デイジィとアベル(一)決戦前の蜜月 (江崎栄一)
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第一章 コナンベリーのひととき 〇一 プロローグ 旅立ちを前に 

登場人物
 デイジィ   女剣士
 アベル    青き珠の勇者
 バハラタ   海賊の頭。義賊
 ユリカ    給仕の女
 モコモコ   力持ち
 ティアラ   赤き珠の聖女
 ドドンガ   ティアラの家来
 ヤナック   魔法使い
 ザナック   ヤナックの師匠
 チチ     スライム
 カカ     スライムベス
 オルテガ   アベルの父
 国王     アリアハン国王
 ミネア    占い師の少女
 殺人エイ   アベルを襲撃する
 フレア族   バハラタの船を襲撃する
 プレシオドン 海竜型の巨大モンスター
 バラモス   魔王
 ゾーマ    古代エスターク人の残留思念
 ジキド    バラモス親衛隊の隊長


 アベルの家の前。あたしは一人、手すりに腰かけて佇んでいた。晴れ渡る空を飛ぶ鳥の鳴き声だけが静かに響き渡る。目の前の野原と、そこに点在する民家も平和そのものだ。一昨日の戦禍がうそのように、このアリアハンという田舎の城下町は平和を取り戻していた。

 きっと、この村はずっと静かな時を送っていたんだろう。この景色を見ているとそう思える。アベルやモコモコがあんなに純朴なのも頷ける。

 にやついていると、背後からドアの開く音がした。

「デイジィ。お待たせ」

 アベルが立っていた。そろそろ出発しようと、あたしが声をかけてからどれほどの時間も経っていない。長身に浅黒く焼けた筋肉質な肉体。勇者の衣を身に着け、背中に稲妻の剣、額には青き珠を埋め込んだサークレット。冒険の支度は整っている。

 青き珠が太陽の光を受けて煌めいた。真の勇者がこの球を持つとき、伝説の竜を封印する力が生まれるという。その勇者があたしの目の前にいるアベルだ。

 そういうあたしも、革の鎧に隼の剣、手には青い兜。旅の準備は万全だ。

「もういいのかい」

 あたしは手すりから飛び降りた。兜をかぶりながら、アベルの近くまで駆け寄る。顔を見上げると、アベルの顔には精悍さが戻っていた。真っすぐに見つめ返す視線に、一瞬どきりとした。

 あたしが心配だったのは、アベルが負った心の傷だった。

 アベルは父との死別で傷心し、昨日から家に籠っていた。あたしたちはアベルが吹っ切れるまで待つつもりだった。あたしにできることがあるなら、何でもしてやるつもりだったが、アベルは一人で心を静めたようだ。バラモスよりも早く竜伝説の謎を解明するため今日出発すると、アベルは決意した。その言葉を受けて、ティアラとモコモコも村の皆に出発のあいさつを始めた。

 あたしはモコモコたちを待ってアベルを迎えに行くつもりだった。だが、国王の使者から城に来るように言われ、集合場所をアリアハン城の前に変えた。それで一人でアベルを迎えに来たんだ。

「ああ、もう体は大丈夫だ。ほら、この通り」

 アベルは笑顔を見せて、伸びをした。どこか力がなく、強がっているように見えた。顔に疲れが見える。

 それもそのはずだ。一昨日、あたしたちはこのアリアハンでバラモスの襲撃を受けた。刺客は凄腕の戦士、呪いの兜で魔族の操り人形と化した人間だった。そいつとは、ホーン山脈であたしも手を合わせた。技も力も人間の常識を超える恐ろしい男だ。その上、剣に一筋の迷いもない。ヤナックやモコモコも倒れ、このあたしですら、あと少しで殺されるところだった。

 この時はザナックのバシルーラで難を逃れたが、次に向かったアリアハンで、あたしたちは再び、この男と複数の宝石モンスターから襲撃を受けた。

 アベルは単身、この男に闘いを挑んだ。互角の勝負を繰り広げ、勝機が見えたかに思えた。だがアベルに切ることはできなかった。この男は、アベルが幼少期に別れた実の父、オルテガだった。

 アベルはオルテガと剣を交える最中、その肩に見覚えのある傷があることに気が付いた。それは、森で迷った幼少期のアベルを、豪傑ぐまから守るために負った傷だった。

 死闘を演じている相手が実の父であることを知ったアベルは剣を捨て、懸命な呼びかけを続けた。オルテガの正気を取り戻すことに成功したが、感動の親子の再開はすぐに断ち切られた。

 この光景はバラモス親衛隊長ジキドに見られていた。もはやオルテガに戦意がないことを悟ったジキドは、自らの手でアベルを抹殺すべく襲い掛かってきた。ジキドも只者ではない。亡霊の島では、あたしとアベル、モコモコ、ヤナックの四人がかりでも逃げるのがやっとだった。オルテガはアベルを守るためジキドに捨て身の闘いを挑み、奴の腕を切り落として追い返すことに成功した。

 だが、その代償はあまりにも大きかった。ジキドの剣に胸を貫かれたオルテガは致命傷を負い、アベルの腕の中で最後の時を迎えようとしていた。

「よいか。青き珠の神殿に行き、聖剣を手に入れるのだ。聖剣は青き珠の勇者、お前にしか手にすることができん」

「でも、青き珠の神殿ってのがどこにあるのかオイラ……」

 決して弱さを見せないアベルが、人目もはばからず涙を流していた。どんな勇者だって、愛する者の死を前に強がることなんてできないだろう。

「天空に……。青き珠の神殿は天空をさまよっている。不死鳥ラーミアを蘇らせ、それに乗って行けば……」

 オルテガの声に、ゴボゴボという音が混じる。喉まで血が登っていた。その声はやっと聞こえるくらい小さいものだった。

「アベル。立派に成長したお前の姿を見ることができて、わしは、わしは……」

 アベルの両眼から止め処なく涙が零れ落ちる。

 オルテガの眼が閉じた。言葉の途中で力尽きていた。安らかな死に顔だった。

「父さん、父さん……。いやだぁ! 父さん」

 アベルの悲痛な叫びが心に刺さった。

 五歳の時に生き別れ、死んだと思っていた父とやっと会えたっていうのに、あっという間に別れが来てしまった。あたしは初めてアベルの涙を見た。ずっと弱音など吐かずに隠し通していたが、ひそかに抱えていた悲しみが表出してしまったんだ。

 ずっと一人で背伸びして生きてきたんだろう。あたしたちの前でも強がっていたのかもしれない。こんなときくらい泣いたって誰も責めやしない。思いっきり泣けばいい。慰める言葉すら思い浮かばないのが、歯がゆかった。

 気が付けば、あたしの頬にも涙が伝っていた。

 あたしたちは、アベルが落ち着くのを待って、オルテガの遺体を埋葬することにした。オルテガの巨体を埋めるために大きな穴を掘った。遺体に土をかけている間も、アベルはずっと険しい顔に涙を流し続けていた。オルテガの顔が土で覆い隠されると、とうとうアベルは崩れ落ちた。無理をしないで下がっているように行ったが、アベルは頑なにその場を離れなかった。

 しっかりと土を踏み固めると、オルテガの剣を墓標にするとアベルが言った。

 すまない、アベル。あたしたちには、これくらいしかしてやれることはない。だから、日が暮れてもいつまでもそこに佇む姿を見て、一人にすることにした。かける言葉が見つからなかった。

 アベルは深夜になっても、その墓標の前から離れなかった。上弦の月を向いた寂しそうな背中を見るのは辛かった。そして、みんなが寝静まるまで家に戻らなかった。それから丸一日家に籠って顔を出さないアベルには、ティアラですら遠慮して近づかなかった。

 あたしはもう一度アベルの顔を見つめた。いままでのような精悍さだけではない、その下に悲しみも含んだ優しい顔に変わっていた。少年のように可愛らしく思えた顔が、急に大人びたようだ。

「さあ、行こう。デイジィ」

 あたしはしばらくアベルの顔から眼が離せなかった。出会った時は青臭いガキだったのに、今は立派な勇者に成長している。このあたしですら惹かれてしまう程の……。



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〇二 アリアハン城、旅の泉

 あたしたちはアリアハン城に来ていた。衛兵から王の間へ案内されると、国王と王妃が待っていた。まずはアベルとティアラから、国王に出発のあいさつをする。アベルの肩にはスライムのチチ、ティアラの肩にはスライムベスのカカが座り、同じように国王の方を向いている。

 あたしはモコモコとドドンガと並んで、一歩引いたところからその様子を見守った。国王は何をアベルに伝えたいっていうんだ。

「立派になったのう、アベル。その瞳に、昔とは比べ物にならぬほどの強い輝きがある。悲しみを乗り越えた者のみが真の強さを得るという。そなたは父の死を乗り越え、また強くなったようじゃ」

 まったく、偉そうにこのオヤジは……。

 ムーアに襲われて腰を抜かしてたあの情けない姿を思い出すと笑ってしまう。あたしが助けなかったら、こいつも宝石モンスターどもに殺されていたっていうのに。

「国王様、オイラたちはこれから聖剣と聖杯を取りに行きます。何か知っていることがあれば、教えてください」

 アベルが国王に向かって一歩踏み出した。

「そうか、ついに聖剣と聖杯のことを……」

「聖杯は、ゾイック大陸にあるということだけで、あとは何もわかっていないんです」

 王が王妃と目くばせした。そして手元の地図を広げ、一点を指さした。

「聖杯はゾイック大陸のここ、メルキドにある」

 ゾイック大陸?

「ガイア海峡を挟んで、アリアハンからすぐじゃないか」

 あたしは驚きの声をあげていた。ゾイック大陸といえば、闇のバザールで出会ったミネアの占いに出た、トビーがいるかもしれないという場所だ。

 国王は面白そうに笑っている。

「ひっでえな。そういうこと知ってんだったら、オラ達が旅立つ前に全部教えてくれりゃいいのにさ」

 モコモコがため息交じりにぼやいた。

「あのころのお前たちはまだまだヒヨッコじゃったからの。聖剣や聖杯のことなどを話してもチンプンカンプンじゃっただろう」

「ええ、まあ、確かにね……」

 モコモコは素直に認め、引き下がった。そりゃあそうだろう。あの頃のアベルとモコモコは、ただ腕っぷしが強いだけの無鉄砲なガキだった。いきなりゾイック大陸なんかにでも行ってみろ。あっさりと凶悪な宝石モンスターどもの餌食になっていただろう。そんな素直なところは嫌いじゃないけどな。

 あたしはドドンガと一緒になって笑った。

「ティアラ、聖杯は赤き珠の聖女にしか手にすることはできぬ」

「はい、何としても私の手で」

 ティアラの眼にも力がこもった。赤き珠の聖女としての使命を全うする決意ができたようだ。この少しの間でよく成長した。ホーン山脈で初めて話したころは、ただめそめそしてアベルにすがることしかできない小娘だったのに。

「国王様、聖剣は天空にあり。そのためには不死鳥ラーミアを蘇らせなければなりません。そのためには四つのオーブが必要です。オイラたちはまだ三つしか……」

「三つ揃ったか、それなら話は早い」

 国王はゆっくりと立ち上がり、歩き出した。

 あたしたちは城の地下に案内された。薄暗い、壁際のオイルランプが淡く照らすだけの造りの空間。肌を撫でる空気は、湿気を含み、冷たい。

「旅の泉だぁ……」

 モコモコが懐かしそうに言った。目の前には、旅の泉と呼ばれる、渦を巻く小さな池がある。この泉は世界のどこかに存在する別の泉と繋がっていて、これに飛び込むと瞬時に向こう側に行くことができる。

 あたしも一人で旅していた時は、何度も想いを込めて飛び込んだものだ。飛び出た先で、奴隷商人に連れて行かれた弟と妹に会えるんじゃないかって、いつも淡い期待を抱いていた。

「そなたたちは三つのオーブに願いを込めて、再びこの泉へ飛び込むのじゃ」

「では、四つ目のイエローオーブは?」

 話が見えないといったように、アベルが聞いた。

「三つのオーブが、最後のオーブへ、そなたを導いてくれるだろう」

 どういうことだ? 旅の泉にそんな機能があるとは知らなかった。願い次第でどこへでも行けるということなのか? あたしの願いがかなえられなかったのは願う力が弱かったからなのか? それとも、オーブに秘められた力が、そうさせるのだろうか。

「わかりました。よし、行こう!」

 あたしが取り留めもなく考えを巡らせている間に、アベルはもう決断してしまった。アベルの肩に座るチチも旅立ちの決意はできている。泉を見つめる視線は精悍だ。

 そうだ、迷う時間なんてない。

「おおう!」

 あたしもすぐに応じる。モコモコも同時だった。最後のオーブがどこにあるか判らないということは、この泉に飛び込んだら、いきなりモンスターの巣の中に飛び出すことだってあり得るわけだ。でも、あたしはどこへだって付いていく覚悟だ。アベルが望む限り。

 ティアラの叫ぶような声が、あたしたちを遮った。

「待ってアベル! 別々に、探しましょう。アベルは聖剣を、私は聖杯を」

 ティアラが驚くべき提案をした。

「ティ、ティアラ……」

「一日も早く竜を蘇らせなければ、世界は死せる水で覆われてしまうわ。私はガイア海峡を渡って、メルキドへ」

 すかさずモコモコがティアラの前に躍り出た。

「無茶だよティアラ! ガイア海峡はモンスターの巣なんだぞ、女の子が行くところじゃねぇ!」

 ちょっと待て、モコモコ。

「あたしも……。女なんだけど」

「オラ、お前を女だと思ってねぇ」

「なにぃ!」

 失礼なことをはっきりと言いやがって。

 それに嘘をつくんじゃない。お前はヤナックと一緒になってあたしが温泉に入っているのを覗こうとしただろう。自分で暴露しておいて忘れたのか。スケベそうな顔で笑いやがって。くそ……。

「よし、別々に探そう!」

 アベルが力を込めて言った。

「ええ!」

 何を言ってるんだアベル。戦力を分散させて、今度またジキドのような強敵に襲われたらどうする。それに、パーティ編成はどうするんだ。

「オイラ、ティアラを信じる。ティアラだって成長して、強くなっているんだ」

「アベル!」

 ティアラは感動したような眼で、アベルを見上げた。アベルもじっと見返している。また二人だけの世界に入っているようだった。長い時間見つめ合う二人を前に、胸が痛んだ。

「んじゃ、オラはティアラに付いて行く!」

「ドドンガも!」

 あたしが考えている間に話が進んでしまった。モコモコとドドンガの奴、絶対に何も考えていない。ただティアラと一緒にいたいだけじゃないか。

 だが、そんな姿勢が羨ましく感じられた。これだけ何度もアベルとティアラの親密さを見せつけられてるってのに、まだティアラを諦めないんだから。

 あとは、あたしがどちらに付いて行くか決めるだけだ。人数のバランスから考えて当然アベルに付いて行くべきだ。でも、まさかアベルの奴一人で最後のオーブを取りに行くなんて言わないよな。吹雪の剣を取りに行くときは、試練だとか言って一人で行ってしまった……。

 今回の争点は、戦力にならないティアラを誰が守るかってことだ。そう考えると、どうせアベルはあたしにティアラを守ってくれって言うんだろう。

「じゃあ、あたしは……」

 アベル……。あたしは……。

 自分から言い出すことができなかった。あたしは、やっぱり自分の気持ちに正直になれないんだ。そうやって言いよどんでいるあたしの手を、ティアラが握った。

「デイジィ……。アベルを助けてあげてね」

「ティアラ」

 あたしは素直になれない自分の気持ちと葛藤していた。

 いいのか、ティアラ。あんたの男が他の女と二人旅することになるんだぞ。だが、ティアラの瞳に曇りはなかった。そんな不安の色などなく、ただ純粋にあたしに向かってお願いしている。

 あたしのアベルに対する気持ちに気づいてないんだろう。アベルといいティアラといい、アリアハンの奴らはなんて鈍感なんだ。

「お願い」

 ティアラは懇願するように、あたしの手を強く握った。

「ああ」

 あたしは笑顔を作った。

 これしかないんだ。別に二人で遊びに行くわけじゃない。あたしにだって、アベルを助ける義務がある。アベルだけいつも辛い試練に向かわせるわけにはいかない。

 こうしてあたしたちのパーティ編成は決まった。モコモコとドドンガはティアラと一緒にゾイック大陸へ聖杯を取りに。そしてあたしはアベルと一緒に最後のオーブを取りに旅の泉へ。どう考えても戦力的に拮抗した割り振りではないが、そこはあえて言及しなかった。

 話がついたところで、国王が話し始めた。

「そうじゃアベル。金の鍵は持っているな。出すがよい」

 アベルが懐からカギを出し、国王に渡した。ナジミの塔で手に入れた不思議な鍵。この鍵を使えばどんな施錠も解くことができる。王が金庫の鍵を開けた。

「二人ともここまで成長したのなら、これが役に立つだろう。勇者の地図と、聖女の地図というものだ。これでお互いがどこにいるか一目で判る」

 国王が、折りたたまれた紙を差し出した。それぞれの地図をアベルとティアラが開くと、紙の上に青い球体が現れた。

 球体の表面に世界地図が書き込まれている。その地図を、紙から放たれる淡い光が照らした。

 あたし達のいるアリアハンの位置に、赤と青に光る点が現れた。おそらく青き珠と赤き珠のある位置を指し示しているのだろう。美しい光景だった。これが古代エスターク人の持っていた技術なのか。これほどまでに高度な技術を持ちながら、この古代文明はどうして衰退してしまったのだろうか。いつもながら不思議に思う。

「ああ、これは便利だ!」

「ありがとうございます。国王様ぁ!」

 アベルとティアラはこの便利な地図を手に入れて喜んでいる。どうせこの二人は頻繁にこの地図を開いて互いの無事を確認するんだろう。アベルが何回この地図を開くか、数えてやろうか……。

「うん。良い知らせをまっておるぞ」

 まあいい。これでアベルも少しは安心できるだろう。あたしは、それでいいんだ。あんたはずっとティアラのことを気にかけ続けてくれ。その心があたしに向くことなんて期待していない。

「落ち合う場所は。リムルダール。いいな、ティアラ」

「ええ、必ず」

 アベルがティアラの手を両手で握り、真剣な眼で見た。ティアラの眼にも固い決意がある。二人の顔は、唇が触れてしまいそうなほど近づいた。あたしが眼を背けようと思ったとき、二人の肩の上に座っていたチチとカカがすり寄り、キスをした。その様子を見た二人は顔を赤らめて、やっと顔を離した。

「行こう、デイジィ」

 アベルはあたしに真剣な視線を送った。

「ああ!」

 あたしはアベルの眼を見つめ返し、一緒に旅の泉へ飛び込んだ。最後のオーブの元へ導かれることを願って。

 これでいいんだ。

 あたしたちは馴れ合いの関係じゃない。アベルは、あたしの相棒なんだ。



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〇三 荒れ果てた神殿

 一瞬の後、あたしとアベルは石造りの神殿へ飛び出ていた。

 静かで、薄暗い。空は雨雲で覆われ、湿度の高い、まとわりつくような風が吹く。

 異常な光景だった。神殿の柱や天井は崩れ、廃墟となっている。もはや神を祀る場としての用は為さないだろう。崩れた部分に風化の跡がない。この破壊があったのはかなり最近だということだ。バラモスの手の者に破壊されてしまったのということであれば、ここは竜伝説を解く上で重要な場所だったということになる。

 アベルもこの状況を見て警戒したんだろう。顔と姿勢に緊張が見える。周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩き出した。あたしはその背中から離れないように、付いて行った。

 しばらく二人で歩き回り、見晴らしのいいところまで来た。あたしたち以外に動くものの気配はない。人もモンスターもいないようだ。とりあえずは警戒を解いてもいいだろう。

「アベル。ここはどこなんだ?」

 息を殺すのをやめて問いかけると、アベルは勇者の地図を開いた。再び紙の上に球体が浮かび上がる。あたしも覗き込んで、地図の青い点を探した。

「中央大陸の南東の果て。コナンベリーというところだ」

 アベルは青い点があるところを指さした。

 アリアハンと経度の差はほとんどない。同じ中央大陸の中を、真っすぐ南下しただけだ。今は昼間だということになる。この暗さは、空一面を覆う雨雲のせいか。

「ふうん。本当にこんなところに、最後のオーブがあるのか?」

「……とりあえず、行ってみよう」

 旅の泉に飛び込む前に、ちゃんと最後のオーブの元へ導くように願いを込めた。よこしまなことは考えなかったはずだ……。国王の行ったことに間違いがなければ、三つのオーブが、最後のオーブを求めるあたし達をここに導いたのは間違いないだろう。しかしこの荒廃した有様を目の当たりにすると、不安はぬぐえなかった。いくらなんでもこんな廃墟に最後のオーブがあるとは思えない。

 あたしの前を歩くアベルの背中に迷いはなかった。こういう不安な状況を前に佇むあたしたちを置いて、いつも先へ行ってしまう。どんな状況だって、何とかしてみせるって思えるんだろう。何を根拠にそう思えるのかわからないが、今までそれで何とかなってきた。今回もそれに従うことにした。

 しかしここは見れば見るほど荒らされ方が酷いことがわかる。今までに見たどんな建物よりも頑強な作りだというのに、破壊の度合いも尋常ではない。巨大な石造は根元から折れ、かつては噴水だったはずの水たまりに倒れ込んでいる。ここまでの破壊行為は普通の人間にはできない。バカでかい宝石モンスターか、ヤナックが使うような爆発系の呪文でもなければ不可能だろう。いったい、ここまで徹底的に破壊する理由はなんだろうか。破壊自体が目的ではないとするならば、ここにあった何かを徹底的に探した痕跡なのではないか。

 あたしが石造の前で足を止めている間に、アベルの姿が見えなくなっていた。慌てて周囲を見渡し、石板の前に佇むアベルの背中を見つけた。そこに刻まれた文字を読んでいるようだ。

「どうした、アベル」

 あたしは走り寄った。

「なんて書いてあるんだ?」

「ここは……。不死鳥ラーミアが眠る神殿だったんだ」

 そういうことか。

 聖剣のある天空へは不死鳥ラーミアの力がなければ、人間には辿り着けない。バラモスが、あたしたちの道を塞ぐためにラーミアの卵の破壊を企てたのだろう。

「じゃあ、不死鳥ラーミアは……」

 バラモスの手の者は、何らかの理由で不死鳥ラーミアを探すよりも、神殿もろともラーミアを抹殺することを考えたのだろう。

 ラーミアの卵がないんじゃ、四つのオーブが揃ったってどうしようもない。このままじゃバラモスに先を越されてしまう。あたしはアベルの顔を恐る恐る見上げた。その顔に不安の色はない。この状況でも希望があると考えているのだろうか。

「あっちに光が見える。地図によると、町があるようだ」

 アベルが指さす方向、海岸沿いにぽつぽつと光が見える。あそこに人が集まっているはずだ。この状況で手掛かりになるものが、きっとある。

「じゃあ、行ってみようか」

 あたしたちは歩き出した。

 町までは随分距離がある。険しい山道を下ることを考えると、夜になる前にたどり着けるかどうか難しいところだ。

 神殿を出ると、細い山道があった。ほとんど獣道と言っていい。ここのところ、あまり人が通っていないのだろう。道は荒れ、行く先を阻むように草木が生い茂っている。

「デイジィ、大丈夫か?」

 アベルは道にはみ出た木の枝を剣で切り開きながら、あたしの前を歩く。

「ああ」

 もう一時間は歩き続けただろうか。依然として真っ暗な森の中だ。ずっとこんな道が続くんじゃ、思ったより時間がかかるかもしれない。

 幸いだったのは、どうやら森の中にもモンスターはいないということだった。もっとも、巨大な宝石モンスターが歩けるような道ではないが。

 不意にアベルの足元に小さな影が躍り出た。モンスターか?

 あたしが腰に帯びた隼の剣を掴むのと同時に、その影がキキッと鳴いた。

「うわぁ……!」

 緊張は一瞬で恐怖に変わっていた。

 あたしは剣を掴んだまま尻もちをついていた。ネズミだ。

 全身に鳥肌が立ち、吐き気が込み上げてくる。

 あたしが震えながらも必死に後ずさりしていると、アベルとチチの笑い声が聞こえた。

「あはは。デイジィは相変わらずネズミが苦手なんだな」

 何をしてんだアベル。早く何とかしてくれ、まだあんたの足元にネズミがいるじゃないか。

「アベルぅ! た、助けて!」

 あたしはネズミが大嫌いなんだ。

「さ、オイラたちは何もしないから、行きな」

 アベルはネズミを抱き上げて、草むらの中に置いた。ネズミは一瞬アベルの顔を見たあと、素早く森の中へ消えた。アベルはその姿を笑顔で見送った。

 もしかしてこの辺りにはモンスターがいないから、ネズミがたくさん発生してるんじゃないか。こんなだったらモンスターだらけの森の方がマシだ。

「行こう、デイジィ」

 あたしの呼吸が落ち着いたころ、アベルが手を差し出した。優しく笑うアベルの顔を見つめながら、あたしも手を伸ばした。アベルはしっかりと手を握ると、あたしを引き起こした。

 何とか立ち上がったが、膝が抜けていた。引き起こされた直後、踏ん張りがきかなくて、アベルの胸に顔から突っ込んでしまった。

「大丈夫? デイジィ」

 あたしはアベルの分厚い胸板に顔を埋め、腰に手を廻して何とか体勢を整えた。

「た、助かったよアベル。ありがとう」

 アベルはあたしの両肩を掴んでしっかりと支えると、満面の笑みを見せた。安堵が広がった。モンスターだろうがネズミだろうが、何が出てきてもアベルと一緒なら大丈夫だ。

 あたしはアベルとの距離を少し縮めて、後について行った。

 アベルはあたしのことをどう思っているんだろうと考えた。仲間として信頼してくれているのはわかる。ネズミを見て怯えるような情けない姿を晒しても、非難することもなく優しく助けてくれる。でもそれは、あたしが頼れる闘いの相棒だからというだけなんだろうか。やはりあたしが女だから、こんな情けない姿を見せても優しく助けてくれるんだろうか。

 それから随分長いこと歩いた。何せ森が深すぎて、道なき道を行くようなものだった。歩く速さが制限された。ようやく開けた場所に出るころには、もう日は暮れ、疲れ果てていた。

「ここがコナンベリーの町で、間違いないようだ」

 アベルが勇者の地図を指さしながら言った。さびれた町だが、それなりに人の気配はある。

「どうする? 今から町の人間に聞いて回るのか?」

 あたしはゲンナリしながら言った。他に何も手掛かりはなさそうだ。とりあえず誰か情報を持っている奴がいないか、探すしかないだろう。しかし、イエローオーブなんてものの存在を知っている人間はいるのか? それともラーミアの神殿の近くだから、案外簡単に情報が手に入るんだろうか。

 本当はもう休みたい気分だ。それはアベルも同じだったようだ。

「まずは宿屋を確保しよう」

 宿屋……?

 あたしはアベルの顔を覗き込んだ。しまった、アベルとの二人旅に浮かれて、細かいことを考えていなかった。イエローオーブ探索と不死鳥ラーミアの復活なんて、当然一日で終わるような旅じゃない。リムルダールでモコモコたちと落ち合うまでの間、ずっとアベルと二人きりで夜を過ごすことになるんだ。

 今まで二人きりで会っていたのなんて、ヤナックとモコモコが寝付いたあとに、剣術の修行を付けてやったときくらいじゃないか……。

 アベルは屈託のない顔であたしの顔を覗き込んでいる。

「あ、ああ、そうだな……。今日はもう何もできそうにない」

 あたしは目を伏せて、平静を装った。鼓動が高まっていた。

 早速アベルが歩き出した。建物の看板を見ながら歩く、その背中をあたしは追った。町の奥に進むにつれて、街路は明るくなり、人通りも増えてきた。変な気分だった。部屋を取るために、こうやってアベルと二人で夜の町を歩くなんて。

 あたしたちは、最初に見つけた宿に入った。どこにでもある普通の宿であることに落胆した。別に、豪勢な部屋を取りたかったわけではないが……。

「こんなさびれた町だけどね、最近はここに流れてくる人が多いんだ」

 宿屋のオヤジが笑顔で答えた。

「一部屋も空いてないのか?」

「運がよかったよ、お兄さんたち。どこの宿屋も満室だって聞いてるけど。うちは、ちょうど二人部屋に一つだけ空きが出た」

 一部屋だけ……?

 だったら必然的にあたしはアベルと同じ部屋で寝ることになる。今までだって一緒に野宿したり、同じ部屋で寝たことはあった。だけどその時はヤナックやモコモコが一緒だった。二人きりなのは初めてだ。

「デイジィ、ここにしよう」

 屈託のないアベルの視線を、あたしは見つめ続けることができず、下を向いた。

「あ、ああ……。いいんじゃないか」

 通された部屋は、中央にベッドが二組、窓際に二人掛けのテーブルセットが一式あるだけの簡素な作りだった。

 あたしは兜を脱いで、ベッド脇のサイドテーブルに置いた。チチは疲れていたのか、あたしの兜の中に身体を潜り込ませ、寝入ってしまった。

 窓から風が入る。少し湿気は強いが、昼間よりも幾分か熱が取れている。長時間歩いてべたべたした身体には気持ちよかった。

 窓の外は賑わいを増していた。一杯やった後の男たちが、ふらふらしながら道を歩く。店主の言うように、それなりに人は多いようだ。思っていたほど寂れた町じゃない。

 すぐ後ろにアベルの気配がある。

「アベル、飯でも食べにいこうか……」

 あたしは振り返らないで言った。どんな顔をして話しかけたらいいか、わからなかった。

「そうだな。でもオイラ、先に身体を洗いたいな。宿屋の一階に風呂があるからさ」

 風呂? 確かに、あたしも身体を洗いたい。こんな日は特に……。

「あ、ああ。それもいいかもな」

「デイジィ。先に入ってこいよ」

「え……?」

 女に汗を流すように促すなんて、アベルの奴、何か変な期待をしているんじゃないだろうか。

 あたしが呆然と見つめていると、アベルは慌てたように身体の前で手を振った。

「あ、いや。オイラたちも結構貴重なものを持ってるだろう。オーブとか宝石とか、一人は部屋に残って荷物を見張っていた方がいいと思うんだ」

 なぜかがっかりしたが、あたしは風呂へ向かうことにした。



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〇四 アベルの引け目

 窓の外がにぎやかだ。でもその喧騒が、どこか遠くの世界で起こっているように聞こえる。オイラ、どうしてしまったんだろう。デイジィを風呂へ見送ってから、急に落ち着かなくなってきた。

 デイジィのことばかり考えて、他のことに頭が回らない。

 もっと慎重にパーティ編成を決めた方がよかったのかもしれない。ティアラに言われてパーティを二手に分けたときは、ただ純粋に戦力として問題ないだろうと考えただけだった。オイラとデイジィの方に不安がないのはもちろんだけど、ティアラたちだって大丈夫だ。戦力にならないティアラのことは、モコモコとドドンガが守ってくれる。何も気にする必要はなかったはずなのに、まさかデイジィとの会話に気を使うことになるなんて。

 不思議だ。冒険の仲間として、デイジィのことは誰よりも信頼しているのに、二人きりになると緊張してしまう。

 今まではヤナックやモコモコと一緒だから、話が途切れることもなかった。オイラとモコモコは旧知の仲だし、ヤナックがデイジィにちょっかいを出したり、デイジィがモコモコをからかったりして、いつも賑やかだった。そうやって思い返してみれば、オイラはデイジィと二人で冗談を言い合ったりするような関係じゃなかった。話すのはいつも冒険や闘いのことばかりだった。

 一方、この二人旅が始まっても、デイジィの様子はいつもと変わらない。オイラに対して素っ気ないくらいサバサバしている。

 ちょっと短気なところもあるけど、闘いに関しては冷静で強い、オイラが一番頼れる仲間だ。それでいてネズミが怖いなんて、かわいいところもある。

 デイジィ……。

 オイラはもしかしてずっとお前に引け目を感じていたんじゃないだろうか。そんなことを、ふと思った。

 オイラがここまで強くなれたのはデイジィのおかげだ。鋼の剣を手に入れたばかりの、剣の振るい方なんて知らないオイラに本格的な剣術の指導をしてくれた。オイラにとってデイジィは、仲間であると同時に師匠でもある。

 それだけじゃない。水龍との闘いで瀕死の重傷を負ったオイラを、自分だって傷ついているのに、ヤナックの師匠であるザナック様の元へ背負って送り届けてくれた。オイラを救うためにパデキアの葉が必要だとわかったら、ティアラと一緒に危険な洞窟を探検して探し出してくれた。命の恩人でもあるんだ。

 デイジィに出会えなかったら、今のオイラはいない。今日までの冒険のどこかで宝石モンスターに殺されていただろう。

 でもデイジィはオイラに対して恩着せがましいことを言ったこともないし、偉そうな態度を取ることもない。昔、金にならないことはしないと言っていたけど、それが嘘だってことはもうわかっている。打算なく人を助ける優しい心の持ち主だってことが。

 そもそも、その強さも、金への執着心も、奴隷商人に連れ去れらた弟と妹を探し、買い戻すことが目的で身に着けたものだ。その心に打算などあったはずがない。

 そんなお前の優しさに対して、オイラはまだ恩返しができていない。

 デイジィは強いから、オイラなんかいなくたって、なんでもできてしまう。こんなことでは、いつまで経っても借りを返せない。

 そんなことに、オイラは引け目を感じていたんだろう。そのせいで気安く話しかけられないんだろうか。今まではモコモコやヤナックに甘えて、デイジィに対する感謝や引け目を隠してきたのかもしれない。

 オイラがもっと強ければ……。

 オイラは稲妻の剣を抜いた。ホーン山脈で、ザナック様にもらった剣だ。この剣は凄い。オイラの実力以上の力を引き出してくれる。

 デイジィの兜が眼に入った。オイラがここまでバラモスの宝石モンスターたちと闘えるようになったのは、もちろんデイジィに鍛えてもらったおかげだし、この剣があるからでもある。

 まだまだ剣術ではデイジィに及ばない。もっともっと修行しなけりゃ、デイジィには追い付けないんだ。そうならない限り、オイラはずっとデイジィに引け目を感じ続けることになる。

 剣を鞘に納め、オイラは窓辺の椅子に座った。

 昔のことを思い出していた。

『知っているだろう。あたしは金にならないことはしないんだ』

 ある夜、デイジィが一人で剣の修行をしているところを目撃した。満月を後ろに軽快な足さばきで剣を振るうその姿に見とれてしまったんだ。デイジィの剣術に心を奪われたオイラは、すぐに土下座して教えを請うたんだ。

 あのときのオイラは自分の無力さを痛感していた。手に入れたばかりのハガネの剣の威力に慢心し、無謀にもバラモスに単身闘いを挑んだ。結果はもちろん、こてんぱんにやられた。命が助かったのが奇跡だった。

 デイジィは最初のうちは頑なに教えることを拒んでいたっけ。オイラがあんまりにもしつこいもんだから、デイジィはオイラを諦めらせるために追いかけっこを提案したんだ。デイジィがオイラから奪った道具袋を、奪い返せたら剣術を教えてやるって。

 でもデイジィほどの実力者は、あのときのオイラにはとても捕まえることはできなかった。何度飛び掛かっても、避けられ、投げ飛ばされ、蹴り倒され、いつしか全身が傷だらけになっていた。仕方がないから、デイジィの大嫌いなネズミを使って動きを止めたんだ。あんなに気取ってるのに、ネズミを見ただけで悲鳴をあげるんだから……。

 しかし今になって考えてみると、オイラも相当酷い奴だな。デイジィはネズミを見たら泣き出すほど怖がるって知ってたのに……。青き珠の勇者がやることか?

 そのあと、デイジィは約束通りオイラに剣術の修行をつけてくれた。毎晩デイジィにつきっきりで教えてもらった。あの頃は楽しかった。日に日に体中の傷が増えていく厳しい修行だったけど、自分が強くなっていくことが実感できた。

「アベル。なに笑ってるんだ?」

「わあ! デイジィ。いつの間に」

 デイジィはドアの前、いつもと変わらない青い革の鎧を着て、不思議そうな顔でオイラを見つめている。髪がしっとりと濡れていて、頬や肩が上気し、心なしか眼が潤んでいるように見える。

 デイジィって、改めて見てみると結構かわいいのかもしれない。

 仲間に対してそんな風に思うなんて、オイラはどうしてしまったというんだ。長い間見つめたからなのかもしれない。デイジィは眼を逸らした。

「どうしたんだい。あんたもさっさと風呂に行きなよ。あたしは髪を乾かしておくからさ」

 そう言ってデイジィは窓辺の椅子に腰かけ、外を眺めた。その女らしい姿から、オイラはまた眼が離せなくなった。風に髪を当てるその姿は、か弱くさえ見えた。

 そうだよな。デイジィだって、女の子なんだ。ずっと一緒に闘ってきたから忘れていた。髪の手入れだって気にするし、お洒落な格好だってしたいだろう。

 それをオイラとしたことが、他に空きがなかったからとはいえ、泊まる部屋を一つしか取らなかったなんて、まるでバカじゃないか。デイジィが気にしないでいてくれたらいいんだけど。

「戻ったら、飯にしようぜ」

 デイジィは笑顔だった。



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〇五 初日の夜、二人の関係

「あいにく、それも切らしておりまして……」

 いくつかのメニューを給仕のオヤジに注文したが、今日はどれもないようだった。海辺の町だというのに魚料理がないなんて。

「いったい、ここでは何がたべられるんだい」

 あたしはため息交じりに言った。

「ここのところ、急に海が汚れ出しまして、魚がみんな死んでしまったんですよ」

 はっとした様子でアベルがあたしに視線を向けた。たぶんあたしと同じことを考えたのだろう。

「海が汚れたって、まさか死せる水が? なんてこった、ここにまでバラモスの手が及んでしまったのか……」

 死せる水とは、古代エスターク人や宝石モンスターが生命の源とする液体だ。あたしたち人間にとっての水に当たる、重要なものだ。しかし、死せる水は人間や多くの生物にとっては毒以外の何物でもない。長時間触れていれば、酸のように皮膚や肉を溶かす。バラモスは世界中を死せる水で満たそうとしている。

「そうみたいだな。あいにくあたしたちがここについたのは夜だ。海を見ても気が付かなかったわけだ」

 あたしたちが旅を続けている間も、バラモスによる世界侵略は続いているんだ。あたしたちと奴らは、伝説の竜を探し出すという同じ目的を持った競争相手だ。しかし、奴らにはそれと同時に世界征服を進める余力もある。

「おのれバラモスめ……」

 アベルはテーブルの上で両手を硬く握りしめている。こいつはすぐに熱くなる。このままじゃ今すぐ外に飛び出しかねない。給仕のオヤジも不安そうな顔で見つめている。

「アベル。気持ちはわかるが、今夜は何もできやしない。腹ごしらえして、明日の朝から動き出そう」

 あたしは給仕を見た。

「何があるんだい」

「は、はい。こちらのパン、チーズ、サラダとぶどう酒を取り揃えています」

 オヤジは慌ててメニューの何点かを指し示した。

 それだけあれば十分だろう。

「いいだろ、アベル」

「あ、ああ」

 あたしは適当に料理を注文した。

 アベルは落ち着かない様子だったが、最初に出されたぶどう酒を飲むと、いくらか緊張がほぐれたようだった。

「すまない、デイジィ。オイラ、バラモスのこととなると直ぐに頭に血が上ってしまうんだ」

 眉間にしわを寄せてはいるが、冷静さを取り戻した。空になったアベルの木製ジョッキカップに、なみなみとぶどう酒を注いでやった。

「いいんだよ。そのために二人で行動してるんだ。あんたがまた無謀なことしようとしたら、あたしが抑えてやるよ」

 そう言って、パンをかじった。

「お前にはいつも面倒ばかりかけてしまうな……」

 アベルは俯きながら言った。珍しく気弱な態度だ。

 あたしはぶどう酒で無理やりパンを飲み込んで、聞き返した。

「どうしたんだい、急に」

「さっき、部屋にいるときに、昔のことを思い出していたんだ」

「昔のこと?」

「デイジィに剣術を習ったことや、今まで一緒に旅してきたことさ」

 アベルが昔のことを話すなんて珍しい。いつも前しか見ていない、猪突猛進野郎なのに。父親を亡くしたばかりだということが、感傷的にさせているのだろうか。

「さっき、一人で風呂に入っているときに考えていたんだ。今までの冒険のことを」

 きっとアベルも本当は寂しいんだ。目まぐるしく変わる事態にずっと対応してきたんだ。あんな辛いことがあったあと、くらい落ち着いて考える時間があってもいいじゃないか。

「気が付いたんだ。オイラが剣を振るう時、いつも思い描いているのはデイジィの姿なんだって」

 アベルは珍しく速いペースで呑み続ける。饒舌になっているようだから、今まで話さなかったことも聞けるかもしれない。このまま酔い潰してみたいという邪な思いもあり、またな並々とぶどう酒を注いだ。

「敵との闘いで窮地に陥ったとき、いつもデイジィの声が蘇るよ。オイラの剣術は、全部デイジィに教わったことなんだから当然なんだろうけど、どうもそれだけじゃないんだ」

 アベルは淡々と語り続けた。

「なんだよ。照れるじゃないか」

 懐かしい話だ。あの時のアベルはまだまだヒヨッコだった。力が強くて運動神経のいいだけの、単なる素人だ。あたしの旅の目的に都合がいいと思ったから仲間にはなったが、剣術の指導までしてやるつもりはなかった。

 ある日の深夜、日課である剣の素振りをしていたあたしの前に突然現れたアベルは、土下座をし、剣を教えてくれと言った。どうしてもティアラを救いたいんだと。

 あたしにとっては何の得にもならない話だったのに、教えてやることにしたのは、やっぱりあのとき既にあたしはアベルに惹かれていたからなんだろう。いつも損得勘定抜きで、誰かのために自分の危険を顧みない行動を取る姿に心を奪われていた。

「オイラたちが初めて出会ったときのこと、覚えてる?」

 アベルが真っすぐあたしを見つめている。

「当然じゃないか。あの出会いがなかったら、こうやって一緒に旅することなんてなかったよ」

「美しいって思ったんだ」

「え?」

 胸が高鳴った。

「デイジィが賞金首からオイラとモコモコを助け出した時の剣さ。奴の身体を一切傷つけずに、服だけ切り裂いた。あのとき何回剣を振るったのか、オイラには数えることができなかった。あのデイジィの姿が、未だにオイラの瞼に焼き付いているんだ。今まで気が付かなかったけど、あのときからデイジィの強さに心を奪われていたんだ」

 アベルは真剣な眼であたしに語り掛けてくる。馬鹿正直で、生真面目な眼。あたしはそんな眼が好きだ。

「正解だったよ、お前たちを助けて。おかげであたしはこうやって世界中を旅して周れる。いつかは弟も見つけられるだろうさ」

 もっとも、あのときはモコモコが大金を持ってたから興味を持ったんだけどな。おまけにアベルたちの行く先には頻繁に宝石モンスターが現れる。ケチな賞金首を狙うよりも、よっぽど実入りがいい。だから後を追ったんだ。アベルとモコモコなら与しやすいと思った。

 誤算だったのは、その後おかしなスケベオヤジが仲間に加わっていたことだ……。

「その弟だけど……。オイラ、見つかるまで必ず全力で協力するよ。デイジィから受けた恩は計り知れないんだ」

「アベル……」

 ありがとうアベル。でもあんたはやっぱり鈍感だ。あたしがあんたに求めているのは、感謝でも協力でもないんだ。



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〇六 コナンベリーの町、海賊バハラタ

「おはよう。デイジィ」

「……アベル」

 窓辺にたたずむアベルがあたしを見つめている。朝なのか。でも随分暗い。空は相変わらず、どんよりと曇っているようだ。

「珍しいよ。デイジィがこんなに遅くまで眠るなんてさ」

「すまない。あたしとしたことが」

 なんだか昨日のことが思い出せない。酒を飲みながら、アベルと昔話をしていたことは思えているんだが……。そうだ、あたしたちはひとしきり飲み食いした後、一緒に部屋に戻ったんだ。あたしは緊張して部屋に入ったってのに、アベルはとっととベッドの上に一人で大の字になって眠ってしまったんだった。調子に乗ってぶどう酒を飲ませすぎた。それで、あたしは何だか落ち着かなくて、中々寝付けなかった。

「気分はどうだい」

「ああ、大丈夫だよ。たくさん寝たからな……」

 日の高さから考えて、もう昼が近いんだろう。随分寝てしまったようだ。一日でも早くオーブを集める決意で旅立ったっていうのに。

 アベルがパンとミルクを差し出した。

「あ、ありがとう」

 こんな失態をするなんて。アベルに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。あたしはシーツに包まったままベッドに起き上がって、パンをかじった。シーツの隙間から太腿が覗いた。そういえば、今は下着しか身に着けていない。今シーツを剥いで肌を見せたら、アベルはどんな反応をするだろうか。

 あたしはパンを頬張って、ミルクで流し込んだ。

「デイジィ、そんなに急がなくても大丈夫だよ」

「早く、最後のオーブを探しに行かなくちゃな」

 アベルは立ち上がった。

「ア、アベル……。あのさ……」

 あたしは申し訳なさそうに言った。

「なんだい、デイジィ」

「ちょっと部屋から、出ていてくれないかな。まだ下着しか付けてないんだよ」

「えぇ? ご、ごめん。オイラ、外で待ってるよ」

 アベルは部屋の外へ飛び出すと、大きな音を立てて扉を閉めた。

「すぐ準備する」

 あたしの声は、心なしか弱々しく響いた。何か、大切な機会を逸してしまった気がした。

 支度を終えて、あたしたちは宿屋を出た。

 まずなにより、海を見なければならない。昨日、食堂のオヤジから聞いた、汚れた水。これが本当に死せる水なのか確かめたかった。

 海辺に向かう。

 ここは港町。何隻もの船が停泊している。しかし人の姿はまばらだった。

「死せる水が、こんなところまで押し寄せているのか」

「そうみたいだな」

 昨日、宿屋のオヤジが言っていた。急に海が汚れ出したと。見覚えのある紫色の水。ドランの都で見たのと同じ、死せる水で間違いない。

 この事実はあたしにとって驚きだった。水龍との闘いからというもの、あたしたちは度重なるバラモス軍の襲撃を受けて、防戦一方だった。常に自分たちのことで精いっぱいで、世界がどうなっているのか思いを巡らせる余裕もなかったんだ。世界は今、あたしたちが考えているよりも深刻な状態に陥ろうとしている。

「デイジィ、行ってみよう」

 アベルは町の方を向いている。この事態に愕然としている場合じゃない。本来の目的は、イエローオーブを探すことなんだ。

 あたしたちは市街地に入った。

 昼間だというのに、このコナンベリーという町は静かだった。活気がない。浮浪者がたむろし、カラスが残飯を求めて鳴く。夜の方がマシだとさえ思える。

 向かいからみすぼらしい格好をした男が歩いてくる。

 避ける素振りも一切見せずに、思い切りあたしにぶつかった。

「ちょっとアンタ!」

 よそ見をしながら歩いていたあたしも悪かったが、その男は返事もしないで去って行った。この町には、もしかしてこんな連中しかいないのか。

「ちっ……。なんて陰気な町なんだ」

 そんな捨て台詞を吐いてから正面を向くと、大きな男があたしたちの前に立ちふさがっていた。

「今じゃ世界中こんなもんさ」

 よく通る低い声。白と黒を基調にあしらえた船乗りの服。見覚えがある。

「バハラタ!」

 アベルが嬉しそうに声をあげた。

「元気だったかい、お二人さん」

 バハラタはキザな笑みを見せた。

 運がよかった。まさかバハラタと再会できるなんて。海賊として世界中を旅している男だ、オーブについての新しい情報も持っているかもしれない。それにしばらくはコナンベリーに住み着いているようだから、この町のことだってよく知っているだろう。

 しかし様子が変だ。鋭い眼光は消え、やつれた顔をしている。ジャック・スワロウとあたしが、闇のバザールで隼の剣をめぐって行われた勝負の仲立ちをしたときの、不敵な笑みは消えていた。

「せっかく再会したんだ、ゆっくり話そうぜ」

 バハラタはそう言って、あたしたちをバーへ案内した。

 驚いたことに、バハラタは昼間だっていうのに酒を頼んだ。

「ぷはぁっ!」

 飲みっぷりだけは相変わらずだ。だが、ドランの都で周りに女をはべらせていた時のような派手さはない。

「昼間っから酒とは、いい身分だな」

 あたしは紅茶を飲みながら、呆れた顔でバハラタに言った。

「なんだって、冗談じゃねぇぜ。死せる水のおかげで海が荒れちまって、どうにもならねぇのさ。海のモンスターどもはどんどん強力になってる。俺の船も何隻か沈められちまったんだよ」

「そんなにひどいのか」

 バハラタほどの男でも船を出せない。それじゃ、これからは船での移動は難しいということか。

「あんたらがのんきにしている間に、世界は変わっちまったんだよ」

 その言葉は聞き捨てならなかった。怒りが膨れ上がり、考えるより先に立ち上がって怒鳴りつけていた。

「のんきだとぉ!」

 こいつは何を言ってるんだ。あれからあたしたちがどれだけの修羅場を潜り抜けてきたと思っているんだ。もう少しで、あたしはアベルまで失ってしまうところだったんだ。

「やめろよ。デイジィ」

 アベルが落ち着いた声で制止した。

 バーの中は静まり帰り、周囲の客が怪訝な顔であたしを見つめている。

 しまった。バハラタも悪気があったわけじゃないだろう。あたしも少し神経質になり過ぎているのかもしれない。

「ま。今のは言い過ぎた。悪かったな」

 バハラタの謝罪を聞いて、あたしは腰を下ろした。

「詳しく話してくれ」

 アベルがバハラタに頼むと、バハラタは一層声を低くして語り始めた。

「バラモスは死せる水に乗じて、世界中に将軍たちを送り込みやがったんだ」

 バハラタは顔を険しくさせながら、また酒を煽った。まるでそうでもしなければ、怒りを抑えられないかのようだった。それほどまでの事態が世界を襲っているというのか。

「そして、宝石モンスターを使って、次々と世界中の国を侵略し始めたのよ」

 バハラタは今日までに闘ってきた宝石モンスターたちの話を始めた。キャタピラー、テンタクルス、ダースリカント、どれも半端なモンスターじゃない。町一つを壊滅させることくらい、造作もない圧倒的な力を持つ連中だ。

 そしてこのコナンベリーの先にあるレイアムランドは、ハーゴンという将軍の侵略を受けて壊滅したらしい。その他の地域へも同じように将軍を派遣し、制圧を進めている。

 だが、バハラタも全世界の情勢を把握しているわけではなかった。死せる水の浸食に伴って、海のモンスターたちは強力になっていった。中央大陸南東の海に生息する魚型モンスターによって、バハラタの船も何隻か沈められてしまったらしい。

 かつて世界を股に掛けた海賊バハラタといえども自由に海を行き交うことができなくなった。まるで世界中の大陸が分断されてしまったかのようだ。

 バラモスの世界侵略はなお勢いを強めている。より多くの人々が恐怖と闘っているんだ。

「ドランのような大国は軍事力で辛うじて食い止めているが、小さな国はことごとく落ちて、バラモスの支配下にはいっちまった。さすがの海賊バハラタ様もこんなところに流れてきたってわけさ」

「なんてことだ……」

 あたしの額に汗がにじんでいた。

「そんなことになっているなんて、知らなかった……」

 この事実には、さすがのアベルも驚愕の色を隠せないようだ。深刻な顔をして俯いている。今、世界中の人々がバラモスの侵略に苦しんでいる。

 どうする、アベル。バラモスに支配された国を、ひとつずつ救っていくか。それとも、敵の本丸を攻め落とすことに集中するか。

 あたしはアベルを見つめて言葉を待った。

「ねぇ坊やぁ」

 あたしたちの緊迫した雰囲気をぶち壊すような、甘ったるい声がした。アベルの後ろに給仕の若い女が立っていた。

「え、おいらのこと?」

「あたしと、パフパフしません? うふふふふ」

 あたしはまじまじと女を見た。

 なんだこの女は……。細い身体に可愛らしい笑顔は、まるであたしとは対極にあるような存在だ。胸と腰だけを隠した露出度の高い衣装。股の部分が隠しきれていない。それにパフパフなんて言葉、アベルには刺激が強いんじゃないか。

 この商売女め。あたしたちは真剣な話をしているんだ。アベルに営業をかけているようだが、無駄なことだ。こいつはそんなのに引っかかるような、だらしない男じゃないんだよ。

「ええ……。パフパフだって……」

 あたしは唖然とした。アベルがでれでれした顔をあたしらに見せている……。そこに、さっきまでの勇者の顔はなかった。あたしは深い憤りを感じた。

 アベル、あんたは、いっぱしに女に興味があるのに、あたしには無関心だってことかい。

 アベルに聞こえるように大きくため息をついた。

「ご遠慮なさらないで。とおっても気持ちいいんだから」

 そう言って女はアベルに顔を近づけて行った。

「ねぇ、いいでしょお!」

 こいつ、いいかげんにしろよ。あたしに喧嘩を売ってるのか。普通は女連れの男にしつこく営業かけないだろ。

「ちょっと! あんたねぇ!」

 あたしが声を荒げるのと同時にアベルが立ち上がった。

「お、おいら、パフパフしてもらおうかな」

「うれしぃ! じゃあ、二階でね」

「はいはい」

 女がアベルに胸を押し付けるように抱き着いた。

「アベルぅ!」

 あのアベルがまさか。信じられない。さっきのバハラタの話を聞いただろう。急がなくちゃ、世界はどんどん侵略されちまうんだよ。

 女がアベルに腕を絡ませて、身体を密着させたまま歩き出した。あたしは二階に登っていく二人の背中を呆然と見つめ続けた。

 二人の姿が見えなくなると、怒りが込み上げてきた。

 あの女ふざけるんじゃないよ。

 いや、もっとふざけてるのはアベルの方だ。だいたい、あたしの目の前で恥ずかしいとも思わないのか。

「なんだ! でれでれしちゃってさぁ……」

 あの女の容姿が目に焼き付いていた。華奢な身体にか細い手足。くったくのない笑顔。ずっと闘いに明け暮れていたあたしとは違う、女らしさ。

 アベルはこういう女が好きなのか。だからあたしみたいな女は、そもそも眼中にないってことか。

 体つきだけだったら、あたしよりもティアラの方があの女に近い感じだ。

 そこで、はっとした。

 ティアラ? そうだ、ティアラはどうなるんだ。あんたたちは相思相愛のはずだろう? 別行動を取っているのをいいことに、眼を盗んで他の女と遊ぶなんて、裏切りじゃないか。

 あたしが悶々と考えていると、バハラタの笑い声が聞こえた。

「いいじゃねぇか、パフパフくらい」

「うるさい!」

 あたしは間髪入れずに怒鳴った。

 バハラタの奴はあたしの反応を見て楽しんでやがる。あたしがどういう気持ちなのか気づいてるな。こいつは正真正銘の女ったらしで遊び人だから、女心の機微には敏感だろう。アベルの奴はこれだけ一緒にいても気づかないってのに。

「ヤナックと同じじゃないか。ったく……」

 男ってのは皆こんなもんなのか? どいつもこいつもふざけている。あたしはぶどう酒のデカントを掴んで、直接喉へ流し込んだ。

 バハラタが驚きの声をあげた。



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〇七 パフパフ娘とデイジィの視線

「ご遠慮なさらないで。とおっても気持ちいいんだから」

 パフパフか。ヤナックから話に聞いたことがあるが、試したことはない。確か、女の人の胸に顔を埋めて、乳房で挟み込んでもらう行為だ。ドランの都でもサーラ姫と一緒にいたときにパフパフ娘から声をかけられたが、断ってしまったんだ。オイラだって興味はあるけど、今も急いでいるんだ。残念ながら、また断らざるを得ないだろう。

 それに、今はデイジィが目の前にいる。

 恐る恐るデイジィの方に眼を向けると、あからさまに不機嫌な様子で顔を背けていた。やっぱり、これ以上デレデレした顔は見せられない。

 きっぱりと断ろうとしたとき、女が耳元で囁いた。

「ラーミアのことでお話が」

 オイラにしか聞こえない程度の小さな声だった。

 どういうことだ? どうしてこの娘はオイラがラーミアを探してるって知ってるんだ? オイラにだけ聞こえるように言う理由は?

 だめだ、考えてわかる問題じゃない。

「ねぇ、いいでしょお!」

 女がオイラに抱きついた。

「ちょっと! あんたねぇ!」

 デイジィが女を睨みつけた。完全に怒っている……。そりゃそうだろう。オイラ達はバラモスの世界侵攻の状況や、最後のオーブの在り処について情報交換をしているんだ。遊んでいる場合じゃない。

 でもこの娘は何かを知っている。だけど何らかの事情があってオイラにしか話せないようだ。

 いったい、オイラはどうすればいいんだ。今立ち上がったら、パフパフしてもらいに行くと言っているようにしか見えない。そんなのデイジィの前で恥ずかしいし、後でなんて言われるかわからない。いや、今すぐ殴り飛ばされるかもしれない……。しかしここで躊躇していたら、デイジィはこの娘を追い払ってしまうだろう。

 仕方がない。デイジィには後で説明しよう。

「オ、オイラ、パフパフしてもらおうかな」

 デイジィの様子をうかがいながら、立ち上がった。

 その言葉を聞くや否や、デイジィは瞬時にオイラを振り返った。唖然とした表情をしている。

「うれしぃ! じゃあ、二階でね」

「はいはい」

 早く立ち去らないと。

「アベルぅ!」

 デイジィの呆れた声が胸に突き刺さる。どうやら力づくで止めるつもりはないようだが、後で誤解は解かなければ。決してやましい気持ちで決めたわけじゃない。許してくれ。仕方がなかったんだ。

 しかしこの娘はなんでこんなに身体を密着させてくるんだ。背中にデイジィの視線を感じる。真面目な話をするはずなのに、そこまで演技をする必要はないだろう。

 改めてこの娘の服装をよく見てみると、本当に過激な格好だとわかる。乳房と腰を隠す布切れを身に着けただけで、ほとんど下着姿と変わらない。胸の谷間もしっかりと強調されていて、まさしくパフパフに誘うための格好のようだ。

 パフパフって、手で触ってもよかったんだろうか。そういえば女の人の胸って、デイジィのしか見たことがないな。

 気が付くと、オイラは二階に案内されていた。

「さ、中へ」

 その娘がドアを開けて、オイラを促した。

 そこは普通の寝室のようだった。ちょうど、オイラとデイジィが取った宿屋の部屋と同じようだ。さて、話を聞かないと……。期待に胸が膨らんだ。

 振り返ると、扉の前でその娘は土下座していた。

「バラモスの手の者がいるかもしれないので、とんだご無礼をしてしまいました。お許しください。勇者アベル様」

 僅かに残っていたパフパフへの期待も、バラモスの名を聞いた途端に雲散した。

「どうしてオイラのことを? 君は一体?」

「私は、ラーミアの神殿に仕えておりました。ユリカと申します」

「あの丘の上の?」

 ラーミアの神殿といえば、昨日オイラたちが旅の泉から飛び出たところだ。なるほど、竜伝説に関わる仕事をしていたのであれば、オイラの青き珠を見て勇者だと気づくのは当然だ。

「もう行かれたのですね?」

「ああ」

 そういうことであれば、教えてもらいたいことはたくさんある。

「教えてくれ、ラーミアの卵はどうなったんだ?」

「実は、不死鳥ラーミアの卵は、あの神殿に死せる水が押し寄せる前、神官の命令によりレイアムランドへ移してしまったのです」

「そうだったのか、じゃあ、あの荒れ果てた神殿は?」

「バラモスの宝石モンスターが攻め込んできたのは、神官のカンナ様とハンナ様が旅立たれた翌日のことでした。でも、安全だと思われたレイアムランドも、ハーゴンという将軍のために、危機に瀕していると聞いています。アベル様、一刻も早く、ラーミアを蘇らせ、バラモスを」

 レイアムランドは既にハーゴンに支配されたとバハラタから聞いている。これではラーミアの卵が見つかり、破壊されてしまうのは時間の問題だ。早くラーミアを蘇らせなければ。

「待ってくれ、ラーミアは四つのオーブがそろわないと、蘇らせることができないんだ。オイラ、まだ三つしか」

 ユリカはにっこりと笑った。

「それならご安心くださいませ。三つのオーブが、海に沈んだイエローオーブの位置を教えてくれるはずです」

「海に沈んだ?」

「もともとイエローオーブは、ハンナ様がお持ちになっていたのです。ラーミアの卵をレイアムランドへ移そうとしたとき、突然の嵐に襲われ、海の中へ落ちてしまったのです」

「海の中へ……」

 ここら辺の海も、既に死せる水で覆われている。海に潜って海底を探るのは困難だろう。最後のオーブの位置がわかったところで、死せる水の中で探索活動を行うのは危険だ。

 どうすればいいんだ。

 しばらく考えていると、父さんの言葉が脳裏に浮かんだ。青き珠の勇者。

 もしかしたら、青き珠の力を使えば何かできるかもしれない。

 四つのオーブは竜伝説を解く上でのカギだ。そうであれば、伝説の竜を復活させるというこの青き珠が、オイラの行く手を助けてくれるはずだ。

「でもよかったぁ、こうしてアベル様とお話しすることができて」

 ユリカが安心しきったように話した。そう、彼女の役割はもう終わったんだ。あとは青き珠の勇者であるオイラがオーブを探し出さなければならないんだ。

 三つのオーブが最後のオーブへ導いてくれる、国王様はそう言っていた。

 オイラは袋からオーブを取り出した。

 ユリカも緊張した面持ちで覗き込んだ。

「これが三つのオーブですか? まぁ。なんて綺麗な玉ですこと!」

 ユリカはまたオイラに身体を密着させると、甘えた声でそう言った。



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〇八 輝くオーブと青き珠

「何やってんだい。最後のオーブを探さなくちゃならない大事なときだってのに……」

 大した時間は経っていないはずだが、パフパフするだけにしては長すぎる気がする。パフパフと言うのは、女が胸の肉で男の顔を挟み込むサービスのことを言う。何が楽しいのかわからないが、世の男どもはこれが好きなようだ。

 段々不安になってきた。場所によっては、パフパフの名目で男を誘い出し、更に過激な行為を提供することもあると聞いたことがある。アベルは若い男だ。いくら真面目でも、一度火が付けば欲望を抑えられないかもしれない。あんなはしたない格好をした女にパフパフされて、次の行為に誘われたら、突っ走ってしまうんじゃ……。

 真面目で勇敢な面ばっかり見てきたから忘れてたけど、あいつだってスケベな男なんだ。ヤナックにそそのかされたとはいえ、あいつもあたしが温泉に入っているところを覗こうとした前科がある。いや、それだけじゃない。あいつの場合は結果的にあたしの裸も見ている。

 また腹が立ってきた。

「アベルの奴、長かねぇか?」

 くそ、バハラタの奴。あたしの心の内を察しているようだ。

「関係ない!」

 あたしはバハラタを睨みつけながら怒鳴った。

「いや、イライラしているようだからさ」

「イラついてなんかいない!」

 バハラタは驚いたように眼を瞑りながら肩をすぼめた。でも口が笑っている。

「おお、怖えぇ、ご立派にイラついてんじゃないですかねぇ」

 だめだ。これじゃバハラタを楽しませるだけだ。

「ふん。最後のオーブを探さなけりゃならないってのに、アベルの奴、何やってんだまったく……」

 あたしは立ち上がった。

「あれぇ。どちらへ?」

「呼んでくんだよ」

 まずは一発ぶん殴ってやる。

「それはそれは」

 バハラタは、くくく、と笑い声をあげた。

 あたしはあの連中が腕を組んで歩いて行った道をたどった。二階に行くと、部屋がたくさん並んでいる。一階が食堂で二階より上が客室というのは一般的な宿屋の形態だ。特定の部屋をパフパフとか、いかがわしい行為のための休憩所として使っているところもある。

 忍び足でそれぞれの部屋に聞き耳を立てて行く。何部屋か通り過ぎると、聞き覚えのある甘ったれたが聞こえた。

 あたしはその部屋の前に張り付き、ドアへ耳を当てた。

 さっきの女のうっとりするような声が聞こえた。

「まぁ。なんて綺麗な玉ですこと!」

 玉……?

 あのバカ、まさか本当に裸になってるんじゃ。最悪だ。やっぱりアベルもヤナックと同じ、スケベ野郎だったっていうのか。

「そ、そうかなぁ」

 アベルのデレデレした声がした。

 だめだ……。これじゃ一発ぶん殴っただけで気が済むはずがない。

 そう思うと、幾分か気持ちが穏やかになった。

 アベル。あたしがこの拳で、その腐った性根を叩き直してやるよ!

 部屋へ乱入しようとしたとき、アベルの驚いた声がした。

「なんだ。これは!」

「ああ!」

 女の叫び声がするのと同時に、扉の隙間から、強烈な光が零れ出した。直接浴びているわけでもないのに、眼を開けていられない程眩しい。いったい、この部屋の中で何が行われていたんだ。

 ドアノブを捻ったが回らない。蹴破って部屋の中へ駆け込んだ。

「どうしたんだ、いったい!」

 鋭い赤と青と緑の閃光があたしを突き刺した。

 片手で眼を覆いながら歩を進める。眩しい。

「見てくれ、オーブが!」

 アベルの声。

 部屋の中央にアベルが立っている。光を発しているのは、その手の中の三つのオーブだ。アベルの指の隙間から光が漏れる。一体何が起こっているんだ。

 アベルは、光を発し続けるオーブを両手で完全に覆い隠した。ようやくあたしは周囲の様子が見えるようになった。アベルを睨みつけると、ちゃんと服を着たままであることに気づき、ほっとした。

「なんだ、あの黄色い光は!」

 部屋の外から大声が聞こえた。

 黄色い光? 三つのオーブが放つ光は赤と青と緑だ。

 あたしは窓へ向かって駆け出した。海から黄色い光の筋が立っている。海底から強い光が放たれているようだ。さっきまでの静けさが嘘だったかのように、海は荒れていた。

「あれは! オーブが。イエローオーブが勇者を呼んでいる!」

 この女、アベルが勇者だってことを知っている。単なる商売女じゃなかったってことか。アベル、後で説明してもらうからな。

 外の黄色い光が強くなる。それに共鳴するようにアベルが持つ三つのオーブも光を強めた。

 暴風が吹き荒れる。昨日から漂っていた雨雲は凝集し、黒々とした塊に変質していた。もはや太陽の光は通らない。街を照らすのは、オーブが放つ黄色い光だけだった。

 大きな雷が、黄色い光に沿って落ちた。

 落雷による轟音が響く。人々が悲鳴をあげて逃げ惑う。

「バラモスのモンスターが、また暴れ出したのか!」

 一人の男が叫んだ。

「くそっ! アベル、剣を取りに!」

 あたしは一階に駆け下り、兜と剣を取って外へ飛び出した。群衆が海辺に集まっている。アベルはしっかりとあたしの後ろを着いてくる。

 群衆をかき分け、何とか海辺へたどり着いた。

「お願い、どいてください! ああ、間違いないわ。あれはイエローオーブの光です!」

 例の女とバハラタも遅れてやってきた。

「どうしたっていうんだ!」

 バハラタが、あたしに問いかけた。

 再び、黄色い光目掛けて雷が落ちた。

「間違いないわ」

 例の女が歓喜の声をあげた。こいつが何者なのかわからないが、とにかくあの光の下にイエローオーブがあるんだろう。しかし、死せる水で覆われ、ここまで荒れている海に潜って探索するなんてことは不可能じゃないか。

 どうする? アベル。

 あたしはアベルの顔を覗き込んだ。それと同時にアベルはあたしを押しのけるようにして、先頭に立った。そして三つのオーブを手で包み込み、袋にしまった。

「よし。オイラが取ってくる!」

 アベルが真剣な眼差しであたしを見つめた。その精悍な顔を見て、あたしの胸が高鳴った。アベルはこの状況を前にしても臆することはないんだ。

「よせアベル! どうやって行くつもりなんだ。死せる水に長く触れていたらどうなるか。お前、知っているだろう!」

 バハラタがアベルを制止する。

 そう、死せる水に飛び込むなんて自殺行為だ。全身にどれだけの傷を負うかわからない。下手したら皮膚も肉も溶け、致命傷を負ってしまうかもしれないんだ。そんな無謀なことをアベルにやらせるなんて、あたしだって絶対に許さない。

 だがバハラタ、お前は知らないんだ。あたしたちは今よりももっと困難な状況に会ってきた。そして、そのすべてをアベルは何とかしてきたんだ。

「心配するな、バハラタ。青き珠がオイラを守ってくれるはずだ」

 アベルは自信に満ち溢れた顔で言った。

「待ってろチチ」

 そう言って、スライムのチチをあたしに預けた。今回もあたしにはどうすることもできない。またアベルに頼るしかないんだ。あたしは、あんたならきっと何とかできるって信じてる。

 だけど……。でも、やっぱり心配だ……。無理するんじゃないよ。

「アベル!」

 あたしは叫んでいた。

「青き珠よ、イエローオーブの元へ、導いてくれ!」

 そう言って、アベルは眼を瞑ってサークレットの額に収められた青き珠に祈った。

 一瞬の静寂の後、青き珠が淡く光り出した。

 その光は徐々に強くなり、辺りを明るく照らした。

 そして青き珠は、荒れる海に向かって強い光を放つ。その光は徐々に凝集し、遂に青い閃光となって海に突き刺さった。

 まるで海全体が発行しているかのように、周囲が強い光で包まれた。群衆も眼を開けることができないのだろう。もはや人の声は聞こえない。

 青い光が周囲を包み込んでいる間、波が何度も海岸に打ち寄せた。その音が、徐々に静かになっていった。

 その輝きが納まったとき、やっと眼を開けられるようになった。

 海が、静まり返っていた。

「ああ!」

 あたしは感嘆の声を漏らしていた。これが、青き珠の勇者の力……。あれだけ荒れた海を静めてしまうなんて。今までに見たどんな魔法よりも強大な力だ。

「それ!」

 アベルは海に向かって飛び降りた。一瞬のことで、止めることができなかった。まさか、死せる水であることを忘れたのか? いくら海が静かになったからって、泳ぐことなんて無茶だ。青き珠が、どうやってアベルを守ってくれるっていうんだ。

「アベルぅ!」

 次の瞬間、アベルはまるで地面に着地するように、海面に立っていた。

「ほら、大丈夫だろう」

 そう言って、アベルはあたしに笑顔を返した。そして、まるで当然のことであるかのように、黄色い光が放たれる場所に向かって歩き出した。

 バハラタは何か声をかけようとしていたが、驚きのあまり言葉を発せないようだった。

 どうして海面に立てるってわかったんだ? 今までに青き珠の力を試すようなことはしてこなかったはずだ。それとも、勇者であれば本能的に青き珠の力がどんなものか知っているっていうのか。

 群衆がざわめいた。

「わしらは夢を見ているのか?」

「あのお方は、一体何者なんだ」

 ふん。こいつらにはもっと驚きだろうな。アベルは、世界を救うことのできる勇者であり、あたしの大切な仲間さ。

「あのお方こそ、伝説の青き珠の勇者、アベル様です」

 例の女が群衆に向かって叫んだ。ちょっと待て、お前はいったいアベルの何なんだ……。

「なに、あの方が?」

「大魔王バラモスから、この世を救ってくださるという、青き珠の勇者!」

 群衆はのんきに歓喜の声をあげ始めた。こんな鬱屈した状態に追い込まれたときに勇者の出現を目の当たりにすれば、希望を見出すのは当然だ。だがその喜びようは、まるでもう勇者がバラモスを倒してくれることが確実になったと言わんばかりだ。アベルはこれからもまだまだ厳しい闘いを続けて行かなけりゃならないってのに。

 チチがアベルの方を向きながら騒ぎ出した。

「どうしたんだ、チチ?」

 アベルと違ってあたしにはスライムの言葉はわからないが、この声は何かを警戒しているに違いない。

 アベルの周囲を注視し、驚愕とした。

 足元の水面に、巨大な影がある!

「なんだあれは」

 あたしはバハラタに向かって言った。

「いけねぇ! バラモスの宝石モンスターだ。あいつのために、何隻の船が沈められたことか!」

「なにぃ!」

「新種の巨大海洋モンスター。その姿とどう猛な性格から、殺人エイと名付けた」

 しまった。バハラタの船を沈めるほどのモンスターがどんな奴なのか、聞いていなかった。最悪のタイミングだ。アベルはたった一人でそんな奴と闘わなければならないんだ。

 さっきの商売女があたしたちの会話に水を差さなければ、しっかりと聞いておけたのに。

 アベルはまだ気づいていない。光に向かって悠々と歩き続ける。

 あたしはアベルに向かって叫んだ。

「アベル、後ろを見ろ! バハラタの船を沈めたモンスターだ!」 

 モンスターが海から顔を出し、アベルの背後に真っすぐ向かって突進した。

 アベルが振り返ると同時に、モンスターが海に潜った。

 アベルは身構えた。

 次の瞬間、モンスターが海の下からアベルを突き上げるように飛び出した。

 巨大なエイの形をしたモンスターだ。体長はアベルの十倍近くもある。

 そのモンスターの遥か上空を、アベルは回転しながら舞った。

「アベル!」



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〇九 海中の闘い

 反撃する暇もない、一瞬のことだった。膝の力で防御するのがせいぜいだった。下から物凄い力で突き上げられ、オイラの身体は宙を舞った。

 こんな港の近くで巨大な海洋モンスターに襲われるなんて、予想外だった。オイラが甘かった。十分考えられることだ。ここにラーミアの神殿があったのだから、オイラたちがここに来るということは、当然バラモスも想定していただろう。

 そうであれば、この辺りの海に強力なモンスターを配置し、オイラたちを始末しようとするはずだ。

 海面に飛び出したモンスターは、オイラが落ちるより先に海に潜った。

 オイラの身体は宙で回転しながら、落下を始めた。これでは海面に脚で着地することはできないだろう。

 身を丸めて、落下の衝撃に備えた。

 海面にぶつかった。今度は海に身体が沈んだ。どうやらオイラの意思に合わせて、海面に立てるようだ。

 落下した勢いに任せて海の中を進む。かなりの速度で落下したから、随分深いところまで潜ってしまった。

 身体がびりびりと痛んだ。ここは死せる水の中だ。早く海上に出なければ。

 いや、あのモンスターは当然水の中でオイラを始末するべく、チャンスをうかがっているはずだ。絶対的に有利なこの状況であれば、すぐにでもオイラに襲い掛かってくるはずだ。

 体勢を整えモンスターの姿を確認しようとしたが、死せる水の海は濁っていて、よく見えない。あれだけでかい相手だ。気配でわかる。オイラは眼を閉じて、自分の感覚に集中した。

 一直線に突進してくるモンスターの気配を感じた。もの凄い速さだ。この体当たりを受けたら、ただじゃ済まないだろう。でも、オイラだって泳ぎは得意だ。

 両腕を頭の上に掲げ、衝突の寸前、思い切り水を掻いた。

 わずかに身体を上昇させた。

 巨大な生物が身体の下を通過した。

 よし。

 うまい具合に激突を回避することができた。すれ違いざまにオイラはモンスターの背びれを掴み、背に跨った。

 こうなったらオイラが絶対的に有利だ。

 背中の鞘から稲妻の剣を抜いて、モンスターの頭部へ叩きつけた。肉が切れる手ごたえがあった。モンスターが身悶えする。オイラを乗せた背が激しくうねった。

 しかし速度が緩むことはない。身を回転させながら、さらに加速した。

 だめだ。振り落とされそうだ……。

 そう思った次の瞬間、凄まじい衝撃があった。

 オイラは堪え切れず、前方に放り出された。

 どうやら暴れるモンスターが海底にぶつかってしまったようだ。モンスターは、目の前で痺れたように固まっている。これはチャンスだ。

 オイラは再びモンスターの背中に乗って、背びれを切りつけた。

 手ごたえあった。モンスターは覚醒して悲鳴をあげた。そしてオイラを背に乗せたまま海面に向かって上昇し、そのまま一気に空へ飛び出した。

 周囲を確認してから、オイラはモンスターの背中を蹴って、宙で体勢を整えた。海面まで五メートルはあるが、大丈夫だ。問題なく着地できる。

 海岸沿いに集まる群衆が眼に入った。デイジィ、バハラタ、ユリカの姿もある。

 デイジィと眼が合った。そんな不安そうな顔をするな。オイラも成長したんだ。こいつを一人で片付ける姿を、しっかりと見ていてくれ。

 オイラは海面に降り立ち、剣を構えてモンスターの出現を待った。



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一〇 決着

 アベル……。

 海に落下してから随分長い時間が経った。大丈夫なのか。海の中でモンスターと闘っているのか、それとも、まさかやられちまったんじゃ。

 あたしが心配し始めた頃、水面が大きく盛り上がった。そしてあのモンスターと一緒にアベルが空へ飛び出した。

 宙を舞いながら、アベルはモンスターの背中を蹴ってさらに飛び上がった。

「アベル!」

 あたしは安堵のあまり、叫んでいた。モンスターは手負いだ。血を流しながら海に落下した。アベルは空中を降下しながら、あたしを見る。余裕のある勇ましい顔。きっとアベルなら一人でこのモンスターを撃退できるだろう。

 アベルは再び海面に着地した。

 あんたはあたしが思っているよりも強い。まさか海洋モンスターと死せる水の中で闘えるなんて。

 少し離れたところで、モンスターが再び水面に顔を出した。今度は慎重に行くようだ。しばらくの間その場で静止してアベルの様子をうかがうと、モンスターの口が赤く光り出した。それは火の玉だった。

 モンスターは口から火の玉を放ちながら、アベルに向かって突進した。無数の火の玉がアベルを襲う。

 アベルは真っすぐにモンスターに向かって構えながら、最小限の動きで火の玉を交わし続けた。地上にいるときと完全に同じ動きだ。

「青き珠の力を自由に操っている……」

 あたしがその姿に見とれている間にも、どんどん距離が縮まっていく。すると、今度はアベルがモンスターに向かって走り出した。

 アベルは駆け続け、岩礁を踏んで宙へ跳んだ。

 それに目掛けてモンスターも飛び上がった。

 アベルが稲妻の剣を大きく振りかぶる。そこに雷光が走った。そして身を丸めてモンスターの下を取り、切りつけた。

 十メートル以上の体調を誇る殺人エイを、口の先から尻尾まで、綺麗に刃で捉えた。アベルの勝ちだ。

 モンスターが絶叫した。

 切り口から大きく割れ、全身が真っ二つになった。

 そして宝石モンスターの証であるように、絶命の間際に光りを放ち、宝石と化した。

 アベルは再び海面に降り立ち、宝石は海に沈んだ。

 群衆から歓声があがった。

「すげぇ……」

 あたしは声を漏らしていた。こんな闘いがあるなんて。

 モンスターの最後を見届けると、アベルは悠然と黄色い光に向かって歩き出した。

 その手前に来ると、アベルは懐から三つのオーブを取り出した。オーブはまだ赤と青と緑に輝き続けている。ここから、いったいどうやってイエローオーブを手に入れるっていうんだ。

 三つのオーブが放つ光は、一筋の光線となって、黄色い光に向かった。

 再び光線が海を突き刺した。

 少しの間、辺りを静寂が包むと、黄色く光る物体が海から浮き上がった。

 あれがイエローオーブで間違いないだろう。

「これで四つ揃ったぞ」

 アベルはそう言って、その黄色い物体を掴み取った。

 さすがアベルだ。あたしに向かって歩き出したアベルを見て、そう思った。

 海岸に戻ったアベルを取り囲むように群衆が集まった。その場はアベルを称える歓声で溢れかえった。

「あなたは、まさに伝説の勇者だ」

「アベル様なら、バラモスを倒すことができるかもしれんぞぉ!」

「勇者に栄光あれ!」

 例の女と一緒に子供たちが賛美の声をあげる。

「凄いじゃないか」

 あたしも声をかけることができた。

「どうだいデイジィ。一人で何とかできたよ」

 アベルは照れ臭そうに笑った。

「ケガはないか、アベル」

 外傷はないようだが、死せる水に肌が触れている。油断はできない。

「あのくらいの時間だったら、死せる水に浸かっても大丈夫みたいだ。しっかりと洗えば大丈夫だ」

 確かに問題ないように見えるが、早く身体を洗った方がいいだろう。あたしはアベルの手を掴み、群衆の中から連れ出した。人込みから離れたところで、バハラタも合流した。

「大した奴だ。いつの間にあんな力を身に着けたんだ」

 あたしの言葉が嬉しかったのか、アベルは誇らし気な顔をした。

 さっきのアベルの闘いは、あたしにはとても想像できなかったものだ。荒れ狂う海を沈め、海面に立ち、死せる水の中で海洋モンスターを撃退する。他の者には真似できない、勇者の姿だった。

「父さんの呪いの兜を切ったとき。父さんが、オイラに青き珠の使い方を教えてくれたんだ」

 アベルは遠くを見ながらそう言って笑った。だがその笑顔もどこか悲しそうに見えた。

 心も体もこんなに強いのに、悲しい過去を背負っている。五歳までに両親を失って、それからはパブロ神父が面倒を見てくれていた。きっと、今まで誰にも甘えることができなかったんだろう。それが一瞬とはいえ、オルテガの前で涙を流せて、少しは救われたんじゃないだろうか。

 あたしにだって少しは甘えたっていいんだ。

 勇ましいアベルの顔を見て、あたしは寂しくなった。

「これですべてのオーブがそろった」

 アベルがバハラタに向かって言った。心配する必要なんてなかっただろうと、そう言っているような顔だ。バハラタも感服した表情でアベルを見つめ返す。

「バハラタ、ラーミアの卵が眠るレイアムランドへ、おいらを連れてってくれるな!」

「ああ。まかしときな!」

 バハラタは片目を瞑って笑い、力強い声で快諾した。

 アベルは勇ましい顔で、笑みまで浮かべて海の向こうを見た。オーブを集め終わった直後だっていうのに、もう次のことを考えているんだ。そのレイアムランドってところで不死鳥ラーミアを復活させる。

 アベルと一緒に旅をしていると、本当に周りの環境が目まぐるしく変わっていく。気を抜いたら、このあたしですら置いて行かれてしまいそうだ。



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一一 二日目の夜、迷い子

 死せる水に触れてしまったアベルの治療を済ませ、あたしたちはとっとと宿で休むことにした。明後日にはバハラタと共にレイアムランドへ向けて出港する予定だ。

 バハラタの海賊船はほとんど宝石モンスターたちに沈められてしまったようだが、まだ数隻残っている。船乗りの手配や準備を考えると、明日出発というわけにはいかない。それにアベルにも休息が必要だ。

 あたしは宿屋の部屋で一人、昨日と同じように窓辺で風呂上がりの髪を乾かしながら、アベルが風呂から戻るのを待っていた。空を覆っていた雨雲は消え去り、空気が乾燥し始めた。そのおかげで髪が乾くのも早い。あたしまで晴れ晴れした気分になってくる。

 上弦の月は、限りなく満月に近くなっていた。

「デイジィ、お待たせ」

 アベルが帰ってきた。

「あれ? その料理は?」

 テーブルの上を見て少し驚いている。

「おかえり、アベル。店主のオヤジが気を利かせてさ、ここまで食事を持ってきてくれたんだ。下の食堂にあんたがいたんじゃ、他の客に捕まって、食べてる暇もないだろうからってね」

「そうか、助かるな。後でお礼を言っておこう」

「気にするこたぁないよ。あんなタヌキオヤジ」

 あのオヤジはちゃっかりとアベルに色紙を渡してサインしてもらっていた。きっとこの宿屋の宣伝に使うつもりだろう。伝説の勇者様が泊まった宿となりゃ、それだけで拍が付くってもんだ。

「早く座んなよ。しっかり食べて、休まなくちゃな」

「あ、ああ……」

 アベルの奴、疲れてるんじゃないか。珍しく歯切れの悪い返事をする。

「あんたちょっと様子が変だよ。具合でも悪いのか? もしかして死せる水に浸かったから……」

「そういうわけじゃないんだ。心配しないでくれ。さあ、食べよう」

 あたしたちは、昨日とさして変わらない食事を始めた。違うのは、今日は周りに誰もいないということ。寝室の中、アベルとあたしの二人きりだ。そのせいなのか、あまり食欲がない。あたしはパンを軽く齧って、唇を濡らす程度にぶどう酒を飲んだ。

 それとは対照的にアベルは食欲旺盛だ。厳しい闘いの後なんだから当然腹も減っているだろうが、ハムやチーズをがつがつと食べる姿を見ていると、なんだか腹が立ってきた。

「アベル。一つ聞いてもいいかな」

 あたしは頬杖を付きながら言った。

 アベルは口に食べ物を詰め込んだまま、あたしを見つめる。

「昼間の、あの女は何だったんだい?」

 声を低くして、アベルを睨みつけてやった。

「この忙しいのに、パフパフなんて遊びをしている場合じゃないだろう」

 アベルは驚いた顔をして、大げさに手を振って何か言い訳しているようだった。アベルはぶどう酒で食べ物を流し込むと、苦しそうに話し始めた。

「ま、待ってくれデイジィ……。あれには訳があるんだ」

 アベルは一息ついた。

「あのパフパフに誘ってきた娘はユリカっていってさ……」

「ユリカぁ?」

 名前なんてどうだっていいんだよ。

「あの娘、オイラにだけ聞こえる声で、ラーミアのことを話したいって言ってきたんだ。どうも元々ラーミアの神殿に仕えていた人らしくて、オイラたちが来るのを待っていたんだ。どうもこの町にはバラモスの手の者が潜伏しているらしくて、あまり大勢の前では話せなかったようなんだ。だから、パフパフ名目で席を外したおかげで、イエローオーブやラーミアの卵の場所もわかった。決してパフパフに惹かれて付いて行ったわけじゃないんだ。もちろん、パフパフはしてもらってないよ」

 アベルは随分慌てた様子で説明した。パフパフパフパフうるさかったが、矛盾はないようだ。

「ふぅん……。そういうことね……」

 あのデレデレした顔は演技だったとは思えないんだけどね。

「で、でも、オーブが光り始めたとき、どうしてデイジィはすぐに部屋へ入ってこれたんだい」

「決まってるじゃないか。こんな大事なときに、スケベな遊びをしているあんたをぶん殴りに行ったんだよ」

 アベルは怯えたような顔で笑った。

「そういえば、あたしの裸を見たときの分、まだ殴ってなかったな」

 あたしはテーブルに乗り出し、情けない顔で笑うアベルの頬に軽く拳を押し当てた。

 二人でひとしきり笑うと、あたしにも食欲が湧いてきて、ようやくナイフとフォークが進み始めた。

 今夜は落ち着いて、アベルとじっくり話せそうだ。

 アベルと二人だけで今までの冒険を振り返りるのは楽しかった。

 キャットフライを倒してから、あたしたちの旅は重なった。竜の涙、ブレスストーン、竜海峡、金の鍵、幽麗島、ラーの鏡、ドムドーラの復活。一緒に色々なところへ行った。そこで出会った敵も、只者ではなかった。ダイオウイカ、アークデーモン、シーザオライオンにシルバーデビル。常に死と隣り合わせだった。それでも、どんな凶悪な敵だって二人で力を合わせれば何とかなったというものだ。

 どれも厳しい冒険だったが、こうやって思い返してみると、まるで楽しい思い出のように感じられる。それもきっと、今までずっと一人で旅を続けてきたあたしに初めて仲間ができたからだろう。

 何より、目の前にいるアベルが一緒にいてくれたからだ。ずっと一匹狼で生きてきたあたしに、ここまで頼りにできる人間ができるなんて、想像もしていなかった。

 こうやって話していると、あたしたちがどれだけお互いを信頼し合っているのか確認できる。アベルはあたしの最高の相棒だ。

 あたしがアベルを想うようになったのはいつからだったのだろうか。危険を顧みず、率先して苦難に立ち向かう勇敢な姿を何度も見せつけられ、あたしが傷ついた時には気遣ってくれる優しさもある。このあたしが年下の男に心惹かれてしまうなんて思いもしなかったが、これだけの男ならば仕方がないかとも思う。

 だが、楽しかった話も、とうとうあの水龍との闘いでアベルが瀕死の重傷を負った下りに差し掛かった。ここから先のことを楽し気に話すことはできない。あたしにとっては辛いことの連続だった。

 アベルは俯いて、言い辛そうに切り出した。

「オイラはずっと意識がなかったからわからないんだ。詳しいことはモコモコに教えてもらった」

 あたしは、あと少しのところでアベルを失うところだった。あの時の気持ちを思い出すのが辛くて、今まで意図的にこの話題を避けていた。

「回復したばかりの頃は、デイジィがパデキアの葉を取ってきてくれたんだってことしか知らなかったんだ。でも、実際はもっともっと大変な思いをしてオイラを助けてくれたんだって、後になって知ったんだ。ほら、ティアラはお前とずっと一緒にいたわけじゃないからさ。ホーン山脈に行くまでの過程は、昨日は初めてモコモコから聞いたんだ」

 アベルの顔から笑みが消えていた。いつのまにか、闘いの中にあるような険しい表情に変わっていた。

「あのときはそんなことも知らずに、ティアラが命を吹き込んでくれたなんて言ってしまって、すまない……」

「アベル……。気にしなくていいんだ。あんたが助かったんだから……」

 ここでもし、どうしてアベルのためにそこまでしたのかと聞かれたら、あたしはなんと答えるだろうか。

「デイジィ。水龍が暴れていた赤き珠の神殿から、オイラを背負ってホーン山脈まで運んでくれたんだろう。勇者の地図を見てもわかる。もの凄い距離だ。それもヤナックやモコモコとはぐれて、たった一人で大目玉というバラモスの刺客と闘いながら」

 あたしも、じっとアベルの眼を見返した。

「デイジィだってバラモス軍との闘いで傷ついていたはずだ。それなのに、仲間のためにそこまでできるデイジィは、やっぱり凄いって思ったんだ。オイラだって少しは強くなったつもりさ。でも、まだまだ敵わないよ」

 アベルが自嘲気味なことを言うのはめずらしい。

「どうしたんだい……。そんなこと」

 アベル……。もちろんあのときのあたしは、純粋にあんたの命を救いたかっただけなんだ。そのためだったら何だってするつもりだった。だがそれは、決してあんたが仲間だからという理由じゃない。あんたがあたしにとって一番大切な……。

「初めてアリアハンを旅立ってから、今のオイラがあるのは全てデイジィのおかげだ。デイジィがオイラたちの冒険に加わってくれたこと、剣術指導、それに瀕死のオイラを介抱してくれたこと。どれか一つでもなければ今頃オイラは野垂れ死んでいたんだから……。ありがとう、デイジィ」

 そう言って、アベルはあたしに頭を下げた。

「これだけは、どうしても伝えたかったんだ」

 一筋の涙が、あたしの眼からこぼれ落ちた。

「アベル。気にすることはないよ。あんたみたいな男の手助けができて、あたしも幸せさ」

 あたしは嘘をついた。本当に幸せになるのは、アベルに感謝されたときじゃない。あたしはアベルに……。

「モコモコは言っていたよ。デイジィは表向きは怒りっぽくて打算的だけど、本当は凄く優しい人だって。オイラもそう思うんだ」

 モコモコ。どうしてあたしのことをそんなにアベルに……。

「この間、死にゆく父さんを眼の前に思ったんだ。本当は、オイラは自分より強い誰かに認めてもらいたかったんだって。小さい頃から腕っぷしばかりは良かったもんだから、アリアハンの村ではモコモコ以外に格闘の相手になる人がいなかったんだ。オイラには父さんもいなければ、格闘や剣術を教えてくれる先生もいなかった。それが、なんだか寂しかった。オイラがどんなに頑張ったって、誰も褒めてくれる人がいないんだからさ」

 アベル……。あんたも辛かったんだね。嬉しいよ、そんなことをあたしに話してくれて。

「デイジィ。オイラは自分の気持ちに気づいてしまったんだ。お前に、認めてもらいたいんだって。デイジィのような、強くて尊敬する人間に認めてもらいたいんだ」

 気持ち?

 アベルは下を向いて、考え込むようにしている。何か言い辛いことを言いたいようだ。

 あたしはアベルの言葉を待つことにした。

 静寂が部屋の中を包んだ。

 なぜか、あたしは胸が苦しかった。

 アベルは意を決したように、真っすぐにあたしの眼を見た。

「デイジィ、はっきり言うよ。オイラ……。オイラ、お前のことが好きなんだ」

「え……?」

 アベルの言っていることがよくわからなかった。

 あたしが黙っていると、アベルは畳みかけるように繰り返した。

「お前が、好きなんだ」

 そんな、まさか……。いや、違う。

「ああ……。あたしたちは、一番の仲間だろ」

「違う! オイラが言っているのは、仲間としてじゃない。女としてのお前が好きだって言っているんだ」

 アベルが怒ったように語気を強めた。

「ア、アベル……?」

 あたしはまだ頭の整理ができなかった。

 まさか、あたしのことが好き? そんなの願ってもないことだ。あたしはずっとあんたのことを想い続けているんだから。

「オイラ、お前にとってはまだヒヨッコかな……?」

 アベルは真剣な眼差しであたしを見つめた。信じられないほど鼓動が速くなっていた。あたしは緊迫感に耐えられず、立ち上がって窓辺に向かった。外の景色に眼を向けて、アベルの視線から逃げたかった。

 あたしがアベルのことを子供扱いしていたころのことを言っているんだろう。それはもう昔の話だ。今のアベルは、あたしよりも強い。

「あんたはもう立派な勇者じゃないか。ヒヨッコじゃないよ」

 アベルはまだ鋭い視線をあたしに注いでいた。

「デイジィ。オイラじゃ……。お前にとって、男として不足かな」

 アベルがあたしを欲している。

 嬉しい。

 そう言ってもらえて、あたしは嬉しいんだ。

 本当は、今すぐにあたしの想いを伝えたい。

 でも、どうすればいいのかわからない。

 しばらくの間、沈黙が続いた。

「デイジィ、お前の気持ちを聞かせてくれ」

「アベル……」

 アベルが、固唾を飲んだ。あたしはなかなか踏ん切りが付かなかった。

 あたしの答えは、決まっているんだ。涙が流れ続けていた。

「アベル……。あたしも、あんたのことが好きだ。一緒に旅を続けるうちに、いつの間にか好きになっていたんだ」

 あたしには、アベル以上の男なんて存在しない。でも、あたしたちの関係はそんな単純に割り切れるものじゃないだろう。

 あんたのことを想う女が他にいるじゃないか。

「デイジィ! ほ、本当か?」

 アベルが身を乗り出した。

 あたしは片手を突き出して、アベルを遮った。

「でも……。抑えていたんだ。だって、あんたにはティアラがいるだろう」

 もしもティアラが嫌な奴だったら。あたしがティアラのことが嫌いだったら。悩むことなんてなかった。きっとあたしはこの想いを打ち明けていただろう。あんたが水龍との闘いから回復したときに。

 あたしたちの間に再び沈黙が訪れるかと思った。だが、アベルの返答は速かった。

「デイジィ。オイラとティアラは、そんな仲じゃないよ」

 そんな仲じゃない……? でも、あんたは生死の境を彷徨っていたとき、ティアラの名前を呼び続けていたじゃないか。その度にあたしの心は折れそうになったんだ。

「ティアラとは、小さいときからずっと一緒に過ごしてきたんだ。オイラにとっては親友というか、家族のようなものだ。仲がいいからそういう関係に見えたのかもしれないけど」

「え……?」

「ティアラは大切だ。でも、女として見ているわけじゃない」

 それが本当なら、あたしは……。

「信じて、いいのか……?」

 アベルが立ち上がり、あたしの正面に立った。

 そして真っすぐにあたしの眼を見ながら両肩に手を置いた。

「オイラはお前を裏切ったりしないよ」

 アベルは両肩に置いた手に力を込め、引き寄せた。

「ま、待て! まだ……」

 あたしはアベルの胸に両手を付いて抵抗した。

 だが、アベルはあたしの左腕を掴んで引きはがし、強引に抱き寄せた。

「ああ……」

 あたしは抱きしめられていた。

 声も出せないほど強く。

「こんなに何かが欲しいと思ったの、初めてなんだ」

 アベルはあたしの腕を捩じりあげて強引に上を向かせ、ゆっくりと顔を近づけた。その眼に曇りはなかった。

 アベル……。信じてるよ。

 あたしはアベルの背中に手を廻し、眼を閉じて応えた。

 瞼から涙が零れ、唇が重なった。

 初めてのキスだった。



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第二章 決戦前のハニームーン 一二 告白後の朝

 オイラがデイジィに対して持っている気持ちは、恋であることに気づいた。昨夜それがわかってからというもの、内から湧き起こる衝動を抑えることができず、すぐにその想いをデイジィへ告白した。にべもなく突き放されることを覚悟していただけに、デイジィもオイラのことが好きだと聞いて、嬉しさのあまり我を失ってしまった。気が付いたときには、強引にデイジィの唇を奪っていた。

 自分がやったことだというのに、信じられなかった。女の人相手にこんな積極的になったことはないし、当然こんな乱暴に扱ったことなんてない。ましてや相手はあのデイジィだ。あんなことをしたら今までの信頼関係を失ってしまうかもしれないし、殴り飛ばされる危険だってある。

 奪った唇を離すと、デイジィは泣きながらオイラにしがみ付いてきた。オイラの胸に顔を押し付けて泣きじゃくる様子から、怒っていたり悲しんでいたりする訳ではないようだった。泣き止むまで無言で抱きしめ続けた。そしてデイジィは「嬉しいよ」と一言だけ言って、ベッドに寝転がってしまった。

 自分の気持ちが通じたことが嬉しかったのと、モンスターとの闘いで疲れていたこともあるのかもしれない。意外にもオイラはすぐに眠りについていた。

 遠くから声が聞こえた気がした。

「おはよう。アベル」

 目を開けると、ベッドの脇からデイジィがオイラの顔を覗き込んでいた。

「デイジィ……」

 今までに見たことがないような優しい眼。まるで剣など一度も振るったことのない、少女のようなかわいらしい顔だった。

「お、おはよう……」

 デイジィは、そっとオイラの肩に手を置いた。

「ちゃんと眠れたか?」

「あ、ああ」

 眼をこすりながら、ベッドの上に身を起こした。デイジィの表情と声から考えて、怒ってはいないようだ。

 デイジィは窓際の椅子に腰かけた。

「アベル。昨日のこと覚えてるか? 驚いたよ。あんたがあんなに積極的だなんてさ」

 顔は笑っているが、非難するような言い方だった。

 言い訳はしない方がいいだろう。

「オイラ、つい我を忘れてしまったんだ。お前を傷つけてしまったのなら、すまない……」

「本気、なんだよな……?」

 デイジィは俯きながら聞いた。

「本気さ。お前が、好きなんだ」

 この気持ちに偽りはない。この二人旅の中ではっきりと自覚していた。

「アベル……。あたしは嬉しいよ」

 そう言って、デイジィは頬を染めて真っすぐにオイラの眼を見た。いつもの鋭い眼つきはない。無防備な、弱々しくさえ思える笑顔だった。

「デイジィもオイラのことを想ってたなんて驚いたよ。一体、どうして……?」

 デイジィは少し考えこむようにしてから言った。

「あたしもよくわからないんだ。気づいたら惹かれていた。いつも自分の危険を顧みないで、勇敢に闘うあんたの姿に心を奪われたんだと思う」

 なんだか照れ臭かった。デイジィに褒められているようだ。

「別に、お前の前でいい格好しようとか考えてたわけじゃないんだけどな」

「そういう打算的じゃないところさ。何度もそういう姿を見てきた」

 デイジィは一度言葉を切った。

「でも、この気持ちに気が付いたのは、あんたが水龍を封じ込めて、大けがをしたときだった。あんたを失うかもしれないって思ったとき、自分のこと以上に辛かったんだ……」

 デイジィの声は悲し気になっていた。あの出来事が、デイジィに深い傷を与えてしまったようだ。

「すまない。もうあんなことにはならないようにするよ」

 もうデイジィを傷つけるわけにはいかない。これからも闘いは更に苛烈を極めることになるが、この青き珠や伝説の武具の力を借りて、乗り切らなければならない。仲間はもちろん、自分自身も守らなければならないという決意が固くなった。

「さあ、朝飯にしようぜ」

 そう言って、デイジィは楽しそうに笑った。

 オイラ達は一階の食堂に来た。目立たないように、青き珠の埋め込まれたサークレットは外し、稲妻の剣はシーツに包んで持ってきた。デイジィも兜を外している。

 空が晴れているということもあるだろうが、昨日までとは雰囲気が違う。食堂内の人たちや外を行き交う人たちに、どこか活気がみなぎっている。

 オイラは二人分のパンとミルクをトレーに乗せて、デイジィと二人で掛けるテーブルの上に置いた。

「随分にぎやかになったな」

 そう呟くと、デイジィはミルクを飲んで、真剣な眼になった。

「ここの連中は、昨日のアベルの活躍を、青き珠の勇者の力を目の当たりにしたんだ。今までの鬱屈した気分から解放されて、高揚しているんだろう。それに海が静まって、ようやく船が出せるようになった。これからもっと活気が出てくるだろうな」

 バハラタたちもレイアムランドへ向かう船の準備を進めている。きっと他の船乗りたちも一斉に動き出したことだろう。

「そうか、これでコナンベリーも平和になってくれるといいな」

 あとは、この町の人たちの頑張りだ。この人たちに対して、オイラのしてやれることは終わったんだ。

「呑気なものさ。あたしたちの旅はこれからが正念場だってのに……」

「まあ、そう言うなよ、デイジィ。オイラたちの旅はオイラたちの旅だ。ここの人たちには、コナンベリーを立て直してもらえれば、それでいいよ」

 デイジィは眼を細めてオイラを見つめた。

「ああ、そうだな」

 オイラたちはパンとミルクだけの簡単な食事を終えて、部屋に戻った。

 さて、今日はどうするか。オーブを手に入れ、ラーミアの卵がレイアムランドにあるとわかった今、これ以上コナンベリーにいてもやることはない。町の道具屋に行ったって、大したものはありそうにない。今日は、デイジィと二人でゆっくりと過ごそうかと思っていると、デイジィは兜をかぶり剣を手にしていた。

「デイジィ、どこへ?」

「こんな町にいるとは思わないけど、せっかくだから、弟のトビーを探してみるよ」

 デイジィはさっさと部屋を出て行こうとした。その背中を見て、無性に寂しくなった。駆け寄って、後ろからデイジィの肩に手を置いた。

「待ってくれ。約束したじゃないか。オイラが協力するって……。一緒に行こう」

 デイジィは振り返って、寂しげな顔を見せた。

「アベル……」

 デイジィは弱々しく笑った。

「じゃあ、お願いしても、いいか?」

「お前のためだったら、何だってするよ」

 



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一三 三日目の夜

 あたしはアベルと一緒にコナンベリーの町を歩いた。空が晴れていることも関係するだろうが、昨日までとは雰囲気が違う。街路に浮浪者の姿は見えず、港や町工場には賑わいが見えた。

 他の宿屋や道具や、教会など人の集まりそうな場所には一通り行って聞き込みをしたが、弟や妹に関する情報は何も得られなかった。そもそも金を持っている連中が来るような場所じゃない。奴隷商人も、こんな町で商売なんてしないだろう。

「だめだな。ここにもトビーはいないんだ……」

 わかり切っていたことを、あたしは言った。

 もうそろそろ日が沈む時間だ。予想通り収穫はなさそうだ。

「デイジィ、あとは夜の酒場に行って、聞いてみよう。バハラタやユリカみたいな人もここまで流れて来ているんだ、きっと何か知っている人はいるはずだ」

 アベルはあたしを元気づけるように言った。

 まだ昼間の四時くらいだ。バーが賑わう時間まで、宿屋に戻ってアベルと二人だけで過ごそうかとも思ったが、昨夜あんなことがあったばかりだ。そんな男女が一つの部屋にずっと二人きり……。話すことがなくなったときにどうなるか。想像するのが恥ずかしく、怖くもあった。

 少し早いが、あたしたちは酒場に向かって歩き出した。

 こうやって二人だけで歩いていると、ふと他の仲間たちがどうしているか気になった。

「そういえば、ティアラは?」

 あたしはつい、あまり考えたくないことを口走っていた。

「ティアラ……? そうだな。場所を確認してみよう」

 アベルは立ち止まって、勇者の地図を開いた。

 意外にも、この二人旅の中でアベルがティアラの居場所を確認することは今までになかった。それが嬉しかったし、安心できた。

「ゾイック大陸には着いたようだ」

 赤い光が、ゾイック大陸の北西沖を指し示した。モコモコたちは、これから強力なモンスターたちと厳しい闘いを始めることになる。

「そうか。これからが大変だな」

 あたしがそう言うと、アベルは地図を閉じて弱々しく笑いかけた。

「そんな話を聞いたら、急に心配になってきたよ。でもきっとモコモコとドドンガが付いてるから何とかなるよ」

「あの二人ね……」

 果てしてあの能天気な二人組が、どれくらい頼りになるのか。またドジを踏んで窮地に陥らなければいいのだが。アベルもヤナックもあたしも別行動なんだ。モコモコのヘマを補ってくれる仲間はいない。

 アベルも考え込むような顔をした。

「まあ……。きっと大丈夫さ」

 あたしたちは再び歩き始めた。コナンベリーには酒場というものがあまり存在しない。昨日バハラタに連れて行かれたところが一番大きなところだ。他のところも見て回ったが、一番人が集まりそうなのはここだった。

「仕方がない。ここにしようか……」

 あたしは一抹の不安を覚えながらも、昨日と同じ酒場の門をくぐった。まだ夕飯には早いのか、客の入りはまばらだった。

 空いている二人掛けの席に向かい合って座った。

「あら、アベル様」

 背後から聞き覚えのある甘ったるい女の声がした。昨日の女だ。

「あ……。君は」

 声のした方をアベルが見た。笑顔になっているのが気に入らない。あたしはいつからこんなに嫉妬深くなったんだろうか。

「ユリカです。また会えて嬉しい! 今日はどうされたんですかぁ?」

 女は早速アベルに駆け寄り、腕に抱き着いた。

 平常心。

 アベルはこんなのに惑わされるような軽薄な男じゃない。昨日、パフパフに付いて行ったのは、オーブの情報を聞き出すためだったって、納得したじゃないか。

「町の人たちに聞きたいことがあってさ、人の集まるところを回っているんだ」

「わたしに何かできることがあれば、言ってくださいね。それとも昨日できなかったパフパフする?」

 女はいたずらっぽく笑った。ため息が出る。完全に商売女だ。アベルの奴は、この女はラーミアの神殿に仕えていた者だなんて言っていたが、嘘なんじゃないか。

 アベルは引き攣った笑顔をあたしに向けている。こういう輩のあしらい方がわからないんだろう。

 あたしは一度咳払いをして言った。

「注文……。いいかい」

 少し値段は張るようだが、この酒屋は他の店に比べて品揃えが豊富だった。なるほど、美食家のバハラタが案内するだけのことはある。

 あたしたちは肉とスープにぶどう酒を頼んで、食事を始めた。味も悪くない。

 アベルは今日もがっつくように食べている。やっぱりパンとチーズだけじゃ物足りなかったんだろう。

 あたしたちが食事に没頭していると、またあの女が来た。

「アベル様。町の人から聞きたいことって何ですか?」

 屈託のない、可愛らしい笑顔をアベルに向ける。

「いや、聞きたいことがあるのはオイラじゃないんだ。デイジィさ」

 女はようやくあたしの顔を見た。

 あたしはぶどう酒を一杯煽って、声を低くして言った。

「もし、知っているなら教えてくれ。トビーって男と、ルナって女だ」

 顔の特徴や、年齢、奴隷商人に買われていった境遇を説明した。今まで幾度となく話してきた内容だ。

 予想していた通り、返事は芳しくないものだった。

「ごめんなさい。心当たりはないわ」

「だったら、奴隷商人が集まるような場所を知らないか?」

 女は眼を瞑って、しばらく考え込んだ。

「神官様から聞いた話ですが、人間の子供をエスタークに売る奴隷商人がいるそうです」

「なんだって?」

 エスタークといえば、バラモス達の居城だ。

「エスタークでは人間を奴隷として使っているそうです。聞き分けのいい子供たちは、それなりの値段が付くので、それを目当てに人さらいをするような悪徳商人がいるそうです」

「なんだって? 人間がそんなことをするのか?」

「奴隷商人は人間です。もしかしたらバラモスの呪いで操られているのかもしれませんが、世界中にネットワークを持っていて、あらゆる国で暗躍していると聞いています」

 エスタークはゾイック大陸と地続きだ。ミネアの占いによると、トビーはゾイック大陸にいる可能性がある。この女の話と合わせると、やはりトビーはエスターク人の奴隷になっている可能性はある。

 そんなの、許せない。

「人間の敵は、人間ってわけか……」

 アベルは悲しそうな顔をした。

 トビーがエスターク人たちの奴隷として生きているなんて、いたたまれない。もしそうだったとしたら、そいつらをあたしがとっちめてトビーを助け出してやる。これから会うエスターク人全員を締め上げていけば、何か手掛かりが得られるだろうか。

「そんな話、知らなかったよ。聞かせてくれてありがとう」

 あたしは女にチップを渡して追い払った。

 あたしが弟たちのことを考えて無言でいると、アベルが手を握った。

「デイジィ。たとえそうだったとしてもオイラが付いてる。なんとかするよ」

「アベル……」

 その後、酒場にいる男たちにも聞いて回ったが、目新しい情報は得られなかった。

 あたしたちは宿屋に戻った。

 兜を脱いで、昨日と同じ場所に置いた。

「すまない、アベル。こんなことに付き合わせてしまって」

 アベルに申し訳ない気持ちがした。

「いいんだよ。お前の問題は、オイラの問題でもあるんだ」

 明朝、港でバハラタと落ち合うことになっている。そしてレイアムランドへ向けて出港する。また激動の中に放り込まれるわけだ。

 このひとときの休息はもうすぐ終わる。名残惜しいが、早く風呂に入って眠ることにした。

「デイジィ、その前にちょっといいかな」

 アベルが真っすぐあたしに向かって歩いてくる。その眼差しから、あたしを求めているんだとわかる。全身が緊張したが、早く抱きしめてもらいたいという欲求をはっきりと自覚した。あたしも歩を進めてアベルの胸へ正面から飛び込んだ。分厚い胸板に顔を押し当てると、アベルはあたしの背中を包むように優しく抱きしめた。

 しばらく無言で抱き合っていると、急に寂しさが込み上げてきた。

「変なことを言うようですまないが、聞いてくれるか?」

「なんだい」

「あんたに付いて行かないで、ティアラと一緒にメルキドに向かっていたらって考えたんだ」

「どうして……? 向こうに行きたかったの……?」

「違う……。あたしは、あんたに付いて行きたかった。ただ、いつかゾイック大陸には行ってみたいんだ」

 アベルの抱きしめる力が強くなった。まるで、どこへも行くなと言っているようだった。

「アベル、ミネアのことは覚えてるか?」

「ミネア? あの、渇きの壺の在り処を教えてくれたおばあさんのこと?」

 おばあさん……? ミネアは呪いで老婆にされていただけだ。呪いが解けて若返った姿をあんたも見ているだろう。ミネアは明らかにあんたに惚れてたっていうのに。本当に女心のわからない奴だと呆れたが、そこは敢えて何も言わなかった。

「ミネアの占いによると、もしかしたらトビーはゾイック大陸にいるかもしれないんだ。それが、気がかりだった」

「聖剣を手に入れたら、オイラたちもゾイック大陸にあるリムルダールへ行く。もしかしたらそこで見つけられるかもしれない。それに、早くバラモスを倒して、ゆっくりと二人で探すことだってできるさ」

「アベル……」

 そうか。最終決戦はもうすぐなんだ。これを終わらせることが先決じゃないか。

「オイラ、デイジィが付いてきてくれて良かったって思ってる。おかげで自分の気持ちに気が付くことができた。この旅の中で、こんなに幸せな気持ちになれる日が来るなんて、思ってもみなかったよ」

「あたしもアベルに付いてきて良かったと思ってるよ。もしもゾイック大陸に向かっていたら、一生あんたの気持ちを知ることなんてなかった。あたしは、きっと諦めていたよ」

 アベルはあたしを抱きしめている腕を解いて、両肩に手を置いた。

「あきらめるなんて、デイジィらしくないな。オイラは自分の気持ちに気が付いたときは、もう絶対にお前が欲しくて仕方がなかったのに」

 あたしたちはしばらくの間、無言で見つめ合った。

「好きだよ。デイジィ」

 アベルの顔がゆっくりと近づく。

「アベル……。あたしも好きだ」

 昨日とは違う。優しいキスだった。

 あたしはもう一度アベルに抱き着いた。



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一四 コナンベリーからの船出

 翌朝、あたしたちはバハラタの船でコナンベリーを出港した。若干の曇り空。海は穏やかだ。出発から五時くらいも経つのに、まだ着かない。船乗りたちの邪魔になるからと、船の中の居室で待機していたが、いいかげん退屈になってきた。

 あたしがボヤいていたら、気分転換にと、アベルが無理矢理外へ連れ出した。コナンベリー近辺とは違う空模様。空一面が雲に覆われて、いつ雨が降っても不思議ではない。

 見渡す限りの水平線だ。まったく船が進んでいる気がしない。今は海が穏やかだからいいが、以前竜海峡を渡ったときのように荒れると困る。あたしは船旅にはあまり強くない。

 どんよりした海を二人で眺めていると、バハラタが声をかけてきた。

「よぉ、どうしたんだ」

 空の雲が濃くなっていくようだ。

 当然のことながら、バハラタにとっては長い航海なんて苦にならないんだろう。むしろ、今まで大荒れだった海がこれだけ静かになって、久しぶりに船を出せる。あたしとは正反対に、晴れやかな顔をしている。

「まぁったく、いったいいつになったらレイアムランドに着くんだ」

 なんとなく面白くなくて、不満の声をあげると、アベルが心配そうな顔をした。

 バハラタが答える。

「何もかも、死せる水の影響だ。海が海でなくなっちまったのさ」

 たくさんの魚の死骸が海の上に浮かんでいる。

 死せる水は、単に海洋生物の命を奪うだけではない。潮の流れを変え、海水の年生まで変えてしまう。海が穏やかになったからといって、今までと同じように航海ができるわけではないようだった。

 アベルはどこか元気のない顔をして、遠くの海を見ている。

 ティアラたちのことを考えているんだろうか。さっき二人で勇者の地図を確認したら、たったの一日で山を越え、かなりの距離を移動していた。

「ティアラのことが、心配かい?」

 あたしは頬杖を突きながら言うと、アベルは困ったように笑った。

「い、いやあ……。別に」

「ちゃあんと顔に書いてあるよ……」

 あたしはため息をついた。

 疲れたからなのか、ちょっと意地悪なことを言ってみたかった。

 アベルは、ティアラとの仲は何でもないと言っていたが、態度を見るとやっぱりあやしい気がしてしまう。今までに二人の親密さは何度も見せつけられてきた。他に手立てがなかったからとはいえ、ティアラが口移しでアベルに薬を飲ませるところや、瀕死の重傷から回復したアベルがティアラを抱きしめるところ、ティアラの手を優しく引いて山道を歩くアベル。

 それに、ティアラがアベルのことをどう想っているのかはまだわからないんだ。アベルが鈍感なだけで、向こうには気があるのかもしれないじゃないか。あれだけの男なんだ。色んな女に惚れられたっておかしくない。

 アベルはあたしのことが好きだと言ったが、なぜか不安が拭えない。

 もっともこうなった以上、相手が誰であろうといまさら身を引くつもりはないが。

 退屈な雰囲気を打ち壊すように、頭上から一人の男の叫び声があがった。

「おかしらぁ!」

 見張り台にいる男がバハラタを呼んでいる。

「どうしたぁ!」

「前方に、灯りが見えます!」

「なにぃ?」

 バハラタは船首へ向かって走り出した。声の感じからして、ただ事ではないようだ。あたしたちも後を追った。

「なんだ、あの灯は?」

 前方にうっすらと赤い炎のような光が見えた。モンスターか、それとも海賊か?

「フレア族だ……。ふん、バラモスの差し金か」

 バハラタは望遠鏡から眼を離し、にやりと笑って船乗りたちに号令をかけた。

「野郎ども! 全員配置に付けぇ!」

「おお!」

 船内に待機していた船乗りたちが一斉に飛び出し、各自の所定位置に付いた。

 あたしも望遠鏡を覗いた。前方から小さな船が近づいてくる。

「すんなり通してはくれないと思っていたぜ。やるか、デイジィ」

 アベルは稲妻の剣を抜いた。

「退屈してたところだ。やってやる!」

 あたしも隼の剣を抜いて答えた。鬱屈していた気分が一気に晴れ渡るようだ。

 想いを打ち明けることで、あたしたちの仲がぎくしゃくしてしまうのを恐れていた。でも心配することはなかった。男女の間柄になっても、あたしたちは闘いの相棒だ。

 巨大な黒い影が徐々に、まっすぐ向かってくる。

 一同は緊張した面持ちでフレア族の接近を待った。

「な、なんだあいつらは……?」

 肉眼ではっきり見えるところまで近づき、あたしは敵の姿に驚いた。フレア族というのはてっきり普通の人間なのかと思っていたが、随分小柄で、そろいもそろって髪の毛は炎のように赤く、逆立っている。二十匹くらいの集団で、それぞれの顔や体形に個性が認められる。

「あれがフレア族だ。レイアムランドに住み着いている種族だ。今ではハーゴンに制圧されて、手下に成り下がっちまったのさ」

 バハラタが苛立たし気に説明すると、アベルの顔が険しくなった。

「バラモスの魔の手は、ここにも……」

 コナンベリーにもバラモスの手の者が潜伏しているという話だった。こちらの動きを偵察しているんだ。一昨日、アベルが海洋モンスターを撃退しオーブを手に入れたことは、既にハーゴンの耳にも入っているのだろう。

「ふん。あたしたちを、わざわざお出迎えってわけか」

 調度いいときに現れやがって。こっちは長時間船に押し込められてイライラしてたんだ。

 バハラタの手下たちは不安な面持ちだが、フレア族側は自信満々の様子だ。ハーゴンに抵抗もできない腰抜けのくせに、あたしたちには勝てると思ってるってことか。気に入らない。

 船首のすぐ下から水がはじける音がした。

「おい、なんだぁ、これは!」

 船乗りたちが慌てだした。どういうことだ、フレア族の船との間には、まだ少し距離がある。得体の知れない不安が膨れ上がった。

 前方に巨大な影が現れた。

 亀のような顔をした巨大な海竜型のモンスターだ。二十メートルはあろうかという長い首を天高くかかげ、辺り一面に轟く、大きな唸り声をあげた。

「あれは、モンスターだ!」

 アベルが叫んだ。

「船ではなかったのか」

 フレア族は海竜の胴体に囲いを造り、そこに乗っているようだ。

 海竜型のモンスターを見るのは初めてだった。一人旅を続ける中、港町でたびたび噂を耳にした程度だった。何でも、巨大な胴体に長い首を持ち、船よりも速く泳ぐことができる。船を沈める悪魔として、古くから船乗りの間で語り継がれるモンスターだ。

 こんな奴を引っ張り出してくるなんて、バラモスの奴は相当焦っている。

 予想外だった。小さい船で向かって肉弾戦に持ち込むのかと思わせておいて、実はモンスターの力を借りて船ごと沈めようって魂胆か。姑息なことを。

 モンスターは物凄い速さで頭を船に接近させ、こちらの様子を窺うように静止した。

「ひるむな! モリを打てぇ!」

 バハラタが叫んだ。

 船乗りたちは一斉に、モンスターの頭目掛けてモリを投げつけた。

 そのほとんどが命中したが、モンスターの固い皮膚には突き刺さらず、すべて跳ね返された。

 モンスターは攻撃を受けきると、巨大な口を開き炎を吐き出した。船首に十人程集まっていた船乗りたちは、一目散に逃げだした。

「船を廻せ! 取り舵いっぱい!」

 バハラタが叫ぶと、船乗りたちが続いた。

 モンスターが船の横についた。

「飛び移れ!」

 大勢のフレア族たちが一斉に船に飛び乗った。手には棍棒を持っている。

「来るぞ!」

 船乗りの一人が叫んだ。

 フレア族は奇襲のように、船乗りたちへ襲い掛かった。驚異的な跳躍力で、上から踏みつぶすように蹴る。虚を突かれた船乗りたちは次々に倒れていった。

 しかし大した攻撃力はないようだ。正々堂々と闘えば、普通の人間の方が強いのかもしれない。攻勢に見えるのは、海竜の力によりこちら側を混乱させたからだろう。

 あたし一人でも、一分もかからずに全員切り伏せることができる。

「いくよ、アベル!」

「どけどけどけ! 邪魔をする奴は海へ叩き込むぞ!」

 アベルが威勢よく言った。

 あたしとアベルはフレア族の群れの中に飛び込み、背中合わせに立ってフレア族たちを睨みつけた。

「アベル。こいつらは本来、罪のない種族なんだ」

 バハラタが叫んだ。

「わかってる。デイジィ、殺すな!」

「だけど、お出迎えにしちゃ、少し派手なんじゃないか?」

 フレア族たちが襲い掛かる。

 一匹が跳躍し、あたしに向かって棍棒を振り降ろした。

 遅い!

 なんてことはない攻撃だ。パワーもスピードも感じない。あたしは難なく攻撃をかわし、ケリ飛ばした。身体の小さいフレア族は、吹っ飛んで船べりに激突し、気を失った。アベルも剣で棍棒を払いのけながら、蹴りや拳で次々に倒していく。

 歯ごたえのない連中だ。

 一瞬の間に、ほとんどのフレア族を撃退した。

 残るは六匹。

 問題は、さっきの海竜だろう。フレア族どもはとっとと始末して、海竜との闘いに備えなければならない。

「いいぞ、やれ! やれ!」

「そこだ、いいぞぉ!」

 船乗りたちがあたしたちの闘いを見て歓喜の声をあげた。

 もう一匹殴り倒したとき、船乗りの悲鳴が聞こえた。フレア族に対するものではないだろう。

 予想通り、そこには巨大な影が見えた。

 船首から巨大な海竜がこっちを覗いている。

 驚いたことに、舵を取っていた男が逃げ出した。制御を失った舵がぐるぐると回り始め、船が急旋回した。

「うわぁ!」

 あたしでも立っていられない程の揺れだ。

 舵取りのバカ。何をやってんだ、この腰抜けが!

 バハラタの行動は迅速だった。転びながらも、素早く船首に向かい舵を取った。こんなときは転ぶか転ばないかなんてどうでもいい。とにかく一刻も早く船の制御を取り戻すことだ。

 バハラタは両脚を踏ん張って、舵の回転を止めた。

 何とか船は体勢を持ち直した。

 しかし、そんな苦労をあざわらうかのように、海竜が口を大きく開けた。

 真っ赤な炎が船の帆に向かって吐き出された。船の幅いっぱいにも広がるほどの巨大な炎だ。船上の気温が一気に上昇した。帆が焼ける。

 再び船乗りたちが逃げ惑う。

 しまった。船が壊されては航海が続けられない。これが奴らの作戦か?

 恐ろしい相手だ。船と同じくらいの体格を誇り、炎まで操る。海上では最も逢いたくないタイプの敵だ。

 どうする、アベル?

 あたしに殴り飛ばされたフレア族たちは、まだ立てるものは海に飛び込んで逃げて行った。

 どういうことだ? こんなところで海に飛び込むのは自殺行為だ。それとも、これから更に恐ろしいことが起こるということなのか。

 あたしは言い知れぬ不安を感じていた。

「デイジィ!」

 アベルが呼んでいる。

 声のした方を見ると、複数のフレア族がアベルの周りに倒れていた。立っている者は一匹もいない。

 あたしはアベルに駆け寄った。

「そっちも掃除は済んだようだな」

 あたしは親指を立てて、アベルに笑いかけた。

 次はどう出る。本当は笑っている余裕などなかった。



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一五 海竜

「そっちも掃除は済んだようだな」

 デイジィはオイラのもとに駆け寄り、親指を立てて笑った。

 遠くからかすかに声が聞こえた。

「お、おのれ……。プレシオドン、奴らを海に叩き込め!」

 海竜の背中に乗ったフレア族の男だ。

 咆哮が響いた。

「突っ込んでくるぞ!」

 舵を取っているバハラタが叫んだ。

 見ると、数人のフレア族を背に乗せた海竜が物凄い速さでこっちに突進してくる。どうするつもりだ? まさか正面からぶつかるつもりか。

 そうではなかった。

 海竜は船のいくらか手前で、宙に飛び上がった。

「な、なんだとぉ?」

 船乗りたちが叫んだ。

 信じられない。船ほどもある巨大な胴体が、空高く三十メートルは飛び上がった。

 捨て身の攻撃か? 船にぶち当たったら、自分の身体もただでは済まないだろう。

 このままじゃ、あの腹で船が押しつぶされてしまう。

「くそぉ!」

 バハラタが思い切り舵を廻した。

 船が物凄い勢いで回転した。オイラたちは何とか転ばないように踏ん張った。

 上空の海竜は、船の見張り台に当たっただけで、船を飛び越えて行った。直撃は免れた。だが安心している場合ではなかった。

 くずれた見張り台が落ちてきた。

 オイラとデイジィは飛び跳ねてかわした。

 同じような攻撃が何度も続いたらいつかは激突してしまうだろう。しかし、こんな巨大な相手、どうやって倒したらいいんだ。この稲妻の剣を使おうにも、接触の機会がわずかしかない。ここは、ひとまず撤退か?

「アベル!」

 デイジィが不安そうな顔でオイラを見つめた。この最悪の状況を打破するアイデアがないんだろう。オイラが、何とかしなければ。

 続いて海竜が海に落ちた。

 その衝撃で海の水が盛り上がり、巨大な波となった。

 船がさらに揺れた。いままでよりもはるかに強い揺れだ。

 今度はさすがに立っていることはできない。オイラとデイジィは船べりまで跳ね飛ばされ、背中から壁にぶつかった。

 デイジィの苦悶の声が聞こえた。

「大丈夫か? デイジィ」

 デイジィが背中を抑え、顔をしかめている。

「ああ、なんとか」

「また来るぞ!」

 バハラタが叫んだ。

 オイラは船べりまで走った。周りに船乗りたちも集まる。全員、不安の色が隠せない。百戦錬磨のバハラタ一家といっても、さすがにあれだけ巨大なモンスターを相手にしたことはないのだろう。

 地上であればまだ闘いようはある。オイラとデイジィの二人で挟み込むようにしたら、モンスターをかく乱しつつ急所を突くことができるだろう。しかし海の上じゃ、そうはいかない。行動範囲はこの船の中に限られているんだ。

 そして相手の狙いは、この船を壊して、オイラたちもろとも海の藻屑と変えること。直接オイラたちを攻撃する必要すらないんだ。

 レイアムランドまでどれだけ離れているかもわからないし、今更泳いでコナンベリーに戻るなんてこともできないだろう。船が壊されることは、死を意味する。

 死……。苛烈さを増す闘いの中、この言葉は重さを増している。水龍を封じ込めたときには生死の境を彷徨うような重傷を負い、先日のジキドとの闘いでは父さんが殺された。死が身近に迫ったものであると、はっきりと感じた。

「穴の開いた帆では、すぐに追いつかれてしまう。どうする、アベル?」

 デイジィの声は弱々しくなっていた。こんな風に不安にさせてしまう自分が情けなかった。

 そう、奴を倒すしか、オイラたちに生き残る道はないんだ。何か、有効な攻撃手段を考えなければ。

「く、くそぉ……」

 オイラは天を見上げた。

 焼けてしまった帆から複数の長い縄が垂れ下がり、一方の船の側面に繋がっている。

「これだ!」

 オイラは叫び、帆の先端まで飛びあがった。そして船の側面と帆を繋ぐ縄を一本切り裂いた。

「アベル! なにをする!」

 バハラタが非難するような口調で叫んだ。すまないバハラタ。説明は後だ。

「みんな! オールの先に、布を巻いてくれ!」

 オイラはそう叫び、もう一方の船の側面へ縄を縛り付けた。

「……どうするんだ?」

 船乗りたちが、わからないと言った風に戸惑っている。

「そうか、わかった!」

 デイジィが追従した。

 オイラの考えはこうだ。船の両端に縄を渡し、船全体を巨大な弓にしてしまおうというものだ。サイズから考えたら、投石器に近いものかもしれない。そしてこの強大な弓に合った矢として、船のオールを使う。オールの先端には油をしみこませた布を巻いて、火をつけるというオマケつきだ。

 矢を引き絞るために、オールの根元に細い縄を巻き付けて、そこから二股に別れるように持ち手を造った。

 バハラタは松明を手に、船首で待った。

 遠くに海竜の姿があった。

「プレシオドン、奴らを木っ端みじんにしてしまえぇ!」

 フレア族が叫ぶと、海竜が加速した。

「来たぞ、アベル!」

 バハラタが合図を送った。

 海竜は十分に加速すると、再び空へ飛び上がった。

「みんな、力いっぱいロープを引くんだ!」

 デイジィが船乗りたちと一緒に思い切りロープを引いた。

 船の側面がきしみ、たわんだ。

 海竜が船目掛け、むささびのように滑空しながら真っすぐ向かって来る。このままでは確実に直撃する。チャンスは、これが最初で最後だ。オイラは矢の軌道が海竜に向くように調整して待った。

 バハラタが火をつけて叫んだ。

「いまだぁ!」

 来た。

「それぇ!」

 みんなが引いているロープを、オールの根元から断ち切った。



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一六 撃墜

 アベルが、あたしたちの掴んでいるロープを音もなく切ると、支えを失ったあたしたちは後方に転がった。

 オールが海竜目掛けて飛んでいくのが見える。これがもしダメだったらどうする。海竜の体当たりを受けて、船もろとも海に沈むしかないのか。そうなったらもう、死は免れないだろう。初めて掴みかけた幸福を目の前に、生への執着心が強くなっていることに気が付いた。

 心臓が大きく脈打った。

 一同、矢の行方を見守った。海竜が滑空する軌道の正面を正確に捉えている。海竜はようやく自分に向かってくる矢の存在に気付いたのか、驚愕の表情を見せた。

 どうなる? 直撃することは確かだ。

 あたしは固唾を呑んで見守った。

 行け!

 巨大な雄たけびが轟いた。オールは見事に海竜の口へ突き刺さっていた。

 体勢を崩した海竜は、もはや空を滑空することはできず、船から少し離れたところへ墜落した。

「やったぁ! ざまぁみろ!」

 船乗りたちが叫んだ。

 助かった。さすがのあたしも、もうダメかと思った。心臓が大きく脈打ったままだ。

 アベル……。

 早くこの喜びを分かち合いたい。

 船首に、海竜の最後を見守るアベルの後ろ姿を見つけた。

 あたしはその背中に向かって駆け出し、そのまま抱き着いた。

「お見事! さすがアベルだ」 

 アベルの肩に顎を乗せて語り掛けた。本当に凄い男だ。あたしにはどうしていいのかわからなかった。

 アベルは振り返って、笑顔を見せた。そして二人で頬を付けて笑った。

 そこで、はっとして、慌ててアベルから離れた。

 つい、人前であることを忘れてベタベタしてしまった。

「みんなが手伝ってくれたからさ」

 アベルは謙遜した。その顔には自信と余裕がある。あたしも誇らしかった。

 アベルとの見つめ合いを、フレア族の悲鳴が断ち切った。

「ああぁ! どうか命ばかりは! お助けくださいよぉ!」

 情けない声……。

 振り返ると、船乗りたちが船の中央に集まっている。

「ったく、とんでもねぇ奴だ。串刺しにしちまえ」

 あたしはアベルと一緒に駆け寄って様子を見た。

 輪の中に、フレア族の男が一人、震えている。

「うわぁ! お助けくださいぃ!」

 船乗りがモリを構えると、フレア族は必死の命乞いを続けた。

 なんて見苦しいんだ……。たった今、アベルの最高の雄姿を見て感動してたってのに、一気に萎えてしまった。いっそのこと、隼の剣で八等分にしてやろうかと思ったが、そんなことに一ゴールドの価値もないので、やめておいた。

「やめるんだ!」

 アベルが叫び、駆け出した。フレア族と、船乗りたちが構えるモリの間に割って入った。アベルの性格なら、弱いフレア族が殺されるところを黙って見ていることはできないだろう。あたしも後を追った。

「なぜ止める!」

 船乗りたちが怒りの抗議をした。

「いいか、聞いてくれ。オイラたちの本当の敵は、フレア族じゃない。彼らを操っている、バラモスのはずだ」

「そんなこと言ったって……」

「頼む。わかってくれ!」

 アベルが頭を下げた。

 フレア族の小僧め。アベルに頭を下げさせるなんて、あとで謝礼を請求してやる。

「フレア族こそ、犠牲者なんだ」

 あたしも説得工作にしぶしぶ加わり、できるだけわざとらしく聞こえないように言った。

 船首からバハラタの大きな声が聞こえた。

「アベルの、言う通りだ。俺たちの本当の敵は、バラモスだ」

 その言葉を聞いて、船乗りたちも一応は落ち着いたようだった。



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一七 デイジィの苦悩

 バハラタはフレア族の男を捕虜にした。これから尋問にかけ、レイアムランドの状況、そしてハーゴンとはどんな奴なのかを聞き出す。そしてレイアムランドに着いた後は、ハーゴンのもとまで案内するように話を付ける。

 フレア族を懐柔する役目に抜擢されたのはアベルだった。船乗りたちはフレア族の卑劣な奇襲攻撃に怒っている。一歩間違えれば尋問中に殺してしまうかもしれないので、控えてもらうことにした。

 一方バハラタは、この危機的状況の中で航海を指揮しなければならない。

 そういうことならばと、交渉事の得意なあたしが名乗りをあげた。しかしどういうわけかフレア族の男はあたしを見ると震えだし、声も出せない状態になる。これでは尋問どころではない。どう考えても、この中で一番優しそうに見えるのはこのあたしなのに、失礼な奴だと思う。もしかしたら女性恐怖症なのかもしれないが。

 それで、残るアベルに決まったというわけだ。気がかりなのは、アベルが優しすぎることだ。相手が頑なに拒絶したら無理やり口を割らせることはできないだろう。様子を見に行けないのが残念だ。

 あたしはゆっくり進む船の上、日陰になったところへ腰を降ろして海を眺めていた。

 順当に行けば明日には不死鳥ラーミアを復活させる。今日がアベルと二人で過ごせる最後の夜か。

 アベル……。

 なぜか不安を覚え、胸が痛んだ。あたしはこれ以上、いったい何を望んでいるのだろうか。もはや諦めていたアベルと恋仲になれた。それに加えて、闘いの相棒としての関係は今までと変わらない。

 背後に人の気配がした。船の揺れや波の音で掻き消されていたのだろう。こんな近くまで人が接近するのに気づかないのは初めてかもしれない。

「よぉ、デイジィ。浮かない顔してどうした」

 バハラタの声。その顔は優しげだった。あたしをからかったりする意図はないようだ。

「別に……。ただ海を眺めてただけさ」

 バハラタはあたしの隣に腰を降ろした。

「アベルのことか……?」

 あたしは咄嗟にバハラタの顔を覗き込んだ。その眼は遠くの海を向いていた。

「この間はからかったりして悪かった。お前らがそういう仲だなんて、知らなかったんだ。何を悩んでいるんだ」

 あたしはため息をついた。

「そういう仲って……。あたしたちは何でもないよ」

「俺にはわかるよ。お前らと最後に会った闇のバザールでは、もっと浅い関係に見えた。最高の女と最高の男。お互いにこれだけ信頼し合ってるんだから、くっ付いたら面白いなと思っていたんだ」

 そう言われると照れてしまう。

「よかったら、あの後何があったのか聞かせてくれないか」

 そういえば、闇のバザールでバハラタと別れた後、あたしたちが何をしてきたのか、まだバハラタに詳しく話していなかった。

 あたしは、かいつまんで話すことにした。

 ドムドーラの復活や渇きのツボ、水龍の召喚について話すと、さすがにバハラタも驚いた顔をしていた。バハラタといえども、世界中に散らばる竜伝説については知らないことが多い。一通りの流れを説明し終えると、話題はアベルに対するあたしの想いへと移っていた。

 今までにこの手のことを誰かに話したことはない。長い間一匹狼で友人などいなかったし、恋をしたことなどなかった。だけど、どういうわけかバハラタになら話してもいいという気になっていた。あたしよりも随分年上な、成熟した大人だからなのかもしれない。

「ここから先の話は誰にも言わないでくれ」

 あたしは続けた。

 この気持ちに気づいたのは、赤き珠の神殿に到着した時だった。目の前の湖に浮かぶ神殿にティアラがいることがわかった。いつもは誰かのためにばかり行動するアベルが、ティアラのこととなると我を失い、すべてを優先させることに嫉妬した。

 ティアラが赤き珠の力を授かった直後、あたしたちはバラモスの襲撃を受けた。気が動転したティアラは不本意な形で竜を呼び出しまう。現れた竜は、伝説の竜などではなく、ただ破壊を楽しむだけの水龍だった。

 その水龍も、やはり青き珠の勇者であるアベルにしか封印することはできない。単身水龍に立ち向かったアベルは、封印することには成功したが、瀕死の重傷を負ってしまう。本当に命をつなげるかわからない状態となったとき、あたしはアベルのことをどれだけ大切に想っているのか初めて気が付いた。

 唯一助かる道はヤナックの師匠であるザナックに頼むことであると知って、背負ってホーン山脈まで行くことにした。道中は苦難の連続だったが、アベルのためだと思えば力が湧いて出た。

 しかし、背中で昏睡しているアベルは何度もティアラの名を呼び続けていた。アベルの心はティアラに向いていることを諭されるようで、胸が張り裂けそうだった。アベルが助かるのならそれでもいいと思って、あたしは迷うことなく歩を進めた。

 苦難はそれで終わらなかった。アベルの傷は想像以上に深く、ザナックの魔法ですら延命処置をすることが精いっぱいだった。最後の手段はパデキアの葉を煎じて飲ませることだと聞いて、ティアラと一緒に取りに行った。

 ここでも苦難はあったが、何とかアベルを回復させることはできた。だが意識を取り戻したアベルが最初にしたのはティアラを抱きしめることだった。そして次の日アベルは、命を吹き込んでくれたのはティアラなんだと思うとあたしに向かって言った。

 アベルの心の深いところにティアラがいるんだと痛感させられる三日間だった。アベルへの恋心に気が付いた途端にこんな仕打ちだ。

 この胸の痛みに耐えるには、あくまでも相棒としてアベルを想い、闘いに没頭することだと心に刻んで冒険を続けることにした。アベルの助けになるならそれでいいと思っていた。

「健気だな……。お前がそんな辛い想いをしていたなんて、考えもしなかった。この間は軽口を叩いてすまなかった」

 ずっと黙って聞いていたバハラタが謝罪の言葉を口にした。

「いいのさ。でもアベルがパフパフ女に付いて行ったときは本当にあきれたよ……。女心には鈍感なくせに、通りすがりの女には興味があるなんてさ」

「だが、お前の想いはアベルに通じたんだろう」

 バハラタにどれだけ興味があるのかわからないが、こうやって話していると、なぜかもっと聞いてもらいたいという気持ちになった。バハラタからしてみれば、あたしの悩みなんて青臭いものだろう。

「イエローオーブを手に入れた日の夜さ。アベルの方から言ってきたんだよ。あたしのことが好きだって。それで、あたしの気持ちを確認すると、強引に抱き寄せて……」

 そこであえて言葉を切った。

「良かったじゃないか。それにしても、お前を無理やり抱きしめるなんて、アベルもなかなか大胆だな」

 バハラタは楽しそうに笑った。

「ああ、あたしも驚いたよ」

 あたしは苦笑しながら言った。

「アベルはあたしのことが好きだと言ったけど、あたしに引け目を感じているようだった。アベルの気持ちが本当に恋心なのか、なんだか確信が持てないんだ。男が好きな、女らしい女は他にたくさんいるだろう?」

「心配するな。男ってのは、そういう強い女に本気で惚れるもんだ。アベルほどの男なら、取るに足らない女になんて興味はない。手の届かないようないい女、他のどんな男にも相手が務まらないような女に本気になるのさ」

 バハラタは真剣な眼で断言した。

「あんたも、そうなのかい?」

「ああ……。海の男は皆そうさ。お前みたいな女に惚れちまうんだ。オレが惚れた女も、お前みたいに気が強かった。結局、オレの手には余る女だったよ」

 だった? バハラタは終わった話をしているようだ。

「捨てられたのか……? あんたらしくもない」

 バハラタはしばらく言葉を発しなかった。そして寂しそうな顔をすると、懐に手を入れ、短剣を出した。鞘と柄の部分に、金と宝石で装飾を施されている。武器というよりも、美術品のようだ。

「あいつは、今も俺と共にいる」

 あたしはそれ以上聞かなかった。

「デイジィ。話はわかった。そのティアラって女とアベルの関係が心配なんだろう」

「ああ……。アベルは単なる幼馴染だって言ってたけどな」

「大丈夫だ。あいつは嘘をついたり、女を弄んだりするような男じゃねぇ。オレが保証する」

 あたしはバハラタに笑いかけた。

「それでも心配だったら、身体で繋ぎ止めるといい。アベルみたいな男なら、一度抱いた女を邪険にすることなんてないはずだ」

 恥ずかしさで、急に顔が熱くなった。

「な、何を言ってるんだ! あたしたちはまだそんな関係じゃない!」

「まあ、これは単なる一案だ。どうするかは、お前が決めるんだ。デイジィ」

 バハラタの声は落ち着いていた。

 この男は本当の女たらしだ。ここまで話すつもりはなかった。だが、バハラタの言葉を聞いて安心できたというのも事実だ。

「ありがとう。バハラタ」



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一八 船の上で肩を寄せ合って

 オイラたちは一旦、この近くの孤島にあるというバハラタのアジトに向かうことにした。ゾイック大陸と、レイアムランドのある炎の大陸の間には、数多くの離島が存在する。人間は住んでいない。ここで一晩明かし、翌朝レイアムランドへ向けて再び出港する。

 海竜との闘いで見張り台は壊れ、帆が焼けてしまった。あとはオイラが帆の身縄を切ってしまったこともある。応急処置はしたが、耐久性がない。これではレイアムランドへ向かう途中で漂流してしまうかもしれない。

 それに、フレア族の話によると、やはりハーゴンという将軍は凄まじい力を持った敵らしい。オイラたちも一旦休息を取り、闘いに備えた方が無難だと判断した。

 船はゆっくりと進んだ。海は静かで、あまり揺れなかった。オイラとデイジィは、船員室で、他の船乗りたちと一緒に休んでいた。チチは例によって、デイジィの兜の中で眠っている。

 しかしここは湿気が強いし、薄暗い。日が傾いてきたから、どんどん暗くなるだろう。デイジィはこういうところは嫌いだろう。落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見渡している姿を見てそう思った。

「不安か?」

 デイジィは苦笑いしている。

「ちょっと……。こういう場所は好きになれないんだ。ネズミが出そうでさ」

 本心だろう。顔が引きつっている。

「よし、外に出よう」

 オイラはデイジィの手を取って、外に連れ出した。日が落ちかけていた。船尾に向かい、夕焼けがよく見える位置に、二人で並んで腰を降ろした。

 オイラとデイジィは、自然と肩を寄せ合っていた。

 今までにも闘いの中で背中を合わせて立つことはよくあったが、日常の中あえて身体を密着させることはなかった。そういう仲じゃなかったんだから、当然だけど。

 身体の接触といえば、さっき海竜を倒したとき、いきなりデイジィが後ろから抱き着いてきた。驚いたが、デイジィの安心しきった顔を見て、余程嬉しかったんだとわかった。あのデイジィがオイラに気を許しているのかと思うと、たまらなく嬉しかった。

 しばらく無言で水平線を見ていたが、いつしかオイラたちはこれからの闘いについて話し始めていた。旅の終わりは近い。これからラーミアを復活させ、聖剣を手に入れる。そして聖杯を入手したティアラたちと合流だ。その後は伝説の竜を求めてバラモスと最終決戦へ突入するだろう。

「なぁ、アベル。気が早いかもしれないけど……。バラモスを倒したら、あんたどうするんだ? アリアハンへ帰るのか?」

 寂しげな夕焼けを見て、少し感傷的になっているのかもしれない。デイジィは遠くを見ながら、オイラに聞いた。

 言われてみれば、この旅を終えたらどうするかなんて、考えたこともなかった。アリアハンからティアラが攫われてからというもの、オイラは無我夢中でティアラの救出と打倒バラモス、そして竜伝説の解明だけを考えて突き進んできた。

 オイラは自嘲気味に笑った。

「そんなこと、言われるまで考えたこともなかったよ。どうしようかな……。デイジィは何かあるのか?」

「あたしは……。やっぱり、弟のトビーを探す旅を続けることになるかな」

「前にも言ったけど、オイラが手伝うよ。一緒に探そう」

「でも、トビーがどこにいるかなんて、見当もつかない。今までどんなに探したって、手掛かりすら一つも見つからなかったんだ」

「デイジィ、お前の弟なら、必ず強く成長しているよ。奴隷商人に連れられて、そのまま奴隷として生活をしているなんてないはずだ。きっと剣術を磨いて、モンスター退治をしているんじゃないかな」

 デイジィがオイラを見上げた。表情が明るくなった。

「アベル……」

 オイラはデイジィの肩に手を廻し、抱き寄せた。デイジィの頬がオイラの鎖骨の辺りに押し付けられた。不思議だった。少し前まではデイジィに手を触れるなんて、想像したこともなかったのに、今では当然のように肩を抱いている。そうすることが正しいことのように思えた。

 こうしてデイジィの肌に触れていると、心が満たされるような、不思議な感覚に襲われる。だが、どうしてこんなに胸が締め付けられるんだろう。満たされる度に、期待も大きくなり、更に求めたくなる。

 肩だけではなく、他の部位にも触れてみたいという衝動が膨れ上がる。オイラの鼓動は、徐々に速くなっていた。

「その後は?」

 デイジィは目を伏せた。オイラに何か言ってもらいたいようだ。

 バラモスを倒したからといって、世界が完全に平和になるわけではない。エスタークはまだ存続するし、彼らの作り出した宝石モンスターも世界中に蔓延している。その脅威に怯えて暮らす人々は大勢いるんだ。それに、デイジィから弟たちを奪った奴隷商人たちも存在する。悪は、エスターク人や宝石モンスターだけではない。人間の中にもいるんだ。

「二人で、旅を続けよう。オイラが初めて出会った頃のデイジィみたいな賞金稼ぎになるのもいいし、宝石モンスターたちを退治して世界中を周るのもいいかもしれない」

「生まれ故郷にとどまったりしないのか……?」

 デイジィは故郷に帰りたいのだろうか。それとも、アリアハンにいたいのだろうか。よくわからなかった。

「アリアハンにはモコモコやティアラが残るだろう。オイラには家族がいないから、そこに残る必要もない。漫然と平穏な日々を送るよりも、苦しめられた人たちを救った方がいいだろう。どうかな?」

 見つめ合いながらそう言うと、デイジィはオイラにしがみ付いて笑った。

「ああ。いいな」

 デイジィはオイラの脇に胸を押し付ける。胸の肉が押しつぶされ、横に広がった。谷間がしっかりと見えた。今まであまり意識していなかったが、デイジィもそこそこ胸が大きいようだ。手を触れてみたいという抗い難い欲求が生まれた。

「あんたと二人で旅を続けられるなんて、夢のようだよ」

 デイジィの笑顔が、たまらなく愛しかった。

「オイラたち二人なら、なんだってできるさ」

 デイジィは眼を閉じた。誰かに見られているかもしれないという意識はあったが、膨れ上がる衝動を抑えられなかった。オイラはデイジィを引き寄せ、キスをした。触れ合っている肌からデイジィの体温を感じる。

 また欲望が内から沸き上がる。腕に力を込めて、強く抱きしめた。デイジィが欲しくてたまらなかった。この柔らかそうな身体をまさぐり、押し倒して好きなようにしたかった。

 唇を離すと、デイジィはうっとりした顔で弱々しく微笑んだ。

「ずっと……。一緒にいてくれ」

 オイラの鼓動は高まり、息が上がっていた。

「ああ。嬉しいよ、アベル」

 これから、オイラたちは今までよりも危険な闘いに臨む。今日が、デイジィと二人でゆっくりできる最後の日だ。

 今日の闘いでもはっきりと死の危険を感じた。バラモスに負けるつもりなどないが、今日がデイジィと二人で過ごせる最後の夜になる可能性だってあるんだ。デイジィが欲しい。そう強く思った。

 日は沈み、辺りは暗くなっていた。オイラたちは無言で、遠くの海を眺めていた。

 背後に人の気配がした。

 デイジィから離れ、振り返った。そこに、バハラタがいた。

「邪魔して悪いな。そろそろ着くぜ。オレたちは船の修理をする。お前たちは明日の冒険に備えて先に休んでいてくれ」

 徐々に岸が近づいてきた。船が速度を落としていく。

 船着き場に着くと、バハラタはアジトと呼ばれるところへオイラたちを案内した。岩山を登って、少し森の中を歩くと木造の建屋が何棟か見えた。海からは見えない位置にある。

 船乗りたちはすぐに船の修理を始めなければならない。フレア族を撃退してしまったのだから、その事実にハーゴンが気付けば再戦の準備を始めるだろう。もたもたしている時間はない。船が直り次第、すぐに出港だ。

「ここには誰も住んでいない。オレたちの船に問題があったとき、補修できるように倉庫と寝床だけ用意してあるのさ。あと、ちょっとした食い物や酒もある」

 バハラタはオイラたちを一つの小屋の前に連れてきた。

「宿屋みたいなサービスはできないが、ここはお前ら二人だけで使ってくれ」

 デイジィを先に部屋へ入れると、バハラタがオイラの肩を抱いて、耳元で囁いた。

「デイジィはいい女だ。だが、あんなじゃじゃ馬を扱える男はお前くらいしかいない」

「バ、バハラタ……。一体なにを」

「真の勇者なら女を知らなきゃな。自信を持て。デイジィはお前を待っている。今夜、安心させてやりな」

 バハラタは笑い、オイラの背中を叩いて部屋へ押し込んだ。



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一九 四日目の夜、契り

 あたしとアベルはバハラタに案内されて、複数ある小屋のうちの一つへ入った。中には布団の敷かれていないベッドが四組あるだけ。ただ眠るだけのために作られた小屋のようだ。

 船乗りたちと同じ部屋での雑魚寝だったらどうしようかと思ったが、杞憂に終わった。男たちの中で女一人というのは慣れたこととはいえ、あまり好きになれない。今日はせっかくアベルと一緒にいるんだし。

 バハラタが気を遣ってくれたんだろう。冒険が終わるまでの間、アベルと二人だけでいられる今夜が最後の機会かもしれない。アベルのあたしへの気持ちが本物なのか、確かめたかった。

 アベルに肉体を奪われるなら本望だ。だが、一線を越えるとなると、容易には踏ん切りがつかない。それにあたしから誘うなんて、あたしがそこまで積極的になれるとは思えない。もし今日交わるのだとしたら、アベルから迫ってもらうほかない。

 アベルが少し遅れてバハラタと一緒に入ってきた。バハラタはシーツと毛布、手洗いの場所など、一通り備品の説明をすると、さっさと出て行ってしまった。あたしは気まずい空気の中、アベルと二人きりになった。

「デイジィ、今日は早く休もうか……」

 声が震えている。もしかしたら、アベルも意識しているのかもしれない。

「どうした? なんか変だぞ……」

 あたしは平静を装って言った。

「そ、そんなことないよ。さあ、早く支度をしよう」

 クローゼットの中にある布団とシーツを手に取り、隣り合ったベッドの上へかけていった。

 ここに風呂はないので、水に濡らしただけのタオルで、簡単に身体を洗い、新しい下着に着替えた。その上に、寝巻用に持ってきた薄手のシャツを羽織った。太ももは見えているし、胸もはだけている。かなり無防備な格好だとはいう自覚はある。これでアベルの欲望に火を付けられたらいいんだけど。

 アベルはハーフパンツに上半身は裸。これは見慣れたものだ。逞しい胸や腕の筋肉。引き締まった胴体。理想的な肉体だと思う。

 あたしたちは携帯したパンとぶどう酒で、軽い食事をはじめた。

 船はすぐに直るそうだ。たぶん明日の朝には予定通り出港することになるだろう。レイアムランドに到着したら、あたしたちはハーゴンと闘いつつ、ラーミアの卵を探さなければならない。ラーミアを復活させたら、すぐに青き珠の神殿へ向けて出発だ。二人でゆっくりできる時間は、これが最後だ。

 レイアムランドを制圧したハーゴンというのはバラモス軍の将軍だから、あのジキドと同等クラスだ。気を抜けばあたしたちでも一瞬で殺されてしまうかもしれない。日に日に高まる死の危険を実感する。

 窓の外に、満月が輝いていた。こんなときにアベルと二人で旅ができてよかった。

 あたしは緊張していた。アベルも緊張しているのか、あまりあたしの顔を見ようとしない。

 船の上で夕日を見つめていた時間を思い出した。二人で身体を寄せ合ったとき、アベルがあたしの胸元を凝視していることに気づいた。その眼の奥に、内に潜む獣性を感じた。今までに見せたことのない眼。あたしの肉体に欲望を感じていたことは明らかだった。

 あたしたちも年頃の女と男だ。二人の想いが通じているとわかった今、こう何度も二人だけで夜を過ごしていたら簡単に男女の関係に発展してしまうかもしれない。経験がないから怖いが、覚悟はできている。アベルが求めるなら拒むつもりはない。早く奪って欲しかった。

 あたしたちはそれぞれのベッドに座り、いつものように食事をしながら話した。当たり障りのない、今日の航海と闘いのことを話題に選んだ。

 死せる水で覆われた海、フレア族、そして巨大海竜の撃退。

 そんなに長い話ではなかったが、いつもより品目の少ない食事はあっという間に終わってしまった。

「さすがに今日の闘いは、もうだめかと思ったよ。あんな巨大で素早いモンスターに海で襲われるなんて、あたしは想像したこともなかった。凄いなアベルは。まったく動じてなかった。どうしてそこまで自信を持てるんだ」

 あたしが感服した様子を示すと、アベルは誇らしい顔をした。

「デイジィのおかげさ」

「何言ってるんだい。あたしはあんたを手伝っただけだ」

「そうじゃない。オイラ、デイジィの前で情けない姿は見せられないって思ったんだ。何とかしなければならないって。お前にはいつも助けてもらってばかりだっただろう。だから、オイラの成長した姿を見てもらいたかった」

 アベルは淡々と語った。

 もしかして、アベルはあたしに褒めてほしいのだろうか。

「アベル……」

 あたしは立ち上がり、アベルの頭を撫でてやった。

「デイジィ……」

 アベルの声は震えていた。

 さっき腰を上げようとしたとき、アベルの眼の奥がギラリと光った。あたしはその瞬間を見逃さなかった。アベルの視線はあたしの剥き出しの太腿に向けられていた。

「あんたは、凄い男だよ」

 あたしはアベルの隣に座り、自分の膝を叩いた。

「ここに来な。膝枕してやるよ」

 アベルは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに仰向けに寝転がった。アベルの頭があたしの太ももの上に、直に乗せられた。

「なんか、恥ずかしいな」

 アベルは照れ笑いしながら、あたしの顔を見上げた。

「あたしたちの闘いはいつだって厳しいものだった。それでも、あんたは絶対に諦めないで、何とかして勝利を掴んできたんだ。あたしには真似できない」

 アベルの頭を撫でながら話した。

「デイジィに会えて、良かったよ。前にも言ったけど、今のオイラがあるのはお前のおかげだ。そのことに恩を感じてるけど、それだけじゃない。今じゃ、お前はオイラにとって一番大切な人さ」

 あたしはアベルの頬をつねって照れ隠しをした。その頬は、まるで風邪でもひいたかのように熱を帯びていた。

「あんた、初めてあたしと会ったとき、どう思った?」

「デイジィのこと?」

「そうだよ」

 なぜかアベルは面白そうに笑った。

「生意気な奴だなって思ったよ」

 予想外の発言に、あたしは吹き出した。

「生意気ぃ? あんた、あたしより年下だろ」

「だって、あのときのオイラはデイジィよりずっと弱かっただろ。オイラ、これでもアリアハンでは一番強かったのにさ。デイジィにはとても敵わないって思ったんだ。それに、お前の剣術に心を奪われたことが、気に入らなかったんだろうな」

「あのときの小僧が、ここまでの男になるなんて、あたしも思ってなかったよ」

「オイラはまだまだデイジィには敵わない。必ずもっと強くなって、お前を守れる男になるよ」

「あんたはあの頃から強かったよ。いつも危険を顧みず、弱い者のために全力で闘っていた。ちょっと無謀すぎだけどな」

「オイラだって、時には不安になったりするさ。ジキドやバラモスは強大な敵だ。いよいよ竜伝説が解き明かされようとしている今、今度会ったらどちらかが死ぬまで闘いが続くことになるだろう」

 アベルは寂しそうな顔をした。

「でも、青き珠の勇者として、弱音は吐けないんだ。何としても、バラモスを倒して世界に平和を取り戻すまでは」

「アベル……」

 アベルだって、本当は勇者としての重圧に苦しめられているんだ。青き珠の継承者として生まれたとはいうものの、誰かがその力の使い方を指導してくれたわけではない。気が付けば世界を救う勇者としての責任を負わされ、右も左もわからないまま闘いに明け暮れる日々に突入してしまった。

 あたしたちが、唯一アベルの頼れる仲間だった。もしかしてアベルは、この冒険の中で、初めて誰かを頼りにすることができたんじゃないだろうか。

「あんたも、辛かったんだな」

 急にアベルがかわいそうになった。

「あたしは最後まであんたに付いて行くよ。背中くらいなら守ってやる。それに、冒険が終わったらあんただって休んでいいんだ」

 アベルは手の甲で眼を拭った。いつの間にか涙を流していた。

「すまない、デイジィ。弱音なんか吐いてしまって。お前の前だと、なぜか感情が出てしまうんだ」

「気にすることはない。あたしになら甘えたっていい。旅はまだまだこれからさ。一人で抱え込む必要はない」

「ありがとう……。お前に会えて、良かったよ」

 そう言って、アベルはもう一度涙を拭った。

 その言葉は嬉しかった。嘘偽りがあるとは思えない。アベルが真っ直ぐで正直な男だってことは、あたしが一番よく知っているじゃないか。もう、この言葉だけで十分だと思えた。

 アベルが泣き止むのを待って、あたしは立ち上がった。

「明日も早いんだ……。もう寝ようか」

 残念な気はするが、二人だけの時間もそろそろ終わりなのかもしれない。あたしは窓際に行き、もう一度輝く満月を見ていた。

 アベル……。

 しばらく無言で佇んでいると、背後に気配がした。アベルがすぐ後ろまで来ている。荒い息遣いが聞こえる。

「デイジィ……。いいかな」

 アベルは後ろからあたしを抱きしめた。胸の肉が腕で締め付けられた。

「あっ……。こら!」

 アベルがあたしの首筋に舌を這わせた。

 くすぐったさに耐えられず、身体を捻ってアベルの腕から逃れた。振り返ると、アベルの眼は座り、肩で息をするほど呼吸が荒くなっていた。その息遣いから、かつてないほどの興奮が読み取れた。

 もう後戻りできないところまで来てしまっていた。男は女の身体に欲望を抱くものだろう。その欲望を満たすためには、女を抱くしかない。アベルの真剣な眼を見返していると、恐れのような期待に襲われた。

 アベルの喉が大きく鳴った。

「デイジィ……。好きだ。お前が欲しいんだ」

 あたしも好きだと言おうとした。だが、アベルはあたしの言葉を待たず、腕をつかんで強引に引き寄せて唇を奪った。今までのように唇が触れるだけのキスではない。アベルはあたしの口の中に舌を挿し入れ、貪るように中を蹂躙した。

 熱く軟らかい物体が、あたしの舌を求めて蠢いた。

 怖かったが、あたしからも舌を絡め、アベルを受け止めた。

 ひとしきりあたしの口を貪ると、アベルは大きく喉を鳴らして、荒い呼吸のままあたしを見つめた。あたしの呼吸も激しくなっていた。

 顔が火照り、意識が朦朧とした。膝から力が抜け、もはやアベルの支えなしには立っていられなかった。

 あたしは眼を伏せて、アベルの胸に顔を押し付けた。アベルの心臓が激しく脈打っている。

「あたしも好きだ。アベル……」

 やっと言えた。

 それが合図になった。アベルはあたしを肩の上から抱きしめ、膝の裏に腕を入れて、抱え上げた。

 あたしをベッドへ運び、乱暴に仰向けに横たえた。アベルはすぐに覆いかぶさり、また唇を求めた。今度は首筋にも熱い舌を這わせた。 くすぐったかったが、逃れることができない。アベルは両手であたしの身体を押さえつけて動きを封じている。喘ぎ声をあげることしかできなかった。

「ああ。ア、アベル……」

 アベルの返事はなかった。もはや理性を失っているようだ。一瞬の間に状況が一変してしまった。望んでいたこととはいえ、アベルのあまりの変貌ぶりに戸惑った。

 アベルはあたしのシャツのボタンに手をかけたが、外すのに手間取っている。あたしが自分でボタンを外すと、即座にシャツが剥ぎ取られ、下着しか身に着けていない身体が露わになった。

 アベルはますます眼を血走らせ、嘗め回すようにあたしの全身を見ると、手や舌で好きなように弄り始めた。

 アベルは乱暴だった。ブラジャー越しに揉まれる乳房には痛みが走った。敏感な脇や腹にも、容赦なく舌を這わされた。あたしが抵抗する素振りを見せると、すぐに腕力で動きを封じた。ただ欲望に従ってあたしを求めているようだった。

 ブラジャーが外されると、乳房を鷲掴みにされた。先端に舌を這わされ口で吸われた。強い刺激に何度も声が漏れたが、不思議と恥ずかしさはなかった。アベルの情欲を受け止めるうちに、恐怖と緊張が徐々に和らいでいった。アベルが夢中であたしを求めることが嬉しかった。

 アベルはひとしきり上半身を蹂躙すると、下半身に興味を移した。あたしの脚を腕力で強引に開かせると、その間に身体を入れ、内ももや膝裏に舌を這わせた。脚の付け根や股や尻、特に敏感な部分も手で撫でさすった。そして、アベルは遂にパンティの腰布に指をかけた。

「アベル……。そこは、優しく……」

 あたしは恐怖を感じて、アベルに懇願した。アベルは荒い息をあげ続けていたが、正気が戻ったのか、自嘲気味な顔をした。

「すまない……。気持ちが抑えられないんだ」

「抑えなくていいんだ。でも、あたしも怖くて……」

 しばらく、二人の荒い息遣いだけが部屋に響いた。

 あたしが意を決して腰を浮かせると、アベルはゆっくりとパンティを引き抜き、隣のベッドへ放り投げた。

「デイジィ……。一生、大切にするよ」

 アベルもハーフパンツを脱ぎ、あたしたちは裸で抱き合った。アベルは再びあたしの口を激しく求めた。口の中に甘い感触が広がる。

「行くよ」

 長いキスを終えると、アベルが優しく言った。

「うん……」

 あたしは弱々しく返事をした。

 そこからは、いつもの優しいアベルだった。あたしが痛がる素振りを見せれば動きを止め、気遣いながら、ゆっくりと貫いた。

 あたしは全てをアベルに委ねた。

 思えば、こうやって誰かから必要とされるなんて、弟たちを奪われてからというもの初めてかもしれない。ずっとあたしは何かを求める側だった。両親や兄弟との楽しかった日々を取り戻すため、強さと金を追い求め、弟たちを探し続けた。

 アベルだって家族を失って孤独に生きてきたのに、あたしとは違って、いつも誰かから必要とされ、与える側だった。どこへ行っても困っている人間を助け、皆から頼りにされる。辛い過去があるなんて思いもしないほど、常に明るく振る舞う。そんな男にこそ、あたしは求めてもらいたかったのかもしれない。

 あたしは愛する男へ操を捧げる喜びに埋没することにした。ただ、アベルの肉体と体温を感じていたかった。

 こうして、あたしたちの不器用な初体験は終わった。

 事を終えたアベルは、ベッドの上で仰向けに寝転がった。あたしはその右腕を枕にして上半身に抱き着き、この無言の時間を楽しんだ。アベルの分厚い胸板が、ゆっくりと上下している。

 呼吸が落ち着いたころ、アベルは話し始めた。

「デイジィ……。不思議な気分だよ。お前とこういう関係になれるなんて」

「あたしも不思議さ。夢にも思わなかった」

 あたしの手にアベルの手が重なった。

「でも、やっぱり強引なんだな。あんなに乱暴に求めるなんてさ……」

「すまない。オイラ、初めてだったからさ……」

 アベルは言い訳するように言った。

「気にすることはないよ。ちょっと痛かったけど、あたしは嬉しいんだ」

 あたしはアベルの胸を撫でながら言った。

「デイジィ……。お前が好きだ」

 アベルは右腕であたしの身体を抱き寄せた。あたしの身体がアベルに覆いかぶさるように抱きしめられた。

「幸せだ……」

 あたしはアベルに脚を絡めて笑いかけると、アベルも照れ笑いを返した。

「オイラもさ」

「もっとアベルと二人だけで過ごしたかった」

 あたしはアベルの首筋を舐めた。汗の、塩辛い味がした。

「心配することはないさ。この旅が終わったら一緒に暮らそう。そうしたら二人の時間もたくさんあるよ」

 アベルの眼は優しく、あたしを安心させた。

「ああ、そうだな。次はもっと優しくしろよ……」

 アベルにキスをした。

 あたしは満たされた気持ちで眠った。



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二〇 エピローグ 全てを終えて

 初めてアベルと愛を交わしたあの日を境に、あたしたちの冒険は急激に進展した。あれからたったの二日間で、すべての決着がついた。

 レイアムランドでハーゴン将軍を打ち倒した直後、不死鳥ラーミアの復活と聖剣の入手。そしてエスターク城へ乗り込んでバラモスと対決した。この闘いでヤナックの師匠であるザナックは自己犠牲魔法によってバラモスを圧倒するが、その結果命を落とした。

 そしてあたしは七年間探し続けた弟のトビーとの再会を果たすことになる。だがその弟はジキドの配下となり、ティアラを人質に取ってあたしたちから聖剣と聖杯を奪うことに加担した。弟はあたしのことを思い出して改心したが、ジキドの放つメラゾーマからあたしたちを守り、あっけなく死んでしまった。

 トビーは最後まで正体を隠し通そうとしたが、今際の際で妹のルナの名前を呼んだ。兄も今からそっちに行くと。

 こうしてあたしは、人生の大半を犠牲にしてまで求めてきたものを失った。

 残されたあたしの望みは、トビーを悪の道へ踏み込ませ、最後には命まで奪ったジキドとその親玉である魔王バラモスへの復讐だけだった。アリアハンの竜神湖へ向かったあたしとアベルは再びジキドと対峙し、ついにこの手で切り伏せることができた。

 そしてその直後に現れたのは、古代エスターク人の思念の集合体であるゾーマを取り込み、より強大な魔王へと変貌を遂げたバラモスだった。バラモスは赤き珠の力で蘇った伝説の竜を聖剣で傷つけ、その血を飲んで永遠の命を得ようとした。しかしその野望は寸でのところでモコモコにより打ち砕かれた。

 傷つけられた伝説の竜は怒り狂い、バラモスを抹殺しようとした。竜が持つ力は想像以上に強大で、バラモスですら撤退せざるを得なかった。

 怒りの矛先を失った竜は荒れ狂い、アリアハンの町を荒らし始めた。アベルは伝説の竜の前に立ち、青き珠の力を解き放って竜を己の肉体に封印した。竜を取り込むことによって大勇者へと変貌を遂げたアベルは、再びバラモスと対峙した。アベルの力に圧倒され、勝ち目のないことを悟ったバラモスは最後、アベルを道ずれにすべく巨大竜巻を起こし、周囲もろとも荒野へと変えた。そして、バラモスも、自らが作り出したモンスターたちと同様に、命を失い宝石へと姿を変えた。

 バラモスと相打ちになったかに見えたアベルは、伝説の竜の力で被害を逃れ、悠々とあたしの元に戻ってきた。

 その直後、どうしても納得できないことが一つあったが、こうしてあたしたちの辛く長い旅は終わった。

 そして二日が経った。

 あたしはアリアハンから少し離れたところにある町へ来ていた。今までの冒険では訪れていない場所だ。

 山の上。空は雲一つない快晴。大勢の人々が行き交う商店街。久々に味わうのどかな街並みだった。

 ここの連中は、バラモスが死に世界に平和が訪れようとしていることをまだ知らない。幸いにも竜伝説とは無縁だったため戦禍を逃れたのだ。ここには、あの冒険の前と変わらない時間が流れている。

 あたしは剣士の衣装を宿に置き、新しく買った青いドレスに身を包んで街中を歩いていた。一度、こうやってお洒落をして買い物を楽しんでみたかったんだ。全てを終えて肩の荷が降りた。こんな晴れやかな気分で外を歩くのは初めてかもしれない。

 道具屋で薬草を買い、露店で今夜食べるものを物色した。

「ちょっと、お嬢さん」

 肉屋のオヤジに声をかけられた。

「見ない顔だね。その格好からすると、旅人ってわけじゃないだろう。ここに移り住んできたのかな」

 あたしの着ている、大きなスリットの入ったロングドレスを見てそう言っているんだろう。もっとも、これにはお洒落のためもあるが、万一のときに備えて動きやすくしておきたいという意味がある。経験上、ロングスカートで剣を振るうことはできないことを知っている。

「まあね。ここには着いたばかりさ。しばらくは滞在するよ。旅の疲れを癒す、精力の付く食べ物を探してるんだ」

「このハムなんていいよ。パンに挟んで食べたら最高さ」

 そう言って、オヤジは巨大なハムを差し出した。あたしの胃袋にはとても納まりそうにない大きさだが、冒険を終えた翌日から丸一日歩き続けた身体には肉が必要だろう。

 さすがに、バラモスを倒した翌日の早朝に出発するというのは無理があった。おまけに昨夜は野宿だ。疲れが溜まっている。

「じゃあ、それをもらおうか」

 あたしは言い値で買った。その後にパンやチーズ、ぶどう酒も買ったから、女一人で持つには結構大きな荷物になってしまった。今までの旅なら、仲間の誰かに持ってもらっていたが、今はそういうわけにはいかない。

 大荷物を抱えて通りを歩き、取ってあった宿屋に入った。今日一日は休息に当てて、町の散策は明日からだ。

 今までの慌ただしい冒険とは違う。しばらくは目的もなくここに滞在することにしている。

 部屋の前。つま先で数回ドアをノックする。あたしは胸を躍らせて待った。

 しばらくして内側からドアが開けられた。

「おかえり」

 アベルが待っていた。

 左の頬はまだ少し赤く腫れている。

「まだ治らないか。それじゃ外に出られないな。せっかくいい天気なのにさ」

 アベルはあたしが買ってきた食料品を受け取って、テーブルの上に並べていく。

「思い切りぶつんだからさ……」

 アベルは困ったように笑って、腫れた頬をさすった。

「当たり前だろ、あんたがティアラにキスなんてするからだ! さすがに我慢できなかったよ」

「本当にすまない。周りに流されて、つい……」

 アベルは申し訳なさそうな顔で謝った。

「食べ物と一緒に薬草も買ってきたからさ。塗ってやるよ」

 バラモスとの最終決戦の中、ティアラは赤き珠の力を使って伝説の竜を蘇らせた。その力を使う媒体となった肉体への負担は強烈で、竜の復活の代償としてティアラは命を落としてしまった。

 しかし奇跡は起こった。バラモスが倒れたあと、青き珠と赤き珠の力によってティアラは息を吹き返す。その喜びに沸くアリアハンの人々にせかされて、アベルはティアラに口づけをしたんだ。あたしも目の前にいたのに。

 ヤナックに八つ当たりして何とかその場は堪えたが、この町に来る道中もずっともやもやしていた。不問にすることも考えたが、宿で二人きりになった瞬間とうとう手が出てしまった。

「でも、約束を守ってくれたから平手にしたんだ」

 二人で窓の外を眺めながら、あたしはアベルに向かって右の拳を突き出した。

「当然だよ。本気で言ったんだから。デイジィと二人で旅に出るってさ」

 アベルを椅子に座らせ、買ってきた薬草を腫れた頬に塗ってやった。しばらく様子を見て、頬を拭きとる。腫れはほとんど引いていた。

 バラモスを倒した日の翌日、夜が明ける前にアベルとあたしは誰にも言わずにアリアハンを出発した。暗闇の中、二人でこそこそと町を抜け出すなんて何か悪いことをしている気にもなったが、そんなところも楽しかった。

 こんなにも早い旅立ちを持ち掛けたのは、意外なことにアベルの方だった。アリアハンに残っていたら、宴会やら復旧作業やらで忙しくなる。そうなったらまたアベルが人から頼られることになるから、例え疲れ切っていても、このタイミングで出発しないと面倒なことから逃げられない。あたしに対するアベルの気持ちに疑惑が生じた直後だったので、アベルの提案は嬉しかった。

 あたしは言われた通り、夜中にアリアハン城の宿舎を抜け出し、アベルの家に向かった。ノックをするとすぐにドアを開き、アベルが笑顔で招き入れてくれた。

 あたしの青い兜と、もう使うこともないであろう青き珠を嵌め込んだサークレットはアベルの家に置いてきた。皆はアベルとあたしが二人でどこかに消えたということにすぐ気づくだろう。ヤナックはあたしとアベルの関係に感づいていたし。

 身体は疲れていたはずだが、期待や嬉しさの方が強くて気にならなかった。道中、アベルは水の確保をしてくれたし、食料の魚を取って来てくれた。あたしはアベルの優しさに甘えてみることにした。今までと同じように焚火の前での野宿だったが、アベルの腕に抱かれながらだと楽しく、幸せだった。

 しばらくはこの町に滞在する。疲れを癒し、それからどうするかは、ゆっくり考えればいい。アベルと話したように、世界のどこを旅して周るか、想像するのが今から楽しみだ。

 弟たちを探す旅に始まり、竜伝説の謎を解く冒険を続けていた身には、こうやって大した目的もなく、何の責任もない旅に出るのは何とも新鮮に感じられた。

「今まではまるで何かに導かれるように、決まった場所を辿るような旅だった。元々、青き珠の勇者を成長させるために、竜伝説の秘宝を世界各地に分散させているって話だったしさ」

 アベルはしみじみと言った。

「楽しみなんだ。これからデイジィと好きにどこへでも行けるなんて」

 アベルは椅子から立ち上がった。

 今までずっと肩ひじ張って生きてきた。こんなにも楽しくて開放的な気分は初めてだ。あたしも立ち上がって、アベルを真っすぐに見つめた。

「あたしも……。こんなに楽しみなのは、初めてだよ。アベル!」

 そう言って、あたしはアベルの胸に飛び込んだ。

「デイジィ……」

 アベルはあたしの身体を受け止めて、背中を包むように抱きしめた。甘えるような、優しい抱擁だった。

 もう強がらなくていいんだ。今まで青き珠の勇者としての重圧を受け続け、周りから頼りにされていた。その重荷がなくなった今、ようやく緊張を解くことができる。これだけの仕事をしたんだ。残務処理なんか放棄して、誰に邪魔されることもなく自由に生きたくなるのは仕方ないことだろう。

 それはあたしも同じだった。ようやく過去の呪縛から逃れ、自分のために生きられる。幼少期に親を流行り病で失い、心の支えだった弟と妹は奴隷商人に連れ去られた。誰にも頼れない中、何とか弟たちだけは取り戻そうと、懸命に生きてきた。結果として目的は果たせなかったが、あたしの手元にはいくつかのものが残った。誰にも負けない剣術の腕と、当面の生活には困らない資金。

 そして、一番大切な人。

 



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続編 (続編案内)デイジィとアベルの旅路

デイジィとアベルの旅路
https://syosetu.org/novel/202288/




 その人は、涼しくなり始めた夕暮れどき、僕の前に颯爽と現れた。

 明るいブラウンのロングヘアー。整った顔立ちに、鋭い眼つき。引き締まった首。青いドレスに包まれた身体は、女性らしい、細い流線形をしているが、露出している肩や腕は筋肉質で、よく鍛えこまれていることがわかる。スリットからは太腿の白い肌が覗いていた。

 一見すると気が強そうなだけの、綺麗な若い女性だ。でも、その人は只者ではなかった。僕を恫喝していた三人の屈強な男たちをあっという間に蹴散らしてしまったのだ。

 それは、僕が一人で道具屋の店番をしていたときのことだった。

「シバ、俺は腹ごしらえしてくるから、しばらくの間一人で店番を頼むぞ」

 店主のおじさんは、僕にそう言って店を出て行った。多くの人が行き交う繁華街に構えた店。ここでは薬などの日用品の他に、武器や防具など旅人向けの商品を扱っている。そんなに多くの旅人が来るわけではないので、基本的に客は顔見知りの住民ばかりだ。だから僕のような子供が一人で店番をしていても困るようなことはないはずだった。

 この平和なカザーブの町は、幸いにもまだ魔王バラモスの襲撃を受けていない。バラモス誕生前と変わらず、平和な日々が続いていたが、それにも徐々に変化が現れていた。

 自分の町を破壊されて、行き場を求めてカザーブにやって来る人たちが増えた。それはいいのだが、町中に眼つきの悪い連中がたむろしているのをたびたび見るようになった。そして、強盗や窃盗などの被害が増えてきた。町の自警団が犯人を捜索してみると、大半は外部からやってきた人間の仕業だった。

 旅人相手の商売となると客層は様々で、時には外部から来た荒くれ者の相手もしなければならない。ここにもそういう連中が来て、無理な値切り交渉を仕掛けてきたり、使い物にならない武器や道具を押し売りしてきたことがあった。しかし、店主のおじさんはそういう輩のあしらい方も心得ているので問題なく追い払っていた。

 タイミング悪く、そういう連中がおじさんの留守中に来なければいい。たったの二十分程度の間だし、僕にも大抵の連中は追い払うことができる。

 僕は道路に面したカウンターに座り、人びとの往来を漫然と眺めていた。このカザーブは、アッサラームのような大きな町とは違い人口は多くない。そう頻繁に客も来ない。

「おい、坊主」

 低い声がした。ぼけっとしていて気が付かなかった。顔を上げると、背が高くて筋骨隆々の男がカウンターの向かいに立っていた。

 

 

続く




『デイジィとアベルの旅路』へ続く

https://syosetu.org/novel/202288/


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