アラモスの観測者【完結】 (ノノギギ騎士団)
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私が町へ来た理由

 断崖の街、アラモスタウン。

 きっと衛星写真があれば、青と緑が濃い街であることが窺えるだろう。

 大河の中島のように佇む町を見据え、長い橋を渡る影がふたつあった。

 ひとり。

 一度立ち止まり、背筋をただす。視線を高くするとホウと息を吐いた。

 

 これから、あそこへ向かうのだ。

 

 それにしても。

 

「ハァ……ハァ……長い橋だ……」

 

 片手に杖を握りながら、額の汗を拭った彼は隣をてくてく歩む彼女を見た。

 彼女は彼が追いつくまで橋の欄干から眼下の湖と見紛う大河を見ているようだった。

 

「広い湖を渡しているなぁ。ずっと昔の橋だろうに、よくこれほどの巨大な建築物を……。これだけでアラモスタウンが観光資源だけで成り立っているだけの理由があるものだ」

 

 感心して石造りの柵を撫でる彼女は、身を乗り出すほど真剣に見つめている。危ないぞ、と声をかけつつ彼は再び歩き出した。

 

「ゴーディ氏と言ったか……彼は腕の良い設計士であり、先見の目がある賢人だったのだろうな。ポケモンの力があったとはいえ、素晴らしいものだ」

 

「うんうん、本当に……あ、ほら、ポッポが飛んでいるぞ! おーい!」

 

「元気だな……。はあ。いいかい、パンジャ。私達は観光に来たわけではないのだ」

 

 彼は、ぜいぜいと苦しい胸を押さえた。

 彼女――深青の髪を揺らしたパンジャは、冗談めかした抑揚のある声音で答えた。

 

「もちろん。我々の研究のためだ。分かっている。分かっているとも。ただ、アオイが意外に苦しそうで見ていられないんだよねえ」

 

「見苦しくて悪かったな! あと運動不足で本当にすまない!」

 

 彼――赤い髪の青年、アオイは歩き続けたせいで赤い顔で答えた。冗談に乗るだけの余力はあるのだ。ふたりで、笑いながら橋の向こうを見つめた。

 

「まあまあ、待ち合わせまで時間はある。ゆっくり進もうじゃないか。なに、橋を渡ればもうすぐだ。アイスを食べて一息いれよう」

 

「見えている目標に近付いているように見えないというのは、なかなかのストレスだな。……騒ぐ時間も惜しかった。さっさと行こう。すまないが、荷物を持ってくれないか」

 

「はいはい。……んー? アオイ、そろそろパソコン買い換える?」

 

 アオイが背負っている荷物、その重量のほとんどは彼が普段使いしているパソコンだった。パソコンは据え置き、持ち運び用に関わらず進歩が早い分野だ。旧式に成り下がるご時世、壊れる前に買い換えすることは珍しいことではなくなりつつある。彼は、両肩を上げて下げる運動をしながら言った。

 

「買っても良いが、これから会う人物がどの程度の処理能力を要しているかによるな。時空間の研究――なにやら高度な分析装置が必須そうじゃないか。それを見てから考慮してもいいだろう……。もっとも、私の懐具合との相談ではあるが。ああ、ところで彼女達はどこまで行ったんだ?」

 

 アオイの言う、彼女達とはポケモン達である。ほんの十分前のこと、過去に負った怪我でどうしても歩みが遅くなりがちな彼を置いて歩いて行ってしまった。ポケモンの好奇心は、往々にして彼の歩調に合わせてくれない。歩き続けるパンジャが目を細めた。

 

「もう橋の向こうまで着いたかもしれない。でも、あの子もいるし無茶はしないさ。君のリグレーはしっかり者だろう」

 

「リグレー……便宜上、彼とするが何を考えているかいまいち分からないんだよなぁ」

 

「まあ、表情の分かり難いポケモンではある。宇宙から来たとか何とか。まさかの話と思っていたが……再検討の余地ありかな」

 

 エスパータイプのリグレー。一説には、宇宙からの来訪者だとか何とか。真偽不明の噂がちらつくポケモンだ。元はと言えばアオイのポケモンではない。つい数週間前に再会した母から譲り受けたポケモンなのだ。そのため距離感がまだつかめない。

 

「大きな不和がなければ、私はそれで……ただのそれでいいんだ」

 

 独り言を呟いてアオイは歩く。視線の先。小さな焔が揺らいでいた。

 陽炎かと見間違えたが、焔は青い。

 

「おっと、急かしているようだよ」

 

 青い焔を頭上に揺らしたヒトモシが駆けてくる。

 

「ミアカシさん」

 

 アオイは、一緒に暮らしているヒトモシのことを「ミアカシ」と呼んでいる。ヒトモシと呼ぶのは人間に対して「ひと」と呼びかけるものだろう。そんなことを考えついたのでアオイはヒトモシを「ミアカシ」と呼んでいた。

 

 どうやら慌てているようだ。アオイが息を切らしていると同じくらい、ミアカシも息を荒くしていた。

 

(何か危機があるのだろうか?)

 

 しかし、ここは橋の上で見晴らしの良い場所だ。アオイの目に見える危機は無い。

 

「うーん、何を慌てているのだろうな」

 

 ふたりが歩調を早める。

 その時、一瞬だけ空が暗く陰り、過ぎ去った。

 何事か。

 顔を見合わせていたふたりはお互いの顔が暗くなったことに驚いて、空を見上げた。

 

「こんにちはー!」

 

 金色の髪を眩しく煌めかせて、ひとりの女性が手を振る。

 ふたりは口を開けた。

 

「これは驚いたな……!」

 

 アオイは帽子を手で抑えながら言った。

 空から降りてくる――それは気球だった。

 

 

 

□ □ □

 

 

「乗せていただき、ありがとうございます。……ずいぶんと長い橋なのですね」

 

「あはは、今日はずいぶん暑いからね! 橋の上は日陰も無くて大変だったでしょう」

 

 ヒコザルに指示をした女性は、アリスと名乗った。音楽を学んでいる学生であると語る彼女は勉学の隙間にこうして町のガイドもしているらしい。

 

 あの橋は、あの川は、あの町は――明朗に話す彼女は、かなり良いガイドだろう。

 

 アオイは話に頷きながら、ヒコザルの真似をして気球の骨組みに掴まるミアカシを見てハラハラ、ドキドキしていた。ポケモンのなかでも類い希な平衡感覚を持つヒコザルはミアカシを翻弄しながら、軽々と鉄棒を渡り歩いて気球の調整をしている。ミアカシはそれどころではなさそうだった。あっちへよろよろ。こっちへよろよろ。とにかく危なっかしい。

 説明が終わる頃、ちょうど長い川を越えた。

 

「アラモスタウンへは、お仕事で?」

 

「え、ええ。研究の一環で。それと、ふたりで旅行も兼ねています」

 

 アオイは話をふる。遠景を興味深そうに見ていたパンジャが、ようやくアリスに焦点を映した。

 

「まあ、素敵! 時間があったら庭園を観に行くといいわ」

 

「庭園……設計士ゴーディ氏が造形した庭園と聞いています。ポケモンと人間の調和、その理念は百年経った今でさえ常に新しい。わたしは造形には暗い身ですが、よく計算された街だ。綺麗だと心から思います」

 

「時間があれば伺ってみたいと思います。美しいものは好きなので」

 

 次第に、けれど確実に高度を落としていく気球がやがて静かに地面に着地した。

 

「ミアカシさん、行くよー」

 

 鉄棒につかまっていた彼女は、しっかりアオイにつかまった。高いところが恐かったのかもしれない。ヒコザルが元気に手を振っている。

 

「それでは、アリスさん。またどこかで。Best Wish!」

 

「素敵な気球の旅でした。ありがとうございます」

 

「ハァイ、ありがとう。楽しんで過ごせますように。街のガイドが必要な時は声をかけてね!」

 

 頼んでみるのも悪くないかもしれない。その言葉に頷いたアオイは、鞄を握ると街の雑踏へ歩き出した。

 

 

 

□ □ □

 

 

 

 このように。

 アオイ・キリフリは、研究のためにシンオウ地方アラモスタウンを訪れた。研究目的は、いくつかある。ここへ来たのは、そのうちのひとつだった。

 

『異世界への接続法法』である。

 

 数ヶ月前、学説上の存在でしかなかった異世界への存在が明白になった。――ここで言う『異世界』とは、現在彼らのいるいる世界に対する、未来であり、過去であり、選び得なかった可能性であり、捨て去った可能性の世界の総称だ。

 

 星の数ほど存在する可能性。それは流れる時のまま、大木が枝葉を広げるように可能性は広がり続けるものらしい。

 

 そんな異世界を観測可能にした技術を作った女性がいた。もともと、アオイは生態学者の端くれだ。好き好んでこの分野に手を出したわけではない。彼が、研究を行う理由は、ただひとつ。

 

『「なぜこの世界に人間が、ポケモンが存在しているのか」。私はどうしても知りたいのだ』

『世界の不可能のことごとくを踏破してみせよう。いずれ最新の英雄に成り果ててみせるさ!』

『これが――これこそが――これだけが――私が示せるお前への愛なのだ』

 

 カントー地方のある都市では、現在に対し時間軸を登り降る試み――計算式の跳躍を可能にする高密度演算装置の開発が行われた。ポケモン生命工学の粋を集め、因果律の破壊を目論んだのは最古の謎に挑む探求者、ヒイロ・キリフリ。彼女こそアオイの母にして、創世記から続く世界の鳥瞰図を作ろうとした存在だった。

 

 だが、数ヶ月前のある日。彼女は姿を消した。

 

 解答まで辿りつく術を手にしながら、築き上げた全てを廃した。曰く――「これは、正しい手段ではなかった」から。

 

 彼女がどこに行ったのか。彼女自身の予想では、反転世界、やぶれた世界と呼ばれる世界の裏側だと後に残された書面は言う。しかし、疑問はつきまとう。本当にそこにいるのか? 人間としての姿を保っているのか? アオイは分からない。何も分からない。全てが謎であるが――「生還者の例もある」。その言葉を信じ、アオイは彼女に再び会うため、当てのない研究に着手した。それは北極星の無い世界で未開の海へ漕ぎ出す無謀に違いなかった。それでも、彼女は正解の一片に辿りついたのだ。

 

 確率は0ではない。1である。そう断言されている研究ほど安心して絶望できるはない。母が研究者生命を懸けた『生命の価値を裁定する』研究とは、当事者の誰もがが望まぬ形で息子に引き継がれた。母から与えられた唯一して最高の、季違いの誕生日プレゼントとして。

 

 時空間の研究。

 

 それは最古の謎と言い切るだけの裏付けがある。アーティスト・ゴーディは数多の研究者のうちひとりに過ぎない。幸いにして、右も左も分からない研究者が学べるだけの蓄積がアラモスタウンにはある。それがゴーディの系譜だ。子孫が同じ研究をしているらしい。親しい同僚から情報を得たアオイは、こうしてアラモスタウンを訪れた。

 

「この街は、テンガン山脈に囲まれた平坦な地だ。ここは中州であり中島。長い時間をかけて、河川が削り出した土地だ。造られた自然空間が漠然とした空白地帯を生みだす。この平坦な地形は時空間が安定しやすいのかもしれない。『アーティスト・ゴーディの慧眼』が、どこまで裏付けに足るか。……まあ、私の想像だが」

 

 気休め程度の杖をつきながら、アオイは歩く。その歩調に合わせパンジャはアオイの荷物を請け負ったまま歩く。そして、意外と正解に近いのではないか、と彼女が同調した。峻厳な山脈より時空間は安定しそうだ。

 

「自分で言っておいてひっくり返すようだが、山頂は安定していると思う」

 

「なぜ?」

 

「周囲に並び立つ山が無い場合、その山頂の周囲に何も無い。そこに一種の空白が生まれる」

 

 アオイはテンガン山を例に挙げた。

 

「あそこは何だか曰く付きだと聞いたことがある」

 

「ああ、シンオウ神話の……」

 

 ふたりはイッシュ地方から来た人間であるため、シンオウ神話は知識でしかない。けれどこのシンオウの地に住む人々は違う。シンオウ神話は信仰であり、肉であり骨であるらしい。ふたりにはいまいち理解が及びにくい距離でシンオウ神話は、実にこの土地に馴染んでいるものらしい。

 

「我々で言うところの、カゴメタウンにあるジャイアントホールのようなものだと思っていたが……」

 

「……実に無農薬的で民族風味のオカルトだが、何事も煙の無いところに焔は立たず、神話の本質は常に歪曲されている。注目すべきは内容ではなく神話の構造だ」

 

「神話は象徴でしかないと?」

 

「ほとんどは、だがね」

 

「では時空間の研究とは、神話の事実を解明する試みなのでは?」

 

「……言うな。言ってくれるな、パンジャ。ただでさえ両眼で把握できない研究規模で頭がおかしくなりそうなんだから。けれど、あの人は神話の探求から答えを得たのでは無い。あの人の手段は、科学だった」

 

 辿りつきさえすれば、手段は何だって構わなかったのだろう。あの人で出会った後ではそれをよく思う。正しく、目的のために手段を選ばない人だ。――あの人になれない私がいったいどこまで遂げられるのか。

 

「アオイ?」

 

「あ、ああ、空白で曖昧で虚ろだから価値があるのだ。『誰も』見ていないということが『何も』起きていない『可能性』を含有する。だから、パンジャ。問題は、最大の問題は、この『可能性』が『ある』ということなのだ。0ではない。1である。そのことが重要なのだ。恐らく何よりも」

 

「では、観測者がいた場合はどうなる?」

 

「0が消え、1になる。逆もまた証明できるだろう。だから、そうだ、この街の構造は、ひょっとすると――。もし、この世界の在り方というものがポケモンによって保たれている場合、それを証明することができるかもしれない」

 

「どうやって?」

 

「それが分からない。伝説のポケモンと呼ばれるそれらを任意に呼び出せる都合の良い『とっておき』があるのだろうか? ……いや、しかし……現在まで確認はできていないはず……いいや、分からないな」

 

「我々は情報が少ないなかで研究をしなければならない。ひとつの仮説として記憶しておこう。――では、アオイ。わたしはフィールドワークに行くが、君は研究者と会ってくる、という予定だね?」

 

「ああ、事前の予定通りでいこう。面会が終わったら連絡をする」

 

「了解した。荷物はわたしが持っているよ」

 

「頼む。ああ、君も」

 

 アオイはほんの一瞬だけ宙に目を彷徨わせてから。

 

「――気をつけて歩くように。暗がりにはよく注意してほしい。興味は慎重に取り扱わなくてはいけない。私はこの町に何か異常な出来事が起これば、ひとつも見逃したくないんだ」

 

「ありがとう。ほかならぬ君からのご忠告だ。気をつけて歩くようにしよう。ふふっ君も転ぶなよ」

 

「いやいや、本当に、まったくだ。……ああ、そうだ。時間が余ったら庭園に行こう」

 

 彼女のためを思っての提案だったが、どうしてだろう、彼女はひどくショックを受けた顔をした。

 

「えっ? 本気だったのか? あ、いや、いつもならすぐに帰るだろう? 出張にかこつけて遊ぶのはカントー地方だけかと……」

 

「私にギャンブルのことを思い出させるようなことを言うのはやめるんだ。ともかく、久しぶりの遠出だ。観光していこうじゃないか」

 

「へぇ…………」

 

 ふたりはしばし見つめあう。君にもそんな情緒があったのだね、というパンジャの目が雄弁に語った。それを見てしまったアオイは顔を赤くした。

 

「ふたりで出かけるのだって、久しぶりだろう……私だって浮かれることもあるさ……」

 

 片手を上げるとパンジャは去って行った。その足取りは今にもスキップをはじめそうだった。

 

「……なんだ。パンジャのやつ、機嫌がいいな」

 

 ミアカシが不思議そうな顔をこちらを見ている。

 

 アオイがそうであるように、近付く祭の陽気に湧く街に影響されてしまったかもしれない。

 青い空に時空の塔がよく映える。聳え立つ尖塔の陰を辿るようにアオイは歩いた。



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アーティスト・ゴーディの面影

 アラモスタウンの住民は、お祭りの準備をしているようだ。

  町に溢れんばかりの花が色彩を与えてくれた。

 

「ふふっソノオタウンは花こそ多いが、こうした華やかさには負けてしまうな」

 

 モシモシと尋ねるヒトモシのミアカシを抱え上げて、アオイは空を見上げた。

 

「そういえば、お祭りは初めてだ。状況が落ち着いたら屋台で何かつまむのも良いだろうか」

 

 視線が高くなったことで、あちこちへ手を伸ばそうとするミアカシをおさえて彼は町の中へ向かった。

 先ほどから彼が見上げているものこそ、長い影を落としている建造物。

 

「ここが、時空の塔だ」

 

 尖塔を見ようとすれば、首が疲れるほど見上げなくてはいけない。アオイは雑踏のなか、しばし立ち止まって眺めていた。

 建造物の大きさとは、単純に技術力と等号で結ばれるものではないと言う。しかし、大昔に作り上げたというのだからゴーディの知性は、現代に生きる建築家に見劣りしないようだ、とアオイは思った。

 

「これが観光であったら……はあ、これを見上げる私の心は楽しいものであったはずだ。……いや、後悔しているとか、そういうワケではないが……それでも考えてしまうじゃないか。もし、ここに、あの人がいたら……そんな世界が、きっと、あったに違いない。可能性は0ではない。必ず1だった。1のはず、だったんだ……」

 

 歩む足には、つい怒りがこもる。夢追い人の母に対する怒りと言葉と時間を惜しむべきだった自分への怒り――混然と混ざり合ったそれを正確に分別することは難しい。それでも、これが今のアオイを突き動かす熱量なのだ。ヒイロ・キリフリは「やぶれた世界」を観測する術を得て、『異世界の可能性』の閲覧を可能にした。それは彼女の特性ゆえ――ではない。積み上げた知識の果てにたどり着いた境地だ。

 知識さえあれば、その領域にたどり着く。そう信じているアオイにとって、ここは彼女の命綱を握る町だった。

 

「絶対だ。絶対に取り戻してやる。貴女が私の前から失せることなど、二度と許されないのだから」

 

 時空の塔の内部は、大きな空洞だった。

 アオイはしばらく、見上げたまま口を開いてしまった。硝子の意匠に目を奪われたのではない。この建造物の用途が分からなくなってしまったのだ。

 

(ここは、何だろう。アーティスト・ゴーディの研究工房ではないのか……?)

 

 もちろん、3週間も前からアラモスタウンの観光パンフレットを舐めるように見ていた彼は、ここが音楽を鳴らす施設であると知っている。だが、それだけのはずがないのだ。たとえ、鐘を町全体に鳴らす必要があるとしてもこれほど大きな建造物は必要が無い。構造は簡単な機構、たとえば大きなラッパを作ればよいだけだ。

 

 ゴーディは恐らく頭の良い人物だ。それほどの人物が『無駄』な物を作るだろうか。

 

 困惑のままアオイの視線は、天井を這い、柱を辿り、壁面の彫刻にたどり着いた。ポケモン達に囲まれた少女が笛を吹いている。それは、大樹に抱かれた調和の芸術だった。それは無遠慮に、アオイの心の隙を突いた。ゴーディはアーティストだ。建築家であり、芸術家であり、研究者だった。それを知っている彼は、これを見るまで私人ゴーディの存在を見てみないフリをしていたのだ。だからこそ彼は恐れた。――ひょっとすると、この建造物は、ただ誰かの面影を持っている少女の姿を型取りたいだけのモノなのでは? と。

 

(くだらない、くだらない、くだらない! 私を救わない愛に意味などあるかっ!)

 

 アオイは、自分の考え事がすべて杞憂であることを願う。やがて、施設をさ迷っていると階段を見つける。杖を手繰った。

 

「ミアカシさん、すまないがすこし足元を照らしてくれるかい。……はあ、何だか大ダメージを食らった気分だ。落ち着いて……落ち着いて……。子孫が研究しているはずだ。その知識は、私にとってまったくの無駄ではないだろう」

 

「モシ!」

 

 彼女は『なんだかよく分からないけど、そうだな!』という雰囲気で頷くと先陣を切った。足の悪いアオイは、傷心を引きずり一歩ずつゆっくり進んだ。

 ミミロップのようにピョンピョンと跳ねて階段を降りていたミアカシが、アオイの近くへ戻ってきた。足下を照らしてほしいという言葉を思い出してくれたのだろう。ひとつ階段を降りると、振り返ってミアカシもひとつ段差を降りた。

 

 どんな時であっても、暗闇で焔を見つけるとホッとするのは生き物の性だろう。アオイはささくれた心をなだめて気持ちを落ち着かせた。ここで今さら焦っても仕方がない。それよりも物事は冷静に見極めなければならないのだ。

 

「……本当に助かるよ。さあ、行こうか」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ジリ、と何かが軋む音を立てる。青年、トニオは天井を見た。

 

 ――まただ。

 

 それは数年前から現れ、ここ数か月は特に酷い。誰もが体感できるほどに歪みとして現れつつあった。

 壁に据えた計器に目をはしらせる。分析装置――SOURCE ANALYZERの数値は正を示している。正常において、それは0でなければならない。しかし、今は実体を表す正の数値で現れている。その異常が引き起こす事象は、空間の『揺らぎ』だ。

 

 トニオは、推論を整理するつもりで独り言を呟きながら、携帯用のモバイルパソコンを鞄に詰めた。そしてフィールドワークのため地下研究室を出ようとした。発生源は湖近く。ゴーディの庭園に向かうつもりだった。そういえば、「彼女」は今日ガイドの仕事をしている日だったな……。そんなことをつらつら考える。

 扉をあけようとする。その時。ドアノブがひとりでに動いた。

 

「あっ」

 

「うわあっ」

 

 突然の闖入者に、とび退いた――そこまではよかった。床に転がっていた書籍に踵をぶつけたトニオは盛大に、しりもちをついた。その痛みで思い出した。そういえば、今日はハクタイシティから客人がやってくる日だった。

 

 杖をついてやってきたその人は、散らばった書物を片付けながら立ち上がる手助けをしてくれた。本当に申し訳なさそうな顔をして彼は、あわあわと手を動かした。

 

「だ、大丈夫ですか? ああ、すみません、ノックはしたのですが……」

 

「考え事をしていて、気付かなかったみたい。だ、大丈夫、大丈夫です……」

 

 腰をさすりながら、顔を上げる。その人は、ホッとしていた。

 

「私の名前は、アオイです。あなたは、研究者のトニオさん……ですよね?」

 

 その笑みは、穏やかだった。

 

「どちらかへ……あー、お出かけの? ご予定? ですか?」

 

 けれど、笑い損ねた目に見つめられると、どうにも居心地が悪い。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「ええと、お茶です」

 

 自分と幼馴染み以外のカップを持ち合わせていなかった研究室では、客人のもてなしができなさそうだった。

「あちゃー」と思うが、この準備不足は後の祭りというものだ。

 ちょっとした救いは、缶のまま提供されることになったそれが十分に冷えていることだけだ。

 

「ありがとうございます。このところ暑くていけませんね。時空の塔は、大変ではないですか?」

 

 ハンカチで額の汗を拭いた客人は言った。年の頃は自分とそう変わらないだろう。せいぜい二十代の後半程度だ。

 切り揃えられた赤い髪からのぞく目は、どうにも気怠げな印象を受ける。

 椅子に座るなり杖をテーブルに立てかけた。足が悪いとは思わなかった。もし知っていたら地上で話すように予定を組んだのだが。

 

「塔の内部は、自然の風を取り込んで塔の頂上まで送る仕組みになっているんです。空気が動いているので、外より涼しいかもしれません」

 

「ああ、なるほど。ポッポが飛んでいるのはそういう事情なのですね」

 

 トニオは、壁際に設置している計器をちらりと見た。フィールドワークの時間が惜しい。

 

「ええと、アオイさん。あなたは時空間の研究のためにこの街へ来たと伺いました」

 

 面会の約束はメールだったので、トニオは確認のために訊ねた。

 

「――いいえ、私はあなたに会いにきたのですよ。ゴーディの子孫のお方」

 

 鞄からノートを取り出しながら風を取り込む機構を話す彼は、やはり気だるげである。しかし、いざ目が合うと目の前の全てを解明してやる、という強い意志を感じた。研究者と聞いていたが、頭の回転は「なるほど」と思わせるものがある。

 

「私は、どうしても時空間研究の知識が必要なのです」

 

「なぜとお聞きしてよろしいでしょうか?」

 

「……聞いたところで、この授業を『やっぱり、やめた』はなしですよ。それでも、いいですか?」

 

「はい、もちろんです」

 

 答えると彼は、ノートに目を落とした。

 

「ええ、そう、全ては私の母が――」

 

 どう話したものかと、彼は思案したらしい。けれど、彼が悩む時間は少なかった。

 

「端的に言うとタイムマシンを兼ねた望遠鏡を作ろうとしておりまして」

 

「え? ええッ!?」

 

「その過程で盛大な自己矛盾に陥り、現在は行方不明になっています。やぶれた世界と呼ばれる世界の裏側へ行ったものと推測ができるのですが、どうすればそこに辿り着けるのか、生態学が専攻の私には分からないのです。そのため、あなたの助力を必要としています。――これ以上の詳しい話は、安全の問題が発生するため知らない方が良いと思いますが」

 

「えぇ……タイムマシン? 望遠鏡? どうして、そんな」

 

「世界を俯瞰する試みです。正直なところ、私もまだ研究の全貌を視界に収めきっていません。ただ、ひとつ言えることは、これは『技術』として確立されているという点です。だからこそ、彼女は必ず世界の裏側のどこかにいるはずなのです」

 

 彼の動機とは、母親に会う手段――の情報を得たいというにここまで来たということだ。ならば、トニオも彼に言うことがある。

 

「確かに、ゴーディから僕まで、時空間の研究をしていますが……研究対象は、このアラモスタウンに限定されているんです。お役に立つかどうか」

 

「役に立つかどうかの判断は後々分かるでしょう。あなたより私より、ずっと未来の者が。しかし、継続した研究が限られた領域で行われていることは幸いです。それだけ詳細だということでしょう?」

 

「ええ、計器が発達してから情報も多くなって、処理が追いつかないくらいです。特に最近の事象は、あ、ひょっとして体験しましたか?」

 

 アオイは、何のことか分からないという顔をした。ついでにアオイの椅子をよじ登っていたポケモンがピョンとテーブルに乗った。

 

「ミアカシさん、大事なお話中なんだ。――ええ、最近の事象とは、何のことです?」

 

「原因も影響も何も分かっていない現象です。なんと言えば良いか、言葉に困る事象でもあります。空間が軋むんです。アオイさんがこの部屋に来る、一分以内にあったのですが、気付きませんでしたか?」

 

 彼は思い当たる節があるのか、ああ、と小さな声を零した。

 

「私、てっきり眩暈か何かだと思って……いいえ、それでも、地面の揺れのように空間が揺れることはおかしなことですよね。そんな現象が、い、いつからですか?」

 

「ここ数ヶ月前からです」

 

「母が行方不明になってからは、一ヶ月です。……時期が合わない」

 

「そう決めるのは早いですよ。時空間の関連する研究に限っては」

 

「どういうことです?」

 

 アオイは何としてでもテーブルに乗りたいミアカシを制することを諦めたらしい。トニオが広げつつある資料の本をペラペラとめくりはじめた。

 彼らの話は続いた。

 

「時間の制約があるこちらの世界と違って、あちらの世界は時間も空間も制限があったり、なかったり、なんです」

 

「物事は時系列通りに整頓されていない、ということですか?」

 

「こちらの世界と違って、10年前も今日も変わらない可能性があります。逆の可能性はもちろん。振れ幅が大きな可能性もあります」

 

 アオイは右手で目を覆うと唇を嚙みしめた。

 

「……なるほど、あちらで彼女の寿命が尽きて死ぬ、という可能性は低くなりました。そう。そうか」 

 

 嬉しいのか、それとも別の感情なのか。トニオは推し量ることは出来ない。時間が短すぎたのだ。彼は顔を上げると話の続きを促した。

 

「あちらの世界は、無軌道であっても無秩序ではないとされています。ええと、ギラティナ、そう、ギラティナが支配していると言われています」

 

「シンオウ神話においてアルセウス神が生み出したポケモンの3体のうち1体ですね。トニオさんの計器では観測できるのですか?」

 

「あー、それが、ここの観測ではこちらの世界しか捉えることができないんです。でも。もしもディアルガとパルキアとギラティナのような強い力を持ったポケモンが、この街に来たら必ず補足できる能力があります」

 

「ふむ。なるほど。個人で設置できるものですか?」

 

「予算的な問題? いや、だいぶ、厳しいと思います。これ、実は、時空の塔の観光資源から財源を引っ張っていまして」

 

「むぅ……それは厳しい話ですね」

 

 アオイが何かをノートに書きつける。

 その音だけがしばらく聞こえていた。

 目のやりどころに困ったトニオは、不意に視線を感じてアオイのポケモンと視線を合わせた。

 

「アオイさんは、イッシュ地方からいらっしゃったんですか?」

 

「ええ、今はハクタイに住んでいますが、出身地はイッシュ地方ですよ。そのポケモンは、ヒトモシと言います。私はミアカシさんと呼んでいます」

 

「なるほど。焔は、やっぱり熱いんですかね」

 

「気分によるみたいですね。たまにマシュマロを焼いてくれますよ。ただ、ちょっと魂を食べるので一緒にいるには覚悟が必要ですね」

 

「魂!? えぇぇ……アオイさんは平気なんですね」

 

「これからの行き先が分かっているので不安はないですね」

 

「うぅん……」

 

 この人は、自分の全てをポケモンと研究に捧げきっているのかもしれない。

 けれど、そうだとしたら母を求める感情は何なのか。肉親の情、というものだろうか。

 ミアカシのつぶらな瞳は何も答えを映してくれなかった。

 

 トニオ――自分ならば、どうするだろう。

 自分の研究があるなかで、誰かとても大切な人がいなくなったら――たとえば、アリスとか――果たして、どちらを選べるだろうか。

 

「あの、アオイさんは、どうして……。専攻は、生態学なんでしょう。時空間の研究は、母親のためとは分かります。でも、もし、ですよ。もしも、どちらかひとつしか選べなかったらどうするんですか?」

 

「…………」

 

 小さく紫の焔を宿す瞳が、ようやくトニオを映した。

 感情を置き去りにしているように見えて、トニオはつい顔を背けた。

 

「すみません……変なこと聞いて。わ、忘れてください」

 

「いいえ、答えますよ。私の専攻は生態学で、もとは化石の研究をしていました。復元するための研究員です。まぁ、いろいろありまして辞めまして、今は悪夢の研究をしています。今の研究か、母のための時空間の研究か、どちらかを選ぶかと問われたら、どちらも選ぶと言わざるを得ません」

 

「そうですよね、そう、どちらかを選ぶかなんて――」

 

「倫理の問題ではありません。これは価値の軽重ではなく、情熱の大小でもないのです。全ての研究は、どこかで接点を持っています。だから、私の得る知識が、いつかどこかで線となり形となるでしょう。それを信じているのでどちらも学び続け必要があるのです」

 

 予想外の回答の応えを準備できなかったのはトニオだった。

 そうですか。

 ありふれた反応をしてしまったので、さぞ彼をガッカリさせてしまっただろう。そんな思いで彼を見る。

 

「どうしてもどちらか、という話であれば、私は私の研究を選びますよ。あの人のことです。何の準備も無しに反転世界に飛び込むとは思えません。そのうち、ひょっこり戻ってくるんじゃないかと」

 

 これまでのどの言葉より、明るい口調でアオイは言う。

 柔らかい声音に誘われたのか、ミアカシが本を飛びこえて彼のそばに近寄った。そんなミアカシに笑いかけた彼は、呟いた。

 

「そう……祈っているのですよ」



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庭園での邂逅

 

 

 

「おぉ、美しい空、美しい庭、果てしなく広がる湖! ――あぁ、素晴らしい出来だ。何度心のシャッターを切っても足りない。素晴らしい。良い仕事をした。アーティスト・ゴーディ! やはりシンオウ地方の美意識はイッシュの気風と合うのではないかな。伝統的なカントー風ではないところもポイントが高い。そこはかとなくガラルの風を感じるのは、気のせいではないだろう。先見の明と言うのは、いやはや、恐ろしい。あとはバリアフリーに徹してくれたら、わたしが嬉しいのだが……数百年前にそれを求めるのは酷というものか。彼には良いリハビリだと思ってもらうとしよう! 庭! ガーデニング! アオイも野菜ばかり植えてないで、たまには花を植えると良い。心が安らぐだろう。良いアイディアだ、提案しよう!」

 

 ぶつぶつと独り言を話していても通りすぎる誰もそれを異様に思わないのは、彼女の一連の所作を演技だと思っているからである。

 東風が吹く。もうすこしで夏だろう。心の底がうずいて仕方が無い。

 

 ――彼女には、多重人格者という側面があるが、ここではあまり関係の無い話だった。もちろん、今のところは。

 

 美しいものを見る。肌で触れる。感じる。理解する。

 それは、人生における最上の楽しみのひとつだ。

 パンジャ・カレンという女性は、そう信じている。ただひとり親友もそう信じて生きているだろう。

 知識とは単なる寂れた時間の積み重ねではない、人生の潤いなのだ。

 

 パンジャは、くるりと一回転してずっと一緒に歩いていたリグレーを抱え上げた。

 

「美しい。……ずっと見ていたいほどに。理解できるかい、リグレー。これが、この景色が、多くの人の心を震わせる光景というものだ」

 

 彼女はリグレーの機械じみた音声も光も理解できない。

 しかし、彼が感情のひとかけらでも理解してくれないかと期待を込めて話しかけ続けていた。

 

「もしも、君が本当に宇宙から来たのなら、ここでは美しいものを見ると良い。人の作り出したもの。ポケモンの作り出したもの。うつくしい物だが、全て美しいとは言えない。けれど、美しいも醜いも全てが命の営みだ。それを学ぶことは、きっと君の糧となる。経験値は大切だ。アオイもきっとそれを望むだろう」

 

 美しいものには、それだけの価値があるのだから。

 彼女は語り聞かせるように言って、不意に空を見上げた。それから数秒。機嫌よく手足を動かしていたリグレーが周囲を警戒するようにキョロキョロと頭を巡らせた。

 

 眩暈だろうか。

 一瞬だけ平衡感覚を失うような感覚があった。

 

「君か? ――いいや、違うな。では、わたしか……?」

 

 しかし、庭園で無邪気に遊んでいるポケモンも異変を感じ取っているのか、身を潜めることができる岩や草むらに一斉に飛び込んでいく。

 その様子を見ると自分だけが感じ取っている異変ではなさそうだ。

 

「幻覚という考えもあるわけだが……ふむ?」

 

 リグレーとほんの一瞬だけ目が合った。

 途端に「ぼくじゃないよ!」と両手を振るリグレーに、彼女は笑いかけた。

 

「もちろん、疑っていないとも! さあ、歩こう! 歩こう! 歩くのだ! 何か良からぬことが起きているのならば、それは幸いだ。フィールドワークは大好きだが、探す手間が省けることはまったく悪くないのでね!」

 

 そう言って、彼女は水路を渡す橋を歩く。

 起伏に富んだ庭園だ。人間が歩くとかなりの運動になるだろう。それを感じさせないのは、どこを切り取っても美しい光景のおかげだろう。

 庭園をぐるりと一巡りした頃、ふぅ、と息を吐く。ふよふよ浮いているリグレーは、何ともなさそうだ。心配そうに顔を覗き込んで来た。

 

「大丈夫だよ。アオイならこうはいかないだろうけどね。さて、参ったな。空にも河にも、もちろん庭園にも異常は無さそうに見える……」

 

 しかし、それならば先ほどの『揺らぎ』は何なのか。

 説明ができない現象が解明されずに転がっているのは、研究者としてどうも居心地が悪い。

 

 原因が突き止められない以上、ここに留まるのは良くも悪くもない選択肢だったが、庭園は広い。そしてパンジャが歩いたのは舗装されている経路だけだった。これは森と見紛う林まで歩くべきだろうか。もちろん、そこに原因があるかどうかはさっぱり見当もつかない。しかし、想像の余白を潰していく『しらみつぶし』は、往々にして有効な手段であることを彼女は知っていた。

 そんなことを考えながら歩く。辿り着いたのは大きな河を見渡せる展望台だった。何となく行き着いてしまったが、ベンチがあるのは幸いだ。

 アオイに現在地の報告だけしておこうとベンチに座り、モバイルを開く。

 

「送信後、10秒……返事なし。まだまだお話し中のようだね」

 

 日よけの帽子を脱ぐとハンカチで汗をぬぐった。

 

「ここも良い景色だ。アルバム作りが捗る。さあ、カメラ、カメラは……はて、えぇ、どこにしまったか……カメラ……カメラ……」

 

 探し物をしていると視界の端でリグレーがふわふわと離れていくのが見えた。

 

「ああ、君、あまり遠くへ行かな――あー、うん、まあ、好きにするといいよ。息抜きは大切だからね」

 

 パンジャはそう言いつつ、彼の行く先を見た。ポケモンや幼児が遊ぶ遊具がある。リグレーが何歳なのか知らないが、楽しそうに遊ぶ声には気を惹かれてしまうのだろう。

 ポッチャマ、エイパムにパチリス、ルリリ、マリル、マリルリ……彼らは、この庭園に生息しているポケモンたちだろうか?

 ようやくカメラを見つけたパンジャは立ち上がり、遊びに夢中なポケモンたちを撮った。

 

「元気なことは良いことだよ。……リグレー、君も遊んだらどうかな。わたしはここでもうしばらく休憩しているから」

 

 リグレーはまだパンジャの数歩先にいた。遊具で遊ぶポケモン達を遠巻きに見つめている。リグレーの性格は「ひかえめ」と診断されているようだが、それにしては引っ込み思案が過ぎる。ひょっとしたら。

 パンジャは「あぁ……」と思いついたことがあった。

 

「もしかして、君はあまり遊んだことがないのかな」

 

 このリグレーはもともとアオイの母、ヒイロのもとで生活していたポケモンだ。彼女は3体のポケモンを持っているらしい。ほかの彼らはリグレーと、その進化後のオーベムだと聞いていた。

 

 エスパータイプに加え、特性の「テレパシー」で相互の意思疎通が容易――という特殊な環境からアオイ達のもとにやってきたのだ。またヒイロの研究の特性上、ほとんど軟禁状態だった彼女にポケモンを十分に遊ばせる余裕があっただろうか? ……うーん、無さそう! パンジャの考えは的中していたらしい。

 

 ほかのポケモンより、ほんのすこし背の高いウソッキーがリグレーの存在に気付いた。

 ピーピピ、と甲高い鳴き声を上げて、リグレーはパンジャの後ろに隠れた。

 

「なんだい、恥ずかしがり屋さん。ははぁ、さてはこれまでミアカシを隠れ蓑にしていたなー?」

 

 アオイのヒトモシことミアカシは「むじゃき」な性格だ。興味のあることなら何でも頭から突っ込んでいく彼女はリグレーにとって「目が離せなくて心配だ」と思うと同時に、一緒にいて楽しい存在なのかもしれない。

 

「ひとりが不安だと言うのなら、わたしのポケモン達を――あ、すまないね。こおりタイプなので日中は露出NGなんだよ。意地悪ではない、ホントに忘れてたんだよ、ホント、ホント、トントン……」

 

 リグレーの手が背中を叩いた。重い荷物を持って疲れた背筋に、若干効く。

 その後もふたりでお話をしていると、経路から人がやってきた。

 

「おや――あなたは、先ほどの……」

 

「こんにちは! また会いましたね」

 

 ひとりは知っている。先ほど気球に乗せて運んでくれたアリスだ。

 そして、ほか3人の少年少女は。

 

「こんにちは!」

 

 元気の良い挨拶に、パンジャは帽子を取り去って応えた。

 

「こんにちは。良い天気ですね。そして、美しい庭園です。――ああ、なるほど。彼らは君たちと一緒に来たポケモンなのですね」

 

 リグレーがパンジャの肩に寄り掛かった。

 

「やあ、君。この子が、あそこの遊具で遊んでいるポケモン達と遊びたがっているんだが……ちょっぴり恥ずかしがりな性格でね。もしよければ、誘っていただけないだろうか?」

 

 パンジャは少年に、声をかけた。なぜなら、彼の肩にはピカチュウがいて興味深そうにリグレーを見ていたからだ。

 

「もちろん、いいですよ! ――な? ピカチュウ!」

 

 軽々とした身のこなしでピカチュウは少年の肩から降りるとリグレーに呼びかけた。何度かのやりとりのあと、リグレーはピカチュウのあとに続いて、階段を下りて行った。

 一度だけ振り返る。それに右手を挙げ、笑いかけた。

 

「わたしに構わず、遊んでおいで! 旅で楽しい思い出を作ることは、素敵な景色を見ることと同じくらい良いことなのだから!」

 

 諭すように言う。

 リグレーは、もう振り返らなかった。

 パンジャは少年に向き直った。

 

「ありがとう、君――ええ、名前を聞いていなかったね、失礼した」

 

「オレ、マサラタウンのサトシです」

 

「サ、トシ? ……サトシ君か。初めまして、わたしはハクタイシティから来たパンジャだ。夢に関する研究者をしている、街の司書だよ」

 

「司書さんなんですかっ!」

 

 サッと前に進み出たのは、すこし色黒の少年だった。

 三人のなかでは、一番背が高い。人好きのする笑みの少年だった。

 

「自分、タケシと言います。美しい自然の中でこうして出会ったのも何かの縁、いえ、きっと運命、どうでしょうか、今度お食事でも……」

 

「申し訳ない。わたしには、尽くすべき人と果たすべき役目がある。即ち運命というものだね。――君に良い縁がありますように」

 

 がっくり肩を落としたタケシの肩をふたりが叩く。手慣れた様子だ。まさか出会う女性を毎度口説いているのだろうか。

 

「ところで、君たちは旅の途中のようだね」

 

 サトシと並ぶ少女が元気よく手を上げた。

 

「はい、わたしがコンテンストに出るんです!」

 

 コンテストとは。

 時空の塔で行うとチラシがあったことを思い出し、パンジャは頷いた。

 

「そういえば、明日だったね。今日は前夜祭があるとか、何とか。調整はどうだろうか、順調かい?」

 

「大丈夫です!」

 

 打って返ってくる答えは、きっと口癖なのだろう。

 けれど意気込みは本物だ。握った両手は力強かった。

 

「上手くいくことを祈っているよ。――Best Wish!」

 

「ベ……?」

 

「ベス……?」

 

「あ」

 

 そういえば、ここはシンオウ地方だったな。

 カラカラと笑ったパンジャは、困惑する少年少女達に「ああ、すまない」と口元を押さえた。

 

「イッシュ地方の言葉で、シンオウ地方やカントー地方で言うところの『あなたのことを祈っています』という意味なんだ」

 

「そうなんですか。ありがとうございます」

 

 しかし、彼らの頭には「?」マークが浮かんでいた。

 ひょっとしたイッシュ地方の説明から行った方が良かったかもしれない。

 

 口を開こうとしたパンジャを留めたのは、ポケモン達の騒ぎ声だった。

 何事かと思って遊具を見れば、どうやら喧嘩になっているらしい。

 

 少年達が階段を駆け下りて仲裁に入る。

 リグレーは、驚きのままパンジャのもとへ飛んで帰ってきた。

 

「わあ、驚いた。騒動は君か?」

 

 リグレーに聞くとしきりにピピピイ、とアラームのような声を鳴らして否定した。それから順番にポケモンを指さしていく。

 誰が悪いという話では無さそうだ。

 これをどう説明しようかと考えていると、風音に紛れて美しい音が聞こえた。

 それは草笛だった。音色は、聞いたことがない。それでもどこかで聞いた覚えのある曲のような気がする。

 

(わたしの、私の記憶などアテにならないからな……アオイなら、知っているだろうか)

 

 気付けば、音は草笛しか聞こえなくなっていた。

 喧噪は瞬きの間に静まりかえり、音色に耳を傾けている。

 仲裁の必要も無くなったようだ。

 きのみを分け合い、ポケモン達は仲直りをした。

 

 曲が終わる。

 ほう、と安心したように息を吐いた奏者はアリスだった。

 

「素晴らしい曲でした」

 

 戻ってきた少年達も口々に賞賛した。

 

「ありがとう、おばあちゃんに習ったのよ」

 

「自分、感動しました!」

 

 タケシが声を弾ませて何度も頷いた。同感だった。

 素敵な技能だな、とパンジャは思う。

 争わずに諍いを治めることは難しい。

 それができずにいるから、自然を巡る人とポケモンの溝は大きい。人と人の争いでさえ絶えない。

 

 しかし、世の中には、彼女のように根治の解決ではないものの治めることができる者もいるのだ。

 自分にはできないことでも、手段があることは覚えていたほうがよい。

 心のノートに書き留める。

 

 パンジャはそろそろアオイから預かっている仕事に戻らなければならないと感じていた。

 鞄を握る手に力が入る。事件の発端は、その直後のことだった。

 

 エルレイドが軽い身のこなしで森から飛び出してきた。

 真っ先に気付いたアリスが目を瞬かせた。

 

「エルレイド? どうしたの?」

 

 エルレイドは階段を飛び越えると森を指した。

 その声音は緊張していた。この場の誰もが「何かが起こった」と察していた。

 

 彼らは遊んでいたポケモン達をボールに収納すると階段を駆け上がっていった。

 

「わたし達も行こう。発見があるかもしれない」

 

 パンジャも同行を決めた。

 階段を上がるとエルレイドの後に続き、庭園を駆け抜けていく。

 

 森を抜けると開けた場所に出た。庭園の池のための貯水槽らしい。

 だが、美景のなかに異物があった。

 

「これは……ひどい、誰がこんなことを……」

 

 アリスが苦しげに言った。

 彼女が見ているのは立ち並ぶ石柱の根元だった。

 数本の根元が捻られていたのだ。

 わたしが見ましょう。パンジャは進み出た。

 

「――石造りの柱、これは間違いない。まあ、材質は石だから、壊すことは簡単だ。しかし、この状態に『石を捻る』ためには、高熱で溶かしてもこうなるだろうか? 溶けたチーズのようだ。庭園のポケモン達が喧嘩したとか……? ふむ……判断の材料が足りないな……」

 

 推測で誰かが口を開こうとした、その瞬間。

 

「ダークライだ」

 

 断定的な男声に、全員が石柱から目を離す。そして、木々のアーチから現れた彼を見た。

 木陰から現れたのは赤髪でオールバックの青年だった。貴族の格好をしている。この街の名士だろうか。

 たっぷり注目を浴びた後で、彼は全員をぐるりと見渡す。そして、口元で軽く笑った。鼻につく、なんだか偉そうな雰囲気だ。

 少年達は萎縮しているのではないだろうか。

 パンジャが心配して様子を見るが、どちらかといえば呆気にとられる、という状態だったので問題は少なかった。

 

「アルベルト……。何か知っているの?」

 

 アリスが訊ねると彼は「ふぅ」と軽く息を吐いた。

 

「近頃、ダークライを街で見かけたという話を聞いた」

 

「ダークライってなんですか?」

 

 サトシ少年の質問に、彼はどこか自慢げな顔をして崩れた石柱を踏みつけた。

 

「これを、やったポケモンだ」

 

「ポケモン?」

 

 ヒカリが驚いたように言う。初めて聞く名前だったので、彼女はそれを現象の名前と思ったのかもしれない。

 パンジャにとってダークライは、恩とも仇とも言いにくい存在だ。

 とはいえ。

 

「証言は本当だった――というワケか。なるほど」

 

 彼女の呟きに、ほんのすこしの時間だけアリスと目が合った。

 

「ああ、ええと、そう、この庭に、いるらしいんだけど……」

 

「自分、聞いたことがあります」

 

 タケシが思い出そうとするように顎に触れながら言った。

 

「悪夢を見させるポケモンですよね……?」

 

 その言葉を聞いて、少年達は困惑していた。

 悪夢。悪夢とは何か。いまいちピンと来ていない顔だった。

 

「そう。ダークライの周囲で眠ると悪夢を見てしまう。ナイトメアと呼ばれる特性を持ったポケモンだ。彼らが悪意を持っているわけでも、意地悪しようという意志があるわけではない。ただ、そういうモノというだけだ。それだけ。ただ『それだけ』だが、それが致命的でポケモンの生態系の中でも浮いてしまっているポケモンだ。……分かりにくいかい? 馴染みにくい、という意味だよ。仲良くできないんだ」

 

「詳しいんですね……あっ。そうか、夢について研究しているからですね?」

 

 タケシの言葉に、パンジャは頷いた。

 

「そう。――だからこそ、ミスター・アルベルト。ダークライの仕業と断定するのは誤りです。彼らが干渉できるのは『夢』であり、『現実』ではない。彼らはこの柱を捻ることはできない」

 

「なにぃ? だが、証言がある。ダークライが現れてからだ。この石だけではない。街のあちこちで似たような現象がある。そして、ダークライの目撃証言があるのだ!」

 

 不明な現象に明らかな根拠を結び付けたがるのは、不安の解消を目的とする無意識の思考だが――好ましい心理とは言えない。

 パンジャは首を振り、言葉を捨てるように手を払った。

 

「研究者として残念なことだが――この石柱も他の件の原因にも情報が少なすぎてまったく見当が付かない。だが、悪夢を研究している私達が確実に言えることは、それらはダークライが原因ではないということだけだ」

 

「はっ。話にならんな」

 

 アルベルトはパンジャとの視線を切った。

 

「残念なことだが同感だ。しかし、異常事態であることは確かなようだ。……原因が分かるまで、流言は控えた方がよいでしょう。いたずらに人々を煽り立てても仕方が無い」

 

 パンジャの忠告は無視された。もっとも、聞き入れられるとは思っていなかったが。

 彼女はカメラを取り出すと石柱の写真を撮った。

 

 その時だ。

 風の音に紛れて、草木の揺れる音が聞こえる。そして、この場にいた誰もがそれに気付いていた。何かいる。思わず叫ぶアリスの声に全員が身を固くした。そのなかでアルベルトは揚々とモンスターボールを開く、そして現れたベロベルトに躊躇いなく命じた。

 

「ベロベルト、はかいこうせん!」

 

 果たして、草藪に命中した。

 やったか……! そんなことを呟いたのは誰だったか。

 

「もぉ……なんだよぉ……いきなり……もぉ……!」

 

 だが、草むらからよろけて出てきたのは青年だった。思わず「あっ」と声を上げたアリスがよろめく青年に駆け寄った。

 

 ――アリスさんの知人のようだ。これは、ひょっとしなくても人違いなのでは。

 パンジャは、気まずい雰囲気になっているのでは無いかとアルベルトをちらりと見る。しかし、彼は悪びれた様子が無かったので、やはり問題は少ないようだった。

 

 騒動から数拍遅れて「何事かな」と低く問いただす声が後ろから聞こえる。聞き慣れた声に振り返れば、ちょうど杖を突いてアオイが現れたところだった。

 

「大きな音が聞こえたようだが――おっと、パンジャ。ここにいたのか」

 

 足が不自由な彼なりに急いで来たらしい。

 暑そうにシャツの襟を引っ張っていたが、パンジャを見るなりキッチリとボタンを首まで締めた。

 

「アオイ、どうしてここに。研究室は?」

 

「そこにいるとも。トニオさんとお話をしていたのだが、異常な数値を捉えてね」

 

 パンジャは首を傾げる。そして、ポンと手を叩いた。

 

「そうか、彼が……」

 

「トニオ!?」

 

 土埃にむせながら現れた青年トニオは、よれた眼鏡フレームを耳にかけた。

 

「ひどいなぁ、もう……」

 

「大丈夫? はかいこうせん直撃だったように見えたけど」

 

「足下だったから大丈夫。ちょっと衝撃が来ただけ……」

 

 砂埃を払いながらトニオは苦笑した。

 しかし、助け起こしたアリスに安心させるどころか、心配と驚きを招いたらしい。

 

「しゃんと立って。怪我は……無いように見えるけど」

 

「ア、アリス、大丈夫だって……」

 

 まじまじとそばで見つめるアリスに彼は赤面した。自己紹介を始めるトニオを傍目に、パンジャの近くにいたヒカリがその様子に何か気付いたようで口をもごもごと動かした。

 

「……君は、大丈夫だな」

 

 アオイが周囲を見回しながら言った。

 普段、こういう機微に疎いはずの彼だが、アリスとトニオを見て気を遣っているらしい。

 

「攻撃から離れていた。問題は無い」

 

「ならばいい。引き続き周囲に気を付けてくれ。この街には、何かがいるらしい」

 

 彼の言葉は不穏の前兆だった。そして彼も警戒していた。

 一方で、アオイの足元でひょこひょこと小さな焔を灯しているヒトモシ――通称ミアカシが、リグレーと再会を喜び合っている。

 ちぐはぐな光景にパンジャの感情は、かき乱されるようだった。

 

「ダークライのことかい? ああ、ダークライの言った通りだ。やはり、ここにもいるらしい」

 

 証言が見つかりそうだからね。

 パンジャの言葉にアオイは温度の無い声で答えた。

 

「ダークライのことは『今は』どうでもよいのだ。別の問題が発生しているらしい」

 

「別の問題とは?」

 

「先ほど、街の一部の空域に重力値がマイナスに転換した空間が発生した。通常であれば考えられないことだ」

 

「マイナスだと、どうなるんだい」

 

「体にかかる負荷が軽くなるだろう。――これはつまり、そのままの体では地上における活動に支障があるものが現れた、ということではないだろうか」

 

「とても大きなポケモン?」

 

 そうだ。――と彼は端的に言てしまいたかったに違いない。

 短く息を吐き、彼は空を見上げた。

 

「……私は、それがヒイロの企みであれば良いと思っているが、どうせポケモンなのだろうな」

 

 アオイが先ほどからしきりに空を見ている理由は、そういうことらしい。

 トニオがしゃがみ込み石柱を調べ始めた。

 

「あれは?」

 

「ダークライがやった、という話だが……実際のところはどうなのだか。炭化した様子が無い。焔ではなさそうだ」

 

「……ふむ。私達は物理学は専門ではないからな」

 

 それにしても奇妙な捻じれ方である。

 不思議に思うアオイがそばで見ようと足を進める。

 何やら貴族風の青年を見つけて足を止めた。

 

「ご機嫌よう」

 

「ああ、ご機嫌よう」

 

「私、アオイと言います。夢について研究している者です」

 

 ああ、そう。――素っ気なく彼は言った。自己紹介してくれないかと名乗ってみたが空振りに終わった。

 

「パンジャ」

 

 情報を求められて、彼女はひそひそと耳元でささやいた。

 

「彼はベロベルトだかベルベルトだがベロリンガ……まあ、そんな感じの名前らしい」

 

「そうですか。ペロペルトさん」

 

「ア! ル! ベ! ル! ト! 男爵だ! 覚えておきたまえ」

 

「男爵? シンオウ地方に貴族制度があったとは驚きだ」

 

「イッシュのようにリベラルな地方だと思っていたから意外だよね」

 

「ああ、自称でないことを祈ろう」

 

 ふたりの会話を聞いてアリスがくすっと笑う。同じように笑いかけたトニオの頭に崩れかけた石柱の欠片が降ってきた。直撃だった。痛いぁ、とパンジャは見守っていた。

 

「トニオ! 頭、大丈夫……?」

 

「だ、大丈夫……平気、へいき……」

 

「――アリス、そんなヤツに優しくしてやるこたぁない。陰気な研究に付き合って、君もうんざりしているだろう。君はわたしの未来の妻なんだ」

 

 二人分のどよめきの声が聞こえた。サトシ少年が「へぇ」と事態をのみこめない呟きを漏らしたのが妙に印象的だ。少女が「嘘!」と思わず叫んだのには同感だ。

 

 親し気な仕草でアリスの肩を抱いたアルベルトは、あろうことか彼女にサッと手を払われていた。

 アオイが性格悪そうに口を歪めて「フッ」と小さく鼻で笑う。目は雄弁だった。「もっとやれ」と言わんばかりに見つめていた。パンジャは(バレるよ)と肘で小突いた。

 

「その話は! きっちりお断りしたはずです! ……わたし、まだ結婚なんて考えてませんから」

 

「いやぁ、ごめんごめん、人前で話すことではなかったね。謝るから、さ、どうかね、これから我が邸宅でお茶でも――」

 

 二人分の安堵の溜息が聞こえたのも一瞬。息を呑んであわあわしていると、ふたりの間に割って入る少女がいた。ヒカリだ。

 

「ちょっと、アリスさん、嫌がってるじゃないですか!」

 

 ヒコザルも同調して彼女の足元で騒いだ。

 その様子にアルベルトは一応の余裕をもって応えた。

 

「んん、失礼だよ、お嬢ちゃん。邪魔! さ、行こうアリス。いいお茶が手に入ったところなんだ――」

 

 しかし、アルベルトの手をかわしアリスはトニオに駆け寄った。

 駈け寄られたトニオは、全員の注目を集めてしまいポカンと技を忘れたポケモンのような顔面をさらした。

 

「わたしは、トニオが好きなの!」

 

 一人分の悲鳴が聞こえた。タケシだった。……君、わたしだけではなくアリスさんにも告っていたのか。そのうち刺されるぞ。なんてことを思ったか思わないかという頃、アルベルトの笑い声が響いた。

 

「はっはっはっは! 久しぶりに笑える冗談を聞いたよ!」

 

 冗談で言いだす話にしては、全員が素面だった。

 トニオだけ、自信なさげに眉を下げたまま「冗談だよねー……」と苦笑いをして場を濁した。

 

「トニオ、もう……!」

 

 プイと怒ったようにアリスはそっぽを向く。

 

「アリス……」

 

 ひとしきり苦笑いを済ませた後で、トニオは彼女の名前を呼んだ。

 

「あぁ、よかった。脈なしってワケではなさそうだ。片思いは切ないからねぇ」

 

「――。……?」

 

 パンジャのこそこそ話に、アオイが何かを訴える目で見つめてくる。

 

「何だい?」

 

「いや、私にプレッシャーをかけているのかと思ったのだが、違うのだな」

 

「はい? ああ、わたしは君に婚約を迫るなんて真似はしないよ」

 

 その点、分かっているものだと思っているのだけど。

 そのように伝えるとアオイは表情を硬くして頷いた。

 

「知っている。我々は世界一信頼できる親友同士だと自覚している」

 

「そうとも、そうだとも。親愛なる君、親愛なる友よ」

 

「……しばし……いや、当分は、という話だが」

 

 君がそれを望むならば――と言おうとして、彼の呟きは聞かなかったフリをしておいた。いずれ、相応しい時期というものがあるのだろう。奇跡のようなそれを待つとパンジャは決めていた。その時までに自分の心の準備が済むだろうことも期待しながら。

 

 アオイとパンジャがお互いに情報交換をしようと手帳を開いた、その瞬間だった。

 

 三度、空気が細かく振動するような衝撃が全員を襲った。

 

「まただ……! 何なんだ、この現象は……」

 

「観測が追い付かないな。こうも頻繁だとは――」

 

 アオイが空を見上げる。

 

 エルレイドが警戒の声を発した。

 警戒する視線の先、石造の花瓶が石の擦れる音を立てながらゴトリと地面に転がる。

 誰かが叫ぶ。森の暗所にある草むらは揺れていた。

 

「何かいるぞ!」

 

「ミアカシさんっ」

 

 アオイは、事態が飲み込めず「ぽやぁ」としていたミアカシを拾い上げる。彼の前にパンジャが立った。

 

「……アオイ、下がって」

 

「いや、手を出す必要は無いとも」

 

 体を強張らせながらも杖を突いたアオイはパンジャと目配せする。

 ダークライ。小さく囁いたトニオがアリスをかばうように一歩前に出た。

 

「ここニ、来るナ――」

 

 ダークライの声だ。ざらついた低音。アリスが怖いと身を縮めた。

 

 暗い森に光が差し込む。

 煙のように身を揺らしながらダークライが現れた。

 

「やはり、現れたな、ダークライ!」

 

 意気揚々とアルベルト男爵が不敵に笑う。

 このまま下がろう。

 提案しかけたアオイの言葉をかき消したのは、アルベルト男爵の声だった。

 

「はかいこうせん!」

 

「――彼、ばかじゃないのか」

 

「アオイッ!」

 

 思わずイッシュ語で呟くアオイは、咄嗟に振り返ったパンジャに押し倒された。

 

 そこからの出来事は一瞬だった。

 

 はかいこうせんの一撃を察知し、素早く影に隠れたダークライがベロベルトを翻弄する。少年達がどよめきながら大きな瞳をパッと開く。そして、突如現れたダークライの手に暗いエネルギー弾がたまっていく。シャドウボール、いいや、きっとダークホールだ。

 ベロベルトへ直撃するかと思われたそれは――意外に軽やかな身のこなしで避けたことで、偶然後ろに立っていたサトシ少年に当たった。

 

「ワぁッ!」

 

 驚きの声を残してサトシは倒れた。

 

「アオイ、ダークライが消えた」

 

 パンジャがアオイの上から退く。

 助け起こされたアオイは辺りを見回して確認する。

 

「そのようだな」

 

「探そうか」

 

「研究者であれば、そうするべき――……なのだろう。だが、パンジャ、今はサトシ少年を介抱しなければ」

 

 ヒカリやピカチュウが泣きそうな声で名前を呼ぶ。

 少女の痛々しい声音が耐え難かったのだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 運び込まれたポケモンセンターでは、驚いた顔のジョーイさんがいた。

 けれど、事情を聞くと「ああ、やっぱり」とどこか納得した顔に変わった。

 

 ポケモンセンターの個室で、事情を知る彼らは集まっていた。

 

「いつか、そうなるだろうと思っていました。……あのダークライは、きっと控えめなだけで、戦う手段が無いポケモンではなさそうですし……」

 

「ああ、それに先に攻撃したのは男爵だったから」

 

 トニオは、その一点で納得したようだ。

 

「サトシは、いつ目覚めますか?」

 

「……近くにダークライがいなければ、そう長くは無いでしょう。せいぜい数時間といったところでしょうか」

 

 ヒカリの疑問に答えたのはアオイだった。

 ジョーイが不思議そうに彼を見た。

 

「どうして分かるのですか?」

 

「何度か実験した結果です。――あぁ、申し遅れました。我々は、ダークライの悪夢について研究しているのです」

 

「アオイさん、でしたっけ、ダークライに会ったことがあるんですか?」

 

「……ええ。ここだけの話に留めて欲しいところですが」

 

「それでは、うなされているのは」

 

「何か悪夢を見ているのでしょう」

 

 心配そうにヒカリが彼を見る。

 気遣わしげにピカチュウが鳴いていた。

 

「サトシでも悪夢を見るんだ……」

 

「ちょっと能天気なだけで、いろいろ考えることもあるんだろう……たぶん」

 

 ヒカリとタケシの会話に、すこしだけ安らぎを取り戻していたのはアリスだ。

 

「……でも、どうして。ダークライは滅多に出てこないのに」

 

「そうですよね。わたしも何度か聞きました。今年に入ってから目撃情報が多くて……」

 

 ポケモンセンターは、特性として情報が集まりやすい場所だ。

 ジョーイが言うのならば、それは真実なのだろう。大人達は互いに顔を見合わせた。

 

「ダークライは、非常に賢いポケモンです。そして私の知る『彼』は義理堅い。約束を守るポケモンです。……何か、彼にとって大切なものが脅かされているのかもしれません。ダークライの活動は原因ではなく、原因への反応ではないかと思うのです。街の皆様に心当たりはありますか?」

 

「大切なもの……」

 

 アリスが目を伏せて考え込む。

 けれど、その答えが出てくることはなかった。

 ピカチュウの「じゅうまんボルト」が目映い閃光を放つ。アオイは驚いてベッドを見つめた。

 

「サトシ! 目が覚めた!」

 

「よかったぁ……!」

 

「あれ、オレ……ピ、ピカチュウ! 無事だったんだな!」

 

 錯乱しているのだろうか。アオイが観察しているとヒカリがサトシを揺り動かした。

 

「こ、ここは?」

 

「ポケモンセンターよ。あなたは、ダークライに眠らされて悪夢を見ていたの」

 

 ジョーイの説明に、サトシは思い当たる節があるのか「あぁ」と納得した。

 

「夢だったんだ……」

 

 ベッドシーツに目を落としたサトシは、すこしの間、目を閉じて深呼吸した。

 

「かなり苦しそうだったよ」

 

 タケシがホッとしつつ、眠っている間のことを伝えた。

 話が一段落ついたところで、ジョーイが申し訳なさそうに言った。

 

「ダークライは……普段は、人前に出てこないポケモンなんだけど今回は……ええ、街にいろいろと問題があって難しい時期だったみたい……」

 

「街のみんなからは、嫌われているみたいですね」

 

「ナイトメアのせいで眠っている間に悪夢を見てしまうから、疎まれているわ。……ダークライが何か悪いことをした、というワケではないのだけど、どうしても、ね」

 

「悪夢なんて、誰も見たくないですからね……」

 

 ヒカリが「御免だ」という風に手を振った。

 

「ダークライのやつ……! 今度会ったら絶対にバトルしてやる!」

 

 意気込むサトシにアオイは記憶の欠陥が無いか聞きたいのだが、どうにも興奮してそれどころではないらしい。

 

 パンジャが控えめな咳き込みをした。

 

「――だそうだよ、アオイ。一般の少年少女の意見は貴重だと思わないか?」

 

 水を差し向けられ、彼らの不安を拭うために、アオイは口を開いた。

 

「ええ、皆さん。ダークライの悪夢は、たしかに、仕方の無いことです。健康に害を与える。しかし、それで止まるほど研究者は飽きっぽくないものでね。彼らの体質に意義を与えようというのが、私たちの研究です。つまり、他のポケモンや人と共存できるように暮らしの在り方を考えよう、というものです。実験も成果も、まだまだこれからですが。隣人としてはうまくやっていると自負しています。――彼らにも彼らの事情があることを、どうか理解してほしい」

 

「さっきは、男爵が先に攻撃したし……」

 

 アリスの言葉に、ひとまず彼らの気持ちは収まったようだった。

 

「……怖い思いをしたのだから水に流せとは言わないが、慎重にね。ダークライも君たちの存在を理解しただろう。――ところでサトシ、君、といったね。記憶に思い出せないことはないかな? ダークライの悪夢を見た後は、すこしだけ記憶に不和が発生することがある」

 

「何もありません、けど……」

 

「そうか……。もし、気になることがあったら質問に答えよう。今すぐに……ではなくて結構だ。君も混乱しているだろう。我々はあと数日ホテルに滞在する予定だ。日中は外でフィールドワークをしているが、何か情報があれば教えてほしい」

 

 サトシが頷いたことを確認して、アオイは席を立った。

 

「……サトシ君も起きたし、我々はここで失礼する。街の様子も見てきたいのでね。それではBest Wish!」

 

 トニオには明日も研究室へ通うことの約束を取り付けていた。

 ポケモンセンターの廊下を歩きながら、アオイは隣を歩くパンジャに尋ねた。

 

「パンジャ、そろそろホテルにチェックインしてもいい時間だったな」

 

「ああ、午後三時からだ」

 

「荷物を置いてから、街のフィールドワークをしよう」

 

「了解した」

 

「……謎がその辺に転がっている状況は、何だか落ち着かないな。ダークライが、理由もなく暴れているワケがない」

 

「その話だが、気付いたか?」

 

 何が。

 パンジャは荷物を背負い直した。

 

「トニオさんは、その話になったら顔色を変えた。何か知っているのかもしれない」

 

「よく見ていたな……気付かなかった」

 

「人の顔は良い。情報が飛び交う、刈りたての芝生のようだ。人の顔を見るのは得意だとも」

 

「では、私の顔には何が見える?」

 

 試すように顔を向けると彼女は視線を彷徨わせた。

 

「……さぁ。読めない。わたしは、君の顔だけは読めない。君の顔にうっかり拒否を見つけてしまったら悲しいから、心のどこかで理解したくないと思っているのかも……」

 

「私は大らかな性格ではないが――君に狭量な男だと思われるのは我慢ならないな」

 

「んー、それじゃ足が痛いとか、そういうこと考えているんだろう。眉間に皺が寄っているもの」

 

「当たりだ。……運動不足にはこたえるよ」

 

 今日は、長い橋を渡り、庭園のなかを走り回った。普段の活動量からは考えられない足腰の酷使にアオイは立っているのもやっとだったのだ。

 途端に鈍くなる歩行に、抱かれていたままのミアカシがアオイの腕を叩く。

 ――早く、早く。

 ミアカシに急かされて困っているアオイは何だか妙に可愛らしく見えてパンジャは笑った。

 

「わ、笑うことないだろう」

 

「ごめん、ごめん。ほら、支えるよ。休みながら行こう」

 

 そうして。

 彼らは、ポケモンセンターを後にした。

 

 

 




【あとがき】
 だいぶ間が空いてしまいましたが、出来上がったところまで投稿します。
 お読みいただきありがとうございます!


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前夜祭の日

 

 夕方から夜にかけて、アラモスの天空を花火が彩った。ポケモンコンテストの会場で花火が上がっているらしい。今頃、時空の塔は大盛況だろう。

 アオイはホテルの前に広がる公園、そのベンチに腰を掛けて項垂れていた。

 

「ホテルとは……ツインとは……ダブルとは……私は……いったい……」

 

 今回の遠出に関し、パンジャに苦労をかけまいと気をまわしたアオイであったが、結果は酷いものだった。

 ホテルにチェックインした。そこまでは良かった。手渡された鍵が一本であることにアオイは首を傾げる。――思い返せば、パンジャはこの時すでに笑っていた。いいや、よく見ればアオイの名誉を気にかけて我慢しようとしてくれていた。だが、彼女がしかめ面しているのに気になって、アオイから問いただしたのだ。

 

『アオイ、ダブルで部屋を取ったの? いいや、構わない。構わないけどね』

 

『ツインとダブルは何が違うんだ? ツインって双生児用の部屋なのだろうか? シンオウには変わった風習があるんだな……』

 

 しみじみと言うアオイの言葉で、パンジャの我慢にも限界が来た。悪い悪い、と言いながら、彼女はお腹が痛くなるほど笑っていた。

 アオイは、ホテルのホールは彼女の笑い声がよく響くのだな、と天井を見ていた。

 ようやく笑いが引いた頃、彼女はアオイの肩を叩いた。

 

『ツインは、シングルベッドがふたつある部屋のことだ。ダブルはダブルサイズのベッドがひとつある部屋のことだよ。うっく、くく……君の顔を見ると……笑ってしまう……怒らないでね……』

 

『――は? んん? ダメじゃないか、これ。ダメじゃないか! ――すみません、部屋の変更は!?』

 

 ポケモンコンテストがある連休に空き部屋があるワケがなく、ふたりはダブルの部屋を使うことになったのであった。

 夜風が目に染みる。ドライアイ気味の目を瞬きしながら、花火を見上げた。

 同じベンチに座るミアカシが「はじけるほのお」を吹き散らす。

 

「……ケープが焦げてしまうよ」

 

 夜風をしのぐために羽織ったケープに落ちた煤を払う。

 ミアカシは花火に大興奮だ。夜の冷たさ以外の要因で手足が冷たくなっていることに気付いたアオイは手をすり合わせた。

 ヒトモシは、ひとの生命力を吸うポケモンだ。彼女の燃料になるのも、薪になるのも、自分に相応しい結末だと常日頃考えているアオイだが今日の今ばかりは、都合が悪い。――というか、自分が格好悪くて落ち込む。パンジャが使うシャワーの音に耐え切れなくなって部屋を出てきてしまった時点で、もう世間体とか格好良さは底を這っているのだから開き直れば良いじゃないか。そう考えて自分を立て直す。

 

「……いつも通りの君だけが、救いだよ」

 

「モシ、モシモシ?」

 

「それにしても、花火か……こうして見ると綺麗なものだな……」

 

 街灯に照らされる公園であっても炎の祭天は見上げることができた。そして、爆音。体を突き抜けていく天上の鼓動は驚きから心地よさに変わっていた。

 

 今夜は、明日から始まるポケモンコンテストの前夜祭が行われている。花火は前夜祭のフィナーレを飾るのだとパンジャが言っていた。

 

 ほう、と息を吐く。真似をするように隣に座るミアカシが息を吐いた。

 

「ははは……」

 

 アオイは手袋を外してミアカシの温いからだに触れた。小さな手だ。

 ――握手? 握手だ! とばかりに、彼女はアオイの指をギュッと握った。

 

「ありがとう。まだまだ頑張れるよ、私は」

 

 アオイは目を細めて伝えた。愛を知らない身だが、恐らく、これがひとつの愛というものだろう。彼女のことを無性に大切にしたいと思う。触れる度に強く思った。

 

(私は、もっと彼女に見せてあげたい)

 

 この世界は、生きるに値する世界だ。生まれるに値する世界なのだ。

 

 アオイが信じる思いを彼女にも知って欲しい。

 そのために世界を知ることが必要だ。

 薄く汚れた革靴の爪先を見つめる。そして、もう一度、空を見上げた。

 

「……いつか、旅をしよう。興味の赴くまま、いろんなところに行こう。今回のような旅行ではなくて。今日出会った彼らのように、旅をしよう。その時は、ダークライも一緒にね」

 

 ミアカシの焔がピョンと揺れた。

 ハクタイシティのアオイの家は、ハクタイの森の近くにある。ふたりはその森の奥に住み込んだダークライと仲が良かった。アオイは畑に植えたきのみを分け合うという条件、そしてダークライは彼の研究に参加するという条件のもと良き隣人として生活している。

 

 ダークライを街から追い出したところで世界は何も変わらない。爪弾きにされた嫌われ者が別の場所に行くだけだ。だから「ここにいよう。いてもいいよ」。そんな言葉がダークライ――便宜上、彼とする――にも必要だ。

 

 嬉しそうに「モシ、モシ!」と言う彼女に、アオイは微笑みかけた。

 

「彼って意外に外に興味があるだろう? 放っておくとずっとテレビ見てるじゃないか。旅番組なんて大好きらしい。だから、声をかけたらついてきてくれるんじゃないかな」

 

 楽しげに頷くミアカシは、ワクワクしているようだ。

 未だ問題の全容が窺えない現在ではあるが、アオイの気分は幾分楽になっていた。

 

「ダークライも来ればよかったのにね。私も、もう少し粘ってみるべきだったか」

 

「モシ?」

 

「ああ、この旅行の前に彼に声をかけたんだよ。でも、気乗りしないと言ってね。今頃、きのみの番をしているだろう――」

 

 その時、街灯が当たらない草むらの揺れる音が聞こえた。

 杖を持ち、ベンチから立ち上がった。空気は祭りの余韻を無くしていた。風だろうかと空を見上げる。けれど雲の動きは鈍い。

 

「ミアカシ、照らしてくれないか」

 

「モシ!」

 

 はじけるほのおが空間を明るく照らす。

 草むらに立っていたひとりの少年が大きく口を開けた。

 

「君は、サトシ君? おや、お仲間はいないようだが」

 

「こんばんは! 何だか眠れなくて。皆は時空の塔からポケモンセンターに戻ったんです」

 

 ランニングをしていたという彼は、落ち着かないように髪に触れた。

 

「アオイさんは? パンジャさんは」

 

『私がホテルのダブルを選んでしまったばかりに、彼女と一緒が耐えきれず外を散歩していました』等と正直に言えず「考え事をしていてね」と言った。

 

「ダークライのことですか? さっきダークライって言葉が聞こえて」

 

「あぁ……聞いていたのか。まあ、ダークライのこともすこし。私は、旅をしたことがなくてね」

 

 草むらから飛び出してきたピカチュウが、ミアカシの前に現れた。ミアカシは、ぴょこぴょこと動く尻尾に夢中になっている。

 ふたり並んでベンチに座った。

 

「もうすこし時間ができたら、家で暇をしているダークライに声をかけてみてもいいかな、と」

 

「旅はいいですよ! いろんなポケモンとバトルできるし、いろんなポケモンと出会える!」

 

「……君は、負けたことだってあるだろう。悔しくないのか」

 

 ひどい挫折から長く立ち上がれなくなった経験を持つアオイは、気になったことを聞いてみた。

 

「そりゃもう、悔しいですよ! 今日だってダークライにやられたし眠れないくらい悔しい。でも、みんなの力を合わせて勝てたときは『やったぜ!』って思うし、みんなで良かったと思うんです」

 

 熱を込めてサトシは言った。

 その顔を見て、心の機微に疎いアオイでも分かることがあった。

 

(この子は、良い旅をしてきたのだな……)

 

 人とポケモンの出会いが、人生を作るのなら――きっと彼は良い出会いに恵まれたのだろう。

 おそよ、アオイが見捨ててきたものに囲まれて。

 

「……君は、これからも旅を続けるんだね」

 

「はい、そうです」

 

「旅はいつ終わるのか、聞いてもいいかな」

 

「え? 考えたこともなかったっていうか……。いつでも終わることができる、のかもしれません。リタイアはいつでもできるから」

 

「野暮なことを聞いた。申し訳ない。私という大人は、どうにも逃げ道ばかり探してしまっていけない」

 

 どう答えたものか迷う少年の横顔に微笑んで、アオイは杖を握った。

 

「明日も早いのだろう。私は早い。きっと君も早い。悪夢を恐れず、休むといい。……なんとなく予感なのだが、ダークライが表に出てきているとは、我々の考える以上に事態は深刻なのかもしれない。眠れる時に眠るべきだよ」

 

「ありがとうございます。オレも戻ります。――ピカチュウ! 行こうぜ」

 

 ミアカシは、ピカチュウの尻尾に飛びついては電撃を食らっていた。痺れて身代わり人形のような顔になっている。

 

「……だ、だいじょうぶ?」

 

「モシィ……!」

 

 ちょっとクセになった顔してる……。

 アオイは気を取り直して、サトシを見た。

 

「それじゃ、おやすみなさい!」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

 ホテルに戻ったアオイを待っていたのは、パンジャの白い背中だった。

 テレビを見ていた彼女は、彼が帰ってきたことに気づくと画面を消した。

 

「何を見ていたんだい」

 

「映画だよ。とてもつまらない映画だ」

 

「へえ。どんな」

 

「世界が滅亡する時に何をするとかしないとか。まあ、そんな感じだ」

 

 彼女は本当に興味が無さそうに言った。そして、ブラウスを羽織る。

 アオイはシャワーを浴びた後、ベッドに寝っ転がった。パンジャにお茶を入れようかと言われたが、断った。

 

「まあ……君が飲むのなら、飲むが」

 

 視線だけ送ったアオイは、パンジャがお茶を入れる音を聞いていた。

 モバイルを操作して今日のニュースを確認する。

 やはりアラモスタウンの異変について報じているものはない。

 

(情報統制か? いったい誰が? 何のために)

 

 パンジャは不意打ちにミアカシをアオイの胸に乗せた。

 

「まだ21時じゃないか!」

 

「もう21時とも言えると思わないか?」

 

 モシモシ、とミアカシは元気に手を振った。

 パンジャはカップを置くと背負ってきた鞄を掲げた。

 

「まだトランプもやってないし、すごろくだって、人生ゲームだってやってないじゃないか!」

 

「学生かっ!」

 

「もうちょっと話したいんだよー、分かってよー」

 

 パンジャは横になっているアオイの腹に顔を押しつけた。

 感覚がどうこうより、視界に飛び込んでくる映像で頭を殴られる。

 こそばゆい思いに駆られてアオイは飛び起きた。

 

「い、いぃ、家に帰ってから話せばいいだろう! 私は逃げも隠れもしないんだから!」

 

「いま話したい気分なんだよー」

 

 パンジャは、ころんとアオイの隣で背を向けて丸くなった。

 何だか今日のパンジャは人懐こい。

 ミアカシと顔を見合わせてアオイは考える。そして思い至った。

 

「ははぁ! 君、映画の内容を考えて恐くなったんだろう?」

 

「わたしは映画もドラマも嫌いだ。あんなもの見なきゃ良かった。感情移入し過ぎて疲れる」

 

「そういうものか」

 

「そうなの」

 

「そうか。では、気分を直して私とお茶を飲もう。すこし話をすれば君の不安も落ち着くだろう」

 

「うーん……そうしようか……」

 

 むくりと起き上がった彼女の背中を押して椅子に座らせる。

 

「面倒くさい友人と思うでしょう。君に幻滅されたら生きていけないのに」

 

 ひとくち、ふたくち。

 二人は、同じ色の水面を見つめていた。

 

「私が君のことを悪く思うわけないだろう。それこそ被害妄想というヤツだ。まぁ、君はあれこれと気を回しすぎないことだ」

 

「分かっているけれど……わたしは、君のことが大切なんだ」

 

 パンジャは、街に入りダークライに出会ってからピリピリしているようだった。

 

「私も同じ気持ちだ。君が私を思ってくれるように、私も君を大切に思っている。だから、何度だって言うとも。幸いなことに、今回の事件は私たちだけの問題ではないし、私たちが解決すべき問題ではない。……正直な話をするとね、事件に関しては『お手上げだ』と逃げを打つことも、まあまあ悪い選択肢ではないと考えている」

 

「それは……」

 

「この街の誰に何の情報を伝えようが、私たちの本当の目的は変わらない。『裏側の世界』だとか『やぶれた世界』だとか。何だか良く分からない『何か』の情報が得られないかと留まっているだけだ。すべて私の望みのために。だから、私は無理をしよう。足で稼ごう。命を張ろう。そう選んだのだから。でも、君は私に付き添ってくれているだけだ。……あまり無理をしないでほしい」

 

「わたしの不調は、君に理由を求めない。分かっている。大丈夫」

 

 言葉少なく言う彼女はすっかり空になったカップに口づけた。

 アオイも半分ほど減ったカップを揺らした。

 

「私が常に正しいわけではない」

 

「それも知っている」

 

「問題は、明日だ」

 

 ダークライが現れた理由。

 日に何度も現れた空間の歪み。

 この町の人は、それがここ数ヶ月の当たり前と語る。それが異常だ。

 

「何か起きるとしたら、ここ数日だ。大きな質量が現れて、この町のどこかにいることは確かなのだから」

 

「何かって何だと思う?」

 

「見当がつかないが……」

 

 沈黙のうち、脳裏にひらめくのはディアルガとパルキアだ。

 神話に語られるポケモンならば空間の鳴動を『起こせる』かもしれない。

 

(しかし、こんなところで?)

 

 アラモスタウンは、ただの町だ。時空の塔があるだけの町だ。

 どうして、ここなのか。

 

「神話のポケモンかもしれない、なんて、言ったら……君は笑うだろうか」

 

「まさか」

 

 その言葉は、何を差したものか。

 パンジャは目を見開いたまま、口を覆った。

 

「……その『まさか』なら」

 

 現実に当てはめる情報のピースを探す。

 そして夜は更けた。

 

 




【あとがき】
 今年一年、ありがとうございました。
 あまり進まなかったのが、申し訳ないです。
 次話から、映画の内容に踏み込んでいきます。
 来年もお楽しみいただければ幸いです。

 最近は、新作も発表された影響でポケモン界隈が活気づいていてとても楽しいです
 ポケモンは いいぞ……


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白昼夢の予感

 

 町は、祭り最中だ。

 根暗な性格であるアオイが、ちょっとだけ気後れするような陽気が町中に溢れている。

 

「すごい人混みだ」

 

「ああ、すごいねぇ」

 

「何も知らないのは、こんな時に幸いだな。町の異変などまるで遠い国の話のようだよ」

 

 陽気さに救われるね、とアオイは内心に思った。

 ダークライの影響など軽微だと感じさせてくれる。町の雰囲気に飲まれそうになりながらアオイは歩く。

 パンジャがいないと振り返れば、露店でジェラートを買っていた。今日の彼女は、外の雰囲気が気になっていたバニプッチと一緒に歩いていた。

 

「頭にキーンとするのがいいね。アオイも食べる?」

 

「わ、私は遠慮しておこう……」

 

「そう? おいしいのに」

 

 ペロペロしているパンジャとバニプッチを視界の端に追いやって歩く。そうこう話しているうちに時空の塔へ着いた。

 地下のトニオ研究室へ向かう。

 地上の喧噪はいよいよ遠くの出来事に感じられた。

 

「こんにちは、トニオさん」

 

 研究室の扉を開けると山積みの本が出迎えた。

 

「こんにちは。昨日は大変でしたね」

 

「いえ。トニオさんはあれから解析だったのでしょう。お疲れ様です」

 

「解析結果はまだなんですが、昨夜すこし興味深いものを見つけました」

 

 そう言ってトニオが取り出したのは、一冊の古びた手帳だった。

 

「これは?」

 

「ゴーディの日記です。このなかに写真とダークライの記述が、ありました」

 

 彼が提示したページをのぞき込んだ。

 

「『アリシアが、庭園でダークライに会った』……アリシアとは、誰のことです?」

 

「アリスのおばあさんのことです。ダークライが庭園に流れ着いた時、庭園のポケモン達と争いになったと綴られています。……見慣れない侵入者を追い出そうとしたんでしょう。そこで、傷ついたダークライとアリシアさんが出会い、どうやら心を開いたらしいのです。それからずっと庭園に住み続けている」

 

 そんなことがあったのか。

 今も昔もダークライに手を差し伸べた人は、少ないながらも存在したらしい。

 ホッとした気持ちになったアオイは、無自覚のうちに胸に手を当てていることに気づいた。

 

「そして、これからが重要な記述なんですが――ゴーディは、この町に起きることを予知していた」

 

『悪夢は私にやるべきことを教えようとしていた。未来のために、私は「オラシオン」を残さなければならない』

 

 悪夢に関する日記の記述は、それ以上のものはないようだった。

 悪夢の示唆を受けた、それ以降、ゴーディの人生は時空の塔の設計と建設に移行し、終えた。そして、いまに至る。

 

「――それで、オラシオン、とは?」

 

 パンジャの質問は、やや軽めのものだった。

 それもそのはず、アーティスト・ゴーディの系譜は百年経った現在まで続き、その末裔がいま目の前にいる。だから『まさか分からないはずがないだろう。HAHAHA』なんて楽観をしていた。それはアオイも同様だった。

 

 そのため。

 

「いやぁ……それが……さっぱり分からなくって……」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

 三人の声は、折り重なった。

 

「オ、オラシオン……わ、分からないんですか? え、え、え、あの、『シンオウ・ジョーク!』とかではなく?」

 

 パンジャは思わぬ疑問を掘り当ててしまった、と顔色を悪くしていた。その色は先ほどまで食べていたシャーベットの冷感色に似ていた。それに応じるトニオの顔色も優れない。

 

「い、いえ、ジョークではなく、本当に、分からないんですよ。これがポケモンなのか、物体なのか、概念なのか、さっぱり分からないんです。僕こそあなた方に聞こうと思ったくらいなんです」

 

「アオイ、心当たりは?」

 

「残念ながら……としか。しかし、アーティスト・ゴーディが遺そうとしたものでしょう? どこかに隠し込んでいるとは思えません。『万一の時』、悪夢が予言した日のために使われなければ意味の無いものなんですから。つまり」

 

「つまり?」

 

「実は、その辺にありふれているもの、かもしれませんよ。この街にだけある、特別なものはありませんか?」

 

 それらしいことを言うものの、アオイはまったく自信が無かった。

 この街にあって、ほかの街に無い物といえば『時空の塔』だが、時空の塔の別名が『オラシオン』だとは聞いたこともなければ、そのように呼ばれた事実もなく、ゴーディの日記も『時空の塔』の表記で一貫している。

 

 事態を打開する術は、百年前に作られ、紛失しているらしい。

 その事実に打ちのめされている三人は、俗に言う、お手上げ状態に近い。

 

「アーティスト・ゴーディは優れた建築家であり、発明家だったと聞きます。何か、発明品のなかでそれらしいものは?」

 

「代表的な発明品に、音盤があります」

 

「音盤?」

 

 トニオは立ち上がると部屋の隅に置いた円形の機械を手に取った。機械といっても精密機械には見えない。歯車と金属の線と板を組み合わせた簡素な作りだ。

 五キロほどのそれを受け取ったアオイは中を見た。整備用の油を差すために作られたのぞき穴からは複雑に噛み合う歯車が見えた。

 どんな音が鳴るのだろか。――中身が気になるのか手を伸ばそうとするヒトモシのミアカシを遮りつつ、ふむふむ、と確認し、パンジャに渡す。

 

「定時になると時空の塔は音楽を鳴らすのですが、それを再生するために使う音源盤です。今で言うコンパクト・ディスクですね。――でも、それをオラシオンとは呼ばないので……」

 

 うぅん。

 三人は唸る。詰んだ。誰もが心の中で呟いていた。

 外から軽やかなノックが聞こえたのは、そんな時だ。

 

「トニオ、入るわよー」

 

「やあ、アリス」

 

 少年少女の歓声が聞こえる。アオイは振り返り、入ってきた客人を見つけた。そのなかに。

 

「こんにちは、アオイさん!」

 

「こんにちは。よいお日柄ですね」

 

「やぁ、元気そうで何より。君は、体はもう大丈夫かい?」

 

 パンジャが隣で、ひらひらと手を振り。少年達に声をかける。

 

「もう、バッチリですよ!」

 

 彼らの注意が逸れたところで、アオイはテーブルに立てかけていた杖を握った。

 

「――先の件は、お互いに『宿題』ということで。私の方も知人をあたってみますよ」

 

「ありがとうございます。僕ももうすこし日記を探してみます。打開策が分かれば、もっと良い手段も見つかるかもしれないので」

 

 アオイとトニオはお互いに頷き合った。

 

「パンジャさん、それは?」

 

「これは音源盤、通称『音盤』という物でこの塔を鳴らすものらしいよ。――そうだ。アリスさん、先ほど十時の音楽が鳴りましたが、こうした音盤で鳴らしていたものなのでしょうか?」

 

「ええ、そう。十時と十二時、十五時と十六時に鳴らすの。本棚の上に置いてあるのが、音盤よ」

 

 アリスはそう言って、トニオの研究室の本棚を差した。

 

「塔の中に女の子とポケモンのモニュメントがあったでしょう? あの台座にもたくさん音盤を収めているのだけど、収まりきらない分をここにも置いてるの。トニオが時々、劣化した部品を取り替えているのよ」

 

「年代物だからね」

 

「はいはいっ! わたし、やってみたい!」

 

 目を輝かせたヒカリが勢いよく挙手した。 そのことに、きょとんとしたのはトニオとアリスだった。

 その理由に、音盤を鳴らすことに興味があったアオイは諦めた。

 

「えっと、最上階まで歩きなんだけど、大丈夫?」

 

「だいじょうぶです!」

 

 華麗にピースしたヒカリ。そして彼女のポケモン、ポッチャマも勢いよく胸を叩き――後ろにコロリと転がった。

 

「オレも行きたいです!」

 

「じゃあ俺も!」

 

 サトシとタケシも続き、トニオが「オッケー」の返事をした。

 伺うような視線を受けて、アオイは目を泳がせた。

 アオイは足が不自由だった。しかも昨日の無理がたたり筋肉痛がある。数階程度の階段の上り下りならば耐えられそうだが、背筋を反らして見上げなければらならない時空の塔への巡礼は無謀だった。

 

「私は遠慮しておこうかな。パンジャ、君はどうする」

 

「わたしは登ってこようかな。写真を撮って来て君に見せるよ」

 

「分かった。では、ミアカシさんを連れていってくれ。頼むよ」

 

 ワクワクしているミアカシは、アオイの言葉を待たずパンジャにくっついた。

 それを見て、咄嗟に「私も行くよ」と言いかけたアオイであったが、やはり体力不足は誤魔化しきれないだろうと思い至り、リグレーに慰められながら一階で待つことにした。

 

「――それにしても、オラシオンだ。いったい何なのだろうね。いつか使うべきものをしまい込んではいないだろうが……。オラシオンは、物、やはり物なのだろうな。街に異変が起きる事態に対応できる物は何か。事態の解消ができる物、という観点から考えてくべきか」

 

 ピピピイピ、とリグレーが音を鳴らす。

 ふわふわと宙を漂ってアオイを癒やすリグレーに、何となく笑みがこぼれた。

 

「ヒイロなら、きっと片手間に解決してしまいそうな事件だよ。あ、さすがに過大評価しすぎかな……」

 

 手帳を開き情報をまとめる。

 書き終わり、手帳を閉じた時。

 遂に音楽は天上から鳴り響いた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「とても素晴らしい機構だったとも! 巨大な弦を巨大なハンマーが叩く――あの構造はピアノだ。螺旋のピアノだったよ。わたしはね、てっきりパイプオルガンのような空気の機構を想像していたのだが。あれは驚くべきことに百年前の建設以後、電気で動いているそうだ。うーん、やはり天才とは世の中にいるものだね」

 

「そのようだ。へぇ……面白い作りだね……」

 

 パンジャの撮ってきた写真データを閲覧しつつアオイは素直な賞賛を述べた。非の打ち所などあるわけが無い。世にも稀で、しかも美しい構造物だったからだ。また、音楽も格別だった。塔の内部の音は反響し、細かな振動が体を震わせる。音と一体になったかのように感じる鳴動は、いかなクラシックホールでも再現が難しいだろう。

 気球で地上に降りてきたパンジャの声は弾んでいた。彼女だけでは無い。大興奮のミアカシとリグレーが円を描いて駆け回っていた。

 

「ふむ。――そろそろ昼だ。休憩しよう」

 

「はーい」

 

 外の景色が見える喫茶店に入る。キッシュとコーヒーを注文して、時空の塔前広場を見るとサトシ少年達がポケモンバトルをしていた。

 

「げ、元気だなぁ……」

 

「サトシ君は、スゴイよ。徒歩で最上階まで登ったのだからね」

 

 途中から気球を使ったんだけどね、と時空の塔の中程に留め置かれたままの気球を見遣る。なるほど、上まで登るには直線でも良いらしい。今日のように風が穏やかな日は気球で運搬した方が疲れにくいだろう。とはいえ。

 

「君は?」

 

「もちろん、徒歩だよ。十歳で成人といってもまだまだ危なっかしい年頃だから大人がついてあげないと、てね」

 

 彼女らしい気の回し方にアオイは肩を落とした。昨夜の会話がちらついたのだ。

 

「……まあ、無理をしないことだよ」

 

「分かってるとも。あ、ガレットも美味しそうだなぁ」

 

「三分の一程度なら食べられる。追加で注文してもいいんじゃないか」

 

「ああ、そう――」

 

 穏やかな会話の途中。

 妙な喧噪が、にわかに大きくなる。

 

 アオイとパンジャだけではない。同じテラスで食事を摂っていた人は手を止め、ポケモンは空を見上げ、バトルは静止した。

 理由を探し、いくつもの目が動く。耳を澄ませる。唾を飲み込む。

 

 ――ポケモンの咆哮? ワザの激突?

 

 いいや、そのどちらでもない。

 それは、空間に響き渡る叫び声のようだった。

 喉を引き絞るかのような、悲痛な叫びだ。――では、音の出先は、どこか。

 

 空間に満ちる声は、けれど、最初の方向性があった。

 

「――時空の塔だ」

 

 誰かの言葉に、アオイは椅子を蹴って空を見上げた。

 その瞬間。

 空は、一度だけ小さな閃光を放ち消えた。

 

 意味するものは、空間の途絶。

 世界が均衡を放棄した、最も長い一日がアラモスタウンに訪れようとしていた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 後に、アラモス事件と呼ばれる神話で語られるポケモン達の争い。

 これは、観測者の“私”が見た事件の一側面だ。

『誰が』

『何のために』

『どうやって』

 謎を解することができない以上、この記錄は理路整然としたものになり得ないだろう。私は、すべてを知らないが故に、語ることはできない。

 

 これは、記錄だ。

 

 だが、これにこそ私が欲する『世界』の秘密があるはずなのだ。

『神話の実証』こそ私の望む情報の手がかりになるはずなのだ。 

 

 世界は未知で満ちている。

 その未知を手ずから摘んでこそ、私は初めて貴女と対等に会えるのだと心からそう思うのです。

 

 




現在で映画の35分程度が経過したところです。
長いようで短いですね……


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疑惑のなかでこそ

「空が、光ったよね……?」

 

 ヒカリの言葉にその場にいたほとんどが同意を唱えた。

 時空の塔の尖塔から離れた閃光。

 

「何か影が見えたような。アオイ、見えたか?」

 

「――いや、私の目には何も。あぁ、でも、しかし」

 

 目を見開いたまま、アオイは思い起こすことがあった。

 昨日見たデータのことだ。

 

『すでに、この町には巨大な質量を持つポケモンが現れている』

『空間を司るポケモンは神話曰く存在する』

 

 パルキア――と言うらしい――神話のポケモンが存在するとしよう。

 固めた拳を額に中ててアオイは考える。

 現状、起こっている事象を説明するためにパルキアの存在は都合が良い。ダークライよりも説得力がある。

 だが、アオイにとって不気味に感じることは――。

 

『何のために?』

 

 伝説のポケモンが、この街へ何の用だというのだろう。

 

(時空の塔。ゴーディ。音盤。ディアルガ。時間。パルキア。空間。庭園。ダークライ。そして、オラシオン――全てを繋ぐ関連とは何だ? そして、どうしてこんなことになっているんだ?)

 

 自分の知らないところで世界の異変に関わる大きな出来事があった――なんて、突拍子も無いことしか思いつかない。

 いいや、いいや。アオイは頭を振った。こんな考えは、都合が良すぎる。

 自分にとって都合の良い考えは、たいてい間違っていて、歩く先には巨大な落とし穴があるに決まっているものだ――。

 唸るアオイの肩をパンジャが揺さぶった。

 

「アオイ! ダークライだ!」

 

「なに?」

 

 でていけ、と暗い声が聞こえる。

 辺りを見回すアオイは、目的のダークライよりもベロベルトを見つけた。

 

「たしか、かれはベロベルト伯爵の」

 

「アルベルトだよ、アオイ」

 

 彼らの視線の先、ようやくダークライをとらえる。――マズイことになった。

 アオイは秒刻みで膨らむ不安に怯えた。ここにいる誰も、現在『何が起こっているか』正確に把握している者はいない。ただ、漠然とした恐れだけが空間を占め切っている。そこに、世間の嫌われ者が現れたらどうなるか。その結果は、火を見るよりも明らかで、現状が教えてくれた。

 

「見つけたぞ、ダークライ! ここで私が成敗してくれる!」

「キャーッ! 男爵カッコイイーッ!」

 

 自信満々に言い放つアルベルト男爵。はやしたてるレポーター風の女性が、黄色い歓声を上げた。

 

「なんだあれ」

 

「テレビではないかな。ともかく、これが必要だ」

 

 パンジャが気を遣い、抱えている帽子をアオイに渡した。世間に晒されると少々苦しい事情があるアオイは大人しくそれを受け取り目深に被った。

 

「アオイ、わたしの後ろに」

 

「ダメだ。このままでは、ダークライと彼らは戦闘になるぞ。止めなければ――」

 

 杖を持って歩き出そうとしたアオイはパンジャに手を掴まれた。

 

「下がるんだ。下がってくれ」

 

 彼女に強く腕を引かれ、アオイは態勢を崩した。

 

「パンジャ! 君は、ダークライがどうなってもいいのか?」

 

「自分がどう思われているか知りながら、ノコノコ出てきたんだ。彼だって覚悟しているだろう。戦闘に巻き込まれたら危ない。だから下がって」

 

 アオイがパンジャを説得する時間は無かった。

 勢いよく啖呵を切った男爵、そしてベロベルトは攻撃を仕掛けた。

 

「あ。待って――」

 

 ダークライは、ベロベルトのジャイロボール攻撃を跳んで避ける。

 続けざまの『はかいこうせん』を宙で躱す。天に掲げた両手に、闇色の球体が見えた。

 その技が何なのか。アオイは知っていた。

 

「ミアカシ! 来るんだ!」

 

 地面で戦闘を見上げていたミアカシがアオイに跳びつく。パンジャに抱えられるように街路樹の陰に身を潜める。

 その瞬間、闇が爆ぜた。悪夢が降ってくる。

 ドタドタとポケモン達が倒れる音。人々の悲鳴。逃げるポケモン達。陰からはさまざまな光景が見えた。

 無差別にポケモンを襲ったダークホールにより、戦闘の意欲有る無しに関わらず立っているポケモンは、減っていた。

 

「タケシ君――」

 

 ウソッキーを背負って広場を離れる人に、パンジャは目をとめた。

 ヒカリのブイゼルがみずてっぽうで離脱を援護していたが、再び襲ったダークホールでふらつき倒れた。

 

「でていけ!」

 

「ダークライ? ……我々に?」

 

 それは、人間に言っているのだろうか。

 ダークライは素早く身をかわすと暗い路地の隙間に消えていった。

 

「――待て!」

 

 咄嗟にサトシが駆け出す。

 パンジャの意識が人々に逸れている。アオイは、できる限り足を動かした。

 

「ミアカシさん、行くよ!」

 

「モシ!」

 

 樹木の陰から駆けだしたアオイは路地に満ちる放電の気配に杖を握った。

 イッシュ地方には『でんきいしのほらあな』と呼ばれる洞穴があるが、一時でもその磁場と負けず劣らずの強烈な電気がある。光を見れば、それはダークライと交戦中のサトシのピカチュウだった。

 

「ボルテッカーを凌ぐのか。なかなかのダークライだ……!」

 

『じゅうまんボルト』、『ボルテッカー』。

 ピカチュウの隙の少ない技の攻勢を『かげぶんしん』でくらましたダークライは、ピカチュウをジッと見つめて対峙した。

 その様子が、おかしい。敵意が無い。やはり、ダークライは原因ではないのではないか。

 

 ――やめろ、違う。

 

 ダークライは、たしかにそう言った。

 

「なに……?」

 

 サトシが一瞬、戦意を削がれたようにキョトンとした。

 

「待ってくれ! ダークライ、話を――」

 

「待つのは君の方だ、アオイとやら。ダークライは私の獲物だ。すっこんでいろ――いいや、任せてもらおう」

 

 鷹揚と言い放ったのは、アルベルト男爵だ。

 ベロベルトが、ピンク色の巨体を揺らしピカチュウの前に進み出た。対するダークライの雰囲気がピリついたものに変わる。ベロベルトの顔つきは愛嬌があるせいで人間はつい彼らを侮ってしまう癖があるが、ダークライはその実力に一目置いているらしい。『はかいこうせん』を撃てるだけの力量が、男爵のベロベルトにはあるのだ。

 

「ベロベルト! はかいこうせん!」

 

 肌にビリビリと感じる高エネルギーの収束。それが放たれると同時に、アオイはダークライの姿を見失った。

 

「どこに……」

 

「アオイさん、上です!」

 

 サトシが指さす先に、ダークライはいた。間一髪で上空に避けた彼はすぐさま反撃に転じた。

『はかいこうせん』は強力な技だが、反動でその後の行動は鈍くなる。驚くベロベルトに、ダークホールが直撃した。

 

「お、ぉぉ! ベロベルト! クッ!」

 

 アルベルト男爵が、ダークライを睨みつける。彼はそれに取り合わず、現れた時と同じように影の中に溶けて消えてしまった。

 

「消えた……」

 

「戦闘は、彼も本意では無かったのだろう。今回も先に攻撃したのは、男爵だ。……ミアカシ、ダークライの気配は感じられるかな?」

 

 魂の存在を感知できるのであれば、あるいは、と思ったがミアカシは「モシ?」と体を傾げるばかりだった。もう、この付近にはいないのかもしれない。

 

「ダークライは、強いだけではなく素早い。それが発見を困難にしている理由のひとつでもある」

 

「へえ……。これから、どうすればいいだろう。『出ていけ』と言っていました」

 

「ああ。私も聞いたよ。……『人間に』言っていたにしてはおかしな話だ」

 

「どうしてですか?」

 

「それはアラモスタウンが観光地だからだよ。短くとも百年前から住み着いているダークライが、今さら人間を排除にかかるなんておかしな話だ」

 

 ピカチュウが石畳の間を小さな手で叩く。何も出てこない。

 

「それなら、たしかに、おかしな……」

 

 顔を上げたサトシが、アオイの背後を見てぎょっとした顔をした。

 

「? どうしたの?」

 

「ア、アオイさん、う、うしろ……!」

 

「えぇ? ……え?」

 

 アオイが振り返ると、そこにはビーダルがいた。ただし、半透明で浮いている。

 それは空中を走るように動き回り、やがて建物の壁に消えていった。

 

「私、疲れているのかな……」

 

「でも、オレにも見えてますよ……」

 

 ミアカシがアオイの腕のなかでしゃいでいる。

 一見したところ敵意が無く、無害な存在であるようだが『異常事態』であることに変わりはない。

 

「な、なにあれ!? 超レアなポケモン、とか?」

 

「そ、そんなわけないだろ!」

 

「ふんっ目の錯覚だ! それよりも! ベロベルトを起こすのを手伝いたまえ!」

 

 リポーターの女性とカメラマンの男が動揺の叫びを漏らす。叱咤するアルベルト男爵の声は、平時より上ずっていた。

 どうやらアオイやサトシにだけ見えている幻覚ではないようだ。

 

「ひ、ひとまず仲間と合流しよう。サトシ君、この辺りの探索は一度落ち着いてからだ。私の見たところ、タケシ君のウソッキーにダークホールが当たっていた。……眠っているだけだが、彼らも不安だろう」

 

 石畳を杖で打ったアオイは、歩き出した。

 しかし。数歩もいかないうちに止まった。

 

「……? ベロベルトがふたり?」

 

 石畳のうえに寝そべり、悪夢を見ているベロベルト。

 そして、キリッとした顔でダークライのいたところを睨みつけているベロベルト。突然現れたベロベルトにアオイは首を傾げた。

 リポーターの女性が、パクパクと口を開けたり閉じたりした。

 さらに驚くべきことに、ベロベルトは「どうした」とリポーターの女性に声をかけたのだ。

 

「しゃ、しゃべった……!?」

 

「男爵!?」

 

「だから、何だ!? どうした、と言っているんだ!」

 

「……め、目の錯覚じゃなかったニャ」

 

目の前の異様な光景に、サトシも言葉を失っているらしい。大きく目を見開いている。

 

「オレ、ま、また悪夢を見ているのかな……」

 

「まさか……まさか……そんなことは……」

 

 アオイはミアカシを見つめて話した。彼女がいる限り、アオイは自分を見失うことは少ない。

 大丈夫、の、はずだったが、超常現象に連続して出くわすとどんな自信家であっても己の正気を疑ってしまうものだ。

 

「よし! ピカチュウ! じゅうまんボルトだ! ――あ、ンギィィィッ! ゆ、夢じゃない……!」

 

 ピカチュウは電気をもって応えた。

 半笑いのリポーターとディレクター風の男性が、言葉を話すベロベルトに鏡を見せた。

 

「な、なんじゃこりゃ―――ッ!」

 

 大きな叫び声が、街にこだました。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ポケモンセンターは、避難所兼治療所になっていた。

 解放された大会議室に戻ってきたアオイを迎えたのは、大量のポケモンが悪夢に呻く姿。そして、同じ量のポケモンが半透明で宙を彷徨っている姿だった。

 

「これは……」

 

「モシモシッ!」

 

 大興奮のミアカシが、腕からとびだしあちこちを走り回る。

 声をかけてから、アオイは友人の姿を認めた。

 

「あまり離れてはいけないよ。――パンジャ、これはどういうことだ」

 

 簡易ベンチに腰かけていた友人は、疲れた顔で辺りを見回した。

 彼女の隣にちょこんと座っていたリグレーがアオイに跳びついた。なだめながら、アオイも周囲を確認した。

 

「見ての通りだ。悪夢にやられて皆眠っている」

 

「起きないのか……? サトシ君なら、今ごろには起きただろう」

 

「そうだったね。しかし、今のところ回復したポケモンの話は聞いていない」

 

「性質が変わった? いや、ポケモンと人間の違いなのか――あ、それどころじゃない、男爵がベロベルトなんだ」

 

 アオイの無事を確認したリグレーが、悪夢にうなされるポケモンを見ているミアカシの後を追った。こういう時は、頼もしい保護者役だった。

 パンジャは、すこしだけ驚いた顔をした。

 

「アオイ。男爵は、アルベルトだ。そろそろ名前を覚えてあげたらどうかな」

 

「すまない、誤解を招く言い方だった。しかし、事実は――」

 

「みんな、大変なんだ!」

 

 その時。

 駆け込んできたサトシが、息を切らして会議室の入り口を指さした。

 

「もう、サトシったら。こっちも大変なんだから! みんな、起きないし……」

 

「――いいやぁ、どんな大変よりも! この私が、一番大変なのだ!」

 

ノシノシとゴムボールのような身体で怒り顔のベロベルトが駆け寄ってくる。

 

「ベ、ベロベルトが! しゃべってる!」

 

 驚くヒカリはもっともだった。

 隣に座るジョーイさんもあっけにとられた顔をしている。

 

「私は、ベロベルト! ――んんん、違う――アルベルト男爵だ! トニオ! 私を元に戻せ!」

 

「へあ!?」

 

 肩を掴まれてトニオの眼鏡は盛大にズレた。

 

「ほ、本当に男爵?」

 

「オレとピカチュウの見ているところでベロベルトになっちゃたんだ……!」

 

「そうなんでーす……! 重いぃ……!」

 

 苦し気な声を上げたのは、本物のベロベルトの身体を背負っているレポーターの女性とディレクター風の男性だった。

 現れたベロベルトが二体になったところで、彼らも男爵の変容を実感し始めたようだった。

 

「ワタシ達もハッキリ目撃しましたからぁ……!」

 

「こっちが本物のベロベルトです……!」

 

 ヒィヒィと息を継いで彼らはベロベルトの体を床に下ろした。

 

「うわ、本当だ……」

 

「こっちが本物のベロベルトで、こっちが男爵なんだ」

 

「そうだと言っている! おい、トニオ! 何とかしろ!」

 

 実際に何か手がかりがあるのだろうか。

 アオイは、トニオが操作するパソコン画面を見た。

 

「これは……」

 

「夢が現実世界に現れているんだ。悪夢が具現化している」

 

「夢が?」

 

 アリスの疑問に、トニオが答えた。

 

「ブイゼル達、ダークライに眠らされたポケモンはみんな怖いものに追いかけられる夢を見ているようだ」

 

「じゃあ、私は?」

 

「ベロベルトが男爵になった夢を見ているんだ。そして、悪夢の内容と本人が同調してしまった」

 

「どうしてそんなことに……」

 

「この街の空間に大きな力がはたらいているんだ。夢が具現化するなんて通常じゃ起こらない。空間の歪みも夢の具現化も、きっと空間にはたらく力が起こしているんだ」

 

「なるほど。それが何によって引き起こされたか。その原因を探し、解決すれば元通りになるかもしれない」

 

 アオイの呟きは正攻法だった。

 しかし、誰もが考え付く解決策ゆえに大きな疑問が残る。

 

「でも、空間にはたらいている力って?」

 

「ダークライだ! ヤツが姿を見せる度に、おかしなことが起こる!」

 

「それは、違――」

 

 推測を述べようとしたトニオを遮り、激高した男爵が大きな声を出した。

 

「だから、私はダークライの成敗をしたかったのだ! これ以上のおかしなことが起きる前に! くっ! 起きろ、ベロベルト! 目を覚ませ! ダークライをやっつけに行くぞ!」

 

 ベロベルトを揺さぶる男爵を誰もが曖昧な顔で見ていた。ダークライの被害を最も被っているだけに、彼の怒りは理解ができてしまうものだった。

 しかし、アオイには別の衝撃が奔っていた。

 ――悪夢の実体化。

 それは、荒唐無稽な夢物語で考えもしなかったからだ。

 

「アオイ、どうする?」

 

 パンジャの静かな声が、アオイの繊細な怒りに触れた。

 自分でも衝動的な怒りでどうにも止めることができなかった。

 

「『どうする』? ダークライにこんな力があるワケがない! 悪夢の実体化なんて、そんなものがあれば! あったなら! 私は……私は……十回も死ぬ羽目になっていないだろうがッ!」

 

「お、落ち着いて……アオイ……」

 

「ダークライの悪夢が作用するのは頭の中だけだ! 現実に影響を及ぼす何かなどありはしない! だから、これは外部に原因が求められる事案だ! ダークライは事件の当事者に過ぎず、本当の原因は別にある。空間に大きな力を及ぼすことができる『ポケモン』だ! だから! ……はっ……私達は……原因を……」

 

 ああ、胸が苦しい。

 過呼吸になりそうな息苦しさを感じ、アオイは杖を落とした。

 

「アオイさん……?」

 

 パンジャに体を支えられる。

 トニオの声が遠くに聞こえた。トニオだけではない。不安な顔をする少年少女達の顔が見えていた。

 

「私は『悪夢』の研究者で……半年ほど前……私は、ダークライと悪夢の実験をしたんだ。その時に、十回ほど悪夢の中で死んでしまったことがある……。悪夢を具現化することができるなら、私の望む悪夢が現実に現れるのなら……あんな苦しいことは無かったハズなんだ」

 

「アオイ。すこし、落ち着いて」

 

 パンジャに促されて床に座る。

 どうしても伝えたくなり、アオイは口を開いた。

 

「ダークライは誠実だ。約束を守り、可能性を信じることができる、素晴らしいポケモンだ。ダークライは元凶ではない。空間に作用するポケモン。そして、そのポケモンはこの街のどこかにいるはずだ。空間なんて大きなものを扱うのに、遠くから操るなんて器用なことができるとは思えない」

 

「街のどこか……。でも、そんなポケモンがいたら、ダークライよりも話題になりそうなのに」

 

 ヒカリはジョーイさんに視線を送った。彼女は首を横に振る。

 

「まだ誰も見つけていない、ということかしら」

 

「空間を操るのなら、かくれんぼなんて簡単なことでしょうね」

 

 タケシが細い目で、小さく呻くウソッキーを見つめた。

 

「ともかく、探索が必要だ。そのポケモンを探すにしても、ダークライを探して事情を聴くにしても。街を見て来よう。――アリス、君はここにいて」

 

「わたしだけ留守番なんてできないわ。トニオ、研究のことになると周りが見えなくなって、ドジなんだもの」

 

「う……」

 

 言葉を詰まらせるトニオが、ほんのすこし気遣わしそうにアリスを見ていた。

 

 その頃、会議室を一周してきたミアカシがアオイのそばに来た。

 

「あ。おかえり」

 

「モシ!」

 

 ミアカシに異変は見られない。魂を拾い食いしていることもなさそうだ。空間がおかしなことになったとはいえ、魂の存在は七日経つまでは安定しているのかもしれない。

 原因に頭を悩ませるアオイは、パンジャから渡された水を飲んだ。

 

 トニオが、これからの計画を立てている――その数分後のことだった。

 

 トレーナーの三人が、困惑した顔でやってきた。事情を聞けば『街から出られなくなっている』らしい。

 

「不思議な霧に包まれていて。ポケモンの『きりばらい』もまるで効かないんだ。しかも、まっすぐ走っているのに、いつの間にかスタート地点の橋のたもとまで戻って来てしまう。おかしなことになっているんだ」

 

 それを聞いたトニオ、アリス、サトシ、ヒカリ、タケシは、すぐさま外に向かった。やや遅れてアルベルト男爵が続く。

 アオイは、まだ動けなかった。どうにも体が怠い。ここ数日、動き詰めで体力の限界だった。

 

「うぅん……」

 

「アオイは、すこし休んでいて。フィールドワークはわたしが行こう」

 

「後で追いつく。リグレー、パンジャと一緒に行ってくれるかい。私、運動しないとな……」

 

 パンジャが駆けていった後。

 アオイの後ろでごそごそとレポーター達が荷物の整理を始めていた。

 

「……どうする? 密着取材……続ける?」

 

「まだダークライのこと何にも分かってないニャ……このままじゃ、アルベルト男爵の変身をサイトにアップして広告収入をゲットするくらいしかできないニャ……」

 

 カメラマンの訛りは聞いたことがないものだった。全体的な言葉の抑揚からすると、彼らはカントー地方の人たちなのだろう。そして、カメラマンはカントー地方の中でも恐ろしく田舎の出身者に違いない。

 アオイは、背中で彼らの会話を聞いていた。しかし。

 

「ダークライをゲットするまで、諦めるもんですか。……何のために男爵に取り入ったと思ってるの。ここで一旗揚げればロケット団幹部昇進、支部長だって夢じゃないってのに――」

 

「ロケット団? あなた達、今、ロケット団と言ったかい?」

 

 アオイは思わず振り返って、彼らの顔をまじまじと見た。

 彼らはドキリと図星を突かれた顔をした。

 

「や、やーっ、もう、おニイさん、ロケット団なんて」

 

「そ、そーですよ、オレ達、しがないテレビ局の一員で」

 

「ロ、ロ、ロ、ロケット団じゃないのニャ」

 

「もうちょっとバレない嘘をつこうよ……。ええと、その、警戒してほしくないのですが、何というか、私もロケット団の――一員ではないのだが母、いや、家族でロケット団に入っている者がいて、その協力者という立ち位置の者なんですよ」

 

 アオイが言うことは、それほど大きな嘘ではなかった。

 彼の母、ヒイロ・キリフリは膨大な研究資金のアテをロケット団に頼っていたことは事実だ。

 そして、『フジ博士率いるシオンシティ地下ポケモンラボ二号館でタイムマシン構造の研究を行い、数か月前に実験失敗の影響で行方不明になっている』という設定で、姿を晦ましていた。

 

「といっても、ポケモンの捕獲は担当せず、現地の情報収集を行うバイトのようなものでね」

 

「は、はぁ……」

 

「ここに来たのは、本当に私用なのだが出会たのはラッキーだ。君たちは、シオンシティの件は知っているかい? 数か月ほど前の事故さ」

 

 アオイは、大したことはないのだが、と前置きをして話しかけた。

 彼らがどの程度の団員かは分からないが、ひょっとしてシオンシティの事故のことを知っているのではないだろうか。そして、母のことを知らないだろうか……。

 淡い期待を込めて聞くが、反応はよろしくない。

 

「シオンシティ?」

 

「事故? 何かあったの?」

 

「……いや、私も詳しくは教えられていないのだがね。何でもフジ博士傘下の研究室がドジったようだよ。もう収集が付いている話だから、それほど大きく伝えられていないのかもしれない」

 

「そっか。えぇと、ご家族? ご無事だと良いですね」

 

 ディレクター風の男はコジロウと名乗った。声も控えめに心配そうに言った。

 

「ありがとうございます。まあ、うまいことやっているでしょう。……皆さんもこんなところまで大変ですね」

 

「ま、仲間がいれば大丈夫よ」

 

 リポーターの女性――ムサシと名乗った彼女は、そう言ってウィンクした。

 

「大変な皆さんにちょっとした小遣い稼ぎの相談なんですが、そのカメラマンが撮っている映像について……どこかに提出の予定があるのですか?」

 

「必要があれば本部に提出する予定ニャ」

 

 カメラマンは頷いた。

 

「なるほど。私は研究者なのでね、もし、この騒動が決着した暁には、そのデータを購入できないだろうか。貴重な研究資料になりそうだ」

 

「それは構わないニャ」

 

「では、こちら名刺です。このアドレスに送ってほしい。金額については、ひとまずこの程度で……」

 

 彼らは提示した金額に驚いて顔を見合わせた。取引は成立し、アオイと握手した。

 

「それじゃ、オレ達は先に行くぜ」

 

「まいどありー!」

 

 ホクホクした顔だ。

 彼らは悪夢の幻影を避けながら、アルベルト男爵の後を追った。

 

「……ロケット団って薄給なのかな」

 

 イッシュ地方にいるプラズマ団は、わりと裕福そうなイメージがある。ボランティア活動が活発だからだろう。そういえば、ロケット団の収入はパチンコ経営と聞いたことがあるが本当だろうか。

 

「モシ?」

 

「こちらの話さ。……すこし休んだら、私達も外に出よう。ミアカシ、そばにいてほしい」

 

 結果として、アオイは簡易ベンチの上で三〇分眠った。

 

 その間、実にさまざまなことが起きた。

 

 街は『閉じ込められた』という混乱が広がり、アルベルト男爵率いるダークライ討伐隊が町を巡回し始めた。ジョーイの仕事は増え続け、ラッキーに絶え間なく指示をとばす声は夢の中にまで及んだ。その中で静かに眠っていられたのは、夢の中に蒼い焔が揺れていたからだ。

 生命を糧として灯される焔は、彼に冷静をくれた。

 

(何をすべきか……何ができるか……私は、何を見定めるべきなのか)

 

 

 

 遠く。

 誰にも認識されない空間で、巨体が吠える。

 世界は大きく変わろうとしていた。




【あとがき】
 空間に干渉するポケモンだ!と気付いたところで、その特定ってどれほど精査できるものなのでしょう。空間に干渉する、という能力だけで見れば、ダイパ時点でも数体は該当するはずで、一番のビックネームは神と呼ばれるポケモンなわけですけど、毎回、どうなんだ?と思いながら書いています。トニオ君は、作品が作品なら犯人扱いされそうな気がします。
 さて、現時点で映画の実時間約46/131(分)まで来ました。戦闘シーン多めといってもなかなかのボリュームです。も、もうちょっと頑張ります。

 最後になりましたが、ご感想、ありがとうございます! 励みになっています! これからも頑張ります。更新が不定期でごめんね! 気長に待ってくれると嬉しいよ!


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世界は化けの皮を脱ぎ始めた

 トニオは、異変が起きているという橋に向かい走り続けていた。

 重いパソコンを持って走る。まるで空気が凝り固まっているように、呼吸は苦しかった。けれど、体は不思議と軽い。

 現状は見渡す限り疑問だらけで、頭の中は情報が渋滞していた。『どうして』と自分に問いかける。

 答えは、封鎖された大橋を見た時に分かった。

『これは、ダークライの仕業じゃない』

 一時の共同研究者は、それをダークライの能力より説明した。けれど、トニオは違った。

 

「――違う。そうじゃない。違うんだ」

 

「トニオ?」

 

 アリスが、困った顔をする。

 トニオは首を横に振った。

 

 そんな顔をさせたくて、呼び止めたんじゃない。けれど、この気持ちこそが正解なのだと思う。きっと『彼』もそうだ。小刻みに震える彼女の細い手を握る。そして、伝えた。

 

「アリス、聞いてほしい。――あの日、君を助けたのは僕じゃなかったんだ」

 

「え?」

 

 長らく疑問だったことが、今になって分かり始めている。

『ダークライは異変の中心にいるのだろうか?』

 男爵が語り、一時の共同研究者は否定した。

 けれど、トニオが捨てきれなかった疑惑は、たった今経験が否定した。

 

「僕を信じてほしい。そして、何よりダークライを信じてほしい」

 

 驚き瞠られるアリスの瞳は、昔日と同じ色をしていた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「ダークライのせいだ! この街の異変はすべてダークライの仕業なのだ! ダークライをやっつければ、必ずすべては元に戻る! 優秀なポケモントレーナー諸君! 私に力を貸してほしい! 憎むべき悪のポケモン、ダークライに正義の鉄槌を下してやるのだ!」

 

 ベロベルトなりしアルベルト男爵が、威勢よく宣言した。

 ほとんどのトレーナーがそれに同調した。

 

「パンジャさん、あのぅ、アレ言わせておいていんですか?」

 

 コソコソと小さな声で名前を呼んだヒカリは、パンジャの袖を引いた。

 

「……うぅん。判断が難しい。ああ、もちろん。良くはないし、正しくはないのだが、現状のところダークライには本当に申し訳ないことだが……他に理由が見つからない以上、彼にやり玉にあがってもらわないと困る。人間を疑い出したら、死人が出そうだ。パニックで疑心暗鬼なんてB級ホラー映画でもわりとある展開じゃないか」

 

「そうですか……」

 

「わたしにも問題がある。我々には、客観的に示せる『ダークライではない証拠』は無いからね。分の悪い弁護だ。それに――」

 

 パンジャは、橋の向こうを眇めた。

 

「『ダークライが原因ではない可能性は大きい』――とはいえ、彼が解決のために動いているのか分からない。まあ、やみくもに攻撃を加えているワケではなさそうだから、彼も彼なりに何とかしようとして動いているのかもしれない。でも、その結果、状況を最も掻きまわしているのは彼だ」

 

「…………」

 

「その点、アルベルト男爵の言葉には一理ある。敵か味方か分からないのなら――倒さずとも――彼をしばらく動けないように封じてから状況を見るべき、かも、しれない」

 

 彼女は、鞄を握りなおしてトニオに視線を映した。

 

「さて。状況は、三つに分かたれた。ひとつはダークライ。目的は不明。二つ目。男爵率いる討伐隊。目的はダークライの成敗。そして、三つ目。わたし達は第三勢力になりうる」

 

 少年少女達の混乱と困惑を深めた視線が棘のように痛い。それに構わず、パンジャは指先でモンスターボールを弄んだ。指はついにボールを弾き――眩い光と共に現れたフリージオが鈍く陽光を反射した。

 

「わたしはアオイの合流を待って街の調査を続けますが、あなた方はどうする心算ですか?」

 

「僕らは……」

 

「……。我々はトニオさん達と争いたくない」

 

 ――仲間同士の殺し合いは、ちょっとマンネリ、いえ、ウンザリ気味なのです。

 パンジャの小さな呟きは誰にも聞こえなかったが、ずっとモニターを見ていたトニオが顔を上げた。

 

「僕が、原因を見つけるよ。――上空からフワライドに街のデータを取ってもらっていた。まだ調べられることは、あるはずだから」

 

「分かりました。健闘を祈ります。――それでは、Best Wish!」

 

 パンジャは、手を挙げて彼らに背を向けた。

 

(何となく予感がする。時間が少ない)

 

 なぜそう思うのか。自問自答した彼女は、トニオ達の姿が見えなくなってから足を止めた。

 リグレーがピピ、ピと警戒の音を鳴らす。音は響かない。

 しかも石畳は暗く、淀んでいた。

 

「ああ、そうだ。警戒。警戒が必要だ。絶対的な警戒が必要なんだ。だって。どうして。風が止まっているんだ」

 

 パンジャは空を見上げ、静止した雲を見た。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「これからどうする?」

 

 トレーナー達の背中を見送った後。 

 少年たちは顔を見合わせた。

 

「どうするって……」

 

「事情を知っていそうなダークライを探すしかないだろうな。できれば、さっきのトレーナー達より前に」

 

 タケシの案に、サトシとヒカリが頷いた。

 話は、一瞬、まとまりかけた。

 

「ダークライ……。あの、サトシ君――」

 

 声をかける。

 足を止めたサトシには、きっとアリスの不安そうな顔が見えただろう。

 

「アリスさん……?」

 

「きっと戦いになってしまうから……でも、ダークライを……」

 

「できる限り、声をかけてみます。それに、ダークライは強いから大丈夫ですよ!」

 

 アリスは「うん」と小さく頷いた。そして。

 

「トニオ、わたしはサトシ君達と一緒に行くわ」

 

「ああ、僕は研究室に行く。みんなはダークライを。……でも、無茶はしないようにね」

 

「はい!」

 

 二手に分かれ、トニオは研究室に走った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「アオイ、気分はどう?」

 

「二、三日休みたい気分だが……大丈夫だ。フィールドワークしよう」

 

 アオイがパンジャと出くわしたのは、ポケモンセンターの出入り口だった。

 ラッキーが忙しく出入りし、水や食料品を求めてやってきた人々に配っている。

 

 アオイの足元をうろうろするヒトモシのミアカシがその様子を興味深そうに見ていた。

 

「……そう面白いものではないだろう。……いや、君には新鮮な光景なのかな」

 

 生まれて一歳とすこしのミアカシは、まだ見るものすべてが新しい様子だった。

 もっとも、現在は緊急事態なので特に興味を惹かれたかもしれない。

 

「アオイ、早急に伝えなければならないことがある。――風が動いていない」

 

「…………」

 

 アオイは、そう言われてミアカシの頭上に灯る焔を見つめた。しかし、彼女は動き回っているのでアテにならないことに気付く。大人しく手袋を外して指を舐めた。

 

「……その、ようだな。無風状態は、珍しいが無いわけでは無い――と突っぱねたいところだが。橋はどうだった?」

 

「ああ、聞いてくれよ! 鞄をね、こう、霧の向こう側に投げるんだよ! すると、同じ速さで戻ってくるんだ!」

 

「そりゃ楽しそうだな」

 

 アオイは、他意無く言ったのだが、パンジャの繊細な心には刺激が強かったらしい。

 表情を無くして詰め寄られた。

 

「――そう思わないとやってられないんだ」

 

 異常事態なんだから、と彼女は言った。パンジャは、語弊を恐れず言うとキレていた。

 アオイは迂闊な発言だったと謝罪した。彼女を怒らせて良いことは何も無いのだ。

 

「だ、だろうね。いや、ご苦労――違った、ありがとう。調べてくれて。わ、私の足はこれだからね。頼りになるよ」

 

「……どういたしまして。まあ、後でゆっくり話をするとして。男爵が扇動してトレーナー達はダークライ討伐に出た。サトシ君達はダークライに接触を試みるようだ。情報収集としてね。トニオさんは地下でデータの精査するとの話だ」

 

「ふむ。……まあ、それしかないだろうな、という行動選択だな。私達もそう変わり映えしないが……」

 

「何か策があるのか? 何か、こう、起死回生、9回の裏満塁ホームラン的な策は」

 

「リグレーに強めの幻覚をお願いする程度かな」

 

「よし来た! やれ! リグレー! とびっきりの幻覚を食らわせてやるんだ!」

 

 彼女はミアカシと楽し気にお話していたリグレーをひっ掴むとアオイに突きつけた。リグレーは当惑して『ピ、ピー、ピ』と鳴いた。

 

「パ、パンジャ、場を和ますジョークだとも」

 

「そういうことにしておこう。今はね。それで、真面目なところ、どうなんだ」

 

「怪しいところを探すしかないだろうな」

 

「怪しいところって?」

 

 アオイは腕を組んで宙ぶらりんの雲を見つめた。

 

「ふむ。庭園にいたダークライが、この街の中を闊歩しているところを考えると……やはり、この街のどこか、なのだろうな。まずは、時空の塔を目指そう。何か異変があった時、街のほぼ中心部に位置する時空の塔の近くならば全体を見渡すことができる」

 

「了解だ。――そうそう、君はそれでいいんだ……」

 

「何がだい」

 

 しみじみとパンジャが言うのでアオイは訊ねた。

 

「方針を定めることは大切だ。星が無ければ舟は漕ぎだせない」

 

「頼りになるかどうか分からないぞ。私だって分からないことだらけなんだ」

 

 すべての辻褄を合わせるために、必要な情報を探す。今はそれしかなかった。

 そうして、街の中心へ歩き出したアオイ達だったが、その行く手はあっさりと妨げられることになった。

 

「――あっちに行ったぞ、追え!」

 

「こっちだ! 囲め!」

 

 何事だろうか。

 声を探し頭を巡らせるより先に、角から曲がってきたトレーナーと正面衝突しそうになり、パンジャに助けられた。

 あまりに素早い動きだったので喉から変な音が出た。

 

「おプっ……パンジャ、首しまる……!」

 

 ケープの紐が喉を直撃している。

 咳き込むとパンジャは一拍遅れて「ああ」と手を放してくれた。

 

「すまない。大丈夫? 前も見ずに走ってくるなんて危ないトレーナーだ。すり抜け様に足をかけてやろうかと思ったが」

 

「やめておいて正解だ。荒事に突っ込んでいくものではない」

 

 危なく踏まれそうになったミアカシがアオイのズボンを引っ張った。掬いあげて腕に抱える。

 片手で乱れたシャツの襟を整えながら、二人はトレーナー達の喧騒を聞いた。

 

「ダークライを見つけて、その追い込みといったところかな」

 

「杜撰なラプラス漁を見ているようだね」

 

 何と感想を言うべきか迷っていると壁を通りに抜けた半透明のドーミラーがふたりの間を通り抜けた。ミアカシがアオイの腕を飛び出してドーミラーが壁に入っていく後を追いかけた。

 今この瞬間にも、悪夢のなかで彷徨っているポケモン達がいるのだ。

 視線を切るとアオイは前を向いた。

 

「急ごう」

 

 杖を手繰り、アオイは駆け足になる。

 思考は目まぐるしく、加速的に流れた。思い浮かぶ策のどれもがこの状況を変えるほどの力を持たない。

 誰が何をやっても原因が分からない以上、手詰まりが見えている。最悪の想定を浮かべて、彼は顔を顰めた。

 

「アオイ?」

 

「パンジャ、よく聞いてほしい。そして考えてほしい。――本当は、話すつもりはなかったんだ。前提条件が多すぎて口に出すのも嫌な話だ。何より事実だったら打つ手が無さそうだから」

 

「何の話?」

 

「仮定の話だ。トレーナー達がダークライの探索と並行して行っている街の巡回で異常が見つからなかった場合。そして、トニオの研究が間に合わなかった場合。また、この街に入り込み異常を起こしているものがダークライではなかった場合。それらがすべて成り立つ時、容疑を受けるポケモンはどこにいるのか。『見つからないように細工をしているポケモンを探す』方法は、そのどれも不確実で時間がかかるだろう。特に、私の提案する方法は」

 

「それは?」

 

「彼女だ。――ミアカシ、魂を探してほしい。それは姿が無い。けれど、確かにこの街のどこかにある魂なんだ」

 

「モシ?」

 

 アオイ の せつめいする !

 ミアカシ には こうかがないみたいだ…

 

「そう首を傾げずにだね、頼むよ。君だけが頼りなんだ……!」

 

「モシ?」

 

 アオイ の なきすがる !

 ミアカシ には こうかがないみたいだ…

 

 アオイは咳払いをして、片手を振った。――忘れてくれ、と言うように。

 

「やっぱり、アレだよ、抽象的過ぎるんだな、魂という概念が。説明が難しいていけない。あー、ミアカシさんがいつも燃やしてるアレだよ、アレ。君がよく拾い食いしそうになるヤツさ」

 

「アオイ、ミアカシさんには難しいんじゃないかな。あと、他の魂やらに興味が無さそうなのは、君の命がおいしいんじゃないかな。そう。命。ああ、そうだった。わたしも君の命に興味があ――」

 

「あああああッ! 私は! 何も! 聞かなかった! 足で稼ぐぞ! 主に君がッ! 行くぞ!」

 

「後で、ゆっくり、話そうねえ。そう。時間はたっぷりあるんだから焦る必要は無いとそういう意味だね」

 

「前から思っていたんだが……君、さりげなく私の後ろを歩かないでくれないか。それから足音消さないでくれ。――というか、君、隣を歩いてくれると言っただろう。あの時の感動はどこいったんだ?」

 

「そ、そうだよね……そう、そうね……ああ、いけない、いけない」

 

 パンジャは、すこしだけ照れた顔をして隣に立つ。

 そして、手袋に包まれた指がアオイの手を持ち上げた。

 

「これでいいかな?」

 

 アオイは、口の中でもごもごと言葉を探した。

 

「……手を繋ぐ必要は、あまり、無いんだが。まあ、いいよ。君がそうしたいなら――」

 

「あ。安全上、片手は空けておいた方がいい。君は杖を持たなきゃならないのだし」

 

 あっさり手を離された。

 

 ――もうすこし、なんというか、余韻というか、温情というか。手心とか……。

 

 彼女の感触の残る手を擦り合わせ、彼は頬を掻いた。アオイにはそういう思いやりが必要だったのだが、言うだけ惨めになりそうなのでやめておいた。

 それよりも、現実である。

 パンジャが耳を澄ませた。

 

「ダークライの方向は……角度が違うが、塔に向かっているように聞こえる」

 

 アルベルト男爵率いる有志トレーナー部隊の声は、アオイの耳にも小さくなっていって届いていた。

 しかし、それは距離のせいではない。

 

「ダークライは強いな。もうトレーナーは半数ほども残っていないんじゃないか? うちのダークライもあれくらい強いのだろうか」

 

「ミアカシさんと『残像ダ……』ごっこをやってるから、強いんじゃないかな。ミアカシさんは戦闘の経験値が低い。けれど、至近距離で『はじけるほのお』を避け切るのは、スピードが長所のポケモンであっても難しいと思うよ。あの技は、火が予測不能に爆ぜるからね」

 

 パンジャのそばを浮遊するフリージオが光を明滅させた。それは「難しい」と言っているように見えた。

 アオイは道のひとつで足を止めると裏路地に入った。

 

「――この先の道には見覚えがある。抜ければ中央に時空の塔が見えるはずだ」

 

「地理に関しては、君に一日の長があるように思うよ。わたしには、どうにもさっぱりだ」

 

「君は地図を回すことをやめればすぐに上達するよ」

 

 倒れかけているゴミ箱を飛び越えた二人は、街の中心路地に出た。

 

「急ごう」

 

 ポケモンの叫び声。衝撃。争う音が再び近く、大きく聞こえていた。

 

 ダークライが街を駆け抜ける。

 

 驚きふためく人々の間を怒号のような指示がすり抜けていく。

 あらゆるポケモンがトレーナーの号令を聞き、獲物を追う。

 

 その情景は、数本の通路を挟むアオイ達にも容易に想像ができた。

 

 パンジャが空を飛ぶポケモン達を見た。

 

「逃げるものを追うことは楽しいだろうね。それが抵抗するなら尚更のこと」

 

「そういうものか。……分からないな。経験則か?」

 

「いいえ。打ち倒すということは、手に入れると同じくらい魅力的なことだからね。壊すことも同じだ」

 

 狭い路地ですれ違う、ふたりの隣を新たなトレーナーが走り去っていく。

 ダークライの存在や行い――とされているもの――に対し中立だったトレーナー達も今回ばかりは狩りにまわる。

 彼らの目は真剣だ。

『街から出られない』という実害が出ている以上、その原因を追及するだろう。

 空間を封鎖したものが誰であれ何であれ――今のダークライは『いかにも』名存在感があり、疑わしい。

 

「そういえば……打ち倒した後のことは、考えているのだろうか」

 

「まさか」

 

 ミアカシが、アオイの腕にぎゅっとしがみつく。

 無邪気で闊達な彼女らしくない。

 

「モシ、モシ……」

 

 殺気立った狩りは、お祭りとは似て非なるものだ。

 空気の違いを明敏に感じ取り、アオイに寄り添った。

 

「そばにいてほしい。……守るよ」

 

 細い路地を抜ける。

 リグレーとパンジャが警戒したのは、直後だった。

 

「……! アオイ」

 

「くっ。あれは、いったい何ベルトなんだ……!」

 

 時空の塔へ向かうアオイ達が、目にしたものは街角の一角に追い込まれたダークライ。倒れ伏すポケモン。そして、渾身のジャイロボールを躱されたアルベルト男爵だった。

 

「あー、惜しいね。もうちょい右、右さ」

 

 パンジャがちょいちょいと指差した。

 

「ダークライは素早いからね」

 

 しかし、梨型体系に似合わず、素早いベロベルトなりしアルベルト男爵はジャイロボールが外れたと見るや、舌を伸ばした。

 

「おっ捉えた」

 

「それからどうするんだ。はかいこうせんは撃てないはず」

 

「ダークライが……おっ。あの巨体を引っ張った……遠心力で、飛ばした。ふむ。ダークライって怪力なんだね」

 

「感心している場合でもないな。トレーナー連合が総崩れだ。しかし……」

 

 女子供の悲鳴。

 二階のテラスから戦いを見守っていた人々がせわしく扉を閉めてはカーテンを閉め切る。

 違う、と彼は呟く。そして、辺りを見回した。ダークライが動かない。

 

「どうしてダークライはここにいるんだ」

 

 この場から逃げ出すと思ったのだ。

 住んでいるという庭園に戻るのだろう――。彼の予想は外れた。

 

 ダークライを見つめるトレーナー達のなかに、手を出しあぐねているサトシ少年達がいた。

 驚き戸惑う観衆の目もくれず、ダークライは空を眺めている。

 

 アオイの目には、ただの時空の塔だ。

 ミアカシが腕の中で小さく「モシ?」と辺りを見回した。

 

「何を……? 空……? 時空の塔より高い――パンジャ、単眼鏡を」

 

「え? ああ、ちょっと待って……」

 

 アオイは単眼鏡を受け取るとレンズの調整ダイヤルを回した。

 

「私達は、ダークライがここにいる理由を勘違いしてしまったかもしれない」

 

「なぜ? 追い込まれたのだろう?」

 

「ああ、私もそう思っていた。けれど、単体で強い彼が、数の劣勢を覆せる力を持つポケモンが、追い込まれるなんて滅多な話だと思わないか?」

 

 ダークライにとって、大人しくやられる義理は無い。

 自分から叩かれに出てくるワケがない。

 ならば、彼は理由があってこの街の中央へ姿を現したのだ。

 

「……? 何のために?」

 

「これから分かる。――パンジャ、ダークライの視線から仰角を割り出せ」

 

 アオイの命令にパンジャはわずかに驚いた顔をして――それから、嬉しそうに笑った。メモ帳を取り出し、ペンを走らせる。

 

「そうそう、君はそれでいいんだ。調子が戻って来たじゃないか。L、ダークライから私たちの距離を三〇メートルとして。Q、時空の塔までの距離、時空の塔の全長が四〇〇メートルだから。三角形の内角の一八〇から引いて。――アオイ、これでどうぞ!」

 

 パンジャが預かっていた単眼鏡。

 単眼鏡は、片目で覗く。そのため、立体物であっても平面的に見えるという性質がある。

 

「レンズを焦点距離を最長まで調整した。これで、立体で見えるものがあるのなら――その空間は歪んでいる」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 同時刻。

 トニオは、時空の塔地下の研究室でデータを精査していた。

 

「…………」

 

 眼鏡に薄く反射するのは、時空の塔付近で発行体が確認された時点の記録だ。これ以降、ダークライはさらに活発になり、悪夢は実体化するようになった。

 

「……何か……何か、手掛かりがあるはずなんだ。ここに……」

 

 フィルムのコマを送るように、一秒にも満たない世界を繰り返し再生する。画像に映る隅から隅まで。

 そして、見つけた。

 網膜に焼きつくような眩い光の中、大きなポケモンが姿を現す。

 

「見つけたッ!」

 

 トニオは椅子が倒れることも構わず、立ち上がる。

 そしてパソコンを持って駆けだした。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「――歪んでいる。ヒットだ、パンジャ!」

 

 アオイはニヤリと笑い、単眼鏡をパンジャに渡す。ミアカシは実体が見えないのに宙に浮かぶ魂に体を傾げた。

 

 ダークライの視線の先にいるものこそ街に入り込んだ異物――この街を混沌に陥れた元凶。

 トニオも辿り着いた、ただひとつの正解。

 

 ダークライが空を駆けた。彼もまた、入り込んだポケモンの正体と場所を正確に察知したらしい。

 時空の塔――二つ並ぶ塔の間に突進したダークライが、突然、見えない壁に遮られたように墜落した。

 

「モシ、モシっ、モシ!」

 

 ミアカシがやや興奮気味にアオイの腕を叩きながら、そこを指さす。

 何も無いように見える――しかし、歪んでいる――空間が動き出した。

 真っ白な巨体に宝石のような紫色のラインが光る。

 

「あれが……伝説の――」

 

 鋭い眼光は、感情が読めない。

 パルキア。

 存在するだけで強烈なプレッシャーを与える存在だった。

 

 レンズを覗くパンジャが息を呑み、やがて空の変容に気付いた。

 

「アオイ、空が――」

 

 ほんの数秒まで空は曇っていた。だが、パルキアが姿を現してから世界は黒とも灰ともつかない澱みを見せている。

 

 しかし。

 アオイは別のものを見ている。半笑いの浮ついた声音で空を指さした。

 

「あれこそが、神話の体現するならば――私達は別のアプローチができるとは思えないか」

 

「な、何のこと?」

 

「神話曰く『空間を自在に操る』と言う。それなら、やぶれた世界にいる母を救い出すこともあるいは――!」

 

「君を否定したくないが、やぶれた世界にいるのはギラティナとかいうポケモンなんだろう。権能の範囲外で『空間を自在に操る』なんて芸当ができるとは、とても……」

 

 パンジャの手が、控えめにアオイの腕を下ろした。

 杖で床を何度か苛立たしそうに叩いた後で、アオイはそっぽを向いた。

 

「言ってみただけだ……はあ……そう上手くはいかないだろうな。私は運が悪いし……」

 

「そう落ち込まずにだね……」

 

 アオイの腕の中にいるミアカシも柔らかい「モシぃ」という溜息を吐いた。指先でそれをあやしながら、逆に心が慰められもした。

 

 アオイが思い描いた『if』は、後にギンガ団のボス――アカギがユクシー・エムリット・アグノムから作り出した赤い鎖により一部実現するのだが、シンオウ神話に疎いアオイには想像が及ばないことであった。

 アカギが採用した手法は、以降に発生するどの団体よりも確実な大手に迫る一手になり得た。しかし、いつの世も阻むものは存在するものだ。――その後の顛末は、別の話で語られることだろう。

 

「しかし、空が……事態は想定外に深刻だ」

 

 アオイはモバイルを確認して電波が切れていることを確認した。パンジャが橋の様子を見に行ってから常にこれだ。外部との連絡は回復していない。

 空の様相は三六〇度見渡しても同じ光景だ。夜よりも暗い色をしている。

 

「アオイさん! パンジャさん!」

 

 呼ばれた方向を見るとサトシ達に追いついたヒカリが手を振っていた。彼らだけではない。トニオやアリスもいる。

 

「状況は!?」

 

「アオイさん、見ての通りだ。街が異次元空間に浮いている」

 

「い、異次元? それが……ここか」

 

 アオイの目は、目前の脅威であるダークライやパルキアよりも空へ向かった。何か見える物は無いだろうか。――例えば、人。同じように浮かぶ街。物などは、無いだろうか。

 

 トニオの分析説明は続いていた。

 パルキアの存在が街を揺るがしていること。ダークライが最も早く存在に気付いたこと。サトシが夢で見た悪夢に出てきた怪物がパルキアだったこと――。

 

「理論上だけの存在の異次元が……そこに……」

 

 その全てを聞き逃して、どこかへ行こうとするアオイをパンジャが止めた。

 

「アオイ、集中して。今は、ここからの離脱を優先しなければならない。まずは生きなければ。そうでしょう?」

 

「あ、ああ、ああ、分かっているが……どこか、どこかに無いのか、空間は繋がりがあるから空間として成立するのだ。だから、どこかに『やぶれた世界』へ行く空間があるのではないか?」

 

 アオイは誰とも目を合わせない。

 ただ――何かを見落としていることがないか。

 それだけが心配で空を見上げる。

 

「どこかに母が……いるかもしれない。いや、現実では見つけられなかった糸口があるかもしれない。調査すべきだ。――パンジャ、フィールドワークをするぞ。ついて来い!」

 

「ア、アオイさん、どこに……? 危ないですよ!」

 

 杖を鳴らしてどこかへ向かうアオイに、驚いたトニオが声をかける。

 パンジャは隣を通り過ぎようとする、彼のジャボットを掴んだ。

 

「ストップだ、アオイ。わたしは君の脚をへし折りたくない」

 

 クセになりそうだからね、と彼女は低く囁いた。

 アオイは、パンジャのタイを引っ張った。互いに額が触れるほど引き付け合い、取っ組み合う寸前だった。

 

「――ぐぅっ。しかし、好機だ。分かるだろう……! 最悪の時にこそ私は運が良い」

 

「無謀に過ぎる。後先省みず突っ走るだけなら、いつでもできる。その時は、いいだろう。わたしも付き合う。しかし、問題は『今すべきか』という一点だ」

 

「今やらずにいつやるんだ。今だろ、今しかない……!パルキアの能力を測る機会でもある。パルキアだけではない。これに釣り合うディアルガの能力さえ測れるかもしれない。それができたらなら、使えたなら――」

 

 甘美な想像だった。否、妄想だった。

 

 実現できることは、時間遡行の類だ。

 

 かつてアオイが望みダークライが見せた悪夢は、どのような現実感に酔い堕ちてもアオイの頭の中の出来事でしかなかった。だが、今回は違う。パルキアとディアルガ。彼らの力は、人間の叡知を容易く超越する。神と呼ぶに相応しい。

 

 母を取り戻せるかもしれない。あるいはそれ以上のことさえ望める、かも、しれない――。

 

 アオイの目に浮かぶ後ろ昏い渇望を認め、パンジャは睨みつけるように目を細めた。

 

「それでも! わたし達はそれを『選ばなかった』。過去は過去だと言ったのは君だ。突き放したのは君だ。より良い未来のために生きようとわたしを救ったのは君だろう。自分の言葉に責任を持て、アオイ」

 

「千載一遇の機会を見逃せというのか……!?」

 

 パルキアとダークライは争っている。「あくのはどう」がパルキアを襲い、ダメージをものともせずパルキアが突進する。

 パルキアが動くたびに空間が共鳴し、全身にビリビリと小さな震えを起こした。

 

「手段に問題があると実験を取り止めたのは誰だ? 君のお母さまだろう。ああ、君もそうだったな。似た者同士、結構だ。――だが、結果が全てと言うのなら、わたしも信念に殉じよう。わたしは手段を問わず君を止める。君がミアカシに命じるのが速いか、わたしが君を壊すのが速いか、試してみるか?」

 

 ふたりは、しばし睨み合う。

 知らず知らずのうち、肩で息をしていたアオイは、ひとつ長く息を吐き、パンジャのタイを離した。

 

「……。……やめだ。君と争って私に良いことなど、ひとつだってありはしない」

 

「そうだね。お母さまのことは別の手立てを考えよう。そのための協力をわたしは惜しまない。今日を除いてはだけど」

 

 アオイは手の甲でパンジャの頬を一度撫でた。それに応じて彼女は一度だけゆっくりと瞬きした。

 二人は襟を正してトニオ達に向き直った。

 

「お見苦しいところを……申し訳ない」

 

「あ、いえ――」

 

 再びパソコンに目を落としたトニオは、何か話そうと口を開きかけ――アリスに呼ばれた。

 

「見て……あのパルキア、怪我をしている……」

 

 ――怪我?

 一見するところ、パルキアは元気そうに見える。威圧たっぷりにダークライと戦闘していて何も問題が無いように見えるのだが。

 

「あ、肩のところですね!?」

 

 タケシがパルキアを指さす。

 人間でいうところの上肢部分――紫の半球体は時おり発光しているが、宝珠のようなそれがひび割れているのだ。

 

「パルキアを傷つけられるものがいるのか?」

 

 トニオは、顔をしかめた。

 ダークライの攻撃は、パルキアを行動不能にする程に至っていない。ダークライの技の威力が低いというわけではない。パルキアの目算は四メートルだ。その神体が大きすぎるため、なかなか体力が減らないということだろう。

 

 タケシが空を飛び交う彼らの技を見上げた。

 

「ダークライの体力が尽きるのが先か、パルキアが動けなくなるのが先か」

 

「あのままじゃジリ貧よ。……アオイさん、ダークライは持久戦で戦えると思う?」

 

「あまり、そういう印象は無いな。個体にもよるが、ほとんどが短期決戦型だと思うよ。ほら、悪夢を見せる技があるだろう、ダークホール。彼らの場合、あれを当てればまず勝ちだから」

 

「ダークライ、さっきまで他のトレーナーと戦っていたから……」

 

 サトシが悔しそうに言う。

 今のところダークライは善戦しているが、いつまでもつのだろうか。

 しかし、地上からでは手が出しにくい。彼らが争っている主な場所は上空なのだ。翼のあるポケモンしか手出しができない。

 

 アリスが、何かを探すように上空を見つめた。

 

「――トニオ、フワライドで援護はできない?」

 

「えっや、やめたほうが……何かあったら相手が誰でも『ゆうばく』しかねないから」

 

「ゆうばく?」

 

 ヒカリが首を傾げたので、パンジャが「特性だよ」と説明した。

 

「勝手に爆発するんだ。面白いよね」

 

「へ、へえ……だいじょうばないかも……」

 

「そうそう頑張り過ぎて『じばく』しちゃうかもしれないし」

 

「あぁ、そうだった……」

 

 今日も今日とて観測用アンテナを携え街のどこかに浮いているフワライドに援護は重い役だ。

 いっそ時空の塔に登って、ダークライを援護するのはどうかという話が出る頃に、それはやって来た。

 

 突如、暗い空の中から現れた「りゅうせうぐん」が不意を突かれたパルキアとダークライに直撃する。両者とも耐えたが、新しい敵の存在に再び空間がグラリと揺らいだ。

 

「今度は、なにっ!?」

 

 りゅうせいぐんの一部は、狙いを大きく外し街に着弾した。

 もうもうと立ち上がる土煙の方角から悲鳴が聞こえていた。

 声は、それだけではない。

 

 停滞した空間を震わせる叫び声と共に青い光が現れた。

 

「あれは――」

 

 サトシが大きく目を見開く。

 誰も声を上げる暇が無かった。

 

 空から現れたポケモンは、真っ先にパルキアに噛みつくようにとびかかった。

 パルキアは大きく態勢を崩し、街を破壊しながら墜落した。

 

「時を司るとされているポケモン、ディアルガだ……! でも、どうしてここに――」

 

 二体は取っ組み合い、再び時空の塔前広場で噛みつき合う戦闘を繰り広げた。

 トニオが驚き叫んでアリスの手を引く。

 

「離れよう、アリス!」

 

「待って。ダークライが! パルキアだって怪我をしているのに」

 

 アリスの声はほとんど聞こえなかった。

 

 ディアルガが咆哮する。

 

 空間が軋み、歪む。時間を司るポケモンの真価はいかほどか。アオイは身をもって知ることになった。

 

「どうして今頃、鐘が鳴っているの……?」

 

 茫然と呟くアリスの声に全員の注目が時空の塔に向いた。

 ゴーン、ゴーン、という低い鐘の音が不規則に聞こえる。時空の塔に掲げられた時計が逆回転し始めているのだ。

 

 異常なことが起きている。そんなことはもう嫌というほど理解していたが、日常の象徴たる時計が狂っていく様を見つめるのは精神的に辛いものがあった。

 

「左回転? ディアルガの力で時間が巻き戻っている……?」

 

「でも、何ともない」

 

 タケシとサトシが顔を見合わせる。

 トニオが「解析が終わった」と小さく言った。

 

「時間と空間は切っても切り離せない関係にある。でも、切り離せないだけで隣り合ってるものなんだ。でも、それがどういうワケか『何か』があって、交わったんだろう。パルキア、ディアルガ。『何か』のせいで互いが攻め込まれたと感じた。そして、戦いになったんじゃないかな」

 

「それじゃ肩の怪我は」

 

 サトシの言葉に、トニオは頷く。それが重要なのだと言うように。

 

「傷を癒すためにパルキアはディアルガから逃げて、逃げて、逃げ込んだ先がこの街だったんだろう。そして、時間を遡ってやって来るディアルガに追跡されないように空間を密閉状態にした。これが、町の状態だ」

 

 それでは。

 アオイは、疑問に思ったことがある。

 密閉された空間で時間を巻き戻そうとするとどうなるのだろう。

 

 それから、街の端々で淡く細かな光が立ち上り始めるのは長い先のことではなかった。

 

 存在の矛盾。

 

 世界が布いた法則に従い、世界は綻び始めた。




【あとがき】
 映画の描写から頑張って理屈付けてあれやこれやを膨らませています。
 ああ、映画のあの部分ね、と思い出していただけたら幸いです。原形? ああ、イイ奴だったよ。最近、会ってないけどね……。

【あとがき2】
 更新が遅れに遅れました。初夏には終わるでしょう。……たぶん。……ひぃこらひぃこら言いながらやっています。次の話はもうちょっと待ってね……。

【あとがき3】
ツイッターにてマシュマロを受け付けております。
「ひとこと気軽に投げたいなぁ」という方、
「コイツの返信長文怖いんだよな」という方、
匿名ですので気軽に投げつけてください!


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私達は、違う瞳で同じ夢を見ている

 時間は遡る。

 昨日の夜。アオイが外で空気を吸っている頃、パンジャはベッドに腰かけていた。

 

「アオイ――っていないのか。……まあ、いいけど」

 

 服を着るには身体が火照る。

 モバイルでニュースをチェックしていると視界の隅にテレビのリモコンが映った。アオイが放り投げていたものだろう。

 

 彼が何を見ようとしてたのか気になってパンジャはテレビのスイッチを押した。

 

「なんだ映画か……」

 

 短いコマーシャルを挟み、現れたものにパンジャは落胆した。

 創作物というものが、パンジャは苦手だ。特に物語は苦手でいけない。――ということを、アオイはあまり知らないだろう。

 

 自分のものではない感情。

 自分のものではない思考。

 自分のものではない記憶。

 

 境界が曖昧になってしまいがちな彼女は出来る限り遠ざけておきたいのだ。

 彼女にとって自分ではない何者を演じることは難しくない。とはいえ、できるから好むとは限らない。

 

「……こんなもの、よくも好きでいられるものだ」

 

 微かな苛立ちを覚えながら、物語の行く末を見つめる。

 深夜に近付く時間帯的だ。クライマックスが近いらしい。

 

 隕石の落下が近づく。カウントダウンが始まった。

 脱出する宇宙船は飛び立たとうしている。

 主人公は夫婦だった。子を宇宙船に乗せようと手を尽くした。綺麗なことも。汚いことも。

 惨劇のうちに子は何とか宇宙船に紛れ込み、船は飛び立った。

 隕石は目に見える距離まで近づき、夫婦は手を繋ぎ、口づけを交わす。明日会おう。そう告げて物語は閉じた。

 

「くだらない……くだらないな……まったく……時間を無駄にした……あぁ」

 

 けれど、すこしだけ学んだことがある。

 

 ――これは、哲学の問題なのだ。

 

 死が迫る避けられない状況において人が何を選ぶのか。

 その言動には、偽らざる真実があり、人間の根幹がある。

 

 夫婦は選んだ。

 自分の命ではなく、配偶者ではなく、病を抱える親ではなく、頼れる友ではなく、務めるべき社会的役割ではなく――子を選んだ。

 

「睦ましいことだな」

 

 ケロイドだらけの指先で頬を撫でて、ただ呟いてみる。

 パンジャは、母から愛されていたので――その愛は歪んでいたが――分かる。

 親が子に対し、必死になる理由に心当たりがある。ただ、分からないのは。

 

 ――わたしとアオイはどうだろう。アオイはわたしに生きろと言うのだろうか?

 

 彼のいない隣をチラと見てみる。

 

 ――それとも、彼が生きるだろうか?

 

 パンジャは踏み台にされても良いのだが、彼はそんなことをしたら気に病みそうだ。

 

 ――では、わたしと一緒に死ぬのか? 死んでくれるのか?

 

 これには前提条件を加える必要がありそうだ、とパンジャは悩む。

 

 ――『どちらが犠牲になれば何とかなる』状態であれば、わたしはアオイを優先するだろう。けれどアオイもわたしを優先するだろう。だから、「一緒だよ」とギリギリまで彼と一緒にいた後で、最後に突き飛ばす必要があるのだろうな。

 

 考えれば考えるほど深く思考の湖に嵌る。

 アオイが帰ってくるまで、彼女がそれ以外のことを考える時間は無かった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 けれど、今はこうも思う。

 

 あの時、決めておけばよかった。

 考えておけばよかった。

 聞けばよかった。

 

 どうせその時になれば平時のような判断力は失われてしまう。

 

 だから、せめて。

 その時点での『納得』を優先すべきだったのだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 結論から言うと、世界は変貌した。

 

 未来の記述に於いて「ポケモンの力により、世界から断絶した」と語られる現象を前に、人間は何ができるのか。

 これも結論から言えば、無力だった。ただ無力だ。ちっぽけな人間だから、仕方が無い。この街の人間が等しく、そして、唯一分かることと言えば「これはどうしようもない」という諦念を呼び起こす醒めた感情だった。

 

(そうなるのも仕方が無い)

 

 祈りの声をかき消す怒りの声。

 嘆きの声を潰す幼子の泣き声。

 

 混然とした声のなかに、ハッとする感情のきらめきが感じられる。

 頭に流れ込んでくる音から、それを理解するのは苦しいことだった。どうしようもない現状において、大人が子供にかける声など存在しないからだ。

 

(わたしは、何をするべきなのか)

 

 パンジャは自分の立ち位置を確認するように右足で石畳を踏んでみた。革靴の底がタン、タンと音を立てる。

 彼女の考えるところ、すでに現状は「どのように生きるか」より「どのように死ぬか」という段階のように感じられている。

 詰みだ。我々の人生は、大手をかけられている。

 

(――わたしの望み。わたしの死の形。わたしの結末。ろくなものではないと覚悟していた心算だった、が、しかし、これはいくらなんでも予想外。最後に願いを叶えられるなら、叶えることのできる願いなら、わたしは……無い、ということにしたいが……)

 

 目を背け続けた願いが、無防備に背中を晒してそこにある。

 パンジャには、知りたいことがあった。

 

 しばらくアオイと生活していて強く思ったことがある。

 ――この人を、わたしは、大切にしたいのだ。

 記憶を、人格を、時間を、全てを。

 手を繋ぐ。体温を感じる。呼吸を聞く。その全てに安らぎを感じる。この人の傍にいて穏やかに過ごせる自分が好きになりかけている。パンジャは生まれて初めて自分の安心して過ごせる場所を手に入れた。

 

 けれど、これまで幸せと感じられることが少ない人生を送っていたせいだろう。

 幸福を感じる端々に終わりの影がちらつく。

 

 杞憂だと分かっている。

 分かっている。アオイはどんな時でもわたしを見捨てないし、わたしも彼を見捨てることはないだろう。今でさえ、きっと彼は離脱の方法か、問題の原因か、正常への解法を考え続けているに違いない。

 

 頭では分かっている。

 

 分かっているのだが、どうしても考えてしまうのだ。何事もいつか終わりがやってくる。彼と別れる終末が恐ろしい。

 そして、彼女には予感がある。

 

 ――アオイはわたしを置いていくのだろう。死ぬ時も、きっとそうだ。

 

 彼は、パンジャとは違う。彼の目に映る夢をパンジャは完全に共有できていない。

 差異はいずれ二人を引き裂くだろう。妄想に憑りつかれていることをパンジャは自覚していた。

 

 ――始めた時と同じように終われないのなら、どうするべきだろうか。

 

 氷解することのない疑問。

 その温度は、耐えがたい衝動に火をつける。

 

 ――置いていかないで。

 ――そばにいて。

 ――ここにいて。

 ――置いていくのなら、置いていかれるくらいなら。

 ――わたしがあなたを置いていくから。

 ――ああ、そうだ。

 

 世界が終わる。まるで映画のように。

 現実が虚構性を纏う時分において、正気を保つことは難しい。

 だからこそ。

 深い陰を持つパンジャ・カレンという人物の心が、他害性の自傷行為に安心を見出すのは難しくないことだった。

 

 ――アオイ。価値のあるこの人が、わたしのために消えてくれたら、ひょっとするとわたしは価値のある「わたし」になれるのではないだろうか。

 

 知りたい。あぁ、知りたい。

 どうせ消えてしまう生命なら。どうしようもない事態で命が摘まれる世界なら。

 

 最期に答えのひとつ。

 わたしにくれても良いではないか。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 体を貫く激しい音に、建物の硝子がキシキシと歪な音を立てた。

 ――ダークライだろうか? それともパルキア? ディアルガ?

 ほんの数秒の思考は終えた。どちらであっても最早同じことだ。音が鳴りやむことは無く、次第に疑問に思うこともなくなった。

 

 空間が悲鳴をあげているようだ。

 

 街の高い建物、そして橋の向こう側から妙な光が見える。その光から先は何も無い。石や鉄や木、材質に関係なく消失し始めているのだ。物体が存在できなくなっている。それは空間の消失とも言い換えることができそうだ。飛び交い、駆けまわるポケモンや人々の混乱ぶりは異常事態を雄弁に語るものだ。

 

 アオイは、声を張り上げて庭園を目指すよう道行く人に声をかける。同じような声があちこちから聞こえる。庭園へ。庭園へ。

 

「パンジャ」

 

「な、なに」

 

「……君にすこし、聞きたいことがある。こんな時に質問すべきではないのだが……まあ、すこし気になる話でね」

 

 アオイが声をかけたところ、パンジャはなぜかバツの悪そうな顔をしていた。

 

「何だ。さっさと言えばいいだろう」

 

「何を怒っているんだ……。まあ、こんな異常事態だ。尖るのも仕方が無いのだが……。話というのは、君が昨日見た映画のことだ」

 

 パンジャは本格的に『何を言われているのか分からない』という顔をして、まじまじとアオイを見つめた。

 

 昨日、アオイがホテルに戻って来てからのことだ。帰るとパンジャはテレビ放映されていた映画を見ていた。アオイの目に飛び込んできたのは、その映画――ではなく、彼女の白い背中だったので画面を見るどころではなかった。また、パンジャはすぐにテレビを消した。どんな物語だったのかも分からない。ただ、内容だけは彼女から聞いた。

 

「『世界が滅亡する時に何をするとかしないとか』――そういう話だったのだろう。登場人物達は何をしたのか。すこしだけ気になってね」

 

「ああ、それか」

 

 彼女は肩を落とした。

 場違いな発言に対する落胆とは少し色が違う。アオイはそう見たが、咎めることはしなかった。

 

「言っただろう。『とてもつまらない』って。今際の時に互いに愛を確かめ合って死んだよ」

 

 彼女は、寄り添うように隣に来てアオイの腰を抱き寄せた。

 

「――こうして、キスをした! そして、死んだ! わたしは腔内細菌のことを考えていた! くだらない。本当に、くだらない話だった!」

 

 ちっとも面白くないだろうに彼女は嗤っている。

 双眸には、ただの創作物に対しては余りある、今にも叫び出してしまいそうな憎しみがある。

 

(怒っているのか。悲しんでいるのか。……いいや、どちらでもないのか、これは)

 

 彼女は、ただ不安なのだ。

 この領域にいる誰もが感じていることを彼女もまた感じて怯えている。

 知識があり、多少は現状の理解ができるから、より一層――不安が他者を害してしまいかねない憎しみに変わるほどに。

 

「そうか。それもいいのだろうな……」

 

「なに?」

 

 アオイはパンジャの肩に触れ、空を見上げた。

 

 神と呼ばれたポケモンは荒れ、世界を揺るがしながら激突を繰り返している。

 時空の塔の周囲に広がる広場、そして、ゴーディの庭園にも余波は届いていた。

 

「……君は、私に何か言うことがあるだろう。言いたいことがあるのなら、先に言った方が良い。君の後に私が話すことは、これからの私達の未来についてだから」

 

 パンジャが目を見開く、瞳が揺れた。

 

「迷っている。わたしは、今、君を殺してしまおうか迷っている。『世界に奪われるくらいなら、いっそ、わたしのエゴに巻き込んでしまえ』と思うのだ。だって、手の届くところに君がいる。今度は、手が届く。ずっと昔からそうしたかった。そして今、追いついた。――わたしは逃がさないし、君は逃げられない」

 

 静かで平坦な声だった。

 何の感情も無い。

 だから、ただの事実なのだろう。

 

「それだけか」

 

 呆れる、とか、驚く、とか。

 そうすべきだとアオイは理解している。どんな感情を発露しても許される立場だと思う。

 

 しかし。

 

 それしかない、と思い込んだ彼女が何をするのか。

 身に覚えがあるアオイは肯定も否定もせず、ただ言った。

 

 一転、狂が醒めたように理性のある表情で彼女は眉を下げた。

 

「ああ、今のわたしにはこれだけだ。幻滅してくれよ。現状を打開する案が浮かばない。既に事態は――」

 

 パンジャは、しばらくアオイを見つめていた目を離すと辺りを見回した。

 彼女の横顔は疲れている。

 

「いかに死ぬべきか、という状況まで悪化したように思う。『誰が悪いのか』、『何をすべきだったのか』、『どうすれば防げたのか』。何も分からない。――でも、君の言葉を聞こう。待つよ。世界もその程度の猶予はあるらしい……」

 

 崩壊の音を聞きながら、アオイは静かに口を開いた。

 

「――私達の繋がりは夢だ。私達は、同じ夢を見ている。違う瞳で、同じ夢を見ているのだ。どうにも冷めやらぬ夢だ。生きている限り、ずっとこうだろう。何かを探し、見定めずにはいられない」

 

「…………」

 

 その瞬間、喜怒哀楽――あらゆる感情が彼女に起こり、アオイの右手を強く握る。音も無く。名前を呼んだかもしれない。だが、ついぞ音になって現れることはなかった。彼女は自身の感情より、アオイの言葉を優先してくれたのだ。彼もそれに応えた。

 

 天を仰ぐ目を移し、パンジャを見つめた。

 

「もしも、私達が夫婦だとか恋人だとか、まぁ、そういう関係ならば私は君に『何が何でも生きろ』と言ったかもしれない。決して死んでほしくないからね。――だが、私達は親友で同じ夢の同志だ。だから、あらためて言うが、有事の際は、私と一緒に死んでくれ。具体的に言えば、今がまさにその時になるかもしれない」

 

「…………」

 

「私達は、お互いにどこまでも対等で平等で誠実であるべきだ。だから、私を殺したいのなら親友ではないと宣言してから殺せ。私も君にそう宣言するだろう。…………それは、きっと、すこしだけ、悲しいが……私の力が至らなかったのだろう」

 

「どうして、君は……諦めていないのか……?」

 

「我々は『自らの手段が尽きるまで研究から手を放すべきではない』。ヒイロに……母にそう言われた。悪夢の研究は、まだ続いている。何も終わっていない」

 

 呼吸が止まるような一瞬の後で、パンジャは顔をほころばせた。

 

「ああ、よかった。置いていかないのね。そうだ。そうだね。君は、正しく親友だ」

 

 それでも、アオイの右手を握る手は強い。

 彼女に負けないようにアオイも手を握った。

 

「二人でやらなければ意味が無い。そして、本気でやらなければ価値さえ無いのだ。――必ず生き延びるぞ。私達の最期はここではない」

 

 二人の会話は、世界を置き去りに流れたかのようだった。

 ひとつ。呼吸をする。手が解ける。

 世界は色を取り戻したように、動き始め――凄まじい轟音が響く。

 

 互いを食い合うように噛み合ったふたつの神体が地上に激突する。その寸前でダークライが吹き飛ばしたのだ。

 

「――戦いはやめて! やめて……! ああっ!」

 

 声を枯らし、涙ながらに訴えるアリスは触れがたい深い悲しみをたたえている。その彼女が、口を押えた。

 ダークライにパルキアとディアルガの攻撃が直撃したのだ。爆炎を抜けて戦闘から投出されるダークライを追ってアリスは庭園に向かっていく。

 

「アリスっ!?」

 

 トニオは未だ攻撃を止めないパルキアとディアルガを苛立たし気に見上げた後でアリスを追った。サトシ少年達も彼らに続いた。

 

 アオイの腕に抱かれるヒトモシのミアカシが「アオイはいかなくてもよいのか」と軽く腕を叩いては、森に入り見えなくなった彼らを指さした。

 

「私の脚では、どうあっても追いつけまい。……広場は目立つ。迂回して時空の塔へ行こう」

 

「なぜ、そこに? 庭園に逃げる人も多いようだが」

 

 建物の物陰を辿り、足早に庭園への回廊を進む人々の姿を指して彼女は言う。

 

「君とはぐれたくない。……時空の塔は、建造物自体が楽器のようなものだ。塔を繋ぐ中央に至っては、展示ケース少々でほとんどがらんどうだ。落下物も少ないだろう。しかも街の中心だ。消失も遅いかもしれない――」

 

「分かった。アオイ、ちょっと待って」

 

 今は少しの時間も惜しい。

 何事かと聞くとパンジャはアオイの片腕を取った。

 

「君が歩くより、わたしが担いだ方が速いよ」

 

「えっ!? いや、それは――わっ! ちょっと待っ」

 

 瞬きの間に、アオイの腋の下に首を差し入れ、担ぎ上げた。

 頭が直角に揺さぶられ、彼はすこしじたばたした。

 

「暴れないで」

 

「や、待て――」

 

「わたしはね。君と未来を生きることと同じくらい、君と破滅するのも悪くないと思っている。あ、逆だ。破滅してもいいくらい、生きていてもいいと思っているんだ。いいや、こんなことを話している場合ではなく……。ほら、口を開けていると舌を噛むよ。左手で足を掴んで」

 

 アオイは自分の左大腿へ腕を伸ばした。

 一般的に、ファイヤーマンズキャリーと呼ばれる負傷者を運ぶために使われる運搬方法だ。おんぶに比べ、片手を使える利点がある。アオイが抵抗を諦めるとパンジャは走り出した。

 リグレーがピリリリと警戒音を鳴らした。

 アオイが周りを見れば、消失領域が迫っていた。

 

「あーッ! パンジャ、急げ、急いで!」

 

「大丈夫。間に合うさ」

 

 彼女の宣言通り、消失しつつある空間からの離脱は成功した。

 成人男性の重みをものともしない、パンジャの脚は速かった。

 時空の塔のエントランスまで駆け抜けたところで、パンジャはアオイを下ろした。

 

「あ、ありがとう。すまない……」

 

「モシ……!」

 

 ミアカシがアオイにぴったりくっついた。彼女にとって後ろから怖いものに追われるという経験は初めてだ。縮こまった焔が痛々しい。アオイはできるだけ優しい言葉をかけながら、小さな命を抱きしめた。

 

「だ、大丈夫。大丈夫だよ。ここまでくれば、ひとまず、まあ、ひとまずは……」

 

 杖を使い、何とか歩く。

 そのうちポケットから単眼鏡を取り出してパンジャに渡した。

 レンズの調節をしながら、彼女はほんのすこしだけアオイの脚を見た。

 

「君、もうすこし食べたほうがいいよ。軽かった」

 

「だって、事務仕事が多いのにたくさん食べたら太るじゃないか……。何か見えるか?」

 

 アオイの目にも、街の上空を縦横無尽に飛び回る戦闘が見えている。けれど、細かいところまでは見えていなかった。

 どちらの攻撃なのか。何がどれを攻撃しているのか。生態を知らないポケモンの戦闘は、遠目からでは分からないことが多い。単眼鏡で見つめたパンジャが「ほお」と興味深そうに呟いた。

 

「ダークライが戦闘しているようだ。復帰したらしい……お?」

 

「パルキア? ディアルガ? どちらと?」

 

「どちらもだ」

 

「二体一? 不利じゃないか。いや、しかし――」

 

 アオイの思考に飛来するのは、この場合、ダークライとパルキアとディアルガの三者のうち誰が勝てばよいのだろうか?という疑問だ。

 

 ダークライ――少なくとも街は守ってくれそうだが、パルキアとディアルガを倒せるのだろうか。倒したら街の消失が戻るのならば勝ってほしい。

 パルキア――空間を操り、街を元に戻せるのなら、勝ってほしい。だが、怪我をしている。それに、時間の概念を持つディアルガまで倒してしまってよいのだろうか。

 ディアルガ――時間を操り、街を元に戻せるのなら、勝ってほしい。だが、空間の概念を持つパルキアを倒した後でも時間はうまく巻き戻るのだろうか。しかも、アラモスタウンにとってパルキアは獲物の逃亡先だ。街のことをいちいち気に留めるだろうか。

 

 結論。

 

「ダークライの応援が必要だ。――パルキアとディアルガを気絶でもさせれば権能の行使が止まる、かも、しれない。いや、分からない。でも、パルキアとディアルガのどちらかが勝って均衡が崩れるくらいなら二体叩きのめした方が世界に有効打を与えられる……かも……しれない」

 

 アオイは声を絞り出し、パンジャを見た。

 

「どう思う?」

 

「悪くないと思いたい。特にディアルガが勝つ状態は避けたい。――だが遠い。地上からでは、フリージオの『ぜったいれいど』も届かないだろう。ミアカシのサイコキネシスも。バニプッチの『あられ』さえ天候に干渉できるかどうか怪しい。というか、あられは無理な気がする……」

 

 では、どうするか。

 ミアカシが一足先に、階段に脚をかけた。

 

 二人で顔を見合わせた後でアオイは歩き出した。

 

「ああ、階段ね、階段あったね、億劫で忘れていたとかでは、全然ないとも」

 

「担ぐよ?」

 

「行けるところまで行くさ。もう、どんな時でもそうすると決めたんだ」

 

 帽子を脱ぎ捨てて、アオイは杖を握る。

 ――母ヒイロなら、そうするだろう。

 あの人に恥じないように、生きていきたいと思う。

 

 何よりも。

 まだ生きていたい。

 まだ夢を見ている。

 

 




【あとがき】
 この物語のこの話に限っては「最後の日に何を食べるか」とか「無人島に何を持っていくか」とか、そういう類の話です。心理ゲームのようなこの問いが、筆者は好きではないところですが、作品の中に取り入れることは良い試みで面白い作用をすると思っています。その人にとっての哲学・信条がとても率直に透けて見えるからです。それがうまく表現されたのなら、筆者・読者は、その人の過去・未来をシミュレートできるようになります。
 今回の話で、それがうまく表現できたかどうかは、とても微妙なところですが、ひとつ書いてみたかったんです(本音)。許してー。

 極限の状態になると攻撃的になってしまってしまう。
 それを正当化できる(本人のなかで)理由を作ってしまう。

 というのは、よくあることだと思うんですよ。あるよね? えっ? そう……。


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夢を見ていた 短い夢を

次の話で、この物語は完結になります。

実質、拙作もしもし~の続編なこの話をここまで読んでくれてありがとう!


 リグレーが、ピコピコと電子音をこぼし、次の瞬間、アオイが腰につけたモンスターボールに引きこもり、結果として事態の収束まで姿を現すことはなかった。

 何事かと見上げたヒトモシのミアカシは、ちょうど踊り場で一息ついたところだった。

 

 地上三階に相当する気球の待機所までたどり着いたアオイ一行は、そこで街の全貌を見た。

 浮遊するリグレーが、街を見下ろす。ミアカシが、興味深そうに彼に倣い、閉じつつある世界を見ていた。

 

 砕けている。欠けている。

 世界という大きな手の平から零れ落ちた町は、玩具の作り物のように壊れていた。

 

(小さな瞳に、その光景がどんな意味を持って映っているものか……)

 

 アオイは、それを想像しようとして何も頭に浮かんでこなかった。

 ミアカシと過ごした一年間は、彼女にアオイの最期を考えさせる機会にはなったが、彼女自身の終わりを考える機会にはならなかったように思う。

 

 頭が痛い。

 何から考え始めるべきか――。

 

 どうしても目の前をちらつくのは、先ほどのパンジャの言葉だった。

『事態は、いかに死ぬべきか、という状況まで悪化したように思う』

 

 命は終わるものだ。

 だが、終わり方というものがある。

 

「パンジャ――」

 

 深刻な顔で話を切り出したアオイは、踊り場に着くなり座り込んだ。

 膝が笑ってしまい、震えている。心臓など胸が苦しくなるほど打ち震えていた。――もう、歩けないのだ。

 

「大丈夫か」

 

「すまない、私を引きずって運んでくれ。ああ、足が……こ、このポンコツめ……」

 

 アオイは、事故後の後遺症でうまく動かない足に触れた。

 

「君はリハビリを頑張ったよ。つかまって」

 

 パンジャに引きずられながら、ようやく下界が見える柵にたどり着いた。

 

 美しくあるため計算が尽くされた街は、無残に姿を変えていた。

 パルキアの咆哮の度に尖塔は崩れ、ディアルガの往来の度に石畳は亀裂を奔らせる。

 

(ダークライの姿が見えない――敗れたのか?)

 

 庭園を見つめる。人の声は、無風の世界ではすこしだけ聞こえている。

 長い、長い、ため息の後で、アオイは佇むパンジャに声をかけた。

 

 手が、震えていた。

 

 ――私には、まだ死への恐れがあるのだ。

 

「ところで。君は、私を殺してどうする心算だったんだ?」

 

「えぇ?」

 

 彼女は「今さらそれを聞くのかい」と言った。

 アオイは「まあ」と言葉を濁す。

 しかし、すぐに「目の前の疑問から取り掛かろうと思うのだ」と告げた。

 

「見ての通りだ。もう惨状と言ってもいい。こんな世界で、こんな状況で、どうするつもりだったのかな、と思ったんだ」

 

「どうするなんて、考えてもいなかった」

 

 パンジャの隣に寄り添うフリージオが薄青の光を明滅させる。

 その鎖を弄びながら、彼女は遠い目をしていた。

 

「もしも、君がこの状況を悲観していたら救いなるだろうとも考えた。――すまない、これはさっき階段を昇りながら考えた言い訳だ。『君を殺した「わたし」がどうなるのか、知りたかった』。ただ、それだけだ。だから、わたしが、どう生きようか、なんて考えていなかった。君を殺してみたいと思ったことは事実だけど、生きるために殺したいとは思わない」

 

 彼女は目を見開いて、一歩、柵に近付いた。

 アオイは、彼女が衝動的に身投げをするのではないかと思って声をかけた。彼女は、傷ついた顔をしてアオイから顔を背けた。

 

「下手な慰めはよしてくれ。自分で酷い矛盾を言っていることは、分かっているんだ。自己弁護もおこがましい程度にはね」

 

「ああ、そうだね。私に救済が不要なように、君に慰めも不要だとも。君は、ただ、すこしだけ、短い夢を見ただけなのだろう」

 

 アオイは、囁くように言った。

 

 夢。

 

 崩れ落ち、消えていく世界で、どうしても『夢』という言葉は儚い輪郭を持つ。

 背中の向こうで崩れていく風景のなかで、彼女は寂しげな顔をしていた。

 

「こんなものでも、君は、夢と呼んでくれるのね。……こんなもの。こんなものを。おぞましい。忌まわしい。ただの衝動だ。どうして。わたしが君を殺してしまえるように。君はわたしを殺しても構わないはずなのに」

 

「夢とは、欲だ。明暗で測るものではない。善悪で裁くものではない。熱量で測るものだ。君は、熱に浮かされたのだろう。母の夢を追って熱に侵されているのは、私も同じだ。……私は、まだ、君の感情の内実を解さない。お互いにもうすこし時間が必要だ」

 

「時間……」

 

 パンジャの言いたいことが、アオイもよく分かる。

 今さら、と言いたいのだろう。

 何度でも。この期に及んで、と。

 

「ミアカシ、おいで」

 

 閉じる世界をただ口を開けて見ていた彼女を呼び寄せる。

 ほのかに暖かい体を抱きしめる頃、パンジャが隣に立った。

 

「すこしの時間も、今は惜しい。――守るよ。君の親愛に応えよう。世界が終わるまで。いいや? 終わった後も。永久に……永久に」

 

「ありがとう。私も諦めたくはないが……文字通り、足手まといだ」

 

 アオイは、震える足を隠すように座り直した。

 

「すまない……ね」

 

 不思議そうにミアカシが「モシ」と言う。

 アオイのささやかな後悔を彼女が分かってくれないことが、辛かった。

 

 しかし。

 

 違う、とパンジャが吠えた。

 パルキアとディアルガ――その騒音に負けないように声を張る。

 

「そんなことはない。そんなことは、なかった。これまで一度だって無かった! ああ! 一度だって! 無かったんだ! だから、そんなことを言うのはやめて。いつも君が私の手を引いてくれた。君がいるだけでいい。それでわたしが救われる。今だって救われた!」

 

 すこしだけ未来を考えると弱るアオイの心を他でもない彼女が支える。

 そこにいるだけでいい、と誰かに言われる――そんな夢を、遙かな昔に抱えていたなと思い出した。

 

 アオイは、空を見上げた。

 

 たった数秒で世界は様相を変えていた。

 熱風に前髪が煽られる。

 ディアルガの放った光弾が時空の塔へ殺到する。それはアオイ達のいる気球の待機所も例外では無かった。

 

「――だから、世界が終わろうと、今日死んでしまうのだとしても、わたしは君のために戦える!」

 

 パンジャの命を受け、フリージオがディアルガの流れ弾を防いだ。

 

「伝説だの神だの知ったことか、そんなもの! ――フリィ、撃ちぬけ! 『ぜったいれいど』!」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 それは。

 

 一度神体が吠えれば目が覚めてしまう、浅い夢だった。

 ダークライの昔日は、いつもセピア色に褪せている。

 

 何年、生きているのだろう。

 時空の塔の建設から完成まで見守ってきた。最も少なく見積もって百年だ。

 

 ――さまざまなことがあった。

 

 争いの多い時代であったし、国であったし、迫害があった。

 でも、終わってしまえればそれだけだった。

 それだけ。

 思い出にする価値も無い、寂しい記憶が多い。

 

 ――草笛の音が、聞こえる、気がした。

 

 あの日のことは、鮮やかな色を持って思い出すことができた。 

 

「……、……」

 

 アーティスト・ゴーディの庭園。

 風と水。

 静謐と調和をたたえる小さな箱庭に、その日は、小さな嗚咽が聞こえていた。

 

 蜜のような、とろけた黄昏の日。

 風にのって庭園を満たす音は、いつもの草笛ではない。

 

 鎮魂のための鐘の音だった。

 

 声が気になって庭園の奥から這い出てきたダークライが見たのは、木陰に隠れている少女だった。

 小さく細い手でぎゅっと顔を押さえつけて、ときおり震えている。

 

 けれど、ダークライが近づくことはできなかった。

 すでに心配そうに駆け寄るポケモンがいたのだ。

 

 ――アリシア……。

 

 薄暗がりに身を潜め、遠くから見つめることしかできなかった。

 ダークライには特別な少女だが、きっと彼女にとっての自分は世界にいる、ありふれた存在のひとつなのだろう。

 それを惜しいとは思わない。彼女の、優しさ、一心に相手を想う心は平等なものだ。

 だからこそ、惹かれたとダークライは分かってもいたから。

 

 けれど。

 

 ……、……。

 

 アリシアの優しさと同じ丈、悲しみも深いのだとダークライは知った。

 

 だから、悲しみにくれる彼女のそばに寄り添えないことは、惜しいと思う。

 何を伝えてよいのか。何を言うべきなのか。知識も相応しい言葉も無い。

 でも、寄り添うことはできると思うのだ。

 願うなら、その涙を止めてしまいたいとも思う。

 

 けれど、今いるポケモン達がそうであるように。

 寄り添うならば、だれだってできそうだ。

 自分である必然は無い。

 

 ダークライは、自分の手を見つめた。

 穴が開くかと思われるほど真剣に。

 そして、考えた。

 

 ――自分の、できることは?

 

 ――悪い夢が、何をできるだろう?

 

 その時、答えは出なかった。

 

 やがて時が経ち、ゴーディは枯れ、アリシアも世を去った。

 それでも、ダークライは変わらない。

 

 あの日の自問の答えは、まだ出ない。

 涙に濡れた黄昏の時間は、終わらない。

 

 

 だから。

 だからこそ。

 

 

 目を開き、アリシアによく似た瞳を見た時に――今度こそ、その涙を止めたい、と思えた。

 

 やるべきことは何か。

 やりたいことは、何だったのか。

 

 その答えを見つけて、ダークライは翔る。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 遙か上空を翔ていくダークライを見送り、トニオは頭を振っていた。

 アリシアとダークライの繋がりは、トニオには分からない。

 

 けれど、そこには単純で美しく、何よりダークライにとっての救いがあったのだろうと思えた。

 

 アリスとの短い会話の後、わき目もふらず、パルキアとディアルガのもとへ向かって行った。身体の状態や敵の強さがどの程度なのか。彼に考えが及ばないワケがない。

 

 ――消耗戦。

 

 そんな言葉が頭をよぎり、視界が暗くなる。

 ダークライがいくら強かろうとパルキアとディアルガの二体は手に余るのは明らかだった。万が一、勝つことができるとしても時間が足りない。街の崩壊はすでに数割を超したように見えている。彼が勝つまで街が持たない。

 

 地平線まで見えるようになるまで、もう間もなくなのだ。

 パソコンを開いて、フワライドが観測している映像を確認する。

 

 ――ああ、絶対的に間に合わない。

 

「ダメだ……ダメだ……何か、考えないと……考えないと、ダークライが……」

 

 実は、トニオの手には鍵がある。

 その名をオラシオンという。

 ゴーディが悪夢の予知により、残した『何か』。

 

 だが、その『何か』が分からない。

 

 分かったとしても、準備が必要なものならば――もう手遅れだ。

 それでも、縋るしかないし、賭けるしかない。

 

 橋の欄干を握りしめ、トニオは呟いた。

 

「オラシオンが……何か分かれば――」

 

 小さく、震える声でその名を呼ぶ。

 オラシオン。

 その名を知らないはずの声が聞こえた。

 

「オラシオン……? トニオ、あなた……オラシオンと言った?」

 

 アリスは、涙をこらえた目でトニオを見つめた。

 

「アリス、知って、いるの……!? オラシオンを!?」

 

 トニオはアリスに詰め寄った。

 ええ、と戸惑い、涙に濡れた声音だが、しっかりと彼女は言った。

 

「曲の名前よ。ゴーディが遺した、楽曲の一つであなたも聞いたことあるでしょう?」

 

「ア――ひょっとして、草笛の?」

 

 トニオは、思い出した。

 彼女の草笛を聞いたポケモンは大人しくなる。

 だから『彼女の草笛には、ポケモンの心を穏やかにする力があるのだ』――ずっとそう思っていた。けれど、ひょっとしたら、その力の何割かは『楽曲』のおかげだったのかもしれない。つまり、オラシオンという曲の能力は、ポケモンに安寧を齎すこと、かも、しれない。

 

 オラシオンは、分かった。楽曲だ。

 

 問題は、どうやって街中に響かせるか。

 神の如きポケモン達に聞かせるか。

 

「草笛の音をどうやったら、街に響かせられるのか……いっそ、アリスに歌ってもらうとか……放送装置は無事だろうか――」

 

「トニオ! 音盤の管理もしているのに。しっかりして。ゴーディの曲は、全部音盤になっているでしょう!」

 

「それだ! 音盤! いま、それが必要なんだ、アリス! ゴーディの日記にあったんだ! ああ、きっと、ゴーディは、この日、この時のために――!」

 

 ひとつ。

 現状を打開する手段が見つかった。

 

 トニオは、ゴーディの日記に見つけた写真をアリスに渡す。

 彼女の目が大きく見開かれて、最後に大きな涙が零れた。

 

「おばあちゃん……」

 

 吐息と同じ言葉をトニオは力強く頷いた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「音盤を見つければ――!?」

 

 神と呼ばれるポケモン達の破壊行為は、留まることを知らない。

 庭園に逃げ込んだ誰もが手を合わせ、溜息を吐き、項垂れる現状において、それでも、サトシ少年達は――トニオ達がそうであるように――諦めてはいかなかった。

 

 時空の塔、その一階にたどり着いた彼らは、音盤を探した。

 

「でも、いったいどこに?」

 

「音盤って同じ形ですよね。何か、目印とか」

 

 ヒカリとタケシが、せめて名前が無いかと音盤を取り外した。

 

 対の尖塔を繋ぐ中間は、石膏で作られてた彫刻が飾られている。少女とポケモン達、そして自然との調和を描いたものだ。その彫刻には、いくつかの音盤が嵌められていた。

 

「トニオ、あれよ!」

 

 アリスは写真の裏に刻み込まれた楽譜と同じ紋章を持つ音盤を指さした。

 

「あとは、これを最上階までもっていくだけだ。――アリス、気球は!?」

 

「ヒコザルを待たせているわ。外に! サトシ君達も乗って!」

 

「はい!」

 

 外――上空は、乱戦状態だった。

 

 ダークライは、時空の塔に近付けないようディアルガとパルキアを攻撃する。そのせいでディアルガからもパルキアからも集中砲火を食らっているようだ。――しかし、時おり、横やりが入る。『れいとうビーム』の青い光が時空の塔への接近を阻んでいるのだ。

 

「あれは――」

 

「気球の待機所に……誰かいる、あ、パンジャさんだ!」

 

 風のない空間に、ふわりと舞い落ちる物がある。

 雪だ。

 

 ――戦っている人がいる。自分だけではない。彼らだけではない。

 まだ、諦めていないのだ。

 

 手足に力が漲り、トニオは駆けだした。

 アリスが、気球の重石に繋がる綱を切った。

 

「ヒコザル! 火力全開、上げて! ――みんな、つかまって!」

 

 アリスの声に応じて、気球は急上昇する。

 ズシ、と重力を感じながら彼らが見たのは、変わり果てた街の光景だった。

 

「そんな、街が……!?」

 

 ヒカリが思わず、口に手を当てて息を呑みこんだ。

 街は半壊していた。

 背の高い建物は、時空の塔を除きほとんど残っていなかった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「――近付けさせないっ!」

 

 パンジャは、油断なく辺りを見回していた。

 フリージオ、ニューラ、バニプッチ。

 彼女の手持ちのポケモンは全て戦闘に駆り出されている。

 

 それは、彼女の総力を意味した。

 

「君を守るよ。アオイは言ったね。山頂は観測の目が届かないと――この世界の生存者の最後のひとりになった時、生きてもいないし死んでもいない状態になるかもしれない」

 

「しかし、まぁ、都合の悪い賭には違いないが――ん?」

 

 ミアカシがサイコキネシスを外し、落胆の声を上げる。

 それをあやしながら、辺りを見回したところで彼は気球を見つけた。ダークライが護衛のように辺りを周回している。人が乗っているようだ。

 

「パンジャ、下方から接近する気球あり。当てるなよ」

 

「了解だ。なんだ、上空に逃げる心算かな。――正直、ここも他と変わらなくなってきたところだが」

 

 パンジャの言うとおり、時空の塔自体にも空間消失の範囲が近づいてきた。

 二人は階段を登って辿り着いたが、階段自体が消失しかかっており、足の悪いアオイはもちろん、健康なパンジャであっても降りることはできないだろう。

 

「誰が乗っているのか……」

 

 ニューラの『こおりのつぶて』が、パルキアにぶつかり、怒ったパルキアが塔に向かってたいあたりを食らわせる。直前に割り込んだフリージオが『まもる』を展開してそれを防いだが、巨体の衝撃はすさまじく風圧でアオイは飛ばされそうになった。

 

「わ、わ。さすがに、この高さは死ねるな!」

 

 震える手で柵にしっかりつかまるアオイは、途端に消失し始めた安全柵を見てギョッとした。ミアカシもさすがに驚いたようでアオイごとサイコキネシスで宙に浮かせ、比較的消失の少ない区画まで移動した。

 

「あ、ありがとう」

 

「そういえば、君の死因レパートリーに墜死は無かったね」

 

「それはもう幸いなことにね。経験済みは、圧死と焼死と失血死だ。どれも比べがたく酷く痛い。オススメしないね」

 

 アオイは、鞄をごそごそとあさり、目的の品を見つけた。

 すごいキズぐすりだ。スプレーが機能することを確認し、フリージオを呼んだ。

 

「フリィ、おいで! 治療しよう」

 

「バニィ、前に――」

 

 フリージオが下がり、代わりにバニプッチがニューラと前線に出た。

『せっかち』なフリージオは、しきりに震えてアオイをせかした。パルキアと衝突したせいで体力は削られている。一時であれ休息は必要だった。

 

「君が――ううん、誰も倒れるワケにはいかない。みんなで生きよう」

 

 シャンシャンと氷を揺らす音がする。同意を得た、とアオイはスプレーを振りかけた。

 

「――できることを、やるんだ。できるところからね」

 

 治療が終わったとみるやフリージオはパンジャの前に飛び出して行った。便宜上、彼女とする――フリージオはパンジャのことが好きなのだ。

 

「フリィ、気球を援護してくれ」

 

「パンジャ?」

 

 フリージオは、彼女の命令とおり、柵を跳び越えると地上二階付近を上昇してくる気球に寄り添った。

 パンジャが、ここで戦力を割くとは予想外だった。『まもる』と『ぜったいれいど』が使えるフリージオは、彼女にとって最強の盾であり、矛であったからだ。

 

 最大戦力を欠落させた後でパンジャは、呆然としていた。自分でも、どうしてそんなことを言ったのか分からない。今にもそう言いそうな顔をしていた。それでも。

 

「――きっと、君なら、こうするだろう。誰のものであれ、命は尊いものだから。あの子達を守ろうと」

 

 アオイは昇ってきた気球を見た。

 そこには予想されたトニオ、アリスとサトシ少年達がいた。

 

「あ、君たちは……!」

 

「オラシオンが分かりました!」

 

 無邪気に手をふるミアカシに、つい手をふりかけたサトシが半端な笑い顔を作った。

 彼らの頭上で交わされる言葉に、しばし、パンジャも指示の手を止めた。

 

「なに?」

 

「オラシオンは楽曲だったんです――いま、最上階まで行きます!」

 

「楽曲……最上階……ああ、そう、そういうことか、アーティスト・ゴーディ……!」

 

 外付けの装置で音を増幅させることは、難しいことではない。ただ、遠くに音を響かせるのならラッパの形にすればよい。

 だが、時空の塔は、そうではない。

 音はゆりかごのように反響し、がらんどうを満たすだろう。空虚な空間を。廃墟の街を。

 

 遠くに音を届けるのではない。

 

 形は、今日、この日のために。

 曲は、今、この瞬間のために。

 

(――すべて準備されていたのだ)

 

 アオイは、杖をたぐり、立ち上がった。

 

 舞台装置は最初から整っていた。

 ならば、後は、希望をつかむまで。

 

 アオイは、ミアカシを抱えたまま気球を指さした。

 

「アリスさん、最大火力を! パンジャ、最大限の援護を! ――ミアカシ、サイコキネシスで打ち上げろ!」

 

 アオイの指示に応え、ヒコザルはいよいよ強く火を噴く。

 ミアカシが手繰るように気球の形をとらえた瞬間――気球の位置が変わった。瞬く間に視界から消えた気球は、屋上近くまで上昇を終えたようだ。

 

 柵から身を乗り出して、その様子を見届けたアオイはミアカシを抱きしめた。

 

「よし、よし――よくやった、ミアカシ! うんうん、できる子だよ、君は!」

 

 テレテレしているミアカシは、頭上の焔をふよふよと揺らした。

 その様子をジッと見ていたパンジャに、アオイは身を固くした。

 

「…………」

 

「あ、いや、パンジャが頑張っていないとか、そういう意味じゃないけどね」

 

 ミアカシを隠すようにアオイの声は小さくなる。

 

「ああ、別に。君のために頑張るのは当然だから、別に、何とも思っていないんだけど、別に。君はそういう賞賛の仕方をするのだね。参考にするよ」

 

 ――待て、何のだ。

 アオイの疑問に対し、答えは無かった。

 

 直後、塔が揺さぶられる衝撃が奔る。

 空を見上げれば、ダークライのダークホールがパルキアとディアルガを捕らえた瞬間だった。

 

「あれは……?」

 

「眠りに誘う空間だ。ダークライの悪夢そのものだとか。実際、見るのも初めてだが――」

 

 それを、アオイは決死の攻撃と見た。

 

「アレが途切れた瞬間、ダークライは集中攻撃を受けるだろう」

 

「なぜ?」

 

 攻撃が止んだことでニューラもバニプッチも一時の休息を得ていた。もっとも、空間が消えかけているので二体はパンジャの傍を離れようとしなかった。片腕でニューラを抱きかかえながら、パンジャは単眼鏡を覗いていた。 

 

「君のポケモン達の攻撃は、彼らにとってささやかないやがらせだったが、二体のポケモンを足止めするダークライの攻撃は明確な敵意と受け取られる。『うっとおしい小さきもの』から『まず倒すべき邪魔者』という認識に変わるからだ。ダークライも今まで同時に二体を攻撃することは極力避けていたように見える――あの火力にまともに食らったらいかなポケモンであっても塵さえ残らないだろう」

 

「――――」

 

 空の戦力の要であるダークライが戦闘不能になれば、なし崩しだ。

 地上に残ったトレーナー達の奮闘も見える。だが、空の彼らには届かない。

 

 パンジャは、バニプッチとニューラに向けて言葉をかけた。

 

「さぁ、行きなさい、すこしでも消失が少ないところへ。さぁ、行きなさい、行きなさいと、わたしが『行け』と言っているんだッ!」

 

 躊躇った後に、驚いた彼らが「ピャッ」と小さな声を上げ、あるいは、割れた氷の音を立てて塔の外壁を昇っていった。

 

「パンジャ、いいのかい」

 

「こうするべきなんだ。生きる可能性が、すこしでも、あるのなら……こうするべきだ。わたしは、あの子達を愛しているけれど、君を置いてはいけないし、そばにいたいと願ったから」

 

 本当に、守るべきは子ども達だ。

 音盤を抱えた少年達の助けになればよいとパンジャは言った。

 

「――彼らは間に合う、だろうか」

 

 パンジャが振り返る先には、登り階段がある。――正しくは『あった』

 消失に巻き込まれ、完全に孤立したことをアオイも把握していた。

 

「それに賭けるしかないだろうな」

 

「もどかしい」

 

 彼女は険しい顔をしていた。

 

「――自分で解決できない難題をあんな子どもに任せるしかないなんて。可哀想だ。可哀想に。可哀想なのに」

 

 アオイは、彼女の言いたいことが分かる。

 悔しい。

 自分の命運を誰かに託さなければ、生きていけないことが悔しい。

 けれど、託される彼らも哀れに思う。

 

 ――本来ならば重荷を感じてしまう前に、大人が取り上げるべき仕事だ。

 

 アオイは、今日何度目かになる礼をパンジャに言い、足を下ろした。

 不安げに大人しくしているミアカシに語り聞かせるように彼は言った。

 

「やるべきことを自分で選んだのなら、どんな苦難も乗り越えていけるよ。――特に、子どもは幼いから恐怖を知らない。今に自分が死んでしまうなんて思いもしないだろう」

 

「それを知らないことは不幸なことだ」

 

「そう。私達は、それを不幸と呼ぶ。これ以上ない不幸だ。けれど、知らないから彼らは尊く、勇ましい。いつだって果敢に挑めるんだ。ひょっとしたら使命に駆られる大人よりも上手くコトを運ぶかもしれない」

 

 アオイの背中の向こうでは街であったと分からないほど崩れ始めていた。

 街の崩壊が止まらない。

 悪夢の中にパルキアとディアルガを封じ込めているダークライの限界は近い。

 

「信じてみよう」

 

「……君が言うから、わたしは信じるだけだ」

 

「今は、それでいい」

 

 どちらからともなく手を伸ばし、ふたりは手を繋いだ。

 

「これからの未来を拓いていくのは、ああいう子ども達じゃないかと思うんだ。底抜けに明るくて、負けず嫌いで、誰かのために懸命になれる子だ」

 

「そう。ねえ、アオイ。もしも、わたし達が子どもだったら、一緒に走ったかな」

 

 ぽつりと零された言葉に、アオイは耳を傾けた。

 二人の間には、選ばなかった選択の余白だけが許されていた。

 

「――明日は、来ないかもしれない。今日より悪くなるかもしれない。それでも。よそ見をせず、走ることができただろうか? 最期まで走ることができるだろうか? 一分でも一秒でも、足掻き続けられただろうか?」

 

 小さく震えて涙をこぼす彼女をアオイは抱きしめた。

 戦闘の忙しさに紛れていた感情が、彼女に追いついた。

 死んでしまうことは恐ろしく、なにより独りが怖いのだと泣く彼女に、アオイは応えた。

 

「よそ見をした君の手を引いて、私も一緒に走るよ。きっとね」

 

 見上げた先で、遂にダークライの力が尽きた。

 アオイの予測通りの猛反撃をまともに受け止め、宙に放られた彼の肢体が街と同じように消失する様を二人は無言で見送った。

 

 

 

■ □ ■

 

 

 

 そこからの出来事は、立て続けに起こった。

 限られた足場で最期の時を待つふたりの上空では、絶えずパルキアとディアルガが吠え、ぶつかり、技を交わす。

 

「マズいな」

 

「モシ……モシ、モシ……」

 

 ミアカシがアオイの腕のなかでもぞもぞと居心地悪そうに震えた。

 自分がここにいてもいいのか、と伺うような瞳にアオイは微笑み返した、つもりだったが、笑みはだいぶぎこちない。ミアカシは小さな両手で顔をギュッと覆ってしまった。

 

「ふ、不安だろう。私もだ。先ほどから手の震えが止まらなくていけないし、歯が噛み合わない……」

 

 足場は一メートル四方にまで範囲を縮めていた。これが無くなった瞬間、ダークライのように消え失せるか地面までノンストップ墜死は免れない。

 それでも、二人はかたく抱き合いながら、待ち続けるしか無い。

 

「地上も似たり寄ったりだ。庭園が砕けている」

 

 昨日、歩いたばかりの庭園の水場が砕けた様子を見てパンジャが暗く言った。

 もはや宥める言葉も尽きて久しい。

 

 しかし。

 空間の保持が限界という瀬戸際に、ゴーディの描いた奇跡は起きた。

 

 聞き間違うはずが無い。

 その音は。

 パルキアとディアルガが衝突する以外は、無音となりつつある世界に響き渡った。

 

「――鐘、の」

 

「音が……!」

 

 オラシオン。

 

 聞いたことはないはずなのに、どこか懐かしい調べ。

 天上から降り注ぎ、身を震わせるほどの荘厳な音色。

 

「は、は……はは、やったぞ、あの子達……」

 

「信じられない……っ。消失が止まった……パルキアもディアルガも動きを止めているっ――!」

 

 ミアカシが音楽に誘われて顔を上げた。

 この街の誰もが思ったことだろう。――もしかしたら、助かるかもしれない。

 

 それから先にあった上階でのやりとりをアオイは口達でしか知らない。

 

 なんとサトシ少年が『パルキアのバカヤロー!』と怒鳴り、街を元に戻すように呼びかけたのだと言う。それに応えるほどの情があったのか。詳しいことは定かでは無いが、確かにパルキアは約束を果たしたらしい。空間に散っていった街が瞬きの間に、復元されていく。

 

 音楽が終わると同時に神々の争いは終焉を迎え、街は元の姿を取り戻し、空の色は抜けるような青に変化した。

 

 悪い夢を見ていたと言われてしまえば信じてしまう光景を前に、二人は呆気にとられていた。

 

「お、お、お……おぉ……も、元通り、だね?」

 

「その、ように、見えるが、うん……」

 

 アオイは試しに杖の先で、先ほどまで消失していた鉄板を叩いた。

 鈍い手応えに、ふたりは一度顔を見合わせ、手を挙げて喜んだ。

 

「や、やったー?」

 

「はははは、あははは! ……はぁぁぁぁ、二度とごめんだ、こんなこと……」

 

「……そうだね……ホント、そうだね……はぁぁ、つ、つかれ、た……」

 

 上機嫌から一転、パンジャはくたりと膝をつき、アオイも気が抜けて座り込んだ。

 ミアカシが地べたに溶けるように魂の抜けた「モシぃ……ぃ」という声を漏らす。誰もが同感のようだった。

 

 

 三日ほど、ぐっすり眠りたいアオイにようやく分かることといったら、大したことは無かった。

 アラモスタウンを襲った未曾有の天災は、百年前の天才と勇気ある少年少女達によって跡形も無く解決されてしまった、というありふれた輝かしい結果だけだった。

 

 




【あとがき】
アラモスタウンの人々は、恐怖で震えている間に、なんだかよく分からないけど助かった!ってなっていそうだな、と思って書いていました。

あれ?もっと関わらないの?と思った方がいらっしゃったら、きっと、困難に向けて走れる方だと思います。アオイ達の手には、事態を変化させる鍵が無かったので、走る準備を整えている間に、時間切れになった感があります。

主人公が主人公たり得るには、やはり、必要なものがあるのだと勉強させていただきました……再構成って難しいね……

【あとがき2】
あと1話、もうすこしだけお楽しみいただければ幸いです!


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夢の通い路を探して

最終話です。


 本日、三十回目の電話コールに、無機質な女性の声が応えた。

 ――僕が欲しいのは、君の声じゃない。

 眉をひそめ、ダイニングのテーブルにモバイルを滑らせた青年――マニ・クレオは膝の上に乗ったヤドンを突きながら、ため息を吐いた。

 

「ヤバいな……アオイさんにこうも連絡が取れないとなるとパンジャさんに監禁されている、かも、しれない」

 

 彼の傍で流行りのエネココアを飲んでいた妹は、兄が珍しく真面目な顔で言うもので噎せた。

 彼女もまた彼と同じくらい真面目な顔をして見つめ返すので、そこには鏡の中の人物が向き合っているように、傍目からは見える。

 

「ややや、そんなハズないでしょ」

 

「アオイさん、パンジャさんの激重感情に慣れすぎて一線越えても気づかない可能性があるから……。僕、インタビューの内容とか考えておかなきゃ。『挨拶もするいい人なんですよ。でも、いつかやると思ってました』」

 

「不謹慎すぎる。地下にいてたまたま都合が悪いかもしれないじゃない。考えすぎだよ」

 

「そう? うーん……?」

 

 マニの膝の上で寛いでいるヤドンがのっそりと体を起した。

 

「どうしたんだい、急に。これ?」

 

 マニのヤドン。標準よりすこし小さいヤドンは、ふにぶに、と鳴いてテレビのリモコンを引き寄せたがった。

 何となく電源のボタンを押すとちょうど夕方のニュースが流れていた。

 

「何か見たいものがあるのかい? うんうん、寝てばかりだったからね」

 

『次のニュースです。アラモスタウン全域と連絡が取れなくなる通信障害が発生しており、ジュンサー部隊が原因の捜索にあたっています。このことについて、ポケモンの専門家――』

 

 妹は、盛大に噎せた。

 マニはそれをギョッとして見る。

 

「な、なんだよぅ。さっきから、ちょっと慎みが無いなあ」

 

「兄さん、だって、アオイさん、アラモスに行くって今朝……だから、通信障害……だって」

 

「え……あ、あ、あああ! そうか、電話が通じないのは、そういうこと!? そっかぁ、ま、僕はパンジャさんのこと信じてたからね!」

 

 どの口が。

 妹の冷たい視線を躱し、えがった、えがった、と緊張が和らいだ――その時だった。

 ムームー、とモバイルが震え、マニは電話に出た。

 

「あい、こちらマニですけど」

 

『――アオイ・キリフリだが』

 

「うわああああああっ! ぼぼぼぼ、僕、全然、あの、大丈夫ですから!」

 

 マニは自分が何を言っているのか分からずに、アオイへの釈明を始めかけた。

 

「え、えーと、あ、そうだ、アラモスは、つ、通信障害じゃあないんです?」

 

『ああ、その件は後で。騒がないでくれ。疲れているんだ……。君に、すこし、頼みたいことがある』

 

 電話越しでも分かるほどに疲労の色が濃い声音だったのでマニはテレビの音量を下げ、しばし、彼の言葉に耳を傾けた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 世界は、再び静けさを取り戻していた。

 神と呼ばれたポケモンは、上空のどこにも見えない。

 

(あの時間は、何だったのか。まるで夢幻だ……)

 

 何もかも元通りになった世界は、凍っていた時間が動き出したかのようだ。

 人々は通りに溢れ、耳を澄ませば雑踏の中に華やかな音楽が聞こえる。

 

 体に残る疲労と時折震える足の痛みが、現実であったことを教えてくれた。

 風が、切り揃えられたアオイの赤髪を揺らす。少しだけ肌寒い。

 

「寒くは、ないかい?」

 

 パンジャは、鞄にしまっていたアオイの上着を取り出した。

 

「大丈夫。でも、いただくよ。君は?」

 

「何も問題は無い」

 

「……。隣、座ったらどうだい」

 

 アオイは、自分の隣を叩いた。パンジャは、日を遮るようにアオイの前に立っていた。

 

「わたしは、ここにいるよ。気にしないでくれ」

 

「気にするよ。マニ君が来るまで時間があるんだ。意地を張ることもない。君も疲れているだろう。座ってくれ」

 

「疲れているからだ。座るとわたしはきっと寝てしまう。異常は、目に見えていないだけかもしれない。本当なら、今すぐにでもこの街を出てしまいたいんだ。……君を抱え上げてもね。それをできないくらい、わたしも消耗してしまった」

 

 パンジャは、彼の目を見つめてゆっくりと瞬きをした。

 

「世話をかける」

 

「いいや、わたしがかける迷惑のほうが多い」

 

「……近頃はそうでもないようだが」

 

「君は、足さえ治ればわたしの手を離れていくだろう。そう自虐することないと思うがね」

 

 曖昧に笑い、ささくれ立つパンジャをなだめたアオイは「ならば、一生このままだ」という言葉を胸の内に留めておくことにした。

 アオイの膝の上では、疲れ切ったミアカシが、ぷぅぷぅ、と穏やかに息を吐いていた。

 

「とにかく、君が気に病むことは無いだろう。動けない私を引きずって、君はできる限りのことを果たした。ありがとう」

 

「わたしを報わないでくれ。君に褒められたくて頑張ったワケではない」

 

「では、私を見損なわないでくれ。君の献身を当然のように受け取るほど、私は礼儀知らずではない」

 

 パンジャは疲れた顔に、微かな苛立ちを浮かせた後で――ふぅ、と息を吐き、アオイの隣に座る。そして、手袋を外した。

 

「意地を張って悪かった……そうしないとわたしの気が済まないんだ」

 

「本当に、気にしないでほしい。君がいなかったら私は、私は、きっと、もっと取り乱していたよ」

 

 本当だろうか、とパンジャは気怠い顔をアオイに向けた。

 

「――生き延びることより、母を探すことを優先したと思う。ミアカシを巻き込んでも、だ。私は、君のおかげで後悔しない生き方をできたと思うんだ。君もそうだろう」

 

 アオイは手袋の指先を咥えると外した。

 

「これからも親友でいてほしい」

 

「……わたしでよければ、君とずっと一緒にいるよ。君の隣に」

 

 二人は握手をした。

 浅い眠りから起きたミアカシがその様子をポケ~とした顔で見上げている。

 彼女の平穏は、穏やかな日々そのものだった。

 

 アオイが腰のベルトに携えていたモンスターボールが震えた。

 

「あ、リグレー」

 

 ふるふると頭を振って出てきたリグレーは、アオイの顔に激突してきた。

 

「だあっ!? なんだ、どうしたっ」

 

 エスパータイプらしく、いつも謎めいて表情の分かり難いリグレーは小刻みに震えていた。

 その小さな体の震えを掌に感じた時、アオイのなかにひとつの納得が生まれた。

 

(――きっと、この子は、怖かったのだ)

 

 起き出したミアカシがリグレーを引っ張った。

 何事かと電子音をあげたリグレーの前で、地面に降りたミアカシはモシモシとしきりに訴えた。それが今日の出来事の総括であると気付いた二人はクスクス笑った。

 

”大きなポケモンがやって来て、夕方の音楽が鳴ったから帰って行ったのだ。”

 

「そうだ。そうだね。ふふっ」

 

「たしかに。そうと言えなくもない」

 

 二人は、カラカラと笑う。

 強張った体が解けていく感覚に、二人はようやく事態の終了を実感した。

 

「だから……私達も帰らないといけないね」

 

 

 晴れやかな空には、音楽が流れていた。

 人々は、街中で生の喜びを語る。

 天才の叡知を。

 青年の機転を。

 少年の勇気を。

 

 ただ、町の一角。

 彼らが時間を過ごす庭園だけは、穏やかで静かだった。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 庭園に留まり続けるアオイとパンジャは、互いに寄り掛かり眠りの浅瀬へ意識を漂わせていたのでトニオとアリス、そしてサトシ少年達のざわざわとした足音に気付くのには、時間がかかった。

 深く考えずとも、彼らと邂逅することは予想できたことだったが、その姿を見た瞬間に驚いてしまうほどにアオイは疲れ切っていた。

 

 ミアカシをパンジャの膝に置き、置いていた杖を手繰り、ベンチからようやく立ち上がったアオイは、トニオと互いに何を言ったものかと顔を見合わせた。

 

「この度は……」

 

「いえいえ、こちらこそ。お力になれず、申し訳ない」

 

 それから、すこしだけ世間話をした。

 ――アルベルト男爵が、元の姿に戻ったようですよ。

 アオイは、彼のことをほとんど忘れかけていたが、よかった、と言ってみた。

 

「結局、今回の問題は僕が知っておくべきことを……ずっと、知らなかったことが、その、事態を長引かせてしまったようなもので」

 

「……?」

 

 それからトニオが話したことは、アオイにとっては意外な内容だった。

 オラシオンの正体が楽曲であると気付いたのは、誰であろう、アリスだった。

 それを語るトニオには、後悔が見えた。

 

「……なる、ほど」

 

 アオイは、トニオが特別に劣っていたとは思えない。

 

「……。間が、悪かったのでしょう。誰が、何が、という問題では無さそうに思えます」

 

 パンジャは、遠くを見ながらそう言った。冷たくない代わりに温かみのない言葉だった。彼女なりに言葉を選び、最も傷つけない言葉を選択したのだろう。その努力がうかがえた。

 それもある。暗い顔で押し黙るアリスの横顔を見て、アオイも同意する。

 

 間が悪い。

 世の中の、ほとんどの問題はそれで解決できてしまう魔法の言葉だった。

 

 ゴーディ没までに時空の塔、オラシオンは完成した。

 彼の仕事は、完璧だった。

 ただ欠点を上げるとすれば――完璧すぎたのだ。

 

 音盤を設置して、起動させるだけで事態が収束する。

 

 この上なく、簡単だ。労力は時代を経るごとに簡単になるだろう。あと十年もすれば、この労力すら自動化できるかもしれない。数万枚の音盤から情報を取り出すことは、もうすでに難しい技術ではなくなっている。

 簡単で労の少ない仕事だからこそ子孫の間でさえ忘れられてしまったのだろう。

 知識は、人が繋ぐものだ。

 

「それでも――結局、あなた方は自分の力で解決してしまった。我々の出る幕など最初から無かったのだと思います。……少なくともアーティスト・ゴーディの未来図には」

 

「…………」

 

「とても冷たい言い方をしてしまうことを許してほしいのですが、それでも、考えうる限り被害が最小限でよかった。考えてもみてください。あれは、災害級の事態でしたよ」

 

「……僕には、とても……そうとは思えません……」

 

「…………」

 

「……失ったものが、大きいので……」

 

 トニオの顔は暗い。見つめる先には、アリスがいた。

 赤い目をこすり、気丈に笑う彼女に掛けるべき言葉は見つからなかった。 

 

「街の安全には替えられないでしょう。あの子達の命にも。誰もが最善を尽くした。あなた方はもちろん、一般のトレーナーもアルベルト伯爵も。誰もが街の為に動いていた。――それが、すこし、噛み合わなかっただけですよ」

 

「そう言っていただけると……ええ……」

 

「ありがとうね」

 

 トニオが弱々しく頷き、アリスが微笑んだ。

 

「……いえ。ええ。その。我々もダークライを悼みましょう」

 

 パンジャがせめてもの慰めを添えて、会話は終わった。

 軽い足音が聞こえて、アオイは長く伸びる影を見つけた。

 

「アオイさん」

 

「サトシ君。今日は、何と言ったらいいんだろうか、本当は、大人がすべきことだった……けど、君はやり遂げた。すまないね。ありがとう。あ、私、ごちゃごちゃなこと言っているね……」

 

 すこしだけ身をかがめたアオイは、まっすぐに見つめられて居心地が悪い。

 それでも、現実は見据えなければならないことだった。

 

「そんなことないです。オレ、夢中で走っていただけだから。何か難しいことを考える暇なんてなくて……ええと、とにかく、無事で良かったです!」

 

「ありがとう。君も、君たちが無事で良かった」

 

 アオイは、喉が渇くような気持ちで彼の前に座っていた。

 ――あと数十分も経たないうちに、私は彼と別れるだろう。そして、恐らくもう二度と会わないだろう。

 旅を続ける彼と留まり続ける自分は、もとより住む世界が違う。この街で、偶然出会ってしまった。関係性とは、実に、それだけなのだ。

 

「こんなことがあったばかりで聞くのも、おさまりがわるいが……君は、旅を続けるのかい」

 

「はい!」

 

 淀みなく答える声音は、恐れを知らない子供そのものだ。

 その純粋さを恐れ、哀れみ――羨ましいと思う。自分のために生きれなかったアオイは、彼が直視が耐えないほど眩しくも思うのだ。

 

 目を伏せた長い沈思の後で、アオイは顔を上げた。

 

「私は、君と出会えて良かった。『この世界は、我々が生まれるに値する素晴らしい世界だ』といつか君が思える世界を作りたいものだ。それでは、良い旅を。良い人生を。……隣にいる友を大事にしてね、なんて、大人の顔で言うまでもないね、君は」

 

「はい! アオイさんもお元気で。お大事に」

 

 ピカチュウとミアカシが互いに手を挙げて挨拶を交わした。

 彼らは笑っている。

 アオイも後悔しないように、笑った。

 

「ありがとう。Best wish!」

 

 アオイは小さく控えめに手を振った。

 振り返るサトシへヒカリが手を振る。おーい、と応えるサトシが不意に足を止めた。

 

「サトシ君?」

 

 ピカチュウが鳴いた。

 彼がじっと見ているのは、地面だ。

 

 手を下ろしかけたアオイは、こそこそとパンジャへ耳打ちした。

 

「どうしたんだろう。珍しい小石でも転がっているのだろうか……あ、シンオウにはジュエルがあったかな?」

 

「さあ? イッシュの地下では珍しくもないものだけど」

 

 サトシが振り返り、高台の対岸にある崖を差した。

 

「あ! アリスさん! 見て!」

 

 トニオがアリスの背を押して帰ろうとしていた矢先の出来事に、彼女は驚いてまずサトシを見つめ、それから指差す崖を見つけた。

 

「――――」

 

 声にならない声で、彼女はその名を呼んだ。

 今日ですっかり見慣れてしまったポケモンの名を。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 一週間後。

 

 

 

「――という、顛末だ。分かったね?」

 

「むうー……」

 

 アオイは指の上でくるくるとペンを回し、レポートを読むマニ・クレオに優しい声をかけた。

 なぜ今日に限って優しいのか。

 それは、疲労困憊のアオイ達をアラモスタウンから連れだしたのが、マニだったからである。いつもよりも丁寧に説明と解説を終えた後で、パンジャからするりとお茶の差し入れが来た。ちょうどいい微温で飲める。

 

「ありがとう。パンジャ」

 

「ねぇ、パンジャさん。アオイさんの話、本当なんですか?」

 

 お茶とお菓子をテーブルに置いた後で、彼女も椅子に座った。

 頷いた彼女は、小さく首を傾げた。

 

「顛末のことかい? ああ、本当だよ。……何だか納得がいかない顔をしているね」

 

「ええ。僕には分からないことがあります。何ですか? 『未来を悪夢に見た』って」

 

 レポートに赤線を引いたマニは、黒い長髪をガリガリと掻いた。

 

「ああ、いえ、別に僕はゴーディの正気を疑っているワケじゃあないんですよ。アオイさんもパンジャさんも嘘を吐いているなんてことも思わない。だって、僕に嘘ついて良いことなんてひとっつも無いんですからね。――でも『悪夢』に未来を見せる力は無いはずですよ。そうだろう? ダークライ」

 

 ダークライ。

 アラモスタウンにいる彼とは別の個体。ハクタイの森に住む、アオイの奇妙な友人であるダークライはソファーでとろけていた。拗ねているのである。マニの言葉にも生返事をした。

 

「ふむ。君って意外に抜け目がないよな。私の冒険譚など目もくれない。いいや、好ましいよ。研究者ならば、かくあるべきだから。それで、どうなんだい、君」

 

 アオイにとっても気がかりな。それでいて、どうしようもなく解けない謎を彼は差した。

 

「僕は時空間の話が出た時に、これはギンガ団絡みの問題なのかなって思ったんですよ」

 

「ギンガ団? 彼らが見ているのは、宇宙だろう? エネルギー問題のことだとばかり……」

 

「う、うん? まあ、表向きはそうなんですけど、そうだと都合の付かない話もあって」

 

 ユクシー、エムリット、アグノム。

 彼が指折り変えた話にアオイは興味を惹かれたが、それは関係が無いとパンジャに遮られた。

 

「話を脱線させないでくれ。それで、どうなんだ。ダークライ、悪夢で未来を知ることは可能なのか?」

 

 真相を知るべくアオイは立ち上がり、ソファーでミアカシやリグレーにつつかれるままになっているダークライを揺り動かした。

 

「アァ……モゥ、ナンダカ……イヤ、ワカラナイ……」

 

 低くざらつきのある声でダークライは呟いた。

 ――悪夢で見た内容が、そのまま現実に現れた例は無い、と言った。

 

「アル、かも、シレナイ。でも、人は、逃げるカラ……」

 

「ううん。そうか。そうだな。継続した観察は君には難しい。第三のポケモンの介入を考えた方が健全かもしれない――ああ、もう。拗ねるなよ。君のこと、ちゃんと誘ったんだからな。アラモスに行く前に」

 

「カッコイィ……アァー……」

 

 ダークライは、溜め息とも何とも言いがたい声を上げていた。

 パンジャとマニが顔を見合わせた。

 

「ダークライは、ダークライに憧れているんだ」

 

「ウォ、アァー……」

 

「うん?」

 

「ううん? アオイ、解説を求む」

 

「ええと、その、ポケモンに社会的役割があることが、彼にとっては幸せで大切なことなんだ。……現状、爪弾きにされてしまっているダークライでも頑張れることがあって、頼りにされることがあるということは、きっと、幸せだと思う。だから、羨ましかったんだろう? その気持ちは、よく、分かるよ。誰からも要らないなんて言われるのは……悲しいことだ。それしか価値が無いと思うことはないさ。それでも、孤独が悲しいことだと分かるんだ」

 

「…………」

 

 ダークライは、彼にしては珍しいことに分かりやすく落ち込んでいるようだった。

 感情に敏いリグレーが、ちょっかいをかけたくて仕方のないミアカシに「ちょっと待って」と制止している。

 アオイは席に座った。

 

「ミアカシ、おいで。……君もいつか通る道だ」

 

 アオイはミアカシを膝に置いて大事に抱え持った。

 人間と共存が難しいポケモンはいる。それを人間は見て見ぬフリをしていることもあるのだ。

 

「いま分からないのなら、いつか分かる時まで好奇心を大事にしておくんだ。彼の生き方は、君の良き道しるべとなるだろう」

 

「ナルカナー……? ナルカナ……?」

 

 歯切れの悪い、しかも、自信に欠けていることばかり言うダークライに発破をかける心算でアオイは手を叩いた。

 

「――ダークライ、次の旅にはぜひ君も同行してくれ。旅だ。不自由を強いるだろう。けれど、きっと君の知見を広げる良い機会になると思うんだ」

 

「良いんじゃないですか。庭できのみの木の番をしているより、よほど良いですよ」

 

「いつになるか、分からないけどね。まあ……まあ、いいさ」

 

 パンジャは、アオイとの二人旅ではないことを気にしているようだ。けれど、アオイの決定に面と向かって反抗することはできず、説得を諦めた。

 彼女が何もしなくともダークライが煮え切らない状態は、変わらない。彼の消極性に賭けた節もある。

 

「コノママ……変わらナイ、変わらナイのかもナ……」

 

 ダークライは、どうやら長生きらしい。それはアラモスタウンでも分かったことだ。かの地のダークライは、アリスを彼女の祖母に見間違えたらしい、との話を聞いた。どんな理屈か分からないが、長寿なのだ。そのためダークライは気長で――しかし、通り過ぎる生物の速度を見ては、焦燥に焦がされているように思える。

 

 そのことをアオイは話そうと思ったのだが、パンジャが水の入ったコップを揺らしながら言った。

 

「アラモスタウンのダークライには、生き甲斐があった。自分を見てくれた少女に応えて、庭園を守るという役割だ。素敵だ。もう、あの子はいないのにね。とても素敵だ。報われることはないけれどね。誰かを守るという生き方は、誰かのために生きるという生き方は、おススメしないが、とても良いことだよ。充実感がある。――君の生き甲斐は何だい?」

 

「パンジャ」

 

 追い詰めるようなことを言うんじゃない、と意味を込めてアオイは彼女の名前を呼んだ。

 マニが緊張した面持ちで二人の顔を伺う。

 悪びれる様子なく、彼女は薄く微笑んだ。

 

「知っておきたいんだ。わたしは、ダークライの望みを知りたい。アオイが協力するのだ。わたしも力を尽くそう。だが……時に、夢は同時に叶わないものだ。何事にも優先順位がある。欲に再現は無いが、手には限りがある。君は、何を望む? 何が欲しい?」

 

「…………」

 

 ダークライは目を伏せたまま、何も答えなかった。

 パンジャは、目を細めて水を飲んだ。

 マニが突然「あーっ!」と大きな声を上げた。

 

「まあ、まあ、い、いま、無理して答えなくて、いいと思うよ! 僕は。僕はね。自分の未来だもの、じっと考えるのだって必要だからね!」

 

 彼の助け舟に、ダークライは乗りかかることにしたようだった。

 

「スコシ、考える……」

 

 アオイも頷いた。

 

「それもいい。可能性を探すんだ。私は、君を取り巻く環境を変えるよ。元手も実績も無いけれど、きっと、変えて見せる。――この世界は私達が生きて、生まれてくるに値する世界なのだと証明するために」

 

 励まされてすこしだけ元気を取り戻したダークライがソファーから身を起こした。

 

「アカイの……タマに良いコト言うナ……」

 

「アオイだ。あと、たまにって何だ、たまにって。常に良いことを言っているだろう」

 

 彼が元気になったのでミアカシが飛び出して行って、ダークライの影を掴もうと床を転げまわっている。

 リグレーがおどおどして彼女の後方を浮いている。

 アオイはホゥと息を吐いた。彼らの仲が良いのは、良いことだった。

 

「……アオイさん、二言目にはすごい壮大な話にしますよね。自分探しなのに」

 

「……自分とはつまり世界だ、という意味だよ。マニ君。鳥瞰的な世界構造への理解を深める手立てなワケだ」

 

「……オッケー。完っ全に理解しました。僕、アオイ検定一級なので」

 

 なんだこれ、狂人会議かな。

 知らない単語が飛び合う二人の会話を背中で聞き流し、アオイは何も言わないことにした。

 藪を突かなければアーボックもポッポも出てこないのだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「――精が出るね。夜だ。休んだ方が良い」

 

「ああ……もうすこし。すこし……」

 

 その日の夕食後。

 そそくさと書斎に引きこもったアオイは、レポートを作成していた。

 手つかずにしているお茶を回収しに来たパンジャが、その様子を見て、フッと視線を切った。

 アオイの筆記を興味深そうな目で追っているミアカシだけが、焔を揺らしていた。

 

 パンジャは、丸椅子に座る。それは、小さく軋む音を立てた。

 

「……マニ君の指摘は、もっともだ」

 

「そうだね。だが、情報が欠けて、考察の余白が大きすぎる。何を言っても事実となり、虚偽になる。可能性は折り合わさって真実は闇のなかだ」

 

「ポケモンが関与すれば、人間の思考実験など木っ端みじんだ。聞かせておくれ。『百年前の人物が百年後の出来事を知る事』と『百年後の出来事を百年前の人物に伝える事』は、どちらが難しい?」

 

「科学の発展に賭けるとして『百年前の人物が百年後の出来事を知る事』の方が困難だと思う。……だが、ガラル地方では千年先さえ演算可能と聞いた。ポケモンの協力があれば、未来を予測する術はゼロではないかもしれない。ネイティオを千体動員して予知から未来の傾向を探るとか」

 

「アーティスト・ゴーディは天才だった。当世であっても、その評価だとしたら。……何か、奥の手があったのかな」

 

 アオイが、気になるのはこの点だ。

 ――トニオの一族が忘れてしまったものはオラシオンだけなのか?

 天才の本質は何か。時空の塔。あの建物は分かりやすいハコモノに過ぎない。

 災禍が過ぎ去った後であればアオイからゴーディに対する評価が変わる。

 

 ――彼の天才性とは、未来を予見したことではないか?

 

「『未来を知る』。とても魅力的だ。大事なことだ。――命など惜しくないほどに」

 

 言ってみると、その言葉は忌々しく不愉快だ。

 未来のことを語ることは楽しいことのハズだ。

 けれど未来を知識として『知る』ことは、条理に反した行いだ。

 

「…………」

 

「アオイ、そう気に病まないほうがいい」

 

「私は病んでいない。病んだのは母だ」

 

 未来を目指したアオイの母、ヒイロ・キリフリは行方不明になっている。

 

 その理由をアオイはトニオに対し『タイムマシンを兼ねた望遠鏡を作ろうとして』と言った。

 だが、動機は伏せていた。

 

 言葉が無力なほど軽くて言えなかったのだ。

 偏に『私への愛の証明のために』など。

 軽々しく言うのも憚れたのだ。

 

 疑問と真実のために身を投げた母を想う。

 

「『私達は、何のために生まれたのか』、『何のために生きるのか』――未来ならば、その答えがあるのだろうか?」

 

 レポートは、簡潔な言葉で綴られ、後にロケット団から購入した録画映像を添えてアオイの書斎金庫に封されることになった。

 

「いいのかい? 伝えなくて」

 

「名声など、どうでもいい。……君はそんなこと重々承知と思ったがね」

 

 アオイは、ダイアル式の小さな金庫を机に置いた。

 ダイヤルは適当に回して、その数字を覚えない心算だった。

 

 封書にまとめた書類とディスクを箱内に置き、厚い扉を閉じた。

 パンジャが答えたのは、アオイがその歯車を回す寸前だった。

 

「――いいや、違う。ギンガ団だよ」

 

「なに?」

 

 思いがけない単語にアオイは、驚いて手を止めた。

 その話は、君が遮ったハズだと彼は言った。

 

「君の興味がそこにあると知られたくなかったんだ。マニさんであってもだ。……ギンガ団は、時空間のことに関して何やら知見がありそうな話だっただろう」

 

「だが、いや、しかし……」

 

 アオイは、自分たち以外の研究者に対して懐疑的だった。

 ――多くの研究者と自分たちは、目的が違うのだ。見ているものが違うのに、上手くいくわけがない。

 

 だが、それを言えないのはパンジャの発言だからだ。

 アオイには無い観点からの話を期待するあまり、拒否は弱くなる。

 

「アラモスタウンでは反転世界のことが分からなかった。母君のことを考えれば、徒労に終わったと言ってもいい。あの街の出来事は、わたし達にとっては重要度の低い知識だが、もしも、彼らが時空間の研究に取り組んでいるのだとしたら、これは取引の材料にできると思わないか?」

 

「…………」

 

 ギンガ団が、時空間の研究に取り組んでいた場合。パンジャの案は、実現性を持つだろう。

 だが、アオイが即答できない理由もあった。

 

「――彼らが強硬派だったらどうする? ダークライはどうなる? トニオさんやアリスさんまで巻き込まれるかもしれない」

 

「ええ、ああ、そうだね」

 

 パンジャの顔は、ミアカシの光に照らされてもアオイの目には半分ほど見えていなかった。

 それでも、アオイは彼女の表情をありありと思い浮かべることができた。

 

 彼女は、たいていの場合、アオイを優先する。

 

 ほんの数秒の思考さえ惜しいと短絡的に。

 これしかないと信じ込めるほど衝動的に。

 

 だからこそ、それにより誰がどんな被害を被るのか、理解が及ばない。また、アオイの想定を受けても何が問題か分からないのだろう。

 ――私にとって利があることだから。

 だから、何の温度差無く、二の句を継げるのだ。

 

「大した問題は無い。君に自信が無いのなら交渉は、わたしがやる」

 

「パンジャ、問題の大小の問題ではない。可否の問題でもない。有無の問題なのだ。――とにかく。今は情報が必要だ。適切な判断ができない。意見を保留する。その間、これに触れることは許さない。絶対に、許さないからな」

 

 彼女は椅子から立ち上がった。

 うまく乗せた、と顔には現れない彼女の内面をアオイは知っている。

 

「許さないからな」

 

「分かった。ありがとう。触らないよ。君の気に障ることは何一つだって無いのだから。そう、カリカリしないで」

 

 パンジャはアオイの肩に手を置いて、揉むような仕草をした。

 彼の肩はもう長い間、凝り固まっていて、そう簡単には解れない。

 アオイは深く呼吸をして背もたれに体を預けた。

 

「……君は、いささか性急すぎる。私が驚くほどに」

 

「そうかな。そうかも。そうだったかもしれない。でも、手詰まりになってから手段を選ぶより、冷静な判断ができると思ったからね。わたしは後悔したよ。もっと考えておけばよかったとね。もうすこし正気の時分の判断を信じたくなったものだ。わたしは、君にそれを知ってほしくないのだ。……それでは、お休み。――よい夢を。愛しい君。親しい君」

 

 パンジャはアオイが使っていたカップを下げるとそう言い残して、書斎を出ていった。

 彼は、迷わずダイヤルを回した。

 数字を覚えるために、メモを取りながら。

 

(パンジャは、時空間の研究の手がかりが手詰まりになることを察しているのだ)

 

 アラモスタウンの研究が、ほとんど目的の糧にならなかったことを嘆いているのはアオイも同じだ。パンジャはきっとアオイのレポートを紙くず同然に思っていて、再生紙のリサイクル先を廃品回収からギンガ団に変えようとした程度の認識に違いない。とはいえ、紙くずと思っている点は、実のところアオイも変わりがない。

 

 これからの研究の道筋を考える。

 最善は何か。

 時間をかけて情報を集め、比較し、熟考し、道義的に問題の少ない選択をすべきだろう。

 だが。

 

(現実は、その時が来たら選ばなければならない)

 

 テーブルに肘をつき、祈るように手を合わせる。

 思考に答えは出ない。誰かの夢は、同時に叶わないからだ。誰かが得をして、誰かが損をする。

 

 ミアカシと目が合った。

 つぶらな瞳に映る自分はひどく狼狽していた。

 ――書かないのか、と。

 問われた気分になり、アオイはペンを取った。

 

 無地の紙に何を書こう。

 レポートはもう書き終わってしまった。

 

 次のことを始めなければならない。

 

 次。

 次だ。

 次とは、何だ?

 

 ――ギンガ団の調査? カントー地方に渡って母の足跡を辿る? シンオウ神話を紐解くべきだろうか?

 取り掛かるべきことは多い。多いハズなのにアオイは迷い続けている。

 

 母と同じ道を辿れば、同じ結果に辿り着くだろう。

 だが、彼女は、こんなことを学んだのだろうか? シンオウに関心のひとつも示さなかった彼女が?

 

 アオイの焦燥は、徒労であると知ることだった。

 本当は、何もかも無駄なことをしているのではないか。もっと別な方法があって、その方法ならば解法に辿り着くのではないか。選ばなかった可能性は、無限の幻の空想に姿を変えてアオイを苦しめ続けていた。

 もう、がむしゃらに知識を求める学生ではいられない。母の命がかかっている。

 

 限られた時間、限られた知識。

 それでも、選択しなければならない日はやってくるのだ。

 

「ああ……私は、正しく歩けているのだろうか……私は……私はっ――」

 

 目を細める先にある、薄青い光が涙で滲んだ。

 アオイが正しさにこだわるのは、ミアカシのためだった。

 

 この幼い灯火は、未来のためにある。

 世界の後ろ暗さを照らすためではない。

 

 彼女のためにも、自分のためにも、より良い手段を、納得できる方法を、正しい道を選びたいと思うのだ。

 過程を愛するようになったヒイロも、きっと、それを肯定してくれるだろう。

 

 苦悩する青年の傍に、ひとつ寄り添う焔がある。

 傷ましい魂を撫でる、彼のための焔は、その晩、ずっと離れることはなかった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 意志は、ちっぽけなものだ。

 大きな力を持つ神の前では、きっと、一本の草木のように頼りない。

 

 けれど。

 

 小さな世界は、ひっそりと。

 確かな熱量をもって変化する。

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 世界が、とある青年を爪弾いた。

 

 それにより、ギンガ団が崩壊するのは、数か月後の話のことである。

 

 

 




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あとがき
 映画を周回する度に見つけてしまう謎!
 気になる背後の設定! どこにもない情報を探せ!
 教えて読者の諸兄!

『ダークライが未来のことを知っていたのは、なぜ?』
『トニオはゴーディの子孫だけどオラシオンを知らなかったのは、なぜ?』

 などなど。拙作では、ひとまずの理屈を(根拠はゼロです)作りました。最高に二次創作って感じがして楽しかったです。

 でも、当時の雑誌にこんな情報が載ってたとか、インタビューでこんな記事が、とか。そんな情報があれば求めています。わりとマジで。



あとがき2
 映画の没設定について。
 没CMや台詞周りをよく読んでみると、現在の映画の形になるまでにいろいろあったんだろうなぁ、ということが察せられてよい勉強になりました。
 巷では、ピジョンのことばかり取沙汰される(サトシがピジョンの背に乗り立ち向かうシーンがあった。また、別映画の助太刀リザードンと対比させられた経緯があり、無印アニメを見ていたファンはとても喜び期待した)のですが、たぶん、ダークライは街の守護神的な立ち位置だった台詞とか、見つけることができて、変遷を感じさせる面白い資料だなと思いました。掘り出し物がある作品は、良い作品です。

 宣伝映像を見ると、没になった流れはこんな感じなんじゃないかと思います。
【起】サトシ達、街に到着。ヒカリの大会。男爵、何かやらかす(たぶんアリスとの婚姻関係含む所有欲的なもの)※全ての元凶。そそのかすロケット団。街の異変。
【承】男爵がやらかした結果、すごいポケモン来ちゃう。立ち向かうサトシ達、敗れそうになる。一度、破れる?
【転】オラシオン(楽曲であるという方針は決まっていたようだ)起動、ダークライ目覚める。なんやかんやあって、アリスにだけは心を開くようになるダークライ。再戦へ気持ちを固め、団結するトレーナー達。
【結】ダークライ特攻。異変おさまる。男爵に制裁的なペナルティ。悲しみに暮れる登場人物。ダークライの真意に気付く。→復活。

 男爵周りは、プ〇レールとか演出の小物が良い味を出してますね。「頼まれたら、断れない性格でね」とか。実に悪役のそれっぽい。シンオウ三部作の元凶はアルセウス映画に登場する彼なので、他映画との絡みで男爵の出番は削られたのかなぁ、とか思います。山ちゃんだぜ。絶対、強い悪役ですって(偏見)また、細やかな演出があればあるほど、他のストーリーがあって、その枠組みにいた誰かを持って来たのでは?という考えも働いて、想像が楽しかったです。


 ここまでお読みいただきありがとうございます!
・再編集系の二次創作は、とても難しいと反省をしながら、ひとまず書き終わりました。書き終わらないと経験値にならないからね……仕方ないね……。
・書きながら考察して、ああでもないこうでもないと、試行錯誤してしまったのでとっちらかった印象の拙作になってしまいました。読みにくいと感じられた方は、申し訳ない。またどこかの作品でお会い出来たら幸いです。

・この拙作を誰かにお楽しみいただければ幸いです。



 次の作品は、BW2の時系列でBW2の出来事が起こらず、BWから5年後の世界でBW2の出来事が起きる世界を書いていきます。イッシュ最大の抗争なので。頑張ります。


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