デジタル・デビュー・ストーリー (sakunana)
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─プロローグ─ ミナライユウシャのファーストステップ 王の悩み

夕方、トレセン学園食堂の片隅、他には誰もいない空間の中、キングヘイローは近くの窓の外を見る。けれども、11月にも入り寒そうに外を歩くウマ娘達の姿も、濃い灰色をして空を覆う雲も、その瞳には映ってはいない。

 

「どうしたの?キング~」

 

その言葉とトンッと右肩へのごく軽い衝撃にキングヘイローは現実に引き戻され、声の主はそのまま右隣の席へとストンと座る。顔を向ければ、そこにいたのはクラスメイトのセイウンスカイだった。

 

「どうしたのって、特別に何もありませんわ」

 

「そう?なーんか溜息を何回もついているのがここに入った時に見えたから何か起きたのかと思って」

 

「私がそんな事を?それは気づきもしませんでしたわ……」

 

「私で良ければ聞くよ?」

 

「そうですね……、他の方の意見も聞いてみた方が良さそうですから……」

 

そう言ったキングヘイローだったが、そこで声は途切れ、また何かを考えるようにして息を漏らし、セイウンスカイはこれはもう少し自分が水を向けるべきかという考えに行き着く。キングヘイローが何も言わなくとも、彼女がどういった事を気にしているのか、思い当たる節は既にある。

 

今年に入りキングヘイローはデビュー当時から在籍したチームを離れ別のチームに移った。それがまた先日、元いたチームに戻ったところだ。

その辺りの詳しい事はセイウンスカイも知らない。

移籍話は珍しい話ではない。一度きりも各地を転々とすることも、こうしてUターンすることも。

 

それについてはそれぞれの事情があるだけだと思う。キングヘイロー本人からも何か聞き出そうと思ったこともない。それでも久しぶりに戻ったチームで勝手の違いや不安になることもまた物珍しくもなく耳にする話だ。彼女にも何かしらあったのではとまでは簡単に辿り着く。

 

「……チーム戻って何か前と変わってることでもあった?」

 

とはいえ、いざ聞き出す段階に至ると何と聞くのがベストなのかは浮かばず、それでも答えやすそうな所からと選んだのはそんな言葉だった。

 

「そういったことはありませんでしたけどね。ただ、変わった子がチームに入ってきていまして……」

 

それに対してのキングヘイローの答えは困ったといった心境が顔に書いてあるかのような様子で返された。

 

「変わった子……」

 

「アグネスデジタルという娘なんですけど……」

 

「あ~、あの娘か~」

 

「し、知っているんですの?」

 

納得といったように声を上げるセイウンスカイにキングヘイローが驚きを隠さず顔を向ける。

 

「知っているってほど知っているわけじゃないけど、変わった娘だって事はね~。前に近場の堤防の先で釣りをしている時に話しかけてきたんだ。

 初対面でいきなり名前に「ちゃん」付けしてきて「何なのこの娘?」と思っていたら、その後はマシンガンが如く私のあちこちを色々褒められてね。驚きはしたけれど、釣りの邪魔をするわけでもなくて、まあ、悪い気はしなかったな。私と会った時はまだどこのチームにも所属していないルーキーだって言っていたけれど、キングの所に入ったんだね」

 

「実は私にも同じ様な事はあったのですけどね。今のチームに戻る前に同じように初対面で、それはもう髪の先から靴の先まで褒めるといった感じで……」

 

そして「このキングの事をよくわかっていますわ」と、思い出しながら満足そうな顔をするキングヘイロー。

 

「じゃあ、あの娘はどのウマ娘にもそんなことやっているのかもしれないね~。生粋のウマ娘好きって感じなのかな。あれも一つの才能だと思うけど、あそこまで褒めちぎれられるのなら」

 

そこまで言ってセイウンスカイはふと止まって考える。

 

「えーっと、それだとキングはどういうことで気になっているんだろう。そんな様子で他のウマ娘にちょっかいかけて練習にならない、先輩としてどうにかしたいとか?」

 

「いえ、そうしたスイッチのオンオフはきっちりしている娘のようなので」

 

「そっか、そうだよね。印象としては私もキングが言ったような事を思ったんだけど、やっぱりそういう娘なんだよね。でも、その辺りじゃないとすると……」

 

セイウンスカイは本当に分からないと頬に手を当て考える。

実はあのアグネスデジタルが実力を秘めた超大物で、トレーナーの全ての力が注がれていての嫉妬……だなんて事もあくまでこの世界に起こり得る例として思いついたけれども、そのような娘なら噂のウマ娘として話の一つも聞いたことがあるだろう。という事以前に、そんな事を思うキングヘイローではないだろうし、ましてやそれを友人に話そうとする事はまずないものだろう。

自分で思っておいてなんだけれどキングヘイローに対して失礼なものだな、ともセイウンスカイは考え、また別の物へと考えを進める。

 

キングヘイローはといえば暫く何も言わなかったがやがて沈黙の中で言い辛そうな様子はしながらも言葉を発する。

 

「そ、そのですね……」

 

「うん……」

 

「その……彼女、トレーナーのことを……下の名前で呼んでいるようで……」

 

「ほ~」

 

最後の方はかき消えるような小さな声だったが確かに聞き取って、セイウンスカイは思わずそう声を漏らす。その予測は全くなかったなとなると同時に、ウマ娘相手にも初対面でも大胆だったけれど、人間相手でも既にトレーナー相手にそうだとは距離感が近い、との感想がそこには混ざっていた。

 

「まあ、その辺もやっぱり変わった娘だとは思うけど、そういう娘も居るってことじゃない~」

 

セイウンスカイは考えの中にあったような重い話でも無かったことに安心しながら軽く答える。内心は(呼び始めた期間は違えどキングだって同じことやってるわけだしね~。こういう場所ではやらないけど私と話す時だって他の場所じゃ)となり、顔つきも多少ニヤっともしながら。そこに気づいたのか気づかなかったのかは分からないままキングヘイローは続ける。

 

「それ自体は確かにそうですわ。そういう娘もいる。ただ、その、彼女の場合は「ちゃん」付けでして……」

 

自分もそうだという意識があるのか当初の言葉は力強かったが、アグネスデジタルに触れる部分を吐く頃にはやはり困ったという感情が前面に押し出される。

 

「あ~」

 

と、そこまで聞いて次に出されたセイウンスカイの声は、短い中にそういうことかという納得とこれはまたという困惑とが同居していた。

 

「それで、どこでもそんな様子なわけ?」

 

「私も戻ったばかりですし多くは知りませんけど、少なくともチーム内、チームメイトとは言っているようですね、実際に私が耳にして。その時には彼女に言及したりはしませんでしたけれど。他の娘と話している時に割って入ろうとまでは流石に思いませんでしたし。

 後はどうなのかとはまだ誰にも確かめてはいませんが。トレーナーには直接どうしているのかとか、どこでもそうしているのか、ですとか」

 

「そうか~」

 

セイウンスカイは顔を上向かせて考えた後にキングヘイローの方を向く。

 

「話は分かったしキングが気にもするのもよく分かるよ。ウマ娘の先輩としては立ち振る舞いが気にもなりもするよね。で、私としては他のチームの事情だし、あまり言えないこともあるけれど、その辺りはまずトレーナーに聞いて探ってみるしかないんじゃないの」

 

「そう、ですわね……」

 

「何か普通なことしか言えなくてごめんね」

 

「そ、そんなことないですわ。私も答えとしてはトレーナーに聞くしかないとは分かっていたんです。その後押しが欲しかっただけかもしれません……。それにスカイが私が気にするのも分かるといてくれただけで充分なくらいなんですわ。自分だけで考えていると些細な事を気にしすぎなのかとも思ってしまって。スカイのおかげで元気が出ましたわ」

 

「それなら良かった」

 

「さて、思いついたら即行動というのも良いかもしれませんわね」

 

「そうだね~。今ならトレーナーって大体まだ部屋に残って今日のまとめでもしているかもしれないし。行ってきなよ、キング。私はもうちょっとここでぐだぐだやってるよ」

 

と、セイウンスカイは右手を軽く上げて指をひらひら動かす。

 

「その通りですわね。では、行って参ります。今日のところはごきげんよう」

 

そうしてキングヘイローは立ち上がり一礼すると食堂を元気よく出ていった。

その姿をセイウンスカイは最後まで見送る。

 

(そこは”先輩”だからではなく、何ともモヤモヤもしてしまうんだろうな~キング)

 

と、その様子は気持ちは分かるとしつつも、少し楽しそうにも表情に出ているものだった。

 

 



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王は進む

食堂を出て一直線に、キングヘイローは自チームの部屋へと。

そこにはまだ煌々と電気がついていて遠くの方からでも分かり、そのままドアの前まで来てノブに手を掛けたところで聞こえた部屋の中からの話し声。

一人はチームのトレーナーのもの、そしてもう一つは今キングヘイローを悩ませるあのアグネスデジタルのものだった。何の音も立てないようにそっと手をドアノブから離して、まずは中の会話に耳をそばだててみる。

 

内容は今週末にあるアグネスデジタルが出場するレースの事のようだ。

三戦をしてまだ一勝。デビュー戦は二着、次のレースで初勝利して、前回出場したOP戦は人気も結果も下から数えた方が早い位置で終わり、そして今週またレースに臨むところなのはキングヘイローも以前に聞いていた。

早くに一勝もしてスタートとしては良い、といって能力に対し特別に高評価でもなければ悪い評価も別にないという、それがアグネスデジタルの立ち位置だった。

 

次のレースについては部屋の中から聞こえるものをまとめると、大きなレースでもなく外野からの評価は上々、手応えも上々のようで、二人の声は緊張感に溢れたものではなく極めて明るいものだった。

といって、ふざけているわけでもなく、その日に向けての準備が着々と進められているようだった。キングヘイローにとってそのほぼ全てについて特に何も言うことはない。むしろ望ましいものであったと思う。

 

 

ただ一片、時々聞こえるアグネスデジタルがトレーナーを呼ぶものが名前ではなかったのならば。”ちゃん”などと付いていないものであったのならば。

 

 

その度に部屋の中に入ってしまおうかとなるものの、会話はレースのための作戦や他のウマ娘に関する重要な事であり邪魔するわけにはいかないと、両方の気持ちがせめぎ合い、さらに音を立てるわけにもいかないので部屋の外で一人、手をわなわなさせたりしながら悶えるキングヘイロー。

 

そんなことが起きているとはつゆ知らず二人の話は続き、やがて「まあ今日のところは、こんなもんやな。後は当日、レース前の方がええやろ」と、トレーナーの言葉が外まで届いてきた。

(よし、今だ!)と、キングヘイローはドアをノックをする。

 

「どうぞ~」

 

返されたのはトレーナーの軽い声。

キングヘイローはこちらの気も知らないでとなりながらも、一度息をつき、顔に出さぬよう心の中でも自分に言い聞かせてからドアを開ける。

 

部屋に入れば少し先にトレーナーとアグネスデジタルが立ち並んでこちらを見ている。

その奥にある机には何やら紙類が広げてあるのが見え、右側のすぐ側にある壁に掛けられたホワイトボードには数々の書き込み、どれもこれもレース本番へ向けてのものなのは一目で分かり、先程まで二人で話を詰めていたのだろう。

それらに目が行った後、キングヘイローは動きを止めてしまう。

今しか無いと部屋に入ったはいいものの、どう話を進めて行こうかとは細かく考えていなかった事に気づいただけでなく、いざ二人を見ると何から言えばいいか、取っ掛かりも見つからなかった。

 

「なんや、キングか。どうした」

 

沈黙の時間は長くは無かったが入ってきても何も言わないキングヘイローを気にしたのか、トレーナーがまず切り出した。

 

「ど、どうしたってわけではないんですけども……」

 

と、二人を見て辺りを見て、キングヘイローは目を少々キョロキョロさせる。

それを見て「ん~?」と要領を得ないトレーナーの横でアグネスデジタルが続いた。

 

「ねえ、あたしは今日はもうやる事ないから帰るね」

 

と、トレーナーの返答も待たずに近くにあった自分の鞄を抱えるとドアの方へと向かう。

キングヘイローには「じゃあね、キングちゃん!」とすれ違いざまに肩に触れ、ドアの前では一度部屋の方へ向き直り「また明日ね、トレーナー!」と言うと二人を残して部屋を去っていった。

 

二人きりになった部屋で沈黙が訪れたがアグネスデジタルがいなくなった事で随分と気は楽になりキングヘイローはフッと笑い、静かな時間を切り裂いて僅かな間で終わらせると、当初の予定を進める行動に入った。

 

「元気な娘ですわね」

 

「ああ。ウマ娘に色んな娘がおるって分かっていても、なかなか強烈な娘やな」

 

トレーナーはまだ年若い青年ではあるけれど、そうして口元に笑みも浮かべながら楽しそうにも話す姿は、頼れる大人の貫禄を、これがトレセン学園のトレーナーだというものを存分に出しているともキングヘイローは思う。

いつもそうあっていて欲しいし、自分の、自分達チームに所属するウマ娘のせいでそれが貶められるような事はさせたくない。その思いを抱えたままキングヘイローは続けていく。

 

「強烈、確かにそうですわね。先程も部屋の外からでも彼女が貴方のことを呼ぶものが聞こえましたけど……」

 

「あ~、外に聞こえるほどやったんか。それはちょっと拙かったな。レースの事も話していたのに、他に誰もおらんかったよな?」

 

「ええ、それは大丈夫でしたけど……。あの、貴方は、ああして呼ばれる事に関しては良いんですの?」

 

自分が何が言いたいかがトレーナーに伝わっていない様子ではなかった。しかし、呼ばれ方がどうこうよりも話が他に聞かれてなかったかどうかを気にすることに、こうだからこそのトレーナーだとは思いつつも、もどかしさも感じながらキングヘイローは返す。

 

「ああ。まあ、それかてあまり他人に聞かれて欲しいことではないけど、この中で俺に言っている分には別に気にはしていないな」

 

「他の娘達と言っているのは?」

 

「それも同じく。この部屋の中とか他にも寮でも何でもええけど、ウマ娘達の中でやっている分にはええよ。外向きの取材や他の目が多くあるところでの線引きさえしてくれればな。

 で、あの娘はその辺が分かってない娘やないし、レース場に行ったって、きっちり使い分けとるし。さっきだってキングが来ただけでも、その辺はやっていたやろ」

 

確かにトレーナーが言うようにアグネスデジタルは最後に「トレーナー」と呼びかけて去って行ったのを思い出し、TPOをわきまえて、トレーナー本人がそれでいいと言ったならばそれで話は終わりなのだと理解はしつつも、自分の中で飲み込めないものをキングヘイローは抱いていた。

 

「その辺はキングも同じやろ?」

 

「え?」

 

トレーナーから出た言葉に思わず声を大きくして反応してしまう。

 

「だから、キングかて俺のこと名前で呼ぶことあるし、同級生とか友達同士でも言うてるやろ?」

 

「し、知っていたんですの?」

 

その言葉でキングヘイローは目を丸くする。

本人相手については当然なことにしても、まさかチームとも関係ない所での出来事を認知しているとは思わずに表情に出てしまっていた。

 

「そのくらい知らいでか~」

 

と、トレーナーは「どうや」とばかりに言った後に、声のトーンを抑え真に入った顔で続ける。

 

「名前で呼んでも、そこに何かが付いているにしてもな、俺にとってはそこに大差はない、変わらんよ。それでな、さすがにそれはないという態度を取られていたんやったら、そこはきっちりトレーナーとしてケジメつけてるもんや」

 

そこまでを聞いて、先輩としてしっかりとした行動をするつもりで自分が自惚れていたような、トレーナーが全てを分かっていた上での話だったのに差し出がましい事をしたような気にもなってキングヘイローの顔に影が落ちる。

 

「まあええわ。キングもこれでいいものかと気にしとったわけやな。シニアクラスのウマ娘としたらチーム全体の事にも目を向けるようになって当然やから、そう思うのも分かる。

 でも、この事に関しては今しがた言った通りやし、あの娘がいるのも後ちょっとなんやから仲良くしとってくれや」

 

トレーナーはそれも見逃さなかったのか表情を柔らかくしキングヘイローの肩をポンポンと叩く。

 

「え?」

 

そこに反応したキングヘイローの言葉は先程聞き返した時よりさらに声も驚きも大きくなっていた。

 

「いや、「え?」って、何が?」

 

返されたトレーナーもまたどういうことか分かっていない様子を見せる。

 

「いえ、あの娘ってアグネスデジタルの事ですよね。後ちょっとってどういう事ですの?」

 

「え?あれ?」

 

と、トレーナーは両手を腰に当てて目線はキングヘイローから外して何か考える様子を見せ、何度か顔の角度を変えた後に再び前を向く。

 

「言ってなかったっけ。アグネスデジタルが期間限定でこのチームにおって、次のレースがこのチームでやるには最後やってこと」

 

「まったく知りませんわ」

 

そう、ぷいっと横を向きながら答えるキングヘイローには、トレーナーは頭を掻きながら顔は未だ「おかしいなぁ」とでも言いたげなものを出す。

そのまま再び考え始め、トレーナーの中では伝えたつもり、相手も知っている体で言っていたのだが、こんなことで嘘をつくキングヘイローでもないと、最後には自分が勘違いしていたという方に落ちつかせ、「すまん、すまん」と下手に出て謝った後に説明をし始める。

 

「アグネスデジタルは将来的にはトレーナーになりたいらしくてな。それなら今の内からでも色んなチームやトレーナーの事も知っておくのもええやろと、あの娘に付いているアドバイザーの考えもあって、まずはウチが声掛けられたんや。

 俺もそういうことならと思って引き受けて、次のレースまで面倒見るのが俺の役割というのも既に決まっとる話なんや」

 

それをキングヘイローはそれを時々頷きながら黙って聞く。

 

 

 

トレーナーになる。

 

 

そう一言で言うのは簡単だけれども、あの変わったウマ娘はこれはまた高い目標を持っているものだと心の内では素直に思う。

過去、トレーナー資格を持てたウマ娘など数えるほどなのは授業で習うレースの歴史程度でも触れられるごく知られた話だ。

ただでさえ狭き門、ヒトである方が向くと言われるがそのヒトでさえも何度も挑んでもなれない者はいる、その中で一介のウマ娘が通ろうというのは、世界最高峰のレースで勝つなどと言うよりも見果てぬ夢とさえ言えるかもしれないとも。

 

その彼女に同調したアドバイザーもどこの誰かは知らないが大きくでたものだとも。

”アドバイザー”────トレーナーとは違う形でウマ娘に関わる者、キングヘイローが入学し、まずこのチームに来たのも、アドバイザー業のヒトからの勧めだった。

レースで結果を残せず悩んでいる時に解決案の一つとして移籍を勧められたのも、そして移籍を選んだ時も戻ってくる時もまた世話も受けている。どの動きもスムーズに問題なく行ったのもそのヒトの手腕によるものだとも考えていた。

 

そうして一つのチームとトレーナーという括りとは外れた所で複数のウマ娘と関わり、移籍時に拗れないようチームとチームの間を取り持ったり、出場レースのローテや作戦、トレーニング、まさにレースへのアドバイスをするために存在する役割。

自分に付いているアドバイザーは自分にも合った良いヒトだと思う。そのヒトのためにも自分は大きなレースに勝ちたい、G1ウマ娘にならなければならないと思っている。

 

アグネスデジタルのアドバイザーもまたアグネスデジタルに合ったヒトなのだろうともそこで思う。チームもトレーナーも数あるようにアドバイザーもまた学園内に把握できないほど多くいて性格も様々だ。その中でアグネスデジタルのそんな夢に乗ったヒトならばきっと個性的なヒトなのだろうとも思い浮かべていた。

 

トレーナーの話が一段落したところでキングヘイローは一度大きく頷く。

 

「なるほど、分かりましたわ。そういうことでしたのね。しかしながら、私、本当にその一つ一つを今初めて知りましたわ」

 

「いや、ほんと、すまんって。チームの他の娘には伝えてた話でキングにも既に言ったものやと知っとるものやと何の疑いもなく思っていたところがあった」

 

「はぁ、まったくしっかりしてくださいな。そんな抜けていてトレーナーとして大丈夫ですの」

 

「これもキングが、何かこう、当たり前のようにチームにいる気がしてな。

 戻ってきてすぐだってウチのチームのやり口がよく分かっていて気が利いて他の娘の面倒を見てくれてるし、な。そういうところが俺としても凄く助かってた」

 

「そんなご機嫌取りしてもダメですわ」

 

そう言いながらもキングヘイローの顔はニンマリと(やっぱり私がしっかりしないと駄目なのですわ)と心の中では決意すると、

 

「まあ、今日のところは良いですわ。こうして遅れたとはいえ話が伝わりましたので。後はこれ以降に気をつけてさえいただければ」

 

「ああ、心に命じておく」

 

「それでは、私の用も済みましたけど、この辺りの片付けのお手伝いでもいたしましょうか」

 

「おう、頼むわ」

 

キングヘイローがアグネスデジタルへの指導をしたままの状態で放っておかれていたボードや机を指差し言うと、トレーナーもまず近くに置かれていた筆記用具類に手を伸ばし後片付けへと入る、

慣れた手付きで作業をしながらキングヘイローは(今日ここに来て正解でしたわ)と満足し、そうしてレースが行われる週末前の日は過ぎていった。

 

 



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王と勇者

週明けの平日、このチームでの最後のレースを1番人気ながら2着で終わったアグネスデジタルは、学園の授業終了後にチーム室でトレーナーそして他のウマ娘達の前で「お世話になりました」と元気に丁寧に挨拶すると去って行き、その日の練習終わりには、ほんの僅かの間の経験だけでも分かったアグネスデジタルが居るのと居ないのとでは違う、練習時間の騒がしさの差をキングヘイローは実感していた。

 

練習をサボるわけでもない、他のウマ娘に目移りして練習の手が抜かれるわけではない。

自分の練習はきっちりと行いながら、他のウマ娘の練習の頑張りのどこそこが良いと声を出し盛り上げる、そんな騒がしさだった。

「少しの付き合いでも本当に強い印象を残していきましたわね…」などと思い返しながら着替えも済まし、チーム室の外に出てドアを閉めたその時に足音に気づいてその方向を見ると、さっきまで頭にあった存在、そのアグネスデジタルがやってきた。

 

「何か忘れ物ですの?」

 

「うん」

 

「でしたら、どうぞ、お入りになって」

 

と、閉めたドアをまた開こうとするとアグネスデジタルがその手を止める。

 

「何か置き忘れたんじゃなくて、あたし、言い忘れていたことがあって、キングちゃんに」

 

「私に?」

 

そうは言われてもキングヘイローにはまったく何の事か思い当たらない。

 

「うん。それで、ここだとなんだからちょっと離れた所に行きたいんだけど、キングちゃん、時間ある?」

 

「その心配はないですけど……」

 

特別この後に用事があるわけではないが、何の話か想像が付かない上に、ここですぐに言えない話とは何なのかと疑問は増えながらも、アグネスデジタルの是非とも言ったような眼に「よろしいですわ」と了承をする。

 

それではと移動したのは学園の校舎の屋上に続く階段の踊り場。

既に各地ではトレーニングも終わっているほどの時間で校舎内に人気は少ない。その場所も電気の光はあるものの静かな場となっていた。

アグネスデジタルが言うには他に誰もいない方が嬉しいとの話で、近くで思いついたのがここだったらしくキングヘイローも一度了承したからとそこで断るでもなく付いてきていた。

 

「それで、何ですの?」

 

踊り場に着いて二人向き合ったところでキングヘイローからまず触れた。

 

「どうしてもキングちゃんに二人きりでお礼が言いたくて。こういう事はちゃんと直接に言わないといけないと思うし」

 

と、アグネスデジタルは言うがキングヘイローにはその言葉で余計に意味が分からなくなる。

お礼……といっても何かをした覚えがない。随分と自分が離れていたチームの事でも以前いた時から変わらない勝手知ったるものはあって、練習中にチームの他の娘相手と同様にアグネスデジタルのサポートもした事はあったが、それは改めてお礼を言われることでもないし、彼女がチームからの去り際に皆の前で言ったもので充分だとしか思わない。

 

「話は聞くつもりですけど、こちらとしては順を追って話をしてみて欲しいですわ」

 

「ごめんなさい。それじゃあ……」

 

アグネスデジタルは頭を下げると、しっかりと立って話し始める。

 

「あたし、アドバイザーから紹介を受けて最初に入ったチームがこのチームで本当に良かったと思ったの。トレーナーはレースを走るウマ娘としても一からじゃなくゼロからってくらい最初の第一歩踏み出す事からだって丁寧に教えてくれたし、トレーナーになりたいならと、その事についても気になる事を聞いたらちゃんと答えてくれて、あたしが分かるように言ってくれて、それで、トレーナーにお礼を言ったらね、そんな大層な事したわけじゃないからって最初に言っていて、その後に言われたのがね、感謝の気持ちを持つならキングちゃんに持っておいて欲しいってことだったんだ」

 

「それはどういうことなのか……」

 

今日何度目かのよく分からない話が出てきてキングヘイローは眉根を寄せて反応する。

 

「あたしも詳しい事は聞けなかった。聞いたけど「長い話ではあるし、デジタルに聞かせるには早い、難しい事だ」って。

 聞けた事といえば、トレーナーが今の自分があるのはキングちゃんが居たから、ルーキーのあたしを引き受けたのもキングちゃんがいてこそだったからって。

 あたしもどういうことか不思議だったから、少しでも詳しく聞こうとして、それで言って貰えたのは、トレーナーはウマ娘を教える立場にいるけれどウマ娘側から教えられる事も沢山あるんだってこと。それでね、あたしがトレーナーになった時にそれを心のどこかで覚えていてくれればそれでいいって、感謝の言葉は嬉しいけれど、それよりもそうしてくれる事が何より嬉しいことになるからって笑ってた。やっぱり言葉の全部の意味は分かったわけじゃなかったけど、とても大切な事は教えられた気がして、それを聞けたのもチームに受け入れてもらえたのもキングちゃんから始まってるなら、お礼言わなくちゃと思って……」

 

キングヘイローはそのアグネスデジタルの言葉を相づちもせず静かに聞き入っていた。

アグネスデジタルには分からなくともキングヘイローには思い当たる節があり、途中でその事に気づき過去を思い返しながら。

それは決して面白い話ではない。つい表情も曇り俯きがちになったところでふと気がつくと、すぐ側にまでアグネスデジタルが来ていてことに気づき顔を上げる。

 

「どうしたの?キングちゃん。

 あ!そうか!あたし、別にキングちゃんからその事を聞き出そうってわけじゃないからね。本当にお礼を言いたかっただけで」

 

「分かっていますわ。アグネスデジタル、一つだけ聞いて良いですか。トレーナーとその話はいつ頃しましたの」

 

「んーと、前の前のレースが終わってちょっと後かな。その後でキングちゃんがチームに戻ってきた時にまず言おうかとも思っていたんだけど、最後のレースが済んでからの方がいいかなとも思って今日までとっておいたんだ」

 

「そうですか。それでですね、あなたの言っている事の理解はできましたわ。

 確かにトレーナーの言う通り、あなたが聞くには早いことですし私からも言うつもりもありません。それだけでなく私としても、お礼をされるのは有り難いことですけど、そう気にしすぎなくてもよろしいですわ。

 私のチームで学んだこと、トレーナーに教えられた事を活かして、今後に役立てていただければ、私としてもそれ以上の事はございませんから」

 

「うん、あたし、頑張るよ。

 トレーナーに対しては最初はこんなに若い人で頼りになるのかなって思っちゃったところあったけど、言われたこと忘れないし、良い事をいっぱい教えて貰えたって思えたし、きっと結果にだって出してみせるから」

 

「当たり前ですわ。仰るとおり、実年齢としてはこのトレセン学園内のトレーナーの中でも若いと言えましょう。しかし、今は引退されていますが、かつて学園内で名を馳せた、いや伝説級とも言えるトレーナーのご子息。

 それに恥じない能力を持ち、今年はG1ウマ娘も輩出し、早くから結果を出しているのですから。その教えを守っていけば大丈夫だと、この同じく良血と称されるキングヘイローも太鼓判を押しますわ」

 

堂々と、まるで自分の事を自慢するかのように説明をするキングヘイローにアグネスデジタルがパチパチと小さく手を叩く。

 

「おー頼もしい。それにしてもトレーナーってそうだったんだ。親子でトレーナーっているんだねえ」

 

「……知りませんでしたの?」

 

「うん」

 

「トレーナーのお父上はそれほどの有名な方ですよ。私も直接関わりを持ったことはありませんが、レースの歴史をさらっていけば必ず名前の出る方で。あなた、トレーナーになりたいのにそういう事は知らないんですの」

 

あっさりと頷くアグネスデジタルにはキングヘイローは若干呆れ気味に、よく覚えておきなさいと教え込むように言う。

 

「トレーナーになるならその辺りも覚えないといけないとは思うけど、どうしてもウマ娘ちゃん達の事を知るのに時間を使っちゃうし、ウマ娘ちゃんには興味はどんどん湧くけれど、ヒト相手はあんまり出ないところがあって……。

 あ、でも、今回トレーナーにお礼言った時の様子にはちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、チームの他の皆がカッコイイって言ったりする意味も分かった気もした……かな?」

 

「あなたにも分かりましたか。やはりそう思って当然……ちょっと、アグネスデジタル」

 

キングヘイローは満足げに頷いたところでハッと気づいたように言葉も止めてアグネスデジタルの肩を掴んで揺らす。

 

「何、キングちゃん」

 

「皆、皆って誰ですの?誰がトレーナーのことをそんな風に言って……」

 

「え~、皆は皆だよー」

 

どうしてそれほどまでに一生懸命なのかと不思議そうにもしながらのアグネスデジタルの答えに(それは事実として皆に分かりもするものとはいえ、私の知らないところでそんな事が……)と、

アグネスデジタルの件で抱えたものが解消されたと思ったら別の物が湧き胸の辺りがザワザワと、また悶え動きそうにもなったけれどそこは我慢してふるふるとだけ身体を震わせるキングヘイローだった。

 

 

 



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王は語る

キングヘイローは寮への道を一人歩く。

踊り場にてやりとりをしていたところ校舎内を見回っていた学園関係者に見つかり帰寮を促され、話はそこで切り上げることにしてアグネスデジタルとはその場で別れた。

 

少し遠回りしての散歩がてら、暗くなった空の下を歩きながら考えるのはアグネスデジタルが言っていた「キングヘイローがいたから今のトレーナーがある」という事だった。

その意味するところは決して甘い優しい思い出から来ているわけではないことは、当のキングヘイローとトレーナーが何よりも誰よりも分かっていた。

 

簡単に言えばキングヘイローとトレーナーは上手くいかなかった。

アグネスデジタルはそういう事だとはまるで分かってないだろうけれど、としながら、キングヘイローはその事実を改めて胸の中に思い起こす。

 

戦績からすればアグネスデジタルとは違いトントンと連勝で重賞まで勝ち、クラシック戦線の主役とも注目された。

そこまではよかった。

 

しかし、そして、日本ダービーでの惨敗。

 

負けることはある、それまでだって無敗で来ていたわけではない。惨敗も、ただその時はその順位で負けただけなのだとしておけるものなら問題はなかった。

 

けれども、その敗戦は後を引く、現実を突きつける、ターニングポイントになった。

キングヘイローもトレーナーも若い、青い、日本ダービーで戦うということへの理解が足りなかった。

レースが終わってもお互い解消できないものがあり、アドバイザーの勧めもあり、ベテラントレーナーの指導を一度受けることになった。

 

そこで受けたのは、これまで何を教えられ学んできたのかという激しい叱咤。

反論は出来なかった。

日本ダービーに至るまでの間、実力を認められ注目を集めてはいたが、後から思えば自分は世に胸を張って言える力など持っておらず、闇雲に出す考え無しの力で戦っていただけだった。

日本ダービーは、それを突きつけ、それだけではレースは戦えないものだという事もまた教える場でもあったのだとキングヘイローは今なら思う。

 

基礎も何もなっていないと容赦なく浴びせられる言葉。

ただただ受け入れるしかなかった。

けれども、キングヘイローにとって辛かったのはそこではなかった。

叱咤の後に付けられたトレーナーは何を教えていたのかという言葉。

それがキングヘイローの心を何よりもざわめかせた。

 

他のトレーナーという視点だけではない、キングヘイロー自身からしてもまだ経験の浅い自分のトレーナーに対して、最初にチームに入って直後からも注文も付ければ指導に対して露骨にへそを曲げたこともある。

その頃にトレーナーの若さについて誰かが言っているのを聞けば「その通りだ」と「そのせいで自分が苦労する」と、口には出さずとも心でどこか同意することもあった。

 

だが、一度チームを離れてこうして言われもすること。

それがキングヘイローの基本が出来ていない事よりも「トレーナーがなぜそれをやらなかったのか」「出来なかったのか」と、そちらの語気を強くして言われる事にキングヘイローはグサリと刺されたような気になっていた。

 

その事はウマ娘とトレーナーというトレセン学園の内側の話だけには終わっていなかった。

評論記事や各地で飛び交うファンの言葉、どこにでも存在した。

もちろんキングヘイロー自身の悪さを指摘されるものはよくあったものだが、それ以上にトレーナーが矢面になるものだった。

自分達はキングヘイローを応援する、秘めたる力を信じている、とのそんな言葉の後に張り付く「もしもあのトレーナーではなかったら、最初から経験のあるトレーナーからの良い指導を受けていれば」のもしも。

 

発する彼らにはキングヘイローへの同情を含めているようだったが、キングヘイロー自身にとっては要るようなものではなかったし、変えられない過去の話などしたところでどうなるのだろうとしか思えなかった。

キングヘイローにとっては基本も出来ていなかったのも含めての自分であり、全ての能力だったのだ。それを指摘されるだけの方がどれだけ気が楽かとも思いながら、数々の似たような言葉に対して肯定も否定もせず過ごしてきた。

 

そういった日々もまた別のチームに移籍して過ごす内に、結果がなかなか出ない事は同じだったが、表立って言う者は減り、過去のものになっていた。

キングヘイローも振り返る事もなくなり、その流れ全てをそういう事もあったのだと受け入れて、自分は今からでも立て直して前へ進もうと過ごしていた。

再びアドバイザーの勧めもあり今のチームに戻り、トレーナーは何も言わないが彼もそうなのだろうと勝手に思っていた。

 

しかしながら、アグネスデジタルの話を聞く限りそうではなかった。

自分が移籍した後でルーキーの引き受ける事が増えたのは、元のチームの動向は気にしていたので知っていた。

それでも、自分の事が関係しているのかなどとは思ってはいなかった。

自分にやれなかった事を気にして、過去は変えられないけれど、他の娘に対して行う事ができるのならば……としたのだろうか。

それだけなら過去の苦いものを後に活かすというものは有ると、特別なものではないとも思う。

しかし、それをトレーナーはキングヘイローのいない所でも、自分に感謝して欲しいとまで言って後輩に伝えようとしていた。

 

「そこまで気に止めなくても良かったでしょうにね……」

 

キングヘイローは立ち止まり呟き俯いた。

そうすると意識せずとも学園に来てからこれまでの事が自然と思い出される。

その思い出の中、己の中でも多くを占めるのはやはりこの目の前のトレーナーのことだった。

出会ったとき、ぶつかった時、離れた時、帰る事を選択した時。

そして、目を開き、今ここに立つ自分を確認する。

 

「戻る事にまだどこか迷いもありましたけれど、これで私も本当に前へと進めそうですわ」

 

と、トンと靴で地面を叩いた時に空が明るくなった気がしてキングヘイローは顔を上げる。そこは綺麗に澄み渡り星々が煌めいていた。

トゥインクルシリーズと付けられた場で、星の名を冠とした各チームがせめぎ合うこのトレセン学園を覆うに相応しいものを今日の空は見せていた。

その光の一つ一つはチームそれぞれを表すようでもあり数々の栄光を残したウマ娘達のようにも見える。

 

「私も輝ける星の一つに、今のチームで成ること、それをいつか……」

 

キングヘイローは両手の拳を握りしめ、その足は地を力強く踏みしめながら、その空に誓っていた。

 

「そして、あの娘も……」

 

と、今日ここに至る機会を、自分の知らない真実を知らせてくれたアグネスデジタルの事へと考えが及んだ時に夜空に一つ星が流れた。

それが消えていった辺りを見つめながら彼女との別れ際の事を思い返す。

次のチーム、次のステージへと移る彼女に何を言おうかとしたところで選んだのは、「いずれ同じ舞台で」「G1レースで待っていますわ」という言葉だった。

まだ重賞の一つも獲っていない、それどころか重賞レースにも出ていない相手ではあったが、彼女はきっとそこまで来てくれるとの思いを込めて。

 

その時、輝く多くの星の強い光、弱い光、数々の光の中でまた一筋の長い尾を持つ星が流れた。

キングヘイローにはそれらがまるでアグネスデジタルを表しているようにも思えていた。

 

輝き続けずに落ちるものだというわけではない。

ウマ娘への尽きぬ興味、そしてトレーナーになりたいとの夢のため、アグネスデジタルはウマ娘という星々の間を現れては飛び回る一つの光になるのかもしれないと。

それはこのトレセン学園、トゥインクルシリーズに新たな風を起こすのかもしれないと。

 

空に消えて行きながらも強く記憶に焼き付けられ今もはっきり思い出せるその姿は、チームにいた僅かな時間に自分に今日のような日をもたらし、チームに帰還した意味を再確認させてくれ、深い足跡を残して去って行った彼女のようで、キングヘイローにそんな思いを起こしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──アグネスデジタルが本当にそうなるのかどうか、それはまた別のお話──

 

 

 

 

 

 



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ミナライユウシャのセカンドドア 勇者と助言者

11月も半ば過ぎ、学園内での授業を終え、木枯らしに吹かれ「寒い、寒い」と言いながらも今日もトレーニングへと向かうウマ娘ちゃん達。

向かってくる風にも負けず進むウマ娘ちゃん達もまた良いもので、その足で近づいて時間を掛けて愛でていたいものはありつつも、このアグネスデジタルにとって今日に限ってはそれは許されざる、あたしもあたしも進まなければならぬと、多くのウマ娘ちゃん達とすれ違いながらも、二度見するなどという事は行わず、そうしたい気持ちも押し込めて、一人、トレセン学園の外へと向かう。

 

校門を出て道路を走り辿り着くトレセン学園からそうは距離が離れていない場所に建つマンションの一棟。

駆け上がっても行きたいけれどウマ娘の本気は拙いので、急ぎつつ焦らず注意も払って階段を上っていく。目的の階に着いたら一つのドアの前に立ち、そして開け放っては「来たよー」と、ご挨拶。

 

1ルームの短い廊下の先の部屋、開いていた空間からひょっこり出たのは見慣れたオジサンのお顔。

 

「よし、来たかー、と言いたいところだがな、デジタル……」

 

と、そのオジサンであり、あたしのアドバイザーであるヒトはそんなことを言いながらこちらに向かってくると、「部屋に入る前にはインターホン鳴らしてくれ、な」との事。

 

「あ、そうだった」

 

これはうっかり、と反省ポイントの出現。

以前も所属チームが決まったとの連絡を受けて来た時にテンションMAXで同じ事をやって注意を受けていたのを思い出す。

 

「まあ何かやっていたわけじゃないし、今日のところはいいけどな」

 

で、アドバイザーはあたしの頭をぽんぽんと。注意を聞いてはいなかった、同じ事を二度もやってしまったわけだけど叱られるわけでもなくて一つ安心。そのままアドバイザーは近くにあったヤカンに手を伸ばしキッチンのコンロへと向かう。

 

「お茶でも入れるから、部屋の中で待ってな。」

 

人差し指を向けながらのその言葉に、了解とあたしは靴をさくっと脱いで真っ直ぐ進んだ。

 

その先は8畳の洋室。

置かれて目立つものと言えばテレビとテーブルと、壁際にはファイルや本が詰め込まれた棚棚そして棚。

とても住み心地が良い場所ではないだろうけど、アドバイザーにとってはこれがベスト。住んでいるのは他にあって、ここは学園にも近い所に作った仕事部屋だそうなので。といっても時々帰宅するのも面倒で寝てしまうそうだけど。

 

これぞシンプル……と言いたいところだったけども、テーブルの上にもその周りにも何やらファイルやら書類がごっちゃり。アドバイザーがまた派手に仕事していたのだろうと、それを眺めて思う。

勝手に片づけるわけにはいかないけれど、お茶を飲む場もないように見えたので持っていた鞄を部屋の隅に置くと、その辺りの散らばる紙類を固めて避けながらスペースを作って座り込む。

 

さて、この紙類はどこに置こうかと思ってふと一番上にある紙を見ると、それはチーム名とウマ娘名がいくらか書かれている。

二枚目も三枚目もとぱらぱらと見ると、どうもそのテーブルの周辺にあったのはチーム名簿の一部だったようで、これなら見ても問題ないかなと、やることもないので目を通す。

見ていくと、早速に懐かしい名前がちらほらと。そのどれもがあたしが入団を断られたチームだった。思わず「懐かしいねえ」と、ほんの数ヶ月前の事だけれどそう言ってもしまいながら、その時の事を思い出す。

 

 

トレセン学園、それは数々のウマ娘達がレースで全てをぶつけ合うために日々鍛錬し高め合う学び舎。

そしてウマ娘を観るにはレース場とは違ったアプローチも出来る、最高に適した場所。

と、いうわけでウマ娘ちゃんを愛してやまないあたしは入学を決めたわけで、それはそれは意気揚々とレースにも参加するためにチーム選びを始めた。

 

そして始まる連敗街道。

入団テストを受けても受けても落とされる落とされる。

決して入団テストの競争で遅れを取ったわけじゃない、むしろ速かったにも関わらず。

そこでなぜ……とはならずに、それは大体テストを受けている内に気づいた。

 

実力テストと共に軽い自己紹介タイムがある、そこで掲げる目標なんかを聞かれるわけだけど、これに関しては「考えて言うほどでもない、特定レースを制覇したいとか簡単なもので良し」と、どこのチームが対象だろうと入団テストを受ける時の心得として学園の教室内でもルーキーに向けての説明で教わっていたことだ。

 

そこであたしの場合は色々と考える事もなく言うことは一つで。

三冠ウマ娘だとか狙う存在はない、どこかのレースだけは制したいということもない、あたしがしたいのはウマ娘ちゃんをその傍で愛で続けること、それならどうするべき、何を目指すかは決まっている。

 

トレーナーになる。

たった一つの、単純で全ての事だった。

 

ただ、それを自己紹介で言うと、どうにも受けが悪い。

それを言うと一緒に受けているウマ娘ちゃんが本当に?という顔をする、受験チームの関係者も動きが止まりもする。中には凄く難しい顔をするヒトもいて、結果発表がある前から「これは駄目かも」とあたしでも察することのできるチームもあった。

 

それぞれのチームからあたしが落とされた理由は教えてくれるものでもなかったし細かくは分からないけれど、とにかく何度もチャレンジしては跳ね返されていく内に、トレーナー業はそれだけ難しいという事実も聞いて、それを目標にするというウマ娘は手に余るとでも思われたのだろうとは薄々気づいていた。

だからとこの夢を諦めるつもりはないし、自己紹介で嘘をついてどこかのチームに潜り込もうとは思わなかった。

トレセン学園のどこかにあたしに合ってるチームがある、と信じて。

 

その意気込みで、ある日、あたしは入団テストを行っているチーム表を見ながら、次はどこを狙ってみようか、なんてトレセン学園内の広場のベンチに座って考えていた。

時はお昼、右手には日光に照らされるチーム表の紙、左手はベンチに置いたサンドイッチを摘まみながら、顔はその紙に近づけたり離したりの睨めっこ。

そうして格闘していたところ急に人影が出来た。

 

「お前がアグネスデジタルか~」

 

と、影と一緒に来た声にそちらを向くと、一人の人間のおじさんだった。

 

「何?おじさん」

 

ウマ娘ちゃんには興味あっても人間にはそういうものではない。

それでもこれが人間でも小さい子だったりしたらあたしの反応は違うけど、見たところ中年のおじさんだ。

人間の見た目から年齢を読み取るのは苦手だけれど、一目でそれは分かるくらいのおじさんだったのだ。

そして、これが学園の外だったら淡々と「何?」だったかもしれないけれど、トレセン学園の外ではないのはもちろん、内も内、無関係な人が入り込める場所ではないだろうと、見知らぬ人だけど学園関係者なのだろうと、持っていた紙はベンチに置いて身体を少し動かして重しにした後に気軽に返した。

 

「俺はこういうものなんだけど……」

 

そこで手渡されたのは名刺。名前と、その横に書かれたウマ娘アドバイザーとの言葉。

 

「なるほど、アドバイザーの方……って、それって何?」

 

「おいおいおい……」

 

あたしの疑問に、そのアドバイザーおじさんは呆れ声を出していた。

そんな風に言われても知らないものは知らないのにぃと思っていると「トレーナーになりたいんだったら、そこは抑えておくものだぞ」なんて言ってきたものだから、そこは名刺を持ちながら軽く上げ気味だった右手を下ろして、おじさんをよく見ながら「どうして知っているの?」と返した。

 

「そりゃお前、トレーナー達の噂で広まってきてるからな。トレーナーになりたいウマ娘が新人に居る、色々なチームに入ろうとしては断られてるって」

 

「ありゃ、いつの間にかそんなことに」

 

だとすると今後テスト受ける前から「あ、こいつが来た」なんて思われて早々に断られるパターンもあるのかなぁ、と考えてもいると、おじさんが言い出した。

 

「アグネスデジタル。お前さえ良ければ俺がチーム入団の手伝いしようか」

 

「そんなことできるの?おじさん!」

 

その言葉にバクンとばかりにあたしは勢いよく食いついた。

どこそこのチームに絶対に入りたいという要望はない。

どこのチームにもウマ娘ちゃんは存在する。

近くで見られる、一緒にトレーニングできる、入れるのだとしたらどこでも良かったし、入る事ができるまで主張は変えずに挑戦するつもりだったけれど、こうしている間にも大事なウマ娘ちゃん達と過ごせる時間は削られるわけで早いなら早い方が良い。

 

「できるさ、それがアドバイザーだからな」

 

と、おじさんは自信たっぷり。

 

そこからは場所を移して、おじさんが学園内の人に声を掛けて小さな会議室の一つを貸してもらって詳しい話をした。

そこで教えてもらったのが、おじさんはやっぱり学園の関係者となる一人で。職業がアドバイザー。

あたしは知らなかったけれど、そうして学園職員にちょっと声を掛ければどうぞどうぞと部屋を用意してもらうまで話がスムーズに行くほど有名なアドバイザーであったらしい。

で、アドバイザーというのがトレーナーとは違った位置でウマ娘に関わる者、それもほぼレースに対して、ということをそこで教えてもらった。

その辺りはざっと聞いてよく分かったのであたしは話を先に進めた。

 

「それで、おじさんはあたしの話をどこかで聞いて話しかけてきた、と」

 

「そうだな」

 

「流れとしては分かるけど、なんでまたあたしに。自分で言うのもなんだけど、各地で落とされてるウマ娘の話題からなんでしょ」

 

声には出さなかったけど、このままだと行き先がないと心配されたのか、学園内からの紹介かともこの時にちょっと思ってた。

 

「変わったルーキーがいると聞いたのが最初なのはそうだな。そこから気になってまずは各地のテストの結果を聞かせてもらって力のあるウマ娘だと思った、これが一つ。

 もう一つは俺もお前と似たようなことをやったから親近感もあった。この世界に興味あって、それで学園の職員を集めている事を聞いて就職試験を受けたんだ。

 募集要項としてはレース現場外の職だったんだが、そこでレースに関わってみたい、できるならダービーウマ娘に関わってみたい、と言ったところ「お前、何言ってんだ」という反応をその場に他に居る者から強烈に受けたわけだ。

 まあ、そこからその仕事には就かずに、その後は色々ありつつも、こうしてアドバイザーとしてレースに関わる仕事に就けているんだがな」

 

「確かに、それは同じ匂いを……」

 

そうは言う心の中ではおじさんの初期動作は正直それはやり方として厳しいんじゃないかとあたしでさえ思う、となると同時に、最初がどうあれレースに関わることに成功しているおじさんは凄いと思った。

 

「どうだ、似たもの同士、夢、叶えてみないか」

 

そこでおじさんはあたしの目を真っ直ぐ見て言った。

 

「いいよ、おじさん!あたし、おじさんにアドバイザーに就いてもらう」

 

考えるまでもない返答。あたしは嬉しさを隠せずに満面の笑顔をしていた。

おじさんは頭をボリボリ掻きながら、「承諾はいいとしても、おじさんは止めてくれねえかなあ……」というものだったけれど。

 

「んー、じゃあ、名前に”ちゃん”とか……」

 

「もっと止めてくれ」

 

「うーん、あたしの親愛の表れなんだけどなあ。それなら特に思いつかないし……アドバイザーでもいいの?」

 

「それで構わんよ」

 

「じゃあ、よろしく、アドバイザー」

 

と、そこでお互いガッチリ握手して、あたしとアドバイザーの歩みは始まったのだった。

 

 

 



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次の舞台へ

そこから、トレーナーになりたいならウマ娘だからこそできる今からでも積める経験として、色んなチーム・トレーナーに接しておく方が良い・色んなレース場を知っておく方が良いという方針で、アドバイザーに諸々組み立ててもらうことになったわけで。

そして、最初のチームからもう本当に勉強になったし、アドバイザーは実は名が知られて実績もある人なだけあったなぁと、ここ最近の日々も思い返してチーム名簿を見ているとアドバイザーがお茶と菓子を持って戻ってきた。

 

テーブルの上にはまだまだ紙類が散乱していたので、それをざっと固めて元々持っていたチーム表と共に床に置く。代わりに置かれたお茶菓子をワシワシとも食べながら、そのまま向かい合って座っての少々の世間話。

大体はあたしが学園でどう過ごしているとかレースを経験した事での感想を改めてだとか、あたしが話すのに終始していて、あたし自身としても気持ちよく話し続けていた。

で、一服するのもあたしの話も一旦区切りが良くなったところでアドバイザーが言う。

 

「それで、デジタル、次の話なんだけどな」

 

「うん」

 

「……グラスワンダー、知ってるだろ?」

 

「もちろん知っていますとも!」

 

あたしのスイッチはそれで入った。

 

「グラスワンダーちゃんといえば通称「栗毛の怪物」。怪物なんて言葉は似合わないほど見た目は清楚で物腰も大人しそうではありますが、いざ入った時のその力強い走り、そのギャップが萌えというタイプのウマ娘ちゃん。

 そんな異名を付けられることになったジュニア時のG1制覇から故障離脱を経て有マ記念での復活、人はそれを不死鳥とも呼び、そして今年になっての宝塚記念、スペシャルウィークちゃんとの2強対決と言われ、まさにこの二人の争いの直線、マッチレースかと思われたその時にあっという間に抜かしていくグラスワンダーちゃんの勇姿、これは将来永くに渡って語り継がれるレースだとあたしは……」

 

「はい、そこまでそこまで」

 

と、このレース面での感想の次は勝負服チェックにも入ろうかと考えもしながら話していたところで、アドバイザーが両掌をこちらに向けて挙げてきてストップがかかる。

 

「聞いた俺が悪かったな。愚問だった」

 

アドバイザーは聞き疲れたように、ふうっと息をつく。

 

「ごめん、つい勢いに乗っちゃって。で、グラスワンダーちゃんがどうしたの」

 

あたしは思わず身振り手振り付きで話していたせいでズレていた身体を元に戻し、アドバイザーの方にしっかり向き直して聞くことにした。

 

「そこだ」

 

「ん?」

 

「グラスワンダーがいるチーム、それがお前が次に行くチームだ」

 

「んん?」

 

「……分かり難いようには言ってないだろう」

 

もちろん言葉の意味はあたしにだって分かっている。

それでもだ。

あたしが、あのグラスワンダーちゃんと同じチーム?グラスワンダーちゃんと至近距離お近づきの大チャンス?

最初のチームだってG1ウマ娘が出ているチームで恵まれていたというものなのに、さらに今年トゥインクルシリーズの中でも大注目のウマ娘ちゃんがいるチームに仲間入り?ほんの少し前まで、チームに所属する段階から大連敗をかましていたこのあたしが?

考えれば考えるほど贅沢が過ぎるとしか思えず、受け入れ体勢が整えられずにいた。

 

「本当に入れるの?」

 

「ここでウソついてどうする。話はついて快諾されてるからこうしてお前を今日呼んだんだろうに」

 

「それはそうだけど何か信じられなくて。チームも全然決まらなかったのにアドバイザーに出会った途端にこうも上手くいくと。アドバイザーとは……もしや神なのでは?」

 

「感謝してくれるのはいいけどな、そんなに持ち上げなくてもいいぞ」

 

「そこはちょっとしたジョークにしても、何か特別な事とかしれくれたの?頼み込んで説得とか……」

 

「いや別に。さっきも言ったように快諾だったからな」

 

「ちゃんとトレーナーになりたいウマ娘がいるんだけど……って伝えた?」

 

「そこはお前にとっての重要な部分だろう。だから、もちろんきちんと伝えた上での話だ。最初のチームは伝えて「こちらとしても色んな考えのルーキーに出会いたいですしね、いいですよ」ってなもので、今度も「自分の目標、夢がしっかり存在している、それに向けて進める娘なら歓迎ですよ」と、それだけだったからな」

 

「それなら良かった。それにしてもグラスワンダーちゃんか~」

 

と、あたしの中でようやく言われた事に現実味が出てきて、顔もニヘッとしながらそこについて考えてもしまえば口にも出てしまう。

 

「嬉しそうだな」

 

「だってグラスワンダーちゃんだよ。今度のジャパンカップは脚の状態が悪いって回避みたいだけど、きっと年末の有マ記念には出て、また宝塚記念のようにスペシャルウィークちゃんと熱闘が……」

 

そこに至った時にはたと気づいた。

スペシャルウィークちゃんと言えば今年王道を行く、春秋天皇賞制覇もしたウマ娘ちゃんだ。

去年は日本ダービーを制したウマ娘ちゃん。

そして、その素晴らしいウマ娘ちゃんであるスペシャルウィークちゃんに長くずっと付いているアドバイザーが誰なのかを今は知っている。

 

「ねえ、アドバイザー」

 

あたしはじっくりとアドバイザーの顔を見る。

アドバイザーは次の言葉を待つようにあたしを見る。その顔に特に変わったことはないけれど。

 

「アドバイザーがグラスワンダーちゃんの有マ記念に向けての情報を知りたくても、あたし教えないからね」

 

「どういうことだ」

 

「だって、アドバイザーはダービーウマ娘ちゃんと関わってみたかったんでしょ。

 で、スペシャルウィークちゃんはそのダービーウマ娘になったウマ娘ちゃんなわけで、思い入れが違う、スペシャルウィークちゃんのためなら何でもやるのかな、勝つためにはライバルのデータを探って欲しいのかなって……」

 

そこまで言ったところで額にべしっと衝撃、テーブルの向こう側から手を伸ばしてのアドバイザーの三本指アタックが決まっていた。

 

「いてっ」

 

「お前なぁ、確かにあの娘のためなら手を尽くすつもりだ。ライバルの身近な情報はそりゃ欲しい。けれど、そんな真似はするつもりはない」

 

「それならいいけどぉ」

 

はたかれた場所は痛くはないけれど摩りながら返す。

 

「まったく、ヒトには疎く、相手を考えず思ったことを口にするくせに、変なところでだけ想像が働くな。今、思ったことは、チーム入っても口にするな思うな考えるな、分かったな。お前じゃそんな行動を実際に取る以前に、思っているだけでも外に漏れ出て察せられもするわ。俺にというより両方のチームに失礼な話になる。俺としても、スペシャルはスペシャル、お前はお前。どちらに対してもそれぞれベストだと思う事をやっているだけであって、他に企みがあってお前のチームを決めたわけじゃない」

 

その言葉は怒っているとまでではないけど厳しい感じがして、「失礼だ」との部分は特に力が入っていた。

 

「はーい」

 

あたしは肩を少し落として返事をする。

 

「それでだ、お前の方はこのチームで良いってことだな」

 

「それは断る理由がないよ!」

 

「よし、今日はそれが分かれば終わりだ」

 

と、アドバイザーはテーブルの上にスッと二つに折られた白い紙を出す。

 

「寮に帰ってからでもいいから見とけ。書かれているその日時にその場所に行くんだ。そのチーム部屋までの地図も分かり易く書いてあるから迷うこともないだろう」

 

「うん」

 

と、その紙を手に持つ。

今見てもいいんだけれど、言われたとおりに寮に帰ってから、そこで初めて開いて今回の話を本当のことなのだと実感しようかな、なんて思ったりしていた。

 

「さて、そろそろいい時間になるし、お開きにするか」

 

アドバイザーの言葉に後ろを振り向き窓を見れば、もう冬が近く、外は夕方をあっさりと通り過ぎて夜を迎えようとしている。

 

「そうだね。せっかくこれから良いこと待ってるのに危ない事は避けないといけないし」

 

あたしは立ち上がると荷物を置いた場所まで移動する。

アドバイザーも立ち上がって玄関まで来てくれそうだったけれど、「いいよ、いいよ、お見送りは、そこで」と部屋の中でお別れの挨拶をして部屋を出て行くことにした。

寮までの帰り道、外は寒く風も強い日だったけれど、これから始まる事を思うとそんな事を全て跳ね返し物ともせずに進めた、そんな日だった。

 

 

 



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教室にて

朝が来た。もう目が覚めた途端に目も頭もパッチリと。

昨日なかなか寝付けなかったはずなのに素晴らしく気持ちの良い目覚めの朝だった。

 

ここ数日は今日という日を待ち望んでいた。

メモに書いてあった指定日時はアドバイザーに会った日から何日か空いていて今日になるまで待ち遠しくてカウントダウンされる時間と反比例してワクワクは激しくアップしていって、ソワソワしているのも周りに伝わるのか、クラスメイトには何をそんなに楽しみにしているのかと聞かれるし、もちろんそこで「実はですね…」と次のチームの事を話したりしていたものだった。

 

そして、今日この当日、こんなにすっきりとした朝を迎えられるなんて、今日の授業後に待ち受ける新チームへの挨拶への事を思っているだけで、あたしの身体も上手く回ってくれるようだ。

 

授業が始まっても終わった後の事を考えてしまう。

トレーナーになるには座学だって必要だ。だからいつもはしっかりきっちりやっているものだけど、今日はとても意識が向かない。今日の授業で出た事をテストに出されると正解する自信はないな~なんて各種授業が終わった後に思いながら過ごしてもいた。

 

そうして時は過ぎて行き、ついに授業の全てが終わる。

あたしが鞄の中を見ながらノートやらを詰めていると周りに気配。

顔を上げるとクラスメイトの何人かに囲まれていた。ウマ娘ちゃん達に囲まれる、所謂天国、と思ったけれど、どの娘もちょっと難しい顔をしている。

 

「デジタル、あのさ……」

 

その内の一人が眉を寄せながら言った。それに対して「うん?」と返したんだけど、その娘は何も言わない。

何か言いにくそうな事があるように見える、それであたしに対するそういう事と言えば、自分では気づかない内にこのテンションの上がりっぷりが外に出ていたんじゃないかという事に苦も無く辿り着く。

 

「ごめん、何か煩かった?」

 

と、その無言への返しをしてみたんだけど、その娘は首を横に振った。

 

「違うよ。デジタルが心配でさ」

 

そう言われて考えるけれど、それについては何も思い浮かばない。

 

「……今日、新しいチームに挨拶に行くんでしょ?」

 

「そうだよ」

 

「そこが心配なんだって」

 

さらに言われたけれど分からない。

 

「どうして?問題があるような所じゃないでしょ。グラスワンダーちゃんのいるチームなんだよ?」

 

そう言いながらあたしの頭の中は回転する。

グラスワンダーちゃんが在籍する、それほどのことはある、グラスワンダーちゃんを抜きにしてもトレセン学園内でも上位チーム……のはず…………と、言い切れないものがあるのは、紹介されても、チームに入れるという事実だけで嬉しすぎて、そのチームについて調べるでもなく今日まできてしまったから。それでもそんなチームが問題があるということはなかろうし、チーム側の問題じゃないとするとあたしの方かと思う。

 

そういえばこの数日は自分でも舞い上がっていたと思うし、そのノリでグラスワンダーちゃんに絡むなという忠告?

だとすると、その心配は分かるものがある。グラスワンダーちゃんはハイテンションを好むようなウマ娘ではないだろうから。でも、その辺は自分でもわきまえているつもりはある。

 

「まあ、あたしのグラスワンダーちゃんへの対応が心配というなら、そこは気をつけるよ」

 

「そこも確かに気に掛かっていたけれど、そういう事じゃなくてね。つまり、そのチームのトレーナーさんのこと」

 

その言葉は意外だった。新チームのことと同様にトレーナーのことも調べてもいない。知っているのはアドバイザーから聞いた、あたしの目標がはっきりしているからって受け入れてもらったことくらい。だけれどアドバイザーから所属する前の注意点を受けたわけじゃないし、心配されるその何かが分からない。

 

「トレーナーさんかぁ、何かあるの?」

 

「デジタルってトレーナーになりたいのに、その辺りは全然知らないんだね」

 

「全然ってほどでも……ほら、スペシャルウィークちゃんのトレーナーさんなら分かるし?」

 

「「「「誰でも分かるわ」」」」

 

まさかの机を囲む皆からの総ツッコミ。

ツッコミ入るのはそりゃそうだって話でもあるんだけど。

スペシャルウィークちゃんのトレーナーは学園で一番の大所帯で有名で実力のあるチームを率いている。有名ウマ娘ちゃん達がレースの宣伝活動をするのはもちろんあるけど、そのトレーナーもまた別ラインからのアピールをしている。それで界隈の人気が高まるなら良いことだって精力的に。だからトレセン学園内だけでなく外でも知られている各方面からトップと言えるトレーナーだからだ。

 

他にあのクラスの有名所のウマ娘ちゃん達に関するものなら、キングヘイローちゃんの所はもちろん直接指導を受けたわけだし知っている。セイウンスカイちゃんやエルコンドルパサーちゃんの所もレース映像なんかで少し覚えはある。

 

で、グラスワンダーちゃんのところのことだけど、これが分からない。

それはもうじっくり見ていた宝塚記念の時の事を思い出してみたりもするけれど、どうにも掘り起こせない。

 

「とはいえ、グラスワンダーちゃんのトレーナーさんについては言えることがない、かも。ねえ、心配ってどういうこと?」

 

ここに来て自分から本題について聞き返してみる。

 

「私達でも詳しいってわけじゃないんだけどね……、何か、厳しいとか恐いって聞くものだから」

 

「厳しいか……。まあ、ハードトレーニング、ビシバシ熱血系でも構わないけどね、そういうトレーナーもいる、指導もあるって経験も今から積んでおくべきだと思う」

 

それでグラスワンダーちゃんが強くなったんだったら同じ事やってみたいし、グラスワンダーちゃんと共にトレーニングできる権利と激しいメニューとを天秤に掛けたら、そこは余裕でトレーニングの嬉しさ側に重さがある。

 

「トレーニングではそういうことでもないようだけど……」

 

「じゃあ、どういうことで?」

 

「とりあえずレースで勝ってもそこで喜んじゃ駄目って言われるとか」

 

「私はレース後のミーティングがみっちり細かく長いとか聞いたことある」

 

「私は実際にレース場でそこのトレーナーさん見たことあるけどね、自分のチームの娘が一着で華麗にゴール板通り過ぎたって、ニコリともしないんだよ。勝って当たり前、みたいな?」

 

一度出始めると囲まれながら口々に言われる。

そのどれもが「そういう厳しさ……」とあたしも身構えるものがあって、言われてみるとグラスワンダーちゃんが先頭でゴールを通り過ぎてもはしゃぐわけでもなく喜びを露わにという様子はまったくなく、静かに止まって息を整えている印象だった。

 

それがスパートを掛けたときの力強さと逆、普段の清楚さの表れのような、その走りで誰かを一瞬で抜かして行く時のキレ味が一刀両断というべきものならば、ゴール後の姿はその太刀が闘志と共に鞘にスッと収められるような感じというべきか、そのギャップや良しと思っていたけれど、あれはチーム方針だったのかとも思いもすれば、普段がそういうグラスワンダーちゃんなら良いのだろうけどあたしにはどうなのだろうか、とも相性の悪さは想像してしまった。

 

「皆の言っている事は分かるよ。でも、今、止めるわけにもいかないから」

 

「私達だって、だから入るのはいけない!とは言えないけどね。デジタルが新チーム行くって嬉しそうなのは分かるし良かったんだけど、その姿を見ていたら、どういうことまで分かっているか気になっちゃって。今日行くんだったら第一印象を悪くしないようにしておいた方が良いよと思って、こうして……」

 

「そっか、ありがとうね。あたしとしても落ち着いて行くことにするよ。それじゃあ、そろそろ時間あるし行くよ」

 

と、そのタイミングで鞄を持って教室を出ることにした。

その最後の最後にも見えた机を囲んでいたクラスメイト達は不安げな顔をしていた。

気に掛けてくれるのは嬉しいけれどウマ娘ちゃんのそういう顔は見たくないなぁと思いながら廊下を進んでいく。

 

時間さえあればアドバイザーに確認を取っておきたかった、大丈夫なのか聞いてもみたかったけれど、残念なことにそんな時間はなく前に進むしかない。

そうしてチーム部屋に近づくに連れ足取りはちょっと重くなる。

朝はもうその時が来たらスキップで行きそうな気持ちだったけれど今はそうじゃない。

教室で言われた事を知ってもグラスワンダーちゃんと一緒のチームになりたい思いの方が当然勝っているし、間に入っているアドバイザーだって、あたしに合っていると思って決めたのだろうしと思う。

 

それでもやっぱり気に掛かるし、初っ端をちゃんとしなきゃしっかりしなきゃって緊張が出てきていた。最初のチームで始めの挨拶する時だってそれがゼロではなかったけれど、その時よりぐっと増えたものに今なっている。そうこうしている内に足は止まるまでとはならないし、ついにその部屋の入り口があたしの視界へと入ってくるのだった。

 

 



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勇者の挨拶

新チーム部屋のドアの前、ノックをしかけて止めて、そこで二度ほど深呼吸をする。

緊張はするけど時間に遅れるのはもっと駄目なことだと、意を決してドアを叩いて名乗った。

 

「どうぞ、入って」

 

との中から聞こえた言葉はごく軽い言い方で、でも、あたしの手は重くゆっくりとしかドアを開けられなかった。

 

開けた先に見えたのは奥の方に事務用机とその前の椅子、そこに座りこちらを見ている男のヒト。

そして、そしてだ、その左隣に立っておわしたのは、この距離があってもなおサラリと流れる長い栗毛がこれまた美しく見えるウマ娘、あのグラスワンダーちゃんだった。

 

前のチームの最初もそうだったから、今日はトレーナーと挨拶して終わりかな、なんて元から思っていたし、この考えになかった展開と高まった緊張が合わさってそのまま立ち止まってしまう。

どれだけ止まっていたか分からないけれど、「そこだと話せないから、こっちに来てくれないかな」との声にハッとしてドアを後ろ手に閉めて前に進む。目はどうしてもグラスワンダーちゃんを追ってしまっていたけれど。

 

その間もグラスワンダーちゃんは両手を重ねて身体の前に付け穏やかにあたしの方を見てくれていて、そうして立っているだけで存在感が違うというか、そんなウマ娘ちゃんにこう見られるだけであたしは幸福感にも包まれてもいた。

 

そして二人の前まで来た時にさすがにずっとグラスワンダーちゃんだけ見ているわけにもいかないので視線を右に移す。紛れもなくトレーナーだろうこの男の人を見た時にまず思ったのは、やっぱりこれまで見た覚えがないなということだった。グラスワンダーちゃんのレースに関する映像を見ていればどこかで映ってもいたはずなのに。

というわけで第一印象だけれど、教室で聞いた話ほどの恐さとかは見た目からは分からない。

 

人間の知り合いは多くもないし比較できるパターンが少ないし、そういった事は苦手だけど、とりあえず知っている人間の内、前と今とでトレーナーを比較すれば、こちらの方が年齢は上で恐さはあるのかもしれない。で、アドバイザーと比較したら年齢の他に雰囲気の近づき難さもどちらが上かと言ったならアドバイザーに軍配が挙がるとは自信があった。

 

しかし見た目では判断してはいけないものと緊張が解けたわけでもなく、ドキドキとはしながらその場に立つ。この緊張をどうするべきかと思うと、やはりグラスワンダーちゃんへと少し目を向けて、この偉大なウマ娘ちゃんと一緒にやるための必要なことなのだと自分の中で気合いを入れる。

するとトレーナーの方から「アグネスデジタル」と呼ばれた。

 

グラスワンダーちゃんばかりに目を向けてこれは拙かったかと顔を戻すとそうではなくて、トレーナーは表情も変えずグラスワンダーちゃんへと右掌を向けながら「こちらはグラスワンダー、知ってるよね」とご紹介。「もちろんです!」と発した言葉は大きくなったけれど、そこに何か言われることもなく「そうだよね」と続く。

 

「今日はチームがオフ日でね、他の娘とはまた別の日に会うことになるけど、グラスはこのチームにも長くいてチーム内でのリーダーの面もあるし、新しく入る君の事を一緒に先に知ってもらおうかと思って。グラスがいることがどうも気になってしまっているようだけど、グラスもここに居てもらってもいいかな」

 

「望むところです!」

 

思わず右拳を握りしめ顔の前まで挙げての反応、対応として合っていたかどうかポーズしてから思ったけれど、トレーナーは「それなら始めようか」と話を進めようとするだけ。

そこからは改めて自己紹介して、チームの説明を受けて……と前のチームでもやったような特別変わった事でも無いことが続く。

 

クラスメイトから聞いたような話が出るのかと思ったけどそれは出ず、それ以外の内容もトレーナーの語り口を見ていてもそんなに厳しいものなのかな~と不思議になるくらい。

でも不安が取れたわけでもないし、一体何を信じれば良いのだろうともなって、話を聞くあたしの身体は肩をすくめながらトレーナーの顔色を伺うような視線になる。そうしても人間の心の機敏を読み取るなんて出来ないんだけど。

そこでトレーナーからの一言。

 

「何かアグネスデジタルから聞きたい事はあるかな」

 

その言葉に頭の中が目まぐるしく回る、知っておくなら、聞いておくなら今か、と。そして、どう聞こうか、と。

 

「えっと……」と考えながら出た言葉にトレーナーもグラスワンダーちゃんもじっと待ってくれている。そこで「行くぞ!」と思ったけれど、そういえばどう声を掛ければ良かったのかという段階がまだ残っていた事に気づいて思わず出たのは「その、どうお呼びすれば、よ、よろしいのでしょうか」と普段はならないような固い声と固い口調。

 

「あー、そこは好きにしてもらっていいけど」

 

トレーナーはあっさり言うけれど、あたしとしたら困るものだった。はっきりこうしてくれと言われる方がとても楽だった。好きにと言っても、それではと前のチームの時のように”ちゃん”付けで!とはいけるようではない。

いくら人間相手の場合にもっと心を汲むものだとは昔から周りに言われ続けてきていても、ここでそうするのが拙いと分からないほどじゃない。

 

少し考えたけれども迷う、しかし、これは前段階であって聞きたいのはこの先の事だと考えて、「それじゃ、トレーナーで…」と伝えると「それでトレーナー、知りたいことがあるんですがいいですか」と、そのまま本題へと。後は勢いに任せて教室で知ったことをまとめて言ってみた。

 

クラスの娘に聞いたとは言わなかったけれど耳にした話として、レースで勝って喜んではいけないのだろうかと、教え子が勝っても嬉しいものではないのだろうかと、レースで走るウマ娘として、トレーナーを目指す者としての疑問。

言わずに後で知って悔やむよりも今はっきりしておくべきだと思ってストレートに伝えた。良くはない展開になることも想像の一つにあっても、それでも、と。

 

足早に言い切った後に訪れるのは静寂。トレーナーからは肯定も否定も出ず、怒りもせず笑いもせず。話をしている最中もその表情は見えていたけれど、考えのどの内にもなかったきょとんというもので、隣のグラスワンダーちゃんも黙って目をパチパチとしているだけだった。

 

沈黙されるのもどうも辛いとさらに身体を小さくしていると、目の前の二人がお互いゆっくり顔を見合わせる。その動きが妙に揃っていてちょっと面白かったけれど、態度に出すわけにもいかないのでそのまま動きを窺う。そしてトレーナーは「あー…」と納得したような声を、グラスワンダーちゃんも何か理解した様子で困ったかのように眉を下げながら微笑みかけて。

 

続いて二人ともこちらの方をまた向くと、トレーナーが両手の指を組んで座る脚の上に乗せながらあたしの顔を見た。怒っているという様子ではないけれど、それでも言った事への反応が気になって身体は固くなる。

 

「そのことなんだけど、アグネスデジタル」

 

「はい……」

 

何が来るかと思って、大きな音を立て鼓動する心臓を抱えながらその一言一句を聞く。

 

「勝って嬉しいのは当然だろう。だから、それで「喜ぶな」だなんてこちらが言うことは全くない。ただ、勢いついて走っているところで、勝ったんだとそちらに意識を向けて身体を使って喜ぶ前に、まずはスピード落として止まってからで、というタイミングの話なんだ。そうして身体を悪くする娘も見てきたものでね、これは守ってほしいとは思う。

 そして、僕が嬉しくないかと言われたら、それもそんなことはない。嬉しいし、勝って当然だとかいう思いでウマ娘をレースに送り出しているわけじゃない。でも態度に見せて喜ぶべきは走っている君たちであって、トレーナーはそのサポートでしかないし、僕がその場でそれを出すことはないなと思っている、そういう主義というだけだね。

 今日その日の仕事がそれで終わりだっていうならまだいいけれど、君らがゴールしてもそれで落ち着けるわけじゃない。調子を崩してないかどこか痛いだ不調の自覚はあるかないか、そういう事をその日に確かめるまでがトレーナーの仕事だろうし喜ぶ時はその後で充分喜んでるよ。

 ……と、まあ、その辺りについてはそういうことなんだけど、分かってくれたかな」

 

その言葉に大きく頷くしかなかった。言っている事は理屈が通っていると思った。トレーナー一人一人に色んな考え方があって、そのスタンスの一つ、それについてあたしとしては合わないとは思わなかった。受け取り側によって合う合わないはそこにあるだろうけど、そのどちらであったとしてもクラスメイトに教えられた時の厳しいという表現はそぐわない、話としては全然違うとしかならなかった。

 

「いやー、それで緊張していたのか。アドバイザーや前のチームのトレーナーからも君の話は先に聞いていたんだけど、どうもその話に出てくるものと様子が違うし、どこか具合でも悪いのかと思って」

 

本当に良かったーとでも言うようにトレーナーは椅子に座りながら一度天井を見ながら安心しきったような息を吐く。それを見て思った以上に普通の人なのかもしれないと思うと同時に、人間を見かけで判断してはいけないとしながら、見かけどころかクラスメイトの噂から決めつけかけていた自分が恥ずかしく思えてきていた。グラスワンダーちゃんをも困り顔にさせてしまうなんて失態というしかない。心配してくれたクラスメイトだって悪いわけじゃない、これはあたしの暴走なんだ、と思うと顔も自然と下を向いてしまう。

 

「今の事を気にしているなら難しく考えなくていいよ。どこかで話が大袈裟に取られただけだろうしね。それで、他に気になることはあるかな、今もしたレースの心得に関しては後で追々すればいいかなと思っていた部分で、こちらからはもう何もないんだけれど」

 

そう聞かれたけれど、あたしとしてもそれが済んでしまえば特別に何かあるわけではなかった。

でも恥ずかしさはまだ収まらなくて言葉には出ずに首を横に振ると「まだ緊張し気味かな……」とやっぱり困ったようなトレーナーの位置より前にグラスワンダーちゃんが来る。

 

そして、あたしの顔を、あたしのすぐ側で見る。

近い、本当に近い。あと何か良い匂いした。

G1を複数制覇しているようなウマ娘ちゃんがこんな近くまで向こう側から近づいてくるとか現実なのかと疑いたくなる。無防備なグラスワンダーちゃんには「それでいいんですか!」と、嬉しさはもちろんありつつも言いたくもなったけど、この場では抑える、抑えられる。

だからあたしもそのまま見つめるしかなくて、そうしているとグラスワンダーちゃんがニコッと笑いかけてきて、もうそれだけでノックアウト寸前。

 

「心配なことがあるのは分かりますけど大丈夫だと思いますよ。一緒にやっていく内に分かり合えるでしょうから。共に頑張っていきましょう。気になること分からないことはまた私にも聞いてください」

 

続けてそう告げられ、あたしの右手がそっとグラスちゃんの両手で包まれ持ち上げられた時には、最高の口説き文句だと、何の恐いものがあるものかと、あたしの心は燃え上がっていた。

 

 

 



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勇者と仲間達

燃え上がった心のまま新チームに加わり迎えた週末。あたしは府中のレース場に立っていた。

アドバイザーのとりあえずレース本番で走って今の力を確認してもらおうかという判断で。

トレーナーは「急だなぁ」と思ったようだけど最終的には意見も一致したようで今日を迎えた。

 

調子良好、準備万端、断然一番人気。

戦うはダートの1600m、これまで走った中では一番長い距離になるけど不安なし。

レースが始まる前には恒例の他のウマ娘ちゃん達を堪能しつつゲート入り後は切り替える。

今日の作戦としては細かいことはなく、とりあえず前目でってことだったのでそれを意識して。

レース中に見られるウマ娘ちゃん達は減ってしまうけれど、それは仕方ない。

今、ここで手っ取り早くウマ娘ちゃんを見る事で、将来側で見られるウマ娘ちゃんを失うわけにはいかない。

 

レースで勝てばトレーナーになれるというわけじゃないけれど、レースには勝たないとG1勝負服ウマ娘ちゃん達を近くで見られないし、トレーナーになった時に役立てるためとして各レース場の経験を積むにも、まずは地道に勝って、出られるレースは増やさないといけないからね。

と、あたしはゲートの中でスタートのポーズを取りながら真っ直ぐ見据える。

 

そして開かれるゲート、あたしは勢いよく飛び出した。

スタート良く、前へ前へ、といっても逃げの脚質じゃない。

とはいえ気づけば思った以上に前へと行ってしまっていたけれど抑えるわけじゃなく2番手につける。

前に一人のウマ娘ちゃんを見ながら調子よく何に邪魔されるでもなく走る。

直線へ向き、そろそろスパートと脚に力を込める。

前に居た娘をゴールよりまだ早めに抜かしてそのまま先へ先へ。

 

新チームに来て、私の今の実力を知ると良い!と見せつけたいわけではなかった。

勝ち方に拘りがあるわけでもない。後ろに抜かし返される不安があったわけでもない。

でも、その日の脚は軽く、自分でも速く感じて、その勢いであたしは走り続けた。

これまで経験したレースより伸びた距離なんて気にならず、疲れを覚えることもなくゴールへ一直線。

 

そして、そのまま先頭でゴール板を突っ切る。

もちろんチームのお約束があるので、そこはきっちり守りまして、喜ぶのは脚を緩めてから。

落ち着いたところで掲示板を見ると7バ身差の大勝利。

自分でもそんなに……ちょっと驚くものはあった。

 

そうして同じくゴールしお疲れのウマ娘ちゃん達も堪能し一通りやる事が終わってトレーナーのいるところまで戻ってくると、「ここまでとはねえ…」とトレーナーの方が驚いてた。

それを見て、力を見せつけたかったわけじゃないとはいえ「どうでしょうか!」と胸を張ってみると、「線が細くて正直心配なところあったけれど、あれだけの加速を見せてくれるとはね。いやいや、大変よくできました」と、お褒めの言葉を貰いつつ頭を撫でられた。

どうも能力を疑われていた部分はあったようだけど、そこは気にならない。そうではないとはっきりさせたわけだし、さらに得意げにもなっていたところでトレーナーが何か気づいたようで別の方向を見る。

 

あたしも釣られて見るとそこにはアドバイザーがこちらへと向かってきていて「先にちょっと向こうで話してくるから」とトレーナーが言い残して去っていく。そこは「大人の話だね」と、あたしのことで悪い話にはならないだろう自信もあるので軽やかに見送って待っていると「さっそく洗礼受けたなー?」との声が。

 

声の主はチームメイトのエリモエクセルちゃんで、去年のオークスに勝っていてグラスワンダーちゃんの同期、チームとしてもクラスとしても先輩のウマ娘ちゃん、その、グラスちゃんと同じ栗毛を持つけれど「長い髪は鬱陶しい」といって短めに整えて、背丈はあたしとあまり変わらない小柄だけれど、大きな相手でもグイグイいける強気なこの樫の女王様は、今日はレースに出るわけでもなくお休みで良かったにも関わらず近場だからとあたしのレースを見に来てくれていたのだった。

 

最初はグラスちゃんだけ来る話だったのだけれど故障の経過を知るために病院に行かなければならず、「じゃあ代わりに。グラスの分も私が応援してきてあげるからさ」ということで。その時に残念がっていたグラスちゃんも、こうして来てくれるエクセルちゃんにも、何という有り難さかと思う。

 

「洗礼って何のこと?」

 

「トレーナー、私達が勝っても派手には喜ばないけどさ、あんたもやられたように頭を撫でるのが、この場での最大の表現というかね、それがウチのチームのシステムとでもいうか、そんなところ」

 

「そういうことかー」

 

と、自分でも頭を触って先程の事を思い出し口元も緩む。

 

「なんかね、勝利の満足感を倍増させるというか、凄く嬉しくなっちゃうね」

 

「デジタルも早速分かることになってこっちも嬉しいよ。じゃあ、私からも勝利のお祝いを贈っておこう」

 

と、エクセルちゃんもあたしの頭を撫でる、手早く素早く。

 

「どうよ」

 

「うーん、嬉しさはさらに上がったんだけど……エクセルちゃんだとトレーナーと違って何か雑だったから、そこだけ減点」

 

冗談めかして感想を聞いて来るエクセルちゃんには、あたしも審査員となってみる。

 

「雑って!もうちょっと言い方が、もっと先輩を立てるようなことあるでしょー。あんた、ウマ娘マニアでしょ、いつも誰でも何でも褒めまくってるのに、ここでだけそれってさあ」

 

言葉だけは不満そうだけどエクセルちゃんの口調は少しもそんなことはなくて、表情は楽しそうなままで。

 

「だって、この辺とか髪の毛が広がっちゃってるしー」

 

と、少々髪の毛の絡まった頭の真ん中辺りを元に戻そうとしつつのところで近づく影。

 

「もう、エクセルったら……」

 

と、現れたのはエリモシックちゃん。エクセルちゃんと同様に今日はこの場に来てくれていた。

背丈や身体つき全体はウマ娘の中でも平均的なところで、ご本人は「私ってこれといったものが無いのよねえ」と気にしていたけれど、とんでもない。

その伸ばした青鹿毛のツヤといったら何度触っても飽きない、各角度で見ながら楽しみたい、これは望んだとしても得られるものじゃないのですよと声を大きくして言いたいもので、それだけじゃなくその物腰は柔らかく、それでいて芯の強さも持ち合わせた、一昨年得たエリザベス女王杯制覇という勲章が相応しいチームで一番年上のお姉さんが、あたしのレースだけを目的に今日は時間を使ってくれたことに、改めて今ここで感激する。

 

「せっかくこんなに綺麗なサラサラの髪の毛をこんな風にしてしまってはね……」

 

と、シックちゃんが絡まった髪の毛をさっと直してくれる。

美しい髪を持つシックちゃんに髪を褒められるとはこれはまた光栄で。

 

「これで大丈夫かな。ごめんなさいね、デジタル。この娘、後輩ができると嬉しくてしょうがなくて、はしゃいでしまうのよ」

 

あたしの髪から手を外すとシックちゃんが微笑みかけてきた。

その内面の優しさがそれだけで分かるような表情。大人しそうな見た目という点でグラスちゃんと似たような部分がありつつ、グラスちゃんがそれでも前に出てチームをまとめようとするところもあるとするならばシックちゃんは常に一歩後ろに下がってチームをみるような、チーム内での前方後方の良バランスを、この数日の新チームの経験でも感じるところだった。

 

「そんなことないし!もう止めてよ、シック姉はさあ」

 

エクセルちゃんが必死に否定する。

エクセルちゃんはシックちゃんをそう呼ぶ。とはいっても二人は姉妹というわけではない、同じ”エリモ”と名がつくだけによく間違えられるそうだけど。どうもエリモと付くウマ娘ちゃん達の多い地域があって、二人もそこ出身で、ご近所さんではあったらしい。

 

シックちゃんには実の妹ちゃんもいるそうだけど、子供の頃にはその娘と一緒にも3人でよく遊び、その頃からシックちゃんを姉のように慕って、そう呼んでいたために、こうしてトレセン学園に入って以降も続いてるそうだ。

エクセルちゃん相手だけでなくチーム内でも後ろから皆を見守っているシックちゃんは年齢が上というだけではなく、頼りがいのあるお姉さんという様子でそうも呼びたくなるのもよく分かると、あたしもまた思う。

 

「そうかしら。新しい娘がチームに入ってくるってトレーナーから聞いて、それがルーキーの娘だって続けて言われた時の顔、私は忘れないわよ?」

 

「もー詳しく言うのやめてよー。そうだよ、嬉しかったんだよー。ここのところ私が一番下だったからさー」

 

観念したかのようにエクセルちゃんは言う。

そう、今、このチームにはあたししかデビューしたての娘はいないのだ。他にも何人かチームにメンバーいるのだけれど、エクセルちゃんと同期かその上の娘ちゃんしか所属していない。

 

そして、このエクセルちゃんとシックちゃんと、忘れてはならないグラスちゃん、その三名のG1ウマ娘は長くチームにいるのだけれど、他の娘はあたしが前のチームでそうだったように決められた期間の約束で所属する娘ばかりで、入れ替わりは相当激しいものらしい。その中で最近の数ヶ月はグラスちゃんやエクセルちゃんより下のクラスの娘がいないのが続いていた、と今日になるまでに聞いていた。

 

その辺りのことをまだよく知らないのでトレーナーにもチームとはそういうものなのかと聞いてみたけれど、それはチーム毎の特色で、新人教育と勝利から遠ざかり行き詰まった娘の気分転換、トレーニング法を変えたりの新たな策の模索などの理由のある短期間の調整については、長くトレーナーをやっていると頼まれやすいし増えやすいという話で、このチームもつまりはそういうこと、とのことだった。

 

そうして外から見ているだけでは分からない、中にいてこそ身につけられる知識、新人ウマ娘の内からトレーナーへの道も進んでいられる気もして、今日のレースの事と共に今またそれも思い返して、これが経験が積まれるということ……と、しみじみ頷く。

 

「何やってんの、デジタル……」

 

頷いて顔を挙げた途端には、エクセルちゃんの言葉以上になーにやってんのかという顔と目が合ったけれど。

 

「いやぁ、幸先の良いスタートが切れたし、あたしの加入をそんなに喜んでくれる先輩の事を知られて、これから本当に頑張っていける!と思って……」

 

「デジタルもデジタルでそこは弄らないでよ~」

 

「まあまあ二人とも。ほら、トレーナーさんとデジタルのアドバイザーさんとの話も終わったようだから」

 

と、シックちゃんが促しながら顔を向ける方向を私も見ると、やや離れた所から二人が見ている。「そうだね」とあたしはタタッとそちらへと走り出す。

その脚もレースの時と同じように本当に軽くて、エクセルちゃんに言ったようにこのチームで頑張れる自信、新たな世界がここから広がって、そこでまた起こるだろう良いことへの希望にも満ちあふれていたのだった。

 

 

 



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ミナライユウシャとナカヤマケッセン 報告会

12月、師走に入り、師も走れば、ウマ娘も今日も今日とて西へ東へ、坂を上り下り走ります。

けれども、あたしは練習もお休みで走りはせずにアドバイザーへの定例報告会。

それ自体は構わないのだけれど、学園内のどこかでやってくれれば他のウマ娘ちゃんをすぐ見にもいけるのに、年末で他の仕事もあって忙しいからと、また仕事場に呼び出されたのだった。

 

今日の部屋は片付けられてもいて、テーブルは冬仕様で炬燵化、電気ストーブも付いてぬくぬく空間。そうして温もりながら始まる報告……といっても堅苦しいものではなく雑談のようなもので。

 

「どうだ、最近は」

 

そんなアドバイザーが持ってきたお茶を置きながらの言葉でスタートの合図となる。

 

「毎日充実してるよ、学園生活もトレーニングもね」

 

「それはこちらとしても嬉しい話だな。最初はどうなることかと思っただけに……」

 

そうしてテーブルの向こう側、あたしの対面に座ったアドバイザーの顔は心底やれやれといった風。なんというかアドバイザーは分かり易い。あたしでも何を思っているのか間違わず伝わる。何度か会っている内に対応のコツは掴めてきた。これがアドバイザーが人間相手もウマ娘相手でも誰にでもそうなのか、偶々あたしにとって波長が合うというものなのかまでは分からないけれど。

 

そしてアドバイザーのその表情の意味もまたよく分かっている。

挨拶を終えたその翌日は他のメンバーにも面通し、その日の練習終わりには今のようにこの部屋に来て最初の手応えはどうなのかという雑談になったのだけれども、のんびり話しながらトレーナーとグラスちゃんとに挨拶をした時の事に触れたら、アドバイザーにはそれはもうバカにされたのだった。

 

あたしとしてはこんなこともあったけど大事にならなくて良かったと雑談の流れで言ってみただけだったのに、アドバイザーは身振りからして頭を抱えて「バカ」というよりもう「ヴァーカ!」という勢いで。

 

それについてはあたしも恥ずかしくなったわけだし、もちろん自分が悪かったと思っていたんだけれど、「なんでそんなことを言い出すのか、直に聞いたのか」ってアドバイザーがずーっと言うものだから、「あたしだって色々考えたけど気になっちゃったんだもん。ていうかアドバイザーがそういう事も説明してくれていたら良かったじゃん」と、我慢できなくもなって言い返した。

 

「まさか当日にそんな展開になること予想できるか!トレーナーとも話している内に伝わる部分だろうと、お前が拒絶するようなことでもないだろうと、お前に合わないことはないだろうと思ってこっちだって決めているんだ。もう少し信頼してくれ」

 

ただ続けてそう言われた事については、そうだなと思うところがあったし、何も言う事もできなくもあった。現実、その日に合わないことはないと思えた話で、さらに、こうしてトレーニングを続けてレースも経験した後では何の苦もなく過ごせているし、アドバイザーの事を信頼しろという事もそうだし、トレーナーと会った時だって別に厳しいことないんじゃないかなという自分の直観を信じればよかったなって、今日改めてその事を振り返ると、その気持ちは強くなってる。

 

「それについては本当に反省したよ。アドバイザーが言う通りあたしに合っていないわけじゃなかったし。クラスの皆にだって後で全然そんなことないよ!って言っておいたから」

 

そう、この件について同級生ウマ娘ちゃん達への誤解は解いておくとは以前にあたしから触れておいたのだ。

というよりもチームへ挨拶した翌日にはクラスメイトから「どうだった?」と聞かれて、話に聞いたような事は無かったよーと伝えたし、レースも経験した後にだって、アドバイザーにも言ったように楽しくやってるって話もした。クラスメイトには余計な事を言っちゃったみたいでゴメンねと謝られたけど、あたしはそんなことは気にしてなかったし、最初ちょっとおかしな事になってしまっただけで何事もなく進んでる。

 

「それならいいが……」

 

「と、この話は収まったにしても、あたしとしては他に説明してもらいたい事もあるんだけど、いいかな?」

 

「なんだ?」

 

「今度のチームはあたしいつ頃までいることになるの?」

 

「まだ1レースが終わっただけで、それも問題なく済んでいるのに、まだ移籍スケジュールなんてこっちも決めてもいないぞ」

 

「あたしもすぐにそうなるとは思っていないけど、前のチームでやったのが4戦だったし、同じくらいなのかなとかさ」

 

それを聞いてアドバイザーは自分の周りをぐるっと見て一枚の紙を手に取ってテーブルに置く。それはレース番組表だった。

 

「俺としては今のチームで学ぶことは多くあると思っているし長いスパンで考えてはいるが……」

 

と、アドバイザーは番組表に指を滑らせていくと、一か所で止まってそこをトントンと指先で叩く。少し身体を起こしてそこを見れば、来年、5月、NHKマイルカップとあった。

 

「とりあえずは、ここを一つの目標だな。

 目標とはいってもこの時期になるまでに4戦か5戦かして、その内に方向も変わるかもしれないし、このレースまで持って行けたとしてもレース結果で今のチームの区切りにするとも今のところ考えちゃいないがな」

 

「分かった、そんなところね」

 

「ま、それに出るにもまずは次のレースだ。川崎での重賞、ここをしっかり獲らないとな」

 

「分かってるよ。あたしとしても地方ウマ娘ちゃん達と出会うのもすっごく楽しみだし、モチベーションと共に練習タイムだって調子良いし、世間が有マ記念ムードで、やっぱりグラスちゃんに注目集まるしチーム周りも騒がしいところだけど、トレーナーはあたしの事ちゃんとやってくれてるから」

 

「俺だって、そこを不安がってはいないがな。俺は俺でトレーナーと連絡を取っているわけでお前の調子が上々なのは分かっている。そこで今日こうしてお前のやる気も溢れていると知れたのは良いことだが。これなら完璧に仕上げて当日に挑むのもできそうだな」

 

と、アドバイザーは両手でテーブルをパンッと軽く叩く。

 

「さてと、今日の所の報告はこれで終わりとするか。お互い有益な話も出来てキリもいい」

 

「うん、そうだね」

 

あたしとしても丁度良いタイミングだと、そう返して横に置いていた鞄を片手にサッと立ち上がる。

そのまま部屋と廊下の境目まで行くと、座ったまま振り返るアドバイザーには、「それじゃ、他のお仕事、頑張ってね」と声をかけて足早に部屋を出た。

 

きっとあたしが帰った後はスペシャルウィークちゃんの有マ記念の事を詰めたりするのかなーと考えたり、グラスちゃんだってそれに向けて目一杯頑張ってるし負けないんだからね、なんて思いつつ、その日もまた楽しく一日過ごせたと、それが足取りにも出て、スキップもしながらその日は家路についたのだった。

 

 

 



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勝利と願い

やってきた年末、やっぱり世の中は週末の有マ記念ムード一色。

ですが、その前にあります全日本ジュニア優駿in川崎。

初めての地方レース場だけれど、中央レース場自体もまだ阪神、京都、府中しか走っていないし、比較してどうとかとか地方だからこその何かだとか言えるものはなかったけれど、色々見回ったり他のウマ娘ちゃん達とご挨拶したり、気も楽にしながらレースの準備を終える。

 

そこであたしは他の地方重賞を既に制しているトレセン学園所属の娘や地方の学校所属の娘を抑えての1番人気。

何がそんなに評価されているのか自分としては良く分からなかったけれども、前回バシッと勝って以降、走りの手応えも日常の諸々の手応えも強くなる一方なあたしにとっては、それもプレッシャーになるわけでもなくどんとこい!といった感じで本番にも臨んだ。

 

レースとしては逃げる娘を追いかけて、スローに進む展開。

その娘の走る姿をじっくりとも見ながら進んで途中ちょっと捕まえるのに手間取りそうだったけれど無事に届いて、結果は2バ身半の勝利。

ダートの1600と前回と被る条件だったけれど、このくらいがあたしにとって走り易いのかな、なんて自覚もしながらトレーナーの所へと。

 

初の重賞制覇だけれども特別何ら変わらずに頭を撫でられて「お疲れ様」と一言。

それでも十分すぎるほど嬉しいからいいけどね、と思っていたところでアドバイザーが「よくやった!」と、これでもかと褒めてくれた。

両極端だなーと思いながらどちらも嬉しいもので、その気持ちはずっと収まりもせずレース場でやることは全て終えて学園に帰るまでの道の途中で、あたしは高揚感に包まれたままの勢いに乗ってトレーナーに一つのお願いをしてみることにした。

週末でもなく他のチームメイトがレースを見に来ることもなく、アドバイザーとも別れた後の、二人きりの中で。

 

最初は「今日は重賞を勝ったし、ご褒美が欲しいな」なんて言って。

言い出した場所が店の立ち並ぶ美味しい匂いが漂う一角だったから、「あー、多少なら懐に余裕もあるしご馳走しようか」と間違って受け取られてしまったけれど、そうじゃないんだと答えて周りには聞こえないようにトレーナーに耳打ちする。

正直、ダメ元のお願い。

断られるなら断られても仕方ない話と思いながらも、ウキウキの今日の気持ちに歯止めが効かずに言わずにはいられなかった話。

 

トレーナーは聞き終えると最初は一瞬目を見開いて、その後は少しだけ下へと顔を向け靴で地面をなぞりながら考える様子を見せた後に「構わないよ」と言ってくれた。

「本当に!?」と、半々どころか半分以上はダメかなあとも思っていた話だったから、あっさり気味に了承された事に意外だったとの思いもあれば、それはもう嬉しくて、多分あたしは傍から見てもそれがよく分かる顔でトレーナーを見ていたと思う。

 

そこで「しかし……」とトレーナーが触れる。

どこかNGの部分があったのか、と、全部が全部叶えられるわけじゃないから駄目な部分は受け入れないとね、と思っていると、「そういう事は普通に言ってくれていいから。交換条件にするというのはあまりね……」ということだった。

勝って何か奢ってもらうような話は前のチームでもあったし他の所の話でもよく聞く話だけれど、あたしが言ったのはそういうものとは違う、話が変わってくるという事なんだろうか。今後も勝てば何かがあるから頑張れ・頑張る……となっていくのは良いとはされないのかなと。

 

話の内容として断られる事自体は考えの内にあったけれど、こう言い返されることは全く思ってもいなかったなと、あたしも考えが足りないと自戒しながら「今度からはそうする」と受け入れて、それでも希望が通った喜びを大きく抱えて、それが実現する時を思い浮かべながら、その日一日を終えたのだった。

 

 




そのままではウマ娘世界では合わないレース名はそれらしく弄ってあります。
日程やグレード、距離等の条件については元ネタ当時と同じと思ってください。


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中山の地へ

その週の末、あたしは中山レース場へと降り立った。

そこに辿り着く前から、それはもう凄い人の群れ。その誰もが今日ここで行われる有マ記念を目当てにも来ているのだろう。

 

一度、生で見てみたいレースだったけれど、この人の多さも充分に知っていたもので、周りの大人から止められるものもあって、レースを見始めてからの数年間、画面越しにしか見てこなかったものだった。

それこそ去年のグラスちゃんの制覇した時もだ。

でも、今日はついにやってきた。ただし観客としてだけではなく、トレセン学園のウマ娘として、チームメイトであり、出場者の中でも特に注目の集まる代表であるグラスワンダーちゃんの応援のために。

 

冬の寒空の下でも暑苦しいくらいの場所。

パドックでの各ウマ娘紹介の段階から盛り上がりが違う。画面を挟んでいてはその全ては伝わらない。G1レース自体そういう面はあり、特に有マ記念は凄いもの、初めて行くには刺激が強いから初心者にはお勧めしない、などとも先に聞いてはいたけれど、これは「なるほど確かに」と、実感できていた。

 

紹介されるウマ娘ちゃん達の表情も、真剣さと緊張がこちらの肌にも伝わるようだった。

あたしは一人一人、細部まで逃さず注目する。

進行していく中であたしが気になったのはジュニアクラスの娘達、特にクラシック戦線で皐月賞を獲ったテイエムオペラオーちゃんと菊花賞を獲ったナリタトップロードちゃん。

 

1枠1番で最初に出てきたナリタトップロードちゃんは可愛いと綺麗で分けるとすれば完全に綺麗側の娘。

前髪にくるんと白い部分がある栗毛の長い髪に日光が当たると、ここもまた綺麗なものだった。

前走の菊花賞を獲って弾みもついて、この当日も他多くのシニアクラスの娘も抑えて4番人気に推されていた。

黙っているとそんな感じのナリタトップロードちゃんだけど、菊花賞後のインタビューなんかを聞くと喋るとぽやぽやしているというか、菊花賞を勝つだけあって、レースもあまり急いでするよりものんびりしている方が良い、長距離向きの娘なんだろうなあとか思ったりした。

 

そしてもう一人、テイエムオペラオーちゃん。

こちらはナリタトップロードちゃんと同じ栗毛だけども髪の毛は短く、一人称もボクとしているようでイケメン王子様といった様子。

ウマ娘紹介の時点でも威風堂々と自信満々で、それを観客側も受け取るのかナリタトップロードちゃんに続いて5番人気となっていた。

皐月賞以来勝ちはなく、それでもそれからここまで出るレース全てでウイニングライブには参加する結果を残し、菊花賞からステイヤーズSそしてこの有マ記念に臨むというローテのタフさ、そして紹介の時点でも他の娘には混ざる緊張といったものがまず存在しないような姿に、二つの意味で心臓が強い娘ちゃんだとの感想を持った。

 

そう語る事がいくらでも出てくるウマ娘紹介の時間だったけれど、やはりなんといっても大注目は二人、グラスワンダーちゃんとスペシャルウィークちゃん。

有マ記念出場ウマ娘を決めるファン投票ではスペシャルウィークちゃんが1位、グラスワンダーちゃんが2位。今この時の人気ではグラスワンダーちゃんが1位、スペシャルウィークちゃんが2位と分け合っている。

 

この二名にはパドックに入る前からでも視線が注がれていた。

レース場に入ってから二人がちょっと挨拶していただけで雑誌やら新聞やら記者の人達に囲まれて。

いや、注目は二人と言うよりも二チームと言った方が良いのかもしれない。

トレーナー同士も同じ場所にいるだけで見つかって質問攻め。

あらゆる方向から、今日はこの両グループの戦いなのだと表しているようだった。

 

あたしはそれを、その時は側では見られなくて少し離れた所からチームの他の娘達と見ていたんだけど、グラスワンダーちゃんとスペシャルウィークちゃんはライバルでもあるけれど友人でもあるとどちらも負けるまいとしながらも、まだ穏やかにもお互い話しているようだった。

 

一方でトレーナー同士は見た目や言葉自体はこれといって特別な交わし方をしていなかったけど、どことなく雰囲気がピリついたというか、走るウマ娘ちゃん達よりも緊迫感を出していた。

あたしでも何かこれはいつもと違うぞと思うくらいだったから周りの他の人達もウマ娘ちゃん達はもっと強く感じ取っていて「バチバチしてる」、「トレーナー同士のぶつかり合い」、「あの二人ってさ……」「宝塚記念のことがあるから……」だとか、口々に言いもしていた。

 

そして、今、パドックお披露目へと出てきた瞬間の歓声も凄まじい、レース前に皆疲れちゃうんじゃないかとまで思うほどだった。

 

二人の紹介はまずはスペシャルウィークちゃんからだったけど、これまで見たことのあるスペシャルウィークちゃんとは様子が違って。

アドバイザーが同じでも綿密に話したことはまだなかったけれど、スペシャルウィークちゃんとそのトレーナーがアドバイザーと話している所にちょっと出くわしたりしたことはあった。その時とはまず顔つきが違うだけでなく、前走のジャパンカップからもまた気合の乗り方が違うといった様相だったんだ。

あのレースも走る前から自分は勝つという強い意志を感じるような目だった。そして現実に並居る海外の強豪を退けて、日本総大将との称号も誰も文句をつけるものでもなくなり、それがより自信になっているんじゃないかと、それが表面にも出ている……そんな気がした。

 

スペシャルウィークちゃんがそんな表にも現れる闘志を感じられるものだったとするならば、後で出てきたグラスワンダーちゃんは静か、本当に静かだ。

グラスワンダーちゃんがそういう娘だという事は元より知っている。一緒のチームになってそれは深まっていった。同じチームになってからも宝塚記念や去年の有マ記念のレースを見直しもして、パドックの状態も勿論見た。その時も他の周りの娘に比べると静かに挨拶といった様子なんだけれど、今日はそれに輪を掛けたように静か。

 

でも、それだからこそ、その中にいつも以上の闘志、執念を感じるような姿。

歓声の中心にいるのにその身にはそれが全ては届いていないんじゃないかと、その身の周りに壁にもなる何かが存在し、グラスちゃんの立つその場だけは静寂に包まれているような、グラスちゃん自身は緊張しているようではないけれど、その周辺にはピンと張った空気があるようだった。

 

全ウマ娘の紹介を終えた後も、グラスワンダーちゃんのその姿をどう言うのが一番良いものか、と考えていると、突如肩を揺らされる。その方向を見ると、そこに居たのはエリモエクセルちゃん。

「ぼーっとしてないで、ほら、私達は客席の方に行くよ」と、そのまま手を引っ張られる形であたしはその場を離れることになった。

 

 

 



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既に存在した戦い

レースを観るに向かった先はウイナーズサークルの近く、その前方に陣取ってターフがそのすぐ側に……とはいかずに少々後ろの方。

チームの他のウマ娘ちゃん達はグラスちゃんに声援を送ると前の方にいるけれど、あたしとトレーナーはそうしていた。

トレーナーとしては「レース中は見守る事に精一杯」だと「声を掛けるわけでもないし、その場所は他の観客が使う方が良い」と常にこういう形だそうで、あたしはそれに付き合うことにした。トレーナーがレース中にどうしているのか勉強にもなるしね、と。

 

そうこうしている内に出場ウマ娘ちゃん達が地下バ道を通りターフ上に集結する。

そして各々がウォーミングアップに勤しむ姿がビジョンにも映される。

その中でグラスちゃんは一つ一つの動作をゆっくりと、噛みしめるような様子でストレッチをしていた。

これまで映像で見てきたレースでもその姿が頭にあったけれども、それらとはどこか違うものをあたしは感じ取っていた。

 

「何かいつもより細かい……」

 

思わず口に出ていた言葉に隣に居たトレーナーがあたしの方を見る。

 

「よく見てるね」

 

指摘に驚きといった様子もなく咎めるでもなく大レース前の緊張もなく、いつも通りの何事もないような表情で。

 

「こうした大レース前だからこそ?」

 

と、あまり声が大きくもならないように続けていった言葉にトレーナーは首を横に振りビジョンを再び見る。

 

「いや、それを分けるのはレースの事ではなくグラス自身の事。ジャパンカップを不調で回避してここまで、どうにか身体の調子を上げる事に尽くしてきたけれど、さっき最後の確認をした時も、筋肉の固さが気になったからね。そこでレース前はその対処に力を入れて欲しいとは伝えたんだ」

 

トレーナーは状況を余すことなく説明してくれる。

今から走るウマ娘ちゃんの特大情報がここにあるというのに、いくら小声での会話とはいえ少しでも気を向ければ耳にも入りそうなのに、近くの観客は全く気づかないようで前に広がる光景に注目している。

なんという勿体なさと思うと共に、場所は後ろでもあたしは今ある意味の特等席に居るのだと、そこで強く思った。

 

「それによって身体が上手く解されていれば……第二関門は突破というところだろうね」

 

「第二?最初じゃないの?」

 

「最初の難関は、既に過去のものだろうから」

 

トレーナーが少し遠くの方を見る。同じように視線を移せば、そこに立つのはスペシャルウィークちゃんのトレーナー。

周りが興奮気味な中で一人落ち着き払って立つ様子が目立つ。その顔は軽く笑みを浮かべ、人間の表情があまり読めないあたしの中でも特によく分からない、難しいと思う相手だ。今、そして、パドック前に見た時もそうだけど、大体見ればそんな表情をしているから。

 

ただ、その点に関しては他のウマ娘ちゃん達や、彼のチームの中にいるウマ娘ちゃん達でさえそうだと、直接に所属ウマ娘ちゃんから話を聞いたことがある。さらに、ウマ娘相手だけでなく人間相手でもそうらしいとの話をレース記事で見たので、あたしだけじゃないんだと安心するところだったけれど。

あたしがそのまま見つめて、少なくともあの人も緊張なんてどこ吹く風なんだろうなと思っていると、

 

「彼が、グラスワンダーというウマ娘の能力、その出来る事ではなく出来ない事に注視し、今日このレース場に立ってからの身体の様子に気づいたのなら、それをスペシャルウィークに伝えていたとしたら……グラスは負ける」

 

トレーナーはそう言い切った。

 

「え?」

 

そんな言葉が出るとは思わずに、すぐにあたしはトレーナーを見る。

 

「酷い事を言う……って顔をしてるね」

 

そうトレーナーがやっぱり静かに言った言葉、それは図星だった。

それを表に押し出すように言ったわけでもないのに見透かされてしまったようだった。

教え子の勝ちを信じて、勝って欲しいと思って見ているはずなのに、さらりと言ってのけるその姿に確かにそう思っていた。あたしがどう思っているかも分かっていながら眉一つ動かさないことにも、どうして……となるものもあった。

 

「勝ちは見たい、それは何よりも強い。でも、勝つために状況を見定める中で、勝てない条件から目を逸らして考えるわけにはいかないから。それはそういうものとして存在する、と頭の中には入れておかないと」

 

「気づいたとして本当にそんなこと出来るの?こんなレース場に来てからの短時間で」

 

「できる。それを当然のようにやってくるよ、彼はそういう相手だ。相手の状態の僅かな揺れ、それに気づく僅かな時間、それがあれば即座に対応する。これまで積み上げた策も投げてでも現状に合った策を編み出し、その選択の決断もできる。

 そして、スペシャルウィークもまたそれを受け入れ実行に移せるだけの力はある。彼らに限らずトップクラスというのは、そういうもの。だから相手にして恐ろしく、こちらは隙を見せぬよう、そして相手の僅かな隙を見つけるしかなくなる」

 

トレーナーの言葉は相手がその面に長け、力が明らかに上だとも言っているようだった。

だとしたらグラスちゃんは……と、つい両手でぎゅっとスカートの裾を握りしめ悪いものを想像してしまう。

 

「僕とて、こうも言えるのも気づかれていないと思うからだけどね」

 

トレーナーはあたしの背中を軽く叩く。問題はない、というように。

 

「グラスちゃんは……大丈夫?」

 

「ああ。さっきも触れたけど最初の門も既に終わった話だ、それに今のグラスの様子を見ても、ここまでは上手く進んでいると思うよ。彼が気づくのではなく、スペシャルウィーク自身が今この瞬間にグラスの事に勘付き対応するというのも、もちろん可能性としてはありはするのだろうけど、その能力が彼女に無いとはこちらも言わないが、グラスもグラスでそれを悟らせるほど甘くはない」

 

そこであたしはホッとする。トレーナーの言葉に不安に思うのも出てしまっていたけれど、今の言葉には力強いものがあった。トレーナーだってグラスちゃんを信頼しているし、負けるものとしているわけじゃないと分かったから。

 

 

と、そこで周りがざわついた様子に気づく。

ファンファーレの準備が整ったようだった。決戦の時まで後少し。

あたしはターフの方へと目を移す前にトレーナーを見る。

 

「話している内にこんな時間になっちゃった。色々聞いちゃって、あたしの事ばかりで……」

 

「いいよ、いいよ。側に居ていいと許可は出したのはこちらだから。それに何か話していた方が僕も緊張しているところから気が紛れて丁度よかったよ」

 

その返答には日頃と全然変わりなかったんだけどあれで緊張してたの?と思いながら、トレーナーが見るのに続いて、あたしもレース場へと、ターフビジョンへと視線を向ける。

 

ファンファーレの演奏に、観客が、レース場全体が咆哮をあげたかのように湧く。

晴天の良いバ場で、そこに光は差すものの、それでもこの冬の夕暮れ近くともなって寒さが際立つ。

けれども、それをものともしないような熱気がそこに存在した。

 

これから本番を迎える走者のゲートインは、その熱に浮かされることなく順番に順調に進んでいく。

そして、全員が収まり、ゲートは開かれた。

 

 

 



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両雄の激突

14名の一斉スタート、誰一人として出遅れる者はいない。

まず先頭を奪ったのは大外枠のゴーイングスズカちゃんで、さらに同じ枠のダイワオーシュウちゃんが続く。

その次にナリタトップロードちゃんが急いだように前に出て……

 

そして、このレースを動かしていく中心になるだろうグラスワンダーちゃんは後方からの4番手ほどにつき、もう一つのその存在であるスペシャルウィークちゃんは最後方に位置していく。

そのままゆっくりと超が付くほどのスローペースで進む眼前の様子にどよめきが起こる。

観衆がそれを異様だと受け取っている。

 

確かに珍しい光景ではあったのだけれど、あたしにとってそれに驚きはなかった。

なぜなら今日この瞬間になるまでに、こうなる事への当たりは付けられていたから。

 

それがあたしがトレーナーから貰ったご褒美。

 

重賞を獲った日に頼んだこと、それはこの有マ記念への最後の作戦の詰めの話、レースの前日にトレーナーとグラスちゃんが行うその場に、あたしも居させて欲しいということ。

 

何も言わない、質問もしない、邪魔になるようなことは一切しない、ただそこに存在させてほしいと、ウマ娘が大レースに挑む前の様子というものを知りたくて申し出た。

それに対してすぐに受け入れてくれたのはトレーナーだけではなく、グラスちゃんもまた話を後で聞いて「知っておいて損はないでしょうし。デジタルの役に立つのなら私としても良いですよ」とニッコリ返してくれた。

 

と、せっかく快く許可を得られたにも関わらず、あたしは最後までそれを見ることは果たせなかったのだけれど。

二人から途中でやっぱり駄目だと言われなどはしなかった。約束通りに何も言わず、同じ部屋とはいえ二人の視界には入らない場所で、そこに置かれる観葉植物かのように立ちつくし、数々の資料と共に繰り広げられるシミュレーションを当初は息を殺して見ていた。

 

でも、その様子の、あたしがレースの前にするそれとは異質なものが、あたしをその場から離すことになった。

あたしが行う時よりもむしろ淡々と進められる二人のやりとりも、トレーナーが言うところの二か月かけて組み立てた作戦の最終確認といったところだった。

 

言葉自体を文字として書き出せばどうってことないものに仕上がりそうだったけれど、その雰囲気、二人の話す様子に他の何者も寄せ付けないものがあって、あたしは段々と距離を置きつつ、最後には部屋の中の衝立に隠れてしゃがみ込んでしまっていた。

見続けることはできなかったけれど、それでもこんなチャンスは今後あるかどうかも分からないと耳だけはしっかりと立てて、二人の言葉の全てを頭に刻み込むことだけは忘れなかった。

 

そこで聞いた話が今この目の前で行われている。

先を往く者、中団に収まる者、後方で窺う者、そのペース、全てが予想もままに。

グラスちゃんは2年連続同一レース制覇、同一年グランプリ制覇を果たすため、グランプリ王者としてスペシャルウィークちゃんを迎え撃つためにそこに居る。

スペシャルウィークちゃんもまた秋のシニアG1三連勝を果たすため、王道を進む者としてグラスワンダーちゃんを打ち倒すためにそこに居る。

夏の宝塚記念とは違う形となって。

 

新聞や雑誌の記事、そして今となってはあの宝塚記念に直に関係したトレーナーからもアドバイザーからも見聞きして、あたしはその時の事をよく知っている。

二強対決と謡われたあのレース。それまでの実力としても結果としても上位二名が飛び抜けていたのは疑いようのない事だったろうけれど、互いがそうしてレースに臨んでいたかは違った。

 

あの時点においてスペシャルウィークちゃんもそのトレーナーもアドバイザーも、その先を見据えていた。今年に入ってから重賞三連勝、脚質を変えて前へ行くレースで力を見せつけて、目指すはさらにその次のステージ、世界への挑戦。その中でも目標はエルコンドルパサーちゃんも進むとされていた凱旋門賞、宝塚記念の前にはスペシャルウィークちゃん達はそれを宣言もしていたのだった。

 

宝塚記念はそのための途中にある存在。勝たなければいけないレースではあって、その中で誰を意識するかといえばグラスちゃんではあって、レース中も位置を確認するような素振りも実際にあったけれど、それでも前方に位置しながら前へ前へと脚を動かせば、自分のレースに徹しされすれば全てを制すことができるとしていたのがスペシャルウィークちゃん側。

 

その一方でグラスワンダーちゃんの方は相手はスペシャルウィークちゃんだとの思いが強かった。

スペシャルウィークちゃんの後ろから、どうするか、どう動くかと付け狙い、その姿を強く捉えていたのだった。

そして直線、先に抜け出たスペシャルウィークちゃんもそれは速かったけれど、その横から土煙を立てて抜いていったグラスワンダーちゃん。

 

結果3バ身差の勝利はスペシャルウィークちゃん側の今後の予定を白紙撤回させるには充分なことになった。

アドバイザーも完敗というのはああいうことだと振り返るほどのレース。

それを人々はグラスワンダーちゃんが能力の差を叩きつけたとも言いもするものだったけれど、トレーナーとしてはそうは思っていなかったそうで。

力の差はやはり無い、と。あのレースも作戦が一つ違えば、道中次第では、マッチレースでの決着で済めばいいけれど、あるいはグラスちゃんの負けもあったのだろう、と。

 

あの結果はスペシャルウィークちゃんのその背後からレースを見て、敢えてスペシャルウィークちゃんには気持ち良く自分のレースをさせながら、だからこそ生まれてしまう綻びを、長所と自信の中にあるその隙を突いたからこそのもの、グラスちゃんの細やかな策の実行があったからだと、あたしは聞くこともできた。

 

けれども今日は違う、スペシャルウィークちゃんはグラスワンダーちゃんをその瞳に捉え、一挙手一投足を逃さないでいる。

先を行くグラスワンダーちゃんもまた背後に居る者を、目では見ずともその心に捉えている。お互いがお互いを意識し、それがこのレースを制するために第一に必要な事としている。

 

そして、他のウマ娘ちゃん達もまた自分がこのレースの勝者となるために、この二人を観て、出方を常に窺っている。このままゆっくり進めば所謂末脚勝負、極端にペースが遅くもなれば後方の存在はそこから届くわけもないだろうと驚異的ではない。

でも、あの二人ならば……と、周りを走る者達は考えて腹の探り合いもする。

 

昨日そうしてあたしが詰め込んだ事柄が今この場で証明されつつある。

隣にいるトレーナーは今日この日から昨日にやってきていたんじゃないのってくらいそのままに。

 

「トレーナーはスペシャルウィークちゃんのトレーナーの事を凄いように言うけどさ、トレーナーだって負けてないと思うよ。だって、言った通りに進んでいるんだもん」

 

後で言ってもいいんだけど、今すぐも言いたくなってレースから少し目を離してトレーナーを見て告げると、トレーナーもこちらを向く。

 

「ありがとう。でも、これは大したことじゃないよ。トレーナーだったら……いや、長くレースをやっているウマ娘なら辿り着ける程度の場。トップクラスというのは相手にして恐いとはさっき口にもしたけれどね、トップクラス相手だからこそレース展開が組立て易い、相手の手の内も分かるというのもあるんだよ。能力のある人達もウマ娘も自分にこれだという物を持っているから突拍子もない事はやってこない、ある程度こちらからも考えを絞りやすくもなる。特にこんなグランプリに関わる者達ともなればね。中にはトリッキーというか何やってくるか分からないタイプの人とウマ娘はいるんだけれど、それだって何も考えてもいない者とは別だから」

 

その言葉にあたしは「んー」っと考える。分かるような分からないような、難易度が高いものをぽんっとお出しされたかのような……

 

「難しかったか。もっと分かり易い表現を出来るといいんだけれど僕もそういうものは苦手で、悪いね。まあ、それ自体はレースを続けていけばデジタルにもいずれ分かるよ」

 

あたしの様子を察してかトレーナーはそう言うとレース場へと顔を戻した。

それは促しの合図かとも思えてあたしもレースをまた見る。

 

今は、第三コーナーから第四コーナーへと一団が進み、勝負の時がやってくる。

各々が加速していくその中で、グラスちゃんも前へ行く。

その動きは、あたしが直前に聞いていたものではなかった。

今日の策は、引きつけて直線でもギリギリまで引きつけて、スペシャルウィークちゃんに、この場に居る者に勝つこと。

 

「これは独断……」

 

あたしの呟きに直ぐに隣から「いいや」との小さな声が聞こえる。

 

「グラスが本来の状態なら絶対にやらせなかった。けれども今日の様子を見て道中の場合によってはこうもせざるを得ないとレース前に伝えた。俺が提案し、彼女は選んだ。こちらのカードは全て切った。もう手の内も何もない。──────さあ、どう出る、スペシャルウィーク」

 

その、最後の言葉を聞いた時に、あたしの心臓がドキリと跳ねた。

あたしが言われたわけじゃないのに、あたしの身体が握られ逃れられないようにされたような、そのまま攻撃されたかのような……と思った所で、自分の思考にハッとする。

 

そう、これは攻撃だ。

怒鳴ったわけでもない、いつもより少しばかり低いものがあるだけ声だったのに、まるで何かの鋭い得物を握ってグサリと刺すような重さを感じたんだ。

その後も相手を意に介する事もなく、そのまま肉にズブズブと押し込んでいくような冷たさも。

 

隣を見ることに怖さを覚えながらも、あたしは視線を少し移す。

もうトレーナーはこちらを見ない。見ることはない。

その眼の先にはスペシャルウィークちゃんがいる。

顔つきに特別な変化はない、先程までと同じように眺めている。

決して睨み付けているわけでもないけれど射貫くような貫き通すような視線がそこには存在している。

 

それも何だか怖くって、あたしはすぐその視線の行き着く先を見る。

スペシャルウィークちゃんも最後の力を振り絞り力強い目で前を見ている。

グラスワンダーちゃんもその前を走りながら前方だけを見ながらも後ろから来る者を退けるために走る。

この戦いからもう一瞬も目を離してはいけない。離すことは許されない。

あたしだけじゃなく、きっと今この光景を見ている誰もが思ったことだと思う。

 

直線も残りもう少ない。

その中で手応えの良さを特に感じたツルマルツヨシちゃんが先頭に立ってはいたけれど、グラスワンダーちゃんがそれを交わす。

そこに内からはテイエムオペラオーちゃんが、外からはスペシャルウィークちゃんが。

まずはそこからテイエムオペラオーちゃんが遅れを取り、残り二人の戦いになる。

苦しそうな顔が見える先を行くグラスワンダーちゃんと歯を食いしばるよう険しい顔もして地を蹴るスペシャルウィークちゃん。

 

 

 

そして、二人が、ゴール板を通過する…………

 

 



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死闘の果て

スタンドがまたレースが始まる前の時のように湧く。

今日の注目を集め続けた二人が、やっぱりレースを支配して、最後には他を置いて駆け抜けていったことに。壮絶なレースの興奮を抑えられず、二人を最強なのだと讃えるような歓声と拍手は、やがてざわめきにも変化する。

 

それは前の二人、そのどちらがより先にゴールを通り過ぎたのか、誰もはっきりとは出来ずにいたから。何度ビジョンでスローの映像が流れようと、その度にスタンドにザワザワという波がやってくる。

あたしも何度見ても分からなかった。同着ではないとは思う、勝ったのはどちらかだろうとは思ったけれど。もちろん勝っていて欲しいのはグラスちゃんだけれど、勝っているに決まっているとは言い切れなかった。

 

コース上ではグラスちゃんとスペシャルウィークちゃんが結果が出るのをジッと待っている。グラスちゃんは不安げに、スペシャルウィークちゃんは差しきった自信があるように見えた。

そしてトレーナーはというと、あたしの隣のトレーナーは顔を少し下に向け祈るようにも手を組んでいて、離れた場所のスペシャルウィークちゃんのトレーナーはといえば、今日何度目かの笑みを浮かべた表情で、これは勝利の確信でも持っているのかなぁと思いもした。

 

時間がそのまま流れる。待っているだけなのにドキドキが収まらない。

あたしでこれなのだから実際にあのターフに立つグラスちゃん達はどんな気持ちなのだろう。

あたしにはどうすることもできないけれど、あたしが何かをして結果が変わるわけもないけれど、あたしもトレーナーと同じように手を組んで目を閉じて強く強く願っていた。グラスちゃんが勝っていますように、と。

 

時計を確認することもなく、どれだけの時間が刻まれたか分からないけれど、やがて湧いた歓声にあたしは目を開く。

 

電光掲示板の一番上に提示された数字は7番。

つまり、それは、グラスワンダーちゃんの番号で。

 

ゴール板の、決着をつけるそのラインの上、その僅かな時だけグラスちゃんが前に出ていたようだった。それを知ってあたしは組んだ手も解かないまま解けないまま、他の事はもう何もできないままにグラスちゃんの姿を追った。

 

グラスちゃんはその表示を見上げていた。

不安そうな顔はもう無いけれど喜びを浮かべるでもなく静かに。

広いターフの上に佇む一人のウマ娘。冬の夕日の元で、その長い栗毛が光る。

今あたしが立っている場所からも遠い遠い場所にいるのに、それを全く感じさせない強い存在感。

その近くでスペシャルウィークちゃんは「えぇ……」と自分が2着だったことへの驚きを隠していないように見えたけれど。

 

やがて上げた顔を戻し、グラスちゃんはその場で身体を翻しスタンドの方へと向く。

そして、ゆっくりと一礼を。

それと同時にスタンドからまた拍手と歓声の雨。

今日の勝者を皆が称える。

今この場所に在るのはグラスちゃんとそれ以外と言っても構わないんじゃないかと、湧き上がる興奮の渦をその一身に受けるグラスちゃんのその姿をあたしは神々しいとすら思いながら見続けた。そうしているだけであたしは周りの興奮に誘われてなのか、グラスちゃんの姿に惹き付けられてなのか、自分の身体の熱さも自覚するほどになっていた。

 

緩やかに歓声が収まる頃、グラスちゃんようやく安心したかのように肩の力が抜けたようになって、そこに駆け寄るスペシャルウィークちゃんの姿があった。

その声を聴くことは不可能だったけれど、その表情は負けた悔しさはあるようでも、それでも笑顔でグラスちゃんのことを称えているようだった。際どい状態で負けた敗者でもそうして結果を受け入れて。それに対してグラスちゃんは初めて表情を変えて微笑んでスペシャルウィークちゃんと言葉を何か交わし、二人はそのまま互いの身体を強くも抱く。

 

その様子に再び歓声の大波が押し寄せた。

その中を通って二人が並んでコース外へと戻ってくる。

あたしはその光景を何一つ零さぬよう目に納めていた。

言葉ではなんと表現していいものか浮かぶことはなかった。尊いだとか一言では言い表すことはできない。

何の言葉も発せられずに再び高まる自分の熱と涙すら浮かぶ瞳を抱えて見続けた。

レースが始まる前から用意していた記録機器は一度も使うことがなかった。映像に残すよりも、この瞬間を、その全てを自分の中に今留めておきたい気持ちが強くなって自然とそうしていた。

 

姿を追いながら二人が視界から完全に消えた頃、ふと気が付いてあたしが横を見ると、そこでトレーナーが項垂れていた。そこで(なんで?)と(グラスちゃんが勝ったんだよ?)と思いながら「トレーナー?」と声を掛けようとしたところで後ろからの気配と影を感じた。

振り向くとそこにはスペシャルウィークちゃんのトレーナー。これはあたしはお邪魔かなと勘づいて、さっとその場から数歩離れる。隣のトレーナーも気配には気づいたのか顔を上げてそちらを見ていた。

 

「勝ったと思ったんですがね……」

 

と、あたしよりもトレーナーよりも背が高くすらっとしたその人は、やっぱり笑顔で見下ろして話しかけてくる。

その言葉からは悔しさも受け取れるけれど顔からは読み取れない。

 

「こっちは負けたのかと思ったよ。それほどに分からないものだった」

 

対するトレーナー言葉は謙遜でもなんでもなく嘘はないと思う。あたしの隣でのあの様子、負けも覚悟していたんだろうなと分かる。

 

「またしても貴方にやられた、というところでしょうか」

 

「こっちは何もやってはいないよ。あの一瞬だけ前に出ていた、あれはグラスワンダーという娘の意地の結果だ」

 

トレーナーはそうして一度ターフの方へと視線を向ける。それはきっとゴールの瞬間を思い返しているのだろうと見えた。

 

「貴方はいつもそうだ。まあ、仰ることは分かるようにも思えますがね。こちらはレースには勝って勝負には負けたという所でしょうか。ともかく、一言だけでも言いたくて来ましたよ、おめでとうございます」

 

そうしてスペシャルウィークちゃんのトレーナーは右手を差し出す。

トレーナーはそれを見て何も言わず手を出して二人でがっちりと握手をする。

いつの間にかこの場に注目も集まっていたのか、ターフ上で戦ったウマ娘ちゃん相手だけでなく、それを支えたトレーナーという人間相手にも同じように、この今日の熱戦を見せてくれたお礼なのだろうか、周辺が賑やかに沸いた。

 

「とはいえ次の機会があったなら、もう負けはしませんよ。それでは」

 

少しの間、周辺の興奮が収まるのを待ってから、スペシャルウィークちゃんのトレーナーはそう言って後ろを向いて軽く手を挙げると、この場から去っていった。

最後の最後まで笑顔のままで。どの顔も感情の判断は大きくつかないものの、去り際のものは燃え上がる闘志といったようなものがあるように思えた。

 

「僕がいつもそうだと言うのなら、君もいつもそうだろう。今度はレースにも勝負にも勝ちに来る、まったくもって恐ろしい……」

 

と、スペシャルウィークちゃんのトレーナーの遠く離れていった背中に向けて言うと、トレーナーは大きく息を吐きだした。

長く長くどこまでも続く白い息。顔も下げ肩も下げ、まるで魂がそこから抜け出てしまいそうなほどに長く強く。

息を吐き出し終えたトレーナーは近くの壁にもたれて体を支える。

 

「大丈夫……?」とあたしも声をかける。

その顔は疲れ切ったようで、やっぱりトレーナーも気も張り詰めていて、それがやっと解けたのだとも思った。

このたった2分40秒ほどの時間のレースに勝つために注ぎ込んだその何百、何千倍もの時間と労力、策を固めて教え子を送り出し、レースが結末を迎えて、ようやく一息付けたのだと、これがトレーナーというものなのだと。

自分の顔を見るあたしに気づいたのかトレーナーはそこで身体を起こし立つ。

 

「心配かけて悪いね。まだ仕事が終わったわけじゃないのに、僕がこんなようではいけないんだけど、年かな……」

 

「そういう事は言わない方がいいんだよ。言ってしまうと余計に老け込んじゃうんだから。トレーナーはまだまだそんなことないんだから自信もって!」

 

あたしは元気づけようとも思って、その肩をパシパシとも叩きながら言う。

 

「そうかもしれないなぁ」

 

トレーナーは笑顔で返してくれて、あたしの対応もこれで間違ってなかったかな?と思っていると、

 

「それじゃあ、こちらはまだやる事が残ってるしね。デジタルは他の娘と合流して待っていてよ」との言葉を残してトレーナーはグラスちゃんが居る方へと向かう。勝者にだけ残されるお仕事がそこにあるから。

 

あたしは言われた通りに他のチームメイト達が待つ所に行って合流した後はまだ準備途中なグラスちゃんへのインタビューを聞くために良いポジションへ移動しようともしたんだけど、途中でアドバイザーの姿が目に入ったものだから他の娘達には先に行ってと伝えてその場を離れた。

アドバイザーの方へと行くと、誰か同じような年を取った男の人と何か話しているようだった。

あたしが傍まで近づく頃には会話を終えて、その去っていく人をどちら様でしょうと目で追っていると、

 

「よう、いたか、デジタル。あの人はグラスワンダーのアドバイザーでな。今ちょっと話をしていたんだ」

 

へえ、グラスワンダーちゃんにもアドバイザーが就いていて……と、それを聞きながらもまだその人の姿を見ていると、

 

「あの人が、アメリカに出向いてまでスカウトした娘だからな、喜びもひとしおという様子だった」

 

アドバイザーはその人を見るのを止めて腕を組むと「いやー、負けた。負けたな」と軽く言い飛ばした。

 

「……何かもっと悔しがっているかと思った」

 

それを聞いてあたしも遠くを見るのは止めてアドバイザーに注目する。

 

「その姿を確認しにでも来たのか?残念だったな」

 

続いては、そう笑いながらの一言。

 

「別にそれが見たいわけじゃないけど。負けて落ち込んでたらどう声を掛けようかとちょっと思っていただけ!気にする必要なかったみたいだけどね」

 

「悔しいのは悔しいさ。こっちの調整も完璧、トレーナーの策もやはり彼は上手いとしかならないほど隙も無かった。だが、さらに上を行く者がいた。これにはもう「お見逸れしました」と言うしかないし、それに、負けたとはいえ、こんなレースをこの目で見られたことへの喜びが強くあるってものだ」

 

アドバイザーの言葉にはあたしは大きく頷く。

 

「分かる、分かるよ。凄いレースだった。これはもう一生ものの心に残るレースだって思ったもの」

 

「まだ若いウマ娘が一生ものと来たか。まあ長く生きている俺でもこれだけのものはそうは出会えないからな」

 

「レースそのものだけじゃなくてさ、終わってからもグラスちゃんとスペシャルウィークちゃんの様子も実に良いなって、全部が全部忘れちゃいけないものだって強く思ったよ」

 

と、思い返していく内に、今日のこのレース場に立ってからの諸々が浮かんでくる。それをアウトプットもしたくってそのまま喋り続けた。

 

「二人だけじゃなくてさ、トレーナー同士だって始まる前はこの相手には負けるものかって、あたしとしたらあんまり好きじゃない雰囲気も出していたけれど、でも、さっき握手しあっていてね、そこには互いへの敬意があるんだなって、周りの人達も良いもの見たかのような様子だったけれど、あたしもそういうの良いね、本当に良いねって、レースにあるのはウマ娘ちゃんだけの事じゃないよねって……」

 

そこまでバーッと喋ったところで、あたしはアドバイザーがとてもニヤついていたことに気づく。

 

「なんでそんな顔するのぉ」

 

「すまん、ついな。デジタルが人間の事に興味持つなんて、さらに的確に表現するとは珍しいこともあるものだ、と思うとどうしても……」

 

「酷いなぁ。確かに時間があればウマ娘ちゃん達に興味を向けたいけどね、あたしだって人間に対してそんなことも分からないほど鈍感じゃないんだからね」

 

「悪かった、悪かったって」

 

そう言いながらアドバイザーはまだ笑ってる。

あたしはそれを見て、ウマ娘ちゃん達だけでなくトレーナー達だけでなく、アドバイザーの姿だって良いと思うよと口には出さずに思った。

あたしが見ているのに気づいてアドバイザーは笑うのを止める。それでも次も優しい顔をして、

 

「俺のことを気にしてくれていたのはいいが、まだ今日は終わりじゃないだろう。そろそろインタビューも始まるし、その後もライブとまだ続く。全部を忘れてはいけないものなら、この後の全てもそのようにしておかないとな。ということで、行ってこい」

 

と、あたしの背中を押す。

 

「うん!じゃあ、今日はこれでね!」

 

そうしてあたしは今日の主役の顔を再びこの目に収めようと走っていった。

 

 

アドバイザーにも言われたように、その後の事をあたしは全て自分の記憶に心に刻み込んだ。

グラスちゃんのインタビューもグラスちゃんとスペシャルウィークちゃんとテイエムオペラオーちゃんの大盛況ライブも、チームでの祝勝会のことも。

そのどれもがこれからいつ思い出したって、どんな事も細かく思い起こされそうな、そして、いつでもキラキラと輝いてそこに存在する思い出になるだろうと思えるものだった。

そうして、その日が過ぎても何度も何度も思い出しながら、あたしはこの年を越して新年を迎えるのだった。

 

 

 



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ミナライユウシャのスキルアップ 睦月のお参り

年が明け、年末の有マ記念、そして年始のWDTの熱気も収まった頃、あたし達はチームで少し遅い初詣に来ていた。

有マ記念の後、あれだけの死闘を終えてグラスちゃんは身体が疲れ切っていて、それでも本人の事情など関係なく、あのレースを振り返る取材や何やらと休む暇もなく訪れてしまうわけで。それには精神的にも休まる時がなかったそうだけれど、ここ数日はようやくゆっくり時間も取れて休めたようで、グラスちゃんの調子に合わせて今日という日を迎えたのだった。

 

あたしとグラスワンダーちゃんとエリモシックちゃんとエリモエクセルちゃん、これが今日神社を訪れている総勢であってチームの総勢でもあった。

昨年を区切りにして元々の在籍予定を終えた娘がいて、次のチームへの情報の引き継ぎを終えたと思ったら、今度は次にチームに来る娘の話を受ける側となる予定が急に入って、トレーナーは今日はここにも来られずバタバタと出かけていったようだった。

トレーナーになるというのはこんなにも休みがないものなのと、プライベートウマ娘ちゃんを観察するチャンスが減ってしまうものなのかと思ったけれど、やはり走るウマ娘ちゃんこそ美しいもの故に、そのための下地になる仕事はあたしもトレーナーになった日には全うしないといけないな、と思うことにした。

 

お参りして、揃いでお守り買って、遊んで、食べてと一通り終えた帰り道。

出かけ始めの時間が遅かったので既に日は落ちて暗く、周りにあまり人もいない境内のまだ長い道を出口に向かって四人で横並びにテクテクと歩く。

 

「今度はどんな娘が来るかねぇ。また短期間の受け入れだとは聞いているけれど……」

 

そんな中、エクセルちゃんが言い出した。あたしにとって大事な新たなウマ娘ちゃんとの出会いであるけれど、それは他の娘にだって気になるところなのだ。

 

「やっぱりエクセルちゃんとしては年下が好み……」

 

「デジタル、その誤解される言い方やめて?年上でも同級生でも年下でもいいけどね、ちょっと前までは後輩が強く欲しいところだったけれど、今は先輩ムーヴするにも手の掛かる相手一人に手一杯で……」

 

「なんと、そんなにもエクセルちゃんの手を煩わせる相手がいたとは」

 

「君です」

 

腕を組み考え込む仕草をするあたしをエクセルちゃんは指差してくる。それに合わせてあたしは後ろを振り向く。

 

「君なんですよ」

 

そこでエクセルちゃんは頬をプニプニと押してくる。

 

「むう、これはまさかの発言。それでは今年の抱負の一つだったエクセルちゃんに対する後輩ムーヴに磨きをかけるのは止めるとしよう」

 

「気合いを入れてまでやる事じゃないでしょ……、一体何をしてくるつもりだったのか、今日中に歯止め掛けられておいて良かったわ……」

 

と、大袈裟にも溜め息をつくエクセルちゃん。それを見てグラスちゃんもシックちゃんもクスクスと笑っていた。

 

その後も歩きながら話をしている内に、ちょっとあたしが入り込めないようなシニアクラス・ウマ娘ちゃん達による話へとなって、それもあたしは聞いているだけでも良かったからそのまま聞いてもいたんだけれど、思うことあって途中で立ち止まることにした。

あたしの前を三名のウマ娘ちゃんが楽しげに歩く。その誰もがG1を制覇した程のウマ娘ちゃん。その歩く後ろ姿だけでも華があるというか見入ってもしまう。

 

それを見て考える。

いつか自分がトレーナーとしてG1ウマ娘を世に送り出して、こうして眺め、そして囲まれる事が出来たらどんなに良いことだろうか、と。

それはこれまでも考えてもいた事だけれど、今はもう一つ別の気持ちも湧いてきている。今は前を行く先輩には届かない、後ろから見ていることしかできないけれど、あたしもG1ウマ娘としてあの横に並んでもみたい、なれるとするならば……という気持ち。

G1レースに勝ちさえすれば、有マ記念のグラスちゃんのようになれるわけではないとは分かっているけれど、あの万雷の歓声と拍手の中に居たグラスちゃんの姿を見て以来、それが強くなったように自分でも思えていた。

 

その時、あたしの事に気づいたのか、前を行っていた全員が立ち止まってこちらを見る。

あたしも考えるのは止めて早足で追いつこうとする。

すると皆でこちらに寄ってきてくれてお互い近くまで来たところで、「どうしたの?」「大丈夫?」「何かあった?」と、それぞれに声を掛けられてしまった事は大変申し訳なく思った。

 

「あ、ちょっと考え事して」

 

周りをG1ウマ娘ちゃんに囲まれるのは望む形だけれども、こういうものはよろしくない。何を考えていたとは言わないでおきたいけれど他に何と言えば良いだろうと思っていると、

 

「あー、デジタル、そうなると長いしねぇ」

 

と、エクセルちゃんが一言。

 

「今も別に大した事なくても思いついたものあったら、がーっと自分の世界に入っちゃったんじゃない。賽銭箱の前でも一人でずーっと何か願っていたし、すぐ自分の空間を作っちゃう」

 

「んー、そんなところ」

 

エクセルちゃんその言葉にはそのまま乗っておくことにした。

 

「確かに、あの時は長かったわねえ」

 

「私達が終わって見ていても気づく雰囲気が全くなかったですからね」

 

シックちゃんもグラスちゃんも参拝の様子を思い返して納得している様子だった。

今、初めて指摘されて、そんなに長かったのだろうかと思う。

確かに願い始めたら、願いたいことがいくつもあって。やっぱり数々のウマ娘ちゃんに囲まれるトレーナーになりたいという未来への願いから、G1ウマ娘になれるものならなってみたいというもう少し近い未来の話から、グラスちゃんの調子がまだ完調とはいかないようだから早く回復してほしいとか、多くのウマ娘ちゃんにまた出逢いたいといったりだとか、明日からの未来でも良いような話まで色々やってはいたのだけれど。

 

「そんなにやっていたつもりはなかったのになあ。あぁ、まさか声が漏れていたりは……」

 

「それはなかったけれど。でも、デジタルの願いなんて今年もまたウマ娘の尻を追っかけたいとかそんなところじゃないの。心の中であれこれ希望の名前を挙げもして時間を使っているんだなとか思って私は放っておくことにしたけど」

 

「それはそれは気遣ってくれてありがとう、エクセルちゃん。でも、そういう言い方はして欲しくないなあ。それだとあたしがまるで変態みたいになっちゃうし。ちゃんと一部分だけじゃなくて全身隈無く観察して追っかけたいと思ってるし」

 

「それ、どっちにしろ……」

 

「シックちゃんもグラスちゃんも聞いてよー、エクセルちゃんが酷いこと言うー、尻とか言ってはしたないと思うーー」

 

何か言いかけのエクセルちゃんを置いて、そこでやりとりを端から見ていた二人に寄っていく。

 

「うーん、デジタル、そんな風に全身観察だとかお外に言わない方がいいわ」

 

「ほらほら、言われてる」

 

シックちゃんの言葉にエクセルちゃんは得意顔。

 

「でも、エクセルははしたないわね」

 

「えっ」

 

「私もそこは否定をするわけには……」

 

「え~」

 

意見を一致させて互いに頷くシックちゃんとグラスちゃん。

 

「幼馴染み!もしくは同期!せめてどっちかそこは味方になってよー」

 

口をいーっと一人不満そうに言うエクセルちゃんに二人は顔はにこやかにしながら無理無理とこれまた揃って首を振る。

 

「エクセルちゃんは仲間がいなくて寂しいんだね……。つまりこれはあたしがそちら側に付けば二vs二でバランスが良く……」

 

と、トコトコとエクセルちゃんの方へ向かってみる。

 

「そうそう、やっぱり最後に頼りになるのは常日頃可愛がっている後輩……って、そもそもあんたが言い出したのが始まりでしょうが、話がおかしくなるわ」

 

そうして指でピンとおでこを弾かれた。

 

「エクセルちゃんはツッコミムーヴが一番合うかも」

 

「うん、あんたと居るとそうしていくしかない気がするね」

 

エクセルちゃんはそうしてやれやれとした顔をしながらも次には笑いかけてくれた。

 

その後も四人で話をしながらの帰り道、特別な事が起きる日ではなかったけれど久々にのんびりとチームで過ごして、またこれからトレーニング、レースと続いていく日々を迎える前に得られて良かったと思える一月上旬の出来事だった。

 

 



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如月の語らい

2月に入った。

1月にあたしのレース予定はなく今月に予定はあるけれどまだ下旬の話で、トレーニングの負荷も少ない日々を過ごす。グラスちゃんやシックちゃんやエクセルちゃん、先輩方の本格始動もまだ先で、新しくチームに来た娘のお手伝いや応援に終始しているけれど、これもまた充実感があるものだった。

 

所属チームの事だけでなく、もちろん他のウマ娘ちゃんのチェックも忘れない。

自分で手にした情報と自分の足で地道に学園内を走り回って気になるウマ娘ちゃんを追っかけてもいたけれど、今月になってチームもゆったり時間を取れることもあってお休みの日にはグラスちゃんに付いていきながらグラスちゃん世代の方々と近づける機会もあった。

 

アドバイザーを同じとするスペシャルウィークちゃんとは、この機会に初めてじっくり話もした。

やっぱり共通点としてあるアドバイザーの話にも当然ここでなりもした。

スペシャルウィークちゃんからアドバイザーの話を聞いて思ったのは、アドバイザー自身も言っていたけれど、あたしはあたしに、スペシャルウィークちゃんにはスペシャルウィークちゃんに、それぞれに合ったアドバイスや計画を立てているんだなあってこと。

 

今年は去年に果たせなかった海外遠征をするのだというのもその時に聞いた。

海外、それはあたしにとってもここでは出会えないウマ娘ちゃん達が大勢いるのだろうと憧れる場所。

あたしも結果を出せたらアドバイザーはそういう案も出してもくれるのかなとも浮かぶ。

そんなアドバイザーについての話でスペシャルウィークちゃんから「覚えておいてくださいね!」と言われたことがあった。

 

その話とは去年のジャパンカップの時の話。

スペシャルウィークちゃんは気合いも入れてパドックでお披露目も終えてトレーナーと迫る本番の時を待っていたようで。その時に颯爽と現れたアドバイザー、そして開口一番に出たのが、

 

「ダービーと同じ体重や、おめでとう!」

 

との言葉だったそうで。

聞いた途端にスペシャルウィークちゃんにとっては「へ?」と、高まったものもスッと戻る勢いだったそうで。

 

「もう、何を言っているんだって思いましたよ。いきなり来ていきなり大きな声でどこに触れてるんですかって。言うだけ言ってアドバイザーさんどこか行ってしまうし。

「え、これ、なんなんですか。どういう反応するのが正解なんですか?」って思わずトレーナーさんに聞いちゃいましたよ。そうしたらトレーナーさんも「僕も分からん……」て力抜けてましたよ。あの私のトレーナーさんをそこまでさせる人はなかなかいませんよ!恐ろしい人ですよ、とんでもない人ですよ!アドバイザーさんは。

 とにかく何か確信があったんでしょうけど、こちらにはわけわからないですよ。実際に私もジャパンカップ勝てたからいいですけど。と、そういうわけで、デジタルさんもアドバイザーさんがそんなことを近くで言い出したら、「あ、この人、おかしな事を言ってるな」と思って是非そのまま気にせず流してくださいね!」

 

と、最後は言葉にも力強いものが籠もった助言をいただいたのだった。

 

次にはエルコンドルパサーちゃんと話す機会があった。

まだ2月で寒い頃だけれど、その中で暖かい陽が出ている空の下でのグラスちゃんを加えての三人で、ここ最近でも一番のんびりとした時間を過ごせた日だった。

 

お喋りしている間、グラスちゃんは同級生の中でもエルコンドルパサーちゃん相手が気も置かずに喋りやすいんだろうなって伝わるものがあって、それは同じ外国出身者というのもあるだろうけれど、やっぱりウマ娘として競技者として始まりからチームを同じくしたのが大きいんだろうなぁという気がした。

つまり、それはエルコンドルパサーちゃんはあたしとも共通点がある、同じトレーナーに過去指導を受けた、現在受けている者として。

 

エルコンドルパサーちゃんはデビュー時から暫くあたしがいま居るチームにいて、今は別のチームに居る。

最近の凱旋門賞特集の記事でも見たけれど、それは海外挑戦を見据えた移籍だったとかどうとか。

スペシャルウィークちゃんと同様に今年は海外レースへと足を運ぶ予定のエルコンドルパサーちゃん。去年も実績を挙げたけれど、さらに上を目指して。

 

というわけでエルコンドルパサーちゃんとの件はそのトレーナーの話にも落ち着いた。

ちょっとグラスちゃんが席を外して二人になった時に。

国内、海外、芝、ダートを問わない脚を見せられるエルコンドルパサーちゃんは、あたしにとって一つの理想だと思って、その事を伝えた。

 

「お褒めに与りありがとうございマス。そうしていられるのもやっぱり、そちらのトレーナーさんに身体としても精神的にも鍛えてもらえマシタから」

 

「何か特別な特訓でもしたの?」

 

「そういうものはありませんデシタよ。ただ話を聞いてもらったんデス」

 

「話?」

 

これはよく聞こうとエルコンドルパサーちゃんの顔を見ると、エルコンドルパサーちゃんは懐かしそうな顔で話を始めた。

 

「アメリカから日本に来て色々慣れなくて……。一人で走ったり、チーム内で走る分なら楽しくていいんデスけど、レースになると周りに誰か居るのが怖くもなる日もありマシタね。

 その時にトレーナーさんには、そうした不安とかよく聞いて貰って勇気づけられたんデスよ。レースの事だけじゃなくて日常の話も、トレーニングが終わって随分時間が過ぎても長く聞いてもらって……。話せる知り合いも少ない、ウマ娘相手には言えないこともありましたからねぇ」

 

「そういう事かー、それで今では世界にぐいぐい押していけるウマ娘ちゃんへと……。そういえばグラスちゃんもアメリカからの来訪者、やはりそういう事もあって……」

 

「グラスは日本にぴったり合うようでしたカラね。そういう事はなかったようデスねー」

 

それを、実のところ二人と出身国は同じであるあたしはそういった話においてはグラスちゃん寄りだなあ、と。住む場所が変わっても深く考える事もなく過ごしていたな、と心の中で思いながら聞く。

 

「それでワタシはトレーナーさんだけじゃなくてグラスにも話を聞いてもらったり助けられマシた。だから、ワタシ、あの二人にはちょっと頭が上がらないところあるんデスよね」

 

と、エルコンドルパサーちゃんは、あたしのイメージからは違う、いつも元気で怖いものなしの様子からは違う話を、自分から弱い部分を見せながら、それでも楽しそうに言っていた。

 

「デジタルちゃんなら、そういうコト、分かって貰える気がしましてね」

 

そこでそう笑いかけられて、あたしも「分かる!」と大きく頷く。

あたしもグラスちゃんにもトレーナーにも沢山話を聞いてもらっている。あたしの場合はグラスちゃんには日頃のウマ娘としての振るまいから他のウマ娘ちゃん話も聞いてもらったり、トレーナーに対しては競技者としてはもちろんトレーナーの仕事のあれこれをこちらから質問もしながらよく話してもらってもいる。

エルコンドルパサーちゃんの言うことはとてもよく理解できた。

 

その後も会話をしながら、話してくれるエルコンドルパサーちゃんの様子をじっくり見ながら、そんなこれまで知らなかった新鮮な姿を知るのも良いなと思ったり、レースの事だけでなく日頃の事も請け負う、お早うからお休みまでウマ娘ちゃんをサポートするような、これもまたトレーナーを目指す中であたしの一つの理想だとも思ったものだった。

 

 

そうして他にも数々の出会いを経て今年の初戦、府中でのOP戦、ダート、1600。

砂のこの距離、これは自分もだけれど周りもあたしに合っていると思うのか人気は3番目。

結果は3着。1着の娘ちゃんがはるか8バ身を越えるほど前にいるレースとなって、あたし自身もアドバイザーも現状の力の結果としては「そうか、そうか」とその場で納得のものだったんだけど、どうもトレーナーだけ状況が違った。

 

直線に入った時にちょっとバランスを崩したろうって、そこを凄く心配しちゃって。

あたしも「あれ?」と一瞬思ったのはあったんだけど、別に身体がどうこうしたとはっきりとは無かったし、その後も何か判明したともなかった。

 

でもレース直後からトレーナーは気になったようで、レース後の恒例の個別ミーティングでも、レース内容や結果自体はアドバイザーと一緒で特に何か言うこともなかった分だけ身体の具合の事ばかりになって「心配してくれるのは有り難いけれど大丈夫だよー」と分かってもらうのも大変だった。

あの有マ記念とか大レースでだって状況をあれだけ落ち着いて見てもいられるのに、こういった事になると気が気じゃなくなるんだねーとトレーナーの一面が分かる出来事だった。

 

そのレースの後日、トレーナーとアドバイザーと意見を一致させて言われたことは、あたしはとにかく線が細いというもので、今後はここに重点を置いていくと課題が固まり2月は終了した。

 

 




スペやエルを元ネタ通りに引退や又はウマ娘界だからとSDT・WDT挑戦に絞っていないのは、そうする強い理由がそこに無いと思うから、というだけの事です。

といって国内のレースに出るとなると主役たるデジタルの物語に組み込みたい部分でもないですので海外に行かせてあります。


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弥生の誓い

食べて走って気がつけば3月。

次のレースは2週目の中山のG3クリスタルカップ。芝の1200。

目標が5月のNHKマイルカップだからと、ここからは芝に慣れようとのことだった。

ずっとダートばかり走っていて、あたしはそんなに気にもされていなくて人気としては8番人気。

それもそうだと分かりながら走った結果としては3着。先頭からは3バ身半。

勝ちはできなかったけれど力が付いてきたことは確認できたとアドバイザーもトレーナーの手応えはよく、あたしもライブに参加して近くで輝くウマ娘ちゃんも堪能できて良いレースだった。

 

次はまた翌月に重賞レースの予定が入り、それに向けての今月下旬のトレーニングは辛いものとなった。

負荷が辛い身体が辛いというわけではなくて、チームの先輩達三名のトレーニングに付き合ったんだけど、これが速いというか怖い。

あたしがまず先行して、後ろから誰か一人が追うメニュー。

それで横に並ばれ前に行かれるその時が三者三様で怖い、かけられるプレッシャーが凄い。

これまでも並んで走ったことはあるけれど、皆、これがレースモードというか入り込んでいる状態なんだろうな。

エクセルちゃんは小柄でヒュッと風のように通り抜けていくしシックちゃんは並ばれ交わすその一瞬の動きが鋭く感じるし、グラスちゃんは近くで走るとより分かる地を強く蹴って豪快に前に行く様子には本当に迫力がある。

 

特にグラスちゃんは最近の真剣さが違うものがある。並んで走っている時以外でもそれを思う。

身体の調子が上がらないままどうにか出場まで持っていった前走の日経賞。

グラスちゃんの実績実力を思えば当然の1番人気というところだったけれど結果6着の敗戦で、次のレースは必ず……といったものがグラスちゃんは口には出さないけれど伝わる。

 

スペシャルウィークちゃんやエルコンドルパサーちゃんがそうなように、グラスちゃんもこの先に海の外の世界を見ている事は世に出る媒体からも知っている。

グラスちゃんのアドバイザーがそう推していてグラスちゃんもそのつもりだってこと。

海外でレースする時はトレーナーも付いていくか、他のチームのトレーナーに他のウマ娘ちゃん共々その時だけ面倒を見てもらうか、または現地のトレーナーに頼むかと、その辺りまではまだ分からないけれど。

 

いずれにせよ海外にレースをしに行ってしまうということは、一緒にお話するような時間は減ってしまうことにはなるけれど、それよりもグラスちゃんが大きな舞台へ羽ばたくことを見てみたい気の方がずっとか大きい。

 

あたしが神様に願っても身体の調子は良くもならなかったけれど、誰かに頼んだって叶わないのならば今度はあたし自身がグラスちゃんの力にもなって次は結果を残せると信じることにした。

「一緒にトレーニングすると、グラスちゃんの凄さは身体にびりびり来るほど分かるからグラスちゃんなら出来るんだ」なんて言葉にはしないけれど。

グラスちゃんはそういうものを望んでいるとは思えないし、ただあたしは何でもいい僅かでも力になろうと、他のトレーニングも沢山沢山付き合うと決めたのだった。

 

 



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卯月の出会い

4月の2週目、開催されるのはニュージーランドトロフィー、NZT。

中山、芝、1600。一ヶ月後に府中で行われる、当初の目標であるところのNHKマイルカップと距離が同じ芝のレース。そこへ向けてのレースとして最適であって挑む事となった。

 

当日の人気を見ればボチボチで、自分が注目されるわけでもないというのは、それだけ何かに煩わされることなく他のウマ娘ちゃんチェックに入れるわけで。

レース場に着いて直ぐからレース直前までも外から眺めつつ話しかけつつ堪能を。

とはいえあの娘もこの娘とやるまでの時間は無く、濃度を濃くすることを念頭に何人かに絞ることにした。

 

その中で忘れてならないのが圧倒的1番人気のエイシンプレストンちゃん。

去年末の朝日杯フューチュリティステークスを制して、去年のジュニアクラス表彰も受けている、あたしが特別この娘は注目!だなんて言う必要もなく、同期の代表、今年も注目となるウマ娘ちゃん。

 

というわけでレース前、ターフ上に入った後はエイシンプレストンちゃんのチェックを中心にしようと、まずはその独りストレッチする姿を見ていたのだけれど、その内に我慢が効かなくなって話しかけることにした。

同期だけどここまでは一緒に走ったことなくて、向こうはデビューしてからちょっとでサクッとG1ウィナーになるような娘で、端から力を比べられたりもなくお互いのやりとりもなかった間柄だけど、このチャンスに、と。

 

で、話しかけてみたんだけれど、何かその途端にびっくりされちゃって、しかもそのままススッと後退りもされた。ああ、これはレース前には集中しておきたい、僅かな声掛けもノーサンキューなタイプかと思って、「ごめんね」と「邪魔する気はなかった」と謝った。

 

話しかける前からそういう反応はウマ娘ちゃんによってはあるだろうと常に頭に入れている、そしてその時はすぐに引こうと思っていることだった。しかし、そこからの反応が思っていたのとは違って、拒否られたらその時はその時くらいに思っていたんだけど、なんと「ち、違う、ゴメンナサイ」って向こうからも謝られた。

何かその姿が困りながら焦りながらに見えて、とりあえずその背中に手を当てつつ落ち着いてもらった。

 

その後にエイシンプレストンちゃんから聞けたのは、エイシンプレストンちゃんがアメリカからこうして日本にやって来て、まだ日常の暮らしにも学園生活も慣れていなくて、レースも数戦目でG1に勝ったものだから注目が集まって取材とか続く内にあまり知らない人に話しかけられると自分でも変に緊張してしまう、ということだった。

 

それを聞きながらエルコンドルパサーちゃんと話した時の事を思い出しながら、エイシンプレストンちゃんも、知らない相手とはいっても同世代で出身も同じ国、情報によれば今後のレース方針も似ることだろうあたしにはまだ話し易いのか、そのまま話を聞いていた。あたしは多くは語らずに聞いていた。

 

レース前だけど。

レース直前だけれども今のあたしにはやることがある、と。

もちろんレースに向けての身体の準備は充分だったからできることだったけれど。

 

そんなことをしている間にレースの時間となりまして。

「それじゃあね」と話は軽く切り上げてゲートイン、そして抜かりなくスタート。

今日は先行策で4番手くらいにつけてあたしとしても調子良く走って直線では一度は先頭に立ったのだけれど、ゴールもきっちり見えたところで隣を華麗に通り抜けられて負けた。エイシンプレストンちゃんに。

その外からの娘にも抜かされて結果3着。

G2の3着でアドバイザーにもトレーナーにも来月のNHKマイルカップに向けて弾みがついたとの言葉をもらって、あたしはレースの経験と共にウイニングライブ経験もまた積めた時間となった。

 

 

 

そうして今日の予定が全て終わって帰宅の路。途中あまりにお腹も減ったのでお店に寄ってご飯を食べていた。

アドバイザーは他の仕事で早くに帰って、中山のレースという近場ではあったんだけど、チーム他の娘ちゃん達はそれぞれ予定が詰まっていて応援隊はおらずにトレーナーと二人。

その内にトレーナーに電話が掛かってきて、様子としては他のウマ娘ちゃんのことのようでどこかに話しに行って、そしてあたし一人で食べていた。

周りに他にお客さんもいなくて気兼ねなくバクバクと。勝利は出来なかったけれど、望ましい所は大体やれた日のご飯はまた美味しい。

 

「デジタルー」

 

と、その時に聞き覚えのある声、振り返る間も無くその主はあたしの隣に座る。前のチームのトレーナーだった。

 

「おお、久しぶり……トレーナーちゃん」

 

何と反応しようかと思って、移籍した後だしこんな場所だし名前にちゃんは無いなと思いながらも「ちゃん」のフレーズが浮かびつつ、別チームのトレーナーをトレーナーとだけ呼ぶのも違うかなあとか思っている内に最後なんか混ざってしまった。

 

「ここで”ちゃん”はやめーや」

 

で、これもまたよく見た顔で笑いかけてきて。

 

「じゃあ、トレーナーさんにしておこう」

 

「まあ、それでええわ。ところで、デジタル一人か」

 

「ここに来たのはトレーナーと二人だよ。でも何か電話が来てずっとどこかで話しているみたい」

 

「あー、そうか。俺と同じやな。俺もさっきまで外で話していて、ようやく他の仕事も一区切りついて戻ってこられて、それで遠くから何か見覚え有るでっかいリボンが見えたものやからな」

 

「なるほど、どこもトレーナーは大変だねぇ。一人のレースが終わっても次から次へと」

 

「せやろ。だからもっと労ってもええし、デジタルもトレーナーになるという事はこういう事やと分かっているとええぞ」

 

と、そんなどうやら労って欲しいらしい隣の人を横目にあたしは続ける。

 

「つまりエイシンプレストンちゃんもこの店の中に居るんだ」

 

「ああ、こっちも二人でな。会いに来るか?」

 

「んー、それはいいや」

 

あたしはジュースを一口飲んでから、そう言って首を横に振る。

 

「意外やな。てっきり乗ってくるものやと」

 

「ここで席を外してどっか行っちゃったら、こっちのトレーナーに悪いし、今日はもう十分に会ったし話したからねぇ。そっちのチームで勝利の余韻に浸っている所を邪魔したら悪いしね」

 

「まあ、その通りやな」

 

「そうだ。あたしからも言っておくよ、今日はおめでとう。トレーナーさんも良い娘を育てなさった。その力があってこそですよ」

 

さっきの事もあってせっかくなのでここで労うことにした。

 

「どうもどうも。デジタルも人間相手にお世辞が上手くなったもんやな」

 

「でしょ」

 

「そこは認めたらあかんやろ~」

 

「それは冗談。でも、さっきまでの事は本気」

 

「そうか。まあ、俺もあの娘は凄いものやと力が入っている事はあるしそう言われるのは嬉しいもんやな」

 

「いやー強かったよ、エイシンプレストンちゃん。隣で身近に感じたからそれが特に分かる……」

 

その辺りからあたしにもスイッチが入っていかにエイシンプレストンちゃんが良かったかを語った。

走りの事からウイニングライブ時の事も話して、あたし一人でずっと話して、それをエイシンプレストンちゃんのトレーナーは「せやろ」「分かるやろ」と相槌を打ちながら聞いてくれていた。

そんな時間が暫く過ぎた頃、そう言えばこうして話しているという事はエイシンプレストンちゃんを一人にしている時間を長くしている、という事に気づいて収まりの良いところで話を止める。

 

「さすがに話しすぎたね。早く自分の席に戻った方がいいよ」

 

「それはそうやけど、その前にデジタルに言いたいことある」

 

「何?」

 

「そうやってプレストンが今日しっかり力を出せたのもデジタルのおかげなものもあるからな。レース前、俺も何か二人で近くにいるなーとは思ったんやけど、プレストンが言うには、その時の話でレースに挑む前に気が楽になったんやと」

 

「へえ、あたし特別には何もしてないけどね」

 

「それも聞いてる。細かい話は知らんけど、ずっと話を聞いてくれて助かったって。ありがとうな、デジタル。俺からもここはお礼を言うわ」

 

と、頭にポフポフと手を置かれる。

 

「いいよ、気にしないで。もしこの後でエイシンプレストンちゃんにもあたしの事で何か言うなら、何か言っていたなら、「気にしなくていいって、話ならまた聞くよ」って、そう伝えておいて」

 

「おう、承ったわ。それにしても久々に会ったらウマ娘マニアっぷりに磨きが掛かってるものやなデジタル。レース中の間近での話は俺にとって有益やったで。それにデジタルの走りの実力も。

 出来る娘だとは思っていたけど、こんなにも早くこの段階にまで伸びてくるとは思わんかった。アドバイザーにはまたええとこ紹介してもらって、トレーナーにも上手くやってもらっているってよう分かる。

 

「うん、本当にそうだよ」

 

「とはいえ次も勝つのはこっちやから。次のレースでは要注意相手にしておくからな」

 

トレーナーさんは立ち上がりながら、最後にあたしにニヤッとしてそう伝えると、自分達の席があるだろう、ここからはどこか見えないところまで去って行った。

 

それを目で追っていたところで、今度は対面側の席に気配。

 

「ごめん、時間かかった」

 

と、トレーナーが戻ってきていた。

 

「何か気になることでもあったのかな、ずっとそちらの方を見ていたようだけど」

 

あたしが振り返ると共に告げられたその言葉に、あたしは今の事を簡単に伝えるとトレーナーは納得したような様子を見せる。

 

「レースの直前まで何か話しているようだとは思ったけれど……」

 

「……気になってた?」

 

その時に少し考える所があってトレーナーの反応を知ろうとその顔を強く見ながら聞く。

 

「それはね。けれどレースに入り込めていないという様子ではなかったから、後で聞き出そうと思うほどではなかった」

 

「そっか」

 

「競争相手という以前に同級生で助けになろうとすることはあるだろうし、トレーナーとしても他のチームの娘にアドバイスする例は世にはあるものだから、デジタルとしても僕としてもそれだけの話ということでそこは良いんじゃないかな」

 

と、そのタイミングで短時間で二度目の、新旧トレーナーからの頭ポムポムタイム。

あたしはあたしのした事に止めておけば良かったとか今でも思うことはないのだけれど、勝者の手助けとなったのは事実で、トレーナーはあたしの順位を少しでも上に押し上げるようと指導しているのだろうし、これでレース結果が変わりもしたかもしれないというのは何か気になりもするかなと少し思ったものもあったのだけれど、あたしが何か言う前にトレーナーにそうも言われて良かった、というのがこの時の本音だった。

 

「その話は終わりとして、その話は気にならないとしても、だ、デジタル」

 

と、そこでトレーナーが体勢を整えて言う。

その先程までとは違う雰囲気にあたしも座り直して構える。

この話以外として何を改まった様子で言われてしまうのだろうか。いくら見て良いからと言われたからとチーム部屋内のトレーナーが集めたウマ娘ちゃん資料を漁った件だろうか、見た後はちゃんと片付けたつもりだけど、急いでいて自信がない部分が……と過ぎる。

 

「せっかく今日の事を触れて思い返していたようだし、その流れで今日の反省会といこうか。今なら周りに人気もないから」

 

「えー、もうちょっとこうしてゆっくりしていたいー」

 

そしてトレーナーから飛び出した思っていた話とは違ったけれど、それはあまり嬉しくない。今はまだ美味しく食べながら今日の出来事に浸っていたかったのだ。主にレース中に周りにいたウマ娘ちゃんについて。

そして今日の事に触れてはいたくても、レース後ミーティングに対してテンションは上がらない。

 

「別に飲み食いは続けながらでもいいけども。僕も後少しの間ゆっくりしたいところで、だからこその提案」

 

「そうじゃなくて気持ち的なものがー、レースのことを振り返るのは今日は後にしたいー」

 

やーだーと座って投げ出された足もばたばたさせてみる。

 

「しかし、そうなると学園に戻ってからじっくりの反省会になるけど、それだと終わる頃には何時になるか、今ここでのんびりしてから後でそうなるのと、早めに済ませて学園に帰って直ぐに休めるのと、どちらがいい」

 

「それなら後者。でもさ、第三の案で明日に反省会を回すとか……」

 

「駄目駄目。今日の話は今日済ませる。特別に反省して欲しい事もないし短めには済むから。はい始めるよー」

 

と、その後もあたしが頑張って嫌そうにしてもトレーナーは「はいはい」といったように全て跳ね返して話を進めて、これがチームのお約束と、あたしは引きずり込まれるのだった。

 

 



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皐月の経験

5月最初の週末、ひとまずの目標と設定されたNHKマイルカップ、当日。

更衣室で真新しい勝負服に着替えて、姿見で自分でも前も後ろも足の先まできっちりチェック。

 

いつも付けている頭の大きな赤いリボンは今日も変わらず。

腰回りには頭のリボンより一回りは小さいリボンは左右に付けて。

靴にも白いリボンのアクセント。あたしといえばリボンともなりそうな装い。

脚には網編みの白タイツ。そして右手には白手袋。

簡単に触れてしまってはいけない宝石のようなウマ娘ちゃん達に触れる時にはこの手を使おうか。

けれども、そのままお近づきになったらやはり左手の素手で触れたいものと、この非対称がまた良い。

 

大事なのは服装以外もと、その部分が終わったらまた別の事を進める。

おめかしは好んでもなく得意でもないけれど恥ずかしい姿では表に出られない。

と、自分がやれる最大限で髪から何から細部までを整える。

 

「これでよし」としたところで更衣室を出て、まずはアドバイザーとトレーナーに挨拶。

あたしの姿を見て、まずアドバイザーが声をあげる。

 

「良い姿してるな。そうして黙って立っていれば日頃の言動も隠されて、可愛いだとか多くの声も届くウマ娘になるだろうに……」

 

「そんな事を言っても黙ってはいられないし!あたしはこれでいいの。それにこうだって可愛いって言って貰えるかもしれないよ。自分で見ていてもやっぱり可愛い服だなって思って。こんな素敵なもの用意してくれてありがとうね、アドバイザー」

 

「俺も下手な物は着させられないと信頼ある所に任せたからな」

 

「アドバイザーはこういった事にまでも通じているんだねえ」

 

あたしはそうして会話はしながらもつい気持ちも身体もふわふわしてしまうというか、勝負服のあちこちを見る。

 

「それもレースに関わることだからな。仕事していく内に自然と付き合いも広くもなり良い知り合いも出来る。そしてしっかりとデジタルに気に入ってもらえたなら有り難いことだ」

 

「気に入らないわけがないねというくらい気に入ったよ」

 

そう言うあたしを満足そうに見るアドバイザー。

で、その様子をトレーナーはあたしのレース前の場合だけじゃなくチームの他の娘ちゃんの場合とも違う、いつもよりも静かな感じで見ていた。それに気づいて何だか気になって声を掛けてみる。

 

「トレーナー、どうかしたの?」

 

「いや、何かがあったわけではないんだけどね。ウマ娘が勝負服を着て初めてG1の舞台に降り立つ。これまで何度も見てきた光景だけれど何度経験しようと楽しみな一瞬でね。そうして君たちの嬉しそうな姿を見ることがとても楽しい……」

 

と、トレーナーはしみじみといった様子で言いながら右手をあたしの頭の方に伸ばしたところでピタリと止めて手を元に戻す。

 

「あぁ、ごめん。せっかく綺麗に整っている所に触れるわけにはいかなかった」

 

「いつものクセだね、トレーナー。確かにあたしも今日は気を使って細かなところまでやったからね、今は触らせるわけにはいかないけれど、走ったら元通りにもなるし、それはその時にね」

 

「ああ、待ってるよ」

 

「と、その前に他の人にもお披露目しないと。行ってくるね」

 

と、あたしはトレーナーとアドバイザーに手を振ってパドックへと向かう。

そこに辿り着く前の道で、さっきまでのあたし達のように、ウマ娘ちゃんとそのトレーナーのやりとりが行われていた。

このNHKマイルカップが初G1、初勝負服という娘ちゃんは多くて「おかしくないか」「似合うか」とトレーナーに話しかけたりポーズも取ってみたり、その誰もがどこから見てもウキウキしているねという様子で、もちろんそれもあたしも分かるところであれば、トレーナーも言っていた、そんなウマ娘ちゃんの姿を見るのもまたそれだけで幸せな気分にも浸れるというのもよく理解できるというものだった。

 

そうしてパドックにてあたしの出番に回る。

そこからの景観も歓声もこれまで経験してきたものとは違う。

そんな中であたしにも声援が飛んで、人気としてもここのところの重賞で3着が続いていたからか4番人気となかなか。レース本番に向けて気持ちがまず暖まって何事もなくパドックを後にして今度は地下バ道に行く前にチームメイトからのお見送り。

 

ここでも勝負服を褒められながらレースへの激励も受けて、あたしは一人地下を進みターフへと出る。未だどこか身体も浮きそうな程で、ついスキップでもしたくなるところだけれど、それはさすがにと抑えながらも足取り軽く。

気持ちが最高潮に高まったのなら次は身体も温めようと解しもながらも辺りを見回す。先程は勝負服姿を噛みしめていただろうウマ娘ちゃん達がレースに挑むために気持ちを切り替え取り巻く雰囲気も変えてそこにいる。

 

勝負服を着たウマ娘ちゃんというものはそれだけでも尊いものだけれど、やはりこうしてレースに入った状態が最も映えると、こうして間近で見ることでより強くも思えた。そんな数々のウマ娘ちゃん達を見ながら、その中で思うものもある。

 

今日が初めてのG1にはならない、もう既にG1を制して、きっとこの場に居れば注目され人気だっただろうエイシンプレストンちゃんが今日を迎える前に骨折してしまい、ここに立つことが出来なかったから。

まだ直接話をする機会は作れずに怪我の具合とか状況を知ることは出来ていないけれど、ここに今居ないという事を今ここに居る事でまた寂しく感じていた。

 

 

そうして色んな感情が起こりながらもあたしの準備が整ったところでレースの準備も整って、ファンファーレ、そしてゲート入り。

開いたゲートからの飛び出しもタイミング良く。

まずはやや内側に沿って中団を行く。勝負服を纏ったウマ娘ちゃん達に囲まれるベストポジション。これがG1、これこそがあたしの望んだウマ娘ちゃんを最高の特等席で見るという図。

 

他のレースとは違う数々の勝負服がその動きによって舞う、ライブ上での歌い踊るステージとも違う、もう一つのウマ娘ちゃん達が舞い踊るステージがここにあるように思う。

前を見て又は周りを窺うその真剣な瞳、猛スピードの中で流れ落ちる汗の一粒までも輝いている。

走る事とそれらを傍で見たことでのトキメキと、その二つによって起こる鼓動の高まりと共に脚の回転も上がっていく。

そして直線。ここだ!と、トレーナーにも指示されていたようにスパートを掛けた

 

 

 

 

 

……のだけれども、思った以上に誰も抜かせない、逆に抜かされる。どんなに緑の芝を力強く蹴っても前に行けない。「え?」と思っている内に外側をあたしとは違って駆け抜けていくウマ娘ちゃんの姿が目に入った。そのまま何人かと共にゴール板を通る。

 

結果は、先程この目に印象に残る脚を魅せていったイーグルカフェちゃんが差しきって勝ち、あたしは7着。

それに対して悔しいとか残念とかいう気持ちの前に、スパートを掛けてもどうにもならなかったところばかりを思い出しどうも収まりが悪く、「あれ~?」という疑問が残ったままだった。

考えてばかりでも仕方ないかとレース終わりのウマ娘ちゃん、もちろん勝者のイーグルカフェちゃんの嬉しそうな顔を目に収めつつあたしは引き上げる。

 

引き上げてきて身体はすっかり落ち着いた中でチームメイトの数々の励ましのお言葉に、それは嬉しく思うのはもちろんあったのだけれど、やっぱりどこかレース中の事を思い出してしまって言葉に対しての良い返答も出せずに、うんうんと軽い相槌を打つくらいしかできずにいた。

 

「どこか気になる事でもあった?」

 

そのトレーナーの声に俯き気味だった顔を上げる。

その見た目の様子はごく普通に聞いてきているというものに伝わったけれど、トレーナーのことだから身体の具合の事でも気にしているんじゃないかとも思って、それは否定しなきゃと思って「身体は大丈夫なんだけど、何だか…スパートしても全然で……それで……」とだけは言ったけれど、その事もどう上手く説明していいか分からずに自分でも困ってしまっていた。

 

「デジタル。分かった、分かったからいいよ」

 

そうしてトレーナーはあたしの頭に手を置く。

これはできるなら勝ってから得たいものだったのになぁとも思いつつ、そうされている内にどうもまとまらなかった気分は少し落ち着くものがあって。

 

「とりあえず着替えて話は後にしよう」

 

と、促されてあたしは屋内へと戻る。

 

着替えて一段落する頃にはもっと落ち着いて、ライブはライブとして満喫して帰路に付いたのだけれど、電車に揺られて外の暗い景色を見ているとまたちょっとレースの事を考えてもしまってもいた。その時にはシックちゃんが「私も初めてのG1の時は全然だったからね」と、あたしがどうしてもぽつりぽつりとも漏らしたくもなってもしまう、レースでのモヤモヤをずっと聞いてくれていた。

 

帰ってからの面談でも、掲示板にも乗れない負け方で反省会になるかと思ったけれど、反省というより自分でも要領を得ないなと思うレースに関してのあたしの感想を、同じような事や繰り返しになるような事でもトレーナーが時々少し言葉を返すくらいで最後まで聞いているという、そんな時間となって、そうして全部吐き出してスッキリして寮に戻る頃にはその日はもう考える事もなく眠りにもつけた。

それがあたしの初めてのG1レースという日の出来事だった。

 

 

 

といってもその日が終わっても全てが終わりというわけではなくて。

後日あたしはアドバイザーの部屋へとこんにちは。アドバイザーの部屋はきっちりと片付けられて、テーブルの上に乗せられるものもあたしの資料のみ。

あたしのための、対あたしモード。

両手の指を組みテーブルの上にのせアドバイザーが静かに言う。

 

「デジタル、あの日、お前の周りで走っていたウマ娘はどうだった」

 

その言葉にあたしもアドバイザーと同じような格好でまずは伏し目がちに考えて、そして顔を上げる。

 

「やはりウマ娘ちゃんの勝負服というものはそのものだけでも素敵だけれど、走る動きが付くことでさらに華やぐような、そして、それを着て汗を流すウマ娘ちゃんこそ至高……ということだけじゃなくてね、あたしと違って速いってだけじゃなくて、こう地面を蹴っても軽やかというか、その脚の一掻きでの伸び方だって全然違うんだと思った……」

 

「ご名答。単純なスピードも、軽快さも、ストライドの伸び、G1という場で戦うにはお前には全部足りない」

 

アドバイザーはあたしの問題点を一区切り一区切り、組んだ指を離して机をトンと叩き強調しつつ伝えてきた。

 

「ズバズバ厳しく言うね、アドバイザー」

 

自覚もある所を突かれるのは痛い面もありながら、自覚していた分だけ覚悟もあって厳しいなとは思っていてもそれほどのダメージはない。

 

「一つの目標地点だったんだ、厳しくもいくさ。今お前も自覚していて言ったことだろう。よく自分で分析できた、そこは褒める」

 

「そこに関してはここに来る前にトレーナーと予習していたようなものだしね」

 

「なんだ、もう答えを教えてくれていたのか」

 

そこで「お?」ともいう風にアドバイザーがあたしを見る。

 

「そうじゃないもんね。レース後に話して……というかあたしがほとんど一方的に言うだけだったけれど、そうやってレース中の事を思い返している内に自分でも冷静になったというか何か気づいた。あたしもそこで「そうか!」と自分でも納得いくものあって。

 トレーナーだってそんな簡単に自分から答えを出して終わりとかしないよ。多分それじゃあたしが理解にまで至らないとも考えたのかもね。確かにそれだけだと分かったふりにもなっちゃったかもしれないし」

 

「そいつは失礼。まあ、課題は沢山見つかったがそれも収穫だ。元々目標地点ではあったが通過地点だとも思っていたしな。チームを変える気もまったくない。明日からはその課題を乗り越えていくことをテーマにまたやっていく。そういうことだ」

 

「分かった。で、そういう辺りの話はトレーナーとは済んでるの?」

 

「お前に話すより前にやってるさ。レース日のミーティング結果から何から報告も受けて、そこからな」

 

「ん?それじゃトレーナーとあたしの会話を知ってるってことだし、欠点の答えを教えてくれたんじゃないってことも知ってるんじゃ?」

 

「もちろん」

 

「じゃあ、さっきのはどうして~」

 

なんであんな事を言ったの、やりとりの手間が増えているだけじゃーん、分かんないと表情にも出して聞く。

 

「そこも含めて俺もデジタルの口から聞きたかった、というわけだ。レースに関してはマイナス点が多かったが、レース後の理解力には合格点、大変よくできました、というやつだな」

 

と、アドバイザーが手を伸ばして頭をよしよしとしてくる。

 

「何だか意地悪だなぁ」

 

そう口も尖らせて言ってもみるけれど、「これも試練だ、試練」とアドバイザーは何も堪えていないように言うものだから、これは何を言っても敵わないねとなって「将来に役立つっていうなら仕方ないけどー」と返しながら、今日に関してはOKを貰って良かったと、また明日から切り替えてやっていけるねと、こうして本当にあたしの初G1経験は幕を閉じたのだった。

 

 



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ミナライユウシャとソノゲンジツ 訪れた別れ

あたしの初G1舞台が終わって5月も下旬となったある日。

トレーニング終わりの寮の部屋の中、鞄の中にずっと入れていたお守り、1月の初詣の時にお揃いで買っていた物を取り出して机の中に仕舞う。

今はこれを見ることから離れたくもなって。どうしてもあの日を思い出し、そこから気分も沈んでしまうから。

 

その時に願ったG1ウマ娘になる最初のチャンスでそれは叶わず。

そして、そこに並べたら良いと思った、追いかけようと思った背中の一つは今このチームには無い。

 

あたしのレースの翌週に行われた京王杯スプリングC。

そのレースで9着だったグラスちゃんはチームを離れ移籍してしまったのだ。エルコンドルパサーちゃんと同じチームに。「トレーナーさんとアドバイザーさんと話し合って、そう決めまして……」との言葉だけを残して。

 

 

それは表に出る所では”以前から考えられていた海外を見据えた移籍”ということになっている。

 

 

しかし、そう見る人は少ない。

表に出ている理由は表向き……と見る人が多いのだ。

グラスちゃんもトレーナーもグラスちゃんのアドバイザーも表には語らない。誰に何を聞かれようと答えはどこにも載ることはない。

 

けれど、大勢はそのタイミング、グラスちゃんが2戦続けて何もすることのできなかったような敗戦の後での移籍に理由を見つけようとする。過去も続けての敗戦はあったけれど、その時とは違う流れの意味を何としてでも探そうとする。そうでなければこうはならないはずだ、と。

 

アドバイザーの人がトレーナーを見限ったとか、大喧嘩別れとか、噂だけが飛び回る。

今もあまり思い出したくもないような、グラスちゃんとトレーナーとの間で決定的に拗れた何かがとか、そんなわけないでしょと言いたくなるような憶測も。

 

そんなグラスちゃんのここに来ての移籍、それはトレセン学園の外の世界において注目を集める話とはならず、その内側、トレセン学園の中、ウマ娘ちゃん達にとっても熱い話題の一つとなって、あたしも知っている娘ちゃんから知らない娘ちゃんにも、元同じチームというだけで「どういうことなのか」、「何か知っているのか」と、探るように聞かれる事が続いた。

 

それには「知らない」と答えるしかなかった。知っていたとしてもそう答えるような話だろうけど。本音を言えばあたしだって知られるものなら知りたい、他に言い触らしはしないけれど、近くにいた者として知っていたいと思う事だった。目にするような仮定の話は否定はするけれど、そんな事はないと思いたいけれど、何も分からないのは心が落ち着かないから。

 

でも、チームを離れた後は、グラスちゃんと顔は会わせる機会はなく。トレーナーには機を見て「どうして……」と聞いてもみたけれど無理だった。これはトレーナーとグラスちゃんとそのアドバイザーの話で他の誰にも言えない、あたしとトレーナーとアドバイザーの話だってそういう事だから、と。

 

あたしは前チームから今のチームに移った事に対して何か言われても良いし、今後も移籍する時に外に向けてはっきり説明しても良いよともなる一方で、トレーナーが積極的にそれを誰かに言うものではないのは分かりはするものの、心の収まりのつかなさの解決はしなかった。

 

でも、その先の「エルと同じならグラスも過ごしやすいだろうしね、僕から言えるのはこれだけ」との言葉に、それ以上は何も言えなかった。

あたしよりもグラスちゃんとチームで長く付き合っているシックちゃんやエクセルちゃんも、移籍の話を聞かされても「そういうことか」と受け入れるだけで、何か知っているようでもなく、あたしが何か聞けるような様子もまた見せてくれなかった。

 

 

それから訪れたアドバイザーとの面会デー。

来月半ばに予定されたレースの事を話して、また雑談タイム。

けれど、話はあまり進まなくて、用意されたお菓子も封は切っても食べないまま置いて、アドバイザーが何か言っては来るけれど、それにも生返事にもなってしまうものだった。

 

「……お前のことだから、グラスワンダーの事を気にしてるんだな」

 

「だってさ~」

 

アドバイザーの事だから指摘される気もしていたけれど、やっぱり言われる。

「だっても何もないぞ。ウマ娘、トレーナー、アドバイザー、それぞれが合わせて答えを出したんだ。外野がそこに言えるもの聞けるものなど何もない」

 

「アドバイザーでもそういう事になっちゃう話なんだ……」

 

こうして長くも付き合う中で、あたしはアドバイザーの事を今では色々知る事となった。

とにかくこの人は色々言う人なのだと言うことを。

あたしやスペシャルウィークちゃんのようなアドバイザーとして就いているウマ娘相手だけではない、他のチームの娘やトレーナーの事、トレセン学園を取り巻く様々なこと、それに関して外向けにお構いなく言う。

 

今年になってからの話なら去年の年度代表ウマ娘に関する事とか。

国内で王道を行き成績を残したスペシャルウィークちゃんではなく海外で過ごしたエルコンドルパサーちゃんが選ばれる事に納得いかないと、あたしが知るだけでも複数その件についてのアドバイザーの話を見掛けたものだった。

それに対するウマ娘ファン、レースファンの反応の様々も。新聞や雑誌や情報を集めたい人達は、アドバイザーに聞けば効率良く紙面を埋める事が出来るのだろうと好んで聞いてくるようでもあった。そうしてこれはこれで世界が上手く回っているのだろうというのも、どこか分かる気がした。

 

「デジタル。勘違いされていると困るが、俺とて何もかもに触れるわけじゃない。それに、俺が何か言うのもそれに対する責任と覚悟がある。何か言う事で何かが返される、それも分かった末に言っているんだ。自分に芯を持って言えることでなければ言わない、それは言うものではない。ウマ娘の移籍話については、根本的に言わない、言わせないともなる話だがな。何も俺に限らずだ」

 

あたしはその言葉を黙って聞く。時々頷きはしながら。

頷く毎にあたしの心にもしっかりと留まる。覚えておこうと意識もしてそうする。そして全てを聞き終えてから、これも聞いておこうと思った事を言う。

 

「……アドバイザーは何度もそういう経験をしてきた?」

 

「ああ」

 

「あたしの場合も、あり得る?」

 

「あり得はする。お前に合わない、いや、ウマ娘だけとは言えない。ウマ娘、トレーナー、アドバイザーと、その三者の誰のためにもならないと判断したら俺はその様に動く」

 

それを言った時のアドバイザーの眼、あたしがこれまで見た中でも強い意志を宿していた。誰も揺るがすことのできないアドバイザーとしての拘りを見たような。それは頼もしくも見える反面、アドバイザーがそうすると言ったならば最後、あたしは移籍する事にもなるのかと思えもした。

 

「しかし、それも思いつきでやるものじゃないからな。そこに至る理由、時間、それがそれぞれにあってからのものだ」

 

「あたしにも納得いくものがあるまでは、そうはならない、ということ」

 

「……出来る限りはな」

 

「分かった」

 

あたしはそこで話を切ることにした。

分かったのはアドバイザーの考えだけじゃなくて、その気遣いも伝わった。

出来る限りというのは、もちろんそうはならない場合もあるということだろうけど、そこから目を逸らさせないように嘘はつかない、曖昧にはしない。

それは避けられず存在するものだという事を言ってくれるのはアドバイザーの優しさ。ウマ娘としてだけではない、その先の夢も考えるならば覚えておかなければならない事で、それをこの場限りの事だというように誤魔化しもしないのは、あたしにとってもその方が良いと思った。

 

と、どうにも面白くはならない話が続いて、アドバイザーもそう思ったのか「今日はこのくらいに」と、この部屋での時間もまたそこで終了した。

いつもより早く切り上げられて暇を持て余したあたしは、いつもより重い足取りで学園へと帰るのだった。

 

 



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時には昔の話を

アドバイザーの部屋から学園に着く。

けれども寮にそのまま帰る気も起こらず、といって他にトレーニング中のウマ娘ちゃん観察に行く気にもならずに歩いている内に、気がつけばチーム部屋に辿り着いてしまっていた。

休みの日だけれど誰か居るかなとドアノブに手を掛ければ開いていて、そのまま中へと入る。けれども中には誰もいない様子で。おかしいなと思いながらも、とりあえずはここに居ようかと、特に何をしたいとは思いつかないけれど何かをしたいと部屋の中の書類棚の前に向かう。

 

そこにはレースの、ウマ娘ちゃんの資料が詰まっていて以前に見せてもらったこともある。

そして、その一部に他のファイル類とは違う少し古い物も置かれている一角があって、それはトレーナーが過去関わってきたウマ娘ちゃんに関わるもの。重賞制覇記事だとかの思い出の品。

 

元々は奥にあるトレーナー専用の部屋に置いてあったようだけれど、他には見せられない、手元に置いておかなければならないレース資料が増えに増え、それに追いやられて一時避難として今はこのあたし達にも見える所に置かれている。

それも最近のウマ娘ちゃん資料と同様に見たいなら見てもいいよとトレーナーには言われたけれど、今いるウマ娘ちゃんを知ることに忙しいあたしは手を出さなかった。ただ今日はどうもこれまでやった事もないことをしてみたい気分があって棚を開いて自然と手が伸びていた。

 

さすがにトレーナーは年数長くやっているだけあって初期のものは随分と古いものにもなる。

そんな前の事にもなると記事一つ取っても書かれ方が今とは違ったり流行り廃りがあるんだとか新鮮な気分にもなって読み進める。

それらに収まる数々のウマ娘ちゃんの出来事、それはそのままトレーナーの軌跡、読んでいると本当これまで知らなかった事があるものだね、とも発見もしながら。

 

その中で特に印象に残ったのは、トレーナーがG1ウマ娘には縁が出来るまで長かったという事。

もちろんチームからG1ウマ娘を一人出すだけでも大変なことだってのは分かってはいるけれど、その辺がちょっと意外でもあった。

今トレセン学園にいるトレーナーの中でも年長者になるはずだけど、資料を見ているとG1制覇の話はこの約10年ほどに収まっている事に気づいて。もっと言えばこの3年ほどに詰まっていた。

 

エリモシックちゃん、エリモエクセルちゃん、エルコンドルパサーちゃん、そして……グラスワンダーちゃん。

その中でエルコンドルパサーちゃんはこのチームでデビューしG1ウマ娘になった後で移籍して、シックちゃんとエクセルちゃんは他チームから加入した後でG1ウマ娘に。

初めからこのチームに居てG1ウマ娘になり、ずっとチームにいたのはグラスワンダーちゃんだけ……だった。いくつもG1を勝っているのだって……

 

そうしてまたグラスちゃんがどれだけこのチームの代表だったか中心だったか、グラスちゃんが去ってからのトレーニング中にもどことなく流れるチーム内の寂しさを確認して、それはきっとトレーナーにとっても……とも思ってしまう。

トレーナーは何も触れないけれど話さないけれど心の中ではどう思っているのだろうとも思うし、トレーナーになるという事はこういう経験もまたあるものだとして、あたしが同じ立場だったらどうだろうと考える。

 

切り替える事については慣れてもいるし端からの定評もあるけれど、こういう事にはどうだろうか……となったところで、そこで見ていたファイルもパタンと閉じた。

気分転換をしようと思ったものでまた考えこんでしまって、これじゃいけないとなりながらファイルを元の場所に戻すと戸を閉める。

 

 

 

さて、今度はどうしようかと身体の向きを棚から変えたところで、部屋のドアが開いた。

 

「あー、もう、やってられなーい!」

 

そんな叫びと共に部屋内に来たかと思ったら脚を開き両手を高く挙げ身体がXの文字を描くポーズをしたのはエクセルちゃんで、あまりに突然の登場と声にあたしも全然構えてなくて、

 

「えっと…エクセルちゃん……何?」

 

と、若干の引きを込めて反応してしまっていた。

あたしの声で素早くエクセルちゃんはこちらを向いたかと思ったら、

 

「な、なんでデジタルがいるの!?」

 

と、挙げた手はバッと降ろして今度は肘を抱えるように縮こまった格好で言う。

 

「アドバイザーとの話が早く終わって他にやることもなかったからなんとなくここに来て……」

 

「あー、そう、そうなんだ……。それでだけど、デジタル……」

 

「うん、今のは見なかったことにするから」

 

「伝わったようでありがとう」

 

そうしてエクセルちゃんが一息ついたところで、

 

「で、何がやってられないの?」

 

とは聞いてみる。

 

「見なかった事にするだけで、そこは逃してくれないわけ」

 

「だって気になるし~」

 

「まー、あれだよ、グラスの事。何か知ってる?とか、本当色んな方向から聞いてくる娘がいてね」

 

エクセルちゃんはそう言いながら参ったというように自分の髪の毛をガシガシと掻いた。

 

「あ~」

 

「その反応だとデジタルも経験有りか」

 

「うん。言われても「知らないよ」としか言えないけどね」

 

「当然そうなるよね。シック姉もやっぱりそういう事あるって言うし、最近入ったルーキーの娘達なんて本当に困っちゃってて相談も受けたものだから、「そういうの止めてくんない?」って、その娘ら周りの面々にはストレートに言っちゃったよ。デジタルも対処できないきつい事があったら言いなよ。デジタルが言ったら角が立つことでも私が言う分には大丈夫な事もあるから」

 

「うん、覚えておくよ」

 

「勘弁してほしいよ。私の周りも怪しい出所の情報を信じたかのように聞いてくる場合もあるしさあ。ウマ娘たる者、そんなゴシップに惑わされてたら駄目なんじゃないの?って思うんだけどね……。

 移籍話なんてどこでもある中で、グラスの事が話題を呼ぶものなのも分かるけれど、あの娘がこのトレセン学園内でそういう存在なんだってことは理解してるけれど、同じチームだからって知らないし、何か言えるようなものないよとしかならないのにさ。私も移籍経験者で、そういう時にあれこれ言って欲しくないものとは経験もしてるわけだし、私に聞いてきてどうすんのよって……」

 

と、エクセルちゃんは面白くはなさそうに床を足で軽く蹴る。

 

「ああ、あたしもこのチームに移籍してきたけれど、エクセルちゃんもそうなんだよね」

 

「うん」

 

「さっき知ったけど」

 

「……なんでそこが知りたてほやほや情報なの。もっとチームメイトに興味持って?」

 

そこで俯き気味にしていたエクセルちゃんが今度は呆れ気味にあたしを見る。

 

「そういう話になった事なかったしさー。ほら、エクセルちゃん、ばっちりこのチームにはまってる感じでそんな気がしなくて。もちろんエクセルちゃんがオークス獲ったG1ウマ娘なのはチームに来る前から知っていたけれど、どこのチーム所属で~とかその辺までは興味を持ってなかったというか。だから、さっきそこにあった資料を読んで新聞記事とか見て知った」

 

「……なるほどね」

 

棚の一角を指差しながら言ったあたしに、エクセルちゃんは棚を見て少し間を置くも意味が分かったような様子を見せる。

 

「デジタルがそんな昔の話に興味持つなんて珍しい」

 

「偶にはいつもやらない事をやってみたくもなって。でも、やっぱり今学園にいるウマ娘ちゃんを知る方が興味深いし、それに……まあ、何だかそこで見るのは止めちゃった」

 

どうしてもグラスちゃんの記事が多くて……とは過ぎっていたんだけど、そこは声には出さなかった。

 

「あのさ、デジタル」

 

そこでエクセルちゃんがあたしの側まで近づいてくる。

 

「今学園にいるウマ娘を知る事と昔話を合わせてさ、私のそんな話でも聞いてみない?」

 

「どういうこと?」

 

「つまり私の移籍してくるまでの話とか。せっかく私の情報を知ったなら、どうせならもっと知って欲しくもなって。暇もしてるしね。デジタルが付き合ってくれるといいんだけど」

 

「いいよ。あたしも気分を変えたいし、聞きたい」

 

「よし、それじゃ、座って話をしよう」

 

そうして二人で部屋内のソファに並んで座って、エクセルちゃんは話を始めた……

 

 



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樫の女王の歩んだ道

ダートのデビュー戦はそれで勝って、次がダートで3着。その後は重賞G2、格上挑戦で初めての芝で6着だったけど手応えはまあまあ良かった感じ。それで身体も絞ってOP戦に出てみたらここで勝てて、オークスの条件になら間に合ったんだ。それまでチームをいくつか経験しながらどうにかね。

 

ただ勝ったというだけじゃなくて、その時の走りが自信を持てるようなものでね。気持ちはオークス、オークスだった。

でも、当時のチームのトレーナーさんがオークス出場には乗り気ではなくて。進むなら別の方向が良いと奨められた。確かにOP戦を勝っただけだしオークスには他に注目の娘が出ること分かっていた。同じチームにも出る娘がいたしね。そこで私の場合はG1を狙うなら今はまだ力を付けてその後で……という考えはよく理解できた。

 

それも私の事を考えてくれている結論だとは分かりつつも私はそれでもオークスに出たかった。出場して自分の力を試してみたかった。それで話は平行線。

 

そんな事をしている内にも日々は過ぎて行くし、それならと私は思い立ってチーム移籍を決意した。OP戦で勝てたのもそのトレーナーさんの指導あってこそだろうし、他に何か不満があるわけでもなかった。けれども私は私の望むレースに出たいと、学園に相談もして人を介してもらって他のチームを探してもらうことにしたんだ。

 

時間の猶予が多くあるわけでもないし、そこに多くは望まないというか、とにかく私を今G1に出させてくれるチームならどこでもいいよというだけだったね。

 

そうしている内に間に入ってくれた人から連絡があって、私を受け入れる意志を見せてくれたチームのトレーナーと会うことになったんだ。私とそのトレーナーとだけで、そこで移籍をするかしないか決める話をしようと。

当初は仲介の人も一緒に会うつもりのようだったけれど他の仕事も忙しいようでね、どこのチームだとも教えられずに会う時間と場所だけを伝えられた当日の昼だった。

急な事だとは思ったけれど、受け入れ可能性の場が見つかっただけいいかと、指定された学園内の会議室、空いているのがそこしかなかったのか、随分と広い会議室に授業後に私は行ったんだ。

 

 

 

そうしたら、これが来ないんだ、誰も。

待っても待っても来やしない。

そのままどのくらい待ったかな。気がつけば部屋に入った頃は窓から青く見えていた空が綺麗なオレンジ色になっていた。

 

仲介の人の連絡先は知っていたから電話をしようと思ったけれど、他に忙しいと聞いていただけあって、どこかと繋がりっぱなしなようで駄目で。学園内の他の人に相談でもしようかと思ったけれど席を外してすれ違いも嫌だったし、どうしようかと思ったままいると今度は空が暗くもなってきて。そこまでいくと私の心境もそのまま暗くなってきてさ。

 

何してるんだろう自分って気になったよ。

レース一つ勝って、どうせなら大きなところに出てみたいって思っただけなのに、だだっ広い会議室で一人取り残されて。お門違いの大きな夢だったのか、そんな夢を見たら駄目だったのか、私の存在なんて本当は気にも止められておらずに、そんなもんか……とね。

 

私が勝ったOP戦のレース名って「忘れな草賞」というんだけどさ。

忘れな草って花言葉が「私を忘れないで」というんだけど、それを勝った私が完全に忘れられてるってシャレにもならないわと、そんなろくでもない事が浮かんだ時には、ぽつんと部屋にいるのが虚しくもなって。「ああ、もういいや……」と「帰るわ……」と、重くなった身体に力を入れて立とうとしたところでドアが開いた。

 

そこに居たのは、何か凄くぜえぜえいってる、明らかに急いでここに来たよね、という様子の男の人。「エリモエクセル……だよね」と、息を整えようとしながらも言うその人に、私は「あ、はい、そうです」と勢いに押されたまま答えるしかなかった。本当は待ち人が来たらすぐ文句の一つも言おうとしていたのにね。

 

そうしたら、その人、まあ、今のトレーナーなんだけど、ホッとしたように息をついて、その後は滅茶苦茶謝ってきた。落ち着いてもらいながら聞いたそこからの話は、どうもトレーナーの方に場所が間違って伝わっていたようで、トレーナーもトレーナーで待っていたのに誰も来ないし、おかしいなって仲介の人に連絡を取ろうとしたけどできなくて、それでも何とか繋がって、そこで伝達違いがようやく分かって、その足でダッシュでこの会議室まで来たっていうのが経緯だったみたい。

 

それを聞いて「なんだそんなことか」と思うと同時に待たされた時間を思うと「そこはしっかりして欲しいわ」ともなったけれど、とりあえず目の前で必死に謝ってくる人には何も言う気にもならなかったし、そのまま本題に入ってもらうことにした。その流れならこの人が悪いわけじゃないしって。

 

正直私もトレーナー業の人はあまり知らないというか、トレーナーのことも「見たことあるかも」程度の印象だったんだけど、自己紹介の時にチーム名を聞いて驚いたよ。

だってさ、ジュニアチャンプのグラスワンダーとメキメキ力を上げて注目集めてるエルコンドルパサーのチームだよ?同い年だし、特によく話も耳に届くものだったしね。そんなチームを紹介されるとは思わなくて驚いた……んだけど、その後にすぐ冷静にもなった。

 

その二人と同じってことはシック姉とも同じなわけよ。

だから仲介の人が、私の顔馴染みがいるチームを、その方がやりやすいだろうと、気を使って探してくれたのかなって思った。そこでその事を自分からも口に出したんだ。「チームにエリモシックさんが居るから、その繋がりで声を掛けられたんですか?」って。

 

そうしたら、すぐに「いや……」と否定されて、その次には「でも、君の事はシックから聞いたことはあるよ。僕から聞いたんだけどね」と出て、それも想像していない言葉で、何でだろうと思っていたところで言われたのが「忘れな草賞の後でね」という言葉だった。

 

その後は何も分かっていない私を置いてのトレーナーの独壇場だったね。トレーナーは私が走った忘れな草賞を偶々モニター越しに見ていて印象に残っていたんだって。

それで、その時までは私の事を知っていたわけでもなくて、そのレースの後の話でも名前を見て同じエリモがあるからとシック姉に「知り合い?」と尋ねたくらいで、それもちょっとした会話で終わったらしいんだけど、今回、私が移籍先を探していて声が掛かった事で、こんな縁あるのかと嬉しかったんだってさ。私から見ても疑い様のないくらい嬉しそうに話していた。

忘れな草賞の時の私の走りを触れた時なんて、いや私だって手応え抜群だったけれど、そこまで自信を持って言えるほどじゃないよ……っていうか、こっちが照れるくらい熱く語ってた。

 

それで、私がオークスに出たいならもちろん出場させると言ってくれて、勝つために力になりたいと言ってくれて、もうこちらからは「移籍します、決めました」というしかなかったよね。待った時間も全部吹っ飛ぶくらいの出来事だった。

 

移籍先が見つかったってだけじゃなくて、こんな風に自分を見てくれていた人だっていたんだって分かって、ほんの少し前までは今日は笑える時ないわ……とまで思っていたのに自然と笑顔にもなってしまっていたね。

 

その後は仲介の人にもこの件について謝られて、トレーニングを重ねつつオークスの日を迎えた。

まあ、やっぱり人気としてはその前に大きなところ勝ってる娘、桜花賞を獲った娘とかの方が当然高いし、私は真ん中辺り。でも体調は良かったし自分でも前走から力が伸びてるなって気もしたし、自分にやれるだけの事をその日はできると思っていた。

それでレースが始まって、トレーナーからの作戦もしっかり実行しながら四角、自分でも良いダッシュがついたと思ったね。「行けるわ」と一直線にゴールに向かって、後ろから来ていた1番人気の娘の勢いも相当だったけれど、追いつかれる前にゴール板を通ること出来た。

 

今思い返しても、なんだろうね、その後の気持ちは。上手く説明できないけれど。

私は勝ったんだ!というより勝ちとはこういうものなのか……と、レース中は勝てるという気で運んでいたのに、いざ私が1着と確定してターフの上に立つと、今なんで自分がそこにいるのか分からない気にもなった。

このためにそれまで頑張ってやってきたはずなのにね。

でも、その時に思い描いていた図よりずっと良い、他のレースとは違うものがそこに存在したんだ。

 

その後のライブも、それは追い求めイメージだって出来ていた世界のはずだったのに、実際に自分がその場に入ると全てがいつも居る世界とは分け隔てた別の世界かのように思える、夢のような時間だった。

自分の親だけじゃなくて、シック姉の所まで「あのエクセルちゃんがG1に出るなら!」とか言って観に来てくれてたし、他にも昔からかわいがってくれたご近所さんとか何か大所帯で、それもくすぐったいやら嬉しいやらだったな。

 

移籍してG1レースに出るだけじゃなくて、勝利してそんな経験も出来て……。

とにかく移籍をしようと心に決めた頃は、次のチームではレースに出る条件がクリアできればいい、腰掛けのチームにもなるかもしれないと思ってもいたけれど、その時には完全に心変わりしていた。

 

そうして私は今もここにいる、というわけだ。

あれからはG1には出ても勝利には届いていないけど、チームを変わろうとも思わずね。

 

 



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だから前を向いて

そう話しきってエクセルちゃんは長い息を一度つく。

そこからは噛みしめるようにゆっくりと話し始めた。

 

「そうして、そのつもりもなかったきっかけで、想像してもいなかった道が出来ることもある。だから私は移籍のあれこれについて、自分がそうだったからって「した方がいいよ」とは言えないけれど、少なくともそういう事もあるとだけは経験として分かってる。

 グラスのことだって、そりゃ気になるものはあるよ、経緯を思えば。寂しいものあるよ、二年は一緒にやったし。でも、事情は知らなくてもいいと思うし、とにかくあの娘の行く道に良いことある、ありますようにと、願うだけなんだよ、私としては」

 

それを聞いて思う。

エクセルちゃんはグラスちゃんが移籍することになっても、最後の日の挨拶にしても「それじゃ元気でね」と軽くやりとりする様子で、そういうさっぱりした所がエクセルちゃんの持ち味だとは思っていただけだったけど、本当はそういう事じゃなくて。

エクセルちゃんだってあたしと同じで、けれども、これまで一緒にやった仲だったからこそ、知る必要はなく、ただ良い未来を願って送り出せばいいとしていて、それをあたしに伝えるエクセルちゃんは言葉も表情も凄く大人に見えて、あたしに足りないのはそういう事かと痛感もしていた。

 

「あー、話したらこっちは相当スッキリしたけど、悪いね、長く付き合わせて」

 

エクセルちゃんからは視線を外して少々考え込んでいたあたしは、その声で隣を向く。

エクセルちゃんと目が合って。それはいつも通りのエクセルちゃんで。

 

「いいよ。あたしもとっても楽しかったし」

 

「気を使ってくれなくてもいいんだよー?デジタルの楽しい話って、ウマ娘とウマ娘がどうとかこうとかのものでしょ。そんな話の一つも出るんじゃないかと期待していたんじゃないの」

 

「期待してなかったといったら嘘になるけど、エクセルちゃん自身の事が聞けるだけで本当に楽しかったよ。移籍する時の出来事とかそんな事あるんだな~ってなったし」

 

「いやーほんとあれは激動の半日だったね。今となっては笑って話せるけど。特に今でも手に取るように思い出せるあのトレーナーの慌てっぷりは必見」

 

また思い出したように口元を緩ませるエクセルちゃん、その表情だけでも余程愉快だったのだろうと伝わる。

 

「そんなに面白いならもうちょっと詳しく教えて欲しいかなあ」

 

「いやいや、これ以上はトレーナーの名誉のためにも私の思い出の中だけに置いておかないと。デジタルもここだけの話にしておいてね」

 

「分かってる、分かってる」

 

「まあ、その話は深くできないけど、このチームに来てからでもさー、トレーナー、意外とあれというか結構あれというか……」

 

と、またエクセルちゃんは思い出話を始める。

体勢を真っ直ぐに戻して今度はG1ウマ娘になって以降のチームでの出来事を。

 

 

あたしはその横顔をジッと見る。

あたしはウマ娘ちゃんの姿を見るのが好きだ。

他の大勢も魅了する、華やかに歌い踊るライブや持てる全力で競い合うレースだけじゃなくて、その全てが。

 

その姿を間近で見たくて、こうしてトレセン学園にも来た。

まずはレースをするウマ娘として、そして将来はトレーナーとして見続けるようになりたいと夢も持った。その考えは何も間違っていなかったと、ここまで歩んで来た今、きっぱりとも言える。

 

だって、外からでは絶対分からないウマ娘ちゃんの姿がそこにあった。

まず知ったのはレースに辿り着くまでに力を注ぐ努力の時間のウマ娘ちゃん。

そこには辛さも見えるけれど、そういった顔があるからレースでの結果が存在して、そして、その自らを鍛え抜くウマ娘ちゃんも麗しい。

 

そうしてライバルとレースで競い合うけど、日頃は学生として友人として過ごすウマ娘ちゃん達の姿も実際に近くで見ることで、何という青春、何と心ときめくものなのかと。それを木陰から眺めたり、挟まりたいな~と思ったり、時には実際に挟まりに行ったりもする。

そして、それらは学園に入って直ぐにでも分かったことだった。

 

でも、その中で最近になって分かってきた事がある。

 

前のチームに居た頃からなんとなくは思うものはあった。

最初にそれを思ったのは前のチームに居た時の、キングヘイローちゃんが来た頃だろうか。

キングちゃんが話をしているのを聞きながら、ほんの少しだけ気になった部分。

他には2月にスペシャルウィークちゃんやエルコンドルパサーちゃんと話した時も。

そして、今こうしてエクセルちゃんの話を聞きながら思い返して掴めたものがある。

 

何もこの世代のウマ娘ちゃん達に限った事じゃなくて、他にもこれまで出逢って話したウマ娘ちゃん達から得られたもの。その話の内容も話者の性格もそれぞれ違うのだけれど、そのどれもにどこか共通する表情が混ざるように思う。

 

それは話がそれぞれのトレーナーに及んだ時。

皆そこまでと違う、そして皆が同じような表情を見せる。

 

レースで結果を出しての嬉しい話だったり、チームで過ごした時の楽しい話だったり、或いは結果が出ない時の悔しい話だったり、又はあの人ってさ……とのちょっとした愚痴話だったり、何もかもが違うはずなのに一緒のもの。

 

どうしてそうなんだろうとは掴めていない。

ウマ娘ちゃんの事は分かる自信が存分にあるあたしでも何と言ったらいいんだろうかと思うくらいの事だから、「こういう顔するよね」とか誰かに聞いたこともない。

でも、それがどうしてかは分からなくても、そんな顔をするウマ娘ちゃんがまた貴く、記憶の中にギュッと閉じ込めたくもなるようで、ここにこうしていなければ知る事はできなかったその姿を見るのが、あたしは楽しみになってきたところだった。

 

と、見ていたところでエクセルちゃんが話を止めてこちらを向く。

 

「そんなに見つめながら聞かないでよ。恥ずかしいって」

 

「エクセルちゃんがとても楽しそうだから目を逸らすわけにはいかなかったんだよー」

 

「楽しそうか……」

 

そこでエクセルちゃんは少しまた何か思い返すような顔をする。

 

「そうだね。とても楽しい。また私ばかりそうしてしまったみたいだけど」

 

そして、確かめるようにも言った後に、あたしをまたしっかり見てそう続けた。

あたしもそれには同じように見て返す。

 

「さっきも言ったけどあたしも楽しいからいいんだよ。それに……エクセルちゃんの言う事はとてもためになった」

 

「私も喋りたいだけ喋っただけだよ。まあ、役立つと言ってくれるなら嬉しいけどね。それじゃこれを糧にして大きく育てよ~」

 

と、エクセルちゃんはあたしの頭をガシガシ撫でる。

 

「あ、せっかく良いこと言うエクセルちゃんだと思ったのに、結局、雑ぅ!」

 

「良いことを言うのと雑なのは両立するんだよねえ、これが私のスタイルだと受け入れるがいい」

 

そうして、このチームに来てもう何度も繰り返されたやりとりと、その後に忘れてはならない髪の毛の手直しをして、あたしは立ち上がる。

 

「でも、本当に明日からまた楽しく過ごせると思う。ありがとうね、エクセルちゃん」

 

「ん」

 

顔を見てお礼を言うあたしにエクセルちゃんは軽く一つ頷く。

 

そのままふと壁の時計を見れば、もう寮にも帰った方がいい頃になっていて。

 

「あたしはそろそろ戻ろうかな。そういえばエクセルちゃんはここで何をするつもりで」

 

「んー、ちょっと集中してやりたい勉強あったんだけど、寮だと入り込めなくてね。それでここを貸してもらっていたんだ。で、少し他で休んでいる間に質問攻めで捕まって戻ってきたらデジタルが居てびっくりという、そういう流れ。私はもう少しここでやっていくし、戸締まりも責任持ってやるからデジタルは帰るなら気にせず帰りなよ」

 

「そうする」

 

あたしは軽く返して部屋を出た。

エクセルちゃんがはただ話したかったわけじゃないのはもう分かっていたから。

だからこれ以上他にやる事があるのに時間を使ってもらうわけにはいかないと思ってそうすることにした。そのまま暗くなった空の下を通って寮へと戻る。

 

 

その日の夜、眠る前、机の引き出しを開いて仕舞ったお守りを見た。

まだそれを再び持ち歩いて付ける気にはならなかったけれど軽く指で触れる。

あたしもグラスちゃんの明るい未来を、それだけを願おうと誓いながら。

 

 



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色取り取りの夢の場所

6月、あたしは再びダートへと戻って名古屋でのG3重賞。

ダートの重賞を他に獲っているけれど、何走か芝を走った後だったり初めての距離だったりもあって人気としては3番人気だったけれども、結果はかなり長い年月そのままだったコースレコードを更新しての勝利。

過去最高の距離である1900をそんな形で乗り切れて確かな満足を覚えて帰京。

帰りながらアドバイザーからは「これなら次は来月のジャパンダートダービーといくか」と方針を聞く。あたしも「それではそこに向かって!」と気合いを入れながら、その前に行われるとあるレースを楽しみにしていた。

 

それは宝塚記念。

昨年グラスワンダーちゃんが制した、その名をより強く世に刻みつけたとも言えるレース。このチームに居る頃からもそこを海外に行く前の一つの目標にしていたようだけれど、移籍をしてもやはり変わらずに参戦を早くから宣言していた。

 

グラスちゃんがそこに一つ強く大きく立つというのならば。

そこに並び立つのは目下3連勝中、それもG2を二つにG1春の天皇賞と、向かうところ敵無しといったところのテイエムオペラオーちゃんだ。

去年の有マ記念でもジュニアクラスながら一味も二味も違いそうな所をあたしにも見せてくれたけれど、今年になって順調過ぎて恐ろしいほどの力を付けて、宝塚記念でも前年覇者のグラスちゃんを抑えて圧倒的人気になるのでは?と噂されている。

 

そんな二人の状況を新聞記事の一つも見て知るだけで、あたしの脳内も絶好調。

昨年のグラスちゃんとスペシャルウィークちゃんの同期二強対決も、その言葉の響きだけでもエモいとも言うべきもの、そのレース中の動きも結果も何度でも見返したくなるほどの上質なものだったけれど、今年のグランプリも始まる前からあたしを存分に燃え上がらせてくれる。

 

人気に応えてテイエムオペラオーちゃんが次世代の力を見せつけて世代交代を突きつけるか。

それともグラスちゃんが先輩として立ちはだかりグランプリ4連覇を果たすのか。

 

もちろん出場するのはこの二人だけではないので、二人を諸共打ち倒すような凄腕ウマ娘ちゃんが出てくるのもまた良し。はてさて一体どうなるかと宝塚記念の日までカウントダウンをしっかりしながら当日を迎えた。

 

その日は他にレースに出る娘もいなくてチーム全員で午前中に練習を少し行うと後はチーム部屋で宝塚記念を観戦する事になった。

あたしは練習を終えたら直ぐに部屋中の掃除やら茶に茶菓子にセッティングに余念無し。今年に入って大勢チーム入りしたルーキーウマ娘ちゃん達のレースを待ちわびる様子も見ていると準備の手も素早く動く。

 

グラスちゃんとは僅かな間の付き合いの娘ちゃんもいるけれど、その間でもグラスちゃんは自分だけの事でなくその娘らの事も気にして当然よく面倒を見ていたわけで、チームに入ってくる時点でグラスちゃんが居るチームだとウキウキワクワクのルーキーちゃん達でしたけど、そんな事も加わればそれはもうグラスちゃんに心頭、チームを移動したと言えども皆でグラスちゃんの応援をというわけですよ。

そんなキャッキャともしている、これは一つのファンクラブとも言えそうなその娘らを見ているのは微笑ましく、場の準備はこの先輩に任せなされと、手伝いを申し出る娘が居てもそこは断ってサクサクと進める。

 

それが完全に整ったところで丁度良く世は宝塚記念タイム。

あたし達はモニター前のソファに陣取って、トレーナーはその後ろの壁際に立ちながら見る形。

今のチーム全員で座るとトレーナー分の場所が無くなってしまい、それにはシックちゃんが自分が後ろに行きましょうかとも提案したのだけれど、トレーナーはこの方が自分に合うから良いよと返されてその様に。と、それぞれがベストポジションを取ったところで、まずはモニターに映し出されるパドック画面。

 

状況を伝える実況者に解説者、そして現地阪神レース場の皆様も注目はやはりグラスちゃんとテイエムオペラオーちゃん。

二人への歓声は一際違う。それは二人のこれまでの実績、そこからの期待からそうさせるのではなくて、まさに今のパドックでの様子から起こるものだ。

 

まずは1枠1番、真っ先に登場したテイエムオペラオーちゃん。

昨年の有マ記念の現地で見た姿もそれは堂々としていたものだったけど、そこに更なる磨きがかかって、パドック上で何か言葉にするわけじゃないけれど、王者はこの自分、今日もゴールを先に切るのはこのテイエムオペラオーなのだと、その無言の振る舞いだけでこちらに届かせてくるようだった。

 

一方で8枠11番、トリを飾ったグラスちゃんはやはり自信が満々とかやる気が漲るといったようではない静かな登場。

でも、その身に纏うものは有マ記念の時と同じもの。京王杯の時は、シンとした空気を伴って登場するのは同じだったのだけれど、あたしとしても何かの物足りなさ、後一押しが足りないようにも見えていたのだけれど、今日にはそれがない。グラスちゃんもこの日に合わせて大事な何かを取り戻したかのように見えた。

 

「格好良い~」と声を出すルーキーちゃんに「そうでしょ、そうでしょ」と同意しながら、後ろを振り向いてみる。そこではトレーナーがジッとモニターを見つめていた。あたしが見ている事も気付かずに。その様子は満足そうで、トレーナーもグラスちゃんの状態の良さをしっかり感じ取っていて、自分の手から離れようとも教え子の勝利を想うその姿にも良いよねをしたところで再び顔はモニターへ。

 

今年の宝塚記念は雨模様。スタンドにも開かれた傘が所々に目立つ。

やがてターフ上にやってきたウマ娘ちゃん達は雨をその身に受けつつも、それをものともしないようにレースへの準備へ進む。それぞれが発する闘志には雨粒が弾かれるだけでなく、そのまま蒸発してしまいそうにも思えてくる。

 

そんな中で一段と目立つのはやはりグラスちゃんとテイエムオペラオーちゃん。

前々からの予想通りにテイエムオペラオーちゃんが他と差を付ける人気を見せて、それにグラスちゃんが続く形。

本バ場入場の時もこの二人への歓声は違った。

 

その二人を見つめるのはラスカルスズカちゃん。

天皇賞春でテイエムオペラオーちゃんの2着となり、今度こそはテイエムオペラオーちゃんに負けないという気持ちと共に、次世代には自分も居るのだとグラスちゃんにも伝えているかのよう。

 

そんなラスカルスズカちゃんに前走で勝っているにも関わらず、何とも自信なさげに背中を丸めて画面に映るメイショウドトウちゃんがあたしは気になった。

決してその格好とその大きなお胸からではない存在感。人気としては6番人気に収まっているけれど、もっと注目を集めてもいいんじゃないだろうかと、メイショウドトウちゃん自身もその気でいればいいのになと思いながらも、そういうメイショウドトウちゃんだから良いのか、なんて考えが同居する。

 

そうしている内に鳴り響く宝塚記念ならではのファンファーレ。

あたしも周りも画面だけに注目する中、レースは始まった。

 



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かすみ、くすむ世界

雨は降ってはいるものの良バ場発表で、多少の緩さはあるのだろうけど一流のウマ娘ちゃん達はその足元も泥跳ねも気にすることもなく駆けていく。

 

まず先頭を行くのは今日出場するウマ娘ちゃんの中でも年長者のサイレントハンターちゃんで、第一コーナーを曲がった所で3バ身ほど差をつけて、次にはメイショウドトウちゃんがそこに。

注目のテイエムオペラオーちゃんは四番手につけて、マチカネフクキタルちゃんとマチカネキンノホシちゃんのマチカネコンビを挟んで後ろにグラスワンダーちゃん。

 

と、そんな時に当初は後方にいたラスカルスズカちゃんが内側をスピードを付けて上がっていく。

そのまま4番手まで上っていったところで、仕掛け所だと両者が思ったのかテイエムオペラオーちゃんとグラスちゃんも加速した。

明らかに周りとは違う足捌き。その手応えの良さはレースを見始めたばかりの人でも理解ができたほどだと思う。

この部屋の中、モニターを見るルーキーちゃん達からも大きな歓声が上がる。

 

第4コーナーを回って、先頭は先に抜け出したラスカルスズカちゃん。

持ちこたえようとはするけれど後ろからの勢いには及ばないようで後ろからの大群が近づく。

メイショウドトウちゃんやテイエムオペラオーちゃんがいて……

 

 

 

でも、そこにグラスちゃんはいなかった。

直線で、先程の様子はなんだったのかというほどに他から遅れを取っていく。

同じように上がっていったテイエムオペラオーちゃんは勢いそのままにラスカルスズカちゃんを捕らえただけでなく、他の全てを後方へと押しやって先頭に立つ。

残り僅かな直線上で、内側から一度は抜かされたメイショウドトウちゃんが食らいつきはしたけれど、少しの差でテイエムオペラオーちゃんがゴール板を突っ切っていった。

 

そうして今年4連勝を飾ったテイエムオペラオーちゃんは、その結果すら当然だったかのように、ついさっきまで全力で走ったとは思えないほどの余裕ある振る舞いで観客に勝利をアピールする。

まだ雨が降り雲が暗い空を覆う中でも、まるでそこがスポットライトの当たるステージのようでもあった。

2着に入ったのはここのところ評価を上げていたメイショウドトウちゃんで、実力を出せたと思えているのか、少しだけ丸くなくなった背中でテイエムオペラオーちゃんを見ているのが映っていた。

 

そんなタイプは違う今年シニアクラスに上がったウマ娘ちゃんワンツーとなったのだけれども。

これが世代交代の姿なのだと言えばそうなのだろうけど、そこに残るあまりにも伸びなかったグラスちゃんへの違和感。

それを強く気にしながら画面を見ていると、実況席もグラスちゃんの事へと触れて、「佇むグラスワンダーは何を思うのでしょうか」の声の後にカメラもまたグラスちゃんへと向かう。

 

 

けれど、そこに映ったのは佇むわけではない、その場に膝を付くグラスちゃんだった。

それが敗戦の惜しさなどから来るものではないものも一目で分かった。

両手右膝を地に付けながらも左脚は上げるようにして、そこに何かがあったのだろうと何の説明も必要なく伝えてくる。

 

顔は苦痛に耐えるように、それでもどうにもできない痛みからか両手は雨に濡れた芝を強く掴む。そのまま自分を映すものに気づいたわけではないだろうけれど、顔を誰にも見せないように下を向き腕で隠そうとする。

その全身を止まることない雨が無情に撃ち続けていた。

そこへ凄く辛そうな顔をしたチームのトレーナーと救護班が駆けつけて常に準備されている救護車も到着して、その中にグラスちゃんが運ばれていって……

 

 

 

 

 

あたしは何の光景を見ているのだろう、何の有様を見ているのだろう。

今日この時まで、グラスちゃんの明るい未来を想っていた。

ほんの少し前まで、決着がどうあろうとも、ウマ娘ちゃん同士の力のぶつかり合いの後の、燃えて萌える様子が目の前に広がるはずだと当たり前のように思っていた。

 

 

 

なのに。

 

 

 

そこから画面が変わって、レースを振り返る、勝者の様子をさらに詳しく知らせる場になっても、あたしにはその何もかもが目に入らず、先程の模様が焼き付き離れなかった。

その中であたしが見る景色が色褪せていくような、世界がまるで灰色に染まっていくようだった。

 

「トレーナー!」

 

その時にあたしを少し現実に引き戻したのは場を切り裂くような悲鳴にも似た声。

主はエクセルちゃんだった。

その方向を見るために振り返ると、エクセルちゃんがトレーナーに駆け寄っていた。ずっとあたし達の後ろから見ていたトレーナーに。

トレーナーはシャツの胸元を右手でギュッと握り、俯き下を見ている形になっていて。表情はあたしからは窺い知ることはできなかったけれど、何か、何かがおかしいとあたしに訴えかける、起きてはいけない事が起こったのだと、その場の全てが伝えてくる。

近づいたエクセルちゃんに少し遅れて気づいたのか、トレーナーがそちらをゆっくり見る。動揺を溢れさせるようなエクセルちゃんに対して、その口元が「大丈夫」と動いたように見えた。

 

「でもっ……!」

 

さらにエクセルちゃんが近づく。その声は震えていた。

唇を噛んで我慢はしながらも、その瞳は揺れていた。いつも強気で色んな表情を見せるけれど、その中にこんな事は一度としてなかったエクセルちゃんの顔。

その先も何か言おうとしたエクセルちゃんを静止するかのようにトレーナーは手を挙げて首を横に振る。もう一度「大丈夫だから……」と小さく言いながら。

 

その目は有マ記念の時の事を想起させた。最後の直線を見ていたあの時のような怖さはそこに無いけれど、エクセルちゃんを安心させるように見ているようでも、どこかそれだけとは違う奥に秘める圧力を持っていて、それ以上はトレーナーは何も言わなかったけれど、その瞳で捉えられるだけでエクセルちゃんも次の言葉を外には出せないようだった。

 

この流れの中、あたしにも届いたトレーナーのその言葉はどこへのものだったんだろうか。

グラスちゃんへのものだとも思えば、それを言うトレーナーの顔は青白く血の気が引けて、エクセルちゃんはそんなトレーナーを放ってはおけずに声を掛けたようにも思えて。

 

だからと、あたしは何も出来ずに言えずに見ている事しかできなかった。

エクセルちゃんもトレーナーもあたしよりずっと一緒にグラスちゃんと居て、あたしよりずっとかショックを受けているのだろうその様子に、あたしは少しも動けずにしかいられなかった。

本来なら周りでざわめく他のルーキー娘ちゃん達に気を向けもしなければいけなかったのだろうけれど、それが出来なかった。

 

 

 

その後は何が起こったか。

トレーナーに止められて何らかの言葉は飲み込んでも、不安な気持ちを飲み込みきれていないエクセルちゃんをシックちゃんが支えて落ち着かせるようにして、トレーナーもエクセルちゃんの事はシックちゃんに任せるようにしたのか、他のあたし達の方に向かってきて、今日の解散を告げた。

その言葉は冷静であったけれど、赤みを取り戻した顔色であったけれど、あたしにはどうしても先程の様子が振り払えずにいた。グラスちゃんの無事を祈るようにも、何かを抑えつけているかのようにも見えたあの姿が、今こうしてトレーナーを見ていてもなぜか脳裏に過ぎる。

 

それでもあたしは何かを発する事もできずトレーナーの言葉で落ち着きを取り戻していた他の娘ちゃん達と部屋を出て、そして寮に帰ることになった。そこまでの道、時間、どこか非現実的にも思えるものを抱え、周りの音もどこか遠くに感じて全ては促されるまま流されるままに足を進めていた。

 

気がつけば寮の部屋の中、いつもなら土日は各レースの勝者やライブやそこにある物語を追って想像もするのに忙しいものだったけれど、その日は初めてそうする気など起こらずに、ただグラスちゃんの事を知ろうと無事を確認しようとニュースを追い続けた。

 

しかし出るものは今日のレースを伝える内容だけ。

勝者のテイエムオペラオーちゃんを讃える幾つもの話と、それに続くグラスちゃんが故障したというどうしようもない事実だけで、その先のものはどこにもない。

 

そうしている内にようやくあたしの見る世界も本来の姿を取り戻すようだった。

確かにそれは起こったのだと身に刻みつけられる事によって。

そんな世界の中で、一つ一つのニュースに目を瞑りたくもなりながらも、その日一日あたしは何か分かるまで追い求めた。

 

けれども、それを知ることはできなかった……

 

 



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走る、ということ

翌日、前日にレース観戦のためにオフになっていた分、朝練は予定されていて、昨日の事は引きずったままにあたしはそれには参加した。

朝一番でトレーナーから教えられたのはグラスちゃんのこと。昨日の夜の内にトレーナーにもグラスちゃんのチームの人から連絡が入って状態を伝えてもらったのだと。

 

検査結果としては骨折。現状分かっているだけでも重い症状のもの。

細かな事はまだこれからだけれどグラスちゃん自体は落ち着いた様子だそうで。

今後の事を思うと心がざわざわとはするけれど、それが聞けただけでもあたしも落ち着けるものはあった。「あちらから気を遣ってもらったようでね……」と、この事を話すトレーナーの様子も完全に普段通りの姿を見せてくれたことで、それもあたしを安心させた。

 

朝の練習を終えて次は授業へと。

何も知らされないままだったら気が気ではなかったけれど現状の話を耳にする事が出来ただけで、流石に昨日のレースの事を振り返ろうとまでは思わなかったけれど、一日をいつも通りに過ごす事はできた。

周りでは昨日の話、勝ったテイエムオペラオーちゃんの事からグラスちゃんの事まで騒がしくもあったけれどあたしはまだ世には出ていないグラスちゃんの話を外に出すことなく自分の内に収めながらその日を終えた。

 

それから10日ほど経って7月にも突入した頃、あたし達のチームの皆でグラスちゃんのお見舞いに行くことになった。トレーナーから様々な検査も終わったようだからどうかと勧められて。

けれどトレーナー自身は行かないというものだから「行こうよ」って誘ってみたんだけど、「他所のチームのトレーナーが出しゃばるわけにもいかない。それにウマ娘同士だけの方が色々話せるだろうから」と断られた。

 

 

当日、病室に入るとグラスちゃんはベッドの上に上体を起こし居た。怪我した足は被された薄布団に隠されて。

沢山のお見舞いの花に囲まれ、傍の台には多くの封筒が詰まれる。

その内の幾つかが付けられたベッドサイドテーブル上にも置かれていた。

 

ベッド周りに集まったあたし達にまずはグラスちゃんが「皆、来てくれてありがとう」と挨拶。

1ヶ月半ぶりほどに見た微笑みは以前と少しも変わらず顔色も良くは見えたけれど、入院着のその姿はグラスちゃんが常に持つ強いとは言えない身体から漂わせる儚さを強調しているようにも思えた。

 

「元気そう……というか、忙しそうだね」

 

と、一言目は同期のエクセルちゃんから。

 

「痛めた箇所以外はいつもより調子良いくらいで。動けない事は残念だけど、それもこうしている内に解消ができそうですから。これまで以上に色々な人から励ましを受けて、頑張らなきゃって気持ちにさせてもらって……」

 

グラスちゃんはそうして小さく笑みを浮かべながら、でも少しの表情の違いでもその嬉しそうな様子をあたし達にしっかり伝えながら、テーブルの上の手紙に人差し指でそっと触れる。

その手紙も他の場所にも置かれる束もどういった物なのかは言われなくても知るところだった。

 

グラスちゃんはこれまで幾度となくその生来の身体の脆さからの故障と、そこからの復活を繰り返してきた。

その姿には走る速さや強さに魅せられるだけでなく、同じように怪我や病気から立ち直ろうする人達を勇気づけて、グラスちゃんの元にはその人達からの応援やお礼の手紙が止まることなく届く。

 

同じチームに居る頃、時間があればそれを読み、その手で返事の筆をしたためる姿、それだけじゃなくて、そうして入院する人達の元を訪れるような活動も何度見た事だろうか。

そんなグラスちゃんが、そうした人達によってまた勇気づけられてと、それもウマ娘と人との一つの形、この世界の意味の一つなんだろうか、なんて事を今この様子を見ながらも思う。

 

「流石の人気者だ。私こんなに手紙なんて貰ってことないよー、貰っても何を返せばいいか困るだけだけど。それにしてもこれを見るにどれだけレターセットあっても大丈夫っぽいね」

 

エクセルちゃんはそうして手に持っていた紙袋を挙げた。

 

「頼まれたからには皆で可愛いの揃えてきたからさ。それぞれがグラスに似合うのー!って選んだから、ここに来るまでは買いすぎたかも……とも思っていたんだけどね。問題なさそうでよかった」

 

「ごめんなさい、手間をかけさせて」

 

「いいの、いいの。そっちはエルは海外遠征に行くし忙しいんだろうし、こっちに頼む方がスムーズだって。私達もこれこれが今必要だから欲しいとか言ってもらった方がお見舞い品の用意するのにも楽だったし、探すのも楽しかったし、ねえ」

 

と、あたし達に同意を取るエクセルちゃん。それに頷く他の皆。

 

今日お見舞いに行く事については、その前にエクセルちゃんとグラスちゃんとでやりとりをしていて、その時にグラスちゃんから返事用の道具を頼まれたようで、あたし達のチームで文具店やら専門店やら手分けして駆けずり回りながら、どういうものが良いかと悩みながらも揃えたのは大変ながらも「グラスちゃんのためなんで!」と皆それは張り切ってもいたのだった。

 

そんな話から始まって、後は学園内外を色々と、グラスちゃん自身の事はお互い触れずによくある世間話を。

グラスちゃんから質問もあれば、ルーキーちゃん達が話すのをグラスちゃんが楽し気にも聞き続けたり。ここが病室で、グラスちゃんが入院着だという事にさえ目を向けなければ、グラスちゃんがチームに居た頃にも何度もあったチーム部屋内での出来事がここでも起きているようだった。

 

あたしはその輪の中には加わらずに一歩外に居ながら見ていた。

今日来たのはグラスちゃんの姿を見られればそれだけで良いかなと思うものもあったのと、こうして姿を見ることで、あたしはここではあれこれ話さない方が良いかと思うものも出てきていたから。

 

あの当日から今日までの間に、報道にもグラスちゃんの状況は出ていた。

グラスちゃんに下されたはっきりとした診断。

それは全治には1年はかかるというもの。

折った骨もそうだけれど、その状態で最後まで走って周りの筋肉の損傷も激しかったようで。

それはこれまでグラスちゃんが経験してきた故障の中でも重く長いもの。

 

その発表と同時に復帰を目指すと宣言はされていたけれど、その途方もない時間を思ってなのか、こうしてグラスちゃんを見ていても、何の迷いも無くとは見えない、不安はどうしてもそこにあるようにあたしには伝わって、それをこの場で口に出すような事はしないけれど、端から見守るだけにしておいた。

 

 

やがて話も時間も一区切りした頃、一同で病室の外へと一旦は出たのだけれど、そこでシックちゃんからあたしに告げられた。

 

「私とエクセルとで後少し話してくるから、デジタルは待合室で他の娘達の事をお願いね」

 

その言葉にあたしは了承をする。

きっと付き合いの長い二人から他にグラスちゃんに話したい事でもあるのだろうと。

この中で二人ほどチームにいるのが長くもなく、といって他のルーキーちゃん達ほど短くもないあたしは、この場でその役を担うのに丁度いい。先輩としてここはしっかりと振る舞わなければいけない。それではと二人を置いて、あたしは他の娘ちゃん達を連れてそこから離れ広間へと降りる。

 

 

それから二十分ほどが経過して。

あたしは二人が戻ってくるだろう通路を見ながらソワソワと。

他に待っている娘ちゃんの中にもどうも落ち着かない様子を出し始めた娘も複数いて、そこであたしは思い立って一度様子を見てくる事を伝えて歩き出した。

 

 



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夢の傷痕

再びグラスちゃんの病室の前に着いて、そこでいきなり「何してるのー」と話に入るわけにもいかないので、まずは扉の前で様子を窺うことにする。

ふと見れば扉が微妙に空いていて隙間があって、そこから中が見られそうだった。

ここまで戻って来る途中は外に漏れる声からでもタイミングを見計らって入るか、話が終わりそうならそのまま帰るかくらいに思っていたけれど、これは好都合と、その間から病室内を見ようとする。

 

 

「私は……私は……あのレースでだけは、こんな事になってはいけなかった……!」

 

 

部屋の中を覗く、その寸前に聞こえたもの。

思わず扉に身体を完全に隠す。

それはあたしが初めて聞くようなグラスちゃんの声。

あたしがこのチームに来てからだけじゃない、過去どんな場面、どんな媒体にだって存在しなかった、感情をそのままぶつけるような、大きな声ではないけれど、身体の奥底からの叫びのようでもあった。その悔しさ、無念が、遮るものを越えてあたしの肌にまでびりびりと伝わってくる。

 

「やっぱりね……」

 

次に聞こえたのはエクセルちゃんの言葉。

思いもしていなかったものへの驚きから速まった鼓動を未だ抑えられてもいないあたしと違って、全てを分かっていたかのような返答。

 

「グラスの事だから、きっと気にしているだろうと思ってた。でも、こっちの事は……トレーナーの事は……心配しなくて大丈夫だから……」

 

その言葉が聞こえた後で、すすり泣く音が聞こえた。

ずっと扉に完全に隠れて中の声を聴いていたあたしはようやくそこで少しだけ開いた所から中を見る。その先、ベッドの上、両手で顔を覆うグラスちゃんの姿が見えた。

 

 

泣いている、グラスちゃんが泣いている。

周りに誰かがいようと、それを抑えられないかのように。

入院着姿でいつもよりか弱くも見えるグラスちゃんがそのまま消え入りそうなほどの存在に感じられた。

 

その背中を摩りながらシックちゃんが何か話かけている。

エクセルちゃんも続いている。

二人の声は小さく、あたしの方にまでは届いてこない……

 

 

それをどうにか聞くべきか、止めるべきか。

 

 

一度隙間からは離れて扉に隠れて考えた後に、あたしは静かに立ち上がった。

あたしがそれを知っても、きっとあたしはグラスちゃんに何もできない。そういう結論に辿り着いた。

だからこれ正解だと、あたしが居たことは知られてはならないと、少し開いた扉はそのままに、少しの音も立てないようにその場から離れる。

 

そのまま廊下を歩き、階段を降りながら浮かんでくるグラスちゃんの言葉。

あのレース、それは確認を取るまでもなく宝塚記念のことだろう。

 

そうだとして、あの宝塚記念でだけとは、どういう意味なんだろう。

何かが起きるとしても宝塚記念は避けたかったように聞こえる、重い怪我をした中で、そうなってしまった事よりもそれが起きた瞬間を気にしているような……

 

宝塚記念、それは昨年グラスちゃんが勝利して、今年は2連覇、グランプリ4連覇をかけて挑んだレース。グランプリの女王ともいうべき存在として、グラスちゃん本人もそこに誇りを持ち、敗北するというだけでなく、その場で動けなくなる姿を誰にも見せたくなかったということだろうか。

 

そうだとするのならその気持ちは分かる気もした。同じような経験など無いにせよ、だ。

1年前に同じレースで圧倒的な力を見せつけて、半年前の暮れのグランプリではあたしもその目で見た未だに煌びやかに思い出せる姿を世に残した王者が、その頃は少しも想像していなかっただろう、また大勢に見守られる中、その眼前で芝に倒れ込む姿を見せる。

 

どれだけ悔しかったことだろうと思う、グランプリというものにそんな苦い想いなど残したくなかったのだろうとは、端に居る者にだって想像は付く。

だけれども、これは紛れもなく事実なのだと、改めてそれを思ってグラスちゃんは涙するのだろうか。その姿を知ることで、あたしにも世界はそういうものなのだと、目を逸らさせてもくれずに突きつけられるようだった。

 

エクセルちゃんやシックちゃんは、それでも気丈に振る舞うグラスちゃんを見て、だから二人でグラスちゃんの本音を聞き出そうとしたのだろうかとも思う。

グラスちゃんはそれを吐き出すこともできずに我慢してしまう人だからと。今はそうする方が良いだろうと考えて。あたしも病室の中でどこか違うグラスちゃんを感じていたけれど、あたしにはそれを聞き出す方法は無かったし、そこは二人に任せて良かったと思った。

 

ただそこで、エクセルちゃんが言った「トレーナーは心配しなくていい」というものが小骨のように引っかかった。

それはあたしのチームのトレーナーの事だと分かる、グラスちゃんがこれまで3回のグランプリを制した時のトレーナー。そんな人には特にその姿を見せたくなかったというのなら、それはそうかもしれないとそれも分かる。

 

けれども、心配しなくていいというのはどういうことだろうか。

トレーナーだって、あの日の様子を思えばショックを受けていないと言えば嘘になるだろう。

だからと、ずっと気にするような人じゃない、その事でグラスちゃんに何か思うわけでもない、大丈夫だと気にするなと、エクセルちゃんはそういう事を言いたかったのかな?と思う。

 

それならそれもあたしも同意見だ。

あたしだってそんなんじゃないと思う。

トレーナーはそれよりもグラスちゃんが気にして泣くような姿の方がもっと見たくもないだろうし、病院に行くわけにはいかないとは言ってもグラスちゃんの事を心配こそすれ自分を気にかけて欲しいなどとは思っていない、グラスちゃんの回復だけを願っているはずだ。

そうトレーナーの事を考えつつ、自分が痛く辛い苦しい中でも他の人を気にすることの出来るグラスちゃんは強く優しいと、こんな時にまでそうも考えられるウマ娘が世にどれだけいることだろうと、グラスちゃんへと思いを馳せる。

 

そんな風に歩いているといつのまにか待合室へと続く道。

遠くから待ってる娘ちゃん達の姿が見えた。皆小さく集まって心細そうにも。

その姿を見て、あたしは一度立ち止まって首を振る。いつの間にか強ばってしまった顔をそれで変えようと。

 

あたしがこんな顔をしていてはいけない。

勝手に踏み込んで知った事で暗い顔をしてはいけない。

ルーキーちゃん達の事を任されたわけだから。

 

と、そこで笑顔になって待合室へと急ぐ。

そうして集まっていたルーキーちゃん達には、「どうもお姉さん達同士の会話があるようで、もうちょっと時間かかるみたい~」と、努めて明るく知らせて。

その後は会話を続けようとルーキーちゃん達からのこれからの学園生活のお悩みなんかを聞いたりして待った。

 

またそこから少し経った後にエクセルちゃんとシックちゃんが戻ってきて。

二人とも何があったのかは知らせないように「待たせてゴメンね」と軽く振舞って皆で病院を後にした。ルーキーちゃん達の「グラスワンダー先輩がお元気そうで良かったです」との心底ホッとしたような言葉と顔を見て、あたしが見てしまったグラスちゃんの姿を思い出しながらも「そうだね」と笑顔を作って進む帰り道だった。

 

 

 



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勇者の決意

翌日からはまたそれぞれの日常となって。

あたしは間近に迫るジャパンダートダービーに向けて突き進んでいた。

状態は階段を軽やかに上っていくかのように順調に。

近々で大きなレースを待つのはあたしだけなのでチームのルーキーちゃんの応援を受けながら、ルーキーちゃん達の盛り上げも忘れず過ごす。

 

それがあたしにできること、あたしがやらなければいけないこと。

ルーキーちゃん達もデビュー前の娘だって多いのに哀しい事にも出会ってしまって、だからそれだけじゃないと、この世界には楽しい事が沢山あるんだよと知らせる事は、今のあたしにだって出来る大事な事だと、そう心に決めていた。

 

 

その後日に待つはアドバイザーとの会議。

あたしの調子の良さは自分自身やチームメイトだけでなく、トレーナーもアドバイザーも、さらに世の皆様もそう見るようでメディア上のレース特集で名前を挙げられたり、他のウマ娘ちゃんの話を追っているとあたしの名前を見かけることも増えてきた。

それに対して何かをするというわけではないけれど、掛けられた期待には応えてもみせましょうと心の内で返してもみたり。

この場でのレースへ向けての話も実に緩やかに進んだところで雑談へと。

 

アドバイザーの部屋に置かれる数々のウマ娘雑誌最新号などを広げながら最近のウマ娘界事情に触れる。

宝塚記念が終わり今年も前半が終わり、次は実績持ちのSDTに出るウマ娘ちゃんから今後デビューする次世代のルーキーちゃんと幅広い話題がある中で、あたしは一つの記事を見つける。

 

それはグラスちゃんのアドバイザーがグラスちゃんの状況について語るもの。

グラスちゃん自身はまだ入院したままで表に顔は出さないけれど、その人が代わりに言うものは、あたしもグラスちゃん本人から聞いたものと変わらない。

そこで、あたしが何も言うことなくそれに注目している事に気づいたようにアドバイザーがこちらを見る。

 

「デジタルは顔はもう合わせたんだったか」

 

「うん、お見舞いに行ったよ。それで、グラスちゃんからも帰るって、絶対に戻ってくるって、ここに書かれているのと同じこと聞いた……」

 

話しながらあたしは病院でのグラスちゃんの姿を思い出す。

故障した悔しさを抱えながら、それでも既に前を向いているグラスちゃんのことを。

 

そうしてあたしは見ていた記事を閉じてテーブル上に置いていたお茶のコップに手を出す。

一口飲んではコトリとテーブルに置いた時の音だけが部屋に響いて。

アドバイザーも何も言わなくて静かな空間の中で、あたしは口を開く。

 

「1年って長いよね……」

 

「ああ」

 

「治るのと元のように走れるのは別なんだよね……」

 

「そうだな」

 

「もうこんな事を言えるなんて凄いよね……」

 

「簡単に出来るものではないな」

 

「そう、グラスちゃんは凄いんだ。でも、あたしはまだ全然世界の事を分かってなかったんだと思う……」

 

そこで訪れる間。

アドバイザーは自分からは何も言わない。

あたしの言葉の先を待っているようだったから、あたしもそれ以上は待たせないようにして言う。

 

「そういう事があるって物事としては分かってた。一緒に走った事もあるエイシンプレストンちゃんも故障離脱して身近な出来事でもあったんだ。

 でも、どこか別の世界の話のような、一枚壁を隔てて受け取ってもいた。いつでもどこにでもやってくる事で、こういう事なんだって、本当には分かっていなかったんだ……」

 

その言葉をあたしはアドバイザーに聞かせたいだけでなく自分にも言い聞かせるように言う。

表に出す事で忘れないようにもしたかった、宣言にもしたかった。

この部屋に来る時に機を見て言おうと決めていたのだ。

 

今年になって、この春から今にかけて起きた出来事、自分の事も周りの事も記憶の中から拾い上げる。そのまま奥底に隠しておきたいような事も多くて、自然とコップを持つ両手両指にも力が入り少し震える。それでも一つ一つ、どれも取り溢さないように頭に浮かべて、あたしは全てを声にした。

 

その後に何の相槌も打たずに聞いていたアドバイザーを見る。

少しばかり眉が下がっているように見えて、あたしはニッと顔を作って返す。

 

「大丈夫だよ。ウマ娘として走る者としてもそれ以外の事でも、何一つ目標は変わっていないから。ううん、色んな事をちゃんと分かって進んでいこうと思えたからね。アドバイザーだって、トレーナーだって、そうやって乗り越えてきたわけでしょ?」

 

同意を求めたものに対してアドバイザーは言葉にはしなかったけれど、その顔は驚きをまるで隠さずに、何か警戒したようにも身体を引く。きっとそんな風になるのだろうとは思っていたから、そのまま続ける。

 

「何かの話を詳しく聞きたいってわけじゃないよ。これは皆が通る道で、アドバイザーやトレーナーは長く世界に関わってるからそれを知っている。きっとそうだろうって勝手に思っただけだから」

 

アドバイザーは聞き終えても何も言わなかった。そのまま少し下を向き何かを考える、思い返すような顔をするけど、あたしはそれをそのまま見続ける。そして、目に入ってくるのは意を決したような顔。

 

「そうだな。この世界に居る者は多かれ少なかれその身で触れるものだ」

 

あたしをしっかりと見据えて発せられたそれは、長くはないものだったけれど、いつの何よりも重かった。あたしにとってはそれで充分だった。その裏に様々な、アドバイザーが経験した良い事も悪い事もあったのだと伝えてくる眼。

 

「だよね。だからね、あたしもきちんと皆を見習うよ。それでグラスちゃんのように、トレーナーのように、アドバイザーのように強くなるからさ、今後もそうなれるようによろしくね、アドバイザー……」

 

「ああ」

 

あたしはそれを頑張って明るく言おうとした。

けれども、どうしても思い出し押し寄せてくる楽しく愉快なままでとはいかない記憶に最後には言葉が上擦る。アドバイザーにもそれは当然伝わっていて、あたしを気にかけるように見てくる。

 

「でも、今はちょっとだけ疲れたかも……」

 

それでも、どうにか顔を上げて元気でいようとしたけれど、あたしは抱えていたものを隠したままではいられなかった。その言葉も言い終えた後には重い息が自然と漏れる。そんなあたしにアドバイザーはその場から立ち上がり近くにまで来て肩に手を置きながら言う。

 

「立て続けに色々あったんだ。落ち込めるだけ落ち込んでおけ。どんな有能なトレーナーだってウマ娘だって、こんな時はそうするんだ」

 

「ありがと、アドバイザー。あたしが下を向くとチームメイトもクラスメイトもルームメイトも、らしくないと思っちゃうみたい。それで変に心配しちゃうものだから、他に場所が無くて……」

 

そうアドバイザーにそのまま軽く摩られながら励まされ、かけて欲しいような言葉を言われて。

もう作り出す笑顔もぎこちなくなるのを自分でも感じて、あたしはそのまま項垂れた。

 

「そうもなるだろうな。そういう事なら迷わずにこの部屋を使うといい」

 

と、言いながらアドバイザーは部屋を出てキッチンの方へ行き、ガチャリと何か開く音と閉じる音が二度聞こえた後にアドバイザーがまた部屋へと顔を出す。

 

「俺は飲み物の補給に出かけないといけないから、デジタルはそのまま留守を頼むわ」

 

そして、あたしの返事も待たずに廊下へと。

部屋を出ていく音がする前にはあたしもきちんと「任せておいてー」と声を掛けるのは忘れはしなかった。

 

扉がしっかり閉まる音を確認して、たった一人の部屋の中、これ以上の維持は出来ないと、重い上半身をテーブルに預けた。顔は横にしてテーブルにピッタリと貼り付けて目を瞑る。

 

そこに浮かんでくるのはトレセン学園に入ってからの出来事。

その中で今年に入ってからのあれこれが何度も嫌でも繰り返し流れて行く。

あたしはそれを止めることもなく思い返していた。

 

どれだけそうしていただろうか分からなかったけれど、気が付くと、雨が窓を打つ音がした。

ずっと晴れていたはずだったのにと目を開けば部屋内に入る陽の光もなくなり暗くなっている。

それに気づく間にも雨音が強くなる。

 

聞いていると、これだけの雨できっと深い雲にも覆われているだろう空のように、あたしの気持ちもどんよりとして、雨音の度に追い打ちをかけられるもするようだった。

一度そこで鼻をすする。

それでも、まだこみ上げてくるものだけは何としてでも止めようとした。

 

あたしがそうしてしまうのは違うと思ったから。

流すのは外の雲に任せることにして。

あたしは落ち込むだけにした。ひたすらに落ち込むだけにした。

 

雨足はどんどんと強くなる。

その音に意識を向けながら、これが通り雨だと良いと思った。通り雨であって欲しいと思った。全部一気に降って流れ去って、これが終わった後にはまた晴れて、その明るい中をあたしは歩いて行くのだと、必ずそうするのだと思いながら。

 

 

その日、アドバイザーは長くあたしにそうさせてくれていた。

本当はまだ飲み物なんて一杯詰まってる冷蔵庫を残して。

 

 

 



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道を阻むもの

7月2週目、あたしは大井の地に立っていた。

交流G1、ジャパンダートダービーに出場するために。

レースは平日ナイターなので、都内での開催とはいえど応援隊は学園に待機。

それでも前日にはチームの面々から勝利を願われ気持ちよく送り出され、あたしも「良い報告するからー!」と一層レースへ向かってやる気もアップさせて、トレーナーと共にやってきたのだった。

 

2度目ともなる勝負服には滞りも無く着替え準備を整えて、まずはパドックへ。

以前からこのレースの取材も受けて注目の一人になるのは分かってこの場所まで来たものの、なんと当日1番人気。

1番人気自体は以前もあったし、それで緊張するだとかいう事はなかったのだけれど、それでもパドックに出た時の声援には、どう返して良いものかと何度もお辞儀してしまったり、「素敵な娘ちゃんが他にいるから、その娘達にもぜひ向けて欲しいなあ」とも最後にはその場で言ってみたりもした。

 

そんな流れで出番は近づいて地下バ道へ。

初めてのG1だったNHKマイルカップでは少し浮いたような足で歩きもしたけれど、今日はそんなことはないように最初は入り口で真っ直ぐ前に伸びる道を見る。

まずはその場で「勝つぞ!」と声には出さないけれど、その意気込みを自分の全身にも染み至らせるように、しっかりと地に足が付いている事を確認するようにして一呼吸。

それから歩き出して大井の砂地へと出た。

 

その後はその感触を確かめつつウォーミングアップ。

どうもこの戦いの場に踏み入れた時から、このダートの状態が気になって、何度も何度も強く踏んでみたりもした。

周りで準備するウマ娘ちゃん達の様子が気になりはしたものの、今はこっちが優先だと念入りに。

 

過去に走ってきたダートとは違うものが靴の底から伝わって、その違和感の方が気になって。

それがレースに影響するのが何より嫌だった。

近頃いい話が少なめのチームに、特に出発する前には直接に今も学園内で見ているだろうルーキーちゃん達に今日はあたしが勝って明るくなる話の一つでも届けたかったのだ。

だから、軽めに走ってみたりして違和感の解消をまず第一にと時間を使い込んだ。

 

 

そうして準備が整って。

外は夜、照明が光る中、ゲートインとスタート。

 

ゲートが開いてすぐ、あたしより少し外側の娘ちゃんがスタートに失敗したようでバランスが崩れたのが目に入る。

少し気になりつつも大事にはならない事だろうと前を向けば一つ内側の娘ちゃん、今日は3番人気のイエローパワーちゃんが逃げる。かなり調子良くハイペースで。

けれども、それで惑わされてはならぬと、あたしは今日の作戦通りに前には付けながら自分の中の時計を狂わせられないように気をつける。イエローパワーちゃんの間に二人ほど挟んであたしは4番手に位置して進む。

そうして誰かを邪魔することも邪魔される事もなく隊列は変わらず、レースの進み方は悪くなく、そのまま流れに合わせて……と思ったのだけれど、段々と状況が変わってきた。

 

周りの娘に崩される事は無くても、他の事があたしを容赦なく襲ってきていた。

 

 

それは足元。

これは走る前の時から気づいてはいたもの。

グッと沈むような、重いと表現するのがぴったりのこのダート。

準備中に軽く走っている時はそれでも対処できる物ようにも思えていたのに、走り始めは「思ったよりも力が要るな」くらいにしか思っていなかったけれど、全力で走る内に、足がそこに沈みまた蹴る度に、あたしの体力が大きく削れていくように思えていた。それでも前に行かなきゃと思うけど、気力だけでどうにかできるものはなかった。

 

直線に向いた時には足元だけでなく身体全体がもう重くって、段々と近づいているはずのゴール板もはるか遠くに感じて、あたしはそれでも走りきらなきゃと前に行こうとしたけれど、後から来た娘ちゃん達にもどんどんと抜かされる。

「置いていかないで!」と藻掻いてみても身体は言う事を聞かず、数々の背中が視線の先に小さくなっていく。

それでも脚は止めずにゴール板を通り過ぎた時はようやく終わったと、ハアハアと息を切らしてスピードを緩めて自然と内へ内へと行きながら止まるとそのまま内ラチ近くに座り込んだ。

 

座りながら自分が14着という事を知り、少し離れた所で先に逃げたイエローパワーちゃんと、最後にはそこを捉えた勝者のマイネルコンバットちゃんの姿が見えたんだけど、その姿も二重に見えるというか目の前がグルグルと。

喜ぶウマ娘ちゃんを堪能する体力も何もなく、それでもここからは帰らなきゃとラチに手を添えて立ち上がる。その行動一つでも膝がガクガクとして、どうにか出口に向かう時の足も、あたしとしては真っ直ぐに歩いているつもりだったんだけど端から見るとそうではなかったようで、あたしは寄ってきたトレーナーとレース場の職員の人に付き添われ、ふらつく身体を支えられ引き摺られるように医務室へ。

 

 

ベッドに寝かされ医師からの診断を受けて、どこを悪くしたというわけではなく単に走った結果の急な疲れということでそのまま寝かされる。

あたしの状態を聞いてトレーナーは、「大事でなくてよかった。今暫くはそうしているといいよ」と、安心しきった様子でそんな言葉だけを残して部屋を出て行った。

 

そこから一人、小さな部屋の中で寝ているのは身体は楽になってもいったけれど、まだ少しクラクラする頭を抱えながら気分は重くなるものを感じていた。

これまで走ってきての最低の順位、今日は勝つんだと挑んだのに惨敗、1番人気にまでなったのに何てことない走りしかできず、レースを終えてもこんな状態で、自分がとても小さくどうしようもない者に思えた。

ここに運ばれる段階から部屋を出て行くまでも、あたしの身体は気にしてもレースの事には何も言わないトレーナーにも、それが気遣いだとは伝わるけれど、今はそれが余計にあたしを小さくするようだった。

 

 

そうして横になってはいても眠りにつくまではなく、ぼーっとしたまま何かをするわけでもなく何か考える力もなく過ごしていると、再び部屋のドアが開くいてトレーナーが入ってきた。

そして「顔色は随分と良くなっているし、ライブの時間も近づくけれど、着替えて見に行く?」との提案。

その事は完全に頭からも抜け落ちていて、気づかない内にそんなに時間が経っていたんだ……という事だけが浮かぶ。

 

あたしはベッドから起き上がりながら首は横に振って、

 

「今日はいいや。見ている内にまた疲れがぶり返して何かあったら迷惑だしね。いいウマ娘ちゃんはいい状態でこちらも見ないと。それがマナーだよ。だから今日はもう帰りたいかな」

 

と、終わりには随分スッキリした身体で笑って返す。

それを見てトレーナーもそれ以上は特別何も言わずに帰り支度をしてレース場を出る。

アドバイザーはあたしの事はトレーナーに任せて先に帰ったようで二人で。

 

 

 

それから何か起こるわけでもなく学園が近づく頃に、それまで殆ど口を開かなかったトレーナーが話し掛けてきた。

 

「今日のところは学園に着いたら解散としようか。レースの事はまた明日にして」

 

「それって予定通り?ナイターだったしって」

 

「いや、そういうわけではないけれど……」

 

「もしあたしの身体の事を気にしてるなら大丈夫だよ。今日やれる事だから今日やっておく方がいいって。明日になると忘れちゃう事もあるかもしれないし」

 

そう言いながら、「ほら、平気平気」と身振り手振りで元気アピールをするとトレーナーも考えを変えたようで、その直後に到着した学園内、チーム部屋へと入る。

 

あたしがそうしたかったのは別に忘れてしまうような事があったわけじゃない。

明日になっても忘れる事なんて出来そうにない今日の事だった。

その中でどうしても今日の内に言っておきたい事があったんだ。

 

 



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敗北の先に

というわけで始まった、トレーナーは事務机前の椅子に座ってやりとりを記録しながら、あたしはその前に立ちながらの反省会なんだけれど、最低最悪の負けだったにも関わらずレースの反省にはならずに、行われる事はレース中の状況説明とか淡々としたもの。

 

後はトレーナーとしては身体の事が気になるのか、今のこの状況になってもそこの聞き取りがじっくり、他にもレース中からレース直後からの身体の状態の事を聞かれる。

あたしにはレース結果について言われない事が不思議にも思えて、それが気持ちをより落ち込ませる。そして、ここまで持ってきたものをトレーナーにどうしても言いたいという意思も強くさせた。

 

話が一度途切れた頃、あたしはそれを始めようとバインダーに挟んだ紙に書き込みを続けるトレーナーを見る。

それが終わるのを待っていたけれど全然終わらずにあたしの方は見ずにいるものだから、

 

「……トレーナー」

 

と、小さく呼ぶことからにしたけれど、それでもこちらを見る事もなく「ん~?何?」と、気がはやるあたしとは違って、意識は何かを書く方に向かってるような間延びもした返事。

あたしとしてはきちんと顔を合わせて言いたい気分と、いざそうなると言い辛くもなりそうな気持ちとあって、それならこの状態のままで……と、そこでこれまで溜めていたものを出す。

 

「トレーナー……ごめんなさい」

 

両手は身体の前につけて頭を下げながら。

しっかり下げた後には戻しながらトレーナーの方を見てみれば、ようやくペンを止めてこちらを向いていたものの、その表情は言葉は届いていたとは思うのだけれど、その意味は到着していなかったような意外といった様子。

 

じゃあ、もっと詳しくと次の言葉を考えていると、トレーナーの眉間に少し皺が寄っていった。

それには続けて何を言われるかと、言い出したのは自分だけれど怖さも持ちながら構えていると、次にはあたし以上に凄く言い辛そうにしながら、

 

「僕の知らない所で何かやってしまったと……?その、他のウマ娘に……」

 

と、探るようにも聞いてきた。

 

それにはあたしの方こそ(何のこと!?)と、思いもよらなかった返しに思わずぎょっとする。

けれど、トレーナーはそこには触れずに今度は「あー」と一言を出した後に、「それで今日の内に言っておきたいと帰るのは止めようとしたのか」と、納得いくことに辿り着いたかのように膝を叩く。

 

それには(話が噛み合わないよ)と(一人で分かったようにならないで)と、あたしも頭にあった展開に当てはまらなかったものへの反応はどうしようとはなりつつ、とりあえず「ち、違うよ!」と、その考えはストップというように両手を挙げて横に振りながら否定した。

 

「あ、そういう事じゃないのか。それじゃあ……」

 

で、トレーナーは再び考えるような顔。

それでも全然思いつかなそうにするから、これはあたしからさらに言わないと話が動かないと、手は下ろしながら身体の横に持ってきて、今度はその両手を軽く握りながら言う。

 

「他のウマ娘ちゃんに何かしたとかはないよ、そういうのはないけれど……その……今日のレース負けちゃったから……」

 

それを伝えると、他の方向を見ていたトレーナーがあたしの方を見る。それもちょっと考えになかったかのような、やっぱり意外そうな顔をして。そんなに変わった事を言ってるかなと思いながらも、あたしは先を続ける。

 

「あたし、今日のレース凄く勝ちたかったんだよ……。練習していてもタイムも良くて、前走の時以上に行けそうにも思ってた。チームの皆、特にルーキーちゃん達には出発の時だって後押しを受けて勝ちたい気持ちが強くなったし、レース場でも大きなレースで一番人気になって、色んな人から声をかけられるのはどう返すといいかって戸惑うものもあったけれど、それにもレースで応えたいのは変わらなくて……」

 

先程までとは違いトレーナーもトレーナーで、あたしの方を見て真っ直ぐに、他を気にするようなものはなく黙って聞いている。そんなトレーナーを見ながらあたしも話して行くものの、今日の結果を再び自覚しながらの口調は重くなると同時に頭も重たくなって、目の前の人を見ないようにもなっていって、それでも言葉は止めないようにと続けていく。

 

「なのに、あんなレースしちゃって……誰かに負けちゃってとか、悔しいとかじゃないんだ。

 これまでで一番悪かったってだけじゃなくて、ゴールするので精一杯で。何かもう自分が情けなくなっちゃって、せっかく皆応援してくれたのにって。それだけじゃなくて、医務室にいる時もトレーナーにもアドバイザーにも悪いことしちゃったってずっと思ってた……」

 

そうして話す毎にさらに沈んでいくあたしの顔と背中。ここの所チームにいい話が無かったから……とまでは口には出さなかったけれど、それでも言える事は何とか言い切ったと思った。

そこでもうトレーナーを見ようという気は起こるのだけど、それ以上の重い気分によってどうにも頭が上がらずに、そのままの格好になってしまう。

 

 

 

 

「……それは違うんじゃないかな」

 

 

少しの空白の後に届いたその声に、反射的に顔を上げる。

その目に入ってきたのは、人指し指で額を掻きながら、ちょっと困ったかのような顔をしたトレーナー。

あたしはあたしで「え?」となって、どういう事だろうと首を傾げる。

 

「とりあえず、そのまま顔は上げていて欲しいね」

 

と、肩を軽く叩いてきた後にトレーナーは話し出す。

 

「勝ち負けではなくて、納得いく走りができなかった心残りというのは分かるよ。チームの娘に応援されてというのもね、僕もその様子は見ていたし応えたいという思いになるのも分かる。それは大事なことで、ファンの人に対してもそうだ。それができなくて申し訳なく思う、それも当然あると思う。でも、僕に謝ることだけは……それは違う」

 

トレーナーはそうして一往復首を横に振る、ゆっくりと。

その後はあたしの顔をじっくりと見てくる。

再び「違う」と否定されて、その意味が気になるけれど、その顔は怒っているようでも真剣といったようでもなく、極めて穏やかなものだったから緊張も無く耳を澄ます。

 

「もし今日のレースで勝手な事をして、それを謝罪したいというのなら受け入れるよ。

 けれど、レース中も今レースの事を聞いてもそうだけれど、デジタルはこちらが伝えた事は理解して行ってくれた。ただ、レース中を見ていても話を聞いていても、大井の砂の質、そして距離、この二つが合わなかった。敗因としてはそれが明白だからね。デジタルが謝るような物事はどこにもない」

 

確認を取るように人差し指を立てて向けられながら言われて、あたしは頷く。

トレーナーもそれを見て「良し」ともいったように頷くとまた続けた。

 

「それについて謝る事が存在するとするのなら、こちらの方が謝らないとね。

 デジタルにそこまで考えさせる事をしてしまったのなら。既に僕もデジタルが休んでいる内にレース場でアドバイザーからは謝られたよ。前走を見てそこまで考えずに決めてしまった、と。

 アドバイザーもデジタルにその辺りは同じ事を思っているだろうけど、デジタルから申し訳なく思って欲しいだなんて思っていることはまずないだろうから、またアドバイザーと会う時はそのつもりでいてほしい」

 

あたしは黙ってまた頷く。

アドバイザーの部屋を次に訪ねた時は謝る気でいたけれど、トレーナーが言う事の方が合っている気もするし、アドバイザーにはあたしに向けて謝って欲しくはないなと思った。

ローテーション的にもおかしくないレースに決めただけだし、記者の人とか他の大勢だってあたしに不安要素有りだなんて言いもしなかった。本番であたしの力がなかったのが分かっただけなんだからって。

 

「それに関しては僕も今日のレースを迎えるまで考えが足りていなかった。だからとアドバイザーからそこを指摘されたわけでも指導不足だと言われることもなかった。

 話している時もまた体力作りに一からだと、今後の方針を固めるところで終わったから。そういうわけで、また次から一緒にやっていこう。今回のレースはそれぞれが反省しなければならないだろうけど、それを踏まえるだけでデジタルは謝るのは止めにしよう。今日だけじゃなく今後もだ、いいね」

 

トレーナーの最後の言葉は念を押すようで、表情もそれだけは譲れないかのように真剣だった。

 

「分かった。あたし、謝らない。だから、トレーナーも謝らないで。あたし、トレーナーにだってアドバイザーにだって謝って欲しくないよ……」

 

「そうか。僕もアドバイザーから謝られた時もそんなことをされるような話ではないと思ったし、お互い全てがそうする必要はない話ということで、それで終わりにしようか」

 

そうしてあたしは全て了承したというように、トレーナーの顔を見ながらしっかりと頷く。

それからトレーナーはこれで一段落というような顔をしていたけれど、あたしにはまだ少し気になる事があった。

 

あたしは周りの事を明るくしていきたいなって、トレーナーの事も困らせたくないなと思って言いだした事だったけど、あたしがレースの事を謝りたいと分かってから、終始なんだか困ったような顔をしていたんだ。ちょっぴりそんな気がするってだけだけど。

 

最終的に話が上手く収まったと喋った事が間違っていたとはしないけれど、これだからあたしは色々と不足していて、他に合うやり方はきっとあって、他の娘ならもっと上手くもできる、ここも反省点の一つなんだろうな……と考える。

でも、それに対して今また口にするのは困らせ顔を強くしてしまうだけだとして止めて、そこからは明日からの方針など僅かに残った今日やるべきものを済ましていったのだった。

 

 



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ミナライユウシャとユビキリ 帰還

季節は8月。ジャパンダートダービーの結果を受けて今後の方針変更。

暫くはレースの事は考えずに地味にじっくり基礎鍛錬をというわけで、あたしは多くのルーキーちゃん達と共に非常に暑い中で繰り返し過ごしていた。先輩なだけに彼女達のものより割り増しメニューで。

 

そうして学園は夏休みで時間がある分、朝も早くから駆り出され午前中にみっちりやりきったあたしはチーム部屋のソファに座る。未だ半袖ハーフパンツのトレーニングウェアのままで。

休みになる午後の予定を楽しそうに話す後輩ちゃん達が部屋から出て行くのを見送った後にはソファへ横になって沈んだ。

 

やることは少し増えただけでも疲れは倍増ほどのものを感じて、今日は特に疲れたと用意した冷水に浸して絞ったタオルを顔に乗せて仰向けに。頭は部屋の奥側に向けて下にはクッションを、足も肩幅よりも少し大きく開いて少し上げてソファの肘掛けに乗せる。

これは気持ち良しと力も抜きに抜いてだらけていた所に部屋のドアが開く音、続いて近づく足音と気配。誰かなーとは思いつつも一度ソファに預けた身体は重く起き上がる気力もなく。

 

「なんて格好してるのよ……」

 

その内に聞こえてきたのはエクセルちゃんの声だったので、別に起き上がらなくてもいいかとそのままで返事。

 

「いいよ、これ、気持ちよくて」

 

「そこは否定しないけど。新入りも来るってのにさ、それ見せつけるの?」

 

目が隠れた向こう側、呆れているのだろう顔が浮かぶ声を聞きながら(また誰か増えるのか、あたしが来た頃と違って大所帯になってるなぁ、続けてルーキーちゃんが来るのかなぁ)と感想を抱きつつ、「まー、ありのままのあたしを分かってもらえば、それでいいかなって~」と、出てくる言葉からも気が抜けもしながら答えてみれば「ああ言えばこう言うと、疲れていても口は好調だねえ」と、さらに届く呆れ声。それを聞いても(何を言われようとも、この状態は解除できないんですよ)と、放っておく方向に。

 

「ねえ、これ、どう思うよ」

 

けれども次はそんな風に他の誰かに問うような事を言うものだから、来たのはエクセルちゃんだけじゃなかったのか、聞き方からしてシックちゃんでもないし……と考えを巡らせつつ開いた足はツーッと閉じながら顔のタオルに手をやる。

 

 

「あまり良い事だとは思えませんねぇ」

 

 

その時に聞こえたのは、エクセルちゃんと同様に呆れているような、困ったちゃんへ向けるような声。そして、これまで何度聞いたか分からない声。

 

タオルに持っていくまではゆっくりだった手もそこで勢いよく動かしてタオルを取り去って、両手をソファに付けて上半身も起こしながら見てみれば、声を聞いた時から勘付いてはいたけれど、伸ばした足の先、ソファの向こう側にはグラスちゃんが立っていた。左脚のスカートの下から少し見える包帯が痛々しくもありながら。

 

と、そこからはすぐに目線を外せば今度は自分の状態が強調されて、こんな足の裏を見せている場合ではないとガバッと起き上がってソファの上に正座。

 

「退院おめでとう、グラスちゃん。それで今日はどうしたの?学園への挨拶回り?」

 

そう、数日前にグラスちゃんの退院の報は聞いていたのだ。

今日の練習中にもルーキーちゃん達とその話題にもなってもいた。当初の診断よりも骨のくっつき具合は良好で、日常生活を送る分には問題ないとのそんな話が。今こうして見ていても患部を固めてはいるのだろうけど松葉杖を持っていたりなどはしていない。知っていた情報を思い返しながら思いついた事を言ってみると、グラスちゃんの隣でエクセルちゃんが「あーあ」って顔をする。それには的外れな事は言っていないのにな……と、疑問符を浮かべるしかない。

 

「いや、だから、さっき私が伝えたでしょうに。新入り来るって」

 

「ふぉ!?」

 

思わず変な声が出た。

 

「おかしな姿の次は一体どこから声を出してるのよ……」

 

「え、だって、チームに入ってくるのって、グラスちゃん!?」

 

可哀想な娘を見るような目のエクセルちゃんを確認しつつ今しがた頭に入れられた情報をまとめながら、二人の方にソファ上を這うように近づこうとする。

 

としたところで、進めた右膝がソファのカーブを滑って空間を切った。

前方しか見ておらず、ソファの幅への考えを誤った………と思った時には既に遅く、ガクンと身体が落ちてズシンと床へ。その横にあるテーブルに当たらなかっただけ良かったけれど、それでも床でしこたま打った右膝に「痛てて」となりながら体勢を戻しつつ四つ這い状態で顔だけを上げる。

 

そこにはエクセルちゃんが少し屈んであたしを見ていた。

 

「……大丈夫?」

 

「それは身体と頭とどちらの意味で」

 

「両方かもね。と、そんな事が言えるなら平気なんだろうけど」

 

何やってるんだか……と付け加えられながらも差し出された手を取ってそのまま立ち上がる。

膝はまだちょっと痛いけど、グラスちゃんをこちらに来させるわけにはいかないの足早で近づく。

 

「そんなに驚かれるとは思わなくて、ごめんなさい、デジタル」

 

グラスちゃんは口に手を当てながら、あたしの膝を気にしたように言う。

 

「その気持ちだけで十分で。あたしが焦りすぎただけだから。で、もう一回聞いちゃうけど、グラスちゃんがチームに戻るの?」

 

「はい。今後のリハビリをするにも慣れた場所の方が良いということになりまして。またこれからよろしくお願いしますね」

 

そうしてグラスちゃんは丁寧にお辞儀をしてからニコリと。

それには、あたしへのグッとくる表情いただきましたよコレ、となりながら、グラスちゃんのそんな顔をまたこうして直接に見られたことに、右手は自然と拳を握りしめ、心の中で「よしっ」となる。

 

そこにやりとりを見ていたエクセルちゃんが一歩近づいて。

 

「それにしても面白リアクションを期待してきたのは事実だけど、裏切らないねえ、デジタルは」

 

「どういうこと?」

 

「グラスが戻るのは昨日には聞いていたんだけどさ。

 で、「今日早めにはデジタルには伝えた方が良いんじゃないか」ってトレーナーもシック姉も言っていたんだけど、「いや、これ絶対面白いことになるやつなんで!」と止めてもらって、こういう感じにしたんだよねえ、私が。グラスにも「伝えるの止めてねー」と釘差して」

 

「えー、じゃあ、あたしを驚かそうとしていたってわけ?そこで面白さを優先しないで欲しいね、エクセルちゃん」

 

「そんな膨れなさんな。結局はトレーナー達やグラスだって乗った話だし、私の独断ってわけにもならないからねえ」

 

「そうか、グラスちゃんも乗ったのかー」

 

「誘われたら断れなくて……私も少しビックリしてくれるかなとは期待してしまいました」

 

そこでグラスちゃんはもう一度申し訳なさそうにも微笑む。

 

「いやいや、結果ビックリ度合いが少しでも沢山でも、それでグラスちゃんが面白く思ってくれたのなら、あたしは満足ですよ」

 

「私相手と態度が違い過ぎやしませんかね……」

 

そして余裕の表情で返してみたら、エクセルちゃんには実に納得いかないといったように突っ込まれたのだった。

 

その後は今後の話やグラスちゃんが入院中の学園内の事件の話をする。

その時も楽しそうにもするグラスちゃんを見て、あたしはまたグラスちゃんがこのチームに居るんだ、居てくれるんだと、何度も心の中でその事実を確認するように繰り返していた。

 

 



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夏の日

8月のお盆も過ぎた頃、あたし達は1週間の夏合宿へと。

後ろには山、前には海、それは素敵なロケーションの宿泊施設。近所には整備された競技場もあって、トレーニングするのにもピッタリと、場所は変われども、あたしはそこで地道な鍛錬を重ねる事になりました。

 

いつもそうした合宿をするわけではないのだそうけれど、あたしは基本がまだ足らないと、ルーキーちゃん達もまずはそうした部分からと、こういうものをしっかりやらないと、という事でチームの中で多数派に合わせたメニューとなったそうだ。

シックちゃんにエクセルちゃんにグラスちゃんに先輩勢は、そのサポート面が強い構成に。特にグラスちゃんはトレーニングはまだ早いので、トレーナーの横でトレーニング中の記録係から何やらを中心に。

 

身体の事を考えると当初は夏合宿への参加はしない方向であったそうだけれど、グラスちゃんの「チームの一員ですから」との強い希望。全く動かないわけにはいかないし、あたし達の面倒を見ながらの行動程度の負荷は入院時の医師にも勧められて、何かあった時にはこの夏合宿の場なら過去の合宿時も世話になった病院が近くにあるので問題なしと話がまとまったようだった。

 

それでもまだゆっくりとしか歩けない状態で、競技場でのトレーニング時はまだしも裏の山でのトレイルランなどをする時は宿舎にお留守番。でも、あたし達が疲れて帰ってくればクールダウンの準備が完璧に整っていたり、何というか副トレーナーといった様子で何事も済ませてくれて、おかげであたし達も難しい事を考えずに行動が出来て本当にありがたい事ですというものだった。

 

グラスちゃんがそうならば、そんな疲れる前段階の事はシックちゃん&エクセルちゃんの出番で。

山をヒイヒイ言いながら登るのを横で元気付けたり煽ったり、あたしのような基礎能力が足りない勢もそれぞれ飲み物を持って走ってはいるんだけど、二人は予備用の物まで背負いながら他を気にしながらのその様子に経験の差を痛いほど感じた。

 

エクセルちゃんはそれでも意地でこなしていたのか最後は大分疲れてもいたけれど、シックちゃんは帰る時まであたし達を細かに気にしながら走って顔はのんびりした様子には、こういう場合に合った方法があるんじゃないかと聞いてもみた。

 

「なんでそんなに平気なの~」

 

「うーん、私も平気なわけじゃないけれど。こう、辛くなったらちょっと緩めて体力を回復する感じでやるといいかな?」

 

「そんな足踏みしたらHPが回復なゲームみたいなの無理~」

 

だがしかし、そう実にゆったり答えられ、年長者の力と余裕には平伏すしかなかった出来事だった。

 

そうして山を使えば海も使う。

と、やる事はトレーニングだけでなくて、ここではせっかくの夏なのでと海水浴の時間も作られて。その話にはちょっと用意の時間の掛かっているルーキーちゃん達を、あたし+シニア勢+トレーナーとで宿舎入口で待っている時から興奮。

 

「デジタルってそんなに海好きなんだ」

 

あたしは特別に「楽しみだよね~」とは言ってもいなかったんだけど、どうやら全身から何かが伝わったようでエクセルちゃんにそう言われる。

 

「海が大好きなわけじゃないけどー、ウマ娘ちゃん達と波打ち際でアハハとか最高じゃない?初々しいルーキーちゃん達を「ほら待て~捕まえちゃうぞ~」とか、考えるだけで体の熱が上がっちゃう」

 

「あ、それ駄目だわ」

 

「駄目ね」

 

「駄目ですね」

 

「駄目」

 

天井を見上げながら妄想が捗っていたところで叩き落すかのような声に、「ええ!?」と4人の方を見る。

 

「なんで!いや、エクセルちゃんはそういう事を言うだろうなとか思ってもいたけど!

 譲ってチームメイトまでなら分かるけど、トレーナーまで入るなんて!捕まえたまま撫でまわそうとか思ってないよ!やりたくてもそこは我慢するよ!」

 

「いや、そうではなくて、ねえ……」

 

トレーナーは何だか言い難そうに。

そして、ちらっと固まって立つ他の3人を見て、するとシニア勢は示し合わしたように目を逸らす。

 

「え、何?何なの?」

 

全く話が見えなくて、あたしは色んな方向をそれぞれ見ているシックちゃん、エクセルちゃん、グラスちゃんの顔を次々覗いていく。それでも3人ともあたしの顔からも目を逸らして黙ったまま。その顔は何か隠しているような気まずそうな。それでも難しい顔をしているわけでも嫌そうでもないような。

 

「……言おうか?」

 

次にトレーナーがそう言うと、3人は顔の方向を戻して済まし顔でどうぞどうぞというように掌を向ける。

 

「去年の合宿の時にも海水浴の時間を作って、最初は楽しそうにしていたのはいいんだけれど、砂浜で追いかけっこをしている内にこの先輩達が他の娘相手に本気になってしまってねえ。

 まだ入ったばかりのルーキーの中には「先輩達が恐いんです!」と怯える娘も出るし、広い砂浜でそんな事をしているものだからギャラリーも集まってきて、それでも止めずに最後の一人を捕まえるまで一帯が大盛り上がりで……。今年も来たら、去年の事を知ってる人から「またあのイベントしないんですか!?」だとか何度も聞かれて……」

 

そう、去年も今年もその対処に困ったとトレーナーは頭が痛いかのように額に手を当てながら長く溜息。

 

「最初は本当に遊びのつもりだったんだけど。ほら、逃げてる娘達もスピード上げていたから負けたくなくて……」

 

と、我ながらテンション上がってしまってねえとアハハと頭を掻きながらのエクセルちゃん。

 

「集まってくれた方々にも応援されて、頑張らないといけないかな~?と思いまして」

 

と、ウフフとも楽しさを思い出しているようかのシックちゃん。

 

「始まったからには最後まで。一度決めた相手を捕り逃すことは避けたかったんですよ」

 

と、そうしなければならなかった使命かのように力強くグラスちゃん。

そのグラスちゃんの言葉には、エクセルちゃんもシックちゃんも「根本にあるものはそれだ」というように大きく頷く。

 

「そんなもんかねえ、他のチームならあんな事にもならないだろうに、ウチに集まる娘はなぜだかこう……」

 

「そういうもんだよ。他の娘だってそうもなるって。私達が特別ムキになったんじゃないよ」

 

「私達の本質とも言えましょう」

 

「そうよね。ウマ娘を形作るものですよ、トレーナー」

 

言われた言葉に半信半疑に、また愚痴っぽくも答えたトレーナーに、3人は揃ってにじり寄りながら語る。そうして一斉に寄られたトレーナーはタジタジと。

 

ふと気が付くと準備を終えたルーキーちゃん達がゾロゾロ集まってきて、不思議そうにも何事かと事件かのようにも問うてきたけれど、先輩達はまだトレーナーに対して「ウマ娘の何たるかを分かっていない」と言い足りないようだったので、あたしがこの場はどうにかしましょうと、「何か楽しそうだからしばらく放っておいてあげてー」とまとめて、その場の嵐が過ぎ去るのを眺めて待ったのだった。

 

その後は予定通りに砂浜へ。

追いかけっこの件についてはトレーナーから

 

「今の話を聞いても分かったと思うけど、また同じ事やったら同じ展開が起きそうだから。そういう遊びは今後無しという事に去年なってね」

 

と、しっかり教えられて、3人の言葉を聞いているとそれはそうかもと、あたしも参加したらそうなっちゃうのは分かるかもと理解して、他に海での遊びを満喫したのだった。

 

 



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二人、夕陽の下

そんなこんなで合宿も終わりへと向かう。

翌日はトレセン学園へと帰るだけなので、トレーニングとしては最後となった日の夕方、本当はこの時間も練習となっていたのだけれど午前中で思った以上に皆が疲れているというわけで午後はカット。そこで「よし、休みだ遊ぶぞー」とはならずに疲れきったチームの面々は深い眠りへと入っていた。

 

あたしもそうしてもよかったんだけど、他の娘よりは体力がまだ余っていたし、せっかく遠くまで来ているし勿体ないなと、明日には別れを告げるこの土地を色々見てみようと散歩に出る。

気の向くまま歩いていく内に、上の方からの景色を最後に収めようかと、宿泊地のすぐ傍の緩やかな坂を上った先にある展望台へと行く。

 

辿り着いてみれば、そこには先客。

丸く形作られた広場の海を臨む側、設置された柵に手を付いて立ち遠くを見るはグラスちゃん。

何かを考えているかのように海を眺める横顔は、あたしが近くに居る事になど気づきもしないようだった。あたしもあたしで宿舎からの道を考えるとグラスちゃんのリハビリにとっても丁度良かったのだろうかと考えもしながら、その姿を見つめる。

 

あたしはその様子を邪魔したいわけじゃなかったのと、グラスちゃんがこんなに近い場所にいるのにどこか遠いように感じてしまって、声もかけずにそこに居た。

 

いや、あたしは本当は分かっているんだ。

それはなぜかではなく、グラスちゃんがいつかどこかへ行ってしまう事を知っているから。

だから、こうしていても遠いようにも思える。近づき手を伸ばしたとしてもそれは届かないようにも思える。

 

グラスちゃんがチームに戻ってきたのは、あくまでリハビリのため。

それはグラスちゃんの帰還を知った後の報道でも見た。グラスちゃん本人もそのアドバイザーもトレーナーもはっきりとそれを示していた。

だから知っている。トレーニングが十分に出来る状況になれば再び移籍する、ということを。

 

グラスちゃんの身体の状態は決して悪いものではない。

トレーニングが出来るようになってからどうなるかはまだ分からないにしても、退院まで予定より早くなって、チームに戻ってきてからもそこは順調に進んでいるようだった。

 

それは良いことだ。

でも、それと共にグラスちゃんがいなくなるまでの砂時計の砂は、確実に、止まることなく落ち続けている。

あたしにはそれが嫌だった……

 

思わず地に付く足にも力が入ったその時にグラスちゃんが気配に気づいたのか、柵から手も外してこちらを見る。

 

 

「あら、デジタル。どうしてここに?」

 

「明日には帰るから、まだ行ってなかった場所に行こうかと思って。この辺をぐるっとした後に最後にここに来たんだー」

 

考えていた事は止めて答えながらグラスちゃんの方へと近づいて、その左隣、柵に両手を置きつつ立つ。

 

「そうでしたか。けれども他の娘達のように寝なくても大丈夫ですか?今日も午前のトレーニングは重いものを随分とこなしていましたけど」

 

「平気みたい。この合宿中だけでも体力が上がったのかもしれないねえ。その事についてはグラスちゃんにお礼を言いたいな。ここに足が向いて丁度良かったかも」

 

「お礼だなんて。言われるようなことはやってはいないような……」

 

「やってるよ~。グラスちゃんが準備してくれて他の細かな事も目を配ってくれるから、あたし達はあまり他の事を考えずに済んだし、ちょっと任せすぎでいけなかったかなあと思うくらいだよ」

 

「いえいえ、そんな。私の手が空いているんですから、それでいいんですよ。デジタルが成果を実感できるほどになれたのなら、私としても喜ばしいことです」

 

「うん、充実した合宿だったよ。こういう事するの初めてだったけど、山登りとかも疲れたけど楽しくもあって、もっと辛いの想像してたから、こんなので良いのかなーと思うくらいだったよ。場所も良かったよねえ。一通り近辺でこなせるし、御飯美味しいし、こうやっている今も良い眺めだしね」

 

そうして開けた景色を見れば、ここに来てからでも特に晴れ渡った空にある夕陽を受けて、既に遊ぶ人も帰ったのか、静かな波際が光るのが目に入る。

 

「そうですね。私も本当はもう少し他へも歩こうと思ったんですけど、ここに来たらついつい長居してしまいました」

 

「その気持ち分かるよー」

 

心から同意しながら、その後は二人で景色をそのまま見る流れに。

 

 

そうしながらもあたしは考えるものがあった。

景色を見ながらもどうしても隣に居るグラスちゃんの事を気にして何度かちらりと見る。

その度にやっぱりこんなにもすぐ傍にいるのに、遠い存在にも思えてきて。

あたしとしてはすぐ傍にいて、近い、身近な存在であって欲しいのに……

 

グラスちゃんが戻ってきての学園内でのこと、そして合宿に来てからの事を考えても、あたしはグラスちゃんにはこのチームに居て欲しいとの思いを強くしていた。今だけじゃなくてずっと……

 

グラスちゃんがチームに居るとチームが華やぐ。それだけじゃなくて、チームの中が上手く回るんだ。

 

といっても、チーム自体がトレセン学園内で見てもまとまっている方というか、あたしがここまで在籍している中でもウマ娘ちゃん内でトラブルらしいトラブルが起きたこともなくて、潤滑油役が居ないといけないチームだというわけではない。

 

そんな基本的に穏やかに緩やかに稼働しているチームだけど、そこにグラスちゃんが居ると居ないのとではやっぱり違いが出るものだった。それをグラスちゃんが戻ってきた事で再確認したし、今は自分のリハビリはリハビリで行いながら、空いた時間はあたし達のトレーニングのサポートに徹してくれているグラスちゃんがいることで、これまで以上にチームの中の歯車はクルクルと引っかかりなく動いているように思う。

 

ルーキーちゃん達はそんなグラスちゃんの身体の事を当初は気にしすぎて、先輩にそんなに負担かけられないとか、中にはグラスちゃんの前でレースの事を話して良いものかとまで心配してしまう娘もいたものだった。

そんな娘達にはグラスちゃんは頼ってくれていいんですよと快く、そして、怪我は慣れてますからと笑顔で言って皆を安心させて、その姿もただただ精神が強いと、どうすればそこまで強くなれるのだろうと思うものだった。

 

トレーナーもそんなグラスちゃんを信頼して任せているのが分かるし、グラスちゃんも真面目だからと義務感でそうしているわけもなく、望んでそうしている、トレーナーの仕事を手伝うのがリハビリ中にある息抜きのようにも楽しんでいるようにもあたしには見えて。

だから改めてグラスちゃんが移籍した時に流れたトレーナーとの間に悪い方向に何かあっただとかいう噂なんて絶対嘘だねとも思ったし、グラスちゃんが病院で心配していたような事も何事もなかったのだろうことだって聞かなくたって伝わった。

 

そんなトレーナーとグラスちゃんがいて。そうしてチーム内の全てが淀みなく良い方向へ向かっているかのようだった。あたしはこれからもそんな光景が存在していて欲しかった。

 

たとえ難しいものだとは分かっていても、それでも……

 

グラスちゃんがチームを離れる時に何があったか、どんな話し合いがされたか、それは未だ当事者達だけが知る話だ。けれど、その話がどのようなものであったとしても、一回きりや僅かな期間のリフレッシュと銘打たれたわけでもなく一旦チームを離れたのなら、やっぱり元の鞘に完全にすぐ収まるだなんて事には世の中ならないのは、いくらポジティブに捉えたいあたしにだって分かることだった。

 

今の状態は一時取られた策でしかない。グラスちゃんの移籍はそれだけ重く長くも話し合って行われた結果だろうし、今回の件があったからと簡単に変わるものじゃない。アドバイザーにも言われたように外野がどうこうするものじゃない。

 

あたしは大人にならないといけないと思う。成長しないといけないと思う。「他に行かないで」「ここに居た方がいいよ」なんて言うのは、それから外れてる。それも分かってる。グラスちゃんにもグラスちゃんの深い考えがある。だからグラスちゃんが選んだ事を肯定して送り出して、そうしないといけないんだ。

 

でも、まだグラスちゃんがチームに居る内に言うだけなら……。今、あたしが思っている事をどうしても選んで伝えたいと思ったんだ。あたしのしたいこと、あたしの望み、あたしの欲望、それを言うのみならば、と。

屁理屈だとは思うけれど、ズルいのかもしれないけれど、やっぱり大人になれてない行動かもしれないけれど、あたしはグラスちゃんに…………

 

 



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遠い約束

「何でしょう、デジタル……」

 

と、その時にグラスちゃんに声をかけられる。顔を向けると、グラスちゃんも「?」と言った顔であたしを見ている。

 

「……え?」

 

「あの、今、私の事を呼んだので何だろうと思いまして……。気のせいでしたか……」

 

グラスちゃんはそう言うけれど、多分そうじゃないと思う。どうも考えすぎて、口からつい出てしまっていたんだと思う。こうなったら進むしかないと、あたしは心に決める。

 

「ち、違わないよ。あたし、グラスちゃんに言いたいことがあって……聞いてくれる?」

 

「ええ、私に出来る事なら」

 

そう、あたしが言いやすいようにも笑顔を向けてくれるグラスちゃん。あたしが言いたいのはまさにグラスちゃんの事で、グラスちゃんに伝えたい事がある。

だから言わないといけないのに、きっかけが掴めずに間が空く。

 

グラスちゃんはそれをただ待っていてくれて、あたしのタイミングで良いというように待っていてくれて、これ以上そうさせてしまうのはもっと心苦しいなともなって、ついに最初の一言を出す。

 

「あたし、グラスちゃんと走りたいんだよ……」

 

ようやくぽつりと出た言葉に、グラスちゃんはほんの少し目を開くようにも反応する。

あたしはその顔を見る。少し上目遣いにもなって。

 

「……そうですね。私もそれが出来たらと、いえ、そうしたいと思いますよ」

 

そしてグラスちゃんは理解した様子で微笑んでくれた。

その返しは嬉しいけれど、これでは言葉が足りない、伝わりきれてないと思う。

これじゃグラスちゃんの復帰の応援とだけ思われても仕方がない。

だから次の言葉を探すけど、今になってどう言えば一番良いのか、自分でも分からなくなる。

それでも何か言わなきゃと焦燥感に押されながらどうにか紡ぎ出す。

 

「その、レースで走りたいのもあるけど。そ、それだけじゃなくて、そうなるまでも……一緒に……」

 

と、そこまできて、また大人になりたいあたしとなれないあたしが鬩ぎあってまとまらなくなる。

そのせいでどっちつかずの最低になった気もして、どうしようと、他の事ならスッと言えるのに、ウマ娘ちゃんに一度突撃すると決めたらどーんと行くのは簡単な事だったのに、どうして今はこうなのかと、もうグラスちゃんの方を見られなくなって目を逸らして唇をギュッと噛んでしまう。あたしの中で色んなものが混ざって時間だけが過ぎる。

 

 

 

 

「それは素敵な話でしょうね……」

 

 

そんな時にグラスちゃんの優しい声、ハッと視線を戻すあたしにグラスちゃんはさらに続ける。

 

「私とデジタルと、シックさんやエクセルもいて、トレーナーも……、そうして皆で、そんな日を迎えるのならば、それはどんなに良いことだろう……」

 

そこまで言うとグラスちゃんは柵へと軽く片手を乗せて遠くを見る。何かを想うように、その表情は幸せな刻をそこに見るように穏やかで。

 

「……そういう事、ですよね」

 

そのまま見つめているとグラスちゃんは悟りもしたように、そして、確認を取るようにあたしを見る。何かを想ったその柔らかな笑顔をたたえたままに。

 

全部言わなくてもグラスちゃんには伝わっていたようで、あたしは自分の優柔不断さに申し訳なく思いながら、グラスちゃんがそれを良い事だって言ってくれたこと、グラスちゃんだってそうしたいんだって分かった嬉しさに何度も頷く。

 

あたしにはそれで良かった。そこから「じゃあ、残るよね」、「どこにも行かないよね」と言ってしまうのは子供過ぎる気がして出来なかったけれど。それさえ聞ければ何も問題はないように思えた。

 

グラスちゃんがそうしたいと思って、トレーナーが嫌がるわけはないだろうし、グラスちゃんのアドバイザーだってどういう人かよく知らないけど、どういう考えがあるかは分からないけど、もしかして最初の移籍からしてその人の強い希望とか何か事情があったのだとしても、グラスちゃんの想いを無下に拒むような事はないはずだもの。

 

 

 

「しかし……」

 

と、そこで、グラスちゃんが自分の左脚をスカートの上から摩る。

 

「そうはしたくとも、デジタルがチームに居る間に間に合うかどうか……、デジタルは他のチームでまだまだ勉強する事になるでしょうし、期待に添えられないかもしれません」

 

そして残念そうに紡がれたその言葉を聞いて、あたしは重要な事に今更になって気づく。

移籍の話ならばあたしにもいつか来ることで、あたしの言った事はグラスちゃんを急かすことにだって繋がることに。さっきどうにも言葉が出なかったのは、何かを忘れてるんじゃないかという自分からの危険信号だったのかもしれない。

 

「あ、それは大丈夫だよ!アドバイザーにも「お前はまだ全然だな!」とか言われてるし、「基礎からやり直しだ!」ってこの夏なんてこっぴどく言われたし、この合宿で伸びた分があってもそれ報告したって、きっと「調子に乗るな!」なんて言うだろうし、あたしももっと学ぶ事が沢山あるって思ってるし、まだ長くこのチームに居ると思うから!」

 

思わず手を広げもしながらアドバイザーのモノマネも入れもしながらのあたしの精一杯の弁明に、グラスちゃんはフフッと小さく笑う。

 

「成長は早い方が良い、デジタルのそれを良い事のように思うわけにもいきませんけど、それなら私も一つ一つ治して行きますから……お互い頑張りましょうか」

 

「うん」

 

そうして二人で笑顔で顔を合わせる。

 

「ただ、一つだけいいでしょうか、デジタル」

 

そこから、グラスちゃんはゆっくりめにそう言った。

 

「ん?」

 

「今日のこの話は、二人だけの話にしておいてもらえないか、と思うんです」

 

それはグラスちゃんの心配な事があるような様子での発言。そこであたしは(どうして?)となったけれど、ちょっと考えて分かるものがあった。これはチームにとって良いニュースで、ビッグニュースになるだろうけど、今どこからか外に話が出るのはあまりよくないものだと思う。

 

グラスちゃんはそれだけのウマ娘だし、今の所リハビリのために戻ったと話が出たばかりなのに、そんなんじゃないですよーなんて噂レベルでも流れたら周りがざわざわすることになるだろうし、リハビリを続けていく内にそういう事になりましたって話にする方がいいと思う。

 

チーム内の話だって、グラスちゃんが帰ってくる時には知らされずに驚かされたあたしだけど、今度はあたしだけが知っていて、その日が来たら「あたしは知っていたもんね」と皆を驚かせる、特にエクセルちゃんには今度は仕返しって「これは絶対面白いことになる」ってやつだし。あたしとグラスちゃんとだけの秘密の共有なんて、それもワクワクする。

 

「分かった、今、他の誰かが知ってしまうと拙い事だもんね。あたしは言わないよ、誰にもね。約束する」

 

と、あたしは右手小指をグラスちゃんの方に差し出す。

 

「ほら、日本だとこんな風にやるよね」

 

「指切り……」

 

「そうそう」

 

グラスちゃんはあたしの指の格好を見てから気づいたように、そこからそっと同じように右手の小指を引っかけてくれて。

 

「あたし言わないから、グラスちゃんも忘れないでね、今日のこと。守ってくれるって約束してね」

 

あたしがそう言うと、グラスちゃんは掛けた指をピクリ動かし、一度目を伏せる。

その次にはしっかりとあたしの小指を掴んでくれて「ええ、そうしましょう」と、見せてくれた瞳にあった強い意思。

その中に、グラスちゃんは、この不死鳥とも呼ばれたウマ娘ちゃんは何度でも必ずターフに戻ってきてくれる。そう、このチームで……というものを見て、グラスちゃんのこういう顔がまた何より素敵なのだと思いながら、あたし達は約束をした。

 

指切りげんまんと口にしながら心に刻むように。

沈み始めた夏の夕陽の下で行われたそれは、グラスちゃんも忘れないでいてくれると思うけれど、あたしも絶対に忘れないと、この合宿の中で過ごした時間の中でも心に残る一瞬だった。

 

 



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ミナライユウシャのオリタツダイチ 砂の地で

9月となり今年も残り3か月。

そしてG1レースがまた続くようにもなりURA界はノンストップで盛り上がる3か月。

 

あたしはというと夏休みが明けても体力作り。

チームはというとその間も入れ替わり激しく、夏にいたルーキーちゃんが他所へ旅立ったり、また新たな娘が入ったり、2年目以降の娘ちゃんもクラシック組からシニアのお姉さま方まで色々と。

理由もリフレッシュだったり他のチームのトレーナーが指導禁止での臨時受け入れだったり様々に。

あたしの行う事は単調ながら、こうして数々のウマ娘ちゃんが黙っていても近くに来てその姿を見せてくれるのは上質のスパイスとなり、時に甘く時に辛く、しかしどれも美味しく堪能しながら充実した日々を過ごす。

 

トレーナーもウマ娘の行き来に引き継ぎにあちこち飛び回っているけれど、「頼られる内が華だよね」と言いながら休むことなく。去年の有マ記念の時は「年かな……」なんて言葉も聞いてしまったけど、その後も疲れているのかなと思う時もあったけれど、あの頃の時期に比べてここ最近のトレーナーはあたしから見ても何だか楽しそうに感じる。

 

そうして忙しそうでも乗り切れるのは、やっぱりグラスちゃんが傍で手伝っているのもあるのかなーとも思う。

時期によっては各年代のウマ娘ちゃん達が入り混じって大所帯になったこともあったけどトレーニング時間の調整だとかその他諸々を二人で何かと話し合ってテキパキと処理されていくのを目の当たりにする。

 

グラスちゃんの故障については、歩く速度はまだゆっくりと、回復に向けても焦らずと、一歩一歩進んでいる。まだ長い道のりがあることは分かっていても着実に前に向いている好感触があるのか、夏の頃よりも表情も明るく見える。

 

この9月には宝塚記念で背中を拝することになったメイショウドトウちゃんが短期預かりでチームに来て、そんなメイショウドトウちゃんのサポートもしながら、あの宝塚記念の時の話もごく自然にしているのも耳にした。

メイショウドトウちゃんの方は何か恐縮しっぱなしだったりグラスちゃんの身体の事を気にしたり、また背中がどんどん丸くなっていってしまっていたけれど。

 

あたしとそんなグラスちゃんとのあの合宿での約束については、何回も口に出すのはグラスちゃんを急かす事に絶対にならないとは言えないので言う事は無かった。それでも一人の時は時々寮の部屋で交わした小指を見ながら思い出しては「明日も頑張るぞ!」とたり、あたしを何度でも前に向かせてくれる出来事になっていた。

 

でも、あたしとしては約束は果たされなかったとしても良いと思っているのもあった。

 

レースで本気のグラスちゃんと走る事が実現したら最高にそそると思う。

けれど、あたしがその時に別のチームに居たって全く構わない。それで約束を破ったねと針千本でもハリセンボンでも飲むことになったとしてもバッチコイ。たとえそうなっても外側からであっても、グラスちゃんがこのチームに他の皆ともいるのを見られたのなら、それがあたしの幸せになる。チーム内だけの話じゃなくてどこであっても、そうして周りを明るくできれば、ウマ娘ちゃん達がこの世界で楽しく過ごせるように力になれたら、それでいいんだ。

 

そうして見ていたい内の一人であるシックちゃんのこの秋は「調子が上がらないのよねえ」と初心に帰る事にして、あたしやルーキーちゃん達のメニューを同じように行ってもいる。

そうしながらもまだ学園生活の日の浅い娘ちゃん達の日常相談を受けたり、競技者としてどうするかという面のお姉さん役がグラスちゃんなら、生徒としてどうするかという面においてはシックちゃんが担って、あたしはこれがこのチームのバランスの良さですよと後方で満足&理解顔をしながら時にはルーキーちゃん達の相談に乗ろうとしてみたり。結果「シニアの先輩方が良いです……」って言われてあまり任せてもらえない事は「知ってた!」とリアクションしておくことにして。

 

エクセルちゃんはといえば、今月になって夏休みの頃には予定していなかったレースに出ようと主に最近チームに来ているシニア組と一緒にトレーニング。

そうして挑んだレースでライブまで後一歩届かずに「ぬあーっ」となっていた。あまりに「ぬあーっ」としていたので、その日の夕食は残念やけ食い会として付き合って二人で美味しい店巡りをした。食べ終わる頃にはそれはもうスッキリしていたエクセルちゃんを見て、これは素晴らしい切り替え能力と感心したほどだった。

 

それであたしがどうかとなると、体力作りはしながらレースに向けての調整もして9月末に一つレース。

中山で行われた1800ダートのG3、ユニコーンステークス。

ここでデビュー戦を同じくして人気1位2位で結果1着2着となって敗北した相手マチカネランちゃんと再び同じ戦場に。お互い中央の重賞に出られるくらいになれてまずは良かったねーなどとレース前は話しつつ、いざレース。結果としては今度はあたしの勝ち。マチカネランちゃんが2着で二人揃ってのデビュー戦以来の重賞ライブ。

お互いこんなことできるまで育って良かったねーとしながら、翌月も対戦。

今度は翌日末の府中1600ダートのG3である武蔵野ステークスでシニアクラスの娘ちゃんに混ざりながら。

そこではあたしが2着でマチカネランちゃんが3着と2レース続けて一緒にライブを行う結果となった。

 

レース内容としては勝利したユニコーンステークスはもちろん武蔵野ステークスの走りも評価されて、注目ダートウマ娘として記事に書かれたり、ジャパンダートダービーの後では言われた力の弱さも解消されたとも称されるように。

あたしとしても地道に鍛えた甲斐があったと「もう砂の重さにも負けないぞ」と「次の砂よ、やってこい」と思いながら、武蔵野ステークスが終わった後日、11月に入ってアドバイザーの部屋を訪ねることになった。

 

 



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芝の地へ

いつも通りの仕事部屋、いつも通りにテーブルを挟んで向かい合って座って、まずは武蔵野ステークスの内容について。これは勝てはしなかったけれどほぼ肯定されながら、さっさと今後の予定の話に。

 

「それで次のレースの話だけどな」

 

「んー」

 

コップに入れたジュースをストローで吸っている時の言葉にそう返しながら、(次でダートというとまた来月の末のジャパンカップダートかな)、(場所は大井じゃないけれど砂のG1でのリベンジは早くにもやっておきたいところ)などと頭の中では流しつつ聞く。

 

「次はな、マイルチャンピオンシップにしようかと思っている」

 

「うぇ?」

 

そこに飛び込んできた言葉に思わずストローから口を離す。

 

「これはまた変な声を出すものだ。まあ、驚くとは思っていたが」

 

「驚くというか、マイルチャンピオンシップなんて今月に終わってるし、出ようにも出られないでしょ」

 

アドバイザーが日程を勘違いなんてことはないだろうしと、「変なボケかまさないでよー、ヤダなー」と片手をパタパタさせながら突っ込んでみれば、「南部杯の事じゃない」と、向こうからはビシッとしたツッコミ。

 

「え、盛岡のマイルチャンピオンシップじゃなくて?他にダートであったっけ、そんな名前のレース」

 

「今度はダートじゃない」

 

「うぇ!?」

 

「まーた、そんな声を。もう少し女の子らしいものをだなぁ……」

 

「そういう事は後で聞くからさ、まずはこの話しようよ。じゃあ、中央の芝G1のマイルチャンピオンシップってこと?」

 

「ああ」

 

説教の開始は止めてもらおうと即軌道修正をしてみれば、アドバイザーからはハッキリとしたその返事。

 

「なんでまたそこに決めたの。てっきり次もダートだって思っていたから、さっきもあんな発想にもなったよ」

 

「それに関しては俺もジャパンカップダートの方向で考えていた。けれど、トレーナーと話した時にマイルCSの方が良いじゃないかと言われてな。ジャパンカップダートは2100もある、芝でも1600の方がと」

 

「んー」

 

そこであたしは腕を組み顎を上げて考える。

 

「なんだ、お前としてはダートの方がいいのか?」

 

「そうじゃないけどね。あたしはアドバイザーの事もトレーナーの事も信頼してるし、決めたところで出るよと思ってるけど。でも、二人の意見が分かれてたって聞くとちょっと……」

 

「流れとして最初はそうだったってだけだ。気にすることもないだろう。それにジャパンカップダートの距離が長いというのは俺とて引っ掛からないわけじゃない。不安要素としては残るものだったからな」

 

「うーん、芝はまた久しぶりに走るし、どちらも不安はあってどちらが良いかか……」

 

あたしはあたしなりに考えを続けると、アドバイザーも頭を掻きながらあたしから顔を背けて考える様子を見せる。やがて一つ大きく息をついた後に何かを決めたように向き直して言う。

 

「そのな、俺もマイルCSで良いかと思ったのはもう一つ決め手があって、その、場所が場所だったからな……」

 

「場所って京都だよね。前のチームに居た時に芝レースの経験という点ではあるけども…」

 

「経験という点ではそうだが、お前じゃない。トレーナーの話だ。だから、何か秘策でも編み出してくれるかもしれないと……」

 

「……秘策?」

 

その響きにあたしの耳がピーンと目がキュピーンとなる。

 

「ほーら、食いついた」

 

やっぱりと言ったようにアドバイザーは再び頭をガシガシと。

 

「そりゃ何だか素敵なフレーズだったからね。それでトレーナーと京都と秘策って何?何?」

 

と、テーブルに身を乗り出して聞くあたしに対してアドバイザーは落ち着けといったようにジェスチャーして、こちらは特別身に力を入れるようでもなく話し始める。

 

「彼は京都の場の特徴をよく分かっていて、その策の組立には過去に定評がある。デジタルの場合にどうするか、なんて話にはまだなっていないが、俺としては作戦については全般任せるつもりでいるくらいだ」

 

「ほー、そんなにも。あたしの場合はまだ分からないにしても、他の場合は?例えばどんな話があったとかちょっと聞いてもみたいんだけど」

 

あたしの言葉にこれまたアドバイザーはやっぱりといった様子を見せる。

けれども、今度は頭を掻いたり間を作る事もなく、まず一言。

 

「同じチームにエリモシック、いるだろう?」

 

「おお、シックちゃん。シックちゃんと言うとエリザベス女王杯、つまり京都レース場」

 

「そういう事だな。俺はその時のレースを現地で見ていて、見事にやられたわけだ彼女と彼に。俺の担当している娘も出ていて、その娘が圧倒的人気を集めていたレースでな」

 

「なるほど~」

 

と、あたしはこの辺で話が分かってくるのもあったけど、それでも深くは言わずにそれだけにする。

 

「その担当していた娘は俺がアドバイザーとして関わって初めてG1ウマ娘になった娘で、ダンスパートナーと言うんだが、これがまた気が強くて我儘で手のかかる娘でなぁ……」

 

アドバイザーはそうしてその苦労したらしい頃を思い出すようにも懐かしそうにも言う。

あたしもウマ娘ちゃん話を聞くのは好きだしアドバイザーがそれでも楽しそうでもあったので、そちらの事も詳しくとしてみることにする。

 

「その辺の話から聞きたいかも」

 

「それなら順序立てて行くか。そのダンスパートナーという娘は見た時から才能は感じさせる、特にその末脚がキレるものだった。しかし、身体が弱かったり精神面が実際レースをしっかりこなせるようになるまで時間かかり、それでも合うトレーナーを探してデビューまで持っていって、それからたった四ヶ月でオークスにおいて俺にアドバイザーとして初のG1勝ちを見せてくれた娘だった。

まあオークスに挑む時もやれ「走るのになぜこんなゲートが必要なんだ」とか「ゲートに入りたくないだ」とか言って頭を悩ましてくれる娘だったが。その後はフランス遠征させてみたり、オークスのタイムがその年のダービーのものより良いものだから菊花賞に挑戦させてみたりとな。まあ本番菊花賞では1番人気にまで推されたが5着で、勝つまでにはいかなかったがな」

 

アドバイザーは喋り始めるとさらに楽しそうに止まらずに進める。

それを聞きながら(オークスと菊花賞を経験する娘とか聞いたことないよ)と(途中で海外まで混ぜてどんなローテなの)とアドバイザーは突拍子も無いこと考える人だなあとも思いながらあたしも楽しく聞く。

 

「クラシック年はそんな様子で、シニアになってからはチームを変えてエリザベス女王杯を獲って、その翌年は途中からまたチームを変えて目標としてはエリザベス女王杯連覇を狙おうとなったわけだな。そのための準備は万端だった。

 しかし、完璧にやられた。そのレースでダンスパートナーさえどうにかすれば良いと向かってきたエリモシックに、その様に計画を立ててきたそのトレーナーにな。ダンスパートナーのキレはあった。だが、同じ追い込みの脚質のエリモシックに隣で僅かな差でな。シックというと、そんな剃刀のブランドがあるが、まさにカミソリのキレ味とも言うべき脚だったな」

 

「ほうほう、アドバイザーはセンスある物言いをするものだ。カミソリのキレか~」

 

「いや、そこは昔そう言われたウマ娘がいて有名なものを借りただけで……」

 

「な~んだ。せっかく「さすがアドバイザー!」とも思ったのに」

 

「ウマ娘好きなくせに昔の話になると本当に知識が怪しくなるな……。この程度は何かと例にも出やすいし覚えておくものだぞ」

 

「まあ、その辺は追々覚えていくから今は許して」

 

また何か呆れられたけれど、そこは軽く流す。

 

「俺はそうして自分が見ている分だけ、デジタルが走るにそれだけの作戦を用意してくれると信じられもするわけだ」

 

「よく分かった。じゃあ、あたしもトレーナーを信じよう」

 

その後、これで話の〆とばかりにアドバイザーが言葉を強めて言ったので、あたしも納得と大きく答える。

心の中では話の始まりから浮かんではいたけれど(シックちゃんにグラスちゃんに、何かアドバイザーはこのチームに良いところでやられてない?)とか(そういう所にどうしても触れる展開になりそうで最初ちょっと話し辛そうだったんだろうな)とか(それでもあたしのためになると思ってこのチームに紹介してくれたのは昨日の敵は今日の友みたいで良いね)とも思いもしながら。

 

と、その話も今日の話自体も一区切りかと、あたしはそこで残っていたジュースを力強く吸う。アドバイザーもアドバイザーで周りの資料を固めながら片付けモード。

としていると、何かが頭を過ぎったように手を止めてあたしの方を見てきた。

 

「そうそう、京都の秘策がどうとかはトレーナーには聞くなよ?」

 

「な、なんで!?」

 

帰ったら聞こうと思いっきり思っていたあたしはそこで声も大きめに驚く。

 

「トレーナー本人としたら、どこそこが得意とかこういう戦術が得意と言うものではないし、言われるのも嬉しいものでもない。トレーナーは全てに対応できてこそだからと以前に発言しているの耳にしたことあるんでな。

 そこは彼に限らずに他のトレーナーでもある話だが。そういう事だから今日以降でも実際作戦を受ける時でもその辺りに触れるのは止めておけ」

 

「分かった。好んでもいない事を聞くのも悪いしね」

 

うんうんと頷きながら、あたしもウマ娘として、この場所この距離が得意と言われるよりも万能と言われる方を目指したいし、トレーナーもそういう考えだったら仲間だねと、アドバイザーの言いつけはしっかり守ることを決める。

 

そうして終わった話し合い。

次はマイルCSだという話には、大丈夫なのかな~とはどうしてもあって、トレーナーには聞かなくてもシックちゃんにはどういう策があったのか聞いてみたら前向きになれるかなーと、帰り道を行きながら思いつき実行することにした。

 

 



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慈悲ある淀の女王

ある日の練習終わり、着替えをしながらシックちゃんに話しかける。

 

「あたしも今度京都レース場のG1走るし、シックちゃんのエリザベス女王杯の話を聞きたいな~」と、言ってみたら、それだけで「私の話が聞きたいなんて嬉しいわ」とニッコリお返事。

 

どこで話をするのが良いかと言われたら、レースの話なのでこのチーム部屋が良いと、他の皆が帰って、トレーナーも帰るようだったので戸締まり用の鍵だけ貰って帰ってもらう。

あたし達が残る事に関してはシックちゃんの「女の子同士の大事な話なので~」の言葉で、「まあ、後さえしっかりしてくれれば……」とそれ以上は何も聞かれもしなかったようだった。

 

あたしがまずソファに一人座っていると、シックちゃんが紅茶とパウンドケーキをトレーに乗せてやってきてテーブルの上に置く。

 

「紅茶はグラスちゃんからのオススメ、ケーキは私からのオススメ。お代わりもあるから遠慮無く言ってね。」

 

と、勧められて、それではまずは練習終わりの減ったお腹を落ち着かせることから。

 

何口か食べ進めていると隣に座っていたシックちゃんもゆっくり飲んでいた紅茶をテーブルに置いて、顔だけあたしの方に向ける。

 

「それでエリザベス女王杯の時のどんな話をすればいいのかしら」

 

それを聞いて、あたしはアドバイザーと話した時の事をざっと言って「秘策があったのなら、それを聞いてみたいんだ」とまとめた。

 

「秘策か~」

 

そうしてシックちゃんは頬に手を当てながら顔を真っ直ぐに戻して何かを考えるように。

 

「ん~~~~」

 

と、小さく声を続けながら考え続けていたけれど、それが途切れた頃のまたあたしの方を見ての「それは有ったと言えば有った、無かったと言えば無かった、そうなるかな?」との首を傾けながらのお言葉に、あたしも首を傾げる。

 

「トレーナーさんの策があったのは確か。それもトレーナーさんが後であれ程上手く行った事もないと言ってしまうほどのね。トレーナーさん、あまりそういう事を言う人じゃないからね。珍しい事もあるものだって他チームのトレーナーさんも言うほどの出来事だったみたい。

 でもね、その策は京都のレース場だからと、それだけで生まれたものじゃないのよ。トレーナーさんも言っていたけれどね、京都のレース場、その特徴から導き出したものはもちろんあるけれど、大きくを占めるのは私の特性、私がトレーナーさんと共に経験した幾つかのレースがあってこそ。だから、エクセルみたいに移籍してすぐではきっとその結果は生まれなかったのでしょうね」

 

「そうか、シックちゃんも移籍組……」

 

「そうね。この話はもっと分かり易くするなら、その前段階のレースからの事も言った方が良さそうだけど、どの辺りから始めようかな……」

 

とシックちゃんが今度は口の端に人差し指を何度か当てつつ考えながら言うので、

 

「それならシックちゃんのデビュー頃からの話を聞きたいかも。エクセルちゃんとも前にそういう話になって」

 

「あら、そんなことが。それでは私もそうしておきましょうか」

 

そしてシックちゃんは真っ直ぐ座り直して一度紅茶で口を潤わせると話を始めた。

 

 

私もエクセルと同じでレースデビュー出来たのは遅くてクラシック年の3月。

デビュー戦は勝てなかったけれど、そこからは順調に行けてオークスに出た時は2番人気にまでになっていた。でも実際に勝った1番人気のエアグルーヴさんの一方で私はライブどころか掲示板にも乗れず。そこからもトレーニングを重ねて秋の秋華賞では2着に入れて、G1ウイニングライブも経験できた。

 

でも、良かったのはここまでね。

次のシニア勢とも対戦するエリザベス女王杯で、その力の差を思い知った8着で。自分もシニアクラスに上がってからはOPのレースでも全然、1番人気になっても二桁着順と辛い結果もあって、完全に行き詰まった状態だったの。

 

そうしてシニアクラスでの前半戦が終わった頃に、私と当時のチームのトレーナーさんと話し合い。

秋の目標としてはエリザベス女王杯に合わせたんだけど、夏の間はリフレッシュと二戦ほど走ってそのレースに出られる条件をしっかり整える事を目的に期限付きの移籍をすることになったの。このチームになったのは、そうした事を頼みやすいトレーナーさんということでね。

 

それで始まったこのチームでの暮らし、1戦目の札幌でのOP戦に出て3着。

そこで言われたのは、レースの駆け引きをもっと覚えようということ、走ることに一生懸命は良いけれど周りの事が見えていない、ということ。

 

次のレースまでにその辺りの事を練習とトレーナーさんとの対話で詰めて行って次が2戦目のG2札幌記念。

同期のエアグルーヴさんと先輩のジェニュインさんとG1ウマ娘も居て盛況なレースで、どれだけやれるかしらとも思ったけれど、結果としてはこのチームに来てから特に強く教えられた追い込の形でエアグルーヴさんに続いての2着。といってもエアグルーヴさんは2バ身半も前にいて、強いというのはこういう事ねと、後ろから思うことしかできなかったけれど。

 

そうして予定通りの2戦が終わって。

札幌記念は2着だから、これでエリザベス女王杯に登録しても実績で弾かれる心配も無かったし、このチームでやる事は終了のはずだったんだけど、前のチームに6月頃に移籍してきていたダンスパートナーさんが秋はエリザベス女王杯の連覇を狙うという目標を耳にして、そこで私はどうしましょ……となって。

 

別に同じチームから出場してはいけない事は無いし、前のチームのトレーナーさんが、連覇が掛かっている・G1勝ちの実績のある娘の方を贔屓するだとか、そういった事を不安視したわけでもないわ。

そのトレーナーさんはそんな人じゃないと言える、他の大勢の方にも認められている、女の子の気持ちがよく分かっていると評されている素敵なおじ様だったから。

 

けれども、私はただ自分の気持ちの中で、同じチームで前年覇者に挑むよりも違うチームで、今のままで挑みたくなったの。きっとその方がレースに入っていけると思ってね。そこで、その辺りの事を学園内の人に相談して間に入ってもらって、そこから両方のトレーナーさんへと。

 

元のチームのトレーナーさんは、ベテラントレーナーにそんな経験はこれまで幾らでもあることでしょうし、それならそういうことでと了承。

こちらのトレーナーさんとは札幌記念を終えた時点で正式にチームを離れるのはもう少し後でもその場で別れの事に触れてもいたものだから、仲介の方から話が行った時は驚きもあったようだけれど、「気が早かったね」とお互い照れもしながら「またよろしく」と交わして先に進むことになったの。

 

秋の初戦は4着。

でも、エリザベス女王杯に向けて条件としても既に問題はなく、内容もエリザベス女王杯に向けてのデータとして十分と、順位について気にされることはなかったレースだった。

 

そして本番、エリザベス女王杯。

連覇のかかるダンスパートナーさんが圧倒的人気で、私は3番目。

あの日、私はずっとダンスパートナーさん……彼女を見ていたわ。

パドック、地下バ道、ウォーミングアップ中、ゲートインしてからとね。

彼女より最後に一つ先に行くことができれば、それはレースでの勝利となる、駆け引き相手は彼女と決まっていた。

 

彼女が3枠で私が5枠、先にゲート入りさせられて狭い所で待たされることに彼女は苛立ちを抱えていたようで、

私はそれを感じ取りながらスタートを待った。

そしてゲートが開いたけれど、彼女は少し出遅れた。

彼女は後方4番手、私はその後ろについて彼女の動きを細かく確認しながら進む事に徹底したの。

過去のレースで身につけた他の娘との駆け引き、そこに力を注いだ。

 

第一第二第三コーナーと問題なく動いて第四コーナー過ぎて直線での私と彼女の勝負。

私は一番走りやすい所を取れていたし途中で進路に苦しんだ彼女より余裕もあった。

それで競り合ったまま最後少しだけ前に出る事ができた……と、これが私のG1制覇までの思い出。

 

それからは特に何か話があったわけではないけれど、元のチームに戻ることもなくこのチームに居る。と、それが私の話。

 

 

「こうして話していても私の走ってきたレースの中でエリザベス女王杯はやっぱり特別ね。私も走っていてトレーナーさんの策の通りに進んで、こんなにも何もかも思うように運ぶ事があるなんてと思えて、勝ったのはトレーナーさんの力あってのことだなと思っているけれど、策が完全にはまったことを口にしながらも、トレーナーさんからは「何よりそれをシックが理解して実行してくれた結果」と褒めていただいて、それが素敵な大事な思い出なの」

 

そうシックちゃんは今日一番で嬉しそうに話した後で、あたしの手を取ってあたしの目を見る。

 

「だから、デジタルもね、不安はあるのかもしれないけれど、これまでずっとやってきて積み重ねてきた事を思いながら、これからレースまでにも整えていけば大丈夫よ。貴女はきちんとトレーナーさんの作戦を自分のものに出来る娘だと私も思っているもの」

 

シックちゃんは表情も、あたしの手を持つその手にも力を入れる事は無いけれど、言葉には力が籠もる。

それは気休めとかただ元気付けるためじゃなくて、あたしの事を本当に出来る娘だと思っていてくれている響きだった。

 

「シックちゃんの言う事はよく分かったよ。あたしやってみる」

 

「役に立てたら良かったわ。今月は大きなレースに出るのは貴女だけだから、サポートも任せておいて」

 

「ありがとう。そうだ。大きなレースっていうと、一緒に練習しているエクセルちゃんを見ながら思ったんだけどさ。9月にレースに出た時よりも身体のキレが良いな~って凄くなるんだけど急遽どこか出るとかないのかな。他のレースも予定を入れていないようだけど今月も来月も」

 

「そうねえ、前のレースは急に入れたようだけど今度はそれはないんじゃないかしら。あの娘の考えは知らないけれど、そういうことは無いように思うわ。あの娘の調子が良いのなら貴女の練習にも適役でしょうし、沢山使っても構わないわよ、きっと」

 

と、最後にシックちゃんは幼なじみの後輩を弄ってウフフと笑う。

そうしてその日は話を終えて、その日の話の通りにあたしはこれまでやってきた事を確認しながら、芝コースで鍛えながら、エクセルちゃんを道連れに練習しつづけてマイルチャンピオンシップの日を待った。

 

 



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定まらぬ心

G1マイルチャンピオンシップ前日、あたしは京都レース場にいた。第一レースからずっと。

 

京都への遠征ならば現地には前日午後入りというのが普通だ。

けれどもトレーナーから近くのレース場ならともかく遠征先でこういう機会もなかなかないだろうと、色々なレースやウマ娘を見るのは興味あるだろうと提案され、あたしもそれはもう「有り難うございます!」と諸手を挙げての賛成。

金曜日の昨日、学園の授業が終わるとそのまま京都へと向かってトレーナーと現地入り。今日は朝から好きなだけレースを見ていて良いよと、途中で帰ってきても最後まで見ていてもいいけれど宿舎への帰還は遅くならないように、とだけ言われて一人でやってきた。

 

そうしてあたしはデビューのルーキーちゃんから始まって幾つものクラスの娘ちゃんの走りを観戦して欲を満たしつつ、明日レースで前日いきなり体重増だとかそんなポカをするわけにはいかないので食欲の方は適度に満たす程度にして、この京都レース場を満喫…………していたつもりなんだけど、今日は最後までそうはいられなかった。

 

レースを観ていって、今日の終わりが近づく程に明日のレースが近づく程に、あたしは明日のマイルチャンピオンシップの事を考えてしまっていた。行われるレースとレースの間の空いた時間に考えるだけで終わらずに、眼前で進むレースを観ながらも、明日はこう走って……とシミュレーションしてしまったり、ついそちらの方が頭に浮かんでしまうほどだった。

 

今日は楽しむために来たのにな……と切り替えの下手さに、いつもはこんな事なかったのにとガックリしながら、明日がレースなので流石にウイニングライブまでは見ずに帰ることになっているのに、全てのレースを終えてもそうする気にならずに、京都レース場内の広場へ行くと、いくつか並ぶベンチの一つに座る。

 

その広場の近くには子供達用の遊び場もあるけれど、もうレースも終わりライブを観るか帰宅するかの二択で既に周りには誰もいない。

誰かが居たところであたしはファンに囲まれるようなウマ娘でもないので問題はないけれど、静かなら静かな分だけ今のあたしには丁度いいと、座りながら意味もなく足をブラブラさせてみたり、やっぱり明日のレースの事が過ぎったりして過ごす。何かをしたいわけではないけれどトレーナーの待つ宿舎に帰る気も起きずに何となくそうしながら。

 

 

それから時間を気にすることもなく肌寒い空の下で過ごしながら、顔を下に向け、深い理由もなく靴の先で地面の砂を弄っていた頃、視線の隅に何かが右から左へ横切った。

 

「ん?」と顔を上げると、黒い色をしたそれはさらに左へと風に乗って転がっていく。

帽子だ……と、それが何であるかを認めながら、あたしは立ち上がって寄っていった。そこにもう一度強い風が吹いて、帽子が高く舞い上がりそうになったところをあたしはハシッと掴む。

一瞬の判断。

もうちょっと遅れていたらどこかに飛んで行ってしまうところだったとホッとしつつ、さて、この帽子はどこから……とまずは飛んできた方向の右側に目をやると、こちらの方に向かってきてあたしの前で止まるウマ娘ちゃん。

 

 

「あの……ありがとうございます」

 

 

と、そのウマ娘ちゃんはペコリとお辞儀。

あたしと比べると少し背の高い、それでも小柄には違いない背丈。

上下を紺で揃えて、膝下をかなり長く覆うスカート、靴は黒色の底の高くないもの。全体的に落ち着いた服装。

頭を下げた時に見えた長く後ろが跳ねた黒鹿毛がツヤツヤなのが強く意識に残る。

 

帽子の持ち主だという事は分かるものだったので、顔をあげたその娘ちゃんに一言添えながら帽子を差し出す。

 

「今日は風が強いからこういう物は大変だよねー」

 

「はい、気をつけてはいたんですけど…」

 

そのウマ娘ちゃんは、あたしから帽子を受け取ると被らずに両手で持ちながら、無事手元に戻ってきて安心したのか笑顔を浮かべてもう一度小さく頭を下げると、あたしの座っていた所から一つ左隣のベンチへと座る。

あたしも元居たベンチに座り直したのだけれど、そのウマ娘ちゃんが気になってちらちらと見る。

 

そのウマ娘ちゃんはあたしが見ている事には気づかないようで、ずっと帽子に付いた砂を丁寧に払っている。

さっきはよく見なかったけれど、こうして見ると黒い帽子で青い花飾りが付いていて、もっと目を凝らしてみるとそれは薔薇の花飾り。

これが赤や白だったらすぐに薔薇だって気づいたのだろうけれど、色が違うと気づかないものだ…というか、青い薔薇って聞かないよねと思ってみたり。

 

その後は帽子から目を離してその娘ちゃんに目が行く。

ウマ娘ちゃんがいたらとりあえず見てみようとは思うけれど、綺麗な黒鹿毛をさらに観察したい思いもあったけれど、何よりその娘ちゃんが不思議な気がして。

 

あたしはウマ娘ちゃんを見れば、その身長から他諸々のサイズをはじき出すなんてお手の物だ。

年齢だって誤差などあって一つかそこらだ。

 

でも、その娘ちゃんはあたしにそれを伝えてくれない。

体格の事なら分かる、でも、歳はいくつくらいの娘ちゃんなんだろうと、大体どの程度とすら読めなかったんだ。

ジュニアクラスのあたしよりは年上だと思えるけれど、それ以上は。

 

ジュニアクラスでないならばと、あたしの中のシニアクラスのウマ娘データベース内を探っても、そこに存在は無い。そうして少なくともトレセン学園内の生徒ではないと、そこは言い切れる。

こんな不思議な感じのウマ娘ちゃんが学園内にいたなら居たのなら、あたしが気づかないはずがないもの。地方や海外の娘だったら流石に網羅するほどではないから、そういう娘ちゃんかとも思いつつも、どこの生徒でもないという考えにも及ぶ。

 

そう思ってしまうくらいの凄く大人の雰囲気。静かで落ち着いた。

あたしの身近で知るそういうタイプといえばグラスちゃんやシックちゃんだけど、その二人がそれぞれ持つものとは違う落ち着きを感じる。

 

そして、その二人よりも随分大人にも見えれば、逆に年下でも納得してしまいそうなところもある。

細く小柄な身体のせいだけじゃないと思うけれど、あたしとさっきほんの少し言葉を交わした時から今のこの時のちょっとした仕草もどこか幼く見えると言えば見える。

 

こういった経験は初めてだと、ウマ娘マスターを自負して行きたいあたしとしては収まりがつかないと、ついついその娘ちゃんを見てしまう。あたしの側から見えるその横顔は右目もその黒鹿毛で隠されて、全体が見られると嬉しいのだけれどもと思いながら、自分でも力が入っているなと思うほど、じっと見つめていた。

 

 



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青薔薇の導き

「あの……何か?」

 

と、その時にさすがに長く見過ぎたのか気づかれてしまったようで、そのウマ娘ちゃんはこちらを向く。こうしてもう一度しっかりそのお顔を見ると、やっぱり大人なのか幼いのかよく分からない感じで、髪の毛に隠されず見える左目の紫がかってもいる瞳が印象的だとも思った。

 

このウマ娘ちゃんを語る時にはそこが第一に魅力となるだろうともなりながら「気になってずっと見てました!」なんて学園内の生徒相手ならまだしも、ここでいきなり言えるわけもないので、どこをどう言い繕おうかと思って目に入ったのはその手に持つ帽子の事だった。そこでさっき思った事が再び浮かんで、それを選ぶ事にする。

 

「その花飾りが気になって。綺麗な飾りだとも思ったのと、花にしても赤や白はあっても青って見ないな~と……」

 

あたしの言葉にそのウマ娘ちゃんはその花飾りの方を見て、「あぁ」と小さく納得した声を出す。

そうして優し気な表情であたしの方を向き直す。

 

「私もこの飾りが特にお気に入りの帽子なので褒めていただけて嬉しいです。

 それに……そうですね。現実に青い薔薇はあるんですけど、長く時間をかけてようやく咲かせる事に成功したものだそうですよ。だから、花言葉を「奇跡」とか「夢が叶う」と言うようです」

 

そのウマ娘ちゃんはあたしにニコニコと説明して、それを終えると完全に砂が払えたのか、その帽子を頭の右側寄りにしっかりと被り直す。あたしとしてはそのウマ娘ちゃん自体の事がまだ気になってもう少し居て欲しくて、そのままでは帰って行ってしまのではないかと思わず引き留めるように片手を挙げる。

 

「お姉さんはここで何を?もうレースも終わってる時間で……」

 

と、そのままの勢いで自分の事は棚に上げながら聞いてみる。

 

「私はここに居るのが好きなんです。レースのある日はいつもここに……。大勢が賑やかにいるレースの時間帯も、その華やかな時間が過ぎた後も。だからレースが終わっても暫くはこうしているんですよ」

 

あたしの質問に気になったものも何もないようにお姉さんは同じように和やかに答えてくれる。静かな所で余韻を楽しむというのはある事なので分かる答えだ。レース毎に来るような口ぶりだと、近くに住んでいる人で、やはりトレセン学園の人でもなければ地方でも海外でもなく、とにかく現役ウマ娘ということでもなさそうだ。

 

「貴女は?」

 

と、答えに納得している所に続けて言われて、少しドキッとなる。話の流れとして無いものじゃないのに、あたしは答えを何も用意してはいなかった。そのままちょっと考えてしまって、それを見たお姉さんは段々と心配顔に。

それでも何も言えないでいると、今度は微笑みながら話しかけてきた。

 

「何か気になる事があるのなら、ここで話してみませんか。言葉にして出すだけでも違うものもありますよ。帽子を拾っていただいて褒めていただいて嬉しかったですし、私に何か出来ることは……と思いますので」

 

その表情も語り口もこっちが喋りやすそうな、きちんと受け止めてくれそうな様子で。

初対面で……とも思ったけれど、あたしも帰る切欠も見つからないしと頷いて提案に乗ることにした。そうしてお姉さんがこちらに来て同じベンチで隣同士に座る。同じくらいの高さのお姉さんを見ながら、あたしは喋り始める。

 

「あたし、明日のメインレースに出るんだ……」

 

「ということはマイルチャンピオンシップ……」

 

と、言いながらお姉さんは両手を口に当ててあたしを見る。

 

「ごめんなさい、もしそんな大レースのために集中している所を邪魔してしまったのだとしたら……」

 

そして、お姉さんは恐縮したように何度も頭を下げる。どうも気もあまり強くなさそうだ。放っておくとどんどん悪い方へ考えてしまいそうにも見えたので、まずはそこをどうにかしなければと思って顔を上げてもらう。

 

「いいの、いいの。集中なんて全然で。ううん、何に集中したいのか決めきれない自分が嫌になっていたんだ。

 あたしはウマ娘ちゃんが好きで、ウマ娘ちゃんを観察するのが好きで。中でも走るウマ娘ちゃんを観察するのが好きで。自分のレース前日だからって、これまではトレセン学園に近いレース場になら観に行って、そこでちゃんとお客として楽しんでいられてた。

 でも、今日は見ていると明日の事ばかりを考えてしまって。それならって逆にレース場を眺めながら明日のレースの事に没頭しようとなると、今度は走っているウマ娘ちゃんの事に目移りして。あたしはどうしたいんだろう、自分のこと凄く中途半端って思っちゃった。 

 前のダートのG1で大きく負けちゃった嫌な思い出はあるけれど、それからのレースも練習も上手くいってるし別に走るのが恐いわけじゃない。今日はここに来るまで明日が楽しみだったんだ。なのにレースが近づく程にそんな風になって明日から目を離したくもなって。これまではこんな事もなかったのに……」

 

あたしはお姉さんに向けて喋っていたのだけれど、最後の方にはそちらを向くのを自然と止めてしまって、顔は地面の方に向けて肩を落としてしまっていた。

 

「明日が楽しみなのに明日が近づくほど明日から逃れたくもなる。

 それは、それだけ貴女の力が付いたからかもしれませんよ」

 

その言葉にあたしは顔を上げてお姉さんを見る。

どういう意味か詳しく聞いてみたくて疑問符の浮かんでいる顔で。それだけでお姉さんには伝わったようでニコッとした後で言葉を続ける。

 

「能力が伸びて早く試したい走りたいと思う高揚感と、だからこそ共に来る緊張感。それは何もおかしい事ではなく訪れもするものです。緊張というのは何らかの不安だけから生まれるものではない。確かな手応えを掴み己に自信も付いた所からも湧き出るものです。

 その一方でそれが高まり過ぎてもいけないという身体からの忠告とでも言いましょうか。デビュー戦前に既に感じるウマ娘も居れば、それは初重賞の時かもしれない初G1の時かもしれない……そのタイミングが違うだけ。

 あなたはG1出場の経験があってもこれまでそうはならなかっただけで、今日それに気づいた。ウマ娘が経験する物の一つを今知った。そういうものだと思いますよ。今日はそれが突然降ってきて、少しご自分でも驚いてしまったのかもしれませんね」

 

「お姉さんもそういう事あった?」

 

「勿論ですよ。タイミングについては秘密にしておいてください。これは自分だけの事にしておきたいものなので」

 

お姉さんは人差し指を唇の上に立ててクスクスとしながら言う。

最初はその控えめな見た目からも分かる、ちょっと恐る恐るといった様子も窺えたけど、あたしと話しているのも慣れてきたのか、そんな仕草が出てきて、それも何だか凄く可愛い。キュンと来るタイプのウマ娘ちゃんだと、あたしの心が満たされてくる。

 

言葉からするとどこかで走っていた事はあるんだなと思いつつ、その辺りの事よりこの表情が「いい……」と思ってお姉さんを見ていると、そこでお姉さんは立ち上がって三歩ほど前に行き、あたしの座る所から直線上に立って振り返る。あたしもそれを目で追う。

 

「もう一つ、今日ここに居ても明日のレースを考えてしまったのならば、明日のレースでは今日のようにスタンドに居てレースを見るように考えてみるのはどうでしょうか。

 スタンドからレースを多く見ている、ウマ娘の観察が得意だというのなら、それをレース中にも生かす事ができる、と思うんです」

 

そして、この広場からは見えないけれどコースが存在している左方向を見て、それを思い浮かべているような様子でお姉さんは言った。

 

「レース中は孤独です。どうしても邪念も余念も入る。想定と外れると焦りもしますし、落ち着いているようでも狭い範囲しか見えていなかったという事もあります」

 

そこまでを言ってお姉さんは顔の方向を戻す。こちらから見える片方の紫色の瞳があたしを捉え、そして問うてくる。

 

「スタンドから見ているとそうしたウマ娘に気づくことはよくありませんか?」

 

それにあたしはすぐに頷いた。どういう事かはすぐにわかる。あたしがこれまで見てきた数々のレースを思えば。

 

「完全にパニくってしまってる娘とか周りが少し動いただけなのに乱されてゴールから考えるとまだまだなのに早めに仕掛けちゃって、自分の持ち味を活かせてないよ!とか思っちゃったり、そんな狭い進路に突っ込んでも出られないよ!とか……」

 

「そうですね。

 走っている視点ではそれどころではなくなって気づきもしなくても、外からの視点では一目で……ということがあります。そこで実際にレースに参加しているウマ娘が外から見る事はできないけれど、スタンドから見る自分をイメージしてレースの動きを分析する、俯瞰で全体像を把握するというのはいかがでしょう。

 そうするとこれまで分からなかった事が分かる、見失っていたものを見つける、周りが見えなくなっていた自分にブレーキを掛けるということも出来ます。あなたがそれほどまでにレースを観てきたのならば、きっとイメージも湧き易いのではないでしょうか。

 あなたは自分を中途半端と嘆いたけれど、他の方が手にしていないような大きな武器を持っているのではないかと、私は思いました。今日そうして考えてしまったのは、そういった方法に自分で辿り着く所だったかもしれませんよ」

 

「武器か~、それも大きいだなんて照れるなぁ。あたしのやってる事はそんな大層な事だと思ってなかったけど、そう言ってくれるのは自信つくかも」

 

言われた事を繰り返しニヘヘとつい表情も緩む。

外側からレースを観ること、これに関しては他の娘よりも経験豊富だって言える。これだってずっとあたしがやってきた事だ。

お姉さんが言うように自分で思いつくまで行けたかは分からないけど、提案されればスッと自分に入ってくる内容で、それを伝える声も音は小さいけれど芯のある、お姉さんも底に積み重ねたものがあってこその持論を言っている、あたしが落ち込んでいるからこの場に合わせて思いついて言ってみた、というようには思えない。

 

胸のつかえが取れたような、さらにそこで表情も緩む。

それに自分で気づくと今日は午前中の早い頃、まだその時はレースだけを楽しんでいたつもりでいたけれど、笑ったりはできていなかったなとも浮かんできたところで、お姉さんへとまた目を向ける。

 

お姉さんもあたしの返答を聞いて嬉しそうに笑顔を向けてくれた。なんというかそっと微笑むような笑顔なんだけど、見ているとこっちが暖かくなるというかそんな感じの顔。一度褒められると、やはり切り替えは出来るあたしだったようで、その場で明らかに元気が出てきた。重かった腰も軽くなってあたしは勢いよく立ち上がる。

 

「ありがとう。お姉さんのおかげで帰る気にもなったし、明日の事も頑張れそう」

 

「それは良かったです」

 

と、お姉さんは大きくお辞儀。

そうして再び顔をあげた時に、あたしの目はその帽子の飾りを強く捉える。そこで思いついた事をすぐさま口から出した。

 

「帰る前に一つお願いがしたいな」

 

「え?」

 

お姉さんはビクッと肩を揺らして反応する。派手な反応だとは思ったけれど、あたしも急に言い出したので驚かせすぎてしまったのかもしれない。これはあたしとしても困るとすぐに目的をいう事に。

 

「た、大したことじゃなくて。その帽子の飾りをちょっと触らせて欲しいなって」

 

「そういう事でしたら……」

 

と、お姉さんは帽子を外してあたしの方に差し出して、あたしも一歩近づいてその飾りを一撫で。

頭を下げて「ありがとう」と言いながらお姉さんを見ながらそのまま一歩下がって、お姉さんが帽子を再び被り直すのを見届ける。

 

「これで良かったですか?」

 

「うん、綺麗だなと思って近くで見たかったのと、その青い薔薇の花言葉が”奇跡”だっていうなら触ったら何か御利益あるかな?って。

 正直、今回のレースは取材も特に来ないし直前の人気も全然…って立ち位置なんだ。あたし個人では練習で良い数字も出て走ってみたい気は強いけど、他の娘と勝ち負けともなるとどうかなって感じで……でも奇跡でも起きれば届くかな~って……」

 

あたしが明るく軽くまたニヘヘとして言うと、お姉さんはくるりと後ろを向いて数歩進む。

その様子を見て「あれ?」と何か引っかかるような事あったかなと、声を掛けようかとあたしも1歩近づいた時、後ろ手に手を組んで空を見上げるように頭を少し後ろに倒した形でお姉さんは言った。

 

 



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未来を行く者へ祝福を

 

「奇跡なんて無いと思いますよ……」

 

 

それは静かで澄んでいて、それでいて強い響きを持つものだった。

言われた内容もそうだけれど、あたしはその声を聴いた時に背中がゾクリとするのを感じた。

戸惑いを持ちながら何と反応しようかと思っているあたしにお姉さんは振り向く。

 

「そこに奇跡など無いんです」

 

先程のものは聞き間違いなんかでは決してなかった。今度はもう一度あたしを見てはっきりと。

お姉さんの口ぶりも表情も穏やかそのものだけれども、その調べは事実を淡々と突きつけるような冷たさも持って。

 

どういう事かと、なんでそんなこと言うのかと思いはするけれど、どうしてかあたしの口から声が出ない。

お姉さんの左目の開かれた紫の瞳に捉えられると、声帯がまるでそれに押さえつけられたかのようで、あたしはこの状況を飲み込めないまま呼吸だけをしてお姉さんを見る、見てしまう。お姉さんはそれ表情だけを見れば優しそうな微笑みであたしを見据える。

 

 

でも、今のあたしにはそれをそのままには受け取ることはできなかった。

 

 

その時、お姉さん…彼女の背後で何か揺らめいたようにも思えた。

何かとしか言えない、黒い何かが。

 

その漆黒の髪が風で揺れただとかそんなのじゃない。

彼女の身体から湧き出るような何か。

雰囲気はグラスちゃんがレース前に真剣になっている時に似ているような気もするけれど、それにはここまでの物は感じなかった。根本的なものが違うのだと、それが何かは分からなくてもあたしの中の本能かが訴えかけてくる。

 

そんなあたしの中に冷静なあたしもいて、あたしは何を思っているんだろうと、考えを振り切ろうと首を振ろうと脳内には浮かぶけれど実行まで移せない。目の前の、あたしと同じくらいの背格好しかない彼女がとても大きな存在に思えて、その圧力にただその姿を見ることしかできないでいる。

 

見つめられ、身体の体温が下がる。背中が加速度的に冷えて行くのを感じる。その一方で彼女からの何かによっては周りの空気が変わったような、周辺が生暖かくもなったかのように思う。あたしがずっと居た広場の、秋の夕方の冷たさが消えてしまったように。

 

「あ……」

 

それでも何とか一言出したと思った時に、ザリッという砂の音と共にあたしは身体が下がったことに気づく。それを目で確認することもまたできないけれど、自分の身体を意識すると思わず右足を一歩後ろに下げてしまっていたことを知る。

 

それはあたしがこれまで生きてきて一度として無かった行動だった。

あたしがウマ娘ちゃんに持つ感情と言えば、まずは綺麗とか可愛いとか、そういうものだ。怒っていようが暴れていようがそれもまた愛でられるもする。そして、あたしにとってのウマ娘ちゃんという存在は近づいて張り付いて密着してもいきたい存在。

 

それでもウマ娘ちゃんが苦しんだり悲しんだりする姿を見たいわけじゃないので、近づいて欲しくない、迷惑がってる様子にはきちんとアンテナを張って引く時は引く能力は備えている。

 

そう、さっきも思ったけれど、このグラスちゃんに似ている雰囲気。

去年の有マ記念前にグラスちゃんとトレーナーの最後のミーティングを見学させてもらった時、グラスちゃんが今あたしが感じている物と共通点はある様子で、トレーナーと二人であまりに真剣だから、ちょっと怖いなと思いながらあたしは姿を見ないように隠れた。でも、それは自分の意思だ。自分でそうしようと思ってそうした。

 

けれども、今は違う。

あたしはそうしようと思ったんじゃない。あたしの考えとは別にあたしの身体は動いた。その場所から離れるように、この眼前の小さなウマ娘を恐れるかのように。

 

 

その時、あたしの身体がさらに冷えながら、頭の中が冷静になる。

なぜそんな行動をしてしまったと思ったわけじゃない。

なぜ恐れるなんて思いが湧くのだと思ってしまったわけじゃない。

 

 

あたしの中に浮かんだもの。

 

 

このあたしを見ている、あたしが見ることしかできないでいる、この存在は本当にウマ娘なんだろうか……

 

 

その考えに辿り着いた瞬間に、あたしの身体から一気に汗が噴き出す。

汗はより熱を奪うのか手先の体温は下がっていく。

頭の中ではこの広場に来てからの一連の事が思い出される。

 

最初から、最初からおかしかったんだ。

一目見た時からの不思議な感覚、ウマ娘ちゃんを見てその年齢が分からない事だって、これまで経験なんてなかったんだ。このくらいだろうとも当たりを付ける事もできず、その後もいくら見ていても大人なのか幼いのか分からない。語る言葉は静かだけれど底にある強さを伝え、その音は優しくありながら容赦なく突き刺すような鋭さを持つ……

 

 

 

ウマムスメノカタチヲシタナニカ

 

 

 

それが脳裏に過ぎった時、一つの感情が湧き、全てを染めるように心の中を塗りつぶす。

 

 

 

怖い

 

 

そのたった一つの思いがあたしの中を占めていくのに、一歩だけ動いた足はもう二度とは動かせない。

足から手、そして頭も動かせず。あたしは視界の存在を見続ける。

せめて顔だけでも背けられればと思うのに、それはあたし自身が拒否しているようでもあった。見ていると怖い、あたしはその瞳に捉えられているのではなく捕らえられているかのように身体も固まる。

それでも、あたしはその瞳の輝きから目を逸らせられないでいる。離したいけれど自分の意思でそうしてしまう。

その紫色の瞳に吸い込まれるように魅入られるように。

 

 

逃れたい

 

 

あたしはもう一度強くそれを思う。その時、何かが弾けたように身体が解き放たれたようにもなって、気づけばあたしは背中を丸め下を向きギュッと目を瞑っていた。

 

 

 

「ごめんなさい、驚かすつもりはなかったんですけど……」

 

そこへと届いた困ったような小さな声に、あたしは恐る恐る目を開く。

瞳に映るのは、あたしと同じくらいの背格好の、圧なんてとても感じない小柄な、耳と尻尾の生えたウマ娘。手を重ねて身体の前に付けた礼儀正しそうな黒鹿毛の、眉が下がり紫色の瞳は申し訳なさそうな思いを伝えてくる。

 

「えっと……」

 

と、周りを見渡せば、そこはずっと居た広場で、秋の夕方の冷たさが身に染みてくるけれど、身体の中を通る冷たさは今はない。何だか夢でも見ていたような感覚で、あたしは片手で頭を抑えながら何度か顔を横に振る。

 

「大丈夫ですか?」

 

再びじっくり声の元を見れば、さっきまでは何だったんだろうというほど身体を小さくしてあたしを心配そうに見てくる、その、どの角度からどう見たってウマ娘のお姉さん。

 

「うん、大丈夫」

 

自分に過ぎった考えが何なのか、それを外に言ってどうなるんだろうとも、説明なんてつかないよとも思って、そう言葉を返し頭に当てた手も下げる。

 

「あんな言い方をしたら何だと思われますよね。それでも、貴女にはそんな事を言って欲しくなくて、ごめんなさい」

 

お姉さんはまた謝って頭を下げる。

こうされると、あたしの方が申し訳なく思った。はっきり言ってあたしが勝手に何か変な事を考えてしまったわけで、今こうして話している間だけでも、すぐ謝ってしまうような、怖いなんてところからは対極に居る人のように思えるのに。

 

「お姉さんが謝ることじゃないよ。あたしが何だろうと思って考え過ぎちゃって。でも、どういう意味かは気になっちゃったかな」

 

「そうですね、これは私の考えですけど…」

 

と、お姉さんは小さく一礼し話し始めた。

 

「どんなレースにでも言えることになりますが、そこにあるのは力を出し切った結果だけです。

 その場に居た誰にでも勝者になる権利と可能性があり、誰が最初にゴール板を過ぎようとも、それは奇跡ではない。

 それは一つの夢の成就。そのウマ娘自身の夢、そして、そのウマ娘へと夢を乗せた者達の。それぞれが歩んだ道の先、その結末として在るだけです。信じるものがあるとするならば奇跡などではなく、己の進んで来た道。それを信じて諦めずに進むもの……」

 

お姉さんは静かに語る。

やっぱり物腰の柔らかい温和な性格が伝わってくるようで、そして、その中には揺るぎない信念や強固な意志を含んでいるように。それはあたしの耳に音として届くのではなくて、あたしという存在に直接伝わり、そして身体に染み渡っていくような、そんな声。

 

お姉さんの言葉を想いながら、あたしはシックちゃんと話した時の事を思い出す。

シックちゃんがこの京都でエリザベス女王杯を制した時、奇跡でもトレーナーの特別な策でもなく、これまで自分の行ってきたものを信じたんだ。シックちゃんはそうして積み重ねてきたものがあれば大丈夫なのだと、あたしを信じてくれてもいた。

 

「お姉さんの言う事、あたし、分かるかもしれない。勿論いきなり全部理解できたっていうほど、あたしは立派な経験あるウマ娘じゃないけれど……。シックちゃんも……チームの先輩も同じような事を、ここに来る前に言ってくれていたんだ」

 

「そうですか。伝わるものがある……いえ、伝えてくれるような方が傍にいるようで良かったです」

 

お姉さんはそうして小さく笑顔を見せる。それは言葉を肯定してくれた嬉しさだけでなく、あたしの環境を喜んでくれているよう。あたしはそれを見て、自分のここまで来た道、それを思い返す。

 

「そう、シックちゃんだけじゃなくて。エクセルちゃんは「練習に付き合って!」と「もう一回走ろうよ!」っていうと「疲れたんだけど~」って言いながらも全部付き合ってくれて最後まで力を抜くなんてこと全くなくて。グラスちゃんはあたしがスムーズに練習を行えるように何でも整えておいてくれていた。

 そうやって皆が、あたしが明日走るからって支えてきてくれたのに、勝つための後押ししてくれたのに、あたしの知らないところでもあたしの知らない誰かがあたしの力を信じてくれているかもしれないのに、走る本人が奇跡が起きれば……なんて言っちゃ駄目だよね」

 

お姉さんは何も言わないままでまた微笑む。そうされるとあたしの中でさらにエンジンがかかる。

 

「うん、そうだよ。他のレースだってそう。もしあたしの負けたレースで勝った娘がそんな事を言ったら嫌だもの。「奇跡的に勝ちました」だとか。「私が強すぎるから当然の結果なんですけど」とかちょっと周りをムッとさせるような事を言ったとしても、あたしはその方がいいと思う。

 観ているだけのレースでも、インタビューでそんな事を言い出したら、そんなことないよってきっと言いたくなる。レース内でもここでこうしたから勝ったんだって、その娘のここが良いから勝ったんだって、絶対言いたくなる」

 

そうだよ、そうするんだよというように、あたしは力強く拳を握りしめもしながら言う。

と、そこで自分でも凄く力が入ったと思いながらお姉さんを見た。

お姉さんは興奮する一方のあたしとは違って、これまでと同じように静かに立つ。表情も柔らかいままだけれど、その雰囲気はここまでで一番大人のように思えた。なんだか小さな子供を見守るお母さんのような……と思ったところで、あたしはちょっと身体が熱くなって手は開いて身体の横につけて真っ直ぐ立つ。我ながら一人で興奮し過ぎたと思うし、それをここまでニコニコと見つめられるのは照れる。

 

「ありがとう、お姉さん。それで……う゛……!」

 

と、あたしとしてはこの色々教えてくれたお姉さんの事が気になって聞こうと思った時に服のポケットからの不意な振動。話に一生懸命になっていて何の警戒もなかったので思わず大きく反応してしまった。

それでも一体何だろうとそこに納められているスマホを急いで見てみればトレーナーからのメッセージ。レースが終わって結構な時間が経っているのでそれを心配している様子の。時間も確認してみると、確かに本当ならとうに宿舎に帰っている時間だ。

 

「どうしました……?」

 

これは拙いとアワアワもしたあたしにお姉さんはとても不安そうに近づいてきて。

 

「あっ、その、トレーナーからの連絡で。あたし、帰らないと……」

 

「ごめんなさい。私が色々話していたから時間を取らせて……」

 

「そんなことないよ。だって、お姉さんがいなかったら一人でここに座って過ごして結局同じ事だっただろうし。

 あのまま時間が来て帰るより、お姉さんと話せて良かった。本当はもっとそうしていたいけれど、トレーナーを怒らせるわけにもいかないからね」

 

「まぁ、そんなに恐いトレーナーさんなんですか…?」

 

アハハと明るく重くはならないように言った事だけれど、お姉さんは口を手で覆って驚いたように言う。

 

「え、あ、違うよ?

 1年くらいチームにいるけど怒られた事なんてほとんどないけど、さすがにこれ以上遅くなったら誰でも怒って当然のことになっちゃうから。怒らないからって甘えちゃ駄目だからね。

 何かとどこか悪くしていないかとかレース終わっても身体の状態ばかり気にするものでね。心配しすぎしすぎとも思っちゃうくらいで。そんな人だから気を抜くとうっかり甘えちゃいそうだけど」

 

お姉さんに誤解を与えてはならぬと、不安そうなその顔を解消しようと、さらにあたしは明るく伝える。

 

「そうですか。それなら良かったです……」

 

お姉さんはその不安が無くなったのがあたしにも凄く伝わるように息を付く。

そして、そのまま少し顔を下に向け右手の親指でそっと左目の目尻を拭う。

その仕草にどうしたのかな?と思ったけれど、お姉さんが直ぐにスッと顔を上げたのであたしもそれを真っ直ぐ見る。そこにあったのは今日見た中でも特に優しく暖かい眼差し、やっぱり凄く大人に見えるなとも感じる。

 

「私ももう少しお話したい気持ちがありましたけど、これ以上は引き留めるわけにもいきませんね」

 

「うん。あたしも名残惜しいけれど。それじゃあ、お姉さん。さよなら。

 あたし、明日はやってみるよ、あたしのこれまでやってきた事をね」

 

「はい。私もそうしてあなたが戻ってくる事を願ってますよ。それでは」

 

と、お姉さんは深々とお辞儀をする。

最後まで丁寧で、何か色々な側面を持つウマ娘ちゃんだなあ~と思いながら、「じゃあね!」と、あたしは手を振ってレース場の出口に向かってダッシュする。

 

 

 

タタタタッと勢いよく進んだところで、あっ!と思い立って足を止めた。

これ以上の話は出来なくてもしょうがないけれど、最後の最後まで名前の一つも言わなかった、お互いに。という事に気づいて。

せめてそれを交わすくらいは……と、あたしは最初以上のダッシュで元の広場に戻る。

 

 

 

けれども、そこにはもうお姉さんは居なかった。

広場をぐるっと回って姿がないかと探すけれどやっぱり居ない。

別の方向に行ったのかと、あたしが進んだ出口の方とは逆側の道に行ってみようかと足を進めようとする。

 

と、その時、広場に強い風が吹いた。冷たい11月の風に、落ちた枯葉が舞っていく。

同時にあたしの身体がぶるりと震えた。足を止めてまた周りを見渡す。そこにはやっぱり誰もいない広場で。

 

あたしは急にそこに一人で居る事に強い孤独感を感じた。もう日も落ちかけて暗くなってきたという事もあるけれど、暗くなる前からもそこはそういう場所だったんじゃないかと思うほど静閑で、一人で居るには身も心も冷えてちょっと辛いような……

 

 

そんな事を思っていると、さらに空からの光が無くなり周りが暗くなる。

 

 

「帰らなきゃ…」

 

そこで無意識にあたしの口からそう漏れた。

 

そう、帰らないといけないんだ。トレーナーも心配しているだろうし…というのはもちろんあったけれど、今はここから離れたい気持ちが強くなる。お姉さんの事は気になったけれど、レースの日にはここに居ると言っていた、きっと明日もどこかで見ていてくれることだろう、そう思って。

 

 

そうして、また出口の方に向かう。

でも、それでも何度か後ろ髪を引っ張られるようで、あたしは何度も振り向いた。

しかし、どれだけそうしようとも、そこには誰もいないひっそりとした空間が存在するだけだった……

 

 

 

その後はスマホから「今、帰る」と一言メッセージを返して、急いで宿舎に。

宿舎に着くとアドバイザーもこちらに到着したようでトレーナーと話していた。

 

「朝からこれまでずっとレース場か。レース日前にようやると思うがお前にとってはそれが一番なんだろうな。

 何かいいことあったんだろう。顔から全部出てるぞ」

 

「まあね」

 

レースを見ている時は自分でもそうじゃなかったろうと思えるけど、こうして帰ってきてあたしの顔は随分とスッキリしているのだろうと自分でも分かる。トレーナーにも「観に行って良かったようだね」と言われて頷くばかり。

 

その後は特別明日のために何かするわけでもなく、ミーティングは昨日の内に済ましておいたので御飯を食べてお風呂に入って身綺麗にして寝るだけとなった。

ベッドに沈みながら今日のお姉さんとの事を思い出しつつ、明日の事を考えすぎることもなく、あたしは早めにぐっすりとその日は眠りについた。

 

 

 



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混戦の1マイル

11月の3週目、マイルチャンピオンシップ当日。

今年のこのレースは混戦模様。ジュニア・シニアどちらのクラスも入り乱れて年齢層の幅広い参戦者。内G1ウマ娘ちゃんは7名も居て、しかし、その中で誰が圧倒的ともならずに誰が勝つのかの意見も様々。

 

あたしはもう3度目で慣れた勝負服に袖を通して準備完了。その後はトレーナーとアドバイザーと最後の軽い確認をする。これまでは前に行ったあたしの走りだけど、今日の作戦は後ろでいい、あたしのペースを守れというのが基本に。今回の作戦はトレーナー任せなのでアドバイザーからは「同期の娘にはまず負けない。これまでで一番の練習の出来だ。自信持ってけ」と勇気付けられる事が占めた。最後にバシッと背中も叩かれつつ「分かったよ~」と、あたしも元気よくパドックへ。

 

やはり今日抜きんでて人気がある娘というのは居なくて、声援は上位はバランス良くという感じ。

去年のスプリンターズS覇者でシニアクラスの中でも年長なブラックホークちゃん。

去年のNHKマイルを勝っている今年からシニアクラスのシンボリインディちゃん。

そして、ジュニアクラスの中なら今年のNHKマイル前の故障から復帰していたエイシンプレストンちゃんにもルーキー年の表彰選手という事で大きく声援が飛ぶのを聞く。

 

そんな中で今日になって急激に注目を集めたウマ娘ちゃんが一人いた。

あたしと同じジュニアクラスのダイタクリーヴァちゃん。

今年の皐月賞で結果としては2着だけど1番人気になるほどの期待されていた娘。

このマイルCSまでの状態もすこぶる良かったようで前日までの報道や特集でもジュニアクラス勢の中で人気を集めるんじゃないかとは言われていた。

 

でも、この当日。それも他のレースも始まってから、地方から時々中央にも指導に来ている、地方ではそれはもう伝説ともいうべき凄腕トレーナーが、このマイルチャンピオンシップに合わせてダイタクリーヴァちゃんに特別に付いて今日になるまで短期の指導をした事実が判明したのだ。

 

その情報が駆け巡った途端に、この誰が勝つか分からなかったレースの行方が決まるぞと、このレース場内だけでなくネット上も各地の熱が一気にアップ。人気投票数もそれに比例して上がっていったようだった。

 

その辺の話はあたしもこの場に来るまでに耳に届いていたのだけれど、こうしてパドックでそのダイタクリーヴァちゃん本人を見れば、それも一目で納得というものだった。

 

その凄腕トレーナーとやらは知らないのだけれど、一体どんな指導をしたのかまでは知る話ではないのだけれど、パドックに出るダイタクリーヴァちゃんもその指導で自信を持ったのか、突然注目を多く集めた事にも臆することのない振る舞いで皆の前に出る。これは人の目を惹く、さらに人気も上がるだろうなと、その青基調に黄色のラインが入った上着に白いパンツスタイルの勝負服の爽やかさをじっくりと見ながらも思う。

 

あたしはというと、そんな上位勢をはるか上に見るように18人中の13番人気。

ここのところ悪くない走りだったけれど、そこはやっぱりダートでの話、ダートの娘という見方でそんなところだった。

パドックに出てみても「君、ダートの娘じゃないんか」と声もかけられたけれど、「あたしはそういうの気にしない娘だよ?」と返してみたら「せめて走る時には気にしろよー」と声の主に言われて、それは呆れている風もあったけれど場違いと言われているでもなく後押しと受け取って「気にする、そうする~」と言ってみると何か周りの人も笑って和やかだったので、これでいいかと自分の出番を終える。

 

降りた後のパドック裏で一度右手の小指を見る。

今日は京都遠征で、来週以降のレースのために今日も練習しなければならないチームメイトもいて、シックちゃんグラスちゃんエクセルちゃんとこのトリオが「その辺りの面倒はお任せあれ!」という形に。あたしの事はレースの時間のみチーム部屋での応援となるけれど、出掛ける時には皆から力強く送り出された。

 

シックちゃんとは「これまでやってきたこと、だよね」と話し合った日を振り返るように言葉を交わして。

エクセルちゃんには「今日のデジタルならいけるよ。近くであれだけ練習に付き合った私が言うんだから、ね!」と良い顔で言われて。

グラスちゃんとは言葉では「行ってくるね」と言うだけだったけれど、他の娘から見えないところでこの小指を一瞬絡ませてもらった。グラスちゃんといつか走るのならば、あたしがG1ウマ娘になった方が良いものねと、自分に気合いを入れるための一つの儀式。

 

その時にグラスちゃんもあたしも何も言わなかった。何も言う必要はなかった。指を交わして視線を合わせて、あたしはニッとしてグラスちゃんも分かっているというようにニコリと。

最近入ったG1レースをそうして観るのも初めてだというルーキーちゃんも経験豊富なシニアクラスの娘ちゃんも揃って送り出してくれて嬉しい限りだったのをそうして思い出す。

 

それを終えると、あたしは地下バ道に進む。

地下バ道の入り口から遠くを眺めて、あたしはそこで立ち止まった。

 

ここまで心を揺らす事もなく来たけれど、ここに来て一人になって、前回こうして勝負服で歩いた地下バ道の、レースの事が思い浮かぶ。

夏を越え、あのジャパンダートダービーの時より体力は付いた走力は上がったと手応えも十分あった。久々の芝への参戦でも、この三週間ほど芝コースで十分に身体を慣れさせてきた。NHKマイルカップの頃よりも走れると、外に向けてだって宣言できるくらいに自分でも思えている。

これも自分の力を出す楽しみの一方でやってくるモノ、だから大丈夫、と思って足を進めようと思っても、いつもより速く聞こえる心臓の音が気になって、それを抑えるように何度も息を吸っては吐く。

 

あたしがそうして何度かやる頃に、同じような息遣いが近くから聞こえた。

 

「プレストンちゃん」

 

赤地に黒のアクセントが所々に付いた身体のラインを強調するようなピッタリとしたワンピースタイプの勝負服に身を包むエイシンプレストンちゃんに近づいて見上げる。

 

「ああ、デジタル。もう先に行っちゃったのかと思った」

 

あたしを確認してプレストンちゃんは安堵の息をつく。

 

「今、凄い近くにいたんだけど気づかなかった?」

 

「全然。もう真っ直ぐしか見えてなかった。久々のG1、久々の勝負服で、いざここに来たら緊張しちゃって。

 誰か知り合いが居たら声をかけたくてデジタルが居てくれて良かった」

 

「そうかー」

 

「ねえ、デジタル。その…このまま一緒に行ってくれない?」

 

「いいよ。久しぶりじゃなくてもあたしも何だか一歩が出なくてねえ、一緒だね。似たもの同士で並んで行けば辛さ半分になるかもしれないから行こうか」

 

プレストンちゃんは緊張する自分に対して残念に思っているようだったので、あたしも緊張している事を全く隠さずに伝えて、そうして二人で進む事にする。

 

NZTの時に話してから会話する機会は増えた。

NHKマイルカップ前にプレストンちゃんが故障してしまった後しばらくは「今、頑張ってる娘にネガティブなところ見せては悪い」とちょっと距離を取られてしまったけれど、「せっかくあの時にお近づきになった仲なんだし~」とあたしから距離を詰めていった。

 

その後は学園生活の事から復帰に関する事まで諸々と。

「トレーナーがね、「絶対復帰出来る、させる。何があってもウチで面倒を見る」って言ってくれて、それがなかったら落ち込んだままだったかも」と、プレストンちゃんが嬉しそうに言っていた時は、やっぱりそういう時の顔が良いな~と思ったり、「できるトレーナーってやつだよね」と同意をしたり。

「グラスワンダーさんのように何度でも戻ろうという人もいるんだものね、私も頑張らないと」と自分を振い立たせるように言っていた時は、ここにもグラスちゃんの影響力と思ったり。

 

そうして近い関係となったプレストンちゃんと地下バ道を歩きながら、最近の事や今日の事を喋りながら足を進める。お互い緊張が完全に無くなったわけではないものも出るけれど、それでも二人で行けばスルスルと出口までの距離は縮んで行く。

やがて道は終わり外に出る。そこに一人のウマ娘ちゃんが待ち受けていた。

 

「いらっしゃい、ジュニアウマ娘達。今日はこのG1ウマ娘、キングヘイローがお相手して差し上げますわ!」

 

その両肩の出た緑の勝負服を身につけたキングヘイローちゃんは、あたし達を見下ろすようなポーズを取りながら声高らかに宣言する。

 

「やあ、キングちゃん」

 

あたしはそこに右手を挙げてご挨拶。すると、キングちゃんはガックシと肩を落とす。

 

「あのですね、アグネスデジタル。あなたがチームを移籍する時に言ったように、せっかくG1の舞台でこうして戦う事になったのですから、もう少しそれらしい反応というものを……」

 

「ああ、そうか。じゃあ、テイク2ということで」

 

あたしはそうして二歩ほど下がってキングちゃんから距離を取る。

そして、驚きおののく様子を見せながら、

 

「そんな!あの10度の敗北を乗り越えてG1ウマ娘となったキングヘイローちゃんが、あたしの前に立ちはだかるだなんて!」

 

と、しっかり言ってみたんだけど、それを見たキングちゃんにはさらに落胆したように肩を落とされた。

 

「全っ然ダメですわ!わざとらしいですわ!私達には演技力も必要にもなるというのに……、ほら、エイシンプレストン。お手本を見せてあげなさいな」

 

そうして話を振られて、あたしにも見られて、一瞬「えっ」となったプレストンちゃんだったけれど、その後は背筋を伸ばしてキングヘイローちゃんの前に行き手を差し出すと、

 

「先輩、今日はお手柔らかに……いいえ、全力でお願いします」

 

と、闘志を宿した目と笑みを浮かべた口元で、この戦いを待ち望んでいたかのようにも楽しそうにも伝える。

 

「これ!これですわ!私が求めていたのは。さすがエイシンプレストンは分かっていますわ。きちんと育てられていますわ」

 

キングヘイローちゃんはそれを見て身体の前で両手を握って「よしっ」と。その後は差し出された手に対して、「これがやりたかったのだ」と「ありがとう」というように両手で握って上下に振る。一方でプレストンちゃんは、その喜びの表情に「これで合ってたのかな?」というものと「こんなにも喜ばれるなんて」と、ちょっとどうしていいか分からないような困惑の笑顔を浮かべていた。

 

「まだジュニアクラス勢に多くは望めませんけど、それでもこうしてきちんと分かる娘もいるのですから、アグネスデジタルも精進なさいな」

 

そして、手を離したキングヘイローちゃんはコホンと咳払いした後にあたしに忠告する。

 

「んー、でもなー、もしプレストンちゃんと同じ事を先にあたしがしていたらキングちゃんどう思った?」

 

「そこは、まぁ……」

 

と、キングちゃんはどうやら図を想像した後に、ちょっと目を逸らしつつ口を押さえてプッと笑うように。

 

「ね、そうなるでしょ」

 

「失礼しましたわ」

 

「いいよ、その通りだもんね。プレストンちゃんならビシッと決まってもあたしじゃ様にならないよ。あたしだって言っている内にきっと笑っちゃう。まあ、わざとらしくなく&あたしらしいのは今度には出来るようにしておくから宿題にさせておいてよ、キングちゃん」

 

「それでは、そうしましょう。その時をまた楽しみに待っていますわ」

 

「二人ともレース前に何に盛り上がってるんですかぁ」

 

次こそはしっかり挑もうじゃないかと立ち向かうポーズを取るあたしと、やってみせなさいなというように腰に手を当てあたしを見るキングヘイローちゃん。

そこに横からのプレストンちゃんのツッコミが入って、この話はここまでにとなる。

 

「それでは先輩、後はレースで。デジタル、あの辺が広くなってるから近くで一緒にウォーミングアップする?」

 

と、プレストンちゃんはここから近い所であまり他のウマ娘が集まっていない場所を指差す。

 

「そうだね。まずはプレストンちゃん先に行ってて。あたしもすぐ行くけど」

 

「了解」

 

プレストンちゃんはあたしの答えに軽く答えて、キングヘイローちゃんに一礼するとスタスタと歩いて行く。

それを見送りながらキングヘイローちゃんは満足げな頷きを。

 

「ありがとね、キングちゃん」

 

「何の事ですの?私は何もしていませんけど」

 

キングちゃんは大袈裟にも肩を竦める。

 

「キングちゃんのおかげで、あたしはいつものノリになれたし、プレストンちゃんも足取り軽くなったみたいだからね」

 

「お役に立てたのなら良かったですわ。私が本気で行くならば、あなた方も本気で全力を出せるようになっていただけないと困りますし、地下バ道の出口から見えた姿では、そのままですと右手と右足が一緒に出そうな様子もありましたから」

 

「お互いちょっと固くなっちゃってね。14回目のG1レースのキングちゃんはその辺バッチリなんだね」

 

「他人のレース回数までよく覚えていますこと。そちらも流石ですわね」

 

「キングちゃんほどのウマ娘ちゃんの戦績なら序の口ですよ。と、あたしも行くね。それじゃ」

 

その場から離れるあたしにキングヘイローちゃんは軽く手を振る。

デビュー時のチームで期待され、でもG1勝利に届かずに他へ移籍し再び戻ったキングヘイローちゃん。その後また一度移籍したチームへと移り、そのチームにおいて高松宮記念を勝ちG1ウマ娘となったキングヘイローちゃん。

それからはまたチームを行き来を繰り返し、その高松宮記念を制した時の在籍チームから今日のレースに出場している。二つのチームを行ったり来たりのその経緯は分からないけれど、今回は後輩のプレストンちゃんと戦うには他のチームの方が良いってやつなのかな~などと考えながらあたしはプレストンちゃんの待つ空いた場所へ行き、ウォーミングアップを始める。

 

まずは身体を解してから軽く走って足元確認。

レースが始まってからはまた別になるけれど今の所は芝への感触は悪くない。

走りながらスタンドの目に付くところを気にする。

トレーナーもアドバイザーもこの辺りからは見えない所で見ているのは分かっているとして、昨日のお姉さんでも居ないかな~と思ったものの視認できる所には姿はない。

まあ、小さく大人しそうな娘ちゃんだったしG1のこれだけ人の居る中で前の方に出てきてレースを観るようなタイプでもないだろうなと、ざっと見てそれを終える。

 

その後は今日の対戦ウマ娘ちゃんチェック。

近くで身体を温めるプレストンちゃんも前日までの情報で好タイム出していて、今現在を見ていても調子は良さそう。

 

他にやっぱり目を惹くのはダイタクリーヴァちゃん。少々離れた所に居るのを注視するんだけど、身体の動きも気合い乗りも離れていても伝わってくる。

乗りすぎて気合い空回りなんて事も起こしそうになく、その傍にいるダイタクヤマトちゃんと会話しながら自分のルーティンをこなしている様子。

 

ダイタクヤマトちゃんも前々走でスプリンターズSを人気最下位ながら勝って次のスワンSも勝ち、今日までの身体の出来も良い話が聞こえてきているし手強そうなシニアウマ娘ちゃんだ。

二人は大分熱心に話しているし、その関係性はまだ未チェックだけれど似た色合いの勝負服でなかなかキテると感じる雰囲気。

 

その後もチェックは続いて気がつけばゲートインの時間へ。

あたしも落ち着いてゲートに入る。

 

 



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勇者はその武器を振い

そして、あたしはゲートが開くのを確認したと同時に飛び出した。

 

今日は先行を狙わなくて良いと加速は控えめだったのだけれど、他の娘達が想定以上に前に行き、あたしは後方4番手ほど、頭に入れていたものよりもずっと後ろに置かれる。

 

初っ端から予定と違って「あっ……」となるけれど、今日は後方で良いんだ良いんだと落ち着くように言い聞かせ、前を行く大勢の娘達に付いていくことに。

 

そして、そこでまた考えになかったことが。

ヤマカツスズランちゃんが果敢に前に出て、それに引っ張られたのか全体がハイペース。

その速さに面食らうと同時に、いざ本番でこの芝コースで走ると勝手が違って自分のイメージよりも脚が前に進まない。

 

脚を回転させながら、この状況からの選択は…と頭も回転させてみるのだけれど、顔を上げればずっと先を行くヤマカツスズランちゃんがとても遠くに見えて……

 

 

 

そこであたしの中に蘇ってくる映像。

 

 

ジャパンダートダービーで重い砂地に足を捕られて、体力の無くなったあたしを皆が置いていき、多くの背中があっという間に小さく見えた、あの状況。

 

それが頭の中を浸食する。もう一度同じ事をしてしまうのかとあたしの焦りを増していく。

それはダメだ、それだけは……と、考えろ、考えろ……と自分に命令するようにも思う。

けれど、このマイル戦。決して長くはない猶予、もう時間も少なくなるという思いが、思考をまとまらなくさせる。

 

これ以上は遅れるわけにはいかないと必死に付いていきながら既に半分ほどが終わる。

後半分しかない、どうすればどうすれば……と走るせいで起こるものとは違う心臓の高鳴りが自分に伝わる。

走っている事で身体は熱くなっているはずなのに、頭の中に流れる失敗の記憶が身体を恐怖で冷えさせていくようにも感じる。あの大井の砂のように足が沈むわけでもないのに、地を蹴る毎に体力が奪われていくようにも。

 

 

その時、一つの言葉が頭の中を過ぎっていった。

 

 

「スタンドから見ているとそうしたウマ娘に気づくことはよくありませんか?」

 

 

それは昨日あのお姉さんから聞いたもの。

それがスッと鋭く通り過ぎ、あたしの絡まった思考を切り裂いていくようだった。

そして頭の中の方向が一つに定まる。

 

想定と違って焦る、狭い範囲しか見えていない。

そう、そんなウマ娘こそが今のあたしじゃないのか。

 

今のあたしは外から見たら随分と滑稽にも見えるのだろうと、それに気がついて、まずは自分の手足、続いて自分の様子全体に視線も動かす。

そうして自分のペースすら乱しそうな自分の慌てぶりを認識したところで、心が少し落ち着くのを感じる。

トレーナーにも言われたように自分のペースは守るんだと、まずはそこに意識を向ける。

 

心の後は身体も落ち着いてきたところで、あたしは頭を上げて先を見た。

そうしている間にも先頭は小さくなっていく。

実際に離れている距離よりずっと遠くに見える。

その背中が豆粒のようにも、幻のようにも。

あたしの視界の中で滲んだようにも見えて、まるで届かない触れられもしない存在にも思えてくる。

 

先程までだったなら、これは諦めにも繋がったかもしれない。

でも、今のあたしは違う方向へと考えを進める。

もう過去の映像など流れない、あたしはこのレースを観るのだから。

 

頭は冷静にその指令を出す。

もしこれをスタンドから見ていたら、彼女達を横側から見ていたらどう思うだろう。

あたしはこのレースをどう感じるのだろう。

脚は多くの娘達を追いかけながら、頭はそちらの方向へと、あたしのビジョンは変わっていった。

 

 

まずはスタート直後から先頭を行くあたしと同じジュニアクラスのヤマカツスズランちゃん。

スズランの名前のように緑と白で作られた勝負服が愛らしい。

でも、最初から飛ばしすぎたのか、これでは最後までは持たないように思う。

 

それを捕らえに行っている2番手にずっといたのがダイワカーリアンちゃん。

こちらは今日出ている中でも長く走っているシニアクラスの大先輩。

青と白の勝負服が芝の緑に映えて爽やかに先頭を狙って行く。

 

青色白色勝負服と言えばと近い色を持つ、レース前にも気になっていたダイタクちゃん達が気になる。

そこで前の方を勢い付かせて進むのはダイタクヤマトちゃんの方。スプリンターズSでは4コーナーから先頭を取ってそのまま押し切ったっけ。今回もそのつもりの動きかもしれない。

 

ダイタクリーヴァちゃんは最初はあたしのちょっと前の方に位置していたけれど、

何か間違ったという様子ではなく狙い通りなのか段々と前に行き、手応えの良さをあたしにも伝えてくる。

仲が良さそうに見えたダイタクヤマトちゃんも、その他のウマ娘ちゃんも退けて自分こそがただ一人勝者になるのだというように加速していく。その燃えるような気持ちがこの目にも見えるようで興奮させる。

 

エイシンプレストンちゃんは最初はあたしよりスピードが付かずに、それじゃ駄目だと思ったのか、すぐにあたしの横を通り過ぎて行っていたけれど、今はそのまま前へ前へと行ってダイタクヤマトちゃんにも並びそうなほど。

 

その近くにはキングへイローちゃんがいて、相変わらず頭が高い走りだなと思いながら、ちょっとこのペースに付いていくのは厳しいとあたしは見る。

その中で誰を意識している様子かと言えばプレストンちゃんで。その前には行きたい、同じトレーナーの指導経験のある先輩としての意地を見せたいのだろうと、そんなウマ娘ちゃん同士の熱いぶつかり合いもまたクるものがある。

 

そうして他の娘ちゃん達を、頭の中のあたしが、スタンドに居るあたしがいつも通りに品定めしていく。頭の中でレースがどう動いているのかがハッキリとG1ならではの勝負服に身を包むウマ娘ちゃん達の姿がクッキリと。

 

 

 

 

その時にまた一つの声が聞こえたように思えた。

 

 

 

 

「それで、君は……そこのアグネスデジタルちゃんはどうするのかな……?」

 

 

 

あたしの中のあたしが、観客のあたしがグフグフと嗤うようにも。

そこでパンッと完全にあたしの視点に戻る。

この走るあたしへと。

 

気がつけば4コーナーを回って直線。

先頭まではまだ遠い。

けれど、今のあたしにはその姿が、その背中が、その細部までクリアに映る。

前を行く10数名のウマ娘の姿がこの手に抱え込めそうなほど近くにいるようにも見えた。全ての動きが手に取るように。

 

 

 

(ここじゃダメッ!)

 

 

 

あたしは一つの決意をして急いで進路を外に取る。

少し前方さえ意識できれば、このまま前に行けば他の娘に囲まれる位置で、これでは先頭に出るどころじゃないと気づいて。

 

同じように最初は後ろにいたメイショウオウドウちゃんが内に進路を取っていくのが一度見えたけれど、あたしは外だ。外に行かなければならないと、なんとしてでも外へと向かう。

 

合間を縫って外に出て前を向けばもう直線は僅か。

それでも急がずに、加速は付けながら走る走る。

 

そして、もう残り200ともなったところで、

「今だっ!」と強く地を蹴った。

 

 

前へ、前を、前だけを見て。

 

 

あたしの右側に数々のウマ娘ちゃんの姿を感じる。

けれども、あたしはもうそれを見ない。今日の”観察”は終わったのだと心に決めて。

 

直線に入ってもあたしは15番手ほどで、今はどれだけ抜かしただろうか。

隣を過ぎっていく色とりどりの勝負服の数も数えず、数えられず、あたしは大外を進んだ。

 

あの場所からならばと最後の加速をしたけれど、そこから本当に間に合うのだろうか、抜かせるのだろうか、ゴール板は今どの辺りにあるのだろうかなどとも抱えながら、それでも前へ。

 

あたしの最大限の脚の踏み込み、もう何も考えずに先へと進もうと思ったけれど、さすがに辛いきつい…となってきて、あたしはちらっと内側を見た。

 

そこであたしの目に入ってきたのは、内側から外側を、あたしの方を見るダイタクリーヴァちゃん。

「……え?」と目を丸くするような顔があたしの目線をあっという間に横切っていった。

 

その後に目に入り、すぐに通り過ぎていったのはゴール板。

そう、ゴール板だ。

それを見たらどうするのか、それもこれまでずっとやってきたことだ……と、あたしはゆっくりとスピードを下げて、そして足を止めた。

 

そこで聞こえるのは歓声。

 

つまりレースが終わったんだ。

あたしはそれを立ち尽くしながら聞いていた。ターフの上に注がれるそれだけれど、あたしはどこか遠い世界からの音のように聞いていた。

 

そこにトンッと肩を叩かれる。

完全に不意を突かれて「ふぇ?」ともなった顔でそちらを向く。そこには今日複数回目のガッカリ風なキングヘイローちゃん。

 

「まったく何という顔で見て来るのですか。いえ、私の事は今はいいですけども。それよりも皆が勝利を讃えているのですから、それに応えるのが勝者の務めというものですわ」

 

キングヘイローちゃんはそう言って、あたしをスタンドの方を見るように促す。

その言葉を聞いてもイマイチ状況が飲み込めない。

今、ハッキリ思い出せるものといえばダイタクリーヴァちゃんを抜かしてゴール板を通ってということ。

その先には誰もいなかったんだろうか…と、スタンドを見る前にちらっと電光掲示板を見ると一番上に光っているのは、あたしの番号で。レコードの文字まで表示されていた。

 

それを見ても尚あたしはどうすればいいのかなっと辺りを見渡してしまう。

そこでもう一度キングヘイローちゃんからの「ほら」と腰の辺りを軽く叩く接触。

それに触発されて、あたしはそれじゃあ……とスタンドに向けてお辞儀。

自分でもギクシャクしながらの迷いながらの一礼。

 

そして、また大きな歓声と沢山の拍手の音。

それがあたしに向けられたものだと分かる。

声と拍手の音が自分の耳に近く大きく届くようにも段々と聞こえてきて、それと共に「あたしは勝ったのか……」と自分の中からその実感がゆっくりと湧いてくる。

 

すると、意識せずにあたしの口からは大きな息が吐かれて、最後の加速で疲労した足の状態も強く感じるようになる。

でも、それもまた心地良いように、その後は自然と顔が綻んでも来た。自分は勝ったのだと、ようやく信じられるようにもなっていた。

 

「デジタル、大丈夫?」

 

と、今度はキングヘイローちゃんの逆側からプレストンちゃん。

 

「大丈夫だよ。でも、ちょっと疲れた……」

 

「凄い脚だったもんね。デジタルが後ろの方から来た?と思ったらあっという間に前に行っちゃって、走っていたってビックリしたよ。痛いとかはない?」

 

「それは平気、ありがとね」

 

プレストンちゃんは、あたしがやけにボーッとしていたからか体がどこか悪いのかと思っているようで、それなら手を貸そうかというように手を差し伸べてくれながら心配そうに言う。

それに対してはあたしは明るく笑顔になって手を軽く振って断りながら、その場にまずはしっかり立つ。そして一度ふうっと息をついてから帰る方向へと身体を向ける。

 

プレストンちゃんもキングヘイローちゃんも、疲れてるあたしを気にしてかターフ外の寸前まで付き合ってくれて、その途中では最後に抜かして2着だったダイタクリーヴァちゃんに悔しさを伝えられながらも「やるもんだね」と褒められて、最後には「次は負けないから」とお腹の辺りを拳でこつんとやられたり。

 

そんな事がありつつ最後は一人で戻っていくと、そこで待っていたのはアドバイザー。「よくやった!」と、それはもうバッと抱きつく勢いで。

実際はアドバイザーとてそこは弁えて抱きつかれまではしなかったけれど、身体をバンバン叩かれながらその喜びを表現された。

トレーナーはたとえG1レースだろうと何だろうと恒例のもので変わらず、「お疲れ様」と頭をポンポンと。

でも「直線は他の娘が止まって見えた」と「あんな走りができるとはねぇ」と本当驚いたのが顔に出るほどに言われて、こんなトレーナー初めて見るなぁと、二人の嬉しそうな様子を見て、あたしは自分の勝利をより強く実感すると共にあたしもニンマリしていた。

 

 



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遠く、儚く、愛しいもの

その後は勝者としてインタビューへ。

重賞は既に勝った事もあるけれど、さすがG1は取り巻く報道陣の数も違う。

これがG1と他との違い…と実感しながら、あたしはインタビュアーからの質問に応じる。

 

ウマ娘としてレースで走るんだって決めてからずっと心に溜めていたことが実のところあった。

いつかG1ウマ娘になったらするんだと思っていた事は、こういうインタビューの時にウマ娘ちゃんへの愛を宣言することだった。

 

今日だってここに立った時点ではその気でいたんだけど、インタビュアーから今日のレースのこと、久々の芝への参戦での勝利でどうだったとか振られたところで、ついそれを沢山語ってしまった。

 

やっぱりダートと違って最初は戸惑ってしまったけれど、今日の作戦通りに後ろに待機して付いていくことからにしたとか、その後は外から自分や周りがどう見えているかに集中して、これなら直線で勝負をかけられると思ったとか。

インタビュー中にも最後の脚の事は興奮気味にインタビュアーからも聞かれて、あたしは走るに一生懸命で自分ではよく分かってない所もあったんだけれど、こうして褒められるのは嬉しかったりこそばゆかったり、ついニヤニヤもしてしまうものだった。

 

ニヤニヤしたところで調子が出てきてそのまま愛を語る方向に行こうと思ったんだけど、そこで時間が来ちゃって打ち切り。これは又の機会とそこだけ残念に思いながら、あたしはインタビューステージからも降りて今度は控え室に。勝負服からライブ会場に移動するまでに一度着替えて……としている最中に大事な事を思い出す。

 

勝てたのは、あのお姉さんのアドバイスによるところがある。

今日レース場に来てから、ターフ上から見える所、そして終わってからも見られる所は見渡してもみたけれど、その姿はなかった。

もう最後のレースも終わっているし、昨日の場所に居るかなと思って、ちょっと時間を使って行ってようと思い立つ。

 

そうと決まれば着替えをさっさと済まして控え室から出る。

そこで待っていたトレーナーに一言伝えて……と思ったけれど、一人でここで消えたら心配するだろうし一緒に行ってもらった方がいいやと思って「移動する前に行きたい所があるからついてきて」とだけ言って、それのみでは何の事か飲み込めていないトレーナーを半ば強引に連れて行く。

 

 

 

広場に着いてみれば、昨日と同様に人々はもう帰るかライブ会場に移動するかで静かなもの。

そして、お姉さんの姿を見る事もなかった。

ここで会うと約束していたわけじゃないし念のためってだけだったんだけど、諦めも付かなくてその辺りをその姿を探して何度も見渡す。

 

「それで、なんでここに来たかったの」

 

そこで黙って付いてきてくれていたトレーナーからの質問。

何も知らされぬまま運ばれて不満というわけではないけれど、腕を組みながら、そこはまず聞いておかなければ、というように。

 

「ほら、インタビューでも言ったけど、今日はスタンドから見たらレースはどう見えているかって頭に置いて走ったのはさ、それは実は昨日ここでアドバイスしてくれたウマ娘ちゃんがいたんだよ」

 

「へえ、そんな事が」

 

トレーナーは興味アリという様子で反応する。だから、あたしも周りを探すのは続けながら詳細説明。

 

「丁度このベンチの辺りでね。だから、あたしとしてもお礼が言いたくて。必ずここに居ると言っていたわけでもないんだけれど居てくれたらなと思ってさ。

 あ、トレーナーもせっかくだから探してよ。あたしと同じくらいの小さな黒鹿毛で、服は……昨日と同じだとは限らないからなぁ。帽子さえ一緒の物を付けていてくれていたら目立つんだけど。帽子自体は黒の、目を惹くような物じゃなかったんだけど、青い薔薇の飾りが印象的でね。

 まあ、他の事はもっと印象的だったけど。本当、あのお姉さんが居なかったら今日みたいな走り絶対できなかったよ」

 

と、少し離れたところまで歩いて探しながら、その後も教えてもらった事や他にも話した事についてさらに調子よく話していたあたしはハタと止まる。

最初の反応以来トレーナーは全く何も言わずに、あたしが一人でぶっ通しで話していた事に気づいて。それでトレーナーの方を振り向くと、あたしが昨日座っていたベンチの前で一人、自分の右手の掌を見るようにして俯いてた。

 

そこであたしは(ああっ!)となる。

ついつい勢いついて言っちゃったけれど、お姉さんのおかげもあって勝ったのは事実で違いないんだけど、トレーナーにとっては面白くもないものになっても当然だ。今日のことがトレーナーの力は関係ないみたいに伝わっていたらどうしようと、これだからあたしはダメなんだと思いながらも、トレーナーの方へそっと近づく。

 

 

その時、トレーナーが呟くのが聞こえた。

 

 

「……トレーナー?」

 

あたしは様子を窺いながら小さく話しかける。

声に気づいてあたしを見たトレーナーは先程までじっと見ていた手をそのまま首の後ろに持っていって「そうか~」と納得したように一言。その後は手を下ろして軽く息をついて、怒っているようでもない険しい様子でもなくいつも通りの表情を。

 

「本当に良いこと教えてもらったと思うよ。それは考え方の一つとして存在するものだ。だったら僕が教えるものだろうと言われると弱いし、立場からしたら喜ぶだけじゃいけないんだけどね」

 

そうして最後は白い歯を見せながら自分自身を責めるようにも。

 

「い、いいんだよ。そういう機会が偶々無かっただけでしょ?あたしは気にしないし、トレーナーも気にしないで、ね?」

 

「そう言ってもらえると有り難いけれどね。確かにそれなら御礼を言わないと、という話になるだろうけど……。

 ほら、こうして近くを見ていても人影はないし、もしかしたらライブを見てくれるつもりなのかもしれない。いずれにせよ主役が行かないと始まらないから、ここで探すのは止めにして、もう移動しようか」

 

トレーナーはあたしの前で屈んで諭すように言ってくる。

 

「うん……」

 

と、あたしは頷きながらもベンチの方をちらりと。

 

「気になるのは分かる。御礼なら僕も言いたい。いつか言おう、必ず言おう。それでも、今のところは……」

 

トレーナーもまたベンチの方を向いて誓うようにも言った後、あたしの背中に触れて出口の方へ向かうように促す。あたしは何も言わずに頷いてそれに従う。

 

レース場から出るために広場から離れていく道の上、あたしはトレーナーの呟きを思い返していた。

トレーナーはあたしに聞こえていたなんて全く思ってないみたいだけど、あたしはそれをはっきりと聞いていたんだ。トレーナーは確かに言っていた。

 

 

 

 

「あの娘はそういう娘だろうね……」って。

 

 

 

頬を緩めて少し笑うように。

それで分かる。あのお姉さんがトレーナーが知っているウマ娘ちゃんだってこと。

それも、”あの娘”だなんて言うってことは、教え子なんだとも思う。あたしが前にチーム部屋で見た資料の中にその姿は無かったけれど、そうに違いないって思ったんだ。

 

本当はその時に聞いてみたかった。

「知ってる娘なんでしょ」って。お姉さんの事は、あたしだってそれは深く知りたくもあったことだ。

 

けれど、トレーナーの表情がそうはさせなかった。

 

それを言った時のトレーナーは懐かしそうな様子で、それで……と、その表情を考えるほど、あたしの中で悩みが渦巻く、どうにも胸の辺りがざわつく。

 

あたしはこれまで人のあんな表情を見た事がなかった。

これほど人の事が分からないのを悔しく思ったこともない。

この時ほど上手く言い表せない事をもどかしく思ったこともない。

 

あたしにも伝わるものといったら、トレーナーはとても……心の底から嬉しそうだった。

それだけだったなら、勿論あたしはその場で聞いていた。ライブ会場まで歩く僅かな時間の間でも少しでも話を聞きたかった。

 

でも、それだけじゃなかったから。

何かは分からないけれど、それだけじゃなかったのは自信を持って思えた。

 

そこで、もう一度じっくり思い出す。

トレーナーが俯いていたときの、あの表情は。

 

そう、あたしに伝わるそれは。

あたしの精一杯で表現できるそれは。

 

 

誰かを想って嬉しく、優しく、そして、どこか寂しそうだったんだ……

 

 

どうしてそんな顔するんだろうと思う。それを含めて全てを知りたい気もした。

けれど、その表情はそれ以上にあたしに聞くのを止めさせる。あたしが読み取りきれていない何かが、あたしに歯止めをかけるのかもしれない。

 

だから、あたしは聞かなかった。

御礼を言おうってトレーナーから言ってくれたし、この後でも、もっと後のいつかどこかでもトレーナーから教えてくれる時があればいいかなって。

 

 

 

 

広場から離れていく途中、トレーナーはもうそこを見る事はなかったけれど、あたしはそれでも気になって一度だけ振り向いた。昨日と同じように冬も近い風が吹き、やっぱり誰もいない静かな場所に小さな枯葉だけがカサカサと舞うのが見えて。けれどもどうしてか昨日より少しだけ暖かなその場所があるように、あたしには思えた。

 

 

 

 



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戦い終えて

後に人々が評するところの、”特別注目されてもいなかった芝レースでの勝利無しのウマ娘が直線ですっ飛んできた波乱のマイルCS”はそうして終わった。

 

ウイニングライブではこれまであたしの事を知らなかった人達も沢山居たようだけど、あたしはライブを恙なく終えて、盛り下がったわけでもなく、これを機に覚えると声をかけてくれる人もいて、あたしが評するところでは全体良い感じに終わりを迎えたと思う。

 

その日は出番を終えて「これは疲れた、やれやれ」と帰りの新幹線では一度眠りについて寮に戻ってはそのままベッドにダイブ。

翌日はライブまで行っての遠征帰りなので一日休みを貰っても良かったのだけれど、そこまで疲れてたわけではないし午後からの授業には出ることに。

 

そうして翌日の午後、教室に入ればそれはもう嬉しそうなテンションの高いウマ娘ちゃん達に囲まれて、ザッツ天国。

昨日、そして今日も起きても自分の走ったレースながら、その辺りの情報を全く見ずに来たものだから知らなかったけれど、同級生達は諸々の新聞やらネット上の記事やらあたしに見せながら色々教えてくれて、世代の中でクラス混合G1において初勝利を飾ったのはあたしだったという事もそこで知る。

「そういえばそうかー」と思いながら、年上相手にも凄いと、最強世代と言われる世代も近くにあるけれど自分達の世代も負けじと頑張っていこうと、楽しそうに話す同級生を見るのは自分が褒められる事よりも満たされる気にもなった。

 

授業後にチーム部屋に行けばそこでは祝勝会。

今期G1に勝ったのはあたしが初。今年最初のG1祝勝会となった。

といっても色々派手にやるチームでもないのでチーム部屋内であたしの好物をメインに置いてささやかに。

まあ何が一番好物かと言ったらウマ娘ちゃんなので、あたしは中心に置かれながら「おめでとう」の言葉をかけてくれるチームメイトの喜んでいる顔を見て(ああ、良かったなぁ)と(ウマ娘ちゃんを幸せにできる、この幸せに勝ることなし)とポヤ~っともしながら和やかで幸せな時間を過ごした。

 

その祝勝会が終わる頃、あたしの様子を見がてらちょっとだけ顔を出したアドバイザーには「楽しそうで良かったな」とアドバイザーもまた満足げな様子で伝えられる所から始まって、その後に「いやー本当に勝つとは思わなかった」とか、しれっと言ってきたものだから、(こういう人だ、こういう人だな~)と、もう相手するのも慣れっこなのでそのような感想に。

その時にアドバイザーも嬉しそうだったし、あのレースの後は美味しいお酒が飲めたそうなので、いつも色々考えてくれるお返しが出来たかな?と、あたしも満足したのだった。

 

そうして今年のあたしのレースは全て終了し、次の予定は1月始めの京都金杯。12月はそれに合わせてトレーニングしつつ比較的のんびりとURA界を観ながら過ごして今年が終了する。

URA界を振り返れば今年はテイエムオペラオーちゃんの話題に尽きる。

年間8戦8勝、〆の有マ記念の勝利は最後までどうなるか手に汗握るレース、昨年のグラスちゃんとスペシャルウィークちゃんの死闘もそれは永く語られることだろうと思ったけれど、今年もまた伝説として語られそうなレースだと、今年が終わる前に良いものを見せてくれて有り難うと声を大にして言いたいレースだった。

 

シニアクラスの様子がそれならジュニアクラス、同級生の話題はというと、世代から三冠ウマ娘は出なかったけれど二冠ウマ娘のエアシャカールちゃんが出て、そのエアシャカールちゃんが逃した後一つ、日本ダービーの栄冠をかけての戦いはこれも熱かった。

勝ったアグネスフライトちゃんは、チームのトレーナーさんをどうしてもダービートレーナーにしたかったと涙ながらに語って、これにはあたしも貰い泣き。

一家揃ってそのベテランのトレーナーに世話になったことあって、その想いも背負った結果だとも知って良い話だな~とつくづく。

 

その妹ちゃんのアグネスタキオンちゃんも同じチームに入って12月にデビューしたのも見たけれど、これは才能溢れる娘ちゃんだと、来年要チェックですよと、早く勝負服姿が見たいな~とか、その前に色々情報を仕入れに近づこうかな~と今から欲を掻き立ててもくれる。

そんな話をチーム部屋でゴロゴロしながらしていたら「年越し前に除夜の鐘でも聞いて、その煩悩をどうにかしろっ!」ってエクセルちゃんに言われて、それが今年のオチだった。

 

 

 

そして年明け、今年の初詣はあたしの金杯出場前にやってきた。

今年の祈願と初勝利祈願に丁度良しと。

トレーナーは去年同様にまたもや急に入った引き継ぎ話にすっ飛んでいって、メンバーもまた去年と同じく、あたしとグラスちゃんとエクセルちゃんとシックちゃんとなって。

 

そうしてまた境内にて横に並んで歩みを進めていたら、「足もと気を付けなよー。大事なレース前なんだからさ」とエクセルちゃんから。

それにはそうだと思いながらもあたしの軽い足は止められなかった。

 

「そうは言っても、こうしているのが楽しくて。いやー今年は良いこと起きる気もして思わずこんな風にも。まずはあたしがチーム初陣を飾りに行くから、今年も一杯頑張っていこうね」

 

なんて口に出すと、さらに足取りも軽やかに。

あたしがG1ウマ娘になって、グラスちゃんの脚も順調のようだし、近頃は色んなものが上手くいっている。

 

去年には落ち込んだ日もあったけれども、辛い事も厳しい事もあったって、物事はいつかは終わるんだ。やっぱり止まない雨はないんだって強く思える。今年は今日の澄み切った空のように明るい中を進んで行くんだ、行けるんだ……と思いながら歩いていたところであたしはふと足を止める。

 

何だか気配がないと右左と見てみると、そこには誰も居なかった。

「ん?」と後ろを振り返ってみれば3人は後ろの方で何やら話していて。

あたしが一人で考えながら歩いている内に止まっていたらしく、あたしは気づかぬまま結構な距離を歩いてしまっていた。

 

戻ろうかなと思ったけれど、この様子を見てあたしは去年の事をまず思い出していた。

去年は同じように横に並んで歩いていて、途中であたしが立ち止まって、3人の後ろ姿を見ながらあたしもG1ウマ娘になれたら……と思った。

そして、今年はG1ウマ娘として並んで歩けて、自分が本当にそうなれたんだなって事を改めて噛みしめる。

 

そんな事を何やら話している後方の3人を見ながら思っていると向こうもあたしが止まっている事に気づいたようだった。エクセルちゃんとシックちゃんがグラスちゃんにそこで何か言って、エクセルちゃんがポンとグラスちゃんの背中を押す。

 

そうしてグラスちゃんが少し早足でこちらに向かってきて。まだ全力で走ったりは出来ないけれど、そんな風には動けるグラスちゃんを見てまた嬉しく思う。

 

あたしの方まで来たグラスちゃんからは「二人は少し後ろから歩きたいそうなので、私とデジタルで前を行きましょうか」との事。「OK」と、それにはすぐ了承すると、グラスちゃんが一度後ろの二人を確認した後、あたしと二人で歩き始めた。

 

その時に約束した事をまた口に出したりはしなかったけれど、隣に居るグラスちゃんをもう遠く感じる事はなく直ぐ傍に感じて、G1も獲ってウマ娘としても近づけたなと思えて、足並みはグラスちゃんと二人ゆっくりだけど、心の中では軽やかに浮くような気持ちを持って、あたしは帰路の歩みを進めた。

 

 

 



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ミナライユウシャとヒトツノケツマツ 通告

今年初戦、今年も頑張るぞと意気込んで挑んだ京都金杯では3番人気の3着。

マイルCSでのダイタクリーヴァちゃんからの「今度は負けないから」の言葉通りに見事リベンジを喰らうことに。レース後に「ふふーん」と得意気にされた事には「強気な娘も良きかな」とした後で「今度はこっちが負けないから」と伝えて、揃ってライブへの参加となりました。

 

そして今後はフェブラリーステークス、その後にはついに海外にも目を向ける方向で!となっていたのだけれど、ここに来てちょっと身体を痛めてしまった。幸先が良くないなとはなりながらも「これもウマ娘に付き物!」と切り替えたところで、とある休日にアドバイザーからの呼び出し。

 

京都金杯の反省会は終えて近頃は故障中でトレーニングもお休みの中、何の御用かとは知らされないままいつもの部屋に。

アドバイザーは別の担当の娘の事を進めていたようで部屋で作業中。それが終わるまでは、あたしはスマホでURA情報を眺めながら時間を過ごす。程なくアドバイザーが作業を終えてテーブル上を片付ける。あたしはスマホを畳んで座った場所の近くに適当に置くと身体を真っ直ぐにしアドバイザーと向き合った。

 

 

テーブルの上には何もなく、これであたしのレースに関するあれこれを言われるわけでないのは伝わる。そこにアドバイザーが少々固そうな面持ちで座った所で話は開始された。

 

「デジタル」

 

「うん」

 

アドバイザーからの呼びかけも緊張感を持ち、あたしもそれに合わせて真剣に。

 

「次のレースからは別のチームで、ということになる」

 

「そっか」

 

続いての言葉に、あたしの口からは間を入れる事なくそう出る。

その反応にアドバイザーは意外そうなものも見せて、その様子を確認した後であたしは続ける。

 

「そういう話になるかなってなんとなく、ね」

 

「気づいていたか」

 

「本当なんとなくだよ。そろそろそういう事も出るのかなって」

 

あたしは淡々と答えた。それは自分で口にしたように、そういう話が出てもおかしくないと予感はあったから。そして、アドバイザーからそういう話が出たら「それではそういう事で」と受け入れるだけとずっと思っていたけれど、いざ本当に言われると言葉ではそのように出せても少し心が重くなる。

 

思い出すのはグラスちゃんとの約束。

それが果たされるまで同じチームに居ることはないだろうとは思っていたけれど、外から見られるだけで良いのだと自分で分かっていたつもりだったのだけれど、今は後少しこのまま続けていたい思いも強くなっていた。

G1ウマ娘にもなれて、まだチームで覚える事があるようにも思って。だから、アドバイザーに言ってみる。

 

「次のレースが別のチームでやるにしても、今は怪我が治るまでとかさ、もうちょっと今のチームに居られないのかな」

 

「それは出来ない話だな」

 

「そっか……」

 

アドバイザーの返答は語気が強いわけでもないけれど一刀両断というように。それには、そもそも僅かな期待を込めてのものだったので仕方ないという思いと、どうにもならないと分かっての残念さが湧いてくる。

 

「気持ちは分かるがな。俺とて出来るならまだ面倒を見てもらいたかった」

 

アドバイザーもまた残念そうな様子で、あたしはどういう事だろうとその顔を見ながら考える。

トレーナーがもうあたしに教える事は何もないと判断したんだろうか。G1ウマ娘になったからとか……。でも、それなら今月の金杯まで何の話も出なかったのもおかしいだろうし……と、次々と頭の中で広げていく。

 

「デジタル」

 

アドバイザーを見ずに考えていたところで呼びかけられて顔を戻す。そこに見えたアドバイザーは唇を一度ぬらして、そして、これまで付き合ってきた中でも重い雰囲気で話し始めた。

 

「今のチームは来月には解散することになる。だから、お前はこれ以上居る事が出来ないんだ」

 

そうして聞こえてきたもの。

聞いたこともなく、聞くことにもなると思ってもいなかったものが耳を通って行く。

 

「解散って何……?」

 

その言葉がどういう意味を成しているかは分かる。

この場合にそれがどういう事なのか、知りたくなかったけれど知らないといけない。両方の気持ちが混ざって声が少し震えて出る。

 

「トレーナーが学園を離れるという話でな。チーム自体が無くなるんだ」

 

「トレーナー辞めちゃうの?なんで?何かあったの?」

 

思わずバンッとテーブルに強く手をついて身を乗り出して聞いていた。アドバイザーはそんなあたしを気にもするようだけど、そのまま言葉を続けていく。

 

「そこに至った理由は俺も知らない。聞くような事でもなかった。しかし、事件だ何だ、学園から何か言われてだとかがあるわけじゃない。トレーナー自身がそう決めたという、そこは個人の事情だ。一昨年の終わりの頃から考えにはあったそうだがな。それを去年に決断して以降はそこに向けて進めて、そして今年のこの2月には全てを終わらせるとしたそうだ」

 

あたしは一度息を飲み込むと共に言葉の意味も飲み込みながら、アドバイザーに近づいた身体を元に戻し座り直す。一昨年って事はあたしがチームに入る頃からの話で、去年には決まっていて、今年に終わる……。チームが無くなって、あたしは別のチームに。そこに出る当然の疑問。

 

「じゃあ、チームの他の娘は……どうなるの?」

 

「そこはアドバイザーが就いている娘はその様に、そうでない娘も自分で他を探すなり、こういった事情だからと誰かを間に挟んでチームを探してももらうのだろう」

 

アドバイザーの答えは何もおかしくもない話で、あたしが他のどこかのチームの話として、そのトレーナーが居なくなると聞いたなら同じ事を想像したと思う。そうした事が起こった場合の自然な流れ。分かっているのに聞かずにはいられなかった。聞いても尚あたしの頭では理解は出来ても別の部分でそれを拒絶する。

 

 

チームが無くなる、それぞれがそれぞれの方法でバラバラに……

 

 

気づいていた事だけれど改めてそれが頭の中に収まった時、あたしの手は近くに置かれた鞄へと伸び、そのまま勢いよく立ち上がっていた。

 

「ごめん。あたし、帰るっ!」

 

そう残してアドバイザーの反応も見ることなく、あたしは部屋を出て玄関に、そして靴を履いて外へと飛び出した。

 

「待て!デジタル!」

 

後ろからアドバイザーの声がした。知り合って初めて聞く、焦りもしたような大きな声。

でも、あたしは振り向きもせずマンションの階段を駆け下りて行った。

 

 



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世界にひとりぼっち

そうしてマンションから離れたものの、あたしは道路を駆け抜けて行く事もなくトボトボと歩いていた。

ウマ娘が道路をそんな風に走ったら危ないだとかきちんと考えていたわけでもなく、自分が今怪我をしている身だと思い出したわけでもなく、怪我をしている箇所の痛みを覚えたわけでもなく。

「帰る」と口に出して部屋を出たけれど、あたしはどこに帰ればいいのか、どこに行けばいいのか、それを思って段々と俯きながら歩くようになっていた。

 

そうしている内にも足の進む速度は落ちていき、方向としてはトレセン学園には向いてはいたけれど、それ以上近づく気は起きずに、まだトレセン学園が見えるほどではない距離、繁華街の中で足は完全に動きを止めて、適当な店の軒先にあたしは入る。

 

その場所で考える。あたしはどうすればいいんだろうか。どうしたいんだろうか。トレーナーに「どうして?」と聞きたいんだろうか。そんな事をしてもどうにもならない事も分かる。それで分かるのは……いや、何を聞いたとしても分かる事はチームがもう続く事はないという事実だけだと思う。

 

トレーナーに聞かなくても、このままトレセン学園に近づけば近づくほど、よりそれを自覚するだけになる事をあたしはどこかで分かっている。

 

だから、あたしの足は止まった。

 

どうしたらあたしの足は動くだろうか。足は動かないけれど、それならここで聞いてみようか、聞く勇気を出してみようかと鞄をまさぐれば、たった一つの通信手段をアドバイザーの部屋に置きっぱなしだったことに気づく。

しまった!とは思ったけれど、あんな風に飛び出してもう一度戻る気にもならず、それがこの手にあれば一旦別の事でも見ながら気持ちを切り替える事が出来たかもしれないけれどそれも出来ず、あたしは再びその場で一人、深く知ってしまった事について考えることに。

 

たとえあたしが居なくても他の場所からでもいい、チームの皆を見ていたかっただけなのに、それはもう叶わない。ほんの少し前には「あたしが今年最初にレースを走って、それからも皆で頑張って行こうね」って言って、こんな事になるなんて思ってもみなかったのに……と、気が付けば視界には自分の靴と地面のコンクリートが映る。

 

 

「どうしたの、デジタル」

 

 

そこに届いた声に顔を上げると、少し驚いた様子でもあるエクセルちゃんの姿。

 

「えっと……」

 

チームの事を考えていたけれど、突然のチームメイトの登場には反応が鈍る。

 

「そんなに大きなリボンを付けてさ、今じゃG1ウマ娘な娘がこんな所に居たら凄く目立つよ。それもそんな風に下を向いていたらデジタルらしくないってね。何かあった?」

 

エクセルちゃんは最初は明るく言いながら、最後はあたしを心配するように聞いてくる。

その様子を見ながら、あたしは考える。エクセルちゃんはチームの事を知ってるんだろうか、まだ知らないんだろうか。様子を見てどちらだと言えるようなものはなかったけれど、このまま「何でもない……」と離れる事もできずに聞いてみる方向へと変える。

 

「……その、ちょっと話したい事があるんだ」

 

「話したい事?いいよ、私もこの辺ぶらぶらしていただけだしね。どこかお店でも入る?話によっては個室のある所とか……」

 

と、エクセルちゃんは周りをぐるっと見て合う店でも探すように。

 

「ううん、どこかに入るのはいいや。どこか、その辺りの、他の人には見えないところで……」

 

大通りの道行く人の前でする話でもないと思い、あたしは近くの路地裏を見るようにして言う。

 

「デジタルがそれでいいなら、私もいいよ」

 

エクセルちゃんは話したい事については触れずに、そのままついてきてくれる。

 

 

 

高めの建物に挟まれた暗がりの細い場所、周りには建物の室外機程度しかない行き止まり。

あたしとエクセルちゃんは向き合って立った。でも、ここまで来たものの最初の一言が出なくて、取っ掛かりが見つからない。

 

「遠くから見つけた時から落ち込んでいるようだったけれど、余程悩んでいるみたいだね……。私が何か良い事を言えるものだと良いけれど、頼りにならないかもしれないけれど、とりあえず話してみなよ」

 

あたしが話し易いようにか肩を叩きつつ明るく言ってくれるけれど、そんなエクセルちゃんを見るのがまた辛い。

 

「悩みというかね……」

 

「うん」

 

「……今日アドバイザーの部屋に行ったんだ」

 

「うん」

 

「……それで、あたしはまた移籍することになるって」

 

「……うん」

 

「その理由がね、今のチームが解散するからだって。トレーナーが学園を離れるからって聞いて……」

 

言い始めたけれど、言っていいものかどうなのかの気持ちが残ってしまっていて結局そこで言葉が止まる。聞いていたエクセルちゃんはと言えば、そちらもそこで相槌が途絶える。どうしようと思いながら様子を見ていると、エクセルちゃんは右手を腰に当てて何度か靴でトントンと地面の砂を叩く。

 

「そうか、今日だったか」

 

そうして出てきた声。その言葉と表情でもあたしが察するには十分だった。

 

「エクセルちゃん、知ってたの……?」

 

「まあ、ね」

 

「いつから?」

 

「私は……去年の秋にはね」

 

その返答に「え?」と驚きも隠せずにエクセルちゃんを見る。既に知っている可能性はあると思っていた。でも、「そんなに早くに?」と、気持ちも身体も大きく反応してしまっていた。あたしがそのまま何も言えないでいるのを気にしたのか、エクセルちゃんから話し始める。

 

「これは順番って話だったからね。レースが予定されていない者から順に伝えられて。スケジュールの余裕のある中でこの先どうするかを決めると。その後すぐ移籍するも良し、頃合いを見計らうのも良し、解散までは在籍するのも良しで。他の娘には言わないようにと釘も刺されつつ。

 まあ、近頃入ってきていた娘はアドバイザーも就いているような娘ばかり。極短期間の受け入れと定められた上で、その辺を気にしなくても良いようにしていたのだろうけど……」

 

エクセルちゃんは説明を続ける。それを聞きながら思うのは、レースが予定されていない者ということは……ということ。

 

「グラスちゃんもシックちゃんも……?」

 

自然と口に出ていた言葉にエクセルちゃんは頷く。

 

「知らなかったの……あたしだけ?」

 

そう言いながら、あたしの顔の筋肉が小さく震える。

 

「そうなるね。突然聞かされてびっくりしたかもしれないけれど、デジタルはレースが詰まっていたし。この先どうするかについてもアドバイザーさんがしっかりいる娘だから、その辺の心配が全くなかったし。先に知った娘が外には言わないのはトレーナーとの約束事で、私もそこは言うわけにもいかなかったから……」

 

エクセルちゃんは難しい顔をして言葉を選びながらの様子で話す。

その説明はよく分かる。あたしはレース予定がコンスタントに入っていた。将来のためにも色んなチームを知っておく方が良いからとこのチームにもやってきて、元々いずれどこかに行くウマ娘だった。その時が来てもアドバイザーが事をスムーズに行ってくれるウマ娘だった。だから今の今まで伝えられなかった。

理屈としては分かる。でも、それでもだ……

 

初詣に行って「今年も頑張ろうね」って言ったあの時も。エクセルちゃんが秋には知っていたというのなら、その日から今日まで長い間、その事を知っていたのにあたしだけ知らなくて、そんなあたしを知りながら見ていて……

 

 

 

 

 

「……それじゃ、あたしが仲間じゃないみたい」

 

 

 

湧き上がるどうにもできない感情、心を占めた思いが気づけば口から漏れ出ていた。漏れてからハッとなってエクセルちゃんを見る。

 

エクセルちゃんは唇を噛み締めるようにしていた。そのまま身体をわなわなと震わせていく。

自分の行動に頭が真っ白にもなりながら、エクセルちゃんのその様子を収めるようにも片手を挙げたところで……

 

 

「デジタルのバカッ!!」

 

辺りにも大きく響いたその言葉にビクンと身体が跳ねる。それでもエクセルちゃんに触れようと手を伸ばそうとしたけれど、その手を振り払うようにしてエクセルちゃんは路地裏から走り去っていった。去り際に目を拭うようにして、あたしにもその瞳から伝うものが見えた。

 

 

 

 

空には雲が通っていき暗くなった路地裏、一人で取り残される。

振り払われた手と共に胸の辺りが痛い。ぎゅっとその辺りを服ごと握る。

 

エクセルちゃんが言った通り、バカなのはあたしだ。どうしようもなくバカだ。

ウマ娘ちゃんが楽しんで喜んでいる姿が見たい、それを作りたいのだと常日頃言いながら、自分がやった事は何なんだろう。自分の手で怒らせて、泣かせて……

それを強く思いながら、あたしは胸元を押さえてただ俯くしかなかった。どんなに押さえても身体の奥底がじくじくと痛み続けていた……

 

 



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君が君であるために

路地裏で立ち尽くしていたけれど、その場所も雲が上空に無くなっても光がほとんど落ちないほどの夜空になってきて、あたしはそこを離れ歩き始めた。

それでもアドバイザーの部屋に後戻りする気にはなれずトレセン学園へと向かう。

下を見ながら歩いて、あたしが辿り着いたのはチーム部屋だった。

 

どうしてそうしたかったかも自分でも分からずに部屋の前まで来ると中の電気がついていることに気づく。

今日はそもそもチームの休日で、もう学園中の多くのチームも練習を終えているような時間だ。中に居るのはトレーナーだろうか。トレーナーだったら話を聞いてもらうに一番か。まず何の話から聞いてもらおうかとも思いながらドアをノックした。

 

「どうぞ」

 

けれども返ってきた声はグラスちゃんのものだった。

トレーナーだったらすぐに部屋にも入っただろうけれど、グラスちゃんだった事に一瞬怯む。

でも、ここまで来たのならとドアを開く。

 

ドアを開いたその少し先、この部屋でトレーナーが使う机と椅子、その前にグラスちゃんは立っていた。

 

「デジタル、どうしました?」

 

そうして向けられた見ているだけで心落ち着くようなその顔に、今のあたしの中では色んな事が込み上げてきて近くまで駆け寄る。

 

「あたし……」

 

と、口を開いたらもう何も止められずに、そこから抱えていたものを滝のように吐き出した。

アドバイザーから聞いたこと、エクセルちゃんとの事、それを全部。

 

グラスちゃんはそれをただ聞いていてくれていて、どれも受け止めていてくれていて、一通り今日の事を話してあたしも落ち着いてきた頃に、あたしは「そうだ……」とグラスちゃんに切り出した。

 

「グラスちゃんは、いつから知ってたの……?」

 

聞かれる事が分かっていたのだろうか、グラスちゃんは大きく反応を見せる事もなく、手を重ね身体の前にそっと置くと話し始める。

 

「私は、このチームに戻る頃には……、いえ、それを知りながら戻ってきていました」

 

他に音の無い静まりかえったチーム部屋の中で告げられたその事実から、あたしが考えたもの。

グラスちゃんとまた一緒に居られる事になったのは8月の話で……そうしてあたしが思い至るのは合宿先での出来事。

 

 

あの約束は、グラスちゃんと行った決め事は、最初から果たされるわけもなかったものという事へと。

 

 

それに気がついてグラスちゃんの顔を見れば、そこには何も変わらずにあたしを見つめる姿が。

穏やかにあたしの事を見守るように。

 

そう、あたしはこの顔で嘘をつかせてしまったんだ、あの日。

あたしの約束以前にトレーナーとの約束があって、チームがこれからどうなるかなんて言えない中で、あたしがあんな事を言い出して、グラスちゃんは嘘をついた。嘘をつくしかなかった。

黙っているだけで済まさずに、あたしがそうさせてしまった。

あの日だけじゃない。その後もマイルCSに出掛ける前に約束を思い出させるような事をさせて、グラスちゃんは何を思っていたのだろう……

 

そう考えていくだけで自分の中で処理できないものが高まって身体が震える。

それでも、それでも言わないと、と、あたしは口を開く。

 

「ごめんなさい。あたし、グラスちゃんに嘘を……」

 

その顔を見るのも辛くなって、自分でも強ばった酷い顔をしているのだと分かっていながらもそのまま言ってしまう。それがもっとしっかりしないと……と、自分を責めるようにもなって、息が詰まるように言葉が出なくなる。

 

「いいんです。それは、いいんですよ、デジタル……」

 

足も細かく震えてきてその場に居ることしかできなかったあたしに、グラスちゃんはそうして近づいてきてくれて、そしてフワリとその両手があたしの背中に回され、俯くあたしの頭がその胸に収められる。

そのまま背中を撫でる暖かな手つきを感じながら、あたしは縋るようにその身を預けた。

言葉は続かず、グラスちゃん自らに近づかれここまでの事をされている事にも何も考えられず、あたしも手をグラスちゃんの身体へと回して、その体温を感じることしかできなかった。

 

「座ってお話をしましょうか」

 

落ち着くような背中からの感触に浸りながら頭の上の方からなされた提案。

それに胸の中で頷き賛同しながらもまだ一人で立つのは辛く、その手に引かれて二人で部屋のソファに並んで座る。

 

 

腰を落ち着けて息をさらに整える中、あたしの頭も大分収まってきて、まだ顔は俯いたままだったけれど、そこであたしは浮かんでいた事を外に出す。

 

「トレーナーはどうしてそんな方法を取ったんだろう。どうして言ってくれなかったんだろう……」

 

トレーナーにはしっかりとした考えがあるのだと思う。

それでも……

 

「知っていたかった……ですか」

 

隣のグラスちゃんの言葉に、その通りだとその場で強く頷く。

あたしは知って過ごしていたかった。あたしだけ知らないでいるなんて嫌だった。

知っていたら、こんな仲間外れだなんて思う事は無く……

そこで自分の中で「そうじゃない」という思いが湧いて小さく首を横に振る。

 

エクセルちゃんにも言ってしまったように、その気持ちは当然ある。今もある。

けれど、あたしの中にそれより強いものが出てきていた。

 

「終わりだって最後だって知っていたら、マイルCSに勝った後にその事に触れて伝えたかったよ。今年の初戦だって、もっと頑張って結果を出して良い思い出にしてもらいたかった。それで「今までありがとう」って、そこで言えたら良かったのに……」

 

なのに、どうして……と、さらにあたしは項垂れながら溜め込んだ物を解き放っていく。

 

「トレーナーさんが言わなかったのは、デジタルがそういう娘だったから……だと思いますよ」

 

「どういうこと?」

 

その言葉に素早く顔は上がるけれど、意味が全く思い当たらなくて色々と考えたままにグラスちゃんを見る。

 

「デジタル。貴女の事を自分の欲に忠実な、ウマ娘に触れていられればそれでいい者という方々もいますけど、貴女の傍にこうして居る私達はそうは見ません。自分の事より周りの事を優先にも考えられる娘です。今日の話にしてもそうです。私に嘘をつかれた事より私に嘘をつかせてしまった事を気にしてしまう……」

 

唐突にそう言われて、グラスちゃんからそんな様に思われているなんてと顔の温度が上がる。

あたしにとっては普通の事なのに、あたしの事でウマ娘ちゃんに嫌な思いして欲しくないってだけなのに、と。グラスちゃんはそんなあたしにも気づかないようで先を進める。

 

「そして、それはウマ娘相手のみだけでもありません。貴女がウマ娘と接していたいからと、だからトレーナーを目指すのだと、全てを割り切っている娘であったのなら、トレーナーさんはどこかでそれを知らせていた事でしょう。

 でも、貴女はそうではない。今も自分で言ったようにトレーナーさんのために…としてしまう、そういう娘なのだとトレーナーさんも分かっていた。だから伝えなかった……」

 

「トレーナーはそういうのを嫌がる?」

 

「嫌う……というのは正しくはないでしょうね。そう思われてトレーナーさんとて嬉しくないわけではないと思います。しかし、それよりもその思いによって、そのウマ娘がレースに勝つことができなかったら……それを気にするのでしょう。

 トレーナーさんは私達を、ウマ娘を勝たせるために策を詰めて行く。ありとあらゆる邪魔だと判断したものは排除する。その中には自分自身の事も当然入っている……。

 勝ちたいという思いは大切な事です。けれども、それが必ずしも良い方に影響するとは限らない。だから黙る事を選択したのだと思います」

 

言われた事は分からないわけじゃなかった。

あたしにとってのベストは、それを知っていてマイルCSに勝つことだったろうけれど、それは今だから言える事だ。

あのレースにおいて、始まる前、レースの真っ只中、あたしは平常心とはいられなかった。

走っている途中で修正を効かせて結果として勝つことが出来たけれど、あの時、それ以上に勝たないと……という気持ちがあって果たして同じように切り替えられたのか。

「できる!」だなんて今言ったところで「それは終わってからだからなんだよ」と、冷静に見るあたしもそこに居る。

 

あたしのためにならないと、あたしの事を見透かしていてトレーナーは決めた。最後のレースまで、あたしが最高の結果を出せるようにとしてくれていた。そうだとすれば、あたしには何も言えないな……というのが正直なところだ。

 

「そっか。確かにそうだったからこそ今のあたしが、G1に勝てたあたしが居るのかもしれないし、そうしても貰わないといけないウマ娘だったんだろうね。グラスちゃんみたいにもっと強くてしっかりした娘だったら、そこまで神経を使わずにも良かったんだろうけど……」

 

「それは違いますよ、デジタル」

 

しょうがないよねともいった風に言った言葉に返されたもの。

その「違う」は、どこについての「違う」なんだろうとグラスちゃんを見る。

 

「そこに違いはないと思います。きっと私がデジタルの立場に居てもトレーナーさんは同じ事をしたのだと。そのトレーナーさんの考えについては想像に過ぎませんけど、私が私としても言い切れる事もあります。私もデジタルも何も変わらないんです。

 私もジュニアクラスのその頃、自分を取り巻くもの全てに対して私は一人で考えすぎて、そして動けなくもなった。強さなんてそこにはありませんでしたから……」

 

グラスちゃんのジュニアクラスの後半、そこに何があったのかはあたしでも知っている。

前半に故障した所から復帰して、敗戦が続いた所からの有マ記念での復活。グラスちゃんが不死鳥と呼ばれる事にもなった始まり。しかし、その口ぶりはそれだけではないと受け取るには十分で。

 

「怪我した事以外に何かあったの……?」

 

「故障し、エルが移籍をし、レースでの敗北を知って……その一つの流れの中でといったところでしょうか」

 

「エルコンドルパサーちゃんの移籍?それって海外挑戦するには別のチームの方が良いからっていう話で……」

 

「それは、その方が話の収まりが良いからでしょうね。けれども、当時の、事実はそうではありません。いずれ海外にも……の話ならば、私にも存在する程度の話でしたから。物事が一つ違えば私がそうした理由を付けて別のチームへと行っていたのでしょう。

 しかし、いつの間にか話は変わって、表向きに話を纏めるにはその方が適当となり、世の中に広まる内にかつての話は有耶無耶に、初めからそうだったかのように変化していく……」

 

グラスちゃんは少し遠くを見るようにした何か考える様子の後、あたしに一度笑みを見せる。

 

「そうですね。せっかくここまで話しましたし少し昔話に付き合っていただけませんか。面白い話、というわけにはいきませんが……」

 

忠告といったように付け加えられたけれど、あたしはそれに迷い無く賛成する。

直接にグラスちゃんの話を聞けるなんて、こちらから望みたい事だった。

 

お互いそこでしっかりと座り直すと、それが合図かのようにグラスちゃんの話が始まった。

 

 



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不死鳥の軌跡

私にもエルにもそれぞれアドバイザーさんが就いていて、やはり異国の地での生活ですので何かとお世話にもなりました。

所属チームを決めるにもアドバイザーさんの決める所なら間違いないだろうと信頼して、私の場合はアドバイザーさんが考えた末に決められて。

エルの場合はチームが決まらないままにトレーニングをしていた所をトレーナーさんが偶然にも見ていて、エルのアドバイザーさんと話した時にその流れでまだ行き先が決まっていないなら……という話になったそうです。

そして、私達は同じトレーナーさんの元、同じチームでスタートを切ることになりました。

 

その後は順調に、何の障害もなく順調に、お互いレースで負ける事も知らずに日々が進んだ頃、お互いのアドバイザーからの最初の提案があったようです。

 

 

同世代の無敗で進む者が二名。

 

 

それが同じチームに居るよりも分けてもらった方が良いと、それぞれのアドバイザーが望んだ。

今後に必ず同じレースでぶつかる事になる。

能力を考えれば、どちらかが勝ち、どちらかが負ける時が必ず来る。その時に別々のチームであって欲しい、指導をどちらかに絞って欲しい、選んでくれないか、と。

 

……その時点ではトレーナーさんは断りを入れたようですけどね。

提案自体は理解するけれども、今はそうするわけにはいかない、と。

 

その後も話は燻ったまま残っていたけれど、私の故障もあって実現には至らぬまま伸びていった。

そうしている内にエルもNHKマイルCでG1ウマ娘となり、私の傷も癒え、アドバイザー達もいよいよと再び提案した。

 

その時にはもうトレーナーさんがそれを拒否することはなかった。

私も直接に謝られました。自分の力不足だと。

君達の能力が伸びるほどに、このままで良いのかと思い、より良く力を発揮するためにはアドバイザー側からの提案通りにした方が良い、としたのだと。自分の判断で私とエルを別れさせる事に対して本当に申し訳ないというように。

 

トレーナーさんはそうして全てを自分の責任にするようでしたけれど、私もエルもその辺りの事はそれぞれのアドバイザーさんから聞いていました。

 

トレーナーさんの力を疑っているわけではない。疑っているのなら二人揃って他のチームに移籍させれば良い。けれど、どちらの考えにもそれは無い、と知らされました。私とエルがどこのチームに同じく存在しようとも必ず同じ提案をしただろうと。そのトレーナーが誰だったとしても、いずれどちらかという話に決めてもらった。たとえ誰だろうと私達二人を同時に良い結果を出せる事は存在しない、として。

 

それを知った時の私とエルの結論は同じでした。

アドバイザーさんの事は私達の事を思った考えだと、それに反しようとは思わない。トレーナーさんもそう決めたのならそれでいい。二人が同じ場所に揃った時点でいずれ来る未来だったのだとしたら受け入れようと。

別れる事になるのが辛くなかったわけではありません。お互い何でも話せる友人でしたから。同期として今後も続いては行くけれどチームメイトとしても居たかった、それは紛れもない本心です。

 

けれども、こんな事になるのが分かっていたのなら最初から共になど居なければ良かった、だなんて思いはお互いにありませんでした。このチームでの、トレーナーさんの元での日々、それを否定するような考えはどちらにも無かったんです。トレーナーさんに理由を尋ねるような事もしない、どちらがどうあれ恨みっこ無しだと二人で笑い合いながらも決めました。

決断の日はやがて来て、ジュニアクラスの秋を迎える頃、選択はトレーナーさんに委ねられ……

 

 

 

そして、私が残り、エルは離れることになった。

 

 

 

それからの秋、毎日王冠で私は初の敗戦を喫しました。その点はエルも同じでしたけど、私はエルより着順も幾つも下になっての敗北。私に悔しさはあっても、これはまだ復帰第1戦目だと、これからだと、周りの方から掛けられる言葉は暖かいものでした。

 

けれども、2戦目のアルゼンチン共和国杯での敗戦後、ここから風向きは変わっていきました。

2度の続けてのライブの舞台に上がる事も無い敗戦、それはもう今の実力と受け取られる。

「一度故障したら終わるのも珍しい話じゃない」

「外国生まれの娘は身体が出来るのは早いけれど、だから早熟も多い」

それが、私への評価になりました……

 

 



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愛に時間を

「酷い!なんでそんな事を言うの!」

 

あたしはそれまでずっとグラスちゃんの話の聞き役に徹していたけれど、ついにそこで声を出してしまった。ちょっと負けたくらいであんまりにあんまりだと思ったら思わず大きく言ってしまっていた。そんな事を言う相手にはその場で説教したいくらいだ。

 

「自分の事のように怒ってくれてありがとうございます。しかし、それも昔の話ですから。それに、それが注目されるという事。一度でも目立つ立場になったのならば、その一方で存在することなんです」

 

頭に血も上って身体もカーッと熱くなっているあたしに、グラスちゃんは微笑むようにもしてその眼差しを向けてくれる。いくら昔の話でもムカムカする事もありそうなのに、そんな素振りも見せずに全てを受け入れているような様子で。

 

「そうは言っても、それに対して何の負の感情も持たずとは行きません。そんな言葉を聞く度に落ち込みもしました。そして、それだけだったならまだ良かった面もありました」

 

十分に酷いことだと思うのに、まだ他にあるのかと聞きたくない気持ちもありながらあたしはそれでも聞く。

 

「移籍話の経緯は関係者の間だけの話に終わらなかったんです。

 人の口に戸は立てられないものでどこからか漏れたのか世に流れ、私の話はエルの事と共に語られるようになり、エルがジャパンカップを制した事でそれはより強く、「エルコンドルパサーは躓く事も無くさらに伸びた」、「それが正解」、「トレーナーは選択を誤った」等とそこかしこから見聞きしました。

 トレーナーが有望なウマ娘をどちらか選択する、というのは過去に知られる話もあるそうなので「一流のトレーナーならそうはならない」なんて言葉もありましたね。そうして私の事で、私だけではなくトレーナーさんもまたそんな言葉に晒されて、それが私の心をより掻き乱す事になりました」

 

今度は言葉には出さなかったけれど、さらにあたしの中に熱が溜まる。

そんなの誰のためにもならないのに、「エルコンドルパサーちゃんの方が凄いよ!」って言いたいにしたって、こんな事を聞いたエルコンドルパサーちゃんだって喜ばないのに……と考えていく中で、その時にその傍にいる人は何をどうしたのだろうと気になった。

 

「トレーナーはその時にどうしたの?何か言い返してくれたり……」

 

「それはありませんでした」

 

「何も?」

 

「はい」

 

グラスちゃんは笑顔で軽く答える。なんで?としか思えないあたしの前で、その後はまたその頃を思い返しながらのまた引き締まった表情で。

 

「言葉は何の意味ももたらさないからでしょうね。もたらさないどころか何かを外に向けて言ったところで状況が悪化することすらある。それが私自身も分かっていながらも、それでも何か言って欲しい思い、周りの人達に言わないにしても、私には言って欲しい気持ちはありましたけれど……」

 

「けれど……ってことは、グラスちゃん相手にもトレーナー何も言わなかったの?気にするな~とか励ましたり……」

 

グラスちゃんは小さく頷く。その頃を考えている様子で懐かしそうに。

聞いていても、なんでトレーナーはそうなの?と納得いかないものがあるのだけれど、当のグラスちゃんはそれで良かったのだともいったように穏やかに。

 

「その後、有馬記念を目標に決めてトレーニングを続けるその中で、トレーナーさんが私にした事と言えば、過去に経験はなかった、いつもより厳しいトレーニングを課せられた、それだけでした。アドバイザーさんとの相談も無く独断での決行。取材に来ていた方も見ない光景なので驚いてアドバイザーさんに意図を聞きに行った方もいましたけど、アドバイザーさんも驚きは見せつつもトレーナーさんのやることだから意味はあると、そのまま任せる形に」

 

「意味って、そうやって厳しいトレーニングして、とにかくレースに勝って、そういう人達に証明するしかないってこと?」

 

「私もデジタルのように考えていました。でも、トレーナーさんはそうだとも言いませんでしたし、指導を受けている内に私は気付いたんです。レースに勝たせるためなのは違いないのですけれど、トレーナーさんは……この人は、それが全てだということに。世の中に証明してみせようとも、言葉を浴びせてきた方達を見返そうとも思っていない、私を勝たせるために考えを進め、私の事をそれが出来る存在だとひたすらに信じているだけなのだ、と。

 

 その時の私にとって、それが不満といった事には全くなりませんでした。いえ、どんな言葉よりどんな励ましよりも目が覚めるものでした。その中で思ったんです。私はこれほど誰かを、自分を信じた事があっただろうか、と。そして、いつの間にか周りの音に惑わされ、かつて出来ていた事すら失ってしまっていたのではないだろうか、とも。迷い暗闇に囚われていたような私には、ただ真っ直ぐなだけのトレーナーさんの存在が闇の中の道標に見えました。

 

 そこで私もトレーナーさんのその真っ直ぐに付き合ってみようかと決めたんです。今一度、自分がどれだけやれるのか、それに向かって。力を入れるのはそれのみとして。そして、そのこれまで受けた事もない激しいトレーニングを続けていきました。それに対しても「今更そんな事をしたところで……」という嘲笑にも似た声もあるものでしたが、それに肯定も否定もせずに私は進んだ。

 

 有マ記念当日も私への見方に厳しいものもありました。けれども、その日にはその存在は認めつつも、それだけの話なのだとして受け止める事ができました。周囲にどんな言葉があろうとも、自分以上にも信じてくれている誰かが居る。それを知っていれば私は征く事ができる、と。そうして挑んだ有マ記念で、私は勝利を収める事ができた。

 

 そんな風に私は強くは無かったんです……いいえ、未だに強くもないのでしょうね。その後も戦線離脱をする事は幾度となくあり、他にも悩み抜くような事も……、そして、チームが無くなるというその時でさえも、私は何の強さも持っていませんでした……」

 

ずっと前を見るように話していたグラスちゃんはそこで目を伏せる。

訪れる少しの間、あたしはそれを見ているだけしかできなくて、あたしに出来る事はないのかと思った頃にグラスちゃんがあたしの方を見る。

 

「アグネスデジタル。私は貴女に謝らなければなりません」

 

グラスちゃんからの申し出。どういう事なのだろうと思った。グラスちゃんに謝ってもらうような事はあたしには無い。でも、今はそれを口に出すよりもグラスちゃんの考えを聞こうと言葉を待つ。

 

「私はチームが無くなることを分かって戻ってきた、それならば最後を見届けようと帰ってきました。それでも、あの日、貴女からの言葉を聞いた時、終わりは刻一刻と迫っていること、それを分かっていながら続くことを望んでしまっていた。トレーナーと皆と、この先も在る日々を願ってしまったんです。実現するはずもないと知りながら、その淡い甘い夢に浸ろうとしてしまった……。

 

 そうでなければ貴女の言葉に他の答えを用意する事もできたのでしょう。貴女が今日のようにはならないようにはできた何かを。けれども、あの時の私にはそれはできなかった。私は貴女にではなく私自身に嘘をつこうとした、そうして貴女を巻き込んでしまっただけの話だったんです。ですから……」

 

「それ以上は言わないで……」

 

あたしはその膝に置かれたグラスちゃんの両手の上に手を置いて言葉ごと止める。

それに対して謝罪なんて要らなかった。

あの約束であたしは頑張れたし、だから今がある。皆が選択した方法があったから今の結果がある。そうだから良かったんだって言える。そこから先をグラスちゃんに言わせたくなかった、言わせてしまうわけにはいかなかった。そう思う中で浮かんでいたこと、グラスちゃんなら……と思った事を吐き出す。

 

「それはもういいんだ。代わりに聞いてみたいけれど、グラスちゃんはトレーナーが何で辞めるのか知ってるの?」

 

「辞めるに至ったものは私も聞いてはいません。学園を離れて以降は外側から世界を、レースを見てみたいという希望はあるようですけれど……」

 

それを口にした時に少しグラスちゃんの顔が曇る。

言葉に出すという事はそれをまた意識することになる。

チームが無くなるという事に、トレーナーが居なくなるという事に、学園中の誰よりも寂しさを思っているのはグラスちゃんなんだと思う。ずっと、長く、その近くに居た……。嘘なら良かったと、自分に嘘をついてまで目を逸らしたかったとしても、それも誰も責められないとも思う。

そこで一つの考えが浮かんで聞いてみる。

 

「グラスちゃんは引き留めはしなかったの?あたしなんかじゃ無理だけれど、グラスちゃんが言ったならトレーナーだって……」

 

「それはできません」

 

あたしの発言にグラスちゃんは小さく笑顔を作り答える。その顔もどこか寂しそうに。

 

「私が知る以前からその方向に向けて動かれていたようですし、動き始めた時点で在籍ウマ娘をどうするかと学園内で他の人を幾人も関わらせる話になっている。その段階で誰に何を言われたからと考えを変えるトレーナーさんでもないでしょう。そんな無責任な事をする方ではありませんから。それに、私としてもそれがトレーナーさんにとって必要な事だと思いましたから」

 

「辞める事が?」

 

「辞めるというよりも休む事が……でしょうか」

 

「休む……?」

 

「はい。私達ウマ娘はレースに出場した後、日々の疲労の回復、その他の理由にせよ、休息はそこにあります。けれどもトレーナーさん達はそうはいきません。誰かが休んでいる時でも他の誰かが動いている。たとえその中に何があろうとも、その誰かだけを見てもいられず、他の誰かのために前を向き進むしかない。そうしてトレーナーさんも歩んできたのでしょう、長い長い道程を」

 

それを聞いて、そういえばとトレーナーの事を思い出す。

あたしが見ている中でも随分と疲れたような様子は見てきた。あたし達の前ではできるだけ隠そうとしているのも分かったけれど、それでも時々目に入った、一人、重い息をつくような姿。

去年の秋になって元気そうに見えたのは楽しそうにも見えたのは、後少しの事だと気力を振り絞ったものだとすれば、それも分かる気もする。

 

「今度も何かがあって離れると決めたわけではないのだと思います。

 きっとこれまでが積み重なって必要になった休息、トレーナーさんも考え抜いた末に出した一つの答え。そのためには全てを清算しないといけないのならば私は見送るだけです。

 ……だから、これでお別れなんです」

 

その最後に聞こえた言葉、グラスちゃんがあたしの方を見るのではなく体勢を元に戻し、少し顔を上に向けるように言われたそれは、グラスちゃんらしい落ち着いたものだったけれど、それを聞いた時に何かが納められるような感覚を覚えた。本棚の一つの空きに手にした本を隙間無く納め、そして、戸をパタンと最後の一押しまで閉じる、そんな音が聞こえたような。あたしはそんなグラスちゃんを、自分はそれでいいと、今、心に決めたのだと伝えるその横顔を、しっかりと見る。

 

グラスちゃんはトレーナーの近くにいつもいたけれど、その口からトレーナーについて聞くのは今日が初めてだった。その表情は他の娘ちゃん達と同様にいつもと違った様子を持っていて、そして、他の誰の時にも無かった隠しきれない寂しさがそこにあった。

 

いくら何を言ったとしても、それは拭いきれないものなんだろう。それだけの時間をグラスちゃんは過ごしたのだろうから。けれども、それでもサヨナラを言うのだとするその姿に、あたしはやっぱりグラスちゃんの強さを思う。

 

「デジタル」

 

その凜々しくも見えた横顔に見惚れていたあたしにグラスちゃんが表情を元に戻して話し掛けてくる。

 

「何?」

 

「デジタルが気にしないのだとしても私の行動が今日の事を引き起こしもしたのでしょう。エクセルには悪い事をしてしまったと思います。エクセルの所に行くのなら私も一緒に行きましょう」

 

「それは違うよ、グラスちゃん。グラスちゃんとの事が頭にあったのは本当だけど、それが無くても秘密にされていたのは変わらなかったわけだし、それを知っただけであたしは同じ事をエクセルちゃんに言っちゃってたと思う。だから、これはあたしだけで進めないといけない事なんだ。でも、一つだけ手助けして貰っていいかな」

 

そのあたしの決意の表明にグラスちゃんは快く頷いてくれた。

 

 

 



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最後から二番目の真実

そうしてあたしは栗東寮への道を行く。

目的の部屋まで着いて、まずは扉を叩いた。

 

「入ってきなよ」

 

直ぐに返ってきた声に間髪入れずに中へと入る。その部屋の先、エクセルちゃんは立っていた。あたしはその傍まで近づく。

 

言わなくてはいけないと思うけれど、何から言おうか、ともなる。これまでの事を思えば仲間外れだなんて事は全く無かったのに、たった一度の事でそんな風に思ってしまったことか、それを言ってしまったことか、今はなぜあたしにそういう方法を取られたかを分かっているという事からか……

 

「エクセルちゃん……」

 

ここに来てモジモジともして、その先を言えないあたしがようやく言った呼びかけ。それに対してエクセルちゃんは静止させるように手を挙げる。

 

「グラスのスマホを使って連絡が来たって事はさ、グラスから色々聞いたわけでしょ?」

 

「……うん」

 

「それでここまでの流れは分かった?」

 

「よく分かった。トレーナーの考えとか、あたしはそうされた方が良かったって……」

 

「あー、じゃあ、いいや。それなら終わり。悪いね、ここまで来てもらってご苦労だったけど」

 

「え?」

 

あたしはどういう事なのかと一つも意味も分からないまま立ち尽くす。エクセルちゃんはそんなあたしを置いて、腰の脇に両手を置いて大きく息を吐き出す。

 

「いやー、前々から分かっていた事なんだけどさあ、ウチのチームってグラスが居ると本当上手く回るよねえ。もうさあ、デジタルと別れた後にあれ以上説明したら良いものかずっと考えていたんだけど結局答え出ないし、こんな事になるなら私もとっととグラスに手助け頼めば良かったと。時間を大分無駄にしたね、これは」

 

エクセルちゃんはしみじみともいった風に話していく。その様子にあたしはさらに置いて行かれたような感じに。

 

「あの、エクセルちゃん、怒ってないの……?」

 

恐る恐るも声を出したあたしに、エクセルちゃんは何を言っているんだとも言うように「ん?」と、こちらを向く。

 

「怒ったよ?だからバカって言ったでしょ。デジタルがふざけた事を言った、私が怒った。それもそれで終わり」

 

エクセルちゃんはお終いの合図というように両掌を合わせてパチンと音を鳴らす。

 

「でも……」

 

「でも、があるなら私の方だ。先輩ムーヴとしてはあれは良かったとは到底言えないからねえ、そこは流してくれると嬉しいんだけど」

 

エクセルちゃんはあたしを見ると、下手に出るように、そして軽くも言う。それはあたしがグラスちゃんにそうしたように、あたしにその先を言わせないように。あたしがあんなに酷い事を言ったというのに、謝らなくていいとその全てが伝える。それが分かって、あたしは唇を噛みしめながら頷いた。

 

「いやー、話の分かる後輩で助かるわ。私とデジタルの間の話なんてこんなもんでいいでしょ。これまでもこれからも、ね」

 

エクセルちゃんはそうして笑ってクシャクシャとあたしの髪を撫で回す。雑に。それはいつも以上に雑に。

そこで口を開いたら結局そこからは今日の発端へと、今のエクセルちゃんへと、謝罪の言葉が出てきてしまいそうで、色々駄目になってしまいそうで、それをそのまま黙って受け続けるあたしに対してエクセルちゃんは続ける。

 

「話は終わりだってのに、なんでそんな顔するかなー。デジタルのそういうの見た事なかったけどさあ、そう慣れない顔するものじゃないと思うよ。

 あー、そうだ。私も難しい話は苦手なくせに慣れない頭を使って疲れたから糖分補給にでも行きたいしさ。このまま付き合ってよ」

 

その明るい声に、意識して出されるその声に頷いた、何度も頷いた。

 

「よしよし、それこそナイス後輩ムーヴ、それでいい」

 

そうしてまた激しく頭を撫でられて髪の毛がバサバサになっていって。

それが、その日のあたしには何よりも嬉しかった。

 

 



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ミナライユウシャとエラバレタユメノツヅキニ いつも通りのさよならを

3月のある日、あたしはグラスちゃんと共にチーム部屋に居た。

部屋の中を広く見渡せる場所に二人で並んで立つ。

けれども、もうその部屋にはここがあたし達のチームの場所だったと知らせる物は何一つ残っていない。

 

あたしがトレーナーが学園を離れる事を知った後の2月、元々短期でチームにやってきていたウマ娘ちゃん達は予定通りにまた別のチームへ。あたしはまだ治癒中なので移籍せず、グラスちゃん、シックちゃん、エクセルちゃんと共に部屋の片付けの手伝いをする日々に。

 

この頃になるとトレーナーが離れる事は周知の事実となって、あたし達があれやこれや掃除している最中も訪れる、トレーナーのかつての教え子ウマ娘ちゃん達。

今は学園を離れてそれぞれ違う道を行く方達が代わる代わるにやってきて。

 

「急に聞いても学生時代とは違ってすぐには来られないんだから、こういう話はもう少し余裕を持たせて下さいよ」

 

なんて言いながらも、それぞれの生活の合間を縫って最後の挨拶に。

 

このチームの経験者は海外生まれのウマ娘ちゃん達も沢山で、今は拠点を出身地へと戻している娘もそれは多かったけれど、それでも直接に言葉を伝えたいと海を越えてやってきて。

その後に地元のお土産だからと残されていった数々の品によって、これから物を無くしていかないといけないはずの部屋が、世界展覧会のようになっていたことについてはトレーナーが頭を抱えていたけれど。

そうして本当の終わりが近づく中でも変わらず緩やかに、このチームらしく時間は流れていった。

 

その中であたしとしては、あのマイルCSの時に出会ったお姉さんも来てくれるかな?と思っていたんだけれど、あたしが見ている中でも、周りの話に注意を向けて聞いていてもどうも来た様子はなかった。

だからその点についてはトレーナーが学園を離れる日にお別れの言葉を言う前に、他の誰もいない所で伝えておいた。

 

「あのお姉さんって教え子なんだよね。あたしの分も御礼をどこかで言っておいてね」って。

 

あの日以降にその話が出る事は無く、もっと詳しい事を聞きたい気もあったけれど、それはトレーナー側から話してくれればいいなと思っていた事だったからそれは今も変わらずと、あたしからはそれを言うだけにしておいた。

トレーナーはあたしが教え子だって知っていたからか、ちょっと驚くような様子も見せたけれど、

 

「今度会いに行くから伝えておくよ」

 

と、色々と肩の荷も下りたのか何時もよりも穏やかにも思う表情で、しっかりともはっきりともして言ってくれたから、それで良しとした。

 

そうしてあたしは多くのウマ娘ちゃんを、彼女達がこの部屋の中で繰り広げてきた物語を、一人のトレーナーの刻んだ歴史を、終わりの手伝いをする中でこの眼で知って焼き付けていった。

 

 

 

そして、その全てが今は過去のものとなり通り過ぎて行ったのだと、今、この広く広がる部屋の中で思う。

備品も多くは新たな物に替えられていくようで、それすら今はない。残ったものと言えば部屋の奥、レース資料やウマ娘ちゃん資料が入れられていた棚くらいなものだ。

 

空っぽになったその場所に、また誰か新たなトレーナー、まだ見ぬ新たなウマ娘ちゃんの物語が収められ、別の歴史が紡がれていくのだろう。

 

止まない雨は無く、陽は沈み、全てのものには終わりがある。

またそこから始まっていくものもある。

 

終わるもの、始まるもの。

そして、続くもの。

 

あたしは顔だけ向けて隣のグラスちゃんを見る。

様々なものが過去のものとなった今、学園の中でこのチームの事を強く知らせるものがあるとしたら、それはあたしとグラスちゃんしかいなかった。

 

トレーナーが去る日を越えて、最後までこのチームにいたシックちゃんもエクセルちゃんも、もうこの学園の内にはいない。

 

シックちゃんは今後別の方向で勉強したい事があって、それを夏には決意していたそうで。

レース予定が空いてトレーナーから今後についての話し合いの時にそれを伝えて、トレーナーも学園を離れるというならば、それまでは学園に残ろうとチームに居ようと決めて。

 

エクセルちゃんもまた他にやってみたい事が出来ていたそうだけど、決めるには踏ん切りが付かずどうしようかとしていた所にその話。それならとエクセルちゃんもまたシックちゃんと同様に違う道に行く事を選んだ。

「また他のチームで関係を作って……というほど走りたい気持ちは残っていなかったしね」とはエクセルちゃんの談。

 

秋に急に1戦だけ予定を入れて走ったのは泣いても笑ってもラストレース、自分なりのケジメだったそうだ。家族には伝えていたそうだけど、学園内ではエクセルちゃん本人とトレーナーと幼なじみのシックちゃんと、それだけしか知ることのなかったラストラン。

「それでライブを決められれば格好が付いたんだけれど、そうは上手くいかないものだね」と、あたしがその話を知った時にそうして笑ってた。

 

だから、二人ともそれから先にトレーニングする必要なんて全く無かった。

今後の自分のために時間を使っても良かったんだ。それでも休むこと無く練習を続け、あたしや他の娘の居残りにも付き合ってくれていた。

 

「どうして……」と聞くあたしに、二人とも「どうしてそんな事を聞くの?」とも言いたげな、それが当然かのような顔をしていた。

 

シックちゃんは言った。

在籍だけしている幽霊メンバーというわけにもいかないから。チームに居るならそれを行うもの。先輩としての仕事。それだけなんだ、と。

 

そして、もしあたしがそれに対して思う事があるならば自分に向けるよりも、それを今度はあたしが先輩としてこれから先のチームで他の娘達へと行ってくれればそれでいいからと。

 

そう残してシックちゃんはあたしに手を振り、あたしの前から、学園の外へと去っていった。

 

 

エクセルちゃんは言った。

あたしの勘が良いものだから最後まで隠すのは難しかったと。隠し通した自分をしかと見るがいいとドヤァとも。それだけでは「なんで?」という気の収まらなかったあたしに対して続けた。

 

「トレーナーがああいう人だからね、私もそれに習っただけ。知らせない事がチームが一番上手く回る方法だと思った。それがウチのチームらしさ、このチームに集った者らしさだと思わない?

 私としても最後に走るのを湿っぽくされるのも嫌だった。最後だと知らなかった私の事を応援してくれていた人には悪かったけれど。練習の手伝い一つするにもデジタル達に気を使っているように思われるのも嫌だったし。

 

 これから先にまだ歩みを進める者が、もう足を止める者を気にし振り返る必要はない、とね。

 デジタルにはそうして同じように進む者、その先に居る誰かだけを見て、その尻でも追っかけてくれてれば、それがお似合いだって、それが私の望みだったんだ。

 

 今年になって初詣に行った時にさ、足を止める私の前を行く、遠く先へと離れて行くデジタルの姿を見た時には、ああ、良かった……って、心から湧き出るようなこれまで経験のなかったものを感じながら思ったよ。勝ったウマ娘を見るトレーナーの気持ちってこういうものなのかなとか、私も少しは役に立てたのかなとか、チームが終わりを迎えていく中で、また一人、最後の一人のG1ウマ娘が生まれて、なんてハッピーエンドなんだろうってね……」

 

そうしてエクセルちゃんは満足そうにしていた。あたしはエクセルちゃんの考えに疑問は無くなったけれど、その考えに何を言っていいかものか胸が一杯になってそこに立っていた。

 

「あー、違うわ。いや、これはあるわけだけど、あくまで結果としてだ」

 

すると、エクセルちゃんが大きく首を左右に振る。急なその様子に「何?何?」としか居られないあたしの真ん前までやってきて、その顔があたしの傍まで近づけられて。

 

「デジタルがチームに来てからも、私がこれからを決めた後の残りの時間も、トレーニングするのも、練習の愚痴話するのも、外に遊びに行くのも、バカやるのも、何か言い合うのだって……、そういうの、全部、楽しかったよ。だから、これでいいんだ」

 

そうエクセルちゃんはあたしの両肩を掴み目線を合わせて伝えてくると、まだ何も言えないでいるあたしの頭を撫でた。その最終の先輩ムーヴはトレーナーにされる時のように優しいもので。

 

「それじゃ、サヨナラだ!」

 

頭にそんな温もりを残したままのあたしへとエクセルちゃんは元気にその一言を残すと身体を翻し、これからの自分の居場所へと向かっていった。あたしはその後ろ姿に、ただ一つ「ありがとう」を伝え続けることしかできないでいた。

 

 



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それぞれの道へ

「皆、優しいね……」

 

これまでの事を思い返しながら出したその言葉に、隣のグラスちゃんが気づいたように顔だけ少しこちらに向けて反応を見せる。

 

「シックちゃんやエクセルちゃん、それにトレーナーや……他にもこの部屋で見てきた事を思っていたら、どうしても言いたくなっちゃった」

 

「そうですね。私達の周りには優しいままと行かないものは多くある、それでも、きっと世界は優しい……」

 

グラスちゃんは広くなった部屋を眺めるように見て、何かに考えを寄せながら、自分の中にその言葉を収めるように静かに言う。あたしにもそれが染み入るように伝わってきて。

 

「そんな言葉を聞いたことがあります。私はそれを理解が出来たとは言いませんけれど理解は深まった、そんな気がします。私もまた怪我をしてここまで来る中で多くの優しさに触れて。周りのウマ娘、ファンの方々、そして、トレーナーさん達にも……。

 そうした方達が居て私も今ここに居る、そして、だからこそ、ここから歩みを止めるわけにもいきません。再びターフへと戻り、これまで以上の力を付け結果を残し、そこにはこれまで培った物の全てがあるからだと言えるように」

 

グラスちゃんの声は常に耳にするような穏やかな響きを持っていたけれど、あたしはそこから力強さを、その決意を確かに感じていた。そんな風に思っているとグラスちゃんが身体の方向ごと変えて、あたしの方へ。あたしもそれに合わせて向き合った。

 

「アグネスデジタル、そうして貴女とターフ上で相まみえましょう。

 あの日の約束とは違ったものになりますが、それは果たせるように」

 

そうして差し出される右手。あたしはグラスちゃんのそのあたしを見据える瞳を確認した後に右手でその手に触れる。

 

「貴女と戦うとするならばやはりマイルでしょうか。私は久しく走っていない勝ってもいない。貴女が王者で私が挑戦者、そういうことになりますね」

 

「うん、あたし待ってるから。この先もきっとその場所に立ってね」

 

あたしはそうしてしっかりとその手を握ると、同じようにギュッと握り返されて。

 

その強さを感じながら思う。こうしてグラスちゃんの手に過去触れた時の事を。

 

初めてチームに来た時は「何でも聞いて下さいね」と、その手で優しくそっとこの手に触れられて。あの夏の約束の交わした小指も思い出の中に深く残る。そして、この手の強さがあたしに新たに別の火を点す。あたしを見つめるグラスちゃんの青い眼にもまた何かが宿ったかのように。

 

 

今、あたしは捉えるべき相手として、倒すべき相手として確かなものになったのだと解った。

 

 

グラスちゃんが持つ様々な姿、その中でもこれが、相手を捉え離さぬ意志を感じるこの眼が良いのだと改めて思う。それがあたしにも向けられた事に悦びを覚えながら、最後に一度力を込めるとその手を離した。グラスちゃんも満足したように頷いて。

 

「それでは行きましょうか、デジタル」

 

その言葉にお互い何も言わずとも最後に一度部屋を見納めるようにすると、廊下へと出た。

その後はこれ以上は付け加える事はないともいったように二人向かい合って深く一礼。

 

 

それから、あたしは右にグラスちゃんは左に、違う方向へと別々の道へと歩き出した。

 

 



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ミナライユウシャのサードステージ ザ・ライトスタッフ

「って、身体も治って仕切り直しで、ここからあたしのシニアクラスG1ウマ娘ライフが素敵に始まっていくはずだったんだけど、現実はままならないねえ、プレストンちゃん」

 

「お互い何とも言えない結果だったねえ……」

 

春、5月、あたしとプレストンちゃんは京王杯スプリングCを終えて、二人、学園の中庭のベンチに座りながらぐったりともしていた。

あたしは4番人気の9着、プレストンちゃんは3番人気の6着との残念な順位。

お互い反省やらその他色々と話し合いながら、甘い甘い飲み物入りのペットボトル片手のこのひと時。

 

「プレストンちゃんはこの次どうするの?」

 

「私は京王杯前からの予定通りに来月の安田記念に行くことになるよ」

 

「それならあたしと一緒だねえ」

 

「今回の結果は落ち込みもしたけれど、トレーナーさんにも励まされたし元気も出たし、次を見て向かっていかないとね」

 

気合いを入れるように両拳を握るプレストンちゃんのその逞しい顔を見て、これだからウマ娘ちゃん観察は止められないと思いながら、あたしは自分の事を考える。

 

今度の事はあたしも凹み気分があって、トレーナーに「次だ次」とは言われたものの、どうにも元気は出ない。ふぅ……っと思わず俯きながら息も出る。

 

「何だか最近はデジタルらしくないね、私と話していてもいつもそんな風にするし」

 

「そこは色々と……」

 

「私は経験ないから分からないけれど、やっぱりチーム移籍する時の苦労がある?環境が変わってトレーニング法も全然違ったり、周りのチームメイトも一新してと……」

 

「そういうわけじゃないんだけれどねえ。プレストンちゃんの所から次に行く時にそういう事は無かったし今回だって苦労があったってわけでもなく……」

 

と、言いながら脳内では今度の移籍の流れの映像が浮かんでくる。

 

 

 

2度目の移籍、3チーム目、あたしも既に慣れてきたというところだった。いや、あたしが慣れたのはそういう話だけでなく、様々な事が上手く行っていたのだった。

 

デビューした頃を思えば、実力もついて更にはG1ウマ娘にもなり、そうなった事で取材とかファン対応とか人間相手のやりとりも増えたけれど、そういった事も気がつけば間違えなくなったというか、初対面の相手でも距離感の掴み方が分かるようにもなってきていた。

 

今度また新たなチームに行く事になって、前回は噂話に引っ張られて初動のミスをしてしまったからと今回はそうはならないようにと、それはそれは準備万端で行ったのだ。

 

 

 

まずはアドバイザーから次のトレーナーについて情報をバッチリと!

 

 

他にも在籍ウマ娘ちゃんに聞き取りを図ったり、トレーナーがどんな略歴なのか一通り調べたりもした。最初のトレーナーがトレーナー歴が数年の若手で、次が長い期間やってたベテランで、それならと今度は十年ほどの経験の様子で、アドバイザーはこの辺もバランスを取ったんだね!とか。その中でG1ウマ娘を複数出している程でトレセン学園内でも良い方の人なんだろうなとか思いながら。

 

人物像だって大体皆の言う事も一致していて掴めたものだったので、チームに挨拶する日には元気良く部屋を訪ねて、最初から情を込めて呼んでも行こうと思っていた。

 

 

 

けれども!

 

 

 

あたしが部屋を訪れた時に待ち受けていたのは大爆笑だった。

 

チームでそうして迎えられたわけじゃない。

トレーナー一人での。

 

「お前、トレーナーになりたいんだってなあ!そんなの聞いたことなかったけど、おもしれえよなあ!」

 

と、それはもう激しい笑い方で。

過去、あたしがその夢を語った時に「無理だよ」とか「難しいよ」なんて言葉はそれは幾つもあった。当初チームを受けて落とされ続けた時も困惑といったものは何回も見た。

 

しかし、この反応は流石に無かったんだ。

 

チームに所属する事が出来てからは最初だって次だって「目標がある事は良いことだ」って肯定されてたし、それでどちらも今後の役に立つならって色々教えてくれたし、トレーナー資料だって快く見せてくれるくらいだったし、そんな事がこれまであった後で今回待っていたのがそれだった。

 

そうしてテンション急降下のあたしを置いて、

 

「マイルCSの勝ち方すげえよな、俺、ああいう大外一気って大好きなんだよ。何度も見たわ、面白かったし!」

 

「で、そんなG1ウマ娘だけど、俺の所は今はG1獲った娘らは現役を続けていないものでさ。現状アグネスデジタルのみって事になってしまって今居る他の娘にも頼られるかもしれないけど、そこは頼むわ」

 

「まあ、担当トレーナーが学園を離れるなんて事が無ければ、ここで俺に話も回ってこなかったろうしな。そういうチームになるけれど、よろしくな」

 

とか何とか他にも様々一人で喋りまくっていた今度のトレーナー。

 

「ああ、はい。よろしくお願いします。トレーナーさん」

 

もうこの時には前言撤回、当初予定していた通りに呼ぶのは無いなと却下して、あたしは一応丁寧に頭を下げた。

 

「なんだ、話に聞いているよりずっとか真面目そうじゃないか。いいね、いいね、その方が俺も有り難いし。それじゃ、これから楽しく一緒にやっていこうな!」

 

そうして益々心の中がどんよりしているこちらの気も知らないで、吐いた言葉通りにそれは楽しそうにしていた新トレーナー。

 

それが新たな、第3のチームでの始まりの日だった。

 

 

 

そこからチームの娘ちゃん達と挨拶してトレーニングして、その辺りはチームが変われどあまり変わらない部分が多かったので特に問題なく進んだけれど、臨んだレースでこの結果。

 

着順もそうだけど、トレーナーの考えが本当分からないというかこれまでと勝手が違って、前情報で「思い切りの良さがある、言い方を変えれば大雑把なタイプ」とは各所から聞いていたけれど、まさにその通りで作戦もそんな感じで伝えられるし解り辛いし、ああ、もう、こうして思い出しているだけでもその時のもやっと感が……と、ペットボトルに半分は残っていた物を一気に飲み干した。

 

「デジタル、どうしたの……」

 

それを見ていたプレストンちゃんが目を丸くして言う。

あたしとした事が周りに誰かウマ娘ちゃんが居る事も気にせずに考えに没頭しすぎて取った行動。驚かせたようなのは申し訳ないながら、これは止める事ができなかったと自分で思う。

 

「何というか、飲まないとやってられない時があるってことだね……」

 

「そっか。私も飲んで切り替えようかな」

 

プレストンちゃんもそうして手持ちの飲み物を飲み干して。

 

「次は結果出そうね」

 

「うん」

 

と、5月の青い空に誓ってみたものの、あたしの頭は晴れ渡らず、お腹は飲んだ物以外の重さを感じて。この先どうなるやら……となりながらも、アドバイザーが今のチームを紹介した事には意味が必ずあるのだろうからと、ここでやってみるしかないのだと自分に言い聞かせ、あたしは手に力を入れ空のペットボトルを握りつぶしながらベンチから立ち上がった。

 

 



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観察記

安田記念に向けてのトレーニングの合間合間には欠かせない各地でのウマ娘ちゃんチェック。

まずは同世代、同じく安田記念に出るプレストンちゃんに、こちらのトレーニング終わりに会いに行ってみたり。そうしたらトレーニング続行中。

 

「今日は延長に入っていて。もう少し時間かかるんだ」

 

と、プレストンちゃん側から気付いたようで声を掛けられたけれど、「終わるまで待つから、お気になさらず」と返す。実際に観察していれば時間が経つのも忘れるというもので、その打ち込む姿に、その輝く汗の一つにも注目する。

 

「マイルCS勝者様が堂々とライバルの視察か~?」

 

そんな時に聞こえた声に振り向いてみれば、このチームのトレーナーで。

 

「まあねえ、やっぱり同級生として負けられないというか?」

 

「言うようになったな。ま、俺が見ていた時と違って今じゃG1ウマ娘だ、精神も変わるわな」

 

そうして頭を軽くポフポフされつつ褒められて、あたしも得意げ顔を隠さずに出す。

 

「そっちに居た頃はほんのルーキーだったしね。いつまでもそのままってわけには。

 まあ、終わったら一緒にお茶しようって誘いに来たってのがメインなんだけど。それにしても延長練習な上に、それにも力が入ってるねえ」

 

「プレストンも意気込みが違うからな。これから先、望みを叶えるにもここでやっておかないと、とは俺の方としても思う」

 

「あー、海外進出の件……」

 

プレストンちゃんと話していると将来的に海外のレースに出場したい夢をよく聞く。

特に学園に入ってから出会った一昔前の功夫映画にハマったとの事で、そこから香港に興味を持って最近の映画や他文化の事もよく見ているようでレース場もあるのだから是非そこで走ってみたいといったものを。

 

「友達だから聞いていたか。その通りの話な。俺としてもそれは連れて行けるようにしてやらんと、とな。と、まあ、そんな今後の話はここまでにして今の話やけど、そろそろ終わりにはなるから、もう少し待っておいてくれ」

 

「もちろんそのつもりだから。他の娘も沢山いるし見ていれば時間なんて気にならないしね」

 

「……相変わらずウマ娘好きっぷりが激しいな」

 

「飽きが来ないからね、そこは変わることはあり得ないんだよっていうか、そっちだって飽きないでしょ?」

 

「ま、飽きないわな、色んな娘おって。それじゃ、俺はあっち行くから」

 

そうして離れていくこのチームのトレーナーをあたしは手を振る。

そのままプレストンちゃんに近づいて行って何やら会話。トレーナーが口を開き、そしてプレストンちゃんが真剣な顔つきで何度も頷く。その目標に向け輝く瞳と、トレーナーの熱心そうな所にもコレだよ!と思いながら、その二人の空間を長く見つめていた。

 

 

 

他にシニアクラスに上がった同級生というと。

 

アグネスフライトちゃんが春に大阪杯で故障してしまって、あたしとしても残念。

けれども、待ってるファンのため、再びトレーナーさんにG1プレゼントなんだと復帰に頑張り中。

 

アグネスフライトちゃんに限らずにトレーナーをダービートレーナーにしたウマ娘ちゃん。

ダービーに挑む時からトレーナーさんにそうなって欲しかった!というウマ娘ちゃん達は曇りなく真っ直ぐって気がして、そこが胸キュンポイントに思えてきた。

 

スペシャルウィークちゃんもそういう所あるし、昔の事にもぼちぼちと手を出し始めたあたしのデータベース内だと、ウイニングチケットちゃんとかアイネスフウジンちゃんとか、あまりの明るさに邪な気分のあたしがサラサラと崩れ去って行きそうなほどの眩しさを、その姿を直接に、または映像から、もしくは文書の文字からでも感じもして。

 

ダービーといえば今年はジュニア組のクロフネちゃんが要チェックとなるところ。

あたしと同じのアメリカ生まれ、でも全然違う高い背と豊満ボディに長い芦毛が流れて溢れる存在感。あたしがチェックしなくても既に実力は各所から期待されているもので、まずは先日行われたNHKマイルCを勝利して挑む日本ダービー。ここで外国生まれの娘の初の制覇なるかと今年もURA界は盛り上がりそうなのであった。

 

そう注目集まるクロフネちゃんだけど、これがまたトレーナー大好きっ娘な様子で。

その大きな身体からの甘えん坊な、ザ・ギャップ萌えがそこに。

 

あたしにはあんまり関係の無かった事だけれど異国に来てトレーナーを頼るというのも分かるし、そこのチームと言えばスペシャルウィークちゃんの所の、つまりは学園内のチームでも最大派閥ともいえるところで。

トレーナーに対して派手な事をすれば他の先輩方からお叱り受ける、抜け駆けするなというようなルールを耳にもするけれど、クロフネちゃんの場合は他のメンバーも微笑ましく温かい目で見守っているようだった。

 

と、各地のウマ娘ちゃんを見ての感想を授業終わりの教室から今日のトレーニングに向かう道で纏めながら、あたしは自分でも気づく。ここの所はウマ娘ちゃんと共にそこのトレーナーも一緒に見てるなということを。

 

ウマ娘ちゃん達がそれぞれトレーナーの前で見せる表情が屈託が無いというかこちらをグッと来させるから好きってのはそこに存在するのだけど、それ以外にもそれぞれのトレーナーの、様々なウマ娘ちゃんを自分が支える!引っ張っていってやる!みたいな熱さをバシバシ感じるようにも伝わるようにもなって、各地で青春が繰り広げられているなぁとも最後に思いながらチーム部屋に辿り着いた。

 

 



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変わり者の詩

チーム部屋まで5メートルほど前の所でスッとドアが開く。そこから3名の若いお兄さん方が出てきて部屋の中へと何度も礼をすると、あたしが居る方とは別の方向へと去って行った。その姿を見つつ、(あの人たち前もここに来ていたな~)と少々思い返しながら、先程閉じられたドアをまた開いて部屋の中へと入る。中ではトレーナーがレース視聴用モニター前のテーブル上に置かれたコップやら菓子の包み紙を片付け中。

 

「お、寄り道無しでやってきて早いな。丁度いいや、片付け手伝って」

 

姿を見られてサクッとそう言われたので、そこは断る理由も無く手伝いに入る。

 

「さっきの人達は何?前も来ていたよね、何かの業者の人?」

 

部屋のやけに空いた所に何か置くとか……と思いながら軽く言ったら、何を言ってるんだと伝える視線が刺さった。

 

「業者て。あいつらは俺の後輩、つまり学園のトレーナー。将来トレーナーになるなら、その時に先輩に当たるんだからな。今の内から覚えておいてもやれよ」

 

「へーい」

 

初顔合わせでそこについて笑いに笑ったくせに今はこういう事を言ったり、本当この人は何だろうと思いながらの返事。

 

「それで、その後輩さん達が何を」

 

「そりゃ色々、指導の悩み相談とかな」

 

「先輩トレーナーとして、そこについてはしっかりしていらっしゃる」

 

「まあ、10年もこの世界にいればな、そういう事も当然起こるわけだ。トレーナーとしての嗜みだな」

 

あたしはそこ以外はどうなのかな~の意味を込めてみたつもりだったけど、どうも通じなかったようで、近くにいる人物はこうした事を引き受けるのは自分が特別ではないような言い方をしても、その顔はあたしの言葉に満更でもない様子であって。

 

これ以上は皮肉を言おうとも思わないまま片付けの手は動かしつつ、廊下で見た後輩方はスッキリした顔をしていたし、その悩みも無くなったのだろうと認識しながら、前も来ていたくらいだから頼られているのは確かなんだろうなぁとも考える。そうしてテーブル上を綺麗にしてゴミはゴミ箱にと入れて、さてトレーニングのために着替えをしようと更衣室へと足を向ける。

 

「ちょっと待て。まだ他の娘も来ていないし良いタイミングだから言いたいことが」

 

「何でしょ」

 

足も気持ちも更衣室に行っていたけれど、真面目そうな雰囲気にそこはあたしも構えて振り向いた。

 

「他のチームの娘の情報が欲しくてさあ、デジタルはいろいろ纏めてるんだろ?今度、見せてくんない?」

 

頼む!と両掌を合わせて来るトレーナーにあたしの構えが解除される。

これまでトレーナー側の資料をあたしが見せてもらった事はあるけれど、逆、と。トレーナーの資料を先に見せてもらってからあたしがどんなことやってるか興味あるって言われてお返しに見せた事はあるけれど、いきなり、と。そんな事を巡らせていると、トレーナーはポーズを解除して今度は何か思いついたかのように。

 

「あ、そっちはそっちで俺の方の資料を見たって良いし?そういう事で、ダメ?」

 

「見せるのはいいけれど。でも、代わりに見せてもらわなくてもいいよ」

 

「本当に?そこは持ちつ持たれつで行こうと思ったんだけどなあ……」

 

「本当に。別にいいよ」

 

あたしが嫌そうに見えて案を出したんだろうなとは察しながら、それ自体は本心からしても嫌ではなかったので軽くそう答える。

 

過去の例を思えばあたしの知らない娘ちゃん資料に出会えるチャンスというものには興味はある所だった。しかし、前にトレーナーが作業しているのをちらっと見た時に、その纏め方もまた大雑把というか独自の記号やらも使ってあって、あたしが読んでも読み進めるだけで時間の掛かる作りをしていたので、こうして提案をされてもいまいち手が伸びない気分があったのだ。

基本そういった資料は自分が分かれば良いものなので、その作り方についてどちらかいえばピシッとしていないと落ち着かないあたしとはタイプが違うというだけで、何も注文を付けるわけでもないけれども。

 

「でもタダでってわけにはいかないからな~。そうだ。今すぐってわけにはいかないけれど、今週末過ぎたら何か好きな物の5個か6個くらいを交換条件で」

 

「その辺りが給料日なの?」

 

「普通に給料は月末。週末は大穴当てる予定だから、そうしたら豪勢に……」

 

「あぁ、それ。何というか頑張って。それじゃ、あたしはこれで」

 

「あ、悪い。そろそろ他の娘も来るもんな」

 

そんな言葉を背に向けて聞きながら、あたしは更衣室へ。

 

 

 

そこで着替えを始めつつ考えること。

まず、どうやらあたしが交換で何かに有り付けるかは週末のお舟の結果次第のようだ。あたしが見ているだけでも熱心に予想を立てていたもので、余程好きらしいのは分かる。

 

そこは趣味というものだし、あたし達のレースにおいての作戦組立に一か八かでやられるのは困るけど、そこにやる分には何も言うことがない。前は+になった分をそっくりチームの特別食費代にしてくれていたから、そういうところは良いとは思う。しかし、今回交換条件として実るかどうかあやふやなものを出すのはどうなのとは指摘したかったけれども、あたしも見返りが欲しいわけでもないし……と、その辺は何でもいいと思いながらも、ここまでの流れを振り返ったところで強く思う。

 

 

今の事もそうだけど、こういう所なんだよ~と!

 

 

こうしてこの春に各チームを見回って特に意識したトレーナーとウマ娘の在り方というか。

 

 

そのノリが違い過ぎると!!

 

 

あたし自身がそういう熱さだとかいうものが好きってわけでもないし、それを望んでいるわけでもないけれども。

前のチームはそういったものは無いものだったし。それでもそこはそこでチームとしての、ウマ娘とそのトレーナーとしての、一つの形だと思えた。こう、ウマ娘をきちんと導くといったものは、それはよく伝わったわけで。

 

そうした数々の知見と経験を経て、今の状態は何コレ!となるわけだ。

チーム毎のトレーナー毎の比較はするものじゃないとは頭では分かっているものの、こうも大多数と違うものに頭がもたげる。

 

「あの人は分からん……」

 

着替えの手も止まって行き詰まった思考でただ一つ残るもの。

更衣室の中、一人ポツリと出る呟き。

 

それが出てから周りを見る。

他の娘に聞かれたくはなかったし、まだ誰もいない事に今度はホッとする息を出しながら、ここからは練習だと、あたしはトレーニングウェアをその身に着込んだ。

 

 

 

そうして安田記念まで後二週間ほど。あたしは相変わらずの日々を過ごす。幸いなのは学園生活だってレースに向けての調整だって上手くいっているということだ。

 

その分だけ余裕があって他の事を考える。

距離感というか何というかトレーナー相手にどうしたらいいのかというのが近頃の重要課題ポイント。そこで、あたしがそれを分からないというのは何もあたしが悪いわけじゃない、と思うのだ。

 

チームに入る前、まずはアドバイザーに聞いた時にはトレーナーとして感性に生きているタイプとか言っていて。それについては前走の京王杯の事で分かるものあったし、レース関係だけではなく他の所にも当てはまっている事は理解できた。

 

チームに在籍しているor在籍していた他の娘にだって聞いてみたけれど口を揃えて皆が「そういう所あるよね~」と一致して。

 

エクセルちゃんがオークス前にOP戦を勝った時には在籍していたっていうから近況報告のついでに聞いた。あたしがやられたアレコレについては触れなかったけれど、あたしから思った印象は伝えて。そうしたらやっぱり「私が居た頃と同じだね~」のお言葉。

 

「あれから3年は経っているのに変わらないというか、私もそんな風に思ったよ当時。勢いでやってるというかよく分からないというか。

 でも、悪い人じゃないのは確かだけどね。私がオークスに出たいって言った時もワガママ言うなと怒られたわけでもないし。じゃあ他に行けばいいって突き放されたわけでもないしねえ。思ったよりノリは軽く新チームに送り出されたなってのはあったけど」

 

そして、そんな話も受けてやっぱり他の娘ちゃんも思うところなわけだというのと、あたしとしてもそういった悪さだとかを感じているわけではないということ。一方で良さを思っているわけでもなく、つまりはとことん「訳分からん」なんだ。

 

これが以前のあたしだったら人間はよく分からんと大きく括って、そして、そんなものだとスルーできたのかもしれない。今も鈍感なままだったら、こんな風にならなくて良かったのかもしれない。

 

けれど、そこの課題をクリアしたからこそ伝わる違い、クッキリと見分けられる、その訳わからなさに気づいてしまったものはしょうがない。他の娘だって感じている部分とはいえ、じゃあ、このままで~なんていうのは、あたしという者があたしの中で許さないんだ。せっかく分かる事が増えてきたのなら、分からない事が目についても気にしないというのは無理なのだ。

 

「とはいえ、どうすればいいものだか……」

 

と、そこから先の手は見つからないまま、次の大レースは近づいてくるのだった。

 

 



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思い 交わせず

そうして止まる事なく日は進み、やってきた6月、安田記念。

注目が集まるのは去年の覇者、香港からやってきていたフェアリーキングプローンちゃん。

 

今日この府中のレース場に来てからも歩けば各方面からカメラのレンズが向いていたけれど、それにも軽やかに対応。対応が良いのは外向けだけでなく内向けにも。プレストンちゃんが香港のレース事情に興味あるからと声を掛けたら快く教えてもらっていて。あたしはそれを微笑ましく見た後には他の娘の堪能へと。

 

他に注目されるのは、前走の京王杯スプリングCの勝者であるスティンガーちゃん。

黄色地に黒を合わせた警告色の勝負服からも危険な香り漂う強気な1コ上の先輩で、あたしも近づいていったらその毒のある言葉に針でチクチクされるようだったけれど、またそういう所が良いと言いますか、ツボを刺激されたかのように元気も出て。

 

そのリアクションにはスティンガーちゃんが若干引いてはいたけれども、別れ際での「京王杯みたいな走りは見せないでよ」と言われたのは、あの結果にもチクチクされながらも今日へのエールが存分に含まれていたので、やっぱり良い娘ちゃんだと最後まで満足。

 

そんな今日ここまでを振り返りながらの控え室での着替え。

何かに手間取ることもなく終えて廊下へと出てみると、そこにはトレーナーが立っていた。

 

「おう、準備できたか」

 

その一言の後は、こちらを足から頭まで何かを気にするように見てきて。

この勝負服の可愛さはやはり分かるところ……と思っていたら、そうではなかったようで今度はちょっと眉間に皺の寄った顔を見せてくる。

 

その表情には何?とは思いつつも、端から見るとどこかズレていたりおかしい部分があったろうかと勝負服の彼方此方を見回してみれば、これには問題なし。

 

「あー、服装が気になったわけじゃなくて。デジタルが何か……大丈夫かと思ってな」

 

「大丈夫って、どの辺が?あたしの顔色が悪かったりする?」

 

そうしてあたしから話を向けると、いやいやと首も振り否定してきたので、それには首を傾げて反応するしかない。

 

「そういうわけでもない。俺が変に気にしただけだ。こうして話していれば気になるわけでもないし、忘れてくれ。」

 

「わかった、いいよ。それじゃあ、行くから」

 

何の事だかとまだ首を傾げたい気分はあったけれど、聞き返してまで引っ張るつもりはなかったので、そこでトレーナーからは離れる。

 

 

 

その後はパドックでのお披露目を終えて自分の直前人気順を確かめて見ると18名中の6番目。

前年マイルG1を勝っているとはいえ前走のイマイチなところで自分でもこんなものだろうと思う。

 

そこから今日は府中という学園からも近い場所でのG1レースなのだけど、チームメイトは来週再来週と自分のレースが間近で応援に時間を割いて……とはいかない状況で、トレーナーが後輩トレーナーズの一人に頼んで、そのチームの娘ちゃんと合同練習となっているがために今ここで言葉を交わす相手もいないというわけで、続いては地下バ道へ向かって……行きたかったんだけど、そこに行く前に足が止まる。

 

トレーナーの発言を気にしていたわけでも、自分で体調不良の自覚があるわけでもないんだけれど、どうもモヤモヤとしたものが残っていた。

マイルCSの時のような緊張感は今度はもう持ってはいない。

今日になるまでに調子が上がらない何てこともなかった。

けれども取れない物が自分の中にあることだけはハッキリ分かる。

 

そこで考えつつも突っ立っているのも何だったので地下バ道に入りながら何なんだろうな~と自分の中に渦巻く物は感じながらも足を進めて気がつけば出口。再び地上の光を浴びたところで抱えていたものが消えるわけでもなく、モヤモヤがそこから発生するわけでもないけれどお腹を摩りながら、なんとなくまずは辺りを見回した。

 

「デジタル」

 

そこで背後からの声。振り向けばプレストンちゃんが片手を挙げながらそこに居た。

 

「地下バ道で姿を見ていたんだけど、今日のデジタルはやけに早足だったね」

 

「道理で出口に付くのが早いなとは思ったら。そのつもりはなかったんだけどね。ちょっと考え事していたからか知らず知らずそんなことになっちゃっていたのかもね」

 

「なんだろうとは思っていたけど声掛けなくて丁度良かったかな。私も今日は一緒に行って貰わないとってわけじゃなかったしね。それでウォーミングアップはどの辺でやる?」

 

「んー、あたしは今日は離れた所でやろうかな。まだ考え事が終わって無くてね」

 

「そっか。じゃあ私はまた違う場所で。それじゃあね」

 

プレストンちゃんとはそうして軽く会話してそこで別れて、プレストンちゃんとも他の娘とも少し離れたターフ上に位置を取った。そこからずっと考えている内に、これまでと今日と何が違うかと言えば、結局あたしは今日の作戦についてまだスッキリと自分の中に収まってないんだろなぁ、という所に落ち着く。

 

今日の作戦はといえば前のG1マイルCSと同じでトレーナー任せ。とはいえ今度はトレーナーがこのレース場での組立が得意だからなんていう理由があるわけではないようで、単に一度任せてやってみるという訳だとはアドバイザーが言っていた。作戦内容としては、ここも前回と同じように後方待機が基本……ではあるんだけど、それ以外が全然違ったわけで。

 

作戦会議となった日、今度のレースも後方から進めという所だけは間違いなく伝わったのだけれど、後はやっぱり感覚的というか、「いい感じのところでバシッと!」とか、とにかく擬音も多いというか。あたしが何だか分からないような顔をすれば、そこは汲み取っているらしく更に熱の入った言葉が続いたけけど、そこもまた擬音が増えていって分からない度数が上がるだけで。

 

そんなこんなしている内にトレーナーの方から「ほら、マイルCSの時にやっていたような、アレでいいんだよ。話を聞くにレース中に自分でああいう形にしたんだろ?それができるなら問題ないからさ」と、最後にはあたし任せに。

 

あたしとしては確かにあのレースは想定とは変わって、レース最中に修正した面はある。でも、そうなるまでにもっとレース前の時点でトレーナーとの話し合いの中で詰めていた部分があったわけで、今とは……と浮かんだところで、あたしはその考えを打ち消した。

 

今には今のやり方があるわけで、そこをあーだこーだは言ってはいけないお約束だ。

アドバイザーもトレーナーに任せているんだし、まずは一度やってみるかと言葉も飲み込んで、トレーナーがそこで「それでいいか」と言ったので「いい」とだけ言ってその日の話を終えた。

 

前日の最後のやりとりでも「マイルCSの時のようにやってみる」の形で簡単に話は終わって、あたしもその時は明日に向かっていけると思っていたけれど、当日を迎えてみると、それで良かったんだろうかという気分がどこからか湧いてきて。

 

それについては最初のチームから次のチーム、その全レースにおいてトレーナーとの作戦面でこんな事を思った経験は一度も無かったので、新たなやり方、慣れていないものに対してはそんな風になるのもまた自然……なんて思っている内にいよいよレース。

 

そこからはごく普通にゲートへと入って、次々に入る周りの娘も意識すれば切り替えは完了。

そうしてレースは始まった。

 

 



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迷い路

スタートして、あたしは作戦通りに後方へ控える。

最初から意識して、マイルCSの時よりも後方へ。あたしよりも後ろについた一人の娘を除いて皆が見える形に落ち着く。

 

晴天の良馬場、走り難さを感じることもなく他の娘ちゃん達に置いて行かれる事もなく進んで行く。

 

今日も先頭を切っていったのはヤマカツスズランちゃんで、あたしはその背中を遠くから、身体はここにあっても外側からレースを観るかのようにして追う。

あの時のように極端に事を行わなくても少し意識するだけで、離れた所から見ていてもその勝負服の細部まで捉えられるかのように、あたしは落ち着きを覚えていた。

 

そうして他の娘にも視線を動かす。

まずはあたしの少し前の方にいる集団の中でブラックホークちゃんの姿が際立つように思えた。

好スタートを切ったようだけど、そのままとは行かずに控えて今のこの場所に。

過去こうした走り方はあまりしておらず今日は何か思惑があるのだろうと伝えてくる。

 

同じように前方の近くにいたのはスティンガーちゃん。

せっかく近くに居るのでスティンガーちゃんが他をチクチク刺すというのなら、あたしもそうしてみようと視線をチクチク刺してみる。

そんなあたしの事なんて気にしないように前に居るまだ大勢を、どこで差そうかと見据える瞳がキラリと光っていた。けれど、その意識の一方で地を蹴る足には京王杯の時ほどのものは感じさせなくもあった。

 

その辺りで近くに居る娘からは目を離して段々と先へ。

そこにプレストンちゃんが居て、長い黒鹿毛をなびかせながら周りの流れに乗って走っていく。

 

そこから今日の皆の注目であるフェアリーキングプローンちゃん。

良い位置を取っているけれど、このレースを制した去年に比べるとどこか勝手が違うような様子を見せている。

 

そうしてぐるっとほぼ全員を見渡しながらのついに第4コーナー。

周りには他の娘もいたけれど、その娘達の事まで細部まで観察できていて、外側に行かなければならないというロスも今日は考える必要もなかった。

 

 

直線に入ってもあたしは落ち着いていた。

ヤマカツスズランちゃんの逃げは最後まで持たないだろうことも、

スティンガーちゃんが伸びないだろうことも、

プレストンちゃんが苦しそうな事も、

フェアリーキングプローンちゃんの末脚も今日は炸裂しないだろうことも、

あたしには手に取るように分かった。

 

 

ただ、気づけばそこからの、自分がどうすればいいかの道筋が何も見えなかった。

 

 

マイルCSの時は他の娘の様子から自分の事へと移り、この道さえ進めば良いのだと簡単に分かったんだ。

たった一つの道だけ目立って見えるように。

けれど、今はどこの道を通っても正解ではないかのようにあたしには見えてしまった。現実に見える道は誰かが壁になっているわけではないのに、全ての道が見えない何かによって勝利からは閉ざされているかのようだった。

 

どうする……?と、過ぎった時には直線も大分進み、このまま迷ってばかりではどうにもならないとあたしはスパートを掛けた。しかし、他の娘もまた同じように最後の力を出していく中で、皆から置いていかれはしないけれど前へ行ける事もなくゴール位置だけが近づいていく。

 

その内に大外を通っていく鹿毛の娘ちゃんの姿が。

名前と同じ黒を基調とした下地に黄色の襟、袖の青さが今日は一段と芝の緑に映えるかのように爽やかに、当初から気になって見えていたブラックホークちゃんが、あたしの近くに見えたのも一瞬で、あっという間に前の方へと進んで行く。

 

あたしはそれを遙か後ろから、最後の最後、きっともう勝ちを意識してもいただろうブレイクタイムちゃんを捕らえ一歩先に行く、その瞬間までをはっきりとこの眼に納めることになった。

 

遅れてゴール板を前を行くプレストンちゃんとの僅差で過ぎた。

既にゴールした娘ちゃん達は沢山いて、プレストンちゃんが10着、あたしが11着との結果。

 

 

 

息を整えながら歓声をその身に受ける勝者の姿を見る。

あたしと同じように後方から仕掛けて大外から誰よりも前に行ったブラックホークちゃん。

過去制したG1はスプリンターズSで、マイルの距離ではこれまで注目されながらも下位着順で結果が出ることがなかった。しかし、今日はその過去を振り払うかのように差し切っていった。あたしがやりたくてもやれなかったという沈む思いと、やりきった者への称賛を覚えながら、それを見つめる。

 

その次に目にしたのはプレストンちゃん。

あたしが見ている事に気づいたのか、ゴールしてからその勢いで少し離れた場所にいたけれど向こうから近づいてきてくれて。

 

「前回に続いて又……だったね」

 

と、残念そうに漏らされた言葉は何とか前を見ようとしているのか表情は明るく作られた所から出ていたものの、それでも隠せない落ち込み様が全身から溢れていた。

 

「上手くいかないね……」

 

あたしも笑顔を作って返したけれど、その先に何を言っていいかが見つからない。

それはプレストンちゃんにとっても同じだったようで「ゴメン、私、もう戻るよ……」と、一人、軽くはない足取りで去っていく。何も言わないけれど一人きりで帰りたいのは分かるから、あたしもそれを静かに見送って。

 

プレストンちゃんの行きつく先、トレーナーに慰めるように体に触れられ声を掛けられているのを見たところで目線を外した。見られていたくはないだろうし、最後に見た一幕にしてもトレーナーがそうして元気づけてくれるのだろうと、その先の展開を安心して予想しながら。

 

あたしはというと、その場でまだ立っていた。あたしもまた敗戦したという悔しさはある、残念さはある。しかし、それで落ち込むというよりも、それ以上に再び出てきた腹の辺りのモヤモヤ感に悩まされていた。

 

マイルCSの時のように慌てていたわけじゃない。

しかし、勝つための道筋がまったく見えずに……と、早めの反省会を一人でしていた所に浮かんできたのは、これがまるでNHKマイルCの時のようだという事だった。

 

この手だと思って実行しても通じずに抜かされていく状況。

ただ違うのは、あの時は完全なる力不足という分かり易い理由があった。

でも、今度はこうして考えていてもそれがあるようには思えなかった。

では根本的な力が足りないというならば、他になんだ……と、考えれば考えるほどモヤモヤが黒ずんでいくようでもあった。

 

このまま居続けるのはそれが強まるだけだとは自覚して、とりあえず帰ろうかとターフ外へと向かっていく。あたしの方にもトレーナーが待っていたけれど、こっちはあたしに触れるでもなくレース前と同様に下から上まで見るところから。

あたしとしても特別慰めて欲しいというわけではなかったので、こちらもこちらでそれを眺めていると「大丈夫か?」と、聞いたことのある一言。そして、そのまま言葉は続く。

 

「レース終わってもなかなか帰ってこなかったし、他のウマ娘を見るのに一生懸命ってわけでもなさそうだったけど、どこか悪いんじゃないよな?」

 

最初の言葉を聞いた時は「む?」とも思ったけれど、次に言われた事にはそれもそうかと納得する。あんなことをしていれば違和感か何か覚えたかとなっても、そこは道理。

 

「それは無いよ。自分が思ったものと結果が違ったというか、こんなはずじゃなかったのにな~っていうのがあって。戻る前に一度そこで考えてしまっただけ」

 

「おう、そういう話なら良いけどな……」

 

トレーナーは良いとは言いながらも何か考えている様子を見せる。そこも説明されなくても分かる。身体が悪いんじゃなかったら、どうして負けたのか。何が原因かの話になる。そこを考えてもいるのだろう。

 

あたしの方はというと、さっき考えても答えは出なかったことだけど、今はまたそれを考えるよりも、チームで一人のG1ウマ娘として、今はきっと学園で観ていただろうチームの他の娘ちゃんを楽しませることができずに残念だったなとか、今日ここに応援に来てもらって、こんなレースを見せる事にはならなかったのは結果良かったのだろうかなんて考えていた。

 

その後はアドバイザーもやってきて、やっぱりあたしが終わってからもぼーっとしていた事を気にしていたけれど、同じ事を説明したら簡単に受け入れられて、その後は特に何か言われることもなく「今日のレースは全般トレーナーに任せているからな。それじゃあな」と、あたしへの一言と、トレーナーへの耳打ち一つを残して帰っていった。トレーナーはそこでも何か考えているような様子を見せながらアドバイザーの姿が見えなくなるまで目で追って、それが終わるとあたしの方へと顔を向ける。

 

「それで、この後はどうする?」

 

「それは着替えて、その後はライブ会場に行かないと」

 

「これはまたビシッとした答えが返ってきたな。京王杯でもキッチリそこは観ていったものなあ。なら、前回と同様にライブ会場までは付いていくけど後は別行動で、終わった後で連絡を寄越すということでいいか」

 

「何ならあたしだけ残ってトレーナーだけ帰るというのでも良いと思うけど」

 

この前の京王杯の時も会場前で別れて後は長々とどこかの店で単独で過ごしていたようだし、ライブに興味も無い人を付き合わせる事もないという、あたしとしての考えからの提案をしてみる。しかしながら、トレーナーは無い無いと言ったように手を振って。

 

「お前が良くても、こっちは良くないんだよなあ。ライブ終われば夜にもなるし、若い女子を一人きりにさせるわけにはいかないんだよ。保護者責任というものがある」

 

「真夜中になるわけでもないのに、必要以上に若い扱いされているみたいで信用ないなぁ」

 

「俺に文句を言うなよ。思ったより大人でも子供でもどんな娘でも皆一律に学園の生徒でその保護下にあるわけで、決まりには従うしかねえんだから」

 

「ほーい」

 

互いに面倒だと伝え合いながらも、そうするしかないという点で一致したところで話を止めて、あたしは控え室へと向かっていった。

 

 



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複雑な味の夜

その日のライブの感想としては、センターを飾ったブラックホークちゃん。

3つ年上の経験豊富なお姉さんの姿は味わい深くもあり勉強にもなりといったところで。

 

ライブ登場数はこれまでかなりの数を誇って、それに対しても手を抜く事もなくやり続けて、その姿に固定のファンも付いていて、今日の全体人気としては高いわけじゃなかったけれども、その人達にも応えたというのだろうか、見事な走り、そして1年以上振りのセンター。

 

これが盛り上がらないわけがなく、ブラックホークちゃんの喜びもステージ上からこちらにまで伝わって、ライブ終わりまで素敵空間に居続けた。

 

で、ライブが終わればトレーナーに連絡を……という話だったのだけれど、会場のエントランスまで出てみればそこに待っていた。

 

「店にいるのも飽きたし、そろそろだと思ってな」

 

「連絡する手間が省けただけいいや」

 

相手も素直に飽きたと伝えてきたので、あたしも素直に思った事を伝える。

 

「それで、帰ったら反省会?」

 

それを深く意識する事も無く言ったのだけれど、そこで酷く驚いたような様子を見せるこのトレーナー。なぜそうなるとあたしも流す事は出来ずに怪訝顔を出して問う。

 

「何、そんなに変なこと言った?」

 

「そりゃ、今の時間から反省会なんて言ったら……あっ」

 

更になぜかそこで固まるトレーナー。

その後はあたしを指差してくるトレーナー。

 

「い、言っておくけどな。トレセン学園全体としたらデジタルの前チームの方が珍しい形であって。そこではその日にきっちりやるのが当たり前だったのかもしれないけれどもだ。俺がやらないからといって、それが駄目なわけでも悪いわけでもなくて……」

 

そして、目の前で慌てながら必死の言い訳作業をするトレーナー。

これにはもう分かり易く息を大きく吐く。

 

「……誰もそういうこと思ってないけど。京王杯の時は翌日だったし、最初のチームの時には翌日が基本だったし、前のチームだって当日に軽く触れるだけで残りは翌日な事もあったし。ただ念のためってだけだったんだけれども」

 

そうして最後はやや強調しながら、あたしは伝えきった。

 

「え、あ、そう?ならいいけど……」

 

と、あたしの呆れ視線に気づいたのか、自分の取り乱しようを無かったことにするかのように、特別乱れてもいない衣服を整えながらの人物に質問を増やす。

 

「それで、反省会は明日の授業後ってことでいいの?」

 

「そういう事にしてくれ。さてと、人も減って帰り易くなったし俺らも行くか」

 

そうして出口を見ながら返事は待つことなく歩くトレーナーの後ろを、今の短い間でもどれだけ表情が動いたのか忙しい人だ……と思いながらあたしもついていった。

 

 

 

 

それからは特に会話も無く静かに帰路を行き、やがて到達するトレセン学園の駐車場。

自分は降りて荷物も降ろして残りはさよならの挨拶だけと、運転席から降りてきたトレーナーを待ち受けながら立つ。

 

「寮に行く前にチーム部屋まで少し手伝ってくれねえかな」

 

しかし、トレーナーから言われたのはそれだった。

それでも特に疲れて後は寝たいという状態でもなかったので軽く頷くと、トレーナーはちょいちょいと手招きしながら車の後部へと。付いて行ったところで開かれたトランクを見ると、そこには段ボール箱が一つ。

 

「それを持ってチーム部屋まで頼む。こっちは他の物で手がふさがってるからさ」

 

「はいはい」

 

片手に手提げ鞄と脇にファイルを抱えながら歩くトレーナーの後にあたしも段ボールを両手で抱えて付いていく。

少し肌寒さはあるけれど歩くのも悪くはないと思う夜空の下、誰とも擦れ違う事もない静かな道。

 

「歩きながらでいいから聞いてくれ」

 

やがてそこへと前触れなく届いた声。顔は見えずとも、その控えられたトーンから気軽な話ではないのは伝わる。

 

「反省会をするつもりはないが、今日の内に一つ聞いておきたい」

 

「勿体ぶらずに言っていいよ、何?」

 

「……走っている最中にな、俺がレース前に言った事を気にしていたか?」

 

レース前に言われた事、確認を取るまでもなく分かる。会話した事と言えば控え室から出てきて突然「大丈夫か」と聞かれた事くらいだ。でも、それは今言われても「そういう事もあったね」というか、あたしにとっては今思い出した程度の事だった。

 

「考えてないよ?というよりも忘れろって言ったのはそっちでしょ?だから、その通りに今の今まで忘れていたんだけど」

 

「……そうか。それがレースに影響しただとかなかったのなら良かったけどな」

 

「本当にそれは欠片も無いよ。でもさ、今また掘り返されたら気になりもするけれどね。あれはどういう意味だったの?」

 

「……ご尤もな反応だ」

 

トレーナーはそこで足を止めて振り向く。あたしも何か話が始まるのだろうと数メートルの距離の間で止まる。

 

「勝負服に着替えたウマ娘って顔合わせると大概これからのレースに向けて気合いが入っているってか、いつもと違う感じがするんだよ」

 

「はあ、つまりはそれがあたしには見えなくてってこと。

 でも、そっちも大概って言ってるし全員そうだってわけでもないでしょ?確かに熱く燃えているような娘が多いのも分かるけど、そういう娘ばかりでもないし。あたしもそういう所を日常で出しているわけじゃないじゃない」

 

「それもそうなんだがな。落ち着き払っている娘だって存在する。けれど、そういう娘はそういう娘でいつもとの違いは分かるわけよ。

 デジタルの場合は、それでもないしどれでもないというか俺も何と言っていいか分からなくて……。まあ、だから、どこか悪いんじゃないかとか、何か気にしている事があるのかと思って聞いたんだ」

 

「ふーん。あたしと他の娘の違いはあたしには分からないけれどね。

 言える事は、本当にその言葉を気にしていたわけでも、あの時に体調の悪さを感じていたわけでもないよ。着替えている最中も気にしている事と言えばレースのこと……というか一緒に走るウマ娘ちゃんの事だけだった」

 

「……分かったよ。俺としては聞けて良かったが、俺の言う事を守ってくれていたのに再度触れて手間を取らせて悪かったな」

 

トレーナーはそうして再び身体を反転させて歩き出す。その後ろ姿を見ながらあたしが思う事といえば、忘れろの部分を厳守していたのに信じられていなかったとか、今また時間を余分に取られたとかそういう事ではなくて、訳分からない人に訳分からないようには思われたくないな~と、それだけだった。

 

そんな事を思いながら止まった時の距離を広める事も狭める事もなく後をついていって遂には目的地が見えてきたけれども、そのチーム部屋には電気が付いていた。

 

「あれ?誰か消し忘れ?」

 

「違えよ。今日面倒を頼んだ後輩と今から話し合いなんだよ。今日やった事の報告を受けないといけないわけで。だから部屋で待っていてもらってるんだ」

 

「ああ。でも、それだったらやっぱり何か理由をトレーナーだけ先に帰った方が良かったんじゃ。今からその事をやるなんて、どれだけ時間かかることか」

 

「一人で帰った事がバレた後で学園から怒られるのが一番嫌だよ、俺は。

 それに大体の事は待っている間にデータやりとりしながら終えてるんだ。けれど、それだけでは分からない部分はどうしてもあるからな。残りを今からやるってわけ」

 

「なるほど。細かな部分までそれは大変なことで」

 

そこは嫌味でも皮肉でもなく、これもトレーナー業で起こる出来事の一つと勉強になったと頷く。

 

「そう思ってもらえると嬉しいが、言うほど大変でもないんだがな。後はちょっと一杯やりながらまとめるだけだから。ま、ここからは大人の時間という事で、そこに欠かせないそれも後は俺が運ぶからその辺に置いてくれていい。手伝ってくれて有り難うな」

 

そうしてトレーナーはお別れの〆にしようとしたようだけれど、発言の中に特徴的で素通りは出来ないものを感じ取って直ぐに段ボールを床に置くと、しゃがみ込んで中を見る。

そこで見つけたのは予想通りの代物。よくCMで見かけるようなお安そうな物から相場は分からないけれど見た目からして高価そうな物までたっぷりと。

 

「そう雑に置くなよー。高くて割れ易いやつもあるんだからさあ」

 

「……今から部屋で酒盛りするわけ?」

 

一通り中を見た後にジトッとトレーナー見つつそこにも確認を取る。

 

「酒盛りとは表現が良くないな。メインは情報のやりとりなんだから。けれど、そこには潤いが必要なんだよ」

 

「レース場への行きには無かった荷物だと思ったら……。それにしても量が多いような気がするけどね、潤いどころか浴びる程でお腹タプタプになっちゃうんじゃないの」

 

「全部は飲まねえよ。一部は今日チームの面倒を見て貰ったお礼で渡す分。そこの所の筋は通しておかないといけないからな」

 

「はあ、そういう事で」

 

「納得した……というには微妙な顔してんな。何?「ここでそんな物を飲むものじゃないです!」とか言っちゃう?言ってしまう?」

 

そこまでは言わないけど、御礼の点については分かる話だったけれど、それでもチーム部屋でこんな事やろうとする人の話なんて他チーム含めて初めて聞くものだから何やってんだろうという気持ちは持っていたら、そこは悟られたようだった。

 

「そうはならないけどね。あたしとしたら好きにしたらいいと思うけど、ちゃんと片付けはしておいて方がいいんじゃないかな。他の娘がどう思うかは分からないし」

 

「ま、そうだな。別に知られた所で学級委員長タイプでわーわーうるせーことを言ってくるような娘もウチにはいないとは思うけど、残骸の一つも残っていたら気分は良くはないものな」

 

あたしとしたら本当に好きにしたら良いというか、いちいち突っ込む気もなかったのでいいけれど、他の娘の事を思えばしておきたかった注文を聞き終えたトレーナーはニヤッともしながら近づいてくる。

 

「それじゃ、手を上に向けて出して」

 

?となりながらも、あたしの身体はその通りに動いて掌を差し出す。

そこに乗せられる、トレーナーの手提げ鞄の中から取り出された小さな紙袋。

 

「何か沢山買ったらオマケでくれたからやるよ。こういうの好きだろうし。ここまで運んでくれたのと今の忠告の御礼な」

 

「そりゃどうも」

 

「さて、後輩も待ってるだろうし、そっちもそろそろ寮に行った方がいいだろうからな。今日はこれまで。また明日な。」

 

「はい、また明日」

 

相手が話を切ったので、あたしもそこで終わらせると、紙袋を片手に寮へと帰ろうと歩き始めた。

挨拶もしたしとトレーナーをその後は見ることなくスタスタとチーム部屋からは離れていった。

 

 

 

寮にまで続く外の道に出てから、ふと足を止めて紙袋の中を見る。そこには幾つかのお菓子。

子供の駄賃のような御礼だなぁとは思いながらも、トレーナーが口にしたように確かにあたしが好きなタイプの物が揃っていて、せっかく開いたならと一つだけ飴玉を取り出した。

 

そして月明かりの下、その大きな飴を口の中で転がしていると今日のこの夜の事が浮かんで来て、レースに勝利しての興奮があるわけでもなく、敗戦後の悔しさが溢れるわけでもなく、今日を振り返る会議も何もなく、とてもレース帰りの日の夜とは思えない時間だった……となりながら、またゆっくりと帰り道を進んで行った。

 

 



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ミナライユウシャのメイキュウアンナイ 勇者はかく語りき

安田記念を終えた次の週末、あたしはプレストンちゃんと共にトレセン学園からは少々離れた街の一角にあるファミレスにて過ごしていた。

そもそもはお互い先週レースを行い今日はトレーニングも無しの休日となって、それでは一緒に買い物などしましょうかと出掛けてみたのはいいものの、2軒ほど回ったところで雨が降ってきて雨宿りに近くの店に入ったまでは良かったものの、そこから本降り。

今も席に付きながら傍にある窓を見れば外がはっきり見えない程の激しい雨で、テーブルの上を見ればこうして過ごす中でどれだけ飲み食いされたかを伝える食器が所狭しと広がっていた。

 

「これは一旦片付けて貰って、次は甘い物でも食べようか」

 

「そうだね」

 

その言葉の後に向かいの席のプレストンちゃんがエヘヘと笑う。

 

「どうしたの?」

 

「予定とは違ってしまったけれど、こういうのも楽しいなって思ったらね」

 

「分かる、あたしも楽しい」

 

顔立ちはキリッとしていて背も高くてスラリとしていて、あたしみたいな小さいのとは違う大人びたプレストンちゃんが見せるそのレア表情に、あたしもまた顔を緩ませながら最後に残ったフライドポテトを摘まみつつ思う。

 

滅多に見せない姿をゲットというのは当然な喜びではあるのだけれど、安田記念のレース直後の落ち込み様を見ると笑ってくれる事自体がとても嬉しく思う方が大きい。プレストンちゃんからも聞いたけれど、あたしもそうなるんだろうとは分かっていたけれど、しっかりとあたしもよく知るトレーナーが元気づけてくれたようで、良い関係が出来ているとここでまたしみじみと。

 

それでは自分はどうかといえば、惨敗だったとは言え酷く落ち込むものはなかったので、元気づけられるだ何だという話にはまずならなかったのだけれど、なぜ負けたのかという部分が今も解消されずに実はまだ残っているのだった。

 

お約束通りの安田記念翌日のトレーナーとの話し合いにおいては「仕掛けが遅かったのでは」という部分の話から始まって、それについてはダッシュした時には時既に遅しな自覚はあって、そこに至るまでの説明はしたんだ。

 

「マイルCSの時は他の娘がどうなるかって想像が自分の中ではっきりと見えたんだ。自分もそこからどうすれば良いかが分かった。まるで勝てるルートがどこなのかもターフ上に浮かんで見えるようなものだったんだよ。でも、今回は他の娘が残りの直線でどの程度出来るかまでは分かっても、その先が……」と。

 

「説明を聞いても俺は走っているわけじゃないから理解し難いが。要はマイルCSの時はゾーンに入ってたってやつなのかねえ……」

 

トレーナーから返された言葉はそういったもので、続いては唸りながら持っていたペンで頭を掻いたりして考え始めて。

 

「まあ、仕掛けが遅れた流れは分かるし、仕掛けが早かったら変わっていたかと思うと俺もそうは思わねえからなあ。だから、遅れた分にはもう何も言わないとしても、じゃあ、どうしたら良かったかというと、特別何か悪いようには思わないし、なんだろうなぁ……」

 

放っておいたら更にそんな風に考え続ける。それをあたしに言われても分かりませんというか、トレーナーは分かっているけどあたし自身に分からせるように促すようでもなく本気で悩んでいるようで、あたしはどうしたらいいのかと、これもまた過去例の無い流れでそのまま見ているしかなかった。

 

「まあ、今日はこれまでということで。俺の方はまた考えてみるけどデジタルの方はまあ余り振り返らず次に向けてってことでな」

 

と、そうこうしている内に時間は経ちトレーナーはトレーナー同士の集まりに出ないといけない時間が迫り、そんなトレーナーの言葉で反省会は終わりを迎えたのだった。

 

 

 

しかしながら、トレーナーとの反省会が終わっても、あたしにはアドバイザーとの話し合いも待っているわけで。後日あたしはレースに対して言い表し様ないものを背負いながらアドバイザーの部屋を訪れることになった。

 

そこで仕掛け遅れの点についてはトレーナー相手と同じ説明をしたらそこは分かってもらえたけれど、他に何が悪かったのかここからどうしたら良いかの答えはそこでも出なかった。そしてまたもや長い時間をかけた対話が……とは結局ならなかった事だけは良かったけれど。

 

というのもアドバイザーとしたら今回のレースに関してはトレーナー任せであるし、あたし自身とあれこれ深くやり合うつもりはないと思ったよりも早く切り上げられたのだった。「今度の事は後は俺とトレーナーとでやろう。今後の予定はまた呼び出して言うから、その時に」と告げられ、あたしはその日は長々そこで世間話もすることなく帰ることになって。

 

そして今後はどうなるか、変わるか変わらないかも全く分からない中で、ここらで一度気分は変えておこうかとの今日というプレストンちゃんとのリフレッシュ日なのだった。

 

 

 

「デジタル」

 

ふいに掛けられた声に顔を上げる。そこにはメニュー表をあたしに向けるプレストンちゃんと綺麗になったテーブルがあって。色々考えている内に片付け作業があったようだけれどまったく気づいていなかった模様。

 

「私はもう決めたから、ゆっくり決めて」

 

「あたし考え始めると長いかもしれないから先に頼んでも」

 

「長くてもいいよ。私がそうしたいだけだから」

 

「それではお言葉に甘えて」

 

と、メニュー表を受けとって悩んだ後に好みのケーキと飲み物を頼む。お互いの前にそれぞれ運ばれてきたところで食事の〆を堪能しながらの会話が始まる。

 

「こうして美味しく食べて、また明日から頑張れそうだね」

 

「私も今日は食べ納めしておこうと思って。次のレースまで近いから、それでも最後にちょっと控えてもしまったけれど」

 

そう話すプレストンちゃんの前には少しだけクリームの添えられたシフォンケーキに無糖の紅茶。いつもは甘さがジュワッとするような物を好むプレストンちゃんからすると随分と控えめな組み合わせだった。

 

「もう次のレースが決まってるの?」

 

「うん。ずっと重賞を走っていたけれど、夏の休みに入る前に一度OP戦を走ってみないかって事になって。だから今月下旬に阪神レース場で走るんだ。デジタルの方はどうなってる?」

 

「あたしの方はまだ決まっていないね。でも、ここから今月にレースを組み込むような話は出なかったから。今月一杯はトレーニングを続けながらの、この前のレースの見直し作業かなあ。時間がある分とことんやるしか」

 

「応援したいけど、気を張って頑張りすぎないようにね」

 

「心配ありがとうね。まあ、他の娘ちゃんの良いところも一緒に見て辛いものばかりでもないから。とはいえ、まだ敗戦の答えが出ていなくてねえ。トレーナーからも分からないと言われるくらいの難問で、これまでのレースではそういう事なかったからね、力を入れて挑んでみようかと」

 

「へえ、トレーナーさんもそんな事を言うものなんだね」

 

「そうだよ、あたしだってビックリしたよ。流石にトレーナーも考えを放棄したってわけじゃなくて自分も時間を掛けて答えを出すような言い方だったけれど。そうはいっても反省会でそんな事を言われるの初めてだったし、続々と今まで知らなかった出来事が起こるというか……」

 

頭にはレース日の夜の事なんかが浮かびつつ、それは誰かに話すような事ではないのでその程度に纏めながら、それでも聞かせて面白い話ではなかったな……と思ってプレストンちゃん見ると、ニコニコした顔でこちらを見ていた。

 

「どうしたの?あたしの事で何か気になった?」

 

「こんな事を言うのもおかしいかもしれないけれど、デジタルがそういう事を言ってくれるのが嬉しくてね」

 

「あたしからすると愚痴話でどうかとも思ったんだけど、まさかそんな風に言われるなんて」

 

どういうこと?と思っているとプレストンちゃんはまたニコリとして。

 

「だって、デジタルって他の娘の話は聞きたがるけれど自分の事を話す事が少ないじゃない。

 「ウマ娘ちゃんが悲しんでいるのは嫌だ~」って平気であまり知らない娘の所まで聞き役になりに行くほどだけれど、話すことになると教室内での雑談だって他の娘の話題なら触れても自身の事になると口数が少なくなるなって前から思っていたの。でも、近頃は私にデジタル自身の事をよく話してくれるでしょ、それが嬉しいの」

 

「そこは限られた時間は他のウマ娘ちゃんの話を聞くことに回したくもあって。でも確かにここ最近はプレストンちゃんに話す事も増えたねえ。振り向くと確かに随分と」

 

5月の京王杯後の時にはまだ言う事はなかったけれど、その先にも訪れた新チームでの出来事に対して一度プレストンちゃん側から「どんな様子なの?」と聞かれて以来、トレーナーの事にも触れて、それからはかなりその件について話していたと振り返ってみると強く思う。

 

「今後も別に気にしなくていいよ。それにね、デジタルは愚痴話というけれど、そちらのトレーナーさんとの話は聞いていて嫌なものでもないからね。こちらもそれで気分が沈むようなものだったら私も言う事が変わってくるだろうけど、そうじゃないから。

 最初はデジタルがトレーナーさんの話をするのは珍しいねというくらいだったけど、それからも話を聞いていてもずっと聞いていられるというか気にならないよ」

 

「まあ、前のチームの時は愚痴る要素が無かったからねえ、だからそんなことにも特にならなかったわけだけど……。プレストンちゃんが聞き上手だからつい話してしまって、気にならないと言ってくれるのは有り難いとはいえ、何というかこっちのトレーナーは、そうして端から見ている話を聞いている分には楽しいってタイプなのかもしれないけれど、近くに居るともう本当……」

 

と、また今年春になってからのあれこれが浮かんできながら、手に持ったフォークでケーキを大きく切り取って口に放り込む。

 

「せっかくだから、それも話しておく?」

 

プレストンちゃんの笑顔を湛えたままの申し出に、あたしも今日は全部言っておこうかという気にもなって、そこからまたチームでの、トレーナーとの間の事を話していった。

 

資料の纏め方が雑な所まではいいけれど、置き方も大雑把でトレーナー自身が何をどこに置いたか忘れて、その場に居合わせてしまったものは仕方ないと探すの手伝う日があったり、そこからどうせならもっと分かり易く置けば?と探しやすいようにあたしが配置し直すことになった事とか。

 

トレーナーもそこは「すげえ、一気に綺麗になった」と感嘆の声を挙げ、あたしからしても「どうだ!」ともなり、その後でトレーナー専用個室の方もやる気を出して掃除したようで、そこから出てきたウマ娘ちゃん誌を「このまま捨てるのも何だから役立てそうなのがあれば持って行ってくれ」だとか言いながら渡してくれて、その多くが今では絶版ものだったので丸ごと貰うことになったのは良い事態であった事は加えつつ。

 

そんなトレーナーを見ていると、あたしがしっかりするしかないなぁという気も増して、チームの他のウマ娘ちゃんのサポート作業も近頃は色々と。G1ウマ娘が他にはいないというだけでなくて重賞出走経験者も今は少なめで、レースに挑む心構えとか体調の持っていき方の説明や、トレーニング段階での何をどうしたら良いかという相談まで引き受ける今日この頃なのだと。

 

「すっかりお姉さんなんだね」

 

最後まで聞き終えてプレストンちゃんがまた楽しそうにも笑顔で言う。

 

「前チームの時は何名も先輩G1ウマ娘ちゃんのいるチームだったからその機会があたしには回ってこなかったけれど、今のチームはあたしがやらなきゃってところでね。そこはまたガラッと変わった経験を積めて良かった~と言えるけれど……」

 

と、そこでテーブル上にサッと明かりが差し込む。

話を止めて外を覗けば長く降っていた雨が止み雲間から陽が射してきていた。

 

「ようやく止んでくれたね」

 

「そうだね。このまま晴れて行きそうだけど、どうしようかデジタル。もう少し明るくなるまで話しする?」

 

「ほとんどは言い切っちゃったし、あたしの心も晴れてきたからなあ。後は歩きながら予定にあった店で今から行けそうなところを回ろうか」

 

「私もそれでいいかな」

 

そうして二人で席を立って店の外へと出る。そうして喋りに喋って軽くなった身体で、さっきまでの雨が嘘だったかのように晴れた空に包まれた街をまた歩いていった。

 

 



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勇者の足踏み

7月に入り上半期G1が終了し一旦の落ち着きを見せるURA界。

ここ最近の大きな出来事といえば、やっぱりこの上半期の最後を飾る宝塚記念において、昨年は出場レース全てにおいて勝利したテイエムオペラオーちゃん、今年もG1での連勝を続けていたその王者を、その後ろ姿を過去何度もその一つ先に見ながら、それでも同じレースに出場してきたメイショウドトウちゃんが遂にその前へと行った事。

 

どれだけG1の舞台でそうなる事を待ち望んだのかを何も言わなくてもこちらにも伝える、ターフ上で勝利に感極まるメイショウドトウちゃんと、そして、その姿をスタンドや映像で観ている誰よりも近くで強く讃えたテイエムオペラオーちゃんの姿が、その日そこにはあった。

 

ライブではドトウちゃん初のG1センターだったけれど、この日のために努力をしてきたのだろうと分かるその振る舞いは見事で、オペラオーちゃんを後ろに従えて、これがG1初舞台だとは思えない程の姿を記憶と記録とに残していった。

 

他にはプレストンちゃんが6月下旬でのOP戦で勝って、あたしと走ったNZT以来の勝利をした。その日はあたしもあたしで練習があったので現地応援には行けなかったけれど、その様子はしっかりと映像で見たし、学園に帰って来た後は直ぐに会いに行った。久々の勝利に安堵すると共に「これで次は重賞に勝つんだ」とあたしに伝えるプレストンちゃんは力強く、プレストンちゃんなら出来るとあたしも言葉を強くして言うものだった。

 

で、自分自身はというと、安田記念の話し合いとは別にアドバイザーから呼び出された後に、「秋までは休み。秋からのレースはここからの様子で決める」とだけ伝えられることに。

 

安田記念の結果が良かったとしても夏休みには入る予定で、秋のローテがきっちり決まっていたわけではなく変化はないのだけれど、去年の夏は「体力を付ける!」と分かり易い目標があって楽だったのだけれど今年は何が第一目標なのかと曖昧なのが困るところなのだった。

 

思ったより困らない事と言えば、この2戦が散々でも周りからの扱いが辛くは無いことだった。

クラス内や世間の皆様からの言葉も何と言いましょうか。

 

マイルCSの事は、これはもうフロック!!

 

という様子で、グラスちゃんがされたような心が痛むような言葉がドバっと投げつけられるような目にはあたしは遭わなかった。ずっと勝ち続けていたようなウマ娘ではない、ここまでも不安定な戦績をしているウマ娘に対して世の中はそういうものだったのは幸いではあった。

 

あたしもあたしでマイルCSの時は上手く行きすぎたというか、安田記念のレース中に意識はしていたけれど全くもって同じ事が出来るとは限らないなという思いも確かにあって「あの時は出来たのに……」と引き摺る事もなかった。

ただ、前チームの部屋に最後のお別れをグラスちゃんと告げた日、グラスちゃんに「待ってる」って言ったのに早速見せ所一つ無く負けていること、グラスちゃんは新チームでそろそろ本格的にトレーニング始める情報が世の中にも出回っているのに、あたしはこんな状況である事には情けなさは持っていた。

 

 

 

 

周りの反応において他に傍にあるものといえばトレーナーだけど、アドバイザーから今後の話を聞いてチーム部屋に戻ってきた時、「俺もアドバイザーの意見に沿ってやるだけだからさ」と軽く伝えて来た後、モニター前のソファに座りながら飲み物片手にのんびりと雑誌を読み始めていた。

 

どこかの風景写真が表紙に載っていてなんだろなと注意して見てみると、それは旅行のパンフレットだった。近くは香港からアメリカにイギリスに変わった所では中東地域まで。

 

「夏にどっか旅行するの?」

 

「ナイスボケだな」

 

何の気なしに言った言葉に、そう来たかとでも言いたげに頷いた後のその返し。それなら何の事だかと待てば言葉を続けられる。

 

「トレーナー業をやってると、そんな機会は作れないんだな、これが」

 

「じゃあ、なんで見てるの。気分だけでもってやつ?」

 

「夏合宿スケジュール立ての息抜きにな。海外遠征に行った時にどんな物がそこにあるか今の内に多少見ておこうかと」

 

「へえ、遠征予定のある娘がいるんだ?」

 

「今のところ予定は無いけどな。でも、今後行くだろうウマ娘はいるだろ?デジタルとか」

 

誰だろうねと聞いた所ですぐに返ってきたもの。ケロッと軽く言ってきた。

 

「あたしなの?前チームに居る頃にドバイ案は確かにあったけど怪我して無くなったし、今は全部白紙になっちゃってるのに」

 

「それは知ってるけど、アドバイザーだってもう行かせないとか伝えて来たわけでもないだろうに。白紙なら、そこに新たに描いていけば良いだけ、と。行きたい場所や出会いたいウマ娘がそこに居るわけだろ?」

 

「……それはそうだけどねー」

 

そうしてパンフレットをトントンとテーブル上で叩きながらまとめるトレーナーを見て、よく口が回るというか気軽に言ってくれるとは思いながらも、その考え自体を否定するようなものは無かったので、そこではそう言っておいた。

 

と、何をすればいいかは分からない中で、とりあえず何かをしていきましょうかとなる環境で、あたしの本格的な夏はスタートしていった。

 

 



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回想のお相手

レース予定の無い7月のあたしは、特別にトレーニング方法に変化が付けられるわけでもなく、今の時期の主役はここからデビューする後輩ウマ娘ちゃんという様子で、その娘らのトレーニングを手伝ったり現地に応援に行ったりの日々。

 

やがて学園は夏休みにもなって授業も無くなり朝も早くからの練習日。

自分の事もあれば他の娘ちゃん用にも準備段階からしっかりと、と誰よりも早く着替えを終えて練習場に来てみると、トレーナーとチームメイトではない底の高い靴を履いた長身で長髪の鹿毛をサラリと流したウマ娘お姉さんが話していた。

 

遠くからそれを確認した後にテテテと近づいていく。すると向こうも気づいたようであたしへと二人の視線が向けられる。

 

「よう、早いな。それで、こちらは……」

 

と、トレーナーが隣のお姉さんに手を向ける。

 

「知ってる。ダンスパートナーちゃんだ」

 

そう、あたしには分かっていた。

そこに居たのはアドバイザーにとっての初G1ウマ娘であるダンスパートナーちゃん。その事をアドバイザーから聞いてから何度かその出場レース映像を観た。今はもうレースからは離れて数年も経って、映像の中にある様子からは変化した年を重ねた大人の風貌をしているけれど、それでも遠くから一目で理解をしていた。

 

「知ってくれているとは有り難いね~」

 

ダンスパートナーちゃんはニッコリと近づいてくるとあたしの頭をワシワシ撫でてきて。アドバイザーから聞いたように映像の中からも伝わったように気の強そうな様子は今も全身から出すけれど、初対面でもこうしてくれる実に話し易そうなお姉さんだと感想を持つ。

 

「アドバイザーから聞く機会があってね」

 

「あら、そう。アドバイザーの事だから何かこう痛い所も伝えられてそうな」

 

「アドバイザーからはね、オークスの話とかその後のローテとか、後は二度目のエリザベス女王杯の事を聞いた」

 

「うん、やはりそれぞれ痛い所が…」

 

ダンスパートナーちゃんはそうして刺さるわ~とも身体を押さえるポーズを取りながら冗談めかして言う。あたしもフフフと笑っているところで傍で眺めていたトレーナーが入ってくる。

 

「初っ端から盛り上がってるな。同じアドバイザー同士、他にも話す事もあるだろうし練習時間まではまだ十分あるし、必要な用意は俺がやっておくから暫く二人で続けてな」

 

それを一度に伝えるとトレーナーは「じゃあな」というようにも手を挙げて去って行く。あたし達も二人で揃ったように「そうしますー」と伝えて再び話を戻す。

 

「それで、ダンスパートナーちゃんは何故ここに」

 

「この後に学園に少しばかり用事があってね。でも、早く来すぎてしまって、せっかくなら後輩ウマ娘達の練習でも見ようかと思ったら、ここのトレーナーを見掛けて捕まえて話していたんだ」

 

「最初のエリ女の時がこのチーム……」

 

「そうそう。最初のチームではオークスの後からライブは出来ても勝てていなくて、このチームに移籍してからまたG1にも勝ててね」

 

その辺りの事はあたしも過去資料を見て知っていた。ダンスパートナーちゃんはこのチームで、あのトレーナーの下で重賞とG1と複数勝利を挙げている。

それならとあたしは口を開く。

 

「ダンスパートナーちゃん、聞いてみたいことがあるんだけれど、いいかな」

 

「どうぞどうぞ」

 

「このチームでレースに出た時ってトレーナーからどんな事を言われた?作戦とか……」

 

快い返事にあたしも迷わず伝えると、ダンスパートナーちゃんは何かに思い当たったように表情を変えた。

 

「そこはアグネスデジタルちゃん、君が言われたのとあまり変わりないんじゃないかな。そっちも何かふわっとした様子で感性に任せたような事を言われた……そういう事でしょう」

 

その通りなのだと深く頷くあたしに、ダンスパートナーちゃんもまた納得したような様子を見せる。

 

「何年経ってもそこは変わらないみたいね。私の時はもう「コーナーを曲がる時にガッ!と!」とかそんな感じで、「そんなの分かるか!」と最初は言いたかったけれど、それでも練習にせよ作戦にせよ言われてきて掴めた感覚を実際にレースでやったら上手くハマったというか、私もどちらかといえば感覚でやる派だから、こうして聞かれても伝え難いというか……役に立てそうになくてゴメンね」

 

「いいの、ウマ娘ちゃんのお話を聞けるだけでも楽しいから」

 

「話に聞く通りのウマ娘好きってところ?アドバイザーからも聞いてはいたけれどこれは想像以上に筋金入りかも」

 

「ここに来る前にアドバイザーとあったの?」

 

「今日ではなくて少し前にね。私も後輩は気になるからね~、アドバイザーも楽しそうに話していたよ、君やスペシャルウイークちゃんの事。そこはそうだよねえ、スペシャルちゃんは王道をばく進してデジタルちゃんもクラス混合G1をジュニアの生徒ながら制するんだから、アドバイザーもそれは充実してるよねって。

 それにスペシャルちゃんとは以前に話した事あるけど、あの娘は真っ直ぐで明るいし周りも明るくするような娘だねって直ぐに分かったし、デジタルちゃんもこうして初めて話していても喋りやすいし、アドバイザーもそういう面で苦労せずにやってるんじゃないかなってね。

 人生どこかでそういう良い事も無いとね、私はかなりの面倒も掛けてしまった方だからね~。その辺り、デジタルちゃんも聞いたんじゃない?」

 

「えーっと、ゲートの件とか……」

 

「ほらね、やっぱり聞いてた。知ってるなら話は早いけど、私はあの狭い所に入るのが大っ嫌いで、入ったら即スタートならまだいいけど、先に入れられて待たされている間とか時間が何倍にも感じられるようで、あーヤダヤダと何度思ったことか。

 でさ、そこを何度もアドバイザーに愚痴ってね、何とか待たないで行けるやる方はないかとか、待たされるならレースなんか嫌だとか言っていたらさ、あの人、何したと思う?

 ゲートは嫌だって強く言ってんのにわざわざ練習場にゲート用意してさ、こっちの拒否権無しで強引に中に入れて閉じ込めて説教開始よ。ワガママ言うなってコンコンと説いてきて、時間にしたら結果数十分だったけれど地獄かと思う時間だった。アドバイザーは鬼か!とも思ったものよ。思うだけで口には出せなかったけれどね。言ったら絶対に地獄の時間が延びると察して。

 そこで私は心に決めた。もうこの人に愚痴るのは逆らうのは止めようと。まあ、その閉じ込めタイムも荒療治というか開き直りに繋がってオークスは勝てたのはいいんだけれどね。とはいえ苦手は苦手なものだから二度目のエリ女の時はやっぱりイライラしたしレースにも負けるんだけど~」

 

ダンスパートナーちゃんは思い出話をケラケラと笑いながらもしていくけれど、あたしはアドバイザーの意外な一面にちょっと表情を固くしながらそれを聞く。

 

「そんな顔するってことはさ、デジタルちゃんには全然そんなことないってところ?」

 

「うん。あたしにとっては人間相手の中でも特に喋り易いなって思うし気軽に日常の事をも報告してる。バカだな~って扱いはされたことはあるけれど、そのくらいかな?」

 

「そうなんだ。あのアドバイザーとそうやりとりできるとは中々やり手だね、デジタルちゃんは。けれど、どこかでスイッチ入ってしまうかもしれないし、そうなったら、いやそうなる前でも他の人に回してもいいと思うよ。私もあそこに居るお兄さんになんてどれだけ吐き出したことか」

 

と、ダンスパートナーちゃんは練習器具の用意を続けるトレーナーを指さす。

 

「私がチームに来た時なんてトレーナー勢の中でも若手ってところで、愚痴や相談も何か答えをしっかり用意してくれるわけではなかったけれど、こちらの気が楽になるような事はやってくれるというか、あまり難しく考えない所が助けになったところあってね」

 

「そうかー、覚えておく」

 

「ぜひそうして。じゃあ、そろそろ私は別のチームでも覗きに行こうかな。このチームの後にお世話になった所にも顔を出しておきたいし」

 

「楽しかったよ、ありがとう、ダンスパートナーちゃん」

 

ダンスパートナーちゃんがそうしてカツカツと格好良い歩きで離れて行くところにお礼を言って。その姿が完全に見えなくなってから、あたしはまだ遠くに居るトレーナーへと視線を向ける。

その姿を追いながらダンスパートナーちゃんにはそうは言ったものの、あたしにはそういう日は来ないかもな~とも思いつつ、まだ続けている練習の準備を手伝いにその方向へと歩いていった。

 

 



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眼前の壁に向かって

夏の日差しが照りつける暑く熱いレースを観ていて気がつけば8月。

 

あたしはずっと淡々と過ごしていたけれど、チームとしては盛り上がりがある日がここのところ続いていた。重賞レースとなると目立つチームではないけれど、他のレースでは勝利が積み重ねられていて、このチームからデビューした娘や他で壁に当たって移籍して来た娘と複数の娘ちゃんがデビュー戦から未勝利戦からOP戦まで毎週喜びの連続。

 

あたしとしてもその姿を近くのレース場で直接に、遠征地の話では映像において見る事は最近の楽しみだった。毎週行われる誰かしらの祝勝会、あたしもそれはしっかりと祝いましょうと細かく準備して、その中心で喜ぶウマ娘ちゃんを見る事は何よりであったし、そんな娘ちゃんから「デジタル先輩の力添えもあって勝てました」と、満面の笑みで伝えられた日には、あと少し何かを間違えるとそのまま倒れそうな程の感情の昂ぶりを覚えもした。

 

そうした言葉が出るのは日頃のトレーニングから同じレースに出る娘ちゃん情報の提供まであたしも手伝いをしたからだからだろうけど、結果が実るだけでも十分なのに、直接に伝えられる事によってこれが先輩ウマ娘としての喜び!と深く実感した日々となった。

 

 

 

 

……その中で気づいた事もある。

 

 

 

チームメイトの喜びを見る中で特にあたしを幸せにするのは自分に感謝を伝えられた時よりも、やはりレースで勝利した瞬間と、そして、場外へと捌けてきてトレーナーにそれを伝える、その時だった。

 

落ち着いて戦場から離れてトレーナーの傍に来てウマ娘ちゃんは改めて自分の勝利を意識するのか、そこで感情を露わにした表情を見せる。あたしはそれが大好きだった。

 

そしてまたトレーナーはトレーナーで全身で喜びを表現して勝者を迎え入れるその姿を、そこに広がる誰にも邪魔が出来ないような空間を、あたしは近頃は何度も何度もこの目で見てきて、そして、思う。

 

 

そこに在るのは、他と何一つ変わらないトレーナーとウマ娘ちゃんとの姿だった。

 

 

喜びの場だけじゃない。

敗戦して悔しさもまた隠さずに帰ってくる娘を受け止める時、トレーニング中の叱咤、これまであたしが目で見てきた中でトレーナー側の感情の出方が激しいとの違いはあるのだけれど、違いと言えるのはそれだけで、他にあるのは紛れもなくウマ娘を育て、引っ張り、導いていこうとする一人のトレーナーの姿だった。

 

あたしが無いと思っていたものはきちんとそこに在ったんだ。

あたしと他と何が違うのか、あたしには感じ取れないものなのか、人の事を分かったようでもまだ力が足りないのか、トレーナーと誰かと、その姿を見る度に痛感するこの頃だった。

 

 

 

そうしている間にも夏合宿の日は近づき、その前に予定されたアドバイザーとの面会の時間となり。

 

夏合宿での宿題があるわけでもなく出発前に顔を見せておけというだけの場、最近のURA界への雑談とかチームでの事などをお互いいつも通りに力も入れずに話していく。夕方から始まり、そして日の長い夏とはいえ流石に外も暗くなってきた頃。

 

「今日はこんなところか。それじゃ夏合宿しっかりやってこい」

 

とのアドバイザーからのお開きのお言葉。

 

あたしとしてもそろそろ終わりだろうとは思ってはいたけれど、これで帰ると次のイベントの合宿がついにやってくるのだと強く意識されたところで、チームのこと、トレーナーとチームメイトの娘ちゃんの事が過ぎって、あたしは顔を上に向け遠くを見つめるようにもなった。

 

「どうした?夏合宿の事で何かあるのか?」

 

アドバイザーはそれを逃さずに、でも、どういう意図なのかは分からないようで不思議そうに聞いてきた。

 

「ほら、あたしチームで一人のG1ウマ娘だし、年下の娘も多いからね。先輩として合宿でもやる事が多くもなるだろうと思ったらね。ちょっとだけしんどさが出たかも。

 ああ、でも、大丈夫だよ。気合い入れなきゃってだけで嫌なわけじゃないから。前のチームでは先輩にそうして世話になって今度はあたしの番だもん」

 

「そういう事か。昇級すればそれも避けられない話だな。年長者として自覚があるのはいいことだ」

 

アドバイザーは納得したように頷いて、あたしもそれを満足して見た。アドバイザーさえもしっかりと欺けたのだと思って。

 

話した言葉は嘘じゃない。でも、心にあったのはそれだけじゃない。

あたしと、トレーナーと、他の娘達と、それだけで過ごす時間の中で起こること、思うもの、それを意識すると気分も身体も重くなるように感じていたんだ。

けれど、それをアドバイザーには言わない。これもまた試練だと、あたしは受け取ったから。

 

 

 

 

そう。これは試練なんだ。

 

 

 

今日になる前、8月になってからもプレストンちゃんと雑談しながら、やっぱり今みたいにチームの事を考えている内にそちらに意識が向いてしまうことがあって。

 

「デジタル、もしよかったら少しウチのチームにリフレッシュに来る?」

 

と、その時はプレストンちゃんに対して何らかの愚痴を言っていたわけじゃないんだけど気づかれる事はあったようで、笑顔でそう提案されてしまった。

 

あたしの返答は「NO」だったけれど。

 

「気を使ってくれてありがとね。でも、これはきっとあたしに与えられた試練だから乗り越えなきゃ。プレストンちゃんのチームなら今なら新人の頃とは違った経験が積めるかもしれないし良い話かもだけど、今は目の前にある事をやらないと」

 

「デジタルなら断るとは思っていたけれどね。それにしても試練か、何かカッコイイね」

 

「修行とか試練とかプレストンちゃんも好きだもんね」

 

「そうだね。前にある壁、それを地道に積み重ねた力で乗り越える、その先に確かな実りがあると思うと心躍るね。デジタルの試練が何かは分からないけれど応援するよ。途中経過でも何でも私に言う事があったら構わず言ってね」

 

「うん、そうさせてもらうよ」

 

なんて話をしながら、あたしはその時に考えたんだ。アドバイザーが今のチームを紹介した事には意味がある。必ずある。

 

そして、チームに入った頃は漠然と思っていただけで分からなかったけれど、こうしている内に思ったもの。

つまりは上手く行かない事、分からない事がいつかやってくるものだということ。それが用意されたんじゃないかなということ。

 

トレーナーの考えが伝わらないというのは他の娘だって言うけれど、それでもチームメイトは勝ちを重ねている。

ダンスパートナーちゃんや他に過去に居た娘の中にはG1を勝った娘だっているんだ。

 

 

だから、あたしも分かるようになって勝たないといけない。それが試練。

 

 

トレーナーを目指す中では、そういう人と行動するのも必要なのだろうと。

そして、どうしたら乗り越えられるのか、これがあたしのこのチームでやることなんだね?と確認するようなこともしない、と、今はあたしの事を気にせずに身の回りの書類を纏めているアドバイザーの姿を見ながら思う。

 

ダンスパートナーちゃんとは違ってアドバイザーに色々話す事に躊躇はないけれど、これを言うのは違うと思うから。

 

G1ウマ娘として、自分の力でやってみせるのだ、やらなければいけないのだと、アドバイザーには気づかれないよう悟られないよう、小さく握り拳を作り決意として自分の中に刻み込んだ。

その奥から滲み出ようとする不安を押し込むようにもしながら。

 

 



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ミナライユウシャのセンタク ここに在り ここに無いもの

やってきた夏合宿。

朝も早くに学園の駐車場に集合しましてレンタカーに乗ってゆらり揺られて数時間。

これから濃厚トレーニングが待っているけれど、車内は楽しいイベント気分で華やかに。

 

そんな周りの娘ちゃん達のウキウキさを見逃す手はないと、あたしは眠い目を擦りながら起き続け、やがて辿り着いたのは、所在地としては全然違うのだけれど海やら山やら競技場やらが周りに揃う、去年経験したものと大きな違いの無い場所であった。

 

一度に色々こなすにはそういった所が相応しいのだろうなと飲み込みながら、宿舎の駐車場にて皆で車に乗りっぱなしだった身体を解して荷物を宿舎内のそれぞれの部屋に運んだ後は、午後に入ってからの時間も経ち遅めの昼食を摂りながら合宿中の予定や注意事項を念押しされる。

 

「という事で解散となるけど、30分後にはトレーニングウェアに着替えて宿舎入口に集合な~」

 

やがて訪れた話の終わりに告げられたもの。

 

「え~~~、そんな話、今なかったのに~~」

 

座るウマ娘ちゃん達から沸き起こる声。

 

「せっかくトレーニングに良い場所に来たんだから時間は有効利用しないとな。そのために昼食だって消化良く、この後に影響しないものを出してるんだから、そこは気づいとけ」

 

それを聞いて「鬼ー」とか「お慈悲を~」と他の娘ちゃんが騒ぐけれどトレーナーは何を言われてもどこ吹く風というように「それいけー」と、その娘達を立たせていくのだった。

あたしはというと予想が付いていたというか「この展開にもなるよね」と「そう来ると思った」となりながら、トレーナーに追われる他の娘を見つつ最後に食堂を出て自分の部屋へと向かっていった。

 

 

そういうわけで合宿1日目の午後は、宿舎からごく近い砂浜をただただ往復して走り続ける地味トレーニングから。曇り空で気温もそれほど高くなく走り易い環境であった事は救いであったけれど、それでも終わる頃には皆ぜーぜーと。トレーナーは座って見守るだけだったのでケロリと。

 

「トレーナーも少しは付き合ってくれてもいいのにー」

 

と、疲れきって座り込み、中には倒れ込むウマ娘勢の中から声が挙がったけれど、

 

「人間が追っていけるわけないだろ~。道路なら乗り物で付いていこうと思えるけど砂浜じゃどうしようもねえしなあ」

 

トレーナーは至極尤もな返しをしつつ、やはり掛けられる言葉には平気な様子でその後を処理していったものだった。

 

そうして日の暮れていき、あたしはトレーニング自体は予想していても身体はしっかりと疲れて皆で夜も早く眠りにつくことになった。それでも合宿に来る前からの悩みが身体を蝕むのか、あたしは一人で何度も途中で目が覚めて良い睡眠とはいかなかった初日だった。

 

 

 

 

2日目は近くの競技場を借り切ってのトレーニング。

整備された陸上競技場だけれど今日は単に走ることは控えめに。身体はバランス良く鍛えようねとキャッチボールやら高跳びやら、走るにもハードル走になってみたり、あまりやらない事を次々とやるのは新鮮で、チーム全体やる気も維持されながら今日の予定を消化していった。

 

その中での休み時間、トラック外に用意されたスポーツドリンクを飲んでいるとトレーナーに声を掛けられた。

 

「デジタルは元気か?」

 

「割と元気」

 

何を考えての事なのかと思いながら現状の自分の状態を伝える。すると、そこに差し出されたバインダー。

 

「それなら少しの間でいいからさ、あっちで幅跳びしている娘らの記録を取っておいてくれないか。すぐ戻ってくるから」

 

「いいよ」

 

既に押しつけられるようにされた物に拒否権は無いなと思いながらも、他の娘に関する頼み事なら聞きましょうと受け取ると、あたしは言われたとおりの場所へと行く。

 

そこで楽しそうにも競技をしていくジュニアのウマ娘ちゃん勢の手伝いをしながら、ふと遠くの木陰を見た。そこにトレーナーの姿を見つけて。

 

少しの時間と言ったからトイレにでも行ったのかと思っていたらそうではなかったようだ。木陰で何か話しているような様子で、そこから少し移動してよく見えるようにすると、トレーナーの傍には一人のルーキーの娘ちゃんがいた。

 

ちょっとその娘が俯き気味で何か怒られているのかなと最初に思ったけれど、トレーナーの方はというとそんな表情ではなく笑顔を見せたり明るい様子で語りかけていて、なんだろうな……とは思ったけれど、そちらばかり気にするわけにもいかないとあたしはあたしの作業へと戻る。

 

トレーニングというには気軽な雰囲気のジュニア娘ちゃん達をそうして面倒を見ていると、宣言通りにやがてトレーナーが戻ってきた。

 

「ありがとなー。ついでにデジタルもやっておくか」

 

「はいよ」

 

他の娘を見ていても楽しそうだったので、あたしも流れに逆らわずに乗る。一度、さっき見掛けたルーキーの娘はどうしたのかな?と気になったけれど、すぐにその娘はその娘で別の場所でまた他の娘とトレーニングしているのを見つけて良しとした。

 

 

 

そうして終了した2日目のトレーニング。

お風呂に入って御飯を食べてとそれからはゆっくりしていたんだけど、夜、飲みたいジュースが売っている自動販売機を探してウロウロと。

 

そんな時、今日、トレーニング中に気になったルーキーちゃんと廊下で出会った。目を部屋着の袖で拭う姿にやや離れた所からあたしが気づいて思わず駆け寄る。

 

「どうしたの?何かあったの?」

 

と、声を掛けながらその娘が歩いてきた方向を見ると、その廊下の先にあるのはトレーナーの部屋。

 

「……トレーナーに怒られたりしたの?」

 

何といって触れるべきかと思ったけれど、あり得そうな所からそっと小声で。それに対してその娘は直ぐに否定をした。急いでともいったように。

 

「そ、そうじゃないです。私の様子が練習中に気になったって声を掛けられて、そこから夜に話そうという事になって。だから今までトレーナーさんに話を聞いてもらっていました。

 同じチームでも別のチームでも同級生は続々と初勝利を挙げているのに、でも、私は勝っていないから、このままで大丈夫かと思って自信がなくなって……」

 

確かに言われてみると近頃のチームの勝利ラッシュの中でも、その娘は何走かしていてもまだ勝ちの無い娘だった。

 

「でも、トレーナーさんに言われて元気が出ましたし、もう大丈夫ですから。怒られたとか全然ないですから」

 

そこだけはきちんと伝えないといけないというように、そのどちらかといえば消極的で大人しい娘ちゃんは必死に話す。

 

「そういう事なら分かったよ」

 

「そういえば練習中に抜けた時にトレーナーさんが仕事はデジタル先輩に任せたから良いって聞いてました。すいません、私の事で予定が変わってしまって……」

 

「それは大した時間じゃないし、それもそれで楽しかったから気にしないでいいよー、あたしも気にしないしねえ。謝るのは要らないけれど、もう少しあたしからも聞いていいかな────」

 

 

そこからあたしが聞いたのは、その娘とトレーナーの話し合いの事だった。事細かく聞いたわけじゃなくて言える範囲の事だけれど。その娘もそこは喋り辛そうでもなく話してくれた。「こんな事を言ってくださったんです」と嬉しそうにもして。

全てを聞き終えて「また明日からも頑張りますのでよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げるその娘を見送った後、あたしはトレーナーの部屋の方を見た。

 

 

あたしがその娘から聞けたのは、ウマ娘をしっかりと導こうとするトレーナーの姿だった。あたしがこれまで知る人達とも違う、10年のキャリアを持つ者のやり方がそこに。そして、その声に応えようとするウマ娘の姿がまた一つ。

 

合宿ではそれをまた知る事になろうとは思っていたけれど、やはりどこにでも存在するものがこのチームにもある。それを再確認して、気にしなくてもいいと伝えた彼女との会話の中でそれだけは気にする事ともなって、この2日目を終える事となった。

 

 

 



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勇者と彼と彼女らとのディスタンス

3日目の昼。

あたしは坂を駆け上がっていた。後ろから追ってくるは別チームのウマ娘ちゃん。

長距離を主戦場とする娘ちゃんでスタミナ抜群なのか、先程チラっと後ろを見れば、まだ涼しい顔をして近づいてきていて。

 

だけれど、そこはあたしも負けられませんよと、前方に後少しで見える坂の上のゴールに向かって全速力。で、どちらが先に出るかのデッドヒートの末、ほんのちょっと僅かあたしが先にゴールテープを切った。

 

「疲れた~~~」

 

できるなら格好良く勝利をアピールしたいところだったけれど、それは無理というほど体力を使い切って、あたしは道の隅に座り込んだ。

 

「お疲れさん」

 

そこでゴールで待機していたトレーナーが近づいてきてその手にあった飲み物と冷たいタオルを受け取るとしばしの休息。回復に勤しんでいると、坂の下からチームメイトともう一つのチームの娘らも上がってきて結果発表。

 

あたしのチームとあたしもお馴染みだったトレーナーの後輩さんのチームとの「近くで合宿やっている者同士合同ロードワークレース」は、こちらのチームの勝ちとなった。

 

最後の区間、距離も長いし坂も辛いと、それならこのレース実績豊富なあたしが引き受けましょうとしたのはいいけれど、スタミナという点で足りない、襷を受け取った時から途中まで余裕があったのだけれど、一定期間を過ぎたところでガクンとスピードが落ちたと自分でも感じて、後ろから攻めてきた娘にどんどん追い上げられて、最後の最後は我ながらG1ウマ娘としての意地での勝利というところだった。

 

まだまだ体力は回復しなかったけれど、勝ちを喜んでいるこちらのウマ娘ちゃん達はそれは嬉しそうで、相手のチームの方も負けとはいっても催しとして楽しめた様子で、ああ良かったと飲み物を片手にあたしはその様を堪能していた。

 

そうして今日のトレーニングは終わりと宿舎に帰って来たら食堂へ。

用意された昼食が少なめだなと思った次に食堂内に運ばれてきたのは、何とも豪華で多くのスイーツ達。チョコやらチーズやらロールやら様々なケーキに日持ちしそうな焼き菓子や冷たいものまで。その瞬間の皆からの歓声は、まるで誰かがG1のゴール板を通り過ぎて行った時のようだった。

 

良いの?本当に良いの?という顔をしてチームメイトがトレーナーを見る。

 

「今日は皆頑張ったからな~。好きなだけ食え」

 

それを合図に他の娘達は「どれにする?」「どれがいい?」とスイーツの乗せられたワゴンに群がって盛り上がる。あたしは食べたい気分より、その娘らを見る気分の方が強く、「いい……」と紅茶のカップを片手に後ろから見守っていた。

 

で、美味しそうに食べる彼女らをも「いい…」とやっている内に、あたしの取り分が無くなってしまったわけだけど。そこはそういう事もあるという事で良かった。

そして、他の娘達が食べ終わってそれぞれ部屋に戻っていっても、あたしはゆっくり喉を潤して過ごしていた。

 

「なんだ、何も要らなかったのか」

 

トレーナーもまた残っていて声をかけてきた。

 

「無いなら無いでもね~。他の娘が美味しく食べられたのなら良いんだ」

 

「それで幸せ感じられるならいいが、有るなら有る方がいいだろ。ほら、俺のまだ手が付けられてないし食えよ。今日の最後を飾った娘に何も無しってのもないだろ」

 

トレーナーはそう言って濃厚そうなチョコケーキの皿をあたしの前に置く。

 

「有るなら貰っておく」

 

「それでいい、それでいい」

 

と、トレーナーは近くにあったポットからお茶を入れると、あたしの傍の席について飲み始める。

 

そこは気にせずケーキに手を付けると、これがまた見た目通りに濃厚で美味しい。このケーキもそうだけど用意された物が一つ一つ飾り付けも綺麗というか、これ絶対値段も高い物だと伝わった。

 

「これってさ、今日勝ったご褒美ってこと?」

 

「そう……と言いたいところだが違うな」

 

食べ進めながら聞くとトレーナーはニヤリと。

 

「勝てなかったら無かった、別の物だったってことはない。今日のレースはこういうトレーニングも有りだろうと、勝ち負けに重きを置いているわけじゃない。走りへの労いとして元から用意していたし、向こうのチームも宿舎は違えど同じ物を出されているはずだ。今回のレースは俺の案だから、そうして後輩に費用も出しているしな」

 

「へえ、ということはつまり……当てたんだ」

 

「……そう来たか」

 

真相を突くように間を開けてズバッと言ってみた言葉にトレーナーはそれに触れてしまうのかという風に。

 

「いや、だって、これ一つ見たって高価でしょ。それを2チーム分なんて当てたんだろうな~ってなるよ?」

 

「当ててねえよ。いや、当てたけど、それを突っ込んではねえよ。突っ込めるほど当てられてねえよ」

 

「そうなんだ。じゃあ他にトレーナー業には時々何か学園から臨時収入があったり……」

 

「それも別に無いけどな。あのな、学園の日常の飲み食いだとかに偶に臨時に増えた分を回すことはあるけどな。夏合宿のように毎年あるようなものに対しては、それ用に長く積み立てたものを使ってるだけだから」

 

「それは失礼しました」

 

何でもかんでも趣味の事に結びつけたのはいけなかったと、そこはケーキは食べつつ頭は下げる。

 

「まあ、思ったより溜まったから気持ち豪勢に行ったのは事実だけどな、この賭けたつもり貯金。それでもこういうケーキって高いよなあ。余ったら他に使おうとか思っていたら底がついて。全然足らなくて赤字にはならないだけ良かったけど」

 

下げた頭を戻したところに聞こえてきた言葉。そのままこちらの様子を気にすること無く喋るトレーナーを尻目に、やっぱり結びつけられるじゃない、関係あるじゃない、そればっかりじゃないと口に入れたフォークを唇で噛みながら思うしかないあたしだった。

 

 

 

 

4日目はまたこのチーム単独でのトレーニング。

今日は基礎をみっちりという様子で面白味には欠ける内容だった。面白いばかりとはいかないのがトレーニングなので、そういうものとして受け止めるものだけれども。

 

そんな日には練習後の癒しの時間が効くもので。汗を一杯流した後に待っているのが裸の付き合い。大浴場を貸し切ってのウマ娘ちゃんパラダイス。

 

トレセン学園内部にいるからこそ経験できるものの中でも最大級、生きてて良かったと思える瞬間。髪も身体も洗いっこしたりなんかして、あたしはもちろんのこと、他の娘ちゃんも無防備にあたしに近づいて触ったり洗ったりの至福の刻。

 

綺麗になった後のゆったり湯船に浸かりながらのトーク。

今日の話題は昨日の合同練習の話からのトレーナー話へとなっていった。

 

あたしは最後のランナーで知らなかったけれど、昨日自分の区間を走りきってゴール地点まで向かう中、後輩さんチームの娘ちゃんとどうやら自然とそうした話に花を咲かせていたらしかった。

 

いつもどういう様子だ、どういう所が良いだどうだのと。

そして、今、第2ラウンド。

 

「若さと見た目なら向こうのトレーナーさんの方がってのはあるんだけどね」

 

始まりはそんな誰かの言葉だった。

 

「えー、年齢はどうしようもなくても見た目からしたらこっちでしょ」

 

「あちらの方が背は高いし全体から出る優しそうな様子がいいなって」

 

「ああ、まさに優男って感じだもんね。そういうのが好みなんだ…」

 

と、まあ、そこからワイワイと。

 

こういう話は前チームではまず起こらなかったなというか、こういう話にはついていけない……となると共に、皆の話すトレーナー像がどうもあたしの見ているものと違うというか、皆がトレーナーに夢を見ているように感じるような……。

 

何だか全然別の人の事を話しているような、他の娘の前では猫被っているのか!とも過ぎりながら、それを口に出すのは野暮というもので、あたしは静かに湯船に深く浸かってその様子を見ることに時間を費やしたのだった。

 

 



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辿り着いた場所

5日目も練習は進む。

あたしも朝からどうもあまり調子が良くなく他の皆もまた溜まった疲れが出てきていたけれど、明日は練習無しで海で遊ぶことになっているし明後日はもう帰るだけなので、トレーニングとしては最終日だと皆が気力で乗り切った。

 

そうして夜になったのだけれど、そこで一旦チームメンバーが集められてトレーナーからの連絡。

 

「明日の海の話だけど、俺はちょっと出掛けなければならなくなったから。

 といって海の話が無くなったわけじゃなくて引率はこの前レースしたチームのトレーナーに任せておいたから、向こうのチームの娘らと仲良く過ごすということで。俺は夜まで帰ってこられないだろうけど、お行儀よくやっておいてくれよ」

 

お楽しみタイムが無くなったわけでもなかったけれど、そこでチームメイトからあがる残念そうな声。

 

「せっかく一緒に遊ぼうと思ったのに」

 

「水着姿を楽しみにしていたのにー」

 

「そんなもん楽しみにするな。30近くなると肉も付きやすくなって人前で脱ぎたくなくなるんだよなあ。とにかく俺は他に用事があってそういう事だから、今日は解散。明日は存分に遊んでおけ」

 

そうして部屋に帰されるあたし達。他の皆は本当にトレーナーと遊ぶ事を楽しみにしていたようで口々にまだ残念がっていて、あたしはそれとは別に思う事がありながら、それをずっと考えながらも、その日は眠りについた。

 

 

 

 

六日目、予定通りに今日は朝から海水浴。

例の後輩さんが迎えに来てくれて向こうのチームの宿舎近くの海の方が遊ぶには合っているということで連れて行ってくれた。

 

共にロードワークもしてその時間のやりとりでも仲良くもなって海ではそれぞれのチームが入り乱れて砂遊びしたり泳いだり。あたしは去年は出来なかった波打ち際の戯れを今年はやれるチャンスではあったのだけれど、水着は着たもののそうする気にもなれなくて、結局上下に服を装着して砂浜から少し離れた小屋の日陰で休んでいた。

 

そこに後輩さんが飲み物を買いにきていて、あたしは気にしていた事があって声を掛けた。

 

「トレーナーの用事って何か知ってる?」

 

チームメイトとの話でも出たように背丈のある目元涼しい後輩さんはさらに爽やかに笑いかけてきて。

 

「それは言うわけにはいかない……なんて事もなくて、こちらも知らないんだよ。今日1日必要な事があるからと頼まれただけなんだ」

 

「そう……」

 

「ああ、でも、何か突然の事件が起きたとか悪いことではないのは確かだから、心配することはないと思うよ。他の娘はもう遊びに夢中のようだけど、デジタルさんはチームの中でも年長者になるし、そういう事も気に掛かってもしまうかな。けれども本当に何も心配せずに遊んでくるといいよ」

 

見た目通りに後輩さんは優しく語りかけてきて、あたしがこうしているのも他の娘にもこの人にも悪いなとも思って、あたしは立ち上がると後輩さんへと会釈をして皆が遊ぶ中へと向かっていった。

 

それでも遊びに集中する気にもならない心境で、どうもキリキリとしてきた内臓を抱えながら過ごしていった。

 

 

 

夕方になり、また後輩さんの車であたし達の宿舎の方へ。

まだトレーナーは帰って来ておらず、あたし達だけでお風呂に入って御飯を食べてとなっていったのだけれど、あたしはお風呂に入るまではまだ良かったものの、食事を目の前にしても食欲が湧かなくて少し手を付けただけで終わり、その後は部屋で横になっていた。

 

食事中にはトレーナーが帰ってくるまで後で一部屋に集まってゲームでもしようか、なんて話になっていたのだけれど、あたしはその気は湧かずに、といって部屋にこのまま一人居るのも他の娘も気にするだろうと「ちょっと外で風に当たってくるから皆で遊んでいてよ」と笑顔を作って外に出た。

 

 

 

 

 

真夏で、まだ少しの明るさが保たれた中を歩く。

詳しい街でもなく特にどこに行こうという場所もなく当てもなく遠くにいくわけにもいかないので、宿舎の近くの海壁の下、初日に走った砂浜へと降りた。

 

周りに誰かの影もなくこれ幸いと、海壁へと背を付けながら思う。

この合宿でずっと考えていたことを再度。

そうするだけでまたお腹の辺りが痛む。

 

 

 

 

 

 

身体も、精神も、もう限界だ。

 

 

 

 

何とかこのチームで、あのトレーナーの下でやっていこうと、大きなレースに勝っていこうと思っていたけれど、あたしに課せられたものだとしてきたけれど、今それをやる事は無理だ、と悟る。

 

今回の合宿、始まる前から予感はあって、そして過ごしていく中で現実に改めて感じることとなった他の娘との違い。他の娘はしっかりとトレーナーとウマ娘として、世界のどこにでも存在するような形で歩めているけれど、あたしには出来ない。

 

何とかトレーナーの事を理解しなければと、この合宿中に前向きになれるような所を見つけようと、努めていつも通りに過ごしつつ観察していたけれど、これから先の気力は残っていない。

今回この時において、それはもうできないのだと私に分からせる事だけが起きた。

 

これまでも随分といい加減だとは思ってきていた。

それでもまだ付き合えるとも受け止められていた。

 

けれどもだ。

今回大事な合宿中まで、トレーニング日じゃないから良いと思ったのかどうか分からないけれど、何の用事かも分からないけれど、それでも前々から決まっていた日程の中でチームの事を放って一人でどこか行くとか、これまでの中でも分からない。トレーナーとしての姿勢が理解できない。

このままここで続けていく……それを思うだけで、全身が重く沈むようなしんどさが襲ってくる。

 

トレーナーの方だって、あたしの夢を後押ししようとかいう考えは無いんだ。もしかしたらG1ウマ娘が加入するなら何でも良いくらいにしか思っていなかったのではとさえ今は思う。

だから他の娘と受けるトレーナーの印象も違って、このまま居れば居るほどその違いを、あたしだけ思う居心地の悪さを覚えるだけになるかもしれない。

 

勧めてくれたアドバイザーには悪いけれど、あたしだって頑張りたいとは思ってもこれ以上は頑張れない、と。これまで何も反対などしてこなかったけれど今回はあたしから言わせて欲しい、と。

 

明日帰ったら、その足でアドバイザーの所に行こうと、その時、その瞬間、遠い海の先を見ながらあたしは遂に心に決めた。

 

 

 



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対面

すっかり日は沈み暗くなった砂浜。近くの道路を行く車も少なく静かな中、あたしは海壁の近くで屈み込んで、視界の遠くの方に打ち寄せる波を見つめていた。

帰ったらやる事は決めたけれど宿舎に戻る気にもならず、今は何も考えずにいたかった。

 

そこにコツコツと海壁に造られた階段からの音。

それを気にせずにいられるほどの無心にはなれずに、その方向を見る。

 

そこには今一番出会いたくはなかった人物がいた。

 

「よう、デジタル~」

 

そのまま降りてきた人──トレーナーは、あたしの隣に同じように座り込む。

 

「帰ってきたら他の娘らが一斉に俺の所に来てさ、何事かと思ったら皆デジタルのこと気にしていたぞ。「「大丈夫」だって言っていたけど元気が無さそうだった」って」

 

組んだ腕の中に顔の下半分を隠しつつ隣からも顔を背ける。

トレーナーの方を見たくなかったし、結局のところ他の娘に心配を掛けてしまった気まずさもそうさせていた。

 

「大丈夫……本当に大丈夫だよ。ちょっと風に当たりたかっただけだし」

 

「そうは言ってもな~、そこに理由はあるだろう?」

 

「……別に無いもん」

 

顔を覗こうとしてまで言ってくるトレーナーに対して、もっと顔を背けて答える。

 

「その返答じゃ無いようには見えないんだよなあ」

 

その声の後で砂を踏む音が小さく聞こえて視線を向けると、トレーナーは立ち上がりあたしの前方に数歩ほど足を進めていた。

 

「なあ、デジタル」

 

また顔を腕の中に埋めて下を向こうかとしている途中で、呼ばれた声にはつい反応してしまい前を見る。トレーナーはこちらを振り向くことなく海の方へと身体を向けたままだった。

 

「俺も気づいてなかったわけじゃないんだけどな。……その、あまり無理はしなくていいんだからな」

 

こちらを向くこともなく続けられた言葉に、あたしは顔を上げて視線の先にいる人からは見えない場所ながら首を傾げる。

そこまでずっと会話をしたくはない気分に占められていたけれど、本当に何の事だか分からない話には追及したくなる。

 

「……どういうこと?」

 

あたしから出た困惑をしっかり受け取ったのか、トレーナーもまた意外そうな顔をこちらに向けてきた。

 

「いや、ほら、ウチでG1ウマ娘はデジタルだけで、他にもこれまで他チームでのノウハウが物凄くあるというか、他の娘らから頼られている所あるじゃないか。

 俺も最初に「頼られるかもしれないからよろしく」とは言ってしまったし。そこで俺も甘えすぎたかなというか、デジタルに頑張らせすぎたかと思って……」

 

聞き終えて、あたしは口を開けながら声は出さずに何度か小さく頷く。

この人は、あたしが他の娘ちゃんの世話で疲れたと思っているのかと、そういう事かと、心の内で思いながら。

 

それに関しては先輩ウマ娘は大変にもなるねと思う事はあったけれど、他の娘ちゃん達の役に立つのなら苦しく思うわけじゃなかったし、このチームにいる中でのむしろ癒しの部分であって。

 

「そこは無理なんてしてないけど」

 

何とも的外れだったものに抑揚なく反応する。

 

「本当に?」

 

「本当に!ウソついてもしょうがないじゃない。忙しくなかったと言ったら嘘になるけど無理なんかしていないし。そういう事はあたしの楽しみの一つだったの!」

 

次には語気を強めて、最後には思わず立ち上がりながら伝えていた。

この人は何なのかという思いが、冷静に言い返そうともしていた気持ちを乗り越えていった。

 

「それじゃあ、何が……」

 

悩み始めた存在にまた顔を背けようとも思ったけれど、身体にその力も残っていない様子でそのまま動かず見る。そうしている内にも苛立ちが積もっていって眉間には力が入って睨み付けるようにもなっていく。

 

「……もしや、俺?」

 

ついに察したようで、己を指差しながら言ってくる。

あたしはそれは無視もせずに伝えるしかないと、ゆっくりと力強く一度頷いた。

それを見て戸惑いの様子は隠さずにこちらへと近づいてくる人。

 

「俺の何がそこまで?どこがそうも不機嫌にさせてるんだ?」

 

そう言われてあたしはそこで目を逸らした。

自分の事とは察しても何かとか気づかない人物に対して、もう言葉を交わしたくはなくて。

 

「それだけ言って黙るのは無しだぞ。言ってくれないと俺には分からない」

 

いつも見てきたよりは真剣な顔で促されるけれど、あたしは黙ったまま俯いた。

もう口を開きたくなく、何も言わずにここから、この人から離れたい思いが強くあった。

 

それでも言われないと分からないのだろう、言わないと解放されない。

どうせこれが最後になるのなら、この際だという思いもこの状況から湧いてもくる。

 

「あたしは……」

 

まず一言を出したところで眼前の人は次の言葉を待つように立ち続ける。

 

「あたしはトレーナーの事が分からない」

 

「おう」

 

その言葉にも特別大きな反応は見せずにいるだけだったけれど、あたしは一度声に出したことで、そこから堰を切ったように、自分でも止められぬと、溜まりに溜まったものを外へと向ける。

 

「レースの事だけじゃない。トレーナーといると、なんであたしはこのチームにいるんだろうって。トレーナーはなんであたしをチームに引き入れたのかってなるの」

 

「そこはアドバイザーから話があって……」

 

「それで?G1ウマ娘が来るならこんな機会そうは無いしラッキーって!?トレーナーになりたいとかバカなこと言ってる奴だけどって!?」

 

あたしの言いたい事がどういうものだか明らかに分かっていないような返答をする相手に、少し前までには心にあった、いくら他に人気のない場所でも静かに話そうとの思いは掻き消えて、つい声も大きくして言ってしまう。

 

「は?いや、待て、待てよ。俺の事を分からないと言うが、俺からしたらそっちの方が何の事だかさっぱりだ」

 

「だって、最初に会った時から笑ってたじゃない!」

 

叫びのようにも出てしまった言葉。

周辺の空気が震えたようにもなった後には何も存在しないような静けさが訪れる。

トレーナーは何も言わない。あたしも大声を出すと共に興奮した身体を整えるように息をつくだけにする。

 

それから海壁上の道路を何も知らない車が幾つか通り過ぎて行く音の後、ようやく砂浜の上の間が破られた。

 

 



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互いを識る刻

「……つまりは、なんだ。デジタルがチームにやってきた日に笑われた事をバカにされたと否定されたと思っていたと、そういうわけか。それが、その後のデジタルの行動に繋がっていた、と」

 

凄まれたわけではないのだけれど、声が先程までとは変わってゆっくりと低くなり周りにも緊張感が走ったようで、あたしもドキリとして息を呑む。

 

「他の事について分からないと言うのは良い。だが、今の事は見逃すわけにはいかない。聞かせてもらうがな、アグネスデジタル。初日がそうだったとして、それ以降にそうも思える何かがあったのか?」

 

あたしはそれを左右に首を振り否定する。

 

「それはない、けど……。最初そんな風で、でも、それからはあたしがトレーナーになるなら~みたいな事も言うし、そういう部分がまたよく分からなかったというか……」

 

「なるほどね。それじゃあ、次だ。デジタルの言う通りなら、担当ウマ娘の目指す所を良しとしない、G1ウマ娘が加入するならという打算しかない相手にアドバイザーが紹介をしたという事になるが、デジタルのアドバイザーがそんな事をしでかすと思うのか?俺を、あのアドバイザーの前で良い顔だけして隠し通せるような奴だと思えたのか?それなら買い被りすぎってものだ」

 

どちらの問いにもあたしは再び否定をする。アドバイザーなら当然細かく考えているだろうし、その段階からの間違いは犯さないと思う。そして、トレーナーの言うような展開も想像し難かった。ずっと見てきたトレーナーの様子ではアドバイザーは簡単に見透かすと思う。

 

「仮にそんな器用に生きられたとしても俺はやらないがな。なぜなら、それは全くもって面白くない」

 

それは切り捨てるような手振りを付けながらキッパリと。

 

「面白いって……」

 

張り詰めた雰囲気の、トレーナーもまた過去に無い重々しい様子からのそぐわないような単語に思わず触れてしまう。

 

「何かおかしいか?俺は人生、面白く楽しく愉快に生きたい。そういうものを選んで行きたい。この世界そんなことばかりとはいかないけどな。その中で自分を偽って、好んでもいない考えの相手に積極的に付き合っていこうとは思わない。レース結果で俺のトレーナーとしての評価が上がるのだとしても、そんな我慢までしなければならない上の事だったら俺の割には合わない話だ。

 思い違いをさせたのは悪かった。しかしだ、俺の考えはあの日から何も変わっちゃいない。言葉通りにデジタルの目標もデジタル自身も面白く興味深いと思っているだけだ。そこは伝わったか?」

 

伝わりはした。あたしが見ていても、そういう生き方をしている人なんだろうとは伝わってきていた。それについてあたしは何も言えない。あたしも周りをウマ娘ちゃんに囲まれて愉快に生きて行きたいと思って学園に来ている、そのための夢を掲げている。

 

そして、トレーナーの最初の反応とそれ以降をまた考えてみると、今のこの言葉が嘘を言っているようには思わない。だから、そこで大きく頷く。

 

「何かがあると思っていたら、そういう事だったとはな……。はあ、参ったよ……」

 

トレーナーは腰に手を当て顔を下に向けて大きく息と言葉を吐き出すと、次には肩を揺らしてククッと笑い始めた。あたしは何も言わなかったけれど、直ぐにトレーナーはハッと気づいたようにそれを止めてこちらを見る。

 

「って、俺のこういう所がいけなかったんだろうな。今のも別にデジタルの事を笑ったんじゃない。俺自身を笑いたくなっただけだ。俺の行動一つで色々と手間を掛けさせてしまったと思ったらな」

 

「……アドバイザーに何か言われたの?」

 

トレーナーの言葉の中に、あたしとトレーナーだけのものではない。他に何かがあったのだろうと分かるものを見つけ、あたし達の間にあるものといえばと思ってそれを拾う。

 

「アドバイザーか、確かに言われたものはあったな。しかし、助言としてデジタルに関してどこをどうした方が良いと言われて今日だって来たわけじゃないからな。安田記念が終わってアドバイザーとも話し合う中で言われたのは「デジタルの事をどう考えているか、向き合っているのか」、それだけだ。

 俺としてもレース敗戦の結論としては、そもそもデジタルとの対話が足りなかったんじゃないかと思って試行錯誤はしたんだけどな。どうもデジタルには日常の会話のレスポンスは早いし的確に言い返してもくれるのに、レースの事や肝心な部分になると黙り込む。全く何も言ってくれないのなら俺も対応の仕方があるけれども、デジタルが俺の事を分からんと評するのなら俺もデジタルがそうした所が何を考えているのか分からんよ、と。

 だから、分かりそうな人間に助けも求めた。最初のチームの方は楽だったけどな、後輩だから。学園内でちょくちょく捕まえては話を聞いて、デジタルの面倒を見ている時の事から、ここ最近の事も。ほら、あっちのチームに仲の良い娘いるだろ……えーっと……」

 

「プレストンちゃん」

 

「そう、エイシンプレストンだ。その娘に会いに練習終わりに来る事もあって結構話したっていうからさ、その辺を聞き出した。そうしたら「気兼ねなく話してくれるし今はシニアとしての自覚もあるし難しい所ある娘には思いませんけどね」って軽い反応でな。それでは解決しない、あいつだけでは埒が開かないと、次にも勿論行った。

 そこでも言われたのは「日常の事で困ったことがまず無い。身体作りやレースの事に専念できる娘だった」と言われて。いやー、本当ベタ褒めだったね。どこの優等生の話をしているのかと。「これは果たして同じウマ娘の話をしているのか?」と思うくらいにな。そうして色々と駆けずり回ってみた後で、事の発端を辿ればあんなやりとりからのものとはね。もう少しでも気づくのが早ければ担当でもない後輩まで巻き込まずに済んだかと思うと……」

 

参ったねえ……と再び自分を蔑むようにも笑うトレーナー。

あたしは最後の言葉が引っかかってそこに話し掛ける。今日も会った後輩さんの所であたしのリフレッシュ期間を作ろうだとか計画でもしていたのだろうかと。

 

「後輩さんに何か頼んだの?」 

 

探りながら慎重にともいったあたしの一方でトレーナーは笑うのを止めて別段重くも考えていないような顔をひょいと向ける。

 

「何かって今日の事だよ。1日面倒を見てもらっていただろう。ウチはデジタル含めて何かやらかす心配がある娘がいるわけじゃないし、向こうも深刻には考えずに引き受けてくれたけどな。気の良い後輩だよ、本当。それでも、そもそも決まっていた向こうのチームの予定を一部変えてもらうことにはなっちまったし、自分のチーム以外の面倒を見るなんてどうしても神経を使う話になるからな……」

 

「さっきの、会いに行っていた話って今日だったの!?」

 

「ああ、そうだけど?そんなに驚くような事か?俺の都合なのに俺の良いように時間を作ってもらうわけにはいかないだろ。元々接点の少ない現場を離れた大先輩に頼むともなれば尚更。話を聞かせてくれる事に対しては快く了解をもらえて良かったけどな。しかし、この夏も予定が詰まっている、まだ身の回りの整理や今後の事への準備があるそうで。まとまった時間を取れるのが今日しかないと、だから朝から車飛ばして往復してきたんだよ。」

 

「なんでそこまで……」

 

いい加減だと、決めた予定も放って消えてしまう、どうしようもないものだと思っていた。それが、他の何よりもあたしの事を優先した結果だなんて思ってもみなかった。

 

「なんでって、そりゃデジタルの事を分かりたかったしな。思いつく事は何でもと手を出した。どの方法も答えが見つけられたわけでもなく、とっとと今のような話を出来ていれば最良だったんだろうがな。

 まあ、俺の時間と労力の消費なんてどうでもいいよ。デジタルも気にするなら他の事を気にしておくといい。今日会いにいっても、現場から離れたといっても自分の手から離れたといってもデジタルの事とても気にされてたぞ。この2戦の様子が悪いのも、前チーム在籍中の怪我が影響しているのかとか細かく聞かれて。俺のせいでそんな心配させる事となって申し訳ないとしか言い様のない話だがな。

 今日頼んだ後輩も俺が何をしに行くかも知らせなくても引き受けてくれて、他の娘らも踏み込んで聞こうともせずに問題なく過ごしてくれて、今も今でデジタルの事を本当に心配していたんだからな。俺もデジタルも、環境には恵まれているに違いない。そこに感謝しておかないとな」

 

話し続けるトレーナーを見ながらあたしは考えていた。今日ここまで抱えていた身体の痛みとは違う痛みが自分の中にあると感じながら。

 

 

 

 

 

アドバイザーはトレーナーにあたしと向き合っているかと聞いたようだけど、あたしもそうしないといけなかったんだ。

 

トレーナーはあの日、出会った時の事をしなければ良かったと思っているようだけれど、それが起きたとしても、その場で修正は効いていたはずなんだ。

 

トレーナーが笑わなければ良かったというのなら、あたしもそこで言えば良かったんだ。

 

前のチームの始まりの日だって他の娘の話を聞いて合わないかもしれないという思いも出ていたけれど、どうしようかと迷いはあっても、今聞く事が大事だと、その場でちゃんと聞けていた。

 

あの頃は、そうして言えたんだ。

笑われた事なんて今回が初めてだったけれど、きっとその頃に起きた事だったら言えていたんだ。

怒るなら怒るで、その場でやれていたはずだ。

 

アドバイザーに出会って、チームに在籍できる事になって、それからは誰にも悪く言われず進んできて、いつの間にかあたしは肯定される事が当たり前のように思っていたのかもしれない。

 

明らかに否定をされたわけでもなくて、ただ笑われたとそれだけを気にして、大事な時に黙って、トレーナーの事を分からなければならないと言いながら、心のどこかで何を言っても無駄のように諦めを含めて、自分から何かしようとしたわけではなかった。

 

試練だなんだ、G1ウマ娘としてどうのこうのと大きな事を言いながら、自分から動こうともせずに拗ねていた、今日決めた事だって一度でもぶつかろうとも欠片も思わずにアドバイザーに伝えて終わらせようとしていた、先輩だ大人だなんて所からは遥か遠い位置にいるようなウマ娘。

 

その自覚をして、あたしは俯いてその場に立ち尽くした。

隣のトレーナーを意識すると自分が情けなくなるようで海の方を向いて。

 

 

 

 

トレーナーももう笑うのを止めて波の音だけが響く。

それから何往復目かの波が去った後、隣から声が聞こえた。

 

「デジタル、こちらを向いてくれ」

 

静かな呼びかけ。姿は見えていないけれど、その声からこれから大事な事が言われるのは分かる。

 

先程までとは違った意味でトレーナーの顔を見たくはないのが正直な気持ちだった。

 

でも、あたしは向かないといけない。

トレーナーがどんなことをしても見てくれようとしたのなら、あたしも向き合わないといけない。

 

意を決して身体を向ける。

 

向けたからにはしっかりとトレーナーを見る。そこからは初めて見るような眼差しがあたしに向けられていた。

 

何を言われるか、速まる心臓の音を聞きながらそれを待って。

少しの間の後、トレーナーもまた決意したかのように閉じた口をゆっくりと開いた。

 

 

 



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あるいは想いでいっぱいの海

「アグネスデジタル。俺に時間をくれないか」

 

トレーナーはそうして深く頭を下げた。

 

何を言われても仕方が無い、トレーナーがどうだったとしてもあたしのしてきた事は褒められたものじゃない。

今も夜に一人抜け出して、そんな自分の我儘さを責められる事も覚悟の上だったけれど、あたしが想像していたどれでもないトレーナーの行動に、これもまた意味が分からなくなる。

 

「ちょっと待って。顔を上げて。なんでそうなるの」

 

「なんでって、その様子だと「俺の所ではもうやりたくない」っていうものだったんだろう。その意思は分かるが、出来るなら猶予を貰いたいと思って……」

 

「確かにそれは考えてもいたけれど、今はそうじゃないというか……。アドバイザーにそうしてお願いするなら分かるけど、こんな……小娘にそんなことしなくたって……」

 

物事を分かった気になっていただけのウマ娘、その考えからふと口から出たものだったけど、今のあたしを表すならそれがなんと的確だろうと強く思う。

 

「小娘か。まあ、小娘だな。デジタルは自分の事がよく分かっている。まだシニアに上がって1年も経っていない、背伸びだってすることもない小娘だ」

 

自分から言い出した事だけれど、こうも連発されると自分への情けなさを煽られるようで顔が赤くなるのも強く感じる。それでも今のあたしにはそこに何も言えやしないと聞き続ける。

 

「でもな、そこにこうしたらいけないなんて話もルールもどこにもないだろ。アドバイザー相手に必要なら勿論する。その時が来たらいくらでも頭も下げよう。しかし、それで済ますわけにはいかない。俺は、アグネスデジタル自身からの許しを得たい」

 

真っ直ぐな、強い意志を持つ眼で見られて、今はあたしが子供なだけだったのに……という気持ちが強くて、その眼を見てしまうとより自分が恥ずかしくなるような、出来るならそれから逃れたくはなるのだけれど、そうする事はさらに幼いものになるだろうと眼を逸らさぬようにする。

 

それでも口からは何を言って良いか分からずに、あたしはギュッと口を結んだままになってしまう。トレーナーはそれで何かが変わる事なく、少しの揺るぎもない様子であたしの前で続ける。

 

「俺に言い足りないものがあるから聞いてくれ。改めての自己紹介だ、最後まで聞いて、そして、アグネスデジタルの答えを聞かせてくれ」

 

出会ってから初めて、いや、それだけじゃなくて、これまで出会ってきた人達の全てからしても初めてみるような真剣な表情で貫くような視線を向けられて、あたしはそれでも逃げてはいけないと、その眼を見返して頷いた。

 

「初めの日にそこは忘れずに伝えたと思う、デジタルのマイルCSの事を。俺はああいう勝ち方が好きだ、と。だから、何度も見た。元々そうした戦法を取ってきてはいない、芝で結果も残していないのに、大レースにおいて、その日その瞬間の自分自身の判断でやりきったウマ娘の姿をな。

 

 そこで年が変わって春も近づいてきた中に飛び込んできた移籍話だ。俺から興味あると外にアプローチしていたわけでもない、そこには驚き興奮もした。けれども、トレーナーという立場からしたら、そこで気軽に喜んで引き受けて……ということにもならないんだ。デジタルに限らず、あのチームにいた娘なら基礎から丹念に教えられていると分かる話で、その辺りの問題はないと言えた。勝利から暫く離れて別のチームへという話ならよくある話だ、俺だってそれなりの期間この世界で食ってる自負がある、自分のやり方を持っている。

 

 だが、デジタルの場合は言うなれば上り調子での移籍だ。G1に勝利して次も悪い負け方をしたわけでもない。故障も後に大きく影響するようなものでもなかったしな。前のチームで日々過ごす生活態度に問題があったわけでもなく、チーム解散からの移籍。こんな例は俺も初めてであるし、学園内でもそうは無い話だ。誰かに頼れば良い方法が聞けるようなものでもない、俺が引き継いで良いものか渡されたバトンを上手く受け取れるのか不安は消せずにあった。

 それでもせっかく声を掛けられたならやってみようと思った。「思いきりの良さを買った」と言われて良い気分になっていたのはあったしな、そこは。

 

 それからアドバイザーから詳しく聞いて、デジタルは将来的にトレーナーになりたいと聞かされて、そこでまた俺は立ち止まったね。それもまた聞いたことない話で。先にも言ったように面白い話だとは思ったが。そんなトレーナーが世の中に居ても良い、いや、居た方が面白い。しかしながら、面白いと思ったところで俺がそこに何が出来るかと言ったら別の話だ。トレーナーになった後なら後輩の相談にも乗っているし考えつくアドバイスはある。だが、これからトレーナーになろうとする、ウマ娘としてもレースで走る、それを両立させる相手につきっきりでどういった対応をするのが正解なのか全く分からなかった。

 

 自分で言うのもなんだが過去にウマ娘からアドバイザーから注文を付けられ易い、同僚のトレーナー、先輩にも後輩にも大雑把だなんだと言われる、そんな奴が大きな夢を持つウマ娘にどうしたら良いのか、考え抜いた末にトレーナー業の諸々を俺を一つの例としてくれればと開けっ広げにもしていく程度しかできなかった」

 

トレーナーはそこまでを、あたしのレースの事に触れる時はいつものように楽しく軽そうにも、あたしに対してどうしたらいいかという所ではその顔に影を落としながら伝えて来た。あたしもその全ての言葉を取りこぼさないように聞き続けた。

 

あたしがトレーナーに対して考えを続けていると、トレーナーは服の襟を正すようにして、そしてあたしの方へと真っ直ぐに立つ。

 

「アグネスデジタル、俺はこんなトレーナーだ。良家のエリートでもない、経験豊富な年長者でもない、こんな術しか知らない相手だ。デジタルからしたら、それは物足りないものがあっただろう。俺の所に来てから余分な時間を使わせ遠回りさせもした。今日一つの事が分かったからと、これからはデジタルの事を分かってやれるなんて言えやしない。それを知った上で良ければ……俺に機会を与えてもらいたい」

 

そして、再びあたしに向かって深く深く頭を下げる。あたしが何も言わないと、ずっとそのままでいそうな様子で、けれどもあたしも伝える言葉が見つからなくて、一言だけ伝えた。

 

「……今、少し考えさせて」

 

「分かった」

 

トレーナーはそうして体勢を戻すと、あたしの方を見るのも止めて海の方へと身体を向ける。

あたしも身体は同じように向けて、今の事、これからの事を考える。

 

 

 

 

そのためにまずはこれまでの事を思い返していた。

 

最初のチームでも次のチームでも、どちらのトレーナーもあたしの夢を肯定してくれていた。

アドバイザーが言うには最初は「色々な目標を持つルーキーに出会いたいから」、次は「目標があって進める娘ならば歓迎」と。

 

それはきっとあたしの夢が別のものだったとしても同じだったのだと思う。

二人とも快くトレーナー仕事についても教えてくれていたけれど、他の夢でも他の娘であっても、そうしてウマ娘の行く道を器用に整えて歩き易くしてくれる人達だったのがこれまでだったんだ。

 

トレーナーだけじゃない。

その傍に居るウマ娘ちゃん達だって、未熟なあたしが迷わないように惑わないように、いつもそうしてくれていた。

 

アドバイザーはあたしがトレーナーになりたいと、その事に興味を持ってくれたけれど、やっぱりあたしが不安にならないように何かを隠すようだったり先回りをするようだったり、そうした場面は幾つも思いつく。

 

そうして今まで舗装され造られた場所を誘導されもしながらあたしは通ってきた。自分でそうだとも気づかずに。

周りのおかげで進んでこられたとは分かっていなかったわけじゃないけれど、綺麗な道を通る内にそれがいつでもどこにでも在るものだと、心のどこかで決めつけていたのかもしれない。

そうして自分から何かをすることを忘れ、かつて出来ていた事さえできなくなっていた……

 

 

そして、これからはそうはならない。今、隣に居る人はそうじゃない。

 

 

これまでのように道を造ってくれるわけじゃない。

導いて引っ張って後押しするなんて、そこにはない。

そんな事はできないかもしれないとまで伝えてくるほど不器用で。

 

 

それでも、あたしが良いから、それが良いから、一緒に行こう、と。

 

 

今そうなったわけじゃなくて、初めからそういう事だった、そう伝えてくれていたんだ。

 

あたしと他の娘とトレーナーに対して思うものが違うのは、あたしが他の人達とも違うものを思ったのは、それだけあたしが違う夢を持っているから。それならばと、どんなことでも格好悪いところでも余さずにあたしには見せてくれていたんだ。

 

 

それが分かって、体中から力が抜けたようになって、あたしはその場にしゃがみ込んだ。

足はまだ砂浜をしっかり踏みしめられているけれど、そこから上は制御も効かなくなっていくようで気がつけば両目の下が濡れていた。

 

顔を隠すようにもして手で拭うのだけれど、それでも止まらずに更に溢れてくる。

グズグズと鼻もすすって、ついには口からもしゃくり上げるような音が出るようになって。

 

収めないといけないのに、こんな事になる自分も分からなくて、どうすればいいのか分からなくて、膝を抱えた腕の中に顔を埋めて、あたしは泣いた、泣き続けた。

 

 

 

 

「悪い、泣くほど嫌なら話は変わる。そこまで嫌だとは思っていなくて……」

 

あたしは顔を挙げられなかったけれど、トレーナーが近くまで寄ってきてくれたのは分かる。

その声は本当に申し訳ないともいうように発せられていた。

 

「嫌……じゃない……」

 

涙は全然止まらなくて、それでもここで間違って伝わることだけはいけないからと、何とか出せた涙声で言う。

 

「それなら、なんで泣くよ……」

 

「分かんない……」

 

ほんの少しだけ顔をあげて目だけで傍に居たトレーナーを見る。どうしようもなく困ったような様子をしているトレーナーを確認すると、さらに泣きたくなるようですぐにまた顔を隠す。

 

あたしも泣きたくなんてなくて、しっかりしないといけないと思うのに、身体がそうさせてくれない。トレーナーにも言ったのも紛れもない真実で、自分でもどうして泣いているのか分からなかった。

 

意地を張っていただけの自分にとことん情けなくなったのか、もっと早くに出来ていた事があったのにという後悔なのか、誰かにこんな感情をぶつけられたのが初めてでそれを受け止められていないからか。

そのどれかかもしれないし、全部かもしれないとも思いながら、あたしは泣いていた。

 

「流石に本人が分からないものを俺が理解するのは無理だな。……それでもそのままとはいかないから、この程度はさせてくれ」

 

その言葉と共に顔を隠す腕に何かがふわりと当たる。チラリと見ればハンカチが差し出されていて、あたしはそれを掴むと濡れに濡れた顔と手とを拭いた。

 

だからと流れ出るものは止まらずに、あたしはその大きなハンカチを顔に押し当て声を殺して身体を小さくしてしゃがみ込み続けた。トレーナーは何も言わず何もせず、ただその傍に居てくれていた。

 

 

 



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決断

暫くしてようやく涙も落ち着いたのだけれど、「その顔でまだ宿舎の中に戻るわけにもいかないだろう」とトレーナーに言われて駐車場へと。

あたしはレンタカーの助手席に乗るように促されて、そのままトレーナーとのドライブ。

 

街中から離れて坂のある峠を行くこと十数分。

この道の先に何があるのかと思っていたら、まだ山の中腹の、休憩場所も造られた広場で車は止められる。他にも何台も駐車は出来るように場所は取られているけれど、あたし達以外の車は無い。

 

トレーナーが何も言わずに降りるものだから、あたしもそれに沿って降りて後をついていく。

行った先は屋根付きの休憩所ではなく、それより先の山の切り立った崖。柵が長く広く設置されていて、そこにもベンチが幾つか用意されていた。

 

トレーナーはベンチに車から持ってきたリュックサックを置いて中からペットボトルを一つ取り出す。

 

「水分が減ったなら戻しておかないとな」

 

そう手渡された物をあたしが受け取ると、トレーナーは柵の方へと。あたしも飲み物の蓋を開けながらそちらへ向かって、トレーナーと同じようにその先を見る。

 

そこに広がるのは夜景。

人の生活する様を伝える家々の光をまず確認して、そこから視線を遠くに移せば湾が広がって、そこは夜にもなり光も少なく静かに水を湛えている。

左側へと目を向けると、今あたし達が通ってきたような道が在るだろう山々があって。右側には逆方向の暗がりとは違う、近くに見える光とも違う、煌々とした人工的な光を放つ建物が広く存在していた。何色もの彩りも伝えてくるその場所をあたしは何かな……とも思いながら見る。

 

「デジタルも分かるか?あの辺、特に良いよな。どこの会社だとか詳しく覚えてないけれど、こんな時間まで働いている工場群の夜の中に出す存在感。あれが好きでね、ここに合宿に来る度に一人で考えたくなることもある時なんかに来ているんだ。

 この地域で夜景ならガイド誌にも載ってるような場所が他にあるんだけどな。そっちもそっちで綺麗なんだけど、いつ行っても誰かいるし、俺としてはこちらの方が……というか、ここが俺のとっておきだな」

 

トレーナーはこちらに向けて二ッと笑って、また視線をそちらの方に。あたしも飲み物を含みながら、さらに各所の説明をするトレーナーと景色とその両方に注目する。

 

「とっておきだけあって綺麗だね」

 

「だろ?と、このまま立って見ているのもいいが、少し座って話すか」

 

「いいよ」

 

言われた事には迷わず答えて、トレーナーの荷物が置かれたベンチへと座る。

あたしが先に、トレーナーが次に座ったところで、トレーナーはあたしの方を見る。

 

「……それでだ、デジタル」

 

「うん」

 

「さっきの話の続きなんだけどさ、とりあえず来年もこの場所に来ないか。そこまでやって、デジタルがどう判断を下そうとそれでいいから」

 

その提案にすぐに考えを巡らせる。

しかし、今は離れたいと思っているわけじゃないけれど来年を区切りとの案にどう言おうか答えは出ない。

 

「考えとく」

 

「今日の今日だからな、そこは考えておいてくれるだけでもいい」

 

 

そこからはお互い話題もなく何か言う切欠もなく間が訪れた。

トレーナーは黙って視線の先にある柵の向こうの景色を見るようにしていて、あたしは現在のこと、今後の事を考えていく。

トレーナーと同じように景色を見ながら、横にいるトレーナーを気にもして、そして、ふと上空を見上げた。

 

「あっ」

 

その時、空を通った光に思わず声が出た。

 

「何かあったのか?」

 

と、トレーナーもまた上空を見上げたところで光が走る。今度は続けていくつも。

 

「おー、流れ星な。やけに多いけど何かそういう日だったかな……まあ、いいや。

 調べるよりもこのまま見ておくか、こんな事も珍しい」

 

あたしもその意見に賛成で、二人で夜空を見上げる。

澄んだ空の中をそうしている間にもいくつもの星の筋が光っては消えていって。

そこにトレーナーから口を開いた。

 

「こんなに多く流れるなら願い事を言えば言うだけ叶うかもしれないな。せっかくだからやっておけばいいんじゃないか、デジタルは」

 

「あたし、そんなに欲深くないけどな」

 

「そうか?色んなウマ娘に近づきたい会いたい知り合いたいって言ってるだろ。中央、地方と国内だけじゃなく海外にだって興味があるって。それなら「ウマ娘ちゃんに会いたい~」だとか言うよりも場所も限定して言っていった方が良さそうじゃないか」

 

「一理あった」

 

「なっ。で、もし海外に出るなら、まずはどこだ?前に案のあったドバイか?」

 

トレーナーがまた一つ流れる星を指差して言う。

 

「それもいいけどプレストンちゃんが興味あるっていう香港もいいかな。一緒に行ってみたい」

 

あたしも続けて指差して。

 

「他には地元のアメリカかね」

 

「それも欠かせないね、じゃあ次はイギリス」

 

「フランスも行っておかないとな」

 

「後はアイルランドとか」

 

「オーストラリアってのも有りだな」

 

あたし達が次々と挙げていく中、星も止まらずに流れていく。

そこであたしは空を見るのを止めてトレーナーに話し掛けた。

 

「あたしが海外に行くとするのならトレーナーは全部引率に来るの?」

 

「当然、そっちの方が断然面白いからな。現地トレーナーや周りの他のトレーナーになんて任せたくはない。学園の留守を預かってくれそうな後輩には数も恵まれているものでね。そこに関してはウチに居る限り心配するな」

 

「そっか。んで、言葉は大丈夫?あたしは英語さえ使えていればどうにかなりそうだけど」

 

それには「うっ…」と痛い所を突かれたかのようにトレーナーが表情を変える。

 

「……せっかく調子良かったのに現実に引き戻すなよ。まあ、そこについては善処いたします」

 

トレーナーはあたしに向けて頭を下げる。

そうして何かを頼む時には期待に沿おうとする時には、まだまだどうってことのないウマ娘に対してまでこんな事をするトレーナーに向けての続けての質問をする。

 

「トレーナーは何か夢ってないの?」

 

「俺はこれといってなあ……。さっきも言ったように愉快に楽しく生きられればそれで良いから」

 

「そんなざっくりした願いだと星も叶えてくれないかもしれないねえ。それでもさ、何か一つくらい無いの?」

 

トレーナーは何かを思うように遠くを見た後に、あたしの方をまた見直す。

 

「……そうだな、まあ、ダービートレーナーにはなってもみたいかもな。この世界にトレーナーとして生きる者に存在する願いとして」

 

「良いんじゃない、それで。でもさ、単なるダービートレーナーだと普通過ぎるよね。せっかくなら2度とか、いや、2年連続!とか言ってみたら?」

 

「あのなぁ、ダービートレーナーになるのがどれだけ難しいのか知ってんのか。1度の名誉ですら何度も挑戦してもそのために全てを注ぎ込んでも届かなかった人さえいるのに、複数回なんていったら簡単に数えられるほどで、そこからさらに2年連続とか……」

 

「そうは言っても出たじゃない。スペシャルウィークちゃんとアドマイヤベガちゃんとで」

 

「それが長い長いURAの歴史の中でも快挙なんだからな。あの人ならやるってやつというか、驚きもねえというのもあるんだが。しかし、あの人、あのチームは枠組みから外れている、あれだよ、生きるレジェンドってやつなんだよ。そこで起こったからと他に当てはめられるものじゃないんだから、そこは分かっておけよ」

 

「簡単じゃないのは分かってるよ。あたしも大きな夢を話したんだし、そっちだってそのくらいの方が面白いでしょ」

 

「……そういう言い方をされると弱えな」

 

そこで負けたとも言ったようにフッと笑うトレーナー。

あたしはその顔をじっと見つめた。

 

「どうかしたのか?」

 

「んー、トレーナーはあたしの夢に付き合ってくれるけれど、ダービーだとあたしにはもう出場資格も無いし何も出来ないねえ、と思って」

 

「これだから止めようかと……」

 

ポツリとも漏らされたもの。

聞こえないくらい小さく言ったつもりのようだけど、あたしにはばっちりと聞こえていた。どうやらその辺りも気を使ってくれていたらしい。

 

「そんなことは気にしなくてもいいんだよ。あたしはトレーナーの夢を聞きたかったんだから。あたしには獲れないのはどうしようもないけれど。

 それだったら……あたしはそうなるのを近くで見ておこうかな。猶予は来年と言わずに再来年まで。その内に2回ダービーは行われるしね」

 

「おいおい。最短なら確かにそうなるけど、どれだけの難問を課す気だよ」

 

「夢は大きく!」

 

「そうは言ってもなあ……」

 

困ったともいうように髪を掻くトレーナーに、あたしは笑いかける。

そこで、ここまで話してきて思った事、これから先の事について考えてきた事を言うならここだと心に決める。

 

「あまりにも難しいのなら、もっと期間が延びてもいいよ」

 

「え?」

 

意味が分かっていないような声を出して目を大きく開くトレーナーに、あたしはもっと笑いかけて。

 

「レースの作戦とか他の事だってトレーナーの事を分かるには2年じゃ足りないかもしれないからね。ううん、もっともっと必要だ。そうしてトレーナーの事が分かるようになったら他の色んな事も分かるようになっているかもしれない。そのくらい経験を稼げそうな気がするからそうしたいと思う。海外に行くにも短期担当の誰かとやりとりしなくて良いというのは、あたしにとっても凄くいい話」

 

「一体俺の事をなんだと……。まあ、そこはいいとしてもだ、アドバイザーが何と言うか分かったものじゃないだろ。他の誰かの所で経験積んだ方がいいとか言われたらどうする?俺の所で長い期間を考えているとは伝えられている、2年ほどならどうにかなるだろうが……」

 

「アドバイザーだってその辺り説明したら分かってくれるだろうし、きちんと向かい合っていれば多分OKしてくれるよ、あたしも結果としてちゃんと見せるから」

 

「言うねえ……。まあ、俺もデジタルみたいなのといれば各地に行ける上に、これほど好き勝手言ってくれる、レース前にも何考えてるのか考えていないのか分からんウマ娘の理解ができるようになれば、トレーナーとしての経験値が随分と溜まるようには思うがなー」

 

「ほら、トレーナーにだってお得な面あるでしょ。前にトレーナーも言っていたじゃない。こんな持ちつ持たれつ、それでどう?」

 

人差し指を突きつけながら、これがあたしの考えなのですと、これが結論なのです!とぶつける。

トレーナーは顔を反対方向に向けて目を閉じて考えを進めるような顔をして、やがて息を吐きながら口角を上げてあたしを見る。

 

「俺から言った手前、それを否定するわけにもいかないか。何を言っても返されるし、たまったものじゃねえな。けれど……それも面白いってものかもしれないな」

 

「そう、きっと面白い!」

 

「そこは”きっと”では駄目なんだよなあ」

 

「じゃあ、確実に面白い!」

 

「それならよし。それじゃあ互いの利が一致した所で、今日のところは帰りますかね」

 

「うん!」

 

それが区切りの言葉となって、こちらに差し出されたトレーナーの手を取って立ち上がると、どちらが先を行くでもなく並んで歩きだした。

 

 

 

 

 

 

そうして車の傍までやってきてトレーナーが運転席に回る。

あたしは助手席の扉へと手を伸ばしながら、一度ふと空を見上げた。

 

先程までの不思議な程に多く流れていったものは無くなり、邪魔する雲の一つもない空の中で星々が静かにそれぞれの場所で瞬いていた。

大きな光、小さな光、その様々な煌めきが、あたしの生きる世界を表しているようにも見えた。

星の名を持つ集まりの元、多くのウマ娘ちゃん達が夢へと向かっていくトゥインクルシリーズ。

 

その中のどんな輝きにあたしはなれるだろうか。

 

そう思った時、これまでで一番の長く尾を引いた星が一筋、明るい光を放って通っていく。

それに気づいた瞬間、何よりも先に、あたし達の夢が叶いますように、と、強く願ってあたしはその星を見送った。

 

その流星が完全に通り過ぎて消え去り、もう次の星が流れる事もない空を少し見つめた後に顔を戻せば、車内からトレーナーがこちらを気にしているのが見えて、あたしはもう何も迷わずに扉を開いてトレーナーの隣へと乗り込む。

 

 

そして、あたし達は明日からの”面白い”に向けて走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──未来に二人の夢は叶うのか、その時その傍に誰がいるのか、それはまた別のお話──

 

 

 

 

 



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─エピローグ─ ミナライユウシャのクラスチェンジ 親愛なる者へ

秋、10月末の日曜日。あたしは控え室にて勝負服へと着替えて姿見で細かな部分の確認中。

 

「あー!もう好き勝手に言ってくれるよなー!」

 

と、そこに届いた大きな声に顔を向ければ、小さなテーブル周りに置かれた椅子の一つに座ったトレーナーが天井を仰いでいた。その手には今日の新聞を掴んで。

 

あたしはといえば声にも驚かず、トレーナーの言葉そのものに対しても、そこに何が載っているのかもまた疑問に思う事もない。というのも、あたし達が今日という日を迎えるまでには色々と起きていたので、何の事だろうという予想は簡単につくものだった。

 

 

夏合宿を終えて再始動。

こうなればとことんやろうじゃないかと、あたしもトレーナーも互いに包み隠さずいこうじゃないか、という所で一致してレースの作戦一つでも納得いくまでの話し合いが行われる事となり、まずは9月の船橋でのダート1800・日本テレビ盃。

ここ2戦の結果が結果なので不安視されていたところもあったけれども、2着の娘ちゃんに3バ身差を付ける快勝。

 

10月に入っては、盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯。

ここでは1番人気に推されて期待通りに勝利。G1レース2勝目。

 

調子を取り戻した事については「怪我明けが響いていた」だとか「春の結果を受けて夏に鍛え直した」とか言われもしたけれど、誰も本当の事は知らずに言っているものだと、その様子をあたしは眺めるだけだった。

 

身体の状態はずっと良かったし合宿後もトレーニングが何か変わったわけではなかった。ただ対話が増えただけだったんだ。

おかげでレースに挑むには以前のチームに居る頃よりも時間がかかる事になって、南部杯の時は誇張を抜きに倍は掛かったし、話し合いの途中に「もうそろそろ納得してくれないか?」ともするトレーナーにもきっぱりとNOを突き付けて、作戦の細かな部分までレースの直前までみっちりとやった成果が出たというのが真実なのであった。

 

そうして今月上旬のレースを終えて、さて次走となり、そこで提案されたのが今日のレース。

 

言い出しっぺはアドバイザー。

元は11月のレースに出ようかと、マイルCS連覇も考えられれば、今年はジャパンカップダートに行ってみるか、なんて話もされていたのだけれど、南部杯に勝ったことで実績条件をクリアして出られるG1レースが出来たと、11月に入る前にもう1戦できると、色んなタイプのレースに出てみるべきの方針にも合っているから、との案だった。

 

それを聞いたあたしはと言えば、アドバイザーの言う事にはもう大概の事は驚かないつもりでいたのだけれど、それは流石に仰天したものの、反対するつもりも毛頭なくテンションは上がるお達しだった。

というのも、そのレースには昨年から今年にかけてシニアクラスの中心に居ると言って良いテイエムオペラオーちゃんとメイショウドトウちゃんの出場するレースであって、同じ場でレースが出来る、その長く熱いバトルを繰り広げてきた二人を至近距離で堪能できるなんて、あたしから申し出たいようなものだった。

 

トレーナーもダートで成績を残した後の再び芝、そして距離は2000と伸びるということで驚きがゼロだったようではなかったけれど、そうしたチャレンジ精神もまた面白いということで、あたし達3人の意思は問題なくまとまったのだった。

 

しかし、あたし達3人が盛り上がる話題であっても、どうも世の中というものはそうではなくて、そのレースに関しては以前から別の話題で盛り上がっていて、そこにあたしが出ると言ったものだから何だかおかしなことになった。

 

そのレース、軸に据えられるのはやはりテイエムオペラオーちゃん。

夏にはメイショウドトウちゃんの背中を見る事になったけれど、二度とそうするつもりはないともいうようにインタビューにも熱が入っていて、あたしも聞きながらこれだからテイエムオペラオーちゃんは良いよね、としたり。

 

メイショウドトウちゃんも一度勝者となったのなら席を明け渡す気は無いというように早くに参戦を決めて順調に調整を進めていて、また今回この二人のこの関係性にどんな萌えエピソードが生まれるのかと、あたしはそれを考えるだけでも身悶えしたり。

 

そして、二人のそうした物語が長く描かれてきた中で、別の物語が新たに記されて欲しいとの想いも世間にはあって。

その期待として注目を集めていたのがジュニアクラスのクロフネちゃんだった。

 

海外出身ウマ娘として初の栄冠を目指して挑戦したダービーでは敗れたけれど、その実力は広く認められるもので、二人の中に風穴を空ける、新時代を担うのはキミだ!とも言うように、雑誌やTVでも大きく取り上げられているのを見た。

 

でも、そのレースで海外出身ウマ娘が出られる枠が限定されていて、誰が出られるかとなればそこは過去実績がポイント換算されて決められるのだけれど、メイショウドトウちゃんがまず確定として、残り一枠、あたしとクロフネちゃんとではあたしの方が実績が上となり出場が優先される……そういう話になるのだった。

 

そうして世の中が盛り上がっている所へと、世界から望まれていたシナリオの途中へと横入りしてきた空気の読めない存在、なんていうものがあたしを表すものとなって。

レース日が近づいていくほどに出場自体が邪魔とか、ダートに籠もってろとか、新たな幕開けを見るには期待できないんだから己を知れとか、様々な言葉があたしへと投げかけられることになった。

 

 

だから、今日も今日とてよくこんなに色んな表現ができるな~というものがトレーナーの手にしているそれにあるのだろうと分かりながら、あたしは傍に寄っていく。

 

「そんなに凄いこと言われてる?」

 

「内容はこれまでと変わっちゃいないがな。飽きもせずよく続くよ……ってところだな」

 

「なるほどねえ、見せて」

 

トレーナーの手にある新聞をさっと奪い取るとテーブルの上に乗せながら紙面を確認する。

見てみれば確かに世の中の声や評論家があたしに触れている。それはどれも単に出場するあたしではなく ”本来出るはずの存在を押し退けてまでやってきた” あたしとして。

 

「ホントだ、言われてるね~~」

 

「まるで他人事だな、わざわざ確認して楽しいものでもねえだろうに」

 

「それはそうだけど、でもさ、こっちを見てみてよ。

 人気投票としたら4番目にはなれそうじゃない。上から数えた方が早い位置にいられるなんて良いことだ。応援してくれる人もこんなにもいるんだよね」

 

「羨ましいほどにポジティブなやつ……」

 

トレーナーはテーブルに片肘を付いて羨望と脱力を混ぜたかのようにして笑う。

そこであたしは紙面からは完全に目を離してトレーナーを見た。

 

「それにね……」

 

「ん?」

 

「もし全然人気が無くてもそれでもいいんだよ。だって、トレーナーはいつだって勝てると思ってくれているでしょ?」

 

「そりゃそうだ」

 

「だったら、あたしは平気。

 何を言われたって、どんな状況だって、もしかしたら自分以上に信じてくれる誰かが傍に居れば大丈夫なんだ…………と、グラスちゃんも言ってた」

 

「……グラスちゃん、ね。どうもカッコイイ事を言い出すと思ったら受け売りか」

 

「グラスちゃん”も”だよ!あたしだってちゃんとそう思ってるし理解しているし」

 

「へいへい。にしても、そういう発言を聞くとデジタルはあのチームできっちり育った、あのチーム出身の娘!って気がするわ」

 

「拗ねないでね?」

 

「拗ねてはないです」

 

と、完全にやれやれといったようにしてトレーナーは広げられた新聞をたたみ始めた。

 

「さて、そろそろパドックに向かった方がいいだろ」

 

「そうだね、でも、最後の作戦会議もやっておきたいかな」

 

「作戦っつっても、今回はそれはアドバイザーと事細かくやったんだろう?

 俺の入り込む余地が無かったんだよなあ……」

 

「拗ねないでね?」

 

「だから、拗ねては、ないです」

 

そうしてトレーナーは「とてもじゃないが大レース前の雰囲気じゃねえな……」と呟いて、「これだから良いってものか」と続けての口元を緩めながらのものに、あたしもまた同意しながら思う。

 

トレーナーの言う通り、今回のレースで大きく動いていたのはアドバイザーだった。

出走を決める所から始まってその先も。

 

あたしが出走する事についてはトレセン学園内からも色々と顔を顰められながら言われていたようだった。クロフネちゃんの周りの人からそれ以外にも。

 

でも、そういう人達に対して出ると言ったら出るんですと強い意志で対応してくれて他の人達も分かってくれたようで、あたしは出場登録されることになったんだ。分かってくれなくてもルール上の問題は無かったものだけれど、そうした流れで。

 

今回のそんな話の中で、あたしは学園内の人から聞けた話もあった。

あたしがどこのチームにも所属できずに試験で落とされ続けて居た頃、それを見かねてどこかのチームを紹介してあげようか、という人は居たのだと。所属させるチームにもトレーナーにも当たりを付けて、それではあたしに話をしようか…と決まりかけのところでアドバイザーが登場したそうで。

 

そんな、どこにも行く所が無いから可哀想だとかいう気持ちで動くものじゃない。

あたしの夢を少しでも無謀と思うのなら止めておいてくれ、と、ストップをかけて。

 

そして、自分が面倒を見ると、あの娘はやれる娘だと、渡すのか渡さないのかどっちだと、返答を悩む相手にも最後には半ば強引に話もつけたそうで。

 

そんなことアドバイザーは一言も言わなかったけれど、今のあたしならちょっと分かる。

最初からそういう話だって知っていたら、そんなに期待をかけられているのを分かっていたら、あたしが調子に乗るのも早かったかもしれない。今ここでこうしてもいられなかったかもしれない。

だから、アドバイザーのやり方で正解だったと納得できる。

 

そうして今回のレースを迎えるにあたって、手続きからレースそのものにしてもアドバイザー中心に動いた。あたしが出場することを誰も何も後ろめたく思う必要はないけれど、出るからには勝たなければならない。アドバイザーはそのためにどうしたら勝てるのかを注ぎ込み、アドバイザーの考えの元、あたし達は今日までやってきた。

 

けれども、もちろん全部がアドバイザーによってというものじゃない。

日々のトレーニングまでアドバイザーが……というものではないし、学園の内側において様々動いてくれたのがアドバイザーなら、外側からのものについてはトレーナーがあたしの前に立ってくれていた。

 

URA界の内側が納得の様相を見せても、これまで盛り上がっていた部分が急に遮断された界隈はなかなか収まりがつかず、登録されてからが本番とも言えるものだった。

そこでウマ娘自身が何かを言えば面倒事になると、この件について対応は任せておけとのトレーナーの出番。

 

内側の事をアドバイザーが「出るんで分かってください」と、片付けたのならば。

外側の事はトレーナーは「面白いから良いじゃないっすか」と、片付けてもいたのだけれど。

 

それがまた「言い方ってものが」とか「何考えているか分からない」だとかトレーナーも言われることになったのだけれど、そんな事は言われ慣れているとばかりに各所からの声をあしらっていたトレーナー。

 

あたしの周りのウマ娘ちゃんが「デジタルのトレーナーなんなの?」と理解不能とばかりに言ってくる事もあったけれど、あたしもあたしで「そういう人なんだ、いいでしょ」と流してきた。

 

そう、あたしにとってはそれが良かった。

それらしい理由で矢面に立たれるよりも、尤もらしい理屈で説得されていくよりも、面白いから良いじゃないか、と、あたしもそれが世の中というものに対して言いたい事であったので、代わりに言ってくれるトレーナーが何よりも良かったんだ。

 

外に向けてどれだけ言っても様々な言葉が届くもので、それには面白くないものはどうしてもあったのだけれど、それについてはトレーナーと共に「こんなに面白いのにね!」とチーム部屋で吐き出しあったりしていたら楽にもなって、無理なく無駄なく今日という日を迎えられることにもなった。

 

だから、あたしはレースに挑む前のこの時間に、トレーナーの言葉を最後に進んで行きたかった。

 

「ねえ、いいでしょー。アドバイザーが作った案でもトレーナーだって全面同意したわけだし、トレーナーの案でもあるってことでー。あたしはあたしのトレーナーから聞きたいわけなんだよ~」

 

トレーナーは話しかけても服の袖を引っ張っても気の進まなそうな顔をしていたけれど、ここは引きたくないとしつこく続ける。

 

そうこうしている内にパドックに向かわないといけない時間が近づいてきて。あたしは部屋のドアの前に向かいつつも、諦められずに後一押しをする。

 

「ほらほら、もう行かないといけないしー」

 

立って立ってともいうようにジェスチャーすると、トレーナーはついに椅子に手を付きながら立ち上がる。そのままゆっくり歩いてくると、部屋のドアの前、あたしと向き合う。

 

「さあ、トレーナー!あたしはどうしたらいい?」

 

右拳を強く握り眼前に立つトレーナーに突き出すと、トレーナーはそれを掌で包んで掴む。

 

「会議なんてもう要らねえ。こんな小娘は小難しいこと考えずに、最後のコーナー回ったら観客席に向かって走ってこればいいんだよ!」

 

「分かった!」

 

お互いに、これでいいとニヤッと笑い、あたしはその手を下ろす。

そのまま後ろ手にドアを開いて廊下に出た。

 

そして、ドアに手を掛けてゆっくりと閉めながら、自分でもいつもより少しの興奮を感じる身体を抱え、この自分のとっておきを見せてくれた眼前の人にのみ意識を集めて、あたしもあたしでとっておきを返そうと、きっともう他の人にはしないだろう挨拶をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、行ってくるよ。────ちゃん」

 

 

 

 

 

 



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伝説は始まる

そのままパタンと隙間も無く閉じられたドアは開かれることはなく、あたしは一人パドックへ。

何名かの出番があった後でのあたしの番。

あたしはいつも通りに登場してみるのだけれど、反応がいつもとは違って他の娘とも違う、どうにもザワザワしたものが。

届く視線も声も認めるようなものだったり異を唱えるようなものがあったり、その辺りの違いはあっても、そのどれもが ”あの” アグネスデジタルが出てきたと、出走を決めてから今日までの出来事があった故の事だとあたしへと強く伝える。

 

それもまたあたしには分かっていたと、まずは舞台上で一礼すると「そう、これがそのアグネスデジタルなのです!」とばかりに胸を張ってのアピール。

 

それにまた「あんな事までして出るのなら勝ってみろよ」という後押しだったり、「周りの気持ちというものを考えないのかしら」という、まるで禁忌の何かを見るかのようなものも受けたけれど、色んな考えが在るのもこの世界だからと、その全ての声や感情を受け入れながら、あたしは出番を終える。

 

次はチームメイトの娘ちゃん達からのお見送り受ける。

パドックの様子を見て何だか沢山心配されてしまったのだけれど、「そういうものだからどうってことないよ」と笑う。

彼女達を元気付けようと頑張ってそうしたわけでもなく、あたしに言えるのは本当にそれだけなんだよ、というものだった。

 

あたしの様子がそうしていつも通りだからか、チームメイトもすぐ安心したようで、あたしも良かったと手を振って別れを告げる。

 

 

そして、地下バ道へと。

入り口から少し歩いていったところで、あたしは足を止めた。

何かがあったわけでもないけれど、一人になって少し今日の事を振り返りたくて。

 

あたしが思い返していたのは控え室から出る時のこと。

あたしが部屋のドアを閉める、その時のトレーナーのこと。

 

初めてそう呼んでみた、あの瞬間に、トレーナーはギョッとするような顔を見せ、そして、「まあ、いいさ」とでも言いたげに目を細めた。

 

まったく、ああいう顔をいつもしていれば後輩さん達とばかりつるむこともなく、おモテにもなられるとも思うんだけれどね、なんて思いながら、その最後の表情をまた思い返す。

 

「デジタルさん」

 

そう立ち止まり考えていたところで背後からの声。

振り返ってみれば、そこにはメイショウドトウちゃんがあたしを見下ろすようにしていた。

 

「やあ、ドトウちゃん。こんにちは」

 

「はい、こんにちは」

 

「それで、あたしに何か用?」

 

「お一人でいらしたのでご挨拶をと。楽しそうにも笑っているようでしたけれど何かありましたか?」

 

「ありゃ、顔に出ちゃっていたかな。ちょっとした思い出し笑いというところで」

 

そこからは調子はどうとか、あたしがドトウちゃんをぐるりと回って勝負服チェックをしたり、互いにリラックスしているなとウフフとも笑い合っているところに来訪者が。

 

「ボクのライバル達が何か大事な話し合いかな?」

 

と、登場したのはテイエムオペラオーちゃん。

 

「ライバル達って、あたしも入ってるの?ドトウちゃんだけなら分かるけど」

 

「当然さ。ボクの行く所にいるウマ娘達は皆がライバルだからね。

 それにアグネスデジタルくん、キミにはレース前に目立たれてしまったけれど、本番ではそうさせるわけにはいかない。主役はボクだよと、ここで宣戦布告ともいこうかな…………なんてね」

 

テイエムオペラオーちゃんは、あたしのすぐ傍にまで近づき力の入った目でこちらを見つめた後に、ふっと力を抜くようにして笑う。

 

「キミの事を気に掛けていたのは事実なんだけれどね。

 ボクとしては誰がボクに挑んで来ようと平等に退けるだけなのだけれど、妙な騒ぎになってしまったのはいただけないなと思っていた。それで、キミが今日もその辺りを意識していたらどうしようかとも思っていたけれど、どうも要らぬ心配だったようだ。

 キミはボクのライバルとして相応しい。先程こちらに向かってくる時に見えたキミは、とても良い顔をしていた。これは手強い相手だと間違いなくボクに伝えてくるようなね」

 

満足そうに頷くテイエムオペラオーちゃんに、いやいやどうもと頭を掻きながら反応する。

 

「さてと、ライバルへの警戒を強められたところでボクは先に行かせてもらうとするよ、それでは」

 

テイエムオペラオーちゃんは手をサッと挙げて颯爽と地下バ道を進んでいく。

その後ろ姿を少し見た後に、あたしは傍のドトウちゃんに話しかけた。

 

「褒められて嬉しいけれど、あたし、そんな顔してたのかな」

 

「それについては私も同感ですよ」

 

「自分だとよく分かんないな。前のチームにドトウちゃんと居た時期に比べると全然違う!って感じ?」

 

「はい」

 

ムニムニと自分の顔を揉んでもみるあたしにドトウちゃんはニコリとしながら肯定をする。

これまでの道程で自信がついたのか真っ直ぐな背中で。

それを見てあたしも過去を思うとドトウちゃんと居る頃はマイルCSよりも前でまだ重賞ウマ娘でしかなかったなと過ぎって口に出す。

 

「G1ウマ娘にもなって、こう貫禄というものもついたのかな、あたしも」

 

「うーん、それもあるとも思いますが、オペラオーさんが触れたのはそういった事ではないと思いますよ。そして、私からも。デジタルさんが変わったというのはそうでしょうけれどね」

 

そうして再びドトウちゃんはニッコリ。

 

「えー、それならどういう事だろう……」

 

「それはいずれ分かるのかもしれませんよ。では、私もこれで。後はレースでお会いしましょう」

 

首を傾げるあたしにドトウちゃんはフフッと意味深に笑いかけ、そしてテイエムオペラオーちゃんを追いかけていった。

二人が仲良さそうに話す姿を見て、やはり生で見るべき完成された関係と後方での理解者顔の後に、あたしは二人の姿をただ目で追う。

 

 

 

今日、あたしは二人を追い抜こうと思う。

あの背中の先へと行こうと思う。

 

その決意をして二人から視線を外し地下バ道の奥を見る。

そこであたしの中に浮かんで来たのは、これまで勝負服を纏い進んで来た数々の道だった。

 

NHKマイルCでは、初めてのG1、初めての勝負服に、気持ちも足取りもフワフワと。

ジャパンダートダービーでは、チームに朗報を!と勝ち気に逸って突き進んで終わって。

マイルCSでは、訪れた緊張にプレストンちゃんと並びながら道を意識しないように歩いた。

安田記念は、これでレースに向かって良いのか作戦はどうかとモヤモヤしたものを抱えつつ。

南部杯は、トレーナーとじっくり話し合い頭に叩き込んだ作戦を確認しながら。

 

その全てを思い返して、再び意識が今在る道へと戻る。

 

そこにはかつてのどこにもなかった、全く違う道が今日このあたしの前にある気がした。

道の先が光り輝くようにも存在していた。

 

ドトウちゃんはあたしを変わったと言うけれど、変わるとしたらこの道を行った先なのではないのだろうかとも思う。あの先から始まるものがあるんじゃないかと思う。

 

そこで大きく息を吸って吐く。

それもまた過去のどの時の経験とも違う不思議な落ち着きを感じて。

最後に、ここでする事は終わりだとの切り替えに片手の手袋をしっかりとはめ直す。

 

 

そして、あたしはその光の先へと、あたしの戦場に続くたった一つの道へと、その一歩を強く踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───天皇賞(秋)が始まる──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






と、アグネスデジタルの戦いはこれからだ!となったところで、このアグネスデジタルの物語は終了となります。

クラスチェンジには向かえどもシンノユウシャとなるには時期尚早、ここから世界への旅と数々の熱い戦いが待ち受けているはずですが、それが第二部として出たりは無いとだけは、ここに記しておきます。
どうにも打ち切り話のように思われるかもしれませんが、当初の予定通りの着地点となります。
ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
どこか疑問に思う点などありましたらお伝えください。





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