戦女神の大神殿在住 狼巫女さんのお悩み (我武者羅)
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戦女神の大神殿在住 狼巫女さんのお悩み

 湖のたもとに死体があるのを見つけて、狼巫女は顔をしかめた。

 

 ドワーフの男だ。

 濁々と広がる赤の池の中心で、むせかえるほどの血の臭いに囲まれて倒れていた。足のそばに頭が折り重なる有り様。

 遠くに落ちた斧が、寂しそうにランタンの光を返していた。

 

「まったくもう……こんなに臭いを撒き散らして。山の上まで来るじゃないの。臭いがつくわ」

「私たちが担当なんだから仕方ないでしょう」

 

 ──唯人(ヒューマン)は鼻が緩くて羨ましい。

 相方を恨めしくにらむ。

 狼の獣人である狼巫女としては、鼻が特に鋭くてキツいものがある。

 

 相方を恨めしく思いながら、片付けるために手をつけた。

 戦女神を奉る山上の大神殿を望む、大階段のふもとでのことだ。

 

 

   ■ ◆ ■

 

 

 戦女神の本拠地とあって、神殿山の下、ふもとの街に多くの人が暮らしている。

 神官や巫女など関係者、戦士に商人果ては観光客まで行き交う、街の一角。

 《飛び舞う子馬》亭は今日も盛況。集い騒ぐ客らの合間をぬって給仕が駆け回る。

 賑わう中、カウンターで狼巫女はぼやいていた。

 

「みんな何で好き勝手戦うのかしらねぇ……」

 

 干し肉を肴にレモン水をあおり、くだを巻く。

 となりに座る大男は熊のような巨体をゆらして笑っていた。

 

「そりゃあ、戦いたいから、だろ」

 

 また、この大男。

 縄張りが同じなのか、ここしばらくはよく会う。

 あまりによく会うものだから、警戒することもなくなっていた。

 今器を傾けている澄んだ香りの酒は、好みのものだと言っていたか。狼巫女としてはあまりに(強く)て好みのものではなかった。

 

「そこらで野良試合とかやめてほしいんですけれど」

「なあに、ここは戦女神の寝所のお膝元。戦えばそれでよしと、当の女神様もそうおっしゃってる」

「もうちょっときっかりしてくれませんかねぇ」

「それを願うなら、お前はなんで真っ昼間から酒場なんぞにいるんだか」

「今は夜が担当なので昼は休みなんですよ。酒のんでないから良いじゃないですか」

「ならきちんと休めや」

「お互い様ですよー」

 

 大男の言葉に、うんざりしたように口を歪めた。

 

 近頃、神殿御足元の湖のほとりでは死体がよく転がっている。

 病等は一切ない。血を流しすぎたり、首を跳ねられたり、致命の一撃を食らったり。

 死因はどれも負傷によるものだ。

 

 野良試合か辻斬りか、その様相はわからない。

 しかし戦女神のお膝元でのこと。下手人に聞かずとも理由は決まってる。戦女神に『戦を奉納する』と言うに違いない。

 

 まったく、とコップを叩きつけてやりたくもなる。 

 

「それならきちんと神殿で奉納試合をやってくださいよ。さすれば素晴らしい加護をお授けなさられるのですから」

「とりあえず戦えば加護をくれる女神様に言ってくれ」

 

 反論できず、狼巫女はため息ひとつ。

 

 戦を祀る戦女神の神殿とあって、野良試合は昔から多いという。

 戦えば良しというのも間違ってはなく、野良試合程度でも加護を授けてしまうこともあるのだから手に追えない。

 

「防犯はしっかりしなければいけないのですけれどねぇ……試合だの言い訳で殺人とかはやめてほしいのですが」

「で、これで何人目なんだって?」

「今週でもう十人。唯人(ヒューマン)にエルフドワーフ獣人と、種族問わず男女も問わず」

「おお、怖い怖い」

「戦女神様のお膝元で何をおっしゃいますの」

 

 がはは、と大声で笑う男を、狼巫女もクスクスと笑った。

 まさしくとでもいうような髭にのまれた顔を歪めて、狼巫女の話─もはや愚痴だ─を聞いている。

 

「もうね、ひどい有り様なの。まだ全身血の臭いがついてないか心配になっちゃうわ」

「ほう、そんなにひどいのかい」

「心を一撃や泣き別れなら良いものを。兜割りだのはちょっとねぇ。昨日なんてお腹からばらまかれてるんだもの」

 

 顎に手を当てため息ついて、レモン水を一杯あおる。

 ふと、空気が変わっていることに気づいた。

 

 じろりとした視線を酒場のあちこちから浴びていた。

 

 親子連れや若い男女、商人風の男など。

 眉間にシワを寄せたり、耳を塞いだり。怪訝な視線を身体中に浴びて、狼巫女は縮こまるような思いがした。

 戦いと戦女神には縁薄い人々だろうけども、居心地悪くは思う。

 

 少しでも落ち着こうかとまたレモン水に口をつけようとして、その背中を大男がバシリと叩いた。 

 むせながらも抗議すれば、また笑う。

 

「俺らがそんなこと気にするか。なぁ!」

 

 その声に、同意の声がそこらから上がった。

 傷だらけのドワーフの剣士。

 絵からそのまま抜け出てきたような美しさのエルフの魔法使い。

 筋骨粒々の女戦士が叫び、虎の獣人が雄叫びを上げた。

 

「死ぬのが怖くて戦えるか!」

「やりあいたいからやってんだわなぁ!?」

「戦うほどに技が冴える、また果てが広がる。この旅路はやめられん」

 

 この通り。大男は自慢げに周囲を示す。

 

「俺らはな、戦女神のお膝元にいるんだ。死ぬ様なんざ気にするか」

「その程度、戦じゃ”ごまん”とあるわな」

「そこらに小石のように転がってるさ」

 

 酒場のマスターが唇を吊り上げて。また一同、大きく笑った。

 

 だけれども、狼巫女は納得いかないような、憮然な顔。

 くりんとした意外と愛嬌の有る目が狼巫女を見た。

 

「そんなに楽しいなら、わからないわ」

「何がだ?」

「死んでた人はみんな、とても苦しい表情をしていたのよ」

 

 そんなの簡単だろ、熊のような大男は何でもないように言った。

 

「──終わっちまうのが悲しいのさ」

 

 ──終わる……死ぬこと?

 首をかしげる狼巫女に、大男は黒の髭の中から似合わぬきれいな歯を見せて、笑った。

 

「”闘う”ことがだよ。教わらなかったか?戦女神の祈祷での戦いは──」

「──神に捧げる舞である」

 

 続けた言葉に、大男は頷いた。

 それは、戦女神の教えだったか。

 

「そういえば、そんなこと神官様は仰ってましたか」

「忘れるとはひどい教え子さんだな。教師役は浮かばれねぇ」

 

 まだ生きてます、との狼巫女の抗議には苦笑いを返してきた。

 じゃあそいつに聞けよ、とのぼやきには口を尖らせた。

 

「戦女神様は勝負を好む。決闘を好く。その中身や有様に興味を持たれる」

 

 ──誰が言ったかな。

 大男は思い出すように歌った。

 

《戦女神は恋が好き。

 死合は逢瀬。

 呼吸は吐息。

 剣戟は手繋ぎ。

 血飛沫は接吻。

 視線の交わり恋の始まり。

 命散って恋終わり》

 

 熊のような荒々しい姿に似合わぬ、流暢な語り口。

 

「その歌、恋が終わったらどうなるの」

「聞いたことは無い。どうでもいいんじゃないか」

 

 死のうとも、生きようとも。舞えなくなろうとも。

 

「末路は気にしない、ね。野良試合の人たちに、正しい祈り方は届いていないのですかね」

「お前が伝えていけばいいんじゃないか? ま、俺なんかに教わってばかりだし、お前が勉強しなくちゃな」

 

 前者には、その通りだといたく感心して狼巫女は頷いた。

 それならば、と思い立つ。

 

「あなたも奉納試合やりませんか? 私自ら観てあげますよ」

「言ったろ、その前にしっかり勉強していろ」

「奉納試合の審判の資格試験、明後日受けられるのですよ!」

「うっそぉ」

「ホ・ン・ト!」

 

 自信たっぷりに言い切れば、呆れたような視線が刺さる。

 

「疑ってますね。試験は得意なのですよ!」

「実践は?」

 

 聞かれて、声を詰まらせた。 

 

「それこそしっかり勉強と実践だ。受かって試合をやるなら観に行ってやるよ。手土産に良い酒持ってな」

「あなたが試合をやるんですよ?」

 

 その言葉に大男は目を見開いたあと、吹き出した。想定していなかったようにむせる。

 いいや結構、と苦笑いする大男に、狼巫女は小首をかしげた。

 

「素晴らしい加護は要らないのですか。野良試合よりももっといい──」

「俺は別にいいさ。加護すら無いし、たいした戦士じゃねぇ」

「そんな熊みたいな体でですか……? 剣も持ってますし」

「これはただの護身用。人を見た目で判断するんじゃないよ」

 

 大男は藁て腰を叩いているが「それこそ貴方は」というのは狼巫女の正直なところ。

 加護も無いならなぜ戦女神のことをそうも知っているのやら。

 ──それこそ勉強なのだろうか。

 

「まあ、加護が欲しくなったらお前さんに頼もうか。お前好みの酒でも持ってな。それまでに合格してろ」

 

 いきなり頭を撫でられて、思わず払い除けようとしても、力負けしてされるがまま。

 包み込むように暖かく大きな手だったのは、癪だった。 

 

 

   ■ ◆ ■

 

 

 二日後。狼巫女は試験になんとか合格を果たした。

 一日がかりの試験でヘロヘロな中、狼巫女が”担当”として深夜の湖の巡回へと繰り出していく。

 

 代えてくれてもいいじゃないかと思わなくはないが、その程度の困難は戦場では稀に良くある、なぞ言い切られて押し通された。

 

 そして狼巫女は湖のほとりで、死体を見つけた。

 ランタンに照らされた中に、むせぶほどに濃厚な血の臭い。

 全身に切り傷を帯びたその男は、首に穿たれた大穴が致命の一撃となったのだろう。

 周囲におびただしいまでの血を撒き散らしていた。

 

 荒れた地面、傷だらけの周りの木々、そこら中に染み付いた血飛沫がそこに至るまでの激闘を窺わせる。

 

「あっちゃあ……これはおっきいや。これは《強化》をかけてもキツいかな」

 

 手伝いを呼んでくる、そう言って相方の少女が離れていく。

 その足音を遠くに聞きながら、狼巫女はその死体をじっと見つめていた。

 

 《強化》なぞものにしないほどの巨躯。

 髭だらけの、ボサボサ頭。

 小さなつぶらな瞳は、もうなにも映さない。

 

「なんで、こんなところにいるのよ」

 

 大男が熊のような体を横たえていた。

 息はない。光はない。

 命の鳴動はどこにもなくて、そこに有るのはただ冷たい肉の塊だ。

 その側で折れた剣が、寄り添うように地に刺さっていた。

 

 どれ程暴れまわっていたのだろう。楽しかったのだろうか、戦うことが。

 どのような奉納していたのだろう。素晴らしかっただろうか、”舞う”ことが。

 

 戦女神のお目見え叶って、加護を授かることはできたのだろうか。

 

 狼巫女にはわからない。

 

「──なんで、そんな顔をしているのよ」

 

 大男の顔は、ひどく晴れやかな顔をしていた。

 

 狼巫女にはわからない。

 

 

   ■ ◆ ■

 

 

 その次の日も《飛び舞う子馬》亭で、狼巫女は干し肉をかじっていた。

 酒場の喧騒も耳に届かず、静まっているように聞こえる。

 となりの席は空っぽだ。

 何度見ても、そのことは変わらない。

 

「あいつは今日も来てないね。ま、どっかほっつき歩いているさ」

「──そう」

 

 マスターの言葉も聞き流し、上の空で干し肉を噛みちぎった。

 だからか、呼ばれていることにも初めは気づかなかった

 

「──あ、あの!神殿の方でしょうか!」

 

 背後から呼び掛ける声に、狼巫女は振り向いた。

 ずいぶんと年若い剣士だ。まだ新しさが見える服装、古いものを仕立て直したと見える革の銅鎧は肩帯がまだ新しい。

 

「なにか御用でございましょうか?」

 

 狼巫女は粛々と訊ねる。

 そばで聞くマスターが吹き出しそうになっているのを横目ににらんでいると、少年剣士は緊張した面持ちで言った。

 

「ほ、奉納試合の申し込みをお願いしたいのですが」

 

 あらあら、と狼巫女が口を手で覆ったその背後で、戦士らが面白そうに少年を見る。

 

「戦女神様に、ということでよろしいでしょうか」

 

 はい、と少年剣士も頷いた。

 

「それを、何ゆえ私に?」

「はい、戦女神様の加護を得るためには奉納試合によって戦を奉納せよと教わりました!」

 

 それで、と。

 おずおずとなにやら包みを差し出した。

 

「なんです、これ」

「これを持って、あなたに奉納試合を頼むものだと、教わったのですけれど……」

 

 資格を持っているとはいえ、ただの一の巫女。何をいてるのかと思っていたが、包みの中に思わず目を取られた。

 その中から見えたのは、猫印の包み紙の赤葡萄酒。近くの農場で作っている酒だ。

 甘味は強く渋味は薄い、狼巫女のお気に入り。

 でも公言したことはない。

 そんなことを知ってるやつなんて、酒場の常連か、あの熊みたいな──

 ああ、と思い至る。

 クスリとした笑いを可笑しいと思われたのかと慌て出した少年剣士をなだめて、はっきりと言った。

 

「では、お引き受けいたしましょうか」

 

 一転、少年剣士の顔は明るくなり、大声の礼とともに頭を下げた。

 

 結局ほとんど強引に渡された葡萄酒が手元に残った。

 別に試合には要らないのだけれど、受け取ってしまった。

 そんな変な話をどこで知ったのか、聞けずじまい。

 

 ──わからないことが減ったと思えば、また増えた。

 きっと出所は、あの大男。

 何を思って、あの少年剣士にそんなことを教えたのか。

 わかることは、もうないだろうが。 

 

 ──でもたまにはいいでしょう。

 せっかくの約束だったのだから。

 コルクを抜くと、気持ちの良い音がした。

 

   ■ ◆ ■

 

「──これより、奉納試合を行う!」

 

 少年剣士と戦神官を前に、豪華な正装に身を包んだ狼巫女は叫んだ。

 

 

 ──あの大男が消えてから、もう十日になる。

 見回りの最中には、野良試合を仲裁することもあったし、怪我した戦士を治療することもあった。

 湖のほとりに死体が増えることはなくなった。

 

 



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