちゃん呼びになるとき、大体こうして悪気なくセイリュウの黒歴史を掘り起こしてしまう為、セイリュウは母親と神主の威厳を保つのに結構苦労しているのである。

 そうしているうちにクマリアンは水壁から抜け出す。

 セイリュウは黒歴史によるセルフダメージ……、いや、右眼に封印された邪龍の暴走(羞恥心)を抑え込んで顔を真っ赤にしてしゃがみ込んでしまっていた。

 こんな調子では援護は期待できない。早く決着をつけないと建物に被害が出てしまう。

 意外なピンチであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「なんだか天気がよくありませんね。傘を持って来るべきだったでしょうか」

「マセルカは濡れたって平気だよ」

 

 セルシコウとマセルカの二人は色鳥駅へ向かって歩いていた。向かう駅の方には黒い雲がかかりはじめていた。

 昼間の今は結構な人通りもある。

 近くのオフォス街で働く人達や色鳥駅を利用する人達だろう。

 色鳥駅は結構大きな駅だ。

 駅舎に商業ビルが併設されて、そこを利用する人だってかなりの数だ。

 

「なんだか凄いところですね」

「ねえねえ! ここで『グルメキャッスル』をやるの!? すごくない!?」

 

 その商業ビルのテナントがサオリの紹介してくれた物件だ。

 少しばかり気後れするセルシコウを置いてマセルカはエントランスをくぐって商業ビルの中にずんずん入って行く。

 

「セルシコウ! 早くぅー! 置いて行っちゃうよー!」

 

 言いつつマセルカは商店街から借りてるスマートフォンを弄る。

 そこにユキヒョウから『グルメキャッスル』出店予定地を送ってもらっていた。

 これでどこに向かえばいいのかバッチリである。

 

「マセルカはそういうのの操作覚えるの早いですね。私はようやく配達のやり方と電話の仕方を覚えたくらいですよ」

「そうだ。だったらさ、オオセルザンコウに電話してみたら?」

 

 マセルカの提案に、なるほどとセルシコウは頷く。

 すっかり携帯電話の事を失念してしまっていた。早速オオセルザンコウの連絡先を呼び出して電話してみる。

 

「うーん……出ませんね」

 

 しばらくコールしても応答はなかった。

 

「案外、携帯電話をおうちに忘れてるとか?」

「ありえますね。オオセルザンコウは時々うっかりさんですから」

 

 言って二人でクスクス笑う。

 そうしているうちに出店予定のテナント前までやって来た。

 扉は閉じたままだ。

 

「オオセルザンコウ……いないんですかね?」

 

 しかし、耳を済ませば中から何か音がする。

 耳のいいマセルカがよくよく聞いてみれば……。

 

「電話の音だ」

 

 それにセルシコウは自身の携帯を見る。

 まだコールしっぱなしだった。

 という事はオオセルザンコウはやはり中にいるのだろう。

 電話に出られない状況だろうか?

 セルシコウが扉に手を掛けると……。

 

―カチャリ。

 

 そこは開いていた。

 誘われるようにテナント内へ入るマセルカとセルシコウ。

 中は薄暗い。

 

「オオセルザンコウ? いるんですか?」

 

 セルシコウが言うと、返事はあった。

 

「しまったのう。せっかくの橋頭保だというのに戸締りを忘れるとは。これはうっかりじゃ」

 

 ただし、オオセルザンコウからではなく、セルゲンブから。

 

「セルゲンブ様……」

 

 状況がよくわからずセルシコウは周囲を見渡した。

 まだガランとして何もない店内にセルゲンブがいる。

 彼女は四神の一人でセルシコウ達をこの世界へ送り込んだ張本人だ。

 それがこんなところにいるなんて。

 そしてもう二つ気が付いた事がある。

 闇色の繭がセルゲンブの後ろにある事に。

 そしてもう一つは、呼び出し音を鳴らす携帯電話がその側に転がっている事だ。

 

「オオセルザンコウ……?」

 

 セルシコウがよくよく目を凝らせば、その繭の中にオオセルザンコウの姿が見えた。

 状況を見れば、セルゲンブがオオセルザンコウを繭の中に閉じ込めているように思える。

 

「どういう……事ですか?」

 

 戸惑うセルシコウはセルゲンブへ問いかける。

 

「オオセルザンコウにはな、この世界の“輝き”を全て喰らう為に『ヨルリアン』になってもらう」

 

 ヨルリアンとは一体何だ。オオセルザンコウの様子を見るにただ事ではあるまい。

 これをセルゲンブがやったというなら……。

 セルシコウはキッとセルゲンブを睨みつけた。

 セルゲンブはその視線を受けて、ふむ、と考える。少し説明をしてやるか、と。

 

「まず、『ヨルリアン』というのはな“夜”という概念そのものがセルリアン化したものじゃ」

 

 確かに、セルリアンは何かを模倣したり憑りついたりする。

 けれど、“夜”そのものがセルリアン化するなんてどれだけ大規模なセルリアンなんだ。

 そしてどうしてオオセルザンコウがその『ヨルリアン』になるのか。

 セルシコウは思考した末、答えに行き着いた。

 

「まさか……!? セルメダル!」

 

 そう。

 セルリアンフレンズはセルメダルを使う事でセルリアンの能力を使用できる。

 だが、そんな強力なセルリアンのセルメダルを使ったならどうなるか。

 オオセルザンコウの身はただでは済むまい。

 いや、おそらく命すら危ういだろう。

 

「『ヨルリアン』が孵化すれば、この世界の“輝き”は全て喰らわれるだろう。それを保全する事でこの世界も永遠の輝きを得る事になる」

 

 セルゲンブがやろうとしている事は分かった。

 けれど、それはオオセルザンコウを犠牲にするという事だ。

 

「セルシコウ。マセルカ。お主達にもオオセルザンコウが『ヨルリアン』になるまでここを守って貰いたい」

 

 セルゲンブは誘うように手を伸ばす。

 

「どうして……?オオセルザンコウはセルゲンブ様の眷属ではありませんか」

 

 対するセルシコウはふるふると首を横に振った。

 彼女にはわからなかった。オオセルザンコウはセルゲンブの眷属としていつも与えられた任務に忠実であった。

 なのに、どうしてセルゲンブはそのオオセルザンコウを犠牲にしようというのか。

 

「そうさな。我もまた四神が一人。守護けものが一人。たとえセルリアンフレンズとなろうとも我が世界の守護者である事にかわりはないのじゃ」

「それがどうしてオオセルザンコウを捨て石にする事になるんです!?」

 

 とうとうセルシコウは声を荒げてしまった。

 ともかく、彼女にはオオセルザンコウを犠牲にする方法なんて認められない。

 きっと、このまま話したところでセルゲンブは考えを改める気などないだろう。

 だったら手段は一つ。

 拳で語る他あるまい。

 

「アクセプター! セットメダル!」

 

 セルシコウは叫び、己の『石』にセルメダルをセットしようとした。

 しかし……。

 

「させぬよ」

 

 セルゲンブがセルシコウとマセルカの方に手の平を向けていた。

 たったそれだけだ。

 なのに……。

 

「変身……できない!?」

 

 セルシコウの『石』にセルメダルを投入する為のスリットは現れなかった。

 

「お主ら二人は我の眷属というわけではないから絶対服従ではない。しかしな。我の方がセルリアンとして上位個体にあたる。こうしてアクセプターを働かなくさせる事だって出来るし、その出力を最低に落とす事だって出来る」

 

 どうやらセルゲンブには二人のアクセプターをある程度制御できる権限があるらしい。

 もっとも、アクセプターの出力は元から最低に抑えられていたが。

 いずれにせよ、変身も出来ないでは四神の一人セルゲンブと戦えるはずがない。

 セルシコウが後ろを振り返れば、マセルカは真っ青な顔で戸惑っていた。

 無理もない。

 セルゲンブに刃向かおうなんてそう簡単に決められる話じゃない。

 

「マセルカ。あなたは逃げて下さい」

「セルシコウは……? どうするの?」

 

 マセルカの疑問にセルシコウは逆にどうしたらいいのか教えて欲しいくらいだった。

 けれどもオオセルザンコウを置いて逃げる気もないし、マセルカを追わせるつもりもなかった。

 なんだ、だったら最初からやる事は決まっているじゃないか、とセルシコウの口には笑みが浮かんだ。

 

「当然、戦います」

 

 変身できなかろうが、アクセプターの出力が最低で、この世界の一般人程度の身体能力しかなかろうがそんな事は関係ない。

 戦わなくてはならないのだから戦うのみだ。

 

「誰か……誰か呼んでくるから!」

 

 ここに至って何も出来る事がない事を悟ったマセルカは店外へと飛び出していった。

 きっと誰かに助けを求めるつもりなのだろう。

 まぁ、この状況をどうにかできる助けなんているのだろうか?セルシコウがそう疑問に思った時、何故かあの未熟なオオカミのフレンズが一番に思い出された。

 何をバカな事を。彼女が万が一にも敵うような相手じゃない。きっと一撃だって入れる事はできないだろう。

 セルシコウは自分の頭がおかしくでもなったか、とさらに笑いがこみ上げる。

 

「ふぅむ。さすがはセルシコウ。こんな状況で余裕を見せるか。お主と正面切って戦えばお主は我の防御を破り一撃くらいは入れられたかもしれぬのう」

 

 その笑いを余裕ととったか、セルゲンブは油断なくセルシコウに対し身構える。

 セルゲンブは防御を得意とするフレンズだ。

 だが、セルシコウは防御を徹してダメージを与えられる技を持っている。

 セルゲンブにとって相性が悪い。

 

「なんならアクセプターを使わせてくれたっていいんですが。きっと生涯忘れられない戦いにしてみせますよ」

「断る。我はお主程バトルジャンキーでもなければ貴様を甘く見てもおらん」

 

 既に一触即発。

 互いに構えをとる。

 ジリジリと間合いを詰めていよいよ互いに射程圏内というところで……!

 

―ブワッ!

 

 オオセルザンコウを包み込んでいた繭が周囲にその闇を広げた。

 

「おお……。孵化の第一段階か」

 

 モクモクと繭から漏れ出てくる闇はまるで煙のように周囲を満たしていく。

 それはどんどん外へも溢れていった。

 店外を歩いていた人達もそれに気が付いたのかザワザワとした喧騒も広がっていく。

 セルゲンブは相対するセルシコウの事すら忘れて、両手を大きく広げると感極まったように叫ぶ。

 

「さあ!いよいよ明けない“夜”の始まりだ!」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ねえ、クロスハート。何とかクマリアンの動きを止められないかな? そしたら私が『石』を砕くよ」

「動きを止めるっていうか、空中に浮かせる事なら多分できるよ」

 

 クロスハートもクロスレインボーもそれぞれに決着の形を考えていたらしい。

 そのイメージがお互いに重なり合う。

 クロスレインボーはニヤリとして頷いた。

 

「空中に浮かせる、か。おあつらえ向きだよ」

「OK、じゃあそれでいこう!」

 

 どうやら作戦は決まったらしい。二人は自信タップリといった表情だ。

 即席コンビの動向をハラハラしながら見守るイエイヌも、これなら見守っていても大丈夫と判断した。それはカラカルも同じだったらしい。

 イエイヌとカラカルに見守られたクロスハートとクロスレインボーはそれぞれにスケッチブックと栞を取り出す。

 

「チェンジ! クロスハート・アムールトラフォーム!」

「転身! カラカルモード!」

 

 クロスハートは丈の短いスクールベストに白のブラウス、そして虎縞模様のミニスカートにニーソックスという格好に変化する。

 ニーソックスを吊るガーターベルトが艶めかしい。

 対するクロスレインボーは忍者装束が赤茶色へと変化。頭の横につけたお面もカラカルを象ったものへと変化している。

 そして、クロスハートには虎縞の長い尻尾とオレンジがかった毛並みにピンと立った猫耳が、クロスレインボーの方は赤茶色の細長い尻尾と黒く長い耳がそれぞれに生えていた。

 

「じゃあ、いくよ!」

 

 言って最初に駆け出したのはクロスハートだ。

 水壁から出て来たクマリアンが気づいて巨腕を振るってくるが、床を蹴ってさらに加速!

 巨腕をスライディングタックルで身を低くし、かわした。

 クロスハートはそのまま滑るようにしてクマリアンの足に取り付くと……。

 

「ぐるぁああああああああああああっ!」

 

 咆哮と共に力任せに振り回した。

 アムールトラフォームはパワー特化だ。こうした力技だってお手の物である。

 猫科の鋭い爪をしっかりとクマリアンの足に食い込ませ、ぐるんぐるん、と振り回してから……。

 

「いっくよぉおおお!」

 

 空中に投げ上げた!

 空中ならば動きは制限される。それはクマリアンだって同様だ。

 こうなれば、格好の標的である。

 

「狙いドンピシャ……! やるじゃない、クロスハート……!」

 

 それはクロスレインボーの狙い通りだった。

 グッと一度身を縮めた後、全身のバネを利用して大きくジャンプ!

 カラカルという動物は三メートルくらいの高さを飛行する鳥すら捕獲する事が出来るという。

 クロスレインボーのカラカルモードもまた、対空攻撃を最も得意としていた。

 

「必殺! 百舌鳥落としぃいいい!」

 

 空中で無防備となったクマリアンの首元にクロスレインボーの爪が閃く。

 

―パッカァアアアン!

 

 狙い過たず『石』は綺麗に両断された。空中でキラキラと輝くサンドスターへ還るクマリアン。

 シュタ、っとクロスレインボーは綺麗な着地を決めた。

 

「やったね、クロスレインボー」

「うん、そっちもナイスアシストだったよ、クロスハート」

 

 言って二人ともパチンとハイタッチ。この即席コンビも中々のものだった。

 セルリアンの脅威は去ったわけだし、二人とも変身を解除して元のともえと菜々に戻る。

 

「いやー、それにしてやるねえ。コッチの世界にいるヒトのフレンズも大したモンだよ。うん」

 

 菜々は一人、うんうん頷いていた。

 

「へ?」

 

 だが、ともえは何か聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がして素っ頓狂な声を出してしまう。

 

「え?」

 

 その反応が意外だったのか菜々まで意外そうな声を出していた。

 ともえが気になったのは……。

 

「ねえ、菜々ちゃん……。ヒトのフレンズ……って……?」

 

 フレンズは動物や動物由来の何かにサンドスターが反応して生まれる。

 この世界では親のフレンズから同種のフレンズが生まれる事が一般的ではあるが、動物がフレンズとなる事は知られている。

 様々な動物のフレンズや場合によってはセイリュウやオイナリ校長のように空想上の生き物のフレンズまでもが存在するが例外がいる。

 それはヒトである。

 ヒトのフレンズは存在しない。

 今までに、ヒトがフレンズ化した事例などないはずだ。

 

「へ? いやだって、ともえちゃん変身出来るじゃない? だったらヒトのフレンズなんじゃないの?」

 

 菜々は不思議そうにしていた。

 彼女にとって、ヒトのフレンズとは変身出来る者の事を指すらしい。

 

「フレンズの力を借りて変身する。それってヒトのフレンズの技、だよね?」

 

 そしてなおも逆に訊ねてくる。

 訊きたいのはともえの方だった。

 

「(ヒトのフレンズ? ちょっと待って。アタシはお父さんとお母さんから生まれた萌絵お姉ちゃんの双子の妹で……でも……)」

 

 胸中で混乱するともえは一つの事実に直面していた。

 なんで自分は変身なんて出来たのか。

 初めて変身した時は一人戦うイエイヌを助けたい一心だった。その後は何でか分からないけれど変身出来るんだ、という確信があった。

 それは飛ぶ事を覚えた鳥が当たり前のように空を飛ぶように。イルカが水中を自在に泳ぐように当たり前の事だった。

 

「(そうだよ……。アタシがフレンズちゃん達の力を借りて変身出来るのって……ヒトのフレンズだから当たり前だって事……なの?)」

 

 菜々の口ぶりではヒトのフレンズがフレンズの力を借りて変身するというのはそういう事らしい。

 だったら……。

 

「ね、ねえ。も、もしかして……ともえって自分がヒトのフレンズだって知らなかったんじゃ……」

 

 いつの間にか側に来ていたカラカルが言う。ここに至って菜々はようやく自分の失言に気が付いた。

 だがともえはそれどころじゃない。イエイヌも萌絵もラモリさんも心配そうにともえの顔を覗き込んでいた。

 

「あー、あはは……そ、そっかぁー。アタシってヒトのフレンズだから変身出来てたんだぁー……あはは……」

 

 そう言って笑うともえであったが、そんな笑い方をするのを萌絵は初めて見た。

 ヒトのフレンズというのがどうやって生まれるのか。

 それは全く分からない。だが、ヒトとは違う生まれ方をするんじゃないかと思えた。

 だとしたら……。

 

「だとしたら……アタシって……」

 

 ともえが言い終わる前にお堂の扉がバンと大きな音を立てて開いた。

 それで一旦思考が中断される。

 驚きはしたものの、ともえはどこか安心していた。

 その先を考えるのが怖かったからだ。

 

「お母様! 大変です!」

 

 扉を開けたのはアオイだった。コイちゃんもシロもホワイトタイガーも一緒だった。

 

「一体どうしたのです。ここに入ってはいけないと言っておいたはずですよ」

 

 セイリュウはまだアオイ達にはセルリアンの事を話しているわけではなかった。

 だから、今日はこの人形達を安置したお堂に近づいてはいけないと固く言いつけたはずである。

 アオイは言いつけを破るような子ではない。という事はそれだけの緊急事態という事だろう。

 

「あっち! あっちの空を見るのだ!」

 

 シロが入り口でわぁわぁ騒いでいる。一体何事だろうと全員でお堂の外に出てシロが指さす方を見てみた。

 そして言葉を失った。

 それは異様な光景だった。

 シロが指さす空の方だけが夜になっていた。

 分厚い雲がかかって暗くなっただとか、皆既日食で一時的に暗くなっただとかそういう事ではない。

 文字通り、そちらだけがまるで水の中に墨汁をたらしたかのように夜が広がっているのだ。

 しかも、それはどんどん広がっているように見える。

 その時、ともえと萌絵とイエイヌが持つ携帯電話が震えてアラートを報せて来た。

 それはともえ達の父であるドクター遠坂が開発したU-Mya-Systemからだった。

 

「物凄いセルリウム反応が検知されていル……。間違いなくセルリアンの仕業だナ……」

 

 画面を確認するまでもなく、ラモリさんが教えてくれた。

 この空を覆い始めた夜の闇はセルリアンの仕業らしい。

 だとしたら……。

 

「行かなきゃ……」

 

 ともえはフラフラと前に出た。

 

「行かなきゃ……。でも……でも……」

 

 行ってどうするんだっけ?

 その疑問にともえは足を止めてしまった。

 そうだ。

 クロスハートに変身して街の皆を守らないと。

 ともえは止まってしまった足を再び動かそうと懸命に考えを巡らせた。

 けれど……。

 ともえは皆の方を振り返ると心底困ってポツリと漏らした。

 

「どうやって変身するんだっけ?」

 

 と。

 その疑問には誰も答えられなかった。もうともえが変身するのは当たり前だと思っていたからだ。

 心配そうにしていた萌絵とイエイヌと目が合う。

 大好きな二人の視線が今は痛かった。何でか分からないけれど見て欲しくなかった。

 

「ごめん」

 

 そしてともえは確信した。

 いま、変身する事は出来ない、と。いつも心の中にあった何か大切なものが急になくなったような妙な喪失感だけがあった。

 初めて変身した後、何故か同じ事が出来ると思ったあの気持ちがぽっかりとなくなっているのだ。

 ともえは萌絵とイエイヌの視線から逃げるように走った。

 どこに行けばいいのかなんて分からない。

 けれど、ここでなければどこでもいい。

 あまりの出来事に誰も反応が出来なかった。

 その間にともえはアッと言う間にどこかへ消えてしまう。

 

 遠くの空では夜の闇がどんどんと広がり始めていた。

 

 

けものフレンズRクロスハート第23話『守護けもの』(後編)

―おしまい―

 




【次回予告】

次回、けものフレンズRクロスハート第24話『クロスハートがいない夜』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話『クロスハートがいない夜』①

【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 青龍神社に呼び出されたともえと萌絵とイエイヌとラモリさん。
 そこには神主のセイリュウが待っていた。
 一緒にお呼ばれしていた別世界からの訪問者である菜々とカラカルも一緒にセルリアン退治をする事に。
 現れた巨大セルリアンを難なく一蹴してみせたともえと菜々。
 ところが、菜々が何気なく放った一言がともえの胸に突き刺さる。
 曰く、ともえはヒトのフレンズである、と。
 その言葉はともえの心を激しく揺さぶり、彼女は皆の前から姿を消してしまった。
 一方でユキヒョウの母サオリから物件を紹介してもらったオオセルザンコウはついに橋頭保の準備を整える。
 早速やって来たセルゲンブはオオセルザンコウに強力な『ヨルリアン』のセルメダルを使うよう命じる。
 『ヨルリアン』はこの世界の“輝き”を全て喰らう“夜”という概念そのものの強力なセルリアンだ。
 様子を見に来たセルシコウの前でオオセルザンコウは『ヨルリアン』への孵化を始める。
 色鳥町は明けない夜に沈みつつあった。



 

 時間は少しだけ遡る。

 エゾオオカミとルリとアムールトラ、それにユキヒョウのクロスジュエルチームは駅前方面へ歩いていた。

 

「なんか天気悪くなりそうだな」

 

 駅前の空を見上げてエゾオオカミがポツリと呟く。

 向かう先には暗雲がかかりはじめていた。もしかしたらニワカ雨くらいあるかもしれない。

 さっきからしきりに駅の方を気にしているのを見てユキヒョウはニヤリとしていた。

 

「気になるかの?」

 

 何を、とは誰も訊き返さない。全員が同じ事を思っていた。

 セルリアンフレンズ三人組はどうしているかな、と。

 喧嘩でもしたのか、落ち込んだような様子を見せていたセルシコウとマセルカの事を思い出すとどうにも気になって仕方がない。

 まあ、あの三人の事だから心配はないと思うけれど……。

 

「あー。エミさんやっぱり気になるんだー」

 

 隣を歩くルリが見上げるようにしてエゾオオカミの顔を覗き込んで来た。

 

「ま、エゾオオカミはなんだかんだで優しいヤツやからなー」

 

 さらにアムールトラにまで肩を抱かれるようにして小突かれる。

 こうされるのも不思議と悪い気はしないエゾオオカミだ。

 

「そうじゃのう。いっそのこと、色鳥駅まで行ってみるかの? あの三人と合流して駅中をブラつくのも悪くはあるまい。」

「そういえば、新しく出来たクレープ屋さんがあるって言ってたよね! みんなで行っちゃう!?」

 

 ユキヒョウの提案にルリは既に乗り気だ。

 エゾオオカミとしては調子を取り戻したセルシコウがやっぱり今日試合しようと言い出さないか心配ではある。

 まぁ、そうなったらその時か。

 幸いにして気の合う先輩であるキンシコウも近くに住んでいるから助けを求める事だって出来るだろう。

 

「それじゃあ、駅の方まで行ってみるか」

 

 エゾオオカミはそちらへと脚を向ける。

 と、駅へ向かう道に珍しい人を見つけた。

 それはハクトウワシだ。

 いつもの警官の制服姿である事から仕事中だと思われる。

 エゾオオカミは商店街に住んでいるから、ハクトウワシとも顔馴染みだ。何度かハクトウワシのアパートにもお邪魔した事があるし。

 と、ハクトウワシもどうやらこちらに気が付いたらしい。

 

「Hello! Every one! みんなお揃いでどうしたの?」

 

 言いつつこちらにやって来た。

 

「ハクトウワシさんこそ、この辺りってパトロール範囲に入ってたか?」

 

 エゾオオカミが訊ねるとハクトウワシは何やら罰の悪そうな顔をした。

 その反応にエゾオオカミもルリもアムールトラもユキヒョウも、揃って同じ結論に達したようだ。

 きっとハクトウワシもセルリアンフレンズ三人組の事が気になったのだろう、と。

 彼女は生まれたてのフレンズとしてセルリアンフレンズ三人組と一緒に暮らしている。言わば家族のようなものだ。

 三人の様子がおかしければそりゃあ気を揉みもしようというものだ。

 

「なんだ。ハクトウワシさんも仕事サボってまであの三人の様子を見に行こうだなんてやるじゃないか」

「そんなんじゃないわ。一応パトロール中なんだから」

 

 ニヤリとするエゾオオカミにハクトウワシはほっぺたを膨らませて見せた。

 いつも一生懸命に仕事をしているハクトウワシがこうしてオオセルザンコウ達のために仕事を放り出してくるだなんて。むしろエゾオオカミ達は微笑ましくすら思っていた。

 と、その時……。

 

「ね、ねえ……。みんな……あれ」

 

 ルリが駅のある方を指さして呆然としていた。

 そちらから黒い……というより闇色をした煙のようなものが立ち上っていたからだ。

 

「ま、まさか火事!?」

 

 ハクトウワシの行動は速かった。

 

「こちらハクトウワシ。色鳥駅方面に黒煙を確認。火事の可能性があるので現場へ状況確認に向かいます」

 

 肩につけた無線機へ向かって状況を伝えた後、駅へ向かって走り始める。

 そのハクトウワシに一番に付いて行ったのはエゾオオカミだった。

 

「エゾオオカミ! 危ないから付いて来ちゃダメよ!」

 

 そんなエゾオオカミにハクトウワシとしては警官の立場として怒らざるを得なかった。

 

「けど、本当に火事だったら消防に通報しなきゃだろ! そのくらいの手伝いなら出来る!」

 

 エゾオオカミは自身の携帯電話を示して見せた。

 もしも本当に火事だったらやらなければならない事は多い。猫の手だって借りたい状況になるだろう。

 ハクトウワシは少し考えてからこう言った。

 

「わかったわ。でも火事だったら近づいちゃダメよ! 危ない事は絶対にしちゃダメだからね!」

「ああ。わかったぜ」

 

 二人とも、よりにもよってこんな時にと思っていた。

 駅の方にはオオセルザンコウがいるはずだし、セルシコウとマセルカだって向かったはずだ。火事だったとしたら三人も危ない。

 ハクトウワシとエゾオオカミは脇目もふらずに駅へと急いだ。

 一方でルリ達は一瞬遅れたからこそ、気が付いた頃がある。

 

「ねえ、なんだかあの煙、おかしくない?」

 

 ルリが煙の方を指さして言う。

 その先で闇色の煙がどんどん昇って空に溜まり、太陽の光を遮り始めたのだ。

 闇色のそれはまるで夜のようだった。

 

「いいや……。これやったら夜そのものやで」

 

 アムールトラも様子のおかしい黒煙にポツリと漏らした。

 これは夏の入道雲が突然太陽を遮るといった生易しいものではない。

 その煙が溜まった空が夜になっているのだ。

 夜の闇はどんどんと広がっているように見える。

 こんな事が出来るのは……。

 

「セルリアンの仕業……」

 

 ルリがぽつりと漏らした呟きにアムールトラもユキヒョウも頷いた。

 

「だとしたら、先に変身してしまった方がよさそうじゃのう」

 

 ここは人通りが多い。もちろん駅だって同様だ。

 そんな中でセルリアンと大太刀周りをしてしまったら騒ぎになるのは目に見えている。だったら変身してからの方がいい。

 三人はビルの影に隠れると、いそいそとコスチュームを取り出した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夜の闇はまだこの青龍神社には及んでいない。

 けれど、ジワジワと広がる闇がいずれこの街全体を飲み込むのも時間の問題だろう。

 だというのに、萌絵達はもっと大きな問題に直面していた。

 ともえが何処かに走り去ってしまったのだ。

 あまりの事態に誰も反応が出来なかった。

 一体どうしたらいいのか誰もが答えを出せずにいる。

 そんな中、一番に我に返ったのはセイリュウだった。

 

「アオイ。コイちゃん。青龍神社に避難してくる人が来るかもしれません。準備を。シロさんとホワイトタイガーさんも手伝って貰えますか?」

 

 アオイ達は一瞬逡巡するが、もう一度セイリュウに促されて渋々言われた通りの準備を始めに行った。

 萌絵にはこれが人払いも兼ねているというのが分かった。

 どうすればいいか。萌絵は考えた末に、事情を知っていそうな人に聞くのが一番であると携帯電話を取り出した。

 呼び出すのは彼女達の母、春香の連絡先である。

 今日は外泊の予定であるが、何かあった際にすぐに連絡が取れるように携帯電話を肌身離さず持っているはずだ。

 数コールもしないうちにすぐ春香は応答してくれた。

 時間が惜しい、とでも言うように開口一番萌絵は切り出す。

 

「お母さん。ヒトのフレンズって何?」

 

 と。

 もしも本当にともえがヒトのフレンズであるなら春香がそれを知らないはずがない。

 電話からも春香が動揺した様子が伝わって来た。

 

「お願い、お母さん。教えて。アタシね……。ともえちゃんに何もしてあげられなかった。お姉ちゃんなのに。今ともえちゃんを追いかけても何も言ってあげられない。だから教えて。ヒトのフレンズって何? ともえちゃんはヒトのフレンズなの?」

 

 電話の向こうでは尚も逡巡する様子が伝わって来る。

 そこに意外な人物が割り込んで来た。

 セイリュウだ。

 

「萌絵さん。よかったら電話をスピーカーモードにしてもらってもいいですか? 私も多少の事情は知っています。なんせ春香達と一緒に戦った仲ですから。春香と一緒に説明させて下さい」

 

 萌絵はセイリュウに頷くと電話をスピーカーモードにした。

 そこに春香の声が響く。

 

『そうね……。ごめんなさい。今まで話せなくて。それにセーちゃんもごめんなさい。私が今まで話せなかった不始末をあなたに押し付ける事になってしまって』

「かまいませんよ、春香。私だって娘がいる身です。気持ちはわかりますから。でも、こうなったら全てを話す方がいいでしょう」

 

 電話の向こうで春香の声は暗く沈んでいた。

 どうやら春香とセイリュウの二人は事情を知っているらしい。

 だが、ともえを一刻も早く追いかけたい萌絵としては焦りを感じずにはいられなかった。

 電話の向こうで春香は少し考えた後に切り出す。

 

『ともえちゃんはヒトのフレンズよ。萌絵ちゃん。あなたから生まれた、ね』

 

 と。

 

「じゃ、じゃあ……アタシとともえちゃんは双子の姉妹じゃなかったの……?」

『双子ではないわ。けど、萌絵ちゃんもともえちゃんもイエイヌちゃんも大切な娘よ』

 

 なるほど、これはショックだ。

 春香が語ってくれた事実に、萌絵はハンマーででも殴られたかのように頭がクラクラする。

 けれど、どこか納得もしていた。

 ともえがあれ程までにショックを受けた理由も、逃げるようにいなくなってしまった理由も少しずつ形が見え始めていた。

 だとしたら、今、ともえに掛けられる言葉も思い浮かんでくる。

 行かなくてはならないと思った萌絵であったが、春香の続く言葉で引き留められた。

 

『萌絵ちゃん。あなたにはまだ話さなきゃいけない事があるの』

「ええ、急ぎたい気持ちはわかりますが、それを知ってからの方がいいでしょう」

 

 セイリュウにまでそう言われては立ち止まらざるを得ない。

 一体何を語ろうというのか。

 どんな話であろうとも、驚くまい。そう覚悟して萌絵は続きを待った。

 

『萌絵ちゃん。あなたは生まれた時からある病気にかかっていたの。本来なら一歳まで生きられないって言われてたくらいなの』

「「「「は、はぃいいい!?」」」」

 

 セイリュウと萌絵を除く全員が驚きの声をあげた。

 

「あ、あの!? 今は大丈夫なんですか!?」

 

 大慌てのイエイヌは萌絵に顔を近づけクンクン鼻を鳴らす。特に体調が悪いような匂いはしない。

 それを確認してイエイヌはホッと一安心だ。

 

『ええ。今は大丈夫。ちょっと風邪とかひきやすいかもしれないけれど、問題ないわ。ともえちゃんのおかげでね』

 

 そこから春香が語ってくれた昔話は中々に衝撃的な内容であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 それは約十三年程前の事である。

 

『先天性サンドスター過多症候群』

 

 生まれたばかりの萌絵に下された診断は過酷なものだった。

 この世界の人々は大なり小なり体内にサンドスターを持っている。それはヒトであろうがフレンズであろうがかわらない。

 だが、ごく稀に大量のサンドスターを持つ者も現れる。

 後天的な修行で身に着ける場合もあれば、生まれながらにしてそうである場合もある。

 萌絵の場合は生まれた時から大量のサンドスターを体内に持っており、しかしそれは喜ばしい事ではなかった。

 

「はい。あまりにも多すぎるサンドスターが萌絵ちゃんの身体を内側から壊そうとしている。それが先天性サンドスター過多症候群です」

 

 医師の説明によるとこういう事らしい。

 普通であれば、サンドスターが身体の中に多いのは悪い事ではない。むしろ健康を維持してくれたりする働きが確認されている。

 だが、萌絵の場合は常人の三倍近いサンドスター内包量を示していたのだ。

 それ程までにサンドスターの内包量が多すぎれば、それは身体を蝕む毒となる。

 

「これから成長するにつれて、萌絵ちゃんのサンドスター内包量も大きくなっていく事でしょう。今は三倍で納まっていますが、いずれ五倍、十倍と増えていきます」

 

 そうして増えていったサンドスターが完全に萌絵の身体を壊すまでに約一年程かかると言う。

 これは非常に珍しい病気で世界でも症例なんて殆どないそうだ。

 従って、医師もどうやって治療していいのか分からなかったらしい。

 

「けれど、諦めるわけにはいかないわ」

 

 当時の春香は夫のドクター遠坂と共に萌絵を治療する事を決意した。

 ちなみに、当時既に青龍神社に住み込んでいたドール=ドールも治療に協力してくれたらしい。

 体内のサンドスターをドール=ドールが少しでも取り込む事で延命が図られたが、とても追いつかなかったそうだ。

 そういう事もあってセイリュウもまた萌絵の事情をある程度は知っていたのだ。

 ドール=ドールによる対処療法の間に、ドクター遠坂は萌絵を治療する為に一つの研究をしていた。

 

『ヒト。フレンズ化計画』

 

 その研究はそう名付けられていた。

 萌絵の身体を多すぎるサンドスターに耐えられるようにするには、人為的に萌絵をフレンズ化すればいい。

 当時、ヒトのフレンズは実在しないと言われていたが、そうではない。

 ヒトのフレンズは確かに当時も存在していた。

 どうしてそう確信できるのか。何故ならそれは春香がよく見知った人だったからだ。

 

「まぁ、私というヒトのフレンズがいるわけだから、人為的にヒトをフレンズにする事は理論上可能だよね」

 

 そう言うのは宝条和香であった。

 当時の和香は暗緑色の髪はそのままであったが、スレンダーで長身。涼し気な瞳がクールな印象を与える美人であった。

 クールビューティーな外見とやたら女の子を褒めまくる性格なせいと、女子校という環境で育ったせいかやたら女の子に人気があった。

 もっとも、春香くらい親しい人と一緒の時は結構甘えたな一面も見せる時もあったが。

 そんな彼女は宝条春香から生まれたヒトのフレンズである。

 その当時、サンドスター研究所に集まっていたのは春香とドクター遠坂の夫妻。それに春香の妹である和香であった。

 春香の腕の中ではまだ一歳にも満たない萌絵も眠りこけていた。

 ドクター遠坂が約2ヶ月という時間をほぼ不眠不休で研究を成し遂げてある物を作り上げたのだ。

 それは『サンドスターポッド』と名付けられた。

 大きなポッドの中にはキューブ状のサンドスターが大量に敷き詰められてキラキラと輝きを放つ。

 

「このサンドスターポッドは調整次第で色々な病気に効く可能性があるけれど、今一番重要なのは、ヒトをフレンズ化する機能だよ」

 

 ドクター遠坂は集まった春香と和香に説明する。

 今日、今まさに、萌絵の治療をする為に世界初となる人為的なヒトのフレンズ化が行われようとしていた。

 サンドスターポッドには様々な計器類が取り付けられて、いくつもの配線が繋がれてものものしい雰囲気がある。

 

「正直、今まで誰も行った事のない取り組みだからね。成功する保証なんてどこにもない。けれども……絶対に成功させるよ」

 

 ドクター遠坂の言葉に春香は頷きを返すと、腕の中で眠る萌絵をそっとサンドスターポッドの中に横たえた。

 彼でダメであれば、他の誰が何をしようとも萌絵を助ける事は出来ない。そのくらいには春香は夫の事を信じていた。

 やがて、重々しいサンドスターポッドの蓋が閉じられる。

 重厚なそれはまるで宇宙船か何かを思わせた。

 小さな窓が一つついているものの、それもすぐに曇って中が見えなくなる。

 あと春香に出来る事は成功を祈って待つばかりだ。

 と、その時だった。

 

「それでは成功せぬよ」

 

 春香の頭上から声がした。

 見上げれば、大きく重々しいサンドスターポッドにいつの間にか真っ白なフレンズが一人腰かけているではないか。

 一体いつの間に。

 いや、それよりもここは重要な研究区画だ。今はドクター遠坂と春香と和香の三人しかこの場にはいられないはずではないのか。

 よく見れば、そのフレンズは真っ白なピンと立った耳に同じく真っ白な尻尾。着ているものも白のブレザーに白のミニスカート。金色の瞳だけがやけに目立って見えた。

 突然の闖入者に春香と和香は身構える。

 その真っ白なフレンズはそんな彼女達の前にふわりと降り立った。

 

「わらわの名はオイナリサマ。別に争ったり邪魔したりするつもりはない。むしろ助けに来た、という方がいいかもしれぬのう」

 

 そこにいるのに、そこにいないかのような不思議な雰囲気を纏ったフレンズだった。

 確か春香の後輩にはオイナリちゃんと呼ばれる守護けものオイナリサマの血を引く真っ白なフレンズがいたはずだ。

 けれど、その子とはどう見ても纏う雰囲気が全然違う。

 オイナリサマと名乗ったフレンズは先程こう言った。このままでは成功しない、と。

 

「成功しない、とはどういう事かな」

 

 未だ構えを崩さない和香と春香の間を縫ってドクター遠坂が前に出る。

 ドクター遠坂はチラとサンドスターポッドに取り付けられた計器類を見る。全て数値は正常範囲内。今のところ順調だ。

 

「まぁ、順を追って説明しよう」

 

 そういうオイナリサマに和香は構えを解く。

 

「そうだね。立ち話もなんだ。椅子とテーブルくらいはあるからこちらへどうぞ。ああ、配線が剥き出しになっているから足元に気を付けて」

 

 和香は言いつつオイナリサマの手をとってテーブルへと導いた。

 恭しく彼女の為に椅子を引いて席までのエスコートを務める。

 

「それとインスタントですまないがお茶はこれでいいかな?」

 

 和香はささっと紙コップに小分けされたインスタントコーヒーを入れると電気ポッドからお湯を注ぐ。

 

「さて、お砂糖とミルクは使うかい?」

「うむ。ミルクと砂糖も入れてくれるかの」

 

 備え付けのミルクとシュガースティックをササっと入れてティースプーンで軽くかき混ぜてからオイナリサマの前に置く。

 

「うむ。ありがとう」

 

 早速オイナリサマはそれを口元に運んで……。

 

「!?!?!?!?」

 

 声にならない悲鳴をあげる。

 盛大にむせた後、涙目で叫んだ。

 

「ちょっと待てい!? どこをどうやったらインスタントコーヒーをこんなに不味く作れるんじゃ!? っていうかこれコーヒーなのかの!?」

 

 え?そんなに、と和香は残っているコーヒーを失敬して味を見てみる。

 結果、盛大に不味かった。

 

「相変わらずねぇ」

 

 春香は苦笑しつつ、三つ新たにコーヒーを淹れた。和香と全く同じ分量、手順で淹れたはずなのに、今度は普通のコーヒーだ。

 春香がそれをオイナリサマの前に置くと、彼女は口直しとばかりに半分程を一気に飲み込んだ。

 

「何故……。同じ材料を同じ分量と同じ手順で作っておいてなんでこうなるんじゃ……ある意味才能というものかのう」

 

 ようやく一息ついたオイナリサマはしみじみとそう言った。

 和香は家事全般を壊滅的に苦手としている。

 春香も流れに任せてうっかり和香にコーヒーを淹れさせたのは失敗したと反省である。

 

「はい、和香ちゃん。自分で淹れたコーヒーは自分で飲んでね」

「えぇー!? 私もお姉ちゃんが淹れてくれたヤツがいいー!」

「はいはい、後で淹れ直してあげるから」

 

 そう仲睦まじい様子を見せる春香と和香を置いて、ドクター遠坂はオイナリサマの正面に座る。

 

「話を聞かせてもらってもいいかな? ヒトのフレンズ化が成功しない理由を」

 

 それで二人も我に返った。

 突然やって来たオイナリサマは一体どうして失敗を確信しているのだろう、と。

 

「それはのう。宝条和香、お主がこの世界に存在しておるからじゃよ」

 

 オイナリサマの言葉に三人とも首を傾げた。どうにも話が見えない。

 和香が存在する事とヒトのフレンズ化がどう関係しているというのか。

 

「例えばのう。アカギツネのフレンズはこの世界では親とその娘、せいぜい祖母くらいまでじゃろう?」

 

 確かにその通りだ。

 親族でもないかぎり同種のフレンズがまったく別な場所で生まれる事は殆どない。

 

「我らの世界ではのう。同じ種のフレンズは一人しかおらぬのじゃ。先程の例で言えばアカギツネのフレンズが存在している状態で野生動物のアカギツネがフレンズ化の条件を満たそうともフレンズ化はせぬ。それが世の理というものなのじゃ」

 

 つまり、同種のフレンズは世界にたった一人しか生まれない。

 それが本来の形であるとするならば……。

 

「つまり、ヒトのフレンズである和香君が既にいるから萌絵はヒトのフレンズにはなれない。そう言いたいわけだね」

 

 ドクター遠坂は確認するように言った。

 重々しく頷くオイナリサマ。

 確かに、それならヒトがフレンズ化した事例がない事だって納得がいく。

 この広い全世界でヒトのフレンズはたった一人。しかもそれが和香のように秘匿されてしまえば見つけ出す事は容易ではない。

 事実、和香は春香の妹として育てられ、セルリアンと戦って来てなお誰にもヒトのフレンズであるとバレなかったのだから。

 

「まぁ、全く可能性がゼロというわけでもないんじゃがの。ごくごく稀に親族でもないのに全く同じ種類のフレンズが生まれる事だってあるじゃろ?」

 

 オイナリサマが言うのは天文学的な確率での事である。

 今、この場でそれに望みを託すというのは現実的な話ではない。

 

「なるほど。で、キミは私に何をして欲しいんだい?」

 

 そう訊ねたのは和香だった。

 

「キミは言った『それでは成功しない』と。そして『助けに来た』とも。つまり萌絵ちゃんのフレンズ化を成功させる考えがあるんだろう?」

 

 そう続ける和香にオイナリサマは頷いた。

 

「宝条和香。お主に一つ頼みがある。滅びの危機に瀕した別世界を救ってやってはくれんかのう」

 

 唐突なオイナリサマからの頼みに春香とドクター遠坂は言葉を失った。

 だが和香だけは動じる事はなかった。

 

「いくつか訊ねたい。まず一つ、別な世界とやらにはどうやって行くんだい?」

 

 和香はオイナリサマをしっかりと見据えて言った。

 

「わらわの力で送ろう。わらわは次元を渡る力を持っておるからのう」

 

 なるほど、この重要研究区画に突然現れたのも次元を渡る力を持っているというなら納得がいく。

 そこについては納得したという様子の和香は続けて質問をする。

 

「で、私がその別世界に行けばそこは助かるのかい?」

「助かるかどうかはお主次第じゃよ」

 

 オイナリサマは一つ頷いてから言葉を続けた。

 

「そこはのう、もう二〇〇〇年近くセルリアンとの戦いを続けている世界なんじゃ。ヒトもフレンズも滅びの危機に瀕しておる。じゃが、お主が行く事で滅びの流れを変える可能性がある」

 

 どうやら思っていた以上に過酷な世界らしい。

 しかも、行ったところで確実にその世界を救えるとも限らないようだ。

 しばらく考え込んだ和香だったが、殊更オイナリサマの目を覗き込んで言う。

 

「さて、最後に一つ」

 

 一体何を問うつもりなのか。

 それがきっと宝条和香という人にとって最も重要な事なのだろう。

 オイナリサマは真っ直ぐに和香の目を見つめ返すと沈黙をもって先を促した。

 

「そこに住むフレンズちゃん達は可愛いのかい?」

「は?」

 

 あまりと言えばあまりの質問にオイナリサマは目を点にしていた。

 春香とドクター遠坂は「またか」と言いたげに呆れた顔になる。

 可愛い女の子の為ならたとえ火の中水の中。それが宝条和香であった。

 

「よし。決めた。行こう」

 

 オイナリサマの返答を待たずして和香は決断を下したようだった。

 その思い切りのよさに別世界に渡る事を提案したオイナリサマの方が慌ててしまった。

 

「よいのか!? 別世界に渡ればお主はもう戻れないかもしれんのじゃぞ!?」

「そうかもしれないけどね。それでも行く理由は主に三つある」

 

 和香は三本指を立てて示して見せた。

 

「一つは、例え別世界だろうと女の子が助けを求めているなら行かないとね」

 

 なにせ、和香は色鳥町を人知れずセルリアンの手から守って来たヒーローの一人だ。

 これが心の底からの本心である事は春香もドクター遠坂もよく知っていた。

 

「二つ目は萌絵ちゃんを病気で失ったりしたくないし、姉さんを泣かせたくもない。別世界を助けるついでに可愛い姪っ子まで救えるなら一石二鳥というものさ」

 

 そして最後に残った人差し指を折りつつ、和香はニヤリとした。

 

「それに萌絵ちゃんは姉さん似で美人になる。間違いない。将来の美女の為だ。命の一つも賭けようじゃないか」

 

 まったく、和香らしい事だと春香は苦笑しか出来なかった。

 

「ありがとう、和香ちゃん」

「なあに。お礼は帰って来た時にとびきり美味しいコーヒーでも淹れてくれたらいいさ。それまで姉さんのコーヒーは楽しみにとっておくよ」

 

 言いつつ和香は自分で淹れた不味いコーヒーの残りを一気に飲み干してから言った。

 

「さあ、行こうか」

 

 こういうのは時間をかけない方がいい。

 和香だって春香や他の友達と離れるのが寂しくないわけじゃないのだ。

 決意が鈍る前に旅立ってしまおう。

 そうして和香はオイナリサマの前に立つ。

 

「よいのか?」

「ああ」

 

 オイナリサマの確認に和香はやはり頷いた。

 着の身着のままだが、ずるずると準備に時間をかけたら後ろ髪引かれるに決まっている。だったらやはりこれで旅立つのが最良なのだ。

 和香が静かに目を閉じたのを見て、オイナリサマもやはり頷きのみを返し、彼女に手をかざす。

 すると、まばゆいサンドスターの輝きに和香の身体が包まれる。

 それが閃光となって弾けた後、そこには和香の姿もオイナリサマの姿もなかった。

 彼女達が姿を消した直後。

 

―ピーッ。ピーッ。ピーッ

 

 サンドスターポッドから電子音が鳴り響く。

 取り付けられたモニターには一言『complete』の文字が浮かんでいた。

 ヒトのフレンズである和香が別な世界に旅立ったから、あらたなヒトのフレンズが生まれる事が出来たのだろうか。

 そんなドクター遠坂と春香の疑問を余所に、サンドスターポッドは重厚な蓋を再び開いた。

 そして、その中身を見た二人は目を見開く事になる。

 

「「は、はぃいいい!?!?」」

 

 ドクター遠坂と春香が驚いたのも無理はない。

 何せ、サンドスターポッドの中には二人の赤ちゃんがいたからだ。

 一人は当然、先ほど中に入れた萌絵だ。

 そしてもう一人は萌絵にそっくりだった。

 ただ、わずかに生えた産毛が緑色っぽく見える。

 二人はお互いの手を取りあったまま、すやすやと健やかな寝息を立てていた。

 二人の赤ちゃんを引き離そうとすると起きてしまい、むずがってイヤがる為、春香は二人まとめて抱き上げる。

 

「これって……一体……」

 

 計画では、サンドスターポッドが開いた時、萌絵がヒトのフレンズになっているはずだった。

 けれど、起こった変化は萌絵が二人になっていた事だった。

 春香が戸惑っていると、萌絵が腕のなかで「ぉー」と小さな声をあげていた。

 よくよく聞くと何か三つの音が連続しているように思える。

 春香は腕の中の萌絵が何かを言いたいのか、と耳を澄ませた。

 

「とー。ぉー。えー」

 

 萌絵はそう言っているように聞こえた。

 まだ一歳にすら満たない萌絵が言葉を喋るはずがない。そう思いながらも萌絵の口が発している音は一定で何か意味があるとしか思えなかった。

 萌絵が繰り返しているのは、と、も、えの三つの音に聞こえるし、そうやって声をあげるたびにもう一人の赤ちゃんはキャッキャと喜んでいる。

 

「わかったわ。この子は『ともえ』ちゃんっていう名前なのね」

 

 春香が言うと萌絵は満足したように「ぁー」と返事した。

 

「あなた。やっぱり萌絵ちゃんはあなたに似て天才ね」

 

 早くも意味のある言葉を発した萌絵を手放しで褒める春香。きっとドクター遠坂に似て頭のいい子になるのだろう。

 それはともかく、今考えなくてはならないのは、萌絵が二人になっているものの、病気は一体どうなったのか、という事だ。

 ドクター遠坂はサンドスターポッドに取り付けられた計器や記録されたデータを読み解いて一つの結論を出した。

 

「まずね。萌絵の病気は治っているよ。萌絵の体内に内包されるサンドスター量は常人より少ないくらいだ。ここまでサンドスター量が少なくなると風邪とかひきやすくなるかもだけど、それでもこの先もずっと生きていけるよ」

 

 どうやら当初思っていた結果とは違うが、それでも萌絵はもう病気ではなくなったらしい。

 春香は嬉しさと安心のあまり、その場にへたりこんでしまった。

 

「「ぁー?」」

 

 そんな春香を腕の中の赤ん坊達が不思議そうに見ている。

 もう一人増えた方の赤ん坊、ともえはよく見ると目の中に赤と青の不思議な光を宿していた。

 この子は一体……。

 春香がそう思っていると、ドクター遠坂が答えを告げた。

 

「この子は……ともえちゃんは、萌絵から生まれたヒトのフレンズだよ」

 

 ヒトのフレンズは生まれていたのだ。

 萌絵から別れる形で。

 

 その後、遠坂夫妻は新たに生まれた『ともえ』を自分達の娘とした。萌絵の双子の妹として。

 萌絵から溢れ出そうとしていたサンドスターを引き受ける形となったともえであったが、それでも何の問題もなく健やかに成長していったのはやはり彼女がヒトのフレンズであったからだろう。

 ドクター遠坂は二人の健康状態をモニタリングする為に二体のラッキービーストと呼ばれるロボットを作った。

 そのうち一体がラモリさんである。

 こうして、萌絵が時々体調を崩したりしながらも姉妹は仲良く暮らして来た。

 

 ちなみに……。

 ともえが生まれたこの日、全く別な場所でもう一人ヒトのフレンズが生まれるという奇跡が起きていた事をドクター遠坂はずいぶん後になってから知るのだった。

 

 

―②へ続く




【セルリアン情報公開:クマリアン】

 青龍神社に安置されていた人形に宿った“輝き”から生まれたセルリアン。
 見た目は大きなテディベアである。
 元がヌイグルミだけあって、打撃攻撃に強く防御力が高い。
 また、3mを越す巨体から生み出されるパワーもかなりのものだ。
 反面、動きは鈍重でスピードに欠ける。
 特殊な能力はないが、強力なタフネスとパワーによる攻めはそれだけでも脅威だ。
 鈍重な動きに油断すると痛い目を見る事になるだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話『クロスハートがいない夜』②

 

 

 エゾオオカミとハクトウワシは色鳥駅に急いでいた。

 駅前を歩く人々も異変には気付いているのか、少しずつ騒ぎが広がっている。

 近づいてわかったが、闇色の煙は色鳥駅に併設された商業ビルから上がっていた。

 火事にしては様子が変だ。

 ただ黒煙……、いや、闇色の煙が立ち上っているだけなのだ。

 避難を促す非常ベルも鳴っていなければ、消火設備が作動している様子もない。

 それらは機械によって自動的に作動するはずだ。

 けれど、それがないという事は……。

 

「火事じゃないのかしら……」

 

 ハクトウワシは戸惑う。

 火事ではないのだとしたら、この黒煙のようなものは一体……。

 

「ともかく、原因を確かめないといけないわね……」

 

 ハクトウワシは商業ビルへのエントランスを潜ろうとした。

 と、その時……。

 

「た、助けて……」

 

 ふらふらと入り口から人が一人出て来たではないか。

 ハクトウワシは急いでそちらへ駆け寄ろうとした。

 が……。

 

―ゾロゾロ。

 

 その人の後ろからは人型をした煙が次々と現れた。

 それは実体を持たない闇色をした煙が人のような形をしてユラユラと揺れる。

 たまたまそうなのか。

 ただ、それが何人?も次から次に現れるとなれば偶然とは思えなかった。

 ともかく、ビルから出て来たヒトを助けなくては。

 ハクトウワシは怖気づく気持ちに喝を入れて走る。

 が、一瞬遅かった。

 闇色をした人型の煙がそのヒトを飲み込んだのだ。

 

「くっ!」

 

 殴って効くのかわからないが、それでも他に有効そうな手立てはない。

 ハクトウワシはビルから出て来たヒトを飲み込んだ人型の煙に拳を叩き込んだ!

 ちょうど頭部らしき部分を殴りつけた途端……。

 

―パァン!

 

 まるで風船が破裂するような音と共に人型の煙が霧散した。

 飲み込まれたヒトもその場に倒れそうになる。

 

「ちょっと、大丈夫!?」

 

 ハクトウワシはそのヒトを抱き止めた。

 呼吸はしているけれど意識はない。気を失っている……。いや、この規則正しい呼吸はまるで……。

 

「寝てる……?」

 

 ハクトウワシにはそう感じられた。

 命に別状なさそうなのは何よりだが自力でこの場を離れる事は出来なさそうだ。

 それに何より、まだまだヒト型をした不気味な煙はあとからあとからゾロゾロと現れてくる。

 気を失ったヒトを抱えたハクトウワシにも人型の煙が迫っていた。

 そんな状態でまともに抵抗できるわけがない。

 ハクトウワシにも手を伸ばして来るが、あれに捕まったら一体どうなってしまうのか……。

 だが、そうはならなかった。

 

「おぉりゃあっ!」

 

 エゾオオカミが正拳突きで人型の煙を打ち抜いたからだ。

 やはり人型の煙は風船が破裂するような音と共に霧散する。

 

「こいつら、強くないのは助かったぜ」

 

 しっかりと残心をとりながら商業ビルの中を睨みつけるエゾオオカミ。

 奥は薄暗く、先ほど蹴散らしたのと同じようなのがウロウロしているのが見えた。

 さらに、買い物客であろう沢山の人達が倒れているのも。

 

「あ、ありがとう。エゾオオカミ。それにしてもあなた、少しセルシコウに似て来た?」

「まぁ、アレだけ一緒に居ればな」

 

 エゾオオカミの構え方がなんだかセルシコウと重なって見えたハクトウワシである。

 こうしてセルシコウにも同年代の友人が増えたのも嬉しい。これからも楽しい事はまだまだあるだろうから無事を願わずにはいられない。

 そんな風にハクトウワシが呆けている間にエゾオオカミはさっさと商業ビルの中に入ってしまった。

 

「あ!? こら、待ちなさい!」

 

 ハクトウワシは自身が抱えていたヒトを一度戻って野次馬に託してから忙しなく戻る。

 その間にエゾオオカミはこの辺りをウロついていた人型の煙を全て排除していた。

 

「いや、本当強いわね。エゾオオカミ……」

 

 本当なら危ない事をするなと怒らなくてはいけないところだが、あまりに手慣れた様子にハクトウワシは感心すらしてしまっていた。

 しかも、エゾオオカミは既に倒れたヒト達の様子を見てすらいた。

 

「ハクトウワシさん。このヒト達も寝てるだけだ」

 

 エゾオオカミが闇色をした人型の煙を排除出来たのは単純にそいつらが弱かったからだ。

 いま、倒れているヒト達全員が抵抗できない程だったのかと言われると疑問が残る。

 

「そうか……。色鳥武道館の時と同じか」

 

 あの時も牛頭のセルリアンが小さな分身体を繰り出して来た事がある。

 けれど、ヒトの攻撃は効かずにキンシコウやヘビクイワシやオウギワシ達フレンズの攻撃なら通用していた。

 あの後、エゾオオカミが和香教授に訊ねたところによると、フレンズは誰もが“けものプラズム”を纏っており、それがセルリアンに対して有効なのだそうだ。

 この世界のフレンズだって、“けものプラズム”は変わらず持っているから弱いセルリアンが相手なら対抗する事ができる、という事らしい。

 

「つまり、コイツらもセルリアンってわけか!」

 

 辺りを漂う闇色をした煙が集まり、再び人型の形を成していく。

 エゾオオカミはそれらに片っ端から正拳突きを叩き込んでいった。

 

「ふぅ……。ったくキリがねぇ……!」

 

 相手は弱いとはいえ、数が多い。

 それに倒しても倒しても次々湧いて出てくる。このままここにいるのは得策ではないように思えた。

 どうするべきか。エゾオオカミが考えを巡らせていたその時……。

 

「エゾオオカミ! 伏せて!」

 

 ハクトウワシの声が響いた。

 エゾオオカミは反射的に身を低く屈める。

 

―チッ

 

 エゾオオカミの髪を何かがかすってそのまま駆け抜けた。

 それはハクトウワシの蹴り足だった。

 鋭い上段蹴りがエゾオオカミの頭上を疾る。

 そして、天井で形を成して落ちて来た人型の煙を文字通り蹴散らした。

 

「お……。おおぅ……。ハクトウワシさん、やるなぁ」

「まぁ、警官だもの。これくらいは鍛えているわよ」

 

 しかし、人型の煙はまだまだ湧いて出て来る。

 二人は背中合わせになって構えた。

 

「こうなったら、元凶を何とかしなきゃジリ貧だぜ」

 

 確かに、ここでいくら人型の煙を倒していても状況が改善する兆しはない。

 だったらイチかバチかこの煙の発生源を何とかするしかないのではないか。

 ハクトウワシもそう思ったが、けれど闇雲にそれを探すのも得策ではないように思えた。

 その時だ。

 

「エゾオオカミ! ハクトウワシ!」

 

 奥の方からマセルカが走って来た。

 しかも闇色をした人型の煙に追われているではないか。

 ハクトウワシがマセルカを抱きとめている間に、エゾオオカミが彼女を追っていたやつらを蹴散らす。

 

「マセルカ! 何があったの?」

「オオセルザンコウとセルシコウが……」

 

 マセルカは言いかけてハッとした。

 この二人ではセルゲンブに敵うはずがない。ただいたずらに巻き込んでしまうだけなのではないか、と。

 

「わかったわ。マセルカは外に避難してなさい」

 

 そんな思いを知ってか知らずか、ハクトウワシはマセルカが来た方へ走って行ってしまった。

 マセルカが止めようと伸ばした手は空を切る。

 だいたい、ハクトウワシに何と説明したらいいのか。

 彼女を止めたいのに何の言葉も出てこない事にマセルカは絶望した。

 

「大丈夫か?」

 

 さすがにそんな調子では心配にもなる。

 エゾオオカミがマセルカの顔を覗き込んでいた。その表情は真っ青と言っていい。

 

「オオセルザンコウとセルシコウに何かあったんだな? 話してくれ」

 

 エゾオオカミはそう言ってくれるが、マセルカは迷っていた。

 今、このまま何もしなかったらオオセルザンコウとセルシコウに加えて、ハクトウワシまで巻き込まれてしまう。

 だが、エゾオオカミに話したところで巻き込まれる者が一人増えるだけだ。

 どうする。

 どうしたら……。

 迷った末にマセルカの口から出たのは……。

 

「無理だよ。だってエゾオオカミは弱っちいもん」

 

 という憎まれ口だった。

 そもそも、外に逃げて助けを求めると言ったところで一体誰を呼んで来たらいいというのか。

 もう既に状況は詰んでいる。

 あとはいかに被害を少なくするかだ。マセルカにとってはそうであった。

 けれど……。

 

「まぁ、そうだな。そりゃあお前らに比べりゃあ弱いのかもしれないけどさ……」

 

 けれど。

 ガシリ、とエゾオオカミはマセルカの両肩を掴んだ。

 

「いいから話せ。無理かどうかは俺が決めてやる。マセルカが悩んでそんな顔してるくらいならその方がいい」

 

 マセルカにだって分かる。

 エゾオオカミが気遣ってくれた事くらい。

 けれど、けれど頼っていいのか。その想いが口を重くする。

 

「友達が困ってるんだ。絶対助ける。だから話せ」

 

 エゾオオカミは頼れ、と言ってくれた。友達だ、とも。

 マセルカは胸にこみあげるものと共に全て白状した。

 セルゲンブがこちらに来た事。

 いま、マセルカとセルシコウは二人とも変身できない事。

 オオセルザンコウを『ヨルリアン』にしようとしている事。

 彼女を助ける為、そしてマセルカを逃がす為にセルシコウが変身できないにも関わらずセルゲンブと対峙している事。

 

「ごめん。ごめんね……エゾオオカミ」

「謝る事はねーよ」

 

 謝るマセルカに返事しつつエゾオオカミは考える。

 それにしたって、セルゲンブとやらは随分な手段を取ったな、と。

 そりゃあ、この世界の“輝き”を保全するという事に思うところはある。

 どういう手段でそれを成し遂げて、それが終わった時世界がどうなるのか、誰もが分からなかった。

 だからセルリアンフレンズ達ともセルリアンを倒すという事では協力だって出来た。

 

「けれど、セルゲンブってのとは仲良くできそうもねーな」

 

 エゾオオカミの胸中には怒りが湧いていた。

 どうにも気に入らない。

 セルゲンブの為に働いた三人にこんな仕打ちをするとは。

 ともかく文句を言って場合によっては一発ぶん殴らないと気が済まないくらいだ。

 とはいえ、事態は思っていた以上に深刻だ。エゾオオカミ一人で何とか出来る話でもないと思えた。

 

「マセルカ。ハッキリ言って俺一人の手には負えない。だからお前は外に行って先輩達を呼んで来てくれ」

 

 エゾオオカミが言うのが誰の事なのかマセルカにもわかる。

 クロスハート、クロスシンフォニー、クロスラピスとクロスラズリ。それにクロスナイトもクロスレインボーだっていたか。

 

「おおーい。クロスアイズも忘れないでやってくれ」

「えぇー……だってエゾオオカミは弱っちいもん」

 

 指折り数えるマセルカが自分の名前を出してくれないのでエゾオオカミとしては軽くショックだ。

 けど、マセルカがいつもの生意気そうな笑みを見せているのだから怒るのはやめておこう。

 

「そうだな。俺は弱っちいから、さっさと先輩達を呼んで来てくれ。それまでは何とか時間を稼いでおくから」

「うん! わかった! ありがとうね、エゾオオカミ!」

 

 まだ頼れる人がいる。

 それだけでもマセルカの胸に希望の火が灯る。やる事が出来た以上、走らなくては。

 一筋の光明と共にマセルカは外へと駆け出して行く。

 きっと彼女なら他のヒーロー達に報せてくれる事だろう。

 

「エゾオオカミー! 無理しないでよー! エゾオオカミは弱っちいんだから!」

「だから弱っちいは余計だ!?」 

 

 一度振り返って言うマセルカにエゾオオカミはツッコミを返してしまった。

 いつもの調子を取り戻してくれたのならまぁいいか、とエゾオオカミは後ろ頭を一度掻いてから前に向き直る。

 セルゲンブ。

 異世界からやって来た四神の一人。

 確かに自分なんかが敵う相手ではないと思う。

 けれど、それでも……。

 

「一発くらいはぶん殴らないとやっぱり気が済まねえ!」

 

 吠えつつ、エゾオオカミも奥へと駆け出すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「セルシコウ。そこならば安全じゃ。お主はそこで見ておるがいい」

 

 セルゲンブは透明な氷の中に閉じ込めたセルシコウに言う。

 二人の戦いは鎧袖一触で決着がついた。

 変身できないばかりか、アクセプターの出力が最低にまで落ちているセルシコウとセルゲンブでは地力に差がありすぎる。

 セルゲンブの技でセルシコウは閉じ込められてしまったのだ。

 

「この技はのう、『絶対氷牢』という。内側からだろうが外側からだろうが破る事など不可能じゃ」

 

 セルゲンブの言う通り、セルシコウが内側から氷を殴ろうが蹴ろうがビクともしない。

 こうなってしまえば、出来る事はないので逆に考える余裕を与えられてしまった。

 セルシコウとしてはやはり、セルゲンブが随分と強硬な手段に出たと思えた。

 それに焦っているようにも思える。

 セルシコウの知るセルゲンブはオオセルザンコウと同じで、どちらかと言えばしっかりと策を練るタイプだ。

 それがどうして、こんなにも急いでいるのか。

 その疑問を視線に乗せて投げかける。

 

「まぁ、そうじゃのう。我としてもここまで急ぐのは不本意じゃのう。じゃが、他に手がなかったのじゃ」

 

 セルシコウの視線を受けてセルゲンブが答える。

 

「セルシコウ。お主も見たじゃろう? 我らが世界の真実を」

 

 セルシコウもセルゲンブから見せられた。

 彼女達の世界は雪と氷に覆われて全てが凍り付いている事を。

 セルリアンフレンズ達は誰もが氷の中で幸せな夢を見ながら眠らされている事を。

 その事実はセルシコウの心をも揺さぶっていた。

 自分がしてきた修練が夢の中でのものだったなんてニワカには信じ難い話だ。

 だが、セルシコウはそれが正しいとも心のどこかで納得もしていた。

 

「これは初めて言うわけじゃが……。我は世界の姿に納得などしておらぬ」

 

 セルゲンブもまた、雪と氷に閉ざされた凍てつく世界でいいとは思っていなかったのだ。

 

「そこでのう。我は一計を案じたのじゃ。我らが女王を倒し世界を取り戻そうとな」

「な……!?」

 

 セルシコウにとっても、彼女達の世界にいる女王は絶対的な存在だ。

 それに逆らおうなんて思った事すらなかった。

 けれど、セルゲンブは違ったらしい。

 

「この世界の“輝き”を得て我はこの世界の女王となる。そうなれば我らの女王と同格よ。戦う事だって出来る」

「セルゲンブ様……だからそんなにも急いで……」

 

 この計画はセルゲンブ達の女王に気取られてはならない。

 別世界の“輝き”をも保全するという女王の目的に沿う形で策を進め、今、この時にセルゲンブは賭けに出たのだ。

 

「オオセルザンコウには悪い事をしたと思っておる。じゃが他に事を為せる策を考えつけなかったのじゃ」

 

 セルゲンブはチラリと闇色の繭を見る。

 そこからはモクモクと闇色をした煙が吐き出され続けていた。

 その中にいるオオセルザンコウは虚ろな目をしたままで話が聞こえているとも思えない。

 セルシコウだってショックだ。

 自分達が過ごして来た世界が凍てつく世界だったなど。それに到底納得など出来ない。

 そうして揺れるセルシコウにセルゲンブは手を差し伸べた。

 

「セルシコウ。協力してはくれぬか。我と共に我らが世界を取り戻そう」

 

 セルシコウは迷う。迷った末にふらふらとセルゲンブの差し伸べた手へと自らの手を伸ばそうとした。

 けれど、そこでハッとした。

 ならばこの世界はどうなるのか、と。

 ほんの一ヶ月くらいではあるがバイトや勉強や部活といった経験した事のない経験をさせてくれたこの世界は、自分達の世界と同じように氷に閉ざされてしまうのだろうか。

 そこで、あの未熟なオオカミのフレンズが氷の中に閉ざされ眠る姿が想像された。

 そして、ハクトウワシやヤマさんや奈々やキタキツネやギンギツネ達が同じように氷漬けにされている姿も。

 

「セルゲンブ様。私はあなたとは共に行けません」

 

 そんな未来はセルシコウにとって許せる事ではなかった。

 ほんの一ヶ月くらいの間の出来事だとういうのに随分と絆されたものだと思う。

 だが、セルシコウにとってもこの世界で過ごした時間はそれだけ大切なものになっていた。

 それを見てとったセルゲンブは差し伸べた手を引っ込める。

 

「そうか」

 

 と。

 

「ならば、お主にはしばらくの間『絶対氷牢』の中で眠っていてもらおう」

 

 セルゲンブが言うと『絶対氷牢』の中がどんどんと氷で満たされようとしていた。

 彼女が敵対する者に容赦をしない性格である事をセルシコウだって知っている。

 きっと、セルゲンブの手を取らなかったらこうなるであろう事は予想だってしていた。けど後悔はしていない。

 セルシコウは諦めと共に両目を瞑る。

 その時だ。

 

「Don't Move!」

 

 バン、とテナントの扉が開くと拳銃を構えたハクトウワシがそこから姿を現した。

 銃口は正確にセルゲンブへ向けられている。

 色鳥武道館へ不審者が乱入した事件で犯人が見つかっていない為、警戒を強めていた警察は実弾を装填した拳銃の携行を許可していた。

 ハクトウワシはまさかそれを抜く事になるとは思ってもみなかった。

 けれど、銃口は震える事すらなくピタリと照準を定めている。

 このまま撃てば、セルゲンブの身体に命中するのは確実だ。

 

「ふむ。よかろう。撃ってみるがいい」

 

 対するセルゲンブはハクトウワシを一瞥すると両手を広げて見せた。

 まるで撃ってみろ、と言わんがばかりの態度にハクトウワシも戸惑う。

 拳銃を向けられて平然としていられるはずがない。

 こちらが撃たないと踏んでいるのだろうか。

 ならば。

 

―パァン!

 

 火薬が破裂する音と共に拳銃が火を吹く。

 ハクトウワシが天井に向けて引き金を引いたのだ。

 

「動かないで。そしてゆっくり両手を上げてセルシコウから離れなさい。従わないと次は当てるわよ」

 

 今のは威嚇射撃だ。

 たとえ拳銃というものを知らないとしても、銃声はかなりの轟音だ。威嚇の効果は十分にあるはず。

 だが、セルゲンブは動じた様子もない。

 それどころか余裕の笑みすら浮かべていた。

 

「知っておるよ。その鉄砲という武器は使える回数に限りがあるのだろう? 大切な一発を警告の為に使うなど、随分とお優しい事じゃのう」

 

 ハクトウワシが持つ警察官の拳銃は回転式弾倉の五連発だ。

 今の威嚇射撃で残りは四発。

 けれど、セルゲンブを止めるには十分だと思えた。

 

「いいえ、優しくなんてないわ」

 

―パァン!

 

 再びの銃声。

 今度はセルゲンブの足元に向けた一発だ。

 セルゲンブのつま先数センチのところに銃痕が出来ていた。

 二発目の威嚇射撃。

 これで実弾が込められている事だってわかったはず。

 なのにセルゲンブの態度は変わらない。

 それならそれで構うものか。

 セルゲンブがセルシコウに何かをしたのは火を見るよりも明らかだ。

 

「私の家族に手を出したんだもの! 私にだって我慢の限界ってものがあるんだから! 警告はしたからね!」

「ダメです! ハクトウワシ!」

 

 セルシコウが制止の声をあげるも間に合わず、ハクトウワシはセルゲンブの腕を狙って三発目の銃弾を発射した。

 狙いは正確だった。

 けれど……。

 

「え……?」

 

 ハクトウワシは思わず呆けた声をあげた。

 彼女の放った銃弾はセルゲンブの目の前、空中で静止していたのだ。

 ライフリング効果でシュルシュルと回転する銃弾は、しかしセルゲンブに傷一つつけていない。

 

「鉄砲なんぞがセルリアンに効くものか」

 

 セルゲンブはつまらなそうに言い捨てて、ツイと指を振る。

 すると彼女の手前で止まっていた銃弾はクルリ、と向きを180度変えてしまったではないか。

 

「ハクトウワシ! 逃げて!」

 

 セルシコウが叫ぶも、やはりそれは一歩遅かった。

 セルゲンブが指をハクトウワシの方へ向けると銃弾はそれに従い、放たれた時と同じ勢いで返る!

 ハクトウワシは普通のフレンズだ。

 銃弾を防ぐ術などない。

 起こる惨劇を予想してセルシコウは目を瞑った。

 けれど、いつまでもそうしてもいられない。

 恐る恐る目を開けたセルシコウの目には、ハクトウワシを抱えて転がるエゾオオカミの姿が映った。

 

「ふぃいい。あぶねぇー……」

 

 額に浮かんだ汗をぬぐってホッと一息をつくエゾオオカミ。

 返された銃弾は壁に当たって銃痕を穿っていた。

 ハクトウワシを放すと、エゾオオカミも立ち上がりセルゲンブへ指を突きつけ言い放つ。

 

「おいこら! お前がセルゲンブか!」

「いかにも」

 

 一体何を言うのかとセルゲンブは訝しむ。

 唐突な闖入者はどうやら自分の事を知っているようだが一体何者だろう。

 そうだ。

 オオセルザンコウが寄越した情報にあった。

 この世界の戦士、その一人ではなかったか。実力は大した事はなく名を覚える程でもないかと思っていたが。

 

「お前! 俺の友達に何してくれてんだ!」

 

 何を言うのかと思えば……。友達とは『絶対氷牢』に入れたセルシコウと『ヨルリアン』になろうとしているオオセルザンコウの事か。

 

「友、と来たか。お主は曲がりなりにもこの世界を守る戦士であろう。セルリアンフレンズの三人とは敵でこそあれ友だと? 馴れ合うのもいい加減にせよ」

「うるせぇ! 敵でもあるが友達でもあるんだよ!」

 

 どういう理屈だ、とセルゲンブは一笑に付した。

 しかし、エゾオオカミはなおも言い募る。

 

「逆に訊くけどな。俺はセルシコウ達と同じ釜の飯だって食った。一緒にバイトだってした。ついでに一緒に戦ったりもしたし喧嘩だってしたぞ。全然敵わなかったけどな。これが敵だけど友達じゃないなら何て言うんだよ」

 

 セルゲンブとしては呆れるばかりだ。

 セルリアンフレンズ三人は一体何をしていたのだ、と。

 何はともあれどうやらこのエゾオオカミというフレンズは見逃すわけにはいかないようだ。

 例え弱くてもこの世界を守る戦士なのだから。

 よくよく考えれば先程戦ったハクトウワシとやらもこの世界を守護する者の端くれだったか。

 ならば二人まとめて片付けるか。

 そう考えてセルゲンブはエゾオオカミとハクトウワシに一瞥をくれる。

 膨れ上がる殺気を察したセルシコウが慌てて叫ぶ。

 

「エゾオオカミ! ハクトウワシを連れて逃げて下さい! あなたでは絶対に敵いません!」

 

 それでも。

 エゾオオカミには逃げるという選択肢はない。

 何故なら。

 

「俺が逃げちまったら誰がお前らを助けるんだよ」

 

 他の世界からやって来たセルシコウはこんな事態になってセルゲンブが敵になってしまった今だって誰も頼れなかった。

 けれどエゾオオカミがこうして助けに来てくれた事に胸の奥から何かがこみ上げてくる。

 だけどどうして、どうしてここまでしてくれる。

 

「へ? いや、さっきも言ったけどさ。同じ釜の飯だって食った。一緒にバイトだってした。あと一緒に戦いもしたし喧嘩だってしたよな。助ける理由なんてそんなもんで十分じゃないか?」

 

 セルシコウの疑問の眼差しに、エゾオオカミもまた不思議そうにしていた。

 エゾオオカミにとって、友達を助けるなんて当たり前の事だ。

 セルゲンブが強い事くらい分かり切っている。

 けれどそれがどうした。

 

「セルゲンブ。俺の友達を放しやがれ」

 

 エゾオオカミにとっては相手が強いからと言って友達を見捨てる理由にはならないのだ。

 

「そうね。私の家族を放しなさい」

 

 ハクトウワシもまたエゾオオカミの隣へと並び立った。

 セルシコウは観念した。どうやらもう二人に何を言ったところで無駄なようだ。

 だったら今、胸の内にある素直な言葉を口にしよう。

 

「すみません! 助けて下さい、エゾオオカミ! ハクトウワシ!」

 

 セルシコウの言葉に二人は揃って力強く頷いた。

 

「さて、ハクトウワシさん。悪いが今から見る事は秘密にしておいてくれよ」

 

 エゾオオカミはポケットから香水瓶を取り出すと、それを構えて叫んだ。

 

「リンクハート! メタモルフォーゼ!」

 

 エゾオオカミが両手、両足と香水を振りかけると、そこがサンドスターの輝きに包まれる。

 

「リンクエンゲージ!」

 

 パッとサンドスターの輝きが晴れた時、そこには茶色の長い毛並みに同じ色のブレザー。そしてチェック柄のミニスカートを身に着けたオオカミのフレンズがいた。

 

「ニホンオオカミスタイル……!」

「え、エゾオオカミ……?」

 

 さすがにこれにはハクトウワシの目が点になった。

 彼女だって噂くらいは知っている。

 最近巷で人知れず事件を解決している謎のヒーロー。その一人が目の前にいるのだ。

 

「まさか、クロスハート……?」

「あー。いや、一応違うんだ。俺はクロスアイズ。通りすがりの正義の味方、クロスアイズだ」

 

 茶色の毛並みをしたオオカミのフレンズはエゾオオカミと同じ仕草でポリポリとほっぺたをかいていた。

 

「さて……それじゃあ行くぜ、セルゲンブ。お前はやっぱり一発ぶん殴らないと気がすまねえ」

「そこは私も同感ね」

 

 やはりクロスアイズの隣にはハクトウワシが並び立っていた。

 どうやらハクトウワシは引くつもりはないらしい。

 ならば。

 

「じゃあハクトウワシさん。二人でアイツに一泡吹かせてやろうぜ!」

「わかったわ。エゾオオカミ」

「いやー。出来ればクロスアイズって呼んでくれよ。なんか誰も俺の名前覚えてくれねーんだよなぁ」

 

 そんなクロスアイズにハクトウワシはこんな時だと言うのに苦笑してしまった。

 正直、二人だけで勝てるなんて思えない。

 

「けど、安心していいぜ。時間さえ稼げば本物のヒーローが来てくれるからな」

 

 外にはクロスラピスとクロスラズリだっているし、クロスシンフォニーもこの事態に気づいていないはずがない。

 マセルカだって外に助けを呼びに行っているはずだ。

 それに何より……クロスハートはこんな時に必ず来る。そうクロスアイズは信じていた。

 だから、今からやるのは時間稼ぎだ。

 

「さて、茶番は終わったか? クロスアイズとハクトウワシとやら」

 

 セルゲンブも同じだ。

 『ヨルリアン』が完全に孵化したなら誰にも止められない。

 孵化が終わるまで『ヨルリアン』を、オオセルザンコウを守ればいい。

 彼女がやる事もまた時間稼ぎに他ならない。

 ならばこの二人を相手どって、こちらの世界の戦士達がどの程度の実力を持っているのか探るのも手だろう。

 

「来るがいい。少しばかり遊んでやろう」

 

 セルゲンブは誘うように手を伸ばす。

 明らかに侮った様子を見せるセルゲンブにクロスアイズとハクトウワシは憤りを感じていた。

 

「時間稼ぎはするんだが……。それでもやっぱり一発くらいはぶん殴らないと気がすまねえ!」

 

 クロスアイズはセルゲンブへと踊りかかる。

 いよいよ戦いの火蓋が切って落とされた。

 

―③へ続く 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話『クロスハートがいない夜』③

 

 

 青龍神社では携帯電話越しに春香の話を聞き終えた一同が重い空気に沈んでいた。

 

『今まで話せなくてごめんなさい』

 

 春香は電話越しに重く沈んだ声を出す。

 しかし、春香を責められる者は誰もいなかった。正直こんな話をどう話していいのかなんて分かるはずがない。

 春香に代わって今度は菜々とカラカルが一歩前に出た。

 そのまま二人とも正座である。

 

「私がともえちゃんに無神経な事を言っちゃったばっかりに……。本当にごめんなさい」

「私だって、ちゃんと和香に事情を聞いておけばよかったのに……。ごめんなさい」

 

 二人ともしょんぼりしているが、決して彼女達が悪いわけではない。

 なんせ別世界から来た菜々達にとってヒトのフレンズが他のフレンズの力を借りて変身する事は当たり前だったのだから。

 むしろ、自分の事情を知らずに変身出来ていたともえの方が特別と言ってもよかった。

 

「菜々ちゃんやカラカルちゃんが悪い事なんかないよ!」

 

 声の方に振り向けば萌絵が言っていた。

 一番ショックを受けているのは彼女のはずだ。

 本当であれば、もう病気で亡くなっていてもおかしくなかった事もそうだが、双子の妹が本当は妹ではなかったのだから。

 

「いやぁ。でもさ。お母さんグッジョブだよ」

 

 は?

 と全員の目が点になる。

 一体何がよいのだろうか?と。

 電話の向こうの春香までもがキョトンとしてしまった。

 

「いや、だって本当はともえちゃんとアタシって学年違ってたって事でしょ? 双子って事にしてくれたから同じ学年になれたし」

 

 確かに、萌絵は三月二十四日の早生まれだ。ともえが約二か月後に生まれたのだとしたら学年が違ってしまう。

 けれども、そこか。そこなのか。と一同呆れていいやら感心していいやらなんとも複雑な表情をしていた。

 そんな一同の反応を余所に、萌絵は自信たっぷりといった不敵な笑みで言い切った。

 

「お母さん、菜々ちゃんカラカルちゃん。それにセイリュウ様も。みんな安心して。ともえちゃんは絶対アタシが連れ戻すよ。だってアタシはともえちゃんのお姉ちゃんだもん」

 

 その決意表明に一同の顔に笑いが戻って来る。

 

「イエイヌちゃんとラモリさんは手伝ってね。なんだか街の方は大変な事になってるみたいだからアタシ一人だと気軽に出歩けないかもだし」

「はい! わたしが萌絵お姉ちゃんをお守りします!」

 

 萌絵の表情は何とも自信に満ちたものだった。

 この状況でそんな顔が出来るのだから、頼もしい事この上ない。イエイヌの尻尾は物凄い勢いでぶんぶんと揺れる。

 萌絵がこんな表情をしている時は、必ず何とかしてくれる。

 それは双子の妹であるともえと一緒だった。

 だからイエイヌは萌絵を守ってともえの元まで送り届けるだけでいいのだ。

 お安い御用というものである。

 

「それなら、街の方は私達に任せてよ。罪滅ぼしってわけじゃないけど何とかするから」

 

 そう言うのはクロスレインボーこと菜々である。

 彼女は別世界からやって来たヒトのフレンズだ。

 だからクロスハートに勝るとも劣らない戦力なのである。頼りにしていいだろう。

 

「そうね。もちろん私も手伝うわ」

 

 そしてカラカルもまた別世界のフレンズであるからイエイヌ……いや、クロスナイトに匹敵する実力の持ち主だ。

 

「それだったら、カラカルはこの神社を守って欲しいかな。さっき言ってたけど、避難する人達が来るかもしれないんでしょ?」

 

 菜々が考えつつ言う。

 夜の闇はどんどん広がって徐々に街を飲み込んでいる。

 セイリュウも、ここを避難所にして人々を守るのがいいと考えていた。

 

「そうですね。青龍神社ならある程度結界で耐えられるでしょう。ですがセルリアンが直接来た場合に対抗出来るのかどうか……」

 

 セイリュウもかつてはセルリアンと戦った事があるが、それでも一人でこの事態を前に青龍神社を守り切るのは難しいと思えた。

 カラカルが残ってここを守ってくれるというならとても助かる。

 

「それなら、アタシとイエイヌちゃんとラモリさんはともえちゃんを探しに。菜々ちゃんは街に。カラカルちゃんとセイリュウ様がここを守るって事だね」

 

 萌絵の言葉に全員が頷きを返す。

 これで方針は決まった。

 全員がやるべき事が見えて張り切って駆け出そうとしていた。

 

「あ、そうだ。菜々ちゃん」

 

 と、そこに萌絵が急に声を掛けるものだから、菜々は思わず後ろ髪引かれたようになってしまう。

 転びそうになった体勢を何とか立て直し、菜々は続く言葉を待った。

 

「あのね、気になったんだけど、ヒトのフレンズは変身方法ってみんな違うの?」

 

 ともえもかばんも菜々もフレンズの力を借りて変身するのは一緒だが、その方法はそれぞれ微妙に違うように思えた。

 その違いが萌絵としてはどうしても気になったのだ。

 そこには今という事態を打開する鍵があるのではないかと萌絵の勘が告げている。

 こんな時だというのに菜々はきちんと答えてくれた。

 

「ああ、うん。ええとね、私が変身に使ってる栞には仲良くなったフレンズのみんなから貰ったお花とか葉っぱとかの押し花がつけてあるの」

 

 花や葉っぱで変身できるとはどういう事か。

 

「ほら。私の名前って菜々でしょ。だから《菜》つまり植物が変身の鍵なの」

「じゃ、じゃあヒトのフレンズって名前によって変身方法が違うって事!?」

「そうだよ」

 

 驚く萌絵に菜々は頷いて見せた。

 菜々の場合は絆を結んだフレンズからプレゼントしてもらった何らかの植物が変身アイテムとなっているらしい。

 

「しかも、私の名前が《ナナ》じゃない? だから私の変身モードは合計で七つまでなの」

 

 つまり、七色の変身モードで戦う菜々はまさにクロスレインボーを名乗るに相応しい。

 

「じゃあ、ともえちゃんの場合は……」

「うん。《友》達の《絵》。それが変身アイテムになったんだと思うな」

 

 ともえは友達になったフレンズ達の絵を描いたスケッチブックで変身していた。

 それは名前に根差したものであるらしい。

 そうなるとクロスシンフォニーは《かばん》という名前から、絆を結んだフレンズを己の内に入れて変身するというスタイルなのだろうか。

 

「ほら、ヒトのフレンズって種族の名前であるヒト、とは呼ばれないじゃない? 名前っていうのはヒトのフレンズにとって重要な特徴なんだよ」

 

 けもの耳も尻尾も翼もないヒトのフレンズにとって、名前こそが特徴を表すものなのだ。

 なるほど、と納得しかけた萌絵に菜々はまだ解説する事がある、と指を一本得意気に立てて見せた。

 

「あとね、私が《ナナ》だから七つしか変身モードがないのと同じように、かばんちゃんも自分という《かばん》に入るサイズの動物しか変身シルエットに出来なかったんだと思うよ」

 

 菜々が言いたい事はわかる。

 つまり、二人の名前は制限も表しているのだ。

 けれども……。

 

「ともえちゃんの名前って制限らしい制限って見当たらないんだけど……もしかして……」

「そうだね。多分ともえちゃんの変身フォームは制限がないんじゃないかな」

 

 萌絵の疑問を肯定するように菜々は頷いて見せた。

 

「その代わり、“けものプラズム”が分散して変身フォームを形作るのが大変になってるんだと思うよ。ほら、ともえちゃんの変身フォームってだいたい服の丈が短いじゃない?」

 

 たしかに、クロスハートが変身した変身フォームはどれもが服の丈が短くなっている。

 ギリギリミニスカートは当たり前。時によってはおへそ丸出しだったりもするのだ。

 それは制限がない代わりに、変身フォームを形作る“けものプラズム”を安定させづらいせいであった。

 

「そ、そっかあ……。いやぁ、ともえちゃんが実はああいう派手な格好したいのかなぁ、って実はお姉ちゃんハラハラしてたんだよ」

 

 またもやややズレた安心の仕方をしている萌絵である。

 もうみんな苦笑しか出ない。

 

「でも、色々見えて来た! ありがとうね、菜々ちゃん!」

 

 萌絵は菜々の両手を握って上下にぶんぶんしている。

 その表情を見るに、何か作戦を思いついているようだ。

 

「うん! きっとこの夜はともえちゃんが……、ううん、クロスハートが絶対に何とかする!」

 

 萌絵の力強い言葉に、その場の誰もが希望を見出していた。

 それはまさに色鳥町に広がる“夜”に射す一筋の光明であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 色鳥駅ではエゾオオカミが変身したクロスアイズの息が上がっていた。

 耐久力とスタミナはトップクラスの動物であるというのに、こうも息が上がっているのには理由がある。

 まず、セルゲンブが防戦に徹している事だ。

 セルゲンブの防御は鉄壁と言っていい。

 

「ちっくしょう……!」

 

 クロスアイズは幾度目かになる突撃を仕掛けた。

 両手にサンドスターを集めて、繰り出すのは見様見真似で覚えた必殺技、『ワンだふるアタック』である。

 

「それは先程も試したであろうに」

 

 つまらなそうにセルゲンブはクロスアイズへと指を向けて呟く。

 

「三連多重結界」

 

 すると、亀の甲羅を模したような半透明の障壁が現れる。しかも三枚も。

 

―ガキィイイン!

 

 クロスアイズの繰り出した牙はその一枚目すら割れていない。

 まさに歯が立たないのだ。

 だが、それは何度も試したから予想通り。クロスアイズはセルゲンブの背後へと目をやる。

 そこにはハクトウワシが駆け込んでいた。

 

「せぇええい!」

 

 クロスアイズの攻撃で気を引いて、背後からハクトウワシが一撃を加える作戦だ。

 ハクトウワシの繰り出す鋭い上段蹴りがセルゲンブの後頭部へ吸い込まれようとしていた。

 けれど……。

 

「やはりつまらんな」

 

 セルゲンブはそちらを見る事すらなく、指先一つでハクトウワシの蹴り足を受け止めていた。

 いくら“けものプラズム”を纏ったフレンズの攻撃といえども、変身すらしていない一撃だ。

 本来なら無防備で受けても傷一つ付かないだろう。

 一応防いで見せたのは、セルゲンブが油断をしていないからだ。

 そして、クロスアイズが体力を消耗しているもう一つの理由がある。

 

「そら。反撃といこうか」

 

 セルゲンブが指をツイと動かして見せると、それに応じて床から大きな氷柱が立ち上りハクトウワシを貫かんと殺到する。

 

「おおっとぉ! させるかぁ!」

 

 一瞬で間合いを詰めたクロスアイズが氷柱を全て砕いてハクトウワシを守った。

 先程からこうした展開が続いている。

 セルゲンブは要所要所でハクトウワシ狙いの反撃を繰り出して来るのだ。

 変身すらしていないハクトウワシがその一撃を受ければ大怪我は免れないだろう。

 セルゲンブが軽く放った一撃でもクロスアイズはこうして走り回り体力を徒に消耗する事となっていた。

 

「ちくしょう……。これが走らされるってヤツか……」

 

 クロスアイズは額に浮かんだ汗を拭う。

 まるで、テニスか何かの試合で上級者に弄ばれている気分だ。

 一方のセルゲンブはといえば、余裕綽々である。

 彼女自身は殆ど動いていない上に、反撃だって気まぐれに小技を放つ程度なのだ。

 運動量の違いは圧倒的だった。

 

「これじゃあ私が足を引っ張っちゃってる……」

 

 ハクトウワシは悔しさに歯噛みしていた。

 先程からクロスアイズが何度も自分を助けてくれている。

 しかも、セルゲンブは明らかに自分ばかりを狙って来ていた。

 今やハクトウワシ自身がクロスアイズにとっての弱点と成り下がっていたのだ。

 これではいない方がマシではないか。

 ハクトウワシはその事実により強く歯を食いしばった。

 

「いいや、ハクトウワシさん。あいつを一発ぶん殴るにはハクトウワシさんの力が絶対に必要だ」

 

 しかし、クロスアイズはなおもハクトウワシの事を信じているらしい。

 この状況でもなおも諦めず逆転の一手を探している。

 その姿はかつてハクトウワシが憧れた正義の味方の姿だ。

 正義の味方に憧れて、結局お話に出てくるようなヒーローには成れないと諦め、それでも警察官という仕事に就いた。

 だが、目の前にいるクロスアイズは紛れもなくヒーローなのだ。

 その彼女が信じてくれるなら。ハクトウワシは折れそうな心を奮い立たせる。

 

「わかったわ、クロスアイズ。私は何をしたらいいの?」

 

 どうやらクロスアイズには作戦があるらしい。

 こうなったらそれに賭けるしかない。

 そんな賭けをセルゲンブは嘲笑った。

 

「よかろう。異世界の戦士達よ。策があるなら存分に弄するがいい」

 

 セルゲンブとしては二人の実力を既に計りきっていた。

 クロスアイズの方は身体能力的には大型セルリアンとだって渡り合えるだろうが、いかにも未熟だ。

 ハクトウワシはと言えば、いかんせん地力が低すぎる。

 取り巻きの小型セルリアンくらいなら相手出来るかもしれないが、その程度だ。

 おそらく、ハクトウワシくらいの実力がこの世界における兵士の実力と考えていいだろう。

 きっと『ヨルリアン』が孵った時に、その本体を傷つけられる可能性がある者は多くない。

 

「(やはり警戒すべきはクロスシンフォニー。それにクロスハートとやらか)」

 

 彼女達はヒトのフレンズだ。

 どれだけの潜在能力を秘めているのか分からない。

 そして、女王級になれる可能性があるセルリアンであるクロスラピス。さらに別世界からやって来たというクロスレインボーだって警戒すべきだ。

 いつまでも雑魚と遊んでいる場合でもない。

 実力を推し量るのに利用させてもらったがもう十分試し終えた。

 警戒すべき者たちと合流されればそれなりに厄介だろう。

 

「(そうなる前に、そろそろ決着をつけるか。)」

 

 セルゲンブはそう考えて策を練っているらしいクロスアイズとハクトウワシの二人を見た。

 今さらどんな策を弄したところで、自分には傷一つ付ける事は叶わないだろう。

 相手の実力を計り切った結果としてセルゲンブはそう結論づけた。

 

「よっしゃ。そういう事でハクトウワシさん。頼んだぜ」

「ええ、分かったわ」

 

 ちょうど作戦会議の内緒話も終わったのだろう。

 クロスアイズとハクトウワシの二人はあらためてセルゲンブに向き直った。

 先程、クロスアイズが何かの小瓶をハクトウワシに渡していたが一体何をするつもりか。

 

「(これを受け切ったら、カウンターで奴らを片付けるとするか)」

 

 セルゲンブが最も得意とする戦い方は、相手の実力を推し量り、それを見極めたところでカウンターを放ち相手を打ち倒すというものだ。

 既にクロスアイズとハクトウワシはセルゲンブの術中と言っていい。

 

「(存分に策を弄するがいい。お前達にとってこれが最後の攻撃となるのだから)」

 

 待ち構えるセルゲンブに対し、先に突っ込んで来たのはハクトウワシだった。

 今まではクロスアイズが気を引いて、ハクトウワシが隙を狙って仕掛けてくるパターンだったが今回は逆だろうか。

 その程度の変化で鉄壁の防御を破れるはずがない。

 

「これでも喰らいなさい!」

 

 ハクトウワシは間合いに入る直前で腰のホルスターに納めた拳銃を引き抜いた。

 残る弾丸は二発。

 だが、銃は効かないどころか、セルゲンブは己のセルリウムで取り込んで反射する事すら出来る。先の攻防でそんな事すら理解していなかったのか。

 

「(まあよい。自らの武器で自滅するがいい)」

 

 セルゲンブは指を立てて拳銃弾を反射するべく構える。

 対するハクトウワシは必中を狙っての事か、さらに間合いを詰めて来た。そんな事をしてもますます反射した拳銃弾をまともに喰らうだけだというのに。

 が……。

 

―パァン! パァン!

 

 立て続けに放った二発の弾丸はセルゲンブを狙ったものではなかった。

 二発の銃弾はセルゲンブをかすめる事すらなく、背後の壁に弾痕を穿った。

 

「!?」

 

 自らを狙ったのではない弾丸を跳ね返す事は出来ない。だがセルゲンブが驚いたのはそれだけではなかった。

 銃を放つ際に発生したマズルフラッシュが一瞬視界を奪ったのだ。

 薄暗いテナント内に目が慣れていたセルゲンブにとって、それは完全に予想外だった。

 ほんの一瞬ではあるがハクトウワシを、そしてクロスアイズを見失う。

 その一瞬にクロスアイズの動きが変わった。

 高い身体能力任せの動きから、洗練された技を持つ者の動きへと。

 素早い足運びでありながら、ピタリと定まった重心のおかげでまるで滑るように移動しているように見える。

 クロスアイズはハクトウワシを追い抜き、一気にセルゲンブへと迫る!

 

「なっ!?」

 

 再びセルゲンブがクロスアイズを視界に納めた時、既に彼女は目の前、必殺の距離にまで詰めていた。

 しかも、既に震脚を踏み攻撃を放とうとしている。

 

「いけ……! やっちゃいなさい! エゾオオオカミッ!!」

 

 氷の牢獄で成り行きを見守っていたセルシコウが初めて声をあげた。

 そうか、とセルゲンブも気が付く。

 クロスアイズが今見せた動き方はセルシコウの技にそっくりなのだ、と。

 だとしたら全力で守らないとまずい。

 

「三連多重結界!」

 

 セルゲンブは宙に三枚の盾を並べる。

 

「おぉおおおおおおお!!」

 

 クロスアイズは構う事なく、足捌きのスピード、震脚で生み出したエネルギー全てを乗せた追い突きを放った!

 

―バキィイイン!

 

 クロスアイズの追い突きはセルゲンブの張った一枚目の盾を粉々に砕いた。

 そこで終わりではない。

 一枚目の盾が砕けた事でほんの僅かながらさらに押し込む隙が出来た。

 

「(見てろよ……! セルシコウ……! 俺がお前らの分までぶん殴ってやるからな……!)」

 

 クロスアイズはさらに一歩を踏み込む。

 前に出る勢いと共に二枚目の盾へ己の拳を押し当てる。

 そしてインパクトの瞬間に……!

 

「りゃぁあああああああああ!」

 

 腕の力、腰の回転、踏み込みのエネルギー、全てを余す事なく拳へ伝え、さらに押し込む。

 それは寸打、寸勁、ワンインチパンチなど様々な呼び方があるが防御の上からでも衝撃を透す技だ。セルシコウが最も得意とする技でもある。

 その威力の程は……

 

―バキィイイイン!

 

 なんと、二枚目の盾を押し込み、その後ろにあった三枚目の盾ごと砕いてしまったではないか。

 三枚の盾全てを失ったセルゲンブは焦った。

 先程までのクロスアイズは油断を誘う為にわざとこの技を隠していたというのか。

 だが、三枚全ての盾を砕いたまではいいが、これ以上の追撃は体勢を整えないと出来まい。

 その前にこちらがカウンターを放てばいい。セルゲンブはそう考えて床から氷柱を生み出そうとした。

 けれど……。

 何故かクロスアイズが笑っていた。

 作戦成功、とばかりに。

 ふと気がつけば、ハクトウワシが横合いに回り込んでいた。

 

「(だが、ヤツの攻撃では我にダメージを与える事など出来ぬ!)」

 

 ハクトウワシは変身すらしていないこちらの世界の一般的なフレンズだ。

 例え全力で攻撃したところで痛くも痒くもないだろう。

 まだ警棒などの武器は持っているようだが、“けものプラズム”で形作った武器でない以上、先の拳銃弾と同じように返せる。

 セルゲンブはハクトウワシを無視してクロスアイズへ向けて氷柱による攻撃を繰り出そうとした。

 その時だ。

 ハクトウワシが隠し持っていた小瓶の中身を空中に振りまいた。

 

「(あれは……! さっきクロスアイズとやらが渡した小瓶か!)」

 

 セルゲンブは知らなかったが、それはクロスアイズが変身に使う“リンクパフューム”の補充用香水だ。

 中身は油壷のセルリアンであるイリアが作り出したオイルにサンドスターを溶け込ませた代物である。これを“リンクパフューム”に取り付けられたメモリークリスタルを使って“けものプラズム”に変換するのだ。

 では、それで一体何が出来るのか。ハクトウワシは拳を握り固める。

 

「ジャスティス……!」

 

 そして空中に振りまいた香水ごと殴りつけるようにセルゲンブの横っ面へ向けて放った!

 

「パァアアアアアンチッ!!」

 

 気合の雄叫びと共に放たれた拳は香水を纏ってセルゲンブの横っ面へ吸い込まれる。

 

―バキィィイイイ!

 

 いい音が響いた。

 香水を纏った拳はセルゲンブの防御を破り思いっきり引っぱたいたのだ。

 セルゲンブは一回転しつつもんどり打って倒れる。

 かつてハクトウワシが子供の頃に見たヒーロー番組で主人公の必殺技が『ジャスティスパンチ』だった。

 いつの頃からか真似する事もなくなったけれど、それでもハクトウワシは覚えていたのだ。メモリークリスタルなしでもサンドスターを“けものプラズム”に変換できる程、具体的に。

 

「はは……。すっげえ……」

 

 イチかバチかで作戦を立てたクロスアイズも予想以上の効果に思わず笑ってしまった。

 クロスアイズの見よう見まね寸勁が届かなかったら、ハクトウワシが補充用香水を使ってさらに一撃を繰り出す、と決めてはいたがここまでの戦果は予想外だった。

 きっと、それだけハクトウワシがオオセルザンコウとセルシコウとマセルカの三人を大事に思っていたからこそなのだろう。

 

「な……」

 

 セルゲンブとしては何が起こったのかわからない。

 自分は確かにダメージを受けた。その事実だけが痛みとなって実感できる。

 だが、そんな要素は微塵もなかったはずだ。

 

「この我が……こんな小娘共に策で遅れを取っただと……!?」

 

 クロスアイズが技を隠し続けて油断を誘った。

 つまり、セルゲンブは彼女の張った罠にまんまと掛かってしまったのである。

 それは策士として名を馳せたセルゲンブにとって許せる事ではなかった。

 

「おのれ……!」

 

 うわごとのように呟きユラリと立ち上がる。

 

「おのれ……おのれおのれおのれおのれぇええええええっ!!」

 

 叫びと共にセルゲンブの身体からはセルリウムが吹き出す。

 セルゲンブは怒りでいっぱいだった。

 小賢しい策を弄した取るに足らない戦士達に。

 何よりも相手を侮り、相手の思うがままにされてしまった自分自身に。

 

「よかろう……! 我は確かに貴様らを侮った」

 

 ギン、と二人を睨みつけるとセルゲンブは叫ぶ。

 

「ここからは我の本気で貴様らを滅するとしよう……。我、セルゲンブの真の姿でな!」

 

 セルゲンブの周囲に広がったセルリウムが彼女の身を包む。

 モゴモゴ、と形を作ったセルリウムがその姿をハッキリとさせていく。

 その威容を見上げる事になったクロスアイズとハクトウワシは開いた口が塞がらなかった。

 

「「うそぉ……」」

 

 二人揃って見上げるセルゲンブは巨大な亀となっていた。尻尾の蛇が鎌首をもたげて二人をギラリと睨みつける。

 

『侮ってすまなかったな。異世界の戦士達よ。これが我。四神が一柱、セルゲンブの真の姿よ』

 

 かなりの広さを誇るテナントも真の姿となったセルゲンブには手狭だった。

 ならば少しばかり広くしてやるか。

 セルゲンブの殺気が膨れ上がる。

 

「やべえ!?」

 

 クロスアイズはハクトウワシを引き倒して己の身をその上に被せて庇った。

 次の瞬間。

 

―ドォオオオオオオン!

 

 テナントを形作る壁は内側から爆ぜてなくなった。

 

 

―④へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話『クロスハートがいない夜』④

 

 

「色鳥駅を中心としてなおもセルリウム反応増大中!」

「このままでは街にセルリアンが溢れるのも時間の問題です!」

 

 サンドスター研究所でも突然の出来事にハチの巣を突いたような大騒ぎだった。

 所員たちは突然の異変に右往左往する。

 派手に警報が鳴りまくるモニターを見つつ元セルスザクであったスザクは腕組しつつ言う。

 

「ふぅむ。彼奴は『ヨルリアン』じゃな。セルゲンブめ。虎の子を出してきたのう」

「ご存知で?」

 

 警報音の中でも冷静さを保つドクター遠坂が訊ねる。

 スザクは鷹揚に頷くと解説してくれた。

 

「『ヨルリアン』は夜という概念そのものがセルリアン化したものじゃ。いつぞや低気圧に憑りついたセルリアンがおったろう? そうした災害級の厄介なヤツじゃよ」

 

 低気圧に憑りついたセルリアン、『ショー・タイフーン』の事は記憶に新しい。

 大きな勢力を持つ爆弾低気圧になる前にクロスハートが退治してくれたから大事に至らずに済んだ。

 『ヨルリアン』は『ショー・タイフーン』に匹敵する……いや、それ以上の災害をもたらすセルリアンだ。

 

「『ヨルリアン』の能力は大きくわけて二つある。一つは己の勢力圏内に『ナイトメア』と呼ばれる取り巻きセルリアンを無限に湧き出させる事じゃ」

 

 スザクの解説によると、『ナイトメア』は駅舎内に溢れていた闇色をした人型の煙であるらしい。

 『ナイトメア』はハッキリ言って弱い。

 防御力はないし、攻撃力だって皆無と言っていい。

 けれど、相手に纏わりついて“輝き”を奪い取る能力を持つ。全ての“輝き”を奪われた者は眠らされてしまうのだ。

 そして眠ってしまった者は『ヨルリアン』を倒さない限り目覚める事はない。

 

「今のところ、『ナイトメア』は電灯で明るくした屋内には入り込めぬ。彼奴らは光に弱いからのう」

 

 スザクが対抗策まで知っていたのはありがたい。しかし、『今のところ』という事は時間が経てばその限りではないのだろうか。

 

「うむ。それが『ヨルリアン』の二つ目の能力じゃ。『ヨルリアン』は自らの勢力圏を拡大する。今は日の光があるから勢力圏の拡大は緩やかじゃがのう。日が沈めば本来の夜と同化し、急速に勢力圏を拡大するじゃろう」

 

 どうやら『ヨルリアン』は夜にこそ真価を発揮するらしい。

 今はまだ昼間だが、夜になれば急速に勢力圏を拡大し世界中を呑み込んでしまうだろう。

 そうなれば、屋内に避難しても無駄だ。外に出れば無限に湧き出る『ナイトメア』に襲われてしまう。

 しばらくは保つかもしれないが、緩やかに世界全てが“夜”に沈み、世界中全ての人達が『ナイトメア』に眠らされるのだ。

 

「となれば……」

 

 ドクター遠坂は腕時計を見る。時刻は正午を回ったくらいだ。

 夏で日も長いのは不幸中の幸いだろう。

 

「ここから六~七時間が勝負という事ですな」

「うむ」

 

 ドクター遠坂の確認にスザクはやはり鷹揚に頷いてみせた。

 どうやら、これは本当に世界の危機らしい。

 何せ、今日の日没と同時に『ヨルリアン』は急速に勢力圏を拡大し、一日が過ぎた頃には世界中が“夜”に支配されてしまう。

 それは当然阻止しなくてはならない。

 

―バサァ!

 

 ドクター遠坂は白衣を翻すとバッと腕を伸ばし職員達に指示を出す。

 

「U-Mya-Systemから避難情報を発信。屋内へ避難し電灯をつけるよう指示するんだ!」

「所長……どういった理由で避難情報を発信すれば……」

 

 セルリアンの事はまだ秘密になっている。

 セルリアンが現れたから避難しろと言ったところで誰も何の事を言っているかわからない。所員の戸惑いももっともだ。

 

「光化学スモッグでも何でもいい!」

「そんな無茶な……」

 

 この世界では環境への配慮は当たり前なので、光化学スモッグなんて発生した事はない。

 科学者であるサンドスター研究所の職員でも発生の仕方くらいは知っているが、実際に発生したところを見た事などないのだ。

 それを理由に避難指示したところで誰も従ってくれそうにない。

 

「それだったら……」

 

 カコ博士が挙手する。

 

「色鳥駅付近でサンドスター化合物の流出事故が発生。サンドスター化合物は電灯の明かりである程度分解されるから屋内で電灯を点けて避難するよう説明するのはどうですか?」

 

 なるほど、辻褄は合っている。

 サンドスター化合物って何だとか、なんでそれが色鳥駅付近で流出したのかとかツッコミどころがないではないが、急場凌ぎのカバーストーリーとしては十分だろう。

 特にこの場合は事実かどうかよりも説得力があるかどうかの方が重要なのだ。

 しかし、それで問題が終わるわけではない。

 

「避難指示はいいとして、『ヨルリアン』をどうにかしないと、明日の今頃は世界が滅んでるわけですが……」

 

 続くカコ博士の言葉に所員達も頷く。

 対処よりも元凶を何とかする方が問題だ。

 

「また子供達に頼る事になりますが……」

 

 カコ博士の言うように助けを求めるべきだ。

 クロスハート、クロスシンフォニー、クロスジュエルチームの皆に。

 セルリアン達が現れる度に彼女達ヒーローに頼ってきた事に大人として思うところはある。

 けれど、この未曾有の危機に対抗できるのは彼女達だけだ。頼らざるを得ない。

 

「それなんだけどね……」

 

 先程までの毅然とした様子から一転、ドクター遠坂の歯切れが悪くなる。

 そして、ポツリポツリと語った。

 クロスハートこと、ともえに現在大問題が発生している事を。

 それを聞いた所員達の反応は全員が同じだった。

 

「「「「「「「「今すぐともえちゃんところ行けぇええええええええ!?!?」」」」」」

 

 もう全員非難轟々だった。

 カコ博士もスザクまでもが加わっている。

 

「っていうか仕事してる場合じゃないでしょう!?」

「仕事忙しいのはわかりますがそれどころじゃないじゃないですか!?」

「いや、所長に仕事させまくってる俺らも同罪なんですけどね!?」

 

 むしろ所員達の方が大慌てだ。

 ドクター遠坂は先程ラモリさんから大体の経緯を通信で聞いていたので、逆に落ち着いていた。

 ともえの携帯電話は不通。距離的にも今から駆けつけたとして何も出来ないだろう。

 それに春香も萌絵もイエイヌもいるのだ。

 

「だったら、私はここで自分に出来る事をするべきだと思うんだ。春香さんと萌絵とイエイヌちゃん……そしてともえを信じてね」

 

 そこには父親の顔をしたドクター遠坂がいた。

 一番取り乱して然るべき彼がこうしているのだ。ならば所員達も覚悟を決めるしかない。

 

「所長、既にクロスシンフォニーとクロスラピスとクロスラズリの三人は現場へ向かっているそうです」

「市民への避難指示情報発信しました。現在、各省庁と部署にも協力を依頼しています」

 

 所員達も己が出来る事に全力を尽くしはじめた。

 正直、今出来る事は多くはない。

 それでも子供達に頼らなくてはいけない以上、彼らに出来る事は全てやるしかない。

 ドクター遠坂は大型モニターに映される状況に目をやる。

 

「ところでスザクさん……」

「なんじゃ? ドクターよ」

 

 ドクター遠坂は腕組みの姿勢のまま、ギ、ギ、ギ、と顔だけを横のスザクへ向ける。

 

「ほ、本当にともえは大丈夫でしょうかああああぁ……」

 

 先程までの毅然とした表情から一転、泣きそうな表情になっていた。

 

「(我がわかるわけなかろうが……)」

 

 今できる事はないと覚悟を決めたところで心配なものは心配なのだ。

 気持ちはわからないでもないが、スザクは呆れ半分である。

 

「ええい! なるようにしかならん! 男らしく腹をくくってさっきのようにデンと構えておれ!」

 

 スザクの叱責に苦笑する所員達一同であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 “夜”の闇が広がりつつある街に萌絵とイエイヌとラモリさんは降り立っていた。

 ちなみに、ともえの携帯電話は青龍神社に続く長い階段に落ちているのを見つけており、連絡をつける方法はなさそうだ。

 

「となると、やっぱり頼りはイエイヌちゃんの鼻だよね」

「はい! お任せ下さい!」

 

 ちなみに、今の体勢はイエイヌが萌絵をお姫様抱っこ状態で抱えて、萌絵がさらにラモリさんを抱えるという構図だ。

 のんびりしていられない状況なので、最も速く移動できる手段を取ったのに、ともえには追いつけていない。

 青龍神社を出たのは確かなようだけれど、一体どこにいったのか。

 なんのアテもない今、頼りはイエイヌの鼻のみである。

 

「(それにしたって、ともえちゃんの匂いは随分遠くまで行っているような……)」

 

 まだまだともえは遠くにいるように思える。

 出来れば早く追いつきたい。

 ともえがヒトのフレンズであると知った時の表情を思い出すとそれだけでイエイヌの胸も締め付けられるようだ。

 

「萌絵お姉ちゃん、ちょっと急ぎます。しっかり掴まってて下さいね」

 

 言われた通り、萌絵は片腕にラモリさんを抱え逆の腕をしっかりとイエイヌの首に回した。

 イエイヌにとっては萌絵を抱えて走るくらい何てことはない。

 ともえの匂いを辿ってひた走る。

 お姫様抱っこ状態で街中を爆走しているというのに、今はそれ程目立っていない。

 というのも、それよりも大きな変化があるからだ。

 色鳥駅がある空の方角が真っ暗な暗雲に覆われているからだ。まるで夜にでもなってしまったかのような真っ黒い闇がそこにあった。

 人々は誰もがその異変の方に気を取られていたのだ。

 と、萌絵の持つ携帯電話がアラート音を発する。

 周囲の人々が持つ携帯電話からも同様のアラート音がしているところを見るに一斉配信されたものだろう。

 画面を見ると、そこには避難情報が配信されていた。

 曰く『色鳥駅付近でサンドスター化合物の流出事故が発生。影響は広範囲に渡る可能性がある為市民は屋内に避難して下さい。また、流出したサンドスター化合物は電灯などの明かりである程度分解される為、屋内では電灯を点けて下さい』

 と、そのように配信されている。

 市の広報車や防災無線でまでも同様の事が言われていた。

 人々は怪訝な顔をしながらも、剣呑な雰囲気を感じ取り屋内への避難を開始する。

 そんな中を駆け抜けるイエイヌはふと気が付いた。

 ともえではないがよく知った匂いがする事に。

 

「あ、あれ……? マセルカさん……?」

 

 それはマセルカの匂いだった。

 どうにも気になってそちらを見てみれば、足をふらつかせながらも何かを探して走っているマセルカの姿を見つけた。

 

「ど、どうしたの!? マセルカちゃん!?」

 

 だいぶ長い時間走って汗だくだったマセルカの姿を見て萌絵も思わず声をあげる。

 その声でマセルカも萌絵達に気が付き、ふらつく足で近づいて来た。 

 

「よ、よかったぁ……。ともえに連絡つかなくて……。かばんとサーバルは電話で報せたんだけど、ともえの電話通じないの」

 

 荒い息を吐きながらマセルカは言う。一体何があったのだろう?

 

「あのね……大変なの」

 

 マセルカはかいつまんで事情を説明した。

 セルゲンブが来た事。オオセルザンコウが『ヨルリアン』になろうとしている事。セルシコウが一人で残った事。それにハクトウワシとエゾオオカミがセルゲンブと戦っているだろう事を。

 どうやら、クロスラピスとクロスラズリの二人も既に色鳥駅へ向かっているらしいし、クロスシンフォニーも同様だ。

 マセルカは助けを求め、ともえを探してアテもなく走っていたらしい。

 

「今のマセルカに出来るのはこれくらいだから……」

 

 しかし、肝心のともえはといえば、今ここにはいない。

 そして変身できるかどうかすらわからない。

 イエイヌがそれをマセルカに告げるかどうか迷っていると、色鳥駅方面の空にさらに変化があった。

 

―ドォン!

 

 まるで何かが爆発したような音とともに、先ほどまで黒煙が立ち上る程度だったものが、真っ黒な柱のような何かが天へと伸びていた。

 それに伴って、空を覆う闇が先程までよりも急速に拡大している。

 

「お、オオセルザンコウが『ヨルリアン』になっちゃったんだ……」

 

 マセルカの顔色は真っ青になっていた。ガクリと膝をついて肩で大きく息をする。ここまで必死で走ってもう一歩だって動けそうにない。

 心配そうにするイエイヌ達にマセルカは縋った。

 

「マセルカの事はいいから! ちょっと休んだらよくなるから! だからお願い! オオセルザンコウ達を助けて!」

「だったらマセルカの事は俺が診ておこウ」

 

 ラモリさんが萌絵の腕から飛び出すと、尻尾の代わりに搭載された特殊アームを使ってマセルカを道の脇に寄せる。

 マセルカの方はラモリさんに任せて大丈夫そうだけれど、次はどうする、とイエイヌは自問する。

 ともえの匂いは近い。

 けれど、色鳥駅方面の状況だって相当悪いように思える。

 

「萌絵お姉ちゃん……。ともえちゃんの匂いはあっちの方からします」

 

 イエイヌが指さした方向を見て萌絵も気が付く。

 そちらには公園があった。

 イエイヌと初めて出会い、初めてセルリアンと戦ったあの公園だ。

 ともえはそこにいる。その確証が萌絵にはあった。

 その表情を見て取ったイエイヌは萌絵に訊ねる。

 

「萌絵お姉ちゃん。ともえちゃんの事はお任せしてもかまいませんか?」

 

 ともえの事も『ヨルリアン』の事もどちらも危急だ。

 既にクロスシンフォニーもクロスレインボーもクロスラピスとクロスラズリだって行っているが、想像以上の状況に手が足りない。

 ならば手分けするしかない。

 萌絵はイエイヌに強く頷いて見せた。

 

「じゃあ、ラモリさん。萌絵お姉ちゃんとマセルカさんの事、お願いしますね」

「オウ。マカセロ」

 

 ラモリさんの力強い返事にイエイヌもまた頷きを返すと、首元のチョーカーに触れて叫ぶ。

 

「変身!」

 

 イエイヌはナイトチェンジャーによって金属製の胸当て、手甲、レッグガードと目元を隠すミラーシェードを装着したクロスナイトへと変身する。

 

「それに……」

 

 それに、何だろう?と萌絵は首を傾げる。

 

「いえ、やっぱり何でもありません」

 

 こんな時だというのに、クロスナイトは小さな微笑を見せていた。

 彼女がこんな風に言葉を引っ込めるのは珍しい気がして萌絵はまたも小首を傾げた。

 

「ともえちゃんに伝えておいてください。先に行っています、って」

 

 クロスナイトは信じているのだ。

 ともえは必ず来る、と。

 それだけを伝えると、クロスナイトは異変広がる色鳥駅の方へ走り始めた。

 それを見送ると……。

 

―パンパン!

 

 両手で自分のほっぺたを叩いて気合を入れてから萌絵は公園へ向き直る。

 

「ともえちゃん……! 今行くから!」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥駅に併設された商業ビル。

 そこには突如として巨大な霊亀が現れていた。

 それはセルゲンブが変化した姿である。

 ビル内をところ狭しと暴れまわるセルゲンブ。

 

「ええ加減に止まれぇえええ!」

 

 巨大霊亀の突進を真正面から受け止めるのはアムールトラの変身したクロスラズリだ。

 両腕で受け止めはするものの、床に足をめり込ませ床材を砕きながら大きく後退りさせられる。

 吹き飛ばされなかっただけ大したものだ。

 そうしてクロスラズリがセルゲンブを押しとどめている間にルリの変身したクロスラピスはビル内を縦横無尽に駆け回る。

 片方の三つ編みを伸ばしてビル内の壁や天井を掴み移動しつつ、周囲で眠りこけている人々をもう片方の三つ編みで回収してまわる。

 

「ユキさん、あとはお願いね!」

 

 そうして、回収した人達は外に待機しているユキヒョウへ預けて再びビル内へ舞い戻る。

 クロスアイズに遅れて到着した三人は巨大霊亀と化したセルゲンブに対し、まずはビル内で眠っている人々を避難させる事にした。

 現場に到着した救急車にクロスラピスが回収した人々が次々に収容されて運ばれていく。

 では先に戦っていたはずのクロスアイズとハクトウワシはどうなったのか。

 二人はグルメキャッスル出店予定だったテナントの跡地にいた。

 

「エゾオオカミ! ハクトウワシ! 二人ともしっかりして下さい!」

 

 すっかり壁が崩壊してテナントの体をなしていない中、セルシコウが二人をゆすっていた。

 セルシコウを閉じ込めていた『絶対氷牢』もテナントの壁を壊した爆発の際に一緒に崩れていた。

 それ程の威力がある爆発だったというのに、エゾオオカミとハクトウワシの二人は息がある。

 ハクトウワシの方は庇われたおかげで怪我はあるものの、気を失っているだけだ。

 エゾオオカミの方が問題だ。

 彼女は変身も解除されて身体中そこかしこに霜焼けが出来ていた。

 寒そうに震えてはいるものの、エゾオオカミは意識もある。

 その程度で済んだ事には理由があった。

 

「まさかお前に助けられるとはな……。悪い」

 

 エゾオオカミは首を動かすのも一苦労だというのに、ある方へ視線を向ける。

 そこには四人目がいた。

 

「いいや。エゾオオカミこそセルシコウとハクトウワシを守ってくれて感謝している」

 

 それはオオセルザンコウだ。

 いや、正確には少し違う。

 普段はスクールベストに鱗を模した多段フリルのスカートという服装なのだが、今の彼女は大きなV字で胸元の開いたナイトドレスを身に纏っていた。

 夜闇の色をしたナイトドレスはスカート部分は前側だけが膝丈になっていて、後ろ側は足元までありストッキングに包まれた脚線美が目を引く。闇色と大胆に露出された白い肌のコントラストが艶めかしいデザインとなっていた。

 

「それよりも、セルシコウ。エゾオオカミとハクトウワシを連れて逃げるんだ。出来るだけ遠くに」

 

 目の前のオオセルザンコウはオオセルザンコウであってオオセルザンコウではない。『ヨルリアン』だ。

 セルゲンブが真の姿を解放し爆発を起こした瞬間に第一段階の孵化を果たし、三人を守ってくれた。

 けれども……。

 

「私はこの世界の“輝き”を全て喰らいつくさねばならない。だからお前達は逃げてくれ」

 

 どうやらオオセルザンコウこと『ヨルリアン』はセルゲンブに従うつもりらしい。

 

「なんでだよ」

 

 エゾオオカミは寒さに震える声で、しかしキッパリと言い切る。

 

「アイツはお前を裏切ったんだぞ。なんでそんなヤツに従うんだよ」

「そうだな……。セルゲンブ様は私を捨て駒にするつもりだ。それはわかっている」

 

 『ヨルリアン』という強力なセルメダルを使わされたオオセルザンコウはタダでは済まない。

 それにもかかわらず、セルゲンブは『ヨルリアン』を使ってこの世界の“輝き”を総て女王となり、オオセルザンコウ達の故郷を取り戻すつもりなのだ。

 セルゲンブにとってはオオセルザンコウのみならず、この世界の人々も捨て駒である。

 だったらどうしてそんなやつに付き従うというのか。

 その答えをオオセルザンコウは口にした。

 

「私は眷属だからな。セルゲンブ様の」

 

 眷属とその主。

 その関係はそれ程までに重要なものなのか。

 それは彼女達にしかわからない事だ。

 

「それにな……。私まで離れたらセルゲンブ様は本当に一人きりになってしまうだろう。それはイヤなんだ」

 

 故郷の世界、そこを支配する女王を裏切った以上、セルゲンブに帰るべき場所などない。

 もちろんこの世界だって同様だ。

 それでも故郷を取り戻す為、全てを賭けて勝負に出たセルゲンブを憎む事はオオセルザンコウには出来なかった。

 

「そういう事だ。だから三人は逃げてくれ。出来ればマセルカ達も連れてな」

 

 オオセルザンコウの意識は、今も少しずつ『ヨルリアン』へと置き換わっている。

 夕暮れに闇が迫るように、オオセルザンコウの意識は暗闇に少しずつ侵食されている。

 出来れば、少しでもオオセルザンコウ自身の意識が残っているうちに皆には遠くへ逃げて欲しい。

 

「逃げるったって何処にだよ」

 

 エゾオオカミに返す言葉をオオセルザンコウは思いつかなかった。

 この世界は夜に沈む。

 どこにいたって一緒だ。

 

「それにここは案外暖かくて居心地がいいんだ」

 

 冗談めかして言うエゾオオカミはセルシコウに膝枕された状態だった。

 防御に優れたセルゲンブに二人掛かりとはいえ一撃を入れる事は偉業と言っていい。

 それだけの快挙を成し遂げたのだ。最期を望む形で迎える事くらい許されていいだろう。

 そう思っているオオセルザンコウにエゾオオカミはニヤリとしてみせた。

 

「あとな。俺は諦めてなんかいねえぜ。この世界にはまだヒーロー達がいる。俺なんかとは比べ物にならない本物のヒーロー達がな」

 

 オオセルザンコウだって知っている。

 外で戦っているクロスラピスにクロスラズリ。クロスシンフォニーにクロスレインボー。そしてクロスハートがいる事を。

 

「でも、エゾオオカミとハクトウワシ……、いえ、クロスアイズもカッコよかったですよ」

 

 セルシコウにとっては例え本人が卑下したとしても、意地を通してセルゲンブに一撃を入れてみせた二人だ。

 とてもかっこよかった。

 それこそ、クロスハート達に負けず劣らず。

 

「セルシコウにそう言って貰えるなら意地を張った甲斐もあるってもんだぜ」

 

 最初は歯牙にもかけてもらえなかったセルシコウにそこまで言って貰えるならそれだけでもセルゲンブに立ち向かった甲斐がある。

 けれど、セルシコウの言う『かっこいい』は少しばかり違う意味を含んでもいた。

 

「まったく。そういうところですよ、エゾオオオカミ」

「だからどういうところだよ」

 

 この場合の『そういうところ』はそうしたセルシコウの気持ちに気づかない辺りを指すわけだが、やはりエゾオオカミにはわからなかった。

 そんな二人はきっとここを動くつもりはないのだろう。

 オオセルザンコウは苦笑すると踵を返した。

 

「そうだな。ならば存分に抗うといい」

 

 そしてセルシコウ達を置いて屋上へと足を向けた。

 セルゲンブがビル内で暴れた結果、そこかしこにひび割れなどが見える。もしかしたらこのままビルが崩壊するかもしれない。

 けれども、『ヨルリアン』となったオオセルザンコウはその程度ならどうという事はない。

 空の見える位置、そして出来るだけ空に近い場所に陣取ればそれだけで“夜”の広がる速度は上がるのだ。

 オオセルザンコウは屋上へ続く鍵の掛かった鉄扉を吹き飛ばすと外へ出る。

 

「世界よ。夜へ沈め」

 

 屋上でオオセルザンコウは両手を広げた。

 すると、ナイトドレスの腰に付けられた飾りリボンが空へと向けて端を伸ばす。

 それは空中で闇色の帯となり、天へと突き刺さる。

 そしてぐんぐんと太くなり闇色の柱が天に向かって立ち上るようになった。

 

「さあ! 来るがいい! お前達が本当のヒーローだというなら私達を倒して世界を救ってみせろ!」

 

 そうなって欲しいと願う気持ちが半分。

 セルゲンブに敵うはずがないという想いが半分。

 故郷が取り戻されて欲しいという気持ちが半分。

 けれど、この世界に住むお人よし達も無事でいて欲しいという想いも半分。

 ぐちゃぐちゃな気持ちは、どこまでがオオセルザンコウのもので、どこからが『ヨルリアン』のものなのか最早わからなかった。

 

 

―⑤へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話『クロスハートがいない夜』⑤

ナベワタ様よりステキなイラストを頂きました。

https://twitter.com/nabewata1120/status/1360930409177964544?s=20

ともえちゃんと春香さんにモフられわしゃわしゃされちゃうイエイヌちゃんです!
まだこちらに来たばかりの頃でしょうか。まだわしゃわしゃされ慣れてないイエイヌちゃんですが、これからは萌絵お姉ちゃんも含めて無茶苦茶わしゃられまくる毎日ですよ…!
URLより見られますので是非ご覧下さいませ!
ステキなイラストをありがとうございます!


 

 色鳥駅では未だ激戦が続いていた。

 

「クロスラズリ! これで大体避難は終わったよ!」

「よっしゃ! ここからようやく反撃開始やな!」

 

 暴れまわる巨大霊亀と化したセルゲンブをクロスラズリが食い止めている間にクロスラピスが人々を回収し避難させる。

 その作戦はどうにか上手くいって、殆どの人は避難を終えた。

 あとはセルシコウとハクトウワシとエゾオオカミの三人だが、彼女達は動いてくれそうもなかった。

 まあ、彼女達なら自分で何とかするだろう。

 何はともあれ、これでようやく決戦の舞台は整ったと言えそうだ。

 

「それにしても……」

 

 クロスラピスは周囲を見渡す。

 辺りの惨状は目を覆いたくなるようなものだ。

 床材は割れ、壁も凹みや穴がひび割れ、果ては穴が空いている箇所だって少なくない。

 どうにか、ビル内で眠りこけていた人々に被害が出なかったのが奇跡のようだ。

 これ以上セルゲンブを暴れさせるわけにはいかない。

 クロスラピスとクロスラズリは改めて巨大霊亀と化したセルゲンブと相対する。

 

「それで、ここからどないする……?」

 

 クロスラズリは隣に並び立つクロスラピスに問い掛ける。

 セルゲンブを食い止める為に戦っている間に散発的な攻撃を仕掛けてはみたクロスラズリであったが、彼女のパワーを以てしてもその防御は頑として崩せなかったのだ。

 

「あの亀の額のところ。あそこに『石』があるから、あれさえ砕ければスザクさんと同じようになると思うんだけど……」

 

 セルスザクはかつてクロスシンフォニーと戦い、その『石』を砕かれた事でセルリアンフレンズからフレンズへと戻った。

 ならば、やはりセルゲンブも同じだろう。

 問題は堅牢な防御をいかにして掻い潜り、『石』を砕くのかという事だ。

 

「見た目通り、亀だからいざとなったら首を引っ込める事だって出来るよね」

「うへぇ……。そないなったら、あの甲羅を砕くなんて絶対無理やで……」

 

 防御に優れるセルゲンブ。その霊亀の甲羅を砕く事はたとえ力自慢であるクロスラズリと言えども不可能と思えた。

 

「それやったら、何とか隙を作ってアレを叩き込むしかないんちゃう?」

「そうだね」

 

 アレとはクロスラピスとクロスラズリの必殺武器、『ジュエル・クロス・バイス』の事だ。

 一回使ったら再度充填しないといけないけれど、機械仕掛けの万力でどんな防御も砕ける。

 しかも、オイルのセルリアンであるイリアのオイルを使用しているから“けものプラズム”で出来た武器でもないのにセルリアンにだって通用するのだ。

 

「出来ればもう少し頭数は欲しいんやけどな……」

 

 気を引く囮役もクロスラズリ一人では心許ない。

 だが、きっとこの事態には他のヒーロー達だって駆けつけてくれるはずだ。

 『ジュエル・クロス・バイス』は一度しか使えないのだから確実を期するべきだろう。

 

「せやけど、悪い。ウチの体力が保つかどうか……」

 

 先程までたった一人でセルゲンブの猛攻を食い止めていたクロスラズリは既に相当疲れが溜まっていた。

 怪我の功名と言うべきか、セルゲンブが暴れてくれたおかげで取り巻きセルリアンを生み出す闇色の煙はビル内から一掃されていた。

 これなら取り巻き『ヨルリアン』の取り巻きである『ナイトメア』が現れる心配もない。

 

「じゃあさ、こうしよう」

 

 クロスラピスはピッと指を一本立てる。

 

「私がアイツを引き付けて時間を稼ぐよ。だからその間、クロスラズリは隠れて身体を休めて」

 

 クロスラピスは他の誰よりも小回りのよい機動力を誇る。

 囮役を引き受けるのならうってつけだ。

 

「それやったら、隠れつつチャンスがあったら攻撃仕掛けたる。ウチ、そういうのは得意やからな」

 

 以前のクロスラズリ……いや、アムールトラだったらルリを危険に晒す作戦なんて絶対に受け入れなかっただろう。

 けれど、クロスラズリにとって、クロスラピスはパートナーだ。

 この危険な役割だってきっとこなしてくれる。

 

「頼んだで。相棒」

「任せてよ。相棒」

 

 二人は軽く拳をコツンと合わせてニヤリとして見せる。

 クロスラピスとクロスラズリは二人合わせてクロスジュエルなのだ。

 

『さて。小賢しい策は練り終わったか?』

 

 セルゲンブはフシュウゥウ、と霊亀の口から凍った息を吐きつつ訊ねる。

 

「もちろん!」

「待たせてもうたなぁ!」

 

 言いつつクロスラピスとクロスラズリはバッ!と二人同時に散開する。

 クロスラピスは三つ編みを使って天井を掴みつつ、得意の空中機動でセルゲンブの鼻先をかすめて飛ぶ。

 その間にクロスラズリはいずこかへ姿を隠してしまった。崩れたガレキの影か、それとも壁に開いた穴の中か。はたまた崩れそうな天井に潜む事だって出来るかもしれない。

 

『(これは遅滞戦術というものか)』

 

 セルゲンブは二人の意図を読んでいた。

 彼女の勝利条件は『ヨルリアン』が完全に孵化してこの世界の“輝き”を全て手中に納める事だ。

 既に、『ヨルリアン』は覚醒の第一段階を迎えている。

 このまま放っておくだけでこの世界は“夜”に沈む。

 クロスジュエルの二人が時間稼ぎをしたところでセルゲンブに利するだけだ。

 だが、先に戦ったクロスアイズの事もある。油断など以ての外だ。

 ならば、クロスジュエルの二人が時間稼ぎをする目的は……。

 

『(そうか……!)』

 

 あちらも時間を稼げば状況を好転させるアテがあるという事だ。

 それはつまり、セルスザクを倒したクロスシンフォニーやさらに別世界から現れたヒトのフレンズであるクロスレインボー、それに何故かもう一人いるヒトのフレンズ、クロスハートが現れるのではないか。

 

『なるほど! 合流されれば厄介極まりないのう!』

 

 今でも鼻先を掠めて飛び去るクロスラピスと物陰から隙を伺うクロスラズリの連携に手を焼いている。

 これがさらに増えるのなら、鬱陶しい事この上ない。

 だが。

 

『悪手じゃ』

 

 セルゲンブは尾となっている蛇をしならせると鞭のようにクロスラピスを追いかけさせる。

 巨大霊亀と違って俊敏な動きを見せる蛇に、クロスラピスは目算を外された。

 自身の三つ編みを蛇にぶつけて相殺を図るも威力を消しきれない!

 

―ガッ!

 

 と鈍い音がしてクロスラピスが弾かれる。

 

「ルリッ!」

 

 物陰に隠れたクロスラズリが思わず飛び出して、弾かれた彼女の身体を受け止める。

 が、勢いに押されて窓へと飛ばされ、そこから外まで弾き出される事になった。

 

「ちっ……!大丈夫か、ルリ」

「うん。ガードは間に合ってるから何とか」

 

 二人ともどうにか立ち上がる事に成功していた。多少のダメージはあるものの、まだまだ戦える。

 そこに壁を破って巨大霊亀が追って来た。

 

『時間を稼いで援軍を待つという算段自体は悪くない。しかし、こちらから見ればそれは戦力の逐次投入というものじゃ』

 

 余裕を見せて二人を睥睨するセルゲンブ。

 

『お主らは、クロスアイズとやらを捨て石に、クロスシンフォニー達と合流して我に挑むべきだったのじゃ』

 

 そう。

 最初から合流して戦いに来ていればよかったのだ。

 もっともその場合、駅ビルに残された人々がどうなっていたかはわからないが。

 状況の主導権は未だにセルゲンブのものだ。

 

『それにのう。見るがいい』

 

 セルゲンブは霊亀の顎をしゃくって周囲を示して見せた。

 クロスラピスもクロスラズリもあらためて周囲を見て、そして異変に気が付いた。

 

「「な……」」

 

 まず、外がすっかり夜になっている。

 街灯が点灯しているものの、ジジッと音をたてて明滅し、何とも心許ない。

 周囲にいたはずの人達もいつの間にかいなくなっている。

 ユキヒョウも含めてどこかに避難していてくれればいいが……。

 それに、いつもは車でごった返している駅前ロータリーもタクシープールも無人の車しかいないし、沢山の人がいるはずのバスターミナルにも人っ子一人いない。

 さらに極めつけは駅前の人々に取って代わったかのようにひしめく『ナイトメア』の群れだ。

 それらはジリジリと包囲を狭めるようにしてクロスラピスとクロスラズリの二人へ迫ってくる。

 

『諦めよ。異世界の戦士達よ』

 

 セルゲンブに加えて『ナイトメア』の相手までしなくてはならないとなれば、先ほどまでの数的優位も逆転だ。

 明らかな劣勢。戦況の天秤は明らかにセルゲンブへと傾いていた。

 しかし、それでもクロスラピスとクロスラズリは不敵に笑う。

 

「ハッ! ウチらが諦める事なんてあるわけないやろうが!」

「そうだよ。私達が諦めるのを諦めるんだね!」

 

 クロスラズリとクロスラピス、いや、アムールトラとルリの二人だって最後まで諦めなかった人達によって救われたのだ。

 だから、状況が絶望的だろうと敵の数が多かろが強大だろうが、諦める理由なんてない。

 

『そうか。その意気やよし』

 

 目の前の二人はセルゲンブにとって未熟もいいところだ。

 けれども、先だって未熟な戦士によってしてやられたのだ。もう油断はしない。

 

『我が全力で滅してやろう。せめて名乗るがいい、異世界の戦士達よ』

 

 クロスラピスとクロスラズリの二人はお互いに顔を見合わせると頷き合う。

 ここは己を鼓舞する為にも久しぶりにやらせてもらおう。

 まずは、クロスラピスがバサァ! とケープを翻す。

 

「我ら今は半輝石!」

 

 続けてバサァ! とクロスラズリが同じようにケープを翻す。

 

「けれど、いつか奇跡を起こし輝石になろう!」

「クロスラピス」

「クロスラズリ」

「「二人合わせて……」」

 

 そして二人は左右対称になる決めポーズを決めると高らかに宣言した。

 

「「クロスジュエル!」」

 

―パッカァアアアアアン!

 

 二人の名乗りと同時、周囲を取り囲んだ『ナイトメア』達が吹き飛んだ!

 

『「「へ?」」』

 

 名乗りにそんな効果があるはずがない。

 思わずセルゲンブは間の抜けた声を出してしまったが、なんと名乗ったはずのクロスジュエルの二人まで同じ反応だった。

 一体どういう事だ、とセルゲンブは周囲を見渡す。

 あれだけいたこの辺り一帯の『ナイトメア』は一体残らず消し飛んでいる。こんな事が出来るのは……。

 

「お待たせしました」

 

 それは、大きく立った耳に白いブラウス。ヒョウ柄のスカートに同じ柄のアームグローブにニーソックスのフレンズがいた。

 

『来たか……!クロスシンフォニー……!』

 

 セルゲンブだってよく知っている。

 彼女こそがセルスザクを倒した最も警戒すべき仇敵、クロスシンフォニーである。

 

「ちょっとちょっと。私もいるんですけど? いくら四神とはいえ無視は酷いんじゃない?」

 

 さらにもう一人。

 オレンジ色を基調とした忍者装束に身を包み、先端だけが黒い狐耳と狐尻尾を持ったフレンズ、クロスレインボーまで一緒だった。

 彼女の周囲には渦巻く木の葉が舞っていた。

 

「忍法、『木の葉手裏剣』ってね」

 

 それらはクロスレインボーの号令一下、空から落ちてこようとしていた『ナイトメア』達へ殺到すると次々に吹き散らしていく。

 先に『ナイトメア』達を砕いたのもこの技だ。

 

「せめて、ともえちゃんがゆっくり悩む時間くらいは稼がせてもらうんだから! 覚悟しなさい、セルゲンブ!」

 

 ビシリ、とクロスレインボーはセルゲンブへ指を突きつける。

 そうしてから、不味い事に気が付いてしまった。その姿勢のままで油が切れたロボットのようにクロスシンフォニーの方へ顔を向ける。

 

「あ、あのー……。ち、ちなみにかばんちゃんは、ヒトのフレンズの事はー……」

 

 もしもかばんまで自身がヒトのフレンズであると知らなかったなら、色々とまずい。

 しかし、クロスシンフォニーは事もなさげにあっさりと言った。

 

「あ、はい。ボクはヒトのフレンズですよ。菜々さんもそうですよね?」

「って事はともえちゃんの事も……?」

「ええと……。知ってはいましたけれど、春香さんにお願いされて内緒にしてました」

 

 そんな告白にクロスレインボーは何と反応していいやら複雑な表情を浮かべた。

 

「と、とりあえず全部終わったら後でともえちゃんに謝るよ! 巻き込んじゃうからね!」

 

 クロスレインボーとしては後でともえに謝る人が増えて心強くはある。

 怒られるにしても一人より二人、二人よりは三人だ。

 

「あー……。な、なるほど……。ともえさんがまだ来てないのはそういう……」

 

 クロスシンフォニーはクロスレインボーの反応だけでともえに何が起こっているのかを察した。

 なるほど、これは後で自分も謝るべきだろう。

 だが、その為にもセルゲンブはここで倒さなくてはならない。

 

「時間を稼ぐのはいいですが……。別に倒してしまっても構わないでしょう?」

 

 いつかともえと一緒に真似した漫画のセリフだ。

 この場面でなら相応しいだろう。

 

『くっくっく……。我を倒すと来たか……。この我、セルゲンブに傷を付けた者すらここ一世紀以上はおらぬわ!』

 

 セルゲンブが霊亀と化した状態はまさに堅牢無比だ。真の姿を晒した以上、如何な攻撃だろうが防ぎきる自信がある。

 この状態を突破出来るのは彼女達の女王くらいのものだ。

 

「確かに、生半可な攻撃は通用しそうにないで」

 

 何度か実際に攻撃を仕掛けたクロスラズリも、その頑強さには舌を巻いていた。

 パワーに優れる彼女の攻撃は普通に殴りつけただけでも下手な技を上回る威力を誇る。

 なのに一人ではセルゲンブの防御を突破出来るイメージが湧かないのだ。

 

「だったら、全員で最大火力をぶつける……、それしかないよね」

 

 クロスラピスがクロスラズリを見ている。

 彼女達二人に託された必殺武器は今こそ使い所だ。

 クロスラズリはシルクハットを脱いで、中から機械仕掛けの万力を取り出す。

 それこそが『ジュエル・クロス・バイス』だ。

 クロスラピスはそれを右腕に装着する。

 

「まだまだ仕舞いやないで!」

 

 『ジュエル・クロス・バイス』をクロスラピスに渡したクロスラズリは自身も必殺技の体勢に入る。

 “けものプラズム”を両手に集めて猫科の鋭い爪を形成。

 そして……。

 

「野生……ッ! 解放!」

 

 クロスラズリの瞳に金色の炎が宿ると同時、彼女を中心にゴウと烈風が吹き荒れる。

 ここが勝負処だ。

 クロスシンフォニーとクロスレインボーもお互いに頷き合う。

 

「トリプルシルエットッ!」

 

 クロスシンフォニーは切り札となるトリプルシルエットへと変身。

 その姿はアフリカオオコノハズクとワシミミズクの白と茶色のまだら模様をしたコートを纏って、翼も同じ色をした一回り大きなものになっていた。

 この状態になったクロスシンフォニーは二人のフレンズの力を同時に引き出せる。

 つまり、単純計算で通常シルエットに比べて二倍の出力を誇るわけだ。

 まさに切り札。かつてセルスザクもこのトリプルシルエットで倒したし、セルメダルを使ったマセルカだって一蹴してみせたのだ。

 そして……。

 

「私だって忘れて貰っちゃ困るよ! 転身! チーターモードッ!」

 

 さらにこの場にはクロスレインボーだっているのだ。

 ピンと立った猫科の耳にシュルリと長い猫尻尾。

 そして忍者装束は黄色を基調としたヒョウ柄へと変化していた。

 クロスレインボーのチーターモードはスピードと瞬発力に優れる。

 一撃必殺を狙うならうってつけのモードだ。

 

「私だって切り札がないわけじゃないんだから……!」

 

 そう言うクロスレインボーの瞳に青色の炎が宿る。

 これはクロスラズリと同じく『野生解放』の炎だ。

 クロスレインボーもまた、いざという時には『野生解放』を使えるのだ。

 チーターモードでの『野生解放』は特にサンドスターを大量消費する。

 だが、その分クロスレインボーが現在もつ最大火力を発揮できるモードだ。

 

「超…!瞬閃撃……!」

 

 クロスレインボー履く草鞋の足裏から伸びた爪がガッチリと大地に食い込む。

 さらに両手には鋭い猫科の爪が伸びる。

 先日、商店街に現れたミラーセルリアンの『石』を一撃で砕いた技を放つ体勢に入った。

 ガリリ、と彼女の草鞋から伸びた鉤爪が脚から生み出されるパワー全てを推進力に。

 誰もが視認するのが困難な程、まさに目にも留まらぬ速さでセルゲンブの『石』へ突き進む。

 それに併せて、クロスシンフォニーとクロスラピス、クロスラズリも必殺技を繰り出した。

 

「『インビジブルダイブ!』」 

「『ジュエル! クロス! バイスゥゥウウウ!』」

「ぐるぁああああああああああああああっ!」

 

 先駆けを務めたクロスレインボーがそのままフェイントを入れつつ全員でタイミングを合わせて、それぞれ別角度で『石』を狙う。

 どの技も一撃必殺の威力を秘めている。

 いくら防御力に優れたセルゲンブと言えどいずれを喰らっても『石』を砕かれる事だろう。

 それに絶妙にずらされた多方面からの攻撃を障壁で全て防ぐのも困難だ。

 四人のうちいずれかの技はセルゲンブの『石』を砕ける。その場の誰もがそう思っていた。

 セルゲンブ以外は。

 

『なるほど。これはチェックメイト、と思っても不思議はないのう……普通ならば!』

 

 だが、セルゲンブは吠えた。

 

『絶対矛盾障壁《アキレスと亀》』

 

 と。

 それだけで『石』に触れるか触れないか、ギリギリの隙間でもって全員の攻撃がピタリと止まった。

 まるで時間が停まったかのように『石』の直前で四人の動きは完全に停まってしまっていたのだ。

 

『アキレスは最速。亀は最遅。しかし、アキレスが亀のいる位置に進むまでに亀は僅かにでもアキレスから遠ざかる。アキレスが追いかけて亀のいた位置に進んでも亀はほんの僅かにその先を行く。アキレスは決して亀に追いつけぬ』

 

 それは有名なパラドックスである。

 実際にはアキレスは亀に難なく追いつける。

 けれど、このパラドックスをほんの一瞬だけでも四神セルゲンブの権能を使って真であるとしたなら?

 答えがこれだ。

 変身解除されたクロスシンフォニーとクロスレインボー、それにサンドスター切れとなったクロスラズリ、弾切れになった『ジュエル・クロス・バイス』を抱えたクロスラピスが地に落ちる。

 誰もが何が起こったのかわからない様子だった。

 

『我の防御力に対して、全員の持つ最大火力を一度にぶつけるという作戦はよい。実際、もしも貴様らの攻撃いずれかを受けていたなら我の『石』は砕かれていただろう』

 

 だが、そうはならなかった。

 それどころか、攻撃を仕掛けたはずのクロスシンフォニー達自身がサンドスター切れになってダメージを受けているのはどういう事か。

 

『絶対矛盾障壁の中では、アキレスという攻撃者は我という亀に追いつく為に無限の刻を費やす。それでも攻撃が届く事はないわけじゃがな』

 

 セルゲンブの言に、変身解除されたかばんが、ハッとする。

 

「つ、つまり、ボクらが亀に攻撃出来なくなるまで決して届かない攻撃を繰り出し続けた、という事ですか……!?」

 

 つまり、クロスシンフォニー達はサンドスター切れになって、攻撃できなくなるまで絶対矛盾障壁に囚われていたのだ。

 攻撃が出来なくなって、亀を追う事を諦めたからこそアキレスは絶対矛盾障壁から抜け出せたのだろう。

 それはほんの一瞬とはいえ時間さえも意のままに操ったという事か。

 まさに四神の名に相応しい異能と言える。

 

『ご名答じゃ。もっとも、こんな大技は連発など出来ぬ。お主らが最大火力を一度に繰り出すという選択をしてくれたからこそ一網打尽に出来たというわけよ』

 

 セルゲンブの言に変身解除されたかばんも菜々も悔しさに歯噛みする。

 まんまと敵の策略に乗ってしまった。

 

『もっとも、一人ずつ技を放っておったのなら、それぞれに結界や障壁でいなす事は容易かったであろう』

 

 つまり……。

 

『お主らは、この我、セルゲンブを相手にした時点で詰んでおったのじゃよ」

 

 変身解除されたかばん、菜々、サーバルとそしてサンドスター切れで動けなくなっているクロスラズリを睥睨するセルゲンブ。

 かろうじて、クロスラピスだけはまだ戦えるだろうが、パワーに乏しい彼女ではどう逆立ちしたところでセルゲンブに傷一つつける事はできないだろう。

 そして、こうなった彼女達に止めを刺すのは赤子の手を捻るより簡単だ。

 

『よく戦ったが相手が悪かったのう』

 

 セルゲンブは大きく息を吸い込むと全員に向けて凍える息吹(ブレス)を吹きつけた。

 クロスラピスが前に出て身を挺そうとするが無駄な事だ。

 この吐息は彼女達全員を凍り付かせるのに十分過ぎる。

 が……。

 

「ドッグスロー!」

 

 丸形の盾が飛んで来て、セルゲンブの放った息吹(ブレス)を遮る!

 まだ、ヒーロー達は全員が倒れたわけではない。

 まだこの街を守るヒーローは残っているのだ。

 

『貴様は……』

「どうも。わたし、クロスナイトです」

 

 それは犬耳にふさふさ尻尾。目元をミラーシェードで隠したフレンズだった。

 セルゲンブは思い出す。

 

『(確か、クロスナイト……。正体はただのイエイヌのフレンズだったはず……)』

 

 ヒトのフレンズであるクロスハートやクロスシンフォニー、クロスレインボーとは違ってクロスナイトはただのフレンズだ。

 クロスラズリと違って戦いの得意な大型獣というわけでもない。

 だからそれほどの脅威にはならない。

 

『無駄な事を』

 

 今さら一人で現れたところで何が出来るわけでもあるまい。

 しかし、クロスナイトは“けものプラズム”で作り出したらしい骨型の棍棒と盾を構えると抵抗する意思を見せた。

 

「クロスラピスは皆さんを連れて下がっていて下さい」

 

 クロスナイトは変身解除されて動けないかばん達をクロスラピスに託す。

 

「クロスハートは必ず来ます。それまであなたの相手はわたしですよ、セルゲンブ」

 

 純白の剣、ナイトソードを突きつけるとクロスナイトはキッパリと宣言した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 公園の中も段々と夜の闇が近づいて来ていた。

 遠くの空はすっかり夜へと替わっており、ここももうすぐ夜闇が届くだろう。

 明度センサーを内蔵した自動販売機がジジっと音を立てて照明を点けていた。

 

「アタシ……。何やってるんだろ」

 

 ともえはその近く、遊歩道のベンチに座っていた。

 夢中で走って来たはいいがどこに行ったらいいかもわからずに気が付いたらここに座っていた。

 辺りが夜に染まっていく。

 この異変をともえは夢の中にいるかのようにぼんやりと見ていた。

 異変が起きているのは間違いない。

 けれど、それをどうしていいのかわからない。

 いや。

 自分がそれをどうしたいのか全然わからないのだ。

 この異変を食い止めたいのか、それともこのまま見過ごして世界が夜の闇に呑まれて欲しいのか、それすらわからない。

 わからないから動く事すら出来ずにただここで何も出来ずにいた。

 

「アタシってヒトのフレンズ……なんだよね」

 

 両手を見てもいつもと変わらない。

 けれど、それはそうだ。生まれた時からともえはヒトのフレンズだったのだから。

 むしろ、ヒトとして過ごして来たこの十三年と五ヶ月程の時間が嘘だったのだ。

 なんだかさっきから頭がふわふわとして、全ての事に実感が湧かない。

 

「いっそこのまま全部夜になっちゃったら……」

 

 そうしたら、ともえ自身が望む通りに今まで生きて来たという事にならないだろうか。

 春香や父から事情を聞いてしまったなら。

 もしもそれが望むものではなかったのだとしたら。

 

「それよりはいいかもね……」

 

 ともえは自身の膝を抱き寄せると身を丸めて目を閉じようとした。

 きっと、そうして目を閉じて何も見なければ、真実も何もかも夜に沈む。

 いっその事、それでいいのではないか。

 もしも、もしも本当はともえは家族ではないのだとしたら。萌絵の妹ではないのだとしたら。

 そんな真実よりも今まで生きて来た夢に浸っていたい。

 だが……。

 

「ともえちゃん!」

 

 耳までは閉じられなかった。

 その耳に今、一番聞きくもあり聞きたくない声が届いた。

 それは萌絵の声だ。

 ともえが顔をあげれば、目の前には萌絵がいた。

 きっと自分を探して走り回ったのだろう。その肩が上下している。

 その表情の意味するところがともえにはわからなかった。

 いつもなら何を考えているのか大体わかる姉の考えが全く読めない。

 怒っているようでもあり心配しているようでもあり決意のようでもあり、もしかしたらその全部なのかもしれない。

 

「ともえちゃん。アタシね。どうしてもともえちゃんに伝えたい事があって探したの」

 

 萌絵が言う。

 それがどんなものであるのか。

 ともえには恐怖しかない。

 もしも。もしも一欠けらでも萌絵に存在を否定されたのだとしたら。

 それで自分は粉々に砕ける。そう思えた。

 

「あのね、ともえちゃん」

 

 萌絵はともえを抱きしめた。

 意外な程高い体温がともえを包む。

 それは優しいはずなのに決して離さない、という強さが感じられた。 

 そして、耳元に言葉が囁かれる。

 絶対に届くように。すぐ近くで。

 

「生まれて来てくれてありがとう」

 

 と。

 

「アタシね。ともえちゃんがいてくれたから世界で一番幸せなお姉ちゃんだったよ。だから、生まれて来てくれてありがとう」

 

 それはともえが今一番欲しかった言葉だ。

 

「ともえちゃんがいてくれたから一人じゃなかったよ。幸せだったよ」

 

 萌絵はなおもともえを抱く手に力を入れて続ける。

 

「これからもアタシはともえちゃんのお姉ちゃんだよ。妹を辞めさせてなんてあげないから。ありがとうね。大好きだよ」

 

 それは萌絵の体温と共にともえの心に熱を灯す。

 どうにも熱くて身体から溢れ出しそうな程に。

 

「あ。でも、もしかして、ともえちゃんはアタシの妹じゃイヤだった? でも離さないけど」

 

 そんな萌絵の物言いにとうとうともえの熱は身体から溢れ出した。

 

「ア”タ”シ”もお姉ちゃんの妹じゃなきゃヤだぁあああっ!」

 

 と。

 ヒトのフレンズだったことはぶっちゃけどうでもいい。

 萌絵の妹じゃないかもしれない。

 家族が家族じゃないかもしれない。

 それがイヤだった。

 

「うん。じゃあ、ともえちゃんはアタシの双子の妹。今までもそうだったし、これからもそうだよ」

 

 けれど、萌絵が姉じゃないはずがない。

 遠坂萌絵は遠坂ともえの姉なのだ。

 それを改めて思い知らされたともえは……。

 

「おねえぢゃああああん!」

 

 声を上げて泣く事を止められなかった。

 ヒーローは涙を見せない。

 けれど、ともえはクロスハートである前に萌絵の妹だ。

 お姉ちゃんの前でくらいなら思い切り泣いたって構わない。

 萌絵は妹の涙をただ受け止めながら思う。

 

「(もしかして、イエイヌちゃん……こうなるってわかってた?)」

 

 萌絵は一足先にイエイヌが色鳥駅へ向かう前に何か言葉を引っ込めたのを思い出していた。

 ともえはイエイヌのお姉ちゃんポジションを諦めていない。

 イエイヌがいたらこうして気兼ねなく甘えてくれなかったかもしれない。

 

「(やっぱり、ともえちゃんは末っ子ポジションが安定だと思うなー)」

 

 思いっきり泣きじゃくるともえの髪を優しく撫でつけながら思う萌絵であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ともえと萌絵。

 二人でベンチに並んで座って広がる夜闇の空を見上げる。

 その手はしっかりと繋がれていた。

 

「落ち着いた?」

「うん。ありがとう、お姉ちゃん」

 

 萌絵に応えるともえは、まだ少し涙声だったけれど、それでもいつものともえだった。

 

「ねえ、ともえちゃんはどうしたい?」

 

 広がる夜闇の空を見上げながら、萌絵は訊ねる。

 例えここでともえが何もしたくないと答えても、それを受け入れるつもりだった。

 今までこの世界を守って来たともえだ。

 今日くらい休んだって誰にも文句など言わせない。

 けれど、ともえは答えた。

 

「アタシ……。街を、皆を守りたい」

 

 と。

 今なら言える。

 萌絵を、家族を、友達を、皆を守りたいのだと。

 それが自分のやりたい事なのだと。

 

「うん。わかった。じゃあ、作戦があるよ」

 

 萌絵は満足気に頷くと、ともえに身をよせて耳打ちする。

 その内緒話を聞いたともえは驚きと共に訊ねた。

 

「マジで?」

「マジで」

 

 聞く限りとんでもなく無茶な作戦だが、姉は即答だった。

 

「だって、アタシ達が揃えば大体の事は出来たじゃない」

 

 確かに、子供の頃から二人が揃えば無敵なんだと思えた。

 

「そうだね。それに、今はイエイヌちゃんもいるんだもん。無敵のトリオだよ」

 

 だからともえも言いつつ力強く頷いて見せる。

 無茶に乗った、と。

 二人は繋いだ手を一度解くと、握り拳にして、軽くコツンと合わせる。

 

「じゃあ、行こうか!」

「うん!」

 

 言って二人で立ち上がる。

 と、その時だ。

 

―ドルゥウウウウン!!

 

 大きなエンジン音が響く。

 と、公園内にサイドカー付きバイクが走り込んで来た。

 

「「ジャパリバイク!?」」

 

 それは二人が言う通り、ジャパリバイク改だった。

 それに跨っているのは、いつものメイド服姿な春香だった。

 春香はともえと萌絵の姿を認めると、バイクのスタンドを立てる事すら忘れてともえに飛びついて来た。

 自動運転席に収まっていたラモリさんが慌ててバイクスダントを立てたのとサイドカーが付いていたから転倒は免れたが。

 

「ともえちゃん!」

「お母さん!?」

 

 なんでここに春香が? というのがわからずにともえは目を白黒させて抱き止めた。

 

「ごめんなさい、私のせいで……本当にごめんなさい」

 

 そう言って謝る春香だったが……。

 

「あ、あの。お母さん? アタシは大丈夫だから落ち着いて? ね?」

 

 と逆に心配されてしまいキョトンとしてしまった。

 そして、傍らの萌絵に視線を移す。

 

「あ、ごめんね、お母さん。多分、いいところはアタシが全部持ってったと思う」

 

 悪びれもせずそんな事を言う萌絵に、既に一番の問題は解決した事を春香は悟った。

 せっかく家に置いてあったジャパリバイク改を飛ばして街中駆けまわったというのに。

 途中でラモリさんを拾って公園の中にともえがいると知ってこうして乗り込んで来たのに一足遅かったようだ。

 

「アア、ちなみに、マセルカはちゃんと商店街に運んでおいたから安心シロ」

 

 そう言ってラモリさんは試作型多機能アームの親指を立てて見せた。

 春香に拾われたのはその帰りだったらしい。

 あそこならしばらくの間は大丈夫だろう。

 

「それにしたって……。お母さん。バイクで公園の中に乗り込んじゃダメだと思うな」

 

 そのもっともなともえの指摘にラモリさんが言う。

 

「ともえ……。お前も同じ事をしてただろウ……」

 

 あの時はエゾオオカミとセルシコウをセルリアン退治に誘う為だったが確かに同じ事をしていた。

 夜で無人だったかもしれないが、今だって半分くらいは“夜”で無人だ。

 春香の事は言えないともえである。

 

「血は争えないねえ」

 

 萌絵の言葉に全員がぷっと吹き出してしまった。

 

「そうね。じゃあ……、へーい。そこの私の可愛い娘達。一緒に通りすがりの正義の味方、しに行かない?」

 

 春香はわざわざ芝居がかった調子を作ってまでいつかのクロスハートと同じような事を言うと、親指でジャパリバイクのサイドカーを指し示す。

 それに対する二人の答えは決まっていた。

 

「「行く!」」

 

 春香が駆るジャパリバイク改は萌絵とともえの二人をサイドカーに詰め込んで夜の闇へと突っ込んで行った。

 

 

けものフレンズRクロスハート第24話『クロスハートがいない夜』

―おしまい―




【次回予告】

 夜の闇へ沈む色鳥町。
 そして世界。
 果たしてクロスハートは街を取り戻す事が出来るのか?
 
 次回
 けものフレンズRクロスハート第25話『その名はやっぱりクロスハート』

 土玉満を信じろ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話『その名はやっぱりクロスハート』①

【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 夜に沈み行く色鳥町。
 一人、また一人と倒れていくヒーロー達。
 絶対絶命のピンチを前についに彼女が立ち上がった。
 叫べともえ!
 今こそフレンズの力を借りて変身の時だ!
 世界の命運を賭けた戦いが始まろうとしていた。



 

 

『ちぃ……! 小賢しいのう!』

 

 色鳥駅前。

 今や無人となった駅前では巨大霊亀と化したセルゲンブとクロスナイトが戦っていた。

 クロスシンフォニー、クロスレインボー、クロスラピスにクロスラズリ、この四人を同時に相手どっても勝ちを納めたセルゲンブであったが、しかし意外な事にクロスナイト一人には攻めあぐねていた。

 

「そらぁ、そうやろ。イエイヌ……いや、クロスナイトは強いんや……!」

 

 クロスラピスに連れられて退避していたクロスラズリはニヤリとする。

 クロスナイトがやっている事はとことん基本に忠実だった。

 攻撃をかわし、盾で防ぎ、そして隙を見ては剣で反撃する。

 たったそれだけしかしていない。

 

『おのれぇ!』

 

 業を煮やしたセルゲンブは亀の口から凍える息吹(ブレス)を吹き付ける。

 

「ナイトシールドッ!」

 

 けれど、それはクロスナイトが手にした丸形の盾で阻まれた。

 今の攻撃は大振りの一撃だ。

 反撃のチャンスを見てとったクロスナイトは息吹(ブレス)の一撃を盾で押し込み前へと出る事で死角へと潜り込んだ。

 即ち、霊亀の首元だ。

 ここからなら、ダメージが通りやすそうな首を狙える。

 しかしクロスナイトは敢えてそうしなかった。

 かわりに、巨大な霊亀の脚へと向かうとその一本にナイトソードの一撃を加えた。

 

『ぐぬっ!』

 

 クロスナイトが首を狙って来ると思っていたセルゲンブは脚への一撃に障壁を張る事が出来ない。

 そして、巨体の下に潜り込まれた事でクロスナイトの姿を見失ってすらいた。

 セルゲンブの防御は当然ながら意識を向けていない箇所では弱くなる。

 当てずっぽうで障壁や結界を張って防御する事は出来るが、視界の通らない場所まではカバーしきれないのだ。

 

『それならば!』

 

 セルゲンブは自身の周囲一帯から氷柱を生み出す。

 たちまちのうちに氷の槍が幾つも地面から立ち上がるものの、そこに串刺しとなったクロスナイトはいなかった。

 既に彼女は大きく飛び退って、攻撃範囲から逃れていたのだ。

 先程からずっとこうだ。

 クロスナイトはセルゲンブの攻撃を防ぎ、かわし、そして隙を見て攻撃をしては深追いする事なく逃げる。

 

『(あと一歩を踏み込めば、容赦なくカウンターの餌食としてやるものを……)』

 

 しかし、クロスナイトはセルゲンブの間合いを巧みにかわしていた。

 

「え、ええっと……ねぇ、アムさん? イエイヌさんってあんな強かったの?」

 

 戦いを見守るクロスラピスことルリは思わず訊ねていた。

 四人がかりでも敵わなかった相手だというのに、クロスナイトはたった一人でセルゲンブと互角に戦っているように見える。

 

「まぁ、当たり前と言えば当たり前なんやけどな。イエイヌとウチでは大きく差があるものが一つあるんや」

 

 クロスラズリことアムールトラの解説にルリはやはり小首を傾げる。

 イエイヌとアムールトラはこことは別な世界を故郷としているフレンズだ。

 実力としては大きな違いはないと思っていた。むしろアムールトラの方が大型獣である為、戦いを得意としているように思える。

 けれどイエイヌの方がアムールトラよりも大きく勝っているものが一つあった。

 

「それは経験や」

 

 アムールトラはビースト状態であった頃の事をハッキリとは覚えていない。

 だから、実質戦いの経験というのはこちらの世界に来てからしか積んでいないのだ。

 けれどイエイヌは違う。

 彼女はかつてヒトのいなくなったジャパリパークでヒトが帰るおうちを守る為にセルリアンとも戦って来たし、こちらの世界へ来た後も沢山のセルリアンと戦って来た。

 戦いの経験値という意味でなら一番豊富なのは、おそらくイエイヌなのだ。

 その経験が敏感にセルゲンブの殺気を読み、必殺の間合いを外している。

 だが、このままでは埒が明かない。

 それはセルゲンブもクロスナイトも一緒だ。

 

『クロスナイトとやら。野生解放はしないのか?』

 

 何度か攻撃を受けたセルゲンブであったが、ダメージらしいものは負っていない。先程叩かれた脚もせいぜいわずかな痛痒を感じる程度だ。

 だが、セルゲンブは知っていた。

 クロスナイトにはセルゲンブにダメージを与えられるだけの切り札を持っている事を。

 

「ど、どうしてセルゲンブがイエイヌさんの野生解放の事を……」

 

 ルリの疑問ももっともな事だが、それはオオセルザンコウが送ってくれた情報のおかげだ。

 クロスナイトの野生解放は理性と本能の両方から力を引き出す凄まじいものである、と。

 ちなみに、どうしてそれをオオセルザンコウが知っているのかといえば……。

 

「ウチがオオセルザンコウに自慢してもうた……」

 

 原因はアムールトラだった。

 アムールトラとしては何気ない雑談のつもりだったのだが、オオセルザンコウが話を聞いてくれるのでついつい止まらずイエイヌ自慢をしてしまった事があるのだ。

 

「ご、ごめぇええええん!?」

 

 慌てて平謝りするアムールトラであったが、当のクロスナイトは落ち着いたものだった。

 

「別に構いませんよ。今、野生解放を使うつもりはありませんから」

『ほう?』

 

 つまり、ここまではクロスナイトの思惑通りという事らしい。

 しかしセルゲンブにとっても有利は揺るがない。

 切り札である絶対矛盾障壁《アキレスと亀》は使ってしまったものの、それで四人を実質無力化出来た。

 そして、クロスナイトも積極的に攻めてくるつもりはないと見える。

 となればセルゲンブにとってはあとは『ヨルリアン』が世界を夜に沈めるまで守勢に回ればいい。

 時間はセルゲンブの味方だ。

 

『そして、時が経てば経つ程に有利になるのは我の方じゃ。見るがいい』

 

 辺りの“夜”はどんどんと深くなっていく。

 そしてクロスレインボーが先に吹き散らした『ナイトメア』達も再び姿を現しはじめた。

 そうなれば、多対一。

 クロスナイトが『ナイトメア』に気を取られて状況が悪くなるのは目に見えている。

 戦闘不能となったかばんや菜々やアムールトラ達はしばらくの間はクロスラピスに任せられる。

 けれどその先がない。

 セルゲンブの有利はやはり揺るがない。

 だが、クロスナイトの瞳から希望の光が消える事はなかった。

 

『何故そんな無駄に抗う?』

 

 どうにもそれが理解できないセルゲンブである。

 

「さっきも言いましたが、簡単な事ですよ」

 

 対するクロスナイトの答えは至極単純明快だった。

 

「クロスハートは必ず来る。だからです」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 既に“夜”へ沈んだ駅前への道をジャパリバイク改が走り抜ける。

 その後ろからは大量の『ナイトメア』達が追いすがっていた。

 

「ラモリさん。マニュアルドライビングモードにしてね」

「マ、マジカ……」

「まじよ」

 

 ジャパリバイクを駆る春香はといえば無人となった駅前への道をマニュアルドライビングモードでかっ飛ばしていく。

 追いすがる『ナイトメア』の群れだって勢いはかなりのもので、少しでもスピードを緩めればたちまち追いつかれてしまいそうだ。

 自動運転よりも春香が手動で運転した方が速いと判断しての事だった。

 

「だ、大丈夫なの?」

 

 サイドカーに収まった萌絵は思わず訊ねていた。

 

「大丈夫よ。私はこういうの得意だから」

 

 普段娘達にはそういうところを見せる事は少ない春香であるが、彼女の運動神経は抜群である。

 実は遠坂家の自宅ガレージにはドクター遠坂が手ずからカスタムしたスポーツカーもあったりする。

 それを運転するのは専ら春香である。

 もちろん娘達の前では安全運転ではあるが、必要とあらば春香はそのドライビングテクニックを十二分に発揮するだろう。

 今がまさにその時だった。

 

「ともえちゃん、次、左に曲がるわね」

 

 春香は言いつつ、ハンドルを切りさらにアクセルを捻って開ける。

 ちょうどそこは十字路だ。

 左に曲がるという事はほぼ90度近いコーナリングになる。

 春香は敢えて対向車線側に一度進路を膨らませると、コーナーへ進入していく。

 今は街の人達みんなが避難していて無人だからこそ出来る事だ。

 そして、悠長にスピードを落としていたら後ろに追いすがる『ナイトメア』達に飲み込まれてしまう。

 見事なアウト・イン・アウトでコーナーを抜けていくジャパリバイク改。

 ともえは春香の意図を察して、萌絵と一緒に収まったサイドカーから身を乗り出し、自らの体重を利用して荷重移動。車体の浮きを抑え込む。

 

「そうそう、上手よ、ともえちゃん」

 

 期待通り、と春香はウィンクして見せた。

 

「さあ、飛ばすから二人ともしっかりついて来てね!」

「「は、はひ……」」

 

 春香の事だからこういう事も出来るんだろうとは思っていたけれど、実際目の当たりにすると乾いた笑いしか出ないともえと萌絵である。

 しかしこの調子で飛ばせば『ナイトメア』に追いつかれる事もないだろうが、かと言って振り切る事も出来ずにいる。

 このまま『ナイトメア』達を引きつれたまま色鳥駅に行ってしまっていいものか。

 そんなともえと萌絵の心配にも春香はいい笑顔を返してくれた。

 

「ああ、その辺りも大丈夫よ」

 

 春香には何か考えがあるというのだろうか。

 

「ラモリさん。予定ポイントを通過したからお父さん達に合図を出して貰える?」

「アア。マカセロ」

 

 どうやらその通りらしい。

 果たして一体どんな策があるというのか……。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 サンドスター研究所では、発電所とのホットラインが繋げられていた。

 

『なるほど。現在起こっている異変はセルリアンと呼ばれる新たな生物のせいだ、と』

 

 ホットラインが繋がったモニターには発電所所長が映されている。

 ドクター遠坂が時間を掛けてした説明を発電所所長はようやく理解してくれた。

 それはどうしても必要な事だった。

 

『それで、我々に折り入って頼み、とは?』

 

 モニターに映された発電所所長が言う。

 

「はい。少しの間で構いません。送電システムのコントロール権限をお借りしたいのです」

 

 ドクター遠坂の言に発電所所長は渋い顔をする。

 送電システムと電力は、この非常事態下における人々の生命線だ。

 『ヨルリアン』の取り巻き『ナイトメア』達は既に溢れかえり始めている。

 人々が避難した屋内にまだ被害が出ていないのは電灯の明かりのおかげだ。

 その電灯を維持する送電システムを明け渡すには相応の理由というものがいる。

 その理由をドクター遠坂は語る。

 

「現状を維持しても状況は悪くなるばかりです。原因を取り除かねばなりません。その為の人員を無事送り届ける為に送電システムが必要なのです」

 

 なるほど、もっともだ。

 既に屋外に設置された街灯はほとんどまともに機能していない。

 電力は届いているのだが、どうにもその電力がどこかに漏れ出ているようで街灯が点灯しなくなっているのだ。

 それは色鳥駅を中心として設置された街灯に顕著な症状である。

 つまり、『ヨルリアン』は街灯の“輝き”も喰らっているのだろう。

 ドクター遠坂は一時的に大電力を街灯へ送り込む事でほんのわずかな間でも点灯させるつもりだったのだ。

 そして、その一瞬をクロスハートに託し、問題を解決してもらえば市民にも被害は出ない。

 問題としては発電所側がそれを了承してくれるかどうかなのだが……。

 

『それではダメでしょう。現状でどこかに多くの電力を割けばその分どこかの電力が少なくなる。つまり、市民が避難する屋内の電力を少なくせざるを得ません。だからその提案は飲めません』

 

 当然と言えば当然の返答に、しかしドクター遠坂はなんとか説得の言葉を探した。

 しかし、モニターの中の発電所所長はニヤリとしてみせる。

 

『勘違いしないでいただきたい。私は、それではダメだ、と言ったのです。つまり市民の避難先にも街灯にも両方十分な電力を回せばよろしい』

 

 果たしてそんな事が可能なのか。

 まさか、とドクター遠坂は思い至る。

 

『そう。発電所の全力運転を以ってすればどちらも賄う事くらい出来ましょう』

 

 発電所所長は事もなさげに言ったが、全力運転とは過負荷状態での運転だ。

 理論上可能というだけで安全基準も設備破損のリスクも完全度外視である。

 

『我々は発電所の全力運転で手一杯でしょうから、誰か送電システムのコトンロールを引き受けてくれれば助かりますな』

 

 つまり発電所所長は送電システムのコントロールを手伝えと言っているのだ。

 それはドクター遠坂の思惑とも一致する。いや、それ以上だ。

 だが疑問もある。

 

「どうしてそこまで……」

 

 発電所所長やその所員達の職務を考えれば無理なお願いをしているはずのドクター遠坂だ。

 協力を拒みこそすれ、加担してくれるとは思ってもみなかったのだ。

 対する発電所所長はモニターの中でしばらくの間、その理由を語る言葉を探すようにする。

 

『クロスハート、というのを知っていますかな?』

 

 まさか全く外部の人間からクロスハートの名を聞く事になるとは思わなかった。ドクター遠坂の心臓はドキリと跳ね上がったが、どうにか表情に出るのは堪えられただろう。

 構わずに発電所所長は続ける。

 

『謎の化け物とも呼ぶべき新生物、セルリアンとそれを何とかする為の人員……。まぁ、パズルのピースを組み合わせるには十分ですな』

 

 発電所所長は少ない情報を繋ぎ合わせて何が起こっているのかを正確に理解していたらしい。

 さすがに色鳥町の電力を一手に賄う発電所の所長を任される人物である。

 しかし、そんな彼はその場にそぐわないような笑い方をして見せる。

 それはドクター遠坂には、まるで家で家族に見せるような笑顔だと思えた。

 そんな顔をして何を言うのか。

 

『実は私の娘が中学で水泳部をしているのですよ』

 

 発電所所長の言葉にドクター遠坂も思い当たる事があった。

 つい先日行われた水泳部の地区大会で、クロスハートは現れたセルリアンを退治して皆を守ったのだ。

 

『娘からクロスハートに助けられた、と聞いて何かの冗談だと思って笑ってしまったら口を聞いてもらえなくなりましてね』

 

 そう言って発電所所長はモニターの中で照れくさそうにほっぺを掻いている。

 だが、同じく年ごろの娘を持つドクター遠坂には身につまされる話でもあった。

 

『だから、今日、家に帰ったら娘にこう言うのですよ。お父さん達、今日はクロスハートを助けたんだぞ、とね』

 

 どうやらクロスハートは想像以上に沢山の人々を助けていたという事なのだろう。

 発電所所長は冗談めかした笑みを浮かべると、しかしキッパリと言った。

 

『譲りませんぞ』

 

 と。

 せっかくだからいい格好をさせろという事なのだろう。

 

「わかりました。お願いします。父の威厳を見せてやりましょう」

『承知致しました』

 

 二人はニヤリとして通信を終わる。

 頼もしい仲間を得られた以上、大人の意地を見せる時だ。

 

「さて、1番から5番までの燃料弁を開いてくれ。これより当発電所は全力運転を開始する!」

 

 通信を終わらせて発電所所長は所員達を振り返って宣言する。

 無茶に突き合わせる事になったけれども所員達の士気は高かった。

 彼ら所員達も少なからず噂は聞いているのだ。

 通りすがりの正義の味方、クロスハートの噂を。

 実在するかもわからない正義の味方だったが、その手助けが出来るのだ。

 これで張り切らなければ男がすたるというものだ。

 

「了解! サンドスタージェネレーター接続!」

「サンドスターリアクター内、圧力上昇。三番、四番圧力弁解放、まだまだ圧力正常値内に留められます!」

「予備冷却システム接続、サンドスターリアクター温度も正常値です!」

「発電所稼働率、108パーセント。まだまだいけますよ!」

 

 大人達の意地が夜に明りを灯す。

 だが、発電所所長は冷静に状況を見守って算段をつけていた。

 

「全力運転は保って40……いや、30分といったところですか」

 

 それを過ぎて全力運転を続ければ設備の破損などが起こり得る。

 それまでに事態が解決する事を祈るばかりだ。

 

「頼みますよ、クロスハート」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ジャパリバイク改が走り抜ける道路脇に設置された街灯が突然まばゆいばかりの光で道を照らしはじめた。

 つい先ほどまで、消え入りそうな程か細い光だったというのに。

 結果、ジャパリバイク改に追いすがっていた『ナイトメア』達が大慌てで離れて行く。

 春香はそれを横目で視界の端に入れると、満足気に微笑んだ。

 『ナイトメア』は光に弱い。

 街灯の明かりは『ヨルリアン』が勢力圏を広げるにつれて、“輝き”を奪われていた。

 現象としては電圧が下がって、それに伴い光量も下がってしまっているのが確認できていた。

 そこで、ドクター遠坂達が大電力を一時的に回して春香の進路を切り開いたわけだ。

 

「やっぱりお父さんはカッコいいわね」

 

 煌々と進路を照らす街灯がドクター遠坂達大人の手によるものだと春香だけが知っていた。

 この輝きは大人達の意地と言えよう。

 しかし、そんな意地も長くは保たなさそうだ。

 この輝きは色鳥駅を中心として集中させている。そここそが決戦の地となるからだ。

 その分、外縁部は手薄だ。

 『ナイトメア』達は数を頼みに寄り集まると、自らの身体を挺して街灯の明かりを受け止め、後続への道を作る。

 盾となった『ナイトメア』が明かりでかき消されたら、次の『ナイトメア』が。そして次、また次、とまるで屍を乗り越えるが如くリレーしていって、とうとう街灯の一本へと取り付く。

 

―ガシャァンン!

 

 大量の『ナイトメア』にたかられた街灯の電球はついに砕け散った。

 そうやって外縁部から迫るようにして街灯を次々破壊していくのだ。

 

「これはまずいわね」

 

 その様子を見ていた春香が言う。

 この作戦は、ともえ達を無事に決戦の地へ送り届けるだけでなく、その舞台を彼女達に有利にする為のものだ。

 いくら大した強さでないとはいえ、大量の『ナイトメア』がいればそれだけで気が散らされる。

 そして、より脅威となるものが生まれつつあった。

 寄り集まった『ナイトメア』達が一つに混じり合って巨人になろうとしていた。

 集合体となった事で、光にもある程度耐性が出来ているらしい。巨大になった腕で次々と街灯を薙ぎ払っていく。

 あともう少しで色鳥駅だ。

 この『巨人ナイトメア』を引きつれて行くわけにはいかない。

 

「仕方ないわね。ともえちゃん。萌絵ちゃん。ここは任せて先に行きなさい」

 

 春香は自動運転席からラモリさんをサイドカーに放り込むと、ジャパリバイク改との切り離しスイッチを押した。

 

「ラモリさん、二人をお願いね」

 

 ジャパリバイク改とサイドカーは切り離してそれぞれに自立して走行出来たりする。

 ただ……。

 

「お母さん……?」

「ジャパリバイク改ってサイドカーを切り離すと自動運転出来なかったんじゃあ……?」

 

 ジャパリバイク改の自動運転はサイドカー込みのバランスでのみ自動運転機能を使える。

 それは二輪のみでの自動運転が非常に難しかったからだ。

 もしもサイドカーを切り離したら強制的に手動運転に切り替わる。

 ともえと萌絵に言われてようやくその事実に思い至った春香である。

 

「あ」

「「あ、じゃないよぉおおおおお!?!?」」

 

 ジャパリバイク改本体の方はさっきからずっと春香による手動運転だったわけだが、サイドカーの方はちょっと事情が異なる。

 ともえと萌絵とラモリさんを乗せたサイドカーはただでさえ手狭なのに定員オーバーだ。

 いくら春香に匹敵する運動神経の持ち主であるともえがいても、そのコントロールは困難だ。

 

「ま、まぁ、あとは駅前方面までカーブとかないし……」

 

 ともえと萌絵の悲鳴が遠ざかっていくのを春香は遠い目をして見送った。

 ラモリさんだっているし、道路は無人状態だからきっと大丈夫だ。

 それよりも……。

 

「さて、昔とった杵柄ね」

 

 春香はジャパリバイク改から降りるとあらためて『巨人ナイトメア』と向き直る。

 『巨人ナイトメア』は身の丈一〇mにもなろうかとしていた。

 なおも周囲から『ナイトメア』が寄り集まっている。

 ヒトである春香に果たして対抗できる術などあるというのか。

 

「ヒトは“けものプラズム”を持っていないから、セルリアンに対して無防備になってしまう。けれどヒトもサンドスターは持っている。ヒトがセルリアンに対抗する為に生み出したサンドスターコントロール術、久しぶりに見せてあげるわ」

 

 春香は大きく息を吸って、ギラリと目の前の巨人を視線で射抜く。

 

「宝条流ッ!! サンドスター・コンバットぉ!!!!!!!」

 

―ダンッ!!!!!!!!!!

 

 春香の踏み込みがアスファルトの地面を抉る。

 目にも留まらぬ速さで『巨人ナイトメア』との間を詰める春香。

 そのまま巨人の足元に潜り込むと……。

 

「宝条流サンドスター・コンバットッ!! 水面蹴りぃッ!!!!!」

 

―スパァアアン!

 

 身を沈めて地面と平行に回し蹴りを放つ!

 足を刈り払われて、たまらず巨人はバランスを崩す。膝を折り巨人は地に倒れ伏した。

 その顔面目前に、既に春香が先回りして腰だめに拳を構え、攻撃態勢を整えている。

 

「サンドスター・コンバット……! 正拳突きぃいいいいいいいッ!!!!!」

 

―ボシュゥ!!

 

 ゴムでも殴ったかのような音とともに、春香の放った正拳突きが『巨人ナイトメア』の頭を吹き飛ばした!

 体内のサンドスターを呼吸と精神力によって操り、生体エネルギー、言わば“氣”で身体を覆う。

 そうすることで本来“けものプラズム”を持たないヒトでもセルリアンに通用する攻撃を繰り出す。

 それこそが、守護の一族に選ばれた宝条家の持つ秘儀、サンドスター・コンバットなのだ。

 

「ふぅ……」

 

 まずはひと段落といったところか。

 だが、『巨人ナイトメア』はそれ以上霧散せずに、首のないままに立ち上がろうともがいていた。

 『巨人ナイトメア』は『ナイトメア』の集合体だ。

 頭部ごと首を吹き飛ばされても、それで活動を停止したりはしない。

 それどころか、周囲の『ナイトメア』達が寄り集まって再び頭部を再生しようとしていた。

 

「あらぁ……。困ったわねぇ」

 

 それを見て春香はいつもの調子で頬に手をあて困った仕草をして見せる。

 『ナイトメア』は『ヨルリアン』がいる限り無限に湧き出て来る。

 つまり、『巨人ナイトメア』は『ヨルリアン』がいる限り無限にパワーアップして無限に再生するという事だ。

 そして、春香には大きな弱点があった。

 

「昔と違って長い時間は戦えないのよねぇ」

 

 それは長期戦を苦手としている事だ。

 春香が守護者を引退した理由でもある。

 彼女は宝条家始まって以来の天才と目されていたが、度重なるセルリアンとの戦いの中である一つの病気に罹患してしまっていた。

 それが『後天性サンドスター過多症候群』である。

 以前萌絵が罹っていた病気とほぼ同じだ。

 春香は体内サンドスターをコントロール出来るから日常生活には支障がない。

 短時間ならばこうして人間離れした活躍を見せる事だって出来るだろう。

 けれど、長時間こうして戦闘状態になれば身体に大きな負担がかかる。

 『巨人ナイトメア』は相性が最悪の敵と言えた。

 

「でも、ともえちゃんと萌絵ちゃんが今から格好つけに行くんだもの。邪魔はさせないわ」

 

 それでも春香は不敵な笑みを浮かべて見せると言い放った。

 

「お母さんにも格好つけさせてもらわないとね」

「そうだね。その通りだ」

 

 どこからともなく、それに同意する声が聞こえた。

 と同時、『巨人ナイトメア』の上半身が汚れでも拭き取るかのようにゴッソリと消し飛ばされる。

 それをしたのは春香ではない。

 

「やあ。姉さんは相変わらず無茶をするね」

 

 では誰がそれをしたのかと言えば、彼女の妹、和香教授である。

 既にセルリウムで右腕を覆い異形の巨腕へと変じている。

 そのひと薙ぎは雑だけれど単純に強力だ。

 もしも和香教授がその気なら『巨人ナイトメア』を跡形も残さず吹き飛ばす事だって出来ただろう。

 けれど彼女は敢えてそうしなかった。

 上半身を吹き飛ばされた『巨人ナイトメア』に再び『ナイトメア』達が寄り集まって再生を始める。

 それこそが和香教授の狙いであった。

 程よく再生したところで……。

 

「そらっ」

 

 再び異形の右腕をひと薙ぎ。それだけで再生しかけていた『巨人ナイトメア』の上半身はまたもや吹き飛ばされた。

 『巨人ナイトメア』を再生する為に次々と周囲から『ナイトメア』達が集まってくる。

 いくら無限に湧き出て来ると言っても、一度に出現する量には限りがあった。

 それらが『巨人ナイトメア』の再生で手一杯になってくれるのなら、周囲に被害をもたらす事もない。

 

「あとはこのまま再生しかけたならその都度吹き飛ばす。ここで釘付けになってもらうよ」

 

 和香教授は春香とよく似た不敵な笑みを浮かべて見せた。

 彼女にも体力の限界はある。

 体力が尽きる前にセルゲンブ達元凶を排除しに行く選択肢だってあった。

 けれど、この戦いは娘達のものであり、ともえ達のものであり、そして今を戦い抜いて来た戦士達のものだ。

 だからここはその手助けをしてやる事が母の務めと定めた。

 

「さすが和香ちゃん! こういう時だけは物凄いカッコいいわ!」

「だけ、は余計だよ!?」

 

 娘達を信じて任せる。

 それはそれで母の意地というものだ。

 春香と和香の姉妹は昔のように賑やかに『巨人ナイトメア』と相対するのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

―カッ!

 

 先程まで弱々しい光を明滅させるだけだった駅前の街灯が一斉に眩い明かりを灯す。

 それに伴い、ジリジリとクロスナイトを包囲していた『ナイトメア』達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 

『だが、それでも我の有利は揺るがぬぞ』

 

 セルゲンブの言う通り、今までと同じく『ナイトメア』達の援護を受けられないというだけの事だ。

 それだけならば決してクロスナイトが有利になったわけではない。

 だがそれでもクロスナイトはニヤリとしていた。

 

「いいえ。そうでもありません」

 

 クロスナイトの鋭敏な嗅覚には風に乗って待ち焦がれていた人達の匂いが届いていたからだ。

 その余裕の意味が分からずに訝しむセルゲンブ。

 

「もうすぐ来ますよ」

 

 クロスナイトの言う通り、ジャパリバイク改のサイドカー部分だけが駅前ロータリーへと突っ込んで来た。

 

「うひゃぁあああああああっ!?!?」

「と、止まってぇええええええええ!?!?!?」

 

 そこに乗る萌絵とともえの二人は悲鳴をあげながらの登場であったが。

 思わず呆気に取られて成り行きを見守るセルゲンブの前にサイドカーがスピンしながらどうにか停止する。

 

「お姉ちゃん、ラモリさん、大丈夫?」

 

 ともえがいち早くサイドカーから這い出て、萌絵の手を引いて降ろす。

 

「な、何とか……」

 

 萌絵もどうにかサイドカーから降りて来た。片腕には「アワワワ」となっているラモリさんを抱えている。

 あまりに締まらない登場にセルゲンブも思わずその光景を見守ってしまった。

 これが、クロスナイトが待っていた者だというのか。

 訝し気なセルゲンブの視線を受けて、ともえと萌絵も顔を見合わせる。

 

「ええと……セルゲンブ……ちゃん?」

『いかにも』

 

 ちゃん付けには若干引っかかるものがないでもないけれど、セルゲンブは頷いて見せた。

 

「道中で事情は色々聞いたよ。でも、この世界はあげられない!」

 

 ともえはビシリ、とセルゲンブに指を突き付けるとキッパリ宣言した。

 

「よ、よかったぁああああああ! よかったです! ともえちゃあああああん!」

 

 さっきまで冷静だったクロスナイトが思わずともえに飛びついていた。もうほっぺたにペロペロする勢いだ。

 だってともえがいつも通りだったのだ。

 青龍神社で最後に見たともえの姿を知っていただけに、クロスナイトは内心物凄く心配していた。

 信じてやるべき事をやっていたけれど、それでも心配だった。

 その心配が安堵にかわって喜びが爆発してしまったようだ。

 クロスナイトは思う。やはり萌絵を信じて任せてよかった、と。

 

「心配かけてごめんね、イエイヌちゃん」

 

 そんなクロスナイトをなだめるように変身前の呼び名でもって呼びつつ、ともえはその背中をぽむぽむと軽く叩く。

 

「けど、アタシ達が来たからにはもう大丈夫! この世界もオオセルザンコウちゃんも取り返す!」

 

 ともえの力強い言葉であるが、意志だけでどうにかなるわけがない。

 なんせ『ヨルリアン』となったオオセルザンコウの元へ行くには……。

 

『そんな事はさせぬがのう』

 

 巨大霊亀となったセルゲンブをどうにかしないといけない。

 だが、それにも作戦があった。

 

「うん。そういうわけで手分けをします」

 

 作戦立案者である萌絵がセルゲンブに頷きつつ言った。

 手分けをする、という事はクロスハートとクロスナイトの二人でどちらかがセルゲンブの足止めをするつもりだろうか。

 

『無駄じゃぞ。『ヨルリアン』とて並みのセルリアンではない。たった一人で仕掛けたところで返り討ちになるのがオチじゃ』

 

 そんな浅はかな考えをセルゲンブは一笑に付した。

 けれど……。

 

『え?』

 

 思わずセルゲンブは間の抜けた声を上げてしまった。

 ともえがクロスナイトの手を引いて色鳥駅の駅舎ビルへと向かってしまったからだ。

 確かにクロスハートとクロスナイトの二人がかりなら、もしかしたら『ヨルリアン』に付け入る隙も出来るかもしれない。

 けれどそうしたらセルゲンブの相手は誰がするというのか。

 この状況でセルゲンブに対し、一歩を踏み出したのは萌絵だった。

 

「あのね。セルゲンブちゃん? ちゃんでいいのかなぁ?」

『いや、呼び名はどうでもいいのじゃが……』

「じゃあ、セルゲンブちゃん。あなたの相手はアタシとラモリさんだよ」

 

 戸惑いを見せるセルゲンブに萌絵はキッパリと言い切った。

 

『「「「「は、はぃいいいいいい!?!?」」」」』

 

 それにはセルゲンブのみならず、戦いを見守るかばん、サーバル、菜々とルリとアムールトラまでもが素っ頓狂な声をあげてしまった。

 

「む、無茶です!? 萌絵さん!?」

 

 かばんが慌てて言う。

 ハッキリ言ってその通りだった。それにセルゲンブまで含めて誰もがうんうん頷いている。

 萌絵は頭がよくサポートには向いているが反面運動はからっきしだ。

 しかも普通のヒトであり、春香のようにセルリアンと戦う訓練すらした事がない。

 萌絵が戦うという選択肢はあり得ない。

 

『あ、あのー……。いくら我が冷酷無比と言っても、さすがに変身すら出来ぬ無力なただのヒトを一方的に攻撃するのは寝覚めが悪いんじゃが……』 

 

 セルゲンブの戸惑いは止まらない。

 もしや、こうした心理戦で時間を稼ごうというのだろうかと訝しむ。

 だとしたらお粗末過ぎる。

 セルゲンブの鼻息一つで萌絵など吹き飛ばせるだろう。

 確かに寝覚めは悪いだろうが、それが必要とあれば躊躇う事などしない。

 だが、萌絵はこう言った。

 

「変身出来たらいいって事だよね? じゃあ安心だ」

 

 彼女は愛用の肩掛け鞄からスケッチブックを取り出す。

 一体全体何をするつもりだ、と誰もが萌絵の行動を固唾を飲んで見守る。

 もしや、何か逆転の一手となる発明品でも用意してきたというのだろうか。

 だが、そういう事ではないらしい。

 萌絵はスケッチブックのページを自ら開いて一言叫ぶ。

 

「変身!」

 

 と。

 萌絵はヒトであってヒトのフレンズではない。

 だから変身なんて出来るはずがない。

 そのはずだった。

 なのに、萌絵の身体をサンドスターの輝きが包み込んだ。

 

「クロスハート……!」

 

 萌絵が腕を伸ばし、変身ポーズを決めると共にサンドスターの輝きが舞い散った。

 そして、そこに現れたのは……

 緑がかった髪に翡翠色の爪、左右の瞳にそれぞれ赤と蒼色をした不思議な光点を宿した少女だった。

 その少女の服も変化している。

 黒の長袖アンダーシャツに青色のベスト。

 膝上までのハーフパンツ。

 足元は丈夫そうなトレッキングシューズ。

 水色の模様が入った飾り羽根がついたアドベンチャーハットを被る。

 そして仕上げに、アドベンチャーハットにオレンジの模様が入った二本目の飾り羽をつけて変身は完了したようだ。

 現れた少女は宣言する。

 

「ともえフォームッ!!」

 

 と。

 見守っていた誰もが開いた口が塞がらない。

 なんせ、本来変身なんて出来るはずのない萌絵が変身して見せたのだから。

 そしてその姿はよく見知ったものだった。

 なんせ、それがそのままともえの姿そのものだったのだから。

 

「あ、あれ! 変身スプレー(仮)じゃないんか!?」

「ち、違うと思うよ!?」

 

 あまりの事態にアムールトラが戸惑い、横のルリに訊ねる。

 かつて萌絵は変身スプレー(仮)というアイテムを使ってともえそっくりの姿に変装してみせた事があった。

 けれど、今起きているのはそういう事ではない。

 萌絵は確かに“変身”してみせたのだ。

 セルゲンブはもうわけがわからない。

 ヒトのフレンズはフレンズの力を借りて変身する技を持っている。

 けれど、ヒトにそんな技はない。そんな事が出来るはずがない。

 だから目の前の存在はセルゲンブの理解を越えていた。

 

『貴様……ッ!? 貴様は一体なんなのじゃ!? 一体何者なのじゃぁあっ!?!?』

 

 セルゲンブの絶叫にともえの姿をした少女は応えた。

 

 そう。

 

 その名は……

 

 

 やっぱり…………

 

 

「クロスハート。通りすがりの正義の味方だよ」

 

  

 

―②へ続く




【用語解説:サンドスター・コンバット】

 守護者の一族、宝条家に伝わる秘術。
 体内のサンドスターを呼吸と意思の力で操り、“けものプラズム”に相当する氣へと変換するのがサンドスター・コンバットである。
 ヒトがセルリアンに対抗する為に編み出した武術であるが、身に着けるには厳しい修練が必要だ。
 また、この技を多用すると体内サンドスターが増えていって後天性サンドスター過多症候群に罹る事もある。
 なお、元ネタは旧けものフレンズちゃんねる併設のBBS内『とにかくポジティブ!誰でも妄想を吐き出していいスレ』にて連載されていた『けものフレンズRッ!炉心融解』にて登場していたサンドスターコンバットより。
 BBSが閉鎖されているので現在は閲覧不可能となっているものの、スピード感と勢い溢れる独特の文体が素晴らしい作品でした。
 技を放つ際にやたらと『!』マークが付くのは元ネタ準拠である。
 みんなもサンドスター・コンバットで戦う時は大きな声で叫ぼうねッ!!!!!!!!!!!!!!!
 なお、宝条流サンドスター・コンバットの他にも流派があるらしい……? 



 最新話でも再度宣伝です。
 ツイッターでナベワタ様よりステキなイラストを頂きました。
 下記URLから見れますので、ぜひご覧下さい!


https://twitter.com/nabewata1120/status/1360930409177964544?s=20


 ともえちゃんと春香お母さんにわしゃられまくるイエイヌちゃんがめちゃくちゃ可愛いです!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話『その名はやっぱりクロスハート』②

 

 

 見守るかばんもサーバルも菜々も、ルリもアムールトラも、そしてセルゲンブまでもが開いた口が塞がらない。

 なんせ、目の前にただのヒトであるはずの萌絵が変身したクロスハートがいるのだから。

 

『一体全体何がどうなっているんじゃ……』

 

 セルゲンブの頭は混乱していた。

 ただのヒトが変身するなんて前例は聞いた事がないし、そんな理屈があるはずがない。

 目の前で起こっている事はセルゲンブにとっては酷い理不尽だったし、かばん達にとっては奇跡のように思えた。

 

「そんな驚くような事かなぁ?」

 

 だというのに、萌絵が変身したクロスハートはそんな反応が意外とでも言いたそうだ。

 

『いやいや!? 驚く事じゃからな!?』

 

 セルゲンブのツッコミに見守るかばん達までもがうんうん頷いてしまっている。

 だが、クロスハートだけはさもそれが当然といった様子を崩さない。

 

「えー? そうでもないよ。だって、ヒトのフレンズってフレンズちゃん達の力を借りて変身する事が出来るんでしょ?」

 

 それはその通りだ。

 かばんも菜々も、そしてともえも、そうして今まで変身して戦って来たのだ。

 

「だったら、逆に力を貸す事だって出来るじゃない?」

 

 指を立てつつ言うクロスハートの言葉に、言われてみればそれもそうか、と納得しかけたセルゲンブだけれど……

 

『いやいやいや!? そんなはずないじゃろ!? そんな事が出来ればとっくの昔に誰か変身しておるわ!?』

 

 そう。

 セルゲンブの世界でも、菜々の世界でも、そしてかばんもそんな事が出来た事はない。

 今、目の前で起きている事は人類史上類を見ない事なのだ。

 しかし、それでも萌絵が変身したクロスハートはやっぱり事もなさ気に言った。

 

「逆にさ。ともえちゃんがアタシに力を貸してくれないはずがないじゃない」

 

 と。

 要は目の前の現象はともえと萌絵だからこそ成立した事なのだ。

 双子として育って来た二人であるから。

 ヒトのフレンズとその元となったヒトの二人であるから。

 二人の間に固い絆があったから。

 色々な要因があって成し得た事であった。

 萌絵にとっては当然出来るに決まっている事であったが、やはり他の者からしたら奇跡である。

 

『驚かされはしたが、我は四神が一柱セルゲンブ! フレンズ一人を相手に遅れなど取らぬわ!』

 

 セルゲンブは目の前の存在を理解する事を放りだした。

 たとえこのクロスハートが何者であろうと、捻り潰してしまえばそれまでだ。

 まずは手始め。

 大きく息を吸うと凍える息吹(ブレス)を吹き付ける!

 クロスハートはその一撃を連続バク転で後ろに下がってかわしてみせた。

 

『まだまだっ!』

 

 続けてセルゲンブは空中にいくつもの氷柱を出現させる。

 それらは散弾となってクロスハートへ襲い掛かった。

 

「おおっとぉ!」

 

 連続バク転を決めたばかりだというのに、そこからさらに側宙。

 まるで体操選手のように飛び跳ねて襲い掛かる散弾を全てかわすクロスハート。

 

「お、おぉ……」

 

 かわしきったクロスハートは自身の両手をまじまじと見つめる。

 何か問題だろうか、と心配になった菜々は声をあげる。

 

「だ、大丈夫? 萌絵ちゃん……?」

 

 だが、クロスハートはやたらキラキラした目を菜々の方に向けると応えた。

 

「すごい! 身体が思った通りに動くってこんな感じなんだ!」

 

 萌絵にとっては頭に思い描いた動きが出来ない事は当たり前だったけれど、今は違う。

 クロスハート・ともえフォームに変身した事で、その身体は自由自在に動いて応えてくれる。

 具合を確かめるように、準備運動として軽くピョンピョンと跳ねてみる。

 やはり、この身体は想像以上だ。

 

「なら……! いくよ!」

 

 着地からのダッシュ。

 クロスハートはセルゲンブへ向けて突撃した。

 

「(うっわ! 速い速い!)」

 

 いつも走るよりも視界の流れはとんでもなく速い。

 だが、クロスハートと全く逆の感想をセルゲンブとそして見守るかばん達も思っていた。

 

『(遅い?)』

 

 と。

 それは萌絵が変身したクロスハートはともえというヒトのフレンズから力を借りている事が理由だ。

 クロスハート・ともえフォームは変身することでヒトの限界性能を引き出している。

 けれど、逆に言えば、それはあくまでヒトの域を出ない。

 動物達の力を引き出して人間離れした身体能力を発揮するクロスシンフォニーやクロスレインボーとは違うのだ。

 

『(つまり、こけおどしというわけか)』

 

 クロスハートが突撃してくる速度はオリンピックの短距離選手並みだ。

 けれどセルゲンブからすればそれでも遅い。

 冷静さを取り戻したセルゲンブは再び空中に氷柱の飛礫を生み出す。

 今度は一つ一つの弾丸を小さくしたかわりに攻撃範囲は先程の比ではない。

 いくら飛び跳ねようとも、その範囲から逃れる事は出来ない。

 

『喰らえ!』

 

 威力は低いだろうが、相手の防御力だってヒトの域を出ない。

 つまり、これだけの飛礫でも致命の一撃となり得る。

 一瞬焦らせられたセルゲンブであったが、これで幕切れだと氷の散弾を放つ!

 だが……。

 

『は?』

 

 クロスハートが加速した。

 まるで滑るように、地面を滑走している。

 先程まで走り込んで来ていた速度から一気に急加速したから氷の散弾は虚しく地面を穿っただけだ。

 よくよく見れば、クロスハートは車輪のついた板きれのような物に乗っている。

 

「ジャパリボード改だ……」

 

 戦いを見守っているルリがそれを見て呟く。

 クロスハートが乗っているのは萌絵が手ずから改造したスケボー、ジャパリボード改である。

 その最高速度は時速120km。オリンピック選手が走るよりも当然速い。

 それはともかくとして、いつの間にそんな物を用意したかとセルゲンブは訝しむ。

 確かについ先ほどまでクロスハートは無手であったはずだ。

 都合よくジャパリボード改に乗る事など出来るはずがない。

 

『どんな手品を使った……!?』

 

 セルゲンブはイヤな予感が拭えずにいた。

 このクロスハートはまずい。さっさと叩き潰さねばならない。

 その直感に従い、セルゲンブは尻尾の蛇に追撃を命じた。

 即座に尻尾の蛇が鞭のようにしなり大口を開けてクロスハートに迫る!

 

「よっ!」

 

 クロスハートは掛け声一つ、ジャパリボード改を浮かせると蛇の一撃をジャンプでかわした!

 そして着地するのは蛇の背中。

 そのまま蛇の身体を伝って、セルゲンブの甲羅へ飛び移り、その頂点で止まる。

 セルゲンブは完全に背後を取られた格好だ。

 クロスハートはジャパリボード改のテールを蹴って立てると、スケボーを抱える。

 彼女の手中に収まったジャパリボード改はサンドスターの輝きと共に宙に溶けるように消えた。

 

『な……。別空間からでも取り寄せたのか……!?』

「うーん、ちょっと違うかな」

 

 どこか別な場所からジャパリボード改を取り寄せたと思っていたセルゲンブだったが、それは正確ではないらしい。

 クロスハートは再び無手となった手を伸ばす。

 そこにサンドスターの輝きが集まっている。

 

「これを見てもらった方が早いと思うよ」

 

 巨大霊亀の甲羅の上でクロスハートは吠えた。

 

「ラモリさん! 変形ラモリドリルッ!!」

 

 と。

 ちなみに、ラモリさんにそんな変形機能はついていない。

 ついていないはずだった。

 

「お、オオッ!?」

 

 ラモリさんの身体は本人の意思とは無関係にガシャリと背中から翼を生やした。

 その翼に取り付けられた小型ジェットエンジンがキィイイイ! と音を立て点火する。

 そして巨大霊亀の背中にいるクロスハート目がけて飛んでいった。

 

「アタシ言ったよね? セルゲンブちゃんの相手はアタシとラモリさんだ、って」

 

 ラモリさんは伸ばしたクロスハートの右腕に着地。

 

「ツールッ! コネクトォッ!!」

 

 その身が変形してクロスハートの腕部に装着されるドリルとなった!

 

『だから、それ何がどうなっておるんじゃ!?』

「一応言っておくが、俺も説明聞いても何がどうなっているのかわからんかったゾ」

 

 驚愕の声をあげるセルゲンブにラモリさんも半分くらい諦めた感じだ。

 だが訊ねられたら応えないわけにはいかない。クロスハートは得意満面といった様子で解説を開始した。

 

「あのね、サンドスターって時空間に作用する性質もあるって聞いた事がない?」

 

 それはセルゲンブだって聞いた事がある。彼女やオオセルザンコウ達をこの別世界に送り込んだのだって、その性質を利用したものなのだから。

 

「だからね、アタシは未来でアタシが作れる道具を今使う事が出来る。そういう技を持っているの」

 

 確かにこれは説明を聞いても何を言っているのかわからない。

 けれど、たった一つわかった事がある。

 セルゲンブも情報を聞いて知っている。遠坂萌絵という人物がどれだけの道具を生み出して来たのかを。

 その彼女が未来で作れる道具まで今この場で使用できるというのならば、それは即ち……。

 

『我が相手をせねばならんのはヒトの叡智そのものか……!?』

 

 セルゲンブが感じていたイヤな予感はそれだった。

 遠坂萌絵という科学の申し子が、思いつく限りの道具を繰り出してくるとなれば、それは古今東西ありとあらゆるヒトの叡智を自在に操れるに等しい。

 いくら神に近い権能を持つ四神の一柱と言っても分が悪すぎる。

 

「いいよねぇ。ドリル。後でちゃんといつでもラモリドリルになれるように改造してあげるからね」

「いやいやいや!? お手柔らかにナ!?」

 

 そのクロスハートはといえば、右腕に装着されたハンドドリルを眺めてうっとりしていた。

 ラモリさんの意思はともかく、後で改造されてしまうのだろう。

 

「じゃあ……。行くよ、セルゲンブちゃん! 防御する準備はいいかな!?」

 

 クロスハートは亀の甲羅から霊亀の頭、額の『石』へ向けて駆け出す!

 

「ラモリドリルゥウウウウウウッ!!」

 

 一気に駆け下りたクロスハートは勢いそのままに『石』へ向けて右腕のドリルを突き出した!

 

『ご、五連多重結界ッ!』

 

 対するセルゲンブも自身の持つ防御技でも二番目に強力なものを繰り出した。

 最も強力な防御技である絶対矛盾障壁《アキレスと亀》は既に使ってしまった。

 だが、この五連多重結界は完全にそこに防御を集中しなくてはならない分、今までどんな攻撃だって通した事がない。

 クロスハートと『石』の間に亀の甲羅を模した盾が五枚展開される。

 

―ギャギャギャッ!

 

 ラモリドリルと五連多重結界。

 その二つが激しく火花を散らし始めた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ともえとクロスナイトは色鳥駅に併設された商業ビルを屋上まで駆け上がっていた。

 道中色々と作戦を説明したともえだったが、クロスナイトには物凄く呆れた顔をされてしまった。

 特に、萌絵が変身して戦うと説明した時には何を言っているんだ、という顔をされたものである。

 萌絵がやれるというのだから、心配はないでもないけれど信じるしかない。

 それよりも、問題はオオセルザンコウと『ヨルリアン』の方だ。

 こちらはともえとクロスナイトの二人で何とかしないといけない。

 程なくして屋上への扉が見えて来た。

 二人は体当たりするようにしてその扉を開けると屋上へと出る。

 そこには黒いナイトドレスを纏ったオオセルザンコウがいた。

 

「遅かったな」

 

 現れたともえとクロスナイトを見てもオオセルザンコウは落ち着いたものだった。

 いや。

 その闇色に染まった瞳には何の感情も浮かんでいなかった。

 

「我が名は『ヨルリアン』 夜を統べるセルリアンだ」

 

 それもそのはず、彼女はオオセルザンコウであってオオセルザンコウではない。

 既に意識の殆どを『ヨルリアン』によって塗り潰されているのだ。

 そのナイトドレスの飾りリボンは端を空にまで伸ばしており、今なお周囲を“夜”へと沈めている。

 

「あー、いやぁ。出来ればオオセルザンコウちゃんとお話したいんだけど……」

 

 ともえは後ろ頭を掻きつつ言う。

 

「無駄だ。既にこの娘の意識は夜へと沈んでおる。欠片程度しか残ってはおるまい」

 

 オオセルザンコウの口を借りて語られたのは無情な一言であった。

 

「そっか。じゃあとりあえずオオセルザンコウちゃんを出して貰わないとだね」

 

 だがともえだって諦めるつもりはない。

 愛用の肩掛け鞄からスケッチブックを取り出すと叫ぶ。

 

「変身! クロスハート・イエイヌフォームッ!」

 

 スケッチブックが勝手に開いてイエイヌの絵を描いたページで止まると、ともえの身体がサンドスターの輝きに包まれる。

 その輝きが晴れた時に現れるのは、ピンと立った犬耳にふさふさの犬尻尾。丈の短いミニスカートと袖なしジャケットを身に纏ったクロスハート・イエイヌフォームである。

 その結果にともえは密かに安心する。

 大丈夫。

 戦える。

 友達を守りたい、家族を守りたい、街を守りたい、皆を守りたい。

 胸の炎は再び灯っているのだ。

 

「(ありがとうね、萌絵お姉ちゃん)」

 

 その明かりを再び灯してくれた萌絵に胸中で一度感謝を呟くと、クロスハートはビシリ! と『ヨルリアン』へ指を突き付ける。

 

「まだオオセルザンコウちゃんが残ってるなら十分! 行くよ、クロスナイトッ!」

 

 二人は『ヨルリアン』へ向けて駆け出した。

 対する『ヨルリアン』は闇色の手袋に包まれた両手を二人に向けて伸ばす。

 すると、その指先から夜空の星を散りばめた闇色の帯が迸る!

 都合一〇本。

 自らに殺到する闇色の帯をクロスハートとクロスナイトの二人は身を捻ってかわす。

 

「終わりではないぞ」

 

 『ヨルリアン』は言いつつ、まるでオーケストラの指揮者になったかのように腕を振る。

 すると、その指先から伸びていた闇色の帯が応じるようにのたうち、波打ち、四方八方からクロスハートとクロスナイトに襲い掛かった!

 

「「ドッグバイトォ!」」

 

 二人はそれぞれに手へ集めたサンドスターを牙へとかえて闇色の帯を噛みちぎる。

 だが、ちぎってもちぎっても闇色の帯は減るどころか二人の周囲を取り囲む。

 クロスハートとクロスナイトは背中合わせになって闇色の帯を迎撃するが、このままではジリ貧だ。

 さらに悪い事がある。

 それは『ヨルリアン』の纏うナイトドレス、そのスカートの後ろ部分が大きく広がって地面に垂れているのだ。

 それだけなら何て事はない。

 だが、そのスカート部分が屋上中に広がってそこを星瞬く夜空へ変えていたのなら話は別だ。

 この屋上は既に『ヨルリアン』の領域と言っていい。

 そんな場所に飛び込んで来たのだ。遠慮なく喰い散らかしてやろう。

 『ヨルリアン』はそう決めると次なる技を放つ。

 

「ナイト・サーヴァント!」

 

 モコリ、と夜闇になった屋上が沸き立つと、地面から何十、何百という手が伸びて来た。

 これらは『ヨルリアン』の取り巻き『ナイトメア』と似た様なものだ。

 だが現れるのが手のみである分、その数は『ナイトメア』よりも圧倒的に多い。

 それらが闇色の帯相手に苦戦するクロスハートとクロスナイトへ迫る!

 これはまずい、と悟ったクロスナイトは一声を叫ぶ。

 

「クロスハート!」

 

 と。

 その視線だけで何となくクロスハートには意図が察せられた。

 クロスナイトは視線でこう言っていた。

 

 いつも通りでいい。

 

 と。

 そうだ。

 クロスナイトにはいつも無茶に付き合わせて来た。

 今だって彼女や萌絵や他の皆に支えられてオオセルザンコウの元まで辿り着く事が出来たのだ。

 だったら、どんな無茶をしてでも自分の願いを押し通すしかない。

 即ち……。

 

「オオセルザンコウちゃんは取り返す! 絶対に!」

 

 クロスハートは頷き前に出る。

 ただひたすらに両手で闇色の帯を噛みちぎり、伸びて来るナイト・サーヴァントの手を蹴りつけて前へ進む。

 そんな事をすれば後ろからの攻撃に無防備になる。

 だが……。

 

「そうです。それでこそクロスハートです!」

 

 その背中はクロスナイトが守っていた。

 投げ捨てたミラーシェードの下にある瞳には金色と青色の炎が宿っていた。

 セルゲンブを相手にしても温存していた『野生解放』をついに使ったのだ。

 クロスハートは背中を振り返らなくても分かる。

 クロスナイトが前以外の攻撃は絶対に防いでくれると。

 二人は迫り来る“夜”に抗いジリジリと歩を進める。

 さすがにいくらかの攻撃は届いてしまうが、それでも二人の前進は止まらない。

 

「なぜ……」

 

 必死に迫って来るクロスハートとクロスナイトの姿に『ヨルリアン』にも変化があった。

 その瞳にわずかばかりの光が戻っていたのだ。

 二人が必死にここまで辿り着こうとしているのは『ヨルリアン』を倒す為ばかりではない。

 先にクロスハートが言った通り、オオセルザンコウを取り戻す為でもあるのだ。

 

「何故そんなに必死になる! 私が何をしたのかわかっているだろう!」

 

 オオセルザンコウは、この世界を滅ぼす為にセルゲンブに加担した。

 

「私はセルリアンフレンズだ! お前達の敵だ! この世界の敵だ!」

 

 オオセルザンコウは信じていた。

 この世界の“輝き”を保全して永遠のものとすればハクトウワシもヤマさんも商店街の皆もきっと喜んでくれる、と。

 だが、そんな事はなかった。

 むしろ、それはこの世界を滅ぼす事だった。

 オオセルザンコウはセルゲンブに欺かれていたと言っていい。

 それでも彼女はセルゲンブに従う事を選んだ。

 彼女は自らの意思でこの世界の敵になったのだ。

 

「そんな私を取り返すだと!? 笑わせるな! 私を倒さない限りこの世界は滅ぶんだ! 私を倒せ! 殺す気で来い!」

 

 オオセルザンコウは腕をがむしゃらに振り回した。

 それに応じて闇色の帯が何度もクロスハートに殺到する。

 それでもそれを引きちぎってクロスハートは前進をやめない。

 

「イヤだね!」

 

 そしてクロスハートはきっぱりと言った。

 

「アタシは楽しかった! オオセルザンコウちゃん達と一緒に『グルメキャッスル』出来て楽しかった! 一緒にご飯食べて楽しかった! 一緒に戦えて楽しかった! 喧嘩もしたけど楽しかった!」

 

 もうクロスハートはオオセルザンコウこと『ヨルリアン』まであと三歩の距離へと詰めていた。

 

「だから絶対に取り返す! これはアタシがそうしたいの! アタシの我がまま! オオセルザンコウちゃんがどう言ったって絶対助ける!」

 

 さらに一歩を詰めてあと二歩。

 『ヨルリアン』の左腕が直接振るわれる。

 

「そんな理屈があるか!」

「知るかっ! アタシはオオセルザンコウちゃんの敵だから言う事聞いてなんてあげない!」

 

 だが、懐まで潜り込んだクロスハートは振るわれた左腕に自らの右腕をあげて受け止める。

 

「でもって……! オオセルザンコウちゃんはアタシの友達だよ! 絶対助ける!」

 

 さらに一歩を詰めて残り一歩。

 

「都合が良すぎだろう!? 敵だけど友達だと!? どんな矛盾だ!」

 

 オオセルザンコウは右腕のアームグローブを棘状に変化させた。

 これで受け止める事は出来ない。

 そのままそれをクロスハートへ向けて叩きつける!

 

「知らないよ! オオセルザンコウちゃんもセルシコウちゃんもマセルカちゃんも敵だけど友達だもん!」

 

―ガシリ。

 

 棘状になったその腕をクロスハートは自らの左腕で受け止める。

 ズクリ、と異物が掌に差し込まれた感覚がしてやたらと熱くなるけれど構わない。

 そのままオオセルザンコウこと『ヨルリアン』の両手を抑え込んだままさらに一歩。

 とうとうクロスハートはオオセルザンコウの元へ辿り着くと声の限りに叫んだ。

 

「いいから黙って助けられなよ! じゃないと『グルメキャッスル』のメニューを全部ともえスペシャルにするからね!!」

 

―ガァン!

 

 そのまま放たれた頭突きがオオセルザンコウの額に叩き込まれる。

 『ヨルリアン』になっても変わらず残っていた鱗を模した帽子がズレて額の『石』が露わになる。

 と同時、オオセルザンコウも思い出していた。

 皆で夏休みにやったアルバイトや、夏祭りで『グルメキャッスル』(屋台)を出店した事。

 さらに皆で挑んだ屋台料理対決。

 料理対決に最後の一押しが欲しくて、イチかバチか皆で『ともえスペシャル』を試食しまくった事。

 あれはヒドかった。

 最後の最後で成功品が出来たからよかったがヒドかった。

 本当にヒドかった。

 けれど。

 楽しかった。

 楽しい時間だったのだ。

 またそうして過ごしたいと思える程に。

 このまま『ヨルリアン』になって消えてしまったならそれは叶わない。

 消えたくない。

 またあんなバカらしい時間を過ごしたい。

 そしてハクトウワシのアパートに帰って、明日はどんな事が待っているのか楽しみに眠りたい。

 そんな未来をオオセルザンコウは捨ててしまった。

 いいや。

 元からそんな未来などなかった。なんせオオセルザンコウは、この世界の“輝き”を保全し彼女の故郷と同じように雪と氷に閉ざす為に送り込まれたのだ。

 だから、どんな顔をしてクロスハート、いや、ともえの差し出してくれた手に縋れるというのか。

 それでも。

 それでもオオセルザンコウの口からは本音が一言漏れていた。

 

「消えたくない……。助けて……」

 

 と。

 そんな願いを聞いてくれる者はいない。

 そう。

 助けを求めたら必ず助けてくれる、そんなヒーローを除いては。

 

「任せなよ!!!」

 

 クロスハートは声の限りに叫ぶ。

 

「クロスナイトォオオオオオッ!!」

「はいッ!!」

 

 オオセルザンコウの両手は封じた。クロスハートが前進してきたという事はその後ろに付き従うクロスナイトだって前進しているという事だ。

 この場面でクロスナイトならオオセルザンコウの『石』を狙える。

 だが。

 オオセルザンコウの目の前は真っ暗になった。

 何も絶望したからそうなったわけではない。

 物理的に目の前が暗闇に覆われたのだ。

 それは『ヨルリアン』の持つ防御技、『夜の帳』が展開されたせいだ。

 幕となった暗闇が幾重にも折り重なりクロスナイトとオオセルザンコウの間を阻む。

 『ヨルリアン』の意思がオオセルザンコウを無視して咄嗟に防御技を発動させたのだ。

 

―ボスッ

 

 クロスナイトはまるでカーテンを殴ったかのような手応えのなさを感じていた。

 今、ここで『石』を砕けるだけの攻撃を仕掛ければオオセルザンコウを助ける事が出来る。

 何故なら、先の戦いでも『石』を砕くはずだった攻撃はセルメダルを身代わりにしただけだったのだから。

 つまり、ここでオオセルザンコウの『石』を砕けるだけの攻撃をすれば“アクセプター”の機能により『ヨルリアン』のセルメダルだけを破壊できるはずだった。

 けれど、後一歩が遠い。

 『夜の帳』を掻き分け、なおも攻撃を繰り出そうとするクロスナイトだったが、その防御を越える事が出来ない。

 どうする。

 あと一歩だというのに。

 

「大丈夫! アタシを信じて!」

 

 オオセルザンコウの両腕を封じたままのクロスハートが言う。

 クロスハートが……、いや、ともえが言うなら信じるとも。

 クロスナイトはそう信じてなおも攻撃を止めない。

 その背中がまるで押されるように感じられた。

 それどころかクロスナイトの身体には力が漲ってくるではないか。

 

「こ、これは……!?」

 

 理屈はわからないがクロスハートが何かしたのだろう。

 それは先に萌絵がやってみせた事と同じである。

 

「アタシがヒトのフレンズとしてフレンズちゃん達の力を借りられるなら、逆に貸す事だって出来るよね」

 

 つまりそういう事だ。

 クロスナイトは今まさに、ともえの力を借りてさらなる変身の時を迎えたのだ!

 

「変身ッ! クロスナイト・ハウンドフォームッ!」

 

 クロスナイトの毛足が長く伸びてふさふさに。

 尻尾もさらに一回り大きくやわらかな毛に覆われた。

 犬の顔を模した手甲もまるで猟犬のように鋭い目つきに代わっているし、レッグガードはグリーブ状に変形してつま先からは鋭い爪が伸びる。

 これこそが、クロスナイトの新たな変身フォーム、クロスナイト・ハウンドフォームである。

 

「ぁあぉおおおおん!」

 

 クロスナイトは咆哮と共に『夜の帳』を力任せに引き裂いた。

 優秀な猟犬を前に隠れおおせる獲物などいない。『ヨルリアン』もまたそうだった。

 

「スーパー・ワンだふるアタァアアアアック!」

 

 両掌をあわせてそれを獣の顎に見立てる。

 猟犬の牙は確かに『ヨルリアン』の、オオセルザンコウの『石』を捉えた。

 そのまま嚙み砕けば、狙い通り『石』にスリットが現れると『ヨルリアン』のセルメダルが排出される。

 

―ピシリ。

 

 排出されたセルメダルにヒビが入ると、『石』の代わりとばかりに……。

 

―パッカァアアアアン!

 

 と砕け散った。

 と同時、ガクリと崩れ落ちるオオセルザンコウ。

 先程まで纏っていたナイトドレスも、元の衣装に戻っている。

 

「わ、私は……うぅ……」

 

 長時間『ヨルリアン』になっていたダメージがあるようで、どうも意識はハッキリしないようだが命に別状はなさそうだ。

 クロスハートは膝を付きそうになるオオセルザンコウを受け止める。その耳元にオオセルザンコウの呟きが届いた。

 

「ともえスペシャルは勘弁してくれ……」

 

 耳元でそんな事を言うオオセルザンコウにクロスハートは苦笑する。

 

「クロスナイト、オオセルザンコウちゃんをお願い」

 

 クロスハートはオオセルザンコウの無事を確かめると、クロスナイトへと託す。

 なんせ彼女にはもう一つの大仕事が残っているのだから。

 

「じゃあ、行ってくるね」

「はい。お気をつけて」

 

 クロスハートは屋上から駅前ロータリーを見下ろす。

 そこでは萌絵が変身したもう一人のクロスハートとセルゲンブが激闘を繰り広げていた。

 

「チェンジ! 人面魚フォームッ!!」

 

 クロスハートは着崩した浴衣姿の人面魚フォームへ変身すると、屋上から高く高く身を躍らせた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「おぉりゃぁああああああああっ!!」

『ぐ、ぐぬぅうううう!?』

 

 駅前ロータリーではクロスハートの『ラモリドリル』と、セルゲンブの『五連多重結界』が激突し火花を散らす。

 それはまさに最強の矛と盾の戦いだった。

 『ラモリドリル』はドリルだけに固い防御を掘り進むのに適している。

 相性の上では『ラモリドリル』に分があった。

 

―バキィイイイン!

 

 甲高い音を立てて、また一枚、宙空に展開された障壁が破壊される。

 残るは三枚。

 だがしかし……。

 

『甘いわッ!』

 

 割れた分の二枚が後ろ側に再展開される。

 これこそが『五連多重結界』を誰もが破る事の出来なかった理由である。

 一枚の障壁を破っても、その後ろ側に再び障壁を展開されてしまう。

 『五連多重結界』と言いつつその実は『無限多重結界』と言っていい。

 これを破るには五枚全ての障壁を一度に破壊するか、障壁の展開されない場所を狙うしかない。

 

『この『五連多重結界』を破れた者は百年以上おらぬわ!』

 

 そう。

 セルゲンブが四神として生を受けて以来、この技を破った者などいない。

 

『ましてや貴様のような小娘に貫けるわけがないッ!!』

 

 また一枚障壁が砕かれるものの、再びその後ろに障壁が展開される。

 そうするうちに『ラモリドリル』の回転が鈍って来た。

 いくらクロスハートが展開した武装といってもエネルギー切れの宿命からは逃れられない。

 このままでは、セルゲンブの『石』へ辿り着く事は出来ない。

 だが。

 

「それがどうしたの! アタシだって生まれてからずっとお姉ちゃんだった! いや、ほんの二ヶ月くらい一人っ子だったみたいだけどそんなのどうでもいい! アタシは十三年と三ヶ月お姉ちゃんだったもん!」

 

 いや、それがどうしたと言いたいのはセルゲンブの方であった。

 だがクロスハートの気合は留まる事を知らない。

 再び『ラモリドリル』の回転が勢いを取り戻す。

 おそらくそこにはクロスハートにしかわからない彼女なりの信念か何かがあるのだろう。

 

「妹が泣いてた! だったらお姉ちゃんは妹を笑顔にしなきゃいけない! 何が何でも!!」

 

 クロスハートは空いている左腕をバッと伸ばす。

 そこに、先ほどルリ……いや、クロスラピスの使った『ジュエル・クロス・バイス』が現れる。

 だが、それは既に使用後。弾切れのはずだ。

 けれど……。

 

「それがアタシの……! アタシが生まれてこの方ずぅううっと張り続けたお姉ちゃんの意地だぁあああああッ!!」

 

 叫びつつクロスハートは左腕の『ジュエル・クロス・バイス』を右腕の『ラモリドリル』に接続した。

 当然合体機能があるはずがない。

 

「大丈夫! 未来で作るから!!」

 

 そう。

 未来で作るはずだった発明品を今使える。

 それこそが萌絵の変身したクロスハート最大の強みだ。

 当然、弾切れだって問題ない。

 油圧を充填したものを持ってくればいいのだから。

 『ジュエル・クロス・バイス』のアキュムレータから『ラモリドリル』へ油圧の力が伝わりさらにドリルの回転が速さを増した!

 

「いっけぇええええええええええ!」

 

 クロスハートが吠える。

 

―バキバキバキバキィイイイン!

 

 連続して障壁が砕ける音が響いた。

 四枚を砕いて残り一枚。

 

『そんな……! そんなもので我の防御を破れるものかっ!?』

 

 セルゲンブは全ての力と意識を防御に集中し、『五連多重結界』を張り直す。

 今度は防御範囲をより小さくした代わりに、より厚くより強固な障壁だ。

 姉の意地などというわけのわからないもので貫けるはずがない。

 が。

 

『?』

 

 セルゲンブはあまりの手応えのなさに訝しんだ。

 『ラモリドリル』はもう止められていた。

 既に役目は終わった、とばかりに。

 そしてクロスハートの顔を見れば、作戦成功とばかりにニンマリと笑顔を浮かべていた。

 

「あのね、セルゲンブちゃん。アタシが出来ない事は大抵もう一人のクロスハートが出来るんだよ?」

 

 セルゲンブがふと気づけば、“夜”に沈んだはず空に光が差し込んでいる。

 まさか『ヨルリアン』が倒されたというのか。

 そう悟って空を見上げた時、セルゲンブの目に飛び込んで来たのは巨大な水の龍だった。

 

「ひぃいいっさつ! ドラゴンフォールッ!!」

 

 叫びと共にセルゲンブ目がけて落ちて来るのは、人面魚フォームからさらにエクストラフォームであるセイリュウフォームへ変身したもう一人のクロスハートであった。

 『ラモリドリル』を防ぐのに手一杯だったセルゲンブは完全に無防備。

 天から落ちて来る水の龍を防ぐ事が出来なかった。

 

―パッカァアアアアアン!

 

 セルゲンブの『石』に水の龍が直撃し、ついにその『石』が砕け散る。

 と同時、巨大霊亀も解けるようにして消えると、後には元の姿へと戻ったセルゲンブが残された。

 いや、セルリアンフレンズの『石』を砕かれたのだから今はゲンブと呼ぶべきだろうか。

 『石』が砕かれたのと、長年セルリアンフレンズであった後遺症により立つことすらままならない。

 

「完敗か……」

 

 ここに至ってゲンブは己の負けを認めた。

 まさか四神の力までも引っ張り出して来るなどとは思わなかった。

 セルゲンブが相手にしていたのはヒトの叡智どころではない。

 ヒトとフレンズが仲良く暮らすこの世界そのものだったのだ。

 これでは負けるのも当然であろう。

 

「異世界の戦士達よ。我を倒した強き戦士達よ。最後にその名前を聞いておこう」

 

 二人のクロスハートはゲンブの言葉に一度顔を見合わせる。

 そして高らかに宣言した。

 せっかくなので決めポーズもつけて。

 

「アタシが」

「アタシ達が」

「「通りすがりの正義の味方、クロスハートだよ」」

 

 

 

―③へ続く。

 




【セルリアン情報公開:セルゲンブ(フレンズ形態)】

 四神ゲンブにセルリアンが憑りついたセルリアンフレンズ。
 異世界の四神の一柱である。
 策を考えるのが得意であり、オオセルザンコウ、セルシコウ、マセルカの三人を別世界に送り込んだのも彼女である。
 また、本人曰く「目的の為なら手段を選ばない冷酷無比な性格」なのだそうだ。
 戦闘スタイルとしては、相手の技を防御しながら実力を測り、その実力に見合った技で反撃するカウンターが主体である。
 三枚同時に展開できる亀の甲羅を模した『三連多重結界』など強力な防御技を持っており、その防御を破る事は困難だ。
 さらに、真の姿として巨大霊亀と化す事も出来る。
 四神の名を冠するに相応しい強大なフレンズである。


【セルリアン情報公開:セルゲンブ(巨大霊亀)】

 セルゲンブの真の姿である。
 その外見は巨大な亀であり尻尾部分が蛇となっている。
 まさにおとぎ話に出て来るゲンブの姿である。
 この形態ではパワーや防御力が上がっているのはもちろん、『五連多重結界』や絶対矛盾障壁《アキレスと亀》などの強力な防御技も使えるようになる。
 巨大になった事で死角なども増えてしまうが、圧倒的なパワーから繰り出される攻撃をかいくぐってその防御を破る事は非常に困難だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話『その名はやっぱりクロスハート』③

【前書き】

 今回のお話をもって、けものフレンズRクロスハート第3章は完結となります。
 どんな結末を迎えるのか、是非皆様の目で確かめていただきたいです。
 それではお付き合いの程、よろしくお願いします。



 

 

「オオセルザンコウさん。調子はどうですか?」

「ああ。ヤマバクさん。世話をかけるな」

 

 色鳥町が“夜”に沈んだ事件が終わって数日。

 オオセルザンコウは『ヨルリアン』のセルメダルを使った影響で病院に救急搬送された。

 そしてそのまま入院である。その直後からしばらくの間眠り込んでしまい、意識を取り戻したのが今日の事だ。

 『ヨルリアン』のセルメダルが砕かれ、セルゲンブも倒された事で事件は解決を見た。

 あれだけの事件にも関わらず、重傷者は二名。

 元セルゲンブであるゲンブとオオセルザンコウの二人だ。

 何かと事件の後処理に忙しいヤマさんや、怪我を負いながらも軽症だったのですぐに現場復帰したハクトウワシの二人に代わって、入院中の世話を焼きに来たのがヤマバクだ。

 ヤマバクはオオセルザンコウの意識が戻るまでずっと付き添ってくれていたし、今もこうして側にいてくれた。

 彼女はヤマさんの奥さんらしい。随分と年齢が離れているように思えて、最初オオセルザンコウもびっくりした。

 ヤマバクはその名の通り、ヤマバクのフレンズだ。

 何でも随分前にヤマさんに保護され、一緒に生活するようになって、そしてそのまま結婚したらしい。

 色々と気にかかる部分はあるが、それでもオオセルザンコウが今一番気にかけているのはあの後一体どうなったのか、という事だ。

 

「そうですね……。世間は大騒ぎですよ。謎の新生物、セルリアンのせいで」

 

 そんな気がかりにヤマバクはベットサイドでリンゴを剥きながら教えてくれた。

 結局あの事件は表向き、新生物であるセルリアンの仕業という事になっていた。

 ニュースではその話題で持ち切りだったらしい。オオセルザンコウは気を失っていたのでその辺りは全然わからないが。

 

「ちょうど、会見のニュースが流れる頃ですから見てみましょうか」

 

 ヤマバクはテレビのリモコンを操作してスイッチを入れる。

 いくつかチャンネルを変える間でもなく、目的のニュースにすぐに行き当たった辺り、やはりそれだけの大事件だったのだろう。

 テレビの中では警察の制服を着た年配の男性がマイクの沢山乗った檀上で何かを説明している。

 どうやらこれは警察の公式発表なのだろう。

 

『今回発生した原因不明の皆既日食、停電、市内数ヵ所での設備破壊、駅ビルへの破壊。先にも説明しました通り、これらは全て存在が確認された新生物セルリアンの手によるものです』

 

 テレビの音声にオオセルザンコウはホッと一息を吐く。

 自分はともかく、セルシコウとマセルカの名前が出なかった事に安心した。

 今はこの場にいない二人がどうなっているのか。今回の事件で責められたりしていたら怪我を押してでも二人のところに駆けつけなければならない。

 

「安心して下さい。セルシコウさんもマセルカさんもちゃんと無事でいますから。怪我もなくて元気なものですよ」

 

 そんな心配がわかるのか、ヤマバクは身を起しかけたオオセルザンコウを再びベットに戻すと、彼女が見やすいようにテレビの角度を調節してくれる。

 

「まぁ、悪いようにはなりませんよ」

 

 そう言って微笑むヤマバクに今は甘えるしかない。

 一体これから自分達がどうなってしまうのか。それを知る為にもオオセルザンコウは視線をテレビへと戻した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥警察署署長は会見原稿を読みながら冷や汗が止まらない。

 なんせ、原稿を読む事は出来るがこの先に訪れる記者達の質問に答える事なんて一つとして出来るかどうかわからないからだ。

 それなのに会見に集まった記者達は誰もが殺気立った様子で質問を浴びせかけようと待ち構えていた。

 

「(猛獣の檻に入れられたウサギはこんな気分なのかもな)」

 

 思いながら警察署署長はハンカチで一度冷や汗を拭ってから読み終えた原稿を閉じる。

 そして意を決して言った。

 

「それでは、質疑応答に移らせていただきます」

 

 待っていました、とばかりに記者達が一斉に手を挙げて発言を求める。

 

「今回の事件は新生物のセルリアンが引き起こしたものとおっしゃいましたが、セルリアンとは一体どんな生物なのですか!?」

 

 まず最初の質問に警察署署長は傍らの人物を振り返る。

 

「その質問には専門家から答えていただきましょう。サンドスター研究所所長、ドクター遠坂です」

 

 会見にはドクター遠坂も同席していた。

 ここで下手を打てば、世間は存在が暴露されてしまったセルリアンによってたちまちパニックに陥るだろう。

 彼にとってはここからが正念場である。

 せっかく娘達が守ってくれた街だ。その頑張りを無駄にする事だけはするまい。

 大丈夫、既にシナリオは出来上がっている。

 ドクター遠坂は深呼吸すると勢いよく立ち上がり白衣を翻させた。

 

「ご紹介に預かりました、サンドスター研究所所長、ドクター遠坂です」

 

 一つ礼をするとそれだけで会場は一度静まり返る。

 現在、ドクター遠坂はサンドスター研究所所員達総出で身だしなみを整えられていた。

 シワ一つないYシャツにビシリと締められたネクタイ、それに染み一つない白衣。さらに磨き上げられた眼鏡のレンズは光を放ちどこから見ても出来る科学者という見た目だ。

 実は会見前に女性所員達がテレビ映りがいいようにメイクまで施してくれたのだが、おかげで主導権(イニシアティブ)を握る事に成功した。

 それにドクター遠坂はちゃんとしてさえいればカッコいいのだ。

 

「まず、セルリアンは簡単に言えば不定形の生物になります。彼らは様々なものに憑りつきその特性を模倣して身体を構築するのです」

「あ、あのー……。もう少しわかりやすく説明していただけると……」

 

 それだけの物言いでは理解が追い付かない。

 記者達の戸惑いの視線にドクター遠坂は一つ頷くと自分の目の前にあったマイクをスタンドから取り外して軽く掲げて見せる。

 

「例えばですがここにマイクがあります。このマイクにセルリアンが憑りつけば、マイクの特性を模倣した『マイクのセルリアン』が誕生します」

 

―ザワザワザワ……。

 

 新種の生物、その存在を明かされて記者達はさらに戸惑う。

 それをどう考えていいのか分からないのだろう。

 だが、この戸惑いが広がっている今がチャンスだろう。

 ドクター遠坂はさらに言葉を続ける。

 

「まず、セルリアンの知能レベルについては様々です。会話を成り立たせるものから、昆虫と同程度のものや、反射反応を見せる程度のものまで」

 

 再びそれに記者達がざわつく。

 会話が出来る者もいるという事ならその知能レベルは相当高いのではないだろうか。

 ドクター遠坂は機先を制して先に釘を刺しておく事にした。

 

「ご安心下さい。全てのセルリアンが人類に敵対的であるとは限りません」

 

 それで記者達にも安心の空気が広がった。

 だが、そのまま終わらせるわけにはいかない。今後の為にも。

 やはり記者達の中にも気が付くものがいて質問をぶつけて来た。

 

「で、では人類に敵対的なセルリアンもいる、という事ですか?」

 

 当然そうなる。

 ルリや彼女の家にいるイリアやレミィ、青龍神社にいるドール=ドールのような者ばかりではない。

 

「はい。そうした人類に害を為すセルリアンもいると考えてよいでしょう。今回の事件もそうしたセルリアンが起こしたのですから」

 

 それは認めなくてはならない。

 

「な、ならば今後もセルリアンによる被害は発生するのですか!?」

「どうやってそれに対抗するのですか!?」

 

 ハチの巣を突いたような騒ぎになりかけるのをドクター遠坂は手で制する。

 

「我々、サンドスター研究所ではセルリアンの研究も行っていました。余りにも実数やサンプルが少なかった為、研究成果は芳しくなく発表に至りませんでしたが、危険性は認識しておりました」

 

 そこでドクター遠坂は先ほどから沈黙を守っている警察署署長へ視線を送る。

 打ち合わせ通りに、と。

 

「はい、我々警察もセルリアンの危険性についてサンドスター研究所から指摘を受けて、今回のような事件に対抗する準備を進めていました」

 

 警察署署長はゴホン、と咳払い一つ。

 居住まいを正すと立ち上がり言った。

 

「それではご紹介しましょう。今回出現した災害級セルリアンを倒し街を救った英雄(ヒーロー)を」

 

 その言葉に記者達も思い至った。

 最近噂になっている通りすがりの正義の味方を。

 つまり今から現れるのは……。

 

「(クロスハートだろうなぁ)」

「(クロスハートだよなぁ)」

「(クロスハートに違いない。俺は詳しいんだ)」

 

 誰もが異口同音にそう思っていた。

 

「入り給え! キャプテン・ハクトウワシ!」

 

 そして警察署署長の呼んだ名前に記者達は同じように思った。

 

「「「「「「「誰!?」」」」」」

 

 と。

 そんな記者達に構わず会見場には一人のフレンズが入って来た。

 真っ白な長髪に前髪の一房だけが黄色く色づいた髪。

 黒を基調としたマーチングバンドのようなジャケット。深い青色のミニスカートの下は黒のストッキングで覆われていた。

 頭からは鳥系フレンズの特徴である翼が一対生えている。

 そして、その目元はミラーシェードで隠されて、一応だけれど正体がわからないようになっていた。

 テレビを見ていたオオセルザンコウは開いた口が塞がらない。

 それはどこからどう見てもハクトウワシだったからだ。

 そんな記者達やオオセルザンコウの戸惑いを余所に、警察署署長は高らかに宣言する。

 

「セルリアンの脅威が現実のものとなった今、我々警察はキャプテン・ハクトウワシを中心にして新たなセルリアン対策課を新設します!」

 

―おお……。

 

 戸惑いと感嘆の混じった声が漏れる。

 警察が既にセルリアン対策を行っていたという安心が半分。果たしてそれが本当に有効なのかという不安が半分と言ったところだろうか。

 そこにキャプテン・ハクトウワシが口を開いた。

 

「皆さん、セルリアンの出現に不安を抱いていると思うわ。けれど、No Problem! 悪い事をするセルリアンは警察が取り締まる。今までと何も代わりないわ!」

 

 キッパリとそう言い切られれば安心の方が勝っていく。

 警察がセルリアンに対しても機能するのならば今までと変わらない生活が送れるはずだ。

 

「けど一方で無害なセルリアンだっているの。だからもしもセルリアンかなって思ったら警察に相談して。無害なセルリアンは保護するし、悪い事をするセルリアンなら取り締まるわ」

 

 そしてテロップで警察のセルリアン相談窓口が表示される。

 どうやらその相談窓口は「セルリアンかも?」という疑問があった程度でも相談していいらしい。

 なんせ警察でもその他の省庁でもセルリアンの情報は些細なものでも必要としているのだから。

 一通りの熱弁を振るったキャプテン・ハクトウワシの隣にドクター遠坂が並ぶ。

 

「先にキャプテン・ハクトウワシが言った通り無害なセルリアンもおります。彼らは我々と共存し新たな社会を築く一員となれるかもしれません」

 

 だから、とドクター遠坂はキャプテン・ハクトウワシの手を取り、固く握手してみせる。

 

「我々サンドスター研究所は警察とキャプテン・ハクトウワシに全面協力します。無害なセルリアンを保護し、危険なセルリアンから皆さんを守る為に」

 

 その場面に一斉にカメラのシャッターが切られた。

 明日の朝刊にはきっとこの写真が使われるのだろう。

 この日、セルリアンは人々の知るところとなったが、混乱は起こらなかった。

 警察が公的にセルリアンへの対処と人々の安全を保障してくれた事が大きな理由だろう。

 ただ会見の主役を演じたドクター遠坂も警察署署長も、そしてキャプテン・ハクトウワシもこれからが大変だ、と新たな冷や汗を浮かべるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 オオセルザンコウの病室ではテレビの中でなおもドクター遠坂が記者達の質問に答えていた。

 そこにはキャプテン・ハクトウワシも一緒に映っている。

 

「な、なんでハクトウワシが……」

 

 そこにヤマバクが皮を剥いてウサギさん型にしたリンゴを差し出しつつ言う。

 

「そうですね。ご存知だとは思いますが、ハクトウワシさんが事件を解決したわけではありません。ですが、貴女達セルリアンフレンズやクロスハート達の存在を隠すには誰かが分かりやすい英雄を演じる必要があったんでしょう」

「それがハクトウワシ、というわけか」

「ええ。ただ、彼女は納得して今回の役を引き受けたそうですよ」

 

 その理由は想像に難くない。

 きっとオオセルザンコウやセルシコウやマセルカに罪を被せない為だ。

 

「そうでしょうね。それに元セルゲンブさんにも」

 

 ヤマバクに言われて思い出した。

 元セルゲンブは一体どうなったのか。

 

「元セルゲンブなゲンブさんはサンドスター研究所で治療を受けていますよ。まともに動けるようになるには年単位のリハビリが必要でしょうが」

 

 それにオオセルザンコウはやはり、よかった、と思う。

 どんな感情が湧いてくるのかと思ったが、彼女の無事に安堵している自分がいた。

 先にこの世界に来ていたセルスザクと同じように『石』を砕かれたせいでオオセルザンコウよりも重症ではあるが、セルゲンブも命が助かった事にホッとしている。

 だがいいんだろうか。

 セルシコウとマセルカはともかく、セルゲンブとオオセルザンコウは今回の主犯と言っていい。

 そんな自分達が何も罰されずにのうのうと過ごしていても。

 そう思い悩むオオセルザンコウの手をヤマバクがとった。

 

「いいんですよ。貴女達を罰するよりも役に立ってもらう方がいいと判断されたのですから。それに……」

 

 それに、一体何だろう、とオオセルザンコウは小首を傾げる。

 

「実はハクトウワシさんにも色々とメリットがありますし」

 

 そう言ってクスクス笑うヤマバクだったが、オオセルザンコウには何が何やら全く分からない。

 そうしてオオセルザンコウが戸惑っていると……。

 

―ガラリ。

 

 と、病室のドアが開いた。

 どうやら新たな人物がやって来たらしい。

 そこにいたのは……

 

「は、ハクトウワシ!?」

 

 だった。

 オオセルザンコウは慌ててテレビを見る。

 そこではやはり変わらずキャプテン・ハクトウワシが映っていた。

 どういう事だろう、と目を白黒させるオオセルザンコウにヤマバクが種明かしをしてくれた。

 

「実はその会見放送、生放送じゃなくて再放送なんです」

 

 てっきり生放送かと思っていたが、どうやらそうではない。

 オオセルザンコウが眠り続けていた間にとっくに本放送は終わっていたのだ。

 さらにハクトウワシの後ろにはセルシコウとマセルカもいた。

 全員が無事なのをその目で見る事が出来てオオセルザンコウは改めて心底安心した。

 それはハクトウワシもセルシコウもマセルカも変わらない。

 マセルカがベットのオオセルザンコウに飛びついて来た。

 

「よかったー! オオセルザンコウ目を覚ましたんだね!」

「本当ですよ。大分心配したんですから」

 

 マセルカのダイブはセルシコウが素早く阻止していた。

 まだ全身が痛いオオセルザンコウとしては助かった、とホッと一息である。

 しかし、三人を前にしたオオセルザンコウの顔が曇った。

 なんせ、彼女達には何から謝っていいやら分からない。

 そうして戸惑うオオセルザンコウの顔をハクトウワシが覗き込んでいた。

 

「は、ハクトウワシ……私は……」

「知ってるわ。セルリアンフレンズなんでしょう?」

 

 何とか言葉を紡ごうとするオオセルザンコウの先をハクトウワシが遮った。

 

「それでも、私がこれから言う事は変わらないわ」

 

 ハクトウワシはオオセルザンコウの両手をとるとキッパリと言った。

 

「オオセルザンコウ、セルシコウ、マセルカ。三人とも正式に私の家族になって欲しいの」

 

 まさかそんな事を言われるとは思っていなかったオオセルザンコウは固まってしまう。

 その無反応具合にハクトウワシは、もしかしてイヤだっただろうか、と慌てた。

 

「ほ、ほら。私、今度新設されるセルリアン対策課の暫定課長って事になるじゃない? 大出世なわけで、当然お給料もアップするのよ! だから貴女達三人とも正式に引き取れるの!」

 

 なるほど、ヤマバクが言っていたハクトウワシのメリットとはこれだったか。

 嬉しくないわけがない。

 けれどオオセルザンコウはこう言わざるを得なかった。

 

「い、いいのか……?」

 

 と。

 オオセルザンコウはあれだけの事をしでかしたのだ。

 本来なら厳しく罰せられなくてはならない。

 それが罰せられるどころか、今まで通りハクトウワシとセルシコウとマセルカと一緒に暮らせるというのだ。

 

「まぁ……その、条件が二つ程あるわ」

 

 まぁ無条件なわけがないよな、とオオセルザンコウも続くハクトウワシの言葉を待つ。

 

「オオセルザンコウ。貴女も学校に通うの。それでこの世界の事を学んで欲しいの。そうしたらもう悪い事なんてしないでしょう?」

 

 またもやぬる過ぎる条件にオオセルザンコウの方が面食らっていた。

 そんな事でいいのか、と。

 それに学校というのには興味もあった。

 任務達成の為にもお金を稼ぐ必要があったから学校に行く暇なんてなかったけれど。

 それが学校に行けるというなら、願ったり叶ったりだ。

 

「それにですねぇ、今回の皆さんの行動をどういう法律に照らし合わせたらいいのか分からないっていう事情もあるんですよ。だから罰を与えるよりもきちんと保護した方がいいっていうのが最終的な判断です」

 

 とヤマバクが補足してくれた。

 つまり、これでオオセルザンコウ達は名実ともにハクトウワシの家族になれるわけだ。

 

「ん……? ちょっと待て。条件は二つあるって言っていたよな? もう一つは一体何なんだい?」

 

 オオセルザンコウが訊ねると今度はセルシコウとマセルカがにんまりと笑っていた。

 そして懐から二つ折りの手帳のような物をそれぞれに取り出す。

 

「あのねあのね、マセルカ達ね!」

「特別隊員になったんです」

 

 マセルカとセルシコウがかわるがわる言うが何の事か分からない。

 オオセルザンコウは説明を求めてハクトウワシを見た。

 

「そのね……。貴女達にはセルリアン退治を手伝って欲しいの。ぶっちゃけ私一人じゃとてもセルリアン退治なんて出来ないもの」

 

 つまり、特別隊員とは今度警察に新設されるセルリアン対策課の特別隊員という事なのだろう。

 

「あのねあのね! マセルカが特別隊員No3なの!」

「で、私が特別隊員No2なんです」

 

 どうやらマセルカとセルシコウの二人は既にセルリアン対策課の特別隊員となる事を了承したのだろう。

 

「特別隊員No1は空けておきましたよ、オオセルザンコウ」

 

 言ってセルシコウがオオセルザンコウの分だ、とばかりに二つ折りの手帳を差し出してくる。

 それは特別隊員証らしい。

 

「貴女達を罰するよりも役に立ってもらった方がいいって言ったでしょう? 迷惑を掛けた以上に役に立つというのもよいのではありませんか?」

 

 そう言ってヤマバクも優しく笑っている。

 

「ね!? お願い、オオセルザンコウッ!」

 

 ハクトウワシは逆に頼み込むようにオオセルザンコウに言った。

 実は事件の後、キャプテン・ハクトウワシになる事を決めたハクトウワシの為にドクター遠坂と和香教授と萌絵が三人して変身アイテムを作ってくれた。

 その名もキャプテン・アクセラレーターである。

 それで変身した姿が今もテレビの中に映るキャプテン・ハクトウワシというわけだ。

 ところがどっこい、問題が一つ。

 ハクトウワシはイエイヌのように元から強い異世界のフレンズというわけでもないし、エゾオオカミのように適合する“メモリークリスタル”もなかった。

 そういうわけで、キャプテン・ハクトウワシは見た目の変身は出来ているが、それで身体能力が伸びているわけでもなければ強大なセルリアンを倒せるようになったわけでもない。

 ハッキリ言ってハリボテもいいところなのだ。

 なので、セルリアン対策課がまともに機能する為にはオオセルザンコウとセルシコウとマセルカの協力も必要不可欠だったりする。

 

「まったく、呆れた話だな」

 

 そんな内情を知ってしまってオオセルザンコウは苦笑いしていた。

 

「これではのんびり寝込んでる場合でもないじゃないか。さっさと治してハクトウワシを手伝わないとな」

 

 そんな憎まれ口と共にオオセルザンコウは隊員No1の手帳を受け取る。

 

「でもありがとう。ハクトウワシ、セルシコウ、マセルカ」

 

 そして言いつつハクトウワシに抱き着いた。

 まだ身体は『ヨルリアン』になった影響でギシギシと痛むが構わない。

 気を抜けば嬉しさで涙がこぼれそうなのだから。

 

「それとね、オオセルザンコウ! 特別隊員はマセルカ達三人だけだけど、他にも協力者はたーっくさんいるんだよ!」

 

 マセルカの言にそういえば、とオオセルザンコウも思い出す。

 この世界をずっと守って来た本物のヒーロー達がいる事を。

 

「クロスハート達の事かな?」

「そうそう!」

 

 どうやらクロスハート達はセルリアン対策課への協力者となったらしい。

 有事の際に協力したり情報共有はするが、やる事は今までと大して変わらない。

 もしもセルリアンが現れたなら、いつも通りに通りすがって皆を助けるだけだ。

 

「実はさっきまでともえ達と一緒にいたんですよ」

 

 セルシコウが言いつつマセルカに頷く。

 マセルカはその合図を受けて、商店街から借りている自分用の携帯を取り出した。

 その画面には……。

 

『あ、オオセルザンコウちゃん、元気ぃー?』

 

 ともえが映っていた。後ろの方には萌絵もイエイヌも、かばんもサーバルもアライさんもフェネックも、それにルリもアムールトラもエゾオオカミもユキヒョウもいた。

 どうやら皆無事だったらしい。

 こうして元気にしている姿を見れただけでも嬉しく思えるオオセルザンコウだ。

 それにしても全員集まって何をしていたのだろう?

 どうも、携帯電話の画面を見る限り、そこは屋外らしい。

 その疑問が携帯電話の向こうにいるともえ達にも伝わったのか、彼女達はニヤリと笑っていた。

 

『ほら、実はさ、駅ビルってこのまえセルゲンブちゃんが大暴れして色々壊れちゃったじゃない? だから『グルメキャッスル』をしばらく出店出来なくなったんだけど……』

『なんと! 商店街の皆がだなー! じゃあしばらくの間、屋台を出して欲しいって言ってくれたのだ!』

『あ、後でサオリさんやエミリさんや奈々さんにキタキツネさんやギンギツネさん達も手伝いに来てくれますよ」

『そういうわけで、皆でその相談してたんだー。さっきまでセルシコウもマセルカも一緒だったんだけど、オオセルザンコウが目を覚ましたって聞いたからさー』

 

 あまりにもみんながワチャワチャしているので、携帯の小さな画面に収まりきっていないが、オオセルザンコウには誰が何を言っているのか分かる気がした。

 そして携帯電話の向こうにいる皆が脇にずれると、奥にあった『グルメキャッスル』(屋台)が姿を見せる。

 

『オオセルザンコウちゃんー、早く戻って来ないと本当にメニューがともえスペシャル尽くしになるから頑張って治してね』

『う、うみゃぁああっ!? と、ともえちゃんっ!? イチゴジャムに辛子は絶対合わないよおぉおおお!?』

『ともえちゃん! ステイ! ステイですよぉおおおっ!?』

 

 そんな大騒ぎと共に画面が揺れて暗転した。

 どうやら相手の携帯が倒れてしまったのだろう。

 

『よう、聞こえてるかー。そういうわけだから、もうホント早く治せ。俺らがともえ先輩を抑えてられるのも長くはねーからな』

 

 携帯からエゾオオカミの声だけが聞こえて、それきり画面の向こうでどったんばったん大騒ぎしているのだけが聞こえる。

 最初目が点になっていたオオセルザンコウだったが、くつくつと笑いがこみ上げて来た。

 笑うと傷が痛むけれど、それでも笑わずにはいられなかった。

 目尻に浮かんだ涙は恐らく痛みのせいばかりではない。

 

「やはり、私達は間違っていたんだな」

 

 オオセルザンコウはようやく分かった。

 『グルメキャッスル』(屋台)は苦心の末に手に入れた自分達の“輝き”だ。

 それを保全するから差し出せと言われて納得できるはずがない。

 例えそれでいつでも再現出来るとしたって、それは別の『グルメキャッスル』(屋台)だ。

 自分達がやろうとしていた事はそういう事だったのだ。

 セルシコウとマセルカの二人を見れば同じように頷いてくれていた。

 間違えてしまった過去などなかった事には出来ない。

 ならばこの世界に掛けた迷惑以上に助けてやろうじゃないか、と。

 

「さて、そうと決まったらまずはさっさと治すか」

「ええ。やはりオオセルザンコウがいないとツッコミが足りないですから」

「その意気だよ! オオセルザンコウッ! マセルカも応援しちゃうからっ!」

 

 そんなわけで病室は賑やかだったけれど、そのせいで後で看護師さんに静かにするよう怒られた事を付け加えておく。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 さて。少し時は遡って事件当日。

 オオセルザンコウやゲンブが病院に搬送され、それぞれ怪我した人達の手当なんかも終わって一息ついた後の事である。

 『ナイトメア』によって眠らされた人達も『ヨルリアン』が倒された事で無事に目を覚ました。

 無事に事件が解決した事を悟ったともえ達はいつも通りに家に帰る。

 本当は今日は青龍神社にお泊りの予定だったが、あんな事があった後だ。お泊り会はまた今度に延期である。

 それにしても、気になるのはやはり新たなクロスハートに変身した萌絵の事であった。

 

「もうね! 萌絵お姉ちゃんもイエイヌちゃんもね! すっごいカッコよかったんだよ!」

 

 家に帰ってからともえはテンションマックスで春香に言う。

 おかげで春香はともえの出自を言えずにいた事を謝れなかった。

 だが、それでいい。

 

「ふふ。そうね、萌絵ちゃんもともえちゃんも、もちろんイエイヌちゃんもカッコよかったわ」

 

 ともえがヒトのフレンズであろうが何だろうが萌絵の妹であり春香の娘である事には一切変わりがない。

 それだけでいいのだ。

 

「今日はともえちゃんが食べたいものを作るわ。何かリクエストはある?」

「やった! じゃあお母さんのカレーがいい! もうお腹ペコペコだからたーっくさんお願いね!」

「ええ、任せて」

 

 せめてものお詫びに、今日の晩御飯はともえが好きな物を作ろう。

 春香はそう決めてキッチンへ入った。

 それにあれだけの大仕事の後だ。娘達にはリビングでゆっくりしていてもらいたい。

 だが、ともえはと言えば、まだまだ元気いっぱいだ。

 萌絵が変身してみせたという事に未だ興奮冷めやらないのだ。

 

「ねえねえ! これからは萌絵お姉ちゃんも一緒に変身して戦ってくれるって事だよね!? じゃあさ、じゃあさ、お姉ちゃんにも何か専用の呼び名が欲しくない!?」

 

 ともえはワクワクしながら言う。

 もうテンションが上がりすぎてテーブルに手をつき、脚でピョンピョン跳ねてしまっていた。

 イエイヌの方も似たようなもののようで、こちらも控え目ながらキラキラした目で萌絵を見ている。

 なので、萌絵はこの一言を言うのが凄く心苦しかった。

 

「ごめん。アタシは多分この先よっぽどの事がない限り変身しないと思う」

 

 それにともえもイエイヌも「「なんで!?」」と驚いてしまった。

 萌絵はそのもっともな疑問に頷くと理由を説明するべく指を三本立てた。

 

「理由はね、主に三つあるの」

 

 その三つとは一体何なのか。

 

「まず一つ目の理由ね。アタシはクロスハート・ともえフォームにはなれるけどそれだけなの。アレって見た目がまんまともえちゃんだから、アレで戦ったらクロスハートの正体が思いっきりバレちゃうからね」

 

 確かに、クロスハート・ともえフォームはともえの姿そのものだ。

 ミラーシェードやサングラスで多少の変装は出来るかもしれないが特徴的な髪色や瞳の色をごまかすのは難しいように思える。

 

「それでね、二つ目の理由なんだけどね」

 

 萌絵は一度大きく息を吸うと一息に言った。

 

「ぶっちゃけ、アタシが変身して能力を使うと最悪世界が滅びるかもしれないの」

「「「はぃいいい!?!?」」

 

 あまりの急展開にともえもイエイヌも驚きの声をあげてしまった。

 だが、一体全体どうしてそんな事になるというのだろうか。

 

「アタシのクロスハート・ともえフォームはアタシが未来に作るはずだった道具を今使う事が出来るの。でもね、今日使った道具は未来のアタシから借りたものだから、キチンと作らないといけないの」

 

 言いたい事が分からなくもないけれど、ちょっと難しい話になってきてともえとイエイヌの頭からはぷすぷすと煙が上がり始めた。

 

「つまり、もしアタシが今日使った道具を作らないと、世界は辻褄を合わせる為に多元宇宙理論に基づいて世界を一つ構築しちゃう可能性が高くてね。その際に世界が一つ新たに生まれるだけのエネルギーでビッグ・バンが起こる可能性が……」

 

 萌絵が早口で説明しはじめたせいでとうとう二人の頭は爆発した。

 目をぐるぐる回してる妹達を見かねて、萌絵はなるべく簡単に説明した。

 

「要は、アタシがもし今日使った道具を作れなかったら、世界に矛盾が生じてとんでもない事が起きちゃうかもしれないって事」

 

 つまり、今日萌絵が使った『ラモリドリル』と『ジュエル・クロス・バイス』との合体機構を実現しないと、そこに矛盾が生じてしまう。

 そうなったときどうなるのかは実際なってみないとわからない。

 けれどそれを試したいとも萌絵は思っていなかった。

 

「と、いうわけでラモリさん。後で『ラモリドリル』になれるように改造してあげるね」

 

 抜き足差し足で逃げようとしていたラモリさんは萌絵にあっさり捕まってしまった。

 せっかく静かにして目立たないようにしていたのに、どうやら見破られていたらしい。

 

「た、頼むからお手柔らかにナ……」

 

 ラモリさんとしても自分が『ラモリドリル』にならないと世界にとんでもない事が起きるかもしれないのは理解していた。

 だが、萌絵の手によって改造されてしまう。

 それにはヒドくイヤな予感がしてしまう。

 

「大丈夫大丈夫。すっごいカッコいいドリルになれるようにするから! あと、今日使わなかったけど別な形態になれるようにしてもいいかもね! 例えば試作型特殊アームにプロペラをつけて『ラモリコプター』とか……!」

 

 萌絵の目はキラキラと輝いていた。

 別に今日使った『ラモリドリル』以外の改造しかしちゃいけないなんてルールはなかったのだ。

 

「う、うぉおおおおおっ!? 俺はどうなってしまうんダ!?」

 

 ジタバタするラモリさんだったが萌絵の目は既に改造へ向けて燃えていた。

 

「まぁ、今日はさすがに疲れたから改造はまた今度にするよ」

 

 萌絵の宣言にラモリさんはホッと一息。

 まぁ、未来のいつかに作ればいいわけだから、締め切りはまだまだ先である。

 

「さて、それじゃあ三つ目の理由ね。これが結構大きいんだけど……」

 

 世界が滅びるかもしれないよりも大きな理由。

 それは一体何なんだろう。

 ともえもイエイヌもラモリさんもゴクリと固唾を呑んで次の言葉を待った。

 

「ともえちゃんとイエイヌちゃんは、今までもこれからも皆のクロスハートとして頑張るんでしょ?」

 

 それはそうだ。

 今までだって友達を守りたい、家族を守りたい、街を守りたい。

 その一心でクロスハートとして戦って来たのだ。

 ちょっと迷ったりもしたけれど、その想いは今回の一件でますます強くなった。

 けど、それと萌絵が今後は変身しないという理由がどう関係あるのだろうか?

 そう思ってともえとイエイヌは小首を傾げていた。

 

「えっとね、アタシはともえちゃんとイエイヌちゃんのクロスハートになりたいな、って」

 

 ともえもイエイヌもクロスハートである前に一人の女の子だ。

 今回のように傷つきもすれば迷う事だってある。

 だからそんな時に誰かが支えてくれるならそれはなんと心強い事か。

 

「もう! もう! お姉ちゃんそういうところだよっ!」

「そうですよ! 萌絵お姉ちゃん、そういうところですよっ!」

 

 嬉しくてともえとイエイヌは思わず萌絵に抱き着いていた。

 両側から妹達にサンドイッチにされて、萌絵はにへらと相好崩す。

 

「お姉ちゃんはずっとずっとアタシのクロスハートだったよっ!」

 

 ともえにそう言われれば、萌絵としても今回無茶をした甲斐があったというものだ。

 実はあの後、萌絵とイエイヌ以外もともえから力を借りられないか試してみた。

 けれど、かばんも菜々もアムールトラもエゾオオカミもそれは出来なかった。

 『クロスハート・ともえフォーム』を実現できたのは萌絵だけだったし、『クロスナイト・ハウンドフォーム』を実現出来たのはイエイヌだけだったのだ。

 それは、こうして支え合うともえと萌絵とイエイヌの固い絆があってこそ起こせた奇跡だったわけだ。

 

「あ」

 

 妹達にサンドイッチにされて至福のモフモフタイムだった萌絵が突然声をあげる。

 一体どうしたんだろう?

 ともえもイエイヌも揃って萌絵の顔を覗き込むと、萌絵がやたら真面目な顔をして言った。

 

「ごめんね。アタシが今後なるべく変身しないようにする四つ目の理由があったよ」

 

 それは一体。

 続く言葉を待つともえとイエイヌの目の前で、萌絵の顔色がだんだんと青くなっていく。

 そして萌絵はこう言った。

 

「実は、変身後にしばらくすると、反動で体調を崩すみたい」

 

 と。

 そして力なくともえに寄り掛かったものだから、ハチの巣を突いたような大騒ぎになってしまった。

 

「お、お母さんー! 大変だよぉー!? 萌絵お姉ちゃんが熱出しちゃったー!?」

「萌絵お姉ちゃん、しっかりして下さいー!?」

「あらあら大変」

「ハァ……俺は萌絵のベットを用意してくるゾ……」

 

 

 

 この物語は、ある日突然フレンズの姿に変身する不思議な力を手に入れて、通りすがりの正義の味方クロスハートになったヒトのフレンズ、遠坂ともえとその仲間達の物語である。

 彼女達の戦いはまだまだ続く!

 戦え、クロスハート!

 

「はい、お姉ちゃんアーン」

「こちらも! こちらもどうぞ! はい、アーン」

「いやぁ……。こうやって看病してもらえるならたまには変身してもいいかもねえ」

 

 さしあたってまずは風邪を治すんだ!

 

 

 

 けものフレンズRクロスハート第25話『その名はやっぱりクロスハート』

 ―おしまい―




【セルリアン情報公開:ヨルリアン】
 夜という概念そのものに憑りついた強力なセルリアン。
 劇中では既に一度倒されてセルメダル化されていたが、その力は強大過ぎた。
 セルメダル使用者の負の感情を喰らって成長していき、やがて意識を乗っ取る程に。
 『ヨルリアン』は夜や闇を自らの勢力圏とする事が出来る。
 もしもクロスハート達がヨルリアンを倒せず日没を迎えていれば、世界は全て『ヨルリアン』の支配下に置かれていただろう。
 あまりにも強力なセルメダルである為、日中にしか使えないという弱点がなければなす術もなかったはずだ。
 『ヨルリアン』の勢力圏内では『ナイトメア』という取り巻きセルリアンが無限に湧き出て来る。
 『ナイトメア』は煙が寄り集まって人型となった外見をしており、一体一体は弱いが数が多いため厄介だ。
 攻撃力も低いが纏わりついて“輝き”を奪い犠牲者を眠らせる事が出来る。
 また、一体一体は弱いものの、『ナイトメア』が集まって合体し『巨人ナイトメア』となる事も出来る。
 また『ヨルリアン』本体も強力な技を持っている。
 闇色の手を伸ばし相手を捕まえる『ナイトサーヴァント』や闇色の帯を鞭のようにして相手を攻撃する『シャドウ・ウィップ』や闇のカーテンで本体を防御する『夜の帳』など多彩な技を持つ。
 『ヨルリアン』が発生したなら、出来る限り速やかに駆除しないと世界は“夜”に沈む事となるだろう。


【ヒーロー紹介:クロスハート・ともえフォーム】
 パワー:D スピード:D 防御力:D 持久力:S

 遠坂萌絵がともえの力を借りて変身した変身フォーム。
 緑かかった髪に、左右の瞳にそれぞれ青と赤の光点を宿す外見はともえそのものだ。
 服装は黒のアンダーシャツに深い青色のベスト。
 それに膝上のハーフパンツ、足元は頑丈そうなトレッキングシューズだ。
 彼女の被るアドベンチャーハットには青と赤の模様が入った飾り羽がついている。
 基本的なスペックはヒトの限界性能を引き出したものであるため、あくまでヒトの域を出ない。
 だが彼女の使う技は凄まじい。
 萌絵が未来で作るはずだった発明品をその場で使う事が出来るのだ。
 萌絵が作れる範囲のものという制約はあるものの、頭脳明晰な彼女を相手にしたセルリアンは人類の叡智と戦う事になるだろう。


【ヒーロー紹介:クロスナイト・ハウンドフォーム】
 パワー:? スピード:? 防御力:? 持久力:?

 イエイヌがともえの力を借りてさらなる変身を遂げた変身フォーム。
 毛足が長くふさふさになり、どこかオオカミ種を思わせる外見へと変化する。
 そのスペックは現在計測不能である。
 どうやらイエイヌの使う特別な野生解放の反動を抑える働きも持つようだが、詳しい調査が待たれる。
 いずれにせよ、優秀な猟犬と化したクロスナイトの牙から逃れられるセルリアンは存在しないだろう。


【あとがき】

 今回の第25話をもって、けものフレンズRクロスハート第3章は完結となります。
 実は、各章にはその章の主役ともいうべきもう一人の主人公が設定されていました。
 第1章ではイエイヌちゃん。
 第2章ではルリちゃんとアムールトラ。
 そして、ここまで読んでいただいた皆様にはおわかりいただけるかと思いますが、第3章のもう一人の主人公は萌絵お姉ちゃんになります。
 実は萌絵お姉ちゃんは私にとって、ちょっと特別な存在です。
 実はクロスハートを始めようと思った理由の一つは、ともえちゃんの前身である『とおさかもえ』ちゃんはともえちゃんになる未来しかないのか、という疑問を持ったからです。
 もえちゃんとともえちゃん。この二人、絶対仲良くなれるのになあ。
 そう思ったら、そういう話を書きたくて仕方なくなりました。
 そしてともえちゃんと、そしてもえちゃんが仲良く暮らせる世界というものをデザインし、けものフレンズRクロスハートの最初が生まれました。
 クロスハート世界においては『とおさかもえ』ちゃんは『遠坂萌絵』となって、ともえちゃんと一緒に様々な戦いに身を投じていきます。
 本作でも『とおさかもえ』ちゃんは『ともえちゃん』になります。
 ただ、それがこういう形でもいいんじゃないかな、という自分なりの答えを3章に盛り込ませていただきました。
 さて。
 物語を作ろうと思った時に、こんなシーンを作りたい!描きたい!描写したい!という想いは誰にもあるかと思います。
 それはその作品の原風景ともいうべきものではないでしょうか。
 私にとって、けものフレンズRクロスハートの原風景は二つあります。
 一つは7話と8話。
 そしてもう一つが第3章最後の二話となった24話と25話です。
 クロスハート1話の初リリースから約1年と半年。
 貸していただいた沢山のアイデアに彩られながらここまで来る事が出来ました。
 難しい場面も多々ありましたが、私が思い描いた原風景をこうして皆様にお届け出来た事に感無量です。
 アイデアを貸して下さった沢山の皆様。
 感想や応援コメントをくださった皆様。
 そして、ここまで読んでいただいた皆様。
 本当にありがとうございます。

 今回のお話をもって、けものフレンズRクロスハートは最終回…………とはなりません!
 まだまだ続けます!
 ぶっちゃけ原風景とも言うべきものはないけれど、逆に言えばここから先は未知の領域!
 どうやってお話を続けていこうか頭を抱える事だってありますが、それだって楽しい作業です!
 ちょっと充電期間をいただくとは思いますが、とある方から既にキャラクターをお借りしております。
 今度はお借りしたキャラクターを中心に物語を展開させようかと思います。
 どんな物語になるのか、楽しみしていただけたら嬉しいです。

 これからも、けものフレンズRクロスハートをよろしくお願いします!

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章
プロローグ


 

 色鳥町が“夜”に沈みかけた事件から一週間程が過ぎた。

 街は表面上平静を取り戻している。

 『ヨルリアン』によって破壊された街灯などの復旧も終わり、鉄道の安全も確認されたので運航が再開していた。

 もっとも、駅ビルは未だ修復工事の真っ最中で防塵幕にその姿を覆われている。

 ちなみに、駅前大通りには原因不明の道路陥没が出来ており安全の為工事用三角コーンで一車線が潰されていた。

 これは春香と和香教授が『巨人ナイトメア』を相手に大太刀周りを演じた際の副産物である。

 そんな事を露とも知らないドライバー達はいつもより流れの悪い駅前大通りに若干の苦戦をしながらもいつも通りに運転を続けた。

 街の色んなところに戦いの傷跡が残りながらも、人々はいつも通りの日常を過ごす。

 しかし、事件の前と後では大きく違う事が一つある。

 それは市民の誰もがセルリアンの存在を知ってしまった事だ。

 表面上はいつも通りに過ごしていても、やはり心の何処かで不安を感じずにはいられない。

 それでも街が平静を保っているのは、警察が本格的なセルリアン対策に乗り出した事もある。

 しかし、それとは別にもう一つ人々の心の拠り所となっている噂があった。

 セルリアンと戦う通りすがりの正義の味方、クロスハートの噂である。

 水面下でますます噂になるクロスハート達であった。

 閑話休題。

 運航を再開した電車にはとある二人の親子が乗っていた。

 母親の方は黒髪を頭の高い位置で一つにまとめた長身の女性だ。キレ長の瞳がどこかクールな印象を与える。

 黒のジャケットに同じ色のスラックスという男性寄りの服装が似合っていて、周囲の乗客はついついその美貌に目を奪われてしまっていた。

 一方の娘の方はどこか子供っぽい印象だ。

 母とよく似た黒髪を頭の低い位置で一つにまとめている。

 今も、靴を脱いで座席に後ろ向きで膝立ちになり、流れる景色をまん丸の瞳で見つめていた。

 こちらの少女は紺色のアンダーシャツに小豆色のベスト、ひざ丈のデニムスカートという格好だ。

 被っているアドベンチャーハットには水色の模様が入った羽根飾りが一本ついている。

 

『次はー。色鳥駅。色鳥駅。お出口右側となります』

 

 車内アナウンスが流れると、母親の方が娘の肩を叩く。

 目的地が近いのでそろそろ支度をしないといけない。

 

萌音(モネ)。そろそろ靴を履いて降りる準備をして。乗り過ごしたら大変よ。ともえちゃん達に会えなくなっちゃうわ」

「オッケー。分かったわ」

 

 萌音(モネ)と呼ばれた少女は早速座席にちゃんと座り直して靴を履く。

 

「お母さんこそ忘れ物はないかしら? しばらくお仕事でお泊りなんでしょう?」

「ええ。ちゃんと萌音(モネ)ちゃんが準備してくれたもの。心配してないわ」

「私は心配だわ。お母さんは放っておくと適当な食事しかしないんだもの」

 

 そう言って萌音(モネ)と呼ばれた少女が歳相応に見える仕草で頬を膨らませる。

 喋り方は大人びているのに、声と仕草は子供のものだ。

 なんともアンバランスな印象のある女の子、それが萌音(モネ)であった。

 対する母親の方は名を浦波 遥という。彼女は任せて、とばかりに胸を張った。

 

「ふふ。大丈夫よ。萌音(モネ)ちゃんがいない間、食事できる色鳥町のお店だって調べてあるんだから」

 

 えっへん、と言いたげな遥はノートPADを取り出し画面を示して見せる。

 その内容に萌音(モネ)は顔をしかめた。

 

「なによこれ……。モフドナルドに竹屋にラーメン太郎に黒木屋、養生の滝、島貴族……。あと市内各所のコンビニって……」

「だ、ダメだったかしら……?」

 

 遥の言に萌音(モネ)は深いため息をついた。

 母が調べていたのはどれもが名だたるファーストフードチェーン店に居酒屋である。毎度それでは栄養が偏る事受け合いだ。これでいいと思ったその頭の中を覗いてみたい萌音(モネ)であった。

 まぁ、毎食ビタミン剤とカロリーブロックと言い出さなかっただけマシなのかもしれない。

 

「いいわ。私がハルおば様のところでお弁当作って持ってってあげるから。毎日は無理かもしれないけどね」

 

 そんな提案に遥の顔はパッと輝いた。

 

「やったわ! 色鳥町でも萌音(モネ)ちゃんのご飯が食べられるなら言う事なしよ!」

「褒めても晩酌のビールは増やさないわよ?」

「くっ!?」

 

 遥は悔しそうに拳を握る。

 どうやら狙いを看破されたらしい。

 

「せ、せめて缶ビール五本までは……」

「三本まで」

「あのー……では間をとって四本という事では……」

「三本」

「す、少しは譲歩していただけると当方と致しましてもー……」

「ダメ。三本」

 

 頑として譲らない少女に母は再び悔しさで拳を握る。

 

「お弁当作る時に何かよさそうなおつまみも作ってあげるから」

「ならよし!」

 

 今度はガッツポーズで拳を握る遥である。

 これなら戦果としては上々だ。

 そんな母娘の心温まる(?)会話を車内アナウンスが遮った。

 

『間もなくー、色鳥駅ー。色鳥駅ー。お降りの際はお忘れ物のないよう……なんだ、あれ?』

 

 普段とは違うアナウンスに車内の誰もが怪訝な顔をしていた。

 一体車掌は何を見たのだろうか。

 萌音(モネ)は靴のまま再び座席に膝立ちになると窓にほっぺたをくっつけて外を覗き込む。

 だが、それでは状況がよくわからない。

 萌音(モネ)は窓を開けると、アドベンチャーハットが風に飛ばされないよう手で押さえながら窓の外へ顔を出した。

 危険なのでよい子は真似してはいけない。

 だがそんな事を言っている場合でもなかった。

 遙か前方ではあるが、単線の線路の上をこちらに向かって走ってくる電車がいるではないか。

 それはドス黒い車体をしており、車両先端にはギョロリとした一つ目がついていた。

 萌音(モネ)と遥にはその正体に心当たりがある。

 

「セルリアンだわ……」

 

 セルリアンの電車、略して『デンシャリアン』は萌音(モネ)達の乗る電車の前方から物凄い勢いで迫って来ていた。

 つまり、このまま行けばデンシャリアンと正面衝突だ。大惨事は免れない。

 まだ遠くに見えるデンシャリアンではあるが、お互いに近づいている電車同士だ。

 おそらく衝突までに約三分程度しか時間は残されていない。

 この事態に萌音(モネ)の表情がスッと真剣なものに変わる。

 そして座席から通路に降り立つと言った。

 

「ごめんね、お母さん。私先に行くわ。お仕事頑張って」

「待ちなさい。忘れ物よ」

 

 遥は萌音(モネ)へ彼女の背丈の半分はあろうかというギターケースを渡す。

 ナイロンで覆われた黒いセミハードのギターケースを見て「そうだった」と萌音(モネ)も思い出す。

 そうとも。

 セルリアンが来た以上戦わなくてはならない。

 浦波 萌音(モネ)。彼女は守護者の一人なのだから。

 そして、このギターケースの中には彼女の武器が入っているのだ。

 

「ありがとう。お母さん」

「あ……それと……」

 

 遥は心配そうな視線を娘に向けた。

 萌音(モネ)には遥が何を言いたいのか分からなくもない。

 

「分かってるわ。私は守護者の中ではスペックは高くない。だから無理はするな、でしょう?」

 

 だから、言いづらそうにしている遥に代わって萌音(モネ)自らが言い当てて見せる。

 

「大丈夫大丈夫。無理はしないわ。あのセルリアンを倒すだけだもの。1分30秒もいらないわ」

 

 やけに具体的な数字を言うと萌音(モネ)はヒョイと窓の外へ身を躍らせる。

 そのまま窓枠を掴み、逆上がりの要領で電車の屋根へと飛び移った。

 重ねて言うがよい子は絶対に真似しちゃいけない。

 

「さて。見た感じはイケそうだし、まずは片づけないといけないわね」

 

 萌音(モネ)は電車の屋根で風を浴びつつ前方から迫り来るデンシャリアンをキッと睨む。

 そして、大きく息を吸うと……

 

「浦波流ッ!!! サンドスター・コンバットォッ!!!!!!!!」 

 

 一声吠えた!

 と同時、電車の屋根の上を先頭へ向かって駆け抜ける!

 どんどんと近づいて来るデンシャリアン。

 運転手が急ブレーキを掛けるが無駄である。

 何故ならデンシャリアンはこちらが停まろうともお構いなしに突っ込んでくるのだから。

 このままでは正面衝突は避けられない。

 

「そうはさせないわ」

 

 萌音(モネ)は急ブレーキで後ろへ身体が引っ張られる前に一度目の跳躍。

 背負ったギターケースを開けるとその中に手を突っ込んだ。

 そして再び電車の屋根へ着地。と同時、制動のかかった電車が今度は前へと乗せた全てを放り投げる。

 当然萌音(モネ)も前へ放り出されるが、その勢いを利用して二度目の跳躍!

 ギターケースから中身を一息に引き抜いた。

 中身はエレキギターだ。ギターケースに入っているのだから当然だけれど。

 Vの字を二つ上下逆さまに重ねたデザインのそれを空中でくるくると回す。

 

―パシリ。

 

 ネック側を両手で握って萌音(モネ)はエレキギターを逆さまに構えると、その武器の名を高らかに叫ぶ。

 

「バチバチッ!! ダブルッ!!! ブイッ!!!!」

 

 萌音(モネ)の叫びに呼応するようにエレキギター『バチバチ・ダブルV』がサンドスターのスパークを放つ。

 とうとう車両先端へ辿り着いた彼女は三度目の跳躍を果たし、デンシャリアンへと突撃した!

 

「It's……!!」

 

 萌音(モネ)は逆向きに持ったエレキギター『バチバチ・ダブルV』を大きく振りかぶると……

 

「Rock 'n' Roll タァアアアアアアイムッ!!」

 

 デンシャリアン目掛けて振り下ろした!

 

―パッカァアアアアン!

 

 ドス黒い車体は一撃でサンドスターの輝きを撒き散らし霧散する。

 先程まで正面衝突の危機にあったというのがまるで嘘のようだ。

 萌音(モネ)はそのままさっきまでデンシャリアンがいた線路の上へと降り立つ。

 

―キィキィキィ……

 

 車輪の軋んだ音を立てながら急ブレーキがかかった電車はのんびりのんびりと萌音(モネ)の元までやって来て完全に停止した。

 と、先頭車両の運転席にいた運転手が驚きで目を丸くしたままこちらを見ているではないか。

 しばらく考えた萌音(モネ)だったが、ニマリと笑ってエレキギターを肩に担ぐとこう言った。

 

「私は通りすがりの正義の味方。色鳥町ではそういう風に言うんでしょう? そういう事にしておいてくれるかしら」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 喫茶店『two-Moe』は今日も春香と萌絵とともえとイエイヌ、その四人が働いていた。

 夏休みという事もあっておうちのお手伝いに忙しい遠坂三姉妹である。

 今はちょうど昼時も終わって客足も途切れたところだ。

 仕事が一段落したところを見計らって、春香がパン! と手を鳴らし注目を集める。

 

「みんな聞いて。実はね、萌音(モネ)ちゃんが遊びに来る事になりました」

 

 イエイヌは聞き慣れない名前に?マークを浮かべる。

 だがともえと萌絵の二人は反応が違った。

 

「え!? 萌音(モネ)姉ちゃん来るの!」

「うわぁ! 萌音(モネ)姉さんに会うの久しぶりだねぇ。元気にしてたかなぁ?」

 

 どうやらともえと萌絵の二人は萌音(モネ)という人物を知っているらしい。

 

「えっとね、萌音(モネ)姉さんは隣県の八百万(はちはくまん)市ってところに住んでる高校二年生なの」

「イエイヌちゃんは会うの初めてだよね。えっとね、萌音(モネ)姉ちゃんは親戚なの。いつも夏休みに遊びに来てくれるんだよ」

 

 親戚、と聞いてイエイヌも思い出した。

 ルリやアムールトラと似た様な関係のヒトなのであろう、と。

 ともえと萌絵は嬉しそうにしているのだから心配するような事は何もないのだろう。

 イエイヌはそう考えて、あとは成り行きに任せる事にした。

 まだ春香とともえと萌絵の三人はワイワイとやって来る萌音(モネ)の事で盛り上がっている。

 

―カランカラン。

 

 だから来客を告げるドア鈴が鳴るのに一番早く気が付いたのもイエイヌだった。

 

「いらっしゃいませ。一名様でしょうか? お席の方にご案内しますね」

 

 もうすっかり接客にも慣れたイエイヌだ。

 イエイヌよりも背が少しばかり低い女の子のお客様だったので少しだけ膝を折るようにして目線を合わせてご挨拶。

 完璧な挨拶だったはずなのだが、女の子はイエイヌの方を見て固まっている。

 何か問題があっただろうか。

 席の方へ案内しようと振り返っていたイエイヌだったが、もう一度女の子の方へ向き直った。

 女の子はまん丸の瞳をキラキラと輝かせ、イエイヌの耳と尻尾を見つめている。

 そんな反応に戸惑ったイエイヌはもう一度女の子と視線を合わせた。

 

「ええとー……」

 

 さて、なんと声を掛けたらいいかイエイヌが戸惑っていると、さらに困惑するような出来事が彼女を襲った。

 なんと目の前の女の子がイエイヌに抱き着いて来たのだ。

 

「わひゃぁっ!?」

 

 思わず変な声が出てしまったイエイヌであったが、女の子の方はお構いなしに抱き着いた感触を楽しんでいるようだった。

 

「あぁー……これが噂のイエイヌちゃんね……。うん、いいわ。実にいいモフモフぶりだわ」

 

 なんだかその言動にイエイヌは既視感(デジャヴ)を覚える。

 そうだ。

 これはいつもともえと萌絵がしてくるのにそっくりなのだ。

 それに思い当たったイエイヌの脳裏には「もしかして?」という思いが沸き上がる。

 

「あの……萌音(モネ)さん……ですか?」

「おおお! すごい! この子かしこいわね! そうなの! 私が萌音(モネ)よ!」

 

 相変わらずイエイヌをモフったままの萌音(モネ)である。

 

「でしょう? 自慢のイエイヌちゃんだもん」

 

 さすがにこの大騒ぎなら気づかないはずがない。

 ともえも萌絵も春香もやって来た。

 

「久しぶりね! マイシスター達っ!」

 

 イエイヌを放すと今度はともえ達に抱き着いてくる萌音(モネ)

 もうすっかり慣れっこなのか、ともえは萌音(モネ)を受け止めるとぐるぐる回転してから降ろした。

 よいしょ、と降ろすと萌音(モネ)は最初上機嫌だったが、次第に怪訝な表情になっていく。

 おや? 何か問題だろうか?

 イエイヌはそう思って成り行きを見守る。

 すると萌音(モネ)はもう一度ともえに近づき、被っていた帽子を脱ぐと右手を自身の頭頂部に乗せた。

 そのままくるり、と手首のみを半回転。

 そうするとまるでともえの額にチョップするようになってしまう。

 イエイヌはその成り行きをハラハラして見守っていた。これは一触即発の雰囲気ではないだろうか。

 

―ガクリ

 

 だがしかし、何と膝をついたのは攻撃を仕掛けた萌音(モネ)の方だった。

 

「身長が……! 身長が抜かされてるわ……!?」

 

 どうやらさっきのチョップは背比べだったらしい。

 ともえももう慣れっこなのか膝をついた萌音(モネ)の頭を撫でている。

 

萌音(モネ)姉ちゃんドンマイ。背の高さで負けても萌音(モネ)姉ちゃんは姉ちゃんだから……ね?」

「でもでもっ! 姉より背が高い妹なんて存在しないのよっ……!」

 

 そうして落ち込んでみせる萌音(モネ)だったが、バッと顔をあげると今度は萌絵の方に駆け寄った。

 そしてさっきと同じ要領で萌絵と背比べである。

 結果……。

 

「も、萌絵ちゃんにも身長抜かされてるわっ!?」

 

 再び萌音(モネ)は膝をつく事になった。

 盛大に落ち込んでみせる萌音(モネ)だったが、実は同じやり取りを去年もした。

 去年の時点で二人とも萌音(モネ)の身長を抜かしてしまっていたのだ。

 

「あらあら。でも私は萌音(モネ)ちゃんと同じくらいだから気にしないでいいのよ」

「うっうっ……ハルおば様だけだわ……変わらず私の妹でいてくれるのは……」

 

 ちなみに、春香も低身長である。

 むしろ育ちざかりなともえと萌絵に比べたら背が低いのではないかと思える程だ。

 そんなわけで身長で言うならイエイヌ、次いでともえと萌絵、そして春香と萌音(モネ)という順番になる。

 だが……。

 

「大丈夫よ。萌音(モネ)ちゃん。去年決めたでしょう? 萌音(モネ)ちゃんは高校生になったから特別ルールを採用していいのよ」

「はっ!?!? そ、そうだったわ!」

 

 見守るイエイヌとしては、特別ルールって何だろう? と思わずにはいられなかった。

 果たしてその正体はすぐにわかった。

 萌音(モネ)が再びともえの所に駆け寄ると、見事なつま先立ちを披露してみせた。

 当然、その分見た目の身長は伸びる。

 

「(せ、背伸びしてるぅうううう!?!?)」

 

 イエイヌはかろうじてツッコミの声を抑える事に成功した。

 これはいいんだろうか、と戸惑いの方が大きい。

 そんなイエイヌを余所に、萌音(モネ)はともえとの再戦に勝利すると、次いでバレエダンサーもかくやというつま先立ち歩きでもって萌絵のもとへ移動。そのまま萌絵との背比べにも勝利した。

 

「やったね、萌音(モネ)姉ちゃん!」

「そうだよっ! これでお姉ちゃんの威厳は守れたねっ!」

「うん! ありがとう妹達っ!」

 

 ともえと萌絵と萌音(モネ)の三人が寄り集まって全く同じ動きでガッツポーズしてる辺り、この特別ルールでいいのだろう。

 ひとしきり三人で喜んだ後に、萌音(モネ)はギラリとイエイヌの方に目を向けた。

 まさか……。

 イエイヌはこの後の展開を予想していたが、そのまさかだった。

 

「さあ、ラスボス戦といきましょうっ!」

 

 てててて、と今度はつま先立ち歩きでイエイヌのところまでやってくると、やはり萌音(モネ)は同じ要領で背比べを仕掛けて来た。

 さすがにイエイヌはともえ達と背の高さでは大差がない。

 背伸びまで駆使してくる萌音(モネ)には敵わなかった。

 

「やった! これでイエイヌちゃんも私の妹になるわねっ!」

 

 そうなのか、とイエイヌは若干の戸惑いを覚える。

 まぁ、ともえと萌絵とお揃いなわけだからそれでもいいか。そう考えたイエイヌはコクリと頷き返事した。

 

「はい。では萌音(モネ)さんもお姉さん、という事ですね」

萌音(モネ)お姉ちゃん、とか萌音(モネ)姉さんとか、萌音(モネ)姉ちゃんとかそんな感じで呼んでくれていいのよっ」

 

 そう言われても困ってしまうイエイヌだ。

 しばらく考えた後にイエイヌは結論を出した。

 

「では、萌音(モネ)お姉さん……という事でどうでしょう?」

「もちろん構わないわ! マイシスターッ!!」

 

 再び抱き着いて来た萌音(モネ)を受け止めるイエイヌ。

 当然その後は再びモフモフタイムである。

 

「あー! ずるい、萌音(モネ)姉ちゃん!」

「せっかくだからアタシもイエイヌちゃん成分を補給しておこうかなぁ」

「私もご相伴に与ろうかしら」

 

 そうなると、ともえと萌絵と春香まで加わって四方からのモフモフストームになってしまった。

 もうイエイヌは半分ほど諦めた表情でそれを受け入れる。

 イヤなわけではないし、こうして撫でられるのは嬉しくもあるのだけれど、あまり沢山されると疲れてしまう。

 そこに助け船が入った。

 

「オオ。萌音(モネ)。速かったんだナ。てっきりもっと到着が遅れるかと思ったゾ」

 

 それはラモリさんだった。

 

「あ、ラモリさん久しぶりね。相変わらず小さいけど、私はそういうの気にしないわよ。ラモリさんも妹って事にしておいてあげるわね」

「イヤ……。まぁどこからツッコんでいいやらわからんゾ……」

 

 さすがにラモリさんの背丈には萌音(モネ)でも余裕で勝てる。

 だが、問題はそこではない。

 春香も疑問に思ったのか、ラモリさんに訊ねた。

 

「ねえ、到着が遅れるって何かあったの?」

「ああ。ちょうど萌音(モネ)達が乗って来る予定だった電車がトラブルで遅延したんダ。いま、ようやく運航再開したらしいゾ」

 

 ラモリさんがテレビを点けると、そこには確かに電車が何らかのトラブルで遅延しているというニュースが流れていた。

 電車が急ブレーキを掛けたけれど、幸いな事に怪我人は出ずに済んだらしい。

 

「ふぅん? 一体何があったんだろうね……」

 

 何とはなしにテレビを見ていたともえだったが、萌音(モネ)の続く一言で驚かされる事になった。

 

「ああ、それはセルリアンの仕業なのよ」

「「「えぇえええええ!?」」」

 

 ともえと萌絵とイエイヌの三人が驚愕の声をあげる。

 セルリアンの仕業だというならこうしている場合ではない。急いで色鳥駅に駆けつけないと。

 慌てるともえ達に萌音(モネ)が宥めるように言った。

 

「安心して。もうセルリアンは退治してきたから」

「「「えぇえええええっ!?!?」」」

 

 再び驚愕の声をあげるハメになったともえと萌絵とイエイヌである。

 まず、萌音(モネ)がセルリアンの事を知っているのも驚きだったが、それを倒したというのがもっと驚くべき事だった。

 去年遊びに来た時もその前だってセルリアンのセの字も出さなかったのに。

 そこを解説すべく、春香が萌音(モネ)の両肩に手を置いてともえ達の方へ向かせつつ言った。

 

萌音(モネ)ちゃんの家も代々守護者を務めてるの。去年はクロスシンフォニーのお手伝いだってしてくれてたのよ」

 

 まさかこの精神的にも物理的にも背伸びした少女がそんな秘密を隠していたとは。去年は夏休みを一緒に過ごしたというのに、ともえも萌絵も全然気が付かなかった。

 

「すごいよ萌音(モネ)姉ちゃん! まさかそんな事になってたなんて!」

 

 思わぬ秘密にともえは興奮を隠せない。

 

「すごいのはともえちゃん達の方よ。聞いたわ、クロスハートとクロスナイト。大活躍じゃない」

 

 そうやって萌音(モネ)に褒められると、ともえと萌絵とイエイヌ三人揃って同じ動きで後ろ頭を掻きつつ照れてしまう。

 しかしこうして、この時期に萌音(モネ)がやって来たという事は……? 萌絵は思い浮かんだ疑問を口にする。

 

「ねえ、萌音(モネ)姉さん。もしかして今回もセルリアン絡みでこっちに来たの?」

「お、さすが萌絵ちゃんね。ご明察よ。私とお母さんはそれぞれ色鳥町に仕事があって来たの」

 

 萌音(モネ)の仕事とは一体……?

 そうして小首を傾げるともえと萌絵とイエイヌの三人。

 そこに春香がラモリさんをカウンターテーブルに乗せると解説を始めた。

 

「じゃあ、ラモリさん。解説をよろしくね」

「オウ」

 

 ラモリさんはお腹のレンズにつけられたホログラム投影機を起動。

 色鳥町の地図を映し出す。

 

「色鳥町は昔からセルリアンが発生しやすい土地なんダ。何故なら……」

 

 色鳥町の地図に細かい線がいくつもいくつも引かれる。

 それらは町の東西南北それぞれでいくつも交差し大きな池のようになっていた。

 

「これは色鳥町に走るサンドスターの地脈ダ。この地脈のおかげで色鳥町は豊かな土地になってイル。が、同時にセルリアンの発生率も高くなっているんダ」

「そう。その上先日一時的にでも『ヨルリアン』の支配領域になっちゃった後遺症で、ますますセルリアン発生率が高くなっちゃってるの」

 

 その後を春香が引き継いだ。

 

「で、八百万(はちはくまん)市の守護者してる萌音(モネ)ちゃんが手伝いに来てくれたってわけなのよ」

 

 春香の解説に、えっへんと胸を張って見せる萌音(モネ)である。

 

「ルカちゃんも昔は修業を兼ねてこっちの学校に通ってたのよね」

 

 頬に手をあて春香は昔を懐かしむ。

 けれどルカって誰だろう?

 イエイヌはまたも聞きなれない名前が出て来て疑問の顔になった。

 

「ああ、ルカちゃんっていうのは私のお母さんよ。浦波 遥。ハルおば様と名前の音が一緒でしょ? だからハルおば様とルカってわけ」

「懐かしいわー。どっちがハルになるか勝負したのよねー」

 

 萌音(モネ)の解説にまたまた春香が楽しそうに昔を懐かしむ。

 

「うふふ。腕相撲勝負にまさかパワーアシストマシーンを作ってくるとは思わなかったわー」

「でも勝ったのはハルおば様だったのよ」

「でもって私がハル希望で、ルカちゃんがルカ希望だったのよねー」

「それ聞いた時は勝負の必要なかったじゃない! ってツッコんだわ」

 

 言って、萌音(モネ)と春香二人して「「ねー」」と声を揃える。

 ただ、その問題のルカちゃん事、遥はどこにいるのだろう?

 

「ああ、お母さんも別な仕事があるの。そっちで泊まり込みになるからこっちには泊まらないわ。後で挨拶には来ると思うけどね」

 

 萌音(モネ)の説明によると、どうやら二人はそれぞれ別な目的があって色鳥町にやって来たという事か。

 

「というわけで、私はこっちでの仕事が終わるまで皆のところに泊めてもらうからよろしくね」

 

 ようやくイエイヌは悟った。

 どうやらただでさえ賑やかな遠坂家がしばらくの間、さらに賑やか度マックスになるという事を。

 

「さぁ! そうと決まったらお世話になる分ちゃーんと働かないといけないわね!」

 

 萌音(モネ)はバビューン、と擬音を残しつつ更衣室へ飛んでいくと、ポイポイ着ていたベストやデニムスカートを脱いでいった。

 そして戻って来た時には『two-Moe』のメイドさん風制服になっている。

 くるくる回りながら戻って来た萌音(モネ)はビシっとポーズを決めるとあらためて宣言する。

 

「浦波 萌音(モネ)。ちょっとの間お世話になるからよろしく頼むわね!」

 




 【後書き】

 さて、今回から始める第4章ではえひたさとしひや様よりキャラクター原案をお借りしています。
 https://twitter.com/Ehitasa104hi8
 キャラクターをお貸しいただいたえひたさとしひや様ありがとうございます!

『浦波 遥』
 原案 https://twitter.com/Ehitasa104hi8/status/1273619892160221184

『浦波 萌音』
 原案 https://twitter.com/Ehitasa104hi8/status/1320335740249600000

 こちらの二人が今回えひたさとしひや様よりお借りしたキャラクターになります。
 クロスハート用に苗字をはじめ色々と原案とは設定部分に変更があったりなかったりします。
 原案との違いも楽しんでいただければ嬉しい限りです。
 今回のプロローグは自分の中でちゃんとキャラクターが動かせるかどうかの試運転を兼ねています。
 書いてみた結果、きちんと動かせそうな手応えがありました。
 第4章のストーリーなどなどもこれから詰めていこうかと思います。
 クロスハート第4章もお楽しみにいましばらくお待ちいただければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

春の番外編『はずれ刑事清純派―慕情編―』①

【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 ある日突然フレンズの姿に変身する不思議な力を得た少女、遠坂 ともえ。
 時を同じくして現れたセルリアン。
 平和な日常を守る為、ともえは成り行きで通りすがりの正義の味方、クロスハートとなった。
 別世界からやって来たイエイヌのフレンズ、イエイヌと双子の姉、遠坂 萌絵とともに彼女達の暮らす色鳥町を守る事となったのだ。
 さて、今日の物語はそんな彼女達が生まれるだいぶ前のお話。
 とある刑事の話だ。


 時は遡る事ン十年前。季節は冬から春へと移り変わろうとしている、まだまだ寒さの残る日々の事だった。

 その刑事は頬に絆創膏を張って不機嫌そうにしていた。

 ガタイもよく、長身で五分刈り。絵に描いたような強面刑事の彼がそうしているだけで近寄り難いものがある。

 彼は自分のデスクから荷物を引き上げたダンボール箱を抱えた。

 近寄り難い彼の雰囲気にも関わらず、同僚刑事が苦笑と共に声を掛ける。

 

「ヤマさん、また派手にやったみたいじゃないか」

 

 同僚刑事からヤマさんと呼ばれた男は傷だらけの顔をあげた。

 

「ああ。せっかくホシ(犯人)をあげたってのにお褒めの言葉どころか、本署から交番に左遷とはな」

 

 昨夜の事である。

 ヤマさんは色鳥町で起こっている連続車両窃盗事件を捜査していた。

 その中で彼は玄武大橋近くに暴走族が集まっているという情報を手に入れていた。

 ヤマさんはその暴走族の集会に単身乗り込んだ。

 そして、車両窃盗事件について事情聴取をしようとしたわけだが、疑われた事に激昂した暴走族と大立ち回りになってしまったというわけだ。

 数十人の暴走族を病院送りにしてしまったヤマさんはやり過ぎだと怒られる事になった。

 幸いにして、現在のところマスコミなどが騒いでいる様子はないが、事件の捜査からは外されてしまった。

 

「なあに、ヤマさんが例の暴走族を捕まえてくれたんだから後は締め上げるだけさ。そのくらいはコッチでやるさ」

 

 同僚刑事が言うように、ヤマさんが昨夜逮捕した暴走族は捜査本部でも有力な犯人候補となっていた。

 証拠がないから今まで逮捕できなかったが、ヤマさんとケンカするという公務執行妨害があったおかげで別件逮捕が出来たわけだ。

 

「ったく。人の手柄を横取りしてんじゃねえ」

 

 そう言って同僚を軽く小突くヤマさん。

 ヤマさんが解決した事件は多い。けれど、その手法が少々強引で上層部からは煙たがられていた。

 今回の件が決め手となって交番への左遷が決定してしまったという事情もあったりする。

 とはいえ、ヤマさんは気になっていた。

 

「しっかし、俺は本当にホシ(犯人)をあげたのか?」

「何を言ってるんだよ。暴走族の連中が怪しいってのは捜査本部でも言われてただろう?」

 

 捜査本部の見解では証拠こそないけれど暴走族が犯人であるとされていた。

 車両窃盗された場所が暴走族の行動範囲と被っているのだ。

 彼らが別件逮捕された今、事件解決は時間の問題と言える。

 だがヤマさんの刑事としての勘は事件が終わっていないと告げていた。

 

「どうにも俺には連中が犯人とは思えないんだよ」

 

 その理由は直接相対したヤマさんだからこそわかる手応えからだ。

 暴走族に対して疑いをかけた際に、彼らは本気で怒っていた。それは自分の無実を主張するヒトのもののように思えたのだ。

 だが、そう思ってもヤマさんは既に捜査から外された身である。

 

「まぁ、捜査から外された刑事には関係ないか」

「そうそう。あとは任せてほとぼりが冷めるまで交番勤務を頑張ってくれよ」

 

 そうやって同僚刑事に肩を叩かれ、ヤマさんは苦笑と共に自身の荷物が入ったダンボール箱を抱える。

 不満がないと言えば嘘になるが、それを言ったところで左遷の決定が覆るわけでもない。

 ある種の諦めと共にヤマさんは警察署を後にするのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ヤマさんは本名にヤマ要素は全くない。

 それでもヤマさんと呼ばれるのには理由がある。

 とある刑事ドラマの主人公がヤマさんというあだ名で呼ばれていたのだ。

 その刑事に似ているという事で周囲もいつしか彼をヤマさんと呼ぶようになってしまった。

 そのドラマは『はずれ刑事清純派』というタイトルである。

 何でも捜査本部の意向に逆らって捜査していた刑事が、捜査から外されて『はずれ刑事』となっても、執念深く最後まで真犯人を追い詰めるという物語だったはずだ。

 まさか本当に自分まで『はずれ刑事』になるとは思わなかった。

 

「はぁ~……」

 

 ヤマさんは配属された色鳥町商店街前交番で盛大な溜め息をついた。

 現実は小説より奇なりだなんて言うが、そんな事はない。

 交番に配属された彼の元には連続車両窃盗事件の情報は全く入って来なかった。

 物語ならひょんな事から『はずれ刑事』の元にも事件の情報が舞い込んでくるものなのだが、そんな事は全くない。

 商店街前交番は平和そのもので、事件のじの字もなかった。

 今日も遠くから、子供達の遊ぶ「れっつ・じゃすてぃ~す!」という声が響いて来る。

 もうすぐ夕方だし、今日は天気予報でお天気が急降下らしいから、パトロールついでに子供達の帰宅を促した方がいいかもしれない。

 そう思ったヤマさんは膝を叩くと立ち上がりパトロールへと向かう事にした。

 

「ほらほら、今日は雨が降るらしいから早く帰った方がいいぞー」

「「「はーい!」」」

 

 遊んでいた子供達は素直に帰っていく。その中にはまだ幼いハクトウワシのフレンズもいた。

 彼女達はパタパタと足音を立てて駆け去っていく。

 

「このくらい素直なら俺の仕事も楽なんだがなぁ……」

 

 その背中を見送ったヤマさんは独りごちる。そしてその後再び盛大な嘆息をする事になった。

 彼の行く先にそう素直じゃない相手が陣取っていたからだ。

 それはジャパリ女子学園高等部の制服を着た四人組だった。

 

「よう。春香と遥コンビにセイコと和香」

「あら、ヤマさん。こんにちわ」

 

 一見すると小学生に見間違えそうなくらい背が小さいのが宝条 春香。この集団のリーダーでありジャパリ女子高等部二年生だ。

 彼女達は所属している生徒会活動として商店街でボランティア活動中だった。

 その中でも春香が生徒会長だったりする。

 この小っちゃい生徒会長も一見すると優等生なのに結構な曲者だ。

 だが、今はもっと分かりやすい問題児たちの方が厄介である。

 

「やあ、ご婦人。今日もお美しいね。ところで、ご不要なゴミなどはあるかな?」

「あれば生徒会の美化活動中である私達が回収させていただくわ」

 

 それは二人して買い物客相手にナンパなのか何なのかよくわからない事をしている宝条 和香と浦波 遥のコンビだ。

 二人とも長身でモデルもかくやと言わんがばかりの見事なスタイルだ。

 暗緑色の髪を高めの位置で一つにまとめたのが和香で、同じ髪型だが黒髪の方が遥だ。

 この二人に共通するのは同性であろうと虜にしそうな涼やかさだろう。

 

「は、はいっ! じゃあ何かゴミになるような物も買ってこなくちゃ……」

 

 和香と遥のコンビにナンパされた主婦は目をハートマークにしつつそんな事を言い出す。

 このように女性であろうともついつい心を奪われる妖艶さがある二人だ。

 だが、さすがにそれはヤマさんも見逃せない。

 

「おいこら。ゴミ拾いする為にゴミを買わせたら本末転倒だろうが」

 

 言って二人の頭を小突く。

 高校生にしては高身長を誇る和香と遥であるが、さすがにヤマさんには敵わない。

 それにヤマさんが言う事が正論だ。

 二人は小突かれた頭を同じような動きで抑えつつ従ってくれるらしい。

 

「ふふ。怒られてしまったね。ルカ先輩。勝負はここまでにしておこうか」

「いいよ和香君。例えこのまま勝負を続行しても負けはしなかったけどね」

 

 言って和香と遥の二人は目線で火花を散らす。

 和香は春香の妹であるが、事によっては遥の方が姉妹なんじゃないだろうかと思える程に似た者同士だ。

 

「お前ら二人はなんでそうキャラが被ってるんだ……」

 

 この似た者同士の和香と遥は事ある毎に張り合っている。

 きっと今日はどちらが沢山ゴミ拾いを出来るか勝負でもしていたのだろう。まかり間違ってもナンパ勝負をしていたとは思いたくないヤマさんである。

 そして、この集団におけるもう一人の問題児がこれまた強烈だった。

 

「ふ……。私の青眼(ブラウ・オージェ)から隠れおおせる事など出来ません! そこぉ!!」

 

 大仰な事を言いつつ、もう一人の女の子は道端に落ちていた落ち葉を火ばさみで拾いあげ、ポーズをつけつつ自らのゴミ袋にしまった。

 彼女は青龍 セイコ。守護けものであるセイリュウの血を引き青龍神社の次期神主である。

 青い髪をツインテールにしているのだが、特に怪我をしているわけでもないのだが常に眼帯で片目を覆い隠していた。

 彼女が最近持ち始めたアカオオカミ、通称ドールのフレンズをデフォルメしたヌイグルミはおそらく『キャラ作り』の一環なのだろう。

 

「あー。うん。セイコが一番ゴミを集めてるみたいだな。えらいぞー」

 

 ヤマさんは、敢えて彼女がしている『キャラ作り』には触れない。

 これはハシカのようなものだ。

 有効な治療法はないけれど、放っておいてもいつか勝手に治る。

 周囲としては、変に拗らせないように生暖かく見守るのが一番だ。

 

「ヤマさん。そんなに褒めないで下さい。私の感情が大きく動いてしまうと封じられし邪龍が目覚めてしまいますから」

 

 そう得意満面で眼帯を軽く抑えたポーズまで付けて言われても、ヤマさんとしては「お、おう」としか返せない。

 まぁ、何はともあれ、これから天気が悪くなりそうなのだ。

 彼女達にも早めの帰宅を促すと、意外にも素直に聞き入れてくれた。

 ちょっとクセの強い女の子達だが、悪い子ではないというのがヤマさんの評価である。

 帰り支度を始めた春香であったが、ヤマさんの方を振り返って訊ねて来た。

 

「ところでヤマさん。暴走族を逮捕したって本当?」

「ああ。まぁな」

 

 ヤマさんはそう返したけれど、春香は一体どこでそんな事を知ったというのだろう。

 その疑問を口にする前に、春香は小さな腕を組んで考え込むポーズをして見せつつ続けた。

 

「あの子達、以前に躾けたからそんな悪い事はしないはずなんだけど……」

 

 うん? 何か聞き捨てならない事を言ったような気がするぞ、と思ったヤマさんであるが、一点は同意だ。

 あの暴走族はそんな悪い事をする連中ではない。

 夜に集まって走っているけれど、周囲の迷惑にならない程度にしていたし、ちゃんと交通ルールだって守っている。

 もちろん違法改造だってしていない。

 車両の窃盗なんて大それた事をするようには思えなかった。

 ヤマさんは、やはり間違えたのだろうかと迷う。

 

「やっぱり調べ直すか……」

 

 例え捜査から外されたとしても、暴走族の彼らを逮捕した責任というものはある。

 このままパトロールにかこつけて、馴染みの中古車屋や車の整備工場をあたってみよう。

 捜査本部の見立てでは、窃盗した車両を売り払うかパーツをとって違法改造に使うつもりだったと見ている。

 

「(だが、本当にそうか?)」

 

 実際問題、彼ら暴走族は違法改造などしていない。ちゃんと免許も所持していたし。

 だったら違法改造に使う為に車両を盗んだとは考えづらい。

 中古車として盗んだ車両を売ったりしたら、その記録は簡単に割り出せる。もちろん警察だってそんな事は最初に調べたけれど、盗まれた車両が売られた記録はなかった。

 いずれにせよ、捜査の裏付けは必要だ。

 

「お前達、もう一回言うが、天気が悪くなる前に早く帰れよ」

 

 ヤマさんは春香達にもう一度帰宅を促すと、そのまま商店街を抜けて随分遠くまでのパトロールへ向かう。

 その背中を春香は満足そうに見送るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 随分と長くなってしまったパトロールだったが、成果はなかった。

 馴染みの中古車屋や整備工場のどこにも窃盗車が持ち込まれた形跡はなかったのだ。

 市外のどこかに持ち込まれたとしたって、既に盗難届の出た車両だ。必ず足が付く。

 なのに、盗まれた車両はそのどれもが行方がようとして知れないのだ。

 だが、わかった事もある。

 

「やはり、あの暴走族は犯人じゃあない」

 

 ヤマさんがそう判断した理由は、彼らに動機がないという事からだ。

 

「だとしたら、真犯人は……?」

 

 それは全くわからない。

 だが捜査は振り出しに戻ったと言っていい。

 捜査から外された身であるヤマさんにとって八方塞がりの状況である。

 

「へっ……。この程度の障害なら慣れっこだぜ」

 

 だが、ヤマさんは数々の難事件をその豪腕で解決してきた名刑事だ。……やり方は強引だけど。

 

「まずは、今の捜査情報が欲しいな。よし、後輩のアイツを呑みに誘うか」

 

 本署で刑事をしている後輩の連絡先を手帳で確認すると、どこか公衆電話はないかと探す。

 この時代に携帯電話はまだないのだ。

 随分と面倒を見てやって、貸しがたっぷりある後輩だ。捜査情報も酒の席で口を滑らせてくれるに違いない。

 とりあえず情報を得るのに名案だと思ったのだが、公衆電話は見当たらない。

 

―ポツリ。ポツリ……。

 

 さらに間の悪い事は重なるもので、とうとう天気も悪くなってきた。

 一旦崩れた天気はもう止まる事を知らない。あっという間に本降りになって来た。

 

「こいつぁ敵わん」

 

 雨が降る前に交番へ戻るつもりだったヤマさんは雨具を用意していなかった。

 公衆電話探しは諦めて急いで戻らないと風邪をひいてしまうだろう。

 

―ザァー……。

 

 すっかり強くなった雨に打たれてびしょ濡れになるヤマさん。

 商店街近くの公園までようやく戻って来た。ここまで来ればもう一走りで交番につく。

 と……。

 何か気になるものが視界の端に入った気がした。

 雨で視界も悪い上に、日も落ちて暗くなっている。だから見間違いだろうかと思った。

 

「いや……。誰かいるな」

 

 公園の植え込み、その中に何かがいる。

 ヤマさんがそちらに懐中電灯を向けると、そこには黒い服を着たフレンズがいた。

 内側に丸まった耳にしゅるりと細く長い尻尾。

 それに背中まである長い黒髪。そのどれもが闇に紛れるに適しており、ヤマさんは我ながらよく気づいたものだと自画自賛だ。

 それにしてもこの雨の中、こんなところでどうしたんだろう?

 もしや急な雨で帰れなくなったのだろうか。

 だが、ここは雨宿りにも適していない。

 その証拠に、そのフレンズもすっかりびしょ濡れになってしまっている。

 懐中電灯の灯りが当たったのがわかったのか、そのフレンズは植え込みの奥でビクリと身を震わせた。

 

「あー……。その驚かせて悪かった」

 

 何と声を掛けていいものか。

 迷った末にヤマさんは取り敢えず謝った。

 

「だがこんなところでどうしたんだ? とりあえずおまわりさんに聞かせてくれないか?」

 

 ヤマさんは膝が汚れるのも構わず、その場に片膝をついてしゃがみ、そのフレンズと目線を合わせようとした。

 植え込みの中で丸まっていたそのフレンズであるが、「ひっ」と短く悲鳴のようなものをあげる。だがヤマさんが近づいて来ないとわかると、とりあえず安心したようだ。

 不安に揺れる瞳でヤマさんの方を見て来る。

 

「なあ。ここは寒いだろう? 何か暖かい物くらい用意するからついておいで。すぐそこの交番だから」

 

 なるべく優しく言っているつもりだが、なにせ豪腕で知られたヤマさんである。かえって怖がらせやしないかと内心不安しかない。

 

「?」

 

 何を言っているんだろう? とでも言いたげな黒いフレンズは小首を傾げてみせた。

 その時だ。

 

―ぐぅー……。

 

 盛大に黒いフレンズのお腹がなった。

 真っ赤になって慌ててお腹を抑える黒いフレンズ。

 

「おおっと。こいつぁ悪いな。すっかり腹が減っちまってたみたいだ」

 

 言ってヤマさんは自分のお腹をポンポン叩いて見せた。

 黒いフレンズは自分のお腹とヤマさんのお腹を何度も見比べる。

 何か驚いた顔をしてる黒いフレンズだが、たたみかけるなら今だ。

 

「なあ、おまわりさんはこれから飯にするんだが一緒にどうだ?」

 

 そう言ってヤマさんが手を伸ばすと、おそるおそるといった様子ではあるが黒いフレンズがその手をとってくれた。

 メシの単語に反応したのかもしれない。

 

「ようし、じゃあとりあえず交番へ行こうか」

 

 軽く手を引いてみると、黒いフレンズは植え込みの中から出て来てくれた。

 その姿を見てヤマさんは息を呑む。

 本当なら黒く艶やかな髪は乱れ、服も汚れている。やつれた様子から随分長い事一人でいたのではないかと思えた。

 

「(もしかして……家出か何かか?)」

 

 そう思ったけれど、今は事情を訊くより先にやらなくてはならない事がある。

 このフレンズを交番へ連れ帰って、まずは身体を拭いてやらないと。

 

「さて、タオルは二人分あったかな」

 

 言いつつヤマさんは黒いフレンズの手を引いて歩きはじめた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 交番に戻ったヤマさんはとりあえずストーブのスイッチを入れる。 

 この色鳥商店街前交番は今まで無人交番だった。

 それでも何の問題もないくらい平和な場所だったからだ。もっとも色鳥町の交番はどこもそんな感じで平和な場所ばかりだが。

 そんなわけでここに派遣されている警官は現在ヤマさん一人である。

 パトロールなどで交番を開けた際にはこうして真っ暗な中に帰ってくることになる。

 暦の上ではもう春だが、まだまだ寒い。

 しかもこの雨で濡れてしまっていてはなおさらだ。

 

「えーと、タオルタオルっと……」

 

 昨日配属されたヤマさんは、とりあえず仕事に必要そうなものは揃えていた。

 宿直仕事もあるかもしれないと、洗面用具を用意していて正解だった。

 バスタオルはないが、フェイスタオルがある。ないよりはマシだろう。

 

「これで髪とかを拭くといい。もうすぐストーブも点くからそうしたら、温まるからね」

 

 ヤマさんは連れ帰って来た黒いフレンズの頭にタオルを乗せた。

 明るい交番であらためて見てわかったが、この黒いフレンズはおそらく、ヤマバクのフレンズだ。

 ヤマバクはといえば、頭からタオルを被った状態で動こうとしない。

 

「あー。こうやって拭くんだぞ?」

 

 ヤマさんはワシャワシャとタオルでヤマバクの頭を拭いてやった。

 されるがままに拭かれるヤマバクは相変わらず自分で動こうとはしない。

 とりあえず、濡れた髪を拭いてやったところでようやくストーブも点いてくれた。

 あとはストーブの前にヤマバクを置いておけば身体も暖まるはずだ。

 未だほとんど口をきいてくれないヤマバクの様子にヤマさんは考える。

 

「(この子はやはり家出でもしたのだろうか)」

 

 それはどうも正確な気がしない。

 先程連絡事項などをもう一度確認してみたが、やはり迷子や捜索願いなどは出ていない。

 まだ連絡が来ていない可能性も考えたがそれはないだろう。

 何故なら、ヤマバクの様子から数日は野外で過ごしたように見えるからだ。

 

「(なら、この子の親はまだ家出している事に気づいていないか届けを出していない……?)」

 

 それも違うように思える。

 この子もフレンズであるなら、その親だってフレンズだ。

 フレンズは特に自分の子を大切にする傾向がある。

 自分の子が数日も行方不明になれば絶対に届けを出すはずだ。

 それがないという事は……。

 ヤマさんは一つの可能性に思い至った。

 

「もしかして、フレンズの自然発生……?」

 

 それは滅多に起こらない現象であるが、サンドスターの奇跡として広く知られている。

 フレンズは突然自然発生する事があるのだ。

 ヤマバクの様子から見るに、そう考えれば色々と辻褄が合う。彼女は自然発生した生まれたてのフレンズと考えて今後の事を考えるのがよさそうだ。

 自然発生した生まれたてのフレンズは右も左もわからない中に放り出される事になる。

 なので、そうした子がいるのならば保護しなくてはならない。

 

「とはいえ、今日は金曜の夜……。役所も明日明後日は休みか……」

 

 そうなったら、少なくとも今日と明日はどこかヤマバクが泊まれる場所を用意しなくてはならない。

 この交番にも宿直用の仮眠室はあるが、お風呂がない。しばらく野外で過ごしていたらしいヤマバクを出来ればお風呂に入れてあげたいところだ。

 となれば本署へ連絡してヤマバクを引き取ってもらい警察で一時的に保護してもらうのがよいだろう。

 ただ、本来ならばそういった仕事は警察の仕事ではなく、市役所が担当である。

 その市役所が休みなのだから当然受付はしてくれない。

 そうなれば警察が一時的に保護するのが妥当だろうけれど、問題は本署が相手をしてくれるかだ。

 ヤマさんは上から睨まれている。

 なので、連絡したところで面倒事はゴメンだとばかりに所轄交番に押し付けられるのは目に見えていた。

 

「まぁ、ダメ元で連絡してみるか」

 

 デスク上の黒電話をダイヤルして本署へヤマバクを保護した事を連絡する。

 本署からの返答はやはり交番で一時的に保護し、月曜日に市役所へ引き渡せというものだった。

 ここで声を荒げたところでヤマバクを怯えさせてしまう。

 

「まぁ、仕方ないか」

 

 ダメ元だったのだ。ヤマバクには少しばかり不便をかけてしまうが仕方ない。

 それよりも次は食事だ。

 ヤマさんはストーブの近くで暖かそうに目を細めているヤマバクを見て、これなら少しくらいは一人にしても平気だろうと判断。

 

「いいかい? あんまりストーブに近づきすぎちゃダメだぞ。火傷しちゃうからな」

 

 そう注意すると、ヤマバクも一応頷いてくれたから大丈夫だろう。

 ヤマさんは宿直室の隣にある給湯室へ入る。

 そこには二口コンロがあるし、冷蔵庫も用意されている。

 冷蔵庫の中には昨日買って来た卵とハムが入っていた。戸棚にはネギと袋ラーメンもある。

 袋ラーメンは夜食用にと用意しておいたものだが、昨日今日の食事を全部それですませてしてしまったせいで残りは一つだ。

 まぁ、ヤマバクに食べさせる分にはとりあえず問題ないだろう。

 もっとも、丼を用意していなくてずっと鍋から直接食べるという事をしていたわけだが……。

 

「まぁ、いいか……」

 

 ないものは仕方がない。

 ヤマさんは片手鍋に水を張るとコンロにかけてお湯を沸かす。

 お湯が沸いたなら袋麺を投入。少し麺が固いかな、と思える段階で弱火にして付属の粉末スープも投入。

 さて、ここからはタイミングが命だ。

 まずは卵を割って鍋に落とし蓋をして白身が程よく固まるまで待つ。この固まり具合は完全に勘が頼りだ。

 長年の一人暮らしが鍛え上げた勘でもってヤマさんは蓋をあけると素早くハムと刻みネギを投入。

 再び蓋を閉じる。

 本来ならネギは火をとめた後に投入するべきなのだが、熱を通した方が甘くなる。おそらくその方がヤマバクの口には合うだろうという判断だ。

 卵が程よく固まるタイミングとネギに熱が通るタイミングは一瞬だ。

 その刹那を見切り、ヤマさんは火を止めると蓋を開けた。

 

「よし、完璧だ」

 

 卵は黄身に薄く白い膜が張る程度で周囲も白く固まっている。

 ハムからも程よく脂が溶け出しているし、ネギにも熱が加わって甘く仕上がっているだろう。

 丼に移すと、この盛り付けが台無しになってしまう。かといって移した後で卵を割り落してもこう見事な出来栄えにはならないのだ。

 ヤマさんが長年の一人暮らしの末に辿り着いた袋ラーメンの極致である。

 最後に胡麻油を少々回しかけてやれば完成だ。

 そのまま片手鍋ごと持ってヤマバクの元に戻ると、匂いを察知してかヤマさんの方をじーっと見ていた。

 

「熱いから気を付けてな」

 

 お箸を渡して、片手鍋に入ったままのラーメンをデスクの上に置く。

 ヤマバクは何度もヤマさんとラーメンの方を見比べていた。言外に「食べてもいいの?」と言っているようだ。

 

「伸びる前に食べるといい」

 

 ヤマさんが頷いてやると、ヤマバクはおそるおそるといった様子でまず一口。

 その目が驚きに大きく見開かれた次の瞬間、物凄い勢いで食べ始めた。

 

「(よしっ!)」

 

 内心ガッツポーズのヤマさんである。

 一人暮らしで誰かに料理を振舞った事などないが、こうして誰かが食べてくれるのも悪くない。

 仕事に生きて来たヤマさんは縁談や見合いの世話を焼こうとする人だっていたものの全て断って来た。だが、もしも娘がいたならこんな感じなのかもしれないな、などと思いながらヤマバクが食べる姿を眺める。

 と。

 ヤマバクがじーっとヤマさんの方を見ていた。

 どうしたんだろう? と思っているとヤマバクがお箸でラーメンをひとすくい。ヤマさんの方に差し出して来た。

 その意図するところが分からずヤマさんは戸惑う。

 するとヤマバクが口を開いた。

 

「おなか空いてるって言ってました。食べて下さい」

「ああ、いや、その俺は大丈夫だから」

 

 まさかまだ幼く見えるフレンズの子に「はい、あーん」をされる日が来るとは思わなかったヤマさんは大いに慌てた。

 だが、ヤマバクは怒ってるような表情になる。どうやらヤマさんが食べるまではテコでも動かないつもりらしい。

 

「(ええい!? ままよ!)」

 

 ヤマさんは意を決してその箸につままれた麺をパクリと食べる。

 この年齢にして初めての経験だ。突然の事すぎて味なんかわからなかった。

 

「美味しいですか?」

 

 訊ねてくるヤマバクだが、作ったのはヤマさんだ。色々とツッコミたいが今はそれよりもヤマバクが口をきいてくれた事を喜ぶべきだろう。

 この様子なら少しはコミュニケーションもとれようというものだ。

 訊ねたい事はいくらでもある。

 

「なあ。キミは生まれたてのフレンズ……なのかい?」

「生まれたて、というのは違うと思います」

 

 ヤマさんの訊ねた言葉にヤマバクは一度箸を止めてきちんと答えた。

 その答えはヤマさんの予想通りではある。

 意外にもヤマバクは箸の使い方が上手だったし、食べる手を止めてきちんと答える辺りは親からの教育もよかったのだろう。

 

「申し遅れました。私はヤマバクのフレンズでヤマバクといいます」

 

 彼女はまだ幼く見えるものの、こうして元気を取り戻せばその居住まいは見た目よりも大人びて見えた。

 それに、彼女はやはり、親から名前を受け継いだフレンズという事だ。

 それなら、後は親を探して引き渡せば仕事が一つ片付く。

 

「なあ、ヤマバク。キミの親はどこだい? 家の場所とかはわかるかな?」

 

 早速ヤマさんは訊ねてみる。

 だが、これにヤマバクは意外な反応を返した。

 

「親……? 家……?」

 

 ヤマバクはその単語を知らないとでも言うようにまたも小首を傾げてしまったのだ。

 これはどういう事だろう。

 生まれたてのフレンズにも見えないけれど、かと言って家出や迷子とも違うように思えた。

 ヤマさんは一度考えをまとめる。

 

「(まず一番の問題はこの子をどうするか、だ)」

 

 親がいるならその元へ帰さねばならないし、生まれたてで右も左もわからないならしっかりと保護しなくてはならない。

 そうなれば訊ねる事も決まってくる。

 

「ヤマバク。キミのヤマバクと名前を付けてくれた人の事を知ってるかな?」

「え? 私は生まれた時からずっとヤマバクです。誰かに名前を付けられた事なんてないですよ?」

 

 やはり、彼女に親はいないらしい。

 それが分かったヤマさんはもう一つ続けて訊ねた。

 

「なら、ヤマバク。キミに行くアテはあるのかい?」

 

 その質問にはヤマバク自身も答えを持っていないとでもいうように顔を俯かせてしまった。

 これだけがわかれば十分。

 ヤマさんは俯いてしまったヤマバクを安心させるように力強く言った。

 

「ならヤマバク。安心していい。ちゃんとおまわりさんが保護するから」

「ほご……?」

 

 ヤマさんの言葉にヤマバクも顔をあげてくれた。

 だが、保護の意味がわからなかったらしい。

 確かにまだ子供には難しい言葉だったかもしれないとヤマさんは反省する。

 

「そうだなあ。ヤマバクが安心して暮らせるように守る、って事かな……」

 

 そう言うと、ヤマバクは嬉しそうに微笑んでくれた。

 ともかく、これで方針は決まった。

 土日はヤマさんが彼女を保護して、月曜日になったら市役所の方へ引き渡し、しっかりと本保護家庭が決まるまで見守ろう。

 

「おっと、せっかくのラーメンが伸びてしまう。冷める前に食べてしまうといい」

 

 すっかり話し込んでしまったが、幸いまだラーメンは伸びてしまう前だった。

 ヤマバクは再び見た目相応にラーメンをがっつき始める。

 その様子をヤマさんは微笑ましく見守るのだった。

 もっとも、ヤマバクが時々「はい、あーん」攻撃を繰り出してくるので再び慌てるハメになってしまったが。  

 

 

―②へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

春の番外編『はずれ刑事清純派―慕情編―』②

 

 ヤマさんは一つ大きな問題を抱えていた。

 幸いにして保護したヤマバクの服は乾いていたし、汚れもどういうわけか落ちていた。

 ヤマバクの服は『けものプラズム』が変化して出来ているので多少の汚れやほつれであれば放置していても直る。

 では何が問題なのかというと……。

 

「まいったな……」

 

 腹が膨れて身体も暖まったヤマバクはうつらうつらとし始めてそのまま眠ってしまったのだ。

 さすがにストーブの前とはいえ、交番の床で寝かせるわけにはいかない。

 ヤマバクを宿直室まで運んで仮眠用の毛布をかけてやったまではいい。

 とりあえず一寝入りさせてやろうと思ったヤマさんがその場を離れようとしたら、ヤマバクが服の裾を掴んでしまっていて出来なかった。

 何度かこっそり外そうとしたらむずがったので、諦めと共にその場に居据わる事に決めたヤマさんである。

 

「さて……。ヤマバクが起きたらどうするかな」

 

 動けないので、仕事も出来ない。

 なので、とりあえずヤマバクの今後を考えておく。

 目下最大の問題は、この土日にヤマバクを宿泊させる場所である。

 何処かのホテルを取るというのはダメだ。ヤマバクを一人にしてしまう。

 ヤマさんが一緒に宿泊するというのはもっとダメだ。いくらヤマバクがまだ見た目中学生くらいのフレンズだとしても、だからこそ色々とまずい。

 かといって、こういう時に頼れそうな知り合いに心当たりがなかった。

 最悪、交番の仮眠室で泊まってもらうかとも思うが、それにも問題が一つ。

 交番にはお風呂がない。

 ヤマバクの頬などにはまだ汚れがついている。

 出来ればお風呂に入れてやりたい。幸い近所に銭湯もある。

 だが、果たしてヤマバクは一人でお風呂に入れるだろうか。

 

「この子は随分と知識に偏りがあるんだよなぁ……」

 

 ヤマさんはヤマバクの頬についた汚れを軽く指で拭ってみる。

 思った以上に柔らかく暖かくてドキリとしてしまう。

 

「んぅ……」

 

 またもヤマバクをむずがらせてしまって、ヤマさんは慌てて手を引っ込めた。

 とはいえ、ヤマバクの知識に偏りが見られるのはその通りだ。

 親や家という単語を知らないかと思えば、箸を上手に使ったり礼儀正しい振る舞いが出来たりする。

 もしかしたら、お風呂も一人で入る事くらい出来るかもしれない。

 

「まぁ、起きたら考えるか……」

 

 まだ外は冷たい雨が降ったままだ。

 やはり後でお風呂には入れてあげたい。

 ……となれば……。

 

「ウチか……?」

 

 ヤマさんの借りているアパートにはお風呂もある。

 寝に帰る程度なのであまり物がない部屋だが、ヤマバクをお風呂に入れるくらいは問題ない。

 お風呂が終わったら、自室から本格的に布団を持って来て宿直室に設えてやれば今日と土日の宿泊くらいは問題ないだろう。

 ヤマバクがお風呂に入っている間は、自室で控えていれば不測の事態にも対応できるはずだ。

 そして、それが済んだら交番の宿直室でヤマバクを預かるというプランが一番いいように思える。

 

「うぅん……」

 

 そうやってヤマさんが考えていたら、ヤマバクが目を開けてしまった。

 

「あー。すまない。起こしてしまったかな」

 

 ヤマバクはしばらくの間ぼんやりとヤマさんを見ていたが、ふるふると首を横に振った。

どうやら寝ぼけてヤマさんの事を忘れたりはしていなかったらしい。

 

「いえ。十分休ませてもらいましたから」

 

 とは言うものの、ヤマバクが寝入ってから一時間も経っていないように思える。

 やはり野外での生活が長かったせいで、深い眠りに落ちる事などないと言うのだろうか。

 ともあれ、せっかく目を覚ましたならお風呂の件を提案してみよう。

 

「ヤマバク。これからお風呂に入りに行こう。その後でゆっくり眠るといい」

 

 それにヤマバクは最初小首を傾げていたが、コクンと頷いてみせた。

 ならば準備をしなくては。

 ヤマさんは自分の雨合羽をヤマバクに着せてやる。自分の方はだいぶくたびれたコウモリ傘だ。

 この交番からヤマさんのアパートまでは遠くない。

 雨は変わらず降っているが、雨具があれば何も問題ない。

 ヤマバクは最初雨合羽を不思議そうに触っていたが、ヤマさんに手を引かれて雨の中に出てみると、その効果に目を丸くする。

 

「これなら濡れたりしないだろう?」

 

 ヤマさん用の雨合羽はヤマバクにはぶかぶかで大きすぎるが、それでも十分用は足りる。

 ヤマさんはヤマバクが雨合羽を堪能している間に、ストーブを消して交番の戸締りをし、巡回中の札をかけた。

 

「さ。いこうか」

 

 コウモリ傘を開いてヤマバクの手を引き歩く事少し、ヤマさんの借りているアパートへ辿り着いた。

 部屋の中は出しそびれたゴミ袋が二つ程あるものの、他には畳んだ布団とローデスクくらいしか見当たらない。

 五畳ほどの1LDKだ。あまり広くはないものの、お風呂だってある。

 ヤマさんは部屋干ししっぱなしだったバスタオルを手に取る。洗濯はちゃんとしてるから使うには問題ないはずだ。

 後はまだ未開封の歯ブラシもある。

 ヤマさんは早速お風呂にお湯を張り始めた。

 石鹸や洗髪用洗剤もあるものの、フレンズ用とかでなくても大丈夫だろうか。フレンズの中にはやはり毛並みを気にする子は多い。

 ヤマさんが普段使っている安売りしていたシャンプー&リンスでは気に入らないかもしれない。

 

「……ま、まぁ、大丈夫だよな」

 

 ヤマさんは楽観的に考える事にした。

 と。

 ヤマさんの背中越しにヤマバクがじーっとお風呂を眺めているではないか。

 

「ヤマバク。お風呂の準備出来たから入るといい。俺は部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ」

 

 そう言ってもヤマバクは不思議そうにしていた。やがてヤマさんの意図を察したのかコクリと頷く。

 その様子にヤマさんも安心してお風呂場から出る。

 いくらまだ小さなヤマバクとはいえ、一緒にお風呂に入るわけにはいかない。

 ヤマさんはストーブを点けて部屋を暖めて待つ事にした。

 程なくして……。

 

「わひゃぁあああっ!?」

 

 という声が響いた。

 何事かと思ったヤマさんは風呂場に叫ぶ。

 

「だ、大丈夫か!? どうしたんだ!?」

「たたた、大変ですっ!?」

 

 これは不測の事態か。

 お風呂であれば当然服を脱いでいるわけで裸を見る事になってしまうが、背に腹は変えられない。

 ヤマさんは意を決すると風呂場のドアを開けた。

 すると、ヤマバクは湯舟に浸かっていた。真っ黒なワンピースのような服を着たまま。

 

「ええと……。ヤマバク……?」

 

 何から声を掛けたらいいのか分からなくなったヤマさんは戸惑いの声をあげる。

 果たしてヤマバクから返って来た答えは……。

 

「あの……。この水、暖かいです」

 

 というものだった。

 それはそうだ。お風呂なんだから。

 それよりも服のままお風呂に入るとは。

 

「はっ……!? そうか、これが噂の『おんせん』というヤツですね」

「あー……。うん。似た様なもんだ。小さい温泉みたいなモンだな」

 

 ヤマバクは勘違いしているようだが、そんなに間違っているわけでもない。

 なのでヤマさんはその間違いを正す事をしなかった。

 

「なるほど……。『おんせん』では毛皮を取るのが正しいと聞いた事があります」

 

 ヤマバクが言うと、その身体がパッと輝き、黒いワンピースが空中に解けるように消えてしまった。

 

「!?!?」

 

 湯舟に浸かっていたおかげで辛うじてヤマさんの目に肩より下は目に入らなかったが。

 

「と、ともかく外にいるからゆっくり暖まりなさい!?」

 

 慌ててヤマさんは外に出る。

 しかし、今の現象は一体……?

 そもそもヤマバクは一体何者なのか。

 考えれば考える程わからない事は増えて行く。

 ヤマさんが頭を悩ませていると程なくしてヤマバクはお風呂からあがったようだ。

 先程と同じ黒いワンピースを着ているが、服が濡れている様子はない。

 お風呂に入れた甲斐はあったようで、身体についた汚れも落ちているし、髪もまだ濡れているものの汚れている様子はない。

 ヤマさんはヤマバクを座らせると、バスタオルで髪をワシャワシャと拭いてやった。

 

「さて、俺も風呂に入ってくるから少しだけ待っていてくれ。ストーブの前なら暖かいから」

 

 ヤマバクは不思議な子だ。

 だが、それをゆっくり考えるのはお風呂に入った後でいい。なんせヤマさんだって冷たい雨に打たれたのだから。

 いくら鍛えているとはいえ、身体が冷えたのはどうしようもない。

 手早く身体と頭を洗って、さっさと湯舟に浸かる。

 

「あぁ……。生き返る」

 

 二番風呂だから少しばかり温くはなっているがそれでも身体を暖めるには十分だ。

 だが、それをゆっくり味わっているわけにはいかない。ヤマバクを一人にするわけにはいかないからだ。

 名残惜しいがヤマさんはお風呂を出ると身体を拭いてから服を着替え、部屋へ戻る。

 ヤマバクには色々と訊かなくてはならない。

 部屋で待っているはずだから少し話してみよう。

 そう考えながら戻ってみると、ヤマバクは座布団の上に身を丸めて寝入っていた。

 

「あー……。まぁ、いいか」

 

 おそらく疲れているだろうから起こすのも偲びない。

 明日に訊ねたところで遅くはないはずだ。

 ヤマさんは手早く布団を敷くと、そこにヤマバクを寝かせるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 明くる朝。

 ヤマさんはヤマバクを連れて交番へ出勤した。

 連続車両窃盗事件も調べないといけないが、かと言ってヤマバクの事だって一人にしておくわけにもいかない。

 それにヤマバクには訊ねたい事もある。

 二つの事件を掛け持ちする事になるから、やるべき事を整理していかないと二兎を追ってどちらも逃す事になりかねない。

 まず優先すべきなのはヤマバクの方だろう。

 連続車両窃盗事件の方は他の刑事達が変わらず捜査を続けているだろうが、ヤマバクの事はそういうわけにはいかない。

 本当に市役所へ引き渡していいのかどうかはもう一度考えるべきだ。

 もしも、本当は親がいて探しているのだとしたら、生まれたてのフレンズとして市役所で保護家庭を探してもらうわけにはいかない。

 慎重に聞き取りをすべきだろう。

 そうと決まれば、まずはこの為に用意してきたあれ(・・)を用意しなくては。

 ヤマさんは出勤途中で買ってきたお弁当とお茶を用意。

 なんでも商店街のお弁当屋さんは結構美味しいらしい。わざわざ出勤前に遠回りして買っていく人すらいる程だ。

 今日の朝ご飯はそこのカツ弁当にした。

 まだほんのり温かみのあるお弁当とお茶を用意する。

 

「取り調べと言えばカツ丼かと思ったが、なかったのでこれになった」

 

 お茶とお弁当をヤマバクの前に置いてやると、やはり途端に目が輝いた。

 やはりお腹が空いていたのだろうか。

 お弁当の内容は梅干しの乗ったご飯に一口大にカットされたソースのかかったカツ、付け合わせはポテトサラダだ。

 ヤマバクが期待に満ちた目で見て来るので、まずは食事だ、とヤマさんも頷いて見せる。

 するとヤマバクは見た目相応にお弁当をがっつき始めた。

 しばらく夢中で食べていたヤマバクだったが、ふと気づいたように顔をあげるとつぶやいた。

 

「昨日のといい、こんな美味しい食べ物が沢山あるなんて……。はっ!? も、もしかしてここが『グルメキャッスル』……!?」

 

 意味不明なヤマバクのつぶやきだったが、ヤマさんには重要な事が含まれているような気がした。

 

「ヤマバク、『グルメキャッスル』っていうのは?」

 

 何気ない風を装って訊ねられたヤマさんの言葉にヤマバクはやはり一度食べるのを止めて答えてくれた。

 

「ええと……。『グルメキャッスル』って美味しいものが沢山ある、グルメの殿堂……って言ってました。いつか連れてってくれるって……」

 

 やはり取り調べにはカツだ、とヤマさんは内心でガッツポーズだ。

 まだ細いけれど、今のヤマバクの言葉には確かな糸口が見える。

 

「なあ、その『グルメキャッスル』ってのは誰から聞いたんだい?」

「あ、ええと。オイナリサマです。まだ私が小さいから、って色々面倒を見てくれたフレンズで……」

 

 当たりだ。

 ついにヤマバクから重要な事を聞きだした。

 オイナリサマというのには聞き覚えがないでもない。

 確か、守護けものオイナリサマの血を引く稲荷家という旧家があるはずだ。

 今はそこの娘がジャパリ女子学園に通っているらしい。

 ヤマバクの口からオイナリサマの名が出たのだから、稲荷家へ行けば何かしらわかるに違いない。

 

「(まずは朝ご飯が終わったら、先方に連絡を入れて、その後ヤマバクを連れて稲荷家へ行ってみよう)」

 

 稲荷家は電話帳に名前の載っている名家だ。連絡はすぐに入れられるだろう。

 ともかく、これでヤマバクの方は目途が立てられる。

 そのはずだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結果から言うと、稲荷家の訪問は空振りに終わってしまった。

 電話で連絡を入れて直接訪問し、ヤマバクを見せたのだが知らない子だと言われてしまったし、ヤマバク自身も知らないと言っていた。

 お互いに嘘を言っている様子もないというのに、まさか手がかりゼロだとは思わなかった。

 立派な和風邸宅を辞した後、ヤマさんは途方に暮れていた。

 

「ヤマバク。オイナリサマと知り合いじゃなかったのかい?」

「そ、そうなんですけど、さっきのオイナリサマは違うオイナリサマっていうか何て言うか……」

 

 どうやらヤマバク自身も上手に言葉に出来ないらしい。

 稲荷家の人も捜査に協力的だった。迷子の捜査という事で随分と親身になってくれもしたのにこの結果だ。

 

「まぁ、俺が早とちりしてしまった。気にしなくて大丈夫」

 

 落ち込む様子を見せるヤマバクだったが、ヤマさんにそう言われると少しだけ笑ってくれた。

 ともあれ、交番へ戻る道すがらもう一度ヤマバクの話を聞いてみよう。

 

「なあ、ヤマバクが一緒に暮らしていたっていう『オイナリサマ』は、今は一緒にいないのはなんでなんだ?」

 

 そもそも保護者が一緒にいさえすれば、ヤマさんが世話を焼く必要もなかったわけだ。

 少々踏み込んだ事ではあるが聞くべきだろう。

 

「あのですね……。オイナリサマが『もうすぐこの世界は雪と氷に閉ざされる。そうなる前に別な世界へ行け』って言ってました」

 

 突拍子もない話に目を丸くするヤマさん。

 雪と氷に閉ざされる? 別な世界? マンガかドラマの話だろうか? それともアニメ?

 ヤマさんは最初そう思ったが、そうじゃないと思い直す。

 ヤマバクはこう言う事ではしっかりしているように思える。子供だからといってテレビと現実を混同させているわけではないだろう。

 だったら、この話は事実なんだろうか。

 

「そうか。じゃあ『オイナリサマ』もこっちには来ていないのかい?」

「オイナリサマはどうしてるのか……わかんないです」

 

 ともかく。やはりヤマバクには保護者がいたがはぐれているという事らしい。

 ヤマさんがどうするか考えているとヤマバクが続ける。

 

「あの……、オイナリサマが言ってました。『心配ない。お主に繋がる強い縁が見えるから。きっとお主が安心できる相手が現れる』って」

 

 つまり、ヤマバクの保護者であった『オイナリサマ』はやむにやまれぬ事情があってヤマバクと離れ離れになったと考えられる。

 となると、保護者がどこにいるのか。困っているならどうしたら助けになれるのか。頭を悩ませないといけない事が増えた。

 まぁ、市役所に引き渡す際に上手く伝えて、ヤマバクの保護者に関しても少しずつ捜査していくしかあるまい。

 そこまで考えていたら、ちょうど交番まで戻って来た。

 さて、まだ少し早いがお昼の事も考えておくかと思っていたヤマさんだったが、ふと気が付いた。

 

―リリリン。リリリン。リリリン。

 

 留守にしていた交番の電話が鳴っている事に。

 

「ああ、はいはい、ちょっと待っててくれよーっと」

 

 ヤマさんは言いつつ鍵をかけていた交番のドアを開けて未だに鳴る電話の受話器をあげた。

 

「はい、色鳥商店街前交番」

『あ、先輩! ようやく繋がった……』

 

 電話の向こうから聞こえてきた声は後輩刑事からのものだった。繋がった後に慌てて声を潜める様子が伝わってくる。

 

『実は例の連続車両窃盗事件に進展があったんですよ……。先輩、何かあったら報せろって言ってましたよね……』

 

 どうやら捜査情報を報せる為に連絡してきたらしい。

 これが知れたら大目玉だろうに有難い話だ。

 

『盗まれた車両の一部が見つかったんですよ……。玄武峠のパーキングエリアで……』

「わかった。今度酒でも奢る」

 

 ヤマさんは言って手短に通話を終えた。

 長く話していたら後輩刑事が怒られてしまうから、これだけわかれば十分だ。

 それが見つかったというなら何かの手がかりになるかもしれない。

 現場を確かめに行くべきだろう。

 ヤマバクをどうするかが問題だが……。

 

「ヤマバク……?」

 

 ヤマバクがヤマさんの服の裾を握って放さない。

 これを見ては「ひとりで留守番してろ」と言えないヤマさんだ。

 まぁ、危険はないだろう。

 

「なら一緒に行くか?」

 

 そう訊ねると、ヤマバクは黙ってコクリと頷いた。

 問題は、交番に配備されている足が自転車一台という事だろうか。

 

「ま、いいか」

 

 ヤマさんは体力には自信がある。玄武峠のヒルクライムだがまぁなんとかなるだろう。

 結局お昼をどうするべきか決め損ねたが、そのくらいなら何とかなるに違いない。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥町北部田園地帯へと続く玄武峠。

 ここは景色もよく、ツーリングやドライブで通る者も多い。

 特に玄武峠頂上にあるパーキングエリアからは絶景が見られると評判だ。

 もっとも、ここまで自転車で登ってくる者など皆無ではあるが。

 

「さ、さすがに疲れたな」

 

 しかも、子供を後ろに乗せての二人乗りでやってきたのはヤマさんくらいである。

 さすがにここまで登って来るのには時間を食ってしまい、辺りは夕暮れになっていた。

 もうすぐ夜を迎えるとあって、パーキングエリアは既に閑散としている。

 その駐車場には異様な一台の車が停まっていた。

 一目でわかる。その車こそが連続車両盗難事件で被害にあった車の一台なのだと。

 何故なら、その車にはタイヤがついていないからだ。

 警察でもその車両をすぐに持ち帰る事は出来なかったのか、立ち入り禁止の規制線を張って一旦放置していた。

 

「どうやら運がよかったらしいな」

 

 警察でも一通りの捜査が終わって盗難車両を回収する手配をする為に一旦引き上げた後だったらしい。

 つまり、ヤマさんが他の刑事を気にせずに調べる事が出来るという事だ。

 ヤマさんはタイヤのない盗難車両へ近づく。

 

「うん? 随分汚れているし……なんだこれは……」

 

 盗難車両は黒ずんだ汚れがところどころこびりついており、まるで廃車のようだ。

 しかも、タイヤは取り外されたというよりも、何かにもぎ取られたという状態である。

 犯人は一体何を考えてこんな事をするのか……。

 

「いや、そもそもこいつは人間の仕業なのか?」

 

 特にタイヤをもぎとられた跡を見るに、まるで大型の獣にでも噛み千切られたように見えるのだ。

 もしかしたら重機でも使えば、こういう事が出来るかもしれないがわざわざそんな事をする理由もない。

 ともかく、これであの暴走族が犯人ではない事は捜査本部でも分かったはずだ。

 彼らにこんな事が出来るはずがない。

 ましてや警察での事情聴取中だというのに、だ。

 規制線の中に入ってしげしげと盗難車両を観察していたヤマさんだったがふと気が付いた。

 

「ヤマバク?」

 

 ずっとヤマさんの側を離れなかったヤマバクが随分と遠巻きにしている事に。

 確かにこの盗難車両はあまり見ていて気分のいい物ではないかもしれない。

 まぁ、捜査にはそれなりの成果はあった。

 とりあえず今のところはヤマバクの事を優先してやってもいいだろう。

 

「悪かったな、ヤマバク。せっかく来たから景色でも眺めてから帰るかい?」

 

 放置してしまったから少しばかりのサービスをしようかと提案したヤマさんだったが、ヤマバクにはふるふると首を横に振られてしまった。

 嫌われてしまっただろうかと心配するヤマさんだったが、そうでもないらしい。

 何故なら、ヤマバクの元に戻ったらすぐにヤマさんと手を繋ごうとしてきた。

 そのまま盗難車両から離れようと、ぐいぐいヤマさんを引っ張る。

 

「わかった。じゃあ帰ろうか」

 

 ヤマバクは何故かわからないが青い顔をしている。

 どうやら本当に何かを怖がっているようだ。

 それが何かはわからないが、このままにしておくのもよくないだろうから早く帰る事にしよう。

 ヤマさんはヤマバクを自転車に乗せると、自身はハンドルを握って押していく。

 帰り道は下り坂になるから飛ばす事だって出来るだろうが、ヤマバクが一緒だ。

 安全をとってゆっくり下って行く方がいいだろう。

 そうして、下り坂でスピードがつきすぎないようにブレーキレバーを握りつつ押して帰る。

 

「ヤマバクは自転車に乗った事はあるのかい?」

 

 ヤマバクを自転車に乗せた状態で、横から支える形のヤマさんだったが、意外にもヤマバクはきちんとバランスを取ってくれている。

 もしかしたら、保護者である『オイナリサマ』から教わったのかもしれない。

 

「いえ。これに乗るのは初めてですが……その……。あ、あなたが乗るのは見ていたので……」

 

 それだけでバランスを取れるようになったのなら大したものだ。

 おっとりした見た目とは裏腹にヤマバクの運動神経は相当いいのかもしれない。

 

「出来れば一人でも乗れるように乗り方を教えてやりたいが、生憎子供用の自転車がないんだよなぁ……」

 

 ヤマバクの足は地面に付かない程度に警察用自転車は大きい。

 なので、彼女用の自転車を用意しないと練習すら危ない。

 それはともかくとして、そろそろ日が沈みかけている。

 

「ヤマバク。ライトを点けてくれるか」

 

 自転車には小型発電機とライトがついている。

 前輪の回転で発電機を回してライトを光らせる仕組みだ。

 ヤマバクはヤマさんに教わりながら、前輪に取り付けられたライトのスイッチを入れる。

 すると、か細い明りが点いた。

 

「さて、夕食はどうするか……」

 

 ヤマさんは考える。

 昼はここに来る途中で立ち寄ったスーパーでおむすびを買って済ませた。

 一人なら同じように夕食を済ませてもいいだろうが、ヤマバクもいる以上そういうわけにもいかない。

 さてどうするか、と思っていると……

 

「あ」

 

 とヤマバクが声をあげる。

 何事かとヤマさんが振り返ると、ヤマバクは夕焼けの空を指さしていた。

 

「見て下さい、一番星です」

 

 ヤマバクが指さした方を見れば、確かに夕暮れ時でもはっきりと見える一番星が輝いていた。

 なおもヤマバクは見た目相応にはしゃいでいる。

 

「きっと、もう少ししたら星が沢山出るんでしょうね。星絵は見られるでしょうか?」

 

 星絵というのはよくわからないが、どうやらヤマバクは星が好きらしい。

 

「(うん? ちょっと待てよ)」

 

 ヤマさんには何かが引っかかった。

 星が好きならば、なおさら先程の頂上で星を見た方がよかったのではないだろうか。

 山の上なら街の灯りも遠いから、さぞかし星が綺麗に見える事だろう。

 なのにそうしなかったのは、やはり何かに怯えているからなのか。

 ヤマさんはヤマバクが一体何に怯えているのかを訊ねてみるかと振り返る。

 そして驚く事になった。

 何故なら、ヤマバクの顔が頂上のパーキングエリアを出ようと急かした時と同じように恐怖の色に染まっていたからだ。

 さすがに心配になってヤマさんは訊ねる。

 

「なあ、ヤマバク。一体どうしたっていうんだ? 何をそんなに怖がっている?」

 

 それに対してヤマバクは青い顔をしたまま答えた。

 

「セルリアン……です」

 

 聞き慣れない単語にヤマさんは怪訝な顔になる。

 セルリアンとは一体何なのか。それを問い質す必要はなかった。

 何故なら……。

 

「な、なんだこれは……」

 

 ヤマさんの目の前には異形の存在が現れていた。

 

―ズルリ。

 

 山の斜面から現れたそれは、最初あまりにも大きな大蛇かと思った。

 黒々とした体色に、節らしきものがいくつもいくつも見える身体。

 蛇と違うのは頭と思しき部分がない事だろうか。

 より正確には頭だと思える先端部分が丸々全て口だとでもいうように、黒々とした穴が開いていた。

 ヤマさんはその穴に何か既視感めいたものを感じる。

 

「(これは、ドーナツ……? いや違う……タイヤ……タイヤか!!)」

 

 それはホイールを外したタイヤのように見えた。

 それがいくつもいくつも連なって大蛇のようになっているのだ。

 いや。

 ヤマさん達の行く手を塞ぐように巨体を横たえるその姿は大蛇というよりタイヤで出来た大ミミズだ。

 いずれにせよ、これはただ事ではない。

 

「セルリアン……! もしかして私を追って……!?」

 

 ヤマバクのつぶやきがヤマさんの耳に届いた。

 その瞬間、彼の脳裏に一本の線が繋がる。

 連続車両窃盗事件。タイヤをもぎ取られた盗難車。迷子のヤマバク。

 そして、目の前にいる大ミミズ。

 それらは全て関連のある出来事だったのだ、と。

 だが悠長に考えている場合でもなかった。

 何故なら……

 

―ギヨォオオオオッ!

 

 大ミミズが気味の悪い雄叫びをあげたかと思ったら、ヤマさん達の方へ向かって来たのだから。

 そしてヤマさんはもう一つ理解する事になる。

 

「コイツはいくら探したって見つからないはずだ……」

 

 大ミミズは黒々とした大口から、ヤマさん達へ向かってタイヤのもぎ取られた盗難車を吐き出すのだった。

 

 

 

―③へ続く 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

春の番外編『はずれ刑事清純派―慕情編―』③

 ヤマさんとヤマバクの前に現れた大ミミズ。

 そいつは巨大なタイヤがいくつも連なって出来た身体の中から盗難車を吐き出した。

 まるで弾丸のように飛び出した車がヤマさん達に迫る!

 

「こ、このぉっ!」

 

 ヤマさんの判断は早かった。

 自転車からヤマバクをもぎ取るように抱きかかえると、道路脇へと横っ飛び。

 吐き出された盗難車は辛うじて二人に激突せずに済んだ。

 

「ヤマバク、大丈夫か!?」

「は、はい……でも……」

 

 二人は無事だった。

 だがその身代わりというわけではないが、自転車の方は車に押し潰されてペシャンコである。

 もしもヤマさんの行動が遅ければ二人とも自転車と同じ運命を辿っていたに違いない。

 とりあえずは助かったが、ピンチも続く。

 二人はタイヤで出来た大ミミズから逃げ出す足を失ったわけだ。

 大ミミズはそれがわかるのか、じりじりと間合いを詰めてくる。

 完全に獲物に狙いを定める獣の動きだ。

 市街方面には大ミミズが陣取っている。

 ジリジリと後退るが、それで北部田園地帯へ抜けるには遠すぎだ。

 

「なら戦うか……?」

 

 ヤマさんの腰には警棒と拳銃がある。

 けれども拳銃には弾は込められていないし、警棒一本であの大ミミズを何とか出来るとも思えない。

 それでも……。

 

「それでもやるしかないか」

 

 ヤマさんの後ろにはヤマバクがいる。

 彼女を守る為には目の前の大ミミズを倒す以外に道はない。

 ヤマさんは覚悟と共に警棒を引き抜いて構えた。

 

―ギョォオオオオッ!

 

 大ミミズは再び気味の悪い咆哮をあげてヤマさんを呑み込まんと殺到する。

 蛇のような不規則な動きを、しかしヤマさんは見切って身を横にかわした。

 そのままタイヤが連なって出来た大ミミズの体躯に警棒を振るう。

 

―ボヨン

 

 やはりタイヤだ。

 いくら剣道の段位を持つヤマさんの一撃でも全く効いた手応えがない。

 それどころか……。

 

―ズブリ

 

 警棒が大ミミズの身体に沈み込んだ。

 めり込んだ、というよりも大ミミズの身体に喰われているという方が正しい。

 慌ててヤマさんは警棒を手放す。

 その判断は正解だ。もしもそうしなかったら、警棒ごと腕を大ミミズの身体に呑み込まれていただろう。

 

「ぬうっ!?!?」

 

 警棒を失ったヤマさんは一歩、二歩とバックステップで後ろに下がる。

 柔剣道、それに空手でもヤマさんは段位を持っていたし、実力者ばかりの警察の大会で何度も好成績を獲った。

 それでも、今この場では無力でしかない。

 絶望に立ち尽くすヤマさんを呑み込まんと、大ミミズは再び大口を開ける。

 ゆっくりと迫る口。

 蛇に睨まれた蛙とはこの事か。

 ヤマさんはその心境を身をもって体感していた。

 が……。

 

―ドコォオオン!

 

 ヤマさんに迫っていた大ミミズがいきなり横に流れるように吹き飛ばされた。

 一体何が、と思ったヤマさんは信じられないものを目にする。それはヤマバクが大ミミズにショルダータックルを喰らわせた光景だった。

 あの小さな身体のどこにそんな力が?

 それを問い質す前に、ヤマバクはなんとヤマさんを肩に担ぎあげたではないか。

 

「逃げますよ!」

 

 言うが早いか、ヤマバクはヤマさんを肩に抱えたまま来た道を駆け戻る。

 ヤマさんは驚愕で目を見開いた。山道で結構な登坂だというのに、その速度は凄まじい。

 事によっては時速30kmくらい出ているのではないだろうか。しかもそれを大の大人一人を抱えてやっているのだ。

 だが、大ミミズもみすみす獲物を逃すつもりはないらしい。

 まるで大蛇のように身をくねらせヤマバクを追う。

 どうやら速度は大ミミズの方が上でじりじりと差を詰められる。

 

「こうなったら、戦うしか……」

 

 ヤマバクは意を決すると、先程の頂上パーキングエリアへ駆け込んだ。

 ここなら広いから戦いやすい。

 それに、ヤマバクの切り札だってここなら使えるかもしれない。

 

「いいですか? 物陰に隠れてて下さい。多分アイツの狙いは私ですから、隠れてたら安全なはずです」

 

 ヤマバクはヤマさんをパーキングエリアに設えられた自販機の裏へと降ろす。

 ヤマさんには何が何やらわからない。だが、これだけは訊かなくてはならなかった。

 

「ヤマバクはどうするんだ?」

 

 その答えは短い。

 

「戦います」

 

 既に覚悟を決めたとばかりに物陰へヤマさんを残し駐車場の中央へと歩みを進める。

 

「私だってフレンズですから、セルリアンの一体くらい……!」

 

 言いつつヤマバクは構えをとる。

 その両手がサンドスターの輝きを放っていた。それは両手の指先に集まって輝く爪へと変化する。

 ヤマさんには“セルリアン”というのが何なのかわからないが、状況から察するに、あの大ミミズを指しているのだろう。

 そしてヤマバクは戦うつもりなのだ。

 ヤマさんが手も足も出なかった相手と。

 ヤマさんは「無茶だ」と言いたかったが声が出ない。未知の生物に未知の状況。それに恐怖し混乱していた。

 だが、時間はヤマさんを待ってはくれない。

 やがて大ミミズがパーキングエリアへ入ってくる。

 戦闘態勢を整えたヤマバクを見ると少しばかり慎重に近づいて来た。

 

「まだ……。十分引き付けてから……」

 

―ジリジリ……

 

 大ミミズはゆっくりとヤマバクへ近づいて来る。

 ヤマバクは横目でチラリと辺りを見る。

 まだ切り札を使うには条件が整っていないようだ。

 ならやはり戦うしかない。

 

「うわぁあああああああああっ!」

 

 悲鳴なのか雄叫びなのか。

 どちらともとれない叫びと共に、ヤマバクは大ミミズへ突撃し、サンドスターで出来た右の爪でひっかく!

 

―ザシュリ!

 

 浅くではあるが、ヤマバクの爪は大ミミズの身体に裂傷を刻んだ。

 

「(やれる! 私でも出来る!)」

 

 続けて今度は左腕の爪を一閃させようとしたところで、その腕がグイ!と引っ張られる。

 何事かとヤマバクがそちらを見れば、その腕に黒い手枷のようなものが巻き付いていた。

 よくよく見ればそれは小さなタイヤである。

 一体いつの間に。

 その答えはすぐに分かった。

 大ミミズが細くなっている尾部を切り離して、死角からヤマバクに向けて飛ばしていた。

 攻撃で視野が狭まっていたヤマバクはそれに気づく事が出来なかったのだ。

 まるで鉛のように重い手枷は左腕の自由を奪っている。

 慌てて手枷を外そうと右腕の爪を手枷に立てようとしたところで……。

 

―ビュンッ! ビュンッ!!

 

 再び尾部から切り離したタイヤを飛ばしてくる大ミミズ。

 今度はヤマバクの両脚を捕らえて、タイヤの足枷を付ける。

 

「し、しまった……!」

 

 こうなってはヤマバクは歩く事すらままならない。

 大ミミズは一撃を貰うかわりに、死角からこれを狙っていたのだ。

 ヤマバクには顔などないはずの大ミミズがニヤリと笑ったように思えた。

 

―ギョォオオオオッ!

 

 満を持して大ミミズはヤマバクへ大口を開けて突っ込んで来る。

 ヤマバクの切り札が使えるようになるまであとほんの少し時間が必要だった。

 つまり、万事休すである。

 ヤマバクは両目を閉じた。

 だが、いつまで経っても何も起こらない。

 ヤマバクがおそるおそる目を開けると、大きな背中が目に入った。

 

「な、なんで……。隠れててって言ったのに……」

 

 その背中はヤマさんのものだった。

 ヤマさんは素手で大ミミズの突撃を受け止めていたのだ。

 

「ぬぐぅううう!?」

 

 その腕がずぶずぶと大ミミズの身体に沈みつつある。

 だが……!

 

「警察官を……なめるなぁあああああっ!!!」

 

 なんとヤマさんは背負い投げの要領で大ミミズを投げ飛ばした!

 

―ズズゥゥウウン……。

 

 大ミミズの巨体がパーキングエリアに叩きつけられる。

 ヤマバクは目を白黒させていた。

 ヒトはセルリアンに対して無力である。そのはずだった。

 サンドスターが変化した“けものプラズム”を纏うフレンズでなくては戦う事すらままならない。

 セルリアンと接触したヤマさんは立っているのだってやっとのはずだ。

 信じられない光景に思わずヤマバクはヤマさんに訊ねる。

 

「ええと……。あなたはヒト……なんですよね?」

「そうだな」

「なんで……。オイナリサマは『ヒトはセルリアンと戦う事は出来ない』って言ってたのに……」

「そうなのか?」

 

 唖然としているヤマバクだったが、ヤマさんはその反応の理由が全く分からない。

 しかし、ヤマさんは思う。

 今日。

 今この瞬間ほど柔道をやっておいてよかったと思った事はない。

 この投げを決められたのなら……いや。

 

「今この瞬間ヤマバクを守れたのなら生きて来た価値があるってものだ」

 

 投げ飛ばされた大ミミズはしばらく痛みにのたうっていたようだが、やがて体勢を立て直すと……。

 

―ギョォオオオオオッ!!

 

 怒りの咆哮をあげた。

 ビリビリと空気を揺らす絶叫も今のヤマさんを退かせる事は出来ない。

 何故なら……

 

「約束したからな。ヤマバクが安心して暮らせるように守る、と」

 

 だから意地でも退く事など出来ないのだ。

 けれど無茶だ。

 セルリアンに接触した事でヤマさんは“輝き”を吸われているはずだ。

 事実、もう既に膝が笑ってしまってまともに動けるようには見えない。

 次の攻防には絶対に耐えられるはずがない。

 このままでは二人ともこのセルリアンに喰われてしまうだろう。

 

「そんな事は……させない!」

 

 ヤマバクの目があるものを捕らえた。

 それは彼女の切り札を使う為に必要なものだ。

 ついに夜空に星が輝き始めたのである。

 一体それで何が出来るのか。

 ヤマバクは自由な右腕を空に向けて思い切り伸ばす。星を掴めとばかりに。

 そして叫んだ。

 

「星に願いを!」

 

 これこそがヤマバクの技である。

 効果はヤマバクの願いを叶えてくれるというものだ。

 これは星が見える夜空の下でしか使えない上に、どういう形で願いが叶うのかすらわからない。

 しかも、難しい願いだったりした場合には何も起こらない。

 早い話が、ヤマバクの『星に願いを』は使った本人ですら何が起こるか分からない一か八かの賭けであった。

 願う内容はシンプルに……

 

「私達を助けて!」

 

 というものだ。

 これだけシンプルな願いならきっと聞き届けられるはず。

 

―カッ!!

 

 星空から光がヤマバクに降って来た。

 が、しかし……。

 それだけだった。

 ヤマバクは相変わらず両脚と左腕を封じられたままだし、ヤマさんは満身創痍のままだ。

 

「何も……起こらなかった?」

 

 ヤマバクはその事実にガクリと膝をつく。

 最後の賭けは失敗に終わったのだ。

 大ミミズはズルズルと近寄ってくると、万策尽きたヤマさんとヤマバクを呑み込むべく再び大口を開ける。

 あとは喰われるだけだ。

 

 だが、その瞬間浪々たる声が響き渡った。

 

「『蒼竜壁!(ブラウ・ドラッヘ・ヴァリエール)

 

 その声と共に、どういうわけかヤマさんとヤマバクの二人を守るように幾枚ものお札が宙を舞っていた。

 

―ギィイイイイッ!?!?!?

 

 そのお札ごとヤマバクを呑み込もうとした大ミミズだったが、まるで見えない壁に弾かれたように吹っ飛ばされる。

 一体何が。

 思って周囲を見渡したヤマさんは何と言っていいのか分からないものを目にした。

 

「ふ……。どうやら間に合ったようですね」

 

 それは水色の髪をツインテールにして、やたら仰々しい飾りの眼帯をつけた青龍 セイコがそこにいた。

 ただ、その格好が青を基調としたゴスロリ服である。

 

「さすがセーちゃんです! カッコイイですー!!」

 

 そして、傍らには昨日持っていたドールのフレンズ人形を伴っていた。

 どういうわけか一人でチョコチョコ歩き回って喝采をあげているが。

 

「あー……。そのせ、セイコ?」

 

 ヤマさんはどう声を掛けていいのかわからなかった。

 彼女の格好もそうだが、目の前で起こっている不思議な出来事は彼女の仕業だとわかったからだ。

 だが、この場は危険だ。

 

―ギョォオオオオオオオッ!!

 

 そう注意の声を上げる前に、大ミミズは乱入してきたセイコへ突撃した。

 が、セイコは落ち着いたものだ。

 太ももに巻かれたホルダーから棒状の何かを数本引き抜く。

 それは青色ボールペンだった。

 

束縛する弾丸!(クーゲルシュライバー)

 

 セイコはそれを大ミミズ目がけて投げつける。

 まるで自分の意思を持っているかのように複雑な軌道を描いた青色ボールペンは大ミミズの身体に深々と突き刺さった。

 それどころか小さなボールペンを突き刺された事で大ミミズは動きを封じらているらしい。

 

「ふ……。決まりました」

 

 眼帯を抑えた決めポーズをとるセイコ。

 それにヤマさんは、「確かにボールペンだけども……」と内心でツッコンだ。

 だが、安心するのは早かったらしい。

 

―ギィイイ!!

 

 大ミミズはボールペンの突き刺さった部分だけ自らの身体を切り離した。

 その部分だけを捨てて再び連結する事で自由を取り戻すと、そのままセイコへ再び突撃!

 

「「わひゃああああああ!?!?」」

 

 仕留めたと思っていたセイコは、フレンズ人形のドール=ドールと共に悲鳴をあげる。

 あわや、という場面だったが、これまた邪魔が入った。

 

「宝条流……ッ!」

「浦波流……ッ!」

「「サンドスター・コンバットォオオオオオオオッ!!!!!!!!!!!」

 

 二人分の大音声が響き渡る。

 と同時、二人分の回し蹴りが大ミミズの身体に叩き込まれた。

 それを為したのはこれまたヤマさんが見知ったヒトだ。

 ジャパリ女子学園の制服に身を包んだ宝条 春香と浦波 遥のコンビである。

 

「セーちゃんは相変わらず詰めが甘いわねぇ」

 

 あの大ミミズを蹴り飛ばしたというのに春香は涼しい顔をしていた。

 一方の遥の方は……。

 

「あ。やっとセルリアンレーダーが反応したわ。これじゃあダメね。感知範囲が10mくらいじゃあ目視の方が早いわ」

 

 と、手にしていた何かの箱のようなものを弄っている。

 春香も遥の手元を覗き込みながら言った。

 

「なら、後で遠坂君にも見て貰って改良したらどうかしら?」

「イヤよ。ハルのデートの出汁にされるのが目に見えてるもの」

「で、デートって……そ、そういうのじゃないのよ。遠坂君とは……」

「おやおやー? そんな真っ赤な顔して言ったって説得力というものがないわよぉ?」

「も、もう! ルカったら!」

 

 まるで大ミミズが目に入っていないかのようにワイワイ言い合う春香と遥。

 仲がいいのは大変結構だが、今この場でやらなくてもいいではないか。

 

―ギョォオオオオッ!

 

 ほら、言わんこっちゃない。

 大ミミズが怒りの咆哮と共に、再び春香と遥へ向かってきたのだ。

 

「ルカ」

「えぇー……」

 

 春香は遥へ目配せすると何かを要求するように手を伸ばした。

 対する遥の方はイヤそうである。

 目の前に敵が迫っているというのに余裕そうだ。

 

「貸すのはいいけど、どうせ貴女まともに使わないじゃない」

「そんな事ないわよ。ちゃんと役に立ってるんだから」

 

 一体この二人はこんな時に何を言い合ってるんだろう。

 見ているヤマさんは気が気じゃない。

 やがて折れたのは遥の方であった。

 

「わかったわよ。はい」

 

 そう言って手渡したのは、トンファーであった。

 よくよく見ると、そのトンファーには笛のような穴が開いているではないか。

 

「ありがと」

 

 言いつつ春香はそのトンファーを受け取った。

 もう大ミミズは目の前だ。

 そんなトンファー一組で一体何が出来るのか。

 果たして春香は、そのトンファーを高々と宙に投げ上げた!

 

―ヒョンヒョンヒョン……。

 

 どうやら本当に笛となっているらしいそのトンファーは空中で回転しつつ不思議な音を奏でている。

 ヤマさんもヤマバクも、そして大ミミズまでもがそのトンファーを見上げてしまっていた。

 その隙に春香は大ミミズの懐へ潜り込む。

 

「宝条流サンドスター・コンバット……ッ!! フライングトンファーキィイイイイイック!!!!!」

 

 そこから放たれるのは再び豪快な回し蹴りであった。

 

―ドゴォオオオッ!

 

 タイヤを叩く轟音と共に大ミミズは再び吹き飛ばされる。

 だがヤマさんはどうしても一つだけツッコミたかった。

 

「トンファー関係ないっ!?」

 

 と。

 そんなツッコミを無視して春香は落ちて来たトンファーをパシリとキャッチ。

 クルクルと華麗に回して決めポーズを取って見せた。

 

「やっぱりまともに使わないじゃない……」

 

 遥は嘆息していた。

 

「ええー。そんな事ないわよ。ちゃんと囮に使ったじゃない」

「そういう用途で作ったわけじゃないわよ! この『フルートンファー』は!」

 

 なおも賑やかに言い合う春香と遥。

 ヤマさんは何が何やらわからない。ただの女子高校生であるはずの春香と遥、それにセイコがこうして化け物と渡り合っているだなんて。

 それはヤマバクも一緒だ。

 もう、キョトンとしっぱなしである。

 そんなヤマバクを縛めていた足枷が唐突に砕かれた。

 

「まったく。レディに付けるには無粋すぎるアクセサリーだね」

 

 長身で暗緑色をした髪色の女の子がそこにいた。

 彼女は宝条 和香。ジャパリ女子学園高等部の一年生だ。

 

「実は、そこに転がっているセルリアンを探していたんだけれども、手がかりがなくてね。キミが報せてくれて助かったよ」

 

 和香はヤマバクの前に片膝を付いてしゃがみ込むと、恭しくその手をとり、残っていた手枷も砕いて見せる。

 ヤマバクは何のことか分からない。

 いや。

 

「そうか……」

 

 ヤマバクが使った『星に願いを』は聞き届けられていたのだ。

 この色鳥町をセルリアンの魔の手から守る守護者達に。

 セルリアンを探してこの付近を捜索していた彼女達は『星に願いを』によって、ここにセルリアンがいる事を知ったのだった。

 

「さぁて。私達が来たからにはもう大丈夫さ」

 

 和香は春香に蹴り飛ばされた大ミミズへ無造作に歩いていく。

 

「じゃあ、トドメは任せるわね。和香ちゃん」

「ああ。かまわないよ、姉さん」

 

 春香に頷きを返す和香。

 既に勝負は決したとばかりに遥もセイコも見守る事にしたようだ。

 それ程までに和香は強いというのだろうか。

 見守るヤマさんの前で、和香は朗々と何事かを口ずさむ。

 

 黒きキミ。

 大きな尻尾。

 猛き爪。

 汝その名は。

 オオアリクイ。

 

「(俳句……? いや、和歌か?)」

 

 それを聞いたヤマさんは独特のリズムからそう判断した。

 けれど、それをこの場で詠む理由がわからない。

 そんなヤマさんの戸惑いを余所に和香は続けて叫んだ。 

 

「変身!」

 

 と。

 直後、和香の身体がサンドスターの輝きに包まれる。

 眩いばかりの輝きに、思わず目を瞑るヤマさんとヤマバク。二人が目を開けた時、そこに和香はいなかった。

 かわりにいたのは一人のフレンズだった。

 濡れたように艶やかな黒髪に上半身が白の毛皮。それに腰を絞るコルセットに広がったフレアスカートは髪と同じ黒色だ。

 髪形もオオアリクイの長い吻を模した前髪に背中までのロングヘアーへ変化しているし、大きな黒い尻尾と丸い耳も生えている。

 その変身を見ていたからこそわかるが、彼女の顔立ちは和香そっくりである。

 信じられない光景にヤマバクは思わずその背中に訊ねた。

 

「あ、あなたは……一体?」

 

 和香のかわりに現れた彼女そっくりのフレンズは肩越しに振り返ると言った。

 

「クロスメロディー。通りすがりの正義の味方さ」

 

 それだけを言い、キッと前に向き直るクロスメロディー。

 その視線の先では大ミミズがようやく体勢を立て直していた。

 対するクロスメロディーはというと、両手を大きく広げて身体で大の字を作るようにして見せる。

 一体何をしているんだろう? と不思議に思うヤマさんに春香が解説してくれた。

 

「あれは威嚇のポーズよ。オオアリクイいがいでもミナミコアリクイなんかも同じポーズをするわね」

 

 それは元となった動物の習性だった。

 オオアリクイは外敵に遭遇した際、こうして身体を大きく見せる事で相手を威嚇する。

 どうやらそれは大ミミズにも有効なようで、明らかに怯んだ様子を見せる。

 クロスメロディーはそれを見てとると、威嚇のポーズから一気に踏み込み間合いを詰めた!

 

「カリスマオーラ・クロォオオオオッ!!」

 

 そのまま広げた両腕を閉じるように一閃。

 サンドスターで輝く爪が大ミミズを切り裂いた!

 

―パッカアアアアアン!

 

 小気味いい音を立てて、大ミミズはキラキラと輝くサンドスターへ還る。

 クロスメロディーは大ミミズの身体にあった『石』を正確に切り裂いていた。

 大ミミズの身体が砕け散ると同時、辺りに盗難車と思しきタイヤのもぎとられた車両が散らばる。

 黒く汚れていたのはタイヤの中に押し込められていたせいであった。

 

「さて」

 

 大ミミズを片付けたクロスメロディーはヤマさんとヤマバクの方へ振り返る。

 同じように春香と遥、それにセイコも集まってやってきた。

 ちょっとしたクセのある問題児と思っていた彼女達が随分遠い存在のように感じられるヤマさんである。

 そんな戸惑いを余所に、クロスメロディーはヤマさんとヤマバクの前にしゃがみ込むと、パンッ! と両手を合わせた。

 

「ごめん! ヤマさん!」

 

 なにが? と戸惑うヤマさん。

 

「私がクロスメロディーなのは内緒にしといて!」

 

 なんだそんな事か。ヤマさんはガクリと肩を落として呆れた。

 そんな大層な秘密なら、あんなカッコつけて変身しなくてもいいのにと思わずにいられない。

 その疑問には春香と遥からフォローが入った。

 

「ふふ。可愛いフレンズちゃんの前だから格好つけたかったのよね」

「うんうん。それでこそ和香君だね」

「もう! お姉ちゃんもルカ先輩もっ! 格好つかないよ!」

 

 クロスメロディーの変身を解いた和香は年齢相応に頬っぺたを膨らませて両手をぶんぶんしていた。

 普段格好つけていても、たまにこうして素が出るのも和香の特徴である。

 すっかり緩んだ空気に、ヤマさんはようやく日常が戻って来た事を悟った。

 ペタリ、と尻もちをついてからヤマさんが答える。

 

「まぁ、なんだ。どうせ誰かに話したところで信じてもらえないさ」

 

 よくわからないタイヤの化け物が出て、それと女の子達が変身して戦っていたなんて話をしたら正気を疑われそうだ。

 それよりも、だ。

 

「このタイヤがもがれた車はどうするか……」

 

 いくらヤマさんが真実を話したところで、それを信じてなど貰えないだろう。

 ただ、この散らばった盗難車両をどう言い訳したものか。

 きっと明日あたり、最初に発見した盗難車を回収しに来た警察はおおいに慌てるのではないか。

 

「こりゃあ事件は迷宮入りだな」

 

 真実は小説よりも奇なりとは言うが、こんな真実を誰が想像つくというのか。

 ただ、真犯人は通りすがりの正義の味方が倒してくれた。

 ちょっと納まりは悪いが事件は終わったのだ。

 しかし、世間を納得させられるだけの結末を用意するにはどうするべきか。そうヤマさんが頭を悩ませていると春香が指を一本立ててこう宣言した。

 

「それだったらいい考えがあるわ」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 月曜日。

 ヤマさんは色鳥商店街前交番にて大きなため息をついた。

 まず連続車両窃盗事件であるが、ヤマさんの予想通り、捜査本部は大慌てだったようだ。

 日曜日に休日返上で盗難車両を回収に向かった警察は、一台どころか盗難車両全部が散らばるパーキングエリアを見て頭を抱えたらしい。

 結局、警察は一日中かかって盗難車をレッカー車でピストン輸送した。

 そして、一晩という短い時間でタイヤをもぎ取った盗難車両をパーキングエリアに放置するなんて事が出来る犯人に全く心当たりがなく捜査は暗礁へ乗り上げた。

 そこでヤマさんの出番である。

 ヤマさんは車両を修理してくれる者に心当たりがあった。しかもタダで。

 捜査が終わった車両は修理後に持ち主の元へ返される事になった。

 これで、真犯人を見つける事は出来なかったとしても、原状回復は出来るわけだから一応の面目は保てる。

 ちなみにであるが、ヤマさんと喧嘩になった暴走族も厳重注意というだけで釈放された。

 

「しかし、これをよくもまぁ考えついたもんだ」

 

 実は盗難車両をタダで修理してくれる者を紹介したのは春香である。

 彼女が言っていた『いい考え』とはこれであった。

 破損していた車両は色鳥西工科大学付属高校へと運びこまれた。

 そして、生徒の実習という名目で修理されるらしい。

 その段取りを付けたのは色鳥西工科大学付属高校の生徒会長である。

 確か、遠坂生徒会長と呼ばれていた。

 線は細くどこか気弱そうに見えるのに、あっという間に段取りを付ける辺り、見た目通りの人物ではないのかもしれない。

 何はともあれ、車両をタダで直す段取りをつけた事はヤマさんの手柄となった。

 これであれば近いうちに本署の刑事へ戻れるかもしれない。

 そこまで計算しての事であれば、あの四人組は大人顔負けではないか。

 そんな事を考えながら、ヤマさんはたった一人の交番で椅子に深く背を預けて天井を見上げた。

 そう。

 今は一人である。

 

「ヤマバクにもいい保護先が見つかってよかった」

 

 ヤマさんは今日の朝一番に市役所へヤマバクを連れて行った。

 そこにはなんと、あの稲荷家の主人である白いキツネのフレンズもまた来ていたのだ。

 どうやら迷子らしいヤマバクの力になれない事を気にしていてくれていたらしい。

 その場でトントン拍子に話は決まって、なんとヤマバクの保護家庭は稲荷家という事になったのである。

 稲荷家の主人も「娘に妹が出来る」と大変喜んでくれていた。

 名家である稲荷家であれば、きっと何不自由ない生活が出来るだろう。

 とても喜ばしい事だ。

 とはいえ、今後もヤマバクが言っていた『オイナリサマ』については調べていくつもりのヤマさんである。

 『オイナリサマ』が見つかった時には、その時あらためてヤマバクにとって何が一番いいのかを考えていけばいい。

 

「それにしても、この交番ってこんな広かったっけ?」

 

 一人になって寂しい思いがないとは言えない。

 だが、本署へ戻ればまた忙しい日々に逆戻りだ。寂しさを感じている余裕もなくなるだろう。

 ヤマさんはもうしばらくの間、骨休めと思って平和な商店街を満喫するつもりでいた。

 

 だがしかし、そうは問屋が卸さないのである。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 あれから一週間程が過ぎて、寒さも一気に和らぎ、公園には桜の花も咲き始めた。

 今日も商店街へ向かう人々の雑踏を眺めながら、ヤマさんは思う。

 

「(この交番ってこんな狭かったか?)」

 

 と。

 色鳥商店街前交番でワイワイとたむろしているのは春香に遥に和香とセイコの四人組である。いや、それに加えてセイコに付き従うドール=ドールがいるから正確には五人組か。

 セルリアンの起こしてそうな事件がないかどうかを調べに立ち寄るのだが、さすがに賑やか過ぎる。

 

「協力はしてやるからもう少しこっそりやってくれ」

 

 ヤマさんはそう言わざるを得ない。

 いくら通りすがりの正義の味方一味とはいえ、一般人に警察資料を見せるなんて、バレたらタダでは済むまい。

 だが、セルリアンという誰もが知らない脅威から市民を守るには彼女達の力が必要だ。

 調べ物は済んだのか、春香達はワイワイと去っていく。

 と。

 セイコが交番に戻ってきた。

 

「ああ、ヤマさん。言い忘れていました」

 

 一体何を言い忘れていたというのか。

 訝しむヤマさんに告げるセイコ。

 

「今日、稲荷家の人が来ますよ」

 

 ヤマさんがその言葉の意味を理解する前にセイコはドール=ドールを連れて春香達の後を追った。

 セイコも由緒正しい守護けものの血を引くフレンズだ。そうした旧家同士の繋がりもあるのかもしれない。

 それよりも、だ。

 稲荷家が一介の警官に何の用かと言えば、おそらくヤマバクの事だろう。

 

「ヤマバクに何かあったのか?」

 

 そう考えこむヤマさんであったが……。

 

「何かなんてものじゃありませんよ」

 

 いつのまにやって来たのか、稲荷家当主である白いキツネのフレンズが交番に入って来た。

 

「や、これはむさ苦しいところに……」

 

 掃きだめに鶴とはこの事か。

 慌てて椅子から立ち上がろうとしたヤマさんを稲荷家の当主は手で制した。

 

「今日こちらにお邪魔したのはヤマバクさんの事です」

 

 す、と稲荷家当主はその背中に隠れるようにしていたヤマバクを前に押し出す。

 ヤマバクも一緒だとは思っていなかった。

 

「あの……ヤマバクが何か……?」

 

 何かヤマバクに関して問題があるのだろうか。

 ヤマさんの疑問に稲荷家当主は頷いて答える。

 

「ええ。実はヤマバク自身が当家での本保護を断りまして」

 

 ヤマさんが驚いてヤマバクを見たら、頷いたから本当の事なのだろう。

 言葉が見つからず口をパクパクさせるヤマさん。

 稲荷家に引き取られるのは考えつく限りで最高の環境だと思える。それなのに断るとはどういう事か。

 その理由を稲荷家当主が教えてくれた。

 

「あなたの所がいいそうですよ」

 

 ヤマさんはもう完全に開いた口が塞がらなくなった。

 稲荷家とヤマさんの所では月とスッポンもいいところだ。

 そうやって未だ戸惑うヤマさんに稲荷家当主は畳みかける。

 

「もう毎日のようにあなたが如何にいいか惚気られるのですよ? たまったものではありません」

 

 稲荷家当主が嘯いてみせると、ヤマバクは真っ赤になって俯いた。

 それにますますヤマさんはなんで? と疑問符しか浮かばない。

 

「だって、言ってました……。私が安心して暮らせるように守ってくれるって」

 

 赤くなりながらそう言うヤマバクである。

 確かに言ったけれども、と思うヤマさんだ。

 ヤマバクはタイヤのセルリアンとの戦いで、根性のみでセルリアンをぶん投げたヤマさんにすっかり心を奪われてしまったらしい。

 そんな理由を知らず未だに戸惑うヤマさんに稲荷家当主が追い打ちをかけた。

 

「もう既に市役所の方へは手続きを済ませました。ヤマさんのところで仮保護期間を経て本保護。ヤマバクさんが高校卒業以降に結婚というのがよいかと」

「ちょちょちょちょっと待って下さい!?」

 

 いくらなんでも聞き捨てならない言葉にヤマさんは悲鳴をあげた。

 ヤマバクを保護するのは構わない。

 別に独り身だから娘がいる生活というのだって決して悪くない。あまり使う機会がなく、お金だって貯めているから贅沢はさせられなくとも不自由もさせないだろう。

 だが待って欲しい。結婚ってヤマバクと誰が?

 

「ですから、あなたとヤマバクさんですよ」

 

 何か問題が? と言わんがばかりの稲荷家当主にヤマさんは天を仰いだ後に向き直って絶叫した。

 

「大問題ですよっ!?!?」

 

 ヤマさんとヤマバクでは親娘ほど年齢が違う。

 だが、稲荷家当主は言った。

 

「惚れてしまったのだから仕方がないでしょう」

 

 ヤマさんがヤマバクの方を振り向けば真っ赤な顔をしつつも頷いているではないか。

 もう呆れていいやら照れていいやら全くわからないヤマさんだ。

 ともかく、事実としてヤマバクは稲荷家の保護を断ってヤマさんに仮保護を申し込んだ。

 

「(まぁ、一時的な気の迷いだろう。きっと学校に通うようになれば普通に恋して普通に嫁に行くだろう)」

 

 ヤマさんはそう結論づけた。

 仕事一筋で生きてきたヤマさんの自己評価は低い。特に恋愛関係なんてどん底だ。

 ヤマバクが好きだと言ってくれても、自身はどこがいいんだとしか思わない。

 きっとこれからの生活の中でもっといい人に目移りするだろう。

 今日という日はきっと思い出になるに違いないのだ。

 さて、ヤマさんの方は肚が決まった。

 ヤマバクにも最終意思確認といこう。

 

「結婚云々は置いておいて、だ。ウチは稲荷家のように裕福じゃないし、家事とかも俺一人しかいないから大変だぞ?」

「そこを置いておかれると困りますが、問題ありません。オイナリ姉様が少しは教えてくれましたから」

 

 どうやら、稲荷家当主とその娘がこの一週間家事を色々と教えてくれていたらしい。

 その上……。

 

「私としてもヤマバクさんの事は応援していますので。折りを見て花嫁修業もつけさせていただきますよ」

 

 由緒正しい名家が花嫁修業をしてくれるというならこれに勝る事はあるまい。

 ただ、嫁に行く先がヤマさんというのでは宝の持ち腐れな気がするが。

 まぁ、近いうちに気は変わるのだから問題は全くない。

 それに、ヤマさん自身を取り巻く環境だっておあつらえ向きにも、交番勤務になった事で今までより忙しくない。

 本署の刑事への復帰は断ってしまえば交番勤務も続けられる。

 当面の問題がクリアされた事でヤマバクを預かる事は本決まりだ。

 

「言っておくが、これから色々と大変だからな」

「ええ。いい妻になれるよう頑張りますね」

「だからそれは置いておけ!?」

「それよりもアナタ? 先程までいらっしゃったお若い女性達とは一体どういう関係なんです? まさか私というものがありながら……」

「居座られて困っていただけだ!?!?」

 

 どうやらヤマバクは早くも妻気取りのようだ。

 そんな様子を見て稲荷家当主は可笑しそうに笑いながら言う。

 

「ふふ、夫婦喧嘩は犬もキツネも食べませんので私はそろそろお暇しますね」

「ちょぉ!? せめて助けて下さいっ!?」

 

 まだ夫婦ですらないのに浮気を疑われるヤマさんは悲鳴をあげたが、それに構う事なく稲荷家当主は「あとはお若い方で」と去って行ってしまった。

 ちなみに、稲荷家当主の方がヤマさんより若く見えるのだがそれは今はどうでもいい。

 残されたヤマバクはそっぽを向いて頬を膨らませつつ言う。

 

「アナタはああいう若い子の方がお好みなんですね?」

「いやいや、お前の方が年下だからな!?」

 

 ひとしきり言い合ったが、どうやらヤマバクは不機嫌になってしまったようだ。

 初日からこれでは先が思いやられる。

 先に折れたのはヤマさんの方だった。

 

「なあ、ヤマバク。どうしたら機嫌を直してくれるんだい?」

 

 ヤマバクはその言葉を待っていました、とばかりに年齢相応に目を輝かせて言った。

 

「またあのラーメンを作って下さい!」

 

 

 

 それから数年。

 ヤマさんは娘として扱ってきたヤマバクの猛アタックに屈して結婚する事になる。

 仕事一筋だった清純派の刑事には恋する乙女に抗う術などなかったのだ。

 こうして色鳥町商店街前交番には新たな名物が誕生した。

 かつて名刑事と呼ばれたけれど今は愛妻家の警察官と、その幼な妻である。

 そしてそこからさらに数年後。

 ヤマバクは色鳥商店街前交番に現れた同郷らしいフレンズの話を聞いて、自分と同じラーメンを食べたという事にヤキモチを妬く事になるのであった。

 

 

 

けものフレンズRクロスハート春の番外編『はずれ刑事清純派-慕情編-』

―おしまい―

 




【セルリアン情報公開:タイヤ・ワーム】

 タイヤに憑りついたセルリアン。
 色鳥町で車を食べて、そのタイヤを取り込む事でさらにパワーアップを図っていた。
 見た目はタイヤを連ねて出来た大ミミズである。
 主な攻撃方法はその大口で獲物を捕食したり、体内に取り込んだ盗難車を弾丸代わりに吐き出したりする。
 また、自身の身体を構成するタイヤを使って獲物を拘束する技も持つ。
 元がタイヤであるおかげで打撃に対する耐性が高く、また自身を構成するタイヤを自切する事で敵から逃れたりする事も出来るので非常に倒しづらい。
 如何にして『石』を砕くかが攻略の鍵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』①


【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 色鳥町を中心に突如訪れた世界滅亡の危機。
 それは辛くも、クロスハート達の活躍によって防がれた。
 いつもの日常へと戻った色鳥町にやって来たのは浦波 遥と浦波 萌音(モネ)の親子であった。
 彼女達二人には何やら仕事があるらしい。
 一体彼女達の仕事とは何なのか。


 

 

「はい、みんなー。宿題もちゃんとやらないと後で大変だよぉー?」

 

 パンパンと手を鳴らしつつ萌絵が言う。

 最近何かと忙しかったが、だからと言って夏休みの宿題が減るわけではない。ちょっとずつやっておかないと後が大変だ。

 今の時間は夜。

 今日はいつも以上に賑やかな夕飯が済んで、今は四人で萌絵の部屋に集まっている。

 いつも以上に賑やかな原因は座卓にノートを広げる萌音(モネ)のおかげであった。

 

「うひー。夏休みは嬉しいけど、毎年宿題があるのは嬉しくないよねぇ」

 

 そう言うともえは夏休みの宿題を後回しにして後で泣きを見るタイプだ。

 こうして萌絵に監督されながら少しでも宿題をこなしておかないと最終日にとんでもない事になる。

 

「そうなんですね。わたしはいつもやってる事と代わりがないので実感があんまり……」

「イエイヌちゃんは本当、優等生だからねぇ」

 

 イエイヌはと言えば学校があった間も予習復習を萌絵に見てもらいながらこなしていたので、夏休みの宿題も同じ感じできちんとやっている。

 今年が初めての夏休みだが、この調子なら心配はないだろう。

 そんなイエイヌの頭を撫でる萌音(モネ)

 

「本当、イエイヌちゃんはかしこいわね。ともえちゃんも見習わないとダメよ」

「そういう萌音(モネ)姉ちゃんだってアタシと似たタイプじゃない」

 

 萌音(モネ)もなんだかんだ忙しくしているせいで、ついつい宿題は後回しにしがちなタイプだ。

 というのも彼女の母である遥は家事全般を萌音(モネ)に頼り切りである。

 そんなわけで、萌音(モネ)の方も色鳥町へやって来たのは宿題を進めるチャンスでもあったわけだ。

 

「あと、萌絵ちゃんもいるもの。わかんないところとか訊けちゃうものね」

 

 高校二年生の萌音(モネ)であるが、萌絵は高校の勉強もカバーしていたりする。

 早速、数学のドリルでわからないところを教えてもらっていた。

 やはり、萌絵がいると勉強は捗る。

 本日分のノルマを終えて一番に集中力を途切れさせたのはともえであった。

 

「ねぇ。明日はどうするの?」

 

 ともえとしては、せっかく萌音(モネ)が来ているのだから何かして遊びたい。

 それはイエイヌも萌絵も一緒だった。

 萌音(モネ)はともえに匹敵する運動神経の持ち主だ。

 なので、彼女が来た時には一緒に遊ぶのを楽しみにしている。

 けれど萌音(モネ)は今回何かの仕事があるらしい。なので気軽に遊びに誘ってもいいものか。

 

「そうねえ。明日は朝ご飯が終わったら一度お仕事で出掛けて来るわ。だから朝早くなら一緒に遊べるかも」

 

 早朝の言葉にイエイヌの目が輝き、尻尾がぶんぶん揺れる。

 朝は日課のお散歩があるのだ。

 メンバーが一人増えただけでも今から楽しみなイエイヌである。

 そんなイエイヌを見て萌絵は提案する。

 

「じゃあ、明日のお散歩は公園でフリスビーとかしてもいいかもねえ。イエイヌちゃんも得意だし。萌音(モネ)姉さんもいたら絶対いつも以上に楽しいよ」

 

 お散歩にフリスビー!

 それを聞いてイエイヌの尻尾はちぎれんばかりにバタバタ振られる。

 もう今すぐにでもお散歩に行きたそうだ。

 

「明日よ、明日。今はこれで我慢して」

 

 萌音(モネ)はイエイヌをなだめる為に首筋をわしゃわしゃと撫でてあげる。

 とはいえ、萌音(モネ)も楽しみだ。

 萌音(モネ)は抜群の運動神経を持ちながらも運動部には所属していない。

 何故なら守護者として必要以上に目立つわけにはいかないという事情がある。

 萌音(モネ)は幼い頃からセルリアンと戦う為の訓練を受けて来たおかげで、並みのヒトよりも高い身体能力を持っていた。

 それ故にどのスポーツでもライバルと呼べる存在を得る事が出来ずにいた。

 なので、運動部にはあまり楽しみを見出せず中学高校でも文化部に所属している。

 彼女と渡り合えるともえと遊べるのは萌音(モネ)にとっても楽しみなわけだ。

 

「そういえば、萌音(モネ)姉ちゃんの部活は相変わらずなの?」

 

 ともえも萌音(モネ)の部活については去年聞いているので知っている。

 

「そう。軽音同好会。結局新入生は捕まえられずに相変わらず二人っきりのツーピースバンドよ」

 

 萌音(モネ)が所属しているのは自ら立ち上げた軽音楽同好会である。

 なんでも幼馴染の女の子と高校一年生で立ち上げたはいいけれど、部への昇格はまだまだ遠いらしい。

 

「へー。やっぱり萌音(モネ)姉さんはギターなんだよね?」

「そうよ。ギター&ボーカルのツーピースってわけよ」

 

 萌絵の質問に萌音(モネ)は持って来ていたギターケースを引き寄せてみせる。

 イエイヌにとっては初めて見る物だ。

 

「アンプはないけど、ちょっとくらい弾いて見せようかしら?」

 

 そんな萌音(モネ)の提案にともえと萌絵はパチパチ拍手して見せた。

 もちろん初めてのイエイヌも再び尻尾がぶんぶんである。

 

「じゃあ、軽く一曲ね」

 

 萌音(モネ)はギターケースから、愛用のエレキギター『バチバチ・ダブルV』を取り出すと抱え込むように構えて見せる。

 アンプはなくても室内で弾く分には十分だ。

 萌音(モネ)がピックを用いて弾き始めた曲にはともえも萌絵も聞き覚えがある。

 

「うわぁ、PPP(ペパプ)の曲だ」

「うんうん、凄いね萌音(モネ)姉さん」

 

 一曲が弾き終わり、ともえと萌音(モネ)はそれぞれに拍手を送る。

 初めて演奏を見たイエイヌも目を丸くして一生懸命拍手してくれた。

 

「あはは。そんなにされると照れちゃうわよ」

 

 アンプもない演奏なのにそんなに喜んでもらえると萌音(モネ)だって嬉しい。

 さっき演奏して見せたのはPPP(ペパプ)の代表曲、『大空ドリーマー』だ。

 

「三人とも、PPP(ペパプ)好きなの?」

「「好き!」」

 

 訊ねる萌音(モネ)に即答のともえと萌絵である。

 だがイエイヌはPPP(ペパプ)というのが何なのかよく分からない。

 それを萌音(モネ)が教えてくれた。

 

PPP(ペパプ)っていうのはね、五人組のアイドルユニットよ」

 

 PPP(ペパプ)は、元は四人組のアイドルユニット、PIPであった。

 コウテイペンギンのフレンズであるコウテイをリーダーに、イワトビペンギンのイワビー、フンボルトペンギンのフルル、ジェンツーペンギンのジェーン。

 そして、一年程前にロイヤルペンギンのプリンセスを加えた五人でPPP(ペパプ)となった。

 元々人気のあったグループであったが新メンバープリンセスの加入後はますます人気に拍車がかかっている。

 ちなみに、萌絵もともえも春香も、そしてドクター遠坂までPPP(ペパプ)ファンだ。

 

「二人は推しって誰かいるのかしら?」

「アタシはイワビーかなー? あのロックな感じがたまらないっ!」

「アタシはコウテイ。ちょっとクールでカリスマリーダーなところがカッコいいんだー」

 

 どうやらともえはイワビー推し、萌絵はコウテイ推しらしい。

 ちなみに、春香はフルル推し、ドクター遠坂はジェーン推しだったりする。

 見事にバラけているものの、家族でPPP(ペパプ)好きだ。

 

「イエイヌちゃんもPPP(ペパプ)見たら好きになると思うよ」

 

 早速萌絵はノートPCを取り出してインターネットで公開されているPPP(ペパプ)のCMをいくつか流して見せる。

 モニターの中にいるペンギンのフレンズ達は楽しそうに歌ったり踊ったりしている。

 そもそもイエイヌはこうした音楽やダンスに触れたのは初めてであった。

 

「誰が誰というのはよくわからないのですが、身体がむずむずしちゃいます!」

 

 音楽を鳴らされると、イエイヌはなんでかよくわからないが身体を動かしたくなってしまう。

 手をパタパタ、尻尾をパタパタ。でもそれだけでは足りない。

 けれどこれ以上身体を激しく動かすのは夜中なので迷惑になってしまう。なのでじっと我慢のイエイヌだ。

 

「じゃあさ、明日の朝、お散歩のついでにダンスも試してみる?」

「おお、それいいねぇ」

PPP(ペパプ)のダンスなら私も少しは教えられるわ」

 

 ともえの提案に萌絵も萌音(モネ)も賛成のようだ。

 

「じゃあじゃあ、もしかして明日のお散歩はフリスビーもダンス?っていうのもやっちゃうんですか!?」

 

 もうイエイヌの目は輝きっぱなしだ。

 その顔に「早く明日になれ!」と書いてある。

 ともえと萌絵と萌音(モネ)の三人は顔を見合わせて微笑み合った。

 

「それじゃあ、今日の宿題はこれくらいにしてお風呂入って寝る準備しようか」

「「「賛成ー!」」」

 

 萌絵の提案に残る三人が声を重ねた。

 ちなみに、今日は四人でお風呂だった。

 いつもより狭いけれど、その分賑やかで楽しい時間となったのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 次の日。

 早朝の散歩はやはり思った以上に楽しかった。

 フリスビー大会では萌絵が投げたヘロヘロフリスビーを三人で追いかけていたし、その後は萌音(モネ)に教わりながらPPP(ペパプ)のダンスを試してみたりもした。

 イエイヌの筋はいいようで、ダンスの振り付けもすぐに覚えて見せた。

 一方で萌絵はダンスも苦手である。

 嫌いというわけではないのだが、思ったように身体が動いてくれないのだ。

 体育のダンスはマラソンの次くらいに苦手としている。

 なので、ともえと萌音(モネ)とイエイヌの三人を見守ったり、携帯電話のカメラで撮影したりしていた。

 

「さすがに、混ざる為にクロスハート・ともえフォームにはなれないよねぇ」

 

 一人になった萌絵は今朝撮影したともえ達のダンス動画を再生しながら苦笑する。

 朝ご飯が終わった後、萌音(モネ)は手早くお弁当を作り母親の遥へ届けに行った。そのまま一仕事あるそうで、帰りは夕方以降になるらしい。

 そして、ともえとイエイヌは商店街からヘルプ要請が来て手伝いへと出かけている。

 そんなわけで、萌絵は随分久しぶりに一人になっていた。

 

「萌絵ちゃーん、何見てるのー?」

「わぁー。ともえちゃん達ダンス上手だぁー」

 

 萌絵の後ろから肩に顎を乗せるようにして覗き込んで来たのが二人いる。

 『two-Moe』バイトのパフィンとエトピリカだ。

 今日は二人に加えてオオアリクイまで来るから手は足りている。

 そこで萌絵は今日のバイトを休みにしてもらっていた。

 せっかくなので、一人でやっておきたい事もあったし。

 

「ふぅん? で、今日は萌絵は何をするのかな?」

 

 オオアリクイがカウンター席に座る萌絵にカフェラテを出しつつ訊ねる。

 

「ラモリさんの改造パーツを探しに行こうかなって思ってるの」

 

 それを聞いたラモリさんがギクリとしていた。

 萌絵は先日セルゲンブと戦った際に未来から『ラモリドリル』を取り寄せて使った。

 なので、『ラモリドリル』を作っておかないとタイムパラドックスが生じてしまう可能性があるのだ。

 

「く……くれぐれもお手柔らかにナ……」

「大丈夫、大丈夫。優しくするから」

 

 冷や汗を浮かべてそうなラモリさんに萌絵はいい笑顔を向ける。

 とはいえ、今すぐ改造を始めるわけではない。色々パーツを揃えないといけないからだ。

 萌絵はパーツを揃えるにあたってアテがあった。

 

「久しぶりにハシブトガラスさんの『Bard-OFF』に行ってみようかなって」

「ああ、そう言えばドクターが忙しくなって以来あんまり行ってないものな」

 

 遠坂家の中で機械工作に詳しいのはドクター遠坂と萌絵の二人である。

 反面、春香もともえも勿論イエイヌも興味がない。

 なのでみんなと一緒の時はあまりハシブトガラスの『Bard-OFF』には行っていない。

 『Bard-OFF』は近所にあるリサイクルショップだ。

 様々な不要品を引き取り、修理したり解体してパーツにして販売している。

 売られているものも多種多様だ。

 電子部品から車やバイクのパーツ。パソコンなどのパーツもあればプラモデル用のジャンクパーツまである。

 幅広く様々な部品を取り扱っているその店は萌絵とドクター遠坂から見れば宝の山なのだが、他の家族にはその良さがわからない。

 せっかく今日は一人になったのだから、気兼ねなくパーツ漁りでもさせてもらうかと考える萌絵である。

 そうなれば時間も惜しい。早速行ってみよう。

 萌絵は出してもらったカフェラテを飲み干すと席を立った。

 

「オオアリクイ姐さん、ご馳走様」

「ああ。楽しんでくるといい」

 

 出掛けようとするとパフィンとエトピリカが纏わりついて来た。

 

「萌絵ちゃん萌絵ちゃん、お昼は一緒に食べようねえ」

「春香さんに何を作ってもらおうかなぁ? パフィンねえ、今日はオムライスとハンバーグとエビフライの気分ー」

「そんなに頼んだら春香さんに悪いよぉ。でもでも、エトピリカはパスタとポトフとピザの気分ー」

 

 そんな二人に苦笑しながら萌絵は自宅を出発した。

 パフィンとエトピリカの二人なら本気で全部頼んで、全部食べ尽くしそうではある。

 なんせ二人の食いしん坊ぶりは筋金入りだ。

 そういえば、春香がPPP(ペパプ)の中でフルルが特にお気に入りなのも「たくさん食べてくれそう」という理由だった。

 実は萌絵は昨日のPPP(ペパプ)談義で皆には言っていない事が一つあった。

 それは、新メンバーであるロイヤルペンギンのプリンセスも推しである事だ。

 

「プリンセスって何となくともえちゃんに似てるような気がするんだよねえ」

 

 性格や見た目は全然違う。

 だけれども、前しか見ていないのではないかと思えるほど前向きなところがともえと似ているように感じられた。

 なので、萌絵はこっそりプリンセスも推している。

 そうこうしていたら、ハシブトガラスの営むリサイクルショップ『Bard-OFF』が見えて来た。

 引き取った不要品を納める大きな倉庫と、こじんまりとした店舗が特徴だ。

 ただでさえ狭いように思える店内ではあるが、様々な部品が整理用コンテナボックスに入れられて所せましと並べられている。

 ハッキリ言って一見しただけでは何処に何があるのかわからないし、素人目には何が売られているのかすら全くわからない。

 

「こんにちわー。ハシブトガラスさんいますかー?」

「いますよ。こちらです」

 

 カウンターで仕切られた作業場の奥から声がする。

 何やら雑多な機械で半分くらい埋もれているが、ここは修理カウンターだ。

 家電製品などの修理も手掛けているので『Bard-OFF』は見た目よりも忙しい。

 機械の山から出て来たのは黒髪で片目を隠した清楚な印象のある美人さんだ。頭には鳥のフレンズである事を示す一対の黒い翼がある。

 だというのに、機械油で汚れのついたエプロン姿なのはギャップを感じさせずにはいられない。

 

「萌絵さんいらっしゃい。随分久しぶりな気がしますね」

「うん、お父さんが忙しくて」

「確かに普段はお父さんと二人で来ていましたね。今日はお一人で?」

 

 ハシブトガラスは萌絵が一人でやって来た理由を考える。

 そして一つの結論に思い至った。

 

「はっ!? まさか以前お願いしていた、ウチでのバイトをする気になってくれたとか!?」

「あー……、ごめんなさい。そうじゃないの」

 

 萌絵の返事にガッカリのハシブトガラスだ。

 こう見えても『Bard-OFF』はかなり忙しい。修理、販売、解体、陳列などをハシブトガラスが一手に担っているのだから。

 だというのに素人をバイトに雇っても雑多な商品を整理する事も出来ない。

 ハシブトガラスにとって萌絵は上客である上に将来有望な人材でもある。

 

「ちょっと欲しいパーツがあって」

「そうですか。案内は必要でしょうか?」

「ううん、大丈夫。ありがとうね」

「もし、予算が足りなそうでしたら、いくつか仕事を手伝って貰ってもいいですよ」

 

 ハシブトガラスはなおも諦められない。

 萌絵の予算も潤沢なわけではないので、ハシブトガラスの仕事を手伝ってパーツを融通してもらえるならよい取引かもしれない。

 

「その時はお願いするかも」

「はい、萌絵さんならいつでも待っていますよ」

 

 そして萌絵は店内でパーツ探しを始めた。

 それにしてもここは本当にいろんな物が置いてある。

 素人目には何が何やらわからない店内を、萌絵は手慣れた様子でいくつかのパーツを選んでいく。

 と、いつもは目が行かない方に目を引かれた。

 そこは完成品を販売しているコーナーだった。

 家電製品などに加えてパソコンや楽器まで置いてある。

 目が行ったのは楽器だ。

 それはエレキベースという楽器である。

 昨夜萌音(モネ)が見せてくれたエレキギターに似た楽器だが正確には違うものだ。

 重低音を担当する楽器で、これがあると演奏に深みが出る……らしい。

 というのも萌絵も楽器や音楽にはそこまで詳しいわけではない。

 なのに、目が行った理由は今朝の事が思い出されたからだ。

 三人で踊るともえと萌音(モネ)とイエイヌを楽器でならサポート出来ないかな、と何となく思ったのが理由である。

 運動神経は壊滅的な萌絵であるが、音楽の成績は悪くない。

 

「もしかしたらアタシにも出来るかな……」

 

 萌絵はなんとはなしにエレキベースへ手を伸ばす。

 と。

 

「「へ?」」

 

 その手と声が誰かと重なった。

 ちょうどエレキベースへ手を伸ばした誰かとタイミングが偶然被ったらしい。

 思わずお互いの手をとった状態で萌絵はその誰かさんを見た。

 まず第一印象として「メガネが似合ってないなぁ」と思ってしまった。

 まんまるの太目なフレームはそれだけで顔の印象を半分くらい持っていってしまっているような気がする。

 そして頭にはハンチング帽。白のサマーセーターにジーンズという格好の女の子だった。

 その女の子は萌絵がじっと見ているのを悟って、慌てて手を引っ込めた。

 

「ごめんなさい」

「あ、ううん。こちらこそ」

 

 女の子が頭を下げるものだから、萌絵も慌てて両手を振る。

 女の子は頭を下げはしたものの、不審の眼差しを萌絵に向けていた。

 不躾にジロジロ見てしまっただろうか、と反省の萌絵はこちらも一度頭を下げた。

 

「ごめんなさい。このお店であなたくらいの女の子を見る事ってあんまりなくて」

 

 『Bard-OFF』は見ての通り女の子向けのお店ではない。

 だというのに、萌絵とそう変わらないくらいの女の子は珍しい。なのでついつい見てしまっても仕方ないというものだ。

 女の子の方はその答えに納得したのか、少し警戒を解いてくれたように見える。

 

「そう言うけれど、あなたも私とそんなに変わらないくらいじゃない」

 

 そう指摘されると、萌絵も返す言葉がなかった。

 てへへ、と照れ笑いを浮かべて誤魔化すと、女の子の方も笑ってくれた。

 ひとしきり二人で笑い合うと、女の子の方が訊ねてくる。

 

「ねえ、もしかしてあなたも楽器をやるの?」

「え? ううん? そういうわけじゃないの。興味があったってだけで」

 

 なので、本気で購入を考えていたわけではない。では女の子の方はどうなのだろうか。

 

「私も別に本気で買おうと思ってたわけじゃないの。ただ、楽器が出来たらステキかなーって思っただけで」

 

 どうやら同時にエレキベースを手に取ろうとしたのも似たような理由だったらしい。

 そうとわかったらまたまた二人してなんだか笑いがこみ上げて来た。

 

「アタシは遠坂 萌絵」

「ええと……。私は……プー。友達は皆そう呼ぶの」

 

 二人して自己紹介するが、女の子ことプーは一瞬言いよどんだように見えた。

 何かあるのだろうか。

 もしも困っている事があるのなら、ここで会ったのも何かの縁だ。力になりたい。

 萌絵はそう思ってプーに訊ねる。

 

「ねえ。プーちゃん。なにか困ってる? アタシで手伝える事がありそうなら手伝うよ」

 

 そう言ってみると、プーは芝居がかった調子で大仰に腕を組んで考えてこんでみせた。

 

「そうね。困ってる事が一つあるの」

 

 それは一体?

 萌絵は固唾を呑んで続く言葉を待つ。

 

「実は、私、色鳥町に観光で来たばっかりなの。けどもうすぐお昼だっていうのにどこでご飯を食べようか決めかねてるのよ。だからもし萌絵がオススメのお店を知ってたら教えて欲しいなって」

 

 なんだ、そんな事か。

 だったらお安い御用だ。

 なんせ『two-Moe』ではパフィンとエトピリカという食いしん坊二人の為にキッチンがフル稼働しているはずだ。お客様が一人増えたところで何の問題もない。

 

「わかった。じゃあアタシについて来て。ちょうどよさそうな所に案内するから」

「本当? ありがとう。助かるわ」

 

 そう言って微笑むプーの顔を萌絵は何処かでみたような気がしていたのだが、それを思い出せずにいた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 萌音(モネ)は一人、色鳥エンプレスホテルへとやって来ていた。

 駅前でアクセスも良好なこのホテルは少々お値段は張るものの、その分サービスも設備も非常に良い。

 そこに遥が宿泊しているのである。

 受付で作って来たお弁当が持ち込み可能かどうかを訊ねてみたが、許可さえ取ってもらえれば問題ないらしい。

 持ち込み不可のホテルだって多いのだから、そこは一安心だ。

 だが、萌音(モネ)には心配事がもう一つあった。

 そろそろ彼女達(・・・)がこちらへ来ているはずである。無事に到着していればいいが。

 そう思ってロビーを見渡していると、四人組の女の子達が萌音(モネ)の方へ軽く手を振っている。

 

「おーい! 萌音(モネ)ぇ。コッチコッチ」

 

 そんな風に声を出すからあわてたは萌音(モネ)の方だ。

 

「わ、わかったから大きな声を出さないでっ!?」

 

 萌音(モネ)がそんなにも慌てるのには理由がある。

 なんせ萌音(モネ)に声をかけて来たのはメガネと帽子で変装しているものの見る人が見ればわかる。今をときめくアイドルユニットであるPPP(ペパプ)のメンバー、イワビーだったのだから。

 よくよく見れば変装したコウテイもフルルもジェーンも一緒にいる。

 こんな場所でファンにでも見つかった日には大騒ぎになってしまうだろう。

 だというのに、イワビーの方は呑気なものだ。

 

「まぁ、見つかったらその時はその時だ。程々に収拾つけてさっさと逃げ出すさ」

「はっはっは、萌音(モネ)は逃げ出すくらいなら最初からバレるなと言っているんだぞ、イワビー」

 

 そうやってたしなめるのはPPP(ペパプ)リーダーのコウテイだ。

 

「私もあんまり騒がしくなるのは得意じゃないです。ね、フルルさん」

 

 苦笑いを浮かべたジェーンが傍らのフルルに同意を求めたが、彼女は別にそんな事はどうでもいいとばかりに萌音(モネ)が持った包みを凝視していた。

 

「ねー。もしかしてその包みってお弁当? もしかしてフルルにー? わー。ちょうどお腹空いてたんだー」

「いや、フルルはいつでも腹減ってるだろ……」

 

 既に萌音(モネ)のお弁当に狙いを定めているフルルにイワビーは呆れていた。

 

「でも、みんな無事に着いてたのね。よかったわ」

 

 萌音(モネ)は取り敢えず一安心だ。

 なんせPPP(ペパプ)は今や知らぬ者などいないくらいのアイドルだ。予期せぬトラブルを呼び込んでしまうかもしれない。

 それに色鳥町は今、セルリアンが発生しやすい状況にある。

 そして、PPP(ペパプ)には大切な役目があって色鳥町にやって来ているのだ。

 

「ああ。うっかりセルリアンに襲われでもしたら、色鳥町でのライブも出来なくなるかもしれないからな。心配するのも無理はない」

 

 コウテイの言うように、実は一週間程前に、色鳥武道館でPPP(ペパプ)の単独ライブが決定したのだ。

 それが急遽開催の運びとなったのには理由がある。

 

「そうだよね。みんなには色鳥町の地脈を鎮めてもらわないといけないもの。そうしたら少しはセルリアンの出現率だって減るはずよ」

「おう! 任せとけよ! Rockなライブでセルリアンどもだって一掃してやるぜ!」

 

 萌音(モネ)の言葉にイワビーが自身の拳を掌に打ち付けてパチンと音を鳴らしてみせる。

 だがそこにジェーンが待ったをかけた。

 

「あの、イワビーさん。それだと私達『歌巫女』がセルリアンと戦うみたいじゃないですか。私達には直接セルリアンと戦うような力はないんですよ」

「わかってるって。言葉のアヤってヤツだよ。それにもしもセルリアンが出た時の為に萌音(モネ)が護衛に来てくれたわけだろ。ちゃーんと分かってるって」

 

 イワビーのセリフを引き継ぐように、コウテイが萌音(モネ)の両肩を叩く。

 

「私達、浦波流の中でも萌音(モネ)は唯一『戦士』の適正があったからな。頼り切りになってしまうがよろしく頼む」

「任せてくれていいわ。その為の私だもの」

 

 浦波流サンドスター・コンバットの特徴として、『音』を使う流派であるという点があげられる。

 その中でも特に『音』を操るのに長けた者が『歌巫女』となる。

 『歌巫女』は歌で地脈のサンドスターに働きかける事でセルリアンの発生を抑える事が出来る者達だ。

 反面、直接戦うような力には劣る。

 浦波流ではむしろ直接セルリアンと戦える萌音(モネ)のような『戦士』の方が珍しい。

 『歌巫女』が八百万市を守り、その『歌巫女』を『戦士』が守るというのがあちらの町における守護者の在り方だった。

 PPP(ペパプ)はアイドルでありながら町を守る『歌巫女』でもあるわけだ。

 

「そんで、社長とマーゲイは?」

 

 イワビーがロビーを見回すと、ちょうど遥がやって来た。

 

「みんな、無事に着いたようね」

 

 遥はPPP(ペパプ)が所属する『ブレイカーズ・プロダクション』の社長であると同時に浦波流サンドスター・コンバットの現当主でもある。

 『ヨルリアン』に一時的とはいえ支配された色鳥町は地脈が乱れた状態だ。それを調整する為、急遽PPP(ペパプ)ライブを企画したというわけである。

 

「マーゲイは一足先に会場の調整に向かって貰ったわ。今頃大体の段取りは済んでいるはずよ」

 

 遥の言うマーゲイとは『ブレイカーズ・プロダクション』で働くフレンズの一人だ。

 PPP(ペパプ)のマネージャー業務を一手に引き受けている優秀な社員なのだが、彼女はセルリアンと戦う力は持っていない。

 

「私の方も昨日のうちに四神へ挨拶は済ませておいたわ。ライブは明日の夜。昼にリハーサルの予定よ。準備期間は少ないけどよろしく頼むわね」

 

 遥はPPP(ペパプ)萌音(モネ)を見回しながら言う。

 と……。

 そこで気が付いた。

 PPP(ペパプ)は最初こそ四人組であったが、今は五人組のはずだ。

 今いるPPP(ペパプ)のメンバーは四人。コウテイ、イワビー、ジェーン、フルルだ。

 

「あ、あれ? プリンセスは?」

 

 遥の戸惑いに萌音(モネ)もようやく気が付いた。

 もう一人のメンバーがいない事に。

 てっきり他のメンバーと一緒に来ていて、ちょっと席を外していただけだと思い込んでいた。

 だがそれにしては戻って来るのが遅すぎる。

 二人の疑問にコウテイが答えた。

 

「プリンセスはどうしてもやらなくてはならない事があって単独行動をとっている。私が許可した」

 

 つまり、もう一人のPPP(ペパプ)メンバーであるプリンセスはこの場にいないどころか行方知れずという事ではないか。

 その事実に遥は慌てた。

 

「ちょぉ!? どどどど、どうするのっ!? プリンセスは今回の新曲センターじゃない!?」

 

 そう。

 実は新メンバーとしてようやく定着してきたプリンセスだったが、今回の色鳥町ライブでは新曲を発表する予定だったし、そのセンターはプリンセスのはずだった。

 それが行方知れずとなれば慌てるのも当然だ。

 

「なあに。リハーサルまでには戻る。プリンセスはファンを裏切るような事は決してしない」

 

 コウテイの言葉にイワビーもジェーンも頷いていた。

 

「いいなぁー。フルルも色鳥町グルメ観光したかったなぁー」

 

 フルルだけはプリンセスの不在を何処かに食べ歩きに行ったものだと思っているようだが。

 

「グルメ観光っていうのはプーの事だからないだろうけど……一人の時にセルリアンと出くわしたらどうするつもりなのよ」

 

 萌音(モネ)は呆れていた。

 いくらなんでも不用心過ぎる。

 

「はっはっは。いくら色鳥町がセルリアンの発生しやすい土地だからと言ってそうそう毎日出現するわけでもないだろう? 心配し過ぎだよ」

 

 コウテイはそう言うけれど、それは認識が甘い。

 色鳥町以外ではセルリアンの発生はそうそうない。サンドスターの地脈が色鳥町ほど集まっているわけではないからだ。

 さらに『歌巫女』を擁する浦波流が守護する八百万市ではセルリアンの発生は殆どない。

 なので、コウテイの認識が甘くなるのも無理はない事だった。

 

「出るのよ。色鳥町では。ぽこじゃかと」

「ぽこじゃかなのか……」

「ぽこじゃかよ」

 

 萌音(モネ)は重々しく頷いた。

 実際に萌音(モネ)もつい昨日電車のセルリアン、『デンシャリアン』と戦ったばかりだ。

 昨夜、ともえ達と話した時には一時期毎日のようにセルリアンが現れていたというから内心すごく驚かされていた。

 どうやらコウテイも自らの失策を悟ったらしい。

 早速自分の携帯電話を取り出して、プリンセスへ連絡しようとしたが繋がらない。

 それはジェーンもイワビーも遥も萌音(モネ)も一緒だった。

 フルルだけは相変わらず萌音(モネ)の持ってきたお弁当に目が釘付けだったが。

 おそらく、プリンセスは携帯電話の電源を切っているのだろう。これでは連絡はつけられない。

 

「いいわ。私が探して来る」

 

 言いつつ萌音(モネ)は立ち上がると、愛用のギターケースを背負ってホテルの外へ出た。

 

「プーは私が連れ戻すから、皆は予定通りに準備を進めてて」

 

 見送りに来てくれた皆を振り返って言うと、萌音(モネ)は軽くジャンプし、空中で靴の踵同士をぶつけて見せた。

 

―ガシャッ!

 

 すると、萌音(モネ)の履いていたスニーカーが靴底からインラインスケートのブレードを出現させた。

 これまた遥が改造したインラインスケート、『DX(デラックス)ゴーゴージェットローラー』である。

 ジェットと名はついているが別にジェットエンジンを搭載しているわけではない。

 ただちょっとばかり強力なモーターを車輪に搭載しており、その気になれば時速70kmくらいまでは出せる……らしい。

 元々はPPP(ペパプ)のステージパフォーマンス用に作ってみたけれど、萌音(モネ)いがい誰も乗りこなせずにその計画は実現しなかった。

 

「じゃあ、行ってくるわね」

 

 萌音(モネ)は『DX(デラックス)ゴーゴージェットローラー』を起動させると、風のように街へと走りだした。

 

「プー……。ちゃんと無事でいなさいよね」

 

 近年PPP(ペパプ)へ加入したプリンセスだが実は高校生である。萌音(モネ)と同じ学年、同じ学校、同じ部活の。

 PPP(ペパプ)とは別にプリンセスにはもう一つの顔があった。

 

 プリンセスは浦波 萌音(モネ)の幼馴染にして、

 二人しかいない軽音楽同好会の片割れなのである。

 

 

 

―②へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』②

 

 一方その頃。

 萌絵とプーの二人は『two-Moe』への道をテクテクと歩いていた。

 

「プーちゃん、ありがとねぇ。荷物持ちまで手伝って貰っちゃって」

「別にいいわよ。案内のお礼って事で」

 

 二人の手には萌絵が『Bard-OFF』で買って来た色々なパーツが抱えられていた。

 

「それにしても、こんなもの何に使うの?」

 

 プーから見たら、それはガラクタのように見える。

 こんなものが一体何の役に立つのかわからない。

 そんな疑問に萌絵は物凄く意外そうな顔をする。

 

「えぇー!? このドリルブレードとかすっごいイイ感じじゃない!? 理想の形してるよっ!?」

「ごめん……。ドリルの良し悪しなんて分からないわ」

 

 プーはゲンナリしていた。

 ちょっと変わった子を捕まえちゃったかもしれないとほんのちょっぴり後悔もしたけれど、彼女の目的にはこのくらいの方がいいのかもしれない。

 そんな反応をするプーに萌絵は頬を膨らませて見せる。

 

「だいたいプーちゃんこそあんな所で何してたの?」

 

 『Bard-OFF』はやはり女の子向けの店ではない。

 工具や機械に興味がない子にはあまり縁のない場所なのだ。それ以外の人には入店すら憚られる雰囲気すらある。

 それなのに、プーは単身そんな店にやって来ていた。観光するなら他にいくらでも場所はあるだろうに。

 

「ええとね。しゃちょ……じゃなかった。バイト先でお世話になってる人が昔に通ってた店なんだって。一回見てみたかったの」

 

 プーに『Bard-OFF』の事を話したのは遥である。

 若かりし日の遥も色々と工作する事があったので『Bard-OFF』は御用達の店であった。

 だが、萌絵は別な事に食いつくと、プーに顔を近づけて訊ねる。

 

「ねえねえ! プーちゃんもアルバイトしてるの!? なになに!? どんなお仕事!?」

 

 おうちの手伝いとはいえ萌絵もアルバイトはしているので、そこに興味はあった。

 

「あー……ええと……せ、接客業……かしら?」

 

 まさか「アイドルやってます」とは答えられないプーである。

 一応ギリギリ嘘ではないが真実でもない答えでお茶を濁す。

 これ以上話しているとボロが出そうだから話題を変えよう。

 

「ところで、萌絵はどこに案内してくれるのかしら?」

「へへー。アタシのバイト先ッ」

 

 えっへん、と言いたげに萌絵は胸を逸らして見せる。

 腕の中のジャンクパーツ達がガチャリと鳴って危うくバランスを崩しかけた。

 慌ててパーツを落とさないようにバランスを取り、危ういところで難を逃れる。

 

「あ、危なかったぁ……。プーちゃんが手伝ってくれてなかったら、せっかくのパーツを落っことしてたかも」

 

 萌絵は胸を撫で下ろしつつ言う。

 

「ふふ。どういたしまして」

 

 そんな様子にプーは自然と笑みがこぼれた。

 

「ところで、萌絵のバイト先に行くんでしょ? もしかして萌絵が接客してくれたりするの? どんなところ?」

「それはねぇ、もう着くから見た方が早いよ」

 

 萌絵が言う通り、話しながら歩いているうちに『two-Moe』へと辿り着いていた。

 そこは二階建ての喫茶店だ。

 おそらく、二階部分が住居スペースになっていて家族経営のお店なのだろう。

 犬を模した意匠がグルリと尻尾で囲むようにした看板には『two-Moe』の文字が躍る。

 

「(外装はいい感じね)」

 

 プーは第一印象をそう評価した。

 アットホームな暖かみが感じられる店先だ。

 

「(中はどうかしら?)」

 

 とはいえ、二人とも結構な大荷物を抱えているのでドアが開けられない。

 

「ただいまぁー! ごめーん、荷物があるからドア開けてもらっていいかなぁー!」

 

 萌絵がドアの向こうに声をかける。

 すると、カランカランというドア鈴の鳴る音と共に二人のフレンズが姿を現した。

 何故かメイドさん風の格好だったが。

 

「あぁー、おかえり萌絵ちゃんっ! 何買って来たの!? お菓子かなぁ!? 何かなぁ!?」

「パフィンちゃん、そんなにしたら萌絵ちゃんが困っちゃうよ。でもでもエトピリカも何買って来たのか気になるなぁ」

 

 出て来た小さな鳥のフレンズ二人は萌絵にわちゃわちゃと纏わりつく。

 

「ごめんね、二人とも。食べ物じゃないの」

「「なぁーんだ」」

 

 明らかにガッカリという様子でパフィンとエトピリカの二人は肩を落とす。

 直後、じっと見ていたプーに気づいた。

 

「あ、もしかしてお客さん!?」

「ごめんなさい、いらっしゃいませっ!」

 

 慌てて二人して営業スマイルだ。

 そのまま、萌絵とプーが抱えていた荷物を分けっこしながら店内へ案内するパフィンとエトピリカ。

 何とも可愛らしいメイドさんだ、とプーはその背中を微笑ましく追う。

 

「あら、いらっしゃいませ。お帰りなさい、萌絵ちゃん」

 

 これまた小さな黒髪の女の子がメイドさん風の制服でお出迎えしてくれた。

 さらにカウンターの中では格好イイという形容詞がピッタリなオオアリクイのフレンズがコーヒーを淹れている。

 萌絵はといえば小さな女の子の方に声をかけていた。

 

「ただいま、お母さん。こっちはプーちゃん。さっき『Bard-OFF』で友達になったの」

「あら、そうなの」

「そうそう。荷物持ちまで手伝って貰っちゃったからお礼にお昼食べてって欲しいな、って連れて来たんだ」

「そういう事なら大歓迎よ」

 

 多分『お母さん』というのはお店でのあだ名なり何なりなのだろうとプーは思っていた。

 どう見ても自分と同い年くらいか年下に見える女の子が、それとよく似た年齢の女の子の母であるはずがない。

 見た目の割に大人っぽい雰囲気がする子ではあるが、まさかね、と思うプーである。

 だがそんな想いを余所に、その女の子はプーを席に案内しつつ言った。

 

「いらっしゃいませ。娘がお世話になりました」

「(え!? まさか本当に萌絵のお母さん!?)」

 

 内心の動揺をプーは見事に抑え込んだ。さすがアイドルである。

 

「ねえねえ、お母さん。プーちゃんはまだお昼ご飯食べてないんだって。ウチで食べてってもらってもいいよね?」

「ええ。ちょうどお昼のお客さんもひと段落したところだから、パフィンちゃんとエトピリカちゃんのお昼休憩にしようと思ってたの。二人も一緒に食べて行って」

 

 プーが驚いている間に、あれよあれよと状況は動いていた。

 パフィンとエトピリカが「待ってました!」とばかりに次々テーブルに料理を運んで来る。

 プーはその量に唖然としてしまった。

 まず、大皿パスタにチーズピザ。それにオムライスとポテトサラダ。まだまだ終わらないとばかりにコーンスープがやって来る。

 どれも大皿で出て来て取り分けて食べられるようだが、女の子4人で相手どるには荷が勝ちすぎる。

 が……。

 

「はい、プーちゃん。早く食べないとなくなっちゃうから」

 

 萌絵はそんな信じられない事を言いつつ、プーの分を取り皿によそう。

 なくなるって……なにが?と、プーが戸惑っているうちに、料理を運び終わったパフィンとエトピリカが二人並んでテーブルに付く。

 二人ともキラキラした目で料理の山を見ている。

 

「「じゃあ、いっただっきまーす!」」

 

 パフィンとエトピリカが宣戦布告と共に揃って両手を打ち鳴らす。

 二人で仲良くそれぞれの取り皿に料理をよそうと、猛然と食べ始めた。

 

「やっぱり春香さんのご飯美味しいよねぇ」

「そうだねぇ。ここのバイトでよかったよねぇ」

 

 二人がそんな事を言いつつ手と口を動かしているうちに、どんどん山が平らになっていく。

 

「ほらほら、プーちゃんも食べて食べて。じゃないとお昼食べそびれちゃうから」

 

 すっかりパフィンとエトピリカの二人に目が釘付けになってしまっていたプーである。

 萌絵に言われてようやくプーも我に返った。

 早速取り皿によそわれたパスタを一口食べてみる。

 

「(あ、ほんとだ。美味しい)」

 

 ミートソースを存分に絡められたパスタに、トロトロチーズのピザ。

 オムライスはとろりと半熟卵がかかって、チキンライスと一緒に食べるとそれだけで口の中が幸せだ。

 なるほど、これはついつい食が進む。

 しかも目の前に食いしん坊二人がいるからなおさらだ。

 

「はっ!?!?」

 

 プーが再び我に返った時、あれだけあった料理の山は全て四人に平らげられていた。

 まぁ、主な功労者はパフィンとエトピリカであるが。

 

「ついつい食べ過ぎちゃったわ。ご馳走様」

 

 プーもあらためて空になったお皿に両手を合わせる。

 一応アイドルだけあって、食事の総カロリーなんかにも気をつかってはいるのだが、今日は明らかにオーバーしている。

 後で何か運動をしないと。

 まぁ、散歩がてら色鳥町観光をすればいいか。

 

「ねえ、萌絵。どこか面白そうな観光スポットってある?」

 

 プーが訊ねてみると、萌絵はしばらく、うーん、と頭を捻る。

 意外と地元だと観光スポットに縁がなかったりもするものだ。

 やはりそれは萌絵も変わらないらしい。

 オオアリクイは四人に食後のお茶を運びつつ、話の輪に入って来た。

 

「今の時期は青龍神社の夏祭りも終わってしまったから、何かいい観光スポットと言われるとパッとは思いつかないね」

 

 だが、プーは正確に言えば観光が目的というわけでもなかった。

 

「ええと、そうね。別に観光スポットとかじゃなくてもいいの。普段萌絵達がどんなところに行くか知りたいのよ。さっき行った『Bard-OFF』みたいに」

「そういう事なら……商店街とか? 今日はともえちゃん達がお手伝いに行ってるはずだし」

 

 ともえ、という名前に聞き覚えはないけれど、商店街というのは面白そうだ。

 

「ねえねえ、そこってどんなところなの?」

「うーん? 普通だよ? 区画整理して中央市場があったり、最近ネット通販の『U-Mya-System』っていうのを導入したり、あと『グルメキャッスル』って屋台も最近名物になって来たかなぁ」

 

 プーはそれを聞いて「(普通じゃないんですけど)」と胸中で呟く。

 だが、俄然興味も沸いて来た。

 

「ねえねえ、萌絵。私、その商店街に行ってみたいわ」

「うん、いいよ。ついでだからともえちゃん達に差し入れでもしてあげようかなぁ?」

 

 今頃はともえ達も商店街のお手伝いを頑張っている頃だろう。

 ちょっと不思議な新しい友達を連れて行ったらどんな顔をするかな、なんて想像する萌絵であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 その頃。

 

「一体どうしたんですか? 萌音(モネ)さん」

 

 色鳥町商店街アーケード入り口前に屋台『グルメキャッスル』が出店している。

 ただ、今日はその店番がいつものオオセルザンコウやセルシコウ、マセルカではない。

 何故かいるのは、かばんとサーバルであった。

 そして、屋台前に設えらた丸椅子に座ってぐったりしているのは萌音(モネ)ではないか。

 

萌音(モネ)ちゃん、こっちに来てたんだ。疲れてるの? お水飲む?」

 

 疲れた様子を見せる萌音(モネ)にまとわり付いてサーバルは色々と世話を焼こうとしている。

 

「うっうっ、ありがとうねぇ、サーバルちゃん。お礼にサーバルちゃんはちょこーーーっとだけ私より身長高いけど妹にしてあげるわね」

 

 あれから萌音(モネ)は色鳥町を走り回ったものの、アテがあるわけでもなくプーを見つける事はできなかった。

 疲れて来たところに、何やらいい匂いがしたので屋台に立ち寄ってみたら、かばんとサーバルがいたというわけである。

 

「ところで、二人はこんなところで何をしてるの? アルバイト?」

 

 まさかこんなところで、かばんとサーバルの二人に出会うとは思っていなかった。萌音(モネ)も二人が何をしているのかが気になった。

 

「そうですね。アルバイトみたいなものです」

 

 答えつつ、かばんは青龍神社夏祭りで開発された『グルメキャッスル』特製のホットドッグを差し出す。

 カレーソースのいい匂いに思わず萌音(モネ)のお腹が鳴る。

 そういえば、お昼はまだ食べていなかった。ありがたく頂く事にしよう。

 

「おおっ! かばんちゃん、また腕を上げたねぇ」

 

 一口で分かる。かばんの料理はまた上手になった。

 トマトの酸味とハチミツで甘味を加えられたカレーソースが疲れた身体に染みる。

 確かに物凄く美味しいが、こんなところで屋台をやっている理由にはならないのではないか、と疑問を持つ萌音(モネ)

 

「実は、ここの店主さんとお友達なんですが、今日はどうしても用事があるという事でお留守番をお願いされたんですよ」

 

 かばんはその疑問に、特製ソーダを差し出しつつ答えた。

 

「まぁ、これだけ美味しくて可愛いかばんちゃんとサーバルちゃんがいるんだったら人気店になるわね」

 

 萌音(モネ)は言いつつ残ったホットドッグを平らげて、特製ソーダで一息入れる。

 かばんと萌音(モネ)は昔一緒にセルリアンと戦った戦友だったりする。

 まだ、かばんがクロスシンフォニーに成りたてだった頃に手伝って貰ったりしたのだ。

 だから、萌音(モネ)が何かに困っているようであれば、手助けはしたい。

 それはサーバルも同じ気持ちだったようで、一息ついた萌音(モネ)に早速色々と訊ねていた。

 

「ねえねえ萌音(モネ)ちゃん、もしかしてセルリアンを追っかけてたとか? 私も手伝うよ? 何したらいい?」

「あはは、大丈夫大丈夫。セルリアン絡みってわけじゃないから」

 

 サーバルの勢いに押される事なく、萌音(モネ)は余裕をもって答える。

 今、萌音(モネ)がやっているのはPPP(ペパプ)メンバーの一人、プリンセスことプーを探し出す事だ。

 かばんとサーバルの二人ならば、事情を話しても協力してくれるだろうが、そうできない理由も萌音(モネ)にはあった。

 

「それより二人とも。明日の夜って予定空いてる?」

 

 萌音(モネ)が突然話題を変えるものだから、かばんもサーバルも二人して顔を見合わせたものの、素直に頷く。

 

「ならさ、はい、これ。他のクロスシンフォニーチームの皆にも」

 

 言いつつ萌音(モネ)が差し出したのは明日の夜に控えたPPP(ペパプ)ライブのチケットだ。

 急遽開催される事になったにも関わらず、PPP(ペパプ)ライブのチケットはあっという間に完売していた。それを六人分も持っているだなんて。

 驚きで目を丸くするかばんとサーバルに萌音(モネ)は得意満面だ。えっへん、と言いたげに胸を逸らしてすらいる。

 これが、萌音(モネ)が積極的にかばんとサーバルに協力を頼めない理由であった。

 萌音(モネ)はつい先日起こったヨルリアン事件を聞いていた。だから、かばんも勿論そうだが、ともえ達も労いたいと考えていたのだ。

 そこでPPP(ペパプ)ライブである。

 関係者である萌音(モネ)にとってライブチケットを確保するのはそこまで難しくない。

 今回くらいはともえ達にもかばん達にもセルリアンの事は忘れてゆっくりしてライブを楽しんで欲しかった。なので、もちろんともえ達の分だってライブチケットを準備している。

 その為にも、プーを無事に見つけ出さないといけない。

 

「じゃあ、かばんちゃん。サーバルちゃん、また後でね」

 

 言いつつ、萌音(モネ)は再び靴に仕込まれたインラインスケートを出すと駆け出して行った。

 呆気にとられてかばん達が反応出来ないでいるうちに、萌音(モネ)の姿はあっという間に街へと消える。

 

「あれ? さっき萌音(モネ)姉ちゃんが来てなかった?」

 

 それと入れ違いになるようにやって来たのは、イエイヌを伴ったともえであった。

 ともえとイエイヌは、配達のお手伝い中である。

 『U-Mya-System』を利用した配達サービスは中々好評なようで、今日も商店街は大忙しだ。

 今日はオオセルザンコウとセルシコウとマセルカのセルリアンフレンズ三人組が揃ってお休みの為、ともえ達が来てくれて大助かりの商店街だった。

 

「それにしても、三人揃ってお休みなんて風邪とかじゃなければいいですが」

 

 心配そうにしているイエイヌだったが、病気になったわけではない事は連絡を貰った時に聞いていた。

 どうしても外せない用事がある、と言っていたがセルリアン絡みだろうか。

 

「だったら私達にも手伝ってーって言ってくれたらいくらでも手伝っちゃうのに!」

 

 サーバルはそう言って頬っぺたを膨らませてもいた。

 そんなサーバルの頬っぺたをともえが突く。

 

「まぁまぁ。オオセルザンコウちゃん達だったら何かあったら連絡してくれるよ」

「それもそうかっ! じゃあ私達はグルメキャッスル頑張ってればいいんだね!」

「そうだよっ!」

 

 言ってともえとサーバルはイェーイ、とハイタッチ。

 

「じゃあ早速、今日の日替わりともえスペシャルを……」

「はい。ともえちゃんは私と一緒に配達ですよー」

「ぁあああああっ……」

 

 腕まくりして屋台に入ろうとしたともえをイエイヌが捕まえた。

 そのままズルズルと引っ張っていく。

 まだまだ配達する物は沢山あるので油を売っている場合でもない。

 イエイヌがともえを引っ張って退場していくと、これまた入れ違いになるようにやって来たのは萌絵だった。

 傍らに、大きな眼鏡をかけて帽子を被ったフレンズを一人連れている。

 かばんには、そのフレンズに見覚えがなかった。大きな帽子でフレンズの特徴を隠しているから何のフレンズなのかすらわからない。

 萌絵の友達だろうか。

 そう思っていると、萌絵の方が口を開いた。

 

「あれ? さっき、ともえちゃんが来てなかった?」

 

 やはりこういうところは双子か。

 つい今しがた似た様な会話をした記憶があるかばんである。

 

「はい。ともえさんも来てましたが、萌音(モネ)さんも来てましたよ。こんな物を置いていったのですが……」

 

 言いつつ、かばんはさっき萌音(モネ)に渡されたPPP(ペパプ)ライブのチケットを見せる。萌絵なら何か知っているかもしれない、と。

 

「わぁ。これ、あっという間に売り切れになったのにスゴイねえ。じゃあ、さっき萌音(モネ)姉さんから来たメールってこれの件かなぁ」

 

 言いつつ、萌絵は自分の携帯電話を取り出す。

 そこには萌音(モネ)からのメールで『明日の夜あけておいてね』とだけ記されていた。

 

萌音(モネ)さんのサプライズって事でしょうか」

「かもね」

 

 じゃあ、ここはあまり広めないようにしようか。かばんと萌絵は二人してお互いの口元に人差し指を立てて内緒ね、のポーズで笑い合う。

 が、プーは若干居心地の悪そうな顔をしていた。

 なんせ、PPP(ペパプ)ライブの主役、その一人が彼女なのだから。

 そんなプーに早速サーバルが絡んでいた。

 

「ねえねえ、こんにちわ! 私サーバル! あなたは?」

「あ、ええと、私はプー。みんなそう呼んでるわ」

 

 まとわりつかれて、プーは戸惑っているようだったが別にイヤというわけでもない。

 萌絵が「さっき友達になったの」と教えると、サーバルは「いいないいなー!」と羨ましそうにしている。

 ここは話題を変えねば、と思ったプーは屋台に目を付ける。

 

「もしかして、あなたはここの店員さんなのかしら?」

「うん! そうだよっ。今日はオオセルザンコウ達のかわりにお手伝いなの」

 

 元気に答えるサーバルの言葉にプーも思い至る事があった。

 さっき萌絵に教えてもらったここが『グルメキャッスル』なのだろう。キャッスル、という割に店舗は凄くこじんまりとしている。

 

「というか屋台なのね……」

 

 聞いてはいたが、実物はさらにキャッスルとは程遠いように見える。

 

「まぁまぁ。食べてみたらわかりますよ」

「そうだよっ! 皆で作ったからすごく美味しいんだからっ!」

 

 かばんとサーバルに言われてプーは自身のおなかをさする。

 さっき、お昼をいつもより沢山食べてしまったばかりだ。

 

「なんなら、ハーフサイズにも出来ますよ」

 

 かばんにそう言われては断る事も出来ない。

 それに観光に来たのだから、ここで食べないという選択肢はないだろう。

 

「あ、じゃあかばんちゃん。ヨーグルトソースのともえスペシャル、プレーンのハーフサイズを二つお願い」

 

 しかも、萌絵がもう注文を終えてしまった。

 まるでコーヒー専門店のような注文をしていたようだが、色々なオプションを選べるという事だろうか。

 かばんの素早い調理から出て来たのはホットドッグだ。

 

「はい、プーちゃん。アタシの奢り」

「あ、ありがとう」

 

 やや緑がかったヨーグルトソースと焼き立てのウィンナーはそれなりに美味しそうに見える。

 だが、食べ過ぎと言っていい腹具合に捩じ込めるだろうか。

 

「(ええい!? ここまで来て食べないわけにはいかないわっ!)」

 

 プーは腹を括ってホットドッグにかぶりつく。

 瞬間、爽やかな風味のヨーグルトソースから、さらに鮮烈なインパクトが駆け抜ける。

 

「な……!? これってもしかして、わさび!?」

 

 ヨーグルトソースに混ぜられたわさびが、味にさらなる奥行きを出していた。

 爽やかな風味に、気が付けばあっという間にホットドッグを平らげてしまったプーである。

 

「ちなみに、カレーソースとトマトソースもあって、そこからウィンナーをプレーンとチョリソーから選べて、後はトッピングも付け加えられますよ」

 

 ニコリと笑ってみせるかばんにプーは己の敗北を悟った。

 

「そうね……。認めるわ。ここはグルメキャッスル……いえ、グルメダンジョンね」

 

 とても一度では攻略できない千変万化のラインナップだ。そこに迷い込んでしまったが最後、このグルメキャッスルを攻略しきる事は難しい。

 そしてプーには大問題が一つ生まれてしまった。

 

「けど、明らかにカロリーオーバーよぉっ!?」

 

 彼女の絶叫が色鳥町商店街に響き渡るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「はい、オオセルザンコウ。セルシコウ。撮るよー」

 

―パシャリ。

 

 マセルカの持つ携帯電話からシャッター音がする。

 写真を撮られたオオセルザンコウとセルシコウの二人は黒のスーツ姿であった。

 きっちりネクタイまで締めている。

 

「ふふー。エゾオオカミに送ってやろーっと」

 

 早速マセルカは今しがた撮ったばかりの写真をエゾオオカミに送り付ける。

 スーツでビシッと決めた二人の絵になる光景に何と返信がくるか。

 

―ピロン。

 

 程なくして返信を告げる着信音がする。その内容は『馬子にも衣裳だな』というものだった。

 

「もー。エゾオオカミったら。『そ、う、い、う、と、こ、ろ、だ、よ』っと。送信」

 

 マセルカの返信には『だから、どういうところだよ』というお決まりの文句が即座に返って来る。マセルカはそれを確認すると携帯電話をしまった。

 オオセルザンコウとセルシコウにマセルカの三人がいるのは色鳥エンプレスホテルのスイートルームだった。

 なんでこんなところにいるのかといえば……。

 

「すみません。ヤマさん。PPP(ペパプ)の護衛を引き受けてもらって」

「いやいや、構わないよ。まさかセルリアン対策課の初仕事がこんな大仕事になるとは思ってもいなかったけどね」

 

 いま、遥とヤマさんが言った通りの理由だった。

 二人はスイートルームのダイニングテーブルでのんびりとコーヒーを傾けていた。

 さらに、広々としたこの部屋にはPPP(ペパプ)メンバーも思い思いに過ごしている。最上階がまるまるワンフロア、PPP(ペパプ)の貸し切りだった。

 それぞれにリラックスして過ごしているらしい一同だったが、一人だけ修羅場っているのがいた。

 

「あ、あのー……。ヤマさん。いくらなんでも詰め込み過ぎじゃないでしょうか?」

 

 それは大量の参考書に囲まれたハクトウワシだった。

 

「何を言っているんだい? ハクトウワシ課長補佐。キミはセルリアン対策課の次期課長になるわけだから昇進試験を受けまくらないといけないんだよ。これでも手加減してるくらいさ」

 

 ゲッソリした様子を見せるハクトウワシにもヤマさんはいい笑顔だ。

 『キャプテン・ハクトウワシ』としてセルリアン対策課の表向き切り札となったハクトウワシだったが、それで事態は丸く納まらない。

 一足飛びに課長になるには大量の昇進試験を受けなくてはならなかった。

 そのままではセルリアン対策課自体が成立しないというピンチに立ち上がってくれたのがヤマさんである。

 ヤマさんはまだ課長になれないハクトウワシに代わって課長のポストに納まったわけだ。

 

「まぁ、もっともおかげで定年は先延ばしになってしまったがね」

 

 言って苦笑するヤマさん。

 おかげで妻のヤマバクには随分と膨れられてしまった。定年後は二人の時間が増えると喜んでいたのに。

 

「うぅうう。ご、ごめんなさい」

 

 というわけでハクトウワシはヤマさんとヤマバクに頭が上がらなくなってしまった。

 そんな様子に遥がクスリと笑みを漏らす。

 

「相変わらず二人とも仲がいいようですね」

「はっはっは。尻に敷かれてるよ」

 

 遥はヤマさんとヤマバクの馴れ初めを知っていたりする。

 そんな遥はふ、と思い至ってしまった。

 

「そういえば、仕事とはいえ、うら若き乙女達と一緒にホテル泊まりと知ったら奥様は何と言うんでしょうね?」

「やめてくれいっ!?」

「冗談ですよ」

 

 遥の思いつきに本気で青ざめるヤマさんだった。

 どうやらヤマさんとヤマバクは色んな意味で相変わらずのようである。

 ヤマさんをいじめるのはこのくらいにして、遥は今度の標的をハクトウワシに変えた。

 

「ハクトウワシさん。お勉強も大事だけれど、修行の方も忘れずにね」

 

 まだ詰め込まれるのか、とハクトウワシはさらにゲンナリした。

 PPP(ペパプ)が色鳥町に滞在する間の護衛を引き受けたかわりに、ヤマさんは一つの交換条件を出したのだ。

 それが、遥にハクトウワシを鍛えてもらおうという提案だった。

 これでも浦波 遥は浦波流サンドスター・コンバットの現当主である。

 果たしてハクトウワシがその教えをものに出来るのかどうかは未知数だが、いつまでも張り子の虎というわけにもいくまい。

 

「Oh……My God」

 

 怒涛の愛の鞭による攻撃にハクトウワシはスイートルームの天上を見上げるのだった。

 

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「やっぱり、広いこの街をアテもなくプーを探すなんて無茶ね」

 

 あれからも街中を駆け回った萌音(モネ)であったが、成果は得られなかった。

 もっとも、プーの方は萌絵と商店街巡りを満喫していたが。

 

「これだったら、いっそ色鳥町にいるセルリアンを全部一掃しちゃった方が早い気がしてきたわ」

 

 そうすれば、プーがセルリアンに襲われる心配はなくなる。

 萌音(モネ)はこれだけ街中を走ったというのに、セルリアンと遭遇する事もなかった。案外思っていたよりもセルリアンの発生率は高くないのかもしれない。

 そう思って萌音(モネ)が胸を撫で下ろした時……。

 

―ゾクリ。

 

 その背中に悪寒が走った。真夏だというのにである。

 悪寒の正体は強力なセルリアンの気配だ。

 いつの間にこんな近くに寄られていたのか。いくらなんでも油断し過ぎたか、と萌音(モネ)は後悔するがもう遅い。

 その強力なセルリアンの気配はすぐ背後まで迫っていた。

 その強大さは、今までに萌音(モネ)が相対して来たものの比ではない。

 おそらくだが、萌音(モネ)が持つ最大の切り札を使ったとしても一矢報いられるかどうか。そのレベルだ。

 背後を振り返るのすら怖い。

 そう思った時、その背後から声が掛かった。

 

「おや? キミはもしや浦波 萌音(モネ)君じゃないかい?」

 

 ギ、ギ、ギ。と油の切れたロボットのように萌音(モネ)が振り返ると、そこには暗緑色した髪色の黒いジャケットを着た女性が立っていた。何故か買い物袋を両手に提げて。

 よくよく見ると、その両脇にヒトの女の子と、アムールトラのフレンズ、それにカラカルのフレンズ、ユキヒョウのフレンズともう一人小さな女の子を侍らせているではないか。

 

「やあ、実際に会うのは初めてだね」

 

 そう言われても、萌音(モネ)は誰なのかわからない。

 そもそも、こんな強力なセルリアンに知り合いなんていない。だが、答えはその本人から返って来た。

 

「私は宝条 和香。キミの母上であるルカ先輩から聞いた事はないかな?」

 

 その名前は萌音(モネ)も聞き覚えがあった。母である遥と共にかつて色鳥町を守った守護者の一人である。

 宝条 和香であれば遥経由で萌音(モネ)の姿を見知っていても不思議はない。

 だが、その守護者がセルリアンになっているのはどういう事か。

 

「驚かせてしまっただろうか。故あって今の私は半分セルリアンなのさ」

 

 和香教授は言いつつ両手を広げて見せた。

 途端にカラカルとユキヒョウのツッコミが入る。

 

「和香。アンタねえ。こんなちっちゃい子をビビらせてんじゃないわよ」

「そうじゃぞ、教授殿よ。最近は寝不足も改善されて人相もよくなってきたと思っていたというのに」

 

 そして、ひと際小さな女の子、ルリがハンカチで萌音(モネ)の額を拭ってくれる。

 

「大丈夫? すごい汗だけど」

 

 そして菜々が自分の持つ買い物袋からスポーツドリンクの入ったペットボトルを差し出してくれた。

 

「ごめんねぇ、和香さんが驚かせちゃったみたいで」

 

 ようやく萌音(モネ)も反応出来るようになってきた。

 

「く、クロスメロディー……ですよね。は、はじめまして」

 

 萌音(モネ)は緊張しきりである。なんせ相手は伝説の守護者だ。

 ルリとアムールトラとユキヒョウは『クロスメロディーって何!?』と言わんがばかりの凄い勢いで和香教授を振り返る。

 

「ああ、昔の事さ」

 

 言いつつほっぺたを掻く和香教授は少しばかり照れ臭そうだった。

 それに菜々が納得の相槌をポンと打つ。

 

「あ、もしかしてルリちゃん達は和香さんがどんな感じで戦ってたとか聞いた事ないんだ」

「いいわよ。今日の夕飯にでも和香の恥ずかしい昔話も教えてあげるから」

「カラカル!? 私そろそろ泣くよ!?」

 

 ニヤリとするカラカルに和香教授が絶叫で返す。 

 萌音(モネ)もすっかり毒気を抜かれた。一体このヒト?セルリアン?のどこに脅威を感じたのか分からない。

 和香教授は萌音(モネ)に向き直ると言う。

 

萌音(モネ)君。頑張るのはいいが少し疲れているようだね。今日のところは帰って休んだ方がいい」

「で、でも……」

 

 まだ萌音(モネ)はプーを見つけていない。

 確かに街中を走って疲れてはいるがまだ休むわけにはいかなかった。

 だが、和香教授は萌音(モネ)の前に片膝を付いてしゃがむと恭しくその手を取る。

 

「無理をして萌音(モネ)君が倒れでもしたら私は悲しい。将来の美人にそんな事はさせられないよ。ここは私の顔を立ててくれ給え」

 

 そんな物言いに、萌音(モネ)は思った。

 母とキャラが被っている、と。多分、遥が聞いたらそんな事はないと言うだろうが。

 母によく似た人の言う事では仕方がない。

 

「わかりました。今日のところは帰ります」

「そうだね。そうするといい」

 

 萌音(モネ)は日も傾きかけてきた中を遠坂亭へと戻る事にした。

 確かにプーを見つけていないが、闇雲に走り回っても仕方がない。むしろ、プーと連絡がついた時の為に体力を温存しておくのがいいように思える。

 それにしても、やはり萌音(モネ)は不思議でならなかった。

 目の前の和香教授からは一欠けらとして背中が総毛立つ気配は感じない。

 だったら、あの時感じた禍々しい気配は一体何だったのだろう、と。

 やはり自分は思っていた以上に疲れているらしい。萌音(モネ)はそう結論づけると帰路へ着く。

 和香教授は萌音(モネ)の背中をしばらくの間見送る。

 

「何をしておる。早く帰らぬと夕飯の支度が遅れるぞ」

 

 ユキヒョウの言葉に和香教授は一度彼方の空を見上げて流し目を送るようにするが、ふ、と踵を返す。

 

「ああ。すまないね。夕飯の支度が遅れるようなら私も何か手伝おうか?」

「「「「「「絶対ダメ!?」」」」」

 

 和香教授の提案は全員揃ったガチめの却下をされてしまうのだった。

 

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「へー。いやいや、中々どうしてこっちの世界も一筋縄じゃ行かないみたいじゃないの」

 

 和香教授が見ていた先。

 そこはビルの屋上であった。

 そこに一人の少女が立っている。

 浅黒い肌をした黒髪の少女である。見た目は中学生くらいだろうか。

 その少女は傍らに片膝を付き臣下の礼をとる二人のフレンズへ言う。

 

「セルセイリュウ。セルビャッコ。プラン変更よ」

「「御意」」

 

 少女はその返事に満足そうに頷く。

 

「我の殺気に気づいた戦士といい、あの女王といい、こちらの世界も中々に面白い。力任せに蹂躙するのはつまらないわ」

 

 だから、と少女は両手を広げると空を仰いで言い放った。

 

「ゲームをしましょう」

 

 

  

―③へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』③

 

 

 なんだかんだで夕暮れ時。

 萌音(モネ)は結局プーを見つける事が出来ずに『two-Moe』へと戻って来た。

 一度、遥にも連絡を入れたものの、やはりまだプーは戻っていないらしい。

 やはりこうなっては、無事を祈るくらいしか出来る事はなさそうだ。

 ともかく、妹も同然の萌絵やともえやイエイヌに心配を掛けるわけにはいかない。

 萌音(モネ)は一度頭を振って疲れを追い出すようにしてから『two-Moe』のドアを開けた。

 

「ただいまぁー!」

 

 店内はアルバイトのパフィンとエトピリカとオオアリクイが上がった後だったものの、ともえとイエイヌ、それに萌絵が戻っていたから賑やかさは相変わらずだった。

 

「お帰りなさい、萌音(モネ)姉さん」

 

 そろそろ店仕舞いへ向けて準備中だった『two-Moe』では、ともえもイエイヌも萌絵も掃除に勤しんでいた。

 

「ごめんなさいね。ちょっと野暮用で今日はお手伝いできなかったわ。今からでも何か手伝おうかしら?」

 

 萌音(モネ)が訊ねるが、今度は店長である春香がカウンター席の椅子を引いて首を横に振る。

 

「大丈夫よ。もう殆ど済んでるから。それよりも萌音(モネ)ちゃん。顔が少し疲れてるわ。何か飲む?」

「あはは。ハルおば様にはお見通しね」

 

 萌音(モネ)はお言葉に甘える事にした。

 春香は微笑むとすぐにオーダーを入れる。

 

「イエイヌちゃん。レモンティー淹れてくれる? 萌音(モネ)ちゃんは少し疲れてるみたいだからお砂糖は二つにして」

「はい、お任せ下さい!」

 

 イエイヌはといえば、今は普段着姿だった。

 ついさっき商店街のお手伝いから戻って来たばかりで残る作業が店仕舞いのお掃除だけだったので、制服に着替えていなかった。

 それはともえも一緒で、やはり商店街を駆け回った時と同じ格好である。

 萌絵はそれよりも少し早く戻っていたのでメイドさん風制服だ。

 イエイヌは手早く茶葉の準備から、お湯の準備、ティーセットの準備までを滞りなく進めてあっという間に紅茶を淹れてくれた。

 最後に輪切りのレモンを浮かべて出来上がりである。

 

「どうぞ。萌音(モネ)お姉さん」

「ありがとうねぇ、イエイヌちゃん」

 

 お礼を言ってから萌音(モネ)はレモンティーを飲み干した。

 レモンの酸味と砂糖の甘味が疲れた身体に染み渡る。

 

「すごいわね。イエイヌちゃん。お茶を淹れるのが上手なのね」

 

 萌音(モネ)も浦波家の台所を預かる身であるから、味の良し悪しは分かる。

 これは茶葉の持つ旨味をしっかり引き出した一杯である。

 

「ふっふーん。でしょう?」

「自慢のイエイヌちゃんだもんねー」

 

 それに、ともえと萌絵が何故か得意満面だ。

 三人はワイワイとお掃除へ戻る。

 しかし、もったいない事をしたと思う萌音(モネ)だった。

 いくら疲れていたとはいえ、せっかくの一杯だからもう少し味わって飲めばよかった。

 名残惜し気にティーカップを指でなぞっていると、そこに声が掛かる。

 

「あら? まだ飲むなら何か淹れる? イエイヌ程上手くないけどね」

「あ、うん。お願いするわ」

 

 萌音(モネ)は遠慮なく返事してから、ふと気が付いた。

 今のは誰だったんだろうと。

 その答えはすぐにわかった。

 

「はい。水出し麦茶だけど。冷たいのもいいでしょう?」

 

 たっぷりの氷を入れた麦茶をトレイに乗せて戻って来たのは『two-Moe』のメイドさん風制服に身を包んだプーであった。

 相変わらず大きな帽子と似合ってない眼鏡で変装した状態であったが。

 

「な、な、な……」

 

 あまりの事態に萌音(モネ)は「なんで」の一言が出てこない。

 そんな萌音(モネ)の様子をプーは不思議そうにしていた。

 

萌音(モネ)? どうしたの? 疲れてるの?」

「そりゃ、疲れてるよぉ!? 探したんだからっ!?!?」

 

 思わずツッコみを入れてしまう萌音(モネ)

 なんでプーがここに、とか、今まで何をしていたのか、とか色々訊きたい事はあるけれど、椅子の背もたれに大きく寄り掛かって崩れ落ちてしまう。

 

「ほんと、無事でよかったわよ……」

 

 ヘタれこみつつ言う萌音(モネ)にプーは?マークが止まらない。

 

「どうしたの。萌音(モネ)? 何かあった?」

「あったわよぉ!? 探してたの! プーを!! っていうかプー! あなた携帯はどうしたの!?」

 

 萌音(モネ)に言われてプーも思い出した。自身の服に入れっぱなしにしていた携帯電話の存在を。

 ロッカールームに置いていた自分の服からわざわざ携帯電話を引っ張り出してみると、充電切れでうんともすんとも言わない状態だった。

 そこにラモリさんがテコテコやって来る。

 

「ホレ。充電ケーブルならあるからそこで充電するといいゾ」

 

 ラモリさんが差し出すままに、プーは電源席のコンセントを借りて携帯電話に充電してみる。

 電源を入れるとすぐに不在通知が山のような数になっているのが画面に出て来た。

 

「あらら……」

 

 プーは困った顔でほっぺをポリポリ掻く。

 実は色鳥町に来てからすぐに携帯電話は電池切れになってしまっていた。

 それでも、プーは元々目的地があったわけでもなく、ブラブラと色鳥町を散策していたのでそれでも困ったりはしなかったわけだ。

 

「でも、こんなに連絡取ろうとしてたって何かあった? リーダーにはちゃんと断りを入れてたと思ったんだけど」

 

 プーが別行動で色鳥町観光をしていたのはPPP(ペパプ)リーダーであるコウテイの許可を取っての事である。

 何か緊急の用事でもあったのだろうか、と訝しむ。

 

「まぁ……色鳥町って私が思っているよりもセルリアンがわんさか出るみたいなのよ。だから、一人で出歩いて何かあったらと思ったらね」

 

 萌音(モネ)の説明にプーはようやく事態を理解した。

 

「ご、ごめんなさい。まさかそんな事になってるなんて」

「いいわよ。私だって昨日実際にセルリアンと戦うまではそこまでだと思ってなかったもの」

 

 何はともあれ、プーが無事でよかったと安堵の萌音(モネ)だ。

 安心したら、どうしてプーがこんなところでこんな事をしているのかが気になった。

 そこに割り込んで来たのが萌絵である。

 

「あっれー? プーちゃんって萌音(モネ)姉さんと知り合いだったの?」

 

 萌音(モネ)としては「それはコッチのセリフよ」と言いたかった。

 プーは色鳥町に来るのは初めてだったはずだから萌絵やともえと知り合いであるはずがない。

 萌音(モネ)が答えを求めてプーを見る。

 

「えっとね、今日知り合ったの。『Bard-OFF』で。で、萌絵に色鳥町を案内してもらってたの」

 

 言って萌絵とプーの二人して「「ねー♪」」と手のひらを合わせている辺り、随分と意気投合したのだろう。

 

「で? なんでプーが『two-Moe』のウェイトレスさんになってるの?」

 

 萌音(モネ)が分からないのはそこである。

 プーが色鳥町観光をしていたのは分かる。けれどそれがどこをどうしたら『two-Moe』の店員さんになっているのか。そこから一気にわからない。

 

「萌絵に商店街を案内してもらったでしょう? そしたら思いのほかすごくて。色々見てたらすっかり日も暮れ掛けてもう夕ご飯の時間じゃない?」

「で、アタシが夕ご飯に誘ったの。プーちゃんをともえちゃんやイエイヌちゃんや萌音(モネ)姉さんにも紹介したくて」

 

 プーと萌絵がかわるがわる説明してくれるが、それではまだプーがウェイトレスさんをしている理由にならない。

 

「で、お昼に続いてタダでご飯をご馳走になるのも悪いから、お店のお手伝いをさせてもらってたってわけ」

 

 ようやく萌音(モネ)の理解も追いついた。

 どうやら、萌音(モネ)の知らないうちに萌絵とプーは偶然知り合いになって、そのまま随分と仲良くなったらしい。

 プーは小首を傾げるようにしつつ言う。

 

萌音(モネ)がお世話になってるおうちって萌絵の家だったのね。すごい偶然もあったものだわ」

「ほんとにね!?」

 

 そんな偶然があるものか、と言わんがばかりに萌音(モネ)の絶叫が響き渡る。

 ともかく、プーが無事でよかった。

 あとは色鳥エンプレスホテルまで連れて行けば取り敢えずは安全だろう。

 なんせそこには遥もいれば、色鳥町から助っ人としてセルリアンフレンズ三人組まで来てくれている。

 なので、萌音(モネ)はプーの手を取って言った。

 

「プー。送るからホテルへ戻りましょう」

 

 ところが、プーは首を横に振る。

 

「ごめんなさい。それは出来ないわ」

 

 なんで、と意外そうな顔をする萌音(モネ)

 けれど、幼馴染であるだけに知っている。プーがこうなった時は頑固である事を。

 きっとそこにはプーなりの真剣な理由があるはずだ。

 その理由を語るべくプーの口が開く。

 

「私は色鳥町の為に歌わないといけない。けど、私はここに誰が住んでどんな暮らしをしているのかわからないの。そんな状態じゃあ気持ちのこもった歌は歌えないわ」

 

 プーは根っからのアイドル気質で、そこに掛ける情熱がどれ程のものか萌音(モネ)だって理解している。

 プーがPPP(ペパプ)のプリンセスとしてステージに上がるのであれば、最高のパフォーマンスをファンに魅せる為にあらゆる努力を惜しまない。

 けれど、今はのんびり観光をさせてあげられる状況ではないのだ。

 何と言って説得したものか、萌音(モネ)が思案していると、萌絵が割り込んで来た。

 

「ええっと……ねえ。萌音(モネ)姉さん? 何がどうなってるの?」

 

 萌絵としてはすっかり話が見えていなかった。

 けれど、萌音(モネ)とプーの二人が知り合いらしくて、ちょっぴり剣呑な雰囲気である事も何となく察している。

 

「あー。ええとね。違うのよ、萌絵ちゃん。プーと喧嘩してるわけじゃなくて……」

 

 萌音(モネ)としても妹分である萌絵やともえ達の前で言い争いをしたいわけではなかった。

 事、ここに至っては色々と白状するしかない。萌音(モネ)はそう諦めの吐息をつくと、ともえもイエイヌも、そして春香もプーの前に連れて来てから言った。

 

「プー。まず、このハルおば様が伝説の守護者の一人ね」

「もう。萌音(モネ)ったら。そんな………って、マジ?」

「マジよ」

 

 最初何かの冗談だと思っていたプーも、萌音(モネ)の顔が冗談を言っているようには見えずに思わず訊き返してしまう。

 重々しい萌音(モネ)の頷きにそれが事実であるとわかったけれど、どうみても自分よりも年下にしか見えない。

 当の春香本人は「あらやだ、伝説だなんて」と涼しい顔して笑っていた。

 信じられない気持ちはよくわかる萌音(モネ)であるが、ここで説明は終わらない。

 

「で……。こっちの子達が色鳥町の守護者達」

「も、もしかして……?」

「そう。クロスハート達よ」

 

 ともえもイエイヌも萌絵も三人して顔を見合わせる。

 プーに正体を明かしてしまってもいいのか、と。

 けれど、萌音(モネ)がいいと判断したのだからいいのだろう。では、この場でプーに正体を明かした理由は何なのか。

 続く萌音(モネ)の言葉で、全員がその理由を知る事になった。

 

「プー。帽子とメガネを外していいわよ」

 

 プーは頷くと、変装用にずっと被っていた帽子を脱いで大きな伊達メガネを外す。

 今度はともえと萌絵とそして春香が驚く番であった。

 三人の表情が驚きに固まるのを見てから萌音(モネ)は続ける。

 

「紹介するわね。私の幼馴染で同じ部活のプー。本名はプリンセス。ロイヤルペンギンのフレンズでPPP(ペパプ)のアイドルやってるプリンセスよ」

 

 直後、ともえと萌絵と春香が驚きで叫ぶ声が店内に響く事になった。

 もっともイエイヌだけは、「春香お母さんがこんなに驚くのって珍しい気がします」と呑気なものだったが。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ふう。お風呂ありがとう。いいお湯だったわ。それにパジャマまで貸してもらっちゃって」

 

 そう言うのは変装を解いたプーことプリンセスであった。

 ここは遠坂家、萌絵の部屋だ。萌絵とともえの二人は未だ「「あわわわわ」」となっていた。

 なんせ今をときめくPPP(ペパプ)のメンバーであるプリンセスが自分達の部屋にいるのだ。しかも萌絵から借りたパジャマを着て。

 

「もう。二人ともいい加減慣れなさいな」

 

 気持ちはわからないでもないけれど、萌音(モネ)としては苦笑を浮かべるばかりだ。

 結局あの後どうなったのかと言うと、萌音(モネ)は洗いざらい今回の計画を白状した。

 色鳥町の地脈を清浄化する為にプリンセス達『歌巫女』がライブを行う事。

 先日の『ヨルリアン』事件で大変だったともえ達には、萌音(モネ)が姉として皆をPPP(ペパプ)ライブに招待して労おうと思っていた事を、だ。

 

「もう。ハルおば様の太鼓判があるから私だってプーがこっちに泊まる事に賛成したんだから。イエイヌちゃんを見習ってしっかりしてよ」

 

 萌音(モネ)の苦笑にも相変わらず「「あわわわわ」」となりっぱなしのともえと萌絵だったが、イエイヌはいつも通りだった。

 単にPPP(ペパプ)というアイドルユニットをよく理解していないだけだったりするが。

 こんな状態になっているのには理由がある。

 安全の為ホテルへプリンセスを戻したい萌音(モネ)と、アイドルとしてステージへ立つモチベーションを確立したいプーの二人で押し問答となっていたわけだが、春香が「だったらいい考えがあるわ」とプーも遠坂亭で宿泊を提案したので今に至る。

 なんせこの場には、クロスハート本人であるともえも、クロスナイトであるイエイヌもいる。その上現役を退いたとはいえ春香もいれば、萌絵もそして萌音(モネ)だっているのだ。

 考えようによっては色鳥町で最も安全な場所である。

 そんなわけで、ともえと萌絵は自分の家にアイドルがいるという奇妙な体験をする事になったわけだ。

 イエイヌだけは状況を理解していないせいで、プーとも相変わらず普通に接していたが。

 

「プーさん。パジャマ似合ってますね。ちなみにそのパジャマは萌絵お姉ちゃんの匂いがするので安心できますよ」

「本当? んー? よくわからないわね」

 

 自分の袖口をクンクンするプーにとうとう萌絵が我に返った。

 

「も、もう!? 嗅がなくていいよぉ!?」

 

 ようやく「「あわわわ」」状態から脱した萌絵は続けて呟く。

 

「プーちゃんがPPP(ペパプ)のプリンセス……全然気づかなかったよぉ……」

 

 半日以上も一緒にいた萌絵だったが、まさか自分がファンであるアイドルと一緒だったとは夢にも思わなかった。

 萌絵は未だ現実に付いていけていない。

 さすがにこうなるとプーとしてもいたたまれなくなってきた。

 

「なんかゴメンね。騙すつもりはなかったんだけど、素顔で出歩くと観光どころじゃなくなりそうだったから……」

「プーちゃんが謝る事ないよっ!?」

 

 萌絵の言うとおり、プーの事情は分かっていた。

 なので、ここはその辺りの事は置いておいて、明日どうするかを決めた方がいい。そう考えた萌音(モネ)はみんなを見回してから言う。

 

「ねえ。プーは明日どうするつもり? 明日の夕方がライブ本番よ」

 

 急遽開催となったPPP(ペパプ)ライブ。

 その開催日は明日の夕方18時からとなっていた。

 今回のPPP(ペパプ)ライブは通常とは異例の夕方一回公演のみの予定である。

 とはいえ、プーも夕方まで時間があるかというとそうでもない。

 ライブの準備やリハーサルがあるので明日の昼には現場入りしなくてはならない。

 

「そうね……。明日は10時くらいまで街を見て周りたいわ。そこからは色鳥武道館に移動してリハーサル前には現場入りしなきゃ」

 

 大雑把な希望を伝えるプーだったが、じゃあ具体的に明日はどうするかという目途は立っていなかった。

 そこで頼るように萌絵の方を見る。

 

「んー。じゃあ、こういうのはどうかな? 明日朝ご飯食べたら、青龍神社に行くっていうのは」

「いいかもね! 青龍神社の夏祭りは終わったけど、あそこって結構有名な神社だもん。あと、見晴らしもいいし!」

 

 萌絵が考えてくれたプランにともえが賛成してくれる。

 青龍神社は県下でも有数の神社で参拝客だって多い。観光するならいい場所だ。

 

「いいわね。じゃあ明日はそこに行ってみるわ。ありがとうね、萌絵」

「どういたしまして」

 

 こうして、丸く納まりかけた。

 だがしかし……

 

「ちょっとまって。まさかプー。明日もあなた一人で出歩くつもりじゃないでしょうね?」

 

 萌音(モネ)の詰問にプーがギクリとした顔をする。

 萌音(モネ)は盛大に溜め息を吐く事になった。

 

「いいわ。私が護衛についてあげるから」

 

 半分呆れつつ言う萌音(モネ)

 本来なら明日は朝からPPP(ペパプ)ライブの会場を護衛する予定であったが、こうなった以上、プリンセスであるプーを守る方が重要だ。

 それにPPP(ペパプ)とライブ会場の護衛にはセルリアンフレンズの三人が付いてくれている。萌音(モネ)が遅れて合流しても何とかなるだろう。

 それだったら、とともえが挙手した。

 

「ねえねえ、アタシも一緒に行こうか?」

 

 イエイヌも同意するようにうんうん頷いている。

 護衛としてこの二人程頼もしい人物もいないだろう。

 だというのに、二人は萌絵に後ろから抱き締められるようにして止められた。

 

「あんまり大人数だと騒がしくならない?」

 

 萌絵が心配したのはそこだった。

 プーだって他のPPP(ペパプ)メンバーなりマネージャーなりを伴って行動したってよかったはずだ。

 それなのに一人で行動していたのは大人数だと自由に動き回れなくなるのを危惧しての事だったのではないか。

 護衛として萌音(モネ)を伴うのはともかく、そこに大人数で付いて回るのは得策ではないように思えた。

 

「どうかしら? プー」

 

 萌音(モネ)も意見を求めるようにプーの方を見る。

 やはり最終的な決定は彼女がすべきだろう。

 

「萌絵が言う事ももっともね。もう少しだけ自由にこの街を見て周りたいもの」

 

 プーはしばらく考え込んでからそう答えた。

 それが希望というなら否はない。

 ともえもイエイヌも頷いた。

 

「けどさ。やっぱりアタシも何か手伝いたいなぁ」

 

 ともえの気持ちには萌絵もイエイヌ同意だった。

 いくら萌音(モネ)の気遣いとはいっても、PPP(ペパプ)萌音(モネ)達も色鳥町の為に働いてくれているのだ。何かしら手伝わせてもらわないと却って心苦しいというものだ。

 さて、何が出来るかと考え込むともえとイエイヌと萌絵の三人。

 

「プーちゃんは萌音(モネ)姉ちゃんとデートだから大丈夫として……。やっぱりPPP(ペパプ)の護衛かなぁ?」

 

 ともえの言葉に萌絵もイエイヌも頷いた。

 萌音(モネ)ならば万が一セルリアンが襲って来たとしても何とかしてくれるだろう。

 それだったら護衛対象が多い色鳥武道館を手伝いに行った方がいい。

 

「もしかしたらPPP(ペパプ)にも会えるかもしれないもんね!」

「ね!」

 

 ともえと萌絵は二人して同じポーズで顔を付き合わせて頷き合う。

 そんな二人に萌音(モネ)はまたも苦笑してしまった。

 

「なんだったら、サインくれるように頼んでおいてあげるわよ」

「「いいの!?」」

 

 再び同じ動きで萌音(モネ)に詰め寄るともえと萌絵。

 

「じゃあじゃあ、アタシ、イワビーのサイン欲しいっ!」

「それくらいならお安い御用よ。イワビーさんは私に楽器の弾き方教えてくれた人だから仲いいし」

 

 ともえのリクエストに萌音(モネ)は自らの胸を叩いて請け負う。

 けれど、萌音(モネ)はまたも苦笑すると一言付け加えた。

 

「ちなみに、ここにもう一人PPP(ペパプ)メンバーがいるんだけど。サインいらない?」

「「いいの!?」」

 

 その指摘に今度はプーに二人して詰め寄るともえと萌絵。

 やたらキラキラした目を向けてくる二人に若干気圧されながらもプーは応えた。

 

「え、ええ。そのくらいでいいなら喜んで」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 翌朝。

 青龍神社へと続く長い階段を二人で昇るプーと萌音(モネ)の姿があった。

 今日は予定通り、青龍神社を観光したらそのまま現場入り。その後リハーサルから本番である。

 既にともえと萌絵とイエイヌは色鳥武道館へ向かっているし、今日の段取りは遥やマーゲイ達に連絡済みだ。

 

「それにしても、本番前だっていうのに随分余裕が出来たのね。昔は朝から緊張でガチガチだったじゃない」

 

 萌音(モネ)の言葉にプーは苦笑する。

 

「そりゃあ一年もPPP(ペパプ)やってればね。緊張してないわけじゃないけどそれでパフォーマンスを落としたりする事はないわ」

「ほほーぅ? 言うじゃない。でも、ちょっと今日の朝ご飯食べ過ぎじゃなかった? 体重管理大丈夫?」

「あ、あれは今日の朝ご飯が美味しかったのが悪いわ」

 

 萌音(モネ)のちょっとした意地悪にプーは頬を膨らませてそっぽを向く。

 今日の朝ご飯が美味しかったのは事実だ。

 なんせ、春香と萌絵が二人で張り切って用意してくれたのだ。

 焼き立てパンとベーコンエッグにサラダというシンプルなメニューではあった。

 けれど、程よい半熟具合の焼き加減は今思い出しても幸せになれる。

 

「そ、それに、この階段はいい運動になりそうだからセーフよ。セーフ」

 

 そう言うプーもついさっき、実際ここの階段で走り込みをしているらしい四人組とすれ違ったばかりだ。

 確かホワイトタイガーのフレンズにその妹っぽいフレンズ。それと龍系のフレンズに水棲動物の特徴を備えたフレンズだった。

 

「ああ、あの四人ね。あれって四神のビャッコとセイリュウの娘さん達とそのお付きみたいよ」

 

 萌絵が教えてくれた通り、その四人はセイリュウの娘であるアオイとビャッコの娘であるシロの二人にホワイトタイガーとコイちゃんであった。

 

「色鳥町の現状が大変そうだから、守護者の修行を前倒しして始めたみたいよ」

 

 萌絵はそれを昨日の夜に遥から聞いていた。

 一番小さなシロが一番張り切ってスタート位置である麓へ駆け下りていたのを思い出す。

 おそらくもう少ししたら駆け上がってくる彼女達に追い抜かされる事だろう。

 噂をしていたら、ちょうど彼女達が駆け上がって来たところだ。

 邪魔にならないように萌音(モネ)とプーは脇に寄る。

 一番最初に駆け上がって来たホワイトタイガーと、その後ろにペースを守って走るアオイの二人。

 二人は道を譲ってくれた萌音(モネ)とプーに軽く会釈をするとそのまま駆け上がって行く。

 と、そこから大分遅れてシロとコイちゃんの二人もヘロヘロになりながら続いていた。

 

「ほ、ホワイトタイガーもアオイも速いのだぁー……」

「ほ、ほんとだねぇ~。アオイちゃんもいつの間にそんな速くなったの~……」

 

 先を行っていたホワイトタイガーとアオイの二人は少しだけ足を止めて二人を待つ。

 

「シロ様、頑張って下さい。千本ダッシュの一本目ですよ。ここは根性で乗り切りましょう!」

「千本はさすがに無茶ですが三本くらいはこなしたいですね」

 

 追いついたシロとコイちゃんの背中をポンと叩いてからホワイトタイガーとアオイは再び階段を駆け上がる。

 

「「お、鬼ぃ~」」

 

 シロとコイちゃんは二人して泣き言を零しつつも先を行く二人を追う。

 それを見たプーの顔には笑顔が零れる。

 

「ふふ。色鳥町の守護者達も頑張ってるのね」

「そうね。私も妹達が頑張ってるのを見ると姉として負けてられないって気持ちになるわ」

 

 むん、と拳を握って見せる萌音(モネ)だったが、プーはちょっぴり意地悪な笑みを浮かべた。

 

「言っておくけど萌音(モネ)。あなたどっちかというと妹キャラよ」

「うそっ!?」

「ほんとよ。むしろ萌絵の方が姉っぽいまであるわ」

「そそそ、そんな事は……!?」

 

 ないとは言い切れない萌音(モネ)である。

 実際には一人っ子の萌音(モネ)と、双子とはいえ長年姉を務めて来た萌絵では姉力にも差が生まれようというものだ。

 その事実に萌音(モネ)は愕然とする。

 

「じ、実は妹達に妹にされていたというの……!?」

「なくはないわね。萌音(モネ)には甘やかされるよりも甘やかしたいもの」

 

 そんな風に言われて今度は頬を膨らませる萌音(モネ)

 

「も、もう! そんな事言うんだったら新学期からお弁当作って来てあげないんだからっ!」

「あはは、ごめんごめん。冗談だったら」

 

 萌音(モネ)が本格的に怒り出す前にプーは矛を納めた。

 萌音(モネ)も横目でプーを見て「許す」と一言。

 

「はいはい、ありがとうねー」

 

 プーに頭を撫でられるままにされる萌音(モネ)はやはり妹キャラだと思う。

 それを言うとまた怒り出すだろうから言わないが。

 代わりにプーはこんな事を言い出した。

 

「本当はね。今日は朝から現場に向かってもよかったの」

 

 プーはアイドルとして、また『歌巫女』として色鳥町の為に歌う。

 そのモチベーションを探す為に単身行動していたはずだ。

 それはもういいのだろうか、と萌音(モネ)は視線で問う。

 

「うん。昨日散々萌絵に見せてもらったもの。ここで暮らす人達の事を。その人達を守る為なら私は歌える」

 

 それに、と付け加えるプー。

 

「こっちに友達も出来たんだもの。それだけでも歌う理由なんて十分だわ」

 

 どうやらアイドルであるPPP(ペパプ)のプリンセスは仕上がっているらしい。

 だったらどうして今日はわざわざ寄り道なんてしたのだろう。

 

「まあ、最近萌音(モネ)とあんまりゆっくり出来てなかったから……」

 

 途端にプーは言葉を濁した。

 プーと萌音(モネ)は幼馴染で友達同士だ。友達としていつも一緒だったし、二人でバンドを組んでもいた。

 けれど最近はプーがPPP(ペパプ)のプリンセスとしてデビューした事で二人の時間も減ってしまっていた。

 

「だから、たまには二人で過ごしてもいいんじゃないかなーってね」

 

 本番前にこんな余裕まで見せるようになるとは、すっかりプーも大物である。

 それにしても、随分と可愛い事を言ってくれるものだと萌音(モネ)はクスクス笑う。

 

「あら。じゃあ今はプーを独り占めね。責任重大だわ。ちゃんとステージまで送らないと全部私のせいになっちゃう」

 

 そう冗談めかして笑う萌音(モネ)にプーも応じた。

 

「そうよ。よろしく頼むわね。私の騎士さま?」

「頼まれたわ。私のお姫様(プリンセス)

 

 言って二人してクスクス笑う。

 そうこうしているうちにどうやら頂上まで辿り着いたようだ。

 掃き清められた参道に、荘厳な本殿。そして脇側には社務所がある。

 一通り見渡した後に萌音(モネ)が提案する。

 

「どうする? せっかくだしセイリュウ様に挨拶でもしていく?」

「そうね。もしかしたら遥社長の昔話なんかも聞けるかもしれないものね」

 

 さて、そうしたらセイリュウを探さなくては。

 本殿の方から何か気配がするからそちらにセイリュウがいるのだろうか。

 本殿の上がり口脇では一本目の階段ダッシュを終えたアオイ達四人が休憩しているのが見えた。

 彼女達にセイリュウの所在を訊ねるのもよいかもしれない。

 そう思っていたがどうやらその必要はないようだ。

 本殿の扉が開いて神主服のセイリュウが姿を現したからだ。

 

「結界に反応があるから何かと思えば随分なお客様のようで」

 

 だが現れたセイリュウは随分と剣呑な雰囲気を纏っていた。

 キッと鋭い視線を萌音(モネ)とプーへ投げかけると、ずんずん二人の方へ進んで来るではないか。

 

「あああ、あれ? なんかセイリュウ様怒ってない?」

「私達何か悪い事しちゃったかしら!?」

「あ、もしかしたら参道の真ん中って歩いちゃいけないっていうじゃない? そのせいかも」

 

 萌音(モネ)とプーは怖い表情のまま近づいてくるセイリュウに戸惑っていた。

 だが、セイリュウはそんな二人とすれ違うようにさらに入り口の方へ歩みを進めると、その背に萌音(モネ)とプーを庇うように立ちはだかる。

 セイリュウが視ていたのは萌音(モネ)とプーではない。さらにその後ろだ。

 

「ここは神域です。貴女のような者が訪れる場所ではありませんよ」

 

 セイリュウが放った言葉に応じるのは萌音(モネ)とプーの後から階段を昇って来た何者かだった。

 

「お言葉ですね。こちらの世界のセイリュウ。我とてセイリュウですよ。我を祀った神社であるなら歓迎してくれてもいいでしょうに」

 

 「もっとも」と前置きしてから萌音(モネ)とプーの後ろからやって来た人物は続けた。

 

「我はセルセイリュウ。ここで祀られるには相応しくはありませんが」

 

 その言葉と共に、セルセイリュウは目深に被っていたフード付きマントを脱ぎ捨てる。

 

―バサバサバサッ!

 

 と同時、その下に隠されていた大量のお札が舞った。

 それらはスッと伸ばしたセルセイリュウの右腕に纏わりつくように渦を巻く。

 

「いけない……!」

 

 セイリュウは背中が総毛立つ程の危機感を覚える。

 もしもセルセイリュウが彼女と同じかそれ以上の技を使えるのだとしたら。これはまずい(・・・・・・)

 セイリュウもその危機を迎え討つべく袖口から大量のお札を投げ放つ。

 それらはセイリュウが伸ばした右腕に纏わりつくように渦を巻く。

 

「ほう」

 

 どうやら同じ技でもって迎え撃つつもりらしいと悟ったセルセイリュウはニヤリと笑う。

 ならば力比べと行こう。

 

(ブラウ)……!」

(シュバルツ)……!」

 

 二人の腕に纏わりつくように渦を巻いていたお札は、その腕先で砲塔の形を為す。

 

「「(ドラッヘ)……!」」

 

 セイリュウとセルセイリュウの声が重なると同時、それぞれの腕先に蒼と黒の光が生まれた。

 

「「(カノーネ)!!」」

 

 二人の叫びと同時にそれぞれが放った蒼と黒の閃光が激突した。

 

 

 

―④へ続く。 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』④

 

 色鳥武道館ではライブ準備が着々と進んでいた。

 ステージ準備から音響機材の確認や照明機材の点検、さらには客席準備とスタッフ達は忙しなく働いている。

 あまりの活気を前に、やって来たともえも萌絵もイエイヌも場違い感が拭えない。

 

「い、いやぁ……。これでPPP(ペパプ)の護衛に来ましたーって言ったって……。ねぇ……」

 

 現場の様子に、萌絵は今更ながら気後れしていた。

 しかも、色鳥武道館に来てみたはいいけれどどこへ向かえばいいのか分からない。

 

「しょうがない。萌音(モネ)姉ちゃんに電話してみようか」

 

 ともえは自分の携帯電話を取り出したけれど、萌音(モネ)の連絡先を呼び出すのをためらった。

 今頃萌音(モネ)はプーと二人の時間を過ごしている事だろう。

 そこを邪魔するのも悪いかと思われる。ならどうするか。

 

「ヤレヤレ。ここは俺にまかせロ」

 

 そこにテコテコやって来たのはラモリさんだ。

 今日はともえと萌絵とイエイヌの三人について来たラモリさんであるが、こういう時には頼りになる。

 期待の眼差しがラモリさんに注がれる中、彼はピコピコと胸のコアを明滅させる。

 どこかに通信でもしているのだろうか。

 やがてそれも終わったのか、ラモリさんは三人の方へ振り返る。

 一体何をしていたのか、イエイヌが代表して訊ねた。

 

「ええと……。ラモリさん。何をしていたんですか?」

 

 同じ事を思っていた、とばかりにともえと萌絵も同じ動きでもってうんうん頷いている。

 ラモリさんはやや得意気に胸をそらして答えた。

 

「遥……ああ、萌音(モネ)の母親の方。つまりルカの方だナ。ルカに連絡を入れタ」

 

 春香と遥。名前の音が一緒なだけにちょっとややこしい。

 けれど、遥はPPP(ペパプ)を擁するプロダクションの社長である。今もっとも忙しい人物ではないだろうか。

 そんな時に連絡するだけでなく、迎えに来てもらうだなんて大丈夫なのかとともえも萌絵もイエイヌも三人で顔を見合わせた。

 

「そこのところは問題ないゾ。遥も優秀だからナ。色んなところから連絡が来たところで捌き切れないはずがナイ」

 

 ラモリさんの口ぶりからすると、遥とラモリさんも知り合いだったのだろうか。

 

「まぁ、通信くらいはしてたゾ。色々と近況報告やら情報交換をしておいたおかげデ、今回のライブが決まったって部分もアル」

 

 心なしか、ラモリさんは得意気にえっへんと胸を逸らしているように見える。

 

「つ、つまりPPP(ペパプ)ライブはラモリさんのおかげなんだ!」

「えらい! ラモリさん!」

 

 PPP(ペパプ)ファンであるともえと萌絵は隠された裏事情にラモリさんをわっしょいと胴上げだ。

 全てが全てラモリさんの手柄というわけではないが、大きな役割を果たしていた事は間違いない。

 そうして目立っていれば、迎えの人だって見つけやすい。

 

「みんなして何してるの……」

 

 若干の戸惑いと共に声をかけて来たのはマセルカであった。

 何故か黒を基調としたパーティードレス姿だったが。

 

「おおお! マセルカちゃん! どうしたのそれ! 可愛いじゃない!」

「うんうん、似合ってる!」

 

 今度はドレス姿のマセルカにともえと萌絵が詰め寄る。

 

「はい。とてもお似合いです。可愛らしい感じがしますね」

 

 これにはイエイヌまで手放しで褒めてくれる。

 三人ともに褒められてマセルカはてれてれ、とばかりに頭を掻いた。

 

「そ、そうそう。こういう反応が欲しかったのにー。エゾオオカミったらね、ヒドいんだよっ」

 

 マセルカは先導して歩きながら、昨日エゾオオカミにセルシコウとオオセルザンコウの写真を送った時の事を話した。

 

「それは多分……」

「照れてるだけじゃない?」

「ですね」

 

 ともえも萌絵もそしてイエイヌまでもが同意見であった。

 

「でもでも、オオセルザンコウちゃんもセルシコウちゃんもすっごいカッコいいじゃない! 後でスケッチさせてもらってもいいかなぁ?」

「あ、アタシも! もちろんマセルカちゃんも一緒にスケッチさせて欲しい!」

 

 ともえと萌絵に詰め寄られて、最初マセルカは目を白黒させていたが「ぷっ」と吹き出す。

 何か可笑しかったかな? とともえと萌絵が顔を見合わせていると、後ろから声が掛けられた。

 

「マセルカは二人とも相変わらずだな、と言いたいのさ」

「ともえも萌絵もイエイヌもお手伝いありがとうございます」

 

 それは先程マセルカに携帯で見せてもらった時と同じ黒いスーツ姿のオオセルザンコウとセルシコウであった。

 

「「おおー!!」」

 

 写真で見ても格好良かったが本物はさらにいい。

 早速ともえと萌絵はオオセルザンコウとセルシコウにまとわりつくようにして観察していた。

 だが、オオセルザンコウがともえと目線を合わせてくれない。

 オオセルザンコウの視線の先にともえが回り込んでもぷい、と顔を逸らしてしまうのだ。

 そんなオオセルザンコウを不思議に思っていると、イエイヌがその理由を言い当てた。

 

「オオセルザンコウさんは照れているのかと。あの時のともえちゃんは格好よかったですからね」

 

 イエイヌが言っているのはオオセルザンコウがヨルリアンになった時の事だ。

 あの時の事はオオセルザンコウとともえとそしてイエイヌしか知らない。

 なので、萌絵もセルシコウもマセルカもラモリさんまでもが「そうなの?」とばかりにオオセルザンコウを見る。

 

「そそそ、そんな事はあったりなかったり……!?」

 

 真っ赤になったオオセルザンコウの顔には『図星』と書いてあるような気がした。

 

「なるほどー。これが『照れる』ね。エゾオオカミもこんな感じかー。ふーん」

 

 マセルカはオオセルザンコウの周りをぐるっと一周して観察した後、ニヤリと笑うとこう結論づけた。

 

「ならよし!」

 

 何がだ、と言いたい一同だったが、マセルカが何かに納得したのならそれでいいのだろう。

 ただ一つ思った。

 きっと今頃エゾオオカミは大きなクシャミでもしているだろう、と。

 そうやって皆で歩みを進めるうちに楽屋へ辿り着いた。

 表札には『PPP(ペパプ)様』と出ている。

 つまり、この先にPPP(ペパプ)がいるのだ。

 そう思うと、足が重くなる萌絵である。

 

「ね、ねえ。今さらだけどアタシ達が入ったりしたら迷惑にならないかな。ライブ前で集中してるだろうし……」

 

―グイッ

 

 そうやって気後れする萌絵の肩を後ろから来た誰かが引き寄せた。

 

「あぁん? んな事ねーだろ。通りすがりの正義の味方がせっかく来てくれたんだからな」

 

 萌絵がそちらを見ると、そこにいたのは……

 

「い、イワビーだぁっ!?!?」

 

 PPP(ペパプ)メンバーでイワトビペンギンのフレンズであるイワビーであった。

 イワビーはともえ達が驚きから回復する前に楽屋のドアを開けてしまう。

 

「あー。おかえりぃー」

「あら、イワビーさん。お客様もご一緒ですか?」

 

 そう言って出迎えてくれたのは最初がフンボルトペンギンのフルルで次がジェンツーペンギンのジェーンだ。

 

「ああ。萌音(モネ)から聞いているよ。来てくれてありがとう、クロスハート」

 

 そして最後がPPP(ペパプ)リーダーであるコウテイペンギンのコウテイだ。

 言いつつコウテイは萌絵の手を取って握手してくれた。

 真横にイワビー。目の前にコウテイ。

 心の準備が出来ていなかった萌絵は……

 

「はぅあ……」

「も、萌絵お姉ちゃあああん!?!?」

 

 感情のオーバーフローに耐え切れず気を失った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

―オォォオオォオオン……

 

 青龍神社では蒼と黒の光が激突した余韻で空気が震えていた。

 

「(ギリギリでしたね……)」

 

 セイリュウは先の攻防をそう評した。

 『蒼竜砲(ブラウ・ドラッヘ・カノーネ)』と『黒竜砲(シュヴァルツ・ドラッヘ・カノーネ)』はお互いに相殺。まずは互角と言ってよさそうだ。

 けれど、セイリュウの内心には焦燥が沸き上がる。

 

「中々ですね。こちらの世界のセイリュウ」

 

 何故なら唐突に現れて突然に大技を放ってきたセルセイリュウの方はまだまだ余裕綽々だったからだ。

 ここはセイリュウにとって最も力を引き出せる青龍神社という聖域だ。

 しかも先程放った『蒼竜砲(ブラウ・ドラッヘ・カノーネ)』は全力全開で放ったはず。

 なのにセルセイリュウにはまだまだ余裕があるように思える。

 現役を既に退いたセイリュウとセルセイリュウでは実力に明らかな差があるのだ。

 その事実にセイリュウの額には冷や汗が一筋。

 それを見てとったセルセイリュウは「ふふん」と胸を逸らし、片目を隠す決めポーズとともに口を開いた。

 

「ふっ……! セルゲンブとセルスザクを降した程度でいい気になってもらっては困ります。彼女達は四神の中でも小物!」

「あ……いえ。セルゲンブさんとセルスザクさんを倒したのは私というわけでは……」

 

 セイリュウはセルセイリュウの勘違いを正そうとしたが、どうやら聞く耳を持ってもらえてはいないようだ。

 だが、セイリュウも若い頃に一度は考えたセリフを目の前にいる異世界の自分が言っている事に軽い眩暈を覚える。

 

「ですが! 我は四神の中でも最強! 我らが! 女王からの信頼も! 最も篤いこのセルセイリュウが! 引導を! 渡して! あげましょうッ!!」

 

 それを無視してセルセイリュウは一文毎に決めポーズを変えながら宣言する。

 まるで昔の自分を見せられているようでセイリュウは両手で顔を覆った。

 

「ふっふっふ。恐れていますね、セイリュウ。それは仕方ないです。なんせ四神! 最強の! このセルセイリュウを前にしてしまったのですから!」

「あ。いいえ。その……黒歴史に心が痛いといいますか何と言いますか……」

 

 セイリュウにとって幸いなのは、娘のアオイが彼女の黒歴史に全く気付いておらず、きょとんとしている事だろうか。

 だが、ピンチは終わっていない。むしろ今からが本番と言える。

 何せセルセイリュウがこの青龍神社に殴り込みをかけて来たのだ。

 セイリュウは気を取り直しあらためて身構える。

 その様子を見てとったセルセイリュウは、はたと気が付いたように、逆に構えを解いて見せた。

 

「すみません。実は今日は別にあなた方と戦いに来たわけじゃなかったんですよ」

 

 セイリュウはそんなセルセイリュウの言葉を訝しんだ。

 では一体何をしに来たのか、と。

 セルセイリュウの視線はセイリュウの後ろに注がれていた。

 即ち、セイリュウの後ろに庇われていた萌音(モネ)とプーの二人に。

 

「今日、用があるのはそちらの歌巫女です」

 

 セルセイリュウが言うと同時、パチンと指を鳴らす。

 それに応じて、幾つもの小さな影がセルセイリュウの後ろから飛び出した。

 

拘束する弾丸(クーゲルシュライバー)

 

 それは黒色ボールペンの群れだった。

 

「(速い!?)」

 

 予備動作もなしで放たれた拘束する弾丸(クーゲルシュライバー)にセイリュウは反応出来なかった。

 黒色ボールペンの群れはそれぞれが弧を描き、セイリュウをかわして背後のプーへと迫る。

 が……。

 

「させないわよ……!」

 

 そうは問屋が卸さない。

 プーは萌音(モネ)が守っているのだ。

 

「バチバチッ! ダブルッ!! Vッ!!!」

 

 萌音(モネ)は背負ったギターケースから愛用のエレキギター『バチバチ・ダブルV』を引き抜きざまに一閃!

 

―ギュィイイイン……!

 

 萌音(モネ)の意思を受けた『バチバチ・ダブルV』は雷を纏い、一振りで全ての黒色ボールペンを薙ぎ払う。 

 そのまま萌音(モネ)はセイリュウの隣に並び立つと、『バチバチ・ダブルV』のヘッドをセルセイリュウへ向けた。

 

「狙いがプーなのはわかったけど、残念だったわね。これで二対一よ」

 

 セイリュウは隣に来てくれた萌音(モネ)へ視線を送る。

 一体誰だろう、と。

 

「はじめまして。セイリュウ様。私は浦波 萌音(モネ)

「浦波……という事はもしかして遥さんの…?」

 

 どうやら短いやり取りだけでもセイリュウは萌音(モネ)が味方だとわかってくれたらしい。

 先程まで庇うようにしていたのを、背中を預けるようにしてくれた。

 それに、ニヤリと萌音(モネ)は笑みを返す。

 

「蒼き竜公女のお噂は母から伺っています……ってあれぇ!? セイリュウ様!? 急にしゃがみこんでどうしました!? もしかしてどこか怪我!?」

「あ……い、いいえ……。その……昔の古傷が疼いたといいますか何と言いますか」

 

 まさか知り合いの娘にまで黒歴史を掘り起こされるとは思ってもいなかったセイリュウである。

 しかもその子が自分の娘とそんなに変わらないくらいの年齢であれば、ショックも尚更だ。

 

「いいですね……その二つ名。セイリュウが蒼き竜公女ならば、我はさしずめ黒き竜皇女……といったところですか。うんうん。中々いいじゃないですか」

 

 しかもセルセイリュウまで乗ってくる始末。

 さすがにそれにはセイリュウも絶叫してしまった。

 

「貴女、本当に何しに来たんですか!?」

 

 そのツッコミに萌音(モネ)もプーも境内の影で成り行きを見守っていたアオイやシロ達も「そういえば」と思い出した。セルセイリュウはプーを狙ってやって来た事を。

 セルセイリュウもセイリュウのツッコミにうんうん頷いてから言葉を紡ぐ。

 

「そうでした。色々語り合うのはいずれこの世界を我らが女王に捧げてからでも遅くないですね。今は我の使命を果たさせていただきましょう」

 

 そしてセルセイリュウは懐から黒いビー玉のような物を取り出した。

 もしもこの場にオオセルザンコウやセルシコウやマセルカがいればそれがセルリアンを生み出す道具である『シード』だと気づいただろう。

 だが、この『シード』にはオオセルザンコウ達が知らないもう一つの機能があった。

 

「出でよ! ゴーンベルッ!」

 

 セルセイリュウが叫びつつ、手にした『シード』を境内の石畳に叩きつけた。

 

―パキン

 

 『シード』は軽い音を立ててあっさりと砕け散った。

 本来であれば、そこから中に封じ込められた『セルリウム』が吹き出して、それが何かに憑りつく事でセルリアンを生み出すはずだ。

 が、セルセイリュウの放った『シード』から吹き出した『セルリウム』はモゴモゴとその場で蠢き大きさを増していく。

 それは最初指先程度の塊だったのが、すぐに拳大になり、程なくして萌音(モネ)達の背丈を追い抜き、やがて鳥居と同じ程度まで巨大になってしまった。

 

―ギョォオオオオオオオオッ!!

 

 咆哮をあげるその威容を一言で言うならばお寺にある大きな鐘だ。

 大きな吊り鐘の胴体にはまん丸の一つ目がついている。

 さらに胴体からは丸をいくつも繋げたような一本の腕が伸び、その先に鐘をつく為の撞木が備えられていた。

 

「これで二対二ですね」

 

 ゴーンベルが現れた事に、セルセイリュウはニヤリとして見せた。

 ここまでしておいて、まさか仲良くしに来たという事もあるまい。

 セイリュウと萌音(モネ)は揃って構えを取る。

 

―ギョォオオオオオッ!!

 

 抵抗の意志を見せた二人に、ゴーンベルは巨大な撞木を振りかぶってそれを叩きつけた!

 

―バッ

 

 セイリュウと萌音(モネ)は左右に散ってそれをかわす。

 空振りに終わった撞木はそれでも石畳に盛大なひび割れを穿つ。

 

「なんてパワー……!」

 

 それを見た萌音(モネ)の背筋には冷たいものが走る。

 正面からの打ち合いは得策じゃない。

 

「なら、私が壁を……!」

 

 セイリュウは新たにお札を構えると萌音(モネ)の前に防御壁を張ろうとした。

 けれど……。

 

「貴女の相手は我ですよ! セイリュウッ!」

 

 そこにセルセイリュウが再び拘束する弾丸(クーゲルシュライバー)を連射してくる。

 四方八方から襲い掛かってくる黒色ボールペンの群れに、セイリュウは準備したお札を自分の為に使わざるを得なかった。

 

―ガキキィンッ!!

 

 セイリュウの張った結界はセルセイリュウの拘束する弾丸(クーゲルシュライバー)を弾き火花を散らす。

 どうにか防ぎ切る事は出来ているが、少しでも気を抜けば防御を破られそうだ。

 

「こ、これでは文字通り釘付けじゃないですか……!」

 

 セイリュウは攻撃を防ぎながらも萌音(モネ)の方を見る。

 この状態では萌音(モネ)を援護する事は出来ない。セルセイリュウの狙いはこれだったか。

 相手の策にハマった形ではあるが、セルセイリュウだってセイリュウを足止めするので手一杯だ。

 ならばセイリュウは決意する。少しでも隙あらば逆撃を喰らわせてやろうと。

 けれど、いくらあの遥の娘とはいえ、あれだけ巨大なセルリアンをたった一人で相手どれるのか。

 ゴーンベルは撞木をぶんぶん振り回して萌音(モネ)に襲い掛かっていた。

 

「プーは下がってて!」

 

 萌音(モネ)は敢えてゴーンベルの懐へ飛び込む。自ら囮になる事でプーが狙われないようにしたのだ。

 その分彼女は嵐のような攻撃に見舞われる事になるのだが、そこは小回りを活かして身をかわしていた。

 

「(けど、いつまでもこうしていられないわね)」

 

 戦況は芳しくない。

 今は均衡を保っているものの、押されているのは萌音(モネ)達の方だ。

 特にセイリュウはセルセイリュウの猛攻を防ぐだけで手一杯である。出来る事なら加勢したいがその為にはゴーンベルを倒さなくてはならない。

 

「って事は攻撃あるのみね!」

 

 萌音(モネ)は意を決すると『バチバチ・ダブルV』を振りかぶりつつゴーンベルの懐へ飛び込む!

 めちゃくちゃに振り回される撞木も、懐へ飛び込んでしまえば攻撃の死角に入れる。

 

「It's Rock'n'Roll Time!」

 

 ゴーンベルへ肉薄した萌音(モネ)は『バチバチ・ダブルV』に雷光を纏わせると一気に振り下ろした!

 

―ゴィイイイイン!

 

 『バチバチ・ダブルV』を叩きつけられたゴーンベルは見た目通り鐘の音を周囲に撒き散らす。

 それを至近距離で浴びてしまった萌音(モネ)はグラリと体勢を崩した。

 

「くぅっ!? 打撃攻撃にはこれで反撃してくるわけね!?」

 

 あまりの音で萌音(モネ)は平衡感覚を狂わされていた。

 けれど、それだって一瞬。後ろから撞木の一撃を狙って来ているのだって気づいている。

 体勢を立て直した萌音(モネ)は一度離脱して追い打ちを回避した。

 だが、ゴーンベルの狙いはそれだけではなかった。

 撞木の一撃は萌音(モネ)を背後から狙っていた。即ちゴーンベル自身へ向けて撞木を振り抜いている。

 本来であれば、自らを攻撃するなんて自爆行為以外の何者でもない。

 しかし、ゴーンベルは吊り鐘のセルリアンだ。撞木を本来の用途で使ったのである。

 

―ゴィイイイイイイイイイン!!

 

 先程よりも大きな音が周囲に響く。

 見守っていたプーも境内に隠れていたアオイやシロやホワイトタイガーにコイちゃんも思わず耳を覆ってしまう程だった。

 いくら離脱して距離を取ったと言っても、その影響を一番受けたのは萌音(モネ)である。

 

「あわわわわ……」

 

 先に浴びた物よりも強力な音に萌音(モネ)はガクリと膝をつく。そうしないと転んでしまいそうな程に平衡感覚を狂わされていた。

 強力な音はそれだけでも武器になる。萌音(モネ)だってよく知っている事だ。

 萌音(モネ)の動きを止めたゴーンベルはゆっくりと彼女へ近づき、撞木を振り上げる。

 そこにセルセイリュウが待ったをかけた。

 

「ゴーンベル。我らが女王の望みは歌巫女です。捕えなさい」

 

 セルセイリュウの命令を受けてゴーンベルはグルリとプーへ振り返る。

 

「うそ……。セルリアンが命令を聞くだなんて……」

 

 プーはその事実に唖然としてしまっていた。

 迫る巨大なゴーンベルに逃げる事すら出来ない。

 

「我は四神が一柱。知性も持たない低級セルリアンを従わせるくらい造作もありませんよ」

 

 セルセイリュウはセイリュウを釘付けにしながらもまだ答えてくれる余裕があるらしい。

 セイリュウの援護も萌音(モネ)の回復も間に合いそうにない。

 これ以上ないピンチだ。

 

「待ちなさいよ……!」

 

 萌音(モネ)は無理やり立ち上がる。

 まだ視界がグラグラ揺れて、戦うどころか歩く事すら難しい。

 それでも萌音(モネ)は『バチバチ・ダブルV』を今度は順手に構えた。

 セルリアン退治の武器としてではなく、純粋な楽器としての役割を全うする演奏体勢だ。

 

「Come'on! Rock'n'Roll!!」

 

 萌音(モネ)はギターピックを取り出すと『バチバチ・ダブルV』をかき鳴らす。

 アンプに繋がれていないはずの『バチバチ・ダブルV』は、しかしゴーンベルの鐘に負けぬ大音量を生み出した。

 『バチバチ・ダブルV』はセルリアンと戦える武器だけあってただのエレキギターではない。サンドスターバッテリーを内蔵しており短時間ならばアンプなしでも大音量の演奏が可能なのだ。

 その大音量はさすがにゴーンベルも無視出来なかった。再び萌音(モネ)へと向き直る。

 

―ギョォオオオオッ!

 

 ゴーンベルはその巨体で萌音(モネ)に踏みつけ攻撃を仕掛ける。

 未だ平衡感覚を取り戻せていない萌音(モネ)にはそれをかわす術はなかった。

 

―ズゥウウウン!

 

 萌音(モネ)の姿はゴーンベルの下敷きになったように見えた。

 だが、ゴーンベルは吊り鐘のセルリアンだから中は空洞である。

 踏みつぶされるという最悪の事態は避けられたが、萌音(モネ)はゴーンベルの中に閉じ込められた格好になってしまった。

 ゴーンベルは当然そこで手を緩めたりはしない。

 撞木を大きく振りかぶると再び自身の身体目がけて振り下ろした!

 

―ゴォオオオオオオオン!

 

 再び辺りに鐘の音が響く。

 その轟音にプーは思わず自身の耳を塞いだ。

 だが、その強烈な音をゴーンベルの体内で受けた萌音(モネ)は一体どうなってしまうのか。

 

萌音(モネ)!?」

 

 思わず叫んだプーだったが、ゴーンベルは無情にも追撃の手を緩めない。

 撞木を何度も振りかぶっては自身の胴体に叩きつけ、その度に鐘の轟音が響き渡る。

 散々に鐘を鳴らしたゴーンベルは、さすがにこれだけやれば仕留めたろう、と手を休めた。

 

「も、萌音(モネ)……?」

 

 戻って来た静寂にプーの呟きだけが響く。

 果たして萌音(モネ)はどうなってしまったのか。

 あれだけの轟音をモロに浴びていたのなら、無事であるとはとても思えない。

 だが、プーは気が付いた。戻って来た静寂の中に小さな小さな音が混じっている事に。

 それはエレキギターの音だ。

 ゴーンベルの中からかすかに漏れ出して来るエレキギターの音にプーは顔を輝かせた。

 何故ならそれはPPP(ペパプ)の代表曲である『大空ドリーマー』のメロディであり、その癖は萌音(モネ)のものだったのだから。

 

―ギュィイイイイン!!

 

 ゴーンベルに負けるとも劣らない大音量でエレキギターの音が響くと同時、バチンとゴーンベルの巨体が弾き飛ばされた。

 当然その中にはエレキギターを構えた萌音(モネ)がいる。もちろん無事な姿で。

 

「目には目を。歯には歯を。音には音ってわけよ」

 

 そう言ってニヤリとしてみせる萌音(モネ)は音を操る浦波流サンドスター・コンバットの戦士だ。

 自らの音で相手の音を打ち消すくらいの芸当は出来る。

 そして、音は先にゴーンベルがやって見せたように人体に影響を与える事だって出来る。

 悪影響を与える事も出来るのならば逆もまた然り。音でもって鼓舞する事だって出来るのだ。

 それを音楽と呼ぶわけだが、その極みこそが萌音(モネ)の切り札であった。

 

「変身……!」

 

 エレキギター『バチバチ・ダブルV』をかき鳴らす萌音(モネ)はそう一言呟いた。

 『大空ドリーマー』の最後の一小節を弾き終わると同時に、萌音(モネ)の身体がサンドスターの輝きに包まれる。

 

「スノーホワイトッ!!」

 

 サンドスターの輝きが散って萌音(モネ)の姿が現れた時、その黒髪は雪のように真っ白になっていた。

 その瞳は赤色に変化する。

 まるでアルビノと呼ばれるような姿だ。

 スノーホワイトと化した萌音(モネ)は再び『バチバチ・ダブルV』のヘッドをゴーンベルに突きつけると言い放つ。

 

「1分30秒だけ付き合ってあげる」

 

 スノーホワイト化は萌音(モネ)の持つ最大の切り札だ。

 音を使って体内サンドスターを最大限まで活性化させて爆発的な身体能力を得る。

 その代わり、それを維持できるのは1分30秒が限界だし連続使用だって出来ない。

 だが、萌音(モネ)はその時間内でセルリアンを仕留め損なった事はないのだ。

 

「それじゃあ……! Let's Rock'n'Roll!」

 

―ダンッ!!

 

 踏み込んだスノーホワイトの姿が掻き消えたように見えた。

 次に現れた彼女は既にゴーンベルへ肉薄している。

 

「浦波流……ッ! サンドスター・コンバットォオオオオッ!!!!!!!!」

 

 そこから放たれるのはスノーホワイトの豪快な上段蹴りだ。

 小さな身体のスノーホワイトが放った蹴りはしかしそれでもゴーンベルの巨体を吹き飛ばし、石畳みへ叩きつける!

 

―ゴォィイイイイイィイイン!!!!

 

 その際に響いた鐘の音は今日一番の大きさだった。

 実はそれ自体がゴーンベルの自動反撃でもある。打撃を受けた際に自動的に大音量の音を攻撃者に浴びせかけるのだ。

 けれど、そこは萌音(モネ)の変身したスノーホワイトである。

 

―ギュィイイイイン!!

 

 再び『バチバチ・ダブルV』を一鳴らし。音を音で相殺してみせる。

 その一鳴らしはスノーホワイトの攻撃予備動作にもなっていた。

 それを受けた『バチバチ・ダブルV』はその名の通りにバチバチと音を立てる雷鳴を纏う。

 

「ひぃいいいっさつ!!」

 

 スノーホワイトは『バチバチ・ダブルV』を振りかぶると高らかに技名を叫んだ。

 

「サンダァアアアアアッ!! クラァアアアアアアアッップ!!!!」

 

 『バチバチ・ダブルV』が纏う雷鳴が激しさを増す。

 スノーホワイトはそれを倒れたゴーンベルへ叩きつけた。

 狙いは吊り鐘を吊るす為の接続部だ。

 先程、ゴーンベルの体内に閉じ込められたからこそ気付いていた。その裏側、鐘の内部頂点に『石』がある事を。

 叩きつけられた『バチバチ・ダブルV』の雷が、ゴーンベルの身体を伝い、裏側の『石』を……。

 

―パッカァアアアアン!

 

 と砕いた。

 『石』を砕かれたゴーンベルの身体もすぐにサンドスターの輝きに還る。

 これでまずは一体。残るはセルセイリュウのみである。

 セルセイリュウはといえば、攻撃の手を止めていた。

 それどころか……。

 

「お見事です」

 

 パチパチと拍手すらしていた。

 再び二対一の状況に陥ったというのに随分と余裕ではないか。

 いまさら攻撃の手を休めたからと言って見逃すわけはない。

 セイリュウとスノーホワイトと化した萌音(モネ)は再びセルセイリュウと相対した。

 それでもセルセイリュウは余裕の態度を崩す事なくニヤリとする。

 

「頃合いですね」

 

 何が、と訊ねる前に一陣の風が舞った。

 それはセイリュウとスノーホワイトの間を吹き抜けると、後ろにいたプーを掻っ攫う。

 

「なっ!?」

 

 宙へ舞い上げられたプーの姿を見てスノーホワイトは驚きを隠せない。

 そんな強力な風を巻き起こせるのはただ者ではあるまい。

 プーを掻っ攫った風はフレンズの形をとると言った。

 

「セルセイリュウ。少し遊び過ぎではないか? 待ちくたびれたのだぞ」

「すみません。セルビャッコ」

 

 風が変化して現れたフレンズはシロによく似ていた。

 それもそのはず、異世界のビャッコがセルリアンフレンズとなったセルビャッコなのだから。

 

「それでは歌巫女は貰っていくのだ」

 

 セルビャッコはさらに、灰色の巨大な虎へと姿を変える。その口にプーを咥えたまま。

 その巨大な虎の背にセルセイリュウが飛び乗る。

 

「では、ご機嫌よう」

 

 セルセイリュウが言うと同時、巨大な虎は風を纏い駆け去って行く。

 あまりのスピードでセイリュウもスノーホワイトも即座に反応できなかった。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」

 

 慌てて追いかけようとしたスノーホワイトだったがガクリと膝を付く。

 その白く輝く髪にいつもの黒色が戻り、瞳の赤い輝きも納まり元の萌音(モネ)へと戻ってしまった。

 時間切れだ。

 萌音(モネ)はスノーホワイト化が終わった直後にはまともに動く事すら困難になる。

 当然待てと言われて待つセルビャッコ達ではない。

 萌音(モネ)を後目にプーを連れ去って行ってしまった。

 

「待てって言ってるでしょう……ッ!!」

 

 萌音(モネ)は歯を食いしばり、無理やりに立ち上がる。

 震える足にへこたれるなと自らの拳で活を入れると、靴に仕込まれたインラインスケート『DX(デラックス)ゴーゴージェットローラー』を起動させた。

 

「プーを返しやがりなさいッ!!!」

 

 セイリュウが制止する前に、萌音(モネ)はインラインスケートで青龍神社の大階段を駆け下りて行った。

 セイリュウも萌音(モネ)を追いかけたいが、果たして追いかけて役に立てるかどうか。

 そもそも、セルビャッコと萌音(モネ)を追いかけられるだけの足がない。

 

「ですが、まだやれる事はありますね」

 

 セイリュウは神主服の袖から、今度は自分の携帯電話を取り出すのだった。

 

 

―⑤へ続く

 




【アイテム紹介:バチバチ・ダブルV』

 エレキギター『バチバチ・ダブルV』は浦波 萌音(モネ)の使う武器である。彼女の母である浦波 遥の手で制作されている。
 Vの字を上下逆さまに二つくっつけたようなヘッドが特徴のエレキギターだ。
 当然普通のギターではなく、萌音(モネ)のサンドスターに反応するよう調整されている。
 内部にはサンドスターバッテリーを内蔵しており短時間であればアンプなしでも大音量を生み出す事が出来る。
 だが、それはあくまで副産物。主な機能はサンドスターバッテリーから供給されたエネルギーを萌音(モネ)の意志で雷撃へ変換する事にある。
 その際のスパーク音が『バチバチ・ダブルV』の由来だったりもする。


【ヒーロー紹介:スノーホワイト】

 浦波 萌音(モネ)が変身した姿。
 変身とは言ってもフレンズの力を借りているわけではないのでクロスハートの変身とは全く別物である。
 浦波流サンドスター・コンバットの奥義とも言うべき技だ。
 専用の楽器を用いて体内サンドスターを極限まで活性化させる事により爆発的な身体能力を発揮する。
 その際、髪が白く変化し、瞳も紅くなる。アルビノと呼ばれる見た目に近い。
 この技は1分30秒しか保たず、連続使用も出来ない。
 また使用後はかなりの疲労を伴う。
 萌音(モネ)の持つ最大の切り札であるが、その反動も大きい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑤

 

「はっ!?!?」

 

 萌絵は目を覚ました。

 何か大変な夢を見ていたような気がするのだが、一体何の夢を見ていたのかハッキリと分からない。

 

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 

 萌絵はソファに寝かされていたのだが、それをともえとイエイヌが二人して覗き込んでいた。

 

「あぁ、うん。大丈夫。心配かけてごめんね」

 

 萌絵は程よい固さの枕に再び目を閉じる。これは中々にいい寝心地だ。

 それにしても自分は何で気を失ったりしたのだったか。

 

「安心しましたよ、萌絵さん。すみませんでした。イワビーさんとコウテイさんの悪ふざけが過ぎてしまったようで」

 

 すぐ頭上から降って来る声に萌絵はハテナマークを浮かべた。

 あまり聞き慣れない声ではあったけれど、一体誰だろう。

 それに、ともえとイエイヌが近くに付いていてくれてたのは分かるが、他に誰がいたのだったか。寝起きのせいか、その辺りの事がどうにも判然としない。

 あまりの寝心地のよさに負けてしまいそうになったが、萌絵は目を開いてそして固まった。

 仰向けになったその視界にはジェーンの顔があったからだ。

 どうやら、このやたら寝心地のいい枕はジェーンの膝枕だったらしい。

 

「ぴよぇええ!?」

 

 あまりの驚きで思わず変な声と共に飛び退いてしまう萌絵である。

 そのまま傍らのイエイヌに抱き着いてモフり倒す事で何とか心の平穏を保つ。

 萌絵が寝かされていたのはPPP(ペパプ)の楽屋である。当然プリンセスを除くPPP(ペパプ)全メンバーが勢ぞろいだし、ともえ達もセルリアンフレンズ三人組もいた。

 

「あー。萌絵ちゃん起きたのー? お菓子あるよー? 食べるぅー?」

 

 その上、フルルに「はい、あーん」までされようとしていた。

 寝起きにPPP(ペパプ)のおもてなしを受けた萌絵は「あわわわ」状態になってしまい、イエイヌをモフり倒してなかったらまた気を失っていたかもしれない。

 

「ちなみに、イワビーさんとコウテイさんは反省してもらっています」

 

 ジェーンが差し示す方を見ると、イワビーとコウテイは椅子の上で正座していた。

 

「すまなかった……」

「わ、私はふざけたツモリはなかったのだが……」

 

 二人して正座でしょんぼりしているコウテイとイワビー。

 そんな姿を見せられたら、萌絵の方が慌ててしまう。

 

「あ、アタシの方こそ! すっごいビックリしちゃって……」

「お姉ちゃん、コウテイ推しだもんねー」

 

 萌絵が弁明するのに、ともえもうんうん頷いていた。

 ともかく、PPP(ペパプ)のみんなも萌絵が目を覚ました事で一安心だ。

 萌絵が目を覚ましたのを見て、楽屋に一緒にいたセルリアンフレンズ三人組も集まって来る。

 だというのに、萌絵は何故か浮かない顔をしていた。

 相変わらず萌絵にモフられっぱなしだったイエイヌがそれに気づいて声をかける。

 

「萌絵お姉ちゃん。何か気になる事でもありました?」

「あー……えっとね。変な夢を見ちゃったから気になって……」

 

 萌絵の周りに集まったみんなも全員が揃って小首を傾げた。一体どんな夢を見たのだろう、と。

 

「えっとね……。萌音(モネ)姉さんとプーちゃんがセルリアンに襲われてる夢……だったと思う」

 

 寝起き出来事もこれまた強烈だったので断片的な事しか覚えていないが、萌絵が見た夢は説明した通りのものだった。

 

「だが夢の話だろう?」

 

 オオセルザンコウが言った通り、ただの夢だ。萌絵自身もそう思っている。

 けれど……

 

「それがそうとも限らないの」

 

 そう言ってやって来たのは浦波 遥であった。

 どういう事だろう、と一同小首を傾げる。

 

「さっき、セイコ……じゃないわね。セイリュウから連絡があったの。青龍神社にセルリアンが現れた、って」

 

 その言葉にともえと萌絵はハッとする。

 青龍神社には萌音(モネ)とプーの二人が赴いているはずだ。

 もしかしたら二人も巻き込まれているかもしれない。

 

「だが、萌音(モネ)が一緒だったんだろう? ならば二人とも無事なんじゃないか?」

 

 コウテイの言に遥以外の皆はうんうんと頷いてみせる。

 だが、遥だけはゆっくりと首を横に振った。

 

「並みのセルリアンならね」

 

 そう。

 並みのセルリアンなら、萌音(モネ)は互角以上に戦えるし、そうそう遅れをとる事もない。

 けれども……

 

「青龍神社に現れたのは、セルセイリュウとセルビャッコの二人だったの」

 

 続く遥の言葉に一同息を呑んだ。

 セルゲンブ一人ですらあんなに苦戦したのだ。彼女と同レベルのセルリアンフレンズを二人も相手したとなれば、萌音(モネ)とプーは一体どうなってしまったのだろうか。

 遥は少し言葉を選ぶように考えるが、すぐに事実だけを言う。

 

「プーはセルセイリュウとセルビャッコの二人にさらわれたらしいの」

「じゃ、じゃあ萌音(モネ)姉さんは!?」

 

 萌絵が慌てて遥に訊ねる。

 全員気持ちは同じで、続く遥の言葉を待った。

 

萌音(モネ)ちゃんは一人でセルセイリュウとセルビャッコを追っているらしいわ」

 

 なんて事だ。

 いくら萌音(モネ)でも四神を二人も相手に出来るとも思えない。

 それに連れ去られたプーだって一体どうなってしまうのか。

 その想像に誰もが顔を青くし、押し黙った。

 

「助けに行こう!」

 

 静寂を破ったのはともえだった。

 萌音(モネ)とプーのピンチならば助けに行くのは当然だ。

 そうとなれば、まずは手段を考えなくては。ともえはラモリさんを振り返る。

 

「ラモリさん!」

「アア。任せロ。もうラモリケンタウロスを呼び出し中だしドクター達にも連絡していル」

「さすがだよっ! ラモリさんっ!」

 

 期待通りの仕事にともえはラモリさんをわっしょい胴上げだ。

 これでラモリケンタウロスが来れば萌音(モネ)の所へ駆けつけられる。

 ただ、ラモリケンタウロスは一人乗りだ。

 

「ふっふー。こんな事もあろうかと……」

 

 萌音(モネ)はイエイヌを離すと自分の肩掛け鞄から何かのパーツを取り出す。

 それを携帯工具で手早く組み上げると……。

 

「じゃーん、ジャパリボード改ー」

 

 の完成だ。

 こんな事もあろうかと、萌絵はジャパリボード改をパーツにバラして持って来ていたのだ。

 

「ともえちゃん、イエイヌちゃん、これで萌音(モネ)姉さん達を助けに行ってあげて」

 

 萌音(モネ)の言葉にともえとイエイヌは大きく頷く。

 今こそ通りすがりの正義の味方が必要とされる時だ。

 

「「変身ッ!!」」

 

 ともえとイエイヌの掛け声と同時、PPP(ペパプ)楽屋にサンドスターの輝きが迸る。

 

「ヒュウゥ~」

 

 その輝きが収まった時に現れた二人に、イワビーは思わず口笛を吹く。

 そこにいたのはクロスハート・イエイヌフォームとクロスナイトの二人だ。

 

「二人とも。萌音(モネ)ちゃんとプーをよろしくね」

 

 遥にも頷きを返すと、クロスハートとクロスナイトはラモリさんを伴って飛び出して行った。

 昔を思い出して懐かしむように見送る遥。

 萌音(モネ)とプーの事はともえとイエイヌ、それにラモリさんに任せるしかあるまい。

 

「さぁて……」

 

 クロスハートとクロスナイトを見送った遥は全員を振り返ると言った。

 

萌音(モネ)とプーの事はクロスハート達に任せるけど、こっちはこっちで大問題が発生したわ」

 

 それは一体。と全員が小首を傾げる。

 

「まず、こっちの護衛ね。差し当たって私もいるし、セルリアン対策課の皆もいるからそこは何とかなるとは思うけど、一応気を付けて」

 

 遥のこの注意は前置きだと全員が気づいていた。

 という事はもっと大問題がこの後控えているという事だ。

 それを説明すべく遥は一人のフレンズを招き入れた。

 

「マーゲイ。入って」

 

 やって来たのはこれまたパンツスーツ姿ではあるが、猫科のフレンズだった。

 彼女はマーゲイ。

 PPP(ペパプ)のマネージャーである。

 マーゲイはかけていた赤縁メガネをクイと直してから話を始めた。

 

「大問題はこの後のリハーサルとゲネプロにプリンセスさんが参加できないという事です」

 

 それに全員がハッとした。リハーサルは最悪何とかなる。

 だが、ゲネプロは本番同様の最終リハーサルだ。

 そこにプーが参加できないとなればかなりまずい。

 遥は少し顎に手をあて考え込む仕草を見せると訊ねる。

 

「コウテイ。実際問題、プーがゲネプロに参加せずにぶっつけ本番だったらどう?」

「問題ないな。プーはここに来る前にもう全ての段取りを頭の中に叩きこんでいる。ただ……」

 

 それはプーに限った話だ。

 ライブは一人では作れない。照明、音響、設備、衣装、大道具、小道具など裏方の協力があって初めて成り立つ。

 彼らにまでぶっつけ本番を強要したところで上手く行くわけがない。

 

「そうですね。照明タイミング、音響の入り、ステージハケの手順。リハーサルで確認しなきゃいけない事は沢山ありますね」

 

 ジェーンも頷き傍らのイワビーを見る。

 

「まぁ、プーのヤツをフォローする分には俺らで何とでもなる。けど裏方まで全員フォローはしきれねーぞ」

 

 つまり、リハーサルはともかく、せめてゲネプロまでにはプーに戻って来て貰わないといけない。

 

「じゃあさー。リハーサルとゲネプロだけ代わりをやって貰ったらいいんじゃなーい?」

 

 深刻になっているコウテイやイワビーやジェーンを後目に、フルルは楽屋に用意されていたジャパリまんをパクつきつつ気楽な事を言い出した。

 あまりに気楽な提案に他の皆は呆れるしかない。

 

「お前なぁ。リハーサルの代役ったって誰でもいいわけじゃねーぞ」

「そうなのー?」

 

 イワビーに言われても、フルルはピンと来ていないようだ。

 コウテイも苦笑しつつ頷く。

 

「そうだな。照明の当たり具合を見る為にも背格好はプーと似た子じゃないといけないし、大体でもいいから私達のパフォーマンスの内容を知っていないとダメだ」

「そうですね。そんな都合のいい人を今から見つけるのは難しいんじゃないでしょうか」

 

 ジェーンも同意と頷いた。そんな人物がリハーサルまでに見つかるわけがない。

 けれど、フルルは不思議そうにしながら言う。ついでにもう一つジャパリまんに手を伸ばしながら。

 

「へ? なんでー? いるよぉー?」

 

 そんな事を言い出すフルルの視線はある一人に注がれていた。

 みんながその視線を追っていくとその人物に注目が注がれる。

 

「あ、アタシ!?」

 

 その先にいたのは萌絵だった。

 

「確かに背格好は似ているな……」

 

 あらためてコウテイが見てみると、萌絵の背丈も体形もプーと殆ど大差ない。

 けれど、リハーサルの代役はそれだけではダメだ。

 ステージへの登場やパフォーマンスのスタート位置を確認し、予めステージにテープなどで印を付けておくのだ。

 そうなると、PPP(ペパプ)のステージを見ている人じゃないとスムーズなリハーサルが出来ない。

 

「ち、ちなみに萌絵ちゃん……? PPP(ペパプ)のステージって見た事ある……?」

 

 まさかねーと思いつつ遥が訊ねる。

 

「ええと、あるにはあるけれど……。ライブDVDとか皆で見たりするし……」

 

 萌絵の答えに遥もコウテイもイワビーもジェーンももしかしてワンチャンあるんじゃない?と考え始めた。

 そこにマーゲイがずずい、と萌絵に詰め寄る。

 

「あ、あのあのっ! じゃあ『大空ドリーマー』の最初、プリンセスさんの開始位置は右から何番目かわかったりします?」

「え、ええと……。プーちゃん加入後最初のライブでは右から五番目……だったかなぁ。今は大体の曲で開始位置はそこだよね」

 

 一同、その答えがあっているのか、視線でマーゲイに問い掛ける。その結果は……。

 

「あってます……」

 

 おおー。と見ている皆が感嘆の声をあげた。

 

「じゃあじゃあ!『ようこそジャパリパークへ』のフルパフォーマンスの時間は?」

「だいたい3分24秒」

「ならそこでのプリンセスさんの開始位置は!?」

「なんでか、その曲はプーちゃんの開始位置が右から二番目になってるんだよね。」

「じゃあ、プリンセスさんがセンターに入る時があるかわかりますか?」

「開始位置でプーちゃんがセンターの曲は今のところないかな。けど『大空ドリーマー』のソロパートでみんな立ち位置が入れ替わるから、その時にプーちゃんがセンターに入る時もあったよ」

 

 マーゲイは続けざまにPPP(ペパプ)クイズを仕掛けるが、その全てに萌絵は答えて見せる。

 PPP(ペパプ)メンバーはもちろん、関係者である遥もマーゲイもその答えが全てあっている事を知っていた。

 マーゲイは遥へ視線を送って真剣な顔で頷く。「この子なら行ける」と。

 そして遥もやはり同じ意見だった。

 

「ねえ、萌絵ちゃん。リハーサルだけでいいからプーの代役をお願いできない?」

「ぇえええええっ!?」

 

 まさか自分がリハーサルだけとはいえ、PPP(ペパプ)メンバーと肩を並べる事になるなんて思ってもみなかった萌絵である。

 無理だ、と言おうと思ったがマセルカがそれを遮って先に口を開いた。

 

「萌絵なら出来るよ。ううん。萌絵にしか出来ないんじゃないかな」

 

 そう言われて萌絵は自分がプーの代役が出来るかを考える。

 やはり無理だ。

 なんせ昨日の朝は体力不足でともえ達と一緒に踊る事すら出来ず監督役になっていたし。

 それでもマセルカは自信たっぷりに重ねて言った。

 

「出来るよ。だって萌絵だもん」

 

 その自信がいったいどこから来るのか萌絵にはわからない。

 けれど……。

 

「マセルカのこういう勘は大体当たるんだ」

 

 とオオセルザンコウまで乗って来る。

 

「ええ。それに私だって萌絵なら出来ると思っていますよ」

 

 加えてセルシコウまで頷いている。

 

「ね! お願い、萌絵ちゃん! この通りっ!」

 

 遥はもう形振り構わず拝み倒していた。

 

「も、もう!? どうなっても知らないからね!?」

 

 こうまでされては断る事など出来はしない。

 萌絵は半ばヤケクソで叫ぶのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 萌音(モネ)は巨大な虎となったセルビャッコを追って走る。

 先に青龍神社でスノーホワイト化という切り札を使ってしまったせいで、身体はひどく重たいが仕方ない。

 なんせセルビャッコとセルセイリュウの二人はプーを連れ去ってしまったのだから。

 

「そ、それにしてもお腹すいたわ……」

 

 スノーホワイト化は体内サンドスターを大量に消費する。

 爆発的な身体能力を1分30秒だけ得られる代わりに、使用後は体内サンドスターを殆ど使い果たしてしまう。

 結果……

 

―グゥウウ……

 

 花も恥じらう乙女には似つかわしくない盛大な腹の虫が鳴る。

 体内サンドスターが枯渇する事で空腹状態に陥っているのだった。

 当然、こんな状態でセルビャッコとセルセイリュウに追いついたところでまともに戦えるはずがない。

 かといって、萌音(モネ)は追いかけてどうしようという策があるわけでもなかった。

 仮にセルビャッコの気が変わって、立ち止まったところで萌音(モネ)にプーを奪い返す手段だってない。

 

「何か考えなきゃいけないわね」

 

 とはいえ、疲労と空腹のせいか頭もよく回らない。

 

「もう! 帰ったらぜーーーったい沢山料理してやるぅ!! プーも道連れだからね!」

 

 そうとなれば、何を作るか。

 パスタ、カレー、炊き込みご飯。いやいや、夏だからこそ鍋焼きうどんというのも捨てがたい。

 いやいや、こうなれば全部作ってしまうか。今の腹具合ならペロリと行ける。

 多分、プーはカロリーがどうのと言うだろうが絶対付き合ってもらおう。

 

「ってそれどころじゃないわっ!?」

 

 八方塞がりの状況に思わず現実逃避しかけていた萌音(モネ)だったが、自分へのツッコミと共に正気を取り戻した。

 あらためて状況を見てみれば、現在は青龍神社から大分離れて玄武大橋を渡り玄武峠へと差し掛かっている。

 巨大な虎へ姿を変えたセルビャッコは何台もの車を追い抜き山道へ入って行く。

 途中何人ものドライバー達が何事かと目を丸くしている様子を目撃した萌音(モネ)である。脇見運転で事故を起こさないように祈るしかない。

 

「それにしたって、プーをどこに連れて行くつもりなのよ……」

 

 迷いのないセルビャッコの走りからは目的地があるように思えた。

 この先は山道を通って北部田園地帯へ抜けて、さらに先へ進めば市外へと出る。

 ともあれ、山道は車通りも少ない。

 もしも戦いになるとしても周囲への被害は最小限で済みそうだ。

 もっとも、四神のうち二人を相手するなんて万全の状態でも厳しい。

 

「出来れば助けを呼べれば一番いいんだけど……」

 

 さすがにそう都合よくは行かないだろう。

 先程からポケットの中に入れた携帯電話が着信を何度も告げているが、とても出られる状況ではなく誰かと連絡を取る事も出来ずにいた。

 つまり、異変には気付いているかもしれないが、萌音(モネ)の位置まではわからないはずだ。そんな状態では今すぐ助けを望む事は出来ない。

 が、萌音(モネ)にとって嬉しい誤算が一つある。

 それはここが色鳥町であるという事だ。

 

―ギャギャギャギャッ!

 

 タイヤのスキール音が後ろから迫って来る。

 曲がりくねった山道をこんな速度で走って来るのはタダ事ではない。

 萌音(モネ)が後ろを振り返れば……

 

「(猫耳?)」

 

 がついた黄色い小型バスが猛然と追いかけて来ていた。

 それはカーブの多い峠道をものともせず、巧みなコーナーワークでアッと言う間に萌音(モネ)へ追いついた。

 一体何事かと目を白黒させる萌音(モネ)だったが、そうしていると小型バスの後部客車に設えられた側面入り口がスライドして開く。

 

萌音(モネ)ちゃん! こっち!!」

 

 そこから身を乗り出して手を伸ばすのがサーバルだったから、萌音(モネ)はさらに驚く事になってしまった。

 

「(そっか。そうだよね)」

 

 考えてみれば当然なのだ。

 ここは色鳥町。

 この街にはヒーローがいる。

 困っていたら通りすがって助けてくれる正義の味方が。

 彼女達が助けに来てくれないはずがない。

 

「サーバルちゃん!」

 

 萌音(モネ)はそちらに思いっきり手を伸ばす。サーバルがその手を掴み、思い切り引っ張って萌音(モネ)をバスの中に引き入れた。

 

「「「「「「「うわぁあああっ!?!?」」」」」」

 

 うっかり勢いが付きすぎて、中にいる人達を巻き込んでしまったのはご愛敬だ。

 

「ま、まったく。サーバルは雑なのです」

「そうなのです。もう少し後先というものを考えるべきなのです」

 

 それは萌音(モネ)がよく知っている声だった。

 何度か一緒にセルリアンと戦った仲であるから当然だ。

 アフリカオオコノハズクの博士とワシミミズクの助手である。

 

「で、でも元気そうでよかったのだ。久しぶりなのだ」

 

 こちらは萌音(モネ)に巻き込まれてひっくり返っているアライさんだ。

 

「ほんとだねー。一応、大体の事情は聞いてるから後は任せておきなよー」

 

 ちゃっかり巻き込まれから一人身をかわしていたフェネックが、しゃがみ込んで萌音(モネ)の頬を突く。

 

「遅くなってすみません。助けに来ました」

 

 そして、かばんが言う。萌音(モネ)に巻き込まれて下敷きになってなければ文句なく格好いいのだが。

 ジャパリバスの後部客車にはクロスシンフォニーチームが勢揃いしていた。

 ドライバー席には水色のラッキービーストがちょこんと乗っかっている。

 サーバルはそちらに言う。

 

「さっすがボスだね! 進路予測バッチリ当たってたじゃない!」

「マカセテ」

 

 遥とラモリさんを経由して連絡を受けたドクター遠坂がクロスシンフォニーチームに出動を要請してくれていた。

 後はラッキービーストがU-Mya-Systemからのデータを元にセルビャッコの進路予測をして短時間で駆けつけてくれたわけだ。

 ラッキービーストはチラと後部客車を振り返ると言う。

 

「モネ。皆モ。飛ばすからしっかり掴まっててネ」

 

 ラッキービーストは前に向き直りハッキリと宣言する。

 

「追いつくヨ」

 

 言うが早いかジャパリバスはさらに加速した。

 

「ボスー! 今日はカッコイイよー!!」

 

 ぐんぐんセルビャッコとの距離を詰めるジャパリバスにサーバルが喝采をあげる。

 

「ああ、そうそう」

 

 セルビャッコに追いすがっている間に、フェネックがバスケットを差し出して来た。

 萌音(モネ)は不思議に思いつつも中を開けてみる。

 中身は昨日『グルメキャッスル』(屋台)で見たホットドッグが入っていた。

 

「さっきまで皆で『グルメキャッスル』の手伝いしててさ。余り物だけど食べてよ」

 

 萌音(モネ)はちょうど腹ペコだったのだ。

 もう至れり尽くせりというヤツである。

 フェネックはいつもの微笑を深くすると傍らの博士と助手に言った。

 

「言っておくけど、博士と助手の分はないからねー」

「んなっ!? わ、我々を食いしん坊キャラか何かと勘違いしてはいないですか!?」

「心外なのです。断固抗議するのです」

「博士と助手は食いしん坊じゃーん」

「「サーバルにまでツッコまれたのです!?」」

 

 相変わらずのクロスシンフォニーチームに萌音(モネ)は笑いがこみ上げてきた。

 けれど、昔とは違う点が一つ。

 

「みんな、頼もしくなったね」

 

 昔は自分の方が先輩という立場だったからフォローする事が多かったけれど今は違う。

 こうして、萌音(モネ)のピンチに駆け付けてくれるまでになったのだ。

 萌音(モネ)は皆に向き直ると言った。

 

「お願い、皆。プーを助けて」

 

 それに対する答えは一つしかない。かばんもサーバルもアライさんもフェネックも博士も助手も、そしてラッキービーストも一つ頷いて声を揃えた。

 

「「「「「「任せて!」」」」」」

 

 

―⑥へ続く

 

 





【セルリアン情報公開:吊り鐘型セルリアン『ゴーンベル』】

 お寺などにある吊り鐘を模倣したセルリアン。
 見た目は大きなお寺の鐘を胴体として、丸をいくつも繋げた長い一本腕が伸びる。その先には鐘を鳴らす為の撞木を備えている。
 『ゴーンベル』は見た目通りに防御力が高く、撞木を用いた攻撃の破壊力だってかなりのものだ。
 さらには打撃攻撃に対する耐性が特に高い上に、そうした攻撃には鐘の轟音で自動反撃してくるので厄介な事この上ない。
 鐘の轟音は直接肉体にダメージを与えるものではないが、平衡感覚を狂わされる程の騒音である。
 必殺技は自身の鐘の中に敵を閉じ込めた上で鐘を鳴らしまくり、閉じ込めた敵へ轟音を浴びせる。
 この技を受けた敵は行動不能に陥ってしまうだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑥

 

 ちょうど、玄武峠の山頂。

 そこでジャパリバスはとうとうセルビャッコに追いついた。

 

「セルビャッコ。どうやら逃げ切れないようですよ」

『そのようなのだ。どうするのだ? セルセイリュウ』

 

 セルセイリュウは傍らを併走する猫耳のついた小型バスへ視線を送る。

 見た目はともかく、この小型バスの機動力は巨大虎へ変化したセルビャッコに匹敵するらしい。

 このまま逃げたところで振り切る事は出来ないだろう。

 セルセイリュウは考える。

 

「(このまま我らが女王のところに敵を引きつれて行くのは良くないですね)」

 

 セルセイリュウとセルビャッコはプーを攫った理由が二つある。

 一つは、この色鳥町の地脈を不安定でセルリアンが発生しやすい状態のままにする事。

 そして、もう一つがPPP(ペパプ)の持つ輝きを女王の手で保全する事だ。

 比較的手薄であったプーを攫って女王のところへ連れて行きさえすれば、輝きの保全と地脈を浄化するPPP(ペパプ)ライブを阻止する事が出来る一挙両得であった。

 だが、女王はセルセイリュウとセルビャッコの二人にとって本丸であり王将でもある。

 彼女が負ける事など考えられないが、それでも万が一、いや億が一の危険ですら近づけたくはない。

 

「ふむ。ではセルビャッコ。プランBと行きましょう」

『わかったのだ』

 

 セルセイリュウは方針変更を決定した。

 セルビャッコもその変更された方針に従い、まずは頂上のパーキングエリアへと入る。

 このまま戦うにしても、何にしてもお互いに開けた場所の方が実力を発揮できるだろう。

 昼を回ってすでに15時にもなろうかという時間ではあるが、幸いにしてパーキングエリアは閑散としたものだ。

 セルビャッコを追っていたジャパリバスも同じようにパーキングエリアへ入って停車した。

 そして、後部客車から乗員達がどやどやと降り立つ。

 そのうち一人は先程青龍神社でも相まみえた萌音(モネ)である。

 追って来ているのは気づいていたが実害はないと思い放っておいた。まさか再び仕掛けてくるとは考えていなかった。

 それに、他に六人程降りて来ているが、こちらは何者なのか。

 

『なあなあ、セルセイリュウ。我、すっごいイヤな予感がするのだ』

「奇遇ですね、セルビャッコ。全く同意見ですよ」

 

 五人のフレンズ達に混じって一人いるヒトの女の子。

 二本の羽根飾りが付いた帽子を被る黒髪の女の子には心当たりがあった。

 

「ねえねえ、かばんちゃん? さっきからあの二人、かばんちゃんの事見てない?」

 

 傍らにいるサーバルキャットのフレンズが黒髪のヒトに話しているのを見て、セルセイリュウとセルビャッコは確信した。

 

「まさか……。こんなに早く出会えるとは思いませんでしたよ、クロスシンフォニー」

 

 額に冷や汗をにじませつつ言うセルセイリュウ。

 オオセルザンコウ達が伝えた情報には、クロスシンフォニーの正体なども記されていた。

 目の前にいる黒髪で癖っ毛の女の子は確かに伝えられた情報と酷似している。

 この場に駆けつけた事からも、彼女がクロスシンフォニーで間違いないだろう。

 そしてクロスシンフォニーはセルスザクを一対一で倒した最も警戒すべき相手だ。セルセイリュウとセルビャッコは緊張に身を固くする。

 ところが、降りて来た六人のフレンズ達は顔を付き合わせてゴニョゴニョと内緒話を始めてしまった。

 

「なあなあ、どうしてあの二人はアライさん達がクロスシンフォニーだって知っているのだ?」

「それはねー、アライさーん。あの二人ってオオセルザンコウ達と同じ世界から来たからじゃないかなー」

「んん? オオセルザンコウ達と同じ世界から来たのと、アライさん達がクロスシンフォニーなのを知っているのがどう関係しているのだ??」

 

 どうにもアライさんにはその点が不可解でしょうがなかった。

 だが、当然と言えば当然なのである。

 オオセルザンコウ達は情報収集と橋頭保確保の為にこちらの世界に派遣されたのだから。

 そんな彼女達に和解の為とは言え、正体を明かせばそれが伝わるのは自明の理というものだ。

 

「まぁ、かばんとアライとサーバルは特に嘘が苦手なのです。下手に取り繕うよりもよかったのではないですか」

「ダメージコントロールというヤツなのです」

 

 博士と助手はそう言って納得しているが、アライさんにとってはますます不可解でならない。

 

「だからさー。あっちの二人に私達の正体をバラしたのはオオセルザンコウだって事だよ」

「「へ?」」

 

 フェネックの言葉にアライさんとサーバルは同時に驚き呆けた。

 

「そんな! アライさんはオオセルザンコウ達とは友達で仲間になれたと思っていたのだ……!」

「そうだよぉ! そりゃあ私達、最初は敵同士だったけど、でも……なんで……!」

 

 そして我に返ると、二人同時にガックリと膝をついて悲嘆に暮れる。

 あまりの悲しみようにセルセイリュウとセルビャッコも何だか罪悪感をくすぐられる事になってしまった。

 

「あ、あのー。我等がセルゲンブを通して情報を聞いたのってかなり前の話なんです」

『そ、そうなのだ! だから別にアイツらが悪いヤツというわけではないのだぞ!』

 

 セルセイリュウとセルビャッコの言に、アライさんとサーバルはかばんを振り返る。

 

「ええ。オオセルザンコウさん達は友達で仲間ですよ」

 

 かばんが苦笑しつつもそう言うなら間違いない。

 サーバルとアライさんは手を取りあって喜んだ。

 萌音(モネ)も苦笑しつつ思う。オオセルザンコウ達はセルセイリュウ達からしたら裏切り者ではないのだろうか。

 そんな彼女達への弁明までしてくれるとは、セルセイリュウもセルビャッコも案外お人よしな事だ。

 

「お人よしついでにプーを返してくれない?」

 

 萌音(モネ)はダメで元々かと思いつつも言ってみた。しかし、意外な事にセルセイリュウはその提案を真剣に考え込む様子を見せる。

 

「(彼女達がクロスシンフォニーだというなら、プランBでもダメかもしれませんね)」

 

 セルセイリュウは思索を巡らせていた。

 プランBは、もしもプリンセスを取り戻そうと追ってくる者がいれば排除する行動指針だ。

 だが、クロスシンフォニーはセルスザクを一対一で退けた実力者である。

 負けるとは思わないが、さりとて無傷でいられるとも思わない。

 この敵地で戦力を削られるのは避けたいところだ。

 

「(ならば……プランCですかね)」

 

 セルセイリュウの言う『女王』は今回の作戦をゲームだ、と評していた。

 彼女にとってはプリンセスを攫う事で地脈浄化を阻止出来ればそれでよし。もしくはこちらの世界が有する戦力がどれ程か測れればそれでもまたよしだった。

 という事はここで死力を尽くしても意味は薄い。

 むしろ四神の残り二柱がダメージを受けて戦線離脱する事態になったら目も当てられない。

 そこまで考えたセルセイリュウは決断した。

 

「いいでしょう。お返しします」

 

 セルセイリュウは肩に担いでいたプーを萌音(モネ)へと投げ渡した。

 まさか本当に返してくれるとは思っていなかった萌音(モネ)は慌てながらもプーを抱き止める。

 意外な行動にかばん達と萌音(モネ)が驚く間に、セルセイリュウは巨龍へと姿を変じる。

 

『セルビャッコ。プランCです』

 

 巨龍へと姿を変じたセルセイリュウはそのまま空へと舞い上がる。

 逃げの一手だ。

 何故、とかばんは訝しむ。

 この場で簡単にプーを返して逃げ出すのならば、そもそも攫ったりしなければよかったのではないか。

 けれど、すぐにそれは間違いだったとわかった。

 

「プー!? ちょっと、プー! どうしたっていうの!?」

 

 プーを抱き止めた萌音(モネ)が焦りの声を挙げる。

 プーはパタパタと身振りで何かを伝えようとしているのだが、声が出ていない。

 まさか、と全員が思い至っていた。

 

「プー……あなた、まさか“輝き”を奪われたの!?」

 

 萌音(モネ)の推測は正解だった。

 セルセイリュウはプーの声という“輝き”を奪ったのだ。

 ようやく気付いた萌音(モネ)達をあざ笑うように巨龍へと姿を変じたセルセイリュウがニヤリとしたように見えた。

 竜というよりも龍という姿をセルセイリュウ自身は気に入っていない。深い蒼色の鱗もそうだ。

 けれど、この姿ならば出来る事がある。龍は空を飛べるのだ。

 そのまま巨龍は市街地方面へ飛び去る。

 

「まずい……!」

 

 追おうにも、ジャパリバスは空を飛べない。

 曲がりくねった峠道で空を飛ぶ相手に追いつけるはずがない。

 そして、再び市街地へと舞い戻ったセルセイリュウが今度は何をしでかすのかもわかったものではない。

 さらに、セルセイリュウからプーの“輝き”を奪い返さないとPPP(ペパプ)ライブだって開けない。

 すっかりしてやられた格好だ。

 

「とにかく、追わないと話にならないわ!」

 

 萌音(モネ)の言葉に全員が頷く。

 が……。

 

『そうはさせないのだ。この四神最強の我、セルビャッコがな』

 

 グルル、と唸り声をあげる巨虎が立ちはだかる。

 このないない尽くしの状況にさらにダメ押しをされてしまった。

 一体ここからどうしたらいいのか。

 

萌音(モネ)さん。ここは任せてプーさんとライブ会場へ戻って下さい」

 

 だが、かばんには焦った様子がない。

 何か考えがあるのだろうか。

 かばんは萌音(モネ)に振り返ると自信たっぷりといった笑みを見せた。

 

「この街を守っているのはボク達だけじゃないですから」

 

 かばんが視線を送った先ではセルセイリュウが早くも玄武大橋へさしかかろうとしていた。

 釣られてセルビャッコも萌音(モネ)もそちらを見た。

 二人とも同じ事を思っていた。一体何が出来るのか、と。そして何も出来るはずがない、とも。

 だが、玄武大橋から赤い閃光が一条放たれると、セルセイリュウを撃ち抜いたではないか。

 赤い閃光に射抜かれたセルセイリュウは体勢を崩し、色鳥川へと落ちる。

 それを目の当たりにしたセルビャッコはあんぐりと開いた口が塞がらない。

 

『ななな!? お前達!? セルセイリュウに一体何をしたのだ!?!?』

 

 対するかばんはやはり同じ答えを口にした。

 

「ですから、この街を守っているのはボク達だけじゃないんですよ」

 

 つまり、セルセイリュウを撃ち落としたのは、別な守護者だという事なのだろう。

 しかし、一体いつの間に。

 術中にハメたつもりが、その逆だった事にセルビャッコは焦らずにはいられない。

 

『しかし……! そんな小賢しい策など喰らいつくしてしまえばよいだけなのだ!』

 

 セルビャッコは臨戦態勢を整えた。

 白い巨虎の体毛が総毛立つと、それに応じてバチバチと周囲の空気が放電現象を見せ始めた。

 色んな意味で一触即発の空気となっていたが、それでも臆さずかばんは叫んだ。

 

萌音(モネ)さん! 行って下さい!」

「そうそう。ここは任せて先にいけーってヤツだよっ!」

 

 その隣にはサーバルが並び立つ。

 

「まったく、それはフラグというものですよ。サーバル」

「戦いの前に縁起でもないのです」

 

 さらにその両脇に博士と助手が並ぶ。

 

「だったらさー。フラグは沢山重ねたら逆に回避できるらしいから、目いっぱい立てまくったらいいんじゃない?」

「ならアライさんにお任せなのだ! ところで、ふらぐ?って何なのだ?」

 

 そしてその両脇にフェネックとアライさんが並んで勢揃いだ。

 誰もがもう萌音(モネ)とプーの方を見ずに、目の前で殺気と雷を振りまく巨虎から視線を外さない。

 この場で萌音(モネ)に出来る事はもうなさそうだ。

 ならば、彼女の役目はプーを無事にライブ会場へ届ける事である。

 

「頼むわね!」

 

 すっかり頼もしくなったかばん達の横顔に感慨も沸くが、それをゆっくり味わっている場合ではない。

 萌音(モネ)は『DX(デラックス)ゴーゴージェットローラー』を再び起動し、プーをお姫様抱っこにしつつ峠道を再度下り始めた。

 後に残るのはセルビャッコとかばん達六人である。

 かばん達は揃いのポーズで一斉に左腕を伸ばす。

 それを胸元に引き寄せるようにしつつ六人同時に叫んだ。

 

「「「「「「変身ッ!」」」」」」

 

 サンドスターの輝きが迸り、それが治まった時に現れたのはたった一人。

 大きな猫科の耳にヒョウ柄のアームグローブとニーソックスのフレンズであった。

 セルビャッコはそれが誰なのか知っている。知ってはいるが、これから戦おうというのだ。それなりの様式というものはある。

 

『改めて名乗るのだ。我はセルビャッコ。西方を守りし四神が一柱なのだ』

 

 そして「そちらは?」とでも言うように顎をしゃくってみせる。

 その答えはやはりセルビャッコが思っていた通りのものだった。

 

「クロスシンフォニー。通りすがりの正義の味方です」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 セルセイリュウは混乱していた。

 彼女は真の姿である龍へと変化し、空を飛んで離脱したはずだった。

 当然、それなりの高度を取っていたからそう簡単に手出し出来るはずがない。

 けれども、撃ち落とされたのだ。

 一体何に攻撃されたのか。

 セルセイリュウは叩き落された色鳥川からすぐさま身を起こした。

 

『何者ですか!』

 

 誰何の声には玄武大橋の欄干から答えがあった。

 

「何者って言われたってねえ?」

「えー? カラカルさっきまでノリノリだったじゃない」

 

 一条と思った閃光の正体は二人のフレンズだった。

 片方は赤い毛並みの同じ色のアームグローブとニーソックス。それに黒い大きな耳。

 もう片方も同じ色と毛並みであったが、毛皮の形状が違う。それはヒトが忍者と呼ぶ者達が着ている装束に似ていた。

 

「なっ!? ちょっと菜々!? 誰がノリノリだっていうのよ!? しょうがなくよ、しょうがなく!」

「そうだねー。しょうがなくだよねー。こっちのPPP(ペパプ)ライブが見られるって楽しみにしてたもんね」

「そ、そうそう! こっちのPPP(ペパプ)がどんなものか見比べてやろうって言うんだから! だから、それを邪魔するヤツがいたら絶対許さないってだけなんだから!」

 

 アーチ型の欄干に二人して降り立ったフレンズ達はワイワイと言い合う。

 

「それに、久しぶりに和香さんとお出かけだもんねー。私も楽しみにしてたよー」

「なっ!? べ、別に和香と一緒だから楽しみだったわけじゃなくて……!」

 

 すっかり無視された格好のセルセイリュウは欄干の上に陣取る二人を睨みつける。

 人を川に叩き落しておいて随分ではないか。

 

『ですからあなた方は何者なのですか!』

 

 再度の問い掛けに、二人は言い合いをやめて一度顔を見合わせる。

 そして忍者装束の方が言った。

 

「私はクロスレインボー。通りすがりの正義の味方」

「でもって私はカラカルね」

「えー? カラカルも一緒に通りすがりの正義の味方しようよー」

「私はいいわよ。そういうのはアンタらに任せるから」

 

 せっかく話が進みそうだったのに、またクロスレインボーとカラカルの言い合いが始まろうとしていた。

 

「でもさ、カラカル。私達結構目立っちゃってるよ?」

「いいわよ。別に私はアッチに帰ったらいいだけだもの」

 

 確かにクロスレインボーの言う通り、巨龍が空から降ってきて川面に盛大な水しぶきをあげたのだ。

 玄武大橋を通る車からも何事かとそちらを見る者が多い。

 

「たださ、ほら。私達はよくても騒ぎになったら和香さんに悪いじゃない? だから顔くらい隠しておいたら?」

「それもそうね」

 

 カラカルはクロスレインボーの差し出した目の部分に穴があいたアイマスクを受け取る。

 いそいそとそれを装着する姿はいかにも隙だらけだ。

 さらにクロスレインボーの方も、頭の横につけていた動物のカラカルを模したお面をかぶり直しており、こちらも隙だらけだ。

 さすがに攻撃を仕掛ける事は出来ないだろうが、逃げを打つくらいはわけもない。

 セルセイリュウは再び空に舞い上がった。

 が。

 

「「ダブルッ!! 百舌鳥落としぃいいいいいいッ!!」」

 

 クロスレインボーとカラカルの二人が目にも留まらぬ速さで欄干からジャンプする。

 二人あわせて一条の赤い閃光となり、セルセイリュウへ激突。

 再び赤い閃光に打ち抜かれたセルセイリュウはまたも川面に叩き落される。

 

「あのねえ。私がいて、菜々がクロスレインボーのカラカルモードになってるのに空へ逃げられるわけないでしょう?」

 

 セルセイリュウを打ち据えた反動で再び欄干の上へ戻ったカラカルが言う。クロスレインボーから渡されたアイマスクの具合を確かめながら。

 カラカルという動物は時として空へ飛びたつ鳥すらも狩ると言われる。

 そのフレンズであるカラカルも、カラカルから力を借りているクロスレインボー・カラカルモードも対空迎撃を最も得意としている。

 いくら巨龍と化したセルセイリュウであっても、この二人を相手には空へ逃れる事は出来そうもない。

 

『(ならばどうしますか……)』

 

 セルセイリュウは四神の中でも水を司っている。

 水中戦は得意中の得意と言っていいのだが、先程からクロスレインボーとカラカルの二人は水中にまでは降りて来てくれない。

 空中へ逃れようとしたりしない限りは手出しをしてこないし、深追いもしようとしてこない。

 狙いはきっとセルセイリュウをこの場に釘付けにする事だろう。

 

『(我を足止めしてどうするつもりでしょうか?)』

 

 そう思考した時、セルセイリュウの脳裏には一つの答えが浮かんで来る。

 ここは敵地だ。

 ならば増援があったって不思議はない。

 そして、この場で現れる新手にはセルセイリュウにだって心当たりがある。

 

―ざわざわ……。

 

 空から龍が落ちて来るという異常事態に玄武大橋の歩道には人だかりが出来始めていた。

 しかし、その人だかりが見ているのは川面に浮かぶセルセイリュウではない。

 集まった人々が見ていたのは、クロスレインボーとカラカルが乗るのとは反対側の欄干だった。

 アーチ状の欄干、その上には二人の人影があった。

 二人とも、イヌ科の耳にイヌの尻尾。

 一人はミラーシェードで目元を隠して、デフォルメされた犬の顔が描かれたガントレットに短いマントを纏っている。

 そしてもう一人はおへそが出る程に短い丈の服を着ていた。

 その場の誰もが薄々二人が何者なのかには気付いていた。

 そして、クロスレインボーとカラカルの二人が待っていたのも彼女達だろう。

 集まった野次馬の誰かが呟いた。

 

「クロスハートだ……」

 

 それに誰かの呟きが重なる。

 

「クロスナイトもいる……」

 

 クロスハートとクロスナイト。

 それは人々の噂になっている通りすがりの正義の味方である。

 まさに噂通りの二人が登場した事でギャラリー達は沸き立った。

 人々の歓声に応えてというわけではないが、クロスハートはビシリとセルセイリュウを指さすと宣言した。

 

「セルセイリュウちゃん! …………ちゃんでいいのかなぁ?」

 

 そこはどうでもいい、とセルセイリュウもクロスレインボーとカラカルと見守るギャラリー達までもが同じように思った。

 それはともかく、ごほん、と咳払いしてからクロスハートはあらためて宣言する。

 

PPP(ペパプ)ライブの邪魔はさせないしプーちゃんの“輝き”は返してもらうよ!」

 

 

―⑦へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑦

 

 

 玄武峠の山頂ではクロスシンフォニーとセルビャッコの戦いが始まっていた。

 

『行くのだ!』

 

 巨虎と化したセルビャッコは雷光を纏って体当たりを仕掛ける。

 

『のわぁあっ!? 速い!? 速いのだっ!?』

 

 心の中でアライさんが驚くのも無理はない。

 セルビャッコが司るのは風。四神の中でもスピードならば誰にも負けない。

 

『サーバルシルエットを選んでいたのは僥倖だったのです』

『かばん。一旦距離を取るのです』

 

 博士と助手の助言に従い、クロスシンフォニーはセルビャッコの突撃から身をかわす。

 クロスシンフォニーの中で最も瞬発力とスピードに優れるのはサーバルシルエットだ。

 それでも雷光を纏って突撃してくる巨虎の速さは尋常ではなく、辛うじて距離を取るのが精いっぱいである。

 

「しかも悪い事に…………」

 

 クロスシンフォニーの額に冷や汗が滲む。

 巨虎の纏う雷光は攻防一体の能力だ。

 体当たりの威力を引き上げるだけでなく、下手に近接攻撃を仕掛けようものなら、反対に感電させられるだろう。

 

『どうしたのだ、クロスシンフォニー! セルスザクを倒したのはまぐれというわけではあるまい!』

 

 クロスシンフォニーはサーバルシルエットの脚力を活かして、セルビャッコの突撃をかわし続けてはいるものの、反撃の糸口が見つからない。

 距離を取るクロスシンフォニーに対してセルビャッコは空中に氷の飛礫を生み出すと、それをショットガンのように撃ち出して来た!

 

「くっ!」

 

 思わぬ遠距離攻撃が飛んで来た事に、クロスシンフォニーは焦りを覚える。

 さらにもう一度跳躍して氷の飛礫をかわした。

 そして気づく。

 

「そうか……」

『え? かばんちゃん、何かわかったの?』

 

 心の中で問いかけるサーバルにかばんは頷いた。

 

「うん。あの突撃は想像以上に厄介なんだ」

 

 どういう事だろう、と心の中でかばんを除く全員が小首を傾げる。

 

「皆さん、カミナリがどう発生しているのか知っていますか?」

 

 その問い掛けに博士と助手がハッとする。

 だが、サーバルとアライさんはそれでもピンときていないようだ。

 

『えぇーっと、空の上でカミナリさまが太鼓を叩いているのだ?』

『そうそう。おへそ隠しておかないとカミナリさまに取られちゃうんだよね?』

 

 アライさんとサーバルの答えに、博士と助手は嘆息する。

 

『まったく、二人とも。小学生ではないのですから』

『雲の中で、雹がぶつかり合う事で静電気が発生するのです。その静電気がカミナリの正体なのです』

 

 博士と助手の説明をフェネックが引き継いだ。

 

『その発生した静電気が雲に帯電するんだけど、それが溢れると落雷が起きるわけだねー』

 

 その解説に、アライさんとサーバルは『おぉー』と思わず拍手してしまう。

 

『けど、それがどうしたのだ?』

 

 アライさんが再び小首を傾げる。

 

「つまり、セルビャッコさんは自分で生み出した小さな雹を自分の風でぶつけて稲妻を作っているんです」

 

 かばんの答えに再びアライさんとサーバルが『おぉー』と感嘆するものの、すぐに再び小首を傾げる。つまりどういう事?、と。

 

『つまり、セルビャッコの周囲では目に見えない程小さな雹が高速でぶつかり合っているという事です』

『迂闊に飛び込んでいたらズタズタだったのです』

 

 嘆息しつつも博士と助手が解説してくれた事に、サーバルとアライさんは肝を冷やした。

 それはどうやらその通りで、セルビャッコは巨虎の顔をニヤリと歪ませる。

 

『さすがにクロスシンフォニーなのだ。安い挑発には乗ってくれないのだ』

 

 セルビャッコの纏う雷光自体も決して侮れるものではないが、どちらかと言えば目くらましだ。

 最も脅威なのはセルビャッコの周囲を高速で飛び回る小さな雹だった。

 

『まずは、我の能力を見破った事は褒めてやるのだ。けれど、どうやって打開するのだ?』

 

 セルビャッコの問い掛けにもクロスシンフォニーは答えを返せない。

 セルビャッコのやっている事は単純だ。

 自身の能力で生み出した雹と、その副産物である雷光を纏って突撃してくるだけだ。

 だが、単純であるだけにその対処は難しい。

 

『さて、どうするのかお手並み拝見といくのだ!』

 

 クロスシンフォニーに対処法を考える余裕など与えない、とばかりにセルビャッコは再び突撃を仕掛ける。

 今はサーバルシルエットの強靭な脚力で攻撃をかわす余裕がある。

 けれど、何度もそれを続ければ先にバテるのはクロスシンフォニーの方だ。

 動きが鈍れば、いずれ攻撃をかわしきれなくなる。

 そして、体当たりを一度直撃させれば、それでセルビャッコの勝ちであろう。

 

『どうするのです? かばん』

 

 博士の問い掛けに、クロスシンフォニーチームの誰もがかばんの言葉を待つ。

 

「はい。こうなったらアレを使おうかと思います」

 

 アレとは一体。

 だが、その一言だけでクロスシンフォニーチームの皆には伝わったようだ。

 

『けれど、アレはまだ試作段階だったはずですよ? 大丈夫ですか?』

 

 助手が懸念を示すが、サーバルとアライさんはノリ気だった。

 

『大丈夫だよ! だってドクター達が作ってくれたんだもん!』

『そうなのだ! アレを今使わずにいつ使うのだ!』

 

 やる気十分といった二人と心配そうな助手を見かねてフェネックが言う。

 

『まぁ、心配になるのもわかるよー。でも、かばんさんが考えてる作戦に使うなら今の状態でも十分じゃないかなー』

 

 どうやらフェネックはかばんが何をしようとしているのかまで分かっているらしい。

 それで助手もかばんが何をしようとしているのかに気づいた。

 

『仕方ないのです。コレで作れるチャンスはおそらく一度が限界でしょう。全員、気合入れるのですよ!』

 

 助手も覚悟が決まった。

 全員が「おー!」と返事を揃えて準備完了だ。

 幾度目かになるセルビャッコの突撃をクロスシンフォニーはサーバルシルエットの跳躍力でかわし、大きく距離を離す。

 着地した先にはジャパリバス改があった。

 何かあるのかと思ったセルビャッコであるが、警戒するよりもここは攻めを貫く。

 

『何を狙っているのか知らないけれども、全部喰い破ってやるのだ!』

 

 クロスシンフォニーが距離を離したのならば、ここはセオリー通りに遠距離攻撃だ。

 セルビャッコは無数の雹を中空に出現させると、それを飛礫としてクロスシンフォニーとその後ろに控えるジャパリバス改へ浴びせかけた。

 対するクロスシンフォニーは左腕を胸元に引き寄せる。

 変身の際と同じポーズではあるが、それで一体何が出来るのか。

 クロスシンフォニーは左腕につけた腕時計のような物、『シンフォニーコンダクター』へ向けて叫ぶ。

 

「ラッキーさんっ! トランスフォームッ! ジャパリロボッ!!」

 

 と。

 叫びに応えてジャパリバスのヘッドライトがギラリと輝く。

 

「マカセテ」

 

 ラッキービーストが言うと同時、ジャパリバスが立ち上がった(・・・・・・)

 後部客車部分が展開し、前輪部が腕へ。後輪部は脚へ、それぞれに変形する。

 そして、ラッキービーストの乗る運転席部分が胴部になった。

 その姿は明らかに人型のロボットだ。

 これで頭部があれば完璧だったろうに。

 

『んななななっ!?!?』

 

 これには流石にセルビャッコも驚きの声をあげた。

 なんせ、目の前には全長3mくらいにもなる人型ロボットが急に現れたのだから。

 セルビャッコの驚きを余所に、ジャパリロボは両腕で覆い包むようにしてクロスシンフォニーを隠した。

 

―カカカンッ!

 

 セルビャッコの放った雹はジャパリロボの腕部で弾き返された。

 

『おぉー! ボスッ! 今日は本当にカッコいいねー!』

「マカセテ。マカセテ」

 

 サーバルの声が聞こえていないはずのラッキービーストだったが、それでもコクピット部と化した運転席でピョンピョン飛び跳ねていた。

 

「じゃあ、ラッキーさん! 行きますよ!」

 

 クロスシンフォニーの叫びに、やはりラッキービーストは「マカセテ」と返す。クロスシンフォニーチームの皆だけは、その声がいつもよりテンション高いのがわかっていた。

 ラッキービーストの張り切りに応じてというわけではないが、ジャパリロボは脚部のタイヤを軋らせクロスシンフォニーを隠したままセルビャッコへ向けて突撃!

 

『んななななぁっ!?!?』

 

 迫りくるジャパリロボにセルビャッコも慌てた。

 だが、よくよく考えれば接近戦なら望むところではないか。

 セルビャッコは自らが纏う突風の結界に目に見えない程小さな雹を混ぜ込む。

 雹同士がぶつかり合う事で静電気が発生し、さらにカミナリへと成長する。

 攻防一体となるセルビャッコの得意技だ。

 

『さあ、来るならこいなのだ! クロスシンフォニー!』

 

 セルビャッコの予想はこうだ。

 ジャパリロボを盾にして肉薄したクロスシンフォニーは、そのままジャパリロボで風の流れを遮って結界を力任せに解くつもりだろう。

 さらにセルビャッコを守る第二の鎧であるカミナリだって金属を使っているジャパリロボなら一度くらいは避雷針代わりになる。

 

『(確かにこっちの防御は無効化できるかもしれないのだ……。けど、こっちの攻撃までは予想できてないのだ!)』

 

 クロスシンフォニーを覆い隠し防御しているジャパリロボの腕が解かれた時がチャンスだ。

 そこで溜め込んだカミナリを放電してやればいい。

 もしかしたらカミナリ自体はジャパリロボが避雷針となって防ぐかもしれない。

 だが、そこから先にクロスシンフォニーを守るものはない。

 

『(カミナリの閃光はいい目くらましになるのだ。出鼻をくじいたところで我の牙なり爪なりで引き裂いてくれようなのだ!)』

 

 突っ込んで来たジャパリロボが両手を解いて、セルビャッコの張った風と雹の結界に突っ込んで来る。

 予想通り、ジャパリロボの両腕はぶつかって来る雹をものともせずに風を遮った。

 突風を止める事で雹も止まり静電気も発生しなくなった上に、装甲となっている金属を伝って電気も逃がされる。

 たったの一手でセルビャッコの纏う鎧は無効化された。

 

『だがっ!』

 

 セルビャッコは予め決めていた通りに、毛皮に帯電していた稲妻を解き放つ。

 

―ビシャァアアアン!

 

 狙いもつけずに放った稲妻だったが、狙い通り轟音と共に激しい稲光は発生してくれた。

 稲妻自体はジャパリロボの腕が避雷針となってクロスシンフォニーに届かないが、この轟音と閃光に怯まない者などいない。

 

『貰ったのだ! クロスシンフォニー!!』

 

 ジャパリロボが解いた腕の中から現れたクロスシンフォニーに向けて、セルビャッコは虎の鋭い爪を全力で振るった。

 クロスシンフォニーは微動だにせずにその爪で引き裂かれる……が。

 

―スカッ

 

 あまりにも手応えがなくて逆に攻撃を仕掛けたセルビャッコの方が面食らってしまった。

 それどころか爪で引き裂いてやったというのに、クロスシンフォニーは苦悶の表情を浮かべるでもない。

 

『ど、どうなっているのだ……!?』

 

 セルビャッコがよくよく目を凝らしてみれば、クロスシンフォニーの姿は半透明で向こう側が透けて見える。

 さらに注意深く観察してセルビャッコは気が付いた。

 

『幻覚か!』

 

 当たらずも遠からず。

 ジャパリロボの運転席にいるラッキービーストの胸についたレンズから、クロスシンフォニーの立体映像が投影されていた。

 それが先程セルビャッコが引き裂いた物の正体である。

 なら、本物のクロスシンフォニーは一体どこに?

 思った瞬間、セルビャッコの足元がガクリと沈み込んだ。

 何事かとセルビャッコが足元を見れば、一体いつの間にか、その足元は柔らかい砂にかわっていた。

 しかもそれは渦を巻いてセルビャッコを呑み込まんとしている。

 こんな事が出来るのはクロスシンフォニーしかいまい。

 おそらく、ジャパリロボの腕に隠されていたうちに地中へと逃れて何か細工をしたのだろう。

 予想通りというか、渦巻く砂の中からセルビャッコとは逆に浮かび上がってくる者があった。

 

『「なぁーっはっはっは!」』

 

 高笑いと共に現れたのはクリーム色と黒で彩られたチェック柄のミニスカートに紫のベストにピンク色のブラウスを着たフレンズだった。

 首元を彩る蝶ネクタイは黒とクリーム色だし、大きな黒い耳と先端だけが黒いクリーム色の尻尾は何の動物なのかよくわからない。

 

『「いやぁー。かばんさんの声と顔でアライさんのテンションだと違和感すごいねー」』

 

 現れたフレンズがそんな事を言い出すものだから、セルビャッコはわけがわからない。

 

『「それでも! それでもアライさんはセルビャッコに一言いってやらないと気が済まないのだ!」』

 

 一体何を言うのだろう。と思っていると現れた不思議なフレンズはビシリとセルビャッコを指さして続きを言い放った。

 

『「やい! セルビャッコ! お前、アライさんとキャラが被っているのだ!!」』

 

 そんな事か。

 と全員が呆れ返る中、現れたフレンズは言いたい事を言ってやったと満足気である。

 呆れはしたが、セルビャッコも目の前のフレンズが何なのかようやくわかった。

 

『トリプルシルエット……!』

 

 そう。

 目の前の不思議なフレンズはアライグマとフェネックギツネのトリプルシルエットに変身したクロスシンフォニーなのだ。

 

『「それじゃあ、このままやらせてもらうのだっ!」』

 

 セルビャッコを呑み込む砂の渦がさらに加速する。

 

『「ひっさぁーつ」』

 

 なんだか間延びしたフェネックのような口調の後に……

 

『「アライ・デザートッ!ウォッシングゥウウウウッ!!」』

 

 アライさん風ハイテンションで宣言するクロスシンフォニー。

 砂の渦はさらに加速し、一気にセルビャッコを呑み込む。

 まるで洗濯機の中にでも放り込まれたようにセルビャッコは揉みくちゃにされてしまう。

 

『(こ、このままではまずいのだ……!)』

 

 セルビャッコは焦る。

 地中に引きずり込まれた事でまともに動く事は出来ない。

 だが、クロスシンフォニーの方は地中である事をものともせずにトドメの一撃を狙っているようだ。

 

『だったらっ!』

 

 クロスシンフォニーがセルビャッコの額についた『石』を狙ってトドメの一撃を放つのに合わせて、セルビャッコは巨虎化を解除して元のフレンズへと戻る。

 

『「んなっ!?!?」』

 

 当たったはずの一撃がまったく手応えがなくて、クロスシンフォニーはアライさんの声で驚きの声をあげた。

 それもそのはず、今のセルビャッコは巨虎ではなく小さなフレンズへと戻っているのだから。

 しかも、そのおかげでほんの一瞬、地中に隙間が出来る。

 

「今なのだ!」

 

 セルビャッコは残った全力でほんのわずかに生まれた隙間に風の結界を差し込む。

 そのまま風の結界を下方向に放って何とか地中から脱出した。

 

「はぁはぁはぁ……あ、危なかったのだ……」

 

 セルビャッコは風を操り、空中にまで逃れる。

 下を見れば、クロスシフォニーもまた地上へ追って来ていた。

 どうするか、とセルビャッコは自問する。

 相手が思っていた以上に手強い事は理解した。だが、ここで死力を尽くせばまだまだ戦えるだろう。

 しかし、ここでそれをする意味はない。

 なので、ここは逃げる方がいい。セルセイリュウだってきっと自力で何とかするだろう。

 そこまでを決めると、セルビャッコは地上のクロスシンフォニーにビシリ!と指を突き付ける。

 

「やい! クロスシンフォニー!!」

 

 セルビャッコが何を言うつもりなのか、クロスシンフォニーは続く言葉を待つ。

 

「覚えてろなのだぁあああああああっ!!!」

 

 清々しいまでの捨て台詞を残してセルビャッコは空の彼方へと逃げて行ってしまった。

 思わず呆気に取られたクロスシンフォニーは追いかける事も忘れて見送ってしまう。

 そして、すっかりセルビャッコが見えなくなってからポツリとフェネックが言った。

 

『いやぁー。やっぱりアライさんとキャラ被ってるかもねぇ』

 

 心の中で博士も助手もサーバルもかばんも、ついでにジャパリロボのコクピットにいるラッキービーストまでもが頷いていたが、ただ一人アライさんだけは絶叫と共に言い放った。

 

『どういう意味なのだぁああああああっ!?!?』  

 

 

―⑧へ続く

 




【アイテム紹介:ジャパリロボ】

 ジャパリバスが人型に変形したロボット。
 運転席部分が頭部兼胴体となって、後部客車が展開して腕部と脚部を形成する。
 ラッキービーストによる制御で動いている。
 だたし、まだ未完成である為、単純動作はともかく戦闘行動のような複雑な動作は難しい。
 安全性に重きを置いたジャパリバスが元となっている為、装甲は厚く耐電処理なども施されている為、セルビャッコの風と雷の結界を破る事が出来た。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑧

 

 プーを連れて峠道を下り降りた萌音(モネ)であったが、いくつかの問題を抱えていた。

 まず第一に玄武峠を往復した事でかなりの時間を浪費してしまっていた。

 もうリハーサルは終わっているだろうし、ゲネプロにすら間に合わないかもしれない。

 そして第二に今の状態のプーを連れて行ったとしてもPPP(ペパプ)ライブは開けない。

 さらに、ここまで酷使してきた『DX(デラックス)ゴーゴージェットローラー』の様子がおかしい。

 いくらスピードを上げようと思っても、全然速度が乗らない。それどころか急激に減速している。

 おそらくバッテリー切れだろう。

 ここで足を失えば本番までに色鳥武道館へ辿り着くのすら難しい。

 声を失ったプーが不安そうに見上げて来る。

 

「大丈夫よ、プー。あなたの輝きは皆が絶対取り返してくれるし、ライブ会場には私が絶対に間に合わせるわ」

 

 玄武峠を下り切って、玄武大橋へ辿り着いたところでとうとう『DX(デラックス)ゴーゴージェットローラー』はバッテリーの充電を使い切って止まってしまった。

 だが、まだ二本の脚が残っている。

 全力で走ればまだ間に合うはずだ。

 ただ、その全力は掛け値なしの全力だ。

 おそらく辿り着いた先で萌音(モネ)は力尽きる。だが、選択肢がない以上仕方がない。

 むしろ、まだ切れるカードが残っているのならそれに勝る幸運はない。

 

「そういうわけだから、プー、後は走るからしっかり掴まってなさい! あと舌噛まないようにね!」

 

 萌音(モネ)は覚悟を決めて、僅かに回復したサンドスターを両脚にかき集める。

 あとはガス欠になる前に色鳥武道館へ辿り着ける事を祈るばかりだ。

 が……。

 

―ヒョイ。

 

 萌音(モネ)は何者かに掬い上げられた。

 急に両脚が宙に浮いて戸惑う萌音(モネ)

 プーを取り落さずに済んだのは僥倖だが、一体何者がそんな事をしたのか。

 

「やっほー。萌音(モネ)ちゃん、昨日ぶりー」

 

 それは動物のカラカルを模した面を着けた忍者装束のフレンズであった。

 顔が見えない事もあるけれど、そんな派手なフレンズには見覚えがなくてさらに戸惑う萌音(モネ)

 それを察してか、忍者装束のフレンズはカラカルの面を上にずらして顔を見せてくれた。

 

「私だよ。覚えてないかなー? 昨日ちゃんと挨拶してなかったもんね」

 

 昨日……?

 萌音(モネ)がよくよく目を凝らして見ると、その顔立ちには見覚えがあった。

 宝条和香と一緒にいた女の子にそっくりなのだ。

 赤毛をサイドポニーにした女の子だったはずだが、あの子はヒトであってフレンズではなかったはずだ。

 そこで、萌音(モネ)もハッと気が付く。

 

「も、もしかして?」

「うん。通りすがりの正義の味方。クロスレインボーだよ」

 

 萌音(モネ)とプーの二人も抱え上げているというのに、クロスレインボーはウィンク一つ交えつつ言った。

 そうしてからクロスレインボーは傍らを併走する相棒へ呼びかける。

 

「カラカル!」

「わかってるわよ。任せなさいな」

 

 アイマスクで目元を申し訳程度に隠したカラカルが萌音(モネ)の手からプーを受け取る。

 既に二人は玄武大橋の欄干を駆け抜けて、萌音(モネ)とプーを連れて市外方面へ入ろうとしていた。

 

「ええっと……」

 

 突然の出来事に、萌音(モネ)もプーも目を丸くして成り行きに任せるしか出来なかったが、二人が味方だというのは確信出来た。

 その想いにクロスレインボーは一つ頷いて見せる。

 

「大丈夫。私とカラカルでライブ会場へ連れて行くから。二人は体力温存ね」

 

 言いつつ欄干を渡り切ったクロスレインボーはそのまま手近なビルの屋上へジャンプで飛び移る。

 その後を、同じようにしてプーを連れたカラカルが続く。

 どうやら二人がライブ会場までの脚代わりを買って出てくれたらしい。

 次々とビルを飛び移るクロスレインボーとカラカルの二人。

 この調子ならきっとライブ開演時間に間に合いそうだ。

 だが、気になる事もある。

 

「あ、あの……!」

 

 萌音(モネ)が気にしているのはセルセイリュウの事だ。

 セルセイリュウはプーの“輝き”を奪った相手だ。今もそれを持っているはずである。

 一度はセルセイリュウを迎撃して、玄武大橋の下を流れる色鳥川へ落としたはずだ。セルセイリュウからプーの“輝き”を取り返すなら今こそ絶好のチャンスかもしれない。

 しかし、クロスレインボーは軽く後ろを振り返り、既に遠くなりつつある色鳥川を指し示す。

 

萌音(モネ)ちゃん。大丈夫だよ。そっちは頼りになる二人が行ってるもの」

 

 その言葉に、萌音(モネ)もよくよく目を凝らして色鳥川を見れば、巨大な龍の影が水中に見える。

 さらに、その周囲を高速で泳ぎ回る影も一つ。

 それらは水中で何度も交差し、その度に水飛沫があがる。

 きっとあれらは戦っているのだろう。

 そう思って、萌音(モネ)がクロスレインボーを見れば頷いて肯定していた。

 あの巨大な龍の影はきっとセルセイリュウだが、彼女と戦う影は一体……?

 その疑問にはまたもクロスレインボーが答えてくれた。

 

「そりゃあ決まってるよ。萌音(モネ)ちゃんだってよく知ってるじゃない。色鳥町の無敵のコンビ。クロスハートとクロスナイト」

 

 という事は、セルセイリュウと戦っているのはともえとイエイヌなのか。

 けれども、水中で巨大な龍となったセルセイリュウと戦っている影は一つしか見えない。

 

「あ、でも今日はさらにラモリさんも一緒か。じゃあ無敵のトリオだね」

 

 萌音(モネ)はさらにわけがわからない。

 戦っているのは一人だけ。なのにトリオ。

 どういう事だろう。

 けれども……。

 

「信じるって決めたもの。頼むわね、ともえちゃん、イエイヌちゃん。ラモリさん」

 

 萌音(モネ)は遠ざかっていく川面へ祈る。

 先程自分でもプーに言ったばかりだ。

 きっと彼女達ならプーの“輝き”を取り戻してくれる、と。

 ならば、ここは信じて色鳥武道館へと急ぐべきだ。

 萌音(モネ)はクロスレインボーに担がれながらも、振り返るのをやめて前を見据えた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 時は萌音(モネ)達が玄武大橋に戻って来る少し前にまで遡る。

 玄武大橋の欄干に新たに現れたクロスハートは眼下のセルセイリュウへビシリと指を突き付け宣言した。

 

PPP(ペパプ)ライブの邪魔はさせないしプーちゃんの“輝き”は返してもらうよ!」

 

 言うが早いか、クロスハートは欄干から飛び出す。

 空中で一声。

 

「チェンジッ! 人面魚フォーム!」

 

 叫ぶと着崩した浴衣姿へ早変わり。

 クロスハートの水中フォームである人面魚フォームへと変身した。

 

「相変わらず、決めたらすぐに行動ですね」

 

 セルセイリュウの最も得意とする水中という戦場へ臆する事なく飛び込んだクロスハートをクロスナイトは若干の呆れを伴って見送る。

 だが、これは作戦のうちだ。

 

「ラモリさん。こちらも予定通りに行きましょう」

 

 クロスナイトは跨った鉄騎『ラモリケンタウロス』の頭部に納まったラモリさんに言う。

 

「オウ。その前に、クロスレインボーとカラカルにも作戦を伝えないとナ」

 

 ラモリさんは胸のレンズ状のコアからホログラム映像を投影する。

 それは色鳥町の地図であった。

 色鳥武道館にPPP(ペパプ)と萌絵とセルリアンフレンズ三人組を示すアイコンが集まっている。

 そして、玄武峠からこちらに向かっている萌音(モネ)とプーを示すアイコン。

 玄武大橋に集まっているクロスレインボーとカラカル、それにクロスハートとクロスナイトのアイコン。それらがまとめて示されていた。

 それをクロスレインボーとカラカルの二人に見せつつ言うラモリさん。

 

「クロスレインボーとカラカルは萌音(モネ)とプーを色鳥武道館へ連れて行ってやってくレ」

「いいけど、私達もセルセイリュウさんと戦った方がよくない? 四神相手に二人だけって結構大変だよ?」

 

 つい先日、セルセイリュウと同格のセルゲンブをどうにか全員で倒したばかりだからクロスレインボーの疑問も最もだ。

 それに、セルセイリュウは肝心要であるプーの“輝き”を保持している。絶対に取り逃がすわけにはいかない。

 

「マァ、それもそうなんだがナ。どうにも連中の動きが怪しイ気がするんダ」

 

 と言うと?とクロスレインボーとカラカルはラモリさんの続く言葉を待つ。

 

「コチラが誘い出されている気がスル。これは和香教授とドクターも同意見ダ」

 

 地図に示されるクロスハートとクロスナイト、それにクロスシンフォニーの現在位置。

 それらは色鳥武道館から遠く離れてしまっている。

 既に、U-Mya-Systemを通じて状況分析を始めているドクター遠坂や和香教授はこの違和感に気づいていた。

 そこまで言われてカラカルも気づく。

 

「つまり、敵が本当に狙っているのはPPP(ペパプ)ライブそのものって事?」

「多分ナ。今仕掛けている絡め手で何とかなるならそれでヨシ。そうじゃなければ本丸の色鳥武道館を攻めるんじゃないかって事ダ」

 

 どうやら敵は既に二重、三重の策を張り巡らせているのではないか、というのがドクター遠坂の読みであった。

 そうなると、ここはどうしてもクロスハート達にセルセイリュウを任せるしかない。

 

「ま、クロスハート一人じゃ危なっかしいけど、クロスナイトが一緒だもの。何とかするわよ」

 

 カラカルは言うと、遠くこちらを目指して走って来る萌音(モネ)とプーを見やる。

 それにクロスレインボーも頷いた。

 

「OK、じゃあ私達は萌音(モネ)ちゃん達を送って行くから、後はよろしくね!」

 

 クロスレインボーとカラカルの二人が橋の欄干から飛び出して萌音(モネ)とプーの方へ向かうのをまたもクロスナイトは見送る。

 既に眼下では激しい水中戦が繰り広げられていた。

 色鳥川は色鳥町の様々な水源を一手に担う大きな川だ。

 その水深も川幅も大きく、青龍神社は古くからこの川の治水安泰を祈願している。

 閑話休題。

 いま、クロスハートとセルセイリュウはその川を戦場にしていた。

 

黒竜砲(シュヴァルツ・ドラッヘ・カノーネ)!』

 

―ドォオオオン!

 

 セルセイリュウが龍の口から放った蒼黒いブレスが盛大な水柱をあげる。玄武大橋の歩道に集まった野次馬まで水飛沫が届く程だ。

 が……。

 

「へっへーん! 外れー!」

 

 水中を縦横に泳ぎ回るクロスハート・人面魚フォームはそんな大振りの一撃をかわしてみせる。

 

『くぅうう! ならば、これでどうです!』

 

 続けてセルセイリュウは自身の龍鱗を外して宙に浮かべる。

 それらは宙で形を変えて、黒色ボールペンへと変化した。

 

束縛する弾丸(クーゲルシュライバー)!』

 

 そして掛け声に応じて、まるでミサイルのように複雑な軌道を描いてクロスハートへと殺到する!

 それには為す術なく、幾本もの黒色ボールペンがクロスハートに命中した。

 これ自体は致命の一撃とはならないが、動きを止める事が出来る。

 そこに今度こそ必殺の『黒竜砲(シュヴァルツ・ドラッヘ・カノーネ)』を叩き込めばそれで終わりだ。

 が……。

 

「残念。またまた外れだよ」

 

 その声はセルセイリュウの耳元で聞こえた。

 一体いつの間にか、クロスハートはセルセイリュウの背後を取っていた。

 なら、先程『束縛する弾丸(クーゲルシュライバー)』に撃ち抜かれたのは……?

 そう疑問に思うセルセイリュウの目の前で『束縛する弾丸(クーゲル・シュライバー)』を受けたクロスハートは水に溶けるように消えてしまった。

 まさかこれは……。

 

「そう。必殺、『魅惑のイリュージョン』だよ」

 

 どうやら先程捕らえたと思ったのは、クロスハートの幻影だったらしい。

 そのままクロスハートは続けて三人に増える。

 黒の模様が入ったミニ浴衣、赤の模様のミニ浴衣、そして浅黄色の模様をしたミニ浴衣を着た三人のクロスハートだ。

 今度は実体を伴った幻影である。

 三人のクロスハート達はそれぞれにセルセイリュウの周りを高速で泳ぎ回る。

 

『くぅうう!?』

 

 発生した激しい水流は水中を得意とするセルセイリュウの動きをも抑え込む。

 クロスハートが発生させた大渦にセルセイリュウが囚われたその瞬間がチャンスだった。

 

「クロスナイトッ!」

「はい!」

 

 そのチャンスこそクロスナイトが狙っていたものだ。

 

「ラモリさん!」

「オウヨ!」

 

―ガション!

 

 クロスナイトの求めに応じて、ラモリケンタウロスが胴体から翼を展開させた。

 その翼につけられたジェットエンジンが甲高い音を立て始める。

 

「ラモリケンタウロス、ペガサスモードッ!」

 

 ラモリケンタウロス・ペガサスモードは飛行形態だ。

 ギャラリー達が見守る中クロスナイトを乗せたラモリケンタウロスは大空へと飛び立った。

 それを見て取ったクロスハートも作戦の最終段階へと入る。

 

「行くよぉっ!」

 

 三人に増えたクロスハートはさらに速度をあげる。

 それに伴い生まれる水流も激しさを増して行った。

 

「滝登りぃ!!」

 

 水流が竜巻となって空へ向かって立ち上る。

 その先にいるのはペガサスモードとなったラモリケンタウロスに跨ったクロスナイトだ。

 

「言っておくガ、相変わらずペガサスモードは完全に制御できてないカラナ」

「構いません!」

 

 クロスナイトはラモリケンタウロスの手綱を引いて機首を反転。

 今まで重力に逆らって空に駆け上っていたジェットエンジンの推進力も反転。今度は重力を味方につけて大地へ向けて疾走する。

 いわゆるパワーダイブだ。

 ラモリさんの視界にはいくつもの緊急アラートを示すアイコンが加速度的に増えていく。

 墜落覚悟、狂気の沙汰だ。

 しかし、これで得られる速度は絶大である。

 この速度を乗せた一撃なら、セルセイリュウの防御を打ち破れるに違いない。

 

「ナイトソードッ!」

 

 クロスナイトは骨型の剣、ナイトソード(鈍器)を具現化させると……。

 

「ナイトスラァアアアアアッシュ!」

 

 ぐんぐん迫る水柱とそれに囚われたセルセイリュウへ向けて、全力を込めた『ナイトスラッシュ』が振るわれた。

 セルセイリュウの頭は「ヤバイ」の一言で埋め尽くされる。

 

黒竜壁(シュヴァルツ・ドラッヘ・ヴァリエール)!』

 

 セルセイリュウは咄嗟に防御障壁を張る、が。

 

―バキィイイイン!

 

 パワーダイブの速度すら乗せたナイトソードはいとも容易く防御障壁を打ち砕く。

 それでも勢いは止まらない。

 クロスナイトのナイトソードは狙い過たず、セルセイリュウの額にある『石』へ吸い込まれて行く。

 

『こ、このぉおおお!!』

 

 セルセイリュウだって水を司る四神だ。

 クロスハートの生み出した水柱に無理やり干渉して、ほんのわずかにその進行方向を逸らした。

 

―チッ!

 

 結果、クロスナイトの『ナイトスラッシュ』も狙いがわずかに逸れて肩口を掠めるのみだった。

 どうにか難を逃れたセルセイリュウは余勢で少しばかり高度を上げてから反転してクロスナイトの方を見やる。

 クロスナイトとラモリケンタウロスは、絶妙なタイミングで上昇をやめたクロスハートが柔らかく受け止めていた。

 

「いやぁ。狙いはよかったんだけど一筋縄じゃいかなかったねー」

 

 クロスハートが最初一人でセルセイリュウを相手していたのも作戦の内だった。

 人面魚フォーム以外では水中でセルセイリュウと渡り合えない。けれどもそれではセルセイリュウの防御を越えられるだけの火力を生み出せない。

 だからこそクロスナイトはクロスハートを信じて、一撃必殺の機会を待っていた。

 結果としてセルセイリュウを討ち果たす事はあと一歩というところで及ばなかったが、セルセイリュウは盛大に肝を冷やす。

 

『(危なかった……。危なかったぁあああああっ!?)』

 

 ラモリケンタウロスのパワーダイブを受け止めたおかげで、クロスハートは再び水面ぎりぎりまで下降し、セルセイリュウとの距離はすっかり開いてしまっていた。

 距離が開いたおかげで、セルセイリュウも改めて間一髪であった事を悟らされる。

 クロスハートがクロスナイトとラモリケンタウロスを受け止める為に水柱の上昇を止めていなかったら、『石』を砕かれていてもおかしくなかった。

 

『(やはり強いですね。クロスハートとクロスナイト)』

 

 セルセイリュウは巨龍化を解いて元のフレンズへと姿を戻す。

 左肩に鈍い痛みが残っている。

 どうにか致命の一撃は避けたが、ダメージを受けてしまった。

 これ以上は危険だ。

 そう判断しての巨龍化解除である。

 

「さて、逃げるのがいいのでしょうが、素直に逃がしてくれるとも思えませんね」

 

 セルセイリュウは考える。

 クロスハート達にとって、セルセイリュウは絶対に逃がせない相手だ。

 それはプーの“輝き”を保持しているからである。

 ならば、とセルセイリュウは一計を案じる。

 

「(さすがにただ返すのはダメですね。それでは地脈浄化されてしまいます。かと言って、歌巫女の“輝き”を持っている限りクロスハート達は絶対に追いかけてくるでしょう)」

 

 しかし、ここで死力を尽くすのはもっとダメだ。

 戦って負けるつもりはないセルセイリュウだが、クロスハートとクロスナイトを過小評価だってしていない。

 負けるつもりはないが、負ける可能性はある。

 だから、ここは退くのが正解だろう。

 

「ならば、この手ですね」

 

 セルセイリュウは懐から小指大の黒いガラス玉を取り出す。

 それはセルリアンを生み出す為のセルリウムを封入した“シード”だ。

 今回のは予めセルリアンを封入した物ではないから、セルリアンを生み出すにはセルリウムを憑りつかせる“輝き”が必要だ。

 

「ちょうどいい“輝き”があるじゃないですか」

 

―パキン。

 

 ニヤリとしつつセルセイリュウは“シード”を割った。

 たちまち溢れ出る黒いセルリウムに、プーから奪った“輝き”を喰らわせる。

 プーの“輝き”を取り込んだセルリウムはグネグネと形を変えながら色鳥川へと落下していった。

 

『今回はこれで失礼させていただきますよ。ではご機嫌よう』

 

 再び巨龍に姿を変えたセルセイリュウはあっという間に雲の彼方へ飛び去ってしまった。

 後には未だ形を定めようと蠢くセルリウムが残される。

 クロスハートとクロスナイトは、体勢を立て直したラモリケンタウロス・ペガサスモードに掴まってセルリウムを見やる。

 やがて、それは巨大な形を為した。

 

―キョォオオオオオオオオオン!!

 

 現れたそれは、鳥のように甲高い咆哮を挙げる。

 クロスハートとクロスナイトの背丈を優に越えて、先程まで相対していた巨龍に勝るとも劣らない威容を示していた。

 見た目は女性の上半身に下半身が鱗に覆われた魚の尾びれとなっている。本来顔があるべき場所は大きな一つ目がギョロリと睨んでくるだけだったが。

 その姿を一言で言い表すならば巨大な人魚だ。

 

「「うへ…………」」

 

 突然現れた巨大なセルリアンにクロスハートとクロスナイトは一瞬呆気に取られる。

 

―クキャキャキャキャッ!!

 

 それに構う事なく、現れたセルリアンは再び鳥のような声をあげた。

 

「ヤバイッ!?」

 

 何かイヤな予感がクロスハートとクロスナイトの背筋を駆ける。

 その時には既にラモリさんが水面でホバリング状態だったラモリケンタウロスを操り、二人を連れたまま大きく後ろへ下がってくれていた。

 

―ドォオオオオン!

 

 先程まで彼女達がいた場所に盛大な水柱があがる。

 原理はわからないが、何かの攻撃を仕掛けて来たのだろう。

 

「多分だガ。さっきの鳴き声に何か秘密がありそうダナ」

 

 どうにか不意打ちをかわしたラモリさんが言う。

 クロスハートにもまだその秘密はわからない。

 けれど一つ閃くものがあった。

 

「ねえ! セイレーンセルリアンとかどうかな!?」

 

 何が、とはクロスナイトもラモリさんも訊き返さなかった。

 プーの“輝き”から生まれた巨大なセルリアンを前にして一番最初に思いついたのがその呼び名である辺りは何ともクロスハートらしい。

 二人ともツッコミを入れるのは諦めると、あらためてセイレーンセルリアンへ向き直るのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥武道館。

 こちらではリハーサルが繰り返されていた。

 その中にはプリンセスの代理として、彼女の衣装を着た萌絵までいる。

 

「ば、場違い感が半端じゃないよぅ……」

 

 萌絵はすっかり緊張してしまっていた。

 なんせただでさえプリンセスの代役なんて大役を負ってしまったのだ。

 萌絵が緊張しているうちに裏方スタッフ達は彼女や他のPPP(ペパプ)メンバーの足元にテープで目印をつけたり、忙しく立ち回る。

 

「萌絵さん、こっちこっち。この辺りに立ってて下さいね」

 

 そんな調子の萌絵はPPP(ペパプ)マネージャーであるマーゲイがフォローしてくれていた。

 

「次、新曲の照明と音響リハーサルいきますよー!」

 

 マーゲイの号令に従って、今度は音響の入りと照明タイミングや角度などが確認されていく。

 立ち位置的には萌絵がPPP(ペパプ)メンバーを従えたセンターの位置に立ってしまう事になりますます緊張してしまう。

 

「そんな緊張すんなって。実際歌うわけじゃねーんだし」

 

 そう言ってイワビーが萌絵の肩を叩く。

 

「楽屋戻ったら一緒にお菓子食べようー? お腹いっぱいになったらきっとリラックスできるよー」

「フルルさんはもう少し緊張感を持ってもよいかと……」

 

 フルルのフォローなのか素なのかよくわからない言葉にジェーンが苦笑する。

 

「萌絵。確かにキミはプリンセスの代理ではある。けれどもせっかくだから少しでも楽しんでくれたなら嬉しいよ」

 

 そしてPPP(ペパプ)リーダーのコウテイまでもがそう言ってくれた。

 確かに代理とはいえPPP(ペパプ)の一員になるなんて普通ではまず出来ない体験だろう。コウテイの言う通り楽しまなければ損というものだ。

 

「とはいえ、萌絵はさすがに新曲までは段取りわかんないよな? そこんとこどうするんだ?」

 

 と、イワビーがマーゲイに訊ねる。

 新曲は今回が初披露となる。なので萌絵は聴いた事も見た事もないから何をどうしていいのかわからない。

 

「そうですね。こちらで台本は用意してみましたので、私がフォローしながらリハーサルだけは乗り切ってもらおうかと」

 

 言いつつマーゲイが萌絵に数枚の紙を渡して来た。それは凄まじい量の書き込みがされた楽譜だった。

 

「まだ未発表の曲なんですから。誰かに言っちゃダメですよ?」

 

 なんてマーゲイはウィンクしつつ言う。

 数時間後に発表されるとはいえ、大人気アイドルの未発表曲の楽譜を見られるなんて。こんな体験が出来たのもきっと萌絵くらいのものだろう。

 萌絵は音楽もテストの成績はいい。楽譜を読むのだって出来る。

 マーゲイによって書き込みがされた楽譜を見て思う。

 

「いい曲だねぇ」

 

 と。

 きっとこの曲をプーが歌ったら素敵だろう。

 プーはきっとともえやイエイヌや萌音(モネ)がここに連れて来てくれる。

 だから、舞台を守るのは自分の役目なのだ。

 そう決意した萌絵の顔をPPP(ペパプ)メンバーが微笑みと共に見ていた。

 

「へへっ! いい顔になったじゃねーの!」

 

 イワビーがバシンと萌絵の背中を叩いて発破をかけると自分の開始位置へ戻った。

 

「もうイワビーさんったら。萌絵さんも楽しんで下さいね」

「終わったら後でオヤツタイムねー」

 

 ジェーンとフルルも言いつつ開始位置へ。

 既に開始位置に移動していたコウテイがマーゲイに頷く。準備よし、と。

 

「それじゃああらためて! 新曲のリハーサルいきますよー!」

 

 こうして誰もがPPP(ペパプ)ライブに向けて忙しくしていたから気づかなかった。

 

―パチパチ……

 

 完璧にメンテナンスと点検されていたはずの配電盤に小さなスパークが走った事に。

 

 

―⑨へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑨

 

 

 色鳥武道館の中ではPPP(ペパプ)ライブに向けて着々とリハーサルが重ねられていた。

 会場設営が終わったスタッフが、今度はやって来るお客さん達の誘導準備へ入る。

 三角コーンの間に専用のバーを渡して、入場整理の為に使うコースを作って行く。

 開催告知から実施まで異例の早さとなった今回のPPP(ペパプ)ライブであるが、チケットは完売御礼だ。

 開場時間までまだ猶予はあるが、しっかりとした準備をしておかないと沢山の人混みで混乱が起きかねない。

 なので、会場周囲も会場内も念入りな誘導準備がされていた。

 さて、そんな会場である色鳥武道館を遠巻きに眺める人影が一つ。

 

「うんうん。いい“輝き”ね」

 

 満足気に色鳥武道館を眺めるのは、よく日に焼けたような浅黒い肌をした女の子だった。

 年の頃なら中学生くらいだろう。

 着ているのは黒の長袖インナーシャツに、デニム地で出来たハーフパンツタイプのオーバーオールだ。

 彼女の瞳には、この色鳥武道館に生まれつつある“輝き”が見えていた。

 そして、この場所に集まりつつある街中の小さな“輝き”も。

 きっとそれらは大きな“輝き”となって街に残る淀みを消し去ってしまうだろう。

 

「けれど、そうさせるわけには行かない」

 

 彼女はこの“輝き”を保全しなければならない。

 それには今の不安定でセルリアンが発生しやすい状況こそが好ましい。

 なので、少女はPPP(ペパプ)ライブを阻止するつもりであった。

 

「さて。頃合いね」

 

 少女が待っていたのは、この色鳥武道館から漏れ出る“輝き”が強まる瞬間であった。

 強い“輝き”はセルリアンにとっても大好物だ。

 あとはこの“輝き”を喰らうセルリウムがあればセルリアンが生まれるだろう。

 

「うん。これがいい」

 

 少女は会場の外れに置いてあった会場設営用の延長コードドラムに目をつける。

 それに少女が指先を触れると、そこに黒い染みがポツンと付けられる。

 延長コードのドラムへ付けられた黒い染みはあっという間に広がってドラム全体を呑み込み、なおもモゴモゴと蠢き形を変えていく。

 漏れ出ただけの小さな“輝き”から生まれたばかりのセルリアンはまだ腹ペコだろう。

 

―ニュルリ。

 

 まだ形を定めてすらいないセルリアンは生まれつつある大きな“輝き”へ向けて食指を伸ばそうとした。

 だが、長く伸ばされた食指は……。

 

―ザンッ!

 

 何者かに半ばで断ち切られた。

 

「おや?」

 

 少女はそれに小首を傾げる。

 

「ああ。貴女達か。元気そうで何よりよ」

 

 こんな事をする者に少女は心当たりがあった。

 現れたのはネクタイを締めたスーツ姿のフレンズが二人。さらにドレス姿のフレンズが一人だ。

 その姿は彼女が予想した通りだった。

 

「久しぶりね。オオセルザンコウ。セルシコウ。マセルカ」

 

 現れたのはオオセルザンコウとセルシコウとマセルカの三人であった。

 彼女達も目の前にいる少女が何者なのか分かっていた。

 イヤという程よく分かっていた。 

 

「女王自らお出ましとはな……」

 

 オオセルザンコウの頬に冷や汗が流れ落ちる。

 他の二人も同様だ。

 最大級の警戒を見せるセルリアンフレンズ三人に対して、少女は無造作に一歩を踏み出す。

 ちょうど未だ蠢き形を変えるセルリアンを背に庇った形だ。

 

「ええ。セルスザクもセルゲンブも失ったとなれば、我自らが出向くのも止む無しでしょう」

 

 少女は両手を広げて見せる。

 けれど、それは敵意がない事を示すものではない。むしろ逆だ。

 

「それで? 貴女達はまさかこの我に楯突くつもりかしら?」

 

 無防備で隙だらけの姿を見せる少女であったが、攻撃を仕掛ける事が出来ない。

 それどころか、少女が一歩を踏み出せば、その分だけオオセルザンコウ達が後退る。

 少女はオオセルザンコウ達が住む世界の女王だ。

 そこにある畏怖も畏敬もいかばかりのものか。

 

「それに、我は貴女達の最上位個体。我に絶対服従はその『石』に刻まれているでしょう」

 

 そして、少女は彼女の世界で生まれた全てのセルリアンを統べる最上位個体、セルリアン女王である。

 上位個体に逆らう事は出来ない。

 

「思い出したかしら? そういうわけだから再び我に仕えなさい」

 

 少女はオオセルザンコウ達へ向けて手を差し伸べる。

 それはセルリアンフレンズであるオオセルザンコウ達には抗える命令ではない。

 そのはずだった。

 

「断る」

 

 キッパリと言いきったオオセルザンコウにセルシコウもマセルカも頷いていた。

 どうして、と少女は訝しむ。

 だが、その暇もなかった。

 

「おぉりゃあああああっ!!!」

 

 気合の声と共に少女へ殴りかかって来たフレンズが一人いたからだ。

 

「おおっと」

 

 ヒョイ、と軽いステップで身をかわす少女。

 見れば割って入って来たのは、茶色の毛並みに同じ色のブレザー。チェック柄の入ったピンクのミニスカートを着たフレンズだった。

 ピンと立った耳はおそらくオオカミ系のフレンズだろう。

 その正体には少女も心当たりがあった。

 

「ああ。貴女が噂の……なんだったっけ?」

「クロスアイズだよ!? なんでお前ら俺の名前だけは覚えてねーんだよ!?」

 

 あまり重要度が高くなかったのでうっかり失念していた少女にクロスアイズが叫ぶ。

 コホンと、咳払いしてからクロスアイズはあらためてビシリ、と少女を指さし言い放った。

 

「セルシコウ達は俺らの仲間で友達だ。何者だか知らねーけど今さらお前らになんか返してやるかよ」

 

 少女としてはクロスアイズの言い分は分からないでもないが、それを可能とした理屈が分からない。

 セルリアンフレンズにとって女王の命令は絶対だ。

 たとえ多少の邪魔が入ったところでそれが揺らぐ事などありえない。

 その疑問に答えてくれたのは新たに現れたフレンズだった。

 

「どうしてオオセルザンコウ達が自分の命令を聞かんのか不思議でしゃあないっちゅう顔してるな」

 

 シルクハットを被り目元を仮面で隠しているが、耳と尻尾の特徴からトラのフレンズである事が分かる。

 これがセルゲンブが報せた情報にあったクロスラズリだろう。

 

「ウチらには可愛い魔法使いがついとるからな」

 

 クロスラズリがいるという事はその相棒もいるという事だ。

 クロスラズリの背後に隠れるようにして魔女帽子に目元を仮面で隠した小さな女の子が控えている。

 少女の記憶によれば、それはクロスラピスという名前だったはずだが、セルリアンではなかったか。

 クロスラピスは少女がずっと疑問に思っていた答えを言い放つ。

 

「えっと! オオセルザンコウさん達には私の因子を受け入れてもらったの! だからもう貴女の命令は聞かないんだから!」

 

 その言葉に少女も合点がいった。

 セルゲンブが寄越した情報の中でも最も重要だと思われるのがクロスラピスこと宝条ルリの存在だ。

 彼女は女王級になれる可能性を秘めたセルリアンである。

 つまり、オオセルザンコウ達は少女ではなく宝条ルリを新たな主としたのだろう。

 そうなると、既に少女はオオセルザンコウ達の最上位個体ではなくなったのだ。

 実は予めこういった事態を想定して、ヨルリアン事件が終わった後に和香教授の提案で一計を案じておいたのだが、備えあれば患いなしだったようだ。

 

「なるほど、貴女がこちらの女王というわけね」

 

 少女の言葉に、今度は誰もが意外そうに「え?」という反応をした。

 

「なんか、女王っていうのとはちゃうよなぁ?」

 

 とクロスラズリが言えば、クロスアイズもオオセルザンコウ達も同意と頷いていた。

 ルリが女王というのは、本人も含めて違和感しか感じない。

 そこにマセルカがポツリと言った。

 

「ルリは女王っていうより王女?」

 

 その言葉に全員が揃って「それだ!」と快哉をあげる。

 もっともただ一人、クロスラピスになっているルリだけは真っ赤になって小さくなっていたが。

 そんな様子に少女はふぅ、と溜め息を一つ。降参とばかりに両手を挙げた。

 

「今回はそちらの女王……じゃなかった王女と本格的にやり合う気はないの」

「おいおい。そう言われたってこのままお前を逃がすわけねーだろ」

 

 クロスアイズが一歩踏み出しつつ構える。

 なんせ今は六対一だ。相手が敵だというならこの絶対有利な状況で簡単に逃がしてやる理由がない。

 だが、少女は余裕を崩す事なくこう言い返して来た。

 

「いいのかしら?」

 

 と。

 何が、と全員が小首を傾げた。

 その疑問に答えを示す為、少女は両手を挙げたまま軽く一歩横にズレる。

 だが少女の後ろには何もなかった。

 何もないからこそ問題なのだ。

 

「セルリアンが……いない!?」

 

 つい先程まで少女の背後で蠢いていたはずだった生まれたてのセルリアンがいなくなっていた。

 オオセルザンコウの言葉に全員がその事実に気が付く。

 

「どこにいったのかしらね?」

 

 少女がからかうように言ったので全員がその行方に思考を奪われた。

 そして全員が同じ結論に達して背後にある色鳥武道館を振り返る。

 色鳥武道館には小さな変化があった。

 窓から見える館内照明が一斉に消え始めたのだ。

 それは先程少女が生み出したセルリアンの仕業に違いない。

 再び全員が少女の方へ向き直った時、その姿は忽然と消えていた。

 だが、風に乗って少女の声がどこからともなく届く。

 

―本格的にやり合う気はないけれど、遊ばせてはもらうわ。さあ、ゲームの始まりよ。

 

 と。

 どうやら少女はまだPPP(ペパプ)ライブを狙う事を諦めていないようだ。

 こうなった以上、一刻も早く色鳥武道館へ向かわなくてはいけない。

 全員が弾かれたように背後の武道館内へ駆け出した。

 だが、走りながらクロスアイズは一つだけ気になっていた事があって傍らを走るセルシコウに訊ねる。

 

「なあ。さっきまで話してたアイツ。一体誰だったんだ?」

 

 セルシコウもオオセルザンコウもマセルカも呆れていた。

 クロスアイズはあの少女が女王だと知りつつも果敢に割って入って来てくれたのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 その少女があのセルゲンブをも凌ぐ怪物である事を知らなかっただけだった。

 知らない事は幸せな事だ、とセルシコウは嘆息する。

 

「エゾオオカミ……じゃなかった。クロスアイズ……そういうところですよ」

 

 思ってた反応と違ってクロスアイズはやはりお決まりとなった一言を返すのだった。

 

「だからどういうところだよ!?」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

―バチン。

 

 色鳥武道館内では突然ほぼ全ての照明が落ちた。

 バッテリー駆動式の非常照明が点灯を始めたので、いきなり真っ暗闇という事態にはならなかったが、突然の事態に少なからず動揺が走る。

 それは舞台でリハーサル中であったPPP(ペパプ)や萌絵達も同様であった。

 

「落ち着いて下さい。皆さんは動かずにここにいて下さいね」

 

 この事態にいち早く動き始めたのはマネージャーのマーゲイであった。

 裏方スタッフから懐中電灯を借りて戻って来る。

 戻って来たマーゲイにPPP(ペパプ)リーダーのコウテイが訊ねる。

 

「一体どうしたっていうんだい?」

「それが、何とも……。停電なのか電気系統のトラブルなのか調査中だそうです」

 

 まだ事態は始まったばかりで誰もが困惑の中にいる。どうやら停電状態にあるらしい事はわかったが、正確な状況を把握している者などいない。

 だからといって、今考えなくてはいけない事がないわけではない。

 コウテイは差し当たって彼女達の立場で考えなくてはいけない事を口にする。

 

「とりあえず、これではリハーサルにはならないだろう。どうしたものかな」

「そうですね。一旦楽屋に戻りましょう。それから社長とも相談するのがいいかと思います」

 

 マーゲイの言う通りだった。

 これから電気系統や音響照明機材など点検が必要になってくるだろう。

 演者がいてはかえって邪魔になりかねないから、一旦楽屋に戻って待機するのが次善策になりそうだ。

 

「それじゃあ移動しましょう。非常灯や誘導灯がありますが薄暗いので足元には気を付けて下さい」

 

 マーゲイが懐中電灯を片手に先導してくれる。

 

「萌絵。聞いての通りだ。一旦戻ろう」

 

 そして、コウテイは萌絵の手を取ってマーゲイの後に続く。

 大分慣れたとはいえ推しのアイドルがしてくれるファンサービスとしてはあまりに過分だ。

 萌絵はドキドキしつつもされるがままにコウテイの後ろをついて行く。

 

「ジェーン、フルルが遅れないように頼むな」

 

 その後をフルルの手を引いたジェーンが続き、最後尾でイワビーがついて行く。

 非常灯や誘導灯の灯りがあるので楽屋までは問題なく戻る事が出来た。

 だが、その先をどうするべきか。

 

「まずはライブを予定通り開催するかどうかだ」

 

 リーダーであるコウテイの言葉に全員が頷く。

 停電なのか電気系統のトラブルなのか、まだハッキリしないが今考えなくてはいけない事はライブをどうするかという事だ。

 いくらPPP(ペパプ)がライブをやりたいと言ったところで、電気がない事には照明も音響機材も使えないのでステージ自体が成り立たない。

 それどころか、お客さんを会場内に入れる事すらままならない。

 このまま停電状態が続くならば中止だって視野に入れなければいけないだろう。

 

「おいおい、中止って選択肢はねーだろ。俺ら何しにここに来たんだよ。地脈浄化をしねーとこの街が大変なんだろ?」

 

 イワビーの言うように、今回のPPP(ペパプ)ライブは色鳥町の地脈を鎮めてセルリアンが発生しやすい状況を元に戻す事を目的にしている。

 なので、そう簡単に中止には出来ない。

 萌絵の頭に一つの疑問が浮かんだ。

 

「あ、あのー……。例えばなんだけど、また後日にPPP(ペパプ)に歌ってもらったらダメなの?」

 

 小さく挙手して訊ねる萌絵。

 要はPPP(ペパプ)達『歌巫女』が歌えばいいのならばライブコンサートという大がかりな場所じゃなくてもいいのではないだろうか。

 だが、それにはジェーンが首を横に振って否定する。

 

「それではダメなんです。私達『歌巫女』のみの力では地脈を浄化する事は出来ません」

「お客さんがいないとねー」

 

 ジェーンの説明を相変わらずジャパリまんをパクついていたフルルが続ける。

 つまりどういう事だろう、と萌絵は首を傾げた。

 

「つまりだ。私達は観客が楽しんだり盛り上がってくれる感情のエネルギーを束ねて地脈を浄化するんだ」

 

 コウテイの説明で合点がいった。

 どうやら地脈を浄化する為にはライブに集まる観客も必要不可欠の存在らしい。

 これはイワビーが言った通り、PPP(ペパプ)ライブを開催しないわけにはいかないようだ。

 とはいえ、停電は彼女達にはどうしようもない。

 PPP(ペパプ)を楽屋に送り届けたマーゲイが状況を確かめに行っているはずだが、一体どうなったのだろうか。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 ちょうどマーゲイが社長である遥を連れて戻って来た。

 遥はどうやら今まで状況を確認して回っていたらしい。

 ただ、その遥も完全に状況を把握したわけではないらしく怪訝な表情を隠しきれていなかった。

 

「待たせて悪いんだけど、停電の原因は全然掴めていないの。だから、今のところ復旧の目途も立っていないっていうのが正直なところね」

 

 どうやら送電側の問題はなく他の建物に停電被害は発生していないし、色鳥武道館の配電盤なども点検されたが異常が見当たらなかった。

 

「で、ここからが問題なんだけど、多分ゲネプロまでの復旧は無理ね」

 

 ゲネプロとは本番同様に行う最終リハーサルだ。

 裏方の動き、音響照明の動き、衣装やメイクなどの動きも含めて最終確認する重要なものだ。

 本来であれば、それをやらないという事はあり得ない。

 となると、やはり中止しかないんだろうか、と萌絵の顔が暗くなる。

 

「まぁ、普通なら中止という判断も止む無しなんだけどね……裏方スタッフの皆はやる気でいてくれてるわ」

 

 既にリハーサルで照明や音響のタイミングは打ち合わせしてある。

 ぶっつけ本番にはなってしまうが、それでも裏方スタッフ達はやる気らしい。

 後は演者であるPPP(ペパプ)次第となるが、リーダーのコウテイはニヤリと不敵に微笑んだ。

 

「それならば是非もなしさ。私達に歌わないという選択肢はないよ」

 

 残るPPP(ペパプ)メンバーもコウテイの言葉に頷いてくれた。

 どうやら方針は決定した。

 

「色々と問題はあるけれど、何とかやってみましょう」

 

 遥はマーカーを手に取ると残る問題をホワイトボードへ書き出す。

 

 1・プリンセスが間に合うか

 2・電気が復旧するか

 

 差し当って大きな問題はこの二つだ。

 

「さっき萌音(モネ)さんから連絡がありました。今、プリンセスさんを連れてこちらに向かっていると」

 

 マーゲイが挙手して報告する。

 ならば残る問題は電気が復旧するかどうかだ。

 電気がなければ音響も照明も動かせない。それに観客を客席へ誘導するのだって館内照明がないと覚束ない。

 こればかりは遥や裏方スタッフの頑張りではどうしようもない。

 

「いいや。そうとも限らないよ」

 

 薄暗い楽屋に新たな声が響いた。

 誰もがそちらを見れば、黒いジャケットに暗緑色の長髪を無造作に束ねた女性がそこにいた。

 萌絵にはその人に見覚えがある。

 

「和香教授!」

 

 それは宝条和香こと和香教授であった。

 

「やあ。久しぶりだねルカ先輩。それにPPP(ペパプ)の皆は初めまして」

「久しぶりね。和香。っていうかあなた随分印象が変わったわね。そっちのあなたもミステリアスで素敵だけど」

 

 遥はホワイトボードの前までやってきた和香教授にマーカーを手渡す。

 すると和香教授は受け取ったマーカーでホワイトボードに書き加える。

 

 

 2・電気が復旧するか←セルリアンの仕業だからただ待っているだけでは無理

 

 と。

 和香教授は全員を見渡して言う。

 

「まぁ、そういう事だよ」

 

 先程、護衛のオオセルザンコウ達が慌てて出て行ったのはそういうわけだったかと納得の一同。

 相手がセルリアンという事ならば出来る事があるかもしれない。

 そう考えた一同に、和香教授はニヤリとして見せた。

 何か作戦があるというのだろうか。一同期待の眼差しで和香教授を見る。

 

「もちろん考えならあるよ」

 

 それはどんな作戦なのだろうか。

 誰もが和香教授の続く言葉を待った。

 注目を集めたまま和香教授はツカツカと楽屋入り口まで移動すると、ガチャリとドアを開ける。

 そこには丁度、ノックしようかどうしようかと迷ったままの体勢で固まった小さな女の子がいた。

 それは魔女の帽子に短いケープを着たクロスラピスこと宝条ルリだ。

 和香教授は素早くクロスラピスの両肩を掴んで部屋の中に引き入れるとそのまま皆へ紹介するように背中を押す。

 

「今回の作戦は彼女が要だ」

 

 クロスラピスの後から入って来たオオセルザンコウ達もクロスアイズもクロスラズリもどういう事?と納得がいかない顔だ。

 一同の不思議そうな表情に和香教授は逆に満足気な表情を浮かべて見せた。

 どうやら説明するのが好きらしい。

 

「では作戦を説明するよ。まずこの停電はセルリアンの仕業だ。電気系統に干渉できる能力を持ったセルリアンだと予想される」

「なら、そのセルリアンを倒せば停電も復旧するってわけね」

 

 遥の確認に和香教授は頷いて見せる。

 

「ただ、このセルリアンはかなり隠れるのが上手いから簡単には倒せないだろう」

 

 そこで、と和香教授は指を三本立てて見せた。

 

「チームを3つに分けて手分けする。まずルリ……じゃなかった。クロスラピス」

「あ、はい」

「キミは配電盤に接続して電気系統を取り返してくれたまえ」

 

 そんなん出来るの?と全員の視線がクロスラピスに注がれる。

 だが、その疑問に答えたのはクロスラピス本人ではなく萌絵だった。

 

「出来ると思うよ。前にね、ルリちゃん、じゃなかった、クロスラピスはジャパリバイクに接続して動かした事あるもん」

 

 和香教授も頷いて肯定し続ける。

 

「そうだね。今回はクロスラピスが機械に接続できるという能力を活かす。が、さすがに一人では厳しいだろうから私がサポートしよう」

 

 クロスラピスと和香教授で1チーム。

 

「で、だ。そのクロスラピスはセルリアンにとって物凄く邪魔な存在になってしまうだろう。つまり……」

「狙われてしまうっちゅうことやな。つまりクロスラピスを守るヤツも必要なわけや」

 

 和香教授の説明を引き継いだのはクロスラピスの相棒であるクロスラズリことアムールトラである。

 

「ま、そういう事ならウチの出番やろ」

 

 クロスラズリならば何があろうともクロスラピスを守ってくれる。まさに護衛として適任だ。

 

「これで2チーム……。最後の3チーム目は何をするん?」

「3チーム目が最も大変かもしれない。なんせセルリアンを探し出して倒す役割だからね」

 

 クロスラズリの質問に和香教授は最後に残った人差し指をピッと立てると一緒に来ていたクロスアイズへと向ける。

 

「3チーム目はキミにお願いしたい。クロスアイズ」

「お、俺かよっ!?」

「適任だろう?」

 

 クロスアイズが最も得意としているのは探し物だ。

 セルリアンを探し出すならうってつけと言ってもいい。

 だが、一人きりで未知のセルリアンに挑むのもリスクが大きい。

 

「なら彼女には私達がつこう。セルシコウとマセルカもそれでいいかな」

 

 オオセルザンコウの提案にセルシコウも頷く。

 マセルカなんてクロスアイズに飛びついていた。

 

「わっふい! ならセルリアン退治はチームグルメキャッスルにお任せだね!」

 

 そんな何気ない一言がクロスラピスの琴線に触れてしまった。

 

「ちょ、ちょっと待って、マセルカさん! エミさんはクロスジュエルチームなんだから!」

「えぇー。ちょっとくらいいいでしょっ! ねっ! ねっ!」

「だ、ダメだよっ!」

 

 クロスラピスとマセルカはきゃいきゃいと言い合いを始めてしまう。

 セルシコウはそんな二人を呆れ半分で見つつ嘆息するとクロスアイズの肩を叩いて言った。

 

「クロスアイズ……貴女、変なところでモテるって言われませんか?」

「今はじめて言われたぜ……」

 

 クロスアイズとしては、これはモテているというのとは全然違うような気がする。

 だが、そんな場合でもない。

 彼女は話を戻すべく、一旦和香教授へ訊ねた。

 

「なあ。ケンカしてるような時間はないんじゃねーのか?」

 

 和香教授も壁に掛けてあった時計を見やる。現在時間は既に15:50を回っていた。もう本来ならゲネプロを始めていないとまずい時間である。

 

「そうだね。その通りだ。ルカ先輩、実際問題どの程度の猶予があるんだい?」

 

 和香教授の質問に遥は少しだけ考え込む。

 

「そうね。お客様の客席入りを開始する開場が17:00。それまでに最悪でも電気は復旧してもらわないといけないわ」

 

 いくらなんでも、真っ暗な会場に大勢の観客を詰め込むのは危険過ぎる。

 会場の設備が十全に動かせる状態でないとライブ開催は出来ない。

 

「そして、ライブ開始が18:00よ。それまでにセルリアンを排除してプーが戻ってこないといけないわ」

 

 どうやら残る時間は1時間弱といったところか。

 プーの事は他のヒーロー達に任せるしかないが、色鳥武道館に潜んで停電を引き起こしているセルリアンは今この場にいる者でどうにかしなければならない。

 

「よし。なら時間が惜しい。早速行動を開始しよう」

 

 和香教授の言葉に全員が頷くと弾かれたように行動を開始した。

 

 

―⑩へ続く




【ヒーロー情報公開:クロスシンフォニートリプルシルエット(アライグマ&フェネックギツネバージョン)】


 アライさんとフェネックの二人から力を借りて変身するクロスシンフォニーの切り札である。
 クリーム色と黒のチェック柄ミニスカートとピンクのブラウスに紫色のベストという衣装になる。
 首元の蝶ネクタイはクリーム色と紫の二色のストライプ柄だ。
 耳は大きなフェネックギツネのものだが、毛色がアライグマのように灰色をしている。
 さらに尻尾は大きく膨らんだクリーム色だが、毛先だけが黒くなっている。
 このシルエットは特に地中行動が得意だ。
 フェネックギツネの聴覚とアライグマの触覚を併せ持っている為、視界の効かない地中でも周囲を把握できる。
 さらに、自分の周りを砂地へ変えてしまう特殊能力も持っている。
 敵の足元を一気に柔らかい砂地へと変えて流砂に呑み込み、そのまま洗濯してしまう『アライ・デザートウォッシング』が必殺技だ。
 砂漠の砂は無菌状態なのでアライさんも満足の洗いあがりだ!
 なお、このトリプルシルエットも大量のサンドスターを消費してしまうので、星森家の家計に大きな負担が掛かる大技である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑩

 

 クロスラピスは和香教授に連れられてある場所へ向かっていた。

 それは色鳥武道館の音響照明ブースだ。

 ここが一番状況を見渡しやすい。

 このブースは映画上映会などがあった際には簡易映写室としても利用される。

 なので、陣取るならばここがうってつけだろう。

 しかし、ここは今、鉄火場になっていた。

 

「ダメだ! こっちの低圧配電盤も通電してないぞ!」

「高圧配電盤の方もダメらしい……」

「電力会社に電話したが、この辺で停電は発生していないらしいぞ」

 

 スタッフ達が何とか停電状態を脱する為に奮闘していたからだ。

 ここが裏方スタッフにとって心臓部である以上、クロスラピスと和香教授の入り込む余地はないように思えた。

 そこで、パンパン! と手を打つ音が響いて、誰もがそちらへ注目する。

 

「みんな、専門家を連れてきたわ。悪いけど場所を開けてくれる?」

 

 声の主は社長である浦波 遥であった。

 「その専門家とは?」と裏方スタッフ達が見ると思わず我が目を疑う。

 なんせ、魔女帽子に目元を隠す仮面。それと短いケープをつけた小さな女の子だったのだから。

 どう見ても電気設備の専門家には見えない。

 だが、裏方スタッフ達に打つ手がないのも事実であった。

 設備に問題はないし、送電にも異常がないのに何故かこの色鳥武道館だけが停電している状態なのだ。

 裏方スタッフ達は戸惑いながらも、クロスラピスに場所を開ける。

 だが、それだけでは不十分だったようだ。

 

「ここはちょっと危険かもしれないから、外に出てた方がいいわ」

 

 遥が言う通り、クロスラピス達が作業を開始したらここはセルリアンに目を付けられる可能性が高い。

 危険に晒される一般人は少ない方がいいに決まっている。

 だが、裏方スタッフ達だって大人だ。小さな女の子に仕事を丸投げするなど出来るものではない。

 

「し、しかし!」

 

 反対しようとした裏方スタッフ達の肩が背後から叩かれた。

 そちらを見た彼らはまたも驚く事になった。

 

「ええから任せとき」

 

 それはシルクハットと目元を隠す仮面に短いケープを付けたフレンズだった。

 シルクハットに開けた穴からピョコンと飛び出した耳は猫科のものに見える。

 不自然な異常と、それに対する専門家。

 そして街で真偽不明の噂として語られる謎のヒーロー達。

 

「も、もしかして……?」

 

 裏方スタッフの一人が新たに現れたシルクハットのフレンズを指さす。

 それに気を悪くした様子もなく彼女は親指立てて返事した。

 

「せや。通りすがりの正義の味方っちゅうヤツや」

 

 裏方スタッフ達が呆気に取られている間に、彼らは外へ追いやられてしまった。

 それと入れ替わるようにスルリと中へ入り込んで来たのは萌絵である。

 

「あ、アタシもここにいていいのかな……」

 

 裏方スタッフまでもが追い出されているのに、萌絵は自分がいて足手まといにならないかと心配していた。

 

「もちろんだとも。むしろ大分アテにさせてもらっているよ」

 

 言いつつ和香教授は準備を進める。

 と言っても、3台のノートパソコンを立ち上げる程度だったが。

 その間に遥が壁に取り付けられた配電盤を開けていた。

 そして、和香教授と遥の二人にエスコートされて、萌絵はノートパソコンの前へ座らされた。

 

「さあ、クロスラピス。始めてくれ」

「う、うん」

 

 和香教授の号令で、萌絵が何をするのか把握する前に事態は進んで行く。

 クロスラピスは自身の三つ編みの先端をワニ口のように変化させると、一本を配電盤へ接続。

 もう片方を和香教授のノートパソコンへと同じように接続させた。

 そして、和香教授が自身のノートパソコンをケーブルで繋げる。

 

「さて、クロスラピス。まずは全体へ意識を広げるように接続先を増やしていってくれたまえ」

 

 クロスラピスは和香教授の指示に従い両目を閉じて集中しているようだ。

 その額に汗が浮かんで来ている。

 萌絵はハンカチを取り出すとクロスラピスの汗を拭ってあげた。

 だが、まさかそんな事のためだけに萌絵もこの場に呼んだわけではあるまい。

 

「それじゃあここからが私達の出番だよ」

 

 和香教授は何度かキーを叩いたノートパソコンの一台を萌絵へ渡す。

 そこには見た事もないアプリケーションが立ち上がって、3頭身にデフォルメされた小さなルリの姿が映されている。

 画面内のルリからも髪の毛が伸びてうねうねと画面に広がっていく。

 やがて、それは何かの図形を描いていく。

 

「萌絵くん。キミにはこれが何かわかるかな?」

 

 和香教授に言われて萌絵も図形を凝視する。

 確かに萌絵にも見覚えがあるような気がした。

 むしろいつも見ているような気さえする。

 

「これって……何かの配線図……?」

 

 それは、萌絵が何かを作る際に引く配線図のように見えた。

 ノートパソコンのディスプレイに広がって行く配線図を見ていて萌絵は気が付いた。

 

「あれ? でもこれってところどころ繋がってないような?」

 

 そこで遥がもう一台のノートパソコンを示す。

 そちらには色鳥武道館の配線図が映されていた。

 今、パソコン内のデフォルメされたルリが描いているものにそっくりである。

 

「まず、萌絵ちゃんの前にあるノートパソコンの方に表示されてるのは、ルリちゃんが接続した領域だと思ってもらっていいわ」

 

 そうよね? と遥が和香教授に目配せすれば、その通りと頷いていた。

 ではその配線図が繋がりきっていないからこそ電気が流れず停電が起きているのだとすれば納得がいく。

 

「そういう事さ。そしてルリは接続領域を増やすのに集中しているからこそ、私達がサポートするんだよ」

 

 和香教授は萌絵が言いたい事を理解してくれたとニヤリとして見せた。

 

「って言ってもアタシ、これの使い方わかんないよ?」

 

 対する萌絵はといえば、どうしたらいいのかちんぷんかんぷんだった。

 

「なあに、こういうのは習うより慣れろさ。萌絵くんなら大丈夫だよ」

「そうそう。萌絵ちゃんなら出来るわ」

 

 和香教授と遥の二人から無責任に迫られて、萌絵はやっぱりこの二人は何か似てるなぁなんて感想を抱きつつも、和香教授お手製らしいアプリケーションを見てみる。

 どうやら、マウス操作とキーボードでのコマンド入力によって操作するらしい。

 試しに、画面上のルリが何かに阻まれてそれ以上接続領域を広げられずにいる箇所をクリックしてみる。

 するとその詳細が映し出された。

 バラバラと乱雑に散らかされたアルファベットが表示されている。

 

「これをキチンと並べ替えてキチンとしたスクリプトにしてやれば機能が回復していくはずだよ」

 

 なるほど。それなら何とかなる。萌絵は試しとばかり乱雑に散らかされたアルファベットをマウスポインタで拾い上げてキーボード入力で正しい並び順を指定。出来上がった単語をまだ原型を保っているスクリプトに繋げてやる。

 すると、欠けた配線図の一部が少しだけ復旧した。

 これを続けていけば……!

 萌絵は猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。

 それを見た和香教授は満足気に頷く。

 

「ルカ先輩。私達も負けてはいられないね」

「そうね。で、分担は? 昔ドール=ドールと一緒にやった時と同じでいいかしら?」

「話が早くて助かるよ」

 

 実は和香教授と遥の二人は昔、同じ作戦を取った事があった。

 あの時はドール=ドールの力を借りて、学校の電力網に憑りつこうとしていたセルリアンを退治したのだ。

 和香教授はもう一台のノートパソコンを引き寄せると、萌絵と同じようにキーボードを叩き始める。

 

「萌絵くん。音響照明ブースの低圧配電盤を任せた。私は館内照明用の低圧配電盤を復旧する」

「わかった。任せて」

 

 画面内のルリが描く配線図がさらに広がっていく。

 その様子を残る一台のノートパソコンで確認しながら遥はクロスラピスの肩に手を置く。

 

「いい? ルリちゃん。同化し過ぎを気にせず思いっきりやっちゃっていいわ。こっちで不味そうな段階まで行ったところは止めるから」

 

 この作戦には問題がある。

 クロスラピスが少しでも制御の気を抜けば、今度はこの建物自体がセルリアン化しかねない。

 ジャパリバイクとは規模が全く違うのだ。

 事実、ノートパソコンの画面上で正しい配線図から絵の具がハミ出すように零れそうになっている箇所が増えて来た。

 だが、そこは遥がカバーできる。

 

―トン、トトトン。

 

 遥はクロスラピスの肩に置いた手の指をリズミカルに叩いて見せる。

 それだけで、配線図からハミ出しかけていた箇所が修正されてしまったではないか。

 

「こういうのは得意だから任せておきなさい」

 

 遥がウィンクしつつ言う。

 彼女がやったのは音の振動に乗せてサンドスターを伝えて、接続が深くなり過ぎた箇所を修正する事だった。

 単純なパワーでは宝条流に劣るものの、細かい技に掛けては浦波流の右に出る流派はない。

 

「そういう事なら……!」

 

 制御を気にしていたクロスラピスは思いっきり接続領域を増やそうと自らの意識を伸ばしていく。

 そして萌絵と和香教授がノートパソコンから送ってくる信号を伝える事に集中。

 同化が進み過ぎた時は遥がすかさず修正してくれる。

 結果、怒涛の勢いで復旧が進んで行った。

 

「和香教授。音響照明ブースの配電盤は復旧終わったよ」

「ああ。館内照明の配電盤もこれで何とかなるはずだ」

 

 萌絵と和香教授の作業が終わったもののまだ停電は終わらない。

 実は二人が復旧したのは低圧配電盤と呼ばれるものだ。

 大型の施設である場合、一旦高圧の電流を高圧配電盤で受け取り、そこから低圧配電盤へと振り分ける。

 つまり、大本である高圧配電盤を直さないと停電状態は復旧しないのだ。

 そちらを後回しにしたのには理由がある。

 

「さて、クロスラズリ。いよいよ高圧配電盤に取り掛かる。セルリアンの妨害が予想されるから覚悟しておいてくれたまえよ」

「ああ。待ちくたびれたで!」

 

 和香教授の言葉にクロスラズリが獰猛に笑って見せた。

 おそらくセルリアンは電気を喰らって成長している。だから潜むとすれば高圧配電盤の方だ。

 既に荒らしまわった低圧配電盤の方を直してもあまり気にしなかっただろうが、縄張りにしているであろう高圧配電盤に手を出してしまえば目の色を変えて攻撃してくるに決まっている。

 

「それじゃあ萌絵くん。二人がかりで高圧配電盤を復旧するよ!」

「りょーかいっ!!」

 

 だが、臆する事なく和香教授と萌絵は作業に取り掛かる。

 

―バチィ!!

 

 途端に異変が起きた。

 壁に設えられたコンセント穴からスパークが迸ったかと思うと、それが形を為す。

 

―キィイイイイイ!!

 

 甲高い鳴き声を上げて現れるたのは、空中に浮かぶ小さなサメだった。

 大きさは手の平大だったが、現れたのは一匹だけではなかった。

 次々とコンセント穴から生み出されてあっという間に音響照明ブースを埋め尽くす。

 が……。

 

「ぐるぁああああああああああああっ!!」

 

 待ってましたとばかりにクロスラズリが咆哮と共に自慢の爪を一閃!

 現れた空中に浮かぶサメ達をあっという間に切り裂く。

 

「クロスラピスはもちろん、母さんにも萌絵姉ちゃんにもあと、えーと……」

「遥。浦波 遥ね。あなた達のお母さんのお友達よ」

「お、おう」

 

 クロスラズリは残心と共に見栄を切ろうかと思ったが、遥とは初対面だったから何と呼んでいいか躊躇ってしまう。

 助けを求めて和香教授の方を見る。

 

「そうだね。私達は遥の後ろ二文字をとってルカと呼んでいたよ」

 

 しょうがないなあ、というように苦笑しつつ教えてくれる和香教授。その間も指は休まずキーボードを叩き続けている。

 

「せやったら……」

 

 コホンとクロスラズリは咳払い一つ。テイク2の体勢に入った。

 

「クロスラピスはもちろん、母さんにも萌絵姉ちゃんにも、あとルカちゃんにも手出しはさせへんで!」

 

 今度はビシリと決まったので、クロスラズリは満足した。

 ついでとばかりに再び現れた電気のスパークで出来た小さなサメ達を爪で切り裂く。

 

「あらまぁ。ルカちゃんなんて呼ばれたの久しぶりだわ。皆やっぱり可愛い子達ねえ。ねえねえ和香。後でこの子達デートに誘ってもいい?」

「ダメだよ。ルカ先輩に大切な娘達に姪っ子をやれるものか」

「それは残念。でも和香? 貴女は昨日ウチの娘に粉かけてくれたようじゃない」

「ああ。ルカ先輩に似て可愛い子だったのでツイね」

「和香。やっぱりあなた相変わらずねえ」

「そういうルカ先輩こそ」

 

 そうやって和香教授と遥が言い合っている間にも次々サメ達が現れる。

 現れる端からクロスラズリが倒して行ってくれているが、少しずつブース内にサメ達が増えてくる。

 このままでは押し切られるのも時間の問題だ。

 

「もう! 二人とも集中してっ!」

 

 萌絵は悲鳴を上げながらも復旧作業を続ける。

 とはいえ、和香教授も遥も軽口は叩いているものの、作業自体は滞りなく進めていた。

 和香教授が担当している部分はどんどん配線図の欠けが埋まっていくし、クロスラピスが広げる接続領域も遥が制御を手伝ってくれているおかげでしっかりコントロール出来ている。

 それもそのはず、二人ともこの作戦は二度目なのだから。

 メンバーは違えど、昔取った杵柄である。軽口叩きながらでも余裕がある。

 しかし内心で和香教授と遥は驚いていた。萌絵がしっかりとついて来ている事に。

 

「やはり血は争えないという事だね」

「そうね」

 

 和香教授の言葉に遥が頷く。

 実は且つて同じ作戦を取った時にクロスラピスの位置にいたのはドール=ドールだったし、クロスラズリの位置にいたのは当時セイコと呼ばれていた頃のセイリュウだったし、萌絵の位置にいたのがドクター遠坂だったりした。

 萌絵の働きはかつてのドクター遠坂に勝るとも劣らない。

 おかげで、いよいよ最後の仕上げを残すのみとなった。

 

「それじゃあ、タイミングを合わせて!」

 

 和香教授の号令に萌絵と遥が頷いた。

 

―ッターン!

 

 最後の仕上げ、とキーボードのEnterキーが二つ押される。

 と同時に、組み上げた復旧プログラムがクロスラピスを通して実行された。

 

―シン……。

 

 先程までキーボードの打鍵音と、クロスラズリが倒すセルリアン達のパッカーン音だけがしていたブース内に静寂が訪れる。

 一体どうなったのか。

 誰もが固唾を呑んで結果が出るのを待つ。

 

―チカッ

 

 天井に設えられた蛍光灯が点灯した。

 そしてブース内の小窓から見える客席やステージの照明も再び明かりを灯す。

 ようやく停電状態が終わったのだ。

 スタッフ達もワッと沸き立つ。

 遥もどうにかなったか、と安堵に胸を撫で下ろすが、すぐに気を取り直してトランシーバーを取り出す。

 

「みんな、聞こえる? 各部点検と作動確認急いで。開場は予定通りよ」

 

 それを受けてブース外で待機していたスタッフ達も再びやって来た。

 早速操作盤に取り付いて動作確認を開始する。

 

「みんなお疲れ様。おかげで何とかなりそうよ」

 

 遥の宣言に気を張りっぱなしだったクロスラピスもヘナヘナとその場にしゃがみ込み。

 

「はは。大丈夫か? ヒーローがそんなんじゃカッコつかへんで」

 

 そんなクロスラピスをクロスラズリが助け起こす。

 クロスラズリが相手していた取り巻きセルリアンらしき小さなサメ型セルリアン達ももう出現していない。

 きっと本体の方をクロスアイズ達が何とかしてくれたのだろう。

 事態は好転していた……

 

 かに思えた。

 

「あ、あの……社長……?」

 

 操作盤を確認していたスタッフが戸惑いの声をあげた。

 全員がそちらを振り返ると、困惑の表情のままでスタッフが告げる。

 

「操作盤が一切反応しないんですけど……」

 

 遥も操作盤を確かめてみる。

 確かにどのスイッチもツマミも反応を示さない。

 既に電力は回復しているので停電が原因ではない。

 という事は……。

 

「まさか……」

 

 遥は操作盤下部にあるメンテナンスハッチを開けてみる。

 途端に焦げ臭い匂いが漂う。

 

「配線が焼けちゃってる……!?」

 

 停電から復旧の際に過電流が流れてしまったか、それともサメ型のセルリアンと戦っている際にいつの間にかダメージを受けていたのか。

 いずれにせよ、配線自体がダメになっている以上、操作盤が使えない。

 そしてこのブースは舞台演出の心臓部だ。

 ここからの操作で照明を当て、音響を入れる。

 それがダメになれば当然ステージ自体が成り立たない。

 

「ふぅむ。これは部品を交換しないとダメだね」

 

 和香教授も後ろからメンテナンスハッチを覗き込んでそう結論付けた。

 配線もそうだが、基盤だって無事かどうかわからないのだ。

 修理自体は難しくない。だが今から部品を取り寄せて修理する時間もなかった。

 

「どうしたものかしらね……」

 

 一難去ってまた一難。

 遥は腕を組んで考え込む。

 だが、もう時間もない中で何とかなりそうな案を考え付く事はできなかった。

 

「あの……!」

 

 そこでクロスラピスが挙手する。

 全員の注目が集まって一瞬ビクリとするものの、クロスラピスはきっぱりとこう言った。 

 

「作戦があるんですけど……!」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「大当たりだぜ」

 

 停電を引き起こしているセルリアンを探すクロスアイズは早くも目的のものを見つけた。

 もともと居所に目星はついていた。

 この建物で最も豊富な電力が供給される場所にセルリアン本体がいると踏んでいたのだ。

 その場所がキュービクル室と呼ばれる高圧配電盤のある部屋である。

 大きな建物である色鳥武道館では、この高圧配電盤に大電力を受け取りってから各所にある低圧配電盤へと電力を振り分ける。

 この高圧配電盤には非常に強力な電流が流れているので、非常に危険だ。

 電流の流れる電線や基盤が剥き出しになっているわけではなく、ちゃんと保護箱で覆われているとはいえ、おいそれと立ち入っていい場所ではない。

 なのでよい子は真似しちゃいけない。

 閑話休題。

 キュービクル室を訪れたクロスアイズとオオセルザンコウとセルシコウとマセルカ、その四人の目の前には停電を引き起こしたセルリアンがいた。

 ドラムコードの頭と、そこから伸びる延長コードの脚がうねうねとのたうつ。

 それは一見すればタコのように見えた。

 色鳥武道館に供給されるはずだった電力を貪り喰うセルリアンはかなり成長しており、頭部だけでもクロスアイズ達の背丈に匹敵する程だ。

 タコ型のセルリアンはキュービクル室へ入って来たクロスアイズ達を睨みつけはするもののまだ動く様子を見せない。

 おそらく電力を取り込む事を優先したのだ。

 

「さて、どうする?」

 

 クロスアイズは後ろのオオセルザンコウを振り返る。

 この場でタコのセルリアンに戦いを挑むのは簡単だ。だが、ここで戦えば設備に傷をつけかねない。

 高圧配電盤にもしもの事があれば、せっかくセルリアンを倒しても電力が回復しないかもしれないのだ。

 となれば、ここは作戦を考えるのが得意なオオセルザンコウの意見を聞くのがいいかと思えた。

 

「そうだな……。ならばここは手分けしよう。私が設備の守りを担当する。マセルカはセルリアンの動きを封じてくれ。そしてセルシコウが攻撃だ」

 

 オオセルザンコウの提案に、クロスアイズが自分を指さし、自分の出番がない事をアピールする。

 オオセルザンコウは少し考えてから口にした。

 

「クロスアイズ。キミは待機だ。セルリアンが予想外の動きをした時にフォローして欲しい」

「おいおい。なんだよ。俺だってお前らと一緒に戦えるぜ?」

 

 まだ実力を軽んじられているのかと思ったクロスアイズは不満そうに口を尖らせる。

 そんな彼女にオオセルザンコウは被りを振ってから言った。

 

「キミを信用していないわけじゃない。むしろ逆だ。私達だけでは設備に被害が出るかもしれない。そうならないようにキミに不測の事態に備えて欲しいんだ」

 

 それに、とオオセルザンコウは続ける。

 

「私達セルリアン対策課特別隊員にも少しはいい格好をさせて欲しいのさ」

 

 ニヤリとしてみせるオオセルザンコウ。

 クロスアイズが残る二人を見れば、やはり同じように頷いていた。

 思えば、今回は彼女達にとってセルリアン対策課の特別隊員としての初陣となる。

 なら、一応先輩となるわけだしクロスアイズがフォローに回るのももっともな事に思えた。

 

「そういうわけだからクロスアイズは見てなよ! マセルカ達だけで十分だってところを思い知らせてあげるんだから!」

 

 てけてけ小走りで前へ進み出るマセルカ。

 相変わらず生意気な彼女であるが、その実力はよくわかっている。

 残る二人の実力だってクロスアイズはイヤという程よく分かっていた。

 なんせ彼女達と一番最初に戦ったのはクロスアイズなのだから。

 前に出たマセルカの横にオオセルザンコウとセルシコウが並ぶ。

 そして、三人揃いのポーズでセルメダルを取り出した。

 

「アクセプター! セットメダル!」

 

 オオセルザンコウの掛け声と共にやはり三人揃いのポーズでセルメダルを自らの『石』へ現れたスリットへ投入する。

 そして三人揃って叫ぶ。

 

「「「変身!」」」

 

 三人の頭にヘルメットが現れて、そこからバイザーが降ろされる。

 オオセルザンコウはピンクのスクールベストに鱗を模したフレアスカート。

 セルシコウは燕尾状の薄い飾り布がついたレオタード。

 そしてマセルカはセーラー服の襟元にあるカラーのついたスクール水着をそれぞれに纏って変身完了だ。

 と、思ったらどうやらまだ続きがあったらしい。

 変身したマセルカはくるりと一回転してポーズを決めると叫ぶ。

 

「海も川も私が守る! 通りすがりのお助け人魚! クロスレンジャー・ブルー!」

 

 え?とクロスアイズは目が点になった。

 なんて? ともう一度マセルカの方を見ると

 

「ほら! 練習したでしょ!? オオセルザンコウもセルシコウもやってよ!」

 

 と二人を促していた。

 セルシコウは一度クロスアイズの方を見てから、半ばやけくそで叫んだ。

 

「クロスレンジャー・イエロー!」

 

 そしてこれまた半分ヤケクソでポーズを決めていた。

 で、半分涙目で残るオオセルザンコウを睨みつける。言外に「私もやったんですからね!」とでも言いたげだ。

 こうなってはオオセルザンコウもやらないわけにはいかない。

 

「あー……。まぁ、その……クロスレンジャー・レッド」

 

 勢いは他の二人に比べると弱いものの、それでもオオセルザンコウもポーズを決めた。

 だが、どうやらマセルカはお気に召さなかったらしい。

 

「二人とも口上省略したでしょ!? せっかく三人で考えたじゃない! もう!」

 

 ぷんすかと怒るマセルカをオオセルザンコウとセルシコウ二人してまぁまぁ、と宥める。

 時間もない事だしマセルカはそれで許してくれたらしい。

 マセルカはコホン、と咳払いしてから気を取り直すと……

 

「三人揃って……」

 

 そして三人で最後の決めポーズ。

 

「「「クロスレンジャー!」」」

 

 どうやら変身後の名前をそれに決めたらしい、とクロスアイズも理解した。

 それに、クロスアイズも最初は変身ポーズは恥ずかしかったのでオオセルザンコウとセルシコウの気持ちもよくわかる。

 

「まぁ……その……なんだ。俺はいいと思うぞ? うん」

 

 そしてクロスアイズはどう反応していいのか迷っていた。

 オオセルザンコウとセルシコウを慰めればマセルカが膨れるだろうし、かと言って思ってもいない事を言うのはもっとダメだ。

 下手くそな嘘をついたところで、三人にはあっさりバレてしまうに違いない。

 結果、なんとも微妙な反応を返す事しか出来なかった。

 で、肝心のセルリアンはといえば、三人がワイワイやっている間じっと見ているだけで大人しくしていた。

 それは何も空気を読んだとかそういうわけではない。

 

「私達を相手するよりも単に食事の方を優先したという事だろうな」

 

 オオセルザンコウことレッドの見解は当たっていた。

 そして、食事の邪魔をすればタコ型のセルリアンは怒り狂って襲い掛かって来るに違いない。

 ここからが正念場だ。

 

「では手筈通りにいくぞ!」

 

 まずはレッド。

 彼女がセットした“セルメダル”は『アラハバキ』の物だ。

 防御に優れる鉄の蛇であったセルリアンの能力を借りて、レッドは自らの尾を鋼鉄化すると周囲の高圧配電盤を囲う保護扉へ巻き付けていく。

 これで、多少の攻撃が加えられたところで高圧配電盤が壊れる事はないはずだ。

 だが、これにはタコ型のセルリアンが不快感を示した。

 ギロリ、とレッドをねめつけると電気を帯びたドラムコードの脚をムチのように放つ!

 

「おおっと、そうはさせないよ!」

 

 それを阻んだのがマセルカことクロスレンジャー・ブルーだ。

 ブルーは『アラクネドール』の“セルメダル”の能力を借りて、両手の先から人形の腕をいくつもいくつも出現させた。

 それらはロープとなってタコ型セルリアンを縛めにかかる。

 

―バチン!

 

 ついでにレッドへ向かっていたタコ型セルリアンの脚を打ち払う。

 

―バチン! バチン!

 

 タコの脚とブルーの生み出した『アラクネドール』のロープが何度も宙空でぶつかり合う。

 

―ガキン!

 

 勢い余って、たまに高圧配電盤にも流れ弾が降りかかる。

 が、レッドが予め用意していた『アラハバキ』の能力で硬質化した尾のおかげで事なきを得ていたが。

 幾たびもの激突を経て、最終的に押し切ったのはブルーの方だった。

 足とロープが絡み合いこんがらがって、タコ型セルリアンの身体をがんじがらめにする。

 

「よ、よし! 狙い通り!」

 

 戦いを見守るクロスアイズはブルーの頬に一筋の冷や汗が流れるのを見逃さなかった。

 

「(さては、割と行き当たりばったりだったな?)」

 

 思いはしたものの、口には出さないクロスアイズ。まぁ、結果オーライである。

 そして狙い通りに動きを封じたならあとは仕上げだ。

 

「やっちゃえ! セルシコウ……じゃなかった、イエロー!」

 

 ブルーの声に、クロスレンジャー・イエローことセルシコウが両目をカッと開く。

 彼女がセットしているのは『カラテリアン』の“セルメダル”だ。その能力はイエローの放つ空手技を強化してくれる。

 じっと機を伺っていたイエローが動いたのならば、その一撃は必殺のはず……だった。

 

「(あのセルリアン……何か変だ?)」

 

 見守るクロスアイズは気づいた。

 タコ型セルリアンの頭が膨らんでいる事に。

 何かを仕掛けるつもりなのだ。

 それをイエローに伝えようとしたところで、彼女がクロスアイズを見ている事にも気が付く。

 既にイエローは攻撃体勢、必殺の拳を構えてタコ型セルリアンに躍りかかっている。

 つまり、これはクロスアイズが何とかしてくれると期待しているのだろう。

 

「ったく! 人使いが荒いぜ!」

 

 クロスアイズもまたタコ型セルリアンへ飛び掛かった。

 それと同時に頭部を膨らませたタコ型セルリアンはイエローに向かって何かを吹き付けようとする。

 それはタコが外敵から逃げる為に墨を吐く動作に似ていた。

 

「間に合えぇええええええっ!」

 

 全力で駆け込んだクロスアイズの体当たりが、タコ型セルリアンの体勢を崩す。と同時に……。

 

―バチバチバチバチッ!!

 

 タコ型セルリアンが眩いばかりの閃光を吐き出した。

 墨の代わりに電撃を吐いたのだ。

 だが、体勢を崩したおかげでそれはイエローの横合いを掠めたに留まる。

 当然イエローを押し留める事は出来ない!

 

「せぇえええええええい!」

 

 気合一閃、駆け込みの速度も乗せた追い突きは一撃でタコ型セルリアンを吹き飛ばす。

 

―パッカァアアアン

 

 タコ型セルリアンもキラキラと輝く光の粒へ姿を変える。

 その場にはクロスアイズが残るばかり。

 もっとも全力で体当たりしたせいで天地逆さまにひっくり返ってしまっていたが。まったく締まらない事だ。

 

「クロスアイズ……そういうところですよ」

「だから、どういうところだよ」

 

 イエローは苦笑と共にクロスアイズへ手を貸して助け起こす。

 ともあれ、これでセルリアンは倒した。

 一応の警戒は必要だろうが、あとはPPP(ペパプ)ライブを残すのみ。

 しかし、セルリアンを仕留めたはずのイエローは自分の手を見つめてわきわきと握ったり閉じたりしていた。

 何か気になる事でもあったのだろうか。

 

「ああ。いえ。どうにも手応えが軽かったといいますか何といいますか」

 

 訝し気な表情を浮かべるイエローの脇腹をブルーが突く。

 

「てっきり誰かさんを助け起こす時に手を繋いだから、感慨に耽ってたのかと思ったよ」

「なっ!?」

 

 瞬間、イエローの顔が茹でダコのように真っ赤になった。

 

「そ、そんなわけないでしょう!?」

「うわわっ!? イエローがレッドになっちゃった!」

 

 ブルーはレッドの後ろに隠れてしまう。

 

「こらっ! 待ちなさい!」

「やーだよぉー!」

 

 で、レッドの周りで追いかけっこを始めるブルーとイエロー。思わずレッドは嘆息してしまう。

 

「まぁ、なんだ。大変だな。クロスレンジャーも……」

 

 そんなレッドの気苦労を労うべく肩を叩くクロスアイズであったが、原因の一端は彼女でもあったりする。

 レッドはもう一度盛大に溜め息をつくのであった。

 

「ともかく、いつまでもこんな所にいてもしょうがない。一旦戻ろう」

 

 気を取り直して言ったレッドの言葉に一同頷く。

 そしてキュービクル室を後にした。

 だから気づかなかった。

 

―パチパチ……

 

 配電盤室に設えられた一般電気回線用のコンセントから小さなスパークが散った事を。

 そして、その場の誰もが気づいていなかった。

 タコが墨を吐くのは、その墨を擬態に敵から逃走する為である事を……。

 

 

 

―⑪へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑪

 

 萌音(モネ)とプーの二人はクロスレインボーとカラカルに抱えられ色鳥武道館への道を駆けていた。

 いくら日の長い夏とはいえ、もう夕暮れが近い。

 既に時刻はPPP(ペパプ)ライブの開場時間を回っている。会場への客入りが開始されているはずだ。

 クロスレインボーとカラカルの二人がビルの屋上を飛び跳ねて最短距離を走ってくれているが、果たしてライブ開演に間に合うか。

 

「見えたわ! 色鳥武道館!」

 

 萌音(モネ)の快哉が響く。

 開場時間には間に合わなかったが、開始時間までには何とかなりそうだ。

 が。

 

「も、もうダメぇ~」

「ご、ごめん、私も……」

 

 クロスレインボーは元の菜々へと戻り、カラカルもその場にヘタりこんだ。

 無理もない。

 なんせここまで、萌音(モネ)とプーを抱えて全力で走って来たのだから。

 あと少しというところで、菜々とカラカルの二人は力尽きてしまったのだ。

 

「ううん、二人ともありがとう。あとは私が走るから」

 

 とはいえ萌音(モネ)だって昼に散々戦ったから、もう余力はあと僅かだ。

 気になるのは二人をここに残して大丈夫かという事だが……。

 

「私達は平気平気。少し休めば元気になるから」

「そうね。アンタ達は気にせず先に行って」

 

 菜々とカラカルにこう言われては仕方ない。

 第一ここで立ち止まったら、二人は何の為にここまでしたかわからないではないか。

 

「じゃあ、行くわよ、プー!」

 

 言って、プーを抱えようとした萌音(モネ)だったが気が付いた。

 その姿が忽然と消えていた事に。

 

「プー!? どこ!?」

 

 萌音(モネ)がその姿を探すと、プーは既に色鳥武道館へ向けて走り始めていた。

 まだ声も戻っていないというのに無茶をするものだ。

 慌てて追いかける萌音(モネ)

 すぐにその横へ追いつく。

 

「プーは私が運ぶから……」

 

 そう言おうと思った萌音(モネ)だったが、またも気が付く。

 プーの顔が前しか見ていない事に。

 セルセイリュウは見誤っていた。

 PPP(ペパプ)のプリンセスというアイドルの輝きは何もその声だけではない。

 こうして、アイドルである事にいつだって真剣に向き合うのがプリンセスというアイドルの輝きなのだ。

 それに声は必ずクロスハート達が取り返してくれる。

 萌音(モネ)は考える。自分が今やるべき事はプーを抱えて荷物にする事じゃない、と。

 

「行くわよ! プー! 何としてでもライブ開始には間に合わせるわよ!」

 

 萌音(モネ)はプーの手を引いて走りはじめた。

 プーもまた力強く頷く。

 PPP(ペパプ)ライブ開始までの時間はもうすぐそこだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 肝心のプーから奪われた“輝き”がどうなっているのかというと……。

 

―ズドォオオオオオン!

 

 色鳥川の水面に盛大な水柱があがる。

 それも一つのみではない。

 次々と轟音を立てていくつもいくつも水柱があがる。

 

「うわわっ!?」

「しっかり掴まってて下さいっ!」

 

 その水柱の間を縫うようにクロスナイトとクロスハートを乗せたラモリケンタウロスが飛び抜ける。

 攻撃を仕掛けるているのはプーの“輝き”から生まれた大型セルリアン、セイレーンセルリアンだ。

 不思議な鳴き声を発する度に、水柱が盛大に吹き上がる。

 クロスハートにもクロスナイトにもそしてラモリさんにもどうにも攻撃の正体が掴めない。

 不用意に懐へ飛び込むのも危険な為、こうして水面ギリギリを飛び回ってどうにか隙を伺っている最中だ。

 だがそれにだって問題がある。

 

「そろそろ燃料も心許ないゾ」

 

 それはラモリケンタウロス・ペガサスモードのジェットエンジンが間もなく限界を迎えるという事だ。

 敵は水中行動が得意そうなセイレーンセルリアン。その上、正体不明の攻撃を仕掛けてくる。

 空中を動き回れるラモリケンタウロスがなかったら、謎の攻撃に狙い撃ちされていたに違いない。

 いま、機動力を失ったらプーの“輝き”を取り返す事は叶わない。

 

「でもさ、ラモリさん。まだ余裕ありそうじゃない?」

「わかるカ?」

 

 しかし、クロスハートはニヤリとラモリさんに問い掛ける。

 ラモリさんが万策尽きた時は「アワワワ」状態になるはずだが、そうじゃないという事はまだ何か手があるという事だ。

 

「実はラモリケンタウロスには水上ホバーモードがアル」 

 

 そんなうってつけの物があるなら、何故今まで使わなかったのか。

 

「けれドモ、水上ホバーモードはまだ試作段階だから自律運転モードがない。手動操作が必要ダ」

 

 ラモリケンタウロスのパイロットはクロスナイト、つまりイエイヌである。

 今まで乗り物というものに縁のない生活だった彼女にとってはいきなりラモリケンタウロスを運転しろと言ったところで難しい。

 が。

 

「大丈夫だよ。だってイエイヌちゃんだもん」

 

 クロスハートはきっぱりと言った。

 根拠も何もないようではあったが、ここまで自信たっぷりに言われたら不思議と信じたくなる。

 クロスナイトは苦笑と共に一つ頷いた。

 

「構いません。やって下さい」

 

 どうやら覚悟は決まったらしい。

 こうなれば、やるしかない。

 ラモリさんも覚悟を決めると叫ぶ!

 

「ラモリケンタウロス・マーメイドモードッ!!」

 

 途端、タイヤのついた四本の脚が大きく広げられて、機体上側へと持ち上げられる。

 さらに今まで展開していた翼部分から水上に浮く為の浮袋が膨らんだ。

 足先につけられたタイヤは折りたたまれホイール部分を後方に向ける。

 そして……。

 

―ガション!

 

 ホイールがスライドしてファンを形成した。

 タイヤを回転させるのと同じ要領でファンを回せばホバー走行に必要な推力を得られるというわけだ。

 だが、これをクロスナイトが扱いきれるのか。

 しかも、変形で足が止まってしまった今、セイレーンセルリアンにとっては格好の的だ。

 

―キョオォオオオオオオッ!!

 

 セイレーンセルリアンの嬌声が響く!

 攻撃の正体は未だわからないが、明らかにラモリケンタウロスへ照準を定めていた。

 

「そうは……させませんッ!」

 

 クロスナイトは手綱代わりのハンドルを目一杯捻ってアクセルを開ける。

 すると、ファンが高速で回転を始めて推力を生み出し機体が前へカッ飛んだ!

 

「うひゃああああああっ!?!?」

 

 思っていた以上のスピードにクロスハートは再び悲鳴をあげる。

 が、どうにか攻撃をかわす事は出来たらしい。

 

「くうぅう!」

 

 スピードを緩めれば、再び狙い撃ちだ。

 だからクロスナイトはアクセルを緩める事なく体重移動で右に左に荷重を移動してみる。

 左に荷重をかけると、左の浮きが沈んで水の抵抗が大きくなるので左側へ曲がる。

 逆へ体重を掛ければ同じ要領で右側へ曲がる。

 

「な、なるほど……何とかなりそうな気がします」

 

 ぶっつけ本番だったが、クロスナイトは徐々にラモリケンタウロス・マーメイドモードの操作方法を何となく理解しはじめた。

 

「本当に何とかするとはナ……。大したものダゼ」

 

 ラモリさんの呟きではあったが、クロスハートからしてみたら予想通りの結果だ。

 なんせラモリケンタウロスは元々クロスナイトの愛機である。例え自律制御走行だったとしても、それと共に戦って来た経験だってある。

 それになにより、クロスナイトは学習能力に長けている。

 クロスハートがジャパリバイク改を運転する場面などから、どうにか見よう見まねで運転してみたわけだが何とかなってくれたらしい。

 

「それより、どうします?」

 

 クロスナイトはラモリケンタウロスを駆ってセイレーンセルリアンの周囲を周回する。

 ある程度距離を離せばあの鳴き声を発する攻撃はしてこないらしい。

 おかげで落ち着いて観察する余裕が出来た。

 クロスハートもあらためて考える。

 先程からセイレーンセルリアンが攻撃を仕掛けてくる時は必ずある動作をしていたような気がする。

 それは……。

 

「あのセルリアンって攻撃してくる時に必ず両手をコッチに向けてなかった?」

 

 そう言われてみればクロスナイトもラモリさんもそんな気がして来た。

 三人してセイレーンセルリアンの手をよくよく観察してみる。

 水中で行動しやすそうな水かきのついた手。それに掌に口のような窪みがある。

 

「アレは発声器官……っぽいナ」

 

 ラモリさんの見立てではそうだった。

 つまり、鳴き声を発していたのは巨大な一つ目しかない顔ではなく、あの手の平だったらしい。

 

「んー……?」

 

 それにどうにも引っかかるものがあったクロスハート。

 その脳裏に何か閃くものがあった。

 

「何かわかりましたか?」

 

 ラモリケンタウロスを操りつつクロスナイトが訊ねる。

 

「うん。音って空気を振動させて伝わる波のようなものって理科で習ったよね?」

「そうですね……。以前萌絵お姉ちゃんもそう言っていました」

 

 クロスハートは小学校の授業でそれを知っていたし、クロスナイトの方は萌絵から勉強を教わっている時にそれを習っていた。

 だが、それがどうしたのだろうか。

 

「だからね、両手から音っていう波を出すじゃない? それが重なってぶつかったところで大きな波になるんだよ」

 

―パチン。

 

 クロスハートは解説の為に自分の両手を合わせてみせた。

 それでラモリさんもわかった。

 

「なるほどナ。三角波……カ」

 

 三角波とは、別々な方向からやって来た波が重なりあったところで、より大きな波が発生する現象だ。

 沖合では数十メートルの高さになる事もあり、船底に直撃を受けた船舶が真っ二つになる事故だってあるらしい。

 つまり、セイレーンセルリアンの攻撃は両手から放った音の波を収束させたものだった。

 両手の位置を変える事で焦点位置も変えられるわけだが、今のように距離を離せば焦点位置がとれずに射程範囲外になる。

 威力は大きいが、射程も精度も高くはないらしい。

 そうとわかれば反撃の時だ。

 セイレーンセルリアンの『石』は先程観察した時に分かっている。

 その『石』は後頭部にあった。

 あとはどうやって攻撃を避けてセイレーンセルリアンの背後をとるか……。

 

「それなら二手に別れようか」

 

 クロスハートが言う。

 だが、クロスハート人面魚フォームがいくら水中行動を得意としていてもラモリケンタウロス並みの機動力で動き回る事は難しい。

 そうなれば、狙い撃ちだ。

 

「うーん。口で説明するより見てもらった方が早いかも」

 

 クロスハートはラモリケンタウロスの座席後部に収納されていたウィンチアンカーつきのワイヤーを取り出す。

 それで二人ともクロスハートが何をするつもりなのかを察した。

 

「マジカ」

「マジだよ」

 

 ラモリさんの確認にクロスハートは頷いてみせる。

 こうなってしまったら誰が何と言っても、クロスハートはそれを実行する。それはクロスナイトもよく知っていた。

 なのでクロスナイトは少しの苦笑と共に言う。

 

「じゃあ、上手くやって下さいね」

「任せてよ!」

 

 クロスハートはいい笑顔で親指を立てつつ、バッと空中に身を投げ出す。

 

「チェンジ! G・ロードランナーフォームッ!」

 

 空中で、ランニングシャツにブルマ姿のGロードランナーフォームへ変身するクロスハート。

 くるり、とトンボを切って落水……するかと思った次の瞬間……。

 

「ひゃっほおおおおおっ!」

 

 なんと、水面を滑るように滑走しはじめた。

 その速度はスピード特化であるGロードランナーフォームである事を差し引いても物凄い速さだ。

 何が起こったのかと言えば……。

 

「いやぁ、水上スキーって一度やってみたかったんだよね」

 

 クロスハートはラモリケンタウロスから伸びたワイヤーで曳航されていた。

 正確には水上スキーではなく裸足で行うベアフットというものになるが。

 Gロードランナーフォームの飛行能力でわずかに補正を入れているおかげで初めての水上スキー(ベアフット)でも様になっている。

 

「それじゃあいきますよ!!」

 

 クロスナイトはラモリケンタウロスのアクセルを目一杯開けてセイレーンセルリアンへ向けて突撃を仕掛ける!

 

―ギッ!?

 

 セイレーンセルリアンは迷った。

 音波攻撃は先程見破られた通り威力は絶大でも精度に劣る。

 高速で突っ込んでくる獲物を同時に二つは迎撃できない。

 ならば、とセイレーンセルリアンは両手を前に突き出すと手のひらにある発声器官から目一杯空気を吸い込んだ。

 

―ボッ!!

 

 そして一息に吐き出す。

 いわゆる空気砲である。

 連射はできないし、威力も音波攻撃より低いが精度は高い。

 空気の砲弾がクロスハートとクロスナイト目がけてそれぞれに飛んだ。

 

「その程度ッ!」

 

 クロスナイトは左に体重をかけて急旋回。空気砲をかわす。

 が、曳航される形であるクロスハートはそれに続くのに若干のタイムラグがある。

 このままならクロスハートは空気砲の直撃を受けてしまう。

 が……。

 

「おおっとぉ!!」

 

 なんとクロスハートは大ジャンプで空気砲の一撃をかわした。

 ラモリケンタウロス・マーメイドモードが作り出した波を無理やりジャンプ台がわりにしたのだった。

 空中に身体が浮いたなら後はG・ロードランナフォームの飛行能力で後押ししてやればジャンプ台なしでご覧の通りである。

 

「いくよっ! クロスナイト! ラモリさんっ!」

 

 クロスハートはクロスナイトとは逆側に舵を切っていた。

 ちょうど、セイレーンセルリアンを中心に二人が左右に別れた形だ。

 そしてクロスハートとクロスナイトの間にはワイヤーが通っている。

 つまり……。

 

―ギィイイイイッ!?!?

 

 車の荷重にすら耐えられる鋼鉄製ワイヤーがセイレーンセルリアンに激突した。

 クロスハートはG・ロードランナーフォームのスピードを活かして反時計回りに、クロスナイトはラモリケンタウロスのアクセルを全開にして時計回りに回る。

 そうすると、あっと言う間にセイレーンセルリアンは頑丈なワイヤーでぐるぐる巻きにされてしまった。

 両手も縛り付けられて得意の音波攻撃も放てなくなったセイレーンセルリアン。

 が、こんなものがどの程度足止めになろうか。

 所詮無機物であるワイヤーならば取り込んでしまえばいい。

 そう考えたセイレーンセルリアンは自らを縛めるワイヤーを捕食しにかかった。

 だが、クロスハートもクロスナイトも既に動きを止めてニヤリとしているではないか。

 まるで作戦成功、とでも言うように。

 不敵な笑みのままにクロスハートが言う。

 

「今だよ。クロスシンフォニー(・・・・・・・・・)!」

 

 と同時に、セイレーンセルリアンの後頭部に猛禽類の爪が食い込んでいた。

 それを為したのはクロスシンフォニーのワシミミズクシルエットであった。

 その必殺技は、音も立てずに放つ必殺の一撃『サイレントダイブ』だ。

 死角から放たれれば気づかないうちに……。

 

―パッカアァアアアアアアン!

 

 である。

 実はクロスナイトの鼻がこちらに近づいて来ているクロスシンフォニーを察知していた。

 だから、クロスハートとクロスナイトの役割はクロスシンフォニーが『石』を砕く一瞬の隙を作り出す事だったのだ。

 

「何とか間に合いましたね」

 

 水面にフワリとホバリングして見せるクロスシンフォニー。

 セルビャッコとの戦いを終えた後でジャパリバス改を駆りどうにかこの玄武大橋まで辿り着いたばかりだったりする。

 

「タイミングどんぴしゃだったね」

 

 言いつつクロスハートが右手のひらをクロスシンフォニーに差し出す。

 

―パチン!

 

 と二人の手が打ち鳴らされる。

 そこへラモリケンタウロス・マーメイドモードに乗ったクロスナイトもやって来た。

 

「とりあえず、何とかなりましたね」

 

 クロスナイトは周りを見回しつつ言う。周囲にはセイレーンセルリアンが砕けた事でキラキラとしたサンドスターの“輝き”に満ちている。

 きっと、今頃プーの“輝き”も本人の元へ還っているはずだ。

 ラモリさんが時間を確かめると、PPP(ペパプ)ライブ開演1分前である。

 本当にギリギリセーフだった。

 そして三人があらためて周囲を見渡せば、玄武大橋に大勢集まったギャラリーがヒーロー達の勝利に拍手を送っている。

 

「みんなありがとー!」

 

 クロスハートはぶんぶん手を振り返すのだったが、クロスナイトとクロスシンフォニーは未だこういうのに慣れてはいないのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 PPP(ペパプ)ライブ開演3分前。

 既に殆どの観客達はライブ会場へ滞りなく入場完了。

 だが、萌音(モネ)とプーの前には一つの障害が立ちはだかっていた。

 それは、チケットが売り切れで購入出来なかったけれど、会場の雰囲気だけでも味わおうとやって来た大勢のPPP(ペパプ)ファンであった。

 

「ま、まずいわね……」

 

 萌音(モネ)は尻込みする。

 プーはいつの間にやら変装用の帽子も伊達メガネも落としてしまっていた。

 なので、プーがPPP(ペパプ)のプリンセスである事は誰の目にも明らかだった。

 このまま色鳥武道館へ突入すればファンに囲まれる。かと言って、ここで手をこまねいていても見つかってしまうのだって時間の問題だ。

 

「(どうしようかしら……イチかバチか、スノーホワイトに変身して突っ切ろうかしら……)」

 

 萌音(モネ)はそう考えたが、それはダメだ。

 強行突破する際にファンに怪我をさせかねない。

 ならどうするか。いい考えが浮かばない。

 色鳥武道館はもう目の前だというのに……。

 と、その時……。

 

「Hey! Evryone!」

 

 スピーカーを通して朗々たる声が響き渡る。

 色鳥武道館の前に集まった誰もが声の主に視線を集中した。

 

「キャプテン・ハクトウワシだー!」

 

 誰かが気づいて叫ぶ。

 そこにいたのは、『キャプテン・アクセラレーター』で変身したキャプテン・ハクトウワシだった。

 彼女は携えた拡声器で再び集まったファン達に呼びかける。

 

「みんな! チケットSold Outでライブを見れないのが残念なのはよくわかるわ! けれどこんなに大勢集まったら他の人達に迷惑になるの!」

 

 その声にファン達があらためて周囲を見ると、普通の通行人が通りづらそうにしている姿が目に入った。

 キャプテン・ハクトウワシは解散しろと言いに来たのだろうか。

 ファン達がそう思っていると、キャプテン・ハクトウワシは意外な事を言い出した。

 

「私も仕事がなかったらPPP(ライブ)見たかったわ!!」

 

 それはぶっちゃけ過ぎだろう、と物陰に隠れた萌音(モネ)は思う。

 

「けどっ!!」

 

 バッ、とキャプテン・ハクトウワシは右手を大仰に振りかざす。

 

「私達フラッパーズなら、誰の迷惑にもならずにPPP(ペパプ)を応援できるはずよ!!」

 

 フラッパーズとは、PPP(ペパプ)ファンの俗称だ。 

 

「総員整列! Move! Move! Move!」

 

 キャプテン・ハクトウワシに煽られて、集まったファン達フラッパーズは整列して道を開ける。

 歩道では片側に寄って一般通行人が歩けるようにしたし、色鳥武道館へ続く階段は両端に寄って道を作る。

 

「さあ、行儀よくみんなでPPP(ペパプ)を応援するわよ!」

 

 居並んだフラッパーズ達は近所迷惑にならないよう、小さな声で「「「「おー」」」」と返すのだった。

 そこで、キャプテン・ハクトウワシとミラーシェードごしに目があったような気がする萌音(モネ)とプー。

 これは千載一遇のチャンスだ。

 

「いくわよ、プー!」

 

 萌音(モネ)はプーを抱えて飛び出した。

 ここが残った力の使いどころだ。

 

「変……身ッ!!!」

 

 わずかに残った力を振り絞る。

 

「スノーホワイトッ!!」

 

 萌音(モネ)の髪色が白色に変化し、目もアルビノの如く紅に染まる。

 この状態なら、1分30秒だけとはいえ、どんな守護者にも負けない破格の身体能力を発揮できる。

 

DX(デラックス)ゴー・ゴージェットローラー!」

 

 スノーホワイトと化した萌音(モネ)は靴に仕込まれた電動ローラーブレードを展開する。

 これもクロスシンフォニーとクロスレインボー達が温存してくれたおかげであと少しだけバッテリーが残っている。

 

「いくわよぉおおおおおおお!!!」

 

 スノーホワイトは開けた道を全力全開で駆け抜ける。

 ファン達の中にはスノーホワイトが抱えたプリンセスの姿に気づく者もいたが、誰もがただ見守る。

 ここで邪魔なんてしようものならフラッパーズの名折れだとばかりに。

 

「(開演まであと30秒……!)」

 

 萌音(モネ)がつけている時計は電波時計だ。

 秒数まで正確である。

 色鳥武道館には辿り着いたけれど、このまま裏手へ回る時間はない。

 だったら、最も最短距離を通るしかない。

 即ち、このまま正面入り口へ突入し、一気にアリーナへ。そして客席を突っ切ってステージへ向かうのだ。

 

「(スピード緩めたら間に合わない……!)」

 

 迷っている時間もない。

 既に正面ゲートは客入れが終わって数人のチケット係が残っているのみだ。

 

「ごめんね!」

 

 DX(デラックス)ゴーゴージェットローラーを全開に。

 チケット係が止める暇も与えずに正面入り口を突破。色鳥武道館の中への突入には成功した。

 運がいいことに、客席へ続く分厚い防音扉は今まさに閉じられる瞬間だった。

 

―ギュイイイイイッ!

 

 そのままスピードを緩める事なく思い切り身体を倒して鋭角にカーブを描く。

 防音扉の向こうはもう客席だ。

 既に照明は落とされて、今まさにライブが始まろうとしている。

 

「待ってたわよ……!」

 

 突然飛び出したスノーホワイトとプーの二人を目ざとく見つけたのは遥だ。

 

「ルリちゃん……じゃなかった。クロスラピス! お願い!」

 

 音響照明ブースにいた遥は操作パネルに取り付いたクロスラピスことルリに言う。

 ブースに設えられた操作パネルのスイッチがセルリアンとの戦いで損傷してしまった為、クロスラピスが操作パネルに接続して操作していた。

 遥は正面入り口から現れた萌音(モネ)とプーの二人を見て、即座に演出として押し通す事を決断。スポットライトの照明を彼女達に当てるように指示した。

 

―カッ!

 

 既に照明を落とされて誘導灯のみだった客席にスポットライトが当てられる。

 それで浮かび上がったのはもちろん、ステージへ向けて疾走するスノーホワイトとプーの二人だ。

 色鳥武道館に詰めかけた満員の観客もその姿を目撃して、ライブの開始かと期待を膨らませる。

 だが……。

 

「ふぅむ……まずくないかな?」

 

 音響照明ブース内で一緒に成り行きを見守っていた和香教授が言う。

 何がまずいかと言えば、プーがまだステージ衣装ではない事だ。

 いくらなんでも、プーが今着ている変装用の普段着で大事なステージオープニングを飾るわけにはいかない。

 

「ええい!? まずは登場後すぐにプーをハケさせて! 舞台袖にメイクと衣装スタンバイ! あとはMCで何とか繋いで!」

 

 遥は矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 が、そんな彼女に和香教授はニヤリとしていた。

 

「ルカ先輩。どうやらその必要はなさそうだよ」

 

 和香教授の視線は音響照明ブースの出入り口に向いていた。

 この扉も防音扉になっていてドアクローザーによって開けたら自動で閉まる構造だ。

 それがカチャリと音を立てて閉まったという事は誰かが外へ出たという事である。

 その人物は和香教授よりも早く、プーが普段着のままである事に気づいていた。

 そして、彼女は問題を解決できる手段を持つ唯一の人物でもあった。

 

「今回はしょうがないよね」

 

 萌絵は音響ブースから飛び出した後こっそり呟いた。

 

「変身……ッ!」

 

 カッと萌絵の身体をサンドスターの輝きが包む。

 

「クロスハート・ともえフォーム……ッ!」

 

 萌絵の呟きと同時、サンドスターの輝きが晴れた。

 そこにいたのは膝丈のハーフパンツに丈夫なトレッキングブーツ、黒い長袖シャツに青色のベスト、それに二本の羽根がついたアドベンチャーハット。

 そして髪色は緑色で、その瞳には左右で蒼と赤の不思議な光点が宿っていた。

 もともと双子なので似ていたが、そのままともえの姿である。

 

「ジャパリボード改ッ!」

 

 クロスハート・ともえフォームに変身した萌絵は左手を伸ばす。

 すると、そこには先程まで何もなかったのに、ジャパリボード改が現れていた。

 走りながらジャパリボード改に飛び乗るクロスハート。そのまま客席へ飛び込んだ。

 問題のプーはといえば、ついにステージ上へ辿り着いたところである。

 

―ザワザワザワ……。

 

 ステージ上には普段着のプーが一人ポツンとスポットライトで照らし出されている。

 あまりの登場に観客達も戸惑いの方が強いようでどよめきの方が大きい。

 プーをステージへ送り届けたスノーホワイトはそのまま舞台袖へと駆け込んだものの、その反応に肝を冷やす。

 やはり演出として観客には受け入れられなかったのか。

 だが、まだ終わっていない。

 

「プーちゃん!」

 

 身体を目一杯低くしてジャパリボード改で客席の間を疾走する萌絵が変身した方のクロスハート。

 

―ガッ!

 

 段差を利用して大ジャンプ!

 スポットライトを避けてプーの頭上を飛び越しつつあるものを投げた。

 そのまま着地、急カーブを描いてスノーホワイトがハケたのと同じ舞台袖へと消える。

 後に残されたのはクロスハートから何かを託されたプーだけだ。

 

「(マイク……?)」

 

 それは一見すると何の変哲もないマイクに見えた。

 だが、それを受け取ったプーにだけは、頭の中に言葉が浮かぶ。

 

「へん……しん?」

 

 プーの“輝き”は戻っていた。

 だが声が出た事に喜んでいる場合ではない。

 プーは思い浮かぶままに言葉を続ける。

 

PPP(ペパプ)! オン・ステージ!!」

 

 高々とマイクを掲げた瞬間、プーの身体がサンドスターの輝きに包まれる。

 それが晴れた時、そこにいたのはサンドスターの輝きに負けるとも劣ず燦然としたアイドル、PPP(ペパプ)のプリンセスだった。

 ペンギンをモチーフにしたパーカーと白のニーソックス。

 首もとにかけたヘッドフォン。

 そして何より輝く笑顔はテレビで何度も見たアイドル、プリンセスであった。

 

「え、えっと、ともえちゃん……じゃないわね。萌絵ちゃん……? 何をしたの?」

 

 舞台袖でスノーホワイト化が解けた萌音(モネ)が訊ねる。

 

「んっとね。クロスハート・ともえフォームの能力は、未来にアタシが作るはずだったものを今、この場で作れるっていうものなの」

 

 つまりクロスハートはプーの衣装を変える為だけのアイテムを作り出したわけだ。

 イエイヌの変身アイテム『ナイトチェンジャー』やハクトウワシの『キャプテン・アクセラレーター』を制作してきたわけだから不可能ではない。

 

「本当はこの変身、あんまりやるつもりなかったんだけど、今回は妹達の頑張りを無駄にしない為にも、ね」

 

 てへへ、と照れたように笑うクロスハート。

 その顔はともえのものだったのに、何故か萌絵っぽいと思ってしまう萌音(モネ)であった。

 

―ワァアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 一瞬の静寂だったが、プリンセスの登場に客席が割れんばかりの歓声に包まれた。

 ド派手な演出としてプリンセス登場を受け入れた観客達のテンションは一気にマックスだ。

 が、そこで終わりではない。

 

―ウォオオオオオオオオオッ!!

 

 さらにひと際大きな歓声があがる。

 舞台照明がついた時、そこにはプリンセスの他にも4人のアイドル達がいた。

 ジェーンもフルルもイワビーも、そしてリーダーコウテイも登場。

 今を時めくトップアイドルPPP(ペパプ)が勢揃いした事で会場のボルテージは天井を突き抜けんばかりである。

 アイコンタクトのみでプリンセスは「ごめんなさい」を伝えたが返って来たのはいずれもいい笑顔で親指を立てられたのみだった。

 

「もう無茶苦茶……!でもナイス……! よくやったわっ!」

 

 遥は音響照明ブース内で続けて叫ぶ。

 当初の予定も何もあったものではないが、この瞬間を逃すわけにはいかない。

 

「みんな! もうこうなったら出たとこ勝負よ! セットリストはそのまま! 曲入れて!!」

 

 この流れのまま突っ走る。

 そう決めた大人達の行動は早かった。

 音響監督はすぐさま指定BGMをセットし、クロスラピスに指示。

 舞台監督は照明タイミングや演出タイミングを説明してくれる。

 裏方達は裏方主任の元へ一旦集合。裏方主任が最短最低の説明のみでステージハケの手順や大道具小道具の入れ替え手順を修正。再び持ち場へ戻る。

 

「あ、あわわわわ……」

 

 怒涛の指示でクロスラピスだけは目を回さんばかりだったが、それでもどうにか指示された内容を機械へ伝えた。

 おかげで舞台照明がかわり、ライブ開始の1曲目、そのイントロがスタートする。

 舞台上ではリーダーコウテイが曲目を宣言した。

 

「いくぞ!『大空ドリーマー』!!」

 

 ついにPPP(ペパプ)ライブの幕が上がる。

 

 

―⑫へ続く





【セルリアン情報紹介:セイレーンセルリアン】


 PPP(ペパプ)のプリンセスことプーの“輝き”から生まれた人魚型の巨大セルリアン。
 水中での行動に長けている。
 両手の掌には音を発する為の発生器官がある。
 それをスピーカー代わりに仕掛ける音波攻撃が得意技だ。
 両手から発生させた音波を敵の位置で重ねる事で絶大な破壊力を生み出す。
 焦点となる距離は両手の位置を調整できる。
 破壊力は凄まじいが、精度と射程には劣る。
 一方、両手の発生器官から吸い込んだ空気を一息に吐き出す事で空気砲を撃つ事も出来る。
 空気砲は威力には劣るものの精度は高い。
 巨大な体躯と強力な攻撃手段を持つセイレーンセルリアンは水中では非常に厄介な強敵だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話『ツインプリンセス』⑫

 

 色鳥武道館でついに開催となったPPP(ペパプ)ライブは大盛り上がりであった。

 一番最初の曲、『大空ドリーマー』を歌い終わって熱狂はなお冷めやらない。

 なんせプリンセスが開演前に客席から登場して、さらに変身(?)してみせるというパフォーマンスまでしてみせたのだから。

 これで盛り上がらなかったらそれこそ嘘というものだ。

 舞台上では一曲目が終わってPPP(ペパプ)メンバー達によるMCが始まっていた。

 

「色鳥町のみんなー! 元気かー!!」

 

 こういう時に一番頼りになるのがイワビーだ。

 会場のお客さん達に呼びかけてさらに盛り上げて行く。

 客席からは「元気ー!」というレスポンスが大音声となって返ってくる。

 その結果にPPP(ペパプ)の5人は満足気に頷いた。

 

「それにしても、色鳥町には初めて来ましたけど、いいところですよね」

 

 相変わらず正統派なコメントはジェーンだ。

 

「プリンセスさんは色鳥町観光行ってたんですよね? どうでした?」

 

 と思いきや、プリンセスがさっきまで遅刻ギリギリだったという微妙な状況だったのをおくびにも出さず話を振って来た。

 

「あ、はい。色々見て周りましたよ」

「えぇー! いいなー!! ねえねえ、何か美味しいものあったー?」

 

 プリンセスの答えにすかさず食いつくフルル。

 

「はい。色々ありましたけど、商店街でホットドッグとか食べて来ました」

「もしかして、あれ!? 青龍神社の夏祭りで出されてたってやつ!? いいなー! 私も食べたかったー!!」

 

 フルルは舞台の上だというのを忘れたかのようにプリンセスに詰め寄る。

 食いしん坊キャラで有名なフルルである。どうやら色鳥町のご当地グルメ情報も仕入れていたらしい。

 そして、こうした地元トークは遠征ライブだとお客さんの食いつきが非常によかったりする。

 フルルを焚き付けて、地元トークに持って行ったジェーン。こっそりと他のメンバーへウィンクしてみせる。

 狙い通りに客席の反応は上々だ。

 

「なお、帰りの鞄にはまだ若干の余裕があるよ!」

「いや、どこの噺家さんだ」

 

 本気なんだか冗談なのかわからないフルルにすかさずイワビーがツッコミを入れた。

 そんなフルルに客席からも笑いが起きる。

 

「まぁ、フルルへのお土産はともかく」

 

 そこでリーダーであるコウテイが初めて口を開いた。

 

「我々PPP(ペパプ)から色鳥町の皆さんへプレゼントがあるんだ」

 

 その宣言に客席が沸く。

 今日、このライブで新曲発表があるらしいという噂があったのだ。

 否が応でも観客の期待は高まる。

 ここでそれを裏切るわけにはいかない。

 コウテイはチラとプリンセスへ視線を送り目で問う。

 

『探し物は見つかったのか?』

 

 と。

 プリンセスから返って来たのは自信満々の笑みだった。

 それを見たコウテイは愚問だった事を悟る。

 プリンセスがただ一人別行動を取っていたのは、この色鳥町の為に歌うというモチベーションを探る為だ。

 言い換えるなら、それはプリンセスというアイドルが歌う覚悟を決めるためであった。

 既にそれは十分、いや十二分である。

 プリンセスのやる気も客席の盛り上がりも今が最高潮だ。

 コウテイは作戦決行を決意した。

 

「我々PPP(ペパプ)からのプレゼントはここで初めて披露する新曲だ」

 

 その宣言に客席からは歓声があがる。

 と同時にPPP(ペパプ)メンバーそれぞれがスタート位置へとついた。

 プリンセスを中心に大きくXの字を描く配置である。

 それを見て、観客はセンターがプリンセスである事を察した。

 そのプリンセスがマイクを手に観客へ語り掛ける。

 

「皆さん。私は今日あらためて強く思いました」

 

 一体何を、と誰もがプリンセスの声に耳を傾ける。

 

「私は沢山の人達に支えられて、助けられてこのステージに立てるんだっていう事を」

 

 プリンセスがここに辿り着く為にまさに死力を尽くした人達がいる。

 

「だから、精一杯のありがとうを込めて歌います。聴いて下さい」

 

 一拍を置いてからプリンセスは曲名を宣言した。

 

「Cross Heart」

 

 客席がザワリとする前に、イントロが始まり照明はプリンセスのピンスポットライトを残して全て落ちる。

 ここまでは予定通りだ。

 ぶっつけ本番ではあるものの、スタッフ達もよく付いてきてくれている。

 もっとも、色々指示をだされているクロスラピスことルリは頭から煙を出しそうな勢いだったが。

 この盛り上がりなら歌で観客達の感情を束ねて地脈を浄化する作戦だって上手く行くに違いない。

 だが、まさにその瞬間だった。

 

―ビチャァアッ!

 

 天井に潜んでいたタコ型セルリアンがプリンセス目がけて落ちて来たのは。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 虚しく曲のイントロが流れる中、先程まで盛り上がっていた客席も水を打ったように静まり返る。

 なにせ先程までプリンセスがいた位置に突然巨大なタコのバケモノが現れたのだから。

 高圧配電盤のある部屋でクロスレンジャーが仕留めたと思っていたタコ型のセルリアンは、擬態を繰り返しこの場にまで逃げ延びていたのだった。

 これにはPPP(ペパプ)も裏方スタッフの誰もが何の反応も返せない。

 当のプリンセスはというと、固く閉じた瞳をおそるおそる開ける。

 

「へ?」

 

 プリンセスの目前にいたのは萌音(モネ)だった。

 愛用のエレキギター型武器の『バチバチ・ダブルV』を盾代わりに、辛うじてプリンセスを守ったのだった。

 

「こ、このぉ……重たいのよっ!」

 

 萌音(モネ)PPP(ペパプ)を守る戦士だ。

 だからこそタコ型セルリアンが忍び寄っていたのにただ一人寸前で気づく事が出来た。

 もうカラッケツの力を振り絞り、どうにかタコ型セルリアンを受け止めたのだ。

 だが、ここまでだ。

 周りはタコ型セルリアンの身体に包まれてしまっている。

 ちょうどプリンセスの頭上にタコ型セルリアンの口があり、寸前でそれを萌音(モネ)が『バチバチ・ダブルV』で受け止めている形だ。

 逃げ場もないし、萌音(モネ)がタコ型セルリアンを跳ね返すだけの力も残ってない。

 だが、それでも……。

 

「プー!」

 

 萌音(モネ)は諦めていなかった。

 

「歌いなさい!」

 

 他の者であればこんな時に何をと思うのだろう。

 けれど、プリンセスの瞳には再び炎が灯る。

 ここはステージで曲は既に始まっているのだ。

 だから、アイドルであるプリンセスはこんな事くらいで歌わないわけにはいかない。

 例えこれが最後の瞬間だったとしても、プリンセスは歌う。

 それこそがPPP(ペパプ)のプリンセスであるから。

 

例えばキミが寂しいなら

きっと私が通りかかるよ

 

「聴こえる……」

 

 客席の誰かが呟いた。

 確かにプリンセスの歌が聴こえるのだ。

 突然現れた化け物の中からプリンセスの歌声が聴こえる。つまり彼女は無事だ。それを悟って客席は沸き立つ。

 だが、このままでは萌音(モネ)が力尽きてプリンセスごと喰われるのだって時間の問題だ。

 だが萌音(モネ)は諦めない。

 

もしもキミが迷子なら

どうか私の手を取って

 

 プリンセスが諦めずに歌っているのだから萌音(モネ)だって諦めるわけにはいかない。

 

「気合と根性とほんのちょっぴりの筋肉があればだいたいの事は何とかなるのよっ……!!」

 

 萌音(モネ)は折れそうになる膝を叱咤してもうカラッカラの力を最後の一滴まで絞り出す。

 

雨の日。風の日。夜の闇

色んな日があるけれど

 

「(あと数秒でいいわ。もう一回だけスノーホワイトに……!)」

 

 スノーホワイトに変身しようとした萌音(モネ)の膝は、残念ながらガクリと折れた。

 だが、その身体をプリンセスが支える。

 

みんなの絆で乗り越えて

キミがどこにいようとも

必ず辿り着く

 

 歌いながらも萌音(モネ)を受け止めたその腕は力強かった。

 そうとも。

 ここで諦めてなるものか。

 ここでプリンセスを守らなくてどうする。

 その想いとプリンセスの歌に後押しされて萌音(モネ)はもう一度叫んだ。

 

「変ッ……身ッッッ!!!!!!」

 

さあ、キミも手を繋ごう

Cross Heart 心 重ねて

Cross Heart 絆 繋げて

 

 観客からは舞台に突然現れた化け物の身体、その奥から閃光が漏れ出たように見えた。

 それどころか、タコの化け物は高々と打ち上げられたではないか。

 沸き立つ観客は再び静まり返った。

 なんせ、タコの化け物が打ち上げられた事で再び現れたプリンセスが二人に増えていたのだから。

 

「ど、どういう事?」

 

 と誰もが戸惑いを隠せない。

 ただ、歌っている方のプリンセスとギターを逆手に構えた方のプリンセスは微妙に顔立ちが違うように思える。

 遥が見る限り、ギターを持っている方のプリンセスは萌音(モネ)にそっくりだった。

 

「ま、まさか……」

「変身したねぇ! これは興味深い! 興味深いよ!」

 

 遥が呆然とする横で和香教授は面白そうに喝采をあげつつ訊ねる。

 

「で、ルカ先輩。これはどういう理屈なんだい?」

 

 萌音(モネ)はヒトのフレンズではなかったはずだ。

 スノーホワイトというアルビノの姿に変身する技を持ってはいるが、フレンズの姿に変身出来る道理がない。

 

「まずね……スノーホワイトは単に自分の中にあるサンドスターを爆発させて一時的に身体能力を引き上げるだけの技なの」

 

 それは浦波流という流派における最大奥義であった。

 今目の前で起こっている事はおそらくその先にあるものだ、と遥は予想した。

 

「おそらくだけど、歌巫女の歌が萌音(モネ)に力を貸してくれているのよ」

 

 遥の推測が正しいのかどうかはわからないが、奇跡が起きた事だけは確からしい。

 その姿に観客達は思い至るものがあった。

 巷で噂になっている通りすがりの正義の味方の事を。

 

「まさか、クロスハート……?」

 

 誰かの呟きにプリンセスの姿に変身した萌音(モネ)はぶるぶると首を横に振った。

 今は曲の間奏中。

 その間に舞台演出を装ってPPP(ペパプ)全員が中央のプリンセスとプリンセスの姿に変身した萌音(モネ)の元に集まる。

 

「とりあえず萌音(モネ)はギター弾いてろ」

 

 イワビーが萌音(モネ)の『バチバチ・ダブルV』を逆手から順手になおしてくれた。

 さすがにプロのトップアイドル達だけあって、こんな時でもダンスの振り付けは完璧だ。

 

「で、何がどうなってやがる?」

 

 とイワビーが重ねて訊ねて来るが今はそれより大事な事がある。

 

「今はそれよりも、間奏の間に言い訳ぐらいは考えておかないとな」

 

 とリーダーのコウテイは苦笑していた。

 

「もういっそクロスハートが来てくれたって事にしちゃいます?」

 

 ジェーンの提案には一考の余地がある。

 観客は新たに現れた二人目のプリンセスをクロスハートではないかと思っているようだ。

 ここはそれに乗っかってしまうのもよいかもしれない。

 

「さすがにそういうわけにはいかないです」

 

 だが、プリンセスがそれに反対した。

 なんせ、クロスハートは今頃玄武大橋で大勢のギャラリーに目撃されているはずだ。

 そこに色鳥武道館でもう一人クロスハートが現れたとなったらどうなるか。

 おそらくクロスハートは二人いるという事になるし、そこから混乱と憶測が飛び交うのは想像に難くない。

 その憶測のせいでともえ達の正体がバレる可能性だってゼロではないだろう。

 

「だったら萌音(モネ)ちゃんもなっちゃったら? 別な通りすがりの正義の味方に」

 

 実に気楽に言うのはフルルだ。

 確かに、萌音(モネ)がプリンセスを助けに駆け込んだところはハッキリ見られていないし、再びプリンセスが現れた時には既に変身状態だった。

 なので、新たな通りすがりの正義の味方が現れた、としておいた方が納まりは良さそうに思える。

 ただ、それだって問題がある。

 

「でも名前どうするのよ?」

 

 練習に付き合っていた萌音(モネ)も新曲の譜面は頭に入っていた。なのでギターで伴奏もどうにかなっている。だが、同時に間奏がもうすぐ終わる事も分かっていた。

 残る時間はあとわずかだ。

 その間に名乗るべき名前を決めてしまわないといけない。

 

「そうだな……我々は浦波流だろう? 浦波を英語になおしてブレイカーズ。クロスブレイカーズ……とか?」

 

 少し考えた後にコウテイが言う。

 彼女達が所属するブレイカーズ・プロダクションの由来も同じだったりする。

 急場凌ぎとしては悪くない。

 だが、そこにフルルが割り込んだ。

 

「えぇー? せっかくの(クロス)をブレイクしちゃうのもったいなくない?」

 

 確かに!

 とPPP(ペパプ)萌音(モネ)もそう思ってしまう。

 なんか悪者っぽい名前と受け取られかねない。

 かといって、残り僅かな時間で妙案が思い浮かぶでもなかった。

 どうするかと焦るPPP(ペパプ)萌音(モネ)

 その時だ。

 

『ならば』

 

 PPP(ペパプ)が付けたインカムに声が届いた。

 

『私のお古で悪いんだけど使ってくれたなら嬉しいよ』

 

 それは和香教授だった。

 未だ固まったままの遥を抱き寄せて、彼女が着けたインカムに口を近づけて通信してきたのだ。

 和香教授が言った事はPPP(ペパプ)の誰もが理解していた。

 今の急場を凌ぐなら、これしかない。

 間もなく間奏も終わりになるからセリフを入れるならこれが最後のタイミングだ。

 萌音(モネ)は意を決すると、観客に向かって高らかに宣言した。

 

「私は……クロスメロディー! 通りすがりの正義の味方、クロスメロディーよ!」

 

 萌音(モネ)……いや、クロスメロディーは心の中で「二代目だけどね」と付け加える。

 どうやら舞台演出だと思い込んだ観客達は打って変わって盛り上がった。

 さて、こうなったら舞台演出のふりを押し通さねばならない。

 タコ型セルリアンは、天井に叩きつけられた後、そのままへばりついたままだ。

 クロスメロディーの勝利条件は①にPPP(ペパプ)全員を守る事。②に観客に被害を出さない事。そして③にこのままライブを止めずにセルリアンを倒す事である。

 さて、どうしたものか。

 クロスメロディーが天井のタコ型セルリアンを睨みつけて思案していると、舞台袖から声があがった。

 

「クロスラズリ! 飛ばして!」

「おうよ!」

 

 それはクロスハート・ともえフォームに変身した萌絵と遅れて駆けつけたクロスラズリことアムールトラのものだった。

 クロスラズリはクロスハートを抱え上げると、天井へ向かって投げつける!

 クロスラズリのパワーは軽々と色鳥武道館の天上までクロスハートを届けた。

 しかし、それでどうにか出来るのか……。

 

「いくよぉ! ゴロゴロ・フライングVッ!!」

 

 クロスハートが伸ばした右手にサンドスターが集まり何かを形作る。

 それはVの字を逆さまにしたボディを持つエレキベースだ。

 クロスメロディーの持つ『バチバチ・ダブルV』を参考にした武器だろう。それを未来から取り寄せたわけだ。

 ちなみにエレキベースは昨日、プーと一緒に『Bard-OFF』で見たから参考材料は十分である。

 

「れっつ……ロックンロールッ!!」

 

 クロスハートは『ゴロゴロ・フライングV』のネックを握って振り抜き、そのボディをタコ型セルリアンへ叩きつけた。

 

―ギョォオオオオッ!?

 

 タコ型セルリアンはその一撃を受けて舞台上へ叩き落された。

 ただ、さっきと違うのは、PPP(ペパプ)よりも背後側、今日はいないがバックダンサーなどが位置どる場所に落とされた事だ。

 それを見た遥はクロスハートが何をするつもりなのか悟った。

 

「そういう事ね! ルリちゃん! 8~12番のスモーク入れて! でもってプロジェクターも起動!」

 

 本来はここで使うつもりではなかった演出用の器材を惜しまず投入を指示する遥。

 クロスラピスはその指示に従って繋げた機械達を操作した。

 

―ブシュウウウウッ!!

 

 巻き上がった真っ白なスモークがステージ前側と後ろ側を両断する。

 セルリアンのいる後ろ側はすっかりスモークで隠されてしまった。

 さらに、起動したプロジェクターから放たれるレーザー光がスモークに映し出される。

 これならば舞台演出のフリをしてセルリアンと戦えるかもしれない。

 その上、戦うのに十二分な広さがある唯一の場所でもある。

 

「じゃあ……いってくるわね!」

 

 間奏の終わりと共にクロスメロディーはスモークの中に突っ込む。

 ちょうど観客達からはスモークの中に逆光でクロスメロディーとタコ型セルリアンのシルエットが見えている格好だ。

 

「さぁて! It's Rock'n' Roll Time!!」

 

 クロスメロディーは伴奏のBGMに合わせて『バチバチ・ダブルV』をかき鳴らしつつタコ型セルリアンを睨みつける。

 

―オォオオオオオッ!

 

 タコ型セルリアンはドラムコードの脚を振り上げて、それを目の前にいるクロスメロディーへ叩きつけようとした。……が。

 

―ガィイイイイイイン!

 

 舞台上に、楽器を叩きつけた時特有の不思議な重低音が響いた。

 

「いえす! ロックンロールッ!」

 

 それは天井から飛び降りざまにクロスハートが叩きつけた『ゴロゴロ・フライングV』の放った音である。

 クロスハートはそのままクロスメロディーと背中合わせになると『ゴロゴロ・フライングV』を順手になおして伴奏に合わせてつま弾いてみせる。

 萌絵はさっきのリハーサルで譜面を見せられていた。

 ヒトのフレンズであるともえから力を借りたクロスハート・ともえフォームはヒトの域を出ない。けれど逆にヒトが出来る事なら大体出来るという特性を持っている。

 なので、即席コンビでの演奏だってお手の物だ。

 伴奏にエレキギターとエレキベースの生演奏が加わわる。

 観客達はスモークの向こうに見える二人のバックバンドにも歓声を送った。

 クロスハートとクロスメロディーのセッションにはしかし、邪魔者だっている。

 

―グォアアアアアアアッ!

 

 タコ型セルリアンは咆哮と共に再び二人へ向けてタコ脚をムチのように叩きつけた。

 

―バチン!

 

 しかし、それは二人が左右に散った事で虚しく床を叩いただけだ。

 だが攻撃はそれだけで終わらず、タコ型セルリアンはタコ脚を振り回し続ける。

 幸いPPP(ペパプ)達のいるステージまでは届かないが、いつそちらを狙うかわからない。

 

「だったら……!」

 

 クロスメロディーは叫ぶ。

 

「チェンジ! イワトビペンギンスコア!」

 

私は速く走れないけれど

みんなの絆が背中を押すよ

 

 ちょうど、曲は各々のソロパートへと移行していた。

 今はイワビーの持ちパートである。

 宣言したクロスメロディーの身体はサンドスターの輝きに包まれ、一瞬後に今度はイワビーの格好へと変化していた。

 

「全開……!」

 

 稲妻のようにジグザクに跳ねたクロスメロディーは攻撃をかいくぐってタコ型セルリアンの懐に潜り込む。

 

「Rock'n'Soul!」

 

 クロスメロディーは逆手にした『バチバチ・ダブルV』にサンドスターをかき集め一閃!

 タコ型セルリアンの脚を斬り飛ばす。

 一瞬演奏が途切れるが、そこはクロスハートが即席アレンジでカバーしていた。

 だが、そのダメージもなんのその。タコ型セルリアンは脚を再生しようとしていた。

 モコモコと黒い水が泡立つように再び脚が形作られようとしている。

 

「次ッ! チェンジ! フンボルトペンギンスコア!」

 

 クロスメロディーが叫ぶのと、曲がフルルのソロパートに入るのは同時だった。

 

私だって転ぶ事もあるけれど

あなたの心が私を強くする。

 

「マイペース・メロディー!」

 

 クロスメロディーが奏でるメロディーを聞いたタコ型セルリアンの動きが鈍る。

 再生しようとしていたタコ脚もその速度が遅くなっていた。

 そして次はジェーンのソロパートである。

 

たとえ涙が出そうになったって

みんながいるから No Problem!

 

「でもって……ジェンツーペンギンスコア!」

 

 同時にクロスメロディーも再び変身する。

 今度はジェーンの格好だ。

 

「Let's Cheer Up!」

 

 その姿で奏でる『バチバチ・ダブルV』の音色はクロスハートの力を湧き立たせた。

 フンボルトペンギンスコアの『マイペース・メロディー』が敵へのデバフ技であるなら、こちらは味方へのバフ技である。

 

「いくわよ、クロスハート」

「OK、クロスメロディー」

 

 続けて曲はコウテイのソロパートへ入ろうとしていた。

 

私に翼はないけれど

みんなに翼を借りて飛んでくよ

 

「チェンジ! コウテイペンギンスコア!」

 

 クロスメロディーの身体はまたもサンドスターの輝きに包まれる。

 それが晴れた時、クロスメロディーはコウテイの姿へと変身していた。

 そして、クロスメロディーとクロスハートは二人でタコ型セルリアンへ突撃!

 未だタコ脚を再生しきれていないタコ型セルリアンは反応しきれなかった。

 

「大空……」

「「ドリーマー!!」」

 

 エレキギターとエレキベース。

 その二つが下から上へ振り抜かれた。

 

―ガコォオオオオン!

 

 二つの打撃音は同時に響いてタコ型セルリアンを宙へと浮かす。

 その『石』の在り処をクロスメロディーは知っていた。

 その位置はタコ脚の生えた胴体中央、タコの口の位置にある。

 普段は巨体と脚で隠されているから、こうして浮かさないと狙えない。

 つまり、今が千載一遇のチャンスだ。

 

「決めるわよ! プー! ロイヤルペンギンスコア!」

 

 これがラストだ。

 曲は再びセンターであるプリンセスをメインにしたパートへ戻っている。

 

だから必ず辿り着く

たとえ何があったって

キミと心重ねに行くよ

 

 クロスメロディーもまた、最初と同じくプリンセスの姿へと戻った。

 クロスメロディーがぐっと姿勢を低くして力を溜める。

 

「ロイヤルッ! ストレート・フラァアアアアアッシュ!!」

 

 叫びと共にクロスメロディーは一条の閃光となった。

 それは宙に浮かされたタコ型セルリアンを貫く。

 

―パッカァアアアアアアン!

 

 閃光はタコ型セルリアンの『石』を砕いた。

 キラキラとしたサンドスターの輝きが周囲を満たす。

 

「あ……!?」

 

 と同時、音響照明ブース内で機械を操るクロスラピスがある事に気が付いてしまった。

 もうスモークの残量がない。

 今までクロスハートとクロスメロディーの姿を覆い隠してくれていたスモークが途切れようとしていた。

 そうなると、フレンズの姿に変身しているクロスメロディーはともかく、ともえの姿に変身しているクロスハートの方は大騒ぎになってしまうだろう。

 が……。

 

―ビュンッ!

 

 舞台袖から猛スピードで飛び出したクロスラズリが着地したクロスメロディーとクロスハートの二人を抱えると逆側の舞台袖へ飛び込んだ。

 舞台演出の振りなんて器用な真似が出来そうもなかったのでピンチになるまで控えていたが、その甲斐があったようだ。

 結果、観客からは謎の巨大タコのシルエットがなくなったと思ったら謎のバックバンドも消えているという事態になっていた。

 曲の方は再び短い間奏へ入る。

 

―ワァアアアアッ!

 

 舞台演出はともかく、観客の盛り上がりは最高潮だ。

 キラキラと輝くサンドスターの残滓は舞台上のPPP(ペパプ)を照らしだす。

 そのまま曲はサビの繰り返しパートへ突入した。

 

Cross Heart 心 重ねて

Cross Heart 絆 繋げて

Cross Heart 心 重ねて

Cross Heart 絆 繋げて

 

キミがどこにいたとしても

必ず辿り着く

 

その名は Cross Heart

 

 

 最後のパートとなるサビを歌い切り、PPP(ペパプ)の五人は決めポーズで動きを止める。

 と同時、照明が落ちてバックライトのみになった。

 客席から見て逆光となるライトはPPP(ペパプ)五人のシルエットを映す。

 

 曲の終わりから数瞬の間を置いて

 色鳥武道館には今日一番の歓声に包まれた。

 

 

 

 

―エピローグへ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ


【ヒーロー紹介:クロスメロディー】

 浦波 萌音(モネ)PPP(ペパプ)の力を借りて変身した姿。
 歌巫女であるPPP(ペパプ)から力を借りている為、彼女達が側で歌っていないと変身できない。
 なお、クロスメロディーは2代目であり、初代は教授こと宝条和香である。

【ロイヤルペンギンスコア】
パワー:B スピード:C 防御力:C 持久力:B
 ロイヤルペンギンのフレンズであるプリンセスから力を借りた状態。
 クロスメロディーの基本形態でもある。
 必殺技はアイドルとしての輝きを身に纏って突撃する一閃『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』だ。
 

【イワトビペンギンスコア】
パワー:C スピード:B 防御力:C 持久力:B
 イワトビペンギンのフレンズであるイワビーから力を借りた状態。
 萌音(モネ)はイワビーから楽器の演奏を教わった為、プリンセスに次いで相性がよかったりする。
 機動力に優れるこの形態での必殺技は稲妻のようにジグザグに跳ねまわり攻撃を繰り出す『全開! Rock'n' Soul』だ。


【フンボルトペンギンスコア】
パワー:C スピード:D 防御力:A 持久力:B
 フンボルトペンギンのフレンズであるフルルから力を借りた状態。
 マイペースが過ぎて、たまにダンスでも一拍遅れてしまう事も多いフルルから力を借りているせいか、この形態での必殺技は『マイペース・メロディー』である。
 音色を聞いたセルリアンはあらゆる速度が遅くなってしまうデバフ技だ。


【ジェンツーペンギンスコア】
パワー:C スピード:C 防御力:B 持久力:B
 ジェンツーペンギンのフレンズであるジェーンから力を借りた状態。
 正統派アイドルであるジェーンから力を借りて放つ必殺技は『Let's Cheer Up!』だ。
 こちらは聞いた味方の身体能力を向上させるバフ技となっている。


【コウテイペンギンスコア】
パワー:A スピード:B 防御力:D 持久力:B
 コウテイペンギンであるコウテイから力を借りた状態。
 PPP(ペパプ)リーダーであるコウテイであるが、実は一番空への憧れを持っている。アイドルになっていなかったら飛行機のパイロットになりたいと思っていた程だ。
 そんな彼女の力を借りて放つ必殺技は『大空ドリーマー』である。
 敵を宙空へと放り上げる打ち上げ攻撃だ。
 なお、必殺技名がPPP(ペパプ)代表曲名になっているのはリーダー特権である。



 

 『two-Moe』の入り口にはいつもなら『CLOSE』の札が掛かる時間である。

 けれど、今日掛かっている札は『本日貸し切り』だった。

 中を覗いて見れば、店主である春香が一人厨房で大量の食材相手に格闘する姿が見える。

 

「さぁて、そろそろね。一番は誰かしら」

 

 仕上がったクリームシチューの味を見ながら、春香は笑みを浮かべる。

 

「ただいまぁー!」

「「遠坂 春香! 我々は料理を求めているのです!」」

 

 どうやら一番乗りはともえとコノハ博士&ミミ助手らしい。

 

「アライさんも! アライさんももうお腹と背中がくっつきそうなのだー!」

「それは大変だねぇ。でも、春香さんが誘ってくれて助かったよねー」

 

 そして続くのはアライさん、その後ろをフェネックがいつもの微笑でついていく。

 連戦続きでサンドスターを大量に消費したであろう通りすがりの正義の味方達。

 春香はドクター遠坂に頼んでみんなを『two-Moe』に来るよう連絡していた。

 

「あの……い、いいんですか? ボク達、今日もトリプルシルエットを使っちゃったから相当に……」

 

 と言いつつやって店内に入って来るのはかばんであった。

 かばん達クロスシンフォニーチームは切り札であるトリプルシルエットを使用済みだ。

 トリプルシルエットは凄まじい力を発揮してくれるものの、使用するとかなりの消耗を強いられる。

 それを回復するには大量の食事が必要になるので、主に星森家の家計へ多大な負荷がかかるのだ。

 

「大丈夫、大丈夫。心配いらないわよ。その辺りはちゃーんとスポンサーさんがいらっしゃるから」

 

 言いつつ春香は片手に2皿、計4皿のスープ皿を運びつつにこやかに答えた。

 

「あ、あの!? 春香お母さん!? わたしも手伝いま……」

「はいはーい! お手伝いなら私も……」

「あ、ボ、ボクも!?」

 

 春香は一人で調理から給仕までを担当するつもりらしい。

 それに対してイエイヌとサーバルとかばんがお手伝いを申し出ようとしてくれたが……。

 

「はーい、腹ペコさん達は座って座って。今日は気兼ねなく沢山食べてね」

 

 春香がイエイヌとサーバルとかばんの間をスルリとすり抜けると、一体何をどうやったのか、三人はいつの間にかテーブルについていた。

 手品の如き所業であったが、そればかりではなく、三人の前にはいつの間にやら湯気を立てるクリームシチューがサーブされているではないか。

 本当にこのまま何もせずにいていいものか、とかばんが迷っている間に……。

 

「「おかわり! 我々はおかわりを要求するのです!」」

「あ、アライさんもー! アライさんもなのだー!」

 

 既に博士と助手に加えてアライさんは一杯目を食べ尽くしてしまったらしい。

 おかわりを要求された次の瞬間には、春香がスルスルとテーブルの隙間を縫っていつの間にやら新しい皿がサーブされている。

 

「はい、ともえちゃんも心配いらないから沢山食べてね?」

 

 しかも大皿に盛りつけられた唐揚げまで追加されているではないか。

 実を言うと春香は今日の15時くらいからずっと下拵えをしていた。きっと娘達ならば何とかするに決まっているが、きっとお腹を空かせて帰って来るに違いないと思っていたからだ。

 なので、彼女達が満腹になるまで調理し、盛り付けし、サーブする覚悟を決めていたのだった。

 早くも下拵え済みの食材が物凄い勢いで減りつつある。

 だが、こんな程度で負けるわけにはいかない。

 まだまだ春香にだって策は残っている。既に作り置いてあるカレーソースにミートソースだってある。パスタは吸水させて短時間で茹で上がるようにしてあるし、業務用炊飯器はフル満タンで炊き上がっているし、しかも冷蔵庫に冷や飯もタッパに入れてある。

 

「(ふふ……。腕が鳴るわぁ)」

 

 さて、この腹ペコさん達をどうやってお腹いっぱいにしてやろうか。

 春香は思いつつフル稼働状態のキッチンを一人で捌く。

 今のところ、情勢は春香に有利だ。

 奈々達に頼んで大量の食材を商店街から配達してもらった甲斐があるというものだ。

 だが、刻一刻と変わっていた戦況把握と食材発注まで一人でこなせたわけではない。

 

「まぁ。今回わらわが出張らんでも色鳥武道館は何とかなりそうじゃったからのう」

 

 ユキヒョウがしれっとテーブルの隅でお茶を飲んでいる。

 戦況オペレートと食材発注はユキヒョウが担当だったのだ。

 色鳥武道館にセルリアンが出るかもしれないと聞いた時、ユキヒョウはルリ達の足手まといにならないように居残りをしていたのだが、それだけではいてもたってもいられず、それならばという事で春香の手伝いに回った。

 ユキヒョウがいなかったら、既に第一波であるともえとイエイヌ、それにクロスシンフォニーチームのみんなで食材の大半を使い切っていたはずだろう。

 だが……。

 

「(しかし、春香殿……。この後をどう捌くのかのう?)」

 

 普段料理もするユキヒョウだが、この春香が支配する戦列(キッチン)に加われる気はしなかった。

 現在は拮抗しているように見えるが、この後はやはり精魂尽き果てるまで戦った腹ペコさん達が大量に押し寄せる予定である。

 ユキヒョウの見立てだと、次に来るのはクロスレインボーチームの二人だった。

 

「こんばんわー。私達もお呼ばれしちゃってよかったの?」

「でもありがたいわ。もうクタクタのお腹ペコペコだったもの」

 

 ユキヒョウの予想は大当たりだったようで菜々に続いてカラカルがやって来た。

 

「もちろんよ、菜々ちゃんとカラカルちゃんには和香ちゃんがすっかりお世話になってたみたいだもの。そのお礼もしなきゃだから遠慮しないでね」

 

 二人もテーブル席につけると、春香は変わらず調理と給仕に余念がない。

 続けては既に仕込んで切り分けるのみとなっていたサンドイッチ達の登場だ。

 具材の馴染み具合を確かめてから、春香はサンドイッチ達も大皿に盛り付けると素早くサーブへ移った。

 早速カラカルがそのうちの一つ、BLTサンドをつまみつつ訊ねる。

 

「で、結局そっちはどうなったの?」

 

 カラカルと菜々は色鳥武道館手前で力尽きてしまった。

 それから少し休んで『two-Moe』へと戻ってきたところだったので、その後がどうなったのかは全くわからないのだ。

 

「ええと……こっちはセルビャッコさんは帰ってくれたので何とかなったと思います」

「こっちはセルセイリュウちゃん? ……ちゃんでいいのかなぁ? も逃げちゃったし、プーちゃんの“輝き”をセルリアンにされたけど、それも倒したから問題ないはずだよ」

 

 かばんの説明の後にともえが続く。

 その説明通りなら、あとは色鳥武道館へ向かった和香教授やクロスジュエルチームのみんな、それにセルリアンフレンズの三人が何とかしてくれるに違いない。

 

「それに萌音(モネ)ちゃんもいるんだもん。きっと何とかなってるよ」

 

 実に気楽に言って見せる菜々だったが、その場の誰もがそう思っていた。

 時計を見れば、もうPPP(ペパプ)ライブは終了している頃合いだ。

 ユキヒョウの携帯電話が震えて着信を告げる。

 連絡は和香教授からだった。

 

「ふむ。そうか……なるほどのう。わかった。して、そちらは? ……うむ。伝えておこう」

 

 何度かのやり取りをする通話の間、賑やかだった店内は静まり返る。

 きっと結果を伝えるものだったのだろうから、誰もが固唾を飲んでユキヒョウの続く言葉を待つ。

 

「まずの。みな無事で作戦は成功じゃ」

 

 その宣言にワッと店内が沸いた。

 

「会場にいくらかセルリアンが出たそうじゃが、みんなで何とかしたそうじゃよ」

 

 ユキヒョウの言葉にみんなが「やっぱり!」と言い合う。

 

「じゃが……まぁ、落ち着いて聞いて欲しいのじゃが……」

 

 ユキヒョウは一度言葉を濁すものの、意を決して一息に言った。

 

「萌絵先輩殿が変身したそうじゃ」

 

 先程まで淀みなく動いていた春香の動きが一瞬止まる。

 萌絵が変身したという事はこの後体調が崩れるという事だ。

 

「とりあえず、萌絵のベット用意してくるナ」

 

 ともえ達と一緒に帰って来ていたラモリさんがピョインピョインと跳ねて二階の住居部分へ上がる。 

 萌絵が戻ったらすぐに休ませられるようにしておかないといけないので、非常に助かる。

 けれど、春香は計算が狂っていた。

 

「どうしましょう。あんまり消化によさそうなモノは作ってないわ」

 

 今のところ作っているのはお腹に溜まりそうな物や食べ応え重視で揚げ物がメインだ。

 出来れば萌絵が帰ってきたら早急に栄養補給させて寝かせるのが一番いいのだが、さて、そのメニューにまで手が回るか。

 

「お母さん。萌絵お姉ちゃんの分はアタシが作る」

 

 そこに助け船を出したのがともえだ。

 ともえは萌絵が体調を崩した時によく食事のお世話もして来た。なので定番メニューもある。

 

「そうね。お願いしていい?」

 

 春香もここは素直に甘える事にした。

 頑張ったみんなに出来るだけゆっくりして欲しかったが、そうも言っていられない事態と判断したらしい。

 そこにユキヒョウが一言を付け加える。

 

「その……ともえ先輩殿。二人分頼んでもよいかの?」

 

 一人目は萌絵の分としてもう一人は一体誰だろう?

 そう思うともえにユキヒョウが答えを返した。

 

「実は……萌音(モネ)殿も現在絶賛ダウン中だそうじゃ」

 

 再三に渡りスノーホワイトになった事に加えて、色鳥武道館でクロスメロディーにまで変身した事で限界を越えて疲労してしまったらしい。

 ライブ終了と同時に気を失ったそうだ。

 

「うん、とりあえず萌絵お姉ちゃんのと同じものなら消化にはいいから大丈夫だと思うよ。イエイヌちゃんも手伝ってね」

「はい! お任せ下さい!」

 

 言ってともえとイエイヌもラモリさんを追って二階の住居部分へ上がる。

 二階にもキッチンはあるから調理をするのに不足はない。

 それに、こういう場面ではともえは『ともえスペシャル』を作らない事を全員が知っていた。

 ついこの前まで萌絵が体調を崩したら、表面上は取り繕って内心凄く焦っているともえだったが、最近では慌てはしても焦る事まではないように思える。

 

「いつものヨーグルトにハチミツ混ぜて、カットバナナとすりおろしリンゴを足してもいいね」

「じゃあ、わたしヨーグルトにハチミツ混ぜるのやります!」

 

 実はヨーグルトにハチミツを混ぜるのは美味しいのだが、中々均一に混ざらないので根気のいる作業だったりする。イエイヌならば適任だ。

 そんなイエイヌにともえは一度微笑むと、ふ、と思いついたように「あ。」と声をあげる。

 何事だろうと思うイエイヌにともえはこう言い放った。

 

「ねえ……。いっそのことマヨネーズも混ぜたらさらに栄養豊富にならないかな……?」

「絶対やめましょう」

 

 キッパリ言ってイエイヌは呆れ半分の半眼をともえに向けた。

 続けて萌絵が体調を崩したと聞いても余裕が出たのはいい事だけれど、余計な事を試そうとする余力まで生まれてしまったのはどうしたものかと苦笑する。

 

「えぇー!? でもさ、萌音(モネ)姉ちゃんはすっごい疲れてると思うから栄養ありそうな感じで仕上げたいんだよぉ!」

「普通でいいんです。普通で」

「イエイヌちゃーん!?」

 

 言いつつ二人して二階のキッチンでワイワイ調理を始めていた。

 で、肝心の萌絵と萌音(モネ)の二人はどうしているかというと……。

 

「二人はハクトウワシ殿と教授殿が車で送ってくれるそうじゃ」

 

 ユキヒョウが今しがた来たばかりのメールを見ながら言う。

 しかし、二台で分乗という事は他にも誰か戻って来るのだろう。

 

「クロスジュエルチームの皆とオオセルザンコウ殿たちも一緒じゃよ」

 

 なるほど、それなら車二台で分乗というのも頷ける。

 

「あらまぁ。じゃあまた腹ペコさん達が追加ね」

 

 春香は腕まくりして調理を加速させていた。

 フライパン三枚を同時に駆使しての大盛ペペロンチーノにパエリアを仕上げていく。

 焦ってはいけない。大量に作ろうとフライパンに大量の食材を入れてしまうと火が通りにくく、かえって調理に時間がかかるばかりか味も落ちてしまう。

 だから、大量に短時間に作ろうと思うなら……。

 

「フライパン自体を増やしちゃった方が効率いいのよね」

 

 三枚ですら曲芸のようだったのに、いつの間にやらフライパンは五枚に増えていた。

 春香は歴戦の勘でもって食材への火の通り具合や味の馴染み具合を見極めながら、五枚のフライパンと三口のコンロを華麗に操る。

 フライパンを入れ替えて温度が下がらないように次々とコンロ上に乗せる物を交代していく。

 春香の奥義の一つ、フライパンジャグリングである。

 フライパンを入れ替える際に食材をかき混ぜて焦げ付き防止、余熱で火を通していいかどうかの判断などなど熟練以上の技が要求される奥義だ。素人にはオススメできない。

 だが、時短効果はバッチリで各テーブルに大皿パスタとパエリアがサーブされるのは驚異的な早さと言っていい。

 それと同時に再び『two-Moe』の扉が開く。

 どうやら追加の腹ペコさんが帰還のようだ。

 

「やあ、ただいま」

「Wow! 美味しそうな匂いね!」

 

 やってきたのは和香教授とハクトウワシの二人だった。

 その後には……

 

「ほれ、ついたでー。しっかりするんや」

 

 萌音(モネ)を負ぶったアムールトラと……

 

「ルリちゃあーん、もう歩けないから運んでぇー」

「あ、はい!」

 

 限界を越えたせいですっかり甘えん坊モードに切り替わった萌絵を連れたルリの二人が続く。

 そこからさらに……。

 

「なんか萌絵先輩ってこんなんになるんだな」

「ねー、なんか新鮮」

 

 苦笑するエゾオオカミと萌絵を覗き込むマセルカ。

 

「せっかくライブ会場では格好よかったのにこれでは締まりませんね」

「まぁ、大活躍だったからこれくらいは許されるさ」

 

 とこちらも苦笑交じりのセルシコウにオオセルザンコウが続く。

 ちなみに、彼女達四人は溶けてる萌絵を見た事がない。なので驚きが6割。呆れが1割。残りの3割が「こういうのも萌絵っぽいかもしれない」という気持ちだ。

 ただ、こうなった萌絵の扱いにかけてはともえとイエイヌの右に出る者はいない。

 

「ルリちゃん、ありがとうね」

 

 早速ともえは萌絵を受け取る。

 そして素早く額に手を当てて熱を測るが、まだ本格的に体調が崩れる前だったらしい。

 

「よし! イエイヌちゃん! 萌絵お姉ちゃんに目一杯食べさせちゃって!」

「ラジャーです!」

 

 ならば、ここは食欲がなくなる前にしっかりと栄養補給だ。

 萌絵は早速イエイヌに「はい、あーん」をおねだりしていた。

 

「萌絵姉ちゃんの方はこれでええとして、こっちはどないするん?」

 

 そんな光景を眺めつつアムールトラは背負った萌音(モネ)へ視線をやる。

 彼女はセルリアンを倒すと同時に気を失って今まで眠ったままだ。

 命に別状はなさそうだから、このまま休ませてやるのがいいように思える。

 が……。

 萌音(モネ)の鼻がひくひくと動いた。

 今の店内は美味しそうな匂いで満たされている。

 フェネックがニヤリと笑みを深くしつつ萌音(モネ)に近づく。片手にフォークに刺した唐揚げを持って。

 

「ほれー。萌音(モネ)ちゃーん。早く起きないとみんな食べられちゃうよぉー」

 

 そのまま萌音(モネ)の鼻先に唐揚げを突き付けると……。

 

「わ、私の分も残しといてー!?」

 

 ガバリ、と萌音(モネ)が目を覚ました。

 目を覚ましたはいいが、しばらく状況を把握できなかった萌音(モネ)は辺りをキョロキョロと見回す。

 そして……。

 

「もしかして、天国?」

 

 と勘違いした。

 なんせ彼女自身は戦いの結末がよくわからないままに眠りに落ちて、目を覚ましたら山盛りの美味しそうな料理が並んでいるのだ。

 

「んなわけないでしょうが。試しに食べてみなさいな」

 

 カラカルも近づいて来てサンドイッチを差し出す。

 萌音(モネ)はフェネックの唐揚げとカラカルのサンドイッチをしばらく眺めると……。

 

―パク。パク。

 

 二つとも一息に食べてしまった。

 でもって……

 

「美味しい!」

 

 目を輝かせる。

 こんな美味しい物は夢でも食べられないだろう。

 という事はここは現実だし、間違っても負けて天国に来たわけでもない。

 

「後で色々説明するから、まずは腹ごしらえといこうじゃないか。二代目君?」

 

 言いつつ、ニヤリとした和香教授がテーブルへ萌音(モネ)を案内する。

 そこで先にテーブルに付いていた菜々が萌音(モネ)の分の料理を取り皿に取りつつ言う。

 

「和香さん、二代目ってなあに?」

 

 和香教授が萌音(モネ)を二代目と呼んだ事が気になったのだ。

 

「はっはっは。実はここにいる浦波 萌音(モネ)君こそが二代目クロスメロディーなんだよ」

 

 和香教授はもうクロスメロディーにはなれない。

 それは彼女が別世界の女王種と融合した為だ。それは変身の為の容量を全て使い切ってなし遂げた事でもある。

 今の状態で変身しているようなものであり、ここからさらに変身する事は出来ないのだ。

 だからこそ、もう一度思い出のあるクロスメロディーを名乗るヒーローが現れてくれた事が嬉しくもある。

 だが、そうなるとカラカルには一つ心配な事があった。

 

「まぁ、萌音(モネ)なら心配はないだろうけど和香にだけは似ないで欲しいわね」

「カラカル!? 私そろそろ泣くよ!?」

 

 名前を継いでもズボラなところまでは似ないで欲しいというカラカルの願いに和香教授は絶叫してしまった。

 

「でも、そういう事ならますます沢山食べてもらわないとねー」

 

 既に夢中で料理をパクついていた為ハムスターみたいにほっぺたを膨らませた萌音(モネ)に対し、菜々は追加をよそってあげる。

 クロスメロディーは彼女達の世界にとって救世の英雄だ。

 その名を継ぐ子ならばこのくらいのサービスをしたってバチは当たるまい。

 

「ふぅむ。病人食でなくともよかったかもしれんのう」

 

 そんな萌音(モネ)の様子を見るユキヒョウは一人苦笑する。

 ともえ達に萌音(モネ)の分も消化によさそうな食事を頼んでしまったのは蛇足だったかもしれない。

 

「そんな事ないよ。ほら」

 

 ともえが言う通り、萌絵の為に用意したヨーグルトとカットフルーツのハチミツ和えは既に一人前を平らげて萌音(モネ)の分へ手が掛かっていた。

 結果オーライである。

 

「これだけ食欲があるなら、体調悪くなってもすぐによくなるかな」

 

 萌絵はイエイヌに「はい、あーん」をしてもらいつつ、ついでに抱き着いてモフモフ成分も補給していた。

 いたれり尽くせりでご満悦の萌絵である。

 

「でも、何があったの?」

 

 ともえとしてはそこが疑問だ。

 萌絵は以前「よっぽどの事がないと今後変身はしない」と言っていたはずだ。

 つまり、よっぽどの事があったという事だ。

 

「あのね! ともえさん! 萌絵さんすっっっっごい格好よかった!!!」

 

 そこにルリがキラキラした目で詰め寄った。

 そして両手をぶんぶん振り回しつつ、ライブ会場であった出来事を話す。

 萌絵がプリンセスの代理としてリハーサルに参加した事、ギリギリにステージへ到着したプーの為に急遽クロスハート・ともえフォームの技でもって変身アイテムを届けた事。

 そして、ステージに乱入したセルリアンを倒す為に自らも舞台へ乱入し萌音(モネ)の変身したクロスメロディーと共にセルリアンを倒した事。

 それを聞いたともえの心境は一つだ。

 

「なにそれ……めっっっっちゃ見たかった!!!」

 

 つまるところ、今日一日、萌絵はPPP(ペパプ)の一員だったのだ。

 そんな姿を見逃してしまったとは!

 

「ねえねえ、萌絵お姉ちゃん! ルリちゃん! 誰でもいいから写真とか撮ってないー!?」

 

 だが、残念ながらステージ内はもちろん、会場内でも写真撮影も録音も禁止である。

 一部の例外を除いては。

 

「ありますよ」

 

 ニョキリ、と生えて来たのはマーゲイであった。

 彼女こそが例外の一人。PPP(ペパプ)ライブの関係者にしてスタッフの一人である。

 記録用のデジタルカメラを取り出すと、いくつかの写真をディスプレイに表示して見せる。

 

「ほら、これなんか萌絵さんがプリンセスさんの衣装を着ているところですね」

「おおおおおお!」

 

 見逃してしまったかと思っていたものが見れてともえは大満足だった。

 

「ひょぇええええ!? 見ちゃダメぇえええ!?」

 

 これに大慌てだったのは萌絵である。

 まさか写真が残っているとは思っていなかった。

 しかもそれがともえに見られてしまうとは。とても格好よかったのだから別に恥ずかしがる事はないと思うのだが姉心とは複雑なのである。

 だが、続くマーゲイの言葉に萌絵は少しだけ安心した。

 

「こちらはオフィシャルサイト用だとかライブDVD用にするつもりだったんですが、さすがに萌絵さんの存在を公表は出来ないのでお蔵入りですね」

 

 今回の騒動が必要以上に広まればクロスハート達の正体がバレる可能性も高くなる。

 なので、今回のライブ映像は一切商品化されないらしい。

 事件を聞きつけた報道機関などからライブ映像の提供を打診されてはいたが、撮影機材のトラブルを理由に全て断っていた。

 実際に色鳥武道館は謎の停電に見舞われていたわけだし。

 それにしても……。

 

「あ、あの……マーゲイさん? こんなところにいて大丈夫なんですか?」

 

 ルリが心配そうに訊ねる。

 なんせマーゲイはPPP(ペパプ)マネージャーである。ライブ後はその後片付けなどて大忙しのはずだ。

 増してやライブであった事件は既に広まりつつある。その対応をするのはマーゲイの仕事であろう。

 つまり、今、一番忙しいのは彼女であるはずだ。

 

「ふっふっふ。心配ご無用!」

 

 だが、マーゲイは余裕の笑みを見せる。

 

「明日の事は明日考えりゃあいいんですよ!! 今はそれよりも大事な事があります!!」

 

 力説するマーゲイは拳を振り上げて高らかに宣言した。今、最も優先すべき事を。

 

「打ち上げですよっ!!!」

 

 夏が終われば秋が来るように、ライブが終わったら打ち上げがある。それはマーゲイ達にとって当然の事である。

 だからこれは業務であり仕事なのだ。

 だが待って欲しい。

 打ち上げってどこで?

 

「そりゃあ、ここよ」

 

 そして、これまたいつの間にやって来ていたのか。マーゲイの雇い主である浦波 遥がその隣にいた。

 彼女が言った「ここ」とはつまるところ『two-Moe』の事である。

 

「はい、みんなー、注目ー」

 

 でもって、キッチンで大忙しであるはずの春香もやって来ていた。

 一体何事だろうと、皆が食べる手を止めてそちらに視線を向ける。

 

「今日のお大尽さんはこちらでーす」

 

 と春香は遥をみんなに指し示した。

 今みんなが食べている大量の料理の代金を提供してくれたスポンサーとは遥の事だったのだ。

 そんな遥はみんなに言った。

 

「そういうわけだから今日はみんな心行くまで食べてね」

「「「「「ゴチになりまーっす!!」」」」」

 

 早速調子のいい数名から声があがる。

 遥は既に空になった皿の量を見つつ料金に関するソロバンを脳内で弾いてみる。

 そして、マーゲイに小声で確認した。

 

「ねえ……。これ、経費で落ちるわよね?」

「一応大丈夫だと思いますよ……。経理さんには私からも言っておきます」

 

 既に腹ペコさん達が食べ尽くした料理はかなりの量に及んでいる。

 これが経費で落ちなかったら遥の自腹だ。

 そして何より、打ち上げ参加者はこれで全員ではない。それどころかまだ半分くらいだ。

 では残る半分とは一体誰なのか。

 これがPPP(ペパプ)ライブの打ち上げなのだから、主役は当然彼女達だ。

 

「フルルいっちばーん!」

「あ、ずりーぞ!? 俺が一番乗りしようと思ってたのに!?」

 

 『two-Moe』の扉を開けて入って来たのはフルルとイワビーだった。

 目立たないように帽子で変装していたが。

 そう。

 PPP(ペパプ)ライブの打ち上げであるならば、主役は当たり前だけれどPPP(ペパプ)である。

 

「お二人とも。あまり羽目を外し過ぎてはいけませんよ」

「そうとも。ジェーンの言う通り、騒ぎ過ぎたらお店に迷惑が掛かるしご近所迷惑にもなってしまう」

 

 フルルとイワビーの後に続いてやって来たのはジェーンとリーダーであるコウテイだ。

 

「が、まぁ、ライブは大成功だったわけだから、適度に騒ぐのは許可しよう」

 

 コウテイがそう言うと、フルルは「やった!」と快哉をあげて、即座にテーブルへ突撃した。

 萌音(モネ)の隣に陣取ると早速自分の分を取り分けてパクつきはじめる。

 

「フルルさん。慌てて食べなくてもまだまだ沢山あるわよ」

 

 ようやく空腹も落ち着いた萌音(モネ)は苦笑する。

 ついさっきまでの自分と同じように、ほっぺたをハムスターのように膨らませたフルルを見ながら。

 

「あっるぇー? フルルが一番乗りだと思ったのに萌音(モネ)ちゃんの方が先だった? そっかー。でもまぁいっかー。美味しいしー」

 

 言いつつも山盛りの料理がフルルの前から次々と消えて行く。

 PPP(ペパプ)ナンバーワンの食いしん坊キャラは伊達ではない。

 

「フルルさん。私達にはまだこの後、一仕事残っているんですからね?」

 

 いつの間にやら、フルルの逆側には変装しなおしたプリンセスことプーが座っていた。

 その言葉を聞いて、萌音(モネ)は「?」マークを浮かべる。

 ライブを終えたばかりだというのに、何かこれ以上仕事があるというのだろうか。

 

「ねえ。プー。何かあるんなら私も手伝うわよ。私に出来る事ある?」

 

 そう提案する萌音(モネ)だったが、その口にプーが手ずからテーブルにあったカツサンドを放り込んだ。

 

萌音(モネ)はいいから休んでなさい。今回は貴女に手伝って貰うわけにはいかないの」

 

 萌音(モネ)は放り込まれたカツサンドをむぐむぐ咀嚼し再び「?」マークを浮かべる。

 

「でもそうね。手伝ってくれるなら、私の分の料理は低カロリーなヤツを取り分けておいて」

 

 言いつつプーは萌音(モネ)にウィンク一つ残すとテーブルを立ってお店中央へと進み出る。

 誰もが進み出て来たプーへ自然と注目する。

 その視線を受けてプーは口を開いた。

 

「さて、今日、私達PPP(ペパプ)には一つだけ大きな仕事が残ってしまいました」

 

 その言葉に誰もが一様に小首を傾げた。

 プーが言うと同時、ジェーンもイワビーもコウテイもフルルも彼女の周囲に集まった。

 もっともフルルだけは名残惜しそうに、テーブルからサンドイッチを一つ持って来たままだったが。

 プーは一度コウテイへ視線を送る。その視線を受けてコウテイは頷きだけを返した。

 先を続けるように、と。

 プーもまた頷きを返してから言葉を続ける。

 

「それは、私達が一番ありがとうを伝えるべき人達に歌を届けていないという事です」

 

 つまりプーが、いやPPP(ペパプ)が残した大きな仕事とは……。

 

「ありがとう、通りすがりの正義の味方達!」

 

 コウテイが言う。

 

「俺たちPPP(ペパプ)の特別アンコール公演だぜ!!」

 

 既にイワビーは愛用のギターを取り出していた。

 プーが萌音(モネ)の手伝いを断ったのは、彼女も含めた通りすがりの正義の味方達に歌を聞いて欲しかったからだ。

 

「ご近所迷惑にならないように音量抑えめですが、ミニライブ楽しんで下さいね」

 

 ジェーンはテーブルに再び料理を取りに行こうとするフルルを捕まえていた。

 

「フルルの分も料理残しておいてねぇー」

 

 フルルも観念して配置へ着く。

 ともえやかばん達はライブ会場にいられなかったからPPP(ペパプ)ライブを全く見られなかったし、会場にいたルリやアムールトラ、エゾオオカミやセルリアンフレンズ三人組だってまともにライブを楽しめる状態ではなかった。

 そして誰もがPPP(ペパプ)ライブを見られなかった事を残念に思っていたのだった。

 だからこそ押しも押されぬトップアイドルであるPPP(ペパプ)が自分達の為にそんな事をしてくれるとは信じられずにキョトンとしていた。

 

「それじゃあ行くわよ!」

 

 そんなともえ達を余所に、プーの号令でPPP(ペパプ)は一曲目を開始した。

 最初信じられなかったともえ達であったが、パフォーマンスが始まると同時、すぐに熱中してしまった。

 例え機材が乏しくても、その実力は本物だ。

 目の前で繰り広げられるライブに興奮せずにはいられない。

 一曲目である『ようこそジャパリパークへ』を歌い終わる頃には誰もが拍手を惜しまなかった。

 トップアイドルであるPPP(ペパプ)の歌を独占したのだ。

 こんな贅沢はあるまい。

 ともえ達は大満足だった。

 が……。

 

「何を勘違いしてるのかしら?」

 

 プーがニヤリとした。

 

「まだPPP(ペパプ)ライブは始まったばかりよ!」

「よっしゃ行くぜぇ! 続けて『大空ドリーマー』だっ!!」

 

 イワビーの伴奏に合わせて何と二曲目が始まった。

 あまり歓声をあげるわけにもいかないので、マーゲイが観客のみんなにサイリウムを配る。

 誰もがそれを振り回してPPP(ペパプ)を応援する。

 通りすがりの正義の味方達へ贈る特別PPP(ペパプ)ライブはその後しばらく続くのだった。

 

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 PPP(ペパプ)ライブから一週間後。

 世間では今回の色鳥町ライブで「PPP(ペパプ)に6人目と7人目の新メンバーが!?」などと噂される事態になっていた。

 その火消しに苦労したマーゲイと遥である。

 今回のライブ映像は販売される事がないので、PPP(ペパプ)の6人目と7人目の新メンバーはまさに幻となったのだった。

 なお、大忙しだった大人達とは裏腹にPPP(ペパプ)メンバーはというと、最初の二日間程は萌絵と萌音(モネ)のお見舞いやら看病の手伝いやらをしてくれた。

 その後はちゃっかり色鳥町観光を楽しんでいたようではあるが。

 念願の色鳥町食べ歩きツアーを楽しんだフルルを筆頭にイワビーもジェーンもコウテイも色鳥町を満喫し、マーゲイと共に一足先に帰って行った。

 

 さて、ここは色鳥駅。

 ホームには萌音(モネ)とプーがいる。二人もいよいよ帰る日がやって来たのだ。

 

「じゃあマイシスター達! お世話になっちゃったわね!」

 

 そう言うのはすっかり復調した萌音(モネ)である。

 見送る側にはともえと萌絵とイエイヌが集まっていた。

 

「こっちこそ! 楽しかったよ!」 

 

 ともえが萌音(モネ)の両手を取る。

 なんだかんだで忙しくはあったけれど、楽しい時間であった。

 それこそアッという間に時間が過ぎるくらいに。

 だが、萌音(モネ)には少しばかり心残りがあった。

 

「でも、残念だったわ。せっかく萌絵ちゃんを甘やかして姉っぽい事をするチャンスだったのにっ!」

 

 萌音(モネ)は拳を振るわせ後悔する。

 ほぼ精魂尽き果てていた萌音(モネ)は萌絵の看病に回る事が出来なかったのだった。

 

「諦めなさい。萌音(モネ)はどっちかっていうと妹キャラなんだから」

 

 そういうプーはというと、遠坂家に泊まり込みで萌絵と萌音(モネ)の看病を手伝ってくれた。

 もちろん、二人とも散々甘やかした。 

 で、プーをはじめとするPPP(ペパプ)のおかげもあって、二人とも二日目にはすっかり回復したのである。

 そして三日目からはPPP(ペパプ)メンバーの色鳥町観光にみんなで付き添って散々遊び倒したわけだ。

 

「色々ありがとうね、萌音(モネ)姉さんもプーちゃんも」

 

 今度は萌絵が前へ出る。

 その腕にはセミハードの楽器ケースが抱かれていた。

 これは萌音(モネ)の『バチバチ・ダブルV』ではない。そっちはいつも通り萌音(モネ)が背負っているのだから。

 

「これはお礼でもあるし、お土産でもあるし……両方かも」

 

 萌絵はそれをプーへと手渡す。

 セミハードの楽器ケースを受け取ったプーは視線で「開けてみてもいい?」と問い掛ける。

 萌絵が頷いてくれたので、プーはファスナーを開けて中身を確かめた。

 それはVの字を逆さまにしたようなボディを持つエレキベースだった。

 あの日、PPP(ペパプ)ライブで萌絵が変身したクロスハートが使った『ゴロゴロ・フライングV』である。

 

「ほら、プーちゃん、楽器が出来たらステキだって言ってたじゃない? だからそれはプーちゃんに持ってて欲しいなって」

 

 萌絵が変身したクロスハートにはある種の制約がある。

 それは、使った道具は未来の自分から借りたものであるからいつか作らなくてはならないという事だ。

 萌絵は復調後に時間を見てあの日使った道具を制作していたのだった。

 そして、あの時クロスハート・ともえフォームが使った新アイテムは二つ。

 

「それで、こっちは萌音(モネ)姉さんに」

 

 渡されたのは一見すると何の変哲もないマイクだ。

 だが、萌音(モネ)は知っている。それはプーがPPP(ペパプ)のプリンセスに変身できるアイテムである事を。

 

「でも、これも渡すならプーにじゃない?」

 

 萌音(モネ)としては疑問だった。

 これはプーの為の変身アイテムだ。ならばこれもプーが持っているべきではないだろうか。

 

「ほら、萌音(モネ)姉さんもまた幻の6人目になる事もあるかもしれないし」

 

 なんてイタズラっぽく笑う萌絵が続ける。

 

「それに、二人はいつでも一緒だと思うからプーちゃんがそれを使わなきゃいけない時は萌音(モネ)姉さんが判断してくれるよ」

 

 まぁ、それもいいか、と思う萌音(モネ)である。

 それに、二人で組んでいる軽音楽同好会でも萌音(モネ)もボーカルに加わってプーのベースも交えれば演奏に厚みが出る。

 そういう使い方もアリかもしれないと思う萌音(モネ)だ。

 

「でも、そうなるとマイクだと片手が塞がるからインカム型の方がよかったかもしれないわね」

「あ……」

 

 萌絵はそこまでは考えていなかった、とハッとする。

 

「「うそうそ!? めちゃくちゃ嬉しいわ!!」」

 

 萌絵が考え込み始めてしまったので、萌音(モネ)もプーも二人して大慌てでフォローを入れる。

 だが、萌絵は顔をバッと上げるとやたらキラキラした目で言った。

 

「今度新型を作っておくね!」

 

 やる気があるのはいい事だが、萌音(モネ)もプーもある事を心配していた。

 二人ともイエイヌの肩を両側からポムと叩く。

 

「萌絵がまた無理しすぎないように見ててあげてね」

「あと、体調崩した時のお世話もよろしくね」

「はい! お任せ下さい!」

 

 こういう事ならイエイヌに頼むのが一番だ。

 

「えぇー!? アタシだってたまにはお姉ちゃんっぽい事したい!」

「はいはい、ともえも萌音(モネ)と一緒でどっちかって言うと妹キャラだからねー」

「もう!? プーちゃんひどいよぉ!?」

 

 ともえの抗議だったが、プーはニヤリとすると指先を彼女の鼻先に突き付けた。

 

「じゃあ訊くけど……。ともえ、貴女、夏休みが残り一週間くらいしかないって気づいてた?」

「へ……?」

 

 ともえはその言葉にしばらく考え込む。

 アルバイトしたり夏祭りで奮闘したり、ついでに世界を救ったりPPP(ペパプ)ライブの手伝いをしたり……確かにそんな事をしていた間にもう夏休みは残り僅かとなっていた。

 

「あ、ああああああああああっ!?!?」

 

 その事実に今さら気づいたともえは声を上げた。

 

「まだ海行ってない!?!?」

 

 と。

 それもあるかもしれないけど、まだあるだろう、と嘆息するプー。

 

「で? ともえ。貴女、夏休みの宿題は大丈夫?」

 

 途端にともえの顔が青くなっていった。

 実はここのところ、PPP(ペパプ)の皆と萌音(モネ)がいてくれたのが楽しくてついつい遊び過ぎてしまった。

 その分きっちり宿題は遅れていた。現実は残酷である。

 

「ちなみに、私は萌絵とイエイヌと一緒に宿題随分進んだわ。あと1週間もあれば楽勝ね」

 

 と勝ち誇るプー。彼女達3人は夜にほんの少しずつでも宿題を進めていた。

 みんなでやれば宿題も捗るから、僅かな時間の積み重ねでも大きな成果だ。

 それを聞いて顔を青くするのはともえばかりではなかった。

 

「い、いつの間に……!?」

「ちょっと、萌音(モネ)……まさか貴女まで……?」

 

 妹達に囲まれて楽しかったのは萌音(モネ)もである。

 結果、ついつい遊び疲れてしまって夜の勉強時間はともえと一緒に居眠りしてしまっていた。

 なので、宿題の進み具合は芳しくない。

 

「ま、まぁまだ1週間あるし!」

「そ、そうよ!」

 

 ガシリ、と力強く手を握り合うともえと萌音(モネ)

 それを見る三人は同じように思った。やっぱり二人とも妹キャラだ、と。

 

「ってわけで、プー! 宿題見せてぇええええ!?」

「こういう時こそお姉ちゃんらしく頑張りなさい」

「そんなぁあああああ!?!?」

 

 色鳥駅のホームに萌音(モネ)の絶叫が響くのであった。

 

 この物語は、ある日突然フレンズの姿に変身する不思議な力を手に入れて、通りすがりの正義の味方クロスハートになった遠坂ともえと仲間達のお話である。

 彼女達の戦いはまだまだ続く!

 戦え、クロスハート!

 

「お姉ちゃぁあん! イエイヌちゃああん!? アタシも! アタシも宿題見せてぇえええ!?」

「ともえちゃん。後でわからないところは教えてあげるけど、写すのはダメだよ」

「そうですよ。宿題は自分でやらないと意味がありませんからね」

 

 夏休みは残り少ないぞ!

 さしあたってまずは宿題を片付けるんだ!

 

 

 けものフレンズRクロスハート第26話『ツインプリンセス』

 ―おしまい―

 




 【後書き】

 皆様お久しぶりです。土玉満です。
 さて、今回はえひたさとしひや様よりお借りしたキャラクターである浦波 遥さんと浦波 萌音(モネ)ちゃんを交えての長編となりました。
 あらためてキャラクターをお貸し下さったえひたさとしひや様、本当にありがとうございます。

 このお話でイメージしたものは、劇場版クロスハートともいうべきものです。
 劇場版ってこんな感じだよなー、という自分の中にあった物語を出力させていただきました。
 なので、今回は劇場版という事でいつもよりも長尺でお送りさせていただきましたがいかがでしたでしょうか?
 ちなみに、今回のサブタイトルである『ツインプリンセス』ですが、一人目のプリンセスは当然プーことロイヤルペンギンのフレンズであるプリンセスなわけですが……。
 ツインどころじゃないお姫様(プリンセス)的役割を担ったキャラクター達がいたりしました。
 そんなところも含めて楽しんでいただけたら嬉しい限りです。

 さて、次回からいよいよ5章へ突入しようかと思っていますが、本格的な5章開始は3月辺りを目途にしたいと思っています。

 まだちょっとお話の構成に悩んでいる部分はありますが、なるべく早くお届け出来るように頑張ります。

 これからもけものフレンズRクロスハートをお楽しみいただければ幸いです!
 どうぞこれからもよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5章
第27話『はじめての協奏曲』①



 【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 色鳥町が夜へと沈む『ヨルリアン事件』から少しして、ともえ達の親戚である浦波 萌音(モネ)が遊びに来る事になった。
 時を同じくして急遽色鳥町でライブを開催する事になったトップアイドルグループPPP(ペパプ)
 実はPPP(ペパプ)は『ヨルリアン事件』で乱れた地脈を清浄化する為に色鳥町へとやって来たのだ。
 そして、萌音はそのPPP(ペパプ)を守る守護者なのだった。
 そんなPPP(ペパプ)ライブを阻止せんと異世界の四神であるセルビャッコとセルセイリュウが立ち塞がる。
 さらに多数のセルリアンが現れる。
 が、色鳥町を守る通りすがりの正義の味方達が総集結してこれに立ち向かう。
 多数のピンチを乗り越えてPPP(ペパプ)ライブは成功するのだった。


 

 

 時は約13年と少し前。

 色鳥川が近くを流れる大公園は快晴のよい天気も手伝って沢山の人で賑わっていた。

 そんな中に星森 ミライ、星森 ノナの二人も芝生に座ってのんびりしていた。

 正しくはもう一人。

 生まれたばかりであるノナの娘、サーバルも一緒である。

 

「サーバルちゃんは本当にお外が好きですね」

「そうだねー。多分そういうところは私に似たんだよ」

 

 ミライの言葉にノナが同意してみせる。

 二人が言うように、サーバルは外の景色が嬉しいのか上機嫌だった。

 そんなサーバルをあやしながらミライが言う。

 

「サーバルちゃんはサーバルさんに似てきっとお耳と尻尾がステキなフレンズさんになりますよ」

「もうー。ミライさん。私はもう名前をこの子にあげたの。今はノナだよ」

「おっと、そうでしたね。なんだかノナさんって呼ぶのがまだ慣れなくって」

 

 ノナはサーバルが生まれてからほぼすぐに名前を譲った。

 そんなサーバルは最近は特に活発になって来たところだ。

 おうちでハイハイで動き回ってはどったんばったんの大騒ぎである。

 

 そうこうしていると……

 

―ブワッ

 

 春先の風が吹き抜けてミライの被った帽子を飛ばす。

 ずっと昔に祖父から譲ってもらった愛用の帽子だ。

 少しくたびれて来たけれど、色々な思い出があるから今でも変わらず使っている大切な物である。

 慌てて立ち上がり帽子を追おうとしたミライだったがそれよりも早く……

 

「みゃあ!」

 

 ノナの腕からすり抜けたサーバルが帽子を追って飛び出した。

 おそらく動く物に猫科の狩猟本能が刺激されたのだろう。

 驚く程の高速ハイハイで帽子を追いかけるサーバル。

 見通しのいい芝生の上だから見失う事はないだろうけど、これにはノナもミライも驚いて一瞬動きが止まってしまった。

 

「うみゃあ!」

 

 何とサーバルはジャンプ一番、ミライの帽子へ飛びついて見せる。

 そこでミライとノナにとってはさらに意外な事が起こった。

 

「わぁ!?」

 

 さっきまで確かに誰もいなかったはずなのに、帽子に飛びついたサーバルの下から声が聞こえるではないか。

 ノナとミライが慌ててサーバルの元へ駆けつけると……。

 

「「へ……?」」

 

 サーバルに押し倒される格好で同い年くらいに見える赤子が組み敷かれていた。

 ミライもノナも訳が分からない。

 さっきまで周囲には誰もいなかったはずだ。

 帽子が飛ばされた距離だって大したものではない。

 ここにサーバルと同い年くらいの赤子がいるはずがないのだ。

 しかも、飛ばされたミライの帽子を被った子が。

 

「た……」

 

 ミライとノナが戸惑い動けずにいる間に、組み敷かれた赤子が何かを言おうとしていた。

 一体何を? と思っているとその子は一息に言った。

 

「たぅえにゃいでくらさい!」

「たぅえにゃいよ!」

 

 それに即答するサーバル。

 ノナもミライも一瞬訳が分からなかった。

 何を言ったのかも、どうして二人だけに通じ合っているのかも。

 そうしている間にも事態は進行する。

 

「たぅえにゃいでくらさぁああい」

「たぅえにゃいよぉ」

 

 サーバルが下にいる子のほっぺをペロペロしていた。

 その頃にはようやく金縛りから解けたミライとノナはサーバルともう一人の子を引き剥がす事にした。

 ノナがサーバルを抱き上げ、その間にミライが下にいた子を抱える。

 ミライが見たところ怪我はなさそうだ。

 だが、この子は一体誰なのだろう? 何か身元が分かりそうなものはないだろうかとよくよく観察するミライ。

 まず、ミライが愛用していた二本の羽根がついた帽子。まだぶかぶかだがそれが頭の上に乗っている。

 赤い半袖シャツにハーフパンツ。

 それに背中には小さな背負い鞄(リュックサック)を背負っていた。

 

「この鞄に何か……」

「あい?」

 

 ミライが鞄に目を向けたら、抱えていた子が返事をした。

 

「ん?」

 

 なんで今返事をしたのか。

 ミライが疑問に思いつつも赤子が背負った鞄をよく見てみる。

 そのネームプレート部分に刺繍がされていた。『かばん』と。

 

「かばん……ちゃん?」

 

 まさかそれが名前なのか、と若干の戸惑いと共に呼びかけるミライ。

 

「あい」

 

 やはり赤子は反応を示した。

 そんな様子を見て、ノナに抱えられたサーバルがかばんと呼ばれた子に手を伸ばす。

 

「うぇ……」

 

 今度は一転して泣きそうな表情でミライの腕に隠れるかばん。

 先程飛び掛かられたばかりのサーバルに対して警戒心があるらしい。

 だが、サーバルの方は特に気にする事なくミライの腕に抱かれた『かばん』へ手を伸ばし続ける。

 

「もう、サーバル。急に狩りごっこしたらダメだよ」

 

 相変わらず『かばん』が警戒しっぱなしだったから、ノナはまずサーバルを止める事にした。

 サーバルをあやして落ち着かせた後、あらためて『かばん』へ語り掛ける。

 

「ごめんね。この子、狩りごっこが大好きで」

 

 語り掛けるノナだったが、『かばん』は言葉の意味を理解できているのだろうか。

 だが、ノナは気が付いた事がある。

 『かばん』の視線がノナに向いているようで、微妙に上の方にずれている事に。

 その視線はノナの耳に注がれていた。

 

「ああ、これ? 私はサーバルキャットのフレンズでノナ。立派なお耳でしょ?」

 

 どうやら『かばん』はノナの耳に興味があったらしい。

 

「で、こっちがサーバルキャットのフレンズでサーバル。私の娘なんだ」

 

 少し距離を離して抱っこしたサーバルを示して見せる。

 紹介されたサーバルはなおも『かばん』に触れたそうに手を伸ばしていた。

 

「はい、サーバル。急に飛び掛かったらビックリしちゃうでしょ? ごめんなさい、は?」

「あー……」

 

 サーバルもノナに言われて伸ばした手を引っ込めて神妙そうな顔をした……ような気がした。

 とりあえずサーバルも落ち着いてくれたようだから、ノナはあらためて問題を口にする。

 

「それにしても、この子、何処から来たのかなぁ? ね、ミライさん?」

 

 自分で立つ事すらままならなそうな赤ん坊が一人でこんな場所にいるわけがない。

 きっと、どこかに親がいるはずだ。

 迷子などであれば親を探してあげなくてはいけない。

 だが、『かばん』を抱いたまま深刻な顔をしたミライは答えを返さない。

 いや、実はミライは『かばん』を抱っこしてみて直感的に答えを理解していた。

 けれどそれはミライ自身でも信じられない内容であったのだ。

 

「どうしたの? ミライさん」

 

 心配したノナに向けてミライはギ、ギ、ギ、と首だけをノナの方へ向けて何とも困った表情と共に自身の直感を口にした。

 

「あのですね……。多分、この子の親……私です」

 

 一瞬何を言われたのか分からなかったノナだったが、言葉の意味を数秒をかけて反芻し理解した瞬間……。

 

「ええええええええええ!?!?」

 

 思わず絶叫してしまうのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 星森 ミライはその当時大学生であった。

 ノナというパートナーはサンドスターの奇跡によってサーバルという娘を授かったものの、ミライが子供を授かるような要素はない。

 結局『かばん』は一時的にノナとミライの家で保護していた。

 それからどうするか、というのはノナもミライもどうしていいのか悩んでいるところだ。

 

「なるほどね。で、慌てて私を呼んだわけね」

 

 そう言うのはミライの従妹であるカコという女性であった。

 彼女はミライよりも年上で既に飛び級で大学を卒業し、サンドスター研究所に勤めている。

 

「そうなの。来てくれてありがとうね、カコさん」

 

 カコに返事しつつも、ノナはサーバルと連れ帰った『かばん』のお世話をしてた。

 ミライにも手伝ってもらいつつノナは二人のおむつを交換している最中である。

 

「あ、この子、女の子だ」

「あら本当ですね」 

 

 で、ノナとミライの二人してそんな事を確認したりしていた。

 

「で、実際どうなの? カコさん」

 

 ノナはカコに訊ねる。

 今お世話をしている『かばん』は結局何者なのか、と。

 まさか本当にミライの娘という事はあるまい。

 カコがしばらく考え込みながら返事を口にした。

 

「そうね。まず心当たりがある現象があるにはあるわ」

 

 それは一体? とノナもミライも先を促したが、カコは逆に問い掛ける。

 

「そもそもノナ。貴女はサーバルをどうやって授かったの?」

「それは、サンドスターの奇跡で……」

 

 ノナがサーバルを授かったのは『サンドスターの奇跡』によってだ。

 フレンズはある時期になると自分と同種のフレンズを授かる。

 それはノナも同じだった。

 高校を卒業し保育士の仕事をしていた時期にサーバルを授かったのだ。

 カコが言わんとしている事は何となくわかる。

 

「じゃあ、この『かばん』ちゃんはサンドスターの奇跡で授かったミライさんの子だって言うの?」

 

 ノナの確認にミライは戸惑いを浮かべた。

 それはそうだ。『サンドスターの奇跡』で生まれるのは全員がフレンズなのだから。

 だが、『かばん』は耳も尻尾もないし、羽根もないのだから鳥系フレンズでもないし、フードもないから蛇系フレンズでもないだろう。

 どこからどう見てもヒトにしか見えない。

 だけれどもミライにも思い当たる事があった。

 

「ヒトの……フレンズ……」

 

 ヒトのフレンズは存在しない。それが世間一般での認識だ。

 だが、『かばん』がヒトのフレンズであると考えれば全ての辻褄も合うし、ミライが直観的に『かばん』が自分の子であると思ったのも納得が行く話だ。

 

「私もサンドスター研究所に勤めるようになってから知ったのだけど、ヒトのフレンズは存在するわ」

 

 カコは一つ息を吐いてから続けた。

 

「でも、ミライ。貴女の子というのは半分正解だろうけど正確ではないわ」

 

 なんとも微妙なカコの物言いにミライは首を傾げた。目線でカコに先を促す。

 

「おそらくだけれど、この子はミライの帽子から生まれたの」

 

 ミライの帽子は随分と年季が入っておりくたびれている。

 そこから生まれたというのは一体全体どういう事なのか。

 

「この帽子はね、昔はおじい様の物だったでしょう?」

 

 カコが言う通り、ミライの帽子は彼女達の祖父である人物から譲り受けた物だ。

 カコの言う祖父はジャパリ女子学園の学園長を務めた人物でもあり、教育者としてミライも尊敬している。

 祖父から譲り受けた帽子はミライにとっても宝物だ。

 だが、話が見えない。

 

「この帽子は私達一族の因子を内包している、と言っていいと思うのよ」

「つ、つまり……」

 

 ミライもカコが言いたい事をようやく理解した。

 この『かばん』というヒトのフレンズは帽子に付着したミライの毛髪から生まれたわけではない。

 代々受け継がれて来た帽子に宿ったミライとカコの一族という概念がフレンズ化したと考えたわけだ。

 それであれば先にカコが言った『ミライの子というのは半分正解だが正確ではない』というのにも合点がいく。

 

「でも……概念がフレンズ化なんてそんな事……」

「あるわよ。ミライと同じ学校だったオイナリちゃんだってそうでしょ」

 

 未だ信じられないと言ったミライの呟きにあっさりと返すカコ。

 オイナリちゃんはオイナリサマの家系を継ぐフレンズだ。

 彼女の祖先は神使の白狐という概念がフレンズ化したものである。

 それに、色鳥町に古くから住む旧家である四神の一族だって元を正せば伝承や口伝に伝わる幻想上の生き物がフレンズ化したものだ。

 概念がフレンズ化する事は決して有り得ない事ではない。

 

「あ、あのね!」

 

 シュビ、っとそこにノナが挙手して割り込んだ。さっきまで難しい話が続いていたせいで頭から湯気を出していたが。

 

「ミライさんとカコさんの言う難しい事は私にはよくわかんないけど……でも、今は『かばん』ちゃんをどうするかが一番大事じゃないかな」

 

 ノナの指摘にミライもカコもハッとする。

 そうだ。

 最も重要な事はそれだ。

 カコはしばらく考えてから言う。

 

「サンドスター研究所に事情を話して引き取ってもらうって手はあると思う」

 

 『かばん』はヒトのフレンズであるからサンドスター研究所が無碍に扱うとは考えにくい。最も現実的な案に思えた。

 けれど……と、三人揃って『かばん』の方を見る。

 『かばん』はサーバルにじゃれつかれていた。

 最初こそ警戒していた『かばん』だったが、今は慣れたのか楽しそうにしている。

 それを見たら三人とも考えざるを得ない。

 『かばん』をサンドスター研究所に引き渡したらヒトとして健全な生活を送れるのだろうか、と。

 もしかしたら一人っきりで隔離されて観察と研究の対象にされてしまうのではないか。

 暗い思考に陥りそうになったその時……。

 

「はい!」

 

 再びノナが挙手した。

 

「『かばん』ちゃんも私の子供になったらいいよ!」

 

 ノナは実に気楽に言ってのけるが、果たしてそんな事が可能なのか。

 

「まぁ、何とかならなくもないと思うわ」

 

 カコは素早く頭の中で計画を練り上げる。

 サンドスター研究所にはカコの上司である遠坂主任という信頼できる人物がいる。

 彼に頼めば諸々の面倒な手続きまで含めて悪いようにはしないに違いない。

 

「けどいいの? ノナ」

 

 血も繋がらない子を自分の娘とするには並々ならぬ覚悟がいるはずだ。

 この場の雰囲気だけで決めていいはずがない。

 

「いいよ。どっちにせよサーバルにも妹が欲しかったし。一人も二人もあんまり変わんないよ」

 

 言ってサーバルと『かばん』を抱え上げるノナはふんす、とドヤ顔だ。

 サーバルはもちろん、既に『かばん』まですっかりノナに懐いてしまっているように見える。

 それに、ノナはちょっとドジなところはあるけれど、いい加減な気持ちでこんな事は言わない。

 

「私も手伝います。だから……」

 

 ミライとしても『かばん』の事は他人とは思えない。

 だから家族になれるならどんな苦労だって甘んじて受け入れるつもりでいた。

 そんな二人の決意を見てカコも腹を括る。

 

「それならいいわ。遠坂主任に話しを通しておくから」

 

 カコだって『かばん』は他人の気がしない。

 なんなら娘が出来たらこんな感じか、と思う。

 カコは『かばん』へ触れようと手を伸ばす。

 

「「あー」」

 

 その指先を『かばん』とサーバルの二人が小さな手で握って来た。

 

「カコさん……いつでも二人の様子見に来ていいからね」

 

 その様子をノナとミライは生暖かく見守った。

 普段クールな表情の多いカコだったが、今日ばかりは他人に見せられないくらいのニヤケっぷりだったのだから。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結局、『かばん』はノナの娘として『星森 かばん』となった。

 生育具合を見てもサーバルとほぼ変わらなかったので、同じ学年になるようにしておいた。

 ミライはかばんの姉となり、カコも親戚のお姉さんという扱いである。

 で、当初色々な苦労を覚悟していたノナだったが、蓋を開けてみるとそんな事はなかった。

 むしろ二人になったおかげで楽になったまである。

 サーバルはやたら活動的な赤ん坊だったので怪我をしないように注意し続けなくてはならなかったのだが、かばんが大人しいせいか釣られるように落ち着いていてくれた。

 少し大きくなってからも、活発なサーバルがかばんを引っ張っていく構図はよく見られていたものの、かばんはよいブレーキ役になってくれた。

 小学校でもサーバルとかばんの二人はよいコンビとなる。

 ちょっと引っ込み思案なところがあるかばんと何にでも興味津々なサーバルはお互いを補い合っていた。

 特にかばんは大きくなればなる程、家事や料理などのお手伝いに興味を示してノナとミライを多いに助ける事になる。

 つられてサーバルもお手伝いに精を出してくれる為、ノナは随分と助けられた。

 そんなこんなでサーバルとかばんの二人も中学に上がる時期がやって来る。

 二人揃ってジャパリ女子中学への進学を決めた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ええと……。変じゃないかな?」

「大丈夫!! すっっっっっごい可愛いよ!」

 

 いよいよジャパリ女子中学への入学式。

 制服に袖を通したかばんにサーバルが目を輝かせて答える。

 

「ありがとう。サーバルちゃんも可愛いよ」

「うん! ありがとう、かばんちゃん!」

 

 もちろんサーバルだって初々しい制服姿だ。

 二人してお互い褒め合って照れたりしている。

 

「はいはい! 二人とも! 記念撮影しよう! みんな集まってー!」

「「はーい、ノナ母さんー」」

 

 二人してノナのところに駆け寄る。

 その頃にはミライの準備も出来た。

 三脚に自慢のカメラとタイマーをセットしたミライも合流する。

 ミライは大学を卒業して既にジャパリ女子学園中等部の教員になっていた。

 今日はいつもよりフォーマルなスーツでおめかしである。

 なんせ今日はミライの妹二人の中学入学式なのだ。

 

「言っておきますけど、二人とも。学校ではミライ先生ですよ?」

「「はーい、ミライ先生」」

「でもおうちではいつも通りお姉ちゃんって呼んでくれないと寂しいですよぅ!」

 

 言いつつミライはサーバルとかばんの二人にまとめて抱き着いた。

 

「じゃあ私はいつでも二人のお母さんだよー!」

 

 で、ノナも便乗して抱き着いて来たところに……。

 

―パシャリ

 

 とタイマーをセットしたカメラがシャッターを切った。

 

「さ、じゃあ三人ともそろそろ出ないと入学式に遅れちゃうんじゃない?」

 

 ノナの言葉に「「「そうだった!」」」と三人してハッとする。

 

「私も後で行くからねー。気を付けて行ってらっしゃーい」

「「「行ってきまーす」」」

 

 三人が見えなくなるまで見送ったノナはポツリと呟く。

 

「大体の家事はもうかばんちゃんに敵わなくなっちゃったなぁ」

 

 かばんは教えた事を覚えるのが早く、おうちの手伝いをいつもしてくれていたせいか星森家の家事は既にかばんが取り仕切る状態になっていた。

 なので、ノナはサーバルとかばんが中学生になるのを機に保育士の仕事に復帰する予定である。

 こうして10年以上もかばんを娘として育てて来たわけだが、正直手が掛からないどころか助けられた方が多いくらいだ。

 ノナが感慨に耽っていると……。

 

―プルルルル。

 

 家の電話が鳴った。

 

「はいはーい。あ、カコさん?」

 

 電話をかけて来たのはサンドスター研究所で主任にまで出世したカコ博士であった。

 何かとかばんとサーバルの二人に会いに来ては見守ってくれているようだ。

 ノナとしても、カコは放っておくと主に食生活がだらしないので顔を出してくれると安心する。

 カコ博士は挨拶もそこそに訊ねる。

 

『ノナ。最近かばんちゃんの様子で変わった事はあった?』

 

 カコ博士はミライやサーバルの事も気に掛けてはくれたが、一番気にしていたのはかばんの事だった。

 

「うん。今日からかばんちゃんも中学生だよー」

 

 しばらく他愛もない話をしていたがカコ博士は言ってくれた。

 

『相変わらずみたいで安心したわ。でも何かあったらすぐに言って』

「うん。ありがとうね、カコさん」

 

 カコ博士が心配しているのはかばんがヒトのフレンズである事だ。

 成長して何か異変がないかどうか定期的に様子を見に来てくれてもいる。

 幸いにしてそういった事は全くなかったが。

 

「そうだ。今日は入学祝いで夕食が豪華になる予定だからカコさんも食べに来ない?」

「ちなみにメニューは?」

「メインはかばんちゃん特製カレー」

「行くわ」

 

 カコ博士は即答した。

 食にはあまり興味がないカコ博士であるが、かばんが作ってくれるとなれば話は別だ。

 そうと決まれば今日は定時で仕事を終わらせなければ。

 俄然やる気を出したカコ博士は仕事に戻る。

 今現在彼女が急ぎでしなければならない仕事は二つ。

 一つはヒトのフレンズである『星森 かばん』を見守る為の特別製ラッキービーストを完成させる事だ。

 彼女の上司であるドクター遠坂は兄弟機である『ラモリさん』を既に完成させている。カコ博士も急ぐに越した事はない。

 既に本体は完成しており、後はいくつかのプログラムを追加で組み込む微調整を残すのみである。

 本体の製作も制御プログラムも大分ドクター遠坂に手伝ってもらったが、おかげで想定よりも早く完成しそうだ。

 中学校への入学祝いとしてかばん達にプレゼントすればより自然であろう。

 問題はもう一つの方だ。

 

「結局、ヒトのフレンズって何なのかしらね」

 

 カコ博士はかばんが生まれた日、ヒトのフレンズが実在する事を知った。

 が、ヒトのフレンズがこの世界に二人も存在している事を知ったのはドクター遠坂に事の次第を相談した時である。

 同種のフレンズは本人とその家族ぐらいしかいない。そしてそれはヒトのフレンズでも例外ではないはずだ。

 なのにどうして『星森 かばん』と『遠坂 ともえ』の二人が存在するのか。

 その疑問についてカコ博士は調べていたのだ。

 

「これが研究すればする程、疑問が増える一方なのよね」

 

 研究の過程で別な歴史と時間を歩む別世界の存在を知った。

 カコ博士の仮説ではこうだ。

 

「ヒトのフレンズとは世界の特異点である……」

 

 彼女達の世界でフレンズとは、その種の代表であると考えられている。

 ならばヒトのフレンズはヒトの代表とも言える。

 当然その行動は世界に大きな影響を与えるだろう。

 ヒトのフレンズが取った行動によって世界が変わり、いくつもの世界が枝別れしていったのではないか。

 きっと、別な世界には別な『かばん』がいたり別な『ともえ』がいたりするのかもしれない。

 そして彼女達の行動とその結果によって、世界はいくつにも別れてたくさんの世界が存在するのではないだろうか。

 だとするならば……。

 

「どうして私達の世界には同時に二つもの特異点が生まれてしまったのかしらね」

 

 その理由は全く判らない。

 『遠坂 ともえ』が特別なプロジェクトの果てに生まれた存在だからなのか。

 はたまた天文的な確率ではあるが、縁も所縁もないのに同種のフレンズが存在する事もあるせいなのか。

 本来一人しかいないはずであるヒトのフレンズが出会った時に何が起こるのか、それはカコ博士の頭脳を以てしても全く予想がつかない。

 

「まぁ、その二人が出会う可能性なんて殆どないわね」

 

 彼女達の住む色鳥町はそれなりに人口だって多い。

 同じ街に住んでいるからと言ってかばんとともえが出会う確率は高くない。

 かばんが生まれたという奇跡にともえが生まれたという奇跡が重なり、さらにその上に二人が出会うという奇跡を上乗せしない限り起こり得ない。

 

「まさか、ね」

 

 取り敢えずラッキービーストの最終調整に戻ったカコ博士は知らなかった。

 

「アタシ、遠坂 ともえ」

「あ……ボクは星森 かばんです」

 

 ジャパリ女子中学校1年A組の教室で、二人のヒトのフレンズが隣同士の席になっていた事を。

 

 

 

―②へ続く

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話『はじめての協奏曲』②

 

 かばんとともえ達が中学校に入学してから三日程経った頃の事だ。

 ジャパリ女子中学校は新1年生の入学で活気に満ちていた。

 友達が出来るか心配していたかばんだったが、それは杞憂に終わる。

 隣の席になったともえとも仲良くなれたし、他にもお話できる友達が何人も増えた。

 通常授業も開始して新1年生達は部活をどうするかが主な話題になっている。

 その日の昼休みに机を合わせたともえとサーバルとかばんの話題もそれだった。

 ともえはお弁当を突きつつ、二人に訊ねる。

 

「ねえねえ、かばんちゃんとサーバルちゃんは部活どこにするか決めたの?」

「はいはーい! 私はね、狩りごっこ部!」

「サーバルちゃん……狩りごっこ部はないよ……」

 

 元気よく即答したサーバルにかばんは控えめなツッコミを入れる。

 残念ながら狩りごっこ部は今のところ存在しない。

 「えー。」と残念がるサーバルを置いておいてともえはかばんに話しを振った。

 

「ちなみに、かばんちゃんは?」

「ボクはまだ迷ってます。お料理部で美味しいお料理をサーバルちゃんに作ってあげたくもあるし、手芸部で可愛い服をサーバルちゃんに着せてみたくもあるし……」

「相変わらずラブラブだねえ」

 

 茶化されてかばんは真っ赤になった。

 ちなみに、かばんとサーバルのお弁当は今日もかばんのお手製である。

 ついでにミライとノナの分まで作っていたりする。

 

「そういうともえちゃんは? もう決めたの?」

 

 今度はサーバルがともえに訊ねた。

 

「うん。アタシは萌絵お姉ちゃんと一緒に美術部にしようかなって」

 

 それはちょっと意外な答えだった。

 ともえはサーバルと同じで身体を動かす事が好きなようだった。

 だから運動部のいずれかに入ると思っていたのだが、まさか文化部とは。

 

「実は昨日見学に行ったら、タイリクオオカミ先輩がいいモフモフ具合……じゃなかった、いい人だったから入部決めてもいいかなって」

 

 そう言うともえはさらに続けようとした。

 仲良くなった新しい友達であるかばんとサーバルも一緒の部活になれたらステキだろうと。

 

「ねえねえ、かばんちゃんとサーバルちゃんも美術部に見学だけでも……」

 

 が、その言葉は最後まで続けられなかった。

 

―スパァン!

 

 教室のドアが勢いよく開いた事で全員が一斉にそちらを見た。

 すると、背の低い二人組のフレンズが入って来たではないか。

 頭の羽根を見るに鳥系のフレンズなのだろう。

 実を言うと教室にいる1年生の誰もが見覚えのある二人組であった。

 何故なら……。

 

「私はこの学校の長である博士なのです」

「そして私はこの学校の長である博士の助手なのです」

 

 教卓の前に立った二人は生徒会会長である2年生のコノハ博士と生徒会副会長であるミミ助手だ。

 入学式でも生徒代表として祝辞を述べていたコノハ博士はもちろん、ミミ助手も生徒誘導などの雑事をしていたからみんな見覚えがあった。

 お昼休みにやって来て一体どういう用件があるのか。

 誰もがお弁当を食べる手を止めて二人に注目する。

 

「さて、生徒会からのお報せなのです」

 

 そんな注目の中でコノハ博士が話を始めた。

 

「明日から校内美化コンクールを開催するのです」

 

 サーバルがかばん特製のミートボールを飲み下してからかばんに訊ねる。

 

「ねぇねぇ。それってなあに?」

「ええと……」

 

 かばんが説明しようとしたところに、後ろに控えていたミミ助手が一歩前に出てから説明を始めたのでかばんは出番がなかった。

 

「校内美化コンクールとは各学年の各クラス対抗で、それぞれの教室をどれだけ綺麗に出来るかを競うものなのです」

「生徒会主催のイベントなのです。期限は明日から三日間なのです」

 

 大体の趣旨はわかった。

 けれど1年生は入学式からまだ間もなく、イベント事をやるにはまだ時期尚早でもあるようにも感じられる。

 目下新入生の興味は部活をどうするのかについてだ。

 校内美化コンクールなんてイベントを被せたところであまり身が入らないのではないか。

 だがコノハ博士とミミ助手にもこの時期にイベントを行う理由があったのだ。

 二人は一通り校内美化コンクールの事を説明し終えたあと、しゃがみ込んで教卓の下でヒソヒソ内緒話を始めた。

 

「ふっふっふ。この校内美化コンクールで生徒会にスカウトする新入生を見つけ出すのです」

「さすが博士。優秀な新入生を生徒会に入れて我々は楽をさせてもらうのです」

 

 言って二人してニッシッシと笑い合う。

 雑事の多い生徒会の仕事をこなせるだけの素養をもった人材の発掘が校内美化コンクールにおける真の目的である。

 巻き込まれた2年生と3年生には気の毒だが仕方あるまい。なんせ校内美化は決して悪い事ではないのだから。

 二人が教卓の下から再び顔を出した時には見事にポーカーフェイスを装っていた。

 

「そんなわけで我々は皆の健闘を期待しているのです」

 

 コノハ博士は締めの一言の後にミミ助手を伴って帰って行った。

 残された1年生達はポカーンである。

 しばらくしてそれぞれに雑談へ戻り始めたが、その反応は大きく分けて二つに別れた。

 一つは何も起こらなかったとしてそれぞれの話題に戻るグループ。

 もう一つが校内美化コンクールについて話すグループである。

 

「ねぇねぇ。やっぱり生徒会長ちゃん達……モフモフ具合がとてもよさそうだよね」

 

 で、そのどちらにも属さないのがともえ達であった。

 

「あ、でもね、かばんちゃんのほっぺもすっごい触り心地いいんだよ!」

「ほほう……。どれどれ……?」

「さ、サーバルひゃん……遠坂ひゃん……」

 

 思わぬサーバルの言葉にともえが乗っかり、二人してかばんのほっぺたをムニムニしてみる。

 なるほど、これは絶品だ。

 かばんのほっぺをムニムニしたままともえは考える。

 

「さっき校内美化コンクールって生徒会主催って言ってたよね?」

「でふね」

 

 ほっぺをムニられたまま答えたかばんの肯定にともえはさらに考える。

 生徒会主催……という事は生徒会から何かご褒美的な物がでるかも……?と。

 

「生徒会からのご褒美……例えば、生徒会長さん達をスケッチさせてもらえる権利とか!!」

 

 勝手な発想の飛躍であったが、ともえは目を輝かせた。

 

「つまり校内美化コンクールで頑張ったら博士と助手が何か一つ言う事聞いてくれたりするのかな!?」

 

 とサーバルもともえに乗っかって来た。

 かばんだけが「(いや、そんな事はないんじゃないかなー……)」と思っていたがほっぺをムニられたままでは指摘できない。

 だが、サーバルの言葉を聞きつけたクラスメイトが勝手に盛り上がり始める。

 

「え!? つまり校内美化コンクールで一位になったら生徒会から豪華景品が!?」

「いやいや、生徒会権限でどんな願いでも一つ叶えてくれるらしいよ!」

 

 噂に尾ひれはつきものだが、物凄い勢いで根も葉もないデマが育とうとしていた。

 

「こうしちゃいられないや! アタシ、萌絵お姉ちゃんにも報せてくるー!」

 

 しかもともえが物凄い勢いで別クラスにまで噂を広めにB組の教室へ行ってしまった。 

 残された1年A組の生徒達は打って変わって校内美化コンクールに盛り上がりを見せる。

 

「じゃあさ、じゃあさ! 皆で校内美化コンクール頑張って豪華賞品をゲットしちゃおう!」

 

 サーバルが言うと、それにクラスメイト達の「「「おおー!!」」」という返答が返ってくる。

 変な盛り上がり方になった事にかばんだけがおろおろするのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 噂が噂を呼んですっかり大きくなり、その日の放課後には既に学校中に広まっていた。

 それは萌絵がいる1年B組の教室でもそうだったし、1年C組の教室だって例外ではない。

 でもって放課後の1年C組の教室では彼女が密かな野望を燃やしていた。

 

「ふっふっふ……。ついに……ついにっ!! アライさんの時代が来たのだぁああああああっ!!」

 

 アライグマのフレンズであるアライさんは放課後の教室で吠え猛る。

 

「おー。アライさーん。すっかり調子に乗っちゃってるねぇ」

 

 小さくパチパチ拍手をするのはアライさんの幼馴染であるフェネックだ。

 アライさんがこれ程にテンションマックスになっているのは校内美化コンクールが原因である。

 

「アライさんはなんだかんだでこういうの得意だもんねぇ」

「そうなのだ! アライさんはなんでもピカピカにしちゃうのが得意なのだ!」

 

 アライさんはお掃除や洗濯についてはどういうわけか一級品の腕前を持っている。

 校内美化コンクールという舞台はまさに独壇場というわけだ。

 

「なぁなぁフェネックー。フェネックー」

「んー? どうしたんだい、アライさーん」

 

 もう既に校内美化コンクール優勝を勝ち取った気分のアライさんはもうニヤニヤしっぱなしだ。

 上機嫌で何を言うのかと続きを待つフェネック。

 

「生徒会の豪華賞品ってなんなのだー?」

「さぁー? それはわかんないよ」

 

 フェネックも校内美化コンクールの賞品が何なのかは分からない。

 むしろそんなものが本当にあるのかと疑ってすらいる。

 ただ、アライさんがやる気を出しているのだから水を差す事もあるまい。

 

「多分、お金がかかるような物ではないと思うんだよ……。そうだねぇ……例えば……」

 

 フェネックは考える。

 アライさんのやる気を削がないけれど生徒会が実現できそうなちょうどよい予想を。

 

「分かったのだ!」

 

 だが、フェネックが答えを考え付くよりも早くアライさんが声をあげた。

 

「ほうほう。一体それは何なんだい?」

 

 アライさんはえっへん、と両手を腰にあてて胸を逸らしながら続ける。

 

「それは生徒会に代々伝わるジャパリ女子中学のお宝なのだ!」

「なるほどー。さすがアライさん。明後日の方向に全力疾走だねぇ」

 

 フェネックとしては「代々伝わる宝だったら、イベント事の賞品にするわけがないし、生徒会以外の人に渡すわけがない」とツッコミを入れる事も出来た。

 もちろんそんな事をするわけがなかったが。

 フェネックはこう思っていた。

 アライさんに着いて行けば面白い事が待っている、と。

 だから今回もどんな面白い事に出会えるかワクワクしてしまっている。

 アライさんはフェネックの手を取ると高らかに宣言した。

 

「ジャパリ女子中学のお宝はアライさんがいただくのだ!」

 

 こうなったアライさんは止めようと思ったって止められるものではない。

 もちろん止めるつもりはないフェネックはいつも通りに……いや、少しばかりの期待を込めて返事した。

 

「はいよー!」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一夜明けて明くる朝。

 アライさんとフェネックの二人はいつもより早めに通学路を往く。

 校内美化コンクールに向けて1年C組の教室を磨きあげるつもりだったのだ。

 

「んふふー。他のクラスよりも先に教室をピッカピカにしてやるのだ!」

 

 ずんずん進むアライさん。もう前しか見ていない。

 なので、フェネックだけが気が付いた。

 少し後ろを二人の生徒が同じように登校しようと歩いている事に。

 黒髪で少し癖っ毛のヒトとサーバルキャットのフレンズのようだ。

 

「(んー? 確かあの二人って……A組の星森さんだっけ?)」

 

 入学式でも随分と仲良しの二人だったから、フェネックの印象にも残っていた。

 後ろを歩くかばんとサーバルの二人をフェネックは肩越しに振り返って見る。

 するとある事に気が付いた。

 二人とも大きめの荷物を提げている。

 手提げのビニール袋に入った何かのようだが一体何だろう。

 サーバルが二つ、かばんが一つを持っているが大切そうに運んでいるから崩れたりしたらまずいものだろうか。

 

「(あぁ、なるほどー。あの二人もライバルってわけね)」

 

 フェネックは何となくその中身を予想出来た。

 そして、後ろを歩く二人もきっと早くに登校して校内美化コンクールに向けて何かをするつもりだろう事も。

 他クラスの生徒であるから校内美化コンクールではライバル同士というわけだ。

 

「(まぁ、お互い頑張りましょーって事でいいかぁー)」

 

 フェネックは別に後ろを歩く二人の事をアライさんに告げる事はしなかった。

 かばんとサーバルの二人は荷物を慎重に運んでいるせいかそのまま先行して学校へ到着。

 

「それじゃあ、張り切ってピッカピカにしてやるのだー!」

「おー」

 

 アライさんとフェネックの二人は一番乗りの教室で早速準備を始める。

 フェネックが掃除用具入れのロッカーから道具を取り出している間にアライさんが水汲みに行ってくれた。

 

「うーん。本格的な掃除は放課後にするとして、目立たない隅っこのホコリとかそういうのを掃除した方がいいかもねぇ」

 

 フェネックは一人C組の教室で取り敢えずの作業内容を考える。

 アライさんは勢いで今朝早くに登校してきたはいいものの、具体的に何をするかまでは考えていなかったのだ。

 皆が登校してくるまで時間もない事だし、机を移動させたりする大がかりな清掃よりも窓の桟など細かい部分を清掃した方がいいように思えた。

 ともかく、アライさんが水汲みから戻って来るまでには準備してしまおうとフェネックは掃除用具を選んでいく。

 と、その時。

 

「お邪魔しまーす!」

「お、お邪魔します……」

 

 先程通学路でも見かけたサーバルとかばんの二人がやって来た。

 

「あれ? A組の星森さん達だよね? どーしたの?」

 

 フェネックは「?」マークを浮かべる。

 彼女達も校内美化コンクールの為に朝早く登校して来たのであれば他のクラスで油を売っている暇などないはずだ。

 けれど、サーバルはフェネックのところまでやって来ると逆に訊ねる。

 

「あ、よかった。C組の人だよね?」

「うん、そうだよぉー。私はフェネック」

「そっかそっか! じゃあフェネック、これお願い出来る?」

 

 サーバルは背後に隠れたかばんを促すようにする。

 おずおずとサーバルの背から出て来たかばんはその手にしたものを差し出して来た。

 

「(これってさっき星森さん達が運んでたもの……だよね)」

 

 かばんの手にあったのはフェネックが予想した通りの物だった。

 それはスイートピーの花が植えられた鉢植えだった。

 きっと校内美化コンクールの為に家から持って来たのだろう。

 確かに花があれば教室に彩りが増える。

 けれど、どうしてそれをわざわざC組の教室へ持ってくるのだろう?

 

「ねえ。これは?」

 

 フェネックはこれをC組の教室へ持って来た意味を訊ねる。

 けれど、サーバルには質問の意味が正確に伝わらなかった。

 

「えっとね、これね、かばんちゃんとノナ母さんが育ててたの。綺麗だから教室に飾ったらどうかなーって」

「おー……。確かに綺麗だねえ」

 

 なるほど、鉢植えは手入れが行き届いているのかスイートピーが見ごろに咲いていた。

 けど、訊ねたかったのはそうではない。

 

「いやぁー。でもさぁ、これ、C組の教室に置いちゃっていいのー?」

 

 せっかく育てたのなら校内美化コンクールの為にもA組の教室へ置くべきだ。

 そもそもその為に持って来たのではないだろうか。

 けど、サーバルはあっさりと言った。

 

「A組とB組の分ももう置いて来たから!」

 

 なるほど、それで手荷物が三つだったわけだ。

 ただ持って来たかばんとしてはその後のお世話もあるから手間が増えてしまう事も危惧していた。

 

「も、もしかしてご迷惑でしたか……?」

「ううん。そんな事ないよー。とっても綺麗だから嬉しいし」

 

 フェネックとしても別に断る理由はない。

 ここまで育っていれば水やりをするくらいでしばらくは花を楽しめるだろうし、敵が塩を送ってくれるならありがたく受け取っておこう。

 かばんは育てた鉢植えが褒められて真っ赤になっていた。

 

「よかったね、かばんちゃん」

「う、うん」

 

 言いつつ二人してA組の教室へ戻って行く。

 フェネックはそれを小さく手を振りながら見送った。

 

「おおっと、さっさと準備しないとね」

 

 フェネックが手早く掃除用具を準備したところでアライさんも戻って来た。

 

「ただいまなのだー」

「おかえりー」

 

 バケツに水を汲んで来たアライさんは早速教室に増えた鉢植えに気が付いた。

 

「おお? おおおお!? どうしたのだ、コレ! ふわぁああ……キレイなのだぁ、いい匂いなのだー……」

 

 ぐるぐる鉢植えの周りを回りながら観察するアライさん。

 

「それね、A組の星森さんが持って来てくれたんだよー。B組とC組にもどうぞ、って」

 

 それを聞いたアライさんはショックを受けたようにしばらく動きを止めた後にワナワナと震える。

 

「アライさんは……! アライさんは……ッ!!」

「んー? どうしたんだーい? アライさん」

 

 フェネックは慌てる事なくアライさんを見守る。

 アライさんは思う存分ワナワナした後に言い放った。

 

「アライさんは恥ずかしいのだ!」

「ほぉー? その心は?」

「アライさんはC組の教室さえよければそれでいいと思っていたのだ……!」

 

 そこまで聞いてフェネックもアライさんが何を言わんとしているのかを理解した。

 

「なるほど。C組の教室をピッカピカにして差をつけようと思っていたところに、A組の星森さん達からこんな綺麗な鉢植えを贈られて自分達だけの事しか考えてないって恥ずかしくなったわけだ」

「それなのだ!」

 

 自分の言いたい事を見事に言い当てられたアライさんはフェネックに詰め寄る。

 

「その点、ホシモリサンはエライのだ! 『適材適所』なんて中々出来る事じゃないのだ!」

「おー。アライさんはまた難しい言葉を覚えたねぇ。だけど、それを言うならきっと『敵に塩を送る』だと思うよー」

「そうとも言うのだ!」

 

 突拍子もないアライさんの言い間違えが分かるのはフェネックぐらいのものである。

 

「アライさんも……アライさんもホシモリサンみたいに敵に……敵に……」

「敵に塩を送る、ね」

「敵に塩を送れるフレンズになりたいのだ! でもってみんなで学校をピカピカにして、その上でアライさんが一番になりたいのだ!!」

 

 アライさんはぐっと拳を握る。

 が……。

 

「でも、具体的にはどうしたらいいのだー?」

 

 と困った表情でフェネックに振り返る。

 

「そうだねぇ。差し当たってまずはC組の教室を綺麗にする事から始めたらいいんじゃないかなー?」

「フェネックぅ~。それじゃあホシモリサンみたいになれないのだ。C組だけ綺麗にしても敵に塩を送った事にはならないのだ。塩どころかお砂糖にすらなってないのだ」

 

 アライさんの中で塩と砂糖の価値がどうなっているのか若干心配になりつつも、そこは置いておいてフェネックは説明する。

 

「C組の教室をほったらかして他のクラスを綺麗にしたって本末転倒でしょー? だから敵に塩を送る前に自分の事をしっかりしようって事だよ」

「なるほど! まずアライさんは自分の足元をしっかりと固められるフレンズになるという事なのだな!?」

「そうそう。星森さんへの道は一日にしてならず、だよー」

 

 どうやら当初の予定通りに行きそうでフェネックも内心一安心だ。

 二人して朝早くの教室を掃除しはじめた。

 やはりアライさんは細かい部分の掃除も得意だ。

 普段なかなか手が行き届かない窓枠やドアの桟に溜まったホコリも濡らしたティッシュを細い棒の先につけてしっかりと拭き取って行く。

 その間にフェネックは窓ガラスの掃除を担当する。

 水で濡らして丸めた古新聞で水拭きした後に、別な古新聞でから拭きして仕上げである。

 この時に水分が残ってしまうと、ガラスに水垢のような乾いた跡がついてしまうので注意が必要だ。

 二人で作業しているとアライさんが話しかけて来る。

 

「なぁなぁフェネックぅ?」

「んー? なんだーい?」

「実はな。アライさん、水汲みに行ってる時にA組の子と友達になったのだ」

 

 なるほど、普通に水汲みしてくるよりも時間が掛かっていたのはそのせいだったか、と納得のフェネックである。

 

「お話したらな、その子も中々のお掃除上手さんらしいのだ!」

「ほほう。アライさんがそう言うなんて相当なものだねえ」

「そうなのだ! アライさんには敵わないまでもいいライバルになるかもしれないのだ!」

「で? その子はなんて子なんだい?」

「かばん、って言う子なのだ」

 

 ここでフェネックは「おや?」と思う。

 先程かばんとサーバルが持って来てくれた鉢植えをもう一度見てみると、鉢に入れられた土はしっかりと湿っている。

 きっと持ってくる前に水遣りをしてくれたのだろう。

 つまり、鉢植えにあげる水を汲んでくる時にアライさんと出くわしたのだろう。

 

「そうなのだ! アライさん、かばんの師匠になるっていうのはどうなのだ!?」

 

 名案を思い付いたというようにアライさんは言う。

 フェネックは一瞬何を言っているか分からなかった。

 

「つーまーりー! かばんにアライさんのお掃除スキルを伝授したらそれはホシモリサンへの第一歩なのだ!」

 

 なるほど、つまりアライさんはA組の生徒であるかばんに自らの知識を伝える事で敵に塩を送るつもりなのだ。

 けれど、ここでフェネックは一つ気が付いた。

 

「(もしかして、アライさん、星森さんとかばんさんが別人だって思ってる?)」

 

 だとしたら、ホシモリサンに心酔しつつ一方でかばんを弟子にするという話にも納得がいく。

 

「いいかもねぇ」

 

 フェネックはその間違いを指摘する事はしなかった。

 何故なら、また面白い事になりそうな予感がしていたからだ。

 まずくなりそうだったらフォローに入るつもりでもいたが、今度はアライさんがどんな事をするのか楽しみでもある。

 フェネックはいつもの微笑を浮かべると言った。

 

「それじゃあ放課後に、そのかばんさんに会いに行ってみようか」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 放課後。

 アライさん達はいつもより念入りな掃除を終えた。

 各学年の各クラスもそれぞれに校内美化コンクールへ向けて熱の入った掃除に勤しんでいる。

 生徒会から豪華賞品が出るらしいという噂が一人歩きしているせいでコノハ博士とミミ助手の二人は焦っていたが、それは別のお話である。

 閑話休題。

 放課後の掃除が終わったところでアライさんとフェネックはA組の教室へ向かう。

 A組の教室は部活見学に繰り出した者もいるので人数は少なくなっていた。

 けれど、校内美化コンクールに向けてここからどうするかと話している者もいる。かばんとサーバルの二人も教室に残っていた。

 

「おーい、かばんー、サーバルー」

 

 アライさんは手を振りつつかばんとサーバルの元へ行く。

 

「あ、アライグマー」

「アライグマさん、こんにちわ」

 

 早速サーバルとかばんもアライさんに気が付いた。

 

「ちっちっち。アライさんは確かにアライグマのフレンズなのだけれども、アライさんと呼んでくれていいのだ」

 

 アライさんはカッコつけて指を振って見せる。

 そうしてからハッとする。今日はかばんに自らの掃除スキルを伝授しに来たのだった、と。

 それを思い出したアライさんは腰に手をあて胸を逸らして言う。

 

「いや……アライさんではなくアライ師匠と呼んでくれてもいいのだ!」

「えー? なあにそれー?」

 

 サーバルはおかしそうに笑う。

 急にアライ師匠と呼べなんて言われたってサーバルもかばんも話しが見えないだろう。

 ここでフェネックがこっそりとかばんに近づいて耳打ちする。

 

「アライさんはねー、鉢植えのお礼がしたいんだって。だからアライさんが知ってるお掃除のコツを教えたいみたい。だからアライ師匠、ってわけなのさー」

「ああ、なるほどー……」

 

 ようやくかばんもアライさんの言わんとしている事が理解出来た。

 フェネックはパッとかばんから離れてから言う。

 

「そうだ。私もフェネックでいいからねー。代わりに私もかばんさんって呼んでもいいよね?」

「あ、はい」

「うん! 私も! 私もサーバルでいいよー!」

 

 フェネックはアライさんが思い込んでいる『ホシモリサン』なる人物がかばんとサーバルの二人である事を内緒にするつもりでそんな提案をした。 

 だが、三人で盛り上がられるとアライさんも焦ってしまう。

 

「やっぱりアライさんもアライさんでいいのだー!」

「はい、アライさん」

 

 そんな様子にかばんも思わずクスリと笑ってしまう。

 そうしてから……。

 

「ボクもアライグマさん……じゃなかった、アライさんが知ってるお掃除のコツ、知りたいです」

 

 と告げるとアライさんも気がよくなったようだ。

 再び両手を腰に当てて胸を逸らすと「ふっふーん!」とドヤ顔である。

 

「でさぁ? アライさーん。何を教えてあげるつもりなのさー」

「そうだったのだ!」

 

 フェネックに促されて、アライさんも忘れかけていた本題を思い出した。

 アライさんは一度コホン、と咳払いするとかばんとサーバルに問い掛ける。

 

「二人とも。教室や廊下に付く汚れで一番多いのって何なのか知ってるのだ?」

 

 二人は揃って首を横に振る。

 

「答えは、コレなのだ!」

 

 アライさんは床の一点を指さす。

 その先には黒い線のような汚れがあった。

 

「コレはだなー、上履きなんかの靴底が床とこすれた時につく汚れなのだ」

「あぁ。いわゆるヒールマークってヤツだねぇ」

 

 フェネックが補足してくれたヒールマークとは靴底のゴムが床に強くこすれた時に出来る汚れだ。

 靴底のゴムが熱で溶けて床に線のようにこびりついてしまう。

 この汚れを取るには強く力を入れて擦らないといけないのだが、コレがまた大変だ。

 あまり強く力を入れ過ぎると白い跡がついてしまったりもするし、しかも汚れが取れずに広がってしまうケースだってある。

 

「それにだなぁ。ちょっと失礼するのだ」

 

 アライさんは机を動かす。

 そこには似たような汚れがうっすらと付いている。

 イスや机の足には接地面にゴム製の滑り止めが付いている。

 それが離着席時に床と擦れて似た様な汚れを生み出してしまうわけだ。

 

「これ、床用のクリーニングスプレー使っても取れないヤツって中々とれないよね」

「うんうん。モップで何回も擦ってるのに落ちないし」

 

 いつの間にやら、他の生徒達も集まってアライさんの言葉に耳を傾けている。

 

「そこで割と簡単に落ちる方法があるのだ」

 

 おおー、と集まった生徒達がパチパチと拍手する。

 

「それは……コレなのだ!!」

 

 アライさんが取り出したのはテニスボールだった。

 

「コレはさっきテニス部の皆さんからもう使わなくなった古いヤツをお借りしてきたのだ」

「ねぇねぇ、アライグマー。テニスボールでどうやって汚れが落ちるの?」

 

 サーバルが訊ねるのは誰もが知りたがっていた事だ。

 

「ふっふっふ。じゃあ床用のクリーニングスプレーをお借りして……」

 

 アライさんは霧吹きに入った床用のクリーニングスプレーをヒールマークにひと吹きする。

 

「ここまでは一緒だよねー」

「ねー」

「まぁ、見ているといいのだ」

 

 アライさんは使い古しのテニスボールでヒールマークの付いた床を何度か軽く擦って見せる。

 すると……。

 

「お、落ちてるー!」

 

 サーバルが驚きと共に叫んだ通り、黒い線は跡形もなく消えていた。

 しかも白い跡だって残っていない。

 

「なんでー!? どうしてー!?」

 

 サーバルの反応に気をよくしたアライさんは再び胸を逸らして答える。

 

「ふっふっふー。コレはアライさんのお母さんから教わったのだ。えーと……センイ…?が、どーのこーの? で、汚れが落ちやすいのだ!」

 

 どうやらアライさんは理屈まではよくわかっていなかった。

 いつの間にやらアライさんの持つテニスボールをかばんが観察していた。

 

「なるほど……テニスボールはタワシよりも目が細かいけれど雑巾やモップよりも目が粗い……。だから汚れが落としやすいのに擦り過ぎの白い跡も出来ないわけですか……」

「そう! そうなのだ! さすがかばんなのだー! 話が分かるのだ!」

 

 かばんが説明してくれたのでアライさんも思わず大喜びである。

 

「そっかそっか! スゴイよアライグマ!」

「ふっふっふー、ソンケーとケーイを込めてアライさんと呼んでくれていいのだ!」

「うん! スゴイよ、アライさん!」

 

 頑固なヒールマークが簡単に落ちてサーバルも目を輝かせた。

 

「さぁ、今まで取れなかった汚れも落としてピッカピカにしてやるのだー!」

「「「「おー!」」」」

 

 アライさんの号令に残ったA組の生徒達も気勢を返す。

 早速A組の生徒達は取れなかった頑固な汚れを落としにかかった。

 その姿を見てアライさんは満足そうに呟く。

 

「コレでアライさんもホシモリサンに一歩近づいたのだ……!」

 

 その呟きに当のかばんとサーバルの二人は「?」と首を傾げる。

 それは置いておいて、程なくしてA組の教室も頑固な汚れが落ちてピカピカに近づくのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 翌朝。

 アライさんとフェネックの二人は再び一番乗りを目指して朝早く登校してきた。

 

「さぁーて、今日は校内美化コンクール二日目なのだ! 今日こそ完璧にっ! 完全にっ! ピッカピカにしてアライさん達が一番になるのだ!」

 

―ガラリ。

 

 アライさんが教室のドアを開けるとそこは……。

 

「あ、あれ……?」

 

 何と言えばいいのか。

 一言で言うと教室がピカピカではなくなっていた。

 昨日の時点では確かにピカピカに見えたのに。

 

「なんで……? どうしてなのだ?」

 

 教室に汚れがあるわけではない。

 むしろ昨日頑張って掃除したのだから綺麗だと言える。

 なのにピカピカしていないのだ。

 

「これは……どういう事なんだろうねぇ……」

 

 いつも的確な指摘をしてくれるフェネックも今日ばかりは呆然とするばかりだ。

 別に汚れているわけではないのにピカピカじゃない教室を見てアライさんは絶叫する。

 

「これは……これは……!! ピカピカドロボーなのだぁあああああ!?!?」

 

 後に『ピカピカ泥棒事件』と名付けられる事件の始まりであった。

 

 

―③へ続く

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話『はじめての協奏曲』③

 

 

 C組の教室には続々と生徒達が登校してくる。

 そして、綺麗に掃除されているはずなのにピカピカではない教室に戸惑いを露わにした。

 その間、アライさんとフェネックの二人は何も出来ずにいた。

 数人のクラスメイト達もアライさんとフェネックに事情を訊ねるものの、何と答えていいやらわからない。

 

「お、オイッ! 大変だぞ! 他の教室も……! 他の教室も……ッ!」

 

 鳥系のフレンズが慌てて駆け込んで来る。

 彼女は既に陸上部入りを決めたGロードランナーのフレンズ、通称ゴマである。

 

「昨日までは確かにキレイだったのにさぁ! なんつーか、こー……上手く言えねーよ!」

 

 ゴマは地団駄らしきものを踏んで見せる。

 その様子を見ていたフェネックはゴマに訊ねた。

 

「って事はさー。他の教室もこんな感じ?」

 

 百聞は一見に如かず。

 フェネックはC組の教室を指し示して見せる。

 

「お、おう。そうだな……」

 

 目の前に見本がある事に気付かなかったゴマは恥ずかしそうに頭をかいて続けた。

 

「でもさぁ……1年生の教室は似たようなモンだけど、2年生の方は普段通りだったぜ」

 

 どうやらこの現象が起きているのは1年生の教室のみらしい。

 ゴマはそれを陸上部の2年生であるプロングホーンとチーターのところに行った時に知ったのだった。

 

「うーん……。これは本当にどういう事なんだろうね」

 

 フェネックはじっと考え込む。

 本当にピカピカ泥棒だとして犯人はどうして1年生の教室だけで犯行を行ったのか。

 それとも、アライさんの言は的外れで、ただ単に日光の差し込み具合でこう見えるだけなのか。

 どちらかといえば後者のような気がしなくもないが、さりとて昨日の朝はこうではなかった。

 

「んー……」

 

 試しにフェネックは教室のカーテンを開けたり閉じたりしてみたが、教室の様子は特に変わらない。

 光の加減が問題ではないだろう。

 となると、本当にピカピカ泥棒がいるというのか。

 一体何の為に?

 そもそもどうやってピカピカを盗んだ?

 いくら考えてもフェネックはそれらしい答えを思いつく事が出来なかった。

 そうしていると、アライさんがフェネックの肩を叩く。

 

「フェネック。安心するのだ。ピカピカじゃなくなったのなら、またピカピカにしてやったらいいだけなのだ」

「あー、うん。そうだね」

「だからフェネックはアライさんについて来て欲しいのだ!」

「もちろんアライさんについてくけどさー、一体どこへ行こうって言うんだい?」

 

 アライさんはビシリ、と教室の外を指さす。

 

「他のクラスもきっとショックを受けていると思うのだ! だからまずは青菜に塩しに行くのだ!」

「敵に塩を送る?」

「それなのだ!」

 

 昨日の今日なのにやはりアライさんは『敵に塩を送る』を言い間違ってしまう。

 逆にそれがフェネックを安心させてくれた。

 

「なるほど。ホシモリサンへの道は一日にしてならず、ってわけだねぇ」

「さすがフェネック、分かっているのだ」

 

 アライさんとフェネックはまずA組の教室へ向かう。

 そこはC組の教室と同じようだった。

 ただ、そこにはC組の教室では見られない光景があった。

 

「なななな!? かばん、どうしたのだ!?」

 

 A組の教室ではかばんが床に膝を付きガックリとうなだれていたのだ。

 アライさんが慌てて駆け寄ってもかばんは反応を返さない。

 

「か、かばん! 安心するのだ! このくらいまたすぐにピッカピカになるのだ! 昨日みたいにみんなで頑張ったらすぐに……すぐに……」

 

 励ますつもりでアライさんの胸にもこみ上げて来るものがあった。

 昨日クラスや学年の皆でやった共同作業が台無しになったのだ。

 アライさんだってかばんの横でガックリしたい。

 すると、アライさんの肩をサーバルが叩いた。

 

「大丈夫だよ、アライさん。かばんちゃんはスッゴイんだから」

 

 アライさんはわけがわからないと言った顔でサーバルへ振り返る。

 かばんは教室の惨状を見てこんなにも落ち込んでいるというのに何がスゴイのだろう。

 アライさんがかばんをよくよく見てみると、彼女はうなだれているわけではなかった。

 かばんは床に膝をつき観察していたのだ。

 

―ツツー……

 

 かばんは床に指を走らせる。

 そうしてからようやく、かばんはアライさん達の方を振り返った。

 

「大体わかったかもしれません」

 

 何が? とは誰も問わなかった。

 かばんが調べていたのは教室がピカピカじゃない理由だったと誰もが知っていたからだ。

 かばんは立ち上がってから言う。

 

「教室のワックスが剥がれています」

 

 ワックスは床に塗られる保護剤である。

 床に汚れが付きづらくする効果に加えて、光沢を与える効果もある。

 つまり、それがすっかりなくなっているからピカピカが消えたように見えていたのだ。

 

「でもさー、かばんさーん。ワックスってそう簡単に剥がれるようなものじゃないでしょー?」

 

 フェネックの指摘してくれた通りだった。

 ワックスは取ろうと思ってもそう簡単に剥がす事は出来ない。

 一部が剥がれる事はあるだろうが、こうも綺麗サッパリなくなる事はまず有り得ない。

 

「いえ、そうでもないんです。ワックスは剥離剤を使えば剥がす事が出来ます」

 

 実はワックスを剥がす為の剥離剤という薬剤がある。

 それを塗って少しするとワックスが溶けて剥がれてくるのだ。

 しかも一度ワックスを剥がしてから塗り直すとワックスに付着したシツコイ汚れも落とせるので驚く程に床が綺麗になる。

 

「と、いう事はピカピカ泥棒はワックスを剥がして教室をキレイにしようとしたのかねー?」

 

 フェネックが再びうーん、と考え込む。

 

「いえ、多分そういう事ではないと思うんです」

 

 かばんは言いつつワックスの剥離清掃について説明してくれた。

 ワックスの剥離清掃とは物凄い手間がかかる。

 ワックス剥離剤を床に塗布する→剥離剤がワックスを溶かしてきたら床を擦ってワックスを剥がす。

 そうしたら溶けたワックスごと剥離剤を回収する。

 最後に床を綺麗に清掃してから、新しいワックスを塗っていくわけだ。

 言葉にすれば難しくなさそうだが、これは専門の清掃業者にお願いするような作業だ。

 素人の生徒達が機材もなしに短時間で誰にも気づかれず出来るような事ではない。

 ワックスの剥離清掃を見よう見まねでやったとしたって、ここまで綺麗にワックスを剥がすだけでも素人には難しいはずだ。

 

「なら、そのピカピカドロボーは何がしたかったのだ?」

 

 かばんの説明を聞いてアライさんが訊ねる。

 教室からピカピカが消え去った理由は分かった。けれど犯人の動機が分からない。

 

「それなんですけれど、ボクの想像が正しければ……」

 

 かばんはまたも考え込みつつアライさん達に言う。

 

「放課後、一緒に来てもらえませんか? アライさん達が言うピカピカドロボーの正体がわかったかもしれません」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 放課後。

 先生方が急遽ワックスを用意してくれたので、その清掃をするのでいつもよりも時間が掛かってしまった。

 他の生徒達は清掃での遅れを取り戻そうとそれぞれに部活見学などへ出向いていたが、かばんとサーバル、アライさんとフェネックの四人は廊下を歩いていた。

 

「なあなあ。かばんー。ピカピカドロボーは一体どこのどいつなのだ? 見つけたらアライさんがビシッ!!っとバシッ!!っと言ってやって目一杯お掃除を手伝わせてやるのだ」

「その前にやらなきゃいけない事があるんです」

 

 かばんの先導で向かっていたのは資料室だ。

 1階は1年生の教室と職員室や図書室、2階は2年生と3年生の教室がある。それに加えて別棟に特別教室や体育館という構成になっている。

 資料室は図書室に併設されている。

 そこは歴代の卒業アルバムや生徒総会資料など様々な学校関係書類が納められた部屋だ。さらに古いものは旧校舎に保管されていたりする。

 

「で、資料室に来て何を探したらいいんだい?」

 

 フェネックだけは何かの書類を探しに来た事が分かっていたものの、アライさんとサーバルはここにピカピカ泥棒がいるのかと勘違いしていた。二人して血走った目でキョロキョロしている。

 かばんは苦笑しつつ目的のものを言う。

 

「はい。自動掃除ロボットの取り扱い説明書ですね」

 

 自動掃除ロボットは無人でも掃除してくれる機械だ。

 この学校には教室棟の各階に一台ずつ配備されていて、夜間に自動で清掃を行っているらしい。

 

「なるほどねー。つまり自動掃除ロボットに何か異状があるんじゃないかって考えたわけだー」

 

 フェネックも納得しつつ取り扱い説明書を探し始めた。

 ここに至ってもサーバルとアライさんは二人して「?」マークを浮かべたままである。

 

「つまりさー。2年生の教室と3年生の教室は別に何ともなってなかったんでしょ? つまり1階の自動掃除ロボットだけ壊れてたら……?」

「「1階だけ掃除されない!!」」

「それどころか壊れたまま変な動き方したら、もしかしたら一晩かけてワックスを剥がしちゃうような事をするかもしれないよー?」

 

 フェネックの解説でサーバルとアライさんもかばんが何を疑っているのかようやくわかった。

 自動掃除ロボットを調べる為にまずは取り扱い説明書を探しに資料室へと来たわけだ。

 取扱説明書は資料室にある、と職員室で先生から教えてもらったがどこにあるのかよくわからない。

 図書室はきちんと整理されているが資料室はそうでもない。

 中には書架に出ていないどころかダンボールにしまわれているものだってある。

 目的の取り扱い説明書を探し出すのは中々大変だった。

 

「でも、ちゃんとダンボールに何が入ってるか書いてあるのは助かるね」

「そうなのだ。きっとしまう前に面倒くさがらず、後の事も考えてくれたのだ。エライのだ」

 

 アライさんとサーバルも手伝って取り扱い説明書を探す。

 ちなみにこの時の事も、後に四人が生徒会に入る一つの要因になっていた。

 閑話休題。

 四人で探しても、ようやく目的の物を探し出せた頃にはもう下校時刻も近くなってきていた。

 

「じゃあ、自動掃除ロボットのところに行ってみましょう」

 

 かばんは探し出した取り扱い説明書を手に1階の自動掃除ロボットの元へ向かう。

 既に日は傾いており、生徒達の大半は帰ったのかシーンとしていた。

 

「あれだねー」

 

 フェネックが指さした1階の奥まった場所に自動掃除ロボットはあった。

 

「んー? アライさんが知ってるヤツじゃないのだ」

 

 学校に設置された自動掃除ロボットは家庭用のものではなかった。

 家庭用のものは床のホコリを吸い込んで掃除する円盤みたいな形をしたものだ。

 自分で部屋の形を学習して、一通り掃除が終わったら自分で充電器のところに帰る。

 アライさん達が知っている自動掃除ロボットは平べったいが、学校にあるものはかなり大きい。

 サーバルの腰くらいまで高さがある円筒形だった。

 これは家庭用のものよりもさらに多機能だ。

 機械の前側でお掃除用パッドを回転させ床を磨く。その際に予め機械に貯水した水を散水しながら水拭きをしてくれる。

 そして機械の後ろ側で掃除した後の水を吸い込んで回収し床を綺麗にするわけだ。

 貯水する水に床用洗剤を混ぜておくとさらにお掃除の効果は高くなる。

 ご家庭用のものより高い円筒形になっているのは、その部分に貯水タンクやお掃除後の水を回収するタンクがついているからだ。

 

「この自動掃除ロボットが稼働するのは下校時間から翌朝の登校時間前までだそうです」

 

 かばんが早速自動掃除ロボットを調べながら言う。

 この自動掃除ロボットならば犯行は可能だし、手段もある。さらに動機もある。

 というか動機自体必要ない。

 普段通りに掃除しようとしたが、何か不具合が発生したのだ。

 

「そうですね……怪しいのは貯水タンクです」

 

 かばんは取り扱い説明書を見ながら手順に従って貯水タンクを開けてみる。

 かばんはこう予想していた。

 何かの手違いで貯水タンクにワックスの剥離剤が混ざっていたのではないかというものだ。

 だとしたら、朝の惨状も理解出来るし全ての辻褄が合う。

 

―パカリ。

 

 開けた貯水タンクには真っ黒い水が入っていた。

 

「なに……これ……」

 

 かばんの呟きはその場にいた全員の総意だった。

 黒い水はドロリとした粘性のある液体らしい。

 今まで見て来たものの中で強いて似ているものを上げるならばコールタールだろうか。

 けれど、それはコールタールなどではない。もっと禍々しい何かのような気がする。

 その時……。

 

―ブルルッ

 

 貯水タンクに入った黒い水が動いたように見えた。

 

「ななな!? う、動いたのだ!?」

 

 最初は気のせいかとも思ったが、そうではない。

 アライさんの声に反応したのか、黒い水はうにょうにょと波打ちはじめる。

 

―ズルリ

 

 それどころか黒い水が貯水タンクから蛇のように抜け出して来たではないか。

 

―ズルリ。ズルリ。

 

 黒い水は少しずつアライさん達の方へ近づいて来る。

 まるで獲物に狙いを定めた捕食者のように。

 

「おおお、オバケ……!?」

 

 かばんはペタリとその場に腰を抜かしてしまった。

 彼女はホラーが大の苦手である。

 だがそんな場合ではない。

 自動掃除ロボットから現れた黒い水にとって格好の獲物になってしまうのだから。

 

「逃げよう!」

 

 サーバルがかばんの手を取って立ち上がらせるとジリジリと後退り、アライさんとフェネックもそれにならう。

 ジリジリと下がるものの、黒い水は諦めるつもりはないらしい。あちらもジリジリと迫って来る。

 

「こ、これ……!?」

 

 サーバルがある事に気が付いて驚きの声をあげる。

 それは黒い水が這いずった跡はワックスが消えていく事だ。

 もしもカコ博士がこの状況を見たならきっとこう説明してくれたであろう。

 学校に侵入したセルリウムが自動掃除ロボットに憑りついてワックス清掃された“輝き”を食べてしまったのだ、と。

 だが、今かばん達には与り知るところではない。何とかこのわけがわからない状況から抜け出そうと周りを見れば2階への階段が見えた。

 高いところへ逃げればもしかしたら追ってこれないかも。そう思ったサーバルは……

 

「こっち!」

 

 と、かばんの手を引きながら階段を駆け上がる。

 もちろんアライさんとフェネックも後に続く。

 走りながらフェネックが言う。

 

「けどさー。職員室からは離れちゃったね」

 

 こんなわけのわからない物に追いかけられたのなら、大人に頼るべきだ。

 けれど、2階に逃げたから職員室から離れてしまった。別な階段から1階へ戻って職員室へ駆け込むのがいいかもしれない。

 ただ、仮に職員室へ駆け込んだところであんなわけのわからないものは大人達だってどうにも出来ないかもしれない。

 それにそもそも階段程度であの黒い水を止められるものか。

 

―ニュルルン!

 

 イヤな予想は当たるもので、まるで蛇のように形を変えた黒い水は階段を昇って来る。

 

「に、逃げろー!」

 

 サーバルの言葉にみんなで2階の廊下を一目散に逃げ出した。

 だが、一気に速度を増した黒い水は四人の行く手を遮るように回り込む。

 慌てて急制動をかけたサーバル達の目の前で、黒い水はグネグネと形を変えていく。

 その形は自動掃除ロボットに似ていた。

 丸みを帯びた立方体状のボディもサイズもちょうど自動掃除ロボットに似ていた。

 けれども、その数が問題だ。

 ズラリと廊下を埋め尽くす程大量の真っ黒な自動掃除ロボットが立ち並んでいるではないか。

 

―ギョロリ

 

 一斉に自動掃除ロボット達は胴体の真ん中についた大きな一つ目でサーバル達四人を睨みつける。

 

「どどど、どうしよう!?」

 

 行く手を塞がれてサーバルは慌てる。

 後ろを見れば来た道も既に真っ黒な自動掃除ロボットで埋め尽くされていた。

 

「か、囲まれたのだ……!?」

 

 ジリジリと迫って来る黒い自動掃除ロボット達の群れがサーバルとかばんとアライさんとフェネックの四人を少しずつ少しずつ追い詰める。

 とうとう背中に壁が当たった。

 が、運はまだ四人を見放していなかったらしい。

 フェネックの背中に教室のドアが当たったのだ。

 

「みんな、こっちだよ!」

 

 フェネックは勢いよく教室のドアを開く。

 上級生の教室だが緊急事態だ。仕方あるまい。

 全員で教室内に雪崩れ込んでからピシャリとドアを閉めた。

 教室のドアは横開きで鍵もかけられる。滅多に使われる事はない鍵だけれど今は使用をためらっている場合ではない。

 

「あっち側も!」

「任せるのだ!」

 

 フェネックが指さしたのはもう一つの扉だ。教室は前後2箇所に扉がある。

 もう片方も鍵を閉めないと、あの黒い自動掃除ロボットが入って来るかもしれない。そこはアライさんがフェネックの意を汲み取り素早く走って鍵をかけた。

 これでひとまず安心出来るか。四人で顔を見合わせて全員でふぅ、と安堵の吐息をつく。

 が……。

 

―ドカン!!

 

 鍵をかけたドアが大きく揺れた。

 横開きのドアに体当たりをかけたらすぐに破られるかもしれない。

 鍵程度では時間稼ぎが関の山だ。

 もしも教室にアイツらが押し入って来たらどうなるのかは想像したくない。

 

「ま、まだベランダには逃げられるよね……」

 

 フェネックが後退りながら言う。

 確かに2階の教室にはベランダが併設されている。ベランダからは他の教室へも入れるが、普段は出入り口に中から鍵が掛けられているのでベランダに逃げたらその先がない。

 イチかバチか怪我を覚悟でベランダから飛び降りるのはリスクが大き過ぎる。

 八方塞がりに思えたその時……。

 

「そうだ……!」

 

 かばんが教室のカーテンを外し始めた。

 いくら緊急事態とはいえ、その意図が分からずにアライさんは慌てて声をかける。

 

「な、何をしているのだ?」

「大丈夫だよ。かばんちゃんはスッゴイんだから」 

 

 サーバルは答えになっていないような事を言いながらかばんの作業を手伝う。

 そこに疑いは何もないようだった。

 サーバルが教室中のカーテンを外して持って来たのをかばんが端と端を結びつける。

 

「ああ……なるほどねぇ……」

 

 フェネックはかばんが何をしようとしているのか理解した。

 簡易ロープを作ってベランダから校舎外へ逃げようとしているのだ。

 ベランダから地面まではそこまで高いわけじゃない。ロープで途中まで降りただけでも怪我のリスクは大分下がるだろう。

 程なくしてカーテンで作った即席ロープが出来上がった。

 が……。

 

―ドカン!!

 

 ひと際大きな音が響いてとうとう教室のドアが破られた。

 踏み入って来た黒い自動掃除ロボットは勢いそのままに黒い奔流となって四人へ殺到する。

 

「危ない!!」

 

 咄嗟に反応したサーバルがかばんとアライさんとフェネックを突き飛ばした。

 おかげでかばん達は難を逃れたが、ただ一人、サーバルだけが黒い奔流に呑まれてしまう。

 

「そ……そんな……」

 

 慌ててかばんが起き上がった時にはもう、サーバルが黒い自動掃除ロボットの中に閉じ込められていた。

 サーバルが呑まれた黒い自動掃除ロボットは他の者よりも一回り大きくなっている。

 何かキラキラと輝く物がサーバルから漏れ出して、それが黒い自動掃除ロボットへ溶けるように吸われているようだ。

 さらに悪い事には、小さめの黒い自動掃除ロボット達が大きなもの……いや、それに取り込まれたサーバルに引き寄せられていく。

 結果として黒い自動掃除ロボットはもうかばん達の背丈を追い越して天井に届きそうな程になっていた。

 何が起こっているのかわからないがこのままではまずい。

 だが、何か打つ手はあるのか……。

 かばんは周りを見渡す。

 たとえ何もないとしても諦める事だけは絶対にダメだ。

 

「あった……」

 

 そしてかばんの脳裏にヒラメキが生まれる。

 

「アライさん! フェネックさん!」

 

 かばんは先程作った即席ロープを自らの身体に巻き付けてから逆側を二人に渡す。

 

「マジかぁー……」

 

 フェネックは既にかばんが何をするつもりなのか理解していた。

 けれど、それは彼女には……いや、他の誰にも荷が重いだろう。

 

「それでも……!!」

 

 かばんは叫び床を蹴った。

 先程いの一番に腰を抜かしていたとは思えない程の速さだ。

 だがサーバルを捕まえた黒い自動掃除ロボットの周りには小さいのが群がっている状態である。

 かばんも捕まるのは火を見るより明らかだ。

 早速かばんに気が付いた小さい方の自動掃除ロボットが食指を伸ばしてきた。

 が……。

 

「みゃあ!」

 

 一声吠えると、かばんはジャンプして机に飛び乗って、そこからもう一度飛び上がって攻撃をかわす。

 

「うみゃあ!!」

 

 それでは終わらない。

 別な机に着地してそこから再びジャンプ。次々と机を飛び移り黒い自動掃除ロボットの背後を目指す。

 体力測定では平均的な記録を出していたかばんだったが、今は上位だったサーバルに負けない動きだ。

 

「むしろ、サーバルみたいだねぇ」

 

 フェネックが言った通り、まるでサーバルがかばんに乗り移ったかのようだ。

 が……。

 

―ギョロリ。

 

 それでも所詮中学生だ。そんな動きを見逃すはずもない黒い自動掃除ロボットはかばんへと視線を外さない。

 ロープを巻き付けたのが却って仇になった。

 これではさらに動き回ってかく乱する事が出来ない。

 

「うみゃあ!!」

 

 だが、かばんだって諦めない。

 かばんのブレザーにはあるものが入っていた。

 イチかバチか、それを黒い自動掃除ロボットの目先を掠めるように投げ放つ!

 

―ヒュウ……

 

 それは紙飛行機だった。

 紙飛行機を飛ばすとサーバルが喜んで追いかけてくれる為いつも常備しているものだ。

 それが目先を掠めた事で、黒い自動掃除ロボットはそちらに注意が逸れた。

 

「いっけぇ!!」

 

 訪れたチャンスに思わずフェネックは叫んでしまう。

 

―ダンッ!!

 

 応えてかばんは強く机を蹴り黒い自動掃除ロボットに囚われたサーバルへ向けて飛んだ。

 

―ドプンッ

 

 ちょうど周囲の小さな個体を取り込んでいた黒い自動掃除ロボットは半固体となっていた。

 かばんの身体もサーバルと同じように黒い自動掃除ロボットに取り込まれる。

 それがかばんの狙いだった。

 小学校での水泳の授業は苦手だったかばんだったが、今は見事なクロールだった。

 そして囚われたサーバルの元へ辿り着いた瞬間。

 

「ここがアライさんの出番なのだな!」

「そーいう事ッ!!」

 

 アライさんとフェネックが握っていた即席ロープを「「せーの!」」と声を併せて思いっきり引っ張る。

 

「「どっせぇええええええええい!!!」」

 

―スポーン!!

 

 二人で一息にロープを引くと、かばんとサーバルが引っこ抜けた。

 

―ドンガラガッシャーン!

 

 着地の事までは考えていなかったせいか、かばんとサーバルはアライさんとフェネックをクッション代わりにしてしまった。

 ついでに教室の机をいくつか倒してしまいもしたが、問題はそこではない。

 黒い自動掃除ロボットは今なお健在という事だ。

 獲物を奪われた黒い自動掃除ロボットはギョロリ、と倒れた四人を睨みつける。

 

「……サーバルちゃん……?」

 

 かばんがサーバルに呼びかけてもぐったりと両目を閉じたまま反応がない。

 呼吸はしているようだから、気を失っているだけだろう。

 けれど、この状態では素早く逃げる事なんて夢のまた夢である。

 それどころか未だ四人はもつれて倒れたままだ。

 

「こ……これは……」

「万策尽きたのだぁああああああああ!?」 

 

 フェネックとアライさんも諦めの声をあげる。

 

―ギョォオオオオオオオオオオ!

 

 黒い自動掃除ロボットは怒りの咆哮を上げる。

 だが、かばんだけはまだ諦めていなかった。

 咆哮に怯む事なく立ち上がると、キッ!っと黒い自動掃除ロボットを視線で射抜く。

 しかし、どうすればいいのか。

 どうすれば……とかばんも考える。

 たとえ身を挺して立ちはだかったとしても数秒稼ぐのがオチだ。

 だとしたら戦って、そして勝つしかない。

 

「(けど……どうやって……)」

 

 先程から襲って来る化け物にどう対処していいのか全くわからない。

 けれど……どうあったってサーバルと友達だけは守らなくてはならない。

 そもそもさっきだってどうしてサーバルを取り返せたのか、かばんは分かっていなかった。

 どちらかと言えば体育の授業は苦手な方だ。

 むしろ、さっきの動きはまるでサーバル自身がかばんに乗り移ったかのようだった。

 

「(サーバルちゃんが……力を貸してくれていた?)」

 

 そう思うとそんな気がしてくる。

 そうだ。

 一人では何も出来ないかもしれないけど、二人だったら何だって出来る。

 ずっとずっとそうだった。

 サーバルはずっとかばんをスゴイと褒めてくれていたけれど、かばんだってサーバルの事をスゴイと思っている。

 かばんは考える。

 かばんにとってサーバルとは一体何なのか。

 友達であり、姉であり、妹であり、大切な家族であり……もっともっとそれ以上の何かがある。

 

「(そうか……サーバルちゃんは……ボクの全部だ)」

 

―ドクン。

 

 その考えに至った時、かばんの鼓動が強く震えた気がした。

 

―ドクン。ドクン。

 

 腕の中に抱いたサーバルからも同じ鼓動が伝わって来た。

 その鼓動はほんのわずかに違うけれど、重なり合う事で共鳴しているように思える。

 そして……。

 

『出来るよ! だってかばんちゃんだもん!』

 

 サーバルの声が聞こえた気がした。

 と同時。

 

―カッ!!

 

 サンドスターの輝きが教室に満ちた。

 

「な……」

「なななななぁー!?」

 

 フェネックもアライさんも開いた口が塞がらない。

 気が付いた時、かばんとサーバルの姿が消えていた。

 代わりだとでも言うように、そこには一人のフレンズが立っている。

 その子は大きな猫科の耳にシュルリと長い猫科の尻尾。

 ヒョウ柄のニーソックスに同じ柄のアームグローブ。

 そして真っ白なブラウスにハチミツ色の髪。

 

「さ、サーバル……?」

 

 アライさんはそう思ったが正確ではなかった。

 

「アライさん達は下がっていて下さい」

 

 不思議と頼もしさのある背中と肩越しに振り返ったそのフレンズの顔はかばんの物だった。

 

―ギョォオオオオオオオオオ!!!

 

 突如あらわれた闖入者に黒い自動掃除ロボットは再び怒りの咆哮を上げた。

 まるで「全員まとめて喰ってやる!」とばかりに。

 けれど……。

 

『食べさせないよ!!』

 

 サーバルの声が聞こえた気がした瞬間、教室内に一陣の風が吹いた。

 すると……。

 

―パッカァアアアアアアン!

 

 大きな個体の周りにまだ残っていた小型の黒い自動掃除ロボット達が一斉に砕け散ってキラキラとした輝きを残す。

 気が付くと、アライさんの目の前にいたサーバルの姿をしたかばんそっくりのフレンズが腕を一閃させたようである。

 サンドスターの輝きをまとった鋭い爪が印象的だった。

 それをたったの一度振るっただけで、周囲の小さな黒い自動掃除ロボット達を砕いたのだ。

 

「疾風の……サバンナクロォオオオオオッ!!」

 

―ダンッ!

 

 雄叫びと共に凄まじい脚力で弾丸と化したサーバル(?)が今度は大きな黒い自動掃除ロボットの脇を駆け抜けつつ、輝く爪を再び一閃させる。

 

―ギョォオオオオオオッ!?!?

 

 ザックリと胴体部分を切り裂かれて苦悶の声をあげる黒い自動掃除ロボット。

 だが、それも数瞬の事だ。

 

「再生……」

「してるのだ!?!?」

 

 フェネックとアライさんが見ている前で、抉られた部分に水が満ちるように元へ戻りつつあった。

 

「(どうしよう……)」

 

 かばんは考える。

 小さい個体だったら一撃で致命傷を与えられる。

 けれど、目の前にいる大きな黒い自動掃除ロボットはそうはいかない。攻撃しても倒し切れずに再生してしまう。

 もしもカコ博士がこの場にいてくれたのなら、弱点である『石』を狙えとアドバイスしてくれただろうが……。

 

『じゃあさ! やっちゃおうよ! 倒せるまで何度だって!!』

 

 かばんの脳裏に声が響いた。それはサーバルの声だ。

 いま、かばんとサーバルは文字通りの一心同体となっていた。

 それを実感していたかばんは自然とサーバルに応える。

 

「そうだね……やろう! サーバルちゃん!」

『オッケー! 自慢の爪でやっつけちゃうよ!』 

 

 一人ではダメでも二人だったら何とかなる。

 例え弱点がわからなくたって、倒せるまで攻撃し続ける!

 その決意と共にサーバルの姿をしたかばんは跳躍した。

 サーバルキャットの脚力で容易く天井へ到達した後、今度は天井を蹴って黒い自動掃除ロボットの背後へ突撃!

 

「疾風!」

『怒涛のぉ!』

 

 かばんとサーバルの声が重なり……。

 

「『サバンナクロォオオオオオオオッ!!』」

 

 サンドスターで輝く両手の爪を一閃……いや………

 

『「うみゃみゃみゃみゃみゃみゃみゃみゃー!!!」』

 

 雄叫びと共に連続で爪を振るい続ける。

 細切れにされた黒い自動掃除ロボットはついに……。

 

―パッカァアアアアアアン!!!

 

 と光輝く粒子を残して跡形もなく消え去った。

 

「『はふぅ……』」

 

 その場にペタリ、とサーバルの姿をしたかばんが尻もちをつく。

 と、その姿がブゥン、とブレたかと思ったら同じ格好をしたかばんとサーバルの二人がその場に現れた。

 

「ど、どうなっているのだ……?」

 

 アライさんが戸惑いの声をあげるが、ひとまずピンチは脱したらしい。

 だが、分からない事だらけだ。

 

「あのさー、アライさんもかばんさんもー、あとサーバルも」

 

 それよりなにより、問題が残っているぞ、とフェネックは皆に言う。

 

「この教室……どうしようか」

 

 黒い自動掃除ロボットと謎のサーバルキャットのフレンズが暴れたので、机はいくつも倒れているし、教室のドアは外れてしまっている。

 ありていに言って、めちゃくちゃ散らかっていた。

 この後始末を誰がするのか。

 それはこの場にいる四人に他ならない。

 

「「そ、そんなぁー!?!?」」

 

 一難去ってまた一難。

 かばんとサーバルの絶叫が響き渡った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ふぃいい……。いくらアライさんがなんだかんだ言ってお掃除が得意だと言ってもアレはちょっと大変だったのだ」

 

 いま、アライさんとフェネック、それにかばんとサーバルの四人は無事に帰路へと着いていた。

 ちなみに、散らかってしまった教室は四人でお片付けを完了している。

 幸いドアも壊れておらず、外れただけだったし、机も倒れはしていたが壊れていなかったので並べなおして事なきを得た。

 そして不思議な事に、剥がれていたワックスはどこもかしこも元通り綺麗になっていた。

 今の四人にはわからない事だが、セルリアンを倒した事で“輝き”が元に戻ったのだろう。

 

「それにしても、本当なんだったんだろうねー」

 

 フェネックは後ろを歩くかばんとサーバルの方を振り返って言う。

 まず、あの黒い自動掃除ロボットは何だったのか。

 そして、それを倒してくれた謎のサーバルキャットのフレンズ。

 あれらは一体何だったのか、その場の誰もよく分かっていなかった。

 ただ、フェネックもアライさんも一つだけ確信している事がある。

 それはあのサーバルキャットのフレンズはかばんとサーバルの二人が何かをしてくれたのだという事だ。

 

「でさー。かばんさーん、サーバルも。そろそろ教えてくれてもいいんじゃなーい?」

 

 そう言われてもかばんもサーバルも自分が何をしたのかよくわかっていないのだから、何と答えていいのか分からない。

 そこに……。

 

「わかったのだ!」

 

 とアライさんが声をあげた。

 

「アレはきっと……」

「「「きっと……?」」」

 

 と残る三人もアライさんの続く言葉を待つ。

 

「アレはきっと、通りすがりの正義の味方ってヤツなのだ!!」

 

 どういう事だろう、と三人揃ってアライさんの意図をはかりかねる。

 

「つまりだなー。アレはきっと通りすがりの正義の味方がかばんとサーバルに力を貸してくれたに違いないのだ」

 

 アライさんとしても、かばんとサーバルの二人があの化け物を退治してくれた事はわかっていたが、どうしてそんな事が出来たのかわからない。

 けれど、そんな事が出来る人物にアライさんは心当たりがある。

 

「そう……そうなのだ……! ホシモリサンならきっと……!!」

 

 想像が飛躍してアライさんの中で神格化しつつあったホシモリサンならばもしかしたらそんな事も出来るかもしれない。

 だが、等身大の星森さんであるかばんとサーバルはさらに戸惑う。

 

「あー……。ゴメンね、アライさーん。明後日の方向に想像を広げてるところ悪いんだけど、星森さんってこの二人だよ」

 

 さすがにそろそろまずそうか、とフェネックがアライさんの勘違いをバラしてしまった。

 

「お……」

「「「お?」」」

「おおおぉおおおおおおっ!?!?」

 

 どんな反応をするのか見守る三人の前で、アライさんはやたらキラキラした目でかばんに詰め寄った。

 

「そうなのだ……そうなのだ……!! かばんがホシモリサン……つまり、かばんさんだったのだな!!」

 

 あの自動掃除ロボットの化け物に臆する事なく立ち向かっていたかばんの姿とアライさんの中にあったホシモリサンの姿は重なっていた。

 が……。

 

「ねえねえ、アライさーん。私も。私も星森さんだからサーバルさんって呼んでくれてもいいんだよー?」

「えー……? サーバルはどっちかっていうとサーバルって感じなのだ……。しっくりこないのだ」

 

 残念ながらアライさんの中で『サーバルさん』と呼ぶのは違和感があったらしい。

 

「なあなあ、かばんさーん! アライさんは、アライさんは……!!」

 

 早速アライさんはかばんへアレやコレやと絡んでいた。

 

「えー!? アライさーん! 私も私もー!」

 

 で、そのアライさんにまとわりつくサーバル。

 そんな三人の様子を見守るフェネックはようやくいつもの日常に無事戻れた事を実感していた。

 

「(で……。結局アレって何だったのかねー……?)」

 

 とは思うものの、それはフェネックのみならず、その場の誰にも分らない。

 けれど、こうも思うのだった。

 

「(けどまぁ、そのうち分かるかもねー)」

 

 それから……。

 いつしかクロスシンフォニーと名付けられた通りすがりの正義の味方が人知れずセルリアンと戦う事になる。

 その前に、先代生徒会長であるヒグマ率いる3年生達が校内美化コンクールで優勝をもぎ取ったり、その賞品としてコノハ博士とミミ助手がてんやわんやになったり、で、それを何とかしようと校内美化コンクールで目をつけていたかばんとサーバルとアライさんフェネックの四人を生徒会に勧誘したりと色々な出来事があった。

 それから沢山の仲間達と共にクロスシンフォニーは激しい戦いを繰り広げていく。

 だが、彼女がはじめての協奏曲を奏でたのは桜舞い散るこの日の出来事であった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「で? で!? それからどうなったの!?」

 

 ともえが話の先を促す。

 時は現在に戻ってここは『two-Moe』

 今は皆で集まって夏休みの宿題ラストスパート中だ。

 先程までの話は当然のように集まってくれたクロスシンフォニーチームの皆が語ってくれた話だった。

 前にもこうして昔話をしてくれた事があったが、今回も勉強の合間の息抜きに披露したわけだ。

 

「はーい、ともえちゃんは夏休みの宿題ヤバい組なんだからそろそろ休憩おしまいだよー」

 

 なおも話の続きを聞きたそうにしているともえを萌絵が引き取った。

 なお、夏休みの宿題がヤバい組は、今日集まった中だと、ともえ、アライさんの二人だ。

 イエイヌとサーバルの二人もまだ宿題が終わってはいなかったが、後は読書感想文を残すのみである。

 サーバルの方はかばんが付きっ切りで教えていたし、イエイヌの方も萌絵が教えていた。

 なので難関である読書感想文が残っていても、夏休みの宿題完了だって時間の問題だ。

 

「まったく。計画的に宿題をやっておけばこんな事にはならなかったのです」

「アライ。ともえ。二人ともさっさと宿題に戻るのです」

 

 で、宿題ヤバイ組であるともえとアライさんの二人にはコノハ博士とミミ助手がスパルタで面倒をみてくれていた。

 可愛い系のフレンズである博士と助手に囲まれたともえはある意味で天国と地獄の両方を同時に味わっている気分である。

 ちなみに、フェネックはなんだかんだでアライさんを甘やかしてしまうのでみんなのサポートだ。

 

「そーいえばさ、コノハちゃん博士先輩とミミちゃん助手先輩。あの時の校内美化コンクールの優勝賞品って結局なんだったの?」

 

 ともえが二人に訊ねる。

 

「「そ、そんな物はなかったのです!!」」

 

 すると明らかに動揺したような返事が帰って来た。

 

「ふふ……」

 

 そんな様子を見てかばんが思い出し笑いをこらえ切れない様子だ。

 

「お? かばんちゃんもその様子だと知ってるんだねー?」

「あ……ええと、はい……実は……」

 

 再びかばんが昔話を始めそうなのを……

 

「「かばん!!」」

 

 慌てた博士と助手が慌てて止めに入る。

 同じように慌てて自分の口元を抑えるかばん。

 おそらく事情を知っているであろう生徒会メンバーであるアライさんとサーバルは宿題にかかりっきりだし、フェネックはいつものように涼しげな笑みを見せるばかりだ。

 

「コノハちゃん博士先輩ー! ミミちゃん助手先輩ー! 何があったか教えてー!」

「「いいからさっさと宿題をやるのです!!」」

 

 ともえは再び博士と助手にサンドイッチ状態にされて宿題に向きなおされる。天国と地獄再びで、デレっとしながら苦しむという器用な真似をするともえである。

 そんなともえは放っておいて、博士はこれ以上恥ずかしい過去を掘り返されないようかばんの注意も逸らす事にした。

 

「かばん! お前はサーバルの宿題をいつも通りイチャつきながら見ていやがれなのです!」

「普通にしろと言っても無駄なのはわかり切っているのでいっそ末永くラブラブっぷりを見せつけてやがれなのです!」

 

 助手まで加わった挑発に、かばんは赤面するとポツリと呟く。

 

「いや……そういうのは、よそのおうちではちょっと……」

 

 それにサーバルを除く全員は同じ事を思って戦慄した。

 

「「「「「「「(自分のおうちでならいいんだ……)」」」」」」」

 

 

 

 けものフレンズRクロスハート第27話『はじめての協奏曲』

 ―おしまい―



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』①

 【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 今を去る事1年前。
 かばんは中学1年生になった時にセルリアンと遭遇してしまった。
 放課後の校舎でサーバル、アライさん、フェネックと共にセルリアンに襲われてしまったかばん。
 絶対絶命のピンチと思った時、謎のフレンズがセルリアンを一蹴してくれた。
 その謎のフレンズこそが、後にクロスシンフォニーとなるかばんとサーバルの二人であった。
 そんな初めてクロスシンフォニーになった時の昔話を聞いたともえ達。
 夏休みももう残りあと少しである。


 

 

 今日は夏休み最終日。

 ここはルリ達が暮らす宝条家。

 明日から二学期が始まるという日にあって宝条家はさらに賑やかであった。

 

「ふぇえぇええええ……」

「ほら、まだ宿題終わってないのはマセルカだけなんですから頑張って下さい」

 

 大量の漢字書き取りドリルやら数学ドリルやらに囲まれてテーブルに突っ伏したのはマセルカだった。

 その横ではセルシコウが宿題の面倒を看ている。

 今日はこの場にセルシコウとマセルカとオオセルザンコウのセルリアンフレンズ三人組もやって来ていた。

 もちろんルリとアムールトラもいるし、ユキヒョウとエゾオオカミもいる。

 こちらはこちらで集まって夏休みの宿題ラストスパートだったわけだが、最後までゴール出来ずにいたのがマセルカであった。

 なんせマセルカは全くと言っていい程夏休みの宿題に手を付けていなかったのだ。

 そんな状況にセルシコウは深く嘆息する。

 

「迂闊でした……。マセルカは興味のない事にはとことん無頓着なのを失念していましたよ……」

「そうだよー。反省して」

「マセルカにだけは言われたくありません!?」

 

 そんな状況に見守るアムールトラとエゾオオカミも苦笑を堪え切れない。

 こちらの二人も昨日ようやく宿題の総仕上げが終わったばかりだ。

 

「まぁ、やらんわけにはいかんのやから頑張り」

「だな。俺らもやったんだからさ。マセルカなら本気だしたらすぐだぜ、すぐ」

「二人とももう終わったからってー!」

 

 そうやって熱を上げるマセルカの前に麦茶の入ったグラスが置かれる。

 

「まぁまぁ。マセルカお嬢。愚痴言ってたって宿題は終わりゃあしませんぜ」

 

 給仕してくれたのは宝条家で一緒に暮らす油壷のセルリアンことイリアであった。

 蜘蛛のような手足を器用に使ってこうして雑事を手伝ってくれる。

 で、もう一人(?)のセルリアンである蓑のセルリアンことレミィはといえばユキヒョウの膝に乗っかって寛いでいた。

 ユキヒョウの周囲は和香教授が作った“パーソナルエアーコンディショナー”のおかげでひと際涼しいのだ。

 

「ユキヒョウー。マセルカも膝枕してー」

「宿題が終わったら思う存分してあげるから頑張るのじゃ、マセルカ殿」

 

 残っている宿題の量からして「(当分先の事じゃろうな)」と思うユキヒョウである。

 どうあってもサボれないと悟ったマセルカであったが、それでも本腰が入らない。

 そんな彼女の向かいに座ったのがルリだ。

 

「ええと……どうしようか、セルシコウさん」

「お願いします……」

 

 ルリの視線を受けてセルシコウが頷く。

 一体何をするつもりなのか。

 ルリの瞳に妖しい輝きが灯る。

 

「じゃあ……マセルカさん。宿題頑張って」

「は、はいっ!」

 

 今までのぐうたらぶりはどこへやら、マセルカはがばりと身を起して宿題を再開した。

 

「ひぃいいん!? ルリー!? 手加減してぇー!?」

「これでもしてるつもりなんだけど……」

 

 実はセルリアンフレンズ三人組は彼女達の世界にいる女王からの支配を逃れる為に、ルリを最上位個体として上書きしている。

 なので、ルリがその気になれば彼女達三人に強制力のある“お願い”をする事だって出来る。

 使う事はないだろうと思っていたけれど、マセルカのおさぼり防止の為とうとう出番が来たわけだ。

 今、始めて使ったのでどうにも加減がよくわからない。やはり使うべきものではないかもしれないと悩むルリ。

 

「すみません、ルリ」

「ううん。マセルカさんが宿題終わらなかったら大変だもんね」

 

 本意ではない事をさせてしまったのでセルシコウが謝る。

 真面目に宿題を再開したマセルカを横目にセルシコウは話題を変えた。

 

「そういえば、ルリ。アチラはどうでした?」

 

 セルシコウの言うアチラとは、オオセルザンコウの事である。

 彼女はこのリビングにはいない。

 

「ああ。うん。菜々さんもカラカルさんもいるから平気だよ。もうすぐ終わるんじゃないかな」

 

―ガチャリ。

 

 ルリの言った通り、オオセルザンコウの用事は終わったようだ。

 リビングのドアが開いてやって来た彼女は色鳥東中学校の制服姿であった。

 

「どうどう? 丈もピッタリでしょ?」

「ま、ざっとこんなもんよ」

 

 オオセルザンコウの後ろから菜々とカラカルが顔を出す。

 オオセルザンコウはハクトウワシとの約束通り新学期から学校へ通う事になった。

 今日はその準備を菜々とカラカルが手伝ってくれたのだ。

 慣れない制服姿にオオセルザンコウはモジモジしていた。

 その反応の方が新鮮に思える一同である。

 

「うむ。似合っておるぞ、オオセルザンコウ殿」

 

 ユキヒョウの言葉にその場の全員がうんうん頷く。

 

「結局、ジャパリ女子じゃなくて東中学校にしたんだな」

 

 エゾオオカミもオオセルザンコウが中学校に編入される話は聞いていた。

 ただ、ジャパリ女子にするか色鳥東中学校のどちらに編入するかは最後まで悩んでいたらしい。

 ちなみに学力十分なので、いきなり高校編入試験を受けるという選択肢もあったがそちらは早々に候補から外れたようだ。

 

「ああ。やはりマセルカが心配だからな」

 

 とオオセルザンコウは宿題に熱を上げるマセルカの頭に手を置いた。

 

「ぶぅー……! 心配されなくたってマセルカ一人でも平気だよっ!」

「そういうセリフは一人でもちゃんと宿題を終わらせてから言うものだ」

 

 そう言ってオオセルザンコウに頭を撫でられるマセルカ。

 

「そ、そう言うオオセルザンコウはどうなの!? 夏休みの宿題!!」

 

 東中学校に編入を決めたオオセルザンコウは保護者であるハクトウワシを通じて夏休み中の課題を貰っていた。

 

「ああ。もうとっくの昔に終わったぞ」

 

 そう言って見せてくれたのは中学2年生用の問題集である。

 てっきりセルシコウと一緒の3年生へ編入するのかと思っていた。

 

「あれ? オオセルザンコウさんは2年生から編入にしたの?」

 

 訊ねるルリにオオセルザンコウは頷いてみせる。

 

「ああ。いきなり3年生だとすぐに受験勉強とかで忙しいだろうから、とハクトウワシさんやヤマさんが勧めてくれてね」

 

 と言うものの、マセルカは知っていた。

 オオセルザンコウが中学2年生への編入を希望した大きな理由を。

 

「2年生からだと、ともえ達と同じ学年だもんねー」

「な……っ!?!?」

 

 真っ赤になるオオセルザンコウの顔には“図星”と書いてあった。

 そんな反応に思わずニヤニヤしてしまう一同である。

 

「そ、そんなわけあるか……! そんなんだったらジャパリ女子に入ってたよ!」

 

 プイッとそっぽを向いたオオセルザンコウは用意していた言い訳を口にした。

 これ以上追及するのも悪いかと思った一同は「そういう事にしておこう」と目配せしあう。

 ゴホンと、咳払いするとオオセルザンコウはセルシコウと場所を変わった。

 

「さて、ここからは私がマセルカの面倒を看よう。言っておくが私はセルシコウ程優しくはないからな」

 

 背中に怒りの炎が見えるような気がしてマセルカは助けを求めてセルシコウへ視線を送る。

 が……。

 

「ええ、お願いします。実は私は昼から約束がありまして」

 

 とセルシコウはあっさり席を立った。

 

「あれ? そうなの? じゃあお昼ご飯どうしようかな……」

 

 とルリが思案する。

 せっかく『グルメキャッスル』総料理長がいるわけだからお昼の相談をしようと思っていたが、出掛けるのではそういうわけにもいかない。

 

「ああ、それだったら実は俺も野暮用なんだ。お昼は遠慮するぜ」

 

 と、同じくエゾオオカミも席を立つ。

 もしかして二人してデートか!?と一同期待のこもった眼差しを向ける。

 

「言っておくけど、セルシコウと出掛けるわけじゃねーぞ」

 

 とジト目になったエゾオオカミが言った。

 

「俺は何でかわかんねーけどセイリュウ様に呼び出されてんだよ」

 

 青龍神社の神主であるセイリュウがエゾオオカミに一体どんな用事があるのか。

 その内容はエゾオオカミにも知らされていない。

 セルリアン絡みだったらエゾオオカミにだけしか声が掛からないのも不自然だし、一体何だろうとエゾオオカミも含めて全員が小首を傾げる。

 それも不思議ではあるが、セルシコウの用事は一体何だろう。

 

「ちなみに、私はキンシコウのおうちにお呼ばれしちゃいまして。夏休みが終わる前にもう一度くらい手合わせしたい、と」

 

 一同の視線を受けてセルシコウは用事の内容を打ち明ける。

 既に目が「楽しみです!」と言わんがばかりに輝いていた。

 その様子を見るに、どうやら本当に二人揃って逢引きというわけではないらしい。一同ガッカリとテンションが下がる。

 

「そうだ。悪いんだけど和香と私達の分もお昼はいらないわ」

 

 そこにカラカルが言い出した。横の菜々も頷いている。

 

「実は私達も野暮用なのよ。ごめんね。夕ご飯までには戻れるから」

 

 そういうカラカルの後ろから和香教授もやって来る。

 

「二人を連れてちょっとデートにね」

 

 とウインクしてみせる和香教授だったが、全員「絶対嘘だ」と既に悟っている。

 まぁ、何か言いづらい大人の事情ならば深くはツッコむまい。

 

「あんたねえ。そんな事言ってないで、ちゃんとアッチに送るデータは揃えたんでしょうね?」

「ああ。もちろんさ」

 

 言いつつ和香教授はUSBメモリを掌で弄んで見せる。

 今日は顔を出さずに自室に籠っていると思ったら何かの作業をしているらしかった。

 

「皆ごめんね。和香さんちょっと借りていくね」

 

 菜々もそう言うが、残っているのはマセルカの宿題だけだ。

 和香教授の手を借りる間でもない。

 

「それはそうと、出掛ける者はよいのか? もうすぐ11時になるぞ?」

 

 とユキヒョウが指摘する。

 時計は10時50分を少し過ぎたくらいだ。約束がお昼からだとするならそろそろ出掛けた方がいいかもしれない。

 

「そうだね。じゃあ留守を任せたよ」

 

 言って和香教授がカラカルと菜々を伴って出掛けていく。

 

「では私も。すみませんがマセルカをよろしくお願いしますね」

 

 続けて席を立ったのがセルシコウだ。

 後を託された一同は力強く頷く。もっともマセルカだけはゲンナリしていたが。

 

「俺もそろそろ行くわ。セイリュウ様を待たせるわけにはいかねーもんな」

 

 続けてエゾオオカミも立ち上がる。

 

「何かあったら連絡するんじゃぞ」

「そうそう! エミさんはクロスジュエルチームなんだから!」

 

 ユキヒョウとルリがそう言って見送ってくれる。

 セイリュウの呼び出しがどういう用事なのかわからないが、エゾオオカミ一人で手に負えないものだったら助けを求める事になるだろう。

 

「せやな。別にセルリアン絡みやなくてもいつでも手ぐらい貸したるわ」

 

 言いつつアムールトラもソファに寝そべったまま招き猫のポーズである。

 まさに猫の手だけど貸すよと言わんがばかりだ。

 

「おう。用事が終わったら一応連絡するわ」

 

 そんな様子に苦笑しつつエゾオオカミも出掛けて行く。

 数名がいなくなっただけで何だか寂しくなった気がする。

 

「ま、マセルカも野暮用が……」

「ないだろう」

 

 とすぐにオオセルザンコウに止められるマセルカ。

 何とか打開策はないかと悪知恵を働かせる。

 

「そ、そうだ! いいこと思いついた!」

 

 と何かを閃いたらしい。

 一同その考えを聞くだけ聞いてみるか、とマセルカの続く言葉を待つ。

 

「明日の始業式って金曜日じゃない?」

 

 その通りだが、それがどうしたのだろう?

 

「だからさ! 宿題やったのに忘れちゃったー!って言えば土曜日と日曜日は休みだからさ、月曜日まで宿題出さなくていいじゃん!」

 

 どうだ名案だろう、とマセルカはドヤ顔である。

 そして一同呆れ顔で「却下」と一蹴する。

 

「な、なんでー!?」

 

 名案だと思っていただけにマセルカは不満の声を上げる。

 そんな呆れた考えにセルシコウから監督役を引き継いだオオセルザンコウも深い溜め息を吐くと言った。

 

「スマンが頼む。ルリ」

「うん……」

 

 ルリは二度目となる強制力のあるお願いを発動させるのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ご、ごちそう様でした」

「は、はい。お粗末様でした」

 

 青龍神社ではエゾオオカミと青龍神社の跡取り娘であるアオイが社務所のリビングで両手を合わせていた。

 お昼時に呼び出されたエゾオオカミであったが、セイリュウからお昼に誘われたわけである。

 で、セイリュウはといえば、準備があるから、と先に席を立って、残されているのはエゾオオカミとアオイ、それにコイちゃんの三人というわけだ。

 ちなみに、今日のメニューは天ざる蕎麦でコイちゃんとアオイの共同制作だった。

 とはいえ、エゾオオカミにはあまり味わう余裕がなかったようであるが。

 

「何で、そんな二人してカチコチしちゃってるの?」

 

 とコイちゃんだけがいつも通りだった。

 普段あまり来る事のない場所に来たエゾオオカミはもちろん、アオイの方も何故か緊張していた。

 

「あー……」

「その……あまり学校で接点がなくて……」

 

 エゾオオカミとアオイは同じ1年生ではあるものの、接点といえばそのぐらいだ。

 クラスも違えば部活でも接点がない。

 片やアオイは学年イチの優等生。エゾオオカミの方は勉強が得意ではない。

 今まであまり会話する機会すらなかったのに、いきなりお昼をご一緒といってもどう接していいやらお互いに戸惑っているというわけだ。

 

「コイちゃんは嬉しかったよ。ホワイトタイガーちゃんとシロちゃん達は昨日で夏休みの宿題終わったから今日は来ないし、少し寂しかったんだぁ」

 

 3年生の先輩でもあるコイちゃんにそう言われれば、エゾオオカミも少しは緊張が解けるというものだ。

 

「せっかくだからこの機会に仲良くなっちゃったら?」

 

 コイちゃんが言うようになれるかどうかはともかく、二人してギクシャクしていても居心地がお互いに悪いだけだ。

 会話ぐらい試みても悪い事はないだろう。

 アオイは意を決して何か会話のキッカケになるだろうかと口を開く。

 

「え、ええと……ご趣味は……?」

「ってお見合いか」

 

 即座にエゾオオカミがツッコミ返す。

 アオイの方はすぐにツッコミ返されて次の言葉を探して慌てていた。

 そんな姿を見るとエゾオオカミの緊張も少しばかり和らいだ。

 

「あー。あれだ。アオイってこの前の期末テストで学年1位だっただろ? なんか俺なんかが話しかけていいのか不安になっちまってさ」

「ふっふーん! でしょ。アオイちゃんは自慢の妹だからねー」

 

 エゾオオカミは会話の糸口を求めてとりあえず自分の胸中を話す。それでどうしてコイちゃんがドヤ顔しているのかはわからないが。

 成績優秀者という事で上位10名は校内掲示板に貼り出されたから、アオイが1位を獲ったのは全校生徒が知っている。

 

「ええと……エゾオオカミ…ちゃん? ……はどうでしたか? 期末テスト」

 

 せっかく会話の糸口をくれたのだ。アオイはその話題を続ける事にした。

 

「俺か? 俺は下から数えた方が早いくらいだったぜ」

 

 と肩をすくめるエゾオオカミ。

 

「その……ご両親に怒られたりは……?」

「いや、中間テストよりも順位を上げたって褒められたくらいだった」

 

 エゾオオカミは親指を立ててみせる。

 テスト勉強をルリ達と一緒にさせてもらった効果もあってエゾオオカミにしてはいい結果を出せたらしい。

 

「いいなー。コイちゃんは平均より上だったから怒られはしなかったけどー」

「コイちゃん姉さんは今年受験なんですからもう少し頑張って下さい」

「またピンチになったらアオイちゃんに教えてもらうからいいもーん」

 

 言ってコイちゃんはアオイに抱き着いていた。

 すりすりされて、アオイはしょうがないなぁ、というように嘆息する。

 

「しょうがないですね……後でまた勉強看ますから」

「やったぁ」

「(普通、逆じゃね?)」

 

 そうしてアオイとコイちゃんの二人に仲睦まじい様子を見せつけられるとエゾオオカミはツッコミの言葉を胸中に留めざるを得なかった。

 ただ、これで何となくアオイが成績優秀な理由の一端が分かった気がする。

 

「アオイは3年生の勉強も分かるって事か?」

「ええ。全部というわけではないですが、コイちゃん姉さんと一緒に勉強してましたから」

 

 つまり、アオイはコイちゃんと一緒に勉強してる間に、勝手に予習済みだったというわけだ。

 多分1年生の勉強内容も2年前に一度コイちゃんと一緒に予習してしまっていたという事だろう。

 

「なんか、アオイってスゲーんだな」

「でしょでしょ」

 

 感心するエゾオオカミにやっぱりドヤ顔になるのはコイちゃんであった。当のアオイは赤くなっている。

 

「べ、別にコイちゃん姉さんの事はずっと面倒看るって決めただけですから」

 

 とそっぽを向く。

 言った後、アオイはもちろん、コイちゃんまで何だか照れた様子を見せる事にエゾオオカミはおや?と思う。

 そして、ふと夏休み前から囁かれている噂を思い出した。

 

「そういやぁ、二人って付き合ってるんだっけ」

 

 ついつい出てしまったさり気ない惚気に、エゾオオカミもついポロっと本音が出た。

 本人を前にして言う事ではなかったかと思ったが、アオイもコイちゃんも二人して照れてはいるがイヤそうな様子がないので問題はなかったらしい。

 しかし、こういう様子を見ているとエゾオオカミにも思うところがある。

 

「(どうしてあんなに噂になるのか、少しは分かる気がするぜ)」

 

 エゾオオカミ的には他人の色恋なんて何が面白いのかよくわかっていなかった。

 が、こうして現物を前にすると、なんで皆があんなに熱を上げるのか分かるような気がする。

 

「あー……うん……なんだ。ご馳走様だぜ」

 

 ただ、エゾオオカミはこういう時になんと返していいかわからない。

 取り敢えず思い付いた事を返したところ、アオイにジト目を向けられた。

 照れ隠しが多分に含まれていた行動だったが、アオイの口はさらに反撃に転じる。

 

「そ、そういうエゾオオカミちゃんはどうなんです?」

 

 どう、とは?

 そうエゾオオカミが返す前に、皆がいたリビングに巫女服姿のフレンズがやって来た。

 青龍神社で代々巫女を務めるコイちゃんの母である。

 

「エゾオオカミ様。準備が出来ましたので拝殿へおいで下さい」

 

 コイちゃんが大きくなったらこんな感じだろうなーという美人さんなのだが、その人がすっかりお仕事モードに入っているのだ。

 その場の全員が気圧されてしまう。

 なので、エゾオオカミの恋話へ雪崩れ込む事はなかった。

 

「お、おう。じゃあまたな、アオイ。コイちゃん先輩」

 

 そう言ってエゾオオカミは社務所を出て拝殿へ向かう。

 前をしずしずと先導する巫女さんの様子を見ると、エゾオオカミは緩んだ緊張の糸が一気にピンと張りつめていた。

 今、エゾオオカミは正式な招待客としての扱いを受けているのだ。

 そんな大人と同等の扱いを受けるのは初めてで緊張と戸惑いは最高潮に達している。

 こんなもてなしを受けてまでされるセイリュウからの話とは一体何なのか。

 

「さ。エゾオオカミ様」

 

 巫女服姿のコイちゃんのお母さんは拝殿への扉を開けると一礼した。

 

―ゴクリ。

 

 思わずエゾオオカミは固唾を飲んでしまう。

 意を決して拝殿の中へ歩みを進めると背後で扉が閉まった。

 

「(ゲームのラスボス戦とかか……?)」

 

 そう思ってしまうエゾオオカミだ。

 中にいたセイリュウはこちらに対して横向きになっている状態だ。

 なんで横向き? とエゾオオカミは最初疑問に思ったがすぐに合点がいった。

 神様を祀る本殿に背を向けるわけにはいかないのだろう。

 なので、とりあえずセイリュウの前に回るエゾオオカミ。

 どうやら正解だったようで、セイリュウは微かに笑みを見せてから座布団を勧めてくれた。

 

「よく来てくれました。まずは楽になさって下さい」

 

 楽にしろ、と言われても素直に足を崩すわけにはいかない。

 とりあえず座布団に正座するエゾオオカミ。

 さて、いよいよ本題に入るのだろうか。

 セイリュウもエゾオオカミの前に正座して向き合うと話を始めた。

 

「さて。エゾオオカミさん……。実は今日お呼びだてしたのはあなたに頼み事があったからです」

「頼み事?」

 

 オウム返しにするエゾオオカミにセイリュウは一つ頷いてからこう続けた。

 

「いえ。この場合はこう言った方がいいかもしれません。あなたに依頼があるのです。木の実探偵エゾオオカミさん」

 

 木の実探偵とはエゾオオカミがやっている探偵ごっこだ。

 商店街ではそこそこ有名で、エゾオオカミが木の実1個を報酬に子供達の困りごとを解決するというものである。

 しかし、まさか大人からの依頼とは思わなかった。しかも青龍神社の主であるセイリュウから。

 ますますどんな依頼なのかとエゾオオカミは戦々恐々としてしまう。

 そんな中で、セイリュウは神主服の袖から二枚のお札を取り出した。

 その二枚をスッ、とエゾオオカミの前へ置く。

 

「(あれ? これ、お札じゃない)」

 

 目の前に置かれたそれはよくよく見れば何かのチケットのようであった。

 そのチケットにはこう書かれていた。

 

『わくわくプールランド招待券』

 

 と。

 これは一体全体どういう事なのだろう。

 エゾオオカミは説明を求めてセイリュウを見た。

 

「はい。実はこの『わくわくプールランド』は今年の夏にオープン予定だったレジャー施設なんです」

 

 セイリュウ曰く。『わくわくプールランド』は色鳥町に新しくオープンする予定であった総合レジャープール施設だった。

 ところが、この夏にヨルリアン事件があったものだから、その復旧の影響でオープンが延期されたという事情がある。

 で、遅れに遅れた『わくわくプールランド』であるが、とうとうこの夏休み明けにプレオープンまで漕ぎつけたわけだ。

 

「このチケットは明後日の土曜日に使えるプレオープンの招待券になります」

 

 エゾオオカミは思う。

 どうやらセイリュウが『わくわくプールランド』のプレオープンに招待してくれているらしい事は分かった。

 振り返って思い出してみると、せっかくの夏休みなのにあまり遊びに行っていない。

 夏休みの間にやった事と言えば、商店街の手伝いに『グルメキャッスル』の手伝い、それに……。

 

「(あと、セルシコウと稽古だったか)」

 

 そう思い出すと、エゾオオカミは目の前のチケットが二枚である事にあらためて想いを馳せる。

 多分、誰かを誘って来いという事なのだろうが、エゾオオカミともう一人となるとこれがまた難しい。

 候補的にはルリ、アムールトラ、ユキヒョウの三人。若しくは近所で仲もいい商店街仲間のキタキツネやギンギツネという手もある。

 ただ、その中から一人だけを選ぶとなると、如何にも具合が悪い。

 候補から外れた子からは羨ましがられてしまうだろう。

 

「(いやいや、まてまて。そもそもこの『わくわくプールランド』へ行くのが“依頼”ってのはどういう事なんだ)」

 

 考えが先走ってしまったエゾオオカミは気を引き締め直す。

 なんせ依頼主はあの青龍神社のセイリュウだ。

 その依頼だって一筋縄では行かない内容だろう。

 戸惑うエゾオオカミを見てセイリュウは説明を続ける。

 

「実は、この『わくわくプールランド』のプレオープンにはアオイとコイちゃんに行って貰う予定になっているのです」

 

 と、セイリュウはさらに追加で二枚の招待券を示して見せた。

 そして少しばかり困ったように眉を寄せてセイリュウは続ける。

 

「その……アオイとコイちゃんにはこの夏休みにあまり遊ばせてあげられなかったので、この機会に少しは羽根を伸ばしてもらおうかと……」

「は……はぁ……」

 

 まだ話が見えなくてエゾオオカミは生返事を返す事しか出来ない。

 

「しかしですね。親としてはこう……なんといいますか……中学生らしいお付き合いが出来ているのかどうかが気になるわけなんですよ」

 

 そんなセイリュウの言にエゾオオカミは思う。

 アオイに限ってはそんな心配はないんじゃないだろうか、と。

 なんせアオイは学年イチの秀才だ。

 アオイとゆっくり話をしたのは今日が初めてだったがエゾオオカミはそう思っていた。

 そんなエゾオオカミの想いを置いておいて続けるセイリュウ。

 

「かと言って、親が出張っても二人の仲が進展しないかもしれませんし……」

「いやいや……セイリュウ様……。二人にどうなって欲しいんだよ……」

 

 一方でアオイとコイちゃんの仲が深まる事を望み、もう一方でそれを憂う。親心というものも中々に複雑なのかもしれない。

 

「だって、アオイが二学期デビューとかしちゃったらどうしたらいいんですかっ!?」

「大丈夫だ、セイリュウ様。……もう始業式は明日だぜ。今から二学期デビューは間に合わねーから安心してくれ……」

 

 若干の呆れと共にエゾオオカミは嘆息した。

 セイリュウもコホンと一度咳払いをし、居住まいを直してから“依頼”の内容を告げる。

 

「木の実探偵エゾオオカミさん。貴女へ“依頼”したい事はこっそりとアオイとコイちゃんの様子を見て来て欲しいのです」

 

 なるほど。

 セイリュウ自身が見守るわけには行かないから、探偵にお願いしようというわけだ。

 

「それならなんで二枚も招待券が?」

 

 エゾオオカミの前に差し出されている『わくわくプールランド』の招待券は二枚もある。

 

「それは、やはり一人よりも二人の方が目立たないでしょう?」

 

 確かに、こっそりアオイとコイちゃんの二人を見守るならば、一人でいるよりは二人の方が何かと便利かもしれない。

 

「(さて……どうするか……)」

 

 エゾオオカミはそこまで聞いて腕を組み考える。

 まず依頼としてはハッキリ言って簡単だ。

 正直アオイとコイちゃんがそうそう行き過ぎるような事は無さそうに思える。

 だから一応見守りはするが、そうする必要もあまりないだろう。

 一方で、この“依頼”を受ければ『わくわくプールランド』で遊ぶ機会が得られる。

 “依頼”を受ける方向へエゾオオカミの天秤はかなり傾いていた。

 

「そして、“依頼”である以上は報酬が必要でしょう」

 

 そんなエゾオオカミを畳みかけるべくセイリュウが合図を出す。

 すると、巫女服姿のコイちゃんのお母さんが再び現れた。

 神棚から恭しく三方を一つ取って来る。

 三方とはわかりやすく言えば、お月見の際に月見団子を乗せるアレだ。

 コイちゃんのお母さんはその三方をやはり恭しくエゾオオカミの前へ置いた。

 三方の上には和紙が引いてあり、さらにその上に一つのドングリが鎮座している。

 これは一体? とエゾオオカミはセイリュウへ視線をやった。

 

「これは青龍神社の御神木に成った実に私が祝詞を捧げました」

「へぇ……」

 

 手を触れていいものか躊躇されるので、エゾオオカミは取り敢えず眺めるだけに留める。

 だがそれでも分かる事はある。

 

「シラガシの木の実だな……」

「さすが木の実探偵ですね」

 

 どうやら青龍神社の御神木はシラガシだったらしい。

 エゾオオカミが木の実の特徴から種類を言い当てた事に感心しつつセイリュウは続ける。

 

「これを育てていただければよい守り木になるかと」

 

 由緒正しい青龍神社の御神木から頂いた苗木となれば霊験あらたかな気がするエゾオオカミだ。

 『わくわくプールランド』で遊ぶ事が出来る上にちょっと豪華な報酬まであるとあってはエゾオオカミに断るという選択肢はなくなった。

 

「セイリュウ様。この依頼引き受けさせてもらうぜ」

 

 エゾオオカミの宣言にセイリュウもニコリと笑みを返す。

 そうなったら、考えなくてはいけないのはパートナーとして誰を連れて行くかだ。

 腕を組んで考え込むエゾオオカミ。

 しかし、あちらを立てればこちらが立たず。

 中々いい候補が思いつかない。

 そこに、セイリュウがコホンと咳払いしてから独り言のように呟く。

 

「あー。『わくわくプールランド』のアトラクションには運動神経がかなり要求されるものも多いそうですー。そういうのに長けた子ならより楽しめるかもしれませんねー」

「運動神経か……。ともえ先輩……?」

 

 一番に思いついたのがともえだったエゾオオカミだったが、セイリュウはガクリと肩透かしを食らったようになっていた。

 まるで「違うでしょー!?」とでも言いたげに両手をぶんぶんしている。

 

「ほら……。調査に行くのはプールなわけじゃないですか。もちろん水着なわけでいつも通りの装備なんて持ち込めないわけですよ」

 

 セイリュウの様子はわたわたしていたが、言っている事には一理あるような気がしないでもない。

 エゾオオカミは続きを待つ。

 

「つまり、いざという時には無手でも問題に対処できるような人物が適任なんじゃないでしょうか?」

 

 そうなると……。

 エゾオオカミの脳裏に一人の候補が浮かび上がった。

 

「そうだ! キンシコウ先輩なら適任じゃねーか!?」

 

 セイリュウは寸でで「おしいけど違う!?」という言葉を呑み込んだ。

 

「いや、でもキンシコウ先輩と二人で出掛けられるかって言われるとな……」

 

 どうやらエゾオオカミは考え直したようだ。

 セイリュウはホッと一息を吐く。

 

「そうだ! プールだったらマセルカの独壇場じゃねーか!」

 

 セイリュウは「だから惜しいけどそうじゃない!?」と叫びそうになって喉元でそれを呑み込む。

 エゾオオカミとしては名案だ。

 マセルカならば水中活動だって得意だから色んな場面に対処できる。これ以上の適任はいないように思えた。

 が……。

 

「ま、マセルカさんは宿題終わらせられるでしょうか? 終わっても疲労困憊になっているかもしれませんよ」

 

 とセイリュウから待ったが掛かる。

 確かに今日の様子を見るに、セイリュウの言う通りな気がしてくる。

 悩むエゾオオカミはどうしてセイリュウがマセルカの様子を知っているのかに考えが及ばなかった。

 ならどうしよう、と悩むエゾオオカミにセイリュウは呆れつつも言ってしまう。

 

「もうセルシコウさんでいいんじゃないですか」

 

 言われて「おお」と手を打つエゾオオカミである。

 確かにセルシコウならば運動神経も抜群だし何かあった際にも頼りになる。それに普段から二人で稽古だってしてるんだから今さら二人きりになったって遠慮するような間柄でもない。

 

「さすがセイリュウ様だぜ! ありがとうな!」

 

 問題が解決してエゾオオカミは立ち上がる。

 

「い、いえいえ。お役に立てて何よりですよ」

 

 セイリュウは内心でホッと一安心である。

 意気揚々と依頼を受けて立ち去るエゾオオカミを笑顔のままで見送って、扉が閉まるのを確認後数十秒が経ってから……。

 

「「よしっ!!」」

 

 セイリュウはコイちゃんのお母さんと二人でガッツポーズである。

 そうしてから、神主服の袖口から携帯電話を取り出して目当ての相手へ電話を掛けた。

 

「ええ。こちらは予定通りに。それではそちらも抜かりなく」

 

 電話の相手は『了解』とだけ返して通話を終了した。

 

 

―②へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』②

 

 

 一方その頃。

 

「「ありがとうございました」」

 

 キンシコウとセルシコウの二人が同時に礼をすると、精魂尽き果ててこれまた同時に床へへたりこんだ。

 色鳥駅前方面にあるキンシコウのうちが経営するスポーツジムでは多目的ホールを貸し切っての激闘が終わったところだった。

 

「腕を上げましたね、キンシコウ」

「そう言うセルシコウさんこそ」

 

 同種のフレンズだけあって二人はそっくりだ。

 強く在りたい、そして強者と戦いたいという嗜好まで似ている。

 荒い息を整えつつ二人して感想戦へ移る。

 

「今日のキンシコウは前に戦った時よりも気迫というべきか……闘気が充実していたというべきか……。精神的に一回り成長したように思います」

 

 セルシコウが今日対戦した感想はこうだった。

 以前は相手に打ち込ませてからいなして応じる後の先を取る戦い方だったのだが、今はどうだ。

 必要とあれば積極的に先手を狙って来る。

 強敵に勝利する。その事に貪欲になったと思えた。

 

「ありがとうございます。そうですね。そうかもしれません」

 

 キンシコウはセルシコウにもタオルを渡しつつ胸中を語る。

 夏休み前の空手大会で起こったトラブルはキンシコウの世界を変えた。

 空手大会に現れた謎の化け物との対峙、そしてセルシコウとの出会い。

 元来、争い事は嫌いだと思っていたけれど、あの日にキンシコウは知ってしまったのだ。強敵と腕を競い合う事の楽しさを。

 今日、こうしてセルシコウと再戦してみて、やはり心が躍り昂っている。

 あの日抱いた夢は間違いではなかった、とキンシコウは再認識できた。

 だから、キンシコウは改めてそれを口にする。

 

「私は……もっともっと強い敵と戦ってみたいです。この拳でどこまで行けるのか。その先に何が見えるのか……それを知りたいと思っています」

 

 キンシコウが突き出した拳を、セルシコウは両手でぎゅっと握っていた。

 

「わかります!!」

 

 強敵と相対した時にこそ感じる血沸き肉躍るあの感覚。

 そして強者との戦いでしか分からない何かがあると思っている。

 セルシコウはキンシコウが自分と同じ道を歩み始めた事をとても嬉しく思っていた。

 それでこそ我が強敵(とも)だ、と。

 

「私は本気でプロの道へ進もうと思っているんです」

「なれますよ。キンシコウなら」

 

 他ならぬセルシコウに夢を後押しされるとキンシコウとしても心強い。

 だが……。

 

「ただ、両親にはまだ快い返事は貰えていないんです」

「な、なんでですか!?」

 

 信じられない、と目を見開くセルシコウ。

 キンシコウならば間違いなく強者になれる。そして、それにはより強い者と戦える環境こそが望ましいはずではないのか。

 反対する理由がセルシコウには全く理解できないでいた。

 

「私はあまり争い事が好きではなかったので、プロの世界で勝ち残れるのか不安なのだそうです」

「その心配は無くないですか?」

 

 セルシコウは先程キンシコウと手合わせしたからこそわかる。

 今のキンシコウならば強者ひしめくプロの世界へ足を踏み入れたとしても決して気後れなどするまい、と。

 だが、キンシコウは首を横に振る。

 

「両親の心配も理解できないではありません。厳しいプロの世界で生き残れるのは本当に強いひと握りの猛者だけです。そして春までの私ではそのひと握りに入る事は叶わなかったでしょう」

 

 セルシコウにはキンシコウが育ってきた境遇というものはよくわからない。

 だからこそ両親とそして他ならぬキンシコウ自身がそう言うのならそうなのだろう。

 

「だからこそ、私は今度の空手大会で結果を出して両親を説得しようかと」

 

 つまりキンシコウは誰の目にも分かりやすい結果を出してプロの世界でも通用すると見せつけるつもりなのだ。

 

「ええ。貴女なら大丈夫ですよ」

 

 と頷くセルシコウだったが、ふと気が付いた。

 

「ちなみに、その空手大会とは?」

「あれ? 知らなかったですか?」

 

 夏休み前に中学生が参加できる空手大会は終わってしまった。

 来年まで大きな大会はないかと思っていたが、キンシコウの言ではそうでもないらしい。

 不思議に思うセルシコウにキンシコウは一枚のチラシを見せてくれた。

 

「今年の空手大会は事件があったから中止になっちゃったじゃないですか」

「そうですね……」

 

 二人が出場した空手大会はカラテリアンの乱入という事件によって中止に追い込まれてしまった。

 なので、この地区からは代表が選出されないという事態になったわけだ。

 

「その埋め合わせというわけでもないのでしょうが、市が主催する空手大会が開催される事になったんですよ」

 

 キンシコウが見せるチラシには『市民空手大会』という文字が躍っている。

 セルシコウがチラシの内容を見ると開催場所はいつかと同じ色鳥武道館である。

 それに、(かた)と組手の部に別れているのも以前と一緒だ。だが小学生、中学生、一般、の部にさらに細分化されており広く参加者を募っている。

 

「私は一般、組手の部へエントリーしました」

 

 つまり、セルシコウは敢えて大人達と戦える一般の部へ挑戦するつもりらしい。

 募集要項でも一般の部は年齢不問となっているから、中学生が一般の部にエントリーしちゃいけないなんてルールはなかった。

 

「貴女もエントリーしませんか? セルシコウさん」

「ええ。それはもちろん構いませんが……。いいんですか? 私が勝っちゃったら結果を残せませんよ」

 

 セルシコウの言にキンシコウはニヤリと不敵な笑みを返す。

 

「コテンパンにしてあげますから心して掛かって来て下さい」

 

 なるほど。

 どうやらキンシコウは本気らしい。

 セルシコウという強敵を倒してこそ道が開けると考えているのだ。

 

「そういう事でしたら返り討ちにしてあげましょう」

「言っておきますが、手抜きなんかしたら絶交ですからね」

「まさか」

 

 二人して視線で火花を散らした後にコツンと拳を合わせる。

 そうして互いに宣戦布告が終わったところでセルシコウはふと気が付いた。参加が決まったのはいいが、果たして大会はいつなのか。

 

「あ。そうですよね。大会は今度の日曜日です」

 

 キンシコウが慌ててチラシの開催日を見せてくれる。

 今日は木曜日だから3日後という事だ。

 広く参加者を募集している関係で当日エントリーだって間に合うらしい。

 参加は確定として……

 

「ふぅむ……」

 

 ……とセルシコウは考える。

 ライバルでもあるキンシコウと白黒ハッキリさせるよいチャンスでもあるがもう一つまたとない機会がある。

 

「(エゾオオカミとの手合わせ……そろそろいい機会では……?)」

 

 夏休みに二人で稽古を始めてからエゾオオカミは腕を上げた。

 元々はエゾオオカミに稽古をつけたのだって、自らの手で鍛え上げた強者と戦う為だ。

 今回の空手大会はまたとない機会になるのではないだろうか。

 

「(いやいや……)」

 

 とセルシコウは考え直す。

 正直に言えばエゾオオカミの技はセルシコウに遠く及ばない。

 まだまだ成長するだろうから、ここで手合わせをして自信を打ち砕くのは得策とも思えない。

 

「もしかして、エゾオオカミさんの事ですか?」

 

 キンシコウに言い当てられてセルシコウは「なっ!?」と顔を真っ赤にした。

 

「私だってそのくらいわかりますよ」

 

 と、ドヤ顔のキンシコウである。

 エゾオオカミとセルシコウの二人が公園で稽古しているのは噂で知っている。

 

「まだ真剣勝負をするには時期尚早。かと言ってこの機会を逃したくもない、といった辺りでしょう?」

 

 キンシコウに言われた事がそのまま図星だったのでセルシコウは真っ赤なままコクリと頷くしか出来なかった。

 

「ではこういうのはどうです? エゾオオカミさんには(かた)の部に出てもらうというのは」

 

 セルシコウは出された提案を熟考してみる。

 なるほど、よい考えだ。

 いつかの大会ではエゾオオカミは如何にも素人だった。

 だが、今はどうだ。

 セルシコウの目から見てももう一端の拳士だ。

 それにセルシコウとの稽古ではおそらくエゾオオカミ自身が成長の実感を得られていないだろう。

 だから大会での結果はエゾオオカミに成長の実感をくれるだろうし自信をつける事にも繋がる。

 そうなれば、さらなる伸びしろが期待できるはずだ。

 

「なるほど……いいかもしれませんね」

 

 そう思うセルシコウだったが、最終的な決定はエゾオオカミ自身にしてもらおうと考える。

 もしかしたら何か用事があって大会には参加出来ないかもしれないし。

 だがセルシコウは心のどこかで、エゾオオカミがセルシコウと一緒の部に参加してくれる事を望んでもいた。

 セルシコウとエゾオオカミは今日も夕飯後に稽古の予定だ。その時に持ちかけてもいいだろう。

 そこまで考えたセルシコウの顔をキンシコウがどういうわけかニコニコと覗き込んでいる。

 

「何か?」

「いやぁ……やっぱりセルシコウさんは自分より強い人じゃないと好きになれませんよねー」

 

 うんうん、頷きながらキンシコウは続ける。

 

「その為にエゾオオカミさんへ稽古をつける……。私、いいと思います!!」

 

 キンシコウはやたらいい笑顔で親指を立てて見せた。

 

「な、な、な……」

 

 セルシコウはどう反応していいのか分からずにまたもや赤面するしかない。

 

「応援、してますよ」

 

 言いつつキンシコウは力強くセルシコウの肩に手を置く。

 そんなセルシコウは真っ赤になった顔を両手で覆って隠すしか出来なかったのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「カラカルー。和香さーん。接続完了したみたいだよー」

 

 菜々が後方に控えた二人に手を振る。

 ここは和香教授が昔にルリと暮らしていた山奥の家だ。

 カラカルが以前に手入れしてくれた広い庭のど真ん中にグネグネとした空間の歪みが生まれていた。

 今日は菜々とカラカルが帰る前準備として、異世界へ渡る為の接続を確認しに来たわけだ。

 

「ほいほい。それじゃあ入れ忘れはないわねー?」

 

 カラカルがアタッシュケースを閉じて空間の歪みへ近づくと、それをポイと中へ投げ入れた。

 中身はこちらの世界で集めた物資が色々だ。

 大半が園芸屋さんやホームセンターなどで購入してきた植物の種子になる。

 こちらの世界ではありふれた物ではあるが、菜々達の世界から見たら品種改良された逸品だ。

 あと、和香教授が研究していた『メモリークリスタル』の解凍方法について記録したUSBメモリも入っている。

 

「ふむ。問題ないみたいだね」

 

 和香教授は設置された計測機器が接続されたノートパソコンを見ながら言う。

 どうやら問題なく菜々達の世界へ物資を送れたらしい。

 

「ほんじゃあ、本命も行っておくわよ」

 

 続けて、カラカルがもう一つアタッシュケースを空間の歪みへ投げ入れた。

 中身はこちらの世界の奈々から採取した血液を保存したアンプルが入っている。

 カラカル達がやって来た理由もこれが大きい。

 異世界にいる同位体同士から生まれる反発力を利用したエネルギー装置。その為にわざわざ世界を渡ってやって来たのだから。

 

「これでとりあえず任務完了ってわけね」

 

 カラカルもホッと一息を吐く。

 空間はまだ接続されたままだ。少しばかりの胸騒ぎを覚えた和香教授が訊ねる。

 

「カラカル君と菜々君は今日帰るわけじゃないんだろう?」

「うん。起動実験とかが終わるまではコッチにいる予定。万が一の時にはまた奈々に採血をお願いしないといけないから」

 

 答える菜々に和香教授もホッと一息だ。

 カラカルと菜々がいてくれるおかげでルリとアムールトラも喜んでいる。いきなり帰るとなったら二人とも悲しんでしまう。

 

「そうか……。じゃあキミ達さえよければ引き続きよろしく頼むよ」

「当たり前でしょ。ルリ達に夕飯までには帰るって約束したもの」

 

 安心したように言う和香教授にカラカルが指を突き付けるようにして返す。

 別れの時はそこまで先の事ではないだろうが今日ではない。

 だから残された日を有意義に過ごそう。

 となればこんなところで無駄に時間を過ごす事もあるまいと、和香教授は確認する事にした。

 

「さて、今日の予定は以上かい?」

「あ、ちょっと待って。アッチから返信があるはずだから」

 

 菜々はまだ空間の歪みの前にいた。

 アチラからもこちらがしたのと同じようにアタッシュケースが届くのかもしれない。

 少しの間待っていると変化があった。

 

―ザッ

 

 歪みの向こうに人影が見えたと思ったら一人のフレンズが歩み出て来た。

 歩み出て来たのは綺麗な青みがかった毛並みに、青色のブレザーとチェック柄のミニスカートを着たフレンズである。

 

「あら。マルタタイガーじゃない」

 

 その姿を見た菜々が言った。

 マルタタイガーと呼ばれたフレンズはツカツカと菜々に歩み寄ると菜々の顎を下から掬い上げる。

 いわゆる顎クイというやつだ。

 

「菜々……。違うだろう? キミと僕の仲じゃないか。いつものように親愛を込めてルターと呼んでくれていいんだよ」

 

 言いつつマルタタイガーことルターは菜々の顎を持つのと逆の手で青いバラを差し出す。

 

「はいはい。ルター。なんであなたがコッチに来てるの?」

 

 傍目から見るとルターは超イケメンなフレンズと言っていい。

 そんなフレンズからの顎クイなんて少女漫画のワンシーンのようではあるが、菜々は慣れっこなのか若干呆れた反応だった。

 

「ん? それはね!」

 

 パッと菜々を放すルター。くるくるとターンしながら距離を取るとまるで俳優か役者のように、青バラを持った手を胸にあてて芝居がかった一礼をしてみせる。

 

「この僕こそがメッセンジャーというわけさ」

 

 どうやらルターがアチラの世界から追加でやって来たという事らしい。

 それを理解したカラカルがルターに詰め寄る。

 

「ちょっとちょっと! アンタまでこっち来る必要あったの!?」

「ふっ……。カラカル……。キミという子猫に会えない間、僕の胸は張り裂けそうだったよ! キミに会う為ならば僕は世界だって越えてみせるのさ」

「答えになってないわよっ!?」

 

 ぷんすか怒るカラカルの後ろから和香教授が歩み出て来た。

 

「やあ、ルター。大きくなったね。それに綺麗になった。すっかりステキなレディじゃないか」

 

 ルターに負けず劣らず、口説いているようにしか思えない挨拶をする和香教授。

 そんな和香教授にルターもまたツカツカと歩み寄って行く。

 果たして口説き合戦でも始まるのかと思いきや……。 

 

「和香さぁああああん! 久しぶりぃいいいいい!!」

 

 ルターはなんと和香教授に抱き着いていた。

 

「おやおや。やっぱりルターはまだ可愛い子猫のままだったかな? レディなキミも子猫(キティ)なキミもどっちもステキだけどね」

 

 そんなルターを受け止め、和香教授はその頭を撫でてやった。

 本物の猫のようにゴロゴロと喉を鳴らすルター。

 

「あー。ルターは和香さんに育てられたもんね。和香さんにだけは相変わらず甘えん坊さんだ」

 

 そんな様子に菜々は苦笑する。

 和香教授がアチラの世界に渡った時にまだ幼いルターと出会ってその世話をしてきた。

 そのせいでどこか性格が和香教授に似てしまってもいる。

 

「で? ルター。メッセンジャーなんでしょ? アッチからの返信を教えてよ」

 

 気を取り直してカラカルが訊ねる。

 が、ルターは再びクルクルと回転しつつ接近し社交ダンサーのようにカラカルの腰を抱く。

 

「ふっ……それは追い追いという事でいいじゃないか。今はキミに再会できた喜びに溺れていたいのさ」 

 

 続けてカラカルの眼前に青バラを差し出す……が。

 

「おっと、カラカルにはこっちの方がいいかもしれないね」

 

 言いつつルターは青バラをしまい、代わりにカーネーションを一本差し出す。

 カーネーションと言えば母の日に送る定番だ。

 言いたい事を察したカラカルは眼前のルターにジト目を送った。

 

「言っておくけど……ママじゃないわよ」

「まぁまぁ。来ちゃった以上しょうがないよ」

 

 呆れるカラカルを菜々がフォローする。

 ルターの生活力は壊滅的だ。そんなところまで和香教授に似てしまった。

 なので、こちらの世界に来てしまった以上カラカルの世話になるつもり満々であるらしい。

 つまりこのカーネーションは「ありがとう」の先渡しという事なのだろう。

 仕方ないと苦笑した和香教授もフォローに回る事にした。

 

「こんなところで立ち話もなんだ。今日のところはうちに泊まるといいよ」

「さっすが和香さんっ!」

 

 ルターは和香教授に再び抱き着いてすりすりしていた。

 和香教授にとってルターは妹分だ。なので来てしまった以上は便宜ぐらい図ってやりたい。

 

「それに、もう接続が切れてしまったようだ」

 

 和香教授達の背後で空間の歪みは元に戻ってしまったようだ。

 いずれにせよ、これでルターがすぐに帰還する事は叶わない。

 だが、当面は問題ない。

 和香教授にとってルターの生活スペースを確保する事だって容易い事だ。

 それにルターの世話だってカラカルもいるし菜々だっている。

 帰還するまでの間をこちらで過ごす事に何の問題もない。

 だが……。

 

「ふぅむ……」

 

 和香教授には気になっている事があった。

 

「ん? どうしたの、和香さん」

「いや、何でもないよ」

 

 訊ねる菜々に和香教授は曖昧な笑みを浮かべて考えを口にする事はなかった。

 和香教授が気になっているのはルターの事である。

 

「(ルターはどうしてこちらに来たんだ……?)」

 

 わざわざメッセンジャーとしてフレンズを一人送り込む意図が分からない。

 長く複雑なメッセージだったとしても手紙なり和香教授がやったように何かの記録媒体を送ってもよかったはずだ。

 それをわざわざメッセンジャーを送り込むのは非効率に過ぎる。

 そして……。

 

「(どうしてメッセージを伝えようとしない?)」

 

 和香教授が一番気になっているのはそこだった。

 カラカルが訊ねた時にルターははぐらかしたように思える。

 小さな違和感が和香教授の中に生まれていた。

 

「(まぁいいか)」

 

 結局、和香教授はその違和感を呑み込む事にした。

 ルターが訪ねて来た事自体は嬉しいし色んな話も聞きたい。

 とりあえず……。

 

「帰りに寄り道して買い出ししていこう。せっかくだから今日の夕飯は豪華にお願いしてもいいかな?」

 

 せっかくだから今日はルターの歓迎会も兼ねて夕飯は豪勢にしたいと思う和香教授だ。

 

「おっけー。じゃあ今日はすき焼きとかどう?」

「うん、いいんじゃない? ルリ達にも連絡しておくね」

 

 早速メニューを考えるカラカルに菜々が留守番と宿題に勤しんでいるであろうルリ達に電話していた。

 

「久しぶりにカラカルの手料理が食べられるのかな? 楽しみだ」

 

 ルターも楽しみにしてくれているらしく、昔と変わらない笑みを見せている。

 そんな姿を見て和香教授は自身の胸に生まれた小さな違和感を一旦忘れる事にするのだった。

 

 

 

 

―③へ続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』③

 

 夏というのは日が長い。

 和香教授が買い出しも終えてユキヒョウのマンションへ戻ってもまだ夕暮れ時であった。

 

「ただいま」

 

 それぞれに買い出しの荷物を抱えた和香教授と菜々とカラカル、そしてルターの三人が玄関のドアを開けるとそこには……。

 

「おっかえりー!」

 

 両手を腰にあてて仁王立ちのマセルカが待っていた。

 めちゃくちゃドヤ顔のところを見るに……。

 

「お、どうやら宿題は無事に終わったみたいだね。エライよ、マセルカ君」

 

 という事らしい。

 和香教授はぐりぐりとマセルカの頭を撫でてやる。

 

「ふっふーん! マセルカはやれば出来る人魚だからね!」

 

 カラカルと菜々としては「やれば出来るなら最初からやっておけば苦労しなくて済んだのに」と言ってやりたかったが、マセルカの嬉しそうな表情を見てツッコミは控えた。

 そして、マセルカの後ろには普段着に戻ったオオセルザンコウも控えている。

 和香教授は買い出ししてきた荷物の事を思い出す。

 

「二人も夕飯はコチラで食べて行くかい?」

 

 そして二人に訊ねた。

 食材は多めに買って来たから二人ぐらい増えたところで問題ないだろう。

 

「いや。ハクトウワシさんももうすぐ帰ってくるだろうから支度しておかないといけない」

 

 だが、オオセルザンコウは首を横に振った。

 今日もハクトウワシは激務から疲れて帰ってくるだろうから精一杯労ってやりたい。あとついでに宿題を最後までやり遂げたマセルカの事も。

 

「だから、今日はお暇させてもらうよ」

「そうかい。じゃあまた今度ゆっくりね」

 

 和香教授も引き留める事はしなかった。

 が、マセルカの方はと言えばルターの事が気になったらしい。

 

「ねえねえ。和香ー。この子だあれー?」

 

 ルターは長身なのでマセルカからすると見上げるようになってしまう。

 

「ああ……この子は……」

「僕はマルタタイガー。親愛を込めてルターと呼んでくれたまえ。ステキな人魚(マーメイド)さん」

 

 言いつつルターは青バラをマセルカに差し出す。

 それに対し、マセルカはと言えば一度キョトンとした後、和香教授の方を振り返る。

 

「ねえねえ、和香ー。もしかしてルターも和香んちの子?」

 

 物言いや行動が似ているのでそう思ってしまったマセルカ。

 それに吹き出したのはカラカルと菜々だった。

 

「隠し子じゃないかって疑われてるわよ、和香」

「まぁ、ルターは言うなれば……妹?」

 

 カラカルが和香教授の脇腹を肘で突くのを菜々がフォローしていた。

 そして菜々はマセルカとオオセルザンコウの二人に視線を合わせて続ける。

 

「ルターはしばらくの間こっちにいる予定だから仲良くしてあげてね」

 

 マセルカもオオセルザンコウも揃って頷いてくれた。

 

「とはいえ、今日のところはお暇しないと。ルター。また今度」

「ハクトウワシを待たせるのも悪いもんね。なんか話があるって言ってたし」

 

 オオセルザンコウとマセルカは言いつつルターにも手を振ってから帰って行った。

 ルターも扉が閉まるまで二人を見送る。

 

「(ん……?)」

 

 和香教授はまたも小さな違和感を覚える。

 笑顔で二人を見送ったルターだったがほんの一瞬だけど随分と鋭い視線を送ったように見えたのだ。

 殺気とすら思える鋭利な物が込められた視線だったように見えて、和香教授が我が目を疑った次の瞬間には既にルターはいつも通りの表情だった。

 

「(見間違い……か)」

 

 和香教授は再び首をもたげた違和感を封じ込めると気を取り直した。

 

「宿題が終わったという事はみんな今はゆっくりしているかな? ルター。ルリ達にも紹介しよう」

「おお。あの時の子か! 無事に育っているんだね! ねえねえ会っていい? 会っていい?」

 

 やたらキラキラした目で見て来るルターに和香教授もカラカルも菜々も苦笑を隠し切れない。

 やはりさっきのは見間違いだろうとホッと胸を撫で下ろす和香教授。

 

「もちろんさ。さあ」

 

 和香教授がリビングへの扉を開けると、そこではルリとアムールトラとユキヒョウ、イリアとレミィも寛いでいた。

 

「あ、お帰りなさい。お母さん菜々さんカラカルさん。あれ? お客様?」

「そうとも! 僕はマルタタイガーのフレンズ。親愛を込めてルターと呼んでくれ」

 

 早速ルターはソファーに座るルリの前に片膝ついていた。

 その姿に思わずルリは既視感を覚えて笑みを零してしまう。

 

「何か変だったかな? もっとも、キミの笑顔が見られるなら僕は道化師にも魔法使いにもなってみせよう。出来る事ならキミの王子様になりたいけれどね」

 

 言いつつ青バラを差し出すルターの姿に今度は寛いでいた全員が笑いを堪え切れなくなった。

 

「ご、ごめんなさい。なんだかお母さんそっくりだったから、つい」

 

 気を悪くされる前にルリは慌てて謝った。

 アムールトラもユキヒョウも同じ事を思っての反応だったので一緒に謝る。

 

「そ、そうかな……似てるって言われると何だか照れちゃうな……」

 

 ルターは赤くなって後ろ頭を掻いていた。

 そんな反応がますます和香教授に似ていたのでルリは思わず訊ねてしまう。

 

「ねえ、お母さん? もしかしてルターさんって私達のお姉ちゃんだったりしない?」

「ほら。また隠し子じゃないかって疑われてるわよ」

 

 またもカラカルに脇腹を肘で突かれる和香教授。

 

「いやまぁ……むこうの世界にいたとき妹同然で暮らしてたから関係性としては叔母にあたるのかな?」

「それで教授殿にすっかり似てしまったというわけかのう」

 

 なるほど、とユキヒョウも納得した。

 どうやらルターは菜々やカラカルと同じ世界で暮らしていたらしい。

 

「で、しばらくこちらにいるのかのう?」

 

 ユキヒョウは続けて訊ねた。

 菜々とカラカルを見るに別世界への行き来はそう簡単にもいかないらしい。

 ルターが何をしに来たのかはわからないが、やはり何かをして帰るにもしばらくの時間が必要だろうと思えた。

 

「うんうん、ルターもしばらくコッチにいる予定だから仲良くしてあげて」

 

 菜々の言葉にアムールトラががばりと身を起こした。

 

「っちゅう事は、歓迎会せなな?」

「ええ。そのつもりよ」

 

 とカラカルは買い出ししてきた荷物を指し示す。

 それを見て小さく「よっしゃ!」とガッツポーズのアムールトラ。

 どうやらルターの歓迎よりも今日の夕飯が豪勢になる事に気を取られているようだ。

 

「あ、じゃあ用意しないと」

 

 席を立とうとしたルリをカラカルが留める。

 

「アンタ達は宿題終わったところでしょう? ゆっくりしてていいわ」

 

 それより、とカラカルは続ける。

 

「ユキヒョウ。アンタも食べて行くでしょう?」

「うむ。そうじゃのう。せっかくじゃからご相伴に与ろうかのう」

「そっか。じゃあサオリさんにも連絡しとくね」

 

 菜々が早速ユキヒョウの家に連絡を入れていた。

 

「イリアと菜々は手伝ってよね」

「合点承知でさあ、カラカル姐さん!」

 

 ルターの正体がわからなかったので壺のふりをしていたイリアも姿を現した。

 それで姿を消していたレミィもユキヒョウの膝へ戻る。

 そんな様子を感慨深げに見つめるルター。

 

「ここは本当にセルリアンもフレンズも一緒に暮らしているんだね……」

「気が付いたらこうなっていたよ」

 

 ルターの呟きが耳に入った和香教授が苦笑交じりに続ける。

 

「だが、悪くないだろう?」

「そうだね」

 

 ルターは頷いていた。

 

「フレンズとセルリアンそして……」

 

 直後の言葉を呟くルターの表情に和香教授は再び違和感を抱く。

 彼女が団らんの場に相応しくない鋭い視線で呟いたのはたった一言……

 

「セルリアンフレンズ……」

 

 のみであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 日がすっかり沈んで遠くの空に夕焼けと夜の色が混じり始める頃、公園にはエゾオオカミとセルシコウがいた。

 

「ふひー! 今日も疲れたぁー!」

「はい。お疲れ様です。麦茶ですが飲みますか?」

「さんきゅー」

 

 今日の稽古が終わってエゾオオカミはセルシコウから受け取った水筒の中身を呷る。

 夏休みにライバルとなった二人は暇さえあればこうして公園に集まって稽古に勤しんでいた。

 今は一通りの稽古が終わって休憩中だ。

 

「やはり、最初に比べると随分腕が上がったと思いますよ」

 

 それはセルシコウの偽らざる本音である。

 練習は主に(かた)を二人で繰り返す。セルシコウのお手本をエゾオオカミが真似る形だ。

 ただ、それを繰り返すばかりではエゾオオカミの方には腕が上がったという実感がない。

 

「そうなのか? 俺としたら、まだセルシコウが満足できるレベルになったとは思えねーんだけど」

「それはそうです。簡単に追いつかれたら私の立つ瀬もありませんから」

 

 と言うものの、セルシコウは前よりも実力を詰められている事を嬉しく思っている。

 エゾオオカミが自分を追いかけている事になんだか胸が暖かくなっているのだ。

 いつからこんな気持ちを抱くようになったのか。

 それは判然としない。

 最近はこの時間が来る前には酷く気恥ずかしいような気がして足が重くなるけれど、実際こうして共に時間を過ごしているとそれが嘘のように楽しくて仕方なかったりする。

 そんなセルシコウを不思議そうに眺めるエゾオオカミ。

 

「どうした? 顔赤いけど熱中症だったりしないだろうな? あ、水筒の中身まだ半分くらい残ってるぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 エゾオオカミはセルシコウに水筒を返した。

 残っていた水筒の中身を全て呷ってからふと気が付く。

 

「(こ、これって間接……!?)」

 

―ボンッ

 

 自らの行いに気が付いたセルシコウの顔は音を立てる勢いで真っ赤になった。

 

「お、おい!? 大丈夫か!? 熱ないだろうな!?」

 

 慌ててセルシコウのおでこに自身のおでこをあてて熱を測るエゾオオカミ。

 さらに近くにエゾオオカミの顔があってセルシコウは慌てる。

 

「もう! もう! そういうところですよ!」

「だからどーいうところだよ!?」

 

 この場合の「そういうところ」はエゾオオカミの軽率な距離の詰め方を指すわけだが、やはり彼女にはそこのところの機微は分かっていないらしい。

 慌てて身体を離すセルシコウにエゾオオカミもポリポリと頬を掻く。

 少しの間、沈黙が流れた。

 この沈黙に気まずいものを感じた二人は、話題を変えようと何を話せばいいかお互いに思案する。

 そして……。

 

「「あ、あの……」」

 

 同時にお互いの方へ向き直って、同時に声をあげた。

 

「そ、そちらからでいいですよ、エゾオオカミ」

「いやいや、セルシコウからでいいぜ」

 

 お互いに譲りあっていても話しが進まない。

 セルシコウはコホンと咳払いをしてから話始めた。

 

「実は今度の日曜日、市民空手大会というのがあるそうです」

「あぁ……。参加者募集の貼り紙を商店街でも見た気がするな……」

 

 エゾオオカミも市民空手大会の事は聞いたような気がする。

 なんでも、中学生の地区予選が中止になった穴埋めの意味もあるとかなんとか……。

 

「私もそれに参加しようかと」

「へぇ。いいじゃねーか。セルシコウなら優勝間違いなしだぜ」

 

 お世辞じゃなくエゾオオカミはそう思った。

 だが、セルシコウは被りを振る。

 

「そうもいきません。私が参加するのは大人もいる一般の部ですから」

 

 大人と戦うならセルシコウに匹敵する技を持つ者もいるかもしれない。

 それに……とセルシコウは続ける。

 

「同じ部にキンシコウも出場します」

 

 いつかの空手大会でセルシコウとキンシコウは人知れず白熱した戦いを繰り広げた。

 その実力は傍で見ていたエゾオオカミにもわかる程に拮抗していたように思う。

 セルシコウがいつものように“アクセプター”の出力を最低に抑えた状態でなら互角の勝負になるだろう。

 今のエゾオオカミなら分かる。

 あの二人の技がどのくらい高みにあるのかを。

 

「(羨ましいな……)」

 

 と思うエゾオオカミだ。

 今、エゾオオカミが目指している場所はその高みだ。

 自分がまだ届かない場所にいる二人が羨ましくて仕方なかった。

 そこにセルシコウの声が続く。

 

「エゾオオカミ。あなたも出場してみませんか?」

 

 と。

 エゾオオカミは考える。

 今の自分がその高みに届くのか、と。

 手を伸ばしたいと思える自分もいるし、躊躇う自分もいる。

 だが、エゾオオカミの技は遠くセルシコウに及ばない。それは彼女自身がよくわかっている事だ。

 セルシコウはそんなエゾオオカミの悩みを見て取ると、続けて言う。

 

「エゾオオカミに出て欲しいのは、中学生(かた)の部です」

 

 悩んでいるエゾオオカミが無理をしてセルシコウと同じ部に出てしまって玉砕するのは望むところではない。

 出来る事ならエゾオオカミ自身で出場を決めて欲しかったが、それは意地悪が過ぎるかと反省するセルシコウ。そのまま説明を続ける。

 

「今のエゾオオカミならば、いつかの大会よりも成長した自分を実感できるでしょう」

 

 本当にそうなのか? とエゾオオカミは思う。

 確かにセルシコウの技を見よう見真似でいくつか咄嗟に使った事はある。

 けれどそれが成長なのかと言われると今一つ実感がない。

 今やっている事もセルシコウのお手本をなぞって(かた)を繰り返すだけだし。

 だが、他ならぬセルシコウが言うのだ。

 やってみる価値はある。

 

「わかった。俺も出場するぜ。中学生(かた)の部に」

「ええ。成長を実感したあなたはきっと自分で練習量を二倍に増やして欲しいと言い出すはずですよ」

「いや、さすがにそれは……」

 

 かつて一度練習量を二倍に増やされた事がある。

 その時は筋肉痛で大変な事になった。

 なんでそんな事になったのか、イマイチ思い出せないエゾオオカミであったが。

 

「で、エゾオオカミの方は何の話だったんですか?」

 

 今度はセルシコウがエゾオオカミからの用事を聞く番だ。

 エゾオオカミはしばらくポケットをゴソゴソすると一枚のチケットを取り出した。

 

「あのさ。明後日の土曜なんだけど、ここに一緒に行ってくれないか?」

 

 セルシコウがチケットを見るとそこには『わくわくプールランド』と書かれている。

 一応、プール設備なのはわかる。

 だが、それを何で自分に、と「?」マークを浮かべるセルシコウ。

 

「いや、チケット二枚しかねーからさ。マセルカには内緒だぜ」

 

 エゾオオカミからの返事は微妙にズレていた。

 確かにプールならばマセルカが喜びそうである。二人だけで遊んで来たとなれば後でほっぺた膨らませるのは容易に想像できる。

 が、問題はそこではない。

 二枚しかないチケットのうち一枚はセルシコウ。もう一枚は当然エゾオオカミが持っているという事になる。

 という事は、これは……。

 

「(ででで、デートの誘いというものではないでしょうか!?!?)」

 

 とセルシコウは結論付けた。

 まさかエゾオオカミの方からこういう誘いが来るとは思ってもいなかった。

 挙動不審なセルシコウを不思議そうに眺めつつエゾオオカミは重ねて訊ねる。

 

「で、どうなんだ? あ、もしかして何か用事あったりしたか?」

「いえ!? あ、ありません! なにも!」

 

 何故かセルシコウは背筋を伸ばして答えていた。

 

「じゃあ……」

 

 確認するように訊ねるエゾオオカミに今度は俯いて応えるセルシコウ。

 そうしないとまた赤くなってしまった顔を見られてしまいそうだった。

 

「はい……当日のお弁当に何かリクエストはありますか?」

 

 つまり、一緒にお出掛けOKという事らしい。

 しかも『グルメキャッスル』総料理長のお手製弁当付きである。

 

「やったぜ! いやぁ、セルシコウの作るモンって何でも美味いからさー」

 

 エゾオオカミは思考を巡らせる。

 だが、これというリクエストは思いつかなかった。

 後ろ頭を掻きつつ続けるエゾオオカミ。

 

「やっぱ、何でもいいって言ったら困るヤツか?」

「そうですね。一番困るヤツじゃないですか」

 

 とはいいつつも、悩んだ結果候補がありすぎて絞れなかった様子を見てとったセルシコウは悪い気分ではなかった。

 

「いいでしょう。当日の楽しみにしてて下さい」

 

 セルシコウは休んでいたベンチからパッと立ち上がりつつ言った。

 そうと決まったらこうしていられない。

 エゾオオカミを唸らせるだけのメニューを考えなくては。

 

「じゃ、じゃあまた明後日ですね」

 

 赤い顔を見られたくなくて背を向けたまま言うセルシコウ。

 

「おう。また明後日な」

 

 対するエゾオオカミはいつも通りの調子だった。

 そうして足早に去って行くセルシコウの背中が見えなくなるまで見送ったエゾオオカミ。

 

「あ」

 

 完全にセルシコウの背中が見えなくなってから気が付いてしまう。

 

「土曜は仕事でプールに行くって言うのすっかり忘れてたぜ……」

 

 まぁ当日言えばいいか。と軽く考えるエゾオオカミ。

 二人きりの公園だったが、もしも誰かが見ていたのなら口を揃えて言うはずだ。

 そういうところだぞ、エゾオオカミ。と。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 もうすっかり日も暮れた街を足早に帰るセルシコウ。

 その頭は明後日に作るお弁当の事が支配していた。

 さて、何を作ってぎゃふんと言わせてやろうか。

 

「いやいや……」

 

 今考えるのはお弁当の事だけではない、とセルシコウは首を振って思考を改める。

 正直に言えば、デートに誘われるなんて初めての経験だ。

 とはいえ、エゾオオカミには情けないところを見せたくはない。

 

「となると……何か作戦が必要ですね」

 

 それならば、とセルシコウはポケットに入れていた携帯電話を取り出す。

 呼び出すのはオオセルザンコウの電話番号だ。

 作戦を考えるのならば彼女程の知恵者はいない。

 数回コールすると……。

 

『どうした? セルシコウ』

 

 と応答があった。

 

「実はですね……。エゾオオカミからデートに誘われました」

『は?』

 

 担当直入に言ったところ、オオセルザンコウは最初意味がわからなかったらしい。

 

『そ、そうなのか!? ほ、本当に!? マジか!! マジなのか!?!?』

 

 セルシコウはこれ程慌てふためくオオセルザンコウの声を聴いた覚えがない。

 

「まぁ……はい」

『そうか……! とうとうやってくれたか』

 

 電話の向こうにいるオオセルザンコウの声は弾んでいるように聞こえた。

 

『それで、デートの作戦を考えたいってわけだな』

「さすがオオセルザンコウ。話が早くて助かります」

 

 さすがにこの辺りはツーカーの仲である。

 オオセルザンコウは皆まで言わなくてもセルシコウの言いたい事を察してくれた。

 

『ならまずは知っている限りの情報をくれ』

 

 オオセルザンコウの求めに応じてセルシコウは道すがら明後日のデートについて話す。

 場所は『わくわくプールランド』というプールレジャー施設だ。

 

『あぁ……それはマセルカには内緒にしておいた方がいいな』

「ですね……」

 

 どうやら二人揃って同じ結論に達したらしい。

 マセルカに知られたら彼女も連れて行かなかった事を羨ましがられそうである。

 オオセルザンコウとは帰れば面と向かって相談できるが、先に電話したのもマセルカの事を考えてであった。

 

「ちょっと悪い気がしてしまいますが……」

『なあに。後でハクトウワシさんも休みの時に皆で連れて行ってもらったらいいさ。その前に偵察しておいてくれ』

 

 と電話の向こうからオオセルザンコウが苦笑する様子が伝わってくる。

 

『まぁ、明後日の事は帰ってから相談するとして……他には何かあるか?』

 

 そう訊ねるオオセルザンコウにセルシコウは今日あった事を色々と話しつつ帰り道を歩く。

 土曜日にデート、そして日曜日には空手大会である事も。

 

『はは。セルシコウらしい』

 

 ようやくセルシコウらしい話が聞けてオオセルザンコウも安堵の吐息を吐く。

 

『空手大会の方ではキンシコウと決着をつけるというわけか』

「ええ、楽しみです!」

 

 デートがどうのと言っているよりも、強敵との戦いに目をギラつかせている方がいつも通りのセルシコウだ。

 

『ちなみに、その日はエゾオオカミは?』

「はい。エゾオオカミは私とは別な部に出てもらって成長を実感してもらおうかと」

『なるほどな……』

 

 電話の向こうでオオセルザンコウが考え込む様子が伝わってくる。

 セルリアンフレンズの司令塔である彼女の頭脳がフル回転しているのだろう。

 

「ではいい作戦を期待していますよ」

『ああ。ぶっちゃけ私もデートなんてした事もないが精一杯知恵を絞ろう。続きは帰ってからだな』

「ええ」

 

 電話を終えてセルシコウは帰路を歩く。

 その足取りは軽かった。油断したらスキップしてしまいそうな程に。

 土曜日も日曜日も両方楽しみである。

 そんな浮かれた気分だったから、ハクトウワシのアパートまでもアッと言う間だった。

 部屋のドアを開けようとしてドアノブに手を掛けたところで中からハクトウワシの声が聞こえて来た。

 どうやら彼女ももう帰って来ているらしい。

 きっと今日も疲れているであろうハクトウワシの為に早く夕飯の支度をしないと。

 そう思ったセルシコウの手は中から聞こえるハクトウワシの声に固まってしまった。

 

「そう………引っ越し……………東京へ……」

 

 聞こえて来た途切れ途切れの会話にセルシコウは耳をドアにピタリと付けた。

 何かイヤな言葉が聞こえた気がしたが気のせいであればいい、そう思って。

 

「そうか……ずいぶん急なんだな」

「マセルカはいいよ。お引越し」

 

 扉の向こうからオオセルザンコウとマセルカの声も聞こえてきた。

 どうやら気のせいではないらしい。

 呆然と背中をドアに預けて崩れ落ちてしまうセルシコウ。

 

「Sorry。本当は夏休みの間に引っ越し出来れば学校始まってから引っ越ししなくて済んだのに」

 

 漏れ聞こえて来た話を総合すると、どうやら東京へ引っ越ししなくてはならないらしい。

 東京はここから随分遠い。

 引っ越したら気軽に色鳥町へ遊びには来れないだろう。

 それにハクトウワシは一応ではあるがセルリアン対策課の次期課長である。

 東京へ栄転だって有り得る話だ。

 そう考え込んでいたセルシコウの耳にオオセルザンコウとマセルカの声が聞こえて来る。

 

「なあに、構わないよ」

「うんうん。新しいおうちはここより広いんでしょ? プールとかもついてる?」

「さすがにそこまで広くはないわ」

 

 と苦笑のハクトウワシ。

 どうやらオオセルザンコウとマセルカの二人は引っ越しに反対ではないようだ。

 

「引っ越しは再来週か……それだったらハクトウワシさん、マセルカ。二人に頼みがあるんだ」

 

 扉の向こうからオオセルザンコウの声が聞こえる。

 一体何を言うつもりなのか、と耳をピタリとドアにつけるセルシコウ。

 

「この事はせめて月曜まではセルシコウに内緒にしてやって欲しい」

「それはいいけど、why?」

 

 理由を訊ねるハクトウワシにセルシコウもドアの向こうでうんうん頷く。

 オオセルザンコウがそんな事を言い出す理由が分からなかった。

 

「実はセルシコウは土曜日にデートがあるし日曜は空手の大会がある」

「「デートぉ!?」」

 

 扉の向こうからハクトウワシとマセルカの驚く声が聞こえる。

 セルシコウとしては「そこをバラしちゃいますか!?」と声が出そうになって慌てて自分の口を両手で塞ぐ。

 どうやら中の三人には気付かれずに済んだようで、マセルカの弾んだ声が続けて聞こえて来る。

 

「相手は!? 相手は!?」

「想像通りだよ」

「おおおお! 意外とやるねえ! 見直しちゃった!」

 

 はしゃぐマセルカにセルシコウは一人外で真っ赤な顔をしていた。

 そうしている間にもオオセルザンコウの話は続く。

 

「まぁ、それは置いておいて、だ。空手大会では因縁のキンシコウとも決着をつけるらしい」

「I see。つまりセルシコウに集中して欲しいからお引越しの事は月曜までは内緒にして欲しいって事ね」

「そういう事さ。引っ越し準備は私達だけでも問題ないだろう。それにまだ1週間以上時間もある」

 

 納得するハクトウワシ。扉の向こうからでもグイと腕まくりする様子が伝わってくる。

 

「OK。それなら私も頑張ってお仕事早めに切り上げられるようにしなくちゃ」

「いやいや。ハクトウワシさんは無理しないでくれ。引っ越し準備くらい私達だけでも何とかなるから」

 

 ハクトウワシは今やセルリアン対策課の方で毎日大忙しだ。

 それならオオセルザンコウ達で準備した方がいいだろう。

 

「そっかぁ。じゃあ頑張って、オオセルザンコウ」

「いや、マセルカ……キミも手伝え!」

「きゃああ! 冗談だってば!」

 

 きっと扉の向こうではオオセルザンコウがマセルカを捕まえたのだろう。

 意外と楽しそうなマセルカの声から察するにオオセルザンコウはくすぐり攻撃を仕掛けているらしい。

 そんな様子にセルシコウはたった一言……。

 

「そっかぁ……」

 

 と呟く事しか出来なかった。

 オオセルザンコウが気を使ってくれた事は嬉しかった。

 それにハクトウワシが東京へ栄転なのだとしたら喜ばしい事だ。

 だからセルシコウだけがそれに反対する事は出来ない。

 わかっている。

 わかってはいるけれど……。

 

「そっかぁ……東京ですかぁ……遠いなぁ……」

 

 セルシコウは呑み込み切れないモヤモヤを抱えてすっかり日が暮れて暗くなった夜空を見上げるのだった。

 

 

―④へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』④

 

 

 明くる朝。

 その日は金曜日。いよいよ二学期が始まる日だ。

 とはいえ、今日は始業式と軽いホームルームくらいのもので本格的な授業は週明けの月曜日からとなる。

 それはジャパリ女子中学校でもそうだったし、ここ色鳥東中学校でもそうだった。

 

「ねえねえ、セルシコウちゃん。青龍神社の夏祭り、行ったよー」

「『グルメキャッスル』ってセルシコウちゃんのお店なんでしょ? 凄かったー」

「あ、ありがとうございます……」

 

 既に始業式も終わった色鳥東中学校の教室ではセルシコウがクラスメイトの女子に囲まれていた。

 こんな感じで教室内では夏休みにあった事をクラスメイト同士で話していたりする。

 と、男子達が色めき立った。

 

「おい! 2年に今日転校してきた子、すっげー可愛いらしいぞ!」

「マジかよ! 見に行こうぜ!」

 

 どやどやと男子達が半分ほど教室を飛び出して行く。

 

「大変ですね。オオセルザンコウも」

 

 そんな様子をセルシコウは苦笑と共に見送った。

 今頃オオセルザンコウは丸まりたいのを我慢している事だろう。

 

「(まぁ、それも1週間程の辛抱ですね)」

 

 東京へ引っ越しとなれば、また転校になるだろう。

 引っ越し先の学校で同じ目に遭うかもしれないが、よい予行演習にもなるというものだ。

 そんなセルシコウの様子をクラスメイトは不思議そうに眺める。

 

「どうかした? セルシコウちゃん」

「いえ、何でもありませんよ」

 

 取り敢えずセルシコウは誤魔化した。

 引っ越しの事はオオセルザンコウの気遣いによってセルシコウには伏せられている……事になっている。

 なのでまだセルシコウも知らないふりをしておかないといけない。

 クラスメイト達への挨拶などは来週以降でも十分間に合うだろうし。

 そう思っていると、飛び出して行った男子達が慌てて戻って来た。

 

「バカな事してないで席につけー」

 

 どうやらホームルームが始まるのでクラス担任の先生に追い立てられて来たらしい。

 そこから担任の話、その後夏休みの宿題の提出と続く。

 マセルカと同じ事を考えて、そして実行してしまった生徒が怒られたりもした。

 後は大掃除が終われば今日の学校は終わりだ。

 

「……さて」

 

 大掃除も終わったところでセルシコウは席を立つ。

 オオセルザンコウはおそらくこの後部活勧誘を受けまくる事になるだろう。それにマセルカの方は久しぶりに会ったクラスメイト達とおしゃべりに興じるだろうから帰りは遅くなるに違いない。

 

「お昼ご飯の支度は私がしますか」

 

 ついでに買い出しとかもしたいし、とセルシコウは考える。

 帰り支度を終えて、何人かの女子生徒に囲まれたままセルシコウは昇降口から校舎を出た。

 すると……。

 

―きゃあきゃあ……

 

 黄色い声が校門の方から聞こえて来る。

 何かあるのかと思ったセルシコウがそちらに視線をやると先に帰っていたはずの生徒達で人だかりが出来ているではないか。

 なんだろう、と思いつつもセルシコウはそれに大した興味を抱く事はなかった。

 人通りを避けてセルシコウは校門の端っこから帰ろうとする。

 と……。

 

「ちょっと失礼。レディ達」

 

 人だかりの奥から声がしたと思ったらザッと海が割れるように人だかりが左右に別れた。

 その中心にいたのは青色のブレザーを着たトラ系のフレンズだった。

 長身で美しい毛並みを持つ彼女はなるほど人だかりが出来る程に綺麗だ。

 そんな彼女が開いた道を進んで真っ直ぐセルシコウの所へやって来る。

 

「こんにちわ。美しいレディ」

「は、はぁ……」

 

 セルシコウの前までやって来たフレンズは芝居がかった調子で一礼してみせる。

 

「僕はマルタタイガーのフレンズ。ルターと呼んでくれたまえ」

「ええと……どういったご用件でしょう?」

 

 周りの視線を気にしつつ訊ねるセルシコウ。

 

「ふっ。美しいレディに会いに来るのに理由がいるのかい?」

 

 ずい、と顔を近づけつつルターは青バラを差し出して来る。

 そんな様子を見て周囲のギャラリーはますます色めき立つ。

 

「ねぇねぇ、最近セルシコウさんにいい人が出来たって噂だったじゃない?」

「え!? じゃあもしかしてこの人が!?」

「そうじゃないかな! だってすっごいイケメンだもん!」

 

 いつの間にか人だかりの中心となってしまったセルシコウはあわあわしっぱなしだ。

 そんな様子を見てルターは一度ギャラリーに向かって振り向くと……

 

「シーッ」

 

 ウィンクしつつ立てた人差し指を口元にあてて静かにするよう促す。

 周囲のギャラリー達からは再び黄色い歓声が上がったけれどそれ以降は静かになった。

 それを見計らったルターはセルシコウに向き直る。

 

「さて、美しいレディ。ここは少し騒がしい。静かな場所でゆっくりお茶でもいかがかな?」

 

 その誘いにセルシコウは考える。ルターが何者なのかはわからないが自分に用事があるのだろう、と。

 そしてこの周囲に集まる野次馬達の前で話せないだろう事も。

 好奇の視線から逃れられるだろうからいっその事誘いに乗ってしまうのも手だろうか。セルシコウの天秤は誘いに乗る方へ傾きつつあった。

 そこに……。

 

「あ。おーい、セルシコウー」

 

 声が掛けられた。

 なんでこんなところに人だかりが出来ているんだ? と言わんがばかりに不思議そうな顔をしつつも現れたのはエゾオオカミである。

 

「今帰りか? 行き違いになんなくてよかったぜ」

「え、エゾオオカミ? どうしてここに……?」

 

 ルターを置いておいてエゾオオカミとセルシコウは話し込み始めた。

 

「いやさぁ、母さんに明日の事話したら『だったら色々準備しなきゃでしょ!』って言われてさ。セルシコウを誘って買い物行って来いって……」

 

 明日の事とは即ち『わくわくプールランド』でのデートの事である。

 今日は始業式なのでどの学校も同じような時間に終わる。なのでセルシコウを誘いに東中学校まで足を伸ばしたというわけだ。

 まさかこんな人だかりが出来ているとは思わなかったが。

 

「んで、用事なかったらさ、行こうぜ」

 

 言ってエゾオオカミは手を差し伸ばす。

 と……。

 

「待ちたまえ。先に誘っていたのは僕だよ。せめてお誘いの返事くらいは聞かせて欲しいところさ」

 

 セルシコウを挟んだエゾオオカミの対面からルターが同じように手を差し伸ばして来た。

 セルシコウを取りあう二人のフレンズという構図に周囲のギャラリーは黄色い声を上げる事さえ忘れて固唾を呑んで見守る。

 果たして彼女がどちらの手を取るのか。

 

「ええと……はい……」

 

 赤面しつつセルシコウが取ったのはエゾオオカミの手だった。

 周囲としたら、文武両道で落ち着いた雰囲気のあるセルシコウが普段見せない表情に……。

 

「「「「「「(乙女の顔してるー!!!)」」」」」」

 

 と言葉もなく盛り上がっていた。

 そんな様子にルターも肩をすくめる。

 

「やれやれ。フられてしまったね」

 

 そう言うルターにエゾオオカミがとことこ近づいて行く。

 セルシコウを巡ってすわ一触即発か、とギャラリーも息を呑む。

 

―パン!

 

 エゾオオカミはルターの前で両手を合わせた。

 

「悪い! 今回はさ、チケット二枚しかねーんだ!」

 

 そのまま拝み倒すように謝って来る。

 ルターは話が見えない。が、野次馬の中でそうされるのは如何にも具合が悪くもあった。

 戸惑うルターを置いてエゾオオカミはさらに続ける。

 

「今度さ、正式オープンしたら皆で行こうぜ。しばらく教授のところいるんだろ?」

 

 エゾオオカミとしてはルターも『わくわくプールランド』に行きたいんだと思っていた。

 まさかセルシコウをナンパしに来たなんて思ってもいなかったのだ。

 それとルリ達からルターの事も聞いていたので、彼女がやって来ていた事も知っている。

 そしてエゾオオカミはルターの事を「せっかくこちらに来たんだから遊びに行きたいんだろ?」と思い込んでいたのだった。

 ルターは相変わらずエゾオオカミの想いを理解していなかったが、セルシコウにお誘いを断られたのは確かだ。

 

「いいさ。さ、二人はデートなんだろう? 僕の事は気にせず楽しんで来て」

 

 敗者であるルターとしては潔く引き下がる他ない。

 

「そっか。あ、俺はエゾオオカミ。今度教授んとこにも遊びに行くからさ。そん時ゆっくり話そうぜ」

「ああ。また今度ね、エゾオオカミ」

 

 ルターはエゾオオカミがセルシコウの手を取って去っていく背中を見送った。

 

「今回は挨拶だけに留めておこう……」

 

 去り行く背中にルターは鋭い視線を投げる。

 

「データ通りならば、彼女こそが『コレクター』の所持者であるセルシコウ……」

 

 今日のところは退いておくが……と胸中で呟きつつその視線は鋭さを失う事はなかった。

 

「僕は狙った獲物を逃した事はないよ」

 

 その鋭い視線は獲物を見定めた猛獣のものであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「(こちら中央市場! こちら中央市場! BigMam! 応答してくれ! どうなってやがる!?)」

 

 色鳥町商店街。

 その食品類を扱う中央市場では八百屋さんが戸惑っていた。

 今日は“BigMam”から「エゾオオカミとセルシコウの二人は水着を選びに行く」と聞いていた。ところがどっこい、二人揃って中央市場に現れているのだ。

 中央市場で取り扱っているのは食品類が主で新鮮さとお値段には自信があるが水着なんてものは置いていない。

 ましてやエゾオオカミとセルシコウくらいの子が着るようなものとなると尚更だ。

 なので、商店街の面子としては悔しいけれど水着選びならばショッピングモール『cocosuki』に行くものと思い込んでいた。

 そんな内心を抑えて八百屋の主人は二人に声を掛ける。

 

「よう、お二人さん! 二人して何を買いに来たんだい?」

 

 エゾオオカミは商店街で育った子だし、セルシコウは中央市場のバイトをしてくれていた子だ。

 何を買いに来たにしてもオマケくらいしてやろうと思う。

 セルシコウは横のエゾオオカミに訊ねる。

 

「ええと……何がいいですか? エゾオオカミ」

「うーん……やっぱ何でもいいってのは……」

「なしです」

 

 目移りして決められずに丸投げしようとするエゾオオカミにセルシコウがピシャリと言い放つ。

 二人は明日のお弁当に使う材料を買いに来たのだ。

 エゾオオカミに食材を選んでもらえば、彼女の好みに近づくだろうというセルシコウの作戦でもある。

 だが、取っ掛かりもない状態では買い物が進まない。そう思ったセルシコウは八百屋の主人に訊ねる。

 

「何かオススメとかありますか?」

 

 八百屋の主人としては何故水着を買いに行かないのか問い質したい気持ちだった。

 が、下手な事を言えば青龍神社にまで協力を仰いだ作戦が台無しになってしまう。

 

「そうだなー。旬で言えばキュウリ、トマト、トウモロコシ、ナスなんかもいいけどなあ」

 

 取り敢えず通常通りの返事をしつつ八百屋も考える。

 何故商店街に来たのかというのもそれとなく聞き出さなければ。

 

「ところで、二人で買い物だなんてなんかあるのかい?」

 

 なんとも微妙な八百屋の演技に他の店主達は一斉に目を覆った。

 

「ええと、それは……」

「ああ。明日さ、セルシコウと一緒に出掛けるんだ。で、そん時にセルシコウがお弁当作ってくれるって言うからさ」

 

 赤くなって俯くセルシコウに代わってエゾオオカミが店主に応える。

 幸いな事に二人とも八百屋の下手くそな演技に気付く事はなかった。

 

「へぇー。それでお弁当の材料を買いにってわけかい」

 

 八百屋はうんうん頷く。

 一応明日のデートの準備という目的に沿っているらしい。

 ならば八百屋らしいアドバイスが必要だろう。

 

「お弁当用なら水分が少ない野菜がいいかもなぁ……」

「「なるほど……」」

 

 となると何がいいか。セルシコウとエゾオオカミ二人して再び悩み始める。

 二人の目が逸れた瞬間に、他の店主達が一斉に何やら身振り手振りで八百屋にコンタクトを送る。

 そうだ。

 水着を買いに行かないのか訊ねないといけない。それとなく。

 それに気づいた八百屋はぎくしゃくと再び口を開いた。

 

「あー。二人で出掛けるんだろ? せっかくだからめかしこんだり……。ほら、例えば海に行くとかだったら水着欲しくならないのかい?」

 

 それにエゾオオカミとセルシコウは二人して顔を上げると、お互いに顔を見合わせてから言う。

 

「学校のでいいよな?」

「ですよねぇ」

 

 どうやら二人は水泳の授業で使う水着をそのまま流用していいと判断したらしい。

 しかし、それは今回のデート作戦を企んだ大人達の想定外でもある。

 どうするか悩んだ大人達はこの作戦を発案し指揮する“BigMam”に指示を仰ぐ事にした。

 八百屋がエゾオオカミとセルシコウの相手をしている間に他の店主が“BigMam”へ電話で連絡する。

 

『問題ないです。そのまま見守ってあげて下さい』

 

 電話で指示を受け取った店主はシャカシャカと身振り手振りで八百屋へと伝える。

 八百屋はサムズアップで了解の意を返した。

 

「それならとりあえずジャガイモはどうだい? ポテトサラダにもコロッケにもフライドポテトにも使えるし」

 

 八百屋のオススメにセルシコウはふむふむ、と考え込みつつ傍らのエゾオオカミに訊ねる。

 

「エゾオオカミはどうです?」

「ん? どれも好きだぜ。マヨネーズにも合うし」

 

 ならば、とセルシコウはジャガイモの乗ったザルを一つ取る。

 

「じゃあ、これ下さい」

「あいよ! こいつはオマケだ!」

 

 八百屋からの大盤振る舞いでザルの中身は二倍近くにも膨れ上がった。

 だが、ジャガイモだけでお弁当にはならない。

 セルシコウはさてどうしたものか、と周囲を見渡す。

 すると、待ってましたとばかりに他の店主達がセルシコウの周りに群がった。

 

「お弁当なら足の早い青魚よりもこれがいいと思うんだ! 今日は塩鮭がいいの入ってるよ!」

「卵も新鮮なのが揃ってるぜ!」

「おおっと、ウチのオススメも見てってくれよ! タコさんソーセージやベーコン巻きはお弁当の華だろう!」

 

 あっと言う間に大量の店主達に囲まれるセルシコウとエゾオオカミ。結局明日のお弁当どころか今日の昼食と夕飯の材料までも、かなり格安で持たされてしまった。

 何度も礼を言いつつ大荷物を抱えて帰って行くセルシコウとエゾオオカミの二人。

 その背中が見えなくなるまで見送った商店街店主達は、彼女達の姿が見えなくなったのを確認してから……。

 

―パチン!

 

 一斉にハイタッチを交わし合った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夜。

 今日は暑いが空調の効いた部屋の中なら寝苦しいという事はない。

 ユキヒョウの家が所有するマンションはもちろん冷暖房完備だ。

 だから夏真っ盛りの熱帯夜であろうと眠るのに支障があるわけがない。

 だというのに……。

 

―カタカタカタ……。

 

 そのマンションの一室からはまだ明かりが漏れてパソコンのキーボードを叩く音が聞こえていた。

 そこは和香教授の書斎兼研究室だ。

 最近は夜更かしを控えていた和香教授がまた夜行性に戻ったのかといえばそうではない。

 研究室に設えられたパソコンのキーボードを叩くのはその主ではなかった。

 

「やはり、理論上は可能……か」

 

 複数のディスプレイに表示された数値を見て呟くのはルターである。

 和香教授の家に居候させてもらっていたルターは夜中にこっそり和香教授の研究室に忍び込んでいた。

 目的を達したルターはパソコンを元に戻して潜入の痕跡が残っていないか周りを見渡してから立ち上がる。

 と。

 

「やあ。ルター。調べ物は終わったのかい?」

 

 部屋の入口に和香教授がもたれるようにして腕を組んでいた。

 

「和香さん……寝てたんじゃないのか……」

「はっはっは。これでも元夜行性なんでね。可愛い妹分の様子が変だったら起き出すくらいわけないよ」

 

 ルターは全員が寝静まったのを確認してから行動を開始したつもりだった。

 が、和香教授にはお見通しだったらしい。

 

「で……。何をしていたんだい?」

 

 和香教授の声は勝手に研究室に入られたというのにむしろ優し気だった。

 別に詰問するつもりはないし、何だったらルターが事情を話してくれるのなら協力するのだってやぶさかではない。

 話を始めてくれるのを待つ和香教授の前にルターは青いブレザーのポケットから取り出したUSBメモリを放って寄越す。

 

「これは……」

 

 受け取った和香教授はそれに見覚えがあった。いや、むしろよく知っている。

 それはつい先日、ルター達の住む世界に送った和香教授の研究成果を記録したUSBメモリだったのだから。

 

「もう僕が何を言いたいかわかるだろう?」

 

 ルターの瞳は鋭く和香教授を射抜いていた。

 

「和香さん。キミはそのUSBメモリに全てを書き記していなかった」

 

 一歩を進めつつルターは続ける。

 

「“メモリークリスタル”を解凍する仮説を和香さんは思いついていたんだろう?」

 

 ルターの視線を受けて和香教授は気まずそうに目を逸らした。

 その態度は図星をつかれたと言っているようなものだ。

 和香教授も仮説ではあるけれど“メモリークリスタル”を解凍する可能性がある理論を思いついてはいた。

 けれどそれは実行を躊躇うような内容だったのだ。

 だからこそ向こうに送ったUSBメモリにはそれだけは記載しなかった。

 答える事が出来ない和香教授にさらにルターは詰め寄る。

 

「“メモリークリスタル”はフレンズの形を維持出来なくなった者達のけものプラズムが結晶化したものだ」

 

 “メモリークリスタル”化したフレンズはセルリアンからの捕食を免れる事が出来る程、強固な守りを得る。

 そうしてセルリアンの魔の手から逃れて未来に種を残そうとしたわけだ。

 が、“メモリークリスタル”を元のフレンズに戻す事も出来なかった。

 和香教授もそしてルター達の世界でも“メモリークリスタル”を元のフレンズに戻す試みは研究されていたが未だに実現に至っていない。

 ならばルターが思いついた……いや、和香教授が思いついたが躊躇った仮説とはどんなものなのか。

 

「フレンズとしての形を得られないならセルリアンとしてならどうかな?」

「それは無理だ」

 

 即答する和香教授。

 その試みも既に試されていた。

 セルリアンを構成するセルリウムと“メモリークリスタル”は相いれない。

 “メモリークリスタル”がセルリアン化する事はないのだ。

 

「そうでもないだろう? いるじゃないか。こちらの世界にはセルリアンとフレンズが見事なまでに共存している存在が」

 

 もう目の前にまで迫って来たルターに和香教授もとうとう観念してぽつりと言葉を漏らす。

 

「セルリアンフレンズ……」

「そう。セルリアンフレンズとしてなら“メモリークリスタル”を解凍する事は可能なんじゃないかい?」

 

 和香教授は小さく頷いて見せる。

 その通りだった。

 まだ仮説の段階ではあるものの、オオセルザンコウ、マセルカ、セルシコウの協力を得て調べたところによれば、『アクセプター』と同じ機構を再現できれば“メモリークリスタル”とセルリウムの融合は可能である。

 そして、“メモリークリスタル”はセルリウムによって再び肉体を構成し、セルリアンフレンズとして蘇る事が可能であろう、と。

 

「だが、未だに『アクセプター』の機構を再現は出来ていない」

 

 和香教授は言う。

 だから現段階では“メモリークリスタル”の解凍は実現に至っていない。

 

「違うだろう? 和香さん」

 

 ルターは和香教授の耳元に口を近づけて言う。

 

「再現する必要なんかないじゃないか」

 

 それは悪魔の囁きのように蠱惑的な音色で続けられる。

 

「いるだろう? 既に『アクセプター』を持った者達が」

 

 今、この世界にはオオセルザンコウ、マセルカ、そしてセルシコウというセルリアンフレンズ達がいる。

 

「つまり、彼女達セルリアンフレンズの『アクセプター』に“メモリークリスタル”をセットさせればそれで解凍できる」

「だが! 『アクセプター』に“メモリークリスタル”は適合しない!」

 

 ぶん、と腕を振ってルターを引き剥がす和香教授。

 『アクセプター』は『セルメダル』を受け入れる事は出来ても“メモリークリスタル”は受け入れない。それは規格が違うからだ。

 だがルターは和香教授の反論にニヤリとした。

 彼女は和香教授が思いついたけれど実行を躊躇った方法に既に辿り着いていたのだ。

 

「適合しないのなら適合させればいい。『コレクター』で」

 

 『コレクター』はセルシコウが持つアイテムだ。

 倒したセルリアンを『セルメダル』にする事が出来る。

 その機械を和香教授は調べさせてもらった事がある。

 複雑な機械であったし、分解して元に戻す事も出来るかわからなかったので全てを調べられたわけではない。

 けれど、ルターが言うような事は可能であろうと推測できた。

 

「『コレクター』を使って“メモリークリスタル”を……そうだね“メモリーコイン”とでも呼ぼうか……“メモリーコイン”にする」

 

 ルターの後を和香教授が続ける。

 

「“メモリーコイン”を『アクセプター』にセットすればおそらくセルリアンフレンズとして“メモリークリスタル”は蘇るだろう」

 

 つまり、セルリアンフレンズと『アクセプター』が揃えば“メモリークリスタル”の解凍は可能という事だ。

 

「だが! それではオオセルザンコウ君達がどうなるかわからない!」

 

 和香教授が実行せずに向こうの世界へ研究成果として提出しなかったのもそれが理由だった。

 今はオオセルザンコウもマセルカもセルシコウも見知った仲だしルリ達の友達だ。

 

「そうだね。和香さんは目的の為なら手段を選ばないとか言いつつ、その実そんな事はない。一度関わった者を決して見捨てたり切り捨てたりできない人だよ」

 

 ふ、とルターは自嘲の笑みを浮かべる。

 そんな和香教授がルターは大好きだ、と言いたかったがそれは胸の内だけにしまい込む。

 代わりにルターは和香教授の胸倉を掴みあげた。

 

「だが僕は違うよ」

「そんなはずがあるか。私の知っているルターは決して女の子を傷つけたりしない」 

 

 お互いに睨み合うルターと和香教授。

 と、ルターは胸元から鎖で繋がれてペンダントのようになった“メモリークリスタル”を取り出して和香教授の前に突き出した。

 

「僕はやるよ。たとえ何を犠牲にしようが。ルビーにもう一度会えるのなら手段は選ばない。その為なら誇りも矜持も喜んで捨ててみせよう」

 

 ルターが和香教授に突きつけたのはオレンジ色の“メモリークリスタル”だった。

 その“メモリークリスタル”は和香教授もよく知っている。

 それはルターのパートナーであったゴールデンタビータイガー、通称ルビーの物だ。

 ルターとルビーは幼い頃に初代クロスメロディーであった和香に助けられて保護され育って来た。

 だが……。

 

「なあ、クロスメロディー。どうしてルビーを守ってくれなかった」

 

 和香教授の胸倉を掴みあげるルターの腕に力が籠る。

 ルビーは激しい戦いの中で“メモリークリスタル”になってしまった。

 

「そうだね……すまない」

 

 和香教授はその出来事を自分の力不足だと思っていた。

 戦いは激しく、当時の和香が守り切れなかったものはいくつもある。

 

「私は通りすがりの正義の味方にはなりきれなかったよ」

 

 だが、それは和香のせいばかりではない。

 むしろ絶望的な状況から和香のおかげで世界が救われたと誰もが感謝する程なのだ。

 それはルターにだって分かっていた。

 それでもルターは選んだ。

 誇りも矜持も投げ捨てて目的の為に和香教授を傷付ける事を。

 ルビーに会いたい。

 その目的の為だけに。

 

「和香さん。ルビーを守れなかった事を本当に悪いと思っているのなら味方になれとは言わない。僕の邪魔はしないでくれ」

 

 ルターは和香教授を押しのける。

 抵抗はなかった。

 だが出口へと向かうルターの背中に和香教授の声が届く。

 

「わかった……私にキミの邪魔は出来ない……」

「ああ。そうしてくれたなら和香さんにもメリットがある。セルリアンフレンズは三人いるからね」

 

 ルターが言うメリットとは和香教授にとってもどうしても解凍したい“メモリークリスタル”の事だ。

 その“メモリークリスタル”は二つ。

 娘であるルリとアムールトラが一つずつ預かっている“メモリークリスタル”だ。

 それは向こうの世界でパートナーとして共に戦った二人の人造フレンズ、サバンナキイロネコのキィとサンのものである。

 和香教授だって二人の“メモリークリスタル”を解凍する為ならなんだってするつもりでいる。

 実際に、こちらの世界に帰って来たばかりの頃ならルターと同じ事をしていたかもしれない。

 だが、今の和香教授はルリとアムールトラの母だ。

 二人の母として恥じる事は出来ない。

 だからセルリアンフレンズ達を使って“メモリークリスタル”を解凍する方法だけは隠したのだ。

 

「和香さんが出来ないのなら僕がやってあげるよ。ルビーとキィとサンの“メモリークリスタル”の解凍を。幸いな事にちょうど数もピッタリだ」

 

 間違っている、と和香教授は言いたかった。

 けれどその言葉が出て来ない。

 ルビーを守れなかったのは和香教授にとって負い目だ。そしてルターがどれ程ルビーを大切にしていたかだって知っている。

 なんせルビーだって和香教授にとってもう一人の妹のようなものだ。

 止める事は出来ない。

 

―ギリィ!

 

 和香教授は昔の力不足だった自分と今何も出来ずにいる自分の両方に対し歯噛みした。

 ルターを止める事は出来ない……だが。

 

「ルター。これだけは言っておくよ。キミがしようとしている事は叶わない」

「どうして?」

 

 ルターは背を向けたまま問い返して来た。

 

「この世界には本物の通りすがりの正義の味方がいる。きっとキミの往く道にフラっと通りすがって立ちはだかってくれる」

 

 そうとも。

 この世界にいる通りすがりの正義の味方がこの企みを見逃すはずがない。

 

「そうだね。知っているよ」

 

 背を向けたままだったルターの表情はわからない。

 ルターはそのまま懐からあるものを取り出した。

 

「だから和香さん。悪いけどこれは借りていくよ」

「それは……」

 

 それはエゾオオカミが持っている“リンクパフューム”とよく似た豪奢な香水瓶だった。

 

「来るなら来るがいい。通りすがりの正義の味方達」

 

―ガチャリ

 

 ルターは玄関の扉を開けると夜の街へと踏み出しつつ宣言した。

 

「それでも僕の邪魔はさせない。ルビーは必ず取り戻す」

 

 

―⑤へ続く 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』⑤

 

 

 いよいよ土曜日の朝。

 天気も快晴で夏休み明けだというのにまだまだ夏の日差しが照り付ける。まだ朝早いから涼しいが、お昼頃には夏の暑さを感じられるだろう。

 絶好のプール日和である。

 遅れに遅れた『わくわくプールランド』のプレオープンもこれなら絶好の日和になるだろう。

 もっとも全天候型になる屋内プールレジャー施設だから日和が関係ないのも売りの一つではあるのだけれど。

 

「……なあ。お母さん……」

「どうしたの? エゾオオカミ」

「なんかさ……朝ご飯……いつもよりやけに気合入ってねーか……?」

 

 エゾオオカミは食卓に並ぶ朝から豪勢なご飯に戸惑いを覚えていた。

 若干引いてすらいた。

 ヤマイモをすり下ろしたトロロかけご飯はまだいい。

 だが、それに牡蠣フライとハンバーグが付くのはやり過ぎじゃあないだろうか?

 どうやらハンバーグに乗っているのはパインではなくアボガドだったらしい。

 そしてお味噌汁は朝からとん汁だ。

 

「そりゃあ今日は大切な日でしょう? もうバシっと決めちゃってきなさい!」

 

 エゾオオカミはとん汁をすすりつつ考える。

 母が何をバシッと決めて来いと言うのかイマイチ分からない。

 おそらくはセイリュウからの頼まれごとなんだからしっかり務めを果たして来いという事なのだろう。

 なんたって青龍神社は商店街にとっても大切なお得意様だ。色々な神事でお世話にもなっているし。

 

「そうそう。水着は現地でレンタルも出来るのよ?」

「いや、いいよ。無駄遣いもどうかと思うし」

 

 結局エゾオオカミもセルシコウも学校指定の水着にするのは変わらないようだ。

 せっかく軍資金にと臨時お小遣いをあげたのにと思う母エミリである。

 

「(しっかし、なんかお母さんの様子も変なんだよなぁ……)」

 

 一方のエゾオオカミは母の態度を不思議に思っていた。

 セイリュウからの頼まれごとをするのだから、多少持ち上げられるのは期待していた。

 けれど、追加のお小遣いに今朝のご馳走と少しばかり過剰な気がする。

 これは今日の依頼を失敗したりでもした事を考えるのがいよいよ怖い。

 

「(まぁ、失敗しなきゃいいだけだ。あ、ハンバーグ美味い)」

 

 料理内容に気合は入っていたが、量は抑えめだったのでエゾオオカミはペロリとそれらを平らげた。

 食べ過ぎでお昼にセルシコウのお弁当を美味しく食べられなかったら本末転倒である。その辺り母のエミリは心得たものだった。

 

「じゃあ、そろそろ行ってくるぜ」

「ええ、しっかりね、エゾオオカミ」

 

 この場合の母が言うしっかり、は『しっかりデートを楽しんでセルシコウを落として来い』の意なのだが、エゾオオカミは『しっかりセイリュウ様の依頼を果たして来い』と解釈した。

 

「わかってるって」

 

 支度を整えて出掛けるエゾオオカミをエミリは玄関まで見送る。

 

「エゾオオカミ、後ろ向きなさいな」

 

 エミリはエゾオオカミに後ろを向かせると玄関に置いていた火打石を準備する。

 

―カチッカチッカチッ

 

 それを三度打ち鳴らして切り火で見送る。

 

「おおげさだぜ」

 

 エゾオオカミの家は商店街で呉服店を営んでいる。

 節目のお出かけなどではこうして古風な儀式をしてくれる事があった。

 だが、今日のお出かけがそこまで重要かと言われると疑問のエゾオオカミだ。

 

「じゃあ水の事故には気を付けて楽しんでらっしゃい」

「ああ。行って来ます」

 

 こうして玄関を出るエゾオオカミを見送る母エミリ。

 ここまでの首尾は上々だ。

 旧友であるユキヒョウの母サオリに頼んで『わくわくプールランド』のプレオープン招待券を手に入れ、セイリュウに頼んで依頼という形をとってもらいそれとなくデートするように仕向けた。

 後は商店街の顔馴染み達に根回ししてそれとなく見守る。

 今回のデート作戦発案者であり総指揮官である“BigMam”は母エミリであった。

 

「けど、最後の仕上げくらいは自分でやりなさい」

 

 レールを敷いたのはここまでだ。

 後はエゾオオカミ自身の手で事を成し遂げて欲しい。

 そう願う母エミリであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 待ち合わせは『わくわくプールランド』前だった。

 時間30分前には来ていたセルシコウは気になって前髪を何度か弄る。

 変ではないだろうか。

 またも気になってセルシコウは髪を整える。

 昨日の夜にオオセルザンコウからは『わくわくプールランド』のアトラクションを説明されてデートプランを一緒に練ってもらった。

 今朝はお弁当作りに協力してもらったし出来る準備はしてきたと思う。

 せっかくだから東京へ引っ越し前にいい思い出にしたい。

 そう思うセルシコウに声が掛けられた。

 

「セルシコウー。早かったな。待たせたんじゃないか?」

「いえいえ、今来たところですよ」

 

 やって来たのはエゾオオカミだった。

 顔が赤くなるのはまだまだ暑い夏のせいだろう。セルシコウはそう思う事にした。

 エゾオオカミもやって来たところで、ちょうど『わくわくプールランド』もプレオープン開始時間である。

 周囲にはオープンを待ちわびた招待客の姿もチラホラ見られた。

 

「それじゃあエゾオオカミ、行きましょうか」

 

 というセルシコウにエゾオオカミは待ったをかけた。

 

「いや待ってくれ。まだターゲットが来ていない」

 

 エゾオオカミは招待客達の中にアオイとコイちゃんの姿を見つけていなかった。

 が……。

 

「ターゲット?」

 

 とセルシコウには話が通じていない。

 

「あ、そうか。まだセルシコウには説明できてなかったな……」

 

 エゾオオカミはかくかくしかじかと事情を説明した。

 セイリュウからの依頼でアオイとコイちゃんの二人を見守るという事を。

 説明を進める程にセルシコウの目が冷たくなっていく。

 

「呆れました……。そういう事情なら先に言って下さい。全くそういうところですよ、エゾオオカミ」

「いやどーいうところ……ってコレばっかりは俺が悪いな。スマン」

 

 素直に謝られたのでセルシコウも気持ちを切り替える。

 なんだかんだ言ったって、エゾオオカミがパートナーとして自分を選んでくれた事は嬉しくないわけではなかった。

 なので仕事だと言うのならそれでも構わない。手伝いくらいしてやろうと思う。

 

「そういう事なら、その二人が現れるまで待たなくてはなりませんね」

「だな」

 

 二人して物陰に隠れる事少し。ターゲットのアオイとコイちゃんが現れた。

 

「もう! コイちゃん姉さん! こんな日に寝坊だなんて!」

「いやぁー。ごめんごめん。今日の事が楽しみ過ぎて夜寝られなくてさぁー」

 

 ぷんすか怒るアオイがコイちゃんの手を引いていた。

 

「まぁ、プランには余裕を持たせてあるのでまだまだ大丈夫です」

「さすがアオイちゃん!」

「せっかくですから今日は遊び倒しちゃいましょう! コイちゃん姉さん!」

「合点承知ッ!」

 

 そうやって足早に入場していくアオイとコイちゃんの二人は当然エゾオオカミとセルシコウに気付く事はなかった。

 二人を見送ってセルシコウはポツリと訊ねる。

 

「ええと……あれがターゲットですか?」

「だな」

 

 そしてセルシコウはどうしてももう一つ訊ねたかった。

 

「あれ……見守る必要ありそうなんですか?」

「……多分ないような気がする」

 

 確かに仲が良さそうな二人であったが、うっかり行き過ぎないように見守れという依頼が必要そうな雰囲気には見えなかった。

 それはエゾオオカミも同じ感想だ。

 学年首位の優等生であるアオイがうっかり道を踏み外す事などないと思っていた。

 だが、それでは仕事にならない。エゾオオカミは気を取り直して言った。

 

「まぁでも依頼だからな」

「そうですね。仕方ありませんから付き合いましょう」

 

 アオイとコイちゃんから距離を取ってエゾオオカミとセルシコウも続く。

 最初にアオイとコイちゃんが訪れたのはレンタル用品店だった。

 ここは水着はもちろんの事、浮き輪や水鉄砲などのレジャー用品まで貸し出してくれる。

 セルシコウとエゾオオカミは学校の指定水着をそのまま流用するつもりでいたから殆どやる事はない。

 アオイとコイちゃんが水着選びの間待つつもりでいた。

 

「お、いいのあったぜ」

 

 と、エゾオオカミが棚に並んでいた星形のサングラスを掛けて見せた。

 

「……ぷっ……。似合ってませんよ」

「わかってるよ! アオイとコイちゃん先輩には顔が割れてるから一応だよ! 一応ッ!」

 

 セルシコウに笑われる程度にはエゾオオカミに星形サングラスは似合ってなかった。

 が、変装用という事で借りていく事にする。

 そうこうしている間にアオイとコイちゃんも水着を選び終わったようだ。

 試着室を借りて既に着替え終わっている。

 アオイが青色のワンピースタイプに、コイちゃんは黒のセパレートタイプだ。トップスは三段フリル状になっていてどちらかといえば可愛い感が強い。

 二人ともお揃いのパレオを腰に巻いていた。

 

「おおっと。俺らもさっさと着替えようぜ」

「わわっ、待って下さい」

 

 エゾオオカミはといえば家から水着を服の下に着こんでいた。中学生ならば許される。

 セルシコウの方はデートだと思い込んでいたので着替えは現地で、と思っていたから時間が掛かってしまうだろう。

 二人は慌てて行動を開始した。

 受付で招待チケットを渡して腕にタグを巻いてもらう。

 

「このタグはロッカールームの鍵にもなっています。あとプリペイド式でお金をチャージしておいてアトラクション内の売店で支払いに使えますよ」

「へー」

 

 事前にオオセルザンコウから『わくわくプールランド』の説明を受けていたセルシコウが教えてくれる。

 そして、チャージしたお金は帰りにタグを返す時に清算して使わなかった分を返してくれるという事だった。

 なるべく手荷物を少なくして遊んで貰う工夫らしい。

 

「おっと、こうしちゃいられねー! さっさと着替えちまおうぜ」

 

 二人してわたわたと着替えて、ロッカールームに荷物を預けた頃にはちょうどアオイとコイちゃんも受付を終わらせたらしかった。

 

「何とかセーフだったな」

「ですね」

 

 アオイとコイちゃんも自分達のロッカーへそれぞれ手荷物を預けると、最初のアトラクションへ向かう。

 それを待ってエゾオオカミとセルシコウも尾行を開始した。

 

「ところで、エゾオオカミ」

「どうした?」

 

 尾行するセルシコウはエゾオオカミに訊ねた。

 

「見守るのはいいのですが……、なんといいますか……セーフかアウトの判定はどうしたらいいんでしょう?」

 

 要はアオイとコイちゃんがどんな事をしたらダメなのかがよく分からないという事だ。

 エゾオオカミもそれをしばらく考えて……。

 

「言われてみれば考えてなかったな」

 

 ノープランであった事に気が付いた。

 

「そうだなぁ……。アオイ達の真似してみて、これはできねーよ!? ってなったらアウトって事でどうだ?」

 

 つまり、アオイとコイちゃんがする事を自分達もやってみて、これはダメだろうとなったらセイリュウへ報告という流れだ。

 

「他に考えもないですし、そうしてみますか」

 

 セルシコウも他にいい案がないので同意する。

 

「お……」

 

 と、エゾオオカミが早速アオイとコイちゃんに動きがあったのに気が付いた。

 二人して手を握りあったのだ。

 

「んじゃあ俺らも」

 

 ほれ、とエゾオオカミはセルシコウに手を差しだした。

 

「このくらいなら余裕というものです」

 

 手を繋ぐくらい何てことない。

 そう思ったセルシコウだったが、実際やってみるとこれが意外と恥ずかしい。

 昨日だって手を引かれたりしていたが、流れの中でやるのとはまた違う。

 これは手を繋ぎたいから繋いでいるのだ。

 気恥ずかしさは段違いというものである。

 が、これは序の口だった。

 よくよく見たらアオイとコイちゃんの手は指と指が絡み合う感じになっていたのだ。

 これはいわゆる……。

 

「「こ、恋人繋ぎッ……!?」」

 

 というヤツである。

 エゾオオカミとセルシコウは戦慄する。

 現物を目の当たりにしたのは初めてだった。

 あまつさえそれを自分達が真似するなんて。

 

「な、なあ! これはアウトじゃねーのか!?」

「ここここ、このくらいなんて事ないですよ!? セーフです、セーフッ!」

 

 セルシコウがそう言うのでは仕方ない。

 エゾオオカミも覚悟を決めて握りを変えた。

 と、セルシコウが握り返して来る。

 

「「(うわー!?!? な、何これー!?!?)」」

 

 やってみて二人してテンパった。

 普通に手を握るよりも密着度が段違いだ。

 相手の手の柔らかさも温もりもより鮮明に感じられる。

 何なら高鳴る鼓動すら相手に伝わってしまうのではと心配する程だ。

 

「で……判定は……?」

「せ、セーフでいいんじゃね?」

 

 訊ねるセルシコウにエゾオオカミはそっぽ向いて答えた。

 お互いに相手の顔をまともに見られない。

 が、先にギブアップするのは負けたような気がしてお互いにセーフ判定を出した。

 そうこうしている間に、アオイとコイちゃんの二人は手を繋いだまま最初のアトラクションの列へ並んだ。

 エゾオオカミとセルシコウも少し間を開けてからその列に続いた。

 最初のアトラクションはウォータースライダーだ。

 程なくしてアオイとコイちゃんの順番が回って来る。

 どうやら二人はカップル用浮き輪で二人一緒にウォータースライダーへチャレンジするらしい。

 

「って事は……」

「私達も、ですね……」

 

 エゾオオカミとセルシコウは顔を見合わせる。

 お互い顔は既に真っ赤だったが、やめるという選択肢はない。

 先に降りたらそれは負けを認める事だ。いや、実際にはそんな事はないんだけれど、二人ともそれに気が付かない。

 エゾオオカミとセルシコウの番もすぐにやって来た。

 

「ええと……お二人一緒に滑る感じでいいですね?」

 

 係員のお姉さんは赤い顔で恋人繋ぎしている二人を見てそう判断した。

 初々しいカップルだなー、とも。

 早速二人一緒に滑る用の浮き輪を用意すると注意を開始した。

 

「まず、お互い振り落とされないようにしっかり掴まってて下さいね。そうそう。ちゃんとくっついてー。で、下に着いたら係員の誘導に従ってプールサイドに上がるか、流れるプール方面へ進んで下さい」

 

 いくら大型の浮き輪とはいえ、二人で乗るには狭いので必然密着する事になる。

 エゾオオカミが前になったので、背中にセルシコウの体温だとか膨らみだとかを感じる事になった。

 だが、ドキドキしている暇はない。

 

「それじゃあ行ってらっしゃーい!」

 

 係員のお姉さんが二人の乗る浮き輪を押し出したからだ。

 

「「うわぁあああああああっ!?!?」」

 

 水飛沫あげて円筒形のパイプ内を猛スピードで滑り降りる二人。

 カーブの度に身体が振られる。

 振られ過ぎると浮き輪から振り落とされそうだ。

 

「せ、セルシコウ! カーブに合わせるぞ!」

「はい!」

 

 カーブの内側に身体を傾けた方が遠心力は小さくなる。

 その辺りはジャパリバイク改に乗った事すらある二人だ。

 息のあった体重移動でバランスを保つ。

 ウォータースライダーにも慣れて来た頃、セルシコウが言う。

 

「エゾオオカミ! アレを!」

「ん?」

 

 セルシコウが指さした方へ目をやると、先に滑り降りたアオイとコイちゃんの二人が流れるプール方面へ進んで行くのが見えた。

 

「って事は俺らもだな!」

「ええ、見失わないうちに行きますよ!」

 

 体重移動を駆使すればカーブでの旋回半径は狭くなる。

 必然スピードもあがるわけだ。

 何度となく二人で死線を潜り抜けたエゾオオカミとセルシコウにとってこれくらいの芸当はわけもない。

 

―バシャアアアアン!

 

 長い尾を引いて着水するエゾオオカミとセルシコウ。

 

「はーい、次の方が滑り降りて来ますので移動して下さいー。 どちらに行かれますか?」

 

 つまり、流れるプール方面へ進むか、それとも一旦プールから上がるかだが……。

 

「「流れるプールの方で!」」

 

 二人揃って係員へ返す。

 

「はーい、それじゃあこちらのゲートを通って流れるプールへどうぞー」

 

 着水場所は安全の為一方通行のゲートで流れるプールと接続されていた。

 エゾオオカミとセルシコウはウォータースライダーの余韻を楽しむ事なくアオイとコイちゃんを追う。

 今度の流れるプールはゆるやかな流れがありのんびり漂っているだけでも結構楽しい。

 アオイとコイちゃんも流れに身を任せて楽しんでいた。

 

「あー……。このぐらいの方が楽でいいぜ」

「ですね……。出来ればこのままでいてくれた方がいいかもしれません」

 

 さっきのようなウォータースライダーも楽しくないわけではないが、ずっと続くと疲れてしまう。

 こうやってのんびりするのだって悪くない。

 今度は皆で来たいと思うエゾオオカミだ。

 特にマセルカは水遊びが好きだから思いっきりはしゃいでくれるに違いない。

 

「なあ……」

 

 今度は皆で、と続けようとしたエゾオオカミだったが、それは叶わなかった。

 アオイとコイちゃんがひとしきり流れを楽しんだところでプールサイドに上がったからだ。

 

「追いかけましょう、エゾオオカミ」

「だな」

 

 アオイとコイちゃんは丸テーブルと椅子の並んだフードコートスペースへ移動する。

 何を注文するのかと見ていたらトロピカルジュースを販売している店へ並んだ。

 エゾオオカミとセルシコウも少し間を開けて続く。

 アオイとコイちゃんはフルーツで飾りつけられた大きめのグラスを受け取る。中身は何ともトロピカルな青色のサイダーだ。

 そして、その数は一つである。

 続けて店員がいい笑顔と共に、二人に二本のストローが絡み合ったストローを勧めているではないか。

 それを見たエゾオオカミとセルシコウは戦慄した。

 何故なら……。

 

「「(は、ハート型だー!?!?)」」

 

 二本のストローが絡み合って真ん中でハート型を形作っていったからだ。

 つまり、これは二本のストローで一つのジュースを飲むカップルドリンクというやつである。

 

「こ、これはさすがに……!?」

「アウト……! アウトですよね!?」

 

 わたわたと戸惑うエゾオオカミとセルシコウ。

 だってハート型だし。

 そうしている先では、アオイが何やらぷんすか怒ってからハート型ストローは取りやめ、普通のストローを二本受け取っていた。

 エゾオオカミとセルシコウは心の中でアオイに感謝する。これでハート型ストローは回避されたのだから。

 そのままアオイとコイちゃんは空いているテーブルに陣取ると向かい合って座った。

 

「ま、まぁ普通のストローなら……」

「そ、そうですよ。セーフです。セーフ。余裕です」

 

 ホッと胸を撫で下ろすエゾオオカミとセルシコウ。

 アオイ達が頼んだものと同じカップルドリンクを注文して、ノーマルストローを受け取ると、空いている席へアオイとコイちゃん達と同じように向い合せで座った。

 既にアオイとコイちゃんはカップルドリンクを二人で飲んでいる。その表情は割と普通だから見た目よりは恥ずかしくないのかもしれない。

 

「よっしゃ……行くぜ、セルシコウ」

「え、ええ」

 

 二人して気合を入れ直し、ストローを挿していざ。

 

「「!?!?!?」」

 

 やってみて気が付いた。

 これは想像以上に気恥ずかしい。

 テーブルに置いた一つのグラスをストローで飲むわけだから、必然お互いの顔がめちゃくちゃ近い。

 それで一つのドリンクを飲むわけだから、これは間接キス以上直接キス未満の行為と言っていい。

 

「けど……まぁセーフだよな……ハート型じゃねーし」

「で、ですね……余裕です。ハート型じゃありませんから」

 

 と言いつつもお互い顔が真っ赤でまともに相手の顔を見れない。

 それでも二人はセーフと言い張った。

 だってハート型じゃないし。

 

「けど……さすがに疲れたな……」

「ええ。同意です」

 

 不慣れな事の連続でエゾオオカミもセルシコウも疲弊しきっていた。

 

「なら、ここらで昼にするか?」

「そうですね……。そうしましょう」

 

 幸いアオイとコイちゃんはノーマルプールで開かれる競泳イベントに参加するつもりらしい。

 お互いに泳ぎ比べをしようという雰囲気なので、行き過ぎな行為もないだろう。

 それにノーマルプールの様子はこのフードコートからでも見える。

 ちょうどいいタイミングだと言えた。

 

「じゃあお弁当取って来ますね」

「おう。ここで待ってる」

 

 セルシコウがお弁当を取りにロッカールームへ向かう。

 その間にエゾオオカミは飲み物でも用意しておくか、と考えた。

 傍らに残ったカップルドリンクはさすがにお弁当のお供には無理がある。

 多分味なんかわからなくなるだろうし。

 ここは水に濡れて身体も冷えているし、敢えてのホットという選択肢もありだろう。

 ただ、セルシコウが用意してくれたお弁当がどんなメニューか分からないのでどんな飲み物を用意するのがいいか悩みどころではある。

 

「まぁ、お茶系なら大きく外さないか……」

 

 というわけでドリンク屋さんでホットのほうじ茶を二つ買っておく。

 その頃にはセルシコウも戻って来た。

 

「お待たせしました」

 

 セルシコウがお弁当箱を入れた風呂敷を解くと、中には二段重ねの重箱と小瓶がいくつか入っていた。

 まず二段目にはお弁当の定番とも言えるタコさんウィンナー、アスパラのベーコン巻き、出汁巻き卵、デザートにウサギさんリンゴが並んでいた。

 でもって、一段目の方はあまり見慣れないものが並んでいる。

 薄い丸形のそれはパッと見た感じパンケーキだ。

 

「これは?」

「まぁまぁ。取り敢えず食べて見て下さい。そのままでもいいですし、お好みでこちらのソースをどうぞ」

 

 どうやら小瓶の中身は調味料らしい。

 言われるがままにエゾオオカミは、まずはそのパンケーキを一つ手に取ってそのまま食べて見る。

 瞬間、口の中に程よい甘味と鮭の味が広がった。

 この甘味には覚えがある。

 

「これ……ジャガイモか!」

「はい。簡単に言えばジャガイモのパンケーキですね」

 

 だが、ジャガイモをパンケーキにしただけではこんな味にはならない。

 中に塩鮭のほぐし身を混ぜ込んだのだ。

 

「ちなみに、塩鮭だけじゃないですよ。こっちはコーン。こっちはカボチャを混ぜてあります」

 

 どうやらそれぞれのタネを変えているらしい。

 それぞれにまずはそのまま食べてみるエゾオオカミ。

 どうやら中の具に合わせてそれぞれに下味の付け方も変えているようだ。

 

「そのままでも美味いぜ、これ」

「まぁ、ざっとこんなもんです」

 

 これは具材によって下味を変化させたセルシコウの技によるところが大きい。ドヤ顔にもなろうというものだ。

 塩鮭は敢えてジャガイモに殆ど下味を付けずそれぞれの素材が引き立て合うように調整した。

 反対にカボチャやコーンの方はそれぞれに塩胡椒でしっかり下味を付けて甘さが前面に出過ぎないよう仕立ててある。

 そうなると気になってくるのが小瓶に入った調味料だ。

 赤いのがケチャップ。白いのはマヨネーズ。そして薄い緑色っぽいのはよくわからない。

 

「まぁ、セルシコウの事だ……どれも合うとは思うけど……」

 

 薄い緑色の物が一番気になっているエゾオオカミだ。

 マヨネーズよりも魅かれるその正体は……?

 スプーンでひと掬いして鮭のジャガイモパンケーキに乗せてみる。

 そして一口かじって……。

 

「!?!?!?」

 

 エゾオオカミはジャガイモと鮭とワサビに殴られた。いや、実際にはそれ程インパクトがあったという事だが。

 だが、これほどワサビが効いているのに、不思議とツーンと来ない。

 これは……。

 

「ワサビマヨネーズ、作ってみたんですよ」

 

 セルシコウが説明してくれる。どうやら摺り下ろしたワサビをマヨネーズで和えた物らしい。

 

「マヨネーズは辛みを抑えてくれますからね。少しばかり冒険しても大丈夫というわけです」

「なるほどなぁ……」

 

 この味にはエゾオオカミも覚えがあった。

 夏休みに『グルメキャッスル』(屋台)で出した最後の一品がヨーグルトソースにワサビを加えたともえスペシャルだったのは記憶に新しい。

 おそらく今回のワサビマヨネーズはそれを参考に作ったのだろう。

 もうエゾオオカミはお弁当の虜だった。

 

「ノーマルマヨネーズもいいけど、ケチャップもアリだな。美味いぞ!」

「今回は用意してないんですが、ウスターソースやバターなんかも合いますよ」

 

 そもそもベースとなる味がジャガイモだ。

 ジャガイモに合う調味料であればジャガイモパンケーキにも合うのは道理である。

 エゾオオカミが夢中で食べてくれるのでセルシコウも上機嫌で見守る。

 

「いや、美味かった。ご馳走様」

「はい、お粗末様でした」

 

 二人分よりも少し多いかなという量を用意していたお弁当だったが、食べ終わるのはアッという間だった。

 食後にエゾオオカミが用意してくれたほうじ茶を飲みつつセルシコウが言う。

 

「ときにエゾオオカミ?」

「ん?」

 

 まだ夢見心地のエゾオオカミにセルシコウはニヤリとしてから続けた。

 

「ジャガイモパンケーキは冷めても美味しいんですが……」

 

 まさか、とハッとするエゾオオカミ。そのまさかが告げられる。

 

「出来たてはもっと美味しいです」

 

 今でも美味いのにその先があったか、と脱帽のエゾオオカミ。

 

「わかった。もう完敗だ」

 

 どうやらセルシコウにはまだまだ敵わないと思い知らされたエゾオオカミは両手を挙げて降参の意を示すのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 結局その後もアオイとコイちゃんペアの行動はセーフ判定を出し続けた。

 もっとも、ギリギリの線を攻めてる行為もちらほらあって、その度にエゾオオカミとセルシコウはドキドキさせられたわけだが。

 アオイとコイちゃんの後に続く形で様々なアトラクションを楽しんだエゾオオオカミとセルシコウ。

 

「いやぁー! 面白かったな!」

 

 エゾオオカミは夕暮れ時の帰路で大きく伸びをする。

 なんだかんだで二人もしっかり『わくわくプールランド』を満喫できたようだ。

 

「ええ。あのボディーボード、というのが特に面白かったですね」

 

 セルシコウもそれに同意する。

 ちなみにお昼の後、波の出るプールでボディボードもやってみた。

 

「ああ。セルシコウはすぐに乗りこなしてたよな。さすがだぜ」

 

 バランス感覚が要求されるボディボードもセルシコウには朝飯前だったようだ。

 エゾオオカミの方はようやく感覚を掴めた頃だったが、上手く乗り切れてはいなかった。

 

「次回はさ、仕事抜きでこようぜ」

 

 エゾオオカミは今度こそボディボードを乗りこなしてやる、と意気込んでいた。

 

「そうだ。今度はさ、マセルカとかオオセルザンコウも誘おうぜ。あとルリだろ? アムールトラとユキヒョウも……あ、ともえ先輩達も誘わないとな」

 

 『わくわくプールランド』は全天候型、全季節対応の屋内プール施設だ。

 だからこれから夏が終わっても遊ぶ事が出来る。

 けれど……。

 エゾオオカミは横を歩いていたはずのセルシコウが立ち止まっているのに気が付いた。

 

「どうした、セルシコウ?」

 

 エゾオオカミが振り返るとセルシコウは立ち止まって俯いていた。

 

「すみません、エゾオオカミ。その約束は出来ないんです」

 

 どうして、と思うエゾオオカミ。

 もしや本当は楽しくなかっただろうか?

 いや、仕事に無理に付き合わせてしまったから怒らせてしまっただろうか?

 心配になったエゾオオカミはセルシコウの元へ駆け戻る。

 対してセルシコウはふるふると首を横に振った。

 

「だって、正式オープンの頃には私達、東京へ引っ越してるんです」

 

 顔をあげて笑うセルシコウは何とも寂し気に見えた。

 

「東京って……本当か……?」

「ええ。ハクトウワシの仕事の都合で再来週の日曜日には」

 

 『わくわくプールランド』の正式オープンは2週間後。セルシコウ達の引っ越しは約1週間後だ。

 だからもう皆で『わくわくプールランド』へお出かけするのは叶わない。

 

「あ、でも他の人達にはまだ言わないで下さい。週明けにでもちゃんとオオセルザンコウとマセルカ揃って言いますから」

 

 セルシコウは口元に人差し指を立てて、内緒ね、と笑って取り繕った。

 そんな笑い方をするセルシコウを初めて見たエゾオオカミは何と返していいのかわからない。

 行くなと言えばいいのか、寂しくなるなと同意すればいいのか、それとももっと他に言わなきゃいけない事があるのか。

 結局しばらくの沈黙の後、エゾオオカミが言えたのは……。

 

「そうか……」

 

 と一言だけだった。

 

「すみません。困らせてしまいましたね」

 

 またもセルシコウは寂し気に笑う。

 本当はエゾオオカミにも週明けまでは言うつもりはなかった。

 けれども、今日二人で過ごしてついポロっと口から出てしまったのだ。

 今日まで東京への引っ越しを誰にも言えなかったから一人で背負うのが苦しかったのかもしれない。

 どうして秘密を吐露する相手にエゾオオカミを選んでしまったのか、それはセルシコウにも全然分からなかった。

 そして何と言って欲しかったのか。

 行くなと言って欲しかったのか、寂しくなるなと同意して欲しかったのか、それとも……。

 だが、結果はこれ。エゾオオカミを困らせただけだ。

 言ってしまった事を後悔したセルシコウは早口でまくし立てる。

 

「さ、この話はお終いです。それより明日の事ですよ明日の。明日は空手大会なんですから。今日の練習はお休みにしますからしっかり休んで下さい。言っておきますが今日遊び過ぎたせいで大会に負けたなんて言い訳は聞きませんからね」

 

 エゾオオカミはまだ呆然としたままだった。

 あまりにも急な話についていけてない。

 自分の短慮でエゾオオカミを傷付けてしまった事を悟ったセルシコウはいたたまれなくなってしまった。

 

「今日は楽しかったです。さようなら」

 

 それだけを言い残すと脱兎のごとく駆け出す。

 

「あ……!? お、おい! セルシコウ!?」

 

 呆然としていたエゾオオカミがようやく反応出来た頃にはセルシコウの背中はもう遠くへ逃げ去ってしまっていた。

 その背中からはセルシコウがどんな顔をしているのか分からなかった。

 追いかける事すら出来ずにポツリと呟くエゾオオカミ。

 

「東京って……マジかよ……」

 

 その呟きに返事をくれる人は誰もいなかった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 すっかり日も暮れた公園のベンチで一人座るエゾオオカミ。

 さっきようやくセイリュウへ仕事の結果をメール出来たところだ。

 エゾオオカミはメールを打った後の携帯電話をしまうと溜め息をついて空を見上げた。

 このままここにいたところでセルシコウがやって来るわけがない。

 それはわかっていたが、かと言って何をどうすればいいのかも分からない。

 ハクトウワシが東京へ栄転というのは有り得る話だし、そうなればセルシコウ達三人も一緒に付いて行くしかない。

 これはしょうがない事なのだ。

 

「はぁー……」

 

 エゾオオカミはやるせない気持ちで溜め息をつく。

 と。

 

「やあ。随分お悩みのようだね、エゾオオカミ君」

 

 いつの間にやら、隣に和香教授が座っていた。

 

「うぉう!? きょ、教授!? い、いつの間に!?」

「はっはっは。一応声は掛けたんだがね。随分熱心に考え事をしていたようだから勝手に隣へ失礼したよ」

 

 エゾオオカミは最初こそ驚きはしたものの、誰かが来てくれた事は嬉しかった。

 誰でもいいから今の気持ちを聞いて欲しかったのだ。

 

「なあ、教授……。あのさ……」

 

 セルシコウが東京へ引っ越ししてしまう、という話をしようとしたところで、エゾオオカミはふと気が付いた。

 まだ誰にも言わないで欲しいとセルシコウに頼まれていた事を。

 喉元まで出掛かっていた言葉をぐっと呑み込むエゾオオカミ。

 

「いや、なんでもねー」

 

 なるほど、セルシコウも誰にも話せずにこんな気分だったのか。

 期せずしてエゾオオカミはセルシコウの心情を理解していた。

 

「そうかい」

 

 和香教授はそれ以上追及してこなかった。

 しばしの間、沈黙が流れる。

 その沈黙に気まずさを感じたエゾオオカミは和香教授に訊ねる事にした。

 

「教授こそどうしたんだよ。俺に何か用があったのか?」

「まぁ……ね」

 

 いつもと違った歯切れの悪さに訝しむエゾオオカミ。

 教授の顔を改めて見たエゾオオカミは気が付いた。

 その顔が何とも困ったような表情である事を。

 この顔はついさっきに見覚えがある。東京への引っ越しを話した時のセルシコウに似ているのだ。

 初めて見る和香教授の表情にエゾオオカミは溜め息をもう一度ついて気を入れ替える。

 

「よっしゃ。じゃあ話せ。どうした?」

「ふふ。そうやっていつも他人の事を気に掛けてくれるエゾオオカミ君が私は好きだよ」

「うっせぇ」

 

 少しばかり和香教授にいつもの調子が戻って来た事に安堵しつつもエゾオオカミは次の言葉を待つ。

 和香教授は少し考えてから言った。

 

「いやなに。あらためて自分のダメさ加減に嫌気がさしていたところさ」

「ダメさ加減ってそんな今さらな……」

「エゾオオカミ君っ!? 私そろそろ泣くよ!?」

 

 エゾオオカミとしては和香教授がズボラで家事を全部ルリ達に丸投げしていて研究とかそういう事意外は基本残念な大人なのはわかり切っていた。

 ここでそれを告げてトドメを刺す事もあるまい。

 

「で? どうしたよ。また料理でも挑戦してユキヒョウに怒られたか?」

「いや、そんないつも通りの事だったらよかったんだけどね」

 

 自嘲の笑みを浮かべてから和香教授は続ける。

 

「思えばエゾオオカミ君には恥ずかしいところばかり見られてしまっているね」

「それこそ今さらだ」

「そうだね」

 

 かつて和香教授はルリとアムールトラの為に用意した誕生日ケーキをセルリアンに奪われて危うく部屋を吹き飛ばしかけた事がある。

 その時にセルリアンから誕生日ケーキを取り返してくれたのが木の実探偵エゾオオカミことクロスアイズだった。

 

「そうか……」

 

 と一人納得の和香教授。

 一体どうしたのだろうとエゾオオカミが不思議に思っていると、和香教授はふぅと一息ついてからよく分からない事を言い始めた。

 

「エゾオオカミ君。私は今回キミ達の味方は出来ない」

 

 何の話だ、と訝しむエゾオオカミの前に和香教授はベンチから降りて片膝立ちになった。

 

「虫がいい上にひどい無茶振りだというのも分かっている。けれどどうか聞いて欲しい」

 

 一体何を言うつもりなのだろう、と思っていたエゾオオカミの手を和香教授は両手で包み込んだ。

 和香教授が思いついた事とはこれだった。

 

「木の実探偵エゾオオカミ君。キミに依頼したい」

 

 何を、と思うエゾオオカミ。

 だが、縋るような目で見あげてくる和香教授なんて初めてで、エゾオオカミは頷かざるを得ない。

 そして和香教授が告げた依頼内容はもっと意味がわからないものだった。

 

「どうかルターを止めて欲しい」

 

 なんでそこでルターが? と思うエゾオオカミ。

 疑問は尽きないが、和香教授はもう立ち上がってしまっていた。

 

「なあ、教授……」

「すまない。私はこれ以上は何も言えないんだ」

 

 尽きぬ疑問を訊ねようとしたエゾオオカミに和香教授はそれだけを答える。

 この奥歯にものが挟まったような物言いしか出来ない理由にエゾオオカミも心当たりがあった。

 ついさっきの自分と一緒だ。

 それは誰かに口止めを約束してしまっているから。

 誰にも言えないから、きっと藁にも縋る想いで依頼を出したのだろう。

 

「それじゃあ」

 

 去って行く和香教授を止める事は出来なかった。

 その背中を見送ったエゾオオカミは自らの手に視線を落とす。

 先程和香教授に握られた手の中にはドングリが一つ残されていた。

 事情を話せないらしい事は分かる。それでも頼まざるを得なかった事も。

 それは分かるけれどもエゾオオカミはセルシコウの事も含めて呟かずにはいられなかった。

 

「俺にどうしろって言うんだよ……」

 

 手の中にある木の実は答えを返してはくれなかった。

 

 

 

―⑥へ続く




 

 情報公開:『わくわくプールランド』

 色鳥町にオープン予定の全天候型オールシーズン対応の屋内プールレジャー施設。
 施設内にはウォータースライダーや流れるプール、波の出るプールなどがある。
 その他にもビーチバレーが出来る砂浜スペースやノーマルプールも完備だ。
 水着レンタルからレジャー用品までレンタルしてくれるので身一つで遊びに来ても十分楽しめる。
 また、時間毎に行われるイベントも目玉の一つ。
 波の出るプールでのボディボード体験や砂浜スペースでのビーチフラッグやビーチバレーなどなど様々なイベントが時間毎に行われる。
 本来8月中旬にオープン予定であったが、様々な理由でオープンが遅れて正式オープンは9月中旬になる予定である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』⑥

 

 

 日曜日の朝がやって来た。

 だというのにエゾオオカミは未だ戸惑いの中にいる。

 朝ご飯は昨日と打って変わっていつも通りだ。

 メニューは普通にワカメと豆腐の味噌汁と白ご飯。

 あとは目玉焼きとウィンナー。ついでに野沢菜の漬物が付いていた。

 いつも通りの朝食だけど、エゾオオカミは難しい顔をしたままだ。

 

「エゾオオカミ? 食べないの?」

「ああ……いや……」

 

 母エミリに言われてようやくエゾオオカミはノロノロと箸を手にした。

 エゾオオカミは昨日帰って来てからずっとこんな調子だ。

 もしかして玉砕でもしたのだろうかと母エミリは心配している。

 かと言って下手に突けば傷口に塩を塗る事になりかねない。

 とりあえず無難な話題を振って探って行くしかない。そう思ったエミリはエゾオオカミに訊ねる。

 

「今日は空手大会よね?」

「ん。ああ」

 

 エゾオオカミは生返事を返す。

 彼女の頭の中は昨日一晩ずーっと同じ事で一杯だった。

 もうすぐ東京へ引っ越して行ってしまうセルシコウに何が出来るのか、と。

 

「俺も一般組手の部に出るべきなのかな……」

 

 セルシコウの為に一般組手の部へエントリーすれば、もしかしたら彼女と戦う事が出来るかもしれない。

 大舞台で彼女と戦うチャンスは今回が最初で最後だ。

 けれども今の自分がセルシコウに敵うはずがない。

 それどころか一般組手の部で一回戦を勝ち抜けるかどうかすら怪しい。

 無理して一般組手の部へ出場したところでセルシコウと戦える可能性は皆無なのだ。

 

「それはお母さんには決められないわねぇ」

 

 選ぶのはエゾオオカミであって母親ではない。

 だけれど、エゾオオカミは今、誰かに答えを与えられたらそれに飛びつきそうになっていた。

 それではダメだ、とエゾオオカミ自身も分かっている。

 けれど答えが出ないのだ。

 それに考えなくてはならない事はまだある。

 

「ルターを止めろってどういう意味だよ」

 

 エゾオオカミは空になったお茶碗に視線を落として呟いた。

 昨夜半ば強引に頼まれた和香教授からの依頼。

 全くもって意味が分からない。

 こちらに至っては考える糸口すら殆どないのだ。

 悩む間にもエゾオオカミはいつも通りの朝食を食べ終える。

 そしていつも通りに顔を洗って歯を磨き身支度を整え終わった。

 昨日の夜に用意しておいた空手道着とエミリが作ってくれたお弁当を持って準備は完了だ。

 

「もう行くの?」

 

 母エミリは短く訊ねて来た。

 もう選択の答えを出さなくてはならない時間は近い。

 それは誰に頼って答えを出すわけにもいかない。エゾオオカミ自身が自ら導き出さなくてはいけないのだ。

 

「なあ。お母さん」

「ん? どうしたの?」

 

 エゾオオカミは母エミリに頼んだ。

 

「切り火、してもらってもいいか?」

 

 そのくらいなら甘えても許される気がした。

 今日は節目のお出かけというわけでもないが、空手大会だというなら切り火にも相応しいだろう。そう判断したエミリは快く頷く。

 

「それじゃあ、エゾオオカミ。後ろ向きなさいな」

 

 玄関でエゾオオカミは母エミリに背を向けて瞳を閉じる。

 色んな悩みがグルグルと頭の中を渦巻いていた。

 

―カチッ

 

 背中で火打石が打ち鳴らされる音が聞こえた。

 エゾオオカミが目下悩んでいる事は大きく分けて二つ。セルシコウ達の事と和香教授からの依頼だ。

 そのうちの和香教授からの依頼については今どうこうする事は出来ないと思えた。

 必要な情報が得られない以上、まずは成り行きに身を任せてみるしかない。

 だからまずは一旦この事で悩むのはヤメだ。

 

―カチッ

 

 二度目に火打石が打ち鳴らされる。

 考えなくてはならないのはセルシコウの事だ。

 セルシコウとは最初は敵同士だった。

 むしろ歯牙にすらかけてもらえなかった。

 だけれど、今は友達だ。

 その友達が遠くへ行こうとしている。

 今。

 今しか高みに手を伸ばすチャンスはないのだ。

 どんなに可能性がなくても、どんなに望みがなくても、無駄だとしても手を伸ばすべきではないのか。

 

―カチッ!

 

 三度目に火打石が高らかに打ち鳴らされた。

 と同時、エゾオオカミの脳裏にはセルシコウから言われたある言葉が思い出された。

 それは一昨日の夜、セルシコウから空手大会に誘われた時の言葉だ。

 

『あなたはきっと自分で練習量を二倍に増やして欲しいと言い出すはずですよ』

 

 セルシコウはそう言った。

 だからセルシコウが期待しているのは……。

 

「そうだな……そうだった」

 

 目を開けたエゾオオカミの瞳にはもう迷いはなかった。

 

「じゃあ。行ってきます」

 

 やるべき事は決まった。

 ならば今は時間が惜しい。

 だが、まずは言うべき事があった。

 

「悪い、お母さん! 今日から1週間くらい忙しくなるからあんまり手伝いとか出来なくなる!」

 

 振り返って言ったエゾオオカミに母エミリは苦笑する。

 

「子供が心配しなくたって大丈夫よ。やりたいようにやりなさい」

 

 エミリはエゾオオカミの顔から迷いが消えた事を悟った。

 

「じゃあ、急ぐから!」

 

 わたわたと玄関を出て行く娘の背中を見送って母エミリは呟く。

 

「いつの間にやらいい顔するようになっちゃって」

 

 どうやら進むべき道を決めたらしい娘の為に、母エミリはもう一度火打石を打ち鳴らすのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 色鳥武道館が市民空手大会の会場である。

 セルシコウが会場に辿り着いた時、既にそこは沢山の参加者で溢れていた。

 そして応援のお客さんも。

 急遽決まったというのに中々盛大な集まり具合になっているらしい。

 

「あら、セルシコウさん」

 

 セルシコウが声を掛けられて振り向くとそこにはヤマさんの奥さんであるヤマバクがいた。

 ただ、そのファッションが何と言っていいのかよく分からない。

 いつもの上品な黒のワンピースの上にピンクの法被を羽織り両手には団扇を持っていた。

 そして額には全く似合っていないハチマキまで巻いてある。

 その全てに同じ文言が綴られていた。『I ♡ Love』と。

 ハートマークの中にはヤマさんの顔がプリントされている。

 一人だけまるでどこかのアイドルイベントにでも来たようだ。

 その様子を見るに……。

 

「もしかして?」

「ええ。うちの主人も出場するんですよ」

 

 訊ねるセルシコウにヤマバクは得意満面で答えた。

 どうやらヤマさんは一般男子組手の部に参加するらしい。

 柔剣道に加えて空手の段位も持っているらしいヤマさんは強敵ではあろうが今回当たる事はない。

 

「色鳥警察署からも代表で参加者が出ていますよ。本当ならハクトウワシさんも代表選出される予定だったみたいなのですが……」

 

 ヤマバクが教えてくれる。

 つまりヤマさんが男子の代表で女子代表がハクトウワシになる予定だったのだろう。

 ただ、ハクトウワシは約一週間後に東京への栄転を控えている身だ。

 ただでさえ多忙の身はさらに忙しくなっているだろうから今回の大会に参加する事は出来なかったらしい。

 セルシコウは無理もない事だ、と思う。

 そうこうしていると……。

 

「あっ! あなたー!!」

 

 ヤマバクは参加者の中にヤマさんを見つけたらしくそちらへ駆けて行った。

 セルシコウが遠くから見守っていると、ヤマさんは自分の妻の格好にしばらく頭を抱えてから諦めたらしい。

 会場を見渡せば何人か強者と思しき人物がチラホラ見られる。

 まずキンシコウ。彼女は既に気合十分といった様子で受付を済ませていた。

 他にはいつぞやの空手大会にも出場していたオウギワシとヘビクイワシの二人もいる。

 ただ、こちらの二人は中学生女子組手の部への参加らしい。

 どうやら二人も白黒つけるために揃って今回の大会への出場をしたようだ。

 他には赤毛で糸目の女性が見られる。立ち居振る舞いからどう見ても一段抜きんでた強者と思えた。

 応援に来ているらしい癖っ毛の男性には見覚えがある。

 確か青龍神社の夏祭りで大人気の鈴カステラを出していた菓匠『若葉』の主人だったか。

 応援らしい赤毛の姉妹に囲まれて余裕たっぷりといった様子だ。

 それと、一昨日出会ったマルタタイガーのフレンズ、ルターもいるではないか。

 彼女も空手道着に身を包んでいる辺り参加者の一人らしい。

 これだけ沢山の参加者に強者も揃っているというのに、セルシコウの胸中は全く躍らなかった。

 

「(どうして……)」

 

 そう思うセルシコウだったが、理由は明白だった。

 昨日、うっかり東京へ引っ越す事をエゾオオカミに言ってしまったせいだ。

 こんなどうしようもない事を告げて、それでも彼女だったら何か言ってくれるんじゃないかと期待してしまっていた。

 だが、結果はエゾオオカミを困らせ傷付けただけだ。

 もしかしたら今日は会場に来てくれないかもしれない。セルシコウはそう思っていた。

 が……。

 

「セルシコウ」

「ひゃ、ひゃい!?」

 

 後ろから声を掛けられた。

 その声は何度も聞いて来たエゾオオカミの物である。

 おそるおそる振り返ったエゾオオカミの顔は今までに見た事もないものだった。

 その表情を何と評していいのか。

 いや、セルシコウは一度だけこんなエゾオオカミの表情を見た事があったはずだ。

 

「(そうだ……セルゲンブ様と戦った時はこんな顔してましたね)」

 

 セルシコウはようやくその正体に思い至っていた。

 早い話がこの場にエゾオオカミはあの時と同じ心境で現れたという事なのだろう。

 もしかしたら……。

 セルシコウは心の何処かで期待してしまう。

 エゾオオカミも一般の部で参加してくれる事を。

 そして、この舞台で戦える事を。

 が……。

 

「セルシコウ。俺は……。俺は中学生(かた)の部に出る」

 

 告げられたのは望みと反対の事だった。

 エゾオオカミの表情を見るに、決してそれを翻したりしないだろうと思える。

 

「そうですか……」

 

 セルシコウはその決定に異を唱える事は出来ない。

 エゾオオカミが一般の部に出場したところでセルシコウと戦える可能性すら殆どないのだ。

 落ち込むセルシコウにエゾオオカミは続けた。

 

「この大会が終わったら話したい事があるから少しだけ時間をくれ」

 

 セルシコウは頷くしか出来ない。

 それを確認したエゾオオカミは用事は済んだとばかりに踵を返した。

 試合開始前に一人集中する為だろう。

 だがセルシコウとしてはもう少し一緒にいたかったな、とか話しって何だろう? まさか絶交とか言われなければいいな、とか気になる事だらけだ。

 

「い、いけません……こんな事では……」

 

 気を引き締めようと深呼吸するセルシコウ。

 だが、いつもの平静は戻らなかった。

 そんなセルシコウを時間は待ってくれない。

 間もなく大会が始まろうとしていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「なあ、ヘビクイワシ」

「なんでありましょう? オウギワシ君」

 

 空手大会は滞りなく進行している。

 ヘビクイワシとオウギワシの出番はまだなので他の試合を観戦していた。

 今二人が見ているのは中学生(かた)の部である。

 

「エゾオオカミのやつ、上手くなったな」

「で、ありますな」

 

 そちらではちょうどエゾオオカミが(かた)を披露していた。

 今演武しているのは最も基本的な平安初段という(かた)だ。

 ちょうど夏休み前の中学生空手大会で披露した物と同じである。

 が、以前と今の演武は別物だ。

 

「以前は規定通りに(かた)をこなすだけで精一杯といった印象でありましたが、今は一つ一つの動きが流れるように繋がっております」

 

 ヘビクイワシから見たエゾオオカミの演武は劇的によくなっていた。

 もう少し突き詰めれば空手部主将のキンシコウと互角に渡り合えるとさえ思える。

 

「ああ。これだったら昇級試験とか受けた方がよさそうだ」

 

 未だ白帯とは思えないエゾオオカミの演武にオウギワシも上機嫌で頷く。

 これなら来年以降の空手部にも心強い味方が増えた。

 そんな上機嫌の友にヘビクイワシはニヤリとしつつ言う。

 

「それならエゾオオカミ君の頼みを聞き入れてもよいのではありませんか?」

「元々俺は断るつもりはない」

 

 同じ空手部の先輩という立場であるオウギワシはエゾオオカミから大会開始前にある事を頼まれていた。

 あまりにも真剣に頼みこんでくるものだから、ヘビクイワシも時間があれば手を貸してやろうかと思った程だ。

 

「これも愛の為せる技というやつでありますかな?」

 

 ヘビクイワシも噂程度には知っていた。最近エゾオオカミにいい人が出来て一緒に練習していたらしい事を。

 それでこんなにも大きく成長しようとしているのなら、それは素晴らしい事だ。

 もっとも、傍らのオウギワシは「あ、愛ッ!?」とそれだけで顔を赤くして事情を把握してなさそうだったが。

 そんな友に苦笑しつつヘビクイワシは呟く。

 

「本当に強い者とは心技体を兼ね備えた者であります」

 

 それはかつてイエイヌに強さとは何かと問われた時に返した言葉だ。

 心は身体を動かし、身体は技を繰り出す。どれが欠けても強さは得られないが、そのバランスは人それぞれだ。

 ヘビクイワシは今日この場で心を強く持っている者はエゾオオカミではないかと思える。

 その心があるならさらに身体を動かし技を高めるだろう。

 

「身体の方はあのフレンズもかなりのものでありますな」

「ああ……。あのマルタタイガーってフレンズだよな」

 

 オウギワシもヘビクイワシに同意する。

 一般女子組手の部にはマルタタイガーことルターも出場していた。

 その身体能力は群を抜いている。

 軽々と一回戦を勝ち抜いて見せた。

 

「で、あっちは流石キンシコウ先輩だぜ」

 

 オウギワシの目は別の試合へ移る。

 そこではキンシコウが相手の正拳を回し受けしてからの返し技で一本を決めていた。

 夏休み前よりもさらに技のキレが増している。

 それに何より気合の入り方が違うのだ。

 中学生空手大会で死線を潜り抜けた事と己の道を定めた事でさらに成長してみせたのだろう。

 

「ええ。キンシコウ先輩の心技体はこの場で誰より充実しているように思えますな」

 

 ヘビクイワシも頷く。

 心技体の総合力で言えばキンシコウは群を抜いていた。

 大人達に混じっているから体格などで不利な面はあるが、実力は周囲と比べても遜色ない。

 他にも色鳥警察署から一般女子組手の部代表として出場しているオオタカもいる。

 彼女はハクトウワシと同じセルリアン対策課へ転属になったらしい。

 今回は多忙のハクトウワシに代わって色鳥警察署女子の部代表に選出されたようだ。

 さらに、赤毛を後ろで短い三つ編みにして束ねた糸目の女性がやたら楽しそうに対戦相手を圧倒したりもしていた。

 

「あの辺りが優勝候補と言った辺りでありましょうか?」

「だな」

 

 ヘビクイワシに同意を返すオウギワシ。

 強者ひしめく一般女子組手の部ではあったが、二人には一つ心配事があった。

 それは……。

 

「しっかし……アイツ、どうしちまったんだ?」

「本当でありますな……。病気とかでなければよいのでありますが……」

 

 明らかに精細を欠いているセルシコウの事だった。

 心が曇れば身体が強張る。身体が強張れば技も鈍る。

 どうにか一回戦を勝ち抜いたようではあるが、全く楽しそうに見えない。

 以前の空手大会ではあんなに楽しそうにキンシコウと激闘を繰り広げたというのに。

 

「あとで声ぐらいかけてやるか?」

「それがいいでありましょう」

 

 昼休みに入ればセルシコウと話す機会も出てくるだろう。

 そう思った二人は気持ちを切り替える。

 もうすぐ中学生女子組手の部も始まろうとしているのだから他人の心配ばかりしているわけにはいかない。

 

「さて、そんじゃあ俺と当たるまで負けるなよ!」

「そちらこそ」

 

 オウギワシとヘビクイワシは軽く拳を合わせてからそれぞれの試合会場へと向かうのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 大会は順調に進行して行った。

 一回戦、二回戦と終わってここからは試合ペースも大分早くなる。

 キンシコウはもちろん勝ち残っていたし、ヘビクイワシもオウギワシも同様だ。

 そしてエゾオオカミも。

 今は昼休憩だ。

 ジャパリ女子中学校組で集まってお昼休憩中である。

 

「ふむ。セルシコウ君は?」

 

 ヘビクイワシは周囲を見渡して言う。

 セルシコウだけは学校が違うが満更知らない仲でもないし、お昼を一緒にと誘っていたのだが姿が見当たらない。

 

「あいつ、調子が悪そうだったからなぁ……」

 

 オウギワシの言葉にキンシコウとエゾオオカミは「そうなの!?」とばかりに驚いていた。

 二人はそれぞれ自分の試合に集中していた為、セルシコウの様子まで見ている余裕がなかったのだ。

 

「私が夏休み最終日に会った時には普通だったんですけど……」

 

 キンシコウが思案しつつ続ける。

 

「エゾオオカミさん。その後って何かあったりしました?」

 

 ヘビクイワシもオウギワシもエゾオオカミの方を見て話し始めるのを待った。

 

「あー……昨日も会ったけど、何かあったって言えばあった……んスかね」

 

 エゾオオカミは微妙な敬語で答えた。

 何とも歯切れの悪い物言いだが、セルシコウが東京へ引っ越ししてしまう事はまだ誰にも言わないように頼まれている。

 エゾオオカミはそれが不調の原因だろうと思っていたのだが、それをキンシコウ達に伝えるのが躊躇われた。

 ただ、心配する彼女達に何も言わないのもそれはそれで不義理な気もする。

 エゾオオカミはしばらく考えた後、こう切り出した。

 

「もしも……。もしもの話ッスよ。友達が急に遠くへ引っ越すってなったら……やっぱ動揺しちまうもんスかね」

 

 キンシコウもヘビクイワシもオウギワシも揃って顔を見合わせた。

 話の流れから急に遠くへ引っ越すのはセルシコウだと分かる。

 だとしたら、試合での不調も有り得ると思えた。

 それに、もう一つキンシコウが納得した事がある。

 

「なるほど。エゾオオカミさんが今朝あんな事を頼んで来たのにはそんな理由がありましたか」

 

 実はキンシコウとオウギワシは空手部の先輩としてエゾオオカミからある事を頼まれていた。

 その理由に合点が行ったのだ。

 それはヘビクイワシもその場にいたから知っている。

 

「だったらエゾオオカミ君。キミは今やらなくてはならない事がありましょう?」

 

 ヘビクイワシは感じていた。きっと今、セルシコウに響く言葉を掛けられるのはエゾオオカミであろう、と。

 だから、セルシコウを探しに行くべきだ、とも思う。

 

「けど……俺、何て言ったらいいか……」

 

 エゾオオカミはセルシコウの為に出来る事を考え、そしてするべき事を決めていた。

 けれども、まさかセルシコウが大好きな強者との手合わせを楽しめないくらいに思い悩んでいるとは考えていなかった。

 そんなセルシコウに何と言ったら慰める事が出来るのか分からない。

 

「けれど、好きなんでありましょう?」

 

 ヘビクイワシはエゾオオカミに問う。

 キンシコウもうんうん頷いていた。オウギワシだけは「そ、そうなの!?」とばかりに真っ赤になっていたが。

 対するエゾオオカミの反応は……

 

「え?」

 

 と何の事かわかっていない様子だった。

 

「「え?」」

 

 その反応にキンシコウとヘビクイワシも予想してた答えと違うなぁと不思議そうだった。

 一人、オウギワシだけが真っ赤な顔で何度もエゾオオカミとキンシコウ達を見比べている。

 

「いや、好きってそんなんじゃ……! そんなんじゃあ…………」

 

 ようやく我に返ったエゾオオカミが言おうとした。

 けれどそんなんじゃあない、とまで言い切れない。

 何が引っかかっているのか。

 エゾオオカミは考える。

 初めて会った時、セルシコウとは敵同士だった。

 むしろ歯牙にすらかけて貰えなかった。

 しかも再会した時には覚えられてすらいなかったし。

 けれどもそこから少しずつ仲良くなって、敵同士だけど友達同士にもなって、一緒に戦ったりもして一緒に遊んだりもして……。

 

『エゾオオカミ』

 

 エゾオオカミの胸中にセルシコウの顔が思い出された。

 セルシコウはエゾオオカミにとって、初めは敵同士だった。

 ついこの前まで敵同士だけど友達同士だった。

 最近は友達同士だ。

 そう。

 大切な友達だ。

 

「(大切って何で……?)」

 

 セルシコウはちょっとだけそそっかしい所もあるけれど、仲間想いのいいヤツだ。

 それだけじゃない。

 エゾオオカミは思い出す。

 昨日繋いだ手の暖かさと柔らかさを。

 別れ際に見たセルシコウの悲しそうな顔を。

 セルシコウにそんな顔をして欲しくない。

 彼女には側で笑っていて欲しい。

 それが一番彼女らしいから。

 

「あ……あれ……?」

 

 エゾオオカミは思い至った。思い至ってしまった。

 側で笑っていて欲しいって何で? と。

 その答えは一つしかない。

 

「も、もしかして……俺って……セルシコウの事好きだったりするんスか?」

「「いや、私達に訊かれても」」

 

 キンシコウとヘビクイワシは揃ってごもっともな答えを返した。

 だが、とヘビクイワシは気を取り直す。

 

「まぁ、噂で聞く限り、分かりやすいくらいにはお互い好意を抱いているものとばかり思っておりました」

「むしろもうお付き合いをしているものとばかり」

 

 キンシコウも苦笑する。

 若干聞き捨てならない事もあった気がしないでもないが、当のエゾオオカミはそれどころじゃなかった。

 口元を抑えて顔を真っ赤にし動揺していた。

 そうしていないと意味も分からず叫び出しそうだった。

 

「エゾオオカミッ!!」

 

 そんな動揺するエゾオオカミの両肩をガシリとオウギワシが掴んだ。

 無理にこちらを向かせるオウギワシ。

 

「先輩命令だ! 行け!!」

 

 行けってどこに? とは誰も問わなかった。

 エゾオオカミも含めて、彼女が今行かなくてはならない場所を理解していたからだ。

 即ち、セルシコウの所へ。

 

「好きなヤツを泣かすな! だから行け!」

 

 さっきまで恋バナ(?)にあわわわ状態になっていたオウギワシだったが、その言い分は今もっとも大切な事だと思えた。

 シンプルな叱咤にエゾオオカミも自分が何をしなくては行けないかを自覚する。

 

「はい!」

 

 エゾオオカミは立ち上がると駆け出した。

 何をどう言えばいいのかなんてわからないけれど、それでも今は行かなくてはならない。

 

「行ったか……」

 

 オウギワシはその背中を見送ってポツリと呟く。

 その後真っ赤になって両手で顔を覆った。

 どうやらオウギワシに恋バナは刺激が強かったらしい。

 それでも頑張った、とキンシコウもヘビクイワシもよしよしと頭を撫でてやるのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 セルシコウは独り、人気のない裏庭にいた。

 ついこの前、セルシコウは色鳥武道館で行われた音楽ライブイベントで護衛の仕事をした。

 その際に、目立たない死角になりそうな場所も知ったわけだ。

 まさかこんな形で役に立つなんて思わなかったが。

 

「はぁ……本当、何をやっているんでしょう」

 

 セルシコウは大きな溜め息を吐いた。

 どうにかセルシコウも勝ち残ってはいたけれど、どうにも集中出来ずにいつもの調子が出ない。

 これではキンシコウと当たる前に負けてしまうかもしれない。

 それに次の相手は顔見知りだ。

 始業式の日にも会ったマルタタイガーのフレンズ、ルターである。

 

「彼女……かなり強いんですよね」

 

 セルシコウは彼女の試合をチラリと見た。

 かなりの身体能力を持っているし、まだ本気を出しているわけでもないらしい。

 今、『アクセプター』の出力を最低に絞っている上に絶不調のセルシコウでは分が悪い。

 

「なんとか……なんとかしないとですよね」

 

 ただ、セルシコウにはその何とかするイメージがちっとも沸かない。

 八方塞がりだった。

 こんな時に思い出されるのは、あの未熟なオオカミのフレンズだ。

 

「来るわけないですよね」

 

 この裏庭は殆ど人気がない。

 セルシコウだって警備の仕事をしていなかったら気づかなかったくらいだ。

 わざわざこんな場所に逃げ込んでおきながら、エゾオオカミが来る事を期待するなんて矛盾している。

 

「それにこれは私の問題です。自分で何とかしなくては……」

 

 ともかく、集中力を取り戻すべくセルシコウは瞳を閉じた。

 が、胸のモヤモヤは全く晴れない。

 そこに……。

 

「やあ、レディ。こんなところで一人とはどうしたのかな? せっかくだ。ご一緒にお茶でもいかがかな?」

 

 と、声が掛けられた。

 

「あなたは確か……マルタタイガー」

「そうとも。ルターと呼んでくれたまえ」

 

 現れたのは青みがかった美しい毛並みを持つフレンズ、ルターであった。

 次にセルシコウが対戦する相手でもある。

 どうしてここに、と思うセルシコウ。

 

「そうだね。僕は獲物の隙を見逃すつもりはない、という事さ」

 

 ルターがここに現れた理由は、単純にセルシコウを狙って隙を伺っていたからだ。

 そう理由を説明しつつ彼女は“けものプラズム”を変化させていた空手道着をいつものブレザーとスカートに戻した。

 と同時にルターから殺気とも呼べる程の圧を叩きつけられる。

 

「一体どういう……!?」

 

 突然殺気を叩きつけてくる理由が分からず、セルシコウは叫んだ。

 

「理由も分からぬまま果てるのはキミも本意ではないだろうし、キミという獲物への敬意も欠ける」

 

 ルターの目は完全に獲物を狩る狩人の物だった。

 

「キミというセルリアンフレンズを贄として、僕は最愛のパートナーを取り戻す。だから大人しく狩られてくれたまえ!」

 

―ダンッ!

 

 一気に踏み込んで間合いを詰めて来るルター!

 

「(は、速いッ!?)」

 

 セルシコウはどうにか後ろへ跳んで最初の一撃をかわした。

 身体能力が高いと思っていたが、これはイエイヌやアムールトラと比べても勝るとも劣らない。

 つまり……。

 

「あなたも別な世界から来たフレンズという事ですか!?」

「そうとも」

 

 あっさりと肯定しつつルターは手指から猫科の鋭い爪を生やしてみせた。

 どうやら相手は本気であるらしい。

 

「ならば……!」

 

 相手が別世界からやって来たフレンズだというのならこのまま『アクセプター』の出力を抑えたままでは勝てない。

 

「『アクセプター』セット・メダルッ!」

 

 セルシコウの額にある『石』にスリットが現れる。

 

「カラテリアンッ!」

 

 そのスリットにセルシコウは『セルメダル』を投入する。

 と、空手道着が空中に解けるようにして消えて、代わりにレオタード姿のセルシコウが現れる。

 頭に付けた金冠は形を変えてバイザーつきのヘルメットに。

 最後に燕尾状の飾りが腰に巻き付いて変身完了だ。

 

「なるほど、クロスレンジャー・イエロー。和香さんのデータにあった通りだね。強そうだ」

 

 セルシコウがクロスレンジャー・イエローに変身したからには『アクセプター』の出力も元通り。

 つまり、ルターと互角になったと言っていい。むしろカラテリアンの『セルメダル』から力を借りているイエローの方が有利にすら思える。

 だが、ルターは余裕の表情を崩さない。

 

「ならばこちらも遠慮なく奥の手を切らせてもらおう!」

 

 ルターはブレザーのポケットから黄金色に輝くクリスタルがついた豪奢な香水瓶を取り出した。

 

「そ、それは!?」

 

 イエローはそれに見覚えがあった。

 何故ならそれはエゾオオカミの持つ変身アイテム『リンクパフューム』と同じ物だったのだから。

 

「コネクトフレグランスッ! メタモルフォーゼッ!!」

 

 動揺するイエローの前でルターは高らかに叫びつつ香水を振りかけて行く。

 両手、両足。

 吹きかける度にそこがサンドスターの輝きに包まれていく。

 そして……。

 

「変身した……!?」

 

 イエローが驚愕に目を見開く。

 そしてその輝きが晴れた時、そこにいたのは金色に似たオレンジの毛並みを持つフレンズだった。

 金色の髪は豪奢にロールを巻き、ブレザーはオレンジを基調としたものに変わっている。

 チェック柄のスカートも、ニーソックスも同じくオレンジ色を基調としたものだ。

 呆然とするイエローの前で変身を完了したルターが宣言する。

 

「ゴールデンタビータイガースタイルッ!」

 

 その姿はセルシコウにはわからない事ではあるが、ルターのパートナーであったゴールデンタビータイガーのルビーそっくりであった。

 

「ふふ。この綺麗な毛並みも懐かしいね」

 

 変身したルターは背中まである豪奢な巻き髪をいじってみる。

 

「ルビー……もうすぐだ。もうすぐキミに会える」

 

 その匂いに懐かしいものを感じつつもルターはイエローに向き直った。

 セルリアンフレンズを捕えればルビーの“メモリークリスタル”を解凍するまではあと一息なのだ。

 

「さて、待たせて悪かったね。改めて名乗ろう」

 

―ザッ

 

 ルターがただの一歩を踏み出しただけだというのに、あまりの圧にイエローは一歩を後退る。

 構う事なくルターはもう一歩を踏み出しつつ改めて名乗った。

 裏切りの意味を持つその名を。

 

「僕はダブルクロス。通りすがりの悪党さ」

 

 

 

―⑦へ続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』⑦

 

 

 色鳥武道館裏庭に烈風が吹き荒れる。

 それはダブルクロスへと変身したルターが放つ圧倒的な“けものプラズム”によって巻き起こされていた。

 

「くっ……!?」

 

 クロスレンジャー・イエローに変身したセルシコウですらも気圧されてしまう。

 だがダブルクロスはイエローの体勢が整うのを待ってはくれなかった。

 

「さて。では行くよ」

 

―ダンッ!

 

 ダブルクロスが地を蹴ったかと思ったら、次の瞬間にその姿は掻き消えていた。

 

「(どこに!?)」

 

 イエローは慌てて周囲を見渡す。

 彼女の本能はほんの一瞬であろうともダブルクロスから視線を逸らす事に警鐘を鳴らしていた。

 それなのに……

 

「ふぅん? これは手加減が難しいな」

 

 声は後ろから聞こえて来た。

 つまり、ほんの一瞬でダブルクロスはイエローの背後を取ったという事だ。

 

「なっ!?」

 

 驚き考えるよりも早く、イエローの身体は動いていた。

 背後のダブルクロスへ向けて渾身の回し蹴りを放ったのだ。

 

「おっと」

 

 が、その一撃はダブルクロスが軽く上げた腕でいとも簡単に止められてしまった。

 ダブルクロスはそのままイエローの足を掴むと……

 

「手加減はまだ苦手なんだ! どうか死なないでおくれよ!」

 

 そのまま彼女の身体をぶんぶん振り回し始めた!

 

「そぉらっ!」

 

 存分に振り回したところでダブルクロスはイエローを壁に向けて投げ放つ。

 

「がっ!?」

 

 あまりの力で振り回されたおかげでイエローのバランス感覚をもってしても受け身が間に合わなかった。

 背中から壁に叩きつけられたイエローの口から苦悶の息が漏れる。

 

「どうして……パワーもスピードも桁違いじゃないですか」

 

 壁に手をつきどうにか立ち上がるイエロー。

 お互いに変身した状態だというのにここまで差があるのは何故なのか。

 

「簡単さ。僕は僕自身の力とルビーの力を同時に使っているからね」

 

 ダブルクロスは『コネクトフレグランス』でゴールデンタビータイガーの“けものプラズム”をも上乗せして纏っている。

 つまり、単純に考えてもその力は二倍というわけだ。

 二倍のパワー。

 二倍のスピード。

 二倍の防御力。

 それを兼ね備えた敵。

 それがダブルクロスなのだ。

 

「もちろん簡単な事じゃあないよ。ルビーの“メモリークリスタル”と僕の相性が格段にいいからこそ出来た事さ」

 

 普通なら強すぎる“けものプラズム”はお互い反発しあって変身には至らない。

 だが、ルターとルビーはパートナー同士であった。

 だからこそ二人の力を上乗せしたダブルクロスへと変身出来たのだ。

 

「キミが簡単に壊れなくてよかった。もしもキミが壊れでもしたら予備の二人を使わざるを得ない」

「予備……?」

「そうさ。“メモリークリスタル”を解凍するにはキミ達セルリアンフレンズの身体とセルメダルを作り出す『コレクター』が必要なのさ」

 

 ダブルクロスとしてはこの場でセルシコウと『コレクター』の両方が手に入れば一番いい。

 けれど、クロスレンジャー・イエローを倒せば最低でも『コレクター』は手に入る。

 つまり予備というのは……

 

「オオセルザンコウとマセルカの事ですか……!」

 

 完全にイエローのスイッチが入った。

 この場で負ければオオセルザンコウとマセルカの二人に累が及ぶ。

 不調だとか何とか言っている場合ではなくなった。

 何としてでもこの場でダブルクロスという敵を倒さねばならない。

 

「チェンジメダルッ! チープロンッ!」

 

 イエローはもう一枚のメダルを取り出す。

 それをヘルメットに現れたスリットを通して『石』へと投入する。

 カラテリアンのセルメダルが排出されて、かわりにチープロンのメダルから力を借りるイエロー。

 チープロンは最速を誇ったセルリアンだ。

 そのメダルの効果はクロスレンジャー・イエローのスピードを高めてくれる。

 

「これならスピードくらいは互角とはいかないまでも引けを取りませんよ」

「試してみるかい?」

 

―ダンッ!

 

 再びダブルクロスがイエローへと躍りかかる。

 が……

 

「見えるっ!」

 

 その動きをイエローは捉えていた。

 ダブルクロスが繰り出して来る拳も十分に見える。

 

―パァンッ!

 

 見えていれば対処は出来る。

 ダブルクロスが放ったパンチをイエローは回し受けで力の流れを逸らした。

 いくら二倍のパワーでも、流れを逸らすくらいならイエローの技をもってすれば何とかなる。

 

「そこっ!」

 

 パンチを放った後のダブルクロスに隙が生まれた。

 ダブルクロスの身体が強すぎるパワーに流されて、無防備な脇腹を晒してしまったのだ。

 当然その隙を逃すイエローではない。

 さらに一歩を踏み込みダブルクロスへ密着しつつ拳をその脇腹へと押し当てる。

 

「せぇい!!」

 

 それはゼロ距離から放てるイエローが最も得意とする技の一つであった。

 寸打。寸勁。ワンインチパンチ。様々な呼び名があるが、その技は衝撃を透して防御の上からダメージを与える。

 つまり、いくら二倍の防御力といえどもこの技ならばダメージが入る!

 

「(透った!)」

 

 イエローは拳に伝わる手応えに確信した。

 相手の急所に十二分なダメージは入った事を。

 が……。

 

「やるね!」

 

 ダメージが入ったはずのダブルクロスは密着した状態のイエローを両腕で捕まえた。

 

「おおおおおっ!!!」

 

 ここがチャンスとばかりにダブルクロスはイエローを抱えたまま壁へ向けて突進する。

 

―ドゴォオオオオッ!!

 

 イエローは再び壁に叩きつけられた。

 今度はダブルクロスに捕らえられた状態だから受け身すら取れない。ダメージは甚大だった。

 

―シュウ……

 

 壁に叩きつけられたイエローの変身が解けて元のセルシコウへと姿が戻る。

 

「どうして……。寸勁が完全に入ったのに……」

 

 背中を強打して息も絶え絶えだがセルシコウは呟いた。

 おそらくしばらくの間まともに動く事すら難しい。

 

「なあに。これも簡単な事さ」

 

 言いつつダブルクロスも決着がついた事を悟って変身を解く。

 

「防御力が二倍なら当然耐久力だって二倍ある。今のパンチは中々効いたよ」

 

 つまり、ダメージは負ったが二倍の耐久力で耐え抜いたという事だ。

 イエローがカラテリアンからチープロンのセルメダルへ交換した事も災いした。

 カラテリアンの力を借りて空手技の威力を底上げした状態であれば攻めきれたかもしれない。

 だが、今となっては結果は見ての通りだ。

 ルターも変身を解除し姿を元に戻してから、セルシコウの懐を探る。

 まともに動く事が出来ないセルシコウに抗う事は出来ない。

 やがてルターは目的の物を見つけた。

 

「あった。これが『コレクター』だね」

 

 板状の薄い機械を奪い取り、ブレザーのポケットへ捩じ込むルター。

 

「さて。次はキミの番だ」

 

 あとはセルシコウの身柄を手に入れればそれでルビーの“メモリークリスタル”を解凍する準備は整う。

 

「しばらく眠っていてくれたまえ」

 

 ルターは動けないセルシコウの意識を刈り取るべく抜き手を構えた。

 が……。

 

―ガシリ

 

 その手が誰かに握られて止められた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ルターは握られた手を振り払いはしたものの、まずは様子見とそれ以上の追撃はしてこなかった。

 セルシコウは窮地を救った者の顔を見上げる。

 

「(どうして……)」

 

 背中を強打したせいで呼吸も整わずまともに声すら出せないが、その顔はハッキリ見えた。

 

「あー。まぁ……俺は探し物は得意なんだ。なんせ探偵だからな」

 

 それはエゾオオカミだった。

 どうしてこの場にいるのか、セルシコウは訳がわからなかった。

 けれどそれを嬉しいと思う反面、危険だ、とも思う。

 逃げろ、と言いたいが呼吸が整わず喋る事すら難しいセルシコウ。

 そんな彼女にエゾオオカミは言った。

 

「悪かったな、セルシコウ」

 

 何が? とセルシコウもルターも分からない。

 エゾオカミが謝るような事は一体何があったのか。そうセルシコウとルターが戸惑っているとエゾオオカミが続ける。

 

「いや、東京へ行っちまうセルシコウに何をしたらいいのか俺なりに考えてはいたんだ。けどさ、それを言うのって大会が終わってからの方がいいと思ってたんだ」

 

 セルシコウはまだ話が見えていない。

 だが今はそれどころではない。

 すぐにでも逃げれば犠牲はセルシコウだけでいい。

 だがエゾオオカミがルターの邪魔立てをするとあれば、ルターは躊躇なくエゾオオカミをその手に掛けるだろう。

 だからセルシコウは「(そんな事はいいから早く逃げて下さい!)」と思っていたが、強打した背中のダメージはそれを言葉にする事すら許してくれない。

 そんなセルシコウにエゾオオカミは片膝を付いて言った。

 

「なあ、セルシコウ。これからは練習量を二倍にしてくれ」

 

 でもって、とエゾオオカミは懐から手紙の形に折りたたんだ和紙を取り出す。

 そこにはやたら達筆で『果たし状』と書いてあった。

 実はエゾオオカミ。こう見えて書道だけは優秀だった。

 エゾオオカミはその果たし状を動けぬセルシコウの手に置く。

 

「それでさ。引っ越しする前に俺と試合してくれ」

 

 その言葉にセルシコウもようやくエゾオオカミが言いたい事を理解した。

 つまりこの果たし状はエゾオオカミがセルシコウの望みを叶えるまわりくどいラブレターともとれる。

 けど、そんな事をエゾオオカミがするものか、とセルシコウは驚愕の眼差しを送った。

 それを疑念と取ったのかエゾオオカミは慌てて言い募る。

 

「な、なんだよ。言っておくけどな。キンシコウ先輩とオウギワシ先輩にも頼み込んで部活で特訓だってしてもらうんだ。見とけよ。1週間でセルシコウに追いついてやるからな」

 

 エゾオオカミが大会前に空手部の先輩達へ頼み込んでいた事はそれだった。

 つまり、エゾオオカミはセルシコウと大舞台で戦う望みは捨ててギリギリまであがき続けて高みに手を伸ばす事を選んだのだ。

 一番大事なのは大舞台で白黒つける事じゃない。

 セルシコウが自らの手で育て上げた強者と心の底から満足できる試合をする事なのだ。

 

「(そうでしたね)」

 

 まだまともに声も出せないのに、セルシコウは感慨に耽る。

 今も昔も、エゾオオカミは本気でセルシコウ達セルリアンフレンズの事を考えてくれていた。

 セルシコウがエゾオオカミを鍛えると言い出した時に、エゾオオカミだけがオオセルザンコウとマセルカに累が及ぶ事を心配してくれたのだ。

 

「(エゾオオカミはそういう子でしたね)」

 

 その優しさにいつの間にか心を許してしまった。

 それに……

 セルシコウが次の想いに至る前にエゾオオカミは行動を起こしていた。

 即ち、立ち上がって振り返り、背中にセルシコウを庇ったのだ。

 その背中はかつてセルゲンブに立ち向かった時と同じだった。

 エゾオオカミにとって相手が強いかどうかは関係ない。

 セルシコウがピンチだったらどういうわけかエゾオオカミは必ず助けに来てくれた。

 セルシコウにとってエゾオオカミは紛れもなくヒーローなのだ。

 

「事情はよくわかんねーけどな……」

 

 エゾオオカミはギラリと視線でルターを射抜いた。

 ルターはその視線を受けても涼しい顔で言い返す。

 

「事情が分からないなら引っ込んでいてくれないかな。キミには関係のない事なんだから」

 

 ルターとしては『コレクター』を手に入れた今、セルシコウの身柄を手に入れる為ならばどんな犠牲だっていとわない。

 けれど、無駄な犠牲だって出したくはない。

 エゾオオカミが引いてくれるのならば見逃すつもりでいた。

 が、エゾオオカミはルターに向かって指を三本立てて突き付けて見せる。

 

「関係ない? そんなわけあるか」

 

 エゾオオカミは一本目の指を折って続ける。

 

「俺は探偵だ。探偵は依頼を受けたらそれを果たすもんだ。だからルター。お前を止めなきゃなんねえ」

 

 ルターは内心「(探偵……? 依頼……?)」とハテナマークを浮かべていたがそれをおくびにも出さず続きを待つ。

 エゾオオカミの立てた指はまだ二本残っていた。

 そのうちの中指を折って人差し指を残して続けるエゾオオカミ。

 

「それにセルシコウは友達だ。困ってるなら助ける。当たり前だろう」

「だが、その友達の為にキミは命を懸けられるというのかい?」

 

 ルターの問い掛けにエゾオオカミは最後に残った指を折り、ルターへ拳を突き付けて告げる。

 セルシコウの為に命を懸けるその理由を。

 

「惚れた女を守るのに命を懸ける理由がいるのかよ」

 

 しばし時間が止まった。

 ルターが言葉の意味を吟味し、理解した瞬間、顔が茹でダコのように沸騰した。

 まさかこんなところで他人の告白場面に遭遇するだなんて思っていなかった。しかもとびっきり情熱的なヤツに。なんならルターだって言われてみたい。

 で、当のセルシコウはといえば目を丸くしたまま固まっていた。

 今ばかりは背中の痛みすら忘れているようだ。

 ルターとしても出来る事ならその反応を待ってやりたい。

 だが……ルターは選んでしまったのだ。通りすがりの悪党となる道を。

 だから告白の結果を待つ事は選べない。

 

「いいだろう! エゾオオカミ君! 僕はキミを敵と認めた!」

 

―バッ!

 

 ルターは再びポケットからゴールデンタビータイガーの“メモリークリスタル”が付いた香水瓶『コネクトフレグランス』を取り出す。

 

「キミも狩ってやろう! 全力で! 愛しい人と同じところに送ってやるのがせめてもの情けというものだ!」

 

 対するエゾオオカミも懐からニホンオオカミの“メモリークリスタル”が付いた香水瓶『リンクパフューム』を取り出す。

 

「ごたくはいいんだよ。さっさとかかってこい」

 

 二人は睨み合い同時に動き出した。

 

「コネクトフレグランス……」

「リンクハート……」

 

 そして同時に叫ぶ!

 

「「メタモルフォーゼッ!!」」

 

 二人がそれぞれに香水を手、脚と振りかけていく度にそこがサンドスターの輝きに包まれる。

 やがて全身が輝きに包まれて、それが弾け飛ぶ。

 

「ゴールデンタビータイガースタイル!!」

「ニホンオオカミスタイルッ!!」

 

 そうして現れるのは、ルターの方が豪奢な巻き髪にオレンジのブレザーとチェックスカートのタブルクロスだ。

 対してエゾオオカミは茶色の長い髪に同じ色のブレザー、ピンクのチェックスカートのクロスアイズである。

 変身を果たした二人は示し合わせたようにずんずんと無造作に歩を進め間合いを詰める。

 やがて蹴りの距離を越えて、拳の距離、膝、肘の距離を詰めてもお互いに攻撃を繰り出す事なくさらに接近する。

 

―ピタリ

 

 ようやく互いの胸が触れ合うくらいの距離で歩みを止めると眼前の相手に向けて互いに視線でバチバチと火花を散らし合う。

 

「さて、改めて名乗ろうか。僕はダブルクロス。通りすがりの悪党さ」

「そうかよ。似合ってねーぜ」

 

 ダブルクロスにとってクロスアイズの名乗りは必要ではなかった。

 既に和香教授が別世界に送った研究データで彼女の事を知っていたのだから。

 もしもその通りならば、ハッキリ言って相手にならない。

 ダブルクロスの見立てでは、クロスアイズはこの世界のヒーロー達の中でも最弱だ。

 それにパワーもスピードもルター達が住んでいた世界における普通のフレンズと同じ程度なのだ。

 全てにおいてその二倍のパワーを誇るダブルクロスに敵うはずがない。

 

「ならば、会って早々で悪いけど……消えてもらおう!!」

 

 先に仕掛けたのはダブルクロスの方だった。

 

―ブンッ

 

 ダブルクロスは無造作に腕を横薙ぎに振るう。

 そのパワーだけでクロスアイズを吹き飛ばせるはずだった。

 が……。

 

―パァン!

 

 クロスアイズは相手の腕を下から跳ね上げた。

 ほんのわずかに軌道がそれたところへ身を屈めて懐へ深く潜り込む。

 

「せぇい!!」

 

 下から打ち上げるように放たれたクロスアイズの掌底を、ダブルクロスは身をのけ反らせてかわした。

 

「少しはやるようだね!」

 

 バク転を三回決めてダブルクロスは大きく距離を離す。

 セルシコウとしていた稽古は確実にクロスアイズの技を強化していた。

 今だって身体が勝手に動いてくれた。

 かつてのクロスアイズであれば最初の攻撃で簡単に吹き飛ばされていたに違いない。

 

「(これなら……!)」

 

 思いクロスアイズは構えなおす。

 突き出した左拳を前に、右拳を腰だめに。空手の基本となる左半身で腰を落とした構えだ。

 パワーもスピードも分が悪い。

 ならばクロスアイズが頼るのは技しかない。

 だが……。

 

―ダンッ!

 

 ダブルクロスが地を蹴ったとき、クロスアイズはあまりのスピードにその姿を見失ってしまった。

 

「技に頼るのなら、さっき戦ったクロスレンジャー・イエローの方がマシだったよ」

 

 声は耳元で聞こえた。

 驚き、そちらを振り返ろうとしたところでクロスアイズの目前にダブルクロスの拳が迫っていた。

 

「うぉっ!?」

 

 体勢を崩しながらも辛うじてその拳をかわすクロスアイズ。

 

「ほら。イエロー君であれば今の攻防で目ざとく反撃を捩じ込んできたはずだよ!」

 

 ダブルクロスは言いつつ無造作な蹴りを放って来る。

 体勢の崩れたクロスアイズではその一撃をかわせない。

 

―バキィ!

 

 辛うじて両手でガードしたものの、一撃でクロスアイズは壁際まで吹き飛ばされる。

 

「くっそ……! なんてパワーだよ……!」

 

 しびれる両腕を構う余裕はない。もう既にダブルクロスは追撃を仕掛けんと迫って来ているのだから。

 

「(このままやられっぱなしじゃあダメだ!)」

 

 このままでは勝機は見えない。

 無理をしてでも攻撃へ転じなくてはならない。

 クロスアイズは意を決する。

 

「おおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 気合の雄叫びを遠吠えがわりに必殺技である『天上ぶち抜きボイス』を発動させた。

 この技はクロスアイズの攻撃力を引き上げてくれる効果がある。

 その上でクロスアイズのもつ最大級の技をカウンターで叩き込めれば勝機があるかもしれない。

 そう考えたクロスアイズは両腕にサンドスターをかき集める。

 そこから放たれるのはクロスハートとクロスナイトの二人から見よう見まねで覚えた必殺技『ワンだふるアタック』だ。

 

「ワンだふるッ! アタァアアアアックッ!!」

 

 両手の掌を顎に見立てて放つ渾身の攻撃は、だがしかし……

 

「無駄だよ」

 

 必殺のはずの『ワンだふるアタック』はダブルクロスが無造作にあげた腕に阻まれ、オレンジ色のブレザーにほんの少しの皺を作ったに留まった。

 二倍の防御力がクロスアイズの牙を通さなかったのだ。

 

「さて……それじゃあ!」

 

 そこで攻防は終わらない。今度はダブルクロスの番だ。

 ダブルクロスはクロスアイズが突き出した両腕を捕まえた。

 

「そう簡単に壊れないでくれたまえよ!」

 

 そのまま二倍のパワーでもって振り回し壁へと叩きつけた!

 

「まだまだぁ!!」

 

 先程は横への振り回しだったが、今度は縦への振り回しだ。

 

―バキィイイッ!

 

 今度は地面に叩きつけられ、クロスアイズの口から「かはっ……」と空気が漏れる。

 

「ふぅ。ここまでかな?」

 

 地面に叩きつけられたクロスアイズは既に息も絶え絶えといった様子だった。

 これ以上の抵抗はしてこないだろうが、彼女はこの戦いに命を懸けると言っていた。

 それは口先ばかりの事ではないだろう。

 ならば、トドメを刺すのも武士の情けというものか。

 そう思ったダブルクロスは地面に倒れ動かないクロスアイズへ向けて脚を振り上げた。

 

「やめて下さい!」

 

 その声はセルシコウの物だった。

 ようやく呼吸が整ったセルシコウが静止の声をあげたのだ。

 

「あなたの狙いは私でしょう。あなたの言う事を聞きますから……だから……」

 

 まだセルシコウはまともに動く事は出来なかった。

 だからこの場でクロスアイズを助ける為には自身を犠牲にするしかない。

 その提案にダブルクロスは一度肩をすくめてみせてから、振り上げた足を戻した。

 

「まぁ、キミがそう言うのならそうしよう。命拾いしたね、クロスアイズ。せいぜいその命を大切にするがいい」

 

 ダブルクロスは踵を返してクロスアイズへ背を向けてセルシコウの方へ歩んでいく。

 

「(ちくしょう……!)」

 

 薄れゆく意識の中でクロスアイズはダブルクロスの背中を見ていた。

 セルシコウを守りたいというのに身体は言う事を聞かない。

 仮に立ち上がれたところで何が出来るというのか。

 クロスアイズはクロスハートのようにフォームチェンジによる多彩な戦術を取れるわけでもない。

 クロスシンフォニーだったらトリプルシルエットでダブルクロスと互角に渡り合ったはずだ。

 クロスナイトだったらその戦闘経験を活かして隙を見計らっただろう。

 クロスラピスのように機動力があるわけでもない。

 クロスラズリのように圧倒的な怪力があるわけでもない。

 それに、セルシコウに鍛えてもらったってその技は彼女に遠く及ばない。

 

「(ちくしょう……ッ!!)」

 

 クロスアイズには何もない。

 だから圧倒的な身体能力を持つダブルクロスを前に一人ではセルシコウを守る事すら出来ない。

 

「(これじゃあ……あの時と何にも変わってねぇじゃねえか!!)」

 

 かつて商店街にハチの化け物が現れたとき、エゾオオカミはクロスハートに助けられた。

 自分の住む商店街を守る為にエゾオオカミは何も出来なかった。

 そしてオオセルザンコウ達が商店街にセルリアンを出現させた時だって殆ど何も出来ずにいた。

 今だってこの様だ。

 だが、今この場には他のどのヒーローもいない。

 

「今……今やらなきゃダメなんだ……! なんか……なんかねーのか!?」

 

 それでも身体は言う事を聞いてくれない。

 もちろんクロスアイズに打てる手もない。

 クロスアイズの意識は闇に呑まれようとしていた。

 もう目を開けているのも辛くて、クロスアイズはとうとうその瞳を閉じてしまう。

 

『あるよ。何か』

 

 瞳を閉じた瞬間、クロスアイズの脳裏に声が響いた。

 初めて聞く声だが、不思議と馴染みがある気がする。

 それよりも今重要なのは、クロスアイズに出来る何かがあるという事だ。

 

「俺にまだ何か出来るのか……?」

『うんうん、いけるいける』

 

 謎の声が言うと、クロスアイズの閉じたまぶたの裏に三つの人影が見えた。

 一つはクロスナイト、一つはクロスラズリ、そしてもう一つはクロスレインボーの姿だった。

 

「なんだよ。この三人に助けてくれって頼めって事か?」 

『違う違う。もしかしたらなんだけどね。この三人に出来る事がエゾオオカミも出来るかもしれないの』

 

 クロスナイトとクロスラズリとクロスレインボーの三人に共通している何か……。

 一体何だ。

 考えてもクロスアイズには分からない。

 謎の声はしょうがないなあ、とでも言いたげに続ける。

 

『心を燃やすの』

 

 どういう事だ、とクロスアイズは訳が分からない。

 

『心を燃やして野性を解き放つの』

 

 つまりこの三人に共通する技は……

 

「野生解放……」

 

 クロスアイズも聞いた事がある。

 フレンズが己の野性を解き放ちけものの力を引き出す技の事を。

 だが……。

 

「出来るのかよ……俺に」

 

 こちらの世界に住むフレンズ達はヒトと長い時間を過ごし世代を重ねて来た。

 その中でけものとしての本能は薄らぎ、ヒトと仲良く暮らせるようになった代わりにけものとしての力を失っている。

 つまりだ。

 こちらの世界で生まれ育ったエゾオオカミが野生解放を使う事なんて出来やしない。

 エゾオオカミいがいでもこの世界に住むフレンズの誰も野生解放を出来る者はいないだろう。

 

『出来るよ。だってわたし見てたよ。エゾオオカミが頑張ってるの。ずっとずっと見てた』

 

 謎の声はさらに続けた。それに……と。

 

『出来るかどうかじゃないよ』

 

 それにクロスアイズも思い直す。

 そうだ……。

 

「やるしかねーんだ!」

 

 今やらなかったら今日まで積み重ねて来たクロスアイズとしての矜持を失う。

 それに何よりセルシコウを失う。

 

「やるしかねーんだぁっ!!」

 

 クロスアイズは痛みに悲鳴をあげる身体を無視して膝を立て身を起こす。

 

『そうそう。これで勝てたら今日のご飯はマヨネーズ大盛ね』

 

 それを最後にクロスアイズの脳裏に謎の声は聞こえなくなった。

 だが、さっきまで話してたのが誰なのかをクロスアイズは理解した。

 そして、和香教授がどうしてルターに『コネクトフレグランス』を作ったのかも。

 だから決して負けるわけにはいかなくなった。

 ここで負ければルターだって本当の悪党になってしまう。

 

「(立ち上がれ……!)」

 

 だからクロスアイズは痛みを無視して立ち上がった。

 立っているのですらようやくだが立たねばならない。

 

「エゾオオカミ! いいから寝ていなさい!」

 

 セルシコウが叫ぶが、それは聞けない。

 ダブルクロスも肩ごしに振り返った。

 そして、クロスアイズの瞳を見て驚きに目を見開く。

 

―バチッ!

 

 クロスアイズの瞳に火花が散ったのだ。

 それは野生解放の炎が灯る前兆だ。

 それより何より、ダブルクロスの本能が危険を告げている。

 先程クロスレンジャー・イエローと対峙した時にすら感じなかった危険をだ。

 

「行くぜ……」

 

―バチバチッ!

 

 ルターを本当の悪党にしたくないと願う心に。ヒーローになりたいと願う心に。そして何よりセルシコウを守りたいと願う心に燃料をくべる。

 クロスアイズの瞳にさらに激しく火花が散った。

 身体能力ではダブルクロスに遠く及ばない。

 技ではクロスレンジャー・イエローに遠く及ばない。

 それでも、それでも心だけは負けない。

 

「野生……ッ!」

 

 クロスアイズは叫ぶ。

 

「解放ッ!!」

 

―ボッ!!

 

 とうとう火花は炎となった。

 クロスアイズの両目に灰色の炎が灯る。

 さらにその姿が変化していた。

 茶色のブレザーは灰色のジャケットに。肘から先が黄色の布で継ぎ足されたようになっている。

 さらにチェック柄はそのままだが、ピンクを基調としたものから灰色を基調としたものに。

 長かった茶色い髪は短い灰色のものに。

 そして、何より、その顔は普段のエゾオオカミそのものだった。

 初めて見る現象にダブルクロスは驚愕の声をあげた。

 

「な……どういう事だい……!? キミは一体何なんだい!?」

「とっくにご存知だろうが」

 

 しかし野生解放を果たした彼女は静かに告げた。

 誇り高きヒーローの名を。

 

「クロスアイズ。通りすがりの正義の味方だ」

 

 

―⑧へ続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話『木の実探偵の事件簿』⑧

 

 

 クロスアイズの姿が変わっていた。

 灰色の短い髪に灰色のジャケット。灰色を基調としたチェックのミニスカート。ジャケットの肘から先が黄色に彩られている。

 クロスアイズ自身にはわからない事だったが、それはエゾオオカミというフレンズが本来している姿であった。

 つまり、今のクロスアイズはニホンオオカミスタイルではなく……

 

「エゾオオカミスタイル……というわけか」

 

 と、ダブルクロスが驚愕の呟きを漏らす。

 

「だが、見掛け倒しなら意味はないよ!」

 

―ダンッ!

 

 ダブルクロスが再び普通のフレンズの二倍のスピードで踏み込んだ。

 そのままクロスアイズへ掴みかかる。

 ダブルクロスのパワーは通常の二倍だ。

 多少のパワーアップをしたところで簡単に捻じ伏せられる……はずだった。

 

―ガシッ!!

 

 掴みかかって来るダブルクロスの手をクロスアイズの手が掴んでいた。

 

「くっ!」

 

 ダブルクロスはさらに逆の腕で掴みかかって来る。

 そちらの腕もクロスアイズは同じように正面から掴んで迎撃した。

 ちょうどお互いに両手を掴み合った力比べの格好となる。

 驚きはしたがダブルクロスとしては望む展開だ。

 単純な力比べだけなら相手に怪我をさせる心配なく本気を出せる。

 

「おおおおおっ!!」

 

 雄たけびと共にダブルクロスは全力でクロスアイズを捻じ伏せにかかった。

 が……。

 

「そっちがダブル(二人)ならこっちだってダブル(二人)だ!!」

 

 クロスアイズは真正面から受け止めていた。

 

「その力……! 野生解放の力だけじゃないね……!」

 

 ダブルクロスの見立てでは、パワーは互角だった。

 普通のフレンズが野生解放をしただけならこうはならない。

 エゾオオカミ本人が野生解放した事により、ニホンオオカミの“けものプラズム”とエゾオオカミの“けものプラズム”を同時に纏っているわけだ。

 つまり理屈の上ではクロスアイズ・エゾオオカミスタイルとダブルクロスは全く同じ事をしている。

 なので、クロスアイズとダブルクロスは互角のスペックを持っていると言っていい。

 この力比べも互いに互角なのだからどちらかが押し切る事もない。

 

―バッ!

 

 示し合わせたようにクロスアイズとダブルクロスは一旦離れて距離を取る。

 クロスアイズはダブルクロスと互角に渡り合って見せた。

 だが……。

 

「どうやら本当に遠慮はいらないようだね」

 

 ダブルクロスがはじめて構えを取った。

 実はダブルクロスは今まで手心を加えていた。

 本来壁や地面に獲物を叩きつけるような戦い方はイヌ科のそれだ。

 猫科の戦い方は一撃必殺が信条である。

 その戦い方を控えていた理由は二つ。

 一つはセルシコウを生け捕りにする為。

 そしてもう一つは可能な限り無駄な犠牲を出さない為だった。

 

「ここからは本気だ。せめて天国へ行ける事を祈るよ」

 

 ダブルクロスはクロスアイズという強敵を前にしてとうとう最後の覚悟を決めた。

 エゾオオカミという何の罪もないフレンズをその手に掛ける事を。

 即ち本当に引き返せない場所へ踏み出す事を。

 

「させねーよ」

 

 対するクロスアイズは先程と同じく空手の基本となる中段の構えをとった。

 

―ヒュウ……

 

 対峙する二人の間に風が吹いた。

 と同時、互いに踏み込む!

 

「覚悟したまえ!」

 

 ダブルクロスはサンドスターをかき集めた鋭い爪で斬撃を繰り出して来る。

 必殺のはずの斬撃はだがしかし……

 

―ガッ

 

 クロスアイズの払い受けで見事に受け流されていた。

 

「言っただろ? させねーって!」

 

 クロスアイズは流れるように正拳突きを繰り出す!

 彼女の拳は身体の流れたダブルクロスを捉えた。

 数歩たたらを踏んで後退するダブルクロス。

 クロスアイズの攻撃はダブルクロスの二倍の防御力をも越えてダメージを与えている。

 

「まだまだぁ!!」

 

 クロスアイズは後退したダブルクロスへ向けて踏み込み間合いを詰める。

 そこから再び正拳突き!

 

「ぐっ!?」

 

 直撃を受けたものの、今度はダブルクロスも喰らったままではいない。

 猫科の鋭い爪で反撃を繰り出して来る!

 が……。

 

―パァン!

 

 ダブルクロスの反撃は、クロスアイズの回し受けで受け流される。

 そして、クロスアイズは受けては突く。

 相手が下がれば踏み込んで突く。

 相手が踏み込んで来れば足捌きでいなして突く。

 空手の(かた)通りの動きでクロスアイズは次々に拳を叩き込む!

 何度目かの攻防でダブルクロスはたまらずに大きく後ろへ跳び退り距離を開けた。

 

「セルシコウに比べたら付け焼刃なんだろうけどな……」

 

 クロスアイズは残心から油断なく構えなおして続ける。

 

「付け焼刃でも刃は刃だ。お前に届くならそれで十分だぜ」

 

 クロスアイズはその心でもって野生解放を果たし、身体を強化してきた。

 そしてセルシコウと共に鍛えた技を最大限に活かしてダブルクロスを追い詰めている。

 心技体全てを兼ね備えて悪党の前に立ちはだかる。

 それこそが今のクロスアイズという正義の味方(ヒーロー)だった。

 

「確かにキミは強いよ。けれど……僕だって負けられない理由がある!!」

 

 ダブルクロスはまだ諦めていなかった。

 諦められるはずがない。

 この戦いにはルビーの復活がかかっているのだ。

 その瞳にバチバチと火花が散り始める。

 それは先程クロスアイズがやった事と同じだ。

 即ち……

 

「野生……解放ッ!!」

 

 である。

 ダブルクロスの瞳に青色の炎が灯った。

 ルターはセルリアンのいる別世界で激しい戦いを生き抜いてきたフレンズだ。

 当然野生解放だって出来る。

 そしてダブルクロスが野生解放したという事は、野生解放してようやく互角になったクロスアイズを身体能力面で再び大きく突き放した事になる。

 

「(こりゃあやべえな)」

 

 引き上げられた圧にクロスアイズの頬から一筋の汗が流れ落ちた。

 野生解放したダブルクロスが叩きつけてくる殺気もそれだけで吹き飛ばされそうな程だ。

 それに加えて、野生解放を先に使ったクロスアイズにはもう一つ問題があった。

 初めて野生解放を使ったクロスアイズは既にサンドスター切れが近い。

 そもそも野性が薄まったこちらの世界に住むフレンズであるエゾオオカミが野生解放した事だって奇跡に近いのだ。

 その奇跡だってあと一回の攻防を果たせるかどうか。

 

「(けどなぁ! 根性勝負だったら負けねーぞ!!)」

 

 クロスアイズが初めて野生解放を果たしたように、ダブルクロスだって『コネクトフレグランス』で変身するのは初めてだ。

 二人とも無理に無理を重ねているのは一緒だ。

 自分が苦しいなら相手も苦しい。

 最後に勝つのはより心が強い方だ。

 

「(とはいえ……また開けられた差を何とかしねーと)」

 

 野生解放を果たしたダブルクロスは圧倒的だ。

 セルシコウ程の技を持っていない以上、何とかして身体能力の差を埋めない事にはクロスアイズに勝ち目はない。

 

「(なんか……なんかねーのか!?)」

 

 せっかくここまで来たのだ。

 絶対に負けられないのだ。

 クロスアイズはなりふり構わず勝てる手段を模索する。

 その脳裏にやはり声が響いた。

 

『あるよ。なにか』

 

 その声は先程同じ事を告げたものと一緒だった。

 クロスアイズの背後に一人のフレンズの雰囲気がする。

 そして、その匂いは何度も嗅いできた『リンクパフューム』の香水と同じだった。

 背後のフレンズが耳元に囁く。

 

『あっちはさ、あんまり群れないトラ系の動物だけど、私達はオオカミだよ? 群れの力はこっちの方が上』

「なるほどな……あっちの1+1は20くらいありそうだけどよ……」

『私達は1+1で200だよ、200!!」

「10倍だな!」

『10倍だよ!』

 

 謎の声が何を言いたいのかクロスアイズは理解した。

 

「なら行くぜ! ニホッ(・・・)!」

『合点承知!!』

 

 クロスアイズは天へ向けて吠え猛った。

 

『「あぁおおおおおおおおおおんっ!!」』

 

 イヌ科のフレンズであるクロスアイズは遠吠えによって身体能力を引き上げる技が使える。

 仲間と共に吠え猛るのならばその効果はさらに増す。

 イヌ科という群れを作る動物の習性であった。

 これをクロスアイズは以前にクロスハートとクロスナイトに教わっている。

 今はエゾオオカミ自身と、彼女に力を貸すニホンオオカミ二人での遠吠えだ。

 これがクロスアイズ・エゾオオカミフォームでの必殺技、『月下咆哮』である。

 

「これでまた互角だぜ」

「試してみるかい?」

「来いよ」

 

 クロスアイズは伸ばした手で自らへ掌をクイと向ける。

 それはセルシコウがよくやる挑発でもあった。

 

「ならば行こう!!」

 

 ダブルクロスが両手の爪を長く伸ばした。

 と当時に彼女の放つ“けものプラズム”が周囲に吹き荒れる。

 その圧倒的な“けものプラズム”は周囲を青と黄色の薔薇で出来た花畑へと変えた。

 

「必殺……ッ!! 百花繚乱ッ!!」

 

―ザンッ!

 

 ダブルクロスが踏み込むと同時、青と黄色の薔薇が一斉に花びらを巻き上げた。

 それは花の嵐となってクロスアイズの視界を奪う。

 しかも花の香りで嗅覚すら封じられてしまった。

 これでは必殺の斬撃がどこから振るわれるのか全くわからない。

 

「(こっちもこっちでやれる事をやるしかねぇ!)」

 

 クロスアイズは腰だめに拳を構える。

 今なら。

 今の限界まで引き上げた身体能力なら出来そうな事があった。

 

「必殺……ッ! 漫画で見たヤツ!!!」

 

 クロスアイズは思い切り虚空へ向かって正拳突きを放った!

 

「遠いッ!?」

 

 ここまでの攻防を見守っていたセルシコウからは、その一撃が明らかに間合いの外だと見えた。

 つまりクロスアイズの攻撃は空振りに終わってしまうはずだ。

 が……。

 

―スパァアアン!!

 

 クロスアイズが放った正拳突きは空気を切り裂き、花の嵐を突き破って、そして必殺技の体勢に入っていたダブルクロスを打ち据えた。

 セルシコウはあまりの事に目を丸くする。

 クロスアイズは極限まで高めた身体能力で音速を越える拳を放ったのだ。

 その生み出す衝撃波が花の嵐を吹き散らし、その先にいたダブルクロスを打った。

 この技をセルシコウは話だけなら聞いた事がある。

 それは武の極致ともいうべき技の一つ……

 

「遠当て……!?」

 

 ……である。

 セルシコウは驚愕した。

 実際にその技を目にしたのは初めてだったのだから。

 だが、それよりも今重要なのはダブルクロスが衝撃波に打たれて体勢を崩した事だ。

 即ち千載一遇にして最後のチャンスである。

 セルシコウは叫ぶ。

 ヒーローに向けて。

 

「やっちゃいなさい! クロスアイズッ!!」

「おぉおおおおおおっ!!」

 

 クロスアイズは雄叫びで答えて間合いを詰め、大きく拳を振りかぶる。

 対するダブルクロスは崩れた体勢で驚愕に目を見開くだけだった。

 

「歯ぁ食いしばりやがれ! 悪党ッ!!!」

 

 形振り構わぬ全力の拳がダブルクロスの横っ面に吸い込まれた。

 そのままあらんかぎりの力を込めて振り抜く!

 

―ダァン!!

 

 あまりの勢いに、ダブルクロスの身体が地面に一度叩きつけられてバウンドした。

 

―シュウゥウ……

 

 地面に倒れ伏したダブルクロスの姿が元のルターへと戻った。

 ルターの様子を見るに、変身も解除されてもう立ち上がる気力すら残っていないようだ。

 つまり勝負あったのだ。

 

「くっ…………殺せ」

 

 どうにか転がって仰向けになると、ルターは開口一番言った。

 対するクロスアイズは変身を解除する。

 もっとも今日はエゾオオカミスタイルだったわけだから、単に元々着ていた空手道着姿に戻っただけであるが。

 変身解除したエゾオオカミは答えた。

 

「……そのセリフ。漫画以外で言ったヤツ初めて見たぜ」

 

 若干呆れ気味で。

 

「なっ……!? わかっているのかい!? 確かに僕の負けだ! だけど、僕は諦めたわけじゃない! ルビーを取り戻すまで何度でもセルリアンフレンズ君達を付け狙うぞ!」

 

 確かにこの場ではルターを撃退出来た。

 けれど彼女の言う通り、何も解決したわけではない。

 ルターが生きている限り、彼女はルビーという最愛のパートナーを取り戻すべくありとあらゆる手段を取るだろう。

 それを止めたいならば、ルターの言う通り彼女にトドメを刺す以外にない。

 エゾオオカミは答えの代わりにルターの側にしゃがみ込むと……。

 

「てい」

「いたたっ!?」

 

 早速腫れ上がりはじめたルターの頬をつっついた。

 

「ていてい」

「痛い!? 痛いからとりあえずやめてくれるかな!?」

 

 エゾオオカミが続けてほっぺたを連打でつつくのでルターは思わず悲鳴をあげた。

 どうしてそんな事をするのか分からずにルターはエゾオオカミを見上げる。

 その視線を受けてエゾオオカミは答えた。

 

「あのなあ、ルター。お前、『コネクトフレグランス』を使っただろう?」

「あ、ああ」

「って事はお前の望みはもう殆ど叶ってるはずだぜ」

 

 エゾオオカミが何を言っているのかわからずにルビーは「?」マークを浮かべる。

 それに対してエゾオオカミは何もない虚空を指さすと……。

 

「ちなみに、ニホのヤツがこの辺りにいる」

『やっほー、ルター。ルビー。久しぶりー』

 

 エゾオオカミの目にはニホンオオオカミがルターに向けて手を振っているのが見えていた。

 だが、どうやらルターにもセルシコウにもニホンオオカミの姿は見えていないようで戸惑い、若干引いてすらいた。

 

「す、すまない……。まさか打ちどころが悪かったのか……」

「いや、そういうんじゃねーよ!?」

 

 よほど打ちどころが悪かったと思ったルターは思わず謝っていたが、エゾオオカミも即座にツッコミを入れた。

 

「っていうかな!? 俺ですらニホの姿が見えてるんだから、お前だって“メモリークリスタル”のフレンズが見えるだろーが!?」

 

 今回、二人とも『リンクパフューム』と『コネクトフレグランス』の限界性能を引き出した。

 その副産物として、エゾオオカミはニホンオオカミの姿を見る事が出来るようになったわけだ。

 もっとも、ニホンオオカミの姿が見えて声が聞けるのは『リンクパフューム』を使っているエゾオオカミだけのようだが。

 だが、ルターには今のところルビーの姿は見えていない。

 

「とりあえず、よーっく見てみろよ。お前ら仲良しだったんだろ? だったら絶対見えるはずだぜ」

 

 エゾオオカミに言われてルターは仰向けになったまま目を凝らしてみる。

 

―ニュッ

 

 その視線を塞ぐように、ハニーブロンドの巻き髪をしたフレンズが顔を出した。

 見間違えようもない。

 彼女こそがルターのパートナーであったフレンズ……

 

「る、ルビー……」

 

 である。

 ルビーは両手を腰にあてて何やら怒っているようだった。

 

『ようやく声が届きましたのね? わたくし、ずぅううううううっと呼んでましたのよ?』

「ルビーなのかい?」

『わたくし以外の何に見えまして?』

 

 なんだか不機嫌そうだが、それでもずっと会いたかったルビーとの再会だ。

 いざ果たしてみると、何を言っていいのかわからないルターである。

 その様子を見てエゾオオカミも安心したように言う。

 

「とりあえず、一発思いっきりぶん殴って目を覚ましてやったら、お前も“メモリークリスタル”のフレンズが見えるようになるんじゃねーかと思ったぜ」

 

 本当に正しいかどうかは賭けだったが、どうにかエゾオオカミは探偵としての面目を保つ事が出来たらしい。

 

「あとは教授に任せておけよ。あの人、女ったらしで家事とかはダメダメだけど、研究だけはちゃんとするから」

 

 今はニホンオオカミもルビーも話せる人が一人しかいない状態だが、それもそのうち和香教授が何とかしてくれるに違いない。

 だから、これで一件落着なのだ。

 

『いいえ! 全然終わっていませんわよ!』

 

 ルターの目の前でルビーがぷんすか怒っていた。

 

『ルターさん! まずはエゾオオカミさんとセルシコウさんにちゃんと謝るのですわ!』

「そうだね。ルビーの言う通りだ。エゾオオカミくん。セルシコウくん。……ごめんなさい」

 

 本当なら正座して頭を下げたいところだったが、今はまともに身を起こす事すら難しい。

 だが、ルターはルビーに再び会うという目標を果たせたいま、無理に他者を害するような事をしなくていいのだ。

 そして、エゾオオカミが言う通り、ルビーの完全復活だっていつか和香教授が何とかしてくれるに違いない。

 だから二人に許されるのであれば、ルターは引き返せるのだ。

 

「まぁ、俺はセルシコウがいいならそれでいいぜ」

「わ、私もオオセルザンコウとマセルカに何もしないのだったら、それで……」

 

 エゾオオカミとセルシコウはお互いに顔を見合わせる。

 二人とも別にルターに恨みがあるわけでもないので謝ってもうしないというならそれでよかった。

 それどころか……

 

「あの、エゾオオカミ……? さすがにこれはやり過ぎだったのでは……」

「ああ。せっかくのイケメンが台無しだもんな……」

 

 と二人してルターの顔を見てヒソヒソしている。

 思い切り殴られたルターの頬が盛大に腫れ上がってしまっていた。

 

『ルター、変な顔ー!』

『ええ。ルターさんへのお仕置きとしてはちょうどいいかもしれませんわね』

 

 傍らでニホンオオカミとルビーも笑っていた。

 もっともその姿を見れるのは限られた人物だけだったが。

 エゾオオカミも自分がやった事とはいえ、イケメンであるルターの頬が大きく真っ赤に腫れ上がっているのに苦笑してしまう。

 

「まぁさ。ルターにその顔は似合わねーけどさ。悪党はもっと似合わねーよ」

 

 エゾオオカミがそう言うのなら、とセルシコウも頷いた。

 これで今度こそ一件落着である。

 ルターは2度の変身に加えて野生解放まで上乗せした上にこのダメージだ。さらに緊張の糸が切れたのか気を失ってしまった。

 エゾオオカミとセルシコウにはルビーの姿を見る事は出来ないが、きっとルターの側に付き添っている事だろう。

 それを確認したエゾオオカミはその場で大の字になって倒れた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 慌てて訊ねるセルシコウにエゾオオカミは顔だけをそちらに向けて答える。

 

「あんまり……だいじょばない……」

 

 こちらもこちらで緊張の糸が完全に切れた。

 そうなると襲って来るのはとんでもない疲労感だ。

 なんせエゾオオカミは本来出来るはずもない野生解放を使った上に、ニホンオオカミの力までも上乗せした。

 もう指一本動かせる気がしない。

 昼休みも終わりだから空手大会も再開しているはずであるが、のびているルターはもちろん、エゾオオカミも、そしてセルシコウもとても午後は参加出来そうにない。

 

「まぁ、仕方ありません。午後からの3回戦は揃って棄権ですね」

 

 セルシコウとしてもキンシコウとの決着をつける機会を失ったわけだが、命があっただけ有難いくらいの状況だったのだ。

 彼女の命を守ってくれたのはそこで動けなくなっているエゾオオカミというヒーローだ。

 それにしても、エゾオオカミは随分と情熱的な事を言っていたような気がする。

 

『惚れた女を守るのに命を懸ける理由がいるのかよ』

 

 エゾオオカミのセリフを思い出して思い切り顔を赤くするセルシコウ。

 あれは何かの勘違いだ。

 エゾオオカミがそんな事を言い出すとはとても思えない。

 だからその真意を問い質したら、いつものようにセルシコウが「そういうところですよ」と文句を言って、エゾオオカミから「だからどーいうところだよ」と返ってくるに違いないのだ。

 二人きりになって時間も余ってしまったいま、このまま微妙な空気のままでいるよりはさっさといつものように戻ってしまった方がいい。

 そう思ったセルシコウは寝転がったままのエゾオオカミに訊ねる。

 

「あ、あの。エゾオオカミ? さっきのは……その……」

「あー。あれか?」

 

 セルシコウがゴニョゴニョと「さっきの」が何を指し示すのか説明したので、エゾオオカミにもちゃんと伝わっているはずだ。

 エゾオオカミはしばらく視線を外してから、セルシコウの方へ顔を向ける。

 

「セルシコウ」

「はい」

 

 エゾオオカミがやたら真剣な顔つきをしているが、どんな勘違いがその口から飛び出すものかとセルシコウは身構えていた。

 そしてセルシコウが「そういうところですよ」と言ったら、やっぱりわかっていないエゾオオカミは「だからどーいうところだよ」と返してくるに違いない。

 エゾオオカミの答えはただ一言。

 

「好きだ」

 

 だった。

 しばらく時間が止まったように硬直するセルシコウ。

 見えていないとはいえ、隅っこに隠れて見守っていたルビーとニホンオオカミも同様だった。

 反応がなくて困ったエゾオオカミは続ける。

 

「だってよ。セルシコウはめちゃくちゃ強いし、料理もめちゃくちゃ美味いし、でもって仲間想いな上になんだかんだで面倒見もいいだろ? だから……」

 

 思わぬ連打にセルシコウの顔はどんどん赤くなっていく。

 これは勘違いで逃げられそうにない。

 何と返したものかと思い悩む間にエゾオオカミはさらに続けた。

 

「とりあえずさ。引っ越し前に試合してくれよ。俺が勝ったらセルシコウをいつか東京まで迎えに行く」

 

 セルシコウに勝てるならきっと何だって出来る。

 エゾオオカミとしてはそう思っていた。

 だからすぐには無理でも、いつかセルシコウを迎えに行く踏ん切りがつく。

 そう思っていた。

 だが、セルシコウの返事は……。

 

「あの……それ、私が勝ってもいい事が何にもないんですが……」

 

 と若干戸惑ったものだった。

 失敗したか!?と焦るエゾオオカミにセルシコウは苦笑と共に言う。

 

「初めてですよ? 私が戦う前から負けた相手は。後にも先にも今回だけです」

 

 セルシコウが負けさえすればエゾオオカミはいつか東京まで迎えに来てくれる。

 もうセルシコウには負ける理由はあれど、勝つ理由が一つもなかった。

 それを一言で言い表すなら……

 

「惚れた弱み、ですね」

 

 ……という事である。

 これ以上言い募らずともお互いに気持ちは通じていた。

 セルシコウが自分の手をエゾオオカミの手に乗せると、握り返して来る。

 全ての務めを果たしたエゾオオカミは安心したように気を失った。

 その寝顔を見てセルシコウは呟く。

 

「もう。エゾオオカミ。そういうところですよ」

 

 返事はなかったが、セルシコウは頑張ってくれたヒーローの頭を優しく撫でて労うのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 夕暮れ時。

 もう空手大会はすっかり終わってしまった。

 結局、三人とも午後からは体調不良で棄権という事にした。

 大会が終わるまで休んでようやくいくらか身体を動かせる程度に回復したエゾオオカミ。

 ルターの方はまだダメージが深刻なようで一人で歩くのが覚束ないようだった。

 なので、とりあえずルターを和香教授のところへ送り届けないといけない。

 

『ルターさん……。すっかりお邪魔虫ですわね』

「わかっているから言わないでおくれ……」

 

 ルビーに言われて憮然と返すルター。

 いま、ルターは両側からエゾオオカミとセルシコウに肩を貸されてようやく歩いている状態だった。

 告白叶った出来たてカップルの間に挟まっているルターの心境は針のムシロに座っている気分だ。

 いたたまれなくてルターは……

 

「……ごめんなさい……」

 

 ……しか言えない。

 散々聞かされたエゾオオカミはとりあえず話題を変える事にした。

 

「にしても、エゾオオカミスタイルは封印だな」

 

 なんで!?

 とセルシコウもルターもエゾオオカミを見る。

 ダブルクロスにも匹敵する身体能力を見せた切り札をどうして封印してしまうというのか。

 

「いやー、これ使うとめちゃくちゃ疲れるし、身体じゅう痛いし……あと……」

 

 あと? と続く言葉を待つセルシコウとルター。

 

「正体バレるし」

 

 確かにクロスアイズ・エゾオオカミスタイルの顔は普段のエゾオオカミそのものだ。

 さすがにその姿で人前に出たら大騒ぎになってしまいそうである。

 

「だから、ちゃんと技も鍛えておかねーとな」

 

 また強敵に出会った時の為にもエゾオオカミスタイルに頼らなくてもいいように実力をつけておかないといけない。

 そう言うエゾオオカミにセルシコウも頷く。

 

「そうですね。残りの期間みっちり仕込んであげます」

 

 言って二人して顔を見合わせた後に赤くなってしまった。

 出来立てカップルはまだまだぎこちない。

 間にルターが挟まっている状態ではなおさらだった。

 ルターにとっては何とも居心地の悪い時間が過ぎてようやく和香教授達が暮らすマンションへ到着。

 

「さて。そんじゃあ話を合わせろよ」

 

 エゾオオカミは今回の一件を丸く納める為に一計を案じていた。

 果たして上手くいくかどうか。

 もうひと踏ん張りである。

 エゾオオカミとセルシコウとルターはエントランスをくぐってエレベーターに乗り和香教授達の部屋へ向かう。

 ルターとしては一日ぶりだけれど、もう戻る事はないと思っていた場所である。緊張にゴクリと喉を鳴らした。

 

「さぁて……ただいまー」

 

 そんな緊張を余所にエゾオオカミはドアを開けた。

 ちなみにエゾオオカミもゲスト登録をしてあるので顔パス状態である。

 

「あ、おかえりー」

 

 と迎えに出て来たのは夕飯準備をしていたエプロン姿の菜々であった。

 

「ってどうしたの三人とも!? めっちゃボロボロじゃん!?」

 

 菜々は三人の姿を見て驚いた。

 みんなどこかしら怪我をしているように見えたからだ。

 特にルターなんて頬っぺたが腫れ上がっているではないか。

 さて、ここからが正念場だ、とエゾオオカミは口を開く。

 

「いやさあ。空手大会にセルリアンが現れてさ。どうにか三人で倒したんだけど、大変だったんだぜ。なあ?」

 

 セルシコウとルターに同意を求める。

 そういう事か、と理解したセルシコウも話しを合わせた。

 

「そうですね。ルターがいなければ危なかったかもしれません」

「そうなの!? ともかく三人ともあがって! 手当するから!」

 

 菜々はバタバタと慌てて引き返す。

 

「ちょっとカラカルー! 救急箱どこだっけー!?」

 

 そこからはどったんばったん大騒ぎである。

 怪我して現れたエゾオオカミ達を手の空いてるみんなで応急処置が始まった。

 ただ一人、手を出すとかえって事態を悪化させそうな和香教授だけは見守っていたが。  

 その和香教授とルターの目が合う。

 ルターは正座の姿勢になると深々と頭を下げた。

 

「その……。和香さん。ごめんなさい」

「いいさ。ちゃんと帰って来てくれたんだから」

 

 事情を知らない菜々やカラカル、それにルリやアムールトラも「?」マークを浮かべる。

 ルターの事は和香教授が秘密にしていたのだ。

 だから菜々達としては一日無断外泊でフラっとどこかに行っていたように思っていた。

 

「まったく。ご飯いるかいらないかくらい連絡寄越しなさいよね」

 

 とカラカルがルターの背中を叩く。

 ルターが姿を消していた間の出来事を深く追求されるとボロが出かねない。

 だからエゾオオカミは何とかして話題を変える事にした。

 

「そうだ。ルリ。ルターもクロスジュエルチームに入れてやってくれよ」

「え!?」

 

 いいの!?とルリの瞳がキラキラ輝いた。

 

「なんせルターはめちゃくちゃ強いからな。手伝って貰えたら楽になるぜ」

 

 なあ、とセルシコウに同意を求めるエゾオオカミ。

 セルシコウは急に振られてコクコク何度も頷いた。

 それを見てエゾオオカミはルターの肩に手を置くとイタズラっぽい笑みを浮かべて続ける。

 

「とりあえず、名前、決めないとな?」

 

 エゾオオカミはルターの耳元に「ダブルクロスも似合わねーし」と囁く。

 クロスジュエルチームの一員になるなら裏切りの意味を持つダブルクロスは相応しくない。

 

「そっか! じゃあルターさんの分も名前考えないとね!」

 

 早速ルリがやる気をみなぎらせていた。

 ちなみに、クロスアイズの名前が決まるまでもかなりの時間が掛かった。

 きっとルターの名前決めも難航するだろう。

 だが、このくらいの苦労を押し付けるくらいなら意趣返しとしてはささやかな物である。

 一先ずの手当を終えたルリは早速ルターの名前を決めようとワイワイはしゃぎはじめた。

 盛り上がるルリを後目に、エゾオオカミはその輪を外れると和香教授に言う。

 

「教授。依頼完了だ」

「ありがとう。木の実探偵」

 

 これで木の実探偵の事件は終わりを迎える。 

 

「ったく、あんなハードな依頼はこれっきりにしてくれよ?」

 

 エゾオオカミはかなり大変だったが、最高の結果を残した。

 だから和香教授はそれに報いたいと思う。

 

「そうだね。まさか今回の報酬が木の実1個では割に合わなさすぎる。私に出来る事は何かないかい?」

 

 それにしばらく考えるエゾオオカミ。

 

「ちなみに、それって何でもいいのか?」

「私に出来る範囲で頼むよ」

 

 言ったな? とエゾオオカミはニヤリとする。

 そしてルターが変身後に名乗る名前を考えてああでもないこうでもないと悩むルリ達へ大きな声で言った。

 

「おーい、ルリ。今度教授がさ! 今度みんなを『わくわくプールランド』に連れてってくれるってよ!」

「本当!? お母さんっ!」

 

 ルリがまたまたキラキラした目を和香教授に向ける。

 それに若干気圧されつつも和香教授は頷いた。

 

「ああ。そのくらいならお安い御用さ」

 

 だが、まだエゾオオカミの我がままは終わらない。

 

「当然ユキヒョウ達と、あとともえ先輩達もだろ? あとさ、ついでに商店街のキタキツネとかギンギツネも誘っていいか?」

 

 思った以上の大所帯になりそうだが、それでも今回の依頼への報酬には安いくらいだ。

 和香教授はもちろんだ、と頷いてから返事する。

 

「せっかくだ。セルシコウ君達もどうだい?」

 

 と。

 それにセルシコウは一瞬固まる。

 なんせ『わくわくプールランド』が正式オープンする頃には彼女達は東京へ引っ越してしまっているのだ。

 だが、それをこの場で告げるのは空気が重たくなってしまう。

 そうセルシコウが迷っていると和香教授が意外な事を言い出した。

 

「キミ達だって来週からはお隣さんになるのだろう? ならば遠慮はいらないさ」

 

 来週から隣同士ってどういう事だろう?

 とセルシコウの頭に「?」マークが浮かぶ。

 だがその疑問に答える前に……

 

―ピンポーン

 

 玄関チャイムが鳴った。

 

「ああ、来たわね」

 

 カラカルが玄関まで出迎えに行く。

 訪ねて来たのはオオセルザンコウとマセルカ、それにハクトウワシとユキヒョウだった。

 

「あら? セルシコウももう来てたのね」

 

 ハクトウワシはリビングにやって来るとそう言った。

 それはこちらのセリフだ、と言いたいセルシコウだったがどういう事か分からず口をパクパクさせていた。

 そこに今日の料理を終えた菜々がやって来る。

 

「はい! 今日はハクトウワシさんから引っ越し蕎麦をいただいたので皆さんをお呼びしちゃった!」

 

 でん、とテーブルに大皿いっぱいに盛られたざる蕎麦が置かれる。

 付け合わせの天ぷらはカラカルが運んでいた。

 

「え、ええと……」

 

 ハクトウワシが引っ越し蕎麦を振舞ったという事は、つまり彼女はこのマンションにお引越しするという意味になる。

 まさか連続で二回も引っ越しをするわけはない。

 どういう事だ……とセルシコウは説明を求めてオオセルザンコウを見た。

 

「そういえばセルシコウには今日説明するつもりでいたんだった」

 

 驚くセルシコウにオオセルザンコウが説明を続ける。

 

「来週から私達はこの部屋の隣に引っ越すんだ」

「そうそう。ずーっと4人で暮らすにはあのアパートじゃさすがに手狭だったものね」

 

 ハクトウワシもうんうん頷く。

 

「本当は夏休みが終わる前に引っ越し出来れば一番よかったんだけど、色々と仕事が立て込んじゃって来週になっちゃったの」

「マセルカはあっちも好きだったけど、こっちも好き! あとルリ達も近くにいるし!」

 

 そうやって盛り上がるハクトウワシとマセルカ。

 セルシコウにもだんだんと話が見えて来た気がした。

 

「じゃ、じゃあ東京へ、っていうのは……」

 

 ようやく絞り出したセルシコウにハクトウワシは事もなさげに言った。

 

「ええ。1週間くらい出張で東京へ行く事になったの。お土産、何がいい?」

 

 と。

 セルシコウは必死で思い出す。

 そういえば、ハッキリと東京へ引っ越すと聞いたわけではない、と。

 つまりだ。

 ハクトウワシ達が和香教授達が住むのと同じマンションへ引っ越しするという話と、ハクトウワシが東京へ出張に行くという二つの話を混同してしまっていたわけだ。

 

「あ、あはは……」

 

 もうセルシコウは笑って誤魔化すしかなかった。

 そんなセルシコウの肩にエゾオオカミの手がポンと置かれた。

 

「おい……セルシコウ……? どういう事だ?」

 

 エゾオオカミももう何となく話が見えていた。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 慌てて謝るセルシコウ。

 おそるおそる頭をあげてエゾオオカミを見ると……。

 ぷるぷる震えていた。

 もしかして怒りのあまりに身を震わせているのかと、その顔を覗き込むと……

 

「くくく……あはははははっ!」

 

 とエゾオオカミは大笑いしだした。

 

「だよなぁ……。たまーにそういうトコあるもんな。セルシコウは」

 

 ひとしきり笑ったエゾオオカミは不思議と怒る気にはならなかった。

 夏休み前の中学生空手大会でも恥ずかしい早とちりをしてしまった前科もある事だし。

 それに今回はエゾオオカミ一人しか被害者もいない。

 その上セルシコウとこれからも一緒なのだ。

 怒るよりも安心が先に来る。

 そして何より、エゾオオカミはそんなセルシコウの事だって好きになったのだ。

 つまり……。

 

「あー……。なるほど、コレが“惚れた弱み”ってヤツだな」

 

 惚れちゃったのだからしょうがない。

 あばたもえくぼ、というヤツだ。

 

「はい。“惚れた弱み”ですね」

 

 セルシコウが言って、エゾオオカミと二人して顔を見合わせて笑う。

 そんな二人の微妙な変化をユキヒョウが目ざとく見つけた。

 

「ふぅむ? お二方よ。何かあったのかの?」

 

 そんな質問にエゾオオカミはあっさりと答えた。

 答えてしまった。

 

「ああ。セルシコウに告白した」

 

 隠してもしょうがないし、してしまったものもしょうがない。

 なのでエゾオオカミ的には当たり前だったのだが、その行為はピラニアの群れに餌を投げ込むのに等しい。

 まず、オオセルザンコウとマセルカが……。

 

「ほ、本当か!? エゾオオカミ!? よくやった!」

「どうしちゃったの!? エゾオオカミ! またまた見直しちゃったよ!」

 

 と凄い勢いで褒めたたえている間に、ユキヒョウが素早く指揮を執った。

 

「うむ。ルリ。アムールトラ。二人分のお誕生日席を用意じゃ」

「はい!」

「まぁ、コレは話を聞かんわけにはいかんからなぁ……」

 

 ルリがノリノリで準備を始めて、こういう話に興味がなさげなアムールトラまでもがいそいそと手伝いを始める。

 ことがエゾオオカミとセルシコウの恋バナならば興味津々である。

 クロスジュエルチーム司令塔であるユキヒョウはさらに指示を下す。

 

「教授殿はエゾオオカミの家へ連絡するのじゃ。後で送り届ける、とな」

 

 どうやらノリノリなのはルリ達ばかりではなかったらしい。和香教授に至っては……

 

「ふ……。既にエゾオオカミ君の母君には連絡をしておいたよ。エゾオオカミ君もいるからお蕎麦食べに来ませんか、とね」

 

 と親指立てつつ携帯電話をしまっている始末だった。

 珍しく素早い上に的確な行動にユキヒョウも親指を立てて「ナイス」と無言で頷く。

 その間にオオセルザンコウとマセルカがそれぞれエゾオオカミとセルシコウを用意されたお誕生日席に半ば無理やり連行していく。

 その場に集まったほぼ全員にキラキラを通り越してギラギラした目で迫られる。

 エゾオオカミは助けを求めてルターの方を見た。

 

「ああ。この僕など足元にも及ばない程に情熱的な愛の告白だったよ」

 

 ルターは事もあろうにハードルをさらに上げて来た。

 

「そこのところ詳しく!!」

 

 もうほぼ全員が喰いつかんばかりにエゾオオカミとセルシコウに迫る。

 普段は冷静な菜々やカラカル、和香教授までもが加わっている始末だ。

 このノリに唯一ついていけていないのはセルシコウの保護者であるハクトウワシだった。

 ハクトウワシはその理由を一言で言った。

 言ってしまった。

 

「っていうか、あなた達ってもうお付き合いしてたんじゃないの?」

 

 と。

 

「「「「「「「そこからかーい!!!」」」」」」

 

 ほぼ全員のツッコミが重なった。

 こうして木の実探偵最大の事件は幕を閉じる。

 当然エゾオオカミとセルシコウはかなり遅い時間まで根掘り葉掘り尋問を受けた事を付け加えておく。

 

 

 

 けものフレンズRクロスハート第28話『木の実探偵の事件簿』

 ―おしまい―




【情報公開:ダブルクロス】

 パワー:??? スピード:??? 防御力:??? 持久力:E

 マルタタイガーのフレンズであるルターが『コネクトフレグランス』を使って変身した姿。
 『コネクトフレグランス』に取り付けられた彼女のパートナーであるゴールデンタビータイガーことルビーの“メモリークリスタル”から力を借りている。
 本来強すぎる“けものプラズム”が反発しあうところを、抜群の相性で変身を成し遂げている。
 なお、変身後はルビーと同じく髪型は豪奢な巻き髪になり、オレンジのブレザーと同じ色を基調としたチェックのミニスカート姿になる。
 元々持っているルターの力を上乗せしている為、そのスピードもパワーも段違いである。
 ただし、二人分の“けものプラズム”を纏っている為、消耗は激しく長時間の戦闘には向かない。
 必殺技は、青と黄色の薔薇で出来た花吹雪を巻き起こし、相手の視界と嗅覚を奪って放つ斬撃『百花繚乱』である。


【情報公開:クロスアイズ・エゾオオカミスタイル】

 パワー:??? スピード:??? 防御力:??? 持久力:D

 通常のクロスアイズ・ニホンオオカミフォームから、エゾオオカミが野生解放する事でクロスアイズ・エゾオオカミスタイルになる。
 変身後のクロスアイズ・エゾオオカミスタイルは顔も髪型もエゾオオカミそのものだ。
 その服は灰色のジャケットに肘から先が黄色の布で飾られている。
 ミニスカートも灰色を基調としたチェック柄になっている。
 一時的にエゾオオカミ自身の力とニホンオオカミの力両方を使っている為、その力はダブルクロスにも匹敵する。
 必殺技はエゾオオカミとニホンオオカミ二人で吠え猛る事で身体能力を劇的に高める『月下咆哮』である。


【あとがき】

 このお話を書き終わったワイ「その二人……あとでラブラブんなるで」
 第13話⑦を書いてた頃のワイ「嘘やん」

 エゾオオカミとセルシコウ。
 なんでかいつの間にかいい感じになってました。
 それはさておき、クロスハートの中で一番優しいキャラは誰なんだ、と聞かれた場合、私はエゾオオカミを推します。
 そりゃあみんな優しいところがあるのですが、優しさというのを誰かを思いやれる事だと考えた場合、一番誰かを思いやっていたのがエゾオオカミだと思います。
 そんな彼女が少しずつ強くなって今回最大の事件に巻き込まれてしまったわけですが、いかがでしたでしょうか。
 私が考えるすげー燃えるシチュエーションというのをふんだんに全力投入した次第です!
 ダークヒーローとのダブル変身とかいいよね……。
 ヒロインのピンチに駆け付けてこそのヒーローだよね!
 そして諦めずに立ち上がってこそのヒーローだよね!
 というわけで何かもー色々と自分の中にあるカッコいいを最大限に投入したお話でした!
 もともと、エゾオオカミに関しの資料は「木の実100個分の賞金首」くらいしかなくて、クロスハート世界における賞金首って何だろう…となった挙句、木の実一つで依頼を解決する「木の実探偵」エゾオオカミが誕生しました。
 そんな木の実探偵のカッコいいところを楽しんでいただけたら嬉しいです!
 次のお話は……何をしようかな。
 やや燃え尽き症候群なので少し充電させていただくかも……
 早いうちにお話し考えつくように頑張ります!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話『菜々の色鳥忍法帳』前編

【これまでのけものフレンズRクロスハートは!】

 夏休みもついに終わりを迎えて新学期が始まろうという頃に、エゾオオカミはセイリュウから一つの依頼を受ける。
 アオイとコイちゃんのデートを見守って欲しいという依頼をセルシコウと共にこなすエゾオオカミ。
 その終わりにセルシコウが東京へ引っ越してしまうという話を聞く。
 時を同じくして、かつて和香教授が渡った別世界からマルタタイガーのフレンズ、ルターがやって来る。
 彼女は“メモリークリスタル”を解凍するべく、セルリアンフレンズの身柄とセルシコウの持つ“コレクター”を狙っていた。
 ルターは市民空手大会に参加していたセルシコウへ狙いを定めて一人でいるところへ襲撃を仕掛ける。
 和香教授のところから持ち去った“コネクトフレグランス”を使い、通りすがりの悪党ダブルクロスへと変身するルター。
 自身の力と“コネクトフレグランス”の力を合わせたダブルクロスに敗北を喫するセルシコウ。
 そのセルシコウを助けに入ったエゾオオカミ。
 クロスアイズに変身したエゾオオカミであったが、ダブルクロスの圧倒的な身体能力に苦戦を強いられる。
 あわや、という場面でクロスアイズは野生解放を果たしてダブルクロスと互角に持ち込んだ。
 最後の最後にダブルクロスを上回り激闘を制したクロスアイズ。
 セルシコウのお引越しも実は彼女の勘違いとわかって一件落着となるのだった。




 

 2学期が始まった。

 日中はまだ夏が居座っているように思えるが、日が落ちる頃には秋らしさを感じる。

 そんな中でも色鳥町商店街は相変わらずの千客万来だ。

 中央市場では秋の味覚が居並び、それらは飛ぶように売れて行く。

 

「今日は何がいいかなあー?」

 

 そんな色鳥町商店街ではちょっと珍しいお客さんが一人来ていた。

 薄手のジャンパーにシャツとハーフパンツ、それに伊達メガネとキャップで軽い変装までしている。

 菜々だ。

 彼女は別な世界からやって来ている。

 しかもこちらの世界にいる別世界の同一人物である奈々が商店街に住んでいるわけだから、こうして変装しておかないとややこしい事になってしまう。

 そこまでして菜々が買い物にやって来ているのは理由があった。

 実は今日、菜々とカラカル、ついでにルターが居候するマンションにハクトウワシ一家が引っ越してくるのだ。

 大家さんになるユキヒョウはもちろん、お隣さんになるルリ達もお手伝いに張り切っていた。

 そういうわけで、今日は菜々もお手伝いに出ているというわけだ。

 菜々の役割はお昼と夕飯の準備である。

 

「お昼は簡単に食べられるようにおむすびとお味噌汁とかがいいと思うけど、夕ご飯は……うーん」

 

 菜々は悩む。

 こういう時には店員さんにオススメを訊ねたりしたら取っ掛かりになりそうなのだが、こちらに住むもう一人の奈々と勘違いさせてもまずい。

 なので一人ではどうにも突破口が思いつかない菜々である。

 

―クイクイ。

 

 そうしていたら、ジャンパーの袖を誰かに引っ張られた。

 菜々がそちらを振り返ると……

 

「あ。やっぱり奈々……じゃない方の菜々」

 

 その相手はキタキツネだった。その後ろにはギンギツネもいる。そしてさらにその後ろにはお使い中だったらしいイエイヌもいた。

 ちなみに、キタキツネとギンギツネの二人は菜々がクロスレインボーである事を知っている。その他色々な事情についても同様だ。

 なので、安心して話せる相手である事は間違いない。

 

「それにしても珍しい取り合わせじゃない?」

 

 と菜々は小首を傾げる。

 キタキツネとギンギツネの二人は元々商店街に住んでる仲良しキツネコンビだから不思議ではないが、そこにイエイヌが混ざっているとなると話は別だ。

 

「え? イエイヌはオイナリ校長の会の名誉部員だし一緒にバイトもしたし応援団も一緒にやったし」

「こら。勝手にイエイヌを名誉部員にしないの」

 

 と、キタキツネはギンギツネに窘められてしまうが、どうやら三人は学校でも結構仲良しらしい。

 三人が一緒にいた理由はわかったが、何をしていたのだろう、と菜々はまだ疑問が晴れていなかった。

 

「今日はお使いに商店街まで来たんですけど、お二人も手伝ってくれてたんですよ」

 

 なんだかんだ別世界からやって来たイエイヌもこちらの世界に馴染んで仲良しのフレンズも増やしているという事なのだろう。

 菜々とイエイヌもそれぞれ別な世界に住んでいたわけだが、フレンズの成長は彼女も飼育員として嬉しい。

 そうして菜々がホッコリしているとイエイヌが逆に訊ねて来た。

 

「菜々さんはどうしてこちらに?」

「ああ。今日はね……」

 

 菜々はかくかくしかじかと今日の用向きを説明した。

 

「えぇー!? オオセルザンコウ達、今日お引越しだったの!?」

 

 と驚くキタキツネ。

 さすがに学校が違うので、オオセルザンコウ達がユキヒョウのマンションへ引っ越しする事は知らなかった。

 

「ならお手伝いに行くべきかしら……」

 

 ギンギツネが考え込んでいる横でイエイヌもうんうん頷いている。

 

「えぇー……ボク、コントローラーより重いものは持った事ないよー」

 

 キタキツネだけはダルそうにしていたが。

 三人してお引越しの手伝いに行こうかと張り切っているところに、思わぬところから待ったがかかる。

 

「みんなー。お手伝いだったらもうエゾオオカミが行ってるから平気平気ー」

 

 そう言って待ったをかけたのは菜々にそっくりな少女、奈々である。

 キタキツネとギンギツネは「なるほど」と納得した。

 エゾオオカミが最近さらにセルシコウと仲が深まったらしいというのは噂になっている。

 であれば、あまり外野が騒ぎ立てずに生暖かく見守るのが一番だというのが商店街の総意だ。

 

「でさ? 菜々。なんだってそんな変な格好してるの?」

 

 やって来た奈々はキャップと伊達メガネで変装している菜々を見て小首を傾げる。

 菜々としてはこちらの世界で暮らしている奈々の為を思って変装していたわけだが、奈々本人にそう言われると肩を落とさざるを得ない。

 ところがどっこい奈々は何と菜々の変装用キャップと伊達メガネを取り上げてしまった。

 

「ちょちょちょ!?」

「大丈夫大丈夫」

 

 慌てる菜々に涼しい顔の奈々。同じ顔が二つ並んだ。人通りの多い商店街だというのに、だ。

 途端に周囲からの視線が二人に集中する。

 

「あわわわ……」

 

 周囲を商店街の店員さん達が取り囲み始めたので菜々はもうパニック状態だというのに、奈々は相変わらず涼しい顔だった。

 やがて周囲の店員さんが口を開く。

 

「奈々ちゃん。こっちの子が……」

「そう。遠くに住んでる従妹のハチちゃん」

 

 奈々の答えに商店街の人達もワッと沸き立つ。

 

「いやぁー! 本当にそっくりだねぇ! 双子だって言われても納得だよ!」

「奈々ちゃんの親戚って事ならサービスしなきゃあねえ!」

「で、今日は何を買いに来たんだい!」

 

 菜々がポカーンとして傍らの奈々を見ると、イタズラ大成功なんて顔をしていた。

 どうやら奈々は同じ顔をした別世界の自分を遠い親戚のハチという事にして根回しまで済ましていたわけだ。

 

「ハチって……」

「なんか……ね」

 

 ギンギツネとキタキツネはイエイヌの方をチラリと見ながらヒソヒソ苦笑する。

 なんだかまるでペットの犬にでもつけるような名前だなぁ、なんて思いながら。

 で、当のイエイヌはといえば「?」マークを浮かべている。

 

「まぁ、これで大手を振ってこの辺りを出歩けるでしょ?」

 

 と奈々が菜々に耳打ちしていた。

 奈々だって菜々が気を遣ってあまり出歩かないようにしていたのは知っていたので、こうして気を回したわけだ。

 

「でもますますややこしい事になっちゃったね」

 

 と苦笑の菜々である。

 だがせっかくの気遣いだ。遠慮して無駄にしてしまう事もない。

 となれば、まずは思う存分買い物をさせてもらう事にしよう。

 

「えっと、お引越しの合間に食べる食事には何がいいかなーって……」

 

 菜々は周囲に集まる店員さんに相談してみる事にした。

 

「それだったら、やっぱり引っ越し蕎麦じゃねーか?」

 

 とはいえ、それはもう食べてしまっている。

 

「いやー。お昼はおむすびとお味噌汁とお漬物とかで簡単に済ませようかと思ってたんだけど、夕飯に迷ってて……」

 

 菜々の悩みにキタキツネとギンギツネにイエイヌと店員さん達も含めて全員が首を捻って考える。

 

「あ、あのー……」

 

 と、イエイヌが小さく挙手した。

 彼女が持つ買い物カゴを指し示す。

 そこには椎茸、エノキ、ブナシメジや白菜などが入っていた。

 それを見て誰もが納得する。

 

「あぁー……鍋物の材料だねぇ」

 

 と奈々がその中身を見て言う。

 

「なるほど。お引越しが一通り終わった後に皆で鍋を囲むってのはいいかもしれないね」

 

 と菜々も乗り気である。

 鍋ならば準備もそこまで大変じゃない。何より大人数にも対応出来る。

 

「それならやっぱ旬のキノコは外せないよなぁ!」

「豆腐とシラタキだって必須だぜ!」

「メインなら魚も肉もどっちもいいのが揃ってるよ!」

 

 で、例によってあれよあれよと言う間に菜々は鍋物の材料をかなり格安で持たされてしまっていた。

 これで菜々の用事はひと段落だ。手伝ってくれた皆にお礼を口にする菜々。

 

「みんなありがとうね」

 

 どういたしまして、とそれぞれ返事が返って来る。

 

「そういえば、イエイヌ。今日はともえちゃん達と一緒じゃないんだ?」

 

 思ってたよりも早く用事が済んだので余裕が出来た菜々は気になった事を訊ねてみた。

 イエイヌが一人で行動しているのは珍しい気がする。

 

「はい! 今日はお使いに来たんです!」

 

 イエイヌはえっへん、とドヤ顔だ。尻尾もぶんぶん揺れている。

 確かに一人でお使いだなんてかなりの成長だ。

 菜々はイエイヌの頭をえらいえらい、と撫でてあげた。

 

「そっか。もうお使いは済んだの?」

 

 と言いつつも、キタキツネとギンギツネが一緒に案内して回っていたようだからきっとイエイヌのお使いも順調だったのだろうと予想出来る。

 

「そうですね……。あと一つだけ頼まれたものが見つからないんです」

 

 イエイヌの答えに、そうなの? と菜々はギンギツネとキタキツネの方を見てみる。

 

「あー……うん。そうね……」

 

 とギンギツネの歯切れが悪い。

 何か含んだものがあるような物言いに菜々も何かあるんだろうかと訝しむ。

 そんな様子にキタキツネが説明してくれた。

 

「あのね。けもテモテーが売り切れてたの」

 

 “けもテモテー”とは何だろう?

 という菜々の疑問を余所に奈々が別な事を言い出す。

 

「ああ。そういえば最近かなり品薄だよね」

 

 どうやら“けもテモテー”なる商品が品切れを起こしている事は理解出来た。

 

「でさ、けもテモテーってなんなの?」

「えっとね。シャンプーの事だよ。無香料タイプの中でも人気あるんだ」

 

 奈々の解説でようやくそれが洗髪剤である事がわかった。

 

「あー……それは……」

 

 菜々には思うところがあった。

 彼女は向こうの世界で飼育員という仕事をしていた。

 動物達は匂いに敏感な者が多い。

 当然、フレンズもだ。

 だから菜々は身に着けるものはもちろん、普段の生活に使う石鹸やシャンプーなどにも細心の注意を払ってきた。

 もしも普段使っている物がなくなったらとても困るだろう。

 ましてやフレンズ達の洗髪に使うものとなれば尚更である。

 

「それにしたって、今まで“けもテモテー”が品薄になるなんてなかったよね」

「そうね。色鳥町で作られてるから入荷しないなんて事は今までなかったのにね」

 

 キタキツネとギンギツネも小首を傾げていた。

 実は二人も“けもテモテー”を使っている。

 今はまだ買い置きがあるので問題ないが、このまま品薄が続けばいずれはなくなってしまう。

 

「(あれ? もしかして結構なピンチだったりしない?)」

 

 と菜々は考える。

 どうやら“けもテモテー”はフレンズ達に大人気らしい。

 それの供給が滞っているとなれば、いずれ彼女達の生活に少なからず影響があるに違いない。

 菜々の背筋にえも言われぬ冷たいものが走る。

 例えて言うなら薄氷の足元から巨大魚が忍び寄って来ているかのような。

 

「ちょっと調べてみようかな……」

 

 菜々は胸裏に沸き上がった不安に思わずそう呟いていた。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 ハクトウワシ一家のお引越しはつつがなく終了した。

 宝条家の面々にハクトウワシとセルリアンフレンズの三人。それにエゾオオカミが手伝ったのだからこの結果も当然だ。

 そして、菜々が用意した鍋も好評だった。

 今は菜々が後片付けの洗い物中である。

 

「そういえばさ。二人は“けもテモテー”って知ってる?」

 

 菜々は横で洗い物を手伝うルリとイリアに訊ねる。

 

「うん、うちで使ってるのもそれだよ」

 

 ルリによると宝条家でも“けもテモテー”を愛用しているらしい。

 

「まだ買い置きはありましたぜ。菜々姐さん、それがどうかしましたかい?」

 

 細長い蜘蛛のような足を器用に使って洗った食器を拭いて戻しつつイリアが答えた。

 それに頷きつつ菜々は話を続ける。

 

「うん。なんか商店街で品薄になってるって噂を聞いて気になっちゃって」

「そういえば、ショッピングモールの方でも最近になって仕入れが減っちゃって困ってるみたいだってユキさんが言ってたかも……」

 

 ルリの呟きで分かった。

 商店街での“けもテモテー”欠品はどうやらライバル企業が買占めなどをしているわけではないらしい。

 もしかすると市内全域にこの現象は広がっている可能性すらある。

 

「ってなると、供給側の問題かなぁ?」

 

 いくら人気商品でも製造が追いつかなければ品薄になるのは道理だ。

 であれば調べるべきは“けもテモテー”を製造している工場だろう。

 

「そもそも“けもテモテー”って何処で作ってるの?」

 

 それは途方もない疑問のように思えた。

 別世界からやってきた菜々はもちろん、ただの中学生であるルリにだってその疑問に答える事は出来なさそうだ。

 そして、それを調べる事も。

 

「それでしたら、北部のゲンブファームですぜ」

 

 答えは意外にもイリアがあっさりと教えてくれた。

 なんで、という視線を向けるとイリアは胸を反らすような仕草をしつつ続ける。

 

「そりゃあ、あっしは油壺のセルリアンですぜ? オイルの事だったらちょっとばかり他人様より詳しいんです」

「まってまって。なんでオイルに詳しいと“けもテモテー”の事も詳しくなるの?」

 

 菜々としてはそこが分からない。

 オイルとシャンプー。一見すると関係ないように思える。

 

「“けもテモテー”はとある花の種を絞って採る油を使って作られてるから、ですぜ」

「へー。ねえねえイリアさん。それって凄いの?」

 

 ルリも興味をそそられてイリアに訊ねるが、それでイリアのスイッチが入ってしまった。

 

「そりゃあもう! なんせ玄武花から採れる油は一見すると水のようにあっさりしてるってえのに、ほのかな甘い香りがして、その上品な事といったら!!」

 

 勢いこんでルリに解説するイリア。それを聞きつつ菜々は訊ねる。

 

「で、その玄武花っていうのが“けもテモテー”の材料ってわけね」

「ですぜ。玄武花は守護けものであるゲンブの加護を受けた土地でしか育たないって言われる花でして、そこから採れる油はレア中のレアってわけでさぁ!」

 

 なるほど、と菜々は納得する。

 どうやら“けもテモテー”の品薄について鍵は北部の農業地区であるゲンブファームにありそうだ。

 となれば……。

 

「ゲンブファームかあ。ちょっと行ってみよう」

 

 まずは糸口が見つかれば……。

 そう願いつつ、菜々は明日からの予定を考え込むのであった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 一夜明けて月曜日。

 昨日が大忙しの日曜日だったからと言って今日が休みになるわけではない。

 なので、ルリ達も昨日引っ越して来たばかりのオオセルザンコウ達も迎えにやってきたユキヒョウやエゾオオカミも学校へ行かなくてはならない。

 もっとも、エゾオオカミとセルシコウの二人が短い距離でも一緒に登校していく様子は誰もが生暖かく見守るものではあったけれど。

 朝の見送りと後片付けも終わって菜々とカラカルも一息ついた。

 

「あ、そうそう。私、今日は出掛けて来るからお昼の事はカラカルにお願いしてもいい?」

 

 菜々は傍らのカラカルに訊ねる。

 

「別にそのくらい構わないわよ。面倒みるったってそこの二人だけだものね」

 

 カラカルが視線で指した先には和香とルターの二人がいた。

 お昼ご飯を作らせたら食材をダメにするのがルターで、何故か全く別な化合物を合成してしまうのが和香である。

 なので二人ともに家事に関しては関わらないのが最大の貢献になってしまう。

 

「で、何か気になる事でもあるの? 何だったらルターでも連れてく?」

「あー。いいよいいよ。何があるって決まったわけでもないから」

 

 カラカルが何故ルターの同行を言い出したのかと言えば、こう見えてルターは斥候として優秀なのだ。

 菜々もカラカルも彼女達の世界でセルリアン達との戦いに明け暮れていた頃はルターの偵察能力に助けられた事も多い。

 それでもルターの同行を断ったのにも理由がある。

 

「それに、和香さんからルターを取っちゃうのも悪いからさ」

 

 ルターはセルリアンとの戦いがひと段落した後は、メモリークリスタルの解凍方法を研究する手伝いをしていた。

 決して頭脳労働が得意なタイプとは言えなかった彼女だが、パートナーであるルビーを取り戻したい一心で研究助手を出来るまでになったのだ。

 和香の送った研究データを一目で見抜いた程度には優秀だし、その手伝いだって出来る。

 家事以外は割と万能なのがルターというフレンズだったりする。

 

「何をするつもりなのかわかんないけど、助けが必要な時はさっさと連絡しなさいよ」

「うん。ありがとね」

 

 そうしてカラカルの見送りを受けた菜々は出掛ける事にする。

 まず向かうのは色鳥市北部の農村地帯だ。

 

「とりあえず、調べておきたいのはゲンブファームよねえ」

 

 北部農村地帯の殆どは代々守護けものの一人であるゲンブが治める地である。

 おそらく玄武花もその直営農場で栽培されているはずだ。

 とはいえそこへ行くには一苦労……のはずだった。

 本来なら青龍川に掛かる玄武大橋を渡って玄武峠を越えなくてはならない。

 が、峠越えの山道は最近開通したばかりの玄武トンネルによって大幅に時間が短縮された。

 これによって北部との物流もかなり良くなっている。

 

「なのに“けもテモテー”だけが品薄になるなんてやっぱり変だよね」

 

 バスに揺られながら考えているうちに菜々は色鳥市北部へ到着した。

 降り立ったバス停では空気感が少々違う。

 まず土の匂いが濃い。

 菜々の世界のように自然そのもである土の匂いではなく、管理された田園の匂いというのはまた少々趣きが違うように思う。

 しかし、いつまでもこうしてはいられない。

 まずはどこから調べたものか。菜々は辺りを見回す。

 

「およ?」

 

 と、気になるものが見えた。

 沢山の書類を両手いっぱいに抱えて、同じバスから降りて来たフレンズだ。

 書類を今にもこぼしそうでとても見ていられない。

 

「あわわわ……」

 

 菜々の見ている前で、こぼれそうになった書類を抑えようとして、さらにバランスを崩す。

 このまま放っておけばそのフレンズは盛大にすっ転んだ上に手にした書類もぶちまけてしまうし、今日は気持ちのいい秋風が吹いているからぶちまけられた書類を飛ばされてしまうのは必至だ。

 が、そうはならなかった。

 

「大丈夫?」

 

 菜々があっと言う間に間合いを詰めて、そのフレンズが転ばないように支えていたからだ。

 

「あ、あれ? ありがとうございま……」

 

 何が起きたのかわからない様子のフレンズだったが、ハタと気が付いた。その両手に抱えた書類が無くなっている事に。

 

「ああああああ!?」

 

 それに気付いた瞬間慌てるが……。

 

「はい、これ」

 

 と、フレンズの眼前にまとめた書類を差し出す菜々。

 彼女にとってはこのくらいの芸当なら変身するまでもない。

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

 しばらく何が起きたのか分からずにキョトンとしているフレンズだったが、どうやら助けられたらしい事を悟ると打って変わってペコペコと頭を下げだした。

 

「あわわわ、助けていただいてありがとうございます! わ、わたしはアカミミガメといいます!」

 

 なるほど、緑がかった髪色のおかっぱ頭にのんびりした性格はカメ系フレンズの特徴だったわけだ、と納得の菜々。

 

「どういたしまして。私は菜々。ええと……通りすがりの飼育員、かな」

 

 言いつつ菜々はアカミミガメと名乗ったフレンズに取り落しそうになっていた書類をあらためて渡した。

 

「助かりました。書類の見直ししてたら降りるバス停になってて、慌てて降りようとしたら転びそうになって……書類失くしてたら大変なところでしたよぉ」

 

 やはりカメ系のフレンズなのか、少しのんびりした印象があるアカミミガメである。

 慌ててしまうとその分ミスが多くなりそうでもある。

 やはり飼育員という職業上、こうしたフレンズの困りごとには菜々だって敏感だ。

 

「なんだか大変そうだね。何か手伝える事ある?」

 

 菜々にも用事はあるが、かと言って具体的にどう行動するかはまだ決めていない。

 一方でアカミミガメは見たところ、この付近で仕事をするらしい。という事はこの辺りの土地勘があると期待してもよさそうだ。

 ならば行動の取っ掛かりとしてアカミミガメの手伝いをするというのも決して悪くはないだろう。

 何より困っているフレンズの力になれる。

 

「いやぁ、でも、見ず知らずの人に悪いですよぉ……」

 

 まだ遠慮するアカミミガメだったが、菜々にも実は引き下がれない理由がある。

 それは先程拾ったアカミミガメの書類に気になる文言が見えたからだ。

 そこには確かにゲンブファームの文字が見えた。

 という事はアカミミガメはゲンブファームの関係者である可能性が高い。

 これは思わぬ幸運というものだ。

 

「気にしないで。ちょうど私も手が空いてたところだし」

 

 それに、と続ける菜々はいい笑顔と共に続けた。

 

「こう見えても私、通りすがりの正義の味方でもあるから」

 

 

 

―後編へ続く

 




大分お時間が空いてしまい申し訳ありません。
最近忙しい日々が続いておりますがどうにか隙間時間を見つけて書き続けていました第29話をようやくお届けできます。
まだまだ忙しい日々が続きそうですが、お楽しみいただければ幸いです。
後編は書き溜め分があるので近いうちにお届けできるかと思いますのでお待ちいただければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話『菜々の色鳥忍法帳』後編

 菜々とアカミミガメの降り立ったバス停はかなり大きな駐車場になっていた。

 まず、産直市などの観光客向けの施設があり、ここがバスターミナルとしても機能しているようだ。

 近くに見えるいくつかの大きな倉庫は採れた農産物を一旦保管したり出荷準備する為の施設でもあるのだろう。

 バスの他にもタクシープールには何台かのタクシーも停まっている。

 

「あ、お願いしまーす」

 

 アカミミガメがサッと手を挙げると、察したタクシーの一台が彼女達へドアを開ける。

 菜々とアカミミガメはそこへ乗り込んだ。

 

「で、何処に向かうの?」

「ええとですねえ。ゲンブ様のところへ戻って報告しようかと。菜々さんは時間もあるみたいですから助けてくれたお礼もしたいですし」

 

 アカミミガメの返答に、やはりビンゴだと菜々は内心ガッツポーズだ。

 ゲンブファームの主であり、守護けものの血を引くゲンブに出会えるというのならば“けもテモテー”が品薄になっている原因の手がかりを聞けるかもしれない。

 タクシーが少し走るともう辺りには田んぼや畑、ビニールハウスなどしか見えなくなってくる。

 田園風景が続いているが、ふと気になるものが菜々の目に留まった。

 背の高いビルのような建物がチラホラ見られるのだ。

 だいたい5階建てくらいになるだろうか?

 都会の高層建築に比べたら高いとは言い切れないが、平坦な田園地帯にあるとイヤでも目を引く。

 

「ねえねえ、アカミミガメ。あの建物ってなに?」

「ああ。あれは農業工場ですねえ」

 

 農業工場とは屋内で農産物を栽培する施設だ。

 屋内なので環境維持や病害虫の抑制もやりやすい。

 そして季節に関係なく様々な植物を栽培できる。

 

「内部は徹底した機械化で24時間常にAIやドローンが栽培を続けているんですよ」

 

 得意満面でアカミミガメは続けた。

 

「オートメーション化の恩恵は一次産業でこそ最も大きい……ってゲンブ様の受け売りですけど」

 

 てへへ、とアカミミミガメは頭を掻いた。

 どうやらゲンブファームの主であるゲンブはやり手であるらしい。

 もしかしたら、“けもテモテー”に起こっている異常についても既に何かを知っているかもしれない。

 これはますます会うのが楽しみだ。

 タクシーが走る事数十分。

 やがて生垣に囲まれた豪勢なお屋敷が見えて来た。

 大きな門扉から中へ入ると白の玉砂利が敷き詰められた立派な庭園に平屋建てとはいえ和風の大きな屋敷。

 物珍しさにキョロキョロしながらアカミミガメの後へ続く菜々。

 ガラガラと玄関を開けて中へ入ると勝手知ったる様子で客間へと通された。

 これまた立派な客間で待つ事少々。

 

「お待たせしました」

 

 現れたのは黒い和服に白い髪をしたフレンズだった。意思の強さが見て取れる吊り目は別な世界からやって来たセルゲンブとも似ている。

 彼女がゲンブファームの長、玄武ゲンブであろう。

 

「ウチの秘書が世話になったようで。まずはお礼を言わせて頂きます」

 

 どうやらアカミミガメはゲンブの秘書をしているらしい。

 

「少々のんびり屋なところはありますが、あの子もアレで中々優秀なのですよ」

 

 菜々の内心を察したのかそう言って微笑んで見せるゲンブ。

 で、とゲンブは続けた。

 

「今日はどういったご用向きでしょう? クロスレインボー」

 

 どうやら色々と事情は通じているらしい。

 同じ守護けものの血を引くセイリュウには菜々の正体も明かしているわけだから、ゲンブが知っていたとしても不思議ではないのかもしれない。

 

「これでも一応この地を守る守護者でもありますから」

 

 そう言ってイタズラっぽい笑みを浮かべて見せるゲンブ。

 菜々としては反応に困ってしまう。

 話が早いのは助かるが、それがセルリアン絡みの問題なのかどうかわからないからだ。 

 とはいえ、菜々の事情を隠すよりも全てを相談してみた方がよさそうである。

 そういうわけで菜々はかくかくしかじかと話を始めた。

 

「なるほど……。異世界の守護者である貴女が出張って来たのですから、てっきり怪異絡みかとも思いましたが……」

 

 事情を聞いたゲンブは小首をかしげながらタブレットを取り出すと数度操作して眉をひそめると……

 

「アカミミガメ」

 

 とアカミミガメを再度呼び出す。

 すぐにあらわれたアカミミガメはゲンブの求めに応じてノートパソコンを取り出してモニターをゲンブに向ける。

 

「実は私も“けもテモテー”が品薄らしいという噂は聞いていました。今日はアカミミガメに調査をお願いしていたのですが……」

 

 どうやらアカミミガメはゲンブから指示された調査の帰りに菜々と出会ったらしい。

 モニターに表示されたデータを一瞥したゲンブは眉をひそめてからノートパソコンを回転させて菜々にも示して見せた。

 菜々が画面を覗き込んでみると、季節を問わず安定していた出荷数量を示すグラフが最新のもののみガクリと落ち込んでいるではないか。

 

「先月の月時報告では特に問題なさそうでしたが、明らかに異常ですね」

 

 とゲンブは断定してみせた。

 

「となると、加工場か原料の栽培のどちらかに問題があると言わざるを得ません」

 

 ゲンブがアカミミガメへ視線を送れば頷きが返って来る。

 

「ならばアカミミガメ。帰ってばかりで申し訳ないですが“玄武花”の栽培畑と加工場を調査してきて下さい」

「かしこまりました。ゲンブ様」

 

 恭しく頭を下げるアカミミガメ。

 その姿に菜々は北部農村地帯を取り仕切る玄武家の姿を見た気持ちだった。

 となれば……

 

「あのさ、ゲンブ様。アカミミガメ」

 

 菜々は一息を置いてから言った。

 

「その調査、私も手伝っていい?」

 

 と。

 その提案にゲンブはしばし思案する。

 

「ですが、クロスレインボー。いいえ、菜々。今回は明らかに怪異の仕業というわけではないでしょう。あなたが骨を折る理由はないはずですよ」

 

 しかし菜々はふるふると首を横に振ると指を二本立てて見せた。

 突然のVサインにゲンブもキョトンと目を丸くする。

 

「理由は二つ。今、私が居候させてもらってる家でも“けもテモテー”を使ってるから早く元に戻ってもらわないと困っちゃうの」

 

 そして菜々は人差し指だけを残して続ける。

 

「それにね。私は通りすがりの正義の味方でもあるけど、飼育員でもあるの。困ってるフレンズがいたら力になってあげなきゃ」

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ふぅーん。で、これから“玄武花”を育ててるトコに調査しに行くってわけね」

『そうそう。多分お夕飯までには帰れると思うけども、もし遅れたら先に食べててね』

 

 おうちの掃除中だったカラカルは電話で菜々からこれまでの経緯を聞かされていた。

 電話からかすかに聞こえる走行音から、どうやらタクシーに乗っている最中のようだ。

 どうやらゲンブが手配してくれたタクシーにアカミミガメと一緒に乗って移動中らしい。

 ゲンブはと言えば、お留守番だ。

 彼女には玄武花の他にも沢山の仕事もあるし、もう少し時間が過ぎればゲンブの娘も帰宅するそうだ。

 となれば、まだ中学生だという娘の帰宅を出迎えたいというのが親心というものだろう。

 “玄武花”の調査は菜々とアカミミガメの二人に託されたわけだ。

 

「でも、菜々。アンタに何か出来る事ありそうなの?」

 

 カラカルは電話の先にいる菜々へ訊ねる。

 なんせ彼女はクロスレインボーとしてセルリアンとの戦いは得意でも、調査となるとどうだろうか。

 

『まぁ、行ってみれば何とかなるよ。きっと』

 

 カラカルの心配に対して菜々の方は楽観的だ。

 出来る事があるかどうか。それは実際に現場を見てみないと何とも言えない。

 

『鬼が出るか蛇が出るか、出たら出たで出たとこ勝負だよ』

 

 それに、と菜々は胸中で思う。

 クロスレインボーはニンジャなんだから諜報活動はお手の物のはずだ、と。

 

『じゃあ、そういう事でなるべく早く帰るから』

「はいはい、じゃあ気を付けて」

 

 こうなったら菜々は退かない。

 なんせ彼女はフレンズのお世話をする飼育員なのだから。

 困っているフレンズがいたなら手を差し伸べるのが菜々である。

 

「とはいえ……」

 

 電話を終えたカラカルは考える。

 菜々はたまにドジだったりもする。

 ご愛嬌と言っていいレベルではあるけど、それでも心配性……いや、警戒心の強いカラカルにとってはこのまま任せっぱなしにしているのも何だかソワソワしてしまう。

 

「んー……」

 

 掃除中だったカラカルは持っていたハタキで肩をポンポン叩きつつどうにも座りの悪い思いをしていた。

 別に菜々だったら任せて平気だとも思うけれど万が一という事だってある。

 かと言って、カラカルが手助けに行くというのもダメだ。

 今日はルリは学校なのだから夕飯の準備をするのはカラルしかいない。

 和香は暇だろうから手助けに向かわせてもいいだろうが、彼女は雑だ。おそらく今回の件には向いていない。

 しばらく考えたカラカルは……

 

―ポン

 

 と手を打った。

 こういうのに打ってつけでしかも手が空いてるどころか和香教授の手伝いもなくて暇を持て余していそうなのがいたのを思い出したのだ。

 しかも、彼女が出払ってくれれば掃除が捗る。

 一石二鳥、さすが飛ぶ鳥を落とすと言われるカラカルのフレンズだけの事はある。

 ニヤリとしたカラカルは早速行動に移った。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

「ふぇー」

 

 菜々の目の前には不思議な光景が広がっていた。

 ここは“玄武花”の栽培工場だ。アカミミガメと菜々の二人はその制御室へとお邪魔していた。

 制御室の中からガラス窓一枚隔てた先では床から沢山の花が生えているように見える。

 白い花を咲かせた“玄武花”がズラリと列を為して並んでいた。

 その列がいくつもいくつも広がって、リノリウム張りの床と咲き誇る花のストライプ模様を描いている。

 

「ここは水耕栽培で“玄武花”を栽培しているんですよ」

 

 アカミミガメが得意気に解説してくれる。

 安定栽培の為に何度も何度も改良を重ねてきた施設である。他人に披露するともなればドヤ顔にもなろうというものだ。

 

「でも、パッと見た感じ何か問題があるようには見えないんだけどなあ……」

 

 菜々がガラス窓の先を眺めて言う。

 何台ものドローンが飛び交って栽培状況の監視や薬剤散布から受粉作業や剪定、収穫などを行っていた。

 そこに滞りがあるようには見えない。

 ここは屋内栽培場の制御室だ。

 徹底した自動化をしているから、常駐する作業員は一人いれば充分稼働する。

 

「工場長さん。最近変わった事はないですか?」

 

 アカミミガメが常駐職員である工場長さんに訊ねる。

 作業着を着た恰幅のいいおじさんで、わかりやすく言うならエビス様を彷彿とさせる男性だった。

 

「はい。特に問題はないですね。環境維持も正常値ですし、ドローンの稼働も問題ないです。収量だってほら、問題ありませんよ」

 

 工場長さんがパソコンを操作して菜々とアカミミガメにデータを示して見せた。

 菜々にはそのデータを見せられても問題があるのかないのか判断がつかないので横のアカミミガメへ視線をやる。

 

「ええと……確かに問題なく収穫までされてるようですね」

 

 アカミミガメの読み解いたところによると、収穫までは問題ないらしい。

 となると……

 

「その先って加工だよね?」

「ええ、併設の施設で植物油を精製しています」

 

 菜々の疑問にアカミミガメが頷く。

 そちらの加工施設も同じように自動化されていてこの制御室で管理されている。

 

「ですが、加工の方も問題なく行われていますよ? その先の工程でも何の問題もないですし……」

 

 工場長さんが示したデータではそこも問題ない。

 アカミミガメも収穫から加工、梱包、出荷までのデータを一通り眺めてみたものの工場長の言う通り何の問題もない。

 

「となると……出荷した先で問題が?」

 

 この後、“玄武花”から抽出した植物油は様々な工場に納入され、これまた様々な製品に添加されていくのだ。

 その出荷先で何かしら問題があれば“けもテモテー”だって製造できない。

 だが、データ上はどこにも問題がない。なのに“玄武花”は加工工場までは届いていないのだ。

 八方塞がりである。

 しばし考えた菜々はポンと手を打つ。

 

「ねえ。そもそもデータが間違ってないっていう保証……ないよね?」

 

 菜々の言葉にアカミミガメもハッとした。

 もしもデータだけを改竄して一見何の問題もないように見せたとしたら……。

 そうすれば、この不可解な状況も全て説明がついてしまう。

 それが出来るのはたったの一人……。

 

「お気づきになってしまいましたか……」

 

 先程まで温和に話していたはずの工場長さんがガクリと首をうなだれさせた。

 

「くっくっく……バレてしまっては仕方ありません……」

 

 工場長はガクリと首をうなだれさせたまま……

 

―パンパン!

 

 と、二度手を叩く。そして叫んだ。

 

「先生がたー! 先生がたー! お願いします!!」

 

 途端、先程まで栽培作業に従事していたドローン達が制御室へ雪崩れ込んで来た!

 

「えええ!? ど、どういう事ですか!?」

 

 慌てるアカミミガメを庇うように菜々が前へ出る。

 それに構う事なく、工場長さんはうなだれた首をガッと勢いよく上げると宣言した。

 

「あなた方を帰すわけにはいかなくなってしまったようです」

 

 その目に宿る輝きが明らかに尋常ではない。

 一体どうやってドローンを操作しているのかわからないが、このままでいれば危険な事は間違いあるまい。

 

「ここは一旦……!」

 

 菜々はアカミミガメの身体を引っ張り寄せて抱きかかえると……

 

「逃げるよ!」

 

―ガシャアアン!

 

 制御室のガラスを蹴破って栽培場へと逃げ出した。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

―ブィイイン……

 

 沢山のドローン達が菜々とアカミミガメの頭上を飛び回る。

 現在、菜々とアカミミガメは栽培棚のわずかな隙間に身を潜ませていた。

 だが、ドローン達に見つかるのも時間の問題だろう。

 

「なんで……工場長さんが……。そんな……」

 

 アカミミガメはまだこの事態についていけていないようで呆然としている。

 なんせ工場長さんはここの責任者を任せられる人だ。

 ゲンブの信頼も篤い人物のまさかの裏切りだったのだから信じられないのも無理はない。

 

「さっきの工場長さん、明らかに変だった」

 

 菜々の呟きにアカミミガメもようやく顔を上げた。

 だが、それ以上の事は何も分からない。

 だから、今は……

 

「とりあえずここから逃げよう」

 

 菜々の提案にアカミミガメも頷いた。

 菜々がクロスレインボーに変身すれば、ドローンの囲みを突破するくらいは簡単だろう。

 けれど……

 

「ちょっとドローンとか壊しちゃうけど、いい?」

「あー……出来れば避けてもらえると……その……結構高いので……」

 

 菜々としてはそんな事言ってる場合かなあ、とも思うのだけれど、アカミミガメにとっては一大事なのだろう。

 その願いを無碍にも出来なかった。

 そうやって逡巡していると……。

 

「そろそろ隠れんぼは終わりにしませんか」

 

 工場長さんも栽培場へと降りてきていた。

 どうやら既に二人が隠れている場所の見当もついているようだ。

 

「ま、仕方ない。アカミミガメはここに隠れててね」

 

 菜々は一人、栽培棚の下から出て工場長さんと対峙する。

 

「さあ、出て来たよ」

「おや、往生際のよい事で」

 

 工場長さんはエビス様を彷彿とさせる目尻をさらに下げた。

 そして、再び両手を鳴らそうと構える。

 

「待った」

 

 と菜々がそれを制した。

 

「なんでこんな事したの? 教えてくれてもいいよね? ほら、冥土の土産、ってヤツで色々解説してくれるのがお約束じゃない」

「なるほど、それもそうですね。いいでしょう」

 

 言ってみるもんだなあ、という菜々の胸中はしまわれたままだった。

 

―ガクン。

 

 途端、工場長さんは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 そして、黒い水のような物がその身体から滲み出て来る。

 

―モゴモゴ

 

 その水はあっという間に形を変えて人型へと変化した。

 古風な羽織りと袴を着た恰幅のよい体形だったが、顔だけが人ではなかった。

 本来顔があるべき場所には紐で巻かれた布製の何かが鎮座している。

 もしも菜々に知識があったのなら、それは江戸時代に使われていた財布である事が分かっただろう。

 

「はじめまして。手前は小さいながらこの地で商いを営んでおりますエチゴヤリアン、と申します」

「あ、それはどうもご丁寧に……」

 

 恭しく一礼をされて菜々も思わず返礼してしまった。相手はセルリアンなのにね。

 瞬間……!

 

「こちらはつまらない物ですが」

 

 菜々がほんの一瞬意識を逸らした瞬間に、エチゴヤリアンがいつの間にやら間合いを詰めていた。

 あと一歩を踏み込めば菜々の喉元へ手が届くといった距離。

 

「つまらないものですが、お近づきの印によかったらどうぞ」

 

 必殺よりも一歩手前という絶妙な距離感からエチゴヤリアンが両手で菓子折りを差し出して来た。

 

―パカリ

 

 勝手に開いた菓子折りからは目も眩まんばかりの黄金の輝きが溢れ出す!

 

「貴女様のお好きな山吹色のお菓子にございます」

 

 中には紙を巻いて束ねられた小判がギッシリと詰まっていた。

 これはエチゴヤリアンの技の一つ“ソデノシタ”である。

 黄金の魅力で人を惑わし催眠状態へと陥らせて意のままに操るという恐ろしい技なのだ。

 この技を使い工場長さんも操っていたというわけである。

 

「(くっくっく。この技は人間が持つ金銭への欲求を巧みにつく。いまだかつて一度たりとも外した事のない必殺技よ!)」

 

 エチゴヤリアンは自分の勝利を確信した。

 あとは隠れているゲンブの側近を探し出して同じように自分の支配下へ置けばよい。

 が……。

 

「ええと……ごめん。なんか食べられそうに見えないんだけど……」

 

 菜々はキョトンとしていた。

 

「あれ? ええと……山吹色のお菓子にはご興味ない……?」

 

 エチゴヤリアンも思わずキョトンとしていた。

 

「そもそもこれ……なに?」

 

 菜々は困惑のままに訊ね返す。

 エチゴヤリアンの“ソデノシタ”は黄金の魅力でもって対象の心を惑わす。

 が、そもそもセルリアンとの戦いが激しかった別世界で育った菜々には小判の魅力というのがイマイチよくわからなかったのだ。

 菜々はニンジャではあるけれど忍者ではないのでしょうがないね。

 

「ええい……!! こうなれば!!」

 

―バッ

 

 大きくバックステップで距離を取り直すエチゴヤリアン。

 両手をスッと構えて、そして二度。

 

―パンパン!

 

 と手を鳴らすと叫ぶ。

 

「先生がたー! 先生がたー! お願いします!」

 

 すると、無数のドローン達が再びエチゴヤリアンを守るように飛来する。

 こちらはエチゴヤリアンのもう一つの技、“ヨウジンボウ”である。

 機械や支配下においた者を思いのままに操り戦わせる技だ。

 続けてエチゴヤリアンは菜々に向けてビシリ、と指を差し向けると宣言した。

 

「先生方! やっちまって下さい!」

 

 その叫びに従って多数のドローン達が菜々へ向けて殺到し群がり、その姿を覆い隠す。

 さながらミツバチがスズメバチに対抗する為に作り出す蜂球のようだ。

 ドローンが群がっているから菜々の安否はわからない。

 が……。

 

―ポトリ

 

 と一機のドローンが地面に落ちたのを皮切りに、ボロボロとその全てが墜落して動きを停めた。

 その後から姿を現したのは菜々ではなかった。

 オレンジ色の着物。同じ色の袴は足先に向けてわずかに膨らみ、ふくらはぎ辺りから脚絆でまとめられていた。

 そしてサイドテールでまとめられたレモンイエローの髪。まとめられたテールの逆側にはキツネを模した面が横被りにされている。

 さらにその頭には毛先だけが黒いキツネの耳。そして尻尾も豊かな毛並みで膨らみを見せるキツネの物が生えていた。

 まるでニンジャのようなその姿こそ……。

 

「通りすがりの正義の味方。クロスレインボー。推参ってね」

 

 クロスレインボーキタキツネモードである。

 ただの小娘と思っていた菜々の変身にエチゴヤリアンは慌てふためく。

 だが、先程倒された物より数倍はいるであろうドローンがまだまだ健在だ。

 

「ええい! 通りすがりの正義の味方とてかまいやしません! 先生方! やっちまっておくんなさい!!」

「だから無駄だったら」

 

 先程とは比較にならない数のドローンが飛来するもののクロスレインボーは至って冷静だった。

 

「忍法! 木の葉手裏剣!」

 

 クロスレインボーの叫びと共に、一陣の風が巻き起こり、それに巻き上げられた無数の木の葉がドローン達を迎撃していく。

 ドローン達は再びボトボトと地に落ちていった。

 しかも今度は視界を埋め尽くしていたドローン達全てが、だ。

 つまり……

 

「全滅……だと……!?」

 

 エチゴヤリアンはその結果に呆然とする事しか出来ない。

 次は自身の番に違いない。

 と、思ったら……

 

「あぁー!?」

 

 意外なところから声があがった。

 隠れていたアカミミガメがドローンの全てが落ちた事にショックのあまり声をあげてしまったのだ。

 数機ならともかく、工場中のドローン全部修理となったらいったいいくらかかるのか、考えただけで頭が痛い。

 

「(チャンス!)」

 

 そこにエチゴヤリアンは勝機を見出した。

 

「修理代の事なら手前どもにお任せを。その代わり例の件……お願い致しますよ」

 

 いつの間にやら、エチゴヤリアンはアカミミガメの背後に回り込んでいた。

 そしてその耳元に囁くようにしつつ、目の前に先程袖にされてしまった山吹色のお菓子を差し出す。

 と、アカミミガメの目から光が消えた。

 そして……

 

「ふっふっふ。エチゴヤリアンさん。そなたもワルですねえ」

「いえいえ。貴女様ほどでは」

 

 言いつつ二人して高笑いを上げる。

 今度はクロスレインボーが呆然とその光景を見守る番だった。

 

「さあ、先生! それではお願いしやすぜ!」

「どぉれ。軽く一捻りしてやりますよ」

 

 エチゴヤリアンがビシリと指さす先、クロスレインボーの方へ向けてアカミミガメがゆらりと歩み出る。

 エチゴヤリアンの“ソデノシタ”によって支配下に入れられ“ヨウジンボウ”によって操られているのだ。

 

「曲者め! そこになおれい!」

 

 アカミミガメの右手に亀の甲羅を模した大きな盾が現れる。

 “ヨウジンボウ”によって操られた事でフレンズ本来の力を引き出されているのだ。

 

「シールドッ! バアァアアッシュ!!」

 

 そのまま盾を構えて突撃してくるアカミミガメ!

 

「うわわっ!?」

 

 幸い、スピードはそれ程ではないからクロスレインボーはジャンプ一番、飛び上がってその攻撃をかわした。

 しかしこれはまずい。

 アカミミガメは操られているだけだから傷つけるわけにはいかない。

 ならばどうするか。考えているうちに……。

 

「ふ。甘いですよ! シールドブーメランッ!!」

 

 アカミミガメが手にした甲羅型の盾を空中に逃れたクロスレインボーに向けて投げつけて来た。

 まさか追撃が来るとは予想していなかったクロスレインボー。

 空中では逃れる術もない。

 クロスレインボーはただガードを固めるしかなかった。

 彼女に向けて飛ぶ甲羅型のシールド。激突する寸前……

 

「なっ!?」

 

 アカミミガメが驚きの声を上げる。

 クロスレインボーの姿が消えたからだ。虚しく空を切った甲羅型の盾は大きく弧を描いてアカミミガメの手へと戻る。

 

「やあ。危ないところだったね」

 

 新たな闖入者にアカミミガメは身構える。

 クロスレインボーをお姫様抱っこしているところから察するに、彼女が空中でクロスレインボーをかっさらっていったのだろう。

 対するクロスレインボーはというと何故か呆れ顔だった。

 

「マルタタイガー。貴女、出て来るいいタイミングを探ってたでしょ」

「せっかくだから、格好よく登場したいからね」

 

 クロスレインボーの指摘にも新たな闖入者ことルターは悪びれる様子もなく続けた。

 

「カラカルに言われてね、クロスレインボー、キミを手伝いに来たのさ」

 

 それにクロスレインボーは「ああ、結局和香さんの手伝いが無くて家でゴロゴロしてたから掃除の邪魔になったんだな」と察した。

 そしてそれはほぼ正解ではあった。

 ただ、助かったのも事実ではある。

 

「ええい!? 貴様何者じゃ!?」

 

 せっかく大逆転のチャンスに現れた闖入者にエチゴヤリアンは地団駄踏んで苛立ちをあらわにする。

 それに応える代わりに、ルターはブレザーのポケットから豪華な飾りのついた香水瓶を取り出す。

 

「コネクトフレグランス……メタモルフォーゼッ!」

 

 と、同時、ルターの姿をサンドスターの輝きが包んだ。

 それが晴れると現れたのはオレンジ色のブレザーとチェック柄のスカートそして豪奢な巻き髪のフレンズである。

 

「ゴールデンタビータイガースタイルッ!」

 

 明らかに強そうな雰囲気に気圧されてエチゴヤリアンは一歩を退いた。

 それに構う事なく変身を果たしたルターは一歩を踏み出しつつ言う。

 

「さて、何者だ、と聞かれたならば応えなくては美しくない」

 

 ルターは芝居がかった調子で一礼をしつつ宣言する。

 クロスジュエルチームの皆で考えて割とあっさり決まった呼び名を。

 ダブルクロスに代わる自身の名を。

 

「クロスローズ。通りすがりの正義の味方さ」

 

 天然石のローズクォーツから取った名前ではあるが、いつもバラを持ち歩いているルターにはピッタリだったので満場一致で可決した呼び名である。

 そしてクロスローズの名に恥じる事なく、彼女の必殺技は……

 

「百花繚乱ッ!!」

 

 である。

 クロスローズが手をかざすとそれに従ったように無数の薔薇が周囲を埋め尽くし、視界を塞ぐ。

 視界を奪われたエチゴヤリアンが焦って叫ぶ。

 

「先生ッ! 先生ッ!! 数が増えても構う事はありません! やっちまって下さい!」

「って言われても……」

 

 アカミミガメだって命令されても視界一杯に薔薇の花吹雪が舞っていてはどうしようもない。

 彼女が戸惑っているうちに……

 

「美しいお嬢さん。キミに悪党の手先は似合わないよ」

 

 花吹雪に紛れて接近していたクロスローズがアカミミガメの顎に手をあてて囁いていた。

 いわゆる顎クイというやつだ。

 

「は、はい……」

 

 花吹雪舞う状況でそんな事をされては操られている状態のアカミミガメでも目がハートマークになっていた。

 ルター……もといクロスローズは女性にいつもこんな言動をする。

 和香教授譲りの行動ではあるのだが、見習った人と同じで耐性のない者にその効果は抜群だ。

 

「ではあとは任せるよ。クロスレインボー」

 

 クロスローズはアカミミガメをお姫様抱っこにするとそのまま大きく飛び退る。

 と同時、百花繚乱による花吹雪も嘘のように消え去った。

 

「あ……あれ?」

 

 あとに残るのはただ呆然とするエチゴヤリアンただ一人である。

 

「転身……ッ! チーターモードッ!!」

 

 対するクロスレインボーは既に必殺の構えに入っていた。

 纏う忍者装束はヒョウ柄に変化し、草履からは床をガッチリと掴む爪が引き絞られた弓弦のように力を解き放つ時を待っている。

 そしてその指先には猫科の鋭い爪がギラリと輝いていた。

 

「瞬・閃・撃ッ!!」

 

 必殺技の宣言と共にクロスレインボーは一条の矢となってエチゴヤリアンへ飛び込んだ。

 

「ヒ、ヒィイイイ!? 命ばかりはお助けぉおおおお!?!?」

 

 というエチゴヤリアンの悲鳴を無視する形でクロスレインボーの爪が振るわれて……

 

―パッカァアアアン?

 

 と小気味のよい音と共にエチゴヤリアンはサンドスターの粒子へと還っていった。

 

「……んー……?」

 

 クロスレインボーは一刀の下にエチゴヤリアンを撃破した自らの手をワキワキと開いたり閉じたりする。

 その様子にアカミミガメを抱えたクロスローズが近づいて来た。

 

「どうかしたかい?」

「いやぁ……なんか手応えが変だったような気がしたなあ……って」

 

 クロスレインボーの返事にクロスローズも周囲に漂うエチゴヤリアンの残滓をあらためて見てみる。

 だが、特に何かおかしな点は見当たらなかった。

 だからこう結論付けた。

 

「きっと気のせいさ。セルリアンも倒したのだからこれで一件落着だろう」

「そうかな……」

 

 クロスレインボーもしばらく考えたが、確かにセルリアンは倒した。

 その支配下に置かれた工場も元に戻るだろうし、工場長さんもじきに目を覚まして正気を取り戻すだろう。

 撃破してしまったドローンの修理代の事はあるだろうが、一応交換しやすそうなプロペラなんかを狙っているからそこまで手間でもないだろう。

 ということは、そのうち“けもテモテー”の供給も元に戻るという事だ。

 つまりはクロスローズの言う通り一件落着なのである。

 

「そうだね」

 

 クロスレインボーも同じように結論付けた。

 あとは相変わらず目がハートマークになっているアカミミガメをゲンブのところに送り届けて任務完了だ。

 

「そういえば、今日の夕飯なんだろうね?」

「カラカルの事だから美味しいに決まっているさ」

 

 クロスローズの返事にクロスレインボーも、違いない、と相槌を打つのだった。

 

 

の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の  の

 

 

 どことも知れぬ闇の中。

 エチゴヤリアンはただただ平伏する事しか出来なかった。

 確かにクロスレインボーの必殺技を受けたはずのエチゴヤリアンは何故か生きていた。

 それはエチゴヤリアン最後の技、『イノチゴイ』の効果である。

 これは自らの窮地に、その死を偽装して一時的に身を隠す技だ。

 その効果は手練れのクロスレインボーとクロスローズの二人をも欺いて見せた。

 そんなエチゴヤリアンが平伏する事しか出来ない理由は一つ。

 自らの前に圧倒的な強者が存在するからだ。

 

「エチゴヤリアン。別に我が主は怒ってなどおらぬ」

 

 エチゴヤリアンの前に立つ強者の一人、セルビャッコは鷹揚に頷いてみせた。

 

「左様。我が主は作戦目的は完遂出来た、とお考えだ」

 

 その隣にはセルセイリュウがいる。

 

「まあ、当初の目標よりも幾分手狭な拠点となったがな」

 

―パチン

 

 セルセイリュウが部屋の電灯スイッチを入れた。

 と、どことも知れぬ闇が晴れてワンルームアパートの部屋が露わになった。

 単身者向けのアパートの一室なので四人もいると幾分手狭感がある。

 セルビャッコとセルセイリュウには与り知らぬ事ではあるが、この部屋はつい最近までハクトウワシが住んでいた場所であったりもした。

 

「は、ハッ! 本来であれば姫に相応しい居城を用意すべきところ、通りすがりの正義の味方を名乗る輩の邪魔が入りまして……」

 

 エチゴヤリアンは尚も平伏したままだった。

 その相手は目の前のセルセイリュウ、セルビャッコに対してもそうだったが、一番畏れていたのはその奥に鎮座する異世界の女王に対してだった。

 エチゴヤリアンはつい最近、この女王に捕らえられて彼女達に協力させられていたのだ。

 

「まぁ、いいよ。この狭さも趣きがあって嫌いではないし」

 

 見た目は日焼けしたような褐色の肌色をした少女。これが異世界の女王であると言われても普通ならば信じがたい。

 だが彼女の放つ威容はセルセイリュウやセルビャッコを圧倒するものだ。

 

「それに、必要な軍資金は殆ど確保できたからね。あとは計画を微修正するだけだよ」

 

 エチゴヤリアンが“玄武花”を横流ししていたのは、この異世界の女王の企みによるものだった。

 その先に何をするつもりなのか、エチゴヤリアンは知らされていない。

 

「それよりも、今日は引っ越し祝いでしょう。始めましょう」

 

 女王の合図に、残る二人の視線もエチゴヤリアンへと向く。

 

「ハッ! かしこまりました!」

 

 エチゴヤリアンは一も二もなく返事した。

 「なんで手前が」と思わなくもないエチゴヤリアンであるが、目の前の三人いずれもが機嫌を損ねれば命の保証がない相手である。

 だから大人しく従う他はない。

 エチゴヤリアンは土鍋をセットした卓上コンロに火を灯した。

 今夜はすき焼きである。

 

 

 

 けものフレンズRクロスハート第29話『菜々の色鳥忍法帳』

―おしまい―




【セルリアン情報:エチゴヤリアン】

 古の時代に大商人が使っていたとされる財布に憑りついたセルリアンである。
 イリアやレミィと同じように長い時代を生きて来たセルリアンで人間社会に溶け込んで暮らして来た。
 特にお金にまつわる人の感情を糧にしている。
 その技も多彩でパワーには劣るものの、厄介なセルリアンだ。
 黄金の魅力で人を惑わせ支配下に置く“ソデノシタ”や支配下に置いた者を自在に操る“ヨウジンボウ”などが得意技だ。
 さらに、やられそうになった時には自らの死を偽装する“イノチゴイ”があるので、かなりしぶといセルリアンである。
 どうやら異世界の女王に囚われて、その計画に協力させられているようであるが果たして……


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。